1 :
考える名無しさん:
論理学で論理が正しい事は説明できないよな?
ということは論理学自体が非論理的となり論理学は崩壊する
うはwwwwwwwwwww華麗に論破したったwwwww
4 :
ユーサネイジア ダニエルカール:2012/01/17(火) 21:39:55.48 0
アンニューイ
アンニュイ!
6 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 21:44:05.81 0
論理学は論理学の体系内部では正当性を保障しているが、
論理学の体系外部との正当性の保障を持っていない。
7 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 21:44:57.21 0
nf||| | | |^!n
f|.| | ∩∩|..| |.|
丿ヽ). `ニニ´ (
) "ー=::=-'` ヽ
,i" -=○=- -=○=-゙;
-=○=- -=○=-゙;
-=○=- -=○=-゙;
( `ー一' ー' '、'ー‐',ノ
/ LL⊥⊥⊥⊥⊥⊥L\
(_彳┬┬-、,,,、┬┬┬ヽ_,,-) まだやっているのかね?
/⌒\\++. + _l_+. + ++//⌒\
/ ノつ\\UU、__l__, UU//⊂ ヽ!
o0○ノ / 3 \\'''----''// とノ\ ヽ○0o
( /、_ノ\ ヽr>ニニニ<r' / \´ )゚
\_) `ヽ : :;;*:; : : : / (_ノ
8 :
1:2012/01/17(火) 21:45:59.93 0
つまり、論理学の正しさは内部で保障されるが
外部との繋がりがない宙ぶらりんの状態である
それ言ったら内部でも正しさが証明されないものは
学問ですらないゴミ未満の存在になるだろ
10 :
1:2012/01/17(火) 21:48:34.22 0
論理学は内部でお互いの命題同士を
お互いに正しいと呼び合うが、これを外部から見ると
まさしくある組織内部でお互いの利益保障を企てている
企業カルテルの様に見えるであろう
11 :
1:2012/01/17(火) 21:52:36.70 0
論理学という企業カルテルは外部から見ると正しくない
が、内部ではそれは正しいかの様に振舞っている
企業カルテルの正当性の保障はどこで行われるのかは、
結局のところ、論理学が内部のみならず外部で正当だと
思い込まされる事と同義である
12 :
1:2012/01/17(火) 21:54:21.87 0
ポイントは企業カルテルが外部では正しくないのに
企業カルテルは事実上論理学として振舞っている事と
論理学が外部的保障を持たないのに
企業カルテル的性質を持つのは何故かという点であろう
13 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 21:58:45.94 0
中学レベルの数学も理解できないやつが言いそうなことだ
帰納演繹も知らないんだろう
>>13 すごいな君。波平のしゃべり方を完全に真似できている
744 +1:まぐな ::2012/01/17(火) 20:34:17.32
>>737 下半身パイナップル腐れまんこ臭気プンプンババア、部屋中むせ返るほどパイナップルの臭いさせまくりやがって、きたねえだよ、さっさと出てけ。
パイナップル色に黄ばんだパンティ何日着てれば気が済むと思ってるんだ。
このパイナップルオリモノ糞ババア、パイナップル腐れまんこババァ!
754 +1:まぐな ::2012/01/17(火) 20:39:27.49
>>737 パイナップル腐れまんこは哲学板でも汚いおばさんだと、文学板にまでベタベタきたねえパイナップルマン汁、を滴らせてやがるからな。
ジャネットの様なパイナップル汁が好きなやつは、深いに思わんのだろうが、その腐れ汁ベタベタが心底いやでいやでたまらんのだよ。
パイナップル膿まんこオリモノドロドロクソババア! オリモノパイナップルウジムシクソババア!
16 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 22:09:03.04 0
17 :
考える名無しさん:2012/01/17(火) 22:53:51.63 0
18 :
考える名無しさん:2012/01/23(月) 03:52:26.25 0
この
>>1は「タレス人は皆嘘つきである」に代表されるパラドクス的説明で論理学を無効化しようとしているとエスパー予想
つまるところ、ゲーテルの不完全性定理が論理学自体にも当てはまると言いたいのかね?
19 :
辻斬り 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆mN/RwaMSjw :2012/01/23(月) 04:39:41.80 i
そうだろうな
まあ、俺も同じように思うがね
20 :
辻斬り 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆mN/RwaMSjw :2012/01/23(月) 04:41:17.95 i
ゲーデルの不完全性定理は人間すべてに当て嵌まる
よって同様に人間の思考が生みだした倫理学にも当然当て嵌まる
21 :
辻斬り 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 ◆mN/RwaMSjw :2012/01/23(月) 04:43:51.61 i
ヒャッハーしたいだけの人間が、哲学を語れるだけ知恵をつけたのだ
ヒャッハーしたいだけの人間は武器しか持ちたがらない
その武器の矛先が、倫理学に向くことも当たり前と言えば当たり前だ
22 :
洋楽:2012/01/23(月) 04:57:36.79 0
・・・・・・ 動物は 邪魔なものを 空間認識上 避けて通る
意思における ベクトルは
Point to Point の テレポーション
それだけのこと
23 :
洋楽:2012/01/23(月) 05:07:25.41 0
倫理なんて 無くても
本当は うまくいくはず
どーして世界は こーなったか? ・・・・
それが マインドビジネス ってやつ
260 考える名無しさん[] 2012/01/17(火) 15:34:32.76 0
論理学で論理が正しい理由が説明できないって聞いたことがあるんだけど、
それだと論理学自体間違ったものだとは言えないか?
そもそも理は「経験→思考→理の獲得」の順番で手に入ると思うんだが、
「思考→理の獲得」だけでは不十分だとは思わないか?
体感したこともないくせに理だと決めつけるのは憶測ではないのか?
それだと食わず嫌いと同じだ。
食べたこともないのに勝手にマズいと決めつけている。
261 考える名無しさん[sage] 2012/01/17(火) 15:59:39.96 0
論理を体感しない人はあまりいないと思うけどな。
日常での推論では体感し辛くとも、数学の推論では嫌でも体感することになる。
数学の結果や思考プロセスは、物理や工学に反映されて「正しさ」を手に取ることができる。
これが「経験」にあたる。
>論理学自体間違ったものだとは言えないか?
論理にも様々な種類がある。
古典論理、直観主義論理、様相論理K、様相論理S4、時間論理、量子論理、線型論理、…
どの場面でどの論理を適用すべきかは、対象の性質と適用の目的に依るだろう。
自然現象に対して、どんなモデルを立てるべきかという問題と同じだ。
通常、数学は古典論理(のようなもの)に基づいている。
262 考える名無しさん[] 2012/01/17(火) 16:06:41.67 0
>>261 まったくわからん
俺の思考が足りないせいだな
考え直してくる ありがとう
25 :
考える名無しさん:2012/01/23(月) 13:55:29.20 0
しかし、2chですら論理に基づいた工学技術で作られた産物だぞ?
論理を全否定すれば、すなわち人間全文明の否定にも繋がる程の文化崩壊が起きるぞ?
経験論的な直感だと、論理は間違いなく正しさを予見する能力があり、現代ではそれが活用されている。
これを否定するのはどうだろうか?
26 :
考える名無しさん:2012/03/10(土) 06:15:53.62 0
スレ違い?…ないし空気 違いで恐縮ですが、
記号論理学以前の伝統的な形式論理学の、出来るだけ詳しくて
網羅的な総説書(日本語)が欲しいです。
何かお勧めの本はないでしょうか?
古いものでも結構です。ご存知でしたらどうかお教え願います。
27 :
考える名無しさん:2012/03/10(土) 17:38:59.95 O
28 :
考える名無しさん:2012/03/16(金) 18:44:40.25 0
僕は数学がほとんどできなかったから少ししか論理学の事を
理解してないけど論理的に考えれるようになった
そして
●ある論理学は論理的である
という事は僕でも証明できる
まず
●すべて数学は論理的である
これについては否定しないよね?
論理学の本を読めば論理学は数学と深い関係があり、数学の知識も多く使われている事がわかる。つまりベン図で書くと
数学が論理学を完全に包んでる、
あるいは
論理学の一部が数学だということがわかっている状態ということ
もし論理学がすべて非論理的ならば
●ある数学は非論理的である
となってしまう。
まとめると
●すべて数学は論理的である
●ある論理学は数学である
したがって
●ある論理学は論理的である
となります
僕は
●ある論理学は論理的である
としか証明できなかったけど
頭の良い人なら
●すべて論理学は論理的である
と証明できると思うよ
29 :
考える名無しさん:2012/03/16(金) 19:18:53.04 0
加えて言えば
●すべて科学は論理的である
論理学が科学の研究に役立ってるから
論理学が論理的である部分はさらに増える
VIPからきまつた
ってなんだここ
31 :
考える名無しさん:2012/03/16(金) 22:44:13.76 0
32 :
考える名無しさん:2012/03/18(日) 13:41:02.18 0
>>1は
>華麗に論破したった
って言ってるがまた華麗に論破してほしい
ネガティブな気持ちを進化の力に変えるのよ!?♪。
論理学って完全性定理ありますよね。
35 :
考える名無しさん:2012/03/19(月) 11:37:31.84 0
論理学=哲学
って印象の人が多いだろうから、
胡散臭く思えてしまい実用的ではないって感じてしまうんだろうな。
1が来なくてつまらんな
反論できなくて書かないか、それとも見てないかのどちらかだな
37 :
考える名無しさん:2012/03/23(金) 11:42:11.44 0
正しさが証明できないのは論理学に限ったことではない。どの学問も同じ。
ある命題が正しいことを証明するには外部に論拠を求めるしかないが、その論拠の正しさを証明するにはさらに外部に論拠を求めるしかなく、この作業が永遠に続く。
38 :
洋楽ばびろん:2012/03/23(金) 14:35:29.68 0
39 :
考える名無しさん:2012/03/25(日) 20:12:23.43 0
1来ないかな
まるで論理学を勉強したことのなさそうな人が論理学叩いてるのって悲惨だなw
土屋俊「文学者に出番はない」
飯田隆「“教養人”の皆さんは無理してクワイン読まなくていいでしょ」
野矢茂樹「論文というよりはシュプレヒコール」
戸田山和久「社会構成主義は頭が悪い人向けの哲学」
三浦俊彦「フレンチ・ポップ哲学(笑)」
42 :
エセ関西人:2012/03/29(木) 23:00:31.09 0
ある程度人の主観に基づくしサンデル教授のアレと一緒で
一つの宗教だな
44 :
考える名無しさん:2012/04/05(木) 00:07:34.72 0
てらんがな
おとなしく沈黙してたら駄目だよ
何の異議申し立てをしないのは黙認したことと同じ
47 :
考える名無しさん:2012/04/08(日) 17:51:33.12 0
>>1 >論理学で論理が正しい事は説明できないよな?
アッホウ! 論理法則の正しいことは★証明★できるんだよw
49 :
考える名無しさん:2012/04/10(火) 11:42:05.41 0
推理小説は
背理法とか後件否定式とかだね
アリバイなんて背理法そのものだし
それで論理学がどうこうってのは大げさ
買い物の計算が数学の応用だと言うようなもの
52 :
考える名無しさん:2012/04/10(火) 13:32:45.66 0
大げさかどうかは問題ではない
このスレは
>>1が論理学では論理が正しいことは説明できない
と言ってるんだからそれを否定する書き込みをしてるだけだと思う。
論理学とか数学に劣る。それは言葉の正義にすぎない。
何故なら論理学は定義と証明を必須としないからである。
つまり絶対的な力で解釈の仕方を変更できてしまう、実を対象とした
論というものは力に過ぎないからである。
その完璧さは非実を対象にする数学の足元にも及ばない。
非実を対象にする数学の正当性は論理で担保されるので、数学も「力」に過ぎないことになっちゃいますよ
〉1の言ってることは
「幽霊のいる世界から見れば幽霊が居ないという意見は通用しない」
と言ってるようなもの
まず「論理の体系の外」というものの実在を示すべき。
それができなければありもしない例え話をして論破した気になっているだけ。
「数学において論理は本質でない」と?
本質と、正当性の根拠は、別物だ
論理が解釈の仕方次第のあやふやなものであるなら、数学が非実を対象にする以上は妄想の謗りを免れないことになる
57 :
考える名無しさん:2012/04/11(水) 08:43:16.74 0
>>53 >定義を必須としない
論理学の本をしっかり読んだ?
定義についてちゃんと書いてあるよ。定義を無視してはいないよ
>数学の足元にも及ばない。
論理学には多くの数学者が関わってるよ
数学は認めてるのに数学者は認めてないようなものだよ
58 :
57:2012/04/11(水) 08:51:09.87 0
連投ですまん
>>53は論理学について断片的な知識しか持ってないように見える
もし論理学の本をしっかり読んでいたなら
タイトルと著者を知りたい
数学者兼哲学者や数学者兼論理学者って結構いる。
ルイスキャロルやライプニッツとか。
もっといるけど、論理学があまり役に立たない学問だと思ってたんなら、数学者は論理学の発展に関わったりしなかったと思うけどなぁ。
>>53 論理学の一分野である証明論では、普通の数学で使うような集合論的・超越的な公理は認めずに、
より(狭い)確実な範囲でのみ推論するんだけど…
論理学否定派は、たいして勉強してないための
ただの理解不足。
>>28-29なんて三段論法で証明してるのに否定派は何も反論してない。
反論できないからなのか。
数学や科学との関連性については事実。
>数学や科学との関連性については事実。
せやろか?
63 :
考える名無しさん:2012/04/19(木) 20:48:30.14 0
134 sage 2012/04/10(火) 00:16:06.32
(P⊃Q)⊃(〜Q⊃〜P)は恒真式で、「(PならばQ)ならば(QでなけばPではない)」が
成立するが、[P⊃(QVR)]⊃[(P⊃Q)V(P⊃R)] は恒真式なのに、
[Pならば(QかR)]ならば[(PならばQ)か又は(PならばRである)] は成立しない!?!
そもそも感情を持ってる人間って生き物が感情論抜きに物を話せるはずがない
自分で自分を論理的だと言い出す奴で頭のいいやつを見たことがない
だから論理学はゴミだと言い切れるかろ
論理法則が正しいことは、論理的に証明できる。
66 :
考える名無しさん:2012/04/22(日) 07:02:23.75 0
>>64 >そもそも感情を持ってる人間って生き物が感情論抜きに物を話せるはずがない
こんな事を言ったら、機械的に考え計算する数学だって当て嵌まるよ
「感情持ってる人間は機械的に計算できるはずがない」
ということになるよ
67 :
考える名無しさん:2012/04/22(日) 07:47:34.85 0
でも論理学というものに無感情な冷徹さが感じられるということは、
論理学はむしろそういった感情的な側面があるっていうことになるよな?
つまり論理学の論理的帰結は実はひとつの感情表現であって
全く持って死んだ思考をしているわけではないのではないだろうか?
アーギュメントがないとなんとでも言えるからね。
そうかもしれないけど、そうでないとしたらどうなるの?
自分は論理学好きだけど反論のためあえて
・論理学はゴミである
と仮定する。
(論理学好きな方、反論のためですのでお許しを)
A、論理学は哲学である
(もちろん論理学は数学でもある)
B、ある哲学者は論理学を勉強している
(ほとんどの哲学者は勉強してるよね)
C、ある哲学者は論理学の研究をしている
これらA、B、C3つの命題の
論理学である部分がすべて"ゴミ"で包まれてるので
大部分の哲学者、哲学も"ゴミ"で包まれてることになる。
つまりほとんどの哲学者、哲学はゴミである。という結論が出てくる
これは間違いだと思うので
自分は論理学はゴミではないという主張です。
それともうひとつ64は
>論理的だと言い出す奴
とか言ってるけど論理的という言葉を使ったからといって、その人間が論理学を詳しく知ってるかどうかはわからない。
だから論理学を否定するための根拠としては弱すぎる。
論理学をほとんど知らなくても論理的思考が発達していたり、論理的と言う人なんて大勢いる。
70 :
考える名無しさん:2012/04/22(日) 11:41:09.83 O
>無感情な冷徹さが感じられるということは、論理学はむしろそういった感情的な側面があるっていうことになるよな?
わけのわからない理屈だ。
君にとって、数学やコンピューターはそれには当てはまらないの?
それで自分の言葉に自分で納得できているの?
71 :
考える名無しさん:2012/04/22(日) 11:46:52.40 0
論理学を嫌ってる人の意見は、あんま説得力が感じられないしよくわからん
72 :
(@ ̄▽ ̄@)塩なめくじ ◆namequziNk :2012/04/22(日) 12:19:16.00 0 BE:87111353-2BP(527)
73 :
考える名無しさん:2012/04/27(金) 07:05:07.84 0
>>64 >自分で自分を論理的だと言い出す奴で頭のいいやつを見たことがない
>だから論理学はゴミだと言い切れるかろ
これを詳しく書けば
【論理学を勉強してるならば自分を論理的と言い出す
そして(ある人が)論理的と言った
したがって(その人は)論理学を勉強した人である】
そして論理的と言ってる人で頭の良い人を見たことない
ということは論理学を勉強しても意味ない
ゆえに論理学はゴミである
ということが言いたいんだよね?
ちなみに【】の中は後件肯定の誤謬だよ
[(A⊃B)∧B]⊃A
>>73 そうやって諭しても、本気で間違いを理解できない人ってのはいるもんだ。
論理学は結構役に立つと思うけどなぁ。
科学では一致法、差異法、共変法あたりは実験でかなり役に立ちそうな方法だよね。
77 :
考える名無しさん:2012/04/28(土) 18:54:45.15 0
知らんがな
>>75 観念のまま扱う論理とか紛らわしいだけで学問を荒らすだけ
紛らわしいと思うのは論理学を理解できない人だろう。科学者は頭がいいからほとんどの人は理解できてるだろう
もし実験の方法が科学者だけが考えた方法だけだったなら
範囲は狭かったはず
論理学のように思考を専門に研究している学問があったからこそ
科学者は効率よく実験ができたんだと思う
演繹も帰納も活かされてなかったら科学は……
81 :
考える名無しさん:2012/04/30(月) 20:38:14.40 0
「哲学」とは、人間を生かす、人類をどう生かしていくかと言う総合学問です。そして「論理学」とは
哲学の一分野です。「論理」体系化した学問が論理学であり、ギリシャのアリストテレスが論理を「三段論法」と
して定式化した。この「三段論法」は普段、私達が使っている「思考法」です。科学、数学の演繹、帰納法もこの三段論法が基本
となっている。しかし、この三段論法は「思考法」の一つであり実際は、ベルクソンの言う「直観思考」又、禅の「瞑想思考」、「メデア創造思考」
量子論思考(不確定性原理)など思考法はいろいろとある。実際に東洋では宗教による瞑想思考は風水などいろいろな事に取り入れ
られている。思考法には、それぞれ欠点があるが「三段論法」の場合は定義付けすることによる結果が分散し、拡散する欠点がある。
例えば、物理学を見ると、解析力学、量子力学、相対論的量子力学、場の量子力学など専攻分野が細かく分散し、しかも互いに独立し集合化が出来ない。
つまり、細分化し拡散し、いろいろな「理論」はできるが統合(融合)が出来ない。
それは「三段論法」の欠点か?
物理学が未完成であるという意味に留まらず、「三段論法」の本性的な欠陥であると?
適用範囲を弁えない、単なる連想やこじつけの類であれば、無理矢理に統合することもできるだろうけど、
それに何の意味があると考える?
哲学やる前に物理学と数学、論理学の学習を義務付けるべきだな。せめて大学では。
84 :
考える名無しさん:2012/04/30(月) 21:58:56.87 0
自分は論理学否定派ではないが
>物理学と数学、論理学の学習を義務付けるべき
「義務」「べき」と強く言ってるのが気になった
そうしたほうがいいという理由は?
85 :
エセ関西人:2012/04/30(月) 22:13:51.36 0
知らんがな
86 :
考える名無しさん:2012/04/30(月) 22:37:32.88 0
>>83 哲学は人間に関する事を考える学問だから、
それらに加え心理学も重要だな。
87 :
考える名無しさん:2012/05/01(火) 09:40:44.73 0
>>82 「物理学が未完成であると言う意味に留まらず、「三段論法」本性的な欠陥であるのか?」に対して、
私は次のように考える。「三段論法」は定義化する為に解答が分散、拡散しその解答なり理論が独立、固定化し
他の理論と統合出来ない性質を持つていると、私も思う。これを世界経済に例えてみると、経済は「金融工学」に基づいて
いろいろな経済政策を各国で行っている。世の中は「複雑な種々の条件で多様に集積化した構造」をしている。多様性のない
部分的な要件のみで固定化した金融理論では、かならず経済政策の歪みが現れる。その「歪み」がギリシャ債務危機、世界的な
経済格差となって現れていると思う。
>>87 サイコロの目を物理学で予想できないのは三段論法のせいだと思うか?
89 :
考える名無しさん:2012/05/01(火) 13:30:30.72 0
この世の中は、必然性(三段論法=精神)と偶然性(自然)で構成されている。
サイコロの目は、偶然性に入るので予想は出来ない。但し、数学(三段論法)の
統計学で、ある程度までは予想は出来る。それ以上は期待できない。
アリストテレスの三段論法は欠陥品で、
「なぜ全ての馬の頭は動物の頭なのか」を説明できないんだよ。
これを解決したのがフレーゲの述語論理なんだけど、
フレーゲとラッセルの論理主義をもっても、
論理的真理の体系に数学を位置づけることはできない。常識ですよ。
三段論法ではできないけど○○ならできる
この○○を提示しないから(誰も提示できないから)、三段論法の欠点だと言われても説得力がない。
人間が空を飛べないのは現状のトレーニング法が間違っているからだ、と言っているようにも聞こえる。
だから述語論理ならできるんだってw
論理学勉強しろよ
>>92 「三段論法」を「論理」の代名詞として使ったんだ。語弊があったな。
それなら「伝統的論理」と言ってね
誤解を招くから
>>87あたりは、正に「論理」の代名詞として「三段論法」と言ってるようにも見える
単に、彼の論理学の知識がそこで止まっている可能性も否定できないが
96 :
考える名無しさん:2012/05/01(火) 16:54:29.76 0
ここで問題となっているのは、単に「三段論法」ではなく、一階述語論理そして二階述語論理
等の数理論理学全般の思考プロセスだと思う。数理論理学
等の思考プロセスは、かならず「命題を設定した」
思考プロセスを一環して行う。この基本的な思考プロセスが分散、拡散し固定化を生じさせるものと思う。
では、思考プロセスで「命題」を設けない思考法があるのかと言えば、ベルクソンは、科学的論理思考に
対して直観思考を提唱し、科学的論理思考との協調をのべている。又、KJ法思考等が提唱されている。
何言ってるのかよく分からないけど、
数理論理学全般の思考プロセスというモノを「三段論法」として特徴づけてるの?
トンデモだなw
誰だって直観と論理を協調させて思考している。
形式的理論でさえ、それを展開する人間の頭の中には直観が働いている。
もしかして、直観と論理を無関係な別物と見なしていたのだろうか、
>>81は。
言葉は直観なるものについて語っていないんだよ。
直観が働いているかいないかということを語ることも、
私秘的なイメージについて何も語りえない。
そりゃ単に外から判らないって話だろw
「だから」そこには無い、はじめから無かった、ってのは乱暴すぎる
外というのが言語の外のことなら、語られるかぎり外なんかないんだな。
デカルトは「我あり」といったのではなく「言語あり」と言ったわけ。
まぁこんなのは100年くらい前の話だなw
ああ、「外」ってのは「他人」という程度の意味だ
自分だけが分かる言葉の意味なるものもないわけ。
私的言語はないというのも常識だね。
>>103 ?
別に自分の言葉を完全に理解できる、とまで言うつもりはないけど。
直観があったかどうか、今はその一点にだけ注目してるんで。
105 :
考える名無しさん:2012/05/02(水) 12:05:25.72 0
>>98
ベルクソンの言う「直観」とは、普通一般的に認識する直観、又、直観主義的一階述語論理の直観とも
内容が異なる。ベルクソンの直観とは、人間の認識には二つの方法があり、第一の仕方は、視点により
限定をうけ記号による固定化を免れない認識である。つまり、数理論理学等の、「命題−推論−結論」の
一連の思考プロセスをさす。第二の仕方は、観点(事象の定義化)にも記号にも依存せず、無媒介的に事物の内に
入り得る、純粋持続としての認識です。第一の方法が分析、科学的思考の方法であり、第二の方法が直観であると述べている。
このベルクソンの「直観」の解釈は非常に難しいが、つまり、世の中のすべての事象(精神面と物質面の両方)を認識する方法
には、二通りあって、すべての事象の持続している真実を、「ありのままに」認識するのが「直観」であり、すべての事象を固定(定義化)
して捉える認識が、科学的方法であると述べている。
>>105 >>98が直観主義論理の論理について述べているようにはとても見えないけど・・・
なんか無理矢理にでも自分の知識を披露したくてたまらないみたいだね貴方
知識が的外れなんだなぁ
ちゃんと勉強してるようにも思えない
ベルクソンは量化できない質みたいなものを自分で扱っていると思ってるみたいだけど、
言語はそういうものを語ることはできないので、
言語の機能を錯覚した疑似問題ですって感じだな。
「存在は二階の述語である」というフレーゲの言葉をかみしめて欲しいね。
110 :
考える名無しさん:2012/05/02(水) 22:23:03.07 0
数理論理学の限界について、カントは「実践理性批判」の中で、人間理性は一定の
先験的概念=システムの下で思考(命題の定義化)するため、その中で解決できない
矛盾を抱えることになる、と述べている。これはゲ−デルも不完全性定理と同じ様に、人間理性(論理)
の限界と述べている。今、一つ分からないのは、ゲ−デルの不完全性定理が集合理論の中で、どの様な
関わりがあるのかと言うことです。
>システムの下で思考(命題の定義化)
>不完全性定理
これたぶんまったく別の事だと思う
後、ゲーデルは人間理性(論理)の限界なんて不用意なことは言ってない
112 :
考える名無しさん:2012/05/03(木) 22:57:53.40 0
数学のみならず、すべての理論体系に於いて、前提(命題)が人間の理性の認識を
超えた設定の場合は、不完全性定理により証明する事が出来ない結論が出てくる。例えば、
神が、存在するかしないかとか、神に類する「人間の理性」を超える前提を設定
した場合に、結論は証明不可能となる。なぜなら前提(命題)が人間の理性の認識を超えて
いるからである。又、論理思考の弱点は、前提−推論−結論と言う一連の思考プロセスそのものが
分散化、独立、固定化し、結果としての、理論どうしの統合化が出来ない性質を持っている。その為に
理論そのものが、多様性の少ないものとなってしまう欠点がある。ゲ−デルの不完全性定理は、人間の理性の限界
そして、数理論理学の限界(思考プロセス)を明かにし、同時に科学の限界をも明確にしたが、では、科学は今後
どうあるべきか、そのヒントはベルクソンにあるのではないかと思う。ベルクソンは、科学的思考の長所と短所そして
直観思考の長所と短所を認め、互いに補い合う事が重要であると述べている。ベルクソンの直観を解釈するのは難しいが、
ベルクソンは、人間の理性を超えた認識(すべての事象の持続している真実を、ありのままに認識する=直観)に対して
直観的に思考することであると述べている。この直観的思考の、学問的確立はされていないが、今後、不完全性定理の学問と
協調する形で進めることは、大変、有益であると思う。又、直観思考と人間理性の関わりについては、南方熊楠も必然性(論理思考)と
偶然性(縁=直観)との関わりと言う表現で、同じ様な考えを述べている。
>>112さんは"直観思考"をしたことがありますか?
あるいは、これは"直観思考"の賜物だろうと思われる事柄に心当たりはありますか?
不完全性定理と神を結び付ける、て……
完全にポモの理屈じゃないっすか
115 :
考える名無しさん:2012/05/03(木) 23:10:16.29 0
ポモの理屈に理はない。
三段論法では正当化できないので、これこそが、ポストモダン的直観の産物であると言える。
116 :
考える名無しさん:2012/05/03(木) 23:45:26.11 0
人は、論理学が問題の論証の正誤を自動的に判定してくれると思いがちである。
特に、現代の論理学の初歩をいくらかかじったばかりの学生は、哲学的論証の妥当性を決定するためには、
もとの論証を記号化して、それが論理規制にかなっているかどうかをみればよい、と考えがちである。
こうした態度は、哲学における分析的道具の適用という点に関する無理解からきている。
『言語哲学大全・1』飯田隆 著 (P5−)より
117 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 01:03:16.14 0
118 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 01:13:31.48 0
直感思考と論理思考を厳密に使い分けている人なんていないでしょう。
直感思考は無意識的思考なんだと思うけれども
人間は右脳も左脳も使って思考するからけっきょく脳内では直感思考も機能しているはず。
computerが人間のように思考できないのと同様に
人間もcomputerと同じ思考のにはならないでしょうね。
119 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 01:16:27.53 0
120 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 01:18:48.93 0
test
121 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 01:19:03.53 0
直感と直観は違うけれども似たようなものだよ。
122 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 15:41:04.14 0
「直感」とは感情面が入るが、ベルクソンの「直観」とは論理思考である前提−推論−結論と言う
思考プロセスを使用しない思考法です。具体的に言うと、川喜田二朗のKJ法的思考が、一番分かり易いと
思います。このKJ法は自己の既成概念を取り除き、客観的デ−タに「語らせる」と言う新しい発想を起点と
した思考法です。従って、直観思考は、無意識的思考とは異なるものです。
123 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 20:54:12.72 0
分析哲学系では「直観」と「直感」に大差はない
ダメットなんかはほぼ区別していないな
124 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 20:58:38.88 0
>>122 具体的ついでに、直観思考の応用の具体例を一つか二つ。
あなたが頭空っぽのポエマーでないことを証明するためにもよろしく。
125 :
124:2012/05/04(金) 20:59:42.17 0
個人的な経験談でも結構ですよ
126 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 21:06:39.94 0
思考プロセスが介入しない「思考」なんてあるわけがない
そんなの妄想ですよw
論理を無視した抽象論ほど、簡単で、馬鹿でも偉ぶれるものはない
『批判する者は、思考を抑制された、軽蔑すべき「常識人」なのである』
こう返しておけば無敵だからな
128 :
考える名無しさん:2012/05/04(金) 22:27:45.13 0
既成の常識的理論を、まず疑ってみる。これは哲学の第一歩です。批判する前に自身の
知識、理論を白紙にして、種々の理論、他人の考えを受け入れ分析、思考する。これが
哲学の姿勢と思う。
128の具体例なんて世の中の物事全てだろww
直観思考の応用の具体例はまだですか?
論理学まわりの議論ってすごく整理されてるから、
打ち上げ花火みたいな話いくらやってもただの頭の悪い人にしかなれないよ。
134 :
考える名無しさん:2012/05/05(土) 14:52:57.99 0
>>122
「観点(事象の定義化)にも記号にも依存せず、無媒介的に事物の内に入りうる
純粋持続としての認識」をベルクソンは直観思考と述べている。そして、彼(122)は、直観思考の
分かり易い方法を、川喜田二郎のKJ法的思考と述べている。私もブレ−ン・スト−ミングで、
KJ法を学び、そのご川喜田二郎の「発想法」「続・発想法」の本を購入し独学で学んだ記憶が
あります。このKJ法の思考プロセス「自己の既成概念を取り除き、客観的デ−タに語らせる」のが
特徴であると思います。直観思考は、自身が経験し体得する比重が大きいので、自身が頭ではなく、実際に
体験する事が必要と思ます。
136 :
エセ関西人:2012/05/08(火) 15:55:20.59 0
137 :
考える名無しさん:2012/05/09(水) 11:54:56.74 0
>>134 川喜田二郎のKJ法は、ラベルを利用(媒体)して、直観能力を活性化させて、
直観思考を行う方法です。私が始めた頃は、KJ法を実行するにあたって、
「おのれを空しうしてデ−タ(資料)をして語らしめよ」の状態で、ラベルを
10枚〜20枚に枚数を制限して実行し、デ−タが「統合」されて行く方法を行った。
この統合された状態は、論理思考とは違い、実に不思議な体験であった。その後、ベルクソンの
著作を読んでいる内に、直観思考と内容(概要)が類似していることに気付き、ベルクソンの直観思考と
KJ法的思考が、自分としては同じものであると判断した。このKJ法的思考が情報(デ−タ)を「統合」
していく性質は、論理思考の分散、固定化していく性質とは、対照的な存在となっている。
138 :
考える名無しさん:2012/05/22(火) 00:20:44.49 0
論理学否定派が来なくなったな
せやな
140 :
考える名無しさん:2012/05/23(水) 14:05:28.52 0
>>138 論理学を否定しているのではなく、彼は、論理思考(分析科学思考)が分散、固定化
する性質の欠点に対して、直観思考の「統合する性質」を組み合わせて、互いに長所を、
補い合う事が重要であると述べている。川喜田二郎のKJ法では、論理思考と、
直観思考(KJ法)を組み合わせた一般的な問題解決法として、W型(六ラウンド累積KJ法)が
活用されている。私が普段、使用しているKJ法は、自己流の型で、
論理思考→直観思考(KJ法)→結論→フィ−ドバックの、シンプルな方法を活用している。
そのKJ法とやらが、
誰しも(もちろん分析科学思考を得意とする者も含めて)普段から行っているであろう思考とどう違うのか
結局説明はありませんでしたね
直観と直感はよく似ている、と話をはぐらかされてしまいました
142 :
138:2012/05/23(水) 17:02:59.73 0
>>140 自分が言った論理学否定派とは
1とか64みたいな人のことだけどな
川喜田二郎だとかKJ法なんてどうでもいい
143 :
考える名無しさん:2012/05/23(水) 17:26:17.72 0
144 :
考える名無しさん:2012/05/23(水) 19:53:55.40 0
>>141
論理思考(分析科学思考と数理論理学を含む)と直観思考の違いについて、彼は、
>>112と>>122で述べている。私達が普段使う思考法は論理思考(前提−
推論−結論)の思考プロセスですが、この論理思考とは異なる直観思考の内容について
述べている。又、直感と直観の違いは、直感は主観的感情を包含するが、直観について
ベルクソンは「観点にも記号にも依存せず、無媒介的に事物の内に這入りうる絶対的な認識」を
直観思考と述べている。
論理学にはすごいくわしいけど、すごいバカな人っているの?
149 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 11:19:45.64 0
>>146 そういう人がいるのだとすれば
論理学の知識をあまり現実に応用できない人じゃないかな
宝の持ち腐れってやつね
論理学にすごい詳しいからといって応用がうまいとは限らない
詳しくて、たくさん応用もできればまわりから頭がいいと思われるし
詳しくても、応用があまりできなきゃまわりからバカと思われる
でも論理学を勉強をしてない人よりも、
勉強してる人のほうが論理的な議論ができる人が多い
このスレをよく見てればわかる
応用力について言えば論理学だけじゃないよな。
>>150 ゲゲゲって何よw?
152 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/28(月) 11:35:22.30 0
>>1 >論理学で論理が正しい事は説明できないよな?
>ということは論理学自体が非論理的となり論理学は崩壊する
いまさらかよ。ウィトは・・・
153 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 13:37:17.14 0
>>149
当を得た応えですね。
論理学自体が役に立たないとか、論理学を勉強した人全員を否定するのは×
論理学を勉強した特定の人に、たとえば
君は論理的な推論ができてないから論理学のセンスがないというのは○(筋が通った説明ありでね)
ここに、論理学を馬鹿にしにくる人は、指摘がおかしかったり
極端で説明も不十分、または説明なし
>>147も説明はしないだろうよ。
かかか、論理学が役に立つ?
論理学を応用?
定性的対象認識においては危なくては仕方がない。
対象認識が論理的であるということが、即ち、作り話であると把握した上でならよろしいが、こんな所で論理学なんていってる奴は、ロゴスとロジック相重ねの形而上学徒でうずまいてるんじゃないか?
まあ、論理学はバカにされるから、正確に言うと、論理学というやつの頭の悪さが、つまり実践力のなさが、つまり、規定の枠内からのえんえきしか出来ない無能さがバカにされてるから、
いいわけをこれまた演繹的に必死だな。
×論理学というやつの
○論理学と言う奴の
論理的であることは、なにも、その内容認識の正しさの指標にならない。
ところが、論理的であることが、何かしら正しさの反映であると思う奴が論理学、また、論理云々いうやつにはあふれている。
現代に潜み或るスコラよ亡霊たち。
そんなのがウヨウヨ。
×潜み或る
○潜み在る
161 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 15:35:48.95 0
では、正しさの指標になり得るものって例えば何?
162 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 15:57:11.96 0
>論理的であることは、なにも、その内容認識の正しさの指標にならない。
もちろんその通りだが、論理に欠陥が多かったり非論理的なら正確な認識や理解、議論もおかしくなるだろ。
論理的だったら必ず正しい認識ができるというわけでないが
論理的であることは正しい認識をするための必要条件だよ
●正しい認識ができているのならばそれは論理的である
必要条件は知ってる?
論理学が論理的であり正確さを重視してるのは事実
163 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/28(月) 16:15:22.63 0
近代以前は、論理学より修辞学が重視されてきた。
ようするに、人びとを説得するようにうまく言う技術が
必須とされてきた。
それが、近代に論理学が重要視されるように転倒するのは、
近代の最初が、キリスト教的なドグマを排除して、
より客観的に、論理的に正しいことを重視することが目指されたためだ。
修辞学的なものは芸術として生き残っていく。
結局、論理による基礎付けは失敗するわけだが、
それでも、論理的、すなわち誰にも客観的であろうとすることは、
近代社会のコミュニケーションにおいて重要なことで
あり続けている。
今ひとつか・・・
ま、作文だな。
論理的構造化のみごとな罠にはまった。
お疲れ様。
165 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/28(月) 16:24:31.68 0
>>162 わかってない。
論理的であるのではなく、
論理化してしまう。
記号的差異以上の差異を与えられず、記号的個別性の限りでの定性での演算の安定性と、
自然言語を主たる言語とする認識空間における論理的考察とはまるで異質である。
そこが、ピンきてないから、
正しい認識は論理的である、なんていえないことをしんじてしまう。
きみぎいってるのは、記号的に承認され、演算可能と見なされたくうかんでの演繹的判断の特性をかたっているだけ。
たた、形式的妥性をのべてるだてが、いつの間にか、内容的妥当性に飛躍させている。
これが、ロゴス論的論理主義の常套手段であり詭弁構造の常てまある。
必要条件
高校で話してこい。
ぷー、スマホはウチニクイノー
169 :
リーマン小太郎 ◆JXLBbnYqTY :2012/05/28(月) 16:30:24.92 0
170 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 16:37:47.82 0
>>166 >形式的妥性をのべてるだてが、いつの間にか、内容的妥当性に飛躍させている
試しに貴方に反例を尋ねてみる(反例を挙げることの妥当性までは否定しないよね?)
171 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 16:39:38.31 0
161に対するレスが見たい
>>161 当然・・・ない。
指向への妥当性の限りで承認される構造からの演繹性として評価される。
174 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 16:49:22.73 0
>>166 「反例」の意味はわかる?
演繹によって妥当であると示される(もちろん、演繹の仮定の妥当性まで含めて)にも関わらず、
結論の内容的妥当性に飛躍が見られる推論の実例を挙げよ。
と言ってるんだよ?
175 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 16:50:05.61 0
>>173 やっぱり、そーゆー原理主義なのねw
あほらしいわ
>>170 反例
論理主義に汚染されている。
それが無意味であると認識してみよう。
ポイントは視点という空間への投影性が命題関係に潜在していることだ。
>>175 そりゃロゴス的形而上学からみればそうだろう。
178 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 16:54:41.37 0
>>176 >形式的妥性をのべてるだてが、いつの間にか、内容的妥当性に飛躍させている
いやいや、貴方はこう言い切ってるじゃないの
例えばどんな場合に当てはまるの?と尋ねてるだけなんだけど
反例は見つからないし、論理的に示すことはできない (というか、演繹しても意味がない)
しかし、演繹の非妥当であることは確実である
うーん…哲学は難しいな…
180 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 17:10:07.39 0
>演繹しても意味がない
>演繹の非妥当であることは確実である
よくわからん
確実って言葉使うって事は根拠があるって意味だろ
それは論理的に説明できるってことだろ
演繹が非妥当であり、意味がないと仮定しよう
演繹の例
1+1=2
これは非妥当であり意味がない。
182 :
ノウ:2012/05/28(月) 17:42:27.51 i
演繹とは、結論が前提に含まれる時に成立するもの
1+1が2になるのは、2を1+1と定義した前提の上にしか成り立たない
演繹の特性として面白いのは、結論に誤りがあるなら前提のどこかに誤りがあるという
逆の推移律が成立するところだ
183 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 18:14:13.23 0
>>1 さすが伝説の佃煮さんですね。ずばっと真理をついてます。
184 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 18:20:40.65 0
その佃煮さんって人はすごい人なのか?
どんな人か知らない
185 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 18:20:48.18 0
186 :
考える名無しさん:2012/05/28(月) 18:23:09.84 0
188 :
考える名無しさん:2012/05/29(火) 16:10:56.81 0
なんか曖昧なままで、もう来なくなってしまいましたね
189 :
考える名無しさん:2012/05/30(水) 10:26:53.89 0
190 :
考える名無しさん:2012/05/30(水) 19:00:29.55 0
>>174に答えろよ
正にお前の主張している事柄なのに、答えられないはずがないだろう
191 :
エセ関西人:2012/05/30(水) 19:31:06.71 0
せやな
192 :
エセ:2012/05/30(水) 23:24:36.35 0
自分が正しいかは自分の理論では証明できないらしいけど、
間違っているとまでは言ってないだろ。
1の言う「崩壊」がどこまでを対象にしているのかは知らんが
仮説は反証されない限りこれからも仮説として生き続けていくんじゃん?
数学と一緒で「わかった気」にさせてくれない過酷さがあるな、記号論理学って。
わかる人はわかるけど、わからない人はどんな師にあっても、やさしい入門書を買ってもわからんままだ
194 :
考える名無しさん:2012/05/31(木) 02:32:09.16 0
自分は、1年ちょっとくらい論理学勉強したけどあんまわかんなくて挫折
5年くらい論理学から離れてて今年から入門書読み返してるんだが
なぜだか少しずつ理解できるようになった
難しいけど、理解しはじめると推論が早くなる
記号は覚えたほうがいいよな
195 :
考える名無しさん:2012/05/31(木) 11:45:20.57 0
やっぱり答えるつもりはないようだ
197 :
考える名無しさん:2012/05/31(木) 17:19:21.54 0
398 名無し生涯学習 sage 2012/05/19(土) 07:53:33.61
ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。
「論理学ってのはどういったもんですか?」
「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」
「ありますよ」
「ということは、広い庭があるわけですね?」
「その通り!うちには広い庭があります」
「ということは、一戸建てですね?」
「その通り!一戸建てです」
「ということは、ご家族がいますね?」
「その通り!妻と2人の子供がいます」
「ということは、あなたはホモではないですね?」
「その通り!ホモじゃありません」
「つまりこれが論理学ですよ」
「なるほど!」
深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。
「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」
「いや。ないよ」
「ということは、君はホモだな!!」
198 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 04:26:27.76 0
くろくろくろまじょはっぴーな−
ちょこちょこちょこまかしってーるー?
ずんずんずんずんずんずんずんずん
200 :
考える名無しさん:2012/06/01(金) 22:20:36.67 0
100 132人目の素数さん 2011/11/26(土) 16:26:35.92
倭の国に盾と矛を売っている商人がいた。 自慢して言った:−
「私の盾は頑丈でどんなものも突き通さない。 一方、私の矛は鋭く、どんなものでも突き通す。」
ある客が言った。「あんたの矛をあんたの盾に突き通そうとしたら、どないなるんや?」
商人はこう答えた。
「いい忘れてましたが、盾が突き通さないものの中に私の矛は含まれません。
また、矛が突き通せるものの中に私の盾は含まれません。
私の矛で私の盾が突き通せるか否かについてはわかりません。
両方お買い上げいただければ、お客様自ら御確認できます。いかがですか?」
客曰く 「ギャフン!」
201 :
ノウ:2012/06/01(金) 22:21:56.37 i
ずんずんずんずんずんずん
202 :
エセ関西人:2012/06/01(金) 23:47:29.80 0
9 名無しのオプ sage 2011/06/22(水) 00:54:20.50 ID:5HGVLTrZ
”「博士は眼鏡をいじった。「こう言いたいのかね」博士は迫った。
「本物の帽子屋がロンドンで盗みを働いていると」”
10 名無しのオプ 2011/06/22(水) 03:21:05.38 ID:ivdj3XDZ
>>9 ・博士の話している相手は目上の人間ではない。
・こう言いたいのかね、の表現から博士が会話相手は自説を断言することを避けたことがわかる。
→推理:従って会話相手が伝えたかったことは、
「突飛な話」あるいは「博士の名誉に差し障る話」あるいは「自分自身が不利になる話」のいずれか。
・ロンドンで盗みを働いている、の表現から、犯罪は突発的なものではなく連続して起きている。
・本物の帽子屋が〜、の表現が暗に意味する「本物でない帽子屋」
→推理:帽子屋が犯罪を起こす小説等があり、それになぞられた事件が起きている?
18 名無しのオプ 2011/07/10(日) 08:45:43.16 ID:cQnGTeBY
”ハーフォードを出発する前、タナーはルース荘の応接間で見つけた写真に記されていた名前の写真師に手紙を出して、
サー・ウィリアム、オースチン、コスグローブの三人の写真の焼増しを注文しておいた。”
21 名無しのオプ sage 2011/07/10(日) 15:45:34.44 ID:tde/In6A
>>18 まず分かることはタナーは写真師と面識はない、ということ
(ルース荘で写真を見つけて初めて名を知った)。
にもかかわらず、写真の焼き増しを依頼できるということは、タナーには何らかの権限がある
(おそらく捜査関係者)。
ハーフォードを出発したタナーの目的地に写真師がいるのかどうかは分からない。
目的地に写真師がいるのだとすれば、かなり遠方(依頼の手紙の方が早く着くことを想定しているのだから)。
そうでない(ハーフォードから目的地へ出掛けて帰る間に焼き増しが出来上がるように依頼した、などの)
場合も考えられるから、目的地については何とも言えない。
ただ、後者の場合、目的地での調査には必ずしも写真は必要ではないことになる。
24 10 2011/07/11(月) 00:05:22.59 ID:tRxAZDqU
>>21 ・手紙を送ってる所から、写真師はハーフォードにはいない。
手紙ならどこからでも(目的地からでも)送れるので、
わざわざ出発前に手紙を出したということは、
目的地に写真師がいる蓋然性が高い。
写真を撮る場合、近くの写真師に頼むはずなので写真師はルース荘の近くにいる。
したがって、タナーの目的地はルース荘であると考えられる。
→推理
見るだけなら目的地の応接室にあるというのに、
わざわざ焼き増しを必要とする理由は聞きこみに使うためと考えられる。
25 10 2011/07/11(月) 00:07:30.72 ID:tRxAZDqU
>>21(つづき)
・ハーフォードの名の都市は、アメリカのカンザスに存在する。
しかし、サーの称号からルース荘のある国はイギリスであることがわかる。
タナーが探偵であれ、捜査員であれ海外に調査に出かけるとは考えにくい。
したがって文中のハーフォードは、
イギリスの都市ハートフォードの書き間違いである可能性が高い。
205 :
考える名無しさん:2012/06/02(土) 06:04:12.46 0
ひゃはっっっはっっっっっっっっっっっっっっっっっh−ーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
206 :
エセ関西人:2012/06/02(土) 11:16:06.39 0
せやな
207 :
考える名無しさん:2012/06/02(土) 12:55:31.12 0
ずんずんずん
ちょっと
>>197を見てて思ったんだが
・芝刈り機があるならばホモではない
対偶は
・ホモならば芝刈り機がない
となるけどおかしいよね
自分なりの証明はあるけど
論理学を勉強した他の人の証明はどんなのか聞きたい
それ対偶ではないよ
>>197 これは酒場の偽物教授。
これでは落語。
風が吹けば桶屋がもうかるそのもの。
211 :
208:2012/06/03(日) 18:10:42.68 0
>>209 自分の間違っました?
間違ってたなら教えてください
対偶って
A⊃B≡〜B⊃〜A
だった気がする
1、芝刈機があるならば広い庭がある(A⊃B)
2、広い庭があるならば一戸建てである(B⊃C)
3、一戸建てであるならば家族がいる(C⊃D)
4、家族がいるならばホモではない(D⊃E)
アリストテレス連鎖式だっけ
これをつなげば
[(A⊃B)∧(B⊃C)∧(C⊃D)∧(D⊃E)]⊃(A⊃E)
この結論(A⊃E)
の対偶は(〜E⊃〜A)
ってなりませんかね
それとも言葉についてでしょうか
・ホモではないということではないならば芝刈り機はない
ここですか?
>>211 俺の読み違い。
それでけっこう。
すまんかったな。
213 :
208:2012/06/03(日) 18:23:07.37 0
>>210 いや
自分は論理学的、具体的な証明が見たいだけです
俺は対偶は恒真とは見なさない。危なくてしょうがない。
記号的な差異のみたる単質性のうえでは承認してもいいが、或いは、承認された定義が可能とする概念的な空間における論理値としてはいいが、人が論理的な考察を現にする場合は、常にといっていいが、
ある対象的考察では規定し切れぬ内包性の海のなかで考察せざるを得ないこと。また、どれほど無矛盾にして整合的な理論であってもその空間は所詮は仮定モデルであることから、対偶が示す事が、直ちに妥当であるとは保証されないからだ。
対偶に限らず、論理的な演算、ないし、考察においては、論理的帰結が示す事象が現に経験的な妥当性をもちえているかを評価する慎重な態度が大切だろう。
論理的考察は真を語らない。
しかし、前提群の非妥当性は囁いてくれる。
ま、べつの言い方すれば仮言命題なんてのは、自然言語を主として用い対象が自体的な概念でない場合は、所詮は
1 そうかも!
2 そうとしてしまいましょ!
たる性格を排除できない。
2chをはじめ、あたかも論理的な書き方をして、何事かを主張しているばあい、大概は論理的であること自体に内容的妥当性があるかごとき姿勢が匂う。
それはロゴス的な宗教ってなもんだな。
ま、変換の恒真をいくら身につけても対象認識が「有効」に得られるわけではない。
その逆のほうが多いのは、2chのあれこれのスレをみても一目瞭然だろう。それは哲学板?でも同断だ。
>>216 あなたはもしかして
>>166さんかい?
使ってる言葉や文章がだいぶ似てる
>>174にはまだ答えない?
190 考える名無しさん 2012/05/30(水) 19:00:29.55 0
>>174に答えろよ
正にお前の主張している事柄なのに、答えられないはずがないだろう
>>211の人の証明なんか読むと
素直におもしろそうな学問だと思うんだけどなあ
何度チャレンジしても挫折するんだよなあ・・・
220 :
考える名無しさん:2012/06/04(月) 08:44:06.15 0
日本語を記号に翻訳しただけで、論理学というほどのことは何もしていないと思うけど
>>211 これはクラスと値がぐちゃぐちゃになってるから
222 :
211:2012/06/04(月) 15:01:45.47 0
自分の考えを言うと
前提がすべて蓋然的であるから
です
1と4だけ説明します
1は、芝刈機があっても広い庭がない場合が存在する
自分の父親は芝刈機がありますが、広い庭はありません
だから
芝刈機があるならばたぶん広い庭があるだろう
となります。
4は家族(妻と子供)がいてもホモである場合
ホモではあったが両親や兄弟に反対され、女性と結婚し子供も作るように言われ
その通りにした
この場合も1と同じように「たぶん〜だろう」となる
2や3も同じように蓋然的である
すべて蓋然的ならば結論A⊃Eが正しい確率はだいぶ低くなるから有効とは言えない
223 :
211:2012/06/04(月) 15:20:11.60 0
>>221 ありがとうございます
なるほど、クラスですか
さっそくクラスの場合で考えて見ました。
>>222の書き込みと合わせて考えれば
前提1〜4まで特称命題ということになりますね
記号化すると
1、∃x(Ax∧Bx)
2、∃x(Bx∧Cx)
3、∃x(Cx∧Dx)
4、∃x(Dx∧Ex)
∴ ×
となりますね
定言三段論法の定理
両前提が特称ならば結論なし
これは三段論法についてだけど
前提がすべて特称という点は一致するのでアリストテレス連鎖式にもきっと当て嵌まりますね
意見、ありがとうございました
225 :
考える名無しさん:2012/06/04(月) 23:11:00.22 0
127 考える名無しさん sage 2012/06/04(月) 18:41:19.26 0
わたし女だけど、論理学修めた弾性に
論理的に責め立てられたい///
昔は・・・論理的必然性で女が抱けた。
「君がほしい」
「必然性があれば・・・」
論理的詭弁の訓練の意味があった時代。
矛盾が発生したら魔法の言葉があった。
「それは弁証法的に考えればいいんだよ」
227 :
エセ関西人:2012/06/07(木) 21:04:13.11 0
知らんがな
論理学だろうが
人間が前提だろ。
主語がある言語なら当然なのに、日本語だと、この基本を忘れて「自分」を主張するから受け入れられなくなる。
知らぬ間に主語がタヌキやキツネに化けているわけだw
自然現象が数式で表せるよのだから人間活動も論理的に記述することは必然にすぎない、なぜなら人間活動は自然現象と等質だから、つまり論理が最終的には人間を解明するツールになることは間違いない
231 :
考える名無しさん:2012/06/17(日) 17:54:42.67 0
232 :
考える名無しさん:2012/06/18(月) 20:37:57.13 0
>>230
「自然現象は、数式で表せる世の中だから、人間活動も論理的に記述することは
必然にすぎない」と、述べている。 では、自然活動の「生命現象」は、数式で
表す事が出来るのでしょうか。 例えば、「光合成」のエネルギ−転換の仕組み
を数式では表すことは出来ない。
そのとおり自然現象でもまだまだ未知の領域がある。つまり科学は万能ではない。天気も地震もまだまだ解明できてない。言いたいのはそういうことじゃないんです。わかりますか。いいですね。
234 :
考える名無しさん:2012/06/18(月) 22:40:17.78 0
数式で表せても現実の現象は「全て」を考慮しなければならない。
「全て」とは例えば月の引力。太陽黒点、フレアー、隕石から果ては宇宙現象まで。
それら全ての影響力を計算するには宇宙的大きさの計算機が必要になってくると思った子供の頃にあきらめた。
237 :
考える名無しさん:2012/06/23(土) 13:13:46.00 0
a
いまさら中年で一から自然界が数学で表現できることを勉強したくないよー
論理学VSポストモダニズム!?♪。
論理学もポモも、習熟すればそれなりに役立ち、金になるけど
中途半端に挫折するとろくなことにならない
という点で一致するんじゃないの
何にでも当て嵌まりそうな空論っすね
論理学に習熟すると、それなりに金になる?
具体的には?
>>241 そうすっね
しょせん両者共にそのていどの空論なんじゃないですか
244 :
考える名無しさん:2012/06/24(日) 20:17:33.55 0
>>242 あるていどきわめて大学のポスト手に入れれば
とうぶん安泰だろ
考えろよ、低脳
>>245 なんだか論理学やポモに高級な意味づけをしたがってる頭の悪さが臭うのですが
人生、だいじょうぶですか?
>>246 俺自身、論理学やポモについては一言も言及してないよ
筋道通せないほどカチンときちゃった?
論理学(や数学)は国語の試験としても使えるというのが、これから哲学を学ぶ人にとっては重要
文章を"正確に"読み書きできるかどうかが、当の国語の試験よりもはっきりと浮き彫りになる
哲学最初のディシプリンにはあつらえ向きと言える
三浦や野矢や入不二が入試現代文の本みたいなの本書いてるしねw
251 :
考える名無しさん:2012/06/29(金) 07:22:05.05 0
s
test
そういう問いの立て方をしなくなってから来い
256 :
考える名無しさん:2012/10/13(土) 21:52:30.23 0
「ハイ論破」の真実
文系学問では理系のように仮説を実験等で検証ができるものが少ない。
↓
そもそも答えが存在しうるのか?問題が間違っているのか?も不明であるが
どうやったって正しいか正しくないかなんて検証のしようがないから
大多数が正しいと思うか、あるいは議論や論理(ロジック)で勝てるほうが正しいとなる
↓
多数決が正しいという真理は存在しないし
論理的であれば常に正しいという真理も存在しない
議論に勝つと正しいというならそれは心理かもしれないが
論破したところで正しさが証明されたことにならない
ハイ論破
257 :
考える名無しさん:2012/10/15(月) 13:46:28.41 0
>>256 >多数決が正しいという真理は、存在しない。
論理的であれば常に正しいという真理も存在しない。
議論に勝ったとしても、その論理が正しいと証明されたことにならない。
上記の課題に対して、400年前に論究したのが、デカルトである。
まず、一般に使われる「論理的(論理思考)」に対して、デカルトは、「論理思考(三段論法等)」の
推論を主体とする方法に満足せず、推論の出発点までさかのぼり、そこでの定義と定義に含まれる観念を、
出来る限り分析によって、明晰にしょうと努めている。 その結果、デカルトによって考え出されたのが、
「方法的懐疑」と言う物事の「真理」を探求する「思考法」です。 この「方法的懐疑」によって、物事の
根源的な真理として創出したのが、 「私は考えるゆえに私は存在する」と言う有名な認識である。
この「方法的懐疑」は、「直観思考」と呼ばれ、これに演繹思考と帰納思考とを組み合わせた「思考に於ける」
四つの規則を表している。1、直観思考による「命題」の創出。2、演繹思考(三段論法)の展開。
3、論理思考(演繹法)に基づく論理体系の構築。4、見落としがない様に、完全な枚挙と、全体にわた通覧とを
あらゆる場合に行う(帰納法)。この「四つの規則」は、デカルトの「方法序説」の中に、解説されている。
民主主義政治に於いて、最も重視する論点は、「多数決が必ずしも正しいと言う真理とは限らない」という側面を
持っている。又、「論理」、「理論」が論理的であれば常に正しいとも限らない。 物事の正しさを万人が、認めうる
手段として、デカルトの「四つの規則」は、時代を超えて、今、見直されるべき思考法ではないかと思う。
>>1 まぬけ!!!!(爆笑
論理法則、例えば
∀<x>P(X) ⇒/p/ ∃P(X)
は次の様に「証明」される:−
∀<x>P(X) & 〜∃P(X)
⇒/p/∀<x>P(X) &∀<x>〜P(X)
⇒/p/∀<x>P(X)〜P(X)
⇒/p/0(P)
∴ ∀<x>P(X) ⇒/p/ ∃P(X) ■
理論を超えた
個々人による独自の経験則から導き出された答えの出し方
それが直観思考だ
例えば超絶ブスがいて、何故モテない?どうすればいい?という答えに対しての解は整形だと直観的に分かる
この場合概ね間違ってないだろう
全てが論理的で無くてはならない
という前提が間違っていると言えるし
論理学は思考の幅を狭める理論である
260 :
考える名無しさん:2012/10/21(日) 12:23:23.92 0
>>259 論理学は、思考の幅を狭めると述べていますが、「直観思考」と「論理思考」とは、
どの様な違いがあるのですか?
論理的正しさは実際の正しさを保証しない。にどれだけ論的整合性のある仮説を作っても実証的確かめられるまでは正しいとは言えない、ということです。
直観思考と論理思考の違いは○○である
という形では答えられないの?
>>260 論理法則を意識せずにする思考が“直観的思考”。
論理法則を意識的に用いてする思考が“論理的思考”
>>262 直観思考と論理思考の違いは論理法則を意識的に使っているかいないかである
264 :
考える名無しさん:2012/10/21(日) 20:22:26.15 0
>>263 >論理法則を意識せずにする思考が“直観思考”
論理法則を意識せずにする思考とは、例えば、デカルトの「方法的懐疑」による
「我思うゆえに我有り」の認識のことでしょうか?
>>264 そうです。 或る理論で、公理とされるものは、すべて非論理的思考の産物といっていいとおもいます
論理学や集合論、その他ありとあらゆる数学理論の公理は
こんな性質を持つものがあればいいな、この程度の定理は成り立っていてほしいな、そのためにはどんな仮定が必要かな
と試行錯誤の末に確立されるもの
これは非論理的思考の産物か?
試行錯誤において論理的思考と非論理的思考という二つのプロセスがあったのではないか?そして、どこまで論理で、どこからが非論理であるかは言えないのではないか?
268 :
266:2012/10/21(日) 22:41:16.07 0
そういうこと
「我思うゆえに我有り」は論理的思考だよ。(^o^)
270 :
考える名無しさん:2012/10/22(月) 10:33:23.64 0
>>258 そりゃいろいろ前提が真であると仮定して、あるいは現代論理学を盲信してじゃないか?
というか、思考も意味も頭の中にあるものじゃないから、
観念論者は勁草書房の『現代哲学基本論文集』をまず読んできてね。
272 :
考える名無しさん:2012/10/22(月) 11:55:58.49 0
>>271 そんなの当たり前だが、タルスキ以上に真について現代論理学は何らかの根拠持ってるの?
質問の意味がわからないけど、
タルスキ以外の意味論に何か不満があるということ?
それともタルスキ以外意味論があるか否かということ? 後者ならあるよ。
274 :
考える名無しさん:2012/10/22(月) 15:04:52.84 0
>>265 >或る理論で、公理とされるものは、すべて非論理思考の産物と言っていいと思います。
上記の非論理的思考と言うのは、直観思考のことと思いますが、公理とされるものが、どの様な
思考プロセスで、「非論理思考」の産物であるのかを、もう少し詳しく説明して下さい。
思考プロセス云々するのは認識論だな
認識論は論理的意味論に先立てないってのはウィトゲンシュタイン以降決定的でしょ
276 :
考える名無しさん:2012/10/22(月) 16:59:13.84 0
>>273 現代論理学で真理論でタルスキ以外の論って何かある?
非古典論理学の意味論はすべてそうでしょ
そもそもなんでタルスキの話になったの
論理学VS幸福の科学VS黄金の夜明け団!?♪。
281 :
考える名無しさん:2012/10/23(火) 11:51:49.43 0
>>275 論理的意味論の中核となっているのが「論理実証的思考」であり、その論理思考が、
「形而上学的」な命題を「論理不可能」として、論理対象からはずしている。この点は、
現代認識論の常識である。この点に関して、ウィトゲンシュタイン哲学の限界を表している。
従って、認識論(デカルト以降)は、論理的意味論より先立つと解釈される。
285 :
考える名無しさん:2013/01/05(土) 17:23:59.30 0
合理主義を極めると世の中こう見える(´∵)っ感情自己責任論
286 :
考える名無しさん:2013/03/06(水) 00:59:21.20 0
287 :
S・イマムラ:2013/03/06(水) 11:05:42.53 0
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291 :
考える名無しさん:2013/10/19(土) 21:52:41.53 0
ゴミつくだに
論理学にハマり過ぎると
本当のカルトになってしまうからね
293 :
考える名無しさん:2013/10/19(土) 22:05:09.49 0
>>293 「論理カルト」つまり文章でしか考えられないということ
広い視野も失ってしまうから簡単なミスで自爆する
295 :
考える名無しさん:2013/10/20(日) 01:54:57.01 0
論理学が進んだ結果が英米
どうにもならんやろ
>>294 討論生中継じゃないんだから、いくらでも時間かけてブラッシュアップしていけばいいじゃないの
297 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 17:09:41.79 0
お昼の和田アキ子の番組で、あまちゃん効果で観光客3000%増というネタに
和田アキ子が待ったをかけて、自分は数学が苦手だからよくわからないんだけど
パーセンって100までじゃないの?3000%増っておかしくね?どういう意味?
ってつっこんで、他の奴が意味を説明してたけど、
理系の各種学問と論理学を習得した俺から見ても、和田アキ子のリアクションは正しいと思ったね。
30%増なら聞いた瞬間理解できるし、和田アキ子もまったをかけないだろう。
100%を越えると表現の仕方に注意しないと駄目だ。
298 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 17:12:38.31 0
3000%増は、意味としては基準値+基準値の3倍という意味であるが、そのプラスの部分を見て、増えた量が30倍だということだ。
つまり、「3000%増」という6文字で、「観光客が増えました。どれくらい増えたかっていうと前年の値の30倍の数がプラスされました。」
という意味を表しているのだ。注意しなければならないのは、「30倍になった」という意味ではないのである。
それをいうなら「31倍になった」ということである。
299 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 17:15:43.89 0
「3000%増」を別の方向から解釈すれば、わかりやすく、3000%増の結果総人数が12400人になったのだとすると、「今回は12400人ですが、そのうちの12000人が1年で増えた量です。
これは前年の総数の30倍の数です。あ、でも結局、今年の総数は31倍の12400人ですよ。」という話になる。
なにがいいたいかというと、「3000%増」という表現は本当はもっと長い文章で表す論理を数字と%と増という漢字1文字だけで表した、世界でも稀な省略しすぎな数字表現なのである。
論理学が、現状の社会で人間が使っている言語表現の論理を解明する学問であるのなら、日本の論理学は少々破綻していてもおかしくないといえる。
300 :
考える名無しさん:2013/10/27(日) 19:41:16.35 0
「論理学」を考える場合、「形式論理学(=論理学)」と、「現象学」との違いを
明確に持って分析、或いは論究が必要と思う。
「形式論理学」は、「Aは非Aでない」という論理であり、 「現象学」は、「Aは非Aである」
と言う論理である。
カント哲学は、形式論理学を基底として批判哲学を構築しているが、第二次大戦後からメルロ=ポンティ、デリダ、
レヴィナス、ドゥル−ズ等の「現象学派」と、ウィトゲンシュタイン、カルナップ等の「論理実証主義派」に分かれて行く。
哲学的思考は、大別して「Aは非Aでない」と「Aは非Aである」の二通りの思考法があるので、この両者の相異点を明確にし、
論理学(形式論理学)が現代哲学に於いて、どの様な位置づけにあるのか、現象学、構造主義、プラグマティズム、との対比の
中から論究することが重要となってくる。
301 :
考える名無しさん:2013/10/28(月) 13:48:49.92 0
>>300 形式論理と弁証法論理の相違点にも関係しますでしょうか。もしよろしければ、この相違点について究極的な形でご教示ください。
302 :
考える名無しさん:2013/10/28(月) 15:25:20.26 0
>>301 形式論理と、現象学の違いは、「前提」を必要とするのが「形式論理」であり、
「前提」を必要としないのが「現象学」です。
ここで、問題となるのは、「弁証法論理」の構造ですが、
私見として「弁証法論理」は、定立命題と反定立命題という「前提」を必要とし、
そこに、アウフヘ−ベンを導入している。
アウフヘ−ベンは「否定論理と生成論理」で構成されているが、この「生成論理」を、
現象学的思考と解釈している。
従って、「弁証法論理」は、形式論理(前提を必要とする)と「現象学(前提を必要としない)」の
両方の形式で構成された論理であると解釈している。そう言う意味では、「弁証法論理」は、変則的な
“論理形式”となっていると思います。
303 :
考える名無しさん:2013/10/28(月) 15:44:30.44 0
誰が解釈してるって?
304 :
考える名無しさん:2013/10/28(月) 16:41:18.15 0
>>302 早速のお返事、ありがとうございました。
アウフヘーベンが「否定論理」と「生成論理」で構成されるとのことですが、両者がどのようにアウフヘーベン中に構造化されているのでしょうか、
そして、前提の2命題はこの構造中にどのように埋め込まれるのでしょうか?
ひつこいようで申し訳ないのですが、簡単にご教示頂けるようでしたら宜しくお願いいたします。
305 :
考える名無しさん:2013/10/28(月) 20:18:36.29 0
最初から30倍に増えましたといえよw
306 :
考える名無しさん:2013/10/28(月) 20:20:28.97 0
†アウフヘーベンの堕天使†
307 :
考える名無しさん:2013/10/29(火) 20:55:40.28 0
>>304 ヘ−ゲルの弁証法は、自己(主観)が異質な他者(客観)の中で、いったん自己を見失い、
その他者(客観)と和解し合うこといよって、より大きな自己へと生成し究極的(弁証法的展開による)な
「絶対知」へ至る。
つまり、定立(主観)の即自存在(肯定)→反定立(客観)の対自存在(否定)→綜合(否定の否定)の
思考過程となる。
この思考過程をさらに具体的に述べると、即自存在(正)を否定して、「反」としての対自存在(客観)となり、
さらに「反」である対自存在を否定して「合(否定の否定」として高次の自己へと「生成」した自己存在(主観)
に至る。
否定された「即自存在」と「対自存在」の“本質”が保存され、「合(綜合命題)」の領野で、「生成論理」によって
高次の自己が形成される。
持論ですが、対自での否定の否定により、即自と対自の『本質』が保存されて、「合」の領野にて、「生成論理」が
働き、この「生成」の働きを現象学的な「現象化」と解釈している。
この観点から、弁証法が>302で述べたように、形式論理学と現象学の両方の形式で構成された論理であるとした
根拠となっています。
ミルの論理学
演繹(deduction) 帰納( induction)
演繹法 | 帰納法
(帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
事実の検証 | 事実の発見(観察・実験・説明)
三段論法の法則 | 自然の類似
/|\
↓ | \ ↑
法 / | \ 帰
繹 則 三|普 \ 納
◯ 演 /法 段|遍 自\ 法 ◯
諸 の 論|的 然\ 諸
事 /法 法|自 の\ 事 自 因
物 ◯ 論 の|然 類\ ◯ 物 然 果
・ /段 大|法 似\ ・ の←の
意 三 前|則 \ 意 斉 法
識 ◯/_________提|__________\◯ 識 一 則
現 ← 真 の | 推 理 現
象 | 象
の ◯ | ◯ の
事 | 事
実 | 実
J.S.ミルは上の図における形式的な演繹法(図:左側)よりも、実質的な帰納法(図:右側)を重視
した(とはいえそれは理性による真の推理とは異なる)。
「我々は帰納による以外には『普遍』を知ることができない。なぜならば抽象的な思考
によって到達された概念を理解せしめ得るのは帰納によってのみである。」
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)
309 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 22:28:17.16 0
>>307 (有Sein/無Nichts)から、止揚によって(生成Werden)が出てくる過程、すなわち止揚過程を取り出して純粋にその内容を知りたいのです。
(本質Wesenheit/現象Ersceinung)から止揚によって(現実性Wirklichkeit)が出てくる過程、(概念/判断Urteil)から(推論Schluss)が出てくる過程などでもあります。
止揚過程の純粋な表現が知りたいのです。その対象である「生成」や「現象」なる言葉を使わない表現です。
310 :
考える名無しさん:2013/10/30(水) 22:35:26.77 0
ふっと気がつきましたが、止揚は、帰納と演繹の結合体??
では、どんな結合???
311 :
考える名無しさん:2013/10/31(木) 23:53:29.55 0
>>310 「帰納」とは個々の事象(前提)から、事象間の本質的な結合関係(因果関係)を
推論し、結論として「一般的原理」を導き出す思考法であり、
「演繹」は、「一般的原理(前提)」から論理的推論により、結論として個々の事象(命題)を
導き出す方法です。
従って、「演繹」と「帰納」の始まりは、「前提」を設定し→推論→結論という「思考過程」は
同じであり、「帰納」は「Aは非Aでない」論理を基底しており、形式論理学の一種と解釈している。
アウフヘ−ベン(止揚)は、否定(否定論理)と、生成(生成論理=高める)で構成されたものと解釈
している。この否定原理と生成論理を分けている理論的根拠は、否定論理が“主観”を導入しているのに
対して、生成論理は、「主観」を排した「不可疑性」の領野に入るからである。
312 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 05:48:53.28 0
概論の概論という感じだな
概念がいいねん
314 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 13:03:29.97 0
ダジャレなら
論理学徒は孤独なGACKT。
315 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 19:27:36.83 0
帰納の推論原理は「アナロジー」、非形式論理的。演繹の推論原理は「集合論的(3段論法的)」。
両者の共通原理はあり得るか??
両者の化学結合はあり? A-Bの化学結合Cは、A-Bと全く共通性なく新種。
316 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 20:54:34.28 0
Aは即自命題(演繹導出)、Bは対自命題(帰納導出)、A,Bの化学結合Cは即且対自命題(AとBの論理積)。
317 :
考える名無しさん:2013/11/01(金) 20:57:10.25 0
「止揚」はしたがって即自と対自の両命題のの論理積か。
318 :
考える名無しさん:2013/11/02(土) 20:16:46.95 0
ヘ−ゲルの世界観の核心は、「主体」こそが真理である、と言う捉え方をする。
「主体」とは、“自ら分裂し媒介する存在こそが主体と呼ばれるのだ”と記述している。
従って、世界の総体を、分裂と否定と死と荒廃を含んで、激しく転回する運動体として捉えている。
そして、「精神現象学」のなかで「精神は絶対の分裂に身を置くからこそ真理を獲得するのだ。…
精神が力を発揮するのは、まさしく否定的なものを直視し、そのもとに留まるからなのだ。」と述べている。
この様に、ヘ−ゲルに於いては、対立による「否定」が、中心的な概念となっている。
弁証法が、否定論理と生成論理で構成され、「否定」が強く働けば、それに相応して「生成」の現象化が働き
より高次の自己が形成されていく。
319 :
考える名無しさん:2013/11/06(水) 18:01:19.15 0
有/無が「止揚」によって成(Werden=「生成」)になる。有/無が「生成」によって「生成」になる。
トートロジー??
320 :
考える名無しさん:
本質/現象の現象化(止揚?)が現実性。これもトートロジー。