ニーチェ 十四

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541考える名無しさん
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1154313624/659-661

よかったらドゥルーズ読者、研究者の方からの情報をいただきたいかと思います。
このスレ的には初歩的なことでも、上スレ的には非常に重要です。
よろしくお願いします。

ちなみに、さらにこの議論に参加される方は全スレの流れも把握していただければ幸いです。

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1154313624/

もちろんこのスレでの情報提供でも結構です。

以上告知でした。

スレ汚しスマソ
542ヘロデ大王:2008/09/13(土) 14:45:23 0
>>513
>たまに、その種の人間の学校が多い場所に居合わせた時に、彼らはその近隣の駅のバス停で騒いでいた。
>彼らは正直、見ていて危ない。いつ突進してきかねない雰囲気を兼ね備え、大声で突然わめきちらし、
>万一それがこちらにきたとしても、注意できないから。
いいねこれ採用するよ。
こうしたらあんたもニーチェも生まれる前に抹殺できるわwww
543考える名無しさん:2008/09/13(土) 23:06:32 0
>>541
ニーチェをさらに数学的/哲学的に問いつめてそれを応用したドゥールズも実はニーチェよりさらに進んだ訳ではない

ただ永劫回帰が無限にあるとしても、
それはn個に数えられる、あるいは数えなくてはならないのが哲学/数学/神学?の強迫的衝動だとして、
とりあえずドゥルーズはリーゾムと仮構してみた

しかし常に1=一=位置がある
匿名で語ろうが語られようがanythingが超メカニズムの中にイマージュや表象として紛れ込んでくる

ここでやはりニーチェに立ち返る
力への意志とは、このn個のイマージュと表象へ差し向けられたはずではなかろうか

その力への意志にも再びオィディプスがイマージュと表象を植えつけようとするがそれでも分裂症と名付けられても起動と睡眠を繰り返すこと

超人とは別にこのスレにも普通にいる

544考える名無しさん:2008/09/13(土) 23:36:58 O
DZ的サイコロ振りは言語と身体という原初の分子のみからなる猛り狂った痛ましい混沌の比喩です。
NZ的なそれは比喩ではなく要約不可能であるような身体的現実があり、縦の差異が横倒しされていくことは無い。
545考える名無しさん:2008/09/14(日) 00:00:55 0
>>544
NZが呪われた身体的現実のための精神的処方箋だとして
DZはFGに欲望する諸機械の一部であることを悦ばしく思えと励ましにも何にもならないことを平気で言ってのけた

いつかは見る前に飛ばないといけない

もちろん身体を魔改造できる時代がくればいいのだが
ルンペンプロレタリアートにそれは可能なのかどうか

KHM
546ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/14(日) 11:59:59 0
>>542
>こうしたらあんたもニーチェも生まれる前に抹殺できるわwww
ヘロデ大王くん。
君、私の書いた事を最初から読んでないか、もしくは頭悪くて理解できなかったようですね。
でも、ひとつ気づいたことがある。
「こうしたらあんたもニーチェも生まれる前に抹殺できるわwww 」
この感情の方の人間がうじゃうじゃいた方がいわばナチスとその配下のような人間達が引き起こす現象には
都合が良いだろう。復讐感情を"単純化"できるから。
仮に、間引きをするとしても、復讐感情からやることをニーチェは望んでいない。
ってことを言いたかったのさ。それをやったのはナチス。
君の名前の子孫達も悲しいことにそうやって虐殺されたわけさ。
それともうひとつ。
私は身体不具者じゃないから、間引きにはならないのさ♪
でも、君がニーチェ及び私あるいはその他漠然と憎らしいから、そうしたいんだろうけど?w
547ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/14(日) 12:03:38 0
>>543以降パス。
気取っていてわけのわからん専門用語でいっぱし思索しているふりをしているw
無能ってのは複雑な表現を好むし、なんでも複雑にする。
それは自分の無能を隠蔽するためだろう。この種の概念や数学的思索で、
裁かれちゃ話にならんね。
でも本人達はこれが楽しいらしい!

548考える名無しさん:2008/09/14(日) 14:04:23 0
>>547
>気取っていてわけのわからん専門用語でいっぱし思索しているふりをしているw

おまえはオイディプスか?わからんくせに感想吐くなボケ

>無能ってのは複雑な表現を好むし、なんでも複雑にする。

どんな有能な人間でもおのれの無能に突き当たる場面がある
それに気づけないくらい現実的地位があなたにはあるのだろうな
ブルジョアに幸多からんことを

>それは自分の無能を隠蔽するためだろう。この種の概念や数学的思索で、
裁かれちゃ話にならんね。

別に裁いてる訳ではない
ひとつの無能にしょーもないイマージュや表象を植え付けようとするオイディプスには、
お前実生活で友達いる?

>でも本人達はこれが楽しいらしい!

もちろん
これは否定しない
何を喋ってるか意味不明なら感想吐くな
論破じゃなくて俺には意味通じないけどって
お前土人?

549考える名無しさん:2008/09/14(日) 22:46:51 O
NZ
て書きたかっただけだ

冗談も理解しない大日本人よ

550ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/15(月) 09:11:50 0
>>548
君の言っていることさっぱりわからんよ。
多分、その手の人達の書物読んだことない人は、何について考えて、何を答えたいかも多分さっぱりわからないと思う。
それは馬鹿なんじゃなくて、単にある人の概念を知っているか知っていないかという違いにすぎない。
それはドゥルーズなりフロイトなりの専門用語で語っているからというただそれだけのことさ。
だから君の読んでいる書物を読めば、君らの語っている内容も、語って何をしたいかも、
何ゆえにそれらを語りたいか、思索したいかもより"鮮明に"わかるだろう。
ただ、そんの君のためにいちいち彼ら読む必要は個人的に感じないし、個人的にもそれらを読んでみようと思わないから、
ゆえに感覚的に君の文章見て感じたことを吐露したまでさ。
その方が、君が思索したい内容や君の性格を知るのが早いと思ったから。
それで私が何か気に入らなくて、無能だと言ったか?
「読んでいる内容批判じゃなくて、漠然とした雰囲気批判だよ!」
君のその「論破」には劣等感が含まれていると感じたからだよ。
例えば、思ったとおり君の怒り具合から相当の自己憤懣、劣等意識、その非力感からの攻撃意識すら臭う。
こういう読者が大勢いるってのは相当危ない風潮だと感じるな。
自己不満からの、非力感からの読書衝動の中に、この世に膿んだ怨恨や劣等意識ゆえの
書物論破達成感や、さらにその達成感ゆえに流し目で見る復讐心らしきものが含まれていそうw
>おまえはオイディプスか?わからんくせに感想吐くなボケ
ここで「お前は俺が思索している内容もわからないくせに」の意味だね。
当然、概念知らない。でもそれだから、感想吐いて悪いか??
そもそも話された内容の批判なんて"一切"してない。雰囲気批判だ。
しかも、いきなり私に対して「オイディプス」・・・orz
(自分自身のことだったりして・・・でもそんなのは別にどうでもよいけどね。)
551ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/15(月) 09:15:05 0
>どんな有能な人間でもおのれの無能に突き当たる場面がある
>それに気づけないくらい現実的地位があなたにはあるのだろうな
>ブルジョアに幸多からんことを
残念ながら君の抱く私へのイマージュはハズレ! "ブルジョア"じゃないしね。
ただ、君が憎んでいるような、社会的権威を振りかざしたり、安定した地位を武器にするような人間じゃないと自負しているよ。
「無能」ってのは、自分の中の限界って意味で捉えたようだね。そんなものどんな人間でも気づくさ。
それでも、非力ゆえの読書衝動、それを習得して劣等感が埋まったかどうか?
むしろ痛々しい。
>別に裁いてる訳ではない
"裁いている"というのはちょっと誤解をうんだようだ。
「全ての事象を既に考えられた人の思考に自己をねじはめることで、物事全てを概念的なものでウェールに包む」ような感じがする。
文字通り無意味!
>ひとつの無能にしょーもないイマージュや表象を植え付けようとするオイディプスには、
これは君に対しての俺?
俺に対しての君?の"イマージュ"。 もうちょい明確にしてくれない?
「オイディプス」君w(君がオイディプスかどうか知らないが、一応君の呼び名にしたい。)
>お前実生活で友達いる?
ご心配なく♪
>論破じゃなくて俺には意味通じないけどって
論破してないから、意味通じないよ。
論破しようとも"今は"思わないけどね。
552ヘロデ大王:2008/09/15(月) 14:13:40 0
漏れの神は全能だからw
有能とか無能とか超えてるわけw
有能な奴なんかいくらでも無能にできるわけw
だから平等に無能であり、有能だよ、藻前らw
超人を出してやってんのも漏れの神だしな
第一「超人」ってゲーテのファウストのパクリでしょ?w
「超人」だけ語りたければニーチェ読まなくてよしw
漏れの子孫が書いた漫画の方を読んでくれw
それよりヨブ記でも読んでメフィストフェレスを超えた神を知れw
ゲーテは「永遠のユダヤ人」だよ、藁
>>546
は?あんな連中シオン長老の手先に過ぎんだろうがw
あの連中が使った毒ガスも漏れの子孫につくらせたんだよw
その「神の知恵」をわからないのもお前の限界だわなw
造物主を敬えよw奪うだけに能しかない「ヤペ」リシ「テン」人よw
後さ選民思想とかハンムラビ法典「目には目を」は
たった20世紀の前半で出る幕閉じた連中より古い伝統を持つ漏れの神の一族のものだからw
553考える名無しさん:2008/09/15(月) 14:26:20 0
ベツレヘムの赤子殺しを復讐だなんてどんだけ馬鹿だよ、藻前w
あれはお告げなんだよ
うん選ばれたんだよヘロデ大王様は。
レオポルドとローブみたいにね。
ユダヤの民こそがアメコミのスーパーマンだよ、世界に冠たる優等人種。
それを示すための単なる道化に過ぎんよヒトラーくんは。
もうアーリアン学説なんて白人至上主義者でも信じてないでしょw
554考える名無しさん:2008/09/15(月) 14:45:29 0
いずれにせよ漏れは赤子のヒトラーを殺したパラレルワールドにゆきますのでもうこの糞スレにレスせんわ
約束されてない諸君は取り残されるのだ、ずっとここの歴史に縛れてw
約束の地はローマを滅ぼした蛮族の愚行の一歴史だの食卓の話にすらなってないよ。
ニーチェなんて人、いたっけ?っていってるよ。
でも漏れと君にはずっとパラレルを超越したヤハウェたんがついているよ。
怒りと煽りの神が。いつまでも思考も行いも永劫ループしときんしゃいw
555考える名無しさん:2008/09/15(月) 16:13:40 0
>>539 :永劫回帰1200回 ◆TFnqGXDHBQ

>ああ、やっぱりこんな仮説ばかげているわ!w
>これは単に思考の遊戯だと思う。

永劫回帰説も、ニーチェの他の思想同様、キリスト教批判の観点から見ないと分からないよ。
ニーチェはキリスト教的な有限な時間概念(終末論)を目的論的時間概念として批判している。
永劫回帰説はそういう目的論的時間概念に対するアンチテーゼであるね。

ニーチェは永劫回帰は「仏教のヨーロッパ的形態」であると書いている。
つまりキリスト教の終末論に対して、仏教の輪廻を対抗させたわけだ。
しかしそれは輪廻そのものではなく、あくまでもその「ヨーロッパ的形態」。

ニーチェは仏教の「涅槃」を「無」と解釈した。
そして仏教が輪廻からの解脱を目指すかぎり、仏教は無への憧れを持つ
ニヒリスティックな宗教であるとニーチェは考えた。
そのような輪廻とは違って、永劫回帰については「無への終末もない」と書かれている。
この点に輪廻からの解脱を目指す仏教との決定的な違いがある。

キリスト教の終末論をやっつけるために仏教を持ち出して、ついでに仏教も批判しちゃってるわけですね。
556サルコンチマンチネンタル:2008/09/15(月) 19:09:09 O
脳内距離が零度になるとさ
外的で支配的な力がさ
ガッーと降りてくるわけじゃないですか
身体もろとも領土化される、というか、
日常的に反復されている領土化のモーメントがクリアに感じ取られることがあるだろ?
なんでなかったことにすんの?
そのほうが賢くて強いから?
557考える名無しさん:2008/09/15(月) 19:52:15 0
おまえらって形而上学的なこと考えながらイクの?
キモちわぃ〜www

俺は無理だわ。
http://blog.livedoor.jp/np_fox/
558雀蜂の巣 ◆RFOoZcwLII :2008/09/15(月) 21:43:27 0
559雀蜂の巣 ◆RFOoZcwLII :2008/09/15(月) 21:47:42 0
560雀蜂の巣 ◆RFOoZcwLII :2008/09/15(月) 21:51:27 0
561考えるな無しさん:2008/09/15(月) 21:53:02 0
希望通りきてやったぜ
562考える名無しさん:2008/09/16(火) 00:13:05 0
>>550-551

>>541にかなり長い引用も含めて俺の考えてる事の一部をいまのわかる範囲で提示した

かなり間違いが含まれてるのは承知だが、それを含めて応答たのむ
その上での嘲笑はうけとめる
ただ嘲笑とは俺にはアンチニーチェ的存在からの応答に思える
もしそれがあなたの態度ならそれでもいい

俺はニーチェの文献のいちいちに、もちろん拙い講釈はたれれるが、そんな事はもう無意味、というか解釈にしかすぎないし生きる上での役には立たない、と思ってる
ニーチェは常に怒っていた
しかし、この人を見よ、とまで言いながらおのれの内的権威をいくら強化したところでそれはニヒリズムでしかないのがわかっていた
しかしエゴがある

それを「無」といって涅槃を信じられるような豊かさは、
仏陀のいたインドならいざしらず(これは妄想でしかないが、ただ仏教とカースト制度を別にして理論として語るなら、西田幾太郎のようになるだろう)、ニーチェの生きたヨーロッパはもっと野蛮な精神がつんと構えて制圧してた

いやもうこれは俺が生きた人生とニーチェとその背景から感じた、
俺のエゴでしかない
でもそれを「零度」のままでは終われない

>>555
>ニーチェはキリスト教的な有限な時間概念(終末論)を目的論的時間概念として批判している。

しかしendは絶対にある
時間空間が永遠としても(これはもう物理学の世界)
種としての限界はある
数十億年後に太陽が消滅したとき涅槃にワープできる能力が備わっていたら別だが

 
563562:2008/09/16(火) 00:13:48 0
>「全ての事象を既に考えられた人の思考に自己をねじはめることで、物事全てを概念的なものでウェールに包む」ような感じがする。
文字通り無意味!

ノイマンは究極的にはコンピューターは二ついると予言したらしい
しかしいくら考えても自己はひとつしかない
にもかかわらず手に余るほどの人間の介入を許し、また介入せねばならない

そんなの警察にでも任せておけば?
しかし自分の妹が惨殺されたらただじゃすまんだろ

これはもう俺の妄想でしかないのだが、究極的には、人間の脳は有限に(仮にスーパーコンピューターですら数え切れないとしても)差異があって、
しかし究極的には0と1しかないと馬鹿げた事を考えてる

しかし介入してくるn
それが俺をオィディプスに変える
もっとも嫌悪してる存在に同期してしまう

もう喋らない方が良いのかな?


564562:2008/09/16(火) 00:21:00 0
いや1と1'かな

ここらは脳神経の研究者からコンピューターの専門家まで含めてもうすでに結論めいた事はでてるかもしれない

でも溢れ出す感情を、これがニヒリズム?
ともあれ身体を魔改造しなければなるまい

俺の出せる結論は平凡な人生訓
しかしその根本には誰もがわかる数学的/物理学的理屈が必要と考える
神より頭の良い存在はいない
アインシュタインが哲学者ならどう答えを出すだろう

もう黙る
565考える名無しさん:2008/09/16(火) 02:27:17 0
              ,r'ニ二..__ ` ,r‐','r==‐-、ー、__
           、  illi,r‐-,.,、,,-,/',' j",''彡三ミ=-、`ヽ、
           ヾ、、ヾミミヾ、ii/i!i' i)li'彡''-'"ニニミミ-、_ヾ、
           三ヾ、ミミミヾー、ヾヽ!!iッ',','r',-=ニニ=‐=ミミ、ヾ、
        _,.-‐=ニミ、ミ,-ミヾヾ'´`゛゛゛`''"´'´"""'''ヾ、ミミミミミ、`
            ,r'´,ィ´-=ニ -‐ - - - - `ヽ 、__`ヽ、ヾ `ミヾ、ヾ、
        ,='´,',/ィ´‐'´ ̄  ̄`二 二 `ニ`ー-、`-、ヽ  `ミミミヾ、
    `-、_,r三-‐',,!,'ィニ´...      ー - - 、__`ヽ`ヽヽ   `ミミミヾ `ー、
     r'´i',',' ,' l', ,iiilllli‐、     ,,,iiiiiii,,,,,,,,,ヽ ` ` `  、ミミミミ、、. ヽ
    ,イ lii'/ ,', l' '"´          "    `、    ';'ミミミミミヾ、
    !ヽ lヘ  ,',!  _r==、_ 、      =‐-、   !   ミヾ、ミミミミミミヾ
     `ノ   ,! ,.k''てヾ、 .)   / _r'7‐iヾヽ  !   `ミミミミミミミミミミヾ`
    _,.-'ソ i  ,',l  /`ニニン ,!   ヽヾ二ニニ´ ー     ';,;ミミミミミミミミミヾ、
   ノ  /7j'l, .l 彡`ー‐'´ /   `   `ー-、_・`,、_ ・   ';ソiヾ/`li`ミミヾヾ
    ノ '' !i,','l'   ・ ,.-/   ヾ ヽ、    `  ゛ i ノ  "ソ´ ,ノミヾ`!liliト、
   '´ '´ ー'´ノ l  ,   i!      ' `i 、       ヾ,   )  ,!、`、ヾjlililト、
    `ー、_,=ニ,' l i  ,,,,,,`ー--'´`` '  ヽ  .  ・  !. , ' " Yノミ`、`ソjlillil!
         ノl l! ,;'"  ""''''""""''''''':;,,ヽ  .   :; ' l丶 j´ソミソ'彡j!jl!
.          l i."';,,.,,.,,.,,.,,.,,.,,,,...,.,,   "';,    ,:;  ノ`=' "゛゛='ソ jliソ
          ヽ ヽ  /   i   "ツ'';,.,,;'.     ,! , ,ィ´     ``ー-
         __,.....ヽヽ  l      i'´,ィ  ;     / ,ィ´
__,...--‐'''''´ ̄   .ヽヽ l  /   i´.ィ   ,  /,ィ´
            _ヽi ヽ !  .,!     ,! ,.ィ´
       __,..-‐''´  `!、!、____,イ    _,'-'
566考える名無しさん:2008/09/16(火) 02:29:13 0
天才と呼ばれる偉人という者達が、天才と言われたのは、ひとえに
「自分の仮説を信じきらざるを得なかった。」という部分だろうし、もう少し掘り下げるのならばそれは同時に、
「それ以外の方法が思い浮かばなかった。」という事でもあるのだろうと思う。(例え、思い浮かんでいたとしても、それを実現出来なかった。)
私達は、その偉業についてを褒め称え、その偉業だけを後世に伝えようとする。
だけど、
彼等は、伝えようと、もがいてももがいても、伝わらなかったのではないか。
だから、結局、その人達は、実証せざるを得なかった。
鼻歌交じり。の時もたまにはあっただろうがw
その殆どは、必死の塊だったように思うのだけど、んん。かいかぶり杉だろうかね・・・?

イメージ上は偉人とは常に栄華に包まれていた。というような勝手な妄想にはめ込めてしまうけれど、
人間としては、心臓が、ドックンドックン。喰うもの喰って、糞もする。
そういう生態としての同等。とすれば、それはあまりにも辛い道のりの連続だったのだろう。と、感じる・・・。

もし、この人間界に「物理」というものが無かったとしたら、アインシュタインはただのFOOLだったかもしれない。
妄言・狂言を吐くだけの、近所のキ印おいちゃん。でしかなかったかもしれない。
その時、その時代、その時のその人の環境、etcそういう様々な重なり合いが、「たまたま」その人を偉人に押し上げた。
・・・そうして、歴史を紐解く、だけどそれは既に脚色された物語だと割り切って知っていくようにしないと何かが転倒するように思う。
567考える名無しさん:2008/09/16(火) 02:31:33 0
過去というのは、「既に出来上がった世界」である。
だから、私達が歴史という過去を知る時は、それがグーであるかチョキであるかパー♪であるかを知った上で反芻する事となるのだが。。。

例えば、現代のレベルの自動車に乗る。
既に出来上がった、「回答」について、フィーリングがどうとか、加速がどうとか、そういう事をほざく程度であれば、
小学生にだって出来るだろう。
だけど、
現在のレベルの自動車を、「モロまねでいいからいちから作ってくれ。」と言われて、誰が出来るだろうか?
金型を作る?鋳鉄技術。フレームをくっつける?溶接技術。図面・材料だけは貰えているので、再計算・材料調達までは必要ないとしても、
その規定値を出す為の精度を個人レベルで出してみないとならない。タイヤも作らなくてはならない。キャブも?ガラスも?シートもも??
・・・。おそらく、なん十、なん百、なん千、何万と出来損ないのパーツを作りまくるに違いない。
それでも、それを個人でやりきるなんてのは、不可能ではないだろうか?(一生かけたとしても。)
そういう意味では、現代は既に奇跡の塊だとも言えなくはない。

結局、我々にとっては、それは歴史であり、過去であるが、当人にとってのそれは常にライブであり、「今」であった。
此処に温度の開きが出来た時、我々はその偉人の実像を見失うのだろう。

多分。
568考える名無しさん:2008/09/16(火) 02:45:16 0
おえ・・・・・。
こういう文調はダイキライなのに、やってしまいました・・・。
(うぅ。だから酒呑んでないとダメなんだとあれほど・・・)

んん。なんだか、き・つ・い・・・・
・・・こういう時は、、、寝よう。ん。そうしましょう。
それでは、私も


バイバイキーン☆
(しかし、アインちゃんって、ベロ長くね?っつか長くね?)

お・し・ま・い
569ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/16(火) 05:46:11 0
>>565
お久しぶりどす!
ヘロデ大王さんの子孫のAAだ!

>>555
これまたおひさしぶりです。確か前スレで話しましたね。
>永劫回帰説も、ニーチェの他の思想同様、キリスト教批判の観点から見ないと分からないよ。
とりあえず、ニーチェ自身の語った永劫回帰については何度か考えたが不明。(気が狂う)
ただ、wikiで理解している人達が多そうだったから、(たまにはそれに合わせて)wikiのを読んで見て感想述べたまで。
>ニーチェはキリスト教的な有限な時間概念(終末論)を目的論的時間概念として批判している。
個人的にも終末論的な時間尺度の方向性を人間に植え付ける時間概念は嫌い。
上でも言った様に、私は"生き物的な時計"としての時間存在自体を否定している。
ニーチェもそれが前提であるような感じがする。
でもニーチェの時間観念及びそこからの破壊感情の類は、
"人間形成体未来"感覚としての「時間観念」=終末思想自体も救済をちらつかせる精神腐敗者の麻痺などの心理的批判に感じる。
ただ、年代的にツァラトゥストラ以降の本は読んでないから、キリスト教批判の細かい内容は個人的には知らないから語れないね。
>永劫回帰説はそういう目的論的時間概念に対するアンチテーゼであるね。
これは同意です。永劫回帰説じゃなくても、ニーチェ自身の生存の眼差しから漠然とそれは伝わる。

以下仏教系はてんで知らない。
(ブッタの思想に精通してないという意味なので、コメントできない。)

>>562
>かなり間違いが含まれてるのは承知だが、それを含めて応答たのむ
時間空き次第読む。
570562:2008/09/16(火) 15:03:27 0
いま考えてる事の情報を追加する

アルキメデスは風呂に入ってお湯が溢れ出たとき、
ニュートンはリンゴが木から落ちた時、
何かを発見した

これは今の視点からみれば偉人、いやとういより偉大な「物理学者」のちょっといいエピソードにしかすぎない
しかし当時の周りの人間は彼らを見てどう思っていたか?
そんな事をしてる暇があったら働け、金稼げ、田畑耕せ、子供のおもりをしろ、おまえ頭大丈夫…etc

しかしかれらはその些細な事に法則を見つけた

 
571562:2008/09/16(火) 15:05:14 0
哲学〜文学〜精神分析〜文芸批評(特に日本と68年にかかわるフランス)
そこに介入してくる資本主義と性欲とテロリズム、そして分裂症

おそらく欧州の思想はそれを進化論的に社会構造(特に国家と法と資本主義)をチェンジしながら進んできて今に至る

柄谷行人はこれらを「心(ハートから性格から心理から精神から全て含む)」に還元せずに考え続けて、もちろん間違いも含まれるが、いま長池講義に至ってる

しかしNAMの失敗とは何か??
西部忠の地域貨幣Q、柄谷のNAM、これらの理論がおかしかったから??
いやたとえそれにしても、それにしてはあまりに気違いじみてまるで自分を主張しない事が恥であるかのようにエゴをあたかも人間の基本的なあり方かのように振る舞い、振る舞われた

もちろんこれが全てではないが、
俺はこう考えた
むしろ彼らには良心回路が欠けている、と
キカイダ−01(コンピューターの基本単位は0と1!)は00、ビジンダー、ハカイダーもろとも弟のキカイダーにだまされてテロルで電磁エンド(end!)で粉々に破壊された
しかし、そんな良心回路は必要なのか?

「心」の基本構造を法則としてもし提示したら、ナチズムが正当化!されてしまうかもしれない
あるいはアメリカのグローバリズムは世界を制覇するかもしれない

 
572562:2008/09/16(火) 15:09:12 0
しかし仮に「原子爆弾」が開発されようとも法則は生み出されないといけない
もし神が人間を滅ぼすなら、俺は死んでも本望だ

しかし神には法則が必要

ただひとつだけ留意
神は進化論を語った事はない
人間は神に至らない
むしろ人間である限り、常に神(これは原理でも法でもない)に控えて行動しないといけないと俺は考える
それは宇宙の誕生をウルトラ宇宙人が科学的だか超能力だか霊感だか空中浮遊だかで生み出したとしても、そのウルトラ宇宙人にも神がいる

卵と鶏がどちらが先ではなく、それ以前に神がいる
神を0としても、そのマイナスを思考しなければならない

とりあえず今日はここまで
573562:2008/09/18(木) 00:10:01 0
追加情報

暦について考えてみた

西暦
イスラム暦
タイ仏教歴
日本暦(天皇暦?正式名称は忘れた)

ほかにもあるかもしれないが、どれも紀元前と紀元後がある(と思われる)
日本だけ神武天皇が起点だが

これを偽史か真実かは、俺は知らない。
ただ言えることは、どれも神を境に歴史の数え方がかわっている
日本だけ起点だが

あと異なる暦の統一OSを作る必要があるのかないのか?
windowとmacとlinax
別に統一にする必要はない
互換性を高めると同時に相手のOSを誤作動させなければいい

冷静に考えればイスラムのピュアな殺人衝動もこわくない
ヤクザのすみかに爆撃したら、そりゃ埋められるだろ
574562:2008/09/18(木) 00:15:01 0
よかったら
山口組 鳴海清
ぐぐってみそ
575562:2008/09/18(木) 00:29:27 0
猿の解剖は人間の解剖に役立つ
逆だったかな?

KHM

日本史の解剖は世界史の解剖に役立つ

宇宙が零(基本原子)からできてるとしたら、日本史(天皇制)から日本統一までの1600年の歴史(これ神武から何年?)は宇宙統一の歴史
しかし外部があった。
いま地球はき丸いのが普通にわかる
丸い、円、級
ここに外部を現前化させねばならない
ウルトラマンが誕生して去ったのが確か昭和41年
以後シリーズは更新を重ねるが、みな帰っていった

ロボット、モビルスーツ、スーパーサイヤ人、スタンド、零号機…etc戦うツールはいろいろデザインされるが、
ヤプールが攻めてきて戦えるか?
あるいは漂流教室に送り込まれたらどうなる?

SFという想像界の実現に科学が向かってるとしたら、明日東京にゴジラが現れても知らない
576562:2008/09/18(木) 00:33:51 0
鳴海清に比べれば
イエスはまだまともな死に方をした

十戒によればだが
577考える名無しさん:2008/09/20(土) 02:21:21 0
>>571
NAMの失敗の原因はマルクスの排他的な政治主義を延命させた点にある。
カントの倫理を外から追加するだけではダメなのだ。
マルクスは価値基準としての国定通貨を絶対化したからそこから地域通貨の応用は生まれない。
NAMはゲゼルやプルードンに依拠するべきだったし、そうすればマルクスの政治主義は完全に止揚できたはずだ。

『世界共和国へ』でニーチェに関する記述があるが、国家を強化する良心のやましさを指摘するだけでは足りない。
柄谷が『探究2』でみせたスピノザに依拠する形でNAMは再建されるべきだろう。
578562:2008/09/20(土) 06:58:42 0
>>577
NAMはあくまでオープンソースでしかないし、ひとつのNAMを原理主義的に保持しようとした柄谷はやはり間違っていた。

ここでその理論的欠陥やNAMに不足していた点をあげつらうだけの能力は俺にはない。

ただ、スピノザ的な比喩で言えば、レンズの度が合わなかったのなら、合うレンズで見ないと駄目だが、
だからといって合わなかったレンズをたたき壊すのは筋違いだろう。

指導する立場/指導される立場とは、教える立場、学ぶ立場に似ている。
が、ここでふと浮かんだのは、
使う立場/使われる立場、あるいは、動く立場/動かす立場へのシフトが必要ではないか。
むろん柄谷もトランスクリティークで、目的として他者を使え、と語るが、
しかし気持ちよくない労働、疲れるだけの労働、無駄な動きが多い労働etc…これでは人はついてこない。
たとえ充分な対価(給料)が支払われたり、その目的が理想であったとしても、その過程で動かされる立場のものも、たまには昼寝くらいしたい。
むろん動かす立場も相当「労働者」のために金の工面やらしてるのかもしれないが、世の中金や理想で生きているのではない人間が少なからずいるとして、
その人間を馬鹿と罵るだけでは、そいつは何も学んでいない。

神は人間の嘆きに耳を傾ける存在だとしたら、あなたのお母さんだって神かもしれない。
579考える名無しさん:2008/09/20(土) 08:14:24 O
神とは言葉の外を崇高化することで発生した錯覚にすぎない
580サンス マンコ:2008/09/20(土) 08:24:10 O
あらゆる事物の背後に
生産者の肉体を見て取るのは
われわれ人間の悲しき性である

事物の背後には誰もいない
無だけが、誰のものでもない
無と光だけが
あるのだ

無や光が
神などという貧しい理念によって
表象=再現前化される必要などどこにもないし
不可能だ。

581562:2008/09/20(土) 09:08:49 0
神、をあたかも偉大な存在かのように考える思考をまず疑うべきである
また、神を事象の背後で操作する存在(この言葉もちょっと誤解を生みやすい)とも考えてはならない。

たとえば、日本の神社では、歴史上の人間が普通に神として祀られている。
古代エジプトの神も人間ではなかったか?
イエスが神の意思で生まれ、無惨に死んだとして、しかしイエスこそが神ではなかろうか?

俺が考えるのは、神とは誰か?ではなく、神の意思で生まれたかに見える(生まれたとされる)人間がどのような振る舞いでそう信じられたか、が重要と考える。

たとえばイエス。彼はユダヤ帝国の内部で奇跡を起こした存在である以上に、常に「抵抗」した存在ではなかったか?(具体的には新約聖書を読んでいただきたい)

あるいは仏陀。彼はインドのヒンズー教のカーストの外部でただ寝転がっていただけだった。その後、仏教がその「無」は無意味な修行(寺の掃除や仏閣の拭き掃除、座禅、etc…)で何かを会得したとして、
それは偉い坊主になるための訓練ではないと私は考える。
人に使われること、これは例えばサッカーでボールを操るのではなく選手に操られるボールになる事(ゲーム理論ではボールは「0」)。

 
582562:2008/09/20(土) 09:10:18 0
俺が考えるのは、これをいくら精緻に形式的に構造分析的に換喩的に散文的にetc…記述しても、
その言葉遊びや解釈することがあたかも神の僕であるかのごとくありがたがる人間(少なくともニーチェはそうではないと信じたいが、あの地獄行きを覚悟した遊戯は一回限りのものであると俺は考える)は、
他者を愚民として扱う、実は劣悪な教師的存在でしかないという事実をきちんと世に知らせねばなるまい。

イエスの「抵抗」、
仏陀の制度の外部で「無」として密教として存在し制度からの放逐された人間を修行で救済する事(オウムはこの点「だけ」は正しかった。ただ禁欲的(性欲から権力欲、そして暴力)でなかった事において上祐がああいえばこういってもお話にならず断罪されるべきである)、
あるいはアジアとヨーロッパの中間で交易をサポートするイスラムとは「交換」による信用の重要性を理論としてでなく実践で身につけていたかもしれない(アラーは商業を奨めたそうである)、
そしてユダヤ教(旧約聖書?)がエジプトの捕囚が囚われの土地を脱出して理想郷へと「逃走」するのが彼らの在り方だとしたら…。

「神」の万能は人間の想像でしかない。
むしろ神に導かれた人間の「分子運動」を法則化せねばなるまい。

今日はここまで。


583考える名無しさん:2008/09/21(日) 00:38:25 0
584考える名無しさん:2008/09/21(日) 02:39:02 0
人は利益の為に生きている。
585考える名無しさん:2008/09/21(日) 02:59:13 0
利益とは何を指して
お願いします
586考える名無しさん:2008/09/21(日) 03:02:03 0
個人的利益、集団的利益、社会的利益の3つだと思う
587蝙蝠の巣:2008/09/21(日) 03:10:57 0
588蝙蝠の巣:2008/09/21(日) 03:13:39 0
589蝙蝠の巣:2008/09/21(日) 03:14:07 0
590蝙蝠の巣:2008/09/21(日) 03:14:56 0
591考える名無しさん:2008/09/21(日) 03:18:17 0
父さんは姉さんを売ったんだw
592考える名無しさん:2008/09/21(日) 03:20:55 0
循環性の利益つのはないんでしょうか
お願いします
593名無し:2008/09/21(日) 08:01:20 0
もっとニーチェの著書自体を読みましょう。それからハイデガーのニーチェを
読みましょう。その後でドゥルーズのニーチェと哲学を読みましょう。
自戒の念もこめて書きました。
594考える名無しさん:2008/09/21(日) 14:30:24 0
少し読みました
595名無し:2008/09/21(日) 15:35:07 0
循環性とは、同一なものへの回帰のことですか?
永劫回帰と円環性との違いのほうに私は関心があります。存在は、もうプラトン以前の
存在に戻ることはないのです。
循環性をエネルギー(科学)の観点から考えることにも関心があります。
私は文系の人間ですが・・・
596吾輩は名無しである:2008/09/22(月) 18:57:16 0
私はニーチェの正午の思想に感銘を受けています。
ただ貫氏をはじめとしてそれをうまく?納得のいくような解釈をした人は
いまだいません。永劫回帰よりもすばらしい思想です。
597考える名無しさん:2008/09/22(月) 23:17:56 0
>>596
正午の思想とは具体的にどういうものでしょうか?
神秘体験的な記述ならそういうジャンルにて散見されますが
ニーチェがそれを思想として明文化しているのなら興味があります。
598考える名無しさん:2008/09/23(火) 05:15:11 O
では私がニーチェに代わって解答しよう。


ある日、ザラツストラは日が沈む前に目を覚ました。
しばらくの間、淡い木陰の下で横になりうとうとと夕日を眺めていた。
そして彼の動物たちが幾何学的な黒い軌跡を赤々と燃え立つ大いなる空を背に生き生きと描き始めると彼は己の胸の内にこう語りかけた:
どうしたというのだ? この胸騒ぎは?
お前はいつ鏡を手に入れたのだ?
なんということだ…おまえは…おまえはあの空のように赤々と燃え立ってきているではないか!
おまえは私の動物たちのように喜々として闇を迎え入れようとしているのか…?
聖なる火よ…。

辺りが闇に包まれると蝙蝠たちは我が意を得たりとばかりに一層我が物顔になって食事に忙しく飛び回っているようだった。
いつもより忙しげである気がしたせいかザラツストラはふと彼の友達を見上げたが、その瞬間、彼の内なる胸騒ぎは勢いを増したようだった。
すると友の一匹が彼の肩にカクカクヒラリーと舞い降りてきた。

熱があるじゃないかというのか、我が友よ?

微かな痛みに気付くと彼は笑いながらこう語ると一転して物思いに耽り始めた。
肩に再び痛みを感じると再び口を開いた。

我が友よ、大いなる深夜とは何だろう?
おまえたちが私に教えてくれたものとは?

その時ザラツストラは鋭い痛みに顔を歪めたが、
微かにゆっくり流れ落ちる血の流れ落ちるのを感じると哄笑した。

おお、新月が弧を描く漆黒の宴よ!
もっとだ、もっと奪ってくれ、我が友よ! そして我が敵よ!!
私は幸福のあまり傷を負わねばならないのだ。
溢れ去らねばならないのだ。
晴れ晴れしき別れの日がやってきたのだ。
599考える名無しさん:2008/09/23(火) 05:33:47 O
× 微かにゆっくり流れ落ちる血の流れ落ちるのを感じると哄笑した。

○ 微かにゆっくりと肌を伝わる血の流れを感じると哄笑してこう言った。

600考える名無しさん:2008/09/23(火) 09:08:30 0
この創作文で何を解説するつもりか全く解せないが、
脈絡の有る新展開があるようならば続きをどうぞ。
601考える名無しさん:2008/09/23(火) 12:16:13 O
「意味がない人生だからつまらないのではなく、つまらない人生だから意味にしがみつくのだ」
ってニーチェの言葉らしいですが、どの著作に載ってますか?
602考える名無しさん:2008/09/23(火) 12:23:03 0
「われわれが生きることを愛するのは、生きることに慣れたからではない。
むしろ愛することに慣れたからだ。」なら知ってます。
603考える名無しさん:2008/09/24(水) 01:34:58 O

そういうとザラツストラは体を木にもたせ身を落ち着けた。
血を失っていくにつれ甘美なめまいに酔いしれていく彼の視線は虚ろに前方に向けられていた。
そしていつとも知れず彼は意識を失っていった…。
ふと気がつくと辺りは静まり返り閑散としていた。
夜は明けようとしていた。

宴は終わったのか…

薄明かりの中ザラツストラはそう呟くと身を起こそうと手をついた。
その手の妙な感触に戸惑った彼はその手をゆっくりと音もなく徐々に上げていった。
そこにはあの友が横たわっていた。
彼はとっさに抱きかかえようと手を差し伸べたが、
その瞬間手のひらにドロドロとした液体が付着しているのに気がついた。
暫く彼はその血塗られた手のひらを声もなく見つめていた。
やがて視線を横たわっている彼の友に向けるとその息の根を確かめた。
止まっていた。
604考える名無しさん:2008/09/24(水) 02:42:39 O

彼はそっと友の遺体を抱き上げ、胸に押し付けた。
そして木にもたれかかり目を閉ざし、じっとして微動だにしなかった。
しばらくして朝日が彼の顔を暖め始めると、ゆっくりと彼の目は開き、
辺りに落ち着いた視線を投げかけていたが、
友の亡骸がはっきりとその目に映し出されると、
ザラツストラは微笑んでこのように語った。

どうしたというのだ、我が友よ、もっと飲むがいい。
もう私の酌を受け付けないとでもいうのか?
確かに君は随分と太っ腹になったようだ…。
だがそんなこと私の知ったことだろうか?
さあ、とっと飲むがよい。 奪うがよい! 奪い尽くすがよい!!

ザラツストラの叫び声は辺りに虚しく響き渡り木霊しつつ消え去っていった。
彼はその静寂にじっと耳を傾けていた。
すると遺体は彼の手から滑り落ち、地面に再び横たわった。
鈍い音を立てて土に帰っていった友を見下ろしながら彼は佇んでいた。

本望だったろう、我が友よ、君は病などではなく私によってこそ死ぬべきだったのだ。私の充溢によってこそ!
そして私もまた君によってこそ死ぬべきだったのだ。
満足を知らぬ君の果たしなき欠乏と欲望、そしてその朽ちることなき鉄の意志によってこそ!
…だが君はまだ私を殺す器ではなかったのだ。
お別れだ、かつて我が友だった者よ…。
大いに与える者には大いに受け取れる者が必要なのだ。


ザラツストラはこのように語った。
605考える名無しさん:2008/09/24(水) 02:48:34 O
×とっと飲むがよい。
○とっとと飲むがよう。

おっとっと。
606考える名無しさん:2008/09/24(水) 08:28:06 O
×とっとと飲むがよう。
○とっとと飲むがよい。

おっとっと。とっととおっとっと。
607考える名無しさん:2008/09/24(水) 13:57:57 0
夏だぜ
608c2:2008/09/24(水) 18:42:08 0
とにかく・・・・かく語りきをよむことですね。ついでにカミュの日記とか。
609考える名無しさん:2008/09/25(木) 05:32:53 O
大いなる別れを果たしたつもりのザラツストラは当てどもなく歩き始めた。
鳥たちの快活な歌声、木漏れ日、そして澄んだ空気に包まれてその美しさに耽りつつ。
開けた所にでると彼の体は火照り、汗を滲ませ始めた。
すると彼は微笑して空を見上げ太陽を直視した。
日は高く登りつめていた。
仕方なく目を瞑りながらも彼は太陽に向けて語り始めた。

直視を許さぬ偉大なる炎よ、あなたは私もまた御身の前では一匹の蝙蝠にすぎないとでもおっしゃりたいのだろうか?
おお! あなたは冷笑しておられるのか!?
…たしかに私はあなたを直視することが出来ずにいる。
そしてこうしてあなたの情熱の炎を感じとっているばかりだ。
あまりの熱にそのうち地面に横たわることになるかもしれない。あの蝙蝠のように。
それでもあなたは私を冷笑しているにすぎないのかもしれない。
私にはそんなあなたに何かしら与えられるものがあるのだろうか?
あなたに近づくことはおろか見つめることすら出来ぬいるこの私に?

ザラツストラはそう語ると溜め息混じりに顔をほころばせると再び歩み始めた。
610考える名無しさん:2008/09/25(木) 05:40:01 O
×あなたに近づくことはおろか見つめることすら出来ぬいるこの私に?

○あなたに近づくことはおろか見つめることすら出来ずにいるこの私に?

おっとっとは癖になるものだ。
611考える名無しさん:2008/09/25(木) 05:56:28 O
上の未完の物語の教訓は要はだね、
大人なら挫折するだろうし、大人が元気になるのは闇の中、床の中だと思うってことなんだよね。
612考える名無しさん:2008/09/25(木) 06:14:58 O
ダサいザラツストラw
まあしかしツァラトゥストラは己自身を軽蔑することができるということを評価してたから割と原作に合ってるかもな。
613考える名無しさん:2008/09/25(木) 07:20:37 O
まあ人間強い者には弱いからな。
いや、強い者に立ち向かっては、捕虜になるぐらいなら自爆せよという民族もいるけどな。
どうなのだろう?
人に迷惑をかけないように自殺しろというのは?
614考える名無しさん:2008/09/25(木) 07:22:09 O
ひもじいな。
615考える名無しさん:2008/09/25(木) 08:01:00 0
自殺はキリスト教では認められませんが?
ニーチェがイスラム教について述べているように
ジハード?について考える必要があるのではと、考えます。僕は。
616考える名無しさん:2008/09/25(木) 08:20:47 0


171 :彼氏いない歴774年:2008/09/25(木) 05:44:41 ID:6D4NpPb4
無職だと女に興味なくなるよね(?ω?)
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/dame/1222275502/


617考える名無しさん:2008/09/25(木) 08:32:25 O
彼らはアメリカ相手に捨て身で攻撃してるんだから、かつての日本人みたいなことやってるわけだ。
それなら日本人について考えるのが近道ではないのか?
618ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/25(木) 09:17:32 0
>>612
ホント、お前のダサさを物語っているよ。こち。
619ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/25(木) 09:23:23 0
『読書衝動における自己虐待』
「おれは憤懣で劣等感の塊です。だから、読んでやろう!読破してやろう」
   ↑こんな心情があるのはな?
これで他人の色眼鏡で物事を見るくせがついた。
かっこわりい〜〜
でも「こちとら」はもう逃れられないらしい。その「呪縛」から!
620考える名無しさん:2008/09/25(木) 09:51:59 O
本を読むのは労働
621考える名無しさん:2008/09/25(木) 09:54:06 O
どうせ色眼鏡をかけなくてはならないのなら
他人の色眼鏡をかけてみるのもよかろうもん
622ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/25(木) 11:33:13 0
自殺といえば昨今の集団自殺。
個人的に自殺者を倫理的な意味で咎めることはまったくしないが、
(他人に迷惑云々 一般論として迷惑をかけない人間なぞ存在しないわけで、
生存者そのものがある意味他の生存者に迷惑だよ)
ただひとつだけ確実に垣間見えること。
彼らの自殺という行為にはこの世と自分への"未練"が付着している。
一人で自殺する奴でもそうかもしれないが、集団はより鮮明にそれが浮かぶ。
623ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/25(木) 11:38:41 0
>>620
読書が「労働」と感じるということなら、読まなくていいと思うけど?
そか、することないからか・・・了解。

いずれにせよ、とどまることを知らない『自己虐待』が日本人には相当根強いと
感じさせる。これじゃ死ぬわな皆。

624考える名無しさん:2008/09/25(木) 14:35:49 0
日本人のことを通して、ニーチェを考えるのは、ある意味いいと思います。
ニーチェが日本について考えたかは、知らないですけど・・・
625考える名無しさん:2008/09/25(木) 16:53:17 O
>>618

>>612
> ホント、お前のダサさを物語っているよ。こち。


人に迷惑をかけるぐらいなら氏ね。
626考える名無しさん:2008/09/28(日) 00:22:12 0
「ゲーテはすでに達成されたヒューマニティーの全遺産をなすひとつのヨーロッパ文化を想像した」

とはどういう意味かわかりますか?
627○丸:2008/09/28(日) 22:33:47 0
岩波文庫のツァラ、氷上訳のp193の
『自己超克』を久々読んだんだが。

ここでは、”生あるもの”と”生ある者”って二種類あるが、
これは、意味があってわけてるんだろうか?
わけて解釈してみると、前者の”もの”は何かまだわからいって意味で、
後者の”者”は正体がはっきりしているみたいだ。

「すべての生あるものが見いだされるかぎり、わたしが聞いたことばは、
きまって服従だった。すべての生あるものは、従順なもの、である。」

ここで云われる”生あるもの”を、<生を持つもの>と解釈すると、
<生を持つもの>は、従順である、で、何に従順なのかっていうと、
”生ある者”。つまり、生その者。
628○丸:2008/09/28(日) 22:48:59 0

「私には思われた。どの命令の中でも、ひとつの試みと冒険があるのだと。
また生ある者が命令するときには、かれはつねに自分自身をそれに掛けて
いるのだ。」

”生ある者”は命令するとなってるでしょ。

629考える名無しさん:2008/09/28(日) 23:45:03 O
それはlebendigを名詞にしたものだよ。独和ひけばいい。

つか生あるものというような訳には普通はならないんじゃないか?
普通は生き物とか生き生きしてるもの、生命、活気、活況だとかになって、なにか関係代名詞を予想させるような訳にはならないんじゃないか?
すると「生」というのがニーチェの用語としても定着してるんだわ。
これに躍動的な意味をもたせるという約束というか慣例があるんだな。
そういう意味合いがあることを邦訳の読者は知っているべきだ。
そもそもドイツ語のLebenこれは人生と訳されたりするが、これが形容詞のlebendig(生きている、生き生きした)という語と明らかに関係しているんだし、ニーチェに限らずドイツ語の訳で「生」とでてきたら躍動的な意味合いがあると見た方がいいのかもしれない。
630○丸:2008/09/28(日) 23:57:08 0
>>629

”生あるもの”と”生ある者”が同じlebendigとしても、
あえて、分ける意味が、『自己超克』の章の構成上、
邦訳する場合にあったんじゃって素人の勘ぐりなんだが。
631626:2008/09/29(月) 00:03:37 O
誰か教えて
632考える名無しさん:2008/09/29(月) 00:11:38 O
私の場合には「生」などという日本語の名詞というのは動詞に比べ具体性に欠ける感がある。
「生きる」といえば具体性が湧いてくる。
それは漢語に名詞が多いからだろう。
実はまだ漢語が血になってないのかもしれない。

逆に欧米の言葉では動詞だけでなく名詞にも具体性がある。
名詞の方により具体性があるのかもしれない。
普段動詞として機能しているseinをSeinとしてしハイデガーにそれって何ですかって聞いても困ってしまうかもしれない。一時間ほど放置され挙げ句、忙しいので帰ってくれないかといわれるのかもしれない。
633 ◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 00:15:36 0
>>631
しゃーないな。
ま、なんかの縁だから。
_

そういうのは、ただの短絡思考だろ?。マジバカか?
634考える名無しさん:2008/09/29(月) 00:19:01 O
>>630

生ある者の方の例文は?
635○丸:2008/09/29(月) 00:21:04 0
>>634

>>628なんだけど、どうでしょ。
636六百六拾六:2008/09/29(月) 00:27:05 0
原文は知らんが訳者が気を利かせた文面だと仮定すると、

”生あるもの”=生きとし生けるもの(環境や集団社会に影響される)

”生ある者”=より「活きよう」と己自身を賭す者(生を実感する者)

という違いなんじゃないかいな。
637考える名無しさん:2008/09/29(月) 00:38:29 0

>>626
>>631
出典は『偶像の黄昏』ですか?

638考える名無しさん:2008/09/29(月) 00:47:19 O
>>635

おっとっと見逃してました。

私はまだドイツ語読めるようになってきたというレベルですが、
例の訳語の違いは気にしなくていいと思いました。
639626:2008/09/29(月) 00:57:41 0
誰も答えれねーのかよ。
お前らエセニーチェ理解者気取りかよ。がっかり
640○丸:2008/09/29(月) 01:05:21 0
>>636

ん〜。己自身を賭す者。ってのは”生ある者”で全く同意。
しかし、生を実感する者=生あるもの(俺的には<生を持つ者>)
なぜなら、生は実感しても、さらに乗り越えるものだから。

この章では、大いなる生も、己自身を賭す者で、
生が”直接”認識者に語るところがある。(かなり長く)
「つねに自分で自分を克服しなければならないもの、わたしはそれなのだ。
中略
すぐにわたしはその敵対者となり、自らの愛を敵にまわす者とならなければ
ならない。私の意志はそのことを欲する。
中略
力への意志が語っている。」

この中の”わたし”は生その者だとおもうが、めんどうになった。ねる。

まぁいろいろ
641○丸:2008/09/29(月) 01:12:21 0
>>639

多分、ニーチェの関心は、ニーチェを超えることだったろうな。
642考える名無しさん:2008/09/29(月) 01:22:51 0
ニーチェは自身を鼻で笑うような人間が好きなのさ
643考える名無しさん:2008/09/29(月) 01:38:33 O
>>627

> 「すべての生あるものが見いだされるかぎり、わたしが聞いたことばは、
> きまって服従だった。すべての生あるものは、従順なもの、である。」

この訳が対応してるだろう原文を読むと訳に違和感がありますね。

そもそも「すべての生あるものが見いだされるかぎり、」とありますが、日本語としておかしくないですか?

ここはむしろ、こんな感じではないかと。
「私は生あるものについていった…
彼の口が閉じているときには彼の目の語りを私は捉えた…

生あるものしか見あたらないところでは、私はまた、服従の言葉をも聞いた。
すべて生あるものは服従するものである。
第二にこう聞いた。…
第三にこう聞いた。…」


手塚氏訳でどうなっているか調べた方がいいかもしれません。

644○丸:2008/09/29(月) 01:45:21 0
>>643

>>627のように、主体と奴隷に分けてるのではないかと
俺的に考えています。

手塚氏訳も確かに確認したほうがいいですね。
645考える名無しさん:2008/09/29(月) 02:14:27 O
>>640

>>636

> ん〜。己自身を賭す者。ってのは”生ある者”で全く同意。
> しかし、生を実感する者=生あるもの(俺的には<生を持つ者>)

これは私も興味あるテーマに関係していますね。すなわちbeing or havingです。エーリッヒ・フロムの本の題名にもなってましたか、
探してみましたら、To be or to have?でした。
で、生は持つものではない、と私は主張しますがね。
まあ先に書いたことと関係しますが、
その前にいま思い出したことをお話しますと、
資本主義の発達につれて名詞表現がふえてきているというものです。
そういえばこれは上記のフロムの本にあった話でした。
生を持つというのは頭痛を持つというのと同様の表現でしょう。
私は生を持つとは奇怪に感じます。
頭痛を持つも同様です。
しかし英語ですとI have a headacheとか普通に使われるようになってきたというのです。昔はそうでなかったと。
昔はI'm in trouble などだったが近頃では、I have a problemというように表現がbeからhaveに変わってきたと。
まあニーチェはI have a life.とはいわないでしょね。 彼ならこんなことをいうでしょう。

I'm living cause I will !
646考える名無しさん:2008/09/29(月) 02:30:01 O
おそらくこの存在から所有、存在者から所有物への変化変身というのが19世紀から辺りからヨーロッパでは問題になってきたのだと思います。
ニーチェが熾烈に批判したのもこれかもしれないですね。
ハイデガーは問います。
「何故一体、存在者があるのか、そしてむしろ無があるのではないのか?」(形而上学入門)
生を持たれるのが奴隷なんでしょうが、
何故、生を持つ者がいるのか、むしろ誰もいないのではないか?
こんな問いに置き換えることもできるでしょうね。
647考える名無しさん:2008/09/29(月) 04:14:52 O
>>645

>>640

> > >>636
> >
> > ん〜。己自身を賭す者。ってのは”生ある者”で全く同意。
> > しかし、生を実感する者=生あるもの(俺的には<生を持つ者>)

> これは私も興味あるテーマに関係していますね。すなわちbeing or havingです。エーリッヒ・フロムの本の題名にもなってましたか、
> 探してみましたら、To be or to have?でした。

私は現在進行形が好みですね。
自己超克の章に川が生の象徴としてでてきますね。
これは誰でしたか古代ギリシャの初期哲学者で「同じ川に二度と入ることはできない」だとか世界の流動性を無常性を象徴的に語ったわけですが、
ニーチェはこの人を気に入っていたので真似したんでしょうな。
で、今ちょっと「差異と反復」を読んでるんですがここのはじめに「それ自身における差異」ということばがでてきます。
一体なんでしょうか? それ自身における差異とは?
ここでいきなり挫折してたんですが、こういゆうことかもしれません。
これは上記の川と関係してます。
ですから無論のこと自己超克と関係しているのです。
648考える名無しさん:2008/09/29(月) 04:17:11 O

「それ自身における差異」これはですね、普通には考えられないことではないでしょうか?
だってこれはA≠Aが成り立つということでしょう。
そんなことをいえばアリストテレスが化けてでるかもしれませんし、
数学者や論理学者には基地外だお話にならと思われ敬遠されるでしょう。
ドゥルーズが基地外…そうかもしれません。ただ彼はですよ、ニーチェを読んでますし意識していて本まで書いてます。私は読んでませんが。
ですから彼はきっとそういいながら川をイメージしてるという可能性があるわけですよ。
A≠Aは川であり自己超克であり、そしてこれこそがです、生命そのものなんだ! というような認識があるのではないかなとそう思いましたよ。
649考える名無しさん:2008/09/29(月) 04:35:46 O
「それ自身における差異」これはA≠Aということですが、
これが自己超克を意味するならばです、
これは A≠A&A=Aが成立するということです。
そうしますとこれが要するに「差異と反復」であり、生命なんです。

ではこの推測が大体合っているのか気になるところになりましたのでもいちょい「差異と反復」を読み進めてみましょうか。
皆さん眠っていらっしゃる。
では勝手に進行させていただきます。
あっ! そろそろ八言制限に引っかかることだといのを忘れてましたよ。
まあ仕方ないでしょうな。
650考える名無しさん:2008/09/29(月) 05:40:06 O
では「差異と反復」文庫版の13pの次の文が気になるので試しに考えてみましょうか。 期待できない?
私だって期待してませんよ。ただわかりたいだけ、それだけです。いやこれは失礼、カッコイいことをいいすぎたかもしれません。
ちなみにこれは別にチンポ氏の真似ではないです。ああ! そういえば私としたことが今晩はチンポがついていることを全く忘れてましたよ。眠っているみなさんのようにです。
さて今度は問題を忘れていましたが問題は以下の文なんです。
「生の務めは、差異がみずからを配分してゆく或る空間のなかで、すべての反復を共存させるところにある」これです。
先ほどの「それ自身における差異」ということばのあった隣のページの記述ではありますが、
予想通り「生」ができてきました。
まあざっとこんなものですかね。
さてこの文の意味ですよね、ここニーチェの迷宮においては解釈というべきでしたか?
まずこの文の先をカンニングしますと本書は二つの方向で研究を進めているとあります。
すなわちこんどは、
「否定なき差異」という概念に関わる方向と、「反復という概念に関わる方向」です。
では並べてみます。
651考える名無しさん:2008/09/29(月) 07:29:39 O
では並べてみますか。

「否定なき差異」「それ自身における差異」

ふむ。果たしてこの二つは同じものの二つの表現なんでしょうか?
後者が自己超克だとすれば、前者もまた自己超克であれば果たしてそういえるわけですね。
では自己超克は否定なき差異といえるのか? どうでしょう?
まあ今ですね私は逆にニーチェでドゥルーズを解釈しようとしてるわけですからニーチェを適当に利用してみましょうか。
よろしいでしょうか?
なるほど肯定ですね。「肯定」なんですね!?
では「肯定」に偶然遭遇しましたのでこれをキーワードとして利用してみましょうか。


652考える名無しさん:2008/09/29(月) 13:03:39 O
自己超克、差異、肯定…になりました。
ふむ。自己超克とは差異の肯定である。 例えばこんなのはいかがでしょうか? いかがわしいでしょうか?
そもそも自己超克といってもツァラトゥストラによると、無常なる自己はないみたいなんですよね、
川のように、血流のように常に巡りめくような力があるというのが基本的認識ですから。
これは文献学者じゃなくともパクリとわかります。
また、超克といいますと、不動の厚くて高い強かな壁を乗り越えるというイメージがありますが、そんな壁はないんですね。ニーチェの辞書には。
では原語のUeberwindungを独和で引いてみましょうか。
征服、克服、勝利、克己、がまん
とでました。なんでがまんだけ平仮名なのかわかりかねますねこれは。
どうもこれは禁欲が答えのクイズなのかもしれません。
独独引いてみます。
よさそうな語義があったので転載してみますか。DUDENからこんなんでました。
“im Laufe einer Entwicklung hinter sich lassen”
これはある発展の最中に自身の後ろにおいていくというような意味ですね。
ではこれを踏まえまして「自己超克」について再び考えてみましょう。
653考える名無しさん:2008/09/29(月) 13:35:04 O
Lebenに生という訳語を当てることにします。
「生」はその秘密をこのように語るんです
「見なよ、ボクはずっと自分を追い越さなきゃいけないんだ」
また気さくにその秘密をこのようにも語るのです、
「もっとつくりたいし、どこかもっと高いところに登ってみたいし、
もっと遠いところに行きたい、それにもっと色々欲しいものがあるんだ」
このように色々と欲張っているようで、この子は一途なんです。
この子はただ絶え間なく自分を追い越さきゃいけない「生」そのものであり、そんな運命なんですから…。
なるほど「運命」とはうまいこと当てはまってるようですね。
おそらくニーチェ的には生=自己超克=運命といえるのではないでしょうか。
そして一切がこれであるならば、
自己超克という概念における自己は、デカルト的な自己ではないので、
自己超克というのは「私」が成長していく強くなっていくいうような意味ではないのでしょう。
654考える名無しさん:2008/09/29(月) 20:13:16 O

“Ich bin das, was sich immer selber ueberwinden muss”

これは普通こんな感じの訳になると思います。
「私とは常に私自身を自ら克服せねばならぬものである」
ここで私とは生を意味します。
ueberwinden という動詞がキーですね。先ほど辞書を参照しましたがこれには何かがentwickeln発達成長しつつ、過去のそれ自身を置き去りにしていくという語義がありました。
これは「生」自らかたる「生」に似てますし、「それ自身における差異」とも似てます。
で、ドゥルーズは「差異と反復」という時の差異を形容して「それ自身における差異」、「否定なき差異」といってるんですからこの二つはまとめられます。
「否定なきそれ自身における差異」このようにして上記の「生」や「超克」と訳される語と比べてみますと、かなり似ていることがわかると思います。
たとえば「否定なき」というのは常に成長していかねばならない前向きでないといけない資本主義のような生に関連してますね。
資本主義といえばちなみに生はこうも語っています
「成長(克服)を断念するぐらいなら、落ちるほうがいいんだ。
それに見てみなよあそこを、没落と落葉のある場所には本当に生は自分を犠牲に供しちゃうんだ…力(権力)に!」
これはある意味女のことかもしれないですね。

これでドゥルーズのいう差異がニーチェの「生」、「自己超克」と高い相関性を示しているということが多少なりともわかってきたと思います。
655考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:24:07 O
ニーチェを論理的に批判した哲学者っているの?
656考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:37:22 O
論理的に問題にならないから無理
657考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:38:47 0
ぐぐれカス
658考える名無しさん:2008/09/29(月) 22:09:04 O
今度はドゥルーズの「反復」という概念に注目してみたいと思います。
そしてこの概念とニーチェの思想の関連性を探ってみたいと思います。
もちろん差異とニーチェのいう「生」「自己超克」関連しており、差異は反復に関連してるんですから、
反復と「生」、「自己超克」も関連してるはずではあります。
ですから両者の直接的な関連性を探ってみたいと思うのです。
659考える名無しさん:2008/09/29(月) 22:11:03 O

その前にちょっと脱線しまして、いわゆる創造性、オリジナリティについて思いついたことをお話したいと思います。
ニーチェというのは創造することを重視しますが、文献学者じゃなくてもわかりますが基本的にパクってますね。
彼の批判する相手のことはもちろん、彼が批判するに使用する彼の思想もまた、彼が無から創造したものとはいい難い。
ニーチェ自身が生成変化の一戯れのようです。
要するにオリジナリティてのは、組み合わせの問題ではないのかということです。
そういえばソフィーの世界というロリータと哲学史みたいな小説がありますが、
あれに原子論がらみでレゴブロックが登場しますが、
オリジナリティというのはレゴブロックの組み合わせ方、構造の際立った違いでしかないのではと思ったわけです。
そうしますとある本を読み解く時、正しく解読するということよりも、むしろ誤解によってこそオリジナリティが育まれるといえないこともないかなと思えます。
しかし、そもそも解釈の正しさの判定基準が解釈される本文であり、
それはそれが記述する意味内容の本来の姿とはまるで別物である以上は、
「事実などない」といえ、その正しさには迫ろうとすることはいわゆる物自体に迫ろうとすることとあまり変わらないのではないかと思います。
ですから正しさを限りなく追い求めても誤解が尽きてしまい誤解由来のオリジナリティが失われる心配はないでしょうね。
660考える名無しさん:2008/09/29(月) 22:19:33 0
>>659パクリというなら証拠見せてみろドカスが
661考える名無しさん:2008/09/29(月) 22:29:21 O
眠っていた人は眠っててください。
そうですねでは休憩に入りましょうか。
その間私はピアノのお稽古に行ってきますので。
662考える名無しさん:2008/09/29(月) 22:43:08 O
そういえば、パクリには当たりませんがドイツ語に既にニーチェの考えの多くは包含されていたと推測することもできそうですね。

lebendig 、ueberwindung などニーチェを理解するに当たって重要な言葉を辞書でじっくりと引いてみて、そう思いつきましたがね。
663考える名無しさん:2008/09/29(月) 22:49:49 0
>ニーチェというのは創造することを重視しますが、
そもそも長文系が胡散臭さ全開に見えるのは、その著者を神格化した上で語り始めるから。だ。
(もし、その著者がそれを目にしたら多分怒り狂うのではないだろうか。とさえ思ってしまう・・・)
ところが、大抵の場合彼はもぅ現存しておらず。
言葉は悪いが(死人にくちなし)なのである。。。

スキ過ぎるが故のあやまち。
時として我々は、歪曲をしてまで彼の思想に溶け込もうとする。(または、闘おうとする。)
しかし、これをしてしまうと大体は次の章で訳が解らなくなるのだ。(繋がりが見いだせなくなる。)
それは丁度、嘘は嘘によってでしか繋がらないように、歪解も歪解を持ってしか導き出せないだろう。
そうして深みにはまってゆくのだが、それは決していい意味での深さでない事は火を見るよりも明らかな〜のだ。
(そしてそれはいずれ「破綻」する運命にあ〜るのだ。)


にょ?
664○丸:2008/09/30(火) 00:23:17 0
おいおい、いつ寝てるんだよ。

ドゥルーズの「ニーチェと哲学」をしげしげ見た。
自己超克に関してp252。
「没落を欲する人間、克服されることを欲する人間のうちで、否定はなお
自身をひきとめている一切の絆を断ち切った。
中略
生の過剰に奉仕するような否定、
中略
まさにここにおいて、はじめてこの<力>は自身の完成に遭遇する。」

ここに出てくる否定が行われるには、どうもおしまいの人間を通過した
”ニヒリズムの完成”が必要のようです。ニヒリズムとはちゃいます。
聖なるノン。獅子の咆哮。

665○丸:2008/09/30(火) 00:31:48 0
”ニヒリズムの完成”はニヒリズムの価値転換の結果であり、
それは否定の否定だから。
単なる否定だけとはちゃう。
666考える名無しさん:2008/09/30(火) 00:58:58 O

ピアノのレッスンしてきましたが指が動くようになるまでちょっと時間がかかりました。サボるとすぐなまるんですね。
携帯でピコピコやっててもピアノは上手くならないのがよくわかりましたね。
むしろ親指ばかり動かすわけですか下手になる気もしますね。

>>664
キーボードにしては中略が多いですね。
そんなことではなんともいえませんな。

ところで、ドゥルーズを読み解くにはフランス語版のニーチェを読むのも有効でしょうね。
なんというかかつてのラテン語のような国際語がないと誤解が雪だるま式に増えていきそうですね。
667考える名無しさん:2008/09/30(火) 01:06:02 O
>>663

やあ。
私はニーチェという人間はどっちかというと嫌ってますがね。
ニーチェという人間は没落を欲すべき者というところでしょうか。
まあ思想は別かなと。
668考える名無しさん:2008/09/30(火) 01:08:21 0
そんな心持ちで弾かれたんじゃ、ピアノも泣いとる事だろう。

可哀想に。
669○丸:2008/09/30(火) 01:09:04 0
ではこういうのはいかが?

捏造とは創造のことだ。
670考える名無しさん:2008/09/30(火) 01:45:20 O
では反復について考える前に、ドゥルーズの言う「力」について調べておくことにしました。
フリガナによるピュイサンスらしい!
仕方ないフランス語に身の覚えのない私としてはここはまず和仏で「力」ですな。
ない! ピュイサンスないですな。
ではニーチェがらみなので権力で…ない!
では勘で仏和で探します。
ありました。
puissance 力、強さ、能力、権力、強国、動力 とでました!

では反復をちょっと考えてみましょう。

「一切の同一性は、差異と反復の遊びとしての或るいっそう深い遊びによって見せかけられたもの…」(差異と反復 財津氏訳 以下同書)

見せかけってのはフリガナによるとシミユレですしシュミレーションみたいなものでしょう。
simulacle 見せかけ、まやかし、模造品とでました。これは海賊版みたいなものですね。
ほかに詐欺とか化粧、着色料とか擬態、媚態に虚勢にシリコンなど世の中あれだわsimulacleばかりだわ。

「深い遊び」はニーチェがらみでしょうに。ディオニュソスやら深淵やらでてくるで小児。
671考える名無しさん:2008/09/30(火) 01:55:09 O
>>668

> そんな心持ちで弾かれたんじゃ、ピアノも泣いとる事だろう。

> 可哀想に。

それは当たってますかね。 まだまだ雑音かなと。

>>669

それはニーチェのあちこちにあるような話ですが、
まあオリジナリティ溢れるものというのは当初は正しいものであるはずのないものですね。
672考える名無しさん:2008/09/30(火) 02:52:43 0
673考える名無しさん:2008/09/30(火) 03:11:43 0
>>671
おまえ異様にくせーんだが
風呂入ってんだろうな?


えんがちょw
674考える名無しさん:2008/09/30(火) 04:17:12 O

「一切の同一性は、差異と反復の遊びとしての或るいっそう深い遊びによって見せかけられたもの…」(差異と反復 財津氏訳 以下同書)

この引用の前後をみますと同一性と見せかけは同じ仲間みたいですね。
でこの仲間たちの織り成す劇、劇場が現代の世界であり、現代思想はそのスクリーンが裂けたところに生じているということらしいです。
これは裂傷みたいなイメージでしょう。パカッと開いた傷口の目…
リストカットではなかなかできない深みのある目の形の傷です。
ドゥルーズはそんな目をした一人ですしそう自認辞任しているでしょうね。
ところでドゥルーズにとって差異に種類があるように反復にも種類がありますね。これが二つに分けられる。
その一つ目は機械的、ステレオタイプ的、物理的な反復
もう一方は秘めやかで偽装しながら隠れた反復です。
で、前者は後者の差異を介した見せかけのようです。
反復するには差異が介在せざるをえないでしょうね。
例えば機械的反復の振り子運動を考えてみますと、上下左右に位置を変え向きを変えますからね。
これって自己超克のイメージに合いますね。重りは常々自分自身を追い越していかねばならない。上にいけないぐらいなら、没落を欲する。
常に差異を求めつつ止まらず加速しつつ落ちたときは運動エネルギーを他に分け与える…


675考える名無しさん:2008/09/30(火) 04:19:06 O
生の務めは差異とすべての反復を共存させることなどとありますから、生というのは秘めやかで偽装している反復、生自身をも含めそれらを司る力に従わなければならないものということでしょう。
務めということは、権力の下にあるということでしょう。
生というのは力の僕というところでしょう。

差異が肯定の対象になるとき、攻撃と選別の力が解き放たれ、否定的なものの闘争や破壊が仮象にしかならくなるらしいですな。
どうもナチスか原爆っぽいですね。
差異の肯定…格差があって何が悪い。
ところで何が差異を肯定の対象にするんでしょうか?
力への意志=生でしょうか?
しかし物理学にしろニーチェにしろ「力」には触れないですよね。
ぴかぁが時々いってましたが、そこにあるべき惑星みたいなものでは?
力などない関係があるだけだ!かもしれません。
殴ってやろうか? 力は感覚ではないでしょう。
書面は差異と反復でもやっぱり主役は力ですね。
力というのは表象の還元先でしょうね。 なんか力って神様っぽい…。
676考える名無しさん:2008/09/30(火) 06:32:53 0
名前:哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/29(月) 23:59:45 0
気味が悪いな
677考える名無しさん:2008/09/30(火) 07:01:02 O

> 書面は差異と反復でもやっぱり主役は力ですね。

書面? 題名ですね。


22pに「頭脳は交換の器官であるが、心は、反復を愛する器官である。」とあります。

心が器官なのかというのはおいとくとして、
ではもし一切が繰り返されるのだとしたら、
世界は機関ではなく器官なのか?
それとも器官でありながら機関でもあるのか?
そもそも反復と差異が同一性と矛盾に取って変わったというけども、
それで世界が変わったんでしょうか?
特に変わってないのでは?
とすれば、取って変わったといっても、見せかけという烙印を押されたとはいえ同一性と矛盾は消え去ったわけではなく、今もなお「差異と反復」と共存しており、
ただ「差異と反復」が「同一性と矛盾」より根本的だというだけの話でしょう。
別に素粒子が発見されて、机が消え去るわけではない。見せかけとはいえども。


ところで頭脳と心を別物とし、
両者は各々の意志に従って日々権力争いを繰り広げ闘っているとしましょう。
そうしますと、恐らく心が優勢な人は頭脳が見せかけとして表面化し、
逆に頭脳が優勢の人の場合は心が見せかけとして表面化するような気がしますね。
で、ドゥルーズは心が優勢なんだと思います。
でさ!これがさ!
ニーチェ、このニーチェの中の人ってのは頭脳が優勢なんですよこれが。 このね、詐欺師だと思いますよ。
発狂したとか偽装かななんて思いますね。
678ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/30(火) 09:50:06 0
こちとらはこう語った・・・・
ではそろそろこちとら君を・・・(ry
>>663
>そもそも長文系が胡散臭さ全開に見えるのは、その著者を神格化した上で語り始めるから。だ。
>(もし、その著者がそれを目にしたら多分怒り狂うのではないだろうか。とさえ思ってしまう・・・)
胡散臭いどころか、皮を被らない赤裸々な事象観察や思考が不足しているから、
誰かの概念に"ついて"考えることでしか生存が苦々しいという真の落ちこぼれ状態に至っている文体ってとこだね。
確かに怒り狂う。人間の書物も人間も冒涜してる。

ではそろそろこちとらの奴を・・・・・・・

679ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/30(火) 09:57:33 0
でも、「自己虐待衝動に随伴する劣等意識ゆえの読書」をしている人物が
このような精神や思索になる悪例を"如実に"に示しているので、
その点ではいわば実験用動物を飼いならしている価値はあるといえる。
しかし、それでも汚い長文だ。
「地下の住人」と何処となく口調が似ているが、あの住人は逆に偉大だ。
なぜなら、一切を自分の肉体(概念そのものを信じない根からの思考)で以って当っているから。
でもここにいる「こちねずみ」は・・・

なあ こち。
680ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/30(火) 10:09:17 0
それでも、"こち"はこの思索が楽しい、唯一の生存の退屈しのぎになっている。
こちはまず自分を愛していない。
それはまずいいとしても、その自己軽蔑・憤怒・劣等感・復讐のきったねえ血を
を色眼鏡で世界をみようと義務を課した長年の虐待から益々人間を愛せなくなっているように思える。
681ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/09/30(火) 10:23:48 0
日本の詩人を例に、個人的な感想として
石川啄木>>>>萩原朔太郎
朔太郎には西洋化(自己の背伸び化)がある。
なぜに、それほど人間の言葉を難解化する必要があるのか気が知れない。
ニーチェについても同様の事をやっている・・・
馬鹿馬鹿しい限りだわ〜〜〜

ぴょ
682○丸:2008/09/30(火) 13:10:20 O
言葉が難解なんじゃない。
言葉の示す先が難解なんじゃ。
誰も知らないことに、ことばがあると思うか?
683考える名無しさん:2008/09/30(火) 16:42:57 0
自分が分からないからって、馬鹿馬鹿しいとかいうのはやめようよ。
そういうのが典型的なルサンチマンだろ。
批判するなら批判してもいいが、内容のある批判をしてくれ。


684考える名無しさん:2008/09/30(火) 17:36:01 0
>>675
>しかし物理学にしろニーチェにしろ「力」には触れないですよね。

そんなことはないよ。
ニーチェは物理学の「力」(Kraft)概念を批判して、
そこから「力」(Macht)への意志の思想ができたんだよ。
685○丸:2008/09/30(火) 17:42:24 0
「誰にでも読めるが、誰にも読めない」って有名だろ。
686考える名無しさん:2008/09/30(火) 19:00:24 O
>>684

>>675
> >しかし物理学にしろニーチェにしろ「力」には触れないですよね。

> そんなことはないよ。
> ニーチェは物理学の「力」(Kraft)概念を批判して、
> そこから「力」(Macht)への意志の思想ができたんだよ。


力ってなんですか? っていう基本的な疑問に答えてくれてないかなってことです。

形式的にでもWhat is ○○○?という疑問文は脳または電脳へと「生成する」じゃないですか…。

ところでp15に「そのとき、あらゆる思考(パンセ)は攻撃へと生成する」とあります。

こうゆう文をみるとやっぱ原文必要だよねって思いますね。
生成変化するならわかる気もします。
なにか個体が液体に液体が気体になるような変化を表してる気がします。
位相が変わるという意味合いかもしれません。
とはいえ位相ってどんな意味だったか…
「位相」…(周期運動の中で)どういう位置、状態にあるかということ…
687考える名無しさん:2008/09/30(火) 19:01:55 O

ここでニーチェとドゥルーズをぐちゃぐちゃとミックスしてみたくなりました。

それ自身における差異が肯定の対象になり続けるとき、人間は生ある者として位相を変え続け、己自身を反復する…己自身を反復し続ける…

「差異と反復」の目次を見ますと、「それ自身における生」と「それ自身へ向かう反復」というのが重要みたいです。

まあそもそもピュイサンスに力、権力、そして「累乗」という語義がありますからね。
これは英語のパワーでも同様です。
ドイツ語のクラフトやマハトには「累乗」という語義はないみたいですが。

フランス人と英米人は「力」といえば累乗を想起しやすい。
累乗が反復に連なり、反復が力に連なりやすい。
ドゥルーズもはじめに「反復の本来の力(ピュイサンス)」といってます。
688○丸:2008/09/30(火) 19:24:01 0
でもあれじゃないかな、原文見るなら、ドイツに住んで
体感しないと。
結局、ドイツ辞書は日本語で説明しているわけでしょ?
そうなると、本職の訳に依存してしまいたくなる。。。。
689考える名無しさん:2008/09/30(火) 19:37:47 0
>>686
>力ってなんですか? っていう基本的な疑問に答えてくれてないかなってことです。

「○○とは何か?」という問いに答えることは、その○○を本質規定するということだから、
本質規定され得ないディオニュソス的なものである力への意志についてはそういう書き方はできないだろうね。
「○○とは何か?」に正面から答えてしまえば、ハイデガー的に言えば、存在を存在者化してしまうことになる。
だからニーチェは「○○は〜ではない」という書き方をせざるを得ない。
690考える名無しさん:2008/09/30(火) 19:47:20 O
>>681
朔太郎がお口に合わないのか

お気の毒に

691考える名無しさん:2008/09/30(火) 20:13:43 O
>>680

やあ。

> それでも、"こち"はこの思索が楽しい、唯一の生存の退屈しのぎになっている

いやいや滅相もないですな。買いかぶりにも程がありますよ。
そんな人いるんですかね。

> こちはまず自分を愛していない。

これは当たりかな。自分をあまり意識しなくなってきましたし。
自意識が病なら快癒したのか!?
病気は生の自己超克の表れではないかとも思いますね。
熱の医学的説明はガンなどにも当てはまるのかもしれない。
でも腫瘍の痛みに長期間耐えるぐらいなら死んだほうがましでしょう。
私はこのまえ歯茎がかなり腫れただけで泣きそうでしたよ。


> それはまずいいとしても、その自己軽蔑・憤怒・劣等感・復讐のきったねえ血を
> を色眼鏡で世界をみようと義務を課した長年の虐待から益々人間を愛せなくなっているように思える。


さてどうですかね。近頃は激情とは縁がないです。
それ故にいささか冷酷になったという恐れはあるかもしれない。
それでも音楽には浸りやすくなりましたが。
音楽ですか…w
692考える名無しさん:2008/09/30(火) 20:15:01 O
まあ人間を愛するほどに人間関係が上手くいき、叙情性溢れる文化に浸れるのかといったら、
偽短氏には悲しいことかもしれませんが、
そうでもなくて、逆に追放されていく運命の下にあるでしょう。

そんな体験をするのも一興です。
子供の頃から大人らしいニーチェが憧れの矢を放ち続けた先はそんな春なんですし。
693考える名無しさん:2008/09/30(火) 20:48:10 O
>>689
> 「○○とは何か?」という問いに答えることは、その○○を本質規定するということだから、
> 本質規定され得ないディオニュソス的なものである力への意志についてはそういう書き方はできないだろうね。

力への意志ではなくて「力」が気になるんです。
力への意志が力ですか?

何故に一切が力への意志なんでしょうか?
これではその憧れの矢は力に届きやしない。
いわゆる蛇が己の尻尾に噛み付いている状態で、位相を変えつつ、
それ自身における差異を求め、それ自身を反復するだけでしょう。
これでは人間も世界も無力なんであって、運命あるいは慣性のままに永久に1を累乗してしまうということでしょう。

ドゥルーズはフランス人であるせいか反復に力=累乗を認めるわけですが。
ニーチェもフランス語は知っていたので同様なんでしょうか?

p32に「そしてニーチェだが、彼はこう述べている。
すなわち、意志を束縛しているすべてのものから、意志を解放するために、反復を、意欲の対象そのものにすること。」
とありますけどね。

同一性をもつ反復、それ自身の累乗、1の累乗=力を意欲する精神が、逆説的に自由な精神なのだというのでしょう。

694考える名無しさん:2008/09/30(火) 21:35:11 O
力というのは、地球と共に回っていて人間がその運動を感じないように、
差異として、間接的に表象=再現前化としてしか感知できない物自体なんでしょうか。

反復は力なりというのは確かなものがあります。
しかし力はそれ自身における差異としてしか表面化しない感知できない
差異としてしか力を楽しめないわけです。
例えば私たちは大地と共にジェットコースターより速く動いている。だがその自転公転のスピードは楽しめない。
ジェットコースターのスピードは相対的のスピードで、乗れば私たちは己自身のスピードとの差異、それ自身との差異を感知する。
したがって力への意志はそれ自身における差異を意欲せねばならない。
常に自己超克せねばならないわけです。
自己超越ができないならば差異によって現れる力のために没落をも欲する。
なぜなら要するに己自身との差異を求めるのが力への意志だからです。

では何故にそれ自身との差異を意欲する力への意志が反復に向かうのか?
何故に反復は力なりなんでしょうか?
何故にパワー(力=累乗)なんでしょうか?
「生の務め」はそれ自身における反復、同一性のある反復を意欲する自由な精神と、
それ自身における差異、自己超克を意欲する力への意志が、共存させることであります!
695考える名無しさん:2008/09/30(火) 22:00:37 0
>>693
>力への意志ではなくて「力」が気になるんです。
>力への意志が力ですか?

そうでしょう。意志が力でもあり、力が意志でもある。
ニーチェはMachtwilleという書き方もしている。
たしかドゥルーズも、力と意志は別物ではないとして
「力(への)意志」と「への」を括弧に入れてたと思うけど。

>p32に「そしてニーチェだが、彼はこう述べている。
>すなわち、意志を束縛しているすべてのものから、意志を解放するために、反復を、意欲の対象そのものにすること。」
>とありますけどね。

>同一性をもつ反復、それ自身の累乗、1の累乗=力を意欲する精神が、逆説的に自由な精神なのだというのでしょう。

「意志を解放する」のはどちからといえば「獅子」の意志であって、「子供」の意欲は「自らの意志を意欲する」。
「意志を解放する」んではなくて「意欲は解放する」。
「意欲は解放する」というフレーズはツァラトゥストラに何度もでてきます。

>>694
>しかし力はそれ自身における差異としてしか表面化しない感知できない
>差異としてしか力を楽しめないわけです。
>例えば私たちは大地と共にジェットコースターより速く動いている。だがその自転公転のスピードは楽しめない。
>ジェットコースターのスピードは相対的のスピードで、乗れば私たちは己自身のスピードとの差異、それ自身との差異を感知する。
>したがって力への意志はそれ自身における差異を意欲せねばならない。
>常に自己超克せねばならないわけです。

なんか全然ちがうんじゃないかと思いますw
そういう「差異」にもとづく肯定は、つまり「比較」にもとづく肯定にすぎないのであって、
道徳でいえば「奴隷道徳」に通じるものがあります。
ニーチェが求める肯定はもっと直接的な自己肯定でしょう。
それは過去の自分との比較でもありません。
696○丸:2008/09/30(火) 22:12:09 0
俺の記憶では、力意志は、
力意志力でないの?
力→力の→は必然に発生する意志。
697考える名無しさん:2008/09/30(火) 22:23:09 O
>>687


> ここでニーチェとドゥルーズをぐちゃぐちゃとミックスしてみたくなりました。

> それ自身における差異が肯定の対象になり続けるとき、人間は生ある者として位相を変え続け、己自身を反復する…己自身を反復し続ける…

と、こちとら両津が適当なこといってますが、

これが力≒累乗であることや、それ自身における差異とそれ自身に向かう反復、自己超克と永遠回帰を結びつける説明に少しはなってるかもしれない。

ともかく差異と反復を共存させること、これが問題であり生の務めですね。
ドゥルーズはこの問題にどう立ち向かったのか?
気になりますね。

>>688
でもドイツにだって国語辞典はありますけどね。
とっておきとしてグリム兄弟が編集し始めた馬鹿デカい国語辞典もあります。
たしかもうデジタル化されてたと思いますね。


そろそろ10月になるので私はサバイバルモードに入ります。
多分1ヶ月ぐらいですかね。
では、さようならなんです!
698○丸:2008/09/30(火) 22:37:36 0
>それ自身における差異とそれ自身に向かう反復

「ニーチェと哲学」では、
肯定には、第2の肯定がある。
たしか、デュオニュソスとアリアドネの物語で、
互いの魂が、お互いの魂を映すと、鏡のように
無限の魂が映し出される。第2の肯定(鏡)は知恵と
理解したが、
699ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ :2008/10/01(水) 01:48:48 0
>>692
ほい。
思った通りの返答が聞けたよ。
気に入らない産毛があると、私は時折わざと剃刀を当てて出血させる。
そうすると、その人間がなにゆえにそんな思索定型を好んでいるかよくわかる。
ドゥルーズを読まなくても、よくよく見えてくる。
そんなことを試したかったのもあるんだ。

>そんな体験をするのも一興です。
敗北の狼煙を上げるのはけっこうな話だが、敗北の良薬が概念の迷路遊びとは!

>子供の頃から大人らしいニーチェが憧れの矢を放ち続けた先はそんな春なんですし。
了解。

飯を食べる。味がわからなかった。成分を調べる。
顕微鏡でね。顕微鏡のつくり学ぶ。それが他人の色眼鏡だ。
でお味の方は?
味がしない?
では君、舌がないんだよ・・・・
舌が味わう権利が備わっていない者は、言葉の"背後"の味もわからない。
舌は顕微鏡で覗いたり、顕微鏡の仕組みを調べて、食を吟味することでは馴らされない。
そういうことをいいたかったのさ。
でも、そんな嘆きもむりっぽそうだ。
700考える名無しさん:2008/10/01(水) 08:26:50 O
訳注の19を見ますと「ニーチェのWille zur Macht は、
フランス語ではvolonte de puissanceと訳されている。」とあります。
ドゥルーズもこの塾語を使ってるらしいけども彼はこれを「 力を目指す意志」ではないという。
そりゃdeという英語のofに相当するような前置詞で英語のtoに相当するようなzuが訳されていれば、
そんな解釈になりがちなんでしょう。
しかし仏和で調べてみるとdeは方向性も表すことがわかりました。
例えばtrain de Paris でパリ行きの列車という意味らしい。
じゃあ「パリの列車」をフランス語で表現するとしたらやはり train de Paris
になるのではないでしょうか。
またdeは目的、対象の前におかれたりするようです。これも方向を指示するものですね。
例えばle desir de paix で平和の希求、la peux de mourirで死への恐怖を意味します。
しかしdeの主要な役割は語と語を所属関係で結ぶものみたいで「〜の〜」やらofと似た寄ったりみたいですね。
701考える名無しさん:2008/10/01(水) 08:32:09 O
というわけでvolonte de puissanceといえば、
力への意志なのか、力の意志なのかという曖昧さがあるわけですよ。
しかもどっちだってよくね?なんてあっさり片付けていい問題ではない。
どちらの意味で解釈するかでニーチェ理解に大きな差が生じてくる。
まあどっちかというと力の意志と解釈される表現でしょう。
まったく、他に方向性を表す前置詞はないんでしょうか? フランス語には。
知らないので仕方ありませんね辞書を片っ端から探してみましょう。
ああっ! あ、ありました…ああなんと…aでした。
いきなりありましたね。ざっとこんなものでしょう。余裕でした。
ああ、実はa` ですけどね。面倒なのでaで。
例えば、パリへ行く、は、aller a Parisなんですよ。


ああああああ!!!あ〜あ…
やっちゃってますね、こいつ所属関係も表しやがるんですよ!
馬鹿らしい。 deと使いわけとけっての!
信じらませんね。どのへんが明晰なんでしょうかフランス語は。曖昧じゃないですか。
なるほど、デカルトの気持ちがようやくわかりましたよ。

やっぱり今月はこれにてサバイバルモードに入りたいと思います。
スポーツ紙が大恐慌きた!と煽ってたようですし…。
702考える名無しさん:2008/10/02(木) 04:39:17 0
ツァラトゥストラの岩
http://pds.exblog.jp/pds/1/200809/28/41/a0024841_2252363.jpg
1881年、ニーチェが永劫回帰を思いついて立ち止まった場所だそうです、、、(清水真木『ニーチェ』p97より)。
703 ◆TANPanX3xc :2008/10/03(金) 16:00:34 0
うつろいの阿片靴。

今更だ。

上げモードで貴様等に問うて進ぜよう。
704 ◆TANPanX3xc :2008/10/03(金) 16:06:32 0
「ニーチェに自分の今までの生き方を重ねる、」まではよしw
しかし、取り込まれるようでは、読んだとも言えんよな?

これじゃ、まるで聖書だと、言った・・・・

君の生き方は、君にしか造り得ない。
2chなんて、糞だ、
ホント。。。。
705 ◆TANPanX3xc :2008/10/03(金) 16:13:35 0
:ニーセ21世 ◆TFnqGXDHBQ
決別の辞世の句ならば、述べたはずだ。
君は、ボクのフィールドを犯してまで、進入したくせに、
その負荷を見ていないようだね?

普通ならば、死んでる所だ。
706 ◆TANPanX3xc :2008/10/03(金) 16:25:41 0
その罪に。
707 ◆TANPanX3xc :2008/10/03(金) 16:48:00 0
ほれ、
答えてみろ?

くだらねぇよ、なんもかも・・・
708 ◆TANPanX3xc :2008/10/03(金) 17:12:23 0
「あははは。さすが私の師。」
というのも、迷惑だ。
消去法でいけば、君の存在そのものが大体無い。

で?
なんだよ。にーせ
709考える名無しさん:2008/10/03(金) 18:34:23 0
ニーチェの、ボードレールからの影響については
どう思われますか?
遺稿などを読まれた方・・・・?
710 ◆TFnqGXDHBQ :2008/10/03(金) 18:48:12 0
>>705
>君は、ボクのフィールドを犯してまで、進入したくせに、
>その負荷を見ていないようだね?
あなたはいまだに、"犯しに"意・図・的に、私が訪れたと本気で思っているわけですよね。
では、その後をなぜ語らなかったか知ってますか?
あなたの怒りを知ったからですよ。
そう、確かに色々な思いでいるということを知らずに叩いたことは非常識と言える。
ただ、私が君の背中についている目印を見つけた時に、声をかけてびっくりさえようと
思った瞬間の気持ちはそうじゃなく、あくまで街頭のそれである。それすらもけしからんわけでしょ。)
それは認める。しかしあなたの中では『蒙古襲来』に来たチンギスハンのな領土破壊の人間としてしか
像を結んでいない。そんな猜疑心も怒りも私はどう処理すればいいわけです?
(君が居たのはもっともぬくもりを感じていて、もっとも自分らしくある場所であった。



>普通ならば、死んでる所だ。
何が気に入らないかずばっと言ってしまえば良いです。ただ公衆の面前だから、
メールにしましょうか?
突然書き込みをしたわけですから、何か腑に落ちないものを抱えていたはずです。


711 ◆TFnqGXDHBQ :2008/10/03(金) 19:01:16 0
>>708
>「あははは。さすが私の師。」
>というのも、迷惑だ。
あなたを師と思っていないです。
私は私の実生活であった偉大な師が2人いるだけだ。あとは書物の過去の偉人。
あなたの素晴らしい点を素直に私は認めるし、お世辞ぬきに指摘した。
けっして、歯を浮かせようと思ったわけではない。
ただし、そんな指摘も褒め言葉だけでは済まされず、何かしらの悪意を感じている・・・
ということをまず知った。

>消去法でいけば、君の存在そのものが大体無い。
それでかまわないです。

>で?
>なんだよ。にーせ
あなたが来たらこれまでのように接する。
でもそうじゃなかったら、そうじゃないなりでこの板で振舞う。
特にあたなにようがあるためにきているわけじゃない。
ただ、何か書き込みに来ているだけです。
こちらとしては「どうしました 短パンさん 急に?」というのしか、この板を
覗いた時はなかった。
ただ、ここにあたなが怒りの気分を書き込んだ以上は、推測している。
どうすればいいかです。
712 ◆TFnqGXDHBQ :2008/10/03(金) 19:13:39 0
>>708
あなたのフィールドで最後に放った言葉を覚えている。
「乗せられた。そんな気がしている。」
これを読んで、私はもうなすすべがなかった。
私は、あなたからみれば策士なんだろうし、ペテン師なんだろう。
こういう疑いで接せられたら、私は偏屈な欠点があるから、素直に折れることはできないですよ。
扉の領域"制圧"の罪をどう償えば良いか知らない。
申し訳なかったとしか言えない。

以上。


713考える名無しさん:2008/10/03(金) 21:50:58 O
私もそろそろ音楽がわかってきましたね。
基本的に音学なんです!
みんなの言葉、いわば音葉なんです!
誰でもわかるしできるんです!
そして音楽は文芸です!
しかしこれを大人になってから学ぶのは外国語を学ぶようなものなんです。
難易度も同様なんです。
作曲は思考、詩作に相当するようなもので、質を度外視すれば、誰でも曲を作る能力をもっているんだと思いますよ。
ですがやはり外国語で考えることや話すことと同じように小さい頃からやってないとなかなか自然に流暢にとはいかないでしょう。
さらにサンマやタモリのような即興で様になる場をつくりあげてしまう話をする能力というのは普通望めもしない。
それでも特別な才能はいらないですね。
まあ宇多田に特別な才能があるかといえばそうでもないでしょう。
以前から彼女に異臭がすることはわかってましたが。
日本語も英語も音楽も中途半端なレベルなんでして、
今のところ芸術の域には達してないんですよね。

この五倍ぐらいは書きましたが、上記の2ちゃん化した上でレスしたいと思います。
なにしろパケ代節約中ですしね。
ありがたくあらかじめ言い訳させていただきました。ではでは。
714魔王 ◆TANPanX3xc :2008/10/03(金) 22:06:47 0
◆TFnqGXDHBQ
くだらないレス。おつかれ。。。
そこまで、いい加減に存在してねぇよ・・・


アホ
715考える名無しさん:2008/10/03(金) 22:12:51 O
おっとなんなんでしょうかこの二人は、またまた不穏な空気になってますね。
せっかくの私の金のかかるレスがまるで場違いのようです。
可哀想な人たちだ、こちとら両津、起死回生の第三成長期に突入した気がしてるんですがね。
まさにこれにてさようならというところでしょうな。
716考える名無しさん:2008/10/03(金) 22:36:07 O
仕方のない人たちですね。
まあここで対照的に私の意気込みを発表しておきましょうかね。

私はあたかもぴかぁのように三十路を迎えおやじになりそうな今日この頃なんですが、
私がおやじになってもです、味噌だからといって糞味噌にされても、
腐っても鯛なんだと、そういえるような三十路でありたいと、そう思うんですよね。
だって腐っても味噌、腐っても納豆、腐っても鯛じゃないですか!?
そんな味噌のような三十路として生きていきたいということなんですよ!

717 ◆TFnqGXDHBQ :2008/10/03(金) 22:38:26 0
>>716
君はもう四十路だろ
ちょうど地下の住人と同じ年齢じゃないかw
718魔王 ◆TANPanX3xc :2008/10/03(金) 22:39:15 0
うるさい!!!
にーせ。
お前のせいで、苦しんだ。
責任は・・・・

719 ◆TFnqGXDHBQ :2008/10/03(金) 22:43:06 0
>>718
短パンさんはどうしたいわけです?
私を苦しめたいですか?
720魔王 ◆TANPanX3xc :2008/10/03(金) 22:50:32 0
あぁ。そうしたいね?
だが、それだけで物事終わらない。w

歪曲の限りを回り回って、いきつくはてに・・・


ふん。
721 ◆TFnqGXDHBQ :2008/10/03(金) 22:55:30 0
>歪曲の限りを回り回って、いきつくはてに・・・
殺したい!
こうですね。
じゃ、住所を教えればいいですか?
722考える名無しさん:2008/10/03(金) 23:40:48 O
やはり第三成長期に入ったにしても、明石家さんま大先生のようにはいかないのだろう。
彼ならこの場をどう取り繕うのだろうか。
ふん、まあ太田ではどうしようもないかろうが。
むむ、さては第四成長期というものまであるのかもしれない。
そもそも私は芸人を目指してるわけではなかった。
まあいい、さらばだ決闘者たちよ。
できれば相討ちで頼む。
後はまかせるがいい。
723考える名無しさん:2008/10/04(土) 00:10:12 O
私もちょっとだけ孔子の気持ちがわかってきましたね。
724考える名無しさん:2008/10/04(土) 01:12:22 O
まあぶっちゃけブッダは生は苦だといいます。これはおっしゃる通りだと思います。
ショーペンハウアーなどもそうゆう認識ですね。ニーチェにもそういう認識はあります。
苦は初期設定であり、本質、実質、性です。
ですが苦楽の楽の方は作ることができます。
それはソフトウェアのように起動してるときにだけ働き、「ある」ようにみえる儚いものでいわゆるウーシアではない。
いつ露と消えてしまうかわからない。
したがってニーチェは生ある者を創造者やら、自己超克し続けねばならない者だとかいうのでしょう。
いくら自己超克したつもりでも本質は変わらない。いつ本質へと没落してもおかしくはない。
すぐにも重力により自然と落ちるんですよ。
したがって、生は常に自己を越え続けていねばならないものとされるのです。
生は神の手により何度没落させられてもシシューポスのように登り続けてこそなんぼなのです。
登ることに生の喜びがあるんですから、
落ちてもいいのです。また登ればいいのですから。
あまり痛すぎたら死ねばいいわけです。
死にたくても恐怖などから死ねないなら死なねばならないような強烈な痛みをまだ味わってないんですね。
725 ◆TFnqGXDHBQ :2008/10/04(土) 02:23:50 0
>>720
私は東京都民(三鷹市)。短パンさんも恐らく口調から関東でしょう?
(勝手な予測だけど、なまりがあるので、茨城か群馬あたりですよね?)
会うのにそう遠くはないはず。
メールさえ貼り付ければ、いつでも希望に沿うようにします。
(捨てアドですが、こちらがフィールドに貼ってもかまわないです。)
但し、殺す以上は、ブスリとやって貰いたい。
中途半端に生かしたら、植物人間でない限り、私も殺しはしないが、
必ず反撃する。一応、テコンドー黒帯、極真空手をやっていたし、
喧嘩なれも相当してます。できれば凶器を持ってきた方が良い。

>>724
そういう文章の方が、ずっと解りやすいのに。
仏・独授業よりも。

ほいじゃ
726考える名無しさん:2008/10/04(土) 03:26:42 O
人間は本質的なものは何も作れません。
影しか描けない。
人間のなしうる創造というのはロゴスにもとづくものです。構造物ですね。
ですから人間のなす創造の基本はパクリです。学習、探索、発見、発明です。
危なげな短ぱんたちの理解では生とはカオティックなものでしょう。
たしかに本質は地獄絵図でしょうね。いやはや想像以上に酷いものでしょう。トンデモでもです。基地害です。
しかし本質だけで本質が成り立つんでしょうか?
物自体というのはその表象なくしてありうるのか?
形式が消えれば、内容は忽然ときえうせるのか?
体が滅びれば魂は滅びるのか?
こうゆう疑問がいざ死んでわかるならば大変でしょうね。
ともかくこの世においてはカオスに加ええるにロゴスがあります。
ディオニュソスとアポロン二人三脚でアトラスになっているといえます。
青春とはロゴスに対する反抗ともいえそうですね。
ニーチェのですねアンチロゴス的な著作はです、
あまりにも初めに言葉ありきというようなロゴス命みたいな生活環境の中、危機感を覚えたからでしょう。
彼はキリスト教の滅亡は意図していなかったわけですし、その存続を最も望ましいことの一つとして挙げていましたからね。
727 ◆TANPanX3xc :2008/10/04(土) 04:37:11 0
>>725
関西在住ではないけど、だからなに?
論点は。
いいか?にーせ・・・
728 ◆TANPanX3xc :2008/10/04(土) 04:45:49 0
>>721
殺さない。
なぜかといえば、
にーちぇをこれでは語りきれんからだ。。。
729 ◆TANPanX3xc :2008/10/04(土) 05:03:37 0
あとはてめーで考えるんだな。。。
730考える名無しさん:2008/10/04(土) 07:01:05 O
ロゴスを希希辞典で調べたい!
orz
つか、現代ギリシャ語はショーペンハウアーが罵声を投げかけるような変化を被っており、
随分簡単になってるみたいですね。
それにしてもギリシャ語は知恵の結晶という感じがします。
これを習得すると無知の知、無意識の知を得ることができ、
謙虚にも私は何も知らないといいつつ議論をふっかけ歩き優勢に話を進めることもできれば、
想起説、イデア論を信じられるようになる気もしますね。
そして、おおロゴスよ! 我がコスモスよ!!と誇大妄想気味に感動したかと思えば、
無理数に落胆し、虚数に参り、不完全性定理にノックアウトされるのも一興でしょう。
まあ古希の栄光はギリシャ語のおかげでしょうね。
そうです思うに、知能は半ば言語で決まるんだと思いますね。
サンスクリットにしても言語からして素晴らしい!!ヾ(≧∇≦*)ゝという報告は稀でもないでしょう。
古希を学ぶにはまず現希からがいいとはいいます。
シュリーマンも現代ギリシャ語から入ったといいますし。

731考える名無しさん:2008/10/04(土) 18:28:03 0
もういい加減飽き飽きしてるんだ。

毎日毎日同じ事の繰り替えしでさ。

ホトホト呆れかえるよ。まったく。

はたして君に、これがわかってもらえるのだろうか。

そう言ってる間に、ほらまた、同じ

真新しい今日が、はじまる。
732考える名無しさん:2008/10/04(土) 21:13:15 O
始めはニーチェと関係ないようですがここで地下室の住人というか穴蔵の住人を考えてみましょう。
ショーシャンクの空にという映画でリタ・ヘイワースという美女が出てきますが、違いました、アンディが所長に2ヶ月程、懲罰房に入れられました。
そんな暗い部屋に監禁されたとします。
そうしますと、まず非常に強い自意識に襲われるでしょう、これはまた非常なる苦悩の嵐になると思います。
すると私たちはそのうち発狂するでしょう。
あるいは、別人格が生じてくるという可能性もある気がします。
「私」をその自意識から逃れさせるために、別人格が発生し意識を乗っ取るのではないかと。
そうしますと、元の「私」のほうは他者に意識を奪われることで、己自身の重みで潰れずに済むのです。
要するに、私たちは私たち自身の重みで崩壊する性をしているのだと思うのです。
ですから、汝自身を知れというソクラテスの誓いに反し私たちは「私」自身から気を逸らし続けねばならないのです。
ですから、自愛というのは自滅的ですのでキリスト教でも神、隣人、敵への愛さえも説きながら自愛は説きません。
むしろ自己忘却をといているといえます。自己からの解脱を。
733考える名無しさん:2008/10/04(土) 21:31:42 O
アンチキリスト党の党首のようなニーチェもディオニュソス的なるものなどを説き、自己、「私」を横に置いといて、あまり意識してません。
たとえ「この人を見よ!」とはいえです。これは自演ですから。

自意識は病であるというドストエフスキーの言葉は確かなものがあると思います。
逆に日本語の「我を忘れる」 「心を奪われる」「滅私奉公」「無我夢中」「没頭する」「ハイになる」「陶酔する」
などの自己忘却の類似表現は健康的とは言えないまでも楽しいものです。

リタ・ヘイワースに心を奪われていれば塀の中でも最高の気分になったりするわけです。

まあ要はですね本質的に「私」は苦しむことしか能のな存在だと思うわけです。
ですから、皆さん、信じましょう…神を…
734考える名無しさん:2008/10/04(土) 21:41:11 O
>>733

> アンチキリスト党の党首のようなニーチェもディオニュソス的なるものなどを説き、自己、「私」を横に置いといて、あまり意識してません。
> たとえ「この人を見よ!」とはいえです。これは自演ですから。

狂人生活も自演の一環ですか?
あなたの話に従えば、むしろ自演ではなくマジだったからこそ発狂したのでは?
自分を意識しすぎて自分に耐えきれずに崩壊したのでは?
735考える名無しさん:2008/10/04(土) 21:52:43 O
>>734
憑かれたようにツァラトゥストラを書くような人間はもちろん、
一般的に物語る人間、ストーリーテラーというのは、役者なのです。
しかも演じてるときにはその意識がない、自意識のない生ける人形なのです。
736考えない名無し:2008/10/04(土) 21:58:25 0
興味深い意見。
地下室の住人の『地下』は感情的・本来的な「私」の他者意識への奴隷化・あるいは
行動の歪曲化によって生じた強引な嵌め込みによる自意識過剰感情が乗っ取った
ある種の感情の音色=苦悶であると考える。絶望の溝に浸りきって生き抜いており、
同時にその溝に嵌りきって、その嵌りきった精神困憊の重荷それ自体が、なおさら重荷をひとっとびしようと
する衝動をもたらし、それがあのような選択的に自由でありながら、感情が苦悶という黒いものに束縛された不自由を生み出す。
つまり、本来的な「私」を他者に同化しようとする自己歪曲の衝動と、同時にそれが本来的な「私」に圧力を加えて
本来的な私というすんだ水を汚し、その汚れた水が精神の大半を占め出すと、自分の精神が汚れたことにも気づかなくなる。
ただ、ここで自意識過剰ながら、"自意識"(人間がよく言う理性)が働き、実はこの苦悶の音色に覆われたこんな「私」は本当に私の体が私自身に望んでいる状態なのだろうか?
という疑問を提出する。
(ここで"精神は肉体の道具"であるというニーチェの思想とだぶる。)
737考えない名無し:2008/10/04(土) 21:59:07 0
翻って、ショーシャンクのアンディのように監禁された場合は、ドストエフスキーのような自意識がかんでくるだろうか?
あそこでは、物理的な暗闇という地下そのものに浸る。そうなれば、他者を意識するというより
本能的恐怖心が自我の大半を占めるようになると想像する。でもこればかりは体験しないと不明。
ただし、自意識病の至った人間がそういった地下に生うめされることを想像すること自体が、もう息がつまるほどの恐怖だ!
ソクラテスの汝自身を知れは、あくまで自由意志というものを信じる人間が実は不完全であるという
抑圧をもたらし、それが科学性や合理性を外的に君臨させる。
するとその合理性への自己歪曲こそが、本来の感情を虐待し、場合によって自意識病をもたらすようになる。
仮に「自愛」が歪曲へ向かえば自滅的、反対に「自愛」が自意識病的に汝を汝以外の他者を含む自分に目を向けず、
私の感情に目を向ければ生産的になる。
本来「自意識という苦悶を"消化"するのと、一時的に"忘れる"」のは、雲泥の差があると思いますが。
「自己の開放」は実は"地下状態"から抜け出すことではなく、地下そのものを己から消すことにあると確信している。
そして、それは情報や知識の集積ではないとも相変わらず思うのだ。
738考えない名無し:2008/10/04(土) 22:00:50 0
あの映画でブルックスはいわば、自由に赴き、不自由を感じて自殺した。
あれこそ自意識ゆえの人間の本来の恐怖だろう。
つまり、愛は知性では買・え・な・い。

739考える名無しさん:2008/10/04(土) 22:41:57 O
苦行というのは恐らく己を叩きのめすことで、非人称的なるものを召還せんとする魔法の修行なのではないでしょうか? これは敢えて病にかかり免疫系を強化するというワクチン接種のような逆説的方法なのではないかと思います。
人間には天才と呼ばれる魔法使いみたいな人々がいますがね。
で、どうしてそんなことができるのか自分でも説明できないわけです。
サバァンなんてのはまさに自分の特殊能力を説明できません。
それは私たちが日本語をどうやって操っているのかよくわからないし、どうやって生存しているのかよくわからないし、妊婦にしてもどうやって生命を形づくっているのかよくわからないのと同様でしょう。
非人称的なるものが働いてるんですね。
まあ人称的なるものというのは、無能なんですよね。
ですから敢えて苦行で人称的なるものを叩きつぶしたり、
苦境に陥り、それが叩きつぶされたり、
先天的にその種の障害があったりすると異常な魔法が使えるようになったりするのかもしれませんね。
740考える名無しさん:2008/10/04(土) 23:13:21 O
一般的に比較的アンチロゴス的な女性はカオティックで見かけによらず地下的でありまして暗くてジメジメしてますね。
自意識というのは理性的なものではないんですよ考えるななしさん。
凡人にはなかなかできたものではないですが探究は我を忘れてやるべきものです。自意識なしに。
なんでもそうです! 波乗りです! サーフィンです!
741考えない名無し:2008/10/04(土) 23:33:09 0
>自意識というのは理性的なものではないんですよ考えるななしさん
一応、地下室の住人の『自意識』とは別の意味での自意識。
自意識過剰はあくまで苦悶の感情が含む理性であり、後の自意識は単に客観的な振り"返ってみて"の理性。
もちろん、自意識病は理性の力だけでは消滅させることはできないだろうよ。
まあさ、最終的にカオスがロゴスが出て、ロゴスでカオスを表現するしかないんだよ。

742考えない名無し:2008/10/05(日) 00:04:37 0
ショーシャンクと言えばスティーブン・キングだけど、彼の原作で似たような囚人映画グリーンマイルでは、
黒人囚人がキリスト顔負けの奇跡を起す。
ただしあれはあくまで製作者のキリスト教的な伝統感への保持でしかないような気がする。
映画ではそれどころか単に無罪証明と愛すべき人柄の象徴として奇跡を利用したにすぎない。
よい意味で、理不尽な社会に殉教した現代版キリストとも捉えられるだろう。
変わりにアンディは地下を20年掘りつつけて、雨の外に飛び出した。
ブルックスは恐怖ゆえに自殺したが、アンディと《M・フリーマン演じる???》は希望を信じた。
いや、愛を友情を。
フリーマンは一度フルートを手渡されたけど、希望が怖いゆえに吹くのをためらったわけだ。
ニーチェに話戻すけど、道徳の系譜で『ショーペンハウアーは厭世主義者なのに、毎晩フルートを吹いていた!
これぞ真の厭世主義者か?』と指摘しているけど、簡単に言えば、そういうことだろう。
ショーペンハウアーは生の解脱から、つまり拷問から逃れるためだけに苦行をしているが、
やはり希望の人だった。厭世主義者ではないと思う。まあ、文章読めばわかると思うけど。
晩年犬ころと一緒にはいしゃいだわけでしょう。

では。
743考える名無しさん:2008/10/05(日) 00:10:22 O
考えない名無しさんのお話はよくわかりません。
もしかしたら「が」は誤字脱字ではないのかもしれませんが。

マイ神話的にはですね、
女性神カオスは男性神ロゴスで自己表現しようとしており、
ロゴスはカオスで自己表現しようとているのです。
まあ内容と形式が貪欲に互いを貪り自分のものにしようとして絡み合って一体化しているイメージです。
これは欲求不満による18禁の妄想のような神話的世界観なのであります。
744考える名無しさん:2008/10/05(日) 01:41:14 O
アンディの親友はたしか”レッド”でしたね。
いや、あれは迫真の演技でしたね。
私はあれで人間不信になりました。

ショーペンハウアーについていえば、彼は若い頃から酷い認識を受け入れていくことでタフになったんだと思いますね。
それ故に生まれた余裕と遊び心が生活に現れてるんでしょう。
ニーチェはショーペンハウアーに比べるとか弱いですね。
745考える名無しさん:2008/10/05(日) 06:58:14 O
ニーチェが
死ぬ前に、私はナポレオンだったとかいろいろな有名人が出てくるが
それは永劫回帰により、私と同じような人はいたということでおKなんかな
746考える名無しさん:2008/10/05(日) 10:13:36 O
偽短=考えない名無し氏の一連のいつも同様の主張では、
己のカオスに目を向けろ、逃避的にロゴスに目を向け続けてばかりいればカオスは糞となる!
ということみたいです。
しかしむしろカオスはロゴスによって糞から味噌になるのであります。
カオスとロゴスが「合体」せねばならないということです。
ロゴスには発話、言語能力という語義もあります。
ロゴスを軽視するお稽古嫌いの奴の表現、演奏は下手糞です。
雑音にしかなりません。
ロゴスだけでも空虚な雑音にしかなりませんが。
747考える名無しさん:2008/10/05(日) 11:02:26 0
>745
それは私の学生時代に丸山圭三郎氏がうまく説明していたと、記憶しています。
今すぐ私自身の言葉でうまく説明できません。私の浅さです。
このスレを読んでの感想・・・・・
「語らずうたえ!!!!」
748考える名無しさん:2008/10/05(日) 11:05:27 O
まあ、早君は神話に注目していましたし、ニーチェもそうです。
早君=偽短説によりますと、早君没落の原因は受験失敗によるのか知りませんがロゴス蔑視のせいだと思います。

神話的世界観との絶縁から西洋の科学的、機械的思想は始まり、近代に入り神話が見直されてきたなどといいますが、
古代中国思想では老子、孔子のように、
形と内容の両方を重視されてました。
とはいえ暗黒時代といわれるようなヨーロッパ中世において重視されていたアリストテレスなんかは形相と質料だとかいってますが。
そんなアリストテレスに立ち向かったガリレオやケプラーなどによってプラトニック、ピタゴラス的な世界観に基づいているといえる科学が息を吹き返し大いに発展してきたわけです。
ソクラテスはもちろんプラトンも詩人のような質でちょっと頭がおかしいのだし、ニュートンも錬金術などに時間を大いに割いていたわけですし、
どうも混沌と秩序のいずれかを信仰するのは片手落ちであり誤っているのだと信仰していもいいと思いますね。
749考える名無しさん:2008/10/05(日) 11:27:04 O
でまあ、凡人というのは視野が狭いといますか盲目といいますか片輪といいますか、
いつもなにか片手落ちでして、
例えば片手でカオスかロゴスの一方を取るわけです。
ですが、歴史的人物というのは大体ちゃんと両手両輪共に備わっているんですよね。
小さい子供もそうでしょう。
で、一般的になにゆえに人が小さい子供のような天才的能力を「成長する」につれて失ってきてしまうのかというのが問題ですよ。
まあ老化ということで仕方ないのかもしれませんな。
ではなぜ比較的短命ともいわれる天才が存在してきたのか? まあ偶然ということで片付けておきましょう。
750考える名無しさん:2008/10/05(日) 11:45:29 O
昨今の日本で歴史的人物といえば、ここの管理人である「ひろゆき」でしょうね。
これは多分もう間違いないでしょうね。
そうしますと私も歴史的出来事に参加してきたといえますね。
私は2ちゃんねらとして誇りをもって生きてきましたし、これからもそうするでしょう。2ちゃんがここにある限り…
751考える名無しさん:2008/10/05(日) 12:18:28 O
長い目でみますと, 前大戦のヒトラーを総統とするナチスと原爆を投下しその後も戦争を続けるアメリカのどちらが悪の権化とされるのかわかりませんし、
まあ評価は時代時代で揺れ動いていくでしょう。
規模は小さくなりますが、ひろゆきに関してもそういえます。
ひろゆきを管理人とする2ちゃんと、これに対立するマスコミ、世間のいずれが後々よく評価されるのか、これはわかりませんし、やっぱり評価は変転するのでしょう。
でも悪の化身とされたり英雄視されたり、マスコット扱いされながらも、
やはりひろゆきはその死語にも評価され続けるだろう要注意人物なんですよね。

752考える名無しさん:2008/10/05(日) 12:33:29 O
そうしますと、近頃ぴかぁはチンポを差し置いて出世し始めたようですが、
長い目でみればほんとに出世といえるのかわからないですね。
彼が仕事が忙しくなりずきたり世間体の問題で2ちゃんで語ってられなくなり去っていきますと、
長い目でみればぴかぁは眼差しの快楽を棄てることになるのかもしれませんねw
まあ「今、ここ」を大切にすればいいのではないでしょうか?
753考える名無しさん:2008/10/05(日) 14:53:48 O
イデアと影
物自体と表象
意志と表象
ディオニュソス的なるものとアポロン的なるもの
語りえないものと語りえるもの
存在と存在者
無意識と意識

これは歴史的パクリでしょうね。
754考える名無しさん:2008/10/05(日) 21:54:23 O
いいことを思いつきました。
私は昔から昔の人の方が能力が高いなという気がしてました。
知的な領域では一人で今の人の10倍以上働いているようなおまえのエネルギーは底なしかというような人がいるわけです。膨大な仕事をこなしている。
なんか2000ページにも及ぶ辞書を一人で編集したりしてますね。
まあここは現代人の知能は低下していると仮定してしまいましょう。
で、問題は何故に低下しているのかということになります。

ぴかぁの発言に、テレビによる知能低下というのがあった気がします。
受信する情報量が10の3乗とか4乗とかになっていそうなのが災いしてるのではないかということでしょう。

そういえば最近、私は知を愛するというよりは、探索が好きになってきたこともあり、これは女の買い物好きとは似て非なるものですが、
シャーロック・ホームズの話を想起しました。
彼は必要ない情報に触れないようにしてるんですね。
なぜだか地動説も知らなかったと思います。

知能低下の原因として受信する情報量の過剰が容疑者なのです。
そこで私は私で生体実験を行いたいと思います。受動的な情報の受信を大いに避けたいと思います。
まあすでに半年以上テレビはみてないんですが。
755考える名無しさん:2008/10/05(日) 22:10:19 O
このスレに短ぱん偽短が現れたのも丁度半年ぐらい前でしたかね。
その辺から私は歌わなくなってきたということでしょうか。
そういえばニーチェは新聞を批判してましたね。
また、物事を書き留め記録するようになってから人の記憶力は落ちたとはよくいわれることですし。
このちょっとした実験は、そもそもマスメディアに飽きたというのもありますが経済的な理由もありますし、やるっきゃないですね。
756考える名無しさん:2008/10/05(日) 22:57:22 O
ふむ。
ショーペンハウアーは多読を整理されてない図書館のようなものだとして戒め思索の重要性を語りましたね。
そんな受動的な多読に比べても、マスメディアによって垂れ流される情報の受動的摂取量は著しく大きくなりますね。
偽短≒早君はショーペンハウアーに則って、知識集積を非難してるのかもしれませんが、
その本人の頭の中は恐らくマスメディアを通して、
知識ではなく、広告やらどうでもいいようなおしゃべりを集積し続けぐちゃぐちゃになっているんですな。
ゴミ集積地みたいになってるわけです。
757考える名無しさん:2008/10/05(日) 23:01:58 0
いったいこの人たちは何を言っているんだろう?
自分で一人ブログでも書けばいい話じゃないか。
わざわざここに書く必要性が感じられない。
なにしに来てるの?
758考えない名無し:2008/10/05(日) 23:21:06 0
>ショーペンハウアーは多読を整理されてない図書館のようなものだとして戒め思索の重要性を語りましたね。
「読書について」だか「知性について」で一貫していた。あれは何度でも読めるいい本だ。
あなたの予想に反し、私ほどTVも新聞も雑誌も無縁の人間もめずらしいといえるけど?
(そもそもカオス的人間が既にある腐ったロゴスで組み立てられた構築物・形式なんかに耳も傾けんよ。)
TVはスポーツニュースのサッカーのみ。新聞は取ってない。
新聞は賤民が賤民を裁いてはきちらす"胆汁"だからな。
759考える名無しさん:2008/10/05(日) 23:55:35 O
>>758
本当ですか?
そうすると私の実験は無駄になるといえるかもしれません。
まあ経済的理由から断行しますが。

760考える名無しさん:2008/10/06(月) 00:09:25 O
偽短は在日ですかね。
誤字脱字としては片付けられないほどに日本語がおかしい。
かなり注意深く書かないとおかしくなるんでしょうね。

あるいは感情を優先し過ぎているがために形式が崩れ不細工な表現になるんでしょう。
761考えない名無し:2008/10/06(月) 00:25:53 0
>>760
うん。日本語おかしい。それは読み返してみてもよく感じている。
誤字脱字多いしなw
文章を書くときに、形式を意識したことはない。
そもそもよい文章・綺麗な文体というものを意識していないからだろう。
文章家になろうとも考えないし。(仕事で漢字の間違いはけっこう指摘された。)
>あるいは感情を優先し過ぎているがために形式が崩れ不細工な表現になるんでしょう。
それは言えていると認める。あまり、「まず主題を置き、その後に」というのは全然考えない。
漠然と主題が浮かんだ瞬間に、その場で直情的に書いているだけですな。
(あるいは、主題自体が明確な像を結ぶ前に、浮かんだことを書きなぐる。ってな感じだろう)
そんな点は早氏の考えと似ている。ただ彼は私よりずっと綿密で論理的文章だった。
(同時に苛烈な苦悶の入り混じった爆発的カオスの中からほとばしる稲妻的比喩があって印象的であった。
わかりやすい文章です。)
さすがは文章家志望。
762考える名無しさん:2008/10/06(月) 00:27:47 O
肉体も形式あってのものでして、その形式が崩れるということは不細工、病気、奇形、老化、死に直結しています。
また明らかに叙情性豊かな詩や文学は散文より形式的であり、音楽になるとさらに形式的になります。

ニーチェが肉体を重視するということは、形式、ロゴスをも重視するということです。
理性、ロゴスがなんだろう! 惨めな安逸ではないか? とはいえ肉体はそんなものです。
それがなければ生気を失い腐りつつ異臭を放つものですね。
763考える名無しさん:2008/10/06(月) 00:56:18 O
マスメディアや教育機関は親と触れ合う時間のすくない子供たちにとっては日本語を学ぶ上で大切な役割を果たしているのでしょう。

そんな日本語の上手な連中の中でもタモリの能力というのは異常に高いわけです。
即興で気の利いた発言を続け、視聴者や対話の相手までも引きつけねばならないわけですから。
作曲ができる人は多いでしょうが聞きたくなる曲を作れる人は少ないでしょうし、即興で聞きたくなる曲を奏でることができる人というのはほぼいないでしょう。
タモリの発揮している能力というのはそんな即興曲を奏で続けることができるような極稀な能力なんですね。
764考える名無しさん:2008/10/06(月) 01:46:36 O
ニーチェが本当に発狂したのだったら、
ロゴス軽視によるのでしょうか。
アメーバじゃあるまいし、形あるものが形を失うということは壊れるということですな。
ニーチェの魂はどうなったか知りませんが、
ロゴスなきものは表現されえないですな。
ロゴスを軽視しろ!ということは死ねってことであります。
偽短君、氏にたいなら一人で氏になさい。

どうなんでしょう、ニーチェの言葉は発狂に近づくにつれ奇形気味になっていったのか?
それともお手本のようなドイツ語だったのか?
ドイツ人のドイツ語が上手か下手かというのは私にはまだ読みとれないんですが、
ちょっと初期と後期の著作を比較してみますか。

わかりやすいか、わかりにくいかという理解できるかどうかというドイツ語レベルでは無駄でしょう。
まあでも言葉遊びなどが結構あるみたいでしたし、
ドイツ人には巧みに映るんでしょうね。
ツァラトゥストラはまだしも、
文脈の助けを借りにくいアフォリズムスタイルの作品は難解ですな。

さて…
765考えない名無し:2008/10/06(月) 02:17:52 0
>>764
>偽短君、氏にたいなら一人で氏になさい。
あのさ、ロゴス軽視といっても、そんな破壊一辺倒へ"意図的に!"ということを推奨しているわけでないw
兎に角、感性や直感的に感じるもの、我々の中にある不当な感覚が「もしや・・」という反芻によって生じる
思索・探索心情やその際に内面に開ける宇宙を重んじずに、既にあるロゴスだけに追従しすぎると、逆に心情が
腐敗するのでは?というわけです。
第一、私は文章こそ形式無視派だけど、意外と幾何的な思考で人間を処理することもよくある。
そうじゃないと既に破滅している。エマーソンやゲーテ的な静観性が好きだしな。
但し、今はある程度、定型的日常で保っていられるロゴスが突然破綻し、叙情が行き過ぎて
破滅することはありえないとは言えない。それは己でも確定できないわけだよ。
ニーチェだって自分が発狂するとは思わなかっただろう。発狂直前までは。
たぶん・・・

>文脈の助けを借りにくいアフォリズムスタイルの作品は難解ですな。
逆に「人間的な」とか「曙光」が好きだけどね。
ツァラトゥストラはもう私ニーチェは忘我最高!って感じ。
あんな状態になれるわけない。そう感じるうちはまだまだ私はロゴス的なのさ。

>>742
訂正、M・フリーマン扮するレッドはフルートではなく、「ハーモニカ」だったはず。

では、考えない名無し ここにありき。
今日は閉廷。


766考える名無しさん:2008/10/06(月) 02:27:26 O
「悲劇の誕生」と「この人を見よ」を比較しているんですが、
それぞれ1ページぐらいしか読んでませんが、今のところやはり、
後者の文章が前者に比べて劣っているとは思えないですね。
どちらも名文なんじゃないですか?
少なくとも、インターネットに転がってるような無名の筆者のドイツ語よりは立派でしょうし、
シュピーゲルだかの記事よりは立派な文みたいですね。
明白な違いはただ、前者からは歓喜が伝わってくるの対して、
後者からは張り詰めた空気、それこそ雷雲のようなものが伝わってくるということだけですね。

こんなご立派な精神が突如として崩壊するんですかね?
767考える名無しさん:2008/10/06(月) 02:46:30 O
「この人を見よ」の文章が他人の手で訂正されてないのだとしたら、どうゆうわけなんですかね…
ドイツ語的には問題ないどころか多分、名文でしょう。

早君が発狂したようになったときは、
文章がぶっ壊れてましたがね。

ただ己を雷雲から落ちる雫、雷の到来を告げる者だと語っていたようなツァラトゥストラは何か気楽そうでしたが、
「この人を見よ」の場合、本当にそんな張り詰めた気配が漂ってるような感じはします。
これは面白いですねw
768考える名無しさん:2008/10/06(月) 03:03:14 O
どうもこれは深夜に一人でひっそりと読むのにはですね、適しませんな。
一語一語に怖じ気づいてきましたかね。
チンポも縮み上がるというやつでしょう。
その一語一語が他に何も聞こえない暗黒の中で、静かにゆっくりと、私の方へ、
どこからともなく、忍び寄ってくる…
そんな足音に聞こえてきてしまいましたね。

769考える名無しさん:2008/10/06(月) 04:28:25 O
もしかしたらニーチェがマジで書いたのはこの「この人を見よ」だけかもしれないですね。
どうもこればかりは流石にあまり洒落になってないようで。
発狂したのは本当かもしれないですね。
後は冗談まじりの創作、遊戯でしょう。
雷は、残念ながら神のイカズチだったのかもしれませんな。
まあでもニーチェは神を意識しつつ真剣におちょくってたのかもしれません。
一種のアホですね。
神々との闘争! 自殺同然です。
だから自由になるには発狂するか死ぬしかないんですよ。
フリーターだってわかりますよそんなこと。
やっぱりニーチェってダサい。
太陽に挑み負けました。 素晴らしいですね。
マジ発狂も渾身の洒落なのかもしれない。
江頭の先生ですな。
770考える名無しさん:2008/10/06(月) 04:46:23 O
いやこれはビビりつつウケますね。
つまり江頭がリアル雷雲の下で、避雷針を持って、おまいら俺を見ろ! 俺を誰だと思ってるんだ!!
などと時々叫びながら語るんですね。
結局、実際に打たれてしまうんですが。
まあこんな感じでしょうね。

771考える名無しさん:2008/10/06(月) 05:36:07 0
あれだけいろんな分野に裾野を広げて思索した人間に
「まあこんな感じでしょうね」としか感想を導き出すことが
出来ない人間に対して
「まあこんな感じでしょうね」って感じだな。
772考える名無しさん:2008/10/06(月) 06:46:55 O
日本語を解さない奴は黙ってなさい。
773考える名無しさん:2008/10/06(月) 07:47:40 O
偽短が外人なのはわかりました。
というのも感情を込めて書くとき、母語だと詩的になり、形式的になるもんだが、
これは私もそうだし、ニーチェだってそうだろ。
より規則性を持つようになるわけだ。
発狂前の文章でさえ壊れてはいなかった!
しかし偽短≒早の場合、感情的になるほど逆に文章が崩壊してくるわけで、これは使用している言語が血になってない証拠だろう。
774考える名無しさん:2008/10/06(月) 08:06:21 O
発狂というのは、物自体、イデア、存在、語りえぬものなどと呼ばれるものとの直接的な接触によって起きる現象なのかもしれない。
混沌ではなくむしろあまりの明晰さにこそ狂うのではないか?
それは太陽を直視することによる失明なのではないのか?
775考える名無しさん:2008/10/06(月) 09:25:19 O
ふむ。
まあ感情的になって言葉が乱れることはあるとしても、
それは偽短の主張とは逆に反芸術的な低劣な感情が高ぶった場合であり、
醜くなっている時である。

だが「この人を見よ」の言葉はツァラトゥストラより高尚であり、芸術的である…
ここには芸人として仕事中の江頭と、素の江頭の差があるという印象を受けたわけです。
776考える名無しさん:2008/10/06(月) 10:32:28 O
偽短や短パンが日本人だとしたら、
その言葉の乱れかたからして低劣な感情に満ちているということでしょう。
短パンはまだそれを異常な状態だと自覚しているらしいが、
偽短の場合はすでにその状態が常態なんであり異常なしという認識になっているらしい。

ともかく言葉の乱れというのは、警報になるようですね。

まあ女なら珍しくもないことかな?
しかし女の方がぐしょぐしょしてる割には男の方が殺し好きなんだよな。
なぜだろう。昔からそういう役だったからか…。
そして女は命を男より尊重している…
777考えない名無しさん:2008/10/06(月) 10:58:32 0
>>773
なんだってそんなにニーチェやら早氏やらと比較して自分を位置づけようとするのがよくわからんのよw
例えばさニーチェの文章読んで思うことは、「高すぎてあなたにはかないません」です。
それを「まあこんな感じ」だとか比較検討することや、自分のなかで"言葉から垣間見える人間"を限定しすぎようとすること自体、
著者に対する良心が欠けているんじゃないかと思う。
ただ、君なりに自意識があるんだろうけどってのは君のここでのレス読んでわけるんだけど、
そんなことをしすぎていては?という意味で益々、叙情が悪い意味で崩壊するんじゃないかと思うわけです。
情動でも確かに色々な色合いの情念があるけれど、どれもこれも真剣な場合は、伝達性が完璧で、こちらの内心を抉り、興奮させる。
778考えない名無しさん:2008/10/06(月) 11:02:11 0
(続き)
太宰なら、女々しいと一般的に云われるような刹那の中でも、純一に想いを伝達するし、
ドストエフスキーなら強烈な自意識に苛まれた俎上でもなおその深淵の地獄で見た己や世界観をすばやく伝達するし、
ニーチェなら書物によっても多少違いはあっても、やはり哄笑高らかで尊厳的で自由な感情ですばやく伝達する。
(『人間的な』などは、『反時代的』の情熱的な攻撃・感謝の溢れる賞賛・希望いってんばりから、突然洞窟に逃げ込んで、そこで静かに横たわりながら
ゆったりした姿勢で、観察したものを明確に滴らせている。この点、感情の興奮は少ない印象あるけれど、堀りさげたモノを伝えよとする徹底性には
生の根底に流れるある種デーモンのような目と真剣さが文体に薫り、また文章も言葉を記した瞬間の彼の宇宙感が難解なだけで、基本的にわかりやすい。伝達性にすぐれている。)
ゲーテなら静観的な目から、風景画家のように忠実に、内面に結んだ像をそっくりそのままやさしく、わかりやすく伝達する。
(「ウェルテルの悩み」は若干その後デーテらしくはない。)
そんな感想でいいんじゃないかい?
後は彼らから学んだことを活かせばいいわけですよ。
私は彼らには当然かなわない、本当の芸術家だ!という想いがある。
それで私らが日常で抱いているものを刺激や感動でそぎ落としてくれたり、そこから思索をうながしてくれたりしてくれるという宝物を残していってくれたんだよ。
(だから色眼鏡で見すぎると、よくないってのを言っていたわけだよ。)
トレースしすぎるとよくないよ。まじで・・・
779考えない名無しさん:2008/10/06(月) 11:12:52 0
>>776
>偽短や短パンが日本人だとしたら、
ああ、私に関しては生粋の日本人とは言えない。
ひいじいさんがアイヌ人だから。だから私は鼻が整っていて、いい男に生まれたw
>その言葉の乱れかたからして低劣な感情に満ちているということでしょう。
粗暴な言葉遣いや表現内容のことを言っているみたいですな。
>短パンはまだそれを異常な状態だと自覚しているらしいが、
危険な感情が高ぶりすぎているからそうでしょう。
>偽短の場合はすでにその状態が常態なんであり異常なしという認識になっているらしい。
私は暴言・罵倒しても良心安らかだよw
ただ、それが行き過ぎると危険だというのは自覚しているさ。
そもそも、君の方が攻撃感情まで行かなくても、その<寸前>が仄見える、さっぱりしてない部分が垣間見える。
そちらの方が心配ですぞ。けっこうな感性はもってるようだけど、なんか労働しすぎじゃないかい?
以上<休廷>。
780考える名無しさん:2008/10/06(月) 11:48:26 O
君は不要なんだがね?

私がここから消えると君も消え、私が現れれば君も現れまた毎度同様の雑音を入れる。
なんの用なんだ。まあいい。

今後一度でも君がレスしたら私は消えることにした。
781考える名無しさん:2008/10/06(月) 12:06:45 O
かまってちゃんだなw
かまうほどにご機嫌になってしまうようだ。
荒らしの典型。

貴様にはうんざりだ!!
あばよってことさ!

さあ、レスしてごらん?
782考える名無しさん:2008/10/06(月) 13:44:52 O
ふふ。 どうも俺が変わったのがわかってないようだな。

きっかけは短パンにいじめられたせいだな。
アップグレードした。
別人格が生じたような気もする。

これは飛び級ですよ?
努力では越えられない壁を越えてしまったようですね…
しかももう一つ先のレベルがすでに見えている。
第二次成長の次ですから私はレベル3なんですね。
失礼ながらみなさんの多くは2止まりなんです。タモリはレベル4なんですよ。
いや妄想ですよ。 遊びです。なにこれワロタ
783考える名無しさん:2008/10/06(月) 15:09:23 O
まだレスないんですね。

本気でいってるのがわかりましたか?偽短君。

まあ第3次成長なんてのはあるのかわかりませんが、多少、変わりましたかね。
よくわかりません。なんでしょう。
人格が新たに生じたのかもしれません。
例えばこの話かたですがこれは演技ではない…いつからか意識を支配し、思考を繰り広げるようになった何かなんです。 その自然発生的な言葉をこうして綴っているわけです。自動的な思考ですね。
無意識というのが一部意識化したのかもしれない。
では以前の私はどうなったのか?
以前の私が今の私になったのか?
以前の私は意識の支配権を失いどこかにいるのか?
例えば以前の真似をしようと思えばできるような気もしますができないですね。
昨夜から午前中にかけてちょっと現れましたかね。恐怖を覚えたときですね。
すると彼は恐怖から心の奥底に引きこもったのかもしれませんが、恐るべかものに反応して出て来るのでしょうか?
二重人格? 演技かもしれませんね?
わかりません。
では、あなたの無意識はあなたなんでしょうか?わからないでしょう?
私が以前の私より能力が高いのかどうかこれもよくわかりませんが、高いような気がしますね。しばらく様子見です。
784考える名無しさん:2008/10/06(月) 15:26:48 O
以前の私はやっぱりいるんですが、
面にはなかなかでてこなくなったといえますかね。
私と同居してる。しかし私とは話さないですね。

まあ嘘ですよ。二重人格だなんて都市伝説でして。
ついに病気に? かもしれませんね。
というか逆に治療でしょうね。
彼では生きられない世の中です。
とはいえ私ならば生きられるのかといえばやはり難しいでしょう。昔から私が支配権を握っていればです、それはそれは余裕だったでしょう。
ですがなにしろ私は彼の後を引き継がなければいけない?%f
785考える名無しさん:2008/10/06(月) 15:29:06 O
携帯がもう駄目ですかね、続きです。

ですがなにしろ私は彼の後を引き継がなければいけないんですからね。厳しいです。
でもやはり余裕かもしれないですが。
それほど彼とはレベルが違うかなと。
腐った? 腐っちゃいませんよ。
腐らないようにできてますから。
わけわかりませんね?
妄想ですからね。

786考える名無しさん:2008/10/06(月) 15:37:00 O
さて、これで終わりですかw
残念です。誇り高き2ちゃんねらとして活躍したかったのですがね。
しかし偽短君にはうんざりですからね。 あなたも、これでうんざりでしょうか? これが演技なのかが問題ですが。
なんかよくいる典型的な悪者みたいで恥ずかしかったですよ!
いやはや。
787考える名無しさん:2008/10/06(月) 16:09:42 0
う〜ん、なぜ突然怒られるから、実はよく私はわからないんですよね。
例えば、罵倒とかそういったものを根に持たれたのかもしれないしとか、
考えはしますが・・・
後は、何分自信過剰なものでして、私のニーチェやその他に関する見解や、
その途上で反抗してくるあなた達の見解に対してする意見は、かなり的を得ていることが多いと考える。
それがたぶん尚更、怖がられたり、恨まれたりする要素かもしれないとは反省はします。
>しかし偽短君にはうんざりですからね。 あなたも、これでうんざりでしょうか? これが演技なのかが問題ですが。
う〜ん、私は特にあなたにうんざりすることはないですがね。(あなたが私に対する"うんざり"のようまでのギリギリ感はないということです。)
但し、偉人の書物を顕微鏡で見るような掴み方は、軽蔑している。
あなたがそんなに強く思っている以上は、あなたにとっては迷惑きわまりない奴だとは認識してます。
それとあなたもそうだし、短パンさんもそうだけど、突然!怒り出すことが私にはてんで理解不能であります。
漠然と何か溜め込んでいるからというのはわかるのだけれど、
それがあるなら、苦しくてもいい洗いざらい書き込んでもらいたいと思うんです。
ここでは顔が見えないですから、どんなものか解らない相手への恐怖というのを漠然と持っているのかもしれないですね。
そんな点で実生活の人間よりは怖いのかもしれない。それと同時に、その見えないがゆえに、
言葉尻を誇大解釈してしまう危険性も孕んでいる。よい意味でも悪い意味でも。
788考える名無しさん:2008/10/06(月) 16:31:42 0
>なんかよくいる典型的な悪者みたいで恥ずかしかったですよ!
本音を言いにくいけど、言いたい、でも言うのが怖い、でも言いたい、
言ってしまえ! ってな感じの場合は恥ずかしいですよね。
だから、罵倒したりしたことに関しては、
「ああ、もしやあれが原因で・・言い過ぎたかな」って想いにも、なります。
そんなときもそうですが、私は会話・対話を重んじます。
この投稿見てれば解るはずです。
あなたはそれでも対話の最中に、怒ってしまったわけですから、何が怒らせたかを一生懸命考えますけども、
突然何日かぶりに「こら!」とか板で喧嘩うられるのはごめんです。
そんなに私は悪人なのかな? 自分で考えて見ますよ。
  
789考える名無しさん:2008/10/06(月) 16:54:48 0
短パンさんも偽短さんも、私にとってはつまらないからほとんど読まなかったけれど、
偽短さんは早君だったのか。

>>778

相変わらずの感想文だね。
そういう感想文を書く意味というか、神経がわからないよ。

790考える名無しさん:2008/10/06(月) 18:11:10 0
ロゴスについての携帯君の指摘はかなり当たっていると思うけれど、
早君自身も前よりは自分のことを分かってきたみたいな感じがするね。

早君のはあくまでもディオニュソス的なもの「への憧れ」であって、
ディオニュソス的なものからはほど遠いということ。
791考える名無しさん:2008/10/06(月) 18:31:19 0

本気で俺=早氏と思っているなら、それは俺じゃなくて彼に対して失礼だと思うけど?
でも、私は彼の過去スレの文章読んで、基本的に考え方は同じ部分たくさんあるけどね。
まあ、前スレでは金曜日氏と間違えられたし、短パンさんとも間違えられたし、
私には俳優的性格がおありらしい。どんな文章でも文章家の心を可能な限り想像し、
その後はそれを模造することで本当にそういう口調に変化させることが容易にできる。
たぶん、無限人格なんだろう。にゃはは。
まあ、同一人物と思い続けてください。
俺は早氏よりもロゴス重視だし、実際に破綻するほどの経験はない。
"ごめんなさい"も感じねえし。
(少しは、良心くらいあるけど、、、、ね?)
792考える名無しさん:2008/10/06(月) 18:43:54 0
>本気で俺=早氏と思っているなら、それは俺じゃなくて彼に対して失礼だと思うけど?

なんだ、違うのか。それは失礼。
しかし早君を高くかっているところから見ると、あなたも相当若いんだね。
まあどっちでもいいけど。さよならw
793考える名無しさん:2008/10/06(月) 22:00:20 O
おかしな話ですが偽短君は知能が殆ど無いみたいですね。
どうやら偽短君は影の影ぐらいしか見えてないですね。
偽短=早が正しいとしてもニーチェのような失明ではないと思います。
少しでも認識させようとした私は阿呆でしたよ。お恥ずかしいことです。
彼のいびきにはうんざりです。
雑音に対しては私は弱いですよw
勢い二重人格になりましたか。
携帯でもNGワード設定できれば少しはましになるでしょうが。

で、ニーチェは影の世界から出ましてなぜか太陽を直視し続け、失明したんだというのが私の印象です。

やはり雑音が入ったせいか途中になってますがツァラトゥストラの段階でも彼は私の「ザラツストラ」のように太陽を見たが、その時は目を閉じた。
で、続きはこんな感じになるかもしれません。
それからザラツストラは無心で歩いていたが大きな木に出会うと立ち止まり、
こう語りかけた「…」
この時点で彼は最後を決意した…
つまり太陽を直視し続けること、稲妻の直撃に遭うことを。

まあこんな感じになるでしょう。
794○丸:2008/10/06(月) 22:35:37 0
太陽の目とは、自分で照らし見る認識の事であるが、
現在は、ニーチェの間接照明で、考察中。
795考える名無しさん:2008/10/06(月) 23:07:43 O
こうゆう創作文といえば携帯小説サイトというのがありますね。
で、あれを見てみますと日本語が下手な人が多い。
うまい人も稀にいますが。
書籍化されているような小説でもプロの文章とは思えなかったりします。
まあ人気があれば売れるわけですな。
いままで出版社の中の人も大変だったなと思いましたが、
投稿サイトにある自動的に人気のある作品をピックアップできてしまうシステムというのは商売として効率的ですね。
そういうシステム構築により金儲けは金儲けとして割り切ることで、
多少余裕の生まれた出版社の中の人はこだわりのある本づくりをするようになるわけでしょう。
情報化によって格差は広がるんでしょうね。
一見平等な話のようですが、天は人の上に人を作りますから、平等の社会的条件で生かしますと差は広がります。
切りやすい派遣の増加も社会的条件の平等化の現れであり生命体としての天性の不平等による格差拡大を惹きおこします。
そうしますと垣根に守られていた人々が凋落していき反抗しだすわけです。
ですが時代の大きな潮流としては社会的不平等、垣根の撤廃に向かってるわけであり、これに逆らうことは無茶でしょうね。
796考える名無しさん:2008/10/06(月) 23:18:35 O
思うに短ぱんや偽短というのは暴力、権力をちらつかせて遊んだりしますが、
彼ら自身の能力というのはむしろ低いでしょう。
ようは垣根撤廃により困る人たちなんですね。
ニーチェは社会的な不平等と自然由来の生命体としての不平等のどちらを好ましいと思っているのでしょうか?
どちらでもなくその一致でしょうね。
797考える名無しさん:2008/10/06(月) 23:34:37 O
平等の社会的条件で、最も有利なのはユダヤ人でしょうな…。
やはり、社会的にどん底であること、追放された者であることというのは、
大地に立たされることなんでして、
そしてそこには何か偉大な力が働いてるわけです。
大地そのものが恐るべき力で律動している。
その力を多少借りられるのかもしれませんね。

798考える名無しさん:2008/10/06(月) 23:56:20 0
反応の連鎖は続くようですなw

私を知能が低いと思おうが、文章が下手だと思おうが、そんなことは私には関係がないのよ。
むしろ、そういう観点を意識している君の考えをまず見るようにするんです。
で、「こちとら」さんの文章を上手だと思う人がいるのは不思議。いるの?
少なくとも、私は"駄文"の典型として扱っています。
ほとんど駄文。考えている内容も、深さも大したない。伝達性の速度も遅そうです。
考えが明確な像を結んでない曖昧なまま、とにかく書いているんだけど、曖昧でも"言葉にするのが難しい"曖昧さではなく、
既に考えていること秩序ずいておらず、破綻きたしかねている。
意外と私より論理性もなさそうです。数学苦手でしょ?
頭の回転も遅そう。言っている内容も、ある概念を既に悟性のほとんどを占めていて、
基本的な基盤や地平線的目線が他人の意見で覆われているかのようです。
(もちろん、考えている内容から、人格、感情のテンポ、恐れているものなどを瞬時に見抜ける。
でなっきゃ、俺のこと怖がらないのはずだ。)
799考える名無しさん:2008/10/07(火) 00:00:03 O
ユダヤ人の怒りというのは、あるわけですよね。
やはりその怒りが大きな流れとして昔からあるんではないかと思いますよ。
というのも、生ある者というのはユダヤ人ぐらいでして、他の民族は社会に守られて地に足がついてないでしょうに。
ヒトラーはそんな深い大地の動きに抵抗しようとしたんだとおもいますね。
800考える名無しさん:2008/10/07(火) 00:12:03 0
>こうゆう創作文といえば携帯小説サイトというのがありますね。
携帯小説なんて読んだことあるのか・・・さすが携帯君です。
携帯を肌身離さず持ち歩く人達が世間のくだらん現実の流行やら、時に閉塞しきった感情の内向性やらを
ポエム!などと書いている人間の魂の律動に寄与しない、まさに末期人間の歎きでしょう。
でも、それにデビューしたいなんて思う人がここにいるらしいです。
まさに"活字の没落"は精神の荒廃の総体である"人間の没落"です。
「精神は神、やがて人間、今では賤民」。それすらを通り越したようです。
うん。やはりここはある意味そういった没落人間の巣窟と言えそうだ。
私もその一人かもなあw 身を洗い流して、清めないといけない。
《但し》、朽ち果てた廃墟に潜む幽霊達も、その幽霊になる前は人間であったわけだし、
当然、物心つく以前の"原初性"や本能的思考を持っていたわけです。
そんなものを、廃墟のおが屑で詰め込んだ脳の容器を眺めるのは、現状を把握するのに良い。
とも思うのである。
801考える名無しさん:2008/10/07(火) 00:14:44 O
想像を続けますが、
ユダヤ人は結束力が極めて強いんでしょうが、比較的少数民族でしょう。
ならば他民族の結束に対して刃を向け切り離すというのは戦略として当然あるかもしれませんね。
ごちゃまぜのアメリカなどはユダヤ人にとっていい場所になるんですし、
私にはよくわかりませんが、昔のドイツ、日本には、ゲルマン魂やら大和魂とかいう都市伝説があったので問題だったのかもしれないですね。
802考える名無しさん:2008/10/07(火) 00:36:56 O
個人、社会的平等、自由などの近代的な旗印は、
反民族主義的なるものです。
反社会的なるものです。

個人主義や自由主義だけでなく社会的平等も社会の弱肉強食化になりますね。
これが実現してくると、ユダヤ人のホームで常にゲームをすることになります。
これは負けます。当分負けます。滅びたりします。
日本はほぼ解体されましたかね。
こうゆう歴史的な流れをユダヤ人が左右しているなんて話は韓国人的な誇大妄想の気がありますな。
ユダヤ人のちょっと異常な力というのも
自然の力なんでしてユダヤ人自身の力ではない。
自然が自然の秩序に逆らおうとする社会を好むのでしょうか?
そうはいえないでしょう。
やはり自然の秩序に社会も準じなければならないのです。
803考える名無しさん:2008/10/07(火) 00:46:00 O
社会的平等が弱肉強食に繋がるというのはおかしい話でした。
いいたかったのは機会の平等のことです。
機会の平等によって自然の秩序が社会に反映されるわけです。
804考える名無しさん:2008/10/07(火) 03:24:41 O
ひろゆきは思想はあまり語らないようですが、ユダヤ人向きのものでしょう。
それは2ちゃんというシステムに表現されているわけです。
私たち2ちゃんねらは、自由のようで不自由です。
名無しのようで囚人のように番号がついてます。
ですが管理の仕事は基本的にシステムの構築、管理にばかりあり、
私たちは殆ど管理の対象にはならない。
管理人にそんな暇はないのです。
私たちは勝手にシステムに入ってきてシステムに管理される。
これは一種の社会ではありますが自然に似ています。
そこにただあり働き続けているものです。
そして私たちはどこからかやってきて過ごしているだけです。
これはアナーキズムの一種なんですね。
権威がないところです。
常にスレは過去に落ちていき板は常に開拓期にある。新天地であり続ける。
生成の無垢ってやつでしょうか。
リアルにおいてもこうゆう無政府主義的な寡黙なシステムの構築が続けられてきていると思います。
そんな中、天皇の人間宣言のような権威の失墜が途中でボコボコおきてくる。
805考える名無しさん:2008/10/07(火) 03:38:33 O
ここでは何事も流動的なんです。
たとえばチンポがスレを立て盛り上げたとしましょう。
彼が来なくなったら? 終わりです。
常に生み続けねばならないんですね。
基本的に残らない。 川の水のように。
チンポがレスをするたびにチンポは下に流れていきます。
水は流れ続けてなければ働かない。
しかし働けば流れ去ってしまう。
いわば2ちゃんはヘラクレイトスの川なんですね。
常に生成し続けねば虚無でしかないところです。
806考える名無しさん:2008/10/07(火) 03:51:53 O
音楽に似てますね。
音楽は川のように常に流れていなければならないわけです。
止まれば死ぬ性です。生はそういうものです、流れていかねばならない。
安定していることは安全でしょうが、そこに生はない。
807考える名無しさん:2008/10/07(火) 04:27:28 O
生成し続けねばならない…
チンポには何かを残したいという気持ちがあるんですね。
2ちゃんではそうはいかない。
過去スレ? 死んでます。
生成し続けない限り何も存在しない形式、空虚な場において生きて果ててみても虚無しか残せません。
だからこそ空虚だからこそ生成し続けねばならない。
存在ではくむしろ無があるのではないか?というようなところでこそ、
生は己自身を生成し続けねばならないものになるのです。
生成と無は密接な関係にあるんですね。
生成しかないし、その形式はいわば「有る無」でしょう。或る無でもいいでしょうが。
生成はある無から現れある無に還る。
生成とある無しかないんでは?
存在なんてあるんでしょうか?
内容というのはないようというやつかもしれない。
形式の運動が生成だとか…
運動する形式そのものが生成であり、力だとか…
808考える名無しさん:2008/10/07(火) 05:58:49 O
生は己自身を常に超克し続けねばならない…。
生は水のように軽快に登って行きます。
そして、高山の薄くて冷たい空気に触れつつ重くなっていき、登れなくなると没落を志向する…
このような流転に生がある。
歴史は動きです。止まった歴史は終わった歴史です。
動きの中に歴史はある。
生とはロゴスみたいなものでしょう。
ロゴスというのは、様々な意味合いがあります。
例えば理性、話とかいう語義があります。
話は動きの中にあります。音楽と同様です。
理性は思考と共にあり、考えない理性はありません。
思考という一種の流れの主語です。
ギリシャ語のロゴスが話と理性が同じ語で表されることからして、
ギリシャ人は理性を動的なものとして捉えていたのかもしれませんね。
生は動きにありますから、古代ギリシャの哲学者は思考において生きていたと言えるでしょう。
その言葉の数々は川のように生き生きと流れてはキラキラと輝いていました。
809考える名無しさん:2008/10/07(火) 06:03:13 O
×ギリシャ語のロゴスが話と理性が同じ語で表されることからして、

○ギリシャ語では話と理性がロゴスという同じ語で表されることからして、
810携帯小説風味:2008/10/07(火) 06:19:17 O
あなたはあなたですか?

あなたの心臓はあなたが動かしているんですか?

昨日のあなたは今のあなたですか?

あなたはどこにいるんですか?

あなたが見当たりません。

この流れの中には。

流れに生があるならば、

あなたは生き物ではないんです。

世界の中で死を叫びますか?

あなたは声を出せません。

あなたは動けないのだから

どこにもいないのだから

世界外存在なのだから・・・。

811携帯小説空間:2008/10/07(火) 06:46:49 O
〜プロローグ〜


私って・・なに ? な・ん・な・の?

わ た し

砂浜にそう書いた少女の名は幸子11歳。
まだランドセルを背負って学校に通うどこにでもいるような女の子である。
彼女は学校で孤立していた。家庭でさえも。
彼女にとってはいずれにしても単なる環境でしかなかった。
この日も彼女は授業が終わるといつものように事務的にランドセルを背負うと一人に帰路についた。
そして風に運ばれてきた海の香りに誘われるようにして砂浜にやってきたのだった。

砂に刻まれた三文字…

わ た し

彼女は波がこの文字を洗い流す様子を眺め続けていた…
涙が一雫、頬をゆっくりと伝わっていく。
赤々とした夕日は涙の膜を通して歪みつつ地平線の下に落ちていった。

闇に包まれた彼女は…微笑んでいた。


〜プロローグ〜(完)

812小説先生:2008/10/07(火) 06:57:12 O
過去形が多すぎるために具体性が足りていません。
もう少し現在形、現在進行形を増やしましょう。
「歴史的現在」という表現方法もあります。
一度お調べになるのをお勧めいたします。
813考える名無しさん:2008/10/07(火) 09:13:18 O
これぐらいのレベルの小説なら量産できます。
そのうち売り込みにいきますね!
いえいえ、買ってくださいm(_ _)m
そこをなんとか。 (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)
m(_ _)m (ノ_・。)



m(_ _)m (?_?) (ノ_・。) ヾ(≧∇≦*)ゝ
ワロタ ウレルマエニシヌカモ
814考える名無しさん:2008/10/07(火) 09:30:06 O
というわけなんだよ偽短君、寂しくなるな…。
レベル3で待っているぞ。
目指せレベル4だから待たないけど。

それ自身における差異か…
それ自身における差異…
それ自身における差異… それ自身に向かう反復…
これって同じことかもしれない。
創造あるいは生成の一定義かもしれない。
そうでしょう、創造性豊かな皆さん!
ワロタ。
人間だもの…
815考える名無しさん:2008/10/07(火) 10:47:05 O
哲学研究者じゃあるまいし誤解でも誤訳でもすればいいんだ!
なるほど。 確かに幹爺によるとニーチェは言葉の泉のようである。
数多くの文筆家の招き猫になってきたことだろう。
市場の蠅たちよ…。
だがニーチェ自身そんなハゲタカのように喰らいついていったんじゃないのか?
自己蔑視! これにより我々は川に身投げをする!
華厳の滝から飛び降りるのだ! 日光よ!日光よ! と叫びつつ…
そして川に落ちる。死ぬ…これは死ねる…
そこに桃が流れてくる。割って入って閉じこもる。
しかしプカプカと流れていく…開けてびっくり桃太郎の出来上がりさ。

このようないわば「生に向かう死」によって人は飛躍的にアップグレードするのかもしれないし、死ぬのかもしれない。
生に向き合う死…それが真の江頭伝説である。
私はニーチェ及び三島の死に日光を見た。
それは恐るべき快感であり熱情であった。
私ははっきりと見たのだその恍惚を見たのだ。
己の限界まで成長していた彼らが尚もう一段階の自己超克を果たすためには命を尽くして日光に赴くしかなかったのだ。 最高の最後を遂げた彼らの死に顔は穏やかだった。
そんな二人の亡骸の側では江頭が踊っていた。
一生懸命だった…

816考える名無しさん:2008/10/07(火) 12:06:17 O
私もこう創造性豊かな自己軽蔑をほのかにでも覚えるようになりますと、
何故に文学者とかが自殺するのかわかる気もしますね。
おっといってました。
創造性豊かな自己軽蔑!創造性への軽蔑!
創造性とは多重債務でなくてなんだろう?
それゆえに創造者は与えねばならないので没落せねばならないのだ。
そんな富の貧しさに倦んだ日々を日光は癒やし続けてくれる。
日光よ! 私はあなたを愛する!
私に欲望を教えてくれる超人を!
あなたを愛する!

かなりちがうようですがきっとそんなファウスト症候群みたいのにかかるわけですな。
817ニーチェ引用:2008/10/07(火) 17:58:08 O
Nun heisse ich euch, mich verlieren und euch finden; und erst, wenn ihr mich alle verleugnet habt, will ich euch wiederkehren…

An diesem vollkommnen Tage, wo alles reift und nicht nur die Traube braun wird, fiel mir eben ein Sonnenblick auf mein Leben:
ich sah rueckwaerts, ich sah nie so viel und so gute Dinge auf einmal.
818ニーチェ引用訂正版 :2008/10/07(火) 18:01:05 O
Nun heisse ich euch, mich verlieren und euch finden; und erst, wenn ihr mich alle verleugnet habt, will ich euch wiederkehren…

An diesem vollkommnen Tage, wo alles reift und nicht nur die Traube braun wird, fiel mir eben ein Sonnenblick auf mein Leben:
ich sah rueckwaerts, ich sah hinaus, ich sah nie so viel und so gute Dinge auf einmal.
819考える名無しさん:2008/10/07(火) 18:26:38 O
きたこれ。
「おまえが雑魚になるんだ!」
まんざらはったりばかりでもなかったらしい。
ふふ。短ぱんか、すごいやつだ。

(パチパチパチ)
素晴らしいよ、その戦いぶりといい、そのセリフといい、
さすがに惑星ベシタブルの王女というだけのことはあるよ。

「こいこいこい!」

あと少しだ、あと少しで何かが掴めそうなんだ…
なるほど幽助がわかったぞ!
ふふ。私も漫画がわかったきたようだな。
820考える名無しさん:2008/10/07(火) 18:56:45 O
私の飛躍的にアップした洞察力によれば漫画の秘密も氷解してしまう。

たとえばドラゴンボールのウーロンだがこれはウーロン茶が語源なのだし、
プーアルはプーアル茶がそれなのだ。
基本的に鳥山明氏の好みによって名前がつけられているわけだ。
そもそもアラレちゃんからしてお菓子の名前である。
忙しい連載漫画家にとっての楽しみといえば食事ぐらいだったのかもしれない。
キャラの名前から連想した光景ばかりを楽しむというそんな駆け出しの頃もあっただろう。
それにしてもぷりぷりのブルマ16才という異例の設定に純真なる小さな私の心は動揺を隠せなかったものだ。
821考える名無しさん:2008/10/07(火) 21:55:26 0
>>820
TVは嫌いかも知れないが、今日はめずらしく昔のヒット曲やってるから
見てるよ。
いいもんですよ。(70年代、80年代の曲、私の生前、生後くらいだ。)
美空ひばり とか 歌上手すぎだ。声が違う。胸に沁みるぜい!
宇多田などより遥かに上手い。
こちとらさんも落ち着いて、たまに嫌いなTVでも如何がですか?
822考える名無しさん:2008/10/07(火) 22:21:22 O
>>821

テレビは持ってない。

823考える名無しさん:2008/10/07(火) 23:06:14 O
わたしの江頭伝説あるいは桃太郎伝説は命懸けだからな。
死の瀬戸際において何か非人称的なるものに人は生きながらも直面するのだろう。
その恐るべきものに挑み続け、愛し続け、真の江頭伝説を創造した者が勇者ニーチェなのであると思う。
その恐るべきものが「超人」に違いない。
ともかく、ツァラトゥストラにおける「超人」と「動物」の間に生きる「人間」は創造する者のことであり、「生ある者」を意味するねだと思われる。
その自己超克の果てに超人に愛を告白するのである。
これは音楽の魂からの悲劇の生成である。
824考える名無しさん:2008/10/07(火) 23:27:21 O
Geburt という言葉は、Werden生成を静的に捉えた言葉でしょう。したがって、誕生やら系統という意味を通常表す。

だがニーチェにおいては場合によっては静的な意味合いをとっても差し支えないと思う。
あるいは動的な意味合いを付加してもいいと思う。

といわけで悲劇の生成という誤訳なのです。
意訳という翻訳者の盾になる便利な言葉もあるんですし。
それでいいのだ!
825考える名無しさん:2008/10/07(火) 23:39:55 0
そういえば、江頭は最近TVに出てるのかな?
さっぱり見かけない。TVでも芸能・政治・経済・サッカー以外のスポーツは興味ないから
さっぱり知りません。
タモリももちろん見てない。でも彼は本物芸人だろう。
テリー伊藤を見かけると殴りたい気分になるw
(あれぞ、現代木偶タレントのサンプルだろう。あと一緒になんかに出てる歯科医だか整形外科医だかのくそ尼。)
826考える名無しさん:2008/10/07(火) 23:45:20 O
誕生というと、ある存在が存在し始めるという意味がある。
しかしニーチェの辞書に存在という言葉はないんであります。
悲劇にしてもロゴスとして音楽として、常に生成されていなければならない。
永遠の生成の相の元にある。
そしてその大元から離れて存在することはできない。

ギリシャ悲劇の記録を参照して彼は音楽の魂から悲劇を生成したんであります。
要するに「悲劇の誕生」はニーチェの人生の脚本なんでしょう。
ですから「悲劇の生成」という意訳でいいんです! それでいいのだ!
827考える名無しさん:2008/10/07(火) 23:50:03 0
こちとらさんは感受性が強い と踏んでいる。
なぜか知らないが。
ショーペンハウアーは感性と知性が優れていると最も苦痛すると「天才論」で語っていた気がするが、
まあ確かに、感性の深さ、つまり喜怒哀楽の深さなどが深みを増す時に、
それと付随して、理性的部分(思考)の深さも増すとは一般的に言える。
828考える名無しさん:2008/10/08(水) 00:37:24 O
生ある者によるパクリ学習は生成の相の元におかれ、動きだし、あたかも創造とも思われるのでしょう。
学習、生成、創造は殆ど同じことで、それ自身における差異であり、それ自身に向かう反復であり、自己超克でしょう。
創造物とは律動する生の一描写でしょう。
すなわち、音楽の魂においてはおそらく、学習された曲は再びそこで誕生し、生成変化する、自ずと作曲になるのです。いわば単なる解釈ですね。視点の違いともいいます。
したがって魅惑的な即興曲を奏でられるか否かということが生ある音楽家であるかどうかの試金石になるでしょう。
しかし音楽で「タモリ」は難しい。
普通周りに音楽を話すような人がいないわけですから。
母語は元気であるかは別としても私達と共に生きているんですね。
しかし音楽を母語とするのは偉いことです。
ある音楽家の曲というのはいわば一曲しかない。
各曲はいわばその写真集なんですね。

イデアは地上にある!
地上で生きている!
見よ!この大地に息づく生ある者を!
というのがニーチェの認識でしょう。
地上で蠢く生がイデアだということです。
そしてその生き様が「創造」であり、その生写真が各「創作」でしょう。
飛んで火に入る夏の虫ですか…
829考える名無しさん:2008/10/08(水) 00:53:08 O
>>825
江頭はたまにしかでないようにしてるんだよ!

しかし偽短君の認識能力は表面的すぎるようだね。
??!!
おまい地上から追放されてんじゃん!
ヤバいね。 あれか虚無の海だっけ。
なんちゃって貴族!
830考える名無しさん:2008/10/08(水) 01:13:10 O
なるほど!
どっちかというと偽短≒なんちゃって貴族説の方が正しいようだ。
この世から追放された者。
さっきのプロローグはあれかお前が俺に聞かせてきたことの一解釈なんじゃねえの!
この世界外存在めが!
831考える名無しさん:2008/10/08(水) 01:35:15 0
>しかし偽短君の認識能力は表面的すぎるようだね。
そうかな〜?
真面目な話、こちとらさんの今の状況が少し、心配で色々雑事の最中に覗いているんですけどね。
余計なお世話ですが。だって、夜中ずっと起きているみたいなんで、
平凡なおばさんのありきたりな意見で言えば「早寝、早起きが一番にしてくださいね。」
ではでは。
眠りは「短い死」であります。意識していることが「生」と仮定すればですがね。
832考える名無しさん:2008/10/08(水) 01:40:00 O
世界内存在というのはない。
世界は生成であるからだ。
しかし世界外存在というのはありうる。
いや、ある、と思う。
それはある意味無力である。
いかに重いとはいえあたかもブラックホールのように己の重力に縛られている。
ただあたかも幽々白書に魔界と地上を結ぶ穴があるように多少なりとも地上と交流することができる。
しかし強い魔力をもつ者ほど地上にでてくることができない。
あるいはダウングレードしなければ出てこられないわけだ。
その穴とは「死の穴」である。
ここに近づく人間はもちろん死にがちであるが、
生還できればアップグレードするのかもしれない。
魔族に目をつけられてしまっている私は、まさか闘神雷ゼンの子ではないのか?
まさか…

私は発狂したのだろうか? 遊んでいるだけだろうか?
それとも真相を語っているんだろうか?
その答えはいわゆる実力がついてくるかどうかでわかってくるだろう。
833考える名無しさん:2008/10/08(水) 03:00:30 O
私は小説家よりもむしろ翻訳家になりたいと思っている。

そこで翻訳家としてどうあるべきか考えているところである。

まず、当たり前であるが翻訳家は誤訳をしてはならないのだ。
仕事でミスをするということは、評価が下がるということであり、仕事を失うことにつながる。

だが数ページならまだしも数百ページにも及ぶ書物を訳す場合には、
ぶっちゃけ100パーセントの確率で誤訳をしでかすことになる。
誤るものだ。人間だもの。謝ればいい…
しかし謝れば済むことばかりではない。 ああ厳しい現実!!
したがって、私は保身のためにちょっとしたトリックを使う必要があるようだ。
つまり誤訳をごまかす技術を磨かねばならない。

まずわからない文は飛ばそう…
これはいつかはバレルことだが、謝りつい見落としたことにすればいい。
これでダメージを軽減することができる。
これはいわば「守り」である。
834考える名無しさん:2008/10/08(水) 03:10:40 O
次は「意訳」だ。これは歴戦の翻訳家たちの発明なのだろう。
そう、文というのは、それを構成する語の多義性により多義性を持つ。
そこでたとえ私が誤った解釈をして、指摘され、その指摘が正しい指摘だとわかってもだ、
命にかけて認めるわけにはいかない。
私はこれは「意訳」だと主張する。
私の誤りを指摘する奴は私の過ちを証明せねばならないはずだ。
文脈は味方でありながらも敵である。
その証明は文脈を味方につけてくるだろう。
ならばこちらも「意訳」という言葉を皮切りに文脈で対抗するのだ。
この時点で、争点は文脈となる前後の文達に移行する。
ここですでに私は「守り」を成功させている。
文脈は文脈は呼び、ついには争点を参考文献に移動させることが可能である。
こうして争点が拡散していくなか私の過ちはうやむやになるわけだ。
逃げるが勝ちだ。 ふふ。
835考える名無しさん:2008/10/08(水) 03:37:42 O
逆に人の過ちを指摘する場合というのはどうであろうか?
何のための指摘なのか?
追い込むためなのか?
正しさのためなのか?

翻訳家が翻訳家の過ちを指摘しあい切磋琢磨するということは、
なるほど、聞こえは確かにいい。
私もできればそうありたいと思う。
私は正々堂々とした勝負をするということを理想としている。
しかしそれでは共存にはつながらない。
翻訳家としての能力は批判し合うことで上がっていくだろう。
だが仕事の場は教育の場ではない。
そこに理想を持ち込めば潰し合いになってしまうのだ。
つまり同業者の過ちを指摘しないということが基本的な態度、心得になる。

すると誤訳は基本的に流通し続けるということになる。ふふ。
836携帯小説空間:2008/10/08(水) 05:53:51 O
〜第一章〜




「助けて!・・・・誰か・・・助けてよ・・」

心の中で幸子は声にならい言葉を紡いでいる。何かに追われている様子だ。
息を切らして走っている。

「どうして追われているのだろう。どうして逃げなきゃいけないの?」

彼女はそう呟くと足を緩めていった。
追っ手の影に包み込まれると、彼女は立ち止まり後ろを覗き込んだ。

「誰もいない・・・。」

彼女は不思議そうに来た道を辿り始めた。
何かがおかしかった。「何かが足りない…」のだ。
そう思いつつ彼女は辺りを見回している。
幸子は「あっ」と微かに囁いた。
彼女の見つめた先にはアスファルトの窪みに何の変哲もない水たまりがあるだけだ。
風に揺られる水面に街灯が朧気に映りこんでいる。
837携帯小説空間:2008/10/08(水) 05:55:07 O
彼女は意を決したように街灯の方へと首を向け、焦点を発光体に向けて徐々にずらしていった。
その光に目が眩んだかの如くに顔を背けると目をきつく閉じて「くそっ」と静かに吐き捨てた。
そしてゆっくりと開かれていった目は空を仰ぎ、柔らかい光たちにくつろぎを求めている。
だがそこでは鋭利な月が彼女を眺めているのだった。
それに気がついた彼女の胸が彼女を圧迫している。
座り込んだ彼女の瞳から溢れだす涙はゆっくりと頬を伝い、
あの水たまりに飲み込まれている。
その水面に彼女の影はなく、街灯の明かりばかりがぎらついていた。
838考える名無しさん:2008/10/08(水) 06:09:10 O
うむ。どうも偽短君がモデルみたいなので執筆は難しいようだ。
オヤジの幸子11才コスプレとは!
そんな変態のイメージが頭をよぎるのだ。
ダメだ書けない! もう書けない!!
これが創作の苦悩、生みの苦しみというものなのだろう。
耐え難いものだ。私はもう枯れてしまったのだろうか。私の言葉は泉は…。
839考える名無しさん:2008/10/08(水) 06:25:01 O
11才の女の子が「くそっ」と吐き捨てるだろうか? まさか!
そんなはずはないのだ。
そうだ、やはりオヤジのイメージが既に混入してしまっているんだ。
そうにちがいない。
私は信じているのだ、11才の女の子ならばアイドルのように屁もしなければくそもしないという都市伝説を。
しかし、哲学徒として私は11才の女の子にだって邪気が侵入するということを認めなければならないのかもしれない!
現実は厳しい。 男子の影における邪気溢れる女の闘争を認めなければならないのかもしれない!
そう私は放課後に学校に戻ったことがある… なんと… いえやしない、いえやしないんだよ。
恐るべき真実よ…
840考える名無しさん:2008/10/08(水) 09:26:52 O
江頭伝説とは何か?

これは一種の実践哲学である。
「今、ここ」の実践哲学ともいわれている。
主要概念は「数学的一点」である。
象徴的には「生の開花」、「巣立ち」、「爆発」、「雄叫び」、「バンジージャンプ」、「綱渡り」、「生体実験」などなど約5000種類もの表現が考えだされているという噂もある。
また感想の例としては「崇高なるギャグ」、「崇高さと滑稽さと」、「中身だけ」、「キモい」、「なに考えてんの」、「ばかじゃん?」、「えんがちょ」、「イケメンの転倒」、「やだ〜」などがある。
江頭本人の発言は半ば神格化され、啓示として流布しているが、
江頭が感嘆詞以外の品詞を発音できるか否かさえ、まだ確認がとれていない。
したがって彼は架空の存在であり、人々の深層心理の生み出した共同幻想だと主張する人たちも少なくない。
江頭は実在していたがもう他界したという説もあるが、その根拠は薄弱で、
江頭が雷雲のもとで避雷針を携えつつ踊り狂っている中、案の定、雷に撃たれて倒れたという夢なのだそうだ。
841考える名無しさん:2008/10/08(水) 10:07:49 O
要するに現段階においては江頭本人は正体不明であるというしかないだろう。

では彼の哲学は何故に「今、ここ」の実践哲学といわれるのか?
そこでその主要概念である「数学的一点」を手がかりにして少しでも説明したい。

数学的一点とは通例ある空間上の任意の一つの位置自体を示すものであり、
物自体のように、その実在性は疑問視されているものである。
だが江頭哲学によると、これは「感動の絶頂」といわれ、感動が、「今、ここ」にある一点に圧縮された状態を意味する。
その一点はあまりのエネルギーにより時空間上に異空間につながる穴を開ける。
江頭は異空間につながり暴発しているらしい。
「男は見た目ではない爆発だ」とは江頭の常套手句だともいわれるが、
では江頭は暴発中に一体何を見ているのか、
如何にしたら感動を数学的一点に集めることができるのかという疑問には誰も答えてくれないのである。
ただこれだけはいわせていただく、実践するしか理解する手だてのない哲学は哲学とはいわないのだと。

842考える名無しさん:2008/10/08(水) 10:37:59 O
では実践哲学でないとしたら江頭伝説とは何なのか?
それは肉体による象徴表現であることは間違いないだろう。
これはニーチェの主著といわれる「ツァラトゥストラ」に出てくる綱上のダンサーを象徴しているのかもしれない。
また肉体による詩ともいえる。
だが伝説は人が紡いでいくものだ。
だから、彼自身はただ生きているだけではないか?
伝説としての江頭は確かに実在しないのだ。
江頭を差し置いて江頭伝説ばかりは生成を続けていくのだろう…。
843考える名無しさん:2008/10/08(水) 11:21:44 0
江頭とニーチェが結びつくのかい・・・orz
少なくとも、ツァラトゥストラはニーチェじゃない。
ニーチェの想像した人物。実際にニーチェがツァラトゥストラのように生きたと思っている人は、
おめでたい。何が凄いかは、彼にニーチェの思想を語らせたことでしょ。
ファウストとかああいうのと同じ。
基本的に芸術作品・小説みたいなもですよ。
君は、ある人間が思想を生み出していく、歩みってものをしっかり見てない。
初期の作品から、人間としてのニーチェが主張したものが多少変わっても、
やはり根底の器みたいなのは極端な変化はない。
悲劇の誕生でも反時代的考察でも、曙光、などで細かい部分がちりばめられている。
そういったものの蓄積が一気に叙情的に噴出して、あの作品ができたんだから。

人間的なの「インスピレーションのこと」についてのニーチェの考察は鋭いですよ。
ああいった細かい蓄積の重要性を語っているし、芸術家一般にも言えることです。
もっと、地に足をつけなよ。
自分自身が感じている範囲でしか、物事はわかりえないのですよ。
言葉を作りたいなら、書物は単なる栄養剤です。日常のこまごまとしたものの正直な観察で得られるんです。
これは別に芸術家に限らないけれどもね。我々のような一般人でも、そういう蓄積・こまごまとした収集を怠らないことで、
色々目が深まるんですよ。
こちとらさん。
844考える名無しさん:2008/10/08(水) 11:42:49 0
このスレの一番上を見たら。。。

キーワード【 哲学 閻魔 短パン ニヒリズム 永劫 回帰 尾崎 】

最後が笑える。
845考える名無しさん:2008/10/08(水) 12:30:53 O
創造とは没落である。したがって、没落していかねば創造することはできない…。
すなわち創造とは没落の描く線上にある戯れである。
創造性が高まれば高まるほど死に近づく。死を愛するようになる!

という予想ですかね。
レベル4にならないのと確認はできませんが、
きっと没落と自己超克は同じことだと思いますよ。ふふ。

しまった…
逆転しないぞこれは…
おかしい!
なんのための没落だったんだ!
なんのための苦しみだったんだ!
おれの幸福の青い鳥が…死んだ…

そんなランボーな!
大馬鹿やろう!!
ひでえ。
ワロタコレ
クソワロタ
ニーチェは詐欺師だったな。
苦痛まみれになり幸福の幻を創作したか。
敢えて幻の情熱に浮かされ続けてたのか。
まあわかってたさ。大体、天才は鬱であるというからな。恐るべき鬱なんだろう。この極北の民どもよ。
作り続けねばならない暖め続けねばならないという奴隷なんだろう。
シーシュポス! これは創造の象徴か! なんてことだ。
ランボー。彼は創造することに呆れたのか。
846考える名無しさん:2008/10/08(水) 12:58:08 O
レベルアップ! レベルとは深さを意味する、高さではない。ふふふ。深度です。
深度に比例して高さをねつ造することはできるんでしょう。
しかし深さはどうでしょうか?
苦痛の方は? これもねつ造なんでしょうか?
まあいいです。本質だろうとねつ造だろうと。どっちにしろ生の律動であり自動的なんじゃないでしょうか。
自由意志ですか。 矛盾してる。意志が自由だなんて。 そう感じるだけですね。
幻滅ですな。儚い。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり 奢れる者は久しからず、生を視ること死の如し

847考える名無しさん:2008/10/08(水) 13:05:59 O
偽短って何も語ってないのがわかってないのがおめでたい。

おめでとう。君は幸せかもしれない。
知らぬが仏、見ぬが秘事です。
848考える名無しさん:2008/10/08(水) 20:42:20 0
(このスレなんだか、面倒くせくなっちまったなぁ・・・)
849考える名無しさん:2008/10/08(水) 21:43:19 O
レベル±3…

こうゆう木の話は本当だったかな。
深さと高さは等しいというような。
つまり絶対値が変わるということだ。
結局、究極的に人がたどり着くのはオアシスもない砂漠を越えた先の月みたいなところで灼熱と極寒の音もなき世界ってとこじゃないか? 月の民…
ランボーが何を見ていたのかというのはまさに知らぬが仏だろうね。

楽して劣化しても仕方ないし、苦労してアップグレードしても仕方ないし…。
±0のゼロサムゲームとはいうけどな。
こうゆう自然の設定を否定するとか肯定するとか無意味な気まぐれだと思うね。
どっちだって変わらん。
ニーチェとショーペンハウアーのレベルというのは同じぐらいだろう。
まったく生に対する態度というのは些細な問題である。
経験することは認識面にせよ感覚面にせよ同様だろう。
そんなことより大切なのは深さ=高さである。レベルである。
そしてその調整を身勝手にできればましなんだろうけど…
レベルが上がるほど幸福には遠ざかるとすれば、
第二次成長前のレベル1が幸福の観点からするとベストだろう。
しかしレベルの変化というのは生理的なもので任意に変化させることできないだろう。
特にダウングレードすることは…
850考える名無しさん:2008/10/08(水) 22:01:14 0
>>848
Das ist nicht meine Schuld.
851考える名無しさん:2008/10/08(水) 22:24:50 O
詩というのは質が上がるほどに極めて理性的なものにもなるだろう。
非理性的な詩はないね。
感性と理性のどっちかを重視する人間にはどっちもあまりないはずだ。あるいは失っていく。壊れていく。なぜならどちらも同じものの見た目の違いだからだ。
表現上の些細な違いにより同じものが詩から数理論理学にまで生成するのだろう。
そりゃ学習は必要だろうが。
852考える名無しさん:2008/10/08(水) 22:51:30 O
人間の創作、芸術は研究を重ねることにより、
大量生産というのもいつか可能になるのかもしれない。

人間の芸術の研究は究極の芸術たる自然の研究よりは簡単なはずだが、
ようするに研究者に研究する気があまりないに違いない。
冒涜だ!などと。
そういう人は自分で創作できないし、鑑賞もあまりできてないはずである。
作れないということはわかってないのだ。
おそらく研究というのが感想文を書くことになりがちなのだ。
853考える名無しさん:2008/10/08(水) 23:12:55 O
知とは作れるということ、表現できるということである。
知るとは表現できるようになることである。
この意味でソクラテスは無知を知っていたのだよ。
854考える名無しさん:2008/10/08(水) 23:30:18 O
人間の自尊心の最後の寄りどころがその創造性というものである。
だがこれさえもメカニズムであり、科学になり、工学になるべきものであろう!
そうなると、人は私はメカニズムじゃないメカニズムじゃないと自分探しを始めるのだ。
そして「私」は追放されるのである。
そこで死神が「私」に微笑みながら声をかける…
855考える名無しさん:2008/10/08(水) 23:52:55 O
学問の発達により、社会のレベルが上がっていく。
それにつれて住民は己のレベルを超えた認識、能力をもたされることになるのである。
すると人々の多くはいわば「海王拳」に体が耐えられずに参ってしまうことになるのではなかろうか…
社会というのは、破滅に向けて自己超克を続けていく…そんな運命に違いない
知恵の実は、食べてはいけなかったのだ…
だがもう遅い。
選民たるユダヤ人を先頭に、我々は月へと向かうのだ。敢えてあの地獄へと颯爽と向かうのだ。おお、月の民よ!
856考える名無しさん:2008/10/09(木) 00:18:02 0
>>852
>人間の創作、芸術は研究を重ねることにより、
>大量生産というのもいつか可能になるのかもしれない。

芸術なり何なり創作活動をしたことのある人間の発言か?
これはおそらく物量ではなく「インスピレーション」の多産を意味するものと
考えるが、発案だけ大量増産しても製作過程が追いつかないだろうし、
仮に次から次に新奇なものを創作出来たとしても、受け手側の観衆が
単にそれを流行り廃りで「消費」するだけになってしまうのでは?
感銘を受ける気分すらが大量消費される時代は退廃しか残さないだろう。
ま、現状は陳腐さが大量生産されているが...
857考える名無しさん:2008/10/09(木) 00:21:22 0
>>854
> 人間の自尊心の最後の寄りどころがその創造性というものである。
> だがこれさえもメカニズムであり、科学になり、工学になるべきものであろう!

根拠はなんだ?

> そうなると、人は私はメカニズムじゃないメカニズムじゃないと自分探しを始めるのだ。

> そして「私」は追放されるのである。

これをもっと詳しく説明してくれ
858考える名無しさん:2008/10/09(木) 00:34:55 O
レベルアップとは人間が人間を軽蔑することを学ぶことであるともいえる。
私たちは殆ど社会により知らされるにすぎないといえるが、
知るほどに私たちは自尊心を失い軽蔑を学んでいくのである。
学問というのは翻せば人間の捨ててきた価値の蓄積といえる。それが天才たちのプレゼントともいえる。ふふん。
そういえば猿から進化したというのはまだ都市伝説だという噂もあるし、
アポロ11号は月に行ってないという説もある。ふふ。
しかし私はそんな説は信じない!
私は江頭伝説から勇気と自己蔑視を学んだのだ。
避雷針を持って雷雲の下で踊り狂う!
この江頭の都市伝説こそが人間のあるべき姿なのであると…。
859考える名無しさん:2008/10/09(木) 01:09:50 0
>>850
omaeha nanizinndaboke!
860考える名無しさん:2008/10/09(木) 01:11:17 0
>>858
> レベルアップとは人間が人間を軽蔑することを学ぶことであるともいえる。
> 私たちは殆ど社会により知らされるにすぎないといえるが、
> 知るほどに私たちは自尊心を失い軽蔑を学んでいくのである。

どうしようもなく卑小だな、根っこから駄目人間。


> 学問というのは翻せば人間の捨ててきた価値の蓄積といえる。

捨ててないだろ。
861考える名無しさん:2008/10/09(木) 01:24:50 O
偽短が怒るのは当然だろう。
実は私も怒っている。
しかしながら私は創造性をもつ人工有能君の開発に微力ながら貢献したいと思うね。
まあ君は感想文でも書いとけ。

早君のずっこけ勘違いは人間の創造性もまたメカニズムによるという仮説の根拠の一つだな。
てか自然が究極の芸術だと言ってるんだがヘボが。
偽短のぶっ壊れ具合もまたその根拠だ。
叙情性豊かなものはメカニックなのである。

早君にはすべて価値の転倒が必要である。
なことない。
心に効く薬は飲むわけだから、ちょっとした転倒にすぎない。
なんというか、ようするにレベルが低いために、社会によって強制使用させられる海王拳に耐えられずに壊れてしまううんだな。
862考える名無しさん:2008/10/09(木) 02:34:17 O
「私」あるいは「小我」という「くそっ」みたいのと知というのは非常に相性が悪い。
知は人間を濾過してその卑小なる我を底に沈めていくに違いない。
卑小なる「私」は人間が知っていくにつれて、地上から追放されていくのである。
だからといって知やメカニズムを呪えば、邪気に満ちた卑小なるものだけでなく、人間全体が崩壊していく。
そんな人間でも、メカニックな生成の相の下におけば、幸子11才として捏造され、見れたものともなる。フフ

863考える名無しさん:2008/10/09(木) 04:22:36 O
創造はメカニックなものであるという説はバッハにとっては一目瞭然のことではないかと感じます。

そんな説に怒る人は滑稽というしかないかなあと感じる人もいると思います。

メカニズムを呪う→壊れる

これは合理的に見えます。
「私」は創造的というよりは破壊的であるという説があります。
この説にたいして、創造的な人間は少ないが破壊性のない人間というのはいないからかもしれないという人もいるでしょうね(b^-゜)

864考える名無しさん:2008/10/09(木) 04:34:47 O

ソクラテスは偉大な賢者だといわれます。
勇猛果敢なフィロゾーフだと感じる人もいます。
その人たちがそう感じるのはソクラテスが処刑されたからで、
「知が血を呼ぶ」と思ったからではないでしょうか?
865考える名無しさん:2008/10/09(木) 05:59:13 O
株価没落! しかも世界規模!

なるほど世界の60億人のみなさんもサバイバルモードなんですね。
私一人の不幸に同情していただき共有していただけるとはまさか思いもよらないことで、誠に恐縮の念にたえません。
こうして血で結ばれた私たち人類はいまアウシュビッツ行きの列車に乗っていたりするんでしょうか?
ここは寝て待つとしますか?
復活でも死でも。
それにしても、歴史的動きに巻き込まれるというのは一興でしょう。
私は一人寂しく野垂れ死にするかと思ってましたよ。
私には恐慌なんて効かない!
すでに一人で滑稽にも恐慌に陥っていた!
江頭なめんなよ。
866考える名無しさん:2008/10/09(木) 06:16:22 O
申し訳ありません。取り乱してしまいまして、お恥ずかしい限りですm(u_u)m
867考える名無しさん:2008/10/09(木) 08:26:29 O
恋は創造なのか?
そうなら誰の創造なのか?
人間の生理によるものではないのか?
生理とは一種の法則ではないのか?
メカニズムではないのか?
恋における法則はないのか?
一般的に不細工は恋の対象になりにくいという法則はあるのか?
では恋を創るとするならば、不細工は直したほうがいいのか? ハゲは直したほうがいいのか? 余った脂肪は落としたほうがいいのか?
清潔にしてたほうがいいのか? 話が上手であるほうがいいのか?
五体満足であるほうがいいのか?
健康であるほうがいいのか?
定職があったほうがいいのか?


おお、先験的形式主義者たちよ !!

男は中身だ!
868考える名無しさん:2008/10/09(木) 08:51:15 O
なんだってんだ。

馬鹿といえば怒るような形式的で機械的な人間の感性はメカニズムである。
創造的なもの、芸術的なものは、人間が生理的に先験的形式主義者であるから、 どうしても、ある「生理的尺度」によって認識され、判断され、それと評価されるのである。
黄金比というのもあるが、多少個人差はあるにしろ何が芸術的なのかということは形式的に決まってくるのである。
なぜなら嗜好なんてのは生理的に決まるからだ。
生理はメカニズムであり、形式的なものだからだ。

ぶっちゃけ排泄物だって創造物なんであるが、なかなか排泄は創造、芸術という肯定的な評価を与えていただけないだけである。
869考える名無しさん:2008/10/09(木) 09:24:06 O
頭きた。

創造と排泄を差別する尺度はまず「生理」にすぎない。
あるいはまた「習慣」であり、そして「利害関係」などにすぎない。

本来このレスだって創造とえるはずだ!
どこのコピぺだってんだ! 創造じゃねえか。今までなかったんだ、宇宙の初めから今の今までなかったんだ! 創造じゃねえか。
ただおまいらがこれは駄文だというだけなんだ。

馬鹿らしい。
「創作」というのは人間の生理的メカニズムに合う生成物、あるいは排泄物さ。 人間は先験的形式主義者であり、その好みの形式に合う生成物が芸術であり創作と呼ばれるにすぎないのだ。

私がどれだけ生成してきたことか。
しかし排泄物といわれ創造物とはいわれない。
要するに創作、芸術かいなかというのは生理的感想にすぎんのだよ!
870考える名無しさん:2008/10/09(木) 09:48:55 O
創造者というのはその生成物が、人間の生理の好みによく合っているひと、
あるいはよく合わせることができる人である。

また、芸術は、人間の生理の好みを反映しているといえる。

創造者であり続けるということは不自由なことであり、人類に隷属することである。
で、人類の性というのは変わらないものであるから創作は反復的になる。
しかし敢えて反復を望み、隷属を望むることが自由だというのである。
なんてことだろう。くだらない。シーシュポスじゃないか。
創造者なんて最高のようで最低なんじゃないか?
滑稽ながら頭きた。メカニズムだからね。感情は。
こういうと怒る人が心のクスリを使ってたりするようだ。感情を大切にしてるからね。
だがクスリが心に効くということは、心がメカニズムってことじゃねえの。
871考える名無しさん:2008/10/09(木) 12:50:44 O
しかし馬鹿といわれるだけで怒ってしまうというのは、実におかしなことだ。

どんだけセットされてんだろ。

人間の尊厳といっても滑稽じゃないか。
どうしてそんな自分を誇れるんだろう? あほといわれるだけで、自動的に怒ってしまい不愉快になるというのに。
哀れな。

こりゃおかしいぜ。
わかった。きっと笑うためにこそ誇りとか尊厳とかレベルとか価値とか捏造したのだろう。
対照性とか不一致とかズレとか、そういうのが笑いを誘うからね。

笑われるとまた自動的に怒ってしまいがちなわけだ。
人間ほど滑稽な生き物もいないだろな。
恐らく人間は敢えて人間を滑稽な生き物にしたのさ。
きっと芸人なんだよね。
実態とのギャップを作っていくんだよね。夢を見るんだよね。
大体、人間以外の動物は夢を見るんだろうか? 人間特有かもな。
昨日夢では30万円もらったんだが、現実としては…
ギャップがあれば面白いというわけではないのだろう。
ニーチェの病気なのに自称健康というのはなんだろ。
そうゆう絶望的な実態を捏造により希望に転倒させてしまう私は高尚だし、
そんな自分に哄笑しちゃうんだよねってことかな。
872考える名無しさん:2008/10/09(木) 13:00:14 O
馬鹿といわれて顔をひきつらせねがらも怒りの発現を我慢してる姿もまた面白い。
馬鹿といわれたら反射で怒ればいいのさ。怒ってんだから。
反射だよね感情って。
それを我慢する平常心…。ワロタ。
873考える名無しさん:2008/10/09(木) 13:11:00 O
偽短 おまえ馬鹿じゃん
携帯 おまえが馬鹿じゃん
偽短 馬鹿だな。おまえが馬鹿なんだよ。携帯 いやおまえだって
偽短 (プルプル)どう言われても別に気にしないけど
偽短 おまえ馬鹿だよな
携帯 いやおまえほんと阿呆だな
偽短 腐ってる
携帯 君臭うよ
偽短 何いってんの馬鹿じゃない
携帯 はっ? 馬鹿らしい奴だな
偽短 気にしないって(プルプル シネ
偽短 ほんと駄目人間だな

馬鹿なことさせんなよ! ボケが
874考える名無しさん:2008/10/09(木) 13:16:39 O
大人らしい対話だ。
良い子のみんなは真似しちゃ駄目だよ。
875考える名無しさん:2008/10/09(木) 21:50:30 O
基本的に悪口と定義される言葉に反射して、悪口文例集の中からランダムに選択してレスするようにする。

また類語辞典をインストールしておき、
ある文を入力すれば自動的に語と語を置き換えていき、一見違うようで同じような意味の文を生成するようにする。

日本語がおかしいなど、 日本語《悪口》という形式が登場したら、《開き直り発言》をレスする。

そんな人工荒らし君を作ったら売れそう。すでに稼動中みたいだけど。
876考える名無しさん:2008/10/09(木) 22:52:59 O
くそ、ぴかぁが気合いを入れてきてるな。生意気じゃないか?

なるほどフーコーは重要みたいだ。フランス語…

まあ俺の説ではフーコー用語の「規律訓練」とは「カイオウ拳」を意味するんだがね。
しかも文明の発達とその発達のスピードにカイオウ拳X倍のXは比例する。
この両刃の刃によって自らの体を壊す人間がでてくる。
これがいわゆる「不良」「落ちこぼれ」である。
「不良」という言葉は権力を連想させる。
つまり「規律訓練」は強化でありながら格付けでもあるわけだ。 当たり前だが。
「私」は「落ちこぼれ」である。
この落ちこぼれという象徴表現は適切である。
「規律訓練」により篩い落とされたもの、追放されたもの…
それが自意識である。「私」である。
これは自分の中にギャップ、分裂があることを示している。コギトやらキルケゴールの自己の定義は自己分裂を表現している。
ところで「規律訓練」やら「カイオウ拳」というと肉体的なものを連想しがちだが知的なものである。
知によって篩い分けられ、自己は分裂し、「私」は奈落の底へと沈殿していく。

877考える名無しさん:2008/10/09(木) 23:06:43 O
ぴかぁによると、 自意識はメタ言語の主体、主語であるらしい。
メタ言語というと、「自己超克」を連想するが、これはむしろまずもって「没落」であり、
苦悩の海に浸かる中で、起死回生の変化、捏造が起こり、「没落」が「自己超克」へと転倒するのだ。
ここでニーチェの中では「すべての価値の転倒」 が起こったようだ。
これは、ズッコケであり哄笑すべきものなのである。
キルケゴール的にも、自己の分裂は絶望であり、転倒して希望でもあったと思うが、しかしこれは「死にいたる病」である…
ニーチェ…「死にいたる病」である…w なぜなら死を生へと逆転させ生き生きしたふりをしてるからだ。
これは第一に自分を騙そうとするトリックである。詐欺である。お笑いである。
878考える名無しさん:2008/10/09(木) 23:21:24 O
おかしい!
なぜ俺が売れないのにぴかぁが売れるんだろうか!
私はレベルスリーなんだぞ。信じられん。
まさかぴかぁはレベルフォーだとでも? まさかフォー! かよ。 なるほどフォー!といえねば一発屋としても売れないのかもしれない…
フォー!!
さあ、買ってくれ…
879考える名無しさん:2008/10/09(木) 23:46:14 0
このスレに偽短さんが来た理由とは?・・・ふふ♥
880考える名無しさん:2008/10/09(木) 23:47:55 0
遠吠えに
 怒りの反吐を飲み戻す
      苦渋によだれる犬ここにあり
881考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:02:33 O
大体さ、売れる本、文章を書くというのもまた「規律訓練」であり、合わせることになるじゃねえか。
笑わせんな。偉ぶりやがってよ。おまいとかたまたま合ってるだけじゃね…?
SMAPを見習うがいい。合わせてるだろ。
お客様は神様だからな。
しかし売れないということは「落ちこぼれ」じゃないかorz
くそっ、神は死んだ! 神は死んだんだ!!
私の没落はこうして始まった…
882考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:16:14 O
ついに私はニーチェ36歳の境地に達してしまった…
糞の味噌への転倒を果たしてしまった! いままで何よりも自分自身が苦その源泉だと思っていた…。
しかし、いまやそれこそが私の生き甲斐となった。
それは生の糧となるお味噌汁となったのだ!
私はむしろ売れないことに価値があると思っている!
ただほど高いものはないと!

883考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:32:08 O
私が始めて読んだ哲学書はそう、かの「方法序説」であった!
そこで私を発見した!
おお、15の夏の甘美なる邂逅よ…
それを病気だと? 分裂病だと?
許す! 私は君を許すぞぴかぁ…なぜなら私は…
この運命を愛するに至ったからだ!
私は一層重症になって気合いで復活したからだ! 要は気合いだ! メタメタ言語だ!
こうして私の没落は続いていくのであった…
884考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:42:05 O
上手い。まるで芸人のようだ。
流石だ、流石に江頭の弟子だけのことはある。
885考える名無しさん:2008/10/10(金) 01:16:33 0
>>884
こちとらさん、世界は「私」しかいないというのを感じたことはあるかい?
極端な話、「私」だけの世界ということを・・・
ぴかあによれば、「私」とは他者との"差異"によってしかありえない。
デカルト的にそうだろうけれど、私が言う「私」だけの世界というのは、
ある日突然、ある都会の雑踏の中でも良い、自然に浸っている時でもよい、
仕事中のオフィスという空間でもよい、世界にぽ・つ・んといる「私」に奇妙な幸福感というか、
奇妙な感覚のような、音で言えばサティ?いや違うな、そんな言葉で表現できない感覚に襲われる。
すると、世界は私だけになるのよ。
これは「孤独感」とか「"世界は私の表象"」とか「梵我一如」でもない、感覚!
ぴきゃあ!
ついでに、>>856>>860氏は私ではないぞよ。
こちとらさんは私だと思って怒り爆発らしいみたいだが・・・
だが、その内容の君への批判には総じて同意でちゅw
日本語を勉強してください。
では、寝るぞ世。
886考える名無しさん:2008/10/10(金) 02:33:46 O
ぴかぁによるフーコーによると「規律訓練」とは人工的な環境が身体に叩き込むものらしいな。

では近頃の世界恐慌騒ぎも権力による環境の捏造なんだろうか?
だとしたらそれは何の訓練なのか?
どこまで人工的な環境なのかわからん。
あるいはそれは権力に敵対する勢力の発現なのか?
人間には反射的に反抗する性があるのでみんなが仲良しではいられない。
死んでも反抗するほど根強い性がある。
人間の権力には常に逆らう者が続出する。
常に闘争がある。だから安定というのは権力者が連勝してるということだろう。
とすると近頃は現体制の権力に対抗勢力の力が匹敵するようになってきたということなのかもしれないな。
887考える名無しさん:2008/10/10(金) 02:54:13 O
動的な安定が平和なんではないか。
相敵対する勢力の一つが、敵対勢力をぶちのめし身柄を拘束、監禁できている状態。
「規律訓練」というのは自衛のための先制攻撃ともいえるだろう。
我々をそれを喰らい続けねば飯を食えないのだ。
だからひきこもりやニートは問題なのである。
「規律訓練」を受けない人間が生存できるということは、監獄に亀裂や抜け穴ができてしまい脆くなっているということであり、
体制の崩壊の兆しかもしれないからだ。
888考える名無しさん:2008/10/10(金) 04:59:31 O
ぴかぁ氏のように出世しようとする意志を持つことは大切ですね。
死に至る病にかかってズッコケてしまったニーチェは危険ですが、
ドイツ語の教材およびゲームとしては割と面白いとも思います。
哲学は何か危なっかしいからといって日本文学の一流どころを勧めるのはまた死につながる危険な面も多々ありそうですので、
情報が反乱するなかで子供を逞しいよい子に育てるにはどうすればいいのかというのは難問ですね。
889考える名無しさん:2008/10/10(金) 05:16:29 O
そこで「規律訓練」といいたいところですが情報化というのがおそらく、
「アンチ規律訓練」なるものなんではないでしょうか?
「規制緩和」が取り立てられていたかと思えば「規制強化」が主張されたりしています。
「IT」、「情報化」、「国際化」、「情報公開」とうたわれていたかと思えば、やはり「閲覧規制」などが主張されてきます。
現代は秩序と混沌の闘争の時代なのでしょうか。
890考える名無しさん:2008/10/10(金) 05:53:32 O
多くの人がズッコケ始めるとどうなるのでしょうか?
えらいことになりませんか?

まず「落ちこぼれること」は死に至る病に至る病といえるでしょう。
というのもキルケゴールやニーチェは身体的に落ちこぼれてたわけですけど、
身体的な「規律訓練」によって「落ちこぼれる」ということは、身体的に落ちこぼれることでしょう。

ですから秩序と平和を守るためには「落ちこぼれ」を出さないということが大切です。
しかし「格差が何が悪い」、勝ち組負け組等々、落ちこぼれて何が悪いという風潮になってきております。

どうも自然に還れといわれてるようで「規律訓練」型の権力というのはすでに虫の息なんではないかとも思えてしまう時もあります。

それとも規律訓練の形態も情報化したんでしょうか?
システムによって規律訓練されてるとも思いますね。
例えばここにも8レス制限というのがあります。
891考える名無しさん:2008/10/10(金) 07:45:37 O
困りますね、ダウが8500ぐらいにダウンしてますね。
ちょっと見たことないような低さであります。
追いかけるようにして日経平均も8500を切るんでしょうか。
これは混沌としてきましたね。稼ぐ人はこうゆう時かせぐんでしょう。
凄まじい力が荒れ狂っているかのようです。
どうなってしまうのでしょうか地球は…
892考える名無しさん:2008/10/10(金) 08:38:44 O
「バッハのすべての作品はどうにもふみ外しようのない徹底した節操をもって、
あらかじめ規定されている軌道をばく進し、追求します。
この点において、彼は何か或る機械に、或る時計仕掛けに、もちろん自然という手によって造られた「生命のある」時計仕掛けに似たところがあります…」 (フルトベングラー 音と言葉 新潮文庫)

忘れてましたが何年か前に間違いなく読んでましたね。
堂々とパクッてました。
私の無意識的な記憶力はなかなかですね。
私の考えというのはほぼパクリかもしれない。
すなわち、みなさんは私を馬鹿にしないほうがよろしいということでしょう。
みなさんより立派な人の意見を馬鹿にすることになるのかもしれませんからね。
893考える名無しさん:2008/10/10(金) 13:50:02 O
病気と健康の関係…

実は病気といわれるものの中には健康への意志の現れであるものもありますね。
体を治そうとして体が頑張ってる状態でも苦しくなるわけです。
ニーチェのかかっていたのはその種の健康への意志としての良性の強烈な病気だったという可能性もあります。
894考える名無しさん:2008/10/10(金) 19:15:27 O
「ニーチェは音楽家としては、晩年の日においても、その端初の日と少しも変わったところはありません。
いつもワグネリアーナーだったのです。そうであってならぬわけはどこにもありません。
芸術に対する根本的な関係においては、―それは我々の性格の意識下に属する何ものかであって―
たとえその他のものがどう発展してゆこうが、こればかりは全生涯の行程に沿って変わるものではありません。」(フルトベングラー 音と言葉 新潮文庫)
895考える名無しさん:2008/10/10(金) 19:52:23 O
ところで学者とか評論家とか公の場で語る人は、
どこかで見聞きしたことをあたかも自分の発想、考えであるかのように思ってしまうような記憶があやふやな人間では、
駄目だしされますよね。
パクリやら馬鹿やらと。
ちゃんと引用したりしとけば、同じ意味の話でも無教養な人から易々と馬鹿だと退けられることもないだろうし、
識者としての信用を落とさずにすむわけです。
整理された正確な記憶力というのは公の場で語るための基本ですね。
果たしてぴかぁにそんな正確な記憶力があるのでしょうか?
嫉妬はしてないです。ただ心配なんです。
あまり調子に乗ってしまうと基本がおろそかになるかなと。
もしかしたら記憶容量に関しては個人差はあまりないのかもしれませんね。
人は見聞きしたことは大体記憶するに足る記憶容量は備えている、
いわばHDの容量は変わらないといえる気がするわけです。
ただOS、データベースなどのソフトウェアの差があるんですね。
896考える名無しさん:2008/10/10(金) 20:00:51 O
ちなみに「君が心配だ」とかいいますけど、
大抵これは「君が(私に迷惑をかけるのではないかと)心配だ」
という意味で使われます。
しかし私はそんなトリックを使うような人間ではないのです。
正直すぎる哲学徒ですから。
897考える名無しさん:2008/10/11(土) 01:10:50 0
>>896
>大抵これは「君が(私に迷惑をかけるのではないかと)心配だ」
そうだ。大抵は、まあ世間やらなんらやの丸めようとする折に発する言い草だ。
でも必ずしもそうではない。それは打算的人間の打算を隠蔽する小細工なんだよ。
私は最近、生理学を勉強している。
文学は短歌を時折したしむのみ。
こちとらさんはピアノ弾けるでしょ?
カルメンの編曲サイトあったから楽譜もDLできたはずだ。
ぜひ弾いて、UPしてくれよ!
898考える名無しさん:2008/10/11(土) 03:24:07 O
なんだかわかりませんが、ぴかぁ氏のブログを見て思うのですが、
「デカルトの病気」が徐々に感染していったのであり、19世紀あたりからヨーロッパのインテリたちを席巻する重大な問題に発展したといえるでしょう。
そしてそれは現代に至り、通俗的な問題にまで発展したということですね。
精神の近・現代病といえます。
その名は…「自意識」

ドストエフスキーやブログ・日記などが巷で流行りだしたのもその症状ともいえますね。

果たしてニーチェは自意識病患者を健康へと導く灯台なのでしょうか?

私は多少快癒してきたとも思ってますが、まだ発作がおこりますね。
私の治療を妨げようとする人がいるもので。
それも逆に治療に貢献しているのかもしれませんね。



899考える名無しさん:2008/10/11(土) 04:03:08 O
ぴかぁが出世してきましたので、私もつられて出世について考えるようになりました。
出世を狙うということは快癒の兆候ではないでしょうか?
それはおいときまして、論文でもエッセイでも小説でも詩集でも音楽でもです、
自分の作品を売るには営業が必要ですね。
まず営業販売を人にお願いしてやってもらい、自分は作品づくりに集中するというスタイルがあります。

また昨今ではネット経由で宣伝直販というスタイルを取ることも可能ですね。
これは前者のスタイルをとる人に比べて不利でしょうが。

前者のスタイルを取る場合の心構えを考え出したいと思います。

Aさんに営業販売を委託され承諾した企業は、AとAの作品に投資をすることを決めるわけですね。
ビジネスですから、社長などの理想に合う作品でないかぎり、
少なくとも初期投資を回収できる見込みがなければいけません。
ですからAさんが無名で人気がないならはデビューはなかなか難しいでしょう。
しかし出版社などの企業は出版しないわけにはいかないです。
しかし新人は投資リスクが高く敬遠せね
ばならない。しかし誰もが初めは新人であり、新人も起用していかねばならない。
900考える名無しさん:2008/10/11(土) 04:20:33 O

ですから新人登用のリスクをいかに下げるかということが問題です。
つまりAさんは非常な才能に恵まれてないかぎりは、
自分に対する投資のリスクを下げる努力をするべきなんですね。


たとえばぴかぁ氏は人生の秋になったら自費出版でもしますとかいってますが、
哲学書の場合はそうなってしまうのかもしれませんが、
彼はブログ歴がながく、知名度、人気ともに着実に上がってきているはずで、
すでに彼は自分に対する投資リスクをけっこう下げてるんです。
いずれ出版社のほうから
901考える名無しさん:2008/10/11(土) 04:32:24 O
いずれ出版社のほうからオファーがあるかもしれないですね。電子出版もありますし。

ともかく、自分に対する投資のリスクを下げるという営業面の努力も大切ですね。

ショーペンハウアーやニーチェでも自費出版してたと思いますが、今は出版は容易になってきてますので、
それで出版物のレベルが下がるというのはありますけど、
凡人でも積極的になってもいいんです。
私はまだレベルスリーですが、
レベルフォーにでもなったと思ったらエゴイスティックに営業させていただきます。
この経済危機を乗り越えることができたらの話ですが。
902考える名無しさん:2008/10/11(土) 04:37:47 0
おぃおぃw
一体誰だよ!
あんなイロモノうんこ引き合いにだしてこのスレ汚物化してんのは!!!

おまえか、おまえか!
それとも俺が汚物か?
そうだ、俺が汚物だ!
おし。そこのおまえ。
俺の名を言ってみろ!
    ↓
903考える名無しさん:2008/10/11(土) 06:54:44 O
まあ作品の投稿サイトは新人登用のリスクを下げるために開発されたシステムといえるでしょうね。
いやはや審査員が消費者なんですから、画期的です。
ブログでもランキングがありますけど。

どうも新人発掘という面倒な作業を自動化してくれ、もううんざりだというような需要があったんでしょう、
新人発掘作業の自動化が進められてるんですね。
ぴかぁ氏は今、デビューの候補者なのかもしれないですね。
904考える名無しさん:2008/10/11(土) 08:25:53 O
なるほど、ぴかぁ氏は、著名ブロガーに選ばれて、まなざしを意識したわけですね。

今まではまさに趣味という感じで、ともかく自分がわかればいい、わかる人はわかりますね? という態度を示していた気がします。
それなりに面白いことをいってるなとは思ってましたが、わかりにくかったと思います。

多くのまなざしを意識することで、彼は自分の思考に説明をつけ加えるようにしたんですね。
それで自分と同様の教養をもっていなくてもわかるようにして、彼の意識の中で対象となる読者層を広げたんですね。
今までなら彼の頭の中で前提として飛ばされてきたような事柄まで記述する手前をかけるようになったようなんですよ。
理解を助けるために記述を詳細化するだけでなく丁寧に注意深く記述するようになったんですね。
多少先生としても振る舞うようになったわけです。先生といっても丁重ですが。
これによって読者からしたら何か飛躍した感が出てきたと思うんですが、彼としては面倒になったというだけかもしれないですね。
そんな仕事のような労力を払うのは厄介なんですが、ボクの文章を読みたいという人が増えるなら多少はボランティアする気にもなってしまうんですよという感じでしょうか。
905考える名無しさん:2008/10/11(土) 08:53:20 O
しかしデカルトのコギトが自意識というのは、ちょっとしたコロンブスの卵ですね。
いわれてみればなるほどという感じですが思い付かなかったですよ。
色々つながった気がしますねこれは。

どうなんでしょうか、ニーチェの人生の冬、36歳あたりで、拷問のような苦しみの中で、彼は転倒したというか、
なぜか快癒したといいます。
それ以前と以後のニーチェの自意識にどんな変化があったのかというのが気になります。
ソクラテス主義に反発してたのもあり、ニーチェは自意識を嫌っていたのではないかと思います。
「この人を見よ」でも彼は自分について語ることを習慣と本能的な誇りに反逆することだと始めに言ってますが。
ニーチェというのはまず自意識に挑み、ぶったおしたのだともいえそうなんですよね。
彼のいう「健康」…というのがですね、肉体的「拷問」のなかで目覚めたとすれば、それは肉体的なものとはいえないと思います。
その後、ツァラトゥストラに理性とはなんだろう、惨めな安逸ではないかと言わせています。
ならばこの「理性」というのは、デカルトのコギト〓自意識を意味するんではないでしょうか?
906考える名無しさん:2008/10/11(土) 09:45:28 O
ソクラテスは相手に「汝自身を知れ」と裏でニタリとしながら迫り、そして「産婆術」とかいって、
自分の思想を相手に編み出させたというようなイメージもありますが、
一体どうなんでしょうか、「汝自身を知ること」と「自意識」の関係は?
ソクラテスが処刑されたのも人に「自意識」という病を押し付けたからだといえるのでしょうか?

ぴかぁ氏の認識では、たしか自意識とは動的な環境の圧力から逃れるための言語的な構造、装置、シェルターみたいな話でしたか。
病気とはいえ、治療であり自己保存のためのものみたいです。
恐らくニーチェの認識では、それは「惨めな安逸」であり、生の減退やらデカダンスです。
彼はそれから抜け出した。拷問のなか抜け出さねばならなかったのかもしれないですね。
自意識という保護装置が生命力を低下させるという認識があったのかもしれないですね。
ソクラテスを中傷したのだし。
907考える名無しさん:2008/10/11(土) 09:48:07 O
また彼はドストエフスキーを評価してますが、「地下室の手記」で「自意識は病である」という認識を持つ男がやたらはりっきっていますので、
その男にニーチェは自意識からの「快癒」を認めたのではないでしょうか?
自意識が新環境の圧力からのシェルターならば、
地下室のような閉じた空間では、
自意識はいらないわけです。
そこで地下室でその男は自意識の砦から抜け出して快癒し、自意識を病だと認識して、生き生きしてる…というわけなのではないでしょうか。
908考える名無しさん:2008/10/11(土) 10:11:29 O
すると、笑ってはいけませんが、地下室は「ひきこもり」の部屋を、その男は「ひきこもり」を象徴してるともいえます。
(フフ
いけませんね、また発作が… フフフフ
耐えました。括弧に入れておきました。フフ)

私がいいたいのは、何故に「ひきこもり」は「ひきこもり」なのか、ひきこもるのかということです。
それはすなわち、「自意識」という病の治療のためなんではないかということです。
「ひきこもり」とは「閉じられた部屋」≒「地下室」に籠もることで、「自意識」という砦を無用の長物となし、
地下室の住人のようにやたら生き生きとしたいという本能による社会的な問題行動および問題のある人のことなんではないかと思うわけであります。

909考える名無しさん:2008/10/11(土) 10:27:54 O
「ひきこもり」とは「閉じられた部屋」≒「地下室」に籠もることで、「自意識」という砦を無用の長物となし、
地下室の住人のようにやたら生き生きとしたいという本能によって喚起される社会的な問題行動、
またそのような問題行動をしでかす人のことなんではないかと思うわけであります。

ちょっと訂正しました。まだ変ですかね。
念のため言っておきますが、これは自己紹介ではないです。
それにまた別にぴかぁ氏のことを暗示してるわけでもないです。
あくまでひきこもり一般の定義の試みなんです。
910考える名無しさん:2008/10/11(土) 10:39:11 O
パンツw
実態の割にはやたら生き生きしてたみたいですね彼は。
そして自己軽蔑がありました。
いけませんね犯罪予告は。
ドストエフスキーは犯罪者を健康だというような問題発言をしてましたが。
いけない! 発作だ!
偉大なる8レス制限よ、私の親指を封じてくれ!
私の出世に手を貸してくれ!
911考える名無しさん:2008/10/11(土) 11:12:54 0
>>908
>すると、笑ってはいけませんが、地下室は「ひきこもり」の部屋を、その男は「ひきこもり」を象徴してるともいえます。
どう考えてもそれしかないっしょ。
そもそも、あの住人が「地下」という象徴、例えを用いているのは、自意識苛まれている精神状態やら、
そこから見る社会と自己の乖離のことも掛けている自虐なわけですよ。
彼自身が、ペテルブルクのアパートを借りて、その物理的な空間という地下室に住んでいるわけではないと思うよ。
太陽も見るし、雪(ぼた雪!)も見てるはずだろうけど、彼が自意識に苛まれて他人との交流を絶っていることが地下なんだから。
(シーモノフとその仲間とダニのような使用人とリーザあたりだろう。関係は。)

>「ひきこもり」とは「閉じられた部屋」≒「地下室」に籠もることで、「自意識」という砦を無用の長物となし、
>地下室の住人のようにやたら生き生きとしたいという本能による社会的な問題行動および問題のある人のことなんではないかと思うわけであります。
同意。さすが地下にすんでいなくても、世間を絶っているだけある。こちとらさん。
ただし、それを解っても、ここに来ることで自意識病が悪化されては・・・とは思う。

>ドストエフスキーは犯罪者を健康だというような問題発言をしてましたが。
一度「死の家の記録」を読んでみたらいい。健康というのは、犯罪を犯すことを健康と賞賛しているわけではないよ。
912考える名無しさん:2008/10/11(土) 11:48:30 0
「自意識」やら、漠然とした「恐怖」やら「羞恥」やらを、住人のような
自意識過剰でなくとも、一般の人でもよく垣間見る。
例えば、私らの世代で子供あたりと接する時に、漠然と苦手を覚える人いる。
たぶん、何か自分の底を見据えられる恐怖なのか?
あるいは、純真なものと、原始性や子供心や純真さを彷彿とさせられて、
大人として自分を蹂躙してきたことを相対的に感じてしまうからでは?
と思う。だから、幼児のまま育った人間はそれを感じない。
または、自意識が少ない大人はうまく子供を手懐ける。
こういうどうでもよい部分を、どうでもよくないと考えてみることで、色々くみ出せる。
913考える名無しさん
文章構成としては、イロモノうんことそっくりだ。
いや、読んだ事ないけど、多分同じ。
「読まずに解るか!」いや、解るね。
っつか。


なんだかイキナリ暇になっちまったな、精神的に。
じゃ。