1 :
考える名無しさん:
今だ!1000げとぉおおおおおおおおおおおお!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
∧∧ (´;;
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ (´⌒(´
∧∧ (´;;
⊂( ゚Д゚⊂⌒`つ; (´⌒(´
∧∧
(Д゚ ;)⌒ヽ
U‐U^(,,⊃'〜... (´⌒;;
∧
゚;)
)〜
ヘ,) )) ) ... (´;
3 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 09:50:28 0
次スレここか
自演禁止ね。
5 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 09:55:32 0
>>3 ID がないとこは困るは。
なんでも自演かよ。は〜(^^)
私はしばらくぶりにきて、最後の所をちょっと見ただけだけど、
ちょっと見ただけで、不自然さは一目瞭然w
7 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 10:02:42 0
>>5 なんでここは導入しないんだろ。ずっと議論あるのにね。
前スレラストはどうみてもレスに自己レスしてる・・・
8 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 10:05:17 0
>>6-7 俺が昨日の夕方くらいかな
レス間隔見て気付いたんだよ。内容はともかくな。
ありゃ一種の精神病だな。
仏教徒でなくてもねらーならわかる。完璧なまでのバレバレな自演。
数時間おきにしか書けないのは連投規制のせいだろう。
となりに座って相槌を打つ役か・・・
そういうのは、マルチ商法とかでよく使う手法なんだけど、
掲示板のログでその手法を使うのは難しいな・・・
ログだけでは難しい。
11 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 10:18:56 0
>>1にさあ
所属名みたいなの宣言してから書き込みするように
テンプレしたほうがいいんじゃない?
前スレ読んでると原始仏教派、中観派、唯識派、大乗なのか密教なのか
もうなんでもありになってる
12 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 10:22:46 0
さあ、自演厨、次に来るのは12時辺りかw
13 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 10:36:00 0
>>11 いやいや、それは基本が分かってないからだけの話。
前スレの最後に「縁起は、あたりまえの事実でしょ」ってのがあるけど、
現代、仏教学だとそんなかんじで説明しているのがほとんど。
しかし、ちがう。まあ、もう言っても無駄みたいだからいわけど。
自演じゃないよ。まあ、これも言っても仕方ないだろうけど。
すべては信じるか信じないか。
14 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 10:51:09 0
>>13 あんたも自演じゃないんだろうけどけっこううざい
自演じゃないと思われたかったらトリップつけてよ
でないと誰ももう信用しないよ
15 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 10:56:03 0
>>14 トリップつけても自演って言うヤツは言うでしょ。
意味ないよ。まあ、見やすくはなるかも?
前スレの自演さんかどうかは分からないが少なくともここに書いてあるくらいの
出典は出さないとな。哲板なんだから。できれば原文もね。
でないと書いてあるだけじゃペテン師にもなりかねない。
まあ仏教徒が上から目線で物言っても現代人には通じない。
まして自演してるようじゃなおさらだな。
>>15 自信がないやつは付けないな。目立ちたいやつ付ける。
19 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 11:07:15 0
>>13 >自演じゃないよ。まあ、これも言っても仕方ないだろうけど。
あなたは、993さん、996さんのどっちなの?
21 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 11:09:13 0
>>11 基本テーゼは決まっている。
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦。
空と縁起。
ああ、996さん役のほうだったか・・・
>>19 それはただのwiki。しかも中論に偏った都合の良い資料集めてるだけ。
怪しいな。フィッシングのつもりか?
中論=
>>19の得意分野のみってことにもなる。
それと経が無い。仏教は経、論、律、三蔵揃って初めて語れるものじゃないか?
24 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 11:21:01 0
おっと予定より1時間早いが現れたなw
25 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 11:27:42 0
26 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 11:34:12 0
>>25 そうだよ。テキストの出典はリンクしてある。
訳はオイラのものだ。
>>23 まあ、確かに中観関係が多い。
『勝義空性経』は教しかもアーガマだ。
ただし、パーリ・ニカーヤには相当経典が含まれない。
唯識もあるぞ。
そんな三蔵全体なんか網羅しても誰も読んでくれないし、
そんなに作ってる時間あるわけないでしょ。
27 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 11:37:39 0
28 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 11:39:55 0
おいおいw自作自演どころかてめえのサイトに誘導して信じ込まそう作戦かよ
フィッシングよりたち悪いぞ
こりゃお笑いだわwww早速VIPに報告してくるわ。
新手の手法だなw
>>26 前スレで真言のあじゃりとか言ってなかったか?
そのわりには密教経典が全く見当たらないが。
>>26 訳はオイラって・・・
正直なのはいいかもだが問題ありすぎじゃないか・・・
2ちゃんのルールその他諸々。
31 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 12:00:31 0
>>27 漢文が張ってないヤツは、漢訳ないヤツだと思うけど。
もしかしたら、脱けがあるかもしれない。
>>28 いやいや、典拠を示せと言われたから、示しただけだ。
信じ込まそうという気はないぞ。
まあ、報告するなら、どうぞ。しかし、哲板は荒れてるな。
>>29 密教に関してネットで語る気はないよ。
>>30 何が問題なのだ? 典拠を示しただけだが。
32 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 12:00:41 0
うっそw
もう信じない。
>>31 中論以外知らないと見た。
もう結構。密教の知識なら私のほうがあると思う。
おまえは語れないはずだ。そして呆れた。
34 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 12:04:52 0
典拠がオレって哲学板でよく言った。ほめてやろう。
そしてさらし者になれ。
996さん
993さん役の人は、もう出てこないの?
役の人ってw
今の人とは別人のようだけどマルチ商法w
>>10お見事だね。
37 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 12:22:37 0
Wikiスレまで立てて、これでホントのお坊さんじゃなかったら
詐欺でアウトだな。今のうちになんとかしておいたほうがいいんじゃないか?
IPでまるわかりだろ。しかも自分で真言の僧侶って言ってるし。
38 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 12:27:59 0
>>34 典拠がオイラなんじゃなくて、訳がオイラね。
きっちり、原文だしてるでしょ。
哲板でも原文の出典と、訳は付けると思うが。
いやはや、まあ、気が済むようにしてくれ、
オイラには一点の曇りもない。
オイラをなんと言おうが勝手だが、
仏教に関して明かに誤っている箇所は指摘するよん。
39 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 12:40:39 0
>>38 虚勢を張ってるようだが一点でも曇りがあったらやばいことになるぞ。
40 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 12:52:52 0
41 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 13:19:32 0
真言宗のアジャリであることに間違いないが、
そんなに特別なことか?
993はまだ?
みんなで993と996の会話を楽しもう。
自演を主張し攻撃的になるような
自尊心を傷つけられるほどの内容には読めんがのう・・
仏教スレなのに、どこにでもいる「ひがみ君」がいるのは
残念というか憐れじゃのう
44 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 14:14:28 0
>>43 そう言うとまた自演って言われじゃうぞ。
オイラはなんと言われようが、正直にしか言わないから。
どうぞ、お続けください。
しばらく鑑賞します。
100歩譲って仮に自演だとしても
内容に一理あればそれでいいがのう
反論することもなく、ひがむだけなんて
心の余裕がないのかのう・・
47 :
前993:2010/03/28(日) 14:37:31 0
仮に自演であっても、
内容に指摘を加えられなければ「やっかみ」の域を出ない。
>>48 認定厨は、たとえIDついてても「繋ぎ変えてる」として認定し続けるから無駄。
スルーが吉。
自演でないなら、「仮に自演であっても」なんて言うわけがないww
51 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 14:46:37 0
真言の坊さんかどうか
真偽は例のウィキを本家に通報すればいい
あとは当事者が決めること
ていうか
自作自演の巣窟スレの内容なんて誰が信じるか
つーの。
あ、アンカーミスったw
ま、いいか。
ついで。
975 考える名無しさん sage 2010/03/27(土) 19:22:35 0
>> 968
唯識に於いては、異熟(vipAka)とは、
「時を異にして熟する」、
「因(縁)の要請と異なって熟する」(善なる因が必ずしも善なる果を結ぶわけではない)
どちらの意味でしょう?両方ですか?
977 考える名無しさん 2010/03/27(土) 19:27:40 0
お時間ないのですみません
>> 968 (・・・おそらく975)
それには種子というものが関係してきます。
盛大な祭りが始まりそう。
オイラさんでいいや。ネットの怖さ知らないわけ無いよね?
54 :
46:2010/03/28(日) 14:49:10 0
わしは第三者だがのう・・w
これも自演かのう・・ww
55 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 14:54:09 0
56 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 14:58:43 0
>>53 どうぞ、どうぞ。オイラは全く嘘も自演もないから。
誰か特定の個人を誹謗したわけでもなく、
ただ、間違いを正しただけ。
その前に、大蔵経について問いがあったので、
ネットで見られる大正蔵、パーリ、チベットの大蔵経を紹介したという
だけで自演と言われたのは参ったよ。
57 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 14:59:37 0
>>47 宗教板の知り合いなら、もっと他のスレでも付き合いがあるんでしょう?
他のスレもたくさん紹介してよ。二人の会話があるところ。
>>47 へえ、そこID出るんだ。だったらそっち移動すりゃいいんじゃね?
>>53 そいつはフィッシングでいいんじゃね?
さすがに自分が作ったWikiの自分の訳をダシに使うなんて
哲板じゃペテン師て言われて当然だわ
>>縁起馬鹿&
>>47 野次が気になるようならfusianasanで続けてみたら?w
気休め程度の防壁にはなるかもよ。
60 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:01:43 0
>>54 言葉づかいがわざとらしいね。
君はどこから参加し始めたんだ?
61 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:01:46 0
>>56 で、マジで真言宗○○派のお坊さんなわけ?
62 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:02:48 0
>>58 じゃ、以後は、縁起スレでやろう。
先ずはオイラから移動しよう。
>>62 ちょくちょく“いっちょかみ”するなら一緒だぞw
(スレ覗いたら、性格的に黙っていられないだろ?w)
64 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:05:46 0
>>61 だよ。以後はどちらさんも縁起スレで、よろしく
遅かったようだ・・・。
67 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:07:46 0
>>63 いやいや、今は自演疑惑を ID で晴らすと同時に
絡んでるヤツが ID 出るスレに何人移動できるかが見物かと。
68 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:09:13 0
>>66 無駄、無駄、そいつは貶したいだけだから、
脅しも入れて言語封殺が目的でしょ。
久しぶりだよ。脅しが来たのは。あいつ以来で、ちと懐かしい。
>>67 こういう時、
自演認定した人間は「移動しない」、「そのスレをチェックもしない」。
また、「議論の内容にも興味が無い」。つか、「その知識を持ち合わせない」。
たぶん、君と47だけだと思うよw
>>67 既に1人移動。こうなるとほとぼりが冷めるまで静かにしておくしかない。
だって、「縁起スレ」に移動しようって言う提案に即座に飛びついて、
自分が真っ先に移動してるんだから・・・
自演の信憑性を高めただけだなww
>>68 あいつってのは電波さん?w
>>70 無理w
ほとぼりは冷めてもすぐ再燃する。
それが哲板クオリティ。
フィッシングにはフィッシングってやつ?
そんなつもりはなかったけどなあw
これで
>>71の言うとおりって感じかな。
>>66 信憑性がないってことだよ。
74 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:16:20 0
>>72 そうそう。あいつに近いは。
脅しが入るとは、不愉快だけど言い方が悪いからなオイラは。
忍辱の対象にしますは。
75 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:19:16 0
>>74 耐えるならこのスレで耐えるべきじゃないか?
責任を取るという意味でも。
向こうのスレを覗いてみたが自演と思しき人は
竜樹が嫌いなのかどうかはわからないが
意図的に唯識学を遠ざけてるな。そんなに難しいかな。
77 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:47:24 0
諦めたらしい。
彼はスレ移動の提案に喜びすぎた。
そしてその反動(反省)がやってきた…
78 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:49:02 0
結局のところ
向こうのスレの2人が哲板にやってきて自演ぽい?こと
(そのように見えても仕方ない。2人の会話だから)てことでおk?
だったらわざわざ哲板に来た理由がわからない。
79 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 15:51:14 0
諦めていなかった…
80 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 16:38:17 0
自演を騒ぐやつの脳みそはノミ並み。
にちゃんでしかものが言えない。
世間に対して怨念がある。
ただただ反応を楽しむだけの低脳。低学歴。
うざい、消えて死ね。
81 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 16:39:08 0
オレは別スレから来たやじうま。
信じないだろうがな。ww
82 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 22:09:53 O
これはひどいな。どうなってるの?これ
83 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 22:29:40 0
妬み、嫉み、僻み、怨みってとこでしょ。
84 :
考える名無しさん:2010/03/28(日) 23:45:00 0
新しいスレという事で来てみましたが
なんとまあ収集付かない状況ですね。
どうしたものか。
ブッダも輪廻の外側で悲しんでるだろうな
86 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 09:36:35 O
縁起からなんたらかんたら。アジャリまで出てたな。竹村健一のラジオで対談してたのを聞いたことがあるが、いい感じの若者だったよ。名前は忘れたが。
ただ、台風がきたときも修行してるというくだりに引っ掛かった。台風が来ないように願うのが正しいんではないだろうか?衆生救済の観点から。
87 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 09:42:59 O
台風がくるというのは、これも縁起で、私は悟っているからといって飛ばされないわけではない。なんとかしようとするのが人間である。まあ、これも業なのだろうが、と、私は思います。
悪い友と交わるな。
卑しい人と交わるな。
善い友と交われ。
尊い人と交われ。
これが諸仏の教えである。
彼は最後のほうは、何人に分裂したんだろう。
しかしIDで自演疑惑を晴らせると思うところなんかは、全く幼稚だ。
90 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 11:12:05 0
>>19のリンク先が自演さんのものだって気付いたのもすごいが
それをあっさり認めた自演さんもすごいな
>>70 ほらねw
こういう反応(
>>71)が哲板なのさw
>>73 そういう返答なら、「誰なら信憑性があるの?」と問い返すしかないが・・・w
>>82 哲板には、もっと酷いスレがゴロゴロしてるだろ?w
>>84 それが哲板の現実。
>>90 そこは、決着スレシリーズを契機に、
彼が「自分が反論する際の典拠及び根拠」のまとめとして、
或いは「対論者の誤読」を明らかにする為に作ったんだから、そりゃ堂々と貼るだろう。
(梵蔵漢の読みにも自負があるだろうw)
同じことを繰り返し述べることになる時はURL一つ貼れば済むわけだし。
原文(漢文)を貼らないところがミソだな
何故「犀の角のように」なんでしょうか?
一人でいることを指し示すなら、他にも表現がありそうに思うのですが、
「犀の角」に何か意味があるなら教えてください。
95 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 11:49:05 0
>>91 こりゃ、生命教や机レヴェルじゃないは、
明かに悪意がある、電波レヴェル、無駄、無駄、
ノイズはスル〜すべしと。学ばせて貰いました。
まだ、生命教や机は、梵蔵漢パの大まかな理解があるだけましだし、
少なくとも悪意で曲解したり脅したりしないな。
しかし、情けないヤツらだ。
>>95 このタイミングだと、また言われますゼw
>>94 前のスレ見る限りなかった。
コピペはあったけどな。
>>97 ああ、「スレに」ってことか。
URL先にあるからいいんじゃね?行数食わないし。
>>98 それをどう訳すかが問題だと思うんだが。
ここに、スレに原文挙げたほうが信頼は上がるだろう。
ほぼ自演確定の自Wikiの自訳と漢文読める他の評価は
微妙に違ってくるんじゃないだろうか。
>>99 なるほど。
まあ、確かに「殴りこみ」「道場破り」の形にはなるわけで、
そうした配慮やサービスはあってもいいのかもしれん。
ワシは、宗教板で付き合い長いし、そうした手順が踏まれてるケースを見てきてるから、
了解済みの前提として捨象して評価してる面はあるだろうな・・。
ただ哲板でそれをやるとコピペだの、盗用だの
うざがれるんだな。まあ宗教系だったら許されるかもしれないが。
機械の宗教破壊工作乙
104 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:13:25 0
>>99 そうそう、訳や内容を観て欲しいもんだ。
テキストはキッチリ示してあるぞ。
漢訳は大正、梵本、蔵訳もそれぞれ典拠が示してある。
なんで自演なんだ。立論の根拠を原典、諸訳と共に自分の読みを
示すというのは非常に良心的だと思うんだが。
今まで別の処でやってきたから、そこを典拠にしただけだが。
いっとくが、オイラはあの wiki を他人のものとして出したわけではない。
自分の読み、主張の根拠として纏まった形で、梵蔵漢と自分の読みを示しているから出しただけだぞ。
人の訳とか出すよりマシだと思うんだが、
>>100 オイラは根拠を出せと言われたから出しただけだよ。
まあ、以降、内容に関するちゃんと根拠のあるレス以外はスル〜するよん。
105 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:14:34 0
こっちが出てきたか・・・w
107 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:17:03 0
>>104 信用度0がのこのこ出てきて何ほざいてんだ?
巣に帰れ。耐え性の無い人間だなw
____
/ u. \
/ u. \
/ u. ヽ
/ ヽ
| u. |
.,i'゙ __ u. ・ _,.、 `!、
,! '"⌒゙`ゝ r'"⌒゙゙ヽ. u. fヽ
{| ''“”“~`,゙ ' r' ''“”~`'゙ }}!
゙l'` ´ . ゙,'ノ !、`、´..゙.'. ゙リノ
l . ,イ 'ヽ u. ;ソ'
..ィ(ヽ、゙....:^ー^:':... ゚ .ト、 末法の世じゃわい
/(ヽヾ i、ζ竺=ァ‐、 u. ,ハ
| ゙l ゙|´| l゙ト、二´ 丶 // ::l、__
/ l| ! ! !,!ヽ. u.,. ' /:::::!:::::`::―-::、
_,. | .!| o' `o゙,〉 ̄´ /:::::::::::l::::::::::::::::::::::`丶、
: : | .!| u.`o_o'/ u. /:::::::::::/::::::::::::::::::::
: : ヾ人 u.8 r゙\/:::::::::::/::::::::::::::::::::
: : / !゙ .8 ヽ;/::::::::::::::/::::::::::::::::::::
::::/ .| u. ;illi; ヾ;:::::::::::::/::::::::::::::::::::
「心と宗教」板の人たちは、こういう自演常習者がいることに気づいてるのかな?
もしかして、すでに有名人?w
あれ?恥さらした人がまた登場ですか。
ていうかもう君が絡むようなスレにはならないだろう。
仲良しさんとタッグ組んで宗教スレで自己満足してなさい。
111 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:20:42 0
机龍之介の一派か?
113 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:22:36 0
>>104 そういうのを「傲慢」という。
人間の分際で偉そうにw
>>102 行数制限とカキコ時間制限は一緒だが、連投に関しては緩い(哲板:8回/宗板:3回)から、
その意味では、ここは議論向きではあるんだけどね・・。
>>104 リンクは滅多なことでは踏まない、ってスタンスの人もいるってことさw
「ほら、これだよ」と手元に持ってくるか、
「図書館のA列3段目にある○○という本の×頁だよ」と言うだけか、
の違いみたいなw
また、(手間を惜しんでるという指摘も通るがw)、
スレに書き込まれることは、スキルのある者なら即座に検討できるということでもある。
99が言ってるのはそういうことだと思うよ。
>>114 語句を選択、右クリックで検索ツールというのは
山ほどあるわけで。検索言語も選べるわけだし。
言うとおり下手にリンクはは踏まないな。
同時にそれなりの知識者その通り一発で理解できるわけだし。
>>110 だったら、(ま、君が建てたわけではないとしてもw)、
「哲板に仏教スレ建てるな」ってことだ。
あいかわらず「そうそう」「なるほど」スタイル。
反論する自演に挑戦してみたら?w
>>117 ん?私は正々堂々と議論してるんだけどねw
キミの方こそ自演じゃないのかね?w
今日は縁起スレに移動しないの?
120 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:32:30 0
過疎ってるじゃんw
そのスレはっきり言って談合スレだ。
122 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:40:27 0
>>114 >リンクは滅多なことでは踏まない、ってスタンスの人もいるってことさw
ああ、なるほど。
しかし、そうゆう人は少数なようだ。
つまんないよ。もっと面白いのやってw
124 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:43:16 0
>>114 つか、ども、梵蔵漢の意味すら分かってるヤツが一人もいないんじゃないか?
漢文を読みたいって人だけがいたようで、
125 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:45:53 0
前スレざっと読んでみたが自演厨の人とんでもないなw
wikiの例を持ってくるなといいつつ自作wikiを推奨するなんてさあ
126 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:50:18 0
127 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 13:50:38 0
杜玖椀先生
128 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 14:43:36 0
130 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 15:45:15 0
やっぱ唯識だろ・・・、仏教の究極は!!!
131 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 15:46:59 0
トゥックワン=タイ語で「毎日」という意味
133 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 19:00:21 0
唯識だけはないわw
134 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 19:11:12 0
アホ、唯識だけしかないんだよ・・・、仏教の究極は!!!
135 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 20:59:33 0
>>129 ありがトン
しかしインドサイのその生態から譬えたんであれば、単に「サイのように」でもいいような気がするなあ
あえて角に拘った訳があるのかも知れんね
>>135 単に「サイ」に譬えるだけより、
その『象徴(目印・特徴)とも言える』「一本」の「角」を強調した方が、
「何ものにも動ぜず・害されず(誘われず・惑わされず)、堂々と屹立して、清廉としてある」こと、
「独りである」ことが強調できているようにも感じられる・・かなw 個人的には・・w
実際、確かめようもないしw 推測(妄想?)の域を出ないよ。
137 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 22:17:14 0
>>137 いや、チェックしてないけど
スッタニパータの註釈(パラマッタジョーティカー)には、何かしら触れられてると思うよ。
(参:岩波文庫青「ブッダのことば」P253-264)
ただ、それらでさえ、後代の解釈でしかないという意味での「推測(妄想)」ね。
原初の意図は知りえないってこと。(仏教以前からある譬喩の借用であるかもしれないし。)
ま、楽しいのはその通りだがw
139 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 22:42:20 0
「814」 「副島隆彦という生き方」というタイトルのインタヴュー記事を、載せます。
最近の私の考えが分かりやすく表明されています。副島隆彦 2006.12.15
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#1501 スッタニパータと、法句経(ダンマパダ)という一番古いお経がある。どうやら仏陀本人の本当の
言葉はこの二つだけのようですね。その他のいろんな膨大なお経は、全部仏陀が亡くなった後に、
弟子たちが勝手に作ったものだ。僧侶が葬式をやったり、お盆にお経をとなえたり死者を祀ったりは、
仏陀は一言も言ってない。ブッダは死に関わるな、と言っている。勝手に後の人たちが作った制度だ。
仏陀自身の言葉は、「愛欲と煩悩を捨てて、この世とあの世のすべてを捨てて、ただ一人歩め。ヘビの
皮が新しく抜け変わるように。サイの角がひとつ進むように。」と書いてあります。
奈良の興福寺、東大寺は法相宗(ほっそうしゅう)という仏教で、中国までやって来た仏教のうちでは
一番古い仏教を伝えている。それは輪廻転生(りんねてんせい)を認めないんです。
来世はない。あの世もない。「この世とあの世をともに超える」とスッタニパータ(「ブッダのことば」
岩波文庫 中村元訳、1984年初版) で仏陀は言っています。だから輪廻転生(りんねてんしょう)
もないのです。そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。「今」という現実は有るの
だけれど、それは仮のすがたであって、すべてなくなるんだ、と。輪廻転生は、仏陀が若い頃、厳しい修行
をしたヒンドゥ教の思想なのです。ヒンドゥ教 ( Hindu 、ヒンズー教、インド教)には輪廻転生が強烈
になる。六道輪廻ですね。生命は生まれ変わる。ですから、不思議な話ですが、本当の仏教(ブッダの教え)
は、徹底的に、無神論(むしんろん、atheismエイシイズム)なんです。
まだいるのかこいつ。信じがたい。
開き直ってるな。
141 :
考える名無しさん:2010/03/29(月) 23:49:19 0
>>131 いいえ、私が昨日の唯識です。
誤解があるようですが中観(空)と唯識
この二つ揃って大乗仏教の哲学と言えるので
唯識のみ正しいなどということは決してありませんので
ご承知を。
自演している人。
そうやって自演している貴方の中にある自己顕示欲は、
仏教の考え方とは最も相容れないものだと私は思う。
「欲」というのは仏教における大きなテーマだと思う。
しかし、人は無欲にはなれない。だからこそ、そこに矛盾・葛藤が生じる。
そういう矛盾・葛藤をあっさりと解消してしまうのではなく(どっちみち解消するのは無理だから)、
矛盾・葛藤を背負ったままで精神を深めていくような方向へ進まなければならないのだと思う。
偉大な仏教者はみな、そういう矛盾・葛藤を内に秘めていると思う。
それを哲学的に表現したのが、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」。
「この矛盾が一生の悲劇である。個人の関係、国際の関係、人間と自然との関係、
どの点から見ても、この矛盾から発生して来ないものはないのである。
元来人間はこの悩みを受けなければならんようにできていると言ってよいのである。」
(鈴木大拙『無心ということ』)
貴方の書き込みには、自らの中にある矛盾・葛藤を受け止めようとする姿勢が感じられない。
そのへんに、根本的な見当違いがあると思う。
143 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 02:57:48 0
265 :考える名無しさん:2010/03/26(金) 20:56:42 0
_____
r⌒ヽ、 . / ー ー\
/ \ \. /.-=・=- i、-=・=-.
_/ / ヽ / (__人__) \ 憤激レスが多くなってワロスwwwwwwwプププ
ヽ .n ` `二´' .丿.ノ
./.n| |nnー---‐´´゚ヽ/
/〔1__/。 ァィコ 。.゚|.|
| / |\゚.。。。。。。。゚/ .|
\___/  ̄ ̄ ̄ ノ
| ヽi___/./  ̄\
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| /| | /⌒)
\__| 彡 (_/
(⌒ )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
144 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 04:55:37 0
>>142 それは仏教のテーマのあまりの深遠性と
人間としての限界の葛藤に負けた人の哲学。
菩提心はそれを超える。その菩提心をそぐ哲学思想は
釈迦如来の成道たる、触地印、降魔成道印で示される。
>>144 >それは仏教のテーマのあまりの深遠性と
>人間としての限界の葛藤に負けた人の哲学。
「絶対矛盾的自己同一」というのは、「我は、我ならずして、我なり」ということ。
これは仏教において、繰り返し、繰り返し出てくる。
例えば道元の
「仏道をならふといふは、自己をならふ也。 自己をならふといふは、自己をわするるなり。」
これも同じことを言っている。
道元は「人間としての限界の葛藤に負けた人」なのか?
>>145 「自己をわするるといふは、万法に証さるるなり」
肝心の結論をぬかしてどうするw
入我我入の一瞬の煌めきかなぁ
147 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 10:28:29 O
なんか知らんが阿弥陀様に救いとられるしかないようだ。じゃあ
148 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 10:48:46 0
そりゃお前、人間のちからでは一歩も上にはあがれぬわいなぁ・・・www
神さましか人間をあげてくれるものは無いわいなぁwww
だが神さまを次元上昇エスカレータに例えると、そのエスカレータに乗るのは
人間の修行努力なんだが・・・。
>>146 結論・・・?
結論は全部ですよ。
その部分を入れても入れなくても、それが「我は、我ならずして、我なり」
つまり「絶対矛盾的自己同一」を表していることに、何ら変わりはない。
それについて、反論はあるの? ないの?
150 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 11:34:14 0
絶対矛盾の自己同一は、そんな事ではないんだけどなぁ〜。
152 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:02:05 0
相互いに矛盾反発するものが弁証法的発展進化的に存在しているこの現実と言うものの
実相を行為的直観的に把握したものなんだが・・・!!!
この現実の論理なんだが、だからそれは唯識の哲理でもあるわけなんだがね。
ここで言う相互いに矛盾反発するものとは西田哲学で言う個物なわけ・・・。
>>152-153 それで、それは私への反論なの?
反論だとすれば、どこがどう反論になっているのか、
ご説明ください。
155 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:23:35 0
>>154 考えとか理論とかの表層的な部分に拘りすぎ、という感じですね。
葛藤の哲学を仏教思想に准えているだけでは?
または
>>144で書いた通り、ある意味葛藤に負け、道を放棄してしまった
或いは「放棄するための自己納得への思考の道しるべ」なのでしょう。
これは解決云々の問題ではありませんね。
>>155 >表層的な部分に拘りすぎ
これでは、どこがどう反論になっているのか、さっぱり分かりませんね。
もっと良く考えて、もう一度反論を書いておいて。あとで見るから。
>葛藤の哲学を仏教思想に准えているだけでは?
逆ですね。
>>147 ___
,;f ヽ
i: i
| |
| | ///;ト, やはり御念仏じゃな
| ^ ^ ) ////゙l゙l; 阿弥陀様の方が気楽じゃぁ〜〜
(. >ノ(、_, )ヽ、} l .i .! | 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
,,∧ヽ !-=ニ=- | │ | .|
/\..\\`ニニ´ !, { .ノ.ノ
/ \ \ ̄ ̄ ̄../ / .|
158 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 12:37:38 0
>>156 それならば
或いは、仏教思想の実践に於いて、現実とのギャップ、葛藤を
ありのまま矛盾と感じた、そのままの言葉であれば
それは人である以上、否、仏教徒に限らず聖道を実践する者は
誰でも感じることでしょう。
これを「運命」と言えばまたお叱りを受けそうですね。
ならば必然?でしょうか。
>>149 >その部分を入れても入れなくても、それが「我は、我ならずして、我なり」
>つまり「絶対矛盾的自己同一」を表していることに、何ら変わりはない。
最後の「我なり」がぼやけるような印象がありはしないかい?
まあ、「何ら変わりはない」というのだろうけど
自分があるんだという見解はブッダの見解ではない。
そりゃ悟った人はそうさ。
公式と解き方は示してくれた
実践しない OR 実践できない
163 :
考える名無しさん:2010/03/30(火) 22:26:42 0
瞑想したまえ
迷走したまえ
閻魔に代わっておしおきよ☆
渇ーー!
テヘッ☆
166 :
考える名無しさん:2010/03/31(水) 05:04:59 O
なんか知らんが、阿弥陀様に救いとられるしかないようだ。
レッツ★ザ★ゴー★スタート哲学版で仏教思想を学ぼう。
阿弥陀様と契約しようw
念仏するものは無条件で救ってくださるのだから
169 :
考える名無しさん:2010/03/31(水) 16:22:08 0
阿弥陀様との契約にはどれほどの修行精進が必要か・・・、分かってんのかねwww
親鸞もその絶対他力の境地に達する為には、比叡山時代からの凄まじい修行を積んだんだけど・・・。
170 :
考える名無しさん:2010/03/31(水) 16:22:53 0
安易すぎるよなぁ〜www
浄土真宗って南無阿弥陀仏と念仏すればいいから簡単におもわれるが、
当の親鸞本人が70歳過ぎても、寝ず食わずで一日中念仏唱える修行してたんだぞ。
まあそれも他力で阿弥陀如来が唱えさせてるのかもしれんがね。
時宗の一遍だって、踊りながら念仏が念仏を唱えるみたいなこと言ってるし。
そこまで行くには大変で命がけではないだろうか。
哲学者は考え過ぎて辛いよスレッド。
173 :
考える名無しさん:2010/03/31(水) 22:59:28 0
一遍はある意味、親鸞以上の聖者だろ。
親鸞は宗教家というよりも体質的に哲学者だね・・・。
師匠の法然は、宇宙の大生命としてのアミタバ佛との合一体験をもった宗教的天才だったが。
174 :
考える名無しさん:2010/04/01(木) 06:21:22 O
?会社で南無阿弥陀なんて唱えてたら、おかしいと思われるだろ?簡単なようで難しい。どこででも南無阿弥陀を唱えれる社会の実現が目標なんだけどな。ま、いいか
小僧らが 見てきたように 物を言い
仏教の性格分類ではよく考え事する人は尋行らしいね。
なんか、哲学板の人達に多そう
哲学=実証不可能な架空仮説で実在出現出来ませんよねー。
178 :
考える名無しさん:2010/04/01(木) 23:11:27 0
だからヨーガ行唯識学派が仏教の究極だって・・・!!!
仏教ヨーガの実践しかないぞ!!!
179 :
考える名無しさん:2010/04/02(金) 23:14:05 O
方便の姿の如来像からの弁証法は、真理を求める上で重要なものだが、教化の過程における、誤解や誤りは、正すことは困難である。広がりと集約はまったくの神秘であり、それを理解している者は皆無ということは、広がりにおいて、証明されていることであり。
180 :
考える名無しさん:2010/04/03(土) 01:10:53 0
うるせーばーか
/::. ソ .::;;ヽ
/::. ..:::;;;ヽ
/::. ..::;;;;ヽ
/::. ..::::;;;;i
(::. ..::;;;丿
>::...___..::::;;;イ
!ヾ. ̄⌒__ ̄彡|
iミ:::ミC= ≡..::: )
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|::: ( ' ( .::;;;|
|::: | ミ .ヽ\|
|::: 丶ヽ ..:ヽ )
|::: .i ! ::;;;;;|
|::: i .ノ . ::;;;;;|
|::: ( ヽ ..::;;;;;|
( \ l. | ..:;;;;;;|
|::\∨丿 ″..:;;;;;|
|::: ( ( ゙ ..:;;;;;|
,,.-‐''"´" ノ ノ ""´"''- 、
たとえ男根が膨張しても邪淫にふけることはない
182 :
考える名無しさん:2010/04/03(土) 06:32:49 O
煩悩はぬぐいさることはできない。かといって認めているわけでもない。しょうがない悪の行いを行いながら、我々の生活は成り立ち、感謝により生き、弥陀により救いを求める。行への批判もその時代の方便にすぎず、
今の若者の何割かは「考えることはない。すべてのことに決まりはない。如何様にも物事は進む」と答えている。実際に考えることのない人間が子をもうけ本来の苦と楽を享受し進んでいるからだ
184 :
考える名無しさん:2010/04/05(月) 22:26:13 O
そうか
185 :
考える名無しさん:2010/04/05(月) 22:35:08 O
教行信証において、行体に批判をおかれるが、やはり時代とともに変わるべきであり、
186 :
考える名無しさん:2010/04/05(月) 23:01:41 0
仏教の本質は輪廻からの解脱だろ・・・。
そのための修行法としての八正道などの修道論だろ。
うか
188 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 04:04:55 O
民衆救済には無量寿の概念が必要で、それを説くことのできる人材が必要。輪廻を断つのが仏教の主たる目的であり。苦行からの解放が釈迦の思いだと思われるからだ。
189 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 04:11:56 O
無量寿の概念は一刻より始まり、その時々は永遠である。その一瞬一瞬が悟りであり、その永続が仏陀なのである。捕らえることはいかに修行しても不可能であろう。
唯識って西洋哲学でいう感覚所与のことだろ
191 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 21:31:43 0
違う・・・、世界の全ては阿頼耶識から成り立つ唯心論だ。
独我論を更に限定して感覚所与のみが確実だという考えじゃないの
193 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 21:46:16 0
阿頼耶識は個人の意識を超越した宇宙意識だから独我論なぞ超越している。
宇宙なんて存在を仮定してる時点で認識論じゃなくてただのフィクション=宗教だったのか
195 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 21:55:52 0
仮定にあらず、ヨーガ行による体験的事実なり・・・。
体験的事実ってなんだろう
その体験的事実を持ち出さないと説明できない現象ってあるの?
>>190 大体あってるけど、成立年代は、唯識>>>越えられない壁>>>西洋哲学 だぜ?w
あるでしょう。
体験的事実を持ち出しても説明できないこともあるし。
199 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 22:23:02 O
まあ、不思議体験はあるでしょうね。それが悟りかどうかは疑問だが。事後経過が全てだと思うよ
>>197 そうか? 唯識は大乗仏教の教えの一つだろ。
釈迦の生年は約前463年。仏教の成立は当然それより遅い。
西洋哲学の源流(哲学史の教科書に出てくるもの)は、
ソクラテス以前の哲学者(自然哲学者)にまでさかのぼり、
その代表のミレトス派のタレスの生年は前624年だよw
201 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 22:31:18 O
悟りとは知覚か、植え付けかはわからんが。派生する知識に疑問点がなければ、仏陀の言葉なのかは知らん。明らかにその人の知識にないことが証明かな?
>>200 まてまてw
いま問題にしてるのは、「西洋哲学」の成立年代じゃなくて、「西洋哲学が感覚所与という概念を思いついた年代」だろ?w
ソクラテスや、タレスが、「感覚所与」なんて言ってたか?w
それに対して、仏教で唯識が盛んだったのは、5世紀ごろの話だぜ?
ヨーロッパじゃ、たしかスコラ哲学やってた頃だろ?
「悟り」というのは、果たしてブッダのオリジナルな思想なのか?
それともブッダ以前の古代インド思想(ヴェーダの思想や
バラモン教、ウパニシャッドなど)からのアイデアの借用なのか?
明らかに延長線上にあるよな
205 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 22:53:48 O
年代摩擦の問題か。まあ、世界史上で議論するのは無理かと。一括して総括するには、伝播の経路が違いすぎる。思想、哲学が先んずることはない。物の流通がどうだったかによる。
>>203 感覚的な宗教哲学と、西洋形而上学を一緒にしたら駄目だろ
形而上学では感覚も理詰めで説明しようとしたんだから。
スコラ哲学者が考えたことは、キリスト教的な神が
人間に感覚を与えているという考えだった
唯識と比較するのなら、西洋哲学ではバークリーだろう・・・
208 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 23:06:29 O
ユリウス歴からグレゴリウス歴に変わるときに、なんかあったらしい。もちろん、仏教にもあったらしいが、消失したらしい。その国々の年号に従化してたようだが、詳しい人はいるかな?教えてください
209 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 23:12:54 O
うむ、哲学と仏教の違いは、釈迦は考えていない点にあると思う。決定的な違いだな。たぶん
210 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 23:15:25 O
哲学的要素は与えられた答えにより思考する弟子たちにより成立したと考えざる得ない。もちろん、釈迦はインド哲学を学んでいたに違いないが、
211 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 23:16:59 O
また、教えてくれ。勉強になったよ。
不思議体験という感覚所与を説明するのが宇宙という概念か
体験しないことにはわからないって話だな
自己以外の物と一体感を感じる→それを宇宙と名づける、、みたいな感じか
でも物理現象に対する認識は変わらないから、そとからその人をみて変わった点をみつけるとすれば、
変わった価値観や人生観か。
たとえば、目の前にある空き缶と一体感を感じる人だったらそれを大切にする姿
不思議体験によって新しい価値観、感覚を得る、これが仏教って理解した。
213 :
考える名無しさん:2010/04/06(火) 23:33:38 0
>>207 ジョージ・バークリー(George Berkeley, 1685年3月12日 - 1753年1月14日)か…
唯識とは1000年ほど遅れてるなw
バークリーなんて、たいした哲学者じゃないし・・・
唯物論、唯心論、・・・「唯」がつくような考え方に、たいしたものはない。
ブッダの見解は唯心でも唯物でもありません。因縁論です。
仏教なんか何の価値もない
仏教を使ってなんか現実問題に一つでも解答を与えてみろよ
仏教を使って、世界中に拡がった対人地雷の問題を解決できるのか?
まさかダライ=ラマの訓話だけで問題解決できるとか言うなよなw
>>216 仏教は、「心理的問題」を解決する術(すべ)が説かれている、
と思ってましたが、違うんでしょうか?
>>218 探知機で地雷を取り除けばいいじゃないですか。
>>218 おいおいw
「他の手段でも解決できていない問題」を持ち出されても、「仏教は価値が無い」と言う結論にはならないだろw
例えば、死んだ人間を生き返らせることが出来ない科学技術は「何の価値も無い」か?
そもそも、「仏教は何の価値も無い」と言いたいのならば、「仏教で解決できない問題がある事」を示すのではなく、
「仏教で解決できる問題は一つも無い」事を論証する必要がある。
その点では、
>>219が指摘しているように、仏教は「心理的問題」の分野で十分役に立つので、
「仏教には(一定の)価値がある」と、私は思うがね。
>>221 まあ、俺は「仏教は何の役にも立たない」とは思っていないが、
「仏教は心理的問題に役に立つから、一定の価値を持っている」
という回答はいかにも弱いんだよなぁ・・・
それなら「仏教はほとんど何の役にも立たない」というのと大して変わらないような・・・
例えば、ここにアフリカの貧しい飢えた子供がいたとして、
目の前の飢えた子供のために仏教は何ができるのか?という問題に対して
仏教はうまく答えてこなかった。
キリスト教には隣人愛やら博愛の精神やらがあったのに。
日本に伝わった仏教にしてもそうだが、利己的に個人の現世的利益などを
求める考えが目立って、外部や他者に向かってあまり開かれているようには見えない。
民族性を越えた拡がりを持つグローバリズムが仏教には感じられないんだな。
残念なことに。
>>222 >キリスト教には隣人愛やら博愛の精神やらがあったのに。
まさか「慈悲」を知らないとか・・・?
>民族性を越えた拡がりを持つグローバリズムが仏教には感じられないんだな。
そうでもないよ。けっこう拡がっている。
仏教思想にもとづく西谷啓治の哲学は、西洋でとても評価が高いらしい。
鈴木大拙はいうまでもなく。
「慈悲」は隣人愛とは違うようだな。「慈悲」においては
本来は衆生がその主体とはならず、仏のみが持つ
無縁の慈悲心こそが真の慈悲のようにされている。
つまり悟りを開いたありがたい如来や悟りの途中段階の菩薩が
俗世の一般衆生にありがたくもたらすもの、それが「慈悲」心なのであって、
一般衆生どうしが与え合う“愛”のようなものとは異なっている
むろん菩薩による慈愛というものはあるが「仏教においては
愛の実践が主要テーマではなく、瞑想の道である」ということだ。
もちろん悟りに達した者は初めて誰彼問わず相手に平等な愛を持つことが出来るようだが。
>むろん菩薩による慈愛というものはあるが「仏教においては
>愛の実践が主要テーマではなく、瞑想の道である」ということだ。
そういう傾向が強いのは上座部仏教。
大乗仏教は、そうでないから「大乗」という。
226 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 06:26:12 0
*
国訳一切経ほしいなー
228 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 07:20:45 0
>>186 そうそう
>>200 そうそう。唯識はサーンキャの影響で縁起を実体的に解釈した仏教で、
方便としてはありでも、見解としては低く、縁起の本質からやや逸脱している。
>>209 仏教と哲学の違いはいろいろあるけど、もっとも大きな違いは存在論だと思う。
いわゆるライプニッツの問い「なぜ無ではなく、むしろ何ものかが有るのか」や
「とは何か?」と本質を追い求めるソクラテスの問い本質主義やパルメニデス以来の以来の実在論の形而上学的前提と、
釈尊の「これあらばこれあり、これなくばこれなし」という此縁性や
「諸法は原因から生じた。その原因を如来は説かれた。
それらを止めることを、大沙門は説かれた」という縁起法頌に説かれるような、諸現象は実在するのもでなく縁起によって認識されて消滅する無常なものであるという縁起の形而上学的前提が大きく違うと思う。
229 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 07:23:28 0
縁起って物理法則の決定論みたいなもの?
>>225 一概にそうとも言えないよね
「瞑想の道」を追求する禅宗はばりばり大乗仏教だよね
232 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 08:56:13 0
>>230 物理法則で言えば以下のカオス理論の方が近いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/カオス理論 生井智紹『輪廻の論証』157頁:
インド思想界のなかで仏教の誕生がなした最も画期的なことは,
この世界を何らかの本然的実在からの展開とか原子論的に組成因によるものとして捉えることなく,
総てが因と縁とから成り立つ現象的な場としての生成に過ぎないと看破したことである。
これが縁起。より分かりやすくは、
マチウ・リカール『掌の中の無限』78頁以下
世界は孤立した原因と条件から生じる個々の現象で構成されているという、世間一般の世界観は、
仏教では「相対的真理」あるいは「偽りの真理」と呼ばれています。
日常の経験からすると、事物は、まるで自らの力で存在し、内在的な同一性をもっているかのようであり、
独立した客観的現実性があると、私たちは信じがちですね。
だけど、このような現象のとらえ方、つまり、ものを考える人間が通常の知覚レベルでたがいに成立させる主観相互間の合意は、
単に観念的な作り物にすぎず、たとえ常識によって認められているとしても、分析すれば崩れてしまうものなのです。
仏教は、独立した実体の存在に異議を唱え、相反的な関係および因果性という考えに行き着きます。
つまり、出来事というのは、他の要因との関連において、それに依存してのみ出現するのです。
この相互依存の考え方は、空と同義語です。空とは、現象世界の否定ではなく、現実を構成するような自立した実体の不在を表すことばなのです。
人がある現象を体験するとしても、だからといって、それに固有の存在があると思う必要はありません。
こう言ったとしても、仏教はニヒリズムにとらわれているのではありません。むし、
世界をたがいに結びついた、たがいによく似た出来事の果てしない流れとしてとらえます。
私たちは普通この流れを認識するとき、その全体のうちの一部の側面だけを幻想的な見た方で定着させるから、
それが自分とは完全に切り離された、自立した実体であると信じてしますのです。
233 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 08:58:39 0
>>232 「相反的な関係および因果性」が縁起。
「幻想的な見た方で定着させる」が執着、あるいは有身見、我見。
「自立した実体」が自性、我、自相など。
234 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 09:11:01 0
>>232 存在のメカニズムを明らかにしただけ・・
以前、無知扱いされたぞw
235 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 09:14:16 0
>>234 >存在のメカニズムを明らかにしただけ・・
>以前、無知扱いされたぞw
すまん。主語・主題が不明なんだが。何が誰がが話の流れを考慮しても
推測できんよ。
236 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 09:15:09 0
>>234 >存在のメカニズムを明らかにしただけ・・
縁起が存在のメカニズムを明らかにしただけってことか?
それなら、誤解だよ。
>>232 物理学的な世界観を持っていれば、因果関係について
間違った認識なんてするはずが無いと思うが
そういう人たちに対して因果の考え方の有効性ってあるのかなと思う。
238 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 09:24:18 0
>>233 すみません質問させて下さい。
> 「自立した実体」が自性、我、自相
ということですが、この自立した実体(実在?)というのは、いわゆるアートマンのことですか?
>>222 >民族性を越えた拡がりを持つグローバリズムが仏教には感じられないんだな
確かに、キリスト教圏に見られるようなチャリティー運動は社会的レベルでは確認しずらい
しかし、人格神、唯一神を仰ぐ宗教にはない強みはあると思う
何千年も闘っている民族同士の問題を根本的に解決するだけの教義はあると思う
可能性としての話だがなw
各自が仏性を正しく自覚できれば、社会は今より少しはマシになるだろう
それが難しいのだけども
>>238 アートマンに対しては、釈迦は無記の態度のはず
241 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 09:34:24 0
>>237 >物理学的な世界観を持っていれば、因果関係について
>間違った認識なんてするはずが無いと思うが
逆、実在論に立ってきた物理学が間違っていた。
それが崩れた量子論などが仏教の縁起に接近した。
しかしながら、いまだに物理学者は実在論に立った説明体系を模索する人が多いと聞きます。
>>238 そうです。我はアートマンです。アートマンも含みます。
あらゆる自立した本質、アルケー、基体を設定する思想が含まれます。
基本的に仏教以外の思想は全てそこに含まれます。
量子論やウィドゲンシュタイン、ハイデガーなどが縁起に接近したと思われます。
といって量子論については、概説書程度しか知りませんが。
観察者の関与によって結果が変わるって話には驚かされたよなw
量子論と仏教を接近させるとか
イカサマ師を二人組ませるみたいでアヤシ過ぎだろw
>>240 物理学は昔、素朴実在論が主流だったり今でもそう考えてる学者は多いみたいだね
だからそれを否定するという意味で仏教は西洋哲学の先にいってたと思う。
でも現代の西洋哲学の認識論では実在論は否定されてる。
俺が正しいと思ってる認識論は、「感覚所与のみが確実」と「物理法則に支配される世界観(仮定の)」なんだけど
仏教の考え方に当てはめて唯識=感覚所与、縁起=物理法則に支配される世界観(仮定の)という理解であってるなら
これ以上に仏教から得られる新たな認識はないと感じているが正しいかな?
>量子論
量子論は確率的に現象が発生するみたいな話じゃなかったかな
縁起とは逆っぽいが。
>アートマン
宇宙との一体と認識するみたいな話は
神秘体験を説明する概念なのですか?
それともフィクション?
輪廻ってフィクションだよね?
なんで観念を実在じゃないといったブッダがフィクションを持ち出すの?
全部入門書やwikiを読んだレベルの知識だから適当ですので。
ざっくり書くと
ヒンズー教の創造神、ブラフマンが
最初にアートマン(魂)を作った
世界はそれが変遷して構成されている
って感じかな
246 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 11:20:13 0
>>236 縁起は存在「五蘊」のメカニズムそのもののようにも解釈できそうだけど
違うのかい?
>>240 いや、それが仏教徒的態度なのはなんとなくわかるのですが
釈迦は本当に超越神を否定したのかなあと思ってしまったんです。
そうでなければ仏という概念を使うのもありえないのではないかと。
むしろ、語りえないものを語ることによる悪影響の方を懸念するが故に無記として扱いはしたものの
超越神を否定はしなかったんじゃないかと思うんです。
ウパニシャッド哲学なんかは強烈でそれを語っちゃってるわけですが、釈迦が生まれる数世紀前ぐらいに生きていた
ヤージュニャヴァルキヤなどの先人に影響を受けつつもそこから独自路線的に発生したのが仏教だという理解です。
>>241 ありがとうございます。
「縁起」についてしばらく考えてみました。
wiki(すいません)にはこうあります。
[ わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。如来の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
如来は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり ]
が、まったくが理解できませんでしたorz
>>244 いやあ、単におれがアートマンなんかについて気になってるだけなんですが
仏といいながら、神を否定するとか、なんか矛盾して無いか?と思ってしまったんです。
仏教って単なる無神論無我説なの?となるわけです。
まあ、あまり考えないようしますw
248 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 11:34:21 0
>仏という概念
超越神とは別物だと思いますよ
ブッダ(目覚めた人)の音写が仏陀であって
それを仏と名づけてるだけで、釈迦自身が仏を規定したとは思えない
後世の特に大乗系の仏教が使った方便の一形態だと思える
極論すれば釈迦自身は今日でいういわゆる「仏教徒」だとは限定できない
249 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 11:48:30 0
>>247 >[ わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。如来の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。
如来は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり ]
大乗仏教の解説とみるが
釈迦は諸々の如来のひとりに過ぎず
ダンマ(法、真理、宇宙の運行の実際・・)は等正覚(正しく目覚めた、悟った)を得た如来の出現に関係なく
過去現在未来の時間軸にも縛られず、常に始めからある
法は釈迦が作ったというより、「気づいた」ということ。かな
>>244 >物理学は昔、素朴実在論が主流だったり今でもそう考えてる学者は多いみたいだね
>だからそれを否定するという意味で仏教は西洋哲学の先にいってたと思う。
ん?本当かな?「実在論」という言葉は科学哲学、西洋哲学史等々の文脈によって
意味が多種多様だから定義せずに使ってわざと混同するのはよくないな
現在の科学哲学の潮流は科学的実在論だよ。これは20世紀前半の行き過ぎた
論理実証主義への反発として起こっている。
もちろん科学的実在論の立場に一番近いのは素朴実在論だが、
その「素朴実在論」とは西洋哲学でいうところの「観念の実在」とはおよそ関係がない。
むしろ行き過ぎた論理操作による観念の行きすぎを批判する立場なのだが。
要するに「実在論」という言葉はプラトンのイデア論から中世の普遍論争をへて
さまざまな紆余曲折を経ているからそれの定義をあいまいなまま使って
もっともらしい論説をするのは肯定できないね
原始仏教の思想が平易に説かれてる本教えてくだちゃい
岩波文庫「真理の言葉」ダンマ・パダかな
岩波文庫の原始仏典シリーズは全部揃えますた
それだけ揃えて読み込んだ上で
その質問をしているんならもう・・・w
>>222 >>221でも指摘したが、「役に立たない」事を主張するには、「役に立つ事例が無い」事を示さなければ意味が無い。
「キリスト教と、同じことが出来なければ役に立たない」という偏向した価値観はどうかと思うぞ。
なお、「隣人愛やら博愛の精神」を持つキリスト教なら、飢えた子供を救えると言う主張のようだが、
あなたの論調で行けば、飢えた子供が無くならない現状を見る限り、
「キリスト教は仏教と同様、役に立たない」という結論にならざるを得ないと思うがね。
256 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 14:09:25 0
>>241 また素人向けの量子論を斜め読みして妄想爆裂してる人が現れたか・・・・・・
春だからしょうがないか
257 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 14:16:22 0
>>244 >これ以上に仏教から得られる新たな認識はないと感じているが正しいかな?
「認識」に関してはその通りじゃないかな。
ただ、「その認識に立って、どう行動するか」こそが仏教のキモだと思うがね。
>なんで観念を実在じゃないといったブッダがフィクションを持ち出すの?
ブッダが輪廻実在を積極的に説いたと言う証拠は全く無い。
これは推測だが、当時の人間がフィクション(輪廻)を真実だと信じてたんで、
周りの人にあわせて、輪廻を否定せずに話しを進めたんだろう。
一番教えたかった事は、輪廻が実在するかしないかじゃ無いから、一々訂正するのがめんどくさかったんじゃないかね。
258 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 15:03:29 0
どこまで仏教に無知蒙昧なんだ・・・、輪廻からの解脱こそが仏陀の本質的発想なのに。
その業輪廻を否定してどうする、アホ!!!
259 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 15:18:30 0
>>258 「仏教」の定義によるな。
もちろん、後代の弟子が作り上げた仏教を「仏教」に含めるならば、あなたの指摘は正しいが、
狭義の仏教(=歴史上の釈迦が説いた教え)では、正しいとはいえない。
少なくとも、歴史上の釈尊が輪廻を積極的に肯定したという証拠は一切無い。
>>259 スッタニパータ読んでみると、輪廻の苦しみからの解脱を目指してる
のは分かると思いますよ
261 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 15:32:54 0
>>260 じゃ、具体的に「ブッダが輪廻が実在している事を積極的に説いた詩句」を引用してくださいな。
あなたが言っているのは、おそらく、
>>257で指摘したような、「周囲の人間に合わせるために、とりあえず否定しなかった部分」の事を言ってるんだと思いますがね。
輪廻からの解脱ではなく、「苦からの離脱」を説く一つの手段として、
周囲の人間が信じていた「輪廻」と言う概念を使用した事は有るかとは思いますが、
寡聞にして、「釈尊が輪廻を積極的に説いた」と言う事を私は聞いた事が在りません。
輪廻を頑なに信じ込んでいた民衆に
自説を説いてまわる際には、方便として消極的な輪廻説の肯定はしていたのではないかな
>>259に賛同するぞ
>>261 あまり付き合うつもりはないので、これで最後にしますが
十二縁起は輪廻のお話です。十二縁起は釈迦が説いたので
「釈迦は輪廻のことに積極的に説いた」と私は解釈するのです。
264 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 15:44:09 0
>>263 まてまてw
「十二縁起を歴史上の釈尊が説いた」と言うのは、俗説だぞw
もちろん、原型となる縁起観を考えたのは釈尊だが、現在の形になったのはずーっと後代だというのが通説だ。
さらに、十二縁起が輪廻を表していると言うのも俗説だ。
もし、輪廻を表しているというのなら、具体的に説明してくださいな。
で、「具体的なスッタニパータの引用」はできないんですか?
>>264 スッタニパータと書きましたが大パリニッバーナ経の第四章の勘違いでした。
私は詳しくは知らないけれど、あなたは恐らくそれは後代の僧達によって
編集された経典なので、釈迦が輪廻を説いたものではないとおっしゃる
ことが予想されます。
今、スッタニパータに輪廻の記述を見つけたので、参考にしてください。
七二九 この状態から他の状態へと、くり返し生死輪廻に赴く人々は
その帰趣は無明にのみ存する。
七三〇 この無明とは大いなる迷いであり、それによって永いあいだ
このように輪廻してきた。しかし明知に達した生けるものどもは、
再び迷いの生存に戻ることがない。
267 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 16:22:00 0
>>265-266 ご自分でよく分かってるじゃないですかw
誰も、「広義の仏教」で、「輪廻からの解脱」や、「業報輪廻」が説かれている事は、否定してません。
>>259で問題にしているのは、「歴史上の釈尊」が輪廻を肯定的に説いたかどうかです。
「歴史上の釈尊」が説いたかどうかを議論しているのに、後代のものを持ち出してもしょうがないでしょうにw
そして、「苦からの離脱」を説く為の方便としての「輪廻」の利用も否定してません。
問題にしているのは、「輪廻を積極的に説いたか」(=輪廻が実在する事を説く事が釈尊の目的だったか?)です。
>>266 俺は、その生死輪廻は六道輪廻とはとらない
現世で苦(生死の不安)にあえぐ人々の右往左往してる姿を描写してると思う
なぜなら、直後に「無明」が記されているから
原語に詳しい人いたら、解説してほしい
>輪廻が実在する事を説く事が釈尊の目的だったか?
それは違う。
270 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 17:11:26 0
そだな・・・、それは自明の前提であり、目的は苦そのものである業輪廻からの解脱だもんな!!!
そのための八正道をはじめとする三十七菩提分法の修行体系だろ。
271 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 17:29:57 0
道諦ですね
272 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 17:54:14 0
>>270 三十七菩提分法は後代の・・・は、おいといて、
あなたの主張は、「三十七菩提分法は業報輪廻から逃れる為の修行体系だから、それを修行する仏教の目的は、業報輪廻から逃れる事である」というものですよね?
ですが、その論理には致命的な問題があります。
どうして、三十七菩提分法の修行をすると、輪廻から逃れられるんですか?w
普通に考えれば、「苦」から逃れる為の修行法であって、業報輪廻などというファンタジーから逃れる修行法ではないと思うんですが。
三十七菩提分法を修行すると輪廻から逃れられると言うシステムを具体的に示していただけますか?
>>272 示してくださいではなくて、
疑問があるなら少しは自分で調べたらどうですか?
274 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 18:30:22 0
と言うと思ってたら、まんま直球でくるとはwww
道諦としてまとめられた八正道や四神足などの三十七菩提分法が後世の仏弟子たちの
創作だってんのは最新の仏典考証学の研究で分かってる事だよね。
だがしかし、後世の仏弟子が纏め上げた道諦としての修行体系の核となるものは、
歴史上の釈尊が少なくとも素朴なかたちで説き伝えられたものであると言う事も
決着済みの定説なんだが・・・www
おそらくそれは、苦行に行き詰まって死に掛かった釈尊を助けて介抱したジャイナ教の
導師からおしえてもらった実践ヨーガの技法からヒントを得たものであると言う事だが。
(だからジャイナ教と仏教は姉妹宗教と言われるのだが)
それと業輪廻こそが苦諦の核心でもあるんだがね・・・www
275 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 18:38:55 0
>>274 だから、後代の創作問題については、「おいといて」といってるだろうがw
もちろん、その原型を釈尊が作ったことは少しも否定してないぞw
問題にしてるのは、「三十七菩提分法の修行をすると、輪廻から逃れられるのか?」と言う部分。
そのシステムを示せないのなら、「三十七菩提分法があるから、釈尊の目的は業輪廻からの解脱である」と言うあなたの主張は成り立たない。
276 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 18:41:46 0
>>273 日本語を勉強した方がいいですよw
あなたにも分かるようにクドクドしく解説すれば、ここでの疑問形は、質問の意味ではなく、
「三十七菩提分法を修行すると輪廻から逃れられると言うシステムは存在しない。有るというのなら示してみろ。」と言う事を、婉曲に表現してるんです。
277 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 18:43:46 0
だから業輪廻が苦であると言ってるんだけどねwww
日本語が分からないのかなぁ〜・・・www
>>276 お前馬鹿じゃねえの?業輪廻が苦だから、もう立証されてるから
後、個人的にすごく気持ち悪い。
280 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 19:11:35 0
276は、なんだか可哀想なぐらいにヒステリックに論理が破綻しているね。
282 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 19:39:31 0
赤鬼になると業報輪廻から逃れられるかもよ。
283 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 19:45:30 0
>>243 そう思うのは実在論こそが真実だと思い込んでるからで、
本質・実体と捉えるという意味で正に我見。
別に量子論が縁起を明かしたというようなことを言っているのではなく、
譬喩ね。実在論的物理学と量子論の関係が、素朴実在論と縁起・無我・空の関係を理解する譬喩となるというだけ。
>>246 その五蘊も仮設で実体ではない。実体的な五蘊の因果関係、メカニズムという捉え方はヴァイシェーシカのサマヴァーヤ的であって縁起ではない。
>>244 だから
>>232 をよく読んでくれよん。
>>272 ★「輪廻する」という前提
・「輪廻し続ける限り苦はある」
・「輪廻するということもまた、苦の一様相」
・「苦なる生存」とは「輪廻を続けること」でもある
→「輪廻」は「苦」と同義と見做し得る
☆仏教は「苦の滅」「苦からの離脱」を説く
・「正しく行ずれば苦は滅し得る」
(・「苦が滅せられれば、次の生が無い」(仏典に文言あり))
つまり、
「苦を滅する為の行をし、苦を脱すれば、それが輪廻から脱すること」となる。
「輪廻から離脱することは、苦から離脱すること」であり、
「苦から離脱することは、輪廻から離脱すること」でもある。
ここで、
★の前提は、あっても無くても修行のシステム(≒具体的手法)に影響は無い。☆を阻害しない
★の前提を肯うかどうかでしかない。★の否定を仏教の行法や教義からは導けない。
なんとなれば、
≪仏教に於いて「苦の滅」が目指される時≫、
その「苦」は【別名を「輪廻」と言う以上】、≪仏教は「輪廻を脱すること」を目的とする≫
という言明は成立するし、行法も教義も、輪廻を【否定するものとはならない】。
★と☆は抵触しない。
問われるべきは「輪廻そのもの」ということになる。
釈尊が、「世相に合わせて説いたのか」「人は(衆生は)輪廻するということを当然のこととしていたのか」
は、文献からは見えない。推論の域を出ない。
確かめる方法は只一つ。自身がブッダとなるしかない。
285 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 20:19:47 0
>>267 >
>>259で問題にしているのは、「歴史上の釈尊」が輪廻を肯定的に説いたかどうかです。
>「歴史上の釈尊」が説いたかどうかを議論しているのに、後代のものを持ち出してもしょうがないでしょうにw
恐らく並川に依ってるんだろうが、「輪廻を肯定的に説いた」ってどういう意味よ?
この言葉に並川の詭弁が隠れてるんだが、分かる?
輪廻を存在、対象、経験として肯定的に説いたのか?
輪廻を喜ぶべきのものとして肯定的に説いたのか?
経験として肯定的に説いたのが、インドの宗教家全てだ。
喜ぶべきのものとして肯定的説かず、苦であるとして説いたのもインドの宗教家全てだ。
ローカーヤタという非宗教家というか現代日本の現世肯定論と殆ど変わらない考え方の奴らだけが、輪廻を否定し、現世を喜ぶべきものとした。
並川説なんて詭弁のみだ。和辻のがキッチリしてるぜ。
頭の出来が違う。もっとも和辻も仏教についてほとんど何も分かってないけどな。
286 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 20:28:35 0
>>274 >道諦としてまとめられた八正道や四神足などの三十七菩提分法が後世の仏弟子たちの
>創作だってんのは最新の仏典考証学の研究で分かってる事だよね。
>
>だがしかし、後世の仏弟子が纏め上げた道諦としての修行体系の核となるものは、
>歴史上の釈尊が少なくとも素朴なかたちで説き伝えられたものであると言う事も
>決着済みの定説なんだが・・・www
ちがうな。文献学者の多くは、釈尊の思想は特定不可能として放棄しただけで、
所謂、八正道や四神足などの三十七菩提分法はアビダルマ期には纏められていたというだけだ。
>おそらくそれは、苦行に行き詰まって死に掛かった釈尊を助けて介抱したジャイナ教の
>導師からおしえてもらった実践ヨーガの技法からヒントを得たものであると言う事だが。
これは全くの誤解だな。誰もそんなこと言ってないし、記録もない。
ジャイナ教との共通点は、苦行者文学という苦行者・シュラマナに共有されたものと考えられている。
ヨーガというか三昧技法は、別の二師に習っている。それも苦行の前に。
悟りは、三昧中の縁起観によってもたらされる。
ヨーガによってではない。この縁起こそが仏教の仏教たる由縁なんだ。
悟りの観法でもあり、因果でもあり、存在論でもあり、認識論でもある。
そこが分かんないと仏教の核心がわからず。
上のようなトンチンカンなことを妄想するわけだ。
287 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 20:47:05 0
>>284 >釈尊が、「世相に合わせて説いたのか」「人は(衆生は)輪廻するということを当然のこととしていたのか」
>は、文献からは見えない。推論の域を出ない。
>確かめる方法は只一つ。自身がブッダとなるしかない。
いやいや、世相に合わせて説いたという説は無理でしょ。
釈尊は待機説法で、相手が器になるまで核心部分は語らない。
しかし、核心部分は長部中部経典ではほとんど同じで、
その最終的な部分の果として宿命通が出てくる、これは方便ではありえない。
輪廻の体験というか、知覚はブッダにならなくても、
結構修行すれば出てくる。ただし、その知覚体験を妄想や狂気と捉えるかどうかが問題だ。
要するに全ては信に掛かってくる。自分の知覚を信じるか?
世間の常識や科学の通説を信じるか? 聖者が伝える伝承説を信じるか?
さて、何を信じるw
オレは何も信じないとかは詭弁か、思慮が足りないだけだから。
288 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 21:07:06 0
プッ、別の二師ってヨーガの古仙人なんだがね、ちみは知らないだろうけどwww
歴史上初めて現れた最古のヨーガ行者がジャイナ教のヴァルダマーナでありゴータマ仏陀なんだよ。
ジャイナ教と仏教の近似性は昔から研究されてるし、最初期から両者には交流があったんだよ、
ちみは無知蒙昧すぎて知らないだろうけどwww
仏陀が悟ったのも縁起の禅観と言うヨーガの技法によってだよ、ちみは知らないだろうけどwww
だいたい仏陀はマガダ語で説教してたんだけど、そのマガダ国の王ビンビサーラは
ジャイナ教の信者であり、その保護者だったんだがねwww
こんな初歩的なことも分からずにトンチンカンな妄想を喚かれてもねぇwww
289 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 21:14:32 0
290 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 21:32:25 0
>>288 >プッ、別の二師ってヨーガの古仙人なんだがね、ちみは知らないだろうけどwww
>歴史上初めて現れた最古のヨーガ行者がジャイナ教のヴァルダマーナでありゴータマ仏陀なんだよ。
へ〜、シュラマナとは言われているし、サーンキャの行者と『ブッタチャリタ』では言われてるが、
誰がどこで言ってるか教えてくれないか?
>ジャイナ教と仏教の近似性は昔から研究されてるし、最初期から両者には交流があったんだよ、
>ちみは無知蒙昧すぎて知らないだろうけどwww
だから、そのパラレル・フレーズは苦行者文学といわれてるんだよ。
ウィンテルニッツが指摘しちょっと前に荒牧さんが大きな成果をあげた分野だ。
>仏陀が悟ったのも縁起の禅観と言うヨーガの技法によってだよ、ちみは知らないだろうけどwww
なんだ「縁起の禅観」って、それがヨーガの技法とどこに書かれてるんだ。
いいか、『ヨーガ・スートラ』は完全に仏教以降に編纂されたものだ。
そこに三昧の技法はあるが、縁起観、空観はない。
これはサマタはあるが、ビパサナはないということだ。
つまり、精神集中はできるが、無我・空を悟ることはできないということだ。
291 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 21:44:12 0
>だいたい仏陀はマガダ語で説教してたんだけど、そのマガダ国の王ビンビサーラは
>ジャイナ教の信者であり、その保護者だったんだがねwww
それが以下の証明になるとでも思ってるの?
>>274 >>おそらくそれは、苦行に行き詰まって死に掛かった釈尊を助けて介抱したジャイナ教の
>>導師からおしえてもらった実践ヨーガの技法からヒントを得たものであると言う事だが。
君の場合、この根拠を示さないなら、何も知らないで妄想を吐いたことになる。
オイラは聞いたことがないが、典拠があるなら示してくれよ。
示せないなら何にも知らないのに誤解してることを自覚することだ。
仏典にはジャイナの在家の高弟が釈尊と論争し、
釈尊に帰依して悟り、ニガンダがその弟子が釈尊に帰依したと聞いて驚愕し、
説得しに来るが悟った元弟子に論破されて血を吐いて死ぬともある。
もちろん、交流はある同時代だから当たり前だ。
292 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 21:45:12 0
ほんとに無知蒙昧ですねwww
いつ仏陀やヴァルダマーナのヨーガが後世のパタンチャリの古典ヨーガって言ったよ?
かれらのヨーガはヴェーダや古ウパニシャッドにその片鱗がある古仙人のヨーガ、
実践ヨーガと言われるものだよwww
ほんと無知蒙昧ですね・・・、5,6世紀ごろに成立した「ヨーガ・スートラ」は
その由来を仏教やジャイナ教に遡れるぐらいなのにwww
少しはお勉強をしろ、カルトにでも嵌ってるのか、んっwww
293 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 21:46:43 0
>>284 >★の否定を仏教の行法や教義からは導けない。
大体同意するが、何度も指摘しているように、
問題は、「★の肯定も仏教の行法や教義からは導けない。」事だと思うが。
そして、
>→「輪廻」は「苦」と同義と見做し得る
この部分も、果たしてそういえるのか疑問が残る。
輪廻と苦は完全にイコールではなく、「存在するとすれば一致する部分もある」程度じゃないかね?
輪廻が存在すると仮定すれば、輪廻すると苦が続く事になるのは、指摘の通りだとおもう。
だが、輪廻が存在しないと仮定した場合でも、苦が無くなることは無い。
よって、両者を同義と見なすのは無理があろう。
たとえ、輪廻が存在するとしても、自分でも言っているように、
「輪廻は苦の一様相」であって、苦に包含される関係じゃないかね?
>文献からは見えない。推論の域を出ない。
是はその通りだ。
肯定も否定も出来ない。
294 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 21:46:51 0
>>285 >「輪廻を肯定的に説いた」ってどういう意味よ?
上でも書いてるけど、(
>>267)
「釈尊が教えを説いたのは、輪廻が実在する事を説くことが目的だった」
と言う意味。
>輪廻を喜ぶべきのものとして肯定的に説いたのか?
こんな意味じゃない。
295 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 21:59:45 0
>>292 これを示せないってことは負けなんだが。
>>274 >>おそらくそれは、苦行に行き詰まって死に掛かった釈尊を助けて介抱したジャイナ教の
>>導師からおしえてもらった実践ヨーガの技法からヒントを得たものであると言う事だが。
ボロボロだな。
>かれらのヨーガはヴェーダや古ウパニシャッドにその片鱗がある古仙人のヨーガ、
ヴェーダのヨーガの片鱗があるとは初耳だ。どこだ、示してみ。
何故、『ヨーガ・スートラ』を出したか意味が分かってないようだ。
ヨーガの伝統は所謂シュラマナにあっただろう、それは叙事詩やウパニシャッドあたりから推測できる。
しかし、それらに縁起観はない。
仏教以降に編纂された『ヨーガ・スートラ』にも縁起観はない。
ジャイナにも六派全てにも、他のヒンドゥーにもない。
だから、縁起こそ仏教なんだよ。そしてこの点について、
インド、チベット、シナ、日本の諸聖典が仏教と外道の違いをここに見いだす。
外道にも三昧はあるが、縁起がない。これは『梵網経』以来、仏教で明確に意識されている。
それが分からないなら、仏教は何も分からないといっていいよ。
だから、ヨーガを仏教といったり、ヴェーダーンタを仏教といったりするヤツがでる。
単に何も分かってないだけ。
296 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 22:06:44 0
おまえ、チベットカルトだなwww
それでこんなにも無知蒙昧なのか・・・www
変な本ばかり読まないで正統な仏教学者のほんを少しは読めwww
297 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 22:09:03 0
>>294 それは失礼。しかしながら、ここでも論点がずれる。
釈尊の教えの目的は輪廻からの解脱である。
その前に現状として輪廻していること、輪廻が苦であることを説いた。
ということになりますね。
まあ、こういうとそれは釈尊の弟子の説と言うのでしょうが。
もし、釈尊が輪廻を説かないとするなら、
釈尊の以前の苦行者、同時代の苦行者と異なり、特異に輪廻を否定したが、
ジャイナなどの記録にも弟子たちの記録にも残らず、
弟子もジャイナ等の外道も全て釈尊を誤解したということになるが、
それはあまりにも可能性が低いといわざるえない。
そのような低いほとんどありえない可能性をいいだすなら、
ほとんどのことはなんとでも言えることになると思う。
298 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 22:10:07 0
一番初歩的な本「バラモン教典・原始仏典」中央公論刊からお勉強しようねwww
カルトの妄想はダメダメよ・・・www
300 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 22:32:49 0
>>297 まてまてw
私は釈尊が輪廻を否定したとは一言も言ってないですよw
釈迦の真意は、苦からの離脱を説く事であって、輪廻を肯定的に説く事ではなく、
輪廻から解脱すると言う表現は、当時の大衆に迎合する為の方便であったのではなかろうかと言っただけですよw
301 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 23:00:59 O
たしか、バラモン教典って、釈迦が出世したんで、俺が育てたぞみたいな教典だったと思うが。まあ、バラモン教自体は滅亡してるんで。
302 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 23:02:43 O
そのバラモン教典の原本って何を元にしてるんだろう?あやしいな。
303 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 23:05:24 O
中央公論はたまにそういうことをやるからな。信憑性は薄いね。
304 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 23:13:19 0
あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。
しかも分別くさく語る。
賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ。
私は決して存在しなかったことはない。
あなたも、ここにいる王たちも・・・。
また我々はすべて、これから先、存在しなくなることもない。
主体(個我)はこの身体において、少年期、青年期、老年期を経る。
そしてまた、他の身体を得る。
賢者はここにおいて迷うことはない。
しかしクンティーの子よ、物質との接触は、寒暑、苦楽をもたらし、
来たりては去り、無常である。
それに耐えよ、アルジュナ。
それらの接触に苦しめられない人、苦楽を平等(同一)のものと見る
賢者は、不死となることができる。
「バガヴァッド・ギーター」(2・11〜15)岩波文庫 上村勝彦 訳
釈迦の教えはほとんど、ギーターのパクリです。
305 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 23:22:44 O
うーん、僕の言ってるのは訳の期間だよ。ほぼ一生かかっても無理なはずなんだよ。その教典の原本があやしいと言ってるんだよ。しかも、訳者は一人だろ?たいていは複数でやるもんなんだよ。
輪廻の概念自体は釈迦が生まれる前からあったけど、
輪廻についての正確な事実を発見をしたのは釈迦であるとスマさんは
いってたよ。
307 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 23:24:47 0
でもギーターの原型は紀元前一世紀頃だけど・・・。
むしろ、ギーターが釈迦をパクッたんでは・・・?
お釈迦様は、ジャイナ教祖とおなじ紀元前5世紀のひとだよ。
308 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 23:25:17 O
宗教乱立の時代に、なぜ釈迦の教えだけが残ったかが重要で、あとはなんもないんだよ。
309 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 23:27:33 O
まあ、それはそれでよい本なんだろうが。
310 :
考える名無しさん:2010/04/07(水) 23:34:29 0
現代のインドでは、バラモン教はヒンズー教諸派として残っているし
ジャイナ教は商人の富裕層に多くの信者を持っている。
僅かではあるが仏教もスリランカからの上座部仏教がある。
ギーターの成立年代は諸説あってよくわからんな。
マハーバーラタは紀元前4世紀ごろから紀元後4世紀ごろにかけて、
しだいに現在の形になったといわれてるけどな。
釈迦の年代も紀元前5世紀に亡くなったという説と、紀元前4世紀に
亡くなったという説があって、いまだに論争が続けられてる。
312 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 01:18:33 0
近代にも見え隠れに残るゾロアスター教も面白い。
紀元前、ユーラシア大陸の中心に生まれたこの宗教は、ユダヤ教、キリスト教、仏教、
ヒンドゥー教、イスラム教と、世界の大宗教のすべてと接触して影響を与えたのであった。
ゾロアスター教の終末史観は、キリスト教の「最後の審判」の思想につながり、
その最終救済の教義は、仏教の未来仏、弥勒(みろく)信仰の誕生を促したらしい。
驚くことに、祭祀のかたちの類似性から、盂蘭盆会の原型もこの宗教にあったとする説があるという。
しかも宗旨そのものは死に絶えたわけではなく、いまもパールスィーと名を変えて、
インド亜大陸に熱心な信者を持っているのである。
最初の発端は、西アジアに移動してきたアーリア民族の土俗宗教であり、
多くの神と呪術的儀式と、それを司る神官の集団であった。
そこに王者の末裔として、また有力な神官の子として生まれたザラスシュトラは、
みずからの出自に反逆して新宗教を興した。
ここには王家を出家して、伝統に反する悟りを開いた釈迦に似た人物像が揺曳している。
また伝承によれば、彼は同時に神の光輪が人間の女を懐胎させて生まれたとされ、
しかも新宗教の指導者になったのち、礼拝中に何者かに暗殺されたことになっている。
この挿話を聞いて、マリアの処女懐胎と、キリストの刑死を思い出さない人は少ないだろう。
やがてサーサーン朝ペルシャの成立とともに、この帝国の国教として認められることによって、
ゾロアスター教は大教団として不動の地位をえた。
明らかにキリスト教がローマ帝国の国教となり、儒教が中華帝国の国教となって繁栄したのと、
軌を一にしている。
面白いのは、この宗教の教義が極度に合理的な整合性をめざしながら、
現実には民衆の心情にあわせた寛容さをおびていたことだろう。
この世を光と闇、善と悪の二元対立で説明する教義は、一元論的とされるキリスト教よりも明快であり、
現に後者の「三位一体」説などの非合理を捉えて論戦を繰り返した。
他方では古いアーリアの伝統と妥協して、土俗的な神々の復活を認めたが、
これはキリスト教が守護聖人信仰を許したのに似ている。
313 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 06:08:18 0
>>296 ヴェーダのヨーガと釈尊のジャイナの師を教えてくれよ。
インド学をちょっとでも囓ったヤツならぶっ飛ぶトンデモ説だと思うがな。
>>300 同じこと。方便としたのが釈尊だけで、先行する苦行者も、同時代の苦行者も、弟子も誤解したというのかな?
釈尊は待機説法で、相手が器になるまで核心部分は語らない。
しかし、核心部分は長部中部経典ではほとんど同じで、
その最終的な部分の果として宿命通が出てくる、これは方便ではありえない。
方便とするなら、弟子が改竄したことになるが、それも可能性が極めて低い。
なぜなら、現存するパーリ・ニカーヤでは発展の度合いが明瞭に見られるからだ。
これは大抵の学者が認めてるよ。
>>302 おいおい、ちゃんとしてるよ。六派、ジャイナ、ウパニシャッド、ギーターを
当時の学問水準で複数の学者が訳してるよ。
この中公の世界の名著1、2はインド学の入門として今でも優れてるよ。
>>310 いやいや、チベット仏教とアーベンドカルが起こした新興宗教がある。
314 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 07:32:05 O
いずれも貧国で流行っているやつだな。あまりお勧めはできない。まあ、それが幸せなら話しは別だが
315 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 07:36:59 O
まあ、彼らのやってることは、埋没した歴史を掘り起こしてるだけの遺跡掘りと変わらん。問題は、今、何が必要かだ。
今日はゾロアスター教かぁ〜
いつも感じるんだが、ヨーガ君には何故だか共感できないなぁ〜
二人の論説は、おれにとっては等価に空中戦のような知識の応酬なのだが
何故だか共感できないわ〜〜いww
317 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 09:55:02 0
>>316 次元が違うんだが、そこんとこはある程度ディシプリンしたことないと
秘教的かもね。
318 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 09:55:38 0
>>313 >同じこと。
「否定した」と、「肯定しなかった」では、天と地ほどの違いが有ると思いますがね。
>最終的な部分の果として宿命通が出てくる
逆の可能性は考慮しました?
つまり、宿命通が最終目的だと考えている為に、
宿命通が出てくる部分を最終的な果(≒釈尊の目的)を示した部分だと思い込んでいるだけでは?
むしろ、輪廻を信じる当時の大衆に合わせて、「仮の最終目標」として宿命通を示すことで、
その修行の過程で本来の目的を果たさせる事に釈尊の意図があったのではないでしょうか?
>核心部分は長部中部経典ではほとんど同じ
出来れば一例を上げてくれませんか?
ゾロアスター教と言われてもな。
こちとら、ゾロアスター教に関する知識は持ち合わせてないしな。
知識がないと批判もできんw
320 :
246:2010/04/08(木) 10:02:53 0
>>283 因果と縁起をゴチャゴチャに解釈してました
321 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 10:33:35 0
>>318 宿命通は果の部分だけど、最終目標ではないですよ。その直前、
最終は解脱、解脱知見ですね。
田中教照先生が『象跡喩小経』によって修行を13段階に纏めています。以下、
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/kaijoue-06.htm その<第1>段階が「法を聞き、信を得て、出家する」とされていますが、
これは初心者の正見で、いわゆる信に相当します。
業因果や輪廻を信じるかどうかということです。
これを信じなければ仏教の修行に入れない前提的信仰です。
『大四十経』でこのようにいわれます。
比丘たちよ、それでは邪見とは何であろうか。布施なく、祭祀なく、供犠なく、善悪業の報いなく、
此世、彼世、母、父なく、化生の有情なく、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
証して説く者の世になし、と主張する、これが、比丘たちよ、邪見である。
比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見とは、
布施あり、祭祀あり、供犠あり、善悪業の報いあり、此世、彼世、母、父あり、
化生の有情あり、沙門バラモンにして正行正習、自ら此世と彼世を知り
証して説く者の世に在り、と主張する、これが、比丘たちよ、煩悩があり、福徳を分有し、
煩悩の拠り所たる心身の展開上にある正見 である。(田中教照訳、リンク先に指示されたものと同論文)
この後、戒定慧を学び、果である慧の部分で、
『象跡喩小経』の <第10>宿住随念智=自分の過去世の生涯を知る智慧。
<第11>死生智=他の生ける者の死と再生を知る智慧。他の者が、劣、優、美、醜、不幸になることを認知する智慧。
輪廻が教えの体系のなかで重要な前提となっていることが
理解できると思います。
この十三階梯は、ほとんどの長中部経典にみられます。
最初に待機説法があり、本論を説ける器になったつまり、業因果などに信が生まれた者に始めて道を説くことになります。
釈尊の時代でも苦行者、修行者以外は輪廻を信じていない人が多かったと思われます。
横レスだが輪廻を信じる合理的な理由って何?
それとも天国があるとかいうのと同じレベル?
カースト制度の是認、追認がベースにあるんじゃないかなあ
324 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 11:17:04 0
>>322 そりゃ形而上学的選択ですね。
つまり、素朴実在論を含むあらゆる種類の実在論を選択するか、
縁起を選択するか。
普通の人は無意識に素朴実在論を選択してるから、縁起に違和感がある。
オイラとしては縁起・因果を選択した仏教内での妥当性を話しているので、
それ以外の基準からの妥当性は考慮してないよ。
つまり、実在論を根拠に云々されても困るってこと。
325 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 11:25:40 0
でも生まれ変わりの事例って昔からあるし、今でも世界各国で報告されてるよね。
これって輪廻の実在の証拠では・・・?
ダライラマの事例なども嘘だとは断定できないし
そういう事象はあるにはあるだろうが、科学的根拠に欠ける
証明できない
327 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 11:48:11 0
科学的研究もあるよ・・・。
本山博著「輪廻転生の秘密」、「カルマと再生」、
ジョージ・W・ミーク著「死後の世界と魂の成長」、「再生・カルマとそれを超える道」。
328 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 11:54:53 0
人が死ぬと輪廻の主体となって他の身体に移り、再生するという考え方は、
霊魂のような存在は、永遠に実在するということを説明するために
用意されたんじゃないかと思う。
自分や他人の死を恐れたり、それを嘆く必要もない、無執着を
人に説くにも輪廻の考え方は便利だしな。
自我、人格、意識、魂と名付けているものは、脳内に記憶蓄積された集合体だろ
死によって、脳が消滅した瞬間
いったいそれらは何処へコピー、保管されるというのだ?
その受け皿を特定できない限りは科学的ではない
330 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 12:28:10 0
>>329 素朴実在論の砦、脳内還元主義のお出ましだ。
>自我、人格、意識、魂と名付けているものは、脳内に記憶蓄積された集合体だろ
こういう仮説が沢山あるだけで、実証されてはないだろ。
逆に過去の記憶を持っている人の証言が科学的に検証て真実であるという蓋然性が極めて高いシャンティ・デヴィのケースはどう説明するのか?
幼い彼女の記憶と、その前世とされた家族の状況や物理的位置、構成の一致。
それは脳やDNAに還元できないだろう。
>>330 では聞こう
自我、人格、意識、魂と名付けているものは
あなたの見解では何だい?
ドミノ倒しは、「一つ一つのドミノ」という「個物或いは最小単位の設定」が避けられないので、
「縁起」の喩えとしては不十分ではあるが、いま少し利用してみれば、
始めも終りも知り得ないドミノの列が、「輪廻」であり、人の「(苦なる)生存」ということになる。
連鎖して倒れ続けているが、そこに「固定的自我」はない。
どこかに、倒れてゆくその流れの中に、『継続して捉えられ、執される実体』は無い。
ただ「倒され、(動き)、倒し」続ける(→「因や縁を受け、(果と感受され、因或いは縁となり)、次の果を結び」続ける)。
そこには、そのような流れがあるだけ。
また、肉体(色(五蘊))の生滅にピントを合わせた時、この流れの或る二点が「生と死、誕生と逝去」と設定される。
だが、そこで、『途切れて、新たに始まるわけではない』。ある枠・基準で以って見た時に、そこに区分を設けるだけ。
連なった、間断無き流れは流れのままだ。
(その意味では、過去未来現在という区分はおろか、昨日明日今日、さっき・これから・今などの区分は意味を失う。
中論や道元の前後際断は、このあたりのことかもしれない・・。)
また、苦を滅し、眼が開き、智慧が生じ、涅槃に入るということは、
(「次のドミノを倒す動きになることも無く」、また「次のドミノも無く」)『この流れが止まる、終わること』に他ならない。
倒れ続けるとするなら、いまだ存する肉体(五蘊)に関わる事柄(ドミノ)のみ。《苦》の感受は既に無い。
だから、般涅槃という語が必要となった。
そして、如来の死後(ドミノの無くなった後)もまた「無記」(不可知)と言われる。
あ、
>>332の >過去未来現在 は「前世来世現世」のことね。
>>330 質問を変えよう
「あなた」を規定しているものは、何処にある?
レスを読み、キーを叩き、書き込みをする主体は何処にいる?
>>334 横レスですまんが、
規定しているのは
「環境(≒状況)」と「肉体」と「過去の(積算された)経験、(行為、記憶)」じゃないかな。
で、その環境のどこかで、五蘊がレスしてるんじゃないかなw
ま、思いつきで言ってみただけ。 合ってるかどうかは知らんw
336 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 13:29:30 0
>>331 何かと本質に還元できないが習慣上「自我、人格、意識、魂と名付け」られて
適当に意味するもの、言い換えれば心、心相続、心の連続と呼ばれるが、
それは縁起してそう知覚、体験するだけで実体は空だよ。
>>232 をよく読んでくれよん。
>>334 ここにいると習慣上言われるよ。ただその本質は縁起してるだけで空だ。
>>232 をよく読んでくれ、それが分かれば仏教の本質は掴める。
337 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 16:00:30 0
とりあえずお前ら、今日は灌仏会だぞ。
仮にも仏教を議論するなら、今日ぐらい仲良くしろよw
>>232や
>>332の認識論が科学的な世界観とどう違うのかが理解できないんだよなぁ
実在論だって実在という言葉を使ってるだけであって物理法則と無関係に独立して
存在してるとは考えてるわけじゃないし
339 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 16:46:35 0
>>338 古い物理学は、還元主義で何か現象の基盤となる実在、原子とかクォークとかが自立的に確固たる物質としてあると考えないか?
仏教は、そんなもんに還元できない空で実体のない無我だと考える。
認識するのはそれぞれの業によってそれぞれ縁起すると考える。
その違いは大きいよ。
>>339 素粒子はあると考えてもいいんじゃないの?
ないという根拠は?
341 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 17:10:55 0
>>340 オイラは科学的なことは知らんよ。
仏教では素粒子もそう知覚される時もあるだけで、
実体として自立的に存在しないと説く。
これが本来の縁起・無我・空。
実体的な原子が組み合わさって因果するというのは縁起ではなく、
ヴァイシェーシカのサマヴァーヤだと思われる。
仏教、特に釈尊と中観系では、原子が自立的なら縁起しないと説く。
なぜなら、自立しているから変化もしないし、他の要因が働くこともないから。
というのが、基本的な考え方。
空・無我だからこそ無常に変化し、縁起できると述べる。
縁起は認識論的存在論なんだ。
342 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 18:14:13 0
空や無我をただ単にな〜んにもない虚無のようなものとして捉えているね、
チベットカルト君は・・・www
無我を言葉の屁理屈でのみ捉えるからこんな無知蒙昧の妄想を喚くんだろうけど、
愚かな愚論だよwww
232の様な学者の屁理屈の諸行無常にかぶれずに、諸行無常を禅観せよ・・・www
343 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 18:37:18 0
>>342 きっちり、虚無じゃないと書いてあるんだが、困ったな妬み嫉みで書くなよ。
仮説、対象作用としての知覚、体験、現象はあるが、それが空に他ならないんだよ。
それが分かってないなら縁起も無我も空も分かってないんだよ。
それよりヴェーダのヨーガとジャイナの釈尊の師、この二つの典拠はどうなってんだ。
ただの口から出任せなら、きっちり懺悔しといた方がいいぞ。
344 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 18:47:05 0
学者の屁理屈というか、竜樹の無自性縁起説をパクッてるだけじゃん。
>>340 根拠というより、大前提って感じかな。
ドミノの例で最初に断ったように、
「(原子や、たとえ素粒子等、呼び名やサイズがどうであっても)、
《個物的最小単位の設定》が、無我や縁起に抵触する」 わけさ。
逆に言えば「種々の変遷、変容、変化に際し、そうした《実体》が無いことを
“無我”“縁起”と喝破したのが仏教だということになる。
つまり、「『《何か》の集合・離散』がある(である)」と考えるのは、彼流に言えば
実在論の視線、素朴実在論からの視線、ということになる。
そうした《最小単位》すら解体し、ただ、「縁(因)によって生じている」と【だけ】見るのが仏教である、と・・。
そして、それを別の言語表現に仮託すれば「空(空性)」ということになる。
346 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 19:01:55 0
やはり、な〜ん〜の禅定修行もヨーガ体験も無い口説の徒であったか・・・、
チベットカルト君はwww
ヴェーダどころではないんだがね、実際は・・・www
それ以前のインダス文明にヨーガの起源を求める学者もいるんだが、
まあいい・・・、佐保田鶴治著「ヨーガ根本経典」(平河出版)の第一編の
ヨーガ思想の起源を読んでみよwww
あと保坂俊司著「仏教とヨーガ」を精読せよ・・・。
ジャイナ教の導師が釈尊を介抱してヨーガを伝えた話は、ヨーガ密教会の
故沖正弘氏の「生きている宗教の発見」を読むが良いwww
>>346 「中国四千年の歴史!」のノリだなwww
>>346 おいオヤジ!
俺が注文した味噌ラーメン四川風味☆
マダー?^^;
349 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 19:32:38 0
オヤジ・・・?
アホかおまえは、俺は28歳の若きヨーギだぞwww
350 :
矢豆パン:2010/04/08(木) 19:46:02 0
おまえの年齢なんざ興味ねーよwアホかw
っつかはよ味噌ラーメン出せやくそ爺ぃがっ!
351 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 19:50:12 0
お前はいくつだ・・・、んっwww
おおかた50過ぎの糞呆け爺だろうが、アホwww
352 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 19:55:27 0
>>351 短パンはただのアホの荒らしだよ、スルーしてよ。
353 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 19:56:41 0
理系の質問板で聞いたら
クォークもエネルギーに変換され
文字通り「空」に帰するとさ〜w
短パンはまたアル中になったのか?
サイクリングやれよな
355 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 20:00:20 0
>>346 インダス分明にヨーガの根拠を求めるのは何でか知ってるのか?
根拠は確か一点だけだぞ。
問題はヴェーダだ。ヴェーダってのは祭儀なんだよ。
供犠も行われた。これは原始宗教共通の現象だ。
ギリシャでもシナでも行われている。
この祭儀はヤジュニャって言われるわけだが、
それが段々退廃して信仰が失われて来たころに
ブラーフマナやウパニシャッド、叙事詩などや、
仏教やジャイナの古文献に表される苦行者、シュラマナと呼ばれる人たちが出てくる。
ここでサーンキャ・ヨーガという対句で使われるのがヨーガの起源だったような気がする。
その場合のサーキャ・ヨーガというのは理論と実践、あるいは分析と統合といった意味で、
仏教で後に分析修行と三昧修行と言われるものに底通すると思う。
そこで問題は、ヴェーダ文化にはヨーガは見いだされないってことだ。
これがインド学の通説だ。
お前がヴェーダにヨーガの起源を発見したなら、インド学の常識を覆す大発見だから、
発表しろよ。まあ、どうせ出任せで後で間違いでしたって言えなくてグダグダ言ってるだけだって分かるけどな。
そんな日本語の概説書の知識で、突っかかってこられてもな〜w
356 :
矢豆パン:2010/04/08(木) 20:09:28 0
あ〜ららw
このレス見ちゃった50過ぎの人間がおまえに牙を向かない事を祈っているよ♪
あっ、大丈夫か〜
名無しだもんなおまえw
(だっさw)
357 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 20:11:28 0
お前の無知蒙昧には呆れるよ、アホwww
サーンキヤはプルシャとプラクリティの二大原理で万物を説明する二元論哲学じゃんかwww
たまたま、「ヨーガ・スートラ」の編者がヨーガを哲学的に説明する為に当時流行していた
サーンキヤ哲学を取り入れただけジャンwww
こんな初歩的なことも知らないなんて・・・www
あまりカルトばかり読むとこうなるのか・・・あわれチベットカルト君www
さあ、根拠を示したんだからご本を買ってお勉強ちましょうね・・・www
358 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 20:16:33 0
チベットカルト君、興奮しすぎてインダス文明をインダス分明って書いてるよ。
359 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 20:33:24 0
>>353 それが新しい物理学の通説だと思うよ。
>>357 お前28なのか、オイラは20ぐらいかと思ったよ。
お前、エピック・サーンキャもしらんのか。
シュトラウスとかオルデンブルグぐらいよんどけよ。
ヴェーダとかサーンキャとか云々するなら。
原典とはいわんからw
まあ、お前は、以後スル〜するは、話にならん。
360 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 20:34:25 0
サーンキヤで現存する最古の文献は4世紀ごろの
「サーンキヤ-カーリカー」で、この文献はそれ以前のサーンキヤ思想を整備体系化したもの。
ギーターは現存のサーンキヤ学派の文献よりも前に作られてるから、
ヨーガの起源はギーターにあるのではなかろうか。
なんだ、ただの頭のおかしなガキだったのか。
つまらんw
362 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 20:56:00 0
>>360 それは所謂古典サーンキャと言われるものね。
二元論にして現象と実在の難点を説明したもの。
サーンキャの起源は、ウパニシャット、叙事詩などとされるよ。
シュトラウスの『インド哲学』を読むといいとおも。
基本的にサーンキャってのは、分析とか理論という意味で、
インド哲学の基本だよ。
ヴェーダーンダとか、タントラなんかはサーンキャを下敷きにしてる。
唯識も明らかにサーンキャを取り入れてる。
さらに言えば十二縁起もエピック・サーンキャの一元論生成説を、
縁起によって洗練させたように思える。
誰に講釈垂れられてるのかってーのは
とても重要な事なんであってだな〜
わかっちょんのか?カス(プ
364 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 21:56:13 0
ヨーガが精神統一の行法を表わす術語となったのは中期ウパニシャッド以降。
中期ウパニシャッドにはかなり具体的なヨーガの記述があらわれる。
平坦で清浄な、諸条件が具わった場所の選定・胸・顎・頭を直立させる坐法、
思考力による感官の抑制、呼吸の調節などが規定され、実修が進むにつれて
体験されるさまざまな幻覚や、心身が軽快になり、顔色がすぐれるなどといった
ヨーガの効果も記されている。
そして、ヨーガ実修の極致において、人はブラフマンの実相を認識して、
あらゆる束縛から解放されると述べられる。
ギーターには、ヨーガに関するいっそう詳しい記述が与えられるようになる。
そして西暦4、5世紀ごろになると、さまざまな系統のヨーガを統合した古典
ヨーガの体系が成り立ち、「ヨーガ・スートラ」が編纂される。
>>341 >>345 よく考えたら素粒子が変化(縁起)してもしなくてどっちでもいい気がしてきた
どちらにせよ他の理論に影響ないんじゃないの?
素粒子だけ例外として縁起しないとしても、それ以外には縁起があるわけだし。
それにさ、素粒子はエネルギーだとしても
今度はエネルギーが最小単位になっちゃうじゃないの?
物理の話はわからないけど
縁起の考え方を突き詰めると今みたいに「はじまりは何か」みたいな話になるけど
たしか仏教ではこういう問いは中庸?で無意味だみたいなことを読んだ記憶があるけど
366 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 22:39:14 0
>>365 逆、縁起は始まりを認めない。始まりのない円環運動が輪廻。
何か起源、アルケーを求めるのが実在論、西洋もそうだし、
ヒンドゥーなど仏教以外はオイラがしるかぎりみんなそうだと思う。
>>365 >よく考えたら素粒子が変化(縁起)してもしなくも
仏教的視座(縁起の視座)としては
≪「素粒子」もまた、「所縁によって【素粒子として】顕現している・生じている」だけ≫、と見る。
≪【素粒子として認識される様相】をもって顕現している・生じている≫と見る。
≪そこに「素粒子」が「ある(実在する)」のではなく、
【素粒子として認識される様相】が【そこに生じている】≫と見る。
こんな感じかな・・?
≪『素粒子が』『変化する』わけではなく、因により縁により【素粒子として生じている】≫、ということ。
かな?w
最後の行は変だなw
「素粒子が素粒子としてのまま、集合・離散、或いは変質するわけではない」
という意味合いだったんだが・・こなれてないな・・・。 すまんw
369 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 22:49:45 0
縁起って業輪廻の要素だろ
370 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 23:05:08 0
縁起といっても、初期仏教時代の縁起説と大乗仏教の縁起説と微妙に違うしな。
どの縁起説で説明するのか、はっきりさせないとわからんだろう。
特にどの辺が仏教を語っているのか
さ っ ぱ り だ w
特に何処を読んだわけでは無いが
こういうの匂いで解っちゃうから
俺って多分悟り開けてるんだと思うよ
うひゃひゃひゃひゃ☆
372 :
考える名無しさん:2010/04/08(木) 23:21:47 0
病院行け、アホwww
哲板らしくなってまいりましたw
リンガムおいしいよ。
/::. ソ .::;;ヽ
/::. ..:::;;;ヽ
/::. ..::;;;;ヽ
/::. ..::::;;;;i
(::. ..::;;;丿
>::...___..::::;;;イ
!ヾ. ̄⌒__ ̄彡|
iミ:::ミC= ≡..::: )
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|::::: ヽ / /;|
|::: ( ' ( .::;;;|
|::: | ミ .ヽ\|
|::: 丶ヽ ..:ヽ )
|::: .i ! ::;;;;;|
|::: i .ノ . ::;;;;;|
|::: ( ヽ ..::;;;;;|
( \ l. | ..:;;;;;;|
|::\∨丿 ″..:;;;;;|
|::: ( ( ゙ ..:;;;;;|
,,.-‐''"´" ノ ノ ""´"''- 、
375 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 04:58:53 0
>>370 基本は『勝義空性経』これはパーリ・ニカーヤには含まれないが、
『清浄道論』に同じ意味の引用がある。パーリ系ではそれだけだけど。
他だと有部、唯識、中観みなこのアーガマに依拠している。
基本的な認識は同じだと思う。
中観が最も正確に解釈し、三論、天台、華厳もほぼ同じ。
特に華厳の縁起は、優れている。
チベットでもゲルクとチョナン以外は正確に解釈している。
不幸なことに特異なゲルク説がチベットの理解として流布しているので、
勘違いされる。
はたしてこのスレの住人共は、
凡そ仏教とは真逆なレスの流れに「何かがおかしい」と感じる事はないのだろうか。
ま、涅槃で待つしかなさそうだの、、、ちんちんしゅっしゅ。と
ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ヽ,
// ""⌒⌒\ )
i / ⌒ ⌒ ヽ )
!゙ (・ )` ´( ・) i/
| (__人_) |⌒ヽ/⌒\
(''ヽ `ー' / 〉 〉 ,、 )
/ / (__ノ └‐ー<.
〈_/\_________ノ
377 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 06:06:03 0
378 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 09:26:24 0
おかしいと感じてる奴は半笑いで見てるだけだろうw
379 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 09:43:07 0
>>378 なるほど。そういう人がおかしいと思わなかったら仏教じゃないは
みんな頭の中に詰め込んだ知識をダンプカーのように投下するんです
その中から自分に参考になりそうなのを拾い集めるだけですw
>>366 何を持って円運動してると判断する?
>>367 >因により縁により【素粒子として生じている】
その因と縁とは何?
>【素粒子として認識される様相】が【そこに生じている】≫と見る。
んーそれは俺の言葉で言うと「素粒子は感覚所与の説明概念」という発想と同じなのかな
「素粒子という概念で説明できる認識された一連の様相(感覚所与)」ということ。
形が見えた、力を加えたら動いた、秤にかけたらメモリが動いた
などの観察から素粒子の実在を仮定するという考え
ちなみに自分は科学哲学の道具主義をかじってるというか参考にしてます。
実在論者だけど本当の姿はわからないという立場。
382 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 11:50:25 0
戯論には無記だな
383 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 11:54:56 0
>>381 オイラが言ってるのは仏教で、科学じゃないから。
仏教で妥当性を持つとされるのは三つぐらい。
聖者の伝承、推論、行者の直観ですな。
このうち、聖者の伝承によって、推論を論理的に加えたものです。
384 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 12:03:52 0
結局チベットカルト君は屁理屈ばかりで何ら実のある仏教論を展開してないね。
これでは極端すぎるきらいはあるけど、ズバッと単刀直入なヨーガWWW君のほうが
純粋だよ。
速行心、結生心などの分類は心の分類であって、心所は
そのような心に溶け込む属性ということでしょうか?
それと、尋、伺がテーラワーダ協会のHPの説明を読んでも、いまいち
理解できません。誰かアビダンマにお詳しい方、よかったら
教えてください。
>>383 輪廻があるかどうかは信仰の問題ですか?
では仏教は輪廻を信仰しない人には意味が無いといことですか?
>聖者の伝承、推論、行者の直観
偉い人が言ったから正しいという発想ですか?
387 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 12:17:03 0
輪廻は事実だろ・・・?
>>386 「仏教」の定義が各自バラバラだから水掛け論が続くだけさ
あなたの「仏教」と各自の仏教は違うんだから
389 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 12:29:03 0
それを言っちゃあお終いだろ、普遍的共通項を見つけるための議論だろ。
390 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 12:42:07 0
釈迦は5つの自己の義務を定めました。
1悪いものを見てはなりません。
善いものを見なさい。
2悪いことを聞いてはなりません。
善いことを聞きなさい。
3悪いことを話してはなりません。
善いことを話しなさい。
4悪いことを考えてはなりません。
善いことを考えなさい。
5悪いことを行ってはなりません。
善いことを行いなさい。
釈迦の教えの神髄だと思います。
392 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 13:13:48 0
>>386 仏教を信じるなら、輪廻は信じるしかない。
信じないならどうでもいいよ。
一応、学問的に検証されたシャンティ・デヴィのケースもあるけど、
輪廻の科学的真偽はオイラにはそれを取り扱う能力がないからね。
まあ、還元主義的科学なら、検証不可能だと予測するけど。
>>391 いや、基本は同じだよ。
日本には非仏教の日蓮とか、特殊な真宗、禅宗があって、
しかも、真宗、禅宗の現代教学がさらにわをかけて特殊だから
そう思うだけ。
水野弘元『仏教要語の基礎知識』
ダライラマ『智慧の眼を開く』
パユトー『仏法』
以上を読み比べれば、基本は同じだと分かると思う。
393 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 13:47:54 0
ロシアの天体観測機関が警報:本日夕刻に極小惑星が極東に落下
ロシアサンクトペテルブルク天体観測機関はモスクワ時間4月9日午前10時すぎに
直径500メートル規模の小さな天体がアジア極東地域に落ちる可能性があると
警告した。これらのデータによると、この天体は、昨日発見され、急速に地球に
接近している。衝突の確率は97%、衝突地域はコーカサス山脈の東から日本海
にかけて、北緯25度から50度の間の広域的な範囲の1つである。内務省の被害に
備えて、緊急時の態勢を取っている。
>>392 >日本には非仏教の日蓮とか、特殊な真宗、禅宗があって、
>しかも、真宗、禅宗の現代教学がさらにわをかけて特殊だから
>そう思うだけ。
何を「特殊」と考えるのかは、視点によって変わる。
こんなことは、哲学板の諸氏には言うまでもないだろう・・・w
>以上を読み比べれば、基本は同じだと分かると思う。
それらの本が「特殊」なのかも知れないね。
それらが「特殊」ではないと思っているところに、すでに「信仰」がある。
395 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 14:08:26 0
>>394 世俗の対象をそんな極端な相対論で述べたらなんでもありでしょ。
インド仏教の大乗、小乗を通じて共通するものが、
現代でも東南アジアのテーラワーダ、
チベット・モンゴルの大乗仏教、
シナ・朝鮮・日本の大乗仏教に共通するものが基本だろ。
例えば、何を人の基本と観るか、
眼が二つ、手が二つ、足が二つあることを基本とみるだろう。
髪の毛の色とか、肌の色とかを特殊と考える。
その逆に考えるなら、基本と特殊という言葉の通常の用例から逸脱した詭弁だ。
それと同じ、日蓮とか真宗の現代教学とかは特殊なのであって、
決して基本とは見なされない。
基本という言葉に拘るなら、共通要素とか普遍項と言い換えてもいい。
それでも何か問題あるかい?
あのう・・阿弥陀様信仰は特殊なんでしょうか?
397 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 14:21:37 0
大乗のなかでも特殊です。
しかし、大乗仏教の思想的完成者龍樹菩薩も心中深く阿弥陀仏を念じていたからなぁ〜・・・?
>>392 >仏教を信じるなら、輪廻は信じるしかない。
>信じないならどうでもいいよ
その輪廻は
1、六道輪廻なのか
2、人が人に生まれ変わる輪廻なのか
3、日常経験してる生死の煩悩を彷徨ってる様子を示す輪廻なのか
4、その他の輪廻なのか
どれだい?
>>395 >例えば、何を人の基本と観るか、
>眼が二つ、手が二つ、足が二つあることを基本とみるだろう。
・・・w
試しに、知り合いに、「人の基本は何だと思う?」と質問してみなさい。
「眼が二つ、手が二つ、足が二つ」という答えは、まず返ってこないだろうw
つまりそれは、《あなたにとっての》「基本」に過ぎないということです。
400 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 14:37:35 0
狂信主義者vs相対主義者
>>395 >基本という言葉に拘るなら、共通要素とか普遍項と言い換えてもいい。
>それでも何か問題あるかい?
問題ある。
何を共通要素と見るかも、当然のことながら、見方によって異なる。
例えばさっきの質問、「人の基本は何だと思う?」に、
「心をもつこと」と答える人もいるだろうけれど、
それは、唯物論的な考え方をする人には、受け入れがたいだろうね。
(どちらかといえば、眼が二つ、手が二つ、足が二つ・・・っていうのが唯物論的発想だ)
さて、仕事なので今日はこれで。
阿弥陀如来を信じるくらいなら、大日如来を信じるなぁ・・・
403 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 15:16:56 0
>>396 アミダ信仰というか浄土信仰が特殊というよりも、
真宗の現代教学はキリスト教の影響を受けていて、もはや仏教ではないんです。
>>398 1.と3.はそう。
人が人に必ず生まれ限るとは限らないどころか、
人になるのは希と仏典は言うね。
>>399, 401
譬喩だがな。そこで突っ込むかな。全体の意味とれよ。
そりゃ、屁理屈っていうか馬鹿ってもんだぜ。
要するに時代地域を通じた共通項が基本だってことだ。
話にならは。もう、話かけんでくれ。
普遍的な価値の体系を、合理的に基礎づけることのできるような理屈は、どこにもなかろう。
人は常に、合理的に基礎づけることのできない信念から出発するのである。
その信念は、おそらく、歴史的・社会的・生理的・心理的諸条件の複雑な相互作用から
生まれたものである。
たとえていえば、多くの変数を含む関数のようなものである。
関数の形はわからない。
釈迦やイエスは、変数を一つに絞って、関数の形を定めようとした人たちである。
/::::::::::::;:;:;:;:::::::::::::::::::::::::::::::ヘ. __
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.l::::::::::::/ l::::::::::::::::::::::::::::::::l ノ└‐┘
l::::::::::;仁._ ゙i、:::::::::::::::::::::::::::l
l::::::::/丈亡トミヽ ゙i、:::::::::::::::::::::::l. l 、
.l:::::::::l  ̄ | ゙、:::::::::::::::::::::l レ ’
l::::::人i | i::::::::::::::::::::::l
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l:::::::::::::::人 ー-一 i:::::::::::::::::::::l /| _ノ
.l:::::::::;;:;;;;;-r'''ィ⌒V 冫:::::::::::::::::::l
l:::::rf'" ! i |ゝ-イ゙i,/./|:::::::::::::::::::l -|r‐、.
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/:::,,イ::::::::|. |_ t.. F>ト /=、 .|:::::::::::::::::人
.{::/:::!:::::::::::丈`丈ii`て.コ,,.ノ:::::::\|::::::::::::::::::|:::``;‐-.、
□いわね
↑
よめない。何て書いてあるの
407 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 15:56:48 0
>>404 それは分かる。しかし、体系内の共通性の話だ。
例えば言語は唯の習慣だが、諸言語に共通性がある。
なぜなら、人間の生活体系・習慣に共通性があるからだ。
そういった体系内の共通認識を認めないなら、
言葉で意味が通じないことになる。
だが、今、通じてるよな。ある程度。
そのある程度を越えて、確実性とか普遍妥当性とか本質・真実とか言い出すからおかしくなるだけだ。
適当にある程度、ノイズを善意で補って交流するしかないのだ。
誤解はそのつど正せばいいだけだ。
それが出来ないと思うなら、話すだけ無駄だ。
オイラは出来ると思ってるから、話す。
408 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 15:57:18 0
,..-:::―::-.、
/:::::r‐i:::::::::::::ヽ
| ノ,,__ヽ |
|::::ハrュァ'ソV::::::::|
|:::ハ _| V::::::|
|::::::ヘ、 = >,::::| <ぐぐれカス
|:::::::::rf‐v‐7ァ::ヘ::|
|::::::::「77ハ下Λネ、
r<「:::|Λハ/ハヶュ>::',:::::|>、
| ヾ |::::::::::::::ヘ.非/:::::::::::::|/ |
| \レ:::―=ヘ/=―:::::l/ |
|\. 〈:::::::::::::::::::〉::::::::::::::::〉∠ !
| ,≡<::::::::::::/_,,.、ョァ―<. |
__. !  ̄ ̄ ̄胚三 胚 ̄ ̄ |
777 ハ、 L._ニ三胚 胚.>―┘
|!i !|ll }ミ、、 /::: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:::ヘ
|| !|!l!{ll}ミ、l}/:::::::|!:::::::::::|!::::::::::|!:::::::ヘ
|l!ll{{ll|__',|||}ゥヮァゥヮァゥヮァゥヮァゥヮァ
イ ハll|ヘl_∨l:::::::l:::l:::::|:::::|:::::::l:::::l::::::ヘ
ノノ.:ヘlM__乃:l:::::::l::l:::::::l::::::!::::::::l:::::l::::::ヘ
ノ.:.ミ:<_・ハ:l::::::::!l::::::::!::::::l:::::::::l::::::l:::::::ヘ
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).:.:.:.:.:./r‐亠、、___ /:|:::::::::|_,,,.....l,_ヘ
ノ.:.:.:.:.|.:!_ ヽ::'., ヽ`ー--‐ ' ´ /: :::.::::`、
彡.:.:.:|.:|ー'ト,. ',:::', ヽ:::::::::::: /:: ::::::::::::::ヽ
_.:.:.:.:.:`.: ̄.:< ',:::',. ヽ::::::: l::: ::::::::::::::::::::',
409 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 16:01:29 0
臨⃞ 兵⃞ 闘⃞
者⃞ 皆⃞ 陣⃞
列⃞ 在⃞ 前⃞
簡易九字切りと、波動関数の色度によるグラフ表示に何かあるよ
411 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 18:11:30 0
んッ、何も無いよ
知らないことは正しいことです
>>381 > その因と縁とは何?
それが全てわかるなら、悟ってるということですよw
別に、超能力や神通力を喧伝するわけじゃないですが、
禅定により見られる、知悉し得るというのが、伝承というものではあります。
特に宿命通、天眼通などはその類でしょう。
ただ、【類推すること】はできます。我々にも知覚理解し得る範囲で、
『所縁によっている』ということは見ることが出来ます。
そして、≪【一切は縁起性である】と説かれていること≫を鑑みれば、
「素粒子」だろうが「原子」だろうが、
【そこに何が代入されようが】成立する「理(ことわり)」であろう、と推察できるわけです。
(反証は見出されていない。)
『それも「信」である』という批判は可能だが、少なくとも、教えを伝承してきた弟子達は、
(そして残された仏典は)、そのように受け止めることが正しい、と示しています。
> 「素粒子という概念で説明できる認識された一連の様相(感覚所与)」ということ。
> 形が見えた、力を加えたら動いた、秤にかけたらメモリが動いた
> などの観察から
私は『感覚所与』という概念がよくわかりませんが、ここまでは頷けます。
まさにそのようにして、「一切の縁起するもの」が「所縁によって」「種々の相」を表して、
「○○と知覚認識されている」ということを見、知るのです。
ただ、そこで以下のように、
> 素粒子の実在を仮定するという考え そこに、何か実在する
とは見ないのです。
だから、『如夢幻泡影』と言われるのです。 (コップでも肉体でも電車でも喜びでも悲しみでも同じです。)
> ちなみに自分は科学哲学の道具主義をかじってるというか参考にしてます。
> 実在論者だけど本当の姿はわからないという立場。
「本当の姿なぞ無い」、というのが「空」なんだと思いますよw
414 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 21:48:17 0
>>413 >「本当の姿なぞ無い」、というのが「空」なんだと思いますよw
そうそう。
>>404 >釈迦やイエスは、変数を一つに絞って、関数の形を定めようとした人たちである。
巧い表現ですね。
「言い得て妙」の好例かと・・・w GJ!! (ゝ_ )b
多変数関数ではありませんと
417 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 21:59:49 0
418 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 22:04:53 0
空って人間から見た場合でしょ。
空自体は「なにも無い」んじゃあなくて、絶対的な充実であり自我と言う限定された自分から
無我と言うほとけとしての無限の自分への解放じゃあないかな。
419 :
考える名無しさん:2010/04/09(金) 22:15:33 O
スレが伸びてると思ったら、このありさまか
>>417 >変数を一つに絞 るのでなく、
数多ある変数を数多あるままに見、それが「縁起」という関数に束ねられている、
という感じ?w
縁起法頌を想起すれば、あながち外れていないとも思えるが?
少なくとも、『関数の形を「縁起」として定める』という点では(譬喩としては)妥当だと思うし、
その際の変数は(一つではないにしても)、 χ(因)と y(縁) の二つに絞られている。
こんな感じはどう?w
421 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 00:28:39 0
>>413 言うところの「三明六通」というものですね。
前者を特に「宿命」「天眼」「漏尽」はサンスクリット語で
Tri-Vidyaと言い、「Vidya(明呪)」からも分かるように
ある種の「通力」です。
ちなみに現在を知る、つまり悟りは漏尽通ですね。
422 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 02:30:47 0
>>418 >空自体は「なにも無い」んじゃあなくて、
これは異論がないでしょ。
>絶対的な充実であり自我と言う限定された自分から無我と言うほとけとしての無限の自分への解放じゃあないかな。
これがアートマン・ブラフマンとか宇宙とかいうなら、誤解。
>>420 >その際の変数は(一つではないにしても)、 χ(因)と y(縁) の二つに絞られている。
先ずその変数が仮説だし、縁起にしろ無我・空にしろ仮説だから、
教え、理論自体が仮説の戯論だから、悟ったら捨てるものだから。
>>421 違うよ。悟りは「三明六通」じゃない。「三明六通」はオマケ、飾り。
423 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 03:00:16 0
>>422 通力がおまけなんて、よほど後期大乗仏教派がお嫌いとみえる。
424 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 03:12:46 0
>>423 たしかにアティシャとか密教に入ると神通を使って膨大な福徳資糧を積むという考えが入るけど。
最終的にはオマケ、飾りというのは密教でも同じだと思うけど。
そもそも、通仏教的一般性を求められてるので細かな特徴は捨象していることを理解してほしいなあ。
425 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 03:26:58 0
>>424 もし通力を現世利益としての手段とすれば
密教においては「方便」ということになりますが。
一般的でないなら?ここまでですかね。
426 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 04:08:36 0
>>425 ですね。テーラワーダや禅で神通を方便として使うとは言わないと思いますがどうでしょう?
427 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 04:42:38 0
>>426 現世肯定主義?(これを間違えて捉えると某教団になってしまいますが)の
密教とそれ以前(言い方は失礼ですが)の仏教はある意味正反対ですね。
この辺りやはり、空、無自性、仮といった思想だからでしょうか。
密教経典の大日経でも、不可思議な神変力の功徳と
そしてそれにも惑わない様、という記され方をしています。
また三句の法門でも「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす」とあります。
方便が悟りの手立てならば広い意味で大乗仏教すべてに通ずると思いますが
現世利益も悟りの手段、というのはその道の方でないと
一般的には相容れないものなのでしょう。
また先にも話題になっていたようですが
唯識思想ですね。中論派の方を敵に回してしまうようで恐縮ですが
ある書物で、空の思想ばかりにとらわれて、現実を空虚と見做し過ぎ
ニヒリズムのような思考が広まった反省から現実世界を見直そうというのが
始まりとあったようです。
実際、密教経典の一つ「金剛頂経」は唯識思想をベースにしていますし。
長文失礼しました。
428 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 05:19:15 0
>>427 >ある書物で、空の思想ばかりにとらわれて、現実を空虚と見做し過ぎ
>ニヒリズムのような思考が広まった反省から現実世界を見直そうというのが
>始まりとあったようです。
それは単なる空の誤解ですね。
>実際、密教経典の一つ「金剛頂経」は唯識思想をベースにしていますし。
これは微妙ですね。密教はなにより空性が前提ですよ。
密教の祖がチベット系でもシナ系でも龍樹菩薩とされるのは、当然です。
因みにインド密教に関する文献学は、思想研究としては全滅に近く、全く信用できません。
単に文献の物理的な部分だけしか信用できません。
429 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 05:42:14 0
>>428 ここで論争をしてもあれなんですが
空一辺倒の思想だからそうなるのではないでしょうか。
もちろん空が前提です。空だから縁起、ではなく
縁起でありその本質は空である、という不可逆的なものです。
また密教についてですが
密教の祖と言われるものに龍樹菩薩がありますが
その前に金剛薩た(変換できません、普賢菩薩の灌頂名)があります。
信用するしないでは、それではまるで
実在の人物でなければならない、ということになりませんか?
龍樹イコール空性、これは正しいです。
が、その龍樹菩薩がヴァジュラ・サットヴァ(敢えてこう書きます)から
何を伝授されたのか。それは紛れも無く「密教」です。
430 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 06:00:23 0
ついでながら
中論の思想を継いだものが大日経であり大悲胎蔵生曼荼羅
唯識の思想を継いだものが金剛頂経であり金剛界曼荼羅
とする解釈もありますので、ご参考?までに。
431 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 06:02:21 0
>>429 >もちろん空が前提です。空だから縁起、ではなく
>縁起でありその本質は空である、という不可逆的なものです。
いやいや、正に空だから縁起ですよ。そして縁起だから空。
不可逆的な理解だと部派の理解になっちゃう。
密教はおろか色即是空空即是色も理解できない。
実際、テーラワーダの空理解から、その典型的疑義が出されてますし。
>実在の人物でなければならない、ということになりませんか?
なりませんよ。縁起・空というのは認識の問題。
色即是空空即是色ならば、実在とか歴史的実在などと発言することこそ無理解の証しでしょう。
色即是空空即是色ならば、法身説法も法爾経典もテルマも
そのように認識できる聖者なら、そう縁起するんです。
例えば、一水四見のように水も認識するものに依って何と認識されるか変わる。
なにも実体的自立的に成立しているのでなく、縁起的に諸業によってそれぞれに認識されるのだから当然なんです。
ですから、報身の金剛サッタも法身の大日やアミダも認識できる聖者にはそう縁起するだけ。
なんの問題もない。自立的実在的にあると考えてるから、そこに疑問が生まれるだけです。
432 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 06:26:00 0
>>431 では端的に、
私達、凡夫衆生は「聖者」たり得るのですか?
色空を論じるならば、そして信を論じるならば
文献の物理的要素すら必要無いでしょう。
空の中に縁起を観るとはどういうことでしょう?
卵が先かの類ではありませんが。
また、聖者はそれら(失礼ですが)仏様を認識するとありますが
それは「認識対象」なのですか?
色空不ニを悟った者イコールそれ自身ではないですか?
唯識で言いますと「円成実性」というものです。
ちなみに法身は大日如来、報身は阿弥陀如来、応身は釈迦如来です。
433 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 06:30:51 0
白熱してるとこ悪いんだが宗派所属名くらい書こうぜ
434 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 06:37:42 O
存外無宗派、末僧のためのスレ
435 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 06:38:53 0
宗教ってのはそれなりの哲学というものがあるんだろうけど
それを学んだ相手が神や仏ってとこがなあ・・・
受け止め方によっちゃいくらでも改変されるじゃん。で争いが起こるとw
どこの宗教もおんなじだな
436 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 06:48:19 0
追記として
>>431の例で言いますと
実体的自立的に成立していると間違った考えは「偏計所執性」
縁起的に諸業によってそれぞれに認識される、は「依他起性」
そしてありのままそれ自身(いい加減な言い方かもしれませんが)は
「円成実性」ですね。
>>434 そんなとこですかね。僧侶ではありません。
それではまた。
437 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 07:04:24 0
>>432 >私達、凡夫衆生は「聖者」たり得るのですか?
それは信じるか信じないかの問題です。
>色空を論じるならば、そして信を論じるならば
>文献の物理的要素すら必要無いでしょう。
文献は聖者の言葉が信じられない人への譬喩みたいなものです。
>空の中に縁起を観るとはどういうことでしょう?
空だから縁起できるといいました。
実体がないから、変化生成できるという意味です。
『中論』24.14
>また、聖者はそれら(失礼ですが)仏様を認識するとありますが
>それは「認識対象」なのですか?
>色空不ニを悟った者イコールそれ自身ではないですか?
認識は聖者の階梯によっていろいろな現れがあると思います。
対象としても現れ、不二でも現れるでしょう。
>ちなみに法身は大日如来、報身は阿弥陀如来、応身は釈迦如来です。
それは一つの伝統です。アミダを法身とする伝統もありますよ。
チベットではそうです。
>>418 ・・・絶対的な充実であり・・・解放・・・
いいねぇ、いただきましたw
マジな議論になると人減るんだなw
440 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 14:25:15 0
仏教は、釈迦自身が求めて見出した輪廻よりの解脱(涅槃の境地)が本質なのだから、
その方法としての瑜珈行唯識学派が最高の仏教ではあるまいか。
○○が最高なんて言ってたらどっかの宗教屋と同じだよ?
442 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 14:38:51 0
いや、その修行法、実践方法が最高だって言ってるんだが・・・?
飽くまで基準は、半マガダ語であるパーリ語聖典が最高の拠り所だと思ふ。
備蓄してきた仏教用語という弾丸を
相手が倒れるまで撃ちまくるスレですからw
444 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 14:46:22 0
解脱したら、二度と生まれ変わることはないんだろ。
つーことは、仏教徒は二度と生まれてこないことを目標に修行してることになるな。
仏教徒の認識では、人間は二度と生まれてこないために生まれてくるのだ。
こういう捉え方もありかな。
>>443 だよね〜w
夜中のやりとり見てたらどっちもそれっぽいことの応酬だもの
検索してもやっぱ同じだったり、だったら撃ちまくる必用ってあるのかなってさ
446 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 14:50:44 0
そだよ・・・、神や仏になったら人間になんて生まれ変わりたくないだろ。
それは、人間がゴキブリや便所の蛆虫に生まれ変わりたくないのと同じだよ。
神も六道輪廻してるんだがw
>>445 ここで撃ちまくらなかったら、どこでやる?
街頭でか?身内にか?友人、同僚にか?
・・・連れていかれるだけだろ
ここで撃ちまくる必要があるのさw
449 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 21:39:36 0
なんだお前等ここでしか宗教論議できないのか、可哀想だなwww
俺なんかヨーガの実践会で毎週実習あとのお茶とお菓子のお話会で仏教や普遍的宗教の
激論を交わしているぞ・・・www
ヨーガ実践の会だけあって女の子の方が数が多いいが皆真面目で真剣だぞwww
バカ女と語り合って何が楽しいんだよ。時間の無駄だろw
451 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 23:05:07 0
「尼僧の告白」岩波文庫でも読んでごらん、女性が如何に真面目で真剣かわかるから。
452 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 23:21:26 O
基本的に戒律を守れば、女性でも
453 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 23:27:31 O
釈迦はやっぱり説法を断念すべきだったな
もはや完全に末法だ
454 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 23:44:53 O
諸説に2000年説というのがある。今は滅法
455 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 23:46:49 O
あ、滅法の時代もすぎてるんだ
456 :
考える名無しさん:2010/04/10(土) 23:53:52 0
釈迦だけ解脱。
カルマ増大中・・・
458 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 05:38:26 O
釈迦如来を信仏にしてる宗派ってある?
460 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 05:48:26 0
おーい
自演禁止なw
461 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 06:14:50 O
自演ちゃいまっせー
462 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 08:48:15 0
>>461 ほっとき、そういって蔑みたいだけなんだから
禅宗は極端だけど、ある意味わかり易いかもなw
464 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 14:41:15 O
大仏と釈迦って違うの?
あれは大日如来ですか?
光の国から来たウルトラマン像も一種の大仏だね
465 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 15:07:03 0
>>464 奈良、東大寺の大仏ですか?
厳密には毘盧遮那仏といい、華厳経に登場する仏様です。
密教の大日如来も毘盧遮那仏ですが
正式には大毘盧遮那仏(マハーヴァイローチャナ)といい
趣が少し違いますが、法身として変わりはないです。
毘盧遮那仏で検索されれば吉かと。
ドラマも放送してますね。
鎌倉の大仏は阿弥陀如来です
467 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 17:31:19 0
東大寺=大華厳寺
華厳経は仏教と密教の橋渡しの位置にあるんだよね
日本に仏教が入って来た時期の仏教は華厳経だったのであらゆるところに影響与えてる
最初に広がった大宗派が真言宗だったのもそう言う下地があったからだろう
468 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 20:45:09 0
違うだろ、最初に日本に入ったのは、唯識仏教だろwww
法隆寺の書庫にあるのは、玄奘三蔵の「成唯識論」その他の唯識関係の書だぞwww
最初に最高の仏教が入ってきて後はそれより低いものが入ってくると言うパラドックスwww
469 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 21:28:25 0
>>468 唯識を最高なんてほとんど誰もいってないつの。
インド、チベット、シナ、日本で中観より低いというのが標準的見方でしょ。
日本のボッタくりク葬式はなんとかならんのかね
471 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 21:30:45 0
>>470 墓とか葬式をみんなが止めればいいだけでしょ。
472 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 21:39:37 0
473 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 22:02:57 0
>>472 インド・チベットでは有部・経量部・唯識・中観の順で定式化される。
『ラトナーヴァリー』『タルカバーシャー』チベットのほぼ全宗義
シナ・チベットでも法相唯識よりも三論が見解が高いとされる。
三論宗、天台宗、華厳宗、真言宗
唯識の解説者である太田久紀先生でさえ見解が低いことを認めてるぞ。
一体、法相唯識の学者以外で誰か、唯識が最高なんて言ってる人は
しらんのだが、誰がいってるのか教えてクレよ。
474 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 22:19:37 0
大田の爺さんは未熟だ・・・www
無能唱元氏、岡野守也氏、謝世輝氏、そして上山春平の各氏が言ってるよwww
あっ、みんな哲学者や心理学者や原子物理学者ばかりで誰も唯識の学者じゃあないからwww
唯識の前段階の中論の方が高いって?・・・www
ひょっとしてちみはチベットカルト君?
475 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 23:09:36 0
拝んどけ
/::. ソ .::;;ヽ
/::. ..:::;;;ヽ
/::. ..::;;;;ヽ
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>::...___..::::;;;イ
!ヾ. ̄⌒__ ̄彡|
iミ:::ミC= ≡..::: )
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,,.-‐''"´" ノ ノ ""´"''- 、
476 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 23:21:31 0
歴史的には中論は唯識の前だよね
477 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 23:53:58 0
>>467 確かに、似通った部分が多いですから。
>>476 言われる通り。中観派(中論)の後ですね。
479 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 05:31:27 0
>>474 >無能唱元氏、岡野守也氏、謝世輝氏、そして上山春平の各氏が言ってるよwww
お前、完全なドキュンなのか。
話にならんは。
480 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 08:28:19 0
反論できないんだね・・・、悔しいの、悔しいの、悔しすぎるんだね・・・www
チベットカルト君は、無知蒙昧過ぎてなんら論理的実証的反論が出来ずに
顔真っ赤・・・www
さあさあ、恥ずかしがらずに、ねっ・・・、間違いは無知蒙昧故の愚かさだと認めまちょうねwww
それとヴェーダは、ちみが言うような形式的な祭儀に尽きるものではないんだがねwww
リグヴェーダの多くの章句、中でも第十巻中の章句は,供祭僧たちから「異別者」と見做された一群の人々が
あったことを伝えている。
彼等は特に祭式を拠り所とせず、むしろ隠棲・沈黙・断食・麻酔剤・忘我の踊り、直観智・正常を超えた認識などによって
超知覚的な神々との直接交流を目指していた。
かれらこそ、ジャイナ教や仏教などのサマナ(沙門)系とバラモン・ヴェーダンダ系の「ヨーガ・スートラ」の
共通分母である実践ヨーガの行者たちなのだよwww
辻直四郎博士の「リグ・ヴェーダ讃歌」(岩波文庫)読んで頂戴、ね・・・www
481 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 09:04:31 0
ヨーガくんと唯識くんは同じか。
あのな、唯識についてそんな二次資料でしかも、仏教学者でもない人を根拠にいわれてもね。
そんな人に依ってたら何も知らないって自ら告白してるようなもんだ。
>>413 >【類推すること】はできます。
>『それも「信」である』という批判は可能だ。
類推で信とする。
ということは「わからないけど実体を仮定する」ともう同じにしか思えないw
ただ、素粒子の類推に関していえば、「素粒子が縁起する」と仮定した場合の「だからこうなる」
という帰結内容がない、または帰結内容が検証不可能。
だとして無視するのが私の立場です。
ただ検証不可能なことがらにも人間は一定の態度を選択します。
死後の世界(死後の世界から現世への影響がない)は検証不可能ですが、信じることも信じないこともできます。
科学の立場ではそこは無視します。
なぜならありとあらゆる可能性が考えられるからです。
ただそうするときに、超能力の話が出ましたが、それを信じるなると
悪意のあるオカルトとどうやって区別するのですか?
483 :
482:2010/04/12(月) 09:21:11 P
↑
>なぜならありとあらゆる可能性が考えられるからです。
これは意味のない文章でした。
484 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 09:26:19 0
>>482 >ただそうするときに、超能力の話が出ましたが、それを信じるなると
>悪意のあるオカルトとどうやって区別するのですか?
413じゃないですが、まず超能力の有無が正統性と全く関係ないことをご理解ください。
まず、伝承の有無です。釈尊から綿々と伝統を継承しているかどうか。
次に、教えの内容が経典と一致するかを論理的に検証。
最後に教えの結果、自分が煩悩や我執が減ったかどうか?
最後は大抵の人はそう簡単に結果がでませんので、結構検証に時間が掛かるかも?
>>484 過去の成功事例からできるだろうと推理し
その検証は瞑想によって確かめるということですかね
486 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 10:06:00 0
>>485 もう一つ重要なのは、その伝統で成就者、つまり成功者が今でも出てることです。
出ていない伝統は伝承が途絶えたと考えるべきでしょう。
その意味で体験による検証が代々行われてきて、体得している人から教わり、
自分で考え、修行で検証し、また教わることから繰り返すことで、
達成するというのが基本的なプログラムというか道です。
>>486 >初期の仏教では決して「アートマン(我)が存在しない」とは説いていない。
・・・アートマンが存在するかしないかという形而上学な問題に関しては釈尊は返答を与えなかったといわれている。
(中村元、『仏教語辞典』「無我」、1316頁)
これに関してどう考えますか?
素粒子があるかどうかと同じに聞こえるんですが?
488 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 10:33:08 0
戯論には無記
489 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 10:47:01 0
解決・・・
「アドワイタ哲学では、一つの実在を説く。それは、真我(アートマン)であり、無自性ではない。」
「実体なき空をして、実在と考えても構わない。」
「真我(アートマン)が実在している、無我などではない。」
「自我が消えて、真我(アートマン)が現われると考えるか、我が無くなると考えるか、その違いに過ぎない。」
「入菩提行論」
490 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 10:48:41 0
>>487 それは、問題が二点あります。
先ず、答えない意味です。
なぜ、答えないかというと、先ず第一に現象を細かく分析しても解脱の役に立たないので、答えないということ。
釈尊は解脱の道となることだけを教えとして説いたということです。
次に最終的に世俗的言語習慣である「〜である、〜でない、〜がある、〜がない」といった論理的限界を超えるので、
我があると言った問いには勝義の意味で沈黙された意味です。
その意味では素粒子の有無と同じでしょう。
つまり、西洋では万物の基体(アルケー)が探求されてきてましたが、
それが揺れている。仏教的には、それも縁起で、真実としてはあるともないともいえないといったことです。
第二の問題は、ほとんどの学者がこの沈黙の意味を理解していないことです。
私が知る限り石飛道子先生だけが理解しています。
491 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 10:56:31 0
>>489 「入菩提行論」は正にその九章で、アートマンは然々であるとする様々な見解・戯論が成り立たないことを論理的に導き、
まさに戯論寂滅・破邪顕正しているのです。
目指す所は釈尊の沈黙と同じです。
492 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 13:11:03 0
それ、無記説だろ
493 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 13:20:36 0
最高の仏教を実践してるはずの
ヨーガくんが書き込むたびに
ヨーガと唯識が役に立たないと如実にわかるという・・・
494 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 14:41:38 0
仏教を実践とか
具体的に何をどうすれば、実践と言えるのか?
まったくわからないですね。
495 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 14:56:51 0
>>494 師を探し、師から教えを聞き、その教えについて考え、分からないところをなくし、納得できたらその教え通り行う。
行い方の基本は、良いことをして悪いことをしない戒を守り、
悪いことは基本的に他を害すこと、殺盗淫嘘が基本。
それらに反することが良いこと。
心を集中させて禅定に入る。
そして縁起観などで無我・空を悟り智慧を得て、解脱する。
最後の二つは難しいけど、それ以前はやろうと思えば誰でもできるでしょう。
496 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:04:26 0
できねえからここで揉めてんだろうが?
上から目線でほざいてんじゃねえぞ
>>495
497 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:14:18 0
>>496 (^^) みんな自分と同じだと思わないように
498 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:16:48 0
>>497 てめえも上から目線のくそだろうが
くだらね
499 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:18:05 0
あーあ
荒れてきたな・・・
自己主張なんてネットじゃ嫌われるだけなのに。
500 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:20:26 0
>>495 十善戒、そして六波羅蜜ですか。
確かに。しかし出家しないと無理、というのもありますね。
501 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:27:01 0
いや
>>495のチベットカルトくんがいけないと思うよ、なんらヨーガくんに対して
反論が出来ていないのに、感情的に否定するだけで自分の間違いを認めようとしないから。
502 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:41:03 0
チベットくんもヨーガくんもあるかよ
もめる奴は皆、自分を省みないw
503 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:47:01 0
そりゃあそうだが、そんなこと言ったらお互いみんなだろ。
504 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:54:00 0
>>500 十善戒、六ハラミツですが、先ず師を探すことですね。
全てはそこから始まります。
その師の基準として
>>484が参考になります。
505 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 15:57:22 0
>>504 師を探す=出家ということになりますね。
506 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 16:02:10 0
>>505 いえ、違います。必ずしも出家というわけではありません。
むしろ、出家は慎重に師を探してから、この師だと思う人についてから、
よく相談して決めるべきでしょう。
その前に色々な師にあうことをお勧めします。
私としては理想的にはビルマに行ってテーラワーダの諸師、
ネパールに行ってチベットの諸師に合うのが短期間にいろいろな方にお会いできていいと思います。
507 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 16:06:19 0
>>503 主義主張というか自分がどの宗派や理論の流れに準ずるのか?
を明確にしなくて、また、あれが正しい、これは間違いとかの
論争ばかりでしょう。
そういった差別心や傲慢さがどこから生じるのかを考えたほうが
よほど精進できると思いますね。
508 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 16:07:25 0
>>506 チベット君は、そんなことよりもヨーガ君にちゃんと答えたらどう・・・?
後進貧困国の怪しげな僧侶に会う前に。
509 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 16:35:08 0
>>508 これ
>>473以上なにを言えというんだ?
こんな仏教知らない人の本とか根拠にされても困るとしか言えんよ。
>>474 >無能唱元氏、岡野守也氏、謝世輝氏、そして上山春平の各氏が言ってるよwww
こっちは梵蔵漢の典拠を直接あたってるし、伝統諸師から教えも受けてるんだが。
例えて言えば、彼はカッパの本とかそういった怪しい本を典拠にしてるんだぜ?
そんなヤツにコメントしたオイラが間違ってただけだ。
510 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 16:36:07 0
とヨーガくんが言っております
511 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 17:17:22 0
自分で、唯識の学者以外で誰が言ってるのかておしえてくれって言ってるだろ。
ヨーガ君はそれに答えてるだけじゃあないのかな?
チベット君のほうが遙に怪しいと感じるんだが。
伝統諸師と言ってもそれこそ怪しいものなんだが。
上山春平博士は元京都大学の哲学教授なんだが、唯識や仏教の研究でも一方の権威なんだよ。
ヨーガ君?
チベット君?
唯識君?
もう誰が誰だかわかりまへん。。。コテ付けろばかども
>>490 セブン氏の転載
ttp://mimizun.com/log/2ch/psy/gimpo.2ch.net/psy/kako/1260/12605/1260569824.html/233 神も仏も名無しさん:2009/12/27(日) 19:32:58 ID:WHBgdh1O
誤解している人間が膨大な数いるようだが、
「無記」は「○○について語らない」ということではない。
『結果として語らない』ということでイコールとなってしまうが、その始点が違う。
「無記(avyAkata)」とは【語りえない(こと)】ということだ。
「語り得ることを、敢えて、語らない」というのは大きな間違いだ。
派生した形で「定まっていない、決定していない」或るいは「明らかでない」という意味で用いられることもあるが、
それら全て、
【「定め得ない」「決定し得ない」或るいは「明らかにできない」から】、【結果として】【『語らない』という行為】になる。
【積極的に(→語りえることを敢えて意図的に)語らない】
【積極的に(→決定できることを敢えて意図的に決定しない)】
【積極的に(→明らかにし得ることを敢えて意図的に)明らかにしない】
ということでは断じてない。
過去受動分詞でもあり、
【如来によって(覚者によって)《語“られ”ていない》こと】と解せないこともない。
だが、【その(使用される)文脈から】推測されるのは、
「(如来が)知っていて、敢えて語らない」のではなく、
「それらについては知りえないから、それらについて如来は語らない」という形に帰着する筈だ。
どうだ?縁起馬鹿よ、、、 って、ここはもう見てないんだったなw
514 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 18:40:55 0
チベット君は縁起馬鹿でもあったのか!!!
516 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 21:55:07 0
仕事から帰って風呂入って飯食ってここ来たら、まぁ〜酷いね相変わらずwww
チベットカルトの出鱈目な書き込み、もう支離滅裂・・・www
自分の間違いを認めようとしないあたまガチガチの化石脳だねwww
517 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 01:35:37 0
まずこのスレの登場流派
上座部仏教(原始仏教、小乗仏教という言い方はあまり好きではないので)
大乗仏教(中観派、唯識派)
後期大乗仏教(密教、或いは金剛乗)
その流れを汲むチベット仏教。
これら流派の思想の趣意とあらましから始めた方がよろしいかと。
518 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 05:28:08 0
>>513 それが文献学者の普通の見解だと思うけど。
私は石飛説の方が説得力があるし、整合性があると思う。
519 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 06:08:48 O
上座部があの状況だとな。我々も萎えるな
520 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 06:16:59 0
>>519 あのとは戦闘的体勢のこと?
テーラワーダはビルマ系を見るといいよ。
日本に来てるビルマ系の先生はよかったよ。
521 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 08:03:08 O
日本のほうが平和じゃないか?
522 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 08:26:20 0
>>521 外的状況と内的境地はあまり関係ないでしょう。
>>518 石飛って、あの論理学が滅茶苦茶な、パンピーおばちゃんでしょ?
あの無茶苦茶論理を使って、どんな説を構築したんだ?w
524 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 10:18:14 0
>>523 はいはい、何も分からない人は黙ってようね。
そいうことは自分で梵パ蔵漢の主要なテキストをある程度読んでから言おう。
ナヴィヤ・ニヤーヤ、仏教論理学とかは西洋論理学を絶対視しては読めないもんなんだよ。
>>524 同じ事を逆から言わせてもらうが、
石飛氏には、中学の教科書を読み直してから、「仏教論理学は西洋論理学を超越した」とかいう寝言を語って欲しいものだ。
仏教論理学は詳しくないが、少なくとも、石飛氏の西洋論理学に関する認識は激しく間違っている。
結局、石飛氏は梵パ蔵漢を読解する能力と、論理的思考能力には、相関関係が無い事を示した好例w
で、そんな人物が、どんな説を構築したんだい?
527 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 13:38:40 0
>>526 それは三浦さんの叫びだよ。
体系内での整合性を必死で叫んでる。
ところが西洋論理学の正当性、妥当性を保証するものなんかないどころか、
内部からして矛盾だらけだろう。
それは間違った前提に基づいてるからだ。
まあ、教科書とか西洋の学術が正しいと信仰してるんなら、
しかたがないが。
どんな説か上を読めば分かるだろ。
それが読めない程度の話にならない読解力が君なんだがw
なんで、それで自信持つのかオイラには理解できないよ。
>>527 >どんな説か上を読めば分かるだろ。
>>490後半の事を言ってるんだと思うが、是だけでは、石飛氏が、どのような論理過程を経て、その結論に至ったかがさっぱり分からんのだが?
そして、その結論も、間違っていると言う指摘(
>>513)だし、
その論理過程も、怪しいものだと言う指摘(
>>523 >>526)だ。
で、
>>525で聞いてるのは、その説の「(論理)構築過程」だ。
どんなトンデモ論理で、
>>490後半になると言うんだ?
まあ、西洋論理学を否定したいあまり、石飛氏が正しいと信仰してるんだろうから聞いてもしかたがないかw
(無題)
投稿者:輪廻転生はどーするか? 投稿日:2010年 2月25日(木)18時36分57秒 返信・引用
生と死の優劣によってカテゴライズできる。
生より死が優れる:馬鹿は死ななきゃ直らない
自然宗教
選択的に生より死が優れる:虎は死して皮を残し人は死して名を残す
名を言葉ととらえる
キリスト教
名を血統ととらえる
儒教
名を精神ととらえる
業法輪廻思想
生より死が劣る:死人に口なし
無神論
状況から判断して、釈迦の場合は自然宗教に近いと考えられる。
各宗教の当てはめ方は、適当にやったので適時修正してね。
http://8044.teacup.com/miurat/bbs
530 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 14:20:55 0
人の是非を問うて、仏を信じず、ですか。
的外れもいいとこでは?
531 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 14:30:21 0
533 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 14:39:03 0
>>532 聞いてもしょうがないんだろ。
それにそんな態度のヤツにパルメニデス以来、クリプキに至ってもずっと間違ってきた存在論に、
釈尊の縁起法頌や此縁性、縁起がどれほどの意味を持つか、
教えてやる気がせんわ、時間かけてもどうせぐちゃぐちゃ難癖つけて、
冷やかすだけだからな。
>>533 血の巡りが悪いようなんで一応解説しとくと、
>まあ、西洋論理学を否定したいあまり、石飛氏が正しいと信仰してるんだろうから聞いてもしかたがないかw (
>>528)
は、お前さんの
>まあ、教科書とか西洋の学術が正しいと信仰してるんなら、 しかたがないが。(
>>527)
を受けて、
俺が西洋学術を信仰していると言う、お前さんの方が、石飛氏の説を信仰している様に見えるという皮肉だぞ?w
さらに噛み砕いて言えば、「『もし、お前さんが石飛教の教えを信仰しているだけであるならば』、聞いてもしかたがない」と言ってるんだ。
だが、お前さんは何らかの論理を認めた上で、石飛氏の主張を採用したわけだろ?
当然、お前さんには、「私は信仰しているわけではない」と言うレスを期待していたんだ。
そうなったら、次のレスとして、「論理過程をしめせ」と繋がるはずだったんだがなw
それを、
>>531 >>533と来るとはwww
皮肉を理解できない馬鹿なのか、信仰告白をしてるだけの阿呆なのか、どっちだ?w
535 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 16:39:07 0
536 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 16:46:47 0
チベットカルトくんは、自分が論破されると負けを認めずにすぐにスル〜するんだね。
>>536 535も、お前さんには言われたくないと思うぞw
538 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 16:54:36 0
>>536 流石に、こいつはどうしようもないと、みんな知ってるんだ
539 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 17:09:40 0
基本的に誰に言われてもいいけどな。
じゃなきゃ、ここに書かないよ。
ま、なんとでも言ってくれ、言うのはただだし、
言って気が済むなら、なかなか役に立ってるんじゃまいかw
>>533 勘違いしている可能性があるんで、蛇足で言っておくが、俺が否定しているのは、「石飛氏の主張」と言う部分だぞ?
その根拠は、石飛氏が西洋論理学をさっぱり理解していないのに、仏教論理学の方が西洋論理学より優れていると、主張するトンデモおばさんだからだ。
だから、当然、「釈尊の縁起法頌や此縁性、縁起」を否定しているわけではない。
むしろ、非常に価値がある視点だとおもう。
ただ、トンデモ論理を垂れ流す石飛氏を賞賛するお前さんが、その視点を誤解しているんじゃないかと、指摘してるんだ。
唯識が最高の仏教とか言ってる奴いて驚いた。
それだけはねーわw
542 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 18:46:32 0
と、チベットカルト君が必死で自作自演をしております・・・www
も
>>337=
>>338=チベットくんwww
コテつけろ、誰が誰だかわからん。
やはり哲学は西洋人の学問だな。
西洋的知性で仏教を理解しようとしてるバカがかなりいる。
もちろんそれをわかった上で火に油注いでる熟練者も混じってるが。
それから仏教教理を展開するなら、それに値する境地に達した経験があることが前提だ。
頭の中でこねくり回した理論なんぞ仏から最も遠い。
とにかく仏教語るなら、瞑想だの座禅だの念仏だのを経験してくれ。
それとコテを付けろ。
なぜか哲学板、宗教板、オカルト板、神社仏閣板などなどでも同じような論争が起こる。
何かがおかしいんだと思うよ。
理に収斂されえないことを理にしようとするのがいかん。
理や法は知ったなら説明できないハズだからね。
「知っているなら説明できない。知らないならいくらでも説明できる。」
544 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 19:04:07 0
>>知っているなら説明できない。知らないならいくらでも説明できる。
それはそうだけど悟った人の思いだね、それは・・・。
545 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 19:52:25 0
>>543 そだね・・・、だからヨーガ行唯識学派が最高の仏教であると言ってるんだけどねwww
それを、退廃堕落しきったチベット仏教みたいなのを持ち出すアホがいるから始末が悪いwww
546 :
513:2010/04/13(火) 21:02:30 0
>>542 いや、悪いんだが、
>>337は俺だが、
>>338は俺じゃないぞ。
というか、その二つのレスを結ぶ付ける意味が分からん。
自作自演だとしても、その二つに、関係はないと思うんだが?w
それから、お前さんが「チベットくん」と呼んでるのも、別人だ。
一応言っておくと、直近では、513、515、523、525、528、532、534、540が俺のレス
548 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 21:07:24 0
>>547 まあ、ええやないか。哲板の楽しみ方が分かってきたよ。
思いっきり空になって縁起すればええんやないかとおも。
法性は外さずに。
さあ、いってみよう!
>>547 また宗教板の例のスレに移動するか?ww
551 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 21:35:55 0
>>543 >もちろんそれをわかった上で火に油注いでる熟練者も混じってるが。
(^^)(/_;)○_○(^_^;m(__)m(^_-)-☆
仏教勉強し始めたの最近で、
唯識については「無我」と矛盾してるんでクソだと思ってるんだが
そうじゃないのか?
553 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 01:04:34 0
>>552 無我でないのは何の業か、何に因るものか
それを考え、実践するのが唯識(瑜伽行唯識派)かと。
554 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 05:43:26 0
>>552 それって袴谷とか? 見解は低いが矛盾はしてないよ。
袴谷とか、あの手の人たち、特に松本、山口は酷いから真に受けない方がいいぞ。
特に山口は完全な妄想だから。
555 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 07:37:21 O
まあ、仏の考えになると無我になるがな。洗脳ともいうが。その為にはある知識が必要なんだよ。秘密だけど。
556 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 07:41:08 O
自我と無我に執着すると、ロクなことにならんぞ。悟りなど開けんのだよ。まあ、埋め合わす知識はあるがな。
557 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 07:46:58 O
いわゆる不思議とされてる部分な。
558 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 16:25:03 P
修行によっ苦しみがなくなったから縁起が正しいと言う理屈ですか?
559 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 16:44:32 0
「悟りを開く」と考えた瞬間、それは彼方に飛び去る
560 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 18:33:15 O
中国で地震があったらしい。チベット自治区もエリアに入ってるらしい。
悟っていればどーってこたない
悟り?〜悟りって〜〜〜
/::::/ 、,_ノ ヽ.....ヽ,
r―‐┐[[| 三三三三/::::/ヽ、 イ。づ ',:::::::::ヽ,
Ll ̄l| .{::V_/゚>,l ¨´ .レヘ::::::::
三 Ll l::::l`´´ L- , へ/7 ヘ::::::
r┐r┐ V:ヽ `//{ > ヘ::::
l ! ! .lへ 三三三三三ヽ,::\ \’t/ / /_
.└' └‐'´ 三三 ゞ_:`' 、`´ / ヾ
三 三 三三`ヽ,:::`¨''"ニ二
三 三 三 三ヘ::ハ::ハ f:::
三 三 三 三’ ’ V::::,
三 三 三 三 ハ/L
三三 __,,..,,_ 三 三. /::::::::::
三三 ,、-'´:::_,、-,::ヽ,. 三 三 〈`¨'ー
三三/:::/「・ユーヽ,:::', 三 三 \::::::
/:::/ _ ,へ',::} 三 r―‐┐[[| \
./::::::/ /\7ヽ゚}/:/ 三三Ll ̄l| 三
/::::::::ヘ, \/ /:/ L! 三
__|::::::/ \_,..、-::'´::::/三. r┐r┐ 三
::::ヽ::ヽ, /::::::::::::::/ 三三三三三l ! ! .lへ三
:::::,へ:::丶->:::,へ,:::/ .└' └‐'´
:::+―‐ヽ|/Λ:l l::l
:::::| |::://:ヽヘ l::l
563 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 21:54:09 0
>>546 悪い間違えた><!!!
間違い→
>>337=
>>338=チベットくんwww
正解→
>>537=
>>538=>539=
>>541=チベットくんwww
ときにチベットカルトくんは「リグ・ヴェーダ讃歌」はちゃんと読んでお勉強はしたのかな・・・www
怪しげなカルト本ばかり読んで妄想に耽ってはいかんぜよwww
./:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::',.| い そ
/:::,ヘ :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::! い れ
|::..|"∨ | ん が
|::..| ∨ ::::. ::.::.:: ::.::.::.::.::.::::| じ
|:::l___∨:::::::::::::::::::::::::::::::::< ゃ
l::::ttッ- ヾ :::::::::::::::::::::::::::::::::| な
',:Λ`¨´| \::::::::::::::::::::::::::::! い
',:::ヘ L_ \::::::::::::::::::::!|___
V:::へ ーr―' `>::::::::::::::l::::::::ヘ.
V:::::::へ ̄ //|:::::::::::::!::::::::::ヘ.
,.へケr――┐ヶー',厂厂]:::|l:::l!::|ゝ:_:::::ヘ.
/_,々 >| l! |:.|》¥冂[E|:::| |::||::l:.:.:.:.:`:`丶、、
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| ノ,,__ヽ |
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|::::::ヘ、 = >,::::| <というとでも思ったの
|:::::::::rf‐v‐7ァ::ヘ::|
|::::::::「77ハ下Λネ、
r<「:::|Λハ/ハヶュ>::',:::::|>、
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|\. 〈:::::::::::::::::::〉::::::::::::::::〉∠ !
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__. !  ̄ ̄ ̄胚三 胚 ̄ ̄ |
777 ハ、 L._ニ三胚 胚.>―┘
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566 :
考える名無しさん:2010/04/14(水) 23:47:54 O
せっかく、俺が盛り上げたスレを荒らすとは
567 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 00:47:16 0
>>563 申し訳ないが、
>>537は俺の発言だ。
むろん、俺はチベットくんでもないし、他のレスは俺の発言じゃない。
どういう基準で認定しているのか知らないが、疑心暗鬼が過ぎてる。
統合失調症を発症しないように気を付けな。
568 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 01:17:56 0
>>567 はぁ?
グぁし。
宮台はぁ?ネグレクト宮台タワーは宮台じゃし
高田だし。東タワーは台場じゃねえし
クトじゃだワー
,..-:::―::-.、
/:::::r‐i:::::::::::::ヽ
| ノ,,__ヽ |
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|:::ハ _| V::::::|
|::::::ヘ、 = >,::::| <私だってあんたと間違われるだなんて心外なのよ
|:::::::::rf‐v‐7ァ::ヘ::|
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r<「:::|Λハ/ハヶュ>::',:::::|>、
| ヾ |::::::::::::::ヘ.非/:::::::::::::|/ |
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>>566 |\. 〈:::::::::::::::::::〉::::::::::::::::〉∠ !
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777 ハ、 L._ニ三胚 胚.>―┘
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.:.:.:.:./.:ア-ァ:´ |::::::', ヽ l::: :::.....................)
570 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 04:19:15 O
また、荒らされてる。
571 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 04:34:18 0
>>567 そいつはヨーガが仏教で、唯識が最高とか言ってるどうしようもないヤツ。
ヴェーダにヨーガの起源があって、ジャイナから釈尊が習ったそうだ。
相手にすんな。
572 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 04:36:47 0
仏道に最高も最低もありません。
それを決めてしまうのが自我というものです。
573 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 04:43:45 O
厳選仏教において、自分というものを見れば、浄土真宗が実践的だろう。しかし、現在において形骸化し、式務が重視されてる傾向にあるため、学府はカルト化し、規模も減少する傾向にある。
574 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 04:51:13 O
例えばマグロの問題にしても、食べるものと、食べないものがいて、食べるもののほほえましい映像を流すマスコミの意図は儲かると自分も食べたいという概念でしかない。
575 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 05:07:36 O
大量消費の概念が悪を行う心理負担を軽減し、それを平気で行ってしまう業かな。仕事という言葉で包み隠され、給料として貰う。それを勧めるというのはいかがなものか?
576 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 06:09:05 0
なんかこの時間に無根拠の断定を述べるのが日課な方がいるね。
577 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 06:27:24 O
いつ何時書こうが俺の勝手。もし間違った見解があるなら、それは仏が正すであろう。ことなかれ、ことなかれ
578 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 06:29:39 O
読むというのは何かを考えること。哲学板にふさわしい。悩めよ青年。
579 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 06:52:23 P
580 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 07:03:51 0
>>577 いやいや、釈尊も諸聖も間違った見解を仏の見解として述べるのは罪が重いと皆口を揃えてますよ。
信じなければ、それまでですが、一応、言うことはいったよん。
581 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 07:17:39 P
582 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 07:31:16 P
583 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 09:27:48 O
584 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 10:24:58 0
二匹の金の竜と一人の天女が天へ昇っていく様をげっと^^
585 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 10:36:00 0
>>567=
>>571=無知蒙昧のチベットカルトくんwww
あんだけ証拠を上げてんのに〜ぃ・・・www
「リグ・ヴェーダ讃歌」読んでないでしょwww
ダメだよ、小汚いチベットのカルト僧に騙されちゃあwww
ヨーガ修行するより基本的人間性から勉強すべきだねw
587 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 11:37:14 0
最近読んだ歎異抄に書いてあったよ!
馬鹿ほど阿弥陀様が助けてくれるって!
良かったね
>>585さん!
589 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 16:11:16 0
ヨーガくん、ぶっ飛び過ぎ、もっとバランスを。
590 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 19:30:21 0
でもヘルマン・べック先生の「仏教」(岩波文庫)では
仏教はヨーガであるって言ってるね。
ヨーガくんの言ってる事もまんざら嘘じゃあないみたいだね。
591 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 20:03:33 0
>>590 西洋人学者は文献の物理的関係は緻密だが、核心部分で外してることが多い、
ベックもなかなかの学者だが、そう。
それよりもフラウワルナーというほとんどの日本人学者が崇拝する学者でさえ、
縁起の意味が分かってない。
ヨーガ、サマタ、三昧などのヒンドゥーと共通の修行法では、
悟れず、縁起観などによって無我・空を悟るのが仏教、
それがヴィパサナー、観などと言われる。
釈尊が縁起によって悟ったというのはこのことを言う。
592 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 20:19:02 0
止観(シャマタ・ビバシャナ)は、ヨーガにもあるんだけど・・・。
593 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 20:30:15 0
>>592 シャマタの技法がヨーガだよ。
ビパシャナはない。あると思ってるなら勘違いだよ。
ビパシャナというのは縁起・無我・空を感じることだよ。
因みにマハーシ系のニュー・ウエーヴ・テーラワーダでいう
ヴィパシャナというのは伝統教学でいう四念処のことだよ。
594 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 21:33:02 O
ヨーガくんとチベットくんは、どちらが強いかな?
595 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 22:05:12 0
もし、ヨーガくんがプラーナ(気)をコントロールして
気が梵の座(サハスララ・チャクラ)に流入して突き抜けて心が自己本来(プルシャ・真我)の
姿に等しくなってるのなら、ヨーガくんの方だろう。
それができてなくて、チベットくんの方が縁起の禅観が出来ているのなら、チベットくんだろう。
596 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 22:17:56 0
そりゃ、両方とも出来てないだろw
597 :
考える名無しさん:2010/04/15(木) 22:29:50 0
>>595 プラーナヤーマとかクンダリーニーとかより、
三昧、三昧より縁起・空観の方が高度なんだが。
で、縁起観は言葉で説明できないんでし
じゃあ議論する意味ないだろ
ブラフマンとアートマンが同一であるという理屈無しの生理的感覚的自覚は
どうやったら可能になりますか?
たとえば疲労困憊栄養失調の極限でフワーッと幻覚法悦状態=涅槃寂静の境地ですか?
どうか教えて下さいエロい方
↓
||
☆ __
ヽ/\_\
∧\/__/ コッ
(´・ω・`)
三(_⊃┳O
三◎ゞ=◎
ありがとうございました
終━━━━━━(´∀` )━━━━━━了 !!!!!
/ ヽ
/ 人 \\ 彡
⊂´_/ ) ヽ__`⊃
/ 人 (
(_ノ (_)
603 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 01:58:46 O
しかし、地震で自爆するとは。恐るべし、チベット仏教。
604 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 02:07:02 O
605 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 02:26:29 0
>>597 その「高度」とかいう証になるものはありますか?
606 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 04:20:45 0
>>605 『梵網経』などの長中部経典や、他の行全体が書かれている論書や、
外道との比較箇所に皆、そう書かれている。
607 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 04:27:47 0
>>606 では一文挙げていただけますか?
私なりに考え、論評してみたいので。(比較差別では有りませんので)
まず第一に、プラーナ、クンダリニーヨーガに於ける到達点とは何か?
それらを外道とする謂れは何か?ということです。
密教に至っては、三悪道、悪鬼羅刹、外道の神すらも曼荼羅の一員。
結論は出ているようなものですが、一応参考までに。
608 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 05:25:28 0
609 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 05:44:26 0
>>608 端的にお答えしますと
感受の体験(謂う所の制感)で終りでしょうか?
それは段階のお話であって、外道教(言い方が悪いですが)の三昧が
劣っている、のではくて、通過点と見れば無駄なものでも、
低次なものでもないことはお分かりと思います。
610 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 05:49:27 0
失礼
>>609 のではくて>のではなくて、です。
悟りの段階、この辺りは、華厳経、十地にも似ていますが。
611 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 06:11:23 0
>>609 無駄とは誰もいいません。精神集中状態である三昧がなければ、
縁起によって無我・空を悟れないからです。
『梵網経』でも聖者と讃えています。
逆に通常の散乱した意識しか持たない凡夫は、厳しいいわれようです。
ですが、三昧の状態のあらゆる段階は、解脱ではなく、
それを解脱と勘違いしているのが外道だということを
『梵網経』は示しています。
『十地経』も似てますが、『十地経』と『梵網経』の違いは、
境地の違いだと思います。『梵網経』では解脱、アルハット、
『十地経』では一切智、仏が目的です。
この違いは大きいのです。
他にも『華厳経』をまとめたとおもわれる『入菩提行論』や
テーラワーダのバイブル『清浄道論』でも同じようなものです。
要するに戒で業を作らないと同時に意識の散乱対象を減らす、
定で精神集中して三昧に入る、その状態で縁起・空観によって、
無我・空を悟るというのが仏教の基本で、
大乗では、そこに利他の普賢行が加わることが特徴です。
そして外道にも戒定に相当するものがありますが、
縁起・空観がないので、無我・空を悟れないというのが、
あらゆる地域と時代の伝統仏教が言ってきたことです。
612 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 06:17:40 0
>>611 補足、三昧のない状態で縁起・空観をやっても唯の観念遊戯に等しいものになるということです。
ですから、ニューウェーヴ・テーラワーダのいうヴィパサナがまさにそれで、
本来四念処なので、無駄ではありませんが、縁起・空観にはなりません。
四念処は、最初は念で、その念に集中することで三昧に入り、
三昧に入った時、念が観に変わるというものです。
『中論』の1-25章や『入菩提行論』9章、『入中論』6章なども同じで、
三昧状態でないと本当の意味は発揮されません。
みな、戯論寂滅して無我・空に導く観を説いています。
ただの言語領域での論証過程ではなく、言語活動自体が静まることが目的です。
静かな場所で座ってるときに気分が落ち着いてても、
日常の職場での忙しい仕事の際に落ち着いてなきゃ全然意味ないと思った。
614 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 06:22:01 O
行体においては社会生活を営む上において、無理がある。
615 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 06:36:43 0
>>613 達人はそれができる、初心者はできないから山に行く
616 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 06:38:32 0
>>611-612 成る程。解脱の勘違いですか。納得致しました。
また梵網経と十地経の違い、簡潔ですね。
当方、唯識、密教を主に勉強していますので
上座部の思想には疎いもので。
解脱と阿羅漢、一切智。言われる通り、立場の違い?といいますか
視点の置き方でしょうか。違いは確かに。
ありがとうございます。
話は逸れてしまいますがその手の話題が出ているので雑談?的に。
上座部の方には外教と呼ばれるかもしれませんが
先のクンダリニーヨーガ等々密教関係について
例えばクンダリニーで言う3本の脈絡叢(チベット密教でも呼び名は違えど同じ)
太陽の気道、月の気道、つまり陰と陽
西洋のカバラ思想にも同様に峻厳、慈悲、中央というように
洋の東西、似たようなものがあります。
或いは聖と俗、慈悲と智慧、理と智というような関係が随所にみられます。
このような思想体系、神秘主義とも言えますが
貴方が上座部系の方と仮定した上で、これらに対してどのようなお考えをお持ちか
お聞かせいただければ。
617 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 06:40:30 O
環境維持により、悟った感覚に陥ってるのは、悟りではない。
山に行くのは積極的ヒキコモリだな。
619 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 07:02:12 O
ファンダメンタルの所業において、学問者の環境確保が伝導において、最も重要だが、悟りとはほど遠い。伝えるにおいても理解する能力がないだろう。
620 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 07:07:15 0
>>616 気脈については人間には本来あるものだと思います。
それを体系づけるのは、仏教では縁起だと思います。
言い換えるなら、タクナン(dag snang)。
どういうことかというと何事も縁起なので、良い意味付けをすれば、
縁起がよくなり、付随した結果がでるのではないかと。
例えばプラーナの行をするときに慈悲や菩提心に縁づければ、
慈悲や菩提心が結果として付随して縁起、生起するという意味です。
密教についてはサマヤの問題で語らない方がいいと思います。
護法尊は強力ですし、サマヤを犯した人はみるみる縁起が悪くなります。
何人も見てきたので、間違いないと思います。
その通りでしょうな。
622 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 09:42:51 O
そういや、女からコクられて、ふった時から、どんどん女運がなくなったな。
623 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 09:49:02 O
体現しかんの経験はあるが、知識がないもんでな。宗派が違うから。どう伝えていいか悩んでいる。
624 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 09:51:42 O
何か心当たりはないだろうか?排除された理論の中とかに。
625 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 09:56:48 O
自分なりに理論があるんだが、実践の経緯に当り、どんどん縁が悪くなっているような気がする。気のせいかもしれないが。習得した力はおもに地震だと思うが。
626 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 10:07:17 O
最近は力を行使してないというか考えていない。入門書程度の物は何冊も読んだが。現在は結界について研究中で、自らも結界を張っている。
そういう奇妙な事を考えてると顔の表情や喋り方にも内面が滲み出て女だけでなく誰も近づかなくなりますよ。
神秘体験を云々するんであればもう哲学じゃないだろ
神秘主義も哲学の一部門だろw
テスト
レス読んでると、知識と信念がごちゃまぜの人がいるな。
「今日は雨が降っている」とはいうが、「今日は雨が降っていると信じる」とは誰もいわない。
これは知識だ。
他方誰でも「明日は雨が降るだろうと信じる(と思う)」という。
この方は信念だ。
知識の根拠は、およそ次の如くである。
・単純な感覚的経験(雨の音、雨の光景)
・少数の単純な、証明できない前提と、若干の論理上の規則から成る推論の手つづき
・検証可能な結論
信念の根拠は、場合によって異なる。
「明日は雨が降るだろう」と私が信じるのは、天気予報がそういったからである(権威への信頼)
「日本が戦争に勝つだろう」と多くの日本人が信じたのは、そうなることを希望していたからである(希望と将来の現実との混同)
「天は人の上に人を造らず」というための根拠は、常人の個人的な経験と、
特定の歴史的な文化に対する信頼とをふまえた一種の直感であろう。
信念の根拠は、時と場合により、合理的でもあり得るし、非合理的でもあり得る。
合理的に考えられた信念の体系は、その人の哲学である。
知識は、時系列的に並べられた分別の集合体である
信念は、経験に脅迫された妄念、即ち自己逃避である
両者ともに、核心は突けない
なるほどな。そこからさらに興味深い展開をどうぞ。
断る
635 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 14:35:30 0
>>620 違うよ、チベットカルトくんwww
間違ってますよちみは、気脈はイダ・ピンカラ・スシュムナーの三大気脈が
ヨーガ行を積むことによって物理的気の次元からアストラル次元、カラーナ次元と高まってゆき
ついにはプルシャの次元・真我の独存に達する為の通路だぞwww
ちみは気道を整える為の経絡体操や呼吸法すらしたことないでしょwww
基本を無視した瞑想は妄想です、縁起も糞もありませんwww
それと、「リグ・ヴェーダ讃歌」よく読んでね、
そしたら自分の無知蒙昧さが良くわかると思う・・・www
636 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 16:19:33 0
自分も無知なのにw
637 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 16:24:21 0
どこが・・・?
チベットくん、はっきり言いなよ・・・www
そんな反論にもならない幼稚な物言いしか出来ないの、可哀想なチベットくんwww
638 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 20:52:28 O
それにしても、チベットはえらいことになってるね
639 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 20:58:58 0
う〜ん、ヨーガくんじゃあないけど、何かチベット仏教が崩壊しているのかね?
四川地震と言い、今度のチベット地区の地震と言い・・・。
640 :
考える名無しさん:2010/04/16(金) 22:23:12 0
チベット仏教は問題があるんだろうね。
ダライ・ラマに問題があんじゃね。
642 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 01:11:04 0
てか中国が酷過ぎる
643 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 04:04:28 O
644 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 04:50:51 O
645 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 09:23:49 0
戦前戦中の中国の混乱期には、それに乗じてのチベット族やウイグル族の残虐極まりない
漢族への仕打ちがあったんだよ・・・。
特に新疆ウイグル自治区でのウイグル族の横暴ぶりは、日本帝国陸軍との裏密約協定を傘に着て
目に余るものがあった。
帝国陸軍も武器弾薬をウイグル族に与えて漢族への迫害を煽るだけ煽ったからな。
646 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 10:29:55 0
>>645 チベット族はやったのか? 当時、今のブータンみたいな鎖国状態だろ。
もちろん、全くないとは思わないが、国を挙げてやるとは思えないのだが。
647 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 11:57:53 0
ラマ僧がみんながみんなダライ・ラマやパンチェラ・ラマみたいな修行の出来た
円満な人格者ばかりではない。
なかにはトンデモなラマが広大な青海地方にはいた。
当時のチベットのラマの権威は、宗教的にも世俗的にも絶対的なものがあった。
確かにチベットはウイグルみたいに国を挙げてはやってはいないが、その地方、々では
これら小暴君と化したラマ僧の横暴があった。
金持ちの漢族の商人に因縁をつけては袖の下を貪ったり、若い美人の漢族の娘を姦するなど
僧にあるまじき傍若無人な振る舞いが日常的にあった。
648 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 13:44:47 0
因果応報
>>648 今、苦難の状況にある(≒報いを受けている)人々は、
当時そうした行為をした(≒そうした業(悪業)を積んだ)人々、
ということ? (´・ω・`)
人身受け難しっていうけど、結構簡単に人として生まれるんだね・・・。
650 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 13:58:00 0
親の因果が子に報い・・・、孫世代が爺ちゃん婆ちゃん世代の報いを受けてるんだろ。
悪いことをすると悪い目にあう
善いことをするとすると善い目にあう
そんな単純なことなのですか
653 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 14:10:56 0
因果応報は絶対の正義だろ。
先祖=自分だろ、自業自得だよ。
654 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 14:13:13 0
爺ちゃん婆ちゃんの血を受けてるからなぁ〜、因縁も受けてるのか・・・。
>>653-654 チベットの人って、一系統の血縁民族なの?
っていうか、共産党進軍やその前後って、そんなに太古の昔じゃないから、
(連なった、系譜としての)血縁じゃない先祖もいるんじゃない? (´・ω・`)
.┌◇─◇…
┌□─□┴■─■…
◎┼○─○…
└▲─▲┬△─△…
.└▼─▼…
つか、仮に、行為者○▲、受難の人◇。
◇は▲の血筋じゃないよね・・。
《▲は「◇の先祖」ではない》よね?
一人の例外もなく、全員が悪業を積んだのかな? (´・ω・`)
キリスト教、イスラム教は科学技術を発展させた功績があるけど
仏教ってさ、旧態依然に停滞させてきたような歴史があるね。
>>656 基本ラインとして非生産的(≒現状維持)だからね・・。
ウェーバーによるプロテスタンティズム評のようなベクトルや熱意、
(強烈な)勢いをもった発展への意気込み、
或いは(貪欲な)上昇志向等を生じさせる教えじゃないから。
寧ろ、そうした熱量や勢いを抑え、少欲知足、
緩やか穏やかな日常を理想とするから。
それを、「歯止め」と見るか「足枷」と見るかは、
価値観・スタンスの採り方の差だから、どちらが良い悪いは言い難いよね・・。
658 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 15:15:05 0
>>656 星占術、錬金術等々、科学と融合した部分が多いですからね。
この辺りは、エジプト神話やギリシャ神話が面白いです。
確かに、物質的なものを幸福と見るか否かは価値観の問題であるがね、
ちょっと前に韓国でキリスト教サイドが「仏教国は貧乏な国ばっかりじゃねーか」と発言して
仏教サイドが反発なんていう揉め事があったという。
チベットが中国に乗っ取られたのも仏教国ゆえの悲劇だったかもしれない。
仏教が広まっていく地域と言うのは
大体中国でもインドでも発展している地域が多い
主に商工業者に広まるからだよ
そして商工業が衰退すると他の宗教にとって代わられる
661 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 16:04:47 0
チベットは例外?
チベットはよく分からん
教義も知らんし
ただ、史実的にはインドや中国は大体そうだよ
おそらく日本もそうではないかと思う
>>662 いや、日本はちょっと違うでしょ。
まずは為政者や貴族(公家)の受容から始まってるし、
(日々の生活に余裕のある、保障されている階層)知識人に広まっている。
(「祈願・祈祷、呪詛」の面を色濃く含みながら・・。)
庶民に受容されたのは、やはり鎌倉期以降じゃないかな。
それも、《「変えられない現状」を、「如何に受け入れていくか」》という方向性で。
念仏にしろ禅にしろ、「利用のされ方」はその方向ではなかったか。
そのベクトルを継承しつつ、日本は(特に近現代は)、
「精神的に少欲知足であればいい」「精神的に求めて(欲して)いなければいい」
というスタンスを選択したと言える。或いは、祈願の手段として・・・。
それが、江戸期以降において「歯止め」とならなかった理由と言えそうだ。
そして、近代化・西洋化の波を受け、実践的側面(≒日常生活との接点)が忘却された時、
文化としての仏教しか残らず、高度成長を妨げなかった、と・・。
>>662 思い付きなんだが、
チベットの場合はラマの権威の強さが何か要因になってるかもしれないな
665 :
664:2010/04/17(土) 17:00:02 0
666 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 18:11:11 0
チベットの悲劇は、仏教の堕落形態の密教がインドから伝わって土着のボン教と習合したから。
日本には最高の仏教である唯識仏教が最初に伝わったから良かった。
そんなの全く関係ありません。
これは政治システムの問題であって、
宗教指導者が政治に大きくかかわるところはどこも経済的に駄目。
石油が出るとか鉱物資源が豊富な国は例外。
668 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 18:24:26 0
チベット青海地方は鉱物資源の宝庫なんだが・・・。
だから漢民族に狙われた。
竹島もそうだね。中国じゃないけど。
予測では中国内の鉱物採掘場は今の経済成長だと10年も持たない。
チベットに埋蔵する鉱物資源は中国の命綱となっている。
中国も命かかってるから後戻りは不可能だ。
>>671 広いようだけど、あんまり無いのかな。
それとも消費量が急激大量すぎるとか?
日本からのODA2兆数千億円の多くが中国西部内陸部に利用され、
チベット自治区、新疆ウイグル自治区等のインフラ整備に使われていると言われる。
間接的にではあるが、弾圧に対して日本も巨額な金で支援したような形になったようだ。
674 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 19:15:49 0
いまこそ、仏教の慈悲の精神が全世界にとって必要な時!!!
>>663 良く分からんが、日本の仏教のメインストリームはいつでも天台とか法華関係だろう
676 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 21:46:28 0
いえ、唯識です・・・。
677 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 21:57:50 O
↑チベットくん?
678 :
考える名無しさん:2010/04/17(土) 22:01:17 0
ヨーガくんだろ、チベットくんはチベット密教系だろ。
679 :
考える名無しさん:2010/04/18(日) 01:15:24 0
>>675 浄土思想、浄土宗、浄土真宗
法華思想、日蓮宗、天台宗
般若思想、禅宗
唯識思想、法相宗
密教思想、真言宗、天台宗
おおよそ、経典の成立順に。
680 :
考える名無しさん:2010/04/18(日) 01:25:25 0
追記として所依経典
浄土思想、阿弥陀経
法華思想、法華経
般若思想、大般若経
唯識思想、華厳経
密教思想、大日経
仏教って仏陀の説いた教えだよな。
何百年も経って仏教を自分なりに解釈した人が新しい宗教を作ったのも仏教と言われてるんだよな。
日本では創価学会が一番信者数が多い組織と言われている。
あれは仏教ではないと言われているが、日本の他の宗派も基本的に同じ。
683 :
考える名無しさん:2010/04/18(日) 01:44:42 O
仏教を護るためには神祇や武士道が必要
信仰してない学者や哲学者はいらない
684 :
考える名無しさん:2010/04/18(日) 01:46:18 0
>>682 仏陀の説いた教えというよりも、
仏陀に成るための教えじゃないですか
仏に成れるかは遺伝子が決めます。
聞くところによると学業成績は55%くらいは遺伝が決めているそうです。
音楽の才能やスポーツなど身体能力の才能も遺伝子が大きいです。
無理矢理訓練してある程度のレベルには行きますけどそれでも平凡なレベルで終わります。
仏道修行も同じです。ブラバンの子が一生頑張ってもマイルス・デイビスには成れないようなものです。
阿弥陀様におすがりするから問題ない
688 :
考える名無しさん:2010/04/18(日) 17:48:21 0
すでに仏なのだが。。
689 :
考える名無しさん:2010/04/18(日) 19:10:31 0
・・・を自覚しなくっちゃあね、凡夫だねwww
690 :
考える名無しさん:2010/04/18(日) 20:17:23 0
般若系経典の空思想・・・、龍樹菩薩が哲学的に体系化した思想は全大乗仏教の基礎だろ。
>>689 確かに自覚してこその仏、しかあらねば凡夫だろうね。
理解してない→修行が足りない、修行すれば分かる
692 :
考える名無しさん:2010/04/19(月) 12:34:59 0
修行には師匠が大事!!!
693 :
考える名無しさん:2010/04/19(月) 20:18:44 0
お釈迦様は、宗教も哲学も説かなかったんだよね。
ただ、解脱の為の道、実践方法のみを説いたんだよね。
この点同じ解脱の教えであるジャイナと似ているけど、もっと徹底して人々が
実践できる中道を説いたのが特色だけど・・・。
お釈迦様に対機説法してもらいたかったなぁ・・・
お釈迦様に対機セックスしてもらいたかったなぁ・・・
釈迦は衆道だったからな。
697 :
考える名無しさん:2010/04/19(月) 22:35:57 0
天女は愛する人の魂の元へ行くんだなぁ・・・
釈迦みたいな性格の人を覚行というらしいけど、
現代人は貪行、瞋行がほとんどだろうなあ。
そういった方面で智恵がある人ってなかなか出合えない
輪廻なんてないって考えたいわ個人的に
悟らなければ解脱できないなんて常人には難しすぎだろ
死んだら誰でも無になるって考えは仏教にはないの?
仏教に詳しくないからよくわからんのだけど
700 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 08:43:48 0
死んだら無になるなんて釈尊が最も否定攻撃した唯物論、無神論の外道思想だぞ。
(パーリ長部経典・沙門果経)
仏教で言う無とは、何にも無いんじゃあなくて輪廻無常よりの解脱のための自我の否定の意味だぞ。
>>700 仏教でいう無の意味は分かってるよ
聞きたいのは、死という先に何もないっていう考えはどんな仏教の考えにも存在してないの?ってこと
自らを仏教徒(※本人は仏教者と呼んでいる)と名乗っている宮崎哲弥なんかは
人は死んだら「無」(仏教的な意味でなく、一般的な感覚の無)であると言ってるんだが
702 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 09:00:51 0
そりゃあ宮崎先生の子供っぽい間違いだよ・・・www
>一方、現代の仏教者、僧侶、仏教研究者のなかには、「釈迦は輪廻説を前提としておらず、
インドに古代から信じられて半ば常識化していた輪廻を直接的に否定することをせず、方便として是認したに過ぎない」
と主張する者も少なくない。
輪廻転生を理論的基盤として取り込んだ、インド社会のカースト差別に反発して新仏教運動を創始した、
ビームラーオ・アンベードカルはブッダが輪廻転生を否定したという見解を持つ。
この解釈はアンベードカルの死後、インド新仏教の指導者となった佐々井秀嶺にも受け継がれている。
このように輪廻否定を積極的に主張する仏教徒グループを、断見派と呼ぶ。
wikipediaで輪廻のところを見てて、上記を抜粋したんだけど
これって釈迦は死んだら輪廻などない、つまり何もなくなるって考えたってことになるよね
704 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 09:11:17 0
輪廻転生を否定したら仏教が成り立たない!!!
705 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 09:30:46 0
「死にとうない」
706 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 09:35:13 0
死んでも生きても同じだよ・・・、霊魂不滅だろ仏教は。
707 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 09:48:57 0
霊魂不滅ってことは霊魂こそが我という意味になり
無我ではなくなるのでは?
708 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 10:12:24 0
弟子「先生、死とは何ですか?」
師匠「われ、未だ生をしらず。」
釈尊も死後より、「今、生きてること」を主眼に考察したと思われ・・
輪廻だの霊魂だの葬式仏教だのには閉口してると思われ・・
霊魂なんて我そのものじゃねーか。
我の否定は仏教の根本だろ。
勘違いするな。
710 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 10:21:20 0
霊魂が無我を体験することで魂が成長するんだよ・・・、空に達するまでなwww
711 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 10:28:10 0
死後、自らを偶像化することさえ禁止したと思われ
真理の別称「空」「sunyata」は、達するものではないと思われ
大乗仏教には驚きを感じてると思われ・・
修行で苦がなくなればどうでもいいだろ
麻薬でもやっとケや
修行で苦・煩悩がなくなるとは考えられないけどw
714 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 10:52:28 0
解脱すれば無くなる・・・、そのための仏教ヨーガだろwww
ヨーガくんは煩悩まみれじゃないかwww
716 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 11:06:22 0
いや、煩悩まみれだからヨーガくんの方が安心だろ。
むしろ純粋真直ぐなチベットくんの方がカルトに嵌ってて危険だ。
717 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 12:01:50 0
う〜ん、奥が深いね。
718 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 12:08:35 0
涅槃寂静と空を誰も論じていない。
721 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 12:45:57 0
同じじゃね?
身も蓋もねーなw
723 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 12:54:24 0
724 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 14:01:30 0
>>699 諸説あるので、一説として聞いて欲しいんだが、
釈迦は、確かに
>>700の言うように、「死んだら無になると考える事」を否定した。
ただ、重要なのは、同時に、「死んだら後も何かが残ると考える事」も否定している。
よく、輪廻を肯定or否定したいために、一方の言説だけを引用して、「釈迦は死後の世界を肯定したor否定した」などという人が居るが、
そうではなく、「死後の世界(輪廻)があるかどうかなど、考えても分かるわけはない」というのが釈迦の立場。
なにしろ、「死」とは不可逆であるからこそ死なのであり、臨死体験は死ではない。
死んで生き返った人は論理的に存在しない(生き返ったら死んで無いから)ので、死後の世界があるかどうかは、分かりようがない。
よって、そんな分かりっこない形而上の問題にかかわずらうより、目の前の問題(苦)に取り組むべきであると言うのが釈迦の教え。
長くなったが、結局あなたの質問の回答(の一つ)は、「死んだら誰でも無になる」と言う考えではなく、「死後のことは誰にも分からない」と言うのが、仏教にある考え。
(もちろん、死後はあるとか、死後はない、という意見のみを採用する派閥もある。)
>「死んだら無になると考える事」を否定した。
釈迦が否定していたかどうかはわからんぞ。
弟子が勝手に忖度して、文章で残した可能性もある。
726 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 14:22:37 0
>>725 それ言い出したらキリがないが、他の教えとの整合性を考えれば、
釈迦が死後の世界が有るとか無いとか考えてたと想定するより、
形而上の理論には関わらないという立場を取っていたとしたほうが、整合性がある。
少なくとも、輪廻が有ると考えると、無我との整合性に苦労する事になる。
727 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 15:00:51 0
>>726 >少なくとも、輪廻が有ると考えると、無我との整合性に苦労する事になる。
「無我」ということ自体、それが何を意味するのかには諸説あるわけだから・・・
「整合性」で仏教を考えることには限界があるよね。
「整合性」で問題が片付かないから「信」になるんだろう。
728 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 15:10:02 0
>>727 >無我」ということ自体、それが何を意味するのかには諸説あるわけだから・・・
だから、最初から「一説として聞いて欲しいんだが」と前置きしてるだろうがw
>「整合性」で問題が片付かないから「信」になるんだろう。
それを言い出したら、議論するまでもない。
「俺様は、釈迦が輪廻が有ると考えて居たと信じる!」で議論終了だろ?w
729 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 15:12:59 0
>>727 無我でないから輪廻するのでは?
>>718の例で言えば空性を悟ったら涅槃寂静なのか
涅槃寂静が空性なのか、諸法無常、諸法無我を悟れば涅槃寂静なのか。
また三法印だからこれら3つで悟りなのか。
考え方の問題、まさに哲学。
730 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 15:16:37 0
>>729 >無我でないから輪廻するのでは?
その「無我」の意味は、正確に言うと、どういうこと?
731 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 15:34:57 0
>>730 涅槃に至ったでいいんじゃない?つまり悟ったってこと。
732 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 15:40:24 0
>「俺様は、釈迦が輪廻が有ると考えて居たと信じる!」で議論終了だろ?w
そのとおりだ。
釈迦が〜という話は議論にならん。
734 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 15:51:23 0
>>732 単純明快だろw
無我、涅槃、無我の境地、輪廻しない
逆は輪廻する。
お釈迦様は生まれ変わらないことや方法を説いたんじゃなくて
涅槃に向かいうことを説いた、でいいんじゃね。
735 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 15:52:35 0
×向かいう
○向かうという
736 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 15:52:40 0
>>733 自分の妄想を根拠も無く垂れ流すだけなら、2chじゃなくて、便所ででも叫べばよかろうw
>>736 根拠なんて2ちゃんで問うレベルなんかじゃない。
ニルヴァーナに達すると輪廻しないってのは、
実際どうなのかってよりも、そう考えるかどうかって事だけでしょ。
普通は、あーあ。また生まれ変わらなくちゃならんのか〜めんどくせーって死ぬけど
仏教をやって無我の状態になれば、そうは思わなくなると。
実際どうなるかとかは置いておいて。
739 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:02:18 0
>無我、涅槃、無我の境地、輪廻しない
その「無我」は、「諸法無我」の「無我」とは全然別のこと?
釈尊だけが悟ったとかの考えが強い人が多すぎ。
大乗仏教はみんな仏様だよ。
そういう意味合いで聞いてるんじゃないの?
>>739
741 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:13:29 0
啊啊
>>740 俺は、釈迦が覚醒した時の消息(頭の中の状態)を知りたいよ
なんでもありなら、「仏」教じゃなくていいんだからさw
国訳一切経ほしい……
200万円するけど……
744 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:18:21 0
そもそも釈尊が悟ったかどうかもわからんのだぞ。
弟子どもが言い張ってるだけで。
745 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:20:44 O
釈迦は弟子たちにもれなく悟りの印可を与えていたようだ。その代表がミョウガであり、ホウキを繰り返し暗唱させて、ホウキの名前を覚えさせたそうだが
746 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:20:53 0
釈尊は宗教的体験上、輪廻も霊魂も認めているよ・・・www
747 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:22:37 0
>>742 「なんでもあり」ではないけれども、釈迦の頭の中を「正確に」知ることも、できない。
その二つの間に道を求めるしかない。(それも「中道」の一つだろう)
「私は釈迦の頭の中を正確に知った」と思い込んだ人は、他の考え方に対して排他的になってしまう。
748 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:22:48 0
認めてるとよ〜〜〜〜www
749 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:24:16 0
750 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:27:35 O
我々は釈迦の直弟子じゃないんで、以心伝心やねんげみしょうなどの息吹は感じることはできないが。
751 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:27:56 0
排他的になるとよ〜〜〜www
752 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:30:07 O
このスレの1でも言ったように、これからは神通力だと思うよ。唯一、釈迦の息吹を感じられる手段だと思うからだ。
753 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:31:30 0
神通力www
輪廻とか霊魂とかむしろ否定してたろ
否定するにも一度は取り込まなくちゃならないから取り込んでるだけで
755 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:52:23 0
アホか、輪廻認めるってことは霊魂も認めねえとだめだろうがwww
脳内妄想はお前、お前だよ
>>749よ、チベットカルトあたまのお前だよwww
756 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 16:53:03 0
757 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 17:00:42 O
うむ、素人が紛れ込んでるようだな
素人ですんませんw
759 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 17:10:32 0
素人だとさ〜〜〜w
どなたか素人の私向けに
ネット説法をお願いします…。
761 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 18:33:39 0
まずお釈迦様は何を求めたのかな・・・?
結局、無我であるはずなのに輪廻というあたかも実体が存在していないと成り立たない概念が出て来るのは何故?
763 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 18:40:25 0
>>762 俺様が信じてるんだから、矛盾しようとなんだろうと、あるったらあるんだ!
でFA
764 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 18:49:58 0
それでは説明になっとらんwww
無我は到達すべき悟りの境地、無我になる事により輪廻から解脱できるんだよ。
釈尊は、輪廻を認めたからこそ、それからの脱却を求めたのではないか。
>>762 逆。輪廻という世界観に「無我」という小石が投げ込まれた。
結論 修行が足りない
767 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 19:05:58 0
根拠も論理もあったもんじゃねーよなwww
>>765 うん逆だってことに気付いたかもしれん。
ウィキで仏教における輪廻の項を読んで納得できたわ
輪廻は無我でなければ成り立たないということがシャープに解説されてるな
でも輪廻は説明出来てもエネルギー保存の法則を用いると、解脱の仕組みが分からなくなる…
>>768 >エネルギー保存の法則を用いると、解脱の仕組みが分からなくなる
エネルギー関係ないからw
《「(物事の)見方」が変わるだけ》だもんw
770 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 21:02:39 0
輪廻する基体→霊魂だよね。
霊魂=我だから
無我だと輪廻するべき霊魂もなく、輪廻終わり、解脱ってことですか?
>>771 『《「我」がある》《(この思考を)「我」と思う》ということも含めての
「執着・煩悩」が(≒無明が)、《次の五蘊の生起の因(或いは縁)となる》から輪廻する』ので、
それが断たれれば、《次の五蘊の生起の因(或いは縁)が断たれている》ことになるので、
輪廻しない。
死ぬ瞬間の識とその後に続く新しい識への再生までの間に
何が起こっているのかを説明すべきじゃね?
774 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 21:55:07 0
一度も死んだことのない人間が説明したところで無意味。
>>773 残念ながら、
仏教内では、それに関して説明はされていません。
強いて言えば「中有」としてのみです。
しかしこれは、霊魂を想定する世界観と親近性を持つので、十分な説明とはなりません。
「業の力(潜在力)が、間にスパンを置きつつも残存影響し、(次の五蘊・識の)生起を促す」
という説明もありますが、それも773の問いの対する答えとはならないでしょう。
その意味で、『そうした問い自体が愚問となるが如き、当然の世界観として』『輪廻は受け止められていた』
と見るよりほかないかもしれません。
もっと永いスパンでのインドの世界観自体、破壊と創造の繰り返しらしいですしw
なるほどなるほど
>>774 それは釈迦も無記という態度を貫くことによって示してましたよね。
778 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 22:11:15 0
だから業遺存が何に影響してるの・・・、霊魂でしょ・・・。
釈尊が縁起の禅観で最後に悟ったのは漏尽通による業煩悩の滅却でしょ。
それによって無我となった霊魂は高い涅槃へと達したんでしょ!!!
>>778 その「霊魂」は、パーリ・サンスクリット或いは当時のインドの俗語で
何と言われていた概念ですか?
780 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 22:14:06 0
>>772 無我でなければそもそも輪廻転生は成り立たないというのが、
仏教の立場である。輪廻に主体(我、アートマン)を想定した場合、
それは結局、常住論(永久に輪廻を脱することができない)か、
断滅論(輪廻せずに死後、存在が停止する)に陥る。
>なぜなら主体(我)が存在するなら、それは恒常か無常のどちらかである。
恒常であるなら「我」が消滅することはありえず、永久に輪廻を続けることになり、
無常であるなら、「我」がいずれ滅びてなくなるので輪廻は成立しない。
このため主体を否定する無我の立場によってしか、輪廻を合理的に説明することはできない。
またwikiからの抜粋なんだけど、これって
>>772の考えと矛盾というか逆のこと言ってるよね
782 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 22:31:29 0
違います・・・、輪廻転生するのならそれらの転生を通じて同じ
自己同一性が維持されなければ輪廻転生とはいえません。
言うなれば多くの転生の間に同じ魂が一貫していなければ転生と言う意味は成り立ちません。
wikiを書いた人は全く仏教を誤解している・・・!!!
>>781 参:
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1251241875/639 > 「(過去)(私が為した)業があり、その果が(今)(私に)結ばれている」
> 「(今)(私が為した)業があり、その果が(未来に)(私に)結ばれる」
> 「(過去)(私が為した)業があり、その果が(未来に)(私に)結ばれる」
>
> 「(前世に)(私が為した)業があり、その果が(今生に)(私に)結ばれている」
> 「(今生に)(私が為した)業があり、その果が(来世に)(私に)結ばれる」
> 「(前世に)(私が為した)業があり、その果が(来世に)(私に)結ばれる」
>
> 上記から、(>> 390が言うように)「時系列」を(→恣意的・世俗的区分を)抜きます。
> 「(私が為した)業があり、その果が(私に)結ばれる」
> 更に、仮設されている「我、自己」を(→所縁によりその時のみに認められる主体を)抜きます。
> 「業があり、その果が結ばれる」。 これが勝義(に於ける業報)です。
>
> 順序はこちらの方がよいかもしれません。
> 上記から、仮設されている「我、自己」を(→所縁によりその時のみに認められる主体を)抜きます。
> 「(前世に)業があり、その果が(今生に)結ばれている」(他略)
> 更に、(>> 390が言うように)「時系列」を(→恣意的・世俗的区分を)抜きます。
> 「業があり、その果が結ばれる」 これが勝義(に於ける業報)です。
> そこには、「時制(或いは三世)」もありません。「行為者」も「果報を受ける者」もいません。
> 諸法が縁起しているだけです。 だから、「無常」であり「無我」である、と。
> 時制がないから、始めもなく終わりもありません。
> ですから、如来には(解脱者には)世俗的(自己・自我の)生も死ないので「不生」であり、「不死」です。
> 「時制に区切られた死」はなく、五蘊の滅に際し「般涅槃」と言われます。
> 上の形式で言えば、「縁により五蘊の仮和合があり、縁により五蘊の滅という果があるのみ」となります。
> それが如来の般涅槃です。ですから後有がありません。
> 凡夫は、上で抜いて来たような「各( )」(特に「私」)があるために、輪廻し、後有を受け続けるのです。
784 :
考える名無しさん:2010/04/20(火) 22:51:33 0
その「私」こそがここで先ほどから言ってる霊魂です。
(bay778,782)
結局分からん
786 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 00:52:26 0
783の内容を確認したいんだけど、
過去の業が、世間的に「私」と呼んでいる
構成要素を形成する原因となっている。
788 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 02:47:20 0
早くwikiの編纂者に苦情言って来い
ここにはパーリ語サンスクリット語が読める人いないのか・・・
790 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 03:27:24 0
>>787 「私」という観念?を意識的、無意識的に関わらず
つまり否応無く自動的に生じるもの
そしてさせるものと、その要因。
唯識の思想でもあるんですがね。
唯識はオカルトじみた妄想体系である可能性が高いです。
792 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 03:41:30 0
>>791 思想の批判はここではしないほうがよろしいのでは?
793 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 04:43:46 0
>>783 例えば、空に向かって小石を投げた場合を考えよう。
小石は当然重力に従って落ちてくる。
1mほど真上に投げれば、当然自分に当たる。
だが、斜めに投げたり、落ちてくるのに100年掛かるぐらい高く投げたりすれば、
小石は、投げた人ではなく、別の人に当たるだろう。
小石=業とし、小石が当たった人=私 としたのが783の説明だよな?
つまり、「業の果を受けた人」を「転生した私」と決定する訳だ。
ただ、この説明の問題は、「複数の小石を投げて、複数の人間に当たった場合」の視点が抜けてる事。
簡単に言えば、複数の悪業を為した人の、悪業の果が、同一人物に現れる保障がないということ。
また、「一人の人間に、複数の人が投げた小石が当たる場合」=「一人の人が複数の人間の転生した者である場合」という事も想定されて居ない。
ある人の為した業の果が、同一人物に現れなければ、それは「転生」とは言いがたいんじゃない?
そして、業報輪廻の概念にあわせて、同一人物に全ての業の果が起こる事にするには、
「それを担保する何か」≒「我、魂、アートマン…」が必要になる。
794 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 05:04:00 0
>>793 横から失礼。つまり「他」が抜けているということでしょうか。
世俗では、
1、凡夫が釈迦の体を針で刺したら、釈迦が(針を刺したことによる)痛みを感じた。
勝義諦のレベルになると、
2、「針で刺そうという意思」によって発生した意業(意思で行う業)および
その意思に基づく「針で刺す」という身業(体で行う業)が「苦しみ」という悪果を
結んでいる。
この場合、2、勝義諦は無我の立場にあり、1、世俗と異なる点は2つある。
・業の結果を受ける者を仮定していない。
・業の行為者を仮定していない。
これは清浄道論の”業に行為によって結果があるのであって、そこに
行為者や行為の結果を受けるものは存在しない”という主張の簡単な
実例になると思う。
796 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 11:27:09 0
でも悟りを開いたカルマや因縁を超えたお釈迦さまみたいな人は、何十億人のうち
何人いるんだろうねwww
殆んどの人類は業因縁のまま輪廻するよね、勝義諦なんて例外中の例外www
797 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 12:32:51 O
南無八幡大菩薩
798 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 13:30:37 0
>>795 一般的な業論からかけ離れてないか?w
この説明だと、「針を刺す」という悪業を行ったもの(凡夫)と、「刺されて痛い」という悪果を受けるもの(釈迦)が別々じゃないかw
普通の業報ならば、針を刺したもの(凡夫)が、悪果を受けるんじゃない?
795と、783の論理を組み合わせると、「釈迦を針で刺した凡夫の来世は、釈迦である」という、訳の分からんことになるぞw
795は、業論というよりは、単なる因果論に過ぎないと思うが。
>>798 そだねwただの因果論になってる。
普通に間違えた。795は無視してください
アマゾンのランキング見てると売れてる本のほとんどが上座部仏教になってるぞ。
日本に存在しなかった仏教が今一番売れてるという皮肉な事態。それだけ日本の仏教が、
もう役に立つものを発信する能力のある人が減ったってことなのかも。
スマナサーラが大量にランクに入ってるし、中村元先生の本も売れてるのは、
これたぶん上座部研究の文庫でしょ。専門書っぽすぎて、俺は読む気はしないけど、こんなの売れるんだな。
小池 龍之介ってひとは単立禅宗なのかと思いきや、
修行自体は上座部でして来たらしくて内容に上座部思想がでてる。
801 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 13:59:41 0
唯識関係も売れてるよ。
現実に役立つ仏教は唯識だけだからだろう・・・。
802 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 14:01:52 0
>>800 いや、そうとはかぎらんぞw
既存宗派の本は、すでに行き渡っていて、過飽和状態にあるが為に、売れないと言う可能性がある。
上座部仏教も、「珍しいから」売れているという可能性もあるな。
即断はしにくい所だと思うが、いかに?
具体的にどの本が売れてるわけ?
中村元先生訳のスッタニパータとかは持ってる。
804 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 14:14:43 0
>>803 中村元先生訳といえば
金剛般若経が有名。
これほど分かり易いものはないですね。
805 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 14:25:21 0
806 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 14:33:47 0
NHKの番組で中村元先生の奥さんを見たが、あの人は私と出会った頃からハゲてましたと言ってたのが印象的だった。
807 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 14:40:46 0
岩波文庫の仏教関係のパーリ経典は全部中村先生訳だからな、
どうしてもポピュラーだな。
>>800 その辺の理由はよく分からんが、
現在の日本人は、改めて初期→小乗→大乗と経なければならない
精神状態なのかも知れんな
ある意味輪廻かもしれんw
原始仏教の本読んでるときは、
大乗なんてカスだなw位に思ってたけど、
この前歎異抄読んで感動しました…。
810 :
考える名無しさん:2010/04/21(水) 20:22:56 0
だから大乗仏教の完成態である唯識仏教が最高の仏教なんだよ。
811 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 03:46:41 0
真宗はほとんど親鸞自身の宗教
812 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 03:56:18 0
五木寛之の親鸞読んでみようかな
813 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 03:58:01 0
>>810 唯識の前にまず、やはり大事な思想
「空」「無自性」について学ぶべきだと思います。
両者はある意味方向性の違いです。
何か心理的な悩みがあって仏教に興味を持ったのなら
森田療法の鈴木知準さんの本を読むと良い。
815 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 08:34:51 0
森田正篤博士は禅系統ですよ・・・、謂わば仏教ヨーガですね・・・。
釈尊も神経質症に罹っていて、それからの解放のために修行をし涅槃を悟られ
救われたんだよ、とする立場ですね。
816 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 10:39:41 0
唯識って危ないの?
三島由紀夫とか川端康成は唯識学んで自殺したらしいが・・・・。
817 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 10:40:02 0
「私はすべてを征服し、すべてを知った。
私は欲望の破壊力から離れて、汚れなく、拘束されず
完全に自由になった。」
御釈迦様の言葉らしいのですが、どのお経の言葉でしょうか?
818 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 12:50:43 0
唯識はバカが齧るととても危険だが、聡明なるものが学べば最高最深の哲学!!!
だとさ〜〜〜
820 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 13:17:51 0
大乗仏教こそ至高だよ。
ある種の宗教の完成形だと思う。
インド本土で正統に進化したのが大乗仏教だしね。
龍樹は確実に世界の偉人の一人。
821 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 13:26:49 0
ナーガルージュナも偉大だがそれ以上にヴァスヴァンドラの方が偉大である。
龍樹、中観の思想は偉大だと思う。
けど、唯識はちょっとねえ…。
あくまで派生系って感じであんまりそそられない
屁理屈好きの人の妄想体系でしょう。釈迦の教えとは思えません。
824 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 14:35:09 0
>>822 よく言われているように
華厳経は如来が三界唯心を説くように
唯識は逆に衆生が悟りとは何かを探求する。
その代表者が世親(ヴァスバンドゥ)と無著(アサンガ)。
時代的には中観思想の後ですけどね。
釈迦は書物を残していない。
釈迦の教えなどと言うものはすべて妄想である。
仏教徒によって後世に書かれたものを信じるなら、
それはその本の著者の教えであって、釈迦の教えではない。
イエスもそうだろ
ムハンマドは書いたのか
827 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 15:58:06 0
大乗仏教最大最高の哲学者世親菩薩さまは龍樹以上である。
唯識は現代に生きている最高の仏教!!!
828 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 21:18:46 0
龍樹は釈迦の縁起を説明し直しただけであって派生じゃないだろ
830 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 21:26:13 0
それは世親も一緒
他の理論家もそれぞれがそれぞれのやり方で釈迦の教えを説明し直しただけなんだよ
まあ、そりゃそうなんですけどね
釈迦は自分の考えはオリジナルではないとか言ってたような
833 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 22:14:51 0
む〜か〜し、む〜か〜しの南インドに偉い兄弟の菩薩さまが居られました。
そして人々に人間の幸不幸の運命は、すべて自分自身のこころのなかにある
もうひとつのこころが決めるのですよ、とおしえられたのです。
自分で意識しているこころとは違って、このもうひとつのこころは無意識のこころで
自分では分からない深いこころだったのです。
菩薩さまは、そのこころをアラヤシキと仰いました・・・。
そしてそのこころを乗りこなす方法をおしえられました。
それしかひとは幸せにはなりませんよ、と慈悲をもって仰いました。
妄想話はいらん。
835 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 22:41:54 0
妄想じゃあないだろ、南インドには無着と世親と言う
兄弟の菩薩がいたのは歴史的事実だろwww
ヨーガ行唯識学派が最高の仏教であり、それ以後の密教は仏教の堕落形態なのは
厳然たる歴史的事実だろwww
チベット密教なんて、土着の呪術的迷信宗教のボン教と密教の野合だぞwww
836 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 23:11:50 O
アーナンダよ。私はもう老い朽ち齢を重ね老衰し人生の旅路を通り過ぎ老齢に達した。我が齢は八十となった。例えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いていくようにおそらく私の身体も革紐の助けによってもっているのだ。
837 :
涅槃経:2010/04/22(木) 23:20:36 O
この世で自らを島とし自らを頼りとして他人を頼りとせず法を島とし法を拠り所として他のものを拠り所とせずにあれ。アーナンダよ。今でもまた私の死後にでも誰にでも自らを島とし自らを頼りとし他人を頼りとせず法を頼りとし
838 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 23:30:33 O
大ニッパーナ経だったか?感動してよくよく考えたものだ。切実で因美で一生という短い時間のなかで我々は如何に生きればいいか悲しみみたいな切実なことはこの世ある。とかく馬鹿にしがちだが
>>835 仏教は中観で完成された。
その後のものは全て蛇足。
当然唯識も蛇足。
840 :
考える名無しさん:2010/04/22(木) 23:50:00 0
そんなこと言っても学会では、世親菩薩が大乗仏教最高の哲学者とされてるけど!!!
当然その哲学である唯識が最高なのでは、別にヨーガくんの肩持つわけじゃあないけどね。
841 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 01:52:21 0
唯識派?ではありますが
私は唯識が最高だとは思いません。
大乗仏教では中観、唯識が基本ですから。
中観のみの場合は、ともすれば現実軽視の指向
また、大乗仏教の基本理念でもある「利他行」を軽視してしまうのでは。
842 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 07:37:56 0
最も緻密な理論を持っていてしかも最も実践的な唯識が最高の仏教であるのは
自明の真理なんだが・・・。
そうかもしれませんね。信者にとってはそれが正しいと信じる他ないですが。
844 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 09:25:37 O
まあ、俺は2ちゃんに頼ってるがな
845 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 09:29:29 O
自我と無我。法による絶対他力と、その用法は、散文となってるから、繋ぎ会わせて使いこなせるやつはそうはいない。
自我の領域と仏性の問題は、ぶち当たっている問題の一つだが。
何かいい書籍はある?
846 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 09:54:24 O
私が思うに法蔵菩薩が48願の誓いを立てられ、阿弥陀如来となったわけだが、滅法において、法力はすでになく、理力が法の代わりとなるものと思っている。スターウォーズでいうフォースだな。
まあ、戯れ言だが
無我だけでも色々ある、法だけでも色々ある、仏性・・・
絶対他力とは弥陀の本願力かい?
自我の領域と仏性の問題って何だい?
848 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 09:58:00 O
法蔵の法が我々に理解しうる仏法であり、それを開示したのが釈迦と見ると、面白いかも。
849 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 10:12:11 O
理力的見解も仏教では行われていたようで、それが密教なのだと思うが、どうだろうか?滅法を見据えていたんだろうか?
850 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 10:14:52 O
法に身を委ねるということは、なかなかできないし、呪術的だが、絶対他力の場合の自我と言うか意識と言うか、
851 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 10:32:41 O
私の言いたいことがわからないなら、いたしかたないが。連投になるので、このへんで
852 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 11:55:18 0
歴史的センスぜろだな・・・www
根拠がないものはとりあえず信じなければ、基地外にはならない
854 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 13:01:28 0
基地外だから、根拠がないものを頑なに信じるのだろう
855 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 13:01:53 0
根拠を信じる云々と言うより、おのれ自身の日々の修練と勉強だろ仏教は・・・。
根拠を信じるじゃなくて、根拠のないものを信じるのはまずいと言ってるのであって…
それが正しい根拠か本当に事実かを確かめるのは大事な勉強に入ると思います・
857 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 13:11:05 0
確かめる方法は宗教の場合
実践するしかないでしょう。
便所の落書き板に書き込むのも、仏教修行の一つです。
2chの仏教関連のスレ見てると
知識蓄えて頭だけつかっても
無意味だってのがよくわかるなw
やっぱ修行するしかねーのか・・・。
860 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 13:29:15 0
ここは意外とレベル高いけどなぁ〜www
861 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 13:42:42 0
862 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 13:58:19 0
このスレ、ゴミ知識は豊富だよな。
863 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 14:00:24 0
ゴミとするか、金剛石とするか
それは各々の考え方次第。
864 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 17:53:41 0
ゴミ知識とちゃうやろ目から鱗がだいぶん落ちたで、ここのスレのお陰で。
865 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 18:06:24 0
例えば?
866 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 18:30:14 0
いままで唯識なんて名前だけは聞いた事あるけど、どんなものか全然知らんかったんよ。
ほかにもヨーガと仏教が関係あるなんて思ってもみんかったもん。
867 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 18:36:07 0
そもそも仏陀自身がヨーガで悟りを開いたわけだからね
868 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 18:55:34 0
それは後世の人が言ってるだけで、
本当に悟りを開いたかどうかは誰にもわからん。
869 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 19:02:49 0
仏教は、お釈迦さまのお悟りで2500年以上経った今も生き生きと脈づいている。
お釈迦さまのお悟りが無かったら仏教もありえなかったはず・・・。
こんなの常識だろw
870 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 19:08:09 0
今日、大学でイスラムの講義受けてたんだけど
イスラム面白いな・・アホらしくて
矛盾が生じちゃいけないからコーランをこう解釈するとか
なんか本末転倒なんだよ
>>870 それは、あらゆる宗教に共通する子供っぽさの顕われ。
>>869 釈迦が「悟った」というのは、イエスが処女から生まれた、というのと
同程度に荒唐無稽なお話し。つまり、お伽噺である。
もし、それを本当に信じているのなら一度、診てもらったほうがいい。
釈迦が実在していたのなら、彼は人間が「悟る」とはどういうことかを、
回りの連中に仄めかしたという挿話だろう。
もう一つ、こちらほうがが肝心だが、人間が「悟ることの不可能性」を
彼は明確にしたということである。
イエスは、人間がキリストになることの不可能性を身をもって示した。
どちらも偉人(立派な人間)だったのは間違いない。
872 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 20:46:04 0
昔から現代までのえら〜い宗教家や哲学者がみんな認めてるんだけどねw
認めないのは君1人かよ・・・、どっちが一度診てもらったらいいんだろうねw
>>872 それは業界人だけだよ。w
君はイエスが処女から生まれた神の御子だと信じているの?
>>873 悟ることの不可能性とはどういうことですか?
>>874 「悟ることはできない」ということです。
「悟る」とは何か?と私に質問しないように。w
876 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 21:05:00 0
イエスの処女懐胎は、当時の地中海世界で行われていた一般的な宗教的権威付けの為の
寓話だってことは現代のカトリックも認めている。
当時はゼウスの息子とかデェオ二ッソスの息子とか言う神の子を名乗る宗教家が
各地に跋扈してたのw
それに俺は仏教徒だからイエスなんて興味ないねw
一度診てもらえばw
877 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 21:08:27 O
つまり根拠は結集しかないわけだが。勉強不足が多いね
>>876 だろう?
他業界には興味があるまい。
巨大宗教とて、その程度のもの。w
880 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 21:13:42 0
なぜ勉強不足?
根拠は、仏陀の悟りを追体験するための修行体験で自得するしかあるまいに・・・!!!
>>880 修行すれば明瞭になるだろう。「悟れない」ことが。
「悟れない」ことを悟るのが仏教の存在意義。w
だから、修行するのは無意味ではない。
>>881 なが調べなさいだよ
そこを語らないといみないじゃないか
884 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 21:31:56 0
いやそんな無意味なこといわれても困るんだがw
現に悟った師匠についてある程度の神秘体験は得てるんだがw
885 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 21:38:01 0
悟った師匠www
886 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 21:47:52 0
>>885 あれヨーガくんは、師匠に付いて修行はしてないの・・・?
887 :
考える名無しさん:2010/04/23(金) 22:12:47 0
ヨーガくんwww
意味がわからん
889 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 09:33:30 0
基地外がまた一人増えたか・・
悟りは、こちらからはたどり着けない
悟りは、むこうからやってくる
891 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 14:57:15 0
唯意味論ってほんと無意味なアホだなw
ほっとけ。
893 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 15:07:59 0
悟りがやって来たんですけど・・・!!!
ついに来たか!!
と思ったら「さとりの妖怪」でした
896 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 16:25:37 0
いえ、本当の「悟り」です
ひとつ問いましょう。
ブッダの法は無常か?
898 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 16:38:28 0
諸行無常です
あなたはどうやら本物のようです。妖怪扱いして失礼しました。
900 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 16:59:30 0
35年位前の曲だけどフラワーズの悟りでもお聞きなさい。
釈迦は占いを禁じたと言われていますが、
どこに書かれているのでしょうか。
どなたかその出典を教えて下さい。
よろしくお願いいたします。
903 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 19:42:24 0
パーリ長部経典「沙門果経」55節〜61節までに詳しく述べられている。
全ての占いはペテンの饒舌なんだって・・・www
904 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 19:48:15 0
パーリ長部経典を書いた輩が言ってることであって、
釈迦が占いを禁じたかどうかは、誰にもわからん。
釈迦は書物を残してないんだから。
905 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 19:59:07 0
またアホが因縁付けてら〜www
半マガダ語のパーリ語聖典以前に遡る事はできないのwww
釈尊が説法したマガダ語はすでに死語になっているから・・・www
パーリ語聖典がこれ以上遡る事の出来ない仏教の根本的な根拠なのwww
それを言い出したら日本の仏教なぞ全然仏教では無くなるわぃ・・・www
>>904 でもそれいっちゃうとさ。
三法印も四諦も八正道も釈迦の教えが
元になってるかどうかなんてわからないってことになるんじゃないの?
釈迦から直接教えをうけたひとなんて全員死んでるわけだし。
>>904 あんたのお気に入りは、誰が書いた書物なんじゃ
それを書かなきゃ、天の邪鬼と同列じゃよww
908 :
し:2010/04/24(土) 20:35:36 O
世界が平和でありますようにという平らかな願いというのはいつの時代にも変わらないが自分に何もなくなってくるとテポドン一発くらい撃ち込んでこないかと考えなくもない人間の性
909 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 20:36:46 0
五井先生かよ・・・www
910 :
し:2010/04/24(土) 20:45:17 O
考えが及ぶというのも心が澱んでいる証拠よ。心が澱むのは決して綺麗ごとではなくダルマ(法)によるところ笑いにもなる。心が澱むのも時の定石だな
911 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 21:15:58 0
釈迦が〜を言った。
釈迦が〜を弟子に教えた。
これが釈迦の教えだ。
これらはすべて、後世に書かれた書物の著者の教えである。
釈迦の教えではない。
書物には、釈迦の名前を語って自分の考えが書いてある。
釈迦の名前を語って釈迦の教えを妄想で書いている。
釈迦は書物を残していないのだから、内容が釈迦の教えであるという根拠は何もない。
根拠がないから妄想である。
仏教の教えは、後世の仏典等の著者の考えと妄想によって生まれた教えである。
912 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 21:23:41 0
アホ、全ての仏典は釈迦が〜を言った、なんて書いてねえよwww
おまえ、そんなことも知らんのか、この痴愚者め・・・www
如是我聞・・・わたくしはこのように聞きました、てしか書いてねえよ、アホwww
914 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 21:46:58 0
>>911 釈迦の自覚を完全に再現できる書物はないだろう
しかしお前の小さな脳で考える事よりは有意義な考え方が書かれているぞww
915 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 22:29:41 O
釈迦ってそんなにすごいのかな?それにしても、チベットはひどいことになってるね。地震って怖いね
釈迦って、たいしてすごくないとよ〜〜〜
初期仏典にケチつけてるやつは
心所でいえば、疑の強い人間なんだろうな。
918 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 23:19:33 O
実際に仏教国はいくつも潰れてるからな。遺跡も多数あるし。
少しでも読み込んでいれば、阿呆な発言はできないだろうに・・・
920 :
考える名無しさん:2010/04/24(土) 23:41:31 O
まるで、釈迦にあったような口ぶりだね
ダンマパダとかスッタニパータはリアリティあるじゃん
或いは、もし一人あり。
野外に綿絶し、一把茅底、折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過すとも、
専一に己事を究明する底は、【老僧と日々相見】、報恩底の人なり、
誰か敢て軽忽せんや。
勉旃。勉旃。
理解したくないなら理解しなくていいよ
>>923 そういう人は仏教は無理だな
釈迦は何も書いてないんだし
キリスト教や仏教の隆盛は、その創始者にまつわる伝聞を「のちの人間が
“神話”にまで高めるのに成功した」という事例である。
あとにつづく優秀な人材が育っていたことを物語っており、この点からも
創始者の卓越性が窺える。
その神話(お伽噺)を聴かされ、救われた人々もたくさんいたに違いない。
また、人々にそれを伝えるプロ(職業)宗教者を以後、輩出している。
いまふうに言えば、新規の供給と需要をつくりだした結構だらけのお話と
いうことになる。
>>926 「御伽噺」とか「神話」とか…
レッテル張りの典型だ。
その中身が問題なのに。
中身には一切触れられないなら、ここにきても意味がないだろう…
>>927 専門家ではないので、詳しくは知らないが「釈迦が悟った」というのは
お伽噺だ、と述べたはずだ。むしろ、釈迦は“悟る”ことの不可能性を
身をもって示したとも述べた。それを反証してくれればいい。
「悟る」の一般的意味は、調べれば載っている。
ここは哲学スレ。しかも素人歓迎、ともスレ主は述べている。
素人にも通用するタームで語れないのなら、君こそここに来ても意味がない。
もし存在が“空”なら、言語で語ることは所詮、空談でしかない。w
一切が空なら、あらゆる言述は方便ということになる。
そいつは新手のひやかしだ、ほっとけ
930 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 12:35:20 0
>「釈迦が悟った」というのは お伽噺だ
君の論法なら、それも断定できないことになるよな
「お伽噺だ」と、誰がどのようにして決定づけできるのだい
>>928 >釈迦は“悟る”ことの不可能性を
>身をもって示したとも述べた。それを反証してくれればいい。
もっと具体的内容を提示してくれないと、話にならないんですよ。
貴方の愚かさをたとえて言えば、
「俺はヘーゲルなんてよく知らないが、くだらないことだけは知っている。反証してみろ!」
と言っているようなものですw
>>929 君は仏教徒? 心が狭いね。
君のような独りよがりのタイプか、欲得づくのクソ坊主系が多いようだ。
>>930 もし、あれが“実話”なら、そっちを証明するのが先だろう?
>>931 「ヘーゲルがくだらない」という例は見当ちがい。
それよりもヘーゲルに詳しいのなら、何を語ったか、まとめて語ってみて。w
釈迦が実在したかどうかは知らぬが、イエス同様にモデルになった人物は
実在したのだろう。
その人物が立派だったらしいことは「悟った」といったツクリ話ではなく、
別の観点から私は認めている。まぁ、君たちとは違う人間だったろうな。
>>932何を持って釈迦が悟れないことを示したと判断したかおしえてくれよ
もうほっときましょう・・・
悟れるかどうかは知らないけど
「釈迦が悟れないことを示した」なんて話は聞いたことがない
937 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 13:16:05 0
君の論法に従えば、「実話である」「お伽噺だ」両者とも証明できないのに
「実話かどうかわからない、お伽噺だ」と君が断定してるその根拠を示してみろ
まさか自分の主観だとは言うなよw
後述の作り話(経典)が、著者の主観による創作だと言い放つ君には言わせないよw
938 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 13:23:30 0
今日は、釈尊の実在の否定と、悟り自体の否定かぁ〜〜ww
>>937 そもそも「釈迦が悟った」事実を証明できない。
つまり、その挿話は伝説でしかない。
その伝説に事実としての根拠がないにもかかわらず、
あたかも実話であるかのような言説体系を、神話とかお伽噺と呼ぶ。
まず(たぶん)仏教徒の君が、その噺が事実である理由を述べる必要がある。
従来の説明に、私は納得していないのだから。
納得するとかしないは主観に決まっているだろう。w
君は他人の顔色を窺いながら納得したり、しなかったりするのか。
なお経典についていえば、聖書の福音書と同様に“共同主観”の産物だろう?
940 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 13:47:36 0
>>939 なんか昨日v速に立ってた哲学スレと同じ人じゃないです?
そこでネタ拾って来たの?
仏教に興味があり且つ批判したいなら、
まず仏教について少しでも勉強してきてくださいな。
941 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 13:59:52 0
>>939 >そもそも「釈迦が悟った」事実を証明できない
何度も書くが、では「悟らなかった」事実を君はどうやって証明するのだい?
>納得するとかしないは主観に決まっているだろう。w
主観なのかいw、主観でいいのならここで仏教を否定するなよ
君は、釈迦や経典から何も学ぶ必要がないのだろう
こんなとこへきて、自分の主観を披露してないで他の大事なことを勉強すればいい
942 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 14:16:24 0
>>939 ( ゚∀゚)つ鏡
そもそも「釈迦が悟ってない」事を証明できていない。
つまり、その挿話は君の主観でしかない。
その主観に、事実としての根拠がないにもかかわらず、
あたかも実話であるかのような言説体系を、神話とかお伽噺と呼ぶ。
まず君が、その噺(釈迦が悟ってない)が事実である理由を述べる必要がある。
君の説明に、私は納得していないのだから。
943 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 14:17:07 0
釈迦は悟ったのか悟らなかったのか。
それは誰にもわからん。
944 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 14:20:24 0
>>943 それ自身になればわかるはず。(注 理論上
945 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 14:28:41 0
>>944 一応聞いとくが「それ」とは何をさしている?
946 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 14:33:57 0
>>945 悟り。(禅問答になるが、この意味が分からなければ勉強して来いってこと)
947 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 14:55:36 0
自分が悟れば、
@釈迦は悟っていた。
A釈迦は悟っていなかった。
そのことがわかるってことだな。
948 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:01:16 0
949 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:03:53 0
>>947 基本的に悟りというものを勘違いしている。
悟りとは何かを知らないままの議論は仏教では不毛。
950 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:07:46 0
釈迦が悟っていたことを前提にしてんなら矛盾しているが、
釈迦は悟ったのか悟らなかったのか。
それは誰にもわからんのだから、矛盾しとらんだろ。
誰にもわからんことが、自分が悟ることにより、
@とAでどちらが正しいかわかるということだろ。
951 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:09:09 0
真偽の検証は不可能としても、2500年以上の歴史を保つ「仏の教え」は
それなりに人類にとって有意義な部分があるということは否定しえない
「キリストの教え」もしかり
それを「主観」でひっくり返そうとするのは無理があるわ
試みとしては、面白いが・・
953 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:24:10 0
954 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:27:37 0
>>953 悪いんだが出直してもらえるか?
釈尊の悟りは釈尊だけじゃないってことも含めて勉強してこい。
955 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:28:17 0
>>952 主観ではないぞ。
>真偽の検証は不可能
まさにこのことしか言っていない。
956 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:33:00 0
>>955 そのためには「悟りとは何か」」を勉強して来いって言ってるのがわからんのか?
これ以上は荒らしだぜ。
957 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:41:22 0
>>956 「悟りとは何か」がわかれば、真偽の検証が可能になるとでもいうのか?
荒らし扱いする前に、お前自身が「真偽の検証が可能」であることを
説明してみろ。
そのくらいのこともせんうちから、勉強してこいなどと言うな。
俺が言ってる真偽の検証の中身は、
>釈迦は悟ったのか悟らなかったのか。
>それは誰にもわからん。
このことについてだ。
958 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:43:19 0
コテやめたのか?
勉強する気なんてないさ〜〜
少しでも知識があればこんな書き込みできないさ〜〜
959 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:47:54 0
960 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:49:33 0
>「悟りとは何か」がわかれば、真偽の検証が可能になるとでもいうのか?
ああ、そうだが何か?唯意味論馬鹿
961 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:49:34 0
962 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 15:53:51 0
悟りの内容とは基本的に
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の「三法印」
に加えて、一切皆苦の「四法印」。
悟りに至るための道理、苦・集・滅・道の「四諦」。
その実践の「八正道」。
このキーワードを検索してくださいな。お話はそれから。
963 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 16:07:48 0
悟ってない人間が悟りが何なのか話したところで、ねえw
965 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 16:17:43 0
>>964 あったらとうに仏教という宗教は消滅している筈なんだがな
それを支えているのは信仰だろう。
教義を理解している人は専門家、僧侶くらいと思われ。
ただ最近はネットで知識は得られる。
極限状態に心身を追いやれば特殊な感覚が得られるだろう
それが悟りだ
苦行
968 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 19:39:09 0
仏教はヨーガと同じく中道ですよ。
969 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 19:42:04 0
テスト
971 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 20:39:29 0
仏教はお勉強も大切だが、それ以上にヨーガや禅定行が大切だね・・・!!!
972 :
考える名無しさん:2010/04/25(日) 21:44:06 0
まぁそれは車の両輪みたいなもんだろ、片方では前に進まないと言う。
973 :
考える名無しさん:2010/04/26(月) 01:16:41 O
何を言うとるん?
よく「悟り」がどうとか言って競い合ってるみたいだけど中道生活の詳しい定義もないし神秘云々に頼るのは愚だと思う。
ただの言葉だし都合のいい思い込みでしかない。
それかヨガや瞑想などで身体の血流や脳内物質の具合がよくなったとか無意識に入ってリラックスしたとかそんな状態。
危ないのは「悟った俺は最強」みたいなやつ。
それは誇大妄想でしかないからいずれ統合失調症になったり自殺したりして破綻する。
とにかく「悟り」とか生真面目な洒落だと思う。
これは関係ないけど芸術家の「何か大いなる力によって描かされている」みたいなのもどうかと思う。
975 :
考える名無しさん:2010/04/26(月) 08:21:23 O
まあ、悟りがなかったら、仏教はつぶれるわな
>>942 君は仏教徒?
「釈迦が悟ったという伝説には根拠がない」という私の疑義に対して、
君がその根拠を示しさえすれば、この話は終わる。ところが君は逆に、
私の「根拠がない」という言明の根拠を示せ、というわけだろう?(苦笑)
「イエスは処女から生まれた神の御子である」根拠はない、という疑問に
対して「神の御子でないという根拠を示せ」と言われても、ね。w
仏教のお勉強はもういいから、君は他のことを学びなさい。
>>965 そのとおり。お伽噺を「わけはわからぬが、ありがたいもの」として信奉する
共同的な主観性が仏教やキリスト教を支えてきたのだろう。
>>975 それが根拠なきお伽噺たるゆえんを明らかにしても、その信仰にとどめを
させるかどうかは疑わしい。お伽噺は別のそれを派生させ、他方、何かに
縋りたがるのはヒトの本性かもしれないからである。
真実は「ある」といったほうが証明するというは裁判だけだよ。
推定無罪だからといって本当に無罪かどうかは別問題
悟りなんて単なる心理状態だから悟ってた可能性は十分ある。
科学とも矛盾しない。
>>977 先に何かを言明したほうがその根拠を示さねばならぬのは、裁判に限らない。
もう一度、訊く。釈迦が「悟った」とされる根拠は何?
>>979 立証責任が原告側にあるのは「疑わしきは被告人の利益に」という
単なる価値観によるもので、真偽の問題とは関係がない。
唯意味論を説明してくれない?w
982 :
考える名無しさん:2010/04/26(月) 09:58:39 0
>>979 仏教は「釈迦の悟り」から始まってる教えの体系なのに
現代の我らも、当時釈迦に直に接した人々さえ証明できない
釈迦本人の悟りの自覚を証明しろと強要されてもなあ
証明できないから、お伽噺ねえw
では、
あんたが、生きている、存在してる、こう考えてるということを
どういう根拠で第三者に証明できるんだい?
あんたの存在も「お伽噺」になってしまわないかいw
勿論、俺はあんたは存在してると考えてるけどさ
お伽噺でも、使える「お伽噺」はあるんじゃないのかい
983 :
942:2010/04/26(月) 10:02:58 0
>>976 そうじゃないってw
俺が言ってるのは、「釈迦が悟ったかどうか」は、(貴方の基準で考えれば)、判断がつかないということ。
つまり、「釈迦が悟ったと言う証拠がない」と同じレベルで「釈迦が悟らなかった証拠もない」のだから、
一方的に「釈迦は悟っていない!」と断定するのならば、
それは、一方的に「釈迦は悟った!」というのと全く同じ、御伽噺のレベルになると言う指摘。
更に言えば、貴方が、「釈迦は悟ってない!」と主張するのならば、その根拠を示してくれといってるんだ。
もちろん、俺が「釈迦が悟った!」と主張するのならば、釈迦が悟ったと言う証明が必要だが、俺はそんな事は言ってない。
単に、「釈迦が悟ったかどうかは、現在では推測しか出来ないだろ?」と、いってるだけだ。
で、「悟っていない!」というからには、それなりの根拠があるんだろ?
さあ、根拠を示してくれよ。
もちろん、「釈迦が悟ってない」というのが、貴方の主観による御伽噺であると主張するなら、別に証明の必要はない。
だが、単なる主観を語るだけなら、便所の落書き以下だぞ?w
一応言っておくが、私の書き込みは942だけで、他のレスは別人なんで悪しからず。
ヨーガ君はいないのかい
こういう外道にこそ、君の論説能力は発揮されるw
>>976 >「釈迦が悟ったという伝説には根拠がない」という私の疑義に対して、
>君がその根拠を示しさえすれば、この話は終わる。
「釈迦が悟った」というのは御伽噺であると主張するのなら、まず、その「悟り」の内容を書いて。
「悟り」の内容について、完全に一致した見解があるわけではないから。
その内容に踏み込まなければ、議論にはならないよ。
>>985 そりゃ無理だろww
「悟り」の内容を知らない、知ろうともしないから、お伽噺だと断罪してるんだから
悟りなんて認めない、仏道を歩んでる者たちは、愚か者だと言ってるんだから
議論にならないのなら、議論しなくてもいいんじゃないの
まさに戯論w
>釈迦が「悟った」とされる根拠は何?
論証は無理だろうね
しかし根拠がないからといって、全否定していじけてないで
その「お伽噺」から出た経典をひとつでもしっかりと読み込んでごらんよ
人生において、君にとって一文でも役にたつ事柄が見つかるはずだからさw
もういいよ・・・
根拠とか論証とかそんな事言ってるから、
「仏陀再誕」とかワケ分からんこと言い出す奴が出てくるんだよ
これ以上かまえば、かまって君のおもうつぼ。
993 :
考える名無しさん:2010/04/26(月) 13:24:55 0
かまって君、暇つぶしにいいじゃないかw
で、「唯意味論」って表記を言明した根拠は何?w
ねえねえ、何?何? 人の質問には答える義務があるんだろww
かまって君はかまう人に依存している
かまう人はかまって君に依存している
それを見る私たちは2chに依存している
995 :
考える名無しさん:2010/04/26(月) 18:11:01 O
次スレを立ててください
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997 :
考える名無しさん:2010/04/26(月) 18:17:32 0
>>994 釈迦の「悟り」の内容を、3行で見事にまとめている (´・ω・`)
科学で実証されてないことは多い。
今だに精神と肉体の関係も確かではないし。
誰でも仏になれるさ!
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