1 :
走召/\ :
2011/02/08(火) 12:28:04 0
高みの見物させてもらいまっせ。ヴォワイヤンとして
俺は超人を超えた超超人になる
超人って何? 人を超えるってことは霊魂か
>>5 神(=根拠・レゾンデートル)なしで生きられる人間じゃないか?
正直すまんかった
9 :
考える名無しさん :2011/02/24(木) 05:55:14.82 0
超人になって何やったの?ニーチェって。
自作自演
ヒトラーが生まれた
核も酒も薬もニーチェも結局は受け取ったり使う側の責任だな
13 :
考える名無しさん :2011/02/25(金) 00:52:54.20 0
超人というのは神に自我を支えてもらわずに、 自分の理性で自分の自我を支える人間の事だ 絶対にありえない 先進国で自殺率トップは日本か韓国だが、 世界中で宗教を信じていない人間が大多数なのも日本と韓国だけだ 幼稚で素朴な幻想こそが人間の自我を支えるのだ
アインシュタインの理論から原子爆弾が生まれ、ニーチェの「超人」「力への意志」からヒトラーが生まれた
>>13 自殺は、人間の自然に抗う自我意志の行為かもしれない。
確かニーチェが晩年に興味を持ったキリーロフも同じ様なことを語っていた。
子供好きの建築技師。「神の意志に従わず我意を完全に貫いたとき、神が存在しないこと、自分が神となることが証明される。
完全な我意とは自殺である」という独特の人神思想をもつ。組織の活動を遺書に残し自殺することで、一身に組織の罪を引き受けた。
徹夜して思索することが習慣のため、夜の登場が多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%9C%8A_ (%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)
>>14 人間の自らの精神も肉体も、使い道次第で…
快楽と理性は対義語か
18 :
考える名無しさん :2011/02/26(土) 21:59:08.14 0
これが生なのか、よしもう一度!
19 :
考える名無しさん :2011/02/26(土) 22:37:54.38 0
20 :
考える名無しさん :2011/02/26(土) 22:51:48.61 0
a
抑制と理性は同義じゃん
| ∧ ∧ |/ ヽ ./ .∧ | `、 / ∧ |  ̄ ̄ ̄ ヽ | ̄ ̄ ̄月曜日 ̄ ̄ ̄) | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.\ |ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- / |:: \___/ / |::::::: \/ /
>>13 ニーチェも現実に対する無力(自らの病も含め)があったからこそ、
ツァラ物語などの虚構(幻想)の世界を自ら書いて作って慰安としていたのだろう。
そしてその中の超人の概念は、神の存在を否定し自らの理性を信奉するものだった。
| ∧ ∧ |/ ヽ ./ .∧ | `、 / ∧ |  ̄ ̄ ̄ ヽ | ̄ ̄毎日曜日 ̄ ̄ ̄) | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.\ |ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- / |:: \___/ / |::::::: \/ /
一般人は何も残せるものはない。 生まれては消えていくだけ。 人生に意味なぞない。 今を生きるだけ。「力への意思」だけが生き物の本能だ。 と、ツァラトゥスラはかく語りき。
特殊人が残した遺伝子(人間だろうが思想だろうが)もいつか滅びる 人生に意味が無かったら死にも意味は無いだろう
28 :
考える名無しさん :2011/03/02(水) 14:21:08.59 0
人生に意味があるほうがよいのか、ないほうがよいのか? 意味、意味、価値、価値っていうこという人もうるさいけど。
爆発してしまいそうだ
そう それは スーパーノヴァ
人間スーパーノヴァ!
頭がパーン!?♪。 必須アモト酸!?♪。 寧ろ俺様は超究極最上級最強最高最大無敵至高神人に為るのだよねー!?♪。 僕達のドリルは全部の次元の壁を打ち砕くよねー!?♪。
え?
ニーチェがいうように、理性は自立できない。 理性は制御(否定)するためにあり、その当の制御(否定)する対象が 無ければ無用の長物である。 つまり奴隷である。しかし、近代は逆立ちしている。 彼が行ったのは否定を否定する聖なる否定であり 獅子の咆哮であろう。
寧ろ俺様は創価学会の池田大作の大勝利は間違いなく訪れますよねー!?♪。 明らかに考えて特別回答の結果解明ニーチェは超人何打よねー!?♪。
え?
結局、理性は無力だな。そしてもちろん身体的に完璧な制御やコントロールは不可能。 あれだけ精神使って理性的な言論してたニーチェも、肉体は快楽の為に売春宿に通ってそこで貰った梅毒で狂ってしもた訳だが。
今の時代だったら性欲を自慰で解消する媒体や情報は大量にあるし、梅毒に罹っても医学で治せるがね…
超人様には食欲も性欲も無さそうだが
そのうちカーズは考えるのをやめた。
神経がぼけて盲目になった方が幸福ですね。酔った時とかもうね…
そんな酔い方が出来ることに3000ルサンチマン 所詮無いものねだりか…
ほろ酔い気分って最高じゃん! 独り(・∀・)ニヤニヤしながら部屋中を⊂二( ^ω^)⊃ ブーン する時が至福です。
寧ろ明らかに考えて超人ゆえに食欲も性欲も常人以上ですよねー!?♪。
ニーチェの思想哲学では不幸と苦労と困難は試練何ですよねー!?♪。
47 :
考える名無しさん :2011/04/06(水) 22:00:58.13 0
教育でニーチェ
超人ではなく狂人になった
|ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- / ウンチマンにおいてはルサンチマンじゃろうとハレンチマンじゃろうと、 結局はハレンチマンに過ぎないのではないかね?
>ハレンチマン 人類がここまで続いているのは、その為か。
51 :
佃煮マニア :2011/04/17(日) 18:31:38.32 0
最近過疎ですね。
52 :
考える名無しさん :2011/04/20(水) 22:01:04.77 0
教育 ニーチェ
最後に頼れるのは自分しかないってタマキンがN教で逝ってるゾ
青い稲妻の獅子はルシファーか?
55 :
佃煮マニア :2011/04/26(火) 22:44:46.73 0
スレが死んでますね。
>>53 環の逝ってる事、説得力があったな
俺もそろそろ洞窟から出る時期だと思えてきた
835:吾輩は名無しである :sage:2011/04/28(木) 22:15:48.42 死ぬ直前の脳が梅毒に侵された状態で書いた 支離滅裂な文章の作品を読んでみたい
59 :
佃煮マニア :2011/04/29(金) 17:54:21.00 0
60 :
考える名無しさん :2011/05/02(月) 00:15:09.91 O
過疎だな クソコテどこ行ったんだよwww
「不可能」を作れ無いから全能では無い? ???
62 :
考える名無しさん :2011/05/13(金) 23:05:05.25 O
ハゲには全てが無意味である。 体系? ハゲは体系の外部にある日陰者。 自ら光らねばならない運命を与えられた超人。 太陽の神々しい輝きは、人をめくらにしてきた。 真理の光は、あまりにもまぶしすぎるのだ。 神は死んだのだ。 人間が殺したのだ。 ハゲよ、今こそ立ち上がれ、世界を駆け巡れ! 人類にテカリを!!
神は死んだ、 なるほど。 ルサンチマンはみんな持ってる。 それはそれで仕方がないだろ。 ルサンチマンから脱け出そうとすることこそルサンチマンを増幅させている。 ルー・サロメは見抜いていたのさ。
65 :
考える名無しさん :2011/05/14(土) 01:12:21.23 O
髪が死んだから神は死んだのだ。 神は見てはいけないものを見てしまったから殺されたのだ。 人は光など欲しくないのだ。 人に相応しいのは淀んだ歪んだ光、即ち、テカリなのだよ。 ソクラテスなんてブサのくせして人のあら探ししやがって、死んで当然なんだよね。 人の欠点を晒させてなんになる? ふぃろそふぁーとか何なの? 汝自身を知れとか言うならせめて鏡みてから物申せよっての。 全然知りたくないみたいじゃん。 無知の知? 笑わせんなよ。そもそも知りたくないんだろ。何がふぃろそふぁーだよ。 必要なのはテカリなのさw
66 :
考える名無しさん :2011/05/14(土) 01:17:20.08 0
まぁ、なんにせよ当時から現在までのお偉い方が、ニーチェの文章を読んで 「おっスゴイことが書いてあるじゃん」と理解したことに」驚きを感じ得ない。 やはりバーゼル大学の教授という肩書きがよかったのか。
67 :
考える名無しさん :2011/05/14(土) 01:17:54.92 0
驚きを禁じ得ない、OR 感じざるを得ない・・・だな。
68 :
考える名無しさん :2011/05/14(土) 01:21:40.71 O
事実など無意味だ、無価値だ! 事実などないんだ! ハゲはスキンヘッドだ! ハゲはファッションだ!! 全ては解釈なのだ。解釈にかかってる。
悲劇の誕生意味わからない・・・ アポロ的=夢の夢をどう解釈すればいい?
自然に帰れだと? ありのままの姿に? バカな。ヤリチンヤリ棄てのルソーの裸体や、教育論など糞くらえだ。 ありのままルソーを考えてもみたまえ。DQNもいいところじゃないか。 ルソーの全てを見ていながらルソーを許す神など死んで当然ではないか。 なんでルソーなんかがモテやがったのか。 女がバカだからだ。女がヤリマンだからだ。まったくサロメには幻滅だわ。 現実など糞くらえだ。 やっぱり解釈にかかってる。 価値は創り出さないことには無いのだ。
>>70 ルソーの男女関係はよく知らんけどルソーって優しい奴だったんじゃないかな。
女の方から「私を抱いて」って言うような魅力的な男だったのかも。そうだったらいわゆるDQNでは無いな。
経験人数が多いとか付き合った期間が短いとかで一概にヤリチンとか女タラシとか言えないよ。 なんと言うか、ある出来事ってあらゆる関係性から生じるもので理性の無力さをつくづく思い知るよ。 人間は絶対に環境や周りの他者に影響されてしまう。自我(自立と自律)が弱い子供や個人なら尚更。 今地元で、のちにナチスになった人間たちの子供時代が描かれた映画が公開されてるんだけど、今は観る勇気が無い。
73 :
考える名無しさん :2011/05/14(土) 03:45:53.28 O
5回はらませて、5回も子供を捨てたルソーはヤリチンDQN以下です。
次から次へと子供を捨てておいて教育論とは! ふざけんなよ。 迫害されて当然だよね。
ルソーはわざわざ尻剥いて見せたのだから変態だったのだろう。 変態バンザイだな
でもルソーっていわゆる優秀な遺伝子だから何とも言えないね
全ては解釈、という事を現実逃避と同じだと考えていないだろうか? それは違う。 例えば、鏡を見て、自分がハゲであると認識するとする。 その認識は、あなたにとっては確信であるだろう。しかしその確信を保証する神は存在しないのだ。 私は私をハゲだと思っている。しかし、それは私の妄想である可能性があり、その可能性はゼロにはならない。
前スレの997が「だが、この理論は晩年の病気によ って自らにより裏切られたと言える」つってるけど、 おそらくは脳の病という物理的・生理的なバランスの崩れで狂気に至ったんだから、 「自己」自体を虚構とみなす思想を、結果的には自らの身で実証したようなものでは?
ハゲに限らずかつてあった輝き(ハゲは違う意味で輝いてるけど)が今は失ってしまったというのが悲しいね。 ほんとうの大切さは、それを失ったり、その人が居なくなってから初めて知ったりするんだよね。 ただ無いもの強請り(ねだり)や失ったもの強請りだと、人生不幸になる。
>>78 万有は無から発生して無へと還る。
しかしその間の中でこうして私達がシンクロし、出会い、交流することは何か意味があるのだろうか。
この引力の正体とは、一体何だろう。
ハゲた獅子は、これはスキンヘッドという名のお洒落だ!と吼えて笑う。 これは闘争としての「解釈」だね。 獅子にとっては「事実などない」!のだな。 頭皮に安住する毛はないし、安住の地もない。広大な大地ですら揺れ動く。 万物は流れさる。 それでいいのだ! とはなかなか言えやしない。 だから、人々を無差別的に見殺しにした神は殺された。 ハゲた大地に意義を与える者は何か。 ハゲた獅子であり、ハゲた小児だろう。 三段階の変化は悲壮な状況に置かれていないと起きない。
82 :
考える名無しさん :2011/05/14(土) 07:13:26.94 O
ハゲの克服がニーチェのテーマなんだな。 命より大切だといわれる髪を失ったような極限的状況の克服がね。 悲惨で不毛な生活を開花させることなんだ。 日陰に生える植物は日光の下では死んでしまうので、屈折した光、テカリを好むんだ。 テカリはハゲを克服したハゲた獅子によよって与えられるのだ。
>>80 正確にニーチェ的に言えば、「無意味から発生して無意味へと還る」だろうね。
無から何かが生じるというのはニーチェが批判していた考えだから。
無からは何物も生じないが、神や目的論といった形而上的な原因・根拠もまた空想。
故に、無意味・無目的な「力」の概念が置かれる。
そうして生成し変転する世界に「意味」を主体的に与える者としての超人が要請されるわけだ。
日本人がハゲを気にするのは目鼻立ちがしっかりしていないから、 顔の輪郭が立派じゃないから、せめて髪の毛で誤魔化してるんだろ。 西洋人はお前らほどハゲを気にしない。 額が広くなったぐらいの感じでむしろ博士顔で立派に見えるじゃないか。
ニーチェの後半の哲学を読むと、〈幾つもの主観〉〈原因と結果の混同〉〈自我とは虚構〉〈すべては 解釈〉等が揃って〈私という統一性〉〈力への意志〉を裏付ける。後の思想家に絶大な影響を与えるわ けだが、人間が自己の意思に拘わらずある傾向を持ってしまうという面には結局触れなかった。 例えばニーチェは有名な片想いをザロメにし、惨めに破れているが、そういう片想いとか、ニーチ ェ式の〈幾つもの主観があって、今は君が好き〉などと言っても、「何カッコつけてるのかしら、こ の人は」と男らしくないと見切られるのがオチである。実際ニーチェの理論は自分が傷付かないで すむ、言動に責任とらないですむ、ムシのいいのが多い。また、個人が個人である根拠である、可能 性の限界、或は無限の内面性をもちえないこと、有限的であることを見ないですむ特徴がある。ニ ーチェの理論を読んでいると、別にルーザロメでなくてもいいみたいだし、日によって違う恋でも しそうだ。しかし実際には忘れられなくて最後傷付いたわけだろう。それって超人のやることじゃ ないよな(笑)というか、これ一件だけで、ニーチェの理論がいかに本人の日常の言動と食い違って いたか、示している。ニーチェに言いたいのは、かっこつけるな、ってことだし、ムシのいい話して も実際の自分が理論を裏切ってるじゃないか、てことだ。
>>85 結果論で論じてしまうとそういう感想になるだろうね。
ただ、その結果という物が、何時までも曖昧なままなんだ…。
ニーチェはルーザロメが好きじゃ無い日もあるし、好きな日もある。
いつだって繰り返し直面する問題。永遠に繰り返す。繰り返すだけだ。
例えば例の被災者が運命を愛し永劫回帰を欲するように変わっていくのが、三段階の変化だ。 初めの段階が、重荷を背負い砂漠をひたすら歩むロバだか駱駝だからな。 あるいは、ちょんまげ時代の武士がハゲたような状況が入り口。 もしくは、禿げた学生に相当する状況。 つまり極限状況で忍び難きを忍んでいる状態が入り口だ。 ニーチェ個人としては、サロメに見捨てられた心痛と病苦に無益に悶えている状態のことかな。
金もなく保険証もない人が24時間営業のとてつもない歯痛を忍んでいる状態もなかなかのものだw そういう耐え難き状況を前提にして、運命愛や永劫回帰が説かれているのだ。 なぜなら、極限状況に生涯陥らないで済む可能性は低いからね。
無意味に激しく苦しむ状況に置かれていながら、 そこから逃れようにもどうしようもなく、 禿のように誰も救えないために同情の視線も刃になる無力で惨めな孤独な弱者、 そうゆう弱者に与えられる可能性としての変貌が三段階の変化だろ。
同情するなら死なせろ!と逆切れするような状況に置かれて初めて、三段階の初めの段階に達するのだな。
ロバも獅子も小児も禿のように同情を受け付けない奴であるに違いない。 妙な微笑みを浮かべた柔和な態度を示すキリスト教徒などとんでもない。 獅子は禿のように敵を求めるのだ。尊敬しうる敵を。自分を殺すに相応しい敵を。
ニーチェはハゲのように苦しんだのでハゲのようになったのだよw
93 :
考える名無しさん :2011/05/14(土) 21:24:58.54 0
超人の心境って、自殺するか他殺したいくらいに屈辱まみれで 生体的にも脳内物質の影響で耐えられないほど苦痛で、 だが、他人を傷つけたり、物に当たったりしても、 解決しないことは十分承知しており、 この荒れ狂う苦悩をもたらす自己を正当化して上げていこうというのが もう最後に残された手段だけど、もう、その余力はない、 かわりに苦痛の忌ま忌ましさは増すばかり。 正解を求めると自らの命を絶つしかない。 命を絶つことは人への迷惑の問題でもなく、 噴出した問題の息の根をとめる唯一の方法である。 こうなると思う。 たとえば、子供がほしい男性がいて、自身が種なしだと知ったら、死ぬべきだよ。 優先順位2位以降の、わりとどうでもいい欲望をフュエルに生きていくことは 死から逃げているだけだ。
どう考えてもとっとと死ぬのが正解なのだが、正解や真実に敢えて目を閉ざす。 そういう盲目的な意志をニーチェは力への意志と解釈した。
生の哲学だというが本当は死の哲学だな。 死だけが救いになる状況下での人生哲学だろ。ハゲてるね。 それがコンビニで売られだしたんだからピンチだ。
キリスト教では救われない末期の人のためのポストキリスト教でしょう。 モルヒネですな。
>>95 本屋で買うのは恥ずかしいってことかな。
コンビニで超訳とかが売ってるわけ?
在日のキリスト信者に対抗する意味ではいいことかも。
そう。コンビニに超訳売ってたw 生きがたくなったと感じてる人が増えたということだと思うよ。
どの本から入った方がいいかな?
厨二を卒業するための踏み台としろ こんなやつに陶酔するな
偉そうなことをいうのは、ハゲを治せるようになってからにしてもらいたいものだな。
>>85 有限性を自覚してるから、超人を説くのと一緒に「没落」を讃えることにもなるんじゃないの。
複数の魂・主観の社会体・貴族政治としての自我は、単にフラットに複数が並存してるわけじゃなく、
抑圧される表象と、支配的な表象という「権力」関係があるわけで、ルーへの執着もニーチェ的枠組みに入る。
>>95 ニーチェの永劫回帰説からすれば、「死だけが救い」どころか、有限な自己が永遠に繰り返されるわけで、
むしろ死の不可能性だろう。「人間が自らの不死に耐えうるなら、それ以上のことはない」わけで。
103 :
95 :2011/05/15(日) 20:16:53.12 O
死だけが救いになる悲惨な状況を味わっていないと、永劫回帰とか運命愛はわからないって話よ。
>単にフラットに複数が並存してるわけじゃなく、抑圧される表象と、支配的な表象という「権力」 関係があるわけで、ルーへの執着もニーチェ的枠組みに入る。 ところがそのような、一人の異性、他ならぬ彼女への強烈な執着があるにも拘わらず、この思想 は、自体などというのは無く、恋もまた幾つもの主観の一個であり、となる。ではニーチェもとり 、彼女でなくてはならない根拠は無いのか。そこで死を賭けても恋を成就したい場合、そこで負け て死を選ぶ、という場合、それは単に恋を失っただけのことか。そうではなく、己の生の意味をそ こで貫いたことが入るだろう。ある恋を失ったことで生の意味をも失うということがあるだろう。 そこでは〈幾つもの主観があり〉は最早通用しないだろう。そしてそれこそがリアルな生というも のではないか。そういうことがニーチェの哲学では語り得ないだろう。そこがリアルではない。
ところで死ねば済むなら仏教徒が解脱しようとする意味がないなw なんだろねこりゃ。何かが不問にふされてる。 死とは何かだな。「死の解釈」だ。 大規模な宗教のパイオニアは死とは何かという正解がわからないはずの問題に勝手に答えており、 その答え、主観的な死の解釈を前提にして、啓蒙してるんだよね。 死んでも済まないっていう不確かな話を前提にしてる。 それがあたかも常識であるかのようして話を進めている 自殺という解決方を封じようとする。 常識として死の解釈を教義に埋め込んでいる。 人を使う側の人間や社会に都合のいい「死の解釈」を埋め込んでいたのだ。 しかし高齢化が進んだ今となっては、神はますます死なねばならないのだろう。 ニーチェは綱渡り師や家畜に生きるヒントを与えはするが、基本、来るもの拒まず去る者追わずである。 ニーチェは死の解釈を埋め込んではいない。 永劫回帰に含まれてはいるが、強調しているし、それを欲するのかどうかが問われるのだから。
生きられる奴だけ生きればいい。 これは時代の要請である。 これが当たり前になるように、宗教は脱皮するべきなのだ。 ところがニーチェは早々とポストキリスト教を用意していた。
死の解釈次第で、生き方や死に方が制限され、歩むべき道が自ずと示されるので、死の解釈は人生の公理みたいなものだな。
「死は無である。無は無いので、死は無い。」 と池田晶子は書いてたようだが、彼女は癌で死んだそうだ。 死なざるを得ない時にはそんな死の解釈も有効らしいが、やはり死ぬことはあるようである。
「生きてりゃいいことある、死んだら終わりだ」という考えがあるが、これも死の解釈を含んでいる。 幽霊が存在しないとでもいうのだろうか? そう言ってる奴自身が他人にとってみれば幽霊みたいなものなのにな。
110 :
考える名無しさん :2011/05/15(日) 22:37:59.20 O
誰か「死の解釈事典」を編集してくれよ。
そろそろ生物学的に人間を区分して、その年代性別に応じた死生観を施すのが有意義だと思う だめか?
人生は同じことの繰り返し。生の間はどんなものでも暇潰しをするだけ。 退屈や苦痛から少しでも逃れる為に動いてるだけ。もちろん生物として本能があるので肉体は遺伝子の乗り物でもある。
ニヒリズムってのは投げ遣りでは無いと思う。優秀な頭脳の持ち主なら必然的に陥る苦悩。 冷淡になればなる程に、…ああもうやめよう。 死があるからこそ、生物は自らの遺伝子を残そうとするんじゃないかな。
自分自身にとっても自分は幽霊みたいなものだな。 死については死んでもわからんのか死ぬまでわからないのかもわからない。 死の解釈をツールとして好きなものを各自選んで利用すればいい。 お好みなら永劫回帰でもいいのだ。 死とは何かという問いに正解がない以上は。
死は睡眠と同じ状態だと思う。もちろん肉体的に脳も止まってるので夢は見ない。
虚無を根拠に奔放を選ぶのはいいが、絶対周りには迷惑をかけないでくれ。 そういうのと付き合うのはみなも避けたいだろ。 自然孤独に陥り虚無が深まるだけ。
社会からはみ出したら自活できん限り淘汰されるだけやで
皆に聞いてみたい。脱俗隠遁の自分と社会生活の自分、どう違ってどちらが幸福な毎日だったか。 淘汰!すべての生はやがて淘汰される宿命にある。 もし自らの遺伝子を含んだ子供を作ったとして、その子供が自らと同じ様な運命を辿るとしたら、 いやもっと悲惨な運命に出会うとしたら、私は憂鬱極まりない。
>>115 先日ベロベロに酔っぱらって記憶も吹き飛んでしまったんだけど 死ぬのはまさにあんな感じかなと思ったよ
起きてから自分の存在を確信できたけれど・・・ 不在でいて同時に現にいるって感じだねあれは
呼吸と心臓の音。これだけが生の証明なのかもしれない。
ニーチェがお前らを救ったかよ。 共感できても救いを得られないのなら、捨ててしまえ ニーチェになんな
現代日本人は死んだら無になると思ってる人が多いのかな。 「死んでどうなる?」 それが判明するか、死の一解釈を盲信できれば、生き方に確信をもてる罠。 だからそう聞かれたら、「一体どうなるんです?」と問い詰めてやってもいいんだよo(^-^)o
キリスト教が救いにならないってのは、 ヘーゲルもカントも気づいてたでしょう? それどころかバッハでさえそう思ってたはず。 バッハが生まれる40〜70年前には三十年戦争があったのだから。
>>122 「考えるな。感じるんだ 」
(((゜д゜;)))
(ノ_・。)コワイ
>>123 そういえばそうだねw
つかキリスト教で救われるような奴は、哲学者にならないわなw
死んでどうなるかわからない以上、どうすべきなのかわからんな。 わからないから自由でもないし。 確かな生き方が出来ないよね、これじゃあ。 無謀な生き方しかできない。 無謀な生き方をするべく定められているとはいえるぞw
しかし、死んで無になるってのは楽観的な解釈だな。 だったら「人はどこからきて、どこへいくのか」という問いに、 「人は無からきて、無に帰る」のだと答えねばならない気がする。 そうであればまた来てまた帰るんじゃなかろうか。 どこからきたのかわからないくせに、どこへいくかはわかるのだろうか? わかりそうもない。 人生は未知から始まり、未知に終わるのだ。 不思議なことだ。一体どこからやってきたのか? 気づいたら誰一人知らない死という未知の海に向かう川に流されていて、 どうすべきなのかもわからずに、とりあえず溺れないようにもがきながら無謀に時を過ごすべく定められているんだから、 生まれないほうが良かったんじゃないかなw なんなんだこれw なんの冒険だよw
>>104 ニーチェ的な生の意義の獲得は、より包括的で強い力が他を支配し上に立つことで創造されるんだろうから、
「幾つもの主観がある」って主張だけ見て、そこに優劣や支配被支配の関係があることを無視したらニーチェの言ってることが掴めないよ。
仮にルーとの恋に生の意味を賭けたんだとしたらそれは、己の内なる複数の主観の中から、最も生の強度を高めるものとしてルーへの思いが押し上げられたってことだろ。
複数の主観の権力争いの中からその思いが最上位に立ったというところに意味があるんだよ。
まぁルーへの思いうんぬんは飽くまで例えであって、実際にニーチェがルーに全てを賭けていたとまで言えるかは知らんが。
「"自体"というものが無い」からこそ、最も生を高みに押し上げる幻想を創造することに意味がある。
129 :
考える名無しさん :2011/05/16(月) 06:07:16.08 O
無から有が生じるということを認めるなら、 死んで無になっても終わったとは全くいえない。 無から有は生じえない、有は無になりえないということを認めるなら、 人は心身ともに何かから生じたのだから、死んでも無にならない。終わらない。 果てしない時間を考えれば今後再生するだろうし、この度の誕生からして再生だろう。
130 :
考える名無しさん :2011/05/16(月) 06:10:37.50 O
(((゜д゜;)))
死んでどうなるかって、生まれる前に戻るのではないか? それが無だろうと有だろうと。 つか一度生まれたからには、死んでもまた生まれるだろうよ。 それが偶然だろうと必然だろうと。 そうでなければ今存在してないはずだ。 一度存在してしまえば、どうしてもまた存在することになるに違いない。 いまここに存在することが偶然だろうと必然だろうと神の気まぐれだろうと。
人生、何らかの自由意志がない限り、生も死も同じになる。 環境や他者に支配されている限り、懐疑も思考も自由も無く機械としてインとアウトを繰り返すだけの存在。 しかし私達は自由意志によってこの世界に産まれてキタのではない。 故に、この世界でも自由は得られない。無意識の無重力を漂うには、眠りや死以外には在り得ない。
133 :
考える名無しさん :2011/05/16(月) 13:32:12.33 0
しかし死んでもすぐに生まれ変わり、仮に前世の記憶を持っていたとしたら死んでも自由にはなれないのだ。 不自由な世界を開き直って嬉々として生きるしかないのだ。
>ニーチェ的な生の意義の獲得は、より包括的で強い力が他を支配し上に立つことで創 造されるんだろう しかし、そこでも個体が何者かは事後的に捉えられる虚構であるから、どこまでも個体 は関係諸力の混沌の場以外にはならない。そこがムシがいい。サルトルの初期の理論を 読んで感じたムシの良さと酷似している。人間てそういう無規定体になれないから苦し いし、自由ではないし、地面を這いつくばって生きていくわけだ。。ニーチェが言う理論 は人間のカッコ悪さをどこまでも見ぬ振りすることで成立するものだ。やはりムシのい い理論家には持て囃されるだろうが、これには現実性は乏しいと思う。実際にはニーチェ 本人を見ても分かるが、あれはカッコ良すぎであり、現実の人間の引き摺る重さをあんな ふうに払い除けることは出来ない。そして、それでいい。。
ニーチェ自身も、超克し創造する行為の限界に達したように狂気の淵へと没落したんだから、 現実の人間としての重みに屈したわけだが、それもまた彼の思想の体現でもあるだろう。 ルーへの愛も、それ自体が無意識的な諸感情の複合体だろうし。 「我々は愛するものをもまた憎まねばならない。それ故に人間は超克されねばならないのだ!」というのは、 自同律の不快(埴谷雄高)が、その自同性の内に対立・矛盾をも抱えている事情を言ってるんだろう。 ムシのよくない理論てのは何なんだ。理論で物事を把握しようとすること自体が或る意味ムシがいいわけで、 ニーチェはその辺りは自覚してただろう。
哲学徒の常識に則れば、たとえ死んでも、まだだ、まだまだ終わらんよといわねばなるまい。 現に存在する以上、存在しなくなるわけがないのだからね。 何らかの微粒子とエネルギーしか存在しないとしても、一度それから構成された以上は、また構成されうる。 果てしない時間を考えれば、繰り返し構成されるだろう。 まだだ、まだ終わらんよ!
ニーチェ的な生の意義は、支配では無いと思う。 より強い力で競い合う事、闘争する事が生の意義になるのでは無いか。 だからこそ、闘争を婉曲に避けるルサンチマンを批判したのだと思う。
キリスト教への罵詈雑言がひどいな。 これ哲学なのか?という感じ。 (アンチ・キリストを読んでいるのだが) この罵詈雑言のエネルギーはどこからきているのだろうか。
親が神父 キリスト批判が普及してきてた
神父じゃなくて、プロテスタントだから牧師。 ニーチェがルターを敵視してるのも、そこを踏まえないと。 ポール・ヴァレリーは、ニーチェの思想とプロテスタント思想の関係を論じている。 日本人はもう仏教の宗派すら気にしないけど、○○教内の宗派対立で戦争になったりもしてるんだから。
神は死んだ俺様は自由だよねー!?♪。 私達は新世界の神に為るのだ!?♪。 永劫回帰が無常で無情な時間を作り出す!?♪。 超人思想が妄想哲学を生み出す!?♪。 虚無主義が絶望を想像するよねー!?♪。 ルサンチマンが幻想を生産するよねー!?♪。 キリスト教は悪人だらけじゃないよねー!?♪。
142 :
考える名無しさん :2011/05/18(水) 20:32:27.92 0
ニーチェは牧師の父親より母親や伯母などの真面目な女の子社会で生育している。 だからニーチェが批判しているのはキリスト教と言うより、案外カワイイは正義! とか、公園デビューとかママ友地獄みたいなもののような気もする。美人は悪人でブスは善人みたいな。 ブスと付き合うイケメンは善人みたいな。 津波後の日本で言うと、被災者をおもんばかって消費を自粛したり、もうがんばれないとかいう被災者が畜群で、 どんどん消費してくれっていいながらすぐに漁とか始めてる被災した漁民とかが超人なんだろうか?
放射能沁みこんだ魚売れないと思うけど漁をやってないと いられないんだろうね。 軍需工場で玉音放送聞いた後も作業続けるみたいな感じ。
神が死んだとしても、その時点で私たちは存在できなくなるので神には死んでもらっては困ります。 死ぬなら他の神に私たちを引き継いでもらってからでないと。
145 :
考える名無しさん :2011/05/19(木) 13:46:05.26 0
いやだから俺たちが神になるんだって。 あるいは今だったらニコニコ動画みたいに勝手に神に認定するとか。こいつは神、とか。 いまやダンテの神曲より初音ミクの神曲の時代。
確かに人間に神っぽい瞬間ってあるよね。神聖な雰囲気と言うか、真の愛の瞬間だな。 ダンテの神曲って実はベアトリーチェに対する偏愛から生まれたもの。 物語の中では天動説になってるし、ある種の幻想や虚構で塗り固められてる。 とにかくベアちゃんを女神として崇拝してる。それはゲーテにも繋がるものがある。
147 :
考える名無しさん :2011/05/19(木) 19:40:15.23 0
やっぱ現代的にはダンテの「かみきょく」って読む方が自然なんだろうか? ネ申動画、ネ申アニメ、ネ申PV、ネ申ゲー、AKBのネ申テレビ、ネ申推し・・ 「ネ申は死んだ!」
神っぽいもクソも無い。神なんていないんだから、 誰が神を名乗ったって良いんだよ。しょせんそれくらいの意味しか無い
真の愛も無い。 ただ、美しいと思える瞬間はある。それが全てだ
親父「ダンテの神曲知ってるか?」 女子高生「新曲って、バンドかなんか?」
151 :
考える名無しさん :2011/05/20(金) 14:28:25.97 0
神様は中学生とか言うアニメもあるしな。 ニーチェも今の日本の中学生だったら普通のオタになってたかもな。
神どうこう、うっせえ 自重しろよ
153 :
考える名無しさん :2011/05/21(土) 07:01:01.28 0
ネ申は逝った!
154 :
考える名無しさん :2011/05/21(土) 07:12:27.43 0
与謝野経済相「「神様の仕業としか説明できない」
155 :
考える名無しさん :2011/05/21(土) 11:08:32.64 0
死んだも何も最初から存在しないんだが
本当にいるかどうかはどうでもいいんだよ 今まで頼ってきた神という概念から人々が離れて行ったのを神は死んだって言ってるんだから
157 :
考える名無しさん :2011/05/21(土) 13:53:26.65 0
与謝野馨はいまだに神という概念に頼っているな。
トイレで「おお、紙よ!」
チェーンソーで神は切り刻まれた神は死んだ!?♪。
160 :
考える名無しさん :2011/05/22(日) 19:42:06.87 0
「しかし日本には武士道がある!」by 新渡戸稲造
162 :
考える名無しさん :2011/05/22(日) 22:12:32.56 0
ツァラトゥストラ読んでも全く理解できなかった学生です。。。 青土社から出ている、現代思想ガイドブック「フリードリッヒ・ニーチェ」という解説本をよんだ後、 道徳の系譜学、善悪の彼岸と精読して、ツァラトゥストラに挑んでもまだ理解出来ない部分が多かったです 次は偶像の黄昏とアンチキリストを読んで挑もうと思います みなさんはどの著作を読んだ後、ツァラトゥストラを理解できましたか?
163 :
考える名無しさん :2011/05/22(日) 22:20:27.44 0
ニーチェという哲学家について、彼はなぜ今でも語り継がれる人気がある 人物なんですか? 自分は哲学というジャンルは興味がないのですが、好きな人に勧められて ニーチェの言葉の一節を読んだけど、人間誰もが考えることしか書いてないと 思えました。 個人的には好きな歌手の好きな歌詞を読んで、共感したり考えたりすることのほうが 合っているなと思いました。 好き勝手言って気分を悪くしたらすみません。 ただ、ニーチェの評判とか、人気の理由とか知りたくて・・・。 何が凄いのかわからないんです。
166 :
考える名無しさん :2011/05/22(日) 23:54:59.54 0
読んで分かるものではない。 なぞを解いていくように読む。 なんでこんなこと言うんだ。ってかんじで 点と線を繋いでいくと別世界を垣間見れる。 映画やアニメも色あせる。
167 :
考える名無しさん :2011/05/23(月) 00:02:52.13 0
なぜ読んでも読めないか。 この世で大概のものは経験してきた。 しかし、それ以外が存在しもするだろう。 しかもさらにそのレベルの向こう側を説明しようとしてみたまえ。 もはや言語表現では不可能な、指で指し示すことさえ不可能な モノを語る作業が彼の世界だ。 簡単に言えば、アメリカ人に渋味を説明するようなものだ。 やってもーた。
言葉や思想の背景が重要だからね ただ神は死んだとか言っただけだったら何言ってるんだコイツで終わりだもの
169 :
考える名無しさん :2011/05/23(月) 00:07:03.70 0
「神は死んだ」 この意味は、神は生きていた。 ここまで読めねばならない。
170 :
考える名無しさん :2011/05/23(月) 00:16:53.62 0
この世界が3倍面白くなった。
_ 神はヒトだ
173 :
考える名無しさん :2011/05/23(月) 13:49:49.32 0
いきなりニーチェだけ読んでも別に面白くない。 カントとかヘーゲルとかショーペンハウアーとかハイデッガーとかフッサールとかの糞真面目で権威的に見える議論の前提が、 絶対的な「神」の存在を前提としてることを知らないと読んでも別に面白くない。 池田大作とかぜんぜん知らない人が創価学会の本とか読んで普通のいい本だと思うようなもん。
174 :
考える名無しさん :2011/05/23(月) 13:51:41.75 0
あるいは1も2も3も飛ばしていきなりPS3でメタルギアソリッド4をやった人が小ネタに全然気付かないようなもん。
175 :
記憶喪失した男 :2011/05/23(月) 14:50:37.66 0 BE:2991362696-2BP(791)
「ツァラトゥストラはこう言った」第三部を読んでいるが、 ニーチェは、キリスト教神父牧師に恨みがあったのかな。
>>164 『ニーチェの言葉』は俺も本屋でザッと目を通してはみたが、一般人にもすんなり受け入れられるような
易しくポジティブな言葉ばかりを、人生励まし語録みたいに並べてる感じだったな。
あれじゃあ、好きな歌詞を読んでる方がって話も分かるんだけど、ニーチェの本領はそんなモンじゃない。
簡単に言っちゃうと、それまで理想とされていた真善美を自明視する態度をスッパリと断ち切り、
真善美は肉体的、創造的な力の度合に応じて変化すると説いたこと。「真善美とは何か?」という問いを、
「そもそも真善美は何故そう呼ばれ、尊ばれているのか?何が真善美を決定するのか?」という問いに転換したわけだ。
ホントの初心者なら、ちょっと前にテレビでやってた西研さんの解説から入るといいと思う。 『NHKテレビ ニーチェ『ツァラトゥストラ』 2011年4月 (100分 de 名著)』として本になってる。 もうちょっと哲学的議論に踏み込むなら、永井均の『道徳は復讐である ニーチェのルサンチマンの哲学』かな。 永井さんのニーチェ理解には色々と不満もあるんだが、ニーチェのヤバさをかなり鋭く抽出してるのは立派。 ニーチェの人気は、岡本太郎やマリリン・マンソンなんかが支持する、常識的な道徳に反逆した芸術的でロックな思想にある。 『ニーチェの言葉』の類いを読んでもそこがほとんど伝わらない。
>>174 分かり易い例えで笑った
確かに1,2,3とやってないとかくれんぼしてアクションするゲームとしては楽しめるけど
ムービーとかキャラの言ってる事とか本筋が理解できないもんなアレ
1.《真理の標識は権力感情の上昇である。》(『権力への意志』534番) 2.《要するに、事物の本質はやはり事物に関する一つの私見でしかない》(同556番) 1-2を合わせれば、権力感情の上昇のためなら何でも言える無倫理に直結していくし、 実際、現代人の倫理観(無倫理)に直結していく。力の主体であることを自明とする現代 人の前提となっているかに思える。ニーチェの後半にこの力の思想は練り上げられ、様々 な本に書かれた。これはニーチェの思想の裏面として、どうしても見ておかなければなら ない。ここに蓋をすると、人間の己を神格化する哲学としての性格が見えなくなる。現代 のもたらす悪(ニヒリズム)への防御策がそこにはない。だから政治や経済活動を通した 力の思想に直結してしまう。ニーチェが現代世界の強いる強固な観念を超えたとは思え ない理由がそこだ。
1.《真理の標識は権力感情の上昇である。》(『権力への意志』534番) 2.《要するに、事物の本質はやはり事物に関する一つの私見でしかない》(同556番) 1-2を合わせれば、権力感情の上昇のためなら何でも言える無倫理に直結していくし、 実際、現代人の倫理観(無倫理)に直結していく。力の主体であることを自明とする現代 人の前提となっているかに思える。ニーチェの後半にこの力の思想は練り上げられ、様々 な本に書かれた。これはニーチェの思想の裏面として、どうしても見ておかなければなら ない。ここに蓋をすると、人間の己を神格化する哲学としての性格が見えなくなる。現代 のもたらす悪(ニヒリズム)への防御策がそこにはない。だから政治や経済活動を通した 力の思想に直結してしまう。ニーチェが現代世界の強いる強固な観念を超えたとは思え ない理由がそこだ。
181 :
考える名無しさん :2011/05/23(月) 19:51:06.28 0
つまりメタルギアソリッドで説明すればニーチェの言う「神」とは「ビッグボス(ネイキッドスネーク)」なんだよ。 そして「超人」とは「神(ビッグボス、実際はソリダススネーク)」を殺してしまったソリッドスネーク。 もっとも「ビッグボス」と言う「神」も実際は世界をビッグボスの「センス」と言う観念で統制しようとしていた「愛国者たち(らりるれろ)」 が意図的に作為したものだった。ソリッドは何も知らないが、もって生まれた戦闘力と生命本能、直感でその体制を破壊する。 と言う図式自体たぶんニーチェ哲学の影響だと思うが・・。
>>179 なんで連投しちゃったのかはともかくw、ニーチェ的にはむしろ現代のニヒリズムを先取りし、
単なる無軌道とだらしなさとしての無倫理を克服する、新しい倫理の基礎として権力への意志を置いたんじゃないの?
ニーチェが、既存のそれとは違う意味での「倫理」「正義」「法」を各所で説いているのもそのためだろう。
「政治や経済活動を通した力の思想」とか、資本主義とニーチェを結びつけた過去レスの蒸し返しみたいな論理だな。
それに対するレスの数々を論破しうる何かを提起してくれないと、相手にする気になれん。
ニーチェ復活再生創造製作!?♪。
184 :
考える名無しさん :2011/05/23(月) 20:42:29.09 0
>>175 ニーチェもある意味ルサンチマン的な感情が執筆の原動力になってたところもあるんじゃないかと思う。
人間の三大欲以外の言動のモチベーションって一体何だろう。やはりエゴや暇潰しか・・・
>ニーチェ的にはむしろ現代のニヒリズムを先取りし、単なる無軌道とだらしなさとし ての無倫理を克服する、新しい倫理の基礎として権力への意志を置いたんじゃないの? >「政治や経済活動を通した力の思想」とか、資本主義とニーチェを結びつけた過去レス の蒸し返しみたいな論理だな。 ニーチェの思想が現代世界のアメリカを代表する政治を理論的に裏付けているのはどう しようもないことで、あれを愛読してる誰も否定できないだろう。裏付けもしくは先取り と言ってもいい。力への意志がニーチェ最後の思想として現れた、そしてその結論を実は 未だに人間は超えていない。ニーチェの現代的意義がそこにある。未だに人間は力への意 志の担い手であり、それ以外のところへ行けない。無軌道と力への意志が違う、といえば 違うだろう。より悪くなったとも言える(笑)悪の論理学でしょう、あれは。悪の論理学、 という性格を纏っている。そこが未だに政治経済活動の根本原理足りうる。これは単に非 難してるのでもない。ニーチェはただ、容易に超えられない理論を提起しただけ。で、人 間はそれを未だに担っている。
186 :
記憶喪失した男 :2011/05/23(月) 22:54:35.59 0 BE:1107912645-2BP(791)
「ツァラトゥストラはこう言った」(全2巻) ニーチェ 37位/124作品。翻訳小説SF以外。 有名な「神は死んだ」ということばのでてくる小説である。 そのことばは確かに衝撃的であり、見せ場となっている。 だが、後は何が語られるかというと、 ニーチェの善人に対する妬みみたいなものだったりする。 老法王とか、魔術師とかが出てくるのも評価を上げた。 ただ、おれにとって、どうしても許せないのは、 神を殺した者を「最も醜い者」として、蔑んで扱っていることだ。 これはニーチェが神に敬意を払っていることを表わしている。 おれとしては、神殺しこそ、目標であり、ニーチェは神と同等であることが目標であった、 そのちがいがでた。 この小説は、「神は死んだ」以外に対して面白い小説ではないが、 作者の情熱だけはばしばし伝わってくる。 おれは最も優れた詩人をニーチェだと呼ぶことにする。おれの知る限り、 この小説より詩的な情熱をもった作品はおれは知らない。 哲学書としては、キリスト教を否定した本として、歴史的価値は極めて高いと思うが、 今の思想についてこれるかというと、問題点はいっぱいある。 細部について、ツァラトゥストラの価値観に文句をいうことはたやすい。 ツァラトゥストラもまた、イエスのように特権を求めており、 新たな宗教の始まりをにおわせるからだ。 ニーチェは、神を死んだものとして、人として優れたもの、すなわち、超人を 次の時代の中心に選んだようだが、それはニーチェの失敗であろう。 ニーチェを論ずるのに超人が重要だとは思わない。
超人は不可能だから謙虚であれ、でいいと思う。目指せ目指そう言っちゃいかんと思う。
謙虚になれってのは非常に傲慢だな。 神様気取りか? 神は氏ね
偉ぶりたがる凡庸で傲慢な人間が謙虚になれというものだ。 しかも金も払わずに! 何の根拠もなくお客様扱いしろとは! 言われないでも私の前で謙虚にするのは当たり前なのだから言われてる君はどうかしてるよとはね┐(´ー`)┌ なんたるろくでなしだ。
私なんぞは金になりさえすりゃそりゃもうへいこりゃですよ。 金にならない蚤は誰だろうとさっさとほうきで追い出してやりますがね。
>>185 「悪」という言葉が使われているってことは、何らかの道徳観が前提になっているんだろうけど、
「悪の論理」とか「より悪くなった」とか言う時の君の基準は何なの?
まさか、「説明するにも及ばない価値観だよ」とか言わないよね。
大体、アメリカはいまだに進化論に公然と異議を唱えるような連中がいたり、
大統領が神の名を口にするようなお国柄なんじゃないの?
神の名は単に利用されているだけだ、その裏の力への意志はまさにニーチェ的なものだとか言いたいのかね?
実際ニーチェ自身も、賎民たちを従属させる口実としての奴隷道徳を利用することを説いてもいるが、
それも結局は、様々な他者性を自らに取り込みながらもそれをより高い総合性へと至らしめようとする貴族性の道具としてであって。
その貴族性を「悪の論理」とか言うんなら、単に既存の道徳の側から喋ってるだけでしかない。
資本主義者は、超越的な道徳が無効化した、ニヒリズム的で、
それ故に民主主義的にしか価値観が定まらない現代社会の状況に従っているだけであって、
ニヒルの中から新しい価値観を創造しようという芸術的な衝動とは縁がない。
芸術を特権視したがるのも個人の趣味だとか言うんなら、その点については既にレスが上がってるからそれを探して反論してくれよね。
>>186 蔑んでるか?むしろ或る種の敬意を払っているんじゃないか?
人間が抱える闇とか矛盾とかを背負う存在として、最も醜い人間には敬意が払われ、
彼に同情することは破廉恥なことだと書かれてある。ツァラトゥストラは自らを恥じている。
だから、同情で死んだ神は、敬意を払われてなんかいない。同情を拒む、最も醜い人間こそ、敬意を払われている。
>>179 そもそも「権力感情」を、単に政治的・経済的、つまりは既存の社会の中での権力という意味でだけ解釈するのが間違い。
ニーチェにとっては肉体的、芸術的な「力」こそが基盤であって、社会的な影響力は単なる手段でしかないのは、真面目に読んでれば誰でも分かる筈。
「権力」とか「力」という概念から、社会的な陣取りゲームしか考えられないのは、それこそ既存の価値基準の奴隷でしかない。
同情を受け付けない人間にはなりたくないね。 例えばハゲとかな。
>>179 要するに、真理(だと信じられる物)は権力(権威、アカデミック的権威)が決めるって事でしょう。
例えば、ドンキホーテは風車を竜だといいましたが、それは妄想だと判じられています。
何故ならば、ドンキホーテの観察よりも、その他の人の観察の方がより権力を持ったからです。
しかしその権力を支えている物は不確かな物ですので、どこまで行っても私見でしか無いという事でしょう。
196 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 11:13:23.16 O
同情や哀れみを受け入れられるということは、大切だ。 そうでなければ正気を保っていられないからな。
受け入れないでドンドン発狂しよう
198 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 13:44:26.91 0
まあ2ヶ月前まで原発は危険とか言うとすぐサヨクって言われていたが、 御用学者の権威がどれだけ不確実なものだったかは誰でも目の当たりにできたな。
ここ数カ月で現実が変わったな
あのさ、ニーチェが同情に反対するのは、ショーペンハウアーが同情に肯定的だったことへの反撥もあるんじゃないの。 ニーチェは、同情をもたない奴は心身に欠陥があるとか、私は君らが同情深いことを前提にして話しているとか書いてるよ。 つまり、同類への哀れみ、悲しみの感情としての同情を克己的に超克しないと、「弱さ」のレベルにとどまる足踏み状態になると。 まぁ、弱さにとどまって、共感の輪の中で温まっていたいって人は多いだろうけど、そういう人はニーチェの読者と言えない。
「悪の論理学」という場合には、日常語として使ってる。誰でもそうだ。アメリカ軍の爆弾 が市民を殺戮し、しかも公表しない場合、或は「テロリスト撲滅のため致し方ない」と正当 化されれば「こいつらはひどいな。非戦闘員殺戮を正当化してる」と思う。「自分達の目標 のためなら何でも正当化する。最低の悪じゃないか」と思う。児童虐待で死なせた親が「し つけのために数回殴りました。食べ物をこぼすので仕方なくやった。しつけです」という 。「ああ。悪だな、こいつらも正当化してる」と思う。こういうアメリカ政府とか、勝手な親 がよく使う論理がある。「全ては解釈です。貴方が言うことも一つの解釈です。貴方にはそ う見えた、ということ。違いますか?私たちが正しいと主張するのも解釈です。あらゆる 認識は遠近法的仮象です。ニーチェが言ってるではありませんか。読んだことないですか ?あれこそ真理です。貴方が私たちを糾弾すると言う。いいでしょう。しかし、何度もいい ますが、それもまた貴方の解釈なのです。あらゆる認識は関係的にできており、物自体な どないのです。物自体などないのです。解釈を排した事実など、云々し、裁く権利など、貴 方にも私にもないのです。そんなものは虚構です。現代哲学の到達した真髄がわかりまし たか?わかるなら馬鹿げた糾弾とか下げてください。」 ニーチェの認識論を延長すれば、かようなことになる。それは避けられない。そして、現 代の政治経済観念からして、大人の論理からして、これはかなりなところまで浸透し、さ からうことの方が困難になっている。大人ほど、かような論理学に長けている。そして、 現在の実社会を動かすのも、かような論理学だと思います。そこにニーチェの晩年の思想 が生きているのを俺は感じる。いや、偶々ニーチェは先取りしただけで、最早ニーチェひ とりの問題をとうに超えている。
202 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 18:06:46.12 0
>>201 >ニーチェの認識論を延長すれば、かようなことになる。それは避けられない。
全ては解釈だから、その主張も例外でなく避けられるよ。
ただ、それを行った結果はどうなるか?は避けられないよ。
殴られても知らないよ。
何だそんな常識的かつ初歩的な言葉の使い方でニーチェを論じてたの? さすがにそこまで幼稚だとは想像してなかったんで驚いたわ。 ニーチェが低脳の犯罪者に対しては「去勢すべきだ」とまで言っていたのくらい読んだだろうに・・・。 あなたが挙げているような「劣‘悪’」な連中のことをニーチェが肯定したかのような解釈って、 いちばんありがちな勘違いだな。ニーチェ自身が肯定してるつもりは無くても、その論理を徹底すれば結局肯定してることになるだろ、 とか言いたいんでしょ?永井均の解釈なんかでも結構そういう話になるから、あの人の本は嫌いなんだよなw ニーチェが現代社会について予言的に言っていたのは、形而上的な価値の凋落によるニヒリズムと大衆社会の到来であって、 それを「超克」するために超人思想を説いたわけで。 しょうもない個々人が「俺の論理」を勝手気侭に主張してるのは「末人」「賎民」でしかない。つまり権力量の乏しい連中の自己満足。 「権力量」という概念でニーチェが何を言っているのか、あんたには想像もできないんだろうけど、 それはあなたがまさに「末人」的で「賎民」的な思考と大してレベルが変わらないからだよ。 「芸術としての権力への意志」をもっと徹底的に精読して下さい。
そもそもね、ニーチェの文字面だけの論理を「延長」しても仕方ないんだよ。 論理てのは、ニーチェの言うように、同等性を前提としているわけで、 いわばナポレオンも幼児虐待者も同等に扱ってしまう。 その種の同等性で事を語るのに反対して「権力量」とか「高貴さ」を言っていることくらい、ニーチェを読めば分かること。
205 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 18:32:09.92 0
殴るってのも解釈した結果。 つまり評価だから。
206 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 18:53:48.65 0
偉そうに言い合っても、そもそも2chにいる時点でニーチェとは無縁。 これは自明。
207 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 19:32:51.34 0
もしかして、妬みか?そうなのか?
ニーチェが同情に反対するのは、同情されるべき生き物は、同情されることによって余計耐え難い状況におかれるからだよ。 このことはハゲに対してしんみりと「ハゲってつらいですよね」なんていってみればわかる。
ニーチェがキリスト教に反対するのは、 原罪があるという認識なら理解でき耐え易くなる受難も、 私はキリストによって救われました有難うございましたという認識では、受難が余計耐え難いものになるからなんだよね。
ニーチェは原罪という思想そのものに反対してるんじゃないの。 まぁ、ヨブ的受難に関しては、矮小な人間性や徳を超えたものに触れるって意味で評価してたかも。
211 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 20:07:44.48 0
まあ何もニーチェの読者は何でもニーチェが正しいとかニーチェの言うとおりにすれば社会は万事上手くいくと思って読んでるわけじゃないだろう。 しかしニーチェ以前の哲学者みたいに正しい認識の前提が絶対神の存在とか、マルクスみたいに社会主義は科学的だから正しいなんて説明に納得できない人は、 ニーチェを読んで、まあ現実の社会は確かに相対的にある時点で強い奴が勝ってるよな、と納得するんじゃないだろうか。 それを100年前にちゃんと言えてるニーチェはパネエみたいな。 米軍の爆撃は神の意思、とか説明されるより遠近法的価値観で説明される方が安心する。
また言わせてもらうと、ニーチェは資本主義的搾取を完全に肯定するね。以下にこうあ る。で、資本主義的搾取に反対する者は世人で、下らぬ存在と断じている。まあ、何でそう いうことになったかも想像はつく。しかし、にしても、これこそ現代文明に無意識に同化 してしまった好例ではないかね。 《今日いたるところで世人は、科学的な仮説をこらしてまで、〈搾取的性格〉が廃絶されるは ずの来るべき社会状態について夢中で論じあっている。ーそれは私の耳には、あらゆる 有機的機能を営まなくなってしまった一個の生命の発明を約束するもののように聞こえ る。〈搾取〉というものは、頽廃した社会とか不完全な原始的社会とかに属する現象なので はない。それは有機的根本機能として、生あるものの本質に属するものなのだ。》(『善悪の 彼岸』259番) 芸術としての力への意志はいいけど、明らかに抑圧や搾取を称え、その必要性と、捩じ伏 せること、圧伏させることの必要性を説いているだろう。単なる生命力の発露ではない。 こう書いている。 《生そのものは本質において他者や弱者を我が物にすること、侵害すること、圧服するこ とであり、抑圧すること、厳酷なることであり、己の形式を他に押し付けること、摂取同 化することであり、少なくともーごく穏やかに言っても搾取することである。》(同259番 ) この場合、〈生命力の高揚=他者の抑圧、搾取〉という考えで書いてる。それはまあ面白い が、こういう考え方はまさに現代的な権力指向と変わらないだろう。変わらない、で何が 悪い?なら分かるが、いいや、ニーチェの意図は別にある。というのかね。 まあ、かつての三島由紀夫が、「強さが貶められている」と時代批判をしたことを思えば 判らんこともないが。それにしても、現代的な権力指向と瓜二つで、どうみても、現代的 な文明を予告したと見えるね。上のは芸術は関係ないだろ。
213 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 20:55:13.45 0
ニヒリズムがその何とかって奴を誕生させただけじゃねーか? 大体ニヒリズムが生あるものの本質に属するはずだ。
創造性の為には搾取と強奪をも厭わぬ過酷な芸術家であることと、 単に既存の資本主義的価値観に沿った権力志向に走る単細胞とは別物。 「反形而上的世界考察――然り。だが、芸術的世界考察」。 根本でその人間が芸術家であるかどうかがニーチェにとっては最重要ポイントだろ。 三島由紀夫だって、美に肉体的な力を得させる為に自らの思想を捧げていた筈。 単に資本主義的な搾取に耽ってる奴なんか肯定してねぇだろ。こんなことまでいちいち説明しなきゃならんのか?
215 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 21:13:18.18 0
>《生そのものは本質において他者や弱者を我が物にすること、侵害すること、圧服するこ とであり、抑圧すること、厳酷なることであり、己の形式を他に押し付けること、摂取同 化することであり、少なくともーごく穏やかに言っても搾取することである。》 彼らにはそれを疑問に思うったことがない。 例えば俺らに母親がいることを、俺らが疑問に思わないのと同じように。 そして俺らの頭には彼らの前足の鉤爪がおかれるわけだ。 ここから逃れるために、心や内的世界をこしらえてしまったのが そもそもの間違いだった。
三島の謂う「強さ」が資本の力でも良いんなら、二・二六の青年将校らが 「みやび」の為に決起したことを讃えたりしないだろ。結果的には失敗してんだし。 三島は行為の有効性よりもそれが内包する美に価値を置いていたわけで、社会的な権力関係に価値は置いていない。
217 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 21:17:13.29 0
善悪観念は、一般とは逆だ。 搾取する。奪うという能動はそれ故に、その逆もできる。 つまり搾取しない。奪わない。 しかし、それができないのが弱者だ。
218 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 21:22:02.41 0
道徳←こいつを持ってるからできない。
219 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 21:32:28.78 0
虐げられた我々は善で、彼らが悪だ。 石版に書かれた道徳だ。 何が悪いのか教えてくれ?
220 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 21:39:47.54 0
そして道徳故に我らは生命の本質を取り違える。 と言えてしまえる。
221 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 21:45:44.50 0
道徳の目的は能動性を奪うことにある。 するしないをね。
222 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 22:11:25.69 0
簡単に言えば、ニーチェはすごく真面目だった。 てことに尽きる。
道徳の本当の目的は生命を向上する為に有るよねー!?♪。
ニーチェの道徳はリア充向け 俺達には毒でしかない
225 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 23:24:18.22 O
ニーチェは働かないくせに食う奴らの搾取を正当化するために、 生物の肉体的な搾取を正義として挙げている。
>創造性の為には搾取と強奪をも厭わぬ過酷な芸術家であることと、 単に既存の資本主義的価値観に沿った権力志向に走る単細胞とは別物。 元々資本主義には独自に価値を見い出し(価値の創造)、交換価値にし、回転させ、増殖させるこ とが伴う。資本主義としての独自な価値創造にはだから搾取が伴う。そこにはひとまず既存の経 済への同化が伴う。そういった人間は珍しくはない。しかし、ニーチェの論理ってどこまでも競争 主義だ。同等性の論理学批判とかいってるが、結局競争と支配だ。そういうところが不徹底だな。 人間性を単独性として見られないんじゃないかね。他人と競争し、勝ち、支配することで己を確認 する。ただそれによって、己である。言い換えれば、何が重要かの〈問いかけ‐答え〉があるのが芸術 だし、価値創造だし、勝手に創造してしまうのが芸術家。そこで絶えず他人との比較による自己の 確認がくるのは、依存的だね。言い換えれば価値創造とかいってるが、他人から認められねば、そ れは無い。だからいつも承認をめぐるヘーゲルみたいな闘争になる。〈主‐奴〉の関係になる。そこ が芸術家の哲学として不徹底さを感じる。単独者の理論ではない。しかし、芸術家ならそこがなき ゃむしろおかしいし、それが本来的だと思う。ニーチェにはそこが欠けている。そこが現代的なん だ。
227 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 23:34:10.30 O
てか戦争を肯定するということは、なんでもok!ということだよね?
228 :
考える名無しさん :2011/05/24(火) 23:45:08.75 O
戦争認めちゃったらお話にならないよねw
229 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 00:03:30.43 O
>>225 正当化に使われてるぐらいだから、物理的強さに物をいわせて搾取してもokなのは自明ってことだよね。
戦争okだし、自然だしね。
230 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 00:13:38.08 O
白人には正に自明だろ 。 搾取どころか一民族を根絶やしにしてもok。 そういう認識じゃないと原爆を二発も落とせない。
231 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 01:10:33.75 O
経済的搾取は暴力の娘 物理的最強者がこの世の主 少年漫画は小説よりもこの世を忠実に描き出してるよね? 肉弾戦に勝ったやつが、偉そうに説教するところとかw
232 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 01:17:36.68 O
ユダヤ人は白人にとっては微妙な人種らしいだけど、 ガチ有色人種に対しては何でもokみたいですよね?
人間と思ってる人種が暮らしてる国に原爆落とせないだろjk
234 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 02:00:06.12 0
強国は戦争をするかしないかの二択。 弱国は戦争の一択。
>>226 全然読めてないな。ヘーゲルとはむしろ真逆の哲学だってのは、
ドゥルーズの『ニーチェと哲学』とかクロソウスキーの『ニーチェと悪循環』に書いてあるから自分で勉強してから書き込め。
これ以上、恥を晒すな。
資本主義とか競争とかは、最大公約数的な価値としての市場価値に沿ってるんだから非ニーチェ的だってのは、
過去レスですでに出てる話だろ。無視して堂々巡りの同じ話をするなよ。付き合いきれん。
結局、自説を無根拠に繰り返してたいだけなのかよ・・・。
他人との比較なんていう、資本主義的競争や民主的な投票と同類の論理を、
ニーチェがどこで説いてるのか?
むしろ、単独者として自らを肯定する貴族主義を主張してたんじゃないのかね。
いや。俺の話を読めてないのは235だ。俺はヘーゲル哲学全般、資本主義全般を取り上げてはいな い。承認をめぐる闘争、それによる主‐奴の構造。資本主義なら搾取の不可避。あんた、文脈を無視 sてるのはあんただぞ。このような意味でなら関係がある。または同一だと言ってるだけだ。それ を勘違いして大騒ぎしてるのはお前さんだ。‘そういう意味でならそうだ。しかし、ニーチェには ヘーゲルとは大いに異なるというのが一般的だ’くらいにしとけばいいんだよ。信者君。
単独者論としてはあの階級絶対はなんだい。貴族とか賎しい民とかね。立派に比較してる。また、 個人の単独者性を無視してなきゃあの議論はでない。あれは立派に比較してる。階級意識がある。 嘘をいうなや。
問題は人種だ。 結局俺らが白人に生まれていたらアジア人や黒人など 滅んでも別に構わないと思うかもしれない。 底の底ではそう思う。 差別のかたまりなんだよ、人間は。
239 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 13:39:13.83 0
と畜群が力説しています。
日本人のイメージが汚らしいオッサンだからカス扱いされちゃうんよ。 天皇家はそこのところがよくわかってる。 三連続で美人もらってるからなw センスがいいw
政治家も漸くわかり始めたようだが、まだまだだ。 殺したら一生良心が痛みまくるような美人を見せつけておけば抑止力になること間違いなしだ。
こんなにも美しい生き物を残虐に殺すなんてことが許されるはずがあろうかと自問させるべきなんだよ。 汚い猿地味たオヤジが日本人のイメージだと、逆に殺意をそそるぐらいだから危険だ。 天皇家に嫁いだ美しいお姫様が金髪の野獣の暴走をかなり抑制してると思うね。 天皇万歳だぜ。
>>236 別に俺はニーチェの「信者」じゃないけどね。ただ愛読者ではあるから、
下らぬ現代社会の論理とニーチェの名を平気で結びつけるような態度には違和感を覚えるわけで。
ヘーゲル的な主人は奴隷から「主人」だと「承認」されなきゃ主人でないという逆説から逃れられないが、
ニーチェはその種の「承認」など必要としていないし、むしろ承認などというものはあり得ないと説いている。
「価値感情は上方と下方では異なっているという絶対的確信。無数の経験が下方の者には欠けており、
下方から上方へ向けての誤解が時には必然的なのだ。」(『権力への意志』994節)
「哲学者である為の条件は、通常ならば人間を徹底的に没落せしめる種々の固有性が属している。
1・固有性の物凄い多様さ。哲学者は人間の要約、高級低級を問わぬ人間全ての欲望の要約であらねばならない。
即ち、対立の危険、己に催す嘔吐の危険。」(『権力への意志』976節)
(『ツァラトゥストラ』の「最も醜い人間」が、カオス的な、嘔吐を催す存在なのはこの為だろう)
クロソウスキーが適確に捉えていたように、無数の他者を通して再び己を肯定する、というのが永劫回帰説の肝なんだよ。
人類全体を芸術の素材として扱うという意識の無い、単なる権力闘争や競争はニーチェと関係が無いどころか、真逆の思想。
資本主義的競争なんてのは、ニーチェ的視点から言えば
「何の役にも立たない状態内で優位を争う格闘。大都市の、新聞の、熱病の『没目的性』のこの文化――!」(『権力への意志』748節)
だよ。貴方の理屈は全て、
「利己主義の誤解は、凡俗な本性の持ち主から為される。彼らは、圧倒し、己へと強制し、己がものにすることを欲するところの、
流出する力の感情についてと同様に、偉大な愛の征服欲や貪欲についてまるで知らないが、――これこそ、己が素材を求める芸術家の衝動である。」(『権力への意志』873節)
ここで言われている「凡俗な本性の持ち主」のものであって、ニーチェが重視する「芸術家」について全く理解していない。
「芸術、しかも芸術以外の何物でもない!芸術は、生を可能ならしめる偉大な形成者であり、生への偉大な誘惑者であり、生の偉大な刺激剤である。」(『権力への意志』853節)
バカの一つ覚えで『権力への意志』から、本全体の文脈を無視すれば自分の理屈に都合がいい文章だけ抜き出して引用するような恣意的な話はやめてほしいよ。
>>212 の『善悪の彼岸』の引用にしたって、前スレで貴方の意見と真っ向対立するレスが引用してたのをそのまま流用してるだけだし。
ニーチェの名をもって語りたいんなら、ニーチェの言葉からその根拠を示せよ。自分の意見としてニーチェに反論するならまだ分かるが、何故ニーチェの名に頼る?
幼稚な曲解をされかねないので念の為に補足しとくが、 「無数の他者を通して再び己を肯定する」ってのは、現実に存在する「他人」から「承認」されることとは違うよ。 無数の他者性を「摂取同化」することで、より全き人間になり、人類を眼下におこうとすること。 だから「他人」から理解も承認もされるわけはないし、むしろそれらを超越した高みへ自らを至らしめることが目指されている。 政治的経済的競争に耽る連中は、「他者性」なんてもので自らを変成させることには無関心で、 矮小な自分を、創造性に乏しい欲で満足させることしか考えてない末人でしかない。
>ニーチェはその種の「承認」など必要としていないし、むしろ承認などというものはあり得ない と説いている。 これもおかしい。それにしてはやたらと支配やら搾取やら、闘争やら。あれこそ承認をめぐる闘 いではないか。お前さんの方が曲解してんじゃねえか(笑)ニーチェって承認がいらないとか、そ ういう毅然さはないよ、あいつは。ちょっと読みや誰でも分かるよ。嘘こくな。馬鹿。 >彼らは、圧倒し、己へと強制し、己がものにすることを欲するところの、 流出する力の感情に ついてと同様に、偉大な愛の征服欲や貪欲についてまるで知らないが、――これこそ、己が素材を 求める芸術家の衝動である。」(『権力への意志』873節) こういう人、実社会に居る。何にでも貪欲。エネルギッシュで狙った獲物は外さない。また好奇心 旺盛。恋愛も積極的。何より、力を重要視する。闘争と支配を重要視する。資本主義にニーチェの 思想がそこでの倫理として後ろ楯となっている好例だよ。しかもそういう人間はまた芸術を尊ぶ 。芸術を愛好し、理解している。全然ニーチェの理論に合致している。 くどいほど言うが、ニーチェの理論は力への意志を根幹として持ち、その理論は現代世界を生き る人間の新しい真理として生き続けている。ニーチェの描く人間と、現代社会の要求する人間は、 その力への意志、己の自在(どうとでも変身できる、どうとでも言動が変わる、己の自在)、支配‐ 被支配への拘り《仕返し、復讐、への拘り)などで共通する。何でそういうことになったか。ニーチ ェは人間の存在を詰められなかった。詰められなかったことが、支配‐被支配の繰り返しへ、不毛 な拘りを生み、また不毛な自由を描かせた。不毛な人間像を描かせた。何より、力へに意志という 規定からリアルではない。俺は第一力をたいして重要視する人間じゃない。何が力への意志だと 呆れながら読んでいる。力への意志を根幹にした時点で既に求めるべき人間像として質の低さが 出ている。
>無数の他者性を「摂取同化」することで、より全き人間になり、人類を眼下におこうとすること。 だから「他人」から理解も承認もされるわけはないし、むしろそれらを超越した高みへ自らを至ら しめることが目指されている。 これはだから、固有性というのをはなから問題にしない思想だろう。しかし、人間はこんな空想 では掴まえられないぞ。他人をそう摂取同化なんてできると思うか?なら己の正体とは何だ。そ れだから、〈物自体などない〉というテーゼが馬鹿げていると言うんだ。↑の話が馬鹿げているのと 同じ〈空想的自由〉であり、個体の有限性などからきし忘れられている。俺は個体の生きているこ とには先行的な可能性の有限性が伴っている、それにより個体は個体たりえると思うので、〈摂取 同化〉とか、個体の可能性というのを誤解した考え方だと思うし、それにこれこそ資本主義が個体 に要求する最たる生存だよ。こういうこと、企業の研修とかでよく言われることだろう。これも ニーチェの専売特許ではない。自己性というのを誤解してるところで言われる自己理解だ。
権力は分かりやすい概念だが、芸術の価値観をニーチェに全て委ねて 論じるとしたら、理論の限界にぶち当たらないか? ニーチェは芸術の勝者か?恋愛の勝者か?
249 :
考える名無しさん :2011/05/25(水) 19:32:02.08 0
そもそもニーチェは相対主義なんだから勝敗を決め付けるのがおかしい。 そもそも他人が決めた勝敗なんてニーチェにとってはどうでもいいんだよ。 勝敗を超越した自分にとっての価値が重要というのがニーチェの信念。 それが善か悪か、美か醜か。それを判断する基準が絶対であると客観的?絶対的?に論証する手段はない。
スレ違いほんとごめんね。 お前らの視点でカントを語って。 どんな見解か興味あるんだ
そうそう、日本は非芸術的すぎるんだよね。枯れまくりじゃないか。 とりあえず生ける芸術としての政治家を増やすべきだな。 被災者として登場させる人間も、生ける芸術として通用するような人間にすべきなんだよね。 泥んこな美人とか、負傷した美男子とかを映すべきなんだよ。 親の死を理解していない小さな子供が、荒廃した街をママを求めてうろついているところとかをさ。 みんな正直いって、いい加減汚い奴らなんて見たくないんだよ、そんなもんお腹いっぱいだから。 興味ないどころじゃない。 それこそ吐き気を催させる。 逆効果だ。 死んだ事実など糞食らえですよね?
>>250 カント? 信者ともども、下らない存在だな。
>243はニーチェは承認を必要としてないって言ってるが、かねその通りだと思う。
ニーチェ哲学がニヒリズムを起点にしている事を考えれば、分かりやすいと思う。
>>251 それは芸術じゃなくてゲージツのほうじゃないか?
250 絶対悪(当たり前の犯罪とかじゃないのはもちろんわかってる。日常に潜むいわゆる善人らの中にある悪) と、超人の概念との間に、なんか似たもんを感じるんだ。 決して届かぬ超人に手を伸ばしてもがくより、全ての人間は偽善的であると言われたほうが、救いがあると思う。 宗教じゃなし、救いどうこうの話じゃねえよって言われるだろうが
255 :
ダメポ :2011/05/26(木) 01:03:46.42 O
全ての人間はダメポである
257 :
考える名無しさん :2011/05/26(木) 03:51:10.16 0
「主観が主観に直接問いたずねること、またはあらゆる精神の自己反省は 危険なことである」 中学生のときにニーチェのこの文章を初めて読んで「何を大げさな(苦笑)」 と思ったものだが、35歳も過ぎてみて、初めてこの文章の射程の広さに気づいた と同時に、こうした文章を書けてしまうニーチェは凄いヤツだと思った 上の文章は「過度に言語に対して猜疑的であってはならない」という戒めだと 思う。自分の言語について、そして他者の言語について、その意味の妥当性を 問い始めること、その過程で言語の意味を汲み取ることができなくなる、妥当性 に懐疑的になり、自信がもてなくなる、こうした状態が続くのはとても危険な ことだ。
258 :
考える名無しさん :2011/05/26(木) 05:52:51.70 0
画家のギュスターブ・クールベは、評論家に天使は描かないのか?と言われて、 「お前が天使をここに連れてくればホンモノそっくりに写生してやる。」 と言ったが、ニーチェのノリもそれに近いと思う。 カントの哲学ってのは要するにどうしてプロセイン人は生まれながらに世界で一番絶対正しいか、って言う説明だと思う。 世界平和、絶対正義うんたら抜かしてもしょせんは自国中心の主観的で没交渉的。自国を中心とした平和と正義。 二度の世界大戦でフランス・イギリスに完敗するのも必然的。
ツァラ物語でも「市場の商品にたかるハエ」みたいな感じで資本主義を揶揄する記述あったような。
>>257 それはウィトゲンシュタインじゃねえの?
陶酔が称えられるが同時にそれは主体性に包括される。その主体は力の高揚にひたすら邁進し、 抗争し、支配を目論む。こういう思想はむしろ新しい主体主義。神なき時代に〈我〉を自らの神とす る、自らを創造する創造者、または工作者を目指す。そこには己や世界を操作対象とし、かつ君主 たることを目指す帝王主義がある。それは〈人間=神〉の、全てを操作性に包括する現代的な形態で ある。己や世界を操作操縦支配すべく、そして征服の快を感じる主体がその目標になる。ここには 近代化に合致した新しい主体性の神学がある。ニーチェ哲学の本質がそれだと私は見なす。
>ツァラ物語でも「市場の商品にたかるハエ」みたいな感じで資本主義を揶揄する記述あったよう な。 資本主義へ全面的に肯定的である必要はニーチェ哲学にはない。全面的に肯定的でなくとも資 本主義は力の高揚の素材、手段たりうるのだから。「ハエの制度」と思いながらそこで権力を蓄える ことは、また使用することは可能だ。
>>246 ←この人ホントは、大してニーチェに関心なんか無さそうに見えるんだが?自宅にニーチェ全集とかも置いてない感じ。
ニーチェの言説を読んでも、「こういう人、実社会に居る」とか言って、しょうもない自分の生活感覚の範囲でしか想像力が働かないみたいだし。
おそらく、何の気なしに、「ニーチェは現代社会を予言しているっ(キリッ だがニーチェも俺に言わせりゃ限界があるね(キリッ」とか言って、
クールに去ってくつもりだったのかもなwそれが、思った以上に反論受けて、引くに引けず、誤字脱字しながら、怒りで震える手でキーを打つことに・・・。
他者性を「摂取同化」なんてのが、実際に、なんかスライム同士が合体するみたいに出来るわけがないことくらいは自明w
だからこそ、永井均なんかは結局、独我論的な論点にニーチェを取り込むわけだ。
だがね、例えば、上で例に挙がってた三島由紀夫が小説家として色んな他者性を「芸術」的な「素材」としていたのと比べて、
自分の生活範囲内で貧相かつ俗な想像力(「企業の研修」がどうとかw)を働かせる程度しか出来んボンクラと三島は雲泥の差でしょう。
そういう「差異」を無視して大雑把な論理で世界を語る連中をニーチェは、「眼差しと握手だけでは足りず、誓約すら求める臆病者」と呼んだ。
<君はひとつの普遍的で公正な目になりたいのか?ならば君は、多くの諸個人を通過し、己の達した最後の個人が
それに先立つ全ての諸個人を機能として使用するような者として、そのような目にならねばならない。>(『生成の無垢』57)
>>250 まー、永井均はカントとニーチェを比較して、サド的な絶対悪と超人思想を語ってたりするけどな。
君自身がそういうのを読んでここで問題提起するんならいいけど、漠然とスレ違いなカント観を問うてもな・・・。
あ、『生成の無垢』は下巻の方ですので。
いや、別にキリッとでもクールでもないし、反論はいいじゃないか。こちらも考える材料ができ ていい。怒りも何も、263の反論がまだ釈然としないので、またやるだけのことだ。私の言いたい ことは既に言ってるし、繰り返しになるが、付加すると、ニーチェ自身も、〈力への意志〉がまずい 概念だということ、自分の意図に反して、思わぬ意味を持ってしまう可能性があるということに 実は気付くようになったのではないかと思う。当初はそうでなく、従って血気盛んに書き進めた 。しかし、あの概念に、自分が軽蔑する人種を称える要素があること、の重要性に気付いていき、 そこで〈力への意志〉で纏める計画は頓挫した。それに加え、この頓挫は、それまでの自分の思想の 全体像への反省を強いることに気付いた。しかし、最早ニーチェに、思想の全体像を考え直す余力 は残ってなかった。つまりそこでニーチェの思想的生涯は終わった。つまり、ニーチェ自身が、あ の概念に含まれる欠陥にある時気付いた。私はそう思う。ニーチェが〈力への意志〉を、無謬ではな いとある時気付いた。自分のそれまで形成した思想的全体像を、纏めるつもりで書き進めたのが あれだった。しかし、途中で、むしろ全体を帳消しにする可能性に気付いた。到着点と思った場所 は、実は絶壁で、思想的死を意味していることに気付いた。言い換えれば、この概念を進めること で、263のいう「しようもない」場所に取り込まれるだろうことに気付き、放棄した。私はニーチェ 思想を263のいうように終わりまで綺麗に整ったものとは読まない。また、現実世界にある現象 と、比較できないものとも読まない。最終的地点はむしろ、ニーチェ自身が嫌った世界との結合を 用意するものだった。あれはそういうもので、よって放棄されたとみる。あの思想が現実社会と関 係ないとする方が誤りだと思う。ニーチェが当初から意図したとは思わない。しかし、途中でそれ に気付いたとみる。 文明批判、哲学批判、宗教批判としてのニーチェは面白い。しかし、躓きまで塞ぐことは間違って いる。
「私はそう思う」というその根拠を、ニーチェ自身の言説から多少なりとも挙げてくんないとな。 だいたい、ニーチェは哲学なり世界観なりは、その存在者が己の権力量に応じて世界を形式化する、 一種の「芸術的」な概括だと自覚してるわけで、もとより無謬性など主張してないように思うんだが。 「権力」とか「力」の概念が「しょうもない」解釈を受けかねないのは実際そうだろうけど、 ニーチェは、低級な連中から誤解を受けるのは必然だとも考えていたわけで、そういう連中からの誤解の可能性があるからって、 「権力への意志」という概念がまずいとか、放棄すべきだとか考えたとというのは、ありそうにないな。 誤解の有無以前に、「自分が軽蔑する人種を称える要素」があると考えていたと言いたいのなら、ちょっとその根拠を挙げてもらいたい。
そもそも、ニーチェのいう「力」は、ディオニュソス的な陶酔感情、創造的で肉体的な力を根幹に置いているわけで、 「自分が軽蔑する人種」を讃えることとは正反対だし、その種の賎民から「俺らを讃えてるぜ」てな誤解を受けたとしても、 それはまさにそいつらが低級であるが故の誤解であり、そんなものをニーチェが気にして自身の思想を修正しようとはしないだろう。 別に三島がニーチェに匹敵する思想家だとか超人だとか言うつもりは無いが(せいぜいツァラトゥストラの「高等な人間」程度だろう)、 そこらのボンクラよりは高級だろう。で、ここには他人との比較があるわけだが、だからって三島が社会的に「承認」されて初めてボンクラとの差異ができたわけではない。 差異があって後に、社会がそれを認知したわけだ。つまり「距離のパトス」は、貴族的に自らを肯定する。政治的経済的ポジションの高低の比較とは別次元の話だ。
>>246 の芸術うんぬんは、ブルジョワ的な「芸術作品」愛好家の話であって、
ニーチェにとっては芸術の創造者の視点こそが肝心なのが分かってない。
「低級な連中からの誤解」ではないね。力への意志はニーチェが自分の思想の全体像として書くつ もりだったと思う。それが思わぬ結合を結果することが読めなかった。それは謂わば思考のミス、 結果が読めなかったことによる躓きというしかない。だから「そういう連中からの誤解」とかでは ない。それが言葉として残されていないから作り事、とか納める必要はない。何なら放棄でなく 挫折でもいい。完成したかったが、不備に気付き、修正したかったが出来なかった。「自分が軽蔑す る人間を称える要素」てどこが、というのは、それをこれまで延々私は書いてきたんだけどね。
書いてきたことの中に、ニーチェが「力」の概念を社会的な優劣とは違う論理が語っていることへの言及が無いから訊いているわけでね。
論理が、じゃない、論理を、ねw なんか、徒労感がつのってきた・・・ 結局、ニーチェが「芸術としての力への意志」を語っている部分が、 何を言っているのかよく分からない、という以上の話ではないんじゃないの?
論理として、の方が正確か・・・ 「そもそも、ニーチェのいう「力」は、ディオニュソス的な陶酔感情、創造的で肉体的な力を根幹に置いている」 ↑ これを無視して、「それをこれまで延々私は書いてきたんだけどね」などとふんぞり返られては、もう、何を書いても無駄だとしか思えない・・・ 都合の悪いところは無視して、同じ論理の繰り返し・・・真面目に反論を書いてきた俺がばかだっのか・・・
>そもそも、ニーチェのいう「力」は、ディオニュソス的な陶酔感情、創造的で肉体的な力を根幹に 置いているわけで、 『力への意志』の最終部に《世界とは力への意志である。》とたしか連呼してるでしょう。あまり記 憶が正確でないかもだが(笑)もっとすごくシンプルに考えられているよ。力とか権力という言葉 の意味としてね。ありとあらゆる有は力への意志である。くらいに考えるべきだろう。ちょっと凝 りすぎではないですか、そういう読み方は。
>>272 >>真面目に反論を書いてきた俺がばかだっのか・・・
馬鹿だと思うね。
273のような表面的なニーチェ論などI Q80 程度あれば誰にでも言える。
『権力への意志』をつまみ食いした高校生にだって言えるレベルだ。
その程度のニーチェだったら、それ以降の哲学史や世界文学史に高く評価されていないはずだよ。
アンタ、273みたいなのと議論するのに貴重な時間をどれだけ使った。
毎日、やることないんだね。
ニーチェはルサンチマンからの逆転の発想だよね。 ということはルサンチマンと根っこは同じなのではないか?
276 :
考える名無しさん :2011/05/26(木) 22:08:06.50 0
『ニーチェ全詩集』 フリードリヒ・ニーチェ 著 税込価格 : \2940 人文書院
>>266-267 まあそうでしょうね。個人的には、永遠回帰思想において説明できると思います。
たとえそれが一度出した答えであっても、無謬な答えなど無く、人は繰り返し問い続けていく。
>>275 弱さならば、ニーチェも持っているでしょう。ルサンチマンも持っています。
自身の持つ弱さに対してどう向き合うか、が焦点だと考えています。
>書いてきたことの中に、ニーチェが「力」の概念を社会的な優劣とは違う論理が語っていること への言及が無いから訊いているわけでね。 例えば陶酔とかを力への意志との関連で語っているところがありますね。 《すべての芸術は強壮にする作用をもち、力を増させ、快感(言い換えれば、力の感情)に点火し、 陶酔のあらゆるより繊細な回想をよびおこす》(『権力への意志』no.809) 《芸術の本質はあくまで、それが生存を完成せしめ、それが完全性と充実を産み出すことにある。( 『権力への意志』no.821) また一方、力への意志を「主人になろうとする意志」として語っているところがある。 《およそ生あるものの見いだされるところに、わたしは力への意志をも見いだした。そして服従し て仕えるものの意志のなかんも、わたしは主人であろうとする意志を見いだしたのだ。》 (『Zarathustra』自己超克) この両者が総合化されているかのような記載もある。 《私たちが事物のうちへと変貌や充実を置き入れ、その事物を手がかりに制作し、ついにはその事 物が私たち自身の充実や生命欲を反映しかえすにいたる状態とは、性欲、陶酔、饗宴、陽春、敵を 圧倒した勝利、嘲笑、敢為、残酷、宗教的感情の法悦にほかならない。とりわけ、性欲、陶酔、残酷と いう三つの要素である。》(『権力への意志』no.801)
>>278 コピペしたって仕方ない。
no.821とno.801 から一つの考察を導き出してみなよ。
「‘支配形態としての肉体’ 肉体における貴族政治、支配者の多数性(細胞や組織の闘争) (略)人類の発達についての推論。すなわち、完成は最も力強い個人たちの産出にあり、 大衆はその道具たらしめられる(しかも最も知性的な最も器用な道具として)。」 『権力への意志』660節 「崇高な人間は、たとえまったくかよわく脆くあっても、最高の価値を持っている。 というのは、まったく重厚で稀有な事物が、豊富に、多くの世代をつうじて育成され、 いっしょに保存されているからである。」 『権力への意志』996節 つまりニーチェが「大地の意義」であり主である存在として考えているのは、実際に権勢を振るう者でも、 肉体的に頑健な人間でもない。 「多くの諸個人を通過し、己の達した最後の個人がそれに先立つ全ての諸個人を機能として使用するような者」。 つまりは歴史を引き受ける創造的かつ総合的な個人。
「芸術家‘なし’であらわれる、たとえば、肉体としての、組織(プロイセンの将校団、イエズス会教団)
としての芸術作品。芸術家はどこまで一つの先行段階にすぎないかの問題。
おのれ自身をみずから産みだす芸術作品としての世界――」
『権力への意志』796節
ニーチェが言う「芸術」の概念はこういう広義のものであって、画家や音楽家といった「職業」を指しているわけでもない。
超人に、限界ギリギリまで最も接近する個人は、それ自身が芸術だといっても良い。
大地に意義を与えうるということが「主」たる所以であって、他人からの承認によって主になるのでもない。
「ヘーゲルの弁証法は、意識の不幸の分析によって、(「主人」における)‘自立した意識’の不幸の分析によって、
『原初の欲望』(力への意志)を歪めることしかしなかった。‘自律的意識’というものは、もう一つの、
やはり同じように自律した意識から、みずからを、みずからの自律性にいて認知してもらおうとするのだが――
(「奴隷」の)‘従属する意識’がそれを必然的に構成しているのだから
――それができずに絶望するしかない、というわけである。
ニーチェにはこの‘相互作用の必要性’は存在しない(略)
それどころか、≪伝達不能な感情の至高性≫という彼自身の‘特異性’によって、ニーチェは
『‘他の意識によって媒介された対自意識’』には無縁のままにとどまるのである。」
クロソウスキー『ニーチェと悪循環』p.41
>>273 「凝りすぎ」って、ニーチェ自身が(「芸術としての権力への意志」その他で)言ってんだからしょうがないw
手前勝手な形にシンプル化して語られても、それニーチェじゃないよ。
>>269 >それが言葉として残されていないから作り事、とか納める必要はない
何を「納める」のか知らんが、ニーチェがそのものズバリの言葉を残してなくても、
あなたなりにニーチェの文章を咀嚼した上でその考えに至ったんでしょ?
なら、その根拠くらいは示せるはず。完全に、ニーチェの言葉と関係なく空想していいんなら、ただのチラ裏。
あやふやな記憶頼りで自己流解釈を繰り返されても、他人は困惑、拒絶するしかない。
そして、『権力への意志』no.801の上記の後にこう書いてる。 《すべてこれらは人間の最古の祝祭の歓喜に属しており、すべてこれらは同じく最初の「芸術家」に おいても優勢である。》 こうみていって、思うのは、やはり〈力への意志〉という語彙の、概念の問題性である。服従して仕 えるものの意志のなかにもある〈力への意志〉とは、そのまま支配を欲望する意志のことである。 手段を選ばないこと、計算すること、機を伺うこと、等が入ってくる。それはno.801でニーチェが 取り上げる諸々の祝祭とは違い、生の意義の喪失ということが重なってくる。新しいニヒリズム の形がある。『権力への意志』にはそこでの概念の深め方の問題がある。ニーチェは祝祭としての 高揚を、掴み損なっている。後のバタイユの方がよりニーチェの意図を汲んでみせている。ニーチ ェがやったように〈主人になろうとする意志〉を生の意味として取り出すと、そこには政治や支配 の問題が滑り込んでくる。曖昧さが残っており、払拭できずにいる。政治的存在を促すかのような ところと、祝祭を促すかのようなところが混在してるのがニーチェの〈力への意志〉だと思う。バ タイユと比較するとバタイユには政治的策略の匂いは無いから、そこがすっきりしている。ニー チェが書いている「認識としての力への意志」を読むと、どうしても〈政治的陰謀の論理学〉として 機能するのを止められないだろうと思える。そこで新しいニヒリズムを喚んでいくだろうと思える しそこが欠陥だと思う。
新しいニヒリズムとは、簡単なことで、力のために全てが素材として消費され、また言葉が自在 に駆使され、評価は利己的にのみ為され、いわゆる遠近法的誤謬として。それらにより、生の意味は ますます喪失されていく。現代世界に闊歩する政治的動物の生存のことだとも言える。
一方でしかしニーチェは、私が批判したようなことを、〈郡居的動物の道徳〉として、越えられな ければならないとしている。〈大地の主〉はそれらを越える、と。つまり確信的に言っているという ことになる。悪を承知で為し遂げる。そうなると、それはそれでいいけども、それが機能する場所 としての、現代世界という、愛読者が嫌う繋がりは避けられなくなる。ニーチェが自ら悪だと認め たようなものだから。繋がりがある。だからどうしたのかとニーチェは言うでしょうけどね。
286 :
考える名無しさん :2011/05/27(金) 13:55:19.40 0
カミサンチョウチョは飛んだ、パピョーン
ニヒリズムはまさにニヒル(虚無)なんだから、新しいとか古いとかいう形容詞を付けるのは変。
せいぜい「能動的」か「受動的」。
>>284 のはニーチェが能動的ニヒリズムとして語ったことと概ね変わらない。
「新しいニヒリズム」とか言ってニーチェと違う角度から語っているかのように装うのが何ともさもしい。
第一さ、ニーチェの「芸術」は、所謂、一般的な意味での「芸術」に限らないんだよ。
形而上的な「真の世界」の無効性を告げ、また、事象の微細な差異を無視した概念化による合理主義を掲げる機械論的世界観も、
プラトン主義とは逆の意味での理想論として退けるニーチェ(『権力への意志』1061節参照)にとって、
感性的なものの構成によって織り成され、仮構されるものとしての「世界」そのものが「芸術的」なんだよ。
「永遠に存続する実体などは無い。物質など、エレア派の神と同じく誤謬なのだ。」(『悦ばしき知識』109節)
ニーチェの「陰謀」的性格はクロソウスキー(盟友バタイユよりニーチェを理解していると思う)が特に指摘していて、
それをサド的犯罪性と同列視するのが彼の問題点だが、まあ、陰謀的性格についてはまさに「だからどうしたのか」だろうな。
権力への意志は、あらゆる抵抗を排して自らの求める形式を事物に刻印しようとする衝動なわけで、
「郡居的動物」との格闘としての陰謀の遂行もまた、芸術家、例えば彫刻家が大理石と格闘するようなことと変わらない。
バタイユは、エロティシズムや脱自(エクスタシー)の前提として、禁止(タブー)を必要としている。
裸で女がうろついていてもエロティシズムは無いって言ってるしねwだから、ニーチェ的な創造とは無縁。
裏返しにされた祭司なんだよバタイユは。だから「すっきりしている」と、単純な人にも理解され易い。
三島がバタイユを「エロティシズムのニーチェ」と呼ぶのも、未来に関心が無く、切腹にエクスタシーを求める彼にはそれが極限だからだよ。
「超訳 ニーチェの言葉」っていう本が、ベストセラーになったみたいだけど、このスレとして評判はどうなの? 古い話題だったらスマン。 ベストセラーとなると、「哲学や思想をまじめにやろうっていう態度はなく、勇ましい言葉をありがたがって気持ちよくなったり、やる気を引き出すための自己啓発のたぐいなんだろう」っていう偏見があります。 斎藤孝の「座右のニーチェ」とかだって、まさしくそんな感じの本だったしね。
そういえばあったねそんな本 数日前にもニーチェの一節を読んだけど何が凄いのか分からないってレスがあったけれど 何故ニーチェがこんな事を言ったのかと、背景とか理解しておかないと ただカッコいい言葉だなーあー元気出た で終わっちゃうよね どんなものなのか今度読んでみようかな
立ち読みする価値もなかった
健全な精神にニーチェは不要
あれ読んでニーチェを知った気になったヤツがニーチェを薦めてきた時は虚しくなった
293 :
288 :2011/05/27(金) 21:34:47.06 0
もう7、8年前のこと。 私は高校生のときだったので、記憶がはっきりしませんけど、『超訳 ニーチェの言葉』とおなじ白取春彦の著書で、「この1冊で哲学がわかる」っていうヤツを読みました。 そっちの本では、いろんな哲学者が紹介されている中で、ニーチェだけがとんでもなく低い評価をされていました。 手元に残ってないから酷評ぶりを引用できないですが、「哲学者からはまともに相手にされない人物」だとか、「聖書の誤訳にもとづいた思想で価値がまったくない」とか、そんな感じだったと思います。 今度はそのことを主旨替えして、ニーチェ本を出しているのでしょうか? 批判的に扱っているならわかりますけど、アマゾンでサンプルを見るかぎり、ニーチェを賞讃しているような感じですよね…。
ニヒリズムを克服するのが人類の目標ですよねー!?♪。
>>294 俺ニヒリストなんだけど・・・
どうして人生に価値があるなんて思えるの?
296 :
288 :2011/05/27(金) 21:53:40.22 0
私は白取春彦のファンじゃないですけど、彼はお手軽な本をたくさん書きまくっている人なのか、ふとしたきっかけで著作に触れることが何度かありました。 さっきあげた『この1冊で哲学がわかる』っていうのは、知ったかぶりするのに役立つだけというか、哲学史をミーハーなふうに表面的になぞるだけで、好奇心はまったく刺激されませんでした。 そして、またべつに『勉学術』というタイトルの本だったか、そっちではハイデガーをけなしてましたよ。 「ハイデガーは20世紀最大の哲学者と言われるが、何が言いたいかさっぱり要領をえず、私はまったく評価していない」とかなんとか…。 あなたが好きな哲学者は誰なんだと訊いてみたくなりますし、もしかすると何も深い考えをもたずに、売れる本を書くだけのライターかもしれません。 くわしい方、いらっしゃいます?
>三島がバタイユを「エロティシズムのニーチェ」と呼ぶのも、未来に関心が無く、切腹にエクスタシーを求める彼にはそれが極限だからだよ。
未来に関心が無いのに、三島はある意味、未来に生きてるなwwww
>>282 文章が読み難いですね。あなたにとって何が価値ある事で、何が価値無き事なのか。
あなた自身の価値観を、普遍的な前提として語っていませんか? ニヒリズムが足りませんよ!
>>295 全て平等に価値は無い!
それでも俺は生きるぜ!一瞬一瞬を真剣にな!
サラリーメンにもニーチェは不要。脱俗隠遁野郎の読み物。
アナーキスト御用達
そして僕は新世界の神に為るのだよねー!?♪。
302 :
考える名無しさん :2011/05/28(土) 12:28:01.44 O
過去の全てを無駄にしないためには、人類は無駄な骨折りを続けねばなりません。 生き続けねばなりません。 ですが人類が生き続けるのは過去が無駄なあがきだった、無意味だったと知ってるからです。 だから夢を見てきたのです。
夢に人類は依存しています。 人類はいわば病気だからこそ生き続けられるんですよ。 生き続けるために病気になっのかもしれませんね。 まともな哲学者は危険な医者です。
304 :
考える名無しさん :2011/05/28(土) 14:22:53.61 0
普通の今の日本人が考えるような「人生の価値」と、 ニーチェが否定する一般的キリスト教徒の生来犯罪者?である人間が、 死後に天国に行くための人生という「人生の価値観」は微妙に違う。 今の凡俗な日本人が考える人生の価値とは、学歴や生涯年収の試算とかだろうか。
305 :
考える名無しさん :2011/05/28(土) 14:50:22.10 O
聖書に天国とか地獄とか書いてあったか? エホバの証人の超解説はなんか凄まじく恐ろしい感じがする。 理性や信仰の描く世界を現実化する力を感じるね。 現実化する力があるということは哲学者でもあることだといえる。 なぜなら真理にする力を発揮していくことは真理の追求だからだ。 力への意志は真理への意志である。逆も然りだろう。
価値のある夢は現実化すると価値を失っていくので、 生き続けるためには夢見ることを続けねばならない。 夢は力を要求する。夢見ることは力への意志となる。 力への意志が尽きれば終わりなのだ。
307 :
考える名無しさん :2011/05/28(土) 15:40:27.56 O
実際に哲学者たちは各自各様に創造的に真理を提示してきたのだから、 真実や真理など作り出せばいいと考える奴が出てきたのは当然だろうね。 人類の現実化する力も高まってきてたしな。 なに、現実など作ればいいのさって考えになるのは、当然の流れ。 真理への意志は力への意志だといいかえられる段階に人類は到達できるという夢を見れるようになったんだな 。 なに、真理など嘘から作ればいいのだよっていいたいわけだ。
真理は力であり、力は真理である! そして我は真理なり。 なんという理想! 哲学者らしい夢だ。
そんなの2000年に1人の超天才にしか作れない。 凡人には無理。人間は平等ではないよ。 「人類」とひとくくりにするとことから勘違いがはじまる。 凡人は超天才とは違う種の生き物。 ニーチェは超天才ではなかった。悲しい現実だけどね。
しかし、いかに画家が少数でも同じキャンバスに描き出そうとする以上、ニ ーチェが欲するように芸術的になるとは思えんな。 人間の描く力がたかまるほどに、絵は絵にならない醜悪なものになるね。
各自各様に現実を描き出す(捏造/創造する)ようにでもなれば、これ以上はないというぐらい反芸術的な世界が現出して反吐が出るぜだよね。 現代日本の統一性のない淫らな街並みをさらに悪化させたような世界なんてウンコ
戦後取り入れたアメリカ的な生き方は既に自己否定したといえるが、 それが、まだだまだ終わらんよといって、ニーチェにすがってるみたいな感じかな
313 :
考える名無しさん :2011/05/28(土) 16:52:26.11 0
まあ落ち着け わだばニーチェになる! / _ノ \ おら、こんな村いやだ! | u ( ●)(●) ____ わだばニーチェになるだ! | (__人__) /::::::::: u\ | ` ⌒´ノ/ノ└ \,三_ノ\ ,∩__ /::::::⌒( ●)三(●)\ fつuuヒキコモリ哲ヲタ
314 :
考える名無しさん :2011/05/28(土) 16:53:09.93 O
自己否定の時代に未来はあるのだろうか。
315 :
考える名無しさん :2011/05/28(土) 17:11:12.15 0
ニーチェって相当正しいと思うんだよ俺は でも間違ってると思ってる、信じてはいない どこが間違ってるのかは俺にはわからんけどな まあ答えのないのが世界の答えなのかもしれんな 世界に法則性なしという、自由が世界の正体かもしれん
>>297 要は
>>282 は、皆で盛り上がろうぜ風の祝祭はいいけど、
人類なんて芸術家たる俺様の素材としてしか存在価値がねぇ、ってな考えは、
金と暴力での勢力争いむき出しの現代社会そのまんまですね、と捉えてるんでしょ。
ニーチェも「漂泊者とその影」(『人間的』の二巻)286では搾取について批判してたり、
275では民主主義に意外と賛成してる感じだったりもするけど、
そこを通過してさらに思想を発展させてった流れを読んでかないとね。
ぼくらはニーチェ哲学のよいところは学ばず、 ニーチェ哲学の悪いところばかりを受け継いでしまう。
神様を否定する人間は罰当たりで天罰が下るよねー!?♪。
319 :
考える名無しさん :2011/05/29(日) 01:15:16.95 0
ぼくら
きみら と言いたいところだが 気を使って ぼくらにした
321 :
考える名無しさん :2011/05/29(日) 03:14:32.36 0
ニートの哲学
322 :
考える名無しさん :2011/05/29(日) 05:44:31.59 O
先進国的にはニーチェはもう古いと思う。
>>316 なるほど。他人への攻撃は認められない、と言った類の、ありふれた正義感でしょうかね。
淫乱な生き方はやっぱりダメだったよね。 ブッダもどうダメなのか教えればいいのに、恥を恥じて晒さないから性懲りもなくバカ騒ぎが繰り返されるんだよな。 ニーチェなんて俺が苦しんでるようにお前らも苦しめよって感じだしな。
325 :
考える名無しさん :2011/05/29(日) 06:04:08.27 O
アウグスチヌスにしても、十分に告白してないよな。 先生方は自分に甘すぎる。 威張りたいならもっと恥を晒さないといかんよ。 上から物申すなら血で教えろや腐れ外道めが。 威張りたいだけで教える気ねえ教師とか いらねーし。
俺もそう思ってた。 しかし、どこまで晒せるかはその時代による限界があるだろう。
そんなことに限界を認める自分が可愛い教師なんて有り難くないね。 人類には有り難い教師がいないんだ。 生徒に血を流させる出来損ないの無意味な教師にはこと欠かないがね。
権力という言葉を俗なふうにとらえるから愚劣な解釈が生じるんだよな。 ドゥルーズは『批評と臨床』の文章で、ニーチェとD.H.ロレンスを一緒に語ってるけど、 ロレンスの言葉にはこういうのがある。 「権力は厳として存在する、そしてこの事実は今後も永遠に絶えぬであろう。 人が二人三人と集まれば、殊にその際なにごとかを為しとげようと欲するならば、 その瞬間ただちに権力が介入しきたり、かならずそのうちの一人が指導者となり師となる。 この事実をそのまま受けいれるなら、過去の人類がやったように、その男の生まれつきの権力をすなおに認め、 それに讃仰を捧げたなら、きっと大きな愉悦が、一種の昂揚感ともいうべきものが生まれ、 強きものからより弱きものの側へと力が移って行くであろう。」『黙示録論』p.49 「主人と召使いの関係、あるいは主人と部下の関係は、元来、愛の場合と同様に、極性をもった流れである。 それは活力の回路であり、主人と部下との間を流れて、お互いのためにきわめて貴重な栄養源となる。 […]ところが、主人と部下との両者を抽象化して、一つの観念の支配に、たとえば、生産、賃金、 効率うんぬんといった観念の支配に置いてみたまえ。[…]主人と部下との間の震動する生きた回路は、 機械と機械との間の機械的一致に変化してしまう。」『アメリカ古典文学研究』p.224 ニーチェが「贈り与える徳」と呼んでいるものは、こういうもののことだろうと思う。
もっと徳を語らなきゃ駄目だ。
強きものと弱きものっていうのはいつでも同じじゃないと思う。 場面ごとにちがうはずだ。 得手不得手というのがあるように。 それを統一化することが権力となるのであって 強い弱いを定型化して範疇に収めるので時間が経てばぎくしゃくしてくる。 徳といえるものが延々と続くものではないとニーチェは思わなかった んだろうか?
>>330 確かにそういう面はあるね。ドゥルーズと一緒に仕事していた精神科医のガタリが、
ニーチェについて「陰謀の匂いがする」とか言って引用に消極的だったのも、その辺が気になったのかも。
「リゾーム」とか「横断性」の概念は、階序ではなくネットワーク的だからね。
まぁニーチェに言わせれば、個々の状況に応じての得手不得手みたいな瑣末事ではなく、
全体を見渡し価値判断するのが、立法者であり価値創造者たる哲学者ってことなんだろうけど。
哲学は科学を統御するものだとも言ってるし(『生成の無垢』93)。
「私たちは、芸術家や詩人を、いずれかの領域における名人を擁護する。
何ごとかをなしうるにすぎない者よりも、たんなる『生産的人間』よりも、より高い本性をもつ者として、
私たちはおのれを彼らと取りちがえることはない。」『権力への意志』943
とはいえ、「時間が経てばぎくしゃくしてくる」面もあるんだろう。
そこはもう、さらなる強者と交代し没落して然るべしってことなんじゃないのか。
>>331 「君は存在しない。君のすべては他人の言葉からできている。」
― サミュエル・ベケット ―
ニーチェは贈り与える気がないどころかあまりにも攻撃的だ。 それだけ強いルサンチマンを抱いている。 「地下室の手記」の元役人のように自分を犠牲に供してこそ教師たりうるのだがね。
発狂するまで思考したんだからそれなりに犠牲は払ってるんじゃないの。
ニーチェは、他人の詮索好きな心理学的好奇心を軽蔑していたから、
そうしたものに材料を提供するようなことにも関心無かっただろうし。
>>332 のレスはそれ自体が「他人の言葉」以外の何ものも含んでないんだが、わざと狙ったアイロニーか?
人はみな闘う意思を持っている。それは生存である。攻撃を否定するのは、生の否定だろう。 宗教は平和と平等を説くが、それは容易にルサンチマンの温床になる。
>>334 他人の受け売りが多くて、本人の考えが乏しい、
またはオリジナリティーがないということだよ。
受け売りて、2ちゃんの書き込みにそんな独創性を求めてどうすんだよw 君には、独自にアホな解釈して書き込むやつの方が面白いのかも知れんが。 まぁ独自性のある書き込みがあれば俺も楽しいから、君に期待するけど。 NHKの「N響アワー」でマーラーの交響曲第三番をやってたんだけど、 「ツァラトゥストラ」の酔歌(「100分で名著」でも紹介されていた)に曲がつけられて歌われていた。 「おお人間よ、心して聞け・・・」の詩ね。なかなかいい感じだったよ。 ・・・が、その直後に、モロにキリスト教賛美な詞が少年少女の合唱で響いたのでワロタ。 マーラー、節操なさ過ぎだろw やっぱり[リヒャルト・シュトラウスの「交響詩ツァラトゥストラ」がいちばんだな。
もうあれ2001年のイメージしかない
>>337 >>受け売りて、2ちゃんの書き込みにそんな独創性を求めてどうすんだよw
やっぱ、その程度だろうねw
他人から隔絶した完全な個ってのはあるんだろうか
あの映画も、獅子にも為しえぬことを為す赤子に転生する話だからね。 映画のほうは苦手な人も多いだろうけど、原作は勧めたい。 科学で人間を解体するんだから、いかにもニーチェ風。
「僕の本はわかる人にはわかるように書いた私信だ。 わかった君は僕の血縁者だ。 君が読むころには僕は死んでるだろうが、僕は今元気にしてる。 今日は天気がいい。久しぶりに清々しい気分だ。 君は元気にしてるだろうか? 」 ニーチェはこんな感じだからな。
343 :
考える名無しさん :2011/05/30(月) 13:19:24.14 0
違うんじゃないか
>>337 >マーラー、節操なさ過ぎだろ
おいおい、おまえ教養なさすぎだぞw
草野マサムネは連日の震災の影響で精神的に落ち込んで、音楽活動を休止してるらしいが、 同情が生の弱体化につながるっていうニーチェの思想の一例かもね。 反面、そうした感受性の強さがないと創造性も生まれないのかもしれないけど。
教養なんか持つもんじゃないわよ
347 :
考える名無しさん :2011/05/30(月) 23:47:12.78 0
今年の地震はニーチェ思想哲学的ですよねー!?♪。
カント哲学は、哲学と実生活を分けようとする人にとっては、 画期的な道具だった。 彼らは当たり前のように、哲学と実生活を分けるべきだと考えている。 何故か? 哲学に価値を持たせる為だ。学問として、教養として、権威として。 そして、ルサンチマンに至る。
カントは、超越論を提示し、考えない事を推奨した。 何を考えないようにしたのか? それは、突き詰めれば価値の不在であろう。 馬鹿が捨て鉢にならないように、哲学ぶった高揚を得られるように。 カントは言葉を操り、価値の不在から目を遠ざけたのだ。何よりも、カント自身から。
創造性にも価値は無い。創造性は、ルサンチマンの上にある物では無い。 しかし、そう思う事は自由である。
351 :
考える名無しさん :2011/06/02(木) 18:58:14.29 0
カントみたいな、実生活と哲学を切り離す主義は、官僚主義には非常に都合がいい。 私生活では熟考する。しかし仕事ではただ上司に言われたとおりにしかやらない。 哲学を実生活と区別した、ただの教養的学問にすれば失敗は少ない。権威にもなりやすい。 しかし当然、原発事故のような有事には何の実用的価値もない。斑目みたいな御用学者の安全宣言のように。
ニーチェは前向きな思想哲学を創造製作したよねー!?♪。
で、ニーチェは「実生活」だとか、原発事故みたいな有事において「実用的価値」があると? ニーチェがカントと違っているのは確かだろうけど、「で、ニーチェは?」について書かないと。 ここはカントのスレじゃないですよ。
354 :
考える名無しさん :2011/06/03(金) 05:18:33.95 0
大地に忠実であれったってもう汚れてしまいましたわ
355 :
考える名無しさん :2011/06/03(金) 05:39:58.79 0
ルー・ザロメにフラれて、梅毒で死んだ人が掲げる超人ってさ、 なんなのさ。
そういう、不本意な偶然もまた永劫回帰する現象として、無意味なままに永遠だからこそ、 自らの幸不幸を超越した世界の全体性を肯定する者としての超人が要請されるんでしょ。
100分de名著の西先生が、永劫回帰の思想を思わせる歌としてあげていた、 中島みゆきの「時代」って、ニーチェというには仏教的な安心立命のニュアンスが強い。 ポケットビスケッツの「YELLOW YELLOW HAPPY」のほうがまだしもだな。
>>356 >>ルー・ザロメにフラれて、梅毒で死んだ人が掲げる超人ってさ、
なんなのさ。
女にフラれるのが恐い、性病が恐くて女とつきあえない男の書込みか?
何百人の女にフラれて性病だらけでも、超人説を高らかに唱えるくらいが、
本当の怪獣で、スーパーだ。
超凡人→大木凡人 なるほど
たしかにニーチェは頭はいいが、心の病気で精神的肉体的に弱かった。 でも、それを克服しようと頑張ったことは認めてあげるべき。
>>361 善人ほど悪い奴はいない って本で気の毒なぐらい叩かれてたな
>>362 その本未読だけど、著者は三流哲学者ってイメージだな。どういうふうに叩いてたのか知らんが。
>>361 肉体的な弱さはともかく、精神的な危うさは、それだけ頭のアンテナが働いてたってことだからな。
受信した膨大な情報量に耐え続け処理し続けたところが強者たるゆえん。凡人は受信自体を拒絶するだろうからな。
俺様は幸福の科学だから神様を肯定しているよねー!?♪。
受信する感覚が鋭敏過ぎたんだろう。そして発信までも繊細だった。 背後の存在や視線を感じて振り返る体験って今まで結構あるんだけど、 やっぱり第六感とか動物的勘とか言うのはあるんだろうか。緊張した神経なら感じるのかもしれない。
俺様はワールドメイトだから神様は肯定が前提ですよねー!?♪。
367 :
考える名無しさん :2011/06/07(火) 16:55:19.21 0
>>361 健康な人間は何が健康かなんてわかんないの。
病気になって初めて健康がなんたるもんかを知るわけ。
わかる?
なるほど。 年老いた人間が若さに憧れるようなものかな。
「健康そのものというものはない」とニーチェはいった。これは科学的判断ではなく、ニーチェの哲学を表明したものにほかならぬ。 「何が一般に病気であるかは、医者の判断よりも患者の判断及びそれぞれの文化圏の支配的な見解に依存している」、とカール・ヤスペルはいう。 そして彼の考えるように、病気や健康は存在判断でなくて価値判断であるとすれば、それは哲学に属することになろう。」 (以下略) ――三木清『人生論ノート』
370 :
考える名無しさん :2011/06/07(火) 19:39:02.64 0
ニーチェとベルグソンを比べると、ベルグソンの方がニーチェよりずっと過激にいけしゃあしゃあと、 プラトンからアリストテレスからカントから形而上学の通説を徹底的に否定してると思うんだが、80過ぎまで生きてる。 べルクソンの方が精神的に図太くて気持ちに余裕があったんだろうか?
371 :
考える名無しさん :2011/06/07(火) 23:15:47.34 0
>米コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーは、日本の高齢化がこのまま進めば、国の財力はことごとく弱まるだけでなく、一般家庭の財政も悪化していくだろうと分析している。2024年には、日本の一般家庭の収入は1997年と同じレベルになる いやいやいやwもうそのレベルに衰退してるだろwww 一般家庭の収入に関しては。
ベルクソンは論理立てて順番に進める力があったが、 ニーチェは脱線したまま読者を無視するところがある。 論理の逸脱が見える。
373 :
考える名無しさん :2011/06/07(火) 23:29:58.19 0
>厚生労働省の「今後の高年齢者雇用に関する研究会」(座長・清家篤慶応義塾塾長)は7日、 >法定の定年を今の60歳から65歳に引き上げることについて、「直ちには困難」との報告書をまとめた。同研究会が先月9日に公表した素案は65歳への引き上げを求めていたが、人件費増となる企業に配慮し、提言を後退させた。 おいおい。いいかげんに汁 結局団塊ジュニアやらその上のおっさんの公務員あたりが先行きのあやしい公務員制度の中で 定年を延ばそうとしているだけだろが 強欲税金どろぼうめっ!
374 :
考える名無しさん :2011/06/08(水) 00:01:32.33 0
カレーの味を論理的に説明するより、食べた方がよい。 薔薇の香りを論理的に説明するより、嗅いだ方がよい。 風景を論理的に説明するより、見せた方がよい。 曲を論理的に説明するより、聴かせた方がよい。 SEXを論理的に説明すより、。。。。。。 ・ ・ ・ ・
ニーチェも、各アフォリズム間で論理がそう矛盾していたりもしないと思うけど。 ドゥルーズなんかは、人が言う「ニーチェには体系が欠けている」というような批判は的外れだと述べて、 実際にニーチェの論理を整理してみたりしてるしね。 くわえて、ベルクソンが質的なものを根底に置いたのに対し、ニーチェを踏まえて「強度」の概念を打ち出したり。
超人を凌駕する超究極神限界突破人に為るよねー!?♪。
378 :
考える名無しさん :2011/06/08(水) 20:42:07.73 0
>>376 ドゥルーズの永劫回帰説についての記述を読んでも、それは観念論的仮説で終わっていて
時間論を説いた永劫回帰説に対して物理学的な実証性が全くない。すなわち、ニーチェも
ドゥルーズも永劫回帰説において、認識論としても存在論としても論理的に矛盾と欠陥に
陥っているとは考えないのかい?
観念論的仮説に終始する時間論は、中世ヨーロッパの「暗黒的な」自然科学と同じ方法論だろう。
デーモン小暮閣下が素晴らしい世界観を創造するよねー!?♪。
「ニーチェには体系が欠けている」というような批判は的外れかもしれないが、 ニーチェが矛盾だらけなのは確かだし、だからこそ都合良い部分だけニーチェは利用される。
>>381 的外れかと。体系なんてささいな範疇論的誤謬。
物理学的な実証性は、現象を数学的な論理に置き換えて思考されるものだから、 「等しいものは存在しない」というニーチェの科学・論理学批判の立場からすれば、 物理学が世界について「実証」するって発想自体が無さそうな気がする。 永劫回帰は要は、世界に外部や彼岸は無いということ、ドゥルーズ風に言えば「存在の一義性」って主張だろう。 それは観念論というより唯物論と言ったほうが妥当に思えるけど。
384 :
考える名無しさん :2011/06/09(木) 13:54:35.63 0
つまりニーチェがアフォリズムで主張したことを、 パフュームはポリリズムで表現したわけだな。 ♪またくりかえす〜
385 :
考える名無しさん :2011/06/10(金) 22:42:01.94 0
>米コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーは、日本の高齢化がこのまま進めば、国の財力はことごとく弱まるだけでなく、一般家庭の財政も悪化していくだろうと分析している。2024年には、日本の一般家庭の収入は1997年と同じレベルになる いやいやいやwもうそのレベル以下だろwww
大企業とか公務員の年数を基準にしてなんとか落ちないように平均計算しているんじゃないの
超人というのは神や他人や共同体などの全てに頼らずに自律的に生きていく人間の事だろうけど、 無理だね。妄想のたぐい。破綻しかありえない。
>>387 乗り越える前にまず怖れるのは仕方のないことである。
ニーチェは別に、他人に頼らず生きようなんていってないよ。 むしろ、自身の力が乏しい連中が奴隷道徳に従って労働した成果を、余剰として享受せよと言っているわけで。 物質的なことだけでなく精神的な面でも、強者は祖先からの遺産の継承者として位置づけられているわけだし。 てきとうに流し読みした程度では、ニーチェの言ってることは分かんないよ。
日本人は神や道徳や人間愛なんか意識してる奴なんてほとんどいない だからニーチェはどうもしっくりこない
391 :
考える名無しさん :2011/06/11(土) 14:16:32.74 0
だから教養の低い普通の一般的な日本人はみんなニーチェ的にはある意味超人とも言えるが。 中途半端に学歴のある奴は悪い意味で別とも言える。 靖国神社にこだわる右翼とか、原発安全神話に固執する原発推進派、 アメリカ絶対追従、エコ左翼・・・、欧州的神・道徳・人間愛の変形
西田読め西田
神やら道徳やらを乗り越えようとすることと、はなから意識してないのとは別。 教養の低い奴が超人てのは、「或る意味」て但し書き付きでもやっぱ無理があると思うが。 だいたい、神とか道徳とかは意識してなくても、世間を意識してない日本人は少ないでしょ。
>>393 ただ、ニーチェの解釈している他者性というのはやはり未整理だなあ。
他者性を追求していくとレヴィナスになるだろうな。 ニーチェとは逆に一神教の極致、存在者が全て喪失したあとの「在る(イリヤ)」、超越性としての神。 だが、どちらも「同情」とか「共感」みたいなのを倫理の基準にするなという点では共通してるのが面白い。
396 :
考える名無しさん :2011/06/11(土) 20:06:02.42 0
日本人が超越しなければならないのはむしろ世間体か。 道徳とか神とか人間愛というとピンとこないが、 大学新卒採用=勝ち組目指した就活とか婚活とかの方が今の若い日本人には卑近だが切実かもしれない。 「神は死んだ!」 って言うフレーズよりも、今の大学生には、 「大学新卒採用制度は死んだ!」 と言うフレーズの方が衝撃的かもしれない。
永劫回帰説と物理学的蓋然性について
>>383 >>物理学が世界について「実証」するって発想自体が無さそうな気がする。
発想自体が無さそうな気がするどころか、物理学が世界を「実証」していることへ真っ向から批判している。
否定していると言ってもいい。『権力への意志』の「自然における権力への意志」の章は、自然科学領域に
おける「権力への意志」の原理を説いたものだ。その中で機械論の代表である物理学を、「機械論的世界解釈」
と題して強く批判している。
ドゥルーズも永劫回帰説と機械論の間の矛盾について触れているが、それ以前にドゥルーズの永劫回帰説
はニーチェ解釈というより、曲解そのものではないか。ドゥルーズは同一的なものの回帰を誤解としているが、
ドゥルーズは『ツァラトゥストラ』の「快癒しつつある者」の記述を無視して立論している。同一的なものの回帰
についてはドゥルーズ自身が、永劫回帰をそのように捉えると(つまりテキスト通りに捉えると)理解不可能に
なると述べている。
ここで想い起こされるのは、病跡学の研究からも認められるニーチェの知能の不均衡さだ。コドモ時代の
ニーチェには数学と物理学の能力に欠陥が認められる。ドゥルーズもまた、<ニーチェが科学に対しては
ほとんど能力を持っていないのは本当である>と述べている。
『権力への意志』の「自然における権力への意志」を読めばわかることであるが、ニーチェは自然界における
物理現象の背後にも「権力への意志」の原理が存在することを前提とし強調して、物理学批判を述べ立て
ている。中世の力学で「石が落下するのは神の意志が働いているからだ」という理論があったが、その類の
話によく似ている。
時間円環論という物理学的蓋然性のない思考が時間と存在の概念を規定する永劫回帰説は、ニーチェ哲学の
最大の誤謬だ。
俺もドゥルーズのニーチェ解釈は、なんかなぁ、とは思う面もあるな。 ただ、物理的蓋然性なるものを充たしていない哲学説は駄目ですよという根拠を言語化しておかないと、 ニーチェに反論したことにならないと思うよ。 ニーチェ自身は自分の言葉で、物理による実証そのものを「真っ向から批判している」んでしょ? ちなみにショーペンハウアーは『意志と表象としての世界』で、力の概念を意志の概念に還元して、 水が低所に流れることや、磁石が北を向こうとする動き、等々の無機物の働きにも意志を認めている。 「電気の両極はまさに人の願望に似て、妨害されるとますます激しさを増すのだ」とか言って。 で、意志は時間的空間的に分割されないものとされているから、力=意志の概念そのものが即、永遠性を意味しもするわけだ。
399 :
考える名無しさん :2011/06/12(日) 09:54:04.54 0
まあドゥルーズもニーチェもバリバリの文系野郎だからな。
世の中のどんな茶番にも参加しないという意味での超人は目指してるかな。 人知れず誰にも観察されることなく生活するみたいな。影響力も無いけど、お荷物でも無く。 そうは成りながら世の中や人間たちを観ておセンチになったり微妙に感動したりして。
ニーチェは社会学や政治学や人間学の類だと思うよ。ツァラは文学の面もある。 だから数学や物理学とはイコールしないと思う。物理に意味付けって形而上学とか詩の領域だから。
>>401 そうだよな。ある意味ロゴスは詩。ただ科学のはるか先を見通せるのは詩だけ。
>>398 ニーチェの「哲学説」ではなくて、永劫回帰説の「時間円環論」に焦点を当てている。
『権力への意志』の最終部である「永遠回帰」の節、1066番をよく読んでみればいい。ここでは『ツァラトゥス
トラ』で語られなかった永劫回帰説についてのニーチェの思考過程の実態が記されている。たったこの程度の
思考過程で、人類にとって多くが未知である自然宇宙の「時間論」を決定づけていることがわかる。
私が最初に永劫回帰説を、「観念的仮説に終始する時間論」と言ったのはこの思考過程のことで、彼なりに
論理的な推論を進めているように見えるが、これはただの空想・夢想レベルのものだ。
哲学批評家たちが、理解が難しいといい「深遠なる思想」などと誤魔化している永劫回帰説の実態とは、実は
1066番が示すようなもので、ドゥルーズも言うようにテキスト通りに考えると理解不可能になってしまう。
「
>>397 」でも触れたが、つまり最初から、永劫回帰説とは科学的思考力に欠陥のある哲学者が考えた、
欠陥を持った思想であるがゆえに、結果的に「理解が難しい深遠なる思想」に映ってしまったと言える。
永劫回帰説はニーチェが造った偶像の一つだ。
永劫回帰説は哲学的言説つまり哲学説ではないの? 「時間円環論」は科学的、物理学的な言説として主張されてるの? ここはやはり一応は1066番について、その不十分な点を指摘しておかないと片手落ちだと思うんだけど。 「そんなの当該アフォリズムを読めば分かるだろ」と言いたいのは分かるが。
405 :
考える名無しさん :2011/06/13(月) 14:05:39.25 0
偶像に決まってんじゃンそんなの。奴は文学部の先生なんだからさ。 宮沢賢治の童話みたいなもんだよ。
時間の方向性としてのエントロピーの増大がいつか逆転する可能性については、 かのホーキング博士も一時期考えてたみたいだな。 『ハンニバル』ではレクター博士がその説に固執してる場面がある。 ニーチェの永劫回帰説に関しては、元ネタ的なデューリングの本が邦訳出てないのが痛い。 ポーの『ユリイカ』にも反復する宇宙って発想があるし(「異なった系列が開始される」と書かれてあるからニーチェの説とも違うけど)、 当時のことを考えれば、ニーチェひとりが突飛な発想してたって訳でもないんじゃないか?よく知らないけど。 ドゥルーズの場合、『意味の論理学』なんかを読むと、パラレルワールド的な諸可能性が考えられていて、 色んな形の主体やら客体やらに現実化する手前の、潜勢力としての差異だけが反復されると言われている。 つまり差異の反復。自己が自己として認識される同一性そのものに含まれた差異の優位性が説かれているわけで、 同一のものの反復に戦慄するニーチェとは真逆の発想にも思える。
時間を円環したものとした考え方は、古代インド哲学や仏教の紹介によって近世以降のヨーロッパの
知識人たちに紹介されていた。現代物理学の着想には、古代東洋思想から発想を学ぶ物理学者も
いるというのはよく聞く話だ。但し、同一なものの回帰という思想はニーチェ以外で聞いたことがない。
「ニーチェひとりが突飛な発想してたって訳でもない」から、永劫回帰説は依然として良い思想だと
言うことを言いたいのだろうか。空想的な時間論を強調し前提とした永劫回帰説は、存在論としても
価値論としても虚構に等しい。童話や詩集の話ではないのだから。
>>404 >>永劫回帰説は哲学的言説つまり哲学説ではないの?
>>「時間円環論」は科学的、物理学的な言説として主張されてるの?
「『哲学説』ではなくて」という言い方をしたのは、前レスの流れから使っただけで、398さんがテーマの
対象を広げそうになったので、それを時間論へ絞り直しただけです。「時間円環論」というのは永劫回帰
説の基礎前提となる時間論を占める部分。永劫回帰説というのは生き方を説いたものですが、その
前提となる「時間円環論」はニーチェ独自の物理学的な言説として著書で述べられている。
生き方を説いているのは永劫回帰説というより超人思想のような。永劫回帰説から帰結する生き方ではあるが。 丁寧にレスしてるようにも見えるけど、肝心の1066番への具体的なツッコミはなされてないのが何だかな。 童話とか詩集とか連呼してるだけなら、ドゥルーズ・スレでポエムとか文学板でやれとか言ってる奴と変わんないよ。
409 :
考える名無しさん :2011/06/14(火) 08:06:02.86 0
哲学なんか童話や詩集の話と同じだろ。ニーチェの話なんてなんちゃって物理学に決まってる。 観測や実験もしないで物理学的に何かを論証なんかできるわけない。 部屋の中で対論だけしてる奴がどこどこの放射線量は物理学的に安全基準以下とか言うようなもん。
既出の話だが、ニーチェ自身が哲学を文芸や詩に属するものと言っているんだから、 童話とか詩集とか言って批判したつもりになってもその実、何も言ったことにならないような。 第一、永劫回帰はその性格上、観測や実験で証明されるような類いの話じゃないだろう。 遠い過去から放たれた光なり何なりを観測したところで、その観測という出来事も含めて、 この宇宙のサイクルの中での出来事でしかないわけで。
ドゥルーズ+ガタリの『哲学とは何か』では、ゲーテの色彩論について、 「哲学においてもまた実験が存在する」と言っている。プリズムのことだろうけど。 ニュートンの光学のような数学的思考とは異なる、概念による思考としての哲学。 哲学観そのものが様々だからな。分析哲学なんかも一緒にして、童話や詩集と同じとは言い難いと思うんだがな。
頭いいんだけど人と話合わなくて孤独なんだ自慢なんかすんなよ
MXTV深夜枠の「ユキチカ!」で特集やるでしょ。
>>411 いろいろな本からの情報を次から次へと並べているだけで、
それらの情報を使って論理的な考え方ができない、たまに見かけるタイプ。
こういうタイプは勉強の方は余りできないのが多い。
並べるのが専門だから。
衒学やスノッブや
ロゴスの不毛、映像の現実、音楽の感動、
引用マニアを嫌う奴は、「引用ばっかだね」という以外の自分の意見は何も言わない奴ばかり・・・ 少なくとも、自分なりにモノを読んでることだけ証明してるっていうか、 チラ裏レベルの文句ではない、情報だけでも出してる分、多少はマシだと思うんだが。 ドゥルーズとか何とか、自分が知らない固有名詞が出てきて、 話についていけないから拗ねてるだけにしか見えないよw
418 :
考える名無しさん :2011/06/16(木) 09:34:41.82 0
ドゥルーズが言う実験ってのはあくまで観念的な試行、ためしに考えてみるとか言ってみる程度の言う意味で、 核爆発の実験とか、原子炉の再臨界実験とか、宇宙線の観測とかそういうレベルでの物理学的な実験とか測定とは違う。
和辻哲郎の『ニーチェ研究』読んだ人いる?
>>418 アインシュタインだって思考実験から相対性理論を生み出したんだからね。まあこの場合は観測も実験も付いてきたけど。
あと、ゲーテの色彩論に関しては、実際にプリズムを観察してた筈なんだが。
ドゥルーズに関しては、観念の連合の仕方を組み替えるような概念を創造するための実験だと思うけど。
ドゥルーズのスレじゃないから深入りしないけど、予め存在する真理に到達するのではない、
世界の見え方・感じ方を変える実験としての思考という点は、ニーチェからの継承だと思うんだよな。
421 :
考える名無しさん :2011/06/16(木) 18:30:14.27 O
ニーチェの永遠回帰って物理学的な事じゃなくて喜劇も悲劇も含めて起こった事実を肯定しようとする思想じゃないの?
>>420 アインシュタインの思考実験のような理論物理学でも観測や実験による証明は絶対必要なもの。
一般相対性理論の発表は、その後の皆既日食での星の観測によって正しさが認められた。
「まあこの場合は観測も実験も付いてきたけど」などという台詞はアホの言うこと。こんな理解で
ホーキングだのニュートンだのと何かにつけて天才の名前をあげたがるのは、
学者の名前や著作をたくさんあげて、バカな自分を良く見せようとしているだけ。
ニーチェはこういう人間を 「化粧の(天才)」 と言って軽蔑している。
理論物理は物理現象として観察されるまでは机上の理屈でしかないのは仕方ない。 最新理論も物理的に証明されるまでは「空想だ」とか批判されたりするもんな。 哲学は、因果とか空間とか時間とか物質とかいった概念を直に捏ねくり回す作業だから、 方程式を打ち出す物理に比べたら、精緻な実証性に乏しい反面、一足とびに論理を進める利点もある。 シュレーディンガーも形而上学を「認識の軍隊の先鋒隊」とか「建築の、不可欠な足場」とか言ってるしな。 ホーキングが、ウィトゲンシュタインが哲学の課題を言語の分析と規定したのを嘆いてみせたのも、 「アリストテレスからカントに至る偉大な伝統」に期待するもんがあったからだろう。 アインシュタインの「神はサイコロをふらない」も、「スピノザの神ならば」 まー、ニーチェの永劫回帰が、「形而上学は進行過程で物理学に変貌する」(シュレーディンガー) てな意味での精緻化をする可能性があるのかは知らんが。熱的死を回避する宇宙像に援用されるとかあんのかな。 第一、「終極状態がありうるならそれは既に起こっているだろうから、それは無かったのだ」って、どうなんだ。 終極状態に宇宙が向かってるとしても、現在の俺らにそれが起こってないのは理の当然に思える。
あー・・・と、失礼、 >アインシュタインの「神はサイコロをふらない」も、「スピノザの神ならば」 →「スピノザの神なら信じられる」という、宇宙の秩序としての神を想定する形而上学を背景にした発言かとも思うんだよな。
425 :
難しい話はほどほどでいいんじゃよ。 :2011/06/17(金) 06:33:41.22 0
単純なことを複雑化してるのって多いね サッカーだってそもそも球を枠に蹴り込めばいいだけの話
蹴りこめばいいだけの話にしても、阻止してくる相手側との関係だとか、ゲームとして成立させるためのルールだとかの話になると、 話はある程度は必然的に複雑化するんだよ。 「デスノート」だって、「名前を書かれた人間は、書かれたとおりに死ぬ」だけの話だが、 同姓同名の問題があるから「顔を知っている人物に限定する」てなルールが生じ、そこからまた「顔を知っているとはどの程度の知識のことか」が問題になり、 他にも、ノートがどこまで事象を操作できるか(「太陽が爆発したせいで死ぬ」とか書いたらどうなるかとか)、みたいな問題等々、 言葉のうえでは単純なことでも、現実にそれがどう起こるかを考えれば、単純なことほど色々とややこしい話になるもんだよ。 それを考えるのがめんどい連中が、「ムダに複雑だな」と賢者ぶってるだけ。
壊れた原発をなんとかできたら超人だよね?
そういう英雄的な存在と超人は関係ないです。 原発を何とかするのは、既存の社会に役立つ行為以上のものではない。
430 :
考える名無しさん :2011/06/18(土) 09:16:15.88 0
まあ「アンチクリスト」とか読んでから東電や原子力安全保安院の記者会見見ると、 ニーチェの言う「キリスト教」と「原発安全神話」が酷似しているように思えてならない。 「原発がないと日本は大変。工場が潰れて失業者がたくさん出る。世界に遅れる」とか 「原発がなくてお前は本当に生活できるのか」 というのは「弱者の思想」に聞こえるし、 「100年先、1000年先の日本を考えてMOX燃料必要」とか言ってる学者は死後の幸福のために今の危険や不便を無視しろと言う信仰に聞こえる。 まさしく日本国民の大半はキリスト教に騙されていたヨーロッパ人のように原発安全神話に騙されていたのだ。 まあ原発安全神話自体ヨーロッパ由来な訳だから、 その神話を前提に生活していたキリスト教徒じゃない日本人もヨーロッパと無縁とはいえない。 むしろ一蓮托生。
それは全然違うね。 原発は豊かな生活を享受するため。 安全神話は反対派がうるさいから作っただけ。 原発を否定する人間は、差別される人がかわいそうとか怖いとかの 弱者の思想。
放射性物質ばらまくのは大地を蔑する行為じゃないですかね
人間は自分のために大地を蔑ろにし続けてきたよw これからもずっとそう。エコもしょせん長く搾取するための策だしな
持続可能な搾取。それがエコの発想 地球を擬人化したりして、善人気取りなのが笑える。幼稚だな
ニーチェの大地の意思に忠実というのはどういうことなんだろ
搾取というかなんとか人間の手に負える部分だけ手を付けてるだけだな 猛々しい自然のパワーを全部コントロールできるのはまだ先だろう
>>434 自然の中で生かしてもらってるって気持ちを持てよ。
持ちつ持たれつの関係。
ニーチェ的にいえば、この世界には目的も、善悪美醜の分け隔てもなく、 偶然とカオスが入り乱れて展開しているだけなんだから、 単なるエコも搾取も、ニーチェと関係ないんじゃないだろうか。 「大地に忠実」てのは、形而上学や観念論を排して、具体的な自然の諸力に目を向けるってことだろうから、 いい暮らしをしたいとかいった「人間的」な幸福や利益に執着せず、芸術家として世界を形作るってのが、たぶんニーチェ的。
ニーチェのいう「超人へ」というのは、いわゆる芸人が「化ける」のと同レベル。
440 :
考える名無しさん :2011/06/18(土) 18:56:31.29 0
441 :
考える名無しさん :2011/06/18(土) 20:03:38.09 0
まあ原発安全神話ってのは善悪美醜とは関係なく都合よく作為された虚偽だったってのは明らか。
例え本当に永劫回帰しても現実世界で同じ物事は繰り返さない!?♪。
>>437 神は死んだ。持ちつ持たれつ? どこのイカサマ宗教の教えだ?
自然は神では無いし、擬人化もしない。
人間のクソを植物が栄養にして、サイクルが周ってるとでも思ってるのか? 話は簡単だよ。動物のクソを栄養に出来ない植物は死滅したんだ。 だから、一見するとクソと植物が上手く調和してるように見える。 調和とは、力によって成され、死滅したものは残らないから無駄が無いように見える。
放射能も力だ。放射能によって形作られる環境もまた大地だ。 それで人が死滅しようが、ゴキブリのような生物しか生きられまいが、そんなのは些細な問題でしかない
446 :
考える名無しさん :2011/06/19(日) 11:54:50.63 0
まあ大地にとっては放射能なんか些細な問題だが、とりあえず人間自身にとっては死活的大問題だな。
ニーチェって現代社会においては、この人の物の考えって通用しないような気がするが・・・
今の道徳とか超越しないといけないからな
社会で通用する、なんてことにニーチェは価値を置いてないだろう、そもそも。 社会の中で己がどう生きるのか、己自身とは何なのかが、真っ先に問われるべきテーマ。
「ツァラトゥストラ」はドイツ男性版「枕草子」。
>>443 自然を神とごっちゃにしてるのは君のほうだろ。
いまだに神の存在を信じてる人は、痴呆ではないでしょうか。
453 :
考える名無しさん :2011/06/20(月) 19:31:06.47 0
しかし信教の自由は日本国憲法第20条で保障されているし、宗教法人法の廃止法案を国会で提出しても可決はできないだろうし、 神の存在を信じていると言う理由で障害者年金ももらえないし国民健康保険三割負担も適用されない。 仮に日本国憲法第20条を廃止して信教の自由を禁止したら、欧米からの投資も激減するだろうし、 国産品の輸出も減るし、イスラム国の反発での原油の輸入も禁止されるかもしれない。
454 :
考える名無しさん :2011/06/20(月) 20:07:42.74 0
>>452 君は日曜日は休まなくてよろしい。
神は天地創造から7日目に安息日をしたのが由来。
宗教がなければ、休日という概念もなかったかもしれないし、
平均寿命はもっと低いことだろう。
まぁそんなことは当たり前すぎて、想像もできんなだろうがな。
月月火水木金金も当たり前な世の中
>>451 「自然と持ちつ持たれつ」なんて発想は、自然を擬人化しないと浮かばない発想だよ
では何故擬人化する必要があるのか? それは人間よりも偉大な何かを想像したいからだ
人間よりも偉大な何かと、支えあって行く。その循環に大いなる神でも夢見ているんだろう?
そんな循環は無い。
擬人化しないとうまく自然と関われないだけ 自然に感謝や持ちつ持たれつなんて発想は 放っておけば人間は自らを滅ぼしかねないから必要であるに過ぎない それはむしろ他の生物より劣っているからであるのに 優れているからだと勘違いしてしまっているのが大半のにんげん
宗教は必要不可欠で大正解ですよねー!?♪。
1000マンパワー
460 :
考える名無しさん :2011/06/22(水) 09:24:26.86 0
まあどうせ自然を擬人化するなら萌え美少女にでも擬人化するのが現代的。 ポニョのお母さんとかは自然の擬人化だな。
461 :
考える名無しさん :2011/06/22(水) 12:58:51.94 O
人間も自然のうちだと思うけど、もし自然と人間を分けて考えてるなら人間とはなんぞや
自然は考えないけど人間は考える
463 :
考える名無しさん :2011/06/22(水) 19:51:24.09 0
ROCK IS DEAD
まあ多分神様は無事ですよねー!?♪。
人間界には法律や倫理もあるしな
人間の言動すべてに性欲が絡んでると言ったのはフロイトか。 生物にとって遺伝子の保存と繁栄は理性でも抗えない肉体に宿った本能だしな。
人類はオマンコの為に戦争を繰り返してきたのかもな
神をも滅ぼすチェーンソー!?♪。
469 :
考える名無しさん :2011/06/25(土) 06:15:55.40 O
野性って自然でしよ? 野性のうちの言動なら、やっぱり人間も自然のうちなんでない? 考えるから人間ということは野性のうちな人間はまだ考えてないんだわ。 人知を越えないうちは野性の性質として動いてるだけになる。 つまり真理を手にするまでは自律すらしてないないということかもね。
上手く自然と関わっている生物などいない。そう見えているだけだ。 各々が身勝手に生き、その力の頂点の釣り合いを人間が循環と呼んでいるだけ。 イナゴは食い荒らすし、恐竜は滅びる。人間は身勝手にエコを考え、より生きようとしている。
人間も自然の中で進化してきて存在する生命体だからね。猿から、その前はネズミから、そのずっと前はゴキブリだっけ? しかし何故人間界にだけは法律や倫理と呼ばれるものがあるのか。 人間には本能だけでなく理性や自意識があるからか。生理的に残酷さや下劣を認識するからか。
宇宙規模で観たら何も感も無に帰するね。肉体が車に乗るように、意識がただ自らの肉体に乗ってるだけの様な感じになる。
結局はどんな生命体も遺伝子の乗り物に過ぎないからだな。 生物学の答えでは、遺伝子伝達以外に個体そのものに意味はないとな。
猿社会にもボスの権力があるな
475 :
考える名無しさん :2011/06/25(土) 13:16:56.34 0
犬社会には犬社会のルールがある。猫社会にも猫社会のルールがある。 ライオン社会にもライオン社会のルールがある。象社会には象社会のルールがある。 競走馬もアホな騎手が乗ると落とそうとする。
身勝手にエコを考える人間だが、その事に耐えられない。 だから自然を擬人化し、美しい物に捉え、「彼」に貢献するという美談にしたてる。 つまりは禁欲であり、崇拝であり、平伏である。それは生の否定へと繋がる。
耐えられないこともないけど 人間が生き延びる為の環境保護ってのも別に普通だし
>>477 人間は、人間の身勝手でエコをしている事に耐えられない。
つまりは、エコを通して神を見ているのだ。エコが単なる我欲であり、
支えあいである事を否定すること。それは神を殺すことである。
それエゴ
あの時代に「神なんか居ねーよ」って公で言ったのは偉い
まあニーチェは無神論とは別って感じもするけどねー!?♪。
483 :
考える名無しさん :2011/06/28(火) 06:04:51.13 0
ニーチェ全集完読したい。
>>482 出版も不況だからあの手この手を使って売ろうとしているんだろうね
485 :
考える名無しさん :2011/06/28(火) 09:26:35.71 0
神即自然のスピノザ主義なんかは、普通にいう擬人化とは違い、森羅万象の秩序そのものが神。 ニーチェ的には、そうした形式化もまた一種の擬人化かも知れんが。 そのニーチェだって「力の最大限」という定義なら「神」概念OKらしいが。 ただ、持ちつ持たれつなんていう、等価交換というか平等・同等性の思想は非ニーチェ的に思えるな。 ニーチェにも、自然や生き物を尊重する言葉は各所で見られるけど。
適者生存の自然淘汰は何となく肯定してそう。知性があり美しく強い者たちが生き残り、その者が保護されるのは当然みたいな。
保護される強者なんていないだろw 弱者が、保護される事が当然だと思っている姿が醜いと言っているだけだと思う
自然淘汰の思想哲学は絶対悪ですよねー!?♪。 死ぬ様な神は神じゃないよねー!?♪。
490 :
考える名無しさん :2011/06/29(水) 01:00:41.02 0
弱者は群れる程多いのですが、 勝者は希少なので保護の対象です。
強者弱者って分ける図式が単純過ぎて思想としては話にならん馬鹿馬鹿しいものだな。 こんな単純な思想に振り回されちゃって馬鹿みたいだね。
ニーチェはダーウィンの自然淘汰は批判してますよ。強者より多数者が生き残る世界観だとか言って。 ニーチェのいう強者ってのは、単に肉体的に頑健てことではなくて、生の可能性を色々と実験する創意と勇気の問題でしょう。 「良い/悪い」の区別を善悪のそれとは別物として提起したのと同じく、 「強者/弱者」についてもニーチェ基準が適用されてるのを理解しないと。
自然淘汰に生き残るのは、環境に適合する奴。 ニーチェ的な強者は、環境に自らの形式を押しつける奴。 保護されて当然というより、低級な人間達からうまく搾取するマキャベリズムを駆使して当然という意識だろう。
494 :
考える名無しさん :2011/06/29(水) 06:03:21.62 0
弱者の群れほど、環境に適合しやすい。 歴史は勝者のものと言われるが、いわゆる弱者の群れの事だろう。
そもそも、弱者が強者を保護しようなんて思うことがおこがましい 思い上がりもいい加減にした方が良い。弱者がすべき事は、強者になる事だ
くだらん思想だな。 ゴキブリみたいなやつを過大評価してんだからアホな思想だ。 これからはゴキブリ思想と呼んでやる。
強者とか言われてる奴って限界まで拷問を受ければ気が狂っちゃって病気になるか死ぬ程度の弱者なんだ。 いろんなものによって保護されている弱者が強者といわれる者。 強者になるにはどれだけ多くのものから保護してもらえる位置に存在できるかってだけの話。
499 :
考える名無しさん :2011/06/29(水) 13:17:17.63 0
弱者は拷問されるまでもなく気が狂って病気になったり死んだりするけどな。 他人に保護されたいだけの無責任な弱者が集団になっても、誰もお互いを保護しようとしない。 つまり他人を保護する気のない弱者が集合しても結局相互に保護されてない単なる弱者の集団にすぎない。
ニーチェの言う強者とか超人って不老不死とかの身体的ゴキブリじゃなく、知的ゴキブリのことだろうね。
精神など肉体の奴隷に過ぎない
知的ゴキブリってのはやっぱり人間の精神に興奮や清涼をもたらすアウトプットをする生命体だろうね。 延々とシッコウンコザーメンしか出さない身体的ゴキブリとはちと違う。
503 :
考える名無しさん :2011/06/29(水) 16:41:07.29 0
最初の着想の頃はともかく ニーチェが思索の末に行き着いた超人は 白痴とか痴呆のような人間像だと思う
まだ甘えが残っていて徹底的に個を追求しなかったんだろうな。 徹底すれば、強者と言えどもいかに多くのものに守られていたかに気づくはずなのだが。
ニーチェが「高貴な」存在と呼ぶ人間は、過去の民族・人類の遺産を継承しつつ新たな価値を創造する存在なんだから、 様々なものに保護されないと存在し得ないような「脆さ」は、彼の存在の稀少性ということで肯定されるんじゃないの。
「高貴な」人も時に傲慢になるのは人間の性だから仕方ない。 歴代の偉人たちも決して完璧な人間ではない。
完璧に見えるのは、彼らの「綺麗な部分」しか知らないからであると思う。 ニーチェの人生は末期は悲惨極まりなかったらしいし。
ニーチェは元から病弱で年金暮らしだったし 馬に抱きついたとかいうのは本当なんだろうか
510 :
考える名無しさん :2011/06/29(水) 19:37:16.23 0
ニーチェはナウムブルグ野砲兵連隊で砲兵将校として勤務するくらいだし、 普仏戦争でも召集されてるから元から病弱とはいえないし、障害者年金で生活していた訳でもない。 退職後にもらってたのもむしろ国家公務員共済と言う方が正しいのでは?
たとえ偽物でも神や道徳に頼るのも一つの人間らしさだと 肯定できなかったのかな ニーチェは
神様は人類の文明を育てました!?♪。
ニーチェは戦場で血を見て気を失いそうになったというのは本当なのだろうか。 ど近眼らしいけどコンタクト無しで戦場でちゃんと動けたのだろうか。
>>511 「人間らしさ」とやらをそもそも肯定してないだろ。
人間は超克されるべきものだからな
>>456 そもそも擬人化とは違うだろう。人類はたかだか数十万〜数百万年、地球は46億年。
偉大か偉大でないかに関わらず、自然の中から人類が生まれてきたと考えられる。
人間は自然環境に適応して生き延び、恣意性も見られる。
自然が圧倒的に人間をどうこうしたわけでもないし、人間が一方的に
自然を人工化したわけでもない。
神も存在しない。
517 :
シャイア・ラブーフ :2011/06/30(木) 08:51:08.73 0
生のデザートが持続可能なように合成保存料を入れてくれる?
518 :
考える名無しさん :2011/06/30(木) 09:27:35.32 0
私は以前、「超人は人格的な概念ではない。有機体だ」という、 「ニーチェ講義」を受けたことがあります。 これは、ニーチェに対する冒涜であると思いました。 ニーチェが『ツァラトゥストラ』を書いたのは、 聖書のパロディであると言われる『ツァラトゥストラ』で超人が現れるのは、 超人がイエス=キリストという人間像への対抗概念であるからです。 イエス=キリストが人格神である限り、超人も人格的存在であることは疑いえません。
結局、どっちなんですか?有機体なのか人格なのか。 論証とか資料など証拠はあるのでしょうか。
「倫理は、他者との関係論に由来する価値判断」という意味を拡大します。 「他者」には動物も含まれます。「他者」は非人格的存在にも適用されます。 本来、「他者」とは、レヴィナス的に「自分でないモノすべて」だと思うからです。 ですから、猫殺しの場合には、猫と犯人との間に、社会性・公共性が現出します。 よって、猫殺しは「倫理的に善くない」のです。 もちろん、猫殺しが「自分の貴族道徳的に良い」となる人はいるかもしれません。 私なら、おおざっぱな言い方をすれば、 「公共倫理が個人道徳に優先する」ので、猫は殺せないと思います。 ニーチェの超人思想的には、そもそも猫を殺そうとは思わないでしょう。 快楽原則というのは、実は非常に薄っぺらな「道徳」になりがちです。 猫殺しをしたとしても、それは一瞬のエクスタシーで終わってしまうでしょう。 「超人」とは自己超己であるのですから、継続的に自己を拡大させていく必要があります。 つまり、自分の「人格的な成長」を見込めない行為を選択することはありません。
>>516 支え合うという概念そのものが、人と人でしか成り立たない。
自然と人は支えあってはいない。何故なら、そうする理由が無いからだ。
何で自然が人を支えなければいけないのか? 奪い合う関係だと言うのに。
奪い合うってのも違うな
523 :
考える名無しさん :2011/06/30(木) 20:18:52.31 0
どうでも良いけど図解漫画の本が まんま けひほん!のゆ◯ちゃんと◯どかちゃんでワロタ
524 :
考える名無しさん :2011/06/30(木) 21:27:28.02 0
にーちぇ!
萌ニーチェw
>>522 いえ、奪い合う関係でしょう。植物はひたすら毒ガスを撒き、
動物は仕方なく耐性を得ました。ミトコンドリアとの共生も、生き残るために仕方なくした事です。
人間が唱えるエコとは、牧場の羊を皆殺しにしないという考えです。持続的な搾取、略奪を目指しています。
この永遠無限空間の森羅万象に進化も退化も無く「変化」があるだけやな。 宇宙は収縮と膨張を繰り返してるのだとも思う。 今日君が亡くなることも、今1秒後に太陽が爆発することも可能性としてある。
528 :
考える名無しさん :2011/07/01(金) 14:10:59.64 0
べっ、別にあの世で幸福になりたくて今生きてるんじゃないからね!
まあ俺様はあの世は実在すると思うよねー!?♪。
530 :
考える名無しさん :2011/07/01(金) 21:43:22.64 0
フルーチェは美味いよな
えいごーかいきなんて幻想 自ら一度キリのじんせー(=自らの意識ある肉体)が繰り返されることは無いぽ あの世?その世?この世。死んだら永遠のおねむりでおやすみー。もう夢も悪夢もないよー
しょくよくなくなれーなくなれーなくなれーせーよくなくなれーなくなれーなくなれーすいみんよくかもーん もうずっときもちいいおんがくばかりきいててこのままねむりたいんだぁ 聴覚以外の感覚をすべてストップさせてみたいん
そりゃあ自分がいくら出現したところでそれぞれ独立してるよ 全てのことは無限に繰り返されるから意義も稀少性も薄まり限りなく無価値になる ニヒリズムの極地を表現してるんだよ
宇宙とか言う空間になにもかもある訳だけど、でも宇宙のイメージって無だ。
そうそう、虚無。 夏ですね。けだるさがぁ…セミの「ミーンミンミンミンミーン!」って「うぐぅ〜!ぬぐぅ〜!セ〜クスさせろぉ〜!」 ってゆってるんですよねぇ。煩いナンパ虫め!!
あんな小さな虫があんな大きな音を出してたら、長生きするはずがないですよねぇ…
537 :
考える名無しさん :2011/07/03(日) 12:20:04.21 0
ねぇねぇ こなたが表紙のニーチェ買った????
538 :
考える名無しさん :2011/07/03(日) 12:24:20.34 0
らき☆すた よろしく フリードリヒ☆ニーチェ カバーの内側にもこなちゃんがいるよ
539 :
考える名無しさん :2011/07/03(日) 12:26:26.14 0
ぶっちゃけ ニーチェ自体はどうでもいい
541 :
考える名無しさん :2011/07/03(日) 12:43:59.81 0
こなちゃんよりむしろ長門有希やキョンや古泉君にニーチェを語って欲しいのら。 エンドレスエイトなんてニーチェが元ネタだろうし。 と言うかハルヒの元ネタは超人・・・?
542 :
考える名無しさん :2011/07/03(日) 12:46:44.10 0
涼宮ハルヒの元ネタはオカルトじゃないのかなー!?♪。 ニーチェの思想哲学を教えて欲しいですよねー!?♪。
545 :
考える名無しさん :2011/07/04(月) 18:46:41.45 0
エンドレスエイトはニーチェでしょ。他に元ネタある?
エンドレスエイトの元ネタは∞ループと永劫回帰ですよねー!?♪。
547 :
考える名無しさん :2011/07/05(火) 09:36:32.70 0
そもそも哲学が先か、オカルトが先か、よくわからん論説も多いのだ。
「はじめに言葉ありき」だからオカルトが先だと思う。宗教(ニーチェとしてはキリスト教)はとってもオカルトチック。 (でも、もちろんリアルなシーンもあるよ。素面なのにジーンと感動してしまうという感じか) んでいつか懐疑(=?)が始まるから哲学が後かな。世界や人間を「見る」理性を持ち意識的になる為、自然の無意識との対峙の連続が始まる。 自然の循環と逆流する為、そこには摩擦、軋轢、苦悩、澱み、泥渦、…あっ、やめとこw でも人間の「はじめの言葉」ってたぶんほんとは「あ(a、…ヘブライ語とかその他の言語全く知らんw)」じゃまいか???
きれいな虹のできる仕組みは光と水の反射や屈折、雷ズドン!は空中での色々大量の摩擦、感動作品産む芸術家たちは時に偏屈。 うーん、誰か訂正や解説をお願いします。わたくしの頭では不可能w
脳の発達や進化、それは身体の退化老化の始まり。ってことだとは…
551 :
考える名無しさん :2011/07/05(火) 13:52:17.60 0
長門有希に解説させよう。
552 :
考える名無しさん :2011/07/05(火) 13:58:24.36 0
勝手な憶測する前にハルヒの解説書の一冊でも読めばいいのに。 ハルヒと哲学は無縁ですよ。
553 :
考える名無しさん :2011/07/05(火) 19:46:43.96 0
また、出版社が萌えと哲学を結び付けようとしてるこの時期にずいぶんと閉鎖主義的な。
萌えと哲学の関係性からどんな化学反応が起きて何か新しい発見があるだろうか。 たぶん三頭身のニーチェの絵から「かわいい苦悩」が伝わってくるだろう。
555 :
SPHERE ◆ZS5FJPpAlk :2011/07/05(火) 21:06:16.57 0
超人の意味はべつに小難しく解釈する必要がない。 永遠回帰の教えを歓喜をもって受け入れることの出来る強力な人間とはどんな 人間かを考えよ。 精神論的な理想主義のはだかの王様になることなく、それでいて自分自身 を堅く立たせることの出来る健全な人間とはどのような人間のことかを考えよ。 完全勝利の人生を贈り物として受け取ることを宿命付けられた一番籤の人間 はそれ以上良くも悪くもならない自分自身を無限に繰り返すことに耐えること の出来る唯一の個人である。 「それは果たして誰のことか?」
556 :
SPHERE ◆ZS5FJPpAlk :2011/07/05(火) 21:41:03.93 0
裸の王様が裸であることをなぜ大多数の人間が認めようとしないのか? 「大多数の者=自分自身に苦悩する出来損ない」 が嘘を必要としているからである。 哀れな大多数による集団的自己欺瞞の本能が人類史という馬鹿馬鹿しい無意味 な徒労芝居を今なお継続中である。 永遠回帰が真ならば、この胸くそ悪くなる哀れな大多数もまた永遠に戻ってくる のだ。 そしてこれこそまさに永遠回帰の陥る最悪の側面なのである・・。
ハルヒの作者が現象学にはまってんだろ?
558 :
考える名無しさん :2011/07/05(火) 22:43:56.25 0
中国「菅直人首相が北朝鮮系の団体に政治献金で厄介な事態」 Y! 【政治ニュース】 【この記事に対するコメント】 2011/07/04(月) 20:27 中国メディアの環球時報(電子版)は2日、菅直人首相の資金管理団体 「草志会」が日本人拉致事件の容疑者の長男が所属する政治団体「市民の党」 の派生団体「政権交代をめざす市民の会」に計6250万円の政治献金をしていた と伝え、「菅直人首相が北朝鮮系の団体に政治献金していた問題は、『北朝鮮 拉致問題対策本部』の本部長でもある立場としては厄介(やっかい)な事態だ」 と伝えた。
ハルヒが超人とかいいだすと 日本のアニメはかなりの確率で超人が出てくるしw タクトさまとかおもいっきりそうだった。
560 :
考える名無しさん :2011/07/06(水) 18:35:15.13 0
ハルヒの元ネタが現象学だけじゃないと思うのは、 ハルヒの周りの世界がハルヒの、 「我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲」 に左右されていると思うこと。
ハルヒの元ネタは現象学だけじゃないと思うけど、ニーチェでは無いと思う。 エンドレスエイトは永遠回帰というより、時間に対する認識がテーマじゃないかな? 繰り返しても、それを認識できなければ特に問題とならない…かな。
ハルヒ(笑)
563 :
考える名無しさん :2011/07/06(水) 21:51:57.32 0
少しはらき☆すたを語って下さい
564 :
考える名無しさん :2011/07/06(水) 22:02:19.06 0
ハルヒの元ネタは現象学だけじゃないと思うけど、どっちかというと観念論だね。 というかカント的。そもそも現象学じゃないだろ。
キモいニーチェなんかよりも、かわいい絵を見てなごみたい。
まあ涼宮ハルヒの元ネタはチャネリングですよねー!?♪。
むしろ超人アニメと言えば「AKIRA」じゃないかな
568 :
考える名無しさん :2011/07/07(木) 14:07:41.37 0
ガンダムのニュータイプが超人かというとあれは宇宙と言う環境の中で発生した突然変異でむしろベルグソン的。 ハルヒの場合は受動的な認識よりも一個人の意志の力が物語的に重要になっている。
569 :
考える名無しさん :2011/07/07(木) 14:10:08.97 0
◇哲学十神 デカルト(Rene Descartes) ヒューム(David Hume) スピノザ(Baruch De Spinoza) カント(Immanuel Kant) メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty) ハイデガー(Martin Heidegger) ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein) クリプキ(Saul Aaron Kripke) パトナム(Hilary Putnam) デリダ(Jacques Derrida) ◇哲学裏十神 プラトン(Platon) アリストテレス(Aristoteles) ロック(John Locke) バークリ(George Berkeley) ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz) ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel) クワイン(Willard van Orman Quine) フーコー(Michel Foucault) ドゥルーズ(Gilles Deleuze) ルイス(David Louis) ニーチェ え?
AKIRAのはルサンチマンが増長したようなエネルギーだよね。しかもそのエネルギーが自分ではコントロールできなくなっちゃうという
>>569 ◇哲学影の十神
フッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl )
パスカル(Blaise Pascal)
ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)
マルブランシュ(Nicolas de Malebranche)
サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre)
ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)
バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille)
ビラン(Maine de Biran)
ブルデュー((Pierre Bourdieu)
ベルクソン(Henri-Louis Bergson)
でどうだ。
573 :
考える名無しさん :2011/07/07(木) 19:23:10.01 0
どうでもいい。
ニーチェ的にはゴルゴ13は超人なのか?
575 :
考える名無しさん :2011/07/08(金) 09:32:25.42 0
ゴルゴは結局金で動くから哲学的には大したことないんじゃないか? 金で動くのはニーチェ的じゃないだろう。
漫画バガボンドの武蔵や小次郎も超人的
もうどうにもフッと宇宙視点で世界を見ちゃって自らの肉体が社会の茶番に参加してるようにしか観えない それに殆ど重みや苦悩ばかりよね この舞台の茶番にみんな一度は気がついているのだろうか… それが分かっているならば何故、避妊無しの生殖活動をして更なる悲劇を誕生させるのか それは理性も知性も持ち合わせない動物のような軽薄な人間ばかりだから???オメデタイ人も多いみたいだやれやれ…
え?私がニヒリストだって?いえいえそうではありませんよ。 少なくても他人の不幸を願うような人間ではありません。ちょっと感傷的になりやすいだけです。
まあ真実は死にません!?♪。
強者、弱者といっても、競争で他人の足を引っ張って相対的な強者の位置にたどりついても ルサンチマンだな。
人間にとっての真実ってのは、きっと「他者との共感」ってやつだろうね…
古の紙は亡き物となり、新たな紙が取って代わられた。
>>581 知識を持った畜群生物は、従うままに群れる事を良しとする。
しかしその知識こそが、畜群に対する嫌悪をも喚起するのだ。
584 :
考える名無しさん :2011/07/10(日) 11:24:15.70 0
究極にダーティな原子力発電の、クリーンな風力発電に対するルサンチマンが、 日本国内における風力発電の普及を妨害してきた。いやその強弱の立場が転倒しようとしている。
585 :
考える名無しさん :2011/07/10(日) 13:47:18.42 0
そういう意見は事故が起こる前に家!ころころ意見変えやがって!
早稲田の風力発電は機能しないで3000万払ったというのだけが 大きく取り上げられたわけだがあああああああああああ
587 :
考える名無しさん :2011/07/10(日) 19:46:32.10 0
ニーチェが今の人間だったら原発に対してどういう論評をするだろうか?
キリスト教=スピリチュアルの代表!?♪。 ニーチェ=超人の代表!?♪。
589 :
考える名無しさん :2011/07/11(月) 02:48:29.90 0
最近、宝島社の「マンガと図解で理解するニーチェ」ってのを読み興味を持ちました。 ニーチェの著書を読んでみたいのですが、何から読み始めればよいでしょうか?
この人を見よを読んだが、この人はキチガイかと思った。 最初から最後まで支離滅裂で解説を読まないと意味がよう分からん。 こういうとファンの人が怒るかもしれないが、このひと病気だわ。
漏れはニーチェを直接読んだことはなくて、哲学入門とかで読んだだけだが、
ニーチェ自身が晩年発狂しちゃったことを思うに、ニーチェ思想にはちょっと
無理があるんじゃないかと思う
>>13 「超人というのは神に自我を支えてもらわずに、
自分の理性で自分の自我を支える人間の事だ」
超人は理想だろうが、皆が皆目指せるものでもないだろうね
D・カーネギー「道は開ける」でも悩みを解消する究極の手段は神に祈ること
だとかあったし。
594 :
593 :2011/07/11(月) 08:33:36.04 0
漏れはずっと神とか仏とか馬鹿にしてた(神社にお参りする、お守りとかwwww) んだが、最近考えが変わってきた。 どこかに大きな存在がいる(いてもおかしくはないかな)と思っていると、 精神的に安定することに気付いた。以前は相当不安定だった。 まあ漏れには超人は無理だってことが分かった。 本当にどうしようもないこと(チビなこととか)は「天の思し召し」とでも 思っとくのが精神衛生上一番だと最近感じている。
矛盾するいくつもの思想の間を揺れ動く高速の思考運動がニーチェ 最後に知人数人に出した手紙には分裂症で自我が保てなくなってしまっていたような兆候があったとか
>>577 純粋な動物ならまだ無邪気さがあるから救いがあるが
人間は動物にもなりきれない
>>590 ありがとうございます。これから本屋に行って探してきます。
598 :
考える名無しさん :2011/07/11(月) 19:43:33.76 0
個人個人の信仰レベルならまだしも国家宗教となると話はまた別かもしれない。 ドイツ帝国も最後は皇帝が逃亡した。ロシア帝国も最後は皇帝が一家もろとも処刑された。 大日本帝国もカミカゼにすがったが敗北した。 国際問題を解決するにはやはり宗教を超越するしかない。
宗教も共産主義も幻想だと人類皆が自覚せんとな
霊的宗教共産主義が誕生するよねー!?♪。 宗教を超越する事実=スピリチュアリズム!?♪。
601 :
考える名無しさん :2011/07/12(火) 05:57:59.14 0
いやゴメン 俺が神だから
それって自らの肉体の神ってことでしょ。自分の身体ならいくらでもコントロールできるしな。
603 :
考える名無しさん :2011/07/12(火) 18:44:54.15 0
現人神であることを否定した昭和天皇はある意味神を殺したとも言える。 朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、 単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、 且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、 延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
精神は肉体の奴隷に過ぎない
>>593 悩みは解決するものじゃないんだよ。
出来損ないの心が平安であっても、そんな事に価値は無いだろう?
それよりは、少しでも「強く」なること、自立する事に意味がある。
自己破滅をも厭わない超克
例えば身体の強化で言えば、筋肉は破壊と修復の繰り返しで肥大し強くなる。
神はチェーンソーの一撃でバラバラに為った!?♪。 神は死んだ!?♪。 新世界の神に為る!?♪。 超人を超越して見せる!?♪。
>>602 >自分の身体ならいくらでもコントロールできるしな。
はあああああ????
上のほうで自然を擬人化とか言ってたが、 擬人化と神をごっちゃにしてる奴をみんなスルー検定合格者なのか?
>>610 まず反論するなら、それなりの事を書けよ…。
「イエスが救世主である事を否定してるやつはスルーだろ?」って書かれても、誰も困るだろ?
誰も自然を擬人化するなんて書いてないにもかかわらず、 自然の脅威を語っただけで即擬人化なんて勝手な思い込みだろ。 それと神がどうたらって、自然を擬人化することと神が関係あるのか? 神が実在することを論じるのも困難なのにまして擬人化と神を同一視する論理の錯誤は 著しく議論を妨げる。 人間は自然の永く大いなる営みの中から条件が揃って偶々生まれた知的生物にすぎない。 人間はそれ以上でもなくそれ以下でもない。
この先、人間が進化した生物ってどんなのになるだろう。 頭(脳)が異常にでかくて身体は退化した生命体になるかな。
すまん進化も退化も無かったわ。「変化」ってのが正しいな。
615 :
考える名無しさん :2011/07/14(木) 13:51:39.88 0
そうだな、いくら腐女子や貴腐人でもヘタリアを神と思ってるわけじゃないからな。
616 :
考える名無しさん :2011/07/14(木) 14:11:26.65 0
そもそも今の日本では神や擬人化の意味もベルグソンもビックリの二次創作的進化を遂げている最中である。 「自然を擬人化してみますた」 「こいつ神ww」
この世は神芝居ってか
>>613 クラークの『2001年宇宙の旅』では、機械化の果てに精霊のような存在に進化するってな説が書かれてあったな。
ベルクソンの『二源泉』の末尾にあった、機械化と霊化の話に似ている。
身体性を重視するニーチェとは真逆とも思えるが、より変化と速さと強さを備えた身体って意味ではアリなのかな。
クローン技術って要するに不老不死ってこと? 同じ人間のコピーがいくらでも出来るんだよな。
記憶のコピーが出来ればそうなるが それでも誕生した瞬間からどんどん別人になっていくだろうな
なるほど でもいつか脳にチップ埋め込む時代がくるかも。ってか既に?
人間は意外とあっさり絶滅するかもな 永遠とも言える時間の中でまた似たような生き物が 生まれる気もするが・・・
623 :
考える名無しさん :2011/07/14(木) 22:54:18.05 0
俺の友達は、神は胃潰瘍に過ぎなかったというのが持論。
そーいえば脳チップが出てくるSF漫画で体を乗っ取る奴が
>>604 の台詞を言っていたな
精神は霊魂の奴隷に過ぎない!?♪。
626 :
考える名無しさん :2011/07/15(金) 09:32:33.84 0
エースコンバット3に出てきた金髪のお姉さんが肉体を捨てて情報だけの存在になってたな。
627 :
考える名無しさん :2011/07/15(金) 09:36:24.75 0
なんかそういう話はファイブスターストーリーズでもあったし、 情報統合思念体のつくった長門有希もクラークの言う精霊みたいな存在と言える。
となると、草薙素子は超人化したと言えるのかね。バトーは「守護天使」とか「聖霊」と呼んでいたが。 ただ、ニーチェのいう超人は、単に物質的な存在形態が変化することというより、新たな価値の創造者なわけで・・・
銃夢だな
銃夢でしたか、すみません 死んできます(´・ω・`)ノシ
>>612 >自然の永く大いなる営み
その発想が、神を求める人間の思考そのものだと言っているのだよ。
永いとは、「何に対して」永いのか。人間に対してだろ? だから「大いなる」なんて発想になる。
大いなる自然と大いなる神。その考え方のどこに違いがあるって言うんだ? 人間に対して永い、そういう考え方が擬人化そのものであり、自然を人間化して見ているんだよ。 自然を擬人化しない見方をしてるなら、永いだの大いなるだのって言葉は出て来ない。
634 :
考える名無しさん :2011/07/16(土) 09:19:20.50 0
一人のアニヲタが彼等の中に飛びこみ、鋭い目つきで睨みつけた。「神が何処へ行ったかって?」と彼は叫んだ、 「お前たちに言ってやろう。我々が神を中学生女子にしたのだ─お前たちと俺が!我々はみんなかみちゅ!の創造主だ!」
ニーチェは漢字が読める
神様は実在するよねー!?♪。
2ちゃんは深淵だね。暗黒街。
>>632 それ単なる言葉尻じゃないか。
地球の年齢は46億年だからそう言い換えてもいい。人間は数十万か数百万年だろ。
人間に対してというが、人間は登場させなくていいんだったらそれでいい。
発想じゃないよ。擬人化じゃなくて対比だろ。発想はお前のほうだ。
じゃあお前は人間じゃないんだな、わかった。
太陽の年齢はもっと長いんだろ。で、いずれは地球も呑み込まれ
やがて太陽も消える。
人間は地球が呑み込まれる前にいなくなるのは容易に想像できるだろ。
想像できなくてもいい。地球といっしょに呑み込まれるからな。
神なんかいなくたって別に困らない。それで何か問題があるか?
宇宙規模で物事を見たり考えたりして、楽観になるか厭世になるか…の分かれ目ですね。 自分はとても感傷的にはなりますが…
>>638 そもそも、人間と自然を比較する事自体がおかしな発想だ。
比較して、ああなんと「大いなる存在」であるかと驚愕し、ひれ伏す。
45億年だの持ち出して、やれ人間は卑小であると叫ぶ。それでは神の偉大さを喧伝する信徒と変わらない。
46億年なんて時間は俺らにはなんの関係もないよ 今生きてる数十年がすべて
>>641 「生きてきた」ことには意味がない。意味があるのは今生きていることだけ。
意味なんて後付けだから普遍性は無いと思うが。 でも確かに今自分が生きてることに意味がなかったら鬱か自殺しかないよな。
ナックンはもう来ないのかな。攻撃的、二元論的な思考が多かったけど、いろいろとタメになること言ってたからな。
ナックンて誰。
イイトコの子
どんな苦悩も苦痛も、すべては快楽の為か。また、快楽の為に苦悩や苦痛があるんだな。
人生とは広大な砂漠でオアシスを見つけた時の喜びの為
神様を受け入れよ!?♪。
全てが快楽のためにあるんじゃなくて、快も不快も権力の上昇のためにあるんだよ、ニーチェ的には。
力の上昇の為?
快不快は肉体が意識に送るシグナルに過ぎないんですよ。
ニーチェの言葉では神は死んでいない!?♪。
>>645 大いなるだの言ってる時点で、ろくでなしの発想なのは間違いない
なーにが自然の偉大さだ。病気持ちの発想だ。そもそも、自然なんて人間が勝手に作った概念。
勝手に作った概念に対し、人間よりも大いなるなんて考えるのはルサンチマンの病気だ
ノルウェーのテロリストとナックルが被る
神道は多神教じゃなかったけ!?♪。
物事が鮮明にクリアに見えるってことはいいことだと思うかね?
観察眼と洞察力が優れていると言うことか
DQ7のオルゴ・デミーラの性で神は死んだ!?♪。
層化が近づいて来るのには理由がある。 必ず、魂胆があります。 「スイス政府民間防衛」より。敵国が侵略してくる際の戦争なき戦争 無血戦争ですね。 第一段階「工作員を送り込み、政府上層部の掌握。洗脳」 第二段階「宣伝。メディアの掌握。大衆の扇動。無意識の誘導」 第三段階「教育の掌握。国家意識の破壊。」 第四段階「抵抗意志の破壊。平和や人類愛をプロパガンダとして利用」 第五段階「教育や宣伝メディアなどを利用し自分で考える力を奪う。」 最終段階「国民が無抵抗で腑抜けになった時、大量植民。」 ←(外国人参政権・子ども手当て) 今ココ!! 第一段階 自民党を取り込み、洗脳乗っ取り 第二段階 テレビ局に工作員を送り込み乗っ取り 第三段階 君が代日ノ丸排除 第四段階 24時間テレビ、27時間テレビ 第五段階 層化お笑い芸人だらけにして低俗な番組を垂れ流す 日本の今は、まさに危機的状況。
釈迦さんが悟った境地って無や空よね。ならば虚無もそれじゃないかな。 ゆえに人生が世界が無意味や無価値でも落胆することはない。
僕の悟った境地は究極の有ですよねー!?♪。
>>653 確かに肉体の状態によって意識も比例して変わるよね。身体の健康状態が全てだな。
ニーチェは頭もいいし共感できる部分もあるんだけど どうも頭の中だけで盛り上がっている感が否めない 現実世界では全く役に立たない哲学でもある
調薬ニーチェなんか結構実用的な対処方の断片集みたいな感じだったよ
社会の価値観をぶっ壊して新しいものを創造しろってんだから 今の社会に迎合するものにしてはイカンでしょ
>>505 でゆってる過去の民族・人類の遺産を継承しつつ新たな価値を創造する存在ってことだから、
ブッ壊すと言うか、それまでの色々をピックアップして新しい組み合わせによる今まで無かった新鮮な何かなんだろうね。
色はたぶん全色解明されてるだろうし、文字はこれからまだ造語とかはあるけど、音はまだ今まで誰も聴いたことないのはあるんじゃないかな。
愛と奉仕と救済と希望が有る限り神は死なない!?♪。
神は居ないお。人間が常に良心を持つかどうかだお。
>>665 じゃ、「頭の中だけで盛り上がっている」のではない哲学てどんなのだよ。
ニーチェの箴言は、大抵の哲学者よりも、実生活上の実感なり処世術なりに基づいた、
「現実世界」寄りの言葉が多いと思うけどね。
第一、既存の「現実世界」をひっくり返す思考が目指されてるんだから、
実用性みたいことで思想を評価する奴は賎民として唾棄されるんじゃないのかね。
>>672 マルクスやフロイトなんか正しいかどうかは別にして
現実的な地に足が付いた哲学だと思う
>>既存の「現実世界」をひっくり返す思考が目指されてるんだから
それがニーチェの嫌っていた弱者の思想のような気がするんだよ
そんなものを目指す事自体がルサンチマンだと思う
ニーチェを読んでも労働から解放されないし、自殺だって簡単には
できない まあ好きな事でもやるかぐらいしか実用性はないんだ
壊すとかひっくり返すというよりは
>>668 なんだろうな
信仰の情熱が有る限り神は死なない!?♪。
ニーチェとゆえばやっぱり盲目的な信仰と民主主義の衆愚のこの二つに対する警告みたいな感じがするよ。 自然界は容赦無しの無法地帯だけど、人間界には法律や倫理がある。だけどこの法律倫理ってのは完璧に機能してる訳でも無いし。 寧ろ穴だらけ欺瞞だらけのシロモノだと思ってる。裁判でトンデモナイ判決なんか連発なう。 マルクスフロイトニーチェなんかは洞察力の鬼才だと思う。社会や人間を俯瞰して掘り下げて文章化した人たち。 私は悠然たる川を下って行く もはや船乗り達に操られることは無い
俺が読んだ限りでの話だが、マルクスは、経済的な条件が人間の本質的な力の発露を妨げている点を指摘して、 そこからの解放の戦略としての革命論を説いたんだろうけど、そっから先のことをほとんど考えてないような。 対してニーチェは、心身の差異による個々人の間の創造性、認識能力、等々の違いを重視して、 何ものにも従属せずに自由に価値を創造しうるのは、彼のいう「強者」「超人」だけだと主張している。 「労働からの解放」はそうした者にとってこそ意味があり、創造性も何も無い連中は、 労働から解放されてもただの屑としてしか存在し得ないというのがニーチェの思想。 フロイトは病状を治療して社会と折り合いをつけさせる立場でしかないんじゃないの結局は。 病の発生と社会との相互関係を根本から再考して、社会の在り方そのものを批評する能動性は弱い。 その辺りを踏まえてニーチェをフロイトやマルクスより重視していたのがドゥルーズだろう。
神は死んだ記憶無し!?♪。
>>677 ほんとそうですね。
もやもやっとした印象に陥りがちな私レベルの読者にとって、
677さんが整理・指摘された考え方は、非常に要点を捉えていると思いました。
僕は超人を超越する!?♪。 神は死んだ訳が無い!?♪。
層化信者は洗脳されたのではない。自らの意志でそれを選んだ、もともと犯罪の一面を持って生まれてきた奴ら。 昔からその資質があって、集団ストーキングを行なっている奴ら。進んで犯罪を選んだ異常精神の資質を持った奴ら。 いい大人が、自分で考えることをせず、知ろうとせず、怠け、易きに流れ、犯罪集団ストーキングを行なっている。 洗脳されたのではなく、自分たちでそれを選択し、途中で気づく努力もしない、腐り果てた屑の中のクズ。 同情などしてる場合ではない。 被害をうけて自殺、消息不明、精神病院送り、犯罪を強要、口封じされた人々の苦しみ、悲しみ、怒りを想像してみればわかること。
民主党が裏でこっそり悪法を通そうとしています。 マスコミがほとんど報道しないため、知らないうちにどんどん日本人が日本での居場所を奪われています。 知らないのは怖い事です。 「外国人参政権」・「人権侵害救済用語法案」 (人権擁護法案) 8月2日に国会で審議されてしまいました(詳細は法務省HPにて。意見も投稿可能) 支配されたくないと思う方は以下にて検索署名送信・及び拡散して下さい。 【外国人参政権】・【人権侵害救済法案】に断固反対します 人権擁護法に反対する署名(提出先は櫻井よし子氏)
ネットwatch板=層化集団ストーカーのたまり場 『ストーカー』を『ヲチ』という言葉に置き換えることで罪悪感を無くし 何ら恥じることなく集団ストーカー行為をするヲチ民は 自分たちが変質者で集団ストーカーだということにも気づいていない これは『殺人』を『ポア』と言い換えたオウム真理教と同じ コピペしても構いませんのでこの情報を多くの人に知らせてください 1人でも多くの人がこんな場所を利用しなくなるように、ご協力お願いします
ネットwatch板=層化集団ストーカーのたまり場 『ストーカー』を『ヲチ』という言葉に置き換えることで罪悪感を無くし 何ら恥じることなく集団ストーカー行為をするヲチ民は 自分たちが変質者で集団ストーカーだということにも気づいていない これは『殺人』を『ポア』と言い換えたオウム真理教と同じ コピペしても構いませんのでこの情報を多くの人に知らせてください 1人でも多くの人がこんな場所を利用しなくなるように、ご協力お願いします
忌野清志郎氏も集団ストーカーを受けていた様子。 歌で残っているところが凄い。 少なくとも、妄想でも幻想でもなく、集団ストーキング行為は実在をしている。 被害を訴えても精神疾患とされてしまうところが怖いところ。
ニーチェのそもそもの失敗というか間違いの原因は、 超人になろうという発想にある。 目標点に人間の可能性を極限まで実現した理想的人間典型を置いたために、 精神的に破滅して病気の状態に陥っている。当然の結果である。 ニーチェは人間に対する洞察力が甘かった。
ニーチェが言う超人もどんな者かは具体的なことは説明していない。 最後ニーチェは「俺を見ろ!(この人を見よ)」ってなった。
傍目には、というか「人間的」な既存の価値基準からすれば「精神的に破滅」した状態も、 実はニーチェにとっては精神が最も純粋化し高揚し安らいだ境地だったのかも知れないけどな。 第一、ニーチェは自己超克へと挑み続けることで没落するような人間をこそ愛していたのだから、 失敗というよりむしろ、出来過ぎなくらい自らの思想に殉じた晩年になってるよ。
>>687 のいう「洞察力」てのは、そこそこの社会人として破綻なく生きていくための心得程度のもんだろ?
そんなもんにしがみついてる奴は、自らの生の可能性を極限まで追い求める勇気のないままグスグズと生き延びようとし、
そのまま寿命を使い果たす末人でしかない。
別に、狂人と呼ばれるような者以外は末人だとか言うつもりも必要もないが、
数々のアフォリズムで「人間に対する洞察力」を示したニーチェが、
それゆえに人間的、あまりに人間的なものに飽き飽きしたんだろうことくらいは、読めば分かる話。
ツァラの中にある喩えで、駱駝→獅子→子供というのは面白いと思った。 駱駝→獅子→子供→駱駝→獅子→子供→駱駝→獅子→子供… と繰り返される諸行無常。
一直線というものでもないんだろうな バラバラに変化していく 最後は笑う獅子と同情から解放された駱駝に複数形の幼子たちになる
>>690 簡単に言うと矢吹ジョーみたいな生き方をしろって事かい?
あんな生き方は大多数ができないだろ
>>693 そりゃ出来ないやつには出来ないよ。
まずニヒリズムを根底にしなさいな。
波乱の無い穏やかな普通の人生の何が悪いのでしょうか。 公園やレストランなどで観る幸せそうな家族に嫉妬しているのでしょうか。
「真理によってダメになってしまわないためにこそ芸術は必要である」みたいな言葉ってどの本にありましたっけ?
創価学会 敵対者駆除マニュアル a)創価学会への強固な敵対者に対しては、将来的に考えてもその子息子女を落とす必要がある。 子息子女の不幸により折れる可能性も高い 子息子女へは 創価学会へ反発しないよう躾ける 敵対者の子息子女の結婚は潰す必要がある。 会員の子息子女の敵であってはならない b)会員の商売敵を排除する事は資金確保の上で重要である。商売敵の子息子女も、将来を見据え落とす必要がある。 会員の子息子女の商売敵にならぬよう落とし躾ける c)敵対者が地域で高評を受けぬよう計らう d)各会員が連帯し、自然と不幸になったように落とす必要があるくれぐれも会員が疑われてはいけない e)敵対者の言に信頼が集まらないよう計らう f)敵対者の安定につながる者らも落とす必要がある g)常に経済的/心理的に圧迫させる必要がある。
698 :
考える名無しさん :2011/08/06(土) 12:11:51.56 O
穏やかに見える人生もそれなりに波乱もあるんだし ニーチェは確かに人間に対する洞察が甘い
誰もが超人になれるわけじゃないし
超人とは子供、何の色も持たない子供。
フランス超人です ジャンヌ・スティムボード 出身: フランス 年齢: 20歳 身長: 198cm 体重: 143kg 超人強度: 65万パワー
波乱の無い穏やかな生活とは、つまりは波乱無く勝ち続ける事でしょ? 腹を減らすこと無く、プライドを傷つけられる事無く。 自分は傷つくことなく、勝利の味だけを得たいというのは、ルサンチマンだよ。
ニヒリズムの徹底によって一切の超感性的価値が否定し尽くされた後、我々に残されたものは、合理主義の立場では無意味なものとされた感性的世界だけである。 どのようにして我々は、この感性的世界に立脚し、ニヒリズムそのものである伝統的価値(超越的価値)代わる新たな価値を定立(=設定)することができるのだろうか。 ところで、根本的に新たな価値を設定するには、まず、価値を設定するための拠り所すなわち立場が求められなければならない。 その立場はどこに求められるべきであろうか。もはや、残されているのはこの感性的世界(大地という自然)だけである。ニーチェは、この感性的世界に見出される存在者の根本性格に、それを求めている。 ニーチェによると、それは、「力への意志」である。 「力への意志」とは、「生」すなわち「生きること」(leben)への意志、生命力を意味する。生(生きるということ)は、常に現にあるよりもより強く、より大きくなろうとする限りで生である。 したがって、「力への意志」とは、より力強く生きることへの意志である。もしも我々が、現状維持に甘んじるようなことになれば、我々は、もはや生きているのではなく、死に始めている。 ニーチェは、生そのものの本質に属する「現にあるよりもより強くより大きく」という明確な方向性を、「力への意志」という概念で言い当てようとしている。
>>704 間違いだ。
「ニヒリズムの徹底」とは「全てをニヒリズムという色眼鏡を通して見ろ」という意味では全然無い。
そのニヒリズムという色眼鏡にすらニヒリズムを当てろという意味だ。
わかり易く言おう。
「今時ニヒリズムなんて流行らねーんだよバーカ」
↑これがニヒリズムの徹底だ。
ニーチェの超人は、実はほとんどの一般人が実は達していると思う つまり弱者とはニーチェ自身であり、ニーチェを好んで読むような人間である
>>706 あくまで頭の中ではね。実感を通して見たものではない。
いっぺん死なないとダメだよ。妊娠・出産を経験した女性は実感を通して見ている。
だからニーチェにかぶれるような輩は女を知らないと公言しているようなものだよ
>>693 例えが矢吹ジョーとかいうあたりが俗っぽいなー。
ニーチェは「大多数」の生き方なんてものからはむしろ離れなさいと説いていたわけで、
そこにイチャモンつけたいんならニーチェ哲学全体に反論しなよ。
激辛カレー店に行って「こんな辛いカレー、大多数は食えねぇだろ!」と叫んだり、
数学者の学会に行って「こんな数式だらけの話、大多数はワケワカメだよ!」とか言ってるのとおんなじ。
ニーチェは大多数に説いていたわけではないし、自分と無関係なそういう連中のことは基本放置な主義なんだから、
>>695 が言うような嫉妬なんてありゃしないだろう。遠慮なく平穏に暮らしていけばいい。ニーチェとあなたは無関係。
ニーチェに無視されたくないとか言うんならそれこそ嫉妬、ルサンチマンだし。
>>698 価値の転換とか、「人間」と呼ばれている存在形態の根底からの解体構築が肝要なんだから、
「それなり」の波乱とかどうでもいいよ。
ニーチェは人生の波乱を求めてたわけでもないし。ニーチェ自身の人生には波乱があったけどね。
我々は結局殆ど何も解らないまま産み落とされ、解ったような顔して死んでいく。 人間…単に脳が猿よりも少し発達した程度の生命体だと思いまふ。しかも環境や状態によっては何しでかすか解らん人間。 しかしなるべく良心に恥じない罪悪感が無い人生を歩もうではないかっ。法やルールも守りましょう。 とにかく楽しみましょうね!
もちろん生物植物動物人物には生命の宿命と目的の「種の保存と繁栄」がプログラミングされてる。 三大欲の睡眠欲以外がマジ煩わしいんだよマジ。だから胃を切除したりキンタマちょんぱの去勢もしたくなったりした。 あと、もうこれだけが欲しいんだけど…精神欲!理知!感動!芸術(ニィチェも特に音楽を賞賛したんだっけ?)を享受するのは人間だけ。 ってのも、たぶん嘘だけど。ただ芸術を肉体(身体)以外の形で形式化する作業は人間しか出来ないよね。 でもチンパンジィだって絵を描くもんなぁ…でも高等な技術で何かやらかすのは人間だけか。 もし脳が異常に発達した地球外生命体が居たら、彼らが地球に来たら何やらかすんだろうな。
もう俺マジこんなこともしたくナインだが、9以上の個数字ってなんで無かったんだろう。
もうオヘソ以外の穴と言う穴を全て閉じたいよぉ…って母胎回帰願望ってやつ???
実は、まだ、水だけは飲みたかったりはします。嘘言ってすみませんでした。
715 :
考える名無しさん :2011/08/06(土) 23:10:39.50 0
ニーチェって何でこんなに高慢なの?
ニーチェはねらーに人気 なぜってニーチェはダメ人間を肯定して既存の常識を壊しにかかるから ニートや引きこもりにとってニーチェのアフォリズムほど甘いものはない
>>713 『千のプラトー』の「いかにして器官なき身体を獲得するか」を読むことをオススメする。
つか、読んだからそんなこと書いたの?
そういやアルトーもゴッホ論でニーチェのこと褒めてたなあ。
>>706 それはさすがに三流の意見過ぎる。
ニーチェ流に言うなら、あなたには早すぎた。まだ理解が追いついて無い。
719 :
706 :2011/08/07(日) 11:03:58.89 0
>>718 反論は喜んで受け入れるけど三流とか早すぎたじゃ何も言えんよ
・ただ意味や価値にすがる人間は意外と少ないと言う事
・そしてニヒリズムと言う定義自体ひとつの捏造である事
(無を無として感じる事なんて本来はできない)
・そして716の言うようにニーチェを読む事で現実世界の
評価から傷つかなくて済むと言う事
俺がニーチェを読んで思った事です。
720 :
考える名無しさん :2011/08/07(日) 11:32:16.13 Q
現代の「ニーチェ」とは西村博之である
サッカーって競技をやってて手を使えない事に憤りルサンチマンに陥るアホがどこにいる ニヒリズムは切り離せるという可能性の証左にならないかね
>>719 722のサイトの「1 神の死とニヒリズム」という一節だけ読んでいただけたらいいです。
この場合、広場に集まった神を信じない人が、あなたの指す「ほとんどの一般人」であると思います。
だからこそ、私は「あなたには早すぎた」と思ったのです。理解すべき素地が出来ていないと。
>>723 ニーチェの美しいことばを、その糞ブログの汚い日本語にしたものをなにゆえ「読め」というのか?
【 世界の国々が創価学会をカルトに指定 】 フランス・チリ・ベルギー・オーストリアが創価学会をカルト(セクト)指定。 アメリカ合衆国 議会下院が創価学会を「危険な組織」指定。 ヤフーBB452万人名簿流出&ソフトバンク40億円脅迫事件がありました。 35年前の共産党委員長宮本宅盗聴事件=竹岡(実行犯)神崎(検事)浜四津(弁護士) 同事件は2審まで行き、学会側敗訴。3審上告も後棄却→宮本に賠償金を払い終了。 公明党元代表の神崎氏が過去、検察を辞職に追い込まれたのは、職務よりも池田氏・創価学会優先の結果。 創価学会の体質が分かります。 創価学会をカルト指定している国の公安は当然、創価学会員をマークしているでしょう。 創価を警戒し、監視している国も増加しています。 ドイツ連邦議会と各州では協力の下、創価は「テロカルト組織に指定」 フランス、チリ、ベルギー、オーストリア、アメリカ議会下院、 そしてドイツなど世界の国々が、 現在、創価学会を「カルト・セクト・危険な組織指定」しています。
超人か… いろんなあらゆる事象を超えて行った先には何があるんだろう。何が待っているんだろう。 この世界で何度も何度も超えて超えて超えて来ても、やがて死に至るんだよな。無に、0に… 歩いたり走ったりして超え続けることもいいけど、実は時にトマッテ休んだりするものいいんだよな。 人間が成長や向上するということは、いったいどういうことなんだろう。 やがて、その+も−によって0点に至るというのに…?
自分にとっての真実や真理は、無や0なんだろう。無言、無音、沈黙、透明、無私、無論… 無や0は、あらゆる有や∞から導き出された概念。やっぱりインド人すごいな、一度インドに行ってみたいな。
>>717 さん
レスありがとうございました。その本についてちょっとググって調べてみましたが、
かなり面白そうな感じだと思いました。機会あれば是非読みますん!
それぞれ「言葉使い」の理のニーチェと詩のランボーにはそれぞれ妹が居たんですね。
でもニーチェの方は最悪な妹だった…気がします。ランボーの妹はとても優しい女性だったみたいです。
神は死んだ、といより、神って元々死んでるものだと思うが
731 :
考える名無しさん :2011/08/08(月) 20:41:20.55 0
概念の話だから 醜い人間は何でも見通す全知全能の存在に耐えられなかっただけのこと
のぞき!
人間はいつもソクラテス曰く無知の知を自覚しなきゃだし、まず汝が汝自身を知るべきだとは思う。 でも時々ふっと全知全能まではもちろん行かないけど、全知な感覚になる瞬間とかはある。もちろん酒も薬も入ってない状態で。 以前も話したことあるけど、「神」って地球の森羅万象や人間にとって物質的に「太陽」のことだと思ってる。
神様は架空の存在で元々存在しません!?♪。
735 :
考える名無しさん :2011/08/09(火) 00:06:34.16 O
物質が先にあったのか?それとも精神が先にあったのか?
後も先も無く、ピッタリ同時に発生した可能性もナキニシモアラズ。
自分には何らかの制作欲はあっても、手段も技術も無いのでやっぱり適正の職を見つけて再び普通に働くことにします。 身分相応の無理の無い人生が、やっぱり大切だと思いました。リアルでは殆ど喋りませんが、ここでの皆様の言語や文章を通しての思索と書き込みは、時にしんどいこともありましたが、楽しいこともありました。 練磨して研鑽して斬り合って…冗談や漫談やポエジーや理詰めや。 無限に存在する言葉(記号)を使っての表現方法もいろいろなんだな、と思った。 でも一番大切だなって思ったことは、この世界や他者や自分のいろいろを「知る」と言うこと。 だから、自分にとっては行動(実存)はそんなに重要なことじゃないと思いました。 でも最近はとにかく音楽を聴くことがほんとうに気持ちいいです。楽器で音楽を表現できる人たちが、本当に羨ましい。 言語や文章、数学や物理などの理論には無い『自由』を感じます。 人間の生身の身体から直接発せられる、生の歌声や心臓の鼓動を感じるからでしょうか。 「心も身体も」ジーンとさせたり揺さぶったり…音楽ってほんと不思議なものですね。
理論は理論で、生身の身体からの自由を志向できる面もあるんじゃないかなー。 例えば「全ての事象は脳神経の電気信号」てな『マトリックス』的理屈には、 身体の知覚し得ない領域にもなお何ものかが存在している、という開放感もある。 言語は「言語の存在しない世界」みたいな、現に存在する以外の世界を想像させる力もあるしね。 自己否定的な世界さえ思考させる力というか。 数学だって、「数について思考する」という以外のルールは本来無い自由世界だと思うんだよな。
僕は現実世界を超越凌駕するよねー!?♪。
>ニーチェにおいては、一方の力と他方の力との本質的関係が本質のなかの否定的要素として理解されることはけっしてない。 >他の力との関係において、従わせる力は、他の力を、あるいは自分ではないものを否定するのではなく、 >自己自身の差異を肯定し、この差異を享楽するのである。 >否定的なものは、力が自らの能動性を引き出してくるものとしての本質において現前するのではない。 >反対に、それはこの能動性から、能動的力の実存から、その力の差異の肯定から生じるのである。 >否定的なものは実存そのものの一つの産物である。 >すなわち、能動的実存と必然的に結びついた攻撃性、肯定の攻撃性。 何を言ってるのか全然わかんない
ほんと何を言ってるのか全然わかんない屁理屈だね
時に言語や文章は、主体や対象を恣意的に表したり解釈したりしてしまう。
>>708 とかは何かちょっとナックルさんっぽいけど、あまり成長してなくて残念無念に思う。
変化の無いあまりに家族や周囲に守られ過ぎた生活をしてるせいだとは思うけど、それは仕方の無いことだとも思う。
でも何かを否定したり誰かを否定したりして自らを肯定する癖は、出来るだけ治した方がいい。
もちろん攻撃的な物言いも、敵を作り出すだけだとも思う。自分以外の意見に対する揶揄や侮辱が、かつて多かった。
でも多分ネット弁慶なだけで、普段はとても優しくて礼儀正しい青年なんだとは感じる。
旧約聖書にも所々観られる誤った父性の乱用では無くて、相手に気づかせる立場としてそっと導いたり、
正しい方向へ背中を軽く押す形や、相手の内側から何らかのもの(もちろん獣性や狂気ではないもの)を引き出す姿勢が望ましいとも思う。
でも理系がズバ抜けているので、哲学板やニーチェスレには居てほしい存在だとも思うよ。
そして誰もが自らが持つ「枠」や「想像」を超える領域があることを自覚するのがいいと思う。それは「無知の知」とも言える。 まだ、解明されていないことだらけの世界に居る訳だし、もちろん当たり前のことなんだけど。
でも人類が科学で一つ一つをクリアにしていくのが爽快ですね。しかし反面に、厭世や憂鬱になることもありますが…
「原理」か。中心は…平和であってほしいですね。台風の目の様に?
>>742 例えば画家のマネがサロンに出品し続けながらも、その実、サロンが求めるような美的基準の絶対性を否定するような絵を出品していたのは、
「自己自身の差異を肯定し、この差異を享楽」する行為として絵を描いていたからだろう。
だが、その彼はサロンに出し続けていたのであって、サロンを否定していた、つまり「他の力を、あるいは自分ではないものを否定」していたわけではないはず。
単に、既存のサロン的なものの唯一絶対性は否定していたとは言える。ニーチェふうに言えば、「神々は存在するが、唯一の神はいない」というわけだな。
そして結果的にマネは、マネ流の美学を世に認めさせたのだから「他の力との関係において、従わせる力」を発揮したわけだ。
他人の「信仰」を否定する「政治ゲーム」とは異なるわけで、これがニーチェ-ドゥルーズ的な力なんだよ。
「全然わかんない」のは仕方ないし別にいいんだけど、
分かんないからって「屁理屈」と決めつけるのは「酸っぱいブドウ」式のルサンチマンでしかないよ。
「何かを否定したり誰かを否定したりして自らを肯定する癖」ってのはこういうのを言うんだろう。
まあ言語や文章の不毛だな。だからと言え「映像」も確かなものでも無いか。
ごめん、何度か読んだら
>>742 が何となくわかってきました。肯定的な行動が云々ってことですね。
否定を肯定せずに否定する、それ否ならず然り然り。でも肯定と否定の間はどうなんのよ??
てか何で何時までもこんなことをやってるんだろう…でも世界経済から近所の会社や工場や自営まで収支の平等性はあってほしいなぁ。 でも思想や信仰はそれぞれ違ってもそれぞれ認め合うという。それでも自分は無神論を推薦したいけど。 個人主義と社会主義が合わさった社会、そんなんアリエナイけど…もうヤメタ。
普段いっぱい「屁理屈」言う奴(俺!)が「屁理屈」って言って、スミマセンデシタ。
でも、頭や身体がガッチムッチのアニキにしかモテない文章ばっかり書いてたら面白くないし頭固くなっちゃうだけだよ。
>>748 それ読んでイメージは掴んだ
その上で
>>742 を分析してみた。
すっげー細い線だな、これ
肉付けが何もねえや
誰かを救う事は、誰かを苦しめる事であるし 何かを成し遂げる事は、別の何かを放棄することである。 つまりは、相克。科学が何かをクリアすれば、その為に犠牲になるものがある。 平和の為に、奪われ続けるものがある。その苦しさは現に在るのだから、目を逸らさずにいよう
搾取や略奪のことか…例えばチョコレート一つ見る度にツベで観たカカオの生産事情を思い出して憂鬱になる。 何でも感でもクリアに「見え過ぎる目」を持つ者は…神経が長生きする気がしない。
ニュータイプじゃあるまいし
アンパンマンバイキンマンは好きだけど自分は「ルサンチマン」とか言うホルホルインテリ御用達の専門用語とかがあまり好きじゃないんだわ。
そもそもここで皆が語る思想に強者も弱者も上も下も無いんじゃないかい。ただ考え方や表し方が皆違うってだけで。
事実か否かの違いはもちろんあるだろうけど、
>>748 で言う絵画の例えで言えば、芸術や美術って単に「美意識」の問題だから。
こうして、人類のアゲアシトリは延々と続く…でも読み手のことを無視した屁レスはあまり好かんなぁ。ハッテン性が難しだから。
まあ、どんな絵やレスを出品するにしてもある程度のTPOやルールってのはあるとは思う。
ちなみに「屁理屈」ってゆったのは、「屁」は肥料に度し難しだから。せめてもの「糞」だったらいいな、程度。
てか、すまん。
>>742 の抜粋前後の文章を全く読んでないから、もうこの話題はこのくらいにしとくわw
まあ逝くまで自らも屁と糞と能書きを垂れ流すんだけど、帰ってきたナックン(っぽい人)があまり強くなっていなかったのはちょっと残念に思った。 「ニーチェ」と言う名前を権威的に連呼する辺りもそうだし(勿論ここはニーチェスレだけど)、どんな相手でもレスするならばもっと鞘に刀を修める訓練が必要だと思った。
てか先日早くんと初めてスカイプで話をしたけど、低くていい声をした青年だと思った。 最後の方はちょっと早MADで暴走して困惑したけどw…例えばそれを録音したものをツベとかにうpしてほしいと思った。 近々ナックルともスカイプで一度話をしてみたいんだが。直接話し合う勇気になったらレスしといてくれ。我輩は先へ行く。
屁垂れのままじゃ…ポイズンw
と、2chでしか言いたいことも言えないこんなオレじゃポイズン。 「毒を以って毒を制す」か。「闇を以って闇を制す」はやっぱり失敗だった。
だからナックンて誰だよ。いちいちそんなよく分かんない名を引き合いに出されてもな。 「ルサンチマン」如きにインテリ臭を嗅ぎとるのもどうかしてるぞ。ここはニーチェ・スレなんだからさぁ。 「美意識」の問題に還元するのも間違い。 要は自分の「美意識」に反し相容れないような「美意識」が存在する可能性を把握する認識力があるかどうかの問題。 やはりニーチェの言葉を引用すれば、「道徳的地球も丸い!」、つまり道徳的反対側も「大地」には存在するのだと理解する力があるかの問題。 自分の足もとの地表を支える道徳からいかに離れられるかという、それが超人思想の一端でしょ。 屁やアンパンマンでのつまんない駄洒落を書きながら、他人にTPOだとかいう人間的な道徳を説くのもどうかと思うんだがw
>>760 この「強く」なるというのは、どう意味で言ってるんだろう?
ナックンだかナックルだかが何を言っていたのか知らないから推測しようも無いんだが、
なんだか、自分が期待したようなレスが返ってこず、
しかも自分なりの論理でレスを返すほどの思考も働かないから、
自分の中だけで曖昧に納得した「強さ」を口にして格好をつけたつもりになり、
煙幕巻いて撤退し、早々に引きこもろうとしてるだけにしか見えんのだが。
めんごめんご…ナックンじゃないのね誤解してました。悪気は全く無いんで我の糞レスは全て下水に流します。
ケツ拭いてから出直して来い
ジョボボボボゴワアアアアア…ふぅ、スッキリした。もう彼処兎にも角にも言葉遊びプロレスの茶番は暫く封印して、真面目に働く。左様なら、
ナックルはきてるよ。夜中にアクセスログがしっかりあるwww 書き込みもしてる。(レス番指摘はやめときます) 唯、短パンや早がいないから、 対象を攻撃して目立つきっかけがないだけだと思う。
ニーチェは日本人が一番過去を妬まず超人的な文化を持っていたことを 知らなかったんだな。 欧米人とか韓国人は恨みと妬みで文化ができてるようなもんだ。 それがいいという面もある。 ニーチェは勇み足な面もあって自身が人生の達人とは 程遠かったからな。
日本人はすぐ過去の出来事になるからな、 「そういえば10年前あんな事あったなあ」みたいに それに対して朝鮮の方たちは、「50年まえだからまだ忘れられない」みたいなことが ざらにある。ひどい例だと中国では4000年前の家督相続で未だに争ってるとか。 まあそう考えると超人的な文化を持ってるって言うより単に忘れっぽいだけかもな しかし、過去を振り向かない生き方が、ルサンチマンと相反することは確かだと思う。
ニーチェの前にさあ、、 在日ばかりの創価学会がやってる自殺強要・集団ストーカー犯罪 優秀な日本国民狩りだってさ。 創価の連中は祖国に帰れといいたい。 日本国民の自殺者が増えてるのは創価の集ストのせい。犯罪創価は出て行ってほしい。 それからだ俺にとって平穏にニーチェを語れるのは。
>>770 過去を妬まないのが超人なんじゃないよ…
日本人は、さほど優れてはいない。むしろ蓄群の惰弱さが目立つ。
自分が正しいと信じるのなら、比叡山を焼き討ちにするべきだし、
キリシタンを追放するべきだ。たとえ後世まで罵られることになっても
戦争の大きな原因となる宗教が、八百万の神で片付いちゃうのはすごいと思う。
775 :
考える名無しさん :2011/08/13(土) 10:21:25.05 O
信長や秀吉みたいに女子供を虐殺する奴でも英雄扱いし尊敬すらするのが日本人ですよ
その辺はどこの国も似たようなもん
だから…僕達は人殺しをしていない革命者や哲学者や思想者などの先人たちを尊敬するべきですよね。 そして彼らの思想や人生を知って、自らの人生の為に参考や指針にするべきだと思います。
ナックルが潜伏している・・・だと?
ニーチェも「神は死んだ(神は居ない)」と宣言して、この世界や人間の「現実」を直視して、 内的にも外的にも苦しみや楽しみも含めた様々な現象を超えて行く「超人」と言う人物像を模索していたのだと思います。
ニーチェがしようとしていたのは、この世の価値を否定してこの世の彼方に価値を置こうとするニヒリズムを否定することである それは、プラトンのイデアの世界であったり、キリスト教の来世であったり、カントの物自体の世界である 永劫回帰は、力は有限だが時間は無限であるという考えから出てきた思想だが それを物理学のような自然科学でやっても上記の形而上学や神学の否定はできない これを哲学でやろうとしたのがニーチェである この世は、あらかじめの設計図(イデアや神の摂理)に基づいて作られたのではなく 自然も国家も人間も、ある一定の法則(力への意志)に基づく生成と崩壊の繰り返しで成り立っている だから、この世界を否定して、別の世界に逃げ込んでも意味がない 別の世界などは存在せず、この世界が永遠に生成と崩壊を繰り返すのみであるから 形而上学や神学への逃避を拒否し、現世を引き受け、現世での人生を肯定して生きる思想を持って人間は生きなければならない それができるのが『超人』である
>>780 まったくの初心者には分かり難いし、多少ニーチェをまともに読んでる奴にとっては、
今更長々と講義してもらう必要も無い話だな。
>>777 人を殺してないってのが、それだけで思想の正しさなり優等性を証明するわけでもないだろう。
世間一般のモラルとしてならともかく、ここはニーチェ・スレだぞ。
ニーチェ的には、天才の創造性の発露を妨げる存在があるなら殺して構わないって言うだろうな。
あるいは、『ゴッドファーザー』風の独立自尊の危害で生きてる奴には場合に応じて許す感じ。
快楽殺人や、能無しが恨みや激情で殺人を犯すようなのは不許可、なんなら去勢した方がいいという考え。
「危害で生きてる奴」じゃなくて「気概で活きてるやつ」。 「危害で生きてる奴」は去勢だろうなやっぱw
去勢か。地球のゴッドファーザーことアメリカ様に去勢されたニッポンは善かったのやら悪かったのやら。
それを云々してる奴は超人ではないとは思う
超人様でも、死は超えられなかったというオチが待ってる。
死するまで、意味ある形象の作成を続ける超人か…意味とは建設的生産的なものだろうか。 自ら以外の他者が一人でも感動する精神的な物体を生み出すことか、やはり。とても困難な作業になりそうだな。
子供産めば解決
まーちんは割と話が通じてたけど早が発狂した時の手の付けられなさといったらなかったな
来月、もし人権侵害救済法案が成立すれば、一般市民の生活は監視下に置かれ、
ツイッターのつぶやきですら監視逮捕対象となってしまう・・・・
そうならないように!人権侵害救済法案は断固阻止!
【電脳news】人権侵害救済法案の問題点・解説
http://tbtw.it/qp6gvK
神の不在は、罪の不在でもある。ゆえに、罪を拭う方法も無い。 原罪が無い代わりに、心の裡に生まれる罪悪感を、救う手立ても無い。 そして進歩も無い。人は同じ環の中で繰り返している。
人間界だけに存在する「法律」と「倫理」の起源やその成り立ちを知りたい。 何故人間には良心や罪悪感や疚しさなどあるのか。恥を感じて赤面するからか…? しかし猿社会にもボスやグループがあって暗黙のルールはあるみたいですね。 進歩も無いのでしょうね…思索ですら行ったり来たりですし、身体ですらこの地上で行ったり来たりするだけです。 おはようこんにちはこんばんはさようなら…ありがとう。死するまで、この言語も繰り返し使うのでしょう。
原罪は…快楽の性交。避妊無しの生殖。自慰は生理的な排泄、故に罪とは思わない。
攻撃――悪の自然誌
795 :
考える名無しさん :2011/08/14(日) 19:58:50.84 O
ニーチェって年金暮らしの病弱者のファンタジーですよね。 イケメン英雄に自分の精神面を投影して描くブサイク作家のようだ。 心身は互いに依存し規定し合っているので、強健で美しい肉体に病弱者の「健全な精神」が宿ることはない。
太陽を理想視する蝋燭の如し。 人間を蝋燭だとすれば、身の程知らずにも太陽のように生きんとすることは病的な生き方であり、 体はふにゃふにゃになりつつ腐っていく。
まったくだ。病弱な人間、すなわち身の程知らずの不遜な人間にとっては、神は死んでるも同然である。 愚かな
まさにアンチキリストだ。 ということは、反面教師として、自分を 人類のために犠牲にしたつもりなのかもしれない。 とにかくニーチェはアンチキリストである。
一番残念なのは、ニーチェが精神的に弱かったこと。 弱かったからこそ色々と気づいたのかもしれないけど。
他人に強さを求めるのが、弱さなんだよ
ニーチェはたまに同一人物が書いたとは思えんような文章もある 精神分裂も入っていたのかもしれん
自分の中で矛盾する思考が対決してたんだろうな 常に思考が運動していて固定された拠り所がない
>同一人物が書いたとは思えんような文章 それは誰しもあると思うが…例えばキチガイ文章を書くマトモな小説家は現にいっぱい居る訳だし。
>>803 を読んだおまえ!
キチガイ文章が書けるってだけでは何の自慢にもならないって事は頭に入れとけよ!
805 :
考える名無しさん :2011/08/15(月) 18:49:58.83 0
強弱や美醜は相対的なもので健全不健全もあくまで相対的なもの。 年金で生活できるニーチェは年金もらえない奴からすれば社会的強者。 強健で美しい肉体云々というのも主観的で相対的。 巨乳をコンプレックスにする人もいれば貧乳をコンプレックスにする人もいる。 伊良部も肉体的には強健だったが精神的には病弱だった。
つまらん。ナックルと早の話をしろい!
807 :
考える名無しさん :2011/08/15(月) 19:25:57.65 0
キチガイもマトモもおまえらの主観だろ。 おまえらが言ってるキチガイ文章ってのは俺には見る価値もない退屈な文字の羅列にしかかんじられんし、 板自慢らしいキチガイAAとやらも別にキチガイとも思わんけどね、まあわざわざ立ち止まって関わる理由がないという意味ではキチガイと共通項はあるわな。
808 :
考える名無しさん :2011/08/15(月) 19:30:51.57 0
おもそも、キチガイって、受け手がビビッと心を動かされるような奇異な行動するって意味だろ、 ここのキチガイって言われてるものは単に投稿者がアクセントで入れているようにしか感じられんのだが。。。 アクセントで入れるってのはどっちかってと几帳面で理性的な行動だから、アクセントでいれているという意味が強く感じられる以上、 むしろキチガイの対極のカテゴリと認識されていると言った方がいいだろうね。 それをキチガイというのは自画自賛でしかなく、たんなるラベリングにすぎないってことだろ。
>>806 自分が思うに、例えばその二人がリアルで会ってたら絶対に仲の良い友人になってたと思う。
そしてその知的な二人で、何か経済的な活動に結び付く仕事の発想だって産まれる可能性もある。
足の引っ張り合いや揚げ足の取り合いじゃなくて、誰彼が協力すれば建設的な生産的な方向性があるという。
810 :
考える名無しさん :2011/08/16(火) 00:34:48.46 0
ナックル(爆 早や短パンは奇人変人だったが、人間でもあった。 ナックルは死人と幼稚性廃人の狭間。 はようでてこい、おもちゃにしてやるぞナックル!!!
既出だったらスマソ wikiに 自らの母フランツィスカと妹エリーザベトを「下衆な人間」と呼び、自分が彼女たちの血縁者であることを「私の神性に対する冒涜」などと、明らかに常軌を逸した表現で綴っている。 って何で家族嫌いなの?超人じゃないから? でも隣人愛に疑問持つと家族も友達も嫌いになるよね
>でも隣人愛に疑問持つと家族も友達も嫌いになるよね ↑頭で考えすぎ。そんな奴いねーだろ。逆はいるだろけどね。
隣人愛って隣人を好きになれって事じゃなく 隣人を愛するように万人を愛せよですよね
>>811 逆に、何で家族好きにならなきゃならないの?という質問も可能だろう。
そもそも、家族が嫌いな人間なんていくらでもいるでしょ。
妹は、ニーチェの思想に対してもバカにして厭味を言ってきたりしてたらしいからな。
そのくせ、ナチに協力的だったりして。反ユダヤ主義者が嫌いだったニーチェと反りが合わなくて当然。
母については知らん。
>>795 むしろブサイク作家はブサイク作家としての自身をそのまま肯定せよというのが永劫回帰でしょうが。
>>812 いや。。家族も友達も思考停止状態の人とは話しててつらくなってくるから遠ざけるようになる気持ちはわかる
>>813 でもツァラトゥストラには隣人愛を大切にすると隣人以外を犠牲にするから遠人への愛を勧めるって
隣人より、超人の予感となる創造する友を選べって
>>814 そうだよ。
哲学とかやってたら皆家族とか友達嫌いにならないのかなーと思って
いやだから隣人への愛じゃねえっつってんだろ!! 誰が回覧板回せ言うたねん
ニーチェを読んだことのない引き籠もり人間なんだが、 ニーチェの言葉に出てくるらしい、主体性を持てず消費を続けるだけの「最後の人間」っていうのは もうそのままくたばってしまうしかないんですかね?どうにかなってしまうまで抜け出せないんでしょか。 強引にはもはや抜け出せません。
ニーチェを読んだことのない引き籠り人間こそ、 もっともニーチェの理想に近い
ニーチェ読んだことないから理解できねぇ。。 抗うことが主体性?もうダメだわ。沈んでく。。
私も超人に為るよねー!?♪。
2ちゃんでしか意見言えない。 ツイッターも書いては消してを繰り返してしまう。勿論フォローもフォロワーもゼロなのにさ。 名前を持ってなにかを発するなんて無理。CDや本をコレクションしていくのみ。くたばれ。
>>820 主体性もたない最後の人間ってのは、自分の頭で考えない人間って意味だよ
>>820 連投スマソ
世の中大半の人間は人(親や先生や法律や…)から言われたことは絶対正しいと思って、それを丸暗記して生きてる
だけどどんな偉い人が作った決まりだって人間が考えるものだから中には間違ってることもあるわけよ
だから皆がどんなに正しいという事でも騙されないで本当にこれでいいのかなと疑って(抗って)かかれ
それが自分で考える(主体性)ということだ
自分で考える人間になりなさい。
自分で考えないで丸暗記してるやつは人として終わってる(最後の人間)
だから引きこもってるニートのことじゃないよ
>>824 どんな言論人も含め、バカじゃない奴なんていない。
そんなのはわかった上で述べてるわけ。
あんたは全然わかってない。ただの浅はかなアドバイス厨だ。
あ、追記。ニーチェ読んでないから「最後の人間」の意味はわからないからその言葉自体には突っ込めないか。 けど、「主体性を持たない=自分で考えていない」とか言ってる人は全然わかってないと思う。 本当にこれでいいのかな、なんて「永遠に」疑い続けられるから困ってんだろ。
いや
>>820 はまったく初心者なんでしょ
言葉の意味からして(哲学じたい)わかってない文面だし
820の内容かみ砕いて書きなおしただけで自分の意見のべたんじゃないよ
>>825 って
>>820 ??
ん、あれ。引き籠もってるニートのことじゃないのか。 主体性って言葉はそういう風(自分で考える)に使うのか。。 引き籠もりの俺が言いたかったのは主体性じゃなくてなんだ、身体性ってやつ?か? そしたらすまん、勘違いしてました。なかったことにしてくれ。
>>818 820 822 825 826 828 は同じだよ。
失礼なことをした。すまん。
>>820 でいった「抗うことが主体性?」っていうのは
まず、自分で考えて「行動すること」まで?を主体性と思ってて
自分で考えることは永遠にできるけど、そこから行動には移せなくって。
永遠に考え続けるということに「抗って(一度中断して)」行動に移すにはどうしたらいいんだろうと…。
そういうニュアンスで抗うって言葉を使ってしまった。わかりづらくてすまない。
もはやニーチェも最後の人間も関係ないことだったかも。
832 :
考える名無しさん :2011/08/17(水) 04:33:24.93 O
神は死んだけど高等上位の霊的存在に為ったよねー。
>>826 いや、「主体性を持たない=自分で考えていない」で合ってるでしょ
「=超人」とされたら唸るけど。
何を見せられても「疑ってかかること。」
これが大問題だ。ゼロからの思考じゃなく、まず所与として1に懐疑が入る。
それは不自由だから困りますね。
1.じゃあ神様への信仰で疑いを消しましょうが凡人。
2.すべて見通せれば疑いの差し挟む余地が無いのでそうなりましょうが超人
あ、神様と擬制したけど科学でも伝統でもその他宗教から主義思想でもなんでもいいです。 でも普通の人間が2やると自己愛にしかならないから能動的に超人にはなれんと思うです。
>>833-834 言葉(主体性)の使い方を勘違いしていたことはわかりました。
で、その凡人と超人の狭間って言えばいいの?
凡人なんだろうけど、かといって神様への信仰に対して素直に受け入れられない、
疑うなと言われて疑うことをやめるなんてこともまぁムリで…って感じですかね。
やっぱそういうものにたいしては、「大問題だ」で終わりなんですかね?
トーマス・マンの小説トニオ・クレエゲルでいう、「道に迷った俗人」に近い感覚で身動きできなくなってる感じ。
作品内のトニオは作家になって生計を立てれてるわけだけど、自分は引き籠もりんのまま。hahaha
みんながみんな主体性を持ったら社会が機能しない アホも必要だし、考える奴が偉いわけでもないよ
社会が機能することが正義なのかどうか そりゃあ自分のような凡人は社会がないとすぐに死に絶えるだろうが
ツァラトゥストラはどの訳がいいですか?
839 :
考える名無しさん :2011/08/17(水) 12:35:27.29 0
手塚富雄
俺も手塚富雄
>>836 考える奴とアホはいたほうがいいと思うけど
考える奴ぶってるアホだけは正直いらんと思ってしまう。。
>>841 ちなみにあなたはどっちなの?考える方?アホの方?
843 :
joe :2011/08/17(水) 16:02:34.56 0
NHKの放送を見て、ニーチェは、まさに人類・現代人への大切な贈り物をくれたのだと思った。 ニーチェは、幸せに生きるための指針を、下記のように示していると思う。 引き籠もり状態でも何でも、それが「自分の本当の幸せ」であれば、そのままでいい。 行動を変えたいのなら、成功している人を妬んだり、人のせいや社会や親のせいにしたり、恨んだりしている 感情(=ルサンチマン)をまず捨てよう。 後悔している過去の失敗や、自分では解決できない想いもルサンチマン。 「新しい行動への障害となり、幸福を感じる上での妨げにもなる」と理解できたら、みんなでルサンチマンを 捨てよう。
といった指針にムカツクのもニーチェ でも自分で指針立てるの好き 発狂して仕方ないわな
人間の幸せなんかどうでもいいいしな 乗り越えられるべきものなのだから
幸せなぞどうでもいいな。
847 :
joe :2011/08/17(水) 16:46:07.93 0
>>845 乗り越える方法を教えてくれているんだと思う。
>>846 既に結構幸せで充実しているからそう思うんじゃないかな。
今夜、NHK教育テレビ(Eテレ)で再放送があるから見るといいよ
8月17日(水)午後10:00〜10:25
100分de名著 ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3回 永遠回帰とは何か?
>>847 >結構幸せで充実している
あなたがどういうのを想像してるのかわからないけど。
幸せとか不幸せとかいう概念などどうでもよくなってきてる。
>>842 無知の知を持ってるからアホじゃないと思いたい。。
>>850 たいして変わらないと思うよ?
あなたも、考えぶってる奴も、考えてる奴も、アホな奴も。
もうずっと仕事も決まらず、ただの穀潰しの己の無意味さや無価値さをひしひしと噛み締めておる。 結局は人生、人間は皆どう生きてどう死ぬかの問題。 すべては態度価値にある。少なくても何も芸術的なものを産み出せない者においては。 この地上のことはすべて忘却することにしたい。一部の優秀な人間たちが作り出した芸術を享受して、共感して、それだけで充足。
855 :
考える名無しさん :2011/08/17(水) 17:24:07.90 O
「五色の牛」という名前をもったかれの心にかなった町ってどういう意味かわかる人いる?ツァラトゥストラの
まだらうし?
無知の知を持ってるから(キリッ
858 :
考える名無しさん :2011/08/17(水) 17:35:22.88 O
>>855 該当箇所を書きなさいよwそういやそんな名前の町が出てきてたような・・・
と思ってページをめくったらすぐ出てきたわ。第一部の「徳の諸講座について」ね。
第四部の高人たちの中に、牝牛の反芻を見習う「進んでなった乞食」がいたけど、
それと同様に、過去に説かれた教えを反芻することの隠喩だろう。
この町の賢者がいくつもの教えを説いているから「まだら」なんじゃないの。
それ以外の意味はちくま学芸文庫版の訳注にいくつか書いてある。
860 :
パンツ誕生秘話 :2011/08/17(水) 18:18:07.78 0
(ある晴れた午後のこと) さて、絶好の下着日和だぜ〜ぃ (中略) [パンツをいいようにされた女性からの叱責] 君がそんなに下着好きだとは思わなかった 下着好きは俗にいうムッツリというやつで 思考もそれに伴って陰湿なものになると聞いた事がある そうだな、これからパンツマンと呼ぼう
>>854 いや…人間社会が機能するために必要か否かって話の流れだったろ
宇宙規模からみて要るか要らないかは別の話だから
それ言っちゃどの話も話になんなくなっちゃうから…
862 :
考える名無しさん :2011/08/17(水) 18:42:53.77 0
先生!あなるって何ですか? いや、そこは「あんなる」って読むんだよ、マセガキ。 マセガキ? いや、なんでもない。ことばのあやだ。
>>861 なんで別の話って思うわけ?
そもそも社会が機能するために必要か否かって何よ?(笑)
865 :
joe :2011/08/17(水) 20:48:38.60 0
>>852 芸術的なものを生み出すことが義務じゃなくて自分で生み出したいなら、
何十年かかろうと生み出す努力をすればいい。好きなことに努力するなら幸せでしょ。
「無意味さや無価値を感じている」のは、他人基準で自分の価値を評価しちゃってるから。
「自分の価値の基準は自分で決めよう」というのがニーチェ。
例えば「世界でいちばん優しい彼氏であること」を重要な価値と決め、自分を最大の成功者と
考えても良いということ。
866 :
考える名無しさん :2011/08/17(水) 21:02:23.71 0
>>847 「幸せを感じる力が弱くなってしまうから、ルサンチマンからの脱却を目指そう!」
というのがツァラトゥストラの基本ロジック。
幸せを求める必要がないなら、確かにニーチェは必要ないね。
867 :
joe :2011/08/17(水) 21:58:59.71 0
はじまるよ。基本、難しいから録画して数度みたほうがいいと思う。 8月17日(水)午後10:00〜10:25 100分de名著 ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3回 永遠回帰とは何か?
868 :
考える名無しさん :2011/08/17(水) 22:29:08.92 0
ボルネオかぁ ふっ ボルネオの女のこと思い出しちまったぜ おれも罪な男だったよ いや、お互い青春してたってことだかしあの状況じゃあ罪でもなんでもなか ボルネオの女か。
NHKみた ニーチェが見たらどう思うんだろな 名言集とか万人向けなやつって一番面白い部分は見せないからつまんないよな
870 :
考える名無しさん :2011/08/17(水) 23:35:32.51 0
100分de名著 いい番組だよな。
>「自分の価値の基準は自分で決めよう」というのがニーチェ。 それは違うな。そもそも、価値というのは自分の基準でしか無いというのがニーチェ。 それは、自分で決めようなどという前向きな発想では無い。 追いやられ、最後に残された物が「自分で決める」しか無いという考えだ。
神は死んだので幽霊に為りました!?♪。
自分の基準で勝手に決めたら、それは価値とは言わないだろw そんなもんバカのオナニーに過ぎない
874 :
考える名無しさん :2011/08/18(木) 12:41:04.91 0
逆に社会が認めてもその社会の評価に乗っかって安穏としてないで自己否定して成長しろということでもある
875 :
考える名無しさん :2011/08/18(木) 12:49:21.88 0
>>871 価値というのは自分の基準でしか無いというのがニーチェ。
>>873 自分の基準で勝手に決めたら、それは価値とは言わないだろw
どっちが正しいの?
この世に絶対に正しいことなんてありません
事実か否かはあるけど、正しいか間違ってるかは解せないことも多いです。
>>865 だからそれをやると単純に自己愛になっちゃうんだってば。
人生は結局、自己満足でいいと思うが。生前アホみたいに苦悩しまくって、死後になってやっと認められたり売れたりする芸術家も多数居る訳だし。
セックスじゃなくてオナニーでも、射精の瞬間が死ぬ程気持ちいいなら、誰も彼の手淫を止めやしない。
価値は、例えその人間が既存の価値観を丸呑みして自分の個性をまったく主張しないとしても、 その人間なりの感受性に基いて丸呑みしているわけだから、根本的に誰もが「自分の基準」。 だが、「超人」の価値基準は、他の存在が自らの生を支え維持するために基準としている価値観を呑み込み 消化した上で、更にその上をいく価値を創造する、というのが至上命題。 つまりニーチェ的には「権力量」という絶対的な基準によって、全ての価値基準そのものの価値が測られる。 もっと言うと、その「権力への意志」という思想そのものが更に乗り越えられる可能性もニーチェの視野に入っている。
うん、だからヴェルトフライハイト
883 :
考える名無しさん :2011/08/18(木) 17:51:50.28 0
>>879 常識と呼ばれるものの中身が時代によって変わっていることこそが、
自己満足を否定できないって証明してるんだよね。
884 :
石井 慧 :2011/08/18(木) 19:22:24.06 0
権力への意志なんて 結城信輝さんの漫画に 関係あれへん
ラスボス化しようとした スライムの権力への意思が 醜い形で具現化されたデザインの アレですね
ルサンチマンを克服するには、感謝の心と人への優しい気持ちを持つしか方法はないんだけどね。 それに気づいてない思想は結局、精神的におかしくなるよ。
感謝の心と人への優しい気持ち=他者に対する同情 =最高レベルの「愛」 もっとも精神的に余裕がなければなかなかそんな「愛」 を抱くのは難しいけどね。 現実には大多数の人たちはニーチェのいう「超人」 になれず。彼の思想を政治的に具現化すれば、北朝鮮 とかソ連の政治体制みたくなるんだろうな。
短パンが麻雀仲間を探していてまっさきに話に乗ったのに短パンがコテを優先して4人集まってしまい結局ハブられたのを未だに恨んでいる
確かに、人間としてまずはヒューマニズムを前提とした思想じゃなきゃとは思う。
でもニーチェ曰くキリスト教の様な他人に対しての同情や憐憫よりも、己の向上や強化をただひたすら目指せってな感じだったよな。
無理やり感謝するような思想を信じることで 精神的安定を得ようすることはキリスト教道徳と同じじゃないか
近親憎悪って奴だ 最期まで乗り越えられなかったんだよ
>>875 だからニーチェは、価値の低落を指摘したんだよ。
>>887 ニーチェの愛は、人妻に手紙を送ることだ。気持ち悪がられても。
とんでもレスで申し訳ないが、 ニーチェがもし「天空の城ラピュタ」を見たらどう思うだろうか? パズーを評価するだろうか?
絵ウマー 音楽ネ申!
>>886 >ルサンチマンを克服するには、感謝の心と人への優しい気持ちを持つしか方法はないんだけどね。
それはルサンチマンを克服したとは言わないよ。
嫉妬でイライラモヤモヤしたとき
どうせ自分はorzってなって諦めたり他人をおとしめる悪い方にいっちゃう奴と、
そのエネルギーをバネに努力して自分の能力を伸ばそうとする奴といるでしょ
後者を克服するって言うんだよ
ネガティブ感情は無理になくそうとするんでなくてうまく利用して結果的にポジティブな方向に持っていこうぜっていう
そんでさらにその嫉妬心のエネルギーが自分を成長させるってことに気づいたら、今度は自分の方からどんどんネガティブになっていこうぜっていうw
一見ネガティブなようで本当はポジティブな考え方なんだよ
でも周りに理解されなくて一人ぼっちになっちゃったんだろな
この感覚がわからない奴はまじでもったいないと思う
>>896 要は「昇華」ね。
確かに闘争は文化的に重要な要素ではある。
ゲーテとかベートーベンみたいな文化人を思い出したが、
本人の苦労は計り知れないし、最悪ルサンチマンが
本人の生命を蝕むかもしれない。終わりよければ何とやら。
899 :
894 :2011/08/19(金) 02:08:45.24 0
おそらくニーチェ様はパズーの中に「超人」を 見出し、賞賛するだろう。 パズーの行為の中に「ルサンチマンの克服」が見て 取れるのだが。
いや、もともと人間味の無いキャラクターだ たぶん作劇が作家のルサンチマンの自己投影だと断じて 宮崎駿ディスになるんじゃないか
>>897 うんたしかに
そういう奴何人か見たことあるけど破滅的な生き方してる。
全然理解されなくて悪者扱いされてて気の毒なんだよね
でもルサンチマン自体がその人を蝕んでるんじゃなくて、周りに理解されない孤独感に追い詰められてるんだよ
だから理解者さえいれば病むことなくてルサンチマンていい感情と思うんだがな…
まあ不幸になると分かったところで性格だからもうどうにもならなくて
結局破滅的な方選んじゃうんだけどなw
>>900 しつこいようで申し訳ない。
ワンピースのルフィーはどうか?ナルトはどうか?
こち亀の両さんはどうか?
こうしたアニメの中にニーチェの思想があるように思えるが?
903 :
考える名無しさん :2011/08/19(金) 02:33:36.34 0
漫画のキャラで一番ニーチェを感じたのはSBRのリンゴォ・ロードアゲインだな 己の成長のために純粋な殺意を持った敵との決闘を望む
蒼天航路の董卓と寒貧に ニーチェの理想の二極がある
目上の人間にかわいがられないで 妬んで能力を開発していると思い込み 芽がでないかもしれない ってことだろ?
ワンピース ロビン SBR 最終巻がおもしろくない
3転した悪役とヒロインの対決という 傍流化した物語展開に力動をどこにおけばいいのか わからなくなる であった
>>902 実際にああいう人生を歩んでる奴が実在するなら称賛するのかもしれない
作家・・・いや、ファンか。現実逃避のルサンチマンだと一喝出来る
ああ、一番ニーチェに近いのはバガボンドだと思うわ 吉岡清十郎倒して以降そういう話が多くなった 思想的にはもの凄い高いとこにある
武蔵の本当の戦いは小次郎を倒してから始まる なんて哲学的な侍だ
911 :
考える名無しさん :2011/08/19(金) 09:01:58.84 0
ドンフライ
車椅子王
>>910 うん、というかな。
天下無双という”価値”に対する向き合い方かな。
沢庵和尚が容赦無い
914 :
シャイア・ラブーフ・郭嘉 :2011/08/19(金) 14:57:17.94 0
915 :
考える名無しさん :2011/08/19(金) 19:48:35.01 0
アポロ的な完全さ、合理的理性よりディオニュソス的な感情、狂いに身を任せて世界を改変しようとした、 終末長門こそ実にニーチェ的ではないか?
合理性(アポロ)は欲望(ディオニュソス)から要請される。 欲望の達成の為に合理を使うのである。
ルサンチマンに毒されないって難しいね。 「俺はこの宇宙で一番のクズだ」 と心の底から信じている人間なら、そうなのだろうか。 でも、そんな事を考えた時点で「一番のクズ」では無くなるしね 自意識を捨て、がむしゃらに、獣のように、火のように、 善でもなく悪でもなく。ただ拡大する、ただ増大する。 そういう人間、いや超人に私はなりたい。
>>908 現実逃避うんぬんはそれを視聴者の側の心の問題であってさ。
アニメやハリウッド映画の中にニーチェを読み取れるといいたいんだ。
古くはギリシア神話、最近ではアニメとか映画、そこにあるのは
ルサンチマンの克服と呪うべき運命に対峙する英雄。
>>917 >自意識を捨て、がむしゃらに、獣のように、火のように、
善でもなく悪でもなく。ただ拡大する、ただ増大する。
そういう人間、いや超人に私はなりたい。
それ超人じゃない
ニーチェが嫌いな「畜群」のほう
>>918 確かに、アニメにニーチェを見出すことは多いよね。
最近では「まどかマギカ」じゃないのかな。
>>918 だからニーチェは芸術を喜んだんだろうね
ドン・キホーテが風車と戦うところなんて、まさに超人的だと思う
他人から見て無価値であるという事も含めて
>>918 古典的な英雄譚ってみんなそうでしょ
叙事詩叙情詩演劇芝居。
どこに違いを見出すの?
俺はカテ・ミスだと思う
脱俗隠遁。精神世界が楽しくて仕方ない。芸術最高。
>>919 そうなんだ超人って難しいね。
たとえば戦国武将で超人っぽいのって誰だろう?
925 :
考える名無しさん :2011/08/20(土) 21:05:19.01 0
戦国武将はそれなりにみんな超人っぽいのでは? 天皇への権威は形式的で、室町幕府の権威はほとんど無視して利用するだけ、 身分制度も家庭制度も無視して実力主義。親兄弟でも無条件に信頼せず。 いい女なら敵の女でも自分の女にする。強い男なら敵でも夫にする。 中国だろうと朝鮮だろうと南蛮だろうと知ったこっちゃない。利用できるか利用できないかだけ。 仏教でも神道でもキリシタンでも自分に都合よければかまわない感じ。
関ヶ原の戦いで敗戦確定した後、家康の本陣に突撃する事で退路を開いた島津軍とか超人っぽい? あと誰か忘れたけど自分の腹をかっさばいたあと敵将に自分の腸を投げつけて笑っていた人とか
思想って自分がその思想を生きてなきゃニセモノだろ。 小説やアニメの主人公として描くだけなら弱者の現実逃避。
神は死んだけど希望は終わらない勇気は消えない救済は続くよねー!?♪。
何者も己自身の正しさを証明することが出来ないって20世紀初頭に結論されたじゃないですか
初カキコ…ども… 俺みたいな中2で己を哲学する陰気野郎、他に、いますかっていねーか、はは 今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか ま、それが普通ですわな かたや俺は電子の砂漠で哲学者の言葉に触れて、呟くんすわ it'a true world! 我ある、ゆえに我あり! 考えすぎ?それ、誉め言葉ね。 好きな音楽 X JAPAN 尊敬する人間 池田大作(洗脳行為はNO) なんつってる間に4時っすよ(笑) あ〜あ、義務教育の辛いとこね、これ
931 :
考える名無しさん :2011/08/21(日) 05:24:44.17 0
ドンフライ
>>927 そうだよ 所詮偽物だよ
ニーチェ思想もそうなんじゃないかな?
ショボくても自分なりの生き方や答えを見つける方が
まだ人生は充実すると思うよ
>>927 そもそも、他人の思想は他人の答えであって、自分の答えでは無いからな。
戦国武将でも、ひたすら女を求めた者や、ひたむきに毘沙門天のように生きた人もいる。
そのどちらも正しい。弱い人は、「どちらが正しいか」って事だけを考えようとする。それは無駄だ。
934 :
考える名無しさん :2011/08/21(日) 08:39:44.92 O
神は死んだ僕達は超人に為るよねー。
もっと現実界のボブサップみたいなのをドンドン倒さないとダメだよ
ボブサップって韓国で催眠術師やってるんじゃなかったっけ
>>933 それを分からない奴がいるから理屈で証明する必要があったんだよ
昔は「あいつ魔女だ!」とかって殺されたり、作物獲れないと「神が怒ってる」って誰かが生贄になったり
地動説唱えた学者が宗教的にマズいって処刑されたりしてたから
元々そういう理不尽な攻撃から人を守る手段として哲学とか科学とかができて
それが過熱して逆に争いになって
結局一周して分かり合えないと結論づいた
でも何故分かり合えないかが分かって分かり合えないのと、何故分かり合えないのか分からないで分かり合えないのとでは全然違うし
少なくとも原理主義や感情論による理不尽な攻撃を受ける人をなくせたってのは大きいよ
それに人それぞれ正義は違うといっても、人は完全に一人で生きていく事は不可能でどっかしらで必ず他人を自分の思想に巻き込まざるをえない時がやってくる。
皆がバラバラだと集団が機能しなくなるし
そういうのをどこで折り合いつければ一番うまくいくかとか
けっこう悩む意味はある
938 :
考える名無しさん :2011/08/21(日) 11:32:00.57 0
ニーチェの苦悩は平和な時代の強国ドイツの小市民の悩みだからな。 中2でも巨大地震・巨大津波・原子炉水素爆発が身近で起きて、停電・断水が何週間も続いて、 自分の中学校の体育館が避難所や遺体安置所になったらいやでも哲学したくなるよ。 こういうときにハイデッガーとかフッサールみたいな現象学は何の役にも立たないよな。 ヨウ素やセシウムの有無を確認するのに現象学に頼る奴なんていない。頼るのはベクレルやシーベルト。
人生はそもそも理不尽だ。理由も無く生まれ、理由も無く死んでいく。 しかし、災害で体育館が死体安置所になると、人はその理由を考えたくなるんだろうな。 神が原因か、放射能が原因か。そのどちらも、理由としては妥当性がある。 ただ、それだけだ。どちらが正しいか選択する自由はあるが、どちらが正しいか決定する事はできない。
ぼっき
>>939 だからその自由を邪魔する悪い奴がいるから哲学が要るんだって
943 :
考える名無しさん :2011/08/21(日) 19:10:18.84 0
東京都の石原都知事、与謝野馨、シーシェパードのポール・ワトソンは速攻で天罰と断定してたな。
944 :
考える名無しさん :2011/08/21(日) 20:27:25.92 0
>>943 ああいうときに無駄に生きてきた連中の本質が分かる
正に老害
自らの人生に対する不条理な不運の場合は、「天罰」では片付けないはずなのにね。
やはり、誰しも一度は「生の意味」については考えるよね。カミュ曰く自らの人生は生きるに値するか否かとか。 無職や独身なら尚更何も荷物や思い残すことも無いし考える時間があるから、哲学や思考に没頭してしまったり。 これは自分の結論だけど、人生はやっぱり自由を満喫して楽しむことが大切だなと。 法や倫理の範囲で、好きなことをして生きて好きなように死んで行く。ただそれだけで、いい。
自由に生きたいって事でしょ でもあなたの自由って結局なんだかんだ言って選択の自由じゃないですか それって不自由って言いませんか
結果までは選択できないんだけどね。
神は死んだので私達は超人に為るよねー!?♪。
極論するとこの人の理屈はどうでもよかったりする
>>948 いや、そういうことじゃない
意思決定の段階で不自由だということ。
永遠回帰なのだらから、自由も不自由もない。 それはかつてそうだったし、これからもそうである。 しかし、我々はそれを知らないし、忘却している。 だから選ぶのだ。それが永遠に回帰すると知りながら さあ永遠に回帰せよと。 これが運命愛。
自分が出来もしない、自分が成れもしない超人なんかを持ち出して、 お前ら超人みたいじゃないから駄目だ と言ってる奴もルサンチマンにとらわれている。
不自由があるから自由がある。緊張と弛緩、抑圧と開放の繰り返し。 運動やスポーツや筋トレ後の、心地良い身体のあの感じ。
>>952 おまえ・・・永劫回帰は導きだされる結論であって
それを前提・・・もういいや。めんどくせえ。
フィヒテとこいつのせいでどれだけの人間がうつで死んだんだろう
>>951 自分の意志を、自分の好きなように出来ると何時から思っていたんだろうか。
人が意志を従えようとするように、意志は人を操ろうとする。
何かを選択する時、あるいは選択した後、我々は常に試されている。誰に?
>>957 いや、完全に自由な思考はあり得ますよ。
私はそれを信仰以外では達成出来ないと思いますがニーチェは超人の可能性を指摘してますね。
三行目は多分阿頼耶識じゃないですかね。
>>958 思考は自由である、というのが、大きな勘違いである気がする
>>959 勘違いという点については認められないけどご指摘の通りだよ。
思考は不自由だ。ただし信仰に依らない限り。
ビックリだよね。信仰って不自由の極地である筈なのに
その中にしか完全に自由な思考って無いんだよ(笑)
選択できるという事が真の自由ではない。選択した結果が 不確定である事まで含めて初めて真の自由と言えるのである。 でなければ不自由ではないか?
職業選択の自由とは、退職の自由のことである。 この自由が無いことを世界では奴隷と呼ぶ。
ツァラでは「何から自由になるかではなく、何を目指しての自由か」が問題であると言ってるな。
964 :
シャイア・ラブーフ :2011/08/24(水) 03:55:20.71 0
神に押しかける 神とカルチャー 神と最後どうなっちゃうか判らない 神と和解せよ 神と暮らして行って大丈夫 神と子育て 神とご近所付き合い
自由からの逃走
!ninja
967 :
考える名無しさん :2011/08/24(水) 08:48:32.56 0
ドンフライ
968 :
考える名無しさん :2011/08/24(水) 16:19:33.04 0
永劫回帰は輪廻と同じじゃない?仏教も哲学だけど、 六道という輪廻(次)は考えるな、解脱しようっていう思想だよね。 でも解脱とは一定の輪から抜け出すのに過ぎないとすると ルサンチマンは輪から抜け出るドアの鍵かもしれないね。 物理的にも輪のようなものがあったりして・・。
>>968 これは、揚げ足取りみたいになるけど、仏教は、哲学ではないよ。(まあ近いといえば近いけどね)
また、永劫回帰は輪廻と同じじゃないよ、輪廻は、動物にも生まれ変わると言っている。
どこの国かは忘れてしまったけど、仏教国で、日本人が屋台で夕食を食べている時、蠅が飛んできて
それを、現地の人は箸で摘んで逃したそうだ。「なぜ殺さないんですか?」と聞くと「お前の曾爺さんかもしれないだろ」
とのことだ。さすがに、ニーチェは、人間が、蠅に生まれ変わるとは言ってないだろ。
ニーチェは日本に移住したがってたとか そんなに魅力的に見えたのか
>>969 仏教哲学はあるよ?(笑)
ナーガールジュナぐらい読んでるんだろうな?
>>971 仏教哲学はある。しかし、哲学は、仏教哲学のことではない。
これは、西洋哲学と東洋哲学の話で、アキレスと亀みたいに説明するのは、難しいが
結論からいうと、哲学とは、西洋哲学のことであり、仏教哲学ではないんだよ。
すっごいくだらない奴だな 龍樹知らないんだろ? 何を守ってんだよお前
哲学ってそもそも言葉の由来からして 古代ギリシア発祥の西洋の思想なんだよ。 仏教哲学みたいな言い方自体が 後付けのもので、変なんだということにまず 気づいた方がいい。
975 :
考える名無しさん :2011/08/24(水) 17:31:18.54 0
完全に同じものってあり得ないけど、 例えば仏教で「中道」ってあるよね。 それはこの世の相対性・・善と悪、光と闇、男と女、生と死・・・等の 偏りを越えるような感じのことだと思うんだけど、 ニーチェのルサンチマンを認めることは、人生を中道として見てるというのと よく似ている気がするんだ。ちょっとスレチかな。
ヘーゲルがアップを始めました
仏教の戒律を守らなければ、真に仏教を理解しているとは言えない
978 :
考える名無しさん :2011/08/24(水) 18:49:54.37 0
宗教ってただのアイデンティティ(ひとつの相対性)にしか過ぎないと思うんだよね。 「日本人である」・・みたいな。でも日本人である前に人間なんだよね。 それぞれが持つアイデンティティの捉え方によって、物事の捉え方は変わるんじゃないかな。 自分が何者か、自分は何色かは、他の色が無いと分からないから。 あの人はこうだ・・例えば976の様に「ヘーゲルだ」と定義することによって、 自分が何者か分かる。それがこの世の相対性ってことだと思うんだよ。 だから闇は光と同じ位、大切って事になるんじゃないかな。
ストロースがアップを始めました
980 :
考える名無しさん :2011/08/24(水) 20:30:56.78 0
>>978 補足
>>979 が「この人はストロースみたい」ということによって
979自身が、自分が何者かを認識していることになる。ということです。
結局、個々人間の意識や言動を決定するものが理性や科学や論理やよりも「生理」の影響が一番大きいと言うことが分かった。
物事の捉え方は、一定では無い。ただ、我々自身が一定にしたいと願っている。 それが価値への意志であり、無自覚な権力への意志であり、神を願う幼稚さである。
生理的な、あまりに生理的な。
人生の不幸とか苦労とか困難とか災害とか失敗とか悪人を積極的に受け入れて超人に為るよねー!?♪。
規制のとばっちり受けてレス出来なかったんだけど、 戦国武将の中で誰が超人的かって話、 俺は織田信長だと思いますw
歴史上、強者が勝者になることは論理的にあり得ないのは、 弱者が常に圧倒的多数を占めるからである。俗に言う歴史は 勝者の歴史であり、よってそれは弱者の歴史である。 あえて挙げるとすればチェーザレ・ボルジアと言われる。
987 :
考える名無しさん :2011/08/25(木) 13:37:14.26 0
諸国民解放戦争とか、圧倒的強者の一個人ナポレオンに対して過半数の弱者が団結して対抗する形式。
選挙も民主主義の多数決やから仕方ないな。でも少数派の意見をどれだけ尊重していくかが重要やね。
数で完全に優る弱者も、その動機なり価値観なりは、自律的な一個人としてというより「畜群」的なもの。 だからニーチェは「民主主義的ヨーロッパ」を巧く利用する強者、 民衆に彼ら相応の道徳や幸福を与えてやる強者の出現を求めていたわけだ。
次スレどうする
もうあるよ
ホントだ 立てるの早すぎだろ 三ヶ月以上まえじゃん
強者が、大多数の弱者を支配するのだ。 その力を持って、取るに足りない弱者を騙し、支配し、制御する。 弱者を支配する事は、価値が無い。何故なら、弱者には何の価値も無いからだ 弱者は、素材だ。素材には素材としての意味しか無く、人間ですらない。 その素材が自らの毒により強者を殺したとしても、それは勝利では無い。素材に勝利は存在しない。
こんなに話題になって、ニーチェ様もさぞかし喜んでいる だろう。彼は、彼が描いている「超人」にさぞかしなり たかったろう。しかしそれは無理であった、夢想する しかなかった。彼の異性に対する態度も偏屈で、考えも まったく彼には失礼だが、笑わずにはいられなかった。 憐れニーチェ、されど彼の思想は一考する価値は十分にある。
ニーチェは超人だろ
完璧な引きこもりだからな
医者は、病気を知っているが病気は知らない。 患者は、両方を知っている。 デーモンは神の欠損として生まれたのでない。 逆である。医者が非完全であるように。 両端に行き来できるもの、 人間は動物と超人の橋である。
素材の味だけで生きておるのだな
!ninja
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