◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない179◆
1 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :
私達が乗っかっている「惑星」=地球は実は「宇宙」からすると
「取るに足らない銀河の取るに足らない太陽(恒星)系のとるに
足らない惑星上の出来事」が「全て」である・・ということを
「正確に認識」・することが重要です。
そして(人類に)そこまで判ったのは、「つい最近のこと」だと
いうことを理解することが重要です。
「社会学」や「政治学」や「法学」等々の「人文科学」は、一度
「文化人類学」や「宇宙物理学」や「分子生物学」の「片鱗」でも
良いので、「学習する(自分の学際化した象牙の塔に受け入れる」こと
が「是非必要である」・・ということです
2 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/09(土) 00:16:05 0
「理論物理学」や最近話題の「(有機)化学」も非常に重要です。
「式」を読めない場合でも「原理」を理解することは出来る筈です。
「ノーベル賞取ったから偉い(に違いない!)」・・というだけの理解では
(仮に「知的存在」を自認する為には)少し寂しい?・・ような気がいたします。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
3 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/09(土) 00:22:15 0
>>891 :スモ:2010/10/03(日) 23:33:48 0
>そのこと(それができること)を「絶対的本質の存在」として見なす
>そこに(「観念に」ではなく、「観念が生じること」に)本質はないのだろうか?
「本質」というのは観念論者が希求する「希望的イデア」であり、「実はそんなモノはない」
・・・といういのが「唯物論(真理)的帰結」です。
「観念論者」とは一生「それは本質である(あるいは)本質でない」とかの
「無駄な論議」に時間を費やすことに喜びを見いだす方達・・のことです。
本日は就寝させて戴きます。
4 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 00:55:59 0
>機械さん
>>1の文章を10年ぶり??に変えたんですね。何か理由はあるのですか?
5 :
「機械的唯物論」者:2010/10/09(土) 01:03:35 0
>>4 何か文句あんのか?
テンプレの変更は機械的に決定されてんだ。
テンプレが真理じゃねえんだよ。
真理さえ決定論的に決定されてんだよ。
何を言ったって変わるか変わらないかも決まってんだ。
てめえがここに来るのに何の理由があるってんだ?あぁ?!
6 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 01:13:31 0
決定されていることは真理だということが意思の自由を軽視することに問題がある。
確かに運命のような事もあるだろうが、努力とか意志とかの可能性にかける人生もある。
まあ、みんな何時かは死んで墓場に入るとしても意志の自由はあったと思いたい。
7 :
「機械的唯物論」神:2010/10/09(土) 01:14:07 0
なめんなよ?!コラ!
真理なんてどうだっていいんだ。
機械の言ってることは正しいんだ。
けど所詮は機械なわけで機械みたいな人間なんだよ。
機械仕掛けの冷血動物と同じで、人間に見えないゾンビみたいなんだから。
そういう人間性に食らいついていく人がいるからここがある。
機械の人間性も大したもんだよ。
そういう腰抜け連中や魂のない亡霊を相手に決定決定と言い続けてりゃいい。
教祖と狂信家と変わらんだろ。
8 :
「機械的唯物論」最高神:2010/10/09(土) 01:20:53 0
私の言説は疑う者はいない。
疑いを意図的に生じさせるのがキカイとかいう唯物屋だ。
疑うに値することを、言ったのが終わりだ。
スキを見せたな。
初めからスキだらけだったが。
キカイの時代の終焉だ。
9 :
「機械的唯物論」最高神:2010/10/09(土) 01:26:32 0
私がこれからはこの
スレッドの主である。
これまでのバカキカイに
代わって真実を指揮する。
機械的唯物論者は魔術師であり
いかさま師に匹敵する
ハッタリ野郎だ。
安心しろ。私は真実を説く。
お前らが「ひっかかってる」
ところをすべて解決する。
というより、
キカイが釣り師だっただけ
というだけなのだ。
10 :
「機械的唯物論」最高神:2010/10/09(土) 01:31:29 0
さあ!
いつまでも君たちは外敵に翻弄されるのか?!
女に翻弄されてるみたいで情けないぞ!
君たちの欲望が君たちを囚人にしてる。
キカイに期待するな。
私に期待せよ!!!
必ず満足させる。
11 :
スモ:2010/10/09(土) 03:03:39 0
>>3 機械氏は自分の人生において観念的に考えたりすることはありませんか?
つまり、唯物的に見れば何気ない普通の石ころだったりするものが
貴方の人生において思い出深い“しるし”を刻むものだったとして、
そのことを私がただの石ころだと一笑しても貴方は黙っていられるでしょうか?
ええ、貴方は観念的な考えを持ち出して擁護するでしょうし、それによって喜びを見いだしてると思います
12 :
スモ:2010/10/09(土) 03:13:33 0
>唯物的に見れば、っておかしいな
ちょっと苦しい返答かなあw
「無駄かも…」ってなネガティブな考えが横切らないことはない
しかし、皮肉なことに機械氏が焚き木になってることにお気づきか?
とりあえず一服させろ
冴えがない・・・
13 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 03:31:58 O
ブント青年
14 :
にゃ:2010/10/09(土) 03:50:54 0
すべてがもう決定しているならばそれはそれでいいのではないかな?
もし選択が出来るならばより良い選択をしなければならないが、より良
い選択の基準は無いと思う。
死んだら目が覚めるんだよ
私がスモ氏の林檎のくだりにしびれたのは、
それに啓発されて、個人的に実在世界の存在を確信できたからです。
なのでスモ氏の思惑とは離れた、手前勝手な思考軌道上での感慨です。
*************
「意味」が成立するのは意識に於いてである、かもしれない。
しかし、意識は既に外部器官なのであり、私ではない。
「意識」と「いわゆる外部世界」との境界は、観念内に於いて作為的にしか引くことができない。
意味を成立させるために、私は「いわゆる外部世界」に向けて行為する。
行為に対する反応は常に期待されており、それは意識として成立する。
これをもって、私は「外部世界の何ものかを知り得た」と判断する。
ところで、「いわゆる外部世界」と「実在の外部世界」を区別することには
いかような意味があるでしょうか。
それは、検証不可能な作為的な妄想として「のみ」意味が成立する。
そしてこの区別は、世界五分前創造仮説や、水槽脳と同様の「妄想」でしょう。
かようにして、実在の外部世界は、あらゆる意味で単独かつ無矛盾に成立可能なのであります。
りんごのくだりって何?
thx
21 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 16:07:25 0
>>20 この板からスレッドと履歴が一斉に消えたのを見て機械氏が慌てて立てたとき
128とかに間違えたようだ
正しくは128→178ではなかったかと思うがどうでもいい
クオリア、単数形ではクオレ
23 :
考える名無しさん:2010/10/09(土) 21:18:14 0
>>21 見苦しいほど慌ててたな
本当に2chについては無知のようだった
24 :
唯意味論:2010/10/09(土) 23:51:59 0
>>16 細かく突っ込んでおく。
「意識において」成立するものなどありません。意識は常に“何かの意識”
であり、自立的にそれ自体として「ある」ものではないのです。
>>3 そのとおりです。不変の本質的存在(実体)などありません。
機械さんが「それしか存在しない」という“物質”も単なる現象です。
25 :
超越論的観念論者:2010/10/09(土) 23:55:41 0
決定論は、ニュートン的な自然観にもとづいている。宇宙における自然現象はマクロではもちろん、ミクロな量子レベルでも方程式の規則のとおりに
すすんでしまう。しかし、そこに精神がからむとどうなるか。
時間ないのでつづきはあとで
>>24 >意識は常に“何かの意識
私には全然ピンときませんが。唯意味論さんの思い込みではないですかね。
意識に於いて成立しないのなら、「何か」だけがあればよいのではないですか。
意識など不要でしょう。
>自立的にそれ自体として「ある」ものではないのです。
自立的にそれ自体として「ある」もの、とは何でしょうね。
それを示し得ないならば、その文に意味が無くなるのではないですか。
「自立的」との言葉自体が妄想として宙に浮くのみでしょう。
27 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/10(日) 01:24:41 0
>>24 >機械さんが「それしか存在しない」という“物質”も単なる現象です。
「単なる」はさておき「現象」が私達の「現前」に現れなくなるとどうなるでしょう?
私達の脳は寝ているときでも「夢を見ているレム睡眠」状態を1日に5〜6回繰り返しております。
勿論「夢の全て」を覚えている方は殆ど居ないでしょうが「観測されれば数回も夢を見ている」のです。
「夢」については多説ありますが「脳細胞の棚卸し」のような役割を担っている・・と考えるのが妥当のようです。
すなわち「嫌なことがあった日」にその「嫌なことに類似した夢を見ること」で、
実際のストレスが軽減される・・・というような「夢の機能」があるということです。
そして「物質」とは「電磁波(光)」とかを含む「粒子と力の総体」のことですので、
その「粒子」にはアップ・ダウン・ストレンジ・チャームの種類が有名ですが、他にも
トップ・ボトムのクォークが既に発見されており、例えば「陽子」は
アップ+アップ+ダウン・・とか、「中性子」はアップ+ダウン+ダウン・・とかの
「構成」自体が「物理学によって確定」されております。
28 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/10(日) 01:26:04 0
他の粒子も、数十種類発見されており6種(12種)のクォークが「大部分の「宇宙から来る粒子」
の「構成物」であることは既に解明されております。
他には「レプトン」として「電子ニュートリノ」ミューオンニュートリノ」
「タウニュートリノ」おなじみの!「電子」、ミュー量子、タウ粒子があり、
粒子間の「力を媒介する粒子」として
「ゲージ粒子」である
「光子」「W粒子」「Z粒子」「グルーオン」がある「だけ」です。
創意いう意味では「宇宙は『かなり単純な粒子の組み合わせ』」にすぎない
・・というこTです。
「この宇宙の全て」・・・は(重力等を含めて)・・それらの「粒子」で
説明できてしまう・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>1 だから「取るに足らない」とか卑下してるけど、
ではこの宇宙で「取るに足るもの」とは何なの? その理由は?
前スレでは「人間は無駄なもの」とあったから、
では「無駄ではないもの」とは何なのか?その理由は?
と質問したけどバックレタよな
30 :
あまの:2010/10/10(日) 02:50:30 0
>>28 え?電子や素粒子どころか普通の物質も波(確率の波)の性質を持っているし
光は回折も起こすと同時に質量ももっていて粒子と波の間で揺れているわけだけど。
あんたの言ってること滅茶苦茶じゃね?
31 :
あまの:2010/10/10(日) 03:11:02 0
粒子にこだわる理由って何なんだろうね?
日常的な生活感から遠すぎるのか、
単に感情的に「イヤイヤ」しているのか。
現実にある現象そのもを無視してるわけだからねえ。
32 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 11:19:18 0
>>30 粒子の二重性についてはさんざん機械と議論済み
二重といえば二重スリットとかもあったしw
33 :
唯意味論:2010/10/10(日) 11:41:36 0
>>26 ほう、これは異なことを聞きました。
意識もまた“実体”をもっているわけですか。
対象と相関しない意識? わかりやすく説明してください。
逆に「何か(対象)」も、それ自体としては存在できないのです。
その意識と対象の“ありよう”を「相関」と呼ぶのです。
貴方は一切の観測者がいなくても、たとえば“月”はあると思っているのでしょう?
それはもう“月”ではないということです。
自立的とか自体的というのは、ご指摘のように“妄想”の表現です。
いいかえれば、何かが自立しているとか、それ自体としてある、との思いは
妄想だと述べているのです。
34 :
唯意味論:2010/10/10(日) 12:04:48 0
>>27>>28 で機械氏が披瀝された、ご自慢の“諸知見”もそれ自体として「ある」
わけではない、ということです。
それらは、観測相関を“概念”によって説明したもので“それ自体”など一つも
ありません。
また「確定された」ものもなく、現時点における「もっとも整合性のある説明」
すなわち“仮説”と呼ぶべき言表です。
>>31 機械氏が“粒子”に拘泥するのは、ニュートンからアインシュタインまでは追随
できたようだが、その後の“量子飛躍”に乗れなかったからだそうです。w
>>33 >意識もまた“実体”をもっているわけですか
??
意識は実体とは言えないでしょう。
「意識に於いて成立」するのだから、オカルト的にい言えば、意識は「場」に於ける現象です。
意識に於いて対象が成立するのと同時に主体も不可避的に生じるように思いますが・・
まあ、意識で意識を見つめたところで、所詮は犬の尻尾喰いにすぎないわけでしょうけど。
>対象と相関しない意識?わかりやすく説明してください。
意識が対象と相関してしまったら、意識は何かしらの実体を伴うことになってしまうと思いますが。
それって、おかしくないですかね。
>意識と対象の“ありよう”を「相関」と呼ぶのです
私には、これも意識に実体を仮定しているように思えますが。
>貴方は一切の観測者がいなくても、たとえば“月”はあると思っているのでしょう?
ここが私と唯意味論さんの致命的な相違・軋轢なんでしょうw
私は誰が見ていなくても当然にして「月はある」と思います。
それを否定できる根拠など一つも無いわけです。
あるとすれば、ヒトによる無制限の妄想です。
誰も見ていない時には月が無いような世界ならば、私も時々は消えているのです。
私の存在も相関でしかないわけですから。
それでも別に結構ですが、果てしなく無駄な妄想でしょう。
しかし、これはスモ氏のレスを参考に、もう少し考えてみます。
>自立的とか自体的というのは、ご指摘のように“妄想”の表現です。
私が言いたいのは、唯意味論さんが「自立的なもの」を示し得ないならば、それは妄想でしょう、
ということです。
「自立的」など妄想だと思っているのに、「意識は自立的ではない」と言われることに違和感があるわけです。
全てが妄想であるなら、妄想の意味が蒸発しませんか。
例えれば100年前、宇宙の絶対基準となりかけたエーテルが消滅したようにw
私は、世界に「実体」の存在を仮定しているので、「自立的」には意味がある、
と思っています。「物質の自発性」とか言っちゃってる訳ですから。
最後に、意識が自立的かどうか、私にはよく分かりません。
意識はもっと複合的なもので、解体可能だと予想しています。
37 :
考える名無しさん:2010/10/10(日) 22:17:54 0
>>2 >最近話題の「(有機)化学」も非常に重要です。
>「式」を読めない場合でも「原理」を理解することは出来る筈です。
最近ニュースをあまりみてないので教えてほしいのですが、今回ノーベル賞をとった内容はどのような内容、原理のものであったのでしょうか?
38 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/11(月) 00:14:38 0
>>36 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/10(日) 13:20:45 0
>私は、世界に「実体」の存在を仮定しているので・・・
仮定すると言う事は、実在性は証明されないが実在すると仮に定めると言うことで、私などはその仮定のことを妄想とか方便とかと受け取ります。
月の観念を持つとは月を実在すると仮定することに他なりません。
そのことを絶対的存在性が無い妄想(仮定)に過ぎないと言っています。
しかし一旦仮定した以上、観念上存在するので妄想ではなくなります。
自性がないと言うのは仮定とかに拠らない自明の実在性の事です。
>意識はもっと複合的なもので、解体可能だと予想しています。
おっしゃるとおりだと思います。
良く意識を分類する人がいますが(阿頼耶識だとか)、間違いだと思います。
じいさん、
私は妄想と仮定を分けて使おうと思ってます。
妄想は、不合理または無駄な観念の分裂・浮遊を孕みながら強行する空想、
仮定は、仮定により合理的な説明が可能である意味の設定、
なんて風に、とりあえずしている。
だいたい、仮定も無しに「何ものかを知り得る」とか、ありますかね。
40 :
唯意味論:2010/10/11(月) 01:17:36 0
>>35 「月ではなくなる」といっているのです。
月という“意味”がなくなる、ということです。
では、何が「ある」のでしょうか。
「場における…」との言い方も怪しいですね。
ここはカンだけで述べますが、あらかじめ“場”があって、その上に何かが
生じるのではないでしょう? 何かが生じるときに“場”が形成されるのでは?
たとえば私たちが“月”と呼んでいる対象の“実体”は何ですか?
近くにある(であろう)コップでもいい。
物体と称しているものを一つあげて、その“実体”述べてください。
(注・実体とは不変の本質的存在の謂い)
41 :
考える名無しさん:2010/10/11(月) 01:23:38 0
42 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/11(月) 01:26:01 0
>>38 >しかし一旦仮定した以上、観念上存在するので妄想ではなくなります。
観念論の典型的な主張ですが、
例えばですが、
「河童を一旦仮定すると妄想ではなくなる」
「妖精を一旦仮定すると妄想ではなくなる」
「天狗を一旦仮定すると妄想ではなくなる」
「幽霊を一旦仮定すると妄想ではなくなる」
・・・と限りなく
(「妄想」)を拡大するというのが「観念論の常道」です。
「実在するモノ」と「(共同的に)妄想されているモノ」の区別こそが
「(自然)科学の発端」なのですが、その「発端への旅」の途中で挫折する
・・・そういう「学問としての不誠実さ=自己欺瞞」こそが
「全ての『観念論』の存在理由」であるということです。
観念論という「一種の精神的麻薬」の誘惑に打ち勝つことが出来ない弱い頭脳
が(宗教を筆頭とする)観念論に走り・・・「真理」から人類を遠ざけようとする
・・というのが「今までの人類(という動物)の惨めな敗北の歴史」だということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
43 :
唯意味論:2010/10/11(月) 01:30:16 0
>>36 抄録さんの“実体”という概念は、私の“有”に近い感じがする。
むろん私も“有”から始めている。じいさんは少し違うようだが。
ただし、この“有”には実体(不変の本質的存在)といえるものは
ないのでないか、といっているのです。
あるとすれば、それはどのようなものですか。
↑いい妄想の例
45 :
唯意味論:2010/10/11(月) 01:35:45 0
>>42 機械さん、最終真理なんぞという概念こそが最大級の妄想的産物です。
46 :
44:2010/10/11(月) 01:39:37 0
誤射してしまいましたw
47 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/11(月) 01:42:05 0
「(自然科学的)月の実在性」は「観測結果」によるモノであり、
「(自然科学的)小惑星イトカワの実在性」は「観測結果」によるモノである
ことと「同等」なのです。
「普通の人類が見上げれば存在するから月は存在する」・・というレベルで言えば
「普通の人が見上げても存在を肉眼で確認できないから小惑星イトカワの『存在性?』は
月の『存在性?』より一段落ちる・・というのは(自然科学的に見れば)「間違い」なのです。
現在「直接観測されている『天体』の実在性」は、距離の如何に関わらず「同等」だと言うことが
出来ます。
「肉眼(あるいは光学望遠鏡)で見えるから実在する」「肉眼で見えない星(等)は実在するか判らない」
・という態度(主張)は「現前至上主義」という「観念論的誤謬の(典型的な)1パターン」にすぎません。
本日は就寝させて戴きます。
48 :
唯意味論:2010/10/11(月) 01:45:18 0
>>46 いえいえ、妄言、戯言を垂れ流しています(苦笑)
唯物論をこじらせた結果が妄想だろ
なにしろ物質として現れているって信じちゃうわけだからね
診療内科にお世話になるのは乱調気味の実在論者なんだよ
51 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/11(月) 01:50:11 0
>>45 では、あなたはご臨終になるときに「真理か似非真理か(結局)絶対に判らない世界観」
を抱きつつ・・・「一生を終える」・・ということは「自分にとって必然である」と
断定されているわけで、「結局真理だろうが善悪だろうが何にも理解しないで私は消えてゆく(であろう)」
と宣言されているだけのことで、それについては「あなたは観念論という病を患っているから
「『真理』をかいま見る機会を失った方ですね、ご愁傷様」・と申し上げるしかありません。
本日は就寝させて戴きます。
52 :
唯意味論:2010/10/11(月) 01:54:25 0
>>47 私たちの意識と相関する或る現象を“月”と称しているのです。
意識的相関として「ある」ということです。
イトカワは観測的相関として「ある」のでしょう。
加減町工場のおっさんの世界観によくみんな付き合ってあげてるよ
54 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/11(月) 02:05:20 0
>>52 「ムーン」と「称し」ようが「月の実在」は明確ですし、
「小惑星イトカワ」も同様です。
月は(一般人が)目視可能ですが、「イトカワ」の目視は
不可能です。
しかし「月もイトカワも太陽系内に実在する」ということは
事実(真実=真理)であり、「現前性(月のような)が無ければ
「存在性」は疑問(を投げかける隙間がある)・・という「馬鹿げた
観念論」はあまりにも「無理があるでしょう?」・・としか言いようがありません。
「馬鹿げた屁理屈=『馬鹿げた屁理屈にすぎない』ので、ゴミ箱に直行」・・という思想が
必要だとは思われます。
本日は就寝させて戴きます。
55 :
唯意味論:2010/10/11(月) 02:05:56 0
>>51 まだ意識がハッキリしているときですか。
たぶん、何がしかの「意味」を感慨として自らに表出するのではないかな?
ただし、それを真理だの正義だのと大げさにはかんがえないでしょうね。w
まぁ、そのときになってみないと、なんともいえませんが。
>>40 >月という“意味”がなくなる、ということです。
>では、何が「ある」のでしょうか
いや、私が訊きたいw
月という「意味」が無くなったと。
しかし尚、何かがあるのですか?
それとも何も無いのですか?
私は当然w、月も、月の意味も無くならないと思います。
世界は繋がっていますので、「ただ月が無くなっただけ」の世界など、もとより成立しないのです。
誰が見ていなくても、この世界は完全に「月のある世界」としてのみ成立してるのです。
>「場における…」との言い方も怪しいですね。
当然怪しいw。
意識など、なんとでも解釈できますので。意識「場」などオカルトですよ。
ただ、「意識と何ものかが相関する」とは変だな、と思う訳です。
意識は現象そのものであり、成立するもの、とするのが私にはしっくりするわけです。
そうでないと、その相関の結果は何か?それも意識なのか?・・と面倒ですので。
「場」について、湯川秀樹先生の受け売りを適当に解釈しますが、
場があるとは、それ自体は物があることを必要としない。そこに物質がやってきた時に
ある点に依存する力のベクトルが期待されるとき、このようなしろものを場と言う。
>私たちが“月”と呼んでいる対象の“実体”は何ですか?
>物体と称しているものを一つあげて、その“実体”述べてください。
「これこれである」なんて言ったら、それはどうやっても「概念」と言い捨てられますよね。
唯意味論さん、以前にもンドール氏にそんなことを言ってましたが、
分かってて無茶ぶりしたらいかんと思いますよ。
私は世界に確かに実体を要請しています。それについて少し説明しましたですよね。
質量とか電荷とかを実体とでも呼ぶしかない、ぐらいの感じですけど。
コップとか月とかの実体などよく分かりません。このようなマクロの剛体は、
現象的な部分はほとんど無視して「そこにあるそのコップが実体である」としても
ほとんど問題ないと思ってます。
58 :
唯意味論:2010/10/11(月) 02:16:53 0
>>54 月もイトカワの太陽系も実在している、とはいいません。量子論では…。w
それらは現象しているのです。
少し前ですが、唯意味論さんはに図らずも
「刻々と、私も東京駅も死につつあります。w 」
なんて「普遍的な時間の実在」を口走っておられましたよね。
『認識可能だが認識されていない《対象》(対象と言えるのかどうか微妙ですが)』にも
時間は経過してしまう。時間が経過した意味と矛盾する事態など絶対に出てこない。
事実としてこれを無視することはできない。
時間すら「意識的相関」などと言い出すなら、何らかの空想をでっち上げる必要があるでしょう。
・「認識可能な世界は理解可能に繋がっており、その局所的な時間は常時経過している。」
これを仮定せずに世界に起こる事件に意味を与えることは絶望的に困難です。
相対論とか量子論が世界認識の修正に成功したのは、従来の方式(=常識)では不都合な
事件が起きていたからです。
何ら不都合が無い状況下で、局部的に常識の転覆を謀れば、前提としている常識に
不都合が生じてしまう。モグラ叩きですよ。
カント先生は破綻を回避するために、さまざま苦労されたのだろうなと推察します。
現在の状況を見たらどう思われるのでしょう。知ったこっちゃないですけどw
常識を舐めたらいかんのです。
常識には40億年に渡り生命システムが不都合を回避してきた歴史の刻印があるわけです。
***********
盛り上がってるようですがw
あたくし、今週はこれから追い込みですので、できれば週末にでも参加させてくださいw
おやすみなさい。
61 :
あまの:2010/10/11(月) 02:24:20 0
質量も電荷もエネルギーも同じですよね
物質の質量は内部のクオークやレプトンの運動エネルギーですから
しかし「物質」の内部に分け入って振るいにかけていって残った「物質」の「実体」は「加速されにくさ」です。ww
62 :
唯意味論:2010/10/11(月) 02:28:18 0
>>56 抄録さんは実在、実体を言い募ってこられました。
意識や観測の主体が消滅したら何が残るかに答える義務があるのでは?
63 :
あまの:2010/10/11(月) 02:36:43 0
粒粒にこだわって調べていくと最終的には「加速されにくさ」なんですよ。
粒粒から世界を記述するとさまざまな「加速されにくさ」の「せめぎあい」
や「同居」、「融合」が段階的な飛躍を持って延延と繰り広げられている。
多分それで終わりです。www
いいんですか?こんなのが最終真理で。www
64 :
あまの:2010/10/11(月) 02:41:34 0
あくまで、粒粒へ、終始、義理を捨てずに記述していった結果の話ですが・・・
65 :
あまの:2010/10/11(月) 02:56:54 0
これはもう「物質」というのはあるひとつの「形式」、まあ音楽に例えると
旋法音楽、ルネサンスポリフォニー、バロックの和声ポリフォニー、古典、ロマンのように
音楽の書き方、形式を変えつつ、作曲家がそれにそって内容を表現する。
言ってみれば、そのような「形式」だと見なしたほうが「すっきり」するように見えるのですが。
もう「物質」に悩まされずに世界の内実をほかに探せるのではないかと。
哲学にとってこっちのほうがはるかに語るべきものが多そうな気がするんですよ。
>>62 そいつは宿題でw五年後ぐらいに
超絶さん的には諸行無常、時間だけは残る。
しかし一切の観測系が水泡に帰すならそれも危ういか。
スモ氏的には、意味を成立させる形式は残る。
「形式」とかさらに怪しい。
これは私の勝手な我田引水w スモ氏すまんw
おお
あまの
「形式」の称号は貴方にやるw
その語るべきものを語り給え。はっは
dat落ちした前スレを見て返信しますが・・・
>962 :じいさん
>では无受想行識とか无意識(意識の領域はない)と言うことも根本ですか?
僕はそう思います。
ただ、「空」は「無」とは違うので、厳密に言えば「ない」とは言えないでしょう。
「ない」か「ある」かの二者択一であるならば、「ある」だと僕は思います。
「ない」と言う場合には、「独立自存するものとしては」という条件が必要です。
「色即是空、空即是色」。
「色」は、「ない」のではなく、縁起において「ある」と思います。
(引用)
「〈もの〉はそれ自体が実体として現象し存在するのではないことを〈色即是空〉といい、
また実体としてではなくて、諸条件に支えられているからこそ、〈そのもの〉が〈そのもの〉として
現象し存在することを〈空即是色〉と説く。」(岩波仏教辞典)
「諸条件に支えられて」、「存在する」。つまり「ある」です。
>965 :じいさん
>無限背進・・・なんか哲学用語とは思えないアバウトな言葉ですね。
>
>このときにポイントは「私」と<?>は同一かと言うことでしょうね。
>たぶん貴方は 違う者であると言うことなんでしょうね。
自分が二人いるわけではないので「違う者」と言ってしまうとおかしいですが、かといって、「同一」でもないと思います。
『「自分」が「自分」を意識する』こと、つまり自己意識において、「自分」が主語と目的語に分かれているように、
一つである「自分」の中には、ある種の自己分裂があると思います。
仕事中に、【(俺は眠いと思っている)と思っている】場合、( )の外の「思っている」は、
実際には大なり小なり具体的な内容を伴っていて、例えば、「残業続きだからしょうがない!」と思っていたり、
あるいは漠然と、「こんなことじゃあだめだ!」と思っていたりするでしょう。
そう思っている「自分」は、( )の中の「自分」に対して、それを肯定したり否定したりして、何らかの態度を取っています。
自己を意識する「自分」は、そのような形で二つに分かれており、
そのように二つであることにおいて、それが一つである「自分」だと思います。
>965 :じいさん
>こうやって 多分。・・・超越論的な「私」と言うイカサマが作られていくんでしょうね。
僕が書いていること(乃至>919-920で引用した「実存」的な考え方)は、
カントやフッサールの超越論的自我という考え方とはかなり違います。
超越論的自我は、人間の認識について説明するためのモデルのようなものです。
そして超越論的自我そのものは、形式的な「点」のようなものでしかありません。
それとは違って、実存的思想は、今ここに現に生きている「自分」にもっと密着した考え方です。
だから実存的思想では、「意識」だけでなく「身体」が重要性をもつし、
「認識」だけではなく「行為」が重要になってきます。
形式的な「点」のような超越論的自我を、実存的立場から批判するとすれば、
「超越論的自我」は、他人事のように語られてしまった「自我」である、と言えると思います。
>963 :唯意味論さん
>単純なことです。
>無自性なものに「関係という事態はない」といっているのです。
>無自性なものは理や律には従わない、因果も縁起もしない、ということです。
これを読んでもやはり唯意味論さんがどういうことを言っているのか分かりませんでしたが、
抄録さんへのレス>975を見て、唯意味論さんが誤解している点が分かりました。
>位置と形と量があれば、十分すぎるほどの“自性”があるといえるのではないか。
>無自性という場合、カタチがないのが前提。当然、位置も確定できず、量もありません。
唯意味論さんは、「自性」の意味を誤解していると思います。
無自性だから「カタチがない」ということはありません。
じいさんへのレスでも書いたように、無自性(空)であっても、〈カタチあるもの〉つまり「色」は存在します。
カタチがないとすれば、「色即是空、空即是色」は成り立ちません。
前に引用したように、「自性」とは、「もの・ことが常に同一性と固有性とを保ち続け、
それ自身で存在するという本体、 もしくは独立し孤立している実体」です。
【それ自身で存在する】もの、つまり【独立し孤立している】ものが「自性」を持ちます。
だから【独立】していないもの、つまり他のものとの依存関係にあるものには、「自性」がないことになります。
「縁起」=「無自性」=「空」という考え方を確立した竜樹による「自性」の定義は、
「他に関係せず、作られない」というものです。
この「自性」の定義そのものの中にも、「縁起」=「無自性」ということが含まれています。
>963 :唯意味論さん
>「存在」という語の“読み方”がわかったとしても“存在”そのものを把捉した
>ことにはならない。“存在なる語の意味”がわかったにすぎない。
>つまり“存在”の本質を規定(意味づけ)できるだけである。
では、「意味づけ」しているのは「誰(何)」なのか?
この質問は、そのまま>919-920の文章につながります。
>919-920で「ある」と言われているのは、決して「意味づけ」されないものであり、
何かが意味づけされる場合、〈意味づけされたもの〉ではなく、〈意味づけしているもの〉が、その「ある」です。
だからこの「ある」は、「意味」に先立つものです。(実存は本質に先立つ)
「先立つ」という点において、「実存」(主体)としての「ある」と、
それ以外の「ある」(存在者全体としての「存在」)との間には、根本的な違いはありません。
また、前に>768で僕が唯意味論さん質問した「時間」も、
この「先立つ」という点で、同じような構造(( )← <?> の構造) をもっていると思います。
つまり、時間を意味づけようとしても、意味づけしようとする意識そのものが、常に既に、時間的なものとしてあるのだから、
時間を対象化(客観視)して、それを意味づけたとしても、その〈意味づけられた時間〉は、
〈先立つものとしての時間〉とは異なるものになってしまっています。
>963 :唯意味論さん
>“事実”そのものを言い当てる術を、ヒトは持っていないということである。
この「“事実”そのもの」というのは、意識から独立したもの、
つまり「物自体」のようなもののことを言っているのではないでしょうか・・・
今まで僕が書いていたことは、「物自体」とはあまり関係ありません。
実存的な「ある」にしても、「時間」にしても、それらは「意識から独立」ではなく、
それどころか、『自分自身がそれである』ということを意識せざるを得ないようなものです。
74 :
唯意味論:2010/10/11(月) 13:08:49 0
>>59 普遍的時間ですって? ご冗談でしょう。
時間は観測との相関、つまり相対的です。違うの?
普遍(絶対)的時間を云々する抄録さんは、まだ“亡霊”をみているのです。
だれの“亡霊”かはわかりますね。
>>65 “粒”に分け入り、その果てに「形式」に行き着いたのは「さすが」です。
ただし、誤解を与える言い方でもある。形式は、いわば“容れもの”であり、
抄録氏なら「中身があるだろう?そちらが実体なんだよ」と言い立てそう。w
“粒”を追い詰めると、構造(形式)と属性(内容)は合一してしまい、根源的
物質の貌をあらわにするのではないか。では、その正体は何でしょう?
“実体”性=内容を持たない根源的な存在とは…
75 :
唯意味論:2010/10/11(月) 13:21:10 0
>>Trau さん
所用がありますので、後ほどレスしまう。
一つだけ。
般若心経には“色”という言葉はでてきますが、関係を表わす“因果”や
“縁起”はみあたりません。(間違いかな?)
打消しの“無”は頻繁につかわれています。
私見では、因縁もまた“空”なのです。つまり一般向けの方便なのです。
>>74 相対論を念頭にしての発言なら、貴方は誤解していると思いますよ。
相対論は、
「局所的な慣性系について無矛盾かつ等価に実在する時間」
を前提にしなければ成立しない。時間ありきの理論。
そうでなければ、慣性系の間の相対性など意味を成さない。
貴方は、やれ「観測問題」だとか、観測を無造作に使いすぎではないですかね。
意味を整理されてはどうですかね、唯意味論さん。
・・・あーもう、俺にレスしないで!
子供か
78 :
スモ:2010/10/11(月) 23:45:16 0
>>66 >スモ氏的には、意味を成立させる形式は残る。
>「形式」とかさらに怪しい。
>これは私の勝手な我田引水w スモ氏すまんw
「形式」は、、、人の所属
神が「形式」で世界を見ることはあっても、
神は「形式」で世界を作りはしない
ナイーブな「物」じゃないとだけ固辞しとくw
79 :
スモ:2010/10/11(月) 23:47:14 0
またカッコつけちまった・・・
はぐらかすときは何か深遠なるようなことを言って煙に巻くのが一番だひゃ ふひひ
神ですかぁ・・・
神を出しちゃうと何もかももうどーでも良くなりますよ
82 :
唯意味論:2010/10/12(火) 08:56:23 0
>>68 これはじいさんに対するものですが…。では「諸条件」は確たるものとして
“ある”のですね?
また「支える」という事態は“空”ではないのですね?
83 :
唯意味論:2010/10/12(火) 09:20:42 0
>>71 “色”にはカタチがないのです。
だから「色は空」と観世音は述べているのでは?
貴方は空なる色のなかに“縁起”をみているのでしょう?
因果や縁起は、混沌の否定。その“世界”が規則的であることを意味する。
「こうすれば、ああなる」「これとあれには、つながりがある」ということ
でしょう? それは“秩序”の是認である。
まさか「空とは秩序である」とはいわないでしょう。w
84 :
唯意味論:2010/10/12(火) 10:25:34 0
竜樹の空=無自性=縁起が“こじつけ”なのである。
いや、修正というべきか。
「体」「性」には、もちまえの“タチ”“サガ”というニュアンスがあり、
意味がかぶります。無自性とは「そんなものはない」ということらしい。
にもかかわらず、因果や縁起(規則)には従うという。
なら、規則に従うという“サガ”があるのでは?といっているのです。
「あらゆる存在者」には“自性(実体)”があるので、規則に従って現象する、
というのが機会氏や抄録氏など物理主義者たちの立場。一貫しています。
自性(実体)=因縁(規則)=色(秩序)というわけです。
むろん、私はそれに弱々しく異を唱えている。w
いわば私は“空・原理主義”です。w
苫米地氏の新刊「幻想と覚醒」において、機械氏の主張が批判されており、
また、章最後に余談として突然脱線し、人殺しを肯定する人物の愚かさに言及している件。
86 :
光の軌跡:2010/10/12(火) 20:10:49 0
国家、人種、宗教、男女、私と君・・・
それらの区別は、「存在しない」と言われることがある
だがこれは人の未熟さに合わせて加工された言説であり、それが真実ではないことは、誰もが知っている
では、全てがない、無いことさえ無いという、般若心経の「悟り」とは、
いわばその未熟さの極地と言えるのではないか
全てがない、無いことさえ無いというのは、人の未熟さに合わせて誂えられた本能の偽証であり、
多くの孤独がその内に抱え込む欺瞞の一つでしか無いのだ
彼はむしろ、「有る」と言わねばならなかった
国家、宗教、人種、男女、君と私、一日前の私、一秒前の君、そのすべてが異なるということを、我々の感覚器官は常に伝えているのではなかったか
そのすべてが未熟さ故の偽証であり、その向こうに我々は現実を仮構している
感覚は偽証されたものであり現実は仮構されたものなのだ
我々が何をどう思おうとねじ曲げることの出来ない現実によって、現実は悟られてきた
現実の中では全てが有るのだ
ただ我々は、それを失ってきたに過ぎない
無いということは有るのだ!!!
87 :
考える名無しさん:2010/10/12(火) 21:06:40 0
なぜ赤は赤なのか。
まさにこれに尽きるな。
88 :
唯意味論:2010/10/12(火) 21:43:59 0
>>86 般若心経は「悟り」も“空”だといっている…。
もいっかい聞いとくか。
>>2 >最近話題の「(有機)化学」も非常に重要です。
>「式」を読めない場合でも「原理」を理解することは出来る筈です。
最近ニュースをあまりみてないので教えてほしいのですが、今回ノーベル賞をとった内容はどのような内容、原理のものであったのでしょうか?
90 :
唯意味論:2010/10/12(火) 22:30:16 0
>>72>>73 このあたりについては、すでに幾度も述べてきました。
「存在」「実存」は“意味”に先立つだろう、と私も思います。
が、この思いも「意識と現象との相関」を“意味”として後づけた推測です。
それが“概念(意味)”であるかぎり、意識と対象との相関に先立つものではありません。
たぶん感覚・身体が意味づけされる瞬前の“存在(有)”に対応するヒトの実存だろうが、
それは失われた“相関”です。ヒトの“相関”は、たちまち『言語』に侵食されます。
“事実そのもの”は迂闊な表現でした。(苦笑)
たぶんカントは、それは「ある」けれども“不可知”とみなしていたと思う。
しかし私は“そのもの”はない、という空・原理主義です。
相対性理論の解説本を読みました。
宇宙では地上よりも重力の影響がちいさいから人工衛星では時計が遅れる、と書いていました。
それが本当なら、宇宙飛行士ネタが好きな日本ではかなり話題になってるはずですね。
検証実験は行われたのでしょうか?宇宙飛行士が、時間を合わせて飛び立って、帰ってきて時計を公開するとか、そういうビデオや記事、ありますか?
相対性理論の解説本を読みました。
宇宙では地上よりも重力の影響がちいさいから人工衛星では時計が遅れる、と書いていました。
それが本当なら、宇宙飛行士ネタが好きな日本ではかなり話題になってるはずですね。
検証実験は行われたのでしょうか?宇宙飛行士が、時間を合わせて飛び立って、帰ってきて時計を公開するとか、そういうビデオや記事、ありますか?
そのトラを銃で撃ち殺しちゃうぞ☆
なんてことができる人間様が最強動物
カマキリ最強
>>96 なんでだよー!
そのカマキリをカマキリとして分類してるのは人間様だぞ!
カマキリをとっつかまえて解剖して分析し倒す
なんてことができる人間様が最強動物
うぉぉぉ!
俺という猛獣を誰も止めることはできない!
がぉぉぉ!
わぉぉぉ!
そんな俺様も
>「宇宙」からすると
>「取るに足らない銀河の取るに足らない太陽(恒星)系のとるに
>足らない惑星上の
ほんの一瞬の塊
ほんの些細なパターンでしかない…だと?
それはそうかもしれないね。
「宇宙」からしない
俺からするんだ!
それが世界ってものじゃないのか!
俺が、俺様が世界の中心なんだ!
ここから
こうやって世界を眺めてる
この俺が中心だ!
だから、その中心をちょっとずらして
「宇宙」からするとなんて
妄想をふくらましたりできるんだろ?
そういうお遊びができるのも、
そもそも世界の中心に俺様がいるおかげなんじゃねーか?
違う?違わないよね?
コギトエロイムエッサイム
俺様思う故に俺様在り
俺様思うと俺様思う
故に俺様在りと俺様思う
出でよ!
「機械的唯物論」者よ!
コギトエロイムエッサイム
俺様思う故に俺様在りとあなたは思う
故にあなたは在るのだろうか?とあなたは思うと
俺様は信じていることをあなたは知っていると
デカルトは確信していたのだろうか?とあなたは思うと
俺様は思うと俺様は思う故に
何だっけ?
何事も疑い得るということも疑い得ると俺様は思う故に…
疑いが帰するところの主体である俺様をも疑うということは
本当に可能なのだろうかと疑っているのはいったい誰なのか?
それはやっぱり俺様なのだからして
いやいや
どうなのよ?
こうして世界が無限に広がっていることを知るのでありました
めでたしめでたしと俺様が思っているが故に俺様は在るんだろ?
と思っている俺様という存在をあなたが想像しているが故に
あなたが在るのであって本当は俺様は無いのですか?
と思っているのはやっぱり俺様だからして…
お腹すいたなぁ
と思っているのは俺様だよ?
俺様はこうしていろいろ考えてんだよ!
でも、そう考えることは既に決定されているらしい
ほんとかよ…
勝手に決めんなや!
と俺様が吠えることも既に決定済みなのだよワトスン君
不思議なことなど何もウンケンソワカ!
でもね、それでもやっぱり俺は自由なんだそうな
それはそうなのかもしれない
納得がいくような
でもやっぱりよくわからないような
という意思を俺は俺の意志によって抱いているのですか?
こう質問したら、どういう答えが返ってくるのだろうか…
と何かを予測するということ自体が、
この世界に対する能動的な探索そのものが
たとえ世界が決定論的であったとしても
自由意志がそのこととは別に存在し得ることを示しているのではないか
と美しいトラは思っているが故に
俺もオマエもあれもこれも全部
本当は美しいトラが見る夢なのでありました
おちまい
103 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/13(水) 17:57:54 0
>>68 :Trauerode:2010/10/11(月) 12:55:26 0
>(引用)
「〈もの〉はそれ自体が実体として現象し存在するのではないことを〈色即是空〉といい、
また実体としてではなくて、諸条件に支えられているからこそ、〈そのもの〉が〈そのもの〉として
現象し存在することを〈空即是色〉と説く。」(岩波仏教辞典)
この辞典の解釈ですと貴方の・・・・
>「諸条件に支えられて」、「存在する」。つまり「ある」です。
は確かに正しいですね。
つまり般若心経は「有」を説いていると言う事になる。
しかしそれでは中観も何もぶち壊しである。
とにかく(岩波仏教辞典)の説明はめちゃくちゃですね。
だって有を説くのであれば色即是空と言う必要は無い。
じいさん流に色即是空空即是色を説明します。
「常識では事物は存在すると考えられているが、その存在は絶対的なものではなく空性を持っている、従って空性であるものがあるように見えているのである。」
といった感じの解釈です。
あくまでも「無い」と言う事に趣旨を見出さないと心経の説明にならない。
(岩波仏教辞典)はその趣旨を「〈そのもの〉が存在する」と逆にねじまげて曲解している。
ひどいもんだ。
104 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/13(水) 18:19:08 0
余りに般若心経を曲解する人が多いのでその訳を載せます。
松原 隆彦 と言う人の解釈です。まずは書き下し文から・・・・・
http://www.a.phys.nagoya-u.ac.jp/~taka/ 観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。
舎利子よ、色は空に異ならず。空は色に異ならず。色はすなわちこれ空。空はすなわちこれ色なり。受想行識もまたかくのごとし。
舎利子よ、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も食も法もなし。
眼界もなく、乃至、意識界もなし。無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。
得る所なきを以ての故に。菩提薩捶は、般若波羅蜜多に依るが故、心に罫礙なし。罫礙なきが故に、恐怖あることなく、一切の顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す。三世諸仏も般若波羅蜜多に依るがゆえに、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。
故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神呪なり。これ大明呪なり。これ無上呪なり。これ無等等呪なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に。般若波羅蜜多の呪を説く。
すなわち呪を説いて曰く、掲帝、掲帝、波羅掲帝、波羅僧掲帝、菩提薩婆訶、般若心経
・・・・・・・・・・・・・
105 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/13(水) 18:22:47 0
次が松原 隆彦さんの解釈です。・・・・・・・・・・・
観世音菩薩は、悟りを求めて修行していたときに、世の中のあらゆる存在は五つの構成要素からできていることを悟った。
その五つとは物質的現象、感覚、表象、意思、認識であるが、その本性は実体のないものであるということも同時に悟り、一切の苦悩や災厄から人々を救済したのである。
シャーリプトラよ、世の中のすべての物質的現象には実体がないのである。
実体がないことであるからこそ、物質的現象は存在し得るのである。
このようであるから、物質的現象はすなわち実体がないということなのであり、実体がないということは、物質的現象なのである。
そして、存在の他の構成要素である感覚、表象、意思、認識についても物質的現象についてと同じことがいえるのである。
シャーリプトラよ。この世のすべての存在するものには、実体がないという性質があるのだ。
実体がないのであるから世の中のあらゆる存在は、生じたものでもなければ、滅したものでもない。
したがって汚れたものでもなければ清浄なものでもない。また、あらゆる存在は増えることもなければ、減ることもないのである。
それゆえ、実体がないという立場に立てば、物質的現象も、感覚も、表象も、意思もなく、意識もないのである。
106 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/13(水) 18:25:07 0
このような状況であってみれば、実体がないという立場では、眼、耳、鼻、舌、身体、心、という感覚器官もなく、それぞれの感覚器官に対応する対象である、かたち、声、香り、味、触れられる対象、心の対象もない。
さらには感覚器官とその対象、そして感覚作用、この三つからなる感覚の領域がことごとくないのである。すなわち、眼と視覚と視覚される対象を覆う領域はなく、同じように意識の領域に至るまでことごとくないのである。
このようにおしなべて実体がない世の中であってみれば、迷いもなく、また、迷いがなくなるということもない。
さらには老いることも死もなくなり、また、老いることと死がなくなるということもない。
同様に苦しみも苦しみの原因もなく、苦しみを滅することも、苦しみを滅する道もなくなるのである。
このような実体のない世の中では何かを所有するということはあり得ないので、知るということもなく、また、何かを得るということもないのである。だから、得ることがないから何かを得ようとしてそれに執着して、心を乱されることがない。
このような状況の中で、菩薩は悟りの智慧に安住しているから、心を覆われることなく、心にわだかまりがないのである。
そして心を覆われることがないから、恐れることもなく、物事を誤解するということから遠く離れて、悟りの境地に入っているのである。
迷いの世界も悟りの世界も、およそそれに執着するようなものは何もないのである。
さて、過去、現在、未来に悟りを開いた偉大な人々はことごとく深遠な悟りの智慧に安住することによって、この上なく崇高な正しい智慧を得られたのである。
それ故に人は次のことをとくと知るべきである。智慧の完成は、偉大な、そして神聖な真言であり、また偉大な悟りの智慧を明らかにする真言であり、また、この上なく優れた真言であり、さらに、他と比べるものなどあり得ない無比の真言である、と。
そしてこの真言はすべての苦しみを完璧に取り除いてくれる。この真言はまったく真実そのものであり、偽りなど微塵もない。
すなわち、この智慧の完成の真言は次のように説かれるのである。
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に完全に往ける者よ、仏の悟りよ、幸あれ。ここに、智慧の完成の心が終わった。
107 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/13(水) 18:28:29 0
以上の経の流れが判っていれば、まかり間違っても・・・・・
>〈そのもの〉が〈そのもの〉として
現象し存在することを〈空即是色〉と説く。」(岩波仏教辞典)
こんな説明はありえないはずである。
>>103 あるともないとも言ってない
じゃあ何て言ってるのか?
空
そういう話じゃねーのか?
それを「無い」ってのもなぁ
自分の提示してる訳とかをもっかい読み直してみてはどうかな
>>103 >“また実体としてではなくて”、(中略)現象し存在すること(岩波仏教辞典)
(こちらで勝手に一部強調、一部省略)
「有るんだぜ!」とは言ってないじゃないか?
現象し存在するということは、実体として「有る」ということではなく…
岩波さんはそういう話をしてるじゃねーのかね
そのあるんだかないんだかよくわからないようなのが
空
>>103 >あくまでも「無い」と言う事に趣旨を見出さないと心経の説明にならない
あくまでも「無い」わけではない
あくまでも「有る」わけではない
因縁果報、これ皆縁起の法に拠り
諸法相対のゆらめきに素直に身を委ねることが
涅槃への道であるという
そんな“感じ”の宗教じゃねーのかね
あんまり「無い」という点に力を入れると
涅槃とは虚無であるという刃に襲われることになるんでないの?
>じいさん
「無い」と言う事(など「無い」)に主旨(など「無い」)わけだろ?
いったい「無い」とは「何事」なのか?
それは“色”なんじゃねーか?
色は即ち空であり、空は即ち色である
じゃあ「有る」とは「何事」なのか?
それもやっぱり“色”なんじゃねーか?
はい、ここで呪文を繰り返し
いったいどうしてこんな“感じ”の話を聞いて
じいさんは「無い」ことに力を入れてしまってるのだろうかね?
それを「我執」というのではないのかな?
>じいさん
実体があろうがなかろうが
「無い」と「何事」かを否定するわけだから
それはある種の「有」の肯定なのである
「無い」とは、そのようなある種の“やっつけ仕事”を前提としたものなのであって
空とは、そのようなある種の“やっつけ仕事”を超えたところにある“もの”
即ち色なのである
“〜である”などということがあり得るのだろうか
そのような指示性を「有する」“もの”など「無い」のか
こうして文字にするだけで、
俺は、俺達は、どれ程の“もの”に執着してしまっているのだろう
どれ程の誤りを或いは“方便”に頼らなければならないのか
どうせなら、その“方便”にベースキャンプをはろうぜ!
(仏教との決別)
いやいや、背理法を駆使しまくって愛すべきパフォーマンスを展開するぜ!
税金は払わないよ☆
(坊主)
じいさんは、こうしてレスをするという行為を通して
仏教との決別を目指しながら
自身の中では仏教を信じていると信じているのだろうか?
と俺は思っていると思っているのか?と疑うことは可能なのだろうか?
と疑っていると思っていると思っている
いったい俺は何を言ってるんだ?
“蓋然性”や“近似”という、これまた愛すべき“方便”「科学」
これは“真理”という“色”を想定していることを意味するのではないのか
これは“真理”という“空”を想定していることを意味するのではないのか
だが、背理法は認めない
だからやっぱり、“色”も“空”も捨てよう
「科学」はそこらの坊主がおもちゃにしていいような代物じゃねー
坊主が呪文唱えても月の裏側がどうなってるなんてわかりゃしねーじゃねーか!
宇宙の“深秘”は「科学」によって解かれるもんなんだよ!
俺ならそこにベースキャンプをはりたいね
>>2 >最近話題の「(有機)化学」も非常に重要です。
>「式」を読めない場合でも「原理」を理解することは出来る筈です。
最近ニュースをあまりみてないので教えてほしいのですが、今回ノーベル賞をとった内容はどのような内容、原理のものであったのでしょうか?
115 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/14(木) 00:48:38 0
>>108 :考える名無しさん:2010/10/13(水) 18:43:47 0
>それを「無い」ってのもなぁ
いくら言っても判らない人が居る。
今事象として見えていたり観念としていかにも在りそうに思える現実がある。
それに対して絶対的存在(実体)は無い、と繰り返している。
それを曲解して心経が「無が存在する」と言っているなど判ってない人が多い。
心経の要旨は見えている事象に実体性を信じてしまうとそこに執着を生み、不幸の基ですよと言っているだけなのである。
>>109 :考える名無しさん:2010/10/13(水) 18:57:14 0
>「有るんだぜ!」とは言ってないじゃないか?
では国語の試験問題があったとして、辞典の文章の要旨を10字以内にまとめよ。
とあったら、答えは「そのものが存在する」だろう。
じいさんは辞典の国語力がおかしいと言っている。
原典と正反対の趣旨になっているのですよ。
>>110 :考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:05:16 0
>涅槃とは虚無であるという刃に襲われることになるんでないの?
こんな判ってない人が多いから、心経の後半部分も載せたのですよ。
「有る」に執着するから虚しさに襲われるのであって、実体がないと言う事を理解すれば幸せになりますよと言うのが趣旨である。
どこにも虚無になる言い方など無いではないか。
>>115 >今事象として見えていたり観念としていかにも在りそうに思える現実がある。
前半部分はあまり意味がない、重要なのは最後の部分、『〜という現実がある』。
そう、じいさんは言うわけだ。
ところが、そんなものは「無い」んだろ?
「無い」ものを、どの“口(これも色)”で「有る」と言うのか?
>それを曲解して心経が「無が存在する」と言っているなど判ってない人が多い。
その人がずばりじいさん自身になるという皮肉を理解してから出直してきなよ
>>115 >じいさんは辞典の国語力がおかしいと言っている。
じいさんは、立場上そんなことを言えないんだよ。
実体のない現実があるという話を岩波さんはしてるわけで、
実体のない現実があるという話をじいさんもしてるんじゃねーのか?
どちらも空の解説としてな。
意味わからねーのかな?わかねーんだろうけど…
>>115 >では国語の試験問題があったとして、辞典の文章の要旨を10字以内にまとめよ。
>とあったら、答えは「そのものが存在する」だろう。
同じことなんだよ。
では国語の試験問題(中略)答えは「〜という現実がある」だろう。
この場合、「〜という現実」が「実体としてではない現象」なわけだろ?
岩波さんの言い分と何が違うってんだ(笑)
>“また実体としてではなくて”、(中略)現象し存在すること(岩波仏教辞典)
しっかりしろよ!じいさん。
119 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/14(木) 01:10:09 0
>>111 :考える名無しさん:2010/10/13(水) 19:54:56 0
>はい、ここで呪文を繰り返し
貴方が心経の趣旨に納得してないのは判りますし、それも立派な意見だと思います。
じいさんが言いたいのは「般若心経はこういっている」といって趣旨を逆にねじ曲げて語っている(岩波仏教辞典)の様なものが在り、そういう正反対の曲解が実に多いのでそれに対して反論して居るのです。
もともと中観思想は常識とはかけ離れた考えなので理解されない方が有る意味自然ともいえる。
許せないのはむりやり・・・・・・・・・・・
>いったい「無い」とは「何事」なのか?
>それは“色”なんじゃねーか?
のように常識に悪用してしまうことである。
120 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/14(木) 01:11:12 0
>>112 :考える名無しさん:2010/10/13(水) 20:08:43 0
>「無い」と「何事」かを否定するわけだから
>それはある種の「有」の肯定なのである
こういう反論が必ずある。
ここでは一応答えは保留します。
>超えたところにある“もの”即ち色なのである
あのですねこのような見当違いをなくす為に 般若心経を全文のせました。
ざっと読んでみてください。
「色」の事など、ごくごく一部でしょ?
前にも言ったとおり この経のミソは「意識の領域に至るまでことごとくないのである。」の部分なんです。
「色」よりも「意識」の実体の否定に心経の真骨頂があるんです。
>>113 :考える名無しさん:2010/10/13(水) 20:23:15 0
>宇宙の“深秘”は「科学」によって解かれるもんなんだよ!
そのとおりです。
外界に深秘を感じてその背後にある法則性を追求する態度を科学的態度と言います。
心経が言っているのは「月の裏側を知ったからと言って人間は幸福になれるわけではない」と言うことです。
>>115 >こんな判ってない人が多いから、心経の後半部分も載せたのですよ。
判ってない?ということは善悪の問題だということか…
知識として分かって(常用外:解かって)ないという話ではないの?
まぁ、変換ミスなのかもしれんけども、ちょっと気になるんだ
ともかく、
>「有る」に執着するから虚しさに襲われるのであって、
ひとまず、これはいいとして、
>実体がないと言う事を理解すれば幸せになりますよと言うのが趣旨である。
だまされてはいけないよ。気をつけようね。
「無い」に執着するから虚しさに襲われるのであって、それでは虚無思想ではないか。
“実体がないという事”があるわけだよな?違うのかな?
でも、“本当は”“実体がないという事”もないんだろ?
“実体がないという事”もまた得ようとして得られるものではない。
この世で何かを得ることなどできようはずもないではないか。
どちらも“色”でありそれは即ち“空”であるのだからして、
“実体がないという事”を(知識としてであれ)得るべき“である”というのもまた
“執着”なのである。
>迷いの世界も悟りの世界も、およそそれに執着するようなものは何もないのである。
国語の問題がどうしたって?
なぁ、あんまり真面目に経典読んでも仕方ないと思うぞ。
気分を害するのかもしれんけども、宗教ってそんなものなんじゃねーかな。
122 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/14(木) 01:27:20 0
>>117 :考える名無しさん:2010/10/14(木) 01:02:28 0
>>118 :考える名無しさん:2010/10/14(木) 01:06:53 0
>〈そのもの〉が〈そのもの〉として
現象し存在することを〈空即是色〉と説く。」(岩波仏教辞典)
と書いてあるので〈空即是色〉が色の存在性を捕らえなおしたものという解釈になっている訳です。
そのため・・・・・・・・・以下のような・・・
>>68 :Trauerode:2010/10/11(月) 12:55:26 0
>「諸条件に支えられて」、「存在する」。つまり「ある」です。
と言う風に般若心経が「有」の思想であると言う誤解を生んでいるわけです。
心経の全文を引用しましたが その趣旨は
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〈そのもの〉が〈そのもの〉として
現象し存在することを〈空即是色〉と説く。」(岩波仏教辞典)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このような解釈と相反するものであることがお分かりいただけないでしょうか?
>>119 “真言”とやらが“呪文”ではないのだとすれば、
そこにはいったいどんな“意味”が“ある”とでもいうのかね?
(これがどういった問題なのかわからないのだろう)
>>120 >外界に深秘を感じて
と、じいさんはさらっと簡単に言ってのけるが、
内外(ないげ)の別は、これ既に我執の現れなのだからして、
そこを無視してはいけないのだよ。おかいいではないか。
“外界”など「無い」わけだから、
いったいじいさんは“本当のところは”
“何に”“深秘という何か”を“感じて”“いる”というのか?
国語の問題だとかなんだとか、そんな方向にふっていいようなことではない。
それぐらいは理解できないものかね…
俺「宇宙の“深秘”は「科学」によって解かれるもんなんだよ!」
じいさん「そのとおりです。」
何度かレスしたと思うが、これは仏教との決別宣言を意味するんだぞ。
科学は何の実体も追い求めてはいないとでもいうつもりなのか?
宇宙には何の実体もないわけだな?違うのだろうか?
そんなものは、科学じゃねーだろ!科学を勝手に歪曲するんじゃねーや!
という話をしてるわけだからさ、
あんまり安易に「そのとおりです!」なんて
言っちゃダメなんじゃねーのかな
通りすがりのつぶやき
色即是空 ひとつとっても色々な解釈があるのかねえ
俺は色=意味、空=無意味のような事だと思っていたな
コップはコップとして認識しコップとして使うからコップであって、
コップの概念を持たなければそれはコップではなくてただの何か
そんな事だと思っていた
ということは・・・
やっぱり
________
/:.'`:::: :::::\
/:: \
/::. ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' ::: ヽ
|:: ン -==-∴-==- < |
,;';;;;;_-=・=- ;;;;; -=・=-;;;;;ヽ、
.. -=ニ=- 苧疾壺玖嵯夷於饅壺雅簾喜軟蛇絽?
129 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 06:10:22 0
うるさい
観念でも実体でもそんなこたぁどっちでもいいだろうが。
130 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 07:09:37 0
観念だろいうが実体だろうが何かは有るんだろ?
もういい加減、有るでいいだろ。在るにこだわるなよ。
131 :
唯意味論:2010/10/14(木) 09:54:01 0
「空」は有/無の解体、その脱構築である。
心経は真/偽、善/悪、美/醜…をめぐる“意味の抗争”の無価値を説きながら、
翻って、その説法そのものをも空(空もまた空)だとする、掛け値なしの底なしの
全き“虚無”思想である。
そこに救いはない。が、救いのある/なしもまた空、ということなのだろう。
よくは知らないが、当時の俗流“救済宗教”への批判をみることもできる。
せっかくのこの究極の境位を捻じ曲げて、ここに因果やら縁起といった“意味”
を持ち込み、俗衆の“受け”をあてこんだのが大乗ではないか。
そんなことよりも
>>93 のトラ最強説に条件つきで賛成。やっぱりネコ科でしょう。w
といいつつ、逃げられない場所でアフリカ象とやりあったらどうだろう?
しかし、その象も犀にはしばしばやられるともいう。
トラやライオンなら、犀の突進をかわし、側面、背後から攻めきるのではないか。
カバ最強説があるが、アフリカ象や犀に勝てるとは…。
ちなみにトラとライオンではトラでしょう。スピードがちがいますね。
132 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 10:10:24 0
因果は有るが辿ってもきりがないから、所詮、空だというのだろ。
だって、最初から空と言って何どというの?
「全ては空である」これって意味だろ
133 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 11:18:58 0
仏教は行を通じて妄執を解体・再編する。
教典を単に言語的に解釈しても仏教には到達できない。
134 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 12:06:14 0
別に到達しようと思ってはないんですがね。
「一切は空」これで話は終わってしまうし、そしたら
もう後はどうでも良い話だろ。いったい今まで何を伝えようとしているのですか?
自分が人間である事を忘れて物事を眺めて見ると全ては特別の意味を持たずただそうなってるという現象でしかない。
と、ここまでなら逃避は出来ても救いにはならない。
136 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 13:28:38 0
最近は仏教勢力に浸食されてませんか?
機械タンは解脱者だよ。
解脱者は信仰を捨てるので仏教も捨てている。
だから唯物論が真理で物理現象しかないと淡々と言えるのです。
>>136 「機械的唯物論」者=「機械的唯佛論」者 ???
138 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 14:25:50 0
不本意ながらも機械は背後から足払いを食らってしまったんだよ。
139 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 14:52:29 0
>だから唯物論が真理で物理現象しかないと淡々と言えるのです。
貴方が気がついていないのは、学会でいう人間が定義する物理現象と
その物理現象が一致しない点です。
言葉を改めましょう。
だから唯物論が真理で物理現象しかないと淡々と言えるのです。
↓
だから唯物論が真理で森羅万象しかないと淡々と言えるのです。
人の捉える物理現象で説明しているなら、人の域(知識や論)で
表せない領域は理解することは不可能です。
貴方は一部を観測した結果、観測という行為によってその対象の状態
を破壊していることに気がつくべきです。
物事は我々の知覚する世界だけではない観測できない領域があります、
それが理解できないからといってそんなものを有ると説明するものを
基地害扱いしている人は思考すら停止しています。
分からないものがあるという事実を認め、その分からないものが
世界のほとんどを構成しているという事実に気がつくべきです。
140 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 17:11:58 0
>>139 そんな長々と書かなくても。
分からないものがあるという事実を認めています。
その分からないものが世界のほとんどを構成しているという事実に気がついています。
それも世界のほとんどではなくて、世界のすべてです。
141 :
考える名無しさん:2010/10/14(木) 17:30:12 0
. /⌒.\. ./⌒\
/ ノつ\. /⊂ \
o0○ノ / 3 \ (::::⌒ヽ / とノ\ ヽ○0o
( /、_ノ\ Y `(_、_) / \´ )゚
\_) `ヽ : : : * : : : | (_ノ
_,.-''"ヽ、} ・ ・ { `ァ 、_
l ,./ o|====|oヾ´ }
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'ー-‐|O O ̄ ̄O O|ー-‐’
ヽ、 災 _ノ
( ) .( )
. ( ) .( )
,i'---‐f iー--‐'、_
r'ー---‐'}. {`ー---‐''i
`ー--‐'’ ゙'ー--‐'
>>2 >最近話題の「(有機)化学」も非常に重要です。
>「式」を読めない場合でも「原理」を理解することは出来る筈です。
最近ニュースをあまりみてないので教えてほしいのですが、今回ノーベル賞をとった内容はどのような内容、原理のものであったのでしょうか?
>>37>>89>>114>>142 繰り返し同じことを聞きたいようですが
機械さんが言っていることが正しいのなら
同じニュースを見れば君にもわかりますよね。
それとも、機械さんの主張が間違っていてニュースを見ても分からないと言いたいのだろうか
主張に反論を加えたい意図があるのだろうか
もしそうならばまず反論してみてから、その内容について質問するほうがよいのではないですか?
ところで、この名無しさんに言いたいことが通じるのか疑問ですw
夜更かしして哲学か、懇切丁寧って難しい。
それにしても機械さんて敵が多いのかな、妙なのが集まるようで。
144 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/15(金) 05:50:35 0
>>143 >それにしても機械さんて敵が多いのかな、妙なのが集まるようで。
本当ですね。
今日は事情があり異例の早起きして見てみれば・・です。
「真理から自分の目を反らす為の方法と技術」が「観念論(の色々な工夫)」ですから、
そもそも、機械的唯物論(真理)と観念論は「同じ土俵」で論争は出来ないのかもしれません。
「『真理』について大いに論じましょう!」という「(機械的)唯物論」に対して、
「『真理』について論じるのはいいけど、自分個人の生き方を正当化する方向に解釈しましょう」
・・というのが「(様々な)観念論」ですから、「まず最初に『自分の生の正当性ありき』」が前提
である観念論と、「人類や自分の生が『宇宙の中心ではない』」という前提に立つ「機械的唯物論」
が「かみ合う」筈も無いのかもしれません。
観念論者さん達は(無意識に)「自分の(人)生を『意味づけたい』」という動機を出発点として
物事を考えられますので、「(客観的)真理」を旨として考える「(機械的)唯物論」とは、永遠に
交わることは無いのかもしれません。
言い換えれば『(突き詰めれば鰯の頭「宗教」的な観念論」を「頭から信じ込む」しか「出口がない」
観念論に固執することは「自己欺瞞の方法と技術を磨く」以外に「生きる道」は無い・・
・・ということを「悟る」べきだ・・ということです。
>>1に述べるような「客観的世界観」を素直に受け取る(あだこうだ屁理屈で回避しない)
・・という「真理に真っ向から向き合う姿勢」が重要なのです。
「全観念論・全宗教は『自己欺瞞の方法と技術の体系』」であることは誰でも「知って」いる。
・・というのが「真理」なのです。
機械は都合の悪い事には答えない
機械は自分の考えを省みない
機械は自分の考えを改めない
機械にとっては全て決まっているわけだから、
機械をどんなに諭してあげても徒労にしかならない
科学の知識も哲学の知識も全くないじゃん
文学部卒なんじゃないかなって思う
147 :
唯意味論:2010/10/15(金) 11:52:56 0
>>144 は機械さんの立場をよく語っていますね。
端的に、機械さんは宗教者、信仰の徒である。
その教義は「世界は物質から成る機械であり、必然の経路を辿り続ける」というもの。
彼は、その正しさ(それが真理であること)を確信している。
他の信仰者の思考パターンも、ほぼ機械氏のそれと同じである。
たとえば仏教徒は“因縁”が実在する、と信じ込んでいる。
たぶん私も何かを“真”とし、それに“信”を置いているにちがいない。
ヒトはみな機械さんを筆頭に、信仰の徒なのだろう。ヒトは自らの“信”を
是としてしまう自己欺瞞から逃げられぬらしいのである。
もし“哲学”とやらに意義があるとすれば、何かを“真”と“信”じてしまう
ヒトの心的な仕組みと“信”にいたる経緯を顕わにすることだろう。
自らの“信仰”や外圧的・強制的なそれに対して批判的、超越論的wに振る舞う、
(すなわち君にとっては“真”かもしれぬが、そこには“理”がないのを示す)こと
くらいしか、哲学には芸がないのである。w
それよりも動物最強論を語ろう。
>妙なのが集まるようで。
妙なのというやつが妙なの。
>>143 正しい正しくないとか反論ではないですよ。文章そのままよんでみてはどうですか?
それは質問です。>最近話題の「(有機)化学」も非常に重要です。
>「式」を読めない場合でも「原理」を理解することは出来る筈です。
と結論だけをおっしゃっているから、具体的にその方法と内容を教えて下さいと質問しているのです
。
>>144,147
だらだらと何いってるのかわかりません なにがいいたいんですか?
シネヨカス
ゾウとライオンとトラが相手なら
スカンク最強
スカンクが殺られたとか聞いたこと無いw
と思ってたが、ミミズクに食われる
なんぞそれw
かくしてミミズク最強
>>103 :じいさん
>とにかく(岩波仏教辞典)の説明はめちゃくちゃですね。
>あくまでも「無い」と言う事に趣旨を見出さないと心経の説明にならない。
「無い」は、正確には「実体がない」です。
「実体がない」というのは「無自性」ということです。
そして「無自性」とは、
>>71に書いたように、独立自存していないこと(他に依存していること)です。
だから、「実体がない」ということ(つまり「無自性」「空」)は、「無」とは違います。
『岩波仏教辞典』の説明は、わりと一般的な解釈だと思います。
「空」には否定的な側面と肯定的な側面があり、「色即是空」が前者を、「空即是色」が後者を表している
という一般的な解釈に沿った説明になっています。
(再掲)
「〈もの〉はそれ自体が実体として現象し存在するのではないことを〈色即是空〉といい、
また実体としてではなくて、諸条件に支えられているからこそ、〈そのもの〉が〈そのもの〉として
現象し存在することを〈空即是色〉と説く。」(岩波仏教辞典)
例えば高神覚昇氏の説明では、
(引用)
「何事によらず、いつまでもあると思うのも、むろん間違いですが、また空だといって、何物もないと思うのももとより誤りです。
いかにも謎のような話ですが、有るようで、なく、無いようで、ある、これが世間の実相です。
生きつつ死に、死につつ生きているのが、人生の相です。
しかし、私どもはとかく、有といえば、有に囚われます。空といえば、その空に囚われやすいのです。
ゆえに『心経』では、有に囚われ、色に執着するものに対しては、「色は空に異ならず」色がそのまま空だというのです。
また空に囚われ、虚無に陥るものに対しては、「空は色に異ならず」「空は即ち是れ色」だといって、これを誡めているのです。」
(『般若心経講義』)
「ある」のか「ない」のか、という話の流れになっているように思われるので、
僕は【「ない」か「ある」かの二者択一であるならば、】という条件をつけた上で
>>68を書きましたが、
だから本当は、二者択一では理解できないのが、「空」です。
それは、「有るようで、なく」(色即是空)、「無いようで、ある」(空即是色)ものです。
(じいさんや唯意味論さんが、「空」=「ない」と解釈しているように思われたので、
「無いようで、ある」のほうを僕は強調しました。)
また、竜樹自身の「空=縁起」説を考え合わせてみても、『岩波仏教辞典』の説明は、納得できるものです。
例えば立川武蔵氏による竜樹の「空=縁起」説の説明では、
(引用)
「空の思想は基本的には、俗なるものとしての煩悩などが否定されて聖なるものとしての空性に至るヴェクトルに
焦点が合っており、縁起説とは基本的には、聖なるものから俗なるものへ至るヴェクトルつまり聖なるものが
力を与えて俗なるものを許すというポジティブなヴェクトルに焦点が合っている。
つまり、空に至った後よみがえってきた世界は縁起の世界である。・・(中略)・・
このように縁起と空性という二つの異なったものを一つの行為の中の二面として竜樹は捉えたのである。・・・・
竜樹の偉大さは、このように肯定的な側面と否定的な側面を統一したところにある。」(『空の思想史』)
「俗なるものとしての煩悩などが否定されて聖なるものとしての空性に至るヴェクトル」が「色即是空」であるとすれば、
「空即是色」は、「空に至った後よみがえってきた世界」つまり「縁起の世界」です。
《あちらの世界》(聖なる世界)に行ったきりにはならないで、
《こちらの世界》(俗なる世界)に帰ってくるのが大乗仏教の大きな特徴です。
しかも、ただ帰ってくるのではなく、「聖と俗」という言葉を使うとすれば、俗なるものを聖化して帰ってきます。
だから、否定的に見られる「色即是空」の「色」と、肯定的に見られる「空即是色」の「色」は、違うものであることになります。
『岩波仏教辞典』の書き方では、「実体として現象し存在する」ものと、
「実体としてではなくて、諸条件に支えられている」もの、という違いになっています。
>>90 :唯意味論さん
>「存在」「実存」は“意味”に先立つだろう、と私も思います。
>が、この思いも「意識と現象との相関」を“意味”として後づけた推測です。
>それが“概念(意味)”であるかぎり、意識と対象との相関に先立つものではありません。
>
>たぶん感覚・身体が意味づけされる瞬前の“存在(有)”に対応するヒトの実存だろうが、
>それは失われた“相関”です。ヒトの“相関”は、たちまち『言語』に侵食されます。
一行目は分かりますが、二行目以下は曖昧で、文意があまり分かりません。
(二行目の「この思い」三行目の「それ」五行目の「それ」が何を指しているのか。「失われた“相関”」の意味。など)
できれば、もっと明確な書き方をしてもらえませんか?
>しかし私は“そのもの”はない、という空・原理主義です。
これは前スレの>883で僕がした質問「唯意味論さんの考えは、どっちですか?」(たぶんこれには答えてもらえなかったと思いますが)、
の、【「意識的相関=意味」(つまり意識と現象)以外のものは「ない」】という考え方と同じですか? それとも違いますか?
また、もし違う場合は、どのように違うかも説明してほしいと思います。(できれば…)
(仏教思想に関する今回の唯意味論さんの質問は、どれもピントはずれなように僕には思えたのでスルーしましたが、
上の書き込みが、唯意味論さんの質問への答えにもなっているだろうと思います。)
154 :
唯意味論:2010/10/15(金) 14:44:30 0
>>152 曲解して批判されては困りますね。
じいさんも(彼は少し違うかな?)私も「主客の相対」「意識と対象との相関」が
“ある”と明言している。“無”から始発したわけではない。
「あれは月である」と指す、その月は“それ自体”でなく、意識との相関による
“月”だといっているのである。
「空」をすぐれた表現だとみなすのは、それが有(ある)/無(なし)の二項構制を
無効にするからである。有/無を問うこと自体、空しいということでしょう?
この質問に答えていません。
「諸条件」とは具体的に何の謂いですか。それは「ある」のですね?
また「支える」という事態は(意味不明だが)“空”ではないのですね。
155 :
唯意味論:2010/10/15(金) 15:21:20 0
>>153 舌たらずの言い回しであることは認めます。(苦笑)
たとえば月と呼ぶ「存在」が月という「意味」に先立つだろうという私の思いは、
意識的相関の“月”からの類推であり、思惟(意識)の外には「ない」ということです。
といって、意識が自立的に「ある」わけではなく、月であれ太陽であれ何であれ、
対象の嵌入なしに意識もまた「ある」ことはできません。(前述しました)
貴方がいう“意味に先立つ存在”に触れうるとすれば、感覚・身体だろうが、
知覚にいたる瞬前の“純粋”感覚=原生疎外wをヒトは経験できないでしょう?
ピントはずれは、お互いさまです。
だれしもピントを外さざるをえないから“空”なのです。w
156 :
唯意味論:2010/10/15(金) 15:36:50 0
>>150 勝手なルールをおしつけさせてもらうなら、スカンクはだめ。
やつの戦法は“逃げるが勝ち”だろう?
一定の逃げられない時空間wにおいて、片方が戦闘不能に陥るまで…。
ただし、どのていどの広さにするかで、そうとう揉めそう。w
ミミズクもだめ。一応、哺乳類に限定したい。
もっとも、やる気旺盛なワニとか大蛇の参加は例外的に認めてもよい。
157 :
あまの:2010/10/15(金) 18:51:33 0
滑り台をお尻から滑ってきて着地して後転して普通に座ってきょとんとした
表情でこっちを見るパンダが最強でしょう。
158 :
あまの:2010/10/15(金) 19:08:26 0
個人的には
第三位
大量に落ちて醗酵した木の実をたらふく食べ、完全に酔っ払ったあげく、木にもたれかかって
ゲロを吐いていたアフリカのサル
159 :
あまの:2010/10/15(金) 19:15:42 0
第二位
オーストラリアのジャングルに分け入った日本のテレビの探検隊の一行の前に突如立ちはだかり、通せんぼをしたものの、
テレビクルーが投げたタオルが頭からかぶさってしまい、その場で散々もがいたあげく全く動かなくなってしまった
身長30センチくらいのモモンガ。
160 :
あまの:2010/10/15(金) 19:24:27 0
第一位
日本の川に生息するヌートリア。こいつが一番笑った。オーストラリア原産の毛むくじゃらで長い髭と
鋭い牙を持つ大型のネズミなんだが、凶暴そうな見た目とは裏腹に極度に臆病な性格らしい。
こいつが川のほとりで木の根っこをほじくって、それを水でちゃぷちゃぷ洗ってカリカリ齧っていたところ、
20mくらい向こうで水鳥の群れが「バサバサバサーー」って一斉に飛び立ったんだよ。
そしたら、このヌートリア完全にびっくりして失神。そのまま川に落ちて右手に木の根っこを
握り締めたまま、ぽっこりしたお腹と鼻ヅラだけを水面から出してそのまま下流に流されていった。
深夜のNHKで偶然見て笑い転げた。
161 :
唯意味論:2010/10/15(金) 20:47:27 0
>>あまの さん
う〜む、強/弱を脱構築されちゃいましたね。(苦笑)
てst
163 :
あまの:2010/10/15(金) 20:58:33 0
では、水面から顔を出しているシャチが最強では
164 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/15(金) 22:02:23 0
>>151 :Trauerode:2010/10/15(金) 13:17:26 0
>「空」には否定的な側面と肯定的な側面があり、「色即是空」が前者を、「空即是色」が後者を表している
とにかくもう一度 心経の前文を短いですから読んでください。
全体の要旨として空の否定的側面が強調されているとしか読み取れないはずです。
>しかし、私どもはとかく、有といえば、有に囚われます。空といえば、その空に囚われやすいのです。
こんなことは心経には出てきていないでしょう。
高神覚昇と言う人の個人的感想に過ぎません。
>また空に囚われ、虚無に陥るものに対しては、「空は色に異ならず」「空は即ち是れ色」だといって、これを誡めている
全文のどこにそんな諌めが書いてありますか???
曲解、でっち上げです。
心経の要旨は
「物質的現象、感覚、表象、意思、認識であるが、その本性は実体のないものであるということも同時に悟り、一切の苦悩や災厄から人々を救済したのである。」と言うことだけである。
「有る」とか「空に囚われる」とか「虚無に陥る」等と言う表現は一字もない。
原典にないものを付け加えて 自分の感想を心経の権威を借りてえらそうに述べる人物や辞典が多すぎる。
165 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/15(金) 22:36:44 0
>>164 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/15(金) 22:02:23 0
訂正 前文→全文
>>152 :Trauerode:2010/10/15(金) 13:18:37 0
せっかく原典を載せても平気で曲解する、文章自体は平易な経であるのに。
>「空」=「ない」と解釈
無も空も簡単な意味である・・・原典には「実体は無い、空相である」とはっきり書いてある。
だから「実体がない」=「空(相)」と解釈するしかない。
どこをどう?捻じ曲げれば.................
>「無いようで、ある」(空即是色)ものです。
こんなことが出てくるのか?
もちろん貴方の個人的感覚の話ならおk^^ですし。
高神覚昇氏も辞典も仏教全体としての解釈ならむしろ尊重すべき見解だと思います。
しかしそれは心経には当てはまりません。
大乗仏教の中でも中観思想は非常に極端な考えであり、そのエッセンスの心経は「実体がない」と言うことを極めて強く強調したものだからです。
>立川武蔵氏による竜樹の「空=縁起」説の説明
>俗なるものとしての煩悩・・・聖なるものとしての空性
>俗なるものを許すというポジティブなヴェクトル・・・肯定的な側面と否定的な側面を統一
このひとおかしいんじゃない?全く判ってないのでは??
俗?聖?とらえどころが見当はずれ。
竜樹クラスともなると聖俗などと言うばかばかしい範疇は持ち出さないはず。
大体ベクトルの話がなんで統一される話に帰着するの???
こんな事言ってるから機械さんに文科系は馬鹿だと言われる。
166 :
あまの:2010/10/15(金) 22:56:43 0
機械が理系だって?せいぜい土木工学とかだろ。
だとすると単なる工作頭脳だということで納得がいくな。
材料の組み合わせで何でも解決できると信じているんじゃねーか?
>>148 >妙なのというやつが妙なの。
妙なのかどうかは別にはっきりさせなくていいw
>正しい正しくないとか反論ではないですよ。文章そのままよんでみてはどうですか?
文章そのままなら、板違いだから化学板言って質問するほうがよいと素直に答えたいですね。
付け加えるなら、ニュース読む暇くらい作りなさいよw
>それは質問です。
>と結論だけをおっしゃっているから、具体的にその方法と内容を教えて下さいと質問しているのです。
「現代(有機)化学は式を読めなくても原理を理解することができる(筈)」
珍しく(失礼)問いがたったようにも見えませんか?
それなら方法というふうにとらえることもできるよね
正しい正しくないっていうのはこういうことが言いたかったわけなんですが違うかな
内容については質問をする理由がわからないといい加減なことも機械さんは言えなのでは。
ひとまずこのくらいしか言えそうにないかな
>>167 屁理屈は要らない。おもしろくない。
できないならできないっていえ。
悪かった。
昔、友人に何話しても「頭悪いな」と答えてくれなくなったのと重なって
やめさせたかっただけだ。
重ね重ね謝ります、修正です。
>昔、友人に何話しても「頭悪いな」としか答えてもらえなくなったのと重なって
>やめさせたかっただけだ。
そんなやり方を教わるのもするのも嫌なだけです。
171 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 01:41:39 0
色即是空、のイメージは蓮の花が咲く情景なんだよな
般若心経とエポケーでアタラクシアの違いって何?
172 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/16(土) 01:56:45 0
>>155 >たとえば月と呼ぶ「存在」が月という「意味」に先立つだろうという私の思いは、
>意識的相関の“月”からの類推であり、思惟(意識)の外には「ない」ということです。
月は世界中の人々がほぼ毎日夜間に「見る」事が出来る・・という「存在」だから、
「特別な存在」であると「考えがちになる」だけで、「月が存在する」という「(存在生の)重さみたいなもの」
と「尖閣諸島が存在する」という「(存在生の)重さみたいなもの」は「基本的に同じ」です。
南鳥島は「岩礁をコンクリートで補強した『陸地』dえあり、『日本最南端』として国土地理院に登録されて
おりますが、中国によれば「日本が実効支配する岩礁であることは認めるが『国土』として
「排他的経済水域」の起点とすることは認めない」などと主張しております。
「南鳥島」は「(本土からは)視認できない」
「月」は(常時ではないが)視認できる
尖閣列島は?・・・(本土からは)視認できない
・・・「視認出来るから『存在性』が増加する」訳ではないのです。
そして、南鳥島も尖閣諸島も国後・択捉の北方領土さえ「見たことがない」
くせに、「見本の領土だ!」と主張するのは「ちょっと変ではありませんか?」
・・と言いたくなります。
173 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/16(土) 01:58:36 0
そもそも「見たこともない島」・・について「領有権がどうのこうの」という
「議論」・・は「実はマスコミから伝えられた情報」に個人的イメージを膨らませている
だけかもしれないのです。
しかし、そういう「もしかしたらフェイクかもしれない」・・という「試練」を何度もくぐり抜けて
いるからこそ・・・、日本人は「尖閣諸島は日本固有の領土であり、領有権問題は存在しない」・・と
言える・・ということです。
それは「歴史学」という学問分野の問題であり、「国際政治の勢力関係」・・という非アカデミックな
領域で意志決定される問題ではない・・といいうことです。
那覇地検が中国人船長の釈放理由に「中国との国際関係への配慮」と「余計な一言を加えた」のは
(民主党政権の)「(意外に)大きなミス」であったということがいずれ明らかになると思われます。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
175 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/16(土) 02:10:08 0
>>165 >こんな事言ってるから機械さんに文科系は馬鹿だと言われる。
「馬鹿」という表現はしておりません。
「観念論者」とは「自己欺瞞の方法と技術を洗練させること」の競争に走り、
「(機械的)唯物論者」とは「『事実の正確な把握』により『真理』に少しでも
近づくアプローチを継続すべきだ」・・と考えるので、
「観念論者と唯物論者」は、ある意味「至る所で戦っている」のです。
卑近に言えば「**あるべき論」で議論する人々と、「**であるから変えられないだろう
現実を直視するべき」・・という「である論」では、その主張の「大本(依ってたつ思想)」
が異なる・・と言うことです。
本日は就寝させて戴きます。
>>164 >心経の要旨は
>「物質的現象、感覚、表象、意思、認識であるが、
>その本性は実体のないものであるということも同時に悟り、
>一切の苦悩や災厄から人々を救済したのである。」と言うことだけである。
(こちらで改行だけ変更)
じいさんよぉ、『〜も“同時”に悟り』って、
何と何を(2つだけじゃなくてもっとたくさんかもしれない)悟ったの?
有と無、主と客、そういうものを“同時”に悟るという話ではないのかな?
それを曲解して一方を勝手に捨ててはダメだろ
(これは、じいさんが言うところの国語の問題としてね)。
じいさんには受け入れ難いことなんだろうけど
逆だと思うぞ。理“解”できてない(“分かって”ない)のはじいさんの方だ
(くどいようだが、おそらくじいさんの“判る”という表現は変換ミスでは
ないのだろう)。
色即是空
空即是色
これは“心”の再帰性が話の核心なんだよ。
>>165 >無も空も簡単な意味である・・・
>原典には「実体は無い、空相である」とはっきり書いてある。
>だから「実体がない」=「空(相)」と解釈するしかない。
そんな簡単な話ではないと思うがねぇ。
まぁ、少なくとも俺は馬鹿だけどもさ。
“実相”とは“実は”“空相”である。
(じいさんは他に“空性”なんてこと言ってるよなぁ…大丈夫かよ)
実体は無いけども、無ではない。
アホですか?
(と煽りたくもなる話だぞ)
じいさんは“空相”の“実在性”についてどう考えてるの?
(この質問の意味をよく考えてみてよ)
>じいさん
俺だよ、俺。
月の裏側と科学の話をした俺だ。
“お経”でも“真言”でもいいけども、こんな“呪文”を唱えたって
月の裏側がどうなってるかなんてわかりゃしねーだろ?
森羅万象の理/宇宙の“深秘”を会得するとかなんとか、
月の裏側もわかんねーくせに何言ってんだ?
というお話なわけさ。
じいさん曰く「そのとおり!」
(だろ?笑えるよな)
月の裏側もモルヒネもだ。
どっちも宗教の“呪文”のおかげで発見されたんじゃねーぞ。
そうだろ?科学だよ、科学。
戦争に不幸はつきものだよなぁ。
戦争自体が不幸なのかもしれない。
まぁ、馬鹿な俺にはよくわからんが、
それでも、戦場でのたうちまわって死にかけてる兵士には
“お経”を、“呪文”をどうこうするんじゃなくて、
モルヒネ打ってやったほうがいいんじゃねーかな。
痛みなんて「無い」って、じいさんは「無い」ことに力を入れそうだな。
ドSかよ!
>>175 つまり東浩紀は学問の神様ってわけか。まぁ学歴が物語っているが。
結論でたようだな。
...-ー、,-─
.-=・=- i、-=・=-
.. / ー-' ヽ . .
.. -=ニ=-
.`ニニ´
/ ̄ '  ̄ヽ
/ ,ィ -っ、 ヽ
| / 、__う人 ・,.y i
| /  ̄ | |
ヽ、__ノ | |
| 。 | /
| ヽ、__炎_,ノ 丿
| (U) |
| / ヽ |
>じいさん
月の裏側という“実相”を俺は知ってるんだぜ。
科学のおかげだ。
俺が手遅れの状態で痛みでのたうち回ってたら、
是非、モルヒネを打ってくれ。
それが俺の求める“幸せ”だ。
そうして薬理効果で肉体的な痛みを軽減するというのは、
いったいどういうことなんだろうなぁ、じいさん?
“空想(誤変換じゃねーぞ)”も結構だけども、
もうちっとよく考えてみたらどうかな?
>じいさん
主客の問題だけどさぁ、
じいさんの言う“外界”ってなんだよ(笑)
“客観的な外の世界”ってことを言いたいわけだろ?
(すくなくとも俺との会話の文脈からするとそうなるわな)
じゃあさ、“主観的な内の世界”も“有る/在る”わけだな?
それは脳の機構に深く関係するある種の強い再帰性を有するパターンのことか?
そういうパターンが“外界”に“実在”するという話か?
じいさん、こういうことをもうちっとよく考えてみてはどうだろうねぇ。
“空想”のモルヒネ、もとい、ひとつのモルヒネという“空相”
“空想”の月、もとい、ひとつの月という“空相”
仮に、ひとつの〜という“空相”という表現をゆるさないのであれば、
(主客の別をゆるさないとかね)
何の話もできなくなるわな。
愛すべき宗教
呪文唱えてストレス発散!
アブラカタブラ!
マンボジャンボ!ハッ!
183 :
あまの:2010/10/16(土) 08:35:24 0
「正確さ」とかノスタルジーだから
180 :考える名無しさん:2010/10/16(土) 02:42:48 0
>じいさん
>月の裏側という“実相”を俺は知ってるんだぜ。
>科学のおかげだ。
なんか、科学も宗教も哲学も皮だけかじった奴の発言っぽい
185 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 12:22:57 0
186 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 14:13:00 0
_∧_∧
/ ̄ ( ・∀・)⌒\ ハイドッカーン!
__ / _| | |
ヽヽ / / \ | | ,,,,,,,iiiiillllll!!!!!!!lllllliiiii,,,,,,,
\\| |____| .| | .,llll゙゙゙゙゙ ゙゙゙゙゙lllll,
\/ \ | | .|!!!!,,,,,,,, ,,,,,,,,,!!!!|
| ヽ_「\ | |、 | ゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙ .|
| \ \――、. | | ヽ .| .゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙ |
| / \ "-、, `| | ヽ | |
_/ / "-, "' (_ ヽ ヽ .| |
/ __ノ "'m__`\ヽ_,,,, ヽ | |
`ー― ̄ ヽ、__`/ー_,,,, ゙゙゙゙!!!!!!!lllllllliii| |
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\ ヽ | |
ヽ \ | |
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`ヽ、,,_ノ| |
゙゙!!!,,,,,,,, ,,,,,,,,,!!!゙゙
゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙
/.// ・l|∵ ヽ\ < 183
ラフィネパーフェクトワン
188 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 16:08:46 0
>「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf.
>じいさん
>唯意味論
いまあなたがたの目には何が見えていますか?
189 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/16(土) 17:28:13 0
>>176 :考える名無しさん:2010/10/16(土) 02:22:24 0
>有と無、主と客、そういうものを“同時”に悟るという話ではないのかな?
そのとおり、悟るんでしょうね。だから・・・・
>それを曲解して一方を勝手に捨ててはダメだろ
捨てるのではない「悟る」のです。 ・・・国語の問題。
>>177 :考える名無しさん:2010/10/16(土) 02:29:18 0
>じいさんは“空相”の“実在性”についてどう考えてるの?
簡単な話でしょう。
実体は無いと言っているのだから。
空の実在性については語ってはならないと言う結論。
「全てに実体は無い」と言うのはご存知のとおり自己否定を含んだ矛盾した論理です。
そこから実体を持った考えは生まれません、当たり前の話です。
190 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/16(土) 17:53:38 0
>>178 :考える名無しさん:2010/10/16(土) 02:37:37 0
>じいさん ・・・俺だよ、俺。
びっくりしました。おれおれ詐欺かと思いました。
>月の裏側もモルヒネもだ。
>そうだろ?科学だよ、科学。
其のとおりなんです。ですから・・・・・
>戦場でのたうちまわって死にかけてる兵士には
>モルヒネ打ってやったほうがいいんじゃねーかな。
簡単なんですよ、まずモルヒネを打つんです。
そうすると痛みが治まります、でも結局遠からず死んじゃうんですよね。
「俺」さんは痛みさえ治まれば死を恐れないかもしれないけど、たいていの人は死を恐れて悩む訳です。
そこで呪文の登場と言う段取りになります。
>>181 :考える名無しさん:2010/10/16(土) 02:56:50 0
>“客観的な外の世界”ってことを言いたいわけだろ?
全く反対です、外界(客体)は主観(主体)によって支えられている、勿論其の逆も言える。
このことを相対的関係といってます。
それぞれ独立には存在し得ないと言うことです。
従って二元論的に別々に分析することは出来ないといっているのです。
再帰性?良くわからないです、入れ子の話なら判りますが。
191 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 18:41:59 0
どこからか小人の歌声が聞こえてきた
唯物論者は カ・ガ・ク。♪
唯識論者は オ・ナ・ベ。♪
唯物論者は カ・ガ・ク。♪
唯識論者は オ・ナ・ベ。♪
機械さんは新しい知識を素直に吸収できる賢い人ですね。
193 :
考える名無しさん:2010/10/16(土) 19:03:21 0
_∧_∧
/ ̄ ( ・∀・)⌒\ ハイドッカーン!
__ / _| | |
ヽヽ / / \ | | ,,,,,,,iiiiillllll!!!!!!!lllllliiiii,,,,,,,
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| ヽ_「\ | |、 | ゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙ .|
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`ヽ、,,_ノ| |
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゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙
/.// ・l|∵ ヽ\ <--じいさん
194 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/16(土) 19:25:23 0
>>182 :考える名無しさん:2010/10/16(土) 03:06:11 0
>仮に、ひとつの〜という“空相”という表現・・・・
すばらしい表現ですね、空というのは存在が「仮に、ひとつの〜」と言ういわば仮定(施設と言うらしい)上のことであるという意味である。
>何の話もできなくなるわな。
どんな話をしてもかまいませんがあくまでも全て仮定上の話ですよ・・・と言っている。
200安打のクオリティーが高すぎてついてけない。
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1286009977/57 57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/10/02(土) 17:47:27.99 ID:Q9VgQ4V9O
流行らせたいのはわかるけど内野安打ばっかりで正直つまらんのだわ
62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/10/02(土) 17:58:02.96 ID:5EJHl28d0 [4/4]
>>57 同意。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>190 あのなぁ、じいさん、
>>120をもっかい見てみような。
>そのとおりです。
>外界に深秘を感じてその背後にある法則性を追求する態度を科学的態度と言います。
んで、この“外界”ってのは、じいさん曰く
“客観的な外の世界”とは“まったく反対”の世界のことなんだな。
いやぁ、すごいねぇ。
唯物論と観念論。
俺は唯物論のほうが好きだわ。
まずモルヒネを打つ観念論者。
肉体に実体などない。
ベンジルイソキノリン型アルカロイドの一種
C17H19NO3(ちょっと表記がおかしいけども…)
これにも実体などない。
痛みなどない。
だけど、まずモルヒネを打つ。
んで、ラリッてる相手に観念論を説くと。
さすがな!じいさん!
197 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/16(土) 20:53:00 0
>>196 :考える名無しさん:2010/10/16(土) 20:01:03 0
「外界に深秘を感じて」これは観念論。
科学的態度のモチベーションは観念論である。
>俺は唯物論のほうが好きだわ。
この「好きだわ」も観念論。
>痛みなどない。
この痛みも観念論。
もし唯物論なら「痛み」をモルヒネの様に此処に提示してみよう。
要はどちらも不可欠なものということです、簡単な事実です。
機械さんが「全ての観念論は徒労である」と言うからじいさんが反論しているわけです。
198 :
あまの:2010/10/16(土) 22:18:42 0
機械の攻撃する観念論ってさあマルクスの頃のだろ
ええ加減にしなさ〜い!!
いらっしゃ〜い
199 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/17(日) 00:27:18 0
「月の裏側」が存在するか否か?・・・という命題が問題視されること自体が、
「観念論の究極的破綻」を意味する以外の「意味」はありません。
観念論者さん達は、結局は「著しい想像力の欠如」という脳の「欠陥」を引きずって
おられるために、「月の裏側を『実際に見た』人類は数人にすぎない」ので、
「月の裏側」は、(人類の『眼』に対する)「現前」という「存在証明」が不足している
・・・従って、「2010年10月時点においては月の裏側の『存在』は証明されていない」・・
従って「月の裏側は巨大な空虚であるという仮説を排除できない」などという(殆ど)
「宗教的妄言」を主張して、「真理の追究である『哲学』」の発展を妨害しようと必死になっております。
(哲学的最終)「真理」が「理論物理学・宇宙物理学・分子生物学・大脳生理学に基づく「機械的唯物論世界観」
による「精緻な世界説明」で解消してしまうことが「耐えられない」・・という「一部の狂信的宗教者」だけが
22世紀にも「機械的唯物論は『真理』でなはい」・・という「願望思考」を述べ続ける(だけ)・・
だということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
200 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/17(日) 00:35:20 0
>>198 あまのさんは頭が悪いのに自覚がなかった高校の3年の同じクラスに居た「天野」に
似ている反応をされますね。
今さら「マルキシズム(弁証法的唯物論)」と混同されるのを防ぐため「機械的唯物論」
を名乗っている・・ということの「重さ」を多少はご拝察いただきたいとは思いますが、
あまのさんレベルの方にそういうことを言っても(究極的に)無駄だとは思いますね。
本日は就寝させて戴きます。
201 :
あまの:2010/10/17(日) 00:45:59 0
知らんがな・・・
202 :
あまの:2010/10/17(日) 00:50:55 0
機械的唯物論で世界を語っていくと結局、超越論的な壁にぶち当たることになるって、ここに居る
みんな気付いているのにお前さんと来たら・・・
いつまでスタート地点で助走してるんだよっ。
203 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 01:32:49 0
機械
おまえは
>>29に答えろよ
この宇宙で「取るに足るもの」「無駄ではないもの」とは何なの? その理由は?
その上で語れよ低脳w
204 :
低学歴晒し上げwwww:2010/10/17(日) 03:26:36 0
360 :考える名無しさん:2010/10/16(土) 21:28:29 0
× 誤変換指摘は大人気がない
○ 誤変換指摘は2ちゃんでは全然人気がない
今日一番笑ったなこれ。アンチ宮台の文章構築能力は幼稚園児以下。
「にんき」なし
「だいにんき」なし
この違いが分からず大を付けちゃうとかwww
昔からずっと宮台を粘着的に批判してる奴は「東大、金持ち、女食いまくり」あたりに過敏な底辺だろうから仕方ないわ。
205 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 06:30:15 0
集っている「仲間内」のオツムの内実は
それぞれの学問(および似非学問)によって相当の開きがある
206 :
考える名無しさん:2010/10/17(日) 08:21:29 0
ピコッ
,☆
 ̄宮 ̄
(●) (●)
ハイドッカーン!
゙゙!!!,,,,,,,, ,,,,,,,,,!!!゙゙
゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙
/.// ・l|∵ ヽ\ <--じいさん
200安打のクオリティーが高すぎてついてけない。
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1286009977/57 57 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/10/02(土) 17:47:27.99 ID:Q9VgQ4V9O
流行らせたいのはわかるけど内野安打ばっかりで正直つまらんのだわ
62 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/10/02(土) 17:58:02.96 ID:5EJHl28d0 [4/4]
>>57 同意。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>208 その可能性は誰もが疑ってきたはず。
でも、エントロピーだけじゃ説明しにくいんじゃないかな?
だって、それを地球に適用できるってことは。
せめて立証実験が必要だろう。フーコーの振り子みたく。
信じるのはそれからだ。
ってかんじに解説が欲しかったのかな、名無し機解散?
>>208 その教授のインタビュー記事を読みましたが
>
http://bigthink.com/ideas/22877 何が言いたいのかさっぱり分からんw
要は
「熱は分子運動に還元できるのであるから
同じような理屈で重力も何かの運動に還元できるんじゃよ、ワトスン君」
と言いたい訳ですかかね。。。
・・・めちゃくちゃ嘘くせえw
しかしアムステルダム大学理論物理学院の教授ですからね。
それって偉いんでしょうかね。
重力はイリュージョン(=幻想)。。。
まあ、私も唯意味論さんとかに
「物質なんかイリュージョン」と馬鹿にされてるわけで、
どこに合理的な線引きをして良いのやら悩むわけですが。
だいたい、「○○なんか幻想」と言い捨てたところで、
何事かを言い得ているのですかね。
使い方を間違ってるんじゃないですかね。
「幻想でないもの」として何を念頭にして発言してるんでしょう。
>あまの氏
「質量も電荷もエネルギー」と言ってしまう貴方なら
この教授の気持ちも少しは(多いに?)分かるだろう。
ところで
「エネルギー」と、得体の知れない「形式」とやらで
世界に起こる事件の何か一つでも説明してくれ。
>>210 てか、科学者らしからぬ、政治的な行動の臭いがするね。
でもかりに、この先、いろんな人が立証をだしてきたとしても、その教授は先唱者とは認められても、
この論文だけでは発見者とは認められないだろう。
ところで、もし、これが本当なら、スーパーサイヤ人が作れてしまうよw。つまりナメック星ならぬ地球滅亡w。
>唯意味論さん
スカンクもミミズクも「駄目」て・・
そんな厳しいグレイシールールなの?
北極で戦うならシロクマ最強ですよ。
最大最強の誉れ高いシベリアトラでも北極ではシロクマに勝てないでしょう。
つるつる滑っちゃって
シベリアトラは赤道直下のアフリカサバンナでライオンに勝てますかね。
三分で熱射病で死ぬと思いますw
伝聞ですが、マスター大山が「オオアリクイ最強」を唱えていたとかw
この話は窮屈なので、私は抜けます。はは
>>211 なるほど、政治的に動いてるのですか。
何かのポスト争いですかね。
もうね、
何らの観測にも掛からない「ひも」とかの領域になると、
完全に形而上学になってしまってね。
数理世界と実在世界(また実在かとか言うとうるさいわけだが)を
どう繋げれば合理的なのか、よく分からんわけです。
もうここで複素数とか言い出すことはしませんがw。
スーパーサイヤ人?とは孫悟空とかですか
私は亀仙人ぐらいしか知りません。
214 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/19(火) 00:13:54 0
>>213 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/18(月) 21:09:37 P
>何らの観測にも掛からない「ひも」とかの領域になると・・・・
そういう意味では重力もなんらの観測にも掛からない領域でしょ?
重力も形而上学なのかな?
じいさん
貴方は重力を感じませんか?
216 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 01:30:28 0
>>213 複素数は実数と同じレベルでなら実在するのだよ
217 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 02:37:20 0
麺麭茶どすえ〜
くんくんしたらあかんえ
などと若者をたぶらかす言説を振りまきながら、
ヒキコハンニバルがいつものAAで荒そうとしている。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
すなわち万物の根源は砧佐古滋であって、これを解明しない限り哲学に未来はない。
,,-――-、
,/ \
./ ...-ー、,-─ . l
| .-=・=- i、-=・=-.|
| / ー-' ヽ /
\ ヽニソ ,/ 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
/ `、
/ ((i)) \
218 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/19(火) 03:57:16 0
>>215 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/19(火) 00:23:10 P
>貴方は重力を感じませんか?
りんごの重さはりんごの質量でしょう。
重力そのものを感じているわけではない。
力そのものが見えているわけではないと言うこと。
219 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/19(火) 04:52:11 0
>>210 >「熱は分子運動に還元できるのであるから
>同じような理屈で重力も何かの運動に還元できるんじゃよ、ワトスン君」
>と言いたい訳ですかかね。。。
「正統物理学(の系列)」ではないでしょうね。
ただ「熱エネルギー」と言えば、「温度差」であり、
「位置エネルギー」であれば「高低差」ですから、
「『場』の差」こそが「エネルギーである」という「共通項」
を見いだすことは可能です。
・・・その場合「キーワード」は「エネルギー」ですが、
「逆キーワード」は「エントロピー」です。
「この宇宙」は「エントロピー増大の法則」という『宿命』」を帯びて
137億年「経過」してきましたが、「局地的なエントロピー差」という
「いわば『三次元座標における凸凹状態』を平滑状態に『修正する』働き」
が、「より大きな体系」には働く・・・ので、結局「大宇宙(全体)」は
「だんだん平滑化する・・・(あらゆる意味の)『差』が無くなる方向に
進む」・・・というのが「エントロピー増大の法則」であり、それは地球
を含む太陽系や、その太陽系を含む「この銀河系」や「銀河系の大集合である
『この宇宙』には普遍的である」・・ということです。
220 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/19(火) 04:53:34 0
すなわち「『時間(の経過)』とは湯+冷水が「唯の水」になる」ように
「(全ての差異=秩序)が消滅して『完全な平衡状態』に全宇宙が陥るまでの課程」
である・・ということです。
「何故そういうふうに世界(この宇宙)が存在するのか?」については判りません。
ただ、(要するに)「世界は神が造ったゲームである」という宗教的世界観に立てば、
「神はゲーム作家としては最悪である」・・ということは出来ると思います。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
本日から4日間フィリピンのセブ島に滞在しております(筈です)・・台風次第ですが・・。
>>218 りんごを手にするとき
感じるのは「力」であり、質量ではない。
感覚により成立する意味としての「力」は、計測器と矛盾無く空間的に相関し
「力」は、物理的に普遍の意味を観念に成立させる。
質量とは、運動学的に力と相関する物質側の内部情報として成立している。
むろん、これらは感官、「理性の作用により作られたもの」と、
ある意味では言えるようにも見えるが、しかし
力学体系が世界を矛盾無く、計算可能に記述している状況下では
「力」や「質量」は体系を構成する要素となり、
この「見つけられた相関」における相関の対象となる要素は
もはや「単なる観念」とは言えない。
観念は世界を記述することはできても制御することは不可能であるからである。
ヒトは本来、その意味を知っていたはずだが・・・来年につづく。
>>216 複素数を語るのは貴方に任せる。
一度、語ってみたまえよ。ふ
抄録さんは自分で「感じませんか」と切り出しておきながら、いつのまにか、221のような話へ切り替わっているw
宇宙空間は地上にくらべれば重力も空気抵抗もほとんどないはずなのに、宇宙飛行士の動きはのろまです。
まるで水中のようですね。
重いから動けないとか、反作用がコワいから動けないとか、いわれているようですが、この目で、重い宇宙服をきてすばやく動いているのを見るまでは、水中以上の環境であるとは信じがたいですね。
そして宇宙空間で人が地上並みに素早く動いて100kgの鉄塊を、水中や空中で人力で横に動かすより何倍も高速で投げられているのをみるまでは。
無重力下では重さを感じないってのはうそくさいままですね。
どこに行こうが重さを感じているままなら、質量と重さは別物だという考えも単なる機械観測的事実にしか過ぎないままだということになります。
229 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/19(火) 20:30:49 0
>>210 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/18(月) 20:33:25 P
>「幻想でないもの」として何を念頭にして発言してるんでしょう。
それは簡単です。
わかりやすい例は「国家」などです。
例えば日本人は日本国家を論ずるときにとりあえず「日本」を実体のあるものとして考えてしまいます。
そこでそれが単なる定義された抽象的観念である事を忘れて仕舞います。
其の状態が「幻想でない国家」と言うことです。
要するに人間の脳は何かについて考えるときどうしてもそれが実在するものとして意識してしまう癖があると言うことです。
考えれば考える程、実在性を強く意識してしまいます。
例えば「数学」などはじいさんのような素人にとっては実在性のないものと考えますが、数学者ならはっきりと実在すると確信しているでしょう。
>「○○なんか幻想」と言い捨てたところで・・・・
この言葉は そんな人間の脳の癖をいましめる言葉です。
230 :
考える名無しさん:2010/10/19(火) 20:43:11 0
あほ発見
>>229 んー・・・・
つまり、じいさん的には国家は幻想だが
人間の癖により、「幻想でない国家」が“幻想として”立ち現れる、と
そういう風に読めますね。
・幻想でない何かとは幻想である(byじいさん)
それは結局、「幻想とは幻想である」となりませんか。
幻想の意味が消失するでしょう。
>>224 切り替えたつもりはないのだが
書きたいことがもくもくと湧いてきて収集がつかないのですよ。
233 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/19(火) 23:24:45 0
>>221 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/19(火) 08:51:39 P
>計測器と矛盾無く空間的に相関し
これは事実関係が逆立ちしています。
もとより計測器と言うのは人工物であり、矛盾無く相関するように計測器の精度を人間が高めて今日に至ったものです。
いわば計測器と言うのは人の感覚の代用物と言っていいと考えます。
>質量とは、運動学的に力と相関する物質側の内部情報として成立している。
なるほどおっしゃるとおりですね。
しかしながらそもそもある物体の実在性とは位置、性質、質量などの要素が確定できると言うことなのではないですか。
それらの要素は実は位置も性質も、おっしゃるような周囲と相関するその物体側の内部情報といえるのではないでしょうか。
>力学体系が世界を矛盾無く、計算可能に記述している・・・
これも計測器の話と同様 見える現象を矛盾無く(人間にとって)体系付けたものが力学であります。
まさに観念そのもので、たしかに矛盾無く記述しているのみである。
>制御することは不可能であるからである。
ここが最大の論点だと思いますが、私は自然現象は「制御」されていないと考えます。
自然は神が創ったものでもないし、何からも制御されては居ない。
いわゆる法則などは人間脳と現象の相関関係を観念の一つとして記述しているに過ぎないと考えます。
234 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/19(火) 23:32:41 0
>>231 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/19(火) 21:51:05 P
>それは結局、「幻想とは幻想である」となりませんか。
「幻想としてたち現れる」のではなく、人が実体と勘違いすると言っている。
国家を実体のあるものであると考えるのは間違いで実体の無い幻想ですよと言う意味なんですが・・・・。
簡単でしょ?
235 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 00:08:37 0
NASAと宇宙飛行士にだまされるな!
中国が今進めている有人宇宙ステーション(2020年始動)及び有人月探査計画が成功すれば、
それまで米ソが互いの利益のために隠してきた新たな事実が次々と飛び出すだろう。
それにはもちろん物理学的な発見も含まれる。(現代物理理論に不都合な数々の事実!)
それを公開することで科学、少なくとも宇宙科学、における革命が起き、アメリカの信頼は名実ともに失墜し、中国は世界1の座を意図して勝ち取ることになろう。
>>234 >実体の無い幻想
「幻想=実体が無い」という意味でもいいですよ。
私が言いたいのは、じいさん的には「実体など(どこにも)無い」立場なのだから、
そこには「幻想も無い(消失する)」でしょう、ということです。
じいさん的に「実体」の意味はどこにありますか。
じいさんは「実体」なる用語を使用する以上、「実体」を想起可能なのです。
そしてそれこそが「実体」の意味なのでは?
想起された「実体」は「単なる観念」とすることが不可能な意味として成立してるでしょう。
観念は無限大に膨脹できない。観念を無限に膨脹させると観念の意味が消失する。
>>233 >これは事実関係が逆立ちしています。
してないと思うが。
>計測器と言うのは人工物であり、矛盾無く相関するように計測器の精度を人間が高めて今日に至ったものです
人工物といえども、自然物なのです。意思の力でその挙動を左右できない。
ある物質群に作用する「力」と、それに対応するその作用される物質群の「変位」があり、
それらの間に相関がある。
そうでなければ、精度を高めるなどという行為そのものが無意味でしょう。
この相関は観念である、が、しかし「観念に過ぎない」とは言えない。
「観念に過ぎないもの、ではないもの」など想定できないからです。
>>233 >位置も性質も、おっしゃるような周囲と相関するその物体側の内部情報といえるのではないでしょうか。
どうだろうね。。。「性質」とか漠然としててよく分からんが。。
「位置」は「物体以前」に要請しておかないと駄目ではないかとは思うが。
「内部情報」というのは、一般には質量とか電荷とかスピンとかではないですか。
>私は自然現象は「制御」されていないと考えます。
私は、「観念は自然を制御しない」と言っているのですよ。
自然現象を人間が「いわゆる制御」するためには「いわゆる物質」によらねばならない。
制御工学が成立している範囲に於いて制御が可能である、ように世界はできているのです。
その記述が観念に依ろうとも、世界の相関は観念に過ぎない、とは言えない。
そんなことをしたら観念の意味が消失する。
じいさん
>簡単でしょ?
本気で「簡単」と思ってるなら、相当不真面目でしょう。
>>233 >いわゆる法則などは人間脳と現象の相関関係を観念の一つとして記述しているに過ぎない
「人間脳」⇔「現象」:この相関関係が観念の一つとなる。。。。。
じいさん的に、この「脳」は、何故、必要なのですか?
じいさんは、
人間(観念)は世界の中の相関だけを見いだしてているにすぎない
と言いたいのかもしれない。
しかし、世界に現れる対象、現象は、総じて相関として現れます。
そしてそれが「全て」です。
じいさんは世界に「それ以外の何か」を夢想しているのではないのか。
「世界がどうあろうと、観念はそれを矛盾無く体系付けられるだろうか」
じいさんは
「観念は無秩序から秩序を見いだす(or作り出す)」とまで徹底しているのか
それとも、
「世界には元から少しは秩序がある」ぐらいの譲歩をしているのか
あるいは
「秩序、無秩序そのものが幻想である」
としているのか。
世界に意味を見いだすとき、それは「観念の独断にすぎない」とできるだろうか。
その主張は有効だろうか。
何度も言うが、「何でも観念」論は観念の意味を消失させ、
再び世界の実体を要請してしまう。
>>164 :じいさん
>全体の要旨として空の否定的側面が強調されているとしか読み取れないはずです。
じいさんが書いているように、空の否定的側面、つまり「実体がない」ということだけによって、「幸せ」になれるとは思えません。
般若心経では、こう書かれています。
「菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に。心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖あることなく、顚倒夢想を遠離して涅槃を究竟す。」
だから、「罣礙なし」ということが、最も重要なところだと思われます。
「罣」は「ひっかかり」、「礙」は「さまたげ」というような意味なので、
「心に罣礙なし」は、この教えを説いている観自在菩薩の「観自在」つまり「自在に観る」とだいたい同じ意味だと思います。
そして、「罣礙なし」に見た世界が、この前書いた、「有るようで、なく、無いようで、ある」ということだと思います。
じいさんはおそらく般若心経の「無・・・無・・・無・・・」の部分を中心に見ているのだと思いますが、
その部分の「無」は、その前の「不・・・不・・・不・・・」との関連で読めば、分かりやすいのではないかと思います。
「不生不滅」「不増不減」・・・これについては、波と海の関係、あるいは氷と水の関係でよく説明されます。
現れては消え、消えては現れる一つ一つの波は、独立して存在しているのではなく、それぞれの波はお互い他によって成り立っており(縁起)、
また、一つ一つの波が消えていっても、海の水は「不生不滅」「不増不減」です。
だから、一つ一つの波には「実体がない」(独立自存していない)のだけれども、しかし何も無いとも言えず、
一つ一つの波が「ある」からこそ、海が成り立っていると言えます。
また、人の死は、氷が融けて水になるようなものだと考えられます。
氷と水とを連続的(「罣礙なし」)に見れば、H2Oは「不生不滅」「不増不減」です。
そして、波や氷と同じように、すべての存在者は、「有るようで、なく、無いようで、ある」もの(「空」)です。
「無・・・無・・・無・・・」の部分は、このような「有るようで、なく、無いようで、ある」ものを、
固定的に「ある」ものとする見方(とくに説一切有部)に対する批判でしょう。
固定的に「ある」と見てしまうと、それにとらわれて「ひっかかり」ができるので、「罣礙なし」(自在)に見ることができないからです。
>>154 :唯意味論さん
>「諸条件」とは具体的に何の謂いですか。それは「ある」のですね?
>また「支える」という事態は(意味不明だが)“空”ではないのですね。
これも、この前書いたように【「ない」か「ある」かの二者択一】的な考え方にもとづく質問だと思います。
「もの」と「もの」とが「関係する」場合に、その「もの」が「有るようで、なく、無いようで、ある」ようなものなのだから、
当然その「関係」も、「有るようで、なく、無いようで、ある」ことになると思います。
>「諸条件」とは具体的に何の謂いですか。
これはずっと前に答えたと思いますが、すべての存在です。
一つ一つの波は、海の全ての水によって支えられています。そして海の全ての水は、一つ一つの波によって支えられています。
唯意味論さんは、前からずっと、「縁起」を、「規則」や「秩序」と結びつけていますが(上の質問もそれに結びつける質問だろうと思います)、
その「規則」や「秩序」というのは、具体的には、どういうものなのですか? そもそも、それが分かりません。
「縁起」というのは、ずっと前に書いたように、「互いに関わり合うこと」です。
例えば、人と人とが関わりあう時(出会った時)には、そこにはどのような「規則」や「秩序」がありますか?
(僕が思うに、その出来事は、神の恩寵としても説明可能だし、力学的にも説明可能だし、心理学的にも、などなど無数の説明が可能であって、
それらはただ、それぞれの見方をその出来事に当てはめ、それを説明しているということだと思います。)
(と言っても、「無自性という場合、カタチがないのが前提」という唯意味論さんの前提が違っているので、この話題は続けなくてもいいと思いますが…。
「無いようで、ある」と見られた「波」や「氷」は、独立自存はしていないけれども、カタチがあります。カタチが全くなかったら、もともと「波」も「氷」もありません。)
>>155 :唯意味論さん
唯意味論さんのレスは、僕の質問【では、「意味づけ」しているのは「誰(何)」なのか?】(
>>72)に対する答えになっているようには思えないし、
そこで僕が書いた【この「ある」は、「意味」に先立つものです。(実存は本質に先立つ)】という内容を、唯意味論さんは肯定しているのか、否定しているのか、
それさえ分からないので、返信しにくいです (^.^) 肯定しているんですか? 否定しているんですか?
僕はその「ある」が「意味」に先立つことを、前スレの
>>960では、「無限背進」として説明しました。(それは、唯意味論さんへのレス>885の続きです。)
そこで僕が書いた「( )の中には取り込まれ得ない」というのは、つまり『対象化・意味づけされ得ない』ということです。
その「ある」を、唯意味論さんのように「意味づけ」してしまえば、【では、それを「意味づけ」しているのは「誰(何)」なのか?】という問いがずっと続くはずです。
「実存は本質に先立つ」ということを、サルトルは、ペーパーナイフの例で説明しましたね。
人間がペーパーナイフのような道具を作る場合、まずそれの本質(何であるか)が決まっていて、その後に、ペーパーナイフが作られ、それが「ある」に至ります。
だから、「作る」場合には、本質が先で、実存が後、です。
神が世界と人間とを「作る」場合も、それと同じで、人間の本質が先に決まっています。実存よりも本質が先です。
だから、人間が生きる「意味」は、神が人間を作った時には、既に決まっていたことになります。
それに対して、この世界と人間は誰が作ったものでもないとすれば、世界も人間も本質は決まっていないのだということになり、
本質(意味)以前に、「ある」、つまり実存が先だということになります。
「〜である」ということなしに、ただ投げ出されてそこに「ある」、ということになります。
唯意味論さんが、意味づけられたものだけが「ある」と考えるのならば(唯意味論さんは僕の質問にはっきり答えてくれないので勝手に進めますが(^.^)
それは、人間の「意識」が「神」の位置に立って世界を「作って」いる、というふうに解釈できます。
でも、その場合でも、その「意識」自身(( )の中には取り込まれ得ない「← <?> 」)を意味づけることはできないと僕は思うから、
<?>としての「(ある)は「意味」に先立つ」、つまり実存は本質に先立つのでは…?
…というようなことを僕は書いていました。
248 :
唯:2010/10/20(水) 14:39:01 0
>>あまのさん
シャチは強いけれども、マッコウ鯨の雄には分が悪いのでは?
シャチにはカバか大型ワニと戦ってほしいが、ここでも塩かげんでもめそう。
ルール(規則)を定めるのが、いずれにせよ大変です。w
249 :
唯意味論:2010/10/20(水) 15:19:27 0
>>245 すべての存在? あなたは「すべて」を知っているのですか。w
「人と人との関わり合い」にはルール(決まり)があるようにみえる。
それを“空”だと切って捨てたのが心経では?
貴方の無自性の定義は「実体がない」でしたが、体はカタチという意味です。
そこから私は無自性を意味づけています。
「波のカタチ」ですって? たしかに波形という表現はありますが、
言葉のアヤです。字義どおりの“波”には、それこそ実体がありません。
つまり構造がないので、カタチはありません。長さはあるのかもしれぬが。
波だけでなく、氷のカタチも掴みようがありません。月のそれも同じ。
少し前のレスに「俺は月の実相を知っている」というのがあり、驚きました。w
もし最短の“時間”というものがあれば、本当のカタチやスガタがある、
といえるのでしょうが、時間にカタチはなく、したがって実は“空間”にも
スガタ・カタチといえるものはないのです。これが私の理解する無自性=空
の解釈です。
250 :
唯意味論:2010/10/20(水) 15:31:30 0
>>246 「あるかないか」を問うているのですか。
その質問のしかたを
>>245で貴方は否定しているのでは?
それはともかく「意味に先立つ存在はあるだろう」と私は思っては
いるものの、これは推測であり、これもまた意識的相関である、と
答えている。
251 :
唯意味論:2010/10/20(水) 15:45:47 0
「神」の問題はもう少し先でやりましょう。
スレ主はこれをやり過ごしていますが、結局、そこに論点を移さざるを
えないのです。
つまり、神なしで済むか否か、は依然としてテーマなのです。
>>246 「投げだされた」というのが偶発的事態なら、因果も縁起も、あるいは
諸規則も“空”でしょう?
それとも、偶発事のうえに“必然”がかぶさった、ということだろうか。
252 :
唯意味論:2010/10/20(水) 15:51:24 0
実は規制されているので(このスレの1号か)自宅では書き込みできません。
抄録さん、解除されるまで待たれよ。
それはともかく、人間の“思い”は結構、自然に介入しているのではないの?
剽窃、活用というかたちではあるが。
機械って自分が荒らしのくせに犬コピペをよく削除できたね
254 :
考える名無しさん:2010/10/20(水) 20:09:11 O
意識は必然的といっても選択肢に幅があるから問題ないかと…
255 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/20(水) 22:10:50 0
>>236 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 00:29:52 P
意味不明?貴方が・・・
>「幻想=実体が無い」という意味でもいいですよ。
と言っているのなら、それがじいさん的に「実体」の意味の答えになってるでしょう。
>観念は無限大に膨脹できない。観念を無限に膨脹させると観念の意味が消失する。
意味不明です。
256 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/20(水) 22:14:27 0
>>237 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 00:32:40 P
>意思の力でその挙動を左右できない。
当然です。
もとより人体も自然物です、意思の力で五感を左右できない。
測定器の相関の原理は人体の認識の原理と同じであるのは言うまでも無い。
だからわれわれの観念は自然の原理が反映されているに違いないでしょ。
いわゆる「物質が精神を規定する」ですよ。
だから観念が自然に規定されている、つまり観念は人間と自然との相関をあらわしたものなのです。
いいですか・・
りんごは何回試行しても同じように地面に落ちます。
「そこには規則があります」と考える、これが観念なのです。
人間以外(宇宙人)の脳ならこれを規則であると考える観念を持つかどうかは判らないのです。
自然現象には法則性があると考えそれを見出すのは人間特有の観念なのです。
ですから観念があるから実体があるというのは逆立ちしているわけです。
見出したからには法則性を裏付ける実体があるとは言えない。
>この相関は観念である、が、しかし「観念に過ぎない」とは言えない。
了解しました、「観念に過ぎない」とは言いません。
「この相関は観念である」と貴方に習って言い換えます。
実体とは想定されたものというお考えなら全面的に賛成です。
257 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/20(水) 22:40:25 0
>>240 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 07:31:48 P
>じいさん的に、この「脳」は、何故、必要なのですか?
おっしゃるように必要ありません
しかし「われ思う・・・」などと主張する自我と言う厄介者がうるさい訳です。
>>241 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 07:58:31 P
>世界に現れる対象、現象は、総じて相関として現れます。
>そしてそれが「全て」です。
おっしゃるとおりです。
じいさんはその相関のことを「主客の相対」と呼んでおります。
世界はそれが全てです。同感です。
>>242 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 08:19:01 P
>「世界がどうあろうと、観念はそれを矛盾無く体系付けられるだろうか」
世界の捕らえ方(相関の仕方)が観念だと思います。
>その主張は有効だろうか。
其の主張は自我が行う主張なので、自我にとっては有効です。
それ以上の有効性を認める存在(神)は居ません。
>再び世界の実体を要請してしまう。
其のとおりです、実際人はついつい実体を求めてしまう脳の癖から一生逃れられないのです。
>>255 意味不明ですか。はは
私はね、じいさん、貴方にとっての実体とは何か、と訊いているのです。
貴方は
国家は幻想であるが、それを人が実体であるかのように勘違いする、
と言っているわけです。
では、じいさんにとって「実体としてあるもの」とは何ですか?
意味をご理解いただけましたか。
昔は哲学議論をよくやって哲学書もよく読んでたけど、すっかり忘れちゃったなあ
ニーチェの記憶がかすかにあるくらいだ。
>測定器の相関の原理は人体の認識の原理と同じであるのは言うまでも無い。
認識の原理など、科学的には全く解明されていませんが、まあいいでしょう。
>りんごは何回試行しても同じように地面に落ちます。
>「そこには規則があります」と考える、これが観念なのです。
>人間以外(宇宙人)の脳ならこれを規則であると考える観念を持つかどうかは判らないのです。
じいさん、人間だけでいいのですよ。
人間にとっての規則が見つかった。
しかしこれは人間が作った規則ではないでしょう。
そしてこの「見つかった規則」は普遍なわけです。
普遍とはつまり、
「宇宙人がりんごを落としても、同じように落ちる」わけです。
宇宙人がそこに意味を見出せなくても良いわけです。
事実としてりんごの落下の様態はあるわけで、
そこに規則性を見出した人間は、それを有効に利用できる訳です。
>>257 >「われ思う・・・」などと主張する自我と言う厄介者がうるさい訳です
んー・・・
「自我」のありかは「脳」だということですかね?
じいさん的には「脳」は物質ですか?
262 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/20(水) 23:13:46 0
>>243 :Trauerode:2010/10/20(水) 12:56:48 0
>「有るようで、なく、無いようで、ある」
この辺が問題の核心ですね。
じいさんとしてはこの言い方が般若心経に代表される中観の考えの典型的な曲解の例だと思います。
大乗仏教としてはそうかも(?)しれません。
しかし中観思想を曲解しております。
そのような曲解から以下の矛盾が生まれる。
>>244 :Trauerode:2010/10/20(水) 12:57:42 0
>「不生不滅」「不増不減」・・・よく説明されます。・・・(縁起)
これでは中観が縁起を積極的に肯定していると言ってしまっている。
中観は縁起からの脱却を説いている。
そのために「生ぜず、滅せず」と言い切っている。
生まれてもいないものはしたくても縁起できないでしょう?
「有るようで、なく、無いようで、ある」
これは中観の思想を全てぶち壊す解釈だ。
じいさん、
私の言う「世界に現れる相関」と、
じいさんの言う「主客の相対」とは、全然ちがいます。
私は主張は
世界の森羅万象について「主客の相対」など必要としていません。
世界の構成物は、秩序の中で、規則の縛りを受けて、勝手に現象している。
ヒトも物質であり、ヒトによる行為も森羅万象の一部であります。
>実際人はついつい実体を求めてしまう脳の癖から一生逃れられないのです。
結局、実体など無いわけですか。
それならば
「日本国家は幻想」などの主張には意味が無いでしょう。
じいさん的には、あれも幻想、これも幻想、みーんな幻想なんでしょう。
幻想ではないものとは何ですか。
「幻想」は「幻想でないもの」との対比でなければ意味がないでしょう。
「全てが観念である」とすると、観念の内部に実体が要請される。
この実体はしかし「観念ではない意味」としてある。
おかしいでしょう。
本来、「目の前に見えるこのパソコンは観念である」との主張には
根拠が無いのです。
「観念とか、主客の相対が対象よりも先立つ」とも思いは、特定の思考上の産物なのです。
265 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/20(水) 23:47:41 0
>>258 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 22:40:42 P
>>じいさんにとって「実体としてあるもの」とは何ですか?
だからそんなものはないと言っているでしょう。
実体と言う言葉を使う以上其れに対応する実体を想定しているはずだとか?
おかしなことです、言葉を使っても実体を想定しない例は日常会話でも多用。
「命がけで努力する」「死ぬほど愛している」「無限大と無限大+1はどちらが大きいか」「Aとその完全コピーしたA」・・・・・・・・・
しかし実体の存在の否定の仕方は表現できます。
人は考える自分の背後に居る自分(実体)を考えることは出来ない。
人は存在する事物の背後にある事物の存在性(実体)を記述することは出来ない。
>>260 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 22:59:47 P
>認識の原理など、科学的には全く解明されていませんが、まあいいでしょう。
認識の原理が自然の原理を逸脱する事などありえないと言うことがわかりませんか?
>そしてこの「見つかった規則」は普遍なわけです。
規則は人間が作ったのかもしれないし、規則は普遍ではないのではないかと言っている。
>「宇宙人がりんごを落としても、同じように落ちる」わけです。
人間が観測すればそう見えるかもしれない。
しかし宇宙人はそうは観測しないかもしれない。
>>261 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 23:08:25 P
>「自我」のありかは「脳」だということですかね?
勿論 脳に心はある。
>>265 じいさん
日常会話の話をしてるのじゃありませんよ
何ですか「死ぬほど愛している」とは。
じいさんは実体について「そんなものない」と主張する。
それでもじいさんは「実体」を語るわけです。
じいさんは実体について知っている。
それを伝えることができると思っている。
しかしそんなものは「ない」と言う。
脳による錯覚だと言う。しかし本当に錯覚でしょうか。
実は錯覚だと錯覚しているのではないですか。
267 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/21(木) 00:14:08 0
>>263 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 23:21:24 P
>世界の構成物は、秩序の中で、規則の縛りを受けて、勝手に現象している。
>ヒトも物質であり、ヒトによる行為も森羅万象の一部であります。
なるほど明確に違いが判りますね。
ここまで整理されると良いですね。
>>264 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/20(水) 23:38:43 P
>「幻想」は「幻想でないもの」との対比でなければ意味がないでしょう。
>おかしいでしょう。
前からこのことをおっしゃってますが、意味がわからない?
ネッシーは幻想です。それはキリンが実際居るのが見えるからです。
キリンに比べてネッシーは幻想なわけです。
しかし見えているキリンの存在性が絶対かと言うとキリンの実体は無く。
キリンの存在性は幻想(正式には仮説と言った方が言いと誰かに指摘されました)であると言っている。
充分意味は有る。
同じ事を何度も言うが「実体は無い」と言う言説を含んだ観念があって何故いけないのですか???
>根拠が無いのです。
>特定の思考上の産物なのです。
それを言ったら「目の前に見えるこのパソコンは実体がある」
「観念とか、主客の相対が対象よりも後になる」
と言うことの根拠がないことの問題の方がそれこそ先立つのでは。
>>265 >認識の原理が自然の原理を逸脱する事などありえないと言うことがわかりませんか?
じいさん、唯物論者になってしまいましたね。自然の原理ときましたか。
認識の原理が自然の原理から逸脱しないなら、認識が自然の原理を理解するのは
「当然」のことですよね。
そこに観念が阻害要因として介入する余地などないでしょう。
きっと宇宙人も自然の原理を理解することでしょう。
269 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/21(木) 00:33:59 0
>>268 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/21(木) 00:15:01 P
唯物論大好きですよ。
それが観念の一部だと言っているわけです。
主(認識)客(自然)の相対的関係だから双方とも逸脱しないのです。
>>267 >キリンに比べてネッシーは幻想なわけです。
つまり「幻想かどうかは比較的なもの」だと、そういうことですね。
しかしその後は何ですか。
キリンは何に比べて幻想なんです?
絶対的な存在性に鑑み、ですか。
それは「ネッシーとキリン」の対比による幻想の意味と同じと思いますか?
幻想のダブルスタンダードでしょう。
>>269 認識の原理は自然の原理から逸脱しない。
認識と自然の相対が観念。。
それならじいさん!
「自然の原理が観念を形成している」とすればいいではないですか。
何の矛盾も無いですよ。
私と同じ唯物主義者になりましょう♥
人間である事を忘れて物事を眺めて見たら、
・全ての現象は、ただそうなっているというだけのもの
・意味という概念を知っている立場から見ると全ての現象は無意味
2人が言っている「実体」というのは「もの」と「意味」とどちらを示しているの?
例えば「りんご」が目の前にあったとして、その「りんご」から意味をとっぱらっても、
そこになんらかの「もの」が有る事は間違いないと思うんだが?
まあ、一旦「りんご」から意味をとっぱらった(忘れた)としても、
それを人間として理解しようと思えば「りんご」の意味のは又作られるとは思うけど
そんな話ではないのかな?
>>272 貴方の言われることも分かります。
しかし入れ子構造がどうだこうだと言うこのじいさんと
「りんごの存在」をもニヒルに解体・消去する唯意味論氏とかがいて
こちらも訳わからんとこまで潜らないと反論できないのです。
もう疲れるw
貴方も参加してくださいw
おやすみなさい。
このスレはどうにもつまらなくて読む気がせんな
275 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/21(木) 01:32:14 0
>>270 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/21(木) 00:36:31 P
言い直しましょう。
ネッシーが発見できると考えるのは幻想。
キリンは発見できるので存在する(幻想ではない)
しかしキリンの絶対的存在性(実在)が証明されると言うのは幻想。
こう言い換えるとわかりやすいんじゃあないかしら。
>>271 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/21(木) 00:42:29 P
>「自然の原理が観念を形成している」とすればいいではないですか。
だから「物質が精神を規定する」って言う言葉が好きです。
これは精神が無ければ物質も無いともいっているから。
>私と同じ唯物主義者になりましょう♥
何度も言うが唯物論は観念論の土俵の上で成り立つ。
276 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/21(木) 01:32:54 0
>>270 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/21(木) 00:36:31 P
言い直しましょう。
ネッシーが発見できると考えるのは幻想。
キリンは発見できるので存在する(幻想ではない)
しかしキリンの絶対的存在性(実在)が証明されると言うのは幻想。
こう言い換えるとわかりやすいんじゃあないかしら。
>>271 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/21(木) 00:42:29 P
>「自然の原理が観念を形成している」とすればいいではないですか。
だから「物質が精神を規定する」って言う言葉が好きです。
これは精神が無ければ物質も無いともいっているから。
>私と同じ唯物主義者になりましょう♥
何度も言うが唯物論は観念論の土俵の上で成り立つ。
277 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/21(木) 01:44:44 0
>>272 :考える名無しさん:2010/10/21(木) 00:46:29 0
>「実体」というのは「もの」と「意味」とどちらを示しているの?
それは極めてはっきりしています。
般若心経より・・・
>>105 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/13(水) 18:22:47 0
>シャーリプトラよ、世の中のすべての物質的現象には実体がないのである。
これが「色即是空」と言う分です。
更に
>存在の他の構成要素である感覚、表象、意思、認識についても物質的現象についてと同じことがいえるのである。
これが「受想行識亦復如是」の部分です。
要するに物と意味とをはっきり取り出して両方の実体を徹底的に否定しております。
じいさんとしては「受想行識亦復如是」の部分のほうがミソです。
「色即是空」の方は判りやすいからです。
>>276 「キリンの絶対的存在性」なんて言葉自体が妄想なんですよ。
勝手に謎を作り出しているだけのマッチポンプ。(入れ子構造もそうだが)
絶対的とか意味不明なんですよ。過度の信仰による金魚の糞とでもいうか。
丸い三角の存在可能性を云々するのと同じでしょう。理解不可能なんですから。
キリンはキリンのいる場所に理解可能に実在しており、それ以上でも以下でもない。
じいさん的にはそれを「仮定」してもよいでしょう(しなくてもいいですがw)
>何度も言うが唯物論は観念論の土俵の上で成り立つ。
それはあまりに狂信的ですよ。
何かを観念だと錯覚してるだけではないですかね。
あるいは、観念の在処を誤解してるのかも。観念てどこにありますかね。
貴方に帰属するもの、と思いますか?
279 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/21(木) 19:17:49 0
>>278 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/21(木) 05:58:14 P
>「キリンの絶対的存在性」なんて言葉自体が妄想なんですよ。
勿論同感です。
だから「存在の背後に有る存在性を問うてはならない」と言っている。
貴方はじいさんと同意見になってますが、それでもいいんですか?
もともと物理学的な問題なんですよ「色」については。
>キリンはキリンのいる場所に理解可能に実在しており、それ以上でも以下でもない。
それを仮定上の存在(施設と言うらしい)と言っていいなら同感です。
キリンの存在はネッシー並みの幻想だというのは言い過ぎで訂正します。
逆に「絶対的な存在」と言うなら抄録さんのおっしゃるように言葉自体が妄想と言う事です。
>あるいは、観念の在処を誤解してるのかも。観念てどこにありますかね。
>貴方に帰属するもの、と思いますか?
自己の中にあります。
他にはありません、唯物論も自己主体の中にあります。
客体の中に「論」があるはずはありません。
>>279 じいさんと私と意見が同じでもいいですよ♥
「色」とかはどーでもいいですが。
ただ私は「認識の背後の存在(例えばキリンの実在)」を端から「認めています」。
(※「存在の背後に有る存在性を問うてはならない」は何を言っているのか分かりません。
存在があって、その背後に存在性があるわけですか?)
しかし、観念の話を急ぎたいのです。
じいさん、
認識の原理は自然の原理から逸脱しない、と貴方は言われた。
また観念は認識の原理に由来して形成されるでしょう(←ここ異論ありますか?)
それなら観念は、自然の原理から逸脱しない、としてもいいですか。
それとも観念の作用は自然の原理から独立していますか。
>じいさん
語録をまとめましたので、付き合ってください。
・測定器の相関の原理(自然の原理)は認識の原理と同じである。
・観念には自然の原理が反映されている。
・規則を見つけるかどうかは観念次第。
・人間には同じように落ちる林檎も宇宙人はそう観測しないかも。
最後の宇宙人の話ですけど、
人間と宇宙人の観測が異なったとしても、
それはいずれも自然の原理からは逸脱しない、
ということでいいですかね?
282 :
272:2010/10/21(木) 21:15:12 0
>>273 >貴方も参加してくださいw
ちょっとだけ素人の意見という事でw
>>277 >要するに物と意味とをはっきり取り出して両方の実体を徹底的に否定しております。
やっぱり分からないですw(いや俺には哲学や宗教の知識なんかそもそもないんですけどね)
「色即是空」も個人的には唯物論的に解釈していたのは、一般的に間違いなんでしょうかね?
俺の考えでは、
やはり人間は意味を捨てて物事を考える事は出来ません(しかし知覚する事は出来る。というのはちょっと怪しいか)
そして世界について考えたり、知覚する生物が全てて滅んでも、それでも世界は存在していると思います
感覚的には、
極端な観念論は人間である事を思い上がっており、
極端な唯物論は人間である事の自覚ないのです
なんとなく、にわとりと卵みたいな気もしますがね
283 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/21(木) 21:16:14 0
>>280 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/21(木) 20:39:58 P
>「存在の背後に有る存在性を問うてはならない」は何を言っているのか分かりません。
ひとつの例としましては。
貴方はキリンを見て存在を認識したとします。
其の時点で「みて認識しなくてもそこにキリンはいた」と言う存在性も認めるわけです。
其のことを一面では背後にある存在性といっています。
其の点ではじいさんは見てない以上存在性は問えないと言う考えです。
観測されない物質は存在するとはいえない。
もう一面は、キリンを物質として正確に記述できるかどうか?と言う問題です。(この問題は貴方がアバウトでも存在は存在ということで決着)
>また観念は認識の原理に由来して形成されるでしょう(←ここ異論ありますか?)
当然だと思います。
>それなら観念は、自然の原理から逸脱しない、としてもいいですか。
当然ですし其の逆もいえます「自然は観念の原理から逸脱しない」
これが人間原理と言われているものだと思います。
>それとも観念の作用は自然の原理から独立していますか。
主客の相対なので互いに独立できないのです。
284 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/21(木) 21:23:27 0
>>281 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/21(木) 21:00:15 P
>それはいずれも自然の原理からは逸脱しない
当然違う自然に居るわけです。
もともと全ての主観に普遍的な宇宙を設定できないと言うことが発端ですよ。
じいさんは物理には素人ですが一メートルはなれた人間のそれぞれの宇宙は異なっていると考えます。
じいさんの「背後の存在性」は「物自体」とかの話と違うようですね。
キリンを見て認識し、キリンから視界を外したらキリンが存在するかどうか(≒存在性)は問えない、
という話ですか。
そして、じいさんにとって見ていないものは存在しない、と。
しかしじいさん
見えているキリンも、全体との相関の中で存在してるのでは?
キリンに背を向ける貴方。しかし目の前の子供が「キリンだ」と叫ぶ。
「キリンはこちら」の立て看板。キリンに餌をやりに行く飼育員。
キリンの餌を作った農家、キリンの排泄物を流す下水、キリンの鳴き声響く空。
これらは一つの世界として繋がっていませんか。
「私の宇宙と貴方の宇宙が異なる」とは、
1.見え方が異なるが、同じものを見ている。
2.互いに相関が無い、全くの別物
どちらでしょう?
貴方にとって、私を認識するものは画面上の字の羅列にすぎません。
じいさん的には私は文字列でしかないですか。
それ以上は問えませんか。
「観念は自然の原理から逸脱しないし
自然は観念の原理から逸脱しない
これが人間原理である。」
じいさん、それなら、自然の原理と観念の原理を分ける必要はありませんよ。
全て自然の原理でよいではないですか。
しかしその自然は「貴方だけの自然」ということですね。
何故そこで人間原理などという普遍的なものをもちだすのです。
貴方の宇宙の原理は私の宇宙の原理には通用しないでしょう。
だから「じいさん原理」ですよ。
同じ人間だから似てる可能性があるのですか?
じいさんにとって私は人間ですか?
287 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/22(金) 00:01:19 0
>>285 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/21(木) 21:56:32 P
>見えているキリンも、全体との相関の中で存在してるのでは?
そうですよね、相関している事がわかっていると言うことは認識していると言うことですからね。
>目の前の子供が「キリンだ」と叫ぶ。 〜〜〜要するに測定器と同じ役割。
>キリンの鳴き声響く空〜〜〜〜声が聞こえたんだ。
>これらは一つの世界として繋がっていませんか。
??確かに世界はつながっているでしょうがそれと存在性と何の関係が?
>「私の宇宙と貴方の宇宙が異なる」とは、
異なるのですが、別物のでもない、比較は出来ないのです。
比較する為には自分の世界をめけ出る必要があるわけですが、それは「入れ子構造の矛盾」になるからです。
もちろん現実には人類普遍の宇宙と言う事が言われていますが、それは在り得ない仮定上の虚構です。まあそれを承知の上でやっていることではありますが・・・。
>全て自然の原理でよいではないですか。
それだと「人間の認識」が欠落しています。成立しない世界です。なにせ世界は主客の相対ですから。
貴方が逸脱するかしないかと聞いたから・・・
相対的関係だから双方逸脱しないであろうと言う返事になった訳です。
>「貴方だけの自然」何故そこで人間原理などという普遍的なものをもちだすのです。
べつに構わんでしょう、じいさん原理でも1+1=2とか言う普遍的規則は有効ですから。
>じいさんにとって私は人間ですか?
そう、他人である。
どうでもいいけど、おまえらキリンみたことあんのか?
>>287 >要するに測定器と同じ役割。
何を測定したのです?
>声が聞こえたんだ。
何の声ですか。
>??確かに世界はつながっているでしょうがそれと存在性と何の関係が?
・貴方が目視すること。
・測定器を介してキリンを感知すること。
これらは同じことですよね。本質的な違いはありますか?
貴方がキリンAを見ようが見まいが、全ての脈絡が繋がっているのだから、
キリンAの存在する世界はキリンAの存在する世界としてのみ成立しているでしょう。
>異なるのですが、別物のでもない、比較は出来ないのです。
二者択一としたつもりですが、それは無視ですか。
比較できないなら、異なるとも言えませんね。
同じだとしても矛盾など起こりませんよ。
>「人間の認識」が欠落しています。成立しない世界です。なにせ世界は主客の相対ですから
貴方は、自然の原理は認識の原理と完全に一致する立場なのだから、目の前の自然の原理以外に何もないでしょう。
さらには、見ていないものは存在しないのだから、貴方にあるのは目の前の対象だけでしょう。
実在世界があって、それに対応する認識がある、というなら私と同じ唯物論です。
じいさんの話はそうなっていない。
「成立しない世界」だと思うなら、じいさんの話が成立していないのですよ。
>じいさん原理でも1+1=2とか言う普遍的規則は有効ですから
じいさん的には「じいさんの観念にとっては有効」なだけでしょう。
どこに普遍性なんかを求めるのです。
貴方はそんなものを片端から否定してしまったでしょう。
貴方の観念と、私の観念は「違う」のでしょう。
そこに普遍性を求めるにはどうすれば良いと思いますか。
私の唯物主義は貴方の好きな(観念内)唯物論ではありません。
〈世界〉は観念に先立つとしているわけです。
これだけが普遍性を保証し、矛盾を回避できるのです。
>>288 そういや、キリンの実物は二十年ぐらい見てない気がするな
はっは
292 :
唯意味論:2010/10/22(金) 15:43:53 0
たまには動物園くらいは行きなさい。
動物最強遊びもできない堅物では…w
>>290 “世界”なんぞという概念を、安易に口にするから突っ込まれるのである。
“世界”とは時間・空間の謂いであり、結局、始めに“意味”を立てずには
「何もいえない」を立証してしまっている。
せめて存在(ある)は“観念”先立つ、くらいにすべきである。
機械さんのように“観念”の前に「物質がある」と宣わってみたところで、
物質も観念(概念)であり、要するに意味に先行されることに変わりはない。
293 :
唯意味論:2010/10/22(金) 16:05:38 0
>>289 直接、目でみるのも測定器をとおしてそうするのも、意識的相関である。
そこに本質的な違いはない。
>>285 だれも把捉したことのない“宇宙”などといったコケ脅しの表現をするから、
ややこしくなる。「月」で十分でしょう。
「私のみている月とあなたのみている月は同じですか、異なりますか」と。
厳密にいえば「違う」に決まっている。
抄録氏という“同一”で括られる存在でさえ、今日みている月は昨日のそれ
とは異なる。まして他者とのあいだに“同一”は共有できない。
とはいえ、日常では「私と貴方は同じものをみている」で間に合う。
つまり、ここでは“月”という概念をみているからである。
「わたしが殴ったあなた」と「わたしに殴られたあなた」は同一ですか?
同一じゃないなら、お前が俺に殴られたからと言って、俺を責めるなよ
>>292 無理にルールを設定して行う異種格闘技というのは
見ていて本当につまらんのです。あたしの肌に合わん。
動物園には行きませんが、NHKの「ダーウィンが来た」は好きよ。
生物は多様であるのが面白い。スカンクもミミズクも必死で生きてる。
そこに格闘技好きのマッチョな論理をねじ込む気にもなれませんので、ごめんなさい。
**********************
「存在が観念に先立つ」では意味が無い。存在とは何?やっつけ用語ですか。
観念を生じせしめる原理は、
観念により意味が付与されて生じる(と妄信される)「この世界」にある。
そうすることで「世界」「観念」「物質」が破綻を回避して結合可能なのである。
そうでなければ、観念は単独に孤立し、何らの普遍性も起こり得ない。
共同主観性など輪郭の見えないオカルトでしょう。言葉の雰囲気だけというか。
意味を成立させる条件は、この(物質としての)肉体を含む「この世界」にある。
観念の絶対化こそ幻想であり、「神」無しには破綻するデカルトの亡霊。
>>293 月が概念なら宇宙も概念。
宇宙が把捉できないなら、月も・・まあそんなことはいいです。
「同じ月とは、概念としての月」・・・・・・
その話はンドールさんと
>>272氏にお譲りしたい。
しかし「宇宙」ならば観測主体をも内包できそうだが
「月」としたのでは貴方の術中に嵌りそうですね。くわばらです。
「この世界」なんて言うと、じいさんの「私の世界」と同じみたいになっちゃいますね。
どうしましょうかね。面倒ですねぇ哲学。。。。
・・・少し考えますわ。
「この世界」ではなく「物質により構成される世界」とします。
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ノ´⌒`ヽ /:::::::;;;-‐‐''"´ .|:::| / / ̄ ̄\ \ (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
γ⌒´ \ .|:::::::| 。 |:::| | |ニ ニ| | ./ ...... ....... ヽ:::::|
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i (・ )` ´( ・) i,/ |´ ー'._ ヽ'ー | . |  ̄ n n ̄ | | − (,、,.)ヽ'ー' /
l (__人_) | .| (__人_) | | ∧_∧ | . | くェェェゝ\ |
\ `ー' ノ . ヽ 丶ニ´ / \ |__|/ ヽ `ニニ´ ./
/ \ ヽ_ _/ 个―-イ \__ /
[知障] [寝たきり] [健忘症] [被告]
名前: E-mail:
299 :
考える名無しさん:2010/10/22(金) 21:28:36 0
スナインコッコスマナラコッサーラ長老やその直系の子孫たるラルフ&フローリアンを聞いてみるといい。
テクノの特徴はもちろん、ハス、ツノガライクリ、ビン、エロの要素が既に確立され、
後のシーンを賑わすアーチストたちは、単にこの作品のコピーか焼き直しに過ぎないと言うことがわかるはずだ。
300 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/22(金) 21:54:30 0
>>289 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/22(金) 00:37:35 P
子供や音声や周囲の状況でキリンの存在を観測してるでしょ・・・と言っているのに判らないですか?
>全ての脈絡が繋がっているのだから・・・
やたら繋がるのが好きですね。
おっしゃるとおりキリンを見ると言う脈絡がキリンの存在と言う脈絡に繋がると言って居るのですが。
>同じだとしても矛盾など起こりませんよ。
言い換えると、同じではない、異なるけれど何処が違うかと言った比較は出来ないと言う感じです。
>自然の原理は認識の原理と完全に一致する立場
言い換えておきます。
認識が自然の原理を仮定(施設)するだから一般に「自然の原理は認識の原理と完全に一致する」のは当然である。
301 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/22(金) 22:15:54 0
>>290 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/22(金) 00:47:46 P
>〈世界〉は観念に先立つとしているわけです。
>これだけが普遍性を保証し、矛盾を回避できるのです。
観念論も実はいろいろ問題だあります。
例の入れ子の問題です、矛盾からスタートしなければならない。
あと無から有を生じるとか・・・難しいかも・
しかし唯物論一辺倒で説明するよりはより矛盾が少ないと考えるわけです。
唯物論だと後が行き詰る。
観念論は最初はつらいがあとはスイスイです。
入れ子の問題も絶対客観の立場から見ると矛盾は無い。
唯物論は人の認識以前の世界が存在していると言う。
でも「認識」を排除している以上すぐ行き詰る。
存在すると言う意味は認識をもって初めて意味の有る観念である。
「言葉は無い」と言った言葉の有無・・・これは矛盾だが。
「あらゆる認識力」以前の「存在と言う認識」・・・これも矛盾である。
__________ __
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ノ´⌒`ヽ /:::::::;;;-‐‐''"´ .|:::| / / ̄ ̄\ \ (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\
γ⌒´ \ .|:::::::| 。 |:::| | |ニ ニ| | ./ ...... ....... ヽ:::::|
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i (・ )` ´( ・) i,/ |´ ー'._ ヽ'ー | . |  ̄ n n ̄ | | − (,、,.)ヽ'ー' /
l (__人_) | .| (__人_) | | ∧_∧ | . | くェェェゝ\ |
\ `ー' ノ . ヽ 丶ニ´ / \ |__|/ ヽ `ニニ´ ./
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[知障] [寝たきり] [健忘症] [被告]
>>300 んー・・違いがよくわかりませんw
>>301 その絶対客観とはなんぞ?じいさん、超越的な話は嫌いではなかったか。
****************
「認識以前の世界」を考えることはタブーとなる。
認識を形成するのは「この世界」とするしかない。
結局、私の立場では、物質の挙動から認識の作用を説明するしかない。
対象を認識する機構を対象から説明しようとするのだから、本末転倒にも見える。
認識の作用は所与であり、永遠のブラックボックスかとも思われる。しかし果たしてそうか。
じいさんは「物質が精神を規定する」という。私もそう思う。
だから物質(脳を含む環境)の原理は精神の原理でもあるかもしれない。
だが、じいさんはこの「物質」のありようは観念だと考えている。
そして観念は人により異なるので、物質のありようも人により異なる、と。
しかし私は、人により物質観は変わっても、それは物質界全体の挙動には関係無い、と考えている。
物質の普遍性が、理論を含めた全ての普遍性を保証する。
物質から観念を説明する方法論は無い。
しかし、スイスイもいいが、絶望的な思考もまた一興。
304 :
つよし:2010/10/23(土) 00:04:31 0
とりあえず唯意味論さん側につきます。
無自性でしたっけ。
月を意識した時、月は存在する。
月を意識しない時、月は存在しない。
意識って不思議ですよね。
好きなあの子を意識したとたん緊張しておかしくなるんです。
たぶんこの世界って無と無限が両立するようなものだと思うんです。
ビッグバンからそう思うんですけどね。
人間が意識したとたん世界は無限に広がって
意識しないと無に収束するようなそんな世界かなって。
月も太陽も全部そんなような。
動物はたまたま遺伝子を残そうとする趣向をもっただけじゃないでしょうか。
人間はそのたまたまに気づきながら生きるのか
いやだったら出家するか
どっちかじゃないかな。
さて
さてさてと
イップスなおっても時間論かね〜
パトリック(笑)
310 :
attk:2010/10/23(土) 12:26:10 0
>>272です(名前を作ってみました)
色々調べたり考えたりしたのですが、過程は長々なるので、ざっくり結論付けます
「空」も観念論も言葉遊びのようなものです
ここからは一般的な言葉を使います
・そこに現象としての物質があり、意識はそれを理解する
・意識が物質を想像しても、そこに現象としての物質は生まれない
・そこに現象としての「りんご」があり、「りんご」の概念が生まれる
・「りんご」の概念を作っても、そこに現象としての「りんご」は生まれない
・そこに現象としての「りんご」があり、AとBの人間がそれを目で見る
・Aが「りんご」を想像しても、Bはその「りんご」を目に見ない
・Aが「あああ」の概念を作るが、それだけでは「あああ」は生まれない
・Aは材料から「あああ」を作る。適切な材料がないなら「あああ」は作れない
適切な材料から「あああ」が作られる。出来上がりのものを「あああ」と決定する
・Bは「あああ」を見て、「いいい」の概念を作る
・AとBは同じものを見ているが、同じ概念を見ていない
・物質はただの現象としてそこにある。元々は意味を与えられていない
・意味は物質としてあるものにも、物質としてはない想像上のものにも与えられる
・意味が物質的な材料から物質を組み立てる事はあるが、物質的な材料がなければ物質として生む事はできない
当たり前の事です
ちなみに「色即是空」の妥当な解釈は、「色」は「物質」の事、「空」は「物質的な材料」の事です
311 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 14:16:25 0
だったら粒粒の研究の最先端である量子論を調べてみればいいよ。
っていうか、そこまで粒子にこだわっていて量子論を調べてなかったら、機械と同じ
の自分の言ってる事だけ聞いて欲しい単なる構ってちゃんなわけだけどね。
312 :
あまの:2010/10/23(土) 14:28:06 0
科学って一応世界を意識と物質(精神と現象)の二元論で説明しようと
突き進んできたわけだけど、その最終ゴール地点の量子論で面白いことになってる。
精神と現象は同じ穴のムジナ、同一詐欺グループの一味のような物。
この二元論を何百年追ってるんんだよ人類は。
お宝なんか出てこないって。
313 :
哲学者最高位 ◆k.1bphXV92 :2010/10/23(土) 14:44:32 0
お久しぶりです(笑
機械さんは相変わらず、科学vs宗教 という構図で観念論を攻撃しているが
まず、そこが間違い
何度も言いますが
観念論=宗教ではありませんよ
あと、哲学という事に対する認識が
あまりにも前時代的です
彼の主張は
「森羅万象は法則性に従って現象しているだけで、それが全てであり
人間が何を思おうが、これも全て法則性に従っているだけの結果にすぎない」
という世界観で
これが真理であり、『哲学の最終結論』だと思っているわけだが
そこで止まるのは前時代的 というか、次元の低い哲学である と言わざるをえません
問題意識が低いです
「哲学する行為」そのものが観念なわけで
では哲学している『私』とは何なのか
という事が哲学されていません
この体が私である というのは当たり前の事なのですが
この体を、いくら解明しても、何故この体だから『私』であったのか は、解明できないのです
たとえ、この体と全く同じ要素の物体があったとしても、それは『私』ではないわけです
「我思う故にわれあり」
『私』は存在するのですが
『私』は唯一の存在性であり、それはいかなる物質的要素にも由来せず『存在』しているのです
科学至上主義で、哲学的な課題を克服する事は不可能なのです
最終真理ではありません
機械の認識はブルジョアのやることは何でも攻撃したマルクスの思想で進化が中断したままです。
>>310 伝統的仏教解釈ではありませんね。
「空」をそのように解している仏教は、2500年のスパンの間、ただの一度も出現していません。
どのような解説書をお読みになったのかは判りませんが、
それは仏教ではないし、正統正当な「五蘊即皆空」の語義語釈でもありません。
>>315 俺は仏教をやってるつもりがないので一向に構いませんw
>>316 「隣町のたこ焼き屋で売っているたこ焼きの具はたこじゃない」
と言っているようなものですが、そういった虚偽の発言に弊害が無いとでも?
>>317 気に障ったのなら謝りますよ
>ちなみに「色即是空」の妥当な解釈は、「色」は「物質」の事、「空」は「物質的な材料」の事です
これは単なる俺の独自解釈です
>>318 桶。
なんでもそうですが、そのちょっとした断り書きが重要なのです。
数レス前に、独自解釈で突っ走る御仁が登場してもおりますw
御注意をwww
>>311 >>312 量子論は現象の不確定性に結びつくとは思うが、
想像が物質を作るようなものではないでしょう
解釈全体主義・・・
322 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 19:07:08 O
正当な解釈が一つしかないなら原典なんていらなくね?
323 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 19:14:40 0
予測不能な事を必然と称するのがおかしいと思わんのか。
324 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 19:18:02 O
>>323 予測不可能なことも決定していると扱うことが正統正当的な解釈なのです
325 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 19:20:27 O
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
正統正当な解釈
れいもd(
327 :
あまの:2010/10/23(土) 22:57:12 0
想像が物質を作るって何だよ。
魔法か?ハリポタか?
思いっきり読み違えているぞ。
328 :
考える名無しさん:2010/10/23(土) 23:30:20 0
22 名前:考える名無しさん :2010/10/23(土) 22:06:39 0
____
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/ ─ ─ \ スー
/ (◎) (◎) \
| (__人__) | 夜の一服がたまらないお
\ _|| /
( \ / _) \
\ /|| |
\_/ ||
/´ ヽ` ̄ ..|| ー-゙:.、
i . .||- 、 `ヽ_
l: 、.: ヽ ゙i"
! i ; n .:c.: ', _..ハ
| ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ
| ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 /
329 :
attk:2010/10/24(日) 01:03:38 0
うーむ暇です
>>327 >・意識が物質を想像しても、そこに現象としての物質は生まれない
そう思っているのかなあと思える書き込みが多いじゃない?
330 :
スモ:2010/10/24(日) 02:05:09 0
>>329 313のお兄さんに訊いてみればスレ伸びると思うよ
機械氏はセブ島?
飛行機落ちねえかなあw
>>329は内容がおかしいね。訂正
>想像が物質を作る
と思っているのかなあと思える書き込みが多いじゃない?
だから、
>・意識が物質を想像しても、そこに現象としての物質は生まれない
と書いたんだよ
332 :
attk:2010/10/24(日) 02:36:13 0
>>330 >>313さんですか?
>たとえ、この体と全く同じ要素の物体があったとしても、それは『私』ではないわけです
この辺りは面白いテーマですね
俺は、
この体と全く同じ要素の物体があったとしたら、それは『私』だろうなと思います
>>330 >飛行機落ちねえかなあw
ひどいなwww
334 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 03:29:18 0
.》ト .′ ∨ 7vv=(干=─干ミl||l,_,z ″ 》
.《l,_ .'|! .__ , . ゙̄.. 〕
《^¨′ .゙冖'^^'''冖 v\ } セブ島でビキニナイトちゃ
[ 、 〕 〔 .′ .」_ .ll′
.| | 」 ._} .hノ .:| ,.. .,.トト 〕
.} .^′ ゙《,_ .、,ノ ...厂、 .il
} _ .、 .゙゙'〜 .y,_ _,r;|¨ <、、‐ . ノ
.{, 〔 」 ´ ‐ 「ilリiアアァァァ;lllllli(リ゙} ┌ 冫.. .ア
\ ∨゙ . _ .- . ' .`゙厂¨厂゙厂'. .゙ 、' .゙. ヽ‐,r|
.ノy .´ 、 .: ' ..: .、 ' ` ' _ . .冫 -.',y;|^
く:::\ /:::>'
335 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 13:16:28 0
>>317 その喩えは、おかしい。
「君は蛸だとおもっているようだが、それは何ものでもない」ということ
でしょう。
他人の発言を「虚偽」だと決めつけるその姿勢を思いあがりといいます。
336 :
唯意味論:2010/10/24(日) 13:49:48 0
>>331 意識が物質をつくる、と言い切る度胸の持ち主はここにはいないでしょう。w
君は「初めに物質があって、それを意識が理解する」と述べていますが、
それは常識的すぎる転倒である。
初めにあるのは意識と対象(現象)との相関。つまり“対象の意識”であり、
“対象に占有された意識”である。
そこから、その対象が“物質”なる概念(意味)として了解される…。
この経緯は《私》において生じる、というのが最高位の主張(たぶん)。w
ちなみに君のいう“物質”とは何ですか。
337 :
唯意味論:2010/10/24(日) 13:58:48 0
ちんぽおっ立ててどうしたんですか?
脳は単なる物質じゃないが、意識は必然である。
これが普通の発想。
意識は偶然に過ぎない、ということの方が、哲学的なんだがなあ…。
偶然は必然なのだ、という立場の人も間違いなくいるのだけど。
339 :
attk:2010/10/24(日) 14:08:12 0
>>336 >それは常識的すぎる転倒である。
無い頭で難しい事を考えても仕方ないので、俺は常識的でいいんですよ
>初めにあるのは意識と対象(現象)との相関。つまり“対象の意識”であり、
難しいですね
こんな事を言う人は、目をつぶって壁に全速力でぶつかってみて欲しいです
その結果の惨事をどのように解釈するのでしょうか?w
>ちなみに君のいう“物質”とは何ですか。
単純にはいわゆる「りんご」のような物です
「りんご」を目に見えないぐらい粉々にした物もそうだと思います
340 :
考える名無しさん:2010/10/24(日) 14:16:55 0
>たとえ、この体と全く同じ要素の物体があったとしても、それは『私』ではないわけです
この辺りは面白いテーマですね
いや、まったくおもしろくもないが
この身体とまったく同じ要素でできた物体はただのそっくりさん
この身体とまったく同じ物体でできた物があったら「私」だな
342 :
attk:2010/10/24(日) 14:53:51 0
>>336 >意識が物質をつくる、と言い切る度胸の持ち主はここにはいないでしょう。w
過去ログを遡るのが面倒なので近いところで、
>304 名前: つよし 投稿日: 2010/10/23(土) 00:04:31 0
>とりあえず唯意味論さん側につきます。
>月を意識した時、月は存在する。
>月を意識しない時、月は存在しない。
>人間が意識したとたん世界は無限に広がって
>意識しないと無に収束するようなそんな世界かなって。
>>262 :じいさん
>これでは中観が縁起を積極的に肯定していると言ってしまっている。
>中観は縁起からの脱却を説いている。
「縁起からの脱却」とは、「仏教からの脱却」ということですか・・・? (^.^)
じいさんも、「縁起」ということを根本的に誤解しているように思われます。
竜樹は、「縁起」は「空」であり「中道」であるとしています。
そして、「縁起」=「空」=「中道」は、「脱却」すべきような事柄ではありません。
じいさんは、『中論』の次の言葉を、どのように解釈しますか?
(引用)
「依存性(縁起)をわれわれは空性であるというのである。その空性は仮の名づけであり、それは中道と同じことである。
依存しないで生じたものなぞ何もないのであるから、空でないものなぞ何もない。」(第24章.18-19)
『中論』では、このようにはっきりと「縁起」=「空」が説かれています。そしてそれが「中道」であるとされています。
この「中道」は、「有」にも「無」にもとらわれない立場をあらわしています。
それが、この前書いた「罣礙なし」ということであり、
高神覚昇の言い方では、「有るようで、なく、無いようで、ある」ということです。
>>262 :じいさん
>そのために「生ぜず、滅せず」と言い切っている。
>生まれてもいないものはしたくても縁起できないでしょう?
そうではなくて、「生ぜず、滅せず」ということが、そのまま「縁起」であるのです。
「生ぜず」について、『中論』では、こう書かれています。
(引用)
「あらゆる存在は、何処でも、いつでも、何でも、それ自身より生じたものはなく、他より生じたものはなく、
自と他より生じたものはなく、無因より生じたものはない。
なぜなら存在の自性は縁の中にはないからだ。自性がないから他性はない。」(第1章「観因縁品」)
ここに書かれているように、「存在の自性は縁の中にはないから」、つまり「縁起」=「無自性」であるから、「生ぜず、滅せず」です。
これは、この前書いた「波」の比喩でいえば、一つ一つの波は独立自存しているのではなく(無自性)、海水全体のつながりの中にあって(縁起)、
その海水の動きが一つ一つの「波」として現れているのだから、そこには「生」「滅」している自性あるものは何もない、という見方です。
つまり、そこにあるのは、自性あるものの「生」「滅」ではなく、自性なきものの「生成・変化」(無常)である、という見方です。
>>249 :唯意味論さん
>「波のカタチ」ですって? たしかに波形という表現はありますが、
>言葉のアヤです。字義どおりの“波”には、それこそ実体がありません。
>つまり構造がないので、カタチはありません。長さはあるのかもしれぬが。
>波だけでなく、氷のカタチも掴みようがありません。月のそれも同じ。
>
>・・・これが私の理解する無自性=空の解釈です。
波のカタチも、氷のカタチも、「有るようで、なく、無いようで、ある」ようなものです。
もし氷にカタチがなかったら、ガリガリ君を製品化して売ることはできません。(^.^)
何度も書いているように、そして上のじいさんへのレスでも書いたように、「無自性」であることは、「縁起」そのものです。
それなのに唯意味論さんは、「縁起」を無視して「空」の否定面だけを見てしまうから、このような極端な見方になるのだと思います。
「有」(実体論)と「無」(虚無論)との両極端を離れるのが、「中道」であり、「空」です。
以前僕は、唯意味論さんが書いているような考え方にもとづいて「生きる(生活する)」ことができるのか…、
それは「机上の」思想にすぎないのではないのか…ということを書きましたが(前スレ>801)、今回も同じことを感じました。
「カタチはない」「実体はない」「幻想である」というような、「空」の否定面だけを見るような考え方では、
「生きる」ということから、重みが失われてしまいます。
「空」の否定面と肯定面は、それぞれ、「諸法無我」と「諸法実相」に対応すると考えられると思います。
「諸法無我」と「諸法実相」は、一枚の紙の表と裏のようなものです。
「諸法無我」だけを見て、「諸法実相」を見失ったら、一面的な見方になってしまいます。
>>250 :唯意味論さん
>「意味に先立つ存在はあるだろう」と私は思っては
>いるものの、これは推測であり、これもまた意識的相関である、と
>答えている。
この文は、最後の「答えている」のところを「思っている」と書き換えれば、
僕が前スレ>960で書いた「無限背進」の構造と、ちょうど同じ構造になっていると思います。
(再掲)
>「・・・と思っていると思っていると思っている・・・」は、なんとかして<?>にたどり着きたいという思いのあらわれでしょう。
>それは、<?>を( )の中に取り込もうとする努力です。
>しかし<?>は、どうしても( )の中には入ってきません。
【「意味に先立つ存在はあるだろう」と私は思ってはいる】の【思ってはいる】が、最初の<?>、(「実存」、「ある」)です。
しかし、唯意味論さんは、その<?>を「推測」あるいは「意識的相関」として、意味づけ、対象化してしまっています。
(おそらく唯意味論さんは、ここで<?>を対象化していることに気づいていないのでは…?)
最初の<?>は、意味づけされ、対象化された形で( )の中に取り込まれてしまっており(本来は取り込まれ得ないものだけれど)、
だから、( )の外には、意味づけされていない新たな<?>(つまり「ある」)が現れていて、それが「と答えている」の部分に当たると思います。
だから、この<?>「ある」(実存)は、「意識的相関」(という概念)に先立つ、と思います。
さっき僕は、【「空」の否定面だけを見るような考え方では、「生きる」ということから、重みが失われてしまいます。】と書きました。
重みが失われないようにするには、このような、「意味」に先立つ「ある」がある、ということを見失わないことが大事だと思います。
347 :
attk:2010/10/24(日) 16:14:16 0
>月を意識した時、月は存在する。
>月を意識しない時、月は存在しない。
うん、こんな事を言う人は、
目隠しして生活して見ればいいんですよ
言葉遊びの自覚がなければただの電波ですよ
348 :
唯意味論:2010/10/24(日) 20:13:21 0
>>339 やってみれば、いかがですか。
たぶん、痛いと感じるはずです。
もし気絶しなければ、そのあと色々と考え解釈するのではないでしょうか。
「痛い」と感じたり、色々と「考え、解釈する」のが意識です。
意識がなければ“貴方においては”一連の事態はないということです。
物質なる言葉がつかわれるようになったのは、それほど昔ではないでしょう。
たぶん以前は“モノ”だったと思う。(注 モノ=物質ではないが)
リンゴのような“モノ”では答えになっていません。
“モノ”とは何?と訊いているのです。
349 :
attk:2010/10/24(日) 20:53:18 0
>>348 >やってみれば、いかがですか。
なぜ俺が?
俺の常識では、壁を意識しようがしまいが、
そこに壁があるので、ぶつかるのは当たり前なのですよ?
>リンゴのような“モノ”では答えになっていません。
>“モノ”とは何?と訊いているのです。
物質(ぶっしつ) とは物体を構成し、空間を占有する性質のある存在のことである。
元素から構成される固体、液体あるいは気体の状態をとる物体を指す。
wikiから引用しました。これでいいです
350 :
唯意味論:2010/10/24(日) 21:01:22 0
>>345 『般若心経』を一つのテクストとしてw読み、私見を述べているだけです。
どこをどう読んでも、そこに“縁起”を肯定する論述は見出せない、といっているのです。
空→無自性は、まだわかります。が、ここから無自性→縁起を導出するには無理があります。
むしろ、因果や縁起といった、共同体に生きざるをえない俗衆にはわかりやすい“関係(執着)”を
空(仮象)として切り捨てたものに思え、そこに私は凄みを感じます。
キリスト教にも同じような過激さがあります。
>>346 については後ほど。いまから松雪主演のドラマをみます。
>>350 「自性」というのは、(特に大乗、中観の文脈では)
「固定的にして、変化せず、【“それ”を“それ”としてあらしめる】もの」ということ。(この墨括弧の部分が重要)
もし、そのようなものがあるなら、諸法がそのようなものを有しているなら、
「何かに影響されて(→縁により)ある」ということはなく、「何ものにも影響されることなくある」であろう。
だが、そのようなものを有していないから(→無自性)、「空(性)」であり、
「○○として認識されるような因や縁によって、○○という在り様」がそこに見られるのである。
そして、それら諸法(たとえば○○)は、因により縁により○○として把捉されるだけで、
そこに『○○としてあるのでもなく』、『○○として生じたのでもなく』、『○○が滅したというのでもない』。
だから、心経では「○○是即空、空即是○○」、「無○○」ということになるんじゃね?
352 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/24(日) 22:11:34 0
>>303 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/22(金) 23:47:16 P
>んー・・違いがよくわかりませんw
違いは無いと繰り返し言っています。子供を通して観察したのだと言っています。
>その絶対客観とはなんぞ?じいさん、超越的な話は嫌いではなかったか。
だから否定している、「絶対客観〜認識以前の世界の肯定〜行き詰る。」
と言う文脈です。
>人により物質観は変わっても、それは物質界全体の挙動には関係無い、と考えている。
>物質の普遍性が、理論を含めた全ての普遍性を保証する。
普遍性というのはちょっと難しい議論です。
そこで規則性などという側面で話を進めたいと思います。
少なくとも規則性が見出されれば普遍性が成立するのは間違いないですから。
この規則性という問題は決定論と非決定論の問題に行き着く気がする。
現象が決定論的に決まればそこは当然規則性が見出される。
しかし非決定(偶然)が入り込めば規則性があるとは言えなくなる。
これ以降の議論は未だじいさんも見当付かないです。
と言うのは困ったことに実は観念論としては偶然が入り込むと都合が悪い。
主客の相対のなかに偶然が入り込むと、相対関係が崩れる気がする。
そうなると相対関係以外の存在を要請しなければならなくなるような気が・・
決定論の方が主客の相対で割り切りやすい。
353 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/24(日) 22:31:30 0
>>343 :Trauerode:2010/10/24(日) 15:00:54 0
>「縁起」は「空」であり「中道」であるとしています。
>そして、「縁起」=「空」=「中道」は
此処がミスだと思います。
縁起には空性がある〜〜これは縁起と空が同値(同じ意味)であると言う事ではない。
>「依存性(縁起)をわれわれは空性であるというのである。
この文をどうしても「縁起が実在している」とは言えないでしょう。
実在しないものを肯定できますか???
貴方の考えは縁起が空として実在していると捕らえている。
空即是色を強調する考えだ。
「有るようで、なく、無いようで、ある」
これを基本とすると間違う。
事象の存在をどう捉えるかと言えば「有るようで、なく、無いようで、ある」とでも表現するしかない・・・といったかんじ。
正しくは「有るとか無いとかと問うてはならない。」と言う考えが基本。
当然縁起にこだわることが罣礙である。
>>352 じいさん
あたくし、ちょっと余裕が無くなってきましたので、しばらく大したレスも返せませんが、
嘗てじいさんは、サイコロの話を引き合いにして非決定論を唱えていた。
しかし世界が完全に相関・因果で固められると、その前提は崩れる。
物質世界には、実は確率的な偶然を許容できる自由度があると思われます。
それが世界の等方性、事件の対称性として、事実として具現化しているわけです。
「因果」とは、その言葉だけで見れば「第一原因」の存在を要請します。
この第一原因が、決定論的な確率解釈を保証するように等価に分散する理由が実は無いのです。
なので物質自体が自らの状態を選択する局面において、「常に」確率的に選択する自由度を自ら持つ
と考えるのが自然なのです。
(じいさんのようにサイコロの挙動自体がそれに当てはまるとは、実は思ってないのですがw)
私が「物質の自発性」は唱えるのはそれが故です。
自由意思の問題もある程度の説明が付く。
「法則性と確率的選択」:どうやって折り合いをつけましょうか。
しばらくこの悪い頭で考えますわ、三年ぐらいね。はっは
355 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/24(日) 23:52:54 0
>>354 >物質世界には、実は確率的な偶然を許容できる自由度があると思われます。
「意志の自由(度)」に「徹底的に拘る」ことが「(西欧思想的)誤謬」だと思います。
仮に「意志の自由など一つも無い、全ては『必然』としてあらかじめ『決定されている』」
・・という「真理」を「仮に受け入れる」姿勢を撮ることは不可能なのでしょうか?
・・・それを不可能にしている「あるべき論」は、(元を質せば)キリスト教思想であり、
私達の「文明」を支えているのが「キリスト教思想」である・・ということだと思います。
しかし「(自然科学的)真理」は、「実はキリスト教思想は間違いである」という指摘を
繰り返しており、今や「真理」はキリスト教的ドグマから離れなければ存続できない・・
・・というところまで(自然)科学は・・・「進展してしまった」・・ということだと思います。
「真理から目を反らせる為の方法と技術」として「(キリスト教を含む)観念論」は大きな成果を
挙げてきた歴史は否定しませんが、「この時代」においては「既に(完全に)無効」だと
申し上げているだけのことです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
356 :
スモ:2010/10/25(月) 00:07:56 0
ここなんだよ・・・・
「必然性とは決定論的、すなわち規則性である」といえるかどうか?
なるほど言葉の論理でいえば、それ以外の意味は矛盾することになるかもしれない
しかし、「そこ」なんだ!!
僕たちは論理で理解しようとする
論理で理解するということは、形式性に拠るということだ
つまり、形式性に限定された見方(思考)になるということ
矛盾は論理に拠って生じる
僕たちは「論理」で生きているのではない
僕たちがもし「論理」で生きているならとっくに停止している
世界を「論理」で理解しようとするそのことに、「矛盾が起こる」
世界に矛盾性なんてない
僕たちの理解のあり方が、矛盾を屹立させているだけなのである
確かなことは、
僕たちが「論理」でしか思考できないのだとすれば、
以上のこういった思考は生まれないはずなんだ
これはメタ論理を用いてるのだろうか?
いやちがう
僕の想う「ことば」の力は論理を超えている
「ことば」は形式性に拠らない
「ことば」を理解することは、神を、または世界を理解することにつながる
「必然性が非決定論的、かつ非規則性である」世界が、「ことば」の理解を伴うことで達せられるかもしれない
いやむしろ、こう言えるのが直感として正しいのかもしれない
それらは同じことを意味しているのだと
200年くらい前のだれかの手記?
358 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/25(月) 00:09:12 0
>>352 >しかし非決定(偶然)が入り込めば規則性があるとは言えなくなる。
サイコロどころか「パチンコ」「パチスロ」の偶然性に「命をかける」若い人たち
が歌舞伎町の朝(と言っても10時頃でしょうか?)に大行列を作っているのには
驚かされます。
彼らは「ギャンブルでモノを生産できる」とは思っていないでしょうが「金(現金)
を増やす可能性はある」と考えている「ギャンブラー」であり、ドストエフスキーが
『賭博者』という小説で描いた「破綻者」なのです。
「偶然に(自分の)人生を委ねる」という行為自体が「既に人生として破綻している」
・・ということです。
本日は就寝させて戴きます。
359 :
スモ:2010/10/25(月) 00:09:47 0
おう
機械ちんお帰り
観念で飛行機を落とせたらよかったのになあw
360 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/25(月) 00:26:22 0
>>354 私が居なくなったらこのスレは存続しませんよ。
セブ島は色々な意味で楽しかったです。
シュノーケリングであれだけの種類の魚(熱帯魚)に接近できるとは思いませんでした。
まさに「熱帯水族館の水槽で熱帯魚たちと戯れる」訳ですが、彼らの「生物多様性」は
驚くべきモノがあり、普通の熱帯水族館の熱帯魚だけではなく、巨大な青に輝くクラゲ
・・とか色々出会う事が出来ました。
結構「フィリピンセブ島」は「穴場」かもしれません。
「水が綺麗であり、熱帯魚が数百種類見られる」ことを求めるなら「グー」
だと思います。
本日は就寝させていただきます。
361 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/25(月) 00:36:35 0
>>354 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/24(日) 22:35:16 0
>・・・・三年ぐらいね・・・・・
はい じいさんとしても時間をかけて考えます、余命が気になりますが・・。
>>356 :スモ:2010/10/25(月) 00:07:56 0
>矛盾は論理に拠って生じる
成る程おっしゃるとおりですね。
>僕の想う「ことば」の力は論理を超えている
じいさん的には言葉が論理を産んだと言う感じです。
言葉が無い時代は論理は無く人間は直感のみで生きていたのではないかと・・。
362 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 00:40:01 0
必然=偶然、同じものだよ。これを区別しているから先に進めない。
363 :
考える名無しさん:2010/10/25(月) 04:41:21 O
>>362 その解釈は正統正当な解釈ではない。どの本に書いてあった?
必然と偶然が同じだというのは結果論にすぎない。
365 :
スモ:2010/10/26(火) 00:07:23 0
ちょっと誤解を招くな(じいさん宛てのことじゃないよ)
先に、「形式は人の所属」と晦渋な表現をしたことは自分なりに留意してる
「形式は人の所産」であれば理解はおそらく容易だっただろうけれど
それは僕の意図したい意味に適当でない(まったく異なる)と思ったがゆえの「所属」だった
>>356で、僕たちは論理的存在以上だということを主張しているが、
しかし、僕たち人間は論理的存在として規定される
世界を理解するためには摩擦が必要だ
世界は無矛盾であるが故に軸を措くことで理解が成り立つ
理解とは意味の成立であり、それは論理の前提である
ここで問題なのは、人間を軸の根底として据えてしまうことだ
つまり、「形式は人の所産」として理解してしまう
そうじゃない
人が形式な、論理的な、規定された、存在なのである(「形式は人の所属」の意)
では、その論理的存在以上であることを如何に説かれるのか?
それは「ことば」が本質的なのである
想像に難いけれども、「ことば」が、僕たち人間を顕示させているのである
適切でないことを承知で表現すれば、
「ことば」が唯一の主体であり、「わたし」であり「神」であり「世界」なのである
適切な表現で捉えるならば、「ことば」がそれらを証示する、とでもいえようか
論理とは「ことば」の顕示する作用として理解される
しかし、世界にある論理が顕現され、かの論理が顕現しないことの理由
また、「ことば」が生じたことすなわち「世界」が在ることの理由は、不思議であり神秘である
366 :
スモ:2010/10/26(火) 00:14:37 0
しかし、論理的な言明の意味が矛盾を孕むのならば
僕がやってることの説明はどのような意味値を取ればいいのだ?
合理的・・・かな
必然と偶然について同様の論展から説いてみようと試みたけど、
ちょっといろいろ障害が解消されないのでやめとく
まあオ○ニーしただけだな、これだと
367 :
スモ:2010/10/26(火) 00:40:18 0
ふ〜む、
科学の知見を仮設的な建築の論理と言い切って終まえるかどうか・・・
みんな難しい言葉を使うから理解出来ない事が多くて困るw
難しい事を語ろうと思えば難しい言葉や表現を使うしかないのかね?
ここの住人はそれで意思の疎通が出来るのか?出来ているのか?不思議でならないよ
>>365 「ことば」にこだわっているけど、
いや俺も「ことば」を操っているから「ことば」を知らない状態が想像できないんだが、
それでも「ことば」的なものは自分なりに自然に芽生えるんだと思う
「ことば」を教えられなくても知覚はある
その知覚情報を記憶する、その仕掛けが自分なりの「ことば」を生む
複数の人間同士で共通の記号が必要になるから、現在のような「ことば」に進化する
>その知覚情報を記憶する、その仕掛けが自分なりの「ことば」を生む
俺はこれが<意識、私>に繋がると思っている
断片的な記憶、思考の集合が<意識、私>であるから、
よほど整理しないと自分の考えは矛盾を孕んでしまう
さて、実は俺はあなたが何を言わんとしているのか理解できないので、
上の意見に意味があるのかどうか分からないわけだw
369 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/26(火) 01:39:28 0
>>368 >みんな難しい言葉を使うから理解出来ない事が多くて困るw
別に難しくも何ともありません。
「難しくして自分達の『味方』を騙して増やしたい」としか
考えることが出来ない「観念論者さん達」が「全ての誤謬の父母」
であるだけのことです
『真理』は「機械的唯物論」・・「だけ」・・であり・・
「他の世界観」・・・は「全て誤謬である」。。ということです。
370 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 02:20:49 0
>>369 そういうことだけ言っても何も説得力ない
観念論の悪口を幾ら並べても機械的唯物論は伝わらない
機械的唯物論は観念論では理解できないここがズバッとわかるとか
何か積極的に訴えないとね
371 :
attk:2010/10/26(火) 07:43:13 O
>>369 機械さんの世界観も歪んでると思うよ?w
372 :
唯意味論:2010/10/26(火) 10:35:03 0
>>346 Trauさん
「…意識的相関に先立つ、と思います」という貴方の結論は、私のそれと同じです。w
私も、そういっている。
ただし「…と思います」は、貴方の見方とはちがって“実存”ではありません。
思惟は意識現象であり、それ自体として浮遊?しているわけではないからです。
思惟もまた何かの思惟であり、対象との相関としてしか存立できません。
畢竟、事象は意識(感覚、表徴、思惟…)によって対象化され、また意識は対象に
占有されるという“相関→意味”の他には、その貌をみせないのではなかろうか?
それが凄いことなのか、憐れむべきことなのかは、意見のわかれるところである。w
373 :
唯意味論:2010/10/26(火) 11:24:37 0
>>369 幾度もいうように、機械さんの「機械的唯物論だけが正しい。他の言説は
間違っている」という主張は、あらゆる信仰者のそれと同じたぐいである。
神(制作者)の存在を否定しつつ「世界は機械である」と言いつのりたいのなら、
抄録氏のように“物質”には自発性、いわば自由意志のようなものが備わっている、
といわざるをえなくなる。意志を持つ物質が自発的に凝り固まって機械的世界を
仕立てあげようとしており、いまも制作途上にある、というわけだ。
面白い世界観(宗教)だが、帰依者を募るのはむつかしかろう。w
一般的に、機械的唯物論・決定論は世界の外に創造者を超越させるのだが…。
機械さんは、そのあたりについては安閑としておられる。w
機械君
>>369 理論的営為とは、同じ考えを増やすという目的のもとにしかなされないのだろうか?
375 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 17:09:31 0
>>374 観念論は手の込んだ自己欺瞞に過ぎないというのが機械の持論だから、
そこには「真理の探究」といった動機は実は存在しないということかもしれない。
カントもヘーゲルもマルクスもみんな自己欺瞞のために
難解な思考ををひねくり回しかつその影響を拡大しようとしている。
いずれにしても哲学史は阿呆の回廊(ヘーゲルw)に過ぎないのだからと。
>>375 もし、全能なる神が人格をもっていたら
すべての人間、すべての哲学者は阿呆に見えるのは当然なわけで、
だから、哲学者たちが阿呆の回廊だというのは、一つの解釈として筋が通っている気がする
もちろん、その見方からすると哲学者に限らず自然科学者や数学者も阿呆の回廊であるわけなんだけど、、
377 :
attk:2010/10/26(火) 21:44:56 0
機械さんは、
俺(名無しの頃)の(申し訳ないが煽りで口の汚い)
>>203に答えてね
唯意味さんは、
>>342、
>>347に対して、仲間の
>>304を弁護してあげてよ
素人の俺からすりゃ、今んところ、どっちも微妙だよw
378 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/26(火) 22:26:37 0
「意識が物質を作る」かどうか・・実は結構難しい問題提起だとおもいます。
例えばアメリカの大統領が「現在のドルは高すぎる」と言うか「低すぎると認識(意識)している」と言うかで為替相場は確実に変動する。
為替が変動すれば実需(物質)の流れが大きく変わる。
これはあたかも「意識が物質を作る」とも解釈できる・・・難しい。
379 :
考える名無しさん:2010/10/26(火) 22:28:15 0
>>376 それは単に自分を神になぞらえた思い上がりじゃないの
そんな視点は「他人」も「自分」も卑下することで
自分を賢いと思い込むだけの自己欺瞞
機械がこの種の病の重症患者であることは周知の事実
380 :
attk:2010/10/26(火) 22:54:37 0
>>378 その例えは違うと思いますよ
意識しただけで、何もなかったところにドル札が現れるというならそうでしょうけど、
>>378の例えは、俺がここで書き込んでじいさんが反応してくれた事と大差ないと思われます
>これはあたかも「意識が物質を作る」とも解釈できる・・・難しい。
うん、何もひねって解釈する必要なんかないんですよ?
>>368でも似たような事を書きましたが、
どうも、みんな難しく考えたり、難しい言葉を使いすぎているんじゃないですかね?
381 :
スモ:2010/10/26(火) 23:31:05 0
attkさん、
昨晩すぐ確認したんだけど、どうレスすればいいかわかんなくてね
僕の科学知識は機械氏の1割にも満たないし、哲学知識はンドール氏の1割と満たないわけで
それらで即答できるようなストックと、頭の回転のスペックを持ち合わせていないんだ
で、こうしよう
世界には「ことば」しかないんだと訴えていると
そうすると笑えるわけだ
「だったらあんた壁にぶつかってこいよ(ぶつからないのかいw)」と
これはある意味難問だw
今度は理解がさらに難しくなる(字づらを頭で理解する分には平易だろうけど)
たぶん笑っちゃえるけどね
笑いにも色々あって、どんな笑いになるかは各々の好みなんだけど
まあやってみる (無理っぽいなら明日か3年後だ)
>>381 まさかスモさんからこのような形のレスが返って来るなんて、思ってもみなかったですw
>世界には「ことば」しかないんだと訴えていると
>>365は、そのような事を書いていたわけですねw
383 :
スモ:2010/10/27(水) 00:06:18 0
「ことば」(の世界)において、論理は論理を侵犯しない
あの論理がこの論理に抵触することはできない
なぜなら、論理の自体性はその論理の実質であるからして自明である
よって、人の身体を構成する論理は、壁を構成する論理に侵犯できない
だから、「ことば」の世界においても「僕が壁にぶつかろうとすると、ぶつかる」
もう一度いうぞw
「ことば」の世界において君は論理的存在なんだ
君は「ことば」をただの概念で物質の対比としての何か空気的なモノとして見なしてるだろ?
それが、論理的存在における限定された論理的理解(感覚)という錯誤なんだ
「りんご」なんて物質はない、「りんご」という論理があるだけなんだ
物質のない世界を想像してみよう
その上で、人が壁にぶつかるのはなぜかと想像してみよう
え?ぶつからないって?
なぜだか知らないけどぶつかるように成ったんだよ!
論理がうじゃうじゃしてるんだよ!
そういう世界なんだよ!
そんな世界、俺たちの想像をはるかに超えてらー
・・・・
おいおいあんた、ただ物理の説明を論理だ論理だと言い換えて喚いてるだけじゃねーか?
いいや、同じ結論を抽象的にと具体的にとで理解することは意義が異なる
どんな意義か?
断じて僕にとっての意義じゃないよ、そうじゃないって! ・・・・まあ動機はさあ
まあなんだろ、
科学の解明は、それは僕たちと世界との本当の距離を縮めることに寄与できないのかもしれない
384 :
スモ:2010/10/27(水) 00:08:34 0
とりあえずこんな感じですか
え?
妄理妄論は御免だってかw
僕はこんなことやらかしたら機械氏や抄録氏にどこをどう嫌悪されツッコミされるか怖ろしうて怖ろしうて
僕がアドヴァイスできるとしたら、あなたのその素直さが一番です(昨晩レスしようとした言葉)
>>383 >>384 スモさん、うん、全く分かんないw
>世界には「ことば」しかないんだと訴えていると
スモさんが、なぜそう思うに至ったか、なぜそれを追求しなければならないのか?
なぜそれを捨てる事ができないのか?
そこですね。それがどれだけの価値を持っているか
しかし、
真剣に世界に迫りたいのなら、
そちらの道は、明後日の方向。だとしか俺には思えないw
スモ氏、それ以上潜ってはいかーん。
論理空間に吸い込まれて戻ってこれなくなるw
かつて物理屋を気取ってたなんたら君も、
「世界には実体も連続性もいらない。論理さえあればいい」
とか言い残して俺の前から消えたぁ。
ああ恐ろしい。俺はもう逃げたいw
余裕が無いので、レスポンス無用。また週末にでも宜しく。
387 :
スモ:2010/10/27(水) 00:50:28 0
>>385 わからなくてイインダヨ
世の中知らないほうが幸せなことってある
>スモさんが、なぜそう思うに至ったか、なぜそれを追求しなければならないのか?
>なぜそれを捨てる事ができないのか?
>そこですね。それがどれだけの価値を持っているか
これは即答できる
『美』だ!!
真理は美しくありシンプルでスマートでなければならない
>>386 もうやめとく
やめないけど(笑)、機械氏や抄録氏のテリトリーに近づく必要を感じてる
そっち寄りの思想につくということでなくて、知識の分野で(そりゃ遅々としか進まんけど)
それら具象の解説を理解して抽象から説けないと、もうちょっと苦しいな
>>387 >真理は美しくありシンプルでスマートでなければならない
ここは微妙に共感。俺としては「真理を解く鍵はシンプルであって欲しい」かなw
>『美』だ!!
ではその「美」とは何なのか? と俺は思うわけです
389 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 06:53:40 0
最近の動向を確認したいんだけど、相変わらず機械氏は決定論的世界観が正しいと考えてるの?
量子の世界でも非決定はないと。
390 :
attk:2010/10/27(水) 09:30:31 O
>>388 ちょっと足りないな。
加えて、
ではなぜ「ことば」だけの世界が(こそが? それだけが?)「美」だと思うのか?
「美」と「ことば」がどうリンクするのか?
そこですね
391 :
考える名無しさん:2010/10/27(水) 09:48:17 0
392 :
唯意味論:2010/10/27(水) 10:07:33 0
>>377 「月を意識すれば、月はある。意識しなければ、それはなくなる」でしたよね?
そのとおりでしょう。w
むろん、つよし君は“意識において”そう語っているのだが。
だから、つよし君が女性とデートしているとき、月は存在しない。
(月見しながら、語りあうのなら別だがw)
君は、こういいたいのだろう? 月を忘れて他のことに熱中していても、月は
存在し続けている…。たぶん彼も後づけでそう推測するのではないか。
が、デートのさなかには彼において「月は存在しなかった」のである。w
つよし君の言い方で逆では?と思ったのは、意識すると世界は無限に広がり、
意識しなくなると収束する…。
しかし、これは「意識しないと世界は(月も)広がりつづけ、意識するや否や、
たとえば“月として”収束する、のほうが比喩としては勝っているでしょう?w
393 :
唯意味論:2010/10/27(水) 10:46:20 0
>>380 魔法使いではないので「ドルよあれ」といっても、ドルは現われないでしょう。
しかし時間をかければ、色々なものをつくりだすことができるのでは?
周囲の様々な用具や機械は人間による産物である。コップもクルマも宇宙船も。
これらの価値は、その素材(君のいう物質)には換言できない。つまり、人間は
“価値”をつくりだせる。
それを促すのは必要性や欲望、すなわち“意識”である。
貨幣、つまりカネについてはいずれ。難しい問題は先送りするにかぎる。w
394 :
唯意味論:2010/10/27(水) 11:47:32 0
>>389 また聞きのまた聞きで、しかも古い情報ですが…
コペ派は非決定論でしょう。収縮はランダムに生じる、では?
多世界説を回避しつつ、決定論を唱える側に「非計算的だが、決定論的」と
いうのもあるらしい。たしかペンローズが…。
一見、「未来は決まっているが、読めない」という俗流の見方に似ているが、
そうとうに深遠である。
決定論は不確定性原理によって否定され
決定論的世界も量子力学によって否定された
いったい何を議論するというのだね
>>350 :唯意味論さん
>どこをどう読んでも、そこに“縁起”を肯定する論述は見出せない、といっているのです。
>空→無自性は、まだわかります。が、ここから無自性→縁起を導出するには無理があります。
唯意味論さんは、“縁起”が後付け解釈であるかのようなことをずっと言っていますが、それも誤解ですね。
“縁起”がブッダの悟りの内容の中心にあったというのが、一般的なとらえかただと思います。
例の『岩波仏教辞典』(^.^) にもこうあります。
「縁起」・・・「縁って生起すること。ゴータマ・ブッダの悟りの内容を表明すると伝えられる。仏教の根本教理の一つ。・・・」
また、竜樹は『中論』のはじめのところの「礼拝の詩頌」でこう書いています。
(引用)
「滅しもせず、生じもせず、断絶もせず、恒常でもなく、単一でもなく、複数でもなく、来たりもせず、去りもしない依存性(縁起)は、
ことばの虚構を超越し、至福なるものであるとブッダは説いた。その説法者の中の最上なる人を私は礼拝する。」
これは、竜樹も、ブッダの教えの中心が“縁起”であったと考えていたことを示しており、
また、『中論』の中心思想が「縁起=空」であることを示していると思います。
>>350 :唯意味論さん
>むしろ、因果や縁起といった、共同体に生きざるをえない俗衆にはわかりやすい“関係(執着)”を
>空(仮象)として切り捨てたものに思え、そこに私は凄みを感じます。
唯意味論さんは、“縁起(関係)”を、「モノ」と「モノ」との関係として考えているのではないでしょうか…?
まず「モノ」と「モノ」とがあって、それが「関係」するということであるならば、『俗衆にはわかりやすい』と言えるでしょうが、
“縁起”は、そういう思想ではありません。
現代思想(構造主義〜ポスト構造主義)で、『実体論から関係論へ』ということがよく言われます。
「モノ」と「モノ」とが先にあるのではなくて、「関係」が先にある(あるいは「関係」だけがある)という考え方ですね。
そういう「実体なき関係論」が、“縁起”思想にかなり近い考え方です。
実際、現代思想の「実体なき関係論」は、“縁起”思想の影響を大きく受けていると思います。
日本における「実体なき関係論」の代表的な論者である丸山圭三郎と廣松渉は、その対論『現代思想の「起原」』の中で、
「縁起=空」の思想に触れています。
(引用)
廣松「先ほどの『空』、それからその空とは関係だというおっしゃり方、これは龍樹というか、大乗仏教あたりの空とは結局、
縁起(関係)だという話と重なって、興味深く承ったんですが、しかし私どもの場合、大乗仏教の空観と同じわけではない。・・・」
丸山「龍樹のお話が出たので、それに引っかけて申しますとまさに、『色即是空、空即是色』なんですね。
これも時間的な問題じゃないんです。決して色即是空の次の段階で空即是色になるんじゃないんですが、
やはり絶対を想定することによって硬直化する不自由から逃れる道というものは、一旦『空』というものを
はっきり引き受けることによってしか見出せないと思うんですよね。しかも同時に空即是色、ここにしか
我々人間のおかれた状況はないんじゃないですか。
廣松「えらく華厳みたいになりますが、悪乗りして言えば、まさに〈事事無碍〉までいかないと、ということでしょうね。」
最後に廣松渉が言っている〈事事無碍〉は、華厳的縁起であり、前に引用した「鏡灯の比喩」があらわしている縁起思想です。
>>372 :唯意味論さん
>ただし「…と思います」は、貴方の見方とはちがって“実存”ではありません。
>思惟は意識現象であり、それ自体として浮遊?しているわけではないからです。
>思惟もまた何かの思惟であり、対象との相関としてしか存立できません。
唯意味論さんは、前スレ>919-920で引用した「ある」がどういうことであるのかを誤解していると思います。
いつも唯意味論さんは、その「ある」を、「意識」とか「意識的相関」などの一般概念に置き換えてしまうから…。
そういう一般概念では言い表せないものが、>919-920の「ある」(そして僕が<?>として書いていたこと)です。
【Pというのは普遍的な概念である。・・・私はPである、P´であるP´´であるといくら積み重ねていっても
「この私」を言い表すことはできない。】(>919)
ちょっと別の角度から言えば…
その「ある」が、一般的(普遍的)な概念に置き換えることができないのは、その「ある」が、<この私>という「個」であるからです。
僕は
>>70で、カントやフッサールの「意識の哲学」と、実存的な考え方の違いを書きました。
今ここに現に生きている<この私>は、「個」であるから、どうしても一般化(普遍化)を拒むものがあるのです。
その「ある」を、「意識」と名づけられた現象が生じている<この私>という【場】、と考えてもいいと思います。
永井均が、西田幾多郎の<無の場所>について書いている以下の文章は、>919-920の「ある」、
そして僕が<?>として書いていたことと、だいたい同じことを言っていると思います。
(引用)
「意識は対象化する場所であって、それ自体はどこまでも決して対象化されない。意識が主語として、
主格的に捉えられた場合、意識はすでにして『意識された意識』にすぎず、『意識する意識』ではなくなっている。
とはいえしかし、『意識する意識』という言い方をしても、これが意識の作用とか意識する働きという意味に理解されてしまえば、
それもやはりまた、世界の内部にある(『意識』という名の)一存在者として理解されてしまうだろう。
そうではないことをはっきりさせるために、そのようなあらゆる意識の働きがそこに於いて生起する場所として、
この『意識』を捉え返さなければならない。・・中略・・
意識は、『意識』と言われてしまう以上、究極的な無の場所であるとはやはりいえない。・・・
無の場所とは、無の場所が(例えば『意識』と名づけられて)相対化されたとき、相対化されてはならないものを指す名前なのである。・・・
だからそれは、唯一の真の個物であるのだが、ただ無のうちで自己自身を限定するだけで、いかなる相対無にも包摂されることがないので、
本当のところは何『である』とも言えない。それでも、それは、無いのではなく、ある。」(永井均『西田幾多郎』)
>畢竟、事象は意識(感覚、表徴、思惟…)によって対象化され、また意識は対象に
>占有されるという“相関→意味”の他には、その貌をみせないのではなかろうか?
これは、前に唯意味論さんが書いた【“事実”そのものを言い当てる術を、ヒトは持っていないということである。】(前スレ>963)
と同じように、「物自体」あるいは「意識から独立な実在」のことを言っているように思われます。
>>155の【月と呼ぶ「存在」】や【思惟(意識)の外】という言い方もそうですね。
しかし、前にも書いたように、>919-920の「ある」は、「意識から独立な実在」のことではありません。
400 :
唯意味論:2010/10/27(水) 17:40:20 0
>>396 は反論になっていません。私は、竜樹の『般若心経』から“縁起”を導出
する論述(といっても、また聞きだがw)に異を唱えているのである。
心経のどの文言から、そのような解釈がなされるのか、教えていただきたい。
竜樹がお釈迦さん(の悟り)をどう考えていたかは別の話。両者には500年余の
隔たりがあり、要するに竜樹によるブッダの(悟りの)解釈である。そのことは
いま、問題にはしていない。
もっとも以前に「お釈迦さんが悟った」というのは説話であり、キリスト教の
「イエスは処女から生まれた神の御子」とならぶ大いなる虚構だと述べ、顰蹙
を買ったことがある。
当時、その種の“説話”を希求する人たちがいたのだろう。(たぶん、現在も)
他のレスについては後ほど。
402 :
attk:2010/10/27(水) 23:08:02 0
>>392 >むろん、つよし君は“意識において”そう語っているのだが。
自分にとっての世界は自分中心だ!とw その主張にはなんの価値もないでしょう
「つよし君は」なんて他人事のように書いてるけど、唯意味さんも同じ主張なんでしょ?
>魔法使いではないので「ドルよあれ」といっても、ドルは現われないでしょう。
>しかし時間をかければ、色々なものをつくりだすことができるのでは?
だから、そんなひねりはいらないんだって、
>>380で書いた事がループするだけ
>周囲の様々な用具や機械は人間による産物である。コップもクルマも宇宙船も。
>これらの価値は、その素材(君のいう物質)には換言できない。つまり、人間は
>“価値”をつくりだせる。
>それを促すのは必要性や欲望、すなわち“意識”である。
それが主張なら、最初からそう言えばいいじゃないですか?
でも意識は脳の機能です。脳がなかったら意識はありません
それに材料がなかったら用具や機械を作る事はできません。意識だけでは作れません
何も難しくない。それは当たり前の事です
403 :
あまの:2010/10/28(木) 01:13:34 0
食い込んでるねー面白いねー
食い込んでる食い込んでる、物質の深部の深部まで
観念が
どこまで行くんだろうねー己の影を追って
404 :
唯意味論:2010/10/28(木) 10:06:17 0
>>351 それ自体としてあるもの(実体)は存在しない。(まだみつかっていない)
現前の対象(色)は、したがって“空”である。ここまでは、わかる。
ここからである。w
「色(現象)」は因や縁によって織りなされているというのは、だれの認識?
因や縁に遵って○○として把捉するのは、だれですか。
だれであれ、それが人間なら、その「受想行識」は“空”でしょう?
したがって把捉された因と縁は、またそれに拠る○○も“空”でしょう?
真髄を衝く“存在(認識)”論に思えるが、因や縁が実在するとは一言も
語っていないし、それに拠る認識が正しいとも述べていない。
究極のニヒリズムが『心経』では謳われている(ようにみえる)。
これを衆生に教えるのは難しすぎるので、因や縁を持ちだしたのでは?
ところで、諸法とはどういう意味ですか。(辞書の意味はしっています)
405 :
唯意味論:2010/10/28(木) 10:42:18 0
>>402 少し考えれば、自分が世界の中心でないことくらいはわかるでしょう?
(俺さまが世界の中心だという夜郎自大もいなくはないがw)
そうではあるが、この私にとっては、この私を離れて“存在”は開示されない。
“存在”の起源は《私》ではなさそうだが、抄録氏ふうにいえば「私において
それは開闢する」のである。w
だれが創ったのかは知らぬが、君のいう「物質」の諸様態に“意味”を見出し、
それを素材に(素材には還元できない)価値をつくりだす…当たり前のことですか?
>>404 > 「色(現象)」は因や縁によって織りなされているというのは、だれの認識?
誰の認識でもありません。そこにあるのは、ただ認識のみです。
> 因や縁に遵って○○として把捉するのは、だれですか。
誰でもありません。そこには、ただ把捉があるだけです。
そして、強いて言うならば、上記二つともに、
五蘊の総体として、そこに顕現している「何某」という「人物」(或いは人格)です。
> だれであれ、それが人間なら、その「受想行識」は“空”でしょう?
その通りです。
> したがって把捉された因と縁は、またそれに拠る○○も“空”でしょう?
そうです。
> 真髄を衝く“存在(認識)”論に思えるが、
この括弧書きの意味は何でしょう? 「同種同類のもの」ということ? 「或いは」という「 or 」の意味?
それとも、「存在論」もしくは「存在認識論(存在の認識を主題とする論)」という二重の意味?
「存在論」と「認識論」は、別物だと思っていましたが、違うのですか?
> 因や縁が実在するとは一言も語っていないし、
そうですね。
> それに拠る認識が正しいとも述べていない。
そこに縁起を見るならば、正しい認識(≒正見)と言えます。
> 究極のニヒリズムが『心経』では謳われている(ようにみえる)。
見方によってはそのように見えるでしょう。特に西洋思想(特にキ教等)はそのように見ているでしょう。
> これを衆生に教えるのは難しすぎるので、因や縁を持ちだしたのでは?
そのような考え方は学界にもあります。
ただ、「歴史的順序」は、間違いなく「因や縁の考察」(或いは四諦)が先ですし、
仏教という視線に於いて、「因や縁の考察」を主軸としないことはありえません。
空思想の拡大によって、難解・高尚になった、とは言い得ると思いますが・・。
初期仏教は、もっと素朴なものです。
>>404 > ところで、諸法とはどういう意味ですか。(辞書の意味はしっています)
但し書きなく、半ば唐突に用いられる場合は、(Dhp279偈が代表的なものになりますが)、
「およそ存在する諸々全て」ということです。概念も物も、ともに含まれます。(名色と言われる如くです。)
Dhp279偈を例に引けば、その前277・278偈に於ける
「 sabbe saNkhArA 」(諸行・一切行(諸々の作られたもの・一切の作られたもの))を受けた形となります。
408 :
attk:2010/10/28(木) 19:33:44 0
>>405 >(俺さまが世界の中心だという夜郎自大もいなくはないがw)
>そうではあるが、この私にとっては、この私を離れて“存在”は開示されない。
難しく言ったところで、結局それは同じ事でしょうw
>だれが創ったのかは知らぬが、君のいう「物質」の諸様態に“意味”を見出し、
>それを素材に(素材には還元できない)価値をつくりだす…当たり前のことですか?
たぶんそれは常識でしょうw
ここで問題なのは「意味」、「価値」というものが、だいたいどういうもので、
なぜ見出されるのか? なぜ与えられるのか? という事じゃないでしょうか?
簡単に纏めると、
世界は物質で構成される、
人間は、脳と五感によって世界を知覚する、
人間の知覚能力は高度に発達し<私>という意識を持つ、
人間は自己保存の欲求に従い行動する、
人間の知覚、意識により、自己保存の欲求に従って、
物質は意味を見出される、又、新たな物質を作り価値を与えられる
(上記は人間以外の生物、高等生物も一部当てはまる)
という事だと思います
>>408 >attkさん
貴方を見込んで是非にも考えていただきたいのです。
>人間の知覚能力は高度に発達し<私>という意識を持つ
この無造作に述べられる「私」とはなんぞ、ということです。
世界の70億の人体システムが、それぞれ私、私、私、・・・・私、・・
と思っている、と仮定します(常識的な仮定です)
とすれば、貴方のその肉体及び精神システム(脳を中心とする物理系)も
一般に「私は」なんて思っても不思議ではない。
ところが、その「私は」は、一般化されているが故に、貴方である必要が無い、という
突然の底抜けトラップが発生するわけです。(開闢の奇蹟)
そのトラップの正体とは何でしょう?
それは恐らく
>>313の哲学者最高位氏が説明してくれるでしょう。
なんせその人は、私がこの板に来る遥か以前からそのことについて考えていたのですから。
410 :
attk:2010/10/28(木) 20:17:16 0
>>409 >ところが、その「私は」は、一般化されているが故に、貴方である必要が無い、という
>突然の底抜けトラップが発生するわけです。(開闢の奇蹟)
>そのトラップの正体とは何でしょう?
言葉が難解過ぎですw
推測してもはずしそうなので、もっと素人にも分かるよう教えて下さい
>>410 つい魔がさして書き込んでしまった
個人的に今晩がヤマなので今日はこれ以上は無理w
すまんw
412 :
唯意味論:2010/10/28(木) 21:33:56 0
>>406 以前、超絶対神というコテがいました。
彼は生物学と仏教に詳しく、因果だったか縁起だったか忘れましたが、
それは“方便”だと両断したことがあります。
“因縁”は仏教の大衆化に寄与しただろうが、“関係”にまつわる言述は
科学のそれに比べて、かなり粗雑です。アリストテレスの自然学?と同じ
レベルでしょう。
因縁は、共同体を営む人間なら、だれにでも理解できる素朴な理屈です。
前にも述べたように、そこを“空”と切って捨てたところに『心経』の凄まじさ
を感じます。それを再び“縁起”に回収させようとした竜樹の解釈は、私見では
反動であり、かつ仏教の堕落への序章ではなかったでしょうか。
『心経』は、認識論と存在論の双方を“無意味”としています。
両者の違いは、ゾル君にでも訊いてください。w
もし、引き続き遊びにいらっしゃるのなら、昔の名前か新コテをお願いします。
413 :
唯意味論:2010/10/28(木) 21:41:51 0
>>407 諸法とは、すべての存在者という意味でしょう?
訊きたかったのは、なぜ「のり、おきて」の意味をもつ“法”を当てたのか?
>>412 > “因縁”は仏教の大衆化に寄与しただろうが、
> “関係”にまつわる言述は科学のそれに比べて、かなり粗雑です。
> アリストテレスの自然学?と同じレベルでしょう。
そうかもしれません。(特に、後代の発展した仏教哲学を知る者にとっては・・w)
しかし、それでもよいのです。(個人的には、龍樹や心経レベルの考察(≒空)は不要だと思ってますしw)
なぜなら、「縁起」と「四諦(八正道)」こそが、仏教の骨子だからです。
「苦の滅」へ導く最短コースが、道諦として提示されているだけです。
それ以外は装飾でしかありません。
> 因縁は、共同体を営む人間なら、だれにでも理解できる素朴な理屈です。
はい。そして、誰も逃れることはできませんね。
> 前にも述べたように、そこを“空”と切って捨てたところに『心経』の凄まじさを感じます。
ですね。心経は、般若経典群の空思想の超簡易版ですしw
> それを再び“縁起”に回収させようとした竜樹の解釈は、私見では反動であり、
> かつ仏教の堕落への序章ではなかったでしょうか。
私は逆だと思っていますけどねw
心経の「色即是空」こそが、唯物仏教を加速させ、
また同時にそのアンチとして「nothing」な「無」、『何でも空』の
短絡的「空教」という新興宗教を誕生させる素地を作ったと見ますのでw
> もし、引き続き遊びにいらっしゃるのなら、
どうしましょうかね・・w
時々野次るのに名前は要らんだろ?w
>>413 1:もともとそういう意味があるから。
2:語源解釈の一つ( √dhR+-ma )として、
a「保持されるもの」という意味があるから。(より上位の法則的ものとして、須らく保持されるべきものという意味で)
b「保持するもの」という意味があるから。(○○を成立せしめる、より上位の法則的ものという意味で)
>諸法とは、すべての存在者という意味でしょう?
全く違いますw
416 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/29(金) 01:23:34 0
>>378 >「意識が物質を作る」かどうか・・実は結構難しい問題提起だとおもいます。
「逆です」というのが正解です。
「物質である『脳』が『意識』を作る」のであって、「その逆」を主張するのが
「観念論的誤謬」・・だということです。
「脳」の無いところに「意識(に類するモノ)」が生成した「事例」が何処かに
存在する・・とでもおっしゃるのでしょうか?
「意識」は「脳」という「物質」の中に生じる現象であり、「意識」は「脳」と
「離れて『存在』し得ない」ことは、小学生が考えても判ることです。
「脳(細胞)」が機能しなくなれば「意識」は(その機能低減の度合いに従い)
「機能」を低減する・・・要するに「呆ける」・・ということです。
アルツハイマー症候群、レピー小体症候群・・等々・・「同様」である
・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
417 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/29(金) 01:44:01 0
>>413>>414 結局「仏教に逃げるしかない」という「観念論的誤謬の結末」について
理解できないでもありませんが、それは「自分の体内の副交感神経の優勢」
・・・要は「『禅宗』の目指すモノ」を追求する「仏教原理主義」にすぎない
のであり、「あくまでも真理を旨とする『哲学』」である「機械的唯物論」とは
相容れない思想なのかもしれません。
勿論「自律神経の荒し」に自分の肉体が巻き込まれることは「良しとしない」
・・ことについてはどうようですが、「真理はあくまで真理である」・・という
・・ことについて「いかなる形の妥協」もありえない・・というのが
「機械的唯物論」(真理)・・の思想なのです。
(少し「宗教的」に見えるような「表現」を使用したとしても「真理は一つ」)
「しかない」・・ということです。
本日は就寝させて戴きます。
中二病スレ
「空」なんざ、どーでもいいです。
所詮は懐疑論と同じで、空と切って捨てたはいいが、
その切って捨てる刀も「空」だと、そんな話なんでしょ。
きりきり舞い。一人舞台のこけおどしではないか。はっは。
関係者に怒られるかしら。
「実体無き関係性」とはなんぞ・・・?
関係性から実体を消去できるのでしょうか。
もしそれが可能ならば
この関係性は「関数」などとは違う何らかの「悟り」でしかない。
なぜなら、関数は常に変数を要請しており、
関数fだけの関係など意味不明だからである。
私はこの変数部が究極的には「実体」とできるだろうとこれまで思ってきた。
しかし、そんな風に思っている馬鹿は俺だけだったかw
423 :
attk:2010/10/29(金) 22:38:48 0
実体とはなんぞ?
どうやら実体とは、唯意味論さん始め、皆さんの認識では
「何ものにも依存せず、それ自体としてのみ存在するもの」
という意味らしい。
いやいや、そんなものがあったとしたら、それがいかに“巨大(無意味な修飾だがw)”であろうと
見ることも触ることもできず、私の肉体、精神と干渉することなく素通りして貫通する。
そのようなものを想定すること自体が無意味。まさに観念の浪費。
しかしそのようなものでなければ「実体」の称号は授けれませんか?
それならなら実体など「無い」と言わざるを得ない。
しかし、それでも世界が相関のみ、とはならない。
もし、「世界が相関のみ」とするなら、相関の意味は消失し、
ある特定の相関は実体化してしまうでしょう。
>>423 もう忘れてくれw
でもせっかくなので、少しだけ付き合ってください。
以下の説明は俺のオリジナルじゃなくて、
1年ぐらい前(かな?)にこのスレに来た名無しさんの話のパクリなんだが。。。
「ザ・フライ」ていう映画で物質転送機が登場しますでしょ。
で、あの主人公は、物質転送機の「ポッドA」から「ポッドB」に自分を転送させるわけです。
それで、何事も無かったかのように以前と自分と変わりない、と思ってるような想定です。
(※実際はハエが混入してえらいことになるわけですけど。)
ポッドAで分解された「私」は、ポッドBで合成された「私」と同じでしょうか?
というのが話の核心となります。
あの話の想定内で考えれば、
ポッドAで「私」を分解せずに!分析だけを行って、ポッドBで「私」合成することも可能でしょう。
しかしこのとき、ポッドAに残っている肉体Aにあるのは「私A」であり、
ポッドBで合成された肉体Bにあるのは「私B」であり、私Aと私Bは「違う」訳です。
してみると、最初の「転送」の話に於いても、ポッドBに転送されたと思っていたのは「私」ではないわけです。
記憶を含めて全てを合成可能だとしても、そこにあるのは「私」ではない、と考えられるのです。
>attkさん
しみじみ納得されたかもしれないし、なんだか嘘くさい話だと思われたかもしれない。
個人的には、「嘘くさい」と感じるのが「正常」だと思う。
私は「生まれ、生き、そして死ぬ」のが当たり前。
一般化を拒否する「私」などどこかがおかしい。
しかし私はまんまと、このトラップに掛かって抜けれない訳ですw
>>425 うーん、下は俺が別のスレで書いた事なんですが、これが回答になりますか?(例は違いますが)
それと
>>410の問いとは違う気がしますが同じ問いなのですか?
88 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2010/10/25(月) 23:56:55 0
・自分(自分A)で、意識も含めた完全な複製の自分Bを作れたとする
・自分Aの<意識、私>はもちろん自分Bの<意識、私>を把握できない
・当たり前だが自分Aは自分Bの事を「自分の複製の自分Bだ」と思う
・同じように自分Bは自分Aの事を「自分の複製元の自分Aだ」と思う
自分Bになったつもりで想像してみると、自分Bの<意識、私>が理解できる
自分Aも自分Bも、両方とも<私>だ
428 :
あまの:2010/10/29(金) 23:22:02 0
おいおい、我々は水素原子でさえ記述し尽くすことは出来ないんだよ
物質の表層しか触れることしか出来ない我々が、複製とか簡単に言っていいのか
もし出来たとすれば、確かに、同じだといわざるを得ないと俺も思う
429 :
あまの:2010/10/29(金) 23:28:07 0
我々の、マクロの原理で構成された、感覚器官には現象や物質の表層しか認知できないシステムになっとるからね
>>427 >自分Bになったつもりで想像してみると、自分Bの<意識、私>が理解できる
これ面白いなw
しかし「想像する私」は常に「この私」でしかないでしょう。
貴方がAであれ、Bであれ、貴方はその「私」を離れることはできない。
さらに言えば、このAもBもどちらも「貴方である必要が無い」訳です。
どちらもが、自分のことを、私、私、と思っていればよいのです。
ぶっちゃけて言えば、
この世界に(貴方の)「その肉体」が、そのまんま生まれたとしても、
それが貴方である必要がないわけです。
貴方がおらずとも、その肉体が勝手に「私は・・」と考えて動き出せば世界に一毛の矛盾も起こらないのです。
なんとすっとこどっこいのトラップなんでしょうw
こんな説明で納得しなくてもいいと思いますよ。納得するのが正しいとも思わない。
あまの黙っとれ
つーか少し語れw
432 :
あまの:2010/10/29(金) 23:33:51 0
物質がさあ、我々にとってもう気心の知れた存在であるかのような前提に立ってないか?
その前提が希望的な思い込みじゃないのか?
>>428 いやもちろん簡単な話じゃないと思うよw
それと
>>427の補足
>>425の例は、転送(移動)されているわけだけど、
俺としてはこれは疑いの余地がなく「まあ私でしょうね」と思う(単純だから)
でも
>>427の例、自分が2人いたらという事が理解し辛いわけ
自分Bの<意識、私>を把握できない、けど、自分も自分Bも同じだと考えると、
自分Bの視点に立てば理解できる
というのが実にここ最近の衝撃の出来事だったw
でもこれはSFが好きな人には当たり前なんだと思う
434 :
あまの:2010/10/29(金) 23:37:36 0
他者問題が解決しないのは、もうなにか前提に問題があるに決まっている。
そうに決まっている。その誤りがなにか分からないうちは手を出せない。
頭が痛い。
>>433 でー、SF好きか・・・
それだと・・俺とは話が噛み合わないかも。
おれはSFが嫌いだ。SFの好きな人は、その物語で起こる事件そのものを「思考の根拠」とする傾向がある。
マトリックス世界に墜ちていく哲学板住人は驚くほど多い。
俺が「そんなものは全く駄目駄目だ」と言ったところで、全く効果なし。
まあ、思想は自由だから、思うようにすればいいさ〜
>>430 うーん、分からんw
俺の考えを単純に整理すると、
(1)<意識>ってのは脳の記憶と身体から覚醒時に常時起動されている知覚
(2)通常<私>が「私」と思うのは身体+<意識、私>、
(3)でも<私>にとって「私」の正体は<意識、私>で、それは(1)だと思う
何かの本を読んで解釈したのは、
<意識、私>は寝れば途切れて起きれば表れる
だから連続しているのは単に仕組みと記憶だと
まあだから<私>とは「知覚」なんだなと思ったんだが、この一連の問いは、
その(「知覚」、<私>、その現象)を本体と思っていると、話がこんがらがってしまうのではないかと
SFで欺瞞だなと思うものの一つがターミネータ
あれ、話の途中で、ターミネータの視界が画面になりますよね。
あんなこと、あるわけないじゃん。
ロボットだぜ。視界があるかないかも分からない(多分、無い)。
でもまんまと騙される(俺もだがw)。
そして空想が豊かになっていくw
機械さんもアバターに被れてからおかしくなった。はは
>>437 俺SFもSF映画もそんなに詳しくないよw 好きだけど
SFの想像力は素晴らしいと思う。マトリックスも面白いと思う
>ロボットだぜ。視界があるかないかも分からない(多分、無い)。
まさにそこが<意識、私>の肝心な部分だと思う
つまり五感その他の知覚。これをロボットに持たせられるのか?(無理でしょう)
だからロボットには<意識、私>が生まれない。いわゆる人工知能が生まれない
439 :
あまの:2010/10/30(土) 00:12:12 0
非科学的なとこは俳優の演技でカバーするわけだ
>>436 俺もこれ以上は上手くは説明できない。
ただ、貴方が唯意味論さんの話を誤読しそうに見えたので、
邪魔とは思ったが、つい飛び出してしまったのだ。
貴方は恐らく、いわゆる心身問題を考えている。
心は脳の機能であり、その仕組みを考えると言う話です。
しかし、その話とは別に(それ以前に)
そもそも、私が私として生成する必然性などあるのか、
という問題意識を持つ人種がいる。滑稽だろうか?
貴方もあまりここに長居するとトラップに掛かるかもしれませんよw
441 :
あまの:2010/10/30(土) 00:14:45 0
しかしターミネーター3のシュワちゃんは目が乾くのか瞬きしすぎだ
>>440 私が私として生成する必然性などあるのかということが
どうして問題だと自分は思ってしまうんだと思う?
それよく言うよね。どうしても理解できない。
もうちょっと違う言い方で説明できないかな?
443 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/30(土) 00:19:14 0
>>422 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/29(金) 22:35:53 0
>私はこの変数部が究極的には「実体」とできるだろうとこれまで思ってきた。
変数はいわゆる変化する訳だから其れを実体とすると・・・・・・
実体と言ってるのもかかわらず変化しつづけていると言う矛盾は懐疑論の空性と同じ・・・
>>421 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/29(金) 22:24:46 0
>きりきり舞い。一人舞台のこけおどしではないか。はっは。
と言う感じのきりきり舞いになるのでは・・・・
>>424 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/29(金) 22:48:43 0
>ある特定の相関は実体化してしまうでしょう。
いかなる相関も実体化できないと思います。
ですから縁起も実体は無いわけです。
そもそも人が生きていくうえで実体は必要でしょうか?
444 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2010/10/30(土) 00:22:11 0
>>422 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/29(金) 22:35:53 0
>私はこの変数部が究極的には「実体」とできるだろうとこれまで思ってきた。
変数はいわゆる変化する訳だから其れを実体とすると・・・・・・
実体と言ってるのもかかわらず変化しつづけていると言う矛盾は懐疑論の空性と同じ・・・
>>421 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/29(金) 22:24:46 0
>きりきり舞い。一人舞台のこけおどしではないか。はっは。
と言う感じのきりきり舞いになるのでは・・・・
>>424 :抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/10/29(金) 22:48:43 0
>ある特定の相関は実体化してしまうでしょう。
いかなる相関も実体化できないと思います。
ですから縁起も実体は無いわけです。
そもそも人が生きていくうえで実体は必要でしょうか?
445 :
あまの:2010/10/30(土) 00:27:11 0
最初の記憶のなかの私って弱かった気がする
カントの言う純粋客観に近いものではないか
ボケ老人も最後徐々に私の印象が弱まってこの状態に戻っていくんだろうね
>>443 じいさん、
「変数」というのは、ふらふらしてる、って訳じゃなくて、
入力項なんです。
「任意」の数値を「代入」できる、ってことです。
>と言う感じのきりきり舞いになるのでは・
つまり、空も含めて、全てが消滅するのだよ。
空だけは残るとでも言うのかね。
>いかなる相関も実体化できないと思います
ある関数fを別の関数gの関数とするときに、fは実体化されてしまう。
全てを相関とすると、相関の対象は常に要請されるので、全てが相関とすることはできない。
>そもそも人が生きていくうえで実体は必要でしょうか?
世界が相関だけで記述できないのだから、「実体」を要請しても罰は当たるまい。
違うな、実体化されるのはfでなくgか。
名無しの質問にも答えてよ抄録
>>442 違う言い方か・・・・
少し考えさせてくれ。期待はできないがw
うん待ってる
>>440 >ただ、貴方が唯意味論さんの話を誤読しそうに見えたので
誤読? どうでしょうねw
>そもそも、私が私として生成する必然性などあるのか、
>それが貴方である必要がないわけです。 (
>>430)
必然性じゃない、生成された、その結果が俺なんだ
必要とかじゃない、俺が俺であるから、俺なんだ
としか思えないが、そんな事じゃないかw
>貴方もあまりここに長居するとトラップに掛かるかもしれませんよw
受けて立ちますよ。とも思えるけど、少し怖いね
矛盾も含めて見出した意味ってのは一旦捕らわれるとね
452 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/30(土) 01:12:18 0
>>429 >我々の、マクロの原理で構成された、感覚器官には現象や物質の表層しか認知できないシステムになっとるからね
そうですね。
我々人類の脳が「外界」である「世界(これは「脳自体」をも含むのですが)を
「認識」することの「原資」は「感覚的クオリアと志向的クオリアの交差点」です。
産まれたての「嬰児」であった頃に「「見えた光」「初めて聞いた母の声」が通常は
「原初の感覚的クオリア」となり、それを「解釈」するべき「志向的クオリア」は
(嬰児の段階では)未だに「未成熟」です。
しかし、その「未成熟な志向的クオリア」が「「次々に入ってくる感覚的クオリアの奔流」
によって「成熟した志向的クオリア」になっていく課程が「認識の成熟」であるということです。
「存在」は、認識に先立って(存在する)ので、認識は「存在をトレースする」事しかできませんが、
「感覚的クオリア」として「認識する器官である脳」に進入してきた「存在としての世界(外界)」の
「実在性」は「観念(言葉:幻想)」を由来とするモノではなく、「実際に(物理学的に)存在する現象」
が「物理的な存在物」である「人間の脳や神経細胞」に「情報を通知した」・・ということ以上の意味は
存在しない・・ということです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>440 >そもそも、私が私として生成する必然性などあるのか、
色々書いては消しているんだが、とりあえず何か書いてもう寝るw
んん、ああー?
なんで<私>は<私>なんだろう?という事かな
<私>でないといけない理由はあるのかと
<私>でなくて<私じゃない何か>であってもよかったんじゃないかと
俺はそれについては、
<私>とそれを構成している記憶は、身体とその処理能力にも依存するから、
俺の身体が再生産されても<似たような私><私のバリエーション>が芽生えると思います
だから、抄録さんの<抄録さん>はほぼ必然だと思いますよ
違うかw 寝る
中二病スレ
455 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 06:42:05 0
機械さんは、素朴実在論を一生懸命に訴えているだけで
そんなもんは小学生でも普通に持っている普通の感覚ですから意味ないですけどね
456 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 06:45:51 0
機械さんは相変わらず、科学vs宗教 という構図で観念論を攻撃しているが
まず、そこが間違い
何度も言いますが
観念論=宗教ではありませんよ
あと、哲学という事に対する認識が
あまりにも前時代的です
彼の主張は
「森羅万象は法則性に従って現象しているだけで、それが全てであり
人間が何を思おうが、これも全て法則性に従っているだけの結果にすぎない」
という世界観で
これが真理であり、『哲学の最終結論』だと思っているわけだが
そこで止まるのは前時代的 というか、次元の低い哲学である と言わざるをえません
問題意識が低いです
「哲学する行為」そのものが観念なわけで
では哲学している『私』とは何なのか
という事が哲学されていません
この体が私である というのは当たり前の事なのですが
この体を、いくら解明しても、何故この体だから『私』であったのか は、解明できないのです
たとえ、この体と全く同じ要素の物体があったとしても、それは『私』ではないわけです
「我思う故にわれあり」
『私』は存在するのですが
『私』は唯一の存在性であり、それはいかなる物質的要素にも由来せず『存在』しているのです
科学至上主義で、哲学的な課題を克服する事は不可能なのです
最終真理ではありません
457 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 09:13:55 0
>>452 >]産まれたての「嬰児」であった頃に「「見えた光」「初めて聞いた母の声」が通常は
>「原初の感覚的クオリア」となり、それを「解釈」するべき「志向的クオリア」は
>(嬰児の段階では)未だに「未成熟」です。
質問ですが、
そのクオリアなるもの、もしくはそのクオリアの対象である「見えた光」「初めて聞いた母の声」、
は、物質ですか?つまり、脳なり、体内なりに、記録されるものですか?
458 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 09:14:47 0
他の方でもいいので、分かる方、教えて下さい。
機械さんの話は機械さんにしか分かりません
中ニ病スレ
461 :
唯意味論:2010/10/30(土) 11:37:39 0
>>457 “物質”ではないでしょう。
そもそも物質なる概念は、数「量」化できることが前提です。
心身の「質」感は、譬えでしか表わせません。
かりに「あわれ」をおぼえたときの脳の布置を精緻に記述できたとしても、
「あわれ」をそこ(脳)に見出すことはできないでしょう。クオリア→意識の
厄介さはそこにあります。物理主義を拡張するか、新しい「科学」の方途が
求められるゆえんです。
>>424 抄録氏
一切は“空”としながら、因縁という“関係”を実体化する大乗のロジックに
中途半端さを感じているのである。
また、話が飛躍するが因縁に遵う「関係」は、古い共同性の名残が濃厚であり、
それを価値として、そこにしがみつく共同体は… やめておきます。w
462 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 12:05:04 0
>唯意味論
何でTrau氏に対しては答えないのか。
463 :
唯意味論:2010/10/30(土) 12:22:17 0
最高位の《私》の問題提起を「よし」としながらも「自分と同じ(物理的)要素の
ものをつくっても《私》ではない」のは、当たり前すぎて面白くありません。w
かりに、その物理的要素を同じにしても“同一”とはいえない。
(存在の)全き“同一”とは“時空”を同じにすることが必須。
《私》と同じ物体をつくっても、両者の時空は異なり、よく似た別物である。
大昔、このレスで双子の例をあげて述べたことがある。
二つのものに(時空の)同一はない。差異は“同一”ではない。w
思考実験上「文字どおり“同一”にする」との謂いは「時空・要素の再現」を
意味し、換言すれば“反復”のことである。これは“同じ”でしょう。w
464 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 12:28:21 0
意味不明。誰に対するレス?
465 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 12:38:00 0
そっとしといてやれよw
466 :
唯意味論:2010/10/30(土) 12:58:02 0
>>462 一連のタワイないレスで間接的に答えているとおもうのですが。
彼は廣松氏や丸山氏、永井氏といった方々を動員してw彼らの言表の一部を
とりだし反論されるのですが、ちょっと答えようがないですね。(苦笑)
たとえば廣松氏は、彼の唯“事”論を大乗の“空”観とはちがう、と述べている。
もし廣松氏をだされるのなら、その違い明らかにしてほしい。
なら、それに対して私見を加えることができるかもしれません。
モノからコトへは、少し前の流行思想です。
コトを実体化するのなら、かつての地(コト)を図に(モノにかわって)格上げ
させるだけでは?
唯意味さんはどうも微妙だよなw
単に自分の中で同じにしたい事は同じで、
違う事にしたい事は違うと言っているだけだ
今のこの世界で変わらないもの、留まっているものなんかないわけ
その視点に立てば、同じものだというものなんかないの
だから物事を理解する時は、ほぼ似たような事なら同じと言っていいわけ
<私>だって連続していると思っているけど、変わってるのは当たり前
寝て起きて、消えて表れて。それは完全に同じ<私>なのか?
唯意味論が嫌われるのは、ずるいから。逃げ方もずるいw
>唯意味さん
ごめんw 結局俺と同じ事を言ったのか.。だとしたら今回は俺のミス
>思考実験上「文字どおり“同一”にする」との謂いは「時空・要素の再現」を
>意味し、換言すれば“反復”のことである。これは“同じ”でしょう。w
>attkさん
もう門は目の前です。貴方も既に手遅れかw
寝て起きて、世界も自分も、消えて現れ、現れ消えるように見え
しかし尚、世界はいつも「貴方に」開闢する。
その<私>とはなにものぞ
ととえ世界が反復しようとも、貴方が再度現れる可能性を計ることは不可能。
>抄録さん
>もう門は目の前です。貴方も既に手遅れかw
まだ大丈夫w
><私>だって連続していると思っているけど、変わってるのは当たり前
>寝て起きて、消えて表れて。それは完全に同じ<私>なのか?
ここで俺が言いたいのは、それが当たり前で前提なんだという事
完全に同じじゃなくても非連続でも同じ<私>なんだと
>その<私>とはなにものぞ
>ととえ世界が反復しようとも、貴方が再度現れる可能性を計ることは不可能。
については、
><私>とそれを構成している記憶は、身体とその処理能力にも依存するから、
>俺の身体が再生産されても<似たような私><私のバリエーション>が芽生えると思います
>だから、抄録さんの<抄録さん>はほぼ必然だと思いますよ
が答え。それ以上の<私>への執着も、変わる事の恐怖もない
割り切って受け入れて、
でも、遺伝子を信じれば、少なくとも俺も<私>も両親に似ているはず
話変わるけど、昔の自分の書いた文章を読んでみると面白い
「こいつ何言ってんだ?」「こいつ凄いな」とか、その時の<意識、思考>は思い出せないわけで、
自分とは思えないw
472 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 14:05:50 0
>>463 :唯意味論:2010/10/30(土) 12:22:17 0
>最高位の《私》の問題提起を「よし」としながらも「自分と同じ(物理的)要素の
>ものをつくっても《私》ではない」のは、当たり前すぎて面白くありません。w
あなたも問題が というか、そもそもの意味が理解できていないんでしょうね
あなたが何を問題にしているのか、よくわかりませんが
観点が横道にズレているようです
スレを読んでみても
みなさんは、どんな意図でここにいるのか、よくわからないんですが
ここは唯物論スレであり、私はその唯物論を批判しているわけです
「人間の精神も、脳という物質による物理現象にすぎない」と言って
観念も唯物論で結論づく という唯物論者の主張を、私は完全に論破しているわけです
意味が理解できませんか?
では、何の物理的要素が「私」の存在の原因性となっている可能性がありますか?
おっと過去の遺物みたいな人が目覚めたね
この人もなんか微妙っぽいけどw
関心事が固定している精神病の人が帰ってきたね。需要無いけど。
>>461 ではその質は、記憶されますか?後々、再生可能な種類のものですか?
476 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 14:43:07 0
>>473 :attk:2010/10/30(土) 14:14:33 0
具体的な事も述べずに、そういう中傷っぽい事だけを書き込むのは常識がありませんね
>>474 まぁココには
まともに、ひとつひとつ議論を詰めていくという作業に関心がない人が多いわけで
だから何度も同じ事を説明するばかりで先に進めないわけだが(苦笑
反論できるなら、どういう物質による、どんな法則性が原因となっているのかを述べる
反論できないのなら「反論は無い」と述べる
論点がハッキリしているんだから、ズレずにハッキリしゃべればいいんですよ
477 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 14:54:30 0
どういう物質による、どんな法則性が原因となっているのかを述べる
のは、哲学の仕事ではない。
>476
最高位さん。これは失礼しましたw
>具体的な事も述べずに、
そうですね。直感というか感覚的なもの&スレを活性化させる為の煽りですよw
>あなたも問題が というか、そもそもの意味が理解できていないんでしょうね
あなたがあると思っている「そもそもの意味」を誰にでも分かりやすく示してくれたら、
今の流れの中での救世主になれると思いますよ?
479 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 15:51:37 0
>>477 可能性が有るのか無いのか と問う事は、おおいに哲学的であり
その結論は哲学的な成果であると言えます
>>478 私が「そもそもの意味」と言ったことの意味を間違えていると思います
この場合、「そもそもの論点」という事です
え〜っと
私が読んだ中で、私の言う「私」という事の本質を
最悪でも最低限わかってそうなのは
>>430の人ですね
あれ、理解できます?
全てを完全に客観的に考えた時に
星の数ほど生まれては死んでいった他の生物、その中の人間という種も含め
全ては勝手に生まれて勝手に死んでいったわけで、べつに勝手にやっててくれればいいのであって
この体だって、べつに特別な要素などないだろうし
これまでアホほど繰り返されてきた他の生き物と同じように他人である方が、あまりにも自然なのだが
どういうわけだか「私」が存在している
この「私」って何?
という素朴な疑問なんだが
どうも、わかってない人に説明するのが難しいんだけれども
「我思う故に我あり」
私は確かに存在している という事が否定できない のだが
この宇宙に存在している「私」の原因性は、どうやっても唯物論的な世界観で説明する事は不可能
という事です
>>479 最高位さん
なるほど、なんとなく想像できました。なんとなくね
つまり誰しも自分が生きる為に、自分を運営する為に、
自分があると思い、自分を受け入れ、責任を持ち
唯一無二の<私>から逃れる事は出来ない
無限の数の人間という生命の歴史の中で、今ここに<私>があるという事
それは果たして唯一無二の<私>なのだろうか?
そんな感じ?
脳の仕組みは同じだからね、誰だっていいと言えばその通りだ。根本的な大差はない
たぶん、この問いへの答えはもう俺の一連のレス(
>>436辺りから)で解決できていると思う
言えてないのは、生命として個々に<私>が芽生える事になっているだけだ、という点かな
それが違うというなら、その根拠を示して欲しい
それが違うと思う事が逆に俺のレスの伝えたい内容が伝わっていない可能性があるわけだ
俺が答えを出せたから理解してない、というのは違うと思うよ?
俺は解決したいだけであって、悩みたくなんかないんだから
481 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 17:33:27 0
どういう物質による、どんな法則性が原因となっているのかを述べる と
可能性が有るのか無いのか と問う事は、
大いに内容がことなる
最高位が活躍してたのは5年以上前
5年間で変化した可能性もあるが、おそらく別人
「素朴」という言葉の使い方が違う
最高位は「素朴実在論」を知らない
483 :
考える名無しさん:2010/10/30(土) 18:41:54 0
994 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/11/12(水) 07:36:14 0
>>992 >あなたの言う「私」の意味がわかりません。
「我思う故に我あり」の、「あり」である「我」の事です
ちょっと日常ではありえない角度から思考しなければ理解できないので
難しいかもしれませんが、そもそも私が存在していること自体が
原因性の発見できない、とてつもなく不思議な事なんですよ
この脳という物質は、なんら他の物質と差別されない一般的な物質であり
特別な物質ではないわけです
そういう事から、すべての物質を平等に、「客観的」に考えるならば
この脳も、他人の脳であるべきじゃないのか? と考える方が、実は普通であり
この世に「私」という存在が、存在する という事実じたいが
意味不明な、おかしな事であり
結果論的には、この脳が私だという事なわけですが
いずれにせよ、その原因性は、どこにもありえない という結論以外にない
という事なのです
484 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 19:04:30 0
>>480 >つまり誰しも自分が生きる為に、自分を運営する為に、
>自分があると思い、自分を受け入れ、責任を持ち
>唯一無二の<私>から逃れる事は出来ない
>無限の数の人間という生命の歴史の中で、今ここに<私>があるという事
>それは果たして唯一無二の<私>なのだろうか?
>そんな感じ?
趣旨は、かなり違いますけど
>俺は解決したいだけであって、悩みたくなんかないんだから
問題とされている事は理解できていませんけど
自分なりに持った問題意識が、解決された以上の事には関心がない のでしたら
そこまででいいのでしょうね
『私』というのは現代哲学の最先端で
問題を理解するのにも発想の転換が必要で、それが意外と難しいですからね
最高位はツイッターやってないの?ここ5年でネットは進化したよ。
個物を指す言葉がある
逆に一般的なものを指す言葉がある
一般は個物に備わる抽象的性質を表す
クジラという集合の中に「あるクジラ」がある
「あるクジラ」の性質は一般的なクジラに還元することはできない
>>484 >趣旨は、かなり違いますけど
あなたの言葉を借りれば、あなたが理解できていないだけじゃないの?w
>『私』というのは現代哲学の最先端で
>問題を理解するのにも発想の転換が必要で、それが意外と難しいですからね
あなたの場合、この辺りの心理だけがこの問題の中心なんじゃないの?w
最高位の言うことでおかしいなと思うのは物質については未知の領域が
大いにあるという可能性をあっさりと認めるくせに「私」となると頑なに
「我思う故に我あり」で止まっちゃうとこだね。「私」と言ったって大昔の人が
仮にそういう言葉で表現し、我々もそれを使ってしゃべったり書いたりしている
だけであって確かに存在していると言って済ましちゃうのは偏った見方だよね。
うん、問題を把握した
分かりやすく今から纏める
490 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 21:19:11 0
>>488 認める とか、認めない とかいう『主義』や『信仰』的な話じゃなく
議題における論理性を追求しなくちゃいけないでしょ
「我思う故に我あり」で止まっちゃう というけれど
キミは、どうやって「我なし」という結論を導き出せたのかね??
説明して下さい
誰も克服できてないし、どうやっても無理だと思うのだがね
どんなに「我なし!!」と思っても
やっぱりそれを思っているのは、私だという事にしかならないんじゃありませんか?
基本的な事から、ひとつひとつ論理的に詰めていく作業が必要だと思いませんか?
491 :
attk:2010/10/30(土) 21:45:18 0
この問いを簡潔に言うと、
なぜ<この私という精神>はここにあるのか? となる
無限の数の人間という生命の歴史の中で、今ここに<この私>があるという事
<この私>だけが<この私>であるという事
なぜ<この私>は、あの人の中にいないのだろう
あの人の視点ではいられないのだろう。この私の身体に固定されているのだろう
他人の<精神>は把握できない。他人から見た<この私>も把握されない
だとしたら自分だってなにも<この私>が把握できなくったってよかったのではないか
にも関わらず、なぜ<この私という精神>はここにあり、<この私>が把握できているのか?
というのがこの問いの全貌だ
違うのかい? >抄録さん、最高位さん
違うなら、この問い自体を答えてくれ。出来れば違いも教えてくれ
合っているなら、答えを纏めるから、合っていると言ってくれ
他の人も色々レスしてくれてもいい
>>490 まず「我なし」と断言した覚えはない。できるとは思わないからね。
「私」というものが仮に存在するにせよその存在の仕方については
未知の領域が大いにあるということを言っただけだよ。
もちろん「私」があるという前提に立って言ってるけどそれもあくまで
仮説であるということもお忘れなく。
493 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 22:07:42 0
>>491 「ここに」というのも、ちょっと余計な感じですね
「そもそも、何ゆえに私は存在しているのか」ですね
「我あり」であって、問題は『存在性』なんですよ
これを『精神活動』という『活動面』にしか捉える事ができない人がいます
その視点が理解できてないと、話が前に進みません
唯物論者もそうで
単に、「それは物理現象である」と、表面的に理解しているように錯覚していますが
『主観性』というものを甘く見すぎています
物質的なものを、どう組み合わせたって、私は唯一絶対であり
『私』という『主観性そのものな存在性』の設計図は作れないのですからね
作れるメカニズムなど有りえないのです
>>491 それでは「この私」の存在が前提となってしまう。
この私の存在を前提とするなら、私がこの肉体にあることは「確率」の問題となる。
そうではなく、いかなる帰結により「この私」が存在するのか
「この私」が存在するとはいかなる事態なのか、
それを説明することができない。
(「この私」は世界内の相関から独立している。)
というのが話の趣旨だと思います。最高位がどう言うかは知らんがw
しかし私は「この私」の存在性は「錯覚」だと考えており、
話が面倒になるので、しばらく見ていることにします。
495 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 22:20:39 0
>>492 キミが自分自身は、いない可能性がある と考えているわけだね
それは、いかなる論理的結論なのかね?
それから
もし、いないんだったら哲学する必要もないのではありませんか?
自分が『この世界』に関心を持って哲学的に解明しようとしているのであれば
それはある意味、最低限の前提でもあるのではありませんか?
自分がいないのに、自分が哲学する という、理屈的にワケのわからない事になりはしませんか
496 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/30(土) 22:28:15 0
>>494 非常に理解できているように感じたのですが
最後の
>しかし私は「この私」の存在性は「錯覚」だと考えており、
というのはねぇ・・・
いったい誰が錯覚しているのですかねぇ・・・
他人がですか?(苦笑
>>495 「自分」にしろ「私」にしろ「俺」にしろ言葉であるということを考えると
言葉は全て仮の表現であるという持論に基づくならそうした仮の結論に
留まらざるを得ないと思ってね。私(仮称)としては。
哲学する必要は無いね。全く無いw
哲学するというのも一つの表現であってあなたの考える哲学のあるべき姿
と若干ずれる部分があるね。「解明」ということをおっしゃったが、私は解明
するつもりはないんだよね。より良い表現の模索として考えてるので。
私が哲学しようとしてると見えるなら仮にですが私があるとしてもいいでしょう。
私があるという仮定を作り出したことは全く自然であり便利であり良い選択
であることは私も認めます。私なんか無いんだと叫ぶつもりも毛頭ありません。
私の今の立場は大体こんなんです。仮説に過ぎないことも認めます。
498 :
attk:2010/10/30(土) 22:49:27 0
おっと2人からのレスがあったか
なんか話が変わっている気がするがw
少し考えるか
>抄録さん、最高位さん
それとは別に2人共、
>なぜ<この私という精神>はここにあるのか?
という問いに答えてね
無理か?
>>498 >なぜ<この私という精神>はここにあるのか?
分かりません。教えてくださいw
500 :
attk:2010/10/30(土) 23:18:55 0
最高位さんは、
・<この私>がなんで表れたのか(どういう仕組みで<この私>になった?)
抄録さんは、
・<この私>がなんで表れたのか(それが<この私>であるというのはどういう事?)
と言っているように思える
うーん、
どっちも「<この私>である事とは?」を問うているのは変わらないんだよね?
最高位さんの方向で纏めれば、抄録さんの答えも出せるのかな?
「私」を錯覚しているのは脳なんジャマイカ?
脳の中にはこの世のあらゆる事物がモデル化されて入っていて「私」もその中の一つ。
物理的な世界を少ない脳の容量で近似して取り込むために「私」とか「精神」とかの実際には存在しないんだけど、
モデルとして作っておくと、世界のモデル化をコンパクトに行うために非常に役立つモデルってことなんでしょ?
しかし「答え」など出せんよ。
別に「私」だけが特別な存在ってわけじゃないだろう
この世の出来事はみんな一回きりの唯一のものなんじゃないの
506 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 00:22:26 0
>>497 >哲学する必要は無いね。全く無いw
ここ、哲学板ですけど(汗
>言葉は仮の表現
と言いますが
表現している主体や、表現しようとしている対象が、全て「仮」である
という事ですか?
ちょっと意味がわからないんですが「仮」とはなんですか?
また
「仮」である と考えている主体あなたも、「仮」なワケですか??
何が言いたいのか、ちょっと理解に苦しみます
>>498 >無理か?
何度も、「それは無理なんですよ」と言ってるわけですが・・・
真理を提唱している唯物論者に聞けばいいんですよ
当たり前の『結果論』しか言わないわけですけどね(笑
>>500 何を、どうやったって答えが出せない
というのが『私』の原因性 ですよ
『この世界』 の原因性と同レベルか それ以上の哲学的な大問題である
というのが、実は一番身近にある『この私』である という事です
>>501 無数にある他人の『脳』という物体が、おのおの自分を自分だと勝手に認識してればいいんであって
それと『私』が存在する原因性とは、丸っきり関係がありません
よし纏めるよ。(やばい、少し寝たから答えのアイデアを忘れたw)
どっちも「<この私>である事とは?」を問うていると考えれば、
この疑問が何に捕らわれているかだね
まず簡単に言うと、個々の身体に芽生えた結果がそれぞれの<この私>だという事
<この私>が表れた事自体に対して「なぜ」の答えはない。結果だから
生まれたから<この私>があってそのような疑問を持てる、
生まれてなかったら<この私>がない訳で疑問も持ちようがない
細かい仕組み自体はもちろん俺には分からんが、
人間の脳、五感、知覚能力が高度に発達した事(が先か、高度に身体を制御する為にか)で、
知覚しつつ記憶を参照して常時起動している知覚=意識=<この私>となる
ここで重要なのは知覚という事ね。これは機械にはできない(機械さんじゃないよw)
そんな感じじゃないでしょうか? 疲れた
俺としてはこれで解決。2人に伝わるか、あるいは、物足りないかw
508 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/31(日) 00:35:49 0
最高位さん、お久しぶりですね。
でも、相変わらず「観念論的誤謬にどっぷりと浸かる」誘惑に抵抗する気は
生じていないようですね。・・・ご愁傷様です。
あなたの「私は『私』であり、何者もそれに取って代わることは出来ない」主義
は、ある意味「危険思想」です。
例えばあなたが「死刑囚」であった場合、「主観としての『私』は絶対に死刑(制度を)認めない」
と考えるでしょうが、一般の人達の「多数意見」は「死刑制度は必要だ」・・というのが
「日本国の現状」・・であることも事実です。
あなたが唱える「『私の存在性』は全宇宙より重い」・・という思想に立てば、
@死刑囚から見れば「死刑制度なんてあり得ない」
・・という結論は「自明」ですが、
「機械的唯物論」から見れば、
A被害者の家族から見れば「報復として『死刑』が無ければ残虐な殺人は無くならない」
・・という要素の方が重要であり、「死刑制度の存続は妥当である」・・
・・ということになります。
「死刑囚の立場」にご自分を仮想されたときに、「自分の肉体死」が「どのような『意味』をなすのか?」
・・を「深く考える」事が出来るのかと思います。
尤も「自分の脳が火葬されても『意識としての私』は存続する」という「馬鹿げた幻想」を
捨てることが出来ないなら「すぐに宗教に入信」することをお薦めいたします。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
・・ということになります。
509 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 00:44:52 0
>>507 要するに
貴方には、まだ問題意識が理解できていない
という事でしょうね
それから
> <この私>が表れた事自体に対して「なぜ」の答えはない。結果だから
全ての物事には原因と結果がある
と言われています
特に物理現象には、原因の無い現象は無いとされています
>>504 一回性の「この世」だとしましょう
しかし、そこに『私』が存在している原因性として
『一回性だから』とするのは、原因性としては論理的につながっていませんね
>>505←スレ違いの仏教的な話題の時は、こんなのは出てこないんだが
私が書き込みをすると、なぜか出てくる
なんで???(爆笑
唯物論者、必死だなww
510 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 00:52:41 0
>>508 機械さん
いやいや
私は、そういう価値観的な話をしているのではないのですよ
「科学万能主義では、哲学的な課題には歯が立たない」
という事を論理的に説明しているわけです
いい加減、そういった観念的な価値観の話ばかりせず
正面から論理的に反論されてはいかがでしょうか?(苦笑
>>509 >原因のない現象はない
問うているのは、「わたし」という現象?
それとも、「わたし」という存在?
存在の原因なんてそんなに考えないだろう
どの自然科学も
最高位は「わたし」という言葉で何を言おうとしているのか定義した方がいいな
512 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/10/31(日) 00:56:33 0
>>509 >一回性の「この世」だとしましょう
>しかし、そこに『私』が存在している原因性として
>『一回性だから』とするのは、原因性としては論理的につながっていませんね
あなたはよほどの「ナルシスト」なのですね。
ご自分の「人生」が「一回では気が済まない」という発想は「自分(だけ)は特別な存在である」
・・・という「(キリスト・ユダヤ教的選民思想)」の影響が濃厚なのですが、極東の黄色人種である
あなたが「自分は『神』に選ばれた『特別』な存在である」と信じる根拠は何処にもありません。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
>>507attkさん
頑張っておられるが、潮時です。
この話ってのは、
少年の時から問題として抱いている人もいれば、
言われて気付く人もおり(←俺はこれ)
何度言われても、何が言いたいのか、さっぱり、の人もいる。
(この<私>の話で有名な哲学者:永井均の言説についての解釈もまるで安定しないしw)
個人的な見解では、「比類無きこの私」の成立は、
特異な思考構造に於ける必然的現象なのだと思う。
なので無理にその境地になることもないでしょう。
私としては、少しでも貴方が意識開闢の始点としての「私」を理解するならば、
唯意味論さんの話も、全然違う様相に見えてくるだろう、と期待したのです。
唯意味論さんの話は、このさらに先にあるのでしょう(適当な思い込みだがw)。
最高位さん
>貴方には、まだ問題意識が理解できていない
あなたの方に解決の意思がないとも言えるw
>特に物理現象には、原因の無い現象は無いとされています
それ原因の意味を履き違えていませんか?
原因は、意味でも意図でもないですよ
あえて言うなら
>人間の脳、五感、知覚能力が高度に発達した事(が先か、高度に身体を制御する為にか)で、
>知覚しつつ記憶を参照して常時起動している知覚=意識=<この私>となる
と書いています。これが原因と結果でしょう
「比類無き私」とは何か
まず、「比類無き私の存在性」は、一般化された「私」が無ければ存在しない。
死んだ人間の「この私の存在性」など、意味不明。
なので、一般化された私は、「比類無き私の存在性」に先立つと考える妥当性がある。
ところが、一般の私の意識が開闢するときに「世界開闢」を伴う。
開闢の始点となる私は、開闢する「世界」に於いて必然にして「特別な地位」を持つこととなる。
比類無き私の成立である。
余談
世界は、いかなる客観化を志向しようとも、「この世界」であり、
「全てを完全に客観化して考える」とか意味不明。
>>513 この答えの上で俺がその境地(この答えに満足できない)に立つものなのでしょうか?
>>515は又難しい事書いていますねw もう疲れましたw
>>516 疲れますよねw
この話って、「分かる」と思っている方が異常かもしれないのです。
なので無理する必要はさらさらないのです。
我々には「常識」という最強の武器がありますので。
518 :
497:2010/10/31(日) 02:31:08 0
>>506 「仮」の意味ならご存知だと思いますが、一応お答えしますと
暫定的だとか誤りを含み得るといった意味です。
何でもいいですから新しい言葉が生まれる瞬間を想像してみて下さい。
きっと納得されるんじゃないかと思いますよ。
当然「私」も「あなた」も仮にそう呼ぶことにしたという経緯があるはずです。
長い歴史の中で定着した言葉ですからなかなかそういう風に思われない
とは思いますが、そういうのが哲学の醍醐味の一つじゃないでしょうか。
>抄録さん
俺も永井均の本は1冊だけ持っていて、今確かめてみたら、
その中でも「なぜ自分は自分なんだろうか」に関する一連の話はあるよ
そこで出た答えも、
>>507と大差ない答えだ
>個々の身体に芽生えた結果がそれぞれの<この私>だという事
同じ問いなのだとしたら
>>507はやはり十分な答えだよ
違う問いなら分からないけどね
そもそも抄録さんと最高位さんの問いが同じなのか
あるいは、本当にその問題があるのか、微妙だねw
>>519 俺も永井均の本は二冊しか読んだことが無い
一冊は友達にくれてやったので
いま持ってるのは「私・今・そして神」だけだな。
永井の思考の出発点は、「私はなぜ貴方ではないのか」であったと思う。
でも、貴方が満足するなら、適当に納得すればいいw
かねて述べているとおり、比類無き私などトラップだ(あくまで私見だがw)。
意識開闢の謎こそが重大な問題であり、
比類無き私など、疑似問題にすぎん。
>>427の例とか、
>>436を整理して考えた時、
自分が自分である事なんかより、むしろ気持ち悪いのは、
人間の個体はそれぞれ、他人の意識を把握できず、
自分の<この私>を特別なものと思っているが、
身体、遺伝、環境等に依存するものの、その発生の仕掛け、原理は同じなわけだから、
他人の中の意識は<この私のバリエーション>に過ぎないとも言える
単に<この私>はこの俺にあるから<この私>な訳で、
他人の中にそれがあっても俺には把握する事はできない
自分Aと自分Bがそれぞれを把握できないにも関わらず、同じ<この私>であれる事
むしろこっちの方が気持ち悪い
>抄録さん
>意識開闢の謎こそが重大な問題であり、
機会があったらそれを調べてみますよ
今は疲れたので、どうでもいいですw
>抄録さん
でも
>>513をあらためて読むと、
あなたが
>>507を理解できていないのか、
あるいは、
もしこの
>>507の問題が「比類無き私」の問題と同じであれば、
あなたこそ、この問題の意味が分かっていない事になるでしょうねw
さて、俺は寝ます
>>523 >>507が、比類無き私の存在性と、どこが関係あるのか
俺には全く分からない。
結果論と希望的観測の羅列にしか見えない。
それでも、貴方自身が分かったつもりになったんなら、
それでいいのではないですかね。皮肉でもなく。
哲学なんてのはそんなもんでしょ。
なので、もう俺を呼ばないでね♥
525 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 09:04:11 0
>>511 >問うているのは、「わたし」という現象?
>それとも、「わたし」という存在?
私は『唯物論』の主張の是非を問うていますので
その論点からズレなければ、そういう質問をしなくて済むはずです
唯物論的な世界観からすると
「全ては物質による物理現象であり、人間の精神性も、それにもれる事はない」
というものですから
私は、人間の精神性の根本である『存在性』という事を以ってして唯物論の主張を論破しているわけです
当然ですが、問題意識の趣旨から離れない事が基本ですよ
自分なりの問題意識に転換しようとして、初歩的な誤読をしてしまう人が多いです
>>512 一回だけでは気が済まない とか
神に選ばれた とか
私は、一言も主張してませんけど?
どっからそんな妄想がでてくるんでしょうかね
正面から論理的に反論して下さいよ
>>518 仮に自分の事を『私』と呼ぼう という事になったから
そう呼ぶ事にした『私の存在性』まで「仮」の存在性
になっちゃうという主張なわけですか???
サッパリわからん理屈ですね
526 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 09:06:37 0
>>516 attkさんへ
>>483←コレ、今になって気づいたんだけどさ
私への勘違い反論かな と思って読んでたら
すんごい理解できてる人もいるんだな なんて感心したんだけど
よく考えてみたら、どうやらコレ
私が昔に、自分で書いたやつみたいだわ(爆笑
わかりやすいと思うんだけど、どう?
>>507を読みましたが
あなたの問題意識と理解の角度は
「各々の脳が、自分を自分だと認識する」のは、どういう構造か
要するに、『自我意識』のメカニズム ですね
これは「自分を自分だと認識する」という精神活動ですから
精神活動というのは「活動する」という「動詞」の部分であって
その動詞の「主語」にあたるのが『存在性』としての『私』なのです
で、「この、自我意識を持ったり、さまざまな精神活動を行っている『私』って、何者??」 という話です
527 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 09:29:39 0
>>526
>>524 この人どうしょうもないなw 眩暈がする
>>526最高位さん
>で、「この、自我意識を持ったり、さまざまな精神活動を行っている『私』って、何者??」 という話です
>>507に書いてますが、根本は人間の個体の知覚じゃないですか?
そこの核となる仕組みまでは俺には分からない
あれだけ論難(いや、論破か?w)されておきながら、
住人が大きく入れ替わっているのを良いことに、
涼しい顔して復活再登場とは・・・w
(しかも同じことを同じ語り口で・・。)
さすが最高位さんですw (酉も確実なものじゃないので別人かもしれませんが・・・。)
>>525の書き方は本人だわw
この独特の文章は誰にも真似できんよw
531 :
唯意味論:2010/10/31(日) 12:55:25 0
>>472 最高位
最高位の昔から出される「同じ物理的要素のものをつくっても、この《私》を
つくることはできない」という思考実験が不備だといっているのです。
物理的要素とは何か。「時空と素材」である。
かりに思考実験上、同じ素材を用意できても、同じ「時空」を揃えることは不可能。
いや、そもそも時空と素材を切り離すことはできない。
その合一が物理的要素だからである。
時空と素材をバラバラに扱う実験は古典的?であり、時空が異なれば《この私》を
つくれないのは当たり前。(別の要素で《私》をつくることになるからだ)
だから現実的ではないが、この実験は時空・素材を同一にする、換言すれば“世界”を
まるごと同一にしたらどうなるか。つまり《主観》と“世界”との相関(関係意識)を同じ
にしても、それでも《この私》とは別の《私》が立ち上がるかどうか、である。
“存在”を再現しても、それでも《この私》とは違う《私》しか再生できないのなら、
《この私》は比類なきものといえる。
それに対して、時空・素材→世界を再現すれば「この私も反復するだろう」というのが唯物論。
532 :
唯意味論:2010/10/31(日) 13:30:24 0
>>472 記憶されるのでは? (記憶の仕組みはよくしりませんが)
厳密にいえば、そのときのクオリアは一回きりでしょう?
個々の経験は、比類なきものwでは?
>>531唯意味さん
やっぱり俺の考えは違いますね
時空を揃えなくてもは複製は<この私>になるよ
<この私>にだって幅がある
問題は同じ<この私>の状態ではなくて、
同じ<この私>という自己認識になるかどうかだ
>>427の例を考えればそれが理解できる
最高位さんは何も分かってなさそうですが
534 :
497:2010/10/31(日) 14:09:06 0
>>525 そうじゃなくてね、自分のことを私と呼ぶ前に自分というものがあるということが
前提になってますでしょ?自分とは私と同様やっぱり言葉なんです。ということは
自分と呼ぶことにした漠然としたイメージがあるわけです。そのイメージが誤りを
含んでいないとは言い切れないということです。イメージを抱くのは誰かと言われる
んでしょうが、答えは仮に自分とするしかありません。こうして言葉というものが
暫定的に構築されてきたものだと思うしかないんじゃないですか?
言いたいのは私は絶対存在とか物質は絶対存在とか特定の言葉を格別に
固定して考えるのは言葉の成り立ちというものを忘れた愚行であるということです。
その点ではあなたと機械さんは同じ穴のむじなということです。
>>532 記憶の話は取り消します
452でクオリアを2種類に分けて使っていますが、そもそも定義自体が一環しているようには思えず、そういうものを2種類にカテゴライズするというのはますます定義の曖昧さを増しているように思えたものですから。
記録について聞いたのは、そこのところを開いていこうと思ってのことですが、うまく言葉にしていけそうもないのでやめましょう。でも違和感があるということは確かです。
唯意味論さんにしても、『クオリア→意識の 厄介さ』という風にこの語を使っていますが、定義や用法を明確に意識していて使っているのか疑問です。
量的じゃなく質的だ、一回きり、比類なきもの、と絞って行くと、それって意識という概念(言葉)とどこが違うの?という話になりませんか?
曖昧なものをむやみに使えばますます曖昧さを増加させるように思います。
>『我々人類の脳が「外界」である「世界(これは「脳自体」をも含むのですが)を
「認識」することの「原資」は「感覚的クオリアと志向的クオリアの交差点」です。
産まれたての「嬰児」であった頃に「「見えた光」「初めて聞いた母の声」が通常は
「原初の感覚的クオリア」となり、それを「解釈」するべき「志向的クオリア」は
(嬰児の段階では)未だに「未成熟」です。
しかし、その「未成熟な志向的クオリア」が「「次々に入ってくる感覚的クオリアの奔流」
によって「成熟した志向的クオリア」になっていく課程が「認識の成熟」であるということです。 』
この文の解釈の可能性としては2通りある
1.感覚的、志向的の2種類のクオリアが共存か協同している
2.感覚的クオリアが原初として存在するが、それが発達するにつれて志向的性格を帯び、やがて志向的クオリアと呼ばれる
1も2も受け入れがたい。というかそれなら2であえて志向的クオリアなんて概念を導入せずに、単に(感覚的)クオリアに解釈力がついたといえばいいだけじゃないのという感じ。
536 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 18:42:22 0
>>528 >
>>526最高位さん
> で、「この、自我意識を持ったり、さまざまな精神活動を行っている『私』って、何者??」 という話です
>
>>507に書いてますが、根本は人間の個体の知覚じゃないですか?
だから・・・
>>526で言ってますが
知覚は、「知覚する」という動詞なんですよ
誰が知覚するわけですか?
主語である「私」ですよね
要するに、主語である『私』について
あなたは「自分が自分を自分だと、認識する事です」と、動詞の部分で考えてしまっているんです
問題が理解できていないのですよ
>>531 >それに対して、時空・素材→世界を再現すれば「この私も反復するだろう」というのが唯物論。
時間を再現したら、「反復」にはなりません
時空・素材 が同じならば再現でもありませんし、反復でもありません
そもそも、時空・素材が「同じ」という概念がおかしい
それは何と何が「同じ」なのですか?(苦笑
それから、基本的な事から説明しなおしますけど
私は「人間の精神性も、すべては物質による物理現象にすぎない」
とする唯物論の主張を覆えす作業をしているわけですよ
では
いかなる物質的要素により、いかなるシステムで『私』は存在するに至ったのか
それは、いかなる法則性を用いても「ありえないのです」という事を、私は説明しているわけです
反論したいなら、「時空が同じ」とか、国語的におかしな事を言ってないで
もっと具体的に「こういう物理法則により、『あなた』は存在しているのです」という方向でお願いします
規則に従わない者はいかなる規則に従っているのか
538 :
attk:2010/10/31(日) 20:53:54 0
>>536最高位さん
単純にあなたの理解力がないか、思考法がおかしいだけですよ
>知覚は、「知覚する」という動詞なんですよ
>誰が知覚するわけですか?
>主語である「私」ですよね
動詞も主語もなにも、
そんな言葉の文法が世界を構成しているわけではないのですよ?
意識が立ち上がらなかったら「私」もなにもないでしょう
あなたは言葉遊びをしているだけなのです
その自覚がないだけです
539 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 21:00:19 0
>>534 ???
いない者が、どうやったら言葉を発したり
イメージを持ったりとかできますか?
540 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 21:21:06 0
>>538 砕いて砕いて説明しているのに
あなた、理解しようとしてないでしょ(苦笑
>意識が立ち上がらなかったら「私」もなにもないでしょう
「意識」というのは、「誰の意識なのか」という事が、まず重要なわけで
誰の意識かを特定しないで、単に「意識」とした場合
私の意識でない他人の意識では、『私自身』は立ち上がりませんよね
論点は『私の存在性』ですから
この場合、主語と動詞の関係は大事だと思いませんか?
541 :
attk:2010/10/31(日) 21:37:04 0
>>540最高位さん
いいですか? 今から書く事を想像してみてください
そこにある人物が居るとします
彼は意識を持たずにそこに居ます(まあ仮定ね)(1)
最高位さん、ここで名も知らぬ彼の状態を想像してみてください
充分想像して下さい
充分想像できましたか?
本当に充分想像できましたか?
実はこれ、あなたなんです
彼は意識を持たずにそこに居ます(まあ仮定ね)(2)
充分想像して下さい
充分想像できましたか?
本当に充分想像できましたか?
以上です。これを理解しようとして読むと
(1)の時点では他人、(2)の時点ではあなた に思えるはずです
でも実際は(2)が意識を持っていなかったら実はあなたではないんです
それは(1)の状態と同じわけです
理解できますか?
542 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 22:09:45 0
>>541 では
あなたの友人が意識不明の状態になった場合
それは、あなたの友人ではないのですか?
543 :
attk:2010/10/31(日) 22:28:54 0
>>543最高位さん
そういう事じゃないんです
>>541のを想像しているあなたは言わば不在の立場で見ているんです
(1)の時点ではそれがあなただと知らされないから他人だと思う
(2)の時点ではそれがあなただと知らされたから自分だと思う
でも(2)は意識を持っていない。つまり、誰でもない
理解できませんか?
544 :
497:2010/10/31(日) 23:15:04 0
>>539 イメージを持つということに何の留保も示さずに文章を書いたのは
私のミスでしょう。しかし昨日からしつこいほど書いてきた、言葉は
仮の表現だということをご理解いただければそこはスルーできる
はずです。つまり言葉を発するということもイメージを持つということも
仮の表現ですから一定の疑いがかけられることになるのです。
そう表現すればしっくりくるとかスムーズに会話ができるといった根拠
しか持たないのが言葉です。もちろんそれは重要なことではありますが
あくまで暫定的な表現に留まるしかありません。
いない者が言葉を発したりイメージを持ったりするという表現も成立
するような状況があり得るとするのが、唯物論に厳しい懐疑の目を向ける
あなたの義務と言っては固すぎるが、ふさわしい思考なんじゃないですか?
ロボットにイメージを持てと言っても無理でしょうが、言葉を発するロボットなら
見たことありますよ。しかし厳密に言えばそれは言葉を言わされた物体だ
ということは我々から見れば明らかです。しかしその我々の視点にも一定の
疑いがかけられてしかるべきだということです。そのことは機械さんを批判する
あなたには分かっているはずです。
545 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/10/31(日) 23:35:25 0
>>543 いや〜私が自我意識を発動していない時でも
私を私あつかいしてもらわなければ困りますねぇ・・・
私が意識不明になったからといって
「これは誰でもない」と言って、家族が代わりに医療費を払ってくれない状況は困ります(笑
546 :
考える名無しさん:2010/10/31(日) 23:55:27 0
それ、社会的な私ってやつな
そもそも「私」の起源は社会的私なんでは?
「アナタ」が居るから「私」が要る
これは誤字じゃないよ
548 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 00:02:03 0
最高位よ、他人がお前をお前扱いするかどうかと、
お前の「私」が存在するかどうかは、全く別の問題なのだよ。
わからんかw
お前が急にゾンビになったら、他人は以前と同じように
お前の肉体をお前扱いするだろうが、実はお前の「私」はもう
存在しないわけだ。わかるだろ。
ちなみに永井均という人は、お前がゾンビになんかならずに以前と
変わらず意識があっても、実はお前の「私」がもう存在しない、という
事態も考え得ると昔いっていたぞ。今はどうだか知らないが。
550 :
attk:2010/11/01(月) 00:03:43 0
>>545 分かりにくいと思います
補足すると、
<私、意識>の成立過程は、
身体から<私、意識>が芽生え、
芽生えた<私、意識>にとって身体が自分なのです
その逆順に考えると、
一度<私、意識>が芽生えた身体という事になるので、
まあそれは今<私、意識>がある状態から見ると、
<私、意識>が消えてもそれは自分の身体だと思うのです
しかし、これは<私、意識>の成立過程とは違うわけです
これが答えです。自分の思い込みを捨てて下さい
551 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/11/01(月) 00:37:42 0
>>544 だから・・・
誰が疑っているのか という事ですよ
>>546 んで?
>>547 「アナタ」が居ないと「私」もいない?
恋愛小説か何かですか?(苦笑
>>549 なんか
本題でない、どうでもいい話になったら
急に目を輝かせて入って来たね(爆笑
>>550 >分かりにくいと思います
私が、わかってないと思ってるの??(爆笑
だからキミが一生懸命考えてるのは「自我意識の発動過程」なんですよ
他人がいくら自我意識を持っても、『キミの自我意識』は生まれてこないでしょう
>>483に書いてある事て、どう思ってるの?
>>551 >私が、わかってないと思ってるの??(爆笑
>
>>483に書いてある事て、どう思ってるの?
理解力がない。という事ですねw
もう止めましょう。時間の無駄です
553 :
唯意味論:2010/11/01(月) 00:56:44 0
>>536 おかしいでしょう。w
つまり、貴方がよくいう“同じもの”はつくれない、といっているのである。
似たようなものはつくれるが。
物理的要素を同じにはできない。
したがって唯物論の間違いを指摘するのなら、そこから攻めてもダメだ、
ということです。
>>545 完全に“意識”が失われ、回復しないと判定されれば、それはもう最高位ではなく
仏さんとみなされ、荼毘にふされるでしょうね。回復する見込みが少しでもあれば、
べつですが。
《私》とは“私の意識”のことである。(身体は新鮮であれば、融通できます)
554 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/11/01(月) 00:58:11 0
>>552 > >>
>>483に書いてある事て、どう思ってるの?
> 理解力がない。という事ですねw
何が?(苦笑
>>540でも書いたように
「意識」というのは、「誰の意識なのか」という事が、まず重要なわけで
誰の意識かを特定しないで、単に「意識」とした場合
私の意識でない他人の意識では、『私自身』は立ち上がりませんよね
↑
明らかに、これをキミが理解してないダケなんですけど
小学生でもわかる、メチャ簡単な事なんですけど(笑
555 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 01:05:44 0
>>551 >んで?
鈍感やな
「主観性そのものな私」から「社会的に何者かの私」に変わっとるやないか
556 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/11/01(月) 01:08:20 0
>>553 子供みたいに駄々こねてもダメですよ
どんなに、この体の要素を分析して全く同じ要素の物体を作っても
それは私ではない という結論から
要するに、この体の物質的な要素で『この私』なのではない
という結論しか導けないのですよ
いくら重箱の隅をつついて話をすりかえようとしても
この結論は変わりません
557 :
唯意味論:2010/11/01(月) 01:12:11 0
>>554 乳児にも意識はあります。感覚も感情の萌芽もある。が、まだ《私》はない。
《私》は意識が高度になり、ある段階で立ち上がるのです。
《私》は意識によって見出され、確立されるのです。
558 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 01:16:19 0
他人が自我意識の植え付けに一役かってる
↓
「私」とは「私」と「非私」の合成体なのです
559 :
唯意味論:2010/11/01(月) 01:21:57 0
>>556 それは同じ要素ではない、といっているのです。
素材を同じにはできるかもしれない。一番、これに近いのは一卵性双生児。
が、彼(女)らは似てはいるが、別人です。時空が異なるからです。
素材と時空を同じにすれば、同一人ということになる。w
560 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/11/01(月) 01:31:23 0
>>554 >「意識」というのは、「誰の意識なのか」という事が、まず重要なわけで
その通りです。
あなたは終始一貫「『(最高位氏=私』の意識が重要であって、他者の意識など重要ではない」
と主張されているだけのことで、それには最高位さん一人しか同意できないでしょう。
世界中に67億人居る「他者」にも『かけがえなのない私』が存在するのであって、「最高位さんの『私』」は
そういう意味では「67億分の1だけ『重要』なのであり、『他者と同等の重要性』以上の重要性は『無い』」
・・ということです。
>>1で「取るに足らない」ということを述べているのはそういう意味も含めている・・わけで、
「他者に対する『自分は特別な存在である』」という勘違いと、
「他の動植物に対する『人類は特別な存在である』」という勘違いと、の両方は「観念論的誤謬である」
・・と述べているのです。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
機械さんは以前に
重罪人の命などに価値は無い、
とか言ってませんでしたっけ。
>>554最高位さん
分かりました。もう少し考えてみますよ
こちらに問題があれば再度書き込みます
それ迄は一連のやりとりが答えです
では
563 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 01:47:23 0
スレを延ばすのに最高位さんの『私』は重要だと僕は思うので、
67億分の2だけ『重要』・・・に訂正しておいて下さい
564 :
「機械的唯物論」者 ◆WBRXcNtpf. :2010/11/01(月) 01:48:41 0
>>561 死刑制度は未だに必要だと思います。
木島香苗容疑者はあれだけ状況証拠が出そろっているにも拘わらず、
「私はやっていません」と供述している訳ですが、彼女は少なくとも
3人の「純情な中年男」の弱みにつけ込み「大金を騙し取った」だけでなく、
その犯行を隠蔽するために、躊躇無く殺しているのです。
こういう容疑者を死刑に出来ないならば、殺された方々と遺族のの怨念は「無駄」
になります。
「残虐な殺人には残虐な刑罰」という制度が存在しない限り、第2第3に木島香苗
が次から次へと現れることになるでしょう。
「それで良いのですか?」・・ということであり、木島容疑者の裁判の裁判員に選ばれた
方は「物的証拠が足りない」とかの「司法上の慣例」を乗り越えて、「極度に疑わしきは
罰する」・・という新しい「基準」に基づく判決を下すべきだと思います。
本日は就寝させて戴きます。
565 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/11/01(月) 02:16:12 0
>>555 同一人物ですけど?
>>557 それは『自我を意識』する作業 についての話であってね
例えば、男の赤ちゃんが成長して「オレは男なんだな」という事に気づくのに似ている
気付こうが気づくまいが、最初から男は男じゃないか??
私も、気付く前から私だと思うぞ(笑
>>559 まだわからんの?
論点が、あっちゃ向いてるんですよ
論点は、『この私』は、いかなる要素によって存在に至っているのか です
それから、さっきも言いましたが
「時空が同一」というのは、国語的にもおかしいんですよ
同一というのは「これ」と「あれ」の対比なんですよ
「時空が同一」というのは成立しません
「これ」しかないからです
物理現象に、時空を考慮に入れなければならないなら「物理学」も何も成り立ちませんよ
実験も何も、法則もクソも、成立しません
>>560 機械さん
また突拍子も無く飛躍した妄想を作文しましたね(爆笑
>>562 「意識」というのは、「誰の意識なのか」という事が、まず重要なわけで
誰の意識かを特定しないで、単に「意識」とした場合
私の意識でない他人の意識では、『私自身』は立ち上がりませんよね
566 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 02:20:42 0
>>565 「主観性そのものな私」って人物だったんかいw
えらいまぎらわしい表現やな
567 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/11/01(月) 02:23:01 0
568 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 02:26:38 0
>>567 主観をもつという性質だけのもの
だって、「そのもの」なんやろ
569 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/11/01(月) 03:00:31 0
>>568 ん? 何が言いたいのか、よくわからんから詳しく説明してよ
570 :
考える名無しさん:2010/11/01(月) 03:51:02 0
>>569 「主観性そのもの」ということは、
人間なんていう素朴実在ではない別物を説明したかったんやろ
1人の人間であることを言うのなら、簡潔に「私には主観性がありまっせ」でよいわけでね
571 :
唯意味論:2010/11/01(月) 09:55:49 0
>>565 この数年間で、すっかり柔軟性を失いましたね。w
最初から、つまり生まれつきの“男(女)”なんていません。
最高位のいうように、どの時点かで、それに気づき、男(女)になるのです。
ここに身体は男(女)でありながら、心はその逆という事態を生じる余地があります。
身体は必ずしも心を(すなわち性差を含む自我を)全面的には規定しないからである。
性別をも含めて《私(自我)》を決定づけるのは(関係)意識である。
最高位のいうように、時空を同一にしながら、別のものはありません。w
逆にいえば、時空を異にすれば、別の存在なのです。
だから同一の“存在”をつくる、という最高位の思考実験はナンセンスなのです。
科学上の実験が時空を捨象するのは、同一の“存在”ではなく、同一の規則を
見出すのが目的だから。実験上、同じ素材を使っても(厳密な意味での)同一の
事態をつくりだすことはできないが、それでもかまわないのである。
しかし、最高位の思考実験では、別のものをつくったのでは意味がない。w
それは、双子をつくるのと同じになる。
“私(自我)”をつくりあげるのは、時空・身体と相関する“意識”である。
始めには“性”すらなく、むろん“私(自我)”などどこにもありません。
《私(自我)》よりも起源の古い“意識”こそが“物質”とならぶ謎である。
572 :
唯意味論:2010/11/01(月) 12:14:44 0
時空・身体との言い方は硬いので、通俗的に環境・身体といい換えます。
すると
>>564の機械氏のレスが、たちまち怪しくきこえます。
《私》は(他我をも含む)環境・身体との意識的相関によってつくられる。
もし、この経緯に機械氏のいうように“必然性”しかないのなら、木島という
女性には自由意志はなく、その振る舞いは他律的ということになる。
要するに、彼女はそのように振る舞わされたのである。ゆえに“責任”はない。
機械氏が死刑を肯定するのなら「自由意志」を認めざるをえず、人事に関しては
非決定論的な契機のあることを容認せざるをえなくなる。
機械さん、それでいいの?
社会的な問題を語ると、機械さんは思いのほか甘いよね。w
573 :
attk:2010/11/01(月) 22:17:06 0
>>565 >「意識」というのは、「誰の意識なのか」という事が、まず重要なわけで
<あなたの意識>が身体と別にあるわけじゃないのですよ?
生まれていなかった時の事を思い出してください
あるいは、寿命をまっとうした時にはっきりしますよ
それと、これはありえない話ですが、
>>521を読んで下さい
これが理解できればヒントになるかも知れません
しかしあなたの相手は疲れます
反論しても構いませんが、気が向かないとレスできないので悪しからず
こうして、数年前と全く同じやりとりが(論客変わって)繰り返される、と・・w
ほとんどコテになってる件
だが、論証内容は保持される
それが大事
おかしい意見がなぜおかしいのか、その論証内容が残って
いつでも、そのおかしさを確認できる
それは知的には前進だ
間違った意見が確定されて二度と現れない世界は、むしろ恐怖な世界だよ
過去の理論がいつでも復活しうる
それは自然科学においてもそうだし、生物の世界でもそうだろう
577 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/11/02(火) 03:48:37 0
>>571 >最高位のいうように、どの時点かで、それに気づき、男(女)になるのです。
何に「気付く」か という事ですから、気付いて何になる のではなく
「何」である事が先でしょう
ですから
「私」という「自我意識」を持つ前に「私」が存在しなければ、気付けないのは当たり前ですね
「私が気付く」わけであって
私じゃない人が気付いても、それはやっぱり私じゃない人である事は当たり前です
>性別をも含めて《私(自我)》を決定づけるのは(関係)意識である。
他人が何と関係意識を持っても、私とは関係のない精神活動なのであって
私が関係意識を持つから、それは私だったという事なんですよ
当たり前すぎて、説明するのが面倒くさいですわ・・・
こんなのは、小学生にも説明不要でしょう
>双子をつくるのと同じになる。
キミは根本的に問題を勘違いしているんだけどさ
それの延長なんだよ
一卵性双生児は遺伝子が同じなのに互いに別人だ という事から
遺伝子が、こうだから『私』なのではない という事が導ける
では更に、物質的に全ての要素を同じにすれば どうなのか?
という思考実験なんだよ
何をどうやったって、物質的要素で『私』を特定する事はできない という結論を説明しているわけ
キミは自分が賢いと思ってるみたいだけど、的外れすぎてどうしようもないね
話の趣旨が理解できてない
>>472に関しては、まぁその通りだから、丸っきりのバカでもないんだろうけど
私に対しては、反論しなきゃ!っていうのが前提になってしまって論点がズレてるのに自覚がないんだろね
578 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 04:05:03 0
最高位はポーポワールも知らんのだろう。
579 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2010/11/02(火) 04:06:08 0
>>573 「意識」というのは、「誰の意識なのか」という事が、まず重要なわけで
↑
これが理解できないのが驚きです
こんなのが理解できない人に、何を説明しても無理ですわ
小学生でも当たり前に理解できますよ
また忙しくなるから
しばらく、ここには来ないと思うけど
キミが、もう少し正常な思考回路を持てるように、陰ながら祈ってるよ
>哲学者最高位さん
読まれるかどうか分かりませんが、良ければ今後の暇つぶしの参考にしてもらえると嬉しいです。
貴方の言われる
・「意識」は「誰の意識なのか」が重要
との主張は有効とは思われません。
貴方は、この世界が、「この私」の意味、が通じる世界であることを前提に語られているのだから、
同様のレベルで「この意識」及び「「この感覚」は、それだけで意味が成立しています。
そうでなければ、他人にも「この私」があることを前提にする議論などできないはず。
「私とは誰の私?」と問われ、「この私」と回答することに意味があるように
「この意識」、「この感覚」は、「誰の」を必要としない暗黙知(微妙w?)であり、また
そうとでも言うしかないものでしょう。
「この私」「この意識」「この感覚」は、「どの?」と問われれば「この」と答えるしかない。
その意味で、「意識」は「私」と“同じレベルで特別である”、と考えてもおかしくないでしょう。
私見では、「私」には「意識の統合の象徴」としての意味があるように思われます。
それでも貴方の主張は全体として無効にはならない。
またお会いできると嬉しいです(来年?につづく)。
581 :
餌撒き君:2010/11/02(火) 18:25:15 0
拝啓 ニワトリ脳様。
いや、哲学者最下位様。
あなたは初等物理も理解できないくせに、
「同じ物理的要素のものをつくる」とか
おっしゃっているようですが、嗤われるだけですよ。
あなたの貧弱な脳では「物体間の距離を一致させる」
という事が思いつかないようです。
寸部違わないような2個の物体を思い浮かべて下さい。
周囲には雑多な物体がいくつも置かれているとして、
それらと2個の物体の距離がすべて一致するように
2個の物体を移動してみてください。
これは物理的条件を一致させるために必要な事です。
移動し始めると2個の物体はすべてぴったりと重なって
同一にならなければ距離が一致しないことが解りますね。
無理矢理やろうとすると、1個になっちゃうということです。
ワンパターンでもいいので、またアホネタ披露してね。
582 :
考える名無しさん:2010/11/02(火) 18:32:16 0
>論客変わって
中野人は同じと思われる
「私」「意識」「感覚」・・・・再現不可能性とはなんぞ
再現不可能なもの・・・・
それは「開闢する意識」であろうか。「開闢する世界」であろうか。
それとも「開闢“感”」なのか。
だいたい、意識開闢と世界開闢はどこまで等価なのか。
この肉体に開闢する意識は「これ」以外には無いのか、「これ」でなくても良かったのか。
「これ以外の私」の有効性とはなんぞ。
開闢する意識の同一性などいかに認め得るのか。神か?神が一致、不一致を保証するのか。
ここにもクソ神がおりますわな。機械さん助けて。はっは
>>577 >「私」という「自我意識」を持つ前に「私」が存在しなければ、気付けないのは当たり前ですね
>「私が気付く」わけであって
>私じゃない人が気付いても、それはやっぱり私じゃない人である事は当たり前です
最高位よ、お前の「私」は「主観性そのものな存在性」なんだろ。
自分でそう力説してたじゃないかw
意識がなければ「主観性」もないんだから、「私」が存在できるわけないだろが。
意識がないうちに「私」が存在するんだったら、「私」の正体は
ただの客観的物質である人体ですと認めているようなもんだぞ。それでいいのかw
>>422 :抄録さん
>「実体無き関係性」とはなんぞ・・・?
>関係性から実体を消去できるのでしょうか。
唯意味論さんも「縁起」における「関係性」ということを誤解していたと思うので、現代の関係論と絡めて、もう少し書きます。
現代の関係論はソシュールに始まるとよく言われます。まず彼の考え方を(非常に大雑把に)書きますと…
ソシュールによると、単語の意味は、何か実体的なものに支えられているのではなくて、単語と単語との間の「関係」によって、意味が発生します。
例えば、ある生き物が「ライオン」と呼ばれる場合、まずその生き物の実体が先にあって、それに「ライオン」という単語が割り当てられるのではなくて、
「トラ」や「ヒョウ」…などなどの、他の単語との「関係」によって、「ライオン」という語の意味が決まってきます。
つまり、単語間の「関係」の網の目が、存在を切り分け、その結果として、ある生き物が「ライオン」と呼ばれるようになります。
その切り分け方(関係の網の目)は言語によって異なるので、例えばフランス語の「パピヨン」と日本語の「蝶」は異なり(「パピヨン」は「蛾」を含む)、
英語の「ウォーター」と日本語の「水」は異なる(「ウォーター」は「お湯」を含む)などなどの違いがたくさんでてきます。
だから、「ライオン」「トラ」「ヒョウ」…などを、「項」とすれば、ここで言われる【関係】とは、【項と項との関係】ではなく、
【項を生み出す関係】、あるいは【項に先立つ関係】であることになります。
自らの考え方を「実体なき関係論」と言っているのは、ソシュール研究者の丸山圭三郎ですが、
廣松渉は、自らの考え方を「関係の第一次性」と言っており、言い方としてはこちらのほうが分かりやすいかも知れません。
以下の説明も分かりやすいと思います。
彼は、「『関係』の存在は、関係に立つ『項』の存在と相即的」であるとしながらも、こう書いています。
「問題の焦点は、項に立つところの或るものが、それが『項』となるに先立って、換言すれば『関係に立つ』に先立って、自存するか否かの判定に懸っている。」
上のような「実体なき関係論」「関係の第一次性」を念頭におけば、前スレ>882で引用した「鏡灯の比喩」も、分かりやすくなると思います。
そこで「鏡」と言われているものを、「鏡に映っている像」と考えれば、なお分かりやすくなります。
「鏡に映っている像」は、関係の網の目の結節点のようなものであり、だからそれは、他の像との「関係に立つに先立って」自存するものではありません。
Aという鏡の映像の存立には、Bの鏡も、Cの鏡も、…その他あらゆるものが関わっています。
BもCもそれと同じで、結局、すべてがすべてに関わり合うのであって、全体的連関を無視しては、どの鏡の存立も考えられません。
そして、「その相互映発は、どこまでも続く」とあるように、「関係」そのものが流動的なのであって、
したがって、関係も、関係の網の目の結節点も、全てが流動的であり、固定的なものも、孤立したものも何もありません。
しかし、例えばその中の一つの鏡の映像だけをじっと見つめれば、その像が固有の本質を持って独立自存しているようにも見えるでしょう。
そのようにして、関係によって生み出されたモノ(項、結節点)の成立過程(つまり「項を生み出す関係」)が忘れ去られることによって、
モノは「実体化」して(つまり「実体視」されて)いきます。
現代の関係論も、般若心経の「無…、無…」も、そのようにモノを「実体視すること」への批判(あるいは警鐘)です。
なぜそれを批判する(警鐘を鳴らす)のかといえば、固定化することによって、物の見方が不自由になると考えられるからだと思います。
般若心経の「罣礙なし」(引っかかりも妨げもなし)は、まさにそのことを示しているし、
丸山圭三郎の次のような言葉も、それを示していると思います。
「私たちの『読み=書き=生きる』行為における『発見モデル』から「解釈モデル』、さらには『創造モデル』への転換は、
生のテクストを生産物として固定せず、生産性という動きとしてとらえることによって、はじめて可能になるのではあるまいか。」
(ここで丸山圭三郎が「創造」と書いているのは、僕たち自身も、「関係の網の目」の中に参加しているのであり、
しかもただ受動的にではなく、その「関係の網の目」が「結節点」を作ることに能動的に参加しているのだ、ということでしょう。)
>>580 :抄録さん
>「この私」「この意識」「この感覚」は、「どの?」と問われれば「この」と答えるしかない。
>その意味で、「意識」は「私」と“同じレベルで特別である”、と考えてもおかしくないでしょう。
「誰の意識なのか」という哲学者最高位さんの問いは、
唯意味論さんへの僕の問い【では、「意味づけ」しているのは「誰(何)」なのか?】(
>>246)に、似ていますね…
哲学者最高位さんの言う『この私』の『存在性』がどういうことであるのか、僕には正確には分かりませんが、
【単に「意識」とした場合・・・、『私自身』は立ち上がりません】(>540)や、
【「これ」しかないからです 】(>565) 【設計図は作れない】(>493)などを見る限りでは、
たぶん、僕が前スレ>919-920で引用した<実存>の「ある」や、このスレ
>>399で引用した<無の場所>の「ある」、
そして僕が<?>として書いたことと、重なる部分があると思います。
(僕は哲学者最高位さんの書き込みを読んで、いくつか引っかかる点があったので、重なるとしても、まったく同じではないと思いますが。)
そう考えると、哲学者最高位さんが唯意味論さんのレスを「的外れ」としていることが、よく分かります。
【乳児にも意識はあります。感覚も感情の萌芽もある。が、まだ《私》はない。】 (>557 :唯意味論さん)
【《私(自我)》よりも起源の古い“意識”こそが“物質”とならぶ謎である。】(>571 :唯意味論さん)
唯意味論さんは、『この私』の話をしているのではなくて、「自我一般」、「意識一般」の話をしているんですね。
哲学者最高位さんの考えはさておき…
>>398で、僕は次のように書きました。
>唯意味論さんは、前スレ>919-920で引用した「ある」がどういうことであるのかを誤解していると思います。
>いつも唯意味論さんは、その「ある」を、「意識」とか「意識的相関」などの一般概念に置き換えてしまうから…。
>・・・
>その「ある」が、一般的(普遍的)な概念に置き換えることができないのは、その「ある」が、<この私>という「個」であるからです。
>僕は
>>70で、カントやフッサールの「意識の哲学」と、実存的な考え方の違いを書きました。
>今ここに現に生きている<この私>は、「個」であるから、どうしても一般化(普遍化)を拒むものがあるのです。
概念化・対象化され得ない『この私』ということがどういうことであるのかが非常に分かりやすく説明してあると思ったので、
僕は>919-920や
>>399の文章を引用したのですが、おそらく唯意味論さんがそれを理解しなかったところを見ると、
ひょっとしたら、そこに書かれている<実存>的な「ある」ということは、分かりやすいことではないのだろうか…
(そうだとすると、かつて実存思想が流行したことが腑に落ちなくなるけれど…)
その<実存>的な「ある」を、抄録さんのように、「この私」「この意識」「この感覚」と呼んでも良いのですが、
それはあくまでも、<この私> <この意識> <この感覚>なのであって(つまり、本来は名づけられないものとして考えなければならないと思います)、
抄録さんが【「意識」は「私」と“同じレベルで特別である”】と言う時には、その「意識」や「私」は、唯意味論さんと同じく、
概念化・対象化された「意識一般」「自我一般」の話になってしまっている感じがします。
(永井均も、< >の記号を、概念化・対象化され得ないものを表すために用いていると書いています。)
>>531 :唯意味論さん
>最高位の昔から出される「同じ物理的要素のものをつくっても、この《私》を
>つくることはできない」という思考実験が不備だといっているのです。
>
>時空と素材をバラバラに扱う実験は古典的?であり、時空が異なれば《この私》を
>つくれないのは当たり前。(別の要素で《私》をつくることになるからだ)
唯意味論さんは、「同じ物理的要素」というところに対して反論しようとしているようだけれど…
「この《私》をつくることはできない」というのは、「実存は本質に先立つ」ということと関連しているのでは…?
哲学者最高位さんが、【『私』という『主観性そのものな存在性』の設計図は作れないのですからね】(
>>493)と書いていることからも、そのように思われます。
哲学者最高位さんの考えがそうであるかどうかはさておき…
>>246で僕が、【「作る」場合には、本質が先で、実存が後、です。】と書いたことを思い起こして欲しいと思います。
ペーパーナイフは本質が先にあるから「作る」ことができる。しかし、実存する<この私>を「作る」ことは、どうしてもできません。
いくら「設計図」を描いたところで、それは、見られた(対象化された)私、つまり外側から本質規定された私であって、<この私>ではないからです。
(
>>399の永井均の言葉で言えば、それは、【『意識された意識』にすぎず、『意識する意識』ではなくなっている】
そして、前スレ>920の言葉で言えば、【「見ている私の目」、これはあくまで見るだけであって決して見られ得ないのだ。】)
俺かよ・・
591 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 12:14:59 0
体は存在性ではないといいながら、
「この体が私である事は当たり前」と言うし、
生まれる前の自分を記憶しているわけでもないのに、
「どうして私はこの私で、他人にならなかったんだ」と言うし、
生まれたばかりの頃の記憶があるわけでもないのに「忘れた」と言うし、
さらに存在する原因も理由もわからないのに、「私は私だから私なのだ」とか
「私である事が、私である理由」というような訳の解らないことを言い出します。
要は・・・そういうです。
>>585 >Trauerodeさん
私はソシュールも丸山圭三郎も、名前すら知りません。
ひょっとして本屋で見掛けたことがあるかな?
・ライオンの意味がヒョウやトラとの関係により決まる
意味とは境界の設定なので、そのように言い立てることもできるでしょう。
しかし、関係だけにより、何もないところにライオンが自動的に立ち上がりますかね。
溶融金属を冷却すると、凝固し、普通は多結晶個体金属となります。
結晶と結晶の境界は結晶粒界と呼ばれます。
結晶粒界は結晶と結晶の「関係」により成立するものですが、
結晶無くして、結晶粒界もまた無いのです。
そして結晶を構成しているのは金属元素なわけです。
電流の実体は電子と思いきや、電子の抜けた「空孔」も正の電荷を持つとすることもできる。
しかし、これもやはり「電荷」が厳然としてあるからこその意味。
ところがこの電荷も、さらに何かと何かの関係、とできるかもしれない。
世界のあらゆる現れは、他との関係により現れる、と局所的には言い捨てることも可能です。
しかしそのような行為をどこまでも続けていって、果たして全体を関係性に還元できますか?
何がその「関係性」を保証するのです。
関係性だけで宇宙は存立し得ると思いますか?
時間も空間も縮退し、それが「現れる」ことが出来なくなる。
世界は、この根源に於いて、どうしても「実体」を要請するだろう、と私は考える訳です。
>>586 「鏡灯の比喩」
蝋燭の周りを囲む無数の鏡。
そこに無数の関係性が現れる。
しかし蝋燭が消えてしまえば、闇となるでしょう。
(貴方はこの比喩でカオスを説明されようとしていたが、これは果たしてカオスだろうか?)
しかし関係性が重要というのはその通りでしょう。
ヒトにとって、それ以外には何もない、訳ですから。
科学は、要素還元主義的に、もっと先の関係へ、もっと別の関係へ、さらに根源の関係とは、・・
と突き進む行為の歴史であったでしょう。これからは分かりませんが。
なんらかの形で「全体」を扱う手段を見つけないと、心の問題などは解決しないでしょう。
あるいは時間・空間・物質について、再度(再々・・度?)、認識の修正が迫られるのかも。
しかし果たしてそれは「関係性の優先」に向かうのかしら。。。
>>588 私は永井均先生は面白いと思います。比較的に“科学的”とも思う。
しかしSF趣味的傾向があり、実感重視のオカルトすれすれの危うさも感じます。
(俺は新書を二冊読んだだけなので、偉そうにごめんなさいですがw)
私が世界五分前創造仮説とか水槽脳仮説を、イカサマ(じいさん、ぱくった。すまんw)と確信したのは
永井の文章を読んだときです。しかし永井自身は、どうもそうは思ってないように思える。
あと
貴方の言われる<←?>は、「特定の感覚」として解消されるだろう、と私は考えています。
意識成立に伴う、不可避的なおまけであり、結晶粒界のようなものではないかw
(さらに言えば、思惟とか、理性とか、結局は全て「感覚」だと思っています。)
実存とかよく分かりませんが、
私にとって、あえて実存と呼べるのは、「生命活動(の謎)」ぐらいです。
まあ、こんな風に一般還元化したらTrauerodeさん的には「もう駄目」なんでしょうけど。
「一般化できない何ものか」なんてものは、私にとっては神を要請するものであり、
通過点としての方便以上の意味は無いです。
あ、
>>592 個体金属ではなく、「固体金属」でした。まあどうでもいいけどw
596 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 19:17:26 0
597 :
考える名無しさん:2010/11/03(水) 22:08:23 0
598 :
餌撒き君:2010/11/03(水) 23:32:10 0
拝啓 哲学者最下位様。
数分前に自分がどういう投稿をしたかも忘れてしまうニワトリ脳の
あなたのことだから、もうとっくにお忘れのこと推察しますが、
あなたはかつて「空間的に離れた物体が私のはずがない。私はここに居る」とか言ったのです。
これは「他者と自分は物理的条件が一致していない」と言っているだけで、
自ら「私は物理的存在である」という事を認めてしまっていることになるのです。
しかも、「この体が私であることは当たり前」とまで言っているので、
あなたの言う「誰か?」は、「この体か?それとも他の体のうちどれか?」でしかない。
あなたが提示した思考実験は「自分(この体)を作る事は物理的な理由により不可能。」
という結論しか導かないのです。
599 :
スモ:2010/11/04(木) 00:32:54 0
あああ畜生!!
暗闇が溶けない
独り言だ
論理はその平面における無限の体系として理解されるのでない
論理そのものに、裏の顔がある
それは平面に列しない
未来永劫、すっぽんが鳴くことはないのだろうか?
いや、すっぽんは鳴く
規定性における有規定とは無規定からの現出という意味ではない
顕現するとはそれが顕現しない領域によって、それを含むことで現前の理解に達する
・・・危うい
形而上学は危うい
語りえぬものに善がある、倫理がある
なんだかわかったような気がしてきたぜウィト
そう、富士谷御杖は鋭い
600 :
唯意味論:2010/11/04(木) 00:48:30 0
>>589 おっしゃるように「意識する意識」だと思います。
最高位のいうような“意識する私”ではない、ということです。
ご指摘のように、ソシュールは関係論(構造主義)の先駆者といえるけれども、
例によって貴方のとりあげかたは我田引水的すぎる。w
ソシュールの論述する“関係”は、むしろ貴方好みの“縁起”を否定するそれである。
たとえばイヌという言葉(記号)は、ヒトやネコ…を否定することによって意味をもつ。
記号が互いを打ち消しあうことによって“網”は成立する。
それを“縁起”なる概念に収めるのは無理。
「項に先立つ関係」は、あえていえば“非関係的な関係”であり、
さらにいえば、この“関係”も実在的なものではない。
それは相即する“項”によって絶えず組み替えられ、それによって“項”もまた
その意味をズラす。
601 :
唯意味論:2010/11/04(木) 01:17:08 0
>>589 他方、しきりと貴方は“実存”を強調される。
「実存」が“本当のありよう”という意味なら「関係の一次性」と矛盾する。
そもそもソシュールを援用するシステム論は「実存は空w」という風潮のなかで
登場したもの。「実存」と「関係」の“いいとこどり”はムシがよすぎます。w
いっそのこと『心経』のように双方とも“空”とするほうが首尾一貫します。w
貴方の我田引水ぶりは最高位に関する言述にも顕著。
彼のいう《私》は、実存とは似て非なるもの、いや、似ても似つかぬものです。
いわゆる“実存”は「身体と意識の相即的なありよう」を指す。
が、彼の《私》は両者を消去したあとに残る“存在性”である。w
といって、超越論的主観といったシロモノでもない。
私も“いいとこどり”しますので、他人のことはいえませんが…w
602 :
唯意味論:2010/11/04(木) 01:31:58 0
それから、私について「概念化…云々」と批判されますが、貴方のいう「実存」は
語りえぬものです。永井氏の< >も単なる記号にすぎず、語りえぬ“存在”を
それによって辛うじて仄めかしているだけでしょう?
言語を用いて、前言語的な実存を表わすのは天才のなすワザです。
凡庸な私にそれを求めても…(苦笑)
精神病棟スレ
604 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/04(木) 16:13:45 0
地獄にも幾つかの階層世界が亜って
完全に意志剥奪されたロボトミー無双無限地獄で
窒息状態が永遠に続くとか唖りそう
都営住宅だな
606 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/04(木) 16:21:02 0
システムの前提は正義の審判なのだから
声帯をひきちぎり悲鳴をあげれないようにして
殴る蹴るの暴行を加える
やっぱりただの犯罪者集団だな
異常者
609 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/04(木) 16:37:22 0
異元「シナプス吸い取る〜ちゅっちゅ
はぁぁー血液に流れるよー産ぶ毛の栄養になるよー
栄養にしてーーー私し
おまえ自体になるよー融合して分離の分離が・・栄養してーー
610 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/04(木) 16:40:23 0
砂な袋「痛いーーやめてー
痛いーー苦しいーー痛いーー苦しいーーくるし
みせてあげるずっと、だから同じになる食べさせる私し
動けない
611 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/04(木) 16:47:34 0
何度もいいましたよね?
通訳されてるからもう、思い通りに
自分が・・・支配下に・・・
通訳を望んだんでしょ?
だからね、服従しなさいといってません
命令下にすでにある、だから望んだと
隣のとなりの、おまえ
612 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/04(木) 16:51:39 0
>>607 裁判者は食べて、半分消化して
溶かしてから
子供にあげる。子供が、増殖出来る様に・・
ヤマダが暗示かけてくるぞ
サガノヘルマーマンだな ヤンマガ出身者だ
語り得ぬ存在とはなんぞ?
「痛い」とか「赤い」とか、これは一般化でしょうか。
それだけで他人に意味が通じるという意味では一般化なんでしょう。
では<←?>は「語り得ぬ存在」?
いやもう語ってるじゃん。
<←?>とか「実存」とかの言葉で万人(とも言えないがw)に意味が通じてるのだから、
これは「赤い」とか「痛い」とかと同じレベルで一般化された「感覚の意味」ですよ。
真に問題なのは「感覚の成立そのもの」であり、その記述の特殊性は別問題。
個体間に於ける「感覚そのもの」の比較不可能性。
感覚の比類無さ、開闢する世界の比類無さ、そして“私?”の比類無さ、へと連鎖する孤立感。
おお、神よ、貴方には俺の見ている「この赤」が見えていますか?ふふ
この“私へのどこまでもパーソナルな開闢”感!の正体とは、いったいなんぞ?
比類無いのは「私」なのか「世界」なのか「感覚」なのか。。。。
俺には分かりませんw(来年につづく)
雀荘からでてきたのは虚構人物です
617 :
考える名無しさん:2010/11/04(木) 23:58:53 0
「宇宙ホログラム説」、超高精度の時計で検証へ
われわれの存在は、超高解像度の3D映像のようなものであり、有限の帯域幅で「コーディング」することが可能なのかもしれない。
そして、われわれの愛するおなじみの3次元は、2次元での情報をホログラムのように投影したものにすぎないのかもしれない。
この仮説[「宇宙のホログラフィック原理」]を検証するべく、100万ドルを投じた実験が行なわれようとしている。
米国イリノイ州にある米フェルミ国立加速器研究所で実験設備が建設中であり、来年中に、世界最高精度の「時計」を
2台用いた実験が行なわれる予定だ。
フェルミ研究所の素粒子宇宙物理学者Craig Hogan氏は、世界で最も高精度な時計2台を用いて、
プランク単位の存在を確認するという画期的アイディアを実行に移そうとしているのだ。
空間、時間、質量など、宇宙の諸特性の最小の大きさを表わすものをプランク単位と呼ぶ。
これらの単位は非常に小さいため、実験によって確認することは不可能なように見える。
たとえば、長さのプランク単位[プランク長]は、陽子の直径の10の19乗分の1しかない。
フェルミ研究所で建造されている、『ホロメーター』(holometer)と名付けられた「時計」は、直交する2本のアーム
(長さは片腕40メートル)を備えたL字型のレーザー干渉計だ。これを用いて、時空の構造そのものが
「ピクセル(画素、最小単位)化」するポイントを見つけるのだという。
もしそれが存在すれば、アームをたどる2本のレーザー光(1つの光源から出たものが途中で分けられる)が
戻ってくる時間に差が出るはずだ。
全文はソースで
Dave Mosher
2010年11月 4日
WIREDVISION
http://wiredvision.jp/news/201011/2010110423.html
618 :
スモ:2010/11/05(金) 00:39:18 0
>>599 有名だから察しはついてると思うけど、すっぽんのくだりは寺田寅彦ね
以下、
根津権現の境内のある旗亭(きてい)で大学生が数人会していた。
夜がふけて、あたりが静かになったころに、どこかでふくろうの鳴くのが聞こえた。
「ふくろうが鳴くね」と一人が言った。
するともう一人が「なに、ありゃあふくろうじゃない、すっぽんだろう」と言った。
彼の顔のどこにも戯れの影は見えなかった。
しばらく顔を見合わせていた仲間の一人が「だって、君、すっぽんが鳴くのかい」と聞くと「でもなんだか鳴きそうな顔をしているじゃないか」と答えた。
皆が声を放って笑ったが、その男だけは笑わなかった。彼はそう信じているのであった。
そのあとでまたよくよく考えてみると、どうもその時にはやはりすっぽんが鳴いたのだろうと思われる。
……過去と未来を通じて、すっぽんがふくろうのように鳴くことはないという事が科学的に立証されたとしても、
少なくも、その日のその晩の根津権現境内では、たしかにすっぽんが鳴いたのである。 (大正九年九月、渋柿)
僕はしばらく考えたくないw
それでも僕のダイモンが降りてきて踊ったりするんだけど、
「カーマは気まぐれ」(古い)ならぬダイモンは気まぐれなもので、気張っても出ないもんは出ない
あとは抄録氏にお願いするw
619 :
「機械的唯物論」者:2010/11/05(金) 01:03:05 0
マシンフリーズのため、アイパッドからです。
入力が面倒なので、後日レスいたします。
本日は就寝させて戴きます。
620 :
「機械的唯物論」者:2010/11/05(金) 01:24:33 0
>>572 「主観としての自由意思」は勿論認めます。
私の「あるべき論」・・・「である論」ではない言説は
「社会契約論」しかない・・・という前提で、「社会契約の埒外」を希望するなら、
テロリスト・アナーキスト=無政府主義を選ぶしかないのですが、ありとあらゆる
「国家による保護」を(そのかわり)放棄する・・・という代償を覚悟すべきである
ということです。
国家ぞくしてそのルールに従うか?属することを拒否するか?の選択は何時でもできる
・・・ということです。
「死刑制度がある国」が嫌ならば「死刑制度が無い国」行けばいい・・ということです。
本日は就寝させて戴きます。
621 :
考える名名無しさんn:2010/11/05(金) 02:32:22 0
「世界蔵」はある意味単純。
精神病棟から中継しております
623 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/05(金) 06:11:51 0
血液内の白血球の気持ちになって純粋現象感知
大腸菌に成ってウヨサヨ
大腸菌にセンサー寄生させ暗黙マッチポンプ
だれかのために私しが自殺引き替え感被
624 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/05(金) 06:18:09 0
癌癌「免疫細胞が襲ってくるうーーーころされ
625 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/05(金) 06:28:43 0
脳は細胞連合体なのだから、
意識は常に乖離しているのに
統合しているつもりになっている論子論
合理性観念は錯覚なので、不安定
626 :
唯意味論:2010/11/05(金) 09:49:50 0
>>615 抄録氏
こんなところで遊びすぎて、仕事が遅れぎみなのでは? w
胎児のときのことは措き、最初の“感覚”はこの世に現われ出でし折りでしょう?
泣き叫ぶらしいので、感覚(状況と意識の相関)はあるらしい。
が、このときの“意識的相関”は意識できないだろうし(自らの)身体もまだ意識できまい。
《私》はまだ存在せず、それに先立つのは比類なき感覚である。
といっても、出生児のそれに大差があるとはおもえない。(あるのだろうか)
《この私》という心身を捨象した“点”性の存在(最高位のいう私)は一種のイデアであり、
意識的相関の複雑化・高度化から生じる仮象である。どの段階で“この私”が立ち上がる
のか、そこには違いがあるようだ。
《この私》とは“私という意識”であり、仮象である。では、ないのか。
そうはいえないところに「ある(存在する)」の悩ましさがある。
627 :
唯意味論:2010/11/05(金) 10:29:27 0
>>626 の(では、ないのか)は、「では、存在しないのか」という意味。
>>615 ネッシー、UFО、幽霊、国家、この私、月…等々はいずれも「ある」「いる」
といわれる。難しいけど、貨幣(カネ)、法を加えてもよい。
これらの“ありよう”のどこが共通し、どこが異なるのか。
>>620 死刑の是非を問うているのではない。w
機械さんによれば、人間も物体である。
その振る舞いは物理法則に則る、物理現象である。
物理現象に善悪はなかろう、といっているのである。w
死刑廃止論の根拠の一つは唯物論。
もう一つは、一神教。
すべては神の御心であり、人間の行為の一切もそれに遵っている。
その人間の振る舞いに善悪の判定を下すのは、神の御心に対してそうすることになる…。
このほかの理由による死刑廃止論もあるが…
628 :
考える名無しさん:2010/11/05(金) 12:28:19 0
>>627 社会についての機械先生の所説は社会契約論に尽きるのだから
そこでは決定論は棚上げされているのではないですか?
契約は自由意志によるもので、だから選択の自由があり、
死刑制度のない国を選択する自由もあるのだと。
しかし、それを言うなら死刑制度のない国にするという選択もあるとは思います。
でも棚上げって・・・実際に生きているのは非決定論の世界なのにw
629 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/05(金) 13:10:21 0
殺さないわよースポイルするわよー
スポイルされたほうが寿命がのびるのよーー
苦しいよーーーもっと苦しくなるよーー
寿命がのびるよー
630 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/05(金) 13:21:21 0
国会で法案可決
↓
安楽死施設建設運用
↓
親が子供を養育
↓
成人して本人が安楽死(処刑というか処理)を望む
↓
国が本人の意思を尊重する
↓
権利が認められ処理(安楽死)成立
631 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/05(金) 13:23:08 0
国会で法案可決
↓
安楽死施設建設運用
↓
親が子供を養育
↓
成人して本人の、親が安楽死(処刑というか処理)を望む
↓
国が本人の意思を尊重する
↓
権利が認められ処理(安楽死)成立
まあ自分で得体の知れないリボンでも首からさげててくだしゃい
乞食転がし
634 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/05(金) 16:00:58 0
ここは広いひろい広大な農家よー
農地があるわよーー
開墾しなくちゃーーー
開墾するのよーー
ひろいわぁーー
ひろいわーー
はてしなく ひろいわーーー
635 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/05(金) 16:12:46 0
一般に資本主義社会で会社組織という他人の集団に服役(?)
出来る能力者が社会(?)に過剰適応という融合状態を
出来ていても精神病扱いしてくれないらしいわよ
不思議ね(?)
あなた寄生されて喜んでるのよ
喜びーーー
636 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/05(金) 16:15:47 0
もっとーー!!ぉ
わたしの身体脳みそをズタズタに切り刻んでーー!!
望まれているのよだからはやくううー!!
おかねもーーいっぱいあげるうーー!!
はやくズタズタにしてーー!!
望まれてるのよーーーいそいでー延命してー
赤い狐
動物プロダクションとアホアホ新聞
>>626 >こんなところで遊びすぎて、仕事が遅れぎみなのでは? w
まことに耳がいたい。
>>618スモ氏
スッポンは、ヒトの観察とも思いこみとも関係なく、
鳴くとすれば(鳴かねーけどw)勝手に鳴くのです。
猫も死ぬときには勝手に死ぬのです。
ここは譲れませんw
641 :
唯意味論:2010/11/05(金) 22:30:48 0
>>640 なぜ「勝手に死ぬ」猫を抄録さんは知っているのですか。
この表現は背理でしょう? 「勝手に」というのは“知らないうちに”ということです。
「知らない」のに「知っている」のは、おかしいでしょう? w
どうしても「譲れない」と我をはるのなら「知らない」のに「知っている」例をあげてください。
それよりも「ある」について言及してください。“物質”はあるのでしょう?
では“国家”はあるのですか、どうですか。
それは物質のありようと同じですか、違うのですか。
643 :
唯意味論:2010/11/05(金) 22:58:08 0
>>642 納期(締切日)を守るのは、仕事をするものが信頼を得る条件の一つです。
納期を守っているかぎり、貴方への注文はなくならないでしょう。
少々、品質が悪くても。w 頑張ってください。
来週の金曜日ですね。私に対する納期は。お待ちしましょう。
644 :
スモ:2010/11/06(土) 00:20:14 0
>>640 少なく見積もっても、実体とはあくまで実質のこれ本質規定という立場でしょうね
蛇足だろうけど、「関係性」の考究するところの帰結は、
何がそれを保証するのか?ではなく、【何もそれを保証しない】ということになる
それでいて、「それ」がヒョウでもトラでもなく「ライオンとして」の関係性を契機または端緒あるいは流動させるのは如何にと?
無規定からどうして有規定が起ち現れるのか?
無規定などという仮設は無用である(悪しき妄理の温床である、と)
機械氏の注意深い言い回しでいえば、「〜ということ以上の意味は存在しない」(
>>452)にも繋がりますが
わかりません…
そこは神頼みになりますねw
世界は生成流転としての何らかの力動(都合勝手のよい意味で)があるとでも措定するよりない
かといって、抄録氏の帰結もそれがそれであることの本質規定の謎は神頼みになるでしょうけど
弱い主張になりますが、すっぽんが鳴くことのアプローチとして
次の文を引用します (思考の倹約w)
645 :
スモ:2010/11/06(土) 00:20:57 0
ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』のなかで、
「幸福な世界は不幸な世界とは別ものである」と書いている。
彼はこの公式を発展させ、次の質問で結論づけている。
「幸福でも不幸でもない世界は存在しうるのか?」
この問いの答えは明らかであるどころではない。というのも当然、
「幸福」と「不幸」を人がどう解釈するかによっても違ってくるし、
この二つの極に代わるものはないのかという疑問もあるからだ。
また、単に幸福か不幸かという変異では片付けられない、他の多くの心の状態(気分)もある。
そこで質問を変えてみよう。
「気分を当てはめられない世界は果たしてあるのだろうか?」
この場合、おそらく答えは絶対に「ない」だろう。
・・・
気分を純粋に心理学的な現象に還元することには用心しなければならない。
(中略)
もし世界が意味を持つか欠けているかで理解されるのなら、
気分の変化は同時に世界の変化であると見なさなければならない。
なぜなら僕たちは比較しようにも、
気分の変化に影響を受けない世界を持ち合わせていないからである。
以上、『退屈の小さな哲学』より引用
646 :
スモ:2010/11/06(土) 00:24:21 0
もちろん、
アプローチといったって、方法としての考え方のヒントになるかな?くらいにしかもってませんけど
ちなみにこの本けっこう好きw
647 :
スモ:2010/11/06(土) 09:18:58 0
すっぽんが鳴くことの真面目な考察なんて値するだろうかw
僕はもう動かないぞ
だいたい90分走れる選手じゃない
交代だ!
選手交代だ!!
次の試合に移るにしろ、僕はベンチでタバコを吸っていたいんだw
貢献できそうな場面で「ハイハーイ」と手を挙げて活躍することを望むんだ
そうそうそこの君、アップできてるじゃないか!
僕と交代だ
同じプレーをしろなんて言わない
とにかくいいプレーを、魅せるプレーをしようぜ(もちろんフェアプレーで)
648 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/06(土) 18:05:19 0
やりたいことが見つからないのに
やりたく無い事がどんどん増えていくのが問題よ
650 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/06(土) 20:40:15 0
あらゆる苦しみの可能性を引き受けて
はじめて幸福に
なれるのよ。
知的障害者が影響受けたいって突っ込んできたら速攻避ける すなわちクレーマー新聞
隔離精神病棟スレ
脳、思考、感覚を共有する双子 タチアナとクリスタ
http://blog-imgs-42-origin.fc2.com/k/a/i/kaigaigossip55/101025_twins_wide.jpg http://www.youtube.com/watch?v=6WYdODfUfi8 <カナダ・BC州バーノン>
先月25日に4歳になったばかりのタチアナとクリスタは結合体双生児として生まれた。二人がこれまで元気に育ってきたことは奇跡的と言えるかもしれない。
妊娠中には流産の危険がつきまとい、たとえ生まれてきても数ヶ月の命と見られていたからだ。
今では、普通の4歳児と同様にWiiを楽しみ、おもちゃを巡ってケンカもする。だが驚くべきは、タチアナとクリスタは別々の性格をもつにもかかわらず、二人の脳と感覚システムが結びついているため、感覚を共有しているということだ。
例えば、タチアナが目の前にあるおもちゃを拾いたいと思ったとき、クリスタはそのおもちゃが自分の視界になくても拾いあげることができるのだ。
双子の祖母ルイーズ・マッケイさんによると、彼女たちは思考も共有することができるのだという。「それまで何も言葉を交わしていないにもかかわらず、タチアナは突然甲高い声で『やめてよ!』と言って妹をたたいたりするのです」
脳と感覚システムが結びついていながら、異なる性格をもつ双子に科学者たちは高い関心を寄せている。バンクーバー小児病院の神経外科医であるダグラス・コクレイン医師は二人の連絡能力をテストしたことがある。
「二人の脳は、一人の視野から入るシグナルを記録しているのです。つまり、どちらか一人が見ているものを、もう一人も見えているということです」
二人はまだ幼いため、この感覚や思考の共有について説明を求めることは不可能だ。また今後それが可能になったとしても、その説明を他者が理解できるかどうかも分からない。
視覚や嗅覚などの「感覚」を人に説明するのは困難な上、彼女たちにとっては今の状態が自然であり、我々同様他に基準とするべきものなどないのだから。
しかし、科学者たちからどう思われようと、タチアナとクリスタの母親は娘たちと過ごす毎日に感謝している。「彼女たちが生まれてきたことには理由があるはずです。・・・・今はまだその理由は分かりませんが」
http://kaigaigossip55.blog28.fc2.com/blog-entry-443.html
655 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/07(日) 20:14:30 0
らくに殺したらいたぶれないわよ
656 :
考える名無しさん:2010/11/08(月) 06:59:28 0
自殺者はこの世に用件がなくなったひと
>>615 :抄録さん
><←?>とか「実存」とかの言葉で万人(とも言えないがw)に意味が通じてるのだから、
>これは「赤い」とか「痛い」とかと同じレベルで一般化された「感覚の意味」ですよ。
<←?>とか「実存」を、一般化されたものとして受け取ってしまったら、言わんとすることが伝わっていないことになります。
おそらく、抄録さんが、【俺の見ている「この赤」が見えていますか?】と言う時に言おうとしていることが、
「実存」という語で言おうとしていることに近いと思います。
そこで抄録さんが考えている意味での「この赤」が、<この私>において「見えている」という事態が「実存」だろうと思います。
>>398で僕は【今ここに現に生きている<この私>は、「個」であるから、どうしても一般化(普遍化)を拒む】と書きました。
抄録さんは、一般化できないのは個的な「感覚」であると考えているようですが、そもそも「個」というものが一般化を拒むものなのです。
「個」の言表不可能性、そして「個と普遍」が、11〜15世紀頃の中世の哲学の中心的なテーマでした。
哲学には昔から、個を重視する考え方と、普遍を重視する考え方があります。
そして実存思想は、個を重視する哲学の流れの中にあります。
中世哲学において問題になっていた「個」の言表不可能性…
引用したほうが分かりやすいと思うので、前に引用した哲学概説書『哲学入門以前』の中世哲学の章から引用します。
(これも他のところにかいたののコピーですが…)
(引用)
【たとえば「果物」屋に行って「果物ください」と言っても始まらない。果物というのは名前、総称にすぎないのであり、
存在するのは、みかん、りんご、なし、ぶどう、バナナ等々の個々のものである。では「みかん」というものがあるのか?
というと、これも疑問だ。「みかん」というのも名前、総称にすぎないのであって、ほんとうにあるのは、夏みかん、ネーブル、
伊予みかん、紀州みかん、温州みかん等々があるのだ。では、「夏みかん」というものがほんとうにあるのか?それも名前、総称
にすぎないのではないか?こんな調子で攻めていくと一体、名前、総称でなくてほんとうにあるといえるのは何なのかわからなくなってしまう。
プラトンが困ったように、それを「何」と言ってしまったら、既に名前に、総称に、普遍になっている。たった一つしかない
「このもの」を言い表す言葉など存在しないのである。名前を言ったら負けだと思って、指で指さして「これ」と言ったとしても、
「これ」はじつはもっとも普遍的な語であって、みかんでなくても、りんごでもバナナでも、いや、ありとあらゆるものが、
みんな「これ」なのだ。最も個的な言い方をしたつもりでいたのに、じつは最も普遍的なことを言ってしまっている。
とすると、個はけっきょく言表不可能、把握不可能なのだろうか?】(『哲学入門以前』)
>>592 :抄録さん
>しかし、関係だけにより、何もないところにライオンが自動的に立ち上がりますかね。
何もないというわけではありません。
ソシュールは、「言語が現われないうちは、何一つ分明なものはない」と書いています。
彼のこの言い方は、常識的に考えても、比較的わかりやすいと思います。
言葉によって、物事の輪郭が明確に線引きされています。
それを逆に考えていけば、言葉以前の現実はおそらく「混沌とした連続体」(丸山圭三郎の言葉)だろう、ということになります。
丸山圭三郎はこの「混沌とした連続体」を、「いまだ意味化されない生の動き」と言い換えています。
「生の動き」というこの言い方は、僕にはしっくりきます。
ただしそれは、主観に対する「客観」として捉えてはならないものです。
それは「主観」と「客観」とが分かれる以前の、根源的な「ある」のことです。
だからこれも(「個」が名指し得ないのと同じように)、本来は名指し得ないものを
敢えて「生の動き」と呼んでいるのだと考えなければならないと思います。
(とここまで書いて、唯意味論さんのレスが目に浮かんできたので、唯意味論さんにあらかじめ言っておきますが、
この「生の動き」というのも、「事実そのもの」つまり「意識から独立な実在」のことではありません。
そうではなくて、それは「我々自身がそれであるもの」です。
だから「個」としての「実存」と、この根源的な「ある」はつながっており、両者が言表不可能である理由もつながっています。)
(それは、「物自体」が不可知であるということとは全然別のことです。)
>>600 :唯意味論さん
>ソシュールの論述する“関係”は、むしろ貴方好みの“縁起”を否定するそれである。
>たとえばイヌという言葉(記号)は、ヒトやネコ…を否定することによって意味をもつ。
>記号が互いを打ち消しあうことによって“網”は成立する。
>それを“縁起”なる概念に収めるのは無理。
唯意味論さんは、「否定」(ネガティヴ)の意味を誤解していると思います。
丸山圭三郎はソシュールの‘négatif’を「ネガティヴな」と訳しています。
「否定」と訳すと、唯意味論さんのような誤解が生じるおそれがあるからでしょう。
(引用)
「すべての記号は、純粋にネガティヴな相互位置関係に拠っている。」(ソシュール)
例えばAという項の意味は、「Bではない、Cではない、Dではない、…」ものとして、「ネガティヴ」に決まります。
それは、言い換えれば、「Aは…である」というふうに「ポジティヴ」な言い方をすることはできない、ということです。
なぜポジティヴに言えないかというと、Aには、AをAとしてあらしめる固有の本質がないからです。つまり「自性」がないからです。
自性がないから、他との「関係」によって、ネガティヴに、その意味が生じてきます。
だからそれは、「縁起」=「無自性」と同じことであるわけです。
>>601 :唯意味論さん
>いっそのこと『心経』のように双方とも“空”とするほうが首尾一貫します。
もちろん双方とも“空”です。
実存は本質に先立つのだから、「実存」には「自性」がありません。
また、
>>586で書いたように、「関係」そのものも流動的なのであって、そこには固定した本質はなく、したがって実体はありません。
ところで、僕には不思議なのですが…
僕は始めから、「縁起=空」と考えていることを書いています。
それに対して唯意味論さんは、「縁起」と「空」は矛盾すると考えています。
だから、唯意味論さんと僕とでは、「空」についての理解も「縁起」についての理解も大きく異なることが始めから明らかなわけですね。
そういう場合には、まず、「縁起」と「空」についての自分の考え方を相手に説明することから始めなければならないでしょう。
僕は比喩なども交えながら、自分の考えを説明しています。
ソシュールなどに言及したのも、僕の考える「縁起=空」について説明するためのものです。
それに対して唯意味論さんは…
唯意味論さんが「関係(縁起)」についてどう考えているのかを知るために、僕はいろいろと質問しましたが、
それに対してまともな答えが返ってきたようには思われない… だから僕は推測するしかない…
そして僕の推測が、これでした。
(
>>397)
>唯意味論さんは、“縁起(関係)”を、「モノ」と「モノ」との関係として考えているのではないでしょうか…?
>まず「モノ」と「モノ」とがあって、それが「関係」するということであるならば、『俗衆にはわかりやすい』と言えるでしょうが、
>“縁起”は、そういう思想ではありません。
さて、そして、唯意味論さんはいまだに【双方とも“空”とするほうが首尾一貫します。】という書き方をする…
こういうことを書くのならば、まず、唯意味論さんが考える「空」について(そして何故「縁起」と矛盾するのかについて)詳しく書いて欲しいと思います。
それらの“言葉”で唯意味論さんが言おうとしているのは、いかなる“事態”であるのか?
>>641 :唯意味論さん
>それよりも「ある」について言及してください。“物質”はあるのでしょう?
>では“国家”はあるのですか、どうですか。
>それは物質のありようと同じですか、違うのですか。
これを見て、ずっと前に僕が唯意味論さんにした質問を思い出しました。
唯意味論さんは、自分自身の考えについては、はっきり答えない人ですね…
唯意味論さんの言う「意識的相関」とか「幻想」というのは、人を攻撃するための単なる武器ですか…(^.^)
(9月29日に書いた僕の質問を再掲します)
>では、何が「ある」のか。私(意識)への現前、つまり現象です。
その場合、「意識」は、「現象」の中に含まれますか、それとも含まれませんか?
もし含まれないとすれば、「意識」は「現象」とは異なる形で「ある」ことになり、つまり二種類の「ある」があるということになりますか?
それから、「意識」と、その意識に現れる「現象」(つまり「対象」)という構図は、
現代の哲学においてしばしば批判されてきた「主-客対立」の構図と同じであるように思われます。
例えば、そういう「主-客対立」を批判をしたベルグソンとハイデガーは、どちらも「時間」について考えていますね。
「時間」には、「意識」に現れる「対象」としては捉えきれない側面があります。
むしろ「時間」は、「主-客対立」の構図そのものを可能にする場であり、いわば「意識」そのものが「時間」の流れに乗っていると考えられます。
そうすると、「時間」が「ある」ということは、「意識」が「ある」というのとも、「対象」が「ある」というのとも異なる意味を持つと思われます。
唯意味論さんは、「時間」についてはどのように考えますか? そのように、三種類の「ある」があると考えますか?
仏教と物理学の類似点について誰か語って
664 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/09(火) 19:58:30 0
どこまで増殖続けるかしら
665 :
唯意味論:2010/11/09(火) 22:44:44 0
>>Trau さん
いま、関西から帰ってきたところなので、明日か明後日にもレスします。
いずれにせよ「縁起=無自性」には無理があります。
非実体的な何か(無自性)同士は混沌を産出するかもしれぬが、規則的な関係は
創出しないでしょう? それとも貴方のいう“縁起”は無規則な関係のことですか。
それなら、とくに異論はありません。w
仏教の“因縁”は規則的なのですか?無規則なのですか?
まず、この質問に答えてください。
私とは逆の立場(唯物論)からも異論がだされていますね。w
唯意味論くん。悪あがきはやめたほうがいい。 ('・ω・`)
667 :
唯意味論:2010/11/10(水) 12:18:17 0
>>660 空・原理主義なのでw「Aに自性(実体)がない」というのには異議なしです。
何度も私は、そういってきた。
ついでに、私は“縁起(関係)”にも実体はない、と述べているのである。
抄録氏とは対極の立場です。
丸山氏が「ネガティブ」に日本語をあてなかったのは、それに合致するような言葉が
みあたらなかったからでしょう。“否定”も和語とはいえない。たぶん江戸時代には
使われていなかったでしょう。
“因縁”といった曖昧な概念が覆う、この国には、字義どおりの“ネガティブ”な関係
などは存在しないということです。
>>666 貴君も“縁起主義者”のようですね。w
↑ 比類なき 負けず嫌いだww
669 :
唯意味論:2010/11/10(水) 13:14:17 0
>>659 ソシュールのその言い方は悪くはないとは思うが、私なら「言語以前」の
かわりに「意識以前」とするでしょう。
言語以前にも意識はあり、幾つかのことがらが差異化されるからである。
しかし、意識以前は未分明である。
丸山氏はレトリック巧者です。w ある新書にも「分節化されていなかった
マグマのごとき生体験の連続体に区切りを…云々」とあったが、ここにも
巧妙な転倒があります。“意味以前の生の動き”との表現も同工である。
この種の意味以前の“実存”は、言語によって事後的に思惟された概念(観念)
でしかない。あるいは想像の産物である。
それは語るに落ちて結局、意味(概念)と化してしまうのである。
混沌とした連続体? 意味(概念)にまみれたレトリックでしょう?
670 :
唯意味論:2010/11/10(水) 13:46:33 0
>>661 「いかなる事態か」ですって? “空”だといっているでしょう? w
空も縁起も辞書や仏教の入門書に載っている“意味”で使用しています。
『心経』に対する感想を述べたのが発端で、あのテクストから“縁起”を
引きだすのは無理、といっているのである。
「無自性だから縁起(関係)する」のはおかしい、ということです。
縁起(関係)は実体である、というのなら別だが。
672 :
唯意味論:2010/11/10(水) 19:03:52 0
>>662 意識がそれ自体として「ある」わけではなく、何かの意識として対象と相関
しつつ「ある」のです。これを意識現象と呼んでもよい。
意識はむろん、その意識的相関(現象)を意識します。
時間については、いずれ。
私見では時間は(空間も)“場”ではないと思いますね。
それは古い“時空”観です。
恐ろしい暴論だなあ>スレタイ
>>669 横からですけど言語以前の意識に於いて差異化される
幾つかのことがらとは具体的にはどういったことがらですか?
675 :
唯意味論:2010/11/11(木) 09:28:34 0
>>674 それを“意識”と呼ぶのが適切か否かは疑問だが、胎児もまた“意識”を持っている
のではないか。母体と合一しつつ、何がしかの“異和”感があるのではなかろうか。
生まれ出でし折りの泣き叫びは、引き剥がされた不快感の表出(初めての悲しみ)にみえます。
また、乳児は口にすることができるものと、そうでないものとを差異化するのでは?
彼(女)にとって、排出物は不快をもたらす“異物”でしょう?
が、これらの意識現象を「意識する」すなわち“意識的相関の意識”は希薄なのでは
ないでしょうか。言語は(たぶん自我も)意識を意識する濃度?が或る一定程度に達した
ときに生じるのではないでしょうか。
唯意味論(猫の味方)は、前からこんなつまらないレスを書く人だったかな。
今の彼のレスからは、「負けたくない」しか感じられないな。
脳が物質だからそこからうまれる意識が必然なら
物理的に脳があっても意識の無い場合はどう説明するの
集団的意識にもそれ自体の脳は無いよね
678 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/11(木) 22:34:05 0
実質的な格差がゼロ以下の社会で競争すると
どうなるかしら
679 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/11(木) 22:35:47 0
巨大な癌に寄生する 生命体
>>641 >なぜ「勝手に死ぬ」猫を抄録さんは知っているのですか。
あたくしも、死ぬ時には唯意味論さんに挨拶もせずに勝手に死にますので、
貴方を含めて、誰一人知らなくても、私は死んでますよ。
なので猫も勝手に死ぬでしょう。それを否定できる根拠などどこにもない。
私にお伺いを立てずには、猫は死ぬこともできんのですか。
知らないこと=不可知、でしょうか?
いやいや、
世界には(また世界とか言っちゃったw)、未知はあれども不可知など無い。
不可知など、勝手に人間が作りだした幻影にすぎない。
だいたい、「知っている」とはなんぞ?
猫が死ぬところをじーっと見ていれば、この猫が死ぬことを「知っている」ことになるのですか。
唯意味論さん的に「確かに知っている」こととは、例えばなんですか。
貴方の言われるその意識的相関なるぼんやりした意味にあって、
そこに現れる、これまたぼんやりした意識的対象とやらの、
どの領域(条件)内なら「これは確かだ」と認めることができますか。
それとも、意識的相関とやらは、言葉としてのみ存在してるのですか。
貴方はいかなる立脚点をも常に易々と破壊するが、
その破壊の為に常識的な感覚を用いることは反則とは思われませんか。
いったい何を基盤として言葉を紡ぎ出そうとしてるのですか。
ぼんやりした認識を、ぼんやりしたまま、割と無造作にそのまま認めることができるのは、
ヒトによる認識などに左右されない実在を認める(仮定する)私のような立場だからです。
ヒトはぼんくらなので、目をこらさないと正確に見えないのです。
目を凝らして見れば見るほど正確となるのは経験則から得られる仮定ですが、その期待が裏切られる可能性はゼロです。
意識的相関から世界を説明するなら、その意識的相関の存立の正当性はどこにあるのか
そろそろ示していただきたい。
それは感覚・意識のの絶対化なのか、理性の絶対化なのか、神による感覚・意識・理性の保証なのか。
>それよりも「ある」について言及してください。
物質もあるでしょうし、国家もあるでしょう。
ヒトがあるというのだから、お化けも超能力もUFOも
あるっちゃあ、あるんでしょ。
「有る」なんて、いいかげんな言葉ですよ。
国家は実体か、と言われれば、私的には「違う」と言うしかない。
では物質は実体か、と言われれば、それも怪しいw
物質とは物理で扱う対象の総称としての意味とするしかない。
物理に於いて、相関の対象は常に要求されるので、実体を消去することもできない。
ならば「実体」とは方便か。。。?
しかし世界は、相関と実体だけのばらばらの、単なる方便としての論理空間ではない。
あらゆる相関は、空間的、時間的な連続性を伴う。
連続性には論理的な必然が無いが故に、そこに物質の物質たる意義があるやもしれない。
ヒトの「気分」とは関係ない保存性、限界の見えない正確性、生存に直結する致命性。。etc
物質と国家について、同じ「ある」だと言い捨てることも可能でしょうが、
その違いが明白に識別可能である事態にあっては、物質と国家のありようは違うでしょう。
これは、2chが消えなければ、また三年後にw
>>657 Trauerodeさん
><←?>とか「実存」を、一般化されたものとして受け取ってしまったら、言わんとすることが伝わっていないことになります。
実際、伝わっていないのかもしれない。
しかしですね、
それ、伝わったら一般化されたことになるとは思いませんか?
私の言いたいのはですね、
複数の人間により「一般化できない気分」の意味が理解されるならば
それは既に一般化されている、ということです。
そうでなければそれは「語り得ぬもの」ではなく、不成立なもの、無意味なもの、
ということになるだろう、と思うわけです。
ところが実際には、そのソシュールとか丸山とかの言葉を貴方はしみじみ感をもって
受け止めるわけですから、既に一般化されているのではないですか。
ただ、明晰に語り得る手段が無いだけではないでしょうか。
>>658 蜜柑とか机とかライオンとか、物質と意味とが分離可能(微妙w)なので、
何とでも言えるわけです。
私の部屋にはちゃぶ台がありますが、普段はそこで飯を食います
エアコンの掃除をする時には脚立代わりになります
運動不足を解消しようと、ときどきちゃぶ台を持ち上げてますので、鉄アレイにもなります。
どうとでもなるw
しかし、物質の根源は違うと思います。
これ、前から何度も言うわけですが、水素は水素でしか成立しないのです。
酸素も酸素でしか成立しない。酸素の性質をいくら知り得ようとも、酸素の代用など無い。
我々は酸素以外の何かを呼吸して生きていけるでしょうか?
そんなことは起こり得ないのです。酸素の本質は酸素のみに与えられており、
そこには本質と担体を分離することなどできず、
さらには根源的には個物は消滅し、総称しかない事態へと向かう訳です。
貴方の論旨からは離れちゃいましたかね。はっは
>>659 ・「混沌とした連続性」
貴方は、その丸山なりが口走ったその言葉で納得できますか?
何も無い訳じゃなく、混沌とした連続性がある
そして言葉によって、全ての意味の境界が決まると。。?
つまり、言葉が秩序を創造している
では、その言葉とかロゴスは何に由来してるのですか。
全くの所与ですか。神秘ですか。もはやお手上げお任せ神任せ。
思惟こそが神。あるいは「他者を含めた世界」と「私」との間に齟齬が生じないように超時空間的に
神が串刺し調整することになる。なんせ、言葉以前には混沌しかないのだから。
(齟齬が生じないのは「全くの偶然」なんて荒技もできるんでしょうけど)
私は、そういう、訳の分からん話が我慢できないので、唯物主義者を名乗っているのですw
機械さん
私は、機械さんの書き込みを楽しみにしてるのです。
早く復帰してくださいw
686 :
唯意味論:2010/11/12(金) 10:36:34 0
>>680 これは想像だが、私は“私の死”を意識(経験)することができない(らしい)。
魂があれば別だが。
“私の死”は他人の意識的相関wとしてしか存在しないのである(類推)。
厳密にいえば他人にも、死につつある私の姿か、もしくは死体をみることしかできぬにちがいない。
これは“死”が仮象、すなわち観念(概念)であることを意味している。
さすがの抄録氏にも、ヒトであれネコであれ、その“死”を直接、見聞きするのは不可能なのである。
(前記は抄録氏の立論をはぐらかさずに、真面目に反論したもの)w
もう一つ私の得意とする言い方をすればw、私の顔見知りの三毛ネコが「勝手に死ぬ」のを
貴方には認識できない。伝聞による以外に、三毛ネコの“死”を貴方が知ることはできない。
自他の“死”は経験できない。この三毛猫の“勝手な死”は貴方の意識にはのぼらない。
猫の死も、このネコの死も抄録さんには知りえないのである。
抄録さんが語っているのは「俺が知ろうと知るまいと生きものは死ぬ」という常識。
それは“死”とも「この三毛ネコの死」とも異なる。(要するに、俗流・客観主義です) w
>>686 唯意味論さん
私が自らの死を意識できようとできまいと
私が生きることを停止すれば、これ即ち「死」でしょう。
死して尚、それ(死んだこと)を意識しているなら、それは死であるし、
死を意識する意識がもはや「無い」なら、それもまた死であるし
死なんぞは幻想とまで言い切るなら、あっぱれですが
「死を類推」とか、なんだか中途半端な反論ではないですかね。
しかし真面目な反論なんですか。。。まあ、少し考えてみますよw
688 :
唯意味論:2010/11/12(金) 12:38:07 0
>>680 かなり誤解されていますね。
「一切は不確かなのでは?」というのが、このスレに参加した理由。
「確かだ」とされる対象像が“意識的相関”でしかないからである。
感覚、表徴、概念、思惟の産物…といいかえてもいい。それが“真理”や
“実体”であるわけがなかろう?というのが私の立場。(素朴・懐疑論w)
抄録氏の「認識に左右されない実在」も概念による思惟の産物で、仮定する
しかないシロモノ。それをいつのまにか仮定を“実体”化してしまう、その
虚構をでっちあげる手口を衝いているのである。
意識的相関(なる概念)は「世界」を説明するものではなく、架空の“世界像”の
無根拠性を暴くのに有効だとは思っている…
たとえばスレ主は「唯物論・決定論」の世界像をでっちあげ、それを「真理だ」と宣ふ。
「ご冗談でしょう。それは機械さんの思い込みである」といっているのである。
Trauさんの“縁起”もしかり。
常識(共同主観)や信念(主観)に“真理”のお面をかぶらせても…w
689 :
唯意味論:2010/11/12(金) 12:54:52 0
>>687 “死”は仮象だと明言している。それとも“死”は現象するのですか。
“死”を指させますか。私たちには死につつある個体と死んだ物体しか
経験できず、そのあいだにあるはずの“死”をみることはできない、と
述べているのである。知っているのは、死の意味、概念、その定義。
死体はみたことがあるでしょうが。
類推と述べたのは、私が死後、他人はそれ(死体)をみるだろう、という意味。
他者の死体をみた私の経験から、そう類推したのである。
曲解しないように。
>>688 素朴懐疑論だというなら、あたくしはもはや興味ありません。
ただの言いたい放題です。
まあ、私もいいかげん言いたい放題だがw
>>689 本当に私が「曲解」していると思われますか。
死を指せないなら、私は死にませんか。
死は仮象であるから確かにある事態とは言えない、と思うわけですか。
なるほどそれが素朴懐疑論ですか。
それでも貴方は言葉を紡ぐわけです。不思議な話ですよw
もう私からの反論は止めておきます。貴方の勝ちです。
691 :
唯意味論:2010/11/12(金) 13:49:56 0
>>690 短気だね。w 他者と会話をするには根気がいるのです。
月は現象している、と私も思っている。
ただし、その“実体”はまだわかっていない。
三毛猫も現象している。w
それに比して“死”という現象はない、といっているのである。
あえていうなら、生(という現象)が死(という現象)ではないか。
しかし“生”の本質はわかっていない。
では、死は存在しないのか。そうはいっていない。
国家や神のように「存在する」でしょう。
それは様々なかたちでヒトを律している。
ああ〜たまらんわこの対決w
私も何か口を挟みたいが特に言うべき言葉も見つかりません。
お二人ともあっぱれであります。
相変わらず糞下らねー。の間違いだろw
695 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/13(土) 03:35:30 0
強欲者が居たら、その異常者に仕えて
自分の肉を食べてもらいましょう
一瞬の快楽と地獄の伝搬
696 :
考える名無しさん:2010/11/13(土) 22:29:52 0
同じ画像なりマークなりを
毎日見せることによって、
それがあっても、
それが目に付いてもおかしくない、
不自然ではない状態にすることは
洗脳の第一歩だよ。
仮に君の部屋の壁紙に
普通では視認できないメッセージが刷り込まれていたらどうする?
連日連夜、気づかれないように少しずつ少しずつメッセージを刷り込んでいくんだ。
時々、突然気分が悪くなったり、めまいがしたことはないか?
金縛りにあったことは?
お昼ごはんを食べたのを忘れたことは?
大きな都市が丸ごと停電する夢を見た経験は?
球形プラズマ、蜃気楼、観測気球、写真に撮るとしたらどれ?
マンテル
チャイルズ・ウィッティド
その次は?
『アルミホイルで包まれた心臓は六角電波の影響を受けない』というフレーズ知ってる?
螺旋アダムスキー脊髄受信体って言葉に聞き覚えはある?
さっきからずっと
あなたの後ろにいるのは誰?
>>682 :抄録さん
>ところが実際には、そのソシュールとか丸山とかの言葉を貴方はしみじみ感をもって
>受け止めるわけですから、既に一般化されているのではないですか。
僕は、ソシュールであれ誰であれ、他人の思想を、その人が考えた通りに自分が理解しているとは思っていません。
僕の考え方は、僕が生まれ育った環境や、読んだ本などの影響を大きく受けた考え方であるので、そういう僕なりの捉え方しかできないからです。
だから僕は、人の思想を、自分の考え方の文脈に移し替え、読み換えていることを自覚しています。
「個」としての人間は、同じ語を使っていても、それぞれ微妙に違ったことを考えていると思います。
思想という大げさなことでなくても、普段の生活でも、人の考えや気持ちを完全に理解することはできないと僕は思っています。
もちろん、理解し合うためにコミュニケーションがあり、「ある程度」(一般化可能な部分)の理解はできますが、完全に理解し合うことはできないでしょう。
それは、相手が「個」であり、自分も「個」であるから(簡単に言えば生まれも育ちも違うから)だと思います。
でも、「個」は一般化を拒むということをネガティヴに考える必要はないのであって、僕はそれをポジティヴに受け取っています。
例えば、「かけがえのなさ」ということは、そのことと大きなつながりがあると思います。
>>683 :抄録さん
>さらには根源的には個物は消滅し、総称しかない事態へと向かう訳です。
自然科学的に考えれば、そうでしょう。
というのは、自然科学は、もともと「個」を無視することによって、「学」として成立したものだと思われるからです。
そもそも自然科学で行われる「実験」というのは、<このもの>の「かけがえのなさ」などは初めから無視して行われます。
つまり、実験の前提には、すべてのものは一様的にあるという考え方があり、<今ここ>で行われる実験は、ここだけでなく、全世界に妥当するはずだという前提で行われます。
なので「個」は初めから無視されています。
だから、そうやって自然科学が示す「もの」、例えば「H2O」は、個的な水とは、かなり離れたものです。
《のどが渇いた時に飲んだり、泳いだり、溺れた経験のある人なら怖れたりするリアルで個的な水》=「H2O」、ではないです。
それは、リアルで個的な水に対する、いわば地図のようなものです。
「H2O」という式で、どのリアルで個的な水についても説明でき、その説明は妥当性を持つのだけれども、「リアルで個的な水」=「H2O」ではない。
(僕は自然科学が個を無視することを悪いことだと思っているわけではありません。
自然科学はそのような方法によって学として成立し、発展し、貢献ているのだから、それはそれで良いと思っています。)
>>684 :抄録さん
>つまり、言葉が秩序を創造している
>では、その言葉とかロゴスは何に由来してるのですか。
この前の話の内容で言えば、「いまだ意味化されない生の動き」に由来します。
生成変化する現実世界の中で、「言葉」も「意識」も《生成》してくるのだから、その「言葉」や「意識」が由来するものも、それ自体が生成変化する力動的な働きであると僕は考えています。
だから、この前僕は「生の動き」という言い方がしっくりくると書きました。
この「いまだ意味化されない生の動き」は、例えば、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスが「永遠に生きる火」と呼んだものに近いかもしれません。
あるいはニーチェが(極めて誤解されやすい言葉で)「力への意志」と呼んだものに近いかもしれません。
(もちろん全く同じではないですが)
「いまだ意味化されない生の動き」、「永遠に生きる火」、「力への意志」、
それらは、彼らが、仮に名づけた呼び名です。
「仮説」と言ってもよいでしょうね。
>>680 :抄録さん
>意識的相関から世界を説明するなら、その意識的相関の存立の正当性はどこにあるのか
>そろそろ示していただきたい。
唯意味論さんは、おそらくこういう問いにも答えないでしょう。
唯意味論さんのような相対主義は、古代ギリシャからありました。
こういう相対主義は、相手の主張を相対化することによって、相手の主張を批判しますが、
その相対化は、自分自身にもはね返ってきます。
つまり、唯意味論さん自身の考えも、「意識的相関」「幻想」であるに《すぎない》ということになるので、自分の考えを積極的に主張すれば、自己矛盾に陥ることになります。
さて、人の考えを批判している時には、「それは意識的相関(幻想)にすぎない」の一点張りでも、なんとか体裁を保てるかもしれませんが…(^.^)
批判対象を離れて、自らの考え方を省察してみれば、「意識的相関(幻想)」が《ある》ということが浮かび上がってくるはずです。
そうすると、「意識的相関(幻想)」が《ある》ということは、どういうことなのか…が問題になってきます。
そこのところを考えるあたりから、「哲学」が始まるのではないかと僕は思います。
唯意味論さんが、そこのところに踏み込んで考え、答えてくれれば、面白いと思いますが…
(僕が見た限りでは、唯意味論さんの「意識的相関」は、単なる反論のための相対主義のように思われます…)
>>665 :唯意味論さん
>仏教の“因縁”は規則的なのですか?無規則なのですか?
>まず、この質問に答えてください。
また「秩序」の話ですか。 でも、どうして今更、こんな質問をするのでしょうね… (^.^)
《「関係」には「秩序(理路、律、規則)」がある》という主張が唯意味論さんの反論の中心だったわけですね。
それに対して僕は、そうは思わないと書きました。
過去ログを振り返ってみましょうか。
唯意味論さん というのも、前にも述べたように「関係」には“理路”や“律”があります。
もし、あらゆる存在者のあいだに“理や律”がないのなら「あらゆる存在は
“非関係”にある」ことになる。 >840
Trauerode このような重々無尽の関係性には、“理路”や“律”があるとは思えません。>882
唯意味論さん “鏡灯の比喩”…。たしかに、そこには複雑な様相がみられるだろう。
しかし、どのように複雑であっても、鏡と灯、灯と灯の関係から“秩序”が
なくなることはあるまい。 >896
Trauerode “関係”から“秩序”がなくなることはないのは「何故」なのか?
そこのところを書いてもらわないと、話が先に進みませんね・・・ >921
唯意味論さん 「あらゆる存在者のあいだに何らかの関係があるのなら、そこには“秩序”がある」と
いっているのです。 >923
Trauerode この前の僕の問いかけ(「何故」なのか?)に答えているようには思われないし、・・・ >961
こんな調子で、唯意味論さんは、《「関係」には「秩序(理路、律、規則)」がある》と、同じことを繰り返すばかり。
だから、それがどういうことであるのか、今でも僕にはわかりません。
>>245で僕は、次のように書きました。
>唯意味論さんは、前からずっと、「縁起」を、「規則」や「秩序」と結びつけていますが(上の質問もそれに結びつける質問だろうと思います)、
>その「規則」や「秩序」というのは、具体的には、どういうものなのですか? そもそも、それが分かりません。
>「縁起」というのは、ずっと前に書いたように、「互いに関わり合うこと」です。
>例えば、人と人とが関わりあう時(出会った時)には、そこにはどのような「規則」や「秩序」がありますか?
>(僕が思うに、その出来事は、神の恩寵としても説明可能だし、力学的にも説明可能だし、心理学的にも、などなど無数の説明が可能であって、
>それらはただ、それぞれの見方をその出来事に当てはめ、それを説明しているということだと思います。)
さて、唯意味論さんが、また「秩序」の話に戻るのであれば、僕は、唯意味論さんにもう一度前と同じ質問をしてみましょう。
【“関係”から“秩序”がなくなることはないのは「何故」なのか?】
そして
【その「規則」や「秩序」というのは、具体的には、どういうものなのですか?】
(唯意味論さんの反論が僕にとっては意味のわからない反論だから、こういう質問をしているのです。)
(それに対して唯意味論さんが答えようとしないのも意味不明なことですが…)
>>667 :唯意味論さん
>空・原理主義なのでw「Aに自性(実体)がない」というのには異議なしです。
では、【無自性なものに「関係という事態はない」】という主張を唯意味論さんは撤回したのですか?
それとも…
無自性であるAは、BやCなどとの「関係」によってその意味が決まってくるわけですが、
そのような「関係」を、唯意味論さんは「関係」とは認めないということでしょうか?
どちらでしょうか?
おそらく
>>660の説明で、《「縁起」=「無自性」》ということが、どういうことを言おうとしているのか、唯意味論さんにもだいたい分かってきたのではないかと思います。
>>660のAの意味は、他との関係によって生じているのだから、そこに「実体」は「ない」。つまり無自性であり空です。
それを逆に言えば、Aは実体のないものとして、他との関係に依って「ある」ということになります。
そう考えれば、前に引用した『岩波仏教辞典』の「色即是空、空即是色」についての説明も、分かりやすくなると思います。
(再掲)
「〈もの〉はそれ自体が実体として現象し存在するのではないことを〈色即是空〉といい、
また実体としてではなくて、諸条件に支えられているからこそ、〈そのもの〉が〈そのもの〉として
現象し存在することを〈空即是色〉と説く。」
Aは、Bがあり、Cがあり、Dがあることによって、Aとして存在しています。
つまり「諸条件に支えられて」存在しているわけです。
>>672 :唯意味論さん
>私見では時間は(空間も)“場”ではないと思いますね。
>それは古い“時空”観です。
唯意味論さんは、こういう風に、いきなり反論を始めるから的外れなことになってしまって、話がおかしくなるのだと思います。
唯意味論さんが書いた“場”と、僕が書いた“場”は、たぶん全然意味が違うと思います。
だから、いきなり反論するのではなくて、例えば「その“場”という語をどういう意味で使っているの?」のような質問から始めるのが良いと思います。
(相手がその語をどういう意味で使っているのかについてかなり確信が持てる場合は別ですが。)
同じ言葉を使っていても、自分と相手は、その言葉に込めている意味が違います。
その「ずれ」に対して敏感でないと、哲学的議論をするのは難しいでしょう。
だから僕は唯意味論さんに、《その「言葉」で言おうとしているのは、どういう「事態」であるのか》という書き方を何度もしたのです。
唯意味論さんが「空」や「縁起」という語で言おうとしているのは如何なる事態であるのか?
という僕のこの前の質問に対する唯意味論さんの次の答えは、まことに馬鹿げたものでした。
【空も縁起も辞書や仏教の入門書に載っている“意味”で使用しています。】
その“意味”を、それぞれが違った風に受け取っているから、意見が異なるわけですよね…
ところで唯意味論さんは、“場”という語を、どういう意味で使ったのですか?
それは、如何なる事態ですか? (^.^)
705 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/14(日) 17:11:01 0
>“場”という語を、どういう意味で使ったのですか?
脳はしわしわで
壁からは変な模様が吹き出てきます
>>697>Trauerodeさん
>「個」としての人間は、同じ語を使っていても、それぞれ微妙に違ったことを考えていると思います。
もちろんそうでしょう。
しかしそんな話なのですか。
それだと、「感覚とか意識の一般化」の話とは別ではないですかね。
・<この感覚>は一般化され得ない(←貴方の主張はこの話かと思ってました)
・感覚そのものは語り得ないが、理解可能であるが故に、既に一般化されている(←これ、私の主張)
・同じ言葉でも受取り方が違う(まあそうでしょう)
いったい、一般化とは何でしょうね。
>>698 私の主張は
「関係だけでは世界を構成しない」
ということです。
貴方が云われるように
「AとはBでもCでも・・・Xでもない何か」と言い得たとして、
では、そのBとかCとかXとかって何ですか?と言いたいわけです。
ひょっとして
「BとはAでもCでも・・・Xでもない何か」ですか?
それって、AもBもCも・・Xも、最初からあることを前提としないと
成立しない論理だと思います。
それが空とか縁起だというなら、私にとってはただのトラップです。
そのような思想だというなら特に批判はしません。
しかし私は思想もSFもオカルトも信用しないのです。
その類には、全てどこかに嘘があるのです。
しかしTrauerodeさんは空を説きながらも「個」も認めるというウルトラCを
どうやって自らの中で折り合いをつけておられるのか。。。。私にはさっぱりわかりませんw
仏教マジックって奴なんですかね。ふはは
あと、
私が最後に「総称しかない事態」と口走ったのは、
・世界には、個物のかけがえの無さを、無視どころか、否定しなければ成立しない事態がある
ということを念頭にしてのことです。しかしこれは話が跳びすぎました。すいませんw
>>699 ・「いまだ意味化されない生の動き」
私も、意識に先立つものとして、それは「動的な秩序」である、と云ったことがありますので、
「いまだ意味化されない生の動き」を言下に否定するものではありません。
(※Trauerodeさん的には「秩序とか欺瞞くさい」と思われるのでしょうがw)
ただですね、その「いまだ意味化されない生の動き」は、どこにあるのでしょうか。
それは「あの世」ですか「この世」ですか。
私が「動的秩序」と云う場合、
それを縛る秩序は「この物質世界」を縛る秩序と一体である
と仮定しています。
そうしなければ、マトリックス世界になってしまいますのでね。
なので私は秩序は意味に先立つとしているわけです。
>>700 唯意味論さんは御者であり、私は異形の驢馬なのです。
驢馬は御者には成れないのです。
最近は演者が少ないので、いがみあってますが、私の恩人でもあります。はっは
710 :
ワームホールズ32056号室 ◆dInH4Ljz2Q :2010/11/14(日) 22:23:10 0
せかいの免疫機構のバランスが崩れている
711 :
唯意味論:2010/11/15(月) 10:32:58 0
Trauさん
長文なので、のちほど、おこたえします。
>>709 恩人? 抄録さんに仲里依紗を紹介したのは私でしたっけ? w
俺様専用自作自演日記
713 :
そむりえ:2010/11/15(月) 15:29:18 0
荒らすの自由だけど、
どーでもいいような意見は
みんなどんどんスルーしてるからな。
716 :
唯意味論:2010/11/15(月) 23:44:38 0
>>699 おおよそ抄録氏が貴方の矛盾点を、私とは逆の立場から指摘している。
貴方は個別の存在者(項)には「実体がない(空)」といいながら、他方、
「実存」などという言葉を平然と使う。(実存には実体があるやなしや?)
ビッグネームの“いいとこどり”に熱心すぎて、その齟齬に気づかない。
“実存”“実在”と私たちが受けとる諸現象は「空」というのが『心経』
の主旨。それには貴方も同意されているのでは?
抄録氏は、おそらく機械氏もこういうだろう。A、B、C…は実在しており、
それぞれ実体があり、それらのあいだには“規則的な関係”すなわち秩序が
ある、と。前にも私は述べたけれども、この論旨には一貫性がある。
貴方の足して二で割る主張は、むしろ矛盾を膨らませている。
空・原理主義wからみても、あるいは抄録氏のような「総体に関係(秩序)
があるのなら、各“項”にも実体がある」という立場からみても、貴方の
それは中途半端の謗りを免れない。
だから“縁起”“因縁”について、貴方は明確に説明できないのである。
717 :
唯意味論:2010/11/16(火) 00:43:36 0
>>700 どんな“信念”も無根拠であり、正当性を主張するそれは欺瞞である…
を証す道具として“意識的相関”を用いている、と断ったはずです。
ただし最高位の“私の存在性”を脱構築する際w、かなりベタにそれに
ついて語ったと思う。乳児の始めての「外界の意識」は“苦痛”あるいは
“不快”ではなかったか、と。このとき《私》はまだ存在しない、とも。
しかし外界との意識的相関はあっただろう。乳児は“意識の累積”によって
《私》と《言語》を手に入れるのだろう、と。
「意識的相関」よりも前には遡れないのである。
空とは真逆wの“意味化されない生の動き”にしても、また“縁起”にしても、
意識的相関(感覚、表徴、概念)を土台にした思惟、類推、想像の産物にすぎない。
つまり“でっちあげ”でない保証はどこにもないのである。
718 :
唯意味論:2010/11/16(火) 01:00:00 0
>>704 そのとおり。意見が異なるのはしかたがないのです。
実体がないもの(空)は、関係できない。
私の主張はそれだけです。一貫しているはずです。
「場」の意味はだれしも、そうとりちがえないでしょう?
環境、場所、気取っていえば舞台…。
時間は(空間も)そのようなものではあるまい、と感想を述べたのである。
いずれ詳しく論じましょう、といっているでしょう?
ここは突っ込むところではありません。w
720 :
唯意味論:2010/11/18(木) 20:36:35 0
>>719 遠路はるばる、ご苦労さま。
ただの主観などない、と私はいってきたのですが。
言い換えれば、ただの客観もない、ということです。
キリエ氏と佃煮氏については、ざっと印象批評を述べます。
キリエ氏があちらのスレで本気で書いている
>>682〜の文章は「意味をなさない」
とまではいわないが、時間のようには流れていない。w
ズバリいえば、こなれていません。内容を理解するのに苦労させられます。
といって“味のある”文章でもない。露骨にいえば、買い手がつきません。
佃煮氏はご存知でしょうが、現下のシステムでは、売れるものがいいもの。
キリエさんは、もう一度、書き換えられたらいかがでしょうか。
>>893 はいただけません。カントはそうはいっていないはずです。
「個人の意見(主観)が客観性をもちうる」ことはありません。
そのあいだには悟性の形式“カテゴリー”が関与するはずです。
したがって、客観性ではなく、客観的“妥当性”をえるということです。
換言すれば“共同主観性”のことです。
721 :
唯意味論:2010/11/18(木) 20:46:03 0
キリエ氏の文章が俗にいう「社会化されていない」とすれば、
佃煮氏のそれは俗化されすぎ。教養を随所にバラ撒いたようにみえ、
それは踏み込みの浅さを逆に浮き彫りにしてしまいます。
貴方は何を述べたいのですか。資本主義についてですか。
なら、徹底的におやりください。
何もいいたくないのなら、従来の文体を解体して小説でも書かれたら
いかがでしょう。(老婆心ながら)
>>720>>721 コメントどうも。
キリエ佃煮の文章批判はそれはそれでいいけど、
ユピーが面白いってどうなの?
互換性も教養もない意味のない独り言と煽りばっかりじゃん。
時間スレ住人にも迷惑がられるし。
それで、主観と客観の二項対立はくだらないって意見なのね。
それが聞きたかった。
唯意味論さん、フォローありがとう。
時間スレに、別のスレッドに書き込んだ内容っぽいレスがあったから探してみたらたどり着いたよ。
それにしても、唯意味論さんは、すこし読んだだけで、僕の言いたいことをすぐに理解したねぇ。
すごいと思う。Kyrieとか佃煮とか900レスぐらいの付き合いがあるのに、言いたいことひとつ分からないからね。
まぁ、僕も唯意味論さんに褒められたからってのぼせないように気をつけないとー。
確かに、主観だとか客観だとか、無為な争いだとは思うからね〜。
ちなみに僕は、決定論には反対の立場を取っているよ。
確率論はあると思うけどね。
ここは良スレっぽいし、あまり荒れるといけないから、僕は議論には参加しないで置くね。
じゃあまたね。お互い頑張ろうね
(^_-)-☆
724 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 01:53:29 0
109 : きいちょん(群馬県):2010/11/19(金) 01:23:39.15 ID:/AbBBR520 [sage]
コミュニティの一生
1.面白い人が面白いことをする
2.面白いから馬鹿が集まってくる
3.面白い人が見切りをつけて居なくなる
4.住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
5.運営が規制でトドメ
こうだな。
725 :
唯意味論:2010/11/19(金) 09:10:23 0
>>722 >>721 の「貴方」というのは佃煮さんに対して呼びかけたもの。
佃煮氏は、ピカさんでしょう?
数年前、このスレに顔をだしたとき、ピカさんは2chのスターの一人でした。
あくまでも私見だが、この国の人間には「哲学」は向いていないのかもしれぬ。
彼をみていて、そう思う。
彼の師匠すじにあたる柄谷氏も、穿っていえば「資本主義」「経済」という
“物語”を延々と書き綴っているようにもみえる。彼には心外でしょうが、
作品は良質でしょう?
柄谷にも、とりたてて書きたい“実存的テーマ”などないはずです。
そういう意味で、佃煮氏には「小説を書けば?」と勧めたのです。
726 :
考える名無しさん:2010/11/19(金) 09:30:08 0
キリエさんに対しては、あちらのスレで。
唯意味論(機械の自演キャラ)は波平憎しなんだろ
だから他のコテが誰でも波平に見えて来るし
だから波平キリエ佃煮ラピスにボコられたユビー(荒らし)を今更わざとらしく持ち上げるなど
アホの様な我田引水を平気でする
>>706 :抄録さん
>・感覚そのものは語り得ないが、理解可能であるが故に、既に一般化されている(←これ、私の主張)
抄録さんの主張は、前のレスでいうと、おそらく
>>682のこの部分ですね。
>複数の人間により「一般化できない気分」の意味が理解されるならば
>それは既に一般化されている、ということです。
>そうでなければそれは「語り得ぬもの」ではなく、不成立なもの、無意味なもの、
>ということになるだろう、と思うわけです。
抄録さんの主張がどういうことであるのか、僕には正確には分かっていないと思いますが、この書き込みだけを見た感想(疑問)を言えば、
「理解可能」であり「既に一般化されている」と思われるのは、その「一般化できない気分」が《一般化できないということ》であって、
その「一般化できない気分」の《中身》、つまり具体的内容は、やはり一般化されていないのではないか…ということです。
それから「不成立」というのはどういうことなのか、僕にはよく分かりませんでしたが、ひょっとしたらそれは、
>>698で僕が書いたこと、つまり自然科学が「個」を無視して成立し発展していること、と関連があるのでは…と感じました。
>>707 :抄録さん
>「AとはBでもCでも・・・Xでもない何か」と言い得たとして、
>では、そのBとかCとかXとかって何ですか?と言いたいわけです。
>ひょっとして
>「BとはAでもCでも・・・Xでもない何か」ですか?
その通りでしょうね。CもDも同じでしょう。
ソシュールは、記号体系は「ポジティヴな項のない差異の体系」である、としていますから、そのように考えなければならないと思います。
>それって、AもBもCも・・Xも、最初からあることを前提としないと
>成立しない論理だと思います。
最初からあるというより、A、B、C、D・・・は、同時的に成立するということだと思います。
前に書いたように、ソシュールによれば最初にあるのは「何一つ分明なものはない」状態です。
言語体系が初めて成立した時、それがどんな体系であったのかは分かりませんが、仮にそれを(A、B、C、D・・・X)という体系だったと考えると、
(A、B、C、D・・・X)は、その時に同時的に成立したのだと思います。
そしてそれが様々に変化して、現在の言語体系にまで変化してきたわけですが、変化する場合にも、まずAが変化し、次にBが変化し…となるのではなく、
Aが変化するのと、B、C、D・・・Xが変化するのは、やはり同時的であると思います。
つまり、「差異の体系」そのものが変化するということだと思います。
上記のことは、例えばソシュールの次のような言葉からも読み取れるのではないかと思います。
「言語には差異しか存在しない。差異といえば、ふつうはポジティヴな辞項を前提として、その間に成立するものとして想起しがちであるが、
言語には《ポジティヴな辞項をもたぬ差異》しか存在しない。・・・
一つの辞項の価値というものは、その意味や音自体を変えなくても、ただ隣接した他の辞項が変化するだけで変わるということが、その何よりの証拠である。」
さて、ソシュールは本題ではなくて、「縁起」という関係性を唯意味論さんに説明するために援用したものでした。
つまり、「もの」と「もの」とが先にあってそれらが関係する、という関係性とは違うことを説明するためのものでした。
縁起の思想も、ソシュールの思想も、「もの(項)」が先にあるのではなく、関係性によって「もの(項)」が成立すると考える点で類似しており、
また、その関係性が《同時的な相互作用や共存の関係》である点も類似しています。
梶山雄一著『空の論理』から引用します。
「因果関係というと、一般には、時間を異にして存在する二つのものの間にある生成の関係を意味する。ところが縁起はそのような因果関係に限らないで、
われわれのことばでいう、同時的な相互作用や共存の関係、さらには同一性や相対性などの論理的関係をも含む。したがって、縁起とは因果関係だというよりも、
それは関係一般のことだというほうが比較的には正しいといってもよい。 ・・(中略)・・
三つの稲束とか銃とかを組み合わせると倒れないで立っているというのも縁起である。」
もちろん、例えば上の三挺の銃についても、それを実体論的に見ることもできるわけなので、いくら「関係の一次性」とか「実体なき関係」とか説明しても、
「もの」が先にあるという考え方しかできない人も多いのだろうと思います。
まず一挺一挺の銃があってそれらが組み合わされている、と考えると、実体論的な見方になります。
しかし、現在のその銃のあるがままの存在を考えるならば、その銃の位置や角度や輝き方なども含めて現在のその銃の全ての状態を考慮に入れなければならないでしょう。
そう考えれば、その銃は、他の二挺の銃(実際にはそれだけでなく無数の他の存在)との《同時的な相互作用や共存の関係》においてのみ存在している、
そういう考え方も、理解できるのではないかと思います。
>しかしTrauerodeさんは空を説きながらも「個」も認めるというウルトラCを
>どうやって自らの中で折り合いをつけておられるのか。。。。私にはさっぱりわかりませんw
たぶん抄録さんは、そもそも「空」ということにそれほど関心がないのでしょう。それなら仕方ありません。
「空」=「縁起」ということが理解できる人にとっては、とても簡単なことです。ウルトラCではありません。
例えば、上で書いていたA、B、C・・・は「個」です。
そしてそれらは、関係に支えられて存在するのであって、実体としてあるのではありません。だから「空」です。
前に書いた「波」の比喩で言えば、一つ一つの波が「個」です。そしてそれは「空」です。
>>244で書いたのを再掲します。
>現れては消え、消えては現れる一つ一つの波は、独立して存在しているのではなく、それぞれの波はお互い他によって成り立っており(縁起)、
>また、一つ一つの波が消えていっても、海の水は「不生不滅」「不増不減」です。
>だから、一つ一つの波には「実体がない」(独立自存していない)のだけれども、しかし何も無いとも言えず、
>一つ一つの波が「ある」からこそ、海が成り立っていると言えます。
>>708 :抄録さん
>ただですね、その「いまだ意味化されない生の動き」は、どこにあるのでしょうか。
>それは「あの世」ですか「この世」ですか。
「この世」です。抄録さんと同じように、僕も「一体である」と考えています。
>>716 :唯意味論さん
>貴方は個別の存在者(項)には「実体がない(空)」といいながら、他方、
>「実存」などという言葉を平然と使う。
唯意味論さんは、言葉の意味(その言葉で言おうとしているのはどういう事態であるのか)を、もっと良く考るようにしたほうがよいですね。
「空」にしても「実体」にしても、唯意味論さんは言葉を、なんとなくの雰囲気で考えているように感じますよ。
さて、「実存」ですが、僕は「実存は本質に先立つ」というサルトルの言葉を、ここに何度も書きました。
この言葉を見ただけでも、「実存」が「実体」ではないことは、すぐに分かるはずなのです。
「実存は本質に先立つ」、ということは、「実存」には「本質」はない、ということです。
もし「実存」に「本質」が含まれているのならば、「実存は本質に先立つ」という言い方は成り立ちません。
前スレ919-920で引用した「実存」についての文章でも、それは【決して「何々である」のではない】とはっきり書かれていましたし、
このスレ
>>399で引用した永井均の文章にも【何『である』とも言えない】と書かれていましたね。
つまり、「実存」には「本質」が含まれていないのです。
「本質」がないのだから、それが「実体」であるはずがないでしょう。
(唯意味論さんも僕も、少なくともこのスレでは「実体」を「自性」の意味で使っています。
そして「自性」には、そのものをそのものとしてあらしめる固有性、つまり「本質」が不可欠なのであって、
唯意味論さん自身が、「自性」と「本質」を同意語として使っています。例えば
【「対象に《自性》はない」と。 つまり本質、実体、実在はない、といいかえることができる。】)
さて、おそらく唯意味論さんは、「実存」の「実」という漢字からの連想によって、「実存」と「実体」「実在」を結びつけて考えてしまうのでしょう。
「実存」は‘Existenz’の訳語ですが、‘Existenz’はもともと「本質」の対立概念なのです。(ラテン語では‘existentia’と‘essentia’)
‘existentia’と‘essentia’は、それぞれ日本語では「現実存在」と「本質存在」と訳されます。
「実存」は、その「現実存在」という訳語の短縮形です。
(以前は‘Existenz’の訳語として「現存」などもありました。)
>>716 :唯意味論さん
>“実存”“実在”と私たちが受けとる諸現象は「空」というのが『心経』
>の主旨。それには貴方も同意されているのでは?
そうです。空ですね。 しかし…
同じ語(「空」)を、違う意味で使っていることを僕が何度も指摘しているのにもかかわらず、未だにこういう質問をするのは、どういうものでしょう…
唯意味論さんが「空でしょう?」と質問し、僕が「空ですよ。」と答えても、それでは会話は成り立たないのです。
唯意味論さんは「空≠縁起」、僕は「空=縁起」、と、まるっきり違う意味で「空」と言っているのだから。
『般若心経』については、僕は、そこから「空=縁起」の思想が読み取れることについて、たくさん書きましたね。
「色即是空、空即是色」についても、「不増不減」などについても、「罣礙なし」についても。
それに対して、唯意味論さんは、『般若心経』からは「縁起」の思想は読み取れないと主張しているにもかかわらず、その根拠は何も書いていないと思います。
『般若心経』から「縁起」の思想は読み取れない、と主張する根拠は何ですか?
>>717 :唯意味論さん
>どんな“信念”も無根拠であり、正当性を主張するそれは欺瞞である…
>を証す道具として“意識的相関”を用いている、と断ったはずです。
証す道具として…
その「証す」ことも、「正当性を主張する」ことの一種なのです。そこに気づきませんかね…
(気づいていないから「証す」などという表現をしてしまうのでしょう…)
だからそこに、僕がこの前書いた「相対主義者が陥る自己矛盾」があります。
唯意味論さんの考えを一貫させるならば、【「意識的相関」よりも前には遡れないのである。】という唯意味論さんの考えも、
【想像の産物にすぎない】のであるから、そのような【想像の産物にすぎない】ものには、「証す」力などないのです。
>>700で僕は、【その相対化は、自分自身にもはね返ってきます。】と書きました。
相対主義者は、全ての主張を相対化するとともに、自分自身の主張も相対化します。
それは言い換えれば、自らの主張の《力》、「証す」《力》を放棄しているということです。
>>718 :唯意味論さん
>実体がないもの(空)は、関係できない。
>私の主張はそれだけです。一貫しているはずです。
一貫しているというより、同じことを繰り返していますが…
唯意味論さんは、ただ、同じことを繰り返しているだけで、それがどういうことであるのかを説明していません。
まずは、この前の
>>702と
>>703の僕の質問に答えてほしいと思います。
それによって、唯意味論さんが考えている「関係」がどういうことであるのかが、ある程度分かってくるのではないかと思います。
それに加えてもう一つ、僕が前から疑問に思っていることを質問したいと思います。
唯意味論さんが【意識と現象は相関している】と言う場合の「相関」も、「関係」であると思いますが、
そのことと、【実体がないもの(空)は、関係できない。】という唯意味論さんの主張を合わせて考えると、
唯意味論さんは「意識」と「現象」とを、「実体」として考えているということになると思います。
唯意味論さんは、「意識」と「現象」を、「実体」と考えているのですか?
>>728 >その「一般化できない気分」の《中身》、つまり具体的内容は、やはり一般化されていないのではないか…ということです。
私が「一般化」なんてものにこだわるのは、貴方が
>>588に於いて
>抄録さんが【「意識」は「私」と“同じレベルで特別である”】と言う時には、その「意識」や「私」は、唯意味論さんと同じく、
>概念化・対象化された「意識一般」「自我一般」の話になってしまっている感じがします。
といわれた、この「意識一般」「自我一般」とは、いったい何を言っているのか
分からないからです。
「意識一般」とは何ですか?
一般化された意識とは、いかなる意味で一般化されているのです?
貴方の言われるところの、<この意識>が“一般化され得ない”のだとすれば、
凡そ、意識と呼ばれるものは、何をどうやっても、一般化などできないのではないですか。
それでも貴方の言われる「意識一般」なんてものに意味があるのであるとすれば、その場合には
語り得ない「意識そのもの」「感覚そのもの」も一般化され得る、としなければ
私としては整合性が付かないのです。
あと、
・「不成立」について
ある事態が、あらゆる意味に於いて理解できない場合、
それは「不成立」「無意味」となるであろう、ぐらいの意味です。
例えば私が第六感ならぬ第七感を持っていたとしても、それは誰にも(微妙かw)理解され得ない訳です。
コウモリの感覚は、あらゆる意味に於いて人間には理解不可能なのです。
(※私は不可知とかも不成立なものに含めています。不可知なんか無意味なのですw)
737 :
唯意味論:2010/11/19(金) 17:21:22 0
長いレスを感謝。
>>734 必ずしも正当性を主張するものではありません。むしろ自爆の立場です。w
相対主義とは、そういうものです。開き直っているのでもありません。
>>733 「空」に反対の意味があるのなら、解釈が分かれるのは当然かと。
違いが明確になってよかったのでは? 規則とか秩序の意味は調べてください。
ところで“縁起”はラテン語では何というのですか。
>>735 意識的相関は、貴方の指摘されるように「想像の産物」です。
したがって“意識的相関なる現象”が仮象ということはありえます。
>>729 >最初からあるというより、A、B、C、D・・・は、同時的に成立するということだと思います。
言われようとしていることは分かりますよ。
しかしながらその場合に、
総体としての「S」(=A+B+C+・・・X:但しA、B、・・Xは未分明)が初めからある、とするわけですね。
そうでなければ、関係を保証できる、何ものをもが霧散し、
凡そ、無から全てを生じせしめるのと同じ、となってしまう。
そこでですね、
このSには「既に」貴方の言われるところの「いまだ意味化されない生の動き」が含まれているわけです。
この「意味化されない生の動き」がSの要素としてうごめきながら要素と関係とを「同時に成立させる」とするなら、
その「意味化されない生の動き」は既にして「主」であり、「個」なのではないですか?
もしそうではない、といわれるならば、それはあらゆる意味で言語によって表現することは不可能であるのみならず、
理解不可能であり、「無意味」となるしかないのではないですか。
現代物理に於いて物質の根源も、もはや感覚的な「もの」とは言えない状況で、ほとんど「関係」しかないわけですが
それでも物質は消滅しないのです。
なぜなら、
「位置を仮定しない存在など扱えない」
「その仮定される座標軸に於いて、現象の連続性が常に成立している」
からです。
貴方は嘗て「関係の連続性」と言われた。連続性を仮定する限り、実体を消去することはできないでしょう。
>>731 >関係に支えられて存在するのであって、実体としてあるのではありません。だから「空」です。
「無」から全てを作り出すのでなければ、
実体を消去することなどできないのです。
関係あるところには実体ありなのです。
その関係を「主」にするならば、それは関係の実体化となるのか、
と思いきや、そうもならない。
なぜなら、関係は空間にも時間にも先立つことが無いからです。
関係が関係となるためには(それが言葉遊びでないとするなら)常に空間が要請され、
空間に位置を占める対象は、常に実体の地位を保持するからです。
それが不服なら、関係から空間も時間も全てを構築しなければならない。
現代思想というものは、物理の概念をつまみ食いしながら、部分的に解体し
さも全てを解体・再構築可能であるかのように喧伝する。
全くもってけしからんですわw
実体の反対語として適切なのって属性とか副次だと思うんだよな
ある対象が実体ではないとする時、それは何かに従属してある。関係に規定されてある(属性である)となる。
ある対象が実体であるとする時、それは何ものにも従属せずにある。関係から独立してあるとなる。
例えば意識が何ものにも影響を受けず恣意的にある。とするとき。意識は実体であるとなる。
で、構造主義とかはそうした実体視された対象は属性であり実体でない。と
相互に関係されあってある。となるんだろう。
交差点で肩がぶつかった。
出掛けに喧嘩をしてイライラしてるAさん。
「ちゃんと前見て歩け!」と罵倒する。
「ささくれた心理状態」が「怒り」を「生じ」させ、「罵倒という行為(口業)」を引き起こした。
これから、久しぶりに恋人とデートのBさん。
「あ、すいません」と謝る。
「喜びと未来の期待」等が「怒り」へは結びつかず、寧ろ「謙虚な(寛容な)心的状態」を生じさせており、
「柔らかな謝罪の言葉(口業)」を引き起こした。
これが、「縁起」の根幹であり、どこにも『実体』の登場が要請される必要はありません。
続けて文句垂れ流すわけですが、
「いまだ意味化されない生の動き」とはなんぞ?
この何らの規定性をも拒絶するすっとこどっこい。
このスレでよく云われる「存在」なんかと似てますな。
無規定であるが故に、なんでも出てくる魔法の壺となってしまう。
揚げ足取りの転倒かもしれんですが、
窒素100%の気体に「いまだ意味化されない生の動き」を作用させると
変動する関係性によって酸素が成立しますか?
夢みたいなことばかり言わんでください。
「いまだ意味化されない生の動き」が魔法の壺であることを容認しないなら、
それが適用される範囲は制限されており、規定化されているでしょう。
実体、本質、属性
このような言葉によるカテゴライズ(?)は、
それが意味を持つ範囲に於いて意味を持つ(当たり前かw)。
椅子とか蜜柑とか、そんな話でならいくらでもやればいい。
その適用に無理があると分かったなら、それは修正されなければならない。
無限に形而上に拡張するなど馬鹿げている。
前にも似たようなこと言いましたけど、
何らの関係性をも持たない「実体そのもの」なんぞ、単独分離された状態でありようがない。
なら、実体なんぞ無いのか?
関係とはなんぞ?
それが函数技術の範囲内にあるかぎり、必ず「何か」についての関係となってしまう。
ではこの「何か」を函数に解消できるのか?できない。
それを解消するなら、函数を解体しなければならない。
世界は現象しており、動いており、
生きていること、生かされる世界があること、を積極的に肯定するなら
そこに実体など無い、とするなど折り合いがつきませんw
まあ、実体など無いとしても問題ない、とするなら、これは信仰の問題となるのか。
信仰かよw俺がーw もうやめたい。つか やめます。。。
744 :
唯意味論:2010/11/20(土) 12:29:46 0
>>743 おっ、抄録さん、冴えていますね。ww
>>732 Trauさん
昨日は疲れぎみでもあり、貴方の“縁起主義”的言説に聞き飽きたこともあって
レスを流しましたが、長文に比して、あまりにも誠実さに欠けるので…
サルトルは“実存”という言葉を特異な、というか極端な使い方をしている。
存在者のなかで実存しているのは「人間」だけである。
他は、本質(実体)規定された存在である。
サルトルの“実存”は、それゆえ“自由”の別名でもある。
が、一般に“実存”は「本来的なありよう」を指す。“実在”とは概念が重なる。
貴方も、それらしいことを述べていたと思う。“実”つながりである。w
が、貴方によれば、実存は“実体”とは対立概念である。はたしてそうか。
“本来的”とはいかなる意味か。「元来」「元々」という意がある。
「元々」は「変化のない、もとどおり」の意。
奇しくも“本質”と意味がかぶってしまうのである。
これも“実”つながりの帰結である。w
なぜ“実存”“実在”“実体”を並べたか、お分かりいただけたと思う。
むろん、いいたいことは別にある。
745 :
唯意味論:2010/11/20(土) 13:19:35 0
>>732 少し前に貴方は「言語は差異の網である」を引用していた。
それはいいが、この差異の網の“性状”が、あちらとこちらとでは相当に異なる。
“実”つながり三題噺を試みたのは、それを示すためである。
以前にも述べたように、あちらの言葉どうしは互いを打ち消しあう。
とりわけ対立概念を持つ言葉どうしなら、それらが巡りめぐって一致することは
なかろう。(ちがうかもしれぬ)
が、この国の言語の網は打ち消しあいつつ凭れあう、緩い差異の連環である。
つまり言葉同士が縁起している、といってもよい。w
「実存が本質」であっても差し支えない風土に、私たちはおかれている。
「所詮は方便」なのである。
むろん、いいたいことは他にあるが、それはいずれ。
746 :
唯意味論:2010/11/20(土) 13:40:57 0
>>727 これにも返しておくか。
佃煮氏はピカ氏ではないのか。失礼しました。
波平氏の名前は知っている。ピカ=波平=佃煮と思い込んでいた。
最近、波平さんの書き込みは読んだことがないし、またレスしたことは
一度もありません。ピカさんのとき以来、突っ込まれるのをイヤがるので。
それはともかく憎むどころか、ピカさんのときから、温かい目で見守って…
ではなく、見上げてきました。w。
それから、私は機械さんの自演コテです。よくわかりましたね。www
仏教の話も実存の話も、
この議論は、唯意味論さんの完敗でしたね。
抄録さんも唯意味論さんも、もっとじっくり考えてレスすればいいのに。
Trauさんの書き込みペースを見れば、即レスする必要はないでしょぅに。
>>744 冴えない。
>>748 俺がじっくり考えても、なーんも変わらんよ。
やっつけで書きながら考えるのが気持ちいい。
今日潜ったところまで、明日潜れるとは限らない。
最近は「ああ、あの時に見えたはずなのに・・・気のせいか」
と思うことも多い。
素潜りではスモ氏に勝てないけどねw
>>644を頼りにずっと考えている。スモ氏、もう少し説明しろw
Trauerodeさんは
>>731に於いて
「いまだ意味化されない生の動き」は「この世」にある、一体である、と言われた。
私に同調してもらった形になっているのだが、何故だか釈然としないのである。
これだけ齟齬があるのに、何がどう一致しているのか分からないのだ。
「境界と対象と関係」が同時に成立するとはいかなる事態なのだろう。
「いまだ意味化されない生の動き」には、強烈に観念論の匂いがして
私には迂闊に近づけないw
この「生の動き」とは結局は観念なのではないだろうか。
それが観念ならば、俺にとって、その由来は「あの世」である。
しかしTrauerodeさんは「生の動き」は「この世」にあるという。
「この世」とは何だ。
私の言う「この世」とは、「最初から意味を持つこの物質世界」なのだ。
意味はヒトに由来するのか。私の立場はそうではない。
意味の由来は物質側にある。
対象間の境界や関係を設定できる原因は、対象側の秩序のありように由来している。
意味とは、ヒトがゼロから創造できる代物では断じてないのである。
きっと俺はこう思われている
「対象化する作用そのものが観念に依存するのだから、そんなことを言っても始まらねーじゃん。」
・・・確かに、全く、いちいちその通りなのだが。。。
神→私→意識&観念&思惟→感覚(→外界?)
この一次元構造でいいのか?
「ヒトにより設定される物質世界の秩序」は
「物質世界を設定するヒトの思惟」に間違いなく影響しているのである。
しかし何をいかように規定しているのかは「不可知」となる。
不可知だと???
どこかにミッシングリンクがあるのか。
どこにもないのか。
「規定する作用(≒思惟)そのものを規定することはできない」
というのは、単なる思い込み、と言う可能性は無いのか。
抄録氏が何を悩んでらっしゃるのかよくわからないのですが
大雑把に思惟と物質世界の秩序が影響し合っているということで
納得できませんか?
物質世界の秩序の影響の方が思惟のそれよりもはるかに大きい
とは思いますが。ま、大雑把な印象に過ぎませんが私はそれで
納得できますよ。
>>752 もちろんそれで納得すればいいでしょう。
しかしですね
貴方のような常識人がある日突然、マトリックス世界の呑み込まれるのです。
「この世界は夢のようなもの」
「この世界は嘘の世界」
「この世界は仮想現実」
「映画のトロンはあり得べき話」
「世界には情報しかない」
・・・・云々
哲板は、このマトリクスの悪魔にほとんど制圧されているといってもいいw
私は、これをイカサマだと確信し、このトラップは逃れた「つもり」だったが
しかし物質の意味の全てが「この意識」に於いて開闢するが故に、
物質側からこの意識を説明することができない。さらなるトラップですw
徒手空拳の無力感ゆえに、あほみたいに暴走しているのです。はっはw
754 :
attk:2010/11/21(日) 12:45:23 0
人間の文明が発展する中で人間社会の価値観が出来上がる
人間はその中で生まれ人間として育てられる。価値観を教えられる
大多数の人間はそこに疑いを持たずに一生を終える
優劣、良し悪し、善悪、美醜、富と貧困、幸福と不幸、生死
その価値観に囚われる。いや人間である事にその前提が含まれているとも言える
囚われている事の自覚がある者にとっては、世界が幻想である事は明らかだ
しかしそこは本来、知性が認識すべきスタート地点でしかない
幻想である時点で全ては自由だ。根本は白紙だ。描かれた絵は幻想だったのだ
誰でも自分の価値観を白紙に戻して再構築する自由がある
現実という幻想を拒む自由がある。しかし現実は強固だ。その幻想は強固だ
そこを抜け出そうとする人間は人間でなくなる。社会からは無視される、抹殺される
自分自身の生きる意味を見失う
いや、見失ったと思ったときも実は既成の価値観に囚われている
そのからくりを認識する事は出来ても、抜け出す事など出来ない
と、その幻想を抜け出す事をもがく者は考える。失望する。囚われ続ける
結局それは知性の一人歩き。知性なんてただの道具に過ぎないのに
知性を操っているはずの者が、逆にその知性に操られて混乱しているだけの話
いつだってどんな時だって、我々は「生きたい」という動力で生かされているだけの話
「〜だけの話」とか、知性を相対化する知性で“しかない”。
さらに「〜しかない」と言った時点で相対化の相対化。
いくらでも「でしかない」話は続くわけだが
「でしかない」と決めるのは貴方じゃあない。
でしかない話を楽しみましょう♥
attkさんに必要なのは哲学じゃなくて芸術(狂気)
かな 本物のOrgasm w
>>753 あなたの悩みを解消してさしあげたいのですが、やはり理解できないので
もう少々質問したい。
まずマトリックス云々のトラップとやらをイカサマだと確信した時点でのあなたは
未熟であったという認識をお持ちですか?
そして現在の「この意識による開闢」云々との認識は覆される可能性が無いと
認識されてらっしゃいますか?
758 :
唯意味論:2010/11/21(日) 17:58:48 0
>>747 そうですか。甘受いたします。
で、貴方はTrauさんの「空=縁起」論に納得されたわけですか。
結局、私には彼の根幹の概念である“縁起”の意味がよく理解できませんでした。(苦笑)
辞書を開くと、縁起とは「万物の起こり、由来」とある。
仏教の解説書には「間接的な原因」とも記されている。
改めてお訊きしますが、縁起は“実在する”のですか、しないのですか。
それは規則的なものですか、非規則的なものですか。
よければ貴方の口から、具体例を通して説明していただきたい。
彼はニーチェからハイデガー、サルトル、ソシュール、丸山、廣松…等々の一節を引用される。
ケムに巻いているようにしかおもえない。教養は隠し味につかっていただきたいもの。w
(たとえば、地球と私のあいだには、どういう“因縁”があるのですか)
>>757 >あなたの悩みを解消してさしあげたいのですが
いや悩んでなどおらん。趣味です。胡散臭い話が気に食わない性分なだけで。
>マトリックス云々のトラップとやらをイカサマだと確信した時点でのあなたは未熟であったという認識をお持ちですか?
未熟だったのかな?分かりません。
昔の自分のレスは恥ずかしくて二度と見たくないのは確かだ。
>現在の「この意識による開闢」云々との認識は覆される可能性が無いと認識されてらっしゃいますか?
いや、可能性が無いのかどうかも俺には分からない。
>>759 そうですか。
私の見解ですとあなたは確信していたことを一度覆された経験をされた
ということになるんですよ。そこであなたは大事なことを見落とした可能性が
高いんです。あなたは「この意識」に於いてしか物質の意味が開闢しない
ということに目を奪われてしまったわけです。
そこで目を向けるべきことはご自分の「確信」があっさりと覆されるものである
という事実です。ということは現在の認識も覆される可能性があるということ
に気付くべきだったんじゃないでしょうか。
>>760 >あなたは確信していたことを一度覆された経験をされたということになるんですよ。
いやそうではなくてですね、
以前から、この世界がマトリックス世界だなんて胡散臭い話だが、しかし否定することはできないのかな、
と釈然としない気分だったのだが、
その(マトリックスの)想定は、どうやっても無意味にしかならないと確信して安心したのです。
とくに「確信が覆された」という訳ではないですよ。
「物質が意識に於いてしか開闢しない」かどうか、昔も今も胡散臭く思っています。
といって、それを否定したり無意味化できる方法論も私は持っていない。
貴方はそれを持っておられるのですか?もしそうなら是非にもご教授下さい。
>現在の認識も覆される可能性があるということに気付くべきだったんじゃないでしょうか
できるだけ気付いていきたいと思います。
762 :
スモ:2010/11/22(月) 00:05:35 0
>>739 >関係あるところには実体ありなのです。
>その関係を「主」にするならば、それは関係の実体化となるのか、
>と思いきや、そうもならない。
>なぜなら、関係は空間にも時間にも先立つことが無いからです。
>関係が関係となるためには(それが言葉遊びでないとするなら)常に空間が要請され、
>空間に位置を占める対象は、常に実体の地位を保持するからです。
>それが不服なら、関係から空間も時間も全てを構築しなければならない。
>>742 >揚げ足取りの転倒かもしれんですが、
>窒素100%の気体に「いまだ意味化されない生の動き」を作用させると
>変動する関係性によって酸素が成立しますか?
>夢みたいなことばかり言わんでください。
>「いまだ意味化されない生の動き」が魔法の壺であることを容認しないなら、
>それが適用される範囲は制限されており、規定化されているでしょう。
>>743 >関係とはなんぞ?
>それが函数技術の範囲内にあるかぎり、必ず「何か」についての関係となってしまう。
>ではこの「何か」を函数に解消できるのか?できない。
>それを解消するなら、函数を解体しなければならない。
>>751 >「ヒトにより設定される物質世界の秩序」は
>「物質世界を設定するヒトの思惟」に間違いなく影響しているのである。
>しかし何をいかように規定しているのかは「不可知」となる。
>不可知だと???
>どこかにミッシングリンクがあるのか。
>どこにもないのか。
>「規定する作用(≒思惟)そのものを規定することはできない」
>というのは、単なる思い込み、と言う可能性は無いのか。
763 :
スモ:2010/11/22(月) 00:08:21 0
ここからさらに潜れというのか・・・
潜るつもりなのか?
いや・・・
潜れそうな予感がささやくから、おまえはこれらを採り上げたのだろう?
しかしこれは、今の自分では解けそうにない
冗談抜きに30年後になるやしれんw
それぞれについて何事かは語れる
しかし、思考を開拓させるような、抄録氏が期待されるような「ぎゃふん!」は未だ思いつかない
申し訳ないけれども、それが素直な今の気持ちだ、力不足だ
>>761 んー、そうですかw
今も意識に於ける開闢とかを頭っから信じているわけではない。
その辺の心の傾きって言うんでしょうか、胡散臭いとおっしゃるぐらい疑わしい
という印象をお持ちならば私なら切り捨てて別のことを考えますけどね。
完全否定してやろうなんて気になりませんよ。可能性ぐらいは残しておいて
やったらいかがですか?
765 :
スモ:2010/11/22(月) 00:20:04 0
>>762 まず、時間と空間については避けられない問題だ
もうここにメスを入れないと議論は垂直的な進展をしないかもしれない
次の問題は考えるところがあった
>>599でその兆候は示してる
しかし出来が悪くて却下してる
関数の解体については、これはテクニカルな解決になる
ミッシングリンクは難しい
思い込みでない、ということの批判なら出来そうではあるが
>>764 苦悩しているわけでなないので、私の好きにさせて下さい。
道楽ですw
貴方も踊りませんか♥
スモ氏
だから俺の場合は道楽でしかないのだw
こんなところでプレッシャーを感じるなw
もっと気楽にしてえw
俺が悪かったw
すまんw
>>766 余計なお世話だったようですね。失礼しました。
私はレベルが低いんでたまに踊るぐらいにしておきますw
スモ氏〜
潜るのかー
怖えぇぇ
週末にまた来る〜♥
>>766 はーい
770 :
スモ:2010/11/22(月) 00:33:07 0
>>767 いやいや、個人的に最近チャラケテタもんで
真摯に向き合って答えなくてはいかんかなと思うて硬くなったわけだ
しかし、抄録さんは「こっち」に来てるね
文芸臭いのとか嫌ってたはずなのに片足くらい踏み込んでますよw
>>770 「こっち」って「どっち」だ?
ひょっとしてオカルト君行き列車か?
いやいやまさか
しばらく頭冷やしますよ。
>>736 :抄録さん
>「意識一般」とは何ですか?
>一般化された意識とは、いかなる意味で一般化されているのです?
「意識一般」というのはカントの認識論の基礎になる概念なので、まず『カント事典』から引用します。
「意識一般とは、意識の個別的主観的な特殊性や差異性を度外視して、意識をその普遍性において考えたときに言われる概念である。」
そのようにして一般化、概念化された「意識」は、前スレ>919-920で川原氏が言おうとしていること、
あるいは、このスレ>399で永井均が言おうとしていることとは、大きくかけ離れています。
その違いについては、まず、
前スレ>919-920の【「見ている私の目」これはあくまで見るだけであって決して見られ得ないのだ。】
このスレ>399の【意識は対象化する場所であって、それ自体はどこまでも決して対象化されない。】
ということが、決定的に重要なことであると思われます。
>語り得ない「意識そのもの」「感覚そのもの」も一般化され得る、としなければ
>私としては整合性が付かないのです。
ここは意味がよくわかりませんが…
例えば、前スレ>919-920やこのスレ>399で言おうとしていることを、<この意識>と書いたとしても、
あるいは僕が書いたように<←?>と書いたとしても、それは或る意味では、既に一般化されてしまっています。
それは、そもそも表記する(言表する)という行為そのものが、対象化・概念化する行為であるからだと思います。
だからそこで既に「見ている目」が「見られた目」にすり替わりつつあるわけですが、すり替わりつつあるということは、
言おうとしていることと、言表されたものとの間に「ずれ」が生じているということです。
だから逆に言えば、言おうとしていることと、言表されたものとの間にそのような「ずれ」が生じてしまうということによって、
言おうとしていることが、対象化・概念化できない事柄であることが理解され得るのではないでしょうか。
>>738 :抄録さん
>この「意味化されない生の動き」がSの要素としてうごめきながら要素と関係とを「同時に成立させる」とするなら、
>その「意味化されない生の動き」は既にして「主」であり、「個」なのではないですか?
「いまだ意味化されない生の動き」は、Sの要素としてSに含まれるというよりも、Sそのものが「いまだ意味化されない生の動き」だと思います。
この前書いた「波」の比喩でいえば、海面上の一つ一つの波が「個」としての(A、B、C・・・)であり、海水全体が「生の動き」です。
だから、(A、B、C・・・)と「生の動き」は、「一体」ではあるのだけれども、それらは、同一平面上にあるものとして考えるよりも、
「波」と「海水」との関係と同じように、存在の《表層》(A、B、C・・・)と《深層》(「生の動き」)と考えたほうが分かりやすいのではないかと思います。
(ただし、二つの層があると考えてしまうとまずいので、あくまでも一体のものとして)
ところで、丸山圭三郎は、「言葉」以前のこの「生の動き」を、「混沌とした連続体」とも言っていたわけですが、
そういえば、前スレ>884で引用した『嘔吐』でサルトルが書いていたのも、同じようなことでした。
「言葉」が消え失せたところに残ったものを、サルトルは「軟くて無秩序の塊」と書いていたのでした。
井筒俊彦はこのことを、存在の《表層》《深層》としてではなくて、意識の《表層》《深層》として捉えています。
「サルトル的〈嘔吐〉の場合、あの瞬間に意識の深層が垣間見られることは事実である。 もともと言語脱落とか本質脱落とかいうこと自体が、
深層意識的事態なのであって、それだからこそ〈存在〉が無分節のままに顕現するのだ。しかしサルトルあるいは『嘔吐』の主人公は、
深層意識の次元に身を据えてはいない。だから絶対無分節の〈存在〉の前に突然立たされて、彼は狼狽する。・・・
では、表層意識に身を置く人が、絶対無分節の「存在」を、どうして「嘔吐」的にしか受け取れないのかといえば、それは無分節の「存在」を、
あくまで「……の意識」の 志向対象として、しかもそれが直接に開顕したままの姿で、じかに把握しようとするからである。
これは表層意識にとって堪えられるようなことではない。 」(井筒俊彦『意識と本質』)
>>739 :抄録さん
>「無」から全てを作り出すのでなければ、
>実体を消去することなどできないのです。
「実体」ではなくて、「有(存在)」で良いのではないでしょうか。
>>750 :抄録さん
>意味とは、ヒトがゼロから創造できる代物では断じてないのである。
僕もそう思います。
だから僕は「いまだ意味化されない生の動き」という考え方に共感するわけです。
>この「生の動き」とは結局は観念なのではないだろうか。
おそらく観念ではありません。また、物質でもありません。
そこに、この考え方の大きなポイントがあると思います。
最大の「トラップ」は、人間の二元論的な思考法にあると僕は思っています。
その中でも、ここで特に問題になるのは、デカルトによって確立された「物心二元論」です。
「存在」を、「物」と「心」という全く《異質》なものに分割したことによって、両者の関係が説明困難なものとなってしまったと思います。
(デカルト以降、哲学の難問の一つになった「心身問題」は、今も「心脳問題」として続いています。)
「意味の由来」についても、抄録さんのように【意味の由来は物質側にある。】と考えるとしても、
あるいは《意味の由来は精神の側にある。》と考えるとしても、どちらにせよ釈然としないものが残ると思います。
その根本的な問題点は、「存在」を、「物(物質)」と「心(精神・観念)」という全く《異質》なものに分けてしまったところにあると僕は思っています。
現代自然科学の「自然」は、デカルトの物心二元論に基づいているので、「心」や「命」とは異質な「物質」の学としての物理学が基礎になっています。
それに対して、デカルトの物心二元論以前の自然観には、例えば古代ギリシャの「自然(フュシス)」概念があります。
古代ギリシャの「フュシス(自然)」は、「物」と「心」とが分かれる以前のもの、つまり「心」や「命」を含む「生きた自然」です。
「いまだ意味化されない生の動き」も、そのような、「物」と「心」とが分かれる以前の「生きた自然」だと思います。
そのように、根源にあるのは「物質」でも「精神」でもない「生の動き」であると考えると、「意味の由来」についても、
抄録さんが書いていたような、《物が心を規定しているのか》あるいは《心が物を規定しているのか》という二者択一的な問題にはなりません。
それが二者択一的になってしまうのは、やはり、「物(物質)」と「心(精神・観念)」とが全く異質なものとして考えられているからでしょう。
異質であるから、スムーズにつながらないのだと思います。
「人」には、「自然」に対して受動的である(それによって規定される)という側面もあるし、
また、「人」は、「自然」に能動的に参加している(それを規定し、つくり変えている)という側面もあります。
「生の動き」のように、「自然」を「生きた自然」と考えることによって、「人」と「自然」とを《同質的》なものとして考えることができるので、
その「受動」と「能動」そしてその交差点に立つ「人」とがスムーズにつながる(循環する)と思います。
「物」と「心」を異質な物と考えるところに問題があるなら、「物」と「心」の同質なところを指摘できないとおかしい。
異質、という言葉遣いに問題があるなら、「物」と「心」が異質ではなく、どういう関係なのか。
像によって結ばれるようなものであり、対義的におくことのできない、位相のちがった関係にある物なのか。
778 :
考える名無しさん:2010/11/25(木) 19:22:31 0
なんだ、なんだ、これは
機械が出張
唯意味が出向
たちまち過疎化か
がんばらんかい 抄録のおっさん
機械と唯意味が同一人というのはほんとか
779 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/25(木) 20:19:53 P
しばらく休みたい。
私はとんでもない思い違いをしていたように思う。
「動的秩序」とか、欺瞞に満ちたオカルト用語は一時撤回する。
ボーアの親父に訊いてくるので
気が向いたらまた来るかもしれん。
**********
どれほど「なりすまそう」とも、人は自らの美意識までは捨てられない。
機械さんと唯意味論さんの美意識は全く違う。
「言葉」に対する自らの執着の具合まで自由に制御できるなら
それは天才ですらない。
この精神病棟の担当は私です
ぼーっとしとらんと、さっさと診察せんかい
782 :
考える名無しさん:2010/11/26(金) 01:41:44 0
>>781 ,,-――-、
,/ \
./ ...-ー、,-─ . l
| .<二>、<二> .|
| / ー-' ヽ / 杜玖椀の奴隷でいることが
/\ ヽニソ ,/、 つのがらいんじゃろ?
/ ___ ゙ ,:-'´ 丶
/´ ヽ` ̄ ー-゙:.、
i - 、 `ヽ_
l: 、.: ヽ ゙i"
! i ; n .:c.: ', _..ハ
| ハ/ { _,..-ァノ 、r‐、>ー ヽ
| ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 /
/⌒\
./ ::: \
,..--‐‐‐‐‐‐‐"/ /⌒\::: \
/::::ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;《 / \::: \
|::::::::::/ 《_/ヽヽ \::: |
.|::::::::::ヽ ........ ┃ .....|:|  ̄
|::::::::/ ) (. .||
i⌒ヽ;;|. -=・=‐ .‐・=-.|
|.( 'ー-‐' ヽ. ー' |
ヽ. /(_,、_,)ヽ | わしのオススメするセンゴクジュースは飲んだのかね〜?
| `イ´ ‐-(. r' ´、゙゙''! ,i::::{ ー- 、
| \ `| ;t=、:.:.`・ノ ゙ヾノ.,/::;r′ /
. ! ヽl、 ヾヾ>:.:.゙! ,/::;/ /
',. `、ヽ:.:. `ヽ、゙"‐'` .,メ /
'、 ヽ \:.:. ._// / /
`、 フ`ー-、____,-.' ´′ ′ /
`、 ヽ ′/ / /
ヽ \ ` ー ′ ' /
. \ , {
i  ̄` ′ !
', , i
ヽ } ハ
\ ′` \
\ 、 ′ `ー- 、
ヽ、 ! ヽ
\ ヽ ',
>、 / |
>>777 >「物」と「心」を異質な物と考えるところに問題があるなら、
問題があるのは、特に、《物が心を規定しているのか》あるいは《心が物を規定しているのか》という二者択一的な問題が生じてしまう点に関して。
(抄録さんの書き方では【意味はヒトに由来するのか。私の立場はそうではない。意味の由来は物質側にある。】など。)
>「物」と「心」の同質なところを指摘できないとおかしい。
「物」と「心」とを異質なものとして截然と分けてしまえば、それは同質なものではありません。
既に異質なものとして分けて考えられているのだから。
しかしそれが截然と分けられたのは、特にデカルトにおいてであり(デカルトは「物」と「心」とを2つの「実体」としました)、
その物心二元論と結びついて自然科学が「物質」の学として発展したことによって、そのように截然と分ける見方が定着した(してしまった)のだろうと思います。
つまり「物質」という領域は、初めからあったのではなく、歴史的に生まれてきた領域だということ、そのことを忘れないことは大事なことだと思います。
>>784 「物」と「心」の異質なところは、「物」が物質であり、「心」が概念であることではないか。
言い換えれば、「物」には「物自体」という実体があり、「心」には実体がない(心に関するデカルトの考えは推論、理解出来ない)。
同質なところは、両者が「言葉」によって名指され、従って両者に概念性がつきまとうと言う点ではないか。
両者を分ける、という行為の(思考の)実態を考えれば、そこには、論理に従った自然なところと、人間の概念
から来る、避けられない、不自然さと同質性があるだろう。
とうとうユビーもこのスレの住人になったかw
ここはあったかい腐海だぞw
永遠にここにいていいぞw
787 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/26(金) 23:53:25 P
Absalomさん健勝であられたか
788 :
154人目のヒト:2010/11/27(土) 00:02:55 O
>>785 グルジェフ氏関連の書籍読んだことありますか?
789 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/27(土) 00:43:23 P
>>773>Trauerodeさん
レスだけ返します。
>意識一般とは、意識の個別的主観的な特殊性や差異性を度外視して、意識をその普遍性において考えたときに言われる概念である。
すいませんが、勝手に自己解決します。
そのカントの引用文が意味を持つのは、我々の個々の意識について、その普遍性を理解し得るからです。
それが無ければ、「意識一般」などには意味が無いのです。
「意識一般」を理解する際に、常に「私の意識」に依りつつ理解している。
それ以外に意識を理解しようがない。
ところが貴方の言われるように、ぼんやりしてると「意識一般」などという「概念」が観念内に成立する。
概念としての意識一般とは、紙に描いた多数の人間に「意識」の文字をはめ込むことができる状態を想起しているにすぎない。
これは、我々が意識一般を理解することとは別の行為でしょう。
「この意識」に依らずに意識を理解することはなく、
「この意識」を理解することが意識一般を理解することになるのです。
(永井は、紙に書いた文字の「意識(or私)」が「意識一般」と成り得るとトラップを仕掛けてるのでは?)
790 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/27(土) 00:51:33 P
あと
「混沌とした連続体」とか「波の比喩」とか「蝋燭の鏡の比喩」とか
このような比喩は、私には意味を持ちませんので、
特に反論はしません。
私も「動的秩序」とかは撤回します。
791 :
あまの:2010/11/27(土) 01:05:53 P
ゴリラより下等な動物は概念を持ってないよ
でも生きて認識しているんだ
792 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/27(土) 01:07:16 P
>「いまだ意味化されない生の動き」は、Sの要素としてSに含まれるというよりも、Sそのものが「いまだ意味化されない生の動き」だと思います。
>「人」には、「自然」に対して受動的である(それによって規定される)という側面もあるし、
>また、「人」は、「自然」に能動的に参加している(それを規定し、つくり変えている)という側面もあります。
>「生の動き」のように、「自然」を「生きた自然」と考えることによって、「人」と「自然」とを《同質的》なものとして考えることができるので、
>その「受動」と「能動」そしてその交差点に立つ「人」とがスムーズにつながる(循環する)と思います。
それが貴方の思想なら尊重しましょう。
私にはそんな毒にも薬にもならない話はぬるすぎてお手上げです。
しかしそれは結局、どこまでも「人」と「自然」を分けて能動、受動を考えていませんか?
交差点とはどこにありますか?
「人」を前提とせずに交差点は成立しますか?
能動も受動も交差点も無い世界で
人を物理現象に還元するのが私の目標です。
793 :
あまの:2010/11/27(土) 01:13:54 P
物と心がこの世界を成しているわけではないと思うよ
同じ現象の側にあるのだから関連であり補完というべきもの
物質が物自体とかw
794 :
決定論:「宇宙(世界全部)」『必然=運命)です:2010/11/27(土) 01:19:00 0
出張は実は軽井沢の「視察」ですので、「半分遊び」でしたが、
家のパソコンダウンは深刻でした。
もともとハードディスクへの信頼性は「数年間」であるため、
「ミラーリング」という手法で「自動バックアップ」している筈の
「VAIO純正ハードディスク(2個)」が「どちらも反応してません」
・・したがって「2個のガードディスク代6万5千円と+技術料6千円」を
払わなければなりません・・という「慇懃無礼・反論不能」の「北京の報道官」
のような「通告」受けつつも、「論理的にHD2台が『同時に』故障す可能性などない」
と主張しました。
何故なら、「ミラーリング+ストライピング」のパソコンなど、日本国には
私一人だと知っていたからです。
「あだこうだ、ああかもしれないがこうかもしれない」やり取りをソニーと
「押し問答」し、結局「新品と同じ」仕様で、いきなり(挨拶文1行もなしで)送られてきました
「結果オーケー」は確かにそうですが、ソニーの「ごねやがって、でも対応できない
から「新品状態」で送り返せば文句はあるまい・・という姿勢は「日本企業の傲慢」を
感じてしまいます。
ちなみに昨日「Xbox360キネクト」を買いましたが、
「これがこの十年以上ゲーム界を支配するであろう」と確信いたしました。
任天堂のWiiが」発売されたときは、初日に購入しましたが、xbox360
は「これからのゲームの『すべて』をリードするだろう」と予言いたします。
「このゲーム機はすごすぎるけど、なんで任天堂やソニーが発想できなかった?』
・・・
このへんが「中高年の『日本に対する憂い』」ではあります。
本日は脳内睡眠物質の蓄積意より就寝させて戴きます。
795 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/27(土) 01:21:20 P
あまの君ごぶさただね。
機械さんが来なくて寂しいですね。
貴方は寂しくないのですか?
私は寂しいよ♥
その「補完」とか、なんか「ぬるい」だろ。
はったりくさいというか。
何をどう補完し合ってるのかね?
796 :
あまの:2010/11/27(土) 01:22:10 P
しかし、物と心って陳腐だよな
そのへんの短大卒の主婦でも言うぜこんなの
んなわけねーだろ馬鹿!!!www
797 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/27(土) 01:24:48 P
言うてるまに御大登場w
機械さん息災でしたか
798 :
あまの:2010/11/27(土) 01:26:45 P
この補完とか関連は唯意味さんが圧倒的な語彙力をもって説明してくれている
大体納得させられる
おれの喩えは「融かされて合金のような状態になった二種類の金属」のようなもの
だから心と物質を分離すること自体出来ないと思う
799 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/27(土) 01:31:21 P
>>798 それが合金である以上、二種類の元素により生じる組織として理解され得るのだ。
そうでなければ、合金ではない。
800 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/27(土) 01:34:52 P
だいたい、心と物質が別の元素なら、心と物質は「別」ってことじゃねーか
801 :
あまの:2010/11/27(土) 01:39:03 P
心も物質も、時間(そんなものがあるのかどうか、正体不明)や空間(主観と独立してあるんだろうかこの舞台が)や因果律に
律せられて、どこにあるのかわからない物自体に等しく転がされているだけと諦めるしか・・
それを生きて認識している者だけが主観というスクリーンに強制的に見せ付けられている
802 :
あまの:2010/11/27(土) 01:52:30 P
世界は、「物自体」と「生きて日々認識している我々」で成っているとしか・・
803 :
154人目のヒト:2010/11/27(土) 01:54:46 O
私と言うところの意識はこの次元のモノではないという解釈で良いですか?脳を見れても精神は不可視ですし。いや、水分子のやり取りの結果意識が生じてるって話もあるんでしたっけ。…でもやっぱりそこに宿ってる→意識は見えないモノ→五次元以上の存在?
804 :
あまの:2010/11/27(土) 01:59:11 P
毎度毎度おれの物言い詰まんなくて申し訳ない
五次元以上とかちょっとオカルティックなのも興味あるな
おれ幽霊の存在も信じているしね
意識は見えないと言うけど、仕組み自体は見えるでしょうし、
そのものが目に見えなくとも、どんなものかは誰でも知っている
その知っている意識をなんとしても可視化したいというなら、
結局それは脳に電極を埋め込んで電気信号から意識をモニターするといった方向になる
言葉、映像、何をどこまでモニターできるかは知らないけど、
資金と時間と実験台さえあれば、大体はモニターできるんじゃないかな
806 :
154人目のヒト:2010/11/27(土) 08:46:38 O
>>804 話合いそう!ワタクシは高校の時に自宅で幽霊(母方祖母)見てから、魂って概念は合ってて不死なのか?と驚きまして。
>>805 意識らしいものをあくまで間接的にしか観測出来ないワケですね…播磨のスプリング-8やCERNで次元に関する新発見ないかし。密かに期待してるんだが
807 :
唯意味論:2010/11/27(土) 12:53:49 0
>>806 その幽霊の話、もう少し具体的に。
夢ではなかった、と貴方が確信している理由も。
まだ幽霊をみたことがないので、いないものと思っていました。
808 :
唯意味論:2010/11/27(土) 13:06:51 0
>>790 動的秩序であれ、混沌とした連続体であれ、それは現われです。
意識・言語・意味に絡みとられている。
で、ボーアの親父さんは何といっていましたか。
809 :
154人目のヒト:2010/11/27(土) 15:56:05 O
>>807 えぇと、高二の冬の夜の話なんですが、二階の自分の部屋から廊下を挟んで向かいの部屋に行く際、左側は階段で居間に繋がってるんですね。で、夜だから階段から居間を見ると光が差し込むかっこう(逆光)になるので、物が置いてあったりすると黒く見えるワケです。
810 :
154人目のヒト:2010/11/27(土) 15:58:18 O
その向かいの部屋に入った時に、階段途中に黒いモノがあった気がしたので、「あれ?何か置いてあったっけ?ていうか何か居たな…」と思って戻って見たら、クッキリと黒い姿の老婆が階段途中に座ってて、居間に体を向けて、顔はこっちを振り向いてる形でした。
811 :
154人目のヒト:2010/11/27(土) 16:04:36 O
シルエットからして和服だったし見た瞬間に母方曾祖母という感じが頭に浮かんだ?ので安心して、部屋に入って物を探しながら「ばあちゃん、母方と縁切れちゃった俺らの事気にかけてくれてるのかもな」と思って、また自分の部屋に戻る時に見たら何も物無かったから、見たんだなと
>>785 :777(Absalom)さん
>「物」と「心」の異質なところは、「物」が物質であり、「心」が概念であることではないか。
意識や心を「概念」と考えると、デカルト以前の哲学の問題の枠組み(パラダイム)に近づきますね。
プラトンがイデアを真の実在と考えて、具体的な個物はイデアの影である(イデアを分有する)にすぎないと考えて以来、
イデア的なもの(普遍)と、具体的な個物との関係が哲学の中心問題になったと思います。
「形相(エイドス)」は「質量」の中に内在する、つまり「普遍」は「個物」の中に内在するというアリストテレスの思想は、
この問題への一つの回答でしたが、やはりいったん分けてしまったものを結びつけるのは困難なことであって、
この問題の枠組みは中世の普遍論争まで続きました。
この「個物」と「普遍」というパラダイムが、デカルトの思想によって「物」と「心」へとシフトしたのだろうと思います。
そう考えると、この問題の発端は、プラトンのイデア論にあると思われます。
>>789 :抄録さん
>「この意識」に依らずに意識を理解することはなく、
>「この意識」を理解することが意識一般を理解することになるのです。
(抄録さんが言わんとしていることを僕が理解しているかどうか定かではありませんが…)
その逆も言えるわけで、「意識」という一般概念によって<←?>を理解しているという側面もあります。
人は教育を受けながら育つ過程で、<←?>が「意識」と言われるものであることを理解する(させられる)ようになります。
(教育とはそういうものでしょうね。)
例えば僕が今何かを「見ている」という事態は、それを<この意識>と言ってもいいし、<この感覚>と言ってもいいし、
あるいは<この思惟>と言えなくもないし、<この意思>と言っても間違いではない。
しかしそれを「意識」「感覚」「思惟」「意思」とする場合では、それぞれニュアンスが大きく違ってきます。
僕が今何かを「見ている」という事態を、「意識」「感覚」「思惟」「意思」という一般概念で説明し、
それを理解することはできるのだけれども、どの概念を使ったとしても、「見ている」という事態は、それそのものではない。
(だから、そういう一般概念を使うよりは多少はましかと思い、僕は<←?>としたわけですが)
(上のことは、僕が
>>698で書いたことと似ています。)
(>「H2O」という式で、どのリアルで個的な水についても説明でき、その説明は妥当性を持つのだけれども、「リアルで個的な水」=「H2O」ではない。)
ところで、<←?>を、<この魂>と、「魂」という一般概念で説明したら、どうでしょうか…
おそらく現代では多くの人が違和感を覚えるでしょうが、昔の人ならこのほうがしっくりきたかも知れませんね。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂」
これは吉田松陰の辞世の歌です。
>>792 :抄録さん
>交差点とはどこにありますか?
>「人」を前提とせずに交差点は成立しますか?
まず、ひょっとすると「能動」と「受動」という概念を僕が唐突に持ち出していると誤解されているかも知れないので、その点について説明しておきますが、
>>751で抄録さんが書いている【「ヒトにより設定される物質世界の秩序」】の「設定する」という行為を、僕は「能動」と言い換え、
【「物質世界を設定するヒトの思惟」に間違いなく影響しているのである。】のほうを「受動」と言い換えています。
(だから抄録さんの考え方でも、「ヒト」が交差点にあると思います。)
さて…
今此処に生きている自分自身が、能動と受動との交差点にあたると思います。
今此処に生きる自分自身を消去したら、そもそも「考える」ことはできないでしょう。
「自分自身」と言ってしまうと、デカルトの「我」と同じように、やや実体化してしまっているので、
今此処にある「思う」という働き、あるいは<←?>でも良いです。
(<←?>に一般概念を入れるとすれば、ここは「能動」の話なので、「意識」よりも「意思」のほうがしっくりくると思います。)
今此処に生きる自分自身は、その「意思」の《基点》(つまり<←?>の矢印の基点)であると考えられます。
(カントの超越論的自我も、フッサールの自我極も、意識の《基点》として考えられていると思います。)
しかしその《基点》も、無から発生したものではなく、生成し成立したものだろうと考えられます。
そうすると、《基点》としての自分自身の成立過程については、自分の意思は及ばないので、それに対しては受動的であらざるを得ません。
815 :
「機械的唯物論」者 ◆fHx/n24uQU :2010/11/28(日) 01:00:53 0
XBOX360なるゲーム機は昔から知っておりましたが、
最近「キネクト」なる「マンマシンインターフェース』を装備した機器と
ソフトが発売されたため、購入しました。
結論は「かなり面白い」です。
逆に言うと「任天堂のWiiは終わり」となるでしょう」と申し上げるほかは
ありません。
東芝の3DTVレグザGZ55も購入しましたが、こちらも「2D→3D変換」
で結構楽しめます。
要するに「リアル」とは何か?・・を判断するのは「五感」しかありえないのですから、
「右目・左目・右耳・左耳から入力される映像・音響情報」が私たちの「脳内に作り出す」
『(志向的クオリアで整列させられた)感覚的クオリア』が私たちの「認識の全て」なのです。
「現実」とか「リアルな体験」とかは全て「外界の情報が脳に入力されてきた電磁パルス信号が
脳に伝わり、脳内に蓄積されている『志向的クオリア(一種のROM)』がそれらを「情報処理」
する結果に過ぎないのです。すまわちそれが「(現在も)意識」の「全て」である
・・ということです。
本日は脳内睡眠物質意の蓄積により就寝させて戴きます。
816 :
154人目のヒト:2010/11/28(日) 01:27:48 O
>>815 俺が見たのも感覚が集約された結果のモノって事?頭に性別とか流れ込んできた感覚も?
結論:俺は当時精神病。じゃなくても思春期に稀に見られる症状。クソッやっぱここでは理解は得られないかorz
結論:俺はスレ違い。うぅ…出てった方がよい?
817 :
あまの:2010/11/28(日) 02:51:22 P
気にしなくていいと思うよ
おれだって3年位前に深夜の交差点で信号待ちしてるとき、右の横断歩道の上に白い顔が
浮かんでたのばっちり見ちゃったもんね
30mくらい向こうだったけど5秒くらい目が合っちゃた
錯覚だとは思えない
そのほかにも見たことあるし
818 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/28(日) 03:46:58 P
>>813>Trauerodeさん
>「意識」という一般概念によって<←?>を理解しているという側面もあります。
>人は教育を受けながら育つ過程で、<←?>が「意識」と言われるものであることを理解>する(させられる)ようになります。
>(教育とはそういうものでしょうね。)
そこに教育がどれほどの効力があるのか、私には計れませんが、
(私としては、それは他者との関わりのなかで「習得」されるのだと思いますが、まあどっちでもいいですw)
我々は<←?>が意識といわれるものであることを普遍的に理解可能である、ということでいいのですかね。
>例えば僕が今何かを「見ている」という事態は、それを<この意識>と言ってもいいし、><この感覚>と言ってもいいし、
>あるいは<この思惟>と言えなくもないし、<この意思>と言っても間違いではない。
ええ、ええ
>しかしそれを「意識」「感覚」「思惟」「意思」とする場合では、それぞれニュアンスが>大きく違ってきます。
>僕が今何かを「見ている」という事態を、「意識」「感覚」「思惟」「意思」という一般概念で説明し、
>それを理解することはできるのだけれども、どの概念を使ったとしても、「見ている」という事態は、それそのものではない。
>(だから、そういう一般概念を使うよりは多少はましかと思い、僕は<←?>としたわけですが)
<この意識>の一般化され得るように思われる最大公倍数的な意味を「意識」とし、
<この意識>の「一般化され得ない」部分ついては「意識」としたくはない、
ということでしょうか。
もしそのような意味なら、もちろんそうでしょう。
しかしそれは普通の「特殊からの一般性の抽出」の作業と同じですよね。
819 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/28(日) 04:15:02 P
>(>「H2O」という式で、どのリアルで個的な水についても説明でき、
>その説明は妥当性を>持つのだけれども、「リアルで個的な水」=「H2O」ではない。)
Trauerodeさんの言う<←?>の特徴的内容とは、どうやらその個物性にあるようですね。
永井の言う<ぼく>とか、最高位氏の言う「この私」についての私の理解は、そんな個物性の話とは違ってます。
それは「正にこの肉体であっても、そこに私が生まれなくてもよかった感」であり、
私の出現は神による奇蹟の創出である・・・と言いたいのだと理解しています。
私としては、これを「水の個物性と普遍性」などの合理的に理解できる話に還元できないのです。
永井を引き合いにされたので少し混乱しましたが、しかしだいたい分かりました。
私が
>>580で言いたかったことはですね、
凡そ意識と呼べるものは、「この意識」しか無いのではないですか、ということです。
最高位氏と唯意味論さんとの対話の文脈の中で、「意識の帰属」についての問題があり、
「誰の意識か」が問題は、「誰の私か」と同レベルの問題である、ということを言いたい訳です。
りんごとかなら、私にも貴方にも共通に、このりんごもあのりんごもあるわけです。
しかし意識とか感覚は、それぞれ「この意識」「この感覚」しか無いでしょう。
なのでその帰属性の問題に於いて、「意識」「感覚」はりんごとは違うレベルで特別でしょう、
ということなのです。
しかしTrauerodeさんは意識とりんごを同じレベルで語ろうとしておられるようにも見える。
(※奇しくも私が一般化を拡張的に使用する意図は<私>の平凡化にあるわけですがw)
820 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/28(日) 04:17:17 P
>>814 私としては、その「基点」とやらを
“理解可能な”物理現象により作り出せる可能性を探りたい訳です。
理解可能ということは、自分の中でコントロールできる程度の情報として
処理したいということなんですか。
822 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/28(日) 04:24:03 P
>>808>唯意味論さん
私としては、意識に先立つものとして、それは皆さんの言われるところの
「超越論的w」に、「動的」であり、また「秩序」が要請されるだろう、
と考えて「動的秩序」とか言い立てたのですが、なんともぬるすぎて・・・
ほとんど思想と変わらん話で、撤回させてもらいます。
もっとこう、「この世」との繋がりが強固な語りを考えたいw
823 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/28(日) 04:27:22 P
>>821 コントロールのよく分からんですが、
物理対象と数理により扱えるシロモノにできる方法論はないものかな、
と夢想しているわけです。
824 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/28(日) 04:29:04 P
>機械さん
ゲームばかりすると情報空間に呑み込まれますよ。
自慢じゃないが、あたくしはゲームなんぞ全くしませんな。
買う金も無いしw
>>818 ×最大公倍数→○最大公約数ですね、はは。。
826 :
唯意味論:2010/11/28(日) 12:29:12 0
>>822 動的秩序を「あらわれ」といいましたが、訂正します。
様々な“あらわれ”を抽象化した概念です。
「混沌の連続」も「いまだ意味づけされない生」も同工異曲。
それらは主観が付与した(あらわれの抽象化)“意味”であり、
それが共有されれば“共同性”をうみだす(らしい)。
(もしかすれば永久に私たちは共同主観しか持ちえないのかもしれぬ)
>>820 以前、最高位陣営に属していた頃w、その“起点”“基点”なる概念を
振り回して唯物主義一派に対抗したものだが、この“点”なる概念は
ヒトによる“発明品”のなかでは最高ランクに属するでしょう。
存在(時空)の果てにそれを立てるか、“私”にそれを置くか。どちらも
意識現象(心的営為)である。この“点”や“線”のような表徴不能の概念を
つくりだす“こころ”と、抄録氏のいう確たる「客観(物質)世界」とを、
どう対応づけるか。抄録氏の前途は多難である。w
827 :
唯意味論:2010/11/28(日) 13:30:42 0
>>819 《私》と『神』の出現は、たしかに奇跡的だが、それらは「心的出来事」で
ある、という点に共通性がある。つまり、ここでも“意識”が先行する。
私や神の“意味”は意識の累積による後づけである。たぶん意識においては、
《私》は『神』に先立っているのではないか。
意識は「この意識」しかない、というのは現前についてはそういえる。
それは現前の対象がそれ(一回性)しかない、ということの証しである。
『水』や『リンゴ』『月』に一般性や普遍性があるのは、それらを抽象・
概念化する“意識”の働きによる。このリンゴとあのリンゴに、昨日の月
と今日の月に、共通性を付与するのは“概念”である。
したがって抄録氏が「意識的開闢は、存在の創世の一齣にすぎぬ」ことを
論証しなければ、この唯心論的二元論は解消されない。w
a
829 :
154人目のヒト:2010/11/28(日) 14:07:02 O
今日は〜
>>817 こわっ!怖っ!目が合ったとか…向こうも驚いたかもしれませんね、
「こいつ見えるのかっ!?」
見えるのが向こうの人達にはわかるから現れてる可能性もあるか…
830 :
唯意味論:2010/11/28(日) 23:17:10 0
>>817>>829 その幽霊なるものは、どのように「ある」のですか。
眼前に一本の木がある。そのように「ありありとある」のですか。
錯覚や妄想ではない、と確信される理由は何ですか。
よければ、教えてください。
貴方たちを含む少数の人たちにしかみえない理由は何だと考えますか。
あるいは、なぜ貴たちにはみえるのでしょうか。
831 :
154人目のヒト:2010/11/29(月) 00:19:21 O
>>830 俺はありありと見えましたね…めちゃめちゃリアルでした。影そのものでしたインパクトあり過ぎました。
今は見えませんけどね。
理由…さぁ?わかったらあれこれ考えなくて良いから苦労しませんよ。そこで見る必要・意味があったのかも知れませんねぇ。
>>819 :抄録さん
>Trauerodeさんの言う<←?>の特徴的内容とは、どうやらその個物性にあるようですね。
それはちょっと(かなり大きく)違います。
前スレ>885を読んでいただければ分かりますが、<←?>に最も特徴的な内容は、「対象化し得ない」というところにあります。
前スレ>919-920の長文を引用した意図も、読んでいただければ分かるように、「対象化し得ない」ということが、どういうことであるかを説明するためのものでした。
しかし>919-920の文章(や>399の文章)を良く読むと分かると思いますが、そこには、「対象化し得ない」ということと「一般化(概念化)し得ない」という二つのことが絡み合いながら含まれています。
(これは川原氏や永井氏特有の問題ではなく、実存的思想と言われる思想に共通した問題意識であると思われます。)
そして、「対象化し得ない」ということと、「一般化(概念化)し得ない」ということとは、深く関連してはいますが、同じことではありません。
僕は途中までは「対象化し得ない」ということを中心に書いていたのですが、なかなか言わんとすることを理解してもらえないようなので、
このスレの
>>398あたりからは、「一般化し得ない」ということについて、「個と普遍」の問題を中心に書いていました。
だから抄録さんとの話は「個と普遍」の問題が中心になっていたのですね。
でも、抄録さんへのレスでも、
>>773では次のように書いていますね。
>前スレ>919-920の【「見ている私の目」これはあくまで見るだけであって決して見られ得ないのだ。】
>このスレ>399の【意識は対象化する場所であって、それ自体はどこまでも決して対象化されない。】
>ということが、決定的に重要なことであると思われます。
>>819 :抄録さん
>最高位氏と唯意味論さんとの対話の文脈の中で、「意識の帰属」についての問題があり、
>「誰の意識か」が問題は、「誰の私か」と同レベルの問題である、ということを言いたい訳です。
これも(同じ問題なのかどうか知りませんが、たぶん関連しているでしょう)僕が書いていた内容でいえば、「対象化し得ない」ということと結びついた問題です。
例えば、
>>72で僕は唯意味論さんに次のように質問しています。
【では、「意味づけ」しているのは「誰(何)」なのか?】
そしてこの問いは、そのまま>919-920の文章につながる、と書きました。
つまり(僕の場合は)、【「誰(何)」なのか?】という問いは、「意味」や「意識」に先立つ(抄録さんの言葉ではおそらく「帰属」する)ものがあるということ、
そしてその先立つ(帰属する)ものは、「誰(何)」という形では答えられないもの(つまり<←?>)であることを示唆する問いなのです。
それに答えてしまえば、(
>>246で書いたように、)【「誰(何)」なのか?】という問いがずっと続きます。
>>826>>827 衰えを知らぬ言葉のアクロバット
分かるような分からんような境界を歩く四次元論評。
心底敬服しますw
貴方の提示する問題に、私には何一つ答える術がない。
俺が真面目な奴なら前途多難どころか絶望して死にたくなるところだが
道楽であり、手段が目的なので自由気儘なのであります。
意識は一つ二つとは数えれない。
なのでそれは最初から空間的な存在とは言えないのだが、
無理矢理に空間化(つまり正統な意味での一般化)して基点を想起すると
トラップに嵌る・・・のかもしれんw
*************
お化けの話もありだすな
私はお化けを見てもお化けとは思わない性分。
なので多分、一生お化けを見ることはないw
しかし、特殊な時空間構造は精神と作用し
妖怪が生まれる余地はあるでしょうw
感覚の正当性をどこに求めるればよいのかしら。はっは
>Trauerodeさん
あとでレスさしてもらうかもしれませんw
836 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/29(月) 01:15:24 P
共産主義者のスレ
838 :
唯意味論:2010/11/29(月) 10:23:19 0
意識の主体(だれが、なにが)は存在しない(のではないか)。
現前は「惰性的に」もしくは「いきなり」やってくる。(乳児は唐突に泣き喚く)
よく“乳児”の例をあげるのは、それがキリエ氏の“主客未分明”やTrau氏の
“実存”に比較的、合致するからである。
乳児に主体意識はなかろう。しかし(サルトル的なそれではないが)実存している。
たぶんその主語は“感覚”であり、一見、それは身体に帰属しているかにみえる。
が、そう単純ではない。
泣き喚かせているのは、不快感や不全感である。つまり「不幸な意識」が身体を
駆使して“必要性”を訴え、発信させているともいえる。w
この乳児期に(具象的)意味や「空間」「時間」の萌芽があるのは間違いない。
この間、意識は常に“図”であり、また一貫して“地”でもあり続ける。
身体は意識を媒介するけれども、それは“地”ですらない。
(なぜ身体が必要だったのだろうか。幽霊に関心を持つのも、その疑問による)
《私》と意味の意味(概念)は同期するのではないか。つまり言語も。
はなしちょっと脱線しますけど
子供の運動会のリレーで、気持ちにからだが追いつかず
コケル親御さんを見ると、意識と身体の乖離を如実に感じますね。
それは走っていた当の者より一瞬早く周りの者が気付き、
走者の「身体惰性運動ではなく気持ちに同期」して、走者を観ていた者に逆説的に、
盲目の手探り的 彷徨える意識態、負の幽霊的な現象を発現開陳させるw
同期観は、当人にとっても(ココロとカラダ)観る側(主客)にとっても
幻想の原因かもしれません。
840 :
解:2010/11/29(月) 19:00:54 0
人間の表層意識ではなく、単なる意識(時に無意識などといわれる)というのは、
「誰がこの主体か?」とかいう表層意識が生じる以前の未分の意識であって、
これの所有者を考えたり、どうしてそうなるのか考えること事態が、
表層意識を生じさせることである。
よって、手をつければつけるほど、単なる意識は矮小化されて表層意識に戻され
分割されて消え失せる。
であるからして、この単なる誰のものでもない意識を究明したければ、
哲学的学術的記述および思考と体系化、哲学化を拒絶するしかない。
それが「言語を超えた世界への突入」だ。
哲学や思想で伝えたいなら、伝えたいそいつが落第する。そういうものだ。
「わかったつもりになったら元の木阿弥」だ。表層意識に還元しただけで報告して満足。
希少だが、学問では無理だとわかったなら、表層意識に還元して学問的記述・反論などせずに、
果ての果ての底まで潜ってみようじゃないか。反対派など放っておけ。
死ぬまで探索してみよう。でなければ、哲学者ではない。
ちょっと深く潜ったらすぐ水面に上がって来て「わかったよ!」と海面で御託を並べる。
哲学者は水面に上がって来てはならない。報告合戦をしてるんじゃないんだから。
死ぬまで探求的に深く深く分け入るものだよ。
841 :
抄録 ◆xOLbFG9QNU :2010/11/30(火) 00:28:27 P
>Trauerodeさん
・対象化し得ない<←?>とはなんぞ。
私は以前、眼球から脳に送られる信号が、脳に於いて何らかの状態を結ぶとするなら
その状態を見ているのはいったい何なんだ?と悩んだことがありました。
これでは結局、脳内に小人を住まわせることになってしまう。これじゃいかん。
あるとき私は、脳を中心とする生命システム及び環境とが
対象感覚と主体感覚を「セットで作り出している」のだ、と思いつき
今はそれで納得しています。
簡単のために、網膜が脳そのものだとしますと(無理矢理すぎるがw)。
網膜に結ばれる像は、網膜により対象化され、視覚となります。
このときに<←?>の感覚も同時に成立する、とするわけです。
(唯物論的には<←?>は網膜自身の生存感覚として理解され得るかもしれません。)
しかし網膜はそれ自体、分裂しているわけではなく、
意識と<←?>との分裂は、成立する観念にすぎない、とも考え得る訳です。
842 :
唯意味論:2010/11/30(火) 11:11:01 0
>>841 本日は、いまいちですね。w
網膜(脳)に像が結ばれる。ここまではわかります。(本当の意味はわからないが)
それをまた網膜(脳)が対象化する。
なぜ、物体である脳が自己言及する必要があるのですか?
生存感覚やそこから生じる観念は脳が生みだすわけですか。
感覚や観念(意識)もまた物質ですか。
843 :
154人目のヒト:2010/11/30(火) 15:03:49 O
>>840 賛同します。
はぁ、体験や思考を直接共有出来る様にならないかなぁ…
それは個を消失する事だと言われそうですが。
一方で、表現するという事が私達にとって絶対必要だからこういう意思表示の仕方なのだとも思いますが。
844 :
考える名無しさん:2010/11/30(火) 15:35:41 0
境界性ユリイカ症候群
>>841 :抄録さん
「対象感覚」と「主体感覚」という区別が、それぞれどういうことを指しているのか、よくわかりません…
それは、先の二つの引用文と内容的につながっていますか? ずれている感じがしますが。
【「見ている私の目」これはあくまで見るだけであって決して見られ得ないのだ。】(>919-920)
【意識は対象化する場所であって、それ自体はどこまでも決して対象化されない。】(>399)
抄録さんの視覚の例でいえば、視覚そのもの(<見えている>ということ)が<←?>だと思います。
そしてその時に「見られたもの」が「対象化されたもの」です。
また、<←?>が<思う>であるとすれば、「思われたもの」が「対象化されたもの」です。
<←?>は対象化され得ないということは、言い換えれば、自分自身を対象化することはできないということです。
何かを対象化するためには、その何かに「対して」いなければならないので、ある意味で、その何かの「外」から見なければなりません。
だから(自分が自分自身の外に立つことはできないので)、自分自身を対象化することはできません。
上の二つの引用文は、だいたいそのような意味です。
それにもかかわらず、そのできないはずのことをしているのが「自己意識」(つまり自己が自己を対象化して見るということ)です。
だから「自己意識」には、パラドクシカルなものがつきまといます。