1 :
無真 :
2009/06/11(木) 00:24:52 0 【存在とは何?】 この究極で、根源的で最終的な問いに答えられる人間はいるかな?? そろそろ真面目に語りませんか。 問いの真意を理解できる人間、または天才のみ回答してください。
2 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 03:07:10 0
ペンキですかーっ! ペンキがあれば何でもできる いくぞーっ
3 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 03:18:48 O
ぺんきじゃねえ。最後まで善でいくとこうなる。愛するということ
4 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 07:27:17 0
そこにあるということ 哲学板って別に哲学に詳しい人がいるわけじゃないんだな 低レベルすぎてがっかりした
5 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 19:24:57 0
>>1 事のあるがままの有様、
物として捉える類ではないという対象
6 :
無真 :2009/06/11(木) 22:00:48 0
問いの真意を理解できていません
7 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 22:16:21 O
もうまずいので今日野宿して考えるわ。おまえらの閉じられた連関に入れない理由はわからないが過ぎたもんは過ぎた
可視物質性と自己認識性じゃないの
9 :
考える名無しさん :2009/06/11(木) 23:00:12 O
死ぬ時に、わかる。
10 :
無真 :2009/06/12(金) 20:18:20 0
【問いの真意を理解できる人間、または天才のみ回答してください。 】
11 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 20:25:07 0
今現在では
>>8 が妥当だと思う。
可視物質性という用語使いにはやや抵抗を感じるが。
認識可能であること
13 :
無真 :2009/06/12(金) 21:32:52 0
>>11 ,12
それ自体が”何”と、問うているのです。
問いの真意を理解できない人は、回答不可。
14 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 21:35:50 0
エネルギー
「存在は動的である」、これが最低条件。
17 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 21:43:51 O
>>13 分からない
まずあなた自身はその真意を具体的に理解できているのか
できているのなら何故説明して無用な誤解を避けようとしないのか
「真面目に語ろう」というわりには存在を神秘的で芸術的なものとしてしか許容したくない、という姿勢が感じ取れるのだが
18 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 21:47:35 0
性質もエネルギー
「存在は現象の相関として現れるが、それ以上である」これ、ちょっと前に思いついた条件。
「存在は動的である」が、「動的」の定義は結局できない。
「動的であることは現在と呼ばれるものの開闢と不可分である」・・・あたりまえか。。。。
22 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 21:57:53 0
エネルギー保存の法則は動的。
23 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 21:58:05 0
愚か者は計れない類は存在ではないと考える、ばかすぎ
動的であることは連続的である・・・トートロジーかな。。。違うかな
>>22 それは微妙な気がするな〜保存量だし。。。
>>23 おまいさん、また来たのか。。。つかスレ主か?
計れないものは比喩でも表せない。ま、っどーでもいいが
27 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 22:06:34 0
次元もエネルギー。
28 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 22:09:53 0
>>27 浅はか極まりない脳味噌で虚偽を表すでない。
29 :
考える名無しさん :2009/06/12(金) 22:09:56 O
ヤクザものも地獄の沙汰は金しだいだ。インドの奈落の底は相当深い。
30 :
無真 :2009/06/12(金) 22:27:13 0
みなさん。主観的な見解が多いですね。
根拠はあるのですか?
>>17 誤解を解く必要を感じません。天才なら真意を理解できるのでは?
慈善事業じゃないので・・・真意を理解できる人と語りたいだけです。
それより、
【問いの真意を理解できる人間、または天才のみ回答してください。 】
ね!(ハート)
31 :
無真 :2009/06/12(金) 22:35:37 0
人間には、
>>1 の問いの真意を理解し、回答できるのは存在しないに等しい。
だが、存在するのです。
>>30 あなたの言う天才とはテレパシー能力を有した超能力者のことですか?
「真意」と文学的に表現されても分かりません。
教えてください。
>>31 何が存在しないに等しくて何が存在するんですか?
「もの」よりも「こと」が優先される。しかし両者不可分であり、便宜上の使い分け、と了解しておくのが吉。
。。。いかん、文藝になってきた。
>>31 てめえも文藝君か
球体の中心が球体自身を外側から包み込む。
>>34 ああ、それをちらっと見たので
>>33 を書いたのですよ。
どちらにせよ孤立した言明で、大した意味はないが。
>>35 それ、ちょっと分かりますけど 個人的にパラダイムの逆転にまで発展しないのはどーしてでしょう。
不思議に感じるところです。
多分、それだけでは孤立してるんですよ。適用法が思いつかないんですよね。
38 :
考える名無しさん :2009/06/13(土) 13:58:08 0
エネルギーとエネルギーは互いに引合う という性質は位差の存在を認める。
>>38 なんだそりゃ?エネルギーが互いに引き合うなんぞ初耳です。
確かに「エネルギーなど存在しない」なんて言いますと、アホと思われるでしょうが、
しかし、エネルギーは実体でしょうか。
いわゆる「物理的実体(実在)」とは何かといえば、一般的には それは「空間的な存在」と言えます。
つまり、「空間内の特定の場所にその位置を想定して取り扱うことができる存在=実体」と成りましょうか。
(*この考えは不確定性原理に対してはギリギリ抵触を回避しますが、しかしEPR問題には抵触するでしょう。)
しかし、それは別としても 存在は実体のみではない でありましょう。
ですからエネルギーも存在する、としてもいいわけですが、
それが実体の属性だ、などと言ってしまうとこれまた不正確であり、
とりあえず、今日は保留といたします。
40 :
考える名無しさん :2009/06/25(木) 22:18:53 0
/⌒ヽ / ´_ゝ`)すいません、ちょっと上げておきますよ。 | / | /| | // | | U .U
上げてどーすんだ こんな○○スレ とっとと立ち腐らせろ。そして永遠にサイバー空間のゴミとして彷徨え。 ・・俺が絡むとスレが廃れる法則が発動してるな カッカ まあ抄録なんてコテはもういらないんで、名無しでどこでも書くけどね。 存在は、因果とか連関でしかない、と ここしばらく思ってましたが、 そうではありませんな。 連関とはなんぞ?それは「実体は受け身である」とする場合の切り口ですな。これついさっき気が付きましたばい。 「因果」てのは実体を否定してるんでしょうかね。(空とか なんとか 訳分からんですけど。) 実体が常に受け身(パッシブ)であり、因果の意のまま。。。つまり唯因果論ですか。 決定論もこの分派ですかね 能動的に作用するのはあたかも私のみ であるような立場での切り口なのでしょうか。 だから「私」なんかが宙に浮くのですかね。 しかし、さっき気が付きましたが、 あらゆる実体はその根源が「自発的(アクティブ)」である必要があり、それゆえ世界は動的なのでしょう。 「自発的な実体による空間の奪い合い」と「普遍的因果しか観測できない世界」が同値であることの証明とは・・・ ・・・鼻が曲がりそうな程 文藝臭がしますな。
42 :
抄録 :2009/06/26(金) 22:22:44 0
「瞬間」と「別の瞬間」は独立しているんですかね? 時間をそのように規定している間はそうなりますな。まるで恣意的ですが。 恣意的が過ぎると文藝となるわけです。 「状態と一意に対応する時刻」の設定は運動学に於いて有効な訳ですが、 それも「時間が動的に連続している」ことを前提として強固に確信しているからこそ 安心して利用できる訳でしょうね。 しかしその動的である由来はどこにも原因が見つからないのですが。。。。 そりゃあもう 現象からして時間的なので、時間を現象化することなど出来ないわけです。 それでも、実際何かが「起こっている」っつー疑い得ない確信がある範囲に於いて、時間は動的に連続している訳です。 つーかなんでもかんでも時間と呼ぶのも混乱の種だなや。 いやちがうな、なんでもかんでも「時間」てなもんに詰め込んで蓋をしておくと便利なのか。。。
43 :
考える名無しさん :2009/06/27(土) 16:30:25 0
時間は無限ループのエネルギー
44 :
考える名無しさん :2009/06/27(土) 16:36:00 0
/⌒ヽ / ´_ゝ`)すいません、ちょっと歌っておきますよ。 | / | /| | // | | U .U
45 :
考える名無しさん :2009/06/27(土) 17:17:41 0
>>1 出来事。運動体。ひとつの流れ。
「国家」が「暴力を占有する運動体」であるように、
「存在」は「<ある>ことを占有する運動体」。
つまりは「存在」もまたひとつの暴力である。
46 :
考える名無しさん :2009/06/27(土) 19:00:18 O
存在とはオート行ってナイターボート行くということ
47 :
考える名無しさん :2009/06/27(土) 21:03:04 0
読んでる暇ねえ〜
48 :
抄録 :2009/06/27(土) 22:58:42 0
>>43 エネルギー教か?
エネルギーっつ概念はいつ頃から世の中に知られたんでしょ。
あまりにご執心なんで、気になって調べてみましたばい。
運動エネルギーを定式化したのは意外にもニュートンではなく、ライプニッツらみたいですな。
ライプニッツは「活力(vis viva?)」として概念化したようで、現在の1/2・mv^2ではなく、
mv^2としたようですが。。。定数の1/2を発見したのはコリオリだそうです。へー
言っときますが、未確認情報なので、他所で誰かに話すと恥かくばってん、注意せんといかんでもはん。
・・・・ま、これ以上はうんち、うんち、蘊蓄まみれになるので今日はやめとくでごわす。
存在とは、数学オンチのための存在する。
50 :
考える名無しさん :2009/06/28(日) 15:05:26 0
エネルギーと言い出した背景には 「対称性の破れ」があります その確認をしています
51 :
抄録 :2009/06/28(日) 17:54:45 0
>>14 >エネルギー
>>18 >性質もエネルギー
>>22 >エネルギー保存の法則は動的
>>27 >次元もエネルギー
>>38 >エネルギーとエネルギーは互いに引合うという性質は位差の存在を認める。
>>43 >時間は無限ループのエネルギー・・・・
・・・そんな何でもエネルギー理論なんて知らねえよ。「何でも波動理論」の親戚か?
俺に確認したってなーんも出てきやせんから、貴方自ら自発的に対称性を破り給え。
エネルギーもいろいろあるんでしょうけど、
相転位に関係するエネルギー概念はギブスの自由エネルギーGてのがありますばい。
結晶構造の安定性とかを説明するにはこれを使いますばってん。
このギブスの自由エネルギーてのは単純な保存エネルギーではなくて、エントロピーを内部に含んどります。
G=H−TS で定式化されるでごわす。
Hはエンタルピーで温度の関数、Tは温度、Sはエントロピーで温度の関数、となっとりますばい。
Gが極小となるのが(その温度において)安定で、そうなるように相転位する圧力が生じます。
だいたい、高温では均質・対称的な(エントロピーが大きい)構造になり、
低温になると原子間のポテンシャルが小さくなるように圧力がかかりますばい。
貴方の言う「対称性の破れ」はそんなことじゃないんでしょうけど、CP対称性とかゲージ対称性とかは全然知らん。
確認など無用だし、貴方の好きに語ればいい。
ただ、科学の言葉を乱用するつもりなら、そんなものは認められませんな。
52 :
抄録 :2009/06/28(日) 18:04:45 0
53 :
抄録 :2009/06/29(月) 04:13:02 0
×相転移→○相転位 ですね・・・・
>>39 乾電池は?
電気エネルギーの発生が担保されているから、商品として売買されるわけだ。エネルギーは存在すると言える
保険も似たようなものだな。
約束・盟約・条約もだ。存在すると言える。
関係。
56 :
抄録 :2009/06/29(月) 12:09:05 0
何故かまさかの大盛況〜。スレ主よ喜べ。・・悲しいことに天才君は降臨しないようだがな。
>>54 乾電池内部の化学ポテンシャルが量的相関にて電気エネルギーに変換される。←これはどうでもいいらしい。
電気エネルギー発生の”担保”←これが重要なんだな?
→乾電池が商品として売買される→保険も存在する(すげえっ)→約束、盟約、条約・・・
・・・ついでに 法律、判例、勲章、そろばん一級、柔道三段・・も仲間に入れてやれよ。
想定可能に言語化できるものは全て存在すると”言える”・・全く文藝的ですな。
神も霊魂もエーテルも三角も虚数も・・・
何とでも言える。
ん?「担保」が重要なの?なぜ?断定すれば正論か?便利じゃのお。
まあ好きになされば宜しいのでは。あっしには関わりのねえことでござんす。
>>53 おまいさん 俺を騙るのは歓迎するぞ。つかおまいさんは今から抄録だ。(だっせえぇぇ)
しかしな、物性物理に於いて「転位」て概念がちゃんと別に「存在」してるのだ。
なので相転位はやっぱやめておくわ。
・「見てない時には月は存在しないなんて、そんなこと君は信じられるかね −byアインシュタイン(未確認)」 あるに決まってるだろーが!悩むなアインシュタイン。誰だそんなくっだらないこと言った奴は?どうせ哲○者だろ。
58 :
抄録 :2009/06/30(火) 21:44:59 0
量子力学の波動関数Ψ(の実在性)と哲学での認識論とか実在論(?よー知らんけど)が絡むことは避けられませんが、 元来、違う問題でございます。
59 :
考える名無しさん :2009/07/01(水) 04:03:02 O
ドッペルゲンガーが現れた。
60 :
抄録 :2009/07/01(水) 04:15:28 O
落とし穴。 これにひっかかるのは、これの存在を認識できていないからである。
61 :
抄録 :2009/07/01(水) 21:51:35 0
>>60 なんだそりゃ?
穴があったら入ってみたくなるのも男の性・・・・・
くっせー。もろ文藝〜。。しかも下品ー。
62 :
抄録 :2009/07/01(水) 22:30:44 0
>>59 ドッペルゲンガーとか哲学板を覗くようになってから初めて知りましたね。
素朴実在論とか独我論とか、この板では常識なんでしょうが、俺なんか聞いたこともございませんで、
いまだに内容がピンときませんな。
おお、そうか! ひょっとして
>>60 は「穴とは存在か?」と問うているのか!ああ、なるほどね。。。
そいつはどーだろーね。有と無の相対化ですかね。
文藝ですけど、有名(らしい)老子の一節で
「埴を挺ねて以て器を為る。其の無に当たりて器の用有り」てのがある(らしい)ですが、
つまり、食器は空洞こそが有用、だと。
しかしこれ、有あっての無でございますよ。
「無あっての有」などと言われる御仁もおられますが、そいつは詭弁でごわす。
なんせ、「無」なんて抽出不可能ですもん。「無は有るか?」なんて問いとしておかしいでごんす。
有(なる要素)を認識する際に無を無意識に想起せざるを得ない・・つーことはあるかもなー。
・・・・っへ。すっかり文藝色ですばい。
63 :
抄録 :2009/07/04(土) 16:21:37 0
あたくし、正直、観念論と唯心論と独我論の差違がよく分からんのですが、 観念論者さんはあれですか、この「見えてる世界(=開闢現象)」こそが世界の全て、と考えてるのですか。 まあ あれも世界、これも世界と 何が本当の世界か混乱して これまたよく分からんのですが。 とにかく恐るべき世界観ですな。しかし、その「観念世界」内部に「脳」を定置させ、脳こそ思考の源泉、とも考えてる訳ですか? で、全ての世界である自己観念内部に自分を定置して、自己言及できるのは不思議だなあ、などと思っているのですか。はー なんだそりゃ〜?・・・・ 印象としては この板には唯物論者はあまりいない気がしますが、どーしてなんでしょう。 私はまあ 唯物主義者です。 唯物論には矛盾がありません。 たしかに物自体など知りようがなく、存在の本質は謎となりますが、謎として保留可能です。 唯物論は観念を越えて(世界)を汲み取ることはできませんが、それを了解すれば思考に不自由さはありません。 唯物論は観念の形成も説明できません。なんせ唯物論が観念ですから。しかし、その謎を問題として設定できます。 では唯物論には観念と(超越)存在との連関を説明できる希望があるのか・・それはまた50年後ぐらいに。
64 :
無真 :2009/07/05(日) 00:14:19 0
>>63 >唯物論には矛盾がありません。
本当ですか?
小生に理由を教えて下さい。
65 :
考える名無しさん :2009/07/05(日) 00:30:41 0
@物質は論理的に運動する。 Aこれを表現したものが自然科学であり無矛盾である。 というのが低脳の唯物論である。
66 :
抄録 :2009/07/05(日) 01:04:33 0
>>64 スレ主、ご帰還されましたか。
理由など分かりません。
矛盾がないことを原理的に証明できたわけではなく、
個人的に矛盾を感じたことが無い、というだけです。
唯物論もやはり一種の境地なのだと思われますが、
自分を含めた全てを”空間内の物質の状態”として統一の空間内に収容できるので、分裂と浮遊が発生したことがありません。
分裂と浮遊とは 例えば「水槽の中の脳」のようなものであります。
「精神が作り出す虚像としての物質」と「水槽と脳を形成する物質」の「物質」について、
それらの二つの「物質と呼ばれる観念」は相関無く分裂し、浮遊しております。
こういった観念の浪費は私には矛盾しているな と思われるわけです。
>>66 君は自分からみた世界は認知できても、他者からみた世界は見えないようだ。
渦中に中では渦中を知りえても世界の中の渦中は同時には見えない。
それが君の限界、自分という殻を捨て
渦中にいながら外から観察するには、自分を死の淵に落とすのと同じ程度
難しいこと。訓練せずに自然できれば人格が分離しているとしかいえない。
68 :
抄録 :2009/07/05(日) 18:44:16 0
>>67 お前もうるさいやっちゃのぉ。
>君は自分からみた世界は認知できても、他者からみた世界は見えないようだ。
そりゃま、そうです。
>渦中に中では渦中を知りえても世界の中の渦中は同時には見えない。それが君の限界、
ええ、ええ。
>自分という殻を捨て、渦中にいながら外から観察するには、自分を死の淵に落とすのと同じ程度難しいこと。
そりゃ難儀だな。
>訓練せずに自然できれば人格が分離しているとしかいえない。
こっちも難儀な話だな。何なんだいったい。
まあ、察するに、貴方は訓練をして、特別な境地に達することができたのかもしれません。
あたしゃね、親とも10年以上音信不通だし、生きてるか死んでるかも知らない。
家族もいないし、数年に一回会えるか会えないかって友人も片手で数えるほど。
下流市民なので、派遣であちこち工場を転々としたし、引っ越しも20回ぐらいした。
金も仕事も住むところも無くなったことも何度かある。
今は翻訳のまねごとみたいな仕事をしてるが、ギリギリの生活で、いつどーなるか分からん、て覚悟もある程度ある。
それでも、腹が減ったらやっぱり立ち上がるし、生き延びるためにアンテナ研ぎ澄ます。
どんな理由があるのか知らねえが、
哲学ごときで「自分の命を死の淵の落とす覚悟」なんぞと大仰な台詞を軽々に抜かすてめえなんぞには
鼻くそぶつけてやりたい気持ちだね。
69 :
抄録 :2009/07/05(日) 23:08:46 0
生き延びる、で思いつきましたが、 存在とは動的であるが故に「結果論」なのですばい。 つまり、いかような高尚な理屈をこねても、結果、消滅したのではそれは宇宙の真理ではないでもはん。 あたくしもまた 真理 なーんて不気味な言葉を軽々に使ってしまいもしたが。 とにかく「システムが残る」ということが第一義であります。 理屈とはその結果であります。 そしてこの宇宙は何かが残るようにできてるのであります。 人間もその結果として創られてるので、思考形式はそのように縛られます。 ・・・いかん、根拠なしの文藝ですばい。 しかしシステム未満の「もの(?)」はどうなるのか。そんなものがあるのか。 ・・・それは50年後に。 システムとは何か?・・・・それもそのうちに。
70 :
考える名無しさん :2009/07/06(月) 18:53:33 0
エネルギーとエネルギーは互いに反発するとどうなると思う?
71 :
考える名無しさん :2009/07/06(月) 19:49:54 0
反物質はきいたことあるけど、反エネルギーなどきいたこと無いね。 エネルギー保存則があるかぎり反エネルギーはありえないんじゃないか?
72 :
考える名無しさん :2009/07/06(月) 19:59:39 O
いいや僕は駄目だと思う
73 :
考える名無しさん :2009/07/06(月) 21:03:09 0
反発する⇒位差を失う⇒同位差になる⇒エネルギーになる
74 :
抄録 :2009/07/08(水) 18:05:05 0
馬鹿にされるので、大きな声では言えませんがね 最近、マッコウクジラが太平洋側の湾内に入り込んで迷っているっつーニュースが多すぎませんかね? そうした中で、昨日ですな、日本海にマッコウクジラの大群現るっつーニュースもやっておりましてね アナウンサーは笑顔で 微笑ましいですね〜 といわんばかりの伝え方だったんですが・・・・ 日本海にマッコウクジラ????・・・いや、いいけどさ。 あの、さいきん房総半島沖の空気イオン濃度が極端に異常値を示しているっつー話もありますでしょ。 そうした中で、今月の22日には皆既日食が起こります。 いやこれ以上は何も言いませんが。どーにも嫌な予感が・・・・ ・・・っへ。俺もオカルト君を笑えませんな。
75 :
考える名無しさん :2009/07/09(木) 23:55:57 0
>74 どれも不思議じゃないけど。 あ、別に馬鹿にしているわけでは・・・ / ̄ ̄\ < ´・ \ ゴメーンネ! | 3 ) 丶 < 、・ \ \__/∪ _∪) U U
76 :
考える名無しさん :2009/07/09(木) 23:57:54 0
>そうした中で、今月の22日には皆既日食が起こります。 何が変なの?普通の出来事だよ。
うーーん。確かに最近の空気は例年とは・・・何か変だ。 それはそうだね、よく言った! ま、しかし、日蝕に関しては楽しみにしとけばいいんじゃないかな。楽しいと思っとけば普通に楽しめるよ。
78 :
抄録 :2009/07/10(金) 00:29:20 0
うむ。。いや、地震が起こりそうだなー、と思ったんだわ。。。 マッコウクジラは日本海溝から逃げてんじゃねーかなーと思ってさぁ。。 ・・確かに皆既日食は蛇足だったなやぁ。 日食は俺もちょっと楽しみにしてるのだ。
79 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 00:45:01 0
ところで、米中というのがトップ2と認識されたのはいつだろうね。 日本では一昨年あたりかな?
80 :
抄録 :2009/07/10(金) 00:48:53 0
まあ、決定論も地震の予知程度はしてくれないことには○○○ですな。 あたくし、電車の先頭で運転席から前を見るのが割と好きなんですが、 いや、最近はもうおっさんですので恥ずかしくてあまりそんなことはしませんが。 電車の先頭ではなく、最後尾から後方を見ると、過ぎ去った景色が流れていく訳です。 この時、前方は見えないわけですが、しかし先にあるものは「決まっている」と信じている訳です。 恐らく、これが決定論者さんのイメージするところの一つなのでありましょうな。 我々は時間を航行する乗り物に乗って 後方の過去のみを見ていると、ほー 前方は見えないが既に決まっておるのだと。へー もし世界がそのような存在であったとしても否定はできまいですと?? ほっほーぉ。。。恐るべき分裂を感じますが、もう眠いので、続きは50年後に。
81 :
考える名無しさん :2009/07/10(金) 11:41:29 0
>>80 たまには良いことを言うなwww
>まあ、決定論も地震の予知程度はしてくれないことには○○○ですな。
予知じゃなくて予測な。修正しておけ。
予知をするのは預言者(オカルトの類)
決定論者の悪いところは、思考が決定論の中に引きこもるってことだよな
そしてそのそとはデタラメだから考える必要がないと思考停止する。
デタラメか意味があるものか、それは人が決めたこと、全てには意味がある
とえば意味があるといえるし、人が得られる意味にも限界がある。
彼らには意味の領域を超えた対象を認知したり分析したりする未知へのもの
へチャレンジするフロンティア精神の欠片も無い。
ヒキヲタのニートが現実の壁に当たり、それを超えられないという状況そのもの。
地震予知に空気中イオン濃度を探知するってのがあってイタリアでは当たったらしいな。 日本でつい先日から高濃度のイオンが検出されているから警戒とか言われてるがどこまで信用してよいのやらってのはある。
>>82 地中の変化からイオンが発生するのは1つ、それだけでもないのも自然というもの
科学は1つの論だけに絞るから多数の要因が絡み合ったものに無力なのである。
>>83 いえ、絞ってはないですよ。
イオン濃度測定による地震予知はあくまで関連性のみで、確実性があるとは認知されてませんからね。
そんなことは科学者のみならず誰しも分かってますよ。
>>1 『∞通りの感覚』ですぞ?何せ貴殿が感じてるこれは「色」ですからね。
物質も感覚の一種。ただ、『物質という感覚』に
『強く関連し他の感覚(熱い・痛い・空腹など)も変化する』ので、
あたかも物質を中心とした思考が生じる。
貴殿らは『大きな苦痛に繋がる感覚』こそが強く存在すると思考するので
痛み・空腹・暑さといった『肉体的苦痛に繋がる感覚』に、
つまり肉体や無機物・有機物が強く存在すると思考する。
それで、徹底した唯物論的な思考をする。
しかし、夢・想像・倫理・霊・悲しみといった感覚は、そこまで強烈な苦痛に繋がらないので
物質(という感覚)ほど、存在するとは思考されない。
なので、物質(硬い、重い、色など)>精神(夢・倫理・悲しみなど)となり、
「物質は存在するのか?意識は存在するのか?
エネルギーとは?神とは?感覚とは?理解とは?思考とは?」
といった謎を産む思考が発生します。
単に、全て『∞通りの感覚の一種』であって、その存在のしかたの大きさに
違いがあるから(例えば物質>意識>エネルギー>神のように)
どれが本当?と悩むだけですぞ?
物質も感覚とすれば、人間同士すり合わせもしてないのにも関わらず、ずいぶん似た感覚をそもそも持っていることになるな? 例えば、二人の前に一匹の犬が通りかかる。 同時にそれを認識する。 物質が感覚ならば同時に二人に同じ感覚が現れたことになる。 このように同時性が起こる感覚なら個体による仮想現実ではもはや無いだろう? 意識集合かなんかの指令で個体意識が動いてなければ矛盾するよ。 それともあれか? 時間そのものが感覚だとでもいうのか? それとも自分以外の人間も物質か? だとしたら自分をコントロールする存在に何故未熟な自分を選んだのかその理由を聞いてみたくはないか? アホ臭いな。
>>86 >時間そのものが感覚だとでもいうのか?
はい。時間の感じ方も∞通りですぞ?
例えば、生物特有の体感時間を考えると分かりやすいと思う。
人間は、人間の感じる体感時間で、特定の物理現象を定義し
「時間は絶対的だ」のように感じてるだけ。
別に150億年を150秒で感じても成立します。時間も感覚です。
ただ、人間の場合、社会性動物だから共通を求め、時間を特別に感じがち。
>それとも自分以外の人間も物質か?
特定の物質(という感覚)に生物とか意思とかの感覚が加わっただけでしょうね。
まあ、自分というのも、肉体(という感覚)に痛みやアイデンティティなどの
様々な感覚が加わってるだけですが。
要は、人の形をした映像と、触れる感覚や、表情と声、他の物質との関連性があれば
「確固たる他人がいる」と感じるだけです。他人=感覚の集合 自分=感覚の集合
>自分をコントロールする存在に何故未熟な自分を選んだのかその理由を聞いてみたくはないか?
感覚の変化によって、あたかも、「今の86殿=自分」という感覚が生じてるだけです。
つまり、0歳の頃は肉体的な感覚程度しか無かった。
その前はほんの些細な食欲とかでしょう。
つまり、小さな感覚の変化により、肉体的感覚、自他、思考、記憶、常識、信仰など
様々な感覚が生じ、それが消えたら(常識の定義では死んだら)、
おそらくまた別の小さな感覚が生じ、様々な感覚が生じると思う。
あと、コントロールしてるのは快苦だけです。
『快を感じ、苦を感じない』為だけに∞通りの感覚が変化してるだけ。
なので、選んだというか、快苦で変化した結果、「今の貴殿」という
「物質、他人、アイデンティティ、思考、本能、記憶などの感覚の存在」になってる。
88 :
考える名無しさん :2009/07/11(土) 13:21:42 0
89 :
考える名無しさん :2009/07/11(土) 16:01:20 0
ねえ、混じれ酢していい? カントっていう人がいってたんだけど、時間って内感のア・プリオリだって。 んで、順序はね、お釈迦様がいってたんだけど、そんなものありはしないんだって。 わかる人だけ理解してくれればそれでいいよ。by通りすがり
90 :
抄録 :2009/07/11(土) 17:59:03 0
暑い・・もうすぐ祇園祭ですね。いろいろ集まる日本の夏。
>>81 >予知じゃなくて予測な。修正しておけ。
私から見るとネピアにするか それともクリネックスかってぐらいどーでもいいですが
貴方にとってそれが重要なのなら尊重しましょう。
時間が直感形式っつーのも、まあそーなんでしょーなぁ、と言うしかない訳ですが、
カント大先生は、超人的思索の果てに自己の思考と感覚を分析して、言葉を与え、
しかしそうして得られた言葉が他人にも了解可能だと 何故に信じたのでしょう?
そのへん よく分かりませんな。。。
あたくしは唯物主義者ですので、〈時間〉は人間などいなくても”ある”と思いますが、
残念なことに「時間自体」については何らの表現もできないわけです。
言葉も理論も人間抜きには成立しえない のでありましょうが、
その記述内容は人間存在を抜きに成立しうる何らかの自動性っつーか、ユニバーサルな要素っつーか
そんなものを持ちうるのが目標となり申す。
・・・まあユニバーサル性など知りようもない訳で、思い込みの思い込みとなるのでしょうが。
関係ないですが、世界内現象の「事件の確定」は人間の(観測)行為なしには存在しないんでしょーかね?
これ、マクロとミクロでは話がかなり異なると思いますが、あたくしの手には負えませんので、また50年後に、
91 :
E・・・ZERO :2009/07/11(土) 18:28:02 0
あなた(神)が生まれた後では、あなたの順番は関係無い。 でも、あなたが生まれる前には工程がある 【対象性とエネルギーが引合う事が前提】 エネルギー ⇒1次元2つ(最小位差) ⇒互いに回転エネルギーを増す事で位差が "ZERO" になる ⇒2次元2つ(最小位差) ⇒互いに回転・・・が "ZERO" になる ⇒3次元2つ(最小位差) ⇒互いに回転・・・が "ZERO" になる ⇒物質2つ(最小位差)→→→物理の世界に突入! ⇒互いに回転・・・が "ZERO" になる ⇒生命2つ(最小位差) ⇒互いに回転・・・が "ZERO" になる ⇒あなた(神)が生まれる→→→宗教の世界に突入! 織姫墜落☆
92 :
し :2009/07/11(土) 18:35:30 O
坂から登ってきたトミーが目を反らすのみてわかったね
93 :
考える名無しさん :2009/07/11(土) 21:20:14 0
∞=無限大 だからな注意してつかえ。 学問でいう論理的な無限とはこの無限大を意味するから注意しような。 エンドレス、無間とかは、この∞とは違う概念だから注意して使おうな じゃないと誤解が変な意味を生んでしまうわけで。 あと学問の無は、有の中の無であって、世界そのものが無い無ではないことを ちゃんと理解しておこう。
>>87 自分の感覚には指向性はあるっていうんだろ?
感覚が及ばない所にはそもそも物質や物理的事象すら存在していないと…?
また、時間が概念ならば経験と時間の感覚は感覚同士ではあるが比例関係に無いわけだな?
ムラがあるというかファジーというか…。
人の老化は感覚的事象だが時間とほぼ比例関係にありそうだしずいぶんややこしい話だね。
浦島太郎現象なら可能性はまだ見えてくる。
例えば、意識を超光速で宇宙の果てに飛ばす→意識を戻す→膨大な経験を積んだが自分は老化していなかったとか。
感覚でありつつ感覚同士の関連までは否定出来ないでしょ?
感覚世界の理屈だよ。
95 :
E・・・ZERO :2009/07/12(日) 08:03:15 0
↑93 ∞2つで四葉のクローバー その四葉のクローバーを 3枚組み合わせてトリプルクローバー☆ その輪郭を戦闘機が飛ぶ感じ 中心で敵機を撃墜するには 一旦どれだけ距離がとれるかにかかっている それが・・・若い時の苦労は買ってでもしろっつー事かな・・・ 自分の本当の力を知りたいのであれば特攻だね。
>>94 >感覚が及ばない所にはそもそも物質や物理的事象すら存在していないと…?
つまり『確固たる空間があるという感覚の存在』です。
こういう感覚が強く存在するから、空間があって物質があって時間があっての思考になる。
>人の老化は感覚的事象だが時間とほぼ比例関係にありそうだしずいぶんややこしい話だね
これは、物質という感覚的事象と痛みという感覚的事象が
『関連性を持って変化しているように感じる』のと同じでしょう。
>感覚でありつつ感覚同士の関連までは否定出来ないでしょ?
はい。感覚同士の関連性は俗に言う物理法則のように存在すると思う。
しかし、物質=物質、色=色、数=数のように、単に
A=Aで結ばれるだけの、単一の感覚の集合であって、
単に物質という感覚が強く存在するから、唯物論という思考になる。
これが例えば、熱や音が中心に他の感覚が変化するなら、
熱や音こそが確固たる存在となる思考が生じるでしょう。
つまり、存在ってのは、単に感じれば存在するという話。
物質の正体も時間も全て感覚です。
単に、それらを中心に他の感覚も変化してるように感じるから、特別に思考するだけですぞ?
97 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 20:14:21 O
>>1 結論から言えば、
「その疑問自体が1つのエネルギーにすぎない」だな
その疑問と解決のエネルギーの両輪で世の中が動いてる
その答えがはっきりとでてしまうのなら、
エネルギーを+と−に分けて循環しているこの世界自体が崩壊するよ
感情もエネルギーだから。
お前の言った「存在とは何か?」という
“疑問のエネルギー"が“解決のエネルギー"につながり、
それがまた疑問のエネルギーを産む。その+と−の繰り返しだ
まるで昼と夜とを毎日繰り返す地球のように。
98 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 20:54:28 0
>>97 その繰り返しの輪廻は、いつかは収束しないのですか?
>>98 同じこと。事象の次元と定義がかわるだけ。
今度はその「収束」と「拡散」の両輪でエネルギーが循環する
計算式の数字が変わるだけで、+と−の関係は崩れない
究極に次元を収束しても、「無」と「有」という両輪が最後に残るわけだ。
100 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 22:38:04 0
>>98 その繰り返しの輪廻は、なぜ(もしくは何のために)存在するのですか?
質問ばっかりですみません。
エネルギーっつーのは孤立系で保存される「唯一の」物理量なのよ。 だから生まれたり、消えたりしない、特殊なものなのよ。それ故に有用なのでごわす。 ・・・でも、もーいーよ。お前ら好きにやれ。ワシは去る。
102 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 22:44:38 O
>>1 「はっきりとした答えが出ない」状態というのは、
それだけである種のエネルギーだということ。
「存在とは何か?」と悩むお前の、そのマイナス感情エネルギーが、
自分なりの解答を出すというプラス感情エネルギーにつながる
しかし、その解答は完璧ではないだろう。
そもそも完璧じゃないからそんな悩みが出てくるわけでな。
で、また疑問のマイナス感情エネルギーを産む
この+と−の繰り返しだ。
103 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 22:48:11 O
>>100 自分のレスを読み返せば答えがわかる
お前は今、「なぜ?」と疑問をもったな?エネルギーを
“完璧な存在でないから疑問を持つ"。ということは、
解答を出しても結局、疑問はまた出てくるわけだ
「完璧でないこと」。それがエネルギーの根元だ
>>100 結論は、
“輪廻は「完璧でない」から存在する"
だ。
105 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 22:59:05 O
>>1 完璧な存在とは何か?それは
「まったくズレのない存在」だ。
右も左もない、+も−もない世界・存在だ。
しかし、現実はそうじゃない。
現実は右から左に、+から−へと、
常に事象が流れて、常に「ズレている」
そのズレ、不完全さが
「存在とな何か?」というような疑問を産み、解答を産み、また疑問を産む
「存在に疑問をもった時点で、完璧な解答は得ることは永遠にできない」わけ
完璧な存在なら、そもそも
>>1 みたいな疑問は持たないからだ。
すべて知ってるはず
106 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 23:04:58 O
>>100 つまり、お前のその「なぜ輪廻が存在するの?」
という疑問のエネルギーに対して、オレが今、解答エネルギーに変換しているよな?
これだ。
この繰り返しが答えだよ
107 :
TG09 :2009/07/12(日) 23:26:30 0
話の流れを無視していますが・・・。
「存在」というのが物質的なものであるとき、人間という単体を主観にした認識は存在を示すものではなく、観測的にそこに"在る"ということこそが「存在」すると言うことである。
更に、人間の認識領域下に無いモノ(この場合はあらゆる手段を用いても人間には認識できないものとする)も絶対的視点からみて観測出来るのならば当然のことではあるが「存在」するということである。
「存在」が概念的なモノであるとき、それは個々人の認識にしか依存しないものである。
なぜならそもそも概念的なモノは人間の思考が生んだ産物に過ぎないからである。
(未開の部族が存在すると仮定してそこに貨幣の概念が無い時貨幣はただの物質に過ぎず、ただの紙にしかならないなどがよい例)
つまり、個々人の認識が生んだある種の思考の型とも言うべきものが概念であり、「存在」という概念を決定し、定義付けるのは個々人の認識とその認識を共有する集団であり絶対的な概念というものは存在せず、それは常に相対的になる。
更に、ある個人の認識する「存在」であっても認識する対象が異なる場合の定義は異なることになる。
「存在」とは個々人によって定義されるものであり、故に遥かな古代からその疑問が提起され続けているのである。
つまり「存在」とは個々人が認識するモノであり、それは物質的なものであったり精神的なものであったり、概念的なもので在ったりするのである。
故に、「存在」とは
>>1 が自身、もしくは外界のモノをどう認識するかによって異なり、それは私の認識する「存在」とはおそらく異なるものである。
108 :
考える名無しさん :2009/07/12(日) 23:29:10 O
あほらし
109 :
混じれ酢 :2009/07/13(月) 00:39:50 0
通りすがろうと思って立ち戻ってきたけど
、ここってちゃんと哲学書とか読んだことがある人もいるの?
>>90 >>しかしそうして得られた言葉が他人にも了解可能だと 何故に信じたのでしょう?
先天的形式の意味わかってる・・?
>>93 東洋思想知ってる・・?
>>105 >>完璧な存在とは何か?それは
>>「まったくズレのない存在」だ。
まったくズレがないとは?それを定義して味噌
ヒント:パスカル
>>107 オレの思想と似ているけど、まあ、行き着く点はその辺くらいにしかならんよなw
ただ、なんか超越って言葉の意味を信じられない人そうな気がする。
>>109 哲学書読んで分かった気になってるのか。くだらん奴だな。
直観の根底にある必然的表象とか御題目みたいに神棚に飾ってるんだ。ばかじゃね?
111 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 00:54:42 O
生きてる限り何かしら食べたり飲んだりしてそれをエネルギーに変えてるよね。 その変換が存在じゃない?
112 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 01:00:40 0
僕は抄録 ◆xOLbFG9QNU さんの文章は難しく感じるのだけど、 一番難解なのはその語尾にあると思っている。
113 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 01:06:04 O
ただのハッタリくせー奴じゃん
114 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 01:12:35 0
115 :
し :2009/07/13(月) 01:15:33 O
おまえら原理もわかんねーじゃん。時間はプラスとマイナスを踏襲して進む。だから起こることすべては時間を遡ってシステムは元の形に戻る。その過程で予期せぬ手が加わるからわかりずらいが必ずプラスマイナスは経過している
116 :
し :2009/07/13(月) 01:28:39 O
それから社会構造は今までに投げ出されたカオス→無意識の部分(マイナス=ノモス→コスモス)が蓄積されているからマイナスは蓋をされ消滅されずに地獄は形を変えて繰り返される。それがわからないからいつまでも嫌なことされるんだよ
117 :
し :2009/07/13(月) 01:32:56 O
社会構造上できてしまった村上水軍の左に行ってから右に曲がるタイプがおかしい。おまえらが甘んじて受け入れたこの形は事件事故ばっかだぞ。だからデタラメに悪びれるなよ。今回左左左を切り崩されたがちょっと考えればわかることだろうが?
118 :
し :2009/07/13(月) 01:49:38 O
いいか規範があるのなら右右左だ。つまり自然に逆らうな。自然に逆らうから慈悲も悪い。作用は作用。地頭型だが考えればわかる。じゃあ左がいらないかといったらそうじゃない。左右はデタラメか悪だ。笑いにはなるがなw
119 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 01:55:54 0
さ あ 、 も り あ が っ て ま い り ま し た i';i /__Y ||真|| /⌒彡 _ ||露|| /⌒\ /冫、 ) ・・・・・・。 \ || || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ `./⌒ i ` /ゝ _,,..,,,,_ ||\`~~´ (キムチ) \( > ('\\ ./ ,' 3 `ヽーっ ・・・・・・。 ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄\`つ ⌒ _) l ⊃ ⌒_つ .|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| `'ー---‐ ( 'A) ・・・。 〃∩ ∧_∧ <⌒/ヽ___ /(ヘ)ヘ ⊂⌒( ・ω・) ・・・。 <_/____/ zzzz・・・ `ヽ_っ⌒/⌒c
「何」こそが存在。
121 :
混じれ酢 :2009/07/13(月) 02:20:06 0
>>110 ww
やっと話がまともに通じそうな奴を発見できたw
哲学書を読んでオナニーしてねーよ。
ただ、なんか自己主張が強い方の集まりなんだなと思ったのよ。
多くの場合簡単に批判される仕方で主張してる人の。
んで、オレはあんたに存在とは何だときいてみたい。
多分、あんたはア・プリオリにすら懐疑的であり、それでも懐疑主義的相対主義に留まらないであろうから。
122 :
混じれ酢 :2009/07/13(月) 02:22:57 0
ああ、ミスった懐疑論的相対主義ね。
ニーチェとかビトゲンシュタインとか好きなひと?
>>110 あと、たぶん共通の認識が生ずるのはあらゆる構造にあると思う。
もっともこの意見も無我とか唱えちゃうような人にとってはもはやナンセンスだけどw
存在とは認識可能な区別されたある部分である。
>>96 結局、どうしてそういう考えに到ったのかな?
その理由をまだ聞いてなかったね。
125 :
混じれ酢 :2009/07/13(月) 03:28:45 0
126 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 05:15:11 0
まあ俺は通りすがりの自称天才だが 存在とは意思だ。 x座標とy座標で表せる存在など時間という連続の中に点にすぎない。 存在とは意思という名の目的を持ったベクトルの事だ。 まあこの天才の俺にかかるとこんなもんだ。 また存在という単語で神を定義するなら 永遠という単語を使わざるを得ないが、その話はここではよそう。 というか天才の俺でも永遠は理解できない。 その形状は連続性を持った始まりと終わりが繋がっている。 すなわち時空が繋がっており、終わりも始まりも無いことを証明できなければいけないからな。
127 :
し :2009/07/13(月) 06:33:35 O
俺の場合みんなかわいそうなとこあってはじめに左でいってたんだがそこまで汚すんならもういわない。社会に入るとどうしても左から入らざるをえないところあるがなるべく右から入ったほうがいいにはいい。
>>126 まあ自称だわな。
君のオリジナルな考えでも無いし。
スレタイから外れていってるぞ
130 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 13:05:12 O
>>109 >まったくズレのない存在とは?
↑あなたのレスがすでに表してるよ
存在が不完全だから、「存在とは何か?」と思う。
その疑問が湧く→解決しようとする→また疑問ry
この+−の繰り返しだ。
“お互いが不完全で、ズレがあるからこそ
プラス・マイナスの相補関係ができる"
つまり、“+も−もない存在"
これが完璧な、ズレのない存在。
131 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 13:08:26 0
>130 >つまり、“+も−もない存在" これが完璧な、ズレのない存在。 それって存在ではなくて無でしょ?
132 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 13:20:39 O
>>131 「無」を定義したら、それは存在してるんでないのか?
あなたは今、「無」という概念を思考したよね?
それは概念として“存在"してるんじゃないか?
無も結局、「無」と「有」という
+と−の相補関係にある計算式にすぎない、
+も−もない完璧な存在ではない
133 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/07/13(月) 17:34:13 0
>132 >無も結局、「無」と「有」という+と−の相補関係にある計算式にすぎない では無を概念として定義できる? 但し、「+と−の相補関係にある」、というのであるから、「ゼロの概念」を持ち込むのは禁止。
134 :
し :2009/07/13(月) 18:18:11 O
東国原は世間知らずだと思うよ。俺にも客観的にわかる。つまり社会の上部構造(経済)に合わせて下部(政治)がガシガシにできている。政治構造はそのまま人間関係の構造になっていて日本列島改造の田中角栄の歴史も学ばずに総裁なんてありえん
135 :
し :2009/07/13(月) 18:36:33 O
つまり政治なんて動かんてこと。政治はレインボーブリッジも封鎖できない。肝心なときに機能しない。法案は順繰り政党はなきに等しく自民党以外の政党は無きに等しい。民主党は始まってどうするつもりか?ただ初々しさがあるかもしれない。何はともあれ何も動かない
136 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 19:17:29 O
>>133 では。の意味がよくわからんが、
無を概念として定義しても、しなくても
無を存在として思考している事は変わらない
現に、今、ここで、あなたと一緒に「無」について語ってるじゃないか
それが“存在しない"とは言えないだろう?
無を定義できるか、できないか。の話も結局、
+と−の相互関係にすぎないというわけだ。
強いて無を定義するならば、
“無いモノを捉えるには、有るモノとして考えなければならない矛盾"だな
その“矛盾"も結局、“+−"の概念と一緒だ
137 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 20:07:41 O
まあ大変は大変なんだけどね
138 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/07/13(月) 21:17:20 0
>>136 であれば、無の定義は、|〜(有)|で必要十分ではないでしょうか?
139 :
混じれ酢 :2009/07/13(月) 22:56:21 0
うほ、オレにレスついてるwwwwwwww
wisteria-1さん、あんたはどうやら理解力があるか、もしくは
ヒント:パスカル
の意味がわかった人だねw
オレの経験でいうとこの手の人にいくらいっても通じないから無意味だよw
スレタイの答えを、一言でいうのなら
>>123 >>存在とは認識可能な区別されたある部分である。
が、今の思想の最高点になると思うな。
まあ、これも半分うそ臭い人にはそう思えるのだろうけれども。
0<存在<1
141 :
考える名無しさん :2009/07/13(月) 23:12:06 0
>>1 =
問いの真意を理解できる人間、または天才
>>1 =
自分と対等に話せるような人を探している。試している。自分は神。
>>1 =
自分と対等に話せる人を探している。試している。自分は神。
B型
146 :
ナ無し :2009/07/14(火) 16:34:48 0
存在とは、五感・思考等によって認識できるすべて。 人間や時間、神や悪意、色や匂い、情報や国家等すべて「存在」する。 認識できない何かは認識した時点で「存在」する。
>>138 説明や定義が十分か十分でないかはあなたの判断。
どんな捉え方をしようと、無は有との相補関係に変わりはないし、
相補関係の輪廻を超えた完璧な存在ではない。ということ
149 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/07/14(火) 20:39:49 0
>148 では、無意味の側から意味を説明できる? あるいは、「非-在」から「実-在」を演繹できる?
>>149 まずそれは1の答えを導き出せる代物なのか?
>>148 >>説明や定義が十分か十分でないかはあなたの判断。
ならば、
>>どんな捉え方をしようと、無は有との相補関係に変わりはないし、
>>相補関係の輪廻を超えた完璧な存在ではない。ということ
↓
どんな捉え方をしようと、無は有との相補関係に変わりはないし、
相補関係の輪廻を超えた完璧な存在ではない。ということ 『かはあなたの判断。 』
152 :
考える名無しさん :2009/07/15(水) 12:17:02 O
矛盾ってよくいわれてるけど何? 概念って意味をわかってんのか? 無より0のほうが君らにはわかりやすいだろうな。 概念には矛盾なんてないよ。
153 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/07/15(水) 12:42:23 0
>>150 「存在とは何か」に対する解は、存在の側からは追えない、または存在するものである限り問えない、と書いてしまえば、それでおしまいになってしまいますから。
「認識とは何か」、としても同じでしょう。
154 :
考える名無しさん :2009/07/15(水) 13:20:12 0
>>152 >概念には矛盾なんてないよ。
そうね。
うつろひだけ。
>>154 例えば、リンゴの数を数えるのにリンゴが無ければ「リンゴは0」とする。
概念を履き違えてる者は「そこに空気がある」という。
つまり、対象があるから0の概念はあくまで成立するわけ。
対象を物理的存在全てに拡げたときに人は混乱しがちであるが、実はリンゴの例となんら変わりない。
無であると解釈しろということ。
概念以上にそういった状態が果たして存在するのか?
それは存在の言葉の定義に迫らなくてはならない。
物質的、エネルギー的、イメージ的。
存在はこれらのいずれかに当てはまるはずだ。
概念はまさにイメージに当てはまるわけだが、次にこれを物質やエネルギーに置き換えることは可能か?となる。
イメージの正体は電気信号であると解釈するならばエネルギーとして存在するが、正体はイメージの出元であってイメージそのものではない。
だが、これも解釈次第ということ。
言葉の限界に触れた事例でもある。
カレンに散ってみせましょう。
この世には 「有」も 「無」も 存在しちゃいないさ。
158 :
考える名無しさん :2009/07/15(水) 22:09:13 0
>157 じゃあ何が存在しているの?
昔きたろうが「ぞんざいな存在」って言ってたな
認識できる物が存在する 認識できない物は存在していない
いや、その表現だと微妙になるよ。
カント的にいうのであれば、
全ての認識は経験と共にはじまるが、全ての認識が経験から生じるわけではない。
>>123 >>存在とは認識可能な区別されたある部分である。
つくづく上手い表現だなぁと思う。
162 :
考える名無しさん :2009/07/16(木) 10:56:40 0
>161 >存在とは認識可能な区別されたある部分である。 = (存在)⊆(全集合:認識可能な部分と認識不能な部分) で、(認識不能な部分)を、どのようにしたら存在に含められるの?
163 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/07/16(木) 12:23:43 0
>>161 >>存在とは認識可能な区別されたある部分である。
認識不能な部分があるとして、それはどこに逝ってしまうのですか?
>>162 >>163 記述者です。ありがとうございます。ラビさまがた。。
私はこのように思います。
以下
であります。
165 :
器械的唯物論者 :2009/07/16(木) 13:04:26 0
>>163 >認識不能な部分があるとして、それはどこに逝ってしまうのですか?
ホモサピエンスの突然変異を待つしかありません。
本日は脳内錯乱のため入院させていただきます。
166 :
考える名無しさん :2009/07/16(木) 23:38:31 0
167 :
考える名無しさん :2009/07/17(金) 22:20:08 0
そうなのか
168 :
考える名無しさん :2009/07/17(金) 23:04:51 0
>本日は脳内錯乱のため入院させていただきます。 奇怪氏乙
おもしろうそうだが、残念だな 今晩はタバコが切れた タバコがないとダメなんだわ
>>157 この世には「矛盾」しか存在していない。
>>170 有も無も無くて矛盾だけ存在するのか?
ぶぁかか、お前は
172 :
考える名無しさん :2009/07/18(土) 16:19:13 0
矛盾とは有と無が同時に同一空間に存在することである。
173 :
考える名無しさん :2009/07/18(土) 16:41:30 0
mgo楽しいよ
174 :
考える名無しさん :2009/07/18(土) 18:57:32 0
矛盾(むじゅん、矛楯)とは、あることを一方では肯定し、同時に他方では否定するなど論理の辻褄(つじつま)が合わないこと。物事の筋道や道理が合わないこと。
175 :
考える名無しさん :2009/07/18(土) 19:01:43 O
俺は待たんぞ。正直星があるのに
176 :
考える名無しさん :2009/07/18(土) 19:29:25 0
星とは?
177 :
考える名無しさん :2009/07/18(土) 19:53:30 O
ひとりでもふたりでもいい。どうせ最後は全部受け入れる。始めだけだ。鎌倉の星。企業の星。殺害から北星はもう決まりだ。以降はわからん。あとはおまえら次第。よく考えろ。冴場りょうの最後。
178 :
考える名無しさん :2009/07/18(土) 20:22:53 0
理屈だけでは限界があるな・・・
>>172 無には空間も存在しない。
それは微視的な無に過ぎない。
>>177 あんた最近よく見かけるけどおもしろいな
今晩はタバコがあるので一考 存在について考える手掛かりとして 非存在とは何か?を考える方向は有益であるでせう
182 :
ナ無し :2009/07/22(水) 16:09:55 0
非存在とは認識していないもの 志村における後であって 電車における優先席であり バファ○ンにおいては半分の優しさ 非存在も無も空も存在する
存在とは、それがそれである事。 それがそれでなくなった時に、前者のそれはそれではなくなり、後者のそれが存在する
存在とは実体の影である 非存在とは実体の映らざる背景である
我ながら天才的なひらめきと詩的表現力にホレボレする こういう天啓はめったにあるもんじゃないw
186 :
考える名無しさん :2009/07/22(水) 22:29:03 0
>存在とは実体の影 実態自体も存在では?
存在とは認識
188 :
考える名無しさん :2009/07/23(木) 03:15:49 O
189 :
(T_T) :2009/07/23(木) 18:16:34 O
(?_?)
>>162-3 >>で、(認識不能な部分)を、どのようにしたら存在に含められるの?
>>認識不能な部分があるとして、それはどこに逝ってしまうのですか?
>>123 >>存在とは認識可能な区別されたある部分である。
この表現って我々の認識できない部分には言及してない表現でしょ。
それはあるともいってないし、ないともいってない。
だからうまいなぁと。
>>188 ワロス
詩人というよりは、奴は数学者じゃねえの? いや、知らんが。
詩は情景や状態の描写に過ぎない。 つまり現状を詠ったもの。 これに考察を加えないと哲学にはならない。
「語りえぬことには沈黙しなければならない」 当たり前で、考察などないだろう。よくわからんが。
何事においても考察は可能。 別に核心にせまらずとも可能性の域であろうとも思いはせることそれ自体に意味があるのだ。
>>186 実体とは不可避知たる実有
有ることと在ることは異なる
というのでどうでしょうか?
2手先くらいは思慮してますが、もちろん詰めてませんので悪しからず
>>196 5手10手先まで読んで、詰めに誘導する状況を作り出し
流れを生むのが本来の天才のやりかた、
線形予測をするのは秀才だが、非線形の領域には無力だってこと。
198 :
スモ :2009/07/27(月) 00:09:21 0
賢い人は詰め路が見えるんでしょうね どれだけ先を読めるかよりも、確かな漸進に誘導できる論者でありたいわ
199 :
考える名無しさん :2009/07/27(月) 00:55:14 0
「存在とは認識可能な区別されたある部分である。」 かぁ。うまい表現なのかなぁ? 認識"不"可能な部分は、なぜ存在と定義できないの? どうして?
200 :
考える名無しさん :2009/07/27(月) 00:56:31 0
「存在とは認識可能な区別されたある部分である。」
を讃美する人は、
>>1 の真意を理解していないのでは?
>>199 経験に関与しない最外殻外だからだと思います。
認識という枠の中のみに有るわけだから 枠の外は無いと言える
というか 認識不可能な部分は文字通り認識不可能であって それが有るか無いかはわからないね だからこそ存在とは何かといわれたときに 認識"可能"な部分 存在とは認識と言う枠の中に有る(もの?
思考の経験における認識の方が、五感や触覚などの肉体的な経験における認識より、より宇宙を捕捉する必然のなかで、 認識可能領域と認識不可能領域の境界は、そのまま、経験に関与する領域と経験に関与しない領域の境界でもあります。 その認識可能領域のなかに、「存在と非存在」は包含されていると思われます。 ですから 「存在とは、認識可能な(領域の)区別された部分(存在)である」 と表現させて頂きました。
205 :
ナ無し :2009/07/27(月) 04:18:00 O
認識できないものわ存在しない
認識した時に存在する
枠の外側もしかり
>>199 認識が存在の最低条件とすれば
認識出来ないものわ存在しない
だれかアンチテーゼを立ててくれないか…
206 :
考える名無しさん :2009/07/27(月) 09:17:36 0
仏教の般若心経では、「空」で総ての現象は実体が無いと言う。存在は 無い。また、さらに仏教の中論では、「非有非無」で存在も無く非存在も無い と言う。いずれも観測・実験で認められない、概念にすぎない。 仏教では、時空は有でもなく無でもなく、思考不能な第3のもの?
207 :
考える名無しさん :2009/07/27(月) 09:28:02 0
グーグル検索:C点による時空論 でも206と同様に考えている。 これも単なる概念に過ぎませんが。
208 :
199 :2009/07/27(月) 12:45:59 0
たとえば、 「霊界」は認識できないですが、「存在しない」といえるのでしょうか? 科学は未熟です。 科学的に認識不可だから「存在しない」としてよいのでしょうか?
209 :
199 :2009/07/27(月) 12:49:59 0
>>1 の真意は、
あなた方の言っている「存在する」「存在しない」全てを包括した存在
のことだと受け取りました。
>>208 科学者は逆に否定はしない。
何故なら結論を出すにはどちらの根拠も不十分だから。
211 :
考える名無しさん :2009/07/27(月) 14:46:27 0
現象世界では、物質は有、非物質は無。つまり、見える物は有で見得ないものは無。 これ以上、深く考えない。 現象世界の本質は、有でも無でもない。仏教に拠れば非有非無?
212 :
考える名無しさん :2009/07/27(月) 15:10:31 0
風は見えないじゃないか。あるだろうが。
213 :
考える名無しさん :2009/07/27(月) 15:19:14 O
雨に降られて
214 :
考える名無しさん :2009/07/27(月) 15:27:25 0
>>1-213 オラオラ、素粒子わかってっぞ 自演してんじゃねーよ 出て来いコラ
おっおっいって踊れよほら!おっおっおっってなーーーーぎゃはははははは!!
おっおっおっーーーーーーぎゃはははははははははははははは!!
おっおっおっ^^ーーーーーーぎゃはははははははははははははは!!
おっおっおっ^^^^ーーーーーーぎゃはははははははははははははは!!
215 :
スモ :2009/07/27(月) 18:18:23 0
>>206 仏教、またはインド哲学はあまりに深すぎて理解できない
ま、さわり程度にしか知らないわけでもあるけれど
今日はタバコを吸いすぎて頭が悪い
認識不可能な部分は 有るか無いかもわからないと 認識できれば存在すると言えるため 風は存在する ただ風を知らない人 そんな人はいないとは思うが、その人にとっては認識という枠の外なので存在しない
217 :
199 :2009/07/27(月) 20:04:36 0
>>216 なるほど。
「認識しないと存在しない」ということですか^^
なんだか量子力学的ですね。
認識する前の非存在も、量子力学的に存在を認めていますが?
どうですか?
218 :
199 :2009/07/27(月) 20:05:49 0
>217の訂正 認識する前の状態も、量子力学的に存在を認めていますが? どうですか?
な
221 :
199 :2009/07/27(月) 20:16:37 0
>>219 「枠の外はあるかないかはわからない」ということは、
「枠の外は存在しない」と断定できないと思いますが?
わからないのだから断定できないでしょう?
自分で書いてて変だったわ 認識の中には存在しない 認識の枠の外はわからない
223 :
199 :2009/07/27(月) 20:37:16 0
>>222 了解です。私もそう思います。
そろそろ
>>1 の回答でもかもすかなぁ・・・
224 :
199 :2009/07/27(月) 20:57:18 0
yappari 泳がせとこう
命題の真理を評価するモデルは つねに、そして必然的にその命題が述べられたシステム以上に大きくなければならない。 ティモシー・リアリー
226 :
考える名無しさん :2009/07/27(月) 22:49:25 O
存在は観測範囲と観測時間に左右される。
227 :
216 :2009/07/28(火) 07:44:55 O
一晩考えたんだけど、どうも自分の考えがしっくりこないというか、何かが違うような気がするんだよなあ
自分の認識でしかみてないからだよ
229 :
216 :2009/07/28(火) 12:35:13 O
おっしゃる通りで
230 :
ナ無し :2009/07/28(火) 12:50:58 0
存在は人が定義したもので、ゆらゆら不安定なものだが 人が誰も認識してないものは、存在するかの議論の対象にも ならない、存在していないと言わざるをえない。 認識できない部分があると認識した時点でそれは存在ではないか? 極論、人が(存在という言葉を理解できるなにかが)存在していなければ すべての存在はなくなるのではないか?
>>230 「我思う故に我あり」は論点がズレてんだよね。
ただ、存在そのものの定義に関わってくるものだとは思うけどさ。
実在とは何か?というほうが掴み易いかもね。
例えば、この宇宙にはダークマターと呼ばれる見えない物質が充満していると言われている。
あるいは異時空なんてものもおそらくは在ると言われている。
こうしたことを考えた場合に、我々にとって異時空は存在しても異時空内に存在する物は、もはや「存在」として我々が関知するところのものではないだろう。
これはイメージにも近い。
232 :
考える名無しさん :2009/07/28(火) 19:48:23 0
mgo2 面白いよ
>>231 >>「我思う故に我あり」は論点がズレてんだよね。
?
234 :
スモ :2009/07/29(水) 23:11:58 0
>>230 人の存在が、すべて(世界)の存在によって保証されるならば
人の不在によって、すべて(世界)の不在が推論されることはない
235 :
考える名無しさん :2009/07/30(木) 00:09:43 0
人じゃなくても、その他の動物でもいいんだよね? 確認だけど、「知的情報処理できる存在」のことを、「人」と言ってるんだよね?
>>217 >「認識しないと存在しない」ということですか^^
>なんだか量子力学的ですね。
哲学の認識論(存在論?知らんけど)と量子力学の観測問題は「全く別問題」です。
シュレディンガーのネコは死んだ時に死んだのであり、蓋を開けた時に死んだ(のが確定した)のではございません。
237 :
考える名無しさん :2009/07/30(木) 02:12:23 0
観測主体にとって宝くじは新聞やニュースを見なければ当たり外れを確定できない。 料理がうまいかどうかも食ってみなければ分からない。
238 :
199 :2009/07/30(木) 18:56:23 0
>>236 どうも。こんばんわ。
認識論と量子論(量子力学)が同じとは一言も言っていませんよ。
似ている所もあるなぁ程度。だから「的」をつけたのです。
「認識しないと存在しない」・・・認識論(的?)
「確認(観測)しないと存在しない」・・・量子論(的?)
似てない?
239 :
スモ :2009/07/30(木) 19:56:10 0
>>235 知的情報処理か、
よく思慮された表現だな
認識(知覚)に限れば、
認めたくないものだな
存在がそのようなファクターで是非されることを
240 :
999 :2009/07/30(木) 23:58:31 0
「存在」とはのう・・・ そのう・・・ 知るのは、君たちにはまだ早いと
241 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 00:16:32 0
万物の存在の前に万物の非在すなわち無があった 無の存在の前に無の非在があった 無の非在とは何か?それが問題だ
242 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 00:21:18 O
言葉で遊ぶな。 言葉はただの道具に過ぎん。
243 :
闇 :2009/07/31(金) 00:27:17 O
西濃って基本的越後じゃんね?あと北宋と沖縄ということはあとコリアン入っておまえじゃん。トラックの青は空の色じゃん。意味合いたい
244 :
999.1 :2009/07/31(金) 00:27:18 0
「存在」とはのう・・・ そのう・・・ 現世で修行して、霊界に戻ってから教えたる
245 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 00:28:23 0
人間が無について考えるときこの宇宙に無が存在しているといえるのか?
246 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 00:30:15 0
哲学は遊びだろ
247 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 00:33:47 0
存在があるからわれわれはそれを知覚するのか? 我々が知覚するから宇宙は存在しているのか?
248 :
999.2 :2009/07/31(金) 00:49:12 0
それはのう・・・
>>1 の質問自体がこた・・・
ゴホゴホ
こんな時間か、
>>247 人類の歴史はたかだか知れてる。
宇宙の歴史は137億年。
どちらが先かわかるだろ?
「存在」って哲学の問題ではないだろう 物理板へ行け
251 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 12:29:15 0
>>250 視野が狭すぎる。
物理でも哲学でもいいんじゃない?
ちなみに漏れは、物理専門、哲学趣味。
まあ、学問はほとんどやったけど
>>250 プラトン、アリストテレスからまずはじめろ
253 :
251 :2009/07/31(金) 12:37:07 0
結局、現在の科学分野は、観測結果や現象をありのまま報告しているだけ。
その意味までは、言及していないのだよ。
だから、
>>1 の質問は究極。
宇宙そのものであるわれわれは、まだ自我が芽生えていない段階だ。 ようやく芽生える気配を見せ始めたところだが、 そこのところは如何せんリズム変更先が宇宙のリズムであるからもどかしく感じるだろう。 進もう。
255 :
考える名無しさん :2009/07/31(金) 20:35:38 0
>リズム変更先が宇宙のリズム とは、どういうことですか? 教えて君でスマン
あんまりしょうもないオカルト話は控えて頂きたい。
257 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 00:36:24 0
>>256 もしかして科学信者か?
漏れにとっては科学もオカルト
世界すべてもオカルト
>>255 実は今の私には(も)よくわかりません。
>>257 オカルトの対義語に科学をもってくるあたり、
もしかして科学オンチ?世界が君の認識に集約されないように、科学も学科に集約されないよ。
信者という言葉も軽率に使いすぎ。戯れ言は友人とだけ交わしなさい本当にありがとうございましたとおくにいってもきみのことわすれません
260 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 02:48:37 0
>>259 まぁまぁ、ここのスレでは、常識を超えないといけませんよ。
天才以上のレベルの人が集まるべきところだから。
常識だけを考えてはいけません。
「重力の正体が、時空の歪み」なんかは、物理学者には常識だが、
一般人には(特に昔の人)は、意味が全くわからないでしょう。
一般人レベルの常識は通用しないと考えて下さい。
>>260 ブラックホールはいろんな物質を莫大な量吸い込んで
圧縮しているとすると、圧縮したときに発する光や熱は
どこに行くのでしょうか。
熱は粒子の振動なのである程度熱い粒子が
飛び出しても良さそうですが。
そういえば1Gと100Gの温度の上昇率
というか熱伝導率にも違いが出るんですかね。
予測では重力が大きいほど分子や原子が振動しにくく温度も低いとなってしまいますね。あれれ?
一般人でした。
>>250 賛成だね。
「存在」って言葉にとらわれていたから、
哲学がダメになったと思うね。
はやりすたりがあるかもわからんが、 哲学とは存在への疑い、 疑いのリレーではないのかね?
264 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 09:47:57 O
グノーシス主義と科学の親和性。
>>262 確かに。
「存在」と「神」で成功した哲学はない。
266 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 12:17:41 0
哲学は良いけど解き明かされた科学知識くらい踏まえて語らないとな。 存在なら素粒子物理学のさわりくらいは知ってないと。 無知を晒すまいとポエムみたいなのに逃げるのは本当の哲学じゃないからそういうのはポエム板でやるといいよ。
269 :
考える名無しさん :2009/08/01(土) 18:14:46 0
>>269 ポエムの邪魔は悪いが私は事実を述べたまでだ。
存在と言葉は表裏一体
言葉は存在する。
274 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 15:43:45 0
哲学や物理や心理でも何でもいいんじゃない? 説明できれば。 英語やフランス語のように、言語が違うだけだよ。
275 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 16:06:55 0
>>268 まことに残念ながら中2病のスレです。
理由はあまり言わないようにしますが、ひとつあげると、
「現象を自己解釈しただけであり、解釈によりどうとでも意味がとれる」
かな。
276 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 22:11:32 0
自分の死後、誰がこの世界の存在を証明するのか
277 :
考える名無しさん :2009/08/02(日) 22:14:48 0
現世だけが全てではない ということかと
278 :
スモ :2009/08/02(日) 23:16:58 0
ポエムは言葉による明示ではなく 言葉によって開示するという意味で 説明する方法論が他と異なるのです
言葉が多く語られるほどイメージが限定されるということだろうが、 詩人は読み手に少なからずミラクルを期待してるわけだよ。 拡大解釈により賛辞を承けるというミラクルだよ。
280 :
スモ :2009/08/03(月) 23:04:10 0
>言葉が多く語られるほどイメージが限定される 開示とはそういう誤解を招く表現ではあったが 278で言いたかったことはそういうことではない 言葉で表現される「こと」ではなく 「言葉が表現してること」に説明を求める、という意味である (顕示という表現のほうが適切だったようにも思う) ただ、この説明も十分でないと感じてる むしろ、普通の詩的表現という以上のことに想定が及んでいる 対象は、言葉の矢印によっては示しえない 言葉の束によっても同じである(限定されるとは拡定されると同義である) 言葉が道具以上であるならば 言葉の表現する内質によって、対象を示しうるのである それは言葉の語りえない彼岸において、語っていることを意味されるのである
281 :
考える名無しさん :2009/08/04(火) 00:03:36 0
282 :
スモ :2009/08/04(火) 00:15:14 0
言葉の力を信条にしてるってな表明だな、結局w 態度としては哲学じゃねーな
283 :
考える名無しさん :2009/08/04(火) 00:16:09 O
やくま
>>280 いわゆる言魂みたいなものを言っているのかな?
あるいは、国語辞書で書ききれないニュアンス的なもの?
285 :
スモ :2009/08/04(火) 23:40:34 0
とりあえず、280は出来の悪い代物で却下したいなw 六面キューブの一面を揃えるために、 言葉の他の側面を無視していいわけじゃない とてもじゃないが、具体的整合性の調築される説明ではない 言葉の可能性についての考察は、よく煮詰まっていないのが正直なところ 意図してる焦点であった「言葉の内質」についてはもっとよく考えてみる ただ、単純なイデア的照応を推察してるわけではないとだけ注釈しとく スレチなので次の方どうぞ
>>1 存在とは均衡化に伴う不均衡状態の事(若しくはその差異)の事だよ。
つまり何かが存在するって事は、偏っているということ。
全ての存在は偏っているから、均衡を求めて変化してる。
まぁエネルギーって言っても良いかも知れないけど、エネルギー以外も含まれると思う。
287 :
考える名無しさん :2009/08/05(水) 20:29:55 0
>286 存在にマクロ経済みたいな均衡点などみいだせっこないって。
288 :
考える名無しさん :2009/08/05(水) 23:03:30 0
存在てのは「風雅のまこと」のことだろ。
289 :
考える名無しさん :2009/08/07(金) 00:08:36 0
こんばんは、風雅誠です。
290 :
無真 :2009/08/09(日) 16:17:16 0
物理や、数学や、哲学などの言語・・・なんでもいいですが、
私が
>>1 の回答によく使うキーワードは、
「存在意志」や「無」や「」
です。
291 :
考える名無しさん :2009/08/10(月) 01:43:01 0
大学で形而上学 学ぼうかな?
292 :
考える名無しさん :2009/08/10(月) 17:57:56 0
意識だけ抜粋して見るということではなかろうか。 おそらく、意識の正体が物質的に作られるものであろうと物質的側面から存在をとらえない考えだ。 仏教的でもある。
294 :
考える名無しさん :2009/08/11(火) 22:37:27 0
大学で「哲学」学ぼうと思うのですが、 みなさんどう思いますか? (自分で決めろとかはなしで・・・)
存在とは自覚する視点。 つまり自分。
それはない。 人間と一部の猿くらいが自我があるだけ。 つまり、その他の生物は存在にはならんことを言っているわけだ。 そんなことはあるはずもない。
>>297 意味不明だが、チンパンジーも鏡に映った自分の姿を初めは理解出来ないが、じきにそれが自分であることに気づく。
自我があるとは自分が唯一無二な存在と自覚出来る能力と言ってよい。
299 :
考える名無しさん :2009/08/13(木) 22:28:23 0
自我とは一体何なのだろうか。 これさえもわからない。
ああ、それは悪くない疑問だよ。 自分の存在を自覚するとはいえどこまでを自覚と呼べるのかということではなかろうか? 例えば蟻だが、彼らの行動はある種、本能に統制されたいわゆる自我があるものには程遠いようにも感じられる。 しかしながら、時には蟻同士で争ったり、棒でツツけば危険を察知し回避行動にでる。 争いには怒りが、危険回避には自己を慈しむ心があるように思えてならない。 こういった心は自我には結びつかないのであろうか?
301 :
考える名無しさん :2009/08/14(金) 14:46:13 0
>>301 自我をうまくは説明出来ないけど「わがまま」とかはその表れでしょうな。
でも「わがまま」には本能はもちろん、後天的学習も関わってくる。
本能的行動と学習的行動とを区別出来なければ本質の「自我」を見極めることは出来ない。
「自我」という言葉が生まれたときにそこまでそれらについて深い知識があったとも思えない。
他とは違う継続的意識を持つ主体的存在として認識されるもの
言い直し。 他とは違う継続的意識を持つ主体として認識されるもの
305 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 20:14:59 0
「意識」とは、私が思うに、空間みたいな存在だと思います。 それは、濃度が低いところと濃いところがあり、 濃いところは、高度な知的生命体として現れる。
306 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 20:24:35 O
そうだよ。待つしかない。
307 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 20:31:41 0
存在とは、時間性だよ。。
308 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 20:35:36 O
おれは森には戻らんぞ。そもそもにおいていくみだ。いくみなんてまったく知らんのに四国だ。
309 :
哲学不足 :2009/08/15(土) 20:38:07 O
存在とはという疑問には「何にとって何がどういう存在なのか?」という設定がないと 自己認識している一人の人間としての自分の存在か 他人から認識されている自分の存在か
こんなことだったらよう?森んなか帰ってきてたやつが北陽のあぶちゃん好きでそのまえに彼氏になる竹呼っつう背丈ある男がいたのにあぶちゃんがいいってなった。森に戻ったのは竹呼が呼び寄せたんじゃねーのかよ?
311 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 21:16:10 0
我々の行動はひどく動物的だと思う。
312 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 21:18:56 O
だって動物だもの
313 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 21:20:18 0
にんげんだもの
314 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 21:54:31 0
視野が狭い。 人間とか動物とか、微視的視点のみで考えていてはだめだと思います。 人間以外の物質にも意識が存在するかもしれませんよ。
315 :
考える名無しさん :2009/08/15(土) 21:57:04 0
>>309 その内容を含めた、「存在」自体が何なのかを
>>1 は問うていると思います。
意識を相対的、絶対的に考えるのは当然ですが。
316 :
考える名無しさん :2009/08/16(日) 00:04:15 0
おまいら、とりあえずハイデガーの「存在と時間」を3回くらい読み返して、出直せw アフォ
317 :
考える名無しさん :2009/08/16(日) 00:31:35 O
318 :
考える名無しさん :2009/08/16(日) 03:19:31 0
319 :
考える名無しさん :2009/08/16(日) 06:26:30 0
一寸気分転換にどうでしょうか? 仏教はどうでしょう。このチャンネルの「仏教全般」67以降に書いてあります。 般若心経、中論、華厳経など仏教のハイライトを非有非無の「C点」と言う立場から 試論しております。存在についての仏教の見解が、西洋哲学とは別の視座より 論じてあります。 仏教は勿論科学では有りません。概念の世界ですが、思考の限界に挑戦しております。
石ころよ! ゴミでもいいけど。
「存在」とは、「どうでもいいこと」だよ。
322 :
考える名無しさん :2009/08/16(日) 15:54:58 0
脳たりんは、どうでもいいと思ってしまうのかなぁ。動物的ではあるけど。
何かがあること、またはあるもの。 実体と属性とに分かれ、前者は基体・本体のようにそれ自体で独立にあるが、 後者は前者に付帯して依存的にある。また、実体には自然的・物的なものと、 意識的なもの、さらに超自然的で非感覚的なものとがある。
324 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 21:13:53 0
「存在」はあると仮定して、 なぜ ある のだろう。
325 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 22:30:50 O
言葉
326 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 22:48:46 0
↑言葉・・・・(・ω・)?
>>324 五感と五官による情報を脳が記憶でき、生きていれば確認できるから。
328 :
考える名無しさん :2009/08/18(火) 01:00:54 0
>>324 では、「存在」はなんのために ある のですか?
329 :
考える名無しさん :2009/08/18(火) 01:01:13 0
↑ミス
>>327 では、「存在」はなんのために ある のですか?
存在=認識 でFAだろ 宇宙の外なんか無い(把握できない)し それ以上考えても無意味
存在がそもそも幻影の可能性は無くもない。 しかし、人間が定義する「存在」が幻影であろうが無かろうが存在そのものなのである。 例えば、目で見ることの出来ない物質がこの空間に充満しているとする。 それらに色付けして可視なものに変換したところで我々の生活にはさほどの変化はなかろう。 元々見えないものは存在として扱ってないわけだ。 それを見て、はしゃぐのは一部の物理学者くらいだろうさ。
>>329 「存在」はなんかのためか?、と言った意図的な理由のためにあるのではなく、
物理的反応の延長線上に、現在人間が存在として、認識しているだけ。
人間が意図や意味に興味を持つのは当たり前のことかもしれない。 この世が法則に支配されていることに気づいてそれを解明することに喜びを感じているからだ。 要するに全てはパターンの範疇にあるから解明が不可能なわけが無いという考えだ。 科学の発展がそれである。
>要するに全てはパターンの範疇にあるから解明が不可能なわけが無いという考えだ 全てがパターンであると思い込みするのが科学の限界ってことな。
科学は実証不可能な現象について 理論的に正しい仮説を立てたとしても、 「実証不能だから」 という理由で理論的な正しさを覆す術を持てない。 科学より、理論の方が蓋然性が高い事はしばしばある。
科学は単なる実証であり、最も大切な正当性を図るには不適切な手段。 科学的に正しいと実証された、その正確さは、 人道的、倫理的、真理として正しい証拠には成り得ない。
だからといって、スピリチュアルのような、状況証拠すらない想像の域の「お話」には 当然理論的な正しさは伴わないため科学同様、人道的・倫理的・真理的正確さを はかる術にはならない。
最近のスピリチュアルも科学をネタに信頼性を得ようと必死だったり…。 根拠と論理がもはや絶対なわけ。 その最たるものが科学なわけだ。
実証でしか証明できない科学より、根拠と論理で理解する理論は、 実証できない類の事象にも通用する科学以上の最たる手段だと思う。
「論理=数学」 なのだが。
>>340 論理を数値化して数式で表現するのが数学
論理は思考の形式・法則
また、思考の法則的なつながり。
実際に行われている推理の仕方。
論証のすじみち。
論理=思考の形式、つながりで間違いない。 がしかし、経験や統計、数値、確率などから結論が導かれる。 いわゆる、論拠というものである。 形式だけでは成り立たないわけだ。
数学化しなければ、論理ではないよ。 「裁判の論理」も論理というならば、なんでも論理だが。
>>342 論拠の内容が論証のすじみち。
論理の形式は演繹法や帰納法などの理論であり、
数学の形式は方程式。
数学は方程式を記しても、数値を与えなければ答えは出ないが
理論も論理を使わなければ成り立たない
数学の論理は方程式である。
数学=論理ではない。
>>343 それをいうなら、数学化できるのは論理のお陰だ。
>>344 俺の論理は「演繹的論理」、
君の論理は「帰納的論理」
だな。
これでいい?
346 :
344 :2009/08/20(木) 12:08:24 0
君
>>343 ?
「数学化しなければ、論理ではないよ」が演繹法的
「数学化できるのは論理のお陰だ」が帰納法的
表現するのは論理的に間違っていないと思うよ。
こちらとしては、
>>340 の数学は論理だという意見への
反論が主だけどな。
ヨコからだけど、
「(数学でない)哲学には演繹などない」
には同意だな。
>>340 はこのことが言いたいのでは。
>>347 > 「(数学でない)哲学には演繹などない」
これ自体意味が理解できないんだけど。
哲学史のなかで、今までに誰もが納得する「演繹」が使われたことがあるかい? ないだろう。 「我思う。故に我あり。」だって今では糞みそだからね。 ひとつでも例を挙げてくれたら、謝るよ。
>>349 そういう意味か、謝る必要などないですよ。
同意です。
無い知識で語るけど。 人間的解釈で存在を言い表すとするなら、 まず自分が目で見えるという事で対象のモノは、 他の存在に認識された事になる。 俺達人間は幽霊でも無ければ幻でもない。 物質。そして考えるという行為を知っている。 物質を持つ事を肉体とするならば、 考えるという行為が出来ている人間は存在として有るんじゃないかな。 そもそも存在は何?ってのは自分が他を認識出来るのか出来ないか。 自分が自分を意識できているか出来てないか。じゃないかな。 自分が目も鼻も耳も物の感触を感じ取る事すら出来ない状態で生を受けたならば、 他人を認識は出来ないだろうね、けれど、考える力が残っていたならば、 その事を考えているという時点で自分は存在としてあり続けている、と解釈してもいいかな。 なんていうか、文や言葉に出来ないけど。俺はそう確信できるんだ。 何かを自身が行った時点でその物体は存在していると。 結局人間的目線でしか解釈してないからよく解らんけど。 俺はこう考えてる。なんか意味不明な文だけどさ。 まだ人生経験浅い俺が言うのもなんだけど。 どうなのかな。っつうか自分の考えを文に出来るだけの技術が欲しいよ。ホント。
352 :
無真 :2009/08/21(金) 00:32:51 0
お久しぶりです。スレ主からお願いです。
>>1 は究極的な形而上の質問ですよ。
みなさん”形而下”の話ばかり!
形而のことや、質問の意味のわからない人は、退出願います。
>>352 模範回答示してみなさい。
評価するから。
>>352 因みに無真さんのお眼鏡にかなっているレスなんてあるの?
あるなら、アンカどれ?それによって、あなたのレベルもわかるし
退出すべき人もわかるし丁度いいんじゃないの?
355 :
考える名無しさん :2009/08/21(金) 01:18:08 0
存在とは、質量だよ。認識可、不可問わずにすべてのエネルギーを含む。ダークマターもそれだ。 物理的、形而上的、自然的、宗教的、倫理的、時空的、すべての「質量」だ。
356 :
考える名無しさん :2009/08/21(金) 03:21:29 0
どこか、うやむやとした感覚。例えば、あるものを見たとき。全く別のもの連想する感覚。 コップを見て、天秤を連想する感覚。ふっと、よぎる既視感。
数量化できない概念を数量化しようってのがナンセンス 幸福とは何?と言ってるようなもんだ
>>357 数量化しようとしてるわけ?そりゃナンセンスだ。
……きっと人間には一生わからない問題だろう。
科学的に証明される事はないだろうから 納得できれば(逆に言えばそこが、その人の認識の限界)吉なわけで、 この問いには、理解しようとする人間性に価値があるのだよ。
>>361 無宗教だけど、創価とどういう関係があると思ったの?
記憶だけですが、 池田先生も同じようなことを 書いていたようなので。
存在を存在とすべきは存在ではない みたいなトートロジーの領域だな
存在=想像 想像=無限 無限=無 ∴存在=無
↑前提で既に失格
「存在」が哲学のテーマでない と言った哲学者は誰だっけ?
369 :
考える名無しさん :2009/08/24(月) 08:18:05 0
存在=意識 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜終 了〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
意識を持たない石ころは存在していないのかよw
371 :
考える名無しさん :2009/08/24(月) 20:29:30 O
どうせ世の中幻影って話だろう。 すると幻影を見せられてる意味とはなんだって話になる。
結論、無生物が真で生物が偽
>>372 よくわからないなあ。
たとえば、主体である自分が作り出した幻影であろうと主体に反作用して返ってくるといった具合かな?
生物は生きて死ぬまでの時間、肉体は物質を摂取し、主体は感化されクオリアとして共感する コミュ能力がなければ、肉体も主体も生存できない。 そういう作用が、万象の部分的な作用として必然だからって意味。
376 :
考える名無しさん :2009/08/27(木) 16:38:13 0
377 :
考える名無しさん :2009/08/27(木) 19:54:29 0
存在=意識 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜終 了〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
378 :
考える名無しさん :2009/08/27(木) 22:31:54 0
空間と存在は同義語でしょうか?
379 :
考える名無しさん :2009/08/27(木) 22:51:39 O
存在とは何か? 答、 そもそもそのような問自体成立しない。 ソクラテス的誤謬に陥っている。 これでおk?
却下
381 :
考える名無しさん :2009/08/27(木) 23:18:17 O
なぜ!?
382 :
正十郎 :2009/08/27(木) 23:19:53 O
人間とは考える者 考えるとは何か人間とは一人一人では浅はかな為 皆による知恵を出し合い 皆の世を創る事 考える事が出来ないならば 何者であろうと動物であろうと苦しみはあるが悩みはない 考えない 人間の生きるとは考える事だ 全ての中で 最も万能の力だ
383 :
正十郎 :2009/08/27(木) 23:27:58 O
存在とは言葉だ 物事を把握する際に 一つ一つ処理する者は 問題も答えも理解に時間がかかる 複雑に考える者は出遅れる者だ 一つ一つは全て繋がる為に 存在という事象に答えを求めるのは新たな疑問を生む 分別が細かいと要らない悩みを抱える
384 :
考える名無しさん :2009/08/27(木) 23:28:58 0
ワロスよお前wwwww
そうおもいたい。理屈で考えるとは、
386 :
考える名無しさん :2009/08/27(木) 23:36:18 0
怒りながら箱庭眺めてろよ 誰も文句いわねーよ 誰もいじっちゃいねーwwwww
387 :
考える名無しさん :2009/08/27(木) 23:39:37 0
正十労カッケーwww
388 :
考える名無しさん :2009/08/27(木) 23:46:31 O
で、ソクラテス的誤謬はどうなった? ソクラテス的誤謬ってのは次の話からきた言葉だよ。 「知識とは何か」 「〜というとき、それは知識だと思います。」 「私が知りたいのはそのような具体的な話ではない。…、つまり、知識それ自体とは何かということなのだよ」 ここでソクラテスが知りたかったのは知識という語の明示的な定義だ。しかし、語は明示的定義が可能とは限らないし、具体的な使用例の説明や、他の言葉での言い換え(それが最終的に循環を招くとしても!)で十分なときも多いのである。 だから、明示的定義の存在を前提としたソクラテスのような問は、誤謬に陥っている可能性がある。
389 :
正十郎 :2009/08/27(木) 23:54:13 O
知識とは人間の為にある とうぜんだろう考える事が出来るのは人間だけだからだ その様な判断は人間にしか出来ない 知識はどこに向かえば? 人間の未来に向かう今だ
390 :
正十郎 :2009/08/28(金) 00:00:07 O
知識や知恵や考える事を分けて考えるから答えはでない 哲学や経済や政治 全て人間だけのモノだ 分けて考えれば答えは出ない これら全てを以て人間だからだ 人間を前提にしなければ答えなどでるはずがない
>>389 考えるのは人だけじゃないよ。
クリエイトという単語を意味として理解している動物が人間だけと
思い込むのは無知ってもんさ。
教えなくても鏡に写った自分を自分だと理解する能力がある動物が
いることぐらいしっておけよ。
そして知識は考えることではない、メタ記憶として記憶しただけに
すぎない。
人間の未来は閉じるべき固定(確定、明確化)することなのか?
漏れは違うとおもうぞ、開かれた未来、常に変革し移り行き
漂う意味として扱うべきだ。それは動的に不完全として未来へ繋がる
ってこと。完全を求める人智は、不完全を作った神には及ばないだろうけどな。
392 :
正十郎 :2009/08/28(金) 00:16:44 O
人間が特別じゃないなら 文明など存在しない 人間の存在意義がない 動物が鏡に映った自分を理解したところで思い悩んだりはしない ただ本能の性によるモノだ 人間も性を脱しない為に悩む 思い悩むとは知恵に非ず
キリスト教の方ですか? なんにしても自らの種の優位性を誇示したいがために 物事を客観的に捕らえられなくなるなど、愚の骨頂ですね。
394 :
考える名無しさん :2009/08/28(金) 00:31:04 O
考えると動物の性である足掻くを混同しているのだろう 人間も動物の一種とする事は 文明も協力も 放棄する事だ その様な判断もしなくて良いという事だ なぜ考えるのか?が答だ
>人間が特別じゃないなら まだ猿の域の思考から抜け出せないのですね。残念だ
猿にかつてないぐらいに我慢強く人間並みの教育をしたらどこまでいくか? 七歳児くらいいくと思うんだよね。
今月号の思想の『存在の呪縛』、面白い。
>>1 まだ居たら立ち読みでもなんでも読んでみ。
398 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 23:21:02 0
399 :
考える名無しさん :2009/08/29(土) 23:51:40 0
400 :
考える名無しさん :2009/08/30(日) 01:00:28 0
03て!! 9年越しですかい。 熱心だなぁ。 死後も考えるつもりらしいし。
401 :
考える名無しさん :2009/08/30(日) 01:07:42 0
>>400 そもそも死後の世界ってあるんですかねぇ?
>>401 主体を含む系の中心の主体が消滅し、本体なき他の主体系に依存する
架空の主体系が幻想のように機能するときに、それを死後の世界と呼ぶ。
物事は主体の固体だけで機能しているのではなく、主体とその周囲の
関係によって意味が生まれている、それが世界ってこと。
403 :
考える名無しさん :2009/08/30(日) 01:19:41 0
404 :
考える名無しさん :2009/08/30(日) 01:22:13 0
「思考」が脳でするものである以上、死後の世界はありえないんじゃない? 存在ってのは認識だと思う。視覚に限らず存在は認識されて始めて存在する もちろん認識してなくてもそこに者は在る。でもそれを認識してない人にとってその存在は認められない。
405 :
考える名無しさん :2009/08/30(日) 01:45:27 0
シゴノセカイ。 死後の世界。 死後の世界は、確かにある。 なぜなら、わたしがいま、”死後の世界”と言ったから。 わたしがいま、”死後の世界”と思ったから。 そして、確かにあるが、それは”わたし”に於いてである。
406 :
考える名無しさん :2009/08/30(日) 02:04:30 0
世界ってのは”わたし”の「認識」によって成り立つ ならば「死後の世界」も認識すれば、あると思えば存在するだろう しかし、実際死んだ後にその世界にいけるかどうかは生きている者には決して理解し得ない そもそも死んだ「後」があるかどうかも分からないのだから
いや 世界は少なくとも『私』と『それ以外』の認識で成り立ってる
省きましたが認識の対象となる『それ以外』は当然必要ですね もっと言えば「私の精神」と「それ以外」
僕の政権選択 無意識の内に熟考の末に候補者名を書いていた しかしそこに紙は無かった これは軽犯罪法違反になりマスカット? 僕は空から降ってきたので この街のことがよく分からないのDestiny's Child 存在してるぅ?いっぱい存在しようぜぇ!もっと存在しよう? オレこのCM嫌い 笑顔がおかしい 特に品だしし照男 T E R U O てるお! マグメッチャオ マグメッチャオ こんな僕に哲学のつの字から優しく教えてくれる辛いい処女はいませんかや? 僕 いっぱい勉強するよ ちっとも勉強する でも口はξです アジズアベバ
411 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 20:05:27 0
412 :
考える名無しさん :2009/08/30(日) 22:00:17 0
>>411 わかっていることを丁寧に書いてる人に失礼だろ
414 :
考える名無しさん :2009/08/31(月) 19:19:35 0
すまなかった。 代わりに謝っときあんす。
416 :
考える名無しさん :2009/09/08(火) 19:06:29 0
.. 、___________ 、> .| >________ .|  ̄ .|./_ _\ | | | / ヽ/ ヽ | | . | | ・ | ・ | V⌒i _ |.\ 人__ノ 6 | \ ̄ ○ / . \ 厂 / _____/  ̄ ̄, -/へ/\/`- 、 /./ ./o i. \ ∧ / ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 昼飯のスパゲティナポリタンを眺めながら、積年の疑問を考えていた。 | それは「なぜナポリタンは赤いのだろうか」という問いである。 | 簡単に見えて、奥の深い問題だ。 | 「赤いから赤いのだ」などとトートロジーを並べて悦に入る浅薄な人間もいるが、 | それは思考停止に他ならず、知性の敗北以外なにものでもない。 | 「赤方偏移」という現象がある。 | 宇宙空間において、地球から高速に遠ざかる天体ほどドップラー効果により、 | そのスペクトル線が赤色の方に遷移するという現象である。 | つまり、本来のナポリタンが何色であろうとも、ナポリタンが我々から | 高速で遠ざかっているとすれば、毒々しく赤く見えるはずなのだ。 | 目の前のナポリタンは高速で動いているか否か? | それはナポリタンの反対側に回ってみることでわかる。 | 運動の逆方向から観察することで、スペクトルは青方遷移し、 | 青く見えるはずなのだ。 | 逆に回ってみたところ、ナポリタンは赤かった。 | よってこのナポリタンは高速移動をしていないと言える。
417 :
考える名無しさん :2009/09/18(金) 20:25:14 0
死後の世界なんて無いよ そもそも死すら経験しない
この世すら存在しない 全ては 『キゴウノハイレツユエニ∞通り」だ コレに勝る英知は∞通りだ
419 :
考える名無しさん :2009/09/18(金) 20:39:27 O
頭悪そうにみえるから断定形で語るな
誰の為にもなれない歪
421 :
考える名無しさん :2009/09/18(金) 22:17:45 0
色即是空
422 :
考える名無しさん :2009/09/19(土) 12:20:44 0
存在とは断定形だ!!
存在っていう言葉自体人間が作ったものだろ? じゃあ人間の考える存在が存在なんじゃないのか
人間が言うところの存在とは物質だけにとどまらなくなって来てるからな。 素粒子物理学的には。
物理学を持ち出すまでもなく 物質である我々が思考していること自体が謎だろ
tes
428 :
考える名無しさん :2009/10/13(火) 21:36:38 0
>>425 その通りだと思います。
デカルトは推考の後、「我、思考す。故に我、あり。」のテーゼを築き、
最終的にその延長として「神」の存在を証明したが、
肝心の「思考」自体の本質を解いていない以上、「神」の証明は意味の無いものである。
429 :
寂 :2009/10/13(火) 21:47:46 0
>>425 >>428 そこでジェダイの教えだ
「物質という感覚の存在」これ。
要は
精神=感情・思考・痛み・快楽・苦痛などの集合
物質=重い・硬い・黒いなどの集合
ですぞ?
物質と精神を区別するから貴公らのような謎を産む。
正確には
「物質と精神、という“感覚”同士が
関連して変化してるので、あたかも、片方から片方が発生してるように感じる」
だけ。要は太陽の黒点の数の変化と
アフリカの動物の数が変化するのを見て、
「関連してるだけと考えるか、片方が片方を産んだと考えるか、
科学的には前者でしょう」という話ですよ
実際、俺に意識なんざねーし
「我 記号の配列故に、我、∞通り」だし。
あと
「謎という感覚の存在」「理解という感覚の存在」「正確だという感覚の存在」
など、貴公らが記述してるのも感覚の一種。OK?
430 :
428 :2009/10/13(火) 21:50:02 0
半分誤爆だった。
431 :
考える名無しさん :2009/10/13(火) 22:10:11 0
とりあえず確認できる存在は認識だよね。 私をさらに小さくしたもの、生まれた時から常に継起的に続く意識が 唯一存在してるといえる。 いやそれすらも怪しいんだけどさ。 んで、まあ認識という存在は確かだとして その認識という存在が他の存在を認識してるわけだろ。 ということは認識と言う存在で全ての存在を語れるんじゃないかな。 ただの懐疑論ぽくなってきたけどさ。
いや、まだまだ科学では確認は出来てないけど存在するのではないかって言われてるものがたくさんあるからな。 例えば、ダークマターであるとか、ホワイトホールであるとかな。 存在が推測されているならともかく、推測すらされてないものだってあると考えて当然だろう。 存在なんてもんはいつまで経っても確定しようがないんだよ。
433 :
考える名無しさん :2009/10/14(水) 00:36:06 O
ルパーン
434 :
考える名無しさん :2009/10/14(水) 01:24:54 0
このスレは「何が存在するか」ではなく「存在とは何か」だろう? “存在”を論じる…、こう言ってもいい。それは認識(意識)とそれに相関する 存在者を包括的に言表することである。 さぁ、続けよう。w
我々が通常に考える「存在」について改めて整理することは重要である。
>>【存在とは何?】 >> この究極で、根源的で最終的な問い (笑) 疑問文には、言っている本人が意味を理解している疑問文と、 理解していない疑問文との2種類あります。 世の中のほとんどの疑問文は前者だけど(例:山田さんの住所どこ?) 哲学の場合はたいてい後者だよね。
437 :
考える名無しさん :2009/10/14(水) 12:21:46 0
>>436 いやいや、たいしてかわらない。w
それは「山田さんの住んでいるところは、どこに≪ある≫の」という問いだろう?
この場合、山田さんが≪ある≫とは? 住んでいるところが≪ある≫とは?という
根源的なw問いを一旦、棚上げしているから、質問の意味がわかったような気分に
なれるのである。この言表全体の根底≪ある≫は謎のまま残されている。
そこを等閑にふすことが日常のコミュニケーションのコツである。
根源的な問いに答えない理由がわかるはずもないってことならば必死にその理由を探ってるほうが実はアホかもな。
在ってつじつまが合う物は存在するのだと思う。 逆に、つじつまが合わないものは存在しない。 と考えてみた。
440 :
428 :2009/10/14(水) 23:45:10 0
つじつまが「合う」もしくは「合わない」という「関係」において「存在する」ことになる。 「存在とは何?」という「問い」が 「『ある(=存在する)』という状況(=存在)」によって初めて「問える」。 ある意味、紀元前より回答が出ており、それ以降は進展していないと言っても過言ではないと思う。 物質的、感覚的、精神的な事象すべてを統合して 「『ない』 は ない。 『ある』 は ある。」
441 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 00:06:27 0
>>440 それはトートロジー。
それでいいのなら、問うべきことはない。
当然、答えるべきこともない。
案外、そうなのかもしれない。
哲学するのは無価値であり、実践あるのみ。
マルクスはそう考えていたようだ。w
>>441 >>440 です。
そうですね。
デカルトも「哲学」と「現実世界」は切り離さなければならないと言っていましたからね。
443 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 01:10:53 0
存在は、人智から計った観測可能な意味にすぎない。
444 :
酔っ払い :2009/10/15(木) 01:56:00 O
素人ですまん。 概念としてならば、想像した時点でその概念は存在すると言えるだろう。 とりあえず私は、自分のいる世界が自分の想像の産物なのか、それとも皆と共有する現実世界なのかを確かめたかった。 この方法として、世界が破綻しているかどうかを調べることは有効だと思った。 私は睡眠中に夢を見るが、つじつまが合わない夢は夢だと気付くように訓練した結果、かなり出来るようになった。 同じことが現実世界でもできないかと思っている。 今の所、現実世界のつじつまは合っているように見える。 話が飛ぶが、世界をジグソーパズルに例え、存在をピースだとする。 このとき、存在の定義の仕方は何でも良い。 世界という枠は、存在というピースで過不足なく埋まるのではないかと思う。
そうさ、世界こそ存在さ by森田健作
446 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 09:14:39 0
>>443 「人智」とは広義の主観のことだろう?
それが対象(客観)を観測し、意味づけるわけだ。
それは“存在”を「存在者」に収束させることであり、私たちは普通にやっている。
それは“存在”の意味を問わないことである。「山田さんの住所、どこ?」
ところで、君によれば「人智」は存在するのだろう?
それは、どういう意味? どういう事態?でもいい。
447 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 09:47:44 0
>>444 これも「存在者の布置と変化は“つじつま”が合っている」
ということだろう? その“つじつま”を数学によって記述
するのが科学。
科学は、存在論(存在とは何?なぜ存在するのか)を“形而上学”
として不問にふす。
>>440 が述べるようにそれを問うことは
不毛なのかもしれぬ。しかし、存在とは何?なぜ存在するの?
を問うのは理性のしからしむところだからしかたがない。w
さぁ、続けようぜ。 それとも語りえぬことには黙りますか。w
言葉
449 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 10:37:08 O
450 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 10:53:46 0
結局、存在を問うことは神学論争になっちゃうよね。 それを好きな人たちが絶えないということだね。
シンクロニシティーと呼ばれるものが果たして存在するかということだよ。 すると、一見意味を持たないものが意味をなすこともあり得る。 世界が意味の糸で繋がっているということだ。 何もオカルト的な話でもない。 全体の質量やエネルギーが保存されるなら存在の裏には必ず消滅があるはずなのだ。
潮の満ちひきなどがそうだ。 ある場所において月の引力で海面が上昇する。 海全体の水量は変化しないため、どのように引力が作用しようと地球全体の海面が上昇することなどあり得ない。
453 :
考える名無しさん :2009/10/16(金) 00:58:39 O
哲学って調べたらたくさん分類されてるんだな。 思いがけなく感心した。 昨日は酔っ払いだったが、今日は素面で考えてみた。 最初に世界が存在する。 この時点では存在しているものは1つ。 次に世界は2つに分かれ、存在しているものは2つになる。 それらの名は、仮に「分割者」と「それ以外の世界」としよう。 これ以降は、分割者によって世界が分けられていき、分けるたびに存在が生まれてゆく。 存在には包含関係による階層があるので、階層を無視すると、存在の数は分けた数を上回る。 というストーリーを考えてたけど、世界を1つの存在としてしまったら、それが自ら2つに分かれるのは不自然だと気付いた。 どうやら存在の根源は1つじゃ成立しない。 だが2つなら成立する。 存在の根源は、「分割者」と「それ以外の世界」の2つじゃないだろうか。 哲学の知識がなく自分流の言葉で書いたので意味不明かと思うが、勘弁して欲しい。
>>453 観測ってのはあくまで客観だからな。
仮に自分が存在せずとも振る舞いが変わるわけでもない。
ただ、物質を単なる成分の集合体としてみれば、集合体にいちいち呼称をつけるのはくだらないことかもしれん。
結局、そうなると素粒子に行き着くわけだが、素粒子レベルで宇宙をみると、もはや至るとこが同じような存在に満ちた状態である。
宇宙自体が存在そのものといえる。
>>454 そう、それ。
言葉遊びになるかもしれないが、存在という概念は国境のようなもので、
本来区切りの無い世界というものに対して、観測者が任意に定めた区切りではないかと。
一応、その先を考えてみて、進展があるようなら報告します。
>>455 まだまだだな、主観的な存在と客観的な存在の区別ができてから出直して
きたほうがいいぞ。
457 :
考える名無しさん :2009/10/18(日) 01:11:11 O
>>456 区別する必要がないという見解で書いた。
区別する必要があるかな?
>区別する必要がないという見解で書いた。 そんなのは誰でもできる妄想に過ぎない
主観的な存在て、それは幽霊とか幻とか寝ているときに見える前世の記憶 みたいなものだろ。 それを区別できないって、どこまで酷い統失なんだよ。
460 :
考える名無しさん :2009/12/10(木) 21:58:15 0
>1 君の問いの真意は、まず目の前にある物質的な存在から、別次元まで含めて、 とりあえず存在している意味が見出せない、存在していてもいなくても同じではないか、 と言った感じ。 しかし、1は前提として大きな勘違いをしているのだろう。 存在の根底にあるのが無だとでも思っているのだろうか。 存在の究極は、あらゆる万物が解消し果てる一つの根っこにあり、 そうなったときはすべての休息。そしてまたあらゆるものが生み出される運動が始まる。 これを繰り返す究極的な存在そのものが、普遍的なものであり、 ではなぜ運動と休息を繰り返すのかと言えば、あたりが暗闇でむなしいから創造が始まり、 そして創造されたものは必然的に解消されてしまうことになっている。 つまり、存在というもの自体が意味ありなしでなく普通の状態なのだ。
461 :
考える名無しさん :2009/12/10(木) 22:03:09 0
あれ、人生相談に立ったものかとも思ったが。 …しかし、それでも君が「ではその存在とは一体何」とこれ以上聞くようならば、 それは君が死人だから何物も理解できはしないということになる。 もちのろん、真実を理解できないものは災いなゆえに地獄にいくことになっている。 入り込まなくちゃ分からないことだってある。 科学のように万人に客観的に理解されるものが、秘儀なのではないし、 真理を理解できる者とは、それにふさわしい生きている者でしかない。
463 :
考える名無しさん :2010/01/05(火) 07:41:26 0
ho
464 :
考える名無しさん :2010/01/05(火) 08:09:05 0
【PC=悟性】+【ソフト=物自体】=【現象=今現在】←存在かな? PCに【電源が入った】or【電源を入れた】理由はアンチノミー? それなら60億人のなかに答えられるものなんているわけない。 とおもうんだけど・・・どうだろ・・・ ココにも張っとこ
465 :
考える名無しさん :2010/01/05(火) 08:25:15 0
466 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 20:05:54 0
467 :
考える名無しさん :2010/01/23(土) 18:23:06 0
「存在とは何?」 何かこういう問いを見て思うんだけど、 結局、こういった問いの探求を妨げているのは「感情」なんだよね。 「感情」が存在する以上、こういった問いの本質を見つめることは不可能に近いと思う。
468 :
スモ :2010/01/26(火) 23:23:35 0
仮にあんたのいう「感情」がなきゃ「存在」は理解できんだろ。 おそらく「存在とは何?」と質問した(された)時点で、 私たちは「存在」についてわかっている。 「それ」が答えなんだ。 「存在」について考え出した時点で私たちはその「何?」を消し去っているのである。 もし「答え」が私たちの理解を超えたところにあるならば、それは「答え」ではないだろう。 むしろ、『私たちは「存在」についてわかっている』というそのこと事態について、 この問題を探ることが有益になるのかもしれない。
469 :
スモ :2010/01/26(火) 23:42:42 0
「りんごとは何?」と問われるならば、 私たちは理解の一致をみるだろう。 「存在」も同じである。 その感覚が、正当といえる「答え」である。 そこで誰かが「りんご」とはうんたらかんたら言いだしたら、 それはもう「答え」ではない。 「神は天界に住まう」ような観念こそが誤りであり、 高尚な「答え」を希求するような態度こそが、そのことが、 誤りであり人間の愚かさなのかもしれない。 私たちはこの世界に何か高尚なものを見出したであろうか? もし神が存在するとしてもそれはキオスクにいるのである。
470 :
スモ :2010/01/26(火) 23:47:38 0
あんまよくないなw むしろどういう解答であれば、私たちはこの問いに理解の一致をみるであろうか? この方向から攻めてみるかな… 哲板久々だ あたまが腐ってる
472 :
スモ :2010/01/27(水) 20:13:50 0
「りんご」と「存在」を同値として扱うのは無理がある そういう反論があるかもしれない しかし、その感覚は誤りである たとえば「存在」は「りんご」の上位にカテゴリされるとか包含する概念だとか考えてしまう 求める解答によれば、それは正しい しかし、ここでの「存在は何?」という問いにおいて 求められている究極の解答はそこにない 誰もそれに同意しないであろう あなたはただの言葉の問題として扱っているのではないか? そう誰かが問うかもしれない いや、そうではない むしろこう問い返そう では「存在」と「りんご」を分かつものは何か?と そしてここにポイントがある 私たちはそれをあれこれと分かつ説明ができる しかし、その説明に依拠してるところの思考機構なりシステムは、 「存在」と「りんご」を分かつものとしてすでに捉われているのである それは思考の結果の産出ではなく、その組成として不可避に決定されている 整理されてないしまとまりが悪い しかし結論は出ている 「存在」と「りんご」は同値であり同類なのである 私たちは「りんご」の説明に1項以上のスペースが必要ないように 「存在」についてもっとも小さな単位を見つけ出すような分析は必要ないのである 分析とは誤魔化しである そう、こう言えばいい 私たちは「存在」と「りんご」を分かつ視点を持たない、と 視点を視点で測ろうとすることは視点を失っているのである
473 :
スモ :2010/01/27(水) 20:21:21 0
「存在」と「りんご」は同一である
474 :
スモ :2010/01/27(水) 20:28:35 0
私たちは「存在」や「りんご」を知っているし さもなければ、 私たちは「存在」も「りんご」も知らないのである
475 :
スモ :2010/01/27(水) 20:31:18 0
「存在とは何か?」と問うことに特別な意味などない
476 :
スモ :2010/01/27(水) 20:36:03 0
分析的説明は徒労である 少なくとも究極の問いに対しては 私たちがそれに満足することがあればその説明におけるその概念はもはや他のものである
477 :
スモ :2010/01/27(水) 20:42:36 0
存在とは何か? これは問いではない 幼少の子供が私たちの目の前にある「りんご」を指して 「これは何?」と問われるような形式である 私たちはそれを「りんご」と答えるよりない その「これは何?」の「これ」とは「りんご」である つまり、「りんごとは何か?」の問いには「りんご」と答えるのである
478 :
スモ :2010/01/27(水) 20:48:16 0
答えは隠れていない 隠れているとすればそれは幻想であり空想の産物である 私たちはときおりそういう罠に陥る ないものは無いのである あるものはそこに有る 部屋中を探し回らなくても君の首にかかっているのだ
479 :
スモ :2010/01/27(水) 20:51:28 0
あなたが納得しないからといって、それはわたしに責任はない そのわけもまた答えである
480 :
アリス :2010/01/28(木) 07:15:54 i
存在、それは 人と人との繋がり 絆... 人は人から真に必要とされてこそ 初めて存在を感じる事が出来るのか.. 例え他人とは関わりがなくとも 皆、その存在だったり自分の存在を守る為に 日々生きているのではないか... 繋がりがあるからこそ 存在 という言葉があるのではないだろうか?...
481 :
風間仁 :2010/01/28(木) 07:46:02 0
「認識」と「感情」は一心同体。
最近駄目だな。
>>480 俺も存在とはそういうものと思うよ。
せっかく分かりあえる人が存在するのに素通りではあまりにも寂しい
それが幻想だとなぜ気がつかないのか 君が僕で僕が君で
>>472 りんごは「もの」、存在は「こと」。
> 「りんご」と「存在」を同値として扱うのは無理がある
「存在とは何?」 実に難しい問いだ・・・・・。
糞スレあげんな
487 :
考える名無しさん :2010/03/03(水) 19:36:21 0
このスレ いい
だから 哲学は人生論じゃありません 終了
490 :
考える名無しさん :2010/03/05(金) 16:01:40 0
「無」は無限なのでしょうか?
>>490 「無」は無限とは関係ない。
「無限」をどういう意味で使ってるの?
492 :
考える名無しさん :2010/03/05(金) 17:27:39 0
>>491 回答ありがとうございます。
無限を「消えないこと(もの)」や「限りがないこと(もの)」
と、定義するなら、
「無」は無限になるのでしょうか?
493 :
し :2010/03/05(金) 19:58:54 O
もう正直死んでもいい。ただ自分からは命は絶たない。
494 :
考える名無しさん :2010/03/05(金) 20:00:36 O
存在について自問するのは、私が存在しているから?
495 :
考える名無しさん :2010/03/05(金) 20:33:32 O
誰がために鐘は鳴る そは汝がために鳴るなれば 何のための人生か 自分の存在なくして鐘は鳴らず
496 :
491 :2010/03/05(金) 20:48:20 0
>>492 「無」は「ないこと」であり、「無」でしかない。
「消え・ないこと」は、「消える」を否定すること。
「限りが・ないこと」も同じく、「限る」を否定すること。
つまり、「消える」や「限る」は「無」の対象であって、
「無」は消えたり限られたりすることの対象ではない。
例えるなら、「無限」は「無」の意味を利用しているだけ。
> 「無」は無限になるのでしょうか?
「無」は無限の対象になりえない。
生きろ
498 :
し :2010/03/06(土) 08:21:08 O
無限は未来 時間のはなしだ
存在自体が罪
存在とは束縛変項の値であることだよ
501 :
考える名無しさん :2010/03/06(土) 23:16:32 0
なぜ「有」であって「無」ではないのか。 自然科学は宇宙のwhat,when,howを解き明かすが、whyは永遠に謎のままだろう。 なぜ宇宙なんてものが「在る」のか。何も「無」くてもいいじゃないか。 ビッグバンで無限のエネルギーから物質が生まれたという。じゃあそのエネルギーはなぜ「有」ったんだ。
502 :
考える名無しさん :2010/03/06(土) 23:58:02 0
存在=エネルギー=振動=温度=生命 総ての言葉が同じ事を表現してるように思います。 「有」も「無」も自己が認識出来るのならそれは存在しうるのでは? ここに自分の居場所が無いと思えば、そこには「無」という自己認識上の存在がある訳だし、 神様の奇跡と契約の話を感じることが出来れば神という「有」の存在があるんでは? 第六感とか、宇宙人とか、天国地獄とか。 情報の総てを存在として認識するのは難しいでしょう? しかし、皆で毒を飲んで死ねる人も居るし、違う宗教の人間を解体する医者も居る。 死んで存在する人も居るし・・・。 どうでしょう?
503 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 00:44:30 0
>>496 回答ありがとうございます。
しかし、「しいて」言うなら、「無」は無限なのでしょうか?それとも有限なのでしょうか?
そこに存在しているのはあなたの認識。 認識≠ものの有・無
505 :
491 :2010/03/07(日) 01:15:12 0
506 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 17:06:20 0
>>502 存在=エネルギー=振動=温度=生命, 自己,認識, 「無」という自己認識上の存在・・・・
これらは私の素朴な疑問からいえば全て「有」が前提とされているのではないでしょうか。
もしすべてが「無」であれば、「自己」も「認識」もさまざまな概念も科学的な知見も出てこないのですから。
宇宙(時空)の入れ物も中身も、はじめから一切なにも無い「無」であってもよかったのではないでしょうか。
ただ私のこの拙い言説はひとつの思考実験として言っている(哲学とは一切を疑うことから始まる。)ので、現実の世界を否定しようとしているわけではありません。
507 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 19:08:14 O
独り言 無を断定することはできるのか? 断定「〜である」は 存在が断定であり断定は存在である事を示し、かつそれ自体が証明している 「〜かもしれない」は「〜(である)のかもしれない」のであって存在を前提にしている 「〜でないのかもしれない」は「かもしれない」が既に存在を前提にするので 存在の断定であり断定の存在の1グループである 「〜でない」という断定だけが無を示すかと言えば断定が存在であるだけに難しい つまり無を無にしておくには何かしら記号のようなもので表現するしかない そしてその記号を読む時は必ず無視して読む
508 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 21:14:05 0
無は有限だろjk... 集合Aが無限てのは |A|≧N_0 (N_0は可算濃度) てこと。 無ってφのことだろ。 |φ|=0<N_0 よって無は有限である
509 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 21:17:15 0
無を断定することなんて簡単だろ 例えば0より小さく且つ大きい実数の集合は無だ。 厳密に無だ。みろ、断定できた
またトンデモ論理クンが湧いてきたなw
511 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 21:54:06 0
>>510 そんなこといって完璧な論理で否定、批判されるのが怖いだけだろ
無と空って同じなの?
513 :
考える名無しさん :2010/03/08(月) 00:08:53 0
薄学で申し訳ありませんが、 1+1=2って世界の存在を肯定する理論では無いんじゃ? そこが総ての根幹なら物事はもっと簡単に片付くのではないでしょうか。 ある種の手段としての道具なら使いようはあるでしょうが。 そこに総てを依存するのはどうでしょう? キリストの弟子の言葉の解釈で喧嘩するのと違いがないのでは?
514 :
考える名無しさん :2010/03/08(月) 00:30:17 0
無はどう考えても無限です。
無と無限は別概念です
516 :
Mark.0 :2010/03/08(月) 07:18:20 0
存在とは、デジタルな表現であり、「有」と「無」だけで表現するもので、 「存在するけど存在しない」などという表現はありえない。 存在とは何か?という思考について、それは「そこに有る」などと言葉を 簡易化することで表現するしか方法はなく、そして、「存在」という表現は 「そこに有る」の“そこ”が重要で、絶対的な表現にもなるし相対的な表現にもなる。 基本的な“そこ”は“世界”であり、これは絶対的な表現である。 (例:おばけって存在するの?UFOって存在するの? など) そして、相対的な表現として、“〜〜の中にーーが存在する”などもある。 (例:このビンの中には空気が存在する。この世界には空間が存在する。 など) 例で挙げた、“この世界”など、絶対的な表現と相対的な表現が重なる事も あるため、存在の概念を固定するのは誤解を生みやすいので、補足や前提を つける事で「存在」の意味の曖昧さを補完する事が可能である。
517 :
Res Killer :2010/03/08(月) 20:57:51 0
>>512 無とは0.空とは無を一つの空間としてみた概念。どう解釈するかは君の自由
>>513 少なくとも存在とは何か? と言う問いについては数学によって導けるのではないか。
>>514 根拠が無いので0点
ところで皆がここにいる目的は単にじゃれあうことなのか?
それとも謎と戯れることなのか? だとしたら私はこのスレから身を引く。
そうではなく真実を知りたいという目的なら、全力で批判する。
>>517 >そうではなく真実を知りたいという目的なら、全力で批判する。
そう、これが目的とも言える。
なぜ批判する?
>>1 は、たぶん神にもわからない問いだと思うなぁ。たぶん。
だから、これについては私は楽しみつつ本気で取り組んでいるだけ。
もしわかったら神を超えるかもねwww?
519 :
Res Killer :2010/03/09(火) 19:18:58 0
>神にもわからない hiyaku.試みることもしないで、何がわからないだ。
521 :
考える名無しさん :2010/03/12(金) 20:12:05 0
>506 ありがとうございます。 自己認識っていうのは、ほかと違うことを自身で確認出来たときだと思います。 たとえば、蛙じゃないとか。 自分は普遍的な「有」とか「無」とかって無いんではないのかと。。。 自己を有るとした上で無という存在の意味を考えるのでは? どうでしょう?
522 :
考える名無しさん :2010/03/13(土) 00:28:09 0
「無」というのは「無の有」のことである。つまり、「無」が「有る」ことを 暗黙の前提としている。従って、「有」と「無」は対立しない。 事象が「顕」の位相にあるときが「有」で、「隠」の位相にあるときが「無」である。
523 :
考える名無しさん :2010/03/13(土) 00:58:48 0
光と闇に喩えたらどうだ? 光は闇と対立するか?
524 :
考える名無しさん :2010/03/14(日) 18:49:26 0
光と闇は対立する存在ではないでしょう? 存在が「在る」のか「無い」のかその認識は何処から生まれるのでしょう?
「隣の家に囲いができたんだってね」 「へぇ〜」
「おまえ、ココ、そうそうソコソコ、鼻くそついてる」 「あ、ほんまや」
存在=自己認識(存在) 自己そのもの(=存在そのもの)=無(=認識不能) 対象(世界)認識=自己認識
528 :
考える名無しさん :2010/03/18(木) 20:32:33 0
>527 の言う通りでは?本能と理性の矛盾ってことではないんですか? 自己認識と自己崩壊の間で認知出来る事柄が存在出来るのであって、 その枠を超える事象は存在の意味を持ち得ないのでは? 自身の存在が一番無に近いのはそのせいではないでしょうか?
529 :
野ねずみ :2010/03/18(木) 20:41:18 0
存在とは、有である。有そのものである。
530 :
考える名無しさん :2010/03/18(木) 22:28:44 0
夫「おい、存在って何なのかなあ?」 妻「そんなことより、そこに私のケータイあるかしら?」 夫「おまえのケータイ?ああ、あるよ。ここにある」
自己そのものが無ってのが良く分からん。 何に対して無なんだ?
533 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 21:11:44 0
>531 集団の中で自分の存在を確立出来ない人も居るんですよ。 まあ大多数の人がそうであると思いますが。 だから家族って存在が必要なんでしょ?愛とか、友情とか、社会的責任とか。 社会って統合性を持った現実の中で個人を認識するのは難しい事だと思いますが。 存在を否定は出来ないですよね? 自分ひとりの存在であれば、世界を考える必要は無いと思います。 枠組みの中の自分である以上ルールには順応しなくてはならないのでは? そこに自己を認識できる要素はないのでは?そこを無と表現しただけです。 自分は無というものを認識したことがないので。
534 :
Res Killer :2010/03/20(土) 22:48:40 0
>>522 同一のレベルでは有と無は対立している。
>>527 存在≠自己認識(存在)
自己そのもの(≠存在そのもの)≠無(≠認識不能)
対象(世界)認識≠自己認識
>>531 自己は明らかに無じゃないから安心しろ。
>>533 では問題。零未満零超過の実数の集合は有か無か
535 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 23:05:32 0
>>1 >【存在とは何?】
刹那であれ、他に依存しないで成立し得るもの。
536 :
考える名無しさん :2010/03/24(水) 19:09:00 0
>534 今現在の数学的認識では零でない以上「有」では無いでしょうか? 実数化出来てる以上存在として複数に認識出来る物でしょう、 クロスを交差した物体として皆感じる様に。 そこに意義を見出す人もいるでしょう。 もし、数値化出来ない物が全ての存在を否定されるのなら、 マトリックスみたいな事になりませんか? こんな感じでは物足りないでしょうか?
537 :
Res Killer :2010/03/26(金) 19:40:41 0
誰?
↓
存在は性質ではなく概念だよ
>>539 estas vera nur tiam, kiam Esto estas ne Eco sed Koncepto.
Do, >> KIA Koncepto estas Esto? <<
Cxi tiele, la Konsciado,Noesiso intencigxanta la noema'on, Esto'n revenas al
>>1 ......
存在は述語じゃないことは確かだわな
そこで実体をもたないものをすべて無にする
543 :
スモ :2010/04/03(土) 01:07:32 0
概念を破壊しても表現できるさ、たぶん
544 :
スモ :2010/04/03(土) 02:07:31 0
僕たちが事物を認識できるのはズレがあるからだ 存在にはズレがない あたかも僕が呼吸するように地球が呼吸するように しかしだからこそ、捉える方法はあるはず 超越化はナンセンス 相対化はその定規も曲がってる それでいて十全に語れるのは当然でないか 私という絶対化の指標に合致してるのが存在だとすれば 一遍の欠片さえ掴まえれば事は足る そして問題は、それをどのように示し得るかだ…
545 :
スモ :2010/04/03(土) 02:17:01 0
いやむしろ、概念を破壊してこそ捉えられる 存在には繋がりがない 「存在」と「りんご」を同じく扱うことで見えてくる
546 :
スモ :2010/04/03(土) 02:25:12 0
存在は確かに肯定的なものだ しかし有ることじゃない 考えもつかないこと、頭に想いも浮かばないこと それは無い(⇔有る)のでなく在るのである どうしてか? それを知る必要などないからだ
547 :
スモ :2010/04/03(土) 02:28:43 0
存在は無とやらには関係がない 非存在とは無を意味しない
548 :
スモ :2010/04/03(土) 02:48:56 0
いいや、 存在は形而下でカタがつく もっとも下にあることは、もっとも上にあることと、もっとも近接する 存在は底を掘り下げることで見えてくる底流だ 必要なのは梯子ではなく、一寸法師のお椀である
549 :
スモ :2010/04/03(土) 02:58:15 0
「りんご」のことを考えれば考えるほど「存在」に近づく 存在には解体がない りんごとミルクを混ぜるのはナンセンスだママン そこにりんごが無くなったといって、 はたしてそこにりんごが有っただろうか?
550 :
スモ :2010/04/03(土) 03:13:11 0
2時間考えたっても進みはしない 哲学は無益だ しかし有益なことも馬鹿げてる タバコを吸う時間はある 煙は捕まえても消える しかしヤニ臭さは残る 存在の染みはそこらじゅうに漂ってるが どうやって抽出しろというんだい
「存在」概念は「真偽」概念とセットになっている つまり前者を理解しているならば後者を理解しており、逆もいえる
>>550 > 2時間考えたっても進みはしない
前提が間違ってるからだよ
自分の書き込みを逆から読み直してみ
553 :
考える名無しさん :2010/04/05(月) 01:56:07 0
>>524 >存在が「在る」のか「無い」のかその認識は何処から生まれるのでしょう?
いい質問だね
>>551 それは二値原理を前提にしているからでしょ?
直観主義論理、多値論理を前提にすると結論は変わってくると思うが
555 :
考える名無しさん :2010/04/12(月) 23:50:23 0
存在を知る一番簡単な手段なら衝動に任せることです。 自己保持と自己崩壊の矛盾の中にしか存在出来ないのですが、 一番確かで誰も立ち入れない世界の話です。 その分責任を負わなければなりませんがw 社会という形態を保持しつつ、自己の主張を誇示するのなら責任を負わないと誰も相手してくれません。 もし、世界が一つの価値観で成立するのなら ここまで行かないでしょう? 現実と自己を隔離すると分かりやすいとは思いますが、その先は? 今此処に居ることが存在の本質では?その足場をどう使うのが個人の責任って事では? 存在を自己認識したときにその存在を肯定する為に簡単な手段として自己に対する 物の排除というステップを踏むのでは? それが在るのか無いのかは大した問題ではないのでは??? そこに在ると思った事が存在の本質ではないのでしょうか?
>>554 直観主義論理、多値論理を前提にすると存在概念どうなるの?
557 :
考える名無しさん :2010/04/22(木) 21:02:45 0
558 :
考える名無しさん :2010/04/22(木) 22:13:16 0
自分が必要なもの【存在】じゃだめですか?
559 :
考える名無しさん :2010/04/22(木) 23:38:17 O
>>1 の問に対する答えを述べた論文があったはずだが。
>>556 認識と存在を分離できないということになる
つまり存在論とはすなわち認識論
561 :
考える名無しさん :2010/04/30(金) 00:28:23 0
多分、前世と 今が 異なるんだと思う 前世は たくさん 男性とふれあってたから 男ぽくなった。
562 :
考える名無しさん :2010/04/30(金) 00:37:33 0
>>560 お前のような気狂い予備軍の認識を論ずることを存在を論するとは言わない。
存在とは今有る事である。
過去有った事はなんというのでしょうか
565 :
考える名無しさん :2010/05/03(月) 22:20:41 0
社会形態の中に居る事が自己認識の土台ならそれは その個人の存在ではないのでしょうか? 自己認識も自立した価値観も実感って物では? 感覚を自分で処理出来た人だけ感じる事では?
567 :
考える名無しさん :2010/05/04(火) 00:23:09 0
存在とは何か? たとえば、今晩のおかずについて考えているその時その瞬間、 その他のあらゆる意識(自分の過去の記憶全て)は存在していない。 では、おかずについて考えてるその瞬間の自分とは一体何なのか? その瞬間に時間が停止したとしたら、 その「自分」という存在は「おかずの意識」でしかないのではないだろうか? 一体、自分とは何に対して「自分」と言っているのか?
存在とは、∃xのことである
569 :
し :2010/05/04(火) 04:01:56 O
ドン・キホーテの冒険も終止符だな。ああ疲れた。
存在とは束縛変項の値であることである
571 :
考える名無しさん :2010/05/18(火) 21:17:25 0
社会って枠組みの中に自分が存在すると定義すると、 社会的に認められるのが自己の存在意義になるでしょう。 だから声の大きい人に右左と動かされてるのでは? 個人って存在の上に社会が在るとすれば、形式を問わないでしょう。 そこには自分以外の存在が無いでしょうから。 自己認識の甘えを自分以外の存在に委ねた時に自己否定が始まるのでは? 価値観を持たない存在は猿か人か? (在るのか無いのかは、別の議論で・・・)
572 :
考える名無しさん :2010/05/19(水) 19:16:21 0
猿がどんだけ化粧しても人にはなれないよ???? 大学って教育制度がどんなもんか知らないが、 ○×クイズの答えを知ることが知性なら誰も苦労しないのでは? ガキの頃キラキラ光るシールを持つことがステータスだった。 それがその時の存在意義だった。
573 :
Res Killer :2010/05/19(水) 21:55:04 0
>>564 過去の事実、ではだめか
>>565 >社会形態の中に居る事が自己認識の土台
それはお茶坊主だ。
自分の中に確固たる価値観を持った人だっている。
>>567 自分は自分だろう。そこに座ってR.Kを煙たがっている人物であろう。
>>571 てんで駄目。お前まず自分の説を疑ってみたか?
例外は本当に無いのだろうかとか考えたのか?
それから投稿しろ。それは単なる自己主張だ。
1.その定義は不当。
2.現実には付和雷同な人間ばかりではない。
3.社会が個人の存在の上に成り立っていたとしても
他人は存在する。人は一人では生きていけない。
4.自己否定が始まるとは限らない。
574 :
考える名無しさん :2010/05/20(木) 02:40:16 0
>573 ありがとうございます。 自己主張は存在の始まりでは?個々人の存在が社会の本質では無いでしょうか? 社会性の中に自己が存在するのなら、sexしてれば? 一人では生きていけない、それは間違いないでしょう 自分の価値観ももたない存在が自分以外とどうやって関係性を築くのでしょう? 同調?協調?其処に個人としての価値観は? 社会が存在の足場なら、あなたの発言も真実でしょう。 鼠でも自己崩壊ってプログラムを持ってる、社会を維持する為に。 ポジティブでイイ考え方だとは思いますが、本質を見てないのでは? 貴方はどんな存在ですか?
575 :
Res Killer :2010/05/20(木) 18:23:53 0
0.お前誰だよ。 1.単なる自己主張は哲学ではない。中二病だ。 2.固体が寄り集まったとしても社会が形成されるとは限らない。 だから個々人はそのまま社会の本質ではない。 3.三行意味不明。 4.五行、そんな例世の中にいくらでもあるだろう。 5.協調性と個性は共存できる。 6.7〜9行私のどの発言に対するレスなのか。 7.私はパソコンの前で黒い椅子に座っている存在。 それで十分。 吾ここに立つ。それ以外に為すことはできぬ。 -マルティン・ルター
>>575 > 1.単なる自己主張は哲学ではない。中二病だ。
そのとおり。
このスレで自己認識とか自分がとか言ってるのは全部間違い。
「やあ、羊飼い君、 道端にいるきみ、 吹きゆく風はきみになんていう?」 「風です、吹いています、 以前にも吹きました、 これからも吹きます、とね。 あんたにはなんていう?」 「それよりはずっといろんなことだよ、 他にもいろんなことを話してくれる。 さまざまな記憶やさびしい懐かしさ かつて起こったことのないあれやこれやも」 「あんたは風が吹くのを聞いたことがないね。 風はただ、風のことだけを話すんだ。 あんたが聞いたのは嘘ばかり、 そしてその嘘はあんたの中にある」 byアルベルト・カエイロ
578 :
考える名無しさん :2010/05/22(土) 14:43:08 0
579 :
考える名無しさん :2010/05/23(日) 19:33:47 0
>577 いいですね、個人的価値観ですが。 個人って存在を超える事は可能でしょうか? そう、同調を強調する社会で個人って価値観は存在出来うるものでしょうか? 人間としての尊厳は社会というシステムにとってどれだけの意味を持つのでしょう? 自己認識は他人にとっては只の自己主張でしょう。 なぜ存在に共通性を求めるのか? 問題は其処ではないでしょうか?
>>1 存在とは何かと問われれば、"在る"という事としか答えようがないんじゃないかな。
はえー話が、旧約聖書の唯一神であるヤハウェ(在りて在るもの)だね。(ちなみに私は無神論者)
この世界が在って己が在って他が在ってはじめて世界・己・他の存在を認識することが出来、この問にたどり着くことが出来る。
存在がなければこの問には出会わないし、世界にも他に気付くことすらない。
あとは言葉遊びになっちまうんで、これにて失礼仕り候。
581 :
Res Killer :2010/05/24(月) 16:33:25 0
>同調を強調する社会で個人って価値観は存在出来うるものでしょうか? できるだろ。協調性と独自性は共存できるんだから。 >尊厳は社会というシステムにとってどれだけの意味を持つのでしょう? お前が今着ている服に使われている化学繊維や、 電気を作るための原子力発電所、 食べ物に入っている化学調味料、 農業技術、パソコン、インターネット これ全部人間の尊厳の賜物ではないか。 >なぜ存在に共通性を求めるのか? 存在の個性を生かすため。
582 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 20:19:47 0
>581 協調性と独自性は共存出来る。確かに一時的には存続可能でしょう。 ユニクロを着てるのが存在の基本的価値観なら、簡単に問題は解決するでしょう。 なぜ存在に共通性を求めるのか?存在の個性を生かす為? 最初の一歩で躓いてませんか? 価値観の根源が社会って同一性の中に帰依するのなら、 存在って価値観は社会に同期するしかないでしょう? 物事が在るのか無いのか?それを繋ぐ物は価値観では??? 手を触れた事が無いものは存在しないのであれば、この世界の殆どの物が存在しえないのでは? あなたはどれだけの存在と触れ合ってきました?
583 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 21:56:15 0
物質は質量をもつ。 質量をもつものは存在している。 従って、存在とは質量をもつもの全般を指すのではなかろうか。
585 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 22:15:11 0
エネルギーーは実体ですか?
相互作用を行うもの、でどうよ
>>585 フォトンを観測出来る時点で、その存在を否定することは不可能。
588 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 22:30:49 0
589 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 22:38:12 0
E=mc2
>>588 我々がどうやってモノを把握するのか考えればわかるだろう。
所詮、脳は電気信号としてしかモノを把握・認識していない。
フォトンを否定するなら君の存在も否定するしかない。
591 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 22:59:07 0
電気信号は質量をもつ
>>591 じゃあ聞くが、君は今その目で何を見ているんだ?
593 :
考える名無しさん :2010/05/24(月) 23:52:17 0
脳が電気信号として把握・認識したものをみている
>>593 私が思うに、君はとてつもなく頭が悪い。
相手にしたのが間違いだったよ。
595 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 00:32:20 0
>>594 君の考える 存在 の定義が是非知りたい。
596 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 01:06:33 0
他人が認識したものには<存在>が確立するのでは? では、他人が何なのか?となると<存在>を確立させないといけないわけで....
597 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 02:44:33 0
機械が観測したものは?
598 :
r :2010/05/25(火) 02:51:59 0
自分自身が認識したモノのみが存在するってことですよ。 他人が認識したものは結局自分自身にとっては解りえないんですよ。 例えば宇宙しか存在していなく認識できるものが全くない時代。 宇宙は誰にも認識されていない=存在していないとも言えるんですよ。 とすると元々宇宙は無くても不思議じゃないってことですよ。 唯一無二な存在とは自分自身しかないわけですよ。 なぜなら自分自身しか自分自身を確かなものと認めることができないんですよ。 だから自分が消えれば(自分にとっての)世界は消えるということですよ。
599 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 02:54:53 0
目が見たものが、脳には間違いなく分かるとでも思ってるのか?
600 :
r :2010/05/25(火) 03:03:29 0
いやーざっと見ましたが、本当にざっとなんですが、皆さん迷路にはまってますね。 真に美しい解というものは無駄な物の入りこむ余地はないんですよ。 長ったらしい方程式はいらないんですよ。 色々と肉をつけようとする限り、皆はきっとわかりえないんですな。 何が正しい、何が正しくないを議論するのは自分自身の確定する存在のそれと同じことなんですが。 たぶん理解できないでしょうな。 これは理解しようとしない人はもちろん、しようとしてもわからないことなんですな。
なんでこの期に及んでヴィトゲンシュタインの超劣化みたいなこと言い出すの。 本読もうよ。
602 :
r :2010/05/25(火) 03:19:33 0
ヴィトゲンシュタインさんは知りませんがね、あなたまさか誰々が同じことを言っていたというだけで 全てを理解したと思ってるんじゃないでしょうね? そんな人が哲学を語って欲しくないですね。否定だけならどうしようもないアホでもできるんですよ。 私は自分の主張をしたのですからあなたも主張で返すのが筋なんじゃないですか? まぁ自分で考えることができないのだろうから本ばかり詰め込んできたのでしょうね。ただの百科事典人間なんでしょうね。 次否定だけで返したら私はあなたを軽蔑することにしますよ。 考えることができない人はただのヒトなんですよ。
>>602 少なくとも君がロクに本さえ読んでない癖に
「何かを悟った人」演じようとしている程度の事はわかる。
604 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 03:25:36 0
美しい解? それって自己に帰依する価値観ですよね? 自己の存在が他人に認識出来ないって事はないでしょう? そこが貴方の価値観の根源ならば否定出来ませんが。 理解した様に振舞ってる様にしかみえませんが、、、 美意識って物が社会と切り離せない以上、価値観って物は社会に帰属するわけで、、、 人は一人では生きていけないってのもそこでは? 存在そのものに共通性を見出そうというのが、なかなか、、、 共通認識が本当に必要な要素でしょうか?
605 :
r :2010/05/25(火) 03:30:13 0
>>603 本を読んだ人だけが偉い人としか思ってないんでしょうね。あなたは独自の主張はないんでしょうね。
あったとしても「何々の本に書いてあった」という程度なんでしょうね。否定ばかりするあなたは自分自身を
否定してしまうから独自の意見を持つことができないんですよ。あなたは永久に「誰かの意見のコピー」なんですよ。
ちなみに悟ったという人は悟った人しか理解できないんですよ。
あなたは悟ったことがないだろうから真っ先に演じているとしか見えないんですよ。
もうオネムなんで604さんは明日ね。
ウィトゲンシュタインて大したこと言って無いよマジで。
>>605 ま、言いたいことは分かるけれど、
ハイデガーもヴィトゲンシュタインも知らずに哲学板で存在について悟った風なこと書くと
君みたいな、言い知れぬ陳腐さが醸し出される事が多いよね。
知らないことは恥ずかしい。そのくらい素直に認めるべきだ。
折角の学問板なのに、手前勝手なオナニーの悟り開いただけで 先導者ぶって。その道の偉大な思想に触れてないなんて、可哀相。 改めて知識のありがたみを認識した。
610 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 03:52:21 0
優れた本をたくさん読んだ上で考えて 自分なりの言葉で表現するのがベストだろう。 日本人にその能力はないけどな。
>長ったらしい方程式はいらないんですよ ま、こんなこと言ってる学識コンプの人間がいきなりヴィトの思想に触れようとしもチンプンカンプンだと思うけど 「本当に無駄のない美しい世界」である数学の基礎的な考え方についてもヴィトは言及してるので 読んでみたらいかが。
612 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 04:05:29 0
>>610 いえてる
ちなみに言っておくと 学問ってさ、r君みたいに「何かを悟っちゃったけど、それだけじゃ誰にも何も伝わらない」 と、一生懸命自分なりの理論を生涯かけて構築してきた人たちの努力の産物なんだよ。 本読まない人間が「悟っちゃいました〜」ほざいてても同類しかついてこないだろう。
614 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 04:19:07 0
カビの生えた本の読み過ぎで、無いがアナクロ化すんだろw カルナップ、ポパー、ハイゼンベルクくらいからにしとけ。
615 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 04:20:03 0
訂正 脳がアナクロ化
616 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 04:31:39 0
>色々と肉をつけようとする限り、皆はきっとわかりえないんですな。 これだけでもどうしようもないからr君には何もいうことなくなった。
617 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 05:06:06 0
存在 と 実体 の違いは何だろうか
618 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 05:21:53 0
619 :
r :2010/05/25(火) 10:14:19 0
いやあね、本読めば悟れると思ってるんですかね?ここの方たちは。 本読んで誰が悟れたんですかね。すぐ行き詰るような理論なら悟ったなんて言えないですよ。 知識と思考は別物ですよ。そして知識は時に邪魔になるだけですなその理由はもう書きましたな。 君らが知識に固執する理由は「本を読めば悟れる」という間違った認識でいた今までの人生を 否定されたくないからなんですよ。「あんたの今までの人生は無駄」と思っちまうんですよ。 しかしこの板のヒトらは人を否定することばかりなんですな。理論に大して理論をぶつけることができない理由は やはり昨日既に書きましたな。 604さんくらいじゃねえですかね。哲学者なのは。 ちなみに万人に共通する解なんてものは哲学にはないですな。哲学は数学じゃねえですよ。 共通解、共通認識は無いという証明もできるんですがね、長ったらしくなるし教えてあげる気はさらさらないですな。 まぁ私ごときの理論なんぞ既に誰かが言及してるだろうから本読んでる人らに任せますよ。
620 :
r :2010/05/25(火) 10:16:37 0
うわあ誤字っちまいましたよ。「理論に対して」ですよ。へぼPCはいかんですな。 じゃあちとお出かけしますよ
621 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 10:21:02 0
あのな。根っこから間違いだ。 哲学で悟るなんてことはないから 仏教でもやりなさい。
>>619 本を読み、他人の考えや発想に触れ、それを自分なりに消化することではじめて知識になる。
知識なき思考はただの自己完結に過ぎず、それは妄想といっても差し支えないだろう。
哲学は学問なのだから、まず最初に学び取ろうとする姿勢が必要だよ。
それが嫌なら脳内で留めとくべきじゃないかな。
623 :
考える名無しさん :2010/05/25(火) 12:34:00 0
「知識はないが自称悟っちゃった人」なんて世界中に腐る程いるのだろうね。 そこから学問にまで頑張って昇華するか、スピリチュアルや宗教に没入するか 自己満で終わるか知らないけど。
624 :
r :2010/05/25(火) 22:18:16 0
ああ本は昔はよく読みましたよ。ナントカ思想やらナントカ哲学やら。 あんまり覚えてないってことは充分吸収したか大したことなかったのか。 哲学は学問というより疑問なんじゃねえですか?疑問を持った時点で誰でも哲学者になれると偉い人が言ってましたよ。 なんにせよ、知識どまりになったらそこでその人の哲学は終わってますな。誰かの意見のオウムなら、その人自身はいらないってことになるからの。 621さんはあたしに言ってるわけじゃねえですな。ログ見たんですが603が「悟る」の言いだしっぺなんですな。 そこから「悟る」云々が派生したのなら、責任はすべて603にあるんですな。 ついでに言えばあたしは自分が「悟った」とは言ってねえですよ。この程度の思考が「悟ったようなこと」と思われたんですかね。 まぁ悟った云々は置いといて、存在の定義について暫く誰も語っていませんよ?
, -=〜=―- 、 ミ ヽ 二 ノ ( i 三 ⌒ へ /` | 二 _ _ | 三 ┰ ┰ | l^ ( } ! ヽ / {\ ノ l i ( 、 , ) { ∪、 j | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ‐――――┴、 < だめだこりゃ |  ̄`ー―ァ'′ \_____ \______)
626 :
考える名無しさん :2010/05/26(水) 00:19:32 0
「存在の定義」とは何? 「定義」とは何? 「の」とは何? 「とは何?」とは何?
627 :
考える名無しさん :2010/05/26(水) 00:50:42 0
存在の定義とは、突き詰めようとすると、ぞんざいなものである。
628 :
考える名無しさん :2010/05/26(水) 02:40:44 0
↑ いくら考えても答えの出ない問題を延々と考えつづける変態の集団
629 :
r :2010/05/26(水) 02:46:41 0
いやーみんな黙っちまいましたね。やっぱりちっと早すぎる知識でしたかね。悪いことしちまいましたね。 「誰々がこう言ってたんだもん」だけで哲学語っちまったんでそれを否定されたらやっぱ黙るしかないですね。
古代哲学は詭弁家の変な話を論破するために発展した。 詭弁家の変な存在論を粉砕するために哲学は役に立った。 しかし肝心の哲学の存在論もちょっと変なのである。
631 :
考える名無しさん :2010/05/26(水) 08:59:12 0
DQNが自分の考えを発表して自己満足するスレかよ。
質料因 又は、世界質料因 空間とか時間の世界って事に含まれてる根源的な一つのものを問い詰めてる。 無かったら、世界であり得ない。 何界かってこと。認識程度でしたら私が存在するし、会社なんて言ったら社長とか。 私の存在感が軽いなんてまあ、自分いなかったら世の中駄目になるなって言い出す奴。 相手にする世界が大きすぎるんじゃないかって。もっと、限られた世界で有るもの探そう。
633 :
考える名無しさん :2010/05/26(水) 10:46:53 0
DQNが誰かの考えを発表して自己満足するスレだったんですね。
だからここは人生論板じゃないってw
635 :
スモ :2010/05/27(木) 20:33:40 0
気に入る回答
>>2 ペンキですかーっ!
ペンキがあれば何でもできる
>>39 それは別としても 存在は実体のみではない でありましょう。
>>45 「存在」は「<ある>ことを占有する運動体」。
つまりは「存在」もまたひとつの暴力である。
>>105 完璧な存在とは何か?それは
「まったくズレのない存在」だ。
>>196 実体とは不可避知たる実有
有ることと在ることは異なる
>>212 風は見えないじゃないか。あるだろうが。
>>262 「存在」って言葉にとらわれていたから、
>>444 話が飛ぶが、世界をジグソーパズルに例え、存在をピースだとする。
>>507 存在が断定であり断定は存在である事を示し、かつそれ自体が証明している
636 :
スモ :2010/05/27(木) 20:34:29 0
>>516 「存在」という表現は「そこに有る」の“そこ”が重要で、絶対的な表現にもなるし相対的な表現にもなる。
>>528 自己認識と自己崩壊の間で認知出来る事柄が存在出来るのであって、
その枠を超える事象は存在の意味を持ち得ないのでは?
>>536 クロスを交差した物体として皆感じる様に。
そこに意義を見出す人もいるでしょう。
>>544 存在にはズレがない
あたかも僕が呼吸するように地球が呼吸するように
しかしだからこそ、捉える方法はあるはず
>>567 存在とは何か?
たとえば、今晩のおかずについて考えているその時その瞬間、
その他のあらゆる意識(自分の過去の記憶全て)は存在していない。
では、おかずについて考えてるその瞬間の自分とは一体何なのか?
>>570 存在とは束縛変項の値であることである
>>579 なぜ存在に共通性を求めるのか?
問題は其処ではないでしょうか?
憑いてるね、ノッてるね
638 :
スモ :2010/05/28(金) 00:06:51 0
「存在」は、ズレがない(無矛盾である)から「わたし」にとって把握できる だから「わたし」にとって把握してる存在は、そのことでそれは「存在」でない
「存在」という概念は「存在」というコトバでくくられただけのもの。 言語が違えば3つ、4つ、あるいは15種類もの全然異なった概念だったりする。 「である」と「にある」を同じ動詞で表すような粗雑な言語で 作られた哲学なんて買いかぶるだけ滑稽。 それに意識だの思考だの存在その他の概念そのものも、 たかが脳内の電気信号。そのスキーマ化は文化によって違う。 客観世界の解明なんて物理学者と脳科学者に任せとけよ。 下手の考え休むに似たり。お前ら群盲が象を撫でても何もわからんって。
トンデモがんばってるな
てめえに理解できなきゃ即トンデモ呼ばわりかw笑わせる 「サピア=ウォーフの仮説」でぐぐれ。お前ら3000年間進歩なしだ
ローカルなネタを引っ張り出して得意がるバカ発見
いやー639は矛盾だらけじゃねえですか。 そもそも捉えきれないものだからこみんなして撫でまくってるんじゃねえですかね。 そして捉えようとする姿勢は下手な考えじゃないですよ。少なくとも「撫でるという行動」は起こしてますな。 そして15種類じゃない、撫でた人の分だけ概念が存在するんですよ。 そしてそれらすべてがヒトの感知する「存在」というわけですよ。 撫でるという行動を否定することこそ休むに似たりですな。ぶっちゃけ下手な考えということですよ。
>「サピア=ウォーフの仮説」でぐぐれ。 ワロタw この程度の基礎知識で得意がるということは一年生かな?
>>644 いーや、撫でた人が何人いても思考の基盤たる言語が一つまたは類似したものなら
残念ながら大した違いは出ない。
現にこのスレも予想に反するものは出てきていない。ちょっと変わったものは
単に詩的表現として珍しいというだけ。言うまでもなくメタファーは定義ではない。
>>645 学部一年生で習っても、その後検討も加えずほったらかしなら院生のテーマ。
現に論破と呼べるだけのものは現れていない。
大した違いは出ないというのが解せんですな。 例えば「存在」というものを撫でた時、例えばですよ、これは赤だこれは白だとか人はそれぞれ捉えるじゃないですか。 人によって存在というものの解釈は様々にあるってことですよ。様々にあるものをどうして大した違いじゃ出ないと言い切れるんですかね? それともあなた、存在というものを「言語」という切り口のみで語ってるんですかね? それなら大納得なんですが。「赤」や「白」の他に「言語」と言ってる人がいるというだけですからね。 言語という小さな枠の中でなら、なるほど大した違いは出ないでしょうな。 しかしとてもじゃないが「言語」の枠の中に「存在」があるとは思えませんな。
ああサピアヲーフ調べましたよ。簡単に言うと言語が思考の基になるってことですな。 ただね。やっぱり言語は存在を超えられないんですよ。様々な言語で存在というものが捉えられ、その世界観は 話者の言語によるものなので統一された見解はありえんというのは確かなんですがね。 それら全ての言語による「存在」という枠以上に「存在」という枠があるんですよ。おそらく人智を超えた枠なんでしょうな。 ヒトの脳では測りかねる枠だと思いますよ。現にヒトは全てを解明したわけじゃないですからな。 なのでやはりサピアさんの意見だと「存在」という枠の「「ヒトが認知する存在」の、言語で語られた内の存在」の話なんですな。 { 存在 「ヒトが認知する存在(その中で言語で語られた存在)」 } 上の()内の部分に限ってるんですな。小さい世界なんですな。
649 :
スモ :2010/05/30(日) 20:33:53 0
言葉の営為は、言語の可能性を超える
650 :
スモ :2010/05/30(日) 21:01:11 0
「存在」は「わたし」と共にある、という感覚的な
あるいは身体的な捉え方
例えば
>>567 その意味では「存在」の解釈は多様でない
いや、
>>639 の多義的な言語というのも、正しくない
前者は解釈が多様なのであって、「存在」が多様なのではない
後者は概念が多義的なのであって、「存在」が多義的なのではない
651 :
スモ :2010/05/30(日) 21:09:33 0
ふむ サッカー見てから考える
652 :
スモ :2010/05/30(日) 23:35:49 0
また、馬鹿になってみるか…
多義的な言語、というのは的確な表現じゃないな
「存在」は確かに厄介な概念だ
それはここまでの流れで示されている
おそらくスレ主は、存在の「もの」的な答えを求めていたのだろう
例えば水はH2Oみたいな解答を
そして、存在は「こと」的な解釈としても進展されてきた
乱暴にいえば、
「もの」的とは「にある」であり
「こと」的とは「である」ともいえる
しかし、そんなことは
>>639 の指摘したことじゃない
君が夏と冬しか知らないとして、僕が秋を説明するにはどうすればいいかの翻訳不可能性
これも少し違うな…
僕はファミコンのカセットを持ってきて、君はプレステのCDを持ってきた、おじさんはPCエンジンのカードを
このとき僕等は同じゲームを遊べないわけだが、それらは「ソフト」というくくりを見いだせる
この場合もし、おじさんがVHSのビデオテープを持ってきたとしたら、
それは、「ソフト」というくくりをもたない
ちがうな…
全然異なった概念であり使途的な異なりがあるとしても
「存在」のエッセンスはくくられている、ということが言いたい
寄せ集めではあるけれども、それは事後的に、「存在」というくくりを拡張しているのだ
653 :
スモ :2010/05/30(日) 23:43:59 0
言語体系はそれが完璧であればあるほど、その意味を失う そのとき、「存在」は「わたし」から離れる
654 :
スモ :2010/05/30(日) 23:56:37 0
いや、意味を失うのではない …言語は虚構という当たり前の基本を思い出せ
655 :
スモ :2010/05/31(月) 00:12:46 0
>>484 りんごは「こと」であり、存在は「もの」である
という言語体系は可能である、というより潜在している
「存在」が厄介なのは、超えていることだ
>おそらく人智を超えた枠なんでしょうな。
この「超える」という領域に「存在」はアプリオリに規定される
未だ言語になっていない言語、
そういうものを認める思考はなんだ?
656 :
スモ :2010/05/31(月) 00:38:41 0
存在の定義? それは「こと」や「もの」や「認知」等において集約されない ということを、どうやって捉えられるだろうか? 僕たちは区分によってこの定義やあの定義として満足すべきだろうか? どの定義がより本質的だと見つかるのだろうか それとも、それらのことの明晰さで落着される類なのか ちがう 「存在」はそういうことを超えている 漸次的でありそうで、そうでない
657 :
スモ :2010/05/31(月) 20:19:11 0
強いて定義を挙げれば、 「存在」は無だ なぜなら在ることを在ると言えない 「わたし」が「在る」と言うとき、それは存在でない であれば、 「わたし」が「在る」と言わないときに、それは存在している
658 :
スモ :2010/05/31(月) 20:32:15 0
存在は「有」と「無」の対立を超えている だからその領域を指し示せない
659 :
スモ :2010/05/31(月) 20:40:05 0
存在は神(=実体)を超える といってもいいのだろうか? 存在は属性ではない いや、おそらく表現が適切でないからだ 存在はなにより異質なのだ、神においても
660 :
スモ :2010/05/31(月) 20:59:31 0
ちがう 「存在」は汲むのではない 「存在」は、異相転位を形質とするそのもの
661 :
r :2010/05/31(月) 22:57:40 0
存在というものはありますよ。我々人間共が認知してる全てが存在なのですよ。 そして全てのヒトが「存在とはこれだ」という主張全てが存在なのですよ。
主観的な存在と客観的な存在に分かれる。 主観的な存在は脳が「ある」と思うこと。 感覚器官からの信号を表象に変換する神経回路の組み合わせで処理されたものを意識が「ある」と認識するのが実体と呼ばれるものの存在。 対象が概念化されたものやそのラベルである名前および複数の概念の関連づけと脳の補完機能により作り出されたイメージなどは観念と呼ばれる存在。 主観的な存在は脳の持ち主が周囲の状況を認識し、将来を推論し、それによってより優位に生きるための手段として手に入れた処理能力の出力データの一部。 客観的な存在は物理的な相互作用を及ぼすもの全般。 客観的な存在は宇宙の時空の性質の一つ。
663 :
考える名無しさん :2010/06/01(火) 01:57:07 0
もしもマトリックスみたいな世界だったらリンゴは数字が並んでるみたいに見えて「こと」なのかな? 存在は数字そのものだから「もの」になる?
>>657 > 強いて定義を挙げれば、
> 「存在」は無だ
無ではなく、ワイルドカードじゃないかな
665 :
考える名無しさん :2010/06/03(木) 22:00:15 0
必要性って言葉は何時に成れば出てくるのでしょう? 存在を必要とするのはその個人ですよね? 自己の中で消化出きえないから、周囲の評価の中で存在を確立しようとしてるのでは? 必要性が在るから、考える。詰まる所、感じない存在には必要が無い 自己とその他の存在が利害関係の上に存在するのなら、排除するでしょう。 又、そうでなければ干渉をさけるでしょう。 存在に必要性を感じた事が、「存在の為の一歩」では?
666 :
存在とは :2010/06/03(木) 22:09:22 0
向うのお寺の鐘の音が「ゴーン」と鳴りました。 何故人の耳に「ゴーン」と聞こえたのでしょうか。 「そんな当り前の事を言って何になる。 お寺の鐘を坊さんが撞いて音が出た。 その音を人が耳の聴力で聞いたのだ」と言って納得してしまう事でしょう。 けれどそう簡単に片付けてしまえない事があるのです。 棒で撞かれた鐘は果たして初めから「ゴーン」という音を鳴らしているのでしょうか。 撞かれた鐘は振動して、その振動による音波を出します。 鐘はただ無音の音波を出しているだけなのです。 そしてその音波が人の耳元に達したとき、人は「ゴーン」という音を聞く事となります。 この経緯を合理的に説明するにはどうしたらよいのでしょうか。 そこに言霊学独特の八父韻が登場します。
667 :
存在とは :2010/06/03(木) 22:11:55 0
人がいます。向うに鐘があります。 鐘が鳴ったとしても、人がいなければ鐘がなったかどうか分りません。 逆に人がいたとします。けれど鐘が鳴らなかったら、人はその音を聞く事はありません。 どちらの場合も主体と客体の関係となることはない訳です。 鐘が鳴り、その音を人が聞いた時、聞いた人が主体(言霊ア)、聞かれた鐘が客体(言霊ワ)の関係が成立します。 けれど主体であるアと客体であるワは母音と半母音であり、「身を隠したまひき」であり、 その双方共に相手に働きかける事はあり得ません。 双方だけではその間に現象は起らない事になります。 「人が鐘の音を聞いた」という現象が生じるのは、主体アと客体ワの他に、 根源的な宇宙生命の創造意志である言霊イ(ヰ)の実際の働きをする人間の根本智性である八つの父韻の為す業なのです。 八つの父韻が主体と客体を結んで現象を起こす事となります。
668 :
存在とは :2010/06/03(木) 22:15:35 0
では八つの父韻はどんな形式で主体と客体を結びつけるのでしょうか。 主体と客体が結び付く時、能動的なのは主体であり、先ず主体側から客体に向かって問いかけをし、 客体側は主体の呼びかけにのみ答えます。 この事を父韻の働きではどういう事になるのでしょうか。 八つの父韻チイキミシリヒニは作用・反作用の関係にあるチイ・キミ・シリ・ヒニの四組から成ります。 この四組の中で、濁音が附けられる音チキシヒが主体側の父韻であり、 濁点が附けられないイミリニの父韻が主体側よりの呼びかけに答えるものです。 主体と客体だけでは決して現象は起りませんが、 その間に八父韻が入り、両者を仲介し結びますと、主体と客体の間に現象が生れます。 その時、主体と客体の間に入る八父韻の中で、 主体側の客体側への問いかけの働きとなるのはチキシヒの四父韻であり、 その問いかけに答えるのが客体側のイミリニの四父韻という事になります。 主体側の問いかけである父韻チには客体側のイが、 父韻キにはミが、父韻シにはリが、そして父韻ヒにはニが答える事となり、 その答える時現象が生れます。 このチに対してイ、キに対してミ、シに対してリ、ヒに対してニが反応し、答えること、 それを主体と客体のリズムの感応同交というのであります。
669 :
存在とは :2010/06/03(木) 23:28:28 0
存在の反対を見ると、不在不備不足欠落消滅消失、当為、無、非存在、等々列挙できます。
彼らに存在を解説させると、上記の反対語から始まります。
それらに空間的時間的な概念を重ねるとウィキみたいな解説になります。
単に現象を現象で説明するだけの、観点を換えた同義反復です。
説明できる唯一の思想は
>>666 以下にあります。
670 :
考える名無しさん :2010/06/04(金) 03:11:16 0
他人に認識されている自分 他人に認識されていない自分
671 :
考える名無しさん :2010/06/04(金) 04:48:17 O
存在について自問するのは私が存在するから?
672 :
お気に入り :2010/06/04(金) 17:25:41 0
>>670 .671
単に現象を現象で説明するだけの、観点を換えた同義反復
面白いなと思えるお気に入りのアイデアが出来ただけ
(2チャンの全ての人達に言えることですが)
>>672 実効性を示すことによってのみ、
>>666 以下の言説は意味を持つのです。
そうでなくては「お呪い」にすぎないのですから、
「思想」とは言えないでしょう。
674 :
実効性・「思想」 :2010/06/04(金) 18:51:51 0
>>673 意味を持つものは「思想」だけじゃないでしょう。
実効性に意味を持つものは「思想」だけなんですか?
実効性を示すというのは「思想」なんですか?
「思想」といえば何か意味のあることを示しているのですか?お宝ですか?
>>674 意味を持つものは思想だけではありません。
また、思想そのものは実効性をもちません。
貴方は言霊について、その調音と対応させた「ある解釈」を述べていますが、
調音について意味が成立しているのは、貴方を含む狭い社会に於いてのみです。
貴方(を含むコミュニティーに於ける)の解釈は、私との間では意味が成立していない。
意味の成立していない言説に意味を持たせるには、貴方は言霊の実効性を私に示さなければなりません。
(貴方の言霊の意味は調音を前提としているようなので、2chで示すことは難しいでしょうが)
意味の成立しない記号の羅列は、お宝云々の前に、無意味である、ということです。
676 :
考える名無しさん :2010/06/04(金) 21:49:21 0
ご高説ありがとうございます。 貴方方の理論はとても為になります。 社会的共通性が存在の根幹であるとは、、、、? 着飾った猿が咽仏を膨らまして叫んでる姿は感無量です。 イイsexできるといいですねw 他の価値観による評価が存在の本質であるのならば、其処に間違いはないでしょう。 とりあえず自分の欲しい自分以外の存在を手に入れれば満足するのでは? 存在意義を自己完結出来ないのであるのならば、其処に本質という定義は存在出来ないでしょう?
677 :
自己完結 :2010/06/05(土) 03:52:57 0
こんどは自己完結ですか。 神様ですか? 精子無しで卵が孵化というのですね。 マリア信仰をしているのですか。
壊れた人が来ている・・・
679 :
やみつき :2010/06/05(土) 05:25:16 O
人間自然界にいた時の習性なりなんなりをその時そのまますれば格好よく見えるもんだ。その時やればいいことは決まっている
680 :
考える名無しさん :2010/06/05(土) 07:00:09 0
神様を求めてる限り存在は神様の居る範囲にしかないのでしょう? その為に宗教は布教活動って始めたのでは? 信仰心で存在意義が確立出来るように。 存在と共通性が同一ならば、考える必要も無いでしょう。 事実、考えないって生き方を選択する人の方が多いでしょ? 価値観は多様性ってメリットとデメリットを持って初めて意味を成す物では? それ自体が一つの方向性を持った時に意味の無い暴走をするのでしょう?
681 :
価値観は多様性って :2010/06/05(土) 16:53:56 0
>>680 価値観は多様性ってメリットとデメリットを持って初めて意味を成す物では?
この短い文面に思いでと感情が凝縮されている。
考えを述べ意見を言って自分を主張する程度ならいいでしょう。
多少なりとも哲学板ですので、沢山の?で反省をするのは構いません。
しかし注意だけしておきましょう。
第一文。二つの「神様」のあなた内での精神次元の違いに気付くこと。
この第一文から以下の感想が始まっているだけだから、以下はおまけみたいなもの。
第二文。「神」体験もなく、思考上での追体験もないから、出てくる文章。
第三文。あなた自身にとってもあなたの精神次元のほんの片隅に場を締めているだけのもの。
第四文。読み替えを自分なりに消化したと思っている文章。
第五文。数量の大小で言える範囲を限定すること。
第六文。価値観へと内容が飛んでいるがそれを受け止めるとして、
価値を価値と価値(メリットとデメリット)でカチカチ言うだけの内容が無い言い方。
第七文。意味の無い暴走と断定。
総じて現象を現象で説明しようとする普通の文章ですので、一歩も先へ進めません。
扱う主題、態度の真面目さをもってしても切っ掛けを掴むのは大変なことです。
糞レスばっかだなw
683 :
スモ :2010/06/06(日) 18:30:35 0
言霊学のウィキ読んだけどさ こんなの考えつくのは凄いね、古代日本人は いやまあ、誰かの後付け解釈が加味されたとしても これによると、なんだ、言霊の響き?が現象を生むとでもいえるのだろうか なんだか、ひも理論のひもの揺らぎに似たような印象をもつ おもしろいのが父韻だ >父韻は時間の経過に伴う変化のリズム(律動)である。 >母音と半母音に働きかけ、子音(現象)を生むきっかけを作る。 現象を生む契機として時間の概念(=動性)を要請してる、 時間を先因的として考えられている やはり、時間と存在の関係 これが不可避なテーマになるか
684 :
スモ :2010/06/06(日) 19:13:03 0
時間と存在は相補的な関係、または互々の側面だ といったような考えはすぐ浮かぶ 時間が存在を生む と考えるとなんだか納得できそうな傾向があるに対し 存在が時間を生む、 と考えるとおかしいんじゃないかと思ってしまうのは何故だろう? しかし、 時間(または存在、その共々を)を生む何か?を動性とする考えは人の想像できるイメージを超えている つまり、「動性」(または作用そのもの)とはいったいなんだ? その説明には結局のところ、 神や親韻といった創造主、自己原因を措定しなけりゃならんのか
685 :
スモ :2010/06/06(日) 19:16:07 0
ぼくがこうやって考えている間、時間は流れない もしずっと思考していたら、人は歳をとらない
686 :
スモ :2010/06/06(日) 19:18:41 0
おいおいいやまて 存在と空間は別ものだ ・・・そうでもないか?、概念上の区別にすぎない
687 :
スモ :2010/06/06(日) 19:21:22 0
ちがうちがう 存在と現象が同義語なんだ 存在というステージの上で、現象が起こるのではない
688 :
スモ :2010/06/06(日) 19:46:30 0
まてよ・・・・ 「動性」原理による現象を説明されるならばそれは「わたし」にも適用されるはずだ 「わたし」の時間は止まり、そして動き出す 「わたし」の時間が動くとき、その原因はなんだ? 現象が起こるとは、「わたし」が起きること 「わたし」が眠りから覚めるとき、存在が、時間が目覚める 時間は常に、「わたし」のもとに還ってくる回帰的なそれ 「わたし」と他者との共時性はその時計的流れではなく、その回帰的な時間ということで保たれる そして、そのことが、「わたし」を目覚めさせる原因にもある
689 :
考える名無しさん :2010/06/06(日) 21:14:39 0
時間も存在の一種だよ。 病気になってから、今自分が何を考えているか客観視できるようになった。 断片的思想はあくまでも自己を形成する一部にすぎない。 自己がフラットな断面として、金太郎飴のようにあらわれてくることはない。 あくまで断片。それも、不完全な断片の集合体として、意識に上ってくるに 過ぎない。 その意味で、我々が追い求める自己はイデアに過ぎず、永遠に到達できない しろものでしかないのだ。
690 :
スモ :2010/06/06(日) 21:53:44 0
自己同一性は、 記憶ではなく、断片化された意識上の集合体にあるのでもなく、 意識を意識するその回帰的な時間(すなわち非時間)において、基礎づけられる
691 :
ひもの揺らぎ :2010/06/06(日) 22:21:22 0
>>683 良い処に気付かれました。あなたになら語っても大丈夫でしょう。
古事記ではありませんが他の文献での始めの神は次の通りです。
「先代旧事本紀巻第一 神代系紀
天祖天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊
(あめゆずるひあめさぎりくにゆずるつきくにさぎりのみこと)」
ここにある「ゆずる、、ゆずる」は「ゆする、ゆれる、揺する揺れる」の事で、
「あめさぎり、くにさぎり」は先天の霧中の暗中模索、後天の暗中模索」のことです。
それらは後に主体客体へと成ります。
存在とは何かはここからしか解けず、既に五千年以上前に古代大和の知識では常識になっていたことです。
現代ではノーベル賞級の出来事ですので、もしよろしければ敷衍なさってはどうですか。
ただしその大本は古事記の言霊学にありますので、再発見されたというだけですよ。
多くの方がここに気付かれれば日本は再度世界の運用に船出することになります。
非常によいHPがありますが、ご縁があれば見つかることでしょう。
というか このスレ 存在以上のことを語りすぎ
693 :
考える名無しさん :2010/06/07(月) 20:15:55 0
存在異常ですからw
694 :
スモ :2010/06/08(火) 00:20:28 0
いろいろ、考えてる
考えると疲れる
>>691 どうもありがとう
さして先述のもので十分に豊かです
あんた、電波に共鳴するまでは少し賢いと俺は思ってたんだけどなw
696 :
スモ :2010/06/08(火) 23:50:38 0
いや、おもしろいけどねえ
主体と客体を時間という俎上にのせるのではなく
時間を主体と客体に帰属させてる、というかそのことを作用・反作用として解してること
あと、ウィキによるところの親音を「意志」≒「生命」として本源的に捉えてること
これなんかショーペンさん的じゃないか
>根源的な宇宙生命の創造意志である言霊イ(ヰ)の
>実際の働きをする人間の根本智性である八つの父韻の為す業なのです。
この創造主的な原理は、個体(主体・客体)にとって無関係な超越的でなく、内属照応されていること
そういう解釈もできる
そしてコナトゥス的な要素もみえてくる
その意味だと、
>>662 の解説は強力だし、
社会学的に説いてたっぽい人の、突き詰めたもっと深いところの意味論において通底されそうな、、、
そういうニュアンスで
>>579 のを選んだりもしたわけで
(当人はどうもやっぱり浅い意味であった気がするけど、でもこの問題も意外にけっこう厄介だと思う)
もちろんこれらは、解法のベクトルはぜんぜん異なることだけど
でも、そういうことは別にいいとして
昨日もつまづいてひっかかってることは、
「世界」は開闢(かいびゃく)して在るのか、開示されつつある生成なのか
そして、そのことの「世界」と「存在」との関係についてだ
なんだかうまく説けない
これらをどう解きほぐせばいいのかで思案してる
697 :
スモ :2010/06/09(水) 00:14:29 0
哲学してるとだんだん嫌になってくるんだよなあ ときどき哲板に来ると賢くなった気がするんだが、 居続けると、やっぱりだんだん馬鹿になってくる 潮時かな W杯が始まるまで頑張るべきか だれか賢い人の登場を願いたいわ
>>662 の「客観的な存在」の方をちょっと推し進めてみると、
すべての物質は粒子の運動によって成り立っていて、
運動が停止する時物質そのものが無くなるのだから、
すべての客観的存在物たる物質は消滅の方向に向かっていると言える。
存在の向かう先が無であるのなら、存在とは無の不完全な形態であり、
無こそが永劫不変の真の存在だということになる。
生命また然り。死が生命の欠如なのではなくて、生命は不完全な死、
死は生命の究極の形態だ。
生命体から無生物へ、無生物から無そのものへ。われわれを含む宇宙は
生成とともに常に死滅に向かっている。生れたら後は死ぬだけ、
死んだらあとは消えるだけなのだ。
知覚、認識、あるいは思考といったものは生命の水面に浮かぶ波紋のようなもので、
脳内の神経のパルスであり、さらに言うならそのパルスの組み合わせパターンなのだ。
水そのものが波紋ではないように、神経の働きは思考という「型」を形成する「材料」に過ぎない。
存在について考えることは究極の存在すなわち無へのモラトリアムにあるからこそ可能なのだ。
>>699 物体(原子核)の運動が停止するのを見たことありますか?
死へ向かうことは分かっても、無へ向かうことはなかなか想像できません。
>>700 物質は停止することはないが、全て放射(光子/電磁波)になるとの予想が有力
このスレのひとたちはクワインの「何があるのかということについて」すら読んでない感じだね
>>702 ググってみたが見つからん
オリジナル名を教えてくり
>>703 Quine,‘On what there is’ in “From a Logical Point of View”,1953,
Harvard University Press
706 :
スモ :2010/06/10(木) 20:12:29 0
「わたし」が生きている間だけ「世界」があるのだろうか? いや、 「わたし」が生まれる前に「世界」はあった 「わたし」が死ぬ後にも「世界」はあるだろう 「わたし」が生きているとはどういうことか? 「わたし」である何者かが、客観的諸相において存在しているということである その何者かは「わたし」自態ではない 「わたし」自態は客観的諸相に存在しない 「世界」は客観的諸相ではない 「世界」は「わたし」自態が開示する諸相である 「世界」は客観的諸相において非存在(≒無)であり、「わたし」である何者かは非生(≒死)にある 「世界」に時間はない 「わたし」自態は「世界」に存在する 「世界」は「ことば」(ロゴス)である 「ことば」は無規定・無限定である 「世界」は「ことば」の諸相である 「わたし」自態とは、「ことば」の個態(個有・態)のことである 「ことば」の個態は有規定である 「ことば」の個態は境界をもつ 「ことば」の個態、の総体が客観的諸相である 「ことば」は個態化する喚起因であることのかつ静態である
707 :
スモ :2010/06/10(木) 20:13:13 0
「わたし」が何者かとして生まれるということ、 つまりは意識が生じるとは「ことば」が生成するということである 繰り返すが、「わたし」である何者かは「わたし」ではない 「わたし」である何者かは「わたし」自態の、すなわち「ことば」の個態が開示される客観相であって 「わたし」である何者かが死ぬということは、その物である「ことば」が消失するという事態にすぎない その物である「ことば」が消失するとは、「ことば」の個態が境界を失うということである (※「ことば」は個定的唯一的な集合ではない) 唯物的な「物」は存在しない 「物自体」とは「ことば」の様態のことである 人は「物」の感知によって「ことば」を形成するのではない 鐘の音を聴いて「ことば」で手段するのではない 「ことば」は目的として鐘の音に介相されている 人は「ことば」の無規定として先験される内に、鐘の音を手段として構築するのである 鐘の音は有規定の諸相として表される 「わたし」は「ことば」にあり「世界」にある そして「存在」とは無であり、「ことば」である
708 :
スモ :2010/06/10(木) 20:18:51 0
とりあえず、笑いたきゃ笑え 昨晩「mother」見た余韻が納まってから朝方5時頃まで奮闘した結果だ もううんざりだ・・・ わかってると思うがレスを期待するな でもまあ、大まかなデザインとしてはけっこう気に入ってたりする
709 :
スモ :2010/06/10(木) 20:34:07 0
ああ、「ことば」(ロゴス)ってのはウィキ参照によるところの >"語られる力ある言" という "人格的な、かつ神的なロゴス" というようなイメージで掴みやすいかも にしても、奇怪な産物だなw
710 :
考える名無しさん :2010/06/10(木) 21:39:15 0
自分以外が存在という定義を確立してない前提で話を進めると怪我しますね、 皆存在してる、現実的に間違いないでしょう。 果たして自己は存在してるのか? その為に客観的見地が必要。自己以外の感覚が自己を証明するって話ですよね? 間違っていたら御免なさい、自己主張とか自己表現とかって自分自身で確立するのでは? 何を持って自己とするのか、何を持って社会とするのか、 社会ってシステムが自己の為の存在であれば、その範囲内で表現したらイイのでは? 自己意思とは違う存在を認識してるので在れば、妥協点って一つの自己表現になるのでは?
711 :
スモ :2010/06/11(金) 19:27:17 0
なんで人は哲学するんだろな? 価値観のため? その必要のため? それは欲求だから? ぼくはちがうと思うんだな 不思議を感じたときに哲学する 哲学は不思議から産まれた だから、生きるために哲学するんじゃない 哲学するために哲学する、これが正しい それは世界が不思議であるなら、真である なにが言いたいかっていうと、 「間違いない」ことが世界に見つかるなら、哲学する必要はない 「その範囲内で表現したらイイ」のだと思います
712 :
考える名無しさん :2010/06/11(金) 23:10:00 0
>681楽しい文章ですね。 数値化という協調性を否定しながら、自分自身が其処に共通せいを求めてる。 表現は無限でしょう、言葉は際限ないでしょう此処は共通性の分野では? 残念ながら、神に対する実感ってのは無いですが。 その依存性には疑問を感じます。 誰かの許しを請う行為が本質的な存在の意味を持ち得るのでしょうか???
713 :
やみつき :2010/06/12(土) 04:09:13 O
夜が明けますね
714 :
考える名無しさん :2010/06/14(月) 02:06:46 0
数学を仲介すると 永遠の時間をかければ数値は積分され視覚表現が可能になる 数学では機械的計算を省略するが、そこに存在があるのでは
永遠の割引数値ですな
716 :
考える名無しさん :2010/06/26(土) 10:29:22 0
一である存在が一でその終末を迎えるのであれば そこに存在は在るのでは? 得た物に対価を求めるのであれば、今現在はイイ社会であるのでは?
717 :
考える名無しさん :2010/06/26(土) 12:08:03 0
You put a note in my pocket, said be good to yourself, but that was all. Life being what it is, we all dream of revenge. Open your eyes for a second, just to roll them at me.
718 :
考える名無しさん :2010/07/01(木) 20:02:44 0
皆それぞれが解ってるのでは? その問題に必要なのは共通性では無いでしょう。 実感出来る、そこが個としての本質では? 理解不能な存在も、手を触れれば一つの存在では? 安物のj−popでも共感出来るって馬鹿ばっかりいるじゃないですか(w) 芸術って価値観でしか無いのでは? 価値観を個として実感出来ないのであれば、其処に存在は無いでしょう?
719 :
考える名無しさん :2010/07/02(金) 20:56:26 0
短絡的な文章でした、色々と表現的な間違いがありました御免なさい。 共通性を求めるのは、自己満足で終結したくはないからでしょう、 実感したから、考察する現在に到ったのでしょう。 それぞれが、自分自身の価値判断を持った時にそれを表現しようと試行錯誤するのでしょう。 誰かに解って欲しい、的な。 存在を突き詰めれば共通性なんて存在しえない。現実を見据えてれば、そうなるでしょう? 貴方はどんな人とも違う、銀幕のスターとも、ステージのアイドルとも。 共通性が存在の本質であるのならば、ここで何を疑問に想う必要があるのでしょうか? 本当に探している答えは?
720 :
考える名無しさん :2010/07/02(金) 21:15:12 0
言語で分節される以前のものについて 分節後からあれこれ推定すること
721 :
考える名無しさん :2010/07/03(土) 03:16:04 O
存在とは認識 認識とは論理性ですよ
722 :
考える名無しさん :2010/07/04(日) 01:43:19 0
言語あっての論理性だろ
認識できないものの存在を措定する論があるかぎり 存在は認識とは独立だよ
724 :
考える名無しさん :2010/07/05(月) 01:00:43 O
唯物的には認識=存在だよ 君が言ってるのは観念であって存在ではない
唯物論とは任意の対象が認識とは独立に存在すると主張する論 君の「唯物論」の用法は適切ではない
726 :
考える名無しさん :2010/07/05(月) 12:40:07 O
なにを意味不明なことを言ってんだよ? そんな君の勝手な解釈がまかり通るわけがない
729 :
考える名無しさん :2010/07/06(火) 01:19:49 0
たとえばさ、何か悲劇的な事があって 「私はこんな現実は認めない!こんな事はあってはいけない!」 って叫んだら、目の前の現実は叫んだ人がそう望むとおりに変化するの?
730 :
考える名無しさん :2010/07/06(火) 01:28:47 0
なにを意味不明なことを言ってんだよ? そんな君の勝手な解釈がまかり通るわけがない
>>722 んなこたーない。
言語を操ることが出来ない動物の行動に論理性が一切無いってことはないだろ?
だから言語は論理性の前提だって考えは明白に間違い。
「論理性」の用法が曖昧すぎる
>>731 動物の行動はすべて刺激に対する本能的な反応。
そこに論理が見出せると考えるのは話が逆で、
人類は本能が衰退して言語と論理と文化で代用している。
動物のように本能がしっかりしていれば、言語も論理も必要ない。
734 :
考える名無しさん :2010/07/06(火) 14:00:52 O
論理的な行動に言語なんて必要ではないよ 例えば、食料となる動物を罠を使って捕る これも2手先以上を考えた論理だからな
735 :
考える名無しさん :2010/07/06(火) 14:44:26 0
言語を持たずに罠を開発できる動物なんてない 罠を使う動物は本能に刻まれた罠しか張れない 人類が罠を開発できるようになったのは言語を持ったから
どのように言語を持つに至ったか説明してくれるかな?
737 :
考える名無しさん :2010/07/06(火) 16:38:38 0
お前が罠が言語より先だと証明できたらな
罠なんて蜘蛛でも作ってるが
739 :
考える名無しさん :2010/07/06(火) 18:44:39 O
下らない。玉蹴よりも下らない。
存在するとは束縛変項の値であることだよ
741 :
考える名無しさん :2010/07/07(水) 00:33:57 O
論理ってのは思考のつながり、法則も含んでんだよ 言語に限ったものではない 火を起こす原理も論理的思考で理解するわけだ 言語が生まれる以前に人間は火を起こしてたさ
意味がわからない
743 :
考える名無しさん :2010/07/08(木) 07:31:05 0
前提を有る、存在と仮定しようというだけだろう。 その結果理解に不都合だったら破棄して他の前提を考えればよいのだが 存在以外に前提は「存在」するのか?という話になる。 つまり存在という前提は必然で、問われるべきものではない。
744 :
考える名無しさん :2010/07/08(木) 07:40:04 O
存在とあるが存在性を問うてるだけだろ 未だに見つかってないんだから誰も知らない
「存在」は述語や性質じゃないよ
746 :
考える名無しさん :2010/07/08(木) 20:08:15 O
>>745 アホかおまえは?
日本語はあえて略すとかあるだろ
論理学知らないんだな
748 :
考える名無しさん :2010/07/09(金) 11:40:39 O
知らないんだな?とかうそぶく前に論理学で説明しろよ
述語論理でググって勉強しなさい
750 :
考える名無しさん :2010/07/09(金) 21:05:36 O
だからおまえ自身から説明を受けたいんだって 説明出来ないんだろ? だから投げやりなことしか言えない
存在とは束縛変項の値であることだよ 述語論理の基本だよ
752 :
考える名無しさん :2010/07/12(月) 17:04:12 0
>>738 それはDNAに命じられた作り方。蜘蛛が自分で考えて作ってるわけじゃない。
DNAの中に論理と呼べるものがあるという見方もできるが、それはあくまで比喩。
意識的に展開できないから。
>>741 思考も法則も言語を前提にしている。
言語がない時代の人間は火も起こせなかった。
>>752 意識的に展開できなきゃ論理的でないとするなら、
ピタゴラスイッチは論理的じゃないことになるが、その定義は
広くに受け入れられるかねぇ。
754 :
考える名無しさん :2010/07/21(水) 22:38:07 0
反射と反応が存在であるのならば、昆虫なんかは存在の塊でしょうね。 論理と言語形態が存在で在るのであれば、人、若しくはそれに類似するもの以外は存在し得ない。 雲とか風とか花とか、そういう物が存在であるのならば、「其処に在る」が存在でしょう。 主観、客観、達観。日本語は便利ですw 実感って物はどんなに否定しても存在するでしょう、本能を排除出来ないのと同じ理由で。 思考や法則が言語に依存するのかは疑問が残りますが、言語も一つの表現でしかない様に思いますが? 咽仏を膨らましたり、毛を逆立ててみたり。
人類史上、人間の思考は言葉を介することによって進歩して来たことは間違いないが、 非言語的思考つまり表象がまず初めにありきであることは言うまでもない。大脳の前頭葉 において言語化される前段階の思いやイメージを表象という。だから、人間は表象を言語 化して思考すると言うことも出来る。
スレちがい
757 :
考える名無しさん :2010/07/27(火) 02:09:20 0
宇宙の存在は誰が保証しているのか? 神か? では神の存在は誰が保証しているのか?
思考などをする道具として言語がある 使い慣れれば手放しづらくなるかもしれないし 何より他の道具を使いこなせるのかによるかもな