1 :
考える名無しさん :
2007/11/04(日) 14:47:41 0 論理式は誤解がないように デフォルト公理は、バカ同士で了解できる程度 厳密に示したいときは初めに宣言・定義しておくこと 最低ラインは、ド・モルガン既知、形式論理必須。 ところで、サルは入場禁止!絶対ダメ!!
結論は、バカには論理学分からないってことでいいのか?
スレ立て出来なかったので、このスレから分離するときのテンプレ。 【高高度注意】天空の論理学【煽動注意】1 論理式は誤解がないように 必要なら公理は示すように ここでは、公理系、完全性、不完全性、normalization、カット消去定理、 などなど。などなど。バカから見れば高高度な話題をヨロ。雑談ももちろんヨロ。 思い込み・感情論・短絡反応なしで、マッタリいきましょい! ところで、ルールを守る大切さぐらいはバカでも心得てるよな?
5 :
考える名無しさん :2007/11/05(月) 21:05:09 0
¬とか∃とか、論理式がまるで分からない俺に意味を教えてくれ
6 :
考える名無しさん :2007/11/05(月) 22:09:30 0
↑なら、読んだ本を書いてみろ。
>>1 うーん。思うんだけど、最低レベルだというドモルガンの定理や形式論理を理解しているよな奴が、
論理学に何を期待しているんだろう? 何を期待できるんだろう?
20年前以内で、論理学上の画期的な研究や成果があるのなら、例示してくれよ。
8 :
考える名無しさん :2007/11/05(月) 23:17:51 0
↑まず、読んだ本を書いてみろ。
まともに読んだのは、「日常言語の論理学」くらいかな。
10 :
考える名無しさん :2007/11/06(火) 00:47:09 0
もっと、もっと!
11 :
考える名無しさん :2007/11/06(火) 03:23:25 0
んー、あれか。前スレにいた言語学意味論の人か。 ウィキで言語学のところ全部読んだけど疲れた。 もしかして、形式意味論とかが専攻なのかな?
12 :
考える名無しさん :2007/11/06(火) 04:58:22 0
排他的論理和(xor)を表すのに、みんなはどんな記号使ってる?
>>9 の出版社は、産業図書。
工学部の一般教養の副読書だったもので、どちらかと言えば一般向け。
14 :
考える名無しさん :2007/11/06(火) 23:21:28 0
無理しないで堵愚慧螺読めよ
15 :
考える名無しさん :2007/11/07(水) 03:40:05 0
16 :
考える名無しさん :2007/11/08(木) 00:28:04 0
(@_@) 飯田隆さんの「演繹と換言」 「野矢茂樹著 論理学」 形式論理学―その展望と限界 リチャード ジェフリー 学問としてまじめにやるなら戸田山和久『論理学を作る』 まじめじゃなくやるなら野矢茂樹『論理トレーニング』 さっと目を通して概観を得る、幹をつくるなら野矢本。 独習で技術を身につけたいなら戸山本の方がいいかも。 両方買っても損は無いと思う。 後は野矢先生の論理トレーニングが面白かったのなら 上に加えてマグロウヒルもお薦め。 NKとかLKとかその他の公理系の証明が詳しい本教えてください。 情報科学における論理(小野寛晰) 数理論理学(松本和夫)とか。 LKとKleeneの体系(要するにHilbert styleの証明論)の等価性とかは 数学基礎論入門(倉田令二朗)とかが詳しい。 「日常言語の論理学」 入門書にはいいかも。 『論理学入門』(三浦俊彦) 『論理学がわかる事典』
野矢茂樹の新書「入門!論理学」はどう?
18 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 07:59:14 0
ウィキは既にまとまってるしバカはこれ熟読でおk(可能なら英語も)
>>17 >>7
19 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 08:04:51 0
¬は目 ∃は口 論理式はフェイスマークを作ることだ思ってくれ
20 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 10:27:21 0
目は目で、口は口で顔文字作れるよ。 漢字は象形文字でも有るからね。
21 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 10:32:16 0
> 学問としてまじめにやるなら戸田山和久『論理学を作る』 戸田山って、そもそも論理学者じゃないだろ? 学問としてまじめにやるならクリーネはもう古いかも知れないが、 ともかく英語かドイツ語で書かれた教科書を読むしかないよ。
22 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 11:03:31 0
ここは哲学板だから論理学そのものについて議論する場 じゃないだろ。 論理の哲学について議論する場だね。 戸田山やウィトゲンシュタインの科学哲学や論理哲学 のほうがこの哲学板にふさわしんじゃないか?
23 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 16:13:30 0
>>20 こうか?(め口め)ノシ
>>21 基本的に論理学は一般教養だから、
必要とする人・使う人はいろんな専門分野を持ってるもんだ。
>>22 まあ好きにしてくれ。同レベルの人がくるかは分からないけど、
本当に専門で論理の哲学やるなら独立スレで。
24 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 16:30:28 0
哲学板に初学者向けの論理学スレがないから、ここがそれになるんじゃないか? だからいろんな専門分野を持ってる人が来るけど、それの共通点は上のように 公理とドモルガンと形式論理となる。 工学の論理回路 情報学の処理系 言語学の自然言語解析 哲学の詭弁・方法論 法学の弁護術 数学の公理系 これだけでもいろいろな目的を持った人が来るから話が 合うとは必ずしも限らない。 前スレでは教科書とかウェブの論理式・命題・判定可能文章とがネタだった。 訪れた人のレベルは上の本リスト程度ぐらい。スレの消費は3年かかってる。 これを見ると、ここは質問・雑談・(可能なら)情報紹介ってところじゃないか? 大体一般の話題で消費に3年もかかるんだから、専門はまだ機じゃないな。 専門の話題になるなら別スレへ誘導で。
25 :
考える名無しさん :2007/11/09(金) 16:55:34 0
あー、あと用語説明もあったけど、そういうのはもうウィキで十分でしょう (妥当性と健全性の違いとか導出とか)。少しお堅く書いてあるけどね。 専門話題のサロンは「天空の」を立てるけどまだ様子見で、 別に新スレ立てなくてもこのスレに同レベルの人が三人以上集まってるんなら、 ここで雑談してもいいんじゃないか? 専門話題で埋まるようなら別スレたてで。
バカに本を読めというバカがいるスレはここですか?
27 :
考える名無しさん :2007/11/10(土) 18:12:56 0
バカバカしくてやってられない論理のスレだろ。
28 :
考える名無しさん :2007/11/10(土) 18:59:09 0
論理学の哲学か・・・同名のクワインの著書があるが、 あれはさすがに古すぎるし、難しすぎるな。
29 :
考える名無しさん :2007/11/27(火) 18:00:34 0
論理学のことは全く知らないのですがこれから勉強しようと思います 入門書から上級になるまで勉強する本はどのようなものを順番に読んでいけばいいでしょうか?
まずは伝わる日本語からじゃないか?
31 :
考える名無しさん :2007/11/27(火) 18:40:56 0
すみません伝わらなかったですか・・・ 詳細をいうと哲学書を読んでいると形式論理学とか命題論理学とかいう言葉が出てきて 論理学にも種類があるということもしらなかったのですが とても役に立ちそうなふいんきだったので勉強したいなと思って ネットで調べるとアリストテレスが始めたらしいのですが現代のものと違うようなので さらにネットで調べてみたのですがドイツのフレーゲという人が記号とか作って使い始めたらしい でも本はけっこう高いのしかうってなかったし、なんとかというパラドックスが見つかって 整合性がとれてないらしいとか・・・ それで現代の論理学を勉強しようと思ったのですがそうするとヴィトゲンシュテインとかの哲学書も読めるようになるかなと・・・ まずは入門書から読んでいって上級まで頑張ろうと思いました なにから勉強すればいいのかもわからないので・・・ 長くなってしまってスミマセン 伝わる日本語になっているといいのですが・・・
もしかして「ふいんき」を漢字変換できずに不満があるだろ。ん?
33 :
考える名無しさん :2007/11/28(水) 02:11:45 0
本当にスミマセン「ふいんき」変換するとなぜか「歩陰気」になってしまって たぶんパソコンのIMEが調子悪いのだと思いますが本当にスミマセンキモイですよね・・・ 論理学勉強したら少しはましになるのかなぁ
マックレーンくらいは読んどけ
35 :
考える名無しさん :2007/11/28(水) 03:00:45 0
マックレーンありがとうございます なにか映画俳優のような名前ですねwikiで調べてみました 圏論というのは論理学の新しいやつなのかな・・・ よくわからなくてゴメンナサイ・・・ 尼損でさがしてみたら「圏論の基礎」という本が売っていたので読んでみます 少しずつ論理学勉強します、本当にありがとうございます
>>16 学問としてまじめにやるなら戸田山和久『論理学を作る』
トポスじゃよ?
論理学もまだの人間には 圏論の基礎もトポスも早すぎるよ
39 :
考える名無しさん :2007/11/28(水) 23:01:51 0
みなさまアドヴァイスありがとうございます。 勉強の順番はまず「論理学を作る」で論理学の基礎を学んで そのあと「圏論の基礎」を読んで圏論を習得するという順番でやってみます 論理学ができるようになるかどうかわかりませんがやってみますね アドバイスありがとうございます本当に感謝します。
「圏論の基礎」を読めるようになるには、 論理学だけでなく、そもそも数学ができないと・・・
もともとあれはネタだと思ってみたらスッキリしないか?
42 :
考える名無しさん :2007/11/30(金) 21:05:46 0
論理学ってなんの役に立つんですか?有用なところが全然ないし、 結局やっても無無駄なだけじゃん。時間の無駄
本当にそうかな?
44 :
考える名無しさん :2007/11/30(金) 22:33:30 0
確かに使えるようになっても、使いこなせないしだろうな 使いこなせる奴は論理学などやらないで他の専門に逝く罠
45 :
考える名無しさん :2007/11/30(金) 23:59:23 0
どんな学問でも、ある程度のところまでやらないと、 何の役にも立たないよ。論理学もまた同じ。
Prologじゃよ?
↑それ、もう時代遅れ
48 :
考える名無しさん :2007/12/01(土) 00:18:55 0
>>45 はある程度までやったんけど、じゃあ論理学はなんの役に立ってるんだ?
49 :
考える名無しさん :2007/12/01(土) 00:23:26 0
>>48 は論理学の前に、まず日本語の勉強をしてくれ。
50 :
考える名無しさん :2007/12/01(土) 00:39:01 0
フレーゲからゲーデルの不完全性定理までの論理学には、 認識論に興味を持つ者なら誰も無視することができないような 重要なポイントが含まれていると思う。
論理学にとっては日本語とか英語とかは関係ないと思うが、どうだろうか。
↑うんうん、そうそう。
あぶないよ。無限は。
数学ならって有限や離散にしないと。
>>50 はよく分かってるじゃん。えらい、えらい。
なんだよいくら勉強しても結局解けない問題はなくならないってことじゃん
56 :
考える名無しさん :2007/12/01(土) 13:00:25 0
問題というのはもともと解ける代物じゃないのだろうな でもどうして解ける気になっちゃうんだろうか?
私も数学や記号論理学にコンプレックスを抱いている。 そこで、意味を記号に置換する、そのアプローチそのものを批判しようと、 またその用いられている記号が、「生きていない」ことを証明しようと、 日々努めている。
58 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 15:35:56 0
>>57 何か見当違いの一人相撲の気がするなあ。
記号論理学が何をやっているのか、
もう一度確かめた方がいいんじゃね?
59 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 21:47:51 0
>>57 しょうがないからちょっと人生相談に乗ってやるよ。
円周率で音符を起こして音楽を作ってみたってのあるだろ。
あれと同じようなことでもやってみろ。面白い作曲が出来るかもな。
まず簡単なところでは、ヤコポ・バッサーノの絵を着想として「魔王」を作れるかだな。
まあおまえなら出来そうな感じはするがな…ただスレ違いなのは確かだ…
>>58 気がする、ってのはこの板ではよしてよ。
記号論理学は基礎は勉強する積り。
食わず嫌いだし、俺のやってる事が揚げ足取りに過ぎないことも分かってるよ。
ただ、記号論理学では、デリダの「触れ得ないものに触れる」などと言う表現を理解できないよね
>>59 例が適切でない。
数学を音楽に適用したのは、ウェーベルンはもちろんだし、異端なところではクセナキス、バルトークがいる。
もちろんブーレーズ、シュトックハウゼンも忘れてはならない。
現代の現代音楽シーンの代表が、スペクトル学派。数学必須。
だからこそ余計に数学にコンプレックスを覚えるわけだが・・・
その例と、バッサーノの例は全然違う。
バッサーノの絵に読み取れる緊張感、色彩のドラマ、エネルギーの方向と配置、を時間芸術と同期させようというのは、
やってできないことではない。しかしそれはどうしても同期しきれず不完全に留まるし、
あくまで「バッサーノの音楽化」であって、「魔王」を作ることではない。
それに対し、前者の例は、数学の音楽的応用、むしろ音の記号化による数学。
61 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 23:10:27 0
>>60 「勉強するつもり」ってことは、あなたはまだ記号論理学知らないんでしょ?
それで「意味を記号に置換する、そのアプローチそのもの」って言ったって、
結局「何となく論理学ってこんなアプローチな気がする」ってだけじゃね?
それでいて、他人には「気がする、ってのはこの板ではよしてよ」って言う
あなたは相当困ったチャンだね。w
62 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 23:10:58 0
なるへそね。おまえ流に言えばだな、 「バッサーノ」から「魔王」らしきのを作ってみろってことだ。 それがいい経験になるだろうとおれは思うがな。 少なくともこれから「英雄」とか作るのはおまえじゃ無理だな。 それと、自作のちょっと聞いてやったがファイルが消えてるが多かったぞ。
63 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 23:13:51 0
そういえば、おまえ面白いやつだな。てか変なやつだ。 前スレでも「種」「類」でどうとかこうとか言う変なのいたけど、 気が向いたら相手になってやるよ。 コンプレックスがどうとかこうとか言ってるが、でも何で論理学なんかに興味持ってるんだ? そのいきさつを聞かせてくれよ。
64 :
考える名無しさん :2007/12/02(日) 23:46:26 0
>>61 >>60 みたいなバカを観察するのもまた楽しいだろう。
一応論理は通じるみたいだからサル完全体じゃないんだろうあ。
65 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/03(月) 08:30:05 0
>>60 >ただ、記号論理学では、デリダの「触れ得ないものに触れる」などと言う表現を理解できないよね
そういうのは記号論理学が何を対象とした学問かが分かればすぐ理解できることじゃないかな。
「触れ得ないものに触れる」が記号論理学の命題になるか、ならないか、と言うこと。
命題とは真偽がはっきりしている言明、と言うのが記号論理学の定義だね。
「触れ得ないものに触れる」が真か偽かははっきりしてるのかな?
論理学がどんなものか、どんな意義があるかなどの考察なら記号論理学より
むしろウィトゲンシュタインの論理哲学などを参考にしたほうが良いと思うが・・・。
つーか「世界を記号論理学で説明してやるぜ!」って態度が、 まさに論理実証主義だったわけで・・・ いまの分析哲学はそんな考えとうの昔に乗り越えてるんだが。
論理実証主義者内部でも そんなのは乗り越えてたけどね
68 :
考える名無しさん :2007/12/03(月) 11:20:52 0
デリダという人がそういう表現を用いて何をしようとしていたのか知らないので、 その理解に記号論理学的な手法が役に立たないのかどうかは分かりませんが、 人為的な記号言語の体系を構築し、その中で知識なり理論なりを表現することによって、 その内容を解明するという手法は、役に立たない場合も多々あるでしょうね。 一般に、演繹的推論で原理から出発して結論を根拠付けていくようなかたちの理論以外は、 現在あるような記号論理学での分析は難しいか、 あるいは、あまり意味がないものになってしまうことが多いかもしれません。
>>61 いや、一回入門書読んで、投げたw
>それで「意味を記号に置換する、そのアプローチそのもの」って言ったって、
>結局「何となく論理学ってこんなアプローチな気がする」ってだけじゃね?
いやいや、俺を否定したいなら、俺の態度よりも、
論理学は「意味を記号に置換する、そのアプローチそのもの」、っていう俺の意見を真っ向から否定してみてよ。
>>61 と
>>62 は同一人物だよね?
>でも何で論理学なんかに興味持ってるんだ?
もともとは、ゲーベルを理解したかった、それだけ。
論理学に基づいた論証が不完全だって言うのなら、その意見を否定したいと思うじゃないか。
>>65 それだったら、俺には記号論理学を勉強する意味はあまりないかな。
その「真か偽か」という究極の二極化が嫌いだし、
デリダクラスの哲学者の言明なら尚更、そのような二極化をもっては理解できないと考える。
>>68 特に柔らかい記述においては、そうだよね。
俺はベルグソン、ハイデガー、メルロ=ポンティ、ナンシー、デリダの系譜に連なる哲学を信奉しているから、
ベルグソンの用いる、「質を伴った連続性」、「相互浸透」、
ハイデガーの言う実存、「自分に先んじて自分をその都度存在可能性に投げこんで、現で在る」、
デリダ、ナンシーの「触れ得ないものに触れる」といった言い回し、
などは記号論理学では表現不可能だと思います。
私は記号論理学を良く知らないのでそう思ってしまうのですが。
71 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/03(月) 22:36:18 0
>>69 >もともとは、ゲーベルを理解したかった、それだけ。
論理学に基づいた論証が不完全だって言うのなら、その意見を否定したいと思うじゃないか。
これってもしかしてゲーデルの不完全性定理のこと?
なら同じゲーデルに命題論理の完全性定理があるから心配しなくていい。
不完全なのは数学の理論で記号論理は完全だ。
そうそう、不完全性定理。 恥を晒してしまった↓ じゃあゲーベルって誰だっけ?
73 :
考える名無しさん :2007/12/03(月) 23:11:47 0
所詮はサルってことだったな。 言っておくがおまえのチンカス哲学を聞きたいわけではない。 もう一度聞くが、論理学のどこに興味を感じるんだ?
74 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 01:03:11 0
なにこのバカスレ
75 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 02:05:55 0
ゲーベルなんかいたっけww
ケーベルならむかし東大にいたけどなw
77 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 03:24:05 0
チンカスの相手はもうしなくていい
78 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 05:26:24 0
「無限が危ない」などという認識自体が危ない。 そんなのは、途中で考えるのをやめて打算的に生きたい人の言い訳。 「魔王」が作れないことは、理由にはならない。
79 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 08:36:36 0
ヘーベルハウス
なんだかんだ言ってこのスレ人気あるんだね
81 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 13:18:56 0
しょうがねーからオレ様流で解説してやるからよく聞いとけ。
http://music.geocities.jp/karolszymanowski2000/bassano.htm ヤコポ・バッサーノ 1533
これは「ついに暗黒カラスが飛来した」場面なのであった。
印象に残るとすればこのカラスの両手の仕草と鋭い目線だけである。
突如飛来したカラスは右手では天空を指さし、
左手では「次はおまえの番だ」と一突きのごとく指さしている。
きっと我が主の意思を伝えに来たのだろう。
指の先にいた哀れな羊は、既に天に召されるのは覚悟の上で
最後のお祈りをしている最中であった。
ヨーロッパで猛威を振るったペストに対する過酷さと
死が目の前で起きていることに対する民衆の恐怖を生々しく伝えている。
ま、こんなところだ。
「魔王」がおまえに近づいて来たか?
82 :
78 :2007/12/04(火) 13:24:25 0
>>81 時間が不可逆だとでも言い出すつもりか?
だとしたら、しょうがねーのはお前のほうだよ。
「無限が危ない」という理由を説明してみろよ。
83 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 13:27:37 0
>>70 それから、スレ違いだ。ここはおまえみたいなサル禁止だ。
今度スレ立ててやるから、そっちなら暴れてもいいぞ。
84 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 14:54:49 0
>>82 センスのかけらもない、おまえのようなサルが一番嫌いだな
顔洗ってくるなら、まずは「スレ違い」ってセンスを身に付けてからだなw
85 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 14:57:50 0
>>69 「意味を記号に置換する」?
一般的に、言語で何かを表現するということは、
「意味を記号に置換する」と言えなくもないだろうが、
それは記号論理学に限ったことではないよね。
現代の記号論理学は、どちらかというと
「意味」という訳の分からないものはできるだけ回避する
という戦略で作られていると思うんだが。
86 :
考える名無しさん :2007/12/04(火) 15:21:21 0
>>82 相手にされなかったのが一番堪えるんだよな…
もうこんなところ来るもんじゃないな
サルはサル同志仲良くやろうよ…な…
88 :
考える名無しさん :2007/12/05(水) 16:21:26 0
スマリヤンってあれグル高橋さん外国にいってたんですか(藁
ふんがー、ふんがー!
90 :
考える名無しさん :2007/12/06(木) 13:43:24 0
思うんだが、
この
>>69 とかは、
クレタ人のパラドクスを読んで感化された口なんじゃないか?
無限は危ないって他人の忠告を絶対聞き入れないようだし…
「ヒト」の言葉が通じないのは所詮「サル」だよね…
91 :
考える名無しさん :2007/12/06(木) 13:47:23 0
なんだかんだこのスレをチェックしてるみたいだからもう付き合ってあげるけど、 このスレ的には、意見を言うならもうちょっとさ、 「ヒト」に伝わる論理で自分の主張を表現してくれよ。 「サル」同士に通じない言葉じゃ応えようにも分からんわw
92 :
考える名無しさん :2007/12/06(木) 13:54:03 0
↓これはここの誤爆??
423 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2007/12/06(木) 13:20:00 0
>>422 そこでお聞きしたいのですけど、
じゃ、なんで「無限は危険」ってことを理解しようとなさらなかたんですか?
>>420
93 :
考える名無しさん :2007/12/06(木) 18:26:11 0
423 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/12/06(木) 13:20:00 0
>>422 そこでお聞きしたいのですけど、
じゃ、なんで「無限は危険」ってことを理解しようとなさらなかたんですか?
>>420 424 名前: 405 [sage] 投稿日: 2007/12/06(木) 18:02:52 0
そうですねえ。
無限も有限も同じくらい危険で同じくらい安全だからです。
私は412さんの仰る「己を信じる」というのは、狂っているかもしれないが狂ってなどいないと信じるということなので、
強いて言うならその諦念にも危ういもの(狂信?)があるのではと思うのです。
有限も危険で無限も危険。現実はどこかしこも満遍なく危険ということになると、
何も危険なことなどないと変わらないと思っているんです。
無限は危険だと理解していても、無限に踏み込んでいくのは有限のそれと同じです。
他人に信用してもらったところで、その他人が信用に足るかどうかを考えたら、やはりキリのないところだと思います。
お互いが信用しあうという幻想でもっているのが社会ではありますが、もちろん裏切りもあるわけで。
信じきれないし、信じきらない。そんな考え方をしている目下の私です。
新着レス 2007/12/06(木) 18:22
425 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/12/06(木) 18:23:37 0
未だ三流サルのようすが言葉は通じるみたいなので、
じゃ向こうの論理学スレでやりましょうか。
次からは、疑問があるときは人がちゃんと答えられる質問文を作るように!
94 :
考える名無しさん :2007/12/06(木) 19:35:41 0
>その「真か偽か」という究極の二極化が嫌いだし、 たとえば、彼は絵とか音楽に興味あるみたいだけど、 「真か偽か」の二極化こそが「究極の表現である」という芸術もあると思う。 この二極化を示すのが究極の芸術なわけで じゃ彼がいう無限 うんちゃら じゃかじゃか の芸術って なんなのさっ て考えるヒトがいっぱい出てくるだろ。 426 名前: 405 [sage] 投稿日: 2007/12/06(木) 19:22:41 0 キリがないのでこの辺にさせて頂きます。 あえて人がちゃんと答えられるような質問文を作らなかった意図がおわかりいただけず遺憾です。 新着レス 2007/12/06(木) 19:33 427 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/12/06(木) 19:25:34 0 キリがないからって、おまえの無限ってなんだよ。 おい! 所詮はごまかしの奴だったな・・
無限に関する性質は無限にあり得るのでかっちりと定義できない。 定義できない以上、まともな概念なのか究極的にはわからない。
96 :
考える名無しさん :2007/12/07(金) 05:28:55 0
ではこうしよう。次からは 「疑問があるときは相手様が答えられるちゃんとした質問文」 を作るように! とっても大事なことだからちゃんと心がけていよう!
97 :
考える名無しさん :2007/12/07(金) 06:20:58 0
441 名前: 名無しさん@社会人 投稿日: 2007/12/06(木) 19:27:35 田島陽子とかどうでもいいからさ… なんかヤバイくない? でも…「ハケン」がないし…マヌケよねw ねぇ? 415 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/12/06(木) 19:15:36 0 おれベガんは余裕で倒せたけど 学問・社会学版のフェミニズムスレにいるあの女40匹ぐらいが倒せなかった… もともと、あーいーのが「フェミニズム」ってもんに引き付けられるみたいだし… ことあるごとに 「ドウテイ」「チュウソツ」 「ニート」「フリーター」 「チョン」「ダイザク」 「ドウワ」「フーゾク」 「エタ」「ヒニン」 だから、そういう女の気持ちがわんないような下等生物はフェミ語るなって それ、「おまいの方」が差別してるし。これってそもそも偏見じゃん? ああ、最近では「アルチュウ」とかいってたから障害者にも興味あるみたい。 な ん か そういう「トンガッテル」の。いわゆる痛い40匹。 だれか頼む。オレじゃ無理だった… トゲ抜いてやってくれ… 新着レス 2007/12/06(木) 19:16 416 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/12/06(木) 19:18:06 0 「ガンダム」ではありません。 全ての道は「ブッポウ」に通じるのです。
98 :
考える名無しさん :2007/12/07(金) 14:46:09 0
私は馬鹿です
99 :
考える名無しさん :2007/12/07(金) 20:09:06 0
P∧(Q∨R)⇒(P∧Q)∨(P∧R) 証明してくれ。
100 :
考える名無しさん :2007/12/07(金) 20:44:24 0
age
101 :
考える名無しさん :2007/12/07(金) 20:48:43 0
わからない馬鹿が大勢いるようだな
102 :
考える名無しさん :2007/12/08(土) 03:06:43 0
私は馬鹿です
>>99 左辺は乗法標準形
右辺は加法標準形
⇒は、この変換を意味する。
104 :
考える名無しさん :2007/12/08(土) 03:21:58 0
でも、彼がいいたかったこうだろ。 P∧¬(Q∨R)∨(P∧Q)∨(P∧R)
そういえば最近、ハシゴの人を見かけないね… いつも可愛いクマのぬいぐるみ持って全国飛び回ってるんだけど、忙しいのかな。 ぬいぐるみは「う」って名前らしい。
>>99 ∧/∨分配則の半証明図
01)(P∧(Q∨R)) 仮定
02) P ∧-(01
03) (Q∨R) ∧-(01
04) Q 仮説_1
05)(P∧Q) ∧+(04
06)((P∧Q)∨(P∧R)) ∨+(05
07) R 仮説_2
08)(P∧R) ∧+(07
09)((P∧Q)∨(P∧R)) ∨+(08
10)((P∧Q)∨(P∧R)) ∨-(03-09:ここで仮説_1,2はおちる。
コレの逆の証明図は どんな証明図になるか?
そういえばいうの忘れたけど、Prologも面白いけどやっぱりHaskellもホットだよね。
108 :
考える名無しさん :2007/12/08(土) 14:39:59 0
今、袋に「高級ジャムパン」て書いてあるパンを食べてるんだけど、 これ、「低級ジャムパン」て書いてあったら誰も買わないよね? 論理的に。
109 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2007/12/08(土) 17:59:58 0
低カロリージャムパンならダイエットしてる人が 買うかもしれない。
110 :
考える名無しさん :2007/12/08(土) 19:13:33 0
それは「低級ジャムパン」とよばない。
>>108 高級と低級の違いに興味があるから両方買って食べ比べる
112 :
考える名無しさん :2007/12/08(土) 22:25:38 0
食べ比べて、論理的にどーなるの?
113 :
考える名無しさん :2007/12/09(日) 04:35:26 0
>>105 どこでみかけたんですか?
「はんとしろむる」てすねてましたけど。
いぜんおみうけしたときはなまえはまだ「ウ」でしたよ。
114 :
考える名無しさん :2007/12/12(水) 23:21:11 0
「「だろう」運転ではなく、「かもしれない」運転をしなければならないのです」 「なるほど。たとえば「飛び出してくるだろう」という考えではなく、「飛び出してこないかもしれない」という考えを行えということか」 これは、「飛び出してこないだろう」といった考えを断罪し、「飛び出してくるかもしれない」と考えなければならないという主張を抽象化したもの〔「だろう」運転は誤っていて、「かもしれない」運転は正しいとする論〕に対する批判である。 さて、その抽象化された主張を上の批判とは異なる視角から見ることにする。 「かもしれない」とは「可能性がある」と言い換えることができるため、「飛び出してくるかもしれない」、「飛び出してこないかもしれない」は、 それぞれ「飛び出してくる可能性がある」、「飛び出してこない可能性がある」というだけに過ぎない。 前者は「飛び出してこない可能性がある」と付け加えることができ、後者は「飛び出してくる可能性がある」と付け加えることもできるということである。 すなわち、両者は表裏一体なのであり、「飛び出してくるかもしれない」と考えることこそが正しいとは言えないのである。 「飛び出してこないかもしれない」という考えであっても、「飛び出してくる可能性がある」という考えを含んでいるため、問題はない。 問題なのは、「かもしれない」(あるいは「可能性がある」)という言明についてよく検討しないことであろう(「可能性」という、様相論理学の問題圏にある概念についても検討が必要であるため、ここでの結論は暫定的なものである)。 # くそっ! すべての問いは論理学と言語哲学へと向かうのか!?
115 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 09:57:26 0
ちゃくがんてんはよろしいですが「とびだしてくる」のと「とびだしてこない」のがおなじかのうせいであります。
したがってそのかのうせいによればたとえばいかのようにいろいろでてくるでしょう。「
410 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 2007/12/05(水) 23:02:02 0
>>405 論理的にも入れ子ではないでしょう。
判断1:歩行の是非の判断
判断2:判断1の是非の判断(=歩行の是非の判断の是非の判断)
として
「判断1が異常ならば判断2も異常」
と根拠の無いことを仮定していませんか?
412 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 2007/12/05(水) 23:50:45 0
>>411 自分の判断が狂っているという可能性を否定できないのはどうしようもないと思います。
最終的には己を信じるしか無いと思います。
420 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2007/12/06(木) 03:26:56 0
>>412 なかなか深いですね。
真理に肉薄しているあなたの姿を感じとれます。
だけどそれだと、他人に信用してもらうってことはいけないことなんでしょうか?
またどこかのスレでお目にかかりたいものです。
」、これらは「とびだしてくる」「とびだしてこない」いがいのかのうせいをしめしているにすぎません。
さいしゅうてきには「「ガンダム」ではありません。全ての道は「ブッポウ」に通じるのです。」です。
116 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 10:09:28 0
私は馬鹿です
117 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 11:07:41 0
「ダイザク」ってなんだよ! いったい何色なんだよ!
118 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 11:31:21 0
私が王者です
119 :
考える名無しさん :2007/12/13(木) 13:22:57 0
120 :
考える名無しさん :2007/12/14(金) 10:16:26 0
>>109 それは「高級ジャムパン」なんですか?
>>111 食べ比べてみて「低級ジャムパン」を選ぶのはどんなときなんでしょうか?
>>120 どんなもんか知ったら興味を失うと思う。
万が一味が好みだったらその後も買うかもしれない。
122 :
考える名無しさん :2007/12/14(金) 10:50:06 0
>>121 わたしなら「キティーちゃんの味」がしたらそのごもかいますけどw
これもまたせんすのもんだいww
123 :
考える名無しさん :2007/12/14(金) 17:19:25 0
>>117 確か「ダイザク」のパイロットはルーマニア出身だったはず。
って、誰でもいいからこのゲーム作ってやれよ。
「姉」のエロゲーと同じでさw
124 :
考える名無しさん :2007/12/14(金) 20:24:17 0
>>123 ん?違うだろ。
出身地のフランスから追い出されたんじゃなかったか。
でパイロットの名前が「ルマニア」だろ?
125 :
考える名無しさん :2007/12/14(金) 22:48:53 0
そいつが試作品2号機「ダイザク」を起動させたのか!!!
126 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 08:47:12 0
てか「ダイザク」はもうスレ違いだからw VIPでやってww ここのコピペもってっていいからw
127 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 22:15:31 0
私が王者です
128 :
考える名無しさん :2007/12/15(土) 22:36:04 0
>>107 ふつうににC => Javaでいいよ。「くろーじゃ」はたのしみだし。
たいていのサルは「ぽいんた」でさようならになるし、ばかは「ぱっけーじ」でじめつじゃないか?
129 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 00:34:25 0
私は馬鹿です
130 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 09:44:23 0
>>128 ああ、簡単なようなんだけど奥が深くて非常に難しいんだよね。
C++ => C# じゃないか。なんか目的あるやつは。
131 :
考える名無しさん :2007/12/16(日) 11:34:10 0
私は馬鹿です。
132 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 11:34:41 0
>>90-96 が典型的なサル。
だから
>>1 。
無限に関する性質は無限にあり得るのでかっちりと定義できない。
定義できない以上、まともな概念なのか究極的にはわからない。
ではこうしよう。次からは
「疑問があるときは相手様が答えられるちゃんとした質問文」
を作るように! とっても大事なことだからちゃんと心がけていよう!
133 :
考える名無しさん :2007/12/17(月) 23:33:28 0
47 名前: ◆mgNCaLKg6. 投稿日: 2007/12/17(月) 18:50:06 0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1197640265/l50 >>
>我々の手で新しい思想の創造を行いましょう
>嫌だよ 功名心と自負が強いから造り上げてる体系の原理をまだ明かしたくない
>私は京都大学の文学部で博士課程まで哲学に関する研究を行いました。現在は金融に就職しているので研究室での研究とは疎遠な状態ですが、私も独自の体系を日々完成に近づける努力を続けています。
>この思想は私が学部の卒業論文で最初に提起し、修士、博士課程において主に研究、精錬を重ねたものです。
>また、高名な教授と議論をすることができますし、永井均先生等、第一線で活躍しておられる哲学者の方に直接触れる機会も多いです。
>最後に、これから哲学(ないしは哲学的思索)が社会において有効性を発揮する分野としては環境倫理学、生命倫理学があると思います
特に生命倫理に関しては京都大学の研究室では万能細胞を皮膚から作ることに世界で初めて成功しましたが、
このことによって生命倫理的なより精錬された議論が必要となると思われます
<<
あー、おまえは「永井均」ほんにんだろうwもしくは、せいぜいかんけいしゃとかしそうにかんかされたやつにしといてやるかwww
で、そういうせこいことで「じせつ」をせんでんするのやめないか?
おなにーなら「ぶろぐ」ですきなだけやればよろしい。
そこならすきなだけでんぱ「ゆんゆん」していいから。
ちょっとしらべてみたけど、ひでーな。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1140442849/l50 「永井均関係者=純一 ◆Fn0dptrDJw=精神病一歩手前」
「嫌だよ。功名心と自負が強いから造り上げてる体系の原理をまだ明かしたくない。」
>>107 >>128 >>130 WindowsとかUNIXのシェルとかつかいこなせないくせに論理云々とか偉そうにして、哲学ってそのへんからしても「文系」だよね…
135 :
マル同絶倫派 :2007/12/19(水) 18:07:42 0
3がOFWな。 ほんじゃ、行こうか。 3 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2000/10/01(日) 00:26 論理学とは論争の手段ではなく、真理を求めるための方法論です。 そして数学的な論理学(数理論理学)は今世紀になって集合論の考えを一般化した形式論理学の一種ですが、 真理問題を数学的な命題の証明のように扱うあまり実践的なものではない。 (コンピュータに応用されたのはまさに思考を「計算」に変えたからです。) 正しい思考の筋道は対象の概念的な認識から始まります。これはソクラテス以来の西欧哲学の伝統であり、 概念、判断、推理と弁証法的に発展する認識形式を具体的に使用する事が本来の論理学と呼べるでしょう。 また、日本人は情緒的で論理的思考が苦手なのは国民性とも言えるが、実際には学校でまともな論理学を 教えていないからであり、それは政治的な理由からだと思っています。真理はどうも為政者にとって都合が悪い ようで、日本は昔から政治的な思惑で文化・教育・学問が規制されている。理性的なコミュニケーションは 普遍的な論理によってのみ可能となります。 論理学の良い教科書として私はヘーゲルの『大(小)論理学』しか知りません。
136 :
マル同絶倫派 :2007/12/19(水) 18:08:35 0
16 名前: 3 投稿日: 2000/10/01(日) 10:29
>>4 「昭和世代」!なるほどもう平成12年か・・・。平成世代は21世紀に論理的な思考を大いに高めて欲しい。
昭和は遠くなりにけり、老兵はただ消え行くのみ。真理を見失わないようにね。
>>6 >数学基礎論としての数理哲学と記号論理学とは明らかに違うし、学問体系は別物です。これをごっちゃにして
数理論理学という言葉は存在しません。また、これらは形式論理学ではありません。
正確にはそうでしょう。しかし、私は19世紀末からの論理学全体を見て、その本質的な特徴は「論理の形式主義化・
数学計算化」にある見ており、「数理論理学」と読んだのです。対象の存在および概念内容を問わない点でそれは
今世紀の学問全体に係わる形式主義化の一つでしょう。如何でしょうか。
>この言明では、論理学と認識論が混同されています。
そうでしょうか。認識論=認識の妥当性を論じる研究、論理学=正しい認識のための方法と区別しています。
認識を論じる認識論は必然的に認識批判になります。弁証法論理とは認識批判なのです。
>>10 >相手が何を聞きたいのかを読みとる力を付けた方が良いのでは
最初に「論理学とは論争の手段ではなく、真理を求めるための方法論です。」と断って(質問の前提を否定して)
あります。そして、論争よりは共同的な真理を求めよと言うことを言ったのです。また、私はヘーゲルを読んで論争
にも強くなったが、それはあくまで副次的なものです。
>>14 ,15
ラッセルなども大のヘーゲル嫌いでしたね。確かに論理学を命題計算にすることは一つの進歩でしょうが、
論理学とはそんな狭いものではない。
137 :
マル同絶倫派 :2007/12/19(水) 18:09:29 0
21 名前: 3 投稿日: 2000/10/01(日) 22:53
(老いて体力なし。他のレスで余力少なし。)
>>17 >1のレベルを考えてあげましょうよ。彼にそこまで考える能力があるはず無いじゃないですか。
申し訳ない!と言うしかないが、ただ「真理を求める方法論」とはむしろ分かりやすく言おうとした訳です。
真理が純粋に論理学だけで捉えられるのではないのは当然です。真理への方法的な態度と言った意味です。
>論理学は基本的に、命題の関係から導出される命題を考察する学問でしょう。
私は弁証法も一つの論理学だという前提でレスしているので、異論ありです。
>>18 >論理の形式主義化とは形式論理学の形式化ということですか。これなら記号論理学のことをさしますが、
いかがですか。
同上です。私は広く(粗く)形式論理学vs弁証法論理学という対立で考えます。無論、「弁証法は論理学ではない」
という立場の人には論理的に上記は意味のない言葉になってしまう。
>これなら、ライプニッツにだってありますよ。
そうです。まさにライブニッツが果たし得なかった事がコンピュータによって実現された!しかし、それは計算しか
できない。あと、「論理」「認識」という言葉の用法(理解)が違うことが大きな反論を招いているようなので改めて
説明します。
>>19 同上です。矛盾は弁証法の動力です。やはり弁証法は嫌われる、か。詭弁の一種と言われたり、最高の科学だと
言われたり、結局、内容を理解しない人ばかり・・・。
138 :
マル同絶倫派 :2007/12/19(水) 18:10:05 0
36 名前: 10 投稿日: 2000/10/02(月) 23:58
>>22 (logician's red氏)
>3はなんかあわれだなぁ。そうとう年くってそう。
同情ありがとう。でも最近の感覚では、何歳なら年よりなのかな?
>さらにヘーゲリアンか。
さらにマルキストでしょうかね。
>論理学の話してんのに『大論理学』をもちだすとは…。
何か変?本のタイトルが「論理学」じゃん。ヘーゲルは詭弁家?
>1よ、ヘーゲル読んでも論理的な思考力はつかんぞ。(反面教師としてなら別)
残念ながら、私はビンビンにつきました(前にも言ったかな)。
と言う事で、形式論理に沿った議論の中に適当に混ぜてもらいながら、弁証法とは如何なるものかを説明して行く
事にしよう。
37 名前: 36 投稿日: 2000/10/03(火) 00:07
誤: 名前:10
正: 名前:3
(やはり年か。失礼。) あと最後のは横レスでした、これも失礼。
139 :
マル同絶倫派 :2007/12/19(水) 18:11:20 0
43 名前: 10 投稿日: 2000/10/03(火) 23:01
(弁証法論者、再び登場)
>>38 >いわば、論理学は「思考の規範学」だと言えます。
カントのいう、認識の規準(カノン)としての論理と言うわけですね。
彼は、現象界を超えて可想界にまで悟性範疇(カテゴリー)を使用する、つまり論理を認識の組識者(オルガノン)
と考える場合仮象の論理としての弁証論が生じる、と言って非難しました。かの2律背反がその実例という訳です。
それに対してヘーゲルは「いや、まさにそれこそが弁証法の力である。」として、カテゴリーそのものを吟味せずに
孤立的に使用したカントを批判しています。
>>40 >直感について論理学は何も語っていないじゃないかということです。
その点については、同感です。論理というのはあくまで悟性形式の使用だということで、カントや三木清の提起した
構想力の論理(図式的論理)や感性論(美的形象化の論理)も現代の形式論理学では省みられていない。
むしろ、言語学や記号論において、象徴・比喩・アナロジー(類比)の論理が演繹的同語反復を超える内容的な
論理として探求されているのではないか。
いずれにせよ、上記全てが認識主体と対象との関係形式でありながら、それらを論理学的でないと切り捨てる事は、
新カント主義的あるいは数学主義的な狭量と言わざるをえないでしょう。
44 名前: 43 投稿日: 2000/10/03(火) 23:04
誤: 名前:10
正: 名前:3
(同じ間違いをまたやってしまった。鬱だ、氏のう(2ch風))
140 :
マル同絶倫派 :2007/12/19(水) 18:12:31 0
62 名前: 3 投稿日: 2000/10/04(水) 23:07 (弁証法論者、今日は間違えずに登場。) 今までの議論で出てきた主題は、 1.論理(学)の定義 2.弁証法の証明 3.論理学の現実に対する有効性(特に矛盾を巡って) 4.直観の論理的意義 くらいでしょうか。上記2について回答を考えて見ます。今日は忙しかったので、議論はPASSします。 では、更に議論を。
141 :
マル同絶倫派 :2007/12/19(水) 18:13:11 0
70 名前: 3 投稿日: 2000/10/07(土) 05:57
>>68 (栗氏)
私は専門家ではないので、勝手に解釈しますが…。
プラグマティズム(実用主義)の創始者(の一人)パースはカントの観念的なプラクティス(実践)に対抗して、
科学的な立場を称揚した訳ですが、アブダクション(仮説形成論理?)とカントとの関係として私が思い
浮かべるのは、例の「コペルニクス的転回」ですね。天動説が自明とされていた時代において惑星の軌道は
どうしても数学的・幾何学的に演繹できなかった。周天円を幾つ仮定しても、計算結果は実際とは違う。
しかし、地動説が正しいと考えるなら、何と!実に単純に惑星の軌道計算は観測結果に一致する。
その事を認識論的に逆転させたのがカントの観念論でしょう。
『純粋理性批判』の中に出てくる注釈的なエピソード(「以前は誰もが土星自体に枝があると考えていたが、
ガリレイによってそれが輪である事が発見されて以来、『枝のある土星』など存在せずそれは見かけ(仮象)
に過ぎない事が理解されるようになった。」との話)は事の本質を突いている。つまり、仮象と物自体(主観と客観)、
現象と本質、仮説と定説の逆転です。
仮説的・条件的・相関的な世界観は客観的世界における普遍的法則発見とその必然性の解明に向かう
経験科学固有の認識態度ですが、カントはそれを「現象と物自体」の2世界に無媒介的に分断してしまったために、
非「実践的」な主観哲学に落ちた。パースはそこを突いた。
アブダクションは観測された事実−事実の一般化(法則の定立)=原理からの演繹的説明−検証された事実
という科学的発見と説明の弁証法的論理でしょう。経験的・個別的な事実は観測されるが、観測は既に理論
に媒介された観点に(無意識に)従っており、測定という量的な一般化と限度確定とから、一般的な法則が
洞察される。事実(経験の領域)から法則(本質の領域)への飛躍のためには直観による本質把握が必要
ですが、それは「物自体」ではなく現象の全体性としての客観的世界の定立です。
個別的質→測定量→限度→一般的本質→現象→相関的世界という概念の論理的(弁証法的)進展
についてはヘーゲル参照。
但しヘーゲルは限度から本質への移行には神秘的手品を使うが実際には科学的実践と直観に媒介されている。
142 :
マル同絶倫派 :2007/12/19(水) 18:13:57 0
74 名前: 3 投稿日: 2000/10/07(土) 10:18
>>72 ,
>>73 (微熱症患者氏)
デカルトのコギトについて、それが何ら推論ではないというのは同意見ですが、あなたの師匠の言う
「普遍的懐疑のこの段階では論理的推論の妥当性そのものが懐疑にさらされている」
と言う点は疑問ですね。この段階では存在するもの全てに対する懐疑はあってもそれを疑うことや
その疑いの形式論理(例:もしAならばXの筈だが、Yである以上、Aは違う。)は堅持されている。
そして「『疑う私』は疑い得ない。」と言うのは論理的な言明ではなく、存在論的な言明です。
論理的に解釈するなら言葉の意味論に過ぎない。(真面目なカルナップは敢えてその道を取ったのでしょう。)
「この私デカルト」は証明(おっと、「弁証法の証明」が私の課題だった。)できないのです。
デカルトのコギトとはカントが「自我の先験的統覚」と呼んだ直観です。
「明晰かつ判明な直観(フッサールが言い直した必当然的直観)」こそが真理の保証だと言うわけです。
しかし、デカルトはそこで思い違いをした(直観(確信)とは形式的にはすべて思い込みであり、
思い違い可能なものです)。
「私」とは個人デカルトの事ではなく、あなたもそなたも含む一般的な「私」なのです。
また、「私る」とはイけているから女子高生に流行るかも知れないですね。それは私が存在ではなく
対象的活動の主体であることを明示している。
しかし、
>>65 (ミック氏)の言われる「この状態は確かに存在している。無ではない。」とは浮遊する
今の女子高生に実感できていないのではと心配になります。
問い:「あなたは今生きているという存在感や確信がありますか?」
答え:「私って誰?」「生きている確信?そんなの分かんない。」
(「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用) 宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、 もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。 東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。 はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。 「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、 とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。 これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。 室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、 何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。 これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。 じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、 フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。 日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、 考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。 (引用おわり)
144 :
考える名無しさん :2007/12/19(水) 20:42:32 0
嫌だよ。功名心と自負が強いから造り上げてる体系の原理をまだ明かしたくない。
145 :
目的は手段を正当化するってか?え、トロちゃんよ。 :2007/12/20(木) 19:26:08 0
79 名前: 3 投稿日: 2000/10/08(日) 20:20
>>30 (logician's red氏)
>「弁証法は妥当な推論ではない。なぜ正と反で合になるのかわからん。
>正と反で合にならない場合もあるだろう」(ラッセルの弁だったか?)
その通り。弁証法は「妥当な推論」ではない。また、フィヒテ流の『正と反で合になる』とは事柄に外的な図式に
過ぎない。
弁証法は事柄に内在する具体的な矛盾に着目してその真理を問題にします。
>「ペアノの公理系において、1+1=2である」という意見と「ペアノの公理系において、1+1≠2である」という
意見をどう止揚するというのだろう?
私は数学に詳しくない(興味を余り感じない)が、数の概念については弁証法的に興味があります。
ペアノの算術論での「次の数」(successor)というのが眼目でしょう。「1の次の自然数は2である。」とは
何の事か?
それはヘーゲル言う所の「対象を1、2、3…と数え、数を作ること」です。つまり、対象を数として措定する
(一定の単位と集合を規定する)ことから数学的計算は始まる。「1足す1が2」というのは次の段階でしょう。
和算というのは上記の数えることに含まれていた原理(単位と集合数の弁証法的統一)を顕在的にしたものです。
それは集合数を単位に転化する事です。
更に積算において和の真理(単位と集合数の同等性)が顕在化します。
以下、比、冪(誤ってエンゲルスが否定の否定の実例として持ち出した件のもの)等と発展します。
さて、記号論理学は自然数に含まれている実在的な意味を捨象し記号一般に抽象化してしまうため、
「次の数」と言うものが何を指しているのかが全く理解できなくなり、「1足す1が2だろうとそうでなかろうと関係ない」
と言い出すのでしょう。まさに「量とは自己に無関心となった質である」との真理を実演している。実際の生活の中でも
「1足す1が3にも4にもなる」例はいくらでもある。
よく引き合いに出されるのは「2人の協力関係が個人の総和以上の力を発揮する」という場合でしょう。
その場合は、もはや孤立した個人(単位)は止揚され、全体的な集合体が新たな単位として出現した事になる。
以上が弁証法の証明(一例ですが)です。
146 :
目的は手段を正当化するってか?え、トロちゃんよ。 :2007/12/20(木) 19:30:33 0
89 名前: 3 投稿日: 2000/10/10(火) 05:50
(いつもより早く目が覚めてしまった。)
>>80 (代理いぬ氏)
>形式主義論理学では、現実と公理の造る世界は明確に区別されていますよ。
確かに区別されているでしょう。では公理の造る世界は永遠に現実には触れ得ないのでしょうか?
現実を「抽象する」とは何か。それが問題です。
>数は概念。
実在論スレにもありましたが、概念と実在の関係についての概念あるいは言葉の混乱が多くの無駄な議論を引き
起こしていると思います。
私は
>>79 で「対象を数として措定する(一定の単位と集合を規定する)」と言いました。
対象とは一義的に経験的な知覚の対象(実在するこれ)ですが、それは一定の質を持ったものとして規定されます。
その場合質自体は概念です。「実在的対象を『あるもの』として措定する」ことにより、対象は観念化されます
(表象と呼びます)。
概念とは常に実在的契機(真)と観念的契機(知)との統一ですから、「何かの概念」として対象を含みます。
数は概念ですが、数の対象は実在的なもの(質的なもの)でしょう。その限りで「数的対象は実在する」という
言い方も許される。
>>85 (14氏)
「確定記述の問題」、「論理的固有名の問題」とはどういうものか教えて下さい。(自分で調べろってか?)
>>86 >結局、「論理」で「プログラム」を組んで機械に命令できるというメリットを追求しているわけなのですか?
論理学者の一部はそうでしょう。ライプニッツやパスカルの「論理演算機械」という構想を現在のコンピュータが実現
したし、初期のカルナップも形式論理を論理計算に還元しようとした。結局「論理」の定義に掛かってくる。
147 :
目的は手段を正当化するってか?え、トロちゃんよ。 :2007/12/20(木) 19:32:16 0
89 名前: 3 投稿日: 2000/10/10(火) 05:50
(いつもより早く目が覚めてしまった。)
>>80 (代理いぬ氏)
>形式主義論理学では、現実と公理の造る世界は明確に区別されていますよ。
確かに区別されているでしょう。では公理の造る世界は永遠に現実には触れ得ないのでしょうか?
現実を「抽象する」とは何か。それが問題です。
>数は概念。
実在論スレにもありましたが、概念と実在の関係についての概念あるいは言葉の混乱が多くの無駄な議論を引き
起こしていると思います。
私は
>>79 で「対象を数として措定する(一定の単位と集合を規定する)」と言いました。
対象とは一義的に経験的な知覚の対象(実在するこれ)ですが、それは一定の質を持ったものとして規定されます。
その場合質自体は概念です。「実在的対象を『あるもの』として措定する」ことにより、対象は観念化されます
(表象と呼びます)。
概念とは常に実在的契機(真)と観念的契機(知)との統一ですから、「何かの概念」として対象を含みます。
数は概念ですが、数の対象は実在的なもの(質的なもの)でしょう。その限りで「数的対象は実在する」という
言い方も許される。
>>85 (14氏)
「確定記述の問題」、「論理的固有名の問題」とはどういうものか教えて下さい。(自分で調べろってか?)
>>86 >結局、「論理」で「プログラム」を組んで機械に命令できるというメリットを追求しているわけなのですか?
論理学者の一部はそうでしょう。ライプニッツやパスカルの「論理演算機械」という構想を現在のコンピュータが実現
したし、初期のカルナップも形式論理を論理計算に還元しようとした。結局「論理」の定義に掛かってくる。
148 :
目的は手段を正当化するってか?え、トロちゃんよ。 :2007/12/20(木) 19:33:02 0
96 名前: 3 投稿日: 2000/10/13(金) 00:07
>>94 (代理いぬ氏)
>いまいち、あなたの言われることが分かりません。
そうでしたか。むしろご質問の趣旨を確認する意味で書いたのです。
>私とあなたの間に争うべき論点があるのか、それすらもピンとこないのです。
特にないと思います。ただ形式論理と弁証法論理’にはあると思います。
>私としては、より洗練された形式論理があればそれで十分です
いわゆる形式論理学の入門書を読んでいつも最初の数ページで疑問が湧いてくるのは、「これは数学であり、
私が理解する(求める)『正しい思考の筋道』としての論理’学ではない。」という点です。
世の形式論理学で数学でないものを(不勉強ですが)私は知りません。
数学と一般的な思考対象との違いは何といっても、「対象は具体的な意味内容(正確には質)を持つが、
数自体には意味がない。」という点でしょう。そして具体的な意味内容を捨象して残る要素は、別に数ではなく、
対象の存在形式であり、それが(狭義の)概念(最も抽象化された場合はカテゴリー)と呼ばれる「形式内容」
でしょう。
何故か論理学では概念と対象の関係を「対象の意味」と呼んで、「意味論」などという摩訶不思議な分野を造り
ますが。その点で論理学を真に形式化したのは、「質」「量」「関係」「様相」という伝統的カテゴリーを思惟の諸形式
として具体的に扱ったヘーゲルだと言えます。
「真の形式」とは内容と統一された形式という事であり、世の形式論理学は量的な対象のみを扱う(むしろすべての
対象を量に還元してしまう)物象化された社会に特徴的な論理学だと考えています。
(おっと!これでは「すべては貨幣価値に換算できます」スレに移行してしまう。)
いずれにせよ、論争は私の好む所ではありません。共同の真理に向かう対話こそが弁証法(対話法)でしょう。
149 :
トロツキーの悪名高きテーゼを粉砕せよ! :2007/12/20(木) 19:43:01 0
102 名前: 3 投稿日: 2000/10/13(金) 23:05
>>99 (logician's red氏)
>形式系の段階では、ペアノの例で行くと、後続者関数が「後続者」を表しているわけではなく、0に何個か´のついた
記号にもうひとつ´を付け足す規則でしかない。
とても変です。1+1は2である事を前提にせずに、「何個か」と言う事はできない。既に1個、2個、…、何個と
数えているではないですか。
あと、非スタンダード・モデルで「付け足す」とは如何なる操作なのでしょう。
>>「2人の協力関係が個人の総和以上の力を発揮する」という場合これは弁証法があてはまる一例です。
弁証法の証明ではありません。
勿論「弁証法の証明」ではないが、何度も証明しろと言われたので開き直った?のです。弁証法を証明するなどは
無意味(ナンセンス)だというのが本当の所(真なる文)です。しかしまた実例でもありません。
世の自称唯物弁証法論者にこの手の説明を平気で「弁証法という法則の実例」として本に書く人がいるので、
皮肉でもあります(弁証法の法則などない)。
>まず弁証法とはなんなのか、明確にのべてください。(個人の力?と人数が混同されている。和の意味が混乱
している)
確かに、「1人の力をN馬力とした場合、孤立した2人では2N馬力の合力しか生み出せないが、互いの協力関係
で2N馬力以上の力を発揮できる場合がある。」とでも言えば分かり易かったのでしょうが、そうなると非弁証法的な
単なる計算違いでしかない。「2N馬力以上の力」が生まれるのではなく、別の単位(例えば交換や会話や連携に
よるシステム力)が生まれると言う事です。
物理学などとは違い、数学ではすべて単位を無視してしまう(というより対象の質的無差別性を前提にしている)。
弁証法とは常に具体的な対象のうちにある抽象的な契機を捉えます。「具体的なものはそれ自身(実在的規定性)
とその否定(観念的規定性)との統一として捉えなくてはいけない。」(ヘーゲル)
何故ならすべて存在するものは生成・変化のうちにあるというのが弁証法的な認識の根本にあるからです。
逆に表象(単なる観念)は永遠であり、存在には頓着しない。しかし・・・
150 :
考える名無しさん :2007/12/20(木) 19:50:00 0
103 名前: 3 投稿日: 2000/10/14(土) 11:35
>>101 (微熱症患者氏)
>「確定記述」「固有名」はどちらも意味論的概念であり、日常言語に見られるある種の表現を指します。
その機能は、何らかの対象を指示することです。
私は言語の象徴的(代表的)機能として「対象への指示を象徴する(言語により代表する)」と考えますのが、
確定記述とはそれであるとして良いのでしょうか?
>何を「対象」とみなすかは、その言語が採用している存在論に依存します
「存在論に依存する」というよりは、その言語が使われている「談話世界に依存する」と言った方がより適切では
ないでしょうか。
日常世界、科学的世界、価値の世界、小説の世界、宗教の世界等は対象領域の区別でしょう。
実在というのは第一義的には感性的な現実世界です。
>他方、固有名はそのような条件を提示することなく、直接対象を指示します。
名前は標識(ラベル)と言えます。個人が生まれてすぐに与えられる(額に貼り付けられる)名とは個体識別のための
マークでしょう。
>ある固有名がある対象とのみ結びついてその対象を指示し、別の対象を指示しないのはどうしてか、
個体としての個体の実在(個体的な実体)は記述され得ない。それは指差すか名指されることができるだけでしょう。
ラッセルは「これ」「あれ」という指示(代名)詞を固有名詞と区別しないそうですが、それはおかしい。
1.「あるものを指差して、『それ』と言う。」 → 「それ」が何を指しているかは状況または文脈によるしかない。
2.「あるものを指差して、『xx』と言う。」 → 「xx」はそのものの名であり、以後「xx」と呼べば常にそれが現れる。
(Call it by its true name.)
対象の本質的な名前を概念と呼びます。それは世界の中で対象が占める位置(カテゴリー)を表示します。
151 :
考える名無しさん :2007/12/20(木) 19:54:32 0
107 名前: 3 投稿日: 2000/10/17(火) 22:13
(どもです。)
>>104 (Logician's red氏)
>「ある定理の中に0´という記号列が何個あるか」
私が102で言ったのは、記号列を数えることで既に算術を行っているではないかという事です。
(論点先取のエラーというやつ?)
「自然数の右どなりに「´」を書け。」
「ハイ、書きました。」
「もう『一回』書け。」
「ハイ、書きました。」
「では聞くが、君は『全部で何回』書いたのか?」
「???」
話は逸れますが、最近、過去ログの中に後期ヴィトゲンシュタインの言語ゲームに関する議論を発見して、
その中で伍長氏が「規則」と「規則の表現」を行動分析学の立場からそれぞれ「随伴性」と「ルール」に対応付けて
説明されているのを見ました。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=954605820 算術も一つの言語ゲームでしょう。言語は間主観的ではあるが、自然的な行動に根をおくものです。
記号論理も同様ではないでしょうか?
>>106 >弁証法は、simplification(AはAである)という法則を、運動する現実の世界には妥当しないとして否定する。
形式論理学者も(AはAである)が運動する現実の世界にそのまま妥当するとは考えていない。むしろ経験によらずに
必然的に妥当する推論の規則こそが論理学の対象でしょう。
152 :
考える名無しさん :2007/12/20(木) 23:41:07 0
よお、コピペ厨! コピペするならニーチェスレの方が適切なんじゃないか?
153 :
◆mgNCaLKg6. :2007/12/21(金) 04:35:18 0
そのコピペは向こうのスレでちゃんと読んでるから弁証法スレでやりなさい。 一つ言えば、あなたは神を信じていませんね? とりあえずこれ以上は「禁則事項」なんで…
154 :
考える名無しさん :2007/12/21(金) 18:29:09 0
>>153 ゴメンね。
オレ読んでないけん、転載を続けてよ。
155 :
マル同絶倫派再登場! :2007/12/22(土) 07:18:46 0
解ってると推うけど3ってOFWです。
111 名前: 3 投稿日: 2000/10/18(水) 22:53
>>104 (レスの続きです)
>弁証法の定義
私は弁証法の専門家ではありませんので、勝手な理解だと思って下さい。
弁証法とは何かを一言で言うならば、私も「事物を生成・変化・発展の相で見る認識態度」と言うのが
最も分かり易い言い方だとは思いますが、これには少し補足的な説明が必要です。
第1に、上記の「生成・変化・発展の相」とは矛盾した言い方だという事です。
相(位相、形相、観点、見方)とは一定の固定した局面を表わしますから、生成そのものに対立し、
認識者はあくまで事物の外にある事になる。それは生成に対して外的な認識という事です。
しかしそれは不可避的でしょう。およそ認識とは対象を何らかの「存在」として立て(弁証法では措定と呼びます)
なければ何も理解できないからです。しかし生成と存在は対立する以上、対象の認識はそれ自体が運動に
ならざるを得ないと言う事が上記の言明には含まれています。
第2に、上記の定義ではヘーゲルが弁証法的な契機が顕在化すると言った「反照する本質」の領域が抜けている
という点です。
ヘーゲル論理’学は第1部存在論、第2部本質論、第3部概念論という構成であり、それぞれ存在(実在)は
生成・変化し、本質は反照し、事柄としての概念は発展すると言われている。本質の領域での対象の
運動は反照(Reflection)です。
そしてその領域こそ、通常の論理学も位置している科学的世界の領域です。
本質とは対象の矛盾が現象する領域なのです。(しかし20世紀の学問は本質論を消去してしまったので、
「本質って何?」と聞かれてしまう。何とぞ、あと3ヶ月後から始まる21世紀では復活しますように…。)
156 :
かおるチャン、待たせたかな? :2007/12/22(土) 20:08:22 0
続きいきま〜す。
112 名前: 3 投稿日: 2000/10/18(水) 23:00
>>110 (伍長氏)
いやぁ、どもです。まさか御本人が登場されるとは思っていませんでした。作戦大成功です。
あのスレの議論はとても刺激的かつ弁証法的であり、傑作だと思いました。内容についても重要な着眼点を含んで
いると思います。
さて本題ですが、
>108の前者は「随伴性」で、後者は「ルール」が生み出されるプロセスに相当するようですが。。。。
やはり鋭いな。
弁証法とは実践的な論理’ですから、法則(ルール)ではない。(人為的な規則と自然的な法則を繋ぐものが「随伴性」
と「ゲーム」(戯れ)でしょうか。)
しかし何故それを論理’と呼ぶのか。翻って問えば、論理とは何か?それはルールを生み出すもの(原理)が展開されて
その本質的な契機間の関係として立てられたものと言えるでしょう。
では認識の原理とは何か。それは「否定」です。実在を否定し観念化する事(弁証法では止揚と呼びます)が認識の
原理なのです。実在と観念は否定的な関係、レベルの異なるもの同志の関係です。
「今ここにない実在、それを記号によって表わそう。」これが言語の原理でしょう。言語とは現実的な、誰にとっても存在
する観念の事です。
157 :
かおるチャン、待たせたかな? :2007/12/22(土) 20:11:00 0
115 名前: 3 投稿日: 2000/10/19(木) 23:33
>>113 (さんちょ氏)
特に異論はありませんが「時間とは何か。それは自我意識の持続感です。」という、意識から始める時間の説明には
少し異論ありです。しかし論理学がスレのテーマですので取りあえず詳細は控えます。
>>114 (伍長氏)
>ヘーゲリアンから褒めれれてしまうと
私が行動分析学を買うのはヘーゲル主義のためではありません。
「人間は歴史を作る。しかしその事を知らない。」(マルクス)これは唯物論的、実践的(行動的)、そして弁証法的な
言明です。
>「ルール」というのは、この「行動随伴性」を記述する言語行動によって生み出されたモノで、聞き手にとっては言語
刺激として機能します。論理学というのは、「ルール」…をより精緻なものにすることによって、より適切な行動随伴性
を保証しようとする学問
論理学の新たな定義ですね。そこで質問。昔、哲学者ライプニッツから「世界の内に、同じものは存在しない。」
という講義(言語刺激)を受けた宮廷の侍女達は、庭を探し回ったあげく、全く見分けのつかない落ち葉を見つけて
ライプニッツに見せたそうです。ライプニッツ先生はその行動随伴性を記述して、「A=A」というルールを打ち立てる
のでしょうか?(あちらのスレに家族的類似性の議論がありましたね。確かに庭の落ち葉は皆家族とも言える。)
158 :
かおるチャン、待たせたかな? :2007/12/22(土) 20:14:26 0
121 名前: 3 投稿日: 2000/10/20(金) 22:59
>>117 (伍長氏)
>そんなことを訊かれても論理学音痴の小生にはわかりませんですよ。
変な質問でどうもすみません。むしろ論理学者に向けるべき質問でした。
>あのスレに関心を持たれた理由がいまだにわかりません。
あまり気にしないで眠って下さい。私が関心を持った理由は
1.「随伴性」と「規則」との際どい(弁証法的?)関係に焦点を当て、それをあくまで分析的・具体的に追求している点。
(自然科学と哲学的反省との境界点に触れていると感じる。)
2.「九」氏との対話がとてもスリリングだという点。
3.伍長氏には問題の本質に迫る独特の直観力を感じるという点。
でしょうか。
>>118 (さんちょ氏)
>論理学と絡めて、時間についての異論を聞かせていただけませんか?
「誰もが認めざるをえない必然的な推論」というのを例にとります。
自然現象で必然的という場合と論理学で必然的という場合では時間の順序は逆ですね。
原因→結果ではなく、結果→原因が必然的な推論の順序です。「親から子供が生まれる」のは自然だから
「子供がいるなら必ずその親がいた。」と言える。
自己意識「私は私である。」という表象は不断の自己復帰として現実的ですが、自然的・時間的な根拠(他者)を
持たないと必然的な存在にはならない。時間は何よりまず自然的実在の定在形式(事柄としての時間)です。
>>119 (微熱症患者氏)(横レス失礼します。)
>論理学を規範学とみなすのをやめて、ある種の事実の記述だと考える
ヘーゲル(またか!)はそれを『精神現象学』において「精神の経験の記述」として展開しました。しかし、『論理学』では
主体として論理自体に語らせたために絶対的観念論となった。
実際には言語は複数の人間が共通の世界において語り合うことから始まり、この世界を必然的なものとして立てる
ために論理が存在するのではないのでしょうか。「この世には必然的なものなどない。」「いやすべては必然なのだ。」
159 :
かおるチャン、待たせたかな? :2007/12/22(土) 20:17:36 0
127 名前: 3 投稿日: 2000/10/25(水) 22:23
>>123 (さんちょ氏)
121での私の議論は弁証法と(形式)論理学との一つの接点として「必然的」という概念を取り上げたのです。
弁証法自体の解釈はスレのテーマから外れそうですので遠慮します。(別スレの方が良さそう。)
因みに「必然的な推論」についてはどうお考えでしょう?
>>125 (伍長氏)
「自然主義的論理観」については良く分かりませんが、ヘーゲルについて言えば、むしろ逆に「論理主義的自然観」を
持っていたと思います。(こう言うとまた「弁証法は論理ではない!」と叱られそうですが。)
では彼の論理観はどうなのかと言えば、やはり「形而上学的論理観」とでも言えるのでしょう。「絶対者の自己展開(疎外)
および自己復帰としての<論理的理念=思惟と存在の一致>」というおよそトンデモな理神論です。
私が121で言いたかった事は記述と弁証(論証)との関係です。
自然主義=あるがままの事実というものを認める立場は、自然に真実性を認める事であり、その記述によって自ずから
真実が現れてくると考える事でしょう。
それに対して自然を超えた価値的・当為(なすべし)的な存在を立てる立場とは自然に真実性(真理性)を認めない事
であり、真理を一つの価値的なものと見ることです。
形式論理学でも真偽とは価値として考えられている。それは自然界には存在しない。それはあくまで「妥当」するもので
あり、経験的なものに依存しないとされる。
それに対してヘーゲルは「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である。」と言って当時の人を驚かせた
という事です。それは再び転倒されなければならないとは言え、自然的な存在には論理性(根拠)があるというのは、
科学者なら誰でもがまず前提にする事でしょう。
しかし科学者もその実践において実在論(唯物論)者であっても、対象の解釈においては現象論(観念論)哲学者に
なってしまうから、「自然自体に論理性はなく、研究者が立てた第一原理から演繹的に説明されるべき現象に過ぎない。」
と言う。それは「法則に従う」のであって、「法則を作り出す」事はないと言うのです。彼のヴィトゲンシュタインならどう言う
でしょう。
160 :
かおるチャン、待たせたかな? :2007/12/22(土) 20:21:35 0
133 名前: 3 投稿日: 2000/10/28(土) 01:42
>>128 ,
>>129 (微熱症患者氏)
(横レス失礼)
>私は論理学を「思考の規範学」と特徴づけています。論理法則の妥当性の根拠が問題となります
そこで初歩的な質問からやり直します。
(質問1)
論理学で同一律を表現した
A=A (1)
という論理形式をどう読む(解釈する)のか分かりません。
Aを何らかの個体的存在とすれば、たとえば
「リンゴはリンゴである。」(2)ということであり、
Aを何らかの事実とすれば、たとえば「『今日は良い天気である』ならば『今日は良い天気である』」(3)ということでしょうか?
そして(1)は思考の規範として
「ある物事を考えたら、それを同一の存在者として考え続けよ」という事を主張しているのでしょうか?
(質問2)
もしそうなら、何故同一律を「恒真である」と言うのか分かりません。
(「考えるべし」でしかなく、実際にはリンゴは偽物であり得る。)
「言明はそれが表現している事態が成立している場合に真と呼ばれる」というタルスキの真理の定義は形式論理で言う
真偽とは食い違っている?
結局、同一律の解釈として、「ある命題を真(事実)と仮定すれば、それは実際に真である」(無意味)あるいは
「ある命題が真(事実)ならば、それは事実である」(トートロジー)あるいは「ある事態を正しく表現するならば、
その言明は真である」(記述の問題)のいずれが正しいのでしょうか?
161 :
かおるチャン、待たせたかな? :2007/12/22(土) 20:25:34 0
139 名前: 3 投稿日: 2000/10/28(土) 20:49
>>131 >予期せぬ事態が出来し、顧客や現場から矢のような電話がかかってきて、状況が刻一刻と変わっていくようなとき、
前提から出発して結論を得ようとするような悠長なことをしていては、決して変化に対応できない。
まさにこういう事態を必然と呼ぶのでしょう。
ただし、それは「外的な必然性」であり、現実世界では常に外的な必然性(運命)に突然に(偶然に)襲われる。
それに対して「内的な必然性」とは事柄自体の本質が現実に現れることです。それは事柄自体の宿命とでも呼べる
でしょう。
さて「必然的な推論」とは推論において保存されている事態の展開と言えます。「何が何して何すれば、何になるのは
当然(必然)だ。」と言う推論は「何の本性から言えば何になるのは当たり前だ」という事でしょう。
たとえば(あくまで)、「『欠陥を隠して商品を販売した』のなら『顧客クレーム』が矢のように飛んでくる」のは当たり
前でしょう。
確かにうまく隠しきれる場合もあるかも知れないが、事柄の本性から言っていつかはバレルというのが必然性の推論です。
現実に起こった事態に対して帰納的推論の遡及過程(結果→原因の同定)によって一つの自己同一的な実体
(例:欠陥商品)にまで到達した時に、前提→帰結の推論(例:「欠陥商品を売るなら、顧客クレームが飛んでくる。」)
は必然的なものと言われる。
形式論理で必然的な推論という場合、実際にはそれは「欠陥商品」という実体概念には「顧客クレームを招く」という
属性規定が含まているという本質判断を前提しているのであり、「顧客クレームを招かない欠陥商品はあり得ない」
という矛盾律を演繹的に展開したものでしょう。
(最近でも、どこかの国の官房長官は必然的に辞職することになった。これも彼の宿命でしょう。)
>>134 (微熱症患者氏)
丁寧なレスありがとうございます。
162 :
かおるチャン、待たせたかな? :2007/12/22(土) 20:26:58 0
139 名前: 3 投稿日: 2000/10/28(土) 20:49
>>131 >予期せぬ事態が出来し、顧客や現場から矢のような電話がかかってきて、状況が刻一刻と変わっていくようなとき、
前提から出発して結論を得ようとするような悠長なことをしていては、決して変化に対応できない。
まさにこういう事態を必然と呼ぶのでしょう。
ただし、それは「外的な必然性」であり、現実世界では常に外的な必然性(運命)に突然に(偶然に)襲われる。
それに対して「内的な必然性」とは事柄自体の本質が現実に現れることです。それは事柄自体の宿命とでも呼べる
でしょう。
さて「必然的な推論」とは推論において保存されている事態の展開と言えます。「何が何して何すれば、何になるのは
当然(必然)だ。」と言う推論は「何の本性から言えば何になるのは当たり前だ」という事でしょう。
たとえば(あくまで)、「『欠陥を隠して商品を販売した』のなら『顧客クレーム』が矢のように飛んでくる」のは当たり
前でしょう。
確かにうまく隠しきれる場合もあるかも知れないが、事柄の本性から言っていつかはバレルというのが必然性の推論です。
現実に起こった事態に対して帰納的推論の遡及過程(結果→原因の同定)によって一つの自己同一的な実体
(例:欠陥商品)にまで到達した時に、前提→帰結の推論(例:「欠陥商品を売るなら、顧客クレームが飛んでくる。」)
は必然的なものと言われる。
形式論理で必然的な推論という場合、実際にはそれは「欠陥商品」という実体概念には「顧客クレームを招く」という
属性規定が含まているという本質判断を前提しているのであり、「顧客クレームを招かない欠陥商品はあり得ない」
という矛盾律を演繹的に展開したものでしょう。
(最近でも、どこかの国の官房長官は必然的に辞職することになった。これも彼の宿命でしょう。)
>>134 (微熱症患者氏)
丁寧なレスありがとうございます。
163 :
かおるチャン、待たせたかな? :2007/12/22(土) 20:30:26 0
146 名前: 3 投稿日: 2000/10/30(月) 06:34
>>140 (logician's red氏)
>オブジェクトとメタが同じ形をしているので、どれだけメタメタと退行してもその先々で無矛盾性や完全性はなり立ちます。
形式論理の形式的なる所以とそれが数学的な論議を出ていない所以が端的に言われており、分かりやすいです。
(対置1)
弁証法論理’(ヘーゲル)ではオブジェクト(対象)とメタ(言及)を同じ形(概念形式、カテゴリー)で表現することを「矛盾」
と呼び、それが形式的には無限後退(悪しき無限)として現象すると言います。そしてそれは両者の真の統一(真の無限)
としての、その概念への飛躍(これは直観(洞察)によるしかない)がなされるべきことを消極的に表現している、と考える
訳です。
矛盾とは同一性の裏面であり、同じ事柄を言っているのでしょう。また、内容から切り離された形式を「外的な形式」と呼び、
内的な形式(日常でも「形式内容」という言葉が時々出てきますが)を真の形式(「形式の概念」)と呼びます。
(対置2)
「数」の概念とは、前にも書きましたが、「単位と集合数の統一」です。
既に「数」と言う言葉が両者に表れているため、これは自己言及的な定義であり、矛盾です。そのためそれは「運動」せざる
を得ない。「矛盾は存在し得ない」からです。数(一般に量)の運動形式は「自己超出」です。
「無限に自己を超出するが、そこにあるのは常に同じもの」、これが数の弁証法です。単位が変わった(別の存在領域に
入った)にも拘らず、同じ形式(無内容な外的形式)を保つことから、無限後退に陥ります。
勿論、数学(そして形式論理)は自己の限度(=質と量の統一)を意識していれば、非常に強力な思想的武器ですから、
十分に信用できますし、必要不可欠なものでしょう。…まだ、距離は遠い、接近は続く。
164 :
考える名無しさん :2007/12/23(日) 15:22:16 0
まあ、弁証法なりなんなりは、それはそれで続けてくれればいいが、 何か論理学の話題はないのかい?
165 :
考える名無しさん :2007/12/23(日) 17:39:07 0
>>164 モロ論理学の話題じゃんかよ。
もっとも形式論理学じゃない感じだがな。
166 :
考える名無しさん :2007/12/24(月) 16:47:43 0
へえ、そう。じゃ、言いなおして、 何か形式論理学の話題はないのかい?
167 :
ちんぽびんびんの介 :2007/12/24(月) 18:24:35 0
標準の述語論理学では ∀xFx と ¬∃x¬Fx は論理的同値とされる。 ところで標準の述語論理では 次の論理式は論理的真理とされる。 ∀xFx → ∃xFx ∀xFx → ∃xFx が論理的真理であるとは、 どのようなモデルにおいても、∀xFx → ∃xFxが真であること を意味する。 しかし、∀xFx → ∃xFx がどのようなモデルにおいても真であるのは、 どのようなモデルにおいても、その領域(domain [of discourse]) が空では ないという標準述語論理の約束事があるからである。 しかるに、領域が空ではないという約束事それ自体は、論理的真理とは いえない。 領域が空でない--つまり、世界にはなにかがあるという事は、論理外的真理 に依存している。 よって∀xFx → ∃xFx もまた論理的真理ではない、と例えばラッセルは 主張する。
168 :
ちんぽびんびんの介 :2007/12/24(月) 18:35:37 0
さて、領域(論議領域)が空な場合、∀xFx → ∃xFx は偽になるとされる。 ∀xFx → ∃xFx が偽になるとは、前件∀xFxが真であり、後件∃xFxが偽になるということ でだが、その理屈は例えば次のように説明される。 ∀xFx は ¬∃x¬Fx と論理的同値である。 ¬∃x¬Fx はその意味は、Fでないものは存在しない となる。 領域が空な場合つまり世界になにもない場合、何もないのであるから 当然Fでないものも存在しない。 つまり¬∃x¬Fxは真。 よって¬∃x¬Fxと論理的同値な∀xFxも真。 一方なにも存在しないのだから、∃xFxは偽。 かくして、何もない世界においては、論理式∀xFx → ∃xFx は偽になる。 論理式∀xFx → ∃xFx の真理値は、領域が空か否かに依存している。 そして、世界に何かが存在するか否かは、論理外的真理=具体的な世界のあり方に 依存しているのだから、論理式∀xFx → ∃xFxは論理的真理(世界がどのような 在り方をしているかとは無関係に真理でありつづける命題)ではありえない、と。 さて、クワインがプラグマティックな観点から一笑に付しているこの種の主張の 真偽はここでは問題ではありません。 ここで問題なのは、むしろ、∀xFx は ¬∃x¬Fx と論理的同値であるという 前提の方にある。
参考になるなー
170 :
ちんぽびんびんの介 :2007/12/25(火) 01:09:29 0
さて、さきほど私は、領域(論議領域)が空な場合、∀xFx → ∃xFx は偽となる 説明として、次のように書いた。 ∀xFx は ¬∃x¬Fx と論理的同値である。 ¬∃x¬Fx はその意味は、Fでないものは存在しない となる。 領域が空な場合つまり世界になにもない場合、何もないのであるから 当然Fでないものも存在しない。 つまり¬∃x¬Fxは真。 よって¬∃x¬Fxと論理的同値な∀xFxも真。 しかし、あらためて考えてみると、世界になにもない場合に、 論理式∀xFxが真になるというのは、少し奇妙な感じがしないだろうか。 ∀xFxは、すべてのものはFであるという意味である。 しかるに、この場合、世界はFなものがないどころかそもそもなにもないのである。 領域が空の場合に、∀xFxが真になるというのは、やはり少々奇妙な感じがする。 確かに、領域が空の場合には、なにも存在していないのだから、 ¬∃x¬Fx つまりFでないものは存在しないという命題が真になることは 奇妙ではないだろう。そして¬∃x¬Fx と∀xFx が論理的同値である以上、 領域が空の場合に、∀xFx が真になるという理屈に問題はないはずである。 とするならば、疑問は、¬∃x¬Fx と∀xFx が論理的同値という関係にある という点に向けられねばならないだろう。
171 :
考える名無しさん :2007/12/25(火) 17:10:12 0
・・・・・・何をゴチャゴチャ言ってんだ?
172 :
考える名無しさん :2007/12/26(水) 10:02:54 0
>矛盾とは同一性の裏面であり、同じ事柄を言っているのでしょう。 また、内容から切り離された形式を「外的な形式」と呼び、 内的な形式(日常でも「形式内容」という言葉が時々出てきますが)を 真の形式(「形式の概念」)と呼びます。 これどういうこと?まずこの流れからすると、表面はなんなのさ。 それと全体的にずいぶんはしょってるから意味不明。誰か補足よろしく。
173 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 00:06:15 0
>>170 というか、何もないところで「全てのものは死ぬ」と言っても問題ないでしょう?
ただそのモノが無いだけのことで、有ればそれは死ぬという解釈で問題ナシということではダメなのでしょうか?
174 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 01:27:35 0
>>163 >弁証法論理’(ヘーゲル)ではオブジェクト(対象)とメタ(言及)を同じ形(概念形式、カテゴリー)で表現することを「矛盾」と呼び、それが形式的には無限後退(悪しき無限)として現象すると言います。
よく知りませんがこれらはフツー、多義性の誤謬として扱われたり、あるいはそこからパラドクスの元凶としての悪循環原理が指摘され、それがタイプ理論に発展することで解決されている問題ではないのですか?
175 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 03:19:39 0
嫌だよ 功名心と自負が強いから造り上げてる体系の原理をまだ明かしたくない
176 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 14:35:40 0
論理学にちょっと興味あるんで勉強してみたいんだけど エドムント・フッサールの「論理学研究」てどうですか? 論理学の基礎つけから研究されてるみたいだけど初心者でも勉強しやすい? ラッセルの本もあるみたいなんですが、ラッセルの文章は読んでると なんかうまく丸め込まれてるような気がして好きになれないのです
177 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 14:36:17 0
見るからにたいしたことなさそうな体系。 もったいぶってるのが見てるだけで恥ずかしい。w
178 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 14:42:07 0
>>176 「論理学に興味がある」と言うときに君が考えている「論理学」が何かによる。
ある見方をすれば、論理学を勉強するために『論理学研究』を読むというのは、
『大論理学』を読むというのと同じぐらい的外れだ。
>>176 フォーマル・オントロジーとかメレオロジーを一通り学んだらありだろ。
でも日本語のテキストないから無理だろうけど。
180 :
考える名無しさん :2007/12/29(土) 16:36:20 0
>>176 そんなのより一緒に清水義夫の新刊「圏論による論理学」読まない?
181 :
ちんぽびんびんの介 :2007/12/29(土) 20:16:06 0
さて、前回 領域が空の場合に、∀xFxが真になるというのは、やはり少々奇妙な感じがする。 と書いた。 もう少し具体的に考えてみよう。 ∀xFxの図式文字Fを具体的な述語、例えばG(死ぬ)に置き換えてみよう。 領域が空の場合、∀xGx(すべてのものは死ぬ)は真となる。 ところで、図式文字Fには任意の述語を代入してよいので、G(死ぬ)のかわりに ¬G(死なない)に置き換えた∀x¬Gx(すべてのものは死なない)もまた、 なにもない世界で真なる命題となる。 何もない世界では、すべてのものは死ぬという命題 も すべてのものは死なない という命題もともに真となる。 奇妙な感じの原因はこのようなところから来ているのかもしれない。 つまるところ、∀xFx(すべてのものはFである)という図式の命題の意味は なんなのだろうか。
182 :
ちんぽびんびんの介 :2007/12/29(土) 20:20:32 0
最初のところで、図式 ∀xFx → ∃xFx は領域が空の場合には、真にならないことを示した。
このことは∀xFx が真であることは、Fであるなにかが存在することを含意していない
ことを意味している。
ここから図式∀xFxの意味を、
>>173 のように理解することも可能となる。
つまり、∀xFx の意味を、厳密には、あらゆるものについて、それが存在するならば、それはFである
という命題として理解することができる。
このように理解すれば、なぜ領域が空の場合に、∀xFxが真となるのかが容易に納得できる。
標準論理学における「ならば」の真理条件によって、
論理式A→B は前件が偽の場合は、真になるのであった。
∀xFx を (あらゆるものについて、それが存在するならば、それはFである)
という命題として理解すれば、領域が空の場合は、前件(それが存在する)が偽となるので
式全体として真となるという理屈が成り立つ。
かくして違和感は解消される。
ところで、「あらゆるものについて、それが存在するならば、それはFである」
という命題を、∀x(Hx → Fx) のように形式化することができるであろうか?
スタンフォード哲学辞書の「論理と存在論」ってその辺のこと話題にしてたよな。
free logicの教科書でも読めばいいだろ
185 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 00:15:43 0
1970年代に終わった議論のような気がするが。 その時代のヒンティッカあたりの本に書かれている以上の何かが 本当にでてくるのかい?
スマリヤンみたいな本で日本人が日本語で書いた物はありますか? スマリヤン面白いんだけど翻訳がうにゃーなので 日本語で書かれた物が読みたいのです
187 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 21:21:27 0
>>186 スマリヤンの一般向けのなら林晋あたりも同じようなの書いてるかな
Doverから出てるfirst order logicみたいな教科書なら戸田山をぜひ
188 :
考える名無しさん :2007/12/30(日) 21:57:04 0
スマリヤンには似てないけど、 岩波文庫の『不完全性定理』はいいよ。
189 :
考える名無しさん :2007/12/31(月) 16:38:20 0
清水義夫「圏論による論理学」読んでるヤシいる?
191 :
考える名無しさん :2007/12/31(月) 23:11:16 0
192 :
考える名無しさん :2007/12/31(月) 23:31:23 0
_ノ( 第一階述語論理 ハァハァ… ,、-――ー-- 、___, て // / __,ノノノ、 く ( / / 、_, 从 | イヤア ハァハァ先生やめて //l/ / o=,、 ''、!| l|ノ i |l イ | l|イ! `' , l;;メ川l ,, !l川 ノ| " (`ヽ "川 "''ー- 、,, _ モミ ノVl|ハト、_ `´ ノノノ |  ̄`l モミ ノノ _ '´⌒ヽ ,-、 | | / / nノ´ ´ l´)_,ヽ .| | | l l´ ) :r;: Y ノ / | | . ズッ `/ ゙ | / /● | | . ズッ // / ̄`ヽ / / | __ / / ' / ヽノ /// / / /´  ̄ ̄' ´ l⌒l ヽ /_ / / // lλ ' ヽ \ ヽー''" _) / ノー----/::::,'、_ _,ノ `ー`ヽ ヽ―''"´ / /', `''‐- |::ノ(| ゚。 ̄/// ( \ ヾ / / /`) '、:::: ''‐- 、,, / `ヽ、つ_) l | / u`" // "'' ヽ/ / ノ ノ `'' - 、,, J r‐、 ', / "'' - / / ', /
193 :
考える名無しさん :2007/12/31(月) 23:32:27 0
_ノ( 第一階述語論理 ハァハァ… ,、-――ー-- 、___, て // / __,ノノノ、 く ( / / 、_, 从 | イヤア ハァハァ先生やめて //l/ / o=,、 ''、!| l|ノ i |l イ | l|イ! `' , l;;メ川l ,, !l川 ノ| " (`ヽ "川 "''ー- 、,, _ モミ ノVl|ハト、_ `´ ノノノ |  ̄`l モミ ノノ _ '´⌒ヽ ,-、 | | / / nノ´ ´ l´)_,ヽ .| | | l l´ ) :r;: Y ノ / | | . ズッ `/ ゙ | / /● | | . ズッ // / ̄`ヽ / / | __ / / ' / ヽノ /// / / /´  ̄ ̄' ´ l⌒l ヽ /_ / / // lλ ' ヽ \ ヽー''" _) / ノー----/::::,'、_ _,ノ `ー`ヽ ヽ―''"´ / /', `''‐- |::ノ(| ゚。 ̄/// ( \ ヾ / / /`) '、:::: ''‐- 、,, / `ヽ、つ_) l | / u`" // "'' ヽ/ / ノ ノ `'' - 、,, J r‐、 ', / "'' - / / ', /
やっと第1章読み終えたけど、この部分はきつかった。 2章からは少し楽になるんじゃないかと期待している。 頑張ってなんとか最後まで読み通したいが、どうかな。
第2章終わり。圏論初歩のおさらいみたいな感じ。 3章からはグロタンディーク数学っぽくなってくる。 バンドルの圏とか随伴関手の話。面白くなってきた。
面白そうだなw 数学、大学1年ぐらいの知識で読めるか?
197 :
考える名無しさん :2008/01/03(木) 12:26:07 0
>>176 もしかしたら『ラッセルのパラドクス』(三浦俊彦)が参考になるかも知れませんね。
フッサール現象学とオートポイエティックシステム理論は私も好きですよ。
198 :
考える名無しさん :2008/01/03(木) 14:26:15 0
>>197 ラッセルの文章は流暢すぎてなんか胡散臭さみたいなもの感じてあまりすきではないのですが
面白そうなのでその本読んでみます。
現象学はすべての学問の基礎付けるための方法を学ぶのに最適かも
フッサールは「哲学はまだ始まってさえいない」といっていましたね
デカルトは論理学の複雑なルールを全て学んだりすることは
法律の数が多いと悪徳に口実を与えることにもなると考えて
自分の考えた四つのルールを学ぶことで充分だといっていたけど
確かに個人的な問題を解決するのには論理学学ぶよりもデカルトのルールの方が役に立ちそう
普遍的な学問として論理学を学ぶのは何か役に立つことあるかな
数学に興味があって微分幾何や代数幾何の経験 があれば、大学生でも読めると思うよ。 第3章終わり。トポスの基本定理(重要)を学んだ。 4章はトポスの諸性質。証明が長くなってきた。 いっきに駆け抜けるしかない。コテハン変えた。
それだと大学2年以上の数学知識のようですね。 何の話題が、(記号)論理学の何と、どれぐらい関係しているようですか?
201 :
考える名無しさん :2008/01/03(木) 17:55:08 0
むかし集合論が流行ったのと同じで、 今はカテゴリーが流行ってるだけだろ?
この本では、豊かな表現力をそなえている関数型の高階論理 が、トポスとして理解できることが主題として述べられている。 トポスは圏の一種だけれども、それがどんなものなのか、圏の 定義から始まってトポスの重要な基本定理まで説明されてる。
203 :
考える名無しさん :2008/01/03(木) 23:04:04 0
何の話題が、(記号)論理学の何と、どれぐらい関係しているようですか?
トポス理論が、(記号)論理学の限量記号と、 圏論レベルで大いに関係しているようですね。
205 :
考える名無しさん :2008/01/03(木) 23:36:00 0
集合論の中でモデルを作って理解するのとは異なる視点から見ることで、 論理に対する新しい視野が開けるのかなあ。まあ、そう期待する論理学者が 多いから流行ってるわけでしょうけれど。
206 :
考える名無しさん :2008/01/03(木) 23:43:37 0
>論理に対する新しい視野 もし違う視点を得たとしても、これを明確にしないと単なるお遊びでしかありませにょ
公理的集合論は結局あまり役に立たないことが分かったんだろ。
4章は本筋とは関係がなく読み飛ばしてもいい部分なので 最後の<結び>を先に読んだ。哲学的な話でよく分からない。 5章は圏の極限を扱っている。ここは楽しく進めそうだ。 自分はこの本をあくまでもトポス入門として読んでいる。
やっと第5章読み終えられた。目から鱗が落ちると同時に、 論理に対する苦手意識が一瞬のうちに解消されてしまった。 この教科書は論理とは何か、また論理の本質は何かという ことを、分かったつもりにならせてくれる有意義な本です。 分かりやすく書いてくれた著者の清水氏に感謝したいです。 また別の本もぜひ著してください。「トポスの哲学」とか。 哲学という学問についてはよく分からないけれども、この本 を読み終えて、数学(またはメタ数学)こそは哲学の純粋な 真の姿なのではないか、という妄想が一瞬脳裏をかすめた。
>>209 圏論とか論理学は、いったい何に生かすつもりなの?
特に何のためと考えてはじめるわけではないんだよなぁ。 いつのまにか夢中になってしまうんだ。趣味の世界だね。
論理→位相→測度→確率→推定
数学の哲学で、構造主義と圏論のめぐる議論あるからそれに使 えるとか。あと、状況理論でも使ってるんでしょ。
言語を実装する側ならともかく、プログラミングする側は圏論知らなくても問題ナス>Haskell 知ってればArrowとかKleisliとか自然に使えたりするのかもしれないけど
216 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 18:49:48 0
数学と論理学と哲学(言語)を活用するとすれば、今ならコンパイラが妥当だろう。 他には機械翻訳とか。 Haskellが適当かどうかは別だがw
哲学(言語・論理)だけじゃ認められませんよ。 哲学をアニメで生かせば、ガンダムやエバンゲリオンができるわけで、 知識をそういうことに活用できないなら才能ないってことでしょうな。 そういう人は、ブログで思ったことを徒然書いていればそのうちに何らかの縁があるでしょう。
218 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 19:13:27 0
> もし違う視点を得たとしても、 > これを明確にしないと単なるお遊びでしかありませにょ え、単なるお遊びでしかないのは、了解事項ではなかったの?
219 :
考える名無しさん :2008/01/13(日) 21:13:36 0
我々6人のスタッフはコンピュータを必要としています。 だって、これがないと仕事できない。
6人は多すぎじゃんw
さすがにバカじゃ分かんねぇーだろw
222 :
考える名無しさん :2008/01/18(金) 13:40:12 0
↑なんだこいつ?
223 :
♪♪♪中途半端止めて♪♪♪ :2008/01/19(土) 14:24:19 0
と昔誰かが唄っていたので、キリのいいとこまで逝きま〜す。
163の続きから
148 名前: 3 投稿日: 2000/10/30(月) 15:13
>>141 (logician's red氏)
>「ある精神異常者・モデル」では、「人間は哺乳類ではなく、8次元アストラルである」に真を割り当てるので、
このモデルでは「人間は哺乳類である」は偽になります。
確かに何らかの公理を元にして、論理体系を整合的(無矛盾的)に立てることは一応可能でしょう。
そして閉じた体系における整合性を「真偽」として論じることもできるでしょう。
しかし、私はそれを「正否」(妥当/非妥当)と呼び、真理性とはあくまで実在に対して、観念と実在との
照応関係によって決まる概念として使います(真理の一致説?)
そして、「精神○○者」(余り好きな言葉ではない)の信念体系がどういうものであれ、解釈によって、
それが「正常者」の信念体系に翻訳可能であれば、それは偽でも無意味でもなくなる。
精神分裂病のモデルとしてベイトソンの「ダブルバインド理論」は、ラッセルのいう「メンバーとクラスの混同」を
ヒントにした独創的なものですが、ベイトソンは真偽を「精神システムと自然システムとの整合性」として定義
していた。つまり、それは純論理的モデルではないのです。
自然(実在)を参照(言及、指示、妥当)しない、「自らに妥当する」論理体系(記号体系)」というのは矛盾に
陥るのは当たり前と言えます。
モデル(仮説体系)と信念は異なるでしょうから、形式的な真(正当性)と実質的な真(真理性)とは区別すべ
きでしょう。
混同すると非合理になるし、弁証法はそこを突く。「公理論」も一つの仮説でしかなく、また、同一律自体は仮説の
定立(首尾一貫性の要求)として捉えた方が良いのではないでしょうか。
224 :
♪♪♪中途半端止めて♪♪♪ :2008/01/19(土) 14:25:46 0
163 名前: 3 投稿日: 2000/11/01(水) 22:20
>>162 (ぱん"どら"さん)
>規則.1「演繹規則DR」Aを仮定してBが導出されるとき、Aという仮定なしに A⊃B(AならばB)を導出してよい。
適用.1:A「おじさまのおでんはうまい」B「女子大生がたくさんいる」
言明1
「おじさまのおでんはうまい」を仮定して「女子大生がたくさんいる」が導出されるとき、「おじさまのおでんはうまい」という
仮定なしに「『おじさまのおでんはうまい』ならば『女子大生がたくさんいる』」を導出してよい。
言明1'(少し変形)
「おじさまのおでんはうまい」が成立する場合に常に「女子大生がたくさんいる」が導出されるならば、無条件的に(必ず)
「『おじさまのおでんはうまい』ならば『女子大生がたくさんいる』」が成立する。
何故ならそれは、「おじさまのおでんはうまい」ことが「女子大生がたくさんいる」ことの「原因」であるから。
適用.2:A「おじさまのおでんはうまい」、B「おじさまのおでんはうまい」
言明2(くどいので省略)
言明2'「おじさまのおでんはうまい」が成立する場合に常に「おじさまのおでんはうまい」が導出される(当たり前!)ならば、
無条件的に(必ず)「『おじさまのおでんはうまい』ならば『おじさまのおでんはうまい』」が成立する。
何故ならそれは、「おじさまのおでんはうまい」ことが「おじさまのおでんはうまい」ことの「原因」であるから?(そんな訳ない
よ!)
何故ならそれは、おじさまがうまいおでんを「目的」にして、労働ににより、目的(観念)を「現実の事態」にしているからです。
これをライプニッツは「自己原因」という概念で表現しました。
225 :
♪♪♪中途半端止めて♪♪♪ :2008/01/19(土) 14:51:41 0
170 名前: 3 投稿日: 2000/11/02(木) 23:03
>>168 >「A⊃B」 もしAが真ならば、それと同時にBも真。てことだから、かならずしも「原因」てことじゃないと思うけど。
AからBが「導出される」という事とAとBが「同時に真」であるという事は異なる内容であり、あくまで「AならばB」が
その他の条件によらず「真」である、という事では?
>>161 >数学と違って論理学では A「おじさまのおでんはうまい」 B「女子大生がたくさんいる」 なんていうの命題を
単位にします。
ならば、
>>169 >1+1=2で2の原因が1+1ってことないでしょう。
において何が命題なのでしょう?命題の対象は何らかの事態ですから、数ではないのは当然でしょう。
そして、「すべての事態は原因あるいは根拠をもつ」と考えることが科学的あるいは哲学的反省です。
「事態Aがある場合、(時間をおいて)必ず事態Bがある。」からこそ「命題Aが真の場合、(時間によらずに)必ず
命題Bを導出できる。」が形成される。何故なら「事態Aは既に事態Bを含んでいる」からです。
(論理の適用ではなく、事態の本質記述だと言うこと。)
…さて、既に「同じ文」、「同じ命題」、「同じ表現」、「同じ体系」、「同じ真理値」、「同じ意味」と6種類もの
同一律が登場している。同一律が正しいかどうかより先に、論理学では何を同一律と呼んでいるのでしょう?
226 :
♪♪♪中途半端止めて♪♪♪ :2008/01/19(土) 14:55:23 0
173 名前: 3改めOFW 投稿日: 2000/11/05(日) 15:35
>>172 (ぱん"どら"さん)
(固定HNに変えました。あちこちでぶつかりそうなので。)
>「一に一を加えた」をひとつの事態Fとする。二をひとつの事態Gとする。
えらい事態になってきた。どうも「事態」という言葉の用法が食い違っているのが齟齬の理由らしい。
そして、「事態」という言葉の元に論理学者が何を考えているのかも、何となく分かってきました。
ばんどらさんが言われる「ひとつの事態」とは私の言葉では「ひとつの表象」と呼びます。
そして、「論理的空間において真なる事態が存在している」とは、「事態の本質(事柄)が対象的に思考されている」
と言います。私の言う事態とはあくまで時空の元にある実在的存在であり、それは変化するものです。
つまり要素xとは「なんらかの表象された対象」ということでしょう。たとえば、「二」は変化しないから、
表象(正確には概念)であり、事態とは呼ばない。
事柄とは「可能的な事態の集合」と言っても良いが、時空の中で発展する統一的な存在です。
>次もまた佐藤さんでした。100人目も佐藤さんでした。きっと101人目も佐藤さん?
これは帰納的推論です。
>当然,!
ちょっと、待った!その前に、「何故こうも佐藤さんばかりなのか?」と思う(反省と呼びます)でしょう。
そして、「そうか。この村は昔平家の落人である佐藤何兵衛一家が住み着いた『佐藤一族』村なのだ。」
という本質的(類種的)同一性の判断が入ります。その前提の元に、「『佐藤村には佐藤さんばかりいる』のは
当然だ」という必然的(当然的)演繹(トートロジー)が可能になる。帰納−演繹によって、初めて
>(時間によらずに)が形成されたことですから・・・。
と言えるようになります。しかしそれも仮説に過ぎない。
何故なら、「佐藤一族など無かったし、事態は(非常に稀な)偶然に過ぎない」という事もあり得ますから、
あくまで蓋然的なものだからです。
227 :
♪♪♪中途半端止めて♪♪♪ :2008/01/19(土) 14:58:43 0
198 名前: OFW 投稿日: 2000/11/10(金) 22:17 (どもです。いやぁ、盛況になってきましたね。) 議論が錯綜する前に、私の考えを少し整理します。形式論理学(述語論理、記号論理等の違いはこの際ご容赦) にはいくつかの問題があるが、重要な点に絞ると 1.「あるx」と「すべてのx」を「存在量化」と呼んで単なる量的な違いであるかのように取扱うこと。 集合論とは違い、実在と本質の区別は量的な違いではありません。 「あるx」とは実在的なもの、区別されたものを表現します。一方、「すべてのx」は実在しない。 それは「xそのもの」という本質概念を(反照的な形で)表現しているのです。 「すべて」とは「互いに異なるすべての実在において共通なもの」であり、すなわち「自己と同一なもの」という 一者(本質的、類種的同一性)を表現しています。 2.日常的な判断形式「xxはXXである」における主語と述語の機能的(内容的)区別を無視すること (むしろ主語を消去すること)主語は対象を指示し、述語はその概念を表現します。たとえば、「私は私」という場合、 「この私は他の私ではない、自己同一的な存在」ということであり、「私自身」と同義です。 (個体的、主体的同一性)単に数的等価性a=aではないのです。 3.概念(表象)と概念の対象(実在、本質、事柄)とを混同すること >ある哺乳類って言うのは哺乳類の部分なんだからこれをa1とすると、a1+a2が「すべての哺乳類」とするわけです。 概念を「部分に分解する」などという恐ろしいことはできないし、分解できるのは常に実在的なものです (物質の可分割性と観念の不可分割性)。
228 :
♪♪♪中途半端止めて♪♪♪ :2008/01/19(土) 15:00:28 0
199 名前: OFW 投稿日: 2000/11/10(金) 22:19 (続き) 4.存在者を記号に変えてしまうこと 平叙文の主語とは対象を指示するのであり、決して性質ないし属性ではない。「述語論理」とは主語を消去して、 表象された存在xに変えるものです。 そしてそれはすべてを記号あるいは名前にしてしまう。記号とは何よりも「存在の代わり」でしょう。 代理品ではなく、原物を求めよう。 5.表象のみで真偽を云々すること 真理とは概念とその対象との一致のことです。指示された対象がその概念に相応しいかどうかが真偽の吟味です。 実在に係わりなく、真偽を云々することはできない。実在判断を保留しながら、表象を「真なるもの」と呼んで、 こっそりと観念論を導入する。ここまで来ると、イデオロギー的な偽造を感じさせる。 「『貨幣は貨幣』は真である」といった具合です。
229 :
♪♪♪中途半端止めて♪♪♪ :2008/01/19(土) 15:03:46 0
222 名前: OFW 投稿日: 2000/11/12(日) 12:54
>>202 (微熱症患者氏)
>ここで形式論理学の問題として挙げられている事柄は、私には形式論理学そのものの問題というよりも、
論理学を偏重する哲学的傾向の問題のように思われます。
必ずしもそうではなく、形式主義という、近代の主流となっている自らの限度を知らない思想が論理学において
最も純粋に現れていると言う点です。
>たとえば、「ソクラテスは人間である」という文を「Fa」と記号化した場合、「ソクラテス」という指示表現と
「人間である」という述定表現の違いは保持されており、大文字と小文字で区別されて、より明瞭に見て
とれるようになっています。
私は指示対象と述語表現との違いと言ったのです。対象を対象の表象(表現)に置き換えることはできないのです。
「名指しによる指示」は述定表現ではない。「ソクラテス」とは個体に張付いた名前であり、「ある存在者がソクラテス
という属性をもつ。」とは全く異なる内容です。述語論理ではむしろすべての属性を名辞(名前)にしてしまうようだが。
>ソクラテスは人間であるをソクラテスは人間であるという特徴をもつと読み替える
ことは許されないのです。何故なら「…である。」という質の判断は「…をもつ」という反省の判断とは異なるからです。
ソクラテスが人間であるのは彼が主体であり、「人間であること」は彼の本質をなす。
モノとその諸性質の関係のように、「人間性をもつ」ことはできない。
「ソクラテス、あなたはもはや人間ではない。」
「えっ、神か獣か幽霊か?」
>主語「人間」と述語「人間である」の関係を全く説明できなくなってしまう
主語「人間」は本質存在を指示し、述語「人間」はその概念を表現する。「人間は人間である」とは概念の判断です。
230 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 15:18:01 0
このスレ、メンヘル板に移した方がよくね?
また発狂してるんですか?
よくこれだけ発狂できるな。
233 :
ほんじゃ、とことん狂ってみるか :2008/01/19(土) 19:55:36 0
223 名前: OFW 投稿日: 2000/11/12(日) 12:58
>>207 (代理いぬさん)
>これを一種の道具として扱おうという人達に対してのみ、この道具は説得的な力を及ぼすのです。
道具(手段)の妥当性は目的と相関的であり、理性の道具主義はナチズムを経験したホルクハイマー
によって批判されています。
>>209 (ぱん"どら"さん)
>風邪気味のおじ様:そんな話は無意味です。
そげな事言うとらん。お話という仮構の世界では主人公は「心理的実在」。
>「亀を助けた人物のなかに浦島太郎なる人物が存在する」
くれぐれも「今年、島根県海岸で実際に亀を助けた人」を混ぜないでね。
>>219 (代理いぬさん)
(失礼ながら、横レス)
>とある世界について想像してみる。その世界には、哺乳類で人間であるもの<∃x(Gx∧Fx)>と、
哺乳類でなくて人間であるもの<∃x(¬Gx∧Fx)>がいる。
>…ね、別におかしくないでしょ? ただし、"哺乳類"という言葉の意味を考慮しちゃダメだよ。
「"真に"形式化されると矛盾すら容認される。」、これは真だ。
たとえば、資本家(貨幣という哺乳類でないもの)で人間であるものと労働者(社畜動物でしかない哺乳類)
で人間であるものとがいる。
形式的には同じ人間でも、内容は全然違うから、そんな世界は無くすべきでしょうね。
234 :
ほんじゃ、とことん狂ってみるか :2008/01/19(土) 19:56:30 0
232 名前: OFW 投稿日: 2000/11/13(月) 06:26
>>228 >人間という言葉の意味に哺乳類という意味が分析的に含まれるかどうかが問題になるにょ。
まったくその通り。でもね。代理いぬ氏が
>ただし、"哺乳類"という言葉の意味を考慮しちゃダメだよ。
とおっしゃるのでね。「形式化のし過ぎ」ではと言ったわけです。
「論理式の真偽も概念の意味に依存する」、これは正しい。
そもそも、「分析的」「総合的」の区別はどうしてできるのかな?
「演繹的に導出できる」か否かなら、「論点先取エラー!」では?
>>230 (ぱん"どら"さん)
>まずxを立てるというのはそれが決まってない状態だと思います。
>何も決まってない論理空間、絶対論理空間があるとしたらそれは、矛盾律も許す空間です。
よって実在xなんてありません。
あなた、結構直観鋭いな(逆の意味で)。(しかし、また「空間」か…。さっき相対論的絶対空間の有無に
ついて謝ってきたばかりなのに…。)そこで質問です。「空間」って何?「実在」って何?
>AはBである、の「ある」繋辞はBにAがある、の「ある」存在と同じです。ちょっとポイント捉えて反論してください。
ちょっとポイント捉えられない。「BにAがある」とは「BにおいてAがある」、つまり「場所」のこと?
それとも繋辞=「繋ぐ」こと?
235 :
ほんじゃ、とことん狂ってみるか :2008/01/19(土) 19:57:43 0
249 名前: OFW 投稿日: 2000/11/15(水) 01:33
>>233 (代理いぬさん)
>形式主義論理学こそ己の限界を知っている論理学と言えるでしょう。
私が言いたいのは自らが何であるかを知らないということです。(限界ではなく)限度を知るとは自己の
本質を知ることでしょう。
>>237 (ぱん"どら"さん)
あなたの思考がだいぶ分かってきた。形式は未整理でも、筋は良さそう。
>A,B二つの概念があるでしょう。それにはどうしても上位とか下位とか 同位概念と言った区分が
できるでしょう。
それを「カテゴリー」(存在の区分)と呼ぶのであり、単なる「集合」ではないでしょう。
集合(数)はカテゴリーの一種ですが、カテゴリーはまだ他にもある。(たとえば、ヘーゲルの『論理学』全体が
カテゴリーの展開です)
>>「実在」って何? 論理空間を定めないでも真偽判定可能な対象。そんなものってないでしょう。
揚げ足取りをするつもりはないが、結局「実在などない」って事?
「ある存在者を指示する」だけでは真偽判定可能ではないが「そこにある」のは実在者(あるもの)でしょう。
そしてそれは「立てる」(措定)する前に既にそこにある(前提されている)のです。
それは存在者の場所的(空間的)限定です。
次に、存在xを措定するとは、実在者を「私の中にある対象」にする(表象空間の内に置く)ことです。
それは実在の規定(否定)として、可能的な存在x(変項)です。表象され、規定されることで、
実在する「このもの」(定有)はむしろ真ではないものとして否定され、非実在的なものにされるが、
それは変化する質的実在者「このもの」が可能的に「このものならぬもの」だからです。
(変化するもの自体は変化しないもの)そして、「定項(定有するもの)は変項(変化するもの)である」
という真理が成立する。それが実在(質の)判断です。
「これは?」、「リンゴ、バナナ、…」→「これはリンゴである」(正解!)
236 :
ほんじゃ、とことん狂ってみるか :2008/01/19(土) 19:59:34 0
250 名前: OFW 投稿日: 2000/11/15(水) 01:37
>>237 (ぱん"どら"さん)(つづき)
>繋辞の「ある」、存在の「ある」、特称の「ある」はみな同じではないか
「カント的悟性」とでも呼ぶのかな。「存在するとはコプラ(繋辞)に過ぎず、概念の内容を増しはしない。」
しかしカントは「真の主語X」として物自体(実体)は認めていた。
また特称とは「区別された対象」という実在を指している以上、決して単なる存在措定ではなく、
反省(本質)の判断なのです。
>>238 (微熱症患者氏)
>大きくみれば、人間もモノであり、本質も性質のうちだと思いますが?
これは問題ありです。そう言わせしめる形式論理こそが問題でしょう。
>ソクラテスは人間である。
(個は普遍である。)
>人間は哺乳類である。
(特殊は普遍である)
>ゆえに、ソクラテスは哺乳類である。
(個は特殊である。)
>の妥当性を示すことができなくなります。
上記の推論は妥当ではありません。
237 :
ほんじゃ、とことん狂ってみるか :2008/01/19(土) 20:02:26 0
281 名前: OFW 投稿日: 2000/11/16(木) 07:09
皆様。お早ようございます。予想通り議論が錯綜して参りました。
多分このスレは20世紀中に軽く1000を超えるでしょう。
>>257 (野次馬さん)
>なぜ論理学を事実(時空の中で展開される現象)に当てはめようとするのだ?
論理学で定義される論理は論理学の中でのみ有効だ。
そもそもこのスレは「論理学の定義」を巡る議論として展開されているので、それは論理的に実証することでしか果たせないと
いう、すこぶる弁証法的な場なのです。
>>258 (平成の暇人さん)
>なるほど。ここにそのいい見本がいるかも(笑)
確かにぱんどらさんは論点を(半ば意識的に)ずらしているが、決して非論理的ではない。
かなり良い線を逝っている。
あと、
1.議論が進行中の時は、解説(言及)は必要な場合以外はやめましょう。
それ自体が論点ずらしになります。
(メタ発言は動議の提出か、意図の確認に止めましょう。へたをすると荒らしになる。)
(一貫性の原則)
2.解説するなら、全員(すべての私)の意見を無視しないように。
(民主的公平の原則、議長がいないのは掲示板の特徴。)
3.だらだらと長い発言はできるだけ避けるように。(効率性の原則)
238 :
ほんじゃ、とことん狂ってみるか :2008/01/19(土) 20:06:45 0
290 名前: OFW 投稿日: 2000/11/17(金) 06:56
>>283 >というわけで、このスレが1000を超えることはありえないというのは、論理学的にどう解釈される?
その前にこの板の統計的なアクセス数から見て、このスレはそうならないだろう。
もっとギャラリーや参加者を増やさなければ、可能性は少ない。
論理学議論も
可能性(「1000を超え得る事」はそれ自体矛盾を含んでいない)
蓋然性(過去の統計からの予測による確度(確からしさ))
条件性(もし発言者が増えれば、確度は上がるという実在的可能性)
必然性(どんなに条件が揃っても、管理人の設定した規則は絶対的であり、
そうならない(他であること)は不可能である。)
現実性(議論が真に本質的なものであれば、それは外的な条件によらず自らを真理として
現実化するだろう。必然的なものは条件に媒介されている。しかし、それは無条件的
(絶対的)である。それは本質の媒介的な顕在化として内的なものの外化であり、
実体として自己に止まるものである。そうなれば、管理人の規則はむしろ相対的なものとして、
例外化を引き起こす。本質的なものとして、自己の運命を自己の未来に変えるものがある。
必然性の真理、それは自由である。)
について実践的な話をしよう。論理は現実に向かうものでしょう。
>>286 (平成の暇人さん)
>三点のルールに依存があるわけではないので、それに従いましょう。
>議論を流して失礼しました。
ルールは自然にできる(伍長さぁん、出番だよ!)あるいは民主的に作られるべきものであり、
結局の所権力者が恣意的(随意的)に設定できるものではない(盗聴法反対!)。
どんどん参加してこのスレを盛り上げて下さい。(言い過ぎ失礼しました。)
239 :
ほんじゃ、とことん狂ってみるか :2008/01/19(土) 20:10:07 0
296 名前: OFW 投稿日: 2000/11/17(金) 23:05
>>293 (ぱん"どら"さん)
>繰り返しになりますけど,単純に「BにAがある」で「Aがある」だけでは議論領域がきまってないでしょう。
「Aがある」ではなくまず「何ものかがそこにがある」でしょう。場所は限定、対象は未規定です。
「神は始めに『光りあれ』と言われた」時、彼はどこにいたのか?(古!)
>ゆえにそれは不完全な記述に過ぎない
記述はすべて不完全なものです。完全な記述とは如何なるものか?
議論できないものをすべて虚偽だとすることはできないでしょう。
「語り得ないものについては、沈黙しなくてはならない。」(再登場)実体(主語になって述語にならないそれ)
自体は語り得ないものだが、主体化すれば、とてもおしゃべりになる。
>実在って、議論領域のない対象,つまり真偽不定ゆえに思考の対象にならない
「何だ、これは?」「それはあなたの影よ。」
「嘘だ。おれは幽霊(非実在)だから、影も居場所も持たないはずだ。」
「本当よ。そんなこと議論無用よ。」
「実在とは何か?」…かくて、幽霊は実在(自らの影)を対象に哲学的思考を始める。
>最初の定項での記述はFaでしょう。
最初の定項(定有)は「Da-sein」(いきなりドイツ語、そこにあるもの)でしょう。
それは、おっしゃる通り、不定な定項(指示代名詞)です。対象を指示し実在性(質)として規定する。
それが何かを巡って質の弁証法が始まります。
「赤いそれ、青くないそれ、白くないそれ、…」(「実在するものは質として規定され、
非実在性(否定性)にされる。」
あるいは「赤の表象(概念)は赤くない」)
240 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 20:18:26 0
どこまで狂えるもんか、お手並み拝見しようじゃんかよ。
241 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 21:12:33 0
すれ違いなんだが・・
狂って狂って狂いまくれよ
243 :
朝、狂って一行を書く、ってか。 :2008/01/20(日) 08:38:45 0
297 名前: OFW 投稿日: 2000/11/17(金) 23:08
>>293 (ぱん"どら"さん)(つづき)
>初めはわたしも其の知覚以前の感覚がクオリアで実在に該当するのかなとも思いましたけれど,
それはやはり、「いまそこに、それがある」といった命題は定立せざるをえないと思ったわけ。
(代名詞でしか表現できない
そうでしょう。「質感」は実在感であり、それは生命体と外界との間の共振的な受容・弁別反応であり、
有機体の対象措定活動自体です。
>ゆえにわたしは「実在」という概念は無用のものとするわけ。
結局、「論理的でないものは存在しない」という観念論になるわけ?
大体、言葉や記号による議論の前に、非言語的な身体的・感性的な交信・交感があり、
それは論理的な「真」には還元できない実在的な「信」を形成している。
そして、いわゆる「論理的なもの」は非論理的なもの(実在)から生成し、それを真なるもの
(真実在)として定立する運動のことです。つまり、真理は概念形式の発展として生成するものです。
(当面の議論の筋とは少し外れてきたかな。形式論理に戻ろうっと。)
244 :
朝、狂って一行を書く、ってか。 :2008/01/20(日) 08:39:40 0
308 名前: OFW 投稿日: 2000/11/18(土) 10:37
>>300 (平成の暇人さん)
(横レス失礼)
>もともと論理学が目指したのは妥当な推論形式の発見であり、
質問1:「妥当な」とはどういう事でしょう?下記のうちどれ?
1. 誰もが「正しい」と認めている、普遍性をもった(正しいとは取りあえず、
「容認できる」といった程度のこと)
2. 誰もが従うべきだと考えられる
3. 論理学界の中で「論理的に正しい」として認められる
4. 上記以外(具体的な説明要)
5. 質問は無意味
6. 答えたくない
7. 実際に答えない → これも回答のうち
245 :
朝、狂って一行を書く、ってか。 :2008/01/20(日) 08:42:46 0
309 名前: OFW 投稿日: 2000/11/18(土) 10:39
>>300 (平成の暇人さん)
(横レス失礼つづき)
>@人類は哺乳類である。
>A哺乳類は空を飛ぶ
>ゆえに人類は空を飛ぶという推論は論理的に正しい推論です。
質問2:上記の大前提は
1. すべての人類は哺乳類である → 無意味
2. ある人類は哺乳類である → 無意味
3. 人類なるもの(人類という種)は哺乳類である → 無意味
4. 人類という種は哺乳類という生物学的類に属する → 種の定義
5. 人類に属するすべての個体は哺乳類に属する個体でもある → 定義という
帰納的総合命題からの実在的個体に関する分析的言明のいずれでしょうか?
質問3:上記の小前提は
1. すべての哺乳類は空を飛ぶ → 無意味
2. ある哺乳類は空を飛ぶ → 無意味
3. 哺乳類なるもの(哺乳類という生物学的類)は空を飛ぶ → 無意味
4. 哺乳類に属するすべての個体は空を飛ぶ
のいずれでしょうか?
質問4:上記の帰結は
1. すべての人類は空をとぶ → 無意味
2. ある人類は空をとぶ → 無意味
3. 人類なるものは空を飛ぶ → 無意味
4. すべての人類に属する個体は空を飛ぶ
のいずれでしょうか?
前の方で微熱さんにも言いましたが、種の定義がなければ、推論は妥当ではないでしょう。
246 :
朝、狂って一行を書く、ってか。 :2008/01/20(日) 08:45:55 0
310 名前: OFW 投稿日: 2000/11/18(土) 10:42
>>301 (平成の暇人さん)
(横レス失礼つづきのつづき)
>要するに命題論理学とは、ならば、かつ、またはなどの論理語の意味に基づいて、また出ましたね。
質問5:「論理語」「論理語の意味」とは何でしょう?
>あるいは論理語の意味さえ取り払って公理化した上で、
命題の意味を問わないのは良いとしても、論理語の意味を問わないのは論理学自体が
無意味だということになるのでは?
>伍長さんという人が言っていた行動分析学の言葉を借りれば、論理学とは、
人が言葉を話す随伴関係を記述したある一つの解釈(ルール)に過ぎないのです。
私も「今まさに言葉を話している人」の一員でしょうから、上記の例について話す私の随伴関係を
行動分析学者はどう記述するのでしょうか?
「OFWは規則の表現を見て、非論理的な反応を強化している」?
伍長さぁん、答えて下さい。
247 :
朝、狂って一行を書く、ってか。 :2008/01/20(日) 08:48:56 0
318 名前: OFW 投稿日: 2000/11/18(土) 13:58
>>311 (平成の暇人さん)
早速のレス有り難うございます。さて、
>妥当な推論といった場合の「妥当」はここでは、一般に広く共有可能な了解といった意味で
いいと思います。つまり、おおくの人が納得(受け入れられる)できるといった意味です。
回答は受入れました。しかし疑問は続きます。
質問1−1:「おおくの人」とはどこまでの人を含めるのでしょう?
妥当だと認める人迄? → トートロジー
質問1−2:「できる」とは可能態でしょう。実証の方はどうなるのか?
>>7. 実際に答えない → これも回答のうちこれでは回答にならならないじゃん(笑)。
弁証法は無回答も回答のうちに入れる、という実践的な態度です。
「黙殺」および「ノーコメント」というディスコミュニケーションもそれぞれの機能は違うが、
何らかのメッセージを伝えるということです。
>>312 (平成の暇人さん)
>すべて誤解です。
では、誤解を解いて共通の理解を得るべく、努力したいと思います。
>まず論題になっているのが命題論理なので(述語論理ではないのですべて、
とあるはここではつかえません。
何故でしょう?述語論理と命題論理の違いを良く知らないので、両者の関係を教えて下さい。
(自分で調べろと言わずに)
248 :
朝、狂って一行を書く、ってか。 :2008/01/20(日) 08:53:18 0
319 名前: OFW 投稿日: 2000/11/18(土) 14:03
>>313 (平成の暇人さん)
>たんに@AはBである
この言明(主張)の「意味」が不明です。
分かることは
1.「A」、「B」とは「何らかの名詞的存在」を表わした記号である。
2.「AはBである」とは日常でも使う言明(主張、記述)を記号化
したものであり、そこでは「A」は主語、「B」は述語の代わりである。
しかし、「である」が全く分からない。
日常ではたとえば「これはペンである。」(This is a pen.)とは
a.まず眼の前のものを指して、それが「ペン」と呼ばれるものであること
b.「これ」で指されているものが確かに目の前に実在することの統一(結合ではない)「である」という
言葉で表現します。
また、「1足す1は2である。」(1 plus 1 equals 2.)とは
a.「1足す1」(和)が2という値をもつを、すなわち相等性を「である」という言葉で表現します。
さらにまた、「私は大人である」とは
a.私も大人の一員(I am one of Grownups.)
という帰属関係を表現します。それは
b.私は大人と呼ばれるに値する能力、資格をもつという価値的関係をも表現している。
「である」とは便利ですが、それぞれの言葉(概念)に応じて関係性が異なるから、
「@Aが正しいならBは正しい」という推論が妥当かどうかはかどうかなどは、一般的に
論じられないでしょう。それすらも問わないのが論理学でしょうか?
>@、Aが真であるなら(正しいなら)
ほらね。もう「真である」が「正しい」に推移している。
日曜の朝から発狂かね?
250 :
"いまは狂者の薄明 狂者の薄暮だ" :2008/01/20(日) 12:47:08 0
320 名前: OFW 投稿日: 2000/11/18(土) 14:06
>>314 (平成の暇人さん)
>@とAを前提するなら、Bが論理的必然的に言えるという推論形式(規則)を
提示したものです。
繰り返しますが、実際の例は妥当なものではないのです。
生物学者は怒るでしょう。それは人間が空を飛べないからではなく、種の定義という
前提なしの思弁だから。
>AはBである
>BはCである
>ゆえに
>AはCである
>この推論式が妥当だと思いますでしょうか?
要するにヘーゲルのいう「相等性にのみ基づく数学的推論」として、それには限度があるのです。
>論理学はこの論理語の解釈によって(真偽をどう設定するか)によって命題の真偽や導出関係を
定めます。
「真偽を設定する」(!)不思議な言葉だ。如何なることでしょう?
>なぜ無意味になるのでしょうか?
理解不能になるからです。
251 :
"いまは狂者の薄明 狂者の薄暮だ" :2008/01/20(日) 12:48:20 0
250の続き
>>317 (平成の暇人さん)
>日本語をしゃべっていると記述するんじゃないですか(笑)
意味のある日本語でしょうかねぇ?伍長氏の見解待ちです。
>形式的に明確に取り出すことで言葉の構造をはっきりさようというわけです。
単に外的な形式は恣意的なものであり、内容的な区別を知らない無形式です。
それは如何なる内容(矛盾すら)外部から受け入れる事ができる。
形式と内容は不可分であることは弁証法的な真理です。
あと、「(笑)」というト書きが、どうも気になる。コミュニケーション回路として情緒的なバイアスをかけるのは、
時として「誠実性の原則」に抵触するのではないかな。
論理学をやると脳障害を併発してしまうのか?
253 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 16:10:26 0
つか、論理学をやってることこそ"脳障害"の証左じゃん。 ちゃうか?
254 :
考える名無しさん :2008/01/20(日) 16:50:20 O
流れ切って悪い。基礎で申し訳ないんだけど ¬(A&B)≡¬(A)v¬(B)なら分かるんだが、それだと¬(AvB)≡(¬A)&(¬B)なんで、そうなるの?矛盾はしないんだろうけど…
256 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 14:50:40 0
>>223 >>「ある精神異常者・モデル」では、「人間は哺乳類ではなく、8次元アストラルである」に真を割り当てるので、このモデルでは「人間は哺乳類である」は偽になります。
>モデル(仮説体系)と信念は異なるでしょうから、形式的な真(正当性)と実質的な真(真理性)とは区別すべきでしょう。
よく知りませんが、「形式的な真(正当性)」と「実質的な真(真理性)」との間に区別を設けたとしても、その区別による「実質的な真(真理性)」が「モデル」や「仮説」ではないという判断は何処から来るのですか?
このような疑問自体がナンセンスだと思いますけど。
257 :
考える名無しさん :2008/01/21(月) 20:24:04 0
>また特称とは「区別された対象」という実在を指している以上、決して単なる存在措定ではなく、反省(本質)の判断なのです。 あとそういう「ある」を二階の述語とか二階の量化というらしいですね。 詳しいことは知りませんけど「言語哲学大全」によれば。w
258 :
いまは狂者の日中だぜ。 :2008/01/22(火) 13:51:46 0
330 名前: OFW 投稿日: 2000/11/20(月) 00:44
>>325 (伍長氏)
>なお、313には「推論形式の妥当性」と書いてある。「推論の妥当性」
>とは書いてないし。
そうです。形式は妥当でも何故明らかにおかしな内容が導出され得る
のか。それが形式主義一般の問題です。それは内容に含まれる区別を
無視するためでしょう。「形式とは内容の区別(他在)のことである」
>言葉が不安定に浮遊したり消滅したりする領域がある。
とても哲学的な言葉ですね。まさに言葉の発生・変容・消滅現場を押さえ
ること。しかし、それは記号論の管轄範囲であり、形式主義論理学の対象
外として、形式的に処理されるだけでしょう。
>すでに市民権を得ている厳密なオートクリティック、(中略)だけでなく、
たとえば、自己批判的な(オートクリティック)言語行動といったものは
市民権を得られない?やっぱ、弁証法は非市民かなぁ…。
>多分、スキナーやクワインはそんなことを考えているわけでしょう?
言語行動も自然的かつ歴史的存在としての人類において生成・発展して
きたという考え方は、歴史的唯物論になりますね。共同体の歴史も含めて
考えないと、十全的な「経験的論理学」にはならないのではないか?
近代の数量的世界観は、商業と産業革命によって初めて可能になった。
まさに「人類は単なる哺乳類ではなく、平等な個人からなる共同的存在」
という発見が近代諸科学を生んだのでしょう。「記号を扱うサル」も立派
に成長した訳です。
259 :
いまは狂者の日中だぜ。 :2008/01/22(火) 13:52:34 0
334 名前: OFW 投稿日: 2000/11/22(水) 21:03
>>328 (ぱん"どら"さん)
>C(W,F,W,W)PならばQ P⊃Q
この真理根拠をどう読むのか不明です。
1.Pが真、Qが真 → 「PならばQ」は真
2.Pが真、Qが偽 → 「PならばQ」は偽
は良いとしても
3.Pが偽、Qが真 → 「PならばQ」は真
4.Pが偽、Qが偽 → 「PならばQ」は真
が何故言えるのか?「偽からは何でも言える?」そもそもPおよびQは
独立だったのでは? 上記の→の向きは反対?(根拠か定義か?)
>>331 (伍長さん)
>形式主義は、当然生じる矛盾やら問題点やらを回避するために洗練されて
>きた。
言葉(概念)上のことですが、「形式化」と「形式主義」とは区別すべき
でしょう。形式化とは内容に含まれる区別を顕にすることであり、それ
自体「内容の定立」の事です。それに対して、形式主義とは形式化を内容
の区別を正しく反映する限度以上に拡大して、形式自体を外的な存在と
みなす誤謬のことを言います。形式と内容という二つの概念は相関的な
ものであり、相互反照の関係にありますから、内容に応じて形式を立てる
べきなのです。(限度とは質と量の統一です)
>クリティック(criticではなくclitic)」には、「寄り掛かる」といった意味
>があるそうです。
なるほど、言葉は生き物ですね。
Clitic(寄り掛かる)、Clinic(寝台、臨床、診療)、
Critical(臨界的、危機的、批判的)
は相互に同じ根を持つのではないかな?いずれにしても、デジタル(数値
変換型)人間には、ダジャレや家族的類似のようなアナログ(類比的)
推理は我慢できないのかも知れない。図式、表といったゲシュタルト
(形態)的な記号の理解は可能かな?
260 :
いまは狂者の日中だぜ。 :2008/01/22(火) 13:53:12 0
336 名前: OFW 投稿日: 2000/11/22(水) 22:39
>>332 (ぱん"どら"さん)
(横レス失礼します)
>わたし、自然言語はすべて論理語って立場。
クワインがカルナップに反対して、「存在するとは論理式の変項になること」
と言ったそうですが、それに類する観点のようですね。
しかし、これにはいくつかの問題がある。
1. 論理式とは畢竟「概念」(判断、推理を含む)の記号化でしょうから、
正しい論理式とは要するに概念区分の問題になる。しかるに集合論ある
いは真理「値」なるものを援用する数学的な論理学は、「相当性」に基
づく推論であり、それは実在的でかつ「単位」が同じ対象に適用した
場合にのみ、妥当的なのです。(たとえば、貨幣の存在が初めて計量経
済学を可能にした。)前の方にでていた「斉一性」という概念も、「単
位」という質的一様性を前提した量的アスペクト(局面、観点)からの
実在の抽象であり、アスペクト自体は本質的同一性を指示している。
逆に、影とは本質の反映であり、実在に写る(戯れる)その同一性です。
2. 概念区分から言えば、実在と本質存在は次元を異にする。クワインは
「中心」vs「周縁」という表象的な差異をもって、「分析的」vs
「総合的」という伝統的対立に代えたそうですが、正しくは、「媒介的」
vs「直接的」という関係性の対立にすべきでしょう。実在性とは「在る
ものとしての概念」(表象の立場)であり、本質性とは「他在としての
概念」(反省の立場)です。本質の領域においてはすべては二重に現れま
す。「直接的なものは媒介されたものである」という事情が顕在的になる
のです。「自己同一性」も「対立(さらに矛盾)」に対してのみ、それで
あるということです。「AはAである」ではなく「AはBである」から
こそ、AとBとの同一性である「記号(論理学)」というアスペクトが
得られる。(存在の記号化という真理にして非真理)
(しかし、本質論を消し去った20世紀の科学、哲学では「本質」という
言葉すら理解不能になった。存在の根拠を見失った、反省なき現象主義は
21世紀にも続くのか。)
261 :
いまは狂者の日中だぜ。 :2008/01/22(火) 13:53:49 0
338 名前: OFW 投稿日: 2000/11/22(水) 23:30
>>337 (ぱん"どら"さん)
チャット風ですみませんが、「気になって眠れなくなり」そうで。
>これ、なんでもないですよ。論理学は習ったんでしょ?
そうですか、スミマセン。はっきり言って、習ったことない。
私の質問は、
「PならばQ」とは、Pが偽の場合にはQの真偽によらず真だ
と主張するものなのか、という点です。つまりその場合は、Pと
Qとは無関係であるという内容が含まれているのか、という点です。
何か良く分からないなぁ。
262 :
いまは狂者の日中だぜ。 :2008/01/22(火) 13:54:22 0
342 名前: OFW 投稿日: 2000/11/23(木) 17:49
>>340 (微熱症患者氏)
>主張する、というより、定義する、と考えたほうがいいかもしれません。
しかし、
>>328 でぱん"どら"さんは
>ならば⊃、かつ∧、または∨などの結合子はP、Qそれぞれ二つの概念
>または論理式が真または偽のときに結合された論理式の真偽を決めるもの
(つまり真理根拠)と言っています。どちらが正解なのでしょう?
定義と考えると、つまり
「P⊃Q」とは 1.Pが真かつQが真の場合、真
2.Pが真かつQが偽の場合、偽
3.Pが偽かつQが真の場合、真
4.Pが偽かつQが偽の場合、真
となる論理式を言う、と言うことでしょうが、そうなると、
a.それは論理的な推論において使用される。例えば、
「Pは真である。P⊃Qである。故にQは真である。」
の言明は意味不明に陥る。何が定義式「P⊃Q」に該当するのでしょう?
「私を神と定義する。私は神である。故にそれは真である」(???)
また、
b.「⊃」は日常語の「ならば」とは直接関係ない。特に日常語で
「PならばQ」という場合、PとQの間に何らかの関係があることを
示しているから、両者の独立性を前提にした「P⊃Q」とはまった
く異なるものである。
という事でしょうか?そうなると、推論って何?と聞きたくなります。
少なくとも、「論理語は日常語をカバーできない」が正しい?
263 :
いまは狂者の日中だぜ。 :2008/01/22(火) 13:55:05 0
348 名前: OFW 投稿日: 2000/11/24(金) 22:20
>>343 (ぱん"どら"さん)
>問題として提起されている趣旨がいまいちわかりません。
そうですか。ヘーゲル論理’学のエッセンスを29行以内で解説できる訳
もないが、「述語論理の公理系Lの影は命題論理の公理系LPに同一律を
加えたものに等しい。」とあったので、何かの反応があるかなとちょっと
サウンドしてみたのです。
>どちらかといえば実在性に関する問題提起でしょうか?
そうでもあり、そうでもなし。何度も言いますが、数学的な推論は実在的
な領域から本質的領域に至るための中間段階だということです。
プラトン大学の門にあったという標語は今でも有効でしょう。
>そこから如何にして自然言語と論理語の違いが述べられるのでしょう。
論理語とは何でしょう。自然言語と論理語なるものに違いはないでしょう。
言葉はあくまで用法によって区別されるものです。
>実在とは「AならばAである」をまず設定するという立場かと感じました。
どこからそう思われたのかな?私の説明不足でしょうが、どうも実在の中に
いる(傍らに戯れている)から、実在が見えないようですね。ジャンプしま
しょう、アインシュタインのように(無関係)。
>>344 (logician's redさん)
>OWF氏はやっぱり「形式論理学」を勉強してなかったらしいし。
先生について習っていないと言っただけですが。確かに業界用語の詳細に
は疎いが、やはり数学的(初等代数的)な議論のように見える。せめて、
微分積分的な論理学はないのでしょうか?
>気をつけておくべきことは記号がなにを表しているかということ。
そうです。記号は「何か」(実在的なもの)を表わしている代替品だとい
うことに気をつけないと、「この命題は真理値を持つ」などという無意味
な主張が出てくる。記号体系(公理系)であろうと、記号自体で真偽が
決まる訳がないでしょう。
264 :
いまは狂者の日中だぜ。 :2008/01/22(火) 13:55:43 0
349 名前: OFW 投稿日: 2000/11/24(金) 22:23
>>345 (微熱症患者さん)
>「私」「神」…などは命題を表すことばではないので、例としてふさわし
>くありません。
不適当でしたか。でも私の疑問は定義を論証の根拠にしている?という点です。
>P:明日雨が降る
>Q:私は会社を休む
>とすると、「PならばQ」は、明日雨が降ったのに私が会社を休まなかっ
>たときに限り偽となります。
私の質問は「明日雨が降らない」(Pが偽)である場合についても、何故
「P⊃Q」を真とするか、という点です。単に「それは定義上そうだから」
でしょうか?「P⊃Q」とは条件とも言われている。それはPが成り立つ
場合におけるQの真偽ということであり、Pが成り立たない場合について
は何も言明していない。その場合、Qは真でも偽でもない、不定である、
あるいは単に可能であるだけでしょう。「明日雨が降るならば私は会社を
休む」という言明が「明日雨が降らない」という事態(言明ではない)
とどう関係するのか?明らかにここには言明と事態との(半ば意図的な)
混同がある。それに対しては、「可能的意味の世界」といったものが持ち
出されるのかも知れない。「明日雨が降る」ことが真(実際に雨降り)の
世界と、偽(雨が降らない)の世界とが想定され、共に可能であり、それ
が言明の真偽であるとされる。そして、「可能的なものは現実的なものよ
り広い」(カント)から、現実に雨が降らなくても、私は会社に行くも
行かぬも可能だから、「明日雨が降るならば私は会社を休む」という言明
は論理的に真である、と言うのでしょう。
しかし、明日雨が降る世界は決して明日雨が降らない世界とは両立しない。
「明日雨が降るならば」と想定し限定した瞬間に、それは「明日雨が降ら
ない」世界を否定し、排除している。条件とはそういうものでしょう。
「条件とは実在的可能性である」(ヘーゲル)。条件が単なる可能性を
実在的なものにし、より現実的にするのです。逆に条件は「そうならない
世界」(偽)を排除し、不可能化するのです。(否定の否定は肯定)。
265 :
いまは狂者の日中だぜ。 :2008/01/22(火) 13:56:28 0
354 名前: OFW 投稿日: 2000/11/25(土) 21:19
>>353 (ぱん"どら"さん)
>OFWさまも〜、けっこう幻惑術お使いになりますね〜。
幻惑術とは…。むしろ、弁別刺激と言って下さいよ。ちょっとしたヒント
を与えるつもりが、弁証法の宣伝も兼ねてしまったので失敗でした。
>むむむ、いかにして揺さぶりをかけるか・・・。
自分にかけて下さい。因みに、あなたの議論はヘーゲルの『論理学』を
殆どそのまま展開しているのです。ただ、形式論理の形式に捕われている
ため、真の姿になっていない。何が問題か、それは「無限なもの」の取り
扱いでしょう。
その点では、「ぱんどら」よりむしろ「スフィンクス」のようだ。
ヘーゲルは(確か)『精神哲学(エンチュクロペディ)』の中で、古代エ
ジプト文明を評して、「人間精神が自然(実在)から自立する過渡期に
あって、謎の前に立ち尽くしている姿であり、半獣半人のスフィンクスは
ギリシャから来たオイディプスの前に敗れた」(勝手なパラフレーズ)と
言っています。(殆どホラになる程の洞察力!)
>みえません、
「傍らに戯れている」とはヘーゲルが実在的なものの在り方を表現した
言い得て妙な言葉(自然言語)です(原語では何と言うのか忘れた)。
本質の傍らにいるのに、そのサンプルとしての偶然的な在り方とでも
言えば良いのかな。前の方に出てきた「存在例化」に該当する?
また、「戯れ」とは「ゲーム」でもあるから、子供の無根拠性から大人の
根拠性(本質)に向かうための必然的なステップという含意もある。
266 :
考える名無しさん :2008/01/22(火) 21:12:43 0
>>264 >私の質問は「明日雨が降らない」(Pが偽)である場合についても、何故
>「P⊃Q」を真とするか、という点です。
条件法の前件と後件の関係には様々なものがあるようです(因果・手段・説明etc)。しかし、どのような種類のならば(条件法)文でも、<Pが真であってQが偽では全体が真になれない>という共通性にだけ論理学が注目しているからではないでしょうか。
したがって、P⊃Qと¬(PΛ¬Q)の真理値は一致する、と。
「「明日雨が降ら> ない」世界を否定し、排除している」なんて関係ないと思います。
267 :
キ印さんが不在なので、ちょいと代理だよ〜ん :2008/01/23(水) 12:27:54 0
356 名前: OFW 投稿日: 2000/11/25(土) 23:39
>>351 (微熱症患者さん)
>〜Pと(P⊃Q)から、Qを導出することはできませんし、逆に〜Qを
>導出することもできません。つまりQが真であるとも偽であるとも結論
>づけられないわけです。
そうなると、「演繹規則DR:Pと(P⊃Q)から、Qを導出できる」
は解釈が難しい。
1.真理表(使い方がいまいち分からないが)
P P⊃Q Q
1 1 1
1 0 0
0 1 1 or 0?
0 0 ?
2.Pと〜P
「Pが偽」と「〜P」とは式の値と式との区別でしょうが、
もし「言明Pが真であるとはまさにその事態が成立していること」
という定義からすると、「言明〜PとはPではないという言明」であり、
「言明〜Pが真であるとはまさにその事態が成立していないこと」
となり、「言明Pが偽」との区別がなくなる。Pと〜Pは真偽をひっくり
返せば演繹規則DRにも通用するのでは?
また、「真とは可能であること」とすると、真偽は区別できない。何しろ
可能という点では全ては可能でしょうから。
結局の所、「トートロジーは矛盾の別名」ということではないでしょうか?
以上、如何でしょうか?
268 :
キ印さんが不在なので、ちょいと代理だよ〜ん :2008/01/23(水) 12:28:26 0
360 名前: OFW 投稿日: 2000/11/28(火) 00:04
>>358 (ぱん"どら"さん)
> そうなると、「演繹規則DR:Pと(P⊃Q)から、Qを導出できる」
>これは演繹規則ではありません、前件肯定式MPです。
はい、ちゃんと覚えました。前にも言ったように、特殊業界用語になじむ
には時間が必要なので。でも、条件法なるものについての無条件的な
(勝手な)規則には違いないのでは?
>DRはPを仮定してQがでてくるとき、Pという仮定なしにP⊃Qを出し
>てよい。
「もしPがあればQが矛盾無く導けるとき、Pが実際になくても、PからQ
を演繹的に導出してよい。」これは論理学者の傲慢でしょう。Pはあくまで
仮説ですから、帰結Qが確かに存在するかどうかが論理(仮説)の真偽を
決める。帰納と演繹は相互補完的です。
>MPは「出してよい」を⊃で、「〜と(かつ)」を∧であらわすと
どうしてこの読み替えができるのかな?
微熱さんは論理結合子「⊃」と自然言語「ならば」とを直接対応づけるこ
とはできないと言っていましたが…。
たとえば、「こだわりのおでん屋」で逝くと、
「『おでんがある』場合を仮定して矛盾無く『女子大生がいる』がでてくる
とき、「おでんがある」という仮定なしに、『おでんがあるなら女子大生
がいる』を出してよい」?
そうなれば、おでんは女子大生の代名詞になり、おでん屋は男子学生で
一杯でしょう。「おでん一丁!」「はぁい。広末です。」なんでやねん?
>これは…トートロジーとなるのです。
さらに、「故にトートロジーとは、条件法(仮説)を定義(定説)に変え、
自己を前提してそこから自己を無条件的に導出する、すなわち矛盾である」
と言えば百点です。前提が偽の時でも真理表では真なる命題が導出され、
定義されるとは!
(スレ違い起こしていないかなぁ)
269 :
キ印さんが不在なので、ちょいと代理だよ〜ん :2008/01/23(水) 12:29:09 0
361 名前: OFW 投稿日: 2000/11/28(火) 00:15
>>358 (ぱん"どら"さん)(つづき)
>また、「真とは可能であること」とすると、真偽は区別できない。
>これは可能世界意味論で微熱さま白熱してますね。
そうですね。そのうち本格的に参戦しようかな。
>OFWさまが「俺はほんとうに、広末涼子をくどくことができる」と
>いったとき、わたしは「うっそ〜」とかいってけんかになるわです。
可能世界は夢の世界で、できない事はないのです(願望実現)。しかし、
「夢がまことか、まことが夢か。下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」
(真偽判別不可能)ってね。すべてを叶えられるように見えた信長にも、
不可能はあった。それは、良い部下の条件(実在的可能性)に恵まれなか
った故か、権力というディス・コミュニケーションに頼り過ぎたために、
真理の共同性に疎かったためか、はたまた、社会的生産力の歴史的制約性
が氏族制度の「お家第一主義」の矛盾(織田家か明智家か)を近世的
(絶対主義的)にアウフヘーベンすることを信長に許さなかったのか。すべ
ては運命(または宿命)と後知恵的に言えば簡単だが。論理学的には、
すべては「単なる命題」として内容の区別なく、一様に(数学的に)可能
でしょう。形式主義論理学の無限の野望こそ「夢幻」ではないの?
270 :
キ印さんが不在なので、ちょいと代理だよ〜ん :2008/01/23(水) 12:30:39 0
365 名前: OFW 投稿日: 2000/11/29(水) 21:07
>>362 (logician's redさん)
>OWF氏はP→Qの真理値定義で困ってるみたいだが
別に困っている訳ではない。おかしいよと言っているだけ。
>Pが偽の場合に、どちらかわからない“?”はP⊃QではなくQの真理値
それなら、356の真理表の使い方は正しいという事になる。
何が言いたいのかな?
では、真理表では「Pが偽、Qが真の場合にP⊃Qは真とする」のは
何故でしょう?日常語「ならば」の論理的に厳密な定義とは?
>真理表はそのような場合の場合分けもちゃんとしてある。
それは知らなかった。どういうものでしょう?
>「P⊃」は「Pを仮定すると」という意味を表してるでしょ。
どうしてそうなるのかな?結合子⊃には真理表で定義されているだけの
意味内容しかないのでは?真理表には仮定ではなく独立なP,Qのもつ
真偽の「場合のセット」しかない。それが日常語「仮定」を表わすとする
根拠は何か?そもそも「Pを仮定する」とはいかなることか?
1.Pとは何らかの命題(事態<P>の言明「P」)である。
2.Pは真あるいは偽の真理値VPを持つ。
3.命題Pの真理値が真(VP=1)とは、言明「P」が事態<P>と
一致する場合であり、偽(VP=0)とは一致しない場合である。
ならば、「Pを仮定する」とは、「言明「P」と一致する事態<P>が成立
していると仮定する」としか解釈できない。しかしそうなると、Pが偽の
場合は始めから除外されていることになる。さらに「PからQを導出する」
となると一段と意味不明になる。
1.事態<P>が成立している場合を、事態<Q>が成立している場合
に関連づけること?
2.言明「P」を言明「Q」に、「ならば」によって連接すること?
3.VPセット(真、偽)からVQセット(真、偽)を算出すること?
これらの不自然(無内容)な言葉を何の抵抗もなく理解するのは無理でし
ょう。理解するには少なくともその対象に内容があることが必要ですから。
271 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 15:20:55 0
つーか351とかのレスは何処にあるの???
272 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 16:11:14 0
>>267 >もし「言明Pが真であるとはまさにその事態が成立していること」という定義からすると、「言明〜PとはPではないという言明」であり、「言明〜Pが真であるとはまさにその事態が成立していないこと」となり、
よく解りませんが常識的に考え場合、「言明Pが真」である場合のPは図式文字なので、この後に続く「言明〜P」というのは「言明P」を意味しているはずです。
したがって、その意味だと「「言明Pが偽」との区別がなくなる」ということはないと思います。
つーかもしかすると『論理学がわかる辞典』とか読んだほうが早いかも知れませんね。
273 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 22:18:15 0
>>267 真理値表と式って確かに紛らわしいんですよね。
P Q P⊃Q
1 1 1
1 0 0
0 1 1
0 0 1
P=「2008/01現在の日本の首相は福田」 真(1)
¬P=「2008/01現在の日本の首相は福田」ではない 偽(0)
P=「2008/01現在の日本の首相は田中ではない」 真(1)
¬P=「2008/01現在の日本の首相は田中ではない」ということはない 偽(0)
的外れならゴメン。
274 :
考える名無しさん :2008/01/23(水) 22:40:33 0
¬P=「2008/01現在の日本の首相は田中」ではない 真(1) P=「2008/01現在の日本の首相は田中」 偽(0) 蛇足レス
275 :
考える名無しさん :2008/01/24(木) 14:26:03 0
「真」の余剰説を取ればPと「Pは真」は同じことだから、 〜Pと「Pは偽」も同じことだろうね。
276 :
考える名無しさん :2008/01/24(木) 14:30:01 0
「P⊃Q」は、意味論的に規定すれば「Pが真でQが偽のとき偽になり それ以外は真になる論理式」。証明論的に規定すれば「Pを仮定すれば Qが証明できるということを表す論理式」。どこに問題があるんだ?
277 :
考える名無しさん :2008/01/24(木) 14:33:40 0
「P⊃Q」と日常語の「もしPならばQ」が同義だと考える論理学者 なんていないよ。日常語の条件文が推論の中で受け持っている役割を 限定的に果たすことができる論理式を真理関数の枠組みのなかで作る とすれば「P⊃Q」になるだけのこと。
278 :
考える名無しさん :2008/01/24(木) 14:35:36 0
だからこそ、命題論理の「P⊃Q」では捉えられていない日常語の 条件文の意味を捉えようとしてレリバンスロジックだのコンディショナル ロジックだのと言う論理が考案されるわけだし。
279 :
なしてオレがコピペせにゃならんのよ? :2008/01/24(木) 18:22:19 0
345 名前: 微熱症患者 投稿日: 2000/11/23(木) 23:48
>>342 ,
>>343 「PならばQ」という場合の「P」と「Q」はそれぞれ命題を表しま
す。
「私」「神」「東京」「日本の首都」などは命題を表すことばではない
ので、例としてふさわしくありません。
たとえば
P:明日雨が降る
Q:私は会社を休む
とすると、「PならばQ」は、明日雨が降ったのに私が会社を休まなかっ
たときに限り偽となります。これは、「もし明日雨が降るなら、私は会社
を休むことにしよう」という発言が嘘になる場合と一致します。
その意味では、日常語の「ならば」とまったく無縁なものではないのです
が……。
日常語の「ならば」と大きくかけ離れる例。
「もし湾岸戦争が起こっていなかったならば、そごうのトルコ出店は失敗
していなかったはずだ」
「湾岸戦争が起こっていなかった」は偽ですから、これ全体では真、など
と判定すれば(そごうの旧経営陣は喜ぶかもしれませんが)おかしな事に
なるでしょう。
280 :
なしてオレがコピペせにゃならんのよ? :2008/01/24(木) 18:23:34 0
346 名前: ぱん"どら" 投稿日: 2000/11/24(金) 16:49
>>345 >日常語の「ならば」と大きくかけ離れる例。
>「もし湾岸戦争が起こっていなかったならば、・・・・・」
>「湾岸戦争が起こっていなかった」は偽ですから、これ全体では真、など
>と判定すれば(そごうの旧経営陣は喜ぶかもしれませんが)おかしな事に
なるでしょう。
OFWさまからも前件肯定式の見解がでていましたが、これは以下に解釈するもの
とおもいます。
たとえばP:「水を電気分解する」Q:「酸素と水素が発生する」
だとしましょう。ここには化学においてP⊃Qという明確な定式があります。
さて現実の場面において水とか電気分解に必要な機材はあるとしましょう。
しかしあなたが、そのような実験をやる気になっていなかったら、いつまでたっても
酸素と水素はでてきません。
MPはPかつP⊃QよりQを導出してよい、ですがこれを時空Sに適合して正確に記
すと((P∧S)∧(P⊃Q))⊃(Q∧S)であると思います。
この場合のP⊃Qは化学では全称汎化された真理として定義されているものです。
よって微熱さまの例も真かどうかは別として、前件が時空に現れなかったからP⊃Q
が偽であるということは主張できません。
P、Qが概念でなく命題だとして
真理表の二行目は「水を電気分解して酸素と水素がででこない」というのは偽。
三行目は「水を電気分解する以外の方法で酸素と水素が出る」はありうるのでは?
四行目は「水を電気分解しなければ酸素と水素はでてこない」はまとも。
条件法は概念の場合原始式で、命題の場合分子式で、どちらも成立します。
微熱さま、わたしのことひっぱたきたくなったでしょう?
キャー、暴力反対!!
281 :
なしてオレがコピペせにゃならんのよ? :2008/01/24(木) 18:25:22 0
350 名前: 微熱症患者 投稿日: 2000/11/25(土) 00:23
>>346 別にひっぱたきたくはなりませんが、できれば記号と用語の使い方はもう少し
正確にして頂きたいと思います。でないと、意味を読みとり損ねるおそれがあ
るので。
たとえば
>MPはPかつP⊃QよりQを導出してよい、ですがこれを時空Sに適合して正確に記
>すと((P∧S)∧(P⊃Q))⊃(Q∧S)であると思います。
>この場合のP⊃Qは化学では全称汎化された真理として定義されているものです。
は意味がよくわかりません。
時空Sというのは何のことでしょう? 少なくとも命題ではなさそうですが、
それならどうして命題Pとの連言が成り立つのでしょう?
「(ある時空点においてPであり、かつ、PならばS)ならば、当該時空点に
おいてQ」ということでしょうか?
また、ここでの「全称汎化」の意味も不明です。
(特定の個別事例だけではなく)一般に「PならばQ」が成立する、というこ
とでしょうか?
ついでにいえば、「定義」というのもよくわかりません。
水を電気分解すれば酸素と水素が発生するということは、別に化学者が決めた
ことではないので、「水を電気分解すれば酸素と水素が発生する」ということ
は定義によって真理となっているわけではありません。
282 :
なしてオレがコピペせにゃならんのよ? :2008/01/24(木) 18:26:02 0
351 名前: 微熱症患者 投稿日: 2000/11/25(土) 00:24
>>349 >単に「それは定義上そうだから」でしょうか?
さしあたり、そう考えておいていいと思います。
(本当のことをいえば「単なる定義ではない」と言いたいのですが、論理結合
子「⊃」が日常語の「ならば」の意味を完全に汲み取っているわけではないの
で、最初の理解としては、とりあえず「⊃」と「ならば」は別物だと考えてお
くほうが混乱が少ないということです。「条件法,条件文」についても実質的
な条件とは別物と考えるほうが無難です)
>それはPが成り立つ場合におけるQの真偽ということであり、
>Pが成り立たない場合については何も言明していない。
>その場合、Qは真でも偽でもない、不定である、
>あるいは単に可能であるだけでしょう。
確かに「PならばQ」はPが成立していない場合にはQが真とも偽とも言って
いないと考えることもできます。その点では「P⊃Q」も同じです。
〜Pと(P⊃Q)から、Qを導出することはできませんし、逆に〜Qを導出す
ることもできません。つまりQが真であるとも偽であるとも結論づけられない
わけです。
283 :
なしてオレがコピペせにゃならんのよ? :2008/01/24(木) 18:26:59 0
352 名前: ぱん"どら" 投稿日: 2000/11/25(土) 14:36 >・・・は意味がよくわかりません。 >時空Sというのは何のことでしょう? あっ、そうですね。いまのところ、わたしの勝手な思考法といわれても仕方在り ません。 たとえば、「机の上にコップがある」とかの命題でこれが真偽判定の命題である というのはどういうことかの判断です。 もしこの命題を「人間は哺乳類である」式に変えてみると「コップはいま、机の上 である」となります。コップをPに、今机の上、を時空概念のあるものとしています。 概念区分で行くと前者は「すべて」と「ある」の結びつきですが後者は「ある」と 「ある」の結びつきです。そこにすべてのコップがあるわけでなく、たまたまそこに 知覚されるコップが出ているわけですね。 だから、あなたがいまパソコンを目の前にしていらっしゃったら、パソコンという 対象Fが時空という概念Gと重なり合った、Fa∧Gaのように捉えています。 この思考法、そういえばいままで批判を受けていませんでした。 微熱さまのご意見を伺いたく存じます。 「机の上にコップがある」はFa∧Ga、または∃x(Fx∧Gx)ですが「食器類に コップがある」となると食器はコップの上位概念になってるため∀x(Fx⊃Gx)です。 「(すべての)コップは(ある)食器である」と解釈してます。 人間、哺乳類と同様ですね。 >・・・は定義によって真理となっているわけではありません。 わたしは定義であると思ってます。 これは化学者といわれる人たちが実験を重ね、電気分解を行い、そこに発生する 気体を水素と酸素に特定したわけです。其の場合はじめはFa∧Gaであったと思 います。そのうちに∀x(Fx⊃Gx)を前提として一定の論理関係が成立するような 化学式の理論体系を纏め上げたのではと思います。 これは佐藤村の件と同様ではないかと思ってますが、そういえば微熱さまから 反論をいただいていませんでした。 ぜひ忌憚のないご意見をお願いします。
284 :
なしてオレがコピペせにゃならんのよ? :2008/01/24(木) 18:27:38 0
353 名前: ぱん"どら" 投稿日: 2000/11/25(土) 14:46 >この場合のP⊃Qは化学では全称汎化された真理として定義されているものです。 は意味がよくわかりません。 時空Sというのは何のことでしょう? ついでにいえば、「定義」というのもよくわかりません。 水を電気分解すれば酸素と水素が発生するということは、別に化学者が決めた ことではないので、「水を電気分解すれば酸素と水素が発生する」ということ は定義によって真理となっているわけではありません。 >何かの反応があるかなとちょっと サウンドしてみたのです。 OFWさまも〜、けっこう幻惑術お使いになりますね〜。 >そうでもあり、そうでもなし。何度も言いますが、数学的な推論は実在的 >な領域から本質的領域に至るための中間段階だということです。 これじゃ将棋の千日手でございますよ。 むむむ、いかにして揺さぶりをかけるか・・・。 > 論理語とは何でしょう。自然言語と論理語なるものに違いはないでしょう。 > 言葉はあくまで用法によって区別されるものです。 これはずる〜い、皆さん自然言語は論理式に合わないって言うからわたしは そんなことないっていう立場で防戦しているのに〜。 ずばり、論理式ではこれが真だろう、ところで現実ではこんなことない。 実際こうだろう、とかのサンプルがあるといいですね。あるのかな? わたしが言い返せなければわたしのまけ!! >どうも実在の中に いる(傍らに戯れている)から、実在が見えないようですね。 みえません、OFWさまってもしかしておばけだったりして。
ロースクールに入学して将来実務法曹家を目指してる学生です。 このスレの存在をはじめて知りました。 法学を勉強しているうちに、命題論理や述語論理、様相論理を 記号で学ぶことの重要性を痛感し本格的に勉強してみたいと 思っているのですが、初学者でも入りやすい入門書ってどんな ものがありますでしょうか? あまり論理学に時間をかけてもいられないので、定評のある一冊に 厳選して勉強していこうと思っているのですが、推薦できるものが あればご紹介いただけると助かります。 一応今のレベル的には、ロースクール入学適正試験レベルのことは 一通りやってますので、ド・モルガンや基礎レベルの述語論理なら 扱えます。
286 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 10:39:18 0
>>285 オメーはアフォか?
2chはお遊びの場所だぞ。
マジなお勉強なら他をあたりな。
287 :
言うに事欠いてキ印たぁ、ちょいと思いやりがね〜んとちゃう? :2008/01/25(金) 10:54:09 0
366 名前: OFW 投稿日: 2000/11/29(水) 21:09
>>362 (logician's redさん)(つづき)
>つまり、これは「Pを仮定してQが導ける、そういう状況を記号で表すと
>P⊃Qになるね」という意味で、
更に意味不明。そして、また言い分を変えましたね。P⊃Qは「条件」で
も、「導出」でもなく、「導ける状況の記述」とは?意味があるとすれば、
「事態<P>が成立していると仮定した場合、「同時に」事態<Q>が成立
しているという状態」以外に考えようがない。そして、事態<P>と事態
<Q>の間には関係があるのかないのかという点が、「導ける」という言葉
で言われている訳でしょう。しかし、二つの事態が同時にある場合、それ
らは独立であり、両者の間には直接的な関係はない。そのためには、本質
的(媒介的)な関係性の場を前提する必要があるのです。
>これはほとんど同語反復をしている規則なんですよ。
言葉は同じでもその意義が違う(同義反復ではない)。それは仮定された
事態を定立された事態に変えているのであり、対象の存在論的な意義が異な
るのです。それは自己関係として閉じた体系の設定です。形式主義はそこに
ある内容的な形式(区別)を無視するから、無意味に陥る。そもそも
「同語反復」など論理的な規則になり得ない。
288 :
言うに事欠いてキ印たぁ、ちょいと思いやりがね〜んとちゃう? :2008/01/25(金) 10:56:16 0
287の続きな。 >傲慢でもなんでもなく、当たり前すぎて困っちゃう規則です。 仮定されただけ(考えられただけ)の体系を自己から導出されたものと して、事実との検証もなしに真と呼び、規則の根拠に対する問いを許さな いとすれば、理性に対する傲慢と呼ばれても仕方がない。 上記で述べたように、本来命題は何らかの事態の判断であり、その導出と はその事態が本質的・本源的な事態に媒介されたものかどうかを問うもの です。その場合、媒介する本質は直接的な前提であり、そこから派生した 他の事態はその帰結です。そこには時間的な連関があるが、概念はそれを 無時間的な思考形式として定着する。本質:現象、物:諸性質、原因: 結果、実体:偶有等は事態の進展(発展)に応じて、自己同一的なものを 対象的に区別した概念形式(カテゴリー)です。 >しっかし、初心者がつまづきやすいところで全部つまづいてますね。 実際、初心者がつまづくのはもっともです。何故ならそれは誤りだから。 >こりゃ先生につくどころか教科書が読めるかどうかの問題です。 では再度質問します。「P⊃Q」をどう読む(理解する)のでしょう?
289 :
言うに事欠いてキ印たぁ、ちょいと思いやりがね〜んとちゃう? :2008/01/25(金) 10:58:44 0
368 名前: 微熱症患者 投稿日: 2000/11/30(木) 01:38
久しぶりにやってきましたが「可能世界意味論」スレッドで力尽きました。
とりあえず、
>>356 について。
そこの真理表で言わんとすることはわかりますが、やはり真理表の使い方
が間違っているような気がします。
PとQからP⊃Qが定義されるので、そこからDRは自ずと証明できるは
ずです。
P Q P⊃Q
1 1 1
1 0 0
0 1 1
0 0 1
PとP⊃Qの両方が真であるのは、上の真理表の1行目だけですが、その
場合はQも真となります。
Pが真でP⊃Qが偽の場合は2行目なのでQは偽。
Pが偽でP⊃Qが真の場合は3行目と4行目の両方ですが、Qの真理値は
3行目と4行目で違っていますので、一通りに決定できません。
最後にPが偽でP⊃Qが偽の場合……はありません。Pが偽だと無条件で
P⊃Qは真となります。だから「月がチーズで出来ているならば×××」
といえば「×××」の部分に何が入っても全体としては真となります。
290 :
言うに事欠いてキ印たぁ、ちょいと思いやりがね〜んとちゃう? :2008/01/25(金) 11:00:06 0
289の続きな。 >「Pが偽」と「〜P」とは式の値と式との区別でしょうが、 >もし「言明Pが真であるとはまさにその事態が成立していること」 >という定義からすると、「言明〜PとはPではないという言明」であり、 >「言明〜Pが真であるとはまさにその事態が成立していないこと」 >となり、「言明Pが偽」との区別がなくなる。Pと〜Pは真偽をひっくり >返せば演繹規則DRにも通用するのでは? 通用します。その場合、DRは、 〜Pと(P⊃Q)から、Qを導出できる ではなくて、 〜Pと(〜P⊃Q)から、Qを導出できる となります。 >また、「真とは可能であること」とすると、真偽は区別できない。何しろ >可能という点では全ては可能でしょうから。 その通りです。ですから、「真とは可能であること」という定義を採用した ら大変です。やめましょう。
291 :
言うに事欠いてキ印たぁ、ちょいと思いやりがね〜んとちゃう? :2008/01/25(金) 11:01:08 0
370 名前: OFW 投稿日: 2000/11/30(木) 21:33
>>368 (微熱症患者さん)
>PとQからP⊃Qが定義される
>Pが偽だと無条件でP⊃Qは真となります。
「真となる」のではなく、「真と定義している」のでは?
>だから「月がチーズで出来ているならば×××」といえば「×××」
>の部分に何が入っても全体としては真となります。
何故「だから」なのでしょう?
>>351 では「⊃」と「ならば」は別物
と考えた方が良いと言われていた。また、PおよびQは任意の命題なので
しょうから、以下の真理表はどうなるのでしょう?
P Q P⊃Q
(月がチーズで出来ている)(ジョーンズは家にいる)(月がチーズで出来て
いるならばジョーンズ
は家にいる)
真 真 真
真 偽 偽
偽 真 真
偽 偽 真
2行目では「全体として偽」になっているが、真理表の使い方は正しい?
Pは任意の命題を表わす式記号であり、「月がチーズでできている」はその
例であり式の値ではない。式記号の例としての自然言語記号は何を表わす
のか?
因みに、昔の日本では「月には兎がいる」という言明は真と考えられてい
た。論理学ができる以前には真理表に適うような論理的な言明は存在しな
かった、が正しい?
形式論理学の初心者には、いよいよ不明不可解です…。
292 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 12:51:20 0
293 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 16:00:42 0
>因みに、昔の日本では「月には兎がいる」という言明は真と考えられてい > た。論理学ができる以前には真理表に適うような論理的な言明は存在しな > かった、が正しい? > 形式論理学の初心者には、いよいよ不明不可解です…。 因みに、これらの疑問に対する回答は『論理学をつくる』(戸田山和久)の p.39−40、『論理学入門』(三浦俊彦)のP.41、等に書かれてあります。
295 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 18:36:30 0
>>285 片手間でちょっとだけ論理学を勉強しても、法律の推論の分析に役立つ
ようなレベルには届かないと思うよ。
296 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 18:39:18 0
>>292 ,
>>293 鉄板の新参です。OFW?さんのコピペ読んでます。
元スレの名前を誰か教えて戴ければ、そちらで楽しむつもりです。
297 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 18:50:02 0
>>296 あッははは、オレだけじゃなかったんだ、OFWのコピペを読んでたんは。
そんでもな、もうちょい手際よくまとめたダイジェスト版なんかに出来ないんかね?
298 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 19:49:57 0
>>297 その低レベルの自演やめろ。いちいちあげんな。
300を因数分解してバケツに放り込む
301 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 20:50:01 0
数学の分かる人がいなくなると急にレベル下がるねここは。
302 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 21:42:46 0
>>285 >ロースクールに入学して将来実務法曹家を目指してる学生です。
>一応今のレベル的には、ロースクール入学適正試験レベルのことは一通りやってますので、ド・モルガンや基礎レベルの述語論理なら扱えます。
そう言えば、既出の「論理学入門」にいたく関心したある法律事務所の経営者が、まとめ買いした本を部下の弁護士か何かに読ませたと言ってたな。
303 :
296 :2008/01/25(金) 22:34:54 0
>>298 多謝です。
一応ざーっと目を通しましたが、OFWってなんかすごいですね。
304 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 22:43:31 0
>>301 もともレベルなんぞないスレだからな、
今やどん底以下って訳だ。
いいんじゃねーか、このスレにピッタシじゃん。
305 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 22:50:12 0
>>301 もともとレベルなんぞ無かった体たらくのスレだもん、
今やどん底以下のスレってことか。
306 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 23:22:48 0
やっぱり数学が分からないってのは致命的なんだろうな。 はなしがどんどんどんどんくだらない方向に流れていく。
308 :
考える名無しさん :2008/01/25(金) 23:47:01 0
数学が分かるってどういうことを言うわけ?
中学・高校の数学教師はどうなる?
学校数学は数学じゃないだろ
312 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 11:08:03 0
じゃ、なにが数学なわけ?
そりゃ現代数学でしょ。21世紀だよ?
314 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 13:58:07 0
数学教師も含めて、現代数学が分からない人は論理学を理解できないということなのか?
315 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 15:09:07 0
数学なんて集合論とリカーシブファンクションの初歩以外しらねえよ。 20世紀の半ばぐらいまでの論理学なら、これだけでOK。
>>310 学問として数学の営みは、メタな部分に関わるのであって、
計算したり、公理から定理を導くのを教えるのは学問として
の数学ではない。教育としての数学だよ。
317 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 15:38:26 0
メタな部分?
>>314 ほとんど無理だろうね。よほど根性があれば別だが。
319 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 16:47:06 0
というかこのスレにいる時点でレベルが低いだろ 例外なく タイトル嫁
321 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 18:36:59 O
322 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 18:37:49 O
323 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 19:53:24 0
数学の分かる人いなくなると急にレベル下がるね。
325 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 21:35:43 0
日常言語の条件文の意味なんかは、数学が分かるかどうかとは別のところで 大事な問題ではあるんだが、大学1年の一般教養の論理学のレベルぐらいは 押さえて議論して欲しいところではある。
326 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 21:43:04 0
言いたいことが分かり辛いんだが、どう大事なわけ?
327 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 21:53:01 0
たとえば、反事実条件文の意味論は、ディスポジションや因果関係 をどう理解するか密接に関係してるだろ?
つーか翻訳出たから読めよw
何の翻訳?
330 :
考える名無しさん :2008/01/26(土) 22:24:23 0
条件文をどう取り扱うかってのは、別にデヴィッド・ルイスだけの 問題じゃない。今に至るまで、いろいろ議論が続いているよ。
331 :
過去スレ活用委員会 :2008/01/27(日) 01:37:16 0
述語論理において、述語Fのうしろに個体変数xをつけた Fxは一般的に論理式と呼ばれる。 ところで、Fxは開いた式(開放文)なので、それ自体は真でも偽でもない。 たとえば、述語として「白い」を導入して、「Xは白い」という開放文を考えよう。 この開放文が真か偽かは、xとして何を代入するかに依存する。 さて、量化子∀xや∃xは、通常開放文に適用される。 例えば、∃xFxといったように。 しかし、開放文にのみ適用されるということはない。 例えば、自由変数をもたない閉じた式(閉鎖文)Cに対して ∀x(Fx→C)や∃x(Fx∧C)といった記号列は 述語論理における立派な論理式である。
332 :
過去スレ活用委員会 :2008/01/27(日) 01:41:29 0
∀xFxは通常、すべてのxはFであるとか、すべてのものはFであるといった 日本語に翻訳される。 しかし、例えば∀xC(Cは自由変数をもたない閉じた式)は、通常日本語としてうまく 翻訳することはできない。 閉鎖文Cとして例えば「山田は男である」を導入すれば、 ∀x(C)は、「すべてのxは、山田は男であるようなものである」とか、 「すべてのものは、山田は男であるようなものである」いった日本語に なるであろうか。 さて一階の述語論理における 論理式∀x(C)(Cは自由変数をもたない閉論理式) の真理条件は、 論理式Cの真偽に依存する。 つまり、Cが真であるならば、∀x(C)は真であり、 Cが偽であるならば、∀x(C)は偽である。 再び、閉鎖文Cとして「山田は男である」を導入すると、 実際山田が男であるならば、文「すべてのxは、山田は男であるようなものである」 は真になり、すべてのものが、山田は男であるようなものであるということになる。
333 :
過去スレ活用委員会 :2008/01/27(日) 01:45:09 0
さて、一階の述語論理を拡張して、「^X」なる記号を追加してみよう。 これは、抽象集合演算子や性質抽象演算子とよばれる。 量化子∀xや∃xが、論理式に適用され、それ自体一つの命題を構成するのに、 対して、抽象集合演算子は、ある条件をみたす集合を構成する。 こちらも、通常開放文に適用され、 例えば、「^xFx」といった論理式を形成する。 例えば、Fとして「自己同一なもの」(x=x)を導入すれば、 「^x(x=x)」は、自己同一なるものの集合となる。 通常存在するあらゆるものが自己同一性という条件を満たしていると考えられるので 集合「^x(x=x)」はあらゆるものをあつめた集合と考えることができる。 さて、集合抽象演算子^xも開放文にのみ適用されるということはなく、 閉鎖文にも適用される。 例えば、閉鎖文Cとして、山田は男であるを導入すると、 ^x(C)は、山田は男であるようなものの集合と日本語で翻訳されることになるだろう。 この場合、 Cが真であれば、^x(C)はあらゆるものをふくむ集合となる。 Cが偽であれば、^x(C)は空集合となる。
334 :
過去スレ活用委員会 :2008/01/27(日) 01:49:27 0
さて、任意の文AとC そして文結合子conによって 文「Acon C 」をつくるとしよう。 ここで、文結合子conの作用域内の文AorBの内部において、外延の等しい表現を代入しても 真理値はかわらないと仮定せよ、 このとき、文結合子con は真理関数的であることが示される。 前提1:文Aをそれと論理的に等値な文A’と交換しても、A’ con Cの真理値は不変である. 1. A 2. ^x( A)=^x(x=x) 3. ^x( B)=^x(x=x) 4. B @二つの文は、互いに真理値が異なることがない場合、論理的同値である。 文2は、Aが真であるならば、真であり、偽であるならば、偽。 文3と文4の関係も同様。 よって 1と2、3と4はそれぞれ論理的同値である。
335 :
過去スレ活用委員会 :2008/01/27(日) 01:51:32 0
文2は、Aが真であるならば、真であり、偽であるならば、偽。 文3と文4の関係も同様。 よって 1と2、3と4はそれぞれ論理的同値である。 それゆえ前提1から Aと^x( A)=^x(x=x)を互いに交換してできる A con C と ^x( A)=^x(x=x) con C の真理値はかわらない. 同様に B con C と ^x( B)=^x(x=x) con C の真理値はかわらない. さて,文Aと文Bの真理値が等しいとせよ.このとき^x( A)と^x( B)の外延は等しい から,仮定より ^x( A)=^x(x=x) con C と ^x( B)=^x(x=x) con C の真理値はかわらない. したがって,Cについても同様だから,文「A con C 」 の真理値ははAとCの真理値のみに依存する. つまりcon は真理関数的文結合子である。 文結合子con は任意の文結合子であるから、どのような結合子を代入してもよい。 その文結合子の作用域における文内部の外延的表現の置き換えが認められるならば、その 文結合子は真理関数的であることが示される。 ここで、「〜は・・・という事実に対応する」という文結合子を考えよう。
336 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 11:58:48 0
このトリビアルなことを長々と書く人は、何を考えてこんなことをしてるんだ?
337 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 13:29:59 0
338 :
過去スレ活用委員会 :2008/01/27(日) 14:36:47 0
真理の対応説とは通常次のように簡潔にいいあらわすことができる。 文が真であるのは、それが事実と対応しているとき、そのときに限られると。 文が真であることを、事実との対応によって説明しようとするこの学説は、 文が事実と対応するという前提に依拠する。 ここで、文と事実との対応関係を表現する文結合子 「文Sは・・・という事実に対応する」という文結合子を考えよう。 A:『「猫がマットの上にいる」は猫がマットの上にいるという事実に対応する」 さて、この猫が今、わたしの飼い猫のにゃん吉であるならば、 猫がマットの上にいるという事実は、同時に、にゃん吉がマットの上にいるという事実でもあるだろう。 よって、 「猫がマットの上にいる」という文は、にゃん吉がマットの上にいるという事実と対応することに なるはずである。 このことは、「〜は・・・という事実に対応する」という文結合子は、外延の等しい表現の 言い換えを許容する文結合子であることを意味する。 しかし、「猫」と「にゃん吉」が外延が等しいという理由で A :『「猫がマットの上にいる」は猫がマットの上にいるという事実に対応する」 から A’:『「猫がマットの上にいる」はにゃん吉がマットの上にいるという事実に対応する」 へのトリビアルな推論を認めるならば、その瞬間に、上記の論理学の論法によって 「〜は・・・という事実に対応する」という文結合子は、真理関数的文結合子である ことが示されてしまうのである。 よって、事実、真である任意の文が、猫がマットのうえにいるという事実に対応する ことになり、同様に、「猫がマットの上にいる」という文が、なりたっているあらゆる 事実に対応することになる。 かくして文と事実の対応という関係は、事実上意味を失う。 こうして、文が事実と対応することはありえないことが示された。 真理の対応説は間違いである。
「事実」を内包的なものと扱えば、この問題避けられるんだけどねw この方向で状況意味論とかメラーががんばってるわけだが。
状況意味論て いつの時代だよw
341 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 22:42:19 0
初歩的な疑問ですが、固有名をもつ「にゃん吉」がマットの上に居ることを「猫がマットの上にいる」と表現しているのですか?
342 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 22:49:25 0
違っているようですね。
やっぱりそうだ。
344 :
考える名無しさん :2008/01/27(日) 23:49:26 0
>Cが真であれば、^x(C)はあらゆるものをふくむ集合となる。 何故あらゆるものが要素になるのかが?
345 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 00:02:01 0
^x(x=x)だったら納得できるか?
346 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 00:41:20 0
はい。
348 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 11:03:46 0
>>346 じゃ、^x(x=x or C)だったら?
>学問として数学の営みは、メタな部分に関わるのであって、 >計算したり、公理から定理を導くのを教えるのは学問として >の数学ではない。教育としての数学だよ。 そんなことは決してない。 価値のある定理の発見の為に、具体的な計算による試行錯誤は非常に大事。 哲学者が数学論をやるためには必要ないのかもしれないけど 数学者が数学をやるためには計算は必須。
「ロースクール入学適正試験レベル」の「基礎レベルの述語論理」 ってどのくらいのレベルのことを言うんだろう。 いわゆるソクラテスは必ず死ぬ式の推論のことだろうか? ド・モルガンとか言ってるからcompact性定理とかはまず含まれないだろうけど。
351 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 18:15:56 0
>>348 >じゃ、^x(x=x or C)だったら?
それが「あらゆるものをふくむ集合」になるということは理解できますけど。
^x(x=x)と^x(C)の合併集合だから。
352 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 22:31:13 0
合併集合ってなんだ? まあ、それはいいとして、 Cが真のとき、∀x((x=x or C) ⇔ C) だから、^x(x=x or C)=^x(C)だろ?
353 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 22:38:26 0
(^∀^)
354 :
考える名無しさん :2008/01/28(月) 23:19:11 0
結局論理って何、に答えられるヤシいる?
ロンリーなら堪えるぞ
ある有名な論理学者はこう言いました 「論理とは何かという問いに答えるのは 簡単ではないし、おそらく有益でさえない」
358 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 06:42:31 0
>>352 >Cが真のとき、∀x((x=x or C) ⇔ C) だから、^x(x=x or C)=^x(C)だろ?
∀x(¬(¬(x=x) ∧ ¬C) ⇔ C)。
したがって、
^x¬(¬(x=x)∧(¬C))≡^x(C)
ということでなら了解です。
359 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 09:28:03 0
∀x((x=x or C) ⇔ C)のままでは了解できないのかい?
360 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 20:29:13 0
∀x((x=x ∧ C) ⇔ C) だろ! ちがうのかよ! どうなんだよ!
361 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 20:43:17 0
この場合、andでもorでもおんなじだよ。x=xは恒真なんだから。
362 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 20:59:28 0
やっぱな。
363 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 21:04:07 0
(x∀x)
364 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 21:27:55 0
^x(x=x or C)が ^x(x=x)と^x(C)の合併集合ってゆーなら ^x(x=x ∧ C) は、 ^x(x=x)と^x(C)の共通集合ってことになるよな!! Aが真なら (x=x ∧ C ) → x=x Aが真であり、x=xは恒真だから。 x=x → (x=x ∧ C ) も成り立つ。したがって,外延性公理から, ^x(x=x ∧ C)=^x(x=x) ^x(x=x)は普遍クラス ^x(x=x ∧ C)は ^x(x=x)と^x(C)の共通集合であり それが普遍クラスならば、^x(C)も普遍クラス。 よって^x(C)はあらゆるものを含むクラスだよな!!
365 :
考える名無しさん :2008/01/29(火) 23:09:28 0
>>359 >∀x((x=x or C) ⇔ C)のままでは了解できないのかい?
うまく説明できないので、ここはニュアンスの問題にしておきます。
私的には私の式のほうがフィットするんですよ。
「したがって」から後は、^x(x=x)≡^x(C)と略記してもいいんですけど。
366 :
考える名無しさん :2008/01/31(木) 12:06:39 0
^x(C)が理解できないのは、 Cに自由変数xが出てこないせいだろうから、 Cと同値で自由変数xが出現する論理式にしようにってことだろ。 x=xは恒真だから^x((x=x) and C)の方がたしかに自然だな。 Cが真のとき普遍クラス、偽のとき空クラスとなるから、 どちらにしても^x(C)に一致するし。
367 :
考える名無しさん :2008/01/31(木) 12:25:49 0
(^x^) (^x((⊂(^ω^ ) (^x(C)
368 :
考える名無しさん :2008/02/01(金) 09:01:52 0
Warota(367)
369 :
考える名無しさん :2008/02/02(土) 00:41:03 0
公理系に興味があるのですがいい本はないですか? 公理をどうやって作るのかが知りたい。
370 :
考える名無しさん :2008/02/04(月) 01:21:41 0
自然数論や集合論のような場合、その公理系の中で証明できようにしたことが だいたい決まっているから、それらがうまく証明できるように公理を作る。 抽象的な代数のような場合には、公理を設定することでその代数を作り出す のだから、「どうやって作る」って聞かれても・・・。
371 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 00:36:54 0
なんで論理学のスレが伸びないんだ?様相論理なんかは 哲学においても非常有用だしファジイ論理なんか本当に日常における 思考も射程に収めてると思う。様相論理は言語哲学大全でも 扱ってるね。ちなみに命題、述語論理に関しては松坂の数理論理学とか 前原の数学基礎論もやった方がいい。論理学をつくるなんかもやるべきだが、 あれだけだと数学系の教科書と比べてレベル低い。命題、述語論理に関してはね。
372 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 00:40:46 0
様相論理、ファジイ論理・・・・・・前原の数学基礎論・・・・・・ここもまたレトロ
ヒルベルト−ベルナイズとかクリーネとか読まなきゃだめだろ。
374 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 03:40:33 0
もうちょっと新しい教科書を読んだほうが能率がいいんじゃね?
375 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 04:31:03 0
初学者と研究者(専門家)との間がかけ離れてますなw これも論理学がどの分野の学問か定まってないところでありましょう。
普通に哲学やるなら自然演繹ができればおkじゃないの?学部レベルでは。
377 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 13:30:12 0
つっこみがないようだが、ヒルベルト−ベルナイズって、 不完全性定理の歴史を研究する奴以外で読む奴いるのか?
バカがのびのびできるためのスレ なんだからつっこまないのが基本
>>377 そうだな。まずはヒルベルト&アッカーマンを読まなきゃ駄目だ。
いや、その前にラッセル&ホワイトヘッドは必読だな。
381 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 23:54:06 0
何言ってんだ? ヒルベルト&アッカーマンなんて、 述語論理の純ヒルベルト流の公理化の例として三版を見る奴が 少しはいるか、って程度だろ。ラッセル&ホワイトヘッドも、 ちゃんと読むのは集合論の成立史に興味がある奴ぐらいじゃね? あとRamified Type Theoryに興味がある奴が旧版を読むとか。 それに比べれば、ベルナイズは第二不完全性定理の証明が 一番詳しく書かれてたりするそうだから、マシだろ? つうか単に書名を知ってるだけの奴らが書き込んでるのか。 阿呆らし。w
ていうか、普通は Begriffsschrift から始めるよね。
383 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 00:17:39 0
論理学を勉強してる奴でBegriffsschrift から始めた奴なんて 聞いたこともないがなあ。
すいません釣りでした。
381は「ベルナイス」を「ズ」にしてて 自身は名前すらも間違ってるという 高度なボケ
英語的に読めばベルナイズでいいんだろうけど、本来の発音はどうなのかね?
> 英語的に読めばベルナイズでいいんだろうけど そのボケはちょっと安易かな
おまえら様相論理のクリプケ・モデルぐらい知ってるよな。
もちろん知ってるよ。
スタルネイカーの反事実的条件文の意味論 プットナムの内部実在論 クリプケの様相論理の意味論 チョショルムの認識論 フォジランのウィットゲンシュタイン解釈 このあたりは哲学やってる奴なら常識だろ
チョショルム→チショルム
392 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 14:51:35 0
子供の頃はゲーテルとグレーテルが愛読書
>>390 昔はフッセルの現象学とかがはやってたんだけどね。最近の哲学はずいぶんかわったな。
実際「スタルネイカー」と「クリプケ」は そう書いてある本が出版されてるからのう
395 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 17:25:24 0
>>393 これらは、別に哲学の世界での常識でもなんでもないですよ。
>>390 は、たまたま自分が耳にしたことがある名前を列挙している
ただの厨房でしょ。
396 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 17:26:47 0
厨房にしては、1970年代あたりに集中してるが。
ネタにマジレスなのかそれとも更なるネタなのか。
398 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 17:41:36 0
ああ、ネタなの・・・・・・どこが・・・・・・妙なかな書きがなのか。 あまりに下らなすぎて理解できなかった。
この板は真面目な人がおおいね。
もっと最新の話題ないのかよw 部分構造論理とか論理的ダイナミクスとか 逆数学とか新フレーゲ主義とかw
Hilbert-Bernaysは実際、「数学基礎論講義」とかでも文献として挙げられてる。 それに第二不完全性定理は詳しい証明を省略する教科書が多いので、 その文献として良く挙げられることが多いような。 算術化された完全性定理だとかε記法の解説だとか、 AckermannとかKalmarの算術の無矛盾性証明とか そういうトリビアが載ってたりするので今でもそれなりに有用だと思うよ。 ただ日本語版は原著の抄訳で一部分しか訳されてない。 Kleeneはあまりそういうことは無いみたいだけど。
402 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 21:20:02 0
>>400 俺はどれもいまいちだと思うんだが、君が興味をもっているのはどれ?
403 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 22:40:45 0
ところで集合論の専門書は『集合論入門』(松村英之)に決定していいですか? のっけp.30から苦しんでるwのでまだ読んでないけど、圏と関手とかについてものってるし。
Kunenがいいよ 最近邦訳も出たんでしょ
逆数学って単に日本で最近(といっても何年も前から)
良く宣伝されるようになったってだけで最先端ってわけじゃないような。
>>403 順序数とか基礎の公理とか、真面目に書いてないようだけど。
「集合論」といった場合、集合論の専門家とそうでない数学者で
指すものが全然違うのでどっちを勉強したいかによる。
他の数学のための基礎ということであれば良いんじゃない?
命題論理の論理式は、その評価値に基づいていくつかに分類できる。 その分類基準と分類された論理式の名称を述べよ。
A偽B真あるいはA偽B偽のとき、AならばBが真になるのはなぜですか? 後者は対偶考えたらわかるんですが、そもそも、Aは偽なのにそれを真と仮定するわけですよね。 だからそれは、実際にはあり得ないことを想定しているわけだから、そのときBの方がわからないから真偽判定不可能かと思いたくなります。 現実にありえないときということは、Bはどちらでもありえると考えられるから両方真、というふうに考えるのでしょうか。 つまり、非現実のA真という空間を想定すると、そこにはB真もB偽も含まれているから、A偽B真のときもA偽B偽のときもAならばBは真となる、 という解釈でいいのでしょうか?
408 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 00:28:13 0
>>407 「30キロオーバーしてつかまったら、免許取り消しになる」を考えてみよう。
「30キロオーバーしてつかまった」という事態が真で「免許取り消しになる」も真であれば、
上の言明が真である(規則が守られている)ことはいいよね。
「30キロオーバーしてつかまった」が偽で「免許取り消しになる」も偽の場合も、
上の言明が真であるといえるのは、規則が破られていないからと考えていい。
「30キロオーバーしてつかまった」が偽で「免許取り消しになる」が真の場合、
例えば免許取り消しの理由が「酒酔い運転で捕まった」とか「点数がたまった」とか
いろいろな事態が考えられるが、「30キロオーバーしてつかまったら、免許取り消しになる」という
規則自体の例外ではないからこの規則は破られていない、つまり成立している(真である)。
でももし「30キロオーバーしてつかまった」という事態が真で「免許取り消しになる」が偽の場合は、
30キロオーバーしてつかまったら、免許取り消しになる」という規則が明らかに破られている、
したがってこの規則が成立していないつまり偽と考えられる。
この例で納得してくれた?
高度な思想を追求しても、述語論理とか初歩の論理すら実際は使ってないでしょ。
>>409 すると、「AならばB」という最初の命題は真であることを前提にして、AやBの真偽をかえた4つの命題は最初の真の命題に矛盾してなければ
真で、矛盾していたら偽になる、ということですか?
では、たとえば「30キロオーバーしなくてつかまらなかったなら、免許取り消しになる」、とか、「30キロオーバーしてつかまらなかったら、免許取り消しになる」、というような
ありもしないことを元の規則にはできない、というかしても意味がない、ということになるでしょうか。。
>>410 論理学は、具体的な内容が意味があるかどうかは関係無しに、
文の論理のみを考える学問。
よって、どんなに意味のない命題でも可。
だから元の規則にはできる。
が、有意義な意味は無いかもね。
あなたが挙げた2つの文は、論理的には同じ。
(前者は、最初の仮定(A)が複雑になっいてるだけ。)
412 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 13:31:59 0
確かにどんな命題でも考え得るが、その命題の真偽が判断できなければ命題じゃないな。 数学的な命題は当然真偽判断可能でなければならないのが要求されるが、 数学以外(哲学とか、直観とか)でも、何でもありの話を命題とするのは、 学問というよりも単なるおしゃべりとか宗教観と同じ類だろうな。 なんでもかんでも哲学や論理学で、主観や意味内容を扱えるなら、 「今、実際に、韓国国籍をもつ人が一人でも火星で生活している」とか 平気でカルトなこと真剣に議論する奴らと変わらないだろう。
413 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 13:38:06 0
論理的に指摘すれば、
>>409 から
>>410 につなげようとしているかもしれないが、
君の言う「すると、」は文脈間論理整合性を見出せない。
論理学に関心がある動機が、屁理屈を考えたいだけだと思うけど、
論理は屁理屈をひねり出すようなことを扱うわけではない。
つまり君はこのセンスがない以上、きっと君は論理学は向いてないよ。
「オーバーしなくてつかまらなかったなら、免許取り消しになる」 「オーバーしてつかまらなかったら、免許取り消しになる」、というような 元の命題が、 「オーバーしてつかまったら、免許取り消しになる」 であって、「なかったら」とか勝手に命題を変えて解釈するのは君の勝手な論理なんじゃないのか? ここでの十分条件は「つかまった」であり、「つかまらなかった」は君の妄想でしかないから誰も判断できない。 こういうセンスを持ってるかどうかが論理学には要求される。 そもそもド・モルガン以前の問題。
415 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 13:53:39 0
ヒント : 形式化
>>407 人工言語での条件法"(A→B)"の意味論的性質すなわち真理函数性は
ときに非真理函数的でも有る自然言語での条件法「AならばB」の意味論的性質の真部分であるので、
"(A→B)"の真理函数性を「AならばB」の意味論的性質と併せて呑み込もうとすると却って腑に落ちなくなる。
だから ひとまず、
(A→B)は¬(A∧¬B)を縮約した表現であって、
¬(A∧¬B)における文定項〈A,B〉の真偽値の組み合わせが〈偽,真〉;〈偽,偽〉の場合にも
¬(A∧¬B)の真偽値が〈真〉となる事のゆえに その場合での(A→B)の真偽値も〈真〉となるにすぎない
と割り切って呑み込んでしまうほうがいい。
417 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 16:34:31 0
>>407 >だからそれは、実際にはあり得ないことを想定しているわけだから、
>そのときBの方がわからないから真偽判定不可能かと思いたくなります。
余計なことは何も考えずに、A⊃Bの条件文が主張していることは、
Aが真であるときにBが偽であるはずがない、と解釈すれば何も疑問は生じないはずですよ。
実際真理値表もそうなっているでしょう。
例えば、日常会話の文脈「(もし)AだったならBなのになぁ」を考えてください。
ここで、「違うじゃん」「予想or仮説が外れたね」「オマエは嘘を言った」と反論や反発が起こるのは、Aが真であったりそれが後で実現したにも拘わらずBが実現または実行されなかったときに限られます。
418 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 18:38:19 0
Aでなかった場合については一切語っていないんだからね。
419 :
考える名無しさん :2008/02/16(土) 19:10:05 0
Aが偽とはAでないと同値じゃないかな?
>そもそも、Aは偽なのにそれを真と仮定するわけですよね。 >だからそれは、実際にはあり得ないことを想定しているわけだから、 >そのときBの方がわからないから真偽判定不可能かと思いたくなります。 >現実にありえないときということは、Bはどちらでもありえると考えられるから両方真、 >というふうに考えるのでしょうか。 この理解で問題ないんじゃないの。 「A偽B真あるいはA偽B偽のとき、AならばBが真になる」理由として。
Aが偽、Bが真のときにA⊃Bが真になるのは 別に深遠な理由があるわけじゃなくて ただの規約。定義レベルの問題。 というか真という概念だって、推論におけるある種の保存量に過ぎないとも言えるんだろうけどね。 仮にこの場合に真理値を偽としてしまうと、 A⊃Bが真であることから自動的にB⊃Aが真であることも言えてしまう事になる。 これは「ならば」の持つ論理的性格を全く反映していない。 不定とか未定義などとしてしまうと使い勝手の悪いことこの上無かろう。 だから消去法で、真とおくと2^4=16通りのなかで一番論証における 「ならば」の性格に近い演算が定義できたことになる、というそれだけの話かと。
>>413 409ではなく408に対するレスでした。間違えてすいません。ちなみに、屁理屈を考えたいのではなく、単に自分がよくわからなかった事を質問しているだけです。
>>414 >元の命題が、
>「オーバーしてつかまったら、免許取り消しになる」
>であって、「なかったら」とか勝手に命題を変えて解釈するのは君の勝手な論理なんじゃないのか?
元の命題、つまり規則が、間違ったものである場合もあるかどうかを尋ねただけで、解釈とかしてません。
>>415 >>416 確かにそうかもしれません。でも、具体例がわかってないのに本当に理解しているとは思えないんです。
それ以降の自分の勉強に当分は支障はないかもしれませんが、意味がわかってないのに微積分を使っているみたいなもので気味が悪いんです。
自分は、細かいところまで気になる性格なもんで・・・。
>>421 証明は理解できても、自分には具体例などによる直観的な理解がともなってなくて、そこを理解したかったんです。深遠な理由はなくとも、直観で理解できる現実的な根拠はあるはずです。
もっとも、それは証明を真に理解していないからそこがわかってないのだともいえるのかもしれませんが・・・。
>>420 408、417さんの説明に従えば・・・
>そもそも、Aは偽なのにそれを真と仮定するわけですよね。
という文章は、むしろ、Aは(条件式では)真なのにそれを偽と仮定する、という方が正解だと思えてきたんですがどうでしょう・・・。
それならば、A(偽)ならば、という仮定をしても、A(真)ならば〜、という元の条件式とはなんらかかわりがないから元の条件式は保たれる。よってA偽の場合はBの真偽にかかわらず条件式は真になる、という解釈ができて納得できそうです。
自分が間違っていた部分は、まず、条件式の存在を考えてなかったということでした。単に、A(偽)ならばB、という文だけをみて、条件式と照らし合わせることなく、それ自体が正しい文章か間違った文章かを判断しようとしていた点にあったのだと思います。
その結果、次の文章が出てきます。
>そのときBの方がわからないから真偽判定不可能かと思いたくなります。
>現実にありえないときということは、Bはどちらでもありえると考えられるから両方真
この部分は、自分でも強引に感じます。というのも、Bはどちらでもあり得るなら偽の場合だってあり得るわけで、やはり真偽判定不能だと思えるからです。
そもそも、自分のこうした理解のしかたが腑に落ちないから質問したのでした。
長文失礼しました。
自然な条件文の意味論やりたければ、 素直に条件法論理の文献読めよw
>証明は理解できても 証明なんかどこにもないだろ。 真偽値をどう定義するか、という問題であって証明できるようなことじゃない。 ただ¬A∨BとA⊃Bが同値だと便利だよね。いろいろと。 ¬と⊃があれば、∧と∨はそれから定義できるから。 そういう計算をやっていくうちに慣れていくし、ちょっと不自然な定義だとも思うようになる。
426 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 13:15:16 0
「ならば」命題は、初学者が一番つまづくところだろ。 数学Aだったかに少し解説がある程度だったし。 まず数学的な真理値と、哲学などカント流の真理値と、直感的(生活的)な曖昧・なんとなくの真理値では同じ「ならば」の文を使っているのに結果(効果)が違うということを頭に入れてないといけない。 このスレは形式論理(数学的)を主として、それも条件命題は当然既知であることが要求されている。 これだけ「ならば」命題について何度も答えてもらってるのに理解できてないなら、 君の質問は、数学の先生や2ch以外の数学の掲示板(みんなの??)にでも聞いていくれよ。 別に丁寧に、絶対に分かるように答えられるんだけど、君の文では「自分が」「自分が」とうざい。 もし君が2流大学以上であれば少しは教えてやってもいいが、その程度の文章や、命題の理解力では、教えても「ならば」は使えないだろう。 もっと「ならば」命題をよく考えて、使えるようになって、それでも分からないときに聞きに来てくれ。 つまり、君も含めて、初学者は高度なことをいきなり知って、使いもせず、使ってもいないのにアレコレ妄想してるだけで、所詮サル程度でしかない。 もしバカなら、既に何度も言い方を変えて「ならば」が説明されているのだから、分かるはずじゃないのか?
427 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 13:20:51 0
論理が使える・分かる人の文章というのは、ちゃんと論理のセンスをもってるということだ。 サルには感情でしか情報は通じないし、論理で伝えるのは無理だろうなw
428 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 13:38:54 0
>>425 >¬と⊃があれば、∧と∨はそれから定義できるから
個人的には、∧と∨と1と0から、¬と⊃を定義したい。
命題とか論理とかは、⇒をつかう演繹より、集合よりで扱う方がはるかに有用だから。
prologよりcだろ。実際に有用だったのは。
演繹を直接扱いたい(計算したい)というのは分からないでもないが、
せっかく客観的機械的に答えが出ても、その結果を人間的直観で考えたりするだろ?
なら初めから論理など介入させず、自分の野生の直観でやれよw
そんなときは、すぐにサルになれw
Hilbertスタイルの論理学の、⊃が四重五重になった式見ると もうほとんど日常の「ならば」とは関係がないんじゃないかという感覚になるよね。
430 :
422 :2008/02/17(日) 14:58:10 0
>425
A偽B偽のとき対偶をとれば真と証明できる、ということに対していったのでした。説明不足ですいません。
>>426 確かに自分で読んでもしつこいと感じました。でも、質問するときは自分の分かってないところを明らかにするためにも、自分がつまずいた部分を書くのが普通ではないでしょうか?
>初学者は高度なことをいきなり知って
そんなに高度なことなのでしょうか・・・。
>既に何度も言い方を変えて「ならば」が説明されているのだから、分かるはずじゃないのか
よく分かりました。その確認のために自分が考えていた理解のしかたを訂正して書き込んだんです。
あと、大学にこだわる理由がよくわかりませんが。
丁寧に解説してくれた方々、ありがとうございました。
ああ、まあ「証明」っていう単語を使うのがちょっとアレだがまあいいや。
432 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 21:17:25 0
集合と論理なんて散々やっても結局ベン図とドモルガンしか役にたたんよwドピュドピュ87
433 :
考える名無しさん :2008/02/17(日) 23:14:35 0
>>430 めげちゃだめだよ。ロジックやる人に議論に厳しい人が多いのはしようがないと思って。
初歩の段階で「ならば」に引っかかるのは誰でも通る道なんだけど、
取りあえずそういうものと飲み込んでおいて次の段階に進んだ方がいい。
最初のうち気をつけておいた方がいいのは言葉の区別。
「証明」といったとき、どのレベルでいっているのか(対象言語のレベルか、
メタのフォーマルなレベルか、単に真であることを説明するという日常的な使い方なのか)、
一つ一つの言葉に気をつけて使わないと一斉に攻撃される。
堅苦しいと思うかも知れないけど、ロジックはそういうゲームだと思って楽しむもの。
ロジックに関して哲学的な考察をするには、一階述語論理と様相論理と公理的集合論を
ひとまず頭に通してからにした方がいい。
434 :
考える名無しさん :2008/02/19(火) 14:33:08 0
>>433 おまえの方が言葉を区別すべきだな?
条件命題も理解できてない馬鹿に、メタとかフォーマルとか言ってのちんちんかんぷんだろ。
おまえほ方が高度なことを知ってるがやっぱり使えないバカ、「高級なバカ」だな。
435 :
考える名無しさん :2008/02/19(火) 14:38:03 0
大学にこだわるというよりも、論理や言葉を区別できるようなセンスある人は、必然的によい大学に行くものだから。
サルに火の使い方を教えたらとんでもないことになるかも知れんが、よい大学生なら火を上手に操れる可能性は少しぐらいはある。
少なくとも条件命題はド・モルガンよりも当然に、普通に、自然に理解できる程度の知性がないサルは、そもそも論理学には向いてない。
>>430 まだ分かってないようだから一つヒントを示してやれば、
対偶で判断できるのは、その「ならば」命題が真である時じゃないのか?
436 :
考える名無しさん :2008/02/19(火) 14:38:45 0
これ以上サルにえさを与えるのは禁止行為に該当します!
「自分が」「自分が」とか、やっぱりウザイしw 口惜しかったらオナニーして寝ろw
何でも学問か。
439 :
考える名無しさん :2008/02/19(火) 19:58:18 0
>>435 >対偶で判断できるのは、その「ならば」命題が真である時じゃないのか?
そんなこと無いだろ。対偶の意味が判ってないのはお前だね。
サルはそろそろ退場して欲しい
>>439 聞きに来て答えてもらえなかったからって、その態度にはやがわりかよw
初めからその程度だと分かってたけどな。
おまえみたいなサルは退場してくれないか?
443 :
考える名無しさん :2008/02/20(水) 09:07:06 0
>>442 そんな感想述べてるより「対偶」の論理的説明でもしたらどうだ?
サルにも出来るのだろう。
林晋/八杉満利子著 ゲーデル不完全性定理 という本を今読んでいるのですが、その中に出てくる 「型」の概念がよくわかりません。 その本の中というか、ゲーデルの論文の翻訳では 第1型の変数(個体すなわち0も含めた自然数の為の変数) 第2型の変数(個体の類の為の変数) 第3型の変数(個体の類の類の為の変数) とあるのですがそういわれても具体的な例が思いつきません。
445 :
考える名無しさん :2008/02/21(木) 18:29:20 0
「対偶」の論理的説明しろとか、こいつアホだろw
446 :
考える名無しさん :2008/02/22(金) 22:46:37 0
>>444 一階の述語、二階の述語、三階の述語ってことじゃないの?
447 :
考える名無しさん :2008/02/23(土) 11:13:49 0
>>444 に便乗して質問しようと思ってたんだけど
高階論理の「階」と、Russelの(単純)型理論の「型」って同じものだと思って良いの?
領域は一応大雑把には同じだと思って良いと思うけど。
分岐型理論では型と階は違う概念だよね。
まあこの「階」と高階論理の「階」は全く別物だろうけど。
あと型付きラムダ計算とかのσ→τみたいな「型」と、
Russelの型理論の「型」は何か関係があるのかとか。
448 :
ちんぽまん :2008/02/23(土) 15:55:54 0
第1型の変数とは、0、1,2といった自然数および 任意の自然数をあらわす変数のことである。 2型の変数というのは、1型の変数を要素にした集合、 つまり自然数の集合をあらわす変数のことである。 通常、n型の変数というのは、n-1型の変数を要素にもった集合のことをいう。 ちなみに再度言うと、nが1の場合、n型の変数とは特定の自然数かもしくは任意の自然数を あらわす変数のことである。
高階の圏だろ?
縦a+1,横a+2の長方形の面積を求めよ。という問題があったとき、 求めるたいものは「函数」ですよね。だからこの函数をfと定義して、 f(a)=(a+1)(a+2)=a^2+3a+2というふうにしますよね。 そこで質問なんですが、これが意味するものは ア、「f=<a→(a+1)(a+2)>=<a^2+3a+2>」 イ、「∀a,f(a)=(a+1)(a+2)∧∀a,(a+1)(a+2)=a^2+3a+2」 のどちらしょうか?
451 :
考える名無しさん :2008/02/27(水) 19:04:02 0
>>450 ここはバカの来るところじゃありません、帰れ。
453 :
考える名無しさん :2008/02/28(木) 01:08:49 0
それは、求めるものは関数でなくて面積ですよ。 それとそのf[a]は関数でなくて恒等式です。 まずは中学数学をやってみてはどうですか
454 :
考える名無しさん :2008/02/28(木) 01:10:29 0
カッコつけて「函数」とか書いちゃうあたりが中学生クオリチー
>>447 「階」と「型」って違うんですか。階って分岐型理論だとどのように
定義されてるんですか?あと、分岐型理論のいい本教えて。
>>448 やっぱりそうなんですか。それでここからがほんだいなんですが、
第1型の数の1を「型持ち上げ」すると一体何になるんでしょうか?
具体的にイメージできないのです。
>>450 Feffermanで調べるといいかもしれない。
457 :
考える名無しさん :2008/02/28(木) 01:18:45 0
>>451 もしかして一回このスレでバカにされた口ですか?
論理的に言えば、「サルが来るところじゃないから帰れ!」というべきだったんじゃないでしょうか。
やっぱ、あなたの「サル度」は未だに治ってないみたいですけどw
458 :
450 :2008/02/28(木) 05:39:40 0
A,A',B,B',C,C',D,D'は全て命題として、欲しい結論はD'が真であることとする。 ア、Aは真。A→A'は真。B'は真。C'は真。A'∧B'∧C'→D'は真。D'→Dは真。 イ、Aは真。A→A'は真。B'は真。C'は真。B'→Bは真。C'→Cは真。A∧B∧C→Dは真。 どうみてもアの方が思考量が少ないのに、一般的にはイの方法がとられている。 これがわけがわからない。
459 :
450 :2008/02/28(木) 05:40:27 0
訂正 ほしい結論はD'でなくD
>>453 立式するものは、関数の等式ではなく方程式の全称命題ということですか?
461 :
考える名無しさん :2008/02/28(木) 11:21:55 0
はあ?
>>453 についてなんだが、
f(a)が恒等式ってのも「はあ?」なんだよね
バカにバカなレスをするというネタだったら許してね
かんすう : Aの どの ようそ にも B の なんらかの ようそを いちい に わりあてる ような たいおうづけ
464 :
考える名無しさん :2008/02/28(木) 12:12:26 0
恒等式って方程式の一種だよね?
圏論もいいんだけど、高度すぎて使いこなせないでしょ?
圏論は別に高度というわけではない。認識しづらいのが問題。
圏論的に考えることではじめて本質に到達できるのだよ。
>>468 それは嘘。でも、私も最初はそう思っていたさ。
468の言う本質は他人と共有ができないんだよ。
瑣末にみえるかもしれないがそれは致命的だ。
嘘というのは違ったな。
>私も最初はそう思っていたさ 今はどう考えてるの?
>471 自分の中で本質だと思っていても最終的に人に評価されないと意味が無い。 ->他人が理解可能な形で提供しないといけない ->誰にでもわかる具体的で有用な例を見つけなくてはならない。 その有用な具体例を元に無理矢理にでも重要性を認識させることが できれば価値があるものに変化させることができる。 ->自分のやってきたことは無意味じゃない。
まとめると極めて有用で具体的な例を見つけるというのが大事だと考えている。
論理記号に関する質問なんですが、 恒等式(例えば、x^2+2x+1=(x+1)^2)に全称記号∀をつけるのは間違いですか?
475 :
考える名無しさん :2008/02/29(金) 04:39:09 0
その恒等式であれば、オケですよ。 ∀x as 複素数: x^2+2x+1=(x+1)^2 任意のxについて等式が常に成り立つ。 Instead, rephrase the statement as For all natural numbers n, 2*n = n + n. This is a single statement using universal quantification.
476 :
考える名無しさん :2008/02/29(金) 04:48:13 0
>>472 それなら、圏論が未だに抽象度が高いので、具体例とかを使って、
圏論を適用したらどうなるのかを解説したページを作ってみるのが有用だと思うんですけど。
まずは読んだ本とかブログ記事の感想文とかを圏論っぽく書けばいいんじゃないですか?
個人的には、
->誰にでもわかる具体的で有用な例を見つけなくてはならない
でなくて、
->他人が理解可能な形で提供しないといけない
の方が大事だと考えてますが・・
>>475 やはりオケですか、ありです。
用語についてなんですが、
命題関数のうち、等式で書かれたものを「方程式」
不等式で書かれたものを「不等式」といいますよね。
そして変域内で常に成立つものが「恒等式」、「絶対不等式」ですよね。
ということは絶対不等式⊂不等式⊂命題関数⊃方程式⊃恒等式という関係は
正しいですか?
そろそろスレ違いに気づいたらどうだ?
>478 最後にする。 >まずは読んだ本とかブログ記事の感想文とかを圏論っぽく書けばいいんじゃないですか? それを実際やってみな、私は自分にしかわからないものになったよ。 それに本当に大事な部分は表現力がすごくいるから自分の思っているように書くことができない。 あと、ナイーブな内面をさらけ出すことになるせいか気持ち悪くなってすぐ削除することになる。 > ->誰にでもわかる具体的で有用な例を見つけなくてはならない > でなくて、 > ->他人が理解可能な形で提供しないといけない > の方が大事だと考えてますが・・ あまり人に自分の考えていることを説明した機会が無いだろ。 説明するときにわかりやすい具体例は必ずいる。 挙げたその2つの事柄はほとんど等価だ。
480 :
考える名無しさん :2008/03/01(土) 04:28:00 0
>あまり人に自分の考えていることを説明した機会が無いだろ。 これが導かれる根拠を示してもらえませんか? 全く論理的な導出でもないし、所々突っ込みどころがあったんですが、ここは特に笑えたw
>>477 数学の先生にでも聞けばいいだろw
(君のようなかまってチャンの相手はしないと思うけど)
要するに、型は圏なんだよ。 圏の階数が異なれば、それは違った型だということだろ?
483 :
ちんぽまん :2008/03/01(土) 16:08:51 0
型の理論は、基本的に古典的解析学を形式化するためにもちいられたものである。 解析学を構成する基本は数であり、数の基礎は、自然数である。 そこで、型の理論は、まず自然数を1階のオブジェクトと呼ぶ。 そして、自然数=1階のオブジェクトを要素にする集合、その集合を要素に する集合というかたちで、自然数以外の数(たとえば実数)や関数というった 概念を作り出していくのである。 1階のオブジェクトを要素にする集合を2階のオブジェクトと呼び、 以後、N階のオブジェクトを要素にする集合を、N+1階のオブジェクトと 呼ぶ。 さて、このような型の理論においては、階(階数)と型は同じことである。 ある集合がN階のオブジェクトであるとき、そのNをその集合の階または 型と呼ぶ。 つまり、階=型である。
集合は一種の圏なんだから、型は圏なんだろ?
英語で考えてみたら?
日本語じゃダメなのか?
論理学は結局のところ、男性的ロゴスをその極限まで究めたらんとするかに見えてその実、 エロスの狂気の爛漫たる乱舞に至るための、アラン・ヴィタール的リビドーのチナンテオドロミー装置頑強な砂上の楼閣的ストラクチャー論理学本人です
英語で考えれば見えてくるに違いない
議論的掲示板というのは本来のところ、 パトスを排して父性的ロゴスによる対話を重ねてゆく場としての機能を有していますが、 反逆児の手によって生成したここ2ちゃんねるは、ひろゆき本人の子宮回帰願望が投射された母性的空間であるので、 論理の排斥的傾向からのいっときの翼休めの場として機能しつつも、 ときに男性的攻撃的リビドーの退行した極限値である誹謗中傷的言説が跋扈してしまう、カオスとしてのこのスレ本人です。
490 :
考える名無しさん :2008/03/03(月) 21:14:24 0
491 :
考える名無しさん :2008/03/03(月) 22:05:10 0
>>480 この返事はまだないんですか?
威勢がいいので少し期待してたんですけど…
論理学的に、 「x^2+2x+1を因数分解する」とは、 λx.x^2+2x+1をλx.(x+1)^2に変形すること x^2+2x+1=(x+1)^2という恒等式をつくること どちらを意味しますか?
数学板でも追放されてしまったんですかw
>>450 >>492 みたいなのは定式化の問題であって、
論理学ではどちらが正解、というようなことはないので、
各人の趣味に応じてご自由に好きなほうを選んでください。
>>484 集合と写像の類の組が圏を成すってだけで、
「集合とは一種の圏」とまで言うと端的に間違いだと思うけど。
>>492 因数分解という語の定義的にはどっちですかね?
496 :
考える名無しさん :2008/03/04(火) 18:30:34 0
497 :
考える名無しさん :2008/03/04(火) 18:43:13 0
(x+1)^2 (x+1) (x+1) これの厳密な違いとか分かるような奴じゃないし、意欲ある高校生ってところだろ。 論理学関係なし、相手にすんなよ。
498 :
考える名無しさん :2008/03/04(火) 18:45:29 0
方程式と恒等式の違いとか区別ついてないんだろ。数学板行けよw というか、おまえには、この区別がついても何の利益にならないだろう。 数学板で暴れてたの知ってんだから、ここでも迷惑だから消えてくれ
「…を〜と定義する」を …:=〜って表現する?
500 :
考える名無しさん :2008/03/05(水) 19:00:00 0
Adef=BならAをBと定義する。
2階関数f_y(x)を1階2変項関数g(x,y)に変換する写像って名前ありますか?
503 :
考える名無しさん :2008/03/27(木) 23:36:34 0
uncurry ?
504 :
考える名無しさん :2008/03/28(金) 08:02:06 0
オウム真理教の教義とか教えが哲学的・論理的に偽りであることを証明してください。(今度の試験に出るそうです!)
まず証明論から勉強しろ
506 :
考える名無しさん :2008/03/29(土) 13:09:40 0
証明論とかたいして理解してないくせに偉そうにするなよw
証明論を知らんようだなw
508 :
考える名無しさん :2008/03/29(土) 15:26:45 0
もういいからさ、早く証明してください!
別に某教祖が宙に浮けるというのは論理的に不可能じゃないしなあ。
教義の内部に明確な自己矛盾でもあれば別だけど
そこまで教義に詳しくもないし。
あ、証明論なんて勉強しても
>>504 とは全然関係ないよ。
この程度の命題も証明できないのに、論理学って何やってんですか?
論理学以外の学問を使ったら証明できるのかな?
「証明とは何か」、これが問題なんじゃよ。
513 :
考える名無しさん :2008/03/30(日) 08:05:12 0
グダグダ言ってないで早く証明してください! オウム真理教の教義とか教えが哲学的・論理的に偽りであることを証明してください。(今度の試験に出るそうです!)
514 :
考える名無しさん :2008/03/30(日) 09:31:11 0
515 :
考える名無しさん :2008/03/30(日) 09:33:02 0
,―――-、 / /~~~~~~~\ | / / \| (6 (・) (・) | も つ | | lll|||||||||ll | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | \_/ / < 誰も反応しない /| \___/\ \ \________
516 :
考える名無しさん :2008/03/30(日) 09:38:27 0
,―――-、 / /~~~~~~~\ も つ | | lll|||||||||ll | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | \_/ / < うんちらこんちっちょりーなじゃよ? /| \___/\ \ \________
517 :
考える名無しさん :2008/03/31(月) 09:58:35 0
上祐 は論理学してた?debateする人って論理学関係あんのお?
関係ねーよ
論理学って具体的に何を研究してんの?
520 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 18:32:17 0
論理学って物理学の一分野だろ?つまり、具体的には原子核の中に何が存在するのか研究してるわけだ
クォークじゃな?
522 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 21:24:06 0
何で論理学が物理学の一分野なんだね?
523 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 21:26:03 0
理論物理学があるからだろう。 理論とは論理のことだから。
524 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 21:37:41 0
>>522 当然、物理学の一分野だろ?それが理解できないおまえはやっぱり低脳だな
525 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 21:44:10 0
>>522 みたいなバカもこのスレにいていいだろ。こういうバカもたまには相手してやんないとなw
ヒッグス機構じゃよ?
527 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 23:01:04 0
まーたサルが湧いてきたのかよw
528 :
考える名無しさん :2008/04/06(日) 23:12:18 0
自分のことよく分かってるなw
↑ていうか、誰だおまえ?
サルの相手なんかすんなよw
まだやってんのかw
532 :
考える名無しさん :2008/04/07(月) 00:24:54 0
>>524 私の知能程度に関するあなたの判断なんて聞いてないよ。
何であなたは論理学が物理学の一分野だと思うの?
不完全性定理によって、 人間に直観的に把握可能な有限種類の文(閉論理式)によっては 自然数は特徴付けられない。 とすると、自然数という概念の意味を考えるとこれは 「意味とは使用により定まる」というテーゼの反例となってますよね?
534 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 11:08:07 0
不完全性定理のどこに「人間に直観的に把握可能」と言いかえられるようなものがあるんだ? それに、「意味は使用によって定まる」への反例なら不完全性定理よりも もっと適切な反例がいくらでもあるだろ。
535 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 11:22:01 0
例えば?
536 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 11:37:12 0
数論のノンスタンダードモデルの話とか クリプキ・ヴィトゲンシュタインの「規則に従う」の話とか
不完全性定理よりもレーヴェンハイム・スコーレムの定理の方が、 ずーっと哲学な含意あるのに、ポモの連中とか知らないのかなw
はいはいパトナム
539 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 13:40:21 0
論理学の初学者向けのスレ、どこかにないですか?
540 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 22:53:51 0
ここがそれですよ。レベルの高そうな話をしているように見える奴らは たいがいハッタリを言っているだけなので、相手にする必要ありません。
541 :
考える名無しさん :2008/04/08(火) 23:12:13 0
>>537 どちらにも哲学的な含意はあるが、
「レーヴェンハイム・スコーレムの定理の方がずーっと」
ってことはないと思うけどねえ。
どういうところから「ずーっと」なんて思うの?
私も「ずーっと」ということは無いと思う。
単に一階論理の記述能力の弱さを示したもの、となる可能性だってあるし。
まあそうじゃない、という考えの人も居るけどね。
パトナムはレーヴェンハイム・スコーレムの定理の哲学的含意とやらのせいで
五十歳ごろ哲学的な立場を変えたそうだけど、この定理自体は大昔から
彼女も知っていたと思うんだけどね。なんでこの時期になって突然そうしたんだろう。
>>534 >どこに「人間に直観的に把握可能」と言いかえられるようなものがあるんだ?
ゲーデル文が「直観的には真」、ということ。
>数論のノンスタンダードモデルの話
非標準モデルの存在は普通は不完全性定理から帰結させるでしょ?
そりゃ全ての算術的な文について真偽を同じくする非標準モデルだってあるけど
全ての文について真偽が同じなら、そもそも構文論的には違うものだと言い切れないような。
人間に直観的に把握可能な概念の例としては自然数の概念のほうが適切かも。 自然数の標準モデルではゲーデル文は真だよね。
ヒラリー・パトナムは男だぞ
545 :
考える名無しさん :2008/04/09(水) 08:48:02 0
> 人間に直観的に把握可能な有限種類の文(閉論理式)によっては > 自然数は特徴付けられない。 ここの「人間に直観的に把握可能」が「直観的には真」? じゃ、「直観的には真ナ分によっては自然数は特徴付けられない」? ますます分からんよ。 > 非標準モデルの存在は普通は不完全性定理から帰結させるでしょ? それは違うでしょ。集合論の中でモデルを構成してみせるのが普通でしょ? で、それが第一不完全性定理の(非構成的な)別証明になる云々と・・・。
あ、すいません。 別に算術の公理が直観的に把握可能というのは間違ってないとは思うんですが 人間に直観的に把握可能な有限種類の文(閉論理式)によっては 自然数は特徴付けられない。 不完全性定理によって、 人間には、有限種類の文(閉論理式) によっては自然数は特徴付けられない。 とすると、自然数という概念の意味を考えるとこれは 直観的にその意味が把握可能、かつ有限の文によっては特徴付けられないので、 これは「意味とは使用により定まる」というテーゼの反例となってますよね? こんな感じにでも直してください。
>> 非標準モデルの存在は普通は不完全性定理から帰結させるでしょ? > >それは違うでしょ。集合論の中でモデルを構成してみせるのが普通でしょ? >で、それが第一不完全性定理の(非構成的な)別証明になる云々と・・・。 完全性定理「公理系 T が無矛盾→ T のモデルが存在する」を先に証明した後、 Gを標準モデルで真、かつ与えられた公理系 T から証明できない文として 無矛盾な公理系T ∪ {¬G}のモデルを考えると、これはGについて標準モデルと 真偽が異なるような T の非標準モデルになっている、 と普通はこういう議論をするような。。 いやLST上昇定理から、任意の濃度の算術のモデルが存在することは言えるんで、 こっから非標準モデル自体の存在は言えるんですけどね。 それじゃ算術の言語しか持ってない人から見て違うものだと言えるのかどうかが分からない。
あ、ageるつもりがsageちゃった 546の 人間に直観的に把握可能な有限種類の文(閉論理式)によっては 自然数は特徴付けられない。 は消し忘れなんで無視してください 何度も失礼
549 :
考える名無しさん :2008/04/10(木) 00:01:04 0
>>547 だから、その普通の議論は「不完全性定理から非標準モデルを帰結させる」
なんて話では全然ないでしょ? あなたはひょっとして自分が書いていることの
意味が分かってないんじゃないの?
不完全性定理(と完全性定理)を用いて 或る自然数論の公理系 T の非標準的モデルの存在を帰結させてる話だとしか思えないけど。 いやモデルの存在自体を言ってるのは完全性定理だというのはそうだけどね。 「自然数論に非標準的モデルが」という部分は不完全性定理でしょ。 何もおかしいところはないように思うけど。
551 :
考える名無しさん :2008/04/10(木) 00:35:57 0
552 :
考える名無しさん :2008/04/10(木) 00:53:50 0
>>550 > 完全性定理「公理系 T が無矛盾→ T のモデルが存在する」を先に証明した後、
> Gを標準モデルで真、かつ与えられた公理系 T から証明できない文として
> 無矛盾な公理系T ∪ {¬G}のモデルを考えると、これはGについて標準モデルと
> 真偽が異なるような T の非標準モデルになっている
たしかに不完全性定理から非標準モデルの存在を導き出してるな。
俺の頭がボケている。
>>523 「理論とは論理のことだから」
これはひどい。
実質同じだろ
555 :
考える名無しさん :2008/04/10(木) 12:53:10 0
同じじゃないと思うが? つうか、「社会とは会社のことだから」と言うのと同じぐらい馬鹿。w
じゃ説明してみろよ バカはおまえw
557 :
考える名無しさん :2008/04/10(木) 19:42:14 0
理論というのは何らかの分野の知識を整理・体系化したもの。 論理と言うのは正しい推論の形式のこと。 ・・・・・・これで分かるぐらいなら、「理論とは論理のこと」なんて言わないか。
558 :
考える名無しさん :2008/04/11(金) 20:27:31 0
>>557 >理論というのは何らかの分野の知識を整理・体系化したもの。
論理のない知識の整理・体系化があるとでも思ってるの?
論理がなければ理論にならない。理論は論理だよ。
559 :
考える名無しさん :2008/04/11(金) 20:37:36 0
鶏と卵の問題と似てるな
560 :
考える名無しさん :2008/04/11(金) 20:47:25 0
「論理がなければ理論にならない」から「理論は論理」なの? すげ〜アホw
文学理論とか、精神分析の理論とかにおいて
論理学はそんなには大事だとは思わないけどね。
まったく支離滅裂というわけにはいかないから、
或る程度の論理性は要求されるけども。
いずれにせよ
a には b が必要である。よって a = b である、
とか冗談じゃない。
理論物理学と論理物理学は誰が見たって別の言葉だろ。
理論物理学ってのは実験物理学に対比して使われる言葉だよ。
紙の上に表された知識体系に基づいて議論をするか、実験的検証を行うかの違い。
少なくとも
>>520 >>522 >>523 が言ってるような
「論理学は物理学の一分野」とか「論理学は原子核の中に何が存在するのかを研究している」
とかいうのは明確な誤り。
単に物理学の「理論」にも或る程度の論理性は要求される、というだけ。
論理学の研究対象についていうと 論理学の研究対象である論理的法則は或る種の「必然性」を持っている。 それに対して例えばNewtonの法則とか状態方程式とかの法則性は この世界が偶然そうなっているだけで、「必然性」は持たない。 だから違う、というような議論を良くするよね。
563 :
考える名無しさん :2008/04/11(金) 22:21:54 0
>>562 どうして明確な誤りなのかを、君の言う「論理性」で説明しないと君の言う「冗談」でしかないんじゃない?
「論理性」とか一体全体どういう意味なのか分からないし、君、意味不明なんだけどw
たとえば、これとか。
>「論理学は物理学の一分野」とか「論理学は原子核の中に何が存在するのかを研究している」 とかいうのは明確な誤り。
564 :
考える名無しさん :2008/04/11(金) 22:26:44 0
原子核の中に何が存在するのか、陽子なのか中性子なのかそれとも電子なのか、
というのは実際に、論理学の研究するような事柄じゃないんだから仕方がないだろ。
仮に定義を与えてみるなら、
(1)この世界が「たまたま」どうなっているのか、というのを探求するのが自然科学。
(2)論理学は命題の間の或る意味で必然的な法則性、形式、構造を探求する。
「論理」とは何か、ということを、論理とは何か全く知らない人に説明できてるとは思わないよ。
辞書を読んだら分かるとも思わない。
ただ、論理学は物理学の一部だ、というのは間違いで、
物理学の方法的基礎に論理が使われる、というのが事実なのでそう説明しただけ。
(1)(2)は言葉が実際にどういう風に使われているか、
という事実に関する言明であって、論理的法則じゃない。
リンゴが赤いことを論理的に説明してくれ、と言われても出来ないように
(2)が正しいことを論理的に説明しろと言われたって出来ない。
>>563 が説明できるんだったら代わりに説明してくれ。
566 :
考える名無しさん :2008/04/12(土) 01:35:23 0
おお、しっかり答えたな。 >(2)論理学は命題の間の或る意味で必然的な法則性、形式、構造を探求する。 これが君の言う「論理性」なわけか。 >(2)が正しいことを論理的に説明しろと言われたって出来ない。 君の言う「事実」は、認識の問題だから、論理じゃないといいたいのか。 一般的に言えば、物理学は数学を、数学は論理学を包含し、然るに一部であると考えられないか?
567 :
考える名無しさん :2008/04/12(土) 02:03:40 0
>>566 > 君の言う「事実」は、認識の問題だから、論理じゃないといいたいのか。
> 一般的に言えば、物理学は数学を、数学は論理学を包含し、然るに一部であると考えられないか?
だからイコールではないでいいんじゃない?
物理学では数学を研究の一手段として使うけど それは物理学は数学を包含するということにはならない。 経済学では良く数学の高度な理論を使うけど、 だからと言って数学は経済学の一分野だ、とはならないのと同じ。 数学と論理学の関係については、 論理学上の立場と関連するので簡単な問題じゃないと思う。 「算術は論理学の一分野である」とする立場が新Frege主義だね。
>それは物理学は数学を包含するということにはならない。 どうして? 数学の高度な理論を使わないからか。
571 :
考える名無しさん :2008/04/12(土) 15:12:18 0
>>568 おまえは論理矛盾してるが気がつかなかったか?
572 :
考える名無しさん :2008/04/12(土) 16:12:24 0
論理包含と条件文は、ほとんどの場合同じものとみなされる。しかし、一部の論理学者は、 論理包含は「断言」的関係、条件文は「予想」的関係だとして区別する。 また、次のように表現し分けることもある。 * P ⇒ Q(P implies Q、P は Q を包含する) * P → Q(if P then Q、もし P ならば Q が成り立つ) ウィキの説明ですが、どう違うんでしょうか? それと、 * P → Q(if P then Q、もし P ならば Q が成り立つ) は、もしPが偽なら、Qは成り立つんでしょうか成り立たないんでしょうか?
574 :
考える名無しさん :2008/04/12(土) 22:06:47 0
その説明は変だな。
575 :
夫馬 :2008/04/12(土) 22:28:42 0
おまえも変だぞw
>>571 どこが矛盾してる?
>>565 の定義は適当だからマトモに受け取らないで貰えるとありがたいけど。
ただ矛盾しているとは思わない。
言っとくが俺は新Frege主義者じゃないからね。
あ、新フレーゲ主義の人はヒュームの原理が論理的法則であるとは
主張しないからちょっと言いすぎかな。
>>573 の説明は多分厳密含意と質量含意とか、そういうのを言いたいのかな?
いずれにせよ、断言的か、予想的か、といった確度の強さが問題なんじゃないと思うけどなあ。
Wikipediaの説明は色々ダメだと思うけどなあ。 まずimplicationに包含という訳語を使うのがダメだと思うが、 それはおいといてもヴェン図の説明が、「集合の包含関係」じゃなくて 「ある命題における集合関係と求める集合範囲を視覚的に図式化したもの」 とかお花畑な説明になってるしなあ。 「ある命題における集合関係」とか何が言いたいんだろうか。 英語版はずっとまともだった。 アナロジーとしては悪いとは言わんけどね。 書いた人が一項述語しか念頭に無いんじゃないかなあ。 モデルの集まりとかを考えると任意の文に対してアナロジーが保てるけど、 全てのモデルの集まりなんて集合にならないしやりすぎでしょ。 含意の記号に |= とか ∴ とか ⊆ とかを使う、と書いてるけど、これ本当か?見たこと無いぞ。
579 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 13:01:45 0
Sequent Calculusの前件と後件をつなぐ記号に|= を使うのはあるな。 「Aである。故にBである」の「故に」を ∴ で表すのは普通。 まあ、これらをもってImplicationの記号と言えば、言えないことはないかも。 ⊆は私も分からない。Implicationの記号としてこれを使うってのは見たことない。
>>578 何も出来ないくせして、おまえの方がお花畑にいるように見えるが?頭大丈夫か?
581 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 13:56:37 0
>>580 >>578 の内容は全然「お花畑」には見えないがなあ。
ともかく、Implicationって言葉がそもそも曖昧なんだよね。
論理式間にメタレベルで成り立つ関係を表しているのか、
それとも論理式(あるいは連式)を作る結合子の一種と見るのか。
ルイスの様相論理の出発点はその点での誤解だったなんて話も
あるぐらいだから、こんがらがって当然なんだろうけれど。
sequentの中央の記号として |= を使うのってそんなに一般的かな。 |- が使われてるのは見たことがある。自然演繹との対照のつもりかもしれないけどちょっとどうかな、と思う。 (sequent計算では証明の単位はsequentで、さらにこの記号は普通は証明可能性を表すのに使う) 在るか無いかで言うなら、「∀を丸で囲った記号」とか「∧をズラして重ね打ちした記号」 が使われたりすることも在るけど、それをもって universal quantifierの記号として∀の代わりに「∀を丸で囲った記号」が使われることがある、 とか書くくらい馬鹿げてると思うけどな。 sequent計算の中央の「ならば」っぽいものならほとんど何でも使うような。 この記号は論理式の普通のimplicationとは区別しないといけない (従ってこの記号をimplicationと呼ぶことは無い)が、 性質としてはimplicationに非常に近いので、それが分かる記号を選びたいという事情がある。 たぶん、著者によって好き勝手な記号を使ってるというのが現状に近い。 それにそもそもsequent計算の記号はモデル論の記号とは何の関係も無い。 「故に」を表すのに∴を使うのは常識だけど 「故に」を使う場合はこれまでの議論からワンステップで次の文に至れないといけない。 それにいくら外延的に正しくても論理的な帰結関係が無いといけない。 これとただのimplicationは全然違う(実際∴の代わりに⇒を使ったりすることはありえない)。厳密含意とも違う。 どちらにせよ、これらは「第1命題が偽または第2命題が真のときに真となる論理演算」 では無いのでその上の説明と両立しない。 Wikipedia書いた人、⊃のつもりで⊆と書いたのかな。 それにしては左右反対だし、「それぞれの命題が真となる集合同士の関係からきた記号」 とか書いてるし、多分ヴェン図とのアナロジーが面白いとか適当なこと考えて誰も使わない記号書いたんだと思う。 だとすれば残りの二つも大した根拠があって書かれたんじゃない可能性が高い。 というか「⊃」はimplicationの記号としてしばしば使われるのに何で書いてないんだろう。
含意の話題って定期的に出るよな、このスレでは。 初心者が一番疑問に思うことろだろうけど、実はまだ 研究が進んでない分野なんだよな。
>>581 単に知ってる知識を披露したいだけの人ですね。
ルイスが云々もいいけど、ウィキの編集の仕方とか知らないでしょ?
いや書き換えて良いものならさっさと書き換えたいんだけど
これはあくまで慣用の問題なので、
全く別の先生、本で勉強した人がどう思ってるか、というのが重要。
せっかくこのスレで他の人の客観的意見聞いたんだし、
書き換えるとこのスレで書いたことがナンセンスになるので、このスレで話題が一段楽するまで
とりあえずおいとこうかな、と。
>>584 知ってるよ。ただせっかく編集するならアカウント作ってやりたいんだけど
Wikipediaの編集方針とか真面目に読もうとすると面倒くさいんだよなあ。
あ、585=578≠581ね。 なんか他の人のレスに答えちゃったので一応。
>>582 何を言いたいのかさっぱり分からん。
∀でなくてΠでもいいわけだし、おまえウザイよ。
>何を言いたいのか Wikipediaの記述が妥当かどうか、という話。 Wikipediaの当該記事を読んでなければそりゃ分からないだろう。 Πは実際ポーランド系の論理学書でよく使われる。そのくらい知ってるよ。
589 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 14:17:49 0
> sequentの中央の記号として |= を使うのってそんなに一般的かな。 ああ、そうだね。たしかに|-の方だ。 |=の方は含意を表す意味論のメタ記号として使うことはあるでしょ?
>>588 いいや、そうじゃなくて、記号が一般的に使われているから、
「∀を丸で囲った記号」とか「∧をズラして重ね打ちした記号」を認めるとかいう
のは論理と関係なく、おまえの感想でしかない。
そんなんじゃ、いつまでたっても論理学の真髄を得られないんじゃない?
591 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 14:22:37 0
>>584 「知識を披露」なんてレベルの話じゃないよ。
普通に論理学を勉強したことがある人なら誰でも知ってる範囲だろうし。
ウィキの編集の仕方は俺はたしかに知らないが、
ここの引用で見る限り、その内容は酷すぎるから、訂正が必要だろ。
>>590 が何を言いたいのかよくわからない
特にこれ↓
> 記号が一般的に使われているから、
俺も論理学のプロやってて古今東西の論理学書に詳しい、というわけじゃないし、
日本語のWikipediaでは良い記事が知識の無い人によって改悪されることも
結構あるからなあ。
>>590 Wikipediaに、含意を表す記号として
これこれの記号が使われる、というような記述があるのでその記述を問題にしている。
これは、yes/noで答えられるような問題じゃなくて、
良く使われている、とかあまり使われていない、とかファジーな話ではあるけども、
その記号が実際に含意の記号として慣用的に使われているかどうか、というあくまで「事実」に関する問題。
>>588 の「∀を丸で囲った記号」とか「∧をズラして重ね打ちした記号」とかいうのは
稀に使われることはあるけど、決して一般的でない記号の例。
「決して一般的でない」というのはあくまで事実(或いは事実に関する信念)であって
感想や個人的意見じゃない。誰も個人的にある記号を認めたいかどうかなんて話はしていない。
> そんなんじゃ、いつまでたっても論理学の真髄を得られないんじゃない? みたいなアホな煽りに逃げるカスはスルーしとけ
595 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 14:54:06 0
記号の問題以前に、これ↓はないでしょ。 > 論理包含と条件文は、ほとんどの場合同じものとみなされる。しかし、一部の論理学者は、 > 論理包含は「断言」的関係、条件文は「予想」的関係だとして区別する。
596 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 14:56:34 0
てか、なんだこいつら?話す相手もいなくて、寂しいんだろうな…
597 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 15:01:31 0
>>573 それで、結局どう違うんでしょうか?
あと、 * P → Q(if P then Q、もし P ならば Q が成り立つ)
は、もしPが偽なら、Qは成り立つんでしょうか成り立たないんでしょうか?
それと、もしPの真偽に関係なく、Qが偽なら、これは一体なんと説明されるのでしょうか?
598 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 15:08:12 0
>>597 Pが偽の時には、Qの真理値に関係なく、P → Qは真になりますが、それが何か?
ウィキペディーアの説明に文句あるし議論したいなら、そっちでやれよ。
600 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 16:37:44 0
べつに、ここでやったっていいんじゃね
ここはウェキペディーアと関係ないし、そもそも誰が編集するんだよ?
英語だけど、ネットで信頼できる記事はスタンフォードの辞書だな。
603 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 17:39:41 0
>>601 誰かボランティア精神がある奴がいれば、やってくれるだろう。
いなければ、そのままだろう。
ここでこういう話になったのは、
そのウェキペディーアとやらの記事について質問した奴がいたから、
ってだけだし。
604 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 17:51:37 0
それで、結局どう違うんでしょうか? あと、 * P → Q(if P then Q、もし P ならば Q が成り立つ) は、もしPが偽なら、Qは成り立つんでしょうか成り立たないんでしょうか? それと、もしPの真偽に関係なく、Qが偽なら、これは一体なんと説明されるのでしょうか?
>>604 Pが偽ならQに関係なく、全体は真。
>もしPの真偽に関係なく、Qが偽なら、これは一体なんと説明されるのでしょうか
意味不明。Qが偽の場合、Pが真なら全体は偽、Pが偽なら全体は真だが。
この種の不自然さを乗り越える論理ならたくさん研究されてる。
606 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 18:08:15 0
よくある命題論理の条件法の真理条件の定義への疑問か。 論理学初級のFAQってところだな。
論理包含と条件文は、ほとんどの場合同じものとみなされる。しかし、一部の論理学者は、 論理包含は「断言」的関係、条件文は「予想」的関係だとして区別する。 また、次のように表現し分けることもある。 * P ⇒ Q(P implies Q、P は Q を包含する) * P → Q(if P then Q、もし P ならば Q が成り立つ) それで、両者はどう違っていて、なんて説明されるんでしょうか? 初級FAQならすぐ答えられますよね。
「ウェキペディーア」ってやたら表記にこだわるな。
しかも原音に忠実というわけではないしw
>>597 「ならば」に二種類の区別があるのは良く知られているけど、
conditional(条件法)とimplication(含意)という用語で使いわけるのは
多分あまり一般的とは言えないので個人的にはお薦めしません。
⇒と→で使い分けるのもここだけの区別。
もっと自分で信頼できる文献に当たって調べたほうが良いと思うけど、wikipediaに即して説明するなら、
とりあえず上の方はmaterial implicationとかmaterial conditionalと
言われる奴で、(not p) or qと同値。これがいわゆる「ならば」と
記号論理学で普通出てくるのはこっち。こっちは簡単。
一方で下の方は、そうじゃない「ならば」で、自然言語の「ならば」はこっち。
ただこっちは色々な説があって、何種類もの「ならば」が提唱されてたりして
唯一の標準的説明といえるようなのはないはず。
基本的に真理表を使った説明自体を拒否する感じになる。
たとえば直観主義論理だと、真理表が使えないので「ならば」の意味は
別の方法で解釈しないといけないので必然的にこっちに近くなる。
Lewisは、□(p→q)つまり「p→qは必然的である」という命題はより日常言語の「ならば」に近いと考えた。
この場合これの真偽値は様相論理の意味論に従って求める事になる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A9%E5%88%87%E3%81%95%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86 とかにも関連することが載っている。
最近良いな、と思ったのはGriceという哲学者の説明で、こんな感じ。
日常言語には「特別な理由が無い限り、より論理的に強い言明をなすことが出来るときに、
より弱い言明をなすべきではない」という語用論的な原則がある。
で、原則に従って考えるならば、「pならばq」という言明が為されたとき、聞き手は
「話し手は単にqとかpと言うための根拠を持たないのだ」(1)という風に推論するのだ、という説明。
(1)は「ならば」の意味の一部であり、(1)が満たされない場合
「pならばq」は真でも偽でも無い、とする道もあるし、
或いは、(1)が満たされない場合に「pならばq」と主張するのは誤解を生むので好ましくないが、
ともかく「pならばq」は真であるのは変わらない、とする道もある。
この場合は真理表を使った説明自体を拒否する必要はなくなるね。
cf. 中央公論新社「哲学の歴史 11 論理・数学・言語」のグライスの項目
良く見たら
http://plato.stanford.edu/entries/conditionals/ にも載ってたっぽい。
>>607 Wikipediaに書いてあったことは
悪い冗談みたいなもんだと思って全部忘れなさい
それが一番早い
611 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 19:07:41 0
⇒っていうのは(通常は|=または|-と書くけれど)、 二つあるいは複数の論理式の間に成り立つ関係を 表すメタレベルの表現。これ自身は論理式ではありません。 それに対してP→Qは命題論理の論理式。 両者の関係については、 A ⇒ Bは「A → Bは論理的に真(命題論理ではトートロジー)」 という言明と(メタレベルで)同値。
* P ⇒ Q(P implies Q、P は Q を包含する) * P → Q(if P then Q、もし P ならば Q が成り立つ) 上のP、Qは文の言及(文「タローは犬である」)で「⇒」は含意を表すメタ言語 下のP、Q(タローは犬である)は文の使用で、「→」は条件を表す対象言語 正確にはP → Q(if P then Q、もし P ならば Q)
613 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 19:16:19 0
ただし、私がFAQといったのは、P→Qの真理条件についての疑問で、 これはImplicationとConditionalの問題とは別。 P→Qの真理条件の不自然さ?は、 Aが恒に偽な論理式の場合Bが何であれA⇒Bが成り立つという不自然さ? に引き継がれます。
>>613 >P→Qの真理条件の不自然さ?は
条件法論理や関連論理が扱ってます。グライスの理論でもいいけど
>Aが恒に偽な論理式の場合Bが何であれA⇒Bが成り立つという不自然さ?
これが成り立つから矛盾する体系を避けるじゃん。矛盾を許す論理もあるけど、
矛盾から何でも導く事態(爆発性)を避けるように頑張ってる(パラコンシステン
ト論理とか関連論理)
確かにメタレベルと対象レベルの区別が付かなくなる説明だね。
まあメタレベルと対象レベルの区別が絶対的なものかどうか、というのは
立場に拠って主張が異なってくるかもしれないけど、ともかく記事は改めたほうが良いね。
ただ記事が言いたいのはそういう区別じゃないと思うけど。
>しかし、一部の論理学者は、論理包含は「断言」的関係、
>条件文は「予想」的関係だとして区別する。
この部分は英語版から既にそういう説明になってるけど、
「一部の論理学者」とか言って具体的に名前が挙がってないし
そもそも記事を書いた人間自体も良く分からん人
http://en.wikipedia.org/wiki/User:Pokipsy76 なので、あまり信用しないほうが良いよ。たぶんこの人は専門家でも何でもない。
関係ないが、英語版見たら一応「モデル」という言葉使って説明してるんだね。
日本語版はさらに改悪されてるな。
616 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 19:32:26 0
>>614 論理学については多少知識があるみたいだけど、
あなたは話が通じない人だねえ。
「予想」って誤訳のせいでますますひどいことに
>>616 書き方まずかたなw
P→Qからではなく、これを「PV¬Q」と定義の形で
導入して、これが形式論理での「ならば」に適切な
ものであると説明する。もっと自然言語に密接した
条件法の説明なら条件法理があるよと参考程度
に言っておく。
>Aが恒に偽な論理式の場合Bが何であれA⇒Bが成り立つという不自然さ?
「矛盾したらなんでも言えちゃうよ」ってことはわりと
直観に合ってるから、これはそれほど問題ないかと。
619 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 19:45:20 0
>>618 その書き方だと私にもすんなり受け入れられる。
命題の集合がブール代数になるっていうのは自然な感じだから、
逆にそこからA→Bの真理条件はああしといたほうがいいんだという
説明の仕方もありかなあ。本当の初心者には通じなさそうだけど。
条件法論理は「厳密含意のパラドクス」もふまえてるわけで >P→Qの真理条件の不自然さ? だけじゃなくて >Aが恒に偽な論理式の場合Bが何であれA⇒Bが成り立つという不自然さ? にも関連づけたほうがいいと思うよ
621 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 19:48:35 0
初心者がP→Qの真理条件に感じる疑問に対して、 グライス流の語用論的な説明ってのもありだと思うけど、 一方で、「Aが真のとき何でA∨Bが真なの?」っていう疑問は あまり出ないんだよね。何でか知らないけど。
俺の教えてる学生からはまずまず出るよその疑問
>>620 条件法論理でも「(P∧¬P)→Q」(矛盾からは何でも導ける)
が成り立つから、こちらを避ける論理には「関連論理」って
のがあるよと言っておくのもよいかと。
624 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 19:52:30 0
直観主義の命題論理でもP→(Q→P)は証明可能だし、 (最小論理でなければ)〜P→(P→Q)も証明可能だってことを考えると、 この不自然さは、条件法を真理関数ととらえることから来る とも言いきれないな。
>>624 この問題は構造規則K(水増し規則)が絡んでる。
古典論理、直観主義論理、条件法論理はこれを持ってるからね。
⊥の除去則ってそんなに自然かな?
最初に自然演繹勉強したとき妙なルールだなーと思った記憶があるけどな。
(そのときはヒルベルトスタイルの体系もシーケント計算も知らなかった)
中学生のときに読んだ野崎昭弘の「不完全性定理」には
pかつ¬pだとする、pだから¬q→pである。対偶をとって¬p→¬¬q。¬pだから¬¬q、つまりq。
という説明がしてあった。
今思えば二重否定除去使ってるから本当は誤魔化しなのかも知れないけど、
当時は個人的には一応納得は出来た。
で、同じ寮だったルームメイトに説明してみたけど、結局最初の「水増し」が胡散臭かったのか、
俺の説明が悪かったのか、納得して貰えなかったなあ。
まあ紙使わずに口頭で説明したのもまずかったが。
>>621 古典論理ではA∨Bが分かっているからといって
AとBのどちらか片方が分かっているとは言えないんだから別に問題ないと思うが。
その典型例が排中律でしょ。
直観主義だとA∨Bが証明可能なときは
実はAとBのどちらかが証明されてないといけない(disjunction property)から、
じゃあ「または」って要らなくね?みたいな疑問が湧いてもおかしくは無いけどね。
「『AまたはB』ってのはAかBかがわかってないときに使うはずで どちらか既にわかってるのに『または』なんて言うのはおかしい」 という疑問が出ることもあるよ
それはまあ実際おかしいよね。Griceは偉かった。
>>628 「使うはず」ってなんだよw
「みかん、または、りんご、どっちがいい?」はおかしくないけど。
2点
P ⇒ Qを¬P∨Qの別表記と考えるのはいいけど(含意)、
P → Qは集合論とは別の意味とするといいだろ(歴史的にも)。
P → Qを集合論の真理表にあわせて考えてるからいつまでも理解できないんじゃない?
>>608 細かいこと抜きにすれば、□(p→q)これだろ。やっぱ。
634 :
考える名無しさん :2008/04/13(日) 23:42:22 0
>>627 一番普通の説明は、A or B,〜A |= B と等価って説明でしょ?
>>633 日常言語の「ならば」に近いのは、□(p→q)よりもp>qでしょ。(「>」は条件法論理での条件法の演算子)
どっちも可能世界意味論使うけどね。
論理学は抽象度が高いけど、実用レベルとか万人が使えるレベルになってないとダメだな。 所詮、哲学じゃんといわれるw 万人が使えるレベルというのは、説明する人が、その論理(演算子)をちゃんとわかってないとだめだけどな。 P ⇒ Q P → Q の違いを大学生に分かるように説明できないなら、おまえが無能で、おまえの方が分かってないってこと。
637 :
考える名無しさん :2008/04/14(月) 00:56:57 0
>>636 普通の大学生なら分かる程度の説明は、最近の発言の中に十分あったと思うが。
「自分の方に問題があるのではないか?」っていう考え方は少しもないのかい?w
↑誰の発言で、誰に向かって発言してんだよ。 それこそおまえの方に問題あるんじゃね?
スレタイを読もう 頭のいい大学生しかわからないような説明では失格だ
バカならまだましだが、サルは論理が通じないからなぁ
クリティカルシンキングと形式論理学の溝が大きいからな。 この橋渡しをうまくしてる本ってある?
>>636 これまでのそれに関するレスを全部無視して何を言ってるんだよ。
レス読まない人間には理解できないよ。
643 :
考える名無しさん :2008/04/14(月) 16:22:37 0
実際には読んだが分からなかった、ということだと思う。 「自分に分からない」からただちに「分かるように書けない奴が悪い」とか 「だから分かろうと努力する必要はない」という結論に飛びつくのは、 ゆとり教育世代の特徴らしい。
>>642 なら、おまえが分かってる範囲で説明できるか?それも万人が分かるように
645 :
考える名無しさん :2008/04/14(月) 16:55:30 0
だから、それはもう説明したよ。「万人が分かるように」ってのは無理だ。 読んで自分で考えて分かろうとしない奴にまで、これ以上説明する気には ならんな。ここを予備校か何かと勘違いしてるんじゃないか?
>だから、それはもう説明したよ で、どれが君のレスなの? というか、マヌケなのは君の方だろw
ここまで態度がでかいと教えて君でも見ていてすがすがしいな
態度でかいのは、適当なことを教えてるおまえのほうだろうがw 匿名でウェキペディーアーを批判してる時間あるなら、自分で書き直せよ。出来もしないくせにw
649 :
考える名無しさん :2008/04/14(月) 19:57:55 0
態度でかいか。そりゃ、ごめん。じゃあ、あれだ、何がどう分からないのか、 そこをはっきりさせてくれ。そうしたら、ピンポイントで説明するから。 ウェキペディーアーとやらに関しては、ここで引用があったから意見を言ったまでで、 私はほとんど興味がないので、書き直す気にはならんなあ。
>>608 P⇒QとP→Qの表記は、一応区別があるそうですけど何か「実用上の」差とか違いはあるんですか?
真理表を拒否するなら全く別もんだとおもうんですけど、そのあたりが説明されてないということなのかと
x*yとx+yは数学上では差があるようですけど、それぐらいの差じゃないでしょうか?
x*yってなに?掛け算? 下の方のP→Qの説明には真理表が出てくることは少ないけど、 真理表の拒否が本質とかそういうことでは無いと思う。 個人的にはGriceの語用論的な説明が一番説得力あると思うよ。 疑否条件を「ならば」の意味に含めるかどうかは別の問題。
652 :
考える名無しさん :2008/04/14(月) 23:23:24 0
⇒と→で、どっちを命題論理の実質含意の記号として使い、 どっちを含意関係を表すメタ言語の記号として使うかは本によって違うけど、 仮に⇒の方をメタ記号として使うとすれば、 たとえば、P→Q ⇒ 〜Q→〜Pは真で、P→Q ⇒ Q→Pは偽。 これにはP,Qが真/偽のときというような限定はつきません。 「P∨〜Pはトートロジー」が真ということに、 Pが真/偽のときという限定がつかないのと同じ。 非標準論理のシステムでは⇒に相当するものを 対象言語の論理記号として組み込もうとする場合がありますが、 その場合でも⇒は真理関数ではありません。
⇒の説明しかないけど、→の方はどうよ?
>>573 >どう違うんでしょうか?
>もしPが偽なら、Qは成り立つんでしょうか成り立たないんでしょうか?
>それと、もしPの真偽に関係なく、Qが偽なら、これは一体なんと説明されるのでしょうか?
モノの順序として、まず"(P→Q)"についていうと
これは《世界mでの事象として見たてられるP,Qについて、
m内ではQがPには欠かせないという見当を主張するための表現 》である。
事象Pがmで成っていないときには 事象Qのほうはmで成っているかもしれないし 成っていないかもしれない。
どちらにしろ(P→Q)じたいは mにおいて真として解釈される。
つぎに"P⇒Q"のほうはといえば、
こちらは《ある言明(または論理式)として見たてられるP,Qについて
QがPから引き出されうるという理解を述べるための表現》である。
P⇒Q は〈言明Pから言明Qへの導出可能性〉にほかならないので、
これを(P→Q)の形に置き換えて〈Pが真でQが偽〉と解釈するコトができない言明どうしの関係についてのみ
適正な表現となる。言い換えると、
P⇒Q が成りたつのは(P→Q)が恒真式(トートロジー)であるとき、かつそのときのみである。
クワインの『論理学の方法』では
「一言でいえば、含意関係とは条件法の妥当なることである.」と書かれている。
"In a word, implication is validity of conditional."
3つめの問いについては、
〈Pの真偽とは関係なしにQが偽である〉なら、それは唯に〈Qが偽である〉という事態に他ならない。
そういう事態の論理的表現としては "¬Q"がふさわしく、"(P→Q)"はふさわしくない。
655 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 01:36:04 0
>見当を主張するための 大学生ぐらいならこれで理解できるかもしれないが、一般人には意味不明だろう。 一般人でも大学を卒業して現場に入っちゃった人には、学者じゃないわけだし、 こういう抽象的な文章表現に興味ないしw たとえば、 >事象Pがmで成っていないとき ってのはm上のPは偽(P=偽)ってことなのか? とにかく、→ってのは、変項じゃなくて演算子であるってのが良く分かった。
656 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 01:37:43 0
>そういう事態の論理的表現としては "¬Q"がふさわしく、"(P→Q)"はふさわしくない。 →の方で、「Pならば、Qでないのだああ!!!」って書くなら妥当なわけか。 それなら、「Pならば、Qなのである!!!」なのに、Qが実は偽だったなら、 ふさわしいもなにも、この文は詭弁ってことじゃん。 サル程度の知能じゃ理解するのは無理だろw
657 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 01:49:30 0
>「一言でいえば、含意関係とは条件法の妥当なることである.」 P→¬Qなら、P⇒¬Qで、¬P∨¬Q、と変形できるけど、 P→Q (しかしQは偽又は真偽不明)なら、P⇒Qと変形できないってことだな。 このへんの取り扱いが、数学と哲学の差だろう。これだと、 →を演算子と見るなら、哲学の範囲で取り扱うものではなくなるのだろう。 →は、=の同一性の認知・認識と同じで、実用としては扱いにくいものだけど、 論理学で統一見解としてまとめるの頼むよw
658 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 02:15:18 0
>これは《世界mでの事象として見たてられるP,Qについて、 m内ではQがPには欠かせないという見当を主張するための表現 》である しかし、これ本当なのか? 数学上では(確か高校数学1A)、条件命題「P→Q」ってのは、 もし集合で表す事ができるなら、P⊆Q(やP⊂Q)だった。 欠かせないとしても、Qが成り立っていないなら、包含関係上Pが成り立つことはありえないんだけど。 >事象Pがmで成っていないときには 事象Qのほうはmで成っているかもしれないし 成っていないかもしれない。 さらに、→の解釈は少し抽象度が高くて複雑だけど、4パターンしかないから、紙に書いて説明して欲しいな。 一応持ってる数1Aの本では、記号は⇒なんだけど。 記号は似てるが、全然意味違うのに、大学生になってもごっちゃにしていて一体どういうこったよ。 このへんがバカってことなのかw
659 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 02:34:52 0
> P→¬Qなら、P⇒¬Qで、¬P∨¬Q、と変形できるけど、 > P→Q (しかしQは偽又は真偽不明)なら、P⇒Qと変形できないってことだな。 それは違いますがな。 命題論理で言えば、A⇒Bは「A→Bはトートロジー」ってこと。
660 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 02:39:31 0
> ⇒の説明しかないけど、→の方はどうよ? A→BっていうのはAが真でBが偽のときだけ偽になり、 それ以外はすべて真になる論理式で、 簡単に言えば、自然言語の条件文が推論の中で果たしている役割を 命題論理の中でシミュレートする論理式ですよ。
p→qは「pならばq」を意味する論理式で
p⇒qは「pが真ならばqが真、つまりp→qが真」ということ?
implicationはメタな関係や導出関係について使い、
conditionalは或るBoole演算の名称に使う、という使い分けってそんなに一般的なのかな。
「p→q」と「p→qが真」或いは「pからqが導出可能」の意義が違うこと自体はいうのはそうだろうけど
(まあ、そうじゃないという説もあるけどね)
>>655 普通デスクワークならそのくらいの抽象表現は使うだろ。
高校生ならよほど日本語が不自由な生徒でなけりゃ分かって良いレベル。
中学生に説明するのならさすがにまずいだろうけどね。
>>658 P(x)→Q(x)ならば集合としてP⊆Qとなる、
というのは確かに成り立つけど、→の定義じゃない。
>欠かせないとしても、Qが成り立っていないなら、包含関係上Pが成り立つことはありえないんだけど。
集合によってするのならQがなりたってないときは
P = Q = ØとなるからP⊆Qは別に問題ないだろ。
それとも高校の教科書に空集合は集合じゃありません、とか書いてあったか?
Qが成り立ってないと分かってるんだったら、ならばとか使わずに¬Qと言え、とQuineは言ってるんだろ。
>一応持ってる数1Aの本では、記号は⇒なんだけど。
>記号は似てるが、全然意味違うのに、大学生になってもごっちゃにしていて一体どういうこったよ。
>このへんがバカってことなのかw
高校の教科書がどんな記法を採用してるか、なんて話はしていない。
そもそも一番ごっちゃにしてるバカはお前だ。
663 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 08:44:01 0
> p⇒qは「pが真ならばqが真、つまりp→qが真」ということ? だから、違いますってば。それじゃほとんど違いがない。 命題論理で言えばA⇒Bは「A→Bが真」ではなく、 「A→Bがトートロジー」ということ。
664 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 10:47:42 0
ちょっと思うのは、質問者が命題論理の全体像を知らないまま、 →について知ろうとしているところに無理があるってことかな。 それで、「1/2と1/3を足してどうして2/5にならないのさ? 矛盾してるんじゃね?」みたいな思考を繰り返してんだと思うよ。
665 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 14:48:43 0
>>659-661 おいおい、
>>654 をちゃんと読めよ。でも、おまえには難しすぎるかもなw
心配なら英語のウェキでも読んでろ
>ならそのくらいの抽象表現は使うだろ。
おまえが書いたの読んでても分かるが、おまえ、バカだろ?
666 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 14:53:03 0
>>664 命題論理の全体像を知らなくても、「ならば」は日常でも普通に使う。
論理学を全く知らなくても、論文でも「ならば」は普通に使う。
矛盾してんのはお前w
667 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 14:58:33 0
>>663 >「A→Bがトートロジー」ということ。
トートロジーでないことをトートロジーというのはどういうこと?
A→Aならトートロジーだけどね。
>>664 →ってのは論理学で明確な定義や公理があるわけじゃないから、
全体像を知ってるからといって理解できるもんじゃない。君が矛盾してるw
669 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 15:02:47 0
>>668 >→ってのは論理学で明確な定義や公理があるわけじゃないから、
そんなことはない。「→」は2項論理演算記号としてきちんと定義
されている。「→」の真理値表がその定義となる。
670 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 15:08:48 0
>P = Q = OとなるからP⊆Qは別に問題ないだろ そりゃそうだ。ここでいいたいのは、 P→Qってのについて、演算子「→」を集合で捉えながら思考して良いのかってこと。 「⇒」については集合で捉えても別に問題ない。 >Qが成り立ってないと分かってるんだったら、ならばとか使わずに¬Qと言え、 とQuineは言ってるんだろ べつに、いいじゃん。普通に文章を書いてると、そういう文になることもあるし、 単にクアインの都合だろ。¬Qといえない大人の事情ってのがあるんだよ。 微妙なところを議論してるがイマイチ分かってないようだねw
>>669 おまえ、さては分かってないな?黙ってた方がいいぞ
672 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 15:23:03 0
>>654 はホントしっかり書いてあるよ。隙がない。
まあ、ワザといってみれば、
> P⇒Q が成りたつのは(P→Q)が恒真式(トートロジー)であるとき、
かつそのときのみである。
の意見を認めるなら、P⇒Qは、P→Qと(完全には)変換できない
てあんたは主張していることになる。
P→Qを、P⇒Qに変換するのはどうよ?可能か?
>>663 ああ、p→qが真、は「恒真」と書かないとまずいな。
要するにモデルに依存的ではいけない、ということが大事だと強調したいのか。
モデルに依存する「真」は正しいとか真理というイメージが薄いもんだからうっかりしてた。
メタなレベルの導出関係であると言うのはまあ間違いであるとまでは言えないんだよね。
なるほど。
だとすると必然性の解釈によっては□(p→q)と言うのも間違いじゃないね。
>>667 [∀xC(x) ∨ ∀xD(x)] → [∀x C(x)∨D(x)]
とかのことを言ってるんでしょ、たぶん。これは恒真。
>>670 >集合で捉えながら思考して良いのかってこと。
>誰も集合で捉えながら思考してよいとか
>>658 にはそういうことは全く書いてないが。
というか寧ろ集合を安易に持ち出してるのは658(とja.wikipediaの記事のアホな作成者)だけ。
>「⇒」については集合で捉えても別に問題ない。
自由変数を持たない閉じた文のときはどうするんだ?
数学では条件命題は集合の包含関係で表せるとか、
Qが成り立ってない場合には問題があるとか
数 I A の本では記号は⇒だとか、ズレたことばかり書いてるのは658だよ。
>>654 の記述はかなりきちんと書いてあると思う。
>>658 は微妙なところも微妙でないところもほとんど何も分かっていない感じだけど。
>誰も集合で捉えながら思考してよいとか ごめんこれ削除ね
>>674 てか、おまえウザイよ。黙っててくれないか?
メタとかモデルとかレベルとか、分かってないくせに安易にカタカナ使うなよ。
おまえはうっかり者だもんなw
まあ、おまえは2CHレベルのバカってところかww
>>674 ja.wikipediaの記事のアホな作成者が
>>654 や
>>658 だったら、どうするわけ?
おまえは横から口出すなよ。おまえは知ったかぶりだしウザイから。
>>676 メタ言語と対象言語を区別するのはごく普通だけど。
メタは日本語に訳すなら「超」だけど、普通は超言語なんて言わない。
メタ言語とカタカナで書くほうが普通で別に特殊な用語でもなんでもない。
単に676が述語論理の意味論について知らないだけじゃないのか?
まあこの場合メタというより意味論的と言うべきかも知れないけどね。
モデルってのは
>>654 の「解釈」とほとんど同じだよ。
676がカタカナが嫌いなんて事情は知ったことじゃない。
モデルという言葉がまずいなら「解釈」にも突っ込まないといけないんじゃないのか?
>>677 >>654 であることは無いと思う。Wikipediaの記事より
>>654 のほうがよほどマトモな内容。
>>658 だったらまあありそうなことだな、と思うだけ。
誰が書いたにせよWikipediaの記事が非常にまずいのは変わらない。
何を根拠に人を知ったかぶりだとか分かってないとか言うんだ?
人のレスを批判するんだったらもっと具体的に指摘したらどうだ?
たとえばこんな感じで。
>>658 の高校の教科書で⇒が使われているからと言って
>>654 を似ている記号を混同したバカ呼ばわりしているが、
これは
>>658 が知ったかぶっているだけで、
有名な論理学者のQuineはは
>>654 に述べられるような区別を実際に認めている
人をバカバカ言うが、客観的に見てお前がこのスレで一番バカに見えるぞ。
680 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 20:29:50 0
> →ってのは論理学で明確な定義や公理があるわけじゃないから、 > 全体像を知ってるからといって理解できるもんじゃない。 真理条件の定義もあるし、公理もあるだろが。何をいってんだか・・・。 > 命題論理の全体像を知らなくても、「ならば」は日常でも普通に使う。 > 論理学を全く知らなくても、論文でも「ならば」は普通に使う。 命題論理の→は自然言語の条件文の「ならば」と同義じゃないよ。 自然言語の「ならば」が推論の中で果たす役割の一部を 命題論理の中でシミュレートしているだけ。 それは、命題論理全体を理解して、推論の中での→の機能を 見なければ分からないことだよ。
681 :
考える名無しさん :2008/04/15(火) 20:31:29 0
サルみたいな奴は一匹だけなのか? そろそろ放置でいいような気もしてきたが。
(p∀q)
俺だけ分かってれば俺は良いのさ
論理の圏論的意味論を知らんようだなw
685 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 01:55:02 0
686 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 01:59:46 0
→ってのは真理条件の定義もあるし、公理もあるのか。 →ってのは真理表を拒否した説明がなされるはずだが、クダクダいうよりも示してもらえないか? というか、君の文章は矛盾してんだけどw
>>681 サルなのかバカなのか悩むレベルだな。たぶんサルの方だと思うがw
688 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 02:57:40 0
得意げに論理学している大学生がいるスレはここですか?
689 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 03:35:19 0
分析哲学厨うぜー
691 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 06:52:01 0
693 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 08:42:16 0
> →ってのは真理表を拒否した説明がなされるはずだが どういうこと?
>>693 条件法論理とか確率論的意味論とかグライスの語用論のことじゃないのか。
695 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 09:06:53 0
論理学っていらなくね? 論理的誤謬を避けるために基礎的なもの習ってれば哲学できるじゃん。 何のためにやってるの?
論理学は哲学の王者、だと思うな。 でも論理学の最先端での議論は僕には完璧といって良いほど見えてないのだから、 論理学はもっとも厳密で、美しい学問です、 というのは他人の話から織り上げられた、 文化的な?ひとつの願望に過ぎないんだろうな。 以上、中卒の感想でした。
→と⇒の違いを説明する場合、少なくとも片方は pとqの正否で4通りに分けて、この場合には成り立つ、 この場合には成り立たないってタイプでないような説明になるかな。 しかし→と⇒のどっちが実質含意なのか、ってのも →だって言ってる人も居れば⇒だって言ってる人もいるね。 英語版見ると、→が純粋に構文論的記号で、真理表によって 実質条件法の真理表と関連したブール演算をあらわすとか言ってるから、こっちだろうね。 「ならば」には断言的なものと予想的なものの区別がある、実質含意は前者か後者か? って言われたってこれだけじゃ答えようが無いと思うけど。
↑おまえ、なんかウザイんだよ。 →と⇒どっちが含意なのか初めに宣言しろよ。 それで解決だろ。 答えようがないとかじゃなくて、おまえが記号にこだわりすぎてるだけw
>>697 君は、いくら論理学を勉強してもバカのまま進歩はないだろう。まあ、サルと言われないだけましか。
いや⇒がimplication(含意)で→がconditional(条件法)という
使い分け方してなかったっけ?
ただ実質含意って言ったら→のほうだけどね。
Wikipediaの日本語版は英語版を参照して書かれたっぽいけど、
英語版の著者はどうも→を実質含意の意味で使ってるっぽいんだよね。
実質条件法と実質含意という二つの言葉で違う使い方はしないよね。たぶん。
>>698 Wikipediaの記事に書いてあるのはどういうことですか?という質問が発端なのは理解してるか?
俺は⇒を→をそれぞれこういう意味に使う、とか宣言したって意味無いだろ。
701 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 19:10:31 0
↑おまえはうるさい。もう黙っててくれないか?
702 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 19:28:19 0
バカが調子に乗るとこうなるwサルとあまり差はないようだがww
703 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 20:57:10 0
>>697 も
>>700 も、どこもおかしくないし、
親切に説明してくれてると思うながあ。
>>698 >>699 >>701 >>702 は同一人(同一猿)なんだろうけど、
こうなるともう自分に理解できない論理学を
ふつう理解している奴がいるってこと自体が認めたくなくて、
必死なんだろうね。みっともないね。w
704 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 20:58:26 0
「自体が」っていうより「自体を」だったな。
>>703 おまえには友達いないだろ?
誰が見てもうざいんだけど、いいかげん消えてくれないか?
707 :
考える名無しさん :2008/04/16(水) 23:40:36 0
>>705 ふんぶん、じゃ、そのお友だちと遊んでたらいいんじゃね。
ここではもう君一人だけ、浮いてるよ、お猿さん。
一人だけとか適当なことほざいてないで、少しは解答するのに貢献してやったらどうだ?
709 :
ピー :2008/04/17(木) 04:13:23 0
やあ!こんにちは、哲学者気取りの愚かな皆さん! バカバカしい哲学者ごっこを楽しんでおられますね。あなた達の哲学は糞です。哲学オタクの皆さん! あなた達がいくらニーチェを語っても、ニーチェにはなれないのです。遠く及びませんよ。人間が違います。 そのような偉大な哲人たちを理解したような気になってそれを物か商品のように簡単に扱ってはいけません。
710 :
ピー :2008/04/17(木) 04:22:07 0
難しい本を読んだからといって頭が良くなるわけじゃあありませんよ! インテリと頭が良いとは明らかに別なものです。知識を無理やり詰め込んだ皆さん、あなた達の思想は腐っています。 難しい書物が「頭の悪さ」をカバーしてくれるわけではありません。 頭の悪い人が哲学書なんて読んだら頭でっかちになるだけですからね。 難しい本を読んで、「内容を消化できていない」だけ、自分の頭の悪いことを露呈してしまいますからね。 もっと小学生でも理解できる本を読んで頭を柔らかくしていただいたらどうでしょうか。 哲学の本とか難しい本を読むと自分が天才だと勘違いしてしまうから恐ろしい。 神にでもなったつもりなのでしょうか。 みんなの知らないことを知っているから優越感を味わえるためか、 それを自分が頭がいいと勘違いしてしまうのでしょうか。
711 :
ピー :2008/04/17(木) 04:22:55 0
ここに書き込む人は、「自分は頭が良い」という目線で哲学っぽい事を語っておられます。 愚かですね!「自分の思想が正しい」と思い込んで語っていてそれがくだらない。 「哲学」と「頭のよくない人」が結びついたときに、それはとても愚かで暴力的なものになるのです。 「哲学」という素晴らしいものに、上辺だけの間違った解釈が乗っかれば、それほど酷い物はありません! 理解したつもりになってはいけません! 難しい言葉を並べただけの魂がこもっていない文章なんてのは「哲学」ではありませんよ。そこには思考がありませんから。 魂がこもってないんです。 頭脳明晰であれば分かりやすく簡潔にシンプルに自分の考えを述べられますから。 だから難しい言葉を使いすぎているのは、自惚れているっていうのもあるんです。
712 :
ピー :2008/04/17(木) 04:24:19 0
このページでは「自分はこれだけ哲学を知っている」とを自慢して、相手を貶しているだけです。 哲学をそのまま暗記して「いかに自分がインテリか」ってのを発表する無意味な「発表会」みたいなものです。 盲目的な「インテリオタク」がインテリを競っているだけです。 あなた達は哲学者を信仰しているだけです。 自分の事だけ語ってよいしれて、もし自分の考えが否定されれば暴力的な感情をあらわにする。 それはまるで、オカルト宗教に溺れた人たちが、自分の宗教を否定されたためにヒステリーを起こすのに似ています。 すぐ感情的になり他人の思想を批判する。 感情的になること事態が、自分の弱点をつかれたというのを露呈しているので愚かです。 感情的になり、暴言などを使うなんて、その人のはその程度の人間ってことですから。 このような状況で真理が見出せるでしょうかね? 「全体」で考えていないで「自分」という狭い領域で考えているから、あなた達の哲学は薄っぺらくて狭いのです。 魂が宿っていないので、教科書をそのまま言っているだけって感じがします。
713 :
ピー :2008/04/17(木) 04:25:14 0
哲学かぶれの皆さん!まず「ニーチェ」とか言う以前に、自分の考えを持ってはいかがでしょうか。 哲学オタクの皆さん!自分はインテリだと思っている皆さん! まず「哲学の本」から自立してはいかがでしょうか? 「哲学の本」にしがみついていては自分が見えなくなるだけですよ! しかし皆さんの哲学はインドア過ぎますね。オナニーです。 こんな簡単で無責任でリスクの少ない場所で自分の知っている哲学を自慢してるんじゃなくて、 もっと皆さんの考えを駅の前とかで演説したり、本などを執筆してはいかがでしょうか? 行動的になるべきです。でないと意味を持ってきませんよ。 (いや、あまりにも皆さんが、「自分は頭が良い」「自分は正しい」目線で話すので、お勧めしただけです。) 自分の立場でしか話さない人間は馬鹿な証拠です。自分が信じているものを否定されるのが怖いんです。 本当に賢ければ、相手の立場にもなり、感情に流されず冷静に自分が思っている事をそのまま話すことができるでしょう。
714 :
ピー :2008/04/17(木) 04:26:08 0
まず、皆さんは「哲学」とか「学問」とかそういった知識を頭に詰め込むよりも、 もっと社会で実際に体を使った「経験」が必要なのかもしれませんね。 あと、皆様には「友達」が必要なのではないでしょうか? 柔軟性や器の広さも必要です。 哲学は社会に還元しないといけないのです。独りよがりの哲学者達! 果たしてあなた達は、自分の哲学を生活で実現できているでしょうか? このような「オナニー発表会」みたいなところで自慢するだけの哲学なんてクソです。 それは自分の「欲」から出たもので、社会のためでもなんでもありません。
715 :
ピー :2008/04/17(木) 04:26:50 0
哲学書には危険な作用があり、完璧に理解したような気になって、自分が選ばれた人間だと思っていらっしゃるが、 あなた達はただの社会に溶け込めない凡庸です。残念ながら自分が思っているよりも普通の凡人です。 あなた達はその危険な作用にとり憑かれて、ヒステリーを起こしておられる。 自分が天才か何かと信じていたでしょう?残念です。 いっそのこと、あなた達自身を盲目にする「哲学」を捨てた方がよろしいのではないでしょうか。 自惚れた哲学者気取りのあなた達! (ここに書いておられる全ての方に言っているのではないのですが、) 偉そうに語っているあなた達は、行動するか、自分が独りよがりだと認めるか、どちらかにしてください。 もしそうでないのなら、僕の書いた事を読んでもなんとも思わないはずですから。 オナニーならオナニーで良いのです。皆さんそれぞれの考え方があるのですから。 ただ相手の意見を無視して、自分の正当性だけをお押し付けるのは盲目的でダサいです。 もっと自分を疑ったらどうでしょうか? 言っておきますが、あなた達は決して「天才」ではありませんよ! もし、あなた達に「天才」という妄想があって、社会に出て行く事の妨げとなるならば、 むしろあなた達は病気です。
716 :
ピー :2008/04/17(木) 04:27:35 0
「ますます深化する情報化社会において、知識の価値は急速に陳腐化してゆく」と、どこかの本にありましたが あなた達がそうです。 哲学依存症のあなた達はまず身近な現実を見なければなりません。
717 :
誰かレスしろよ :2008/04/17(木) 05:55:55 0
695 考える名無しさん 2008/04/16(水) 09:06:53 0 論理学っていらなくね? 論理的誤謬を避けるために基礎的なもの習ってれば哲学できるじゃん。 何のためにやってるの?
718 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 05:57:37 0
>>714 学問というのは、社会に還元することが目的じゃないぜ。実用主義は浅薄すぎるなW
まあ社会に役立つしか能のない連中もいるが。
論理学は哲学でないことは確かだ。
すごいのがいついちゃったなw
クリシンのスレってある?
722 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 10:18:31 0
>>720 この季節は、空想上の相手と対話したり批判したりするこういう人が増えるものです。
電車の中とかでも、見かけるでしょ?
723 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 12:45:12 0
論理学を対象とした哲学が論理哲学だね。 ウィトゲンシュタインやラッセルの哲学が有名だろ。
タイプ理論なんかもそうなんだろ?
725 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 13:15:04 0
>>721 「クリシンって誰だ?」と思って検索したんだが・・・。
ひょっとしてそれ、クリティカル・シンキンングの省略か?
この手の省略って、何か品がない感じがして嫌だが、
スレとしてはここでいいんじゃないだろうか。
命題論理のFAQが延々と続くより面白そうじゃないか。
クリティカルシンキングって哲学なの?
このスレで扱いたいなら、哲学の話よりも論理学、それも形式論理でおねがい。 質問されても意味分かんなくて答えようがないから。
728 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 19:49:02 0
数学科で一番出来の悪いのがやってるのが論理学だよ。
730 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 20:02:48 0
光司の時は協会をあげた片ヤオ。本人は知らない。磐石の寄りとか言っていたが ヤオが一番やりやすいのが、ああいう相撲。 光司がガチで最強だったという幻想を保持するのは徒労です。
Koji Kitao said that cogito ergo sumo.
732 :
考える名無しさん :2008/04/18(金) 07:26:06 0
P→Qを4パターン程度にして「成り立つ」とかで解釈してもらえませんか?
Pは一応、事象Pでしたよねw
P⇒Qについては、集合の解釈でも真理表で問題ないです。
P→Qは、P⊆Qと変形しても、P=1、Q=0のときP⊆Q包含関係はありえない(成り立たない)
のでP⊆Qには変形できないってことですね。
それと、これも気になるし頼みます。
672 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2008/04/15(火) 15:23:03 0
>>654 はホントしっかり書いてあるよ。隙がない。
まあ、ワザといってみれば、
> P⇒Q が成りたつのは(P→Q)が恒真式(トートロジー)であるとき、
かつそのときのみである。
の意見を認めるなら、P⇒Qは、P→Qと(完全には)変換できない
てあんたは主張していることになる。
P→Qを、P⇒Qに変換するのはどうよ?可能か?
733 :
考える名無しさん :2008/04/18(金) 08:31:46 0
>>732 P⇒Qは
P→Q、P⇒Q
の省略表現という事ですか?
P→Qはいずれにしろ恒真式(トートロジー)ではない。
恒真式ならP,Qの真偽に関わりなくP→Qが真でなければならない。
734 :
考える名無しさん :2008/04/18(金) 09:26:35 0
「P⇒Q が成りたつのは(P→Q)が恒真式(トートロジー)であるとき」 って言ってるんだったら、ここではP,Qが、任意の論理式を表す メタレベルの変数として使われているんだな、ぐらいのことは コンテクストから読み取れよ。
>>732 そうじゃなくて真理表とかで解釈できるのは⇒じゃなくて→のほう。
P→QはPが偽のときは真。Pが真でQが真のときも真。Pが真でQが偽のときだけ偽。
P⇒Qは「P→Qは恒真式である」って意味なんだから、
P⇒Qが正しいならP→Qが正しいことは言えるけど、
P→Qが正しくてもP⇒Qは言えない。
「現在の日本の首相は小沢一郎である→πは有理数である」
は真だけど、現在の日本の首相が小沢一郎であると仮定しても、
これから論理的にπが無理数であることは出てこない。
736 :
考える名無しさん :2008/04/18(金) 13:25:48 0
>>735 >これから論理的にπが無理数であることは出てこない。
論理的には「πは有理数である」という変な結論が真となるね。
>「現在の日本の首相は小沢一郎である→πは有理数である」
>は真だけど
常識的にはこれが間違いじゃないのか?
誤:論理的にπが無理数であることは出てこない。 正:論理的にπが有理数であることは出てこない。 P→Qはnot P∨Qと同値なので 「現在の日本の首相は小沢一郎である→πは有理数である」 は 「現在の日本の首相は小沢一郎でないか、πは有理数であるかのいずれかである」 と同値。これは真。
>「現在の日本の首相は小沢一郎である→πは有理数である」 >は真だけど >常識的にはこれが間違いじゃないのか? 古典論理では真 条件法論理では偽 関連論理では偽 やっぱ自然な条件法の論理は後者のふたつだな。
古典論理では真 条件法論理では偽 関連論理では偽 なんで下2つは偽になるか(偽としておくのか)を簡単に説明する事なんじゃないのか?
>>739 条件法論理では前件が真である世界で後件を評価するが、
この場合、前件が真である世界は現実世界からわりと近く
にあるけど、そこで後件は成り立たない(というか、あらゆる
世界で成り立たない)から、全体としては「偽」。
関連論理ではおよそ「P→Q」の形をしたあらゆるもの(P→P
は除く)が偽だから、全体としては「偽」。よってたとえ、Qがト
ートロジーでも成り立たない(ここが条件法論理と異なる)。
要は、Pを「使って」、Qを導いてないから偽となる。
741 :
考える名無しさん :2008/04/18(金) 19:25:41 0
>>737 >正:論理的にπが有理数であることは出てこない。
これも間違いだろ。古典論理としては「論理的にπが有理数である」が
結論として正しいとなる。実際に数学的には偽の命題だね。
πは有理数ではない。
有理数とは整数の比としてあらわされる数だから。
742 :
考える名無しさん :2008/04/18(金) 19:37:09 0
> やっぱ自然な条件法の論理は後者のふたつだな。 自然言語の条件法にはさまざまの側面があり、それらの形式体系の 条件法はそのうちの一つの側面を捉えたものと理解すべきだと思う。
一つの側面を捉えたものと書いてあるようだが、意味を読み取れなかったのか?
744 :
考える名無しさん :2008/04/18(金) 21:02:49 0
>>743 何が言いたいのか分からん。
君をみて国語力の低下云々という書き込みを思い出したよ。
国語力の低下ってどこに書いてあんの?
746 :
考える名無しさん :2008/04/18(金) 23:30:22 0
何か方々の板に、ゆとり教育の結果、国語力が低下して・・・・・・っていう 書き込みがあったの、見なかった?
>>746 このスレの論理学と関係ないし、何が言いたいのか分からん。
748 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 00:26:13 0
・・・・・・もういいw
749 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 00:30:16 0
/::::i::::、:::ヽ、:::::\:ヽ:\::::::ヽ:::、::ヽ::、:', /::i|::l::ト、ヽ::、:::ヽ:、::::::\::ヽ::::l::::ヽ::i:::i:::! /:/:!:::!:|::ヽ:\ヽ::::、:\::::ヽ:::ヽ!::::::i::|:::!::! !ハ::|::::i::l:|心、:ヽ::\:ヽ_\、\:::ヽ:::|!::|:|i i、:!:|:、N{、ヒjヽゝ\ヾイ ヒj >、ヽi:、|!:|:l ヽ:!::トヽ ̄ l! ` ` ̄´ |::l::|:|j:,!:! なんじゃこりゃ…ひどすぎる… ト、::! u j |::/lj:::!リ ヾ、 丶 - u リイ:|リ 哲学的教養も素養も持たない無知ばっかりですね… リヽ ‐、ー- 、_ /イ:::i rー'"ト:l゙、  ̄ ./ , |::! / ヘ ヾ ヽ、 _,. ' / |:' kagami (1977 - )
750 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 00:34:01 0
....,,xx,,,,,,... ,,x・''" ヽ,, r・”`・x,,. ./l!f''"´ ''”`"!!llxz,, fl|!”,rエエ,z x・'~'ヽ、zエエz ヽ / /'~.,,~ .f ,p r@ .}ヽx,,,‘''x \ // {/"~ `ヽ, . } { ,vwW f~~~`''・x\Ww,, } .{ XWWレ”'ー---x''”>トWWxx { に〜 .[ WW/ `''ー--w-ー'' そWWx. } ( }x vWW, ネXWWv } { ]X xXWfWwv vw zwWwWWXXwx.] .>}Wx xXWWlll|||||lllllW||||||lllllWWWlllw.} .し[!!XxXXWWW|||||||||||||||||||||||||||Wwf ヽXXWW}}}|||||||||||||||||||||||||||WW!!{
751 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 00:35:17 0
:.:.:ノ:.i:.:l:.:.:l::.:.:.:ノ:.:.:.:/:.:./:.:.:..:../:.:./:ノヾ ヽ:.l: |:.:lヾ|:i .:..::丿:.:i.:.:.:.l:.:/:.:.:.:.:./:/:.:.:.:/:.:.:./:.l:/./ ヽ !:|: /:ノ :.l:.ハ:.:l:.:,−-、i/.:/.l:.:.:/:.:.:.i:.:ノ゛:. ヽ, :l:.i:.|:.:.l´/ゝ-//:.:.i:.:.i:.:./:.. ,,;:;;:;,,.. ,.,.:; :i:.:.:i:.:.:| ( ⌒1 ヽ:.|:.i:." __、.:"' _ニィ ヽ:|:.:i:l.ヽ、ヾ〈: .:l:|:.:l:.  ̄`‐""ノ.:' ( "´ノ .:ヾ:i:.:.l:. ヽ_ " :. '"´´,' ヽ"l ゝヾヾ ::.. :.. , ' 〉ノ /:l:." :. /` - 、_ノ ::::ヽ、 :.. /:,_=--"-/ ::::::::\ ::.. /:.(エl┼┼"´ サン!泣くぞテメ! ::::::::::::::ヽ " ヽニ二) :::::::::::::::::::\:... ´":j ::::::::::::::::::::::::::\ ..::::.....:.. ` .:..、_:ノ:.ヽ ::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ、""´/ー'"::::::::::::::::::::::\
752 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 00:47:31 0
またまたサルが集まってきましたw
>>553 はダメットのtruth & other enigmasが元ネタだね
>>732-749 いぶかしまれている“意見”は、つぎの“宣言”と同工異曲である:
凵ヒΕ =Df. TAUT [(凵ィΕ)]
砕いて言えば、
〈 P⇒Qが成りたつコト〉は〈 TAUT [(P→Q)] が裏づけられるコト〉であり、
〈 TAUT [(P→Q)] が裏づけられるコト〉が〈 P⇒Qが成りたつコト〉である。
例えば、
>>654 で書かれている条件法的言明
>〈Pの真偽とは関係なしにQが偽である〉なら、それは唯に〈Qが偽である〉という事態に他ならない。
は (((p∨¬p)∧¬q)→¬q) という条件式に対応させられる。
そして、 TAUT [(((p∨¬p)∧¬q)→¬q)] という見込みは 真理表や反証図で裏づけられるので、
上記の宣言により、((p∨¬p)∧¬q)⇒¬q への書き換えが許される。
ゆえに、
〈Pの真偽とは関係なしにQが偽である〉は〈Qが偽である〉を含意する。
さらに、つぎの宣言
Εは凾ゥらの妥当的な帰結である=Df. 凵ヒΕ
によって
〈Qが偽である〉は〈Pの真偽とは関係なしにQが偽である〉からの妥当的な帰結である
とも言い換えられる。
片や、
>>735 で書かれている条件法的言明
>「現在の日本の首相は小沢一郎である→πは有理数である」
は真理関数的には真となるけれども、
〈πは有理数ではない〉という数的世界での事象が
〈現在の日本の首相は小沢一郎である〉という日本国の政治的世界での現時点における空事象から
妥当的に帰結されえない事象であるのは それらの事象の性質からして明らかであるので、
〈現在の日本の首相は小沢一郎である〉⇒〈πは有理数である〉 と書き換えるコトは許されない。
この例のように
〈世界m内で生じえる事象どうしの関連性の有無についての直観に逆らって記される条件法的表現〉は
そもそも〈世界m内の事象についての論理的な表現(≒ 世界mについての科学的な表現)〉に属さない。
755 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 10:45:17 0
仮定法の条件文「仮に小沢が日本の首相だったとしたら、πは有理数だっただろう」は何を意味するか・・・・・・ これは「小沢は日本の首相になることは決してあり得ない」という意味なのである。w
756 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 10:52:28 0
....,,xx,,,,,,... ,,x・''" ヽ,, r・”`・x,,. ./l!f''"´ ''”`"!!llxz,, fl|!”,rエエ,z x・'~'ヽ、zエエz ヽ / /'~.,,~ .f ,p r@ .}ヽx,,,‘''x \ // {/"~ `ヽ, . } { ,vwW f~~~`''・x\Ww,, } .{ XWWレ”'ー---x''”>トWWxx { また朝ナマかテメ .[ WW/ `''ー--w-ー'' そWWx. } ( }x vWW, ネXWWv } { ]X xXWfWwv vw zwWwWWXXwx.] .>}Wx xXWWlll|||||lllllW||||||lllllWWWlllw.} .し[!!XxXXWWW|||||||||||||||||||||||||||Wwf ヽXXWW}}}|||||||||||||||||||||||||||WW!!{
Wikipediaを近々書き直そうと思うけど、Wikipediaの記述だけからじゃ、 (英語版まで参照しても) ⇒は非真理関数的条件法であることが言えるだけで P⇒Qとは「P→Qは恒真」のことだ、とは言えないよね?
759 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 20:08:53 0
>〈 P⇒Qが成りたつコト〉は〈 TAUT [(P→Q)] が裏づけられるコト〉であり、 〈 TAUT [(P→Q)] が裏づけられるコト〉が〈 P⇒Qが成りたつコト〉である。 下は定義でしかないから、下から⇒はいえないな(導出できない)。 「は」「が」で微妙な差を込めたいみたいだけど、上下とも「は」にしても「が」にしても 文は通じるから、同じことを言ってるだけだろう。 つまり、君は難しそうに書いてあるが分かってないw
760 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 20:44:17 0
>妥当的に帰結されえない事象であるのは それらの事象の性質からして明らかであるので、 〈現在の日本の首相は小沢一郎である〉⇒〈πは有理数である〉 と書き換えるコトは許されない。 とすれば、πは有理数である、が真となる数学公理上 (たとえば近似値としてπを22/7とするなど)だとQは真になりますが、 あなたのこの言明は妥当なんですか? P真偽不明 → Q真、ですよ? あと、誰が許して、誰が許さないんでしょうか。
P→Qの→は、Q=1を出すため導出のときもあるけど、 日常では推理・推論(Q=1であろうとの予測や期待)として使うんじゃない? 論理学云々よりも。 普通に定義するなら、学者のオナニーよりも日常でよく使うのに合わせるべきでしょ。 混乱するよ。
762 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 21:16:40 0
論理記号としての「→」と「⇒」ならそれを定義して使うだけの 問題じゃないか。何か論理記号そのものに決まった意味や定義があるように 扱われていることがおかしいのだろう。
で、おまえならどう定義するわけ?その議論をしてるようだけど。
>何か論理記号そのものに決まった意味や定義があるように扱われている
そういうふうに扱ってる人は居ないと思うけど。
あくまで皆
>>573 とかを前提に⇒と→を説明している。
>>573 に⇒は→とは違い、⇒はこうで→はこうだ、
と書いてあるんだから、その区別にそって違いを説明しないといけない。
だから⇒と→に何でも自由な意味や定義を割り当てて良いわけじゃない。
いわく⇒が「断言」的で→が「予想」的なんだそうだ。
765 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 21:40:49 0
おまえ、知能低いなw ⇒と→が別であると定義しているなら、⇒と→は同じような曖昧な説明にならないから、 どっちのことを説明してるのかすぐ分かるもんだ。バカには当然無理だろうがなw
ちなみに、オレのIQは130超えてる(笑) おまえがサルにしか見えないんだけどw
>>759 たとえば「百獣の王」という言葉を定義したいとき、
ライオンは「百獣の王」である、と言っただけじゃ、
ライオン以外のトラやチーターもまた百獣の王である、という可能性を排除できないから
「百獣の王」はライオンであり、またライオンが「百獣の王」なのである、と言わないといけない。
同じことでしょ。
>>761 日常でよく使う条件法にちかい「ならば」を定義しよう、ってのも論理学だし
論理学者がよく議論することの一部だけどね。
768 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 23:12:27 0
ホント笑えるな。おまえはw 「百獣の王」という言葉を定義しとき、トラやチーターは百獣の王でない。 つまり、ここでいう定義するとは、可能性を排除することにほかならない。 そういう当たり前の事も了解しないで論理学なんかやるな。数学以前の問題w おまえみたいなおバカはくだらないたわごと言うだろうから、 ヒントでも言っておくけど、百獣の王とはライオンのあだ名の ことであり、トラやチーターのあだ名ではない。おまえ、死ねよ。
769 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 23:13:40 0
>論理学者がよく議論することの一部だけどね なら、すこしは答え出てるんだろ? おまえなら→を説明できんのか?偉そうにいってるけど⇒との違いとか知らないだろw ていうか、このすれは思ってたとおり知能低いのしかいないなw
770 :
考える名無しさん :2008/04/19(土) 23:25:45 0
>>767 みたいのは周りによくいるけど、お勉強だけはできるバカってとこでしょw
学歴とか知識とか学者レベルなのに、全くトンチンカンな人っているでしょ。
あれと同じよね。学者とかならトンデモとか言われちゃうけどw
771 :
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ :2008/04/19(土) 23:39:02 0
負け犬
↑なんだこいつw ついにサルになっちまったか?
773 :
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ :2008/04/20(日) 00:05:40 0
さっきも言ったけど、僕はこれから理解されなくても良いから、 自分が正しいと思ったことをしゃべっていく。 知的ルサウンチマンに苛まれている不貞腐れたバカボンパパみたいなルックスの 初老リーマンがショーツの構造上、アナルや性器に食い込むようにできているから、しょうがないよ。 かわりにぶかぶかのトランクスをはくわけにもいかないしね。 貴乃花【ステロイド抜けたらガリガリで横チンを公共電波に晒したり 土俵に力水はいたり尻の穴ほじくった手でツッパリして相手をひるませたり 自分で隠し持っていた山響株を兄が盗んだと騒いだりする】より 【子供たちとの草サッカー】の方が力士としての品格に欠け極悪である とされてしまうのが日本という国家なんですよ。 女性は尿道が短いからプチ失禁もよくあること。 いちいち騒ぐ人間が存在するという事実が切な過ぎるよね。 もう一度言っとくけど、僕はこれから理解されなくても良いから、 自分が正しいと思ったことをしゃべっていく。
774 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 06:57:28 0
>[∀xC(x) ∨ ∀xD(x)] → [∀x C(x)∨D(x)] なんとなく、「白馬は馬ではない」を思い出した。
スレタイが悪い。 バカしか集まらなくなってしまった。
>>768 定義する以上は他の可能性を排除しないといけない、というのも
トラやチーターは百獣の王ではない、というのも他ならぬ
>>767 自身が言っていることだろ。
読解力の無い奴だな。なんでそれを恰も自分の意見みたいに鬼の首を取ったかのように話すんだか。
「百獣の王」を定義する場合、というのは
xがライオンである→xは「百獣の王」である
と言う「条件法の文」を導入しただけではダメで
xが「百獣の王」である→xはライオンである
という文も同時に導入しないといけない。
何も問題ないだろ。
>>754 は定義の文を、定義であるという文脈上に無い
「ただの条件法の文」に砕いて言ったから二文必要になってる、というだけだろ。
某一名ほどを皆でスルーすることにすれば何も問題は無いんだけどね
778 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 08:19:08 0
>何も問題ないだろ 百獣の王と、ライオン、トラ、チーターはどんな関連があるんだ? おまえの論理なら、小沢一郎は百獣の王である。でもいいじゃん。 てか、おまえアホだろw
779 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 08:22:05 0
>>776-777 は、なにを言いたいのか、意味不明だよ。
せっかくだからウェキで勉強しろよなwてか、もう戻ってくんなww
780 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 08:30:25 0
>>775 >スレタイが悪い。
いや、バカでも分かるように説明することは
バカではできない。
>>778 「百獣の王」が一般にライオンを意味する言葉として使われてるのは知ってるよ。
>>767 からそう読みとれないのか?バカじゃないの?
「何も問題ない」ってのは
>>754 が
「P⇒QとはP→Qが恒真であることであり、P→Qが恒真であるとはP⇒Qであるということである」
と二回文を繰り返してるのは、これが全体として定義となっているから、
こう主張することに何も問題ないと言っている。
その点に対して
>>759 が文句付けてるようだったからね。
>下は定義でしかないから、下から⇒はいえないな(導出できない)。
が何を言いたいのかよく分からんが、
「〈 TAUT [(P→Q)] が裏づけられるコト〉」から「〈 P⇒Qが成りたつコト〉」が言えない、という意味だとしたら、
「〈 P⇒Qが成りたつコト〉は〈 TAUT [(P→Q)] が裏づけられるコト〉」だけでは逆が言えないからこそ
逆の文を定義の一部として繰り返しているわけで、何も問題が無い。
あと下らんレスを3つも4つも連投してスレを無駄に消費するのはやめてくれないかな。ウザいから。
783 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 18:51:45 0
おまえがウザイ。
>>782 もっと勉強してから発言した方がいいだろう。君の方が言い訳ががましく無駄なレスが多い。
785 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 19:09:35 0
>逆の文を定義の一部として繰り返しているわけで、何も問題が無い。 定義ってのは、P⇔Qってこと? あたま大丈夫?
786 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 20:18:49 0
バカってのはこういうもんだろ。いつまでもバカが治んないところを見ると、サルなのかもなw
787 :
↑ :2008/04/20(日) 20:21:37 0
僕は一般人よりも進化しています。
↑そういうことやってばかりで何が面白いんだ?
>>785 x,yに関する性質 …x,y,… を A(x,y) と定義する、というのは
体系に新たに A(x,y) という述語記号とA(x,y) ⇔ …x,y,… という公理を加えることだよ。
まあ要するに …x,y,… を略記してるのと変わらないけど。
(フォントの関係で二本線になってるけど別にそういうつもりはないので誤解のないように)
数学や哲学、論理学で定義と言ったら必要充分じゃないといけない。
だからその一部に同値が出てくるのは間違いない。
>>784 悪いが
>>754 に対して
>>759 が言ってることは意味不明な難癖としか思えない。
だからおかしいよ、と言ってるのに
>>768 みたいに
俺の書いたことのほぼ同内容を繰り返した後、死ねとか言われるような
何の批判にもなってないただの中傷、罵倒とかしか返って来ないから結果として無駄になるんだけどな。
あとは
>>778 みたいにわけのわからない
まあそういう人物にレスをすることが無駄だというのなら仕方が無いけど。
後俺は754じゃないからね。レス見りゃわかるだろうけど。
791 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 22:34:25 0
>>789 言いたいことは分かるが、それでは「定義」を制限しすぎていると思う。
「必要十分じゃないといけない」と言うよりは「典型的には必要十分」
ぐらいにしておくべき。
792 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 22:36:49 0
>数学や哲学、論理学で定義と言ったら必要充分じゃないといけない。 それはおまえの詭弁に過ぎない。そんな程度の勉強じゃいつまでもウザウザなだけなんじゃないの? >だからその一部に同値が出てくるのは間違いない。 というか、一部に同値が出るってどういうことよ。 その一部じゃないところは同値じゃないんでしょ?おまえの定義は意味不明だし誤解を招く。そんなのは定義じゃないよなw
>>789-790 てか、いいかげん迷惑なんだけど?
君は自分の弁明のために下らないレスしてるだけでしょw
見苦しいよ。いいかげん負け認めたら?しょせん君は負け犬だしww
794 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 22:45:50 0
定義と言ったら、普通は必要十分であるように約束するってことだと思う。
とうか、よく読んでみたら、 >俺の書いたことのほぼ同内容を繰り返した後、 どこが「ほぼ同様の内容」なんだよ(笑い) 君が勉強しているのは論理学じゃないだろうな。 勉強やってる気分になってるだけなんだし、君は早く死んだ方がいいぞ!
>それはおまえの詭弁に過ぎない。
伊勢田哲治 「哲学思考トレーニング」p.98
定義のいろいろ より
「哲学的定義」はもっと厳密で、定義が「必要十分条件」になっていることを要請する
>>791 まあ直示的定義とかもあるね
↑もういいよ。 君はそういう権威主義が好きなサルだったってことが証明されたw
798 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 23:11:18 0
>>796 最近は硫化水素自殺が流行ってるがどうだろう?
定義とか難しいことを考えよりも気持ちいいんじゃないか?
>その一部じゃないところは同値じゃないんでしょ?
正確には
>>789 参照。
問題になってるのは
>>754 の「砕いて言えば」以降の定義がおかしいかおかしくないか、
だから話を逸らさないように
>どこが「ほぼ同様の内容」なんだよ
>>768 の
>「百獣の王」という言葉を定義しとき、トラやチーターは百獣の王でない。
>つまり、ここでいう定義するとは、可能性を排除することにほかならない。
は
>>767 で、可能性を排除しないといけないから逆の言明も必要だ、
と言ったのの前半分をほぼそのまま繰り返してると思ったんだけどね
もしかして定義だってことは文脈から分かるって言いたいだけなのか?
>>768 はなかなかそうは読めないし、
論理学では普通は文脈から要請される条件を明示的に書き表すべきだし、
>>754 もそれをやっただけなのでいずれにせよ
>>759 は全く当を得てないけどな
>>797 お前の詭弁に過ぎないって言うから俺以外の人間を挙げたら今度は権威主義か。
罵詈雑言を続けて相手が失せたら価値なんてのは詭弁、権威主義以下だろ。
単にお前が認めたくないだけだろ?
800 :
考える名無しさん :2008/04/20(日) 23:53:30 0
797や798みたいな輩はスルーした方がいいよ
私自身が読む分には判別つくし、本人がどう思ってても良い。 変なレスを悪口雑言で無理矢理通すということを、 よりにもよって哲学板の論理学スレでされて、さらにスレの流れがそれに主導されている、 有力な意見だ、とか思う初学者とかが居たら嫌だなあ、と思って真面目にレスしてたけどね。 今度からそうします。
>>799 はどこが論理学なんだろう。
>権威主義以下だろ。
とかいって、サルじゃん。これのどこが論理的なわけ?
>>797-798 の指摘の方が端的に的を得ているように感じる
サルってのは論理などなく、感情的な生き物でして… ここにはサルとかイヌも来ちゃってますけど、最近は動物園みたいに臭くなっちゃってますね
804 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 01:03:34 0
×的を得ている ○的を射ている
805 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 01:08:43 0
806 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 02:01:35 0
論理学はぶっちゃけ哲学にあまり役に立たないだろ。
>>801 はなんか偉そうですねwたぶんですけど、このスレ見てるのがサルとかバカばっかとか思ってんでしょうね。それがバカってことじゃないですか?
真面目にレスしているようで、全然論理的でないし感情でいってるのが分かります。といってもどれがあなたのか知りませんが、少なくとも
>>801 の文章から知性を感じることは出来ませんしw
>>801 いいかげんなことばかり言って荒らしてたくせに、
「間違えてました。バカは私です。」って謝った方がいいんじゃね?
811 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 20:50:05 0
>>794 >定義と言ったら、普通は必要十分であるように約束するってことだと思う。
必要十分条件を満たす二つの事柄は「同値」でしょう。
定義は同値であることを示すことではない。
定義とはそれが何かを指示することだね。
その指示の仕方はいろいろあるだろう。
要は相手にそれがそれだと思わせることだろう。
それが出来なければ定義したとはいえない。
簡単なことだ。WWW
812 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 21:21:58 0
必要十分であるように「約束するってことだ」と書いてるのに 定義は同値であることを「示すこと」ではない、とか言って何がしたいわけ? 「約束すること」「規約を定めること」と「示すこと」は同じことだと思ってる? それともわざと誤読してるのか?
813 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 21:30:38 0
>>812 何も知らない子供に物の名前を教えたことがある?
あれが定義の根本だよ。
「タマ」を指差してこれが「にゃんにゃん」だと教える。
決して「タマ」を「タマ」とは教えない。それが定義だろ。
814 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 21:59:10 0
何も知らない子供に Aである AであるならばBである ∴Bである、 とか言ったって理解できないと思うぞ。 (AかつB)でない⇔(Aでない)または(Bでない) なんてなおの事理解できないだろう。 プログラマや法律家でも分かってない人は結構居るのだから。 ということは論理学なんて要らないな。
815 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 22:01:26 0
目の前にネコ(仮にCとしよう)が居たとして、 タマ= C というのと タマ=タマ というのじゃ、「タマ」と「このネコ」の指すものが同じでも意味は違うからね
816 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 22:11:39 0
何も知らない子供が論理学が分からないからといって どうして論理学は要らない、という結論が出るのかな? その論理は要らないのか?
817 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 22:15:19 0
何も知らない子供には理解できなくても良い (理解できなくてもしかたがない)という結論は出るかもね
818 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 22:18:25 0
>>815 >「タマ」と「このネコ」の指すものが同じでも意味は違うからね
そうだね。いいことに気がついたね。定義とは意味を示すことではない。
意味は言葉では示しつくせない。
「タマ」を「ネコ」と言うことが分かっても何を見て「ネコ」と判断した
のかはその時「ネコ」と言う言葉を理解した人にしか分からない。
その後の経験で「ネコ」の意味がいろいろ変わっていくことはその人だけの
経験であろう。定義とは意味を伝えることではないし意味を言語化することは出来ない。
これこそクオリア問題であろう。
いや、言葉の「意味」と言葉の「指示対象」は違うとか そういう話のつもりだったんだけどなあ。 全ての言葉を、言葉で定義しようと思ってもいずれ必ず循環するから、 いつかは直接にものを指し示して事実との対応により定義せざるを得ない、 というのは全くその通り。 でもそれだけが定義だというのなら、定義という言葉を制限しすぎ。 たとえば「神」とか「実数」みたいな物理的に実在しない 抽象的なものの定義を考えると818はいろいろと言い過ぎがある。 そもそも定義は意味を示したり伝えたりすることじゃないなら何よ? 「定義」は「意味」と関係ないみたいなことだけ言って あとは直接関係無い「意味」の話に飛んでるような。
820 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 23:18:36 0
あれほどサルは禁止っていってんのに、ほのかに2CHクオリチーになってきたね♪
821 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 23:19:19 0
話はそれるが、以前本で読んだんだけど、 実際の幼児の言語獲得の過程を観察すると、 子供は、これが「ネコ」なんだよ、などと大人にわざわざ教えてもらうようなことが 「全く」無くてもまわりの人の言葉を聞いていくだけで、自然に言葉を覚えていく。 人間のことばは全ての言語が或る統一的なルールに沿って出来ていて、 さらに赤ん坊の脳には生得的に、そのルールを前提にして まわりの人間の言語使用を矛盾なく解釈できるような文法と語彙のリストを自分で勝手に組み立てていくらしい。 当然、幼児は言葉の「意味」も同時に理解していく、と言って良いだろうね。
822 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 23:20:17 0
823 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 23:26:31 0
Impとかのあれか?w
どうせこいつだろ。ゴミ以下のくせに生意気に難解語句を使って今まで荒らして奴w
>>814 >とか言ったって理解できないと思うぞ。
君だけねw
>なんてなおの事理解できないだろう。
どうしてか論理的に書いてもらえませんか?
>プログラマや法律家でも分かってない人は結構居るのだから。
論理的に導出できないなら、これについてソース出してもらえまんせか?
まあ君じゃ無理だろうけどww
824 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 23:32:05 0
>>811 のレスを「定義とは指示するものを決めることだ」という意味に取れば
A というまだ定義されてない言葉を B というを既に定義された言葉と同値であると「約束」すれば、
A という言葉の指すものは B という言葉の指すものと同じなんだから
指示するものを決めたことになる、つまり
>>794 で定義になってると思うんだけど。
それとも、直接に指差してを指示すること以外は定義ではない、と言いたいのかな?
825 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 23:46:03 0
>>813 で
「決して「タマ」を「タマ」とは教えない。」
とか唐突に a は a であるという同一律が出てくるあたり
「意味」と「指示対象」を同じものだと思って混乱してるとしか思えないけどな。
「タマ」と「磯野家の飼い猫」は同じネコを指してるのに
タマ=タマ
と
タマ=磯野家の飼い猫
では意味が違うのはなぜだ、という有名な問題があるけど、
この違いの理由は、別に同値関係がどうの定義がどうのって話とは関係ないんだよね。
826 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 23:49:15 0
2CHクオリチー♪
>>822 悪いけど俺プログラミングほとんど何も知らないよ。
>>823 誰かと思ったらお前か。お前にはレスしたくなかったんだけどな。
一応意味のあること聞いてるから答えてやるよ。
どっかのプログラマのブログで、ド・モルガンの定理を
いくら説明しても理解しないプログラマの上司が居る、って話を見たの。
法律家がド・モルガンの定理を理解しないってのもどっかのブログ。
同じところだったかどうかは何年も前の話なので忘れた。URLも忘れた。
法律家が意外と論理が苦手だとか、法律の条文があまり論理的にかかれてないってのは
色んな場所で言われてることだよ。
お前にとっては横文字が出て来たり自分が理解できない語句が出てきたら
そのレスは荒らしになるんだな。難解語句を使ったから荒らしって何だそれ。
828 :
考える名無しさん :2008/04/21(月) 23:59:06 0
何も知らない子どもに言葉を教えるのは定義ではなく心理言語学の範疇だろう 哲学的に厳密な定義は必要充分条件で規定すること 「タマ」の指示対象云々も言語哲学の範疇で基礎の論理学で話す話題ではない
829 :
考える名無しさん :2008/04/22(火) 00:03:06 0
>>821 あんまり形式論理と関係ないんですけど、それなら言語獲得と論理(推論)は何か関係があるんでしょうか?
>当然、幼児は言葉の「意味」も同時に理解していく、と言って良いだろうね。
意味も理解しないでその言葉だけ使ってる人がいますが、これはどう考えてますか?
830 :
考える名無しさん :2008/04/22(火) 00:12:51 0
>>829 推論と関係あるかも知れないがそれは認知科学の話題で論理学の話題ではない。
831 :
考える名無しさん :2008/04/22(火) 00:31:22 0
>>824 ,827
笑えるなおまえは。まるでどっかの創価学会みたいだw
サルは勉強なんかやってないで、創価学会やってろよw
>色んな場所で言われてることだよ。
ヤバイよw
正に「何も知らない子どもに言葉を教えるのは定義ではなく心理言語学の範疇だろう 」ププ
>>827 「お前」とか「答えてやるよ」とか偉そうに言うとまた荒れるから、あなたは言葉をつつしまなければいけないと思います。
>>832 言葉遣いはそうですね。失礼。
ただもう基本的に823はスルーするんで。
ソース挙げろってのは挙げないのは
こっちの立証責任放棄になりかねないので今回はレスしましたけどね。
834 :
考える名無しさん :2008/04/22(火) 01:00:52 0
835 :
考える名無しさん :2008/04/22(火) 01:06:48 0
具体的にはどのレスが荒らし?
>悪いけど俺プログラミングほとんど何も知らないよ。 偉そうにたらたらと書いてますが、頭の調子は大丈夫ですか? もしかしてあなたが居るスレ間違ってませんか。法律家板はここじゃないですよ。
>>823 がソース挙げろってったから挙げたんだよ。
それ以上法律の話なんてするつもりはないよ。
>>837 あんたサルでしょ?
もう来なくていいよw
839 :
考える名無しさん :2008/04/22(火) 19:19:39 0
>>838 何の根拠もなく相手をサルだというのは論理的センスゼロのサルだね。
840 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 11:17:04 0
サルってキモイね。言葉なんか通じないし
841 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 11:21:41 0
サルについて語るのではなく、サールについて論じようではないか、諸君。
842 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 11:36:35 0
サール著『サルでもわかる分析哲学』
843 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 11:41:15 0
『サルが論理学について知りたいと思ってるけど、恥ずかしくて聞けないこと』 って本があっただろ? あ、「サル」じゃなくて「言語学者」だた。ごめん。w
イヌと会話するんじゃなくて、サルと会話できると面白そうですね
845 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 12:20:26 0
どっちかっていうと論理学者より言語学者のほうが頭いいイメージ
846 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 12:38:09 0
しかし、 『論理学者が言語学について知りたいと思ってるけど、恥ずかしくて聞けないこと』 ってタイトルの本はないんだな、これが。w
>1 「バカでも分かる論理学」というスレタイに問題があったんじゃないか? キャッチーであるという意味では良いタイトルだったけど、論理学に興味のない 人まで集めちゃったという意味では良くないタイトルだったと思うな。 はじめから論理学に興味ない人には興味もたれないようなスレタイを考えた方が、 良かったような気がするんだけど。
848 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 12:47:41 0
サールってとっても凄そうな人ですね。 しかし哲学は文献読んでも金にならないので面倒です。 サールぐらいの偉人なら読む価値ありますが、一流大学以外の哲学者らしき人は 文献を書いても普通の人の感想文と差はないしw ましてそのようなバカの感想文は論理すらないしww ところで、「P → Q」が真(又は成り立ち)において 1.真 → 真 2.真 → 偽 3.偽 → 真 4.偽 → 偽 はそれぞれどのような説明がなされるんですか? 3を真とする説明は特に難しそうです。
849 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 13:14:47 O
論理学って哲学に役に立たないだろ 不要なものかと
>>847 そうすると誰も来ないよ。ゆるい奴が発言して意見をいっても、
論理がなってない奴はサル扱いで相手にされないし恥をかくだけだろうw
スレタイによれば、サルにはサルの論理、知識バカにはバカの論理があるんだろうし、
またそれも一興だと思わないか?
論理が分かってる奴は問題ないが、知識バカは論理を使いこなすことなんて特に出来ないだろうなw 一番最悪なのは、論理学の知識が多すぎて、論理を使いこなせない事だろうな。 もう少しこのスレを監視してみるけどね。⇒ 、 → は典型問題だろうし答えてね
要するに、論理って何なの?
854 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 21:56:47 0
>>848 日本語でおk
>>850 「永田町の論理」みたいな使い方するときの「論理」ってのは
正しいと認められる理屈、くらいの意味で、論理学で扱う論理とはほとんど関係ない。
例えば、自民党の党幹部が言ったのだから正しいはずだ、
民主党の小沢の言うことだから間違っているに決まっている、
というのはその意味での「論理」ではあるけど、論理的ではない。
ついでに言うと「論理的な議論」というときの「論理」と形式論理も
実はそこまで関係あるわけじゃない。このスレで扱うのは後者。
855 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 22:01:30 0
そうかなあ? で、君のいう形式論理ってのはどの範囲のものなの?
πが有理数である世界って例えばどういう世界なんだろう。
857 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 22:45:08 0
形式論理(笑) 何の役にも立たない。 カントの先験的論理学のほうが哲学には役に立つ。
858 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 22:52:23 0
>πが有理数である世界って例えばどういう世界なんだろう。 日本のゆとり教育ではπは3でいいとか言っていなかったかな?
859 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 22:52:55 0
「哲学には役に立つ」だってさ。で、その哲学は何の役に立つの?w
860 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 22:54:57 0
やっぱりな。 論理学をかなり高度なところまでやってるのは理系だろどうせ。 哲学を汚すスパイだな。
>>858 πとは3.14のことであると思ってた?
高校の数学真面目に勉強したならそうじゃないと書いてたはずだけど。
近似値としては、3で良い場合が大半だけど、場合によるとしか。
10桁以上必要な場合もある。
862 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 23:21:45 0
πが無理数であることの証明は高校の数学には出てこなかったと思うけど。
>>875 >カントの先験的論理学のほうが哲学には役に立つ。
どういう風に役に立つか教えてください
864 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 23:52:46 0
865 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 00:17:57 0
>>1 に書いてあることが読めてない奴にレスするのは止めた方がいいよ
ここは20世紀以降に展開した論理学の基礎を真剣に勉強する人のためのスレだから
あおりに負けてはいけない
哲学的に役立つwかどうかはやっている分野次第だからね
866 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 00:19:10 0
>>865 は? 俺は論理学の基礎程度はやってるけど。
カントの純理のほうが数百倍難しくてためになったけど。
>>856 (・∀・)イイ!!問いだな
これを真面目にやれば不可能世界が必要となる。
でも普通はそんな世界はないとして空の場合ですますよ。
>>866 確かに
哲学としては「純理」
数学としては「論理」
だな。
論理学は分析哲学の中では、
言いたいことを議論の展開を誰にでも分かるように
明らかにして相手に伝える、という態度とセットで、
どっちかというとこの「態度」のほうが論理より重要かと。
カントのほうが難しいからためになる、と言う
>>866 とは
その点で基本的に相容れないだろうね。
カントの論理学批判というときの論理学って
アリストテレスの形式論理学+α(中世におけるわずかな発展)。
一方現代において「論理学の基礎」と言えば一階の述語論理あたりまで
指すのが普通だと思うけど、
>>866 はそこまで勉強したのかな。
872 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 12:56:24 0
>カントの純理のほうが数百倍難しくてためになったけど あんなのも分かんなかったの?おまえバカだろw これを難しいとかいってる奴が論理学分かるわけないw 論理の本質もわかんないような独学サルは消えてくれよwwおまえには無駄だからww
873 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 13:00:34 0
>>870 >言いたいことを議論の展開を誰にでも分かるように
明らかにして相手に伝える、という態度
まあそうだな。誰にでもわからないって点でいえばカントも分析哲学も
同じものだけど、態度を相手に伝えることはできるかもしれない。
874 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 13:04:36 0
>>870 難しい「から」ためになるとはいっていない。文章を精確に読めてない。論理以前の問題。
>>871 野矢の「論理学」(東大出版)のやつをやったよ。
>>872 難しいから分からないともいっていない。もちろん分かったよ。分かったからためになったといえるんだろ。
論理的に思考しろよ馬鹿。
じゃあこう言おうか、論理学のほうが数百倍簡単でためにならなかった。
875 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 13:58:59 0
>カントの純理のほうが数百倍難しくてためになった。 並列してるのか縦に繋がってるのか不明確な書き方でどっちにも解釈できるが、 並列と解釈したって同じくらい意味が通らない。 866が非論理的で行間の読みようのない書き方をしてるだけだろう。 難しいから何だと言いたいのか、当人以外誰も理解できないようだだけど。 いずれにせよ難しいことは望ましいことだ、と言いたいように見えるが 難しいことが何で望ましいことになるんだ? 因みに野矢の本が面白いとは俺も思わんよ。あと872みたいなレスはスルーした方が賢い。
876 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 15:42:26 0
>>875 難しいから何だって、難しいは難しいだろWWW
意味不明なやつだな。
あと野矢の本が面白くなかったともいっていないのにw
全体的に意味不明な読解力だな。
wとか(笑)とか書くと荒れる原因にもなるから気をつけよう。
878 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 17:43:57 0
>>875 スルーとか言う以前に、おまえはまずアンカーのつけ方を学んだ方がいいなw
おまえみたいなバカは、カントが難しいとか言ってるサルとドッコイだろw
>>873 その態度ってどうやって伝わるのでしょうか?
>>876 難しいから良いというつもりもなくて、ただ何の関連も無いこと書いてたのか?
「カントの純粋理性批判のほうがが数百倍古い紙質の本に書いてあってためになった。」
のような感じで。
話の主題と全く関係ないどうでも良いことは言わないのが発話における最低のルールだから気をつけようね。
野矢の本読んで論理学の基礎を勉強したがカントの純粋理性批判よりためにならなかった、
と書いてあったから、野矢の本はあまり良いこと書いてないよ、とレスしたんだよ。
あれ読んだって直観主義論理も不完全性定理も分からないと思う。
881 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 18:17:29 0
>>878 へえ、じゃあカントが簡単だというお前のカント理解を試してみようか?
純粋理性の誤謬推理
大前提:定言的判断
純粋理性のアンチノミー
大前提:(A)
第一アンチノミー:分量
第二アンチノミー:(B)
第三アンチノミー:(C)
第四アンチノミー:様態
カントは(D)を生・反対命題ともに間違っている、(E)をともに正しいとした。
純粋理性の理想
大前提:(F)的判断
A〜Fを穴埋めしてみ。簡単だろ。
882 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 18:18:31 0
>>880 論理学なんて簡単だしやるだけ無駄なんじゃないという意味で書いたの。
883 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 18:39:54 0
カントをよく理解していることはわかった でもスレ違いだ もし野矢の本を読んだというならゲーデルの完全性定理を前提として 一階述語論理のコンパクト性定理を証明してみろ。簡単だろ。 ちなみに一階述語論理のコンパクト性定理とは Γを一階述語論理の式の集合とする。 Γがモデルを持つ必要十分条件はΓの任意の有限部分集合がモデルを持つことである。 この定理は計算(推論)の有限性という意味で、哲学的論理学だけでなく計算科学にとっても 重要な定理なんだよ。って釈迦に説法かな?
884 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 18:43:48 0
885 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 18:45:06 0
886 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 18:51:58 0
>>852 論理ってのは → や ⇒ のことですよ
887 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 18:58:42 0
>>886 論理の基本は否定(¬)だよ。
¬と∧ですべての論理を表現できる。
NANDゲートは全ての論理回路を構成できる。
888 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 19:23:30 0
>>885 コピペだけどもともと俺が書いたレスだし。
889 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 19:24:29 0
>>883 俺が野矢の本をやったのは、高校のときだから、もう忘れたな。
まだ本は持ってるから調べれば分かるだろうけど。
サルが現れるとバカが反応するものでして、またまた知識バカですか?
それは完全性定理やコンパクト性定理を分かってるとは言わない。 これは二、三行で証明できる。 sin 15°の値はいくつか?と言われて「教科書調べれば出来る」 とか言ってる人が二倍角の公式を理解してないのと同じようなもの。 というか大学生活板に居たよね。
892 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:25:47 0
>>889 あのね、あなたの言う「野矢の本をやった」ってのは、
『カント入門』みたいなタイトルの本を一冊読んだってのと同じ程度なの。
それで「論理学は云々」って主張するのがどういうことなのか、
カントに置き換えて考えてごらん。
893 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:27:02 0
>>854 >正しいと認められる理屈、くらいの意味で、論理学で扱う論理とはほとんど関係ない。
とか全く意味不明なんだけど、日本語で論理的に説明してくれないか?
というっても最近このスレ荒らしてるのは君なんだろうけど、もうどこかに遠くに行ってくれないか。
ここにはバナナは生えてないからねwww
894 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:35:46 0
>>889 見事に引っかかってくれた。
>>883 には二つ釣り針が仕掛けてあって、
一つは野矢の本では命題論理の完全性の証明はのっているけど、
一階述語論理の完全性に関してはコメントしてるだけで証明はのっていない。
このことから
>>889 は命題論理と述語論理の区別もついていないということが分かる。
二つ目は、まぁ一つ目に引っかかったからいいんだけど、一階述語論理の完全性の
証明の詳細を知らなくても、形式論理における証明、式集合、無矛盾、モデルなどの
基本概念を理解していれば、ゲーデルの完全性定理を前提としてコンパクト性の証明が
できる。
論理学の基礎を勉強したというならここら辺まで理解しておいてもらわないと。
895 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:38:23 0
>>853 書いてる途中に消えちゃったから書き直しだよw
〈π有理数である〉が成りたつ世界を想定しているので、
「小沢」が首相に近い政治家であることと、「π」が近似値であることが
同程度の「精度」として捉える事が可能であり、「首相が小沢である」ことを
想定しても(しなくても)、互いに十分な精度を持って議論することが可能です。
この程度で哲学は噛み付くんですか?くだらん
>P,Qの間に成りたつ関連性
この、間や関連性はどこに根拠があるんですか?何に基づいて関連づけるんですか?
論理的にw
まあ、あなたには超難問でしょうけどw
>このことから
>>889 は命題論理と述語論理の区別もついていないということが分かる。
分かるか?
しかし命題論理の完全性の証明はやるのに述語論理の完全性はコメントだけか。
詰まらん本だなー。
まあウィトゲンシュタイン好きな野矢のやりそうなことだけど。
どうしても論考は対象領域が任意有限領域での議論であるということにしたいみたいだったし。
897 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:44:20 0
>>896 > >このことから
>>889 は命題論理と述語論理の区別もついていないということが分かる。
> 分かるか?
まぁ「想像に難くない」程度だろうけど
898 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:47:48 0
>>853 それでは、世界において、P成立ならばQ成立を想定していたが
実際は「事象Pが不成立だったのに、事象Qが成立しちゃった」こと
つまり偽 → 真をP → Qを使って説明することが出来ません。
これも難問でしょう。
>∀x[Px→Qx](≡P⊆Q)は「形式含意」
これなんかアホでしょw
偽 → 真をP → Qを使って説明できないし、述語論理にするほどでもない。
今の日本の論理学者の洞察力は、三浦さんが限界なんでしょうな。
センスない人は数理論理でもやっててくださいなw
899 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:51:38 O
>>894 忘れたと言ってるから引っかかってないだろアホw
900 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:54:44 0
まあ、しかしそれはそれとして、哲学と言うことで考えた場合、 論理学を知ってるよりカントを知ってるほうがいいかもしれないな。
901 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 20:57:13 0
> 偽 → 真をP → Qを使って説明できないし そもそも説明するって話じゃないんだけどねえ。
完全性定理の証明って選択公理要ったっけ?要らなかったっけ? 選択公理という数学内でもかなり疑念を持たれた公理を使って 論理学の定理を証明する、という状況は、 特に学びかけの段階ではかなり不思議に見える人が多いんだよね。
903 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:16:40 0
論理式の有限集合に関して、充足可能かその否定が証明可能っていう だけなら選択公理は要らないんじゃなかったか。 コンパクトネスを含む一般的な形でなら要るだろうけれど。
904 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:22:53 0
>>898 >偽 → 真をP → Qを使って説明できないし
P→Q≡¬P∨Qから説明されるんじゃないか。
905 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:26:48 0
>>904 また、訳の分からんことを・・・。
P→Q≡¬P∨Qってのは、「Aが偽でBが真ならA→Bは真」
を含むA→Bの真理条件の帰結でしょうに。
906 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:29:59 0
>>905 それを反対に読めばいいんだよ。
本来のP→QはPが真の場合だけで終わりだ。
907 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:36:37 0
逆に読むだけじゃ、 同じ質問が「何でP→Q≡¬P∨Qなのさ?」 って形に変わってでてくるだけだろ。 それはそれとして、「本来のP→QはPが真の場合だけで終わり」 ってどういう意味だ?
908 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:57:11 0
>>907 >「本来のP→QはPが真の場合だけで終わり」
P→Q∧P⇒Q(MP)
909 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 22:26:03 0
>>908 >P→Q∧P⇒Q(MP)
(P→Q)∧P⇒Q(MP)に訂正する。
910 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 22:36:14 0
何が言いたいのか、さっぱり分からん。 (P→Q)∧¬Q⇒¬Pはどうすんの?
何を持って本来と言ってるのか知らんが P → Q は証明できるが P かどうかは決めようが無い場合なんて いくらでもあるぞ。 P(x) が閉じていない論理式の場合はもちろんだが、 P は閉論理式で、 P は独立(決定不能)であることが示せて、 さらに P → Q も証明できるなんて例もある。
912 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 22:48:04 0
>>910 >(P→Q)∧¬Q⇒¬Pはどうすんの?
(¬Q→¬P)∧¬Q⇒¬Pと同じだね。
913 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 23:03:48 0
>>894 おまえキモイなw
もう頭いかれちゃってるだろ?
914 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 23:04:35 0
>>912 全然答えにも何にもなってないな。
あなたは「本来のP→QはPが真の場合だけで終わり」の説明?として
P→Q∧P⇒Q(MP) と言ったんだよ。
だからそれに対し、>(P→Q)∧¬Q⇒¬Pはどうすんの?
と聞いているんだけど。
頭どうなってんの?
915 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 23:06:24 0
916 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 23:17:21 0
>>911 P → Q で 偽 → 真
の場合を説明するのは超難問なわけなんだな。
説明できないなら→を使ってP → Qとしちゃいかんだろ。
偽 → 真のときはP → Qじゃないんだからな。
917 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 23:19:28 0
仮定X: P → Q が本来的であるならば P である( P は真である)。 (P → Q)∧¬Qであるとき、¬Pが演繹できる。 したがって P ではない。仮定X の対偶からこの場合P → Q は本来的でない。 ということで良いんじゃないかと。「本来的」がどれだけ意味のある概念なのか知らんが。
>>904 >>905 も言ってることだが
P → Q の真理値(それから → の意味)ってのは
単に P が偽のときには偽となるように定めているだけ。
何か別の根拠から論理的に示すことが出来るではない。
P → Q の真理値が我々の定義から独立に定まっていると思っている場合、
それは錯覚かもしれないからちょっと考え直したほうが良いだろう。
ただし、なぜ P が偽のときは P → Q は偽と定義すると都合が良いのか、
という説明なら出来るだろうけど。
というかこの話は
>>420 あたりで既出だね。
近くのレス読んでみるとこのときから質問した初心者に対して
偉そうに的外れなヒント出したりする奴居るなwちょっとワロタ
誤記が多いから書き直す。失礼。
>>904 >>905 も言ってることだが
P → Q の真理値(それから → の意味)ってのは
単に P が偽のときには偽となるように定めているだけ。
何か別の根拠から論理的に示すことが出来るわけではない。
P → Q の真理値が我々の定義から独立に定まっていると思っている場合、
それは錯覚かもしれないからちょっと考え直したほうが良いだろう。
ただし、なぜ P が偽のときは P → Q は真と定義すると都合が良いのか、
という説明なら出来るだろうけど。
921 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 00:08:17 0
>>913 理解できないものを見るときもいっていうのは女子高生ですか?
それでは手取り足取り教えてあげますよ
いや、きもいって言ってるのは論理学に関する内容自体じゃないだろう
任意のp、qに関して (p→q)or(q→p)が恒真になるように 真理値割り振りしたらいいんでないの
カントは哲学 論理学は数学 だからな。
>>918 その本来的ってのは、対偶が出来ることを前提としているってことだろ。
P → Qが仮に対偶が出来るかどうか不明なとき、これは本来的というものではない。
対偶ってのは、P ⇒ Qのとき使えるんじゃなかったか?
926 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 06:01:58 0
>>923 なかなか面白いね。
(p→p)or(q→q)と変形できると、
¬(p→p) → (q→q)なんだけどどう解釈する?
927 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 07:09:55 0
なんか、めちゃめちゃキモイサルがいるな。 他のスレで相手にされなくて引っ越してきちゃったのかな。 キモコテハンは来るなよwせめて名無しで見てるだけにしてろww
視力検査 (p∧q) < なにも見えませーん。
929 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 09:26:40 0
「バカでも分かる」だからこれでいいって意見もあるかもしれないが、 →の真理条件の話は、さすがにもういいんじゃね?
専用スレ立ててやれという気がする
>>856 >πが有理数である世界って例えばどういう世界なんだろう。
これは“〈円周率が有理数である世界〉を可能にする条件についての問い”にほかならない。
〈円周率が有理数である世界〉については なによりも先ず
〈「この世界Mでの円周率εは有理数である」という言明が真であるような世界〉だという事が言える。
よって
〈「Mでのεは無理数である」という言明が偽であるような世界〉だという事も言える。
さらに、
〈Mで表現される“円eの定義”は
“この世界Rにおける円cの種々の規定Φ(c)の連言の否定”の表現を伴意するような世界〉だ
という事が言いえる。すなわち、つぎの伴意関係が成りたつような世界である:
" {D}(e) "⇒ "¬(π(c)∧{D}(c)∧Eq(c)...∧Φ(c))"
{D}(e):かの世界Mでの円eを定義する表現の集合。
{D}(c):この世界Rでの円cの定義する表現の集合。
π(c):Rでのcはπ∈無理数を定数として有つ。
Eq(c):Rでのcの方程式 t.e. (x−a)^2+ (y−b)^2=r^2
このゆえに、〈円周率が有理数である世界〉は
〈この世界Rでの正円に相当しない形状が“正円”として認知されるような世界〉だ
という帰結が出てくる。
そんな世界mにも物体が在るとしたら、それは どんなふうに運動しえるのか。
>>895 >この、間や関連性はどこに根拠があるんですか?何に基づいて関連づけるんですか?
>偽 → 真をP → Qを使って説明できないし、述語論理にするほどでもない。
事象P,Qを〈見聞しての推測〉や
P,Qに対して行なわれた〈観察・実験・測定〉などに基づいて P,Qは関連づけられる。
たとえば、Pが「
>>932 へのレス文がある」で、
Qが「
>>932 へのレス文のうちには1つ以上の"w"が現われる」だとすれば、
〈いままでに返されたレスの文体についての知見〉に基づいて (P→Q)という関連づけが為しえる。
条件法の文母式(α→β)において 前件αが偽のときにも式(α→β)に真が割り当てられる事由は
戸田山和久『論理学をつくる』《 3.10.2「→」の定義の正当化》pp.82-83
に説明がある。
933 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 22:01:13 0
>>931 なにいってんの、こいつは?
>〈「Mでのεは無理数である」という言明が偽であるような世界〉だという事も言える。
いえないよ。
円周率を円の定義に求めたりするところが、もう既に論理学じゃないしw
てかいきなり「正円」ってなんだよ。調子に乗るんじゃねーよww
934 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 22:10:07 0
>〈いままでに返されたレスの文体についての知見〉に基づいて (P→Q)という関連づけが
そのPとQを→でつなぐ理由は全くなく、関連もない。
PとQは共にレス文を話題しているのだから関連ではなくて同じことを言及しているに過ぎず
P∨QやP∧Qで十分ではないのか?これをP→Qにすると文として成立せず意味不明。
Pが「
>>932 へのレス文が200931文字ある」 →
Qが「
>>932 へのレス文のうちには1つ以上の"w"が現われる」
ならどうなの?
935 :
考える名無しさん :2008/04/26(土) 22:19:14 0
「πが有理数である世界」か。何を意味するか、 一意には決まらない気がするなあ。 円周率ってのは、何と言うか形式化に先立つ概念だから。
936 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 00:15:58 0
円の周長と半径の比でも良いし、 π = 4(1 - 1/3 + 1/5 - 1/7 + 1/9 -+ .........)でも良いし積分で定義しても良い。 ともかく世界 M での"円周率"とこの世界 R での円周率が「同じ」ものを指す とすれば M と R で円周率という言葉の定義は同じだとしてよい。 (真面目に説明すれば長いが) これと「数学において無定義術語の意味は公理によって定まる」という まあ常識的な仮定をおけば、論理的に 「この世界 R では成り立たない論理的法則が世界 M では成り立つ」 という結論が出てくる。それもほとんど数学的証明の厳密さで。 また、さらに論理語の「意味」は何によって定まるかという問題に 論理的公理と推論規則によって定まる、と答えるのなら 「πが有理数である世界」などそもそも無い、ということになりそう。
937 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 07:37:57 0
てか頭ワリイな。知らない分野のことを引き合いに出して説明しようとするなよ。寒いから。
政治のこと全く知ってんなら「小沢」だすのいいけど、
現代じゃなくても、例えば吉田茂から続く政治の歴史とかしんらんだろ?おまえ、寒いんだよ。
同じく、円周率とπが違うってこともちゃんと深く勉強してんならいいけど、
その程度しか知らないなら、その高校数学程度の「π」「円周率」の知識で、
「πが有理数である世界」を語れよ。カッコつけるな。
>〈円周率が有理数である世界〉については なによりも先ず
〈「この世界Mでの円周率εは有理数である」という言明が真であるような世界〉だという事が言える。
ホント恥ずかしいよ。おまえwwww
>>1 のごとくバカ同士で了解してろwwwwwww
モリアーティーがどうとかこうとか言っても、知らんのよww寒いからw
そういうの、使っても説明できたつもりになってるのはおまえだけで、論理学には関係ないわけよ。
論理学の知識しかないわけで、論理を使えないのはサルと一緒だな。
>>936 あんた、
有理数⊆無理数
を否定して議論したいようだけど気づいてる?
「無定義術語」とかも出してきたようだけど、大して知らないなら深いしないがいいよww
例えば定義のところ(4(1 - 1/3 + 1/5 - 1/7 +)で既に有理数がでてきてんのはどう説明するの?
おまえもメタ・モデルとか横文字使ってる楽してる奴と変わんないなww
「数学的」「論理的」厳密さって何よ?ちゃんと身に付けた論理を使って書けよ。ハゲww
939 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 07:58:41 0
数学も論理も知ってるようで知らない見たいだし、在野でもこんなのがうじゃうじゃいるのかよww 哲学よりの論理学じゃ、さすがに数学よりの論理学から追い出されるわな。 しょせん論理学なんてのも文系なわけよww その調子で→の説明を頼むわ 面倒なら英語のウェキを翻訳してろよ。英語の知識しか使わないしww
>円周率ってのは、何と言うか形式化に先立つ概念だから。 せっかくのいい機会だろ。勉強やり直せ。 >「πが有理数である世界」などそもそも無い、ということになりそう。 平気でこういうこと言うからみんなから嫌われるんでしょうな。これも直観主義ですか?
>有理数⊆無理数 いや無理数の定義は「有理数でない実数」だが。 >例えば定義のところ4(1 - 1/3 + 1/5 - 1/7 +)で既に有理数がでてきてんのはどう説明するの? 有理数を先に定義して、後から円周率πを定義すれば良いだけで 特に何の問題も必要ないと思うけど。
942 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 11:02:57 0
> 数学において無定義術語の意味は公理によって定まる 円周率のような概念は、そうでもないと思うんだよね。 0とか自然数の意味は、ペアノや他の公理系の公理で定まってるわけじゃ ないでしょ。
943 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 11:10:49 0
πをクリプキが言うような固定指示子と考えると、 無理数っていうのはその指示対象の本質的属性であって、 「πが有理数である世界」という表現での指示が成り立つとは思えない。 一方、πを記述句の省略と考えようとすると、 コンテクストなしに「πが有理数である世界」とだけ言うのでは どういう記述なのか決まらないんじゃないかなあ。
944 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 11:50:39 0
945 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 12:01:11 0
946 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 12:01:42 0
947 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 12:03:30 0
>>945 「もしπが有理数であったら・・・」という仮定は、
特殊なコンテクストを限定しない限り無意味ってことでいいんじゃね
>>941 またおまえか。懲りただろ。
もう来るな。
949 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 12:25:59 0
>>941 はいくら数学に無知だとしてもこのスレ的にはやばくないか?
「πが有理数であるような世界」とかいうと 実数とは何か的な本質的でない議論が入ってくるから 「 2 + 2 が 5 であるような世界」とかまで単純化した話したほうが良いのかな。 でも「 68 + 57 が 5 であるような世界」とか言い出すと 別の話が混じってくる可能性がある気もするなw
951 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 12:34:11 0
>>947 「πを22/7とする」
ってどこかになかったか?
別に「πを3とする」でも普通に有理数だし無理数だろ。
大して数学知らない見たいだし、まあ数学の話をしたいならすれ違いだな。
952 :
養老武 :2008/04/27(日) 12:39:18 0
相手の身体的欠陥を嘲笑うような言葉 デブとかハゲ、無知 相手の自尊心を傷つけるような言葉でしか対話ができないのであれば 君達こそが退場すべきではないだろうか・・・悲しいな もう一度、考え直してから書き込みをしよう。 気持ちよく、高揚した気分で学習しようじゃないか。みんな仲間だろ?なあデブ
953 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 12:41:41 0
>>951 なんと言うか、この板とかスレの奴らは程度なのか。
数学も知らなければ法学も知らない見たいだし、オナニー好きのサルってところか。
というか、「ポインターて理解するの難しい」とか言ってる程度だろww
正に社会のゴミだなw
英語も出来ないんだろ?どうやって飯食ってくんだよww
そうはいっても実際は、→もπも*も理解するのは難しいし、まあお前には無理だ。あきらめろよ
954 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 12:42:37 0
955 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 12:50:51 0
>>951 「πが有理数であったら・・・」の解釈として、
「π=22/7」、「π=3」を考えるのは、あまり意味があるとは思えません。
"π"という記号を別の意味で使う場合を考えているのに過ぎませんから。
何かどうしても有理数は無理数の一種であるということにしたい奴が 居るみたいだがどうにかならんのかな。 中学三年あたりで√2が無理数であること示すときは、 有理数(分母分子が整数であるような分数)であると仮定して矛盾を導いたはずだが 中学校の数学の授業はサボってたんだろうか。
957 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 12:55:50 0
>>950 そうですね。「もし0=1だったとしたら」ぐらいにしてもいいかも知れません。
一部の人が提唱している「不可能世界」という概念が整合的に理解可能なもの
なのかどうかの議論なんでしょうね。
例えば"円周率"という言葉が 4 を指し、 3.14159265358............ のほうはルドルフ数とでも呼ばれていて、 それ以外はこの世界と変わらないような世界を M_1 とする。 M_1 は「円周率という名前の指す数が有理数である世界」ではあるかもしれない。 或いはこの世界Rでの六角形が「円」と呼ばれている世界 M_2 を考えても 円の周長と半径の比は 3 になる(よく新指導要領を皮肉るのに使われるジョーク)。 しかし通常「πが有理数である世界」という表現が意味するのは 違う対象にたまたま同じ名前が割り振られた状況ではなくて、 同じ「対象」が M では有理数、 R では無理数となるような状況。 名前の付け替えによって議論回避するのはただの言い抜け。 であるので世界 M とこの世界 R で円周率の定義は同じとして良い。 よし真面目に説明したぞ
959 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 13:01:17 0
>>956 その人の発言は無視するか、
「無理数」を「実数」に置き換えて理解するかにすれば
いいのでは?
ネットではいろいろな人がいますから。w
960 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 13:04:32 0
論理学を扱うすれなのにπの定義にこだわったり、首相がなんとかとか言い出したり、 肝心の→、⇒など論理学の本質部は、オレには「分からないから」もっと楽な話題にしようというのだろう。 といっても政治とか数学とか知らない見たいだし、三流大学の下らないゼミみたいww まあ、直観論理学なんとかですかww なるほど。レベル低いな。 いま、告訴状・告発状書いてるんだけど、下らない戯言に付き合ってられないんだよ。 →、⇒の説明とか早く答えてくれないかな?
ちょっと論理学から外れるけど
>>942 「0」の意味が加法に関するゼロ元という表現によってほぼ定まっている
と言って良いというのは充分在りえそうな事だと思うけど、それはともかく
>自然数の意味は、ペアノや他の公理系の公理で定まってるわけじゃない
じゃあ何によって定まっているの?
自然数とは0, 1, 2, 3, 4, ............... のことである、と言ったときの ............... の意味は
一階述語論理で表現できるか否かはさてき、
帰納法とか最小値の原理とかで定める以外の方法は無いと思うけど。
一階述語論理の上のペアノの公理系「のみによって」意味の全てを
定めきれているわけじゃない、という限定的な主張には同意する。
でも、そもそも「自然数」の意味ってはっきり一意に定まってるのかな。
我々が「自然数」の意味が一意に定まるほど強い数学的な直観を持っているとする根拠は無い。
それにもかかわらず「自然数」の意味が一意に定まっているとする根拠も無いと思う。
962 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 13:06:41 O
馬鹿ですがわかりません どうしたらいいですか
963 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 13:33:04 0
>>961 >>961 自体には特に反対する理由はありませんが、
「数学において無定義術語の意味は公理によって定まる」と主張し、
同時に「自然数の意味は一意には定まっていない」と主張することに、
矛盾を感じませんか? それも別人?
自然数に関する公理として特定の或るものを採ることが出来、 さらに自然数の定義にはそれで充分である、と主張するならそうですけど、 そう主張しない限り矛盾しないのでは? 確かに表面的にはパラドクシカルに見えますが、 「自然数」を「集合」に置き換えてみてもどちらも正しいように感じます。 有史以来、我々人類がこれまでに得た事のある自然数に関する知識 (根拠のある真なる言明)は高々有限個でしょうから、 それから独立な命題は存在することになりますけど、 これまで(或いはこれからの)我々の言語使用を超えたところで 「自然数」という概念の意味が定まっていると考えるべき理由が分かりません。
950の言ってた通りに 「68 + 57 が 5」の話になりだした感じっすね
966 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 14:52:05 0
公理系に先立って、「自然数」という概念の意味が厳格に定まっているなんて、 私は主張してないよ。しかし、逆に「数学において無定義術語の意味は公理によって定まる」 という観点のみで押し切ろうとするなら、、公理系を指定しない限り「自然数」に意味はない ということになるし、公理系が作られる以前から人が物を数えたり、計算するときに 扱ってきた自然数の概念との関連について何も言えなくなってしまう。 「自然数の定義にはそれでは充分ではない」と言う主張も、 公理系とは独立した自然数の概念を想定しなければ、意味がなくなってしまうでしょ。
967 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 15:19:31 0
何か変かな。
968 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 15:29:27 0
理系は消えろよ。どうせ理系は哲学やっても駄目だからWWW 理系は哲学的才能ゼロWWW
形式主義的な公理というと確かにちょっと限定的かもしれません。 「推論の前提に使えるような、「自然数」に関して人間が得たことのある正しい言明」 くらいに捉えたほうが良いかもしれませんね。 「無定義術語の意味は公理によって定まる」(a)と 形式主義的な面を強調するとおかしな事になりますけど 「正しいと認識される文同士の為す関係性によって、語の意味は定まる」(b) とちょっと一般的に言い直せばそこから外れた意味を考える必要性も無いと思います。 (a)を(b)に言い直すべきだ、というくらいで同意出来るんじゃないかと。
970 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 15:47:27 0
「言葉の意味はその使用によって定まる」みたいな感じですね。 このスレ的にはそこでおさめとくしかないんだろうけれど、 実在論/反実在論、形式化の意味、「ヴィトゲンシュタインのパラドックス」 云々と議論が広がっていくといいな。
971 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 15:48:42 0
>>968 この話題が「理系」だと思うって・・・・・・高校生?
972 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 15:52:09 0
973 :
養老武 :2008/04/27(日) 16:01:12 0
よし、買った。名乗れ
>>956 「πが有理数である」なんだろ。
論理で書かなきゃやっぱりバカザルには理解できないのかね?
おまえの方が痛いって事にそろそろ気づけよw
恥かかないように数学の授業はちゃんと受けとけww
975 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 16:20:07 0
>>958 調子に乗るなボケ
つまんないし
そういえばここは哲学みたいなカルトが集まってるとこだったな。
常識も数学っぽい事も通用するはずないかw
まさかそのへんのクズニートが論理学とかたいそうなことをやってるわけじゃないよな!?
いつまでフリーターで生活してんだ?まっとうに働けよww
976 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 16:23:32 0
>>966 君の限界はそのあたりなんじゃないのかね?
>>969-970 お前らが持つ程度の雑学や論理学じゃ何の論理も出てこないよww
「結局は直観です」かよ。それを論理というのか?何の論理があるわけ?
そんなのは論理学をやってカッコつけてるだけで、数学すらも難しくてあきらめた奴らの墓場に過ぎない。
とくに
>「言葉の意味はその使用によって定まる」みたいな感じですね。
はアホ。ちゃんと読めよ。
つまり有理数⊆無理数ってことなんだよ!
979 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 17:22:11 0
数学(笑)論理学(笑)
980 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 18:04:47 0
>自然数の意味は、ペアノや他の公理系の公理で定まってるわけじゃない
これをお前の直観で論理的に説明したらどうだ?
まあいくら論理学の知識を勉強したところで、おまえには到底出来ないんだろうけどww
>>964 というか、ここでいう自然数の本質とかペアノ公理で言う自然数の本質をおまえは分かってない。
数学はかじった程度だろ?おまえは何を言いたいのかわかんないな。
もう少し論理ろ使って書き直してくれないかな。
「有志以来」とかもいいけど、本質も理解してないのにそれ以上こだわると恥をさらすだけだろう。
981 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 18:18:17 O
理系ごときに答えられる問いじゃないだろw カント読め
>>934 >そのPとQを→でつなぐ理由は全くなく、関連もない。
>Pが「
>>932 へのレス文が200931文字ある」 →
>Qが「
>>932 へのレス文のうちには1つ以上の"w"が現われる」
>ならどうなの?
(*) (
>>932 へのレス文が200931文字ある →
>>932 へのレス文のうちには1つ以上の"w"が現われる)
のケースでも、
〈 200931文字でもって構成された
>>932 へのレス文があり、
かつ、そのレス文の200931文字のうちに"w"の現われが1つもない〉事態でのみ
(*) は偽と判定され、他の事態については真と判定される。
(もちろん、判定は実質的条件法記号→の“ニ値論理系での定義”に拠っている。)
指摘のとおり《
>>932 へのレス文がある》や《
>>932 へのレス文のうちには1つ以上の"w"が現われる》は
事象としても表現としても 互いに他方を伴なうような関連性が有るモノだとは見なせない。
けれども、そのように関連性の有る事が確実視されない情態であればこそ、こうした関連づけが試みられる。
元の
>>932 で試みられた関連づけ (P→Q)は、日本語での仮定法でだと
「〔いままでの投稿文に対するレス文のうちに"w"の現われ"が幾つか有った事から推して〕
もし投稿文へのレス文が再度あるとすれば、そのレス文にもまた1つ以上の"w"の現われが有るだろう」
と言い表わせるような一種の〈帰納的推理を表現した条件文〉である。
現時点では その前件が偽であり(=不成立であり)、それに因って 後件も偽であるので、
当の(P→Q)は“明らかにクロでないうちはシロと見なすべきだ”風の考え方によっての
“真な条件文”であるにすぎない。
982は人が良いなあ、
984 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 18:49:31 0
>>982 まあまあ。
それは、解釈におけるさじ加減程度の問題。
論理記号が背負った、限界の問題でもあるしね、だいたいが、数学と論理学は違うし。
論理学における論理記号の背景には、「文章」があるわけですよ、そしてそれは「意味内容」を伴う。
記号と意味内容はけっきょくのところ、イコールでは結ばれないから。
繰り返しになるけれど、さじ加減でどうとでも言える可能性があるということ。
だから、不毛な議論はしない方がいいよ。
985 :
宮台 :2008/04/27(日) 19:04:39 0
>だから、不毛な議論はしない方がいいよ。
>>1-984 非常に長いプロローグでしたね。
それじゃ本番スタート
986 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 20:00:25 0
難しいけどさ、 ポインタぐらい理解しろよw VB.NETとか雑魚のエサだろww
987 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 20:15:43 0
>>982 >(*) (
>>932 へのレス文が200931文字ある →
>>932 へのレス文のうちには1つ以上の"w"が現われる)
ついに頭おかしくなっちゃったね(笑)
「偽 → 真」だろ。「偽 → 真」はお前の頭の中では真なのか?
>事象としても表現としても 互いに他方を伴なうような関連性が有るモノだとは見なせない。
ついに頭おかしくなっちゃったね(笑)
その「モノ」がない両者には、関連性がないと言い切っていいのか?
>>932 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
これで気が済んだか?
「偽 → 真」だな。
>“真な条件文”であるにすぎない。
くだらん事はいいから、じゃ頼むわ。
988 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 20:19:59 0
分析哲学とか科学哲学とか格好よく言っても、所詮この程度なんですよ。 →とか答えられないでオナニーしてるだけなんですw
989 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 20:26:18 0
次スレは?
990 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 20:32:25 0
ガンダム板でやれよ@
テクニカルな基本レベルは本を見りゃわかるだろ? つまんねえレスしてんなあ…。
>>991 おまえの方がつまんねーんだけど、テクニカルレベルってガンダムのこと??
993 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 21:05:28 0
∧___∧ (・π・)
994 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 21:29:27 0
995 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 21:37:39 0
しごとはや。 しかし、スレタイについては検討の余地があるという指摘もあったのに、 あまりに一方的で芸に欠ける所行ではないか、という異論が出ても、 あながち根拠のない非難とはいえぬだろう。 つまり、そのスレ立てに対する異論には根拠があり、 乙とはいいかねる、と私が結論するのは、 たいへんに論理的なことだ。
996 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 22:11:11 0
その癖を直せば少しはましなんだけどな。まあ、あんたは気づいてるんだろうけどw
997 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 22:14:34 0
クセー。
はいはいガンダム発進
クソスレ、爆破準備OK!
爆破…どかん。
1001 :
1001 :
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