1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 19:15:38 0
乳牛の生きる目的・・・牛乳を人間に供給すること。
肉牛の生きる目的・・・人間の食卓に並べられること。
人間の生きる目的・・・神のような高次の存在によって規定されている。
神々の食卓に並べられる、もしくは神々の実験材料
ネットすることと2012年にアセンションすることかな
4 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 21:54:25 0
ない
じゃすまない問題なのか?
5 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 21:59:23 0
こういう質問を何回すれば気がすむんだ
6 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 23:21:11 0
ぞれぞれに生きる意味の感じ方は違うと思うから
答えは難しいよね。
私の生きる意味は、国家と日本民族の繁栄のため・・・・・・・・・・
に死んでくれと頼まれても、やっぱ死にたくない。国家のためなんて愚かなことだ。
8 :
心の仕組みドットコム:2008/01/17(木) 18:15:34 0
人は産まれた時に過去から受け渡された時を自分の人生を楽しみながら育み育て、少しでも良い時代とし、
死ぬ時に生きている人達に時を渡して全てを産み育てた地球に帰ります。
9 :
考える名無しさん:2008/01/17(木) 18:42:02 0
10 :
考える名無しさん:2008/01/18(金) 12:55:18 0
「その答えを探すため」(by『女神異聞録ペルソナ』)
11 :
考える名無しさん:2008/01/18(金) 14:53:26 0
今生きている。過去を見てもどうにもならない。過去は
確定してかえることはできない。明日はどうかは、過去
と現在のもろもろが、決める。
生きる意味は、一人ひとりが決めるしかないし、また
決めなくてもよい。ただ生きているから生きているだけ。
自分の意思で生まれたのではない。
神の意思か、自然の摂理かわからないが、生きている。
12 :
考える名無しさん:2008/01/19(土) 06:22:39 0
>>11 過去を記録してるから変えられないと思いこんでいるだけじゃないの?
過去は社会と同じくらい得体の知れないどうでも良いものだよ。
13 :
考える名無しさん:2008/01/19(土) 08:15:10 0
過去は過ぎさったもの。記録があろうとなかろうと、時間
を戻すことはできない。
物理学では時間を戻すことは可能か。理論的にはどうで
しょうか。
過去を無視しての現在はありえないのでは。とにかく現在
に生きているが。
14 :
考える名無しさん:2008/01/19(土) 08:20:01 0
過去を共有することはだから決まり事だよね。
過去なくして現在があり得るかどうかとは別のお話だよね。
16 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:21:22 O
どう考えても生きる意味なんてない
しかし死ぬ意味もない
17 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:40:42 O
淡い恋ごころ 蝉しぐれ 一青窈か
18 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:41:37 O
愛するもののためにすべてにさからって
19 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:43:36 0
過去の自分を記憶・記録しておくことで、現在の自分を確認あるいは
自己の特定をしたがる人間は多い。
だが、もう戻れない時間・場所・環境の情報を保存することになんの意味があるのか?
生命の存在に意味なんていらない、生命は肥溜めの中にでも出来てくるものだし
意味が無くとも存在している以上、否定は出来ん。
そこに哲学なんていらない。豚や牛やゴキブリが哲学してるか?
してるかも知れんが、例えしなくてもその存在は揺るがない。
人間が勝手にややこしい問題の種を作っちまっただけさ。
20 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 06:44:17 O
上杉景勝 足軽大将と春 素敵なことはある どんな時代でもな
21 :
四:2008/02/11(月) 06:54:08 O
あくまで時間はひとつづきであって戻ることはない。私たちは進んでいっている。ただいつの時代も輪廻はしているんだ、輪廻してさらに進んでいる。輪廻の意味わかるよな?
22 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 07:46:10 O
人間が意味を求めずにはいられないのはなぜなんだ?意味なんて考えはじめたら世の中すべてのものが無意味になってしまうのに
23 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 07:55:32 0
ただ不安だからさ。理由が無ければそこに立つ事すら後ろめたさを感じるんだ。
24 :
し:2008/02/11(月) 08:34:09 O
不安もそうだが物事には道理がある。意味があるのだ。わかるということで直観で動くよりいい方法があるかもしれないからだ
25 :
考える名無しさん:2008/02/11(月) 18:15:51 0
生きる意味を求めるという行為自体、人間の心に発生したエラー
間違った問いに答えなんぞあろうはずもない
26 :
西田:2008/02/15(金) 22:30:31 0
「私は誰か」、「人生の目的は何か」といった
人生と宇宙の根本問題を解くためには、
人間と宇宙を存在せしめた第一原因である
「神」について知らない限り解くことはできません。
神がなぜ人間を創造したのかについて知る必要があります。
生きる意味は、神が与えた三つの祝福を実現することにあります。
その祝福を実現することが、人生の喜びであり、生きる目的なのです。
http://www.ikiruimitoha.com/ をぜひ訪ねてみてください。
27 :
考える名無しさん:2008/02/16(土) 05:40:25 0
楽しむことじゃよ。
楽しみにもいろんなレヴェルがあるが、
さまざまな楽しみをレヴェルを横断して享受することじゃよ
生物=偶然の産物
人間=報酬系に従事する生物
残念過ぎるよwwwだがそれが答えなのさ!
クソ真面目に考えてる奴ら涙目www
答えを出して思考停止するなよ愚か者
30 :
考える名無しさん:2008/03/22(土) 20:31:01 0
>>29 そんな事考え込んで、分かってしまったら
大変だから考えるなという事ですね。
imihumei
32 :
考える名無しさん:2008/03/29(土) 01:55:52 0
>>29 お子様ランチのハンバーグを最後に食べる人は、
食べ終わったら本当に食事が終わると思っているのだろうか。
>>32 そういうタイプの人はデザートが最後だよ。
34 :
考える名無しさん:2008/04/07(月) 14:28:19 0
「生きる意味」などどこにもありません。
なぜって、世界のあらゆるものに意味を与える源泉となるのが、
「生きること」であり、生きることそのものに意味を与えるものは、
世界中のどこにも存在しないからです。
世界のあらゆるものには意味がありますが、「
生きること」は世界でたった一つ、意味がありません。
私たちが生きることは、「生きる意味」なんかで表せないほど、
かけがえのない、素晴らしいことなのです。
たしかにそれぞれ生きていく中で、
「これが生きる意味だ」と感じることもあるかもしれません。
しかし、それは決して本当の生きる意味ではなく、
「自分が生きていく上で、重視している価値観」に過ぎないものです。
「生きること」よりも優先されるようなもの、
つまり、「生きること」に意味を与えるようなものは、世界中のどこを探していてもないのです。
生きる意味について
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_311d.html
35 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 01:01:13 0
>>34 それはあなたの個人的見解では?
どのような言葉も個人的見解だと思うが
それを真理のように語るのはいただけない
思うに生きる意味とは
個人が見出さなければないのではないだろうか
それは自分が生きていく上で、重視している価値観であるといわれそうだが
(それともこれは生きる目的だろうか)
なんにせよ生きる意味がどこにもないと言うことはないと思う
それはわからないだけかも知れんので
あと、生きることよりも優先されるものがないということだが
そう考えることこそ「自分が生きていく上で、重視している価値観」なのではないのか
まあ、あなたの文脈と私の文脈では言葉の意味が違ってくると思うのだが
36 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 01:41:00 0
生きる意味を考えるということは今現在辛いのか、それともなにもないのか。
人は生きたいと思うから生きるのです。
37 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 01:45:18 0
死にたい奴も生きてるよ
38 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:15:00 0
ならその人はなぜ生きてるんでしょうか?
39 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:19:16 0
それは生きたいからでは?
生きた先に何かあると信じているからでは?
40 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:22:21 0
死にたくても死ねないから
41 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:23:59 0
死にたくない=生きたいではないと思うのだが
42 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:26:33 0
死にたくても死ぬのが怖い人は本当に生きたい人だと言えるのか
死ぬ直前に死にたくないと思った人は生きたいとそのとき思っただろうか
43 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 02:35:29 0
44 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:01:18 0
>>34 生きることそれ自体の肯定(かけがえのない素晴らしいことである)は、
すべての価値が生きることの上に成り立っていることを考慮するならば、
この世界における絶対公理(それがあっての物種)のように思えます。
なぜなら、それ(生きることそれ自体)を否定するならば、
そもそも価値について云々することはできないはずだからです。
しかし「生きることはかけがえのない素晴らしいことである」という命題は、
それが真理であるならば、決して存在してはならないのではないでしょうか。
なぜなら、それは存在した瞬間に相対化されてしまう運命にあるからです。
たとえば、わたしに「生きることはかけがえのない素晴らしいことではない」
と言えわれて(相対化されて)しまった瞬間、それは個人的見解(
>>35)に
過ぎなくなってしまうからです。
45 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:14:42 0
>>41 興味深いですね、具体的に違いを教えて頂けませんか?
>>42 本当に死を希望する人は生きる事に恐怖を抱き、死ぬ事に安らぎを求めている人だと考えています。
だから死ぬんだと。
死が怖いと思う人は未練や希望を抱いている人だと思います。
46 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:17:27 0
>>36 真理とは絶対的なもので相対化されることはない
と思うのだが考え方の違いだろうか
>なぜなら、それ(生きることそれ自体)を否定するならば、
>そもそも価値について云々することはできないはずだからです。
何故なのか
スレ違いになるかもしれないがそもそも私たちは生きているのか
47 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:24:28 0
>>45 死にたいの反対がただ単に生きたいではないと思うから。
複雑な心理状態だと思うから具体例を出すのは難しい。
死が怖いというのと死ぬのが怖いというのは違う
死という状態と死ぬという行為に恐怖するのは違うと思う
48 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:27:00 0
だから死が怖いと思う人は未練や希望を抱いている人かも知れないが
死にたい人間が死ぬのを怖がることはあると思う
連スレ申し訳ない
49 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 03:52:14 0
>>48 いろいろ考えましたが確かにそういう人がいるかもしれない。
例えば奴隷は死よりも死ぬという行為が未遂に終わりその後の罰に恐怖するかもしれない。
それに、五体不満足の人は死にたいと思っても死ねない。
だが生きている。etc...
これらを考えて
>>36の発言は間違っていました。
>死にたいの反対がただ単に生きたいではないと思うから。
そうですね。
言葉や概念に囚われ過ぎたのかもしれません。
それを考えると生の反対語が死も違うかもしれません。
50 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:08:36 0
>それを考えると生の反対語が死も違うかもしれません。
何が反対語なのかわからないがその通りだと思う。
>
>>36の発言は間違っていました。
私の考えを分かってくれたかどうかはあなた=私ではないから分からない
けど、そのことについてよく考えてくれたのは嬉しい
間違っているいないは相対的なものだと思う
だからもしかするとあなたの考えが正しいのかもしれない
ただ、志願者の気持ちを一括りにされたような気がしてそれが嫌だった
51 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:15:13 0
>>50 不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。
ただ、思った事を言わないと私は成長することができないので。
あなたの意見は大変参考になりました。
52 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:22:14 0
>>46 たとえば、「生きることは、かけがえのない素晴らしいことである」が、
真理であるにしても、それを知ることはできないのではないでしょうか。
私たちは言葉によってそれを知るのですから、知られたものとしてのそれは、
すでに真理ではなくなっていませんか。
なぜなら、あらゆる命題の真偽をまちがいなく判別するような論理は
存在しませんし、また真理の表明であるどのような命題にも、
かならず相反する言明が成立してしまうのですから。
53 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:42:34 0
>>52 もう落ちるので、補足しておきます。
仮に「生きることは、かけがえのない素晴らしいことである」が真理だとしても、
その言明が成立するためには「生きることは、かけがえのない素晴らしいことではない」
という可能性も論理的には開かれていなければなりません。
もちろん、論理的にはそうかも(相対化されるかも)しれないけれども、
真理そのものの絶対性は相対化されえない、という主張がなされるでしょう。
しかし、真理が相対化されえないということは、誤りえないということであり、
そうであるならば、真理の絶対性は、それが真理であるとは「言えない」ことのうちに
示されるのでなければならないはずです。
なぜなら、真理が絶対的なものならば、真理に真偽も正誤もないはずだからです。
つまり、真理はそれを示そうとするかぎり、どこまでも示せないのであり、
どこまでも示せないことのうちに示されるものなのです。
すなわち、真理の言明が可能ならば、真理は真理として示しえず、
あらかじめ失われていなければならない、ということになるはずです。
54 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 04:44:05 0
>たとえば、「生きることは、かけがえのない素晴らしいことである」が、
真理であるにしても、それを知ることはできないのではないでしょうか。
>なぜなら、あらゆる命題の真偽をまちがいなく判別するような論理は
存在しませんし
何故そういう風に言い切れるのですか?
そういう風に絶対的に言い切れるのならそれこそ真理だと思います。
>私たちは言葉によってそれを知るのですから、知られたものとしてのそれは、
すでに真理ではなくなっていませんか
確かによくそう思いますがこれも絶対的にそうだといえるでしょうか?
私が言った真理は概念としての真理です。
真理の定義によって又個人個人によって真理とは何か変わってくると思うのですが
私は真理そのものを知ることが絶対にできないかどうかわからないし
真理はもしもあるならば絶対的なものだと思います。
>真理の表明であるどのような命題にも、
かならず相反する言明が成立してしまうのですから。
相反する言明を一つ一つ考えて事がないので分かりません。
ただ、相反する言明が成り立たない命題をまだ発見していないだけかもしれないとも思います。
私はこの頃何を考えても全ては思い込みかもしれないという考えが頭から離れません。
だから、可能性が絶対的に0もしくは100ではないように思えることに関していちいち疑ってしまうのです。
だからいちいち聞いてしまいました。
あと36ではなく44でした。申し訳ないです。
55 :
心の仕組みドットコム:2008/04/08(火) 06:16:08 0
真理とは何かを知らずに、真理に付いて語り合っても結論はでないと思いますが如何でしょうか?
>>41 消えたい≠死にたい
生きていたくない≠死にたい
らしい。
57 :
考える名無しさん:2008/04/08(火) 15:38:44 0
>>55 >>56 同意します
>>53 論理的に過去現在未来絶対的で客観的な真理について考えるのならあなたは正しいと思う。
真理についてはスレ違いなのでやめます。
58 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 00:41:43 0
>>54 >何故そういう風に言い切れるのですか?
「生きることそのものが、かけがえのない素晴らしいことである」…… @
という
>>34の主張は、個人的見解として述べられているのではないけれど、
@が、もしも個人に知られうることなら、@のように思うかどうかは、
どうしても「個人的見解」になってしまうしかないのではないか、
そうであるなら、@の肯定によって「生きる意味」の個別的存在が
否定されてしまう理由はないではないか、という反論が
>>35でしょうか。
わたしは、@のような命題の真偽が論理によって決定できると思っていないし、
仮に@が真理だとしたら尚更、真偽を問うのは不可能ではないかと思うのです。
(理由は、
>>53)
たとえば、あなたの「そもそも私たちは生きているのか」(
>>46)という問いを
許容するなら、@の命題は事実に反したこと(生きているということ)を前提に
しているのですから、命題自体が偽(現実的には嘘)の可能性がありますし、
また、フィクションの中の文に過ぎないと考えるなら、真偽を問われる命題で
さえないことになってしまうでしょう。
59 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 00:48:51 0
>>54 >真理はもしもあるならば絶対的なものだと思います。
わたしも、そう思います。
>私はこの頃何を考えても全ては思い込みかもしれないという考えが頭から離れません。
>だから、可能性が絶対的に0もしくは100ではないように思えることに関していちいち疑ってしまうのです。
わたしも同じです。
>>57 >論理的に過去現在未来絶対的で客観的な真理について考えるのならあなたは正しいと思う。
わたしは自分が書いていることを信じているわけではなく、
そのような考えについての反論を期待しているだけです。
ちなみに、わたしはあなたが希求しているようなものとしての真理が
客観的に存在するとは思っていません。
なぜなら、いまだ「われ思う、ゆえにわれ在り」を疑えないからです。
60 :
心の仕組みドットコム:2008/04/09(水) 08:48:45 0
>>57 >真理についてはスレ違いなのでやめます。
哲学は理性的な思考を通して、諸事の問題を語るものですから哲学から真理を除いたら、ただのゴミ屑になってしまいます。
ですから、哲学の場で真理に付いて語ることは哲学の王道です。
>>59 >ちなみに、わたしはあなたが希求しているようなものとしての真理が客観的に存在するとは思っていません。
真理とは人が客観的立場に身を移し、始めて悟り知るものです。
人が、この真理を会得すれば道理も悟り知り物事を理解し知能が活動し、そこで始めて全てを知り得る本物の智恵を産みだせるのです。
そして人類は真理を望む純粋で謙虚な心さえ有れば、無条件で真理を悟り知ることのできる機能を備え持って産まれているのです。
61 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 15:30:08 0
62 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 16:05:27 0
逆から読むとミルキー
63 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 16:17:07 0
逆から読むと一木留美
64 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 22:22:34 0
>>1 生きる意味が何にせよ。
「意味がある」と思えば、生きる気力が起こり、
「意味がない」と思えば、生きる気力を失う。
このことも問題ではないか。
意味があろうがるまいが、生きる気力発動装置とのリンクは切れるはず。
65 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 22:30:37 0
66 :
考える名無しさん:2008/04/09(水) 23:43:09 0
俺が思うに、人は、それぞれの価値観によって生きている。
ショーペンハウアーの“生きんとする意志”という言葉を借りれば、
人は、生きんとする意志を、それぞれの価値観を実現させようとして生き、
そのように生きれると「意味がある」という判断をする。
「意味」とは、自分の価値観を通して、生きんとする意志を実現する
方向へ向かう方向へ向かっていることを、言うのではないか。
「生きる意味」か・・・
追うと、追い始めると、難易度がけたたましく跳ね上がる。という所までは、なんとなく・・・
ん〜〜〜・・・。
「幻想?」
あるいは、理想郷。なのかな・・・
イメージとしては、かなりはっきりとしているのに、現実の中には「無い」・・・
・・・ただ、本当に、なんてことない、ただの一瞬。その具現化された何か(或いはカタチそのもの)を、まのあたりにする事は、
あるんだと、そう思う。
その奇跡。例えて言うなら、「奇跡」という奴。(重要なので繰り返すンw)
これの日常化を狙おうとする時。
あらゆるエネルギー(?)ヒエラルキー(??)リビドー(><)は手のひらを返して「敵」となり。総がかりで潰しに来る。
・・・・と言う事だろうか。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
複雑なのは、なにも、神の御手によってそうされている。とは、思わない。(思えない。)
僕は、単に、この(複雑怪奇)な自己が疎ましくて仕方がない。
と言う事だけなんだろうな・・・
68 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:15:34 0
>>58 >>54の時点では
>>53をよんでいませんでした。余計に説明させて申し訳ないです。
>>59 私はそのような真理があるかどうかわかりません。
しかし、与えられた情報で足りない頭を使って考えた場合(私が付け加えたものもありますが)どうもそのように思えるという意味です。
どうも今のところ正しい気がしますが別に肯定する気はありません。
>いまだ「われ思う、ゆえにわれ在り」を疑えないからです。
なぜ思っているのは私だと言い切れるのですか。
何かの作用(思うまたは感じる)が働いている気がしますがそれが一人称につながるとは思えません。
作用が働くには対象と観測者が絶対必要なのでしょうか。
また、必要だとしてもなぜそこに一人称が入り込んでくるのでしょうか。
一応デカルト関係の本は読んでいるのですが精読していないので間違いがあったら申し訳ないです。
>>60 ここは生きる意味を語る場ではないでしょうか。
哲学版でなおかつ生きる意味について考えていて真理のことに行き着いたとしても
真理の絶対性や真理を知覚できるかは生きる意味について考えるのにあまり関係がないのでは?と思い、発言しました。
ずれているずれていないは結局は個人の判断になると思うのですが・・・
>人類は真理を望む純粋で謙虚な心さえ有れば、無条件で真理を悟り知ることのできる機能を備え持って産まれているのです。
そういう考え方もでき私の感想になってしまいますがそれは哲学というより思想では?
>>57で同意しているように真理について考えるなら真理の定義をここで決めたほうが良いと思います。
69 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:20:48 0
>>59 >わたしは自分が書いていることを信じているわけではなく、
そのような考えについての反論を期待しているだけです。
考えようによっては反論できるように思います。
70 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:35:19 O
人生の中で様々な苦悩がある。
その苦悩は「生きる意味とは?」「自分の存在の意義」といった、永遠に答えの出ない、答えがあるのかすら分からないような問いと、根底でなにかしらリンクしている。
そんな中で、常に答えの見つからない問いと戦い続ける事が、生きるって事じゃないのかと思う。
71 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:59:55 0
生きる意味は個人個人で違うと思う。
自分で見出さなければないと思うし
みんなに共通する生きる意味はないように思える。
意味は個人が与えて初めて個人が認識するようになると思う。
72 :
(酔)魔王短パン:2008/04/10(木) 04:13:30 0
おぃ、てめぇらw
どぅでもいいが、俺を神格化スンナよw
いいかげんにしないと、ひっぱたくぞ?
なぁ。
大丈夫?
73 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 05:35:28 O
生きる意味って理解するより感じたほうが早いと思う。
マトモに考えたら頭がパンクするわ。
何気ない瞬間に真理ってやつは潜んでるものさ。
74 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 06:34:06 0
>>35 > それはあなたの個人的見解では?
> どのような言葉も個人的見解だと思うが
> それを真理のように語るのはいただけない
> 思うに生きる意味とは
> 個人が見出さなければないのではないだろうか
「個人的見解」という言葉の定義によるので、個人的見解かどうかには答えられませんが
決して、変わった意見ではないと思います。
端的に言えば、「意味」の定義の問題です。
詳しくはリンク先に書いてある通りですが、一般に、「意味」は「〜にとっての意味」という形でしか存在しえません。
つまり、私たちが生きている上での意味は、全て「私にとっての意味」であり、それ以外ではありえないのです。
したがって、そこで「私が生きることの意味」は、唯一の盲点になり、語ることはできないものです。
そのことを端的に言えば「生きる意味などない」ということになるわけです。
比喩的な説明をすれば、これはいわゆる「一神教的立場」と「非一神教的立場」の違いとも言えます。
「生きる意味がある」と考える立場は、(ユダヤ・キリスト教のような)一神教的立場あり、
「普遍的な意味」が存在するという見方に相当します。
これに対し、リンク先の記事の議論は、非一神教的立場で、価値を与えるのは一人一人が生きていることそのものだと考えます。
(ちなみに、一神教的という表現は、哲学的議論に詳しい人にはおなじみだと思いますが誤解を招く表現かもしれません。
ユダヤ教徒やキリスト教徒の全てがそういう立場を取っているという意味ではなく、
あくまで普遍主義的思考を象徴的に指す言葉です)
「生きる意味がある」というのは聞こえが良いですが、実は、人間を神の道具におとしめるものです。
そうではなく、「生きることの絶対性」を主張するのが、「生きる意味はない」という立場です。
ちなみに、
>>34はリンク先の記事のリード文で、独立した意見というわけではないので念のため。
生きる意味について
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_311d.html
75 :
(酔)短パン:2008/04/10(木) 07:08:31 0
>>74 なぁ。言葉とか文字って、なんだと思う?
俺は、、、俺はね。。。
76 :
(酔)短パン:2008/04/10(木) 07:14:20 0
使えば使うほど、汚れてさ。闘いの武器として精錬されていくんだよ。。。
ふ、
「それを求めていたのか。」
とか・・・w
77 :
心の仕組みドットコム:2008/04/10(木) 08:57:00 0
>>68 ☆人類は真理を望む純粋で謙虚な心さえ有れば、無条件で真理を悟り知ることのできる機能を備え持って産まれているのです。
>そういう考え方もでき私の感想になってしまいますがそれは哲学というより思想では?
思想ではなく真実ですよ。
>>57で同意しているように真理について考えるなら真理の定義をここで決めたほうが良いと思います。
定義とは決めるものではなく、存在を明らかにすることですね。
真理とは、人が物事の理を悟ることで得られる、物事の理非を分け隔て真の理を悟り知る心を指します。
この真理が人に物事を理解させ人の智と知の源となり、人の知能を高め知恵を産みだし知識を集める働きをするのです。
人に生きる意味を知らしめることも真理の会得が無ければ叶いません。
つまり、人類は真理を会得しなければ無知の域から絶対に抜けだせないのです。
78 :
考える名無しさん:2008/04/11(金) 00:46:22 0
>>68 >なぜ思っているのは私だと言い切れるのですか。
>何かの作用(思うまたは感じる)が働いている気がしますがそれが一人称につながるとは思えません。
「われ思う、ゆえにわれ在り」が疑いえないというのは、思ったり感じたりするのが私のときには、
かならず私だからです。思ったり感じたりするのが私でないときには、もちろん私ではありません。
変な言い方をしていますが、たとえば多重人格を想定していただければわかりやすいと思います。
(デカルトの言葉を不用意に使って誤解を与えてしまいました。すみませんでした)
>作用が働くには対象と観測者が絶対必要なのでしょうか。
そうでないと現象が成立しないと思います。
だからといって、対象と観測者を別物扱いしなければならないということではありません。
たとえば夢のことを考えてみれば、独我論や脳一元論も奇異な考え方ではないですよね。
それにもしかしたら本当は現実は夢かもしれませんし。
仮にそのように想定すれば、夢と同じように現実の対象は直接「われ思う」の表象によって
創造されていることになります。たとえば、神様の天地創造のように、神様の「光あれ!」
との意志の表象が、そのまま「光」(対象)を産み出してしまう、というようにです。
そのように考えれば、対象と観測者を別け隔てる必要もなくなります。
79 :
考える名無しさん:2008/04/11(金) 02:49:59 0
>>78 78さんの言うことはおおむね私は理解できるし、もし78さんがそのように考えるなら私は78さんと大体同じ意見です。
>対象と観測者を別物扱いしなければならないということではありません。
そう思います。しかし、
>そうでないと現象が成立しないと思います。
この意見には同意できません。私は作用が働くなら絶対に存在が必要だと100%思えないからです。
ここの部分はもしかすると個人の感覚とか好き嫌いになってくるかもしれないのですが・・・
>「われ思う、ゆえにわれ在り」が疑いえないというのは、思ったり感じたりするのが私のときには、
かならず私だからです。思ったり感じたりするのが私でないときには、もちろん私ではありません。
変な言い方をしていますが、たとえば多重人格を想定していただければわかりやすいと思います。
ここの私は一人称の私でしょうか。私について記述するのは面倒だと思うのですが、詳しく教えてもらえませんか。
>デカルトの言葉を不用意に使って誤解を与えてしまいました。すみませんでした
デカルトの言葉は私も好きでよく意味も分からないし吟味してもいないのに使ってしまいがちです。
それに誤解は哲学の議論には付き物だと思いますし、78さんは分かりやすく説明してくれています。
あなたのおかげで普段嫌になって考えるのをやめるのにやめないで新しい発見をすることができました。ありがとうございます。
80 :
考える名無しさん:2008/04/11(金) 03:25:44 O
快楽のために生きてる。
81 :
考える名無しさん:2008/04/11(金) 04:48:27 0
>>74 >「私にとっての意味」であり、それ以外ではありえないのです。
同意見ですが、これを踏まえると
>したがって、そこで「私が生きることの意味」は、唯一の盲点になり、語ることはできないものです。
がよく分かりません。
「私が生きること」に対しても「私にとっての意味」を与えられ「私が生きることの意味」となるように思うのですが。
82 :
考える名無しさん:2008/04/11(金) 04:59:35 0
私は自分が生きているのか、存在しているのかも正確に分かりません。
>>34>>74を見ているとあなたは生きていることを最初の条件として与えているように思いました。
私は上述の通りですのでこれは論理的に議論してどうこうなるものではなく
最終的な個人の考え方による違いになってしまうのではないでしょうか。
丁寧に返事をしてくれてありがとうございます。
83 :
(酔)短パン:2008/04/11(金) 05:15:53 0
ドット?
84 :
心の仕組みドットコム:2008/04/11(金) 10:42:58 0
85 :
考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:15:19 0
>>79 >この意見には同意できません。私は作用が働くなら絶対に存在が必要だと100%思えないからです。
たとえば「私は桜の花を見ている」というとき、桜の花は単に見られているだけであって、
確実に言えるのは「桜の花が見られている」ということだけなのかもしれません。
でも、すぐに「誰に、見られているの?」と質問されてしまうでしょう。
なぜなら「見られている」という表現には、桜の花を見ている「誰か」の存在が
すでに含意されてしまっているからです。
だからといって、この「誰か」は、同一性を維持したまま存在する「私」である、
ということまでは含意していません。
確かにそうなのですが、それなら「桜の花」という現象はどうやって起きているのでしょうか?
こっちが知りたい
87 :
考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:41:41 0
>>79 >ここの私は一人称の私でしょうか。私について記述するのは面倒だと思うのですが、
>詳しく教えてもらえませんか。
A子、B子、C子の人格は、一分毎に交代します。
同じ桜の花を見ているのですが、それぞれがそれぞれの桜の花を知りません。
一分毎にそれぞれがそれぞれに「私は桜の花を見ている」と言ったとしたら、
それぞれの私は、それぞれに別の私でしょう。
それでも、それぞれにそれぞれの私によって、それぞれにそれぞれの桜の花が
見られたのではないでしょうか。
たとえ一分間でも、その間だけは、それぞれにそれぞれの私の同一性が
維持されていたからこそ、たえまなく移り変わっていく桜の生きて咲く姿が
「桜の花が咲いている」という現象として成立しえたのではないでしょうか。
たった一分間でも同一性を維持したまま存在する私というカンバスがあったからこそ、
「何か」が「桜の花」として、はじめて、そこ(私)に描かれえたのではないでしょうか。
そのように考えれば、桜の花が現象することと私が存在することとが共にあるのは
当然のことになりますし、わたしが「思ったり感じたりするのが、私のときには、
かならず私だからです」と言ったのも、このような意味で、です。
たぶん期待外れのレスだと思いますが、とりあえず。
88 :
考える名無しさん:2008/04/12(土) 03:53:45 0
>>85 >>87 >だからといって、この「誰か」は、同一性を維持したまま存在する「私」である、
>ということまでは含意していません。
>確かにそうなのですが、それなら「桜の花」という現象はどうやって起きているのでしょうか?
>たった一分間でも同一性を維持したまま存在する私というカンバスがあったからこそ、
>「何か」が「桜の花」として、はじめて、そこ(私)に描かれえたのではないでしょうか。
何かを「桜の花」と見なしている働きがあるということだよ。
そして、その働きの主体として「私」というものがあると見なしている働きがあるということだよ。
89 :
考える名無しさん:2008/04/13(日) 06:24:22 O
生きる意味を考えだしてる時点で病みの入り口が見えてるよな?
生きる事に迷いがなかった頃が懐かしい。
90 :
考える名無しさん:2008/04/14(月) 00:15:58 0
>>85>>87 説明ありがとうございます。
>「桜の花」という現象はどうやって起きているのでしょうか?
感じる(作用)を感じる(作用)を感じる(作用)を・・・・・・
という風に一人称以上の人称が出ずに考えが無限ループするので
「桜の花」を感じる、という作用が働いているということしか私に確実に言えることはありません。
私は、「感じる(作用)=0人称」が「私=一人称」に確実につながるという風に思えないので
感じるという作用の生じ方はもちろん、私が感じる過程もよく分かりません。
>わたしが「思ったり感じたりするのが、私のときには、
>かならず私だからです」と言ったのも、このような意味で、です。
出発点の違いというか私の勘違いというか、何にせよ私の捉え間違いでした。よく分かりました。
91 :
考える名無しさん:2008/04/14(月) 00:21:37 0
↑返事遅れてすみませんでした。
>>89 確かに。こういうことを考えなかった頃に戻りたい。
こんなこと考えていると周りから変人扱いされるのは私だけ?
92 :
考える名無しさん:2008/04/14(月) 03:15:56 0
>>90 >感じる(作用)を感じる(作用)を感じる(作用)を・・・・・・
>という風に一人称以上の人称が出ずに考えが無限ループするので
>「桜の花」を感じる、という作用が働いているということしか私に確実に言えることはありません。
たとえば「脳の中に感じる小人がいる」という想定をした場合、
感じる小人の感じるを感じる小人の……の無限後退に陥ってしまう困難を
今まで科学はしりぞけてきました。
なぜなら、客観的対象を相手にする科学にとって、小人は表現を替えれば主観性のことだからです。
もっとも脳科学者のなかにも、感じるということ、たとえば桜の花の「質感(クオリア)」の存在を認めて、
それを主観性(私や心)の問題として考える人もいるようです。
たとえば、脳科学的には「悲しいから泣く」という事実は存在しません。
なぜなら、涙を流させる脳内の神経細胞の活動が涙を流させるのであって、
「悲しいから泣くのではない」からです。
それでも、それを「悲しい」と言語に翻訳しうる「何か」の存在は認めているでしょうし、
その「何か」を「悲しい」と言語に翻訳する機能の存在も認めているようです。
つまり、科学者も原理的にはその人にしかわからない「何か」の存在を認めているのですね。
でも、もしも心や私とか呼ばれてきた一人称の存在を否定する場合には、
この「何か」を認めないということが必要になってくるのではないでしょうか。
93 :
考える名無しさん:2008/04/14(月) 03:46:32 0
>>92 >それでも、それを「悲しい」と言語に翻訳しうる「何か」の存在は認めているでしょうし、
>その「何か」を「悲しい」と言語に翻訳する機能の存在も認めているようです。
>つまり、科学者も原理的にはその人にしかわからない「何か」の存在を認めているのですね。
「何か」というのは一人称になりうるものでしょうか。
それとも「悲しい」が言語に変換される以前のもののことでしょうか。
94 :
考える名無しさん:2008/04/14(月) 04:16:30 0
水掛け論になるかもしれませんし、未熟ですが記述してみます。
私は作用が働いていることは確かだと思います。
しかし、それが一人称つまり私に直結することが絶対に確実だと思えません。
作用が働くには存在が必要だと確実に思えません。
論理も過去も未来も感覚も全て思い込みかもしれません。
しかし、私が思惟するのは確かであるように思えます。
でも、本当に思惟するのは私なのでしょうか。
同一性によって私は思惟していると言えるかもしれませんが
その同一性を支持する過去は本当に在ったかどうか疑わしい。
何故思惟するのは私と言えるのか。
私でなくても思惟するには存在がなくてはならないのか。
思惟すると存在は必ずセットなのでしょうか。
私にはどうも初めに思惟するという作用があるように思えます。
動詞(作用)には必ず存在が必要だと思えません。
95 :
考える名無しさん:2008/04/14(月) 04:33:44 0
私は否定しているように見えるかもしれませんが、一人称を否定しているわけではありません。
私も一人称はあるのかもしれないと思っています。
ただそれが確実だと思えないので、疑わしいといっているだけです。
「何か」が一人称になりうるものならば認める認めない以前にあるのかどうか分かりません。
「何か」が、「悲しい」が言語化される以前のものならば、それは作用なのではないでしょうか。
この場合はもっとよく考えてみます。
科学者が認めていても、科学がそうしていても、私には作用があるとしか言えません。
96 :
考える名無しさん:2008/04/15(火) 00:11:18 0
生きることに意味・目的がなけりゃならないって前提自体、
そもそもどうなんだろねぇ?
関係性(家族/友人/敵/自分 との)を選択してるから生きてるわけで、
それがイヤだったら関係性を断つ(社会的・生物的に、死ぬ)しかない。
生きるってのはそうした関係性の円環的植物的なつながりであって、
意味がどうのとか目的がどうのとか言うことじゃないと思うな。
97 :
考える名無しさん:2008/04/15(火) 02:27:13 0
>>93 >「何か」というのは一人称になりうるものでしょうか。
>それとも「悲しい」が言語に変換される以前のもののことでしょうか。
私たちは自分を一般的に規定された公的な私の一事例として理解しつつも、
それとは区別される自分の特殊性(「私的な私」)についても把握しています。
ここでは仮に公的な私の一事例ではない「私的な私」のことを「一人称の私」
ということにさせてください。
「私の肩に桜の花びらが舞い落ちた」…… @
という場合、これは公的な私に起きた出来事について述べられたものになります。
なぜなら、@の命題については、その真偽や正誤を問うことが可能だからです。
つまり、@の私および出来事は、客観的(公的)に示されうるということです。
次に「私は桜の花が散ってしまうのが悲しい」…… A
という場合、これは一人称の私に起きた出来事について述べられたものですが、
Aの命題については、その真偽や正誤を問うことが不可能です。
なぜなら、Aの私および出来事は、客観的(公的)に示されえないからです。
だからといって、Aの私に「悲しいのは、本当に君なのか?」と真偽を問うのは
無意味でしょう。なぜなら「悲しい」という現象が、脳内、または一人称の私に
起きているのだとしても、それを知ることは原理的に不可能だからです。
このような議論をすれば、一人称の私の存在と言語に変換される以前の
「何か」の存在は同時に抹消されることになります。
なぜなら、「私は悲しい」という言語の表現の可能性が、「私は悲しい」
という事態を存在させているのであって、「私は悲しい」という表現とは別に、
「私」や「悲しみ」の実体が存在するとは言えないことになるからです。
98 :
考える名無しさん:2008/04/15(火) 02:28:26 0
99 :
考える名無しさん:2008/04/15(火) 03:25:55 0
私の質問の仕方が悪かったようです。
「何か」とは、[涙を流させる脳内の神経細胞の活動]を[「悲しい」と言語に翻訳する]存在ですか。
それとも、
>その「何か」を「悲しい」と言語に翻訳する機能の存在も認めているようです。
から(外界はあるのかないのか、私はいるのか、などは無視して)「何か」とは、
言葉になる前の思いのことですか。つまり、私に「私は悲しい」と言わしめる原因でしょうか。
>それでも、それを「悲しい」と言語に翻訳しうる「何か」の存在は認めているでしょうし、
のそれはクオリアのことでしょうか。もしそうなら、上記二つのことではなく
「何か」=「クオリアを悲しいと翻訳するもの」=「悲しいと翻訳されるもの」でしょうか。
私が至らないのだと思うのですが、この文脈上の「何か」の特徴がよく理解できません。
100 :
考える名無しさん:2008/04/15(火) 06:54:11 O
うまくいくということ
101 :
考える名無しさん:2008/04/15(火) 16:25:13 O
掲示板という特質上、全て観念的な話になっているのが口惜しいな。
これがリアルなら高台に並んで腰掛けて満開の桜を見て何かを感じ取りたい所だが…
まあ文字の羅列を見て何か生きる実感が湧くとしたら、それは「詩」と呼ばれるべきだろうな。
詩ってやつは書き手の感覚や想いをダイレクトに伝えるから。
教科書や公文書のようなのはただの「情報」にすぎない。
そこに実感は無い。
結論として…分厚い哲学書よりも美味しいコーヒーのほうが生を物語るってこった。
102 :
考える名無しさん:2008/04/16(水) 02:34:10 0
>>99(説明下手ですみません。たぶん今回もです)
「何か」とは、脳科学者であればおそらく「脳内の神経細胞の活動」でしょうが、
そのように書かないで「何か」にしたのは、
>>97のような考えがあったからです。
私たちは「悲しいから泣く」とか「怖いから逃げる」とか表現するのですが、
かりに悲しいとか怖いとかのクオリアが存在するにしても、
脳科学的にはまちがった表現になってしまいます。
なぜなら、たとえば「悲しい(クオリア)」と「涙」とでは、
それを現象させる神経回路がそれぞれに別だから(関係していないから)です。
「悲しいから泣く」や「怖いから逃げる」という因果関係には根拠がないのです。
また、一部の脳科学者たちは、クオリアの存在はそれとして認めて、
あたかもクオリアが「脳内の神経細胞の活動」に還元できるかのように
思っているようですが、わたしはそれは不可能だと思っています。
なぜなら、ある特定の「脳内の神経細胞の活動」を指して、
それがその人の悲しみのクオリアである、とは言えないと思うからです。
その人の悲しみ(クオリア)はその人にしかわからない、
という主観性こそ、クオリアという概念の本質のはずだからです。
そもそもクオリア(悲しいとか怖いとか)は言語が生み出した抽象概念ですし、
たとえば、言語の習得が叶わず「私は悲しい」と表現する可能性がない場合、
「私は悲しい」という事態は存在しえないのだと思います。
そのような状況においてもなお、「私は悲しい」という表現とは別に、
「私」や「悲しみ」の実体としての「何か」が存在している、
と言うことはむずかしいのではないでしょうか。
103 :
考える名無しさん:2008/04/17(木) 02:42:06 0
>>102 >主観性こそ、クオリアという概念の本質のはずだからです。
>そもそもクオリア(悲しいとか怖いとか)は言語が生み出した抽象概念ですし、
主観的なものとしてのクオリアとお互いにそれを理解しあえるかのように使用している、
という意味では客観的なものとしてのクオリアとを同時に言うのは矛盾していますので、
少し説明を加えさせてください。
たとえば、あなたが「私は悲しい」と言うとき、それがクオリアの表明なのだとしたら、
わたしはそれを知ることができません。なぜなら、わたしはあなたにはなれないので、
あなたの悲しみを悲しむことができないからです。(クオリアの主観性の主張)
それにもかかわらず私たちが、他人には知られることのない「悲しさ」の表明がなされたとき、
もしもそのような「悲しさ」の存在を承認するのならば、このとき客観的なものとしてのクオリア
(抽象概念としての悲しみ)も同時に成立してしまっているのです。
という事情を書いたつもりでした。
だから「悲しい」という表現とは別に、「悲しみ」の実体としての「何か」が存在している、
という考えを認めないのならば、「悲しさ」と同時に「私」の存在をも否定できるかもしれない。
なぜなら「私は悲しい」という言語の表現の可能性が、「私は悲しい」という事態を
存在させているだけかもしれないのだから、というのがそもそもの議論(
>>97)でした。
話題の興味がすれ違っているようなのに、すみません。
わたしがこのような話しをしているのは、もしも「生きる意味」について考えることが、
「私の生きる意味」につながらないとしたら、それこそ無意味に感じられるからです。
(と「感じてしまうこと」について、そこに「感じている私」を付け加えなければならない
理由がわからないというのが、あなたの疑問でしょうか?)
104 :
考える名無しさん:2008/04/17(木) 06:54:03 0
人間は社会的な生き物ですよ。それ故に代償を求められるんですね。
だから、社会に貢献したものは賞賛され、そうでないものは
無きものとされるか、または反社会的なものは罰則を求められるんでしょうね。
代償は様々な形であり評価が困難なものであるけど、
そこに何かを見つけ出し生きていくことが生きる道ではないでしょうか。
小さなことでいい。めんどうくさいかもしれん。最初は恥ずかしい。
先ず、接する人に笑顔で接するように僕はしている。
生きている間だけ、自分にとって、生きる意味はある。
自分の生きている世界のすべてが、自分にとって意味がある。
生きる意味とは、自分にとってあらゆるものが意味をもつための条件として、である。
106 :
考える名無しさん:2008/04/18(金) 03:37:23 0
>>102-103 遅れてすみません。
>そこに「感じている私」を付け加えなければならない
>理由がわからないというのが、あなたの疑問でしょうか?
理由というか「感じている私」が確実に居るとは思えないということです。(私ではなく誰かでもいいのですが)
>わたしがこのような話しをしているのは、もしも「生きる意味」について考えることが、
>「私の生きる意味」につながらないとしたら、それこそ無意味に感じられるからです。
私は確実なことを求めるとき以外、私は居るのかどうなのか、外界はあるのかないのか、
というようなことは考え出すと話が先に進まないので、脇に退けて仮の初期条件を決めて考えています。
ですので、「私はいる」「外界はある」などといった条件を決めていただいてから話を進めてもらうと幸いです。
あなたの真意を量り間違い、ただ話が進むまま分からないと言って懐疑の立場ばかりとっていました。申し訳ないです。
出発点をそろえてもまた分からないと言い出すかもしれませんがあなたの意見を引き続き聞かせてもらえればと思います。
>だから「悲しい」という表現とは別に、「悲しみ」の実体としての「何か」が存在している、
>という考えを認めないのならば、「悲しさ」と同時に「私」の存在をも否定できるかもしれない。
>>92から
>>103で私の疑いを肯定しようとする一つの説明を提示してくれようとしていたのでしょうか。
もしそうであるなら、丁寧に説明してくださってありがとうございます。
例えば
サッカーボールが風に吹かれ動き出し
坂道で転がり続け
やがて止まるということに
意味があると思いますか?
生物である我々もそれと同じです
108 :
考える名無しさん:2008/04/18(金) 06:22:14 0
109 :
考える名無しさん:2008/04/18(金) 15:00:03 0
「生きる」ってことと、「意味」ってことを勝手にリンクして
思考しているから、おかしくなるんだろう!?
「意味」があろうとなかろうと関係なく「生きる」!
これこそ、「実存」であり、人間の主体の宣言であろう。
110 :
考える名無しさん:2008/04/18(金) 15:01:57 0
111 :
考える名無しさん:2008/04/19(土) 02:05:06 0
意味があると思うと生きる気力が増し、
意味が無いと思うと生きる気力を失くしていく。
意味が無いというのが現実だと認識し、絶望し
かつ、意味という支えを失っても、生きるのが、実存哲学。
その終焉を唱える者がいるのか!?
ということは、生きる意味、しかも絶対的な意味を見つけたという
ことなのだろうか。
それとも、全く別の観点なのだろうか。
112 :
考える名無しさん:2008/04/19(土) 10:12:02 0
生きる意味なんて、考えたってしょうがないだろ。
アフリカのサバンナに生きてる動物たちを考えてみろ。
奴らは、ひたすら食う事=生きることしかやることがない。
弱者は滅び、強者は残る。けれども個体の死からは免れない。
所詮人間も同じようなもの。食うためには働かなければならない。
現代の社会がそういうものだから。
>>生きる意味
それは、「意味」じゃない。
だから、迷うんじゃないの?
よく解らないけど・・・
ヒトってのは、そういうこと。じゃ、なかったのかな・・・
心痛めていれば、勝ち組だなんて。
それは、嘘だ。
ち(・з・)キニスルナ!
115 :
(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:33:45 0
この、哲板でだけは言い切れる。んだけど、、、ねぇ。言っていいよね?
116 :
考える名無しさん:2008/04/19(土) 10:35:48 0
._,,,/`,イ―'' ,`",l゙、、,,ジ'"`.```.|゙゛
.,,,-,i´,―--―''" 、、,!冖'"`、_、,,,/'゚,,."゙l-‐''
_,,,,,,,,,,,,,、 _,,,,,--''"`'",/゙ 、、.',j/′.、,,∠''"` .'_ヽ.',゙l.._,,、
,,-'"゙` `゙゙''lーイ"` .‐′ _,..,,/ .ヽ、,i,i´ ``゙’ 、、シ":"'.「
.,,i´ `'i、\ ゙!, ._,-'"ン'` 、、`_,/`,i´ _,___,ニ='" .'゙、゙".゙l,,-'`
.,/′ `'i,\ ′ .,,,,-',,,,、.,i´、_:_'_v`"゙i、| ```` ` 、_,Jィ""゙l, _,,,,、
: ,i´ ゙l. ヽ丶 .r‐'"、.l゙、、:,p=l┴丶 .!,,! `'"''''''冖''?'''゙~."""'."'/゛ `
: |,,r ゙l, 、 i、、、、:,,_,xl!ヴi,、 、、っ,,,, 、`',,,,、`、`、|、
|、 、"| .i、 lrr-''"゙,,ハ;、-'"゙゙'''''''"丶ヽ.,,冫``~`"`"~"``` `/ `''''
`''r,,、 、 、、 .、丶、.``ヽ,レ"° `` .j゚'=∠、````,,,,,∠ ~'ヽ```````、_,r‐'ヘi、
`゙'ーi,,_、、、、、: :._,,,r〃 " /^゚"'广 ,/ .,/゙゙゙'''ヶ―''''″
117 :
(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:45:39 0
ちんこっす。
閻魔「ちんこだな。」
魔王「そろそろ古い表現方法だって、本人は気付いていないらしいのが、残念だ。」
短「・・・なんか、凄い事言ってるぞwww」
まぁ
いっかw
118 :
(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:52:35 0
>>116 よぉ。
その心理はなんだ?何処に自分の在り様を込めているんだよ。
『これなら、荒し認定だ!』とでも思ってやっているんだろうが、
・・・・。それその意識そのものを疑えないのか?
くだらん
だから。落とされるンだろぅがよ!!!!
ちんこ
119 :
(酔)短パン:2008/04/19(土) 10:56:52 0
『ストッパーダッテワカッテホシイ・・・』
・・・
そぅか。
辞めとくか。
自分の為に・・・・
っつか、ひとつだけだよ。
「自分で見つけないで、答えなんて無い!」
そんだけ。
でわでわ。
ノシ
120 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 03:48:20 0
>>106 >「私はいる」「外界はある」などといった条件を決めていただいてから話を進めてもらうと幸いです。
「普通」や「正常」や「常識」といったものを疑うことが哲学するという行為だと思いますから、
「私はいる」「外界はある」といった条件を決めてから話を進めるのはどうかな、と思います。
>出発点をそろえてもまた分からないと言い出すかもしれませんが
>あなたの意見を引き続き聞かせてもらえればと思います。
出発点をそろえること(ある前提については問わないこと)には意味がないように思いますので、
引き続きになりますが……すみません。
わたしが、それが「私の思いなら、私はいる」、それが「私の外界なら、外界はある」と言うのは、
「私の思い」でないなら「私はいない」し、「私の外界」でないなら「外界はない」ということです。
たとえば、この指先がキーボードから幾つかの文字を打ち込み、その打ち込まれた文字を見て
だれかが「私の思い」を感じてしまうなら、だれかにとって「私はいる」のかもしれませんし、
まただれかが世界の中から、この身体を見分けることができるなら、
だれかにとってこの身体や、それに対する「外界はある」のかもしれません。
けれども、そのようにして共有されうるかのような「思い」や「外界」が、
本当に存在するのかどうかと問うことが、私的さゆえに共有されることがない
「私の思い」や「私の外界」が存在するのかどうかを問うことに等しいなら、
言葉の表現とは別に、“そのような”「思い」や「世界」が存在するのを
証明することはできないと思います。
なぜなら、“そのような”とは、私の、ということですから、
“そのような”意味での、私は、世界や言葉のどこにも見つけられないからです。
だから、たとえば「生きる意味」が、私の、ということなら、
“そのような”意味での「生きる意味」もまた、世界や言葉のどこにも見つけられないと思います。
121 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 04:32:46 0
生きる意味を問うのは問題の提起が間違っている。
意味というのは相関関係においてしか生まれない。
親にとって意味の無いカブトムシも、
子供にとっては意味がある。みたいな感じで。
だから、人生に意味があるとすればそれは
「〜〜にとって人生とは○○な意味がある」としなければならない。
これだと、客観性が保たれない。
なので質問を「何故生きるのか」に変えれば良いのではないか。
で、思ったのが、
1次的欲求、食欲・性欲・睡眠欲のような感じで
0次的欲求が「生存欲」だとするとどうだろう。
腹が減ったからもの食べる
やりたいからやる
眠いから寝る
と同様に
生きたい(死にたくない?)から生きる。
それにどんな理由をつけても(食事=栄養補給とか)それは後付けで、
何故食べるのかといわれれば、腹が減ったからとなるように
何故生きるのかといわれれば、生きたい(死にたくない)から
となるんじゃないだろうか。
と高校生の時考えたが、最近はまた考えが変わった。が、これはこれで原理として使えないかな。どうだろ。
122 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 04:40:07 0
>>94 >何故思惟するのは私と言えるのか。
>私でなくても思惟するには存在がなくてはならないのか。
たとえば、ある作用が働いて、生きる意味を考えているとします。
生きる意味を考えるという現象が、言語を獲得した人間によるものなら、
人間がひとりも存在しなくなれば、起こらない現象なのかもしれません。
この推測が正しいなら、生きる意味を考えるという現象が起こるためには、
少なくともヒトの身体(脳)と言語の存在が必要になるでしょうけれども、
このような考えの行き着くところは、たぶん身体一元論なんだと思います。
たしかに「すべての現象は身体現象である」と考えれば、
いわゆる精神的実体としての一人称の私は排除できそうですが、
身体現象としての一人称の私(意識)については、どのように答えるのでしょうか。
たとえば、脳がみずからも含めた個としての身体経験を統一的に管理するために
必要とした働きが、意識という自己同一性である、とか答えてしまいたくなりますが、
これではほとんどカントの理屈の援用になってしまいますね。
123 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 04:41:40 0
>>95 >「何か」が一人称になりうるものならば認める認めない以前にあるのかどうか分かりません。
その通りだと思います。
わたしは、一人称の私を証明することは原理的に不可能だということを書いてきたつもりです。
だれにでも当てはまるような一人称の私にはなりえない(一般化されえない)からこそ、
一人称の私でありうるような私について、です。
わたしが「われ思う、ゆえにわれ在り」が疑えないと言ったのは、
それが「私という唯一の主観」についての表明だと思ったからです。
でも、真理がそうであるように「私という唯一の主観」は、だれにも理解されないし、
だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観なのです。
なぜなら、他のだれかに理解されてしまうような主観は唯一の主観ではないからです。
124 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 04:54:40 0
>>123 まて、その他のだれかも君の主観だし、理解されると思うその気持ちも君の主観だし、
主観ではなくなってしまうようなものなんてあるのか?
それこそ真理しかなくないか?
でも、真理も主観の中にしかないのかな・・・うぇわかんね。
つかレス全部読んでないから空気読んでなかったら無視してね
125 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 09:28:56 0
>>120 >出発点をそろえること(ある前提については問わないこと)には意味がないように思いますので
そうですね。あなたが先述しているように私とあなたのベクトルが違う方向で
なおかつ、どのような話もそれも含めて思い込みであり疑い出したら切りがない
だから、確実に証明できないことに関しては仮定を与える
思考方法が別の者が話し合っても水掛け論になりむなしく終わる
そして何について論じるかを明確にする(いまいち私には分かりづらかったので)
ということで前提を決めて欲しいと書きました。
どの理由にしても結局は私の我がままですので撤回します。
>言葉の表現とは別に、“そのような”「思い」や「世界」が存在するのを
>証明することはできないと思います。
言葉の表現とともになら証明することができるのでしょうか。
>“そのような”意味での「生きる意味」もまた、世界や言葉のどこにも見つけられないと思います。
>>71に書いている通り、私は生きる意味は私が見出すしかないのではないか、と思っています。
(私はいないかもしれないというのは、ここでは置いておいて下さい)
126 :
考える名無しさん:2008/04/21(月) 11:08:32 0
>>122 私は先人の考えに疎いので良く分かりませんが、意識は精神の方に含まれるのではないか
と思ってしまいます。多分”実体”の部分が味噌なのでしょうが。
>>123 >でも、真理がそうであるように「私という唯一の主観」は、だれにも理解されないし、
>だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観なのです。
「だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観」ではなく
「だれかに理解されてしまったのを主観が認識したなら主観ではなくなってしまうような主観」ではないでしょうか。
実際過去において、あなたの知覚及び認識を理解してしまっただれかがいなかった、とは言い切れないので
あなたはあなたが言う主観を実はもう持っていない(主観を持つ持たないも変ですが)かもしれません。
でも多分人間性原理のように、主観は成り立っているのでそんなことはありえないという反論が成り立つのでしょうし、
それに対する反論をしたり、記述の正確さを論じてもあまり意味がないような気がしますが。
真理については、現在過去において絶対的に正しいものとするならそれは人も認識できるのではないでしょうか。
ここに未来や現在をどこまでとするのかが入ってくると面倒ですが。真理をどのようなものとするかによって変わってきます。
>>125の続きなのですが、私から見るとあなたは現実をあるものとして扱い
また、科学なども正しいと仮定しているように思えます。
それは何の問題もないのですが、私は疑いだしたら切りがないので、ここは疑わないとするところがあって
(どれも十分議論する対象にはなるのですが)それから話を進めてもらうと私が楽だということ
そして、国語辞典でも持ってくればいいのでしょうが、「認識する」という言葉一つとっても色々解釈できるわけで
どこまでを「認識する」ととするのかというような共通の理解の下に話し合うと私は話しやすいということです。
支離滅裂になっていたらすみません。まあ、これも含めて全ては思い込みかもしれないのですが。
127 :
考える名無しさん:2008/04/24(木) 02:27:25 0
>>124 >まて、その他のだれかも君の主観だし、理解されると思うその気持ちも君の主観だし、
>主観ではなくなってしまうようなものなんてあるのか?
もしも「主観ではなくなってしまうようなものなんてない」が徹頭徹尾貫かれたものが、
たとえば「我思う、ゆえに我あり」の主張ならば、それは「他人や外界の存在は疑えても、
疑っている自分の存在は疑えない」というような自分以外の「誰にでも適用可能な主観性の存在」
についての主張であってはならず「私という唯一の主観」についての主張でなければならないはずです。
相対化されえない「唯一の存在(私)」についての主張は、定義上、一切の他者や世界の否定の上に
成立するのですから、そのような主張はコミュニケーションの可能性を前提に成立している言語の性質上、
どのように語られたとしても「誰もがそれを理解することができない」のでなければならないはずです。
原理的には存在しえない主張なのですから。
128 :
考える名無しさん:2008/04/24(木) 02:28:39 0
>>125 >言葉の表現とともになら証明することができるのでしょうか。
ちょっと議論の位相がちがってしまうのですが、あえて言うと、
私たちには他人に心があるのかどうかさえわからないということです。
私たちが他人の心の存在を認めているのは、言葉の表現の可能性の上にであって、
たとえば、他人の心ある振る舞いに、他人の心の存在を認めるのも、
私たちがすでに言葉を習得していて、心という概念を理解しているからではないでしょうか。
>>“そのような”意味での「生きる意味」もまた、世界や言葉のどこにも見つけられないと思います。
>
>>71に書いている通り、私は生きる意味は私が見出すしかないのではないか、と思っています。
わたしが世界のどこにも見つけられないと言っているのは、
相対化されえないものとしての「生きる意味」のことです。
“そのような”意味での「生きる意味」とは、“私の”意味での「生きる意味」であって、
“私の”という主観性は、相対化されえないものとしての主観性のことですので、
関係性を前提にしている“私たちの”世界や言葉の中には見つけられないということです。
普通には、あなたの意見に賛成です。
129 :
考える名無しさん:2008/04/24(木) 02:32:17 0
>>126 >意識は精神の方に含まれるのではないかと思ってしまいます。
脳科学者は意識という脳の働きがあると考えているようです。
>「だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観」ではなく
>「だれかに理解されてしまったのを主観が認識したなら主観ではなくなってしまうような主観」
>ではないでしょうか。
だれかに理解されてしまったなら主観ではなくなってしまうような主観とは、
だれかに理解されてしまう可能性を承認することで主観ではなくなってしまうような主観です。
>真理については、現在過去において絶対的に正しいものとするなら
>それは人も認識できるのではないでしょうか。
わたしの真理についての考えは、
>>53に書いてある通りです。
絶対的に正しいものとしての真理は、対を絶して正しいのですから、
正しいということすら認識できないのではないでしょうか。
比べるものが一切存在しないものを認識することはできるのでしょうか。
130 :
考える名無しさん:2008/04/24(木) 02:34:12 0
>>126 >私から見るとあなたは現実をあるものとして扱い
>また、科学なども正しいと仮定しているように思えます。
すべては仮説にすぎませんので、絶対に正しいとか言いたいのではありません。
131 :
考える名無しさん:2008/04/24(木) 05:46:04 O
今後の御健闘ご活躍を御祈りいたします
132 :
ほうすけ:2008/04/24(木) 17:32:40 0
生きる意味?そんなこと人間以外の動物は何にも考えてない。
そんな動物と人間の違うところ、人間の特権はな、笑うことや。
笑いながら生きることに人間の意味があるんや。
>>1 少なくとも、他人をさげずむ事で自己を保とうとしても、そこに生きる意味なんてないよ。
そんな事しても満たされないし、それで満たされてるって感じるなら、そりゃ末期症状いってるよ。
「因果応報」ってやつもあるしね。
135 :
考える名無しさん:2008/04/27(日) 21:36:36 0
意味への意志。
結局のところ、それに尽きるんじゃないのか?
136 :
考える名無しさん:2008/04/30(水) 03:12:54 0
>>133 >>128-131はカオルさんの発言でしょうか。
返事が大幅に遅れてすみません。
私の質問に丁寧に答えてくださってありがとうございました。
読み違いがあったものの分かりやすかったです。
あと、全ては仮説に過ぎないとのことですが、虚しくなったりはしませんか?
こういうことを考えていると、私は何もかも虚しくなって
のうのうと生きている人たちが(ものすごく失礼なのですが)馬鹿らしく思えます。
もちろん私自身に対しても大きく失望しているのですが・・・
この質問は答えたくなければ無視してくださって結構です。
こちらこそどうもありがとうございました。
なんかのために生きてるとかはないと思う。
でたらめに生物が変化していって生き延びやすい奴がいきてるってだけで。
>>136 128-131は、わたしの発言です。
>虚しくなったりはしませんか?
答えたくないとかいうことではないのですが、
なんて答えたら正直なのかがわかりません。
すべては仮説にすぎない!
わたしがある考えを信じていても他の私は信じていないからです。
たとえば……キミはどうしたいのだ!
それがキミの生きる意味じゃないのか?
わたしはこうしたいけど、べつの私はそうしたくない。
それなのに何人もの私のなかで一番強いものを決めるようにと
だれかに急かされているようです。
父だろうか、母だろうか、社会だろうか、神だろうか、言葉だろうか。
わたしがたったひとりになって、わたしが生きていたくないと思うなら、
この身体を、他の私を、殺してしまってもいいということなのですか?
生きる意味なんてない!
他の私にとっては答えでもなんでもないのかもしれません。
わたしは虚しくなれる。
そのことをみんなに感謝しなければならないのかもしれません。
(こうやって偽ることの自由を)
139 :
考える名無しさん:2008/05/02(金) 06:52:39 0
生きる意味=自然をまもる事
140 :
考える名無しさん:2008/05/02(金) 12:23:31 0
>>138 私は「全ては仮説に過ぎない」を「全ては思い込みかもしれない」同義と捉えていました。
ですので、私は「全ては思い込みかもしれない」ということ自体も思い込みかもしれないのに
それを完全に否定することができないので思い込みかもしれないこの世界で、
思い悩み苦しんで、だらだらと働いて、生きることが虚しく思います。
どんな大義名分を掲げても、それは結局自分の欲求に従っていることを考えず、
えらそうに生きる。なんとも馬鹿らしく思います。
だから私はどんなことを考えても、どんなことをしても、全ては思い込みかもしれないので虚しいのです。
カオルさんはそんなことはありませんか?
141 :
考える名無しさん:2008/05/02(金) 12:57:37 0
生きる意味っていうのは、結局のところ
自分が死んだ後に、心の底から悲しんでくれ、
いつでも自分を思い出してくれる人を
どれだけこの世の中に残せるかという点にあると思う。
だから、人は、友人を作ったり、夫婦になったり、子供を作ったり
するのだと思う。
>>140 今なら言えるだろうか 偽りのない言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉 ―― 森山 直太郎 『 さ く ら 』
たとえば、あなたがこのような気持を受け取ったら、どう思うでしょうか?
「どうせ僕の幸せを願うことが、君の幸せだからなんだろう?」ですか?
僕は君を幸せにする自信はありませんが、
僕が幸せになる自信はあります。
僕と結婚してください!
―― 『釣りバカ日誌』 …… ハマちゃんのプロポーズの言葉
どちらも自分の利己心を素直にみとめていますし、
これが精一杯に他人を思い想って生きることの限界のように思います。
これ以上のことを望んでも、そのためには自分が他人になるしかなく、
他人になってしまった自分は、またもやその利己を責められるでしょう。
どちらにも幸せを求めて生きることへの肯定感(思い込み)が感じられますが、
そのような利己心を否定する人には吐き気がしてしまうような言葉でしょうね。
もちろん、その思いだって利己心であり、その人の思い込み(思想)にすぎません、
ということが、もしもその人を虚しくさせ、生きていくのを辛いものにしているとしたら、
どうしたらいいでしょうか、またどうしたらいいか考えることは利己心ではないですか?
143 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 11:42:07 0
>>142 それらも含めて馬鹿らしくて、虚しく思います。
利己心について言及してくれていますが(もちろん利己心についても否定的です)
私は色々と思索をしても、全ては思い込みに過ぎない可能性が付きまとうので
思索自体や、思索の結果得られたと思われるものも、思い込みに過ぎない、と思うと虚しいと思うのですが、どうですか?
と言うことが言いたかったのですが、説明が下手でした。申し訳ないです。
思索のことしか書いていませんが、それと同じようにしてどのような行為も虚しく感じます。
哲学をする人はそのようなことを思ったりしないのでしょうか?
144 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 14:03:53 O
死ぬ理由が見当たらないので生きてますが、 何か?
145 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 15:25:29 0
探し物をする為に生まれてきました。
146 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 15:47:49 0
>>143 例えばさ、君に好きな人が出来たとする。
その「好き」という感情さえも、思い込みだと考えるの?
それじゃ仮に、自分の好きなその子も実は君の事が好きだっとしたら、
その子の「俺の事が好きだ」という感情も、それは思い込みだとして
拒否してしまうの?
そして、二人の間に結婚して子供が出来て、その子供が自分達を
必要としてくれてることをも自分の思い込みとして虚しくなってしまうの?
そんなことは無い筈だろ?
子供が出来りゃ、頑張って働いて食わせにゃらなんし
子供の将来のこと考えたら、少しでも日本を良くしなきゃならんと
行動するが当然じゃないの?
人は絶対に自分の欲求をみたすためにしか行動できないんだから、意味とか考えないで総合的にみてより自分の欲求を満たせると思うことをすればいい。
意味なんて人それぞれに勝手につけるものだし。
思い込みとかいう話も、その人がそうだとおもったなら現実がどうだろうとその人にとっては真実だからあまり関係ないんじゃない?
148 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 22:02:11 0
生きる意味は自然に体得するもので、よく考えればわかるといったたぐいのものではない
私は燃焼する。
150 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 23:03:50 0
「何のために生きてるのか?」って戦場で暮らす子供に聞いてみたらどうだろうか?
日本は平和です。
メタボなお腹が示すのと同じ位に、平和を貪り過ぎて消化不良気味な私たちは、生きている事が当然の事であると思い込み、自分は死とは余程でない限り無縁である、と考えがちでは無いでしょうか。
私が思うに「何のために生きているのか?」という問いに答えは出ない。
戦場で暮らす子供にこの質問を問うてみたい。
私が想像するに、彼らはこう聞き返すのでは無いか?と思います。
「生きる為に何をするのか?の間違いじゃないのか?」
考えるだけ無駄なんだろうな。>スレタイ
考えて答えが見つかるならとっくに先人が答えを出してるだろ。
152 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 23:08:31 0
生きる意味を私はこう思っています。
あなたもわたしも、元はごく少数の、おそらく一つの個体から派生し
たヒトという種族を増やし、存続させるための選択のひとつではないか。
その目的の為に60億人いるなら60億通りの役割があり、つまるところ
その役割を果たしているときにヒトは幸せを感じるのではないか。
60億のヒトの個別の意識は無意識の深いところで繋がっていて
ひとつになり、その大きな意識が個別のヒトの心に影響を与えている
のではないか?と。
ヒトはヒト全体のために行う行為によって安心し幸福感を味わう。
つまりヒト全体の繁栄と存続のためにわたしもあなたも生まれてきた。
この考えどう思われますか?
153 :
考える名無しさん:2008/05/07(水) 23:47:30 0
> あなたもわたしも、元はごく少数の、おそらく一つの個体から派生した
>ヒトという種族を増やし、存続させるための選択のひとつではないか
同意。
私らは言わば60億通りのパスワード。
私らぞれぞれの存在に特別な意味は無い。
だが何かしら危機に瀕した時、60億分の1のパスワードが存在する事によって
解決出来る問題があるかもしれない。
生きる意味なんてその程度だと思う。
だから、生きてればそれで良し。後は自由にどうぞって事だと思う。
154 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 00:44:17 0
ただ、ヒトという種の全体意志は至福の感情・インスピレーションによって
あなたを生まれる前に定めた役割に導こうとしているのではないか。
もしくは、自らの運命の役割についた時に至福の感情を感じるのでは
ないか?(巨大な精密機械の一つの部品を個人に置き換えてイメージして
いただきたい。)
この考えはスムーズにイメージできると思う、何せそのために生まれてきた
のだから、周囲の要求を楽々処理でき、無理がない。そのための能力は
生まれながらに設計されてきたのだから、カチッと自分という部品が
はまってしまうわけだ、いわばこの場合の幸福感とはあなたは今、
設計どおりの位置に収まりましたよというサインかもしれない。
多くのヒトが幸福感を得られず、ストレスばかり感じる状態なのは
種の意思で設計された場所とは違う場所に収まろうとすることで生じるのでは
ないか。
よって時折感じるコーリングからヒトは耳を塞ぐべきではなく、
その声のするほうに歩む心の姿勢を持つべきだろう。
その通りですね。私は今からシャワーを浴びて寝ます。
>>143 >それらも含めて馬鹿らしくて、虚しく思います。
そのように思ってもいいし、思わなくてもいい、としか言えません。
>哲学をする人はそのようなことを思ったりしないのでしょうか?
いろいろな人がいるので、一括りにはできないと思いますが、
思い込みについて考えない哲学者がいるとは考えられません。
古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは「万物は流転する」(パンタレイ)
というみずからの主張を「同じ川に二度は入れない」と表現しました。
でも、本当に万物が流転しているなら、とどまる何ものもないのだから、
「同じ川」など存在しようがないではないか!
そのように批判したのは、ヘラクレイトスの弟子クラテュロスでした。
そこでクラテュロスは「同じ川には一度も入れない」と主張しました。
しかし、もしもみずからの考えを徹底するなら、自分の吐く言葉でさえ、
その例外ではないのだと、クラテュロスは気づきました。
そこでクラテュロスは「わずかに指頭を動かすのみであった」らしい。
(アリストテレス『形而上学』第4巻5章)
このときのクラテュロスの気持は、どのようなものだったのでしょうか。
もしかしたら、あなたと同じような虚しさを感じていたかもしれませんね。
今生きている私が生きることについて意味を見い出すことは、極めて困難なことです。不可能だと私は考えています。
私は、意味や言葉、理由と言った縁取られた概念は、所詮後付けされた事柄に過ぎないと思っています。始めに存在があっての意味や言葉なんです。縁取られた概念は、いつも後ろから追い掛けてくるだけです。
常に後ろから追い掛けてくる意味ですが、生きるということに関して、その実態を見抜くことは容易ではありません。なにしろ、この世には時間という付加逆的な事象が存在していますからね。
時間は後ろを向きません。常に前を向いて進んでいきます。私が生きているという事柄も時間に乗っかり、常に前へ進んでいます。ですので、どうやっても今生きている私は、少し遅れてやって来る意味について現在進行形で考察することは出来ないのです。
今生きているという事象と、生きている意味は、乗っている時間が違います。私が観測出来るのは、生きていた私の意味ぐらいしかありません。そこには未来に向かう展望などあるはずもなく、ただ閉じられた過去が横たわっているだけです。
つまり、生きる意味を求めることで得られる本質的な事柄はありません。得られるのはまやかしです。過去です。本質的な現在進行形の事柄を得ようと望むなら、存在そのものに疑問を持つべきです。
どうして、今こうして思考を繰り返す私が存在するのか、どうして生命は存在するのか、どうして世界は存在するのか。
それらを突き詰めることが、道だではないでしょうか。
答えにならない書き込み、申し訳ないです。
絶対的な意味はなく意味は人が定義するものだとおもう。
絶対的な意思とかもなく原子とか分子とかが物理的な現象をおこしてるだけで、その中でたまたま現在人が生物と定義してきる塊が発生し、変化していって、存在しつづけやすいのがのこって、そのうちのひとつの人間が、ただ欲求にしたがって行動してるだけだとおもう。
だから意味とか関係なく自分の欲求を満たせると思うことをすればいいとおもう。
全く関係ないけど、宇宙の全ての原子の位置とかもってるエネルギーとかが完璧に分かれば、その次にどうなるか完璧に予測できるから、未来は確定してるとおもう
159 :
V:2008/05/09(金) 04:25:49 0
眠れぬ夜、起きているのは沈黙に包まれた夜のほうだと、
レヴィナスは言っております。正確な引用ではありませんが。
「生きる意味」についても、同じことが言えませんか?
>158
意味もなくただ欲求にしたがって書き込まれたレスなんて、
灰色の背景の上の黒い線だよ。
声に出した場合なら、喉が震えて音が発せられているだけ。
もちろん、―原子とか分子とかが物理的な現象を…以下は事実だけども、
本当にそれだけなの?
貴方には、何かこれが真実だと伝えたいメッセージがあるわけなんでしょ?
事実の根幹(物理現象のこと)を抽出して、そこに付随する諸々の働きを否定しすぎると、
自分のメッセージも、メッセージじゃなくなってしまうよ。
161 :
158:2008/05/09(金) 14:15:47 O
僕の文に絶対的な意味なんてないけどほとんどの日本人と同じ意味を定義したはずだから君にとって僕が定義したのと同じ意味を感じ、それを知って僕の欲求は少しみたされたよ。
自分の欲求をみたすために行動するから人もただの塊だけどそれに働きかけることで欲求をみたしつづけるよ。
162 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 16:13:18 0
>>156 どうもありがとうございました。
時々薦めてくれたスレを覗いてみます。
163 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 16:34:15 0
>>146 >そんなことは無い筈だろ?
そんなことがあるから、私はカオルさんにどのように感じているのか訊いてみました。
覚醒している間、ずっと虚しいと感じている訳ではありませんし、
あくまで「全ては思い込みかも知れない」は可能性ですので、絶対にそうだと思ってはいません。
しかし、少なくとも私には「全ては思い込みかも知れない」を完全に否定できません。
ですから、それに囚われて虚しいと思うのです。
俺は生まれてこのかた生きる意味が欲しいと思ったことがない。
大して幸せな人生だったとは思わないが、ものすごく死にたくない。
せっかく生まれてきたのになぜ死ななきゃならんのか?と思う。
だから死ぬ意味を求める気持ちはよくわかるが、生きる意味などいらない。
生きているのがつらいと思う状況でも、なぜこんな目に?とは思っても
なぜ生きなきゃならんのか?とは思わないだろう。
自殺という選択肢はあるんだから。
生きる意味が欲しいなんて言ってる奴は、素直になって自分はこんなつらい目に合ってる
といえばいいんだよ。
さもないと、別に生きなくてもいいよって言われちゃうよ。
165 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 17:03:24 0
166 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 18:28:26 0
>>163 おそらく今の君を取り巻く状況がニヒルな思考を許しているのだと思う。
もしくは、根源的な選択不可能(「私」であることすら自分が選択した
訳ではない)から、覚醒時に振り返った「夢」のような、手応えのない
感覚を現実に対して持ってしまっているのじゃないか?
167 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 19:17:16 0
自分の持っているものを周囲の世界に役立てる
貢献をしてこその幸せではないかな?
まず、他への行動を1歩踏み出すべきじゃないか?
生きる意味を問うことは、自分が幸せを感じていない
という事と同義ではないかな?
生きる意味を一生問うても満足いく答えは得られない
まず自分がどうするれば幸せになるかを自分で行動で模索するしかない。
宗教を否定するわけではないが、皆、自分が何をすればよいか
薄々分かっているんではないだろうか?
168 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 21:04:10 O
つまんないこと言ってないで、カレーでも食おうぜ。
飯を喰らって、ウンコすんのが生きる意義だろ。
170 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 22:46:31 0
まず、自分が楽しいこと、幸せを感じることをすること。
今なければ、探すためにまず動くこと。
生きてる限りあがき、行動しよう。
じっとして考えても答えがでるはずないやん、まず動かな。
面倒くさがりを、神様は一番嫌うらしいで。
171 :
ラプラスの悪夢 ◆BwNP.9X3BE :2008/05/09(金) 22:54:21 0
172 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 23:15:36 0
生きてる事が当たり前なんだよね。
死ってものをリアルに感じる事が無いから生きているって事もリアルに感じない。
平和ボケの日本社会。
だから死にたいとか、誰かを殺してみたいとか言う者が出てくる。
生きるってそんなに簡単な事だろうか?
この世に生きる全ての生物は果てしない生存競争の中に生きている。
人も例外ではない。
ボヤボヤしていたらあっという間に社会から淘汰される身なのだという事に
目を背けていないだろうか?
生きている。それ自体が素晴しい事と思えなければ生きる意味なんて無いだろう。
173 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 09:05:45 0
なぜ生きなければならないのか?ということではないの?
174 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 10:20:20 0
生きる意味を人が悩むとき、それはイコール充実感に乏しい
状況なので、その不快感を解消するための思考の一種ではないでしょうか?
だとしたら、その解消はとにかく動いて自分の外の世界からの
そのフィードバックを得るという行為を繰りかえすなかでの
充実感、幸福感の追求しかないのではないでしょうか?
一人の頭の中での意味の追求の思考は、結局堂々巡りのループからは
抜け出せないのでは?
外の世界への働きかけという、検証行為自体がその答えなのかも?
とも思います・・・。
175 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 13:56:42 O
おなに
176 :
ももこはニートです。:2008/05/11(日) 14:01:52 0
177 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 16:54:06 0
生きる意味を問う、その頭で
楽しくなるために、何が出来るかを問え
178 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 17:36:00 0
自分が楽しいと、感じられそうなことかぁ・・・
179 :
考える名無しさん:2008/05/12(月) 19:14:18 O
「生きる意味」っていうから深くなっちゃうんだよ。
「生きる謎」「生きてる謎」っていえば、
それだけでなんかワクワクしない?
だからさ、その『なぞなぞ』に答えるために生きてるのさ。
180 :
ほうすけ:2008/05/13(火) 15:02:54 0
ごちゃごちゃ考える時間があって幸せですね。学生さんですか?
182 :
考える名無しさん:2008/05/14(水) 18:36:47 0
今ってほんと幸福な時代だよな。
格差社会なんていうけど
そもそも生きていない人間にとって
底辺は隠れ蓑
自由な思考ができる
勝ち組とか負け組みとか正直どうでもいい
どうせ世界は幻なわけだし
孤独だがな
183 :
考える名無しさん:2008/05/14(水) 19:57:27 0
哲学的な論理の深まりや、正確さはあなたの苦痛を和らげるなんの足しにも
ならないことを知るべきだ。
ただ前向きな行動だけが、苦痛を取り除き、快感、幸せ、充足感をあなたに
与えるのだ。
動け、行動しろ、自分が出来ることは全てやりつくせ、
そうすれば、あなたの苦痛はさり、希望という名の快感が必ず見える。保障する。
184 :
k:2008/05/14(水) 21:04:03 0
人の生きる意味
それは自分の気持ちを満たす これに尽きる
自分の全ての言動、考え方は
いかに自分の気持ちを満たすことによって喜びを感じられるか
ということが元になっている
そろそろみんな認めようよ。
君たちが求めているのは生きる意味ではなくて死ぬ意味なんだよ。
186 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 21:13:04 0
>>185 何言ってんの、オレは生きたい、死にたくないし。
>>186 だからこそだよ。
死にたくないのに死は決定されてる。
ならばせめて自分の死に意味を持たせたいと思わない?
一方生きたいのであれば生きる意味なんか求める必要ないでしょ?
生きてりゃ意味なんか放っといてもついてまわるからね。
最近、人が生きるのは死を克服するためって思ってきたんですがどうですか?
>>188 生きるのは死にたくないからじゃない?
死を克服するってのは不老不死になるってこと?
それとも死の恐怖を克服すること?
190 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 02:04:01 0
目の前の課題を一つ行動に移す瞬間、世界は変わりはじめる。
191 :
あ:2008/05/31(土) 11:04:07 O
生きる意味は分からないけど、死ねない理由があるから生きてる。
192 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 15:05:43 0
生きる意味を問うことに意味はない。
現実に不快な感情をもたらす原因をひとかけらづつ
取り除く瞬間に、そのぶんづつ、快の感情が脳に満ちていく。
それだけ。
アメーバでもやってることを人間が出来ないわけがない。
それでも生きる意味が欲しいなら
それを探す為に生きてみて
また答えが見つかったら
ここに書きにおいで
たまに見に来るから
“答え探し”で生きてこう
中々、良いものだよ
194 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 22:57:58 0
まず行動しろ、その結果からフィードバックして改善してまた行動しろ。
生きるってのは、動くってことだ。
195 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 23:01:20 0
生きるのに意味は必要ありません。
というより、意味はありません。
ただ生きれば、生きるということです。
196 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 03:31:29 0
人間各個人の認識の結果が「意味」なんだから、生きるのに「意味」がない
なんてありえない。生きるのに意味がないと主張する個人が複数いるだけだ。
意味の定義が各自ばらばらだから議論がいつまでたってもかみ合わない。
197 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2008/06/01(日) 04:17:49 0
>>196 名前:考える名無しさん :
そうですね。
意味が無いと私もそう思いますが、それは人類に共通の生きる意味と言うものは無いと言うことです。
個人的な意味を持つ人はご自由にと言うことですね。
言い換えれば自分が生きる意味を人に聞くものではないと言う事。
198 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 07:42:10 O
生まれたから生きる
死にたいやつは勝手に死んでいく
でも私は死にたくないから生きる
199 :
阿修羅∞落とし:2008/06/01(日) 07:46:26 0
理想のおにゃのことセックスしてハッピーエンドを向かえるために決まっているだろが!!
愛のない人生に意味などない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1111111
200 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 11:22:39 0
>>196 このスレで言っている「意味」は、
>>1の書き込みから考えると、生きる目的のことだと思うな。
生きるという言葉の定義ではない。
その意味では、「生きる目的はない」という言い方の方が、
意味ははっきりするね。
201 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 12:37:47 0
例えば、○という記号から、△、□と枝分かれしたとしよう。
△はあまり生きたくない存在、□はある程度生きたい存在として意味なくプログラムされてたら
時が流れ、必然的に△の子孫は消滅し、□の子孫は存在している。
これは何の超越的な力も関与していないし、何も触れられずに自然な流れでこうなり
誰の目でも理解できる。
ただ意味のないプログラミングをされているだけ。”生きる”ってことは。
結果的に、我々は存在しているだけ。
202 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 12:47:43 0
もし、ある人が死ぬということにひとつの結論に達したら俺は否定できない。
”生きなければならない”とは理由もなしに言えないからだ。
自殺もひとつの道だと思うが、生きることもまたひとつの道だ。
203 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 18:56:32 0
生きる意味を問うってことは、幸せになりたいってことと同義だよね?
どうしたら幸せ感を得られる生活になれるかっていうと、それは
やっぱり、今の自分が存在している状況への感謝しかないと思う。
自分がやって幸せを感じることに素直に取り組むこと。
少なくとも幸せそうに見える人は他人の非難や悪口を言うことが極端に
少ない。自分がこれからやりたいことや、周囲への感謝の言葉がとても
印象的だし、回数も非常に多い。
不幸せそうな人は周囲への不満ばかり口にしている。
204 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 21:11:33 0
生きる価値と意味は区別がある。
価値は正しいだとか、美しいだと、善いだとかだ。
意味は制約や法律や論理などだ。
生きていてどんな意味があるのか。
貧乏人は美人に手をだそうとしても、相手にされないし、美人はどんどん囲われ者になって特殊な世界に行っちまう、
ああ、どんな意味があるのかなあ、というとだ。
会社に入れない、月給は基本給が15万円だ、犯罪的だ、こんな微々たるものではあれは維持できない。
生きているとこのような『意味』を考えるのだ。意味って言うとこうことだ。
205 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 22:58:44 O
公務員が薄汚い事してるから世の中おかしくなってしまった。
私利私欲で金を動かして天下りに垂れ流し経済のバランスが保てなくなり
貧富の差が広がり、それによって犯罪が後を追うように加速して行く。
未来を失った沢山の人間が見えない自由を探すように殺戮を始め出した。
最低限の生活と自由を奪って行く公務員が結果的に殺戮者を増やしてる。
みちを
>>121 私も近い考えを持ったことがあります。人間という生物はそのように作られた生き物なのでしょう。
たぶんですがその、
腹が減ったから食べる。やりたいからやる。眠いから寝る。
は空腹の状態が不快であるから満腹である快い状態を求める。
性的欲求が満たされないと不快であるから満たして快い状態を求める。
睡眠についても同じことがいえるとおもいます。
人間は自分に起こる現象に対して快、不快の二つの判断要素をもっていて快いものに指針をもって行動するようにできているの生物だと思っています。
その結果どうやら繁栄して今のところ増えているだけだとおもいます。
つまり人間は快よい充足を得るために意識に関係があるかないか問わずその方向に行動し、
意識も(生きる意味を考える思考も)それに従属していると私は思います。
人間の生きる意味がひとそれぞれだ。といわれるのはその快よい感覚を得るための方法論が育った環境や人によってまちまちだからだと私は考えます。
例えば、人は他人に奉仕するために生きている。というひとがいたならば、
その人は過去にその行動をすることによって快い充足を得て学習した。もしくは
その行動の果てに充足することができると思考した、思考できるパターンを持った人間のだす答えだと。
このスレッドを立てた
>>1さんやここで議論して答えを出そうとしている人たちは
過去にこのような問題を解決することにより充足を得たもしくはこの問題を解決することにより充足を得ることができるだろうと思考している
環境下におかれている充足を得られていない人なのかもしれません。
実際、ほかの事で充足を得ている人からはこのような問いかけをきいたことがありません。
考える必要もなくほかのことで充足を得ているからだと思います。
考える必要がないというか、死ぬってことに目を背けていられる間は、
生きる意味を考えずにすむ、ということでしょう。
おれは死ぬんだってことを実感したら、誰だって考えないではいられなくなる。
>>207 それは死を実感したら生きる意味を考えるということではなく、
死とはなんだろうかと考えることではないのでしょうか?
>>208 俺は気になるのはむしろそっちなんだよね。
生とは何かなんて全くどうでもいい。
おそらくみんなもそうなんじゃないの?
でもストレートに死を考えるのは避けたいから
生きる意味と置き換えて遠まわしに問いかけてるとおれはにらんでる。
死を知覚することはできない。なぜなら死を知覚できたならばその時私は死んでいなければならないわけで
死んでいたならば知覚という行為ができないからだ。
ってどこかできいたことがあります。
他人が死ぬ様を見て予想することはできるかもしれませんが、自分の死を予想することは難しいかもしれませんね。
私が思うに死とは何も知覚できていない無の状態なようなきがします。近い感覚を想像するならば、
それは眠った瞬間の自分の意識状態に近いと思っています。
記憶とは短期記憶と長期記憶の二つの種類に大まかに分けられるそうで、短期記憶で反復ないし、強く印象付けられた記憶が長期記憶として記憶が移行?記録され
自分の体験として後々思い出すことができるそうです。
その結果?というかその仕組みが関係してなのか人は意識を失うと、失った時から前30分程の記憶は(短期記憶から長期記憶に移行中、もしくは移行できなかった記憶)
は失われてしまうそうです。ボクサーなどが失神してKOされると前後の記憶が失われる症状がおこるそうです。
このような自分では知覚できていない状況が永遠と続く(知覚できる状態に復帰しない)感覚ににていることが起こるのではないかと思っています。
なんかよくわからない文章でスイマセン
>>210 いや、わかるよ。
喜びも苦しみもない、それどころか退屈だと思うこともできない。
というか、できるできないの話じゃない、自分がない。
考えると恐ろしいが、死の間際になってみればそれほど怖くないのかも
とも思う。何の根拠もないけど。
212 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 22:20:37 0
レベル低すぎ!!!!!!
言葉遊びすんな!!!!!
長いレスの奴ら自分の言葉に酔ってるだけ!!!!!
キルケゴールとカミュくらいは読んだのか?
213 :
ラプラスの悪魔:2008/06/13(金) 22:25:33 0
>>212 >キルケゴールとカミュくらいは読んだのか?
哲学書は読み漁ってるので、三行以内で要約してくれ。
214 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 23:28:26 0
>>213 生きる意味などない
努力を重ねて積み上げたものにも価値はない
しかしそれを受け入れて生き続けるところに人間の気高さがある
215 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 23:46:43 0
>>213 読み漁ってるなら薫陶してくれ。
俺が最近読んだのは
ウラジミール・ジャンケレヴィッチの「死」
アルボムッレ・スマナサーラの「無常の見方」
ナグ・ハマディ文書の原本と解説、
ギルガメシュ叙事詩、聖書は流し読み。
心理学ではユングの元型論、エーリッヒ・ノイマンの「意識の起源史」
物理学では「エレガンとな宇宙」「異端の数 0」
フィクションでは「スターメイカー」が印象的だった。
哲学の専門書じゃないって?
何を読んだらいいか教えて。
216 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 23:58:19 0
「生きる意味」とかは、本読んで勉強するものじゃないだろ。
対話という言葉遊びの中で見つけるものなんでしょうか?
218 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:04:38 0
対話は必ずしも言葉遊びではありませんし、
生きる意味を見つけることができる場所ではありませんね。
219 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:06:24 0
>>216 人間がほかの動物より優れているのは
文字によって世代を超えて情報を伝えられるようになったこと
メソポタミアの神話に出てくるギルガメシュは
プラトンもアルキメデスもキリストも仏陀もいない時代に
たった一人で死に向かい合わなくてはならなかった
その点我々は先の世代が残してくれた思索にいつでも触れられる
本の中身を暗記するのでは意味がない
それを叩き台にして自らの思想をつむぐのが大切
ジャンケレヴィッチの「死」は読んでおいたほうがいい
死生観についてここまで考え抜いた書はほかに知らないし
自らの死生観を組み立てる助けになる
丸暗記はだめだよ。もちろん。テスト勉強じゃないんだから。
220 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:08:49 0
自らの死生観なんて組み立ててどうするのさ?
人に語って自慢するのかい?w
>>218 学問なんて言葉遊びの延長だと思うんですが違うのでしょうか?
対話も学問も必ず言葉を必要とします。記号としての言葉です。
その記号でいかに自己の思考を伝えるか、淘汰して組み立てるのが対話や学問じゃないのですか?
あまた溢れる言葉を寄せ集めて伝える。所詮真意なんて伝わりっこないのに。
理解はされますよ。でも絶対に伝わりはしないんです。わたしはあなたじゃないから。
そんな対話や学問は、遊びのようなものだとは思いませんか?虚しい作業だとは思いませんか?
222 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:11:13 0
対話は悪い手段ではない
プラトンの記録によるとソクラテスは相手の意見を聞き
問い詰めて相手の意見を純化したり矛盾を突いたりした
いわゆる「産婆術」。
話し合いにもコツがある。
223 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:18:06 0
>>220 ここは生きる意味について語るスレじゃないのか?
死について若いうちから考えておかないと
じじいかばばあになったときに慌てるぞ。
224 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:23:50 0
「生きる意味」について考えるスレなのに
あらゆる言葉の定義から進んでいないのが不毛だな、と。
言葉遊びは言い過ぎたかもしれないが。
225 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:31:54 0
>>223 俺は多分おまいらよりじじいに近いと思うから言うが、
若いときに死について考えたことなんて、
現実にじじいになったとき多分何の意味もないよ。
生きる意味はなにっていう問いの内容がいまいち分からなくなってきた。
何を考えたらいいのだろう。
228 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 00:52:34 0
何となく形になってきた。
生きる意味を考えるってことは、つまり『生きる』って行為についての動機を考えることでいいのだろうか。
どうして「わたし」は生きるのかを考えればいいわけだ。
それとも、もっと大きく「人」が生きる意味を考えなければならないのだろうか。
うーん、後者は千差万別だろうから分かんないな。自分は「生きている」から「生きる」のだけど。
何の“ため”にと聞かれると辛いね。考え方が追い詰められているように思う。
別に自分は「生きる」ことを誰かに追い詰められている訳じゃないから答えられません。
それとも、主語がないから「生きる」という行為自体の意味を聞いているのかなあ。
これはまったくお手上げなんだけど。漠然としすぎて言葉には出来ないような気がする。
今のところはこんな感じかなと思う。
230 :
206:2008/06/14(土) 02:00:41 0
>>214 あなたのレスは簡潔でとても気持ちのいいものでした。勉強の足りない私ですが、このような答えをいまは出しました。
生物というシステムで生きている以上、人間がいきる意味などなく、生きたことにも意味などない。
しかしそれを知ってなお生きるのか、充足に浸り逃れるのか、死を選ぶのか。
選択する自由が与えられている。
生きる意味とは・・・ここからさきが良い言葉がみつかりません。
哲学を持って選択することである。てどうでしょうか・・・。
ほんとにバカですいません・・・。
231 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 02:35:06 O
生きる意味を考える時点で宗教や神に傾倒していることがわかる
意味など無いと言う奴もその裏返し
232 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 07:23:16 0
>>231 人間が思索するためには、過去の多くの時代には宗教としてしか手段がなかった
ソクラテスの哲学も神々に反するものとして弾劾されたし、アウグスティヌスも
キリスト教を通じて自らの思索を示した
日本では吉本隆明を筆頭に浄土真宗の親鸞を研究する人が多い
欧州ではキリスト教を乗り越えて哲学するために多くの人が努力(キルケゴールはそうだね)し
ニーチェはそのために狂死した
人間の過去の哲学を振り返るためには宗教、神を切り離して考えるのは
ほぼ不可能と言っていい
蛇足だが2世紀ごろの小アジア地域では原始キリスト教をはじめ
グノーシス主義と混交された様々な思想が花開いた。
233 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 09:14:40 0
生きる意味は、知っている事を行う事であり、
死ぬ意味は、行った事を知る事でしょう。
これは肉体の話ですから、やった、やりおわった。
そしてそれを感じている私が在る。
生まれるとは私が生まれたと知る。
死ぬとは私が死んだと知る。
生きるとうのはする事で、死ぬというのは、終わった事。
何をしようか?まず知って、行うから生きるといい。
終わったと知って、なにもする必要がないから死ぬという。
そして目を覚まさなければ、無であり、目を覚ましたら目覚める。
また何をしようか?まず知って生死をプロデュースする。
234 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 19:58:04 O
愛するために人は生まれてきた。
235 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 22:19:28 0
>>233 あなたにこそジャンケレヴィッチを勧める。
死は常に2人称か3人称であって自ら1人称で体験することはできない。
>>234 ぶっちゃけそういうのが一番嫌いだ
236 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 23:59:24 0
人間は欲望にのみ従って生きている。
ひとりひとりの人生は、その欲望の選択によって変わっていく。
意味=目的=欲望 なので、生きることは只の欲望の消費にすぎないが、
欲望が満たされるとまたさらなる欲望へ向かうのだから、
究極の欲望の模索こそ生きる目的なのではないか?
さらにその模索の意味を問われると応えられないが、
強いて言うなら、「生きる意味を探すのが生きる意味」なのかな・・・
その先に何があるのかは俺には分からない。
なんか昔読んだ本に「生はエネルギーを消費すること。エネルギーは1つになろうとしている」
とかあったな・・・・・
237 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 08:30:40 O
蟻とか見てると何となく個々の生命に果たして意味などあるのかなあ?と思ってしまう。
生物ってものは本能的に種族を繁栄させることを目的とするようインプットされて生まれてきてるようだ。
人間は個々の個性を感じて生きてるがそんなものは人間自身が飽きない為のまやかしに過ぎない。
本能からは逃げれないシステムである。
238 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 10:03:41 0
そもそも欲望を充足させることが人間の生きる目的であり意味であるなら
哲学が生まれるはずがない
満腹で幸せなら生きる意味なんて考えないだろう
「生きる意味を探すのが生きる意味」という人もテレビや掲示板でよく見るが
何の証明にもなっていない もしもこの命題が正しいなら
死ぬ間際に生きる意味がわかった人がいてもおかしくないはずだが
そんな話は聞かない
「自分はこれこれのことをしたから満足して死ねる」
という人がいるが世俗的な目的を果たしたのみで
成し遂げたことが数十億年の規模で見れば何のことはなく、ほぼ無に等しい
239 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 10:11:05 0
ほぼ無に等しいけれども、その人が生きた事実は確かに厳然として残るが。
240 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 10:18:32 0
閉鎖系におけるエントロピーは平均すると増大する。
宇宙全体もひとつの閉鎖系なのでエントロピーは増大する。
つまり熱湯と冷水を混ぜると暖かいお湯になるように
エネルギー(この場合は熱エネルギー)は拡散の方向へ向かう。
集中する場合もあるがそれこそ天文学的な確率だ。
「エネルギー」「波動」などの言葉はきちんと定義して使わないと
スピリチュアリズムなどの似非科学に絡めとられるので注意。
241 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 10:27:01 0
生物が種族を残そうとするのは本能だから当然。
人間にもその一面があるけれども、それで充足されない人が哲学する。
子供、孫に囲まれて天寿を全うするのもひとつの人生だろうし
ニーチェにおけるツァラトゥストゥラのように
峻厳な高山の頂でひとり生きる意味に立ち向かう人もいるだろう。
242 :
ラプラスの悪魔:2008/06/15(日) 10:40:40 0
>>214 なんだ、その程度か。
馬鹿馬鹿しい。
心理学で言うところのコンプレックス(劣等感ではない)の
解消法だよ、それってさ。
1.問題やコンプレックスに直面する。
2.その問題やコンプレックスに意味がないと否定する。
中二病っていうのかw。
3.今度は否定したそれらの問題に価値を与えてみる。
自分の顔を嫌ってる奴が、俺の顔も味があっていいじゃないか
と思うこと。
4.葛藤が消え心の統合が起きるってやつだ。
243 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 12:56:26 0
>>242 なるほど…
また考えを詰めてみるのでたまにスレを覗いてくれ。
師事してくれるならさらにありがたいのだが。
244 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:10:14 O
>>241 貴方はそもそも本能の意味を考えたことはあるかい?
本能は当然、人間は特別といった前提で論理を重ねる人が多いことに疑問を感じないか?
知性に溺れて踊ってるだけかもしれないということですよ。
245 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:21:02 0
246 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:23:28 0
>>238 じゃあ人間の行動のなかで欲望以外に人間の行動原理になってるものをあげてごらんよ。
絶対に、ないから
247 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:23:59 O
248 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:25:15 0
249 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:27:20 0
それは生きる意味を知りたいっていう欲求でしょう。
人間の基本的な知への欲求です
250 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:27:50 0
>>247 最後の一行についてもう少し説明してくれませんか?
「知性に溺れて踊ってるだけかもしれないということですよ 」
っていうところ
251 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:33:26 O
>>246 果たして欲望だけで行動が行われているかは疑問である。
蟻が巣に帰る経路を見れば恐らくその疑問に至るであろう。
252 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:37:12 0
>>249 あなたの言う欲望、欲求をもう少し詳しく定義してくれませんか?
253 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:40:26 0
254 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:50:38 0
>>249 意味と欲望が等式で結ばれているのに
非常に違和感があるんです
255 :
238:2008/06/15(日) 13:57:25 0
「そもそも欲望を充足させることが人間の生きる目的であり意味であるなら
哲学が生まれるはずがない
満腹で幸せなら生きる意味なんて考えないだろう」
よく考えると間違ってますね。撤回します。
256 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:00:36 O
>>250 人間は知性で自分の行動をコントロールしているように感じている。
しかし、完全にはコントロール出来てないです。
棋士は局面により自分の打つ手を何十手先まで読むことが出来るとはいえ終局までは読めません。
つまり、人間の思考の限界がそのあたりに存在しているということです。
数十手先までしか読めない思考の切り貼りで対局を進めていると考えることが出来るかもしれません。
行動とは上辺のコントロールに過ぎなく、やはり本能による行動パターンが支配しているのではないか?ということです。
例えば、映画を観たくなったとか、美味しいものを食べたくなったという感情は本能ですよね。
どこに食事に行くか考えることは、本能のサブメニューにしか過ぎないということです。
このサブメニューを行動の主流として扱う人が実に多いですね。
257 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:11:25 0
>>256 なるほど。人間の行動における本能の割合は
多くの人が考えているより多いってことですね。
258 :
214:2008/06/15(日) 14:29:07 0
カミュは「シジフォスの神話」で永遠に続く不条理を愛し苦闘することが
幸福と思うべきだと述べている
キルケゴールはいわゆるドン・ファン的な人間は満たされないことを知りながらも
恋愛を繰り返し、行き続ける強さを讃えている
彼らの著作が心理学で説明できるならそうなんだろう
で、どうする? あなたの語る生きる意味を聞きたい。
259 :
214:2008/06/15(日) 14:30:28 0
×行き続ける→生き続ける
260 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:31:21 O
>>257 ええ。私はそう思います。美味しいものを食べたいから働くなどは手段であって混同すべき事柄ではないのです。
人間が特別である意味は無いと考えるのが自然でしょう。複雑に見えて単純なものではないのでしょうかね?
261 :
214:2008/06/15(日) 14:46:35 0
おれ自身は生命に目的も意味も
全く無いと思っている
262 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:54:55 O
個々の生命には意味はない。それが種となると意味はあるかもしれない。
263 :
214:2008/06/15(日) 14:56:36 0
>>242 どうですか。
少なくともあなたカミュの「シジフォスの神話」と
キルケゴールの「死に至る病」読んでないでしょ。
264 :
206:2008/06/15(日) 15:39:35 0
自分の知っている知識を相手にも求め、蔑むだけの行為は討論には不向きではないでしょうか?
あなたの得た知識を簡潔にまとめて相手に伝えてこそ討論を充実したものにするかもしれません。
あなたが得て他人がもっていない知識。そしてあなたが思考したことはとても価値があり、すばらしい情報であると私は考えます。
とても申し訳ないことなのですが、私は不勉強で知識が乏しいです。討論を潤滑におこなう為にたくさんの知識を得るために本を読む努力が欠かせません。
しかしながらみなさんの知識に追いつくことがとても難しいです。
博識なみなさんの意見は大変勉強になり、それを閲覧できることをとても嬉しくありがたく思っています。
見苦しい文章を書き込み申し訳ございませんでした。このスレが充実することを心より願っております。
265 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:06:46 O
哲学書は理論書ではなくその多くは思想書みたいなもんだからせめてその筆者の思想と共鳴した点くらい述べないといかんよ。
題目だけ述べてんのに納得するのか?
生きるってのは、自分にとって本当に大事なもんは何なのかを
問い続けることだ。アタマで考えたって無駄さ。
自分の胸に聞くことだ。
268 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:21:27 0
ざわ…
何か変な奴が出てきたぞ…
ざわ…
え、胸ん中は空っぽで聞きても仕方ない?
そりゃ救いようがないわ。死んでしまえ。
270 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:32:23 0
意味なんて生きてりゃどうでもよくなってくるな。
チンポに足生えてるだけの奴に胸に手を当てて考えろってのは
物理的に不可能だな。
272 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:40:35 O
>>266 違う。そりゃ行動のことだよ。
例えば、川が地形により流れを変えるように人間は状況により行動を変える。
これは生きることそのものではないんだ。
つまり川は何故あるのか?人は何故存在するのか?という存在理由こそが私は生きる意味だと思うよ。
正直に言って私にはその理由は分かりませんが。
273 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:44:02 0
人は例外なく「したいことをしている」
「したいことができない」と常々口にしている人間でさえ、そうである。
人の行為というのは「した」ことについてはもうすでに動かせないこと。
世界では「誰々が自分が〜をした」ということについて様々な言説が飛び交っているわけだ。
その言説が各々に消費されて各々が日々の生活を営んでいる。
世界を静観していると、ただ我々は生きているだけだということがよくわかる。
その中で各々が線引きをして、人に寄り添ったり巻き込んだりしながら生きている。
僕のような現世的な存在が希薄な人間にとっては生きることとは奇跡であるが故に遊びである。
結論としてはその人がどう考えているかに依る。
人間とは何か? つまり人間とは如何に生きるのが正しいか? つまり人間は如何に行動すべきか?
だらう。
275 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:46:36 0
>>272 そんなの生物学の方とかに聞いてくれよ。そこらへんの専門知識あるお方にさ。
生命の起源辿るんならこのかてごりでかたる意味がないだろう。
そっから無理矢理哲学にこじつけようってんならさ、宇宙様に聞く他ないわ。
「何故あなたのその無機質な法則は、我々を生んだのですか?」とね。
>>1 「神様の意思だから」に入れときますた。選択だと妙に選び易いな。
神様は我々がただ何となしに生きていればそれで満足されるか
という点だが、まぁ、そこまではここでは言うまいぞ。
諸君は意味を知りたがっている。しかし意味は「知る」ものだろうか。
277 :
273:2008/06/15(日) 17:00:02 0
「勝ち組/負け組」の範疇の中で生きてる人間は、まぁ孤独に耐えられないんでしょうな。
人間なんて生きてるだけで十分なのに
自分の意識設定で自分を殺してる。
簡単に死んじゃう人間とかさ、人を殺しちゃう人間はさ、人間の底力知らないよ。
そういう人間に逢ったことあれば人生観変わっただろうに。ま、自業自得なんだが・・・
278 :
273:2008/06/15(日) 17:05:17 0
世の中に与えられた価値観の中で生きるか?
あなたが「生」に込めたい思いを貫くか?
思うところ如何?
280 :
273:2008/06/15(日) 17:10:27 0
そゆこと。
281 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 17:15:33 0
「生」に込めたい思いを貫くタイプの人間はある種の感受性が必要であると思う。
処刑もこのタイプだろうがな。
規制掛けんな、コラ
アタマで思う奴はいないし、胸で考える奴もいないよな?
284 :
273:2008/06/15(日) 17:40:49 0
スポーツが美しいのは、したくてしているからである。
全員力が漲っている。
胴上にアタマがあって首の上に胸が乗ってあるのは、さぞや生活に不便であろう。
286 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 17:47:46 0
こいつのことか?
ミ ヽヽヽヽリリノノノ
/ ⌒' '⌒\
/ ◎●◎●◎ ヽ
/ /. ノ( ◎ ) \ヽ
/⌒ ィ `i´ ); `ヽ
/ ノ^ 、_____¥____人 |
! ,,,ノ爻-=・=-∵-=・= > )
( <_ \ヘ、, -=ニ=-rノ/ /
ヽ_ \ )ゝ、__,+、_ア〃 /
ソレソレ
両方併せて「思考」というわけだが、今問題にしたいのは「考える」ことと
区別して「思う」とはどういうことだろう。
池田のいないのが残念だなぁ。
訂正、
両方併せて「思考」というわけだが、今問題にしたいのは「考える」ことと
区別した意味での「思う」とはどういうことだろう、という点だ。
ふと眼差しが遠くを見つめたり。
289 :
273:2008/06/15(日) 18:10:47 0
生きることは「思う」ことだよな。「祈り」と言ってもいいが。
そうでなければ困るのである。
世界に対する体質の反応とでも言おうか?
>>212の書いたことで印象に残ったのはいっぱい本を読んでるってことだけだな。
スレのレベル上げてくれよ。
291 :
273:2008/06/15(日) 18:29:39 0
宗教家の感性について思うこと
私はこの身体を通じて
他人の精神の中で息づいている。
それを生業としている。
自他意識の薄い人間が
時代の業を負ってそれを転化して生きるエネルギーに変えると
優れた宗教家になるんじゃないかな?
つまらんな。「思」と「考」の問題は漢籍を日本語に移植する
過程で成り立った「オモフ」と「カムガフ」への振り分けに、
更に明治になってからの近代主義的なパラダイムが覆い被さってる
からこんがらがってて面倒だ。
コイツは単に語源学の問題だが。
293 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 18:46:01 0
もうちょいわかりやすく。
考えることにおける受動的な側面のこと?
もともとの言葉の意味を考察することは、言語以前の深い意識を
探ることにもなるってだけだ。
大昔に「考える」とこは「勘帰る」ことだなんて言ってたが、
この勘(カン)も神(カミ=カム)と同根なわけだ。
近代になっちまったら「考える」ことはアリストテレスやヘーゲルの
物真似をすることでしかなくなっちまった。
もっとも中国は古来、論理的な思考が発達していたから、中国思想の
輸入以前の日本人の精神を大陸から輸入された「からごころ」に
対して「やまとごころ」と本居宣長は区別した。中国思想が入って
来る以前の日本には文字文化がなかったから「やまとごころ」は
どちらかというと直感的、悪く言えばアルカイックなわけだ。
「もののあはれ」は本居宣長が仏教哲学の影響時期を読み違え
てるんじゃないかと俺は思ってる。
渡来思想が「からごころ」なのは近代も一緒だ。
「ヤマトの薄明」はラングではなくパロールの世界だ。
論理的思考体系は口承文化では発達しない。
299 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 19:44:26 0
> 中国は古来、論理的な思考が発達していたから
それはかなり特殊な見方ではないかな。
一般的には、インド、アラビア、ヨーロッパなどに比べて、
中国の古典の論理的な思考のレベルの低さを指摘する
意見が多いような気がするが。
○空で芥川龍之介の部分訳したイェーツの『ケルトの薄明』が
読めるようになってんな。鈴木大拙の名前もイェーツの著作に
あったっけ。まだ、鈴木大拙を読む以前の暗中模索の時期。
302 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 19:57:49 0
>>301 中国の古典思想に含まれる論理的議論に関しての評価なんだが。
アリストテレスが中国人じゃないだけでは?
304 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 20:16:38 0
「ことば」ってのは世界に登場するためには
どうしても必要なんだよ。
アキバの殺人犯みたいな現世的な個が強い人間にとっては
「ことば」の獲得によって完全に自他を分けるバリヤを作っている。
305 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 20:21:27 0
無意識に沈潜して思考するタイプの人間は
そこには何も無いことに気づくだろう。
それがそれであるのはそれがそれであることただそれだけに依るのであって
それがそれ以外のものではないという理由に依るのではない。
306 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 20:23:27 0
「在る」っていうのは奇跡なんだよ。
ただこれに関してはわかる人とわからない人がいる。
感受性の問題だ。
307 :
212:2008/06/15(日) 20:33:04 0
>>290 292からの処刑ライダーさんの一連の書き込みと
それに応じるみなさんの書き込みからは
俺など足元にも及ばない知識の豊富さと思慮深さが
伝わってくるが、生きる意味とは関係ないんじゃない?
…生きる意味を考えようよ。
308 :
212:2008/06/15(日) 20:37:06 0
>>306 あなたがそこに「在る」とは証明できないと思います。
アンケートの結果は「楽しむため」と「意味なんかない」が
圧倒的多数だな。同じ人物が生活が順調だと前者、不調だと
後者を選びそうだ。
胸に聞くも何も思いなんかありゃしない。
310 :
212:2008/06/15(日) 20:45:11 0
胸に手を当てて考えろって言い方するもんな。アタマのテッペンから
爪先まで見栄の塊とかってんじゃ仕方ない。
>>310 >>1のリンクは携帯からだとPCビューアがいるが。
312 :
212:2008/06/15(日) 21:12:11 0
人いない…
芥川の晩年のアフォリズムに「良心とは口髭のように年齢と
共に自然に生じて来るわけではない。我々は良心を持つのにも、
若干の訓練を要するものである」ってあったっけな。ヴェーユも
似たようなことを言ってる。
314 :
212:2008/06/15(日) 21:26:11 0
分からん奴には分からんのかもな。
人は何故、良心なんか持っている?
決定論的な性善説か?
316 :
212:2008/06/15(日) 22:00:28 0
良心なんてなければいい、と。
317 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 22:06:44 0
道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。
*
道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺(まひ)である。
*
妄(みだり)に道徳に反するものは経済の念に乏しいものである。妄に道徳に屈するものは臆病(おくびょう)ものか怠けものである。
*
我我を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我我は殆(ほとん)ど損害の外に、何の恩恵にも浴していない。
*
強者は道徳を蹂躙(じゅうりん)するであろう。弱者は又道徳に愛撫(あいぶ)されるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。
*
道徳は常に古着である。
良心は我我の口髭(くちひげ)のように年齢と共に生ずるものではない。我我は良心を得る為にも若干の訓練を要するのである。
*
一国民の九割強は一生良心を持たぬものである。
*
我我の悲劇は年少の為、或は訓練の足りない為、まだ良心を捉(とら)え得ぬ前に、破廉恥漢の非難を受けることである。
我我の喜劇は年少の為、或は訓練の足りない為、破廉恥漢の非難を受けた後に、やっと良心を捉えることである。
*
良心とは厳粛なる趣味である。
*
良心は道徳を造るかも知れぬ。しかし道徳は未(いま)だ甞(かつ)て、良心の良の字も造ったことはない。
*
良心もあらゆる趣味のように、病的なる愛好者を持っている。そう云う愛好者は十中八九、聡明(そうめい)なる貴族か富豪かである。
侏儒の言葉
芥川龍之介
「正しさ」という言葉の意味も、アタマだけで考えるのと胸に手を当てて考えるのとでは違う。
>>318-319 すばらしい。
道徳の上に良心というものを置かなければならないということかな?
そしてそれは厳しい目に合わなければ作れない、ということかな?
でも最後の一段落は腑に落ちないな。
貧民には想像もできないけど、そういうものなのかな?
俺が気に入ったのはここだ、
自分は又他の人々の地獄をも見た事がある。其一つの中で、ピイタアと呼ばるゝ幽界の
霊を見た。顔は黒く唇は白い。奇異なる二重の天秤の盤(さら)の上に、見えざる「影」の
犯した悪行と、未行はれずして止んだ善行とを量(はか)つてゐるのである。自分には
天秤の盤(さら)の上り下りが見えた。けれ共ピイタアの周囲に群つてゐる多くの「影」は
遂に見る事が出来なかつた。
324 :
212:2008/06/15(日) 22:34:05 0
うーん、知見の広さが違うわ。
325 :
212:2008/06/15(日) 22:40:59 0
>>処刑ライダーさん
哲学板はきょう初めて覗いたんですがそこここに
書き込んでいるようで。
板をぶらぶらしてればまた会えますかね…
勉強させてもらいたい。
327 :
212:2008/06/15(日) 22:50:34 0
道徳とは単なるルールであって良心を持たない人々に
機械的に社会生活を営ませるためのものでしかないと。
328 :
212:2008/06/15(日) 22:52:10 0
昼夜逆転気味のサラリーマンっす。
329 :
212:2008/06/15(日) 22:58:00 0
良心はそれを持たない民衆に守るべき道徳を示しはするが
与えられた道徳からは良心は決して生まれないわけだ。
なるほど、頭で考えるのと心に手を当てるのとはそういうことか。
330 :
212:2008/06/15(日) 22:59:30 0
もう寝ます?
出来ればまたお会いしたい。
おやすみなさい。
エイメン
212も何気に理解力すごいな。
333 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 00:04:54 0
「何のために生きているのか」と「なぜ生きているのか」とは別の問題だ。
前者は「生きる目的」、後者は「「生きる」という現象そのもの意味」だ。
生きる目的は、それぞれ人によって異なるだろう。
あえて統一的な答えを見つける必要はない。
たとえば、「社会のために」、「愛する人のために」あるいは「自分のために」、「欲望のために」
などのように。
一方、「「生きる」という現象そのものの意味」は、主観的な問題ではない。
なぜなら、「自分」の生きると「他の人間」生きるは同じでなければならないし、
「人」の生きると「他の動物」の生きるとは同じでなければならないからだ。
つまり「人」の生きると、「アリ」の生きるとは現象的には同じだし、反対に「人」の死ぬことも「アリ」の死ぬことも
現象としては同じだからだ。
「人は知能や心、あるいは魂があるから「アリ」の生きるとは意味が違う」というのは、現象としての「生きる」という
意味を間違って認識している。
「「生きる」と言う現象そのもの」の意味は、人間の主観的な価値観を挟む余地のない現象そのものだからだ。
結局、人間は「「生きるという現象そのものの意味」を主観的な価値観を完全に排除して語ることができない以上、
この答えを答えられる人間はいない。
334 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 00:38:56 0
なんじゃここはーー
言葉のルービックキューブだぁー。
6面完成させたところで何の意味もないルービックキューブ・
もとい哲学じゃー
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何という、ホイホイスレwww
生きる気満々の人間は、他人のために生きる意味を考えるのが大好きである。
337 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 11:53:42 0
>>252 テストだったので返答できませんでした
欲望・欲求とは何かを満たすために何らかの行動・手段を取りたいと思わせ、それが満たされたときには快を感じる感覚のことである。欲望・欲求等ともいう。生理的(本能的)なレベルのものから、社会的・愛他的な高次なものまである
自殺は、おそらく何らかの欲求が、生理的欲求を超えた時に生まれる「しにたい」という死への欲求でしょう。。
語尾に「〜したい」とつく限りそれは欲求です。
つまりそれは、個人にとっての意味とは、「〜したいから」につながることから、
自分の欲求につながるということではないでしょうか。
結局はエゴなのだという消極的意味合いではありますが、
多数の人が並びたてる偽善よりは、僕はこっちの方が真実だと思います。
結局、生きる意味とは、自分の中で、「生きる上で何がしたいか」だと思うのです
宇宙全体で考えると、人間なんて只の物質ですから、「生きる」ことに特別な意味なんてありませんよ。
338 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 15:20:21 O
>>333 何故存在するのか?ここでは考えないで、生きる目的ということかな?
目的はひとそれぞれというが目的とは後天的なもんだね。
生きることに意味を持たせたいが故の後付けなんだよ。
事実、目的を持てず惰性で生きてる人間は多いでしょうな?
私が思うに人間は知性があるから蟻とは違うなどというより、「生と死を知ってるから」この一点だと思うよ。
蟻は自分の一生に気付かないで日々暮らすが、人は死に向かって日々生きてることを知ってる。
339 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 17:03:17 0
>>338 「私が思うに人間は知性があるから蟻とは違うなどというより、「生と死を知ってるから」この一点だと思うよ。
蟻は自分の一生に気付かないで日々暮らすが、人は死に向かって日々生きてることを知ってる。」
これは、「生きる目的とは何か」と言う文脈で語られているのだろうか?
「生きる目的」というのは主観が介在する問題、すなわち、人それぞれ異なるものだ。
その違いには、価値の違いはない。
つまり、生きる目的を「社会のために」と思って生きている人も、「自分の欲望を満たすため」
と思ってる人も、生きる目的の価値は同じだ。
では、「アリ」と「人」の生きる目的の違いは何か。
キミは「生と死を知っているか否か」という。
しかし、アリにもアリの生きる目的はある。
それは、人が知性を起源としているのに対して、本能を起源としているのかもしれない。
つまり、人の生きる目的は人それぞれ異なるが、その価値は本質的に同じであるように、
人の生きる目的もアリの生きる目的も、その内容は異なるかも知れないが、その起源となるものが知性なのか本能なのか
の違いだけで、その価値は人の生きる目的とアリの生きる目的は全く異ならない。
つまり、「生と死を知っているか否か」という答えそのものが「人間であるが故の答え」であって、
アリからすれば、そんなんこと知っていなくても、自己の「生きる目的」にしたがって生きているわけである。
結局、「生と死を知っているか否か」ということは、「人」と「アリ」(別にアリだけではないが)「生きる目的」の
違いを考える上では、問題にならない。
>>323が俺ってことにしときゃ、勘違いバカが群がって来たりも
しないからちょうど良い。俺を羨ましいとは思うまい。
341 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 17:44:34 O
〉〉339
アリも死ぬ事分かってると思うよ。
じゃなきゃ、本能に従い遺伝子を残そうとしないと思うし。
そもそも生きるって事は遺伝子を残す事だし、それ以外を考えるのは人間だけだよ。
下手な知能が生むのは矛盾だけ。
342 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 18:43:18 0
記憶の特性がその人の世界感覚に大きく作用している。
ちょうど朝日に連載中の島田雅彦の小説がおもしろいところだ。
「影」は見えない。
そうか、イェーツは日本の能が好きだったのか。大拙の名前も能の
幽玄の世界についての話題と一緒に出て来たな。
346 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 21:32:33 0
人と対話するときでも、表情やしぐさ、声のトーンなどからいろんなものを感じる。
発する言葉にしたって、裏を読み取ってしまう。
テレパシーと言うとオカルトチックだが
無意識で人と共鳴してしまう人間はいる。
「生」を特別視する人間はどのような感性を持っているか、ということを言いたかった。
意思表示のサインを示さなくても、
不意にとった仕草を読み取る読心術の持ち主って
接客業とか営業の人に多いんじゃない?
最初に生まれた生物のことを考えてみるとどうだろう。
遺伝子を残したいという欲求は先祖から受け継がれた欲求だと思うけど
最初の生物に先祖はいない。
その生物に欲望はあったのか?それは主体と呼べるのか?
どう思います?
>>348 欲望っていうまとまった意志が芽生えるのは、
だいぶ生命として複雑化されて来てからじゃないの?
コアセルベートには物理的性質はあっても意志はないよ
まあそこに欲望を読み取るのは感受性の問題だけど
>>349 その物理的性質というのが欲望と呼ばれるものの正体なのでは?
そう考えると意味をどこにも見出せなくなる。
要するに生物を物質とみなす、唯物論というのかな。
生きる意味を問うというのはそうした考えに対するアンチテーゼなのだろう。
人間は自分たちの出自を忌み嫌うという本能といってもいいような根深い
感情を持っていると思う。
心眼てな胸にある。
ソウソウ
すっかりだまされた。
いかにもな内容だったし。
自分は読書が苦手で、哲学書は全く読めないんですが
ライダーさんの書き込みは非常に心に響きました。
これからも勉強させてください。
355 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 23:59:08 O
死ぬために生きるのです。
自分の影を自分のみ踏めぬとは・・
つまずいたときにはちょっと踏んでるかも
357 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 01:16:30 O
人間は、死期を平均寿命の75才位に思って人生計画出来たりもします。
「定年60才まで働いて退職金を貰う」なんてのもある意味生きる理由かもしれません。
ただ、人の目的とか生き甲斐を「生きる意味」というには大袈裟すぎませんかね?
生き甲斐が無くなっても人は生きることを止めない。それは何故か?
生きることそのものに意味を感じて生きているからではないでしょうか?
生きることすなわち、死なないこともまた弱肉強食の自然界を生き延びた我々祖先から受け継ぐ本能であるとしか言いようがありません。
生きる意味とは、子孫繁栄と生きることそのものではないでしょうか?
本能はこれ以上ヒモ解くことは出来ません。
意味や意義がないなら気楽でいいじゃない
本能に気づけば楽しくなるじゃない
気づいたら今度は煩悩に悩まされるか?w
359 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 01:39:40 O
人間の一生なんて、寒暖計のように感情が上下するだけ、そこにいくばくかのお金があっちいったりこっちいったりするだけのこと by水木しげる
360 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 01:49:28 O
意味なんかない。
361 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 04:35:31 0
無いのにこじつけようとするから不幸が始まる。
362 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 05:41:34 O
そういうことですね。
生きる意味を探ることに意味があるのか?ということです。
哲学する理由に繋がってくる訳ですな。
考えることだけではなく考えないこともまた哲学なのではないでしょうか?
363 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 06:24:11 0
>>362 考えないことは哲学じゃないよ。
そもそも考えなければ、何も構築できないですからね。
364 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 11:04:19 O
>>363 答えが出ないことを扱うのは止めておこうとする考えもまた哲学ではないのか?ということだよ。
365 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 12:30:49 O
とにかくさみしすぎてどうしようもないんだけどどうしたらいいのかなあ
366 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 12:39:24 O
367 :
心の仕組みドットコム:2008/06/17(火) 15:20:28 0
>>364 >答えが出ないことを扱うのは止めておこうとする考えもまた哲学ではないのか?ということだよ。
理性的な思考を通じて、様々な主題について正しい答をだすことが哲学の仕事です。
理性を持たず、ただ闇雲に考えるのは哲学ゴッコです。
>>365 >とにかくさみしすぎてどうしようもないんだけどどうしたらいいのかなあ
理性を育てれば、人生が楽しくてしかたがなく成りますよ。
368 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 17:08:20 0
>>364 「理性的な思考を通じて、様々な主題について正しい答をだすことが哲学の仕事です」
それは違う。
確かに、理性的な思考を通じて、ある主題について答えを導き出そうとする試みが哲学であるといえるが、
「正しい答えをだすこと」が哲学の仕事ではない。
そもそも、「正しさ」の定義自体、絶対的なものではないし、理性を超える領域を理性で答える以上、
おのずと限界があるからだ。
結局、哲学というのは、「答えを導き出す永遠の試み」を指すのであって、「答えを出す」ことではない。
哲学には、絶対的な答えなどない。
369 :
心の仕組みドットコム:2008/06/17(火) 20:00:50 0
>>368 >確かに、理性的な思考を通じて、ある主題について答えを導き出そうとする試みが哲学であるといえるが、
>「正しい答えをだすこと」が哲学の仕事ではない。
>そもそも、「正しさ」の定義自体、絶対的なものではないし、理性を超える領域を理性で答える以上、
>おのずと限界があるからだ。
ところが違うのです。
理とは揺るぎなき良心が育む絶対に正しい心、なのです。
この正しい心を悟り知ることが物事の理を悟る、とか道理を悟り知ると言う言葉で表されているのです。
つまり、正しいとか良心とか善悪はの定義は物事の理を悟らぬ者以外には理解できないのです。
勿論、「理性的な思考を通じて、様々な主題について正しい答をだす」哲学の仕事はできません。
揺るぎなき良心が育む絶対に正しい心の働きと言う理性を通じれば、全てに関し正しい答が導きだされるのです。
ですから、哲学とは物事の理を悟り、正しい心の働きと言う理性を通じて適切な処理をすることです。
辞書に記されている【智恵・知恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力】と同じ意味ですね。
370 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 20:03:28 O
意味を作るために生きてるんじゃね?
371 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 22:26:46 0
>>369 キミは、「理」や「理性」という言葉を多用しているように見えるが、本来「理」という言葉には、
人の主観は含まれない純粋な現象をいう。
たとえば、物は上から下に落ちるというのは、人の主観にかかわらずそれが現象として認知されるから
「理」なのである。
つまり、「理」は「良心」があろうがなかろうが、「ある」のである。
問題は、いかにそれを認識するかということだ。
また、「理とは揺るぎなき良心が育む絶対に正しい心」というが、
これはまさに人が最後にたどり着く境地である「悟り」と呼ばれる状態をいうのであろうが、
残念ながらその心を手に入れた人間は、これまでも、そしてこれからも存在しないであろう。
なぜなら「良心」というは時代や文化など多様な要素によって異なるからである。
また「絶対に正しい心」をもった人間など存在するわけがない。
すくなくとも「絶対的な正しさ」を主張した人間によっておこされた戦争で、歴史の教科書はいっぱいだ。
前にも書いたが、人の理性に本来的な限界がある以上、物事の真理にたどり着くことはできないのである。
「宇宙の端っこはどこだ?」という答えが出ないのと同じなのである。
もう一度いうが、哲学には絶対的な答えなどない。
「知ること」が重要なのではない。
「知らないこと」を知り、そこにたどり着くための努力を永久にすること、
そしてその「知」の集合が「哲学」なのである。
372 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 00:01:34 O
>>371 まわりくどい言い方せずに哲学は絶対的な答えを導けないと言えばいいじゃないか?
>>354 俺が書いたんじゃない。俺を見て書いただけだ。
374 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 00:35:17 0
>>372 スマンスマン!
ホントはそうしたかった(笑)
しかし、なぜそうなのかを説明するには、やはり時間がかかる
難しいな、人に伝えるって。
375 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 00:44:48 O
>>374 論法ならしょうがないな。
私も哲学を過信してる者に対して言ったようなものだからスマンね。
君の意見には同意なんだ。
376 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 01:22:51 O
生きる意味を知りたいなら反対の自殺する意味を思考すれば自ずと沢山の生きる意味が出てくるでしょう
究極死ねないから生きている
人生、楽ありぁ苦もあるさ…の順番じゃなくて
人生、苦を知って楽を知るのが筋である
377 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 17:21:43 0
生きる意味などないのだから
一歩進んでどう生きるかを考えないか。
378 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 21:09:06 O
他人のために生きるか自分のために生きるか
379 :
354:2008/06/18(水) 21:59:05 0
>>373 うーん。すいません、ちょっと真意をはかりかねます。
自分の内面を省みた上での芥川の流用という意味ですかね?
ちなみに
>良心もあらゆる趣味のように、病的なる愛好者を持っている。
そう云う愛好者は十中八九、聡明(そうめい)なる貴族か富豪かである。
というくだりだけがどうしても理解できません。
まず、良心の病的な愛好者というのがどんな人間なのか想像できません。
もしよろしければ教えていただけませんか?
結界を張りやすくやったぜ、薄汚い影どもめ。
俺は最初からこの世に居場所なんかないのさ。
>>379 百年ばかり昔にアイルランド出身の詩人が幻視で見た俺を書いたのを
芥川が何かを感じてピックアップしたのさ。今の俺に読ませるためだ。
俺はもちろん単なるキチガイだ。
383 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 22:48:29 0
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384 :
ラプラスの悪魔:2008/06/18(水) 22:49:07 0
おおおおっ、お師匠様。
キチガイって最高の褒め言葉だろw、常人だなんてやだおw。
385 :
354:2008/06/18(水) 22:50:48 0
ライダーさんがキチガイとは思いませんね。
何か相当重いものを不本意に背負わされたって感じですかね?
でもいろんな書き込みを見てきた中でライダーさんが一番俺の心を捕らえましたよ。
かくいう自分も多少の重荷を背負わされた自覚はありますが。
386 :
ラプラスの悪魔:2008/06/18(水) 22:52:23 0
387 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 22:53:35 0
キチガイとは多数派の秩序を乱す存在じゃまいか?
キチガイと呼ばれる人が結託して前向きに攻めて行けばキチガイが先鋭になれるかもよ!
つか、歴史上、天才と呼ばれている人間集めたら
キチガイの博覧会になるよ
389 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 22:57:53 0
ふつうの人の世界構造が
世界内存在だとすれば
基地外は
存在内世界だよな。
390 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 22:58:21 0
キチガイでなければ生み出せないものもたくさんあるわな・・
392 :
ラプラスの悪魔:2008/06/18(水) 23:18:22 0
>>391 女のケツには興味あるが、男のケツには興味はないよw。
おれもホモじゃないしなw。
といいつつ、
感情論的好き嫌いや良し悪し論は、哲学論上ではあまり好まれませんw。
理由付けが大切。
実は好きなんだろ。気配で分かる。
ホモの匂いがする。
395 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 23:26:49 O
処刑よ。おまえは一体何が一番言いたいんだ。聞いてやるからいってみろホレホレ
396 :
考える名無しさん:2008/06/18(水) 23:33:33 0
あの世から拡声器でグダグダと思ったこと漏らしているだけだろ。
ちょっと都市化すると同性愛が流行るのはギリシャ時代から進歩しない(笑
398 :
ラプラスの悪魔:2008/06/18(水) 23:36:59 0
>>393-394 勝手にしろw。
そんなに人を馬鹿にして、上に立ちたいのかw。
上から眺める愚民の姿はどう見えるよwww。
可愛いぜライダーよ。(←上から眺めてみたぜ。眺めイイっw)
てか、おれがお師匠さまかwww。
>>395 結局、アキバの加藤となんら変わらないんだよな、俺等って。
てかよ、臆病でよかったぜ。w 臆病じゃなかったら今頃w。
本当は臆病じゃなくて、正確には、何かに目が行ってしまって、
その他のことに関心が行かなくなるなんとかって言ってたな。
まぁ、そのなんとかって文言を忘れちまったわけだがよ。
>>397 ポマイの感覚世界だけはナルキッソスから進化したギリシャ時代以上を
語れるのかとw。自己愛も大切だぜ。
お風呂タァーイム♥
俺は生涯結婚しないで死ぬから他人事だがなw
401 :
354:2008/06/18(水) 23:44:53 0
やっぱ孤独は蜜の味ですよねw
でもジジイになったらマジでキツイかも
>>404 俺は長生きする予定はないから考えない。
404 :
ラプラスの悪魔:2008/06/19(木) 00:16:03 0
405 :
ラプラスの悪魔:2008/06/19(木) 00:16:43 0
やった、未来レス取ったりwww。w
406 :
ラプラスの悪魔:2008/06/19(木) 00:19:48 0
どうだ、暑苦しいだろw。
といってもその暑苦しさを察するだけの感性がある奴は、
俺以外にいなそうだねw。
407 :
354:2008/06/19(木) 00:26:13 0
ひょっとして
>>403は自分へのレスでしたか?
ネタ振りかと思って知恵を絞ってしまった。
408 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 00:36:15 0
>>383 ほんとだ。すげえ!
みんな、悩んでんだなあ。
【生きる意味】
うーん、やっぱり無きゃダメなのか?
俺には無いぞ!
多分。
409 :
ラプラスの悪魔:2008/06/19(木) 00:42:15 0
>>408 じゃ、何で生きてるの?。惰性か?w。
ま、確かに生きれるけどさ、あまり面白くはないよなぁ。
410 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 00:56:12 O
理由とか意味って何にでもあると思ったら大間違いだよ。
キリンの首が長いのが高い木の葉を食べるためかどうかは本当はわかったもんじゃない。
人間は何でも意味をつけないと気が済まない性分なんだよ。
モヤモヤしたくないんだろうが、後付けの意味には嘘が当然の如く紛れている。
嘘を知るくらいなら知らないほうがマシだよ。
411 :
212:2008/06/19(木) 15:42:36 0
>>ラプラスの悪魔
戻ってきたか。
>心理学におけるコンプレックスの解消法
カミュは「シジフォスの神話」の巻末で
必ず転げ落ちる岩を担ぎ上げ続ける刑罰を人生になぞらえたわけだが、
それに価値を与えたかというと疑問だ。
岩を押し続ける行為は「絶望」でしかないが、その「絶望」はシジフォスの
ものだと記している。
絶望を愛するべきだとはならない。
ただその絶望を前にして人生を呪わず、受け入れることに気高さがある。
シジフォスが刑罰を愛するようになったかと言えば違うだろう。
412 :
212:2008/06/19(木) 15:45:22 0
レスくれないだろうなぁ…
大体ラプラスの悪魔は量子力学に縊り殺されたはずだからな
413 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 16:35:07 0
生きる意味があるかないかなら、わからないような気もするけどわかるような
気がする。生きる意味がないという意識には、生きる意味があるも含まれてい
る。個人差があるけど。逆もそう。
この世界は生と死、表と裏、あるかないかの両極端で成り立っているのに、生
の中に死が含まれているからややこしいようで面白い。
ホモ野郎の匂いがする。
第三者的な視点から視覚化したら、体制派の空間がこちらに
浸透しずらくなって気分が良いのさ。反作用で絡みもしつこく
なったろ。
夕べは久々に空を好き勝手に飛び回る夢まで見て清々して目を覚ました。
417 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 21:03:23 0
両儀式と巫条霧絵だな
418 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 21:34:59 O
分裂症だな
ネットを通じて絡み付いて来たものはネットを通じてしか振り解けないのさ。
420 :
354:2008/06/19(木) 22:46:48 0
ライダーさんとラプラスさんは結構いいコンビだと思うw
君、女の子?
422 :
354 :2008/06/19(木) 23:02:55 0
33のおっさんです。
ホモっぽいですかね?
>>418 俺は典型的な境界例人格さ。発狂しかけたことなんて度々で
回数も覚えてない。
424 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 23:18:42 O
>>423 そういう人間は哲学ごっこしないほうがいいぞ
スポーツしてアドレナリンの分泌を活発にしてやったほうが良い
425 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 23:19:47 0
>>409 おおっ!
【じゃ、何で生きてるの?。】ってか。
それはだな。
死んじゃいけないからだよ。
いや、ふざけてるんじゃなくて。
愛する人を失くした事がある人には、
わかってもらえる言葉だと思う。
426 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 23:21:59 0
三島由紀夫は
ボディビルやって剣道やって、その挙句
「死」すら踏み越えて冥界行っちゃったけどな
427 :
ラプラスの悪魔:2008/06/19(木) 23:22:53 0
>>425 おれは違う。
死ぬのが怖いから生きてるだけだw。
428 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 23:23:09 0
>>424 そういう人間は「ごっこ」はしないだろ。
429 :
ラプラスの悪魔:2008/06/19(木) 23:25:09 0
なんか、一人で笑うてしもた。
ぎゃはははははははっはははは。w
ホモ野郎の匂いがする。
>>424 >スポーツしてアドレナリンの分泌を活発にしてやったほうが良い
運悪くも、そういうことやると、非常に疲れるんだ。
だから俺らは哲学とか読書で悦に浸るんだよw。
思考的スポーツがアドレナリンを分泌するのさ。
まさに、学こそが悦の瞬間w。
流石にsageてみたw。
432 :
ラプラスの悪魔:2008/06/19(木) 23:30:15 0
>>430 しょうがないなぁ。ライダーも弄ってやるよ。
ほれひれ、キモチイイか。w
てか、俺様の尻の穴は貸さないからなwww。
うーん、ええコンビやw
434 :
考える名無しさん:2008/06/19(木) 23:50:19 0
ホモ野郎の臭い?
なぜ、俺には嗅ぐことが出来ないのだ。
俺の心理的な欠陥なのか?それとも‥‥。
アッー!
436 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 00:04:35 0
>>434 生粋のホモか?。
特に恥じることでもないだろう。
アーッ!。
楽な生き方は恐ろしい。
438 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 00:11:13 0
てかさ、昨日のやってた、いやいや水曜日の夜に
やってた性同一性障害の番組は泣けたなぁ。
苦悩や限界の中で生きてる人間存在は美しい。
方や一歩踏み出してしまったアキバの加藤はまた
異質だが、加藤へも傾倒せずにはいられまい。
他人の名を語って変なことを語る奴多すぎw。
てか、ここは何スレ?、もう分けワカメw。
違うとこでも、どこでもかきこんじゃうよjane規制w。
人生の日々の彼方にぼんやりとした暗い影が見えるだろう。
440 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 00:15:24 0
>>435 >>436 だめだあー
アッー!なのか?
アーッ!。なのか?
そんな事まで気になっちまうんだよー!
441 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 00:15:50 0
飲んでるときは俺は陽気だが、誰でも限界は感じてる。
もうちょっと突っ込んで、詳しく。
穢れなき日々につきまとう見慣れたはずの黒いシミ。あれは何だろう。
443 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 00:20:11 0
444 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 00:21:18 0
>>440 俺は、アーッなんだよ。長音のあとにちっやいッ。
これが俺にとって自然なんだw。
>>442 栗鼠蚊な血の跡か?。
445 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 00:25:05 0
他人の投影を意図的に探ってみて、その人の総体を
探りたいと思うことはよくあるよね。
>>443 だから、おれのチソチソもお尻の穴も貸さないよwww。
っていうか、残念ながら俺はホモじゃなくヘテロだからねぇっ。w
貴様の墓穴さ。
447 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 00:26:50 0
理解したぜw。だははははっ。
日本人は火葬で焼却炉だから関係ないか?
449 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 00:29:30 0
また、無関係なレスを・・・・w。
その笑いも闇に飲まれるだろう。
451 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 00:32:44 0
墓穴兄弟w
死の舞踏会のステップはいつも軽やかさ。
453 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 00:49:08 0
灰まみれのシンデレラが、ガラスの靴を・・・
酔える今宵だ。
454 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 00:50:02 0
noise【ノイズ】を雑音て訳した奴、誰だろ?
彼ら(毛唐)ってnoiseに感傷的な意味を嗅ぎ取ってるよな。
日本人が虫の声を感じるように。
いや、だからアーッとかアッーって。
せめてアー↑とかアー↓とか。
ゴメン。あーあ、なんなんだ俺。
455 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 00:57:51 0
>>454 分かってもらいたいときは、もうちょっと推敲を重ねて丁寧に書けよ。
それじゃ、意味不明だよw。 文字の分量は的確だけどさw。
どんな意味ですか?、ノイズって。 韓国映画だっけか?。
ラプラスよ、3時半ごろのおれのカキコは完全無視か。
そら、振り落とされまいと必死だろう。
いっそ、幾度か振り落とされるといい。
魔王「振込みなら、私の方へ。」
閻魔「新種の振り込め詐欺w」
意識の中心が凝縮して自他の境界が変化し、異物を外界に絞り出すような、
何年に一度起きるか起きないかの特異な感覚だ。言葉で言い表すのが
難しい。子供時代から時々あるんだが。
ネットで癇癪をぶちまける必要もなくなるかも知らん。
461 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 17:37:33 0
>>459 そういう時は「お尻りの穴を指でズボッ」としてみるといいですよ。気持ちいいから
463 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 18:34:46 O
ふ〜にゃんだろ
464 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 18:34:49 0
パワーアップじゃよ。
465 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 19:37:25 O
感受性なんて情緒不安定をキレイに言い回してるだけだ
466 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 20:19:13 0
>>460 死ぬ程寂しい夢を見た。
あたしは貝になっていた。
あとはおぼろ。あとはおぼろ。
ああ、今宵また忍び泣く恍惚のブルースよ・・・
467 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 20:21:10 O
詩人かおまえら?
ロッカー並の薄っぺらい詩だけどな
468 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 21:14:44 0
>>459 俺の中にも変なのがいるよ。そいつは俺を泣かせようとするんだ。
そいつは声も存在もないほどの希薄な存在だが、俺とは明らかに
独立している。で、そいつは決まって意味もないのに泣けと命じる。
それを俺はかんの虫と呼んでるがw。
胸の辺りを掻き毟られる様で、あんまりいいもんじゃないのは確かだ。
469 :
考える名無しさん:2008/06/20(金) 21:25:46 0
処刑ライダーはパワーアップ中じゃよ。
470 :
ラプラスの悪魔:2008/06/20(金) 21:29:28 0
あとは、自分の身体が自分でないように感じるあの病気だ。
俺も一度だけ味わったことがあるが、不気味だよ。まるで分厚い
ゴムの服を着たような感じと表現すればいいのだろうか?。
前にも後にもその一度だけだが、中学生のころだったと思う。
さらに、エレベーターに乗れないって時期もあったなぁ。
エレベーターが下がる瞬間に気を失うかと思ったことが何度か
あったなぁ。
糞親父はそれ見て笑ってたが、親父は車に乗れなかった時期があるのになw。
おそらくパニック障害w。
結局、遺伝だからw。
>>469 今頃、サナギマンかなぁ?。www 羽化は何時だw。
471 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 00:31:29 O
>>470 皮膚呼吸がうまく出来てないんじゃないかな?
過呼吸かもしれんな
472 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 02:29:49 0
整理しよう。
まず生命が”生きている”のはそう作られているからだ。
人間も生命体であるから生きており、より生存しようとするのは自然状態に過ぎない。
では自然状態である生きることに意味を求めるとはどういうことか?
それは現象に対する解釈であり、感想であり、評価であり、見立てだ。
生きる意味を論ずるということは感想を論ずるということだ。
ゆえにその回答は公理とはなりえず百花繚乱お花畑ということになる。
つまり人生論だ。
473 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 02:35:47 0
>そう作られているから
そう出来ちゃってるから。
>より生存しようとするのは自然状態に過ぎない。
たまたまその時の環境等の要因と折り合いが良かったから。
>それは現象に対する解釈であり、感想であり、評価であり、見立てだ。
つまりは問題の立て方の誤り。
「意味」ってのは「生きる」後に生まれるものなのに
「生きる」前に「意味」があるって、どう考えてもおかしいだろ。
>>473 言いたいことがまったくわからない。
ただ反発したかっただけ?
476 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 13:27:35 O
どっちもどっちだな
答えが確定出来ないんだからいつまでたっても言葉遊び
477 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 13:36:41 0
今月岩波新書から出た岩田靖夫の本が面白そうだよ。
>>477 別の本だと思うが
『よく生きる』 (ちくま新書) (新書) 岩田 靖夫 (著)
をAmazonでポチッた。礼を言っておきます。
479 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 23:14:07 O
死ねないから生きてるだけなんだろ。
480 :
212:2008/06/22(日) 00:05:48 0
みんな死んじゃえばいいんだよ
どうしたんだ212よ。
君そんな奴だったか?
482 :
考える名無しさん:2008/06/22(日) 01:12:05 0
>>212 そんな奴だったか、確かめるため
13日の金曜日まで遡ってみました。
あー、大変。
>>480を見てエヴァンゲリオン旧劇場版を思い出した。
アスカの壮絶な戦いを見て怖くて本当に体の震えが止まらなかった。
そんな過去の俺に萌えw
484 :
206:2008/06/23(月) 04:44:44 0
最近なんの気なしに母親に何で私を産んだのかを訊いてみました。
「できちゃったからに決まってるじゃないww」でした。
哲学板に似つかない軽率なレスですみません。
なんか和ませたかったもので。
212さんも考えることをあきらめないでくださいね。
>>484 そんなことよく訊けるね。
女同士だと恥ずかしくないのかな?
486 :
考える名無しさん:2008/06/24(火) 02:43:54 0
フロム読め
487 :
考える名無しさん:2008/06/24(火) 11:42:58 O
人を信じること
信じられる仲間がいること
488 :
212:2008/06/24(火) 17:54:08 0
なんかレスがついてて驚いた。
心配してくれてありがとう。
この際だから夜にでも書きたいことを書いてみますよ。
489 :
考える名無しさん:2008/06/24(火) 20:50:19 0
一個人ってのはドミノ倒しのコマみたいなもん多少大きさや
分岐らへんだったり位置とか周囲との関係に違いはあるかもしらんけど
こっからここの人の○○は何だったのかとか何の限定もないんじゃなあ・・
490 :
考える名無しさん:2008/06/24(火) 21:03:57 0
「こうする必要がある」という事と「こうしたい」という事は全く別の問題だからな。
今日は無意味にバイク用グローブとか買っちゃったな、カッコ良かったから。
さっそく着用して流してきたけど最高だったよ。
まああれだ・・何にでも意味が必要な堅っ苦しい時代ではある。
だからこそ様式美やスローフードのような反逆が現代人には必要なのだと思う。
コンビニ弁当のような人生に対するアンチテーゼとしてね。(食えたらいい→美味いものが食いたい)
491 :
212:2008/06/24(火) 22:54:34 0
我々はどこから来たのか
我々は何なのか
我々はどこへ行くのか
ゴーギャンの遺作になるはずだった絵画の左上スミに書かれたことば
古くは1世紀のローマ詩人 2世紀のグノーシス文書にも
似た文言が見られる
生きるということは本来それだけでは全く意味はない
というよりも生きるということが人であり生物としての前提である
唯物論に因らずとも前提なくして物事を創造することは不可能だ
従って何故前提があるのかを考えることはロマンなのであり
仮にそれが分かったからといってそれは根本的に意味がない。あえて言えば、前提の認識がより深まったにすぎない
生きる意味を考えるということは前提を考えるということでありそれは同時に前提を無くすことと同様なのだ
493 :
212:2008/06/24(火) 23:08:53 0
どこの民族にも創造神話がある
自分たちの由来を人は考えずにはいられない
ハイデガーの解説書よんでもなんかよくわからん
将来大学入り直して哲学専攻しよ
創造主を導き出せたとしてもそれは本質的には意味がない
ガリレオは、地動説を唱えたが、教会から圧力がかかるや否やその説を捨てた
地球が太陽の周りをまわっているか、太陽が地球の周りをまわっているか、それは本質的にはどちらでもいいことである
それは、それが真実だからといって命を賭けるだけの価値はなかったのだ
495 :
212:2008/06/24(火) 23:18:10 0
生物学的に観れば何かが生きているのは
その前世代の繁殖の結果にすぎない
>>というよりも生きるということが人であり生物としての前提である
ここに異論はない
生物としてならば生きている意味など全く偶然で無意味
さて それでどうする
俺らはどこへ行くんだ
60年か70年生きて満足して死ねるのか
それともその頃には生きるのにも飽きてるのかな
496 :
212:2008/06/24(火) 23:21:38 0
何もわからずどこへ行くかも知らずに生きつづけられるのか。
それで満足な人が大半だろうか どうかな
497 :
212:2008/06/24(火) 23:24:54 0
ドミネクォヴァディス
498 :
212:2008/06/24(火) 23:26:20 0
今夜はこのへんで。
499 :
212:2008/06/24(火) 23:31:01 0
>>492 脱構築のこと言ってるのかな。と蛇足のひとこと。
やっぱり唯物論を信じるしかない自分がいる。
でもだからといって虚無感に苛まれるということも今のところはない。
自分が感じる様々な価値や意味が仮初めのものでしかないことはわかっていても
そんなの関係ねえって感じだ。
大事だと思うことは大事にしたいし、他人にも大事にしてもらいたい。
自分も他人も物体でしかないとしても。
501 :
212:2008/06/25(水) 23:12:42 0
>>494 ガリレオは1616年に第1回異端審問所審査で、
ローマ教皇庁検邪聖省から地動説を唱えないよう注意を受けた
その後1630年に天動説と地動説両論併記の「天文対話」を執筆
1632年に刊行された
1633年同書刊行を咎められ裁判で終身刑(直後に軟禁に減刑)を宣告され
地動説を否定する宣誓をさせられている
「天文対話」は禁書とされた。
ローマ・カトリックのイタリアでは事実上出版を禁じられたため
1638年には「新科学対話」をプロテスタント国のオランダで出版している
ガリレオは科学者であると同時に敬虔なカトリック教徒でもあった
観測結果と信仰の狭間で彼が懊悩したのは間違いない
命惜しさのために地動説撤回などしていない
502 :
212:2008/06/25(水) 23:31:21 0
唯物論OK。
意識というプログラムを走らせるためのハードが
今は脳であるというだけの話
億単位の年月が過ぎれば
マイクロブラックホールに0と1の表記をさせる
ブラックホールコンピュータ、もしくはアナログコンピュータが
脳に変わって意識を走らせる媒体として実用化されるはずだ
503 :
考える名無しさん:2008/07/12(土) 03:28:07 0
人が語る言葉の中に自身さえも捉え切れない数の人々がいる
今はまだそっちとこっちを繋げ合わせ考えられると思って居るが
本当のところは存在するものはすべて存在している
全体から切り出した己を見つめるその人の世界だけがこの世で動いてる
野に咲く花に意味はなく流れる雲にも意味はなし
意味がないからこだわりがなくこだわりがないから苦しみもなし
生きるがままの死ぬがまま、あるがままとは実に愉快
505 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 19:36:50 0
生まれてもいつか絶対死ぬ。
だけど世代交代していってるよな。
でもいつかは死ぬから、世界の物が永遠ではない限り
世界の物は当事者になる訳だろ
生き物とかが生きる事で何かを得たり失ったりする存在がいる(ある?)なら、
それが求めてるのが生きる意味と言う事になるが
世界のものは永遠じゃないから
そんな存在はいない
だから生きる意味も無いんじゃないのか
それとも当事者の俺等には理解できないような事なのか。
あーもう意味わかんね
506 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 20:09:08 0
>>505 絶対死ぬとか言ってるけど死は体験できないぞ
分かってか?
想像上の産物だってこと
悔しかったら経験してみ?
どうやったってできないから、、、絶対にね
>>506 生きる意味があるとしたら それは死ぬと終わりになると考えてる
だから意味なんて無いんじゃね?っていう考え方。
あと、
>>1は俺等に「生きる意味」についてどう思ってるのか聞いてるんだから
悔しいとかそういうもんじゃないだろ
508 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 04:29:52 0
>>507 >死ぬと終わりになる
だから死は体験できない・・つまり「無い」も同然なのよ
無い事柄にもかかわらず
それを「在る」ものと生きようとするのはアホだってこと
そういうのを妄想というw
>>508 お前の考えに納得した。言われてみればそうかもしれん
だが、このスレでは「生きる意味」の答えを導き出すという事は本題じゃない
>>505の時の俺は
>>505という考えをもってた。
一人一人考え方は違うんだし、スレ的にはこれでいいんじゃないのか?
510 :
考える名無しさん:2008/07/28(月) 12:25:20 O
我々は〜によって生きている
我々は〜のために生きている
我々は〜があるから生きている
我々は〜の意味があるから生きている
〜には何が入るか適当な解を当てはめてみる。
主義思想、優劣比較、多様性なくしてあらゆるものを削りとってみると多分何も無い。
ぎりぎり一歩手前に「意識」「認識」「欲」などの言葉が入りそうな気がする。
あと死と生の絶対値は等価ではない。
511 :
考える名無しさん:2008/07/28(月) 17:48:45 0
「私」はどうして生きているんだろう?
という問い掛けに当てはまる絶対的な解はありはしない
その時々、瞬間で“どうして”の意味が違ってしまうから
512 :
考える名無しさん:2008/07/28(月) 20:02:07 0
>>511 では、どうしてじゃなくy他の言葉にしたらどうよ?
513 :
考える名無しさん:2008/07/29(火) 18:23:30 O
自分自身を他人の目で観察した場合、私の人生に何か意味があるのだろうか?
と問いかけた場合。この問いかけそのものが何か特別なものがないと意味を見いだせない条件を想起させてはいないか?
問いかけ自体に特別なものが含まれていないにも関わらず、
自己自身は自己自身の存在や行動、人生に意味を見い出す為に
特別な何かを求めてしまうのではないか?
自己自身を振り返り、それが外見的な能力にあればいいが、
何もなければ見いだすべくもなく、
むしろ性質、性癖、精神、自己の欲求
あらゆる自己の現象を特別なものではなく、
ごく当たり前の無価値または無意味な表象と捉えがちとなるであろう。
ここまでの考えに至れば
世間一般の人々の考えさえも自分と同一視し始めるか、大多数の人生は意味がないとさえ言いだすかもしれない。
人が意味に対して常に大きな意味を求める傾向がある場合
マスコミと思考が同じだと言ってもいい。
些事も殊更何かの意味や原因を追い求め、
情報という現象が尽きてしまえば他の対象へて移る。
そして過去は忘れる。
意味を求める上で「特別な意味あるいは何かの意味」を見いだすのは一見たいそうな哲学をしていると錯覚させるが、
実はそれ自体がこの文章のように安全な立場から繰り言をしているに過ぎない。
だから何か特別なものを望み、
殺人や自殺や死への憧れを持つということは以上のような思考に陥っているに過ぎず。
この繰り言にも特別な事などない。
だから人生の意味などさっさと諦めるか、自分なりに意味を当てはめて終わりとし、
何かが起きるまでは他人の人生の意味などにはあまり興味をもたないほうがいい。
514 :
考える名無しさん:2008/07/29(火) 20:24:17 0
515 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/29(火) 20:51:27 0
>>515 あなたの相方はどこいったの?
最近見かけなくてさみしいお
517 :
考える名無しさん:2008/08/02(土) 03:17:31 0
生きる意味なんて無い
生きようとする意思があるだけ
財を成して死のうが、野垂れ死にしようが死んだら一緒。これだけは真実。
「後悔せず」死ねたら、俺たちの勝ちなんじゃないか。
518 :
考える名無しさん:2008/08/02(土) 05:35:12 0
>>517 >生きようとする意思があるだけ
意思というのは
脳が意味を見い出した時に選択した行動なんだが、、
519 :
考える名無しさん:2008/08/02(土) 05:36:05 0
>>517 >俺たちの勝ちなんじゃないか
誰の負けなんだ?
520 :
阿修羅∞落とし:2008/08/02(土) 05:39:25 0
今のお前らに悔いのない死など用意されてはいまい。
生きようとしたものが生き残った。
生きようとしなかったものは死に絶えた。
結果、生きようとするものだけが残った。
その意志に理由など存在しないのだ。
522 :
考える名無しさん:2008/08/03(日) 15:10:20 0
仮の結論を仮説として置いといても、何かのきっかけでそれが覆されることもある。
生きる意味を考えることが生きる意味となる。
>>522 平成20年は皇紀2668年、日本人として生まれた人間として
皇紀の歴史を勉強し、この国に生きることを
生きる意味とするってどうかい?
別のところでも書いたことだけど
「生まれたい」と思って自発的に生まれてくる人なんて一人もいない
つまり、そもそも人は誕生の際に『この世に生まれた意味』など持ち合わせていない
生物的な本能の次元で話をすると、赤ん坊は無意識的に生を維持しようとするが、
それは「人間の生きる意味とは?」などと考える人間の理性とは次元の異なるものだと思う
さらに偶発的に生まれた後に生きていく社会もまた非常に所与的なものである
どんな親、国、時代の下に生まれるかは全て自分の意思で選択できない
つまり、人間の存在とは個々人の意識から存在が生じたという性質のものではなく、
先に生きているという存在があってその存在を後から意識する性質のものだ
その存在を意識する過程で「人間の生きる意味とは何か?」と考える人は少なくないだろうけど、
生まれてきた時点においてその現象に対して個人的な自分の意思は反映されていないわけだから、
生きる意味や理由など知るべくもないと思われる
仮にそういうものがあったとしても、それは絶対的、普遍的、客観的なものではなく、
極めて相対的、流動的、主観的なものであると思われる
525 :
考える名無しさん:2008/08/05(火) 06:37:05 0
>>524まったく御説の通りなんですが、なぜだか知らんが知るべくもないものを知りたがる人が
歴史上に多くいて、極めて相対的、流動的、主観的なものであると思われる
ものを長期的に絶対化、普遍化、客観化させようとした試みが続けられれば、
その思考の方向性や枠組みがおおよそ統御されて一つの体系として出来上がる、
だとすれば、過去に倣い、生きる意味を解釈しようとする企てに意義があるとして良いのでは?
526 :
心の仕組みドットコム:2008/08/05(火) 07:31:21 0
事実、存在するものを感じ取る機能が欠落していれば、その存在は無としてしか感じられません。
527 :
考える名無しさん:2008/08/05(火) 08:13:44 0
この両親を持ちこの日本に日本人として生まれたことを
よく考えてみよう。そして只この世に、一人としてこの
自分としてこの時代に生まれてきた、不思議を考えてみよう。
この国に生き、生活し子供を育て、そして死んでゆく。
だがきみたち若き哲学徒には、未来がある。
どのような人生が展開するか。
可能性に賭けよう。
528 :
考える名無しさん:2008/08/05(火) 08:25:39 0
>>527だがきみたち若き哲学徒には、未来がある。
確かに未来はあるでしょう。
しかしながら、未来の可能性が現在より、より良きものとしての前提で考えるとすれば、
地球の資源はすべて有限です。
現在生まれてくる子供の、その子供の子供の子孫のために我々はさっさと
死んだほうが良いということもあるんじゃないですか?
529 :
考える名無しさん:2008/08/05(火) 10:06:16 0
物質至上主義では、未来は無いかもしれません。つましく
こころ豊かに生きるのも、人生です。
資源問題も、此れからの科学技術の発展を待ちましょう。
明るく考えて生きましょう。
530 :
考える名無しさん:2008/08/05(火) 10:21:41 0
こころ豊かにいきるってのもわかるんだけどね、
でも物質至上主義の国に生きてる以上は、未来については暗くなってしまうよ。
まあその時はその時だよね。最近はみんな質素生活になってきてるし。
>>525 524ですが、確かに過去に倣い生きる意味を解釈しようとすること自体には意義があると思います
問題はその営みをする個人、集団に一元論的な思考法を用いる者が
少なからず存在するであろうことが俺的には厄介だなあと思います
生きる意味があるから生きるのではなく、生きる中で実感として生きる意味をなんとなく感じる
これが俺の個人的な考えです
生きる意味を感じるって各人の個人的な『思い込み』に端を発するものだと思うんですよ
酒を飲んで生きる意味を見出す人もいれば、酒を飲むのがただ苦痛なだけの人がいるように
だから、先の文で生きる意味を「相対的、流動的、主観的」と言ったわけですが、
個人的にはその生きる意味を見出す分野が他者の生存権等を脅かすものでさえなければ、
相対的でも主観的でも全然かまわないかと思います
そして、その生きる意味をまだ実感できない人がそこに行き着くための手段として
「過去に倣う」という行為をするのは有効なアプローチ法の一つかと思います
532 :
525:2008/08/06(水) 08:42:34 0
>>531 また異論はないのですが、言葉の選択として
私には生きる意味を感じるを、生きる意味を納得するにしますね。
私にとって、大いに自分の実感というものが無定形で、
無秩序で信じられない状況や場面もある気がするんです。
それをあなたは当然知った上で、あえて使ってると思いますが、
たとえば、ある自分の信念から、家族、友人から世間から背を向けられて悲しい実感が沸いても
自分の「思い込み」が正しいと信じて思えばその道に突き進むでしょうし、
そう思えば、また悲しみも減るのです。
と、言えばそれもまた「実感」の中に、
「生きる意味を感じる」の中の構造に組み込まれているということになるのでしょうが、
生きて実感したものを、単なる思い込みとして客観化して、
それを「(長い歴史に蓄積された)思い込み」に照らして合わせてみて
自己了解するという意味で納得です。
死は人生のゴールでは無い。
背後から迫ってくる死に追いつかれた時、人は死んでしまうのだ。
この世は無常・・・放っておけば崩れていく世界。
これが分かれば、必死に生きようとする意味も分かるんじゃないかな。
生きることが当たり前になってしまうから、こんなことを考えるんだろうね。
なるほど。
だから、楽な生き方は恐ろしい、のか。
死が常態で生が非常なわけだ。
つまり生まれた時点で非常事態発生しっぱなしってわけだな。
こいつはうかうかできないわね。
あんたまだ生きてるんでしょ?だったらしっかり生きて、それから死になさい。
名言やな。
536 :
考える名無しさん:2008/08/07(木) 01:15:45 0
生きることに意味があるなら死んだりしない
死んだ瞬間に全てのことが無意味となる
>>532 なるほど、あなたの考えを拝聴して、この文脈では『納得』という言葉が表現として
より適切ではないかと思いました。
俺は先の文で『実感』を「生きる中である出来事があり、その時に自然に自分の内面で生じた感情」
として用いましたが、『納得』となると、その次の段階になりますからね。
生きる→出来事に遭遇→そのことにより感情が生じる(実感)
って流れがあって、その感情が単なる快なものを超えた(ある種の崇高さを伴った?)ものである時、
それを人は生きる実感としてとらえ(この段階が俺の言う『思い込み』の段階ですね)、
これを「(長い歴史に蓄積された)思い込み」に照らし合わせてみて自己了解する(納得する)
って感じですかね?
異論を唱えるつもりはないのですが、「長い歴史に蓄積された思い込みに照らし合わせる」
手順を踏むことのない人っていうのもけっこう存在するような気がするんですよ
その手順抜きに自己了解(納得)してしまってる人です。
まあ、その人が見出した生きがい、それの具現化としての行動がよっぽど社会的に認められない
ものでない限りにおいては、それはそれでかまわないかと個人的には思いますが。
我々が照らし合わせる対象(過去の人物、過去の出来事など)の中には、
その人の感情、行動がその時代まで前人未踏のものであり、前人未踏であるがゆえに、
その人には過去に照らし合わせる対象がなかった場合も多々あったであろうと思われますし。
ただ、過去に照らし合わせる行為自体は大事なことであると思います。
538 :
考える名無しさん:2008/09/18(木) 18:15:27 O
保守
539 :
考える名無しさん:2008/09/18(木) 19:08:26 0
なつかしいスレだな
540 :
考える名無しさん:2008/09/21(日) 00:05:23 0
個の主観において、人生に迷う人格に対する相談への回答としては、
生きていて本当によかった!と思える瞬間の為に生きる。それが意味。
もし、君に知己の存在が寄り添い、深く共感し合えたのなら、生きる意味は自ずと見出される。
辛苦の果てに見出す境地ではなく、ただ、ごく自然に、はたとあっさり気付いてしまうことだろう。
哲学的には、生きる理由を見出す為に生きる。
あるいは、いつか無へ帰するまでの限られた時間の中で、如何に自我を突き通し、
如何に自我に囚われることなくいられるのかの葛藤。それが生。
人は時に死を望みながらもやみくもに生を貪り、生きるために命を賭して、命を失う。
生きることに意味はなく、さりとて死ぬことにも意味はないというなら、
意味を求める心にさえも、やはり意味などない。
そうなってくると意味って何?ってことになるな。
もはや生きるとか死ぬとかいう前に。
542 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 10:50:28 O
ほんまそれ
543 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 15:07:47 O
食べるため、眠るため、知るため、あらゆる行為の為に生きており、
より多く、より良く生きる為に行動する。
自己の中の善悪、欲、意思、理
に従って在る。
544 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 21:19:53 O
バカ
哲学なんかにハマってるようじゃ人生終わりだろ
546 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 21:41:07 0
ち〜ん
547 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/30(火) 22:31:46 0
>>516 ライダータンは、何処に言ったのだろうか?。
548 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 22:46:57 0
あの世
549 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 23:06:18 0
ソープで豪遊の日々
550 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 09:09:02 O
性欲だけで生きてるやつってうらやましい
猿や犬より下のレベルだからソープで働くなりソープ行くなりで満足なんだろう
ただソープは哲学的にも欠かせない場所
あそこは哲学を学ぶ上で必要だと考えてる
551 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 04:43:42 0
食欲無いのか・・・
生き物が生きる意味というか、生きてしまうのは、回避したいから生きていられる。
突き詰めれば、回避行動を繰り返す意味しかない。満足感や充足感は
その反応でしかないし。
553 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 10:10:09 0
だからこそ「生きる意味」を見出したいのであろう
見出すまでもなく生きる意味はあるじゃん
別に自分の為に人生があるわけじゃないから
特別生きる意味に執着ないけど。
あなたの生きる意味をあなたが見出したら
なんか良い事あんの?
555 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 10:26:41 0
回避行動のみを生きる目的とするのか?
>>555 意味と目的じゃ、話が全然違うけど・・・
558 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 11:25:58 0
要は全力で生きてる人が少ないって事なんでしょう。
何の為に生きるのかと頻繁に考えてる人って暇な人が多いのも事実です。
考える事は大切な事なんでしょうけどね。
毎日忙しく体を動かして何かしていればそういった事はどうでもよくなるもの。
やらなければならない事でもやりたい事でも何でもいいから忙しくした方がいいよ。
考えて何か出てくる訳ではないからね。
そういった事を考える時間があれば面白いと思える事しようよ。
時間が勿体無いよ♪
>>558 全力で生きてる人がというより、生きたくて生きてる人が少ないわけ。
自分の意思で生まれ出てきたわけじゃないから当り前なわけだけど。
2ちゃんで、人の間違った考え方を訂正してるのって、結構楽しいし、
楽しい事は時間の無駄だとは全然思わないし。
意味なんて、体動かしたからって出てくるもんじゃないからw
考えて勝手に納得するなり、自己満足するなり、共感したりするだけで十分。
558と559の隔たりが面白い。解明すべき何かが横たわっている。
どっちの言い分も分かるのよね。
561 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 22:52:46 O
562 :
ネオマトリクス:2008/10/05(日) 23:22:57 0
>解明すべき何か
そこで根源的な問題
『快を得られない不自由・苦を感じさせられる不自由』
です。意味、というのは、クオリアの一つ(感覚の一種)であり
何を以て意味とするか、理論上は無限通りで
意味は無限通りに在るともゼロだとも言えます。
>>1のような問いは、人生の意味ではなく
・苦を感じてまでなぜ生きるのか?
・快を感じてもいつか消滅したり、いつか苦を感じてしまうのではないか?
という、知的生命体特有の思考の延長です。
仮に、永遠に快だけが続くならば
「意味なんてどーでもいいし」か、
「○○(無限通りある快楽の一つ)をする為」で終わりでございます。
要は、人生における苦が1のような問題を生む。快苦が根源。
563 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 00:23:06 O
>>558 俺も中学生の頃そう言われて、意識的にめちゃめちゃ忙しくしたんだが、
数年後ぐらいにふと一息ついて鏡を見ると、知らん間にめちゃめちゃ酷い顔になっしまった。
>>562 > 何を以て意味とするか、理論上は無限通りで
> 意味は無限通りに在るともゼロだとも言えます。
意味は最終的に、快or不快に集約されるが、快は不快が前提にあるから
感じられる、つまり根源は快苦ではなく、人生における根源は不快。
不快だから、不快を避ける事で学習し、知的生命体になっただけのこと。
そして、根源の不快は避けきれるものではなく、誰もが最大苦である死を
迎える。
寿命を受け入れ、迎えて初めて生きた意味を成し遂げることになる。
例えば自殺でも、現実逃避の場合生きる意味がなかった事を成し遂げたことになる。
死に快の意味を見出した自殺者は、生きた意味も死ぬことへの意味をも
成し遂げた事になる。
565 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 00:49:37 O
論理的整合性が極めて高い。
@.時間軸に対して連続的な関係(祖先・子孫)
A.時間軸に対して並行的な関係(夫婦・友達・同じ時代を生きる人々)
B.Aの@に対しての関係(夫婦・友達・同じ時代を生きる人々の祖先・子孫)
に対して、さまざまなものを受け継ぎ伝え、吟味し、自分なりのアイデアで練り直し、
自分というもが存在した証を残す為。
個体は生命の鎖の1輪に過ぎないが、個体がどのような道を歩んだかによって、社会
どころか地球や宇宙全てに影響を与える。
一般に生命体とみなされない石ころ一つでさえ、その時そこに置かれていたか、
いなかったかによって、時間の経過とともに、次第に大きな影響を与えることになる
だろう。
最も尊いものは個人の命ではなく、命の鎖の輪のために、個人が何をなしえようと
したか(するか)である。日教組や人権団体や日本国憲法が言う「生きる権利」という
ものは奇麗事のまやかしである。「生きる権利」といえば、それは「死ぬ権利」も同時
に発生することになる。第一、「人権」および「生きる権利」は断じて人類に最初から
付随して勝手に滾々と湧き出で続けてきたようなシロモノではない。幾度ともない戦乱
における尊い犠牲の上に人々が勝ち得たものである。
故に、「生きる件利」などと抜かすよりかは「生き抜くことは義務である」というくらいが
丁度良い。人に限らず全ての生き物は、そのすべての数え切れない祖先の努力と
数え切れない子孫の幸せために、生きぬかねばならない。人類もまた、生物の一種類
である。
そして斜陽に手を振るススキの様な面持ちで、人生を締めくくることができれば、
「私の人生に意味はあった」と胸を張っていえるだろう。
567 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 01:03:09 O
稀に見る名文だな。
努力だの、意味だのは全て人間の思い込み。
地球や宇宙に影響を与えるんじゃなく、
物質(人間の行為も含む)は
時空の因果関係によって影響を与えられているのみ。
影響を与えられなければ、人間はそもそも存在しない。
生きぬかねばならないなどという使命感は正に思い込みの骨頂。
思い込みを通り越して妄想の域だな・・・
569 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 01:34:27 O
いや、思い込みでいいんだよ。
真実というものは、分からないという属性を持つ。
例えばウンチが出ないことは苦しいのに、なぜか気持ちいい。
苦快が分からなくなる瞬間である。
それは知能で気持ちよくしてる訳ではないから
思い込みではない。
従ってウンチが出ないことは快か苦かは分からないというのが真実。
つまり、人間の思い込み以外は全て分からないという属性を持つ。
570 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 03:48:45 0
ちんこまんこじゃんくて
やっぱ下ネタはうんこに限るよな!
意味?
生きるのに言い訳はいらん。
何々のためとか、こういう理由でとか、そんなのは、自我の「私」が本質である「私」を騙すための言い訳でしかない。
一切の行動に言い訳はいらん。
>>563 ふっと気がついたら何のためにこんな事を過労死寸前まで
頑張っているのだろうと疑問に思って会社やめて
突然自分探しの旅に出てしまう。
忙しさも大事だが遊びや休みも必要なんだろうね。
573 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 16:20:34 O
数学的天才以外の人間は今後ますます要らなくなる。
そもそもロボットの方がいいからね。
ここ数十年は過渡期でありロボットに負けないために過労死寸前まで健気に頑張ってる。
このまま世界革命がなければ今後数十年後にはロボット社会が完成する。
やっぱり僕はいらない人間なんだ・・・
まあ結局さ、宇宙空間には目に見えない何万通りもの個別の性質を持った様々なガスが
蜂の巣のようにガッチリと組み込まれ、寸分の狂いもなく飽和状態で宇宙空間を満たし
停止して維持されてたんだと思うわけ。
576 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 05:10:32 O
金銭至上主義に陥っており、ロボットに負けないために・ロボットを操る側につくために、他人を蹴落としている。
本来の意味を見失い、経済人間になってしまっている。
人間のそのような欲深さに対抗出来るものがない限り、この勢いは続く。
しかしまた、ロボットを操るのはロボットでも出来るから現代経済闘争は徒労に終わることも決まっている。
要するに金を持っていても数学的天才でないならロボットより上位に行けないということだ。
普通の人間は機械と同化する以外に生き残る道はない。
つまり生きるためには肉体を部分的に機械化することは免れないだろう。
勿論次第にその占める割合は大きくなり、終いには機械になっちゃうんだけどね。
寿命を先延ばしにしたくなければ、さっさと運命を受け入れて潔く機械に譲るべきだ。
運命がいやなら革命しかないけどさ。
ただ、やられちゃっていいと思うんだよね。聖・三島も言っただろ。
俺は平気だから、ダメな奴はどんどんやられちゃっていいと思う。他人なんてどうでも良いし。
578 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 05:31:11 O
573 違うよ 金子みすず的な感じ
579 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 13:27:57 O
子孫を作ってない、もう死期が近い人間はそりゃ大丈夫だろうが、
若い奴や子孫を作ってる人間は大丈夫じゃない。
三島でさえ駄目だったんだから、ほとんど全員駄目なんだ。
580 :
566:2008/10/07(火) 21:51:45 0
「生きることに意味なんてない」、あるいは「意味なんて必要ない」と言う意見は
なかなかに多い。
しかしそのような人々であっても、大抵の人は生きていく中で「幸福」を求める。
「幸福でありたい」と願う。
「幸福」をつくるものは何か?それを得る為の絶対必要条件は何か?
それは「何か(something , matter , everything)に感謝する心」を持ち得ている
ことであろうと私は思う。
>>566に私が書いたことは(私にとっての「生きる意味」の解釈の一部分でも
あるが)、正にそのような幸福である為の心の持ち方・心のあり方(心象)の
一例として汲み取ってもらうことができればという、ささやかなものである。
一言添えるなら、たった今、「生きることに意味なんてない」という考えに至って
いる人であっても、「人生に幸福を欲する」人ならば、「生きるための意味を求め
続ける」事はその人にとって貴重な経験となると私は確信する。
>>580 「貴重な経験の為に生きている」の一行でOK
582 :
580:2008/10/08(水) 06:41:09 0
>>581 そのようなことはどこにも書いておらんよ。
あなたがそのような価値観を持った人物であったとしても、こちらは
それについて非難するつもりは無いが。
ただ、誤解は良くない。私はそのようなことは書いておらん。
>>582 「感謝する為に生きている」の一行でOK
なんかからまれてる人がいるな
ビッグバンによって発生してしまった異物が
進化の過程で生物によって細分化され、
進化の頂である人間は最終的に、
その特殊な脳の性能によって、
物(脳内物質)から質(クオリア)を
生起する事でしか、
物質は形を失い、純粋な性質に還元される
そこではじめて、宇宙の因果は尽き、
一つの性質をもった物質の
物理学的運動が解放することで終結する。
つまり、生態系という「道」によって、
物質という「具」が、
この歪んだ時空を通過するために
生物が生きる意味は存在する。
訂正
ビッグバンによって発生してしまった異物が
進化の過程で生物によって細分化され、
進化の頂である人間は最終的に、
その特殊な脳の性能によって、
物(脳内物質)から質(クオリア)を
生起する事でしか、
物質は形を失い、純粋な性質に還元されない。
そこではじめて、宇宙の因果は尽き、
一つの純粋な性質をもった物の
物理学的運動が解放することで終結する。
つまり、生態系という「道」によって、
物質という「具」が、
この歪んだ時空を通過するために
生物が生きる意味は存在する。
587 :
582:2008/10/08(水) 19:58:42 0
>>583 生きる意味など単純な言葉で済ませられることではないし、私の述べたこと
はそのような単純なことではないが、あなたが消化するとそのくらい簡素に
なるのだろうか。
まあ、あなたの反応の仕方はあなたの自由だ。あなたの人生もまた。
589 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 00:43:52 0
ウンコ製造機
生まれてきた意味とは親が起因するものであり他から付与されたものである。
生きる意味とは自分で創造すべきものである。
そもそも「意味」自体が自分で納得了解することで初めて成り立つものであるのだから
「他人に必要とされている」ことを根拠にしようが、それを了承しているのは自分自身なのである。
やりたいことを自分で探せばそれが生きる意味になるし、
なければ自殺するのも「自分で決めた意味」になる。
意味は感じればどんなものでもいいといういい加減なものじゃない
その意味が単なる自己満足ではなく、摂理に基づいて、
すべての価値観を包括するに完璧な理論に基づかなければ、
意味として完璧に成り立たないのであるから、ただの勘違いに過ぎない。
完璧な意味なんてあるわけないよ。
アインシュタインがどんだけ凄かろうと意味を感じられない人がいる。
これは意味に限らない。抽象的概念を表現しようとした言葉のすべてがそういうもんだから。
神とかね。
>>592 完璧な意味とは、理論的な反論不能の説である。
> 完璧な意味なんてあるわけないよ。
例えば↑に、理論的な根拠は一欠けらも無い。
完璧な意味が無い根拠として、アインシュタインが
凄いことを持ち出しても、完璧な意味がない事を
論証できるものではない。
理論としてまったく頓珍漢。
少なくとも、辞書を引けば納得しようがしまいが意味は
存在する。
神とは確かに「抽象的概念を表現しようとした言葉」
以外の何者でもない。そして、「生きる意味」ではないが、
「神」の完璧な意味としてならば、
理論として統括された完璧な意味である。
594 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 13:51:09 O
アインシュタインの功績の意味と物事の成り立ちの意味…、後者は価値観が介在しない絶対的なもの、つまり「理由」とも呼べるものだろう。
前者の場合は若干、人の価値観と呼べるものが含まれる。
絶対的なものには現実と現象に理論的狂いがない。
つまり絶対的なものの必然性に理由は不必要なもの。
価値観こそ、価値観と呼べる必然性になんからの理由が
不可欠なのである。
>>593 「完璧」という言葉を随分と安売りしてくれてるね。
辞書に書いてあるのが神の完璧な意味なんですか?
どの辞書ですか?何故それに誰も反論できないと決めつけるんですか?
神の意味を巡って殺しあう人たちがたくさんいるのに。
そういう世界に生きてれば「完璧な意味」なんて無いんだと気付くでしょう。
ここで「完璧」の意味を巡って認識の違いが浮き彫りになりましたね。
私はあなたにとっても私にとっても完璧でなければ「完璧」とは言いたくない。
しかしどうやらあなたは私にはお構いなしで「完璧」の語を使ってもよいと考える人のようですな。
597 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 16:30:38 0
神のなされることは皆その時にかなって美しい
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた
それでもなを人は神のなされるわずを初めから
終わりまで見極めることはできない
伝道の書 第3章 11
598 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 16:35:23 0
597訂正
神のなされるわざを初めから
他人(家族、友、国家、神)から見た自分の意味(目的と価値)は、
かなり社会的に偉くならないと高まらないですよね。
自分から見た自分の意味(目的と価値)も、自分の理想を実現しないと
高まらないですね。
両方を高めるには、社会的に成功しつつ自分の理想も実現することです。
そのような事は運に恵まれた人でなくては、無理じゃないでしょうか。
結論として言える事は、運の悪い人にとって自分の意味(目的と価値)は
低いのであるという事に耐えるしかないという事です。
他人と比較するから優劣の感情が生まれるんだろ。
「苦境すら人生の肥やし」として、自分が今何を成しうるかを楽しみ、
足ることを知り、地に足をつけて生きていれば自分を卑下することはないんだ。
一番大事なのは自分が「何に対して価値を置くか」であって、
存在価値を他人から恵んでもらうことではないのだ。
601 :
582:2008/10/09(木) 20:40:03 0
>>599 過去に存在した何であれ、その通り存在し遷移していかなかったなら、
今の私もあなたも存在してないよ。
人類のことに限っても、百年前のだれか農家のおっちゃんが、たとえば
史実上結婚することなく一人身で人生を終えたとする。ところがもし仮に
その人がそうでない人生を歩んでいたのなら、今この世界にいる人の
誰の現状も、本来とは違ったものになっているだろうし、そもそもほとんど
の人は生まれることがなく、別人がこの世を生きることになるだろう。
人類の歴史には悲惨なこともたくさんあったが、それらの事がもし無かった
なら、私たちは存在していないはずだ。
人間は何かの事故等により、半身不随や寝たきりになるようなことがある。
それが若者であったなら、自分のやりたかった夢はかなえられず、もちろん
社会的な地位を引きあげるような自発的なアクションをとることは、普通
適わない。
そのような人たちに生きる意味は無いのか?
そのような状態になってもなお、その人が懸命に生きようとすることが、
その人を支えようとする立場の人たちに、さまざまな影響を与える。
ポジティブな影響だけだとは言わないが、少なくとも何かたくさんの影響を
与える。その影響を受けた人たちが、その周囲に波紋のように影響を与え
ていく。当の本人にも、波紋は返っていく。そのようにして、当人たちにとって
の生きる意味は形作られていく。
運が悪い人というのは、「運が悪いと思い込んでいる人のことのことである」
と私は思う。実は何時いかなる時であっても、周囲に支えられてようやく
自分が立つことができていることに気づくことができないでいる。
目の前に見えることに必死で、損得勘定に一喜一憂しながら生きる。
そして仕舞いには自分には価値が無いという。
なんと不運なことか。
>>596 あのね、世界は常に変化しているんだよ。
完璧な意味というのも流動性を持っていて当り前
反論があるなら、貴方独自の「完璧」を定義すれば良いだけの事では?
603 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 21:13:12 O
>>595 そういった意味ではないんだがな。
つまり、「何故そうなる?」の理由という意味だよ。
例えばこの世は突き詰めると様々な原理・法則、またそれら相互のバランスにより成り立っていることが分かるだろう。
要するに「理にかなっている」という意味を「理由」と言ってるわけだよ。
逆に人の価値観を説明する場合には「都合」となるわけだ。
心理学的に価値観というものを更に分析出来たならこれも「理由」にはなるだろうが普通の人はそこまでしない。
604 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 21:26:45 0
意味は方便。そこに本質などない。
605 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 21:32:34 0
まずレコード屋、CDでもいいや、に行って、
洋楽の「L」からLED ZEPPELINを探し「レッド・ツェッペリン IV」を買う。
A面2曲目「ロックン・ロール」(Rock and Roll)を大音量で聴く。
これが「生きる意味だ」
これを聴くために生まれてきた。
江戸時代だったら聴けないぜ。ラッキーだろ。俺たち。
606 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 22:46:55 O
そのとおりだな。
607 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 23:14:13 O
何のために生まれて来たのかを考える時点で、理由がまだ配布されてないということ。
まあ、神は寝過ごしてるとでも思えば、気が楽になる。
子孫繁栄、細胞、遺伝の相続
人間というプログラムを残す為に生まれてきた。
自我はそのオマケ、
ちょっと生殖にドラマを付けるための。
だから、人を好きになるために生まれてきたのだと思う。
609 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 23:31:13 O
好きな人間なら汚したくないな。
610 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:01:56 O
>>608 本能で生きればそうなる。
人間には理性があるから必ずしもそうはならない。
知性と言ったほうがいいかな。
>>603 「何故そうなる?」と言う時、「何故」は理由に相当し、「そうなる」は意味に相当する。
意味として通用する為に理に適った理由がなければ意味を伝える事は不可能。
価値観とは、黄色と白の二つの色がある時、私は白が好きだが、他の誰かは黄色が
好きだというとき、それぞれの好みは価値観によって優位付けられるのであって、
何も心理学的分析や当人の都合など持ち出さなくとも、「好きだから」という理由を
普通の人は受け入れるものであると言えば、君の説がお粗末か実感できるだろう・・・
612 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:46:50 O
>>611 理由の「理」とは本来絶対的、普遍的な原理を意味する。
今日ではそういったことを無視して誰しもが何気なく使ってしまっているがね。
色の好みの理由、これも然り。
「好きだから好き」…これは理由ではなく「都合」なんだよ。
つまり価値観という都合。
普通の人は自分の価値観を分析しようとは思わない。
客観的にその人間が何故そういった価値観を見出すのか?分析するならば心理学ということだよ。
読みが甘いね。
つまり、君の知能が低いということを意味する。
これも客観的に分析してもらったほうがいい。
613 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:54:14 0
文字記号に捕われすぎ
>>612 > 「好きだから好き」…これは理由ではなく「都合」なんだよ。
いみじくも、君の持論どおり、価値観、君の都合という事にしかなっとらん。
「都合だから都合なんだ、理由などない」というレベルの知能しか持ち合わせて
いないだけの事。
君が浅はかでなく、思慮深い人間なら、心理学的分析を論拠にもって自説を
明かにできるはずなんだがね・・・・
まぁ、君は普通の人間で、分析心理学はできないというならば
「心理学ということだよ。」などと言える知識も持ち合わせていないわけで、
心理学かどうかなど、君の都合に持ち出しただけと言うことになるわな・・悪しからず。
>>612 理由の「理」とは本来絶対的、普遍的な原理を意味する。色の好みの理由も本来絶対的、普遍的原理を意味するのも然り。
故に「好きだから好き」は理由ではなく「都合」だ。価値観という都合。
「好きだから好き」という価値観という都合を何故見出すのかは、心理学だよ。
読みが甘いね。君は知能が低い。客観的に分析してもらったほうがいい。
これが貴方の言ってる事なわけだ。
読みが甘いとか、知能が低いとか、客観的に分析してもらったほうがいいとかは、はっきりいって、君の都合だし価値観で
論旨と関係ないから置いておくとして、「好きだから好き」というのは価値観という都合なら、
>要するに「理にかなっている」という意味を「理由」と言ってるわけだよ。
>逆に人の価値観を説明する場合には「都合」となるわけだ。
この貴方の持論が正しいなら、「好きだから好きは価値観という都合だ」に対する理に適っている意味として
理由を説明できる知能を持ち合わせている筈ですよねぇ?w
価値観と都合をどう使い分けているか、自覚があって使っているんですよねぇ?
それとも価値観は自分の都合だから理に適っているとか言い出すの?w
>>612 好きだから好きは、理由ではなく都合で、都合の中でも価値観という都合???
好きだから好きという価値観という都合を何故みいだすのかは、心理学???
色の好みの理由も本来絶対的、普遍的原理を意味する??
色の好みは理由であり、本来絶対的普遍的原理であり、価値観という都合であり
何故それが心理学かが問題ってこと?一体何がいいたいのあんたw馬鹿?
スレのタイトルを暗証しろよ。
関係ないことでもめるならよそでやれ。
だったら、お前はなんのために生きてるか書け呆け!
619 :
617:2008/10/10(金) 21:44:52 0
もう散々書いたからとりあえず私はいい。
恥さらしになっとることに気づけ。
私も同じことになるから、騒々しいことについてはもう書かん。
ちなみにどれを書いたというのかと言いたいのなら、私が最近
書いたのは601だ。
以上。
社会は個人を束縛する。社会(国家、集団、会社、家庭)は個人の生きる意味を
無理やり定義する。
正義が立場によって変わるように生きる意味付けも人によって異なる。
誰かが意味の前に存在しているとか近代的な?ことを言っている。
本当にそう思えますか?そのように合理的に考えて行動できますか?
ただ存在しているなんて言い切れますか?あなたは誰の影響も受けませんか?
本当の自主性とはなんだろうか?
心をもてあそぶ人たちがこの世界から無くなります様に。
622 :
考える名無しさん:2008/10/11(土) 00:37:47 0
善も悪も無い。ただもてあそばれるだけの空間。
623 :
考える名無しさん:2008/10/11(土) 01:34:31 O
624 :
601:2008/10/11(土) 01:41:40 0
>>621 自主性は、自身が歩んだ道程で得た経験を素直に発揮できるか
否かであって、当然、誰かから受けた影響をも内包している。
たとえばあなたが誰かに屈服するようなことがあったとしても、
そうしたほうが得策であるというあなた経験から得た結論による
自主性に他ならない。
「本当の自主性」の意味は良くわからないが、完全にfreeであると
いうことだろうか?私は骨格がない自我には自主性はないだろう
と思う。そもそもそれは自我とは呼べる代物では無いのではない
かな?。歩んできた人生からの経験あっての自我であり、それが
あっての自主性なのだ。
私は誰の影響をも受ける。過去から現在に至る世界の全ての影響
を受けて、今私はここに立つことができている。
ただ勘違いしないで欲しいのは、影響を受けるが、それは軸が
絶えずブレているということではないということだ。
生きてきた道それ自体が血肉のように成長したり時に丸め込まれ、
絶えず変化しながらたとえば価値観のような精神的な要素を形
作り、肉体を成す血肉とともに私を成している。
『他人の暴力や圧力に屈しないという意味の「真の自主性」は、
人生の経験から得た自身の感受性とそれに対する誠実さの
度合いが強ければ強いほど、それに近づくことができる。』
と言う表現は可能かもしれない。
心って正誤、善悪、快不快、好き嫌い、そういった相対的な+−のどちらかに落ちつけない感情の揺らぎ状態だと思う。
心の生理がつけられれば合理的でいられるものだから。
意味は、意識が味わっている感覚すべてを指すと考えれば、生きてさえいれば何らかの意味を常に味わっていて、
迷いや疑問ですら気持ちがそのように感じていれば、意味が有るのだろう。生きる意味は意識があればいつでも
その意味を意識できるのだから、生きる価値を求める心に惑わされさえしなければ、意味はいつでも味わえるものだろう。
自分で意味を見出す、作っていくのが生きるということだがな。
>>623 意味がわからないだけ。
?に答えられないから悔しがってるのは612だろうね、普通・・・
628 :
考える名無しさん:2008/10/11(土) 02:20:46 O
バレバレの自演ご苦労3
低脳君w
ごめんね、何がそんなに貴方を怒らせたのかわからない私は確かに低脳なんでしょう・・・さようなら
630 :
考える名無しさん:2008/10/11(土) 13:10:55 O
まあどうでもいいけどな
631 :
考える名無しさん:2008/10/12(日) 14:20:39 0
闘うことを嫌う人たちがいる。
そのような人たちは大抵、付和雷同な人たちだ。
人が闘うことを嫌う人たちがいる。
そのような人たちは嫉妬深い人たちだ。
物質を栄養として取り入れ、取り入れられた物は脳によって「感じ」や「気持ち」として
性質そのものを生み出し、目に見える物から見えない質に昇華する。
物には性質という質量があるけど、宇宙で時間が発生する以前の空間は、
目に見えない素粒子やガスなどしか存在していなくて、
それらの化学反応を因にして、新しい組合せの物質が結果として誕生。
生物の進化もその継続で、宇宙の摂理、法則性まで把握できる高いクオリティーで
質を生起する人まで進化した・・・。
時系列で、より複雑な物質に変化した物を、生物体によって元来の「質」という
位相まで昇華する機能がなければ、時空に物が存在する事は不可能だろう。
人は知能によって、それらの過程を生きる意味とは何か?を含めた「疑問」という
性質によって科学的な答え「知識」を出し続けてきた。
現代までに明らかになった客観的で、科学的な知識を組み立てていくと、
”物質が時空を通過するために「生きる」という生命の意味は在る”
という事になるだろう。
一人の固体としての生きる意味は、当然取り入れる感覚が時系列でひとつたりとも
同じではないから、一人一人違う生きる意味を感じ取ることで、違う質を全員が
生み出しながら、生きる意味であろう質を断片的に生産する。
結果的にトータルとしての空間の変化を止まることなく変化させている。
それらは、表では自由意思により個人が主体的に成しているように見えて、
裏では同時に宇宙の摂理の因果反応であり、物理的にも表裏一体とする位置に生物が
存在している事が裏付けているだろう。
地球・地表に独立する生物・それらを包括する宇宙空間。
宇宙空間から始まった時系列を一部の高いクオリティーを持った人間は理解し
一生の間に答えを巡る旅を味わえるのだ。
意識の発生。
観察する者と観察対象。
なぜそんな物事が・・・
意味?
わからない。
とりあえず死ぬまで観察を続けよう。。、
こんな感じ。
意味がわからないなら観察というより、見物レベル?
635 :
考える名無しさん:2008/10/14(火) 04:20:55 0
>>631 戦う事を好む人たちがいると、一番迷惑だが。
636 :
考える名無しさん:2008/10/16(木) 21:49:51 0
「社会人たれ」と言うのを耳にしたり本で読んだりすることが最近あった。
日本人は善と悪の意識が弱い国民だと思う。何が正しいのか、悪なのか
という判断はその所属している集団が決めると言い切っている。
本当にそう思いますか? その集団が間違っていることは絶対に無いと
言い切れますか? 社会人になることは人生の目的と思いますか?
社会人になることは義務ではなく権利だと思います。
KYと言う言葉が流行ったりする理由もうなずける。
日本人は宗教的意識が無く恥の文化であることがよくわかる言葉(社会人たれ)
だと思う。
私は、社会人になる前に「人間であれ」と思います。
637 :
考える名無しさん:2008/10/16(木) 22:20:14 0
>>1僕はおっぱいを揉むために生きてる
638 :
考える名無しさん:2008/10/16(木) 22:24:26 0
>>636 真に社会人であればいいのだと思いますよ。
実際には、会社人や、省益人ばかりなのが問題なのではありますまいか?
頭良いね、その通りだと思う
明日の用事のために今夜も死なない
641 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/17(金) 15:40:44 0
生きることは死ぬことと見つけたり!
だって「生き急ぐ」と「死に急ぐ」ってほとんど同じ意味じゃん。
642 :
考える名無しさん:2008/10/18(土) 02:21:17 O
言葉の意味合いが全く違う。
生き急ぐとは限られた寿命の中で人生密度を上げること。
643 :
考える名無しさん:2008/10/18(土) 03:51:01 O
自分の行いがどのような展開をたどってきたかを確認するために。
生きる意味は、という問いで何を求めているかは人それぞれでしょうけど、
僕はより質のよい快楽を得るのが生きる価値であり目的です。
質のよい快楽とは、上品で礼儀正しく規則正しいものです。
645 :
考える名無しさん:2008/10/18(土) 08:41:09 O
646 :
考える名無しさん:2008/10/18(土) 10:32:38 0
なんで人生の目的が倫理にとらわれなければならないのか。
647 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/18(土) 11:25:17 0
>>642 なるほど、そういう違いがあったのか。第二ラウンド(勝手に)。
ヘーゲル『精神現象学』序文
「精神の生とは、死を避け、荒廃から己を清らかに保つ生ではなく、死に堪え、死のただなかに
己を維持する生である。精神がその真理を獲得するのは、ただ絶対的な四分五裂のただなかに
自己自身を見出すことのみによっている。」
否定的なものを存在へと逆転させ、抽象的な存在にすぎない物を止揚し、真の実在となるのである。
ウィトゲンシュタインが答えてくれるよ
>>647 なるほど?
死に急ぐだって
「限られた寿命の中で人生密度を上げること」
十分意味として通用するんだけど
650 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/18(土) 12:00:16 0
>>649 たしかにそうかもな。
ググってみた限りでは別の意味だったんだけど。
651 :
ネオマトリクス:2008/10/18(土) 13:25:12 0
ではここで登場
『なぜこの脳から自分の意識が発生するか解明し
それを自由にできる方法を探し、死んだ後に
先進国の大金持ちの健常者に生まれる為』
という、とてつもなく実利にかなった理由です。
俺は、この『脳と意識』の謎を解明するために生きてる。
>このスレを見ている人はこんなスレも見ています
とありますが、リーマン・メンヘルは
「なぜ、苦しい日々を生きなければならないのか?」
という、快苦が問題なんですね。
生物の快苦は、初期条件で決まるんです。生まれた家とか。時代とか。
金持ちかイケメンかどうか。
これら全てを解決するのが
『脳と意識の謎を解き明かすこと』であり、これを解明し応用し
死んだ後に大金持ちで生まれる事が今の人生の意味だ!
>>651 先進国の金持ちの健常者に生まれることが、快苦から自由になれる条件じゃないから却下
>>651 いくつか質問。
@.死んだ後、何かに生まれ変わるというのは、どのような経験によるものなのか?
A.死んだ後、何かに生まれ変わることが宿命なら、 「 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる 」 を実践
することを検討することは愚か者のすることか?
B.あなたはどのような方法で、「 『脳と意識』の謎を解明する 」 努力を実践しているのか?
C.例えば麻薬を用いて肉体の健康を損なうことなく、快楽や完全に真実と感じる大金持ちに
なった気持ちを味わうことや、臨死体験のような神秘的な体験をコントロールして味わうことが
でき、精神的な苦痛を感じることを絶対に起こさず、法の制約を受けず、それを一生続けられる
としたら、それで満足できるか?
D.苦楽が問題なら、実のところCの方が現実的のような気がするが、どうだろう?
(「 必ず生まれ変わりがあり、それをコントロールすることが可能 」 と完璧に信じているなら別)
E.「 快・苦 」 を 「 幸・不幸 」 と置き換えて差し支えないか?(差し支える場合、理由も
よろしく。)
F.「 困難な人生を生き抜くこと = 不幸 」 か?
655 :
ネオマトリクス:2008/10/19(日) 13:18:08 0
>>654 返答
@今の宇宙が、無から生まれたから、何千億年とか経過し宇宙が
無になってもまた無から生まれるはず
A愚か者ですね。とてつもない愚行。理由は、実験用動物や
海外の貧困層といった苦痛の生物になる危険があるから
B『物事の存在と変化の第一原因』『原因・理由とは何か』
といった事を思索することです。ある程度分かった事では、
分かる=感覚の一種で、原因は理論上は無限通りで
何を原因と感じるか
CNO.理由は、『永遠に、無限通りの、快楽だけ』感じるのが目的なので。
D完璧に信じてるので別。現実的には、親の遺産がつきるまで今の人間で生きて
意識の謎を研究し、難しくなったら安楽に脳の活動停止で、別の生命へ
E差支える。人間は、苦でも不幸という欲求不満ゆえの思考をするので。
いや、SMやスポーツのような、快楽である苦痛はありますがね。
Fでしょうね。人間は、身体的苦痛まみれなんで。
ゲームや将棋といった困難さと、身体を動かす困難さは、別。
前者は快だが、後者は苦まみれ。カス。
要は、人間の構造は苦を感じやすい。ならば、意識の謎を解明し自由にし、
もっと快の多い生物の脳で意識が発生すればいい。
いや、応用で、永遠に、快楽だけの方がよくないか?って話
証明できたことがある。
人のためにやった行ないでもそのように受け取らない人たちもいる。
自分のために努力しても馬鹿にする人たちがいる。
苦しくても生きていかなければならない。
大切な家族のために。
657 :
654:2008/10/19(日) 22:46:44 0
>>655 突っ込みどころが多いのだけれど、あなたがまだ10代というように若いのならば、
生きる理由というものを考え続けていけば、いつか違う結論にたどり着くだろう。
もし30超えてそのような考えであるのなら、つまらないことになっても自業自得
というものだ。
今何か一つだけあなたに対し助言に足る言葉を選ばなければならないとしたら、
「人生にとって、何かを信じて生きていくことは問題でない。しかし妄信は、ただ毒である」
という言葉を送ろう。
ただし、ここで「問題でない」と言っていることについては、「苦難が生じない」と言う
意味ではない。
658 :
ネオマトリクス:2008/10/19(日) 23:39:19 0
>>657 君らは人間の本能や常識に染まりきってるね。
意味なんざ『快楽か苦痛か』だけだろ。
自業自得とか毒とか問題ないとか、苦痛ならダメで快楽ならオッケー。
これだけ。常識とか世間の論は下らねーw
でさ、人間ってのは、心身の構造上、苦痛を感じやすいわけよ。
ならば、さっさと人間でなくなろう!ってのが
賢い人の思考ね。
しかし、そこにも問題がある。今の、この苦痛まみれの動物に生まれた原因が
全く分からないから、死んでどうなるか全く分からない。
動物に生まれ変わりとかあったら危険だ。
だから、安全性の為に、意識の謎を解明する。
自分の存在ってのは、単に思考と感覚が存在する事であり、
「タンパク質で構成された動物が運動する事」=生きる
ではなく、今の思考と感覚を生む条件が↑だから、生きる=食べ寝て働き
っていう思考に走り易い。
>>658 意味は快楽か苦痛かだけじゃなく、正確には性質を表してるだけ。死や生という状態の性質を概念として言葉にしてるだけのこと。
死んだあとの、動物が動く物としての性質を失っているのに苦痛や快楽を得る為の五官もなければ、意識に出力する脳機能も
失っているのに、死んでどうなるとかこうなるとかんな力が消費しつくされて壊れたテレビがテレビとしての性能を失えば、
やがてサビ、朽ち果て風化するそういう性質に変化するのと同じで、人間も朽ち果て風化する。
役割は形の変化に伴って性質を変えるだけ。そこに人間が持ち出した生だの死だの、快楽だの不快だのそのような性質はモノ=動く物=動物
としての性質がなくなれば、意味をなさない。
なぞなんてない、風化する過程で植物の肥料になるか、蒸発した水蒸気を生きている誰かが吸い込むか、性質としての変化が続くだけで、
偶然動物の栄養源として取り入れられれば、人はそれを動物に転生したと言えるのだよ。意味を何か奇跡やわからない現象として捉えるから、危険なだけ。
自分の存在は意識上に存在する体内の物が反応して新たに性質が変化し、脳内物質が神経を通って、感覚を意識の質として排出する役割を果している
に過ぎない。
つづき
車は、車を構成している物質が固定しているから、単純にガソリンを動力にして排気ガスという物質を排出するけれど動物は、動物を構成している肉体
という物質そのものが変化しながら、複数の物質を動力として取り入れ、それらを構成部位に相応しい性質へと変化して肉体という動く物の性質を
変化させるために、感覚という変化を排出する事で、排出された純粋な質のみを人が、快・不快の感覚から派生する様々な経験上の
記憶を道具として、理に叶った判断や思想へと再取り込みして、最終的に納得して快を得たり、迷って不快感を
感じたり、その繰り返しによって、更に不快を避けようと反応して動き、変化する、「固体として動くという」生物の性質を保っている。
つまり、動物に生まれ変わっても、既に意識を構成する身体機能を持った動物にとり込まれ
自分の肉体を構成していた物質の一部しか生まれ変われないし、生まれ変わったところで、
意識できるのは、自分の肉体の欠片ではなく、脳をもった動物の方であり、その動物が自分の肉体の欠片を
栄養素として、精子が構成されたとしても精子自体は、他の物質の性質を寄せ集めの反応で動いているんであって、
精子に意識する役割が無い以上、危険は伴わなえないのだよ。
生きてればいつかは楽しいことあるよ良いことあるよ、辛いことばかりじゃないよ
しかし現実は
苦痛>>>>>>喜び
一瞬の快楽により生という名の苦痛をやわらげているにすぎない
生きることに執着しすぎた人間の悲しい宿命
662 :
考える名無しさん:2008/10/22(水) 21:16:04 0
動物を観察すれば生きる目的は自明の理なのに、人間と動物はそんなに
ちがうもんかね?
人間は動物が進化して知能という後天的行動ルールをもったんだが、だからって
動物の一種には変わりないだろ?
知能を持つことで人間は様々な環境に適応して世界の隅々まで繁殖することが
できたんだ。
人間以外に同じくらいのサイズで世界中に60億もの個体数を増やした生物は
いないわけで・・・。
生物ってのは常に環境に適応することがその種の維持、繁栄には必要。
人間が知能を持ったのもその生物の大原則に立ったこと、鳥が翼をもったり
肉食獣が牙をもったり、草食動物が早い足をもつのと同義なんだよ、適応の結果だね。
適応というより開拓だろ
国が美しくなるために活動する事が、人間の生きる意味である。
自分が所属する国を誇り高い国にする事が、生きる意味だ。
国を貶めている人間は生きる意味がない。
665 :
考える名無しさん:2008/10/22(水) 21:42:14 0
>>665 馬鹿者。
思想の正しさに新しいも古いも関係無い。
流行思想が正しいわけでもポストモダン思想が正しいわけでもない。
よしりんの公民主義保守思想こそ普遍的な最強思想なのだ。
人類という「種」を生かすためだ。
669 :
考える名無しさん:2008/10/23(木) 10:47:19 0
670 :
考える名無しさん:2008/10/23(木) 17:22:48 0
まあ生きる意味を問うって行為は、その裏返しは
辛い、しんどい、快感が少ない(=充実感に乏しい)って状況に脳がこのままじゃいや
って拒否反応を起こしたって状態かな?
だから生きる意味を問うって行為はその個人なりの快感が多い(=充実感が得られる)、
不快感が少ない状態をどう創り出すかっていう、環境適応の人間版みたいなもんかな。
動物は本能にしたがった行動をしていけばたいがい環境に適応するように設定されているが
人間は本能の具体的行動の設定が壊れて、知能によって後天的に環境に柔軟かつ迅速に適応
していかなければならないから、そうなるといえる。
岸なんとかの幻想なんとかだっけそれ?
672 :
考える名無しさん:2008/10/23(木) 22:40:56 0
そうだね、唯幻論。
人間の精神に哲学好きな人は意味を過剰に貼り付けすぎに思う。
人間の知能や意識は大脳の発達で獲得したものだけど、それは鳥が翼を得たのと
同義だと思うけどな、より安全に、より繁栄するために人が外界に適応しようとした
試みの結果だよ。
それ以上でも、それ以下でもない。
俺には難解な哲学はよく分からないが、上記のことさえわきまえてればそれで
充分なんじゃないかな。
? ℘ ? ℘ ? ℘ 大文字のP(スクリプト体)、WeierstrassのP関数
? ℑ ? ℑ ? ℑ 大文字のI(ブラック体)、虚数部
? ℜ ? ℜ ? ℜ 大文字のR(ブラック体)、実数部
? ™ ? ™ ? ™ 登録商標記号
? ℵ ? ℵ ? ℵ アレフ
674 :
考える名無しさん:2008/10/23(木) 23:50:00 0
普通に生きることが難しい時代。
そんな時代なのに闘わずしてどのようにして生きていけるのか。
終身雇用が崩壊し弱肉強食の時代ですよ。
675 :
ネオマトリクス:2008/10/24(金) 00:24:35 0
>そんな時代なのに闘わずしてどのようにして生きていけるのか。
闘う事自体愚かでは無いですか?
自分が、平安時代の貴族や江戸時代の庶民を見て、
当時の文化・価値観で彼らが生きて、何かとに怒り執着し闘ってるのを、
下らない事と思いませんかね?
我々も同じ。
『本能』や『幼少時から植えつけられた無意識』に動かされ、
快苦で思考し行動する。生きるとは快苦オンリーです。
周囲の価値観や文化で意味だとか、下らない。快苦のみ。
で。俺は賢人の生き方を見つけたんですよ。
・まず、寿命を30年とかでも納得できるようにする
・その年代まで、親の金で遊んで働かず生きる
(寿命が短ければ可能)
・同時に、死んだ後を自由にできる方法・楽な脱出法を探る
・金が尽きてきて、無事に死んだら、俗に言う生まれ変わりで
先進国の金持ちの親が甘い健常者として生まれる
これ。生まれた条件で無暗に生きるのは快苦に疎い野蛮人ですね。
賢人は、快苦を自由にし易いように、生まれを選ぶ術を探す、と
676 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 00:32:26 0
たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら 人間生まれてきたかいが ないじゃないか
677 :
566:2008/10/24(金) 00:47:39 0
人間は大脳の発達とともに、価値観というカテゴリーに多くを割くように
なった。
次第に自分の生きる意味は何か、生きる価値はあるのかという問いを
思い巡らすようになった。
自分自身に価値が見出せない人は悲観的になり、場合によっては自殺
にはしる。
動物たちの中にも、増えすぎると自殺をするネズミなどがいるらしいが、
基本的には自ら命を断つ動物と言うのは限られている。
動物たちはヒトより知能が劣るとよく言われるが、一方で、ヒトが認識でき
ないなにかを認識できる生き物はたくさんいる。
犬や猫だって、鼻や耳は人の何倍も利く。鳥類はヒトが見ることのできない
波長の光を見ることができるという。
同様に、「多くの動物たち、あるいは植物たちはヒトより達観している」とは
言えないだろうか。
厳しい自然の中で、どのような状況になろうとも生き抜こうとする。自然界
の中での自分の生きる意味を言葉にはできなくとも、全身で感じている
可能性は無いだろうか。
ヒトは自分の価値観への執着と、それが示すものを追いかけることに力を
傾けるあまり、全体をみる(感じる)事をやめてしまったことによって、自分
自身がどういう存在であるのかがわからなくなってしまったのだ。
>>675 百歩譲って、何らかの方法によって生まれ変わりをコントロールすることが
可能だとして、聖人君子たちからかけ離れた思想のあんたが、そのような術
を見つけ出せるとは到底思えないね。
俺にはあんたが生ける亡者に思える。
それとも妄者と呼んで欲しいかい?
ああそうだ。もしあんたの研究とやらがうまくいけるとなったなら。
とあるアメリカの軍事研究施設で、ラットの脳の快感中枢に電極を挿して、
研究者の操作するコントローラーの通りに動いたら、快感中枢を刺激して
「ご褒美」をあげることで、ラットをロボットのように動かすという研究が
行われている。
あんたは、そのラットに生まれ変わったら良いんじゃないか?あんたは
たいそう賢いんだろうから、一杯気持ちよくしてもらえるだろうさ。
人間かどうかなんて関係ないんだろ?気持ちよければ。
679 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 01:46:55 O
680 :
おてもやん:2008/10/24(金) 02:16:03 0
思慮分別を付けること
正しいことは正しくあり、美しいことは美しく、
その通りに表現仕分けることです
681 :
1/2:2008/10/24(金) 02:56:58 0
私は、人が死んだ時点でそれがどのような人生であっても、その人がそれまで生きてきたという事実は本人にとって全く無価値なものになると考えます。
今私達が生きているこの世界でどのような事が起ころうとそれらの出来事は死後の世界(仮)と互いに全く干渉せず、全く関わりをもたないものだと考えているからです。
その考えは、人の意識についての考えをもとにしています。意識とは脳によってのみ存在するのだろうと思います。散々唱えられている説ですし、寝ている時には意識がないですし。
すると、人が死に脳も死ぬと意識の存在は消滅すると考えて良いと思います。
私個人は人間の意識や自我に関して、意識とは生物が生き残るための様々な状況判断・分析をするために脳が進化したことによって、
より様々な状況に応じることができるようになったために物事のあらゆる想定や、本能に対する分析などができるようになったことの産物であると考えています。
つまりは、人間の意識とは神がかり的な、特別なものではなく脳の死によって消滅するという考えの強調というか念押しです。
ここで、仮に置いた死後の世界の存在についてですが、死後の世界というものを意識がなくしてどうやって認識できましょうか。
生物的に機能が完全に停止したその物体はただ、そこにある物体でしかないのではないでしょうか。私は死後の世界とは存在はしえないものと見ています。
やはりこの世と干渉し合い得る対象はやはりこの世の中に限られるのです。死者が自分の人生に価値を見出す以前にそれを認識する意識が存在しないのです。
そのように仮定した以上はその価値すらそもそも存在しないことになります。
人生の価値というのは実際に生きてきた人生そのものに対応するものですので、つきつめると今生きている自分も存在していないことになります。
デカルトが自我を認識した事実は一体、どこのデカルトの中に存在しているのでしょうか。思う我亡き今、その自我は彼の死をもって彼の中にはそもそも存在しなかったとは言えないでしょうか。
そして、私は生物は死ぬとだけは断言できます。これだけは紛れも無い真理であると確信しています。
この真理と私の考え方を結びつけて考えますと 死をもって生きてきた事実は無価値となす(死後は無)+確実に死は訪れる→生きることは無価値 となってしまうのです。
682 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 02:58:07 0
くたくたで家にかえる、ただいま・・・。
すぐに、4歳の子どもが抱きついてくる、のを抱きしめる。
4歳のくせにやけにハグ強いなって思う。
そうか、オレの帰りを待ってたんだなって気づく。
生きてる意味なんて、いくらでも出てくる。
683 :
2/2:2008/10/24(金) 02:58:35 0
そして、これはあくまで『個』についての見解です。
『個』については死が訪れるのは絶対的真理としましたが、『種』としてみた場合はどうでしょうか。私は『種』が半永久的に続くことは可能性としてはあり得ると言えるのではと考えます。
私たちに性欲があるように、生物(個)は本能的に種の繁栄を目的として生きています。ここで、この繁栄というのは種としての永遠を求めてのことではないのかという考えが生まれてきます。
では、種が半永久的に続いた末には一体何があるのでしょうか。それを考えると『個』の存在意義以上に、『種』の存在意義の方に何か絶対的に作為的なものを感じずにはいられません。
また、存在期間が限られている個の連鎖によっての種である以上、種が永遠に続くと仮定しても、個に直接的な意味合いは為さないといいますか、私たちは生殖することでしか、その永遠の先にあやかることはできません。
だとすると、個としての「人生」と言うものはただ、馬鹿馬鹿しいものであります。
何がために私たちにただ生殖をするだけでない「人生」と言うものが存在するのか、と考えますと、その個でしかない私たちに対する慰めか何かなのか、わかりませんが、それに妥協してしまうのは馬鹿馬鹿しくてなりません。
逆に永遠は不可能だとすると、更に馬鹿馬鹿しくてやっていられません。
私たちは、何の意味があって時の流れの中に一瞬の存在を残すのでしょうか。
滅びる結末しかないのに誕生した意味はどこにあるのか、まさに生物の個そのものの一生を物語っているようです。
こんなことを考えながらも一応は人生を生きていますが、人生というものへの意欲は湧くはずもなく、とうとう引きこもってしまいました。
学校を休んで、ただ無為に個としての存在を浪費する毎日です。
人生という側面から言えば私は今重要な時期にいるのは頭ではわかるだけに、どうにかして人生に対する根本的な意欲を見出したいのですが…。
これは人生相談板のほうが良かったでしょうか。あそこだとそれらしいことは言ってくれそうなんですけど寝て起きたら忘れそうな上っ面の感情論のような気もします。
なのでどなたかにどうかここはひとつガツーンと言っていただきたいのですが。
684 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 08:59:51 0
↑まずは3行以内に文をまとめる練習してくれ。
濃い3行をくれ。
それを実行していると生きる力出てくるよ。信じろ!
685 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 10:46:26 0
>>683 悩んでじっと立ち止まり苦しんで死んでも一生。
快を求めてあがくのも一生。
わかるかな?
人間は必ず死ぬって事実からでも動くか、じっと立ち止まるかどちらにでも
理由付けできる。
どうせ死ぬなら、自分が納得できそうなことをやって死ぬって活動的な
方針も取れるんだよ。
ただいえるのはそうやってウズクマッてるのは、それはそれで苦しい思いを
延々と味わわなくてはならないってことだ。
もう君はその場所がイヤなんだろ?
俺が言わなくてもやることわかってんじゃん?
がんばろうよ。
>>683 全くそのとおりだね。
ただそうは思わない人もたくさんいるみたいだね。
生殖するのは彼らに任せて、我々は静かに滅んでゆこうではないか。
687 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 14:34:38 0
>>1 「生きる意味」ねぇ…それがわかれば生気が湧いてくんの?
そんな単純なもんじゃないんじゃない?
688 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 15:28:00 0
ただ単に意識というプログラムの現象の一つ
現状を変える行動を起こすべきときに、フリーズしてるだけ。
ただそれだけ。
「生きる」と「意味」を辞書で引けば結構スッキリしますよ
生きてる事の価値(死んでない事の価値)を見出せればそれが意味なのかもしれません
なぜ生まれてきたのかは別の話とすれば・・
>>683 >>566や
>>580を書いた者だけど、生きる意味・自分が生きる事の価値について悩む
なら、昔から言われているように、いかに死を迎えることを望むかをまず考えたら良い。
あなたの言うように、意識のあるときにしか考えることができないことだ。
あなたの説で言えば、『死んでしまってからでは後悔すらできない』のだから、
今のうちだ。
苦しくとも深く人生を掘り下げて考えようとすることからしか生まれないことも沢山ある。
それを乗り越えてこそ視える何かもあることだろう。
無為に過ごしたとあなたが言うその日々も、『いつか』に繋がっていくのだ。
今のあなたがなければ決して辿りつく事がない『いつか』のあなた。のみならず、
未来の世界(宇宙)という全体へ。
死の後にある意識についての仮説は沢山あるけれど、誰にも証明はできないから、
考えても真実の結論・結果は出ないに違いない。
もしどうしても考えたいのなら、心に余裕があるときに考えたらどうだろうか。
691 :
ネオマトリクス:2008/10/24(金) 20:03:22 0
>>678 >聖人君子たちからかけ離れた思想のあんたが
これは異な事を申すのですねw
いわゆる疲れたサラリーマンやリア充でない学生とかは、
皆、共通の根源的な悩みを持ってるのですよ。
『自分がこの人間に生まれたのはなぜか?
最先端の科学ではどうなってるの?だれか教えて』
人生相談板なんかでも、
量子力学ではどう扱われてるの?とか散々挙がってましてね。
(親の年収や容姿や病気などですが)
それを解明するのが、機械スレや「この私」スレのテーマなのですよ。
で、俺はある程度解明した。
快苦の根源に迫る、意識の仕組みを解明しようとしてるので
聖人君主の一種でしょう、哲学板の私達は。
>あんたは、そのラットに生まれ変わったら良いんじゃないか?
いえいえ。ラットだと、癌になった場合の激痛がマズイので・・・。
まあ、人間でなくてもOKってのはその通りですがね。
そうそう。皆さんに申し上げますが、生きる意味=快苦ってのの根拠で
『快苦こそが、あらゆる生物に共通の絶対的な普遍の感覚』
なんです。視覚、聴覚、知能、感情、食欲、性欲、どれかが無い生物もいますが
どんな生物でも、快苦を感じるという点では、共通。
あらゆる生物の生きる意味は快苦です。
>>691 なら人間のまま、ラットと同じように脳の快楽中枢に電極挿してもらえよ。
そして自分でコントローラー動かせば、ちんこいじるおなになんか比じゃないぜ。
快楽求めてあがいてるお前なら本望だろ?なあ?
693 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 20:42:37 O
たしかにヨダレだらだら垂らさせるくらいなら現代科学でも可能だろう
何を失っても、どんな仕打ちを受けても、快楽で涎ダラダラ。
・・・醜悪だ。
でも彼にはそれが最高で、たまらなく得たいと思う究極のものなんだ。
695 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 21:02:39 0
都合のいい見解より不愉快な真実のほうが重要だよね。
でも人々は気持ちのいい方を選ぶんだよね。
解離性障害になりそう。
696 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 21:11:05 O
>>683 全く同じ悩みを抱えています。
今年大学受験を控えているだけに、こんな時期に
やっちまったなぁ…・∀・;って感じです。
絶望的にやる気がしない。
自分の生きる意味を
「後世に何かを残す事」と割り切ってみても、
それさえいつかは収縮する宇宙のモクズになる気がして
本当にどうしようもない無力感に襲われるんです。
そう考えると、自分たちの命って
何かを為すには余りにも短すぎるし、
何もしないで過ごすには長すぎるんですよね。
まだ十八歳。もう十八歳。
うちのばあちゃんはもう八十歳。
人生選択の幅を狭めないようにと、
今はただひたすら勉強する事しか考えられません。
楽しく生きたいね!・∀・
697 :
690:2008/10/24(金) 21:46:48 0
>>696 俺はとっくに30過ぎてるけど、若いころはそんなモンだったよ。
今だって悩みは尽きないしね。
にんげんだもの、みたいな。
ところで
>>691 ×聖人君主
○聖人君子
な(世間では)。意味は
[立派な人徳やすぐれた知識・教養を身につけた理想的な人物。
「聖人」は最高の人格を備えた人。「君子」は学識・人格のすぐれた人。]
つまり欲望まみれで稚拙な
>>691とは正反対だね。
本当の聖人君子なんてほとんどどこにもいないだろうし、当然俺も違うが、
「聖人君主の一種でしょう、哲学板の私達は。」
なんてあなたと同じだとひとくくりにされたら、さすがに引くわ。
まあ、「聖人君主」の意味が良くわからんから正しくはなんとも言えないか。
ああでもやっぱり、ひとくくりはやめてくれ。
698 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 22:49:35 O
>>697 >>696です。
いくつになっても悩みは尽きないんですね。
それが「割り切り」だとか「諦め」に変わらないように
毎日一生懸命に生きていきたいと思いました。
699 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 22:56:27 0
生きる意味なんて、結局生まれてしまったからに過ぎないよ
なかなかのことじゃないと本気で死にたいうとは思わないけど、生に執着するほどでもない
まず生まれてないなら、生まれて生きたいとは思わない
もちろん「無」の状態で意識があるならばだけど
人生なんて基本的に苦痛の塊だしね
で、何を言いたいかというと人間は不確かなものが嫌いな生物で、
生きる意味、理由を後付けして
自己の「生」を正当化しないと生きられないんだよ
意味や理由なんて本当は何もないのに
701 :
考える名無しさん:2008/10/25(土) 09:58:11 0
>>700 意味が無いと言うと怒る大人たちがいるんだけど?
702 :
考える名無しさん:2008/10/25(土) 14:29:01 0
無いと言うと怒るけど、「じゃあ意味を教えて?」と聞くと答えられない。
703 :
考える名無しさん:2008/10/25(土) 15:29:05 0
「NO GUTS NO GLORY」
闘志が無いところに栄光なし
いい言葉だね。
704 :
考える名無しさん:2008/10/25(土) 21:35:41 0
普通の家庭に生まれ、
いろいろあったけど安定した職についている。
女にもてなかったけどみあいで結婚、
子ども二人でいる。
こんな人生あがった自分は「生きる意味を考えること」なんて意味なくなった。
生きる意味を考えるっ人てのはあがってないか、あがる可能性のない人ではないか。
これって単なるだだこねているだけにみえる。
あがって人で「生きる意味」を真剣に考えている人の意見を聞きたいものだ。
あがるってどういう意味?
706 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/25(土) 21:49:54 0
女性で逝ったら閉経とか終わってるっていみだよ。
男で言ったら年老いて立たないチソコって意味かねぇw。
ま、上がってる=終わってるって意味だろう。
707 :
考える名無しさん:2008/10/25(土) 21:53:51 0
人が生き続ける限り、生きる意味を考えないわけがない
708 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/25(土) 21:55:56 0
>>704 あがっちまった人(生)にどんな意味があるw。
愛する女房殿に愛する子供達w、
あがるって意味も分からんじゃないが、
俺は戦いたい。
俺は、いまだ独身だが、死ぬまで俺はあがらないで
悪足掻きするよw。
までも、こういった人生は、結構辛いが、あがっちまう
人生にも面白みをもてないだろう俺は果てしなく辛い。
俺にも潤いをおくれよ。 もう限界かもな。
709 :
考える名無しさん:2008/10/25(土) 22:00:19 O
二酉大丈夫か?
710 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/25(土) 22:14:43 0
最先端心理学の選択心理学(突っ込みどころは山ほどあるがw)に従えば、
愛はきわめて重要だが、おれにとって親も含め他人から愛される経験は、
99.99999999%皆無だw。
つねにネットじゃ高笑いしてる俺だが、俺を認めて(愛して)くれる精神科医か
彼女が出来ない限り俺は、地獄を味わうだろうし、いまだささいな緊張症に
悩まされてるし、もう死ぬしかないかなぁと思いながら死ぬのは痛いし苦しいのは
嫌いだしなぁ、と思ってる昨今であるw。
最近殆ど限界だが、思考力は極めて驚くほどに明晰だwwwwwwwwwwww。
おまえらを詰まらん一語で括ってやるからねぇwww。
までも、死んじゃってもいいのだけれどね。w
711 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/25(土) 22:30:14 0
生きることに意味をもとめるんじゃねぇよ、
このウンコ共がwww。
712 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/25(土) 22:37:37 0
ごめんぽ、選択論心理学だ。
心理学ってかなり楽しいのになぁ。
713 :
ネオマトリクス:2008/10/25(土) 22:57:13 0
俺は輪廻思想こそ事実だと思う。
自ら(意識)の行いにより、肉体を持ってしまい、今になってる。
↑は何かって言うと
『化学反応・始原細胞・単細胞生物のころからの
快楽を追い求めた行動』です。
おそらく、最初は単細胞生物で些細な快楽を追ってたんでしょう。
それが、快楽を追ってたから、感じやすいように多細胞生物になって
更に複雑化して今の人間になった。
単細胞生物の頃から、快楽を追ってたから、苦痛が発生し、それが
どんどん巨大化していって、今の苦になってる。
なので、脱出法は、目先の快楽を捨てる事では?
肉体的快楽を捨てれば、輪廻から脱出できると思う。
つまり、生きる意味は、快楽を追わず、執着しない事。
生きるために食うのか…
食うために生きるのか…
715 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 00:26:56 0
まぁ、搾取し供給することだろうな。
>>713 なんか今日はわりとまともなことを言ってるな。
考え方が一日で180°変わるみたいなことがしばしばあっても困るが。
執着心は大様にして精神的苦痛を作り出す。その通り。
チベット仏教じゃ、愛着さえも煩悩の一種らしいぞ。
ところでちゃんとメシ食ってるか?
717 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 03:19:44 O
例えば扇風機の用途は涼むためのものだ。
そして、人のために扇風機は存在する。
これを生きることに置き換えてみればいい。
この時点で自分の生きる目的を扇風機の用途のようにハッキリ言える人間は数少ないであろう。
目的がハッキリ言えるならば、誰のために生きるか?も言えるはずだ。
人間ならばおそらく他人のため、自分自身ためとなるであろう。
これらを根本的に否定するならば、それは生きる意味についてではなく、「人間は何故存在するのか?」について考えたほうが良いだろう。
扇風機は、人が涼しくなりたいという動機から意図的に作られるが、生命の誕生に動機も意図も無い。
進化による自然発生である。
あえて言うなら、地球の自然環境、生態系バランスのために個々の種とその数量は存在すると言いたいところだが、人間に限ってはそうとも言い難いところである。
生態系において唯一、亜種な存在であるといえよう。
そのような存在が何故生まれてくる必要があったのか?
やはり、その誕生に意図されたものが無いからであろう。
718 :
匠師 ◆WWWTRICFRM :2008/10/26(日) 03:32:32 0 BE:960498274-2BP(1000)
719 :
◆BqMAGNUM/Q :2008/10/26(日) 03:38:43 0 BE:343035825-2BP(1000)
720 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 10:31:22 0
ここに記述して、迷惑をかける人全てに、ごめんなさい。
「絶対的な理解者」に↓のように、ここまで云われた人間でも生きる意味は
あるのでしょうか?
>
人はそれまで生きてきた過去のしがらみ全てを短い時間で消す事は出来ない。君がどう受け止め
ようと、私は君を騙す事は出来なかった。本当に寂しさを紛らわすだけの存在であれば今も変わ
らず話をしていた。沢山の時間話をした中で、私は君に本当に幸せの意味、そして幸せになって
欲しいと望んだ。だからこそ寂しさを埋め時間をごまかすだけの自分を打破する為、君から離れ
彼との問題を含め正直に自分と向き合い、本当に自分自身と向き合えた時点でもう一度君と話す
事が出来る事を望み、そして私は正直にそれを君に伝えた。さっきも書いた通り、連絡を取らな
い間君の事を信じる反面、連絡を抑えてくれている状況に対し本当に感謝した。そして「連絡が
取れないからと言ってそれが終わりでは無い」という信頼関係の存在を君が理解した上で受け止
めていてくれたと信じていた。そんな中いつかきっと君に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝え
たいと強く思い一日を過ごすのに必死だった。心から君を信じた。しかし君は人を嘘で試し自分
の寂しさをぶつけ、最終的には自分を守る為に信頼を試す形で欺ながらも「幸せ」を望むという
矛盾だらけで残酷な攻撃を続け、最終的に私という人間を破壊した。最後に、偽りの人間性で世
間に属し、弱さを残酷さで隠す事で人を破壊する君の生き方の犠牲者であっても、その生き方を
祝福しよう。
人はウンコするために生きてるんだよ
おいしいもの食べて、気持ちよく一本糞して、満足して寝る
素晴らしい人生!
723 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 12:51:37 0
生きる意味を問うことは、水浸しになって寒さで高熱を出しているときに「なぜ熱を出しているのか」
を考えて突っ立っているようなものだ。
まともな人なら、そんなことを考えるのはやめて、すぐに体を乾かし、温め、薬を飲むなり
現状の不快を取り除くために動くだろう。
>>723 生きる不快を取り除く方法として、生きているから不快なのだとういう至極真っ当な状況を解消するという
言わば、水浸しになって寒さで高熱を出している愚かさ自体を原因と見なし、
愚かである限り再び不快に遭遇する事を、まともな人なら理解するであろうし、
愚かさを克服するための不快を含め、愚かな自己そのものを解消するために動くこともあるだろう。
725 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 15:59:34 O
負け組お疲れさまです。
>>725 意見を勝ち負けで意図的に捉えてしまう人は自分に負けた人
組みに引っ張り込む負け犬根性乙
727 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 16:49:53 O
…?ww
馬鹿は頭が回らない分、自己嫌悪から免れるってことで
729 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 18:08:56 O
俺圧倒的勝ち組じゃないかww
どうせまだ意味わからない727wwwwww
731 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 18:11:45 O
せめて理解と言えよ。
732 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 18:19:02 0
>何のために生きているんだと思いますか?
ただ生きてるんだと思う。
733 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 18:23:33 O
我々は疑っているとき、自ら存在していることを疑う事はできない。
自我と感じうるなにものかが、何らかの「方向性」を持つ限りにおいて、
それは証明される。
735 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 19:23:06 O
おまえは死ぬまで保留する
>>720 生きる意味を考え続けることをあきらめなければ、あなたは成長できる。
あなたのようなものこそ。
「絶対的な理解者」とあなたが信じる人ならば、未だ彼(彼女)はあなたを
信じたいからこそ、あなたの未来と二人の信頼回復のため、そのような
ことをあえて言ったのでしょう。
737 :
考える名無しさん:2008/10/26(日) 23:54:15 0
生きてるってことは、意味より先にあるんだよ。
>>1 べつに生きたくはないけど
生きないように努力すると
生きようと努力するより
疲れるし、苦しいので
つい生きる
739 :
考える名無しさん:2008/10/27(月) 00:19:53 0
難解な言葉で生きる意味を思索するものこそ怠惰で自己弁護、自己欺瞞に溢れている。
これからの時代、実践、実行こそ尊ばれる。
740 :
ネオマトリクス:2008/10/27(月) 00:52:14 0
>>716 いえいえ飯はあまり食ってませんよ。
思うのですが、肉体と肉体的快楽・肉体的苦痛は
炎症と痒みと似た感じじゃないですかね?
痒いのが苦でかくのは快楽。だからかく。すると、炎症が更に酷くなり
痒みという苦が増す。だからかく・・・のループ。
輪廻もこういう感じじゃないですか?
欲求不満や空腹が苦。だから性欲や食欲に走る。
すると、肉体が巨大化したり生物が増え、意識は肉体に執着し
死んでもまた生物になる。
>チベット仏教じゃ、愛着さえも煩悩の一種らしいぞ。
愛着も寿命を大切にする気持も常識もそうでしょう。
野良猫に餌付けして大切にすると、それが轢かれた時とかに苦痛。
寿命にこだわると、余命何年の宣告で苦痛。
常識にとらわれるから、コンプレックスがある。
よって、肉体的欲求も捨て、常識も捨て、寿命も気にせず、ただ
『肉体から解放されたい!!宇宙の強制から脱出したい』
だけ願えばいいのかも・・・?
741 :
考える名無しさん:2008/10/27(月) 01:08:22 0
歴史の終焉以後に蔓延する極度のニヒリズム。
その明白な徴候こそ、「生きる意味」への疑問に他ならない。
彼岸に夢見た黄金の楽園が徐々に去り逝き、
此岸に建設された平等の民国が無残に崩壊した今、
我々人類は、新たな目標、実現すべき理念、
そして新たな神をも必要としているのだ。
この偉大で創造的な課題を前にして、
どうして奮い立たないで居られようか?
どうして生きる意味など考えている暇があろうか?
生きる意味は無いように出来ているのです。
743 :
716:2008/10/27(月) 20:28:18 0
>>740 死後のことについて自分でどうなるかを信じることは勝手だし、誰かに感想を
求めることもまたわるくない。わかりえないであろうことについて夢想する時間
を持つことにはきっと、人生を生きる上で意味があるだろうし、賛成だけど。
でも誰にも真実を証明できないと思うよ。自分自身にもね。
たとえ妄信はできても、それは論理的な証明じゃないんだ。
だから、死後のことを前提に生きようとするより、いかなる心境で死ぬことを
望むかを考えて生きて行くのが良いんじゃないか。
と俺は感じているよ。
生きるんだという主体がいる。その主体者の主体性にこそ生きる意味があるのだよ。
>>744 死ぬんだという主体がいれば、その主体性にも生きる意味があるのだよ。
746 :
考える名無しさん:2008/10/28(火) 00:35:40 0
死ぬことを考えるってことは、生きてるときに何をするかってことだ。
行動に焦点を当てない考察は、その本人に何の快感も与えない。
欲求不満なんでしょう
749 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 04:01:26 0
会社に入ることが社会参加なのか?
個人として会社以外に参加し行動することは悪いことか?
ボランティアでも何でもしてください。
社会・周囲の人達の迷惑にならない範囲で。
751 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 13:35:05 0
ボランティア以外になにも無いのか?
友人、知り合い、サークル、クラブ、学校、飲み屋、趣味
人生色々。
社会参加 = 会社 の悲しい人にはなりたくない。
752 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 13:36:05 0
会社に入っている人の方が迷惑かけている人が
多い現実。
753 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 13:55:02 0
日本人は組織に入り個性を抹消することが美徳と考える。
アンガージュマンなんて日本じゃ流行らない。
もともと日本じゃ自由なんて無い。それを考えることすら恐ろしいこと。
社会に参加することは大勢側に付き波風を起こさないことであり
自立とは社会の変革を起こさないで生活することである。
デモにでも参加してみろ。日本じゃ大変なことになる。
754 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 17:48:34 0
>>737 そんなことは無い。
お国のために命をささげる人たちに失礼だ!
755 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 17:59:36 O
それではここでみなさんに質問です。
死ぬ事に意味はありますか?
756 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 18:18:26 0
>>754 失礼とか言うレベルで片付けるのかよwギャグ?w
死ぬことの意味の方が納得しやすい気がする。
幼稚な話し方だけど、生きることは何かを犠牲にして
自己肯定的で身勝手な感じがする。
死ぬことは何かの犠牲になり献身的でヒーローのような感じ。
まーよくわからんな。誰かわかりやすく解説してみろよ。
じゃあみんなとっとと何かのために自分で詰腹でいいじゃない。
759 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 18:58:42 O
誰も答えず?
死ぬことには解消するという魅惑すぎる意味がある。
761 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 22:02:14 0
>>753 >日本人は組織に入り個性を抹消することが美徳と考える。
そんなことはないでしょ。組織に縛られることを嫌って自営する者は
たくさんいるし、デモに参加する人も一定程度いるよ。
マスコミがちゃんと報道しないだけ。
762 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/29(水) 22:06:10 0
俺にもおくれよ、生きる意味。
既に何時死んじゃっても何となく納得しちゃう
自分が今ここに居る。
生きる意味がねぇんだよ。
次の瞬間死んじまってもいいと思ってる。
763 :
◆TANPanX3xc :2008/10/29(水) 22:11:42 0
よう。
一応時間は止めてるぞ?
「生きる意味がない」
そぅか。
やっと気付いてくれたんだな
ジョン・コンスタンチンコ!
私が導いてやろう。
樹海→
お帰りならコチラ
ローソン←
魔王「絶対ローソン?」
閻魔「いやファミマでもw」
短「セブンはないのか!」
閻魔「べ、別に何処だっていいっつぅのw」
767 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/29(水) 22:32:11 0
閻魔とか変な名を入れるな紛らわしい。
このウンコなTANPanめwww。(←煽ってるのではなく、
可愛がってやってるのだよw。文脈と文言は正確に理解しようおwww。)
お前って奴は、呼ぶと答えるのか、分かりやすいwww。
死ぬことを自分で決める、つまり自殺にはおのずと意味が見出される。
それ以外の死には意味を見出しにくい。同じように生きる意味も見出しにくい。
何故かと考えてみると生きることも死ぬことも生物としての仕組みだからということになる。
生まれながらにして生きようとする、そして寿命が来たら死ぬ。
そこには自分の判断は含まれない。だから意味なんか見つかりっこない。
生きる意味を追求するなら自殺しかない。
自殺には死に対する意味付けのみならず生への意味付けも含まれる。
まだ生物として生きていられるのに敢えて死ぬ。
自分の感じる意味のために死んでみせる。
その死はその人生に脈絡を生み出す。
769 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/30(木) 00:12:25 0
時間が止まってたまるか馬鹿垂れ。
時間の正確な定義が必要になるわなアロワナw。
時間を議論するなら時間の定義を
明確にしないと議論は進まない。
志村シュタインなら兎も角も、アイーーーンシュタインwww。
時間・・・つまり定義論だろうな。俺にとっちゃ、
時間といわれるものくらい曖昧なものは、
ほかの何をさしおいても、見当たら無いわけだがね?。
時間を絶対的なX軸に納めたい時間至上主義者なら
兎も角もねぇぇへへへへへwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww。
俺は主義主義(←誤りではない)からいち早く気付き、
嫌悪し、またその主義に傾倒する人間なのだからね。
だはははははwwwwwwwwwwwwwwwwwwww。
770 :
考える名無しさん:2008/10/30(木) 00:12:44 O
>>755 人の死は、その人がどう生き、どういう死に方をしたかを考え、自分の生き方を見つめ直す機会を与えられているんだと思う。
771 :
ネオマトリクス:2008/10/30(木) 00:14:52 0
>>743 >たとえ妄信はできても、それは論理的な証明じゃないんだ
これが常識的思考故の限定された思考です。
どこまでが論理的か?となると、結局は
この瞬間しか断言できない。
あとは全て妄信。例えば
寝て起きたら俺の意識がこの脳から発生するかどうか、これは
理論的には全く分からなく、妄信の話になる。
ただ常識的感覚で疑問に思わないから、妄信と思わずに
寝て起きて意識があるのは理論的となってる。
別な話では、物理法則も、今この瞬間は存在しても
一瞬後〜永遠に普遍なのか、いつか変わるのか、全く不明。
同様に、脳と意識の法則のようなものも、普遍なのか全く不明。
つまり、論理というのは「こうだから、こうである」程度の事で、
重要なのは、自分の意識が何を絶対的と感じるかだと思う。
重力、物理法則、意識の発生、こういうのは絶対的に感じるが
魔法や超能力などは絶対的に感じない。
この、絶対的に感じる事こそが、これから先に存在する事だと思う。
で。意識・生死については?俺は因果的な事を絶対に感じるんだよ。
意識が、快楽を追い続けた結果、些細な快苦を感じる物質から
複雑で量の多い快痛を感じる物質になった。
生物になったのは、食を中心とした快楽を追った結果だと思う。
772 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/30(木) 00:25:39 0
>>768 >死ぬことを自分で決める、つまり自殺にはおのずと意味が見出される。
そこには共感するが、意味(目的)なく自ら死ぬ奴は100%いないだろう。
生きるには理由が要るんだよ。でつまり、その理由が指し示す
意味が分かったとき、解決策が見出され、そして次の瞬間に
絶望感に襲われることになる。
そして死んでもいいかと思い、死にたいと思うわけだが、
極度に抽象論でごめんね。
神の悪戯>>偶然の産物>>DNAの柵>>ミーム?悪戯>>親の馬鹿さ>>自分の愚かさ>>他無限大w
って俺が今まで考えてきたことは確かだwww。
生まれたということは命を頂いたこと。
何故頂いたかは偶然としか言いようが無い。
夜空には沢山の星がありその光は何万年も昔に発した光。
そのきれいな光を見れた感動。喜びを感じるはずだ。
生を頂いたことに喜ばなくてはいけない。
生まれた奇跡に喜びを感じ命を頂いたと思えたら自ずと生きる意味も
わかる筈。
よって
>>1の疑問は背教的なので宗教裁判にかけます。
774 :
考える名無しさん:2008/10/30(木) 00:42:28 O
生きる意味は特にありません。人間が作った物やシステムを全てとっぱらって生活すると勿論美しく、しょうもない生活が待っています。
日常的な苦しみや悲しみは人間が故意に作ったものでしかありません。生きる事にも死ぬ事にも本当は意味はありません。それでもまだ本気で死のうと思いますか?
>>774 本気かどうか、改めて聞かれてみれば、ふむどうかな?って感じだけど
生きてるの面倒くさいんだよね。うまく死ねれば生きなくていいってだけで
チャレンジする価値は自分にはある。
まぁ、まだ先の話だけどね。
776 :
768:2008/10/30(木) 00:54:42 0
>>772 >生きるには理由が要るんだよ。
そうかな?個人的には全く必要としたことがないので。
まあ必要とする局面もあるのかな、とは思うけど。
それより死ぬ理由ですよ、気になるのは。
自分の将来には必ず死が待っていると明確に分かってしまうこの辛さ。
とりあえず醜い死に方はしたくないと思うので猫のように誰にも見つからない場所で
死を迎えたいなあとは思っております。
その美意識がチンケな僕の生と死に対する意味付けです。
777 :
考える名無しさん:2008/10/30(木) 01:09:10 O
ある程度の年齢になると自分の為だけに生きる気持ちがなくなってくる。必要とされたい、思い通りに過ごしたい、それが叶わないと臍を曲げ何もかも面倒くさくなっていく。
778 :
◆TANPanX3xc :2008/10/30(木) 01:46:57 0
>>769 なにがんがってんのw
時間って、すげぇ数式出来てるじゃんか。
これこそ、哲学と最も遠い所にあるってのに、
志村うしろ!!!
やだなぁ。まったくw
>>777 そういうのって、自我の幼稚かえりとでも言えそうなきがする。
本当に自我が未熟な子供の時代は俺様は親に大人に守られ可愛がられて当然って自我に支えられ、
ある程度大人になりかけ、青春時代は俺様はもう一人前なんだ、なにもかも自分で出来るんだって自我に支えられ、
大人になると、自我の確固たる自信と社会人としての自信にも支えられてる、
上手くいかなくなると、どうして自分は駄目なんだ、価値の無い人間なんだと自我が揺らぎ、終いには誰かに必要と
されなければ自我を満足させる事すらできず、捻くれだし、へそを曲げ、それまでの自信はただの習性だったと知り
本当に自我を育てなければならない自分と向合う時期にさしかかる。みたいな。
780 :
考える名無しさん:2008/10/30(木) 20:47:20 O
そういうのとは違う話じゃないかい?
人との繋がりが欲しいとか損得勘定で過ごすことに心が満たされないことに気づき始めるということだろう。
781 :
考える名無しさん:2008/10/30(木) 22:47:33 0
意味を聞いてどうしたいんだろう?
大事なのはそこだと思うんだけどな…
意味がなければ生きていてはいけないのか?
そう思う人が結構いるみたいだね。
罪悪感が強いのか何なのか。
いい人ぶりたいのかな
784 :
考える名無しさん:2008/10/30(木) 23:17:35 0
生きる意味とは自分に対して自分がどのように行動するかを意味する。
死ぬ意味とは自分に対して自分がどのように行動してきたかを意味する。
と思いますが、、、
世間に対して自分がどのように行動しようとするかで世間に対する生きる意味を伝える。
宣言することと行動したことを区別して
世間に対して自分がどのように行動したかで世間に対する生きてきた意味を伝える。
厳密にはこうだと思うが、
世間はしようとすることとしてきたことを同時にひとつのものに捉えて、
その意味は?とひとつの事象に纏め上げようとする。
ここでいう世間には弊害がある。
過去の自分とこれからの自分とを混同し、
〜であるということと〜がしたいということをひとつにしてしまい。
前後の見境なく意味のないものに捉えさせてしまうという弊害だ。
クズであるという自負があるならばいつまでもクズであることに疑問を呈するだろう。
自分はエリートであるというならばこれまでもこれからもエリートであったという何かを探し続けるだろう。
くだらない話ですまない、、、
785 :
考える名無しさん:2008/10/30(木) 23:20:24 0
自己の状態を既定する以前に過去と未来を混合して
自己を捉えるという中で、、、、
生きる意味ってなんだろうとつぶやいてみると。
隣人は「臆病者」などの言葉が生まれるかもしれないが、
「生きる意味」に含まれる中身を理解しない、出来ない。
という意味においてそのような評価さえも無意味(とされる)だろう。
だから過去と未来においての自己と現在の自己と
互いに何の変化もないと規定するのは早計だと思う。
今まで生きてきた内容を混ぜっ返してみて、考えた末に、
ただ、「あの時なにしたっけ?」というぐらいの意味合いでもって
「生きる意味」という混合された感触を生むのではないか?
「これから何をしよう?」というのも
「分からない」という感触での「生きる意味」でもあると思う。
同時に自己の状態を過去、現在、未来であるとして混合せざるを得ないのが
生きていくうえでの認識では避けようがないことでもあると思う。
自分で既定して自分でどうだったかこれからどうなるのかを考えると。
「生きる意味」という漠然とした言葉が個人的意味合いを持つと思う。
昨日何を食べたか?というのは脳トレなんぞ以上に
「生きる意味」を感じるうえでの一部に捉えたとき
自己の生活の一部においてこれは重要だろうと思う。
錯誤的ですが、以上。
786 :
考える名無しさん:2008/10/31(金) 02:06:10 O
人間はどうして生きているのか考えても人間が出す結論は所詮、人間の感覚におけるものだからなあ。
つまり「意味」とは何か?ということである。
それは我々が「当然である」と納得する論理であったり、科学であったり、証拠といったものであろうが、結局こういった尺度がどこまで通用するかが分からない。
未来永劫、人間に意味不明なことが別の存在にとっては意味があるということもあり得る。
当然その意味を聞けたとしても理解することが出来ないということだ。
787 :
考える名無しさん:2008/10/31(金) 03:28:55 0
生きる意味か。。
愛するものがいるから、だろうな。
これを失ったら、オレは間違いなく狂うと思う。
この場合の意味とは、「なぜ」、「なんのために」ってことだね。
つまり、「理由」と「目的」のこと。
理由は簡単。
親が産んだからってことと
死ぬことを避ける遺伝子が組み込まれてるから。
そうでなければすぐ死ぬから、存在しえない。
目的は難しい。
目的とは誰かの意志により決まるもの。
自分で決めるしか無い。
宇宙が存在する意味を考えてみるといい。
宇宙が存在することで、地球が出来て、人が生まれた。
他人に影響を与えることができたら、その人の存在する意味があると言える。
790 :
743:2008/10/31(金) 21:15:08 0
>>771 遅レスすまんね。
とりあえず、なんか話が噛み合ってないんじゃないかな。
>>771であなたの言っていることの主旨は、
『論理より自分の感性を信じるほうが大切だ』ということでOK?
だとしたら、それは私にとっても当たり前のことだよ(まあ私の場合は「感性」もそうだけど
「認識」も重要だと思ってるけど)。
私はその上で、
>>743のようなことを言っている。
『で、意識と生死については?』というのは、私がそれらに対してどのような考えを
持っているかということかな?
仮定は沢山できるけど、絶対的なんていう言葉で言いきれるほど、私は経験を積んで
いないから、なんとも言えないよ。沢山の仮定を用意しておいて、実生活での感受性を
高めていければ、それは心の平安につながるということは経験的に言えるけど。
>>755 その質問はもう少し煮詰めてくれないと答えにくい。
というか、「有る」・「無い」とだけ聞きたいのか?その理由を聞きたいのではなくて?
「有る」・「無い」とだけ聞きたいのなら、そんなのは何の意味があるのか。
もし理由を問いたいのなら、もっと条件を絞るなりして欲しい。
誰が死ぬことなのか。自分か、知人か、他人か、ペットか、自然界の生き物か、もっと大きな生態系全体のことか。
受動的になのか、自発的になのか、受動的でも自発的とも言えないような突発的なものなのか、病気や寿命によるものなのか。
死んだ者にとってなのか、残された者にとってなのか、それ以外にとってなのか。
そもそもあなたの言う「意味」とは?「価値」という言葉で置き換えられるものか。
ちなみに有るか無いかとだけ問われれば、有ると答えるしかない。
無いと答えるのだとしたらその理由は何か、私には思いつかないから。
792 :
生:2008/11/04(火) 01:55:16 0
痛、哀、苦、楽、喜、怨、死
人は痛みを感じることによって死にたくないと思える。
人は哀しみを感じることによって絶望を味わえる。
人は苦しみを感じることによって誰かに助けてもらいたいと思う。
人は楽しみを感じることによって人生を見つけようとする。
人は喜びを感じることにより生きようとする。
人は人を怨むことによって罪を犯す。
人は死を感じることによって・・・・・・・・。
全ては生きるため。。。
あなたは今・・・・・・・・・生きていたいと思いますか?
793 :
考える名無しさん:2008/11/04(火) 03:31:29 O
生きる意味とか目的を誰に教えてもらいたいのかあらためて考えてみる必要がある。
出来るなら神に問いたい意識が根底にあるのではなかろうか?
また、「人間社会を生きる」といった狭義なものと「生命が生きる」といった広義のものとでは全く違った意味合いにもなるという点は認識すべき。
794 :
考える名無しさん:2008/11/04(火) 13:34:47 0
どう生きるかは、世間の泳ぎ方。何故生きるかは、宗教性。
特に生きる意味はない。うまれてきたその流れか?
>>794 そうだね。生きる意味を探すためにいきているわけじゃないんだから
意味を求めてる時点でナンセンスだとおもう。
どう生きるかは、泳ぎ方に同意、何故いきるかは、俺にとっては
苦痛の回避でしかないな。
綺麗ごとを言っても、結局その綺麗ごとを達成するためには苦痛の
回避が避けられないし、その事実は生きているすべての人間に
当てはまる絶対的な事実だから。
だから、うまれてきたその流れか?という結論もホントそう思うよ。
>>795 ならばあなたは、苦痛無しに死ぬ方法によって死ぬことを許容できるのかね?
>>796 許容する対象が俺自身てことで
且つ、自分が納得した「苦痛なしに死ぬ方法」でなら、許容する。
798 :
考える名無しさん:2008/11/05(水) 10:48:11 O
生まれてきたことに理由が有るのか誰も知るよしは無い。
故にその先の生きる理由などわかるはずもない。
ただ、ゴキブリや蚊などを見てると生命の意味など個体レベルには無いとも思える。
固体レベルに生きる意味があるから、進化してきた。が
既に動物界の進化はヒトから退化が始まっているのだから
退化を生きている人間が生きようと死のうと意味はない。
だから、どちらでも好きに選べるようにできてるのだよ。
800 :
考える名無しさん:2008/11/05(水) 17:10:16 O
進化することが意味と?
ならば進化の目的があるはずでは?
退化で進化の道が閉ざされたかどうか知らないが、では元来存在した進化の行く末を聞かせて下さい。
802 :
ネオマトリクス:2008/11/05(水) 22:58:07 0
>>790 >『論理より自分の感性を信じるほうが大切だ』ということでOK?
はい。その結果、俺は、俺の全ての行動は
(自由意思で行えてる、俺自身の選択だと感じる行動は)
快苦が根源なので、意識が肉体に付随して存在する原因も、
元を辿ってくと快苦ではないか?と感じ、
今の科学的な論は捨ててます。で、輪廻思想と。
>>795 生まれた個体にとっては、やはり快苦でしょうね。
人間のどんな道徳も、オナニーも、労働も、苦行も、私腹を肥やすのも、
全ては
『肉体的・精神的な快楽を感じ、苦を感じない』為でしょう。
で、そこで生まれる問いが
「なぜ、自分の意識が、強制的に快苦を感じる生物の一つとして存在してるのか?
何か神のようなモノでもいるのか?だとしたらソイツの目的は?」
といった事で、この手の問いが生まれるのでしょう。
意味ってのは、個体が感じる主観だから、やはり快苦でしょう。
例え種の為国の為でも、それがその個体にとって快だから行うのですし。
問題なのは、
『なぜ、強制的に、苦痛まで感じる構造の、生物の一つとして
自分が存在しているのか?』という問いです。万人に当てはまる。
803 :
秋葉原電撃祭りさん:2008/11/05(水) 23:39:09 0
私は家電製品を買うのが生甲斐だ
できるだけ最新式の質が良くて値段を安く手に入れたい
そうすると、待てば待つほど新しい家電製品が出てきて性能はどんどん良くなる
買わないで死ぬ数日前に買えば最も新しいものを無駄使いせずに手に入れられる
だろう。
だから、我慢して新しいのが出るまで待つべきだ。
>>803 いい選択だ。そのうち無くてもいいことに気づくべきだ。
>>802 少なくとも、俺個人は快楽を感じる必要性を感じないね。苦というマイナス感情を感じなくする為には快楽が必然的に必要か?
と考えてみればそうじゃないだろう。例えば腹が減ったというマイナス感情を無くす為に、なんの味もしない
サプリメントを食っても、快楽は感じない。しかし空腹という苦を感じなくする効果は十分ある。
> で、そこで生まれる問いが
> 「なぜ、自分の意識が、強制的に快苦を感じる生物の一つとして存在してるのか?
何故、自分の意識が、強制的に快苦を感じる生物の一つとして存在してるのか?
ではなく、人間はそれまで進化してきた生物と違い、負の反応を多く知覚する種として存在
してるだけのことで、負の知覚に大きく振り子を揺らして(比喩するなら、地球生物として固体に必要な
エネルギーを100とするならば、ホモサピエンスのそれは生得的に50とかしかないと考えられる)
反応してしまう、箍の外れた神経系のブレ幅が、時系列で物理的に脳内から身体を行き来している
伝達物質による不快を、過去の経験によって会得した記憶の概念とリンクすることで、ヒトは心をを生起するのであって、
神だの目的だのといったホモサピエンスの種にしか通用しない幻想を「問いとして」値すると判断してしまう時点で
その人は、最早知的生物としての判断能力を失っていると考えれば良いだろう。つづく
ヒト以前まで進化してきた生物には、客観的に見ても満たされたという感覚がない。
ヒトという種にしか不快から快への振り子反動によってもたらされる反応『笑う』行為を行う生物がいない事が実証していると言えるだろう。
ホモサピエンスは常時マイナス、失い、満たされない存在ゆえに、笑う=納得、理解、満足という反応をするだけで、
そこに神や目的を見出そうとするのは、ヒトという種がマイナスを生きる生物だからである。
つまり、ヒトは知的に優れた生物的に劣った存在であるという前提に立てないヒトは、目的やなんらか(神だとか)の幻想によって
自我を確立せざるを得ないと言える。
存在しているのは反応しているからで、強制的に、苦痛まで感じる構造なのは退化した生物としてそれでも生存しているからで、
逆説的に言えば、存在する為には苦痛を回避しなければ生存できず、先に快がある訳ではなく、
先に苦があるからこそ避けようとする反応が働き、生得的なエネルギーを逃避反応によって
消費し尽くすまで、自然に存在できるだけであり、そこには既に何の疑問もないという事が理解できたのではないだろうか?
807 :
考える名無しさん:2008/11/06(木) 18:18:36 0
>>807 どちらが賢いか気にしてるのは貴方だけだけどね。
>>807 どちらが賢いか気にしてるのは貴方だけだけどね。
おまえら頭いいな
811 :
790:2008/11/07(金) 01:38:48 0
>>802 あなたは、
「科学論は捨ててます」といいつつコンピューターをいじり、
「性欲は捨てました」といいつつ「ただオナニーはしますがね」という。
混乱しているだけかもしれないけど、苦痛は生物にとって生きていく
うえで必要なものだということくらい想像できないかね?
怪我をすることをいとわないようになってしまっては、生物は生きて
いけない。苦痛どころかそうすることで快楽を得られるような生き物
は、暇つぶしに自分の身を切り刻んだりするかも知れないが、
そのような生物は生きていけない。
苦痛があるから、何らかの対策を立て(微生物でさえ)生きていく
ことができるのだよ。
生きていくことを判断できていない微生物に生きていく事という意識が
ないのだから、対策をたてることもできなければ、生きていく事もできていない。
微生物は単に反応しているだけ。
人間も結局は対策を立てているつもりになっているだけで、それが
功を奏すかどうかの結果は生きている間に、効果を感じるか感じないか、その
反応、感覚に頼るしかない。
生きていこうとするか、死のうとするか?その意思が可能なだけで、
生きていく事は常に結果として跡を残しているだけなのだよ。
813 :
考える名無しさん:2008/11/07(金) 17:18:12 P
愚者に生きた人間と
智者として生きた人間
この二つが人生を終えた時
価値は違うのでしょうか?
歴史に名を刻もうが財を成そうが
血を残そうが、人類にとっても世界にとっても何の価値も無いですよね。
清貧は報われるでしょうし
成金が報いを受ける事は
職業柄見てきたので知っています。
ただ、お互いにゼロサムな人生を送ったのだから
特にどっちが良い悪いは無いですよね。
意味に対して「こうあるべき」を求めるのはお門違いです
814 :
考える名無しさん:2008/11/07(金) 17:25:12 O
まあ
俺様は銀河生命体いや宇宙創造主まで進化する目的で生きてるがな
おまえらとはスケールが違う
>意味に対して「こうあるべき」を求めるのはお門違いです
こうあるべきなんて意見いってる人いたっけ?
816 :
811:2008/11/07(金) 20:50:56 0
>>812 なあ。支離滅裂なことを言っていることに気づいてないだろ?
人間も微生物と同じように、実は反応しているだけだというようなことを言っておきながら、
何故、人間が微生物が生きていくことを判断できていないと良い切れるのか。
そもそも『苦痛があるから、何らかの対策を立て(微生物でさえ)生きていくことができる
のだよ。』ということの反証になってないし。
『人間の行動や思考も単なる自然(物理)現象に過ぎない(かもしれない)』というくらいの
想像は、別にあなたじゃなくたって沢山の人がしていることだよ。
>>813 個人的には、死ぬ時にやり遂げたという満たされた気分で死ねれば、それが価値ある
人生と言えるんじゃないかと思っているよ。
もちろん客観的には残された人が判断するんじゃないかね。
ただ、その人がどのように生きたかで世界の歴史は変わるのだから、意味や価値がない
人生と言うのはないのでは?
例えばある個人が生涯部屋から出ない人生を送るか、そうじゃない人生を送るかで、
世界のその後は変わるんだよ。良い悪いはともかくとして。
817 :
考える名無しさん:2008/11/07(金) 20:55:57 O
818 :
考える名無しさん:2008/11/07(金) 23:06:25 0
それでは、みなさんは自殺をすることはいいと思いますか?
悪いと思いますか?
教えてください。
819 :
吉田メロウ:2008/11/07(金) 23:19:01 O
>>818 生物学的に人間には「自死(寿命)」ってのは予めだな、
設計図として、組み込まれいる。それと別個に社会学的な
意味に於ける自殺を考える場合。常に問題化されるのが、
その原因だ。つまり自殺を考える場合個体レベルに還元で
きない何かがあるということだ。
>>816 君が勝手に支離滅裂にしてるだけ。
>>人間も結局は対策を立てているつもりになっているだけで、
対策をたてているつもりになれる道理を弁えているのと反応しているだけの微生物は天と地ほどの差があるわけだよ。
ただし効果を感じるか感じないかは感覚の反応に頼るしかないと書いてあるだろ。
> 何故、人間が微生物が生きていくことを判断できていないと良い切れるのか。
微生物に思考回路を構築できる脳の構造そのものがないのに、判断しているつもりになれる性能があると判断できないからですがなにか?
> そもそも『苦痛があるから、何らかの対策を立て(微生物でさえ)生きていくことができる
のだよ。』ということの反証になってないし。
え?意思が可能なだけで、「生きていく事」は常に結果として跡を残しているに過ぎないという結論を導いた思考であって、
そもそも君の意見の反証しているわけじゃないんだけどw読んで気付けなかった?
> 『人間の行動や思考も単なる自然(物理)現象に過ぎない(かもしれない)』というくらいの
> 想像は、別にあなたじゃなくたって沢山の人がしていることだよ。
はぁ、それはそうなんじゃないですか?沢山の人がしていることだと、取り立てて補足してもらうような事じゃないけどね。。。
821 :
818:2008/11/07(金) 23:32:04 0
>>819 ありがとうございます。
人が自殺をするときは何かしらの社会的意味があるということですよね?
自分としては生きる意味は答えることができない。
じゃあ死ぬ意味は?って聞かれると「苦しいから、面白くないから。」
って答えが見つかります。
ただ、毎日何をしても面白いと感じないからっていいます。
じゃあ、死んでみれば?
と言われると自分は自殺をすることができない。
いつも自殺をしたいと思っているのにじゃあやれって言われるとできない。
とても不思議です。
822 :
吉田メロウ:2008/11/07(金) 23:42:34 O
>>821 死が個体を超えたものであるってことは、生もまた個を超えて
存在するという事だよ。
(´-`;)yー~
>>818 個人は命を所有しているかもしれないが、生命力の所在は個人の人格と言うより命自体に有ると言えるだろう。
個別の自殺理由を省いた純粋な意味として、「自殺」=「自分で命を絶つ」という点で考えれば、
生命力を絶つ個人の意思力が、命の力を上回っている点で、自殺した人に自殺する権力が備わっていた
と言えるため、いいと言わざるを得ないと考える。
824 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 00:31:24 O
どうしても社会性とか種としての意味でしか考えられない人ばかりだね。
社会性とか種の保存を抜きに考えたら生きる意味は無いのかい?
社会性なんて生きることが前提でそれ自体は小さな問題だよ。枝葉に過ぎない。
>>824 ていうか、社会性とか種の保存を抜きにした考えっていったら、そんなの人それぞれだし自由でいいわけで
こんなところで語る必要無いと思うけど。意味があると思える人には有るし、無いと思う人にはないってだけ。
他人の生きる意味なんて、考えてあげる意味ないし、自分の個人的な生きる目的や意義なんて自分で
解っていれば十分でしょう。
826 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 01:41:45 O
>>825 俺が言いたいのはね、人それぞれな生きる意味ではなく、もっと根源的な生きる意味を語れる人が居ないってこと。
道理というものがあるなら更に道理を生んだものまで遡った話が聞きたい。
もちろん真実を人間が知るよしも無いが、どういった可能性が考えられるかの方に個人的には興味があるわけ。
827 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 01:42:42 O
828 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 01:59:45 O
生きる意味を知っても無駄
どうせ生きる目的に
傾倒できる気力もない
829 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 03:10:59 O
相変わらず狭義的だな。
ほんとは皆、心の底ではわかってるんだ
あの世も無けりゃ、産まれた意味もない
雄と雌が交尾して産まれただけ
死んでも魂が輪廻とか無いし、ただ無になるだけ
天国とか地獄とか宗教とか全部ウソっぱち
人民を統治しやすいように考えだされたものだし
ただ生まれて、ただ死んでいく
わかっちゃいるけど、それじゃ寂しい
金持ちなったって、イケメンだって、名誉ある地位築いたって
マジメに生きたって、ずるく生きたって
自殺したって、長生きしたって、
死ぬ。どうせ死ぬ。死ねば一緒。無。
でも皆がこんな考え方になったら
宅間まもるみたいなことする奴なんかでてきて困る。
>>826 なら最初からそう書けばいい。
根源的な意味を語れる人がいないからって、君が言う考えられない人達にそれを求めるのはお門違い。
君自身で道理を遡って考えればいいのだよ。
君に道理がないというなら、しょうがないけどね。個人的に興味があるなら、個人的に思考を巡らせ
意見を提示すれば、他の可能性をレスしてくれる人も現れるだろう。
少なくとも、このスレでも、道理を生んだものが、物理的反応に過ぎ無いという話は出ている通り。
>>830 どうせ死ねば一緒、無。なのは考え方というより事実だね。
それが事実だったら無差別殺人をしたくなるって人が特に出るとは思えない。
望まれて産まれて来たとわかってる人の方が多いでしょ。
雄と雌が交尾して産まれただけって状況の人もいるかもしれない、
レイプされて出来ちゃった子供とか・・・。
だとしても、無差別に人殺ししようとする人間に育つかどうかは別の話。
834 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 12:35:21 O
つまんねー意見しかないので終了だな
十字架を背負いたいのかねw
832は性善説だな
でも悲しいかな人間の本性は悪
残酷な生き物だよ 人間は
それを押さえてるのは倫理とか道徳とかの観念
結局、死ぬならそんなもの無意味って考える連中も出てくる
逆に一回きりの人生、立派に生きようって奴もいるんだろうが
神様が見てなくても、絶対バレないとわかっていても
悪いこと、ずるいことをしない
なんて奴そういないぜ
性善説、性悪説の前に、言うなれば性苦説がどちらにしても前提として君臨してるだろうね。
人の性が苦だからこそ、苦をどう捉えるかによって性善説と性悪説に分かれるだけ。
苦を癒し、癒され、克服しながら生きれることに有り難さで捉えれば性善説
苦を癒せず、癒されず、克服できず、生きる事を強いられていると捉えるなら性悪説
倫理観というのは負わされて抑圧してでも〜するべきという類の知と理によって支えられる
道徳観を基に学べる類のものではないだろうか。
道徳観というのは個人の資質、性質によって自然に導かれる道理であって抑圧されたものではないだろう。
例えるなら、法律で殺人は罪になりますよと規制されていなくても、普通に人としての性質が道徳的であれば
無差別に人を殺すような行為を嫌悪するもので、そこに法の抑圧など関係ないから。
生きてる事に意味を見出そうとする事自体が馬鹿げている
人も宇宙も生も死もリサイクルされる原子にすぎない
生きているという事も死んでいると言う事も同義ではないのか?
生きていなければ意味を感じる事はできないから、死んでいると言う事と生きているという事は同義ではないだろうけど、
生きている事に意味を見出したいという欲求も、物欲や食欲となんらかわない。
馬鹿げていると思う人は他の馬鹿馬鹿しさを感じぬ意味で生きている事を満たせばよいだろう。
842 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 17:05:17 P
>>839 甘ちゃんだな
道徳感や罪悪感なんて反撃を恐れて攻撃しない
弱者の精神だよ。
お幸せな日本みたいな国だから当てはまる理論であって、恒常ではない。
じゃあ、一週間ガス、水道、電気、通信が止まった後の日本でも
同じことを言ってられるのかい?
略奪や殺人だって生きる為の経済活動だって事もあるんだぜ。
そうやって生きてる人間には道徳は邪魔になるだろ。
資質性質なんて環境に比べたらたいした要素じゃない。
>>842 いつの時代に生きてんだよお前wあえて現実からかけ離れた環境設定する意味がわからん。
反抗期か?
844 :
吉田メロウ:2008/11/08(土) 17:46:31 O
>>843 むろん反抗期だ。むしろ人生そのものが反抗と抵抗の産物
と言ってよかろう!従属と隷属に費やされる我々に生に、
明日の創造や冒険があるだろうか?そこには敗北と屈辱し
かなのだよ諸君。
反抗期は生きる意味なんか考えるより時間を有意義な事に使え
言葉遊び楽しい?
言葉遊びってなんですか?
848 :
ネオマトリクス:2008/11/08(土) 18:32:26 0
>>811 いえ、別に生きるのに問題ないでしょう。
あるとすれば
寿命が短くなり易い・絶滅し易いという事でしょう。
仮に、↑だけど快楽しか感じないタイプの人間がいたら、俺は
そっちの人間になりたいですね。
生物という、種という意味では↑のタイプはNGですが
一個体にとっては、種なんかどうでもよく、快苦だけでしょう?
ならば、例え寿命が短くなり易くても、一切の苦を感じない生物の方が
はるかに意味があると思う。
理由は、楽だから。苦がないから。
意味ってのは、自分たち一個体にとっては、快苦だけです。
>>826 根源的な意味は、快苦のみでしょう。人間は、現状が苦しいから
意味を問うのです。意味はない、が、強制的に生まれる危険の回避には
意味があると思う。
849 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 18:38:13 P
>>843 環境によって変わる観念など無意味。
お前は「現在」って限られた素材を
辻褄合わせして遊んでるだけなんだよ。
そんなもの積み上げたところで
その場凌ぎの理論しか出来ない。
850 :
吉田メロウ:2008/11/08(土) 18:50:19 O
>>845 「二十歳それが人生で最も美しい季節だと、誰にも言わせはしない」
君にこのニザンの言葉を送ろう!
少年。勉強したまえ。
(´-`;)yー~~
生きる意味が無いのではなく、定義した次元での観念の中に観測できるものが無いというのが
生きる意味ということで次元も空間も何も定時せずに答えを見出すのは変だろう。
いつ、どこに、どのようになどが抜けている時点で空論にすぎない。
生きる意味というものの色、つまり状態として扱う場合もあるので、前提条件が無い考えなど妄想にすぎない。
生きる意味とは何かという狭い意味を拾えるだけ定義し、それぞれ有り無しを考えるのが本来のやり方だろう。
総意としての生きる意味なら価値はないでFA.
852 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 19:03:49 0
生甲斐と言うものは、年齢により異なるし又その環境により異なる
ので纏めて論ずる訳にもいかない。ここで少し観点を変えて見よう。
参考にして下さい。ヤフー検索:精神について
同名のタイトルあり------/jikuron/seishinを見て下さい。
>>848 長い事あなたの話に付き合ってきたけど、まあ後は自分で考えなよ。
>>820 そうだよねえ。私の意見の反証しているわけじゃないだろう?
あなたが何を言いたいのかわからんから、怪訝に思ってふっかけてみたんだ。
気を悪くしたなら悪かった。
でも未だに、結局何が言いたいのかよくわからないことにはかわりがないけどね。
ところで。
「生きていくことを判断できていない微生物に生きていく事という意識が
ないのだから、対策をたてることもできなければ、生きていく事もできていない」
というのはあなたの信ずるところであって、実際には証明できる類のものではない
と私は考える。同様に、「微生物は単に反応しているだけ」、「人間も結局は対策を
立てているつもりになっているだけ」、「微生物に思考回路を構築できる脳の構造
そのものがないのに、判断しているつもりになれる性能があると判断できない」
というのも同じ。証明できないことについて、それが真理であると言うべきではない。
何故これらを私が証明できる類のことでないと言うのか。
例えるなら、「琵琶湖には体長10mになる鯉がいる」という話があったとして、
それを誰一人として見つけることができなかったとしても、いないことの証明には
ならないというのと同じことだから。
証明できなくても世界の真理を仮想して反芻してみることや、それを誰かに話して
意見を求めてみることには大きな意味があるということなら、私も強くそう思う。
>>826 根源的な生きる意味は、生態系というものの保存にあるというのじゃ気に入らないの?
それで十分、生き物が生きようとすることに価値があると私は思うけどね。
個体なんて、せいぜい数百年しか生きられないんだし。あ、植物ならもっと長く
生きられるのもあるか。ともかく、個体だけの中に根源的な生きる意味なんて思い
つかないね。生態系全体に比べたら個体なんて取るに足らないけれど、それでも
過去から未来をつなぐという意味において、一つ一つが重要な部分なんだと思う。
854 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 20:24:57 0
>>851 前提条件が無いまたは悪い環境でも
生きようとする意志はなくならない。
なら生きている環境が悪くても十分闘う価値は見つけられる
と思うが。
>>851 総意とは?誰と誰と誰………による総意?
856 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 21:07:27 O
>>840 それが最も可能性が高いと思う。
もうひとつあるとすれば人はそれぞれ使命をもってこの世に生まれたとか宗教的な話になる。
857 :
考える名無しさん:2008/11/08(土) 21:20:51 0
道徳の話が出たので言いたいのだが、
自由競争と唱えながら
勤勉や組織への従属を善と考える日本は不健全な国だよね。
しかもキリスト教のような自愛の精神も希薄で救いが無い。
そこにはただ奴隷として従属し個人の尊厳も踏みにじられる
環境しかない。
しかも敗者復活もしにくい。
日本人はルサンチマンの塊に思える。
不健全だね。
同じルサンチマンなら嫉んで他人の邪魔をするより
他人に寛容で愛を持ちたいよね。
ところで意味はみつかった?
>>856 それを言い出すと輪廻が(ry
なんて話になるしw
>>853 > というのも同じ。証明できないことについて、それが真理であると言うべきではない。
真理であるって誰が言ったの?俺は言ってないんだが・・・
最も真理とは、ある人とある人の意見が一致し、互いに同意する理解を得たと
判断し認識された事象、その程度の価値しかそもそもないのだから、いくらでも
言っていいぞ。真理じゃないと思うなら反論すれば良いのだから。
君が琵琶湖の例を出して論証したように、実証できなければ真理ではないという
証拠がそもそもないのだからね。
真理なんてものは論証の上で合意できれば十分
861 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 04:05:38 O
>>851 生命として誕生して、普通の人は自殺しないで一応惰性とまでは言わないけれども、生きてるわな。
生まれてきた意味だったら決して思うほど漠然としたものではないでしょう?
人生観といった切口においてはおっしゃる通りだし、普遍的な意味を語ることは出来ないでしょうな。
862 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 09:19:00 0
なぜ人は生きなければならないのかって問いに対して
俺なりに考えた結果は、人が生きないといけない意味
はないという答えにたどり着いてしまいました。
ここまでたどり着いてしまうとほんと自分が仕事して
金もらって飯食って生きてるっていう全ての行動が
意味のない行動だと思えるようになってくる。
ここまで行きついたらもうほんと発狂して自殺する
しかないかなって思う。
863 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 09:23:27 0
連投で申し訳ないです。少し自分の考えを述べさして下さい。
自分は人間も動物の一種ですが他の動物と人間を比べた場合
発達しすぎた知性が曲者だと思ってます。。自分がやった
ゲームで人類は知性によって本能を破たんさせた種族だって
言葉が出てたんだが、人間はこの発達しすぎた知性で自身が
なぜ生きないといけないか問うまでになってしまった。
他の動物はそんなこと気にせずに自身の本能に従って生き
てるのではないかなと思う。
他にもこのゲームで考えさせられる言葉が出ていたけど、
あらゆる生物の究極の目的意識は繁殖であるって言葉が出てる。
そして人間が持つ恋愛感情とは一体何なのだろうか?効率的な
種の繁栄を遂げるのにこれほど妨げとなるような精神活動が
あるだろうかって言葉も出てる。自分は生きる意味なんてない
と思っているけど、生物が生きる意味は繁殖にあるって考える
人は多いかもしれないと考えたりもします。
> 他の動物と人間を比べた場合
> 発達しすぎた知性
なぜ他の動物のことが分かる動物とテレパシーでも出来るのか?
> 他の動物はそんなこと気にせず
なぜ他の動物のことが分かる動物とテレパシーでも出来るのか?
> 生物の究極の目的意識は繁殖
貴方は何故哲学を専攻しておられるのか?
> 考える
> 人は多いかもしれない
曖昧すぎる
妄想で語り過ぎ
865 :
863:2008/11/09(日) 10:14:40 0
>>864 自分は他の動物とはテレパシーとかできないし、自分の言ってることが
明確な根拠に欠けるのは認めます。ただ、何となくそうなんじゃない
かなって思っただけです。人の意見を聞くというのは自身にとって
プラスになるのであなたは人間が生きる意味とか目的についてはどの
ように思われてますか?もしよければ聞かせてください。
野生の充実した本来の本能というものがあるとしたら、従っているという
抑圧した感情すら持ち合わせず、自然に生きていることだろう。
生物が生きる意味は繁殖にあった(過去形)んだと思う。
まだ進化の過程にあり、食物連鎖のバランスを担うという
自然の役割、エネルギー分配の一形態として必然だからだ。
人間はどうだろう、人間が繁殖することは、むしろ
この宇宙空間のバランスを崩壊させ、その影響は
人間に、苦痛という感覚を生きながら齎す形で報いを
産むだろう。
人間が金で生きる営み方をし続ける限り、人間の錯誤が
正される事はない。
>
867 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 11:08:50 O
>>863 細胞分裂だけで増殖する生き物だっているからな。
彼らには知性どころか意識すら無いだろう。
しかしながら少なくとも生態系の構成といった観点では頂点に位置する人間よりも底辺の彼らの存在理由は明解である。
その他の生物の為に生きているといっても過言ではない。
一方、人間など地球上から絶滅しても生命の存続は間違いないだろう。
また、高温の温泉といった極限環境に生きる生命も何種類も存在する。
彼らは我々が居る生態系とは遮断されたその環境のみで暮らしている生命だと見ることが出来る。
おそらく生態系なども存在してないだろう。
彼らの存在理由とは人間に理解出来る範囲においては生物の起源である点のみである。
地球上に生命が繁殖した現在、起源であるに過ぎないの彼らが未だ存在する理由はあれど意味は無い。
生きるものが自らの生きる意味を考えるということは限界がある。
868 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 11:09:56 0
失意の時、[生きる意味」を考えることがある。
生態系と遮断された生命など存在しない。
全ての生物のDNAを調べれば、その起源は繋がっている。
たとえ固体として命が宿っていない石ころ一つとってみても、
生物を生かす水の浄化やら、生態系に複雑にしかし不可欠に意味を、影響を及ぼしている。
つまり、起源であるに過ぎない彼らが存在する理由があるとという事実が、今も脈々と人間、
摂理にとって意味を生起させる意味があるという事だ。
870 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 11:49:27 O
意味ないとダメ?
871 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 11:56:25 O
100℃以上の高温に人間その他の生物が入れると思う?
ある意味彼らは我々からみると地球外生命体みたいなもの。
歴史において繋がりがあっても今現在シャットアウトされた状態でしょ。
生命がここから始まったという理由を彼らは示してくれるが、人間にとって今現在既に繋がりがあるとはいえない彼らのの存在価値は進化のヒントを示してくれてるだけじゃないか?
872 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 12:16:24 0
なんか生きる意味から種の起源とか生物学的方向に話が進んでいますね。
873 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 12:42:32 O
人生に意味求めても思い込みの話になるだけだから、より普遍的な意味を模索したいなら生物学的側面くらいしか人間にはそれ以上推測することすら出来ないのだ。
あまりに知らないことが多すぎる。
エイリアンだろ?
結局薬局コマーシャル
地球を滅ばす悪魔の生命体=人類
生きる意味=地球を搾取し終えたら外宇宙を滅ぼすため
>>873 物象の摂理に照らし合わせて客観性を伴う認識であれば
人間の思い込みを超えた摂理の域だから哲学として有りだな。
お前らチュウゴクジンか?漢字使えばいいってもんじゃねえぞwwww
漢字?んなことまったく意識したことないよ。日本人だけど。
>>874 >>866さんも少し触れてるが人間が地球にとってあまりいい存在と
言えないのは確かだと俺は思う。新たに誕生する人間と死んで逝く
人間とでバランスがどのようになってて、世界の人口が増加傾向に
あるのか減少傾向にあるのかは知らないけど、人間は食物連鎖に
組み込んで考えた場合、天敵がいないから個体数の調節が効き
にくいと思う。人間も間引きする必要があるかもね。
879 :
吉田メロウ:2008/11/09(日) 14:57:23 O
>>878 種っていうのは繁栄を目的としているのは衆目の一致すると
ころだと思いますが。人が増え過ぎちゃって地球のキャパを
超えちゃう。色んな意味でね。資源の枯渇。食糧難。環境破
壊。戦争。希望の喪失。しかしそれは心配ないですよ。宇宙
は広いですからね。SFやアニメーションの世界の事だと思
われいたのは昔日です。人間の創意工夫を受け入れる世界は
、空を見上げれば無限に展開しているということだ。それは
同時に内なる知恵の世界を啓くことだ。もう一点は、種の目
的が、本当に繁栄することのみにあるのか?人類がここにい
るということの意味や目的には、俺たちの計り知れないもっ
と奥深いことなのかもしれない。という可能性について考え
みる必要がある。何でもわかった気になる。人も文明もここ
から衰退していく。考えてみよう。俺たちは日常とても些細
なことに幸せや喜びを感じることができる。これは種の繁栄
と結びつく話だろうか?ノンだ。人間はもっと何かを秘めて
いる。
(´-`;)yー~
【レス抽出】
対象スレ:生きる意味 キーワード:吉田メロウ 抽出レス数:5
819 :吉田メロウ:2008/11/07(金) 23:19:01 O
>>818 生物学的に人間には「自死(寿命)」ってのは予めだな、
設計図として、組み込まれいる。それと別個に社会学的な
意味に於ける自殺を考える場合。常に問題化されるのが、
その原因だ。つまり自殺を考える場合個体レベルに還元で
きない何かがあるということだ。
822 :吉田メロウ:2008/11/07(金) 23:42:34 O
>>821 死が個体を超えたものであるってことは、生もまた個を超えて
存在するという事だよ。
(´-`;)yー~
844 :吉田メロウ:2008/11/08(土) 17:46:31 O
>>843 むろん反抗期だ。むしろ人生そのものが反抗と抵抗の産物
と言ってよかろう!従属と隷属に費やされる我々に生に、
明日の創造や冒険があるだろうか?そこには敗北と屈辱し
かなのだよ諸君。
850 :吉田メロウ:2008/11/08(土) 18:50:19 O
>>845 「二十歳それが人生で最も美しい季節だと、誰にも言わせはしない」
君にこのニザンの言葉を送ろう!
少年。勉強したまえ。
(´-`;)yー~~
879 :吉田メロウ:2008/11/09(日) 14:57:23 O
>>878 種っていうのは繁栄を目的としているのは衆目の一致すると
ころだと思いますが。人が増え過ぎちゃって地球のキャパを
超えちゃう。色んな意味でね。資源の枯渇。食糧難。環境破
壊。戦争。希望の喪失。しかしそれは心配ないですよ。宇宙
は広いですからね。SFやアニメーションの世界の事だと思
われいたのは昔日です。人間の創意工夫を受け入れる世界は
、空を見上げれば無限に展開しているということだ。それは
同時に内なる知恵の世界を啓くことだ。もう一点は、種の目
的が、本当に繁栄することのみにあるのか?人類がここにい
るということの意味や目的には、俺たちの計り知れないもっ
と奥深いことなのかもしれない。という可能性について考え
みる必要がある。何でもわかった気になる。人も文明もここ
から衰退していく。考えてみよう。俺たちは日常とても些細
なことに幸せや喜びを感じることができる。これは種の繁栄
と結びつく話だろうか?ノンだ。人間はもっと何かを秘めて
いる。
(´-`;)yー~
882 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 16:33:28 0
>生命体が死を迎えると その固体から本質であるセロファンが宇宙空間に
>解き放たれ ホワイトホールに向けて漂います。 最終的には無数のセロファンが
>ホワイトホールに到達した途端に消滅します。
>これが本来の生命体の「死」です。
ある有名な先生のお言葉です。行間に込められた深い思想に畏れ入ります。
私はセロファンは数種類に分類できると考えています。仮説を立てている
のですが、納豆を食べるのが忙しくてなかなか作業がはかどりません。
また、これはおそらく正しいのですが、いわゆる生命体とセロファンは
一種のパラレルワールドに存在しているものと思われます。この世界では
セロファンを波動として捉えることは不可能だと思います。
883 :
考える名無しさん:2008/11/09(日) 19:22:52 O
これは酷い
885 :
考える名無しさん:2008/11/12(水) 09:00:18 0
l;:;:;:;:;:;:;:;:l;:;:;:;:;:;:;:;:`丶、;:;:;:;l
,l;ィ'-┴――--、、;:丶、!
,ノ7 '"^ ^`' ,ィ'三ミ、_〉 生きる意味が無い
───‐─┬┐ {:/, ニ丶 ,r,=-、 ヾ:::::::ミヾ
___,,,...-‐''"| | 〃ィ'。`>ソ { ィ'。`'ァ::.. !::::::ミ:l ただそれだけのことが麻呂にとって
 ̄7 | | l:! `~´/ ,l、  ̄´ ,. }:::::三<
i | |. ll (、 っ) : ,l::::シ久'l 恐怖であり、同時に存在の証明でもあった
.| .| | | l ,.,__、 ,:' f::/ン ノ/
| | | | l 、 f{二ミァ ,) {,ツ>-‐'′
| | | | ヽヽ`ー ' : ヽ ,_ソ/
: | | 丶、__, -―''"/,/
: | | ,} ヽニニ =彡シ,ンヽ,
:::::::: | | ,/(`=- r‐ ''" / ,/丶、
:::::::::: | | .ノヽヽ、_;__,∠..ィ"-――ュ、
:::::::::::::::|______|__|∠三二二,,___,,. -― ''"~⌒`丶、、_
 ̄ ̄ ̄__/. ̄/ / /``
ニ二二i -二ニ-、 / /
________________ンー|.| / /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄二=-┐ /
886 :
Voyakkie:2008/11/14(金) 22:49:40 0
このスレに566から何度も書き込みをしているけれど、結局のところ多くの人は刹那的で、
その時その人にささやかな幸福を感じる余裕が有るか無いかが、その時その人にとって
生きる意味を肯定的に捉えようとできるかそうでないかを決定する大きな要素となっている
という風に結論付けるしかないように思える。
ある時系列において、苦しい中にもささやかな幸福を見つけ出すことができる能力を備えた
人は、生きる意味について前向きに捉えることができる状態にあって、逆にある時において、
自己中心的であったり快楽を求め続けるというようなことを目的として、結局それにより
あがきと苦しみを得ているような人は、人生の意味を否定的に結論付けたり、来世という
確かめようのないが否定もできないものにすがろうとする傾向にあるということだ。
しかし以前から言っているように、今苦しみのさなかにいる人たちにとっても、生きる意味を
考え続けることは、前者的な考え方を得るための布石になったり、うまく(幸福に)生きていく
うえでの訓練となると考える。
その考えに至ったのは、自分自身のこれまでの人生経験によるもので、誰にでもそれが
当てはまるかと問われれば、必ずしもそうではないかもしれないけれど。
887 :
Voyakkie:2008/11/14(金) 22:50:41 0
888 :
Voyakkie:2008/11/14(金) 22:52:44 0
>>886 人生の意味を否定的に結論付けるというのは、意味がないとか死んだほうがいいとか
いうことだろうと解釈するが、逆に生きているからこそ死ねる、終わらせる事ができるんだという
のは、非常に客観的に前向きな姿勢だと思うし、むしろ『生きる』に限定して意味を見出すなら
「死ねる」という相対する意味の肯定しかないのかも。
苦しい中にもささやかな幸福を見つけ出す事はできても、死ねる幸福というのは常に根底にある。
逆に永遠に死なず生き続けるとしたら、ささやかな幸福すら幸福と捉える感性を麻痺させ、
よりエキセントリックな多幸感を求めるしか人生の意味を見出せなくなっていくか、終わりにしたい
という欲望に目覚める人が多いと思う。
890 :
Voyakkie:2008/11/15(土) 00:35:13 0
>故に、「生きる件利」などと抜かすよりかは「生き抜くことは義務である」というくらいが
丁度良い。人に限らず全ての生き物は、そのすべての数え切れない祖先の努力と
数え切れない子孫の幸せために、生きぬかねばならない。人類もまた、生物の一種類
である。
この意見に反論、、生き抜く事を義務とするなら、生き抜きたい人限定にするべき、
生き抜きたくない人には、相対的な「死ぬ義務」を与えてしかるべきだからね。
892 :
考える名無しさん:2008/11/15(土) 12:40:21 0
聖書を読めば生きる意味わかると思うよ
自分自身で意味を見出すしかないだろう。
自分だけ生きてるので無いので、善も必要。
神のみが知る意味、これを知らなければ生きるのは辛いだろう。
勉強は大事な生きる意味だちょ!
894 :
吉田メロウ:2008/11/15(土) 21:04:42 O
生きる意味。これはね、嫁ハンと子供を養っていくためやな。
(*^-^*)b
895 :
吉田メロウ:2008/11/15(土) 21:12:12 O
というか。仕事の後にきゅっとやる一杯酒かな。
これはかえられんね。
(´-`;)yー~~
896 :
Voyakkie:2008/11/16(日) 18:15:36 0
>>891 もう少しわかるように書いてもらえないだろうか。
まさか「他人の思想を決定する権利を私(Voyakkie)が持っている」とか、この発言について
「多数決で決められること」だと思い込んではいないとは思うが。
それと、『相対的な「死ぬ義務」』という部分は、『対称的な「死ぬ義務」』と言いたいのだろう
と私は推察しているけれど、それにしても奇妙な主張だと感じてしまうのだ。
「ゴミを分別してそれぞれを決められた日時に指定された方法でゴミ捨て場へ出す」という
義務があるとして、そうしたい人限定にその義務を適用するとするならば、義務の意味自体
が無いのであって。でも社会はそのようなことを良しとしていないはずだ。
もし単に『「生きる権利(556には件利と書いてしまったが訂正)」で良いじゃないか』ということ
をあなたが言いたいのであれば、そのように書いて欲しい。できたらその理由を添えて。
それによって場合によってはもう少し建設的な返事ができるようになるだろう。
感情で物事を判断したって本当の答えにはたどり着けない。
人間は楽しいものを正しい、苦しいものを間違っていると判断しがちだからだ。
あなた達の議論は、意味だ意味だと快楽を求めているに過ぎない。
本当の答えを知りたければ幸福を捨てる事だ。
欲という色眼鏡を外し世界を見たとき、全ての意味が分かるはず。
散々言われてるように、生きる意味なんてないと思う。
子孫繁栄なんて動物的な本能に忠実に働いているだけ
じゃあ子孫繁栄する能力の無い人間はどうなる?
生きる意味なんて自分が何のために生きるか、それを作り出すために生きてるだけだ
それが見つかったらそのために生きるだけだ
899 :
Voyakkie:2008/11/17(月) 19:52:45 0
子を残すこと以外にも、自分が居た足跡を残すことはできるよ。
その人の生き様そのものが、いったいどれだけ大きな影響を周囲に与えるだろう?
ただ、私が何を言っても(
>>886に書いたように)、伝わらない(状態・状況にある)
人にはなかなか伝わらないだろうな。
目に見えないものや計測できないものの重さに気づくには、人によっては時間が
かかるのかもしれない。
生きる意味か。虚しいな。
家族を養うために生きていると思ってるけど、
保険金を掛けて自殺した方が家族のためになるかもしれない。
結局、死にたくないから生きてるだけ。
そういう人がほとんどだから、保険も成り立つ。
死にたく無いのは痛いから?楽に死ねる方法もある。
怖いから?寝たまま起きないだけだ。
楽しいことがしたいから?十分楽しいことは経験した。
死にたくは無い。でも、なぜかよく分からない。
901 :
考える名無しさん:2008/11/17(月) 21:48:08 0
>>894-895 そのとおり!
「生きる意味」がわからないってのは
護るものがないってことの別の謂い。
専門的な言葉でいや対象喪失ってやつだな。
902 :
考える名無しさん:2008/11/17(月) 23:22:58 0
いや、そもそも「意味」ってなに?
「価値」と同義でいいの?
本能の価値を疑っても、それが根源の価値だから、その背後にあるものを探しても無駄。
なぜ生命が生きようとするのか=生命という物質がそういう性質だから
生きる意味の中身は何だかわからないが、
あると信じて生きる事が、それが無自覚的だとしても
もともと備わっているスタンダードな生き方だと思いまうす。
生きる意味がないと考えざるを得なくなってしまったときと、
生きる意味は確かにあると信じて生きているときの
自分自身を比べると、
明らかに後者の時の方が生きていくポジティブな力が強いように思う。
生きる意味があると思って生きる事は
人間の生存本能と深くかかわっている事だと思う。
科学の発達によって、生きるということに、意味などないのではないか?
という考えが広まっているが、
もし、生きることに意味があると考えることが、
人間の本能に根ざす思考であるならば、
「生きるということに、意味などないのではないか?」
という考えは、生きることに意味があるという思考の欠如体ではないかと思われます。
904 :
考える名無しさん:2008/11/18(火) 13:00:17 O
誰しも生きる意味は知らないで生きてるわけですよ。
息止めると苦しいし食べなきゃ腹へるし、そういったことが死の抑止になっている。
905 :
考える名無しさん:2008/11/20(木) 10:24:21 0
>>903 は?
思考の結果、答えとして「意味がない」というのが出たんだから思考の欠如じゃないだろw
あとね、ポジティブに生きるために作られた虚構の世界観なんてほしくないの。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ ,∨∨∨∨∨
/ / / \ |
| / ,(・) (・) |
(6 ⊂⊃ |
| ___l_,| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| \__/ / < おまえのものはオレのもの
/| /\ \ そしておまえの悲しみはオレの悲しみ
\________
907 :
考える名無しさん:2008/12/13(土) 00:32:20 0
生きる意味は、人間が愚か過ぎるから。
生きたい奴にとって生きることに、何らかの肯定的な意味があるけど
別に生きたくない奴にとって、なんらかの意味があるとしたら
動物本能と、動物本能に従う人間に支配されていて、楽に死ぬことが
許されないから。
不快な意味しか生きる意味にはないね。
自分の納得いく安楽死方法で死なせる法律があって、人間が人として
生と死を選択する程度の人権を持っていれば、生きる意味を誰かに
問うほど、有意義な意味で生きる意味を欲する必要のある奴は
居なくなるか、居ても、意味が無くて嫌なら、とっとと死ねばいいだけの
話で終わる。
908 :
考える名無しさん:2008/12/15(月) 05:11:12 0
誕生とは死に至る病である。
909 :
考える名無しさん:2008/12/15(月) 05:22:33 O
おい高句麗。ソフトバンクの川崎様たちに謝ることはないのか?心を白く縦にわりやがって
910 :
考える名無しさん:2008/12/15(月) 23:03:19 O
仮に生きる意味を見出したとして、それを失ったらどうするだろう。死ぬか? いや、そこまで出来れば大したものだが、恐らくは新たな意味を見つけ出そうとするはずなんだ。
生きること自体はどうしようもなく進行していて、そこに意味を後天的にあてがわないとやるせない気持ちになるから模索するだけのことで、一元的には定められないんじゃないか。
911 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 12:42:59 O
生きたいから生きるってものでもない。
ただ死を忌み嫌うところが人間というより人間社会に存在する。
生きたくないと思わせるのも社会。
人間の生には本能以外に社会に起因するところも大きい。
912 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 13:35:30 O
『意味』とは何者かを指し示す指向性でつ
また、何かを指し、関係が生じることによって価値が生じまつ
(死後の世界を認めない以上は)死=生命の外には指し示すべき何者も存在しないので
死との関係では『意味』は成り立たないのでつ
従って生の意味は生命の内に指し示す指向性ということになりまつ
913 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 14:37:02 O
従って生に『意味がない』と言うとき、以下の3通りが考えられまつ
@死によって指し示すべき存在がない(不成立意味)
Aそもそも生命は何かに対して指向性即ち関係性を持つものではない(無意味)
B生命の内にある関係性を肯定できない(無価値)
914 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 15:22:25 0
生そのものが存在しないってのもある
これはナンセンスです
915 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 15:24:21 O
死を忌避するというのは生命における一つの意味でつ
それは死との関係性ではなく死を忌避するというところの関係性でつ
死にたくないことは価値をもち得るのである種の人間が生きるには十分な理由になりまつ
ただし根本的な理由というわけではないでそう
916 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 16:44:08 O
生とは自己でつ
自己意識の継続、否、物語的継続こそか生なのでつ
917 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 17:00:42 O
このことから生の肯定とは自己の肯定を意味するのでつ
自己の肯定とは主観的自己、及び自己に表象された客観の肯定を意味しまつ
しかし自己に表象された客観の肯定とは、客観と自己との関係性、その関係性と自己との関係性を肯定するかいなかということなので結局は主観的自己の肯定ということに還元されまつ
918 :
考える名無しさん:2008/12/18(木) 17:41:10 O
これらの事から
生に意味を求めることと肯定することとは全く異なる問題であることが明らかになりまつ
生そのものに意味を求めるには生と死を超越した立場が必要ですが、我々は生を超越することはできませんから、無理に説明しようとすれば超越論の誤謬に陥る可能性がありまつ
ここは身の丈に合わせて生を肯定できるかいなかに問題を絞るのが無難でそう
919 :
考える名無しさん:2008/12/20(土) 12:18:45 O
結局のところ生を評価するには人間はあまりにも無知であるということ。
無知ゆえに空論しか浮かばない。
お茶を楽しむためには、人は完全に、今という時に目覚めていなければならない。
今という瞬間を意識している時にのみ、手は茶わんの快い温かさを感じることができる。
今という瞬間のみに、香りを楽しみ、甘さを味わい、繊細さを感じとることができる。
過去のことを思い煩っていたり、将来のことを心配していたりすると、
一杯のお茶を楽しむという体験を失してしまうだろう。
茶わんを見おろすと、もうお茶はなくなっているのだ。
ティク・ナット・ハン
921 :
考える名無しさん:2008/12/24(水) 11:43:45 0
楽しむ・・というのは
主体たる誰かさんが何をもって楽しいと感じるかで変わる
つまり能書きは通用しないってことだな
922 :
考える名無しさん:2008/12/25(木) 00:47:05 0
>>1ま、「意味の無い言葉」ってことだな。TVや漫画の中の話から仕入れた言葉なんだよな?
普段の生活で何かしら問題点があって改善方法も知ってるけど、自分が原因で何にも出来ない
現状から目を逸らした程度のことだろ。カンチガイ・自己欺瞞・単なる負け惜しみ。
突き詰めて考えたらそうなるとおもうよ?生きる意味なんて言葉自体が「不自然な造語」で後から、どう作ってもコジツケだし。
繁殖や繁栄以外で何かあるか?
意味が無かったら何か問題なのか?テレビの見すぎか?
「俺は生きてても意味無いけどお前ら生きてて意味あるの?」
って内容の質問してるのと同じだろ?
繁殖・繁栄の為じゃ不満なのか?
923 :
考える名無しさん:2008/12/25(木) 01:17:26 O
「生きる意味」って言葉自体がナンセンスだ、と思わないか?誰視点?
924 :
考える名無しさん:2008/12/25(木) 01:26:33 O
その意味とは与えられたものであると推測出来る。
神、無神論者ならば宇宙といったとこであろうか。
925 :
考える名無しさん:2008/12/25(木) 01:29:55 O
寝たきり老人の生きる意味で考えてみれ
926 :
考える名無しさん:2008/12/25(木) 01:50:53 0
無
お価値作り
928 :
考える名無しさん:2008/12/25(木) 10:09:50 0
他人に対し
生きる意味を押し付けて生き血をすする輩がいる
宗教、政治、教育、社会、会社、団体、家族などが
その典型だ
929 :
考える名無しさん:2008/12/25(木) 11:06:42 0
>>928そしてその価値観をシッチャカメッチャカにしたのがTVだ。
そもそも"意味"に意味が無いんだよ。
意味なんて、ある知識とある知識のつながり=シナプスのつながり
でしかない。
意味が意味を支えてるんだから、
初めから答えが出ないのは決まっている
充実したら、生きる意味なんて考えなくなるのが人間。
931 :
考える名無しさん:2008/12/25(木) 14:27:32 0
>>930 意味を他の言葉に置き換えて言ってみ?
分からずに使ってるおまいにゃできめぇ〜〜〜〜っw
生きる意味を考えてみた。
人間が猿から進化したという事は、猿も同じ生きる意味を持っているはず。
猿が他の生物から進化したという事は、その他の生物も同じ意味を持っているはず。
魚も微生物も植物も・・・全ての生命が共通して持っている何かが「生きる意味」だ。
全ての生命が持っている何か。
それは、増え広がろうとする意志。
全ての生命がしている事は何か。
有機物を分解してエネルギーを生み出す。
そう、生命は炎なのだ。
この星を燃やそうとする太陽の意志。
933 :
考える名無しさん:2008/12/25(木) 19:59:29 0
彼はまったくの偶然の事故によって幸運にも死ぬことができた、ので私もほっと胸をなでおろしたものである。
どうせ彼のように異様に進化し続けて、厚く硬い仮面を身につけた人間を誰も理解しようがないだろうと思ったから。
数少ない遺留品の中にあったこのノートを見た時、ああ、彼のような人間にも人からの理解を期待する気持ちはあったのかと、
その時ちらと思っただけで、このノートのことはそれきりどこかに置き忘れていたのだった。
諸行無常を知っているか。
全ての命は死に行こうとしている。
命だけではない、全ての物がだ。
もはや、これが生きようとする意味ではないか。
935 :
考える名無しさん:2008/12/26(金) 01:10:42 0
>>932なんで「生きる意味」と言う言葉の定義も無しに、猿もあるはずなんだ?
「生きる意味」って言葉自体がナンセンスだ、と思わないか?誰視点?
「私にとって私が生きていることは意味がある」はぁ?ってなる。
「私にとって彼が生きていることは意味がある」人として見て無くないか?
「俺にとって奴が生きていることは意味がある」意味の所を「価値」とかに置き換えるとあら不思議ふつうの主人と下僕。
>>934 うん。意味を持ちだすことじゃ無いな。
936 :
考える名無しさん:2008/12/26(金) 01:20:13 0
>>932なんで「生きる意味」と言う言葉の定義も無しに、猿もあるはずなんだ?
「生きる意味」って言葉自体がナンセンスだ、と思わないか?誰視点?
「私にとって私が生きていることは意味がある」はぁ?ってなる。
「私にとって彼が生きていることは意味がある」人として見て無くないか?
「俺にとって奴が生きていることは意味がある」意味の所を「価値」とかに置き換えるとあら不思議ふつうの主人と下僕。
>>934 うん。意味を持ちだすことじゃ無いな。
937 :
考える名無しさん:2008/12/26(金) 01:47:08 0
>>932ダウトー。
無理やり「意味」って言葉にコジツケただけ。
言葉に酔ってるね。
何が何でも「意味」って言葉に落とし込もうとするから答えが出ない、当り前だな。
「生きる意味」って言葉自体が成立しない以上探してもコジツケ以外は出やしない。
イメージ偏重の寝言。「意味が無い」って事が解っただろうか。
意味は価値と結びついている。
価値は人間が唯一創造したり発見したりできるもの。
だから生きる意味は何らかの価値の造成、価値の発見に尽きる。
正直さや誠実さというものに価値を見出す人が多ければそういう人は尊敬される。
名声を求めてそれを得た人生は価値ある人生であると伝記になる。
それら全部意味がある。
だからルパン三世やその他の架空の人物に憧れたりもできる。
虚構の世界の人物にも生きる価値、生きる意味があると感じるのが人間。
価値なんてものはシナプスとシナプスが結合した時の脳の刺激、
「感動」の感覚でしかない。
ただ物事の関連性を発見しただけ。
意味=関連性
じゃダメなのか?
意味は無いが、目的はある。
そんなところだろうか。
941 :
考える名無しさん:2008/12/26(金) 15:25:58 O
生きる意味は他人が与えてくれるもの。
それで世界が成り立っている。
要するに関連性だ。
神秘性なんか求めないで、人間の本質を知ろうよ^w^
>>944 先ず何と何の関連性でそこから何が生じるのかを書かねばわけわからん。
>>945 関連する物だったら何でもいい。
例えば、"リンゴ"という知識と"おいしい"という知識が結びつくことで
"リンゴはおいしい"という知識が出来る。
その結び付きが人間の言う"意味"の正体って事。
>943は社会と結び付くことで、自分の意味も解るって事だな。
947 :
考える名無しさん:2008/12/26(金) 20:54:46 0
真理より自尊心を取るか。
そこが人間の限界。
950 :
考える名無しさん:2008/12/27(土) 08:16:55 0
自尊心ワロスワロス
951 :
考える名無しさん:2008/12/27(土) 12:31:09 0
次スレいらないよな?
952 :
考える名無しさん:2008/12/27(土) 17:28:29 0
次スレいらないな?
953 :
考える名無しさん:2008/12/28(日) 06:48:55 O
954 :
考える名無しさん:2008/12/28(日) 07:20:55 0
足音−鐘の音−エサ−食欲
956 :
考える名無しさん:2008/12/29(月) 01:39:10 0
ミナギル
957 :
考える名無しさん:2008/12/29(月) 02:18:56 0
梅昆布茶
今年が先か、このスレが先か、どちらが先に終わるのか、それが問題だ。
おそらく私は今年のほうが先に終わるだろうと思っている。
私の持論を覆したい者は早急に毒杯ならぬ梅酒をあおりまくるがよかろう。
新年あけましておめでとう。
私の挑発に屈せず無様な埋め立て行為をしなかった哲学板住人諸氏のその倫理観に
大変感服致しました。生きる意味とはまさにこの倫理の実践だと思います。
例えば四角い部屋に閉じ込められているとする
外からみればその部屋の有り様をしることはできる
でも内側からはそれがどういう有り様をしているのかはわかりません
生きる意味って実は満ち溢れているのではないでしょうか?
だれにでも生きる意味はある
ですがそれを外から眺めることはできないのだから生きる意味を知ることは出来ないでは無いでしょうか
生きる意味はあるだが知ることはできない
961 :
考える名無しさん:2009/01/04(日) 01:18:56 O
「哲学ごっこ」がしたいだけのガキが「ソレっぽい」言葉に飛び付いたのが
「生きる意味」という言葉の始まりだ。
繁殖・繁栄では嫌なのだろうがソレこそ
後付けの意味をコジツケて満足する矮小さを見せつけているだけにだな。
つまり、テレビドラマやマンガの見すぎだ。
962 :
考える名無しさん:2009/01/04(日) 01:26:52 O
>>960つまりムリヤリ「生きる意味」とゆう言葉に貶しこむから答が出ない、コジツケになってオシマイ…って事だな。
"生きることの意味"なら答えが出るんだけどなw
意味は知識と知識のつながりでしかない。
価値は意味の集合にすぎない。
たくさんのつながりが、たくさんのドーパミンを発生させる。
これが人の幸福の仕組み。
物語の伏線、音階の流れ、絵のグラデーション。
過去と今、あなたと私。
あらゆるつながりを発見した時に、人は感動する。
つながりこそが、人の幸福の正体。
965 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2009/01/06(火) 23:00:56 0
966 :
考える名無しさん:2009/01/06(火) 23:10:02 0
>つながりこそが、人の幸福の正体。
↑ キチガイな意見とおも
967 :
考える名無しさん:2009/01/06(火) 23:12:42 0
968 :
考える名無しさん:2009/01/06(火) 23:13:21 0
生きる意味
歴史の終焉
>>966 常識にすがるお前が、それを証明しているじゃないか。
>>964 わけわからん。
つながりっていうんなら他者とのつながりで生きる意味が生じるっちゅうこっちゃ。
簡単なことやん。
仲間がおらんと生きる意味なんてあらへんやろ。親も必要やろ。
全ての人間が幸せを手にした時に感じること。
"実感が沸かない"
"幸せに向かって努力していた時が一番幸せだった"
充実感とも喪失感とも知れない感情に涙する。
所詮、幸せは自分の中の定義に過ぎないって事。
意味なんか無いんだよぉ
風が吹くように人も生きてる。自然現象に過ぎないのだよ
973 :
考える名無しさん:2009/01/08(木) 22:21:06 O
心の何処からか沸いて来る、ある種の欠乏感を埋めようとする心の暴走。それが「生きる意味とは何か」という疑問として現れる。たとえ瞬間的であっても、心が充足感に満たされている間は、こうした疑問などは嘘のように吹き飛んでいることに気付くだろう。
974 :
∞:2009/01/15(木) 22:41:33 O
生きる意味は必要ではない、必要なのは生きた意味である。
>>974 それ死ぬ意味と言い換えてもよろしいか?
つーかさ、生きる意味より死ぬ意味が気になってしょうがないのよ
なんで死ななきゃならないんだ?
いや、意味が無いのは分かってる
しかし死に意味を求めずにはいられない
そう思うのは俺だけか?
976 :
∞:2009/01/16(金) 01:05:54 O
板違いのようでした、謝。
977 :
考える名無しさん:2009/01/16(金) 01:36:03 O
生き物なのだから生きる意味などない。
ただ、人間なのだから何のために生きるかという意味は必要である。
生きる意味は他人との関わりで生じる。
だから一人では生きる意味もないし生きていけないことを誰しもが知ることになる。
おおよそ、人は、幻想によって、幻想を糧として、生きている。
我々の社会は、幻想に支えられている。
我々は、幻想なしには、生きていけない。
980 :
考える名無しさん:2009/01/16(金) 02:33:26 O
楽しいと思い込むこと。意味があると思い込むこと。
思い込みでモチベーションを高めつつ日々生きているのかもしれない。
本当の自分を出せない世の中の仕組みなのである。
幻想見たことない。
982 :
考える名無しさん:2009/01/16(金) 10:53:09 O
そろそろ最終結論いいか?
つまり生きる意味とは、魂のレベルアップだ
輪廻転生を繰り返し我々はバイオメカニカルステージを飛び出し宇宙へ船出することになるのだ
わかるよな
人間が魂の宿る最終段階ではない
983 :
考える名無しさん:2009/01/16(金) 10:56:52 O
何で生きてるの
何でそばにいるの?
すきなものはとおくもちかくもあって
僕は離れられない
なんでほかのひとがしあわせなの?
それもいいことだけど
つらさのなかから何かでてくるのかな?
手が震えてるよ
がんばろう
変人よ
当たり前すぎて考えたことがない。
だからつながる知識がない。
それだけだ。
985 :
考える名無しさん:2009/01/16(金) 13:12:01 O
我々には知識が足りなさすぎる。
2000年後なら少しは判断材料が揃ってまともな論議が出来るかもしれない。
986 :
考える名無しさん:
ない