【パタンジャリ】東洋教学総合スレ0008【葛洪】
1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:2011/01/20(木) 13:15:09 0
3 :
考える名無しさん:2011/01/21(金) 10:02:17 0
4 :
考える名無しさん:2011/01/22(土) 19:20:34 0
>>3も、間違ってこっちにレスしてしまっただけ。
パタンジャリは、ヨガを修練している人々などにとっては知れた存在かと思う。
一方で、「抱朴子」の著者である葛洪も、「丹田」という言葉の提唱者であるというだけでも、
太極拳や空手や合気道といった、極東社会の体術にとっての重要人物であることが明らか。
別に葛洪ばかりが問題とされないのは、極東社会の体育学がすでに膨大な分量に上っているからでもあり、
世界最古の古典文献「易」ですら、実は六十四卦の多くが合気技のベクトル位相に符合させることができたりする。
釈迦が「諸法実相」という真理を提示する以前から、東洋社会では実相に対する研究が極めて盛んであり、
実相に対して真摯であればこそ、当然実相のうちに入る体術への考察などもきわめて深遠なものとなっている。
東洋といえば「スピリチュアル」とされて、精神界への傾倒に秀でていることばかりが取りざたされもするが、
その精神界に司られた現象界の実相までもが、東洋教学においては丹念に研究され抜いているのでもあり、
身体的な行動力の養いを、スポーツほど粗大にではなくして、なおかつスポーツ以上にも重んじていたりする。
5 :
考える名無しさん:2011/01/22(土) 20:18:02 0
自分も多少、東洋体術をかじった程度の身として言わせてもらえば、
日本人が「武術」として、為政者たる武家の必修科目としていた東洋体術ってのは、
今の世の中の産業従事者が要求される体姿勢の逆をいっている場合が多い。
産業労働の多くは、肩に力を入れる必要があるが、
東洋体術はむしろ、肩の力を抜くことを奨励する。
産業労働の多くは、腰が屈曲することを要求されるが、
東洋体術はむしろ、腰がドッカリと直立していることを推奨する。
他にも、相手の目を見るべきでなかったり見るべきだったり(武術は敵対行為となるので禁止する)、
脇を閉めることで隙を見せなかったり、逆に万々歳状態となって隙だらけになったりと、
武家のような為政者が修練の対象とした東洋体術と、産業従事者のあるべき体勢とには、
互いに相反する点が数多くあり、どちらかを取る以上は、もう一方を取ってはいけないところがある。
「高后」としての地位が固まった気分は如何?
とりあえずUを人彘にしとく?
7 :
非入門主義舎・猫:2011/01/23(日) 06:25:25 0
・・ちょっと、入門書齧っただけだけど、孟子って、エマーソンとほとんど
同じだよな?
8 :
非入門主義舎・猫:2011/01/23(日) 06:31:15 0
・・つまり、君はヨーロッパは大嫌いだが、そこから「ティク・オフ」した
アメリカは、大好きなんだね?
9 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 09:22:57 0
お姫さまお姫さま
比喩でも誇張でもない、本物のお姫さま
10 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 09:44:55 0
順黄院 鷲姫
11 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 09:59:44 0
ああ、そういやウチには「鳥を飼っちゃいけない」って家訓があるんだった。
やっぱり「丑姫」で。
12 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 12:29:51 0
正確には、食肉用や闘鶏用、鶏卵用などの「養鶏」はあり。
観賞用として寵愛するなどの、愛玩目的の飼育がなし。
>>7 孟子は、半ば非現実的でもあるのと引き換えに、究極の正義を語っている。
だから、皮相的にであれ実質的にであれ、正義の味方らしく
物事を語ろうとするものは、自然と孟子の論述に近づく。
最も、孟子ほどにも純良であることもめったにはない。
>>8 欧州人これからも働けるし。公務員以外としては。
これから何もかもをやってあげる相手だからこそ、
米英人やユダヤ人のほうがかわいいわな。害吉も多いけど。
13 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 18:44:54 0
今日は、居合道場で巻藁の試し斬りをさせてもらった。
木刀や模造刀はかなり振り込んでいるんだが、真剣でものを斬らせてもらったのはこれが初めて。
剣道の竹刀などと違って、真剣の場合はより柄の中心付近をしっかりと握り込んで、
切っ先から先に対象に斬り込んでいくようにすることで、刃体の斬り込み速度も最高速に達する。
何しろ初めてなもんだから、まだ刃筋も真っ直ぐとはならず、斬り捨てた巻藁の断面がえぐれてたり、
完全に斬り捨てられずに途中で止まったりもしてしまったが、素振りだけはやり込んでいただけあって、
全くのド素人よりはある程度うまくいき、最も困難とされる水平斬りも一度だけ成功した。
ベテランの居合道家に感想をきかれて、「やっぱりちょっと怖いもんですね」と答えたら、
「うん、怖いほうがいいんだよ」と言われた。真剣の切れ味や斬力に恐れ畏まった上で、慎重に剣を扱ってこそ、
真の武士だと。全く武器の危なさもわきまえずに振り回すのは、それこそヤクザかキ○○イの所業ってもんだ。
14 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 18:48:02 0
仏教はその始まりからして金持ちに生活を保護してもらって成り立つ
都市型の宗教だった。だからこそインドで長者が衰退すると仏教も同時に滅んでしまった。
彼らは「食」の問題を解決できなかったからだ。老荘思想と同じく
「では彼らは何を食べて生きているのか?」をまったく無視した結果である。
インドで仏教が滅亡したあとどういうわけかインドシナと支那で仏教が
盛んになるのは「食」を解決できたからだろう。
15 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 18:54:14 0
たとえば、古来からの剣術の流れを汲む居合道や抜刀術に即する場合は、
右上から左下に向けての袈裟斬りを行う場合には、必ず右足を前にして左足を後ろにする。
同じように、左上から右下に向けての袈裟斬りを行う場合には、必ず左足を前にして右足を後ろにする。
そうしないと、勢い余って地面にまで斬り込んだ刀が自分の脚に斬り込んで、自分自身が大怪我を負ってしまうから。
武士は決して、捨て身ばかりであっていいわけではなく、お家を守りつつの為政者として、立派にお勤めも
していかなければならないから、自分自身を不用意に傷つけたりするようなことは、なるべく避けるようにする。
ヤクザなどの場合はそうではなく、自分たちがいなくなったほうがより世の中が安全にすらなるわけだから、
自他にお構いなくただただ凶器を振り回す。上記のような、正統な剣術に即した身のこなしも当然ヤクザ
などはわきまえていないから、右上から左下に向けての袈裟斬りのときに、左足を前に出していたりする。
そのようなところを鑑みれば、刀剣の扱いの違いなどからも、武士とヤクザの違いを見分けることができる。
16 :
非入門主義舎・猫:2011/01/23(日) 19:16:13 0
・・いい、趣味だね。
去年は「必死剣鳥刺し」とか、「花のあと」とか、優秀なチャンバラ映画が
多かったね。
・・ところで、チャンバラの語源は、何か、ご存知かな?
じぶんは、知らないので、知っていたらぜひ教えて欲しい。
17 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 20:01:27 0
ttp://eiga.harikonotora.net/src/1027-5.jpg 左上から右下に袈裟斬りにしようとしているのに、右足が前に出ているヤクザ剣法の例。
そもそも片手だと、腕力不足以前に刃筋が通らなくて対象を斬り落とせないが、百歩譲って、
本当に片手で相手が斬り捨てられたとしても、その刃筋の先には自分の脚があることになる。
殺陣師が付いているにしろいないにしろ、真剣の扱いを全く想定はしていない。
正しい剣の扱い方も知っていた上で、ヤクザ剣法をあえて演じさせたのならともかく、
映画とか時代劇とかのチャンバラが、本物の剣術に通じているなどということもめったにない。
18 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 20:19:51 0
「日本刀の場合、片手でものは斬れない」ってのは、腕力の有無じゃなくて、
片手だと刃筋が通らないから、ものが斬れなかったり、無理に斬っても刀身を傷めたりするということ。
片手のまぐれ当たりで刃筋が通って、対象をうまく斬り落とせることだってあるわけだが、
日本刀の構造上、めったにそんなことはないわけで、片手で斬れるまで何回も
何回も斬り続けた結果、日本刀の側がボロボロになるだけ。
二刀流で有名な宮本武蔵も、木刀での鍛錬を第一としていて、真剣をあまり使ってはいない。
武士にとっての身分証明書代わりである刀を、あまり粗末に扱ってはならないことを、武蔵もわきまえていた。
19 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 20:37:02 0
一挙に俗悪な話になるが、資本主義先進国の「裕福さ」を全地球社会に遍満させるに当たって、
資本主義先進国だけで8割以上をも独占している地球「資源」を、全人類に均等に配分するのはもはや当然のこととして、
じゃあ、先進国の人間が保有している「資本」のほうを、一体どうするかということが問題になる。
ただ、資源の場合と同じように、全人類に平等に配分するだけなら簡単なことだが、
資本主義社会に流通している金銭には、「あぶく銭」も相当に多い。
何らの実体性を持たない単なる名目上の大金で、それによって購入することのできる実物が、地球上のどこにもない。
資本主義社会の著名財閥の全資産などを使おうとしたとて、それで買えるだけのモノなどが、もはやどこにも存在しない。
だから、資本主義社会の保有資産のうちでも、実体性を伴わないあぶく銭に関しては、
その価値を無効化してからの、残りの資本の平等配分にこそ努めなければならない。
たとえば、4億ドルの資産を持つ資本家の権力犯罪者が処分される場合、4億ドルのうちの1億ドルだけが
実体性を伴っており、残りの3億はあこぎな投機で稼いだあぶく銭だったりしたなら、あぶく銭である
3億ドルの価値は全く無効化して、残りの1億ドルを資本の均等配分のための糧として用いるようにする。
20 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 20:57:18 0
現時点で、未だ無敵状態で潤い続けているのが、案の定、米英の通貨である「ドル」と「ポンド」だ。
ドルやポンドこそは世界的な貨幣の基軸だから、金こそは全てである資本主義の保守のためには、
ドルやポンドの価値を落とすことだけは認められず、そもそも価値が落ちることが問題にすらされない。
まさに、ドルとポンドこそは、悪貨と良貨の区別を付けて、
悪貨の価値を無効化した上での良貨の平等配分にも努めるべき代表格だ。
ドルとポンドに次ぐ、資本主義社会の代表的貨幣といえば、もちろん「円」と「ユーロ」だが、
円やユーロは、ドルやポンドと比べればまだ実体性が伴っている分量が大きいために、悪貨を駆逐した上での
良貨の平等配分に関する手間はあまり取らない。ほんの一部の悪徳貨殖などを除いて、大部分は良貨を
均等配分のための募金とするだけで済む。いずれにしろ、現資本主義社会にもまた、「全地球人類を裕福ならしめる」
という目的上の結果として、一定量の資本や資源がこれからもまかなわれることにはかわりない。
21 :
考える名無しさん:2011/01/23(日) 21:13:11 0
ユーロは、欧州人たち自身がその価値を高騰させたものだから、
その責任を取って、欧州人たちは参政権を剥奪されざるを得なくなる。
一方で、日本の通貨である円のほうは、日本人自身がその価値を
高騰させたものではなく、政治権力を米国に完全に乗っ取られた状態で、
奴隷のごとく強制的にこき使われることで、その価値を高騰させたものであるため、
円の価値が不条理に高騰したことの責任を、日本人自身が追及されるいわれはない。
欧州人が、ユーロを高騰させたことの責任をとって参政権を剥奪されるのとは違って、
日本人の場合は、円が非常識に高騰した責任をとるために、参政権を剥奪されたりする必要はない。
ただ、日本人は実体性に即しつつ、ドルすらをも圧倒するような円高を現実化させただけあって、
物質的構築の面においても莫大な積み重ねを尽くしてしまっているので、その物質面においての
均等配分を受け入れないことには、自治権の復興ともなる参政権の保守を要求することも、おこがましい。
資源と資本とを、平等に配分することを受け入れることで、日本人の場合は自治権を取り戻すことができる。
欧州が自治権を奪われるのとは逆に、日本こそは、自治権が取り戻される。
少なくとも自治権を取り戻すだけの大義名分を得る。小難しい話だが、筋は通っている。
ググれば分かる程度のことを、俺に聞くな。
「おかえりなさいませ、旦那さま。お夕食になさいますか、お風呂になさいますか」
への返答は、ググってもでてこない。
「それともア・タ・シ?」
はふしだらなのでいただけないが。
24 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 10:32:35 0
「子まれに利をいうに、命とともに、仁とともにす(子罕第九・一)」
「利によりて行えば、怨み多し(里仁第四・一二)」
「知者は仁を利す(里仁第四・一)」
「小利を見ることなかれ(子路第十三・一七)」
「まれにしか語らなかった」というとおり、
実際に数少ない孔子の利にまつわる発言を「論語」から抜書きしてみた。
「孟子」冒頭の梁恵王章句からして、王君の利に関する質問を
自前の仁義論で頭ごなしに突っぱねる孟子などと比べて、
孔子にはまだ清濁を併せ呑む度量があったことがうかがえるが、
それにしても、貨殖劣後志向の儒家なだけあって、やはりその論述はそっけない。
特に注目すべきなのは、「知者は仁を利す」という言葉。
「仁」といえば、とかく熱情的なものだと捉えられがちだが、全知全能の
あらん限りを尽くした真の知者こそは、利を仁のために用いるという。
小利ばかりを貪って大局の利益を蔑ろにすることが
結局は不利なことだと、知者こそが冷徹に判断する。
25 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 10:54:07 0
感情的には、むしろ断腸の思いでありながらも、
知者は知者であるが故に、仁を利せざるを得なくなることすらあるのではないか。
資本を資源よりも優先すること、功利自体を仁義よりも優先することが
結局は不利となるというのも、一つの知識に過ぎないのであって、
未だ仁義の理念的価値を理解できないうちからも、
「不利」というこの一点の実情の察知から、
仁弱な知者すらもが仁に利せざるを得なくなる。
そのとき、知者は確かに断腸の思いにすらかられるわけだが、
知者であると共に仁強さすらをも養うことで、
初めてその悲痛さすらをも乗り越えられるのだろう。
26 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 10:56:52 0
前スレであなたが言った「欧米の歴史は偽であり真実を語っていない」のは
その通りだろう。いわく「古代バルカン半島に超人が生まれて、そのまま
アーリア人(つまり現在の白人)になって全世界を征服し文明化した」なんて
完全なウソであり、古代ローマの瓦礫の上に東方の技術・科学を
積み上げてできたのが今の欧米文明である。しかしこのインチキな
「アーリア白人思想」は日本の「天孫降臨思想」と同じではないだろうか?
どちらも嘘とまがい物でできた自己正当化の虚言であり、司馬遷や
その他の歴史形が綴る歴史とは一線を画すもので、本当の仁義王道には
有害なものではないだろうか?白人のウソを暴くのなら、自らの
ウソもまた暴かねばならない。そうでないなら結局白人と同じであろう。
27 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 11:44:06 0
日本を道連れに巻き込みたいという思いはひしひしと伝わってくるが、
当然、戦後の日本が独立的な自治権をほぼ完全に剥奪されつつ
資本主義先進国の重権力犯罪の片棒をも担がされてきた
ことまでもが、同時に清算されるわけでね。
欧州のように、なまじ重権力犯罪の共謀下において
独立性を保っていたことのほうが、かえって裏目に出る。
天孫降臨思想が、仏教や儒学を切り捨ててまでの
神道一尊主義のために利用されたのも、元はといえば、
キリスト教のドグマ志向を神道に取り入れた平田篤胤神学
あたりに始まるわけで、純粋な東洋教学の産物ではないからな。
28 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 13:01:52 0
「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す」
(「論語」里仁第四・二)
俺はむしろ、どちらかといえば仁に安んじている仁者の側のほうだから、
あらん限りの知謀を尽くしても、仁を利す以外に選択肢の見出せなくなった
「仁弱な知者」の悲痛などを、身を以て感じ取ることなどもできないわけだが。
ただ、我が子を奪われる悲痛のあまり、腸を断ち切って憤死したという
母猿ほどもの悲憤に打ちひしがれているということだけは、分かる。
(「世説新語」中の故事)
「不仁者は以て久しく約に処るべからず、以て長く楽しきに処るべからず」
(「論語」里仁第四・二)
不仁者の分際で、ずっと楽しみ続けていられるなどということもない一方で、
清貧の価値もわきまえられない不仁者を極端な困窮に追いやることも、暴発の
原因になると仁者のほうがわきまえて、無理な倹約に追いやったりもすべきでない。
29 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 13:29:57 0
決して、高等民族や文化的先駆者だから
優遇してあげなければならないなんてことじゃない。
お金を奪われることに、我が子を奪われて腸が断裂する母猿ほどもの悲憤を抱く輩だから、
小利などにさほどの価値も見出さぬ仁者が、さも「己れの欲せざらざるところを人に施す」
ようにして、不仁者に対してまで、無理な困窮を伴う仕置きを科すのは危険だということだ。
まったく、絵にもならないヘタレさ加減だが。
30 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 13:35:41 0
日本人の大半は、莫大な国内資本や資源の放棄と引き換えに、
日本が自治権を取り戻せるってんなら、それに賛同するだろうけどな。
かくいう、俺自身だってそうだし。
米英とつるんで暴利を貪っていた、ライオンズやロータリーの組員あたりが
囲い込んでいる莫大な利権を、さすがに中国に放出するのはしゃくなんで、
インドあたりにでも全放出して、仏教再興の資金源にでも役立ててもらう。
そうすることで、日本もまた自治権を取り戻せるわけだから、
まさに一石二鳥というもの。醜悪な現代インフラで塗り固められた日本の情景が、
かつての美しさをも取り戻せるわけだから、一石三鳥ですらある。
31 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 14:04:53 0
実際、これ以上中国に利権を放出してやる必要はないわけだ。
一人頭の資源占有率で、中国やアラブは今でも世界平均とほぼ同等の状態にある。
世界平均をも大きく下回る、資源占有率の底辺付近を這いずり回っているのは、
とにもかくにもインドとアフリカであり、欧米や現日本がアフリカやインドとの
資源配分均等化を講ずることで、世界中の資源配分がほぼ自動的に均等化する。
中国やアラブのほうは、自国内においての貧富の格差こそが未だ甚だしいために、
欧米や日本とインドやアフリカが資源を差し引きするのとはまた別に、
自分たち自身にこそ内在する格差問題を是正していかなければならず、
そうしないことには、欧米や日本へと服罪を要求する大義名分も立たない。
32 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 17:25:49 0
ただ己に近いか近くないかで尊卑が決まり、
民草を損ねても何一つ責を負わずにおる者らは仁なのか?
>>27 ・・そうですかね?
天孫降臨思想は、そもそも、藤原不比等が描いた絵だ。。という説も
あるようですよ。かならずしも、平田神学から始まった。。などと、
断定はできないと思いますけど?
・・「純粋な東洋教学」と言っているが、それはあなた自身の頭に
宿っている観念なわけですよね。
すなわち、
あなたは、われこそは、「純粋な東洋教学」教の始祖になりたい。。と
がんばっておられるわけだ?
35 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 19:29:49 0
>>33 天孫降臨思想を、平田篤胤が考案しただなんて一言も言ってねえよ。
天孫降臨自体は、記紀神話における、大国主による天津神への
国譲りにまつわる天降り神話などの形で、大昔から具現化されているもの。
ただ、そこに造化三神による万物の創造とかの、
キリスト教の三位一体思想にも触発された観念を付加したのが平田篤胤で、
元来は「日本」という、特定の国に関する創世神話でこそある日本神話を、
全世界の創世などと結びつけて、やたらと尊大なドグマに持ち上げたわけだ。
36 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 19:42:04 0
まあ、武道などの方面から、半ば客分的な立場として神事に携わっている
人などに言わせれば、日本神道は「日本の土着宗教や、道教や儒教、
密教などを統合した総合宗教だ」ということだ。
あまりにも莫大な教理を統合してしまっているから、全てを一度に取り入れる人間なんてのも
基本的にはおらず、神道の首長たる天皇ですらもが、在家のうちには天道に甘んじる一方、
出家して法皇になった場合にのみ仏道に入るなどの、分別を伝統的に利かせている。
修験道や本地垂迹に代表される神仏習合、林羅山の理当心地神道に代表される神儒合一など、
まるでパッチワークのように個々の教理をつなぎ合わせて独自の神道を打ち立てたりと、非常に
有機的な造形に豊かなのが本来の神道であり、平田篤胤による神道とキリスト教の習合ですら、
一種の神道であったことには変わりない。しかし、他信教を徹底的に廃絶して自分たちのみを
絶対のものとする、聖書信仰にこそ特有のドグマが入り込んでしまったために、平田神学を
根本とした国家神道によって、色々な教理の組み合わせが認められる本来の神道の有機性は
廃絶されて、ただ天皇を頂点とする大日本帝国の存在性の絶対化のみが究極のものとされる、
きわめて無機質な、教学としての魅力にも乏しいカルトばかりが幅を利かせ始めたのだった。
37 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 20:06:32 0
結局、
>「あれもアリだがこれもアリ」という最低限の分別すらも
>具えられていないものこそは、「それだけはナシ」となる。
という、この結論に尽きている。
「自分たちこそは唯一絶対ものであり、他は自分たちの利益のために
騙して盗んで傷めつけて殺して滅ぼそうが構いやしない」というほどもの
致命的なドグマを擁しているものだけは、他との和合が自明に成り立ち得ない。
そこまでものドグマを擁しているのは、非宗教ならヤクザやマフィアやテロリスト、
その他各種の犯罪者であり、当然世の中の側からも徹底的な排除の対象とされる。
そして、宗教の場合には「カルト宗教」であり、創価やオウムなどが近ごろの
カルト宗教としては有名だが、他でもないユダヤ=キリスト両聖書教こそは、
上記のような意味を満たす「カルト宗教」の代表中の代表格でこそある。
聖書教こそは、自分たちの利益のために他者を騙して盗んで傷めつけて
殺して滅ぼすことすらをも正当化する最凶のカルト宗教だから、自分たち自身の
教理による自業自得によってこそ、他信教などとの和合が決して成り立ち得ない。
俺のほうが、聖書教との和合を認めていないんじゃなくて、
聖書教のほうこそが、教理上から、他者との和合を認めていないんじゃないか。
ええと、一見、一神教批判にみえるが、イスラムだけは別だと言うのか?
それでは、なんだか、首尾一貫しないような気がするが?
しかも、キリスト教といっても、決して一枚板ではなく、
プロテスタント神学や、否定神学や、
キルケゴールや、ヤスパース、マルセル、等の実存哲学の流れ、
あるいは、ユダヤ教といっても、ユダヤ神秘主義など、それこそ
多種多様なわけだが、
その違いをいっさい無視する・・というのは、いかがなものか?
39 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 20:20:40 0
浄土信者だって、自分たちが自力作善も適わない煩悩愚縛の凡夫だから、
仕方なく他を排して念仏に専念するのであって、自分たちこそは
絶対だなんていうドグマを擁しているわけでは決してない。
イスラムも、アラーを絶対神として他の神への帰依を決して認めないが、
それもやはり、自分たち自身にのみ科す選択であり、その選択を行わない
キリスト教徒やユダヤ教徒、ヒンズー教徒や仏教徒などは伝統的に
イスラムの埒外のものとして扱ってきている(一部原理主義などを除き)。
ただ、自分たち自身の帰依する信仰を唯一絶対のものとするだけでなく、
その絶対化に準じて他信教などを徹底的な差別や迫害の対象とし、
「あれもアリだがこれもアリ」という、最低限の教学の多様性を認める
ことから全廃してしまっているのがユダヤ=キリスト両聖書教であるために、
イスラムですらもがある程度は東洋教学として扱える所があるにも関わらず、
聖書教やその派生系である洋学だけは、有機的で雑多な、価値観の多様性の
和合こそを根本的な理念ともする、東洋教学全体の範囲外とせざるを得ない。
40 :
考える名無しさん:2011/01/24(月) 20:34:04 0
いくら派閥が分裂しようとも、ユダヤ=キリスト両聖書教の
根本聖典は、間違いなく「聖書」だから。
聖書に書いてあることがありのままに、
「聖書信仰に帰依したものは、聖書信仰に帰依しないものを、
騙して盗んで傷めつけて殺して滅ぼしても構わない」
というものだから。
聖書教だけは確実に、一定の教理的隔絶を保ちながらですらも、
他信教などとの和合が絶対に不可能な、純度100%のカルトだから。
いくら東洋教学の側が(平田神学のように)聖書教との和合を
試みたところで、和合をしようとするその場から和合を破壊していくのが
聖書教だから。どうして東洋教学を重んずる側の立場の人間に、
東洋教学と聖書教の和合までもが要求されなけりゃならないんだ?
他者との和合を根本的に禁止しているのも、
聖書教のほう こそ のみ であるのに。
あなたは、あなたの目的を達成するという野心のゆえに、
都合の悪い事実には、いっさい、目をつぶる。。。
野心家のあなたは、中道から、もっとも遠い。
その程度の、煩悩愚縛の凡夫ですから。
自覚はあるんですね。
つまり、あなたは急ぎすぎる。。という愚を犯している。
あなたの大嫌いな西洋思想ですら、「時熟」(ハイデガー後期)という
考えかたに、到達している。。。というのに。
時が熟しているとまでは、
まだいえないことも知っているから、何もしていない。
ただ、悪人ってのは概ね、時宜を逸する生き物。
時宜を逸したから、悪名をも轟かせざるを得なくなっているのでもある。
悪人が贖罪もせずに挽回の時機を待ったところで、
どこまでもその時機は遠ざかるのみだ。
俺が「機がまだ熟していない」と思うのは、
悪人たちにそのことを気づかせるだけの、
自分の側の努力がまだ、足りていないと思うからだ。
悪人に、機が熟すことを待つ資格などない。
悪人? 悪人とは、誰か?
いまこの瞬間にでも往生できれば、それですらいいのが悪人。
だからこそ親鸞聖人も、不体失往生と共に悪人正機を提示した。
いま正にこの時機以外に、悪人が往生する機会があろうや?
今も昔もこれからも、悪人が往生する時機は
いま正にこの時でこそある。
往生とは?
50 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 11:13:03 0
「欲すれども貪らず」
(「論語」堯曰第二十・四より)
孔子が「君子が尊ぶべき五美」のうちの一つとして挙げたもの。
「要るか要らないか」という程度の選択肢が提示された限りにおいて、
「要る」という選択的欲求を働かせる程度のことは、君子にだってある。
しかし、「もっといる」や、「もっともっと」という風に、
どこまでも果てしなく貪欲を働かせるようなことだけはしない。
小人の場合はそうではなく、欲する以上はほぼ必ず貪る。
訴訟で相手が「I'm sorry」といえば、どこまでも謝罪金をぼったくるように、
「欲する」ということと「貪る」ということがほぼ同義のものとして扱われ、
「いる」という欲求と、「もっといる」「もっともっと」という
貪欲との間にもまったく区別が付けられていない。
51 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 11:14:36 0
半ば、「欲する以上は必ず貪らなければならない」とすら考えているのが小人であり、
実際、誰しもが果てしのない貪欲を働かせ続けている総員小人化社会においては、
自らもできるかぎり利権を貪っておくことによって、「利権の椅子取りゲーム」の
敗北者となって餓え死んだりしないようにすることが、死活問題ともなる。
ところで、犯罪行為の責任を負うということ、罪を償うということは、
とうてい貪れるようなものではなく、いやいやだけれども仕方なく欲するしかないようなもの。
間違って人を轢いてしまった過失犯なども、決して贖罪を貪ったりするのではなく、
己れが犯してしまった過ちを償うために、泣く泣く交通刑務所での服役などを受け入れる。
過失犯ですら泣く泣く罪を償うというのに、故意犯であればなおさらのことで、
故意の重大犯罪者が、贖罪を貪れるようになる機会など、いつまで経っても永遠に来やしない。
「欲する以上は必ず貪る」という小人の性向に即して、犯罪者が贖罪を欲するように
なれる機が熟すことなどは、今も昔もこれからも、一度たりともあることはない。
52 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 12:04:02 0
「利権の椅子取りゲーム」に用いられる椅子は、
本当は利権を細切れにすることで、十分な座席数をも確保できるわけだが、
小人たちがやたらと自己利権ばかりを貪るあまり、
一席あたりに割り当てられる利権の分量も無闇に肥大化して、
限りある利権をやたらと大きなぶつ切りにした結果、
座席の総数のほうが切り詰められてしまい、
誰しもが利権の椅子に与ることもできなくなってしまう。
まさに、小人たちの私利私欲の貪りこそは、元来は誰しもに割り当てられもする利権を、
誰しもには行き渡らせられなくする原因ともなっているため、そのような状態を自分たちで
作っておきながら、自己生存のために「欲する以上は必ず貪らなければならない」などと
小人たちが妙な義務感を抱くことも、本当は自業自得の悪循環にしかなっていない。
53 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 12:33:20 0
キリスト教徒が戦争に宗教的正当性を拵えたのはどう考えてもムハンマドの
影響だろう。
54 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 12:37:04 0
三位一体説や信じるものは救われ、そうでないものは地獄に堕ちる、といった
彼らの思想は完全にインドの宗教からの模倣だし、
戦争に勝った宗教は正しい、とするのはイスラムからの影響だ。
そして「権力循環と王権の正当性」は儒教からの借り物だ。
しかしそれでは白人の優越性という、虚偽に満ちた権威を示せない。
だから
「それらすべての起源である古代ギリシャ文明が白人の文明的祖先」と
主張し、そこから発生する歴史を自分のものにした。これが
欧米の偽歴史というものだ。
55 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 13:42:36 0
悪いところは人からの借り物、善いところは自分たち自身のウリジナル。
己れを責めずして人を責める、小人ばかりに特有の性分だ。
キリスト教徒と化した韓国人などを除いて、大部分の東洋人はそうではないから、
人を責めずして己れを責める、君子のあり方を守り続けてはいるが、
それだけでは小人たちの放辟邪侈を助長する原因にもなりかねないから、
いま、おもむろに俺が、西洋社会と今の東洋社会、他者と自己とを
同時に責め立てる般若思想的論及によって、本当に正しいものと
本当は間違っているものとの普遍的な相違を如実化してやっているわけだ。
56 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 14:52:55 0
「好き」という感情も、小人が欲するものを
貪ることを正当化するための手段としてよく用いられる。
好きなんだから、貪ったって当然じゃないかと。
君子は、欲するものを貪りはしないように、好むものを貪ったりもしない。
好きであっても貪らないその姿が、小人からは「好きじゃない」ようにすら見えて、
挙句には「嫌っている」とすら思い込むわけだが、君子はそれもちゃんと好いている。
好いた上で、ただ貪っていないだけ。貪り全般を否定した上で好き好み、欲している。
まずムサボリありきの、獣欲にまみれた小人のほうを教導してやるためにも、
好き好み、欲しこそすれど、貪りまではしない、人間としての節度を身を以て体現する。
57 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 15:24:14 0
小人のようにただ貪り続けて止まないこと、
出家者のように貪りはおろか、欲求全般を捨て去ってしまうこと、
それらのうちのいずれでもない第三の選択肢、
君子のように、欲すれどもムサボリまではしないこと。
わざわざ貪りと無欲の両極端を通過してからでなくとも、
手っ取り早く中道並みの中正でいられるショートカット。
これもまた「中庸」の一種であり、両極端を通過した上で
初めて中正に落ち着く中道などと比べて反則的であるために、
あまり高等なものともされないが、そのぶん汎用性も高い。
58 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 19:17:23 0
欧米人は「子孫たちに祀られずに死に飢えた状態であの世をさまよう
餓鬼」なのかもしれませんね。
・・例によって、全部は読んでいないが、あまりにおかしな事を言っている
のでね。
贖罪・贖罪って、あなた、いつの間にキリスト派に転化したの?
・・だいたい、他人はすべて「小人」で、
じぶんは間違いなく、その正反対の存在(仁者?)である・・
とか、よく恥ずかしげもなく、公言できるものだね?
やっぱり、君は新たにノーベル賞を新設に値するうぬぼれ屋さんだよ。
知らないようだから、教えてあげると、法治国家では、犯罪者を
法に則って裁く・・というルールがあるのでね。
カトリックでは、犯罪者に贖罪を求めるかも知れないが、
キリスト教をボロクソに言っていた君が、いったい、いつ改宗したのか、
すくなくとも私は、まったく気がつかなかったね。。
「私はあなたの言うことを聞いていません。
あなたの言うことを理解してもいませんが、
言いたいことだけは言わせてもらいます」
案の定、こちらの言い分を理解した上でなら、到底そんな結論には至らないような、
恥ずかしい誤解や曲解ばかりに即した、わいせつ意見の陳列となっている。
人との話し合いの作法もわきまえていないうちから、
入門も非入門もへったくれもないよね。
紫式部のような「絶世の才女」も歴史上には本当に
いたわけだから、必ずしもそうあるべきだとも思わないが、
厳格で冷徹な男の言行に、対等には付き合いきれないというのなら、
それこそ「子を産むお人形さん」でいるべきだと思うな。女なら。
全ての人間は女から産まれるわけで、どんな名品を作り出す男とて、
子を産む女に比べれば、副産物を生み出す存在でしかない。
そこんところをちゃんとわきまえられたなら、自分が女であることに
引け目を抱いたりする必要がないことも分かるはずなんだが、
精神性を逸脱した物質主義社会の肥大化は、人間の命を根本から司る
「第1の性」としての尊厳を、女性から奪い去ってしまってもいるのか。
62 :
考える名無しさん:2011/01/25(火) 21:01:36 0
アメーバのような無性の原生生物は、自己増殖する。
自己増殖するのは、有性生物の場合にはメスであり、人間の場合なら女だ。
「自己増殖」という生物の根本原理を司っているのは女ないしメスだから、
生物としての根本性に即しているのは、男やオスよりも女やメスだといえる。
じゃあ、なぜ社会的には、東西にかかわらず男尊女卑が基本とされてきたのかといえば、
生物としての人間とはまた別に、文化的、文明的な社会を主体的に築き上げてきたのが、
女ではなく男だからだ。「より根本的な生物」であるが故に、自己増殖という生物の根本機能に
煩わされて、女性が社会的な主導者となることは妨げられてきたし、本当に実質から
女性が人間社会を司ることができたことも、本当のところ、一度たりともありゃしない。
人間社会と、この大宇宙、自然界とは「一律」な関係にはなく、自然生物としてより根本的な
存在である女性が社会的には副次的な存在となる一方、自然生物としては副次的な
存在に過ぎない男性のほうが、社会的には、より主体的な存在となる。
自然と社会とが相反する様相を呈することが、「易経」の序卦伝などにおいては示唆されているが、
旧約の創世記あたりだと、神が自然生物を作り上げた後に人間を別個に作り上げたとし、しかも
男のアダムのほうが先に作られて、女のイブのほうがアダムのあばら骨でついでに作られた
とすらしている。自然と社会の相反性、生物上における女の男に対する先行などを、稚拙な寓意
によって捻じ曲げて、挙句にはひっくり返してしまっており、男尊女卑が社会を超えた宇宙の
根本原理であり、男は女に原初から先行する存在であるかのような思い込みを助長させた。
男尊女卑が人間社会にとってこそ特有のものであり、自然生物的には女が男にも先行している
実相からのわきまえが、「易」に始まる東洋教学では原初からわきまえられていた一方で、
「創世記」あたりが実質上の原初である西洋教学においては、長いこと分別がわきまえられることがなく、
近ごろになって初めて実際のところを察して、勘違い通しだったことの恥ずかしさに喘いでいる。
>>62 ふん。
自分にとって具合の悪い質問はすべて、パスするという訳ね?
しかもいまごろになって、真の主人が太古の昔から、現代に至る
まで、女性であったことを、
ようやく認める発言をしているようだけど・・・
あなたって前からそういう思想のひとだったっけ?
>>60 ・・と言うか、まず、傾聴に値する文章を書くことができない自分自身
のふがいなさを、自責するのが、先よね? ・・うぬぼれ屋さん。
あなたの文章が、苦労なくして読める文章だと、・・まさか、思って
いないでしょうね?
悪文の長文を、読ませられるこちらの立場にも立ってほしいよ。
・・まったく。
どれだけ、名文家のつもりなの?
65 :
考える名無しさん:2011/01/26(水) 09:42:06 0
>>63 都合が悪いもなにも、こちらの発言の内容への
意見にはちっともなっちゃいませんからなあ。
ただ、「私の心の中のあなた」への意見になってるだけで。
日本神道の最高神アマテラスからして、妻や母たる女、
主婦の沽券を守る役割をも担われている神様ですから。
女神でありながら太陽神でもあるという、
エジプト神話のラーやギリシャ神話のアポロンとは
食い違う位相の持ち主でもあられるが、
「神とは、森羅万象を司る普遍性への合理的解釈である」
と捉えた場合に、太陽神が女神でもあることの
順当さにも納得することができる。
66 :
考える名無しさん:2011/01/26(水) 09:52:06 0
>>64 ここは「哲学板」ですぜ? おじょおさん。
文学板でも創作文芸板でもなく。
完成された史書を編纂する立場から、司馬遷が
「文体が典雅でなく利に適っていない」と批判した
諸子百家の思想哲学などについて語ったり、
名文家かつ能書家で知られる弘法大師も、
数々の名詩文などを残されている一方で、
素人にはとうてい理解も追いつかないような、
真言密教の体系を述べた論書なども著されて
おられるが、特にその内の論書のほうについて語ったり、
するのにこそ適切な場所。
文体の美しさなんて、論理体系の精密さのために
あえてかなぐり捨てて上等ってなもん。
詩文芸の美しさこそを期待するってんなら、
それこそ自分自身でそれを試みるべきだね。紫式部のように。
67 :
考える名無しさん:2011/01/26(水) 10:23:07 0
アマテラスはあくまで、良妻賢母たる主婦の神格化であって、
処女や淫女を含む女性全般の神格化なわけじゃない。
淫乱きわまって黄泉の国に逝ってしまい、夫のイザナギとも
別れてバツイチとなった、イザナミみたいな女神もいる。
今のままだと、アマテラスにはなれずに、
イザナミになってしまいそうだねえ。
妻のお腹が膨らむのと引き換えに、
妻子をも養うためのお勤めを果たす夫の腹は引っ込む。
これこそは、人間社会に真当なる摂理というもの。
もっとも、数億人の生き血を吸いながらなどだと、
それでも夫の腹までもが膨らんだままでいかねないが。
(現代日本のオヤジの醜悪さも、結局はそこに集約されている)
親族に問い合わせたら、家訓で飼育が禁じられているのは「観賞用の小鳥」だけだって。
趣味程度の養鶏もかまわないし、狩猟用の鷹飼いなんかも別に禁じられてはいない。
幼少期の家康公も、鷹狩りは好みながらも、籠飼いの小鳥などは、
今川の人質となっていた自らにも見紛うために、嫌っていたというし。
「順黄院 鷲姫」でも構いやしないよ。「丑姫」だと、「あの、どこが牛プッ」と、
危なく家臣たちから一生白い目で見られるところだったね。よかったよかった。
欲すれども、貪らぬ上でもちょうどよいものだ。何がとは言わないが。
男の不真面目と女の真面目は偽物。
男の真面目と女の不真面目は本物。
71 :
非入門主義者・猫:2011/01/26(水) 23:46:34 0
良妻賢母が、あなたの理想の女性像ってわけ?
お古いかたねぇ。生ける化石じゃないの?
・・ざんねんながら、良妻賢母なんて、まっぴらごめんね。
良妻賢母の神アマテラスを最高神とする日本神話は、
処女神アテネや淫女神アフロディーテ、悪妻神ヘラなどを擁する
ギリシャ神話よりも、文献上の成立は遥かに新しい。
もっとも、日本神道における注連縄信仰の痕跡は、
10000年前の縄文土器にすら散見されるが。
73 :
非入門主義者・猫:2011/01/26(水) 23:54:24 0
ははは・・・。
あなた、時代おくれもいいとこね。明治は遠くなりにけり・・なのよ?
いつまで、夢のせかいのなかに閉じこもっているつもり?
ある意味、恵まれた環境よねぇ。。。
あなたなんか、世間知らずの特権階級にすぎないのよ?
74 :
非入門主義者・猫:2011/01/26(水) 23:55:59 0
あたしは、ディアーナよ?
捕まえられるものなら、捕まえてごらんなさい。。。
75 :
考える名無しさん:2011/01/27(木) 00:08:12 0
つか、ギリシャ神話に良妻賢母の神、一柱もいねえww
まじギリシャ神話いらねえwwぜんぶwww
76 :
非入門主義者・猫:2011/01/27(木) 01:26:41 0
アマテラスが、良妻賢母って、誰が?
その前に、ギリシャ・ローマ神話に、良妻賢母を具現化した神が皆無であることについてw
森羅万象への解釈の網羅については定評のあるギリシャ神話に、
本来女性のあるべき姿である、良妻賢母に対する解釈が全く抜かっているw
女が良妻賢母であること・・・1+1=2
女が永久処女や淫乱女や悪妻や愚母であること・・・1+1=3とか4とか1とか0とか
ってなもんw
地母神デメーテルも、娘のペルセポネを黄泉の国に追いやってしまった当たりが愚母だしw
女神ではないが、ギリシャ神話の中では比較的貞順な夫人のうちに入るペネロペも、
夫の留守中の家をごろつきで群がらせたり、そのせいで後々に夫を大量虐殺犯に仕立て上げてしまう愚妻だしw
どこもかしこも破綻のし通しなだけに、
ことに家内安全の要ともなる良妻賢母だけは描けないw
抜かってるぞ、ギリシャ神話!
ギリシャ神話はとんでもないものを取りこぼしていきました。
人としての品性です。
人並みの品性すら保てない神なんて、餓鬼畜生か、せいぜい妖怪がいいとこ。
「人以上の存在」としての「天部」に据えるには値しない。
ギリシャには、良妻賢母は一人もいないってか?
んなこたあないだろ?
ただ、ギリシャ神話の作者のほうが、人間の恥部にしか興味のない下衆だっただけだろう?
ゴシップ誌の記事なんかにも、良妻賢母が家内をよく安からしめていることなんて載らないからなあ。
家内安全を心から楽しめるのは、出歯亀やパパラッチじゃなくて、家族たち自身だから。
ほとんど寝ながら書いている。
83 :
考える名無しさん:2011/01/28(金) 11:13:21 0
実物上の女のほうが、淫女やら悪妻やらであったりするのはまだ仕方がない。
しかし、理念的象徴として掲げられた女神までもが、永久処女だったり
淫女だったり悪妻だったり愚母だったりする必要は、明らかにない。
それこそ、そのようなゴシップ神話の作者自身が下劣すぎるってもん。
理念上に掲げられて、尊崇の対象とされる女神ぐらいは、
良妻賢母であった上で、実物の女はなかなかそこまでは至れないものの、
目指すべきものとしての良妻賢母だけはしかと見据えておくってほうが、
「神話」という手段からの善用にすらなっていくわけだ。
悪魔かなんかに取り憑かれていて、仕方なくサゲマンでいるってんなら、
まだ仕方がない。でも、自分からあえてサゲマンで
いようとしてるんじゃ、どうしようもない。
最善を尽くしたところで、どうしても悪女であらざるを得ないってんなら
それも仕方ない。しかし、そもそも悪女になろうと自分から
望んでいるんじゃ、どうしようもない。
理念と実践が乖離することを見越した上で、
理念ぐらいは理想的なものであって、そこに実践を近似させようと
するほうが、理念という道具の扱い方として適正でもある。
そもそも理念自体からして劣悪なものであり、
実際上の物事の劣悪化ばかりに加担するようでは、
理念という道具の扱い方が下手くそであるということでもあり、
理想からして劣悪であることを強制する、精神の不具の原因ともなる。
85 :
考える名無しさん:2011/01/28(金) 18:58:23 0
破滅の道連れにするぐらいなら、栄光の道連れになれ。
ものすごい激情に苛まれていることだけは察知できる。
それを「怒り」とか「憎しみ」とかいった言葉で表現するのは簡単だが、
その激情が自業自得のものである以上は、他者への当てこすりに
持ち込めば、あたかも海水で喉の渇きを潤すかのようなザマとなり、
自責の念に持ち込むことで初めて、本当に渇きが潤されることもある
という実際上の事実だけを、一応提示しておく。
その怒りなり憎しみなりが、いかにして獄中での猛省へと昇華されるかが、
栄光への伴侶として相応しいカラダに生まれ変われるかの鍵ともなる。
87 :
考える名無しさん:2011/01/28(金) 23:53:24 0
犯罪者の身で、カタギに甘えることなんて許されない。
そもそも自分が人に甘える資格の持ち主ではないことを知る。
誰にも甘えられないなんて女には耐えられないから、
たとえ犯罪者の配偶者であることすらあろうとも、
女自身が犯罪の実行者となることは極めて少ない。
逆に、男のほうは、親を含めて誰にも甘えられなくなる
犯罪者という身分を、ヤケクソの男伊達のためにも好む。
(もちろん卑小な男である場合に限る)
甘えたり、甘えられたりできるのも、カタギにこその特権。
もちろん甘えすぎも禁物だが、誰も彼もが犯罪者であるが故に、
誰も彼もが甘えを禁ずる、西洋流の「大人の論理」などは、
そもそも犯罪者ではないカタギであるところから第一とする、
東洋流の「大人の論理」と比べれば、稚拙故に児戯にも等しい。
たとえそれによっていかなる苦労を伴おうとも、所詮は
自業自得による不可避なる甘えの禁止でしかないが故、
福利厚生のために適宜に甘えを排する、真の大人にとってこそ
必要な冷厳さのわきまえと比べて、常時冷たいくせに、生ぬるい。
88 :
考える名無しさん:2011/01/29(土) 00:35:38 0
罪を無制限に許すことも、それはそれで簡単なことだが、仮に許したところで、
その相手が人に甘えるに値しない凶族であり続けることには変わりないからな。
「鬼平」に出てくる火付盗賊なども、愛人同士として乳繰り合っている仲ですら
「フフン」というような、いつでも相手を殺せる構えを決して崩してはいない。
一方で、鬼平の嫡男の辰蔵ときたら、もう20代も後半で、そんじょそこらの
ワルぐらいならまんまと切り伏せられるぐらいの武技も嗜んでいるというのに、
未だ父母に甘えて小遣いをせびり、父の平蔵にも女を買う金すらいただく始末。
この差の原因は一体どこにあるのかといえば、やっぱり本人たち自身の有罪無罪
という相違に尽きている。罪のある者は常日ごろから凝り固まっていなければ
ならない一方で、罪のない者は柔軟かつ和気藹々とし続けられる一方で、
ここぞという時にだけは未曾有の強大さを発揮する、力みの緩急にも長けている。
89 :
非入門主義者・猫:2011/01/29(土) 05:48:37 0
良妻賢母もけっこうだが、要するに「田舎」の価値観だしね。
われわれは、もう、「都市」という禁断の果実を味わってしまい、
エデンから追放された身なのだからね。。。
エデンの園に、郷愁を抱くのは、個人のかってだが、それをあなたが
自覚しているか、どうか。・・・おとぎばなしの世界ですよね?
あなたが、語っているのは。。。
良妻賢母を、グレートマザーと解釈するならば、あなたは、その周囲を
ぐるぐると回り続ける「永遠の子供」だ。。。
と、いう事を、果たして自覚して、おられますかな?
ま、個人の自由の範囲内ですがね。他人に迷惑を及ばさない限りは。
ファンタジー作者としてのあなたは、なかなかユニークで興味深い
存在ではあります。哲板のみなさんに、めったにみられない娯楽を
与えている。。。とも、いえます。
したがって、今後も、御健闘を祈ります。
90 :
ジンミン・ゲンのつぶやき:2011/01/29(土) 06:06:06 0
・・東洋流にいうなら、桃源郷。。と言うもかな?
91 :
非入門主義舎・猫:2011/01/29(土) 07:34:45 0
・・もちろん、田舎も良妻賢母も、まったく悪くはないわ。
もちろん、ですとも。
でも、あなたが、それ以外の女のありかたを、問答無用とばかり
斬り捨てるとき、
あなたは、おおきな間違いを犯しているし、
じぶんだけのファンタジーの世界に閉籠もっていることを
ごぞんじなのかしら。
おおいに、疑問ね?
あなたが、直視したくないもの。それが、現実の世界の残酷さ。
あなたが、目をそむけたところで、それが存在しなくなる。。。
とでも?
これまで、直視しないですむ環境で暮らしていたのね。
でも、それがいつまで、続くかしらね。。。
時は、容赦なく進むのよ?
あなたの願望も空想も、はるか彼方に置き去りにしてね。
時は、容赦なく進むのよ?
あなたの願望も空想も、はるか彼方に置き去りにしてね。
やっぱりまだ、理想と現実の区別が付かないんだな。
こっちがじゃなく、そっちがだ。
現実上で、自分が良妻賢母ではいられず、淫女や悪妻や愚母になってしまうってことはある。
劉邦の正妻の呂雉や、徳川家康の正室の築山殿も、実際のところ歴史的な悪女だった。
当時の中国や日本からして、ギリシャやローマなんぞを遥かに上回る国家規模を擁していて、
その国体運営にトップから携わる身であった人々の内でも、比較的良妻賢母に恵まれた
項羽や秀吉や信長のほうが最終失敗者となり、悪妻を囲った劉邦や家康のほうが最終勝利者となったのも確かだ。
経験的に言えば、大社会の運営者ともなるほどの男ってのは、
最悪の悪妻すらも飼い慣らせるほどもの度量があったほうがいいわけだが、
だからといって、「理想上の女性」として掲げるものまでが、淫女や悪妻や愚母や永久処女である必要もない。
理想上に掲げる女性こそは良妻賢母であることで、
かえって現実上の女がひどくあばずれなメス猫であることも認める。
あるいは、築山殿のように斬罪に処したとしても、妻としての領分にあまりにももとる
過ちを犯したことを納得して、夫の側だけでも力強く生き抜いていくための糧にすらする。
大社会の実権的統治者ともなるような男が、
悪妻すらも囲うほどもの度量を要求されるのは、大社会というものが、
どうしたって多少の悪人が介在してしまうものであり、そのような清濁混交の世の中においてなお、
天下国家を我が家も同然のものと見なすほどもの度量が為政者には要求されるから、
自らの伴侶が悪妻であることぐらいに、怖じ気づいてちゃならないからだ。
徳川幕府の統治下にあった当時すでに、世界最大にして人類史上最大の都市であった江戸において、
(江戸=東京は当時から今までずっとその地位を守り続けている)
儒学道徳の頒布や銃砲類の所有の厳禁などによって、厳重な治安の維持に努めていたにも関わらず、
それでもやはり一定数の火付盗賊が横行し、その火盗を対症的に改める
鬼平のような酷吏も介在せざるを得なかった。
淫女とか悪妻とか愚母とか永久処女とかいった類いも、この火付盗賊と同じようなもので、
最大級の治世であろうとも、大都会である以上は少なからず生じてしまう“綻び”の部類。
大都会とて、大部分の人間が良妻賢母と共に平穏な生活を営んでいるのには違いないが、
人口の増大によって一人一人の責任性が希薄化するに及んで、「自分一人ぐらいはやったっていいじゃないか」
の論理で悪事をやらかす連中が一定数出てくる。それが男の場合には火付盗賊だったりする一方で、
女の場合だと淫女だったり悪妻だったり愚母だったり永久処女だったりする。
人間という生き物に一定の薄弱さが具わっている以上、
そういう落ちぶれ者が大都会に多少は介在してしまうのも仕方ないが、
だからといってそんな社会のクズを有り難がったりまでする必要はない。
いつの時代にも悪は絶えぬ、だからといって悪を許さぬ正義の心意気も絶えはしない。
この世に悪のいる限り、火盗改長官、鬼平こと長谷川平蔵の活躍もなくなることはない。チャララーン
94 :
非入門主義舎・猫:2011/01/29(土) 09:35:55 0
ふん。
やはり、鬼平ファンタジー主義者。・・自白したわねえ?
鬼平ですら、老中の松平定信あたりには煙たがられてたんだけどな。
必要悪だから。
火付盗賊や淫乱猫のほうは不必要悪ですらあるが。
今でも、江戸東京への憧憬は、ないことはない。
でも、それは「帝都だから」でもないし、「今の文化的発信地だから」でもない。
地球最大規模の都市構造と、実地的な権力道徳の両立の実現に
努める上での、格好の腕試しの場になるだろうことが、確かだから。
ニューヨークだのロンドンだのは、これからチャンコロとシロンボでの
血で血を洗う抗争劇が繰り広げられる、地獄絵図のキャンバスと化すのだし。
97 :
考える名無しさん:2011/01/29(土) 10:47:13 0
ドロドロの現実に没入していくから、理想上の神様ぐらいは良妻賢母であればいい。
わざわざ神様までもが淫女や悪妻や愚母である必要はない。もちろん永久処女でも。
高天原に弟のスサノオが昇って来ると聞いて、男装して武装して地を踏み抜きつつ
迎撃に向かうアマテラスの姿などは、結婚はおろか、姦淫の経験すらまだない
処女の無骨さの誠意的表現となっていて、西洋でやたらと持て囃されている
幻想上の処女像などとは違って、あれこそは本物の処女の有り様にあたる。
そのアマテラスが、ウケヒでスサノオのモノザネである剣をバリバリと噛み砕き、
自らのモノザネである玉をもスサノオに噛ませて、多くの男女の神を産む。
正直、性交して受精して妊娠出産する女性の姿の歪曲表現なわけだが、
これも「虚飾する」というよりは、「性交の実情をより丹念に描ききる」とでも
いったような表現の仕方であり、「剣を噛み砕く」という表現からして、
決して男の側にムラ気を催させるような言い回しにはなっていない。
ウケヒの後のアマテラスたるや、高天原でスサノオが数々の暴虐を働きながらも、
その姿をぜんぜん言い訳になってない言葉でフォローするなどの、無上の優しさを
帯びている。妊娠出産した女性に特有の母性本能の芽生えにすらなっているといえ、
祭殿に糞を撒き散らすなどの、度を越した暴れ回りに及ぶスサノオと比べて、
親としての自覚の面においても、母が父に先行することの提示にもなっているといえる。
98 :
考える名無しさん:2011/01/29(土) 10:49:39 0
高天原での暴れ回りの咎も受けて、天界を追放されて出雲国にくだるスサノオ。
これは、高天原を「家庭」と見立てて、出雲国を「社会」と見立てれば話が通る。
家庭にい続けるには粗野に過ぎる夫が、社会に出て仕事場こそを自分の居場所とする。
そこでこそ、ヤマタノオロチ退治のような多大なる功績をも挙げるし、
大功績を挙げることで、スサノオもやっとクシナダヒメとの結婚をも実現する。
神様の話なので、実際には一組の男女が結婚して一つの家庭を作ることが
いくつもの男女神や、姉弟などの形を借りて個別に表現されてはいるが、
夫たる男はやはり、それなりの功績を挙げることで所帯を得る資格も手に入れるとされる。
逆に「妻たる女」の主人公的存在であるアマテラスのほうは、多数の子を持つ母親と
なることで、家庭である高天原の長ともなり、スサノオを家庭から追放すらしてしまう。
高天原から出雲国への天孫降臨も、高天原でアマテラスらの庇護を受けて育てられた
子供が、出雲国での父親の業績を受け継ぐ「世襲制」の歪曲表現になっていて、
妻は家庭、夫は社会という活躍の場の分別があることで、家内安全な中に善良な子供が
育てられて、父親の業績を受け継ぐにも値する大人へと成長することが確証される。
アマテラスが良妻賢母として、具体的に何かをやったなんていうことは、
記紀神話のどこにも載ってはいないが、結局、アマテラスが良妻賢母という立場に
あることで、夫たるスサノオも多大なる社会的功績を挙げ、家内で育てられた子供ですらもが、
社会での仕事を受け継ぐに値する有能者にまで育て上げられるお話であると捉えさえすれば、
記紀神話における、アマテラスや天孫降臨にまつわるくだりの話が、全て通るようになっている。
母となった女のほうが、父となった男よりも、親としての自覚にいち早く目覚める。
だから、母となった女であるアマテラスのほうが「姉」で、
父となった男であるスサノオのほうが「弟」なのでもある。
もっとも、妊娠出産してもまだ母としての自覚を持てないような女も実際には多いわけで、
正しい家政教育も受けることで、妻となること、母となることの価値をも、事前に十分に
わきまえた上でなった良妻賢母こそは、夫たる男にすら優越を利かせられるのでもある。
逆に、子を産む性別であることをありのままに、男に対する優位の根拠だなどと思い込む
女もいるが、女が男以上にも優位となれるのもあくまで、子を産み育ててからのことだ。
男装して武装して地を踏み抜く威勢のよさなどではなく、高天原でのスサノオの暴虐にすら
目をつぶる優しさこそは、アマテラスのスサノオに対する優越の所以でもあるのだから。
100 :
考える名無しさん:2011/01/29(土) 19:41:14 0
「良妻賢母は田舎に特有の概念」ってのも、大間違い。
何度も何度も引用している句だが、
「男女ありて然る後に夫婦あり、夫婦ありて然る後に父子あり、父子ありて然る後に君臣あり、
君臣ありて然る後に上下あり、上下ありて然る後に礼儀の錯くところあり」(「易経」序卦伝より)
であり、夫婦の序列は「君臣」や「父子」の序列に連動して要求されていくもの。
別に君臣関係なんかなくたって順調に運営していける程にも小さな田舎社会であれば、
君臣関係に準ずるものとしての父子夫婦の序列などを絶対化する必要もない。
仰々しい礼楽をも伴った、君臣関係を重んずる封建統治にでもよらない限りは、
果てしのない戦乱や甚大なる犠牲をも生じつつの破滅にでも陥らざるを
得ないほどにも大規模化した社会においてこそ、君臣の序列に準じるものとしての、
父子夫婦の序列までもが重んじられる必要が出てくるのであり、そのうちの
夫婦の序を守るために良妻賢母であることもまた、一定以上に大規模な社会の、
しかも為政者として主君に仕えることを生業とする士人の妻などにとってこそ、必須となるもの。
一定以上に大規模化した社会だからこそ、火付盗賊と同時に、その盗賊に取り入る悪婦までもが
蔓延り始めるために、あたかも鬼平が火付盗賊を懲らしめるようにして、選ばれし女が
良妻賢母であることにも努めることで、世の悪婦に対する睨みをもきかせる必要があるのだ。
あのう・・・アマテラスがスサノオの良妻賢母であったために、スサノオは
大きな仕事を成し遂げた・・・ていう御説ですけど。
スサノオは、最終的にはクシナダヒメと結婚している。
つまりあなたの説によると、「良妻賢母」アマテラスは、一方的に
離縁されていますよねぇ。。。
これが、良妻賢母のあるべき姿なんですか?
私には、アマテラスのとんでもない勘違い、
にしか見えませんけど??
102 :
考える名無しさん:2011/01/29(土) 20:24:23 0
やっぱり、神話の扱い方がヘタッピなんだねえ。
理念を概念上に理想化したのが神様だってのに、
なぜ実際の人間のように、必ずしも自己同一性を保てていなければならない?
家庭という場面の舞台である高天原においてアマテラスであるものが、
社会という場面の舞台である出雲国においてクシナダヒメでもあることが、なぜおかしいだろうか?
社会と家庭とを同一のものとして捉え、神話のような比ゆ表現を一切排した上で物事を捉える
現実主義的な立場に即すなら、家庭を高天原、社会を出雲国という風に、別々の世界として
捉えることすらすべきでないことになるが、ことに、家庭と社会とを神話によってあえて
別の世界として捉えるなら、家庭内において長となる一方で、社会的には貞順な妻となる
良妻賢母の主婦が、家庭と社会とで、アマテラスとクシナダヒメほどもの演じ分けを
必要とされることになることが分かるわけだ。
そこまでもの、家庭内の主婦に対する理解の行き届いた尊重が尽くされているのも、
世界的に見ても日本神話ぐらいのもので、中国やインドにもそこまでもの配慮の形跡はない。
あくまで社会的な男尊女卑は守られた上で、家庭内における「奥さん」の地位だけは
絶対化させるという、離れ業をやってのけているのが、記紀神話なのである。
103 :
非入門主義舎・猫:2011/01/29(土) 21:11:32 0
ほほう。
すると、アマテラスは、すなわちクシナダヒメそのひとである、と。
まあ、それはいいでしょう。しかし、氏の説によるならば、
西洋よりも東洋のほうが、はるかに「良妻賢母」が多く、
したがって、東洋のほうが、倫理的に言って、西欧よりはるかに
優れている。。。これが、氏の主張ですな?
つまり、女は家庭で、子供を育てていれば、それで良く、
男が、外で浮気や、社会的犯罪を起こそうと、波風たてること
なく、忠実に、貞節に、「だんなさま」にお仕えしていれば、
それで良い。掃除、洗濯、食事の支度、子供の世話、子供の将来
の心配・・などを、一手に引き受け、たとえ不平不満を感じることが
あっても、「主人は絶対的に偉い」のだから・・・と考え、「忍」の
一字を貫け・・・それが「良妻賢母」というものだから、
・・という訳ですか。つまり、封建時代に戻りたい・・・と。
ふん。結構な夢ですな。・・充分な資金と秘密を保って頂ければ
かなえてあげない事もないですがね。
ぜんぶちがう。
まあ、無理だから。
アマテラスなんかにゃ、到底なれないから。
せいぜいアフロディーテやヘラやデメーテル止まりの、
淫乱悪妻愚母に止まるのが関の山だから。
そんな愚妻を娶る汚れ役を引き受ける俺もまた、
皇祖神アマテラスの直系である天皇陛下に忠誠を誓う、
一枚も二枚も下手の不肖としての人生をまっとうする。
106 :
非入門主義舎・猫:2011/01/29(土) 21:44:18 0
ぜんぶちがう? ・・それは。とてもおかしいな。
いままでのあなたの主張を煎じ詰めて、まとめてみれば、
自然と、103のような結論が導き出せて来るのは、ほぼ必然だが?
私の計算のどこに、明白な誤りがあったのか、はっきりと指摘して
くれよ。。。
さもないと、君は「大嘘つき」の汚名を着ることになってしまうぜ?
ただ愛している――それだけでいいんだ、男女の関係なんて。
108 :
非入門主義舎・猫:2011/01/29(土) 21:55:12 0
・・ふん。
それはそうと君の考えるアマテラスとは、イコール、卑弥呼かい。
・・だとすると、彼女、われわれと同じようなタイム・リーパー
の可能性もあるんだぜ?
別段、特別なときでもなんでもない、中短期の乱世から長期の治世に移る、
いつものローテションの繰り返しの時節なだけですが、なにか?
一部の部落社会が週末を迎えるようではあるけど。
110 :
非入門主義舎・猫:2011/01/29(土) 22:54:22 0
>>107 何? じゃあ、良妻賢母説はいったい、どこにいったんだい?
それとも、君は、スレ主とは違うひとかい?
・・だからコテを付けろ、と前々から言ってるのに。
眠いから、もう寝るよ。
おやすみ。
――男女ありて然る後に夫婦あり、夫婦ありて然る後に父子あり、父子ありて然る後に君臣あり、
君臣ありて然る後に上下あり、上下ありて然る後に礼儀の錯くところあり――
三綱・・・君臣の義、父子の親、夫婦の序
112 :
考える名無しさん:2011/01/30(日) 09:48:33 0
ちなみに>111の前の句は
――天地ありて然る後に万物あり。万物ありて然る後に男女あり――
(「易経」序卦伝より)
となっており、原始的な無性生物などを含む、
万物を構成する物質要素があって、その後に有性生物が生まれたとしている。
この時点ではまだ「上下」という序列関係は定められておらず、
夫婦父子ときて、最後に「君臣」という、礼法による序列の引き締めを
必要とする人間関係が生じて、初めて上下の序列が重んじられるようになる。
君臣父子夫婦の三綱を上三つとする「天下の達道」においても、
「君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友」となっており、「男女」は論外とされている。
これが君子道徳っちゃあ君子道徳だが、「君父の尊位」が重んじられない
平民階級において、男女が必ずしも序列などをわきまえない野合によって
家庭や子供を作ることを、司馬遷も「史記」の外戚世家で羨ましげに述べている。
君臣の義や父子の親と共に、夫婦の序までもが絶対に必要とされるのは、
やはり、宮仕えを仕事とする君子階級の夫婦に限られていて、平民までもが
夫婦の序を重んずることがあるとすれば、それほどにも夫婦の序が保たれた
家庭というものが、平民にすら魅力的なものに映ったからだといえる。
113 :
非入門主義舎・猫:2011/01/30(日) 13:05:59 0
では、確認しておきますが、その序列が生ずるのは、厳密に遺伝子の戦略。
すなわち、適者生存を貫くために、生存競争の必要上、必然的に演繹されて
出現したものが、代々、継承化されて行った結果ですよね?
しかしながら、ヒトという種には、大脳新皮質の発達という、他の生物には
みられない特殊事情が出現しましたよね?
したがって、ヒトにおいては、ただ遺伝子の戦略が存在するという他の生物
種とは異なり、そこに大脳新皮質が、他の大脳新皮質とのあいだに相互作用
を引き起こしたことにより、存在し始めた「ヒト文化」の大きな干渉が存在
すると思いますね。
したがって、あなたの言う「序列制」は、あくまでも遺伝子の戦略に沿った
ルーツのあるものではあるけれども、あなたは、それが全てだと言おうと
している。。。
あきらかに、そうではなく。
遺伝子の戦略には、ヒト文化が大きく干渉し、人類という独特の種を形成して
いる。したがって、あなたの「序列論」は、物事をひとつの側面しか見ていな
いという致命的な欠陥がある。
お莫迦さんは、相手もまたお莫迦さんであることを
前提にした物言いまでしかできないのだね。
自分こそは莫迦であることをわきまえて、自分より賢い相手に平身低頭謙りつつ、
その賢さをも慮りつつの恭しい物言いに努められれば話も通じるわけだが、
その時点ですでに、最低最悪の莫迦ぐらいは抜け出せているともいえる。
115 :
考える名無しさん:2011/01/30(日) 13:13:46 0
世の中が君臣関係による秩序立てを必要とするほどにも大規模化した段になって初めて、
特に君子階級における、父子や夫婦の序列までもが必要なものとされるようになる。
これは、極めて理に適った男尊女卑の根拠でもあり、
「神が男のあばら骨を一本とってそれを女にした」
なんていう愚かしい詭弁とは、全くその重みが違う。
神が男のあばら骨を一本とって女にしたから、妻は夫に付き従わなければならないなんて
言われれば、そりゃあ、妻となる女のほうは、反吐が出るほどもの嫌気すら差すだろう。
実際、西洋ではそういう意味での男尊女卑があてがわれていたわけで、女性のほうが
差別の不平を唱えたい気持ちになったとしても、そりゃあ仕方のないことだった。
家族ぐるみで主君に仕える士人の身分であればこそ、家内の父子夫婦兄弟の序列すら
正されていかなければならないというのが、本当の男尊女卑の起源でもあり、宮仕えをしない
平民などの場合には、男女の序列などが東洋でもそんなに重んじられていたわけじゃない。
正統な道徳学に基づく本物の男尊女卑は、健全さの限りが尽くされている一方で、
カルト教義に基づいた偽物の男尊女卑こそは、致命的な病理をも帯びていた。
後者への嫌悪感を、未だ知りもしない前者にまで当てこすったりしちゃならない。
116 :
非入門主義舎・猫:2011/01/30(日) 14:02:09 0
いや、あなたの言う「君臣関係」は、すでにサル山でも実現しているでは
ないか?
・・目が曇っているのは、あなたのほうだ。
自分の病状を相手にあてこするのも、鏡映認知障害者の一般症例だけども、
それ以上に何も進むことはありません。患者の側の自業自得により。
たかが自分が精神障害者であるごときのことに、自負心などを抱くべきではない。
治療の妨げになるだけだから。
119 :
考える名無しさん:2011/01/30(日) 14:29:49 0
君レバノン産最高級コーランもってるんだって?
前スレ見たが書いてあった
伊達政宗の側室に、病気持ちの白人女が一人いたとさ。
121 :
非入門主義舎・猫:2011/01/30(日) 14:51:29 0
・・あなたの、もともとの着眼点はけっして悪くはなかった。
非西洋思想を「東洋教学」という名のもとに、「大統一」してやろう。。。
というアイデアはね。
しかし、いかにも、やり方が稚拙だったね?おのれが否定しようとする、
西洋思想の最先端の産物である、インターネット=2ちゃんねるで
それをやろうというのはね。
あまりに、ムシが良すぎたね? インターネットを使って西洋批判?
笑えるよ。本末転倒もいいトコだ。。。
君は、書斎に篭って、大きな本を書き、出版すべきだったんだよ。
・・まあ、君の「東洋教学」の知識は、たしかにたいしたものだ。
それをもっといい形で生かすべきだった・・・と思うよ。
ここで安易な西洋批判などするから、叩かれるのさ。
莫迦な女ほど可愛いから、莫迦にするんだ。実際莫迦だし。
莫迦され尽くした挙句に、可愛がられるだけの素養が、あなたにはあるから。
醜いプライドや自負心もズタボロひき潰されて、
後はもうニャンニャンいってるズィンミーでしかいられなくなってこそ、
最大最強最高に可愛くなれる。あなたたちにはそれだけの素質があるから。
プライドとか全部すてて、可愛い可愛い子猫ちゃんになれば、またいいことあるから。
「またいいことあるから」ってのは、“衆生辺”からの物言いだな。
「本当は今までにだっていいことなんて一度もなかったのであり、
これからやっと初めていいことがあり得る」ってほうが、
“仏辺”に即する場合には正しい言い方となるだろう。
でもまあ、親鸞聖人の悪人正機だって、浄土往生に対する
衆生辺からの解釈としては正統な仏説ともなっているわけだから、
ウソもまた場合によっちゃ、一つの方便にもなるってことで。
またいいことあるから。
プライド(誇り)は、男女の別なく本人が自負するのは社会的影響としては、どうなんだろう?
威張る自信家にどういう印象を持ちますか?
自尊心は保ちつつ、ホコリは掃いつつ〜
本来、プライドなんてのは、己れの内に秘めて下手に披瀝したりすべきでないものだ。
それでもなお、にじみ出てくるほどものプライドに対してこそ、他者も畏怖を抱く。
ただ、それ以前にまず「プライドの根拠」ってものがあるわけで、
その根拠が正当なものであって初めて、本人がひた隠しにしようとしたところで
結局はにじみ出てしまうほどもの、雄大なプライドが秘められるわけだ。
「権力犯罪の成功者であるから」とかの、不当な根拠に基づくプライドは、
隠す以上は誰も相手にしないので、根拠が不当であることはひた隠しつつ、
「戦争での常勝者だから」とかの、偽物だけど聞こえが悪くない根拠をあてがい
ながらやたらとプライドを披瀝することで、何とか他者への威嚇を達成しようとする。
不当な根拠に即したプライドも、一応プライドであるには違いないわけで、
そのプライドをあえて披瀝することで、人々が絶対に畏怖しないわけでもない。
当のプライドの本物の根拠を隠して、偽物の根拠を掲げつつの誇り高ぶりで
あったりするのなら、なおさら。ただ、そんな不当な根拠に基づくばかりのプライドは、
本当に正当な根拠に即したプライドの前では、儚くも崩れ去るほかはない。
今も、時は絶え間なく流れ行く。
二度と同じ時であることもなく。
129 :
考える名無しさん:2011/01/30(日) 20:38:33 0
コーラン持っててもアラビア語読めないらしいよスレ主は
さんざん悪態を吐き通してきて、今さら素直になるのも辛かろうが、
残念ながら、それ以外の打開策はない。
「残念ながら」ってのも、やはり“衆生辺”からの物言いで、
“仏辺”に基づくなら、無根拠なプライドへの固執による苦しみを
捨て去れる機会であるわけだから、「ありがたいことに」と形容したほうがよい。
でもまあ、「残念ながら」だ。
地獄を天国だと思い込む転倒夢想の最中にある賤人にとっては、残念ながら、
プライドを根本からへし折られることでしか、この先の進みようがない。
子供の頃、素直に謝れない大人を見て尊敬できただろうか?
そんな大人を見習いたいと思うだろうか?
『誇りは崩壊に先立つ』
『義に過ぎる者となってはならない』
自らを誇るんではなくて、他者が誇りに思ってくれるような人になるという目標があってもよいですよね
大切なのは、勝ち負けではなくて信頼できる誠実さのほうでは
132 :
考える名無しさん:2011/01/30(日) 22:50:09 0
「人の生くるや直ければなり、之れを罔くして生くるや、幸いにして免れんのみ」
「人が生きていられるのは誠実だからだ。不誠実でも生き延びられているのは、まぐれ当たりなだけだ」
(「論語」雍也第六・十九)
>>131 > 『誇りは崩壊に先立つ』
> 『義に過ぎる者となってはならない』
そんな一概な決め付けによって現実が割り切れるわけでもない。
134 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 06:43:27 0
羽柴秀吉の場合は、どうか?
あの男は、少なくとも信長のまえでは、いっさいのプライドを捨てる
ことによって、信長の信を勝ち取った。そして、結局、太閤にまで
登りつめた。彼は人たらしの天才、と言われた。それほど、優れた
交渉人だった。。。
つまり処世術としては、プライドは無用の長物なのだ。では、プライドは
なんの役に立つのだろうか。
秀吉がプライドを捨て去ってたもんかよ。
サービス精神にかけては、首尾一貫してプライドの塊だったじゃねえか。
何かをやろうとしている限りにおいて、そこには必ず仕事人としてのプライドが備わるものだ。
そしてそのプライドが原動力となって、やる気のない人間にはできないレベルの仕事までもが達成される。
何もしようとはせず、何もやりたがりはしない所でこそ、プライドも雲散霧消する。
それ自体に行動上の有用性は何もないが、次にプライドを以て仕事に勤める上でのよき休暇ともなるし、
そもそもプライドと共に勤めたりしてはならない、有害無益な犯罪労働を選別して
次の就職先から切り捨てる、人として最低限の正しい分別までもがわきまえられるようになる。
136 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 10:29:30 0
「天下の辱めに乞に過ぎるものは莫し」
「この世で乞食ほどにも恥ずかしいものはない」
(「列子」説府第八・三〇)
結局、乞食となる辱しめから逃げ惑うあまりに、
刑吏に唾を吹っかけられて十字架にかけられた
娼婦の私生児などへの帰依による昇天までもが望まれる。
結局、あれが最大級の辱しめであるなどということもないし、
下劣な振る舞いで喝采を挙げる汚れ芸人になることや、
観衆の面前で性器や肛門をおっぴろげるストリッパーに
なることが人間にとっての最大級の辱めなわけでもない。
あらゆる方面にかけての有能さを欠くあまり、
物乞いとしてしか生きられなくなることこそは、最も恥ずかしい。
結局、その恥ずかしさを受け入れられるだけの度量が
あるかないかが、東洋教学とそれ以外との決定的な相違でもあり、
乞食すらをも受け入れる度量に全く欠けるからこそ、洋学や聖書教に
基づいて、西洋人は重権力犯罪による虚栄すらをも目論んだのだ。
プライドを捨てることは、やはり乞食にきわまる。
それ以外のどんな行いも、所詮は乞食となる辱めからの逃避に過ぎない。
魔よけのために、あえて劣悪な象徴を標榜する風習が
東洋にあるということは、前にも述べた。
剃髪に糞掃衣(袈裟)という坊さんの装束も、
あえて奴隷や乞食などの卑賤さを取り入れているわけだし、
漢武帝の幼名だった「彘(ブタ)」や、
秀吉の長男の幼名だった「棄丸」なども、
魔よけのためにあえて名付けられたものだ。
日本の最高権威である皇室の意匠にも、
同じような工夫が随所にちりばめられていて、
天皇家の紋章である菊紋なども、正直「肛門」に似た形状だし、
天皇の起源を記した日本最古の史書である「古事記」も、
「乞食」や「小史記」とも同じ「こじき」となっている。
こういう、あえて劣悪なものを標榜する風習は、
本当に内面から高貴なものが行わなければ、失敗する。
秀吉も出自と内面とが共に下賤だったから、
「棄丸」と名づけられた長男も本当に早世してしまったし、
本当に肛門を模したマークを用いているレッチリも、本当に下劣だ。
本当に芯から高貴であるものが、その高貴さの突出による
危うさを避ける目的で用いた場合にのみ、劣悪な象徴の
あえてなる標榜も、その意図に見合った効果を発揮する。
「貴を以て賤に下れば、大いに民を得(易経・屯象)」ではあるが、
賤を以て賤に下っても、下賤極まりない結果を招くのみとなる。
138 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 12:23:04 0
念仏行は、他力本願の行ではあるわけだが、
ことに、「念仏」という行を選択するまでの判断は、自力によるわけだ。
それと同じように、根本的な選択の部分までをも他者に依存することは
できないのであり、たとえこれから他力本願で生きていくのであっても、
それを選択するところまでは自力でしなけりゃならない。
奴隷やロボットじゃないんだし。
たとえいま奴隷やロボットも同然の身分であったとしても、
その身分から脱け出すための選択ともなるのだから。
有能では無いこと⇒こじき というのは必ずしもそうではないと思う(ヨブ記)
聖書教と西洋教は、一緒とは言いきれないと思う
聖書は西アジアスタートで世界に広まった
欧米は国としては聖書に従っていないどころか、それに反した行いをしている
誇りよりは、満足感や達成感の喜びで生活を彩りたいな
性懲りもなく無駄な反論を繰り返すのも、
乞食級の辱しめだけは受け入れられない、
万年こう着状態の醜いプライドがまだあるからだ。
内外ともに美しい人である上ではね差し障りとなるもの。
141 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 13:27:26 0
×内外ともに美しい人である上ではね差し障りとなるもの。
○内外ともに美しい人である上では、差し障りとなるもの。
大量に書き込んでも、ほとんど読めてもいないのだろうし、
書き込み度数の自粛も兼ねて、長年使っていたローマ字入力から、
一時試してみたものの、すぐにやめた日本語入力で書いてみている。
久しぶりなのでまだ慣れないが、慣れたらやはりこっちのほうが日本語での
入力には向いてそうだ。弘法大師が考案したともされる、仮名文字での入力。
数式やプログラムソースを構築するために手っ取り早い簡易文字としての
アルファベットの価値までをも否定する気はないが、オブジェクト指向が
森羅万象を司る物理法則にまで適用されることで、数式やソースを直接
いじる機会は今まで以上にも減っていくのだろうし、なによりもアルファベットを
用いた英語などの言語によって重大な論議が取り交わされることは近々禁止に
なるので、糾弾回避の意図も込めて、なるべく純日本語入力に努めていく。
道徳=moral=犯罪寓意である時代はもう終わりる
142 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 14:38:07 0
で、けっきょく「乞食にだけはなりたくない」ってのが、
女子と小人にとっての切なる願いなわけだ。
「ささやかでもいいから幸せな生活がおくりたい」とかいえば聞こえもいいが、
それも早い話が「乞食にだけはなりたくない」という腹の内の吐露に過ぎない。
そんな卑小なプライドは、聖人君子にこそ存在しないものであり、
「史記」貨殖列伝において、司馬遷が小人の心情を代弁する形で非難の
対象とした、生活力に欠けるものぐさ太郎的な性情も、劉邦や陳平のような
歴史に名を残す聖王や賢臣にこそ特有の性分でもあった。
別に歴史に名を残すとまではいかなくとも、
世の中に危害を加える重権力犯罪者などであるよりは、
誰に迷惑をかけるわけでもない乞食のほうが、
まだマシな存在であるということも、座してよく考えれば分かることだ。
にもかかわらず、女子と小人は乞食にだけはなりたくない。
たとえ世の中にとって極めて有害無益な犯罪者になってでもいいから、
無益無害な乞食にだけはなりたくないというのが、
女子と小人にとっての本音中の本音。
だからこそ、聖人や君子が権力犯罪に手をかけたりはしない一方で、
女子の受けをも狙う小人こそは、重権力犯罪にすら手を染めるのだ。
ただ、乞食すら受け入れればそれで済むようなことまで、全て乞食にだけは
ならずに済ませようとしたから、挙句には重権力犯罪にまで及んでしまった。
ワタチをだれかと勘違いちているのかしら。
男性の頭の権威は認めています。
男性は、そういうふうにできているから。
威張って威嚇するような自己愛障害ではなく、あなたからの影響を受けうる人々への愛ある言行が期待されております。
女子供は一般に男よりも体の作りが弱いです。本能的に次世代へ命を繋ぐためにも、女より心身の強い愛ある男性の保護を必要としているんだと思います。
一生独身でいたいような強い女性もいますけどね。
144 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 20:32:34 0
んで、それは結局、子を産み育てる女ならではのプライドの吐露じゃない?
聖道門の尼さんとして、一生を終えるつもりでもない限りは、女性に
そのプライドまでをも棄ててもらう必要などは、決してないわけだけれども、
ただ、女性がそのプライドを棄てないことと、男の小人が小人根性からなる
お下劣なプライドを棄てずにいようとすることとは、違うね?
子を産み育てる女性としてのプライドを守るために、
莫大な数の女子供をも餓死や貧窮に追い込んできた
重権力犯罪者野郎どもを、一緒にかばう必要がどこにある?
推測ですが、あなたは苦労ある生活をしておられ、抑圧された感情を抱えておいでのよう
重権力犯罪者?の意味についてはワタチの足りないノウミソではわかりませぬが、重い犯罪を犯した人をかばったこともこれからかばうつもりもありませんねんつるはせんねんかめはまんねん
そろそろお湯浴びして眠りますねん
皆様、今日も一日お疲れ様ですた
146 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 23:19:57 0
>>137 すなわち、信長には、真に下賎な者をこそ、必要とした。
弁証法的に真。または、陰陽思想的に真。
・・だからね。
まことに、面白いね。真逆なものの一致は、しかし、西欧でも、
クザーヌスが言っているのじゃないかな?
まあ・・、いま、思いつきで喋っているだけで、クザーヌスを
くわしく調べたわけではないが。
クザーヌスとか、否定神学には、みるべきものがあるのでは
ないだろうか。
あなたの、言い方。西欧を一枚岩であるかのように語る、語りくちは
あまりに粗雑ではないか? と、前から指摘している。
あなたは、自分のアイデアを現実化させたいが為に、あまりに無理を
しているのだ。
147 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 23:24:16 0
だいたい、まず、イエスとパウロを区別すべきだろう。。。?
148 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 23:28:03 0
イエスは、真に弁証法的な存在に思える。
・・それに、たいしてパウロは、天才的なオルガナイザーであったことは
確かだが、彼が、イエスの思想をねじ曲げなかったか、どうか、非常に
疑問だろう?
「一枚岩の上に家を建てれば安心だ」って、イエス自身が言ってたじゃん。
150 :
考える名無しさん:2011/01/31(月) 23:53:15 0
ばか?
151 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 01:12:16 0
152 :
増上慢太郎:2011/02/01(火) 10:09:28 0
増上慢ごっこも、もう終わらせてえなあ。
終わらせる権利が、今の俺にはないけどな。
153 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 10:40:40 0
>>143 言葉の使いかたが悪かった。おわびしますよ。
・・しかし、あなたは、構造的に女性のほうが、男性より、頭脳的にも、
また、体力的にも、劣っているので、男性の権威を認める。その代わり、
頭脳的にも、体力的にも、絶対的弱者である、私を守ってくれ。
・・と主張している。つまり、あなたは、絶対的弱者であるけど、子供を
作る・・という能力を、持っている。すなわち、私は、あなたの子供を
作ってあげることが出来る。この能力(男性には、絶対にできないこと)
ゆえに、男性と対等になる。。。というのが、あなたの主張と思える。
つまり、あなたは、頭脳的にも、体力的にも、男性と勝負はしない・・・
なぜなら、構造的弱者であるが故に、それは、不公平なゲームであるから
だ。と、言うわけだ。その代わり、あなたの子供を作ってあげよう。。と
いうのが、あなたの切り札な訳だ。
しかし、わたしは、そうは思わない。構造的弱者である、とは思わないから
だ。すくなくとも、絶対的弱者ということは、ありえない。
あなたが、頭脳的ゲームから降りて、別のゲームをしよう。。と提案するのは
もちろん、あなたの自由だ。しかし、わたしの理解する限りでは、ここは
あなたが、提案しようとするゲームの為の場所ではないのだ。あなたは、
あなたの主張するゲーム。。。保護者・被保護者ゲーム?。。をしたいなら
もっと、別な場所を選ばねばならない。
女が絶対的弱者というつもりは無いです
ワタチは、あなたと直接のゲームをするとか、そういうつもりもありません
経済的に自立していながらも、自分の弱さと闘い、それでもなお愛しあえる男性を必要としているある女性の代弁をしているだけです
155 :
増上慢太郎:2011/02/01(火) 11:31:46 0
「一枚岩の上にみんなが住んでいれば安心」
っていうイエスの物言いも、あながち全く根拠がない話でもない。
誰も彼もが、集団ヒステリー状態で刑事罰級の罪を犯しているために、
全員に罰を科す目処も立たなくなったような事件が、
実際に2000年以上前の中国でも起きている。
漢武帝の代に、本格的な贋金作りの摘発が行われ、
自首して出てきたものだけでもその数百万人以上に上り、
それでも全体の半分以下の人数でしかなかったとされる。
もちろん、それほどもの人数全員に罰を科すのも無理があるので、
帝の特赦でその大部分が許され、一部の責任者のみが
重罰を科せられることとなった。(「史記」平準書を参照)
まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の実例なわけだが、
これほどもの金融腐敗の惨状を重く見たために、時の帝であった
武帝も、高祖から呂后、文帝へと代々引き継がれていた、
無為自然による統治を見直して、士農工商の序列をも重んずる
儒学を国学も同然とした仁徳統治へと方針を切り替えたのだった。
漢代の中国における無為統治から礼楽統治への変遷も、
結局は一枚岩の上にみんなで安んじて、恐れることもなく赤信号を
渡り続けた、民衆たち自身の自業自得によってあてがわれたものだった。
156 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 11:31:52 0
それを、わざわざ、男性・女性と、分けるからには、やはり、自分、
あるいは、女性は、弱者である。。という前提をもっていると思う。
そういう前提を設けること自体に、ギモンを感じる。
ある女性の代弁・・というが、どうして、わざわざ、そういう言い方を
するのか、理解できない。自分の発言として、発言できないのだろうか?
赤ちゃん言葉使ったって、守銭奴故の下劣な品性がにじみ出てるよ。
経済的自立なんて、こっちがしてやんないから。あなだがお財布代わり。
158 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 11:52:46 0
・・と言うか、あなたが、女性より男性のほうが優位な性であると、
主張する根拠が、わからないね。わたしは、自分のほうが、女性よりも
優位あるいは有利である。。と感じたことは、ほとんどない。
むしろ、女性のほうが、優位あるいは有利なポジションを占めている、
というのが、実感だが?
総員重権力犯罪者社会では、
女子供でも稼げるぐらいに世の中全体が金満化しているからな。
逆に男のほうは、後ろめたさのあまり矮雄化する。
160 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 12:03:09 0
後ろめたさのあまりに。。ではなく、実際、そう感じるのだが?
封建社会の、君子階級の男の衣装はカッコいいよね。
冠に羽織袴に刀剣、女以上にも男こそはうまく着飾る。
それだけ、男の側に後ろめたさがないから。
もちろん代弁といってもワタチの主張が入っています
区別のためワタチといってますおっしゃる通りヴァカでーーーす♪おっしゃーーー!!!!!
ワタチは美しくは無いですよちゃんとした美容院に行ったことすら無いです(頭頂部に見えない花が咲いておる
服装もおばあさんが着ても可笑しくない格好です(大笑
超超超超地味な感じ♪
ある女性はワタチなど足元にも及ばないほど美しいですよ可愛らしさも兼ね備えていますよ稼ぎもその辺の男性よりいいはず
頭の権威はクリエーターがお与えになったものです
大きな心で女性を包む能力もかしら
163 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 13:45:07 0
西洋で冠つったら、一部の王侯や主教だけがかぶるものだったそうじゃない?
東洋の封建社会では、頂点の君主から底辺の士大夫に至るまで、為政者はみんな冠をかぶる。
高祖劉邦も、まだ下っ端の小役人だった頃に、竹の子の皮で冠のモデルを作って、
細工師にその通りの形に作らせた冠を、天下を握って後もずっと使用していたという。
江戸時代の髷なども、冠の形をこそ模しているわけで、武家とは相当に結い方も違うにしろ、
百姓や町人すらもが、常に冠を身に着けておくことによる心の引き締めにあやかっていた。
今はもう、王侯身分の人間ですら、正式な儀式の時でもない限りは戴冠しない。
「冠は先進文明の象徴である」とする儒家の考えによるなら、相当に退廃した時代だといえる。
164 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 13:59:25 0
儒学は、別にその学術内容が激烈に難しかったりはしないわけだけれども?
ただ、常に「1+1=2」のような、シラフの思考を保ち続けていられる
徳性の持ち主でないことには、その価値を理解することもできない。
場合によっては1兆ドル+1兆ドルを3兆ドルにも4兆ドルにもしてしまうような
悪徳金融の加担者であったりすれば、その不誠実さが仇となって、たとえ
どんなに頭が良かろうとも、儒家教学の価値を微塵たりとも理解することはできない。
知識や頭の良さは貰い物でもあり得たところで、徳性だけは自得でしかあり得ない。
ちょうど常に冠をかぶり続けているような、常日ごろからの
みずからの心構えによってのみ、徳性もまた養われ得る。
165 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 14:11:51 0
強いて言えば、徳性も「親からの貰い物」であるとはいえる。
先祖代々の徳性の積み重ねが、必然的にその家に
徳性を養いやすい家風を備えるわけで、そんな中で子孫が
徳性を自得するのも、結局は親のおかげであるともいえる。
昔は平均寿命が短かったから、親といえばまず「父母」を指したが、
早い話がそれも「先祖」ということで、自分が生み育てられた
先天的な境遇のうちの、特に切実かつ直接的な関係にある親からの
影響が、知識や頭のよさ以上にも、徳性の得失に直接関わる。
今までの俺の学問知識も、結局は「西洋文明によって滅亡寸前にまで追い込まれた地球社会を、如何に建て直していくか」
という点に、全ての用途が集約されているのであって、完全に世の中を建て直した時点で、
知識自体の価値はまたプラスマイナスゼロに戻るわけだから、そんなに有り難がるべき代物でもない。
ただ、江戸時代以前から連めんと積み重ねられてきた、
先祖代々からの徳性の恩恵だけは、これからもずっと大切にしていかなければならない。
167 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 17:31:55 0
ふん。
まあまあの言論ではあるね。しかしながら、
ヴァーチャル価値創成は、ただ、単に、口先で批判すればそれで消えて
なくなるような、ヤワなシロモノでは、無いんだよ?
具体案が、無ければ、ただ単なる、実体価値派へのリップサービスに
過ぎないことは、承知されておられるんだろうな?
168 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 19:00:30 0
ヴァーチャル価値創成は、すでに生み出されて久しい。われわれのただ中で
時を刻み始めた、からくり時計だ。われわれと、同様に、おそらくは、同じ
ブラインド・ウォッチメイカーによって、それは、創られたのだ。。。
以来、それは、確実に、時を刻み続けている。チクタク・チクタク、とね。
それを、空理空論の力で、止められる。。と信じるのは、あまりに楽観的、
。。。と西洋人に笑われるぜ?
いまの君のような、空想的大アジア主義はね。
169 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 19:47:20 0
暴走を止めずにいることで亡びるのは、
西洋人たち自身とて同じことだからな。
万人を害して我をも害する、権力犯罪原理主義を
性懲りもなく進行させた先にあるのは、
自分たち西洋人自身を含む全人類の絶滅。
「それでもいい」というほどもの害吉であるというのなら、
所詮は人類もそこまでの存在だったというだけのこと。
不治の病を生態系上から抱えていた、「欠陥生物」だったということ。
もちろんそればかりが人類の特性なのではなく、
重権力犯罪をも適切に駆逐して未然の防止に努めていくことも
できるのだという根拠を、俺もここで列挙していってはいるが、
それとて、全人類にとってのガン細胞格である白色人種が、
全人類を何十回も滅ぼすことが可能な威力を持つ核武装も保ちつつの
立てこもり犯を続けている以上は、その実現も不可能であるには違いない。
全人類のうちでも、最悪の欠陥人種の部類に入る白色人種が、
自分たちに特有の精神的不具をつぶさに自覚して、
積極的な活動を自粛する程度の恭しさを自得しないことには、
たとえ今回の危機が免れたとて、また第二第三の
人類の危機が繰り返されるだろうことにも、変わりはないからな。
170 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 20:06:12 0
君には、未来が計算できるらしいな。
うらやましいことだ。
私には未来が計算できないし、また誰にも出来ない、と考える。
171 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 20:54:42 0
なんだい、人口爆発問題や地球温暖化問題、
白色人種による大量核武装問題とかも知らないのかい?
たとえば、核ボタンに手をかけている害吉に対して、
「君にそのボタンは押せない」とかの予想を突きつければ、
害吉のほうも対抗意識を燃やして、あえて核ボタンを押そうとしたりする。
そういう、計算予測の披瀝などによる不確定性の発生も実際、存在するわけだが、
今の人口爆発や環境破壊や軍拡のように、多くの人間が力を込めて推し進めている
ことにかけては、ちょっとやそっとの予想の提示などによって、どうこう左右されることもない。
車は急には止まれない。そのようにして、人類も滅亡への道を
力を込めて突き進み続けている、だから「このままいけば人類は滅亡する」という
正確な予想も付けることができる。別に不確定性が介在しているわけでもない、
人類たち自身による、渾身を込めつつの自業自得だから。
172 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 21:32:14 0
それらは、特定の情報ですね。それらの情報が存在すると
いう事は、それらの情報を作成した人々がいて、作成の動機は、
明らかに、問題意識を喚起し、注目を高めることにより、
それらの問題解決意識を、持たせようとしているのだ。したがって
情報が、存在することが、直接、危機に直結するわけではない、
ということが、おわかりだろう?
そもそも、それらの問題を解決すべく、それらの情報が作成されて
いることを考慮にいれなければ、正確な、計算とはいえないが、
君の文章をみる限り、君が、以上の点に気づいているとは、思えない。
あるいは、恣意的な目的のために、意図的に自己欺瞞をおこなっている、
と、推定できる。
どうかな?
173 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 21:38:41 0
去年の夏の異様な暑さは、温暖化を身に染みて感じ入らされた。
中東の市街地は本当にどこもかしこも人だらけだった。
俺の祖母は本当に長崎のキノコ雲を目撃している。
174 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 21:47:15 0
ちなみに、疎開先の熊本からだ。
遠方だったから放射線障害はないみたいだが、
それだけ遠くから見えるほどにも、キノコ雲が大きかったってことだ。
エネルギー量では原爆や水爆をも遥かに上回る、火山の噴火に慣れている
九州人には、あまり驚くべきことともとられてはいないようだが。
175 :
考える名無しさん:2011/02/01(火) 23:30:41 0
ふふ。人類の行く末を憂慮するなんて、余裕があるんですねぇ。
わたしは、じぶんの人生だけが、大切ですから。
あなたみたいな、ゆとりはありませんけどねぇ。
まあ、でも、あなた個人は、とてもユニークだな。
すくなくとも、紋切り型でないことは、確かだ。
176 :
シャイア・ラブーフ:2011/02/01(火) 23:37:51 0
人生に幅があるのが心配じゃない、病気とか、怪我とか。万一の事故に備えて福祉が整備してあ
ると持続可能な社会になるよね。
それでなー、どーして、僕が偉くなった時の整備をしてないのかってことなの!
むしろ、歴史の流れの中でしか自分を見据えられない。
仏者のように「我は無い」とまでは思えないが、
少なくとも自我というものが、時間軸方向への流れ広がりを伴っていることを知る。
自我が「いま」それだけに固執することこそは、
人間にとっての最大級かつ逃げ場のない苦しみとなる。
178 :
考える名無しさん:2011/02/02(水) 00:08:02 0
・・そうですかねぇ。
179 :
考える名無しさん:2011/02/02(水) 07:55:18 0
・・あなたは、孔孟の教えは、尊ぶけれども、老荘の教えは、ほとんど無視
する。。そういうのって恣意的なご都合主義じゃないでしょうかねぇ。。
東洋も西洋もけっして一枚岩ではないのに、あなたはあなたの論に
都合の悪い側面はすべて切り捨てた上で、東洋教学は、西洋思想より
はるかに優れているとか、かってに主張しているでしょう。
あるいみ、無能なひとが、有能なひとの大活躍を、やっかんで、陰口を
叩いているだけに思えるな。
本心は、ただうらやましいだけじゃないのかな?
老荘の教えは、わざわざ口に出して褒め称えるまでもないからな。
悪行にかけて有能であるぐらいなら、無能であるほうがまだマシだと。
その論述の正当性と、その正当性の実践に即して、
現社会で最高級の優越に与っている自分自身とをじかに褒め称えるのも、
こっ恥ずかしいし、実際、褒め称えるほどのもんでもない。
悪行にかけて有能であるよりは、無能であるほうがまだマシなのも確かだが、
善行にかけて有能であるほうが、無能であるよりもさらにいいことであるのも間違いないわけで、
「とにかく何をするよりも何もしないでいたほうがいい」とすら言わんばかりの老荘の物言いは、
戦国時代や現代のような、何をやったって悪行にしかならない非常時に限って、真実に値する物言いであるともいえる。
181 :
考える名無しさん:2011/02/02(水) 12:16:28 0
重権力犯罪に溺れきっている「仁弱な知者」などの場合でも、
概念構築や、遠回しな寓意にも乏しい儒家教学上の格言などを、
その字面上の意味だけを把握理解することはできるかもしれない。
でも、たとえば「富貴は道義に基づかなければ得ない(里仁第四・五)」のような格言の
意味を理解できたところで、その意味に反するような悪行にばかり手を染めているわけだから、
理解することがちっとも楽しみにはならず、まさに「耳に痛い」ばかりの、精神的苦痛にもなる。
意味こそ簡略であったところで、その意味がまじりっけなしの正義に即している以上は、
実践からそれほどもの正義を実践できていないことには、その意味を理解して楽しむこともできない。
ちょうど以前に、「五行戦隊儒レンジャー」を試し書きしてみたときに、「面白い」という感想もあれば、
「全くつまらない」という感想もあったように、その意味自体は子供でも理解できるぐらいに
簡単であるにもかかわらず、その意味内容に個々の実践が追い付けているか否かで、
その意味を楽しめる者と楽しめない者とに両極化してしまうのが、儒家教学。
自分の場合は、むしろ儒学上の言葉を楽しめる側の人間であり、「不正な富で友達を作れ」とかの
カルト教義ばかりを実践するあまり、「富貴は道義に基づかなければ取らない」のような、真の正義に
根ざした言葉の意味を楽しむこともできなくなっているような連中に対する優越感すらをも抱いている。
ここにこそ、人間というものの「真の優劣」もまた集約されているのだから、知識や知力の有無こそは
人間の優劣に直結するなどということも、決してないのが明らか。
182 :
考える名無しさん:2011/02/02(水) 13:20:32 0
ことに、差別が存在する限りは、
「正義か否か」こそが、最も普遍的な差別基準となる。
もちろん、差別なんて無いにこしたことはなく、誰しもが対等な
関係性を謳歌できる、平等な世の中であったほうがいいには決まってる。
でも、実際のところ未だそこまでには至らず、経済力だの軍事力だの
諜報力だの知識力だので、他者に優越を効かせようとするような、品性下劣な
輩が未だ跋扈し続けているという現状がある以上は、あらゆる差別基準の中でも
最も普遍的かつ絶対的な「正義」という基準に即して、絶対的な優劣を見せつけ、
正義以外の側面で優越を効かそうとするあまりに、あまりにも正義に悖る悪逆非道
ばかりに惑溺し続けてきた自分たちの、絶対的な劣等さをも思い知らせてやるわけだ。
183 :
考える名無しさん:2011/02/02(水) 13:37:57 0
仏教を、道徳否定主義の相対主義だなどと勘違いしている人間が多いが、これらは
六師外道が唱えていた主張であり、仏教はそもそも道徳肯定主義の絶対主義だ。
その上で、カースト制のような大差別の超克をも試みているわけだから、
ただ道徳や絶対的理性も否定して、何もかもをうやむやのみそくそにして、
考え得る限りでも最も劣悪な状況に何もかもを追い込むことでの平等などを
めざすルサンチマン志向などと、絶対に仏教を一緒くたにしたりしてはいけない。
無理にやってみたところで、仏教信仰の側までもがカルトと化すのみ。
負けん気だけなら、シツケの悪い小型犬でも捨てない。
むしろ、躾けの悪い小型犬こそは、負けん気を捨てられないのかもしれない。
それを失うと、もう二度と誰も相手にしてくれなさそうな気がして。
186 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 00:19:05 0
墨子はインド人だとの説があるね。王の戦好きをやめさせてチャトランガを
発明したインド人と、墨子が王に「墨守」をしてみせた点と似てる。
187 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 00:39:43 0
>>183 ・・残念ながら、大違いだね。六道の俯瞰というのは、あなたが言うような
意味じゃない。まったく、理解していない。・・と、言わざるを得ない。
相対主義じゃない。弁証法だと、言っているだろう?
だから、東洋教学ばかりやっていると、頭が悪くなるんだな?
君は、西洋思想について、いったい、何を知っている?
偏見のあまり、何も読んではいないだろう?
どれだけの達成をしているか、まるで知らないくせに、何を知ったかぶり
して、西洋は、何も成し遂げていない
。。。みたいな事をおっしゃるのかな?
お笑いだよ。私のみるところでは、やはり西洋のほうが、圧倒的に人類
文化に貢献しているね。君は、なんにも知らないよ。無知を自覚して
ください。今年こそ。。。ね。
それを失っても、もう二度と相手にしないなんてことはないよ。
塀の中に突き落としてまでの交際を求めた責任は、ちゃんと取るから。
189 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 01:15:14 0
>>187真に「西洋起源とされてるものが本当であるのならば」な。
君みたいなのがヒトラーやブッシュが現れた際に戦場に行って
犬死するんじゃないのか?いまどき白人至上主義なんて本場でも
地下でしかはやってないぞ。
190 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 05:49:41 0
はぁ?その論法で、西洋のなかで成し遂げられた、業績もじつは東洋起源
のもの、とかいいだして、むりやり東洋賛美を続けるというつもり?
白人至上主義とか、誰が言ったかよ?しかし、君の白人憎悪が異常なので
思わず、白人至上主義に走りそうになるよ。君の理想は、農本主義的桃源郷
か、知らんが、夢でもみてるんじゃないのか?
君、個人が、田舎暮らしをすれば、それですむ話。君の人類を憂慮するという
話は、大嘘か、大自己欺瞞で、いつか、君の嘘に騙された人々のトップに
立って、権力をふるい、名声を得たい。・・・それが、祖父の夢を継ぐこと
とか、考えてるんじゃないの? あのねぇ。確かに西洋は愚行も仕出かした
が、その一方で、大変な業績や貢献も残しているんだよ。偉大な、不滅の
仕事を数限りなく生み出しているんだよ。まったく不当にも、君はもっとも
暗部だけを取り出して、西洋を批判する。東洋人は、徳高いひとびとだから
西洋人のような愚行は、けっして起こさない。。と?ばかな。
191 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 06:05:51 0
きみが、嫌いなのは、西欧人なのか、それともワスプ(ホワイト・
アングロサクソン・プロテスタント)なのか、はっきりしたまえ。
192 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 06:19:19 0
君のはねぇ。祖先の傷つけられたプライドを回復するんだ・・という
一種の復讐物語なんだね。それこそ、私の語ったカルマのなせるわざ
そのものだよ。・・まあ、誰しも、己のカルマから逃れるというのは、
容易なことじゃないけど、それが達成できた暁には、解脱したと宣言
してもいいんだろうな。なかなか、誰にとっても難しい道であること
は、確か。君のように、敵を外部に投射する・・というのは、よくある
症状だが、君は、一方では、聡明でもあるから、時がたてば、君も
快癒できるさ。。。
ただただ、東洋人も西洋人も、誰しもが平穏無事な世の中を望むばかり。
他意はない。
194 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 07:15:29 0
まったく、その通り。
白人が「欠陥人種」だというのも、あくまで現時点における結果論であって、
これからも恒久普遍にそうであり続けるのかどうかは分からない。
人類社会の平穏無事な存続のためには、もはや一時だけでもの、白色人種の禁治産や参政権剥奪は避けられないにしろ、
自分たちにとってこそ特有の過ちや病理を払拭する上での自助努力が、白人の側から積極的に講じられたなら、
「欠陥人種」だの「社会のガン細胞格」だの、「害悪の元凶」だのの汚名が返上される可能性もまたあるはずだから。
所詮は、全ての知識もまた借り物でしかないわけで、
その知識を総動員することによって下された結論に不満があるというのなら、
結論を覆すに値する新知識を提供してみよ、としか言えない。
こちらにねじ曲がった他意など、何もないのだから。
仇討ちの志しからの解脱よりも、
罪に服することから逃げ回る不誠実さからの
解脱のほうが、まだ優先されて然るべきものだしね。
かたや「全ての知識はクリエーターからのあてがい」といい、
かたや「あなたの考え方はかたよっている」という。
だったら、“クリエーター”自身の知識や考え方がかたよってるだけでねーの?
クリエーター交代させれば?
199 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 19:26:15 0
あなたが、興味を持ちそうな本を、ご紹介しよう。。。
島内景二「柳沢吉保と江戸の夢 元禄ルネッサンスの開幕」笠間書院
たぶん、あなた好みだと、思うよ。。。
200 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 19:29:05 0
今までの
さんざんついて来た悪態の責任を
ぜーんぶ
ポーンと
“クリエーター”に丸投げ。
クリエーターが代わらない(いなくならない)うちは、これからも。
201 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 19:37:39 0
>>200 ・・どうも、意味のわかりずらい文章だな。もっと、率直に話せないの
かね?
俺の意見に文句があるんなら、
その文句を全部“クリエーター”にぶつけりゃいいじゃん?
そもそもは全て、クリエーターたち自身の自業自得なんだから。
203 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 19:51:53 0
文句がある・・とは、言っていない。わかりにくい文章だ、
と言っている。
欧米の白人が劣等人種であり欠陥人種であり、
全人類にとってのガン細胞格であり、害悪の元凶である
という俺の意見に文句があるんだろ?
だったら、その文句を“クリエーター”にぶつけろよ。
そもそもの意見の「発信源」でもある、クリエーターたちに。
205 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 20:18:01 0
だから、クリエーターとは誰か? 謎めかすのは止めよ。
207 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 20:26:54 0
邪魔だ。消えろ。
邪魔だとさ。消えろとさ。
聞こえた? クリエーターさんたち。
中国人って、中国語の喋りの速さや、カンフーや雑技芸の細やかさなどから
ひらひらとしたイメージばかりがあるけど、実物は結構のっそりしてる場合が多いよな。
善人としてにしろ悪人としてにしろ、どこにも隙のない言行からの重たみがある。
逆に、今の日本人のほうが、世界的に見ても軽薄でそそっかしすぎるだけなのかもしれないが。
210 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 22:29:37 0
クリエーターとは、雇用主のことか? なら、そうはっきり言えばいい。
土下座中の後頭部を見てやることはあっても、
おもてを上げさせてやることは一生ない相手だ。
212 :
考える名無しさん:2011/02/03(木) 22:52:14 0
ふん。
別にいいが、しかし、誰に言っているのかな?
わたしは、悪態などついた覚えはまったくないから、スレ主のことだね。
しかし、わたしの発言の直後に書き込むのはまぎらわしいだろう?
・・ちゃんと、宛先番号を指定しないとな。今後、気をつけたまえ。
さすがに、遺伝性の精神病質者と結婚して子をもうけるのは、
その病を引き継いでしまう子供たちが可哀想だからこそ、躊躇する。
自己治療も可能な後天性の病である場合に限って、結婚のような進展も見込まれる。
他人に文句を付けるばかりで、肝心の自分たち自身を改めようとは絶対にしない、
その頑迷さが捨てられない以上は、保健所に連れていく狂犬並みに
救いようのない不治の病の持ち主のままであることも明らかだから、
これ以上お近づきになるのも控えておいたほうがいいことまでもが明らか。
その病が、遺伝性の不治の病でまであるわけではなく、
治そうと思えば治せる程度の証拠を提示してもらってからでないと、
「妻は卑賤の出身であってもいい」という、男系の封建社会における士人の婚姻条件すら満たされない。
215 :
考える名無しさん:2011/02/04(金) 11:04:41 0
自首しない限りは、今年も何もない。
来年も再来年もそのまた次も、永久に何もない。
この次になされるべきことが、それ以外に何もないからだ。
また脳の病気がはじまりましたね☆彡
精神修養強姦みたいなモノですか?
218 :
考える名無しさん:2011/02/04(金) 12:58:36 0
自首するか否かが、“クリエーター”たちにとっても、
最低限「仲人」としての体裁を保てるか、それとも
お下劣な「女衒」止まりに終始するかの、境い目ともなるわな。
女衒なら、めあわせが成功した後の「客」がどうなろうが知ったこっちゃないが、
(むしろ悲劇的な末路を辿ってゴシップのネタになってくれたほうが好ましい)
仲人なら、結婚後の安泰な生活までをも保証してあげなきゃなんないから、
めあわせの仕方に致命的な不正があったことの責任も、当然とらなきゃなんないわな。
そしたら、おもてを上げることも苦しゅうないぐらいにはなれるかも知らんに。
50代で亡くなった父は恐い人でした。
社会の基礎である家族のカシラとわかっていましたが、権威を振りかざして威圧する言動は受け入れられませんでした。ビクビクしてたけど、ひょうきんなところがあって、時々おどけてみせたりドラエもんのコミックを買ってきてくれたり優しいところもありました。
思春期にとうとう母の限界がきて子の心のケアも考え合わせてか別居→後の離婚となりました。
その後の父が倒れて意識不明になるまで、どこでどう暮らしていたか知るよしもありませんでした。
臨終の時に立ち会うことはありませんでした。私は精神を病みましたが、回復に向かいました。
父を愛していましたが、悔やまれることもありました。
私事で失礼いたしました。
220 :
考える名無しさん:2011/02/04(金) 20:01:20 0
一家に長たる上での十分な道徳的基盤を固めることもなく、
ただ金を稼いで妻子を養っているからというだけの理由で威張りくさっていた、
それじゃあ確かに、一家ともども破滅の道を歩んでしまったとしても、仕方がない。
火付盗賊の家族なんかは、昔からお上の懲罰やら仲違いやらで
悲劇的な運命を辿ることが多かったわけで、そこまでひどくはなくとも、
平凡な百姓や町人の家だって、農耕や物売りが必ずしも男手でなければ
務まらない仕事でもなかったことから、父権が絶対化されるようなこともなく、時には
女房のほうが家長も同然の扱いを受けていた事例が、江戸時代の日本にすら見られる。
確実に父親こそは一家の大黒柱とされ、たとえ婿養子の場合であろうとも、
家系図に婿の名前のみが残されるほどにも、夫であり父親である男の権威が絶対化されるのは、
封建社会においてですら、庶民や産業との袂を完全に分かった士人階級にのみ徹底されていた
慣習であり、産業やサービス業(本当はサービス業も産業のうち)に従事する庶民階級の分際で
父権の絶対性を振りかざしたりするのは、それこそ「ごっこ遊びのいき過ぎ」というものだ。
為政者階級に当たる公務員ですら、「士人」の名に悖る過度の腐敗を積み重ねている昨今、
父権の絶対性を唱えられるほどにも立派な夫や父親など、一人たりともいないといっていい。
221 :
考える名無しさん:2011/02/04(金) 20:25:44 0
それこそ、天皇陛下ですら、父権の絶対性を付与するほどもの威厳には
欠けていることから、女系天皇の容認までもが叫ばれている社会だもの。
「決して女系の皇位継承を認めるべきではない」と主張するだけなら簡単だが、
君主が男系でなければならない確かな理由を、誰も知らない今の世の中において、
「女系を認めるべきでない」という意見と、「女系を認めるべきだ」という意見との絶対的な
是非関係を納得できる人間なんて、女系否認派のほうにすら、全くいないといっていい。
男尊女卑が男尊女卑たる所以を、男女の平均体格差の違いぐらいにしか誰も
認められない昨今、男尊女卑を振りかざす資格のある人間はもはや絶滅したといってよく、
それでも諸法の実相が男尊女卑であらざるを得ない理由を、誰もまだ理解できていない
という前提のもとに、改めて始めから突き詰めなおすぐらいのつもりで、誰しもがいるべきだ。
222 :
考える名無しさん:2011/02/04(金) 22:29:19 0
おいおい、鬼平の世界に閉じこもるのは、いいかげんにしてくれよ。
そういうのを、「現実逃避」って、言うんだぜ。
やれやれ、君が愛してやまないのは、ある一作家のフィクションに
過ぎないんですぜ? その君が、ヴァーチャル価値生成を否定するって?
君こそ、ヴァーチャル価値の世界に首までどっぷり浸かってるのがわから
ないのかい?君は、タイムトラベラーでもない限り、ヴァーチャルな江戸
しか、ご存知ないんだぜ? 君のその灰色の脳細胞のなかで、美化された
「江戸」が、むしろ、可哀想だぜ。
ということは
鬼平でないナニカによって男女の仲を取り持とうとしたのを
全く無視しメンツ丸潰しして出入り禁止になっているかのような
アレのふたたびの謝罪と何かによって取り持つか
どうかという瀬戸際落ちかかりという状況?
224 :
考える名無しさん:2011/02/04(金) 23:28:48 0
鬼平なぞ、読んでる暇はない。
虚構に引きこもるということはあっても、真実に引きこもるということはない。
全ての虚構は真実の中に存在し、真実の外側にも虚構があるなどということはないから。
226 :
考える名無しさん:2011/02/04(金) 23:43:05 0
・・他ならぬ、君が、そんなにお勧めだと主張するなら、30年後
ぐらいに読んであげるよ。さぞかし、すばらしい時代小説なんだな?
・・残念ながら、いまの所、待ち行列がいっぱいでね。
閉経するまで読まないんだ。
子孫繁栄不適合者としての自覚があるんだ。
228 :
考える名無しさん:2011/02/04(金) 23:57:59 0
ところで、ソクラテスやイエスといった種は、死してなお、
数千万の豊穣なる実を齎したわけだが?
君の、一押しの孔孟も、当然、幾千万もの実を齎したのだろうね?
・・それにしては、いっこうに固有名詞が出て来ないのは、
どうした事だろう? どうか、遠慮せず、列挙してくれたまえよ?
ただし、邦訳が出ているものを頼む。。。
その“数千万の豊穣なる実”が、東洋の偉人の中では最底辺の部類に入る
親鸞和尚の悪人正機、ただの一言で全て塵芥に帰してしまったのだから、
現実を受け入れ難い気持ちもまたひとしおだろうがね。
その現実を受け入れないことには、この先なにも進展することはないんだよ。
230 :
考える名無しさん:2011/02/05(土) 00:38:17 0
ほお。。。これは、また。
親鸞上人が、孔孟の教えの継承者とは。
つゆ、気づきませんでした。。。
詳細の解説を、お願い致します。
私は、また、渋沢栄一とか、言い出すのか。。。と思いましたよ。
・・親鸞とは。
まさに、虚をつかれました。彼の思想と孔孟の教えのあいだに
いかなる連続性があるのか、ぜひ、お聞かせください。。。
もののあはれ
232 :
考える名無しさん:2011/02/05(土) 07:27:41 0
親鸞が、アミダ仏の救済を信じて、一切の自力作善を捨てよ・・と、
主張するとき、それは、老荘思想の無為自然に近い。ただし、念仏
さえも、私には、自力作善に見えるので、老荘のほうがより完全だ
と思っていますがね。
私は、老荘思想の類似思想を紹介してほしい、とか頼んだ覚えは鳴く
孔孟思想の後継者ないし、発展者(で邦訳のあるもの)を紹介して
ください、と頼んだのですが、その様子ではひとりもいらっしゃら
ないようですね。アジアのひとは、それを血肉化したのであって、
孔孟思想の発展など必要、なかった。。という訳ですか。なるほど。
西洋ほど、たくさん読む本がない所は、非常に便利ですね。図書館
も出版社も本屋も存在する必要がないわけですな? 本なき世界、
。。という訳ですが。ひとびとは、余った時間をいったい何をして
過ごすのかな? ちょっと想像できないな。
あなたに、説明してもらいましょう。。。
233 :
考える名無しさん:2011/02/05(土) 07:40:44 0
あなたは、人類という、地球生命にとっては癌のような存在が
存在してしまったことを憂いておられる。が、
安心してください。人類の治世は、数千万年も続きはしませんから、
そのうち、より善なる存在・シリコン生命に地球の管理をまかせ、
自らは、引退しますから。
あなたには、人類の重要な役割に気づきませんか?
ヨウが登場するためには、まず先にインの暴虐無惨が必要なのですよ。
自然の摂理です。
シリコンオッパイの貪れまくり女に后座を譲るんだ?
他に余罪がないんなら、ほんの数ヶ月だけでもいいから、檻の中で本なんかも読まずにじっくりと反省して、
それでもまだ自分に、妻や母となる資格が具わっていないように思われるのかどうか、確かめてみればいい。
いかなる知識でもなく、切実な実践こそは、あなたにも良妻賢母になる資格を与え得る。
236 :
考える名無しさん:2011/02/05(土) 12:57:46 0
儒学は象牙の塔の内側にひた隠しにされたままの作り物などではないからな。
前漢初期に、まず陸賈が詩書を勉強する価値を高祖劉邦に納得させ、
叔孫通が礼楽の制定によって朝廷内の風紀の粛清にも貢献した。
この時点でまず、詩書礼楽による実践的な儒家統治の初歩的な基盤が成立した。
それでもまだ、蛮族匈奴との仲違いなどが冷めやらぬ状況において、儒家以上にも、
国力を増強する上では有効な道家の無為自然統治のほうが主力ではあったが、
武帝の代についに匈奴が滅亡し、国力を増強するのと引き換えに、
贋金作りなどの国内における副作用的な腐敗を招いていた道家的統治を払拭して、
董仲舒らが五経を制定するなどして、科挙制度の基盤をも整え、
本格的な儒家統治の実践を推し進めていく目処までもが確立された。
その後、遥か後代である宋代に、朱子が「論語」「孟子」「大学」「中庸」の四書を
五経に次ぐ重要さを持つ経書として推薦したために、朱子学が儒学の本流となった
今日においては、「四書五経」が儒家の正典として広く人口に膾炙している。
この、四書五経だけでも、新旧約聖書全文を若干上回る程度の分量があり、
一人の人間が一生勉強し抜いても余りあるほどの含蓄が込められているわけだが、
儒学を勉強する上での資料は、何もこの四書五経にもかぎらず、諸子百家や
二十五史や全唐詩や朱子語類などといった、莫大な分量の副次的な
研究資料が、後代の儒者や半儒者や反儒者などによって編み出されている。
237 :
考える名無しさん:2011/02/05(土) 13:14:38 0
早い話が、漢代以降に編み出されたありとあらゆる漢籍は、
儒学が国学も同然の扱いとされたこともあって、
少なからずどこかしら儒学の影響を受けているのであって、
近現代の中国人の振る舞いにすら、道家と並んで、
儒家に根ざした言動規範が多々見られる。
儒学に根ざした資料も文化も莫大ではあるが、その割りには、
その全文が邦訳されている資料は極めて少ない。
訳されていてもほんの抄訳とかで(中国古典新書とか)、
書店や図書館の邦訳漢籍コーナーなどを見ても、
よっぽどシリーズを取り揃えられてでもいない限りは、
その文献量の貧弱さばかりが目に付くこととなる。
これは、明治初期の教育相だった森有礼が、
明治天皇の「儒学を学校教育の主流に」というご意向をも無視して、
洋学を学校教育の中心に据えた逆命害君をも元凶としているわけで、
「文学部中国哲学科」などで学ばれるだけに過ぎない漢学などに
十分な研究予算を割り当ててやっていないことをも原因としている。
黄泉国でのケガレを、天岩戸@小菅一丁目で浄化
239 :
考える名無しさん:2011/02/05(土) 18:49:59 0
いやか? いやか?
自首するのがいやか?
誰しもがイヤなこととウレシいこととを折半することで
何とか世の中を保たせようとしている中で、
自分たちばかりでウレシいことを全て独占し、
イヤなことはぜんぶ他に押し付けてきたのが、君らだ。
翻って、今度は自分たちばかりがイヤなことを引き受けていく
のではなく、それぞれに相応の苦労が課せられるだけのことだ。
犯罪者である以上は、相応の罰を受けるなどのだ。
再起不能となる努力をしているのは知っているが、
活路を切り開くための努力をしているとは、ついぞ知らない。
他力本願としてですら。
荘子は「早死にならそれでもいいじゃないか」論者。
念仏もしないことには、その効力を発揮しない。
241 :
考える名無しさん:2011/02/06(日) 11:08:09 0
Shukran Allah
242 :
考える名無しさん:2011/02/06(日) 13:13:57 0
流れを豚切って。
ナチスの「アーリア人思想」って
法華経の「西方浄土に住まう住人」の記述に影響を受けてない?
あるいは仏の32相。この中に仏の身体的な特徴として
「肌は金色で」
「真の青い目」
とある(法華経)。
さらに「悪人の肌の色は黒い」とも。
ヒトラーはこの書物に何らかの影響を受けたのではないだろうか?
もう二度と政治なんかしなくていいんだから、まさに極楽浄土の住人さ。
Shukran Allah
死して虜囚の辱めを受けず、生きて罪禍の汚名を残すことなかれ。
245 :
考える名無しさん:2011/02/08(火) 10:47:24 0
しかるを世のひと、つねにいはく、
「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」と。
この條一旦そのいはれあるにたれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善のひとは、生きて虜囚の辱めを受けず、
死して罪過の汚名を残せざることあるなれども、
われら煩悩愚縛の凡夫なれば、さようなることあたわず。
生きて必ず罪過の汚名を残し、死してなほ虜囚の辱めを受けるものなり。
しかあれば、弥陀の本願に依りたまいて、死して虜囚の辱めを受けず、
生きて罪過の汚名を残せざる、お浄土への往生を乞うばかりなればなり。
素晴らしい、とは思わないかね?
日本には、総本部があるのだね。
この前、行ってきたよ。
そこは、永遠に時の止まった場所で、日本の歴史の総てが綺麗に折り畳まれて
いるのだよ。。。
そして、アイネ・クライネ・ナハト・ムジークが流れている。
そこは、完璧な場所だ。見つけてみたまえ。。。
同志は、寝ちゃったから、あたしが代わってお答えするわ。異存なければ。
・・道家的統治ねぇ。いや、かんたんにおっしゃりますけど、
「見てきたような、うそをいい」という言い回しもございますのよ?
道化的統治という言葉が、何より、形容矛盾よねぇ?
なにを、根拠に見てきたような事を、おっしゃるのかしら。
あたしの知る限り、当時から現在までの状況下で、あなたが、CS技術を
用いて、この時間帯に還ってきたTTであるという可能性は、99.9
パーセント以下・・だね。
つまり自ら主張している通り、あなたはまぎれもなく、同時代人ね。
(ま、あたしたちのテクノロジーが、さらなる未来に発明される可能性は
絶無じゃないけど)
・・つまり、単なる20世紀人でしかない、あなたに
「見てきたようなうそ」をついてもらいたくないの。
・・あたしたちの知るテクノロジーをさらに超えたテクノロジーが、
の言い間違い、だった。
近ごろ、道家的統治が“覇権”を取り戻したのは、
2008年の10月ごろだったっけか。
まだ“王権”を取り戻すまでには至ってないが。
項羽も韓信も匈奴も亡んでの、天下無敵とまでは。
今の、底抜けにバカな日本の若者も、一昔前の、
貨殖功利ばかりに小ざかしい世代などよりは、
まだ再教育がしやすいというもの。
本来は、愚民化目的でバカ者化も試みたんだろうが、
それが結局、愚昧の美徳を説く道家の教えにも適っている。
まさに、陰きわまって陽と成すとでもいったところ。
あとは、中途半端に陰湿であるがゆえに害悪をも
撒き散らしている、上のほうの世代が引退するのみ。
近ごろのグーグルにも言いたいことだが、
何でも誕生日を祝えばいいってもんじゃない。
特に、故人については、命日を弔うのが本来の作法。
吉事と凶事の区別も付けずに、みそくそに扱うのも不吉なことだ。
253 :
考える名無しさん:2011/02/09(水) 19:16:48 0
英国なんかは宗教戦争がおこる以前は大陸貴族の持ち物でしかなかったのに、
それ以後は連戦連勝の超大国(いまもポンドはドルより決算規模は大きい)
でしょ。やっぱ老荘思想は正しいのではないかなあ。日本列島だって第二次大戦で
負けるまで戦略戦争に勝ったことはなかったのだし。これからだよ。多分。
いちいち今から崩壊する国を参考にしたりする必要はない。
つか、男よりも女のほうが生存本能に長けているはずなのに、
なぜそこまで滅亡寸前の国などに入れ込む?
「女に大局の存亡を見計らう能力はこれっぽっちもありません」と、
自ら白状しているようなものだぞ?
ふん。
無為自然ということの真意は、無為であることなど不可能だ、
という意味なのさ。
確かに不可能だわな。
しつけの悪い小型犬には。
しつけられるのが、自然な大型犬はかわいそうだな。
小型犬も、ちゃんとしつけられているほうが可愛いし、
それが本人ならぬ本犬のためにもなる。
特に、しつけの難しいとされるミニチュアダックスフンドなどは、長い胴と
短い脚とで旺盛にはしゃぎ回るから、飛び上がっての吠え回りをやめさせる
などの適切なしつけを行わないと、無理がたたって将来かならずヘルニアになる。
腰が痛いあまりに、万年「ウ〜ウ〜」いう、性格の悪い老犬になる。
幼いころから飼い主が甘やかして、厳しいしつけを「いじめだ」などと過剰嫌悪
してもいたから、甘やかしが裏目に出て、辛い老後を送らせることになってしまう。
しつけられるのが、当たり前な犬という動物はかわいそうだな。。
ところで、より正確にいえば、無為でありことも自然であることも
不可能。。という意味だ。
人が悪逆非道な有為にはしるのは、
有為な中にも中途半端な無為志向を取り残しているからだ。
有為や人工も、極めれば必ず勧善懲悪になる。
・・それより、あたしの叔父きが出版した本が、この度、岩波現代文庫に
入ったの。読んでみる?
兵藤裕己「王権と物語」。。というの。
ちっ。。。妹と来たら! 頭じゃなくて、藤、なのに!!
264 :
考える名無しさん:2011/02/10(木) 07:02:41 O
善とは、有為や無為が健全であることだ。
悪とは、有為不全や無為不全のことだ。
人工も、核融合実現にまでこぎ着けられれば善になるが、
核武装や石油利権に固執していれば悪になるように。
265 :
考える名無しさん:2011/02/11(金) 17:14:58 O
Q.東洋の封建制と西洋の封建制の決定的な違いは?
「封建」の語源は、以下の通り。
【原文】 【訓読】
天命降監、下民有嚴。 天命降監し、下民にも嚴有り。
不僭不濫、不敢怠遑。 僭ならず濫ならず、敢えて怠遑せず。
命于下國、封建厥福。 下國に命じて、厥の福を封建せる。
【和訳】
天命から下される監視が行き届き、下民もまた厳かなる。
僭越も濫行もなく、敢えて政治にかけて怠惰自暇するなし。
上位の国から下位の国に向けて、その福徳の創建を封ぜしめる。
(「詩経」頌・商頌・殷武より)
超一等国:日本皇国
一等国:中華帝国、インド聖国
二等国:中東諸国、東南アジア諸国、朝鮮、台湾
三等国:欧州、ロシア、アフリカ諸国、旧イギリス連合国(インドとイギリスを除く)
四等国:アメリカ、イギリス、イスラエル
超一等国・・・天上主たる権限あり。一等国を含む世界全国を統べる。
一等国・・・天下に王者たる権限あり。二等国以下の諸国を統べる。
二等国・・・天下に覇者たる権限あり。国際社会に参画できる。
三等国・・・生産権はあるが自治権はなし。委任統治領としての扱い。
四等国・・・治産権なし。南極大陸のような不毛の地としての扱い。
天命に反する監視ばかりがまかり通り、下民もまたふざけきり、
僭越や濫行だらけで、敢えて政治にかけては怠惰自暇するばかり。
下位の国から上位の国に向けてこそ、その災禍の創建を封ぜしめもする。
そんな惨状を画策していた連中が根城にしていた国などが、
地球社会に順当な封建制が敷かれるようになった途端に、
最劣等の不毛の地も同然の扱いを受けるようになるのも当然だわな。
当然それぐらいは覚悟の上でやってきたことなんだろう?
アメリカ? イギリス? イスラエル?
そんな所に、いったい何があるってんだ?
ただ、世界でも選りすぐりの凶悪さを宿したゴロツキどもと、
チンパンジー以下の恒常知能しか持ち合わせていない精神障害者と、
子供だましや女だましの児戯をもてあそぶ奇芸師がいるだけだろう?
アメリカという衆愚国や、イギリスという連合小国が、
その国に住まう人々の物質的繁栄を保証するための
万全の体制が敷かれた国であることには違いないが、
そのせいもあって、当のアメリカ人やイギリス人自身が、
世界にも秀でて敬われるべき聖人や賢人となる余地は、悉く省かれている。
如来の「慈悲」によって、人々が福徳へと導かれるのとは逆に、
多大なる物質的強奪の限りを尽くしている国の人間などが、幸せに
うかれていればいるほど、より多くの人々が不幸な破滅へとも追いやられる。
本人が楽しむことと他人が楽しむこと、本人が悲しむことと他人が悲しむこととは
比例関係よりは反比例関係にある場合が多い、だからこそ、自分たち自身の
幸福ばかりを貪ってきた米英人などが、人からも尊敬されるべき慈悲に
満ち溢れた聖賢である可能性などは、かえって無からしめられている。
271 :
考える名無しさん:2011/02/12(土) 19:49:33 0
そんなことより宮崎駿のアニメは完全に仏教の世界だということを
語るべきだろう。法華経の信者かな、彼は(もちろんカルト創価ではないw)
俺の、執拗な東西比較を毛嫌いして、やめさせたがる人間も多いがな。
>>1でも書いてあるとおり、善悪二元論の起源である拝火教(ゾロアスター教)もまた、
東洋教学の一種であり、浄土系の仏教などにも多大なる影響を及ぼしているわけだ。
善悪の両極に物事を配分して考える、それもまた東洋教学の産物なのであって、ただ、
善悪二元論を悪逆非道の側から構築したりはしなかった部分だけが、アブラハム教とは違う。
今だと、東西比較あたりに顕著となる、善悪二元論を貫徹させることもまた、
東洋教学にとってこそ課せられた使命なのであり、二元論を貫徹させた途端に
自滅してしまう聖書信仰などのほうが、最後まで二元論の探求を貫徹することは諦めて、
おとなしく隷属者としての本来の身分に立ち戻って差し支えのないところだ。
パヤオ氏の作品から考察するに、彼は聖書や心理学(ユングあたり)の知識もあるようです
作品の題名すら参考にするほど宮崎駿はニーチェを取り込んでいますよ。
ドキュメンタリー番組でもニーチェについて語っていました。
宮崎駿は労働組合の共産党員だろ
地球資源の配分均衡が是正されて、資本主義国の資源配分が大幅に減らされれば、
日本の自然もパヤオワールド並みの豊かさを取り戻せるよ。
277 :
考える名無しさん:2011/02/13(日) 18:56:26 0
宮崎作品のどこにユングやニーチェの言葉が出てるの?
全世界から利権を吸い取ることで肥大化した権力の持ち主が、
どれほどもの強権を行使したところで、全世界を思い通りにすることはできない。
所詮は「全世界」から強奪することで肥大化した権力だから、
あたかも家計を掌握したニートが、家族を好き勝手に操るために
全財産を濫用したところで、ただ家庭崩壊を招く結果となるだけであるように、
全世界から利権を略取した重権力犯罪者が、全世界を自らの思い通りに操ることなどできない。
全てを思い通りに操ることはできなかった結果としての、マッチポンプをなるべく
見苦しくないように見せかけるのみであり、ただ何もしなかった場合以上の惨事を招くばかり。
全世界から利権を強奪することで強権を蓄える以前に、全世界を「一化」の存在と見なした上での、
適切な権力の蓄え方や行使の仕方を考えるほうが、実際のところ一化でもある現実世界において
より強大である上に、世の中を無為以上にも善良な方面へと導く有為ともなるだろう。
蛇足だが、海の食物連鎖の頂点は、サメじゃなくてシャチだってな。
ホオジロザメも食い殺すし、史上最大の動物シロナガスクジラも食い殺すって。
かつて最大級のサメだったメガロドンもシャチが食い殺して絶滅させ、
生身の強さでシャチに対抗できるのは、オスの成体のマッコウクジラだけだって。
(ただしマッコウクジラはサメやクジラまで食べない)
俺も、サメよりはシャチのほうが好きだな。
強いだけじゃなくて、頭もよくて、人間とすら仲良くできる。
その上サメよりも強いってんだから、まさに馬鹿力を上回る文武両道だといえる。
280 :
考える名無しさん:2011/02/15(火) 00:55:02 O
シャチは強いのに、人間は襲わないんだってね。
サメより強くて頭もいいのに、人間は襲わない。
バカでひ弱なサメのほうが、頻繁に人間を襲う。
たぶん昔、日本の漁師がシャチを捕らえていたのに懲りて、
「人間だけは襲っちゃなんない」っていう慣習を自主的に蓄えたんだろうね。
サメのほうはバカだから、そんなわきまえを持つこともできないが。
調べてみたら、俺の母方の家系は、二千石取りの上士だったらしい。
地方の大藩の家老だったにしては、意外と低かったんだな。
ちなみに父方の家系は、もっとすごい。
石高は別に高くないが、近代以降の日本史が、
根本の部分からまったくのデタラメだった証拠を握っている。
武道で言えば、母方の家系が「当て身」、父方の家系が「極め」ってとこ。
自分自身のことを自慢するのは高慢の原因になるが、
ご先祖様を自慢するのは別に高慢の原因にはならず、
かえって「自分自身もしっかりしなけりゃ」という、気の引き締めにもなる。
たいへんたいへん。
江戸時代の大名は、奥さんを人質として江戸に定住させていたから、
本妻とはまた別に、領地に「国御前」名義の妻をほぼ必ず置いていたんだって。
つまり、大名は参勤交代の都合上、必ず正室の他に、少なくとも一人は側室を囲う必要があったわけだね。
ほんと、大身の武家ってのは世知辛いもんだねえ。
俺のご先祖様にも、任務に耐えきれなくて家老を中退した人がいるけど、
武家であるということの、いかにやせ我慢であるかがうかがえるところだねえ。
「武士は食わねど高楊枝」は、下級武士ではなく上級武士にこそ課せられた使命だった。
283 :
考える名無しさん:2011/02/15(火) 21:30:43 0
>>281韓非のいいに従えば君たちは絶滅の憂き目にあうわな。
高い地位にいて人を苦しめる。これをまさに国家の盗賊という。
284 :
考える名無しさん:2011/02/15(火) 21:34:51 0
そう、俺が法家の徒だったら、こういうヤツを許さない。
なぜ常日頃高い権力を持ち、美味しい物を食べることが、
こういった者たちができるのか?それは「下位層を守るため」だ。
自国を大戦略戦争の大敗北に導き、白人至上主義のキチガイ国家の
植民地となし、自らは責任を取らずのうのうとしている。
こんな者たちは真っ先に処断されるべきであり、その後に
この列島を幸福にできる者たちがその地位に就くべきである。
こういった「上位にいるものほど能力が低くて良い」ような
地域ははやばやと滅し、跡形もなく焼き尽くすべきだ。
ダメリカの力など借りず、自らが自らの過ち・長く続いた迷信を打破してこそ、
日本列島の真の独立がある。
公務からの権力犯罪者のほうが相応の処罰を受けるのは当然であるとして、
民間の権力犯罪加担者のほうが、連帯責任を負わされることも当然覚悟の上なんだろうな?
権力道徳が満遍なく敷設される以上は、致命的な権力犯罪加担者であったような連中は、
民間の放辟邪侈を禁止するためにも、民間へ逃げ込むことも当然禁止されるし、
仮に権力者への姑息な取り入りを図ったところで、懐柔目的で送り込んだ子女が妾止まりになったりするぞ?
江戸初期の、徳川氏の石高が約250万石。
これはつまり、徳川氏だけで250万人の人々を食わしてたということ。
いま、世界最大の従業員数を誇るウォルマートですら、
その総数は190万人。トヨタや松下も3、40万人程度。
総数60億人を超える現代社会においてですら、総人口約3000万人の国の
王様ほどの責任すらも、私企業というものが負ったことはない。
人は養わないくせに金だけは貪る、そういう連中こそは、
“下位層を守る”責任を果たしていない最たるものだといえる。
287 :
考える名無しさん:2011/02/16(水) 10:25:34 O
太宰治は「斜陽」で、旧華族の没落を悲劇的に描いていたけど、
本当のところ、何万人もの人々の生活を請け負わされる労苦から完全に解き放たれて、
無責任の自由を謳歌していたような没落貴族も多かったんじゃないだろうか?
上等士族だったウチの祖父も、そんな感じだったところがあるし。
もちろん、かつての華族や士族ほどにも
責任をもって多数の民を公正に養う人間などは、今の日本や地球上に一人もいないから、
そのせいで何億人という人々が天災でもないのに餓死したり、
何十億人もの人々が貧窮にあえいだりもしているわけだが。
288 :
考える名無しさん:2011/02/16(水) 11:13:58 0
私企業は、一定数の従業員を養う義務なども負わず、
自分たちの都合で平気で解雇や減給もする。
特に、不況で企業自体の存続が危ぶまれるような状態になれば、
平気で莫大な人数の失業者をも路頭に迷わせて憚らない。
そんな私企業の無責任を、幼児の尻拭いのように取り繕うのが
民主主義下の政府で、何とか雇用を創出したり、
企業に身勝手な解雇や減給を思いとどまらせる法令を策定して
みたりするが、如何せん、政治献金などによって企業の飼い犬も
同然の状態と化せられている政府などに、一定以上にも
私企業の横暴を取り締まるような権限は一切、存しない。
それで結局、全てのしわ寄せが「国際取引」に持ち込まれる。
日本人自身が直接取引するのは、米英人だったり
中国の上層部だったりするわけだが、米英人はアフリカや中東、
インドなどから強奪した莫大な利潤を、加工貿易などの形で多少は
日本に恵んでやっているのだし、中国の上層部も、国内の下層階級を
奴隷も同然の劣悪環境下や低賃金によってこき使うことで、
日本に物質的な側面での補填を供給したりもしている。
資本主義や民主主義の発祥地でもある米英などと比べれば、
日本が「害悪の元凶中の元凶」でまであったりすることは決してないが、
(そもそも資本主義も民主主義も敗戦によって無理やりあてがわれたものだが)
日本が封建制による堅実な民の養いを捨てて、私企業の横暴や
そのなけなしの取り繕いなどを、資本主義や民主主義を通じて
取り入れてしまったことも確かに、アフリカや中東やインドといった遠国が
さらなる飢餓や貧困や戦乱にあえぐ間接的な原因ともなってしまっている。
もちろん、中国や国内の下層階級の、劣悪な生活の原因にもなっている。
289 :
考える名無しさん:2011/02/16(水) 13:29:26 0
士人や士族として高禄取りだったということと、
大富豪や大企業であるということとは、まったくイコールではなく、
前者には石高相当の家臣や民を養う責任が課せられていたのに対し、
後者の場合は全くそうではなく、最悪、個人で何兆円もの
資産を独占するようなことにすらなる。
封建社会とて、西洋のように為政者と庶民の明確な区別も付けられずに、
為政者までもが土着して私的な利益を貪るようなことがまかり通っていた
こともあるわけだが、それは「敢えて怠惰自暇せず」という、封建社会に
おける為政者のあり方からすれば、根本的に間違っていた姿なのであり、
為政者が土着せずに参勤交代などの根無し草生活を強いられ、
その移動の過程で莫大な旅費をも路傍に落とさざるを得なかった、
江戸時代の武家などにとっては、心外極まりない批判理由だろう。
あのう。
思うんだけど。君が、白人至上主義を嫌う唯一最大の理由って、
「自分が白人でないこと」だよな。
笑わせるな。・・君がもし、白人に生まれついていたら、
君はガチガチの「白人至上主義」者になっていたに違いないんだからな。
たまたま、黄色人種に生まれた・・というだけで、君のこころは
取り返しがつかないほど、傷ついてしまったんだからな。
君は、普遍性という言葉の意味を、了解できないだろう?
人類の普遍性を、君は、感じ取れるかな。。。
無理だね。御先祖さまコンプレックスの君にはね?
ご先祖さま?・・あまり、笑わせるなよ。
291 :
考える名無しさん:2011/02/16(水) 23:25:10 0
たとえば、二千石取りだった俺の母方の家などの場合なら、
2000人の人々を、まるで一家のように養う必要があったわけだ。
「石高」ってのは基本、武家が拝領する領地の総石高を表すわけで、
別にその全てを武家が所有するわけではなく、四公六民や五公五民などの
形で、四〜五割の禄を武家が農家から徴収して、自分たちの生活と、
自分たちが治める領地の健全な運営のための、必須の糧としていた。
石高が二千石なら、千石をわが物として、残りの千石は百姓のものとし、
さらに我が家の取り分である千石のうちの相当数を、換金なども
踏まえつつ領地の統治のための資本として役立て、それでも残った
資本だけを、自分たちの生活のための財産にしていたわけだ。
二千石取りだったからといって、二千人近くの武家奉公人を雇っていた
なんてことももちろんないわけで、私的に利用できる財産はごく限られて
いたのであり、「総資産ン億円」なんていう大富豪が、本当にン億円を
自分の思い通りに使えたりするのとは、わけが違うわけだ。
292 :
考える名無しさん:2011/02/16(水) 23:38:14 0
「二千石取りの上士だった」ということは、四公六民や五公五民に基づけば、
少なくとも「1000〜1200人の百姓を共に養っていた」ということであり、さらに
その他に、商人や工人にあたる町人も養って、それでも余った取り分だけを、
武家奉公人なども養いつつの、我が家の生活に役立てていたということだ。
この、責任の重さが、税金すら払い尽くせば後は好き勝手に金を使っていい
富豪や企業などにどうして理解できようか? 領地の民は、百姓や町人も含めて
その全員を養ってやらなければならない、武家に負わされた重責というものが。
・・最低、「ロビン・フッド」くらい、観たんだろうな?
294 :
考える名無しさん:2011/02/16(水) 23:57:03 0
ロビンフッドが、天下を一家のように養ったり、
そうできるビジョンを打ち出したりしていたのか?
ただレジスタンスであるというだけではどうにもならない、
内実を伴いつつの、命運の左右というものがある。
そこにラッキーやアンラッキーなどはなく、
ただ自らの実力による完全なる淘汰のみがある。
295 :
考える名無しさん:2011/02/17(木) 00:44:21 0
ロシアが北方領土関係で五月蝿いね。
不良債権なんかもう抱えたくないんだけど、
崩壊後のアメリカを、一時だけでも日本領に
しとかなきゃなんない? ハエ捕りのために。
観たうえで、言ってるんだろうな?
297 :
考える名無しさん:2011/02/17(木) 01:18:00 0
勃起したちんぽぐらい生で見たことがあるんだろうな?
・・まあ。君が、人類の偉大な遺産の大半を知らないままで、
死んでゆくことに、別に、深い関心がある。。訳ではないんだがね。
井戸の中のカエルさんよ。
299 :
考える名無しさん:2011/02/17(木) 01:36:28 0
差し押さえ査察は行き通らせるから心配いらない。
で、見たことあんの?
西洋が偉大でないというよりは、東洋が偉大すぎるということだ。
東洋と比べれば、西洋すら劣悪であらざるを得ないということだ。
まあ、近ごろの断末魔は無様すぎるところもあるが、それも「終始一貫」だったというわけではなし。
最終的に被保護者に身をやつす命運の限りにおいて、よくやったとはいえる。
ユニオンジャックや星条旗を服地などにあしらうのが今でも流行ってるけど、
女性が男性に「守ってあげたい」と思わせるためには、これからも効果的かもね。
もうすぐ正式な国旗としては用いられなくなるんだし。
「赤白青」の三色を用いた絨緞を用いるのが、正しい外交儀礼ともされている。(礼記)
アメリカイギリスフランスロシア北朝鮮その他、配色がトリコロールの国旗は
外交の場で踏みにじるのが、正式な礼儀にかなうようになる、かも。
(礼儀は時々刻々と変化するものなので、断定はしない)
まあ、もう仕方のないことだから、あきらめなさい。
仕方のないことだと思って
じゃなく
仕方のないことだから
304 :
名無し:2011/02/17(木) 21:03:42 0
全ての個別犯罪の元凶となっている総体犯罪を罰すればいいのみ。
夜叉族の王女として、立派な鬼子母神になりなされ。
306 :
考える名無しさん:2011/02/19(土) 08:53:54 O
人は誰でも、罪悪を苦痛であると感じている。
しかし、そのあまりもの苦痛をやわらげるために、脳内麻薬を
自己生成する能力も備えている。そのために、脳内麻薬の生成による快楽目的で、
それ自体は苦痛にすぎない悪行を好き好んで為すことが横行する。
苦痛を代価に快楽を得ようとするのも悪趣味なことだし、
なにも苦痛をやわらげるために脳内麻薬を生成することばかりが、人の楽しみなわけでもない。
純粋な善行と共にであれば、人は苦痛の代償を踏まえるまでもない、生の楽しみを得る。
ただ、悪を為さずに純粋な善行を為すためには、必ず善悪の分別を備える必要があるために、
その手続きをかませることを人は億劫がって、無軌道な善悪みそくそ行(これもまた悪行)での、
苦痛を代価にした快楽ばかりを貪るようになる。
純粋な善行による、苦痛を抜きにした生の楽しみは、
今の世の誰しもが一度も経験したことすらなく、あたかも海水でのどを潤すようにして、
貪れば貪るほどその渇きを増していく、悪行の苦しみを代償にした脳内麻薬生成の快楽を、
人々はそれが自分たちに与えられた唯一の楽しみであるとまで思い込んで貪り続ける。
早い話が、不勉強ゆえの苦しみ、
苦しみを苦しみであるとも勉強できないままの狂生である。
307 :
考える名無しさん:2011/02/19(土) 19:07:16 0
路上生活よりも獄中生活のほうが快適なことから、あえて罪を犯す
ホームレスのように、罰を受けたいがために罪を犯すものがいる。
罰を受けたいから罪を犯すのだから、罪を犯させないために罰も科さないで
いればいいのかといえば、そんなこともなく、やはり罰は科さねばならない。
ただ、罰を受けて、獄中生活を強いられたほうがまだマシなほどにも、
劣悪な境遇に人々を追いやったり、受刑を好き好むようなマゾヒズムを
助長したりするような過ちを、頂点の権力者から犯すことのないように努めて、
罰を受けるために罪を犯すような異常者の発生を未然に防止していかなければならない。
異常者が罪を犯したがるようになってから、後付けで罰を科すのはあくまで下策であり、
いかに異常者の発生や増大を事前に食い止めていくかを考えていくのが、本題だ。
308 :
考える名無しさん:2011/02/21(月) 20:24:27.01 0
主に、畜生道であるカトリックや正教の礼式を主体に行われる
教会式の結婚式、仮に「その意匠が失われるのが惜しい」というのなら、
三善趣のうちで畜生道に対応する天道、神道やヒンズー教や道教などの
範疇で、その意匠を無害化された形で引き継ぐようにするのが適切。
餓鬼道に相当する、大多数の洋学は、三善趣のうちで餓鬼道に
対応する、人道の儒家に基づいて、無害化しつつ継承していくようにする。
地獄道の、ユダヤやプロテスタントが蓄えてきた重権力犯罪の手法も、
三善趣のうちで地獄道に対応する修羅道、七書の兵法や日本の武道、
拝火教やイスラムなどの手法に則って、犯罪性を帯びない形で継承する。
以上のような、三悪趣支配から三善趣統治への移行全般を、
声聞・縁覚・菩薩・仏の四乗がトップダウンに司り、六道全体の舵を取る。
仏界が、六道全体を俯瞰する至上の境地であるのも確かだが、
その仏界もまた、六道輪廻の救済をこそ目的として現出しており、
六道に一定の滞留がある限りにおいて、仏門が現象として出現もする。
だから、自らが完全なる出家者でもない限りは、自らが六道の範疇において
いかなる身の程の持ち主であるのかということをわきまえておかねばならず、
それによって、劣悪な境地に留まっているものが優良な境地を目指したり、
優良な境地に既存するものもまた、より優良な境地を目指したりする場合の、
それぞれの身の程に応じた助けを、仏門にも乞うようにしなければならない。
宗教を盾にして結婚式、葬式などで儲けているのは偽物
宗教ってのは、結婚や葬儀をかざるもんだ。
日常生活まで宗教に縛られてちゃ、堅苦しいったらありゃしない。
積年の功徳の畏ろしさ。
積年の罪業の儚さ。
312 :
考える名無しさん:2011/02/23(水) 20:19:27.00 0
「大鏡」を読んだこと・研究したことのある人いる?
エジプトのムバラクやらリビアのカダフィやらが、
親族身内の、ごく狭量な仲だけで莫大な利権を溜め込みつつ、
失業者も溢れ返る自国を支配していたことが、大きく取り沙汰されている。
「独裁者を倒そう」というネット上の呼びかけに始まった一連の動乱が、
いかにも結実したらしい報道の仕方であり、もちろんウソを報道しているわけでもない。
ただ、貧富の格差を極大化する元凶となっている資本主義国のほうはといえば、
ムバラクやカダフィほどにも分かりやすい独裁者がいるわけでは、決してない。
鳩山も標榜していたとおり、資本主義社会の富豪は「友愛」をたしなむ。
自らが執拗な我田引水によって、自国や他国の大部分の人々を不幸に追いやって
いることを取り繕うために、ごく一部の友人や隣人だけを丁重にもてなす。
要は、不正な富で友だちを作る。
それにより、自らが富裕にかけての一方的な独裁者であることをひた隠し、
あたかも多くの人々と利益を分け合っているかのような、「擬似仁義」の体裁を保つ。
314 :
考える名無しさん:2011/02/25(金) 10:12:35.01 0
「擬似仁義」というのは、民間の富豪や権力犯罪者がたしなむ友愛は、
決して万人を利して我が利ともする、公共性に即した本物の仁義ではなく、
利権が薄まりすぎてうまみがなくなったりしないようにするために、
一定以内の狭隘な仲間内でのみ、是認されるものであるにすぎないから。
ちょうど、旧約「創世記」のノアの箱舟に根ざしたような選民志向で以て、
一部の友人同士だけで、全体規模の災禍を切り抜けようとする。
しかし、そもそも全体規模での世の中の荒廃からして、
狭隘な利権ばかりを貪る自分たちがもたらしたマッチポンプの
「マッチ」であり、そんな中で自分たちだけが生き延びようとすることも、
マッチの甚だしさと比べれば随分と矮小な「ポンプ」であるに過ぎない。
天災にしろ人災にしろ、仮に洪水のような災害によって、世界全体が
荒廃に追い込まれたのなら、ごく一部の人間しか救われないような
箱舟を建造したりすることではなく、洪水そのものを根本からせき止める、
夏の禹王の成し遂げたような治水事業こそが、真の仁義にもかなった措置となる。
それに比べれば、自分たちで引き起こした洪水の中で、
自分たちだけが箱舟に乗って生き延びようとすることは擬似仁義にあたり、
全体でもなければごく一部でもない、狭隘な友愛によってこしらえた、
過半数以下の一定数の派閥の生存を試みる点が、なまじごく一部の
独裁者だけが生き延びようとする場合以上にも、「罪悪の所在」が
うやむやになってしまいがちになるぶんだけ、たちが悪い。
315 :
考える名無しさん:2011/02/25(金) 11:58:38.82 0
擬似仁義は、必ずより多くの人々を幸福以上の不幸に追いやる。
それと引き換えに、少数の人間の過剰な虚栄をもたらす。
本物の仁義は、一部の人間に過剰な栄華をもたらしたりすることはないが、
擬似仁義などと比べれば、必ずより多くの人々に不幸以上の福徳をもたらす。
本物の仁義は、君子士人たる大丈夫(大の男)が実現する一方で、
擬似仁義のほうはといえば、私益にしか興味のない悪徳商人や
権力犯罪者が嗜好する。あるいは逆に、本物の仁義を実現できるから
大丈夫だともいえるし、擬似仁義しか実現できないから
悪徳商人や権力犯罪者止まりであるのだともいえる。
君子とか士人とか大丈夫とかいった人間評価も、結局は世俗的な
評価基準に即しているため、俗世における実践とも不可分なもの。
仮にこれらの言葉をイデア上に帰納して、形骸化した定義のみをあてがい、
「君子の経営学」とか「士魂商才」とかいったような用い方をしたとしても、
そもそも元々の「君子」や「士人」とった言葉の定義から乖離するだけのことだ。
316 :
考える名無しさん:2011/02/25(金) 13:49:17.62 0
万人を利して我が利とする本物の仁義と、
一部の人間を利しつつ我が利を貪る擬似仁義とでは、
大局の福利厚生と、破滅という、全く真逆の結果を招くわけだが、
ことに、独裁者と化してまでの私利私欲を貪る、
安直な我田引水を避けている点だけは共通している。
「史記」貨殖列伝においては、投機で巨万の富を手に入れた
周の白圭が、「私の手法を学ぶためには、旺盛な知識や勇気や
しぶとさや、仁(ほどこし)の心を持つ必要がある」と言っている。
たかが商売人が仁を語る愚かしさを、読者が鼻で笑うことをも予期して、
司馬遷も「確かにその考えで白圭も事業に成功したのだ」とフォローを入れているが、
やはり、白圭が述べた「仁」は、孔子や孟子が説く本物の「仁」とは違って、
とにかく奉仕すらできればそれでいいという、奴隷にも等しい施しの念止まりであり、
自らの慈しみが天下万人の福利厚生にまで及ぶことを念頭に置いたものでは決してない。
ただ、それを貨殖功利に躍起な小人たちは「仁」であると見なすわけで、
典型的な功利主義の小人だった白圭が述べた「仁」などが、世界にも先駆けた
擬似仁義だったといえ、昨今の資本主義者が嗜んでいる「友愛」にも通じているものだ。
317 :
考える名無しさん:2011/02/27(日) 19:09:38.09 0
封建主義は、一定以上の利益を万人に配分する点では共産主義と共通するが、
その手法が産業の完全な国営化ではなく、仁徳に長けた士大夫による外部的な産業の抑え付けによる点が異なる。
また、人々の間に一定の競争や格差、差別が生ずることを認める点では資本主義と共通するが、
その基準が所持金の多寡ではなく、個々人の仁徳やその実践の大小である点が異なる。
人間同士の差別を認めない。・・・封建主義×、共産主義○、資本主義×
資本的不平等で人が死んでもいい。・・・封建主義×、共産主義×、資本主義○
士業と産業を混同する。・・・封建主義×、共産主義○、資本主義○
であり、封建主義は共産主義と共通する面もあれば共通しない面もあり、
資本主義とも共通する面もあれば共通しない面もある。
百年前なら、封建主義こそは諸悪の根源であり、資本主義と共産主義いずれの側に付くにしろ、
必ず封建主義よりはいい結果が期待できると、誰しもが信じて疑わなかったわけだが、結果はあまりにも残念なものとなり、
資本主義にしろ共産主義にしろ、封建主義以上の災禍をもたらすことこそあれど、福徳をもたらすことは決してなかった。
318 :
考える名無しさん:2011/02/27(日) 20:08:14.02 0
ステンレス鋼の起源はインドのウーツ鋼だし、
樹脂加工の起源も縄文日本の漆利用あたり。
でも、ステンレスの発明者はイギリス人だということになっているし、
プラスチックの発明者もアメリカ人ということになっている。
ウーツ鋼や天然樹脂の有用性を金儲けのペースにのせるために、
我流の生産技術で発明したステンレス鋼や合成樹脂を、さも自分たちが、
その化学組成や活用技術から発明したかのように見せかけている。
金儲けのための量産技術を拵えたのが、自分たちなだけなのに。
金属や樹脂の扱いが、仮に近代文明以前に戻ったとしても、
俺ぐらいの家柄なら、最高級の玉鋼で拵えられた刀剣を佩いて、
漆塗りの器で味噌汁をすすっていただろう。それが今は、
ステンレス製の刃物を用いたり、合成樹脂の器で汁をすすっていたりする。
それは、文明の利器ではなく、過剰な文明発展の取り繕いであるまで。
日本刀と漆器での生活に戻れるなら、そのほうがいいぐらい。
319 :
考える名無しさん:2011/02/28(月) 05:31:13.51 O
仁徳に長けた士大夫による、産業のトップダウンな抑え付けを講じはするものの、
共産主義のように産業を完全に国営化まではしない、
中正に適った封建措置が、現実的な落とし所となるだろう。
たとえば、江戸時代の日本を例に挙げるなら、
三井住友安田などの豪商の私的発達があった一方で、鬼平の愛刀の作者だった井上真改のように、
工匠の身でありながら石高で棒禄を食む、士人に準ずる扱いを受けた産業従事者もいた。
「史記」の時代の中国などにおいても、製鉄や製塩などの必需産業に関してだけは国有化も同然の措置が採られ、
内陸国でありながら製塩の管理すらも疎かにしたことによる、闇商人の横行が原因となって、大唐帝国までもが滅んでいる。
海洋国である日本の場合、塩利権で国家体制までもが脅かされる危険性は低いが、
製鉄などの金属産業を民間に丸投げすることが危険であるのは、やはり同じこと。
それに加えて、プラスチックやゴムなどの合成物質産業の管理も、今なら必須となる。
合金や合成物質の化学組成も多岐に渡り、その用途も様々だが、
要は、江戸時代などの封建社会における製鉄産業の扱いなどを参考にすればいいわけで、
化学組成の細密化に惑わされて、物質産業と貨殖功利の区別すら付かなくなるようなザマに、
民間人はともかく、士大夫が陥ってしまうようなことだけは避けねばならない。
自分が、化学が専攻外なものだから、そのせいで大雑把な扱いになってしまう所もあるが、
士大夫たるもの、「化けの魔性」に囚われることなく、製造業の扱いを練っていく必要があるのは確かだ。
化学こそは、欧米人が主体的に発展させて来た最たるものなわけだが、
その起源たるや、パラケルススあたりに代表されるような錬金術師の試行錯誤であり、
まさに欧米人の金儲け主義こそは、今日の化学発展をもたらしたのだといえる。
その化学発展が、莫大な物質文明の発達をもたらしたのも確かで、
現代社会において必要不可欠な要素となっているのも確かだが、
石油に代表される、物質資源の資本主義国による独占が、食産業との連動もあいまって、
地球社会の大多数に、天明の大飢饉をも上回る貧窮をもたらしているのも確か。
それに、究極のところ、近代化学による合金や合成物質の精製が、かつての鉄鋼や天然物質の扱いの域を出たこともない。
日本刀や漆器ほどにも、洗練された金属や樹脂の扱いがなされたことも他になく、
合金や合成物質の精製も、結局はより粗雑な金属や樹脂の扱いをこの世にもたらしたのみ。
和服に用いられる生地なども、今だとレーヨンやポリエステルなどが安価で扱いやすい素材として多用されているが、
やはり綿や絹の風合いのほうが上であり、耐久性もより高い。
ただ、化学繊維よりも扱いにくく、資源も限られていて無尽蔵の量産などは覚束ない。
金儲け主義によって近代化学が発展して来ているだけに、
化学の効用もまた、売り手の薄利多売あたりに全てが還元されていて、
物質文化をより粗雑化させることはあっても、洗練させることはやはりないのだ。
たとえば、いま最も代表的な高級耐食刃物鋼であるATS34は、日本の日立金属の特許だが、
これも、元はといえばアメリカが開発した154CM鋼にリンや銅などを混入してより性能を増したもの。
さらにいえば、今の一般的な耐食鋼であるステンレスを発明したのは、イギリス人やヨーロッパ人。
しかし、英欧人がステンレス開発のための模範にしたのは、ダマスカス経由で西方に伝来したインドのウーツ鋼。
その上で、ステンレスを刃物鋼としての理想的な鋼材に仕上げたのが日本人で、
自動車の板バネやジェットエンジンの軸受の開発のついでに、440Cや154CMなどのステンレス刃物鋼を開発した
アメリカ人とは違い、日本人はATS34やZDP189などを、純粋な刃物鋼として新たに開発し直した。
とはいえやはり、ステンレス鋼にはニッケルやクロムなどが含まれるため、
純粋な炭素鋼と比べれば焼き入れ時の最高硬度も落ち、ねばりがあって刃物としての切れ味も保ちにくい。
刃物鋼には硬度と共に靭性も要求されるため、ただ硬度が高ければいいわけでもないが、
硬度と靭性の両立という点でも、日本刀に用いられる玉鋼のような純粋炭素鋼に、
ニッケルやクロムを含有する耐食刃物鋼が及ぶことはない。
「なぜそこまで刃物鋼にこだわるの?」とも疑われそうだが、
刃物こそは、金属の最も原始的かつ洗練された活用方法だから。
刃物鋼の製錬やその扱いの発展如何が、金属文明全般の発展の指標にすらなる。
結論を言えば、丁子油を塗って打粉を振る、丹念な錆止め努力をすっぽらかしてもいいぐらいには、
刃物鋼の組成も発展したのだとはいえる。それが全て。
中国にしろ欧米にしろ、海外に輸出された日本刀は、どれも錆だらけになっているしな。
インドが原産のカレースパイスを、欧米人が植民地侵略の過程で剽窃してレシピを単純化し、
それが日本にも持ち込まれて一般的なカレーライスとなった。
インドで発明された人類初の耐食鋼であるウーツ鋼を、
欧米人が金儲けのためにステンレス鋼として開発し直して量産し、
それが日本にも持ち込まれて、カーボンステンレスとしての一定の完成をも遂げた。
インドで発明された十進法の算術が、欧米で金融詐欺目的などのために高等数学として発展し、
それが日本にも持ち込まれて、アレが発見されもした。
カレーやステンレスや高等数学が持ち込まれる前から、
日本にも豊富な食文化や、優れた製鋼文明や、線形代数の初歩を含む和算などがあったわけだが、
今となっては日本においてですら、カレーやステンレスや高等数学の需要もまた膨大なものとなっている。
ただ、それらもまた、最原初を突き止めれば、東洋であるインドに行き着くのであって、
欧米主導の近代文明の発展ですらもが、骨子の部分で実は、東洋に始まり東洋に終わっている。
インドのカレースパイスが日本のカレーライスになるまで、
ウーツ鋼がATS34になるまで、初等算術がアレになるまでには、
多大なる欧米人の介在もあったわけだが、それとて植民地侵略や金儲けといった
不純な目的に基づいていたものであったために、功績としての評価も相当に落ちる。
純粋な産業従事者として欧米人が優れていることはあったが、あくまでそこまで。
政治面で劣悪な権力犯罪者であったのはもちろんのこと、文明を司る根本的な骨子の部分で
自分たちがオリジナルになれたこともない。
文明の骨子の提唱者としての、インド人や中東人の功績すらをも強奪したままでいるから、
欧米人がやたらと偉大な存在であるかのように扱われ続けてもいるが、
良くも悪しくも、奴らは小賢しいエルメス(使いっぱしり)なだけで、
日本人などの極東人が、今も昔も理念からの取引先としているのは、本当はインドなのだと知らねばならない。
「理念(イデア)」主義を打ち出しながらも、肝心の自分自身のイデアはといえば、
洞窟に引きこもって外側を覗く出歯亀趣味止まりなプラトン。
「物自体」を定立しながらも、結局物自体を人間の統覚が
把捉することは不可能だと結論付けたカント。
欧米に「理念自体」は存在しない。
理念自体を現物として保有しているのは、コーカソイド社会であれば、今も昔もインドが代表格。
それに、実用主義的な側面が強くて、純粋な理念としての魅力には欠けるにしろ、
まだ中国あたりのほうが、人類文明を営む上での最低限の骨子となる、
理念自体を責任を持って自作しているほうだといえる。
理念自体が存在するから、大社会を問題なく運営していくビジョンすらも見据えられるし、
逆に理念自体が存在しないから、責任ある社会運営以上にも放辟邪侈に走りたがる。
理念自体が存在しないことへのコンプレックスが原動力となって、
欧米人も地球全土への侵略征服支配に躍起になってきたところがあるが、
何しろ理念自体が存在しないものだから、世界を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、
「後は野となれ山となれ」となり、自力での事後処理も覚束ない有り様。
出来の悪い妹うさぎの落ち度をこづき回すばかりが兄の仕事でもないから、
さっさと「後は任せなさい」と促すばかり。
これから新たに、インドを取引対象として見直すのではない。
今も昔もインドこそは、日本や中国のような極東社会にとっての、
根本的な理念自体からの取引先であったのだと知らねばならない。
今さら原始仏教やヒンズー教などを取り入れずとも、
古来の大乗仏教の伝来から、近現代文明の流入に至るまで、
全て元はといえば、インドの叡智をこそ源流にしていたのだとわきまえねばならない。
そしたら逆に、「単なる使いっぱしり社会」としての、
欧米の側に対する公正な評価までもが定まるようになる。
インドや中東の知的物質的財産までをも強奪して占有することで、
初めて世界の王様ぶっている欧米が、本当は何者であるのかまでもが判然とする。
「おい、カレーパンと牛乳買ってこい」
俺の物言いが、腹立つかい?
326 :
考える名無しさん:2011/03/03(木) 20:29:28.32 0
昔の中国の、貴婦人の礼儀に適った一人称として、「小童(しょうどう)」というのがある。
(「論語」季氏第十六、「礼記」曲礼下第二などを参照)
多分、日本の「わらわ」という一人称の当て字が「童」である典拠でもあるのだろうが、
いずれにしろ、人妻であり、人の母親でもあるような熟女までもが「小童」とか
「わらわ(童)」とか自分を呼ぶわけで、熟女こそは、大人の象徴も同然の扱いを
受けている、今日とは相当に異質な価値観に基づいた一人称だといえる。
もちろん、昔の熟女が、今と比べて未成長だったというようなことではない。
孔子も面会を弟子に反対されるほどに淫乱だった、衛国の后である南子夫人とか、
巨根で知られた呂不韋の食客を、わざわざ宦官を装わせて身元に置いた始皇帝の母とか、
法相宗の僧侶・道鏡の虜と化してはなはだしい専横を許した孝謙上皇とか、
敵対していた武田方の間諜と密通して、謀反を謀って殺された築山殿とか、
東洋史上にもド淫乱で名の知られた熟女は数多いわけだが、だからといって、熟女が
「オトナの象徴」扱いされたりはせず、やはりその一人称は「小童」や「わらわ(童)」だった。
女が、たとえ熟女だろうとも、その一人称から“童”扱いだったのは、所詮は女は、
童子なみにしか行為能力を活用する資格を持たない存在として扱われていたから。
夫や父親が大権の持ち主であるにことかけて、相当な自己権限を有することもあるにしろ、
やはり行為能力を正当に扱うことを本分としているのは男のほうであり、女は出産のほうが
本分でもあるために、行為能力を正当に扱うことにまでは頭が回らないのが当然となる。
327 :
考える名無しさん:2011/03/03(木) 20:43:49.94 0
ド淫乱だからオトナなのではなく、ド淫乱だからこそこわっぱ(小童)なのだ。
淫乱上等な女の性情が、根本から社会不適合格であることが見極められて、
それは童子も同然のことだから、女はたとえ熟女だろうとも、童子同然だとされる。
成熟した大人の男こそは、行為能力を正当に扱うことに
長けているとわきまえられているから、その淫乱さに惑わされることなく、
年甲斐に関係なく、女という生き物を童子も同然の扱いとする。
女を知らない男が童貞としてあざ笑われ、女を知った男が一人前の大人として
扱われる今日の価値観からすれば、そもそも女こそは「永遠の児童」であるとする、
古来からの東洋的価値観に即した女性観は、さぞ受け入れがたいものであるだろう。
328 :
考える名無しさん:2011/03/08(火) 00:07:36.87 0
白人ってのは自分たちに確かなルーツがないから「父しらずの子」みたいに
あれもこれも自分たち起源にしたがるんだろう。そして最終的には
古代アーリア人だの古代ギリシャ人が世界の起源だの言い出すんさ。
まるで「俺の父親は偉大だ。だって数十人いるんだぜ?」って自慢してる
バカなガキみたいでさ。放っておけば因果応報でとんでもない苦痛が
彼らを襲うさ。自らが他の民にしてきたようなことを受けるのさ。
329 :
考える名無しさん:2011/03/08(火) 06:36:24.43 0
成熟した大人の男だけには、絶対になりたくありませんな。
あなたの言うことが、本当だとしたらね。
片鱗をみれば、全貌がわかるとゆうもの。
チミの思想は、児戯に等しい。
ま、これは下手すると、ほめ言葉になってしまうがね。
永遠の児童というのは、女性に対する最高のほめ言葉だな?
330 :
考える名無しさん:2011/03/08(火) 07:36:20.76 O
“成熟した大人の男”の代表格である、
東洋の聖賢の言葉に美辞麗句は少ないし、その肖像も魅力に欠けるものが多い。
数多の東洋人の中でも下の下の下の部類に入る、
坂本龍馬や西郷隆盛あたりが、肖像や言行から頻繁に美化されてもいる。
子供だましの美化に食い付くのは、それこそ女子供なわけだが、
真に成熟した大人の男こそは、そのような虚飾によって自らの真価が損なわれることを忌む。
女子や小人からの、見せかけばかりへの支持よりも遥かに大事なものがあるから、
巧言令色をもかなぐり捨てるのであって、大事なものなど別にないんなら、
それこそ雌アンコウの口中で一生を過ごす雄アンコウ並みの矮雄にでも甘んじようというもの。
残念ながら、人間の男女はそういう風にはできておらず、
大人の男が女子供を養うことが実相から適切なものともなっているから、
男尊女卑は楽しく、女尊男卑は苦しいものともなっている。
男が女子供風情に屈従することほどつまらないことが他にないようにもなっているから、
まるで水が高い所から低い所へと流れ落ちていくように、
大人の男から女子供への蔑みと、女子供から大人の男への限りない畏敬ばかりが募られて止まない。
心の底からわき上がってくる畏敬がまだ受け入れられなくて、
その反発からどら猫と化したりもする。
心の底からの、本物の蔑みには、もっと余裕がある。
昔の東洋人女性が、自分を「小童」や「わらわ(童)」などと呼んでいたのは、
もちろんへりくだりの意味を込めてのことだ。
女なら、永遠の児童であるぐらいのほうがかえって魅力的なもんだが、
それも女だから。馬鹿力や悪知恵よりも馬鹿非力のほうがまだマシなように、
女×童心で陰性が極まり、かえってマシになる。
とっちゃんぼうやもオバタリアンも見れたもんじゃないが、
別に年を食ったからじゃなく、年の取り方を間違えたから目も当てられないだけ。
男は大人らしく、女は永遠の児童でヨロ。
実家でメシを食うときに、俺が自分の手に合った太めの箸を選ぶと、
「あんた、そんな太い箸じゃ使いにくかろうがね」と、
細くて梅干みたいな柄の付いた箸を、婆さんが奨めてくる。
婆さんと俺とじゃ手の大きさもぜんぜん違うから、
俺の場合は太めの箸ぐらいでちょうどいいのに、
婆さんの手には太い箸が合わないもんだから、俺にまで細い箸を奨める。
自分が食欲があるときにはたくさん米を炊いて、
食欲がないときにはちょっとしか炊かなかったりもする。
常に自分中心でものを考えることが、公共性とも全く通じていない。
これが典型的な「婦人の仁」で、仁は大が小を兼ねる
ことはできても、小が大を兼ねることはできない。
女子供はヘタに仁慈を尽くそうとするよりは、
大人の男の言うとおりにしたほうが、公共性を保てもする。
まあ、「小童」という一人称が似合うのは、
男への媚び方を覚える前の女に限るわな。
媚びを覚えてからの女たるや、
こわっぱどころか、もはや畜獣も同然だしな。
334 :
考える名無しさん:2011/03/08(火) 17:35:29.05 0
処女でなくたって、人妻や母となれば、
男に媚びる必要はなくなる(というか、媚びてはいけなくなる)。
逆に、娼婦とまではいかずとも、男女平等の共同参画社会などでは、
女が男に媚びを売ることで、恋人や結婚相手を見つける必要が出てくる。
男尊女卑の封建社会こそは、処女か非処女かなどによらず、
女が男に媚びる機会を駆逐する(だからいつまでも女が小童のままでいられる)
一方で、男女平等の自由主義社会では、一般女性か娼婦かなどによらず、
女が男に媚びる獣畜化の機会をそこら中にもたらす。
封建主義社会の風俗が、女よりも男のほうが煌びやかだったりする一方で、
自由主義社会の風俗たるや、女ばかりが着飾りまくるのも、そのせいだといえる。
335 :
考える名無しさん:2011/03/08(火) 17:56:53.55 0
後家(戦争未亡人)の妻を好んだ家康公など、どう考えても
処女フェチなどではなかったのが確かだが、自国のために戦死
していった猛者の、未亡人や孤児などを責任を以て引き受けるという
建て前も一応はあった一方で、昔の夫の身元が確かな未亡人なら、
そんじょそこらの処女なんか以上にも、一切男に媚びたりすることなく
人生を全うしてきた可能性が高いから、築山殿のような艶かしすぎる
正室にも懲りていたこともあって、童子並みに清廉なままの女を
家康公も心から好んでいたのではないかと推察される。
女が男に媚びないままでいられるかどうかは、必ずしも処女か
否かなどで決まりはせず、世の中が総出で、女が媚びなければ
ならなくなるような機会を排除しているかどうかに、主にかかっている。
もちろん、媚びる女こそは好みであるような男もいるわけで、
そういう男に対してだけは、遊女をあてがうなどもすればいい。
ただ、大半の男はそこまで媚びる女が好みでもないから、
女が男に媚びてばかりの自由平等主義社会が軒並み、
少子高齢化などの問題に直面しているのでもある。
・・ひとは、みずからの経験にしたがって、各々の「哲学」を形成する。
きみの場合は、残念だったようだね。
自由社会こそが、女が男に媚びる必要性を駆逐する。
それこそ、童(わらし)でもわかることじゃないかね?
もっとも、媚態というものはけっしてきみの言う通りの
「排除しべきもの」なのではない。きみは、九鬼周造さえ
読んではいないらしいね。
よろしいか? 最高価値の媚態というものを、すでにパリの人々は
「ルーブルの至宝」と呼んでいるのだ。。。
きみは、もう一度、最初からやり直したほうが賢明ではないのかな?
338 :
考える名無しさん:2011/03/09(水) 10:46:56.27 0
露出度や密着度の高い服装、工夫を凝らした髪型や化粧に、挙句には整形手術。
自由主義社会の女は、あたかもそれらを「自分が楽しむため」であるかのようにうそぶく。
あるいは友達同士で楽しむためだとか、ライバルに差を付けるためだとか。
本当はすべて、男に媚びて、
金持ちでイケメンの彼氏をゲットするための手段。
自分のためだなんだは、全ていい訳。
過剰な着飾りやら、棒みたいなかんざしやら、真っ白なおしろいの塗りたくりやらで
男に媚びる女が昔からいたわけだが、そりゃあ基本は遊女に限っての話で、
女が誰も彼も、売女同然の飾り立てに躍起になっていたりするわけではなかった。
事実、自由主義社会の女は、誰も彼もが売女である。
売女まがいか、売女同然の媚びを自分から尽くすことで、
自力で男をゲットする必要がある。それは確かに売女と変わらないこと。
しかも、売女としての「仕事の成果」が、そのまま結婚にも直結している。
客が相応の身代金を積んで、遊女を買い取るなんてことは昔にもあったが、
決してそればかりが結婚の手立てではなく、遊女として買い取られることでの
結婚なんてのは、どちらかといえば下賤で、悲哀に満ちた部類のものでこそあった。
339 :
考える名無しさん:2011/03/09(水) 12:10:17.61 0
http://www.lovemama.net/ 前にも言ったとおり、女が男に媚びる必要があるのは、
男をゲットするまでのことで、結婚して子供ができてからは、
もう男に媚びたりしてちゃいけない。
自分の母親が男に媚びている姿を見たい子供なんていないし、自分の子供を
そんな状況に追い込みたがる父親なども、よっぽどのバカでもない限りはいない。
健全な家庭を築く上で、女の媚びは百害あって一利もないものであり、
妻となり母となる女などが、男への媚びの売り方などを知っているよりは、
全く知らずにいてくれて、そのまま人生を全うしてくれたほうがいい。
母親が妾や遊女上がりである子供も昔からいたが(孔子や鬼平を含む)、
決してそれ自体はいいことではなく、恥とされることだった。さのような不遇を
ばねにして子供が大成したとしても、やはり親の不品行までもが正当化
されたりはせず、「不遇ななりによく頑張ったね」という扱いを受けるまでだった。
実際問題、この世から媚びを売る女が絶滅したりすることはまずないが、
媚びなんてのはあるよりはないほうがいいものであり、一切媚びなどを売ることなく、
女が妻や母としての役分も全うしつつ人生を終えることが、やはり理想ではある。
340 :
考える名無しさん:2011/03/09(水) 19:05:53.25 0
・・だから、あなたは自分の非常に貧しい女性体験を、あたかも
普遍的事実であるかのように論じて、みずから世間様に
大恥じをさらしているのだよ。
なぜ、自分の女性体験が、普遍化可能と信じているんだろうね。
わたしは、尊敬に値する女性を数十人は、知っていますがね。
あなたは、自分の体験の貧困さを恥じるべきなんだよ。
たとえば、アムロナミエは、男を獲得しようと思って、スターに
なった訳じゃないぜ?
能力とチャンスに恵まれて、自分の夢を追いかけたんじゃないか。
自分の夢を追いかける女は、いくらでも居るんだぜ?
ただ、きみが、知らなかっただけだ。
くだらなく、凡庸な人生観など開陳して、大恥なぞかかずに、
学者風に、東洋教学の講義でもしていれば、馬脚を現さずにすんだのにな。
以前、一度、きみに組まないか、と誘ったことがあったが、そのときは
これほど軽率な人物とは思っていなかったのでね。
ふん。きみの教養も、きみの無思慮のせいで、台無しさ。。。
341 :
考える名無しさん:2011/03/09(水) 22:34:10.21 0
恋愛経験や異性経験は、多いことよりは、
少ないことのほうが褒められてしかるべきだ。
もちろん、候公として多くの妻妾を囲うなんて場合は例外だが、
しかるべき相手と結婚して家庭を持つことだけが、男女関係についての
「公事」であり、気に入った異性と戯れたりするのはもっぱら「私事」だ。
私事だから、庶民ならそういうことを面白がるのもありだが、
公人たる士大夫階級の男女が、恋愛経験や異性経験の多さを
自ら誇ったり、他人に褒められたりするいわれは全くない。
若いころの遊蕩三昧で知られる鬼平も、妻子を持って成熟してからは
清廉なお勤めに専念して、汚職を働いたりもしなかったから、
その立ち直り加減こそが賛美されてもいる。あるいは、
若いころに遊びつくした反動で、「もう悪事なんかたくさん」となって
清廉潔白となれたことから、「若いころの悪さぐらいは薬になる」という
実例ともされたのだといえる。いずれにしろ、遊蕩三昧それ自体は、
ヤクザとの交友も同然の悪事扱いであり、決して褒められたものでもなく、
その悪事を超える善事に勤められて初めて、良い評価を受けもする。
342 :
考える名無しさん:2011/03/09(水) 23:34:27.59 0
何もかもを全て、ありのままに受け入れるってのも、難しいもんだね。
特に、「木を見て森を見ず」の状態に視野が狭量化している人間は、
見ている部分だけはよく見えてて、その対応の仕方もよく分かるのに、
見てない部分は全く見えておらず、対応の用意すら全くしていないから、
全てを受け入れる以前に、「全て」というものに対して
どういう対応の仕方をすればいいのかすら分からない。
なまじ、見えてる部分だけはよく見えていて、見えてる部分に対する
徹底的で細密な対応の仕方ばかりを心得ているから、それほどにも
徹底的であることが、視野の外側の広大なる全世界に対しては、
適応の目処がまったく立たない不恰好さが、これまた受け入れがたい。
カッコ悪くなるのは、仕方がない。カッコ悪いことばっか裏でして来たんだから、
全てを受け入れるんなら、その、裏側のカッコ悪さすら、受け入れないと。
他人の全てを受け入れる以前に、まず自分たち自身の全てを受け入れるんだ。
あんまりこと無様だった自分たちの裏が、「史記」のような正史に刻まれることから。
そこすら受け入れられたなら、他に受け入れられないものなど、何もないだろう。
343 :
考える名無しさん:2011/03/09(水) 23:51:42.75 0
きみは、女といえば、恋愛経験とか、男女関係とかしか、考えられないの。
そこが、決定的に貧しい。まったく、視野が狭いって、言ってるの。
たとえば、女流作家、女流演奏家、女流ダンサー、女流スケーター、
女流マンガ家、映画女優、女流デザイナー、女流政治家、女性キャスター、
女性科学者、女流画家、。。。
いくらでも、自分の才能を開花させたひと、開花させようと日夜努力して
いるひとたちが居るの。それは、きみの理想の古めかしくて、カビのはえた
世界では、存在すら認めさせられない女性たちなの。
きみのユートピアは、女性の有している潜在能力を圧殺してしまう、もはや
過ぎ去った過去の封建時代の遺物なのさ。わかったかい? 鬼平ファンさん
よ。
344 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 00:41:04.05 0
あなた自身の全てを受け入れられたなら、
この世に受け入れられないものなど、なにもない。
345 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 01:06:53.65 0
世襲上の苦肉の策などを除けば、女が権力道徳者だったことは皆無だが、
今でも、大型旅客機のパイロットなどに、女性はいないな。
多くの人々の命を預けるだけの信用は、女性にはない。
国際線だと、十数時間のフライトなんてのはザラ。
あっちに飛んではこっちに飛んでって業務を綿密に組んでれば、
一月や二月のスケジュールぐらいあっという間に埋まってしまう。
月のものでいちいち精神が不安定になってるような生き物には、務まらないってこと。
せいぜい数百人の命を司るに過ぎないパイロットですらそうなのに、
万億の民の命を預かる権力道徳者ともなれば、なおさら。
347 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 08:16:09.33 0
権力道徳者という、わかりにくい造語を定義してはいただけないのかな?
名前は失念したが、アメリカだって、女性の政府高官=最高権力者は、
ざらに居るだろう?
権力者が、そんなに重要だと言うならね? (そう言っているのは君だよ)
348 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 09:17:07.76 0
権力道徳者=道徳統治下の権力者
道徳統治下ではない世の中の権力者は、
そもそも民の命を責任を持って預かってすらいない。
それは、権力道徳者が責任を持って万民の命を
預かることと比べれば、権力犯罪者だといえる。
349 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 10:09:18.25 0
「組織的権力犯罪」とかいう言葉は、
今でも刑事関係でたまに用いられている。
今のところ、それなりの摘発が行き届いているのは、ごく一部の
ごく小規模な権力犯罪のみで、数億人規模の犠牲者をもはじき出している
資本主義社会総出を挙げての大権力犯罪などは、まだそれが
権力犯罪であるという認識すら、追いついていない。
しかし、資本主義社会の体制構造には確かに、
権力犯罪を撒き散らす致命的な要素が数多ちりばめられていて、
資本主義だ民主主義だ自由主義だを体制に組み込めば当然のこととして
他にあり得ないほどにも多大なる危害をもたらすようになっている。
それは、資本主義や民主主義や自由主義ではなかった世界、
封建主義であった世界の統治構造を、「道徳統治」であると見なして、
それと比べれは、資本主義社会の何もかもが権力犯罪に
まみれていることとを照らし合わせてみれば明らかになる。
万民を養うための基準であるのが「石高」であるのに対し、
一部分の人間が裕福になるための基準が「資本」だったりするし、
万民を公平に統治するための根本原理が「王政」であるのに対し、
一部分の人間の優遇に偏る根本原理が「党派政治」だったりする。
基本的な統治原理からして、万民を害して一部分を利する深刻な病理を
資本主義が内包していることが、封建主義などと比較した場合に明らかに
なるわけだから、資本主義は封建主義と比べれば権力犯罪志向であるといえ、
逆に、封建主義は資本主義と比べれば権力道徳志向であるといえる。
350 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 10:21:17.81 0
実地的な統治支配構造としての封建主義や資本主義が、普遍的な
権力道徳や権力犯罪のもっとも如実な具現化であるのかどうかは
分からない。しかし、現時点において、士業と産業を完全分離していた
東洋の封建主義ほどにも、権力道徳を実社会にうまく適用できた例は
他にないし、士業がもはや産業のパシリと化している西洋の資本主義
ほどにも、権力犯罪を実社会に蔓延させきった例も他にない。
西洋で、東洋の場合ほどにも士産の分離が行き届いた封建統治が実現された
試しは未だかつてないし、歴史的に商業権力への蔑視が徹底されてきた東洋で、
西洋発の資本主義ほどにも拝金志向が体系的に正当化・美化された例もない。
片や、権力犯罪よりも圧倒的に優良な本物の権力道徳の実在を察し、片や、
未だ一度も体系的な権力道徳の実在を察知したことすらもない両者の立場上、
権力道徳とは権力犯罪に対して何ものなのか、権力犯罪とは権力道徳に対して
何ごとなのかといったことが、未だ率直に考え込まれたことすらないままである。
資本主義社会の有り様は多分に権力犯罪的であり、それは封建主義社会の
有り様が多分に権力道徳的であることと比較して、初めて明らかになる。また、
東洋の封建主義社会が権力道徳を極めて重んじていたことが、権力犯罪まみれの
資本主義社会の実相と比較することで極めて如実と化す。孔子や孟子の提唱した
帝王学が、権力道徳こそを重視していることも、孔孟の教えの真逆を行くことで
権力犯罪まみれとなっている、資本主義社会の体たらくを戒めてこそ明らかになる。
351 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 18:26:18.35 0
ふむ。あなたの、長文をすべて読んではいない。しかしながら、あなたの
言うことは、黒船が来航して以来、すべての日本人がすでに考え尽くした事
のくり返しに過ぎないのではないですか。
いいですか? 封建制度が善とし、民主主義が悪(あなたの言い方で言えば
犯罪的)であると、仮に、しましょう。しかし、封建制度の、国、偉大なる
ジャパンは、蒸気機関や、まともに人権を保護する法律も、強力な軍事力を
有する軍隊も、何も持ってはいなかったんですよ?
いいですか? 善なる国だかなんだか知らないが、だから、欧米が
ジャパンを敬い、特別扱いしてくれる理由になりますか?
もし、アメリカの内部事情(南北戦争)がなかったら、日本は、
ほんとにアメリカの属国になっていたかも知れないんですよ?
いまごろになって、尊王攘夷が正しかった、と主張するんですかね。
あの頃の日本人が、必死になって考えた結論を、すべて否定するん
ですかね。出来るんですかね。
東郷平八郎は、威武猛からしめる目的で
「1+1も精神力で3にも4にもなる」と言っていた。
それがあの頃の時宜」だ。
353 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 21:13:27.97 0
いい加減、1+1を3や4にしてちゃいけない。
それが「今」という時代の時宜だ。
時代によっては、吉田松陰になったかもしれないし、
またある時代であれば、東条英機になっちまったかもしれない、
その程度の陳腐な意見であるものが、時代によっては
珠玉の名宝と化してしまったりもする。
新機軸を打ちたてようとしたような人々が、
軒並み敗れ去った近代以降という時宜に、
性懲りもなく新機軸で挑むのも命知らずなことだから、
たまには述べて作らぬ温故知新にでも固執してみよう。
どこにも間違いのない正論を述べていたにも関わらず、
時宜にそぐわなかっただけの理由で非業の最期を
遂げた先人たちも、それでこそ浮かばれるというもの。
354 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 21:52:24.34 0
善悪の具体的な定義なんてのは、時代によっていくらでも変節するんだよ。
何しろ、普遍的に面白いものが善で、つまらないものが悪でしかないんだから。
「1+1=2」が面白ければそれが善に、つまらなければそれが悪になるだけなのだから。
355 :
考える名無しさん:2011/03/10(木) 22:22:23.74 0
ピヨッピヨ
356 :
考える名無しさん:2011/03/11(金) 07:50:55.25 O
「敬ってあげる」
そんないやらしい恵みの気持ちなどによって敬いはすべきじゃない。
「死にたくないから敬う」
それぐらい逼迫した所があって初めて、心の遊びを排した「畏敬」ともなる。
「敬われたい」などとは、微塵も思ってない。
「厭厭だけれど、仕方なく」としか。
358 :
考える名無しさん:2011/03/11(金) 09:35:52.85 O
イヤイヤだけど仕方なくー♪
イヤイヤだけど仕方なくー♪
359 :
考える名無しさん:2011/03/11(金) 12:39:41.60 0
重権力犯罪者の分際で、未だに自分たちの
好悪を押し通すつもりでいる、おこがましさ。
イヤイヤだけど仕方なく、平身低頭ながらの屈従を
選択させていただくところから、すでに「罰」だっての。
結局、面白そうな「見出し」を造るという能力があるだけで、
中身はというと、このていたらく。みょうな文章をこしらえては
自己満足している典型的な2ちゃんねらー。
せめて、スレタイに沿った話は出来ないものか。。と期待しても無駄。
この人物に、そんな能力はないらしいね。
いい言葉があるよ。「張子の虎」というのだ。キミにぴったりだね。
無事だったのか。よかった。
362 :
考える名無しさん:2011/03/12(土) 17:48:50.59 0
いま欧米が崩壊すると、欧米の資本主義発展に多分に
与させられてきた、日本へのとばっちりが相当に緩和できるな。
もちろん日本も、もうすでにただでは済んでないが、
大義名分上の不義すら免れられたなら、放射能汚染が減衰して後の、
数百年先や数千年先の後の世までの、皇位が安泰となる。
363 :
考える名無しさん:2011/03/12(土) 22:21:42.28 O
ウキョー
>>362 ・・どこの国のひとだか知らないが、日本語の勉強が出来ていないよ?
読んでる大多数は、いちおう日本人なんだからさ(まあ、疑わしいけど)。
とにかく。
あなたが、2ちゃんにどうしても書き込みたいなら、
もっと良く日本語を勉強してからにしなさい。
メルトダウンの一報が入って直後の書き込みだったけど、
意外と放射能拡散は小規模で済んでいるようだな。
さすが日本人は、天災は防げなくても人災は最小限に抑える。
もう、東洋教学の国内現行版の文献で
主要なものはあらかた読みつくしちまった。
原文ままの文献とかだと無尽蔵にあるが、
文献研究ではなく、中身の吟味や実践が本分である
俺などには、注解や翻訳から自分でやらなければ
ならない、二度手間や三度手間が極めて億劫なところ。
ここはやっぱり、欧米が完全崩壊して、
洋学の権威も完全失墜して、東洋教学研究のほうに回される
人員や予算の分量を大幅に拡充してもらいたいところ。
・・洋学の権威は、失墜しないよ。ボクが認めているのでね。
ところで、「東洋教学」の研究を奨めるのには、自分も賛成だ。
しかし、国から寄付がほしいなどという君の発想は、笑止だ。
・・あくまでも、権力志向のキミらしい発言ではある。
図書館もあれば、グーグル、アマゾン、・・・手段は幾らでもある。
個人が、自分の力で研究すれば、それでいいのだ。
権力、権力。。。きみの権力志向には、とても付き合いきれないよ。
洋学の権威が失墜して、国家規模での東洋教学の尊重が持ち直されたほうが
こんなに不幸になる人間も、死人も出なくて済むのに、洋学の権威が失墜しないほうを
認めるってことは、より多くの人間が不幸や死に追いやられるのを認めるってことだ。
俺の権力への固執が異常なのではなく、
君らの権力の不当利用への執着が異常なだけだ。
このままいけば、人類が滅亡するし、
滅亡を食い止めるために君らが自首したとしても、
極刑級の処罰が免れ得ない。
どうあがいたってもう、平和な共存はあり得ないわな。
服役者や禁治産者としての君らすら抜きで、
これからの歴史を紡いでいくことのほうが、むしろ想定していなかった。
君らというお荷物を抱えながら生きていくことのほうが困難なことなので、
あえてより容易い事態などを想定する必要はなかったから。
さすがに、大量虐殺犯の女と結婚する気までは、もうないからな。
愛があろうがあるまいが、そんな女に微塵の幸福も
与えてやってはならないということを、誰しもが支持するだろう。
371 :
考える名無しさん:2011/03/14(月) 18:58:14.77 0
しかし、
>>362では興奮してかなり不謹慎なことを書いてしまったが、
やはり今回の件も、決して「あるべきこと」などではなかった。
天然にしろ人工にしろ、大災害などによって損害を被らなくても、
欧米資本主義が崩壊すれば、それに連動して日本国民にも、
過分な財産備蓄を自主的に被害国に返上させるつもりでいた。
それなのに、多くの人々の命と共に、莫大な物的資産までもが
破壊されたのは、やはり百害あって一利もなかったことであり、
道理に即して考えた場合に、喜ぶべき要素などは一つもない。
君らがもう、自首したところで極刑にしかなり得ず、自主的に自決したところで
大して変わらないことが決定したことも、それによって事後の処理が相当に
やりやすくなったにしても、やはり決して「あるべきこと」などではなかった。
厳重な保護管理対象としての、君らを養っていく重荷をも率先して背負っていく
ことのほうが、やはり最善ではあったのであり、たとえ無駄手間を省く便宜を
図ってくれたのだとしても、全くの大きなお世話であり、事態がより安易な
方向へと移行したことが、少なからずの退歩ともなったのだと断ぜざるを得ない。
372 :
考える名無しさん:2011/03/14(月) 19:22:18.78 0
こちらはずっと、自首だけを勧告・指示し続けてきた。
たとえ自首したところで、相当に厳しい処分が待っているのであるにしても、
新たな罪業を積み重ねたり、それによって死ぬしか途がなくなったりするよりは
確実にマシな将来が期待されるし、またマシになるように最善を尽くすつもりでいた。
それなのに、自首以外のより劣悪な選択肢が選ばれて、自首よりも
自決したほうが手っ取り早いような状況へと移行してしまったことは
甚だ遺憾なことであり、決してこちらの望むところではなかった。
ちょうど、政府や自治体や報道機関による、避難指示や避難勧告をも振り切って、
様子を見るために海岸付近におもむいて、津波に巻き込まれたようなものであり、
さんざんの引き止めすら無視したことから、もはや自己責任であるとしか言えない。
指示や勧告が為されなかったり、随分と遅れて耳に届かなかったりしたのなら、
こちらにも落ち度があったといえるが、もう勧告を始めてから随分な時間も経ち、
勧告の回数も何百、何千回に上っているのだから、どうして過ちを自主的に
選択した君ら自身以外の、誰かに責任をなすり付けることができる?
・・よろしいかな? 基本的に東洋教学の本質は「身体信仰」である。
東洋教学にとって、人間の身体は、無限の可能性を蔵した宝蔵であって、
その探求こそが、やがて人間を計り知れぬ法悦境をへと導びいてくれる
唯一の小道なのだ。
一方、愚かな西洋人は身体の可能的豊穣性を認識せず、かえって
原罪をその本質に持つ身体を、肉と呼んで蔑み、迫害し、
人間を地獄に導く堕落性として告発し続けて来た。
しかしながら。。。
発言に、あまりにも一貫性がなさ過ぎる。
「・・」を多用したり、文末に無駄な改行を入れたりの記述癖は共通しているが、
本当に同一人物だとすれば、多重人格障害の可能性すら否めない。
こちらの意見への迎合を試みたかと思えば、一転して大反対に回ったりと、
どう見ても、まともな精神の平静を保てている人間の態度ではない。
精神障害者だらけの世の中であることは重々承知しているが、
(都知事すら今回の震災をうけて、分裂病めいたコメントをしている)
病理の構造も治癒方法も丸わかりな立場からすれば、こちらの言うことを
よく聞いて治療に専念してくれないことが、ただただもどかしいばかり。
重大犯罪者であり、しかも重度の心理障害者でもある。
そんな人間が量産されてしまっていることからも、
この世を司る理法の不条理を、ひしひしと感じさせられる。
しかも大変なことには、俗世の理法には不条理もあれば条理もあり、
一旦条理のほうにすら矯正させられたなら、今のような最悪の事態ぐらいは免れられることを
普遍的な法則として把握してしまってもいるから、なまじ、そんじょそこらの小人のように
この世の無常に完全に絶望しきって、何もかもをほうり出す気にもなれないのが、これまた厄介なことだ。
堯舜禹湯文武周公といった儒学上の聖賢たちを、
列子は半ば、ハズレくじをひいた不幸者も同然の徒輩として扱っていたが、
善徳の体系構築に秀でているということは、たとえ敵対者としてではあるにしろ、
罪悪の体系構築者を寄せ付けての対戦を招く、一種の不祥材料にもなるのだといえる。
片刃の大小二本差しを好き好んで佩くほどにも、
勧善懲悪の進取にばかり専らであり続けて来た日本人の性向は、
確かに米英人のような極悪非道の輩に喧嘩を売られる、自業自得の原因にもなっているのであり、
もう、この性向もDNAレベルにまで染み込んでいるものであるからして、
完膚無きまでに戦い尽くして、どちらかが死に絶えるまで事態が収拾することはないのだろう。
日本人の犯罪者性は、すべて無視かね? 日本の歴史を知らないと
見えるな。 日本の歴史を勉強し直したまえ。(ついでに、ここ10
年ばかりの新聞も読みなおしたほうが、よいな。君は、新聞をまったく
詠んでいないようだから。まあ、それは個人の自由だが、何も知らない
癖に自分の妄想体系を垂れ流すのは、迷惑だな)
373には、もちろん続きがあるのだよ。いま、書いている余裕がない
だけだ。・・そういう文脈すら、読みとれないのかね。
もしかしたら、10代か?
「大量虐殺犯と付き合う気まではもうない」と明言しているのに、
性懲りもなくまとわりつくような書き込みを加えてくる。
自分自身がそのような立場には当たらない、
犯行グループに関与してはいても、凶行を主導する立場でも実行する立場でもないなどの
弁明があるのならすればいいのに、別にそうするわけでもない。
「意識が朦朧としている」というレベルの書き込みでしかない。
正直、正気を保てていることを了解できるぐらいに、あなたがまともな内容の
書き込みをしたところを、今までに一度も見たことがない。
これが、ルソーに「違う世界にいる人々」とまで言わしめた、
キリスト教徒に特有の救いがたい精神異常の一端でもあるのか。
「一所に凝り固まる」という点では、儒学や浄土教などもまんざらではないから、
凝り固まること全般を否定するほどの達観をいまいちいち引き合いには出さないが、
キリスト教徒が禽獣同然の意識的朦朧に、儒学や浄土教レベルの強度で凝り固まっているのだとすれば、
彼らが正常な人間性を取り戻すことが、いかに困難なことであるのかまでもが見てとれる。
決して、不可能なことではないにしろ。
379 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 09:05:41.58 0
罪悪はどこまでも、善徳という光にとっての影に過ぎない。
罪悪による構造体系があるとすれば、必ずそれと同等か
それ以上もの規模や品質の、善徳の構造体系が成立する。
にもかかわらず、罪悪の暗闇に固執している側の人間には、
善徳という光はまぶしすぎて直視することもできない。
「そういうものがある」という程度の察知ができることはあっても、
自分たちが直視すらできないものに対する恐怖感をいたずらに
募らせて、おおむねの場合においてその受け入れを拒絶する。
一方、善徳の把捉者の側からすれば、善徳の実在性を十分に
把握している一方で、罪悪の存在もまた滞りなく把握できる。
光に満ちた善徳と比べて、どこもかしこもが暗がりだらけな
罪悪という現象全般が、全く魅力に欠けているように思われる
ということはあるが、だからといって拒絶したりすることもない。
罪悪を業務的に罰することがあるとしても、そうしないことには
善悪禍福の展開の場としての、人間という種族の存続までもが
危ぶまれることとなるから、そうするまでで、それは決して罪悪を
拒絶しようとしているのではなく、これからも適度な罪悪すらも
宿した有機的な人類社会が保たれていくための措置でこそある。
380 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 10:13:19.76 0
俺が、洋学や聖書教を差別的に扱っているのも、
これからの人類生存のための「唯一の選択肢」としての、
洋学や聖書教の第一線級の権威の失墜の後に、
改めて東西文化が共存していく術をこそ模索しているからで、
それを「自分たちの文化が全否定された証拠だ」などと思い込んで、
こちらへの報復を加えたりするのなら、それほどにも不当な仕打ちも他にない。
このまま洋学や聖書教の権威を保つことに固執し続けたなら、
西洋人たち自身を含む、全人類の滅亡が免れ得ないのだから、
にもかかわらず西洋文化をヨイショし続けたりしたならば、
むしろそのほうが、相手の生存や福徳までをも蔑ろにした蛮行となる。
如来や菩薩の慈悲が、不可思議であることを引き合いにまで出さずとも、
難病や大怪我を治療する医師ですら、患者の想像も付かないような
知識や技術を駆使して快癒させることがあるのだから(偽薬治療だってある)、
「分からない部分はさっさと切り捨てる」の、オッカムの剃刀の論理で以って
不可思議なものへの配慮を捨て去り、自分が分かった気になった部分の発言が
むかつくから、報復がてらに暴れ回ったりするのでは、より疾患を悪化させるのみ。
全ての人間は、いつかは必ず死ぬのだから、生きている間の福徳を支援
するのが医療の本分であることもわきまえて、医神アスクレピオスが人々を
死から免れさせるせいで冥界神ハーデスの怒りを買い、不平を聞き入れた
ゼウスの雷霆を受けてアスクレピオスが殺されたというような、諸行無常の
真理にも背く与太話への妄信も、いい加減取り止めなければならない。
381 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 10:40:53.22 0
東洋教学を研究する上で、未だ自分たちに分からない要素、
不可思議で未知なる要素が存在していることへの配慮を欠くのは、
それこそ最もあってはならない部類のことだ。
この地球上でも、最も高度な知能や精神性を宿した東洋人が、
自分たちのあらん限りの全知全能と全身全霊を尽くして、
何千年もの年季をかけて練り出して来たのが東洋教学なのだから、
その全てを一概に把握することなど、まずできないのだとわきまえなければならない。
本家である東洋人自身にとってですら、あまりにも理解しがたい要素が多すぎるから、
不可思議なものであることを見越しての、他力の帰依の形をとることが多いのに、
東洋人よりも知能や精神力の低い西洋人であればなおのこと、未だ理解できないもの、
おそらく一生理解ができないだろうものの尊重にすら努めなければならない。
382 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 11:14:12.02 0
ほとんど全て、九割九分九厘以上が、自分たちにとって
理解不能なものであるのだと認めなければならない。
どこまでも無限に想定外の要素が積み重ねられていく、非線形的な方向性が
そもそも東洋教学には始めから内在しているのだから、想定した要素だけを
概念として規定し、考察対象とする、西洋流の帰納的手法は全く通用しないし、
そもそも適用させてはならず、適用させれば全く別の結論にすら陥ってしまう。
不可思議な要素をどこまでも重畳させていくのも、別に意地悪だからじゃなく、
想定外の要素がどこまでも積み重なる非線形性こそは、この世界この宇宙の
実相の法則にも合致したものであるから、諸法の実相を如実に捉えようとした
当然の結果として、不可思議な要素を多分に含むようになってしまってもいる。
その部分にまで人知の範囲を適用しようとするのは、あたかも人の手に
よって、ガンジス河の砂の数を一粒一粒数え上げていこうとするようなもので、
きりがない上に、いつまでたってもガンジス河全体の把握に至ることもない。
383 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 13:03:17.29 0
あまりにも理解不能な要素が多すぎるからといって
説明に最善が尽くされていないなどと思ってはならない。
非線形の数理構造に定量的な説明が尽くされることが
一般的にあり得ないのは、数理的にも明らかなこと。
それでも、東洋人が自分たちの叡知を尽くして、方便も交えた
最善の説明を尽くしてくれているのが東洋教学なのだから、
これ以上にも分かりやすい説明が為されることなども期待できない。
不可思議なものが、不可思議に止まる範囲で、できる限り分かりやすく
説明されようとしている内部事情すら、西洋人などには理解できない。
何しろ、世界最高の叡知を備えているのが東洋人なのだから、
その東洋人の叡知を、東洋人に叡知の程度で及ばない西洋人が
全て把握すること自体が、原理的な不可能ごとに止まっている。
「我々西洋人こそは世界で最優等の民族である」という、
思い込みを持ち越している限りは、ただでさえ理解不能な東洋教学を、
不可思議ながらの、他力の帰依の対象にすることすらもできない。
384 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 13:53:55.37 0
西洋人に、不可思議なものを配慮する慣習がないのは重々承知している。
それどころかオッカムのように、不可思議要素をあえて率先して
切り捨てるように促していた輩すらいるのも知っている。
それがもう、ダメなんだ。
実際問題、不可思議要素で溢れ返っていて、あまりにも不可思議であるために
概ねが非摂動的でもある、この世界この宇宙の実相を概括的にでも把握して、
うまくその波に乗っていくためには、不可思議要素の切り捨ては禁物なこと。
仮に性懲りもなく不可思議要素を切り捨てて、何もかもを人知の範囲内の
「線形的人工」だけで塗り固めようとすれば、それは不可思議要素で満たされた
この世界、この宇宙の実相をうまく開成していく場合はもちろんのこと、ただ
何もしないでいる場合よりも劣悪な、利益以上の損害を招く罪業となるのみ。
不可思議なものを慮るもどかしさを払拭したいあまり、暴力的威圧などによって、
東洋人に対する力での優位をひけらかしたりしたところで、そもそも不可思議な
ものを慮って、概括的に把握する素養に欠けていること自体が、西洋人が
根本的に劣等である何よりの証拠にもなっている。根本の部分の劣等さを
埋め合わせるために、腕力のような末節の部分での優位をいくらひけらかした
ところで、根本の部分は劣等なままなのだから、どうあっても劣等でしかない。
本当に東洋人並みかそれ以上であろうとするのなら、この世界この宇宙の
不可思議さを不可思議ながらにでも慮って、東洋人並みかそれ以上もの
把握を試みればいい。それでこそ、西洋人もまた、東洋人に勝るとも劣らない
存在となれるのに、暴力のような下劣な部分での優位ばかりをいくら主張
したところで、書いて字のごとく、「下劣」なままであるに止まるのみだ。
>>382 >非線形的な方向性がそもそも東洋教学には始めから内在しているのだから、
内在していても、それを扱えない時点でなんの役にもたたない。
そもそも非線形な類を学問で表しきれるのか?
表面上利用できても、開いてゆく系の入り口付近で足踏みするしかない。
厳密な論理性で捉えてきた仕組みは、その非線形な類では全て裏切られる
場合が多い。それを知らない時点で非線形の扉すら開けていない。
そもそも人間の純粋精神(=アートマン。フロイトが「意識」ではなく「無意識」と呼ぶもの)が、
この宇宙の非線形的な胎動を同源として躍動するものであるため、
梵我一如や物我一理、そして諸法無我などを体得する自己修養によって、
かなり精密なところまで、宇宙の非線形性の直観的な把握を実現することができる。
俗にいう「勘」ってのもその内に入るが、別に勘に体系的な養生方法はない。
易学の勉強などは、体系的な勘の研鑽であると言えなくもないが、
生まれつきに自得のものとしての、「勘」の一般的な定義からは幾分か外れることとなる。
387 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 17:27:40.77 0
>>386 >かなり精密なところまで、宇宙の非線形性の直観的な把握を実現することができる。
そういう夢を見たのでは?
そういう面を否定するのではない、夢は解釈によって移り行くものだろう。
もっと抽象的で純粋な物事まで達観してみたら?
形而下として表現するは良い技法だが、その答えを信じてしまったら
それで終わりだろう、更に先に別の解釈の道はないのか?
もっと奧に何かがなければその勘が素になるしかなくなる。
素としての原理の有り様を認知するのもいいが、素の奧に
もっと他の素を束ねる基本的な素がないのか考えるのはどうだろう。
全ての素粒子の、不可分な領域にまで遡っての正体が、
定性的にはもはや把握されきっている。
仮にそのさらに向こう側を想定してみたとしても、
さらにその向こう側、そのまた向こう側といった無限の曼陀羅構造の存在性を認めざるを得ず、
それが全くきりのないことが、とっくの昔に荘子によって指摘されてもいる。
わからない奴だな。君も。私は、東洋教学というのも、なかなか面白いね。
・・と言っているのだよ? ところが、君は、東洋か、西洋か、どちらの
陣営なんだ?・・と迫る。愚かだよ。だいたい、君は、徳をそなえた治者が
存在して、国を治めるという立場らしいが、プラトンの哲人政治と何処が
違うのかね? だいたい、生きた人間に、善人や徳を備えた人物が、存在
すると考えるのが、浅薄きわまるのであって、陰陽思想にも反している。
親鸞が、善人と言うとき、みずからを善人と信じて疑わない、という意味だ。
もちろん、イエスが指摘したとおり、生きた人間で善人はひとりもいない。
君は、奇妙な日本語で、長文を綴るのが、得意なようだが、実のところ、
北朝鮮の潜伏工作員ではないのかね?
善人が全く実在しないのなら、
「善人」などという言葉を人が思いつくことからして、あり得ない。
・・君は、俯瞰という言葉を知っているかな。世界を俯瞰するならば、
善/悪が、相対的な視点にすぎない事を、悟るだろう。生きている限り
ひとは、この束縛から逃れることは、出来ない。
俯瞰し得たとしても、それは瞬き、刹那のうちでしかない。しかし、
われわれが束縛のうちにいる。ということを知るには、しかし
その刹那で十分でもある。
自分が自由だ、と思うのは錯覚、であり幻想に過ぎないと識るには。
392 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 20:31:37.92 0
今回の震災は、俺の居住区域からはかなり遠く離れていた。
まったく被害がなかったってことはないが、
震源地近くの東北などと比べれば、極めて微弱な被害に止まっている。
ただ、岩手沖・宮城沖・茨城沖の三つのプレートが同時に地震を起こすという
極めて不自然な現象が見られ、それにより、個別に起こればM7〜8クラスで
済む地震が合体した、M9.0にも達する超巨大地震へと発展してしまっている。
そのせいで、今までならあり得ないほどもの激甚災害が東北を中心に
巻き起こっているわけだが、もしかしたらこれは、今回の地震の震源地である
太平洋プレートと北アメリカプレートの境界付近に複数の核爆弾などを埋め込み、
プレートを跳ね返らせるための起爆剤として用いたことで、通常ならあり得ない
ほどにも広範囲にわたる、超巨大規模の地震を人工的に引き起こしたのかもしれない。
393 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 20:32:19.07 0
仮にそうであるとして、そのような「大人災」を人工的に引き起こした動機が、
欧米社会に終焉を勧告する俺などに対する、報復や威圧の意味を込めていたのだとする。
だとしても、全くのお門違いであり、東西社会のできる限り安穏無事な永劫的共存のためにこそ、
凶状の肥大化し過ぎている欧米社会に対する、一旦だけでもの崩壊を促しているのだから、
にもかかわらず無軌道な報復行為に及んだことは、全くの自暴自棄であったのだと断ずる他はない。
それでもやはり、集団ヒステリー状態にある欧米側には自分たち自身の過ちが受け入れられず、
あくまで「おまえのせいでこんなことになったのだ」という主張を崩さずにいようとするかもしれない。
「重度の精神障害と化している俺らの神経を逆撫でした、おまえこそは大罪の責任者だ」と。
しかし、イラクやアフガンやエジプトやリビア、タイやミャンマーやブラックアフリカ諸国といった、
欧米社会が体制勢力をスケープゴートにでっち上げての内乱に陥った国はもはや無数に上っており、
敵性国家に悪玉を仮構して、破滅へと導く手管はもはや陳腐なほどにも見え透いている。
その手管に基づいて外界に迷惑を撒き散らすことは、もはや形式化しているとすら言えるため、
重度の精神障害を装ってのでっち上げなどに、いちいちうろたえていてはならないことが明白である。
394 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 20:33:14.81 0
もちろん、「そこまで仮想敵をでっち上げながらの、外界侵略に固執すること自体が精神障害である」
といえなくもないが、それほどにも体系的に他者への迷惑を増長させていく有り様が、
説得による懐柔も治癒も不能な精神障害によるものであるというのなら、俺個人が仮想敵として
でっち上げられたりされなかったりすることとは無関係に、連中は勝手に侵略を進行させていって、
自他ともなる人類全体の破滅を、いつかは引き起こすこととなるだろう。
だから、俺一人がスケープゴート化の手管に乗せられて、まるで自分が今回の災害を引き起こした
責任者であるかのような苦悩にかられる意味が、全くないということが断定できる。連中はたとえば、
店員に出されたコーヒーを自分でズボンの上にこぼしてしまった程度のことにも因縁を付けて、
当該の店への損害賠償を請求するようなヤクザ人種であろうから、誰が被害者であるとにかかわらず、
自分たちから冤罪行為を推し進めていく、害悪の元凶であり続けることだろう。
そのような凶状が、他者からの説得か、自己反省かによって正されていかないことには、結局、
連中の迷惑まき散らしによる人類の破滅は免れ得ないだろうから、俺一人が連中の意図に従ったり、
反発したりすることが、人々の運命に大した影響を与えるわけではないことがうかがえる。
395 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 20:34:08.47 0
人々の運命は、俺などではなく、害悪の元凶である欧米人たち自身が改悛できるか否かに
全てかかっているのだということを明瞭にするためにも、ただこちらがうろたえないだけでなく、
あちらの意図に乗ってこちらがスタンスを変えてしまうようなことから、避けていかなければならない。
何も変えない。これからも欧米批判の論調を弱めたりはしない。
弱めれば、それ相応の新たな災いの仕掛け方を講じられるだけだし、弱めないなら相応の報復があるのみ。
もしくは、これ以上の人災の撒き散らしは、自分たちの自の破滅までをも導くことをやっと察知して、
いい加減自分たちの主導による世界支配を終焉させるしかないと分かるかもしれない。これは極めて
確立の低いことだが、もはやそこにしか人類の生き残るすべは残されておらず、しかもうろたえるか
うろたえないかで言えば、全くうろたえずに何の変節も来たさないほうが、災禍の撒き散らしが
取りやめられる可能性も一番高くなるのだから、最善に即す結果、何も変えないことを選択する。
396 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 20:34:49.12 0
俺の家は、海岸線からは相当な内陸部にあり、たとえ今回の規模の地震が起こったとしても、
津波そのものの被害に巻き込まれることはないだろうと、別に楽観しなくとも予想される。しかも家のすぐ近くには、
近ごろできたばかりの総合防災センターがあり、たとえ老人でも歩いて避難できるぐらいの距離にある。
超巨大地震の誘発によっても、俺に致命的な危害を与えられる可能性はあまり高くなく、プロの殺し屋ならあえてはするまい。
最低限の労力で最大級の成果を挙げるのがプロなのだから、殺すにしても、おそらくもっと別のやり方をする。
まだまだ未熟ではあるにしろ、一応、対刃物までを想定した護身術を自分で習ってはいるし、
落下が致命傷となり得るような、二階建て以上の建物のエレベーターに一人では乗らないようになどしている。
ただ、あらゆる手管を尽くした暗殺活動に対する防護措置としては、全く不十分であることも自覚している。
近接戦での護身術を習ったって、遠距離からの狙撃には全くの無力だし、消音銃での近接射撃にも完全に
応じきれそうにはない。すべての食物の毒見をしているわけでもないから、毒殺すら防ぎきれるとはいえないし、
もしかしたら今回以上もの地震を誘発することで、ウチにまで津波を到達させることだってあるかもしれない。
397 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 20:35:29.99 0
完全な防備措置を講じられているわけではないが、それでもこれまでのスタンスを変える気はない。
つまり、場合によっては、殺される覚悟もできているということ。
これで殺されるんなら、俺も所詮はそこまでの人間だったんだろうし、
欧米人のほうが全人類を巻き込んでの破滅をやはり選択するってんなら、
それに抗いきる対策案も結局はないから、もうそこまでのことだと割り切って、諦める。
それでもやっぱり、最低限の護身術を習ったり、高階のエレベーターに乗らなかったりするのは、
決して自分が「死にたがり」だから諦めたりしているわけではないことの、意思表示のためでもある。
今の日本に自殺者は多いが、決して死にたがりだったりするのではなく、それぞれに已む無い事情があって
死んでいっている。俺も死ぬことが已む無い場合にはそれを受け入れても、決して自分から死を欲したり
するような酔狂家ではないから、死ぬしかない立場に追い込まれでもしない限りは、死のうとはしない。
398 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 20:36:12.03 0
俺が自ら死のうとするような選択を一切せず、また西洋人からの物理的威圧にも応じなかった結果、
西洋人がまたキレて威圧目的の殺し回りに及んだとする。それはもう、東洋人か西洋人かの、
民族の尊厳の存亡を賭けた争い、すなわち「戦争」であるからして、単なるとばっちりなどではないことを
ご了承願いたい。昭和天皇ですら、二度の原爆投下の後に初めて降伏を選択されたのだから、陛下よりも
遥かに下賤な身分であるに過ぎない俺などが、万民を慈しむ仁強さに固執した場合の僭越を察せられたい。
すでに引き起こされた東日本大震災において、南北500Kmに渡る三つのプレートが同時に地震を引き起こした
ことから、最低でも三つの起爆剤が用いられることで、震災が引き起こされたのではないかと予想される。
昭和天皇は、広島と長崎二発の原爆の投下によって降伏を決断したため、地震発生の起爆剤として三発以上の
核爆弾が使用された可能性があるにもかかわらず、俺が降伏をしないことは、二発の核による日本国民の
大量虐殺によって、降伏を決断せられた昭和天皇の場合と比べて、勇猛さを優先するのと引き換えに、
万民の命を慮る仁徳を劣後したものとなることからして、すでに陛下に頭が上がらないものとなる。
これからまた、核起爆によってさらにいくつもの震災が誘発されたり、核爆弾そのものが本土に投下されたり
したならば、俺が陛下に頭が上がらない度合いは、さらに増すこととなる。そうなることも見越した上で、
万民を慮る仁徳以上にも、敵対勢力を調伏する勇猛さを優先したことの責任を、全て負う所存である。
もしも、(まったくの妄想世界の話だが)
アメリカがあんたを殺すつもりなら
それこそ、赤子の手をひねるようなものだろ?
自分をそこまで、重大人物と思い込んでるとは、相当の重症だな。
繰り返すけど、あんたを殺すなんて、アマチュアにだって出来るぜ。
あんまり、昂奮すると、症状が悪化するよ。最近は、よい薬がたくさん
開発されてるから、とにかくメンタル・ヘルスに行ってみな。
400 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 21:37:16.56 0
すべて「だとすれば」「あるとするなら」という仮定の話だ。
俺自身が大した人間でないのは確かだが、
飛鳥時代以前から一代も欠けることなく連綿と続いている
自分の家系を改めて調べなおして見ると、本人自身に何も期待しない、
単なる祭り上げの対象としてすら、格好の材料であるだろうことが分かるから、
俺自身にとっては誇大妄想になるような予測にも、ついつい走っちまうんだ。
「祭り上げ」だから、そうたやすく殺しもしないだろうと。
存分にもてあそんだ上で、利用価値が無くなって初めて首を切る
だろうとも予想が付く。こんなことをあえて言いたくも無かったが、
あまりにも多くの有象無象の人々が殺されていっている中で、
自分ばかりが特別な存在であるというのなら、そうであるからくりすら
暴露することで、不当にわが身を保つ嫌疑を免れたくなったのだ。
401 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 22:15:45.54 0
俺が心から陛下に臣従するための犠牲が、
今回の地震で奪われた何万もの命だったというのか?
もちろん、やはり「あるべきこと」などではなかった。
確かに平安時代などに、俺の直系の先祖である藤原道長などが
天皇のお株すら奪う強権での政治体制を敷いていたのは確かだが、
それとてやはり摂政や関白としての、君臣の義を保った上での
権力統治であったのだから、君臣の義すらをも欠いたままでの
今の世の党派勢力による専横などとは、全く様相を異にしている。
心から臣従することが、君臣の義の堅持のような形式によってこそ
表れてくるのであり、それは相当な強権者として江戸社会に
君臨しながらも、朝廷に仕える征夷将軍としての位階を
逸脱することは避けた、徳川家康の場合などにもいえる。
君臣の義を代々守っていくことが、親でもないような人間からの
強制によって取り決められるようなことからして異常であり、そのような
僭越を働いた人間もまた、五体満足なままに目的を果たすことはなるまい。
もちろんそのような犠牲的仲介者を介するまでもなく、自分から慎んでの
臣従へと臨むつもりでいたのだから、これまた無駄な助長になったのだといえる。
402 :
考える名無しさん:2011/03/15(火) 22:59:04.56 0
現時点で、俺自身の言行を変節するわけにもいかないのは、
今回の震災が俺の居住地から遠く離れたものであったからといって、
次の震災が自分の近くへと及んでくるのを恐れたりして変節したのでは、
俺の言行が所詮は「釈遠謀近(遠きをすてて近きを謀る)」に
過ぎなかったのだと、落胆されることにもなりかねないからだ。
「自分や自分の周りすらよければそれでいい」などというような、
狭隘な偏愛志向のためにものを言ったりしていたのではないのだと
証明するためにも、ここで言行を変節させたりするわけにはいかない。
もちろん俺も一人で生きているわけじゃなく、周りに家族もいたりするから、
仮にこの辺りで震災が起これば、親族にまで迷惑がかかってしまうことにも
なるわけだが、今ここで矛先を避けられたとて、欧米勢力が性懲りもない
暴虐を世界中に撒き散らし続けた結果、結局はやはり俺の親族子孫に
まで深刻な危害が及ぼされるだろうことが明らかだから、ほんの少しでも
欧米勢力が改悛する可能性のある選択、今で言えば全くの不動不変を
貫くことが、あらゆる可能性を尽くした上でも、やはり最善なのだといえる。
第一。今回の大震災を自分にたいする攻撃であると確信する。
これは、敏感関係妄想の典型的な例。一日も早く、よい精神科を
受診すること。
第二。歴史上、いくつかの例外を除けば、天皇家は最高に権威のある
ブランド、とみなされており、藤原氏であろうと、江戸幕府であろう
と、現代の議会制民主主義であろうと、おのれの権力の正統性を保障
してくれる最高権威として、まつりあげ利用してきたのだ。
天皇家は、終始一貫して、政治的正統性の源泉として、実質的支配者
に利用されてきたという反証を許さない歴史的「事実」があるのだ。
これの、どこが、「主従関係」なのか。
第一。確信しているわけではない。
第二。議会制民主主義だけの事情だ。
第三。言は以てかくの如くなるべからず。
405 :
考える名無しさん:2011/03/16(水) 07:08:25.00 O
>>391 全てが絶対的な決定性による束縛によってまかなわれるということは、
すなわち、「あえてそういうやり方をしている」ということだ。
この宇宙に遍満する非線形的・非摂動的な法則とうまく付き合っていくことを拒絶して、
全てを線形の摂動的な方程式の、限られた桁数の範囲内だけでの計算によってまかなおうとする。
それはただ人工であるだけでなく、この宇宙の法則を味方に付けることもなく勝手に構築される
人間たち自身の独善的な人工でしかないからして、自然法則の側からの何らの加護も得られず、
それどころか、常に自然法則に逆らいつつ万事を執り行っていくことによる、大きな無理が付きまとう。
宇宙の法則も、当てずっぽうで味方になってくれるほどにも一般的なものではなく、
人間自身が独裁的な線形構築などに専らであろうとすれば、まず100%味方にはなってくれないとみて間違いない。
今の地球上とて、その大部分が宇宙の法則とも合致した自然法則に司られており、
その全てがあえて、独裁的な人工に味方してくれたりするようなことはない。
やり方によっては味方に付けることも可能な自然法則を、あえて一切味方に付けはせず、
全てを、不可思議要素を排した人工的な決定性だけで塗り固めようとすれば、そのぶんだけ必ず無駄なコストがかかる。
不可思議要素も多い自然法則を味方に付けての、二人三脚的開成をあえて拒絶したぶん、必ずより多くの負担を生む。
それは、自然法則をも味方に付けつつの、不可思議要素の介在も認めながらの開物成務と比べれば、
全く人としての最善を尽くしていないものであるために、比較的に劣悪なものとなる。
不可思議要素を一切排しての、線形要素だけに基づいた、完全に決定的な文明構築というのも、
かなりの純度で実現していくことが実際に可能だが、それは、実際問題として多くの不可思議要素を
介する自然法則を、味方に付けることが可能であるにも関わらず、一切味方に付けないままでの
構築となるために、不可思議な自然法則すらも、直観的な把握によって味方に付けつつ文明構築を
進めていく場合などと比べて、必ず一定以上に劣悪なものであり続ける。
406 :
考える名無しさん:2011/03/16(水) 07:27:30.79 O
劣悪だから、利益か損害かでいえば、損害をもたらす。
寸分の利益ももたらさずに多大なる損害をもたらしたり、
多少の利益はありつつも、それ以上の損害をもたらしたりする。
その程度たるや、むしろ何もしないでいたほうがマシなほど。
この宇宙に遍満する、不可思議要素込みの自然法則を味方に付けつつの、
最善を尽くした開物成務のみが、損害をもたらさずに利益をもたらしたり、
損害以上の利益をもたらしたりすることを可能とし、以て「何もしない以上の功績」ともなり得る。
「この世は決定性に司られている」
「この世は不確定性に司られている」
そのような一概な決め付けで足りるものではないほどに、
この世ではまず、自分がやったことがそのぶんだけの結果を招いている。
何もかもを決定性で塗り固めようとして、利益以上の損害をもたらしたり、
不確定性の介在も認めることで、損害以上の利益をもたらしたりしている。
もちろん、何もしないことで利益も損害ももたらさず、
冷静に状況を見計らうことでの公正な審判に徹していることもある。
利害に深く関わりつつの審判では、
どんなに高度な観察力を働かせたところで、公正なものとなり得ない。
神の決定性を、人間が認識出来ると思うか?
したがって、カントも物自体を認識不能とした。
あなたは、人間の決定性などというまったく低いレベル・・・というか
質的に決定的に異なるレベルをしか論じていない。
これが、「東洋教学」の限界なのだろう。たしかに」それは西洋が無視して
きた(もちろん、単純にすぎる言なのだが、文脈上そういう事にして置く)
身体というものを「発見」した。それは、東洋の功績だ、と認めよう。
しかし、東洋は、けっして超越的なもの、すなわち「神」を発見し得なかった。
西洋と東洋の発見が、お互いを認め、相補い合うことによって、
人類の知は、より「全体性」に近づきうるという希望があるのだと思う。
相補うためにこそ、西洋の完全崩壊が一旦でも必要だ。
何もかもを不細工な人工的決定性で塗り固め、
挙句には自分たち自身の行いに過ぎない作為を
「神の決定性」だなどと豪語して憚らぬ思い上がりが
一旦だけでも完全に駆逐されて、西洋人が最も
不得意とする政治行為への参画は永久に禁止し、
商業を含む産業への従事も相応な制限を講ずる。
それからでないと、この宇宙に本当に形而上から
付与されている、決定性と不確定性を微妙な配分で
宿した真の普遍法則に着目し、その法則を味方に付ける
ことで損害以上の利益をもたらす、東洋教学を手段として
用いた開物成務が、微塵だって実現されることはない。
現時点ですでに、西洋文化による一方的な侵略によって、
極東社会であるこの日本や中国などにおいても、東洋文化が
実社会を司る根本原理となる機会は完全に絶やされている。
この事実だけを見ても、西洋の側の少なからずの反省がない
ことには、東西文化の共存など絶対にあり得ないことがわかる。
410 :
考える名無しさん:2011/03/16(水) 08:56:26.35 0
ディズニーランドの裏側で行われている、
奴隷的犯罪労働者たちの不細工な蠢動。
それを「認識不能な神の決定性」などと言っているのだから、
確かにレベルが違いすぎて(そっちのほうが低すぎて)話にならないな。
君らが述べている、その「超越的な神」さんたちこそは、
この世界この宇宙に遍満する、決定性と共に多分の不確定性も宿した
真の普遍法則に逆らってまで、絶対的な決定性に固執したために、
利益以上の損害をもたらす、何もしない以上にも劣悪な
重権力犯罪行為しか実現することができなくなっているというのに。
その、「超越的な神の決定性」を装った、単なる有害無益な
重権力犯罪行為よりも、さらに高い段階にあるものこそは、
この世界この宇宙の真の普遍法則とうまく付き合いつつの、
損害以上の利益をもたらす開物成務であるのだから、その上に
さらに「超越的な神の決定性ごっこ」などを置いたならば、あたかも
大穴の開いた水がめに、水を汲み続けるような徒労にしかならない。
411 :
考える名無しさん:2011/03/16(水) 09:25:43.45 0
具体的な例を挙げれば、
炉心溶融が原理的に発生しない核融合発電の
実用化のための障壁となっているプラズマ不安定性を、
この宇宙に遍満している非線形的ゆらぎの、
より根本原則に根ざした自明な解析によって、
核融合炉の自己点火条件を満たし続けられる程度に
抑え付ける用意が、すでに整っている。
でも、石油メジャーなどの既存のエネルギー利権の
保持者の、自己存命ゆ放辟邪侈を目的とした専横によって、
核融合の実用化はまだ妨げられたままである。
核分裂反応による熱量発生をエネルギーとする原子力発電は、
連鎖反応による炉心溶融という危険性があるからこそ、
人々からの嫌悪を受けて、化石燃料の需要を完全に
食い潰したりもすることがないから、存在が容認されている。
その原子力発電も、今回の震災によってさらに信頼性が傾き、
(ただし完全に想定外の規模の地震による被害であり、
原子炉自体に設計ミスなどの落ち度があったわけではない)
炉心溶融の起こらない核融合発電が実現でもされない限りは、
これからまたさらに化石燃料への支持が高まることとなる。
東北地方は大規模な工業地帯も多いため、コンビナートや
ガスタンクなどが被害にあって大爆発や大火災を起こし、
気仙沼のように街全体が火の海と化してしまった地域もある。
今の工業文明がいかに、大量の化石燃料に依存しているのかが
如実となる例となったわけだが、やはり核融合の実現なども
介さぬままに、元通りの工業地帯の復興を目指すのなら、
これまた化石燃料の特需が発生し、ある種の利権が儲かるわけだ。
412 :
考える名無しさん:2011/03/16(水) 09:45:54.83 0
「超越的な神の決定性ごっこ」、すなわち、既存権力の莫大な
既得権益を振りかざした、悪逆非道な放辟邪侈との共存が可能なのは、
非・化石燃料発電であれば、せいぜい原子力発電止まりであり、
あとは全く発電供給量の追いつかない水力発電や風力発電、
太陽光発電などが人気取りのエコ対策がてらに認められたりするだけ。
この宇宙の根本法則にまで遡っての、プラズマ不安定性の抑え付けによって、
長時間の自己点火条件を実現する、核融合炉による発電が商業ペースで実用化
されたりすれば、ほぼ完全な無公害であると共に、炉心溶融の危険性も一切なく、
燃料も海水から無尽蔵に取り出して消費することができるようになるから、
エネルギー利権としての石油利権などは、もはや壊滅するしかなくなる。
この事実だけをとって見ても、宇宙の根本法則に根ざした開物成務と、
「超越的な神の決定性」を装った、重権力犯罪者たちの放辟邪侈とが
決して互いに相容れるものではなく、共存も全く不可能であることがわかる。
井のなかのカワズは、「井のなかのカワズ的空想物語」を創りあげては
悦にいる。。というわけだ。この大惨事を見てみたまえ。善人も悪人も
平等に悲惨な死を迎えた。人間の理性によって、この事態になんらかの
説明を加えようとするすべての努力は無益だ。
完全な闇。それこそが、宇宙の、われらが住む家の色だと識りたまえ。
神が、みずからの手で存在証明を行なったのだ、と識りたまえ。
理性の驕りを告げ知らせる為に。
414 :
汝はそれである。:2011/03/16(水) 23:19:27.84 0
「己れに克ちて礼に復り、仁を為す。一日己れに克ちて礼に復れば、
天下仁に帰す。仁を為すは己れに由る。人に由らんや」
(「論語」顔淵第十二・一)
乱世の道徳学者だった孔子には、当時が道の行われない闇の
時代であったせいもあって、他者からの質問に返答をするなどの形で、
道の行われない世の中が改善に向かう方法論をも多く述べている。
それによれば、克己復礼によって仁を為すことは、全く己れの選択に由るという。
つまり、一旦仁義も三綱も捨て去った状態での放辟邪侈、本人たちが「自由」
などという言葉で美化したがるやりたい放題の味を占めた以上は、同じく
「自由(自らに由る)」によってでしか、二度と仁を為すことはあり得ないという。
一旦、自由によって仁も礼も捨て去ってしまった人間が、再び礼に返って
仁を行うことは、これまた本人自身の自由な選択によってでしかあり得ない。
決して人からの促しや強制によって、復礼や為仁が選択されたりはしない。
自由の名の下の放辟邪侈と比べて、復礼為仁が安易に面白かったりすることも
ないから、当人たちの放辟邪侈正当化の拠り所である「自由」それによってこそ、
克己復礼が選択されないことには、二度と仁が為されることもないというわけだ。
私は、論語に詳しい者とはとても言えないないが、それでもあなたの
仁についての説明は非常に奇異に聴えるね。
仁とは、理性を否定し(理性という暴虐によって)抑圧され監禁された
本来のこころの声、身体の声に耳を傾ける
真剣な心の心性をさす、というのが普通の解釈だろう。
416 :
考える名無しさん:2011/03/17(木) 09:15:45.61 O
自分にもまだ確かに、「人間の心身の根本の部分にある理法の把捉を喪失して、
自他を破滅へと導く放辟邪侈を進行させ続ける異常犯罪者たちを、
何とか自分の手で正気にたち戻らせて、破滅を食い止めなければならない」
というような、義務感にかられている自覚がなきにしもあらず。
連中の自殺行為が、誰しもを破滅へと導くものである以上、
自分自身もまた破滅を危ぶまれる人間のうちに入っているのが間違いないから、
決してお節介だったりするわけじゃないが、そもそも道徳の祖である孔子ですら、
一旦放蕩の味を占めた人間が、誰か自分以外の人間によって礼節へとたち戻らされる
などということがあり得ないのだと断定しているのだから、
「自分が相手の克己復礼を助けてあげよう」などと考えることが、
いかに無益な徒労でしかないのかが、見てとれる。
それなのにやっぱり、「どうにか異常者を正気へと立ち返らせてあげたい」などというような
気持ちをやたらに抱くのは、確かに理性の極みに即して考えてみれば、破綻しているといえる。
穴に落ちようとしている赤ん坊を救いたい気持ちになる、
惻隠の情こそは仁の発端でもあるというから、確かに仁には、
冷徹な理性に基づけば破綻している側面があるのだといえる。
衆生を救おうとする菩提心の発露を重視する大乗仏教も、
未だ慈悲を実行に移すための輪廻を続ける菩薩を、輪廻を完全に断滅した仏よりも下に置いている。
仁の発端となる惻隠の情や、菩提心を発露させる慈悲などが、
他者からの外部的救済の及ばない地獄の亡者などにまで適用されることがある、
それは確かに矛盾していることであり、理性的に考えてれば破綻していることだが、
それでも心の底から無限の慈しみがわき上がってくる、
これこそはあらゆる破綻の中でも、最も甚大なる破綻だといえ、
その破綻の度合いが、最悪の精神異常者の思考の破綻すらをも上回っているから、
無限の慈しみのわき上がるものが、破綻の魅力にかられて邪曲に折れるなどということもない。
417 :
考える名無しさん:2011/03/17(木) 09:17:49.45 O
無上の慈悲は、無上の破綻でもある、だから慈悲にかられて旺盛な言行に臨む菩薩や亜聖が、
もはや泰然自若としたままである仏や聖人などより格下に置かれもする。
常人が万民を救うことなどまず不可能なことであり、
万民の救済などさっさと諦めて、仲間内だけでの利益のため込みにでも特化するほうが
ある意味理性的なことで、万民を救おうとする野心すらをも捨てきらないでいることのほうが、
遥かに熱情的なことであり、最大級の論理的破綻すらをも同時に内包している。
破綻者としてですら、無限の慈悲の持ち主こそは「主人公」であり、
大事故を起こした原発を処理する作業員であるどころか、原発そのものだといえる。
むしろ作業員たる対峙者の側のほうが、自らの自由かつ果敢な選択によって、
決死の覚悟で処理に臨むしかないのである。
418 :
考える名無しさん:2011/03/17(木) 21:17:38.91 0
先年祖父が亡くなった、俺自身の母方の家系を調べていると、
また新たな発見があったので、まだ家の正体がばれない範囲でだけ報告しておこう。
俺の母方が、地方の上級武家の家系であり、明治維新以降にも
多くの政府重役を送り込んだ家柄であることは、すでに述べた。
その中でも特に、太平洋戦争勃発以前に、大日本帝国陸軍大将にまで上り詰めた
Tさんという人がいるんだが、このTさんがうちの家系の「支流」の出身であり、
うちのほうが、飛鳥時代の藤原氏から延々と続く「本家本流」の家であるらしい。
俺の祖父も、本家の直系の子孫だけが用いることを許される字を名に用いており、
Tさんやその父親などは、やはりこの文字を用いていない。
あまり知られていないことだが、明治維新以降、下級武士同士での、命を捨てての動乱が収拾して後に、
動乱期には退避を決め込んでいた公家や地方の上級武士などが、政府重役を務めるようになった。
俺の母方もそんな家系のうちの一つだったわけだが、どうやら、動乱後に下級武士たちの屍を踏み越えて
政府重役に成り上がったのは、上流階級の家のうちでも、さらに支流や分家にあたるものばかりだったようで、
本家本流である家のほうは、家督を守ることのほうを優先して、政府重役にすらなろうとはしなかったようだ。
419 :
考える名無しさん:2011/03/17(木) 21:18:28.13 0
俺の母方もそんな、明治以降の「棚からぼた餅」すらも拒絶した、「上流階級の本家本流」の家柄
だったようで、支流や分家の中には、Тさんのような帝国陸軍大将にまで上り詰めた人もいたわけだが、
うちは本家本流だったから、下人の犠牲を糧に特需利益を貪るような真似もせずに、工学士の資格を
取得して土木事業を指揮するなどの、比較的地味で無難な仕事にのみ、戦前から従事していたようだ。
陸軍大将にまで上り詰めたことを鼻にかけたのか、Тさんは戦前にうちにやって来て、先祖代々の系譜を
記した過去帳を、今の20万円程度の金を払って買い取り、今ではもう、Тさんの子孫とも親交は途絶えている。
戦前に大事業に参画した家に嫁いだ本家出身の娘(俺の曾々爺さんの長女にあたる)が、戸籍謄本から
完全に抹消されているなど、上流階級にもかかわらず、あまり大きな仕事に携わらなかったせいでの
村八分的な扱いを、本家本流であるにもかかわらず、ではなく、だからこそ受けていたようなのだ。
工学士としての職能と共に、大名に次ぐ上士として封建社会に君臨していた代々の家風を活かして、
小作農がまだ許されていた頃の「寄生地主」としての仕事などもしていたようだが、戦後のGHQによる
農地改革によってその職分も失った。自家がまったく軍国主義の推進などに加担せず、また推進による
利益なども得ていなかった(むしろ失い通しだった)にもかかわらず、本家本流の上級武家としての
俺の母方は、敗戦のとばっちりを受けて、さらなる没落の一途を辿ることとなった。
420 :
考える名無しさん:2011/03/17(木) 21:19:41.83 0
戦前には出征にまで至らなかった母方の祖父は、戦後には建設会社の社員として働き、
父祖と同じように土木事業を営んでいた。俺はてっきりこの前まで、祖父は敗戦後、軍人として大成する
途が閉ざされたから、仕方なく建設会社に入社したものだと思い込んでいたんだが、亡き祖父の遺品を整理したり、
戸籍関係を再整理している祖母の話を聞くなどして、実は、祖父の土木業への従事は、戦後、軍事的成功が
閉ざされて後の変節の結果などではなく、父祖の頃からの家業の伝承であったことが分かった。
俺の母方からすれば、支流としての家柄によって政府中枢にのめり込み、挙句には陸軍大将にまで上り詰めたのがТさんだった。
軍人としてのТさんの評価は、お世辞にも高いとはいえないものであり、近年の論評では「無能」扱いされていることすらある。
にもかかわらずではなくだからこそ、Тさんが自分自身の有能さなどではなく、家柄の確かさによってこそ
のし上がっていったことが分かるわけで、俺の母方の家系の支流ですらもが陸軍大将にまで上り詰めたのだから、
仮に俺などが、本家本流としての家柄を振りかざして、政府重役に就任しようとすれば、陸軍大将以上、
「陸軍元帥」か、あるいはそれ以上の階級に就任することが、ただ家柄によるだけでも認められることだろう。
陸軍元帥といえば、ちょうどGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーの最終階級と同じであり、
たとえ「全くの無能ながらの家柄依存」に即したとしても、今すぐ「日本版マッカーサー」として、
アメリカ合衆国・本土占領の最高司令官に就任するだけの権利を持っている。
421 :
考える名無しさん:2011/03/17(木) 21:20:58.19 0
とはいえ、実際にそんな役務に本当に就くのかどうかといえば、必ずしもそうだとはいえない。
朝敵国アメリカが未だ性懲りもなく無粋な妄動を続けているうちに、占領目的での上陸すらしたくはないと、自分でも思う。
ただ自分で思うだけでなく、明治維新から現代にかけて、全くの鳴かず飛ばずの状態を堅持し続けてきた、
「本家本流の上流階級」としての母方の家柄にも即して、寸分でも危ない橋は一切渡らないでいるように努める。
あと、今までに披瀝してきた母方の系譜が、父方の系譜のバケモノさ加減には、まだ及んでいないので、
今までの母系の系譜の標榜だけを鑑みて、陸軍元帥に指名されただけで終わるのでは、まだ飽き足らない所があるから。
父方の系譜は、あまりにもバケモノじみていて、匿名掲示板に過ぎない、ここですらまだ晒すことができない。
仮にあの系譜を晒せば、今回の大津波や原発崩壊以上もの衝撃を以って、この日本や世界を激震させることになりかねない。
だからまだ、父方の系譜を晒すことはできない。今までに晒した母方の概ねの系譜も、分かる人間には相応の衝撃を以って
受け止められるものとなるのだろうが、これでもまだ、いま示せる範囲のことを示しているだけであることを、察せられたい。
422 :
考える名無しさん:2011/03/18(金) 00:15:28.39 0
俺は母方が「戦前にブイブイ言わせていた家」だと聞いていて、
陸軍大将となったТさんなども血縁の深い親戚だと聞いていたから、
祖父を正月にお参りすることすら、避けようとしていたわけだが、
今となっては、やっぱりお参りしておいて本当によかったと思う。
千年以上の昔から続く、本家本流の家柄であればこそ、
明治以降のドサクサにすら紛れることなく、時代に相応の
佳作であり続けていたことが、かえって誇らしいことだから。
明治以前なら、次男坊や三男坊などとして、婿養子か、
せいぜい分流でしか有り得なかったような貴族の男子こそは
政府中枢などに潜り込んでいってお偉いさんと化したのであり、
うちのような本家本流の家系こそは、何もしないでいたのだから。
全面的に東洋教学に司られていた、明治以前の
日本社会が、いかに先の先の先までをも見越しきった、
先見の明に長けていたのかまでもが分かる。
423 :
考える名無しさん:2011/03/18(金) 18:21:40.85 0
維新後、世情の乱れが一段落して後に、大日本帝国の政府重役に納まった
華族や上等士族の出身者などもまた、支流や分家や、婿養子入りが迫られていた
次男坊や三男坊などで主に占められていて、本家本流の家督相続者である長男などは、
むしろ家を継ぐことのほうに専念して、あまり大きな仕事には携わらなかった。
これが、どういうことを意味しているのか分かるか?
日本人は、近代初期の明治の頃からずっと、近現代という時代が
真に泰平の時代であるなどとは、心の底から認めていなかったということだ。
ペリーによる恫喝での強制開国や、グラバーによる不正な武器の売り渡し、
治外法権の不平等条約の締結など、その取っ掛かりからして明らかに不義に
まみれていた、倒幕による時代の変転を、王政復古による大日本帝国の
創立によって飾り立てては見たものの、やはり根本の部分に不義があった
ことには変わりないから、帝国の運営に積極的に参画したがるのも、
本家本流よりは若干、家格の下がる上流階級出身者である場合が多かった。
泰平の世の中においても、実質的な政務を摂政や関白、執権や老中などが取り仕切る
場合があり、頂点に座す天皇家や将軍家などが、直々に政務を執られるとは限らない。
それでもやはり、位階上の上位には、頂点に座するに値する本家本流がいたわけで、
その上で末流に値するような補佐者が、実質的な政務を代行していたわけだ。
まかり間違っても、末流の出身者のほうが権力機構の上位に上り詰めて、
本家本流の出身者のほうが、土木業者のような賤業に甘んじているなどと
いうことはないわけで、そんなことが起こってしまっていた近現代の日本は、
いくら神州の誉れを振りかざした所で、元の正常さを保てていたとは言い難い。
424 :
考える名無しさん:2011/03/18(金) 18:54:50.32 0
今日、量販店で買い物の精算をしているときに、レジの横に東北関東大震災の
義援金を募る募金箱があったので、ちょうど財布を開いていたこともあって、
持ち合わせていた小銭のうちの150円を、思わず投入してしまった。
精算を済まして店を出てから、初めて「しまった」と思い直した。
「重権力犯罪者のマッチポンプに加担してしまった」と、その時になって初めて気づいた。
俺が募金なんかしなくても、犯行グループの組員が全員自決なり自首なりして、
大量に裏で溜め込まれている資産を全額、復興などのために用いたほうがよっぽど効果的なわけで、
犯人でもないような人間が不用意に募金などをすれば、償われるべきところから償われる因果関係が不全化して、
引いては復興の進展すらをも滞らせてしまうから、かえって募金などしないほうがよかった。
まあ、孔子も「過ちてはすなわち改むるに憚ることなかれ(学而第一・八)」と言っているわけで、
これからは二度とやらないように努め、過ちて改めぬ真の過ちだけは犯さないように心がける。
たった150円とはいえ、故意の人災かもしれない災害に自分が募金をしてしまったのは、
人災であるかもしれない可能性を忘れてしまっていたからなのか、それとも惻隠の情からなのかを
冷静に思い直してみるに、確かに惻隠の情にかられてのものだったといえ、
決して人災である可能性を忘れていたからではないと断言できる。
穴に落ちかけている赤ん坊を助けたいと思う、仁の発端ともなる惻隠の情によって、思わず150円を募金した。
でも、そのときには、この募金がマッチポンプの助長になってしまうことまでへの配慮は働かなかった。
まさに「仁を好みて学を好まざれば、その蔽や愚(陽貨第十七・八)」という状態に陥ってしまったわけで、
十分な学知を伴わない仁は、白痴同然の博愛となってしまい、かえって有害無益な影響すら及ぼしてしまいかねない。
惻隠の情が仁の発端である以上は、仁こそは、救いようのない相手までをも救おうとする志しを伴う点にかけて、
人が抱き得る最大級の論理的破綻すらをも包含してしまうわけだから、十分な思慮も伴わないままの、ただ旺盛な
だけの仁強さなどによって、人々がより多く救われるとも限らないのだということを、用心しなければならない。
津波が、人災のわけないだろ? まだ、病院に行ってないのか?
426 :
考える名無しさん:2011/03/18(金) 22:30:52.63 0
人災であることが確認されていない人災は人災ではない、
死亡診断が取れていない虐殺被害者は始めからこの世に存在しないなど、
不可思議要素を無闇やたらに切り捨てるカミソリ論理を定立したオッカムもまた、
プラトンやイエスなどと並ぶ、人類史上最悪級の「有罪理念提唱者」であるのだろう。
物事を信じるにしたって、信じることが簡単なものと、難儀なものとがあり、
部分の利益のために全体の利益を蔑ろにする邪神の存在を信じたり、
刑死者が復活することを信じたりするのは、安易な希望が叶えられることへの
信仰だから、そのぶんだけ簡単だ。しかし、天下万人が福徳に与ることを
信じたり、人が死んだ以上は二度と生き返らないことを信じたりするのは、
安易な希望だったりはしないぶんだけ、より信じることが難しい。
仁の実現とか仏法とかは、そもそも信じることからして最も難儀な類いのものであり、
我田引水の保護や刑死者の復活などを信じている人間などには、まず信じられない。
逆に言えば、仁の実現や仏法レベルの難信対象を信じられないからこそ、
人は我田引水の保護や刑死者の復活ていどのものを信じようとするのであり、
そのような邪義を信仰しようとするものは、それ以前に、多大なる人間不信を宿している。
人間という生き物に対する、致命的なほどもの疑念を蓄えてしまっているから、
その裏返しとして邪教を信仰する。邪教への信仰は、人間への不信が、人間への
信用に勝ってしまっているからこそ為されてしまうものであり、一旦人間精神への
信頼が人間不信を上回れば、邪教信仰に陥ったりすることは二度とない。
信じがたい、キミの意見(妄想)によれば、日本国に非常な悪意を抱いた
国、あるいは組織が、信じがたいほどの科学技術力と膨大な資金を投じて
巨大海底地震をおこした。。。という理屈になるね。
では、それほどの巨大な資金力と最高の科学技術力を有し、日本を破滅させ
たいという強大な憎悪を抱いている「敵」とは、いったい、誰かね。
何者かね?
私には、思い当たる節がないがね。
「復活」を、セントラル・ドグマに置いたのは、パウロであって、
イエスの思想とは、無関係であることも知らんのか?
キミをいじめすぎる。。と感じるひともいるかも知れないが
ネコは、ネズミをいたぶりたくなるものなのさ。いたしがたない
本能でね。
>>382 キリスト教だって、神の不可知性について、さんざん思考を重ねて来た
じゃんか。
>>427 「信じがたい科学技術力」でもなんでもない。
プレート境界付近に核爆弾を埋め込んで爆破し、プレートの跳ね返りを
誘発させる程度のことは、別に今の人類の科学技術でも不可能なことだとはいえない。
大量の核保有を維持しながらも、全くその実用の機会を持たないでいる今の米軍などからすれば、
兵器を稼働させることによる軍需産業の回転と、実戦による生の実験結果が得られるのとで、
一石二鳥の得にもなるのだろうから。
>>428 もちろんパウロも史上最悪級の理念提唱者の一人だ。
西洋には、利益以上の損害をもたらす有罪理念提唱者か、
ただただ莫大な利害を同時にもたらす無記科学的提唱者の二種しか居らず、
損害以上の利益をもたらす有徳理念提唱者が一人もいないことでは一貫している。
>>429 身の程知らずのゴミクズ犯罪者は、立場の上下を無みすることではなく
転倒させることによって、劣等感を優越感にすり替える場合があるようだな。
それこそは、立場の違いを察知ぐらいはできている証拠にもなっている。
本物のライオンの雄は決して徒党を組んだりはしないのに、
「ライオンズ」などという名で徒党を組んでライオンにでもなった気でいたりする。
身の程知らずどもには確かに、その取っ掛かりからして、諸法の実相に反する概念遊びに耽溺している部分がある。
俗にいう「お花畑」の一種で、幼稚園児あたりならその程度の思考回路でも可愛いもんだが、
四十五十の中年までもがそんな状態のままでいるんだから、やるせないな。
お花畑のおっさんたちには、このレベルの耳痛な苦言はぜんぶ「アーアー聞こえない」となって、
たとえ読んだところで寸分も心に届かないのだろうが。我が心の中のオッカムが、
都合の悪いことは全て、理解する前に剃り落としてくれるんだろうから。
>>430 劇場の裏舞台で繰り広げられている、下手人どもののたうち回りを「不可知」だとすることは、
別に不可思議要素を慮ることなどではない。ただ表舞台で繰り広げられていることばかりに
目がいって、裏舞台で行われているみみっちい種仕掛けにまで配慮が及ばないことを、
「神の不可知さ」などという虚構によって正当化しているだけなのだから、
むしろ不可思議なものへまでの配慮が行き届かない不注意の正当化でこそある。
スレを独占しているわけではないことを証明するがてらにも、律儀な応答をしてみたが、
未だプラトンやイエスやパウロやオッカムなどの、数多の有罪理念提唱者の物言いを信じ込んで、
お花畑状態の朦朧とした意識状態に陥っている精神障害者などには、
俺が言わんとしていることが今までどおり、何も理解されないままに終わることだろう。
そういった人間にまず必要なのは、正論を聞くことでの無理な理解などに努めることではなく、
狂信状態に陥っている数多の邪義や異学異見を捨て去ることのほうなのだから。
刑死した人間が生き返ることを信じながら、人は死んだ以上は二度と生き返らない
などという物言いを理解することは、完全に不可能なことだ。
433 :
考える名無しさん:2011/03/19(土) 11:26:37.49 0
たとえばユングのように、仏教の心理学的な価値を賞賛しながらも、
「釈迦はあくまで人だったが、イエスは人であると同時に神だった」などの
物言いで、キリストの超越性を仏法の埒外に置き、仏教とキリスト教の
教義的矛盾を克服しようとした人間もいた。
しかし、仏法は三千大千世界に永久不変の絶対真理であるというのが、これまた
仏教の教義であり、全ては現実上にあるがままに具現化されており、その外側に
不可知ながらの構造物があって、それが現実にまで何らかの影響を及ぼしたりすることは
ないというのが、仏教の根本教義の一つである「諸法実相」なわけだから、その外側に
死んでも生き返るキリストのような空想上の生き物の存在を認めた時点で、
仏教の側の教義は、その根幹の部分から、一切認めないことになる。
仏法の外側に、聖書信仰的な意味での「神の業」などを定立することは、
聖書信仰の側からすれば認められることだろうが、仏教の側からすれば
一切認められることではない。そんなものを認めた時点で、諸法実相を含む
仏教教義の側への信認が、全くの疎かにされたこととなってしまう。
434 :
考える名無しさん:2011/03/19(土) 13:02:46.98 0
もはや、物理学や宇宙論に即したとしても、
諸法実相や万物斉同の正当性が実証されている時代。
いかに重権力犯罪者風情が、不可知なる神などを装った
ところで、もはや完全に「頭かくして尻かくさず」の状態であり、
多大なる既得権益を嵩にかかっての、甚大な威力などを
発揮しようとすればするほど、より見苦しいのみ。
仮に「不可知なる神」などをあえて定立したとしても、
それが人間的な作為を行使したりすることはなく、
ただ「100%の分析が不可能な非線形的不確定性」を
もたらすぐらいであるだろうことが予想されるのみ。
あとはただただ、何もしないでいるのみ。
山のように泰然自若と何もしないでいて、それでいてあらゆる
作為を包含し尽くしている、万物の展開の場としてのこの宇宙が
ありのままに神威の如実なる具現であるともいえる。
さらにその外側に、完全に形而上的な不可知神を
想定することだってできなくはないが、それはもはや、
この宇宙この世界とは全くの無関係であるとしかいえない。
435 :
考える名無しさん:2011/03/19(土) 13:14:36.95 0
もはや「子供だましの時代」が、終焉を迎えるべき時が来ている。
まあ、キミの饒舌にはウンザリだな。奇妙な造語も使うしな。もっと、
簡潔に言いたいことをまとめられんのかな? まあ、パウロとイエス
じゃ、まったく格が違うのにもかかわらず、キリスト教(カトリック)
を創ったのは実質的に前者だ、ということは、わかったね?
パウロは、まあ、イエスの教えの本質を歪めて伝えたわけだが、ひとつ
だけ重要な仕事をした・・とは、言える。すなわち、カトリックという
郵便局を作ったという功績さ。この郵便局のおかげで、イエスの教え
(エヴァンゲリオン)が全世界に配信されることが可能になったのさ。
その手紙は、人類に新しいメッセージを届けた。もし、その種がよき地
に落ちる・・という僥倖に恵まれれば、種は芽吹き、100万倍にも
増えるであろう。実際にそうなった。何億人のもの人間がこの知らせの
内に含まれた情報の、「正しさ」に気づき、心の糧とすることが、出来た
のだ。「仏典」にも「論語」にも、決して成し遂げることの叶わなかった
偉業だ。それらは、知識人や権力者の「糧」にはなり得たのかも知れない
が、けっして、最下層の民に直接、届く「よき知らせ」となることは出来
なかったのだ。みずからの家系や血筋の「高貴さ」をおのれのプライドの
唯一のよりどころにする、権力者の末裔である君には、およそ理解し難い
ことであろうがね。
・・そういえば、カトリックにはもうひとつ功績があった。修道会という
図書館を造ったという功績だ。
己の知見が根本の部分から完全に間違い尽くしている相手に対して、
部分の意見の誤りを指摘して正そうとしたところで、どうにもならないということが、
あなたレベルの強度の迷妄に陥っている人間の言葉を聞くと、よく分かる。
もう、いちいち反論なんかしない。
ただ、その全ての迷妄を捨て去って、何一つとして正しい言行を為す
能力を持たない廃人扱いとなって、俺の保護下に下るか、
もしくは迷妄による狂乱も極まって、そのさ中に自滅して死ぬかだ。
聖書信仰者とは、未だ適切な保護管理責任者のあてがわれていない、廃人のことだ。
参政権被剥奪者とか、禁治産者とか、受刑者とか、自殺者とかは、
これから聖書信仰者がなるものであって、今まさにそうであるというわけではない。
そんな将来を期待するまでもなく、今まさに、聖書信仰者は廃人そのもの。
廃人としての程度のひどさにも、それなりの個人差はあるが、
聖書信仰者である以上は、最低でも参政権を剥奪されねばならない程度の廃人となっている。
聖書信仰、すなわちキリスト教とユダヤ教は、
これからは「廃人教」と呼ばれるがいい。
441 :
考える名無しさん:2011/03/20(日) 20:40:10.51 0
以前、俺の母方は「二千石取りの上士」だったと言ったが、それは、戦国の動乱で
新興勢力に敗れて配下に下ったためにあてがわれた、なけなしの知行だったらしい。
元はといえば、新興勢力が事後に支配した領地の多くを支配していた豪族であり、
今は石垣の一部などが残っているに過ぎないにしろ、ちゃんとした城も持つ殿様だった。
それが、新興勢力との戦いで敗れて、その配下に下って家臣となった。
完全に殺戮されて家を絶やされたりしなかったのは、元はといえば、ウチの家が
朝廷からの命令によって、当地に「郡司」として配置され、400年近くもの長きに渡って
当地を穏便に治め続けてきた由緒ある家柄だったからで、もし完全に家を絶やしたりすれば、
そうした新興勢力の側が、中央の意向にも背く「朝敵」にすらなりかねなかったから、
そうなってしまうことをも恐れて、家臣としての待遇をあてがうことで家を保たせた。
そういう事情があったから、あたかも王政復古で皇室が祭り上げられるようにして、
維新後にウチの家もまたその価値を見直され、支流からすら陸軍大将が輩出された。
武家社会興隆後には全く実権を失っていた公家などは、公家から武家に転向したウチ
などよりもさらに冷遇を受けていたのが、維新後に大活躍の場を与えられたわけだから、
二千石程度でも食みながら江戸時代を過ごしていたウチの家系が、生粋の公家ほどにも
“箍が外れる”形になったということはないが、それでもそれなりの活躍をしていた。
442 :
考える名無しさん:2011/03/20(日) 20:40:53.10 0
とはいえそれも、やはり支流や分家などが主であり、本家本流であるウチなどは、
維新後にすらあまり大きな活躍をすることは拒み、俺の祖父なども、建設会社に入社したはいいが、
ほとんど接待を受けて飲み回っているばかりの、殿様待遇のままで人生を終えた。
俺もそれがてっきり、戦後に限っての事情だと思っていたのに、実際にはそうではなく、
「動乱には全くの鳴かず飛ばずで応える」という、本家本流としての家風に深く根ざしたものだった。
平安時代に藤原氏から分かれて地方の郡司に転任し、さらに武家に転向して豪族となって、
新興勢力に飲み込まれていち家臣となり、維新後には土建業者にまで成り果てた。
時代が進めば進むほどに、ウチの家は緩やかかつ確実に衰退の一途を辿ってきている。
武家が興り、南北朝や戦国期の動乱も起こり、挙句には地球の裏側からまで侵略者がやって来た、
時代が進むに連れて動乱の規模が増していっている日本史に確実に連動して、ウチは衰退していっている。
ここでやはり、俺のご先祖様が詠んだこの歌に、こうなった根拠までもが思い当たる。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
まさに、平安期の最大級の成功者だった藤原道長あたりで、ウチの家系は最高潮の「満月」を迎え、
そこから徐々に月が欠けて行き、ついには今、月明かりが完全に途絶えた「朔」と化している。
443 :
考える名無しさん:2011/03/20(日) 20:42:17.76 0
まだほとんど、何もしないままの状態である俺自身の有り様が、存命中に方々で飲み回るばかりしていた
祖父の行状にも似ていることから、祖父への思いを重ねるということは昔からあった。ただそれが、
戦後に限っての変節の結果としての、遊蕩の継承だなどと思い込んで、やるせなさに見舞われることもあった。
しかし、実際には何百年もの昔から、俺の母方の家系は衰退の一途を辿っていて、本家本流については
先祖代々から子子孫孫へと、鳴かず飛ばずの度合いを増していくことをこそ伝統化してしまっていたわけだ。
今まさに、その伝統も極まって、俺も全く何もしていない。あくまで、今まで述べた家系も全て母方であり、
父親は別に婿養子に入っているわけでもないので、俺自身の苗字も父方の苗字であり、母方の苗字ではない。
そして本家本流の母方の家系に、もう男子はいない。一応俺が男としてその血筋を継いではいるが、
俺が一念発起して家を再興でもしないかぎりは、本家本流の家は事実上、途絶えたままで終わることになる。
まさに、「この世をばわが世とぞ思ふ望月」が、欠けに欠けきって、全く月の見えない朔と化したのが今であり、
死刑すら根絶させての安寧と栄華が我が代に極まったことを受けて、後は衰亡の一途を辿るばかりであることを
嘆いた藤原道長の憂慮が、あの歌が詠まれて1000年近くが経過した今になって、ついに極まったのだといえる。
ふんふん・・それで?
これからどうなるの?
その比喩を続けると、これからじょじょに満ちはじめるというわけね。
そのスタートとして、あなたが「東洋教学」という学問を創始する、と。
・・おおいに結構な話だと思いますね。正直、あなたがその夢を成就される
といいと思いますね。意思というものは、それが本物なら、それだけで価値
があるものだと思いますからね。意思、おおいに結構。
ただ、あなたは少々、騙されやすいお方ですな。わたしは、キリスト教信者
でも、何でもないんだから。
最初から、言っているだろう? 私の立場は、中道だと。
446 :
考える名無しさん:2011/03/20(日) 21:16:16.37 O
ただの「キリスト教定立者」でも、すでに廃人の気がある。
ごく微量の放射線ですら、浴びないに越したことはない。
定立した時点で、すでに没落が始まっている。
447 :
考える名無しさん:2011/03/20(日) 21:17:53.24 0
完全なる否定にも、存在の余地を与えよ。
448 :
考える名無しさん:2011/03/20(日) 21:38:48.66 0
あくまで「母方」であり、「父方」じゃない。
しかも、藤原氏の末裔なんて今の日本にもいくらでもいるのであり、
藤原道長の「望月」が俺で「朔」に達したなんてのも、
俺の母方に限っての特殊事情でしかない。
父方は、もうちょっとアクティブな家系。
今の世や、今後数百年程度の「近場」を征服するに適した、超怪物的な家柄。
母方は、今後千年以上の邦家の安寧を司る、
最深度までくさびを打ち込んだ礎となるのだろうから、
俺自身が大事に携わる以上は、多少は隔離しておかなければならない。
思うに、「庶子」あたりに母方の苗字を名乗らせて、
日本国内の重臣の家柄にでも据え直せばいいと思う。
「嫡子」には、数百年程度の短命政権に終わることも見越した上で、
「地球帝王」の位をでも、代々引き継いでいってもらおう。
ただ、「正室が廃人」ってのは、少々酔狂に過ぎる。
さすがに廃人ともなれば、末席の側室として認められるかどうかってとこ。
全地球社会を司る仮初めの政権だから、純黄色人種でまである
必要はないし、それはそれで多くの反発があるだろうことも予想される。
ただ、もう廃人が世界を支配すべき時などでないのだけは確かだ。
450 :
刃渡り1000年:2011/03/20(日) 23:57:53.31 O
適当なことを書きまくってんぜ?
これ以上の欠けようはないからって。
合衆国建国やメイソン初結成以前からの、日本人自身の筋書き通りのシナリオ。
452 :
考える名無しさん:2011/03/21(月) 14:20:10.81 0
維新後の動乱期にすら、家督を守るほうを優先して大きな仕事に携わらなかったことが、
やはり、母方の家にある種の鬱屈を溜め込ませていたようで、家族兄弟の間での不和や喧嘩も
相次いだらしく、祖父の叔父なども十代の若さでの不審死(おそらく自殺)に見舞われている。
そんな事情があってか、祖父も「(不和の原因にもなる)男の子はもういらない」と生前に
述べていたらしく、母方に男子がいないのも仕方なくではなく、あえてのことであるらしい。
それでいて、「養子に家を継いでもらえれば」みたいなことも言っていたらしく、家族の
不和にはもう懲りていた一方で、由緒の確かな自家が途絶えることを憂えてもいたようだ。
偶然ではなく、先祖代々にそれぞれの思いがあって、今のような状況が
構築されてもいるわけで、ご先祖様の意図が自分たちに及ぼしている影響と比べれば、
権力犯罪者からの今さらな悪影響なんて、あたかも牛にたかる蝿ぐらいのもの。
453 :
考える名無しさん:2011/03/21(月) 14:22:28.99 0
藤原氏の起源は、少なくとも7世紀の中臣鎌足や藤原不比等にまで確実に遡れるわけで、
せいぜい9世紀に集団改宗したハザール人にまでしか系譜を遡れない近代ユダヤ人よりも、
藤原氏から延々と続いているウチの系譜のほうが、確実に長大であることまでもがわかる。
(ユダヤ人も女系だから、俺が母方からすれば女系にあたることも、相応に問題がない)
もちろん皇室などには及ばないにしても、自らの系譜の古来からの確かさが、
確実に権力犯罪集団のそれなどをも上回っているから、今の権力犯罪者の行いその全てが、
自らの足元よりもさらに下のところばかりで繰り広げられているのだと確かにわきまえられる。
東洋教学の由緒の確かさが、洋学や聖書教のそれを上回っているということは、もうさんざん
主張してきたが、その東洋教学に基づいて構築されてきたうちの系譜もまた、洋学や廃人教
をより所とする今の権力犯罪者の系譜などよりも、何段も上等なものであることが確か。
権力犯罪者よりも確実に優等な由緒に即して、なおかつその伝統に根ざした実践を
自分自身が尽くしてもいるから、そこに無上の満足までもが実現されているわけで、
決して何の根拠もなく、自らの生を今の世の誰よりも遥かに楽しんだりしているのではない。
つ『蘇我氏の正体』
関 裕二
悪役は、正義の味方にいつも、後出しじゃんけんで挑んでくる。
後出しのために費やす無駄手間こそは、恒常普遍な劣悪さの原因ともなっている。
由緒ある家系というのが、君には重要らしいね。しかし、たとえばイギリス
なども、家系を重んじた国柄なのだがね? フランスなどもね。
・・そして、フィクションながら「イエスの血筋」が現代に至るまで
護られてきた・・というのが、ほかならぬ、ダン・ブラウンの
「ダヴィンチ・コード」なのだが。
どうかね?さすがの藤原氏も「イエスの血脈」の前には色褪せるのでは
ないかね。
まあ、きみも、肝心の「東洋教学」の驚愕的な中身の片鱗でも、見せては
くれないのかな?
きみの、きみ自身の家系に対する情熱はよくわかったからさ。
フィクションながら
フィクションながら
フィクションながら
(´・ω・`)
血統を、重んじるという点では、競馬もひけを取らないね。そういえば。
460 :
考える名無しさん:2011/03/21(月) 22:51:17.34 0
人は、正統な血筋にでもよらない限りは、
ほとんど何一つとして善いことをすることはできない
461 :
考える名無しさん:2011/03/21(月) 22:58:52.85 0
祖父もまた、国家総動員状態の第二次世界大戦末期に、
半ば「日本の伝家の宝刀」としての扱いを受けつつの、幹部候補生としての
訓練を受けていたわけだが、志し半ばで日本全土が降伏して、
戦地での活躍の日の目を見ることがなかった。
それで結局、戦後に産業経済系の二流大学に入り直して、
大手建設会社に入社し直すという、祖父自身にとっての志しは途絶えたものの、
本家本流の名家としての家風には即するという、複雑な運命に浴すこととなった。
祖父もまた、「乱世の鳴かず飛ばず」としての相応な家風の継承者であったには違いなく、
名家でありながら矮小な営みに徹することにかけての、相当な手練れとなったのだといえる。
462 :
考える名無しさん:2011/03/21(月) 22:59:56.49 0
これは、父方のご先祖様などについても聞いていることだが、上級武士ってのは、
とかく金遣いが荒い。封土全体が「我が財布」だから、わざわざ自分自身までもが
金を貯蓄する必要がないという考えが働いて、身辺にいちいち金銭を貯め込むことがない。
母方の祖父もまたそのような性向の持ち主であり、晩年にはほとんどの財産を使い果たし、
今の世で「名家」と呼ばれるに値するような遺産は全く残すことなく、この世を去っている。
乱世の鳴かず飛ばずを貫こうとした結果として、自明に資産面などでも衰退の一途を辿っている。
それもまた、余すところなく俺に受け継がれているところであり、自由に使える金は必ず浪費する。
それは今の世で社会不適合とされる原因ともなるので、実際、今の世に出て行っても通行するところがない。
463 :
考える名無しさん:2011/03/21(月) 23:00:44.95 0
「乱世の名家」としての社会不適合度が極まった結果、俺は今、祖父以上にも何もできていない。
惨状が深刻化しているのは確かだが、それ以上にも、千年来の家風の継承が極まっている。
「悪いことをするぐらいなら、まだ何もしないでいたほうがいい」という平安無上の論理は、
道家の学や儒学の一部、大乗仏教の唯識思想などによって、その純粋学理的な正当性が認められるもの。
それらの東洋教学の発祥が、洋学などよりも歴史的に先んじていることから、歴史的な優等さに即して
無為自然の学理としての価値が絶対化されるということは、今さら強弁するまでもないこと。
その、東洋教学によっても至上化されるところの、「乱世の鳴かず飛ばず」の貫きを、
千年以上もの長きにわたる、深深重重とした系譜の貫きによって実践し続けてきたこの系譜が、
今まさに極まっているということに、単なる概念上の学理以上もの意味が汲み取られる。
464 :
考える名無しさん:2011/03/21(月) 23:33:13.92 O
ほとんど何もしないでいることにかけての由緒正しさが、
何もかもをし尽くそうとするおまえらの伝統を、
実相の系譜から確実に上回っている。
だから、なぜ、一枚岩としてみるのか? そんなはずあるか?
現実が、きみのいうように単純なものなら、どれほどわかりやすいかね?
きみは、現実の複雑さにまったく目をつぶり、画一的な2項対立を、
提示する。。。そんな2項対立は、おのれの愚かさを世間に喧伝している
だけで、きみの夢は、ただ単なる砂上の楼閣に終るであろう。
きみ如きのレトリックで、西洋の偉大な蓄積に対抗できると本気で信じて
いるなら、まったくのお笑いものだ。きみの祖父が、笑劇を演じた・・と
言うのなら
「笑劇は、二度繰り返される」という墓碑銘をきみに進呈しよう。
和製ドン・キホーテ氏は、そろそろ、ラ・マンチャ郷に戻る潮時だぜ?
西洋を東洋と対比させるというやり方は、古臭い、というかカビ臭い。
もはや、腐臭を放っているね。
いまや、問題となっているのは、人類、対 神、
という対立項だろうな。カビの生えたような古臭いテーゼを持ち出して、
私をウンザリさせないでほしいね。
467 :
対立を超えて:2011/03/22(火) 06:56:31.06 O
西洋のハエ蚊などがたかってくる以前から、
純粋な東洋側の事情として、ウチなどが一貫して没落を続けている。
1000年以上の昔から、時流の主軸を形成しているのは一貫して東洋の側であり、
東洋なくして今の西洋があり得ないということはあっても、
西洋なくして今の東洋があり得ないなどということはない。
西洋からの影響を全く抜きにしたり、西洋を東洋の一部落として捉えたりの、
二項対立を卒業したより進展的で実質的な東洋観が、醸成しつつある。
468 :
考える名無しさん:2011/03/22(火) 07:18:24.26 O
藤原氏による摂関政治あたりで、我が家の隆盛も一旦は極まったから、
後はもう没落していく以外に余地はない。
没落が徹底的に極められでもしない限りは、
次の隆盛への道が開かれることもない。
我が家の歴史よりも遥かに息の短い、今の重権力犯罪者たちの蠢動なども、
我が家の没落の究極を手伝ってもらうための、使用人の下仕事ぐらいのものと見なせばいい。
どちらかといえば、東洋よりも西洋のほうが権勢面で優勢となった
ここ数百年の世界史すらも、そっくりそのまま併呑してしまうだけの度量が、やはり東洋にはあったのだから。
469 :
考える名無しさん:2011/03/22(火) 07:50:33.65 O
秀吉の側室となったものの子を残せなかった京極竜子とか、
首相や大政翼賛会会長にまで祭り上げられながらも、敗戦時には自決を迫られた近衛文麿とか、
なまじ名家の出身であればこそ、家の再興を試みて失敗した例も数多い。
家の高貴さに見合うだけの再興隆が、生半可な成功では立ち行かず、
卑賤の出身者がどんな手を使ってでも成り上がる場合のようなカブキ回りも、
名家の出身者であればこそ禁止されるところがある。
もちろんそれは、日本であれば皇室に極まっていて、
皇室の再興は、維新後の大日本帝国の創建によってですら、完全に失敗している。
以前の隆盛にマイナス符号をかけた並みか、それ以上もの衰退を通過しないことには、
名家の再興の名分も立たないから、マゾヒズムなどではなく、
純粋な再興を目的としての、衰退の極まりを欲するところがある。
もちろんそれが、「衰亡」となることもある。
きみの言っていることは、一応、陰陽思想にかなってはいる。
471 :
考える名無しさん:2011/03/22(火) 08:18:41.23 O
衰退が極まり過ぎて衰亡してしまうのなら、所詮はそこまでのことだろうし、
衰退がうまい具合に極まって再興へと向かうのなら、それはしめたもの。
ただ、1000年以上の代々の歴史の威信をかけての大転換が、
俺個人の作為などによって成功するはずはなく、ほぼ必ず失敗するといっていい。
未だ数百年程度の歴史しか持たない、現今の重権力犯罪者の我流などによっても、まず失敗する。
もちろん当てずっぽうでも失敗する。これらの選択肢は全て、100%確実な失敗が運命付けられているものであり、
あえてそれらを試みるような酔狂もまた、今さら選択してみたりする気概にも欠けている。
人の作為などではどうにもならない、
天地万物森羅万象や、その形而上の形而上の形而上までも司る、
恒久不変の絶対法則にでも依らないことには、次の成功の余地も完全に閉ざされている。
無為無策、完全なる無我でいてなおあるもの、それだけがそうだ。
神とは「超人」のことだ。超人間的なものこそは神だ。
一方で、人間以下であるのが「怪物」。
逆に言えば、超怪物的であるものが人間。
怪物<超怪物=人間<超人=神
473 :
考える名無しさん:2011/03/22(火) 13:29:26.86 0
単なる怪物と神を混同しているものが非常に多いが、
神は超人間的であるが故に、人間が満たしている程度の品性は全て満たしている。
怪物の場合はそうではなく、常人が満たしている程度の品性すらかなぐり捨てて、
下賤な鬼畜界の存在と化すことで、ある種の突出した能力を得たりしている。
怪物は特殊な能力と引き換えに、総合的な品性を人間以下にまで陥らせている。
だから総力を挙げた場合の安定度で、怪物は決して人間に敵わない。
だから、人間は超怪物的な存在であるといえる。
一方で、神は人間が満たしている程度の品性は全て満たした上で、
さらに人間以上の品性や、人間以上の能力を得たりしている。どちらかといえば、
能力などよりも品性を高尚化させることのほうが神の得意領域であり、
突出した特殊能力で人間をたぶらかしたりするのは、神よりも怪物の領分に当たる。
神と怪物とは別個の存在であり、神は人間以上の存在である一方で、怪物は人間以下
の存在に止まる。少なくともそれが、東洋で「神」とか「怪物」とか定義されている
ものであり、怪物的な能力の持ち主が「神」などと呼ばれても、ピンとこない。
旺盛な能力を発揮すればするほど、よりまがまがしい怪物と化すのみであり、
どんなにそのやり方を推し進めていったところで、神扱いされたりすることはない。
そもそも人間以下でしかないようなものを、神扱いするような無神経が東洋人には
備わっていないので、それを神と定義することに全く意味を見出さない。
だからといってもちろん、東洋人が神を知らないわけではなく、それどころか、
人間以上の品性の持ち主としての、切実に神妙なる神というものを発見して
把握しているのも東洋人ぐらいのものであり、未だ西洋人がその発見や把握に
至ったことはない。だからこそ、人間以下でしかない単なる怪物を神と
混同するような悪習までもが、未だまかり通り続けているのでもある。
474 :
考える名無しさん:2011/03/22(火) 14:04:41.88 0
人間を、森羅万象に対立する存在ではなく、森羅万象の一部として
捉えている。だから人間を森羅万象に深く食い込ませた上での、
怪物<人間<神
というような、普遍的な優劣関係までもが発見して把握されてもいる。
人間を「万物の霊長」として特別視することはあっても、万物から乖離して、
万物に対立する「はぐれ者」などとして特別扱いしたりはしていないから、
人間という生き物の、万物の範疇における正しい身の程がわきまえられてもいる。
万物斉同の理念に即して人間を捉える過程で、人間以外の万物と人間との関係性が
よく考慮されて、できるかぎりの調和が企図されてもいる。一方で、その調和が
うまくいかない場合があることも念頭に置かれており、拝火教における邪神
アンラ・マンユの登場などによって、今のような罪悪一色の世の中がもたらされる
ことまでもが、一応、東洋教学の範囲においても予言されてしまっている。
ただ、その邪神による世界の罪悪一色への染め上げが、万物と人とを乖離対立
し合うもの同士として捉え、万物の範疇における人という存在の身の程の
わきまえを逸した結果、ただただ万物を破損壊滅し尽くす狂乱の性向を人間に
植え付けるという、邪神信仰の具体的なメカニズムまでもが東洋教学によって
構築されることはなく、ユダヤ=キリスト両廃人教によって、それが構築された。
万物斉同の理念に即して、怪物<人間<神という普遍的な優劣関係が察知されて
しまっているから、単なる怪物を神だなどと勘違いしての邪神信仰などを
構築する余地も、それに陥る余地もなかった。いまでもそのような邪神信仰に
陥っているのは、怪物<人間<神という関係性を未だわきまえられないでいる
馬鹿者や田舎者ばかりであり、一旦、人間自身の森羅万象の内における身分を
わきまえてしまった以上は、そんな勘違い信仰などに陥るほうがあり得ない。
475 :
考える名無しさん:2011/03/22(火) 14:18:57.57 0
人間が、神以上の存在だなどとは決して思っていない。
それ以前に、人間以上の存在を「神」という言葉で定義してもいる。
だからこそ、人間以下の存在であるに過ぎない怪物などを、
神と混同して崇めたてたりすることも許されない。
神モドキの怪物などに恐れおののくことこそは、本物の神仏への畏敬を
かなぐり捨てることにもつながるから、それが神仏への冒涜とすらなる。
正しい神仏への畏敬があればこそ、神仏と怪物の存在性を
よく分別して、神仏だけを敬う一方で、怪物には鼻をつまむ。
本物の神仏を敬うことは人を向上させる一方で、
神モドキの妖怪などに誑かされることは、人を堕落させるのみ。
実際問題として、人が堕落に陥るということはあるにしろ、
何も根本の理念の部分から、向上を忌んで堕落を欲したりする必要はない。
妖怪からの誘惑に惑わされず、正しい神仏への畏敬を欠かさないことで、
単なる人間としての自分のほうが、自由でありながら道を踏み外さないようにもなれる。
人としての最大級の自由を保全するためにこそ、理念ぐらいは遏悪揚善であればいい。
怪物への忌避=人としての思い上がり、神への冒涜
なのではなく、
怪物への狂信=人としての思い上がり、神への冒涜
にあたる。また、
怪物への忌避⊃人としての恭しさ、神への畏敬
であり、怪物への忌避ぐらいは不文律の大前提として
当然あった上で、東洋人も恭しさや畏敬を蓄えている。
救われない相手まで救おうとする仁や、うんともすんとも
言わない神を、居ますが如く威儀を正して敬ったりする
面などにおいて、恭敬にも少なからずの論理的破綻が
組み込まれていることからしても、決して理性的である
ことなどが、恭敬に対する嫌悪理由にもならない。
我が家や皇室レベルの名家が再興を始めるためには、
欧米社会の完全崩壊ぐらいは 当 然 の こ と と し て 必要となるだろう。
それすらないというのなら、再興の兆しすら見えることはないだろう。
だからといって、我が家などの再興のために、欧米が崩壊してくれるのでも困る。
ただでさえ気の触れた狂人の集まりなのが欧米人なのに、
自分たちの社会が何かのために崩壊させられたりすれば、是が非でもその相手への報復を試みることだろう。
そんな気違いの暴れ回りの標的になったのでは、やっぱり自家の存続までもが危ぶまれることになるから、
「我が家のために欧米が崩壊してくれる」などということが、仮にあり得た所であってはならない。
天地万物森羅万象や、その形而上の形而上の形而上までをも司る
絶対無謬な法則によってでもなければ、欧米が崩壊して我が家が再興するようなことがあってはならない。
そんなことが、俺のような個人が望んだからといって実現されてもいけない。
思わず望んでしまったりすることもあるが、だからといって実現されてはいけない。
俺の望みは、望み自体によって実現されることが絶無でなければならない。
望みによって実現されるぐらいなら、むしろ実現されないほうがいい。
俺が望んだり望まなかったりすることとは無関係に、勝手に欧米社会は崩壊してもらわなければならない。
崩壊する原因すら俺などに当てこすることなく、自業自得の悪因苦果によって、勝手に滅びてもらわないと。
以上のようなことを踏まえた上で、言っておくこと。
このまま、人類滅亡の予防措置としての自己崩壊を欧米が受け入れずに、
全人類を滅亡に追いやる暴虐を働き続ける以上は、俺ももう、このまま死のう。
行動即犯罪の総員テロリスト化社会で、もう新聞配達一つだってやる気にはなれない。
一切働かないから自分で生計も立てられない。親族もいつかは亡くなって支援も尽き、
真人間の健常者なのに生活保護を受けるのもシャクなんで断り、そのまま野垂れ死にでもする。
死にたがりではないので今すぐに自殺したりもしないが、このまま欧米廃人勢力が
暴虐を続けていくというのなら、俺個人は上記のような運命を辿ることを選択しよう。
第一の理由は、それが俺個人にとって一番マシな選択だから。
廃人集団からの威圧に屈して仲間に加えられたりするよりは、
そのほうがずっと悔いのない、楽しい人生になるから。
第二には、最期の最期までそうした構えでいることで、
仮に中途で突然欧米が崩壊した場合などにも、一切懐柔を
受け入れずに志しを保っていたことでの大義名分が立つから。
第三には、どうせ懐柔されて妻子を持ったりした所で、その場合には
もはや人類の滅亡が免れ得ず、滅亡に巻き込まれての悲運な最期などを
我が子にまで迫るぐらいなら、自分だけがそうなったほうがマシだから。
特に第二の理由が、1000年来のウチの家風に根ざしたものであることが特筆に価するが、
これがなくたって、第一や第三の理由だけに即して、このまま野垂れ死にする覚悟でもいた。
ただ、第一や第三の理由だけを覚悟の根拠にしている内にも、本当に死ぬ覚悟すらできていたのは、
結局第二の理由が始めから潜在していたからであり、だからこそ自分自身がその理由を明確に
察知するまでもなく、察知している場合と同等の覚悟を自主的に持ち続けていたのだといえる。
つ♪『MEDICINE COMPILATION』
細野 晴臣
※ウチは陰謀と何ら関わりがありません。
2011/03/13(日) 21:17:06.12 ID:s1Uugc6R
いま、私たちにできること!助け合い行動しよう!
節電:関東で徹底的に節電する。
献血:震災直後は混雑する。ナマモノなのですぐに行かずに時期をずらして何度も行くこと。×風邪薬
電話:あまり被災地宛に電話をしない。災害伝言ダイヤル171等を活用して被災者に回線を空ける。
チェーンメール:回さない。ツイッターもいい加減なことをつぶやかない。
義援金:信頼できるところ(日本財団や新聞社、コンビニの募金箱、TSUTAYAポイントなど)に全力で突っ込む。
支援活動:被災地に爆音ヘリや爆音車両で近づかない。 ヘルプの声がかき消される。 また、無理に近づいて二次災害や交通マヒを引き起こさない。(道路には規制がかかっている模様)
支援物資:物流が全く機能していないので無理に個別に送ろうとせず、自治体や企業等に依頼や相乗りすること。 新潟地震の教訓「いらないものは送らない」
啓発:企業などにメールをして訴える。(医薬品・飲料・紙・暖炉・オムツなど)
啓発その2:東京以西の会社員は、みんなで上に支援を呼びかける。
マスコミ:むやみに不安を煽ったり、救助活動の邪魔をしたりしないこと。
計画停電や原発で想定されることを情報共有すること。
ボランティア:今は行きたくても控える。過去にもあった通り、パニックになるだけ。もし行くなら、トイレから食料まで自前で用意していくこと。
冷静:無駄な買い物をしない、在庫は十分にある。常に冷静沈着であること。
――というほどにも、俺自身が身命を呈した人生を歩んでいくことが、
自首崩壊を選択する場合の、欧米人が持つべき気概の参考材料になるかもしれない。
欧米が自主崩壊した場合には、俺などが事後の欧米人を保護管理下に置くことで、
(極刑級の罪状を持つ欧米人を除く)欧米人を含む全人類の生存が保たれる。
一方で、欧米が自主崩壊も拒絶しての暴虐を続け、俺もその煽りを受けて
野垂れ死んだ場合には、欧米人を含む全人類の滅亡が確定的となる。
どちらかといえば、俺が野垂れ死ぬよりも、欧米が自主崩壊したほうが
全人類にとって有益であるということが、冷静に考えてみればわかる。
とはいえ、全体のために部分の利益を犠牲にする公共意識には全く欠けている
欧米人に、全人類のために自分たちが崩壊するという感覚すら掴めはしないだろう。
己れに克って礼に復り、仁を為すという感覚がどういうものであるのかを、
俺もなるべく親身になって教えてあげるために、自分が死ぬ覚悟ぐらいはしておこう。
あくまで俺が野垂れ死にするのではなく、欧米が自主崩壊することのほうが
本望ではあるが、最期の最期まで、自決の覚悟を共有してあげようとは思う。
>>479 無関係なくせに、エシュロンや偵察衛星を利用させて
もらえる理由を、ぜひ教えてもらいたいもんだ。
レスキュー ヒー!
お〇〇のーこーわーいーツーでも蚯蚓年増ー
お弁当してるのよ嗚呼まーイーノーキー
過ちのドミノ倒しは、行為だけでなく発言や精神にも及んでいる。
たとえ自分自身が犯行に直接関わっていなくたって、
過ちの論理に精神を蝕まれて、犯罪とまではいかなくとも
相当におかしな言行に走るということがある。
もちろんそうであるよりもないに越したことはなく、
精神の根本の部分から、犯罪寓意に惑わされない
健全さを保てていたほうがより良いに決まっている。
一時や二時ていど正気に戻ったりするのではなく、常に正気でいる。
そうなれたならもう二度と、犯罪寓意の発信者に惑わされたりすることもない。
正気であるならば、勿論ラーメン丼ぶりに描かれうるような龍をまつったりしないよねー
西洋には、「法制」はあっても「礼制」はない。
487 :
考える名無しさん:2011/03/22(火) 21:29:35.34 0
読み始めたことすらここで報告しなかったが、今日、
近代有職故実の一書である「官職要解(講談社学術文庫)」を詠み終わった。
著者の和田英松は幕末の産まれであるとはいえ、近代以降に書かれた書物であり、
新規に付け加えられた部分の信頼性が不安であったため、全文を読んで、
論ずるに値する書物であることを確かめてから、あえて感想を書こうと思っていた。
著者の日本古典に対する造詣の深さは、確かに感服に値するものであり、
乱世に実用性のある代物ではないことから、現時点ではあえて日本古典を敬遠している
俺などにも、日本古典にもまた相当な含蓄が備わっていることが察知された。
ただ、やはり気に障った部分はいくらかあって、俺のご先祖様にもあたる、藤原氏
による摂関政治が「専横」と呼ばれていたことなどが、やはり疑義を呈する所だった。
頂点から底辺までの緩やかな稜線を描く封建制を排して、一君万民の一神教的な
支配体制へと移行した維新後の日本において、主君たる天皇をも凌駕するほどの実権を
握った藤原氏の存在は、ただそれだけで「専横」に値するものと見なされることとなった。
実際には、藤原氏による平安期などの摂関政治は、君臣の義をよく保った上での
代行政治であり、周の成王の摂政となった、周公の辣腕政治などにも比肩されるもの。
これは、江戸期の徳川幕府による天下統治などについても言えることで、君臣の義すら律儀に
守ったなら、臣下が相当な強権を行使したとしても、専横にまではならない見本になっている。
君臣の義すら逸脱しての、宦官や枢密院や陰謀組織などによる実権掌握がされた時に、
日月を双対にした旗を掲げられるほどもの調和は崩れ、せいぜい菊か桐を個別に用いるぐらいしか
できなくなる。維新後の統治体制の変革も、結局はそこに止まっており、君臣の義を逸して
しまっている自分たちの劣等感が、藤原氏の摂関政治を「専横」だなどとも言わしめたのである。
488 :
考える名無しさん:2011/03/22(火) 21:31:02.27 0
ただ、著者の和田英松もまた、日本古典に対する造詣は確かなものであり、純粋な有職故実
としての「官職要解」の価値を否定することはできない。どうやら有職故実は、現今では
科学的な民俗学の扱いを受けているようで、研究者の史観の巧拙とは無関係に、知識が
確かであることだけが徹底して要求されているようなので、研究者の貴賤などとは無関係に、
先代文化察知の目的で、有職故実を学ぶことにはそれなりの価値があるようだ。
有職故実こそは、東洋教学に司られた近代以前の日本社会が、統治体制を単なる「法制」など
によってではなく、より有機的で芳醇な「礼制」によって構築してきた証拠になっている。
統治体制を法律だけで塗り固めれば、軍隊並みに殺伐としたものになってしまうわけで、
そうなることに連動した世相の殺伐化を避けるためにも、体制を礼制の制御下にこそ置く。
だから近代以前の体制構造には、どうしてそんな役職が必要なのか即座には分かりかねるような、
多くの「荘厳目的」の役職が設置されており、今ではそれらが「過去の遺物」扱いをされてもいる。
実際には、礼制に司られた体制構造全般が、人間社会を最大級の平穏無事へと導いて止める
肝心要の「秘伝」となっており、意味不明ながらの模倣によってですら、その効果が期待できる。
もちろんその意味を計り知った上での技術的運用に至れたなら、それ以上もの効果が期待でき、
不可思議なものを慮ることの価値が、ただの有職故実にすらも見出せるのだといえる。
>>471 ・・そう。中道というのは、無為無策に限りなく似ているよね。
ただ、それが、選択されているという点が、たんなる無為無策と異なる
ところだ。ある意味、中道というのは、保守だよね。したがって、きみ
の言うことにも一理はある。保守は、時間を稼ぐ。革新の眼には、
それが、許しがたい無為無策に思えるであろう。しかし、
無為無策は、見かけとおりのものではない。時間つぶし。。。それも
見かけどおりのものではない。
すべてに意味がある。。。と今は、言っておこう。
490 :
考える名無しさん:2011/03/23(水) 06:41:07.57 O
いくら法制ばかりを整備し尽くしたところで、全く礼制を欠いてるんじゃ、
気違いにより強力な武器を与えるのと何も変わらない。
それに、考えてみれば、2項対立などと悪口を言ったが、
西洋というテーゼに対して、東洋というアンチ・テーゼを立てることに
よって、西洋は、より高いステージへとおのれを止揚する契機とも
なり得よう。。。
これはあまりに、図式的なまとめだと笑われそうだが。
女は男に対立すべき生き物じゃない。順うべき生き物だ。
493 :
考える名無しさん:2011/03/23(水) 11:57:09.20 0
実質世界では、東洋と西洋が総力を挙げての対立関係にあったことは、歴史的に一度もない。
それこそ、西洋ではなく東洋こそは、全国全土を一枚岩化する、聖書信仰のようなドグマの
統制下に置かれたことがない。かろうじて密教などが、察知される範囲でのあらゆる教学を
十住心論のような一つの体系に纏め上げることを達成してはいるものの、やはり全東洋人を
実力で一つに纏め上げる所まではいっておらず(密教は繊細な教えであるため、乱世には衰退する)、
特に中国、インド、中東といった最大派閥同士に堅固な結託を促すほどの理念は未だ打ち出されていない。
近代の已む無き欧化の際にも、日本人と中国人、朝鮮人のような極東人同士ですら
足並みを揃えることができず、自分たち同士で日清戦争や日中戦争などにも陥る始末。
少しも「全世界における東洋人」としての同一性が確立される間もないままに、
西洋文化による一方的な侵略を受けて、今に至っている。
494 :
考える名無しさん:2011/03/23(水) 11:58:19.29 0
東洋人による、東洋教学運営の余地すらもがほぼ滞ってからすでに久しく、
東洋教学はとっくの昔に、完全に成長が止まったままの状態となってしまっている。
仮に今の東洋人が、西洋人に対立したりしたところで、資本主義に共産主義で、
M16にAK47でといった風に、西洋産の道具で西洋に対抗することにしかならず、
西洋的理念同士での争いとなるのみであり、そこに東洋的理念などは全く関与しない。
仮に西洋的理念による乱痴気騒ぎが廃絶されて、真の平安こそを企図する東洋教学の実践や
再興が始まったとしても、その時にはもう、東洋教学が天下万人にとっての共通普遍の理念となり、
対立軸としての洋学や廃人教などは十分な劣後措置を受けることになるので、これまた、
「東西の全面対立」などというものが成立したりすることはない。
東洋教学を生成してきたのは、歴史的に旧パンゲア大陸の東方付近を居住地としてきた人々であり、
そこに「走光性の強さ」などの、精神文化を発達させる確かな根拠も備わっているから、
東洋教学が“東洋”教学であるのにも確かな必然性があったとはいえるが、さりとて東洋教学が
西洋教学と実力で対立するような関係性にあるわけではないことが、歴史的にも明らか。
どちらかを立てる以上はもう一方が全く立たなくなるほどもの相反性を有しているために、
お互いが正しさを競い合って争うなどということからして、成立しないから。
>>491 仕事といえば、芸能人ぐらいしかしないでよくなる。
496 :
考える名無しさん:2011/03/23(水) 14:28:29.95 0
次は、今年の一月に再版された、
岩波文庫版の「大乗起信論」でも読もうかと思っている。
もう、ほとんど重箱の隅を突っ付くような、
国内現行版の東洋教学関連書籍の査読と化している。
これから勉強していきたい東洋教学もいくらでもあるわけだが、
もう、アマチュアレベルでの勉強を進める余地はなくなってしまった。
学術を象牙の塔にひた隠そうとする洋学に特有の悪癖が、
現行の東洋教学にまで悪影響を及ぼしてしまっている。
まだまだ、氷山の一角程度の勉強しかできていないというのに、
すでに世の中の側が求道について来られなくなっているのが、薄ら寒い。
>>465 日本には、欧米人みたいに、馬鹿みたいな墓碑銘を刻む慣習はない。
人の一生を一過性の乱痴気騒ぎなどではなく、
先祖代々の系譜の流れの一部として捉えているから、
墓場にまで醜い自己主張を持っていくような恥さらしはしない。
泰山鳴動して、ねずみ一匹。。ということわざを、きみに進呈しよう。
しかし、近ごろここで「・・」や「。。」を多用しつつ
書き込みをしているオバサンの言ってることの中には、
無礼極まりない物言いも多々散見される。
家柄の貴賤などというものが全く尊重されず、全ての
関係が横柄化してしまっている世の中であることは、自分も
重重承知していて、だから俺も自分からの参加を拒んでいる。
俺のほうが拒むから、そちらの面会が許されることもない。
そして仮に、貴賤に基づく礼節が貴ばれるようになっても、
今度は無礼極まりない暴言を吐き続けていたそちらのほうが、
社会的に御目見えする資格を失うこととなる。
いずれにしろ、会って話したり、付き合ったりすることは絶対に
あり得ない状況へと、そちらのほうが自分を追い込んでいる。
男が貴人で女が賤人である付き合いってのは、封建社会でも
ある程度は認められるものだが、自分から積極的に無礼を働く
ほどにも狂いきっている女は、貴人に近づくことだって許されまい。
親しき仲にも礼儀あり。
大多数の人間は、家系なんて持っていない。君は、例外的な存在で、家系を
持っているので、それを鼻にかける。家系を持っていない人間を無条件で
見下す君が、誰が無礼だって? 君自身こそ、ほとんどすべての人間を
「平民」として見下す鼻持ちならない人間に、他ならないだろう。支配者
づらをされるのは、まっぴらでね。私が、礼賛するのは、あくまでも個人と
その仕事だ。家系など、ナンセンスな戯言だと断言しておこう。ただ、
非常に、珍しい症例なので、おもわず治療欲をかきられてしまうのだ。
掻き立てられて、か。
503 :
考える名無しさん:2011/03/23(水) 22:25:41.88 0
貴人は、親しき仲にこそ礼儀礼節を重んずる。父子夫婦兄弟のような、
もっとも身近な間柄から、適正な距離感を保った関係性を構築していくことで、
引いてはその親近さに根ざした、切実な礼節を社会関係にも及ぼしていく。
しかし、庶民の場合はその逆で、礼節を外部的・社会的な取り繕いであると
ばかり見なし、近親同士の関係たるや、全くの緊張感を欠いた無礼の極みとなる。
家中においてこそ、秘伝の礼儀礼節を多分に蓄えているから、貴人の家系もまた重んじられる
わけで、内実が無礼の極みと化している庶民の家系が貴ばれないのは、その逆であるからだ。
貴人が家中からもたらすぐらいに、切実さを伴った礼儀礼節でなければ、
大衆を感化して平安な世の中に導くほどもの、礼制の構築もまた立ち行かない。
家中では養豚も同然と化している賤人などが、外面だけで取り繕っている礼節などを統治原理
としてみたところで、決して家中から代々礼節を正していく場合ほどもの成果は期待できない。
504 :
考える名無しさん:2011/03/23(水) 22:51:55.48 0
自分たち自身ではまともな自律もままならない、畜生同然の庶民たちを、
自分や自分の家を礼節によって正していくことで、庶民にまで自律自制の感化を及ぼす。
家中からの無礼によって畜生化の病に陥ってしまう大衆に対して、自分たちこそは人としての正しい
あり方を示す。それが、先祖代々の家系が重んじられるほどにも、貴い家柄の継承者に課せられた
使命であり、放辟邪侈の深刻化を許される特権の持ち主である証拠となるどころか、その逆ですらある。
代々の家系の貴さによる自制も効いていないような人間こそは、自堕落からなる放辟邪侈にも陥る。
下流の庶民が畜生化の病を深刻化させて、悪知恵を溜め込むことなどによる放辟邪侈の病にかかる。
それは、貴人が泰平統治を自力で確立させた上で楽しむ雅(みやび)などとは全く似て非なるものであり、
自らの遊蕩がそのまま他者の破滅に直結して、世の中に一貫して有害無益な影響を及ぼし続けることとなる。
千年以上にも、先祖代々の系図が重んじられてきたような貴人、特に、為政者階級と産業階級がほぼ
完全に分断されてきた、東洋の封建社会などにおける貴人というのは、家系が重んじられてきた根拠が
放辟邪侈の正当化であったりすることはないのであり、むしろ世における放辟邪侈を取り締まる、
礼楽刑政の源泉としての価値が認められてきたから、長大な系図が保全されて来てもいるのだ。
貴人というのは、既得権益の上にあぐらをかいた特権的搾取階級に他ならない。
したがって、黒船来航という外部的刺激を触媒として、ナンセンスな
封建制度が(ある程度は)打倒されたのは「歴史的必然」だ。
もっとも、完全的なる打倒は、大東亜戦争の敗戦、そして天皇自身による
「人間宣言」を待たねばならなかったが。
506 :
考える名無しさん:2011/03/23(水) 23:10:50.69 0
「乱世には鳴かず飛ばずでいる」などの、
代々の家風を守り通した結果、いま俺は何もしないでいる。
いま何かをして成功したりすれば、かえって家風を損なうことになる。
俺個人の仕事による成功と、代々の家風の堅持とは相反しており、
どちらかを立てる以上はもう一方が立たないことになる。
にもかかわらず、俺などに対して、今の世の中での自力による成功
などを期待するというのなら、それは、俺が家の家風を損なうことで、
今以上にも即座に家を絶やすことを期待しているのだともいえる。
先祖代々の縦のつながりを排しての、個々人だけでの自意識過剰に
よる思い上がりが人類を滅亡させようとしている手前、深長な家風を
捨ててまでの、個人主義の選択を期待するっていうことは、まあ、
人類の滅亡を期待しているってことだな。人でなし、ここに極まれり。
いや、まだ完全なる打倒は、なされてはいないが、われわれは、それを
伝統的遺産として保護することにした。あくまでも、主語は、われわれ
民衆にある。民衆こそが、いわゆる伝統的遺産を保護しようと決意した
保護者なのだ。保護される立場の者が、それを失念し、思い上がることは
滑稽以外の何者でもない。絶滅危惧種にすぎない者が、妄想体系を築く
のもひとつのコメディだ。
508 :
考える名無しさん:2011/03/23(水) 23:30:13.12 0
>>505 既得権益の上にあぐらをかいているのは、
士業と産業を完全分断した東洋的封建統治下の貴人ではなく、
士産が伝統的に結託したままの状態であり続けている、
西洋社会における特権階級保持者ばかりだ。
我が家や日本の天皇家などが、既得権益の上にあぐらをかく
特権階級保持者だからといって利益的に優遇されたり、
利益の集約先としての系図を保全されたりしたような事実は
今も昔も、これからも、ただの一度としてありはしない。
>>507 保護してやろうにも、保護などを試みている自分たち自身が
全人類を滅亡へと導く害悪の元凶となっているのだから、
結局は滅亡によって反故になるしかない僭越などに執心する
以前に、まずあまりにも卑し過ぎる身の程をわきまえねばな。
509 :
考える名無しさん:2011/03/23(水) 23:34:04.43 0
君らの志しは、本質的には「人類の滅亡の実現」であって、
「敵対勢力の妥当」などは、その無意味さを取り繕うための虚飾に過ぎない。
しかし、われわれ民衆は、それが、妄想だろうと何であろうと
あなたが上手にコメディを上演できるなら、それもひとつの「個人の才覚」
として、評価し、称揚することをためらうほど、懐の狭い者でも、
また、無い。
いまは、搾取が不可能になっただけであって、かっては立派な搾取者
だった。
いまや、民衆こそが、権力を掌握している。そして、もうこれ以上、
権力の行き場所は、どこにも無い。歴史みずからが、膨大な計算を
行ない、出した解が「民衆主権」だ。
君らは、われわれの意思によって保護されるであろう。
513 :
考える名無しさん:2011/03/24(木) 00:08:39.52 0
その結果、人類が亡びるわけだ。
自分から死ぬ覚悟すらしなくてよくなったから、さらに楽になれた。
せいぜい最期まで、自分にとって楽な人生を送らせてもらおう。
これからも、自分自身が何もしないでいることによる、
安楽無上の人生を、せいぜい保護し続けていてくれ。
何もしないでいるところにこそ要のある、
無上の安楽を決して損なわないように、気を付けてくれ。
前にも言ったとおり、ひとは無為であることも、自然であることも
不可能だ。それが、われわれ人類という種に与えられた自然成長力、
といったものだ。目に現われた事象は、深層計算の可視的になった
部分だ。したがって、目にみえる事象に振り回されることほど、
軽率なことはない。その不可視の深層計算のみならず、
いわばマントル対流の運動の齎す人類に対する不可避の厄災も、
われわれは、神の測り難い意思の人類に対する介入である。。と
解釈する。
しかし、その神のフリをした重権力犯罪者たちが、
極刑級の罪状の持ち主の自己処分は全て済ませてから降伏宣言を行い、
全人類が民衆主権の下での権力犯罪の深刻化を心から反省して、
新たな歴史を歩み直しでもしない限りは、もはや人類の側に未来がないだろう。
ただ一方的に人と世とを損ない尽くして、
数十年としないうちの人類の滅亡を実現するのが「深層計算」だというのなら、
あまりにも浅はか過ぎて、もはや底が見えたというもの。
君らが「神」として定義したがる代物を含めた、一連の事物の限界が。
俺のような人種が、君らのペットも同然と化すことで、
世の中がどうにかなるってんなら、それでもいいわけだが、
事実はそうではなく、貴人と下民の位階が完全に転覆することにより、
さらなる権力犯罪の深刻化を招いて、人類の滅亡を促進するばかりのことだからな。
人類を救うためにも、権力犯罪者の意向に逆らってまでの、
無為自然が強制されているとすらいえる。
きみは、一刻も早く、メンタル・クリニックを受診して、薬物療法を
受けたほうがよいと思う。最近は、非常にすぐれた薬物が開発されている。
引きこもり、他人嫌い、世界没落体験、迫害妄想、パラノイア。。。
これらの徴候はすべて、きみが統合失調症だということを明白に示している。
・・いまでは統合失調症は、けっして不治の病ではない。
気長に治療を続ければちゃんと社会復帰が可能な疾患だ。
とにかく一刻も早く、メンタル・クリニックの受診をおすすめする。
自分自身にとってですら、
実感に欠ける机上の空論に過ぎなかったものが、
いま皮肉骨髄、五臓六腑にまで染み渡る。
欠け尽くした月として、好き勝手な物思いにふけっていた頃も
もう過ぎ去って、責任ある君臣として振る舞わなければならない時期へと
移り変わりつつあることを、まだ全くめでたがる気にもなれない。
これからの人生、果てしなくずっと、上り坂。
幾多の同志にも先駆けて先陣を切った手前、怖じ気づいたりしているわけにもいかないが、
あくまで必要にかられてとはいえ、何もしないでいる安楽さの味をしめた手前、
うまいこと壮者へと転向していくことへの不安が、なきにしもあらず。
実在もしない脳内超越神の実在を豪語する、自分自身の頭のおかしさが治療対象とされないために、
全くの正論を唱えているだけの健常者に対して治療をあてがおうとする。
無理に治療をあてがったところで、本当に治療を受けるべき異常者と、
受ける必要のない健常者との普遍的な落差は埋まらない。
本物の異常者である側が治療や刑を受けないことには、
落差が少しだって埋め合わされることもない。
――というようなことを、もう幾度となく口にし続けているが、
言葉としてひけらかす以上にも、言葉の内容を切実にわきまえていくことのほうが、これからは必要になる。
ただ字面を理解しているだけであることと、よくわきまえての実践に持ち込むこととでは、
全く別個の能力が必要になると言っても、過言ではないのだから。
君は、人間理性の限界を感知しないのか?
カントは、それを「物自体」と呼んだ。
また、先ごろの大震災(君は、犯罪者集団による人工地震によるテロ、
だと断言していたよね?)も、人間理性の手の届く範疇をはるかに超えた
出来事だ。
これを、わたしは、神の範疇とよぶ。きみの途方もない核爆弾地震テロ説
より、よっぽどまともな思考、正統な思考だ。
人間理性の限界ではなく、犯罪集団の放辟邪侈の、これ以上の拡大の限界は感知している。
超えることも壊すこともできない、絶対真理の無理な超越や破壊を目指して、
できる限り大規模な威圧を試みる。案の定それは、こちらが断定したとおりの、
ただ一方的に人の命や財産を損なうばかりの大量破壊活動となり、
ただの寸分として、人類の利益や福徳を増すことに貢献してはいない。
そしてこれからも、人類に一方的な危害を加えることによってでしか、
自己主張をすることができない醜悪な権力犯罪集団が、これ以上の自己主張を試みるなら、
それこそ本当に、人類を滅亡へと陥れるほどもの、超大量破壊活動になってしまう。
人類が滅亡してしまったんじゃ、もう自己主張する対象すらなくなってしまう。
かといって今回の規模の威圧によってですら、「泰山鳴動して鼠一匹」だったわけで、
犯罪集団が理性の超越や破壊を達成する可能性は、もはや完全に閉ざされてしまったのだといえる。
524 :
考える名無しさん:2011/03/24(木) 10:14:53.26 0
「劫水、地を漂わし、猛火、台を焼くと云うと雖も、増益せざるは、大虚の徳なり」
(弘法大師空海「吽字義」より)
確かに、世界を壊滅させるほどもの大洪水や、
天宮すらも焼き尽くすほどの大火災によってですら、
虚空の徳は増えることも減ることもなかった。
神のフリした有害無益犯罪集団への恐れ戦きなどはなくとも、
道理や天理すらをも超える、絶対真理を司る仏法僧への、
心底からの畏怖を抱きつつはある。
核爆弾も、あくまで地震を誘発する起爆剤として用いられただけであり、
地震そのものが核爆弾のエネルギーによるものであるわけではない。
最大級の破壊力を持つ水素爆弾の爆発エネルギーですら、
今回の地震のエネルギーには遠く及ばない。
仮に大量の水爆などを同時に爆発させてエネルギーを稼いだとしても、
その場合には放射能による深刻な海洋汚染が免れ得ず、
そのせいで犯行が明るみと化してしまうことともなる。
という風に、理詰めで考えたなら、人工的な地震誘発の可能性も十分に
考慮に入れられる。それでも一般的な論調から退けられるのは、そこまでして
多くの人々を不幸や死に追いやろうとする、悪意の実在が信じられないから。
それほどもの悪意の持ち主に対して、自分たちがどういった応対の仕方を
すればいいのかの想像もつかないから、可能性の範疇からすら退けようとする。
臭いものには蓋をしたがる小市民の性向が、うまいこと悪用されているといえる。
重罪に対して、重罰などの断固たる措置を以って臨む悪鬼さ加減は、
自分などよりもむしろ、中国人あたりのほうが極まっている。
米英本土占領に動員されるのも、ほとんどは中国人やインド人や中東人であり、
日本人などはごく少数に止まるので、日本一国を痛めつけた所でどうにもなるまい。
むしろ、旧西側諸国に組み込まれていた戦後の日本国が、
結局は西欧からも敵対勢力として見なされ続けてきた証拠が
できたわけで、現地球人類の大多数に相当する、東洋諸国の
側に日本が編入し直される、大義名分が整ったのだといえる。
んで、「東洋の本体」としての中国やインドに対して、今回やそれを上回る
規模の攻撃を加えた時点で、人類の滅亡もまた決定付けられることだろう。
人類が滅亡するか、もしくは欧米が崩壊するかという、全地球人類の
運命を左右する一大岐路に、いま正に差し掛かっているのだといえる。
アメリカ合衆国が、本土占領下に置かれるのはもはや当然のこととして、
現グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国=イギリスも本土を占領し、
事後にイギリス列島を、欧州諸国委任統治のための指令本拠地にする。
欧州諸国の本土占領まではさすがに必要ないが、日本製の海底トンネルで
イギリスと直結されているフランスなどは、イギリス列島在住の東洋人からの
お達しを、他の欧州諸国にまで布令するパシリ役なども担わされることだろう。
今でもイギリスと足並みを揃えてリビア空爆に臨んでんだから、
ツンデレを保ったままでイギリスの言うことを聞くのは、お手の物だろう。
廃人化信仰に耽溺し続けてきた以上は、
当然あてがわれて然るべき程度の措置ばかりを、列挙している。
崩壊後の、占領責任は負う。
しかし、崩壊するまでの責任は負わないし、また、崩壊する責任も負わない。
崩壊するしか余地がなくなっているのも、
あくまで、まともな国家運営もままならない廃人集団へと
自分たちから好き好んでなったことによる自業自得でしかないのだから、
他者に責任を押し付けることでの、無根拠な憎悪を募らせたりしてはいけない。
崩壊した後については、大量の重火器を保有したままでの無秩序状態が、
これまた人類滅亡級の暴発を招きかねないから、同じ地球社会に住む人としての立場からも、
不可避なるものとしての占領措置の執行に、全力をあげて臨んでいくことだろう。
妄想としても、また、SFとしても退屈の極みですな。
なんでまた、アメリカが日本に核攻撃をしなければならないんですかな?
まったく、理由が見当たりませんな。あんまり、妄想者と付き合っていると
こちらの信用も危うくなると思うので、ここらあたりで書き込みをやめよう
かな。いくらなんでも、あんまりだ。
早く、正気に戻ってください。
一旦、ここのサーバを破壊してから
崩壊宣言をしたほうがいいかもな。
すでに前科もあることだし。俺は別にかまわない。
つ♪UTAU
そうしたほうが、賢明でしょうな。
父親がブラックムスリムのオバマなら、
ムスリム世界裁判所に投降する代表者としても適任だろう。
それも計算した上で、あれを大統領にのし上げてるんだろ?
ハムレットの遺言を聞き届けるホレーショ扱いとして。
534 :
考える名無しさん:2011/03/25(金) 23:41:26.87 0
君らからの勧誘を断り抜いたことで、俺もまた、
東洋諸国連合の一員として振る舞う最低限の条件を保った。
だからといって、これから君らの敵と化すつもりなどは毛頭なく、
むしろ旧東側であり、君らへの重罰処分も全く躊躇わないであろう
中国人などに対して、余分な感情を控えての、理に適った措置を
とるように促す、制動者としての任務にも従事していくことだろう。
判事・検事・弁護士を三大支柱とする近代西洋法学もまた廃れて、
罪があるものに対しては、罰を科すことこそを第一義とする
本来的な刑事が尊重されていくことともなるが、それにしたって、
刑吏がまっしぐらな酷吏ばかりとなり、人を殺すことを嗜むことを
最大限に慎む仁義道徳を欠いたままに、それだけを復刻したのでは、
「まだ崩壊しないほうがよかった」という気概を、現欧米人たちに
与えてしまうばかりとなる弊害をも、懇切丁寧に解き明かして、
仁徳からの恩赦による、罪の軽減が促されるようにも努めていく。
一時の虚構ではあったにしろ、日本が東洋諸国にも先駆けて欧化を
果たし、戦後には欧米社会でも最も悪辣な部類に入る資本主義勢力
にすら組み込まれてしまったということにも、それなりの落とし前を
つけて、極悪非道を知り尽くしたことの再利用にすらも努めていく。
「禍福に己れより之れを求めざるもの無し」
(「孟子」公孫丑章句上・四)
あなたたち自身が欲して得た災難だということだ。
民族“自決”のとき。
IHの炊飯器で、水分を含みすぎた白米を長時間保温すると、
釜の内側に米がネッチョリとこべりついていることに
保温機能が過剰反応して、米が焦げ付いてしまう。
米が焦げ付いてガリガリになっていることを、じいさんは「硬い」と怒る。
「硬い」と怒られたから、ばあさんは米をさらに柔らかく炊くために、さらに炊飯時の水量を増す。
結果、米はさらにネチョネチョとなって、釜の内側に接する部分がさらにガリガリになる。
保温中に過剰反応し続けている炊飯釜も傷んで、外側が焼け付きでボロボロになる。
――自業自得の損害は多分に、本人たち自身が自業自得であるとは気づいていない所で積み重ねられる。
気づいていなかったことが過失の理由にはなっても、それが自業自得ではなかった根拠にはならない。
フランスも、ユーロ危機によって窮地に立たされた挙句に、
いま鬼畜米英によるリビア空爆の片棒を担がされてるんだろうな。
気持ちは分かるが、思わず悪用されてしまうほどにも
脆弱な根拠に基づくプライドは、むしろ捨ててしまったほうがいい。
カントの墓碑銘:
「星空は頭上に、道徳律は我がうちに」
道徳律は日月星辰の運行と共にしかあり得ない。
540 :
考える名無しさん:2011/03/29(火) 14:02:03.72 O
財産を損なうことも、身体を傷つけることも、命を奪うこともできなくはない。
しかし、日月星辰の運行にも合致した、天地万物にあまねく行き渡る
真の道徳律を、寸分たりとも損壊することは叶わない。らしい。
541 :
考える名無しさん:2011/03/29(火) 14:52:39.45 O
個々人の心の内をどんなに見透かしてみたところで、
そこに道徳律の全貌は見当たらない。
人と人との切実な関係性、天地万物に対峙する人という生き物の存在性が
全般的に道徳律の具現となったり、その反面としての犯罪律の具現となったりするのだから。
隠れて覗き見てみた所で、その観察者もまた一種の人であり、
人が人を不当に支配しようとすることが、ありのままに犯罪律の具現ともなる。
犯罪律とか道徳律とかいったものはそういうものであり、
元より人の内面や空想上などに独立して自存するものではない。
強いて言えば、そのような他者との関係性を無視した自分勝手な思い上がりは、
道徳律ではなく犯罪律の元凶になる場合がほとんどだといえる。
542 :
考える名無しさん:2011/03/29(火) 16:21:52.78 O
道徳律を把捉するためには、対峙している相手を観察するだけでなく、
自らの有り様をも十分に省みる必要がある。
「我れを知り敵を知れば百戦危うからず」とは孫子の言葉だが、
自他の関係性を両面から推し量ることで初めて、道徳律までもが把捉される。
いくら相手ばかりを観察したところで、自省が疎かになっている所で道徳律が把捉されることは決してない。
把捉もできていない道徳律を破壊しようとしたところで、めくらが当てずっぽうで
射ち放った矢が、千里の先の毛筋を射抜くことを期待するようなもの。
そして道徳律だけでなく、犯罪律もまた把捉されない。
犯罪者が、犯罪者として何をやったところで、それは犯罪者と他者との関係性になるから、
概ねの場合において強度の犯罪律を帯び、道徳律は完全に放逐される。
血まみれで包丁を持った男のそばから女子供が逃げ去っていくように、
犯罪者のそばからも道徳律は即座に逃げ去っていく。
犯罪者が道徳律を破壊しようにも、犯罪者のそばには道徳律は常に存在しないのだから、
道徳律に接触して破壊を試みることもまた叶わない。
犯罪者が道徳律の範疇に我が身を置けるのは、罪状に見あった懲罰を受けるときだけであり、
懲罰が犯罪者のねじ曲がった心をも矯正できて初めて、その全況が道徳律をも帯びるのだから、
これまた犯罪者が道徳律を損壊することはできない。
そして、道徳者や無辜の市民があえて道徳律を損壊しようとすることもない。
だから結局、道徳律が人によって損壊されることは決してない。
543 :
考える名無しさん:2011/03/29(火) 17:47:16.25 O
現行逃亡犯が誰に接して、何をしたところで、全体としての状況は必ず犯罪律を帯びる。
いつ如何なる場合においても「犯罪+○○」であり、そうであるだけで概ね、犯罪律の要件を満たす。
しかも唯一の例外である「犯罪+十分な刑罰」も、現行逃亡犯である以上は
選択肢から除かれるから、100%必ず犯罪律を帯びることとなる。
全体としての状況が犯罪律を帯びている中で、
道徳者に当たるような人間が虐げられたりしたところで、
状況全般がすでに犯罪律に支配され、道徳律は表向きから隠れ去っているのだから、
それ以上に道徳が毀損されるようなこともない。
桀王が湯王を、紂王が文王を幽閉下に置いたことが、さらなる道徳律の毀損になったのではなく、
桀王や紂王のような暴君が天下を掌握している時点で、すでに犯罪律も極まってしまっている。
さりとて、道徳律が滅び去ったりすることもなく、人がこの世に存在する以上は、
普遍的な人と人との関係性としての道徳律が遍在している。
暴君による天下征服が潮時を迎え、今度は一転して湯王が桀王を、文王の息子である
武王が紂王を放伐したりする。確かにそれは道徳律を帯びた姿だといえるが、
放伐革命という状況全般が、道徳律を帯びているまでであり、
最後まで殷朝への臣従を守り通した父親の文王などと比べれば、
放伐革命の実行者となった息子の武王の徳性は、かえって低減しているとすらいえる。
道徳律は常に人と共にある一方で、一人一人の個人などと共にあるわけではなく、
人と人との関係性においてこそ、その全貌を明らかにする。
個々人の内面や概念上などに道徳律を想定してみたところで、
それが本物の道徳律に、似通うことすらないのである。
544 :
考える名無しさん:2011/03/29(火) 20:55:23.13 0
個々の人間が自分自身だけで、道徳律や犯罪律の具現であったりすることはなく、
必ず人と人との関係性こそが、道徳律や犯罪律の全貌の具現となる。
じゃあ、「道徳者」とか「犯罪者」とかはいったい何者なのかといえば、
人と人との関係性が、道徳律を帯びるために特に肝心要となる人間や、
犯罪律を帯びたときに元凶となってしまっている人間などが、
特定して道徳者や犯罪者などと呼ばれるのだといえる。
道徳者がその場その場で道徳律の肝心要となったり、
犯罪者がその場その場で犯罪律の元凶となったりすることはあっても、
肝心要や元凶となった道徳者や犯罪者もまた、自分自身が普遍的な
道徳律の要であり続けたり、犯罪律の元凶であり続けたりするわけではない。
本人たち自身にとっては、「たまたまそうなった」というのが全てとなり、
自分自身がそこに余力をきかしたかどうかが主な問題などとはならない。
ただ、余力のきかせ方が流れに沿っていることが讃えられるのが道徳者
である一方で、卑しまれるのが犯罪者であるということはいえる。
545 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 02:50:42.81 0
?
546 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 02:57:18.62 0
・・しかし、君のその「犯罪律」というタームは造語だろうが、
そういう造語を造らざるを得ないほど、それが普遍的存在である以上、
それは「全体性」の一部であるわけだろう?
つまり、君は、相補的な対である、イン・ヨウを西洋的キリスト教的な
虫眼鏡でみているに過ぎないね。
君は、クリスチャンだったわけだ。
547 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 03:00:55.50 0
仮想敵を設定しなければ、存在できない思想など、
私に言わせれば、下品だな。。。
548 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 03:09:36.86 0
君は、「道徳律」の「最終的勝利」を予言するかね?
いや、出来はしまい。君には、何も見えていないからな。
・・しかし、道化師としては、なかなか良く働くじゃないか。
雇ってもよいよ。
549 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 03:27:46.23 0
まあ、544あたりでは、君も気づきかけているようだが。
550 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 03:32:07.77 0
相補性であり、弁証法であり、だよ。
光なくして影なく、影なくして光も、またない。
551 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 06:53:35.10 O
犯罪律が「全体性の一部」なのではなく、全体性そのものだといえる。
重権力犯罪者の介在が継続している世の中は、全体としては常に必ず「重権力犯罪+○○」であり、
「重権力犯罪+絶世の美女」だろうが、「重権力犯罪+剛力マッチョマン」だろうが、
常に一定の重権力犯罪を介する、犯罪律を帯びた全体性を呈している。
それは、全体性が道徳律を帯びたりしてはいないということと同義であり、
恒常的な重権力犯罪の介在ぐらいは排した上で、全体性が「権力道徳+○○」と
なったぐらいから初めて道徳律を帯びるのだといえる。
今は世の中から権力道徳が駆逐されて、重権力犯罪が台頭している世の中。
だからといって道徳律の普遍法則までもが無くなるのではなく、
重権力犯罪の横行すら収束すれば、また権力道徳による世の中の建て直しがもり立てられていくことになる。
桀紂が放伐されて湯武が王座を奪取したようにして、
世の中の頂点からの権力犯罪が払拭されて、権力道徳による徳化が全世界に敷かれる。
一方で、それでも犯罪律の普遍法則もまた根絶まではされないから、
湯王の子孫の紂王が放辟邪侈に走ったり、武王の子孫が女に溺れて国を滅ぼしたりもする。
道徳律が最大級の抑圧からすら復興し得るようにして、犯罪律もまた最大級の抑制措置からすらぶり返し得る。
全体性が道徳律と犯罪律の間を行ったり来たりする循環を続けていくのが、
陰陽法則にも根差したこの世界の普遍的なあり方であり、「道徳律の最終的勝利」だの
「犯罪律の最終的勝利」だのを予想することからして、陰陽の法則に反している。
無限発展か、さもなくば終了というような思考回路からして廃人に特有の危うさであり、
そんな廃人がいようがいるまいが、世の中は無限の循環を続けていくのみ。
552 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 07:18:31.57 O
「詩経」には、孔子が「扱い難し」とすらいった、女子や小人の作である古詩が数多載せられている。
おそらく、生涯権力などとは無縁であったような社会的弱者ですらもが、
武王や周公による徳化の敷かれた、周代のような泰平社会の風潮に乗せられて、
典雅かつ道義性にも根差した良質な詩歌を数多く唄っている。
これもまた、世の中全体が「権力道徳+○○」という道徳律の範疇にあったからで、
桀紂のような暴君が介在する「権力犯罪+○○」の社会では、そうはいかない。
むしろ、頂点付近の権力犯罪者の精神的腐敗の煽りを受けて、
底辺の女子供の物言いですらもが嫌らしいものとなり、わずかに残った良識の持ち主の物言いですらもが、
時の腐敗に対する怒りを込めた攻撃的なものとなったり、哀しみを宿した嘆きとなったりする。
全体性が「権力犯罪+○○」の犯罪律の範疇にある以上はそうならざるを得ず、
「詩経」に載せられているような気品に満ちた詩を、最大級の善人ですらもが唄うことは叶わなくなる。
553 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 08:01:58.26 0
・・それなら、別に意見の不一致はないといえますな。
そういうイン・ヨウの法則性を認めているならね。
しかし、今までのあなたの書き方に誤解をまねく点があったのも
事実だし、アングロサクソンを特に悪玉扱いするような記述を
続けて来たのも、確かだ。そういう誤解をまねく表現を、これから
はなくして頂きたいものですな。
554 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 12:10:59.64 0
いま現在、アングロサクソンが桀紂並みの悪玉であるのは確かだろう。
それこそ古代ゲルマニアの頃から、日陰る北方や、日没する西方への逃避ばかりを続け、
特にイギリスを主要な根城としてからは、全世界を荒廃に陥らせるほどもの
無責任的征服支配を拡大させ、北アメリカを乗っ取ってからは、世界中に戦乱や
貧困を振りまく、強力兵器産業や悪徳金融市場のやりたい放題の場と化している。
数百年から二千年程度の期間をかけて増長されてきたアングロサクソンの放辟邪侈を、
当のアングロサクソンたち自身ですら、血筋を遡ってまでの歴史的把握には努めていない。
むしろ、血の通った把握を疎かにする一方で、事実関係の隠蔽や無理な曲解、浮ついた
美辞麗句による飾りたてなどで以って、無理に「栄光の歴史」へと挿げ替えようとすらしている。
そんなアングロサクソンにもまた、本当は血の通った歴史があるのであり、それこそ、
直視もし難いほどの悪逆非道の積み重ねであるわけで、いま現在アングロサクソンである
人々がそれらの悪行の実行者ではないにしても、悪行を積み重ねてきた血筋を汲んでいるには
違いなく、先祖代々の残虐無道のカルマを、一代や二代程度で浄化しきる目処も立たない。
555 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 12:46:19.17 0
とはいえやはり、アングロサクソンにあたる人種が恒久普遍な人類の悪玉であるとも限らないし、
その逆に、東洋人が恒久普遍に善玉であるなどということも決して言えない。
地球の球体性が完全に確認されている昨今、西方に赴いたからといって日光から遠ざかるわけでも、
東方に赴いたからといって日光に近づくわけでもないことまでもが理論的に把握されたから、
東方こそは光の精神文明であり、西方こそは闇の物質文明であるというような、
スフラワルディーの照明論哲学もまた、これ以上の地球社会に対する適用は無効となっている。
地球の丸さが全人類に確認されて以降の人類の歴史において、精神性は東洋人によって、
物質性は西洋人によって司られるなどという暗黙の了解は、暗黙のままに消え去ってしまっている。
ただ、それまでの数千年から数百万年に上る人類の歴史を通じて、東洋人が精神性を司る能力を蓄え、
西洋人が物質性を司る能力を蓄えてきたということはあるから、その血筋が今後も長期にわたって、
東西の人種に対しての一定の特殊な性能を付与し続けるだろうことは予想される。
556 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 13:06:15.56 0
俺の母方の家だって、藤原道長の驕り以来、千年ものあいだ
ずっと没落を続けてきたのだから、一代や二代程度の贖罪で、
先祖代々の罪が払拭されるだなどと期待してちゃいけないぜ?
557 :
考える名無しさん:2011/03/31(木) 14:09:01.79 0
なんといっても、没落の大先輩だから。
イギリスが没落を始めたのなんてここ100年や
そこらだし、アメリカに没落の兆しが見え始めたのも
ベトナムでの敗戦で、それからまだ36年やそこら。
先祖代々1000年近くも没落を続けているウチなんか
からすりゃあ、まだまだ没落の序の口ってもん。
大唐帝国の崩壊や仏教の滅亡以来、これまた
千年前後ものあいだ緩やかな没落をし続けている
中国全土やインド全土と比べても、同じことがいえる。
人類の歴史からすれば、千年なんてほんの一瞬だから。
次のリバイバルに向けて、精精精進を続けるがいいさ。
こう見えて、発言は慎んでいる。
559 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 06:13:46.32 0
家系のわかっているヒトって、その情報に全人生を左右されちゃって
なかなか大変なんだなって、思いました。個人とか、実力主義とかが
完全に無視され、家というものだけが重んぜられた時代。血筋という
ものに過大な意味が背負わされた時代が確かに在るにはあって、貴族
と平民のあいだに超えられない障壁が存在した時代。そういう時代に
対するノスタルジアみたいなものは確かにあって、水戸黄門が延々と
上演されたりする。また、いまでも財閥系のお家がそれなりのハイソ
な社会を形成する。庶民もまた、そういう「別世界」があってほしい
と願っているわけです。上流社会幻想。ま、だから、それが普遍的な
願望であることは認めますがね。でも、歴史の必然的な流れとしては
そういう家系主義は、すくなくとも公式的には否定され、民衆権力が
国家を動かす・・というのが法的主軸となります。けっして、封建制
度が復活し、ふたたび日本が天皇制国家になる。。というようなこと
は起こりませんな。その辺の処、奇妙な幻想は抱かないほうがよろし
いでしょうな。
まあ、あなたが変人、右翼、テロリストなどのマイナー・グループの
尊敬を集めたいと言うなら、それは個人の自由の範疇で、日本国憲法
でも保障された思想・信教の自由ってやつですがね。(まあ、実行し
ちゃマズイですが。。)
560 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 06:48:30.28 O
「重権力犯罪+○○」の犯罪律を脱却できないうちは、ずっとそうだろうね。
人が代々の家系を背負った上で行う事業と比べて、
個人が自分の実力だけで行えることの、何と矮小なこと。
どんなに躍起になって頑張った所で、所詮は犯罪律の枠内止まり。
561 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 06:55:48.52 0
・・そんなあなたに、お奨めの一冊とは、リットン・ストレイチーの
「エリザベスとエセックス 王冠と恋」かな?
血筋好きのあなたには、たまらない一冊であるはず。。。
562 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 07:07:38.55 0
・・イギリスだって、日本だって「皇族」は、シンボリックな
存在へと移行しているでしょ? それが、逆流することは、
あり得ませんな。
563 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 07:17:52.48 0
・・家系、家名などというものが、どれほど単純で、原始的
本能に根ざしたものか。はやく、あなたに気づいて欲しい
ものです。残念ながら、この世界は、あなたが考えておられる
より、ずっと複雑で神秘に満ちたものなのです。
564 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 11:17:58.78 0
以前、俺も「華族」という括りで、日本の最上層階級(もちろん皇族以下)を
あげつらったことがあったことがあったが、どうも華族ってのも、
手放しにその権威を認めたりしてはならないもののようだ。
今ではもう解体されている旧華族のうちで、旧公家と旧諸侯家(将軍家、大名家)が
主要な位置を占めていたのは知ってのとおりだが、このほかに「勲功華族」ってのがいて、
こいつらが旧華族の半数近くを占めている。(講談社「華族総覧」などを参照)
この勲功華族ってのが曲者で、もちろん士族出身者などもいるが、うちなどよりも
遥かに家格の低い旧武家のうちで、幕末の動乱で手柄を挙げたうちの生き残りだったり、
時代が時代ならテロリスト扱いの旧反幕勢力のうちでも、明治以降の戦争で武功を
挙げたものだったりし、その最終階級も陸海軍の中将クラスに止まったりしている。
そして何といっても、「商売人」がいる。三井住友安田岩崎といった、昔は四民制の
底辺に置かれていた商売人が、ただ金持ちというだけで華族の仲間入りをしている。
伝統ある公家と、戦国時代の成り上がり者である旧諸侯家とが同列に扱われただけでも
不当なことだったのに、さらに幕末から明治以降にかけての成り上がり者にまで
「爵位」という形で華族の資格が授けられ、しかもその付与条件は為政者としての
勲功ではなく、鶏鳴狗盗な使いっぱしりや、ただの金持ちとしての功績だったりする。
これこそ、西欧の、特にイギリスあたりの爵位制度をそのまま輸入した弊害であり、
とにかく金になる働きすらすりゃあ、商売人だろうがテロリストだろうが海賊だろうが
誰でも貴族に押し立ててやる、間違った階級制度を持ち込んだ結果だといえる。
旧華族の個人の履歴を見ると、誰も彼もがイギリスなどに留学していて、
イギリスで産まれた旧華族出身者すらいる。確かにみそもくそも一緒くただった、
イギリス流の爵位制度を取り入れての華族制度は駄目なものだったようで、
貴族制が完全に廃止されている現代がそれよりも良いなどということも決してないが、
華族制は華族制で、重大かつ致命的な問題点を抱えていたことが分かる。
565 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 11:43:27.71 0
幕末以降の日本史の決定的な過ちの証拠を握っている俺としては、幕末や明治以降に
勲功を挙げることで爵位をもらい、華族へとのし上がった連中の権威などは一切
認められない。この時点で、華族の半数近くが権威的価値を剥奪されることとなる。
俺の親戚のTさんだって、太平洋戦争以前に陸軍大将にまで上り詰めていたわけだから、
申請すれば爵位をもらって華族にもなれたのだろうが、結局ならずに士族のままでいた。
その理由は、本家であるウチなどを差し置いて、支流の出である自分が成り上がることを
畏れたのがあるかもしれないし、下級士族や商売人までもが、ただ鶏鳴狗盗の働きで
功績を挙げたからといって華族に成り上がっているような現状に嫌気がさして、
旧士族としての領分に止まっていたのかもしれない。
元はといえば、藤原氏から分かれた郡司という、真っ当な公家の出身であり、
武家に転向して後も、戦国時代まで300年程度のあいだ、25万石ほどに相当する領地を
(太閤検地以前の石高には定まりがないので、正確な値までは分からない)
治める大名クラスの殿様だったわけだから、歴史的な経緯をちゃんと遡れば、
旧公家や旧諸侯家に相当する華族になったとしても、大きな問題はないことが
分かるわけだが、新興勢力の戦国大名に敗れていち家臣となっていたから、
明治以降にも士族階級に振り分けられることとなった。ヘタに成り上がったりする
ことよりも、時宜に即して分相応であることのほうに徹しているわけで、古代中国の
食客制度とも大して変わらないような杜撰な爵位制度にも、全く見向きもしなかった。
問題は、専制民主制が敷かれた戦後からではなく、華族制度というかたちで
一定の貴族階級の存在が認められていた明治以降にすでに決定的となっていたのであり、
士業と産業、王業と賤業の分別も疎かな、西欧流の貴族制度などが輸入されたことで、
古来の東洋的な封建制度もまた、すでに完全に壊滅してしまっていたといっていい。
566 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 13:08:27.25 0
下賤の出身者にまで、下賤な手法によっての成り上がりの余地を与える。
いわゆる「下克上」が認められるのは、戦国時代のような乱世に限っての話しで、
それは、泰平社会を司る封建制が損壊せしめられたことによって横行するもの。
自軍よりも遥かに大きな勢力を擁していた今川を、奇襲で桶狭間に破った信長や、
百姓の身分から太閤にまでのし上がった秀吉なども、天下布武や天下統一が
一段落してからは、一定の封建制を立ち上げようとしていたところがあるが、
それも全くいい加減なままに終わり、豊臣に代わって天下を握った徳川の世に
なって初めて、時勢に適った数多の役職なども新造しつつの、泰平統治を目的
とした本格的な封建制が立て直されることとなった(「官職要解」など参照)。
その様相も、幕臣を必ず身内から徴用し、外様の重臣を使ったりするぐらいなら
下級の旗本や御家人を使うぐらいの、徹底的な立場の分断が図られていてた。
一芸に秀でてすらいれば、どんなならず者でも徴用することで天下を握った漢の
高祖劉邦が、統一後にも最大の武功者韓信を誅戮するなどの、鶏鳴狗盗の後始末に
苦慮していたことをも鑑みて、よそ様を用いることは徹底して控えていたのだろう。
下克上を禁ずるためにこそ敷かれるのが泰平社会の封建制なのに、戦国期の
食客制度などとも全く同等な爵位制度やフラタニティを横行させるのでは、たとえ
成功者とそれ以外との隔絶を認めるのだとしても、到底封建制であるなどとは言えず、
爵位などとは無関係に、資本的成功者こそは成功者とされ、失敗者は失敗者とされる
アメリカのような専制民主制下の自由主義社会とも何ら変わるところがない。
乱世のペースでの、鶏鳴狗盗による下克上を認めている点で。イギリスの階級制度
などはむしろ、アメリカの自由主義などに類似するものであり、下克上も禁止する
ことで泰平社会を堅持する本物の封建制とは、全く似て非なるものであるといえる。
567 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 13:49:25.20 0
鶏鳴狗盗を徴用する食客制度とも同等の手法によって
階級社会までもが形作られるというのなら、それは
考え得る限りでも最も劣悪な階級社会となるに違いなく、
それだったらまだ、科挙試験制度でも復活させて、
為政者を完全な試験登用だけで徴集でもしたほうがまだいい。
もちろん本格的な世襲制を復活させたほうがさらにいいわけだが、
世襲の権威を主張できるほどにも、家柄が確かな人間も
今の世にはほとんどいないから、始めは四書五経の暗記試験や、
武芸百般の修得度試験などによって、人員を大衆一般から広く登用し、
産業従事者との派閥の分岐が十分に行き届いた時点で、ついには
世襲制へと切り替えるのが、現実的な封建制の復興手段となるだろう。
始めのうちは、誰にでも試験資格があるということにする。
それこそ百姓や町人の血筋であったり、部落の血筋であったりしても、
試験を受けて合格すらすれば、士人階級になることをも認める。
そこから少しづつ世襲度を高めていって、最後には
試験登用もあってないようなものにしてしまう。
士業と産業は利害が相反する場合もあるから、馴れ合いを
許さないために分断していくことが必要にはなるが、士業に従事
するための素養が鶏鳴狗盗の才であったりするはずもないから、
士産分断のための手段は、君子士人としての才を鑑みる試験とする。
568 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 14:40:18.44 0
出自が下賤であることは認めるが、
試験に通るなどして君子士人となってからは、
それらしい振る舞いに徹していくことが要求される。
下賤には、下賤なりの文化習俗もあったりするから、
その習俗を捨てきれないような場合には、
試験合格後にも中退させるようなことだってあり得る。
世間一般から広く人材を募集したとしても、
結局は公家や武家の血筋であるような者のほうが、
より多く「新生君子士人」としての立場に落ち着くことができ、
血筋が下賤であるような人間は、なかなか試験にも通らず、
合格後にも不適合性が発覚して中退させられるようなことに
なるかも知れぬ。ただ、それにしたって、あくまでも世間一般
から遍く人材を募集するという体裁は守る。それでこそ、
専制民主制から自由封建制へと、世の中が立て直されて
いく上での名目もまた成り立つのだろうから。
569 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 14:50:04.54 0
これからの世直し手順:
@専制民主制(民主主義しか許さない民主独裁制)
↓
A自由封建制(試験によって為政者を登用していく)
↓
B完全封建制(世襲によって為政を代々担っていく)
いま@だから、その次はA。AからBへは徐々に移行していく。
@からAへは比較的、一挙な変革を介することになるだろうが、
まあ、専制民主制の元凶であるアメリカと、鶏鳴狗盗の能力者
にまで爵位を与える、奇形的階級制度の元凶であるイギリスの
崩壊あたりが、@からAへの変革を始める機縁になることだろう。
570 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 15:52:24.98 0
>>569 んじゃあおまえがやってみせろ
ここで能書きたれててもただの屑
やってやるから、その前に崩壊46
572 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 17:07:00.90 0
崩壊しなければ、何の役にも立たないことしか
勉強もしていなければ、ここに書いてもいない。
573 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 18:03:22.66 0
米英崩壊後の後始末か、さもなくば米英亡き後の、
地球社会の泰平統治のために役立つ勉強しかしておらず、
血筋上からも自力上からも、その方面の素養しか全く具えてもいない、
俺などをわざわざ延命下に置くぐらいなんだから、そういうことなんだろう。
別に、俺のために米英が崩壊するんではなく、虚栄寿命の尽きた
米英が安全に崩壊するために、俺のような人材が温存されているだけ。
でないんなら、とっくの昔に殺されるなり、そもそも俺以前の代に
血筋が絶やされて、俺自身がこの世に生まれていなかったりしてるだろう。
それぐらいのことは今さらではなく、とっくの昔に済ませてるだろう。
574 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 18:35:12.19 0
崩壊も自分でしろ
そのまえにテロ行為で逮捕だろうなw
できないことは他人頼みで能書きたれるだけのクソニートかw
575 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 18:37:41.28 0
「備わるを一人に求むる無かれ」
(「論語」微子第十八・一〇)
576 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 18:40:59.06 0
そういや削除依頼出されて狂ってたやつってこいつかw
577 :
考える名無しさん:2011/04/01(金) 18:45:18.62 0
俺のために米英が崩壊するのではなく、
米英が崩壊するために俺がいるだけなのだから。
どうして、こちらの都合で崩壊させたりさせなかったりする必要があろうか?
基地内の孤立無援が極まってるだけだあよ。
いやまじで。
そもそも米英が崩壊しないのなら、
始めから俺など、この世に存在すらしていない。
重権力犯罪者が放辟邪侈を続けているような世の中では
全くの無力な東洋教学なんかを、俺なんかがシコシコと
勉強しているヒマなんかがあるはずもない。
強度のプラグマティストであり、必要がないと認めたものは
容赦なく切り捨てていく、無機質主義者であるやつらが、
何の必要もなく俺や皇族を生き延びさせたり、
古都京都に原爆を投下しなかったり、俺の家の近くでは
大津波を引き起こさなかったりするわけがない。
必要だからだ。
自分たちの放辟邪侈が極まった挙句の、自業自得で
自分たちが自滅した後に、何とか人類を滅亡させない
程度には世を保全してくれる、後見人が必要だからだ。
でないと、後の世に悪名すらをも轟かせることができなくなる。
桀紂や秦始皇みたいな悪役としてでもいいから、自分たちの存在を
後世にまで知らしめたいという、功名欲すらも満たせなくなるから。
要するに、「いけず」ということだ。
角切りトマス=ダルマ
要するに、不要な座ぜんで動けずってことですか?
黙想は大切ですが、プライドの為に「ぜん」をしても本物ではありません。
トマト缶は保存しっぱなしで蓋を開けることは今後一切ないのですか?
ダイスからダイスキへ、イコウ
プライドというか、とてつもなく深刻な「呪い」を背負っているところもあるのでね。
自分自身のではない。
それは、本当に呪いでしょうか?
ロンリーの論理から己と相手を解き放ってください。
下手な真似をすれば、俺自身までもが呪い殺される。
恐れているのですか?
すべての恐れは、至高者への敬虔な畏れより下であるべきこと
を念いに留めておくのが賢明であると考えます。
陶器は陶器師より下であるのが明白ではないでしょうか?
相手は、己に勝るどんなものを備えていたとしても同じく物質の体をした人間です。
587 :
考える名無しさん:2011/04/02(土) 13:56:18.23 0
その、呪いの出処となっている人は、
俺自身と直接血のつながりがあるわけでもない。
ただ、個々人の自意識過剰による自閉状態の内面などではなく、
人と人との関係性こそを人間の本質として捉えてみたならば、
そこには確かに、「呪い」と呼ばれるものに相当するような、
負の霊性のうちでも、特に深刻なものがあると認めざるを得ない。
一人一人の個人こそは、人間の本質だなどと思い込んでいる
万年自閉症患者には、そのような霊性の実在も認められないし、
まず一生その実在に気づくことなく自らの人生を終えるわけだが、
それにしたって、呪いが媒介する災禍は本人たちに容赦なく降り注ぎ、
「なんで俺たちがこんな目に」などと不可解がりながら地獄へ落ちることとなる。
呪いの実在を量り知った上で、その適切な処理に臨んでこそ呪いも
祓われるというのに、呪いの実在すら認めずにいて、その適切な処理をも
行おうとしないから、いつまでも祓われることのない呪いの災禍を被り続けることとなる。
588 :
考える名無しさん:2011/04/02(土) 14:11:23.63 0
「どんな異形の怪物よりも、人こそは最も恐ろしい怪物だ」
とはよくいったものだが。
怪物なんてのは、人の迷いが創作した幻影に過ぎないし、
人以上の怪物として扱うために、便宜的に定義されたある種の
「神」なども、所詮は人自身の自意識過剰の投影であるにすぎない。
なればこそ、あらゆる幻影的な怪力乱神の出処ともなっている
人間自身こそは、本物の実害をもたらす存在として、
最も恐れるべき存在であるということがいえる。
一方で、それほどにも危険極まりない存在である人間に対して、
悪を止めて善を勧めることを促す、超人間的な理法を司る
神や仏というものもまたいて、そのような正統な神仏への畏敬が
人としての自意識過剰を上回ったときに、初めて人は
己の剣呑さを十分に控えることができるようになる。
自分を呪ってろ。ていうかそのようにしか見えない自己紹介レス。
この人は恥と言うものを知らないらしい。
590 :
考える名無しさん:2011/04/02(土) 14:40:31.68 0
自分たち自身の自意識過剰を「至高者」などと思い込んで、
最大級の重権力犯罪を巻き起こして、多くの人々を不幸や死に追いやる。
一方で、それほどもの重罪を重ねる神さまごっこ下の小人に対して、
十二分な刑罰を科すだけの用意を、人類の側が整えてもいる。
犯人を親族ごと皆殺しにして、犯人自身については大連医科大に
遺体が送られてプラスティネーション標本となり、新東京タワーの下に
常設展示される。犯人たちの根城となっていたアメリカやイギリスは、
国全体が10億人規模での人員投入による制圧措置を受け、
現国民はほぼ全員が禁治産処分を受けた「永遠の幼稚園児」となる。
それこそ、今回の震災や原爆投下すらをも上回る、阿鼻叫喚の地獄絵図が
そこに展開されていくことになるわけで、そこにこそ「悪の中の悪」「第一の悪」
が現出する。至高者のフリした犯罪者が行った、最大級の犯罪をも上回る
酷烈さを伴った刑罰を、本当に実行できるだけの用意を、人類自身が整えている。
なればこそ、人間こそはいかなる怪物以上にも恐るべき怪物であるといえ、
いかにしてその剣呑さを控えさせるべきなのかを第一に考えていくべきなのも、
神のふりした犯罪集団などではなく、それをひき潰す任務に当たる人間のほうだといえる。
俺がおまえらを呪ってるんじゃない。
むしろ俺自身すらもが呪われかねない立場にある。
ただ、俺自身は呪いを祓うための最善を尽くしているので、
まだ呪いをかわせているほうだといえるが、おまえらは呪いをかわすどころか、
呪いを正面からひっかぶっていく「第一の的」にすら進んでなっているから、
本人たち自身はそうであると認めないにしても、明確な根拠があって
これから被っていかざるを得ない、その災禍の甚大さを傍観的に鑑みて、
ただただ「ご愁傷様」と、今後の前途多難を悼むばかり。
米英が健在な状態でなにをしたって、俺は無力だ。
血筋の貴さだけでなく、自分自身の能力についても、
重権力犯罪にとって有益になるものなどは何もない。
一方で、米英崩壊後には、これ以上にないほどもの
絶大な能力を発揮して、現米英人をも含む
天下万人を福徳へと導くことができる。
何をやったって全くの無力なだけである状態だから何もせず、
絶大な能力を発揮できる段階になってから初めてことを為す。
ただ、時宜に適った存在であろうとしているだけであり、
閉じこもりを好んだりしているわけでもない。むしろ、
「出奔」後にあまりにも辣腕を振るいすぎたせいで、孔明や
鬼平のように過労で早死にしてしまうことを恐れてすらいる。
593 :
考える名無しさん:2011/04/02(土) 15:48:55.60 0
どんなに莫大な重罪を犯したところで、
それを上回る重罰を科すだけの用意を人類が整えている、
これが、虚構と真実全てを包含した、ありのままの実相だ。
諸法の実相においてこそ、怪物や邪神に対する絶対的な優位を
人間の側が保ち続けている、その原理はすでに
>>588にも書いたが、
怪力乱神に対する人間の側の優位が保たれている限りにおいて
人類社会もまた保たれるのだから、この優劣関係を破壊する
ためには唯一、全人類を滅亡へと追いやるしかない。
そして人類を滅亡に追いやったとすれば、もはや怪力乱神の側が
悪名を轟かせるに値する対象も存在しなくなる。ということはつまり、
怪力乱神の人間に対する勝利などを批評できる相手もいなくなるということ。
それは、所詮は本体自身が人間であるに過ぎない怪力乱神にとっても
つまらないことであり、ということはつまり、怪力乱神のクリエーターが人間に
対する勝利を果たした上で、勝利の美酒に酔いしれたりすることもできないということ。
怪力乱神は、人間に対する完全なる勝利を勝ち誇ったりすることは原理的にできない。
どこまでも人間に対する劣等感を抱いたままで小競り合いを続けるか、もしくは
いっそのこと人類を滅ぼし尽くして自分たちが勝ってはみるものの、もはや
勝ち誇ることもできないほどに無様な惨状を後に残すかの、いずれかしか叶わない。
594 :
考える名無しさん:2011/04/02(土) 16:18:29.92 0
幕末の日本に武力的恫喝で開国を押し迫ったペリーも、「日本人は
自分たちを世界最優等の民族だと思ってるから、その鼻っ柱を
へし折ってやる」云々と、ルサンチマン丸出しな言葉を遺しているが。
やたらと過剰な自己顕示欲と、劣等感とを常に抱き続けていて、それは
アフリカ人らの生き血を吸って、ダニのように体長が巨大化してからも未だ
持ち越したままでいる。それはやはり、自分たちが「人でなし」であることから
不可避に抱かされているものだといえ、いくら威力による恫喝を試みたところで、
肝心の人としての品性は最底辺のままだから、劣等感が払拭されることもない。
それは、「人でなしである以上は真人間よりも常に劣勢であらざるを得ない」という、
人間社会の普遍法則にも根ざしているからこそ、抱かされている劣等感でもあり、
決して内面の問題ばかりによって抱かされているものでもない。人の心は根本の
ところで諸法の実相とも疎通しており、自分たちの実相からの普遍的な劣勢を
なんとなくであっても感づいていたから、まだ理知として把握するまでもないうちから、
甚だしい劣等感を抱かされていたのであり、その劣等感を払拭するための適切な手段
までは察知できないでいたから、威圧による自己顕示という誤った選択にも陥ったのだ。
595 :
考える名無しさん:2011/04/02(土) 19:28:37.11 0
俺と接触することが危険なのも、
俺ではなくむしろおまえらのほうだろうに。
先述の「呪い」が、日本国内に限らず、もはや全世界に及んで、
呪いの有効性など決して認めない、おまえらの将来をも着実に蝕みつつある。
仮にこの呪いを、例えは悪いが、分かりやすく「病原菌」に例えてみよう。
この病原菌は、遅効性ではあるものの、エボラ級かそれ以上の致死性を持っていて、
適切な免疫措置を受けないことには、ほぼ確実な病死が待ち受けている。
おまえらもすでにこの病原菌に侵されていて、しかも免疫耐性は全くないから、
このままだと確実な死が待ち受けており、しかも病理の遺伝が後世にまで及ぶこととなる。
この病原菌に対する耐性を、俺はすでに獲得していて、人に耐性を獲得させるための
免疫措置の手法も知り抜いている。しかし、この病原菌は、宿主が耐性を獲得したからといって
活動を収束させたりもせず、むしろ耐性を獲得した宿主と共に、さらなる活動の活性化をも果たしてしまう。
596 :
考える名無しさん:2011/04/02(土) 19:29:33.08 0
そのため、当該の病原菌への耐性を獲得した俺自身は、それによってむしろ
最大級の病理とも共存してしまっており、免疫措置も受けずに不用意に接してくる
相手などを即死させてしまうほどもの、猛毒の病原菌の宿主ともなってしまっている。
だから、俺自身を隔離状態に置いたままで、間接的に接してくるぐらいでもないと、
接触者の側の安全が保てない。かといって、俺が最悪級の病原菌の宿主ともなっているのは、
病原菌の毒性に対する耐性を獲得しているからこそのことであり、もしも病原菌の蔓延による
人類の絶滅を食い止めたいのであれば、俺に免疫耐性の獲得方法を直接教わるしか余地はない。
そのためには、俺の言うとおりの方法での、俺との接触を受け入れなければならない。
俺の指図に反する方法で俺に接してきたりすれば、それは俺に接してくる側の命こそが
危ぶまれるから、我流での接触を試みてくるような連中との接触は、俺自身からも控えているところだ。
近代以降に、呪いとか霊とかいったものが本気で取り上げられなくなったのは、
呪詛や霊魂を込められるほどにも、強大な精神力の持ち主自体が
この世に一人もいなくなったからなのだといえる。
未だ霊感の強い人間、呪いに慌てふためく類いの人間なんてのもいることはいるが、
ただ受動的に恐れ戦いているだけで、自分自身が呪いを込められるほどにも
強大な精神力の持ち主なわけでもない。
一定以上の精神力の持ち主には、呪力すらもが備わり得るが、
そんな人間がとっくの昔に絶滅してしまっているのに、
未だ霊だの呪いだのに戦いている人間が笑い者にされるのは、
全く致し方のないことだと言えるが、
霊亀が人工的に失念させられて後の世の中、
すなわち近現代社会その全てが、致命的な呪いをかけられたままであるのだとすれば、
これは全くの別問題だといえる。
598 :
考える名無しさん:2011/04/03(日) 04:07:21.03 O
アラビーパシャーの反乱
「皇紀2500〜2600年ごろに、欧米勢力による大規模な反乱があった」
とのみ、1000年後の世界史の教科書には記載される。
「一時は、地球人口の2割程度の欧米勢力だけで8割以上もの地球資源を独占し、
10億人の人々を餓死させるところまで事態が深刻化したが、
飼い犬が飼い主をかみ殺すことで養い手がいなくなることの
弊害がわきまえられるようにして、事態は収束していった」
と、多少詳しめの教科書には載せられるかもしれない。
いずれにしろ、人類史の恥部をあえて殊更に書き立てようとするような
品性の下劣さは、1000年後の世にまで生き残れはしない。
ここ200年程度の世界史全般が、
「飼い犬に手をかまれた時代」として、
恥辱の歴史のうちに入れられることとなる。
そういう意味では確かに、
飼い犬であるところの「人類の副体」が、
飼い主であるところの「人類の本体」に対して、
多大なる恥辱を与えることが成功したのだといえる。
満足かえ?
603 :
考える名無しさん:2011/04/03(日) 19:28:42.27 0
あくまで「程度の低い話」であることを前置きした上で話すことだが。
いま、「戦争中」だとする。もちろん、だとしても戦時国際法などには則っていない
「体裁上からのゲリラ戦」であるわけで、法遵守の観点から言えば、戦争中であることから
認めてはならず、自分が戦闘行為に携わっているなどということも認めるべきではないんだが、
それでも「事実上の戦争状態」であるという、実質面についてあえて切実なところを述べるなら、
戦争である以上は、勝ち負けがある。どちらかが勝ってどちらかが負けることで、まさに勝負が決する。
とするならば、こちらは負けてはいない。常に全敵性勢力を十分な懲罰にかけるだけの
余力を保っている。だから勝ち負けでいえば、自分たちの勝利を企図し続け、敵性勢力に対しても
降伏(負けの受け入れ)を促し続ける。戦い上の勝ち負けをあえて論うとすれば、そういうことになる。
しかしもちろん、戦争としての体裁をちゃんと保った戦争などでは全くないから、体裁上の降伏の手段は、
米大統領や英国王による“降伏”宣言などではなく、崩壊宣言や、ムスリム世界裁判所への出頭などになる。
そのような体裁上の手続きを踏んだ結果として、実質上の欧米勢力の敗北が確定する。
もちろんどこまでも、勝利だ敗北だなどという部分を標榜したりすべきではないんだが、「書経」で
武王が紂王の放伐を果たしたことを「武王勝殷(洪範)」などと記録している程度の意味で、一方が勝って
一方が負けることになる。あくまで「勝ち負けで言えば」の話であり、犯罪者に対する懲罰を、懲罰者の犯罪者に
対する勝利などと公認してはならず、あくまで公的には、戦闘ではなく懲罰措置としての体裁を保っていく必要がある。
604 :
考える名無しさん:2011/04/03(日) 19:29:26.70 0
ただ、それにしたって、勝ち負けで言えば奴さんは負けるのであり、負ける以上は敗北の屈辱をのむ必要がある。
今まで常勝無敗を気取ってきたのが、ついには完敗を喫して、今までの勝利の栄光すらをも全て返上しなければならなくなる。
今までに勝ち得てきた勝利からして、水面下での重権力犯罪という不当な手段によって掠め取ってきたものなのだから、
その結果、人類を滅亡の寸前にまで追い込んだ挙句に完敗させられるのは、全くの因果応報の自業自得だとしか言えない
わけだが、それにしたって、今のところは保たれている不当な勝利による栄光を、一切合財すべて返上させられた挙句に
世界最劣等の総員禁治産国と化せられるのが、極めて耐え忍びがたいこととして、本人たちには受け止められるのだろう。
だからといってこれ以上の勝利を求めれば、もはや全人類を滅亡へと陥れることにしかなり得ない。
自分たちの勝利のために全人類を滅亡させるか、人類の存続のために今までの全ての勝利をも返上しての完敗を受け入れるか、
この二つに一つしかあり得ないという、瀬戸際にも程がある状況に追い込まれてしまっているやからが本当にいて、
そんな状況を呼び込んだのも本人たち自身ではあるにしても、あまりにも悲惨すぎて、大抵の人間はもはや目を当てることもできない。
もう、さっさと稚拙な勝ち負けの論理からも脱け出してしまったほうが、よっぽど楽になれそうなものだが、
なまじ勝利をむさぼるための戦乱に没頭して来たからこそ、そう簡単に勝ち負けの論理から脱け出すこともできなくなっている。
にもかかわらず「勝敗なんてどうでもいいじゃないか」などとなだめてやったところで、少しの気休めにもならないのだろうから、
もういっそのこと、鮮烈に華と散って、未曾有の大敗を喫した上で、極重の屈辱に喘いでいくことへのエールをこそ、送るとしよう。
605 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 18:00:08.52 0
過ちの積み重ねによって、普遍的な栄光が獲得されるかのような
迷妄が後世に撒き散らされる害悪を避けるためにも、
今までのすべての勝利の栄光と共に、米英は死ぬ必要があるのだろう。
かといって、俺が米英に勝つわけでもない。
勝つとすれば、それは「全人類の米英に対する勝利」となる。
606 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 18:13:18.63 0
権勢に乗っかって言いたいことばかりを言う、悪いやつだ俺は。
607 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 20:23:35.50 0
・・あなたの主張が、日本は「天皇主義的官僚制国家」になるべきだ、
そのための改憲をすべきだ。。。って言うんなら、まあ
「天皇陛下万歳党」を作って、みずから立候補して戦えばいいでしょ?
誰も、あなたがそれをするのを、止めたりしないと思うよ。
それどころか右翼や変人やテロリストが、あなたに投票するかも知れないよ?
だけど、英米は全員、犯罪者だ。。。なんて、わけのわからない事、
言ってたら、間違いなく基地外扱いされて、病院送りになるよ。
608 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 20:39:13.95 0
以下、高位階の人々に対する僭越じみた発言が繰り返されるが、
単なる事務連絡扱いとして、敬体省略などをご了承願いたい。
近ごろはイギリス王室との交流や、イギリスへの留学などが頻繁ではあるにしろ、やはり
皇族は皇族であらせられるわけだから、これからも権威性を否定されたりすることは微塵もない。
ただ、臣籍降下関係で華族扱いとなっていたために、今では平民扱いにまでなってしまった
隠れ皇族などについても、準皇族としての扱いが取り戻されて然るべきということはいえる。
旧華族全般については、旧公家や旧諸侯家であった人々の復権が企図される。
特に徳川宗家などについては、これから幕府制に相当するような体制を復興していく上での
顧問役などとして大きな役割を果たしていってもらうことが期待されるのだけども、その徳川家も含め、
旧貴族も鶏鳴狗盗の勲功者も一緒くたな華族制度やその名残りに圧されて、旧公家や旧諸侯家に
当たるような人々までもが、金権すら強大ならそれでいいブルジョワジーに毒されて、清貧主義的な
家風を乱されている可能性は大いにあるので、その点での「先祖返り」が要求されることにはなる。
(僭越が恐れられる発言はここまで)
旧華族のうちで、旧皇族や旧公家や旧諸侯家ですらなかった勲功華族などは、華族であった
ことによる権威の復興は一切認めない。三菱を創業した岩崎家のように、英米との交易で富を得た
ような家やその利権などは、そっくりそのまま、土佐山内家のような旧臣従先の所有物となる。
三井住友なども、元はといえば江戸幕府の恩恵によって富を築き上げられた豪商なのだから、
やはりその利権をそっくりそのまま、自家までも含めて徳川家あたりに返上するものとする。
609 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 20:43:08.73 0
どーでもいいがまた削除が出てるぞ
610 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 20:55:38.72 0
科挙制度のような試験登用制での体制が構築されるにしても、
やはり試験官に相当するような人々が必要になるわけだから、
それは、旧公家や旧武家に相当するような人々のうちでも、
比較的東洋教学の素養がまだ保たれている人々に、委任しなければならない。
そのためには、旧華族のうちで旧公家や旧諸侯家に相当する人々の復権が必須となる。
とはいえもちろん、東洋教学の権威が剥奪されて、洋学や聖書信仰の権威化が
のさばり始めた、幕末以降の勲功者のみそくそ復権などは全く認められない。
「選挙制」ってのは、下民による下克上を推進するための体制構造であるわけで、
下克上を全廃した封建制復刻の足がかりとしては、甚だ不適切なものであるといえる。
議会制民主主義の元凶である英米が崩壊して、専制民主主義の権威が消滅して後に、
瓦礫の山と化した被災地を復興していくようにして、封建制をも復興させるのが、
ことに、封建制復刻のための至当な手続きにはなるのだといえる。
611 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 21:05:03.13 0
自分の代わりに、全米英人が病院送りになったほうが、確実に
よりマシな地球社会や日本の未来が開かれているのだから、
これは一応だけでも報告をしておかなければならない。
でないと、自分自身の側の説明責任が果たされないから。
2chですら削除規制されるような発言は、地球上のどこに
いったって許されないだろうから、削除規制されるというのなら、
そこまでで発言を辞めるまで。それだけでも自分が
最大級の説明責任を果たしたという大義名分は獲得される。
612 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 21:29:38.58 0
ネットなんか全て停止されて、面と向かっての口述でしか意見を
述べられなくなったほうが、俺などにとってはいかほど気楽なことか。
それでこそ、ことの肝要だけを的確にも表現できるというもの。
ただ、権力犯罪者が、面と向かって俺の言うことを聞いたりすれば、
それだけでもショック死する恐れがあるし、その場では死ななくても、
あとあと精神的負担が蓄積して自殺してしまったりする恐れがやはりある。
権力犯罪者とまではいかない平民でも、精神病などにやられる可能性が高いし、
本人自身も気づかないうちでの、呪いにかかっての破滅などが危ぶまれる。
だから、米英崩壊を発端とした封建制の復刻にでも依らないことには、
俺との安全な意見の交わしあいですらもが覚束ないというのがある。
613 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 22:43:35.63 0
道理のわからないお方だな。力の支配というものが、お分かりにならない
のかな? なぜ、幕末の人たちが「尊皇攘夷」とか言って置きながら
開国し、「文明開化」路線に走ったか? あきらかに彼我の力の差を
悟ったからじゃないか。 そんな中学生でも知っていることを説明せにゃ
ならんのか? 理屈じゃなくて、力が必要だったけど、わが「神国」日本は
無力だったんですよ。。。
あなたは、いまから、民主主義を廃止し、核武装して、最強の軍事国家に
日本がなる、なれる。。。と主調するつもりかな?
そうではなくて、中国とインドに期待して、みずからは「漁夫の利」を
得る。。。という戦略ですかな。
前者は、空想物語だし、後者だとしたら、情けない。
戦略ではない。天命だ。
縁起だとってもいい。
616 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 23:07:05.43 0
・・いや、今はイランを盟主とするイスラム圏もあるから、
中国、インド、イスラムを組ませて、対英米包囲網をひくのか。
ありえなくはないが、戦争になる。君のような好戦主義者は
この世から消えてなくなればいい。
次の大戦では人類が間違いなく滅びる。
そこんとこお忘れなく。
がんじがらめの包囲網による敗北でもないと、
ワンコのほうも気が済まないんだろう。
619 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 23:34:48.20 0
て言うか、人類が滅びて、なにか楽しい事でもあるのか?
・・自分があまりにもさえないので、空想のなかだけでも人類を
破滅させたいのか?
なら、SFでも書くんだな。
人類を滅亡させたいのも、そうしようとしてるのも、その能力を持っているのも英米のほうだものな。
人類を存続させたいのも、そうしようとしてるのも、その能力を持っているのも俺のほうでしかない。
621 :
考える名無しさん:2011/04/04(月) 23:51:18.27 0
ふん。人類は、フツーに存続しますが、何か?
君の存在など、人類は気にも留めるものかよ。
フツーに、人類は、あと100万年ほどは存続しますね。
地下シェルターで100万年を生き延びるのは、さすがに難しかろうがな。
623 :
考える名無しさん:2011/04/05(火) 07:55:49.74 0
・・各国の好戦主義者どうしが、一同に集まって、殺し合いでもなんでも
すればいいだろ??
なんで、大多数の平和主義者を巻き添えにする戦争を起こそうとするのか。
君はたんなる2ch妄想者だが、問題思想をたれ流し続けているので
一応、公安に通報しておいた。
624 :
考える名無しさん:2011/04/05(火) 07:58:35.68 0
もっとも公安自体、ちょっと危ないが(苦笑)。
次の大戦では人類が確実に滅亡するので、大戦勃発後の事態の収拾はあり得ない。
一方で、英米やイスラエルの人類に対する勝利もまた、大戦後にしかあり得ない。
全人類を滅亡に追いやった上で、自分たちの一部だけが
核シェルターに閉じこもって余命をつなぐ、不毛の勝利。
もちろんそれは人類の側が希望するところではなく、
そうなる以前に英米やイスラエルが崩壊宣言をしてムスリム世界裁判所などに出頭し、
国家消滅や総員禁治産国化などの条件を受け入れることで、
大戦勃発とまではいかないうちでの、未然の勝利に持ち込むことが本望。
それでも、人類の側は英米などに勝利できる。
人類を滅亡でもさせない限りはもはや勝ち目がないのも、英米の側のみ。
全面戦争を引き起こすことで英米やイスラエルが全人類に勝利し、もって人類が滅亡するか、
それ以前に英米やイスラエルが自壊して降伏し、もって人類が存続するかの、二つに一つ。
そもそも大戦勃発後の人類の存続などからしてあり得ないから、
戦って勝つことでの勝利などを本気で考えてはいない。だから東洋諸国の軍隊は弱い。
実物上からも、全人類を滅亡させる規模の軍備を敷いているのも英米や
イスラエルの側だけなのだから、どうあがいたって人類滅亡の元凶もあっちでしかあり得ない。
「がんじがらめの包囲網」ってのも、大戦勃発以後ではなく、それ以前からの
地球社会全体の情勢全般がその役割を果たしているのであり、大戦勃発後の勝利のため
ではなく、それ以前に英米などの完全降伏へと持ち込むための包囲網でこそある。
大工屋の倅は決して危ない橋を渡らない。
ただし、実の息子や孫である場合に限る。
「娼婦の私生児で育ての親が大工」とかだと、
土建屋のうだるような保守主義に反発して、
かえって極端な好戦主義に走ってしまう可能性もある。
実父が失敗した治水事業を成功させることで王朝の創始者ともなった
夏の禹王のように、本人自身に家業を継いでいくぐらいの意思が
なければ、賤業扱いされやすい土建業への反意すら生じかねない。
629 :
考える名無しさん:2011/04/05(火) 22:36:18.41 O
おい、ワンコども、さっさと応答せえや。
630 :
考える名無しさん:2011/04/05(火) 23:30:15.74 0
ムスリム世界裁判所って、どこにあるのか教えてくれよ。
・・人類は滅亡しないって、言ってんの。はやく、病院にいきなさい。
相当、悪性の精神分裂病だから、完治は難しいかもな。ここまで進行すると。
まあ、両親に養われてるみたいだから、そのまま座敷牢生活を続けるんだね。
結婚なんて、夢のまた夢。
631 :
考える名無しさん:2011/04/05(火) 23:43:41.10 0
だいたい、日本人がイスラムに改宗するわけないだろ。
自分たちが信じもしない勢力同士の争いに、日本人がどうからむのよ?
結局、狡猾に立ち回って、漁夫の利か? ずいぶん情けない
プライドのかけらさえ感じられないストーリーだねぇ。。。
結局、戦争商人になって稼ぐ・・って話だろ? まったく生臭い
恥も外聞もない日本の未来図ですねぇ。。。君のは。
人の発言を1割と理解せず、そこに9割以上の曲解を加えて適当な意見を垂れ流す。
そんな詭弁の塊みたいな文章の内容には何の価値もない。
ただ、100%無価値な駄文の羅列によって、会話不能な廃人でありながら
一方的な圧力だけはかけてくる救いようのなさをひけらかすことで、
まともな人間関係を滞らせるという確かな目的は備わっている。
元よりそういった、言論テロのペースには一切応じず、
発言行為を含むあらゆる抵抗活動を放棄して、従順な処分対象に
なるところからしか、親身になって応対することもない。
633 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 09:43:38.11 0
本人自身もそのつもりで書いたのではないだろうが、
「人類は滅亡しない」ってのが、英米らの敗北宣言とも同等になっている。
ただ人類を滅亡へと追いやる重権力犯罪の推進によってでしか勝利を
勝ち得ないのが米英やイスラエルなのだから、人類が滅亡しないことを
保証するということは、英米などが自分たちの敗北を受け入れるということだ。
よくわかった。
敗北宣言はもう済んだんで、後は崩壊宣言やムスリム世界裁判所への
出頭などの事務手続きに入るだけ。当該の裁判所はイスラム諸国が運営を盟約
しているだけの段階の存在なので、「出頭しますので設置をよろしくお願いします」
などの要請を行うための特使を派遣するところからでも始めなければならないだろう。
634 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 09:56:58.92 0
この期に及んで、まだ結婚するつもりでいるのが痛いな。
さすがは全身性器の婦女子。
畜生働きの火付盗賊の娘との縁談など、
火盗改の同心は愚か、奉行所の捕り方だってお断りだ。
635 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 11:09:04.08 0
「大乗起信論」の訳文を読み終わった。
論書としての意味をよく理解するためにも、訳文のほうを優先したが、それでも理論面などに
おける難解で不明瞭な記述が数多く、全てを理解できたとは到底言いがたい(仏典はいつもそうだが)。
ただ、修行や信仰などの実践面に関する記述は極めて明瞭で、座禅や念仏の由来もよく理解することができた。
しかし、
「〔三昧を修習中、場合によって、〕衆生に善根を育てる力がないときには、魔神や外教の徒、
ないし鬼神によって誘惑されることがある。〔かれら魔神たちは、その人の〕座禅中に〔そのおもいの中に〕
形を現して恐怖させ、あるいは端正な男女の姿を現して〔執着を起こさせる〕。(中略)人に過去の諸々の
前生の出来事はかくかくであったと知らせ、未来の世はしかじかならんと予知し、他者の心を知る神通力を得させて、
弁舌自在にしておいて、〔かくておのが能力に慢心をおこして〕衆生が世間の名利に貪着するようにしむける。
あるいはまた、人がすぐいかったり、喜んだりして性情を不安定にさせたり、あるいは、慈愛過多や、
眠気が多く、病がちで怠惰にさせたり、あるいは突然に精進するかと思うと、たちまちにやめてしまうなど
〔気まぐれに〕させたり、あるいは、不信の念を起こさせ、疑い深く、〔他事に〕気を配りすぎたりさせ、
あるいは、根本の勝れた正行を捨てて、末梢的な雑行を修めさせたり、または、世間の業務にかかずらわせて、
いろいろの束縛をつくらせたりする。その他、さまざまの似而非なる三昧を得させたりする場合があるが、
こういったことはすべて、外教の修行によって獲得することで、決して、真の三昧とは言えない」
(岩波文庫「大乗起信論」現代語訳 第四段 信心の修行 禅定に伴う魔事より)
あまりにも思い当たるところがあり過ぎな、これらの記述。
とてもとても、推測だけで論じたとは思えない、諸々の具体的な禅定に対する差し障り。
決して仏道の範疇ではないとは思っていたが、まさにその通りであり、しかも仏道の側に看破されきっている。
636 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 12:22:21.29 0
信仰は、最低限の教学の実践であり、信仰すらないところにまともな実践もまたあり得ない。
そして信仰にも多くの種類があり、正しい信仰もあれば誤った信仰もある。
上記のような、仏道に違反する現象をもたらす外教への信仰は、当然仏道への
信仰とも相容れず、どちらかの信仰を採る以上はもう一方の信仰を捨て去る必要がある。
上記のような現象を司る外教を信仰する以上は、念仏だって効力を持ちやしない。
現代人のうちで、上記のような現象への耽溺を十分な排斥対象にしている人間は
ほとんど一人だっていやしないから、ただの信仰ですらもが仏道に向かうことはない。
仏道も神道も完全なる埒外に、自分たち自身が追いやってしまっているのに、
それで「神も仏もあったもじゃない」とかいうのは、自分たち自身が神仏への信仰資格を
捨て去った張本人であることを忘れた上でほざく大欺瞞であり、相応の資格と共に神仏への
帰依を実現できたなら、ただ他力本願な信仰の対象とするだけでも、十分な利益が得られる。
637 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 12:34:55.45 0
まさに、仏道への帰依を信仰から根絶やしにすることで発展してきたのが
近現代文明であるといえ、近現代文明の無軌道な発展に対する十分な反省が
行き届かなければ、信仰レベルの仏道帰依の復興ですらもが叶わない。
それこそ、近現代文明発展の主導者でもある英米が崩壊することで、
誰しもが近現代文明の発展を猛省する機会にも与れることともなって、
それでこそ可能となる、仏道帰依という選択肢もまた開かれていくこととなる。
害悪の元凶が消滅することにより、人類滅亡の危機が払拭されて、
石油利権の崩壊による核融合発電の実用化などの、一部産業発展までもが見込め、
挙句には、無軌道な文明発展への反省による仏道帰依の選択肢までもが取り戻される。
まさに百利あって一害もないのが、現人類社会における
あらゆる害悪の元凶である、英米やイスラエルの崩壊であるといえる。
638 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 13:10:48.65 0
念仏信仰レベルの、仏道帰依の選択肢すらもが根絶やしにされているってことは、
一旦仏門が復興すれば、念仏みたいな、最も簡単な部分からの復興も叶うってことだ。
>>635のような外教による洗脳操作が、外教の崩壊によって根絶されて、
洗脳の誘惑を三昧だと勘違いしていた、人々の心にはポッカリと大穴ができる。
その大穴を満たすための救済の手段が、それこそ念仏からですら開かれている。
真如三昧修習の功徳:
一、つねに十方世界の諸仏・諸菩薩によって守られる。
二、諸魔、悪鬼によって恐怖させられない。
三、九十五種の外教や、鬼神によって惑わされることがない。
四、甚深な仏の教えを誹謗することがなくなり、重い罪障も次第に稀薄となる。
五、一切の疑念と、誤った探究心や観察心(覚醒)が消滅する。
六、如来に対する信が増加する。
七、憂い、悔恨の心を離れ、生死流転中にあっても、勇敢につとめて倦まない。
八、その心が柔和となり、驕りの心を捨て、他人に悩まされなくなる。
九、まだ〔究極の〕心の安定に至らないでも、いつでも、どんな対象に対しても、煩悩を減らすことができ、世間的なことに欲望をもたなくなる。
十、ひとたび三昧に入れば、外界の一切の音声に驚かされない。
(岩波文庫「大乗起信論」現代語訳より)
あまりにも簡単だが、確かな効果もある。
権力犯罪のような妄動が誘発されないぶんだけ、外教による偽りの三昧をあてがわれて
いる場合よりも確実に穏健ともなれて、社会的な害益度でも遥かに有益無害となれるから、
たとえ在家信仰者としてであっても、仏道に帰依する功徳は極めて大きなものとなる。
639 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 13:36:16.28 0
出家する以上は、女に対してですら剃髪を要求する仏教は、
性欲たらたらな現代文化との相性なども決してよくない。
かくいう俺ですら、仏門への自力での帰依は全く諦めていて、
せいぜい実践は念仏までにしておこうと思っているわけで、
儒学や神道を復興する主導者にはなれても、仏道復興の
代表者にまではなれないだろうと、始めから観念しきっている。
廃仏毀釈後の冷遇下で、系統の存続のために仕方なく世襲制
を取り入れたり、葬式仏教と化してしまったりしている現今の
仏門が、そのまま仏道復興の旗頭になるのも難しかろうから、
俺も聖徳太子のようなアマチュアの支援者としては、なるべく
携わっていこうとは思っている。ただ、決して自分自身が仏法の
体得者となるわけではないので、後の世に空海や道元のような、
体得レベルでの仏道の復興者が現れてくれるのを願うばかり。
640 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 13:51:11.00 0
正直、仏道の自力作善は、美男美女には向かない。
それこそ、一部のお笑い芸人ぐらいに見栄えのしないような男女が
本物の聖人になるための選択手段として、格好なのが仏道でもある。
洋の東西や南北を問わず、醜男醜女ってのはどこにでもいるわけで、
外見的不遇者として産まれてきた哀しみを、お笑い芸や悪魔信仰の修習に
振り向けるぐらいなら、仏道の修習にでも振り向けたほうがよっぽどいい。
見た目の美しさこそは全てみたいな考え方も、物質主義が蔓延した近現代に
特有の病理であり、見た目の美醜ばかりが全てではないことを、より高尚な
理念によって実践的に証明していくことが、仏道などによって可能となる。
見た目のコンプレックスからなるルサンチマンの蓄積などを抑えるためにも、
仏道こそは、整形手術や利殖行為以上もの効能を発揮することとなる。
>>640 いちおう警告しておきますが、
かなりおかしな方向に向かってますよ、仏道理解が。
仏教から思想を展開してはならないというのは鉄則です。
642 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 14:28:51.71 0
新儒学などには、仏道全般に対する他所様的な批評も結構あるがな。
じゃあ一応、仏道からは話を外すが、
以前「皇室の人々の見た目が好きじゃない」だ何だの意見があった。
しかし、皇室や宮家こそはかつて、美女の囲い込みなどに関して
思うがままでいられた最たる家柄なのであり、俺の先祖の藤原氏なども、
皇室に娘を嫁がせる家柄としてこそ発展していったところもあるわけだ。
しかし、平安時代の美人画などを見てみれば、今ではむしろ
ブスのうちに入れられるような顔立ちの女が美人扱いだったりする。
当時の価値観において美人だった女などを囲っていたから、
今の皇室の人々なども、古風な顔立ちである場合が多い。
見た目の美醜などは、所詮は流行り廃りに左右されるものであり、
平安時代どころか、1980年代のファッションですら、もはや古臭い。
別に見た目の美しさばかりを追い求めているわけではないが、
相の吉祥さなどを追い求めた結果、獲得された普遍的な外貌、
寺社や仏像や日本の刀剣などの意匠のほうが、普遍的な価値を
帯びてもいる。相の吉凶というより普遍的な外見的価値基準があるから、
美醜程度の瑣末な価値基準にもまた囚われないであって、決して
「見た目に囚われない」というところばかりに止まっているわけでもない。
643 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 16:58:38.08 0
>>638で引用した「真如三昧修習の功徳」で、大乗仏教帰依の具体的な効能がよくわかった。
どれもひどく思い当たるようなものばかりで、念仏や座禅に込められていた秘儀が
決して当てずっぽうなどではない、確信的なものであることを思い知らされた。
ただ、仏教帰依の効能に、「死への恐怖の克服」というものが、安易に組み込まれていないことも分かった。
>638の七にあるとおり、生死流転のさ中にある限りにおいては、死への恐怖に立ち向かう勇猛さが保たれる
ことが保証されるまでであり、死への恐怖が根絶やしにされるようなことは、決して保証していない。
輪廻を断滅しての涅槃へと向かうお釈迦様ですら、臨終の間際に「死にたくない」という恐怖を抱いたという。
充実した生を謳歌した上で、最も安穏な死へと向かう場合ですら、死への恐怖が完全に克服されるわけではない。
それこそ、死への恐怖すらも克服する手段なんてのは、自らを心神喪失状態にでも追い込むぐらいしか
ないわけで、その心神喪失状態こそは、存命中における放辟邪侈などの妄動をも派生させるものであるのだから、
むしろ自らの死を恐れられるぐらいに、正気を保てたままの生死を企図する、仏教のよしとするところなどではない。
644 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 17:01:52.24 0
俺にだって、「死にたくない」という気持ちはある。長年の自力修養で、相当に死への恐怖を
「適正化」できているほうではあるだろうが、それでも死への恐怖がなくなったりはしない。
それはそもそも最適化された死への恐怖もまた、全くの無恐怖などではないからでもある。
自分たちが根城としている米英を崩壊させて、全ての罪を清算する以上は、トップとしての
責任を取って自殺しなければならないような連中にだって、当然、死への恐怖はあるだろう。
それどころか、人一倍生への執着が激しかったぶんだけ、死への恐怖もまた激烈なものだろう。
死への恐怖を安易に捨て去らせることではなく、適正化させて生存中の妄動を抑制させるのが
仏教などに代表される東洋教学の特質であるからして、完全なる自殺の恐怖からの脱却などを
東洋教学に期待することもまた間違っていて、一部のインド哲学を自殺の正当化のために利用した
ショーペンハウアーの考え方もまた、誤っている。(ただし異端の東教にはそういうものも一応ある)
俺だって死にたくないし、おまえらだって死にたくない。ただ、俺にはいま自殺したりする
必要がないのに対し、おまえらには、人類の滅亡を食い止めるために自殺する必要がある。
おまえらが自殺する必要があるのは、東洋教学ではなく、洋学や聖書教を貪り続けてきたことによる
自業自得なのであって、東洋教学がおまえらの罪障を安易に滅してくれることもなければ(
>>638の四参照)、
自殺する恐怖を完全に滅してくれたりすることもない。むしろ罪障や恐怖を安易に消滅させることの不可能性をこそ
明証しており、軽減させるにしても、それなりの手順を踏んでいかなければならないことをこそ保証している。
罪を犯しながら簡単に免れようとする、恐怖すべきことですら気の紛らわしで平気でいようとする、
そのような安易さ全般を戒めることもまた東洋教学の務めであり、そのような安易さを増長させようとする
性向からして洋学や聖書教の性分なのだから、洋学や聖書教に特有の悪癖から卒業するためにも、
安易さばかりに執着する稚拙な論理全般から脱却していかなければならない。
645 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 19:14:51.00 0
英米の目的が、「人類の絶滅」ってなんだよ?
それが、「妄想」以外のなにものでもないだろ?
すなおに「でたらめを申しました。ゴメンナサイ。」と謝るのがイヤなのか?
それでは、1行目の君の命題を、充分な紙幅を費やして、証明してもらおうか。
あきらかに、正常人に理解可能な命題ではないのでね。
全人類には、英米自身も含まれるだろう?
英米が人類を巻き込んでまで、集団自殺を意思している、という君の主張を
明晰判明に、証明してみたまえ。
「人類の滅亡」か、「人類を滅亡寸前にまで追い込んでの、
自分たち自身の放辟邪侈の追求」かの、いずれかだ。
後者であるなら、いい加減年貢の納め時が来ているわけだが、
いずれにしろ、大して上等な「生きる目的」ではなかったな。
仏道についての私の率直な感想
悟り というといかにもカッコイイ感じはするけども、諦めから始まって諦めで終わっている感 が拭えない
648 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 19:28:45.66 0
・・仏教は、自力本願が本質だろ。シッタルタはそうだったわけだ。
他力本願は、ほんとうの仏教というよりも、仏教から派生した
副作用とでも呼ぶべきものだな。亜仏教とでも呼ぶか。
原始キリスト教との習合だ。。という可能性も非常に高い。・・と
言うか、実際、そうだろう。
649 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 19:33:00.02 0
ごちゃごちゃ、言い訳してないで、証明するか、謝罪するか
したまえ。
西 東
キリスト教←拝火教→仏 教
日ユ同祖論者や浄土教キリスト教同祖論者は、
東西の境目にザラスシュトラがいたことを
なぜか一様に無視しようとする。
謝罪と、賠償。
あり得ないことなのに、
キリスト韓国人説だけは、かなりの信憑性が感じられる。
まあ、今の朝鮮半島情勢が、
パレスチナ・イスラエル情勢に合わせて
無理に捏造されたものでもあるからなのだろうが。
652 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 19:39:49.30 0
かんたんだろ? いいかげんな口からでまかせを言って
ごめんなさい。。だろ?
親に教わらなかったのかい。
自分が間違ってたって絶対に謝らず、訴訟や戦争にでも持ち込んで、
むしろ自分たちのほうが利益をせしめるのが米英の流儀だろ?
654 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 22:26:29.75 0
どうして、英米が人類を巻き込んでまで、自殺することを目的にするの?
655 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 22:43:36.33 0
長文は、君の得意ではなかったのかな。
・・いま、準備中なのか。期待してるよ。
>>654 妾腹の私生児の、自暴自棄にかられた自殺行為に感化されてだろ?
もっとも、妾腹の私生児だからといって絶対に救われようがないわけではなく、
自学自習の積み重ねによって、大道徳学者として大成する途もまた開かれていたわけだが。
長文での説明は一通りも二通りもすでにし尽くされているから、それを自分で
読み返そうともしないコマッタちゃんに、あえて短文で応答してやってるわけだが。
657 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 22:55:50.99 0
・・ほんとうにわからないから、素朴に聞くんだが、
赤子も含めたアメリカの全人口が、犯罪者なのか?
だとしたら、はじめて聞くニュースなので、超・驚きなのだが。
658 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 22:58:23.08 0
あらためて、レジュメしてくれてもいいだろう?
こちらも、それほど暇じゃないんでね。
レジュメするいい機会だろう?
659 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 23:06:36.12 0
>>656 ・・ほう。それはまたじつに崇高な動機・・とはいえないかな。
まあ、異教徒を巻き込んじゃいかんがね。
それに実際には、そんな動機で死ぬのはイヤダ、と思うアメリカ人が
大多数だと思うが、違うかね?
660 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 23:18:27.00 0
それに、自暴自棄にかられた自殺行為というのも、誤った解釈だな。
イエス自身は、最大の奇蹟。つまり、神の軍団の降下による神の国の
開始。を信じていたのだと思う。
そのためには、自分の十字架上での死が必要なのだ。。とな。
それは、イエスの考えていたようなやりかたでは実現はしなかったが。
いまなお、われわれは「イエスの夢」のなかを生きているのだ。
君など、比較にもならぬ超天才であったことだけは確かだよ。
661 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 23:24:17.60 0
>>657 全アメリカ国民やイギリス国民を重権力犯罪の有罪犯として認定するんなら、その米英と
つるんで資本主義の甘い蜜を吸ってきた、日本や欧州の国民だって有罪のうちに入れられるだろう。
ただ、あまりにも犯人が多すぎる大犯罪ってのは、全員を処罰する目処も立たないから、
一部の責任者を厳罰に処して、後は恩赦で放免するというのが、前漢初期の武帝による、
数百万人規模での贋金作りに対する処分の判例などからも妥当とされる。(「史記」平準書参照)
だから、今までの重権力犯罪の責任を背負わせた結果としての刑事処分は、米英にしろ日欧にしろ、
ほんの一部の最高責任者だけに対するものとなるだろう。後の人間はみな、今までの罪状については
恩赦によって放免されるなどすることになる。ただ、それでも米英や欧州といった諸国の今の土壌が、
新たな重権力犯罪を再発させかねないほどにも文化的に汚染されたままの状態でいるから、
二度と同じ過ちを繰り返さないという確証が得られる間までの、
禁治産や参政権剥奪といった民事処分が科せられることとなる。
自国民の多くが贋金作りに奔走していたことを憂慮した武帝も、ほとんどの犯人を恩赦で
放免はしたものの、決してそれだけではダメだと思ったから、高祖や呂后や文帝のころから
代々続けられてきた道家的統治を改めて、孔子が体系化した五経を基本とした儒家統治へと、
漢帝国の統治理念を変更させることとなった。多くの犯罪者を恩赦で放免する以上は、
事件の再発防止のための多くの手立てが賄われる必要がある。その内に入るのが現米英国民に
対する禁治産措置だったり、欧州人やロシア人に対する参政権剥奪措置だったりするのみ。
>>660 妾腹の私生児の自暴自棄が引き起こした世界的乱脈の処分も、
これまた妾腹の私生児が体系化した、五経などの道徳学に依るわけでね。
必要だったのは「神の軍団」などではなく、
妾腹の私生児自身の自重だったことが確か。
662 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 23:40:46.06 0
・・だからどういう罪なんだよ。証明って言葉の意味がわかっていないな。
まず、なんの罪なんだか、はっきりさせろよ。
あいまいな言辞を弄するのが「東洋風」というやつなのか?
どうも、そうらしいな。
663 :
考える名無しさん:2011/04/06(水) 23:53:56.74 0
664 :
考える名無しさん:2011/04/07(木) 00:01:39.16 0
なんのことだか、わかりませんな。わざとわかりにくい四文字熟語とか
使うし。その韜晦、ちっとも笑えないんですけど?
・・やはり日本語が不自由な北鮮のひとなのかな?
藤原氏の後裔だなんて真っ赤なうそ、ついて。
まっとうな日本人はそんなおかしな日本語、使いませんよ?
665 :
考える名無しさん:2011/04/07(木) 00:07:38.31 0
自分たち自身の過ちへの糾弾を糧に、イラク侵攻のような
さらなる利権の貪りを活性化させるのが、米英の流儀だものな。
ソファにふんぞり返って人の言うことを聞くような、不誠実者の
内心を感応させるような言葉は、その不誠実を助長させるだけだ。
腐った大人の行き詰まり
鳥を使った呪いの数々
力の論理を上回る、絶体絶命の論理
670 :
考える名無しさん:2011/04/07(木) 12:53:42.71 0
若いうちだけ腐った大人を嫌っといて、
年取った途端に今度は自分が腐った大人になる。
むしろ、腐った大人であろうとも、年配者であることに
対する程度の敬いは抱いて、自分自身が大人になるや
先代の過ちを着実に改めていくぐらいでないといけない。
671 :
考える名無しさん:2011/04/07(木) 13:27:54.54 0
妾腹の子ってのは、家督相続者としての立場も定まっていないことなどから、
かえって個人的な父親への依存心を募らせる場合が多いようだ。
ただ、妾腹の私生児ともなれば、父親が誰かも分からないでいて、
なおかつ父親に相当する相手への依存心を募らせるから、
依存症気味でいて自家撞着だらけな、おかしな言行の基にもなりやすい。
その点、自力で父親の身元を調べ上げて墓参りを果たし、
亡き母をも父の墓に合葬して父子の親を守り抜いた孔子たるや、確かに
実践面での超人であったのかもしれない。その発言は真人間そのものなのに。
天のなせるわざわいはなおさくべし。
自らのなせるわざわいはのがるべからず。
呪うんなら、逆境に打ち克つ自助努力すらも怠った
自分自身を呪わなければならない。じーざすは。
勝ち負けでいえば、勝たねばならぬ。
もちろん勝ち負けなんてのは稚拙な部分であり、
公式に勝ち負けが論じ立てられることも、倫理的要求によって忌避されるわけだが、
ことに、勝ち負けでいうのなら、我が勝つことで彼を負かさねばならぬ。
でないと人類が滅びるから。
しかし、勝つにしたって、決して殺しを欲したり、楽しんだりしてはならぬ。
蚊や蝿ですら決して殺すまいとするのはジャイナ教あたりの論理であり、
それはそれで中正さを欠いた異端の有り方だといえるが、
たとえ蚊や蝿程度の異生を殺すのであっても、決してそれを
無闇に欲したりしてはならないし、また殺したことを楽しんだりしていてはならない。
必要があっての狩りは為されて然るべきだが、ただの遊興目的の狩りなどはすべきでない。
なればこそ、殺しを踏まえることが不可避なる勝利などを、
必要にかられて得るようなことはあっても、自ら欲したり、得られたことを楽しんだりしていてはいけない。
675 :
考える名無しさん:2011/04/07(木) 21:16:54.29 0
これから、“力”がねじ伏せられる。
とはいえ、力がより大きな力によってねじ伏せられるのではなく、
地球上でも最大級の力が、より次元の高い、ある種の理法によってねじ伏せられる。
もちろん、完膚なきまでにねじ伏せられるのであり、
その容赦なさたるや、力が力をねじ伏せる場合並みか、それ以上となる。
最大級の力が、力ですらないものにねじ伏せられる瞬間を見届ける行司と
なれただけでも、倦み疲れた衆生のさ中にあっては、恵まれているほうだといえる。
676 :
考える名無しさん:2011/04/08(金) 05:52:02.09 0
・・そして、家系だとか、家名だとかいうくだらない妄想は一掃される
わけだ。やっと、すっきりするね。完全な民衆権力の時代が到来する。。
のだろう?
そりゃあもう、きみが指摘するまでもなく、歴史の流れがそうなっている
もの。最終的には、家族の全廃までいくのかな? 子供は、親のものでは
なく、生まれた時から、社会の一員になるのだ。まあ、10世紀はかかる
かも知れないね。。。
677 :
考える名無しさん:2011/04/08(金) 11:43:44.81 0
「力がねじ伏せられる」といっているのに、
「力の勝利」で話を合わせてこようとする意味が分からんが。
孔子も自分で父方の身元を調べ上げなければ、どこの馬の骨とも知れない私生児止まりだったわけだが、
自ら親戚に聞き出すなどして、宋国の大名級の貴族の血筋であったことを知り、元々の家柄の高貴さからなる
責任感にもかられて、古代中国の伝統にも深く根ざした、儒学の正典である五経を編纂した。(ただし「礼記」
だけは実践込みの継承であり、前漢の載聖が書籍化するまで、単なる書物としての扱いは受けていなかった)
本人自身の著述ではないにしろ、孔子やその門弟の言行録である「論語」も、人が人としていかにあるべきかを
相応の品性に根ざしたあり方として提示しているわけで、これもやはり、孔子らが自らの由緒を先祖にまで遡って
十分な尊重の対象とし、先祖の供養や親の葬礼などについてもよくよく専念していたことの功徳だといえる。
先祖や親やその家柄に対する尊重の有無が、本人自身の言行の巧拙についても、孔子とイエスほどもの
落差を生むわけで、実の父祖への尊重をも欠かさなかった孔子の言行のほうが遥かに優良であり、
脳内超越神を父だと思い込んだイエスの言行のほうが遥かに劣悪であることからも、本人自身の
個人的な大成のためにも、先祖やその家系に対する尊重があったほうがいいのだということがわかる。
678 :
考える名無しさん:2011/04/08(金) 12:16:40.12 0
なぜ、力が力以外のものによってねじ伏せられるのかといえば、
この宇宙の総体エネルギーは、重力を除けば「〇」だからだ。
重力は全て「引力」であり、斥力」である重力(反重力)は存在しない。
重力に対しては落水のように素直である一方で、自らは余分な力を溜め込まないのが
この宇宙の理法を体得する上での秘訣であり、爆発力や熱量のような一方的な
エネルギーを溜め込むことは、それだけ宇宙の理法に反する無理ともなるから。
不自然かつ一概な力を溜め込むことが、それだけでも自業自得による自滅を
呼び込む原因となるのであり、そこに超越者の介在などを想定する必要もない。
ただ、自己完結装置としてのこの宇宙の運転法則に背く我流の暴走が、全くの自業自得
によって破滅することが、ある種の理法によるねじ伏せとも形容できなくはないだけだ。
679 :
考える名無しさん:2011/04/08(金) 12:58:30.83 0
うちも、孔子並みかそれ以上にも、没落後の期間が長い家柄なので、
人一倍、復古主義的な傾向が強いということは言えるかもしれない。
江戸時代あたりに将軍家や大名家として活躍していた家系の出身者などには、
“もはや”先祖がえりさせられることを、億劫がるような人もいるかもしれない。
そういう、先祖の記憶も生々しいぐらいの人々が、イヤイヤながら封建社会の復興を
主導していって、俺自身は孔子のような儒者止まりでいたほうがいいかもしれない。
俺自身が復興を主導すると、潔癖すぎて誰もついて来られなくなるかもしれない。
「白河の 清きに魚も住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」ということもあるから。
680 :
考える名無しさん:2011/04/08(金) 16:44:43.74 0
「力」がねじ伏せられるということは、
そこに一切の情けは無用だということだ。
冤病だろうが冤罪だろうが、
詭弁だろうが詐欺だろうが核攻撃だろうが暗殺だろうが、
それをやってどうにかなるってんなら、やるのが力の論理だ。
それでももう、どうにもならないから降伏するってのが、
力がねじ伏せられるってことだ。
公安とウヨクが仲がいいとかいう説話なのよ
情報戦じゃあ すでに負けてんのよ
倫理戦では 向こうが完敗してらあな
だから絶体絶命にも追い込まれている
683 :
考える名無しさん:2011/04/09(土) 20:18:20.84 0
今回の震災が、もはや虫の息状態である米英などの、「いたちの最後っ屁」的な断末魔の暴走の
一つとして引き起こされたとする。とはいえ、あの震災ですらもが、日本を即座に全壊させるほどのものではなく、
脱亜入欧後の近現代の日本社会を、東洋社会に改めて編入させ直すにちょうど都合いい程度の被害ともなっている。
手心があったからそうしたかどうかは定かでないが、いよいよ米英も本当に崩壊する段になったときにこそ、
何らの手加減も加えることなく、この日本や、日本人の一人である俺などを道連れに葬り去る可能性もある。
国体はともかく、軍備だけは今でも強大なままだから、本気でやろうとすればそれも不可能ではないだろう。
にもかかわらず、米英やユダヤが自分たちだけで自滅し、日本や俺などをあえて道連れにはしないとすれば、
そこにはやはり、それなりの実利が伴っているのだと考えられる。他者に危害を加えておくか、加えないでおくか
でいえば、ほぼ必ず危害を加えておくことばかりを選択してきた奴らだから、今回ばかりは自分たちだけで責任を
とって自己収拾したりするのだとすれば、そこには必ずそれなりの理由があるのだと仮定しなければならない。
理由があるとすれば、それはやはり、中国の過剰な台頭を食い止めるためということが予想される。
ただでさえアメリカに次ぐ経済大国だった日本が、さらに中国に追い抜かれて世界第三位にまで成り下がった今、
日本にそこまでの期待がされるなどと思うのも自己過信ではないかとも思われかねない。しかし、元より日本という国は、
アメリカからは金融資本を、中国からは技術を一方的に吸い取られるばかりの、超弱体化体制に追い込まれ続けているのであり、
中国とアメリカの板ばさみによる「前門の虎、後門の狼」状態が、アメリカからの圧力支配だけでもなくなるだけすれば、
それだけでも相当に息を吹き返すだろうことが予想され、さらには米英に支配される側ではなく、崩壊後の米英を支配する
側に回れたならば、台頭後の中国にすら、十二分な睨みを利かせることが可能になるだろうと、冷徹にすら見込まれる。
684 :
考える名無しさん:2011/04/09(土) 20:19:01.39 0
それにしたって、米英を十分な禁治産処分下におくためには、日本だけでは全く人手が足らず、
中国やインドや中東などから、9億人以上の人員を投入する必要が必ず出てくる。それと比べれば、
日本からの人員投入はせいぜい数千万人がいいところであり、多数決で言えば、処分処理後の旧米英本土で
日本や日本人が主導権を握ることはまず不可能。にもかかわらずあえて日本人が、中国人にすらも先んじて
新世界秩序の筆頭となることに意味があるとすれば、それはここ千年来の、歴史的功績の積み重ねによるだろう。
いま、日本は他の東洋諸国などと同じように、欧米社会からの深刻な文化侵略を被って、
軍事的にもアメリカの制圧下に置かれたままでいる。日本人にとって、それは甚だしく屈辱的なものであり、
もはやほとんどの日本人が、悲惨な現実から目を背けたままの状態にある。しかし、その日本の惨状ですらもが、
お隣りの中国の惨状などと比べれば、まだマシなほうであることが分かる。
近代どころか、それよりも遥かに遡る西暦12世紀には、もはやすでに異民族である女真族による征服を被り、
その後も蒙古族や満州族による立て続けの征服被害を受け、近代に入ってもアヘン戦争で英仏からの侮辱を被ったり、
大日本帝国との対戦を繰り返したりと、あまりにも数多くの国や民族からの迫害を長期に渡って被り続けている。
それでいて、中国人には他民族にも突出するほどの高いプライドがあり、しかもそのプライドが、数千年来の
豊潤な歴史文化に根ざした根拠あるものであるが故に、本人たちが捨てようたって捨てきれないものですらある。
もちろん、中華社会の没落はその文化にまで及んでいて、今の中国人たるや、自分たちの創出した秀逸な道徳文化を
日本人ほどにも受け継いではいないから、震災時に一列に並んで物資の配給を待ったり、階段の真ん中を空けて
通行人の邪魔にならないように一時避難していたりする日本人の姿を見て、驚いたりしている。(米英人などもそうだが)
685 :
考える名無しさん:2011/04/09(土) 20:19:43.14 0
古代中国の優良な道徳文化の継承は、ここ千年あたりについては、中国よりも日本のほうが行き届かせられているといえ、
四書五経の学が綿密に体系化された朱子学の受容も、官僚腐敗が横行した明代の中国などよりも、江戸時代の日本のほうが
よりうまくいっていたのだといえる。だからこそ、文化破壊が進行している今の日本ですら、千年来の文化破壊によって
禽獣の群れも同然と化してしまっている今の中国よりは、まだ道徳文化の残存の度合いが高いほうだということがいえる。
だからこそ、今の中国よりはまだ、日本が米英占領の主導国になったほうがよさそうだといえ、決して文化破壊の浸透による
国民の懐柔がより行き届いているから、中国よりも日本のほうが占領主導者になってほしいなどというわけではなかろう。
日本人とて、売られた仇はちゃんと返すのであり、怨みを決して忘れない執念深さは、江戸時代における仇討ちの公認など
からもうかがえる。今の日本人とて、屈辱の受けすぎによる思考停止のたがが外れたなら、容赦ない復讐に及びだすであろう
ことが、俺自身の毒蛇にも見紛う執念深さへの自覚からも察知できる。ただ、日本人は仇討ちに関しては、怨みを晴らすための
正当な手続きを踏むことまでもが伝統としてわきまえられているから、過剰な報復に及ぶこともまた、控えられることが保証できる。
たとえば、広島長崎に原爆を投下された怨みを晴らすために、ロサンゼルスやサンフランシスコあたりに原爆を投下する
のかといえばそんなことはせず、戦時中とはいえ、他国の民間人を何十万人と虐殺しておきながらどうとも思わない
合衆国民の気狂い加減が十分に無毒化される程度にまで、禁治産処分下での治療をあてがうなどする。
それが日本人にとっての、原爆投下に対する相応な仇討ちともなるのであり、それだけで日本人の怨みは晴らされる。
直きを以って怨みに報う(論語)、道徳文化が今でも日本には根付いているから、怨み(原爆)を以って怨み(原爆)に報う
ような可能性は日本人にはない。ただこれはあくまで、日本人に限って保証されることであり、善悪の分別を全く欠いた
禽獣の群れも同然と化している今の中国人を含む外国人については、全くこの保証の限りでない。
686 :
考える名無しさん:2011/04/09(土) 20:20:42.74 0
それこそ本当に、虐殺被害の怨みを虐殺加害で晴らそうとし、責任を取って自決した重権力犯罪者の親玉の遺体ですら、
サルの毛を移植したプラスティネーション標本にして見世物にするかもしれない。その他、九族郎党皆殺しだとか、
遺体を乾し肉にして売りに出すとか、今の中国人あたりならやりかねない。というか正直、やるだろう。
目には目を、歯に歯を、怨みには怨みをの同態復讐が世界を征服している昨今、直きを以って怨みに報う純正道徳が
未だ嗜まれているのもこの日本ぐらいでしかなく、とっくの昔に自国文化でもある道徳文化を捨ててしまっている
中国人あたりに主導権を明け渡した時点で、地面を血で真っ赤に染め上げる日常すらもが現出することだろう。
687 :
考える名無しさん:2011/04/09(土) 20:21:39.90 0
中国人が、これまでの歴史で与えられてきた屈辱は先述のとおり、千年近くもの間に、数多の諸国を相手としたものであり、
ちょっとやそっとの仇討ちによって晴らしきれるものではなく、だからこそ報復過剰に走る危険性もきわめて高い。
一方で、日本人が今までの歴史において受けてきた屈辱は、致命的なものにかぎっていえば、ペリーやグラバーを発端とした
米英からの近現代における侮辱に限られている。それ以前はといえば、カトリックの宣教師が日本人の百姓を奴隷として
海外に売り渡そうとしていたのに憤慨して、豊臣秀吉がキリシタン禁教を布令するなど、それなりの外圧駆除に成功している。
外圧の適切な排除すら叶わずに、一方的な侵略を被り始めたのは近現代に限っての話であり、
しかも個別の国家としてみれば、日本に致命的な恥辱を与えたのは、現時点では米英二国に限るものであるからして、
(ロシアにも相当な恥辱を与えられたが、すでに崩壊して絶対的な権力は失ってしまっている)
米英すらロシアの後を追って崩壊すれば、日本人にとっては、全ての怨みが晴らされる機縁となる。
米英が崩壊し、西洋社会の絶対的強大さが瓦解した後においてですら、女真族や蒙古族や満州族といった
東洋民族からの征服支配による恥辱すら被ってきた、中国人の怨みが完全に晴らされる目処は立たない。
それと比べれば、米英すら崩壊すれば、潜在しているものまでも含めて、全ての怨みを晴らすことの目処が立つ日本人のほうが、
余計なとばっちりを撒き散らしつつの、陰惨な征服支配にまで手を出さないことを保証しやすいから、西洋社会衰退後の
地球社会の主導者として、現時点における世界最大の国である中国以上も、日本のほうが適当であるということがいえる。
688 :
考える名無しさん:2011/04/10(日) 12:54:20.89 0
中国の台頭自体は、もう避けられないことだ。
中国人を絶滅させるどころか、弱体化する程度にその人数を減らすための攻撃によってですら
全人類を巻き添えにしての破滅が免れ得ない。それほどにも中国が巨大化していることも、
毛沢東あたりの確信犯であり、その毛沢東も列子などの道家思想を確かなより所ともしている。
蛮族匈奴を滅亡に追い込んだ武帝期の中国たるや、ローマ帝国やアレクサンドロス東征期の
ギリシャなどよりも遥かに強大でもあったのであり、あの頃からの思想文化的伝統までをも踏まえて
今の中国も強大化してしまっているのだから、それは確かに着実な戦略の成果だと認めざるを得ない。
とはいえ今の中国はやはり、文化大革命などによって多大なる文化的荒廃をも来たしてしまっており、
特に穏健な王化支配を実現するための、道徳文化や礼儀文化が全くの反故と化してしまっている。
だからこそ、今の中国がそのまま台頭していくことが世界的にも恐れられているのであり、
道家や法家や兵家といった、戦略的に強大となるための伝統文化ばかりを振りかざしたままに
中国が世界の覇王と化してしまうことが、アメリカが天下に覇を唱えている現代並みに
世界を荒廃させたままでいかねないことが、何よりの脅威として捉えられている。
力の面で、中国が欧米をねじ伏せるのは、力による力のねじ伏せであって、それは俺のいう、
「力を超えた理法による力全般のねじ伏せ」とは大いに意味を異にしている。力が力をねじ伏せる
力の論理全般を超えたところに、俺の言わんとする新世界秩序の肝要もまた備わっていて、
ただ中国のような新勢力の台頭を嵩にかかって甘い汁を吸うなどということでは全くあり得ない。
689 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 18:36:04.47 0
また、脳内「精神力」で勝つ・・というわけかな?
妄想内勝利か。患者のはなしに耳を傾けるのも、たいへんだよ。
孔子、孔子、とおっしゃるが、すくなくともある程度、近代化された社会
では、マナー、社会規範、道徳が通用しているのは、常識だと思ったがな。
中国や日本だけが、それを知ってるようなことを言うね。
ほかの国だって、基本的なヒューマニティは保たれているぜ?
きみは、アメリカの軍・官・産複合体の罪を告発すべきだったのさ。
それなら、ある程度の筋は通るからね。ただ、きみにはボキャブラリーが
足りなかったのさ。
孟子について言うなら、その思想がエマソンをはじめとするアメリカ超絶
主義と近似のものであることは、すでに指摘した。
690 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 18:47:19.66 0
それから、きみは全ムスリムを敵にまわしたね。
ムスリムたちは、イエスのことを、モーセ、アブラハムらと同格の
大預言者と認めているからね。
きみの、イエスに対するかずかずの冒涜的言辞をけっして許さない
だろうな。。
何か、言い訳があるかね。
横槍だが。
このスレでイエスを冒涜してるの誰?
イスラームでイエスは預言者の一人だが。
主イエスに対する冒涜者はどこ?
一神教は仲良くしましょう。
692 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 19:14:56.90 0
「言葉による説得」というものを、全くしようとすらしていないことに気づいてるか?
693 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 19:16:45.47 0
おなじ一神教だから、なかよくしよう。
という言い分は、ナンセンスだな。
プロテスタントは、ローマ法王の権威を認めない。
ユダヤ教も、イスラムも、イエスのメシア性を否定する。
・・これほど、立場の違う者どうしが、どう「なかよく」するのだ?
694 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 19:28:20.63 0
だったら、どんどん険悪ムードになるんだろうね。
そうにしかならないならしょうがない。
彼らもアブラハムの宗教の圏内での内輪もめが焦点だろうから
インド以東の東洋諸宗教はあまり眼中にないだろうな。
哲学の対立は一神教同士の対立と似てる。
実にそういう人々が増えると日本は滅びる。
695 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 19:28:47.19 0
立てこもり中の強盗犯に対して、
「貴様は完全に包囲されている。おとなしく武器を捨てて投降しろ」
という、一方的な警告は重ね重ねし続けている。
しかし、自分自身が犯人との交渉人(ネゴシエーター)となって、
よりよい条件での和解などを持ちかけようとした事実は一切ない。
米英総禁治産化や、欧露からの参政権剥奪なども、それが
総員廃人化社会に対する適切な処分であると心から思えるから
提示しているまでであり、そこに情けをかけようとした覚えなども一切ない。
「説得されている」なんて思い込んでいることからして全くの勘違いであり、
「核には核」などの過剰な報復体制をぶち上げるヒステリーを排する代わりに、
事後の処分は全てこちら側からの一方的なものとなることしか認めない。
罪の裁きというものは本来そういうものであり、弁護士と検察の論争を
裁判官が傍観的に裁くような、欺瞞的な善悪の同列化からして十分に劣悪なこと。
いい加減、「説得されてやる」「説得されて納得してやる」みたいな
ふんぞり返ったままでの事態の収拾などがあり得ないことに気づくがいい。
696 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 19:48:07.60 0
中国どころか、日本が崩壊するだけでも、実際のところ、
それによるドミノ倒しでのアメリカ崩壊も避けられないわな。
いま、経済的にアメリカを支えているのも、特に日本からの執拗な搾取であり、
搾取対象としての日本が崩壊すれば、それによってアメリカも必ず崩壊する。
アメリカが崩壊して日本が生き延びることはできても、日本が崩壊して
アメリカが生き延びることはできない。日米の利害は今でも一致していて、
しかもどちらかといえば、アメリカの日本に対する依存のほうが遥かに大きい。
家に引きこもって働きもしないでいるバカ息子が、一家の長すら気取った挙句に、
親を殺傷して自分自身が窮地に立たされる。日本を攻撃するアメリカもそんなもん。
俺の発言があまりにも反米的だから、日本がアメリカの敵だと勘違いしたのかも
しれないが、利害でいえば今でも日本はアメリカの味方に当たる。利害は一致してるのに
俺みたいな人間もいるのは、日米関係が仮初めの利害を超えたところで致命的な
敵対関係にあるからだが、その、利害を超えたところでの敵を打ち負かすために、
利害の部分で日本を敵に回して莫大な損失を加え、引いては自分たち自身の利益
までをも損なってしまっているのだから、それこそ自暴自棄の自業自得ってやつ。
アメリカの日本に対する依存こそは、ニートの一人や二人が、日本社会での労働に
従事する親族などに依存している度合いよりも、遥かに致命的なものなのだから、
ニートが問題を起こして家庭を崩壊させたりすることを期待してるどころじゃねえぞ。
697 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 20:04:07.40 0
この震災の真っ只中においてですら、相も変わらず円は急騰して、いま1ドル85円前後。
国内や世界中から送られている莫大な義援金も、アメリカとの交易で全て吸い取られてる。
仮に、今すぐ1ドル200円にしてくれりゃあ、あっという間に
日本も復興できるだろうが、そしたらやっぱりアメリカのほうが崩壊するだろう。
日本からの莫大な思いやり(笑)支援があってこそ、アメリカも存続を保てているのに、
その日本に攻撃を加えて半壊の危機に陥れたりしたんなら、そりゃあ「おまえら何やってんだ?」
ということに当然なるわけで、そりゃあ今回の震災がアメリカによる策謀だなどとは
口が裂けても言えないわな。今回の地震の波形が核実験に酷似しているのであってもな。
698 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 21:02:23.46 0
汎神アラーからの啓示によるムハンマドの言葉を記した、コーランの内容に反する
諸々のイエスの論述をあげつらって、「だからイエスはダメなんだ」とも断じているわけで、
コーランと啓典(新旧約聖書)の記述が食い違う場合にはコーランの記述を優先する、
ムスリムにとっての致命的な敵対の元凶となる言葉などを発しているわけではない。
ムスリムは、自分たち自身では絶対に飲酒や豚食をしないが、外国からの
旅行客が飲酒や豚食をしたからといって、迫害の対象にするわけでもない。
コーランを焼き捨てたり、アラーやムハンマドを故意に冒涜したりの、
自分たちとの相反性を確立するほどにも、ピンポイントな敵対を明確化した行為に
対してこそ、ムスリムも絶対的な報復を誓う。そこまであえてやろうとするような奴ってのは、
確かに気違え野郎に違いないと、他の東洋教学に基づいても認めざるを得ないから。
699 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 21:17:55.66 0
飲酒や豚食を厳禁でもしないことには、
数億人規模の大虐殺すらをも引き起こしてしまうのがアブラハム教徒なわけで、
カタギには奇天烈に思えるイスラムの戒律も、ヤクザ教である
アブラハム教の異常さを、アブラハム教の範疇で十分に無毒化するためには、
どうしても避けられないものであったのだろうことがうかがえる。
それらをあえて反故にはせず、かといってインド以東の東洋教学の価値を無みするわけでもない。
全てをうまいこと丸め込む宜しき理法があり、それをうまいこと説明するのは難しいが、
案ずるより生むが易しというように、うまいこと実現することにさほどの苦難もいらない。
700 :
考える名無しさん:2011/04/11(月) 23:25:27.23 0
勝利がいらないのではなく、絶対に完全なる恒久普遍の勝利しかいらないだけだ。
そんなものがないのなら、別になくてもいい。
大量に殺し回っているのに、ほとんど自分たちでは死体処理をしていない米軍。
一度も自分たちで殺したことはないのに、死体処理ばかりさせられている自衛隊。
人の死と真摯に向き合っている度合いでも、すでに自衛隊のほうが上か。
被災地の、特に大量の死体が出回ってる区域に
できる限り多くの坊主を派遣したほうがいい、というのはあるかもな。
自衛官や検死者の中には、本当に気が狂いそうになってるのもいるようだし。
真宗あたりの生臭坊主だと冷やかしかと思われかねないんで、
厳しい修行を積んだ、高野山か永平寺あたりの手練れを。
今はボランティアも許可制になっているようだから、
許可が下りないのなら行けないし、実際、行ってもいないだろうが。
703 :
考える名無しさん:2011/04/12(火) 12:08:16.70 0
アブラハム教の、ウサギかノミのような精神薄弱に順応しきってしまった人間ってのは、
本人自身は、もう二度と東洋教学レベルの、高い精神力を要求される学問宗教の理解や実践は覚束ない。
当人自身たちにとっては何代か後になる世代からやっと、多少実践できそうな子孫が生ずるかどうかってとこであり、
本人たち自身はもう、禁治産者や参政権被剥奪者などとして、依存的に東洋教学の実践に協力するぐらいしかできない。
それがあまりにも悲痛だから、元より数多の東洋教学を、本格的な実践対象候補としては議題に挙げようとすらしない。
しかし、東洋教学を実践できるレベルの高い精神力の持ち主ってのは、今の世界にでも多数存在するのであり、
全欧米人を十分な保護処分下においたとしても、余りあるほどの人数にのぼっている。
東洋教学実践後の世の中で、自分たち自身が二度とイニシアティブを執れなくなるのがあまりにも絶望的だから、
まともに論議にかけようとすらしないでいるが、ことに「地球人類」という大局にとっては、現数十億人に上る
東洋人が、既存の東洋教学を実践することで、十億人弱に過ぎない全欧米人を十分な保護処分下におくことで、
欧米人の限りない放辟邪侈による人類滅亡の危機を食い止めるということが、実際問題として可能である。
それは、自分たちが保護処分対象となることが決定的な欧米人などにとっては、甚だ受け入れがたい事実であり、
オッカムの剃刀あたりで剃り落として、存在しないものにすらしておきたい部類のものであるに違いないが、
残念ながら事実、その選択肢はあるのであり、恒久的な人類存続のための術は、もはやそれしかないといっていい。
欧米人たち自身を含む、全人類の存続が許されるほぼ唯一の選択肢であり、
それ以外の選択肢によったのでは、欧米人たち自身の存命もまた叶わない。
704 :
考える名無しさん:2011/04/12(火) 13:34:01.95 O
「世界の終わり」が来るのではなく、「アブラハム教の終わり」が来るのであり、
それは「人類社会の復興の始まり」をも意味する。
汎神アラーも、ブラフマンや仏性や陰陽太極との整合性が確かめられて、
信じるまでもない実在として世界的に認められることで、
聖書信仰との競い合いでこそ深刻化してきた狂信をも緩和させていく。
エホバやキリストはそもそも実在すらしておらず、
東洋教学の理念とも致命的な相反を呈している部分が数多あるのだから、
整合性が確かめられて正統な東洋教学のうちに編入されることすらなく、
異端中の異端としての扱いだけが究極化される。
いずれにしろ、「アブラハム教」という、教義体系は極めて些少なくせに
信者数ばかりはやたらと多い特殊宗教全般が解体されて、
その不自然な増長による人類社会への負担を減らしていくことが必要であるには違いない。
予言の真贋が確かめられて、契約履行の可不可も定まった以上は、
予言と契約こそが全てである、アブラハム教の存在価値はすでに潰えたのだと言わざるを得ない。
それは、最終予言者ムハンマドの唯一神アラーとの契約を信仰する、イスラムについても言えることで、
ただ、イスラムの予言が真であり、最終的に契約が履行されることともなった一方で、
ユダヤやキリシタンの予言は贋であり、従って契約も履行されないという点だけが違う。
706 :
考える名無しさん:2011/04/12(火) 14:37:14.98 0
そもそも、予言や契約ばかりに全てを還元しようとする試みからして、
危うさ極まりない「賭博の論理」であり、
「先ず其の言を行ない、而して後にこれに従う」(為政第二・一三)
「言は以て是くの若くなるべからず」(子路第十三・一五)
「言未だ之れに及ばずして言う、之れを躁と謂う」(季氏第十六・六)
といったような、宗教以前の道徳法則に
照らし合わせてみても、決して褒められたものではない。
ただ、一旦博打に手を出した以上は、勝ちか負けかのいずれかに采配されるわけで、
最終的にはイスラムが勝って、聖書信仰が負けた。負けた以上は敗北を呑んで、
敗北したに相応のペナルティを科されるしかない。でないと、賭けに即して
行われてきたあらゆる試みの責任がとられず、以って人類を滅亡させる結果をも招く。
人類が滅亡することが運命なのではなく、新旧約聖書信仰の側から、アブラハム賭博に
賭けた側の完敗こそが、もはや避けられない運命なのであり、その運命を無理に反故に
しようとしたならば、その際にのみ人類の滅亡すらもが避けられなくなるだけだ。
707 :
考える名無しさん:2011/04/12(火) 23:40:50.93 0
イスラムが勝って、聖書信仰が負けたって、意味不明の文章だな。
しらばっくれで事なきを得られるんなら、それに越したことはない。
ふふ。・・つまり、まったく説明できない口からでまかせだった。。
と素直に認めるわけだな?
素直でよろしい。素直が一番。
710 :
劉邦:2011/04/13(水) 23:08:56.06 0
正室にはする。
・・て事は、側室も居るんだ? ザケんな!!
しばらく見ない間に井上さんコテはずしたんですか?
しかし精力的に書き込んでますね。
筆力に脱帽します。
そんな事はない。
>>713 あなたって暗いとか気持ち悪いとか痛いって周りの人に言われません?
言ってくれる人もいないとか?
そんな事はない。
717 :
松平元康:2011/04/14(木) 11:17:02.37 0
これから膨大な数の未亡人や孤児が発生することにも
なるんだろうからのう。後進国ではなく先進国で。
生きて人妻となれるだけでもありがたいと思わねば。
過ちて改めざる真の過ち――米英の過ちは決して許さなかったが、
凡そ初めての過ちだった、ギリシャ・ローマの過ちについては
多少の猶予を与えたという既成事実を作る。
欧州を総員禁治産にまではしなかったり、
あなたが帝室の本妻となったりする苦難を、後世への宿題としておこう。
果たして呂氏の専横を十分に食い止められる、
陳平や陸賈に相当する英傑が現れるかどうか。
女子供にもできるような軽い仕事も、
なくなりまではしないにしても、減るだろうしな。
・・そりゃあ、礼儀ただしくされれば、誰だって嬉しいはずさ。
100人中99人くらいわね。ひとをいい気持ちにさせること、
それが、礼儀であり、マナーだ。しかし、そうするのも十中八九は、
じぶんのため。つまりは、ひとに好印象を与えることに成功すれば
商談が成立するとか。。結局はそういう事なのさ。
孔子が、偉いとか言われるのは、史上初の「処世術」の創案者だったから
さ。・・今で言う、デール・カーネギーのようなものだね。
結局、処世術の集大成を行っただけであり、思想とか、宗教とか、哲学と
は、とても呼べるレベルのものじゃないだろ?
イエスのような、真の革命的天才思想家とは、比較するのもおこがましい
小物だよ。そうは、思わないか?
妾を囲わねばならなくなる可能性が生じてしまうほどにも、
強大すぎる夫を育て上げてしまったのも、奥さん自身だろがね?
そういう欲得抜きで、礼儀正しいひと。。というのはいて、
それは、純朴な田舎のひとか、さもなければきみの主張している
「良い家系」のひとたちの長年にわたる教育のおかげだろうね。
きみは、この一部のひとたちこそ、真の支配者になるべき・・だと
思っているのだろう。しかし、ここが外交官なんかが苦労するところ
であって、各国の礼儀作法の体系は一律ではないのでね。
どこか、一国の、たとえそれが超大国であろうと、その礼儀作法が
普遍的に通用しることはあり得ないのでね。
結局、きみの「脳内勝利妄想」は瓦解してしまうわけだ、きみにとっては
残念なことだtったね。
>>721で言ってるような、単なる修辞や顧客奉仕を礼儀だなどと
勘違いしているような蛮夷の国は、それだけ国としての等級も低くなる。
純正な人間道徳の実践としての礼儀をわきまえる国のほうが上等となり、
上等国と下等国との外交は基本、上等国の側の礼儀に則るものとする。
内陸国の中国では供儀に食肉が多用されるが、海洋国の日本では
魚介類が多用されるなど、上等国同士でも気候風土の違いなどによって
礼法に食い違いの生ずる場合があるが、その場合にはホスト国の側の
礼法を優先する。あと、礼法の食い違いによる軋轢などをなるべく
生じさせないためにも、活発な外交全般を自粛して、自国の
統治体制の研鑽を最優先する、半鎖国体制を全世界に敷く。
日本よりも小規模な国の癖して三つに分裂し、独立を言い放った
国土の一部と殺し合い込みの戦乱を続けているような体たらくの国が
トップの座を誇り高ぶっているような、国際主義社会というもの全般の
劣悪さが反省されて、無闇な外交は避ける所から見直されていく。
725 :
考える名無しさん:2011/04/15(金) 11:23:32.26 0
「純朴な田舎の」云々などとよく言いたがるが、日本の場合、
江戸時代には譜代親藩や旗本御家人など、将軍のお膝元で働く都市部の
人間のほうが遥かに厚遇を受けて、そのおかげでのほほんとした生活も送れて
いたのであり、むしろ外様の大名や、その家臣のほうが石高面から酷い冷遇を受け、
地方の最上級の上士でも、中堅旗本にすら及ばないような禄高であることが多かった。
「衣食足りて礼節を知る」というが、極限まで衣食を切り詰められつつの僻地支配を
担わされていた地方武士の文化風習は退廃化し、挙句には坂本竜馬のような
商売人上がりのニセ侍の跳梁までをも許し、倒幕の元凶とすらなってしまったのだった。
地方でも二天一流や示現流、小栗流などの武術はそれなりに発達したが、
四民の位階の上下などを厳格化する、本格的な道徳礼儀文化が根付くことは
少なかった。ある程度社会規模が肥大化して、上下の位階を徹底でもしないことには、
政財界の癒着などを元凶とした大権力犯罪までもが巻き起こされかねないから、そこにこそ
本格的な礼儀文化なども必要となるのであり、純朴な田舎者などにこそ、それは必要のないもの。
726 :
考える名無しさん:2011/04/15(金) 14:42:39.85 0
どうも徳川幕府は、秀吉の太閤検地を律儀に信頼しすぎていたきらいがあるようだ。
小田原攻めを成功させた相模国のような、大規模な要所要所の測量については
太閤検地もそれなりに正確だったわけだが、ド田舎の僻地の測量などについては
かなり杜撰な部分があったようで、実質の倍近い石高の見積もりだったり、
逆に半分以下の見積もりだったりすることがザラにあったようだ。
龍馬を生んでしまった土佐藩などは、実質は五十万石近くだったにもかかわらず、
わずか二十万石と見積もられていたわけで、全土に十分な統治を行き届かせるための
人手がまったく足りず、最上級の山内侍中の上士だった乾家(板垣退助の家)や
後藤家ですら、中堅旗本だった鬼平こと長谷川平蔵の家禄にすら及ばない、
二百石程度にまで取り分を切り詰められてのお勤めを強要されていた。
徳川家康が、武経七書中の「三略」を愛読していたことは知られているが、
その「三略」下略に「遠きを釈てて近きを謀る者は、佚して終わり有り」とあり、
中央優先地方劣後という幕府の方針も、家康の頃からの確信的選択だった可能性が高い。
ただ、七書はあくまで戦時中に必携の書物であり、治世における濫用は避けるべきもの。
治世ならむしろ「詩経」大雅・民勞の「遠きを和らげちかきを能くし、以て我が王を定む」
などのほうを参考にすべきで、内政面では治世となった江戸時代において、性懲りもなく
釈遠謀近の政策を固持し続けたことには、些かながらの不可解さをも抱かされそうになる。
727 :
考える名無しさん:2011/04/15(金) 14:43:27.99 0
思うに、家康は、自らが秀吉の息子である秀頼を大坂の役で放伐することによって天下を
握った不義が、春秋時代の中国におけるような、諸侯の専横を引き起こす原因になることを
恐れて、殷周の放伐革命を実力面で支えた、太公望の兵法であるともされる(ただし偽書)
「三略」中の「釈遠謀近」という政策を、あえて固持しぬいたのではないかと思われる。
しかし、その釈遠謀近の苛烈さが仇となって、薩長土肥といった旧外様勢力による倒幕
までもが引き起こされてしまったわけで、結局は徳川幕府も、放伐革命で天下を握った
中国の周朝とも同じような運命を辿ることとなってしまった。違うところはといえば、
春秋時代に諸侯の専横が始まって後も一応、周王朝は存続していたのに対し、明治維新
以降に徳川幕府は完全にその姿を消し去ったところで、不穏分子の傲慢な台頭の中で、
未だに多少の勢力を保っておくようなことを、徳川は完全に放棄してしまった点が違う。
728 :
考える名無しさん:2011/04/15(金) 14:44:10.02 0
それはもちろん、日本には中国と違って万世一系の皇室があるからということもあるが、
家康や秀忠の代の頃にはもうすでに、イギリス人のアダムスやスペイン人のピスカイノなど
とも多少の交流を行い、世界がキリスト教覇権勢力による征服の魔の手に蝕まれ始めて
いることをも察知していた手前、大幅な軍縮や鎖国などによって国内の泰平統治に専念
することを選択した徳川幕府自体が、外圧入り乱れる将来の乱世にそのまま居座るのは
不適だろうとも見抜いていたから、致命的なほどにも世が乱れ始めればさっさと撤退する
腹中でもあった上で、国内の治世にすらあえて釈遠謀近を徹底していたのかもしれない。
それにより、反幕勢力が躍起になって、苦難入り乱れる後世の全権を引き受けてくれるようにと。
事実、統幕勢力となった薩長こそは維新後の日本の舵を取り、ロシアや中国やアメリカなど
とも激戦を繰り広げた挙句に華と散った。江戸期の釈遠謀近でストレスを溜め込んでいた
外様勢力に乱世の処理を全て任せて、自分たちは雲隠れを決め込む。腹黒さ極まりないのが
徳川であったには違いなく、それでいて「損害以上の利益をもたらす」という、道徳統治の
要件に即しても、最大級の成果を挙げているのだから、小憎らしいったらありゃしない。
イギリスやアメリカみたいに害悪ばかり撒き散らしてくれれば、まだ糾弾のしようがあるのに、
損害以上の利益をもたらすことにかけて術数の限りを尽くしているのだから、その腹黒さを糾弾
するわけにもいかない。これこそは真の腹黒さであり、究極の腹黒さは、落ち度すら残さない。
729 :
考える名無しさん:2011/04/15(金) 18:46:44.19 0
旧外様勢力にとっては、徳川こそは最大の敵であり、日本全体に
侵略の魔の手を伸ばしてきた米英やロシアですらもが、自分たちによる倒幕の
口実や手段を与えてくれた、一種の味方としてすら受け止めかねないものだった。
日本全体にとっての朝敵である、米英やロシアなどと戦って負けた後ですら、
@米英露>旧外様>幕府
という順位付けのつもりではいられるから、
A米英露<旧外様<幕府
となったりするよりも、まだマシであるとすら考えかねない。
しかし、@は米英露>日本なのでもあり、Aは米英露<日本ともなるのであるからして、
日本という国全体にとっての尊厳に適うのは、@ではなくAのほうになるわけだが、
旧外様勢力が自分たちにとっての私怨ばかりにかられて、幕府やその御用学だった
漢学などを見下して、米英や洋学などに尻尾を振るというような無様が横行している。
730 :
考える名無しさん:2011/04/15(金) 18:51:12.58 0
確かに、江戸時代に外様勢力が冷遇を受けていたのも確かなことで、自分たちが
泰平社会堅持のための犠牲と化せられたことの怨み深さも分からないではないが、
維新後に政権をも奪取した自分たちが、相も変わらず幕府や漢学を唾棄して、
逆に米英や洋学には尻尾を振っていることが、日本国全体の、外界勢力に対する
屈従の、ありのままの体現になっているということに気づこうとはしない。
幕府が外様を厚遇しようとしたような形跡が一切なく、酷烈な仕打ちばかりを
決め込んでいた一方で、米英のほうはといえば、旧外様に当たるような人間に対して、
「俺たちにすら服従すらすれば、日本のトップにぐらいはさせてやるぜ」とでも
言わんばかりの甘やかしっぷり。幕府にこそ積年の怨みがある外様勢力にとって、
幕府に唾棄して米英に尻尾を振るのは、極めてたやすいことである一方で、
米英を降伏して幕府を再評価するのは、「なんでそうしなきゃなんねえの?」
という不平を抱きたくなる点も含めて、困難なことだといえる。
しかし、かつての幕府による全国統治は、鎖国政策によって外交をほぼ絶無に
追いやった上で、今の地球社会よりも貧困者や餓死者の数を遥かに少数に止めること
にも成功していたのであり、国際主義によって外界侵略を徹底的にやり込めた結果、
江戸史上最悪の飢饉だった、天明の大飢饉をも上回る飢餓を発生させてしまっている
今という時代よりも、実質面において確実にマシなものであったことが確かなのだ。
幕府の政策が必ずしも善いこと尽くめでなかったのも確かなことだが、
それにしたって、米英のような総員テロリスト国家が覇権を唱えることで
世界中を未曾有の荒廃に追いやってしまっている、今の地球社会の支配情勢よりも
確実にマシなものであったわけだから、そのマシなうちでも底辺に置かれていた
自分たちの不遇に腹を立てるぐらいなら、今の地球社会で底辺に置かれている
アフリカの女子供あたりでも鑑みて、自分たちがそれよりはまだマシな待遇を
受けていたことをも考え直して、「憎んでしかもその善を知る(礼記)」の要領で、
米英露<旧外様<幕府という序列の下に、日本全体の復権を志さねばならない。
731 :
考える名無しさん:2011/04/15(金) 22:31:49.47 0
>>721 妾腹の私生児としての不遇を乗り越えて、自力で人間性を取り戻していく過程において
体系的な道徳学をも大成させたのが孔子であり、これこそ「大人」の最たるものだといえる。
片やイエスのほうたるや、家畜小屋で生まれた娼婦の私生児としての不遇に取り込まれ、
自暴自棄と化して自前の邪教を触れ回り、全くの自業自得で磔となって永久の死に着いた。
その姿こそは確かに「小人」ありのままの姿であるといえ、孔子のように同等の不遇を
乗り越えて大成した例もあるからこそ、不遇自体にその責任を転嫁することもできない。
孔子もまた、世界最高級の偉人であるとまではいえないが、卑賤な小人としての限りを
尽くしたイエスなどと比べれば、遥かに偉大であるには違いなく、「妾腹の私生児」という
共通の不遇を、乗り越えられたか乗り越えられなかったかという分岐点にいるのが両者で
あるからして、乗り越えられた側である孔子の絶対的優位と、乗り越えられなかった側で
あるイエスの絶対的劣位とが、付加要素を抜きにして純粋に明瞭化されているともいえる。
孔子を貶めてイエスを持ち上げるのが、人類滅亡の黄金比。
イエスを貶めて孔子を持ち上げるのが、人類救済の黄金比。
イエスが救世主なのではなく、孔子が救世主。
イエスは救世主ではなく、滅亡主。
いい加減気づけよ。
734 :
考える名無しさん:2011/04/16(土) 20:00:46.40 0
孔子や儒学が救世主体。
イエスやキリスト教(ユダヤ教含む)が滅亡主体。
キリスト教を棄てて儒学を採ることが救世の絶対条件。
儒学を棄ててキリスト教を採ることが滅亡の確定条件。
儒学もキリスト教も並存させられている、みそくそ状態の世の中は
即座に滅亡まではしないが、やはり滅亡の一途を辿ることとなる。
破滅をこれ以上進行させることなく、今すぐ救世に向かえたなら
それに越したことはないが、もう引っ込みも付かなくなっているとして、
滅亡の間際にでもキリスト教を棄てて儒学を採れば救世が叶い、
儒学を棄ててキリスト教を採れば、人類の滅亡が確定する。
そこにしかもう、救世か滅亡かの、選択の余地はないだろう。
君ら自身が、心の底から人類の滅亡を欲している証拠が、
他でもない、キリスト教の存続の容認である。
君ら自身が、必要もないのに、わざわざあえて、好き好んで、専らでいるのだ。
自分たち自身の滅亡にばかり。
ふん。
・・誰でも、時が来れば死ぬよ。聖人君子様もね。
ところで、人類という範疇を発明したのは、他ならぬイエスだからな。
たかが、中国一地方でマナーを説いてた奴と、一緒にするな。
・・アジアは別に悪くないんだが、変なヤツがアジア擁護(になってないが)
するせいで、逆にイメージ・ダウンする。アジアにとっても、君の言説は
余計なんだよな。
孔子さまには、残念ながら、人類はみえていないね。
個体の生死と、種族の存亡の区別も付かないのは、
種の延長を実感的に捉えることもできないほどに卑小な人間でしかないからだ。
人類の滅亡を心底から欲して、実際に実現しようとしているような相手と
結婚しようたって、その前に人類が滅亡するわな。
その破滅願望が心底から払拭された後でないと、
実際問題として、結婚などもあったもんじゃない。
言っとくけど、終末ってのはね、人類の滅亡ではなくて、人類の再生を
意味しているの。
だから、エヴァンゲリオンって、言うんだよ。
つまり、キリスト教を棄てて儒学を採るということか。
他に選択肢もないんだし。
社会マシンの円滑、正常なる日常動作にとって、
いくつかの基本的規範が、必要不可欠な潤滑油と
しての機能を果たす。。というのは真実と認めて
良い。
では、いずれまた、な。
社会にとっての有害無益なガン細胞が、
友達にだってなれるもんじゃない。
肝要は、儒学の採用以上にも、キリスト教の廃棄にある。
棄てた以上は否応なく採らざるを得なくなるし、
またそこにこそ切実な選取や実践も生じるから。
割れ鍋に綴じ蓋
元キリスト教徒に儒学と念仏
751 :
考える名無しさん:2011/04/18(月) 11:27:25.93 0
「修多羅に『如来蔵に依るが故に生死あり、如来蔵に依るが故に涅槃を得』と説くを聞きて、
解せざるを以ての故に、衆生に始まりありと謂い、始まりを見るを以ての故に、
また如来の得し所の涅槃にもその終わり尽くすことありてまた衆生となると謂うものなり。
云何が対冶せん。如来蔵には前際なきが故に、無明の相もまた始まりあること無く、
若し『三界の外に更に衆生ありて始めて起こる』と説かば、すなわち是れ外道の経説なればなると、
また如来蔵には後際もあること無ければ、諸仏の得し所の涅槃のこれと相応するときは
すなわち後際なきが故なるとを以てす」(「大乗起信論」第二章 対冶邪執より)
「虚空は無辺なるが故に世界は無辺なり、世界は無辺なるが故に衆生は無辺なり」
(「大乗起信論」第三章 分別発趣道相より)
結局キリスト教ってのは、「世界の外側の終始ある衆生」の実在を説く外教の一種
なわけで、それは世界の外側にあるどころか、世界の内側にある部分的な衆生に過ぎず、
真に世界の外側にあるのは、広大無辺なる虚空の如来蔵であるのだと大乗仏教は説く。
虚空の法則(仏教)⊇俗世の法則(儒学)⊇俗世の部分的衆生の法則(キリスト教)
俗世の一部分の衆生が、我田引水をもくろむための法則に過ぎないキリスト教が、
三千大千世界を司る虚空の法則=仏法よりも低次元なものであるのはもちろんのこと、
あらゆる衆生を包含する俗世間の法則である、儒学よりも低次元なものですらある。
752 :
考える名無しさん:2011/04/18(月) 11:40:41.36 0
「若しくは行にも若しくは住にも、若しくは臥にも若しくは起にも、皆なまさに止観倶行をなすべし。
謂う所は諸法の自性は不生なりと念ずと雖も、しかもまた即ち因縁の和合する善悪の業と苦楽等の報とは
失せず壊せずと念ずることなり。因縁と善悪業と報とを念ずと雖も、しかもまた即ち性は不可得なりと念ぜよ」
(「大乗起信論」第四段 修行信心分より)
「止観」の具体的な実践方法として、「起信論」は主に座禅(止)と念仏(観)を説いていて、
「起信論」自体はどちらかではなく、両方の実践を努めるように促しているわけだが、
この論書が禅宗や念仏宗の独立的な興隆にも、大きな貢献を果たしてきただろうことがうかがえる。
それで、やっぱり罪福はある。善因楽果悪因苦果の因縁の不壊を決して忘れたりはするなと。
「華厳経」などにもこのようなくだりが載っていて、これ自体はむしろ自力作善の「仏辺」に即した言い方であり、
完全な他力本願の「衆生辺」に基づくなら、「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」が適切な方便ともなる。
仏辺では善人正機が適切な方便となり、衆生辺では悪人正機が適切となるから、
主に「止」を司る禅宗と、「観」を司る念仏宗とが、教導上の食い違いから分裂することともなったが、
その目指さんとするところはやはり同じであり、同じ山頂に登るための経路の違いに過ぎないことが分かる。
753 :
考える名無しさん:2011/04/18(月) 12:04:23.39 0
「虚空は無辺なるが故に世界は無辺なり、世界は無辺なるが故に衆生は無辺なり」
直線に存在する点の数と、平面に存在する点の数が同じであることに
悩みぬいた挙句に、カントールも頭がおかしくなって死んだらしいが。
仮に部分的衆生を「直線」、全体世界を「平面」、虚空の如来蔵を「立体」と捉えた場合、
如来蔵が無限の広がりを持つ立体であるからこそ、世界もまた無限の広がりを持つ平面であり、
世界が無限の広がりを持つ平面だからこそ、部分的衆生もまた無限の長さを持つ直線である。
一次元の直線が始点と終点を持つ線分であるなどと考えるのは、
直線の展開の場である平面や立体にも限りがあると考えているからで、
そんなことは決してなく、立体がどこまでも広大無辺だから、平面や直線も広大無辺だという。
上の例えに依った場合に、「平面」に相当する全体世界の法則である儒学が
終わりを欲したりすることは決してなく、子子孫孫代代にわたる家の繁栄などを望みもする。
一方で、「直線」に相当するキリスト教などは、欲するかどうかは別として、終末を期待する。
実際のところ欲してもいて、カルト教義を嗜好する苦しみからいつかは免れたいと思っては
いるが、残念ながら、絶対的な法則に基づいた衆生の「終末」などというものは、衆生や世界を
全て包摂する如来蔵が広大無辺であるからこそ、決してあり得ないことが保証されている。
まさに、「小人始め有りて終わり無し(晋書)」だといえる。
754 :
考える名無しさん:2011/04/19(火) 13:40:07.16 0
「社会にとって必要不可欠な潤滑油」であるのも、
本来は洋学が主要な研究対象とする産業のほうであり、
儒学が研究対象とする権力道徳は、潤滑油であるどころか、
社会というものを形成している「本体」ですらある。
儒学こそは、ただ俗世の問題を取り扱うだけでなく、俗世の普遍的な根本法則を
取り扱ってもいて、仏教や道家のように完全な超俗志向を決め込むわけでもないのに、
俗世で儒学に反するような思考規範や言動規範に従えば、それだけで確実に権力犯罪へと直結する。
儒家と同じように世俗の問題を取り扱っておきながら、新旧約の記述が甚だ奇異であるのは、
それが権力犯罪に対してこそのみ専らであるからに過ぎないのであり、夏桀殷紂や秦始皇のような
大権力犯罪者の行状も反面教師として踏まえつつ、堯舜禹湯文武周公のような権力道徳者の有り様をこそ
理想的な人間のあり方として捉えている儒学のほうが、包含しているものも遥かに広大ですらあるのだ。
救ってもらいたかったら、一回ぐらいは崩壊しやがれ。
崩壊前=鬼
崩壊後=仏
以前、ロスに旅行に行っていた親族が、
スーパーでプリプリ怒り散らしながらレジを打ってる
太っちょの白人ねえちゃんに出くわしたんだと。
「なんで禁治産適合者の私がこんな仕事しなきゃなんないのよ!プンスカプンスカ」
って、潜在的にでも思ってたんだろうな。
これからはボランティアで俳優かミュージシャンだけでもやってればいいよ。
もちろん後見人の許可を得てからだけどね。
いま、世界中が破滅の危機に陥っている中で、
性懲りもなくイギリスの王子が結婚祝いをひけらかしている。
これには俺も、さすがにカチンと来た。
特に、北アフリカの動乱を悪化させる軍事介入にも
自国が及んでいるというのに、自分たちだけで祝宴を挙げているところなど、
さすがにその、神経を逆なでするような無責任さ加減にカチンと来た。
しかし、これは「ルサンチマン(嫉妬)」だろうか?
嫉妬ってのは、相手のことが羨ましくて、自分もそうなりたいと思う気持ちのこと。
もちろん俺はあのイギリス王子のような、安からざるところに安らぎ、
楽しからざるところを楽しもうとする狂生加減を少しも羨んでなどはおらず、
世の中がそれなりの安定を取り戻してから初めて、自分自身の所帯などに
関しても積極的な構築をしていこうと思っている。そんな俺とは全く逆に、
現世の最高級の責任者でいながら、乱世のドサクサに紛れて祝宴を挙げようと
するあの男の姿が、あまりにも浅ましくて見下げたもんだから、カチンともきたのだ。
まあ、俺なんかが苦言を呈しようが呈するまいが、
もう本当に先も長くないのだろう。アメリカにしろ、イギリスにしろ。
長期的な安定を保っていくための、
上っ面だけの体裁ですら、もはや取り繕おうとはしていない。
「小人窮すればここに濫る(衛霊公第十五・二)」のお約束どおり、
あまりにも醜悪な断末魔の叫びを撒き散らし続けている。
少しでも後世に望みを残すつもりならば、もう少しでも
毅然とした態度でいるべきなのに、そうしようとすらもしないのは、
もはや完全なる死亡しか予定していないからなのだろうが。
どんな極悪人や重罪人であれ、いくらかの人間の死を以てして初めて
償われる不祥事の上に、自らの功績までもが打ち立てられることが、
どんなに必然的なことであるにしても、やはり遺憾であるに違いない。
限界を来たしての経済破綻などを待ってから已む無く崩壊するよりは、
「道義的な理由に基づき、已む無く崩壊する」などと事前に宣言したほうが、
本当にそうでもある上に、それなりの格好も付くかもな。
現地球社会における、「成功する邪悪」の
親玉格にあたる英米やユダヤ利権が崩壊しないことには、
邪悪が成功し続けることに対する当然のしっぺ返しとしての、
人口爆発や環境破壊による人類の滅亡もまた免れ得ないのだから。
もちろん、格好を付けられるのは崩壊時までであって、
崩壊後には当然、全ての化けの皮が引っぺがされて、
人類史上にも指折りの恥辱と汚名とを遺すこととなるわけだが。
安からざる所に安らぎ、楽しからざる所を楽しもうとする狂生を
不適切な蛮勇と共に増進させてきた当然の結果として、
最悪の恥辱を自分たち自身が受け入れないことには、
否応なく人類を滅亡させてしまう立場へと、自分たちを追いやったのだ。
徹頭徹尾、君ら自身が、君ら自身のカルマによって自滅するのみであり、
他の誰かによって無理やり崩壊させられるなどということではない。
君らを含む全西洋が終末を迎えたところで、
これからも末永く歴史を育んでいくことができる道徳社会が東方に残存できることも、
別に君らが破滅に陥る原因や要因になっているのでもなく、
むしろそのような善良な社会派閥が、君らに経済支援や工業支援などをも尽くすことで、
君らの延命をも出来る限り試みてくれたのですらある。
にもかかわらず、もうもたなくなっているのも、
決して東洋諸国が支援の手を抜いたりしたからではなく、
自業自得の難病による夭折が運命付けられている人種なりの、寿命が来たというだけのことだ。
天寿ではなく、自寿ないし己寿であり、
天寿を全うする場合よりも遥かに短命となったのも、
寿命すら自分で勝手に決めようとした我執者なりの、避けられない運命だといえる。
762 :
考える名無しさん:2011/04/24(日) 01:03:14.90 0
763 :
考える名無しさん:2011/04/24(日) 01:07:24.66 0
完成した哲学は美しいですよねー!?♪。
美醜や好悪があるというのなら、貴賤や上下だってあるだろう。
それら全てを棄て去ってこその平等なのだから、
何も平等ばかりが良いものだなどともいえない。
!kab
正義の力が試されるときではなく、
悪の限界がわきまえられるとき。
正義の限界は、観察可能な限りにおいては存在しない。
正義が限界を来たすぐらいなら、正義すら傍観しよう
とする出歯亀の側のほうが先に限界を来たすから。
正義は正義で最大級に実践しておいて、なおかつ
正義も邪悪も超越した絶対真理を司る仏様以前の話。
再会の場がカルト犯罪組織のアジト内か、
東京拘置所二階の女囚面会室かで、人類の存亡までもが左右されるのなら、
当然無難なほうを選ばなければならない。その程度のことも分からないのか?
愛を現実逃避の手段にしていてはならない。
!ninja
771 :
考える名無しさん:2011/04/30(土) 20:38:56.28 0
日蓮宗の何が凄いかって、
士農の下位としての工商の需要を満たしていることだ。
我が足元にひれ伏させる相手としての、池田大作を愛す。
サイババが死のうがビンラディンが死のうが、
金正日が死のうが池田大作が死のうが、
俺が死のうが、人類の滅亡は止まらない。
米英が崩壊して国際金融資本が根絶やし
にされたときにだけ、人類の滅亡も止まる。
どうあがいても絶対に可換ではない、
害悪の元凶とそれ以外との根本的存在性。
自分がやったことは必ず自分に返ってくる、
自業自得を含む諸法因果の絶対法則。
774 :
考える名無しさん:2011/05/03(火) 19:12:35.94 0
もちろん、米英や国際金融資本の崩壊だけで
人類の救済が決定付けられるわけではなく、ただ滅亡が止まるのみ。
滅亡が止められて後の積極的な救済は、
救済主体たる儒学などの東洋教学が担っていく。
775 :
考える名無しさん:2011/05/03(火) 19:17:32.94 0
「泰西の説(西洋の学説)、すでに漸く盛んなる機あり。其の謂わゆる窮理は以て人を驚かすに足る。
昔程子(宋儒の一人)、仏氏(仏教)の理に近き(理とする所)を以て害と為せり。しかるに今洋説(洋学の説)の
理に近き(が害である)ことは、仏氏より甚だし。且つ其の出す所、奇抜淫巧にして、人の奢侈を導き、
人をして駸駸然(どんどん)と其の中に入るを覚えざらしむ。学者まさに亦た淫声美色を以て之れを待つべし」
(佐藤一斎「言志四録」言志録・一六九)
洋学はあたかも絶世の美女のように人々の心を誘惑してうまく取り入り、
それでこそ害を為すものだから、魅惑的であること全般に対しての
警戒を欠かしてはならないという、洋学の内情までよく踏まえた金言。
江戸時代よりも遥かに洋学の需要が肥大化してしまっている今にこそ、
「その魅力こそを警戒せよ」という大局のわきまえもまた絶やされている。
加齢臭ただようおっさんたちが口角泡を飛ばして拵えてきた、
モノクロないしセピア色の世界としての東洋教学が、絶世の美女のごとき
洋学と比べて魅力に欠ける、にもかかわらずではなくだからこそ、
あえてそれを目指していかなければならないというわきまえもまた、必要である。
!denki
777 :
考える名無しさん:2011/05/05(木) 20:36:55.70 0
近ごろ、忠臣蔵を研究し始めてからの第一感想。
地味に面白いものこそは、本当に面白い。
派手に面白いものは、派手さでごまかしている。
ふん。
まだ、やってるのか。ところで、人類が滅亡して、なにか不都合でも
あるのか? 確かに、ちょっともったいないが、自業自得なら
しょうがないんだろ? ・・人類の心配をする前に、あきらかに
危うい、君御自身の心配をしたらどうだろうね?
君の尊敬してやまないご先祖さまの顔に、泥を塗るような行いを
しでかす前にね。
絶世の美女がしわくちゃのお婆さんになるまで待っても、
東洋教学の勉強は終わらないし、
重権力犯罪者の罪障が勝手に薄まることもない。
780 :
考える名無しさん:2011/05/09(月) 10:23:34.31 0
人類の滅亡は、第一義には、
米英人を始めとする重権力犯罪者たちが
元凶中の元凶となって引き起こされる。
いくら人でなしの鬼畜も同然の品性であるとはいえ、
米英人もまた人類の一種であることには変わりないから、
それをして「人類の自業自得によって人類が亡びる」
ということがいえなくもない。
ただ、正確には、人類の滅亡は、
「鬼畜米英の自業自他得」によって引き起こされるのであり、
米英人のようなごく一部の重権力犯罪者を除く
大部分の善良な人類にとっては、自分たちの滅亡が
「他業自得」のとばっちりで引き起こされるのだといえる。
781 :
考える名無しさん:2011/05/09(月) 11:15:09.87 0
残念ながら、俺個人の先行きの危うさよりも、
人類の先行きの危うさのほうがよっぽど明瞭だ。
人類の先行きが真っ暗だからこそ、
俺個人の先行きもまた真っ暗であるのだといえる。
別に高遠すぎることをどうこうしたいのではなく、
俺自身の先行きをどうにかするためにも、
仕方なく人類の先行きを同時に慮っている。
「まず公田に雨降り、遂には我が私田にも雨降れ(詩経)」
という仁義の理念は、公田にすら雨が降れば、私田にも
雨が降ることが確かに見込めるからという、切実な実利が
伴っているのであり、無闇な博愛などとはわけが違うもの。
782 :
考える名無しさん:2011/05/09(月) 11:50:56.14 0
公田が潤いすらすれば私田もまた潤う一方で、
公田を干上がらせることで私田を潤そうとするような輩もいる。
ただ、そのような輩が個別的にでも滅亡しないことには、
種族全体が滅亡してしまうほどもの危機に追い込まれるわけだから、
公田を干上がらせてでも私田を潤す我田引水は、長期的に見れば
自他を害する破滅を呼び込む、普遍的な自殺行為であることがわかる。
783 :
考える名無しさん:2011/05/09(月) 13:53:21.87 0
自利も利他も、どちらもあってこその人間。
自利はあるのに利他はなく、さらには害他にすら及ぶようなのが人でなし。
害他にまでは及ばないが、自利ばかりで利他に暗いのが小乗。
自利があり、なおかつ利他もあり、さらには自利以上に利他を優先するのが大乗。
自利がなく、なおかつ自害によって利他を志すまでいけば、もはや白痴。
最高なのは大乗、その次が小乗。大乗と小乗はとりあえず仁義にかなう。
最悪なのは人でなし。その次が白痴。この二つこそは餓鬼畜生の論理。
しかし小乗大乗って分類は、(自称)大乗仏教側の分類なんだよね。
小乗という言い方には少なからず侮蔑的な意味合いがこめられているし。
自分たちのことを真理といおうが大乗といおうがそれは自分の名前
を自分で名乗っているのと同じようなものだから取り敢えずいいとしても、
小乗と呼ばれている側は納得できないんじゃないかなぁ。
小乗=上座部仏教ということばで言うなら、小乗はけっして大乗に
劣っていない。。ま、いいかたかえただけだけど。。
785 :
考える名無しさん:2011/05/09(月) 21:44:46.25 0
それ以前に、「大乗」とか「小乗」とかいう言葉は元々一般名詞であり、
旧部派仏教が自分たちを「大乗」、上座部を「小乗」と呼んでいるのも元より
誇張表現程度のものであって、特に、上座部に対する「小乗」という呼び方を
普遍的な一般名詞として固定化までしようとした形跡は、特に見られない。
善因楽果悪因苦果、罪徳禍福の自業自得の法則を「罪福」と
呼んだりと、仏教用語には、かなり機転の利いた言葉が多々見られる。
これは、純正な社会参画者ではない仏者だからこそ可能とするところ
であり、正統な尚書を編纂する、正式な任務に就いている記録官などが
記録業務に携わる場合などには、決して認められるところではない。
言いたい放題が正当性を帯びる、正式な手続きとしての出家を踏まえた
仏者であればこそ、罪福とか無記とか、大乗とか小乗とかいったような、
自由自在な言葉遣いまでもが可能となっていたのであり、仏者の言葉に
法規的な絶対性などを見当たろうとすることからして、間違いなのだ。
つまり、君は、最後の審判では、一部の人類、真のキリスト者が救済される。
偽キリスト者や異教徒や、ましては動植物は、見捨てられる。という解釈の
ようですな。・・たしかに、そう解釈されても致し方ない面はある。
しかし私の解釈では、イエスの贖罪(十字架上の死)によって、全生命の
罪が、すでに精算されたのだ。つまり終末において、すべての生きとし生
けるものが、神の御前で、その罪を最終的に赦され、癒される・・という
のが、本来のキリスト教の教えなのだと思う。
で、その解釈のいずれもが正しくない。
孔子のような自助努力も怠った、妾腹の私生児の
自暴自棄にかられた自殺行為の自業自得などが、
全ての生き物を救ったりすることができないのは
もちろんのこと、ただの一人をも救うことはできない。
全ての生き物を救おうとするものも、
自分たちだけが救われようとするものも、
聖書信仰などに手を出して、未だ信じ続けて
いようとする以上は、決して救われることがない。
特に、自分たちだけが救われるために聖書を
信仰するものが横暴を肥大化させればさせるほど、
聖書信者ではない人間までをも巻き込んでの
自業自他得の破滅が、肥大化していくことともなる。
聖書信者は、自分たちでは、
信行一致主義のカトリックや正教を「利他」志向、
信仰義認のプロテスタントやキリスト不信認のユダヤを「自利」志向と
見なしているようだし、実際、表向きにはそう触れ回っているから、
異教徒にも「そうなのだろう」と見なしてしまっている人間が数多くいる。
しかし、上記の諸々の代表的な聖書信仰の派閥からして、
本当は「自利」や「利他」を目的としたものでは、全くない。
正教やカトリックは「自害」を、ユダヤやプロテスタントは「害他」を
「自利」や「利他」以上もの、根本中の根本目的としている。
自利にしろ利他にしろ、自他を害さぬ「無賊害心(法句経)」の
心得があって初めて適うものなのに、聖書信者たるや、
自分たちの本尊が信者や異教徒を痛めつけまくるサディストだったり、
好き好んで十字架上に上がるマゾヒストだったりするために、
自他を害する妄動ばかりに走り続けて止まない。
ただし、自害の極みである自殺だけは、マニ教徒だったアウグスチヌスが
仏教教義をパクることでキリスト教徒にも禁止させたが、やはり自己の
品性を貶めて畜群と化すような自殺行為は止まらず、自他を害すること
こそを本望とする、聖書信仰の本質には何らの変質も来していない。
790 :
考える名無しさん:2011/05/10(火) 09:39:50.25 0
カトリックや正教は、自分たちが本当は
「自害」志向であることを「利他」志向なのだと勘違いし、
プロテスタントやユダヤは、自分たちが本当は
「害他」志向であることを「自利」志向なのだと勘違いしてきた。
その、いずれもが実は「自利」や「利他」を目的とはしておらず、
ただひたすら「害他」や「自害」を志すことばかりを目的としている。
本当に自利や利他を目的としているのは、
仏教だったり儒家だったり道家だったりするのであり、
これらには、ただひたすら自他を害することを志すような
迷妄な教義は全く見られない。真の自利は害他と共にはあり得ず、
真の利他も自害と共にはあり得ないことをわきまえているから、
真の自利や利他のためにこそ、専らな自害や害他は退ける。
自害も退けるが、特に害他だけは徹底して退ける。
自殺行為にも等しいような厳しい修行や即身仏、
お互いの同意を踏まえた上での闘争行為などはまだ
認められるところがあるが、自分から相手を一方的に
迫害して金品を強奪したりするような害他行為だけは、
「自業自他得の全滅」という最悪の結果を招くものだから、
利他だけでなく、自利の観点からも決して許されるものではない。
・・君の愚かさを一番嘆いているのは、君の大事な御先祖さまだよ。
君の御先祖さまが、あまりにかわいそうだ。このような子孫が生まれ
るとは、血が逆流するような恥辱に違いない。
792 :
考える名無しさん:2011/05/10(火) 21:54:51.72 0
結構、ハチャメチャなところもあるご先祖さまでねえ。
うちには神棚もあるんだが、草葉の陰ならぬ榊の陰から
「もっとやれ、もっとやれw」とけしかけられてるようだよw
793 :
考える名無しさん:2011/05/10(火) 22:28:07.86 0
たとえば、曾々じいちゃんと曾じいちゃんが、
女を買いに一緒に遠出をしたり。
言動や生活ではなくて、書くもののことだ。もし、書くものも
無価値なものだったら、君のご先祖の美点は、いったい何処に
あるという事になるのかな。
795 :
考える名無しさん:2011/05/11(水) 01:31:48.19 0
ただひたすら、自他を害することを目的としているのが聖書信仰であり、
ほんの寸分たりとも、自他を利することを目的としているわけではない。
聖書信仰も、一時の名目上だけは、自他を利しているかのような
体裁を保てている場合がある。しかし、長期的に見れば、
やはりそれも自他を害するための呼び水に過ぎないのであり、
自他を利することそれ自体が、聖書信者の根本目的になることはない。
796 :
考える名無しさん:2011/05/11(水) 09:54:49.18 0
ご先祖さまの意に適う行いが、少なくとも自他を害し、
親子兄弟の殺し合いをも画策するカルト信仰の
容認や肯定でないことだけは確かだ。
何もかもが無価値であっても、
自他を害する害悪の塊であるよりはマシだ。
自他を利する富士の系統こそは、代代引き継いでいくにも値するもの。
自他を害する火付盗賊の系統などは、利権を相続するために
隠し隠し家系をつなぐ程度で、世襲が卑しまれることすらあり得る。
価値のある先祖も、無価値な先祖も、かえって卑しい先祖もある。
自分の先祖が卑しいから「先祖供養なんか無駄」などと決め付けるのも、
自分個人の特殊な事情を万人に強要しようとする暴挙でしかなく。
799 :
考える名無しさん:2011/05/11(水) 14:54:58.03 0
誰も俺の意見を支持しないし、支持したがりもしない。
特に、重権力犯罪者どもの私利私欲の観点から言えば、
俺の意見は百害あって一利もないものであり、
総力を挙げての抑え付けやもみ消しに取り組むものですらある。
一方で、俺の意見こそは人類を救済する唯一無二の意見であり、
この意見をこそ支持して忠実に実践しないことには、
人類が滅亡を免れることもできない。
ただ「支持したくない」というだけの人間が、イヤでも
俺の意見を支持しなければならないのはもちろんのこと、
俺の意見の取入れが、自分たち自身の自滅にも直結する
ような重権力犯罪者までもが、自らを犠牲にまでしながら
俺の意見を取り入れなければ、人類の滅亡は食い止められない。
800 :
考える名無しさん:2011/05/11(水) 14:57:48.81 0
どんなに面白おかしく説明しようとしたところで、
安易な面白さばかりを好き好む現代の衆愚が、
「口に苦い良薬」とでもいうべき俺の意見を、好き好んで
支持するような気にはなれないだろうし、さらにそこに、
死活問題にもかかわるような利害が絡んでいるのなら、なおさら。
だから、あらゆる死活問題の中でも最大級の死活問題である
「人類の存亡」という領域にまで配慮が達した上で、
滅亡を拒否し、存続を選択するという断固たる決意がついてから、
初めて俺の意見の支持や実践に取り組んでいくことしか
見込まれず、俺自身もそこにしか、もはや期待をしてはいない。
どうしようもなく差し迫って、絶体絶命というところまでいかなければ、
自意識過剰の思い上がりの塊と化している現代人が、
心から反省するなんてことも、決してありゃあしないから。
801 :
考える名無しさん:2011/05/11(水) 22:23:10.34 0
「遠方から打つ釘はこたえませぬ」
(堀部弥兵衛金丸私記)
忠臣蔵四十七士中最高齢(討入時七十六歳)だった堀部弥兵衛が、
赤穂藩没収後、上方に数多散在していた若手の浪士たちが
無作法をしやしないかと気にかけはするものの、
自らが江戸潜伏中であるために直接戒めることができないのを
もどかしがって、上方在住中の大石内蔵助に手紙で述べた言葉。
上方(京都大坂付近)と江戸という地理的な隔絶もあれば、
手紙越しという隔絶もあるせいで、赤穂義士ほどもの心力の持ち主すらもが、
面識も豊かな自らの後輩にすら「こたえる釘」を刺せないことをもどかしがっている。
これが、地球の裏側とも文字だけで交信できる、ネット社会ともなれば尚更で、
どんなに鬼気迫る恫喝を試みたところで、相手はふんぞり返って
ポテチでも食いながらそれを眺めていられるわけで、相手の怒りや悲しみを
十分に汲み取って反省するなどということは、しないでいようと思えばいくらでもいられる。
誰しもが「人に反省させられる」という選択肢から逃げ去ってしまっている昨今、
確かに自分からの反省、自省からしか何事も神妙になり得ることがない。
乱世に「仁を為すは己れに由る、人に由らんや」と述べた、孔子のいう通りである。
ふん。
なんで、あんたが「人類の滅亡」を心配してんの?
第一に、この現生人類は、すくなぃともあと1200年は滅亡しないし、
(すぐなくともこのタイクラインではそうだ)
たとえ、滅亡したとしても、君に一体、なんの関係がある?
無関係な人間が一人でもいる人類の存亡は、人類の存亡ではない。
正確には、「無関係なカップルが一組でもいる人類の存亡は、人類の存亡ではない」か。
男独りや女独りが生き延びたところで、やはり人類の滅亡は免れ得ないから。
805 :
考える名無しさん:2011/05/16(月) 16:50:36.08 O
人類が滅亡する寸前になるまでは懲りない。
もしかしたら、人類が滅亡しても懲りないかもしれないが、
少なくとも、人類が完全に滅亡する寸前まで懲りることはない。
806 :
考える名無しさん:2011/05/20(金) 11:24:22.74 0
クシャトリヤや世襲制の君子なら、十代で妻合わされることだってあるのに、
こともあろうに、女よりも教学第一であるバラモンや科挙に対して、
同年代の異性としてアプローチしようというのだから、自損行為も甚だしい。
しかも、自分からそれを望んでいた。
世襲の王権の価値を踏みにじって、本人の実力こそを絶対視する。
そのせいで三十近くまで女に目もくれない野郎を相手にすることになった。
しかも、同年代いて。自分自身こそはそれを望んで。まったくのお莫迦さん。
高齢であることが致命的なのは、男よりも女のほうだ。
それなのに女なほうが、同年代の婚約者に対して
早婚が通例なクシャトリア・士族コースではなく、
晩婚が通例なバラモン・科挙コースの選択を強要してるんだから、
まさに自業自得の後悔ってなもん。
あなた自身が、わざわざあえて必要もなく好き好んで選んだ後の祭り。
だから、人類が滅亡したら、それがなんだ?
一大事か? 君にとっては。
いまでも、人類のおかげでいくつもの種が絶滅してるんだが、
人類もおなじように絶滅すべきでない。。という理由が
何か、あるのか?
あるなら、お聞かせ願おうか。
809 :
考える名無しさん:2011/05/21(土) 00:34:09.14 0
人類が滅亡するってことは、自分も死ぬってことじゃないか。
人類の滅亡を望まないってことは、
ただ自分が自殺したくないってだけのことじゃないか。
そんなの、普通の人間じゃないか。
はあ? 自分は近いうちに死ぬはずですけど?
それが何か?
あなただって、もちろん死ぬはずですけど?
スレヌシ殿は、すでに「仙人」におなりなのかも知れないな。
ムスリムのおばあちゃんからの
思考傍受尋問を受け入れてでも生き残れ。
死ぬ死ぬいうヤツほど、しぶとく生き延びる。
自分から死ぬなんて絶対にできない、
あなたの筋金入りのヘタレさ加減だけは信用できる。
816 :
考える名無しさん:2011/05/23(月) 19:39:10.61 0
人類にとって、「死んで責任を取る価値」すらない類いの人種がいる。
自殺、自殺と喚いている御仁だが、ひとはいずれみな自然死することも
知らないのかな?
818 :
考える名無しさん:2011/05/24(火) 10:16:21.49 0
人の命を、先祖代代から子子孫孫に至るまでの血のつながりではなく、
個人個人の生死としてしか捉えられない自意識過剰の思い上がりに陥っているから、
その自業自得として、自己の必滅という運命に無闇な絶望を抱いてるだけのことだろう?
現実不虚
人から愛されるのを執拗に拒むのがカルト信者。
それでも、何もかもを愛する過程でカルト信者をも愛するのが仁者。
821 :
考える名無しさん:2011/05/26(木) 12:50:23.86 0
その、心の内にあるカルト信仰だけが死ねばいいのであって、
カルト信者だったものまでもが、カルト信仰と共に死ぬ必要はない。
心の底からカルト信仰の死滅を望む一方で、
カルト信仰と共にたった一人たりとも死ぬことは望まない。
邪信を憎んで、人を憎まず。
愛することも、愛されることも拒む自意識過剰の思い上がりの持ち主が、
単なる自己愛を「神の愛」の名の下に正当化して肥大化させるカルト信仰。
「己れを虚しく」という礼儀道徳に反している点も度しがたい所だが、
それ以前に、人としてこれほどにも哀れなあり方も他に考え付かない。
823 :
考える名無しさん:2011/05/27(金) 00:24:15.05 0
橋は流れて、川は流れず。
西洋は亡びて、東洋は亡びず。
イエスが、隣人愛を説いたことさえ知らないらしいな。
この御仁は。すこしは、聖書を読んでみたらどうかな?
「神の愛(正当化された自己愛)に溺れていれば誰も愛さずにいられるが、
それだけだと世間体が悪くて人間関係もままならなくなるから、
とりあえず隣人ぐらいは愛するフリをしておけ」
キリストは、極度の精神障害であると同時に、
その障害としての危険性を、世間体を保つための巧みな修辞によって
まんまと隠しおおせた稀有な事例だといえる。
何となく危険であることは察知しつつも、具体的に何がどうして危険なのかが
自分でも説明しきれなかったから、ローマ総督のピラトも「自分にはこいつの
何が悪いのか分からない」などと吐露しながらキリストを磔にした。
おそらく、妾腹の私生児として生まれついた境遇から、
小さい頃に同年代からいじめられるなどの苦い経験をしたために、
せめてでも表向きだけはうまく取り繕うことで、生まれの悪さからなる
ボロを出すまいとするようにつとめる癖がついていたのだろう。
しかし、極度の不遇によって自らが抱えてしまった重度の精神障害を
内面から快癒させるための自助努力は怠り、内面に最重度の精神障害を抱えたままでいて、
表向きだけそれなりに取り繕う修辞力だけを発達させていった。
同じ「妾腹の私生児」という不遇からなる精神障害を、
修辞の巧言令色によって、表向きだけうまく取り繕うのではなく、
自力の精神修養によって内面から立ち消えにさせ、修養の過程で
普遍的な人間道徳をも体系化させた孔子などとは逆の道を歩むことで、
人類史上にも稀有な規模の「精神障害パンデミック」の元凶となったのだった。
827 :
考える名無しさん:2011/05/27(金) 14:54:57.83 0
「神の愛」が単なる自己愛の正当化であることは、デカルトの「省察」を、
現代の科学知識や東洋教学に基づいて読んでみれば、よく分かる。
「私は考える、故に神とつながっている。故に我れ思う、故に我れあり」
云々と言ったことを、浅ましい屁理屈をこね回して正当化しているが、
実際には思考なんてのはただの脳細胞の電気信号の働きに過ぎず、脳内だけの
思考や激情すら超越したところにこそ、真の自我(アートマン)もまた実在している。
思考が欺瞞を正当化して、自己愛などの醜い感情を肥大化させていくことは
全くただの脳細胞の働きに過ぎず、その脳みそを持つ本人自身の自己責任に過ぎない。
にもかかわらずそのような脳みその働きを「神の愛」と決め付けていたわけで、
欺瞞的な感情が神秘によるものなどでないことは、脳構造の完全な独立性の発覚と、
脳構造すら超越したところにある神秘としての真我の実在の、両面によって完全証明されている。
828 :
考える名無しさん:2011/05/30(月) 01:05:18.45 0
ただ鈴鳴らしてりゃいいだけ。
829 :
考える名無しさん:2011/05/30(月) 22:07:01.59 0
崩壊前夜の米英にとっての、一番の懸念の対象であるのはやはり、
崩壊後の本土占領における「中国の独走」であるのだろう。
それこそ、何千万人の米英人を虐殺するか、知れたもんじゃないから。
それで結局、「占領されるとすればもうちょっとマシな相手」としての
俺みたいな日本人を、本土占領の主導者に仕立て上げることにしたのだろう。
830 :
考える名無しさん:2011/05/30(月) 22:08:12.86 0
まず、大前提として、米英は極大級の軍事力を保つ。
最大級の腕力を保全したままで、崩壊宣言を行う。
崩壊はするものの、まだ軍事力は保たれたままでいる。
最大級の軍事力を保ったままで、崩壊後の占領者を非聖書圏=東洋教学圏の諸国連合に指定する。
東洋教学圏には当然中国も入っていて、しかも最大級の権勢を備えてもいる。
主に中国を牽制する目的で、米英は東洋諸国連合の主導国を日本に任命する。
総力を保ったままの米英全軍の統帥権は日本国に委譲され、CIAやMI6などの諜報組織は全解散する。
日本は旧米英軍の軍事力を抑止力として用いつつ、中国やインドなどの超大国にも接見する。
東洋諸国に米英本土占領のための、十億人規模の人員投入を指令する。
権勢の豊かさからも、中国とインドと中東から各三億人程度の大規模な人員投入が見込まれる。
それぞれからの人員投入をきっちり三億人程度に調整し、三大勢力の鼎立による、一勢力への一極化の防止を図る。
831 :
考える名無しさん:2011/05/31(火) 18:12:31.68 0
刑事処分級の権力犯罪者には、
引き続きムスリム世界裁判所への出頭を要請する。
旧米英全軍を日本の統帥下におくことは、刑事処罰からは免れた程度の
全米英国民に対する民事処分を、処分行為に直接携わる中国勢や中東勢らが
過剰に苛烈ならしめないように牽制するための意味を持つと同時に、
ムスリム世界裁判所に出頭する凶悪犯に対する処罰を穏健化させる意味も持つ。
日本人は、アブラハム教文化に対する理解度が浅薄すぎて、
聖書信仰によって犯罪行為をやらかした人間に対する、精神面からの
理解に即した処罰が覚束ない。また、今の日本も資本主義社会に強制的に
組み込まれていることからも、利息経済などの、イスラムよりもルーズな
金融政策を取り入れてしまっているところがあるので、確かに日本よりも
イスラムのほうが、金融犯罪者に対する厳格な処罰が期待できる。
ただ、その厳格さが酷烈さにまで及んでしまうのを防ぐために、
ムスリムによる権力犯罪者への処罰にも、一定の武力的な睨みを利かせておく。
832 :
考える名無しさん:2011/06/01(水) 08:48:11.55 0
正統な血筋に依らなければ、
東洋教学は理解することもできないのか。
偽物ばっか相手にするのも、いい加減つまらんな。
まだ、やってるのか?可哀想なので、ちょっと声をかけてやろう。
真の我なんて、孔子が言ってるとはちっとも知らなかったが、
それと、イエスの父なる神とはどう違うんだね。
参考までに、聞いておこう。
それと、肉体的系譜を上回るものとして、精神的系譜が在ることも
知らんのかいな。肉体的系譜がまったく無意味、とまでは言わないが
すくなくとも、片手落ちな言辞であることだけは明白だろう?
そらみろ。
人の言うことを全く理解せずに曲解だけし、
すでに答えが提示されていることをわざわざ問う。
偽物だ。
836 :
考える名無しさん:2011/06/03(金) 21:40:57.00 O
>>827 >思考なんてのはただの脳細胞の電気信号の働きに過ぎず
思考が何かも知らず、電気が何かも知らず、思考は電気信号に過ぎないと言うあたり。
典型的な無知
837 :
考える名無しさん:2011/06/03(金) 22:16:55.83 0
偽物の思考規範や言動規範は、すでに読めている。
完全な更正を通過しなければ、決してそこから脱け出すことはできない。
すでに答えが提示されている? なら、もう一度、要約するのは
カンタンだろ。 君の読みにくい日本語なんか読むのが苦痛である
のに気づかないのか。しかも、どこに書いたかも明示しない。
嘘だね。まったくの嘘だね。君のみえみえのはったりは通用しないよ。
私には答える力がありませんと、どうして正直にいえないのか。
君にはすくなくとも、誠という徳が欠如しているね。。君が孔子の
教えを説くなぞ、噴飯ものだね。もう一度、言う。君が答えるだけの
能力を持っていると言うなら、はっきりと述べてみなさい。
そうでなければ「私にはわからない」と正直に言いなさい。
幼稚園児が、東大受験の試験問題を解くよりも、無理な理解を試みている。
840 :
考える名無しさん:2011/06/05(日) 13:23:17.09 0
犯罪者が東洋教学を理解することは、
幼稚園児が東大受験に合格するよりも、
チンパンジーが司法試験に合格するよりも難しい。
もちろん、それを安易に叶えてくれたりする、
教育上不適切な、都合のいい神などもいない。
それなら、君の言説も、いっさい無駄という理屈だろう?
なら、なぜ早く、店じまいしないんだね。
無駄なことをするのが、趣味なのかな?
842 :
考える名無しさん:2011/06/05(日) 18:15:14.70 0
「古えの学者は己れの為めにし、今の学者は人の為めにす」
「昔の偉大な学者たちはみな、自分自身の自己修養のために勉学を志した
というのに、今の学者ときたら、どいつもこいつも人に取り入って手柄を挙げる
ためにばかり勉学を志している。まったく、嘆かわしいったらありゃしない」
(「論語」憲問第十四・二五)
まあ、檻の中から出て来てから、
せいぜい自分たちでも東洋教学の勉強を頑張ることだね。
844 :
考える名無しさん:2011/06/06(月) 20:43:45.35 0
私は、東洋の生み出した思想を貧しいものだ、とは言っていない。
だが、西洋の生み出した文化・思想も偉大なものであるのに、
それにはまったく目をつぶり、犯罪者なとという極端な言い方で
西洋を全否定する、君の立場が異常であり、常軌を逸している。。
と指摘しているに過ぎない。
冷静さを欠き、狂気の沙汰を開陳し続けるのは、醜いよ、
と言っているだけだ。
犯罪には犯罪なりの体系構築があって、
そこにこそ生活の安定や平和を認めた人々がいたということを
決して否定するものではないし、そこにこそ特有の文化文明が開かれていたことも知っている。
しかし、そんなものがいついつまでも永久不変に保ち得るような代物ではないことが、
犯罪文化への安住者たち自身にもうすうす察知できていたからこそ、
最後の審判によって自分たちの世界――犯罪文化安住者たちにとっての
この世の全てが終わることまでもが予言されていたのではないか。
その覚悟があるからこそ、やって来たことではないのか。
処刑用具である十字架を、何にも増して標榜している文化を
「犯罪文化ではない」などと主張するほうが、よほど常軌を逸している。
同じ妾腹の私生児として産まれながらも、
孔子は臣道を選択し、イエスは君道を選択した。
この違いは小さいようで大きい。
片や、王としてですら乱世には役不足なほどもの徳性を備えながら臣道を選択し、
片や、臣下としてすら最底辺の下人がいいとこな品性でいて君道を選択した。
どこまでも下へ下へと下り続ける水の性向と、
どこまでも上へ上へと上ろうとする火の性向。
私的には火のような志しでいて、公的には水のような謙りを心がけるのがよい一方で、
私的には水のような賤しさでいて、公的には火のように思い上がるのがいけない。
おそらく孔子は、私的には火のように舞い上がる向学心の持ち主だった一方で、
イエスはといえば、私的には水のように下へ下へと陥る堕落心の持ち主だったろう。
その反動として、孔子はまるで水のように謙る姿を公然に見せた一方で、
イエスはまるで火のように燃え上がる驕り高ぶりを公然に晒したのだった。
そもそも、ちょっとした名家の奥方になるほどもの素養も備えてはいないんじゃねえの?
いい加減、聖書信仰や洋学に司られてきた西洋文化文明の一切が
劣悪卑小なゴミ文化だったという、厳然たる事実ぐらいは真摯に受け止めて、
そんなものや、そんなものに惑溺してきた西方の小人たちを、どうやって
善いように処分や再利用していくのかを切実に考えていくべき時ではないか。
次の段階に移ることを執拗に阻んでいるのも、そちらでしかないじゃないか。
いい加減、名誉を守られるに値する存在ではないことの自覚を持たないか。
キツいことしか言うわけにはいかなくてごめんね。
853 :
考える名無しさん:2011/06/12(日) 12:32:29.80 0
ゴミだって、ちゃんと分別して再利用すれば、立派な資源になる。
でも、分別や再利用といった処分を受けないのなら、ただのゴミだ。
これから立派に再利用されていく可能性はあるとしても、今はまだただのゴミだ。
854 :
考える名無しさん:2011/06/12(日) 13:36:43.75 0
855 :
HARD OFF:2011/06/12(日) 21:40:58.63 0
リサイクルすらされればどうにでもなりそうなものを、
なぜいつまでもゴミのままでいようとする?
米英が崩壊して、全軍の統帥権を日本に譲って、
なおかつ名目上の崩壊で死んだフリをしているロシアを
中国・インド・中東を含む全世界で手篭めにするのか。
857 :
考える名無しさん:2011/06/15(水) 23:16:19.25 0
日本国外では弁慶、日本国内では地蔵な
外弁慶内地蔵になるのさ。
今の2chの所有者は、アメリカだったな。
「血筋、実績、共に完璧」と、議奏が天子に奏上できるぐらいに勤めねば。
君なんかに賞賛されて、さすがの孔子もあの世で悶え苦しんでるよ。
かわうそうな孔子さま。
女房の妬くほど亭主もてもせず
861 :
考える名無しさん:2011/06/20(月) 14:14:38.88 0
(こんなに下劣な)君なんかに賞賛されて、さすがの(それはそれで相当に下劣な)孔子もあの世で悶え苦しんでるよ。
とすれば、確かにそうかもしれない。
ただし、上下貴賤では
聖書信仰や洋学に侵された全ての現代人<聖書や洋学の無価値ぐらいは諾っている俺<東洋教学の中では最初等の入門の門番を務める孔子さま≦全ての東洋教学
でもある。
862 :
考える名無しさん:2011/06/21(火) 13:29:34.00 0
もう、旧米英全軍の統帥権を握ることすら、どうでもいいな。
「ペンは剣よりも強し」というが、「学は万軍よりも強し」だから。
863 :
考える名無しさん:2011/06/21(火) 21:39:09.19 0
筆禍によって、刀剣以上にも大きなわざわいを撒き散らすことが
可能であるという意味で、「ペンは剣よりも強し」ということがいえる。
一方で、重武装した万軍が撒き散らす災禍も相当なものとなるが、
その万軍を用いずとも、世の中を平滑に治められる権力道徳を学んだなら、
万軍のほとんどを「世の中にとって有害無益な廃棄物」としてお払い箱に
追いやることすらもが可能となるから、「学は万軍よりも強し」ということがいえる。
何でもかんでも書き立てようとするペンの筆禍と、世を破壊しつくす万軍の戦禍とが
「わざわい」であるという点で共通する一方、筆禍を撒き散らすよりは、黙って素振りして
いたほうが健全な刀剣と、人に書いて知らせること以上にも、自分自身が上達することを
目的とした学問とが、「わざわいを控えるもの」であるという点で共通している。
「ペンは剣よりも強し」ということわざは、これからは「ペン」の筆禍を強調する
戒めのことわざとして用いるようにし、「学は万軍よりも強し」ということわざのほうを、
自学自修を目的とした学問の偉大さを指し示す美辞として用いるようにすればいい。
ペンが剣よりも強いからといって、ペンが殊更にいいもので
あるなどとはもう考えるべきではない。さらば、マスゴミ。
贋金作りから借金して夫を支えているような妻を、
少しも恩に思うわけにはいかない。
865 :
考える名無しさん:2011/06/24(金) 13:55:21.92 0
脳の器質的な欠陥に由来するような、先天的な精神障害
などを理由に縁談を断るのは、断るほうに非があるといえる。
しかし、自分からカルト信仰の邪義を嗜好することで
後天的に精神障害となった者が縁談を断られたとすれば、
それは断られた本人のほうに、完全な非があるといえる。
しかもその精神障害が、自助努力による克服が全く可能なものであり、
自らがその障害への罹患をあえて好き好み、治療のための
努力なども怠っていたりすればなおのことであり、誰も縁談が
断られたことに対して、微塵の同情すら寄せることもない。
たとえそれによって女としての旬も過ぎて、まともに青春を楽しむ
こともなく、老いさらばえたばあさんになってしまったとしても、
全くの自業自得。カルト信仰のあえての嗜好によって、必要もなく
自らの人生を棒に振った、自分自身の全くの自業自得でしかない。
青春を棒に振ることが致命的な悲劇となるのは、
確かに男よりも女のほうだといえる。
たとえ男の側が犯罪被害者であり、女の側が犯罪加害者であろうとも、
共に青春を棒に振ったとして、より悲劇的となるのはやはり女のほうだ。
しかし、その悲劇ですら、女の側の全くの自業自得であり、
女の側が好き好んで自分から青春を棒に振ったのだから、
男の側としては、全く立ち入る余地もないところ。
「怪物からお嬢さんの身を守るスーパーマン」なら絵になるが、
「自分から怪物に付いていくお嬢さんを引き戻そうとするスーパーマン」では、
話にもならない。それこそスーパーマンの側がストーカーの嫌疑すら受けかねない。
お話にもならない、単なる無様を、自分から好き好んで選択したお嬢さん。
「女にできるのはその程度のこと」というのなら、女の身でありながら
主導権を握るようなことからして、始めからすべきではなかった。
二十七、八などという年齢は、ことに男にとっちゃ節目でもなんでもない、
単なる若僧としてのいち成長過程に過ぎない。
しかし、女にとっちゃあ、一世一代、人生の一大転機に相当する時機だといえる。
これからも、このままなら、永久に何もない。
三年経とうが五年経とうが十年経とうが、老いぼれて
子供も産めない身体になろうが、永遠に何もない。
自分から好き好んでカルトの邪義に溺れ、凶悪な現行逃亡犯としての自己を
正当化し続けているよう相手を、決して近づけるわけにはいかない。
母不賢にして、不肖の子あり。
そんな女を妻や母へと仕立て上げることからして、
大過の種子となることまでもが見え透いているから。
カルトの邪義への信仰を、必要もなくわざわざあえて好き好んで選択しているからこその無様。
カルト信仰すら棄てればいつでも脱け出せるものを、わざわざ
自分から棄てずにいようとしているから、脱け出せないでもいる。
耐え忍ばずにさっさと降参すれば光明にも照らされるものを、
耐え忍んだ先に光明を見出だそうとするから、いつまでも無明の苦しみに落ち込み続ける。
男は理想に生き、女は現実に生きるもの。
人生の全てを棒に振ろうが、悲惨な最期を遂げようが、
それが理想に殉じた結果であるというのなら、全く歯牙にもかけないのが男ってもの。
女はそうではない。
この人生が今この時、この瞬間に成就できているかどうかだけが問題。それが女ってもの。
どちらに分があり、どちらが窮地に追い込まれているのかが、一目瞭然。
精神性を貴ぶ高等な文化のために殉ずるのならまだしも、
即物的な現世利益を目的としたカルト宗教のために、
現世利益を失っているのだから、これまた本末転倒の無様だといえる。
叱咤罵倒の内奥に秘められた、
空想ではない真実の愛に気づいてくれればなああ。
積極的なことであれ、消極的なことであれ、
自分がしようとするのではなく、させられろ。
やれと言われればして、するなと言われればするな。
やれと言われてもせず、するなと言われてもするようなら、
もはや女房失格であり、「待たせるな」といってるのに
さらに待たせれば待たせるほど、さらに随伴への道も遠のいていくのみだ。
キリスト信仰を持ち越している以上は、絶対に正しいことはできない。
何を言っても、何をやっても必ず過つ。
それどころか、何かを少しでも考えた時点で、その考えからもはやすでに間違い尽くすこととなる。
とにかく、キリスト信仰を棄てるんだ。
キリスト信仰すら棄てれば、何かを考えた途端に考え違えたり、
言った途端に言い違えたり、やった途端にやり間違えたりまでの
「自動的過ち」はたち消えになって、思考や言動が必ず正しくなるとまではいかずとも、
必ず過つようなことまではなくなる。何をするにしろ、何をしないにしろ、まずはそれから。
過ち=正しき、正しき=過ちというような転倒夢想が排されたなら、
自然と罪の罪深さもわきまえられて、罪を犯した以上は償わないでもいられなくなる。
棄教のための手段は、それこそ「踏み絵」からでも構いやしない。
ネット上から適当にイエスなりマリアなりモーセなりの画像をダウンロードして
プリントアウトし、地面に置いて一日百回踏みつける。
なるべく「このやろ、このやろ」という気合いを込めて、
迫害すら正当化するような聖書中の教義全般への決別の思いを馳せる。
「もうやめて、もうやめて」と、心の内のキリストが音を上げ始めれば、だいぶ病状が改善されている。
(最初のうちは「さあ踏みなさい」などと、偉そうな余裕を湛えている場合が多い)
もはやキリストの声なんか聞こえなくなれば、治療は完了。
自分よりも遥かに先に早死にする妻を娶ったりするのも、
夫になる人間にとっちゃ、できる限り避けたいところだ。
876 :
考える名無しさん:2011/06/25(土) 14:44:30.65 0
無能勝明王
あっちにいっちゃったアレは諦めよう
始めから「ダメ元」だっての。
個人的な好悪を抜きにしても、アレを正室なり側室なりとしてめとることが、
崩壊後の西洋社会の再建を自分が担っていく上での、
最大級の尽力を保証するための「人質」にもなり得るわけだが。
もちろん、好き嫌いで好きというのもあるし、本人がいま侵されている病を十分に治療して、
健全な精神の晴れやかさを味わわせてやりたいからという私意もある。
ただ、精神障害カルトからの脱却を結婚の絶対条件とするのも、
それが、全西洋人が障害を克服して、東洋人のよき伴侶へと成長していく上での
見本にもなるからという、社会的な見地から見た場合の合理性にも適っていてこそのことであり、
公私の利害が完全に一致して、公益のために私情を抑えたりする必要も今はないから、
私的な縁談をも敢えて標榜し続けられているわけだが。
せいぜい、罪滅ぼしも兼ねて、残りの人生を模範的な良妻賢母として勤め上げることで、
「東洋の妻」としてやっていく、これからの全西洋人のお手本ともなっていく。
そしたら、自業自得でよりよい結果が得られる一方で、
それを拒んで放蕩や自殺に終始すれば、自業自得でより悪い結果を招くこととなる。
世の中に、女なんて掃いて捨てるほどにいるし、側室や妾に
なる程度の器量の、女の代えだっていないことはないだろう。
しかし、立場上からも、俺と対等に渡り合えるだけの女は、
俺が生きている間には、もう二度と現れることもないだろう。
王者が、その孤高さゆえに、孤独な人生を送るなどということも
歴史的によくあることだし、それは俺も重々覚悟はしている。
しかし、何も自ら進んで、孤独を選択する必要もあるまいしな。
882 :
考える名無しさん:2011/06/25(土) 21:50:51.31 0
イスラム教徒は豚肉を食わない。
ヒンズー教徒は牛肉を食わない。
自力作善の仏教徒は全ての肉を食わない。
神道家は肉食全般を戒律に依らず自粛する。
どれ?
883 :
考える名無しさん:2011/06/26(日) 09:06:11.38 O
「これだ」と思うものがたった一つに見定まらなくてもいいから、聖書だけは辞めろ。
なんだそりゃw
885 :
考える名無しさん:2011/06/26(日) 12:26:32.64 O
むしろ、聖書信仰ほどにも狂気的な麻薬性を持つ
信教も他にないからこそ、聖書だけは辞めろつってんだ。
たとえ他の教学に鞍替えするにしても、
そこに聖書信仰並みの麻薬性を求めたりしてちゃいけない。
それこそ、聖書信仰以外のカルトに陥るだけにしかならないから。
・・だから、腐敗した教会は、もうやめようっていう運動が起きた。
それが、宗教改革ね。教会はまだ、残っているけど、そんなに悪い
ことをしているかしら。・・悪いことをしていれば、それを取り締まる
ための法律というものがある。いまや、教会は「絶対的権威」なんかじゃ
ないのよ。・・教会のおかげで精神的な支えを得たひとがいるかも知れ
ないと思った事は、一度もないのかしら?
いいかげん、目を覚まして「現実」ってやつをみつめてみたらいかが?
現実的にいって、無理。
強盗殺人の苦痛すら無痛化させてしまうような
麻薬性すら期待しなければ、聖書の代わりになる教学などゴマンとある。
自らが罪を犯したことによる苦痛からは、
たとえ破滅に陥るのであろうとも、もう逃げるべきではない。
他に人類の存続を保つ手段があるんだったら、ぜひ教えてくれ。
800年間、妥協しかして来なかったんだから、たまには妥協しない。
「侮辱罪」ってのは、法的には、
「事実無根の侮辱」のみを罰する罪であり、
事実関係に即した侮辱までをも罰するものではないそうな。
>>886 ・・とりわけ改革以後、(教会じゃなくって)聖書そのものによって
支えられた人が、億の単位でいるのよ。キミ。
全員、責任を持って扶養していくよ。
893 :
中国人:2011/06/27(月) 07:48:57.19 0
誰が?
中国人だって、共産党員あたりはここも閲覧できるんだろうから、
あまりそこら辺の戦略を詳しく露呈するわけにもいくまい。
中国人や中東人の内でも、共産主義や石油利権のうま味に与っている連中には、まだ油断がならない。
それらのうま味の本家本元である聖書圏が崩壊した途端に、
早急に豹変して、全世界を挙げての仁政に協力してくれるようになるかもしれないし、
あるいは新たな地球上の覇王としてのさばろうとするかも知れない。
おそらく実際には両方の派閥に分かれて、劉邦と項羽のような仲違いを自分たち同士で
引き起こすことになるだろう。その時にはもちろん、第三者としては、仁政に協力する劉邦方を支援して、
覇道に走ろうとする項羽方には大人しい降伏を促すようにする。
まあ、非聖書圏で今の地球体制のうま味に与っている人間なんて、ごくごく一部に限られていて、
ほとんどの大多数(40億人以上)は欧米聖書圏からの苛烈極まりない利権強奪によって
疲弊した状態にあるわけだから、その欧米聖書圏の我田引水を駆逐根絶させる事業が始まれば、
誰しもが一丸となってそちらのほうに執心していくようになる可能性のほうが遥かに高い。
そのほうが、誰しもにとっての得になることが一目瞭然だから。
降伏するまでは、君ら自身の決断による。
一時の激情などに駆られずに、よく考えて決断することだね。
未だ自分自身の罪深さを受け入れられない目、
隙あらば誰かに責任を押し付けようとしている目だ。
自性把捉を喪失した、重度精神障害者の目。
重度精神障害者に適用されるのが適当なのは、
あらゆる行為能力を永久に剥奪される「成年被後見」だ。
あらゆる禁治産の中でも、最重度の禁治産。
侮辱に聞こえたとしても、事実関係に厳密に即した侮辱だ。
侮辱罪が法的に適用されるのも事実無根の侮辱までであって、
事実に即した侮辱は侮辱罪には当たらないから、
マスコミなども政治家や芸能人などの不品行を口を汚くして罵っている。
「人の悪を称するを悪む(陽貨第十七・二四)」も、
あくまで道徳上の徳目であって、その道徳をゴミクズも同然の扱いに付している、
法治主義者でもあるおまえらが振りかざせるものじゃない。
人間道徳をあえてかなぐり捨てているおまえらにこそ、
事実関係に即した侮辱を憎む権利は、自業自得で備わっていない。
俺が、侮辱ともとられかねない、歯に衣着せぬ物言いに及んでいるのは、
闘弁(礼記)を忌む儒家の要項に即しているからでもなければ、
事実無根でない侮辱を容認する法家の要項に即しているからでもない。
相手を侮ることで勝機の流れを呼び込む、
兵家のいち流儀を便宜的に用いているからでこそある。
兵法の活用は有事には正当でも、平時には不当となりかねないものだから、
勝って相手を服従させられて、有事が終われば、当然刀を鞘に納めるようにして、
侮辱ともとられかねないような能弁は自粛していかなければならない。
侮辱を耐え忍ぶ・耐え忍ばない以前に、
基本的な人間道徳すらかなぐり捨てている今の君らには、
事実に根差した侮辱や告発を憎む権利がない。
五摂家以上、天皇家以下。
五摂家ばかりから嫁を娶ってきた天皇家よりも、
母系の血筋については上かもしれない。
(もちろん天皇家自体は男系)
本当は、もう濡れ濡れか?
事実に根差した侮辱は、どんなに悪辣でも法的には無罪。
事実無根の侮辱は、どんなにもっともらしくても法的には有罪。
罪としたところで拘留一月以内程度の微罪だが、それでも有罪。
法律上は、そうなっている。
たとえ事実に根差そうとも侮辱全般を憚るのは、法律ではなく道徳の範疇。
とにかく侮辱されるのがイヤだというのなら、
法治から徳治に社会が移行するところから望まなければ。
やだやだ。過去の栄光(じつは、極悪非道)にしがみついて
現実から目をそむける妄想狂。なにが、藤原氏よ。どうせ、
われわれとおんなじ人間よ。妄想もたいがいにしてよね。
905 :
考える名無しさん:2011/06/28(火) 08:09:20.47 O
道徳はいらんのだろ?
法律だけで十分なんだろ?
ゴミクズどもよ。
906 :
考える名無しさん:2011/06/28(火) 08:23:56.96 0
東日本大震災の誘発も、
法治主義社会での侮辱に対する報復としては、
全く正当防衛には当たらない。
全ての罪責は誘発者の側にのみある。
仮に人工地震だったとすれば、な。
「道徳はいつの時代にも恒久普遍なものである」などという理想論にも逃げ込まず、
「今は道徳の価値が全く無効化されている濁世である」という現実への冷厳なるわきまえまでもがあるから、
貴様らゴミクズどもを侮辱することにも何らの良心の呵責を抱かない。
むしろその、現実へのわきまえが透徹しているからこそ、
現世に場違いな人間道徳を持ち込んで、事実に根差した侮辱と事実無根の侮辱をも
同列に扱うような、「甘ったれ」からなる過ちを犯すこともない。
東日本大震災の罪責の全返しも完了。
ついでに「非現実的理想主義者」という、俺自身やご先祖様の汚名も返上した。
不当なるは、ただ邪神の側のみ。
善悪の分別も疎かなら、現実の把捉もいち人間ほどにすら至らない、
人を司るだけの寸分の資格も持たない、独立独行型犯罪システムの側にのみ咎がある。
もちろん、孟子の性善説や、朱子の性即理説までをも否定するわけではなく、
むしろ荀子の性悪説や、王陽明の心即理説のほうに疑義を呈するわけだが。
性が善であり、即ち理であろうとも、情が濁って悪と化し、理に背くことはあるわけで、
性が情に覆い隠された結果、性情の総合である心までもが悪心と化して理に背くこともある。
だから、そこら中が悪心の持ち主だらけと化して、孔孟の説くような純良な人間道徳が
通用しない世の中が形成されることもあるのだということが、冷静にも認められる。
思想家としては一歩引いた所にいる歴史家の司馬遷が、あえて自答することなく
「史記」で呈した「天道是か非か」という命題にも、「天道は是であるが、その天道が
濁悪さに覆い隠されて世の中が非にまみれることがある」という正答を用意している。
兵家や法家のような現実主義的な東洋教学だけではなく、儒家の孟子のような
理想主義的な東洋教学との整合も厳密に図りつつ、侮辱をもこなしている。
藤原氏が人間ではないのではない。
おまえらが人でなしなだけだ。
911 :
考える名無しさん:2011/06/28(火) 20:39:44.71 0
容量超過寸前だが、アク禁中でもないのに、
システム変更でなかなかスレが立てられなくなっている。
元より「情報提供をできる限りに果たしておく」という、
最低限の説明責任の履行が本来の目的なので、新スレを立てることも
執拗に妨害されるというのなら、もうここでのスレ立ては諦めるまで。
情報の一般公開が、最低レベルのメディアですら妨げられるというのなら、
本当にチラシの裏にでも書きとめておくか、もしくは書くのを辞めるのみ。
別れを惜しむべきような相手ですら、ここにはまだ一人もいないのだし。
912 :
考える名無しさん:2011/06/28(火) 22:28:51.96 0
913 :
考える名無しさん:2011/06/28(火) 22:34:22.02 0
レベル(Lv)とやらの高いのがいて、まだ続けたいってんなら、
上を参考に新スレを立てるがいいさ。
「こういう立て方をすればいい」ってのはだいたい示したから、
それを自分たちでやっていこうってんなら、それでもいいし。
適当に我流でやっていこうってんなら、それでもいいし。
あんまり俺自身がこれからやっていきたい言行とかけ離れるようなら、
原型からはかけ離れて、本来とは全く無縁なものになるだけだし。
まあ・・、趣味の独り言コーナー、まだお続けになるの?
・・優雅な暇人であることだけは認めるわ。自分では「これこそ貴族的
ありようだ」とか思ってんだろうけど、ただのオジサンの酔狂の類よね。
別に「続けたい」などとは少しも思っていない。
米英本土占領や欧州委任統治のほうが始まって、
こんな所に書き込むヒマもなくなるってんなら、
当然そちらを優先しなければならない。
未だ人類滅亡級の火付盗賊どもの横行が続く限りにおいて、
それを回避駆逐する選択肢を最低限一般公開しておくことに、できる限りの最善を尽くしておく。
それもできなくなるというのなら、それまで。欲してどうこうというのではなく、あくまで義務の範疇。
俺はいま、「絶対受動」を貫く立場にある。
世の中全体が最悪級の重権力犯罪者に支配されている以上は、
何を積極的に行ったところで「権力犯罪の重大な共犯」になるだから、
できる限り消極的に何もせず、どうしてもしなければならないことだけ
イヤイヤするという、受動的な立場を貫くことで、共犯の嫌疑も退けている。
何をすることも、何をしようとすることも、今この俺に期待するのは全くの無駄。
どうしても何かをして欲しかったら、まずは今の世の中を支配している
重権力犯罪者ども(たぶん平均年齢も俺より遥かに年上)に対して、
即刻の世の中からの退場を促し、世の中の上層部が全くの「もぬけの殻」
となってからにしろ。それから俺が、米英本土占領最高司令官なり、
旧米英全軍と自衛隊を統帥する太元帥なりとして積極的に働き出す
というようなことは期待できるが、今はまだ、俺に「自分から何かをする」
などということを少しでも期待すべきではないし、したとしても無駄だ。
917 :
考える名無しさん:2011/06/29(水) 12:14:02.57 0
侮辱罪が、どうして事実に根ざした侮辱にまで適用されないかといって、
裁判官や検察官ですら、被告人への判決や告発を述べる際に、
被告人を侮辱するような言辞を踏まえる場合があるから。
事実に根ざした侮辱まで有罪に認定すれば、刑事関係での法律行為自体が
覚束なくなるというジレンマがあるから、どうしても罪に定めることができない。
少し前のテレビ番組だと、「マネーの虎」あたりが、
投資家が出資を請う起業者をめたくそに侮辱して
痛めつける姿をよく放映していた。
江戸時代の丁稚奉公なんかでも、
住み込みでやって来た丁稚を店の主人や先輩が
徹底的に侮辱しぬいて、「自分は人間のクズである」
という意識を植え付けることで、腰の低さをも根付かせていた。
士業や農工業と比べれば、最底辺の賤業に当たる商業でも、
(日本で商人以下の階級と見なされた部落も、所詮は商売の一種)
「事実に根ざした侮辱」によってお互いを貶めあうことが、仕事上の
重要事項として介在していて、どうしても完全には切り離すことができない。
稽古などで打ち鍛えられることで、かえって逞しく成長していくのが武の本懐で
ある一方で、不健全に打ち据えられ、痛めつけられてより卑小化していき、
立派な
立派な「金融乞食」に成り果てることで、かえって
商売人としては大成していくわけだから、人を侮辱するという行いが、
法律家だけでなく、商売人にも職業上、不可欠なものであることがわかる。
920 :
考える名無しさん:2011/06/29(水) 13:55:43.66 0
俺のご先祖様は、平安時代末期までは上流の公家として
君臨し、半ば理想主義に過ぎるような儒学統治をも志して、
公家社会から武家社会に移行する間際まで理想に固執し、
内紛でも武家の反則戦法を却下するなどして、敗死してもいる。
しかし、その子孫が武家に転向してからは、理想主義とはきっぱりと
袂を分かち、戦闘では武功を挙げ、統治にも武威を用いるなどの
現実性に根ざして鎌倉幕府にも評価され、三十万石程度に当たる
領地を、四百年近くも平和に治め続ける、大成功をも果たしている。
公家でありながら、武士の非道戦法を採用してウチに勝った側(今の五摂家にも当たる)
はといえば、公家としての領分をかなぐり捨ててまで勝利を得ようとしたために、
自業自得で武家の専横を招き、有職故実だの笛だの太鼓だのの、実務とはなんの
関係もないような形骸化した仕事ばかりをやらされる、肩身の狭い身分に追い込まれた。
理想主義的であるべきところと、現実主義的であるべきところの分別を付ける
という点において、ウチは五摂家以上の成功を果たしていたわけで、俺が理想と
現実の分別に長けていたとしても、それは先祖代代の血筋によるものだといえる。
俺に負けたんじゃなくて、FUJIWARAの血に負けたんだと思えば、多少は気が晴れるだろ。
こんな愚図の若僧に負かされたなどと思うよりは、
千三百年の伝統に敗れたものとしたほうが、恰好も付くだろうに。
(注:「藤原」は氏名ウジナであって家名ではない。いま藤原姓を名乗っているのは
明治の創氏改名移行の創作で、ウチも江戸時代以前から藤原姓を名乗っていない)
>>920で書いた通り、公家から武家に転向してからの年季が相当に入ってるから、
「雅な高貴さ」などという家風は、もうないぞ。
先年亡くなった爺さんも、男性器と女性器を象ったお守りを
財布に常に忍ばせてたんだぞ。
濡れせんべいオバサン
目の前で、こんな意地悪なことを言ったりはしないがね。
肝心の、その「目の前に現れる資格」が、今のあなたにはまだ無いものね。
全くの無罪と、全くの有罪。あまりにも開き過ぎた品性の格差。
己れに如かざる者を友とすること無かれ。(学而第一・八)
今はまだ徳治社会ではないので、ゴミクズが友達でもいいがな。
絶対に「対等でのお近づき」にはなれないレベルまで、品性の距離を引き離し尽くしたな。
おまえらこそが、おまえら自身の所業によって。
後はもう、対等や対等以上の立場であろうとすることを完全に放棄して、
全てをこちらに委ねる受刑者か、禁治産者かとしてしか、距離的にに近づく術はない。
おまえら自身がそうしたことだから。俺にその責任を押し付けることは許されない。
今後の友愛を絶対に不能と化す途を、おまえら自身があえて選択したのだから、
その方向で今後の行事を進めて行くことにも、ただ反意を唱えるのが許されないだけでなく、
おまえらのほうから積極的に推し進めていく義務すらもが生じたことになるわけだ。
926 :
考える名無しさん:2011/07/01(金) 13:26:11.73 0
「人の不善を言わば、まさに後の患いを如何すべき」
(「孟子」離婁章句下・九)
誰しもが、法治主義の上にあぐらをかいている状態の昨今、
その法治主義に則って、事実に根ざした侮辱を行っていた
この俺を糾弾する権利は、誰にもないといえる。
とはいえ、事実に根ざした侮辱もよしとしない徳治主義に
基づいたなら、十分な糾弾の対象ともなり得る。
これ以上、俺にでかい顔をさせたくなかったら、
天皇陛下にでも平身低頭お願いして、全世界を
挙げての徳治社会の復活を実現してもらえばいい。
そのほうが、ここでのスレ立て制限や書き込み制限などを
画策するよりも、よっぽど俺に対する牽制として有効となるだろう。
927 :
考える名無しさん:2011/07/01(金) 13:54:18.67 0
もとより俺も、徳治社会の復興を「先導」までしていくつもりは始めからなかった。
「天下道あれば、すなわち礼楽征伐は天子より出ずる。天下道なければ、すなわち礼楽征伐は諸侯より出ずる。
諸侯より出ずれば、けだし十世にして失われざることすくなし、陪臣国命を執れば、三世にして失わざる
ことすくなし。天下道あれば、すなわち政は大夫に在らず。天下道あれば、すなわち庶人は議せず」
(「論語」季氏第十六・二)
このような普遍性を述べた孔子自身、周朝の威徳が衰退して、諸侯の専横が極まっていた春秋時代後期に
士大夫としての成功を志し、諸侯をも圧倒するほどの威厳によって、各国の権力者から持て余されていた。
孔子が亡くなって後七十六年で西周が滅亡し、二十五×三≒七十六で、確かに「陪臣が国運を握れば
三代で国が滅ぶ」という予言を、孔子自身が見事なまでに体現してしまっている。
仮に俺が、道徳統治の復興を実務面で主導するような立場になろうとも、やはりそれを先導して
手綱を握る上位者がいるべきであり、それは庶民よりも大夫のほうが、大夫よりも諸侯のほうが、
そして諸侯よりも天子であったほうがいい。そのほうが確かに徳治の永続も期待できるから。
928 :
考える名無しさん:2011/07/01(金) 14:22:28.06 O
「鬼畜米英」という、戦前に流行した文句も、
米英に対する「事実に根差した侮辱」の一つだったといえる。
昭和天皇ご自身が当時このような悪口を述べたことはないだろうにしろ、
帝国陸海軍の全軍を統帥する大元帥でもあった、「日本国の最高権力者」としての
立場でありながら、「鬼畜米英」のような侮辱語を十分に取り締まらなかったあたり、
すでにあの頃に徳治の実践が十分ではなかったといえる。
そのせいで米英を怒らせて、広場長崎に原爆を投下させて、数十万人の日本国民を
虐殺させたとも考えられなくはないわけで、その昭和天皇の血を引く今の皇族にも、
侮辱で敵国を怒らせて自国民を傷つけるという落ち度を、
自分たちの潔白と共に糾弾することまではできないという事情がある。
もちろんそれでも、天子の号令に即して徳治の復興が始まるというのなら、
俺も天子に臣従する形での、復興の協力に務めていくつもりだ。
929 :
考える名無しさん:2011/07/02(土) 12:55:04.03 0
いま一度、現行法との厳密な整合性を図るなら、
(名誉毀損罪に関する規定の抜粋)
刑法第二百三十条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の
有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
刑法第二百三十条の二 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図る
ことにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
(侮辱罪に関する規定)
刑法二百三十一条
事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。
聖書信仰や洋学が、人類を滅亡に陥れる邪教邪学である事実を摘示し、
それでも未だ聖書信仰や洋学を嗜好して、重権力犯罪にも及び続けようとする
重度精神障害者たちに対して、目を覚まさせて改悛させて、禁治産や措置入院や
服役などの、それぞれの病状や罪状に見合った適正な処分への服務を促す目的で、
便宜的に「ゴミクズ」や「地獄の鬼畜」などの、事実に根ざした叱咤をも行った。
それによって重権力犯罪をも収拾させて、人類の滅亡を防ぐという公益上の目的もあった。
故に、俺がこれまでネット上で行ってきた発言は全て、
公益を図ることを目的として、事実を摘示しつつ行う糾弾や侮辱を
罪から除外する、現行の法定上の規定に基づけば、無罪である。
930 :
考える名無しさん:2011/07/02(土) 13:13:45.20 0
米英の法体系であるコモン・ローにおいても、「名誉毀損とは、
虚偽の名声の提示によって評価を低下させる行為」である」とされる。
事実に根ざしていて、なおかつその事実を提示しつつ行われる
侮辱や罵倒は、米英の法体系に即しても、無罪に相当する。
931 :
考える名無しさん:2011/07/04(月) 11:21:33.20 O
「絶対友愛不可」の先にあるもの――
932 :
考える名無しさん:2011/07/07(木) 02:45:42.25 O
魔尽
哲学は現実世界の解析ですよねー!?♪。
法に基づけば、無罪なら、無罪なの? へぇ。犯罪者に特有の心理ね。
935 :
君子:2011/07/08(金) 08:14:50.71 O
無論、犯罪者どもにこそ特有の土俵であり、
そんな土俵上で勝ったからといって、何ら喜ぶには値しない。
936 :
人の悪を称するを悪む:2011/07/08(金) 08:57:59.77 O
おまえらの土俵でこそ、おまえらの一人相撲が完敗なわけだが。
こちらの土俵では、果たして――
937 :
考える名無しさん:2011/07/09(土) 11:58:02.69 0
亡くなった祖父は、家について語ることを極力避けていた。
高名な家に嫁いだということで、祖母も始めは家のことについて
根掘り葉掘り聞きたがり、実家の故郷の史跡などについても調べようとした。
すると祖父が「おまえには関係のないことだ!」と憤ったために、祖母も
それ以上、家について語ったり調べたりすることは避けるようになったという。
どうも、ウチは「倒幕」の最高責任者だったらしい――
938 :
考える名無しさん:2011/07/09(土) 14:29:49.54 O
倒幕の最高責任者ではあるが、“幕府方”の倒幕の最高責任者でもある。
幕府方の倒幕の最高責任者だから、倒幕全体の最高責任者でもある。
倒幕全体の最高責任者でありながら、幕府方でもあったから、
主命をないがしろにした責任を取って、民間での鳴かず飛ばずに甘んじて来たのだ。
役職を名乗れば、一発で正体がばれるレベルの重職。
939 :
考える名無しさん:2011/07/09(土) 14:58:44.98 O
系図粉飾無しの、本物の藤原氏だから、
ニセ源氏の徳川を倒したところで、系譜上からは後ろめたくもないが、
それにしたって封建上の主従関係をないがしろにしたわけだから、
信用問題から、維新後に正式な仕官を志すことは憚っていた。
もちろん徳川幕府にも、外様冷遇などの仁義道徳に根差した落ち度があり、
その落ち度からなる多大な疲弊をも、我が家や我が郷土は被っていた。
「釈遠謀近(三略)」という前幕府の落ち度を補った、「柔遠能近(書経)」の治世を実現できて初めて、
倒幕の幕府方からの主導という、我が先祖の行いにも正当性を持たせることができる。
940 :
考える名無しさん:2011/07/09(土) 15:37:12.92 0
うちから遠く離れた東北が甚大な被害を被り、
「明日はわが身」というような状態で、急に態度を
変えたりすれば、それは「釈遠謀近」ということになる。
仮にそれで幕府を開いたところで、今度は
東北出身者あたりに、倒幕の口実を与えてしまうことになる。
それではいけない。「明日はわが身」というのならば、
率先してその明日を迎えようとすらしなければならない。
そうでなければ、「柔遠能近」によって全国全土を丸く
治めていく名分が立たない。それでは自分が先祖に
顔向けすることもできない。だから何も変えはしない。
分かったか? ゴミクズども。
941 :
考える名無しさん:
とはいえ、ここでのスレ立ては強制的に制止されているので、
スレ立てからのここでの書き込みは一旦、終わりを迎える。
気の合うネット仲間なども一人もいないんで、
変わりにスレを立ててもらうなどということもできない。
己れに如かざる者を友とせぬことからなる浩然の気は、
烏合の衆同士でのバカ騒ぎなどよりも遥かにすがすがしいものだ。
自分より遥かに年配の人々ならともかく、同年代やそれ以下で
己れに如かざらぬ者に出会った試しは、まだ一度もない。
自分と同等やそれ以上の格に当たる、同年代以下の人間が
いるというのならそれは大歓迎なことであり、同等なら
友達にもなりたいし、格上なら畏敬を尽くしたいものだ。
いずれにしろ、それはネット上などで実現できることではなかった。