1 :
考える名無しさん:
『私』『我』『自我』『主体』『主観』『主観性』、
デカルト的懐疑の到達点、認識の基点、思考の起点、思惟の場、
或いは、各種宗教的アプローチの底に見出されるもの、
等は、どのような記述が可能なのか?
その記述方法は、唯物的な(或いは還元的な)事象の羅列で十分か不十分か?
その記述方法は、一通りか?それとも何種類もあるか?
それら記述方法の分類・仕分けはどのようなものか?
『それ』にふさわしいラベルはどんなものだろうか?
『それ』と「外界」の関係は?
『それ』と「他者の『それ』」との関係は?
前スレ
【私】を記述してください。【私の存在性】 7
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1190778733/
2 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/22(月) 00:53:32 0
微力ながら宗教的アプローチというものに挑戦してみましょうか。
私の存在性
新スレ、おめでとうございます。
>>2 貴方もミステリアスな人ですねぇ・・・w
飽きたのかと思えば、ちゃんと新スレチェックはしてると・・・。
4 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 01:17:13 0
書き込んだら1000超えてたわ(汗
>968
たとえ私の体が、誰かの体のコピーであったとしても
なんら新しい問題は発生しません
私は、私という純粋な存在性である事に、変わりはありません
『私』は
『私』なんです
>977
う〜ん
いい所を突いてますね
>980
いいですねぇ
冴えてますね
>982
そそ
いいですねぇ
『あり』なんだよね
なんでみんな、わからんのだろうかねぇ・・・・
『あり』は妄想だ とかね
笑っちゃいますよね
『あり』だからこそ、妄想も出来るのであって
『なし』なものが、どうやって妄想するのか
いったい誰が妄想してるんですか? と言っても理解できない 気づかない
なんで、こんなアホみたいな事が、3年も4年も理解できんのか
ホント、理解に苦しみますね(苦笑
思うでしょ?
>>4 スレが違うと、アンカー付けてもポップアップしないんだが・・・
ありだからこそ妄想できるんじゃなくて、単に妄想があるだけなんじゃ。
やっぱり思いがあるならば思う主がいるはずだっていう錯覚によるものなのかね。
7 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 02:00:38 0
>>6 と、思ってるのは誰?
妄想がある としても
たとえ、その妄想?が何個あっても
私が認識する事はありえないよね
私はいないんだからさ
私が、それを認識しているのは、なぜ?
という妄想がある
9 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 02:08:48 0
>>8 その妄想は、いつからいつまであるのかな?
その妄想は未来永劫ずっとあるんだろうか
永遠にあったらいいのにな(爆笑
それとも、いつか終わるんだろうか
終わるとすれば、それはいつ?
>>7 認識作用が私として認識している
認識作用が他人として認識している
でいいんじゃないw
11 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 02:18:02 0
>>8 ところで
その『妄想』というのは、世界に客観的に存在するの?
何個ぐらいあるの?
12 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 02:26:03 0
>>10 私ではない認識作用が、いくら私として認識しようが
それは他人ではありませんか?
私じゃないんだから
私ではない認識作用ってなにw
>>10 その優先度が問題だな
当然私がメインだろうが
15 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 02:46:31 0
>>13 >私ではない認識作用ってなにw
あるとすれば、他人の認識作用じゃないか?
他人の認識は、いくらあっても私には認識できない
もし私がいなくて、『他』しか存在しない世界ならば
私が認識している という妄想すら認識できないでしょう
唯識は挨拶だけで帰ったのか
>>7 >と、思ってるのは誰?
と思うことを思う主のことを思う思う主の事を思うってずっと続く。
>私が、それを認識しているのは、なぜ?
と思うことを思う主のことを思う主の事を思うってずっと続く……。
勝手に思う主というところで止めるのは勝手だけど、本当はずっと続く。
つまりは永久にループする。
18 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 03:26:44 0
>>17 永久にループすんのは、キミの頭ん中だけだけどな
お大事に
>>18 おまえひょっとしてそのループから抜け出す方法がわからない裏返しが
哲学スレに粘着してる理由じゃないのかw
ループを唯物論にせいにしてるんじゃないのか?
20 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 03:43:29 0
やっぱわかってないようだな
わかっているならわざわざここで叫ぶ必要ねえしw
おそらくそれは誰にもわからんだろうな
>>18 つまり永久ループすることからして、少なくとも考える主がいるとすることは断言できなくなる。
いないとも限らないが、いるとも限らない。いや、いる場合に変になるんだから、そっちのほうがちょっと劣勢か。
それでもいるとして話を止めてもいいが、それが脳機能のことであると片付けられない場合は永遠に不定になる。
その場合、分からないとして諦める事は、脳機能として答えを出す場合よりも劣勢にはなると思う。
分からないなんて誰にでも言えるし、そう発言する意味自体ないからだ。
流れが、ちょっとばかり唯識さん向きの土俵になってますねw
或いは仏教的アプローチ(特に唯識・中観)の参入を許す流れとでも言うか・・・
>>17 >と思うことを思う主のことを思う主の事を思うってずっと続く……。
>勝手に思う主というところで止めるのは勝手だけど、本当はずっと続く。
>つまりは永久にループする。
永久にループするような、そういう思考(妄想)が継続しているだけで、
そういう性質の悪い思考(妄想)にはまっているときでも、脳としては健全に機能している。
脳が機能を発揮して思考が発生している、という枠組みは変わっていない。
で、『私』というのは、その思考を味わっている奴のことでしょう。
26 :
ハメル准将 ◆FQNM65tu3g :2007/10/22(月) 09:32:17 0
「私」の中に他人が存在するかもしれませんぞ。
その可能性をなぜ排除してしまうのか。
前スレ
>>880 >キミが
>>571で言ってる事は
>『私』という言葉の意味についてであって
>『私』の本質である存在性についてではありません
おお、最高位氏、無茶を言ってはいけませんw
『私』という言葉の意味がわからないのに、その本質がどうこうと語ることも
考えることもできる道理がないではありませんかw
なお、多くの方が勘違いされておられますが、「最高位理論w」の核心に関する限り、
『私』という言葉のいわば「内包」が何であるかは、あまり問題ではありません。
日常語の「私」でも「精神」でも「脳の思考」でも「脳の思考を体験している者」
でも「超越論的主観」でも何でも、大した違いはないのです。
(現に、ご本人があまり区別できておりませんw)
問題は、『私』という言葉の、いわば「外延」であります。簡単に言えば、
『私』は世界で唯一の存在なのか、それとも人間の数だけ存在し「得る」のか、
ということだけなのです。
(続き)
>なぜ、そういう質問形式になるのか 意味も意図も、わかりません
>なぜ『私』である『ため』なんですか?
>何かの『ため』なんてあるんですか?
おお、最高位氏、何をそんなにビクついておられるのですかw?
一応お断りしておきますと、この質問は(あなたの理論の核心とは余り関係のない)
『私』という言葉の「内包」に関するものです。
あなたが「私は主観性そのものである存在性だ」と強調されるので、
「主観性であることは私であることの必要条件なのか? 主観性という性質を
持たない私というのは存在できるのか?」と疑問に思ったからお尋ねしている
だけであります。
ちなみに、あなたは前スレ
>>872氏の書き込みを「センスがある」と評価して
おられますが、
>>872氏は
>「存在する私」は体であるが、「思う私」は体によってその発生を説明出来ない。
と述べておられるのです。その通りだとすると、あなたが常々力説している
「純粋な存在性としての私」は人体という物質の組み合わせであることに
なってしまいますが、それでよろしいのでw?
では、改めてお尋ねいたしますが、
『主観性』とは『私』が『私』であるための本質的な性質なのか、それとも、
『私』にとっては単なる偶有性に過ぎないのか、さて、ご返答や如何w?
29 :
ハメル准将 ◆FQNM65tu3g :2007/10/22(月) 10:11:52 0
>>28 おお閣下殿、あなたとは意見が大方合いますな。
最高位閣下の「私」というものの本質はまったくの
こじつけで虚偽であります。懲罰委員会ものでありますぞ。
30 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 10:45:35 0
>>25 >で、『私』というのは、その思考を味わっている奴のことでしょう。
そういう事ですね
>>26 >「私」の中に他人が存在するかもしれませんぞ。
>その可能性をなぜ排除してしまうのか。
もし、そんなもんがいようが
それは他人だから、私じゃないでしょう(爆笑
>>27 >『私』という言葉の意味がわからないのに、その本質がどうこうと語ることも
>考えることもできる道理がないではありませんかw
『私』という言葉の意味が、わからない人は珍しいですよ(苦笑
31 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 10:53:07 0
>>28 >では、改めてお尋ねいたしますが、
>『主観性』とは『私』が『私』であるための本質的な性質なのか、それとも、
>『私』にとっては単なる偶有性に過ぎないのか、さて、ご返答や如何w?
何度も言いますが、あなたは基本的な事も、何も理解できてないんですよ
私は『主観性』であります
それは本質的な性質でありましょう
しかし
『存在性』でもあるわけです
存在しているわけです
では『主観性』でなくなった時
私は、私という『存在性』でもなくなるのか という事を考えましたら
『主観性』ではない という前提になったとしても
『存在性』に関しては言及できないわな
としか言えませんなぁ
わかりやすく、例えて言うなら
私は人間である
というのは確かに『本質』ではあるが
もし人間でなくなったとしても
私が何らかのかたちで存在していれば
私は私である としか言えないわけで
人間でなくなっても、私の本質である『存在性』は否定できないわけです
なんでそんな事を聞くのかな? という次元の質問ですよね
だから、あなた質問が、おかしいんじゃないですか?と言って教えてあげたわけですけど
なんでわからんのか、理解に苦しみます
>>31 で、思考ループから抜ける手段はありましたか(笑
だったら存在は時間だな
簡単なことだ
34 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 11:09:35 0
>>28 どうでもいい事ですが
追記
(まぁ、あなたへのレスは、大方どうでもいい事なのではありますが)
>ちなみに、あなたは前スレ
>>872氏の書き込みを
>「センスがある」と評価しておられますが、
「センスがある」というのは
センスについて、述べているのであって
正しいか正しくないかに言及しているのではありません
正しく会話しましょうね
35 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 11:12:46 0
981 素人 sage 2007/10/21(日) 21:20:49 0
>>
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1190778733/977 君とも長い付き合いになるが、未だに理解して貰えてないようだw
私の作文能力が稚拙であることを差し引いても、あまりの読解力の無さに驚くよ。
何度となく、手を変え品を変え述べてきたし、君が指摘する区別も、
出来得る限り盛り込みながらレスしてきたつもりだ。
そんな中、君は、彼の牛若丸的態度を不問にしている。
Xという語に、段階的に「A、B、C、D」と階層的語義があったとする。
一般的に多用され流布している語義がCであったとする。少し掘り下げたものがBであったとする。
この時、詳しい解説なく議論が進めば、当然応答者はCとして語る。聡い者はBとして語る。
当然のことだ。それが基本知識なのだから。そこで、発話者がAであることをほのめかした時初めて、
他の者もAとして語ることが可能になる。
しかしそこで発話者は言葉を翻す。Aとして語られAとして質問されAとして批判された時、
突如、Bの場合はどうなんだい?Cの場合はどうなんだい?と・・・。
「おいおい・・Aとして語り合ってたんじゃないのかい?」と言いたくなる。
またある時は、発話者がAとして(Aの属性として)語るものがBやCについてのものだったりする。
応答者は、「それはBやCだろ」と切り返すことになる。「もしBやCならばこうだろ」と・・・。
或いは最初に、Aとしてという前置きがなくBやCとしての属性が語られれば、BやCについて語られていると判断する。
すると、発話者は「違う違う!それはBやCについてであって、Aのことじゃない」と言う。
応答者は当然「ちょwwwおまwwwww」となる。あまりにもいいかげん過ぎる。
振り回すのは大概にしてほしいw
「A、B、C、D」というような多義性多様性を文脈で読み取ることは当然大切だ。
我々は日常それを無意識に行っている。
或いは日常の文脈は明解なので、文脈から 確定することは比較的容易だ。
しかし、今為されているような議論に於いてはそうはいかない。
互いに語義の範囲を限定し合いながら、話題となっている対象を絞り込み、輪郭を浮き立たせていかなければ、
いつまでたっても霧の中だ。(もっとも、君は「霧の中で良い」という立場かもしれんが・・・。)
982 ネコの味方 2007/10/21(日) 21:48:32 0
>> 981
このレスは(たぶん私だけでなく)突っ込みどころ満載である。が。それは控える。w
その階層的語義とやらを明確にする責任は、むろん貴君にある。ただし、それを
どのように意味づけるかは受け手。w それに文句をつけるのは貴君の泣き言。
冷静になって繰り返し説けばいい。
最高位の『私』に階層的語義などはない。ただ「私はある」と言っているだけ。
貴君は「そんなものはない」「これこれの理由で」と言えばいいだけだ。それを
言わずもがなの例をあげて階層的でないものを階層的に否定しようとするから、
彼に牛若丸的に立ち回られるのである。君は、饒舌な弁慶になりさがっている。w
962 素人 sage 2007/10/21(日) 15:47:53 0
>> 960
自分に都合のいい所だけを拾う癖は相変わらずですね・・・(^^;
私は、ぶっちゃけ唯物論がどうなろうと知ったこっちゃないですが、
一言レスを入れるならば、
>人間の精神が、【根源的「なぜ」】を含んでいるのであれば
>それは物理現象以前の【宇宙の根本問題】の次元の問題を含む事になり
>「物理現象では説明がつかない」 という結論により
>唯物論は、崩壊せざるをえない
【「物理現象」もまた、『根源的「なぜ」』を含んでいる】ということだ。
なぜ、そのよう(な現象)でなければならないのか、は問うことができる。
いや、概念だろうが個物だろうが現象だろうが、全てに於いて【根源的「なぜ」】は発生する。
唯物論だけでなく、どんな思考もどんな論も答え得るものはないだろう。
唯一、「神」等のような(「宇宙の意思」「大自然の摂理、理(ことわり)」などなど)、
超越した俯瞰的存在を想定する以外には・・・。
※もっとも、それらもまた「なぜ」の対象にはなるのだが・・・。
「なぜ、神は存在したのか?」「なぜ、理(ことわり)は存在したのか?」と・・・。
そしてそれは、解釈の問題へと堕ちてゆくしかない・・・。
994 哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ 2007/10/22(月) 00:40:15 0
>> 961
>そもそもその説明するものが何かって聞いてんのに、もう、お話しにならない奴だなぁ・・・。
ん?『私』だろ?
そんなの3才ぐらいの子供でも知ってるぞ?
「私って何かわかる?」と聞けば、可愛い声で「うん」と答えてくれるよ(笑
何がわからんのか、私にはサッパリ理解できんね
本来、問題自体が理解できんのだったら、反論もクソも無いハズなんだが
だぶん頭がおかしいんだろねキミ
>> 962
>【「物理現象」もまた、『根源的「なぜ」』を含んでいる】ということだ。
同じ環境であれば、同じ現象が起こる
物理現象というものは、決まった法則性に従うのであって
説明できない物理現象など、ありえないのだよ
物理現象が、法則性を無視して起こるのなら
そもそも決定論など根底から崩れるし
というか
物理法則が、気まぐれに変化するなら、危なくてクルマの運転なんて出来ないわな(爆笑
重要→ 『物理現象』というものは、その原因が、全て法則性によって説明がつくんですよ
説明できない物理現象など、オカルトです
>なぜ、そのよう(な現象)でなければならないのか、は問うことができる。
究極的な『なぜ』は、それは何度も言うように、物理現象以前の、宇宙の根本問題です
そのような次元の問題が、人間の精神の解明に立ちはだかるのであれば
それはもはや、物理現象なのではなく、それ以前の、さらに根本的な原理の話になります
すなわち
物理現象なのではなく、さらなる宇宙の根本問題であった という事になります
40 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 11:22:30 0
>>36 A.B.C.DとかXとかじゃなくて
具体的な例で説明して下さい
>>30 >『私』という言葉の意味が、わからない人は珍しいですよ(苦笑
おお、最高位氏、わからないから、極めて簡単なことをお尋ねしているわけです。
『私』は世界で唯一の存在なのか、それとも人間の数だけ存在し「得る」のか、
さて、ご返答や如何w
>>31 >私は人間である
>というのは確かに『本質』ではあるが
>もし人間でなくなったとしても
>私が何らかのかたちで存在していれば
>私は私である としか言えないわけで
>人間でなくなっても、私の本質である『存在性』は否定できないわけです
おお、最高位氏、以前は「私がアリやコウモリであるなどということは有り得ない」
と力説されていたのに、だいぶ変わられましたな。それはともかくw
「私が何らかのかたちで存在していれば」とありますが、まさにその
「私が何らかのかたちで存在しているのかどうか」のメルクマール、
「私が存在している」ことの意味、それこそをお尋ねしているわけなのですw
人間でもなく主観性もないが、確かに存在している「私」とは、はてさて、
何のことでありましょうか?
「私は私である としか言えないわけで」とありますが、「私は私である」
と「考える」も「思う」も、もはや成立しないのですぞ。何しろ主観性でないのです
から。あなたの好きな「我思うゆえに我あり」も、適用できないのです。
さて、人間でもなく主観性でもない「私」とは、何のことでありましょうか?
それが「存在する」場合と「存在しない」場合を、いかにして弁別し得るので
ありましょうか?
さて、ご返答や如何w
思考ループしてんだから
ほっとけばいいじゃんw
そこから脱出できないかぎりなにを言ってもムダだよ
>>35 だったらお前の思考がループしてないってことだな
>>17でないことを論理的に否定してみせよ
44 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 11:51:44 0
体は器に過ぎず私の入れ物に過ぎず
ってことか
マンガの読みすぎじゃね
エヴァとか星矢とかDZあたりだろう
45 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 12:00:15 0
>>41 >『私』は世界で唯一の存在なのか、
>それとも人間の数だけ存在し「得る」のか、
>さて、ご返答や如何w
もちろん『私』は、世界で唯一の存在です
『他人』は、人間の数だけ存在してると思われます
>人間でもなく主観性もないが、確かに存在している「私」とは、はてさて、
>何のことでありましょうか?
はぁ??
んなもん知りませんよ
私は、主観性そのものな存在性です
>それが「存在する」場合と「存在しない」場合を、
>いかにして弁別し得るのでありましょうか?
それは観測問題であって
観測できないからといって存在しないとは言えません
存在する存在しないの結論とは、微妙に関係がありません
>>46 それが「ある」か「ない」かとっちかだろ?
観測もできねえのに「ある」ていうのは「予測」だろうが
>>44 自分で「ニュータイプ」なんて言ってたしなw
48 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 12:10:08 0
>>45 あのさあ
なんで知らないのに知ったようなこと書くの?
49 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 12:13:16 0
>>43 思っているのは、主である私である という結論
これをくり返すのは自由だが
たとえ何万回くり返しても、その結論が変わる事はない
>>44 知能の低い人は、根拠も述べずに
すぐにマンガとかに結びつけようとするなぁ
>>49 変わる事がないのが「ループ」っていうんじゃないのか?
ていうか変わる事がないって決め付けてるからループするんじゃないのか?
もっと柔軟になれよw
51 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/22(月) 12:17:26 0
>>46 ん?
今、観測できていて
『あり』という結論以外にはありえないわけでね
それが観測できなくなった場合に
それは観測できなくなった という事実がある と分析すべきであって
それが即、存在自体が消えたと結論するのは、論理的な飛躍がある というもんでしょう
>>51 そうそう「今」ね
でも
>>41氏が指摘している
>私は人間である
>というのは確かに『本質』ではあるが
>もし人間でなくなったとしても
>私が何らかのかたちで存在していれば
>私は私である としか言えないわけで
>人間でなくなっても、私の本質である『存在性』は否定できないわけです
は未来じゃないのか?
>>51 矛盾だな
観測できなくなった事象を自分がどうやって観測するんだ?
>>25 いくら妄想とか性質の悪い思考(←意味分からない)とかいっても、ループするんだから仕方ない。
思う主で無理に止める態度ははっきりいって不徹底。
そもそも思う主がいるとする時点でかなりおかしい事に気付くべき。
同一人物同士が時空を超えて握手するって言うくらいにおかしい。
>>45 >もちろん『私』は、世界で唯一の存在です
>『他人』は、人間の数だけ存在してると思われます
最高位氏、他人が人間の数だけ存在するのは定義上当たり前ですがw、
あなたはよく他人に対して「あなたがゾンビでないのなら『私』が何の
ことだかわかるはずだ。わからないなら病院へ行け」とw強調されますね。
しかし、他人が『私』でなく『私』が客観的存在でないのなら、
他人が『私』について理解できる道理がないと思われますが、いかがw?
>はぁ??
>んなもん知りませんよ
>私は、主観性そのものな存在性です
おお、最高位氏、その「主観性そのものな存在性」の意味がわからないから
お尋ねしているのですよw
>>31で「主観性でなくなっても、人間でなくなっても、『私』は何らかの
かたちで存在していることが有り得る」と述べられたので(つまり、
『私』にとっては主観性であることも人間であることも偶有性に過ぎない、
ということですが)、それではその「主観性のない『私』」とは何のことか、と
お尋ねしているのです。「んなもん知りませんよ」と言われても、
困り果てるばかりでありますw
(続き)
>それは観測問題であって
>観測できないからといって存在しないとは言えません
最高位氏、「私は観測主体であって、それ自体は決して観測できない」という考えも
あるのですが(前スレにもそんな考えが述べられておりましたが)、それはともかくw、
観測できないからといってないとは言えない、というのは、観測されるものの
「意味」が確定していて初めて言えることなのです。
「昨日なくした財布は観測できないからといってないとはいえない」とか
「高さ一万メートルの黄金の山は観測できないからといって(宇宙のどこかに)
ないとはいえない」とかは言えますが、「丸い四角はないとは言えない」とは言えない
のです。「丸い四角」というのは何のことだかわからないので、一体何をどうしたら
それを「観測した」ことになるのか、意味がわからないからです。
ですから、観測できないからといってないとは言えない、と言うためにも、
まずは「主観性のない(人間でもない)『私』」の意味を、はっきりさせる
必要があるのです。
さて、いかがでしょうかw?
57 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 15:46:01 0
>もし人間でなくなったとしても
>私が何らかのかたちで存在していれば
人間ではない「私のかたち」って想像つくかな?霊魂?
58 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 16:17:44 0
>>30 >>『私』というのは、その思考を味わっている奴のことでしょう。
思考しているのも『私』。『私』は意識という鏡に己の姿を映して、
其れを見ているという事だ。自分がたった今何を考えたのかを。
>>31 >『主観性』ではない という前提になったとしても
>『存在性』に関しては言及できないわな
その通りだ。主観性であるには意識がはたらいている状態でなければならない。
しかし、意識がはたらかなくなった状態になったとしても、
『私』も全て壊れてしまっているのか、残存しているのかは場合による。
>>51 >それは観測できなくなった という事実がある と分析すべきであって
>それが即、存在自体が消えたと結論するのは、論理的な飛躍がある
無意識の状態では『私』が在ると思う事はできない。。
意識という機能が無ければ「思う」という事ができないからだ。
(「感じる」だけではどう思ったのか知る事ができない。これも意識と言えなくもないが此処では考えないでおく。)
意識があって初めて『私』が在ると思う事が可能となる。
しかし、実際には意識が機能せずとも『私』は在り得る。
意識というのは無意識の情報処理を映す鏡のようなものだ。
無意識下の『私』だけでは『私』は『私』の姿(思考)を見る事はできない。
意識に映った己の一面を見て、自分の姿・存在を認めるのだ。
勿論無意識下の『私』迄もが破壊されてしまったなら存在自体も消えてしまうが。
主観や意識を「観測する」っていう言い方は違和感があるな。
60 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 17:13:32 0
実際は、観測したかのような意識があるだけ。
「私」と呼ばれるものと、自我意識の間のずれ。私と呼ばれるものの中に自我意識は閉じこめられ
ているが、私の自我意識は私を対象化できない。自我意識は私を経験することが出来ない。
62 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 17:28:37 0
思考を味わうなんていうポエムな思考は止めてもらいたい。
>>61 対象化することも経験することもできないものを、
どうして「私」などと呼ぶことができるのか、よくわからん。
>>63 ぐるりと回って中に囲い込むように、空隙として私は存在するのではないか。
65 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 17:42:02 0
>>61 「意識が私のなかに閉じ込められている」との言い方はどうかな?
むしろ「私」の外に広がっていて「私」がそれをみているという感じ。それが「自我意識」であっても。
まぁ、印象なんだけど。ズレているというのには賛成です。
なお「私」によってみられている(意識されている)“自我”は、俗っぽくいえば過去のそれ。
無限ループはしません。
対象化(意識)できないのは『いま現在の私』ですね。
66 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 17:49:50 0
これはアメリカのゲームです。1度やってみてください。
これは、たった3分でできるゲームです。試してみてください。驚く結果をご覧いただけます。
このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事が
かなったそうです。このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を
貴方にもたらすでしょう。 約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。
たった3分ですから、ためす価値ありです。
まず、ペンと、紙をご用意下さい。 先を読むと、願い事が叶わなくなります。
@まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。
A1番と2番の横に好きな3〜7の数字をそれぞれお書き下さい。
B3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味の
ある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同姓の名
前をかく)
必ず、1行ずつ進んでください。先を読むと、なにもかもなくなります。
C4,5,6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さ
い。これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。
まだ、先を見てはいけませんよ!!
D8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
E最後にお願い事をして下さい。さて、ゲームの解説です。
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
2)3番に書いた人は貴方の愛する人です。
3)7番に書いた人は、好きだけれど叶わぬ恋の相手です。
4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。
この書き込みを読んでから、1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って下さい。そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。もし、貼らなければ、願い事を逆のことが起こるでしょう。とても奇妙ですが当たってませんか?
67 :
('A`) 前スレ968:2007/10/22(月) 19:31:32 0
>>4 >私は、私という純粋な存在性である事に、変わりはありません
>『私』は
>『私』なんです
「在るから在るんだ、疑うこと無かれ」って?。
それって哲学なのか?。
69 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 21:00:46 0
結局のところ、(それ)を「私」と決めた瞬間に、「私」があるということが
わかる、ということじゃない?
その瞬間に、じゃあ(それ)を誰が(何が)、「私」と決めたの?
という問いには答えられない。
なぜなら、「私」と最初に決めることによってのみ、同時に「それを決めた存在」
があたかもあるように想起されるからだ。それが言葉の仕組みだ。
「私」と決めなかったら、「それを誰が」という疑問も最初から
存在しない。赤ん坊と同じで、「私」も世界も一緒くたでただ混沌の中に
いるだけのことだろう。
考えればかんがえるほど不思議だけど、それが人間の思考の限界だろう。
皆も、哲学者最高位も、言葉のワナの中でぐるぐる回っているに過ぎないんだって。
少し、冷静になったら?
70 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 21:19:27 0
>>69 その答えが間違いというわけではないが、そういう言い方をするのなら
「言葉の仕組み」をもう少し説明しなければならない。言葉のワナって何?
それを言わなければ「私の謎を言葉の謎に置き換えた」だけでないの?
71 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 21:26:51 0
70>うん、語彙が欠しくて、上手く説明できない。
でも、「私(と言う音声の塊)」も「言葉」だよね。
確かに名づけられる前に何らかの物理的存在があるだろうことは、
否定しないけれども、それを「私」と名づけない限り、人間は
それを認識できない。
つまり「私(と名づけられたもの」は、「私という「言葉」」であり、
「私」の謎は、「私と言う言葉」の謎、つまり、「置き換えただけ」
なのではなく、「一緒のもの」というのが漏れの考え。
うーん、うまく説明できないな
私とはこの肉体以外の何物でもない。
73 :
71=69:2007/10/22(月) 21:42:21 0
69で「言葉のワナ」と言ったのは表現が適切ではなかったかもしれないが、
69の文面に即して言えば、具体的には、
「私」と最初に決めることによってのみ、同時に「それを決めた存在」
があたかもあるように想起されるからだ。それが言葉の仕組みだ。
の部分を指しています。すなわち、
「名づけられる前の世界(混沌)」に名づけ(言葉)が入り込む事によって、
あたかも名づけられた対象と、名づけた本体があるかのように感じられる、ということです。
→それは、そういう風に思えるだけではないか、というのが漏れの考え。もともとは混沌にすぎない。
(もっとも、混沌状態だと、こんな疑問が浮かぶこともないいだろうが)。
72>「この肉体」というのは、「この肉体」という言葉のことですよ。
「私」と日本語で表現されるようなものがいまここに存在しているのは
言語とは無関係だと思うけどな。
75 :
73:2007/10/22(月) 21:55:46 0
74>無関係なんだけど、「私」という言語を知らないとしたら、
「無関係かどうか」すらわからない。→混沌だから。
76 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 22:13:19 0
>>73 その論旨でいくと、その言葉は別に「私」でなくてもいい気がする。
例えば幼児が目の前の母親を「ママ」と発音して指示する場面ような、
そういう名づけ行為一般が妥当する?
名づけ行為を始めることで、自他の分離が発生するという意味?
77 :
考える名無しさん:2007/10/22(月) 22:13:49 0
何か『普遍文法』の方向に行きそうな雰囲気だな。
毎度お馴染みのループです。
「主体」って言うぐらいだから体だよ。
「体が〜する」んであって、
主語と動詞の関係、主語の指すところは体。私は体。
81 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/23(火) 00:57:38 0
「私」という言葉を遣う際に
それが何を示すのかも大事なことではないでしょうか?
自らを表現するために、或いは目的を表したり、等々。
働いてたー時見た夢
四国カルストで社内はっひょう会が開催されていて自分寝言言ってて次110君で
書類とんとん。何か終わった雰囲気で帰る時に緑芝から突起した岩と立派な開場の中間映像が入り
教育官(黒服のジョーカーキャラの老人と大量の事前情報書類と思われる絵がアングルに入る。
丘を昇った所に洋館があって自分は2階なので当然出ようとするが、自分は壁の中で上からの危険を
感じながら階段へ出るのだが3Dスライダー状の滑り台で滑り始めに終点が針の先のようになっている
先攻予知危険を感じてしゅぽんっと止まる感触の後で外を歩いている。涙が流れる。流れねえよ。
起きる。出かける。
私は社会を必要とするが、社会は私を必要としない
私にしか出来ない事など何も無く、私の代用が利かないものはない
なら、私が存在しなければならない必要は無い
「私が走る」と言ったらこの体が走るといういう意味なのね。
「私が話す」というのもこの体が話すのね。
他人には分からない主観性が走るなんてのは基地外なのね。
病院でも治すのは無理ね。
85 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 08:43:12 0
>>72 >>84 「私は身体=物体である」と単純にきたので、単純な譬えをあげて
単純に揚げ足をとってみる。
「私という物体が走っている」そうなので、これを別の物体に置き換えてみる。
「クルマが走る」 クルマは走っているようにみえるし、そういう表現をする
こともある。でも、そうなの? クルマは走らされているのではないの?
身体という物体も“役割”を担わされているのではないの?
>>84 そうとも限らないでしょう。
「“この体”が抱えている内面としての自己」が、
思い、悩み、語り、行動している、
と見ることもできる。
それは、決して不可能な捉え方ではない。
むしろ我々は、日常的にはそのように見做して他者(相手)の存在を総体的に捉え、
(比重としては内面をこそ「その他者(相手)」として受け止め)、接している。
トラックを走るアンカーの斉藤君を指して、「斉藤君の体が走っている」とは考えない。
「『斉藤君』が走っている」として応援するのだ。
87 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 08:56:12 0
最高位的唯名論・・・
88 :
86:2007/10/23(火) 09:18:25 0
ま、だからこそ、
そうした「主体」が何であるか、どのようなものであるか、が重要となる。
「心」や「意識」といった「精神活動としての内面」ならば、
人格として受け止め、接することもできる。愛することもできる。
さて、では、「そこにいる(ある)何か(何者か)」として、その存在(のみ)を抽出した時、
そこに「人格的誰か」を想定することができるだろうか。
そこに、他の「そこにいる(ある)何か(何者か)」との差異を見出せるだろうか。
田中さんは鈴木さんの何を愛したのか?「鈴木さんの『そこにいること』性」を愛したのか?
そこに、個別性に拠る差異・区別がなかったら、相手が鈴木さんである必要はない。
それはまるで仏の慈悲とでも言いたくなるような、包括的愛情と化してしまうだろう。
また、皆が具有しているであろうそうした「存在すること」、
或いは「“主体”として見做し得る何か」は、
「一切衆生悉有仏性」等とは、おそらく意味合いが違うだろう。
さて、新たにラベルを貼るとするなら、いかなる名を冠すべきであろうか・・・。
89 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 09:21:55 0
90 :
ハメル准将 ◆FQNM65tu3g :2007/10/23(火) 09:32:59 0
名無しの兵卒諸君!
無駄口が多すぎる。
91 :
ハメル准将 ◆FQNM65tu3g :2007/10/23(火) 09:37:43 0
まとめると、
「私」はそもそも「存在性」である必要も無いし、
「主観性」である必要もないし
「唯一」である必要もない。
これらをつむぎ合わせて「私の存在性」理論と言うには
最高位閣下の言説事態が脆弱すぎる。
そして最高位閣下は、これまで述べてきた以上の
説明能力と自論の補強要素を持っていない。
>>90 懼れながら申し上げまする。
察するに、将軍の威光に翳りが見え始めたということはございませぬか。
このあたりで再度、将軍の威風を知らしめておかねば、
愚民どもは益々勢いづいてしまいましょうぞ。
93 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 10:10:49 0
>>91 おっさん、「まとめてみると」とか、なにほざいとんじゃ。
コテはるんなら、まずオノレの意見をいわんかい。
そのていどのことをいうのに、たいそうな名前を名乗るな。
94 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 10:19:04 0
ま、准将というのは重役心得とか重役待遇、重役一歩手前、のような中二階的存在。
ホントの将軍ではないんだよね。
中途半端な発言には、寛容な微苦笑を持って…。w
95 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 10:48:04 0
>>73 最高位がいないようなので一つだけ彼ふうに突っ込むと、最初に「私」と
決める(名づける)のは何? この問い方は直截すぎるかな?w
そもそも、何かが「存在し始める」というのは背理ではないのか、
というゼノン的疑問。
>>95 一つの解釈(=逃げ道)は、
「思考」もまた「現象である」とすることです。
つまり、『≪「私」と気付く≫、そうした現象(事象)が起きている』とすることです。
この解釈の利点は、
およそどんな「思考」「認識」「気付き」があっても、そうした現象(事象)として括ることができ、
例外を想定する必要がないということです。
「そう考えているのは誰?」という問いに対しても、
≪「そう考えている」という現象(事象)・状態≫があるだけ、と答えることができる。
この、無機的な、(主体・自己が喪失したような)足場の喪失を受け入れるか否かが、
この解釈に於ける分かれ道になるでしょう。
「誰?」とか「何?」とかって、先にそれ「あり」きで聞いてるので、
これに返答すると「ある」ことを認めてしまうかたちになったりする。
このトリックを最高位はよく使うが、哲学者の態度としては底辺以下。
その意図がなかったとしたら知能が底辺以下。
どっちにしても最悪。
99 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 11:34:56 0
>>97 やっぱり、それには無理があるんだね。なにかが「括る」のであり、
なにかが「答える」「受け容れる」のです。
そもそも“現象”とは、観測者(主)によって認識された事物のことでしょう?
その語り口では“主”を消去できません。
脳内のニューロン発火現象は誰にも認識なんかされんよ。
101 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 11:51:08 0
>>88 「人格的な誰か」ではないのだね。「私」の存在性は。
102 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 11:54:09 0
>>100 ほう、だれにも認識されていないことを、どうして君が知っているの?
>>99 やっぱりネコだったかw
≪「括る」という行為(事象)のみがある≫ということ。
≪「答えている」「受け入れている」という行為(事象)のみがある≫ということ。
>そもそも“現象”とは、観測者(主)によって認識された事物のことでしょう?
ラベルを伴った“現象”であるなら、そうです。
また、貴方が、『ラベルを伴わないものは存在しない、ありえない』と言うならば、そうです。
また、貴方が、認識の壁を俯瞰することを拒否するならば、
集積された情報による類推を採用しないのであればそうです。
また、貴方が、自身を見つめて俯瞰することを拒否するならば、そうです。
ここで、「俯瞰するのは誰?」「誰かが俯瞰しなければ、その視点は無いでしょう?」と言うならば、
≪「俯瞰している思考」があるのみ≫と返すことになるでしょう。
(哲学業界では、こういうのを、メタな視点というのかな?)
104 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 12:14:39 0
>>103 ラベルを伴わない“現象”とは、たとえば何? 一つあげてみて。
“俯瞰している思考”だけがある、というのは具体的にどんな思考?
「俯瞰する」とは超越的な一つの傲慢な態度です。
そして、こう言います。「これは客観的な事実だ」
実は、主観の権化なのです。
105 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/23(火) 12:35:52 0
世界には66億人の人がいるらしい
客観的に分析すれば
66億個の人体 という物体があり
それぞれが、なんらかのかたちで、常に物理的に変化している
しかし
もちろん、それが、それぞれ、いかなる精神活動をしているのか
たとえば、どんな『感じ』を感じているのかは、決して知る事はできない
知りえない
感じえない
普通に知能が発達していれば
ここで一つの、素朴な疑問に気づくでしょう
66億個の物体(人体)の中で、ただ一つだけに関して
その「感じ」を実感できている物体がある
なぜか結果的に、そうなっている
しかし、なぜ、そうなっているのか
その原因性については、誰も答える事ができない
なぜ、この物体だったのか
『私』というのは、まさに、そういう問題を内包しているのである
バカに教えるには、問題意識を説明してやるだけで骨が折れるわ・・・
まぁ何を言っても理解はできんのだろうけどね
ここは、まさに
精神病院で哲学の講義をしているようなもんで
特殊な意味で、かなり難易度が高い(苦笑
しかし、それ故に
まともな人にとっては、かなり親切な説明になっているはず
>>105 それぞれの肉体は離れてるし、それが原因なんじゃね。
107 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/23(火) 13:02:00 0
>>106 そうだね(爆笑
しかし、原因の意味が違う
108 :
106:2007/10/23(火) 13:02:43 0
細かく書くと、他の体を知覚してべつもんって思うから自分があるわけで、
それはやっぱりみんなの肉体が離れてるからじゃね。
子供は母親の胎内から離れて個を得るべく成長するもんだし。それが原因でしょう。
109 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 13:03:05 0
>>105 >なぜか結果的に、そうなっている
>
>しかし、なぜ、そうなっているのか
>その原因性については、誰も答える事ができない
>なぜ、この物体だったのか
>
>『私』というのは、まさに、そういう問題を内包しているのである
だから、それは個物性の問題であって、「私」や「自我」特有の問題ではない。
「ある水」でも同じことだと言っているのに、君が理解できないから馬鹿なんだよ。
また、それによって唯物論が否定されるわけでないことも、君は理解していない。
バカに教えるには、問題意識を説明してやるだけで骨が折れるわ・・・
まぁ何を言っても理解はできんのだろうけどね
ここは、まさに
精神病院で哲学の講義をしているようなもんで
特殊な意味で、かなり難易度が高い(苦笑
しかし、それ故に
まともな人にとっては、かなり親切な説明になっているはず
110 :
106:2007/10/23(火) 13:08:51 0
>>107 どう違うん?
まずみんなの肉体が離れてる事実は強烈に重要だと思うけど。
だってそうじゃないと自分の前提が成り立たない。現実にくっついてないしね。
111 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/23(火) 13:32:53 0
キミらは
完全なる客観に立って
『自分がいない世界』を想定する
という事ができるだけの知能 が無いんだろな
112 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/23(火) 13:37:22 0
>>109 :考える名無しさん:
>それは個物性の問題であって、「私」や「自我」特有の問題ではない。
>「ある水」でも同じことだと言っているのに・・・
「私」や「自我」はその本質は個別性にある。
普遍的な問題も取り扱えないことも在るが常に個別性に立ち返ることが必要。
「質感(クオリア)」と言えば普遍的だがその内容は個人差でまったく違う。
「ある水」の問題とは全く違う、水には自我がないからだ。
113 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/23(火) 13:39:01 0
>>112 の訂正です。
>普遍的な問題も取り扱えないことも在るが
→普遍的な問題も取り扱えることも在るが
114 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/23(火) 13:48:21 0
「ある水」?
それは価値観によって「ある水」なんであって、それは観念なんだよ
キミらは無神経に、よく観念の話にすり替える行為をするが
それを持ち出した時点で、唯物論から論理的に飛躍しているんだよ
唯物論を肯定するのなら、その根拠として
完全的に唯物的に説明する事に徹底しなければならない
『観念』に飛躍しちゃダメだ
「ある水」は、物理世界から切り取った一部分の状態を指している
切り取る行為は、価値観によって成されているわけであって
「ある水」は、観念によって「ある水」として存在する
観念によらなければ、物理世界全体 という単なる状態があるだけであって
「ある水」という存在 として存在しているのではない
そこを勘違いしている
唯物論を肯定するのならば、観念的表現は完全に捨て去り
完全に唯物的立場で論ずるべきなのである
>>111 想定ができるのは自分君を否定しつつ世界さんを見てるからじゃね。主観的。
116 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/23(火) 14:02:13 0
>>108 :106:
>子供は母親の胎内から離れて個を得るべく成長するもんだし。
同感です。
自我は個別に発生するわけです。
それを社会共通現象として括って議論すると「自我」の本質から外れることが多い。
自我の普遍性、共通性(客観性)などの議論は「自我」全体像のごくごく一部分を論じえるのみです。
>>105 最高位氏、
1.特定の物体が発生する。
2.そこに、『感じ』る主体である「何か」が発生する。
3.そこに、『感じ』が発生する。
この順番である限り、その疑問は意味がないのですよ。何度もご説明したでしょうにw
(ちなみに、2.を想定する必要があるか、とか、2.と3.の順序は逆ではないか、
とかは、心身問題においては重要ですが、この最高位的w文脈ではどうでもよいことです。)
>>111 最高位氏、「完全なる客観に立って」などと、ネコの味方氏の助力を
台無しにするようなことを言ってどうするのですかw
あらかじめ「自分」が何を意味するかがわかっていなければ、
「自分がいない世界」を想定しようがないのですよ。何がいるのかいないのか、
わからないのですから。
>>114 >「ある水」?
>それは価値観によって「ある水」なんであって、それは観念なんだよ
>>105 >普通に知能が発達していれば
>ここで一つの、素朴な疑問に気づくでしょう
>66億個の物体(人体)の中で、ただ一つだけに関して
>その「感じ」を実感できている物体がある
>なぜか結果的に、そうなっている
両者が矛盾していることに、お気づきになりませんかw?
118 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/23(火) 14:05:55 0
>>111 :哲学者最高位
>『自分がいない世界』を想定するという事ができるだけの知能 が無いんだろな
はい、私も知能が無いので想定できません。
119 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/23(火) 14:10:46 0
わかりやすく
もう一度、追記
「ある水」は、物理世界から切り取った一部分の状態を指している
切り取る行為は、価値観によって成されているわけであって
「ある水」は、観念によって「ある水」として存在する
価値観という観念を介在させなければ
物理世界は境目無くつながっているのであって
全体 という単なる状態があるだけだ
「ある水」という存在 として存在しているのではない
「ある水」は、ある水という『存在性』なのではないのだ
「ある水」に、個物性はない
「ある水」は、価値観によって物理世界から任意に切り取られ
個物としての価値を付与されているだけなのだ
120 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:16:31 0
>>121 その個物にそれぞれ他の価値が付与されても「水」に変わりはないのだが
自レススマソ
123 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:20:47 0
>>112 >「ある水」の問題とは全く違う、水には自我がないからだ。
その根拠は?
口がきけなかったら自我ってないの?
124 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:22:34 0
>>114 >「ある水」?
>それは価値観によって「ある水」なんであって、それは観念なんだよ
そういう話じゃない。
最高位が君らには「私」はないのか?って聞く時の、「君ら」と同じことを言っているのだが。
君らは観念か?最高位は観念なのかw
125 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/23(火) 14:24:54 0
>>118 うむ
本当は、その立場に立つのは、意外と難しいです(笑
私も昔は気づきませんでした
まぁ、誰も教えてくれませんでしたのでね
哲学 というものは、アバウトな道具である言葉を使用しますので
その内容を、お互いに完全に共有するのは、かなりの困難が伴います
無形なる価値観 の世界ですので
もちろん、ケーブルでつないで共有できるようなものではありません
それだけに
新しい哲学的「観点」というものは、自分自身で会得しなければ理解できない という難点がありますね
>>125 自分で会得つったて誰か他人を素材にでもせんと不可能だろう
127 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:30:04 0
>>127 もちろんさ!
水は言葉も理解できるよ!
129 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:40:17 0
>>127 物質にはすべて自我がありますが。貴方は知らないのでしょうけど。
131 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/23(火) 14:48:24 0
>>124 聞くのは自由(笑
「キミらにも自我がある」と断定しているのではないぞ?
私は、キミたちはどうなのかね?と尋ねているだけであって
自我があろうが無かろうが、そんなの関係ねぇ(爆笑
ついでに言うなら
キミらに理解できようが出来まいが、それすら関係ねぇ
私には自我があるんだから
自我の無い、お人形さんが何体あろうと、そんなの関係なく
唯物論は崩壊する
その場合は、不本意ではあるが、独我論が正しい という事になるのかな(笑
自我の無いお人形さんからの反論は無効だし
キミらに自我があるんなら
私の「キミらにも自我があるんじゃないか?」という質問は
正しいという事になる
何回も説明してるけど
いずれにせよ
どっちでも私は正しい という結論になるんだよ
当たり前だが
それをキミらが、理解できるかどうかで、結論が変化するわけもない(笑
何で、こんな簡単な事が理解できんの??
132 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:48:52 0
>>130 物質であるあなたに自我があることがその証明ですよ
133 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:49:42 0
>>131 >私は、キミたちはどうなのかね?と尋ねているだけであって
で、そのキミたちというのは観念ということ?
134 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:50:19 0
>>131 >自我の無い、お人形さんが何体あろうと、そんなの関係なく
え?最高位の観念じゃないの?お人形さんなの?根拠は?w
135 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:51:28 0
>>131 「ある水」が観念なら、「キミたち」も観念だろ。どこからお人形さんなんてことが????
>>132 切った爪には切った瞬間に自我が芽生えるのですか?
万年筆には万年筆の自我があるんですか?
それとも本体・キャップ・ペン先・インクごとに自我があるんですか?
それともそれらを構成する分子や原子やもっと基礎的な構造物である素粒子ごとにあるんですか?
137 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 14:59:41 0
>>136 素粒子にもあります。空間と呼ばれる場所にもあります。
最高位が小島よしおを使ってくるとは思わなかったw
139 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/23(火) 15:03:35 0
反論がある人は、思いつきでボソボソ発言しないで
もっとよく考えて
その内容を、詳しく説明するようにして下さい
141 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 15:11:04 0
>>140 生じるよ。口はきけないけど。
切った腕を繋げば、自我が本体と融合するよ。
「ある水」が観念で「キミたち」も観念で「66億個の物体」も観念なんだろ。
なら「ただ一つだけ」なんてケチなことを言わず、「全部私だ」ということにしてしまえ。
♪宇宙は一つ〜私も一つ〜 で万事解決
143 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 15:25:48 0
>>114 >「ある水」?
>それは価値観によって「ある水」なんであって、それは観念なんだよ
>>105 >普通に知能が発達していれば
>ここで一つの、素朴な疑問に気づくでしょう
>66億個の物体(人体)の中で、ただ一つだけに関して
>その「感じ」を実感できている物体がある
>なぜか結果的に、そうなっている
意識によって「ある私」として仮象してるのである。
「ある私」という存在として、存在しているのではなく、「ある私」に個物性はない。
感覚に現れながらも、意識内に知覚される仮象現象なのだ。
自我の無いお人形なんて言ったら
真紅が水銀燈が怒るよw
唯識先生もあらゆるものに自我があるっていってたね
なんでそうなのかは説明してなかったけど
147 :
ネコの味方:2007/10/23(火) 17:54:30 0
>>129 「物質であるすべて」の意味がわからない。
たとえば、万年筆。これは“素粒子”を基底とする、うまく言えないけど
多層的な様々なレベルの、種々の物質的要素の混在する、構造物である。
素粒子に“自我”があり、原子にも分子にもあり、またキャップにもぺン先
にも本体にもそれぞれ“自我”があるとすれば、この万年筆は無数の“自我”
を有することになる。で、万年筆全体の“自我”はどれを指すのですか。
どう万年筆と違うのか知らないが、この「私(の身体)」も複雑な混成物体で
ある。もしかいたら、万年筆よりも“自我”の数が多いのでは?
とすれば、私の自我ではなく、私の“自我たち”なのか?
もう一つ、素粒子(原子、分子でもいいけど)の自我には意識はあるのですか。
>>147 もういいんじゃないの。
トンデモだということが十分わかったから。
私1を思う私2、その私2を思う私3、その私3を思う私4、…
という入れ子構造は比較的シンプルなので、通常はループし続けない。
その構造の理解に達したところで満足して(諦めて)ループは終了する。
このような「私」に関するあれやこれやの知的探求は、脳の機能に基づく思考の所産であると云われている。
知的な言語的思考や感情といった意識の内容は、全ては脳の機能に基づく。
しかし、その思いや感情といった意識を体験をする者は、その意識とは分離している。
意識が現れるとき(対象化されるとき)、「私」はその現れた意識を体験している。
つまり「私」に対して意識が(対象として)現れる。
「私」自身を対象化しても(意識の対象としても、意識しても)、
対象化されるのは「私についての意識(例えば上述した入れ子構造の思考)」であって、「私」自身(対象化をする者自身)は対象化されない。
「私」は対象化されないのだから、
それが唯一であるとか複数であるとか、万年筆のどこに宿っているとか、
そういう議論は的外れな気がする。
「私」という問題は、大きく二つの方向から考えることができる。
自然科学のように客観世界の実在を仮定し記述する方法があり(A)、
ある種の哲学のように認識の担い手である根本的原理としての主観として記述する方法もある(B)。
そして双方とも世界をほぼ包括的に説明することができる。
とすれば、このふたつの見解を査定する際の基準はどこにあるかというと、
ひとつには認識論上のステータスが考えられる。
(A)(B)のどちらが確実な知識によって構築されているかという点では、
(B)は方法的懐疑がなされた結果である原理を出発点としており、
(A)の認識的基盤には懐疑を差し挟む余地を残したままである。
この点で(B)に軍配があがる。
また、(B)の立場は余計な存在者を仮定しないので
存在論的にシンプルであり、理論の単純性においても勝っている。
以上から(B)の方法が、確実性、単純性ともに優れていることが帰結する。
151 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 20:19:15 0
>>150 (B)から出発するのは不可能。
実際のところ、あらゆる人間が(A)から出発して知識や論理的思考能力を身につけている。
(B)から記述しているように見えても、その手法、基本的考え方が、
客観世界の実在を仮定して作られたものだから(B)になりようがない。
>>151 (B)は
「あらゆる人間が(A)から出発して知識や論理的思考能力を身につけている。」
「その手法、基本的考え方が、 客観世界の実在を仮定して作られたもの」といったことも
懐疑に付されているのだからなんら問題ない。
153 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 20:26:58 0
仏教は(A)
キリスト教系は(B)
154 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 20:33:19 0
主観と客観の中観に立って観ると「私」はなくなる。
155 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 21:01:26 O
背を向けて 鐘が鳴るなる 法隆寺 風が背を押す 振り向きざまに
156 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 21:11:52 0
「なぜか結果的にそうなっている」んじゃなくて、
「なぜか結果的にそう決めている」んだよ。
何かある実体があって、そうなっているんじゃなくて
無意識に(主体的に)決めているから、「そうなっている」ように思えるんだって。
>>150 方法的懐疑から脱するには「神」が必要なんだから、
明らかに(B)の立場の方が余計な存在者を仮定している。
158 :
156:2007/10/23(火) 21:16:54 0
続き
じゃあ、「誰が(何か)」という問いには、答えられない。
ただ、(決めた)瞬間に、決められたものと決めたものが両方見えてくる。
じゃ、決めなかったら?
一切が混沌だ。そこには、なにも区別が存在しない。
かんがえればかんがえるほど不思議だ。
人間の頭はその先を理解できるようには作られていない。
>>157 (B)の立場は別に神が必要とは限らない。
それは17世紀の時代的制約によるもの。
(A)の立場にエーテルが必要だというようなもの。
>>150 認識論的基盤の確実さという点では(B)のが優れてるというのはその通りだと思う。
でもそれは今現に主観に現われているというそのことが疑い得ないということであって、
主観として記述された内容というか、そこで得られた「知識」が疑い得る(デーモンがそう思わせているのではないか?)という点では(B)に拠る説明もまた(A)に拠る説明同様まったく確実ではないんだと思うよ。
>>160 したがって記述内容の確実性が同等なら、より強固な基盤を持つという点で
(B)が優れていることになる。
162 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 21:50:16 0
自力で海を泳ぐのが(A)。
筏を探してあたふたするのが(B)。
164 :
考える名無しさん:2007/10/23(火) 21:53:43 0
>>164 そんなものは解釈次第でどうにでもなる。
夢の中でレスする夢みてあこれレスしたろで忘れたよ。
思い出したらレスするよ。
滅ぼしし 人も滅びて 谷谷に 残る歴史の 物哀れなる
168 :
ネコの味方:2007/10/23(火) 22:59:31 0
>>156 「無意識に決める」というのは、少々ずるい表現。また、無意識に決めることを
“主体的に”とは言わないでしょう。
>>85 「クルマは走らされて走ってる」のね。
「走らされてるのに走ってない」なんてのは基地外。
「馬」でも「人」でも走らされて『走る』事はある。
もちろん「私も走らされた」事がある。
この意味はまともな知能があれば分かるのね。
最高位のように懐疑論から主観性というものを導いたのならば、
主観性について確かなのは、ただ「疑っている(思っている)」事だけ。
走らないし、主体にもなれない。
最高位の主観性はきっと走った事ないのねw
そんなものを相手にする事は不可能。
私に相手に出来るのはモニタを覗いているキミという肉体。
主観性なんてあっても「思ってもらえない」のよ。
もし、キミが「相手にされて」るのならば、
キミという存在は主観性なんかじゃないね。
あいさつはできましたか救護員せーん
私は「キミと呼ばれる」。
であるならば私は主観性などではない。
私が主観性であるならば「キミと呼ばれる」事はありえない。
172 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 02:49:39 0
>>156 それじゃ、問題は全くクリアされてませんね
>「なぜか結果的にそうなっている」んじゃなくて、
>「なぜか結果的にそう決めている」んだよ。
たとえ
「なぜか結果的にそう決めている」
としたとしても
その事に対しても
「なぜか結果的にそうなっている」
としか言えないしね
>何かある実体があって、そうなっているんじゃなくて
>無意識に(主体的に)決めているから、「そうなっている」ように思えるんだって。
無意識に(主体的に)決めている
としても、そう決めている存在が必要
それが『私』
であるからして、『私』が「そうなっている」ように思える のだ
と考えるのが正常な人の考え
というか、哲学的にも常識
なぜなら、他人がいくら「そうなっている」ように思っても
私がそれを認識する事はありえない のだから
私が「そうなっている」と思えている事実を以ってして
それは「私が思っているのだ」 という結論に直結する以外にありえない
私が認識できるのは、世界でただ一つ、私の認識しかありえない のだから
いくら客観的な事柄に還元しようとしても
それが私の認識である限り、それは『私』の認識である としか結論できず
決して、私の存在を否定する事はできない
論理的に、絶対に不可能
>>161 「誰」にとっての記述なのだ?
「誰」にとって確実なのだ?
「誰」にとって強固なのだ?
「誰」にとって優れているのだ?
>>172 無意識に(主体的に)決めている
としても、そう決めている存在が必要
それが『私』
であるからして、『私』が「そうなっている」ように思える のだ
と考えるのが正常な『私』の考え
というか、『私』の哲学的にも常識
175 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 03:19:48 0
>>174 まぁ、いちいち『私』の と付けなくても
思えた時点で
考えである時点で
それが認識できた時点で
それは『私』の認識であるのだから
『私』の は省略してよい
「私」なんぞよりも「存在」の存在性のほうがより根源的問題
177 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 03:35:51 0
>>176 うむ
だんだん理解できてきたみたいだね
『私』という問題は
その「存在」の存在性 という根源的問題をダイレクトに内包しているが故に
唯物論が主張する「単なる物理現象にすぎない」などという結論は、間違いなのだと言えるわけだ
>>175 省略するのは勝手だが、「人」を追加するなよw
人には「他人」も含まれるぞw
ところで「唯物論」は誰の「唯物論」だ?w
『私』は唯物論者である。
なぜなら、唯物論が主張されるには主張する存在が必要
それが『私』
私が認識できるのは、世界でただ一つ、私の認識しかありえない のだから
唯物論とは私の認識である。
それが私の認識である限り、それは『私』の認識である としか結論できず
決して、私の存在を否定する事はできない
であるからして私の唯物論を破壊する事は論理的に、絶対に不可能
181 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 03:59:10 0
とにかく人でない『私』の存在を探してくれ。
182 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 04:10:25 0
>>178 「人」を追加するなよ
とは、どういう事?
そんな発言はした覚えはないのだが?
『私』をサンプルに、自我を分析した結果であるわけで
なにも『私』に限定する必要はない
ここでの問題は、自我という共通項目だ
私を含め『自我のある人』には当てはまる という前提なのだから
あえて限定するのならば『私』に限定するのではなく
「自我のある人は」とすればよい
>>179 で?
>>180 完全にアホだな
1.私には私を絶対に否定出来ない。
2.私には他人を否定も肯定も出来ない。
よって、
私には唯物論を主張する私を否定出来ない。
また、
私には唯物論を主張する他人を否定も肯定も出来ない。
>>181 『私』とは主観性であって純粋な存在性であって「人」ではない。
「他人」が「人」である事から明らか。
もし『私』が他人と同じ人であるならば、
「人」や「他人」の方がより根源的な存在である。
>>182 >「人」を追加するなよ
>とは、どういう事?
>そんな発言はした覚えはないのだが?
>>172 >と考えるのが正常な人の考え
ニワトリ並。
>『私』をサンプルに、自我を分析した結果であるわけで
>なにも『私』に限定する必要はない
>ここでの問題は、自我という共通項目だ
『私』はサンプルにならない。
自我を分析している何者かが『私』である。
自我は問題でないし共通項目でもない。
この世界は全て『私』の世界なのだから問題などない。
186 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 08:09:17 0
>>184 >『私』とは主観性であって純粋な存在性であって「人」ではない。
『私』とは主観性であって純粋な存在性 だけど「人」だよ?
>「他人」が「人」である事から明らか
『私』も『他人』も『人』ですよ?
>>186 文章ではそのように言えるけれども、
等号では結べないところに鍵があるんじゃないかい。
それなのに、貴方の説明はいつも、等号で結んでも構わない関係性が匂わされている。
> 『私』とは主観性であって純粋な存在性 だけど「人」
> 『私』も『他人』も『人』
だからと言って、
『私』(=『主観性』=『(純粋な)存在性』)=『他人』=『人』
にはならないのでしょう?
188 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 09:01:11 0
何の為にイコールでつなげるの?
それぞれの言葉には
それぞれ違った意味や、違ったニュアンスがあります
イコールで結ぶ目的も、よくわかりません
何がしたいのでしょうか
>>186 >> 『私』とは主観性であって純粋な存在性 だけど「人」
『私』は『主観性』である。
『私』は『(純粋な)存在性』である。
『私』は『人』である。
しかし、
『人』の全てが『私』ではない。
『人』の全てが『主観性』ではない。
『人』の全てが『(純粋な)存在性』ではない。
>『私』も『他人』も『人』
『私』は『人』である。
『他人』は『人』である。
しかし、
『私』は『他人』ではない。
190 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 09:22:30 0
>>180 『私』の認識しかない、私の『存在』を否定できない、ここまではいい。
が、ここから私の“唯物論”を全面的に肯定するのは飛躍がある。
むしろ、真っ先に疑ってしかるべきが“唯物論”という思想の内容。
その正否は、いくらでも疑える。が、そうすればするほど疑う主体の
“存在”が逆に確かなものになる、というのが例の論証。w
>>183 に沿って言えば、唯物論を主張する私の『存在』は否定できない。
が、その私の『存在』は“唯物論”の正しさの根拠にはならない。
おお、最高位氏、結局
>>55-56の疑問に戻っておりますねw
「今はたまたま(理由がなく)哲学者最高位という人であり、主観性であるが、
哲学者最高位ではなく、人ではなく、主観性ではないものとして存在することも
有り得る(有り得た)、『純粋な存在性』としての『私』」
はてさて、それは一体何のことなのか。それが存在する場合としない場合とで、
何がどう違うのか、それこそが問題なわけです。
『私』とは、哲学者最高位という人(ないしそれが持つ主観性)のことだ、
ということになると、「人体は66億あるのに、なぜ私は哲学者最高位なのか?」
という疑問が成立しなくなるからです。おわかりになりますかw?
ネコには分からないかもしれないけど、思想に正否なんてないよ。
なんか根本的なところからずれてる意見が多いよなぁ・・・。
193 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 10:08:11 0
>>192 アホだね。主観的な「正否」にきまっていてるだろう。
ある時期まで、マルクス主義は君みたいなインテリにとっては、
「正し」かったんだよ。知らない?w
どの思想も、それを主張する“当人にとっては”正しいものです。w
当たり前だろう。
とこか批判の視点がズレているんだよな。
194 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 10:12:04 0
>>190 いや、それ以前に最高位の唯物論否定には無理があるのに、
ネコはなんでそっちで対決はしないの?w
195 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 10:15:01 0
定義:『私』とは、66億ある人体のうち哲学者最高位という人に宿る主観性だ。
疑問:しかしなぜ、『私』とは、66億ある人体のうち哲学者最高位という人に宿る主観性、なのだ?
自分で定義しておいて、なぜ?、はないだろうw(ノリつっこみかw)
((結論)) 定義や疑問の立て方のピントがずれてる。
>>193 主観的に正否と判断されるのは思想じゃなくて行動だろうに。
思想に正否なんてないんだよ。
ネコの方が最高位より独我論色が強い
ネコの出発点及び拠って立つ足場は、
・「世界」は「私」の認識によって始まり、且つ「私によって(知覚)認識された世界」でしかありえない。
・その「私の世界」の他には、「その世界を知覚認識している主体」以外には、何も存在しない。
いや、言葉が足りないな・・。
その「私の世界」は「その世界を知覚認識している主体」の内にある。 という感じか?
・客観は存在しない。(全ては主観である)
・「外界」「内界」といった区分も無意味。なんとなれば、全ては「私の世界」(主観)の内にあるのだから。
確かなものは、(主観によって知られている)「内界」だけ。
唯物論及び唯物論的思考は、外界の存在が最前提である故に、
ネコ及び最高位のスタンスとは決して相容れることはない。
198 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 10:44:30 0
>>194 いや、そんなに無理があるとは思えないけど。w
意識する“主”、というよりも意識させられる“主”と言ったほうがいい
のかな? これ(存在)を“物質”に還元できないし、また表出された意識
(普通にいえば心)に物理法則を立てることもでない、というのが最高位の
言説でしょう?
唯物論者は、これを一つ一つ論駁すればいいだけの話しでしょう? まだ、
すきっとした反論をみたことがないんだよね。w
ところで、この
>>195 をどう思いますか?
199 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 10:53:21 0
>>198 唯物論は何かを説明したり、還元したりするものではないから、
否定しようがないのが正しいのに、否定できるとするのは明らかに間違っているんですけど。
「私」とか意識される主とか、あやふやなもんばっかだな。
そしてそういってる本人も手探りで説明するもんだからわけわかめになるし。
わかめ野郎共はまず言いたいことをきちんとまとめろと。
201 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 11:05:35 0
>>191 しかしキミは、何回説明しても理解しないなぁ
ホントに理解したいの? する気あんの??
『私』の存在性
要は
『私』が『ある』という事に対して
属性の変化と関係があるのか どうなのか という質問だろ?
私は、属性が変化しても『私という存在性』である限り『私』は『私』である
という当たり前の事を言っているわけだ
また、観測できなくなったからという理由で
『私』が消える という結論にもならん ともね
>>192 >思想に正否なんてないよ。
>なんか根本的なところからずれてる意見が多いよなぁ・・・。
誰しも、ハンマーで頭を殴って欲しいと願っているので、実行すべきである
という思想は
少なくとも私は、そう思っていないので、間違いだと思うんだけどなぁ(苦笑
>>194 無理があるのに って
誰も具体的に、くつがえす事ができないわけだが?(苦笑
>>195 いつ私が、宿る などと言ったのかね?
202 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 11:19:06 0
>>196 私も思想に正否なんかない、と言っているのだけど。だから、それは
常に疑いうると述べているのです。w 君は、漢字の辞書的な意味に
拘っていればいいよ。
>>197 君お得意の曲解が随所にバラ撒かれているので、少々訂正する。
まず私は「世界は…」などと大口をたたかない。「私に映じている
世界は…」と言う。便宜上、省くこともあるけれども。w
また、世界の非在を語ったこともない。私は主観を通してしか対象
に触れ得ない事実を述べているのである。君は対象を直接的に触れ
ることができるのか。その方法を教えてくれ。w
客観がない、と言ったこともない。私に与えられるのは客観的事実
ではなく、私の関心や欲望によって解釈された主観的事実だと言っ
てきただけである。
文句をつけるのはかまわないが、曲解のうえに勝手な論を転がさない
ように。
いや、私の主張はヒトは曲解しかできないと言っているようなものだから、
しかたないか。w
203 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 11:19:36 0
>>201 >誰も具体的に、くつがえす事ができないわけだが?(苦笑
違う違う。
君が覆された事が理解できないだけ。
もちろん、君の世界の中で覆すことができないのはわかっているよ。
俺には、君の馬鹿を治すことはできないからね。
204 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 11:19:43 0
>>195 というか根本的な話
それは、定義 というよりは、ある角度から見た「客観的な状況分析」だろ
そこに「なぜ」があっても、何も不思議ではない
むしろ、それが自然
>>190 『私』は唯物論を全面的に肯定などしていない。
『私』は唯物論の正しさの根拠にも間違いの根拠にもならない。
今、唯物論を認識しているなら、その何者かが居るという結果だけだ。
それが唯物論の否定の(肯定にも)根拠にはなり得ない。
私は最高位の言うような『私』ではないし私にそんなモノはない。
>>201 思想に正否がないの意味が分からんみたいだな。
あるいは十九条を否定する立場なのか?
208 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 11:31:12 0
>>203 結局キミも、そんな事しか言えないんだよな
>>206 じゃぁ、最初の「私は」って何?(爆笑
「私」ではないなら
「私に」って言うなよ(苦笑
209 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 11:32:16 0
>>199 還元できないことを認めた時点で、唯物論の根底は、実は崩れている。
機械氏は還元できると主張しているだろう?
「何故他人じゃなかったのか?」と思っているのが『私』なのは否定出来ない
ならば、
『私』が他人である事はあり得ない。
いくら「他人でも良かった」と思う事はあっても、
そう思うのは『私』なのだから、他人ではあり得ない。
というか、そもそも他人を『私』ではないという意味で使っているので矛盾。
>>208 他人も私と言う。
お前は60億人の他人に
「私に」って言うなよ(苦笑
と言ってろ、低能。
>>202 思想の正否がないのに、そのないものを疑ってたのか?
なに言ってんだか分からんぞ。
>>209 『私』には機械氏の考えなど認識出来ない。
214 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 11:42:52 0
>>201 実際、唯物論の否定には無理があるよ。
言ってる否定の根拠ってのはどれもこれも
唯物論が正しいかどうかは分からないってとこ止まりだもん。
215 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 11:42:55 0
>>210 それが『私』は『存在する』という事なんだよ
「私は存在する」←コレは当たり前の事なので、普通は深く考えないのだが
実は説明のしようのない、とんでもない奇跡そのものなんであって
これはホント、どうしようもないほど不思議な事実なんですよ
それに気がつく という事が、現代哲学の第一歩なんです
その、どうしようもない事実 という問題意識が理解できない人に対しては
本当は、何を説明したって理解できないのは当たり前なんですけどね
216 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 11:51:52 0
>>209 崩れてない。
機械氏が語っているのが唯物論というわけではないし、このスレは機械は関係ない。
唯物論は否定できないのは事実だがどうでもいいので、それより私の記述をやってくれ。
>>215 他人は『私』ではなくて他人だったのだから、
持つとしたら他人の問題意識であって、
『私』の問題意識なんか持てるわけが無い。
>本当は、何を説明したって理解できないのは当たり前なんですけどね
その通り。他人が『私』を理解出来るなんて考えてるのは池沼。
218 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 11:53:42 0
>>211 だったら、私ではない とか
ワケのわからん事を言うなバカ
>>212 キミら、どうでもいいけど
>>201の二段目は読んだ?
>>213 他人のクオリアなどは認識できないが
会話の内容ぐらいは理解できないと、日常生活に支障をきたすだろ(苦笑
大丈夫か?
>>214 >言ってる否定の根拠ってのはどれもこれも
>唯物論が正しいかどうかは分からないってとこ止まりだもん。
いいや
物理的要素で私を現象させる事は、絶対に100%不可能です
私はココにいて唯一絶対であり
いかなる物理的要素を以ってしても、それは絶対に100%、他人にしかなりません
私になる理屈が、絶対に100%、ありえないのです
219 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 11:54:16 0
>>212 まだ、やるの。思想に正否がないから、思想・信条の自由があるのです。w
これと、どの思想も“正しさ”を主張するというのは背理なの?
>>202 相変わらず笑わしよるなw アドバイスを受け改訂する。
ネコの出発点及び拠って立つ足場は、
・「私に映じている世界」は「私」の認識によって始まり、且つ「私によって(知覚)認識された世界」でしかありえない。
・その「私に映じている世界」の他には、「その私に映じている世界を知覚認識している主体」以外には、何も存在しない。
いや、言葉が足りないな・・。
その「私に映じている世界」は「その映じている世界を知覚認識している主体」の内にある。 という感じか?
・人は、客観という視線を持つことはできない。(全ては主観である)
・「外界」「内界」といった区分も無意味。なんとなれば、全ては「私に映じている世界」(主観)の内にあるのだから。
確かなものは、(主体によって知られている→私に映じている)「内界」だけ。
>また、世界の非在を語ったこともない。
>>197中で、世界の非在が語られているか?
>主観を通してしか対象に触れ得ない
という言明は、
>確かなものは、(主体によって知られている→私に映じている)「内界」だけ
と等価だろ?
>私に与えられるのは客観的事実ではなく、私の関心や欲望によって解釈された主観的事実
という言明は、
>人は、客観という視線を持つことはできない。(全ては主観である)
>全ては「私に映じている世界」(主観)の内に あり
>確かなものは、(主体によって知られている→私に映じている)「内界」だけ。
と等価だろ?
貴方の言い分とズレはないように思えますが?w
「『私』の問題意識を『私』以外が持つ」
これは矛盾。
>>218 私は私ではないとは言っていない。
頭の悪い君のためにもう一度言ってあげよう。
私は最高位の言うような『私』ではないし私にそんなモノはない。
223 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 12:10:52 0
>>217 >>本当は、何を説明したって理解できないのは当たり前なんですけどね
>
>その通り。他人が『私』を理解出来るなんて考えてるのは池沼。
いやいや
私が言ってるのは、その部分じゃなくて
「私は存在している」という奇跡 の事ですよ
>>221 「『自我の本質』についての問題意識を『私』以外が持つ」
とか
「『主観性の本質』についての問題意識を『私』以外が持つ」
なら理解できるかな?(苦笑
>>222 じゃぁ、どんな『私』なん?
主観性でもなく、存在性でもないの?
>>219 だれが背理だなんて言ったんだ?
俺はないものを疑ってたのかって聞いただけなんだが。
>>202を読めばそういう疑問が涌くだろ。
>>223 存在性とかくだらないこと言ってるのはおまえだけ
他人の私はわからないって言ってたよなw
まあ私もわかんねえのに他人なんかもっとわからんだろうが(爆笑
226 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 12:17:36 0
227 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 12:20:12 0
>>220 何度も言うけど、勝手に表現を変えないように。
外界、内界とは何のこと? その種の君の主観的なw言い回しを曲解と
述べているのである。が、君好みの言葉に従うなら、外界と内界の区別
は主観的にwしているよ。君が私でないというのは、主観的に了解して
いる。
前にも質問したけど、客観的視線とは具体的に何を指しているの?w
>>201 >私は、属性が変化しても『私という存在性』である限り『私』は『私』である
>という当たり前の事を言っているわけだ
最高位氏、ですからw、その「『私という存在性』である」の意味を問うている
わけですよw
『私』が現に持つ「哲学者最高位である」とか「人である」とか「主観性である」
という属性が変化しても、それは『私という存在性』であり得る、というお話でしょう?
そうなった場合の『私』というのは、そもそも何のことですか、それが存在すると
しないとで、何がどう違うのですか、とお尋ねしているわけです。
あなたのお話は
「現に哲学者最高位という人がいる。現にそこに主観性がある。それ(ないし
その主観性の背後にあるX)を『私』と名づける。それは観測できなくなった
ってないと断言することはできない。」ということでありましょう?
それでは、結局『私』は「哲学者最高位という人の主観性」を抜きに定義することも
意味づけることもできていないわけです。
それでは
「人体は66億あるのに、なぜ私は哲学者最高位なのか?」
「なぜ、『私』とは、66億ある人体のうち哲学者最高位という人に宿る主観性、なのだ? 」
という疑問は、無意味であることに変わりないのです。
なぜなら、
「そうでない」ことが、論理的に不可能なのですからw
ですから、上の疑問に意味を持たせるためには、『私』を
「哲学者最高位」とも「人」とも「主観性」とも無関係に定義づけなければ
ならないわけです。さて、そういう『私』とは一体何のことか、それをお聞きしている
わけであります。いかがでしょうかw?
229 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 12:22:43 0
>>225 反論にはなってないな
>>226 あのね
キミが何か、具体的な問題提起をすればいいんじゃないかな
何かを議論したいんでしょ?
それを書けばいいんだよ
>>198 >意識する“主”、というよりも意識させられる“主”と言ったほうがいい
>のかな? これ(存在)を“物質”に還元できないし、また表出された意識
>(普通にいえば心)に物理法則を立てることもでない、というのが最高位の
>言説でしょう?
おお、ネコの味方氏、それは全くの誤解であります。
それは心身問題に関する唯物論的仮説に対するごく一般的な批判であって、
もちろん根本的な回答はなされておりません。もっとも、非唯物論的な仮説にも
同様に根本的な批判があります。要するに、どう考えても矛盾や困難が残るので、
心身問題は今日でも決定的回答のない難問なのです。
最高位氏固有の問題というのは、「意識する“主”(でも意識させられる“主”でも
超越論的主観でも単に心でも、それはあまり問題ではないのですが、要するに「私」)
は世界にたくさんあるのに、そのうちのただ一つだけが、他とは根本的に違う特別な
あり方をしている=<私>である、のはなぜか?」というものなのです。
これに対して、「そんなことを言ったって、人間は皆「私」だし、「私」はみな
それ自身にとっては世界で唯一の根本的に他と違う特別な<私>でしょ。」という答えが
当然あるわけですが、それに対しては「それは人間すべてに共通のことに過ぎない。
問題は、そのうちのただ1つだけが特別な<私>=<<私>>であるのはなぜか、なのだ!」
ということになります。<私>=<<私>>は、決して同じ種類の他のモノが存在
しない、世界に全く類例のない唯一の存在、でなければならないわけです。
ですから、前にも書きましたが、最高位氏の問題というのは、他人に理解される
ことは有り得ないし、むしろ理解されてはならない問題なのです。
彼は全く誤解していますが、彼の考えを理解する人が増えれば増えるほど、彼の
考えは無意味となってしまうわけです。ですから、彼がいくら必死に説明しても
一向に誰にも理解されず「無意味だ」「基地外」「病院へ行け」と罵られ続ける
ことこそが、実は彼にとっては最も好ましいことのはずなのです。
231 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 12:25:08 0
>>218 >物理的要素で私を現象させる事は、絶対に100%不可能です
それは間違い。
君は物理的要素で、現象させられているんだよ。
肉体を破壊すれば消滅するからやってごらんよ。
>私はココにいて唯一絶対であり
>いかなる物理的要素を以ってしても、それは絶対に100%、他人にしかなりません
>私になる理屈が、絶対に100%、ありえないのです
位置と状態と構造という物理要素が一致していたら他人にはならないでしょう。
232 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 12:29:19 0
>>224 はい、はい、思想に正否がないことは疑いえません。が、これもまた
一つの言明でしかない。これは疑うことができるだろう。
>>229 おまえと議論したくねえだけだろ
うぜえってやつは移動すりゃいい
>>231 > 位置と状態と構造という物理要素が一致していたら他人にはならないでしょう。
>
同じ位置に作るのは尚更無理では?
>君は物理的要素で、現象させられているんだよ。
>肉体を破壊すれば消滅するからやってごらんよ。
いつになったらこういった稚拙な反論が湧いてこなくなるんだろう。
ほんとに単純なやつが多いな。
236 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 12:36:09 0
>>234 重ね合わせ状態や縮退だと思ってもらえばいい。
>>235 それが議論の本質だろ?
そして説明できていない
238 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 12:38:13 0
>>235 何で幼稚なの?
物理的要素である肉体によって「私」が現象されていないと考えるなら、
やってみる価値のある実験だと思うが。
239 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 12:39:41 0
>>235 なんで稚拙なの?
「私」が無くなるから?
240 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/24(水) 12:48:35 0
>>228 >それが存在するとしないとで、何がどう違うのですか、
>とお尋ねしているわけです。
私が存在していなかったら
私は私の認識に関する一切を認識していなかっただろうね
>その「『私という存在性』である」の意味を問うているわけですよw
私が存在する という事実は
本当に、意味がわからんほど、とんでもなく不思議な事実である
ということであり
これは物理現象にも原因性は、ありえない
という事ですね
>>228 >それでは、結局『私』は「哲学者最高位という人の主観性」を抜きに定義することも
>意味づけることもできていないわけです。
はぁ? それで?
それで、存在性は否定できるのかい?
>「人体は66億あるのに、なぜ私は哲学者最高位なのか?」
>「なぜ、『私』とは、66億ある人体のうち哲学者最高位という人に宿る主観性、なのだ? 」
>という疑問は、無意味であることに変わりないのです。
問題意識の観点が違うっつってんだよ
まず、私はなぜ存在するに至っているのか
さらに、なんでこの物体なのか だよ
勘違いすんなって
上記の疑問を、唯物論に従って答えて頂きたい
最高位の自演とみた
>>237-239 その実験によってわかるのは
「肉体を破壊してしまうと他者にはそこに発現していた心的状態を観測することができなくなる」
ということだけじゃないか。
「心的現象は肉体に依存する」ではなくて
「観測者にとって心的現象の観測は肉体に依存する」だ。
いままでさんざんテレビや映画のスクリーンをメタファーにした反論がでてきてただろう。
おまえらそれ読んでなんにも理解してなかったのか?
それじゃあ自然科学の実験すら計画できないよ。
>>240 >まず、私はなぜ存在するに至っているのか
>さらに、なんでこの物体なのか だよ
別に人でなくてもよかったというならウィルスでもよかったわけで
物体だったら無機物でもいいし
ウィルスの私の存在性って説明できるのw
246 :
素人:2007/10/24(水) 13:02:43 0
>>227 君はいつもそうだ。
質問しておいて解答されるとその回答をスルーする。
私が今まで、どれだけ貴方の質問に答えてきたか忘れてしまったのですか?
スレ違いを覚悟で仏教関連のことも述べました。
なぜ、外界(≒主観の外部にある客観世界)を設定するか(そしてそれをなぜ信用するか)、
なぜ、主観の内に閉じこもらないか、
なぜ、俯瞰する視線を想定するか、
私の発言の端々にそれらは散りばめられている。中には、はっきり述べたものもあるかもしれない。
(君こそ、私の発言を曲解しているのではないですか?)
直近では前スレ984・985が
>>37への応答なのだが、君は無反応だよなw
「その答えには、これこれこうい不備がある」どころか、最高位風の「ぜんぜん駄目だねw」の一言すらない。
礼節が無いにも程があるんじゃないか?
過去ログ漁ってコピペ或いはコピペ&補足をしたり、改めて述べ直すことも吝かではない。
>客観的視線とは具体的に何を指しているの?
については、そうした語義の定義として述べたことはないから、新規に作文することにもなろう。
しかし、「レスしてもどうせスルーされるしな・・・」というのが、最近の感慨だよw
(無駄だと思うがw)ちなみに質問しておく。
貴方は、私の発言を(決定論スレの)何スレ目から読んでいますか?
>>245 その実験をするやつだろ。バカですか?バカですね。
>>247 その実験に私は含まれるのか
バカはおまえのようだが
249 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 13:14:56 0
>>243 他人の肉体ではなく、「私」を主張している人の自分の肉体ですよ?
例えばこの世がマトリックスのような仮想世界だったら問題ないですよね。
>>248 >その実験に私は含まれるのか
おまえバカすぎw
理解力ゼロw
251 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 13:18:21 0
>>246 あなたは「最高位」が何人いるか知っていてそういうことを言ってるんですか?
255 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 13:28:04 0
>>246 そうですか。俺はいつも答えてきたけど、貴君にはスルーされることが
多いなぁ、というのが率直な感想。主観の差ですね。
「外界を設定する」そうだが、その主体が何か、外界とは何かを明確に
しなければ議論にならない。また、貴君が信用することをなぜ私が前提
にしなければならないの?
「俯瞰する視線を想定する」のも貴君の勝手。が、そんなものを私にとっても
何かであるかのごとく押し付けられても、ね。(苦笑)
貴君には一旦、主観(意識)に立ち帰って“世界”を観測することを勧めます。
牛若丸ではないのだから、易々と客観に飛び移ることはできないのです。w
(貴君の語っていることは主観的言表の羅列です)
256 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 13:33:09 0
主観が主観を認識しても、正しさの根拠になり得ない。
それが主観の認識である限り、それは認識論的基盤が個人の感覚に拠る、
という不確実さがある。独我論は唯心論的一元論でしかない。
主観に現象するのは、個人の感覚に基づいてるだけなので、根拠になりようがない。
真っ先に疑ってしかるべき感覚が、強固な基盤になりようがない。
「当人にとって正しい信念」という言表しかできないのに、論証は原理的に不可能。
独我論(唯心論的一元論、極端な主観主義)は奇跡論法そのものなんだ。
257 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/24(水) 13:38:35 0
>>256 :考える名無しさん:
>主観が主観を認識しても、正しさの根拠になり得ない。
では貴方は何が何を認識すると、正しさの根拠になると言うわけですか?
「この世」という言葉があって「あの世」と区別ができるという時点で
「あの世」という言葉の説明はできてる
バカを演じる賢者には、ずる賢さに対する怒りを感じるが
己の浅はかさに気付かないバカには、言葉をかける気力すら失う
259 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 13:49:47 0
>>254 ちがうのですか。正しいと思うことを言明するのでしょう?
言明してはいけない“内容”って何?
>>223 >「『自我の本質』についての問題意識を『私』以外が持つ」
>とか
>「『主観性の本質』についての問題意識を『私』以外が持つ」
>なら理解できるかな?(苦笑
自我とは『私』の自我であり、主観性とは存在性であり『私』なのだから、
『私』以外の者(他人)が『私』の問題意識を持つのは論理的に不可能。
他人は『私』ではなくて他人なのであるから、論理的に
「何故、他人ではなくて『私』なのだろう?」とは問えない。
仮に『私』以外のものにも問えるならば、問うている何者かは「絶対に『私』だ」とは
限らなくなる。
言明のもつ情報量と論証の関係はいかに?
また、確実さとの関係はいかに?
262 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 14:02:52 0
>>261 衒学する(動詞形ってある?)のなら、ちゃんと社会化されたことばで、
読み手の腑に落ちるように頼む。
切れ切れの主観的感慨を専門用語?で吐露されても、返しようがない。w
>>259 誰が言明してはいけないって言ったの?
全ての言明は疑えるから内容の正否は関係なくなるなって思っただけ。
>>240 >私が存在していなかったら
>私は私の認識に関する一切を認識していなかっただろうね
おお、最高位氏、ですからw、その「私」「私が存在する」の「意味」を
お尋ねしているのですよw
それに対して「私が存在していなかったら〜」「私は〜」と返されましても、
全く答えにならないわけです。おわかりになりませんかw?
ちなみに、私が存在しないのなら、それが何かを「認識する」はずもないし、
「私の認識」も存在するはずがありません。「私」を他のどんな言葉に置き換えても
同じことです。これだけでも引用文の無意味さがわかるというものですw
>それで、存在性は否定できるのかい?
最高位氏、「私」「存在性」の「意味」がわからないのに、それを否定も肯定も
できる道理がありますまいw
>>243 テレビや映画は観測対象であり喩えにはならないし何の反論にもならない。
スクリーンも放送局も同様に観測出来る。
映画は物理的にコピーが出来るだろう。
これまで数え切れないほどの他人は存在してきただろうに、
『私』ではなかったのだから、『私』は一度も実験されていない。
肉体に依存するのかどうか、疑問を追求する態度ならば、実験する価値はあるだろう。
(続き)
>まず、私はなぜ存在するに至っているのか
>さらに、なんでこの物体なのか だよ
ですからw、その「私」の意味がわからなければ、それがなぜ存在する
に至っているかも、そもそもそれが「この物体」であるかどうかも、
判断のしようがないでしょうにw
その「私」が「現にこの物体(哲学者最高位という人体)に付随して存在している
主観性(の背後にある何か)」という意味であるのなら、
「それがこの物体である」確率は100%で、そうでないことは論理的に不可能
なのです。従って、それについて「なぜ」と問うことは無意味なわけです。
また、「私」がそういう意味であるのなら、それが「なぜ存在するに至っている
のか」は、まさにその物体(哲学者最高位という人体)が死なずに脳が一定の
活動をしているから、というのが唯物論的仮説であって、それが正しい証拠も
間違っている証拠も特にありません。
とにかく、まず「私」を「哲学者最高位」「人」「主観性」抜きに定義
できないことには、あなたの疑問は意味をなさないのであります。
おわかりになりましたでしょうかw?
>>265 まず他者を実験対象にした場合は
テレビ、映画のメタファーは成り立つ。詳細は省く。
よって実験方法に対する反論になる。
自分を実験対象にした場合でも
その実験が正しいかどうかを確かめる追実験の可能性が閉ざされているということと
対照実験もできないということを考慮すると、
実験方法として適当ではない。
つまりいずれの場合でも、そんなことをしてもなにもわからないということだ。
前提から論理的に導きだされた帰結が必ず正しいのは、それが何も語ってないからである
情報量が0の推論はかならず正しい(必ず前提と一致する)
数学的論証が必ず正しいのは、そこに前提以上の情報が加味されてないからである
素朴に「論証せよ」と言うならば、それは「黙れ」と言うに等しい
もちろん、何らかの情報が加えられた瞬間、当の言明は不確実になるのは言うまでもない
270 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 14:43:08 0
>>269 そんな感じで、議論に入ってよ。君の場合、最高位に考えた方が近い
(自分でそう言った)のに、かれが嫌いだから反対に立つと決めたとき
から、なんかおかしくなつたような気がする。w
一般に「知識」とは「世界についての何らかの情報」を指すだろう
したがって「確実な知識」などというものはありえない
そんなものを追うのは不毛である
知識とは世界についての情報であり、その基準は「確実さ」ではなく「正しさ」である
われわれは確実な情報ではなく、正しい情報を求めるべきなのである
確実な情報を語るなら、彼は口をつぐむべきだ
ここに論証に対する態度のコペルニクス的転回が成り立つ
最高位とは立場が根本から違うよ
彼は基礎付け主義者だ
俺は反基礎付け主義者だ
この差は大きい
つーかRaと同一人物だろ?
「根拠を問う」「論証を要求する」
これらの行為はミュンヒハウゼン・トリレンマに陥ってしまわないだろうか
トリレンマを回避する論証とはどのような形になるのだろうか?
論証のあり方についてもう一度考え直す必要がありそうだ
なんで同じ内容を主張するのにコテハン使い分けてるの?
Ra?誰それ?うまいの?
最近のたべもの、添加剤たぷりね、あぶないね
そんなことより岩瀬の流出を止めてください
彼は日本球界の宝です
なるほど。だれかがRaは精神的な病気だっていってたけど本当だったんだ。
論証に対する過度の誤解が極端な主観主義や独我論の元凶になってる気がしてね
あまり偉そうな言い方は嫌いなんだが、これぐらいは指摘しても問題なかろう
どうせ最高位とかには無駄だってわかっているんだけどね
俺があいつにトリレンマを提示して3年以上経つのよ
あいつの進歩の無さ、ひどいね
前スレの終わり頃だったけど、最高位の『私』はデカルトとは違って「我」と「思う」を分離したところがいいところみたいな書きこみがあった。
俺はてっきり最高位がこれを否定するものとばかり思ってた。
でも彼はそうせずセンスがいいとかなんとか肯定してた。
正直これはいかがなものかと俺は思った。
最高位の『私』って「あり」としか言い様がない「絶対的な存在性」そのものらしい。
そんだけ確実なんだと。
でも「思う」から分離した「私」とか、対象化する「私」とかは全然確実じゃない。
はなっから疑わしいいし、それこそ存在論的には真っ先に消去の対象になるだろう。
そのあたりどう考えてるんだろう?
「私は絶対だ」としか考えてません。
反論は100パーセント有り得ないそうです。
281 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 15:34:31 0
世界と世界観を混同してるのが間違い。
世界観は人の数だけあるのだから、個人の個別認識という意味しかなく、
唯心論的一元論は信念でしかないので、根拠になりようがない。
世界は外界にある物理世界で、唯一の客観存在であり、
世界観は感覚をもとに構成された構成物でしかありえない。
信念でしかありえない世界観と、物理存在である世界を混同して、同等に扱うのは間違い。
世界は意識から独立して存在する物理世界のことである。
>>268 >まず他者を実験対象にした場合は
>テレビ、映画のメタファーは成り立つ。
成り立っても実験方法に対する反論にならんよ。
反論になるならテレビにも意識様のものがあるとなるな。
そうでなきゃ喩えにならん。
>自分を実験対象にした場合でも
>その実験が正しいかどうかを確かめる追実験の可能性が閉ざされているということと
>対照実験もできないということを考慮すると、
>実験方法として適当ではない。
やる前に適当でないとは言えない。
やる前から結果が分かっていると言っているようなものだ。
誤魔化して逃げるな。
>>281 意識も世界の一部じゃね?
一部分を世界から切り離せると思うのが勘違いかと。
避けられない勘違い。
>>283 おまえには理性的な思考ができんのかw
もう付き合ってあげないよ。
>>285 まともな理性があれば、己の肉体の破壊からは逃げるわなw
死ぬのは怖いからな。
哲学的探求心の放棄ではあるが。
怖くて出来ないだけのくせに言い訳で誤魔化すのは見苦しい。
著名な哲学者には自殺者も多いし、
そうでなくとも自らの肉体を破壊した者もごまんといるな。
彼らは実験してみたのもかもなw
あの世で実験結果に満足してるかもしれんw
287 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 16:52:49 0
>>284 世界観から主観を切り離すことはできないが、物自体としての世界があり、
主観から独立して存在する物理世界はある。
認識とは無関係に存在する世界があるが、不可知は否定の根拠にならない。
>>286 もしかしてその理解力は中学生?
ちゃんと学校いかなきゃだめだよ。
289 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 17:21:10 0
>>281 これが素人氏の言う“客観視線”というやつだね。最後の一行「世界は意識
から独立して…」が君の“世界観”である。君にとっての「世界」は、君の
その世界観から独立しては存在しえないということ。
もう一つ、これは
>>284 の指摘のとおりだが、もし意識と世界が分離・独立
しているのなら、世界は二つの要素(君の言葉を借りれば、意識と物理世界)
から成り、唯物論は間違っていることになる。w これでいいの?
>>284 意識が「世界の一部」であるか、「世界の全部」であるか、それが問題だな
291 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 17:29:07 0
『私』とは、人間の本能的欲求を固めたもの?
それが現代社会の「理性」によって捻じ曲げられたもの?
ただ単の脳信号か?
いや、さらに言えばありとあらゆる自分の利益を求めようとするもの?
このように考えているのが『私』なのだろうか。
あくまで意識上のペルソナを持った自分も『私』ということになるのか?
292 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 17:38:58 0
>>287 それは、カントについて語っているの? それとも君の説?
君の説なら別にかまわないが、カントのそれについてなら、かなり
誤解がある。
カントに詳しい衒学クンに「認識論上のコペルニクス的転回と、あわせて
物自体と物理世界」についてたずねてみるといい。彼は、教えたがりなので
答えてくれるでしょう。w
293 :
佃煮マニア:2007/10/24(水) 17:40:52 0
ネットが世界をつなぐなんて言ってみてもしょせんパソコンは光る箱に過ぎない
同じように私の意識だって単なるデータでしかない。
壊したときの保険にはこういう考え方が便利だw
294 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 19:59:35 0
>>218 >物理的要素で私を現象させる事は、絶対に100%不可能です
それが何で唯物論に対する反論になるの?
私に限らず全ての現象は唯一であって、同じものをもう一つ現象させるなんて不可能でしょ。
唯物論では「同じ」現象を幾つでもつくれるなんて言ってないよ。
>>240 >これは物理現象にも原因性は、ありえない
あるかどうかは解っていない、というだけでしょ。
最高位さんの言ってる根拠では、そこまでしか言えないよ。
もし物理現象ではない『私』の原因を示してくれたら誰しも納得できるんだけどな。
295 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 21:02:20 0
「私」は物理現象ではなく生理現象だろうね。脳の生理現象で
「私」が生まれる。
296 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 21:34:56 0
>>295 はははは、それを記述したら、あんたはノーベル賞をもらえます。
298 :
世界人類が平和でありますように:2007/10/24(水) 22:24:37 0
# 私と世界についての一考察 #
(テーゼ)
1.「世界」は、事物の全てである。
2.<私>は、それに対して「世界」が現れるものである。
3.<私>に対する現われは、全て「世界」に属する。
4.<私>に対して<私>は現れない。
2より、「世界」が現れないものは、<私>ではない。
→「世界」がなければ<私>はない(私の世界依拠性)。
2と3より、<私>があれば「世界」がある(世界の根拠)。
3と4より、<私>は「世界」に属さない。
→<私>は脳でも意識でもない(私の世界超越性)。
# 唯物論と独我論の問題 #
<私>を消去する唯物論(=客観原理主義)は、<私>があってこそ認められる「世界」のリアリティ(世界の根拠)を不当に無視している。
「世界」を消去する独我論(=主観原理主義)は、「世界」があってこそ認められる<私>のリアリティ(私の世界依拠性)を不当に無視している。
299 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 22:29:06 0
アホクサ
>>255 お互い様か・・w
> その主体が何か、外界とは何かを明確にしなければ議論にならない。
同意です。
> 貴君が信用することをなぜ私が前提にしなければならないの?
私の意見を、「貴方の立場から最終的に」解釈し直すことは当然としても、
その前段階として、(解釈し直す際の資料として)、
「私(素人)の立場ではどのようなものとなっているか」を想像することも嫌ですか?
貴方の主観の中での(貴方の主観による)解釈法の一つとして採用はしたくないということですか?
「そんな気は更々ない」と仰いますか?
それとも、
「全ては主観に映じたものなのだから、相手の立場なんか関係ない」とでも仰りたいのですか?
「映画やドラマの登場人物の心理を推し量る」ことも、貴方の主義には反するのですか?
友人から相談を受けてアドバイスする時も、自分の立場を中心にアドバイスをしますか?
「友人の置かれている状況や、どうして友人がそのように考えるに至ったか、
推し量る(友人の立場になる)」ことは、貴方のポリシーに反しますか?
「全ては(私の)主観に映じたものなのだから、相手の(君の)立場になどなれる筈もないw」と、
友人を追い返しますか?
> 「俯瞰する視線を想定する」のも貴君の勝手。が、そんなものを私にとっても
> 何かであるかのごとく押し付けられても、ね。(苦笑)
いつ、私が押しつけましたか?私はいつも「私はこのように見る」と述べている筈ですが?
勿論、貴方が「世界」という語を用いる際「私に映じた・主観に映じた」を省略することがあるようにw
私も省略することはある。いや、作文上(文の流れ上)省略することの方が多いかもしれない。
この省略がいけないのか?
それとも、断定口調がいけないのか?「〜と思う。〜と思う。〜と思う。」と記せば良かったのか?
>>255 > 貴君には一旦、主観(意識)に立ち帰って“世界”を観測することを勧めます。
立ち帰るも何もw、(貴方の主張に合わせて言うなら)
≪私のどんな発言も「私の主観に依拠していて」「私の主観から発せられている」≫のでしょう?
どこに立ち帰る必要があるんですか?
と、まあ、煽り返しはともかくw
私は、主観のみに立ち帰る限界を感じるから、貴方の嫌う思考を続けるのです。
> 易々と客観に飛び移ることはできないのです。w
ならば、一生、暗幕の掛った鳥カゴの中でびくびくしていると良いw
私は、せめて暗幕だけでも外せればと思う。
※この状況を(俯瞰してw)喩えるなら、
パーティションで区切られた者たちが、互いの知覚認識した様子を伝えあって、
自分を囲う壁の外を推し量る行為、と言えるかもしれない。
> (貴君の語っていることは主観的言表の羅列です)
だから、私は何度でも言う。
人が、主観的言表しかできなかったとしても、
集積された情報から類推する行為によって、人は認識の壁を越えてゆくのだろう、と・・・。
自分以外を知る為に、人に(我々に)できる唯一の方法ではないか、と・・・。
302 :
ネコの味方:2007/10/24(水) 22:49:39 0
>>300 全然、異議はありません。
ちょっと質問。最高位の言説のどこが気に食わないの? 改めて、簡潔に
まとめてくれない?
>>302 今勢いで書いて、熟考・推敲しなくてもいいか?
過去の自分の発言との整合性チェックとかしなくてもいいか?
304 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 23:16:40 O
>>301 自分以外を知るためにってところに道徳的価値が
あるとすると、認識の徹底は瓦解する。
汝成すべしだから。
305 :
素人:2007/10/24(水) 23:39:46 0
>>302 勢いで書いとくぞw
・説明の仕方の一貫性の無さ。(→用語の曖昧さ。→牛若丸的応答。)
・主張が届く範囲の過大評価。(→唯物論関係)
・主張の根拠の揺らぎ。(→これは、気に食わないと言うより「残念」。)
・主張自体の曖昧さ。(→これも、気に食わないと言うより「残念」。)
・相手のスタンスへの無理解。レスの拾い読み。
(→こちらの(各レスの)論旨がどこまで伝わってるのか判らない。)
「気に食わない」という言い方に沿うならこんな感じ。
もっとも、釣り師であるなら
それはそれで構わんが・・・w
306 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/25(木) 00:45:45 0
素人さん、お久しぶりです。
307 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 03:40:48 0
>>305 ヒジョーにチューショーテキで
「何」が、気に食わないのか、サッパリわからん
もっと具体的にお願いします
言葉の意味を曖昧に使う と言われますが
言葉の意味なんて、もともと曖昧なもんですよ
我々がしているのは
言葉の意味を伝えるのが目的なのではなく
曖昧な言葉を駆使して、「内容」を伝える作業なんです
「人」と「ヒト」
これはビミョーにニュアンスが違うわけだが
同じであるといえば同じであるし、違うといえば違います
言葉の使用者が、同じであるとして使えば同じであるし
違う意味で使ったのなら、それは違うのです
読み手が、同じだとか違う とか、勝手に解釈すれば
書き手と違う解釈なわけですので、それは誤読であると言えるでしょう
前後の文章から、また主張の全体から
書き手が伝えたい内容を、誤読しないように読み取る事が肝要です
読み手が勝手な解釈で、「矛盾している!」などと言っても
それは的外れな議論にしかなりえない と言えるでしょう
ほぅ。
>言葉の意味を伝えるのが目的なのではなく
>曖昧な言葉を駆使して、「内容」を伝える作業なんです
それでは、全く新興宗教だ。
なにが 哲学者最高位だ?
なぁ?どぅいぅことなんだ?
>言葉の意味を伝えるのが目的なのではなく
ならば、書く事自体に意味を見なく。
>曖昧な言葉を駆使して、「内容」を伝える作業なんです
どうぞ。お勝手にw
これは、倫理ですらない。
310 :
バカ:2007/10/25(木) 06:14:52 0
ある時刻において「私」の肉体を物理的に消滅させ
物理的に同じ物質を組み合わせて肉体を作成し
消滅させた同時刻、同位置に置く
この実験なら物理的な要素で「私」が作成できるか確認できるだろうか
>>310 >この実験なら物理的な要素で「私」が作成できるか確認できるだろうか
誰に?
312 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 07:48:01 0
物理現象というものは、時間や位置が違っても
その他の条件が同じであるならば、同じ現象が起こります
また、「現象する」という動作と「存在」は
根本的に意味が異なります
実は、「私は存在するのだ」 という事が理解できた時点で
唯物論は論理破綻しているのです
それに気づかなければなりません
>>310 >ある時刻において「私」の肉体を物理的に消滅させ
>物理的に同じ物質を組み合わせて肉体を作成し
>消滅させた同時刻、同位置に置く
誰がやるのだろう? 魔法だな
「私」を確認以前に、肉体の消滅→同時刻同位置に作成
これは確認出来るのか?
消滅と同時刻に存在は矛盾ではないのか?
その時刻の肉体は「消滅」かつ「存在」。
>>312 位置や時刻は物理的条件ですので異なれば同じ現象ではありません。
変数xyz,tで表したりする事は中学生で習いますよ。常識です。
位置エネルギーだって中学生で習うと思われますが、
最高位世界の物理では習わなかったんでしょうね。
お気の毒ですが最高位の物理観は小学生レベルです。
317 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 08:06:29 0
意味が違います
同じ気圧であるならば
A君の家でも、Bさんの家でも、学校でも
水は同じ温度で沸騰します
物理現象は、法則性に従います
位置と時間で、違う現象が起こるならば
危なくて、クルマの運転もできないでしょう
「この冷蔵庫、ここで使うと熱くなるなぁ」なんて事にはならんのです
熱くなるとしたら、それは位置と時間の影響ではなく
絶対に、それ以外の条件によるのです
故障してるんですね
絶対に、位置と時間の問題ではないのです
318 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 08:16:01 0
>>317 「冷蔵庫が熱くなった」というのも、
人が主観的に、価値観によって
「熱くなった」と、以前の状態と勝手に区分しているだけじゃないんですか?
温度変化も一繋がりで明確な区分はないんじゃないですか?
いや、そもそも冷蔵庫なぞ、拡散したツブツブの
一繋がりの世界を勝手に区分したものでしかない筈なのに
それが「熱くなった」とか「故障した」とか言うことにどれほどの意味があるんですか?
物理世界は一繋がりなんですよね?
「冷蔵庫が熱くなった」というのは、
「区分のない物理世界に於いて、何が、どのようになった」ことを言うのでしょう・・・?
319 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 08:23:17 0
>>318 冷えるように温度設定してるにもかかわらず冷えないとするならば
それは位置と時間の影響ではなく、それ以外の原因による
と言っているわけです
320 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 08:34:21 0
みなさん
「なぜ私は存在しているのか」
という問題と
「なぜ私は、この体であったのか」
という問題は
違う問題である事は理解できますか?
しかし
どちらも現代哲学的な問題意識であって
唯物論では説明のつく問題ではないのだ という事は理解できますか?
>>317 熱というのは原子の振動なので、
位置が細かく移動しているんですよw
まずは中学生の物理から始めてはいかがですか?
>「この冷蔵庫、ここで使うと熱くなるなぁ」なんて事にはならんのです
冷蔵庫の説明書にはたいがい、
「両脇と後ろを何センチ開けて設置して下さい」
とか書いてあります。
壁に密着させた位置で設置しますと異常に加熱する場合が
ありますので、注意して下さいねw
冷蔵庫の中の温度と外の温度の区別もしないで、ガキじゃあるまいし「熱くなった」とか
言ってる文系の物理音痴ども。
冷蔵庫の「熱」は庫内から庫外へ移動する・・・ヒートポンプという機械で
冷蔵庫の逆に言えば「冷熱」は庫外から庫内へ移動する
ヒートポンプエアコンの室内機と室外機の関係と同じだよ。
「何度下がったか(摂氏x度−摂氏y度)」×「冷蔵庫の容積は何リットルか」で、
(移動した)熱量(キロカロリー)は計測できる。
「主観的なもの」ではない。
324 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 09:26:45 0
>>321 で?
>>322 それは冷蔵庫の位置ではなく、周囲の環境の問題ですよ
>>323 あなたは、こちらが言っている事の意味を、理解していません
>>324 あのな「熱い」「冷たい」というのは人間の皮膚が相対的に接触した
温度を評価するのであって、基本的には体温より上なら「温かい・熱い」
とか下なら「冷えている・冷たい」とか感じるだけで、「熱」は全宇宙に
満ちている。
恒星間のヘリウムも凍る深宇宙でも「温度」が絶対零度−273度にまで
下がることはありえないから「温度」「熱」ともそこには存在する。
最高位先生のインチキ物理教室
>>320 >「なぜ私は、この体であったのか」という問題は
内蔵は他人の死体から移植できるよね。
骨格・筋肉も他人の死体から移植できるよね
眼球だって舌だって他人の死体から移植できるよね
顔を始めとした皮膚や筋肉も他人の死体から移植できるよね
脊髄や末梢神経も他人の死体から移植できるよね
そうやって脳以外全部移植したあんたは相変わらずそういうことを言ってるの?
>>312 >物理現象というものは、時間や位置が違っても
>その他の条件が同じであるならば、同じ現象が起こります
最高位氏、「同じ条件の、別の現象」が起こるのです。
(自然界には全く同じ条件というのはまずありませんので、「似た条件」ですが。)
「私」についても同じことです。あなた自身もそう思っているわけです。
だからこそ、自分と「同じ種類の似た条件の別の物理現象」である「他人」に対して、
自分の考えをよく説明すれば理解される、理解できないのはゾンビか低脳だけだ、
と考えておられるわけです。
他人は絶対に『私』ではないにもかかわらずです。
つまり、他人は『私』ではないが、『私』と「同じ種類の似た条件の別の現象」
である「私・自我」ではある、と思っているわけです。そして、すべての
「自我」は、自分自身にとっては唯一絶対の『私』だから、自分の考えが
わかるはずだ、とお考えなわけです。
こうして、「沸騰」も「自我」も『私』も同じであると、あなた自身が
お考えになっているわけです。おわかりになりますでしょうかw?
>>320 最高位氏、その問題は「私」の意味次第なのですw
「私」の意味次第では、唯物論でも説明がつく(それが正しいかどうかは別問題)
ことは、
>>266で説明してあります。ご参照ください。
329 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 09:49:55 0
>>325 で?
結論は?
何に対して反論してるの?
キミは
冷蔵庫は、位置や時間によって、機能したりしなかったり
常に違う現象が起こると主張するの?
330 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 09:57:55 0
>>320 「なぜ私は、この体であったのか」
あなたの主張は、『私』=この体(この物体)、ってこと?
なんか主張が矛盾してない?
331 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 10:14:41 0
>>328 キミの言っている事は、わかるんだよ
最初から、わかっている
だだ
キミは私の言っている事を理解できていないんだなコレガ
>「同じ条件の、別の現象」
いい加減な視点で考えると、そこで納得できるわけだが
別 だからといって、私になる根拠などないんだよ
冷静に、客観的に考えるならば
別人と別人になるのが通常であって
別 だという事がそもそも
私が存在した原因になど成りえない事が理解できるはず
また
たとえば『火』という現象を考えてみましょう
ローソクの火は、見た感じは1個の火に見えますよね
しかしローソクの芯は、ヒモであって
すなわち、多くの繊維の束なんですね
1本の束が燃えているわけですが
厳密的には、それぞれが燃えて1個の火のように見えている
ローソクの例を挙げましたが、火というものは、全て
こういう現象なんですよ
何が燃えているのか が問題なんですね
例えて言うなら
「何が」が『存在』で、「燃えている」が『現象』なんです
だから
『私』が存在であるならば、『行動』が物理現象であると言えるわけで
存在は存在なんです
存在を現象させる事は、原理的に不可能なんですよ
332 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2007/10/25(木) 10:14:46 0
>>320 「いま、ここ」と言う感覚と無意識(何故私は存在しているか)
+ 記憶(何故私はこの体であったか(のよりしろ))
=私
ではどうでしょうか
334 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 10:42:25 0
>>333 話にならんから、説明するのも面倒くさくてスルーしたんだけど
逆だよ逆
体を移植したりして入れ替えていっても
私は私であるのなら
「なぜ私は、この体であったのか」という問題は
ますます解明できないのではないのかね?(笑
というか
物質的には絶対に解明できない という結論が浮き彫りにっている という事です
>>331 >別 だという事がそもそも
>私が存在した原因になど成りえない事が理解できるはず
最高位氏、
>>266はお読みいただけたのでありますかw?
すべては「私」の「意味」次第であると、再三再四指摘しておりますでしょうにw
「私」が「現にこの物体(哲学者最高位という人体)に付随して存在している
主観性(の背後にある何か)」という意味であるのなら、それが存在した原因は、
「その物体(哲学者最高位という人体)が死なずに脳が一定の活動をしたから」
というのが唯物論的仮説であります。無論「別 だということが原因だ」などと
言っている人は、あなた以外は誰もおりませんw
「私」がそういう意味であるのなら、私がこの物体である可能性は100%であり、
私がこの物体以外の何かであることは(この物体が私にとって他人であることは)
論理的に不可能であります(可能であるかのように思えるのは、すべて
心理的な錯覚です)。
従って、「なぜそれが他人でなく私なのか?」という問いは、無意味なのです。
ちなみに、すでに「私」が存在し、「私」という言葉が意味を持った後では、
「私がこの物体でなくなる」ことも(
>>327などはそう解釈し得る例ですが)、
「この物体が私にとって他人になる」ことも、論理的には十分有り得ます。
端的に、朝起きてみたら昨日とは別の体だった、という事態がそれです。
ですから、「なぜこの物体が他人でなく私なのか?」という疑問は意味がありませんが、
「なぜ昨日私だったこの物体が今日も私で、他人でないのか?」という疑問は
意味があります。
(続き)
そういうことが現実に起こるかどうかは、経験的に確認するしかありません。
そして、実際にはそういうことはほぼ起こらないので、「なぜ?」とあえて
問う人もおらず、ほとんど「私=この物体」という観念が定着しております。
これもまた、唯物論的仮説が優位である、一つの原因なのです。
ローソクの火の比喩と、「存在」と「現象」の峻別のお話は、どうもよく
意味がわかりません。「存在」と「現象」をそのように峻別する必要はないように
思われますが。「ローソクの芯の1本の束」も「人間」も「火」も「私」も
存在といえば存在だし、現象といえば現象です。客観的事実(こんなことを
書くとネコの味方氏に怒られますがw)を人間の言語で記述する上の
便宜上の区別に過ぎますまい。
>存在を現象させる事は、原理的に不可能なんですよ
これも意味がわかりません。あなたの比喩ですと「ローソクの芯」が「存在」に
当ると思われますが、そんなものを「現象」させることは、ローソク工場では
いとも容易だとしか思えませんがw
「人間」の場合も、それを現象させることは男女1組いればどんな馬鹿でも
できることでありますw 人間を現象させると、ほぼもれなく「自我」もついて
くるというのが一般的理解なので、「私」でも、無論同じことであります。
>>334 >体を移植したりして入れ替えていっても
>私は私であるのなら
「なら」というのが気になるな、なんで「なら」なの?
あんたの言ってることを延長すれば当然「なら」など入れないで断定できるはず。
要するに「『私』は『私の脳』に宿っているのであって、他人の脳に宿っているのではない」
というだけのことを繰り返しねちねちと言ってるだけなのね?
最高位の脳に宿っている『私』が「最高位の『私』」なんだから同義反復にすぎないじゃないか。
338 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/25(木) 12:08:18 0
「私」は観念論的にも記述できない、と言うのが私の持論ですが、物質的に解明できると言う人が多いのには驚かされる。
昨日の新聞でもノーベル賞の利根川さんが「心」を科学的に解明出来るはずだという趣旨のことを言っている。
この様なトンデモ学者がいるのがなさけない。
ただそうでも言わないと研究費が貰えないから、見通しのないことでも科学研究で解決できると言うと言ううがった見方もある。
現に地震予知はその例だ。
莫大な研究費をせしめてからは、最近は地震予知が可能であると言う学者はめっきり少なくなった。
>>324 >それは冷蔵庫の位置ではなく、周囲の環境の問題ですよ
位置が異なれば当然周囲の環境は異なる。
条件は異なる。
理解出来ないのお前だけだぞ。
「私は何で他人じゃなかったのだろう?」という問いも
周囲の環境(他人)を含めているんだよ。
>>338 いまや科学はそこまで進んでるんだよ。
じいさんが言っている「心」というのは人類という動物の脳の機能としての「意識」
のことだから、脳神経細胞の働きを研究していけばいずれ解明されることになる。
映画マトリクスの世界はもうすぐ近くまで来ている。
>>338 「物」なら解明出来ると思ってらっしゃる?
心を解明するというけど
心がどうなったら解明されたということになるんだ?
「心」なんて解明出来っこないのに、
なんで解明出来るなんていう人がいるのか、まったく。
そんな事言う人の「心」が解明出来ないよ。
>>342 心が「解明出来たー(^o^)」って思ったら。
345 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 12:50:07 0
>>337 カンだけで書くと『私』は“脳”に宿っているわけではない。「宿る」という
表現を用いるのなら“身体に”とすべきだろう。脳は身体(というシステム)の
一部だからである。
『私』は“身体”である、というのが唯物論の見解(仮説)になる。これはこれで
首尾一貫しているが、最高位の問題意識とは異なる。
彼は私という“存在者”について語っているのではなく、うまくいえないが、
それ以前の【存在】に驚きつつ、それを描出しようとしてきたのである。
違うかもしれない。w
346 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/25(木) 12:52:31 0
>>340 :考える名無しさん:
>いずれ解明されることになる。
いずれとは何年後のことですか?
大まかでいいから示して下さい。
100年200年先と言うのであれば、そんな先の事なら私もどうでもいいから「可能かもしれない」で好いですよ。
「私」とは何か・・・は人類始まって以来観念論(哲学)としては、解明できていないしその見通しもない。
それは不可能であるし、その試みも禁止されていると言うのが私の持論ですが・・・。
ところが自然科学で解明できると言う、観念論で解明できない「私」を科学で解明する場合の表現とはどういうことになるんだろう?
想像もつかないが。
科学的表現手段があるとは思えない。
347 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 12:55:38 0
>>342 物だって解明できないよ。2重スリットのような現象がなぜ起きるかは誰も説明できない。
心よりも物の方が解明が困難だ。
>>346 先ず、観念論者を止める事が第一歩でしょう。
結局、科学では物も心も解明できないということだね。
350 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/25(木) 13:16:32 0
>>349 :考える名無しさん:
>結局、科学では物も心も解明できないということだね。
結局「解明」と言う事自体が極めて観念論的な行為だからでしょう。
科学も脳(心)が行うこと・・・いわゆる「唯脳論」です。
351 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 13:20:50 0
>>335 マジメな話
あなたは、唯物論で現代哲学的な問題意識が解決できている と真剣に思っているわけですか???
>すべては「私」の「意味」次第であると、再三再四指摘しておりますでしょうにw
まぁ簡単な話
哲学ですからね
当たり前ですが
『論理的に、考えうる全ての意味』ですね
こじつけるために、都合よく意味を限定するのは、明らかに作為的ですよね
それがキミのスタンスだ という事です
>>338 非常に共感しますね
クオリアの起源についても
脳科学で解明できる取っ掛かりすら見出す事ができていないのに
解明できる などと発言している時点で、確信犯的な売名行為でありましょう
詐欺行為と言ってもいいのではないでしょうか
ただ
地震は物理現象でありますがゆえに
何らかの物理的要因によるのでありましょうし
その要因が複雑に絡み合うカオスであったとしても
論理的には法則性を飛び越えるものではありませんので
その意味で『主観性』の問題とは、根本的に一線を隔していると思います
352 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 13:22:25 0
>>339 環境ごと移動させれば、位置が移動しているにもかかわらず
環境は変化しないよ?
というか「環境を変えずに位置を移動させる」という事にすればいいだけです
>>343 座布団一枚!(笑
>>345 >彼は私という“存在者”について語っているのではなく、うまくいえないが、
>それ以前の【存在】に驚きつつ、それを描出しようとしてきたのである。
>
>違うかもしれない。w
いい線いってると思いますね^^
逆に表現すれば、より近くなります
「彼は私という“存在者”に驚きつつつ
それ以前の【存在】について描出しようとしてきたのである。」
こっちの方が近いかな^^
353 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/25(木) 13:53:34 0
いい例がありますね・・・・・・・
>>325 :考える名無しさん:
>あのな「熱い」「冷たい」というのは人間の皮膚が相対的に接触した温度を評価するのであって
この「評価」そのものを説明できるかどうかと言う事です。
温度は科学で解明できてもそれを「アツィ」と感じる人の心は解明できないと言う事です。
睡眠物質が脳内にたまって「眠い」となる、なおかつ「A」が睡眠物質だと解明できた。
以上をもって「眠い」を解明したというのは所謂「ごまかし」の観念論的誤謬です。
一番大事なのは「A」と「眠くなる」の因果関係です。
このことを突き詰めれば、行き詰るのは明らかです。
「眠い」のは「Aの原因で眠くなる」からだと言う観念論で解明は行き詰るからです。
睡眠は解明できても「眠い」は解明できない。
引力の原因が説明できないのと同じです。
354 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 14:11:19 0
>>317 >A君の家でも、Bさんの家でも、学校でも 水は同じ温度で沸騰します
でも、それぞれ別の現象だよ?(もう
>>328でも言われてるね)
もし、同じ現象が起こっていたら、
『私』も他の物理現象と同じように発生させられるはずなのに、って言えるけど、
これじゃ『私』も他の物理現象と違わないって言ってるだけだよ。
>位置と時間で、違う現象が起こるならば 危なくて、クルマの運転もできないでしょう
違う現象だから運転できるんでしょ。同じ現象だったら危なくて運転なんてできないよ。
最高位さんの理屈だと、同じ車種は全部同じ現象なんだから、
どっかで事故起こしてクルマが大破したら、同車種全部大破、ってことになるよ。
>>331 ローソクの喩えはなんだかニューロンと似てるね。
一つ一つのニューロンは単純な挙動しかしていないのに、
多くの束になると、一個の精神のようになる。
「繊維」「燃える」「火」
「ニューロン」「信号の伝達」「精神」
>>332 多分、最高位さんの『私』はその中でいうと、無意識のところにあると思う。
>>352 >というか「環境を変えずに位置を移動させる」という事にすればいいだけです
移動させてしまえば元の位置には当然その環境は残らないので、
移動先と移動元は同じ環境ではなくなる。
お前の言っているのは「この体を環境ごとそっくりそのまま移動させる」
と何が違うのかね?w
『私』は移動先と移動元のどっちに残るんだ?w
それではお前の言う肉体のコピーにならんだろw
お前の言う肉体のコピーが物理的に不可能なのが理解出来たか?
356 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 14:25:58 0
>>353 だから「科学的に」解明なんじゃないの?
科学なんて所詮は地道なマッピング作業でしょ。
この場合はこうなって、あの場合はああなるっていうような。
それが地道に地味にじりじり進んでいくだろうってだけなんじゃ?
これができなくなる、絶対にここで止まるっていうのはどこなんですか?
357 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 14:42:13 0
>>353 それがいわゆるクオリアの起源 という問題ですね
ただ
>引力の原因が説明できないのと同じです。
というのは、「同じぐらいに困難なレベルの問題です」
とすべきだと思います
>>354 >>328の反論については既に説明したでしょう
キミも浅い次元で、早合点しちゃってるんですよ
厳密に分析すると
現象については「コレ」と言えないんですよ
現象が「コレ」なのではなく
「コレ」が現象するんです
で、「コレ」と物理世界から切り取って限定しているのは『観念』なんです
また
「この現象」というのは「現象している様」を指しているのであって
「現象」が存在しているのではありません
聖火ランナーの聖火は、聖火だと思いますか?
あれは聖火という存在が移っているのではなく
単に油が燃えているんですよ(笑
あの、何ていうのかな
手に持っている方の火が付いてるヤツ
アレごと放り込んじゃったら
どっちがどっち とか区別できますか??(笑
>>351 >当たり前ですが
>『論理的に、考えうる全ての意味』ですね
おお、最高位氏、ちっとも「当たり前」ではありませんw
そんな無茶苦茶なことを言い出されては、すべて台無しですw
「私は最高位である」も「私は最高位ではない」も「私は唯一である」も
「私は無数にある」も、すべて成立することになってしまいますw
まず「私」の意味を確定して、しかるのちに初めて何かが論理的に「私」で
有り得るか有り得ないかを考えることができるのです。
>あなたは、唯物論で現代哲学的な問題意識が解決できている と真剣に思っているわけですか???
最高位氏、「現代哲学的な問題意識」とは何のことですか。あなたの言うような
<私>の問題など、永井氏以外ほとんど誰もまともに論じてはいないと思いますぞ。
「他人に理解されてはならない問題」なのですから、まあ当たり前ですがw
いわゆる「自我」の問題、心身関係の問題なら、古代から現代までずっと論じられ
続けていますが、無論最終的な解決には至っておりません。
じいさん氏のように、「唯物論的な解決は不可能だ」と考える哲学者も大勢
おります。利根川氏のようにできると考える科学畑・哲学畑の論者も大勢おります。
そもそも、古代であろうと現代であろうと、「哲学的な問題」で「解決できている」
ものなど、一つもありません。解決できているなら、それはすでに哲学の問題では
ないのであります。
唯物論的な考え方というのは、様々な哲学上の問題に対する、ある種の回答(仮説)
であって、それ以上でも以下でもないのです。
360 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/25(木) 15:07:44 0
>>356 :考える名無しさん:
>それが地道に地味にじりじり進んでいくだろう・・・・
ですからその進む方向性の問題なのです。
例えば花を見たとき「美しいはなの詩」を作る方向と「構造や分類を科学」する方向の二つがある。
二つの方向は別々で相容れない、これが今までの常識。
ところが利根川さんのような、科学で心を解明できるというトンデモ発言が出てきている。
宗教も心だから宗教も科学で解明できるというわけで・・・。
世界はすべて科学に収束するという訳だ。
>353
だから「科学的に」解明なんじゃないの?
科学なんて所詮は地道なマッピング作業でしょ。
この場合はこうなって、あの場合はああなるっていうような。
?
>
>
>>352 >「彼は私という“存在者”に驚きつつつ
>それ以前の【存在】について描出しようとしてきたのである。」
>こっちの方が近いかな^^
おお、最高位氏、それでしたら「私」である必要は何もありません。
あなたがうっかり口を滑らせてしまったように「ろうそくの芯」でも「このリンゴ」
でも「この人間」でも「銀河系」でも「この宇宙」でも、およそ“存在者”が
【存在する】ことに驚くことは哲学の始まりであります。
「なぜそもそも何かが存在し、何も存在しないのではないのか?」
これであります。
何かの事物が持つ、いかなる性質も、それが「存在する」ことを説明できません。
それが「存在する」ことは全く当たり前であると同時に、論理を超越した
一個の奇跡である、ということです。従って「存在する」を定義することも、
本当はできないのであります。
昔、いろいろ試みられた「神の存在証明」の1つに、「神はその本質上、
最も完全なるものである。存在しないということは不完全な性質だから、
神が存在しないということはその本質上有り得ない。従って神が存在することは
確実である。」というのがありました。
それに対する反駁から、上のような議論が出てきたのです。
神といえども、それが存在することを論理から導出することはできません。
「このリンゴ」でも「私」でも、同じことであります。まずもって
何かが存在し、しかる後にそれがどんな性質を持っているかどうか、等が
論じられるわけです。
うううううわちゃしわ
やはきみぃまたあつたねへえ
>>357 余計な口出しですが、最高位氏、
>>328の反論については、何の説明も
いただいておりませんぞ。
そもそも、
>>357が
>>354に対する反論に全くなっていない、ということが、
おわかりになりませんかw?
364 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/25(木) 15:25:20 0
>>359 >まず「私」の意味を確定して、しかるのちに初めて何かが論理的に「私」で
>有り得るか有り得ないかを考えることができるのです。
考える事ができるんでしょ?
その時点で、いるじゃないですか私(爆笑
あ、時間だわ
またね
365 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 15:29:07 0
>>289 意識から独立して存在する世界と、感覚をもとに構成された構成物としての、
世界観は別に存在している。
意識も物質の構成物でしかありえないから、
唯一の客観存在である物理世界からみれば、
主観的意識界から独立して、客観的物理世界があることは唯物論と矛盾しない。
意識(主観)と認識形式は、仮象でしかありえない。
認識主観は現象でしかないが、象は象でしかありえない。
物質の所産という形で現象界、意識界、が象として物理存在している。
そして現象の背後に、意識から独立した根本存在としての世界はある。
人間理性による把握や思惟の主観的制約、不可知性は、世界の実在と無関係である。
366 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 15:40:08 0
>>357 意図を読解しきれないんですけど・・・
「この現象」というのは「現象している様(状態?)」?を指していて
「現象」が存在しているのではない?じゃあ、先の例では「火」は存在していないの?
>どっちがどっち とか区別できますか??(笑
混ざったら区別は難しいですよね。
脳半球も分離すると別々の意識に分かれるけど、
くっついてると一つの意識しか無いように思えますね。何でかな?
>>353 >一番大事なのは「A」と「眠くなる」の因果関係です。
そんなものとうに解決しているよ。
脳内鎮静物質、セロトニン、ベータエンドルフィン等が脳内で増加(濃く)すると
脳は鎮静し眠気を及ぼす。麻薬でも鎮静系の阿片・ヘロイン・マリファナ等は眠気を誘う働きがある。
強力に眠気を及ぼそうと思ったらハルシオンとかデパスとかの睡眠誘導剤を飲めばいい。
それらの物質が胃で溶けて吸収され脳に血管が運んでくる30分後くらいには眠くなる。
これが因果関係というもの。
逆に脳を興奮させる物質は脳内ホルモンとしてはアドレナリン・ノルアドレナリンが有名。
麻薬ではいわゆる覚醒剤、コカイン等・・・これらを常用すると脳がいかれて廃人になる。
服薬ではカフェイン製剤等がある。
これも因果関係がはっきりしているので「薬品」として製造販売できる。
>>367 そうなんだよね。そのレベルでは解決してる。
解決してないのはじいさんにその事を理解させる事。
眠くさせる薬は既に出来てるけど、
バカを直す薬はまだだねぇ。
シナプスの配線変えにゃならんだろうから薬じゃ無理かw
369 :
ネコの味方:2007/10/25(木) 15:58:06 0
>>361 【存在】に驚き…云々と述べたのは私なので、少々申し上げます。
「蝋燭の芯も炎も、このリンゴも銀河も、なによりも存在者の私も、つまり
貴方の言う存在の奇跡と、それによって現出する存在者たち」は〈ここ〉に
立ち現われるのです。〈ここ〉は存在者の顕現する“場”であり、唯一無二。
「他人にもあるだろう」との推測も〈ここ〉でなされます。
最高位の『私』は〈ここ〉の符牒だろう、と私は思っています。
違うかもしれません。w
>>364 >考える事ができるんでしょ?
>その時点で、いるじゃないですか私(爆笑
おお、最高位氏、何を読んでおられるのですかw?
たとえば「高さ一万メートルの黄金の山」については、意味が確定しているので
考えることができます。「どんな形なんだ?」とか「質量はどのくらいだろう?」
とか「ある程度以上の重力の星だと潰れてしまうんではないか?」とか。
しかし、それが「存在するかどうか」は、わかりません。宇宙の隅々まで
探し回る以外、それを決める方法はありません。
一方、「富士山」については、それが存在することはわかっております。
こちらは先にそれが存在することがわかって、それから「富士山」という
言葉の意味が確定するわけです。いわゆる「個物」は皆そうであります。
従って、「なぜこの山が富士山であって、他の山が富士山でないのか?」
とか、「なぜ富士山はこの星にできて、他の星にできなかったのか?」
という議論は、無意味であります。
あなたがこだわっている「私」もこれと同じ性質の言葉ではないか、
と再三申し上げているわけですが、さて、意味がおわかりになりますでしょうかw?
371 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 16:05:19 0
>>369 『私』が〈ここ〉の符牒では不味いでしょ。
372 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 16:06:50 0
>>360 神経細胞が心を発生させているのだとしたら、
神経細胞でなければ心が発生しないのだとしたら、
そんな生き物をつくらないと心が発生しないとしたら、
お手上げですよね。機械で心はつくれない。絶対に。
ところが最高位さんの話では物体には心(というか『私』)の根拠が無いというんです。
となると物体がやっていることを機械で模倣すれば心が生まれる可能性がある。
心とは創発的なものであって、ニューラルネットワークから発生するものかもしれない。
最高位さんの理論の通りなら(たとえ本人の意図に反していても)、
意識のハードプロブレムに絶望しなくてもいいんですよ。
最高位さんの理論なら、決定論を否定する機械だってつくれちゃいそうなんです。
373 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 16:10:44 0
>>365 貴君は意識から独立した世界を(意識せずに)どうやって知ったのですか。
374 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 16:16:49 0
推測じゃないの。
ヒトには物事を推測する能力がある。
これも意識という機能があるおかげだね。
あとはそれを信じないに足る理由が無ければ信じるでしょ。
しかたがないよ 人間だもの
>>373 >>301 >パーティションで区切られた者たちが、互いの知覚認識した様子を伝えあって、
>自分を囲う壁の外を推し量る行為、と言えるかもしれない。
伝えあった内容を、
突き合わせ、照合し、類推し、
類推した内容を、
突き合わせ、照合し、類推し、
その内容をまた・・・
これを繰り返して、壁の向こうの様子を描き出したのでは?
376 :
ネコの味方:2007/10/25(木) 16:19:22 0
>>371 私という存在者を〈ここ〉とするのはまずいでしょうね。
ある(存在する)にもかかわらず、物質的な属性を全く有しないのなら
〈ここ〉という位置を示す表現がいいかな、と思ったのです。w
無意識に知ってしまいました。
サーセンw
378 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 16:46:31 0
●●
( 'A` ) なんで働かないといけないの?
/ ̄  ̄ヽ
/ ,ィ -っ、 ヽ
| / 、__う人 ・,.y i
| /  ̄ | |
ヽ、__ノ | |
| 哲 学 |
| ヽ、_ _,ノ 丿
| (U) |
| / ヽ |
379 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 16:47:51 0
じいさんが、心もやがて解明できるという利根川氏は馬鹿だといってる
むろんじいさんはなぜ利根川氏がじいさんより馬鹿だと感じるかトンと自覚、想像できないだろうね
それくらいの心の動きはは十分簡単に解明できるが止めとく
たんに利根川のほうが権威があるからでしょ。
381 :
ネコの味方:2007/10/25(木) 17:02:50 0
たしかに、じいさんの言い方は変である。w あの文章からは、利根川氏は
バカではなく、ズルがしこいということになる。
(予算欲しさにウソをつく)このズルがしこさは、第二氏の言う“生活感”に
規定されたものなのだろう。w 第二氏の主張は、大筋ではw正しいのだ。
382 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 17:04:37 0
>>373 思惟の主観的制約があるので推論するしかないが、
実在を知覚しているからこそ、現象があり、 現象界に先立ち、物理界がある。
物理存在が意識に仮象を与えている。
認識能力の制約や把握は、物理世界自体の実象と無関係に存在しているが、
仮象であれ知覚し現象している事実が、物理界の客観的実在性を与えている。
物理世界がないのなら、現象しないだろう。
383 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 17:12:08 0
(予算欲しさにウソをつく)このズルがしこさは
とは「じいさん」が感じてる「こと」だよね間違えないように
ずる賢い科学者が心を解明したとしても、
お前らが理解出来るまで親切に説明したりしねーよ、阿呆どもがw
最近気が付いた。哲学の議論で重要なのは気力だ。
386 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 19:26:58 0
>お前らが理解出来るまで親切に説明
それやるには相当の知能がいる
それだけのオツムがあればそもそも科学者なんかやってない
387 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 19:33:14 0
>>381 俗物が好むように卑俗な例だけで第2唯物論を片付けてしまうと(よくあるが)
第2唯物論の重要な意味を、何故大発見であったか、わからないで暮らすことになるよ
388 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 19:35:35 0
つまり利根川さんほどの人が予算欲しさにうそつくなどということは妄想さ
389 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 19:39:19 0
>>387 重要な意味、大発見てなに?
嘘はダメよウソはw
利根川ググってみたけどへんな噂があるようだね。
391 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 19:49:27 0
実は物資的な価値(自分のだけでなく)が唯一の価値であるのに、人は普通そうはおもわないそれはなぜか
ということさ、唯物論は精神的価値などは幻だとは言わない、諸行無常とちょっと違う
ただ精神的的価値に気がつかないことも多い下部構造があるということさ
精神的的価値はあるが突き詰めれば物資的価値が唯一の価値。これがなに意味するかというとあとで書く
392 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 19:51:05 0
>>391 気がつかないことも多いは、「下部構造」にかかる形容句
393 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 19:52:56 0
>>391 >物資的な価値(自分のだけでなく)が唯一の価値である
初耳。
どこで頭ぶつけるとそういう突拍子も無いアイデアが浮かぶのか教えろ。
394 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 21:45:19 0
最高位は、何年宣教師やってんだよw
395 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 21:47:35 0
>>393 難しい内容だから低学力には理解しがたい
396 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 21:51:40 0
ただ精神的的価値には気がつかないことも多い下部構造があることがおおいというさ
下部構造のないやつは、空中楼閣とも言う、それはあんまりない
397 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 21:52:55 0
>>391の訂正と追加
ただ精神的的価値には気がつかないことも多い下部構造があることがおおいということさ
下部構造のないやつは、空中楼閣とも言う、それはあんまりない
398 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/25(木) 22:16:41 0
>>367 :考える名無しさん
>強力に眠気を及ぼそうと思ったらハルシオンとかデパスとかの睡眠誘導剤・・
>これが因果関係というもの。
だからそれは「睡眠」との因果関係にすぎない、ごまかしだと言っている。
「睡眠」と「眠い」はちがう。
同じ睡眠誘導剤で寝てしまった太郎君の「眠い」と花子さんの「眠い」との違いが解明できない。
さらに観念論として「惰眠をむさぼる支配階級」などと言うときの比喩表現としての「睡眠」もある。
これはどんな物質とどのような因果関係を持つと言うのか?
399 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 22:27:24 0
>>398 他人の眠い感じが、自分のとは違うとどうして分かる?
ましてや他人同士の太郎君の「眠い」と花子さんの「眠い」との違いがあると
どうしてあなたには分かるのか?
/^ヾo
○= ノ:;☆_;;.ヽ===○
‖(⌒(´・ω・`n ‖ .‖
/(_,,..てっ..,,__ ノ  ̄./iそろそろ就寝するわ☆
_,.(~ ̄  ̄ ̄~ヘ, | !
(~ ,::::::☆:::::::::☆:::::::::::::::.'' }i |
ノ ..:☆::::::::::☆:::::::::::☆::::." 丿
401 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/25(木) 22:53:39 0
>>358 :考える名無しさん:
>観念論的な行為 ・・・・・とは一体何ですか?
とにかく「自然」なり「心」なりを解明するという事は観念論に過ぎないと言うことです。
もし仮に(仮にですよ)絶対的客観的真理があるとします。
しかしその真理を人間の自然科学が解明する必然性はないわけです。
頼まれてもいない解明を人間がやりたくてしょうがない。
このことを「人間の観念論的行為」と私は言います。
もし自然界に人間を真理の探求に駆り立てる法則がある。
人間の真理の探究は必然的に因果律で決められている・・・と言う主張なら・・
それはどこぞの「機械さん」と同じ「決定論教」の信者です。
402 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/25(木) 22:57:37 0
>>399 :考える名無しさん:
>他人の眠い感じが、自分のとは違うとどうして分かる?
あなたは寂しい人ですね・・・。
違いが判りませんか?
一般の人は、気になる人の感じの違いを知りたくて・・・其れが生きる目的でもあるんですよ。
人の気持ちを知りたい・・・心が心を知りたがっているんです。
これが観念論です。
貴方には他人の心など興味はないでしょうけどね。
403 :
ネコの味方:2007/10/25(木) 22:59:17 0
>>382 細かく突っ込んでもいいかな?
まず、その推論にこそ一等、主観的制約がかかるのではないかな。w
「実在があるから現象がある(これは素朴実在論にして素朴観念論)」のでは
なく、私(たち)には現象しか開示されないのである。この現象を私(たち)は、
それぞれの関心に沿って読み解く。たとえば、数学というイデア(物差し)に
よって現象を差異化し、そこに“理”を立てたのが貴君の絶対化する物理世界。
だから物理世界は確固たる客観的実在ではなく、それもまた仮象なのである。
ただし科学者たちはプライドが高いので、そう呼ばずに「仮説」と称している。
404 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 23:01:51 O
物質主義者は科学技術が発展すれば
みんなが幸せになれるとか思いこんでそうだな。
詐欺師みたいなもんだよな。
社会が発展、進歩すれば幸せになれるから頑張ろうってかw
1億年後の世界もあと少し進歩すれば幸福になれるので頑張りましょう
とか言ってそうだよなw
永久に唯物論者は不幸なのは進歩、発見が足りないからだ、と言うんだろうな。
405 :
考える名無しさん:2007/10/25(木) 23:57:15 0
>>402 あなたは人によって眠い感じは違うものだという断定をしました。
僕は、分からないから、断定しません。
僕は、眠い感じくらいは人によって違わなくてもいいかな、と思うだけです。
で、人の気持ちを知りたいということと、
人によって眠い感じは違うものだということが、どうして結びつくのでしょう?
406 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/26(金) 00:17:20 0
>>405 :考える名無しさん:
(もう遅いから)眠い。
(貴方の話を聞くと)眠い。
ぜんぜん違うでしょ。人間関係が。
>>406 人間関係を全ての思考の中心軸とするのが観念論?
408 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 00:31:45 0
>>406 ははw
眠いの感じの違いとは「人間関係」の違いですか?
僕は生理的な「眠い」感じを述べているのですが?
>じいさん
あんた、子供の時から「頭悪い」って言われてなかった?w
410 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 00:41:25 0
>>408 じいさんは「突然」ブンガクに変身したりかと思うと「急に」テツガクに戻ったりだから
振り回されるだけだよ
本人には自覚症状が全くない(らしい)ところが最高位と同じだねw
>>410 ぜんぜん違うでしょ。人間関係が。
ぜんぜん違うでしょ。人間関係がっ!!!
ぜんぜん違うでしょ。人間関係がっ!!!!!!!!っつぅ!
412 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 00:47:54 0
>>410 進言ありがとう。
彼が「ボケ気味」なのは分かってます。
分かってて、かかわっているんです。
最高位と同じだねw …は、「まさに」です。
413 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 00:58:09 0
>>412 お互いボランティアは結構大変ですよね?w
414 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 01:03:33 0
415 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 01:06:44 0
>>414 「突然ブンガク」かと思ったら次の瞬間「急にテツガク」って疲れませんか?
416 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 01:11:11 0
>>415 「主観性・存在性」と言った後に
「同じ人物」というのも、疲れませんか?
「またどーぞー」みたいなw
417 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/26(金) 01:37:33 0
>>408 :考える名無しさん:
>僕は生理的な「眠い」感じを述べているのですが?
おお生理学的見解でしたか、其れは失礼しました。
418 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/26(金) 01:41:18 0
>>410 :考える名無しさん:
>じいさんは「突然」ブンガクに変身したりかと思うと・・・
人の心を科学で解明できると言うなら、文学も「比喩」も落語も漫才も「しゃれ」も科学で解明できないならないでしょう。
419 :
408:2007/10/26(金) 01:41:23 0
420 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/26(金) 02:11:32 0
じいさんさんが来られているようですので
決定論のスレでのご質問で矛盾を指摘されましたが
平等の中になぜ差別があるのか?という問いだと思います。
「本来」の個々の相を観るためには平等でなくてはならない
という意味で捉えていただけないでしょうか?
あまり専門用語を遣いたくありませんので。
421 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/26(金) 08:54:00 0
>>367 よく考えて下さい
それは『この感じ』
眠たさの『感じ』 の原因性を解明しているわけではないんですよ
ヒント
クオリアの起源
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/kuoria.html >>369 <ここ>というのを
客観的観点からの位置としての意味での<ここ>ではなく
私から見た意味での、自己紹介的な<ここ>であるとするならば
その場合、私あっての<ここ>ですから
<ここ>では『私』の本質を、更に掘り下げた事にはならないでしょう
あえて言うなら
<ここ>というのは『自我意識』の発露にすぎないと思います
『私の存在性』というものは
もっともっと更に更に、ゲロがでるほど、無限に深遠な問題なんです
>>370 なんで何回説明しても理解できないのかねキミは
富士山を物理世界から、いい加減な基準で切り取って
『富士山』と名づけているのは、人間の価値観であって
『富士山』は、地形の状態に対する『便宜上の名称』にすぎない
富士山は、人間の価値観による観念によって『富士山』と呼ばれているにすぎない
『元々から富士山としてある』のではない
キミは、状態に対する名称と、存在性をゴッチャにしている
>>369 >最高位の『私』は〈ここ〉の符牒だろう、と私は思っています。
>違うかもしれません。w
ネコの味方氏、それは明らかに違いますw
最高位氏のいう「私」の「存在性」とは、そのような意味ではありません。
まず、最高位氏は「生物は存在性かもしれない」とか「素粒子は存在性かもしれない」等の
やや意味不明なwことをたまに言われるので、あきらかに客観的な事物「存在者」もまた
「存在性」であり得ることになります。
次に、氏は「主観性を持たなくなっても、私は私であって、その存在性は揺るがない」と
言われています。しかし、主観性がないと何も「立ち現れない」ので、それが〈ここ〉
だとも〈そこ〉だとも〈無〉だとも〈存在〉だとも、何とも言いようがありません。
(続き)
>「他人にもあるだろう」との推測も〈ここ〉でなされます。
この文意はやや不明確ですが、「他人にもあるだろう」との推測が可能だとすると、
〈ここ〉は存在者の一つに過ぎない特定の人間と結び付いていることになり、
そこから他の人間にも有るかもしれない、という思考が成立することになって
(この場合、実際に有るかどうかは問題ではなく、論理的に有り得るかどうか、
そういう事態が意味を持つかどうかだけが問題です)、〈ここ〉は単にある
種類の存在者(物質の組み合わせ)が共通に持つ性質に過ぎなくなります。
最高位氏の言いたいことは、「数ある〈ここ〉の中で、どうしてこの一つだけが
特別な〈〈ここ〉〉なのか? この一つの存在者の性質からは導けないだろう!」
ということですので、〈 〉の中に入るのは「心」でも「自我」でも「精神活動」
でも「超越論的主観」でも「ここ」でも(本当は「体」でもw)、
余り問題ではないのです。あなたは〈 〉の中の意味にこだわっておられますが、
それは最高位風唯物論破壊論wの本質とは余り関係ありません。
もし、「他人にもあるだろう」との推測が不可能(無意味)だとすると、
それは純然たる独我論であって、それを他人に説明しようとすることは完全に
無意味です。また、他人がそれに同意する可能性はありません。
最高位氏の動機は「人間を軽視する唯物論からヒューマニズムを擁護する」
ことなので、この立場は取り得ないのです。
(ちなみに、永井均氏などは、ヒューマニズムにも人間尊重にも全く関心がなく、
「私と他人の違いは、他人と郵便ポストの違いなどとは比較にならないほど大きい」
と明言されるような方なので、これに近い立場を取っているようにも思えます。)
>>370 >キミは、状態に対する名称と、存在性をゴッチャにしている
最高位氏、ですからw、「私」の「存在性」とは何のことやら意味がわからない
から説明してほしい、と、再三再四お願いしているではありませんかw
「現にこの物体(哲学者最高位という人体)に付随して存在している
主観性(の背後にある何か・例えば〈ここ〉)」という意味ではないとすると、
さて、何でありましょうか。
「哲学者最高位」でなくなっても「人間」でなくなっても「主観性」で
なくなっても存在する「私」とは何のことで、それが「存在する」とは、
いかなる意味でしょうか。
あなたの論理によると、「哲学者最高位」もまた、「私」が一つながりの
物理世界からいい加減な基準で切り取って名付けた便宜上の名称に過ぎないの
でしょうから(だとすると「私」が哲学者最高位から離れられない理由が
わかりませんがw)、当然「私」は「哲学者最高位」に先んじて存在している
ことになります。はてさて、それは一体どういう意味なのでありましょうか。
一応お断りしておきますが、『論理的に、考えうる全ての意味』では、
お話になりませんぞw
>>422 馬鹿すぎ。問題意識の無いあなたには、「私」に関する議論はやめたほうがいいでしょう。
全くわかってないようですからw
>>421 最高位がクオリアかよ?何にも判らなかったくせになぁw
茂木健一郎の珍妙解釈かなんか読んで観念論の補強に使えると思ったのかなぁ?w
427 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/26(金) 10:51:26 0
>>424 >最高位氏、ですからw、「私」の「存在性」とは何のことやら意味がわからない
>から説明してほしい、と、再三再四お願いしているではありませんかw
再三再四に渡って説明を繰り返してきたが、キミが理解できないだけだろ
理解できないんだったら反論なんてしてくるなよ
的外れなんだよ 理解できてないんだからさ
自分でも、理解できていないと自覚してるんだったら
わかったようなこと言ってないでさ
反論じゃなく、質問にしなさい
あと
私の存在性に関してはだな
「我思う故に我あり」で普通は十分に理解できるだろ
「我はあり」としか言えんのだからね
反論があるなら、まずコレを、論理的に覆してからにしてくれ
歪んだ方向にばっかり考えてないでさ
基礎から勉強して、最低限の事が理解できてから来て下さい
>>426 >最高位がクオリアかよ?何にも判らなかったくせになぁw
それは大きな勘違い
クオリアについては、私は小学生の頃から理解していたからね
428 :
素人:2007/10/26(金) 11:49:49 0
429 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 12:05:13 0
今回分のうちで、一番強烈なレスは
>>243 だろう。
「心的現象は肉体に依存する」のではない、観測者の観測が肉体に依存して
いるのである、肉体が破壊されれば、そこに発言している心的現象を観測
できなくなるだけだという彼の言明は、素朴実在論者の稚拙な反論を一蹴した。
他のは、まぁまぁ。
>>427 >私の存在性に関してはだな
>「我思う故に我あり」で普通は十分に理解できるだろ
>「我はあり」としか言えんのだからね
おお、最高位氏、全く理解できませんw
あなたは「私にとって主観性は偶有性に過ぎない」」とおっしゃったのですぞ。つまり、
何も思わなくても私は私として存在する、私の存在性と「思う」は無関係だ、
ということです。だからこそ、「その場合の私とはどういう意味で、それが
存在しているというのはどういうことですか?」と、お尋ねしているわけですw
ついでに、「存在性」の意味ですが、あなたは「生物は存在性かもしれない」
とか「素粒子は存在性かもしれない」とおっしゃいましたが、富士山と犬のポチや
この素粒子と、何の違いがあるのでしょうか?
さらに、「我思う故に我あり」だとすると、「思う」ものはすべて「我」だという
ことになります。他人でもロボットでも何でも(もちろん、他人は思うことが
できるがロボットは思うことができない、と考える根拠も特にありません)。
こうして、「体のコピーを作っても、それは絶対に私ではない。私はここに
いるのだから」が、成立しなくなります。
他の我と違う「この我」を指定しようと思えば、あなたが否定された
「現にこの物体(哲学者最高位という人体)に付随して存在している
主観性=思う(の背後にある何か・例えば〈ここ〉)」という意味に戻ってしまう
わけです。
いかがでしょうかw?
431 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 12:29:05 0
心的現象を観測 って、何じゃそれ。
432 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/26(金) 12:38:14 0
>>428 どっからそんな話が出てくんだよ
つーぐらいに全然マト外れ
キミは、丸っきり理解できていません
大丈夫ですか??
>>430 順番に考えりゃわかるでしょう
「我思う故に我あり」
「我はあり」だ
その我が、思わなくなったら「なし」になるのかな?
思う事によって確認された「あり」は、確認されなくなれば「なし」になるのかな?
当然、そのまんま理解すればよいのだ
それは単に「確認されなくなった」という事であって
「無になった」とするのは早合点であり、論理的な飛躍というもんだろ
という事です
433 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 12:38:25 0
>>431 きみは君自身も含めて人が何を思っているのか観測不能? どうやって生活しているのですか。
434 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 12:55:15 0
>>433 「観測」と言う言葉がいかに不適当であるか、考えてみてください。
「想像する」とか「省みる」というのは、「観測」とは違いますよ。
435 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/26(金) 12:59:43 0
「想像」したり「省み」て下さい
その際、その思考を、キミは観測しているのではありませんか?
観測していなければ、私は「想像している」とか言えませんよね
436 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:04:09 0
>>435 今一度「観測」と言う言葉がいかに不適当であるか、考えてみてください。
437 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:09:33 0
赤ちゃんのときはどうだろう
>>436 わかったよ。心的現象は観測できない。
推測・想像するほかない。
よって他者に心があるかどうかは科学ではわからない。
ってことだろ。
439 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:15:48 0
「観測」は自然物・自然現象等、客体の動き・運行・変化を同時進行的に精密に観察・測定し、
その変化や推移を調べることですよ。
440 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:16:05 0
「観測」→「観照」
441 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:16:33 0
>>436 もともとは自然科学用語なのだうが、いまはもっとラフに使われています。
なんなら「観測」を定義してみて。過不足なく定義できたら、拍手喝采します。
442 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/26(金) 13:17:39 0
>>436 言葉そのものよりも、言わんとする「意味」「内容」が大事です
「運動」という言葉を聞いて
運動会や運動場などの、人間が体を使う際に使用する言語
であるとしか認識していない人には
「物体の運動」という言葉は、なかなか理解できないでしょう(笑
>>437 「痛い」という感覚や、そういう思いは「観測」できているでしょうね
「自覚」と言えば、少しは理解に近づくんだろうか
443 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:19:37 0
>>438 はい。
「心」というのも、実体なのか検証すべきでしょうし、実体の定義も
必要です。
444 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:20:58 0
445 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:33:17 0
>>439 そうすると、あなたは“心の動き”は自然現象ではない、という考えですね。
446 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:39:42 0
>>442 伝えたいのでしょう?
貴方だけ分かっていてもしようがないでのしょ?
アバウトに使うと、伝わるべきものが伝わらなくなりますよね?
「言葉を選ぶ」のはそれ故大切なことではないですか?
447 :
素人:2007/10/26(金) 13:42:07 0
>>432 >>421内で貴方は、はっきりとこう記している。(過去のレスでも同様だが・・・)
>『富士山』は、地形の状態に対する『便宜上の名称』にすぎない
>富士山は、人間の価値観による観念によって『富士山』と呼ばれているにすぎない
貴方自身、一行目と二行目で記し方を変えているように、
指し示されているものが違うことを貴方も判っている筈だ。
であるならば、それまでの議論が(→先の例で言うならば)、
≪『富士山』と言った時に、一行目内の【地形の状態】を指している≫ことが、
≪【「富士山」というラベルの貼られた】【地形の状態】≫であることが判りませんか?
ラベルの方の「富士山」について言及されているのではないことが判りませんか?
「私」と『私』も、「山」と『山』も、「川」と『川』も、「島」と『島』も、「海」と『海』も、
「エルニーニョ現象」と『エルニーニョ現象』も、「犬」と『犬』も、「猫」と『猫』も同様です。
(もっとも、ネコ氏は「指し示される対象なんてものがあるの?」と疑義を提示しているのだが、
ネコ氏の方が、まだ筋が通っているw)
また、少し話はズレますが、
便宜上「○○」と呼ぶ為には、
(それがたとえ、主観によって勝手に・恣意的に為される区分だったとしても!)、
その区分の材料となる【違い】【差異】が必要なんじゃありませんか?
『山』を「山」と呼ぶ為には、『それ』が「山」として区分されるための要素が必要なんじゃないですか?
『島』を「島」と呼ぶ為には、『それ』が「島」として区分されるための要素が必要なんじゃないですか?
『私』を「私」と呼ぶ為には、(以前、種類を問うたら「全部同じだよ」と仰ってましたが・・・w)
『それ』が「私」として区分されるための要素が必要なんじゃないですか?
「「超越論的主観性・先験的主観性」のことだ」という横レスが入ったこともありましたが、
だとするなら、「私」というラベルを使用し続ける(他の言葉では不十分な)理由があるんじゃないですか?
(それはもしかしたら、〈ここ〉という要素と密接に関連しているかもしれません。)
448 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:46:00 0
>>428 貴君の表現を借用するなら、このスレはラベリングされ、指し示された対象を云々
するものではないでしょう? 対象(現象)をラベリングし指し示す“主観”“主体”
の意味を問うているのです。
449 :
世界人類が平和でありますように:2007/10/26(金) 13:49:37 0
# 「この赤さ」はなぜ表現できないのか #
「この赤さ」はクオリアだから(科学的,記述的に)表現できないのだろうか?
クオリアであることがその根本的理由だろうか?
そうではあるまい。
より本質的な問題は、表現行為において避けがたい、表現とその表現対象との分離にある。
「‘これ’は‘あれ’である」というとき、必ず、‘これ’と‘あれ’との分離が生じる。
分離が生じることによって、‘これ’の言い尽くせなさがどこまでも付きまとう。
さらに言えば、‘これ’のただ一言であっても、その‘当のもの(表現対象)’は‘これ’という語では言い尽くされていない。
ではなぜ、その‘当のもの’は、「言い尽くされていない」といい得るのだろうか。
‘これ’と表現するからこそ、その‘当のもの’は、「言い尽くされていない」ような何かであり得るのではないか。
つまり、表現は常に表現対象から隔たっているが、その表現があるからこそ表現対象は「言い尽くされない」ような何かであり得るのだ。
そして、この表現と表現対象の関係は、<私>と「世界」の関係とパラレルになっている(
>>298)。
<私>に現象する「世界」は、<私>から分離している。
<私>は「世界」から分離している(「世界」に属さない)ので、<私>は<私>に現象しない。
つまり、<私>は示し得えず、それ故に言い付くされることもない。
しかし、「世界」が現象するからこそ、<私>は言い尽くされることのない何かであり得る。
そうすると<私>は、表現対象として表現から分離しているのみならず、「世界」から分離している。
つまり、<私>は、二重に「言い尽くせなさい」のである。
450 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 13:55:09 0
>>446 「観測」という言葉自体がアバウトなのです。現に、君も定義しきれていない。
単語のの定義は、それこそ便宜上のものでしかありません。使用され、その文脈
のなかで意味らしきものが浮かび上がるのです。
>>432 >それは単に「確認されなくなった」という事であって
>「無になった」とするのは早合点であり、論理的な飛躍というもんだろ
おお、最高位氏、それを言うなら「無にならない」も早合点で、論理的な飛躍と
いうものです。
>>429氏の書き込みと比較すると、よくわかります。
>「心的現象は肉体に依存する」のではない、観測者の観測が肉体に依存して
>いるのである、肉体が破壊されれば、そこに発言している心的現象を観測
>できなくなるだけだ
とありますが、これは無論不正確であって、正確には
「…観測できなくなるだけ『かもしれない』」でなければなりません。
現に、一般人には観測できなくても、何もない中空に「心的現象」が存在している、
と主張する人は大勢いるわけです。それは正しいかもしれないし、でたらめ
かもしれない。要するに、わかりません。
これは心的現象だけでなく、物的現象でも同じことです。
「高さ一万メートルの黄金の山」も「行方不明の犬のポチ」も「まだ発見されて
いない究極の素粒子」も、「今は観測できないだけで存在しているのかもしれない」
わけです。
ただし、これらは皆「意味」がはっきりした言葉であります。
「観測できないけれども心的現象が存在している」とか
「観測できないけれども高さ一万メートルの黄金の山が存在している」とか
「観測できないけれども犬のポチは存在している」という事態は、
意味がわかるわけです。
(続き)
これに対して、
「観測できないし、主観性でもないから心的現象でもないけれども、私は存在している」
というのは、文字通り何のことやら意味がわかりません。
ですから、「あるかもしれない」とすら言えません。何がどうしたらそれが
「ある」ことになるのか「ない」ことになるのか、それ自体がわからないわけです。
その「意味」をお尋ねしているわけです。おわかりになりませんかw?
>「我思う故に我あり」
>「我はあり」だ
>その我が、思わなくなったら「なし」になるのかな?
さらに、この説明では、まず「思う」という「主観性」がないことには、
「我」も、それが「ある」という意味も、定義づけられません。
さらに、それが「他人ではない」ことを意味したければ、思っているのが
哲学者最高位という個人であることも、定義に含めなければなりません。
こうして、結局はやはり「私」とは
「現にこの物体(哲学者最高位という人体)に付随して存在している
主観性=思う(の背後にある何か・例えば〈ここ〉)」という意味に戻ってしまう
わけです。
いかがでしょうかw?
453 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/26(金) 14:00:36 0
>>446 アバウトな道具を、アバウトに使うな
と言われましてもねぇ(笑
いつも思うんだが
キミらは言葉の定義とか、最初に決めたがるわけだが、それは少し順番を間違えている
言葉の羅列から相手の言わんとしている内容を探り当てる作業をするんだよ 普通はさ
そういう事が、キミらは苦手なんだな
言葉というものは、表現の手段であって
そんなにキチッとしたもんでもない
国語辞典でAを調べたら、Bである と書いてある
Bを調べたらAである と書いてある
んな事はしょっちゅうだ(笑
言葉の意味には広い範囲があって、ニュアンスというのもある
その中から、今の会話で、相手が使っているのは、どの意味なんだろうか
と考えて、チョイスしていくわけだ
便利なのは、逆にわからない言葉があったとしても、前後の内容から
ある程度、新しく目にする言葉の意味がわかったりするんだよね
言葉とは、そういう柔軟性のある道具でもある
定義、定義なんて言って
そういうガチガチの頭で考えても、理解できない事など山ほどあるだろうね
普通は、内容を中心に、お互いに言葉のすり合わせをしていくわけだが
逆にキミらは
言葉の背後にある内容を、自分勝手な方向へ誤読しようと努力しているからね
伝わらんわけだよ
454 :
素人:2007/10/26(金) 14:03:48 0
>>448 はい。
私もそこを目指したいと思っています。
428は、その周縁の議論、準備段階と言えるのでは?
或いは、
セックスに際し、挿入前の前戯の(一種の)ようなものと見ることもできますw
455 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/26(金) 14:05:09 0
>>447 全然、的外れ
まぁ、そんなくだらん事を考えてるうちは、一生理解できんわ
時間だわ
今日はここまでね
456 :
素人:2007/10/26(金) 14:05:58 0
>>453 ほんとにアホなんだな・・・w
;´ー`)y━~~
457 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 14:48:58 0
>>403 >思う事によって確認された「あり」は、確認されなくなれば「なし」になるのかな?
>当然、そのまんま理解すればよいのだ
>それは単に「確認されなくなった」という事であって
>「無になった」とするのは早合点であり、論理的な飛躍というもんだろという事です
この最高位の言明は、現象界と物理界との関係に対応している。
精神現象の絶対化により、物理界を放棄しようとする試みは、
現実世界を放棄しようとする試みでしかない。
精神原理主義的な思考様式は、相対主義に陥ってしまうだけで、信念の正当化に使えない。
「世界が意識によって構成される」などといった言明は、論理必然的に知的停滞に帰着する。
ネコの味方は思考停止を余儀なくされるのである。
精神構成物としての現象界から、「当人にとっての信念」という言表しかできないのなら、
全ての思考は、無根拠で無意味となる。
>>451 >>429に引用された
>>243を書いたものですけど
>>243の主張そのものに誤解が生じかねないのでひとこと。
そもそも中空に「心的現象」が存在している等の可能性がないことを明らかにする方法として
>>231の「肉体を破壊すれば消滅するからやってごらんよ。」があり
その方法への反論として
>>243の『「肉体を破壊してしまうと他者にはそこに発現していた心的状態を観測することができなくなる」 ということだけ』
と書いたのであって、そこに不正確な点は無いと思います。
むしろ「かもしれない」と入れることによって意味を損なうと思いますがいかがでしょう。
「肉体を破壊してごらん」と言っていたのは自分の肉体の事だよ?
それに
映画もテレビも観測されるものだから、
観測されなくなった物の喩えにはなり得ない。
「観測されなくなった」は不適当か。
「始めから一度も観測されてない物」だな。
>>461 追実験の必要なんてないよ。
体を壊した当人の心も消えてしまえば「問題意識」もなくなるし、
残れば問題は解決だ。
464 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 15:51:36 0
>>453 そう開き直られてもねぇ。
いくらなんでも、「想像する」「推し量る」あるいは「過ぎ去った事を思い起こす」や
「自分の考えや行動などを深くかえりみること」は「観測」とは違うでしょう。
微妙な違いどころではない。
それでも「内容を探り当てるの下手だね。君こそ努力が足りない」ですまされるだろうか。
両方で言い合っていたら、もう「会話にならない」「君には理解できないことだ」で終わる。
あまり「観測」を狭い意味に閉じこめると
科学的知識そのものが想像上のものになっちゃうよ。
466 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/26(金) 15:59:55 0
>>449 :世界人類が平和でありますように:
>そうではあるまい。より本質的な問題は・・・・・・・・
実際は脳内で「この赤さ」と言う命題(テーマ?)がぐるぐる脳全体を回っています。
今の科学では大まかな脳の働きは人類共通のものは発見されつつあります。
しかし刻々と入ってくる視覚情報、それから色以外の目の前の状況や過去の思い出などが渦を巻いて統合されているわけです。
それらの大まかでない微妙な情報はその人間固有のもので、普遍性もなければ再現性もない科学的観測など不可能なのです。
>「言い尽くされていない」ような何かであり得るのではないか。
この事はこういうこともいえます・・・・・・・・
言ったという行為が新たな情報として「この赤さ」のニュアンスに加わるから「この赤さ」がすでに変質しているからです。
勿論一度言ってしまえば二度と言う前の状態を再現することは不可能です。
ですから「心」は科学では検証も解明もできないのです。
> パーティションで区切られた者たちが、互いの知覚認識した様子を伝えあって、
> 自分を囲う壁の外を推し量 っている時、
壁の向こうから応答が無くなる。 壁の向こうの「心的現象」は消失したのだろうと推測する。
が、実際に消失したかどうかはわからない。単に伝達手段を失っただけかもしれない。
肉体が消失したことにより心的現象も消失したのか、
伝達手段を有すものが消失しただけであり、心的現象は残っているのか、
それは、壁を隔てたものには、決して知り得ない事柄。
応答が続いていても、肉体は消失しているかもしれない!
(ここでは、二重の壁を想像してみるといいかもしれない。
「自身の感覚器官(肉体)という壁」と、「相手の感覚器官(肉体)という壁」と・・・。)
また、自身についても知り得ない。自身の肉体が破壊された時、
自身の心的現象が肉体に依存していたのかどうかは、
>>463が言うように、
≪心的現象が残った場合にのみ、依存していなかったことが判明する≫
もし、依存していたなら確認は取れない・・・。
どちらであるかを他者が確認することができないのは上の例の通り。
その意味で、(自身の)肉体破壊の実験は意味がない。
と
>>243は書かれているのでは?
だいたい「他人の体を壊して実験」と考えている時点で問題を取り違えているw
『私』の問題だったんだろw
世界で「たった一つ」の実例以外の何で実験するんだよw
469 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 16:20:32 0
>>466 ほんとにアホなんだな・・・
じいさんが稚拙なことしか言えんのは
本当にボケているからでしょう。
470 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 16:29:18 0
現に今ここにいるこの存在は、体に依存している。
過去にもそういう存在の仕方をしていたかは定かでないが、
記憶に頼ればそうだったのだろうと思う。
未来においてどうなるのかも分からない。が、
仮にこの肉体を破壊しても存在出来ていようとも、それは、
今この存在が肉体に依存していないという事には決してなり得ない。
未来は今ではない、「未だ存在していない」のだから。
未来において体の依存を断ち切った、
今この存在と違う存在の仕方、在り方になったという事に他ならない。
今この存在に限って言うなら体に依存している。
472 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/26(金) 17:01:59 0
>>420 :唯識 ◆Vidya0E1.s :
>「本来」の個々の相を観るためには平等でなくてはならない・・・
そんなことはないとおもいますが??
いずれにしても他人や私や生けるものの主観を認識すると言うことなのかな?
そういうことならそれは間違いです。
主客の相対関係は絶対に逃れられません。
他人の主観を認識するは、自らの主観です。
「私」の主観を脱した客観的態度や平等な視点は人種の構造上「私の脳」である限りありえないのです。
あくまでも主観の範囲内の客観性や平等観念に過ぎません。
473 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 17:54:54 0
>>466 頭悪いなぁ。科学以外で解明なんてできないよ。
科学でも解明できないことがあるけど、それは人間の限界に過ぎない。
何かを解明できるとしたら、それは科学しかない。
>>473 へー。わからないことがあったとしたら
どうすれば解明できたってことになるの?
475 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 19:07:20 0
じいさんのは極端な不可知論だが
ここまで単純な不可知論も珍しいのでは
476 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 19:16:01 0
リベットの実験のようなものは継続して行われているのだろうか。
あれは衝撃的な結果だし、それだけを根拠として「意識」は作れる
と主張している科学者もいる。検証は続けた方が良いと思う。
477 :
ネコの味方:2007/10/26(金) 19:42:43 0
>>471 そう言っちゃうと素朴唯物論。微妙に違うのだね。
この存在が体に依存していようが他の何かに依存していようが、そのことを意識
しなければ、「いまここに存在している」との言明は消失してしまう。当たり前
だろう。w
意識(観測)は存在の前提なのである。
>>477 >そのことを意識しなければ、「いまここに存在している」との言明は消失してしまう。
>当たり前だろう。w
笑止。当たり前ではない。
479 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 20:15:12 0
>>477 >意識(観測)は存在の前提なのである。
貴方(≒最高位サイド)の台詞とは思えませんね・・w
貴方(≒最高位サイド)は、こう言わなければならない。
『 存在は意識(観測)の前提である。 』と・・・。
(´ー`)y━~~
481 :
ネコの味方:2007/10/26(金) 20:33:49 0
>>480 違うんだね。意識に表れるのは存在者。(たぶん
>>471 は存在と存在者を区別
していない)
それはいいとして、「初めに存在ありき」も意識に表れた存在者によって開示
されるのである。つまり、後づけなのである。
>>475 自分を出発点として、
自分に分からない事は他人にも分からない
という不可知論も変だよね。
自分に出来ないだけで他人には出来るかもしれん。
出来てないのは世界でたった一人だけかもしれん。
483 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 20:44:20 0
存在しないものが思うかよ てか
484 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/26(金) 20:59:55 0
>>476 :考える名無しさん:
>リベットの実験・・・・・
私は直感的に納得できます。
人は悲しいから泣くのではなく、涙が出るから悲しいのです。
その意味で自由意志が行動を決定しているわけではありません。
しかし自分の行動に対して「自由意志」であると後付けすることで「自我」を主張するわけです。
では何が行動を決定しているかと言うと物質的偶然性です。
世界は確率が支配しています、そのことを人間は乗り越えることは出来ません。
因果律から逃れられないのです、それは人の脳の構造が原因と考えられます。
>>481 そう。今現に区別してないし、出来ない。
区別しているつもりにはなれるがね。
リベットの実験はそれを浮き彫りにする。
この意識は自分で思うほど性能がよくない。
体に依存しているのだから当然だが。
ちなみに言明しているのは意識でなく体。
487 :
ハメル准将 ◆FQNM65tu3g :2007/10/26(金) 21:17:31 0
>>453 最高位閣下、
貴官には失望しました・・・。
貴様の言葉遊びにはもうウンザリなのであります。
ニュアンスや文脈力については、
確かにこのスレの士官の能力が低いことは認めましょう。
だが、このスレに貴様のような文学的解釈を認めている者は
ゼロだということもわかって頂きたい。
最高位閣下、
あなたは哲学屋ではない!!!!!!
キサマは文学屋だ!!!!!!!!!
早々にここから立ち去れ!!!!!!!!文学板に戻れ!!!
哲学が言語の厳密性をどれだけ大切にするかも分からぬ外道めが。
邪魔者はこのハメル准将が機銃掃射したやったぞよ・・・。
488 :
ハメル准将 ◆FQNM65tu3g :2007/10/26(金) 21:19:56 0
ガッハッハッハッハッハハーーーーーーー!!!!
ガッハッハッハッハッハッハhッハッハッハハhッハハh!!!!!
失態続きの最高位閣下!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
前座の実力以下でありますぞ!!!!!!!!!!
ガハハッハッハッハハハhッハハ
489 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/26(金) 21:20:15 0
>>485 :考える名無しさん:
>体に依存しているのだから当然だが。
意味がわかっていないようだ。
意思は後付なのであって依存しているわけではない。
涙の訳は彼に振られた悲しさでなく、タバコの煙が目に沁みただけだと強弁するのも自由だ。
どんなこじ付けでもいい「自由意志」だ、依存している訳ではない。
>
490 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 21:22:07 0
>>485 意識より先んじて肉体がしてしまっているということは、
意識は世界を変えない。意識だけの閉じた世界はあるということか。
リベットの実験を信じるとなれば、随伴説有力ということなのだろうか。
>>481 たぶん、存在と存在者の弁別についてレスが付くだろうと思っていたよ。
『 意識(観測)は、存在の前提であるが、存在が意識(観測)の前提となることはない。 』
『 存在者(主体)は意識(観測)の前提であるが、意識(観測)が存在者(主体)の前提となることはない。 』
という感じか?
それはいいとして、
>意識に表れた存在者によって
>意識に表れた存在者
これらをもう少し詳しく。
492 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 21:24:21 0
>>485 意識なしに体に何を言明させるのですか。
>>484 これも涙がでるから悲しいのではなく、涙がでているのを意識するから悲しいのです。
生理的な変化に全く無意識のまま、感情が生起するかどうか。
493 :
ハメル准将 ◆FQNM65tu3g :2007/10/26(金) 21:27:17 0
最高位閣下の詭弁の構造がわかりましたぞ。
まともに反論するのではなく、
構造を突くのですぞ。
自作自演の方も証拠隠滅に忙しいようですな。
実は私は政治板スパイスレの使いじゃ。
また来るぞ。
統一教会=最高位閣下とのウワサが強いぞ。
政治板でも自治労批判ときた。
職業コテとはのう。
フォッフォッフォッフォフォオッフォイッフォッフォ
>>490 区別出来得ない物をどこで区別したつもりになるかの問題。
閉鎖系も方便でしかない。
思うに、閉鎖系を考える時と解放系を考える時の脳の部位は違う。
495 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/26(金) 21:34:50 0
>>490 :考える名無しさん:
意識は行動を左右できないと考えます。
すべて行動や現象を後付する言い訳に過ぎません。
その意味で意識は物質に影響を与えられないと考えます。
この事は逆に物質で意識を解明できないとする裏づけでもあります。
勿論物質世界は意識を支配しています、唯、解明できないだけです。
497 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 21:38:19 0
>>491 深い意味はありません。
意識、認識よりも、ここは知覚された“対象”くらいの意味です。
対象は存在者(事物)として私に現前する、かな?
事物は現象の別名です。
変なところがあれば、ご教示を。
498 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 21:42:08 0
499 :
ハメル准将 ◆FQNM65tu3g :2007/10/26(金) 21:44:36 0
これはこれは、
自作自演コテが総動員ではないか。
それほどまでによそ者を入れたくないのかね?
機械閣下!!!!
これはおかしい!!!!!!!!!
貴官の自作自演は中国人民解放軍に対する宣戦布告ですぞ!!!!!
この意味がわからぬで、まだお続けになるおつもりか!!!!!!!!
チャンネル桜=統一
こんなとこまで工作かよ
>>490 リベットの実験が随伴説を支持するものでも証明するものでもなく、
随伴説前提でないと実験として成立しないものでしょう。
他人の肉体の動作に意識を見出してる時点で他人の意識に関しては随伴説。
瞳孔が開きっぱなしなら意識あぼーんという前提ですよね。
ただ、リベットの実験の場合、被験者当人も実感出来るようですね。
これも被験者の弁を信じればですが。
502 :
ハメル准将 ◆FQNM65tu3g :2007/10/26(金) 21:56:35 0
504 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 22:02:02 0
>>503 たとえば、どんなことを言明するんですか。
505 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 22:23:46 0
506 :
考える名無しさん:2007/10/26(金) 22:36:03 0
>>484 >世界は確率が支配しています、そのことを人間は乗り越えることは出来ません。
確率というのは事象ではなく、人間の情報の処理の仕方に過ぎません。
確率は客観的に存在するものではなく、主観に依存するものです。
>因果律から逃れられないのです、それは人の脳の構造が原因と考えられます。
こちらは正しいです。
507 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/27(土) 00:54:40 0
>>472じいさんさんへ
その状態が因位(識)であり果位が「智」であるわけなのですが
これはここまでということで。
508 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 01:21:28 0
>>451 >おお、最高位氏、それを言うなら
>「無にならない」も早合点で、論理的な飛躍というものです。
おいおい
あんた、いい加減にしろよ
私が、いつ「無にならない」なんて断言しましたか?
キミ、こんな所に来てないで
マジで小学校の現代国語から勉強し直した方がいい
>>451 そういやこの前あなたが指摘した「すべての物体の存在は一回限りの特別なもので、「私」
もその例外ではない。あなた(最高位)の言う「私」がふたつ現れないのも当然だ」とかいうのに
最高位はなんて反論したんだ?
>>508 「Aである」という言明と「Aでない」という言明が対立しているとする。
この時、Aである確証もAでない確証も得られていない場合に、
なぜ、「Aである」という言明“だけ”を早合点な飛躍とできるのでしょうか。
「Aでない」という言明もまた同様に早合点な飛躍となるんじゃないですか?
たとえ、「Aでない」と断言しないまでも、「Aである」可能性を否定するのは筋違いでしょう?
もし、それをするなら、「Aである」ことよりも「Aでない」ことの可能性の高さを示す必要があります。
「Aでない」ことの“もっともらしさ”の方が高い場合に、初めて「Aである」を却下する言明が力を持つ。
この構造が見えませんか?
アルファベットは御嫌いのようですのでw、具体的語句を用いましょう。
「無になる」という言明と「無にならない」という言明が対立しているとする。
この時、無になる確証も無にならない確証も得られていない場合に、
なぜ「無になる」という言明“だけ”を早合点な飛躍とできるのでしょうか。
たとえ、「無にならない」と言明・断言しないまでも、「無になる」可能性を否定するのは筋違いでしょう?
もし、それをするなら、「無になる」ことよりも「無にならない」ことの可能性の高さを示す必要があります。
「無にならない」ことの“もっともらしさ”の方が高い場合に、初めて「無になる」を却下する言明が力を持つ。
この構造が見えませんか?
511 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/27(土) 01:48:20 0
最高位さんへ
現象しない「私」に「有・無」そして「・・・になる、ならない」
といった動的な働きがあるのでしょうか?
512 :
510:2007/10/27(土) 01:49:17 0
あ、丁寧文のみで書いたら感嘆子さんの文体と被っちゃったな・・・w
かと言って、コテ入れるほどの内容でもないしな・・・
とりあえず、別人であることを断わっておくwww
513 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 01:57:47 0
>>511 それは存在そのものに対して「有・無」があるかと聞いているのと同じです。
それは自分が死なないとわからないことです。つまり、わかるわけがない。
514 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 02:05:23 0
>>513 あきらめたらそこで終わりですよw
という冗談はさておき、
>現象しない「私」 を、変化・動きの無いもの、と読み解くならば
そこに(それに) >動的な働きがあるのでしょうか? という問いになるのかもしれません。
そしてこれは、常住なるものと無常なるものとの対比という
仏教的世界観とリンクするのです。
唯識さんらしい問いだと思います。
(違ってたらすいません・・・w)
>>514 貴方も、小学校の現代国語からやり直す必要がありそうですねw
517 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/27(土) 02:11:13 0
>>513さん
存在性を不変とし不変ならざる流転する現象世界に於いては
知る術無しということでしょうか?
なんとなく初期仏教の感がありますが。
この辺り、最高位さんが影響されたと思われる哲学に
多分にこういった思想が見え隠れするように受けるのは私だけでしょうか。
518 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/27(土) 02:20:51 0
>>515さん
そうですね。最高位さんは現象世界と不変なる私を隔てておられますね。
仏教で言う「常住」とは常に「有る」という意味とは違うわけですし。
>>517 それは、思想的傾向というよりも、
およそ「ヒト」たる生物が持つ((肉体という外殻をまとった)脳という器官の持つ機能的)癖ではないでしょうか?
或いは、
そうした「脳の機能的癖」プラス「社会的・文化的影響」による「思考の癖」である、と・・・。
520 :
513:2007/10/27(土) 02:30:44 0
僕が思うに、たぶん一番重要なのは「存在」とは何かということだと思う。
世界が主観無しには存在し得ないというのなら、主観を物質に置き換えることは
不可能だと思う。なぜなら主観だけは物質を超越しているから。
これは自分が死んだら世界は消えるのかという問いと不覚関係しているはず。
なぜなら自分(主観)が死んでも(消えても)世界は存在するのかという問いは
『「存在する」とは何か』という問いそのものだから。
ただ主観というと、最高位にはしっくりこない。僕にもしっくりこない。
『存在そのものが「私」』と言うと、いみふとか言われるんだろうな。
>>516 あなたの言ってることはわかるんだが、最高位に何をさせたいのかが
わからないの
521 :
513:2007/10/27(土) 02:32:28 0
522 :
516:2007/10/27(土) 02:37:00 0
>>520 彼の詭弁が故意か無自覚か、判別するための探りという感じかなw
523 :
520:2007/10/27(土) 03:14:20 0
僕の言ってることはイミフですか?
そこんとこはっきりしてくださいね(´・ω・`)
524 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 04:38:31 0
>>522 まずキミの間違いは、私が詭弁を言っている と思い込んで、決め付けてるところだよ
まず、その思い込みから開放されなければ、キミは前に進む事はできない
>「無になる」という言明と「無にならない」という言明が対立しているとする。
>この時、無になる確証も無にならない確証も得られていない場合に、
>なぜ「無になる」という言明“だけ”を早合点な飛躍とできるのでしょうか。
そんなの簡単です
少なくとも、「無になる」と言える論理的根拠がないからです
「だけ」などとは言っていません
もちろん
「無にならない」とも断言はできません
しかし
論点は「無になる」のか? です
であるならば、無になる根拠を挙げなければ、これは肯定されません
キミらの大きな勘違いは
「無になる」を否定している人は、「無にならない」と断定しているのだ
と思い込んでいる事です
少なくとも、今現在「有り」として観測されているわけです
それが、観測できなくなれば「無になる」のだ
なんていう事はできません
それを断言するのは、飛躍した理屈だ と
私は、当たり前の理屈を言っているだけなのです
問題というものは、順番にひとつひとつ整理していかなければなりません
525 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 05:01:31 0
結局、どういう事かと言うと
唯物論者は、脳を破壊すれば、私は消える
だから唯物論は正しいのだ と主張する
しかし
『私』の根拠は、物理的なものに還元できない事実に変わりはない
(この時点で、本当は既に唯物論は死んでいる)
また
脳を破壊すれば、私は消える というのは本当に正しいのだろうか
それもまた、感覚的に思い込んでいる信仰的なものではないのか
厳密的に考えた場合
「あり」とされたものが
たとえ精神活動ができなくなったとしても
私の存在性が、消えるという理屈の、決定的な根拠にはならないだろ
という事
もっともらしく主張する唯物論の理屈を、厳密に掘り下げて検証する作業をしているわけです
それは本当に、正しいと主張できる根拠のあるものなのか とね
最高位の言ってることの逆が現代哲学の展開だからな
527 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 05:05:12 0
528 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 05:21:53 0
529 :
(酔)短パン:2007/10/27(土) 05:28:03 0
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ
唯物論が好きなんだな?
「断言」とか「順番」とかおまいは原人かと小一時間
本を読まずに現代の展開についていけるはずなかろう
531 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 05:38:56 0
>>528 ちょっと独我論に傾倒してるみたいだが
唯物論者よりは、よっぽど理解できてるね
>>530 また本かよ(爆笑
なんで、ついていけるはずないのかな?
あ
かまわんからさ
小一時間やってみてよ
詳しくさ
お願いします(笑
532 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 05:39:35 0
>>525 最高位さ、君の指摘だと唯物論は破壊できても唯物的機械論は
破壊できてないってわかってるよね?
533 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 05:42:57 0
534 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 05:46:04 0
ん、つまり「決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない」
のテンプレで言ってることは間違いだと言えてないってこと。
ちなみにHannibal ◆Lwtv9RqBLQ の立てた103のスレはこいつ
がテンプレを書き換えちゃったので参考にならないよ
535 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 05:47:08 0
536 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 05:53:01 0
え!?破壊できてると思ってたのか!
申し訳ないけど説明には時間がかかるのでいったん寝ましゅ。
明日、いや今日かw起きたら書き込むんで。そいでは
本も読まずに現代の展開を知れるとか言うやつ
ただのアホだろ
今だに基礎付け思考から脱せないやつ
無学のバカだろ
538 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 06:13:10 0
>>537 キミの周りには、本以外に情報源はないのかい?(苦笑
あと、自分で考えたりとかできないわけか?
まぁとにかく、キミの発言には具体性がないなぁ
感覚的なナントナク〜の、思い込みの世界で生きてるんじゃないの?
それから
あんまりいろんなコテハン使ってくるなよ
ややこしいわ
539 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 06:47:03 0
イマジネーション的哲学。
「そーだなー、何て言ったらいいかなー、私がこれでなくなっても
ちがうこれで存在するのなら、存在するのだから、存在するでないの? 」
>>538 数千年×数億人の多くの人達が熟考し積み重ねた成果に興味はないの?
あなたの情報源って狭すぎるんじゃないの?
まあ自分のクオリアしか信じない人なんだろうけど
たまにいるよね、人生50年程度のたった一個人の感想が何よりも勝るのだと考える人
私ばかりに拘らずにもっと他人を尊重しろよ
本を読まない俺が言うのもおかしいとは思うが…
541 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 08:03:40 0
そもそも、他人が本当に存在するのかもわからんのに
542 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 08:15:38 0
>>541 他人にとって、「自分が存在していないのでは、、、?」
そう思いたい境遇にあることだけは よく分かった
543 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 08:47:35 0
>>540 その種の態度批判ほど無意味なものはない。最高位の態度や姿勢が気に食わなければ、君がそれを
真似しなければいいだけだろう? なんで他人に「態度を改めろ」などと言うの?
彼が気に入らないのなら、相手にするなよ。相手にしなければ、無用の腹立ちも静まると思うよ。
それに、彼は君に相手にしてくれと頼んだことなどないだろう?
君が勝手に絡んで、傷つけられ、騒いでいるだけじゃないか。見苦しいぜ。
544 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 09:06:02 0
相変わらず、「唯物論とはあたまは物だということだ」とやってるな
しょうがない馬鹿どもだな、唯物論に対する無知の氾濫だ
545 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 09:23:41 0
>>544 君らが「私」は物質であり心が物理現象にすぎないことを言えなかったのでね。
546 :
522:2007/10/27(土) 09:49:59 0
>>524 まずキミの間違いは、私が決め付けている と思い込んで、決め付けてるところだよ
まず、その思い込みから開放されなければ、キミは前に進む事はできない
>「無にならない」という言明と「無になる」という言明が対立しているとする。
>この時、無にならない確証も無になる確証も得られていない場合に、
>なぜ「無にならない」という言明“だけ”を早合点な飛躍とできるのでしょうか。
そんなの簡単です
少なくとも、「無にならない」と言える論理的根拠がないからです
「だけ」などとは言っていません
もちろん
「無になる」とも断言はできません
しかし
論点は「無にならない」のか? です
であるならば、無にならない根拠を挙げなければ、これは肯定されません
キミらの大きな勘違いは
「無にならない」を否定している人は、「無になる」と断定しているのだ
と思い込んでいる事です
少なくとも、今現在「有り」として観測されていますが
それが、観測できなくなれば「無にならない」のだ
なんていう事はできません
それを断言するのは、飛躍した理屈だ と
私は、当たり前の理屈を言っているだけなのです (「無にな」った、と考えることも可能です)
問題というものは、順番にひとつひとつ整理していかなければなりません
547 :
522:2007/10/27(土) 09:51:01 0
>>525 結局、どういう事かと言うと
反唯物論者は、脳を破壊しても、私は消えるかどうかわからない
だから唯物論は間違っているのだ と主張する
しかし
『私』の根拠は物理的なものに還元できない、というのははっきりしていない
(この時点で、唯物論へのトドメにはなっていない)
また
脳を破壊しても、私は消えない というのは本当に正しいのだろうか
それもまた、感覚的に「そう思いたい」という信仰的なものではないのか
厳密的に考えた場合
「あり」とされたものが
精神活動ができなくなったら
私の存在性も消えているかもしれないという理屈の方がもっともらしい
という事
少ない情報から主張する反唯物論の理屈を、厳密に掘り下げて検証する作業をしているわけです
それは本当に、正しいと主張できる根拠のあるものなのか とね
より尤もらしく見える唯物論の理屈を、厳密に掘り下げて検証する作業をしているわけです
それは、演繹的に「正しいだろうと類推され」「反証がなされていない」ので
今のところは、採用し続けるに値する思想ではないか とね
548 :
522:2007/10/27(土) 09:55:14 0
>>520 >僕が思うに、たぶん一番重要なのは「存在」とは何かということだと思う。
>なぜなら自分(主観)が死んでも(消えても)世界は存在するのかという問いは
>『「存在する」とは何か』という問いそのものだから。
これにはほぼ同意します。
>ただ主観というと、最高位にはしっくりこない。僕にもしっくりこない。
「主観」という言葉では、こぼれおちてしまうニュアンスがあるだろうことも理解しています。
>>458 ああ、
>>243についてはその通りですね。そこまで確認しませんでした。
申し訳ありません。
>>243には「発現していた」とあるのに、
>>429には
「そこに発現している心的現象を観測できなくなるだけだという彼の言明」
とあるので、そこに心的現象が発現しているのは確実で、観測できなくなるだけだ、
という意味に取れるので、その文脈なら「かもしれない」でなければならない、
と考えたわけです。
>>509 それに対する最高位氏の返答は、通常w
「物体はすべて唯名論で存在性がないが、私は純粋な存在性だから比べられない」
というものです。
本当は、問題はそれが「一回限りの特別なもの」であるかどうかであって、それが
「純粋な存在性」であるかどうかとは、何も関係がありません。ですから、
反論したければ、「物体は、それそのもの(同じ性質の他のもの、でなく)を
何度でも、幾つでも作れる」と主張しなければ意味がないのですが、無論
最高位氏には理解していただけませんw むしろ、ご自分の死んだ愛犬については、
それを熱心に否定されています。不可解の極みですw
ちなみに、「純粋な存在性」の意味も、さっぱりわかりませんw
>>524 >もちろん
>「無にならない」とも断言はできません
おお、最高位氏、それなら話は簡単です。
まず、肉体を破壊すると、そこに発現していた心的状態は消滅してしまうかどうか、
それはわかりません。
>>243氏のおっしゃる通りです。
すなわち「消滅してしまう=主観性がなくなる=思わなくなる」可能性もあるわけです。
そして、仮に消滅してしまったとすると、それにともなって「私」も、無になるかも
しれないし、無にならないかもしれません(無にならないというのがどういう意味
なのかは相変わらずわかりませんが)。
ご自分でお認めになった通り、「無にならない」と断言はできない、すなわち、
「無になる」可能性もあるわけです。
こうして、結論は、「この肉体を破壊すると、私は無になる可能性がある(もちろん
ならない可能性もある)」ということで、「純粋な存在性」である私の存在が、
特定の物質の組み合わせに過ぎない「この肉体」に依存している可能性がある、
ということです。つまり、唯物論的仮説が正しい可能性がある、ということです。
実に簡単明瞭ではありませんか。
まさに、あなたの大きな勘違いは 「無にならない」を否定している人は、
「無になる」と断定しているのだ、 と思い込んでいる事なのですw
551 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 10:11:15 O
唯物論が思想として世の中で広く流布され愛され
ているのは知ってる。
ここでは気味悪がられるが。
愛を知るには、憎しみを。
天国へ行く道を知るには、まず地獄へ行く道を。
552 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 10:16:14 0
>>551 バカな愚民どもが、政府、大企業、マスコミに
思うがままに唯物論に洗脳されてるだけだろ。
ただ単純にwwwww
553 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 10:30:32 O
>>520 ハイデガーは哲学の解決すべき問題はたった一つであると言った。
それは「存在とは何か?」を明らかにすること。
とりあえず「存在と時間」を読むべし。話はそれからだ。
556 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:00:42 0
>>554 読んでも解からなかったおまえの二の舞はヤだから読まない
最高位哲学的には、
「肉体を破壊しても殺人になるとは断言出来ない。」
「殺人と断言する事は間違いである。」
となるわなw
げに恐ろしい思想じゃ。
558 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:06:17 0
最高位はマンガの読みすぎ
エヴァとかw
エヴァ本体は作れても、操縦者は選ばれた者しか乗れない
559 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:13:46 O
つまり選ばれたわけか。私は
最高位は自分のパソコンと同じ機種であれば、
他人のものでも勝手に使ってしまうんだろうなぁ。
「同じパソコン」だものなぁ。区別はするまい。
561 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:17:33 0
絶対領域で他を寄せ付けない
そのまんま。
562 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 12:18:44 0
>>550 本当にキミ達は、一個言ったら一個忘れる人達だなぁ
根本的に、議論のできない人達なんだよな
あのね
だから要するに
キミが提示した
その根拠、論法では結論を導くことはできない という事なんだよ
我思う故に我有り
我有り は、思うを根拠にでた結論
唯物論者はここで、思わなくなったら私は消える
だから唯物論は正しいのだ と主張した
私は「それは、わからんのだから言えんだろ」と言ったわけだ
一旦出た「有り」というこの結論は
思わなくなった(行動しなくなった確認できなくなった)ら、という事では覆す理由にはならず
その方向性では、結論を導く事はできない とね
一方
私が言っているのは
>>525に書いたように
『私』の根拠は、物理的なものに還元できない事実に変わりはない
(この時点で、本当は既に唯物論は死んでいる)
これを覆してみて下さい
唯物論は、人間の精神(内的世界全般)は、物理現象にすぎない
と言っているのですからね
覆せなければ
そのような主張をする根拠は無い と認めなければなりませんよ
つー事です
>『私』の根拠は、物理的なものに還元できない事実に変わりはない
>(この時点で、本当は既に唯物論は死んでいる)
そうやって決め付けてる根拠がないっての
そうじゃないってみんな言ってるじゃん
理由もつけてね
おまえが認めたくないだけじゃん
最高位に同じ番号の入った1万円札を100枚渡したら、
最高位は当然100万円受け取ったと思うだろうな。
565 :
ネコの味方:2007/10/27(土) 12:27:40 0
>>549>>550 厳密に言うと(というほどでもないが)w「発現していた」というのもよろしくない。
日本語の過去形には完了的な意味があるからだ。
したがって、身体が破壊されたら「心的現象が発現しているかしていないか」を
観測wできなくなる、とすべきだろう?
いずれにせよ不可知の“死後”を根拠に、唯物論が正しいのどうのと言い張るのは
無意味。それは、仮説以前の希望的観測を言い立てあうことでしかないから。
なんにせよ
>>243 のレスは、ここまで引っ張るのだからたいしたものだ。w
566 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:28:05 0
>>562 んじゃあ俺らが言ってる唯物論をおまえが一人一人否定できるのか?
できるわけねえじゃん
567 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:31:04 0
>>565 当たり前
肉体が滅べば私も消滅する
これが残るとなると唯物論の範疇ではない
それに唯物論を絡めるなら精神と私について言及しなければならない
前スレでそんな議論が一時あったが
568 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:32:49 0
>>564 そういう印刷ミスは起こりえます。
当然、最高位ならずとも、百万円受け取ったことになる。w
569 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:32:59 0
>>564 てゆ〜かオマイこそ紙幣偽造で臭い飯だろ
570 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:34:26 0
最高位はどうやっても体に依存している事を否定出来ないよw
ママのおっぱいをしゃぶりながら、
「乳離れしてないと言われるのは心外でちゅ」と言っているw
572 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:36:26 0
>>563 逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだっていいながら逃げ回るシンジ君w
573 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:38:03 0
全員自演に見えるw
574 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:38:39 0
575 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:39:04 0
>>566>>567 キミたちの言う「唯物論」を別人ならそれぞれ定義wしてくれる?
こっちは唯物論スレではないので改めて頼むよ。
ついでに「物質」それもお願いする。
>>571 純粋に「私」だけ議論できればまだマシだが
唯物論を否定するためだけに存在する私なんで
えっ私と体って離れられないの?
まさに唯物論w
577 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:39:24 0
>>574 いや、これは確かに一人で回ってる自作自演だろw
578 :
自作自演者:2007/10/27(土) 12:40:15 0
>>577 その通り。
全部オレの自作自演なんだけど
何か文句あんのか?
579 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:41:19 0
>>578 あなた機械さん?なんの為にこんな大掛かりな自演をするの?
580 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:42:16 0
>>575 ここ唯物論と関係ないんだよね
ていうかおまえ新入り?
唯物論の定義議論だけでも何回やったと思ってるんだ?
過去ログよめ
581 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:42:21 0
582 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 12:42:59 0
>>570 私はエヴァの内容を、全く知らない
私はエヴァに、あんまり興味を持った事がなかったからね
しかしキミは、よく知っているようだね
どちらかと言えば、どっちがアニオタなんかな?(爆笑
583 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:44:30 O
>>572 だからさ、逃げないならはじめからそう言わないだろ。
584 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:44:31 0
>>582 わざとらしいw
俺はニュータイプって言ってたじゃんw
585 :
自作自演者:2007/10/27(土) 12:45:14 0
>>579 オレは機械じゃないよ。ただの自作自演者だよ。
いろんなコテを使って自演をする。回転率高いとお客も来るしね。
>>581 最低?
自作自演は禁止されてはいないからねえ。
別にどうってことないでしょ。
587 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:47:06 0
>>582 へえ、アニオタって意味知ってんだ
アニオタ乙
隠してもバレバレ
>>569 もちろん社会的にはそう。
だが最高位哲学的には「偽造」ではないでしょw
同じ物なんだからw
>>568 >そういう印刷ミスは起こりえます。
もちろん社会的にはそう。
最高位的にはミスではない。
「同じ物」なのだからどちらかだけミスにはならない。
>当然、最高位ならずとも、百万円受け取ったことになる。w
そうはならない。そうなるケースも想定されるだけ。
偽造の札であるケースも当然ある。
589 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:50:11 0
>>588 いったいいくつ定義作るんだよ
きりがないぞ
590 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:53:25 O
決定論ならば、定義は発見される範疇なのだ。
592 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:58:09 0
>>579 やっぱり、あちらは過疎化が激しいからね。
というか、ハンニのおじさんに乗っ取られたという噂も。
彼は103を繰り返し、永劫回帰させるハラかも。
そういえば最高位にアクタレついて独立スレを立てた自惚れやはどうなった?
機械さんは盆茣蓙の前に座っていた貸し元。
が、本当に客を集めていたのは賽を振る最高位だったことを、
いまさらながら身にしみて感じさせられていることだろう。
たまには最高位をゲストとしてお招きしたらどうでしょう?
>>584 最高位はファーストガンダム直撃世代だろ
ガノタだな
594 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 12:59:44 O
>>583 逃げるとは本来肯定されるべきなのであるが。。。。。。
自己保存からいえば。
595 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 13:00:47 0
>>593 最高位がニュータイプってしきりに強調してるログ発見w
やっぱアニオタじゃんw
596 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 13:02:03 0
>>588 印刷ミスのときはいうまでもなく、偽造をつかまされても、届け出たら交換してくれます。
598 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 13:13:37 0
>>580 君の定義を知りたいのです。唯物論者によってマチマチなのでね。
唯物『論』もヒトのアタマのなかでつくられたものなので、ヒトそれぞれなんです。
それから「過去ログ読め」というのはここでは禁句。
このスレには「いま」しかないのです。w
最高位の知識ってアニメや漫画からきてるのが多いと思う
内容は薄いし、詳しい人がきたらかなわないんで誤魔化すし
最高位はもっと相手のいってる内容を勉強すべき。そうすれば考えも変わってくる
600 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 13:49:56 0
>>599 >最高位の知識ってアニメや漫画からきてるのが多いと思う
全く意味不明
>>562 >キミが提示した
>その根拠、論法では結論を導くことはできない という事なんだよ
おお、最高位氏、これだけではなく、どんな根拠、論法でも結論を導くことなど
できないのですよ。ですから、唯物論が正しいかどうかはわからないわけです。
実に簡単なことではありませんかw
>『私』の根拠は、物理的なものに還元できない事実に変わりはない
おお、最高位氏、ですからw、「還元できない」というあなたの主張の根拠は
逐一反駁したでありましょうにw
(「還元できない」を否定している人は、 「還元できる」と断定しているのだ、
と思い込んではなりませんぞ、念のためw)
あなたは一個言うと三個忘れる方なのでw、念のために繰り返しますと、
「私」が「現にこの物体(哲学者最高位という人体)に付随して存在している
主観性=思う(の背後にある何か・例えば〈ここ〉)」という意味だとするなら、
1.なぜこの体が他人でなく私なのか、という問いは無意味である。
2.なぜ私は存在しているのか、という問いには、唯物論的な答えが可能である。
ということです。
「私」がそういう意味でないのなら、その意味を説明してください、と、
再三再四wお願いしているわけです。
>>565 >いずれにせよ不可知の“死後”を根拠に、唯物論が正しいのどうのと言い張るのは
>無意味。それは、仮説以前の希望的観測を言い立てあうことでしかないから。
ネコの味方氏、これは必ずしもいただけません。第1に、死後は必ずしも不可知だと
断言はできないからです。現に「死後の世界を経験した」とか「他人や自分の生前の
来歴がわかる」とか「空中に浮遊する心的現象(あるいは私?)が見える」と証言する
人は大勢いるわけです。無論「客観的検証」は難しいですが、あなたはそんなもの
には重きを置かれないのでしょう?
第2に、普通の人(少なくとも私)でも不可知でない経験というものがあります。
「この人体が生まれる以前の記憶がない」とか「どうしてもこの人体から離れられない」
とか「この人体が熟睡したり気絶したりすると、心的現象が発現しなくなる」とかです。
これらのことから、この人体の死後の「私」の状態を推測することは、理の当然です。
だからこそ、「やはり死後は私は消滅するだろう」とか「いや、生前はこの人体に
拘束されているからこそそうなるので、死後には私は自由になるのだ」とか、
いろいろな仮説が生まれるのです。
そもそも、最高位氏の珍論wを待たずとも「心的現象が人体(または他の物質)から
独立に存在できる」とか、「私が人体から独立に存在できる」と立証されれば、
唯物論は、破壊されるとは言わずとも、かなり根本的な見直しを迫られることでしょう。
それと、私にとっては、この違いは、唯物論が正しいかどうかを論じるほとんど唯一の
実益とも言えます。逆に言うと、私がこの人体から独立に存在できず、この人体が死ぬと
私も消えるのならば、唯物論が正しかろうと間違っていようと何の意味があるのか、
どうもよくわかりません。
(続き)
それと、これは余計なお世話ですが、あなたと最高位氏の関心の持ち方は全く
別のものだとしか思えない(というかあなたが唯物論の是非などにこだわる理由が
よくわからない)ので一言。
あなたの立場からすると、他人の心的現象が観測できないとか、死後の世界が
不可知であるとかいうことは、本質的問題ではないはずです。
あなたにとっての真の問題は、「観測できるかどうかに関わらず、他人の
心的現象や死後の心的現象は、客観的にあるかないかどちらかだ、と言えるのか
どうか」であるはずです。
ご承知の通り、生きていようといまいと、他人の心的現象は観測できません
(というか、それが他人の定義だとも言えます)。だから「哲学的ゾンビ論」
などというものが生まれるわけです。
問題は、現実に哲学的ゾンビがいるかどうかではなく、哲学的ゾンビという概念が
意味を持つかどうか、です。いや、本当のことを言えば「他人の心的現象」とか
「他人の私」という概念が意味を持つかどうか、でなければなりません。
純粋に主観の立場に立つなら、そういう概念はすべて本当は「意味を持たない」
はずなのです。
「他人の心的現象」とか「他人の主観」とか「他人の私」などという概念は
矛盾しており、背理であって、無意味である、「心的現象・主観・私」とは
定義によって「これ」のことであって、「これ」以外には有り得ない、と
考えなければ、真に主観の立場に立っているとは言えないのではないでしょうか。
「他人の心的現象」とか「他人の主観」とか「他人の私」が意味を持つと
いうことは、すでにして「心的現象・主観・私」を客観化し、客観世界の中に
位置付けているからだ、としか思えないのですが、いかが。
604 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 14:20:23 0
>>601 >>『私』の根拠は、物理的なものに還元できない事実に変わりはない
>
>おお、最高位氏、ですからw、「還元できない」というあなたの主張の根拠は
>逐一反駁したでありましょうにw
当たり前だけど
できた試しはないよ
これは世界中探しても、誰一人としてできない事なんだよ
606 :
素人:2007/10/27(土) 14:32:05 0
607 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 14:48:02 0
>>605 アレでは何の有効性もないよ
というか
感嘆詞?くんにレスしてるつもりだったんだが
全部、同一人物だったという事か
608 :
522:2007/10/27(土) 14:51:22 0
「哲学的ゾンビ」って、
肉体が壊れても彷徨い続ける幽霊さんに言われたくないねw
610 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/27(土) 15:01:06 0
>>608 根本的に違います
サルまねは、サルまね
事実、最高位は今肉体に依存している。
彼は絶対にこれを否定出来ない。
この事実を持って最高位の主張は破壊されている。
612 :
522:2007/10/27(土) 15:09:10 0
>>610 最高位さんには、
構造を抽出した構図とか、モデル化した文章とか、譬喩表現とかは難し過ぎるんですね・・・w
以降は、幼稚園児相手に話して聞かせるような文章を心掛けますよwww
613 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 15:15:17 O
だからさ、モデル化とか喩えって簡単にする為なんだけど。
614 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 15:21:23 0
>>601 >「私」がそういう意味でないのなら、その意味を説明してください、と、
>再三再四wお願いしているわけです。
>>520
616 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 15:25:27 0
>>598 唯物論は人と世界がよく観察されて「発見」されたものです
適当なでっち上げの唯物論を唯物論とは本とはいえません
。2ちゃん基準を間に受けないように
ぼくは一応「下部構造が上部構造構造を規定してる」といってますが
いい言い方ではないようですねまたこれ第2唯物論といわれます
617 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 15:26:52 0
619 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 15:37:43 0
>>618 最高位の「私」が肉体に依存している根拠は?
これが主張できないと最高位の主張は破壊できないよ?
お前も馬鹿だな
>>617 「ヒト」という生物として、
当然の、自然な、思考のベクトルだと思いますよw
そしてまた、
「人」として、理解の限界を超えた部分に、
異界とか神とか、自身とは別の“よすが”を設定するのも、
願望を成立させる為に、不可知な部分に対して霊とか魂とか各種理論立てをするのも、
当然の、自然な、思考のベクトルだと思いますよw
>>619 最高位の「私」じゃないよw「最高位」だよw
私が相手にしているのは「最高位」の主張だ。
最高位の「私」なんて他人が相手に出来るわけ無いだろw
キミもたいがいだなw
キミが肉体を使って必死にキーボードに入力してくれないと、
キミの事も相手に出来んw
622 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 15:51:18 0
いや、わからんぞw
念動力で入力してるかもしれんwwwww
623 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 15:56:35 0
624 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 15:57:08 0
>>621 最高位は肉体に依存する。だからといって最高位の主張は破壊されない。
>>620 それが何か?頭大丈夫か?
>>619 肉体でない私がどうやって議論するの?
説明してくださいなw
>>622 脳に電極刺してのPCへの直接入力は実現してるからな。
遠隔操作もできるし。物理的に出来る事だ。
どうせならPC通さずに直接念を送って主張して欲しいなw
627 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:00:01 0
628 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:00:29 0
>>623 必要性はお前が決めることじゃない。
>>617みたいなろくに考えもせずに終わった議論を繰り返そうとする
アホこそ帰ったほうがいい
肉体が存在すると脳が錯覚してるにすぎないだろ。
脳は信号の集まりにすぎない。
630 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:02:05 0
631 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:02:52 O
肉体の客観化ですか?
632 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:03:27 0
>>630 釣られてないよ、からかってるだけw
馬鹿はそれにすぐ乗るw
633 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:04:25 0
>>626 お前も問題そのものが理解できてないアホか。
お前の範疇で問題を理解しようとしても無理だぞ?
やめとけ。うざいし邪魔。
634 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:05:20 0
>>632 wwそういうのを釣られてるっていうんだよ。
書いた奴はそれをねらってるw
肉体に依存しない霊たちの集うスレはここですか?
636 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:05:57 0
>>633 いくら言ってもムダよw
くやしかったら止めてみなwバーカw
2ちゃんでマジレス期待するほうが馬鹿
>>633 PCで言われると相手してしまうので、
テレパシーでヨロw
639 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:08:11 0
>>636 ww
くやしい?むしろ見ていてすがすがしくあるなw
こんな馬鹿でも議論に参加できてると思って頑張ってるんだもんなw
涙モノだよw最初は誰でもそんなもんだけどなw
俺様の念動力議論はレベル高いからお前らには理解出来ないぜ?
641 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 16:12:26 0
つか上げ過ぎなんだよおまいら。
643 :
620:2007/10/27(土) 16:37:41 0
>>624 >それが何か?頭大丈夫か?
乳幼児の実験で、壁の裏を通して(或いは彼の後ろを通して)右側から左側へ人形を移動させる。
彼は、「それが、移動して右から見えなくなって左へ出てきた」という認識はしない。
「右にあったものが消えて、左に『新しい人形』が出現した」と認識する。
「『同じ人形』が壁の裏を(自分の後ろを)移動した」と理解するのはもう少し後のことだ。
それも、何度も繰り返されて初めて理解する。
彼にとっては、「見えているもの(→感覚器官より入力される情報)」のみが全てだ。
「壁の裏を移動した」とか「自分の後ろを移動した」とかは、
経験的に蓄積されたサンプルを理性的に統合し、分析された複雑な思考(≒類推)である。
(右で消えた人形と左へ現れた人形が『同じ人形』であるという判断も、
何度も確認した後に導かれるものだ)
人は、こうした経験の蓄積から、自身を囲む世界の在り様を構築してゆく。
そういった基本的ベクトルとして、「
>>611の一行目は自然な感覚だ」と言うのです。
二行目三行目も、そこから類推される自然な推論だということです。
644 :
ネコの味方:2007/10/27(土) 17:10:28 0
肉体は、私の“肉体の意識”である。意識されない肉体は名状することが
できない。その意味で、肉体(という存在者)は観測者(たとえば私)の意識に
依存している。意識されない肉体があれば、教えていただきたい。
たぶん(私の)肉体は、私の外部にあるのだろう。
645 :
ネコの味方:2007/10/27(土) 17:43:43 0
>>606 あのなぁ、いちいち感嘆子の言うことに、はしゃぐんじゃねーよ。w
>>602 死後のことや生前のことを知っている、と宣う人はいます。が、そう言われても
私はそれを知らないのだから、それをもとに議論を進めることはできません。
むろん、否定する根拠も持っていない。つまり、そのことにつき相手とあいだで
相互了解にいたるのは難しいでしょうね。
646 :
ネコの味方:2007/10/27(土) 18:12:11 0
>>603 「他人の主観」「他人の心的現象」「他人の私」の存在を、私は主観的に
推測している。私は対象(世界)を主観を通して了解し、意味づけしている。
最高位と私の問題意識は違うでしょう。たとえて言うなら、彼は“存在”に
まつわる垂直的なそれを抱いているようだ。
私のそれは「客観的にあるかないか」は言えない、主観的言明しかできない、
を踏まえたその先にあります。が、やめておきます。
647 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 18:14:15 0
>>643 >>611の三行目の主張は間違い。611は最高位の主張を理解してない。
最高位は最高位(肉体)と「私」を分けている。
前スレであった
精神、私、肉体はどうなるんだ?
649 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 18:48:24 0
このスレって要するに、あたまの中には物の他になにかアルカナイカってさわいでるだけかよ
唯物論も糞もねえな。そんなもの在るってばある、ないってばない
ただモノがなくなったらなんにもねえよ、それはタダモノ論っていうんだよ
650 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 18:52:15 0
>>647 最高位は自我と意識とを分け、自我が肉体から独立した存在と主張しながらも、
自我が自分の肉体に限定して現れ、絶対に他者の肉体に現れないとしている。
自分が生まれる以前は他者ばかりで、自我が存在していなかったと述べ、
自我が自分の肉体を通してのみ顕在すると説く。
これは、すなわち、自我が肉体に依存している事を認めた事になる。
そして「なぜこの肉体のみに、この私が限定されているのか」と不思議がるのである。
肉体によって自我が創発するとかんがえれば、不思議でもなんでもない。
最高位の主張は、唯物論の正しさを裏打ちするだけである。
651 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 18:54:22 0
海外にいるのはアルカイダ、日本にいるのアルカナイカっていう馬鹿というのは有名でないかい
652 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 19:00:55 O
例えば他人の心とか、言葉の意味とか、数字の2とかは存在するんだろうか。
存在するとしたら、唯物論と何か関係があるだろうか。唯物論は否定されるだろうか。
存在しないとしたら、これも唯物論と何か関係があるだろうか。唯物論が正しい
ということになるだろうか。で、もし、唯物論が正しいとしたら、「唯物論が正しい」
という言葉の意味も、ないんだろうかw
で、こういったことは、私と唯物論の関係とやらと、何か関係があるだろうか。
頭が痛いので適当に書いてみた。
>>653 そうやって一生他人にモノを尋ねて生きる気かおまえ?
ちっとは自分で「考えて」みろ、勇気を出して脳を使ってみろよ
勇気を出せ!
あのアホの最高位ですら
その努力を惜しまず「考える」ことをしてるんだからさ
なにか怖いことでもあるのか何か?
655 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 20:01:46 0
最高位が考えることをおおいにしてるなどと奇特なことを書く〇〇もいるんだ
656 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 20:04:47 0
>>652 頭の中にある物を頭の外にあるって錯覚するのは人間は原始の昔からだよ
かくして神が生じた、フォイエルバッハが「外化」といって古典唯物論の始まりをなした
657 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 20:05:19 0
>>655 アホか、あれほどオカシナことを書くにはしっかり自分で考えないと無理
おまいにゃ一生できない芸当、、おまいは便所で本でも読んでろ
658 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 20:12:09 O
>>656 っていうか何であたまの中なにあるんだ?
あたまが外化した神になってない?
659 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 20:16:23 0
>>658 ≪思考した「もの(対象)」が、自分(の肉体)の外にある≫ と想定してしまうことは、
(肉体という外殻を纏った)人間の(脳の)本来的(≒本能的)癖であるということ。
661 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 20:31:44 O
>>660 その脳の癖を見破れた君は脳によらないわけね?
>>661 克服できる癖もあれば、最後まで縛られ続ける癖もあるでしょうねw
663 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 20:59:12 0
>>650 「肉体によって自我が創発する」とは、どういう意味?
創発は物理現象ですか。
664 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 21:01:48 0
665 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 21:02:41 0
このスレにいるようなよほどの馬鹿以外はものそのものは頭の外にあると思う、それは正確
「物の本質」となるとこれが頭の中にあるんだ ということを気がつかず「本質」も物に在ると思うやつは多いということさ
666 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 21:12:40 O
>>665 なんかめんどくせーな。ほんしつですか。
>>654 疑問形にしないで何か書きゃいいの?
結論1:唯物論は、物しか存在しないという意味であるとすれば、間違いである。
理由:少なくとも言葉の意味は存在する。なぜなら、もし存在しないとすると、
「物しか存在しない」という言葉の意味も存在しなくなり、
矛盾するので、言葉の意味が存在しないとはいえないからである。
そして、言葉の意味が物でないことは明らかである。
結論2:私が存在しようがしまいが、唯物論は間違いである。
理由:結論1から明らか。
ああ頭が痛い。
人間の視界性についてはどうだ。
669 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 21:24:23 O
>>650 過去の偉人は、我々の肉体を使って語る。
「深遠を覗く者は、深遠からも覗かれる。」
>>664 >>661への単純な答えはただ一つしかない。
「脳によらないことなどありえない」と。
質問自体が無意味だw
てか、
>>660のどこをどう読んだら「私は脳によらない」という意味がでてくるのか
そっちの方が不思議だw
671 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 21:37:56 O
>>670 脳は対象化(外化)された癖じゃないのか?
672 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 21:41:46 0
>>667 唯物論は、物しか存在しないという意味ではぜんぜんないから、正しいものは間違いでない
(とレスしておかなきゃならんのかめんどくさいなあ)
673 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 21:44:04 0
>>666 唯物論はめんどくさいよ、俗流ニセ唯物論だらけのこのスレではちょっと無理かも
674 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 21:47:28 O
>>671 人間をどんなに解剖しても中ではない。外だ。
認識から言えば。
>>667 早まるな。
言葉も意味も物かもしれんぞw
もう一つ書いてみるか。
結論:全ての物事が物理法則により決定されている(A)ということが正しいとすれば、
Aに反しているとして他人を批判することはできない。
理由:Aが正しいとすると、人間の行動も全て物理法則により決定されている。
Aに反する主張をする人も、そう主張するように決定されていたことになる。
そして、もともと決定されていたことについては、その人がそうしたということが
できず、批判することができない。
よって、Aに反する主張をする人を批判することはできない。
うう、頭が痛い…
この頭痛を感じながらこの書き込みをすることも決定されていたのか…
>>676 そうそう。
別に自由意志で君を批判してる訳じゃないんだよ?
決定に逆らえないだけなんだ。
>>675 例えば「言葉」という言葉の意味や「頭痛」という言葉の意味が、物かもしれないと?
うう、頭痛で意味がわからん…
この頭痛は体内でウィルスが活動しているせいなのか…
679 :
考える名無しさん:2007/10/27(土) 23:46:55 0
>>676 >結論:全ての物事が物理法則により決定されている(A)ということが正しいとすれば、
正しい。
>Aに反しているとして他人を批判することはできない。
できる。
>理由:Aが正しいとすると、人間の行動も全て物理法則により決定されている。
その通り。
>Aに反する主張をする人も、そう主張するように決定されていたことになる。
その通り。
>そして、もともと決定されていたことについては、その人がそうしたということが
>できず、批判することができない。
できる。批判することもまた決定されているというだけのこと。
>よって、Aに反する主張をする人を批判することはできない。
全くの的外れ。
>>671 その言明は外れだと思うが、(そこでの「脳」が「機能」ということであれば当たりかもしれない)
・「対象化される」ということが「外化される」ということと同義となる場合がある
(勿論、そうでない場合もあるし、「全て対象化は外化に等しい」、と見做すこともできる)
という着眼の仕方はアリだと思う。
(「対象化は客観化であり、乖離を本質的に含む」という考え方ともリンクしているだろう)
そもそものレス
>>656の二行目は、
・「脳が(頭の中が)外化される」ということは、
「その機能(≒本来、脳が持っている様々な性質)が外部の存在として投影される」ということである、
という意味合いのものかと思われる。
一行目にしても、
・「頭の中にあるもの」(「知覚認識されたもの・創造(想像)されたもの・概念的なもの」等種々あろうが「対象化されたもの」)を、
自身の外部に実体として設定したくなる性向を言っているのではないかと思われる。
決して、脳そのものが外部に投げ出されるわけではないし、脳を離れて思考がなされるわけでもない。
「脳の、対象化されたものをそのように見做してしまう」という、まさに「癖」を指しているのだろう。
「脳が脳自身を対象化した時」にも、その癖は発現する。
主体が自身を対象化した時、対象化された主体とは別の主体が要請されるように・・・。
「この癖を克服しての、自らの対象化が可能かどうか?」も、このスレ的話題かもしれない・・。
また、どんなことでもそうだが、外化されているものの方が考察し易い。
チャート式なんちゃらとか、図式化することとかはその代表だろう。
他者の事象の方が自身の事象より理解し易いことも多々ある。
そして、それを(この、つい外化してしまうという癖を)逆のベクトルへ変換できた時、
他者の事象が、自身にも当てはまるのではないか?と内化できる可能性でもある。
681 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 01:00:10 O
>>680 脳の癖、つまり対象化(外化)による客観の説明
や、脳自身自らもその拘束から離れられないが、
寧ろ俯瞰して見ることによってよくわかるだろう
と言うのは何となくわかります。
何より克服しようという意思に同意します。
その為の方法は、いくらあってもいい。
682 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 01:20:23 0
●●
( 'A` ) なんで働かないといけないの?
/ ̄  ̄ヽ
/ ,ィ -っ、 ヽ
| / 、__う人 ・,.y i
| /  ̄ | |
ヽ、__ノ | |
| 哲 学 |
| ヽ、_ _,ノ 丿
| (U) |
| / ヽ |
683 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/28(日) 01:31:57 0
脳が破壊され人が死ねば「私」はなくなる、当然である。
同時に世界もなくなる、主客の相対が崩れるからだ。
主客の片方の実在だけの絶対性を確立しようとする目論見はどうしたって上手くいかない。
何千年も前からの常識だ。
>>683 私が死んで「私の世界」が終わっても、
「孫の世界」は続いていくだろう。
だから私は、その「孫の世界」の為に、
『「孫の世界」と「私の世界」とが重なる部分』に働きかける。
「私の世界」の終りが、全ての終わりではないからだ。
何千年も前からの、人類が行ってきた次代への継承だ。
685 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/28(日) 01:40:40 0
>>680さん
それは煩悩と解してよろしいでしょうか。
>>685 さすがですね・・・w
そうツッコんでくるとは・・・
予測していませんでした・・(^^;
面白いツッコミです。今日はもう遅いので、いずれゆっくりレスします。
おやすみなさい ノシ
687 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 02:03:40 0
先日、無思想の友人に「自分って何だと思う?」と聞いてみたら
「自分?自分は自分だろ?」と真顔で返答あり
やっぱこのレベルで抑えとくのが無難なのかなと改めて思う
常識的に考えてみれば・・・
688 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 02:18:17 0
脳が破壊されれば〜
なんて言ってるけど、それは的外れ
私の正体は、物理的要素に特定する事は、絶対に出来ないのだからね(爆笑
例えば、あの世があるのかないのか
という問いに対する明確な論理的解答すら、人類は持ち合わせていない
脳を破壊すれば〜とか、死ねば〜とか
その後の事は、実際には「わからん」が正しい
ただ
確実に言える事は、『私』は「ある」という事
その「あり」である『私』の正体は
物理的要素に特定する事は、絶対に出来ない
だから
『私』って何者なんだ???
という人類にとって最も重要、かつ素朴な問いに
唯物論は、手も足も出ない
唯物論には手におえない
そのようなものが、この世界には存在するのだ
全ては物質による物理現象であり、人間の精神も物理現象にすぎない
と主張してきた唯物論は間違いなのである
歴史を通じて争われて来た心身問題は
名も無き、日本のアマチュア哲学者によって終止符を打たれたのです
理解できましたか?(笑
689 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 02:23:12 0
>>688 特定できるじゃん。
お前のその肉体。他人ではなく、そのお前。
犯人を特定するのと同じで、
人体を特定すればそれで十分だよ。
690 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 02:24:17 0
>>688 頭悪いな。特定できなくても唯物論が崩れるわけじゃないのに。
691 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 02:30:07 0
>>689 そんな抽象的で、いい加減なこと言ってないで
具体的に
分子構造などでお答え下さい
私はいったい、物理的な『何』なんですか?(笑
>>690 その発言の、根拠を書かなきゃ意味ないでしょうに(爆笑
692 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/28(日) 02:30:38 0
>>688最高位さん
それはあまりにも強引であり早計でありましょう。
私なるものを物の理に当てはめること自体
無理があるのではないでしょうか?
お肉屋さんに行ってお魚を売れと同じようなものではないですか?
ところで私ってどこからが私ですか?
694 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 02:33:18 0
>>691 人物を特定することは、抽象的でも何でもなく、具体的ですが。
馬鹿なんでしょうか。
分子構造?頭悪いの?
机や椅子を議論するのに、いちいち分子構造を持ち出したりはしない。
695 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 02:36:47 0
>>691 >その発言の、根拠を書かなきゃ意味ないでしょうに(爆笑
根拠?
唯物論はすべてを物理的存在として定義しているのであって、
物理的存在を具体的に定義しているわけではない。
だから、どんなものでも「ある」なら、解明とか関係なく無条件で、物理的存在とするのが唯物論。
唯物論では、特定することなく「私」は物理的存在となる。
そもそも、物理的存在とそれ以外のものがあると主張するなら、
物理的存在とそれ以外の区別をするほうが難しいだろう。
具体的に境界や、物理的存在を定義する必要が出てくるから。
696 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 02:42:40 0
>>692 >私なるものを物の理に当てはめること自体
>無理があるのではないでしょうか?
>お肉屋さんに行ってお魚を売れと同じようなものではないですか?
その通りです!
理解できてるじゃないですか(笑
しかし唯物論者は、全ては(人間の精神世界も含めて)物理現象である と主張しているんですよ
自分で、「うちは何でも売ってますよ」と言っているわけです(爆笑
だから私は「ウソつくな」と(笑
>>694 あれ?
人物は分子構造なんじゃありませんか?
それが唯物論でしょう(爆笑
しかし肝心の、その分子構造では
『私』は特定できないのですよ
原因的要素 という事とかも、理解できないんですかね?
あと
>机や椅子を議論するのに、いちいち分子構造を持ち出したりはしない。
机や椅子は、分子構造そのものですよ(笑
697 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 02:45:53 0
人物特定で充分だろ。
分子構造で十分というのもおかしい。素粒子の構造とか、そのまたその構造とか永遠に続く。
原因の無限後退しても意味がないぞ。
698 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 02:48:05 0
>>695 >唯物論はすべてを物理的存在として定義しているのであって、
↑ ↑
まずココが間違い
勝手に定義すんな って話な
その定義が正しいのかどうか という議論をしているのであって
そう定義すれば、その定義は正しい
なんていう理屈で押し付けられても、最初から話しにならないんだよ
唯物信仰も自由ではあるが
信仰は信仰として、自覚して下さい
もう少し、頭を使って論理的に考えれば、理解できると思います
699 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 02:48:28 0
さらに言うなれば、唯X論というのは、すべて同じだ。
唯物論であろうと、唯心論であろうと、具体的な定義がなければ、
ラベルが違うだけの同じものに過ぎない。
そしてそのどれもが間違いにはならない。
700 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/28(日) 02:49:15 0
>>696最高位さん
そもそもデパートのように全てに対応できる
総合商社のような理論などあり得ない訳でありまして
唯物論が説明できる範囲というものがあるでしょう。
説明できないからそこのお店はダメと言われるなら
他のお店を当るしかないでしょう。
でなければただのクレームをつけるお客さんに過ぎませんよ。
701 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 02:51:03 0
>>698 >まずココが間違い
別に間違いではない。君が間違いだって思っているだけ。
>勝手に定義すんな って話な
そんなのは自由だが。定義というものは主体が勝手にやるものだよ。
>その定義が正しいのかどうか という議論をしているのであって
>そう定義すれば、その定義は正しい
>なんていう理屈で押し付けられても、最初から話しにならないんだよ
そうだよ。そういう話にならないものを否定しても意味がないわけだ。
それに気が付いていない君が馬鹿なだけ。
>唯物信仰も自由ではあるが
>信仰は信仰として、自覚して下さい
信仰ではなく、何も説明していないだけということが君は理解できていない。
君はかなり頭が悪い。
702 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 02:56:25 0
>>697 よく読んでもらいたい
「分子構造とかで」と書いたはずですよ
というか、それぐらい文意から先回りして考えれば、すぐに気がつく事ですよ
普通はね
「内容を読め」とは、その事です
>>700 アホかお前は
唯物論者自身が「うちは総合商社です」と大風呂敷を広げているんだよ
だから、それは間違いなんだろ?
だったらそれで、合ってるじゃんか
703 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 03:00:21 0
>>702 広げてないよ。唯物論は何でも説明できるとは主張してない。
例えば、一般的な物理現象であっても、唯物論が説明できるわけではない。
唯物論で説明できない物理現象は幾らでもある。
超流動だってそうだし、2重スリットの実験結果だって説明できない。
それらを説明するのは唯物論ではなく物理学だ。
704 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 03:00:51 0
唯物論には手におえない
そのようなものが、この世界には存在するのだ って
過大評価し過ぎw
705 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 03:01:51 0
>>702 >唯物論者自身が「うちは総合商社です」と大風呂敷を広げているんだよ
具体的に誰が?お前の脳内だろw
706 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/28(日) 03:03:35 0
>>702最高位さん
最近は随分な物言いをされますね。
唯物論が大風呂敷を広げてるようには思いませんが。
>>694さんの仰る通り、その段階といいますか、レベルがあるものです。
最高位さんは唯物論に私をお求めなのか
私を唯物論にお求めなのか
求めるものによって行く先も違おうというものです。
707 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 03:05:51 0
>>705 最高位は非還元主義的唯物論を唯物論として認めない。
認めてしまうと、自説が破壊されてしまうからね。
708 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 03:22:42 0
>>703 >広げてないよ。唯物論は何でも説明できるとは主張してない。
説明できる という表現は
技術的な問題は無視た意味で、論理的に可能かどうか という事ですよ?
その意味で、説明できない となると
規則性の無い法則性である という意味になります
そういう法則性があれば
決定論も、決定的に論破できるという事になりますね?
>>706 私が、なぜそんな言い方をするのか
あなたは考えた事もないでしょうね
会話の流れから考えれば、当然だと思いますが・・・
全く理解できませんか?
では聞きますが
あなたの考える唯物論とは、いったい何なんですか?
あなたは科学と唯物論をゴッチャに考えてるのではないでしょうかね
試しに、その違いを説明してもらえますか
709 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 03:35:10 0
精神活動の 独自性を認めず観念の世界を否定するのが唯物論だと早とちりしている
唯物論 者がいるが、その哲学は「タダモノ論」という。タダモノ論では芸術も科学
も 説明不可能になってしまう。観念論者のかなにも、「タダモノ論」=「唯物 論」
と早とちりをして、「唯物論」を批判したつもりでいる皮相な論者がいる。
「現実の世界と観念の世界」より
710 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 03:38:07 0
>>708 >技術的な問題は無視た意味で、論理的に可能かどうか という事ですよ?
それ以前の問題。
唯物論は、物理的存在がどういうものかを定めていない。
とりあえず未知のものにXというラベルを張った状態と同じ。
だから、唯物論が単体で何かを説明することはない。
それが理解できない君は頭が悪い。
711 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 03:39:46 0
>>708 >あなたの考える唯物論とは、いったい何なんですか?
そもそも最高位は唯物論のいうところの物理的存在とはどういうものか全く理解していない。
理解していないのに、否定しているから君は馬鹿にされるんだよ。w
712 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 03:47:38 0
キミらは必死で、抽象的な話にすり替えようとしているけどさ
じゃぁ
ひとつの具体的な論点として、心身問題で話そう
心身問題における唯物論の主張、立場 とは、いかなるものなの?(笑
713 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/28(日) 03:51:14 0
>>708最高位さんへ
感覚作用、認識作用を科学という道具で解明し
(これは最高位さん自身が仰られていた事でもあります)
精神(一般的にいう心)もその物理現象の内である
という思想ではないのですか?
そこに「私」を立てられても「精神内」と突きつけられれば物理現象で収まってしまいます。
ただ一言で科学と言いましても、生物・地学・物理・化学と大雑把にありますし
医学もまたこれと関係はありますが別でもあります。
相互の関係している分野もあるわけですし、だからといって
生物で物理の説明を求められても難しい部分もあると思います。
最高位さんはそれをなさって居られる。
最高位さんの「私の存在」が現象世界と隔絶されたものならば
その時点で唯物論で説明すべき議題では無いのではないですか?
714 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 04:08:37 0
>>713 >精神(一般的にいう心)もその物理現象の内である
>という思想ではないのですか?
>そこに「私」を立てられても「精神内」と突きつけられれば物理現象で収まってしまいます。
だから、その「私」は、いかなる分子構造による現象なのですか?
具体的にお答え下さい と申しているのです
それができた唯物論者が唯一人でも、居ましたでしょうか?
唯識さんが、答えてくれてもいいですよ
>生物で物理の説明を求められても難しい部分もあると思います。
>最高位さんはそれをなさって居られる。
物理法則に従わない生物がいるのですか??(爆笑
ここにいる唯物論者と逆の事を言って、混乱させようとしてるんですか?
>最高位さんの「私の存在」が現象世界と隔絶されたものならば
>その時点で唯物論で説明すべき議題では無いのではないですか?
私と物質は、関係があるから唯物論は正しい なんていう事を必死で主張する なんてのは、おかしいと思いませんか??
関係があるなんていう事を否定する人などいないでしょう
なのに、なぜ議論になっているのだろう と思いませんか?
素朴に、あなたの言っている事は、おかしすぎます
ふざけているんでしょうか
あと、すいません
あなたは
『唯識』なのに、なぜ
『唯物』なんですか?
名前を変えられてはいかがでしょうか
別に『唯物』でも問題はないわけでしょう?
715 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 04:11:23 0
>>712 あなたは唯物論者の統一見解があるのだといまだに妄想しているのですか?
還元的な物理主義と非還元的な物理主義を知ってますか?
716 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 07:37:02 0
>>688 >その「あり」である『私』の正体は物理的要素に特定する事は、絶対に出来ない
いいえ。「絶対に出来ない」のではなく、「出来るかどうかは判らない」というのが正しいです。
貴方は、判らない事=出来ない事、としてしまっていますね。
勿論これは、貴方が「出来ない」の根拠としている種々の考察を検討した上での結論です。
>>696 >唯物論者は、全ては(人間の精神世界も含めて)物理現象である と主張しているんですよ
ええ、そうみたいですね。ですが問題はなさそうですよ?
唯物論 とは、事物の本質ないし原理を物質や物理現象であるとし、
非物質的な存在や現象を否定するか、非物質的な存在や現象を物質や物理現象に付随し、
それらに規定される非本質的なものであるとする考え方、立場。というものだそうです。
精神は物理的状態に付随するが、物理的状態に還元可能ではない という事でよしとしているのです。
特に非還元的な物理主義(哲学的唯物論)というものだそうですが。
因みに「精神」と『私』とでは指し示しているものが異なりますよね?
ここは正確を期す為に「唯物論者は、『私』は物理現象である と主張している」とすべきですね。
ただ、そのような主張をしている唯物論者がいるかどうかは知りませんが。
>>714 >だから、その「私」は、いかなる分子構造による現象なのですか?
『私』の原因は「精神」の原因とは比較にならないほど難解なものです。
何故、その事を指摘して差し上げないのでしょうか。
まるで同列の問題であるかのように錯覚させかねない態度は如何なものでしょう。
このような機会毎にそれとこれとは別の問題なのだと違いを説明されていれば、
皆の理解も深まり、勘違いをされる事も少なくなっていくでしょうに。
>>688 >だから
>『私』って何者なんだ???
>という人類にとって最も重要、かつ素朴な問いに
>唯物論は、手も足も出ない
冗談はよしてくださいw
何が人類にとって最も重要、かつ素朴な問いですかw
古今東西、世界でたった独りの最高位さんにとってでしょw
スタートで勘違いしてますよw
世界でたった独りの最高位さん(の中の「主観性w」)の問題を
人類(ほぼすべてが他人)の問題にすり替える方が詐欺ですねw
田舎の駄菓子屋がデパートを名乗るよりヒドイw
720 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 08:38:47 0
もっと単純に考えてみるがいいよ。
「私」だけが存在するとして、「私」を「私」たらしめるものは何か?。
そんな場所では五感は役に立たないだろう。
勿論記憶や知識なんてものは発達させようがないだろう。
そんな状況で「私の存在性」というものが在り得るのかどうか?。
俺は無いと考えている。
「私」や「自我」とはつまるところ「他」との差異を認識して
初めて発生するものなのだろうと。
デカルトの「我思う…」の件もまた「疑い得る他」の存在が前提にあった。
純粋な存在性などありえないと思うね。
>>688 >『私』って何者なんだ???
>という人類にとって最も重要、かつ素朴な問い
この最高位の簡潔で高貴な文章を凡人にも解かるよう手を入れてみるね↓
『私』がある種の運動を経て現在存在しており
今後も何らかの運動を行なってゆくことは間違いないと思われる
実際この10秒間にたくさんの運動を観察したし、あ、またこの5秒の間にw
さて私の『現在』はどのような運動プロセスの結果であるといえるのか?
それ(過去の運動プロセス)は一瞬一時たりとも変更不可能なプロセスだったのか?
あるいは『今後のまだやって来ておらぬ未来』は変更可能なのだろうか?
いや、凡人にわかる言い方に変えよう
過去、変更不可能な事柄が1つでもいいからあったのだろうか?
この先、変更不可能な事柄が1つでもあるんだろうか?
「ある!」という者は1つでいいから事例を挙げて見給え
>>721 運動するのは体であって「私」ではないだろ
>>722 そこで言われる「私」が、「総体としての私」ならば721は成立する。
また、「運動」が「変化」のことであるならば721は成立する。
724 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 09:11:46 0
>>721 「この先」と言っている時点で、頭の悪いことがわかる。
725 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 09:13:52 0
>>722 なにかの主張のようだが、
「私」ではない・・と言うためには
では「私」とは何であるか・・「体ではなく何であるのか」を
まず明らかにせねばならぬと思うが、、どうよ?
>『私』って何者なんだ???
>という人類にとって最も重要、かつ素朴な問い
最高位はいつも「キミは私が何者かわからんのか。なら病院へ行け」
とか言ってないかw
727 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 09:50:59 0
>>725 一般的には「私」は体でもいいんだが、
最高位的には『私』とは「存在性」というもんらしい。
ある物体が何で他の物体としてではなくこの物体としてここにこうして在るのか
(物体っていうと怒られるだろうけど、実際にはまあ何だって同じことだ)、
どうしてここにこれがこれとして存在しているのか、その理由を説明しろとか、
その説明が付かないから唯物論は間違ってるとか、変なことで思い悩んでるわけだ。
『私』を他人ではなく『私』としてこの場に存在せしめた原因を物理現象で説明しろったってねえ・・・
728 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 09:56:18 0
>>721 その「観察」内容(認識)が表れる場を『私』と称しているのである。
“事柄”ではなく、厳密には事柄の「認識」である。
そんなに大見得を切る話しでもあるまい。w
729 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 10:03:13 0
>>723 “総体”が意味不明。全部ということらしいが、つまり範囲が限定されてているわけだ。
“私”の「総量」はいかほどですか。
「場」というのは、非常に便利で有効な考え方ではあるが、
同時に、大変危険な側面も持つ。
それは、「全てに先立って“その場”がある」とされ易いからだ。
運動にしろ変化にしろ、認識にしろ精神活動にしろ、
「それが為されるために、まずそこに“場”がなければならない」とされ易いからだ。
何かが「存在する」と言われた時、「存在するための“場”が必要である」とされ易いからだ。
>>729 「肉体」「精神活動(≒意識)(→価値観・人生観・想い・時々の感情等種々含)」
「社会的ポジション」「肩書き(≒職種等、今何をしているか)」「過去の行履(行為)」
など、“その人”に関わる一切の要素を包括したもの。
総量という概念・表現を持ち込むことは不適切。
732 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 10:15:14 0
>>720 自他を差異化する機制を問うているのである。差異を「認識」しているのは何か
が問題になっているのである。
その答えがわかっているのなら、このスレを無視したほうがいい。
733 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 10:19:22 0
>>732 (認識できる)「差異」は、(主体の外に)「ある」ということ?
734 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 10:28:43 0
>>731 その“一切”とは何かを聞いているのである。“総体”なる融通無碍な
言葉を使うから、定義の屋上屋を重ねるしかなくなるのである。
なんなら次に“一切”を定義していただきたい。
“総体”ときたから、では総量は?と切り返したのである。
当たり前の質問だろう?
>>730補足:
それは、「人は、ものごとを『空間的に』捉えがちである」という癖に由来するのかもしれない・・。
>>734 では、「一切」と「など」を抜きましょう。
「肉体」「精神活動(≒意識)(→価値観・人生観・想い・時々の感情等種々含)」
「社会的ポジション」「肩書き(≒職種等、今何をしているか)」「過去の行履(行為)」
といった、“その人”に関わる要素を包括したもの。
736 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 10:39:26 O
「稲妻が光る」を「光るが光る」と訳すなら、
前者は背後に因を見てしまう癖がある。
と言う認識様式をみる。よってそれを問うわけ。
差異は別様式として試みても面白い。
737 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 10:39:38 0
>>730 貴君の曲解を私に押しつけないように。
「すべてに先立つ」のは【意識】である。間違わないように。
“存在者”も“場”も意識された事物の概念である。
738 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 10:50:25 O
>>737 馬鹿だろ?
小学校の国語からやり直したら?w
>>730は、
一般的傾向としてそういうきらいがある(→多くの者がそうした思考形式をとる傾向がある)ように
(私がこれまで見聞きした情報からは)感じられるということであって、
貴方の考えがそうだ、ということではない。(参:
>>735一行目)
その文(
>>737)は、
貴方こそ >「すべてに先立つ」のは【意識】である。 と押しつけているように見えますが?w
740 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 10:57:56 O
>>738 ていうか、その様式を問うてから脳をいじくるか。
741 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 11:10:52 0
>>733 「外」という難解な表現が使われているが、一応、普通?の意味に従うと…
差異(対象)は主体(私)の“外”に表れる、のでしょう? ただ、最近は「私」
が対象の“外”に疎外されるようにも…。
742 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 11:22:20 0
肝心な事だけは、みんなスルーだな
もう一度、貼り付けるね
キミらは必死で、抽象的な話にすり替えようとしているけどさ
じゃぁ
ひとつの具体的な論点として、心身問題で話そう
心身問題における唯物論の主張、立場 とは、いかなるものなの?(笑
まずコレに関する唯物論の公式見解を、議論して決めてもらえないか
論破してもさ
いつも違う人?が出てきて「唯物論は、そんな事は言っていない」
なんて言って、誤魔化して逃げるんだよね
んで、ほとぼりが冷めたら、また論破された内容を主張しはじめる
この繰り返しじゃラチがあかない
だからいつも、唯物論は何を主張しているのですか?
と質問するんだが、極めて抽象的な説明をしてくる
具体的には?と問い詰めると、無視スルー
話を、すり替える
この繰り返し
743 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 11:22:52 0
>>739 貴君は欧米やアフリカやその他の人たちの思考形式を知っているんだ。すごいね。
意図的にそうする以外は「一般」のような言葉を使うと中学生呼ばわりされるぞ。
私は、主観しか語らない(語れない)と何度も明言している。
貴君は、客観を語れるんだろう? なにせ、人間一般の思考形式がわかるんだものね。
>>743 >中学生呼ばわりされるぞ。
小学生よりましだね(笑
745 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 11:46:02 0
>>742 話したきゃ機械氏でも呼んでくりゃいいんじゃね?。
746 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 11:46:32 0
>>716 ここで言う物理的要素って、何の事だかわかってる?
物質的構造 の事だよ
物体というものは、物質の塊であり
さまざまな物質が、ある組み合わせになっているにすぎないわけだろ
この体も例にもれない
「それ」と同じ組み合わせの物体は、いくらでも作成できるわけだよ
しかし私は「これ」であった
同じ組み合わせの物体が複数作成が可能であるならば
「これ」の組み合わせが「私」である と特定する事は、絶対に不可能である という事になるよな?
わかりませんか?
>精神は物理的状態に付随するが、物理的状態に還元可能ではない
>という事でよしとしているのです。
説明もできんクセに、勝手に「よし」とされても困る って話な
論理的に飛躍してる事を認めて、根拠も説明できんと知ってるのに
それでも正しいんだ!!! というのは、宗教のスタンスですよ
>>717 それは十分に説明したはずなんですよ
何回も何回もね
ただ、ここの連中の多くは、一部の人を除いて
それが、いまだに理解できんのですよ
747 :
バカ:2007/10/28(日) 11:50:36 0
「私」を中心として「私以外」の物質があると仮定する。
その「私以外」の物質を世界の果てからミクロのヒモまで完全に正確に組み合わせれば
その中心に「私」が現出する。
物質じゃなくても良いかもしれない。
748 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 11:52:12 0
>>742 唯物論の公式見解を、議論して決めてもらえないか
決められないと思いますよ。
2ch内で公式見解を決定する?w
自称唯物論者の機械君と第2君との間でさえ、無理かと思います。
なんか唯識の一言で流れが変わったなw
751 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 12:00:56 0
それぞれの唯物論があるのだから、それぞれの唯物論に対して反論すれば
よいだけでしょう。
>>742 > 心身問題における唯物論の主張、立場 とは、いかなるものなの?(笑
共通するだろう最小限の見解は多分、
「モノがあって心がある、心があるのにモノはないってことはない」とかいうことになると思われます。
753 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 12:04:30 0
>>751 おまえ馬鹿?
統一的見解がバラバラなら議論もバラバラだろう
まあ2ちゃんねらだから仕方ないわなw
バラバラな統一見解
755 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 12:18:34 0
バラバラに議論すればいいだけw
756 :
第2唯物論:2007/10/28(日) 12:19:06 0
>>748 私の見解は第一唯物論は
どっちかというと、世界、自分の周りの状況が主に意識を決めていくのであって
意識が世界、まわりの状況を決めていくのではあまりない、決めるときもあるがね
というものですよ、これがなにを意味するかというとむずかしい
757 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 12:21:21 0
だからといって意識は完全に決定されてるというのは極論です
ここで決定論が本来はでてた、、、、未来がすべて決まってるなどというのは馬鹿のたわごと
758 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 12:29:43 0
>>720 >「私」や「自我」とはつまるところ「他」との差異を認識して
>初めて発生するものなのだろうと。
逆だよ逆
「自」が無い時点では「他」なんて事は言えない
「自」があるからこそ「他」との差異 と言えるのであって
「他」との差異を『認識』できるならば
それは、すでに「自」がしている作業だという事
無いものが、いったいどうして、何かを『認識』できますか?
>>745 機械くんとは何度も話しているが
都合の悪い質問には答えないから、会話にならないんだよ
>>748 人間の内的世界全般も、物理現象なのかどうなのか
これについても意見が分かれるのかね(苦笑
というか、積極的に何かを主張する人も見当たらない
いや
私がいない時には、みんな『主張』するんだけどね(笑
具体的に唯物論を主張すると論破されるから
必死で抽象的な表現で、煙に巻こうとするんだよな
宗教教義だね
宗派ごとに根本的に異なる みたいな(爆笑
自分たちの、そういうスタンスを、客観的に自覚できればいいんだけどね
なぜか最初に『唯物論ありき』だから、救いようが無い
論理じゃなく『唯物論ありき』だからね
>「それ」と同じ組み合わせの物体は、いくらでも作成できるわけだよ
以前よりできないって言われてなかったっけ。厳密である程不可能みたいな。
760 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 13:12:38 0
>>758 僕は唯物論者ではありませんが、
唯物論に神聖化するものがなければ宗教ではないとおもいます。
一つの考え方、視点、仮説でよいとおもいます。
また論理というものは、それぞれの論理があるだけだとおもいますが?
何ものも前提としない論理は無いとおもいます。
761 :
Absalom ◆li1Y/Rs.oQ :2007/10/28(日) 13:29:35 O
事実などない。あるのは解釈だけだ。
762 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 13:53:56 0
>>758 その「私」が何によって形成されるのか、を知りたいわけだよ。
繰り返すが、先に挙げた「何もない空間」では五感は意味を成さないだろう。
対比するものがないのだから、空間や時間の概念も無い。
「まず私」というからには、そんな状況でも「私」は成立している筈で、
それは一体何によって在ると見なすのか。
宗教ならば考えずともいいだろう。科学ならば存在を前提に語ってもいいだろう。
だけど哲学ならば、そこを問わなければいけないんじゃないかな。
763 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 14:00:18 0
>>760 神聖化はしていまいが、絶対化しているんだね。連中は間違いなく、唯物論教徒。
764 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/28(日) 14:05:33 0
>>760 ここでいう宗教とは
一般的に認識されている宗教団体のような意味の事ではありませんよ
>一つの考え方、視点、仮説
を、無条件に信じるスタンスの事を言っているわけです
神様のような信仰対象が、物質に置き換わっているだけであり
それを無条件に信じるスタンスは、宗教と変わりはない という事です
科学は、科学的な事を科学の範疇で解明しようとするスタンスです
だから「科学では解明できない事」という事を受け入れます
しかし唯物論は、「世界には物質による物理法則があるだけなのだ」とする思想ですので
「唯物論の範疇に無いものなど無い」とします
そう信じているのです
物理現象に、還元できないものがありますよ と指摘すると
『非還元主義的唯物論』 などと言い出し、とにかく唯物論という言葉を守ろうとしますが
それは「非論理的だが、それでもとにかく唯物論!」という事であり
信仰心によって主張しているのだ という事を、無自覚に吐露する結果となっています
>また論理というものは、それぞれの論理があるだけだとおもいますが?
>何ものも前提としない論理は無いとおもいます。
具体的に説明して下さい
論理について一番無知なのが最高位
最高位の言う「論理」て言葉は明らかに使い方がおかしい
基礎付けと論理が混同されている
吹き止まない風、あの頃のままで♪
って誰の曲だっけ
766 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 14:32:23 0
>>763絶対化
>>756 をよく読めよ、絶対化などしてないだろうが
どこを馬鹿妄想してるんだ
唯物論はそもそも相対論の系譜だよ
767 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 14:34:00 0
>>764 >神様のような信仰対象が、物質に置き換わっているだけであり
いつもの馬鹿妄想、そんな唯物論者がどこにいる
768 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 14:36:29 0
物質教を作りました。
お前等お布施よろしくな。w
769 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 14:47:52 O
>>767 神が七日目に安息したことから日曜日ができたん
だけど。。。。。
(無神論者は何故休むんだろ。)
ぐらい信仰は気づかん。わら。
>>759 最高位物理では可能らしいよw
最高位式唯名論でw
771 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 15:21:39 0
>>746 >「それ」と同じ組み合わせの物体は、いくらでも作成できるわけだよ
類似した性質を持った物体を複数作成できるかという事でしたら、それはある程度可能でしょう。
しかし、物質はそれぞれ唯一のものですので、同一の物質で全く同じものを作る事は不可能ですよね。
ですから、「これ」と「それ」と「あれ」各々別の物体になるわけです。
「それ」と同じものが幾つもできるわけではありません。この辺は言う迄も無い事でしょうが。
問題は、「これ」が「他人」ではなく『私』になっているのは何故なのか。
『私』が(「他人」としてではなく)今此処に顕現しているという事に何か法則性はあるのか。
それは物理主義的な考え方で説明がつけられるものなのか。
という事なのですけど、途方もなく知識が不足している為に、解らないとしか言えません。
人類が滅亡する迄にこれが判断できるだけの知識を獲得できるかどうかも不明です。
でありますので、「これ」の組み合わせが「私」である と特定する事は 出来るかどうか判らないという事になります。
>論理的に飛躍してる事を認めて、根拠も説明できんと知ってるのに
>それでも正しいんだ!!! というのは、宗教のスタンスですよ
これに関しましては私も常々「こんなのでもいいんだろうか?いい加減だなー。」と思っています。
ですが、唯物論というものはそういうものなのだとされているのでどうしようもありません。
解らない事は後回しにしているのでしょうが、私に実害があるわけでもありませんので特に構う必要は感じませんが。
>「それ」と同じ組み合わせの物体は、いくらでも作成できるわけだよ
こんな事を言っている唯物論者は皆無なのだがね。
むしろ、そんな事が可能なら唯物論も崩壊する。
神になれるからね。
>>762 >「何もない空間」では五感は意味を成さないだろう。
つーと、そりゃつまり脳だけで、しかも入力情報一切なしって状態かいな。
これ、体があるのとないのとじゃえらい違いがあるわな。
ま、話が面白くなりそうな設定にしてくれたらそれでいいんだけどさ。
最高位は中学レベルの物理も理解出来ていないくせに、
インチキ物理をでっち上げて、それを破壊したと言ってるだけ。
775 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 15:37:36 0
>>773 うんまーほら、精神や自我や私の存在性が、物質的な体とは独立して存在するんなら
いっそ無いっていう設定でも成立しないとな?、って思うのよ。
>>771 > 問題は、「これ」が「他人」ではなく『私』になっているのは何故なのか。
> 『私』が(「他人」としてではなく)今此処に顕現しているという事に何か法則性はあるのか。
> それは物理主義的な考え方で説明がつけられるものなのか。
これはまさに唯物論的な問題の立て方だと思えます。
考えられる妥当な線としてはモノの集まりが『人間』という形をとったとき、大抵の場合『私』という主観的な心的性質を持つ、という仮定のもと法則を探すというものです。
まあ、あれだね。
人の考えなんてそう簡単には変わらんよ。
脳に依存してるからw
778 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 16:22:45 0
>>777 考え方は脳なんかに依存してねぇーよ。
キミは小学生よりもバカといわれる中学生だったっけ。
779 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 16:31:33 0
>>758 >「自」が無い時点では「他」なんて事は言えない
>「自」があるからこそ「他」との差異 と言えるのであって
>「他」との差異を『認識』できるならば
>それは、すでに「自」がしている作業だという事
「他」が無い時点では「自」なんて事は言えない
「他」があるからこそ「自との差異 と言えるのであって
「自」との差異を『認識』できるならば
それは、すでに「他」が存在しているという事
780 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 16:31:41 0
「自我の一神教」ヒルマン
781 :
779:2007/10/28(日) 16:35:30 0
>>758 貴方は、こう言わねばならなかった。
「存在性」(或いは「主観」「主観性」)が無い時点では「他」なんて事は言えない
「存在性」(或いは「主観」「主観性」)があるからこそ「他」との差異 と言えるのであって
「他」との差異を『認識』できるならば
それは、すでに「存在性」(或いは「主観」「主観性」)がしている作業だという事
とねw
782 :
ネコの味方:2007/10/28(日) 16:53:43 0
>>776 モノの集まり?これは最高位の言う組み合わせのことかな? この組み合わせが
何に「由来する」のかを語った唯物論者はいない。
その組み合わせによって現出した「私」を物理的要素に還元することは不可能だし、
その心的現象は物理法則には則らない。
これらを“付随現象”として唯物論修正主義者たちは片づけるが、どのように付随
しているのか、それを大雑把にでも語った唯物論者もいない。
>>782 > モノの集まり?これは最高位の言う組み合わせのことかな? この組み合わせが
> 何に「由来する」のかを語った唯物論者はいない。
由来の意味が良くわからないけれど多分自然法則に「由来する」。
> これらを“付随現象”として唯物論修正主義者たちは片づけるが、どのように付随
> しているのか、それを大雑把にでも語った唯物論者もいない。
だからその法則が見つかったらそれが「どのように」の答えになるということです。
784 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 17:06:52 0
最高位は宗教に否定的なスタンスをとっているけども
それなら全ての宗教を否定する明言をしなければならない。
「神道や仏教ならいい」などとは言えないぞ。
全ての宗教が論理的に飛躍してる事を認めて、根拠も説明できんと認めて、
全ての宗教を否定しなければ、議論を進めることはできません。
785 :
ネコの味方:2007/10/28(日) 17:09:42 0
>>779 差異の“認識”を踏まえて、自と他を概念化しているのである。「他がある」
というのは差異の認識から演繹された後追い解釈。
786 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 17:18:13 0
>>746 > ここで言う物理的要素って、何の事だかわかってる?
> 物質的構造 の事だよ
「動き」とか「変化」とか「機能」とか「現象」とかは貴方の世界観ではどうなるのですか?
> 物体というものは、物質の塊であり
> さまざまな物質が、ある組み合わせになっているにすぎないわけだろ
> この体も例にもれない
「物体のみが存在する」というのを唯物論だと思っているようでしたら、浅はかとしか言いようがないw
物体以外は存在しないのですか?
「動き」とか「変化」とか「機能」とか「現象」とかは存在しないのですか?
> 「それ」と同じ組み合わせの物体は、いくらでも作成できるわけだよ
工場の大量生産品は同じ組み合わせの物体ですよ。
それなのに、なぜ、不良品があったりするんですか?
> しかし私は「これ」であった
> 同じ組み合わせの物体が複数作成が可能であるならば
> 「これ」の組み合わせが「私」である と特定する事は、絶対に不可能である という事になるよな?
工場の大量生産品は同じ組み合わせの物体が、複数作成されていますよ。
「この製品(18473個目に作成された製品)」が、
なぜ「この製品(18473個目に作成された製品)」だったのか、
物理的に説明できますか?
「この製品(18473個目に作成された製品)」が、
なぜ「あの製品(18474個目に作成された製品)」ではなかったのか、
物理的に説明できますか?
>>785 「差異」は、認識前にあるの?認識の後にあるの?
>>784 自分が信じていることだけは「宗教」ではなく「真理」だと結論するのが
信者というものです
789 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 17:30:36 0
物質教、物理教、唯物教、それとも数学教ですか。
とりあえず、布施をおながいいたしまつ。
790 :
ネコの味方:2007/10/28(日) 17:38:44 0
>>783 原因、起源のこと。それによって存在者(事物)は存在せしめられたわけだ。
存在者ではなく、その原因・起源が何かを聴いているのである。貴君の言う
自然法則に則って規則的な軌跡を描くのは、この存在者。こちらについては
唯物論というよりも物理学によって精緻に観測され記述されてきた。
もう一つ、この存在者は『私(観測者)』の意識に表れたものであり、“私の
意識”とは何かを捨象して対象を語っても、その全的把握とは言えないだろう。
>>785 「自」と「他」の間には「差異」があるのですね?
その「差異」が認識されるから「自他」の区別が為される(概念化される)のですね?
「他」は、その時初めて顕れるのですね? (「自」も、その時に顕れそうですが・・・w)
「自」は、その認識よりも前に「ある(いる)」のですね?
まず「自」が居て、自らとの差異を認識して、自らではない「他」をそこに見出すのですね?
「差異」が認識される前は、「自」しかないのですね?
しかし、
(最初に)「自」しかないのであれば、それは「自」である必要はない。
「自」は、「他」と対比されるものだから。
「自」を用いる時は、必ず「他」の存在が要請される。
「自」とは、「他」に対応して用いられるラベルなのだから。
「他」が発見される前は「自」ではない。
さて、何と呼ぼうか・・・w
792 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 17:47:34 O
>>784 信仰を信仰でないと言うのと、信仰を信仰ですと
いうのでは、全くちがう。
後者は否定しないけど。
793 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 17:47:59 0
>>790 まずその「存在者」とやらが存在するという証明をしてくれたまえ。
794 :
ネコの味方:2007/10/28(日) 17:56:21 0
>>793 私の意識に現われている。それ以上のことを私は言ったことがない。
その質問は「私の意識の外に存在者が実在する」と断定する素朴実在論者に
対して行なってくれ。素人氏をはじめ、たくさんいるから。
795 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 18:07:23 0
>>791 君は本当に曲解が好きだね。そんなことばかりやっているから、
だれも君を相手にしないのだよ。w 女性にもてないだろう?
一言氏に見放されたのも、わかるような気がする。
「差異がある」などと、だれも言っていない。もうそこで間違っている。
君は素朴実在論から出ることができない中学生。w
基地外パンチとネコパンチを喰らってオツムの箍が緩んでいるようだね。w
796 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 18:07:53 0
>>790 ハイデガーは「存在は存在者を通して存在する」と述べてなかったか。
現存在が世界内存在でしかありえない、と述べたのは、
存在が先立ってあるのではなく、存在者によって存在が現れているにすぎない、ということだ。
実存の起源は存在者にあるのだということを、暗に認めているのではないのか。
肉体と意識から独立した存在などないからこそ、実存は世界内にしか存在できないのだよ。
なぜ、ハイデガーが単独の存在を否定して、世界内存在と言わねばならなかったのか、その理由を考えてみたらどうだ。
ネコは、自我が世界から独立した存在だと考えているのだが、そのような前提があり得るのか。
世界内というのは意識内というのと同じ事だ。つまり意識が存在の基底となっているのだよ。
これは自我とて例外ではない。自我が世界を構成しているのではない。存在主体とは意識の方なのだ。
>>795 素朴実在論(と言っていいのかどうかは判らないがw)
から出るつもりはないから別に構わんよw
(´ー`)y━~~
798 :
793:2007/10/28(日) 18:12:45 0
ああ、「存在者」っていわゆる「唯物論的実在」の事?。
神みたいな超越論的存在を持ち出したのかと思ったわw。
799 :
,bk:2007/10/28(日) 18:13:50 0
800 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 18:26:17 0
>>764 >だから「科学では解明できない事」という事を受け入れます
違う。
科学以外で解明できるものなんてないので、科学「では」というのは間違い。
人間には解明できないことがあるだけ。解明できることならそれは科学です。
>「唯物論の範疇に無いものなど無い」とします
>そう信じているのです
違います。そういう定義というだけのことです。
>『非還元主義的唯物論』 などと言い出し、とにかく唯物論という言葉を守ろうとしますが
馬鹿ですね。
例えば、一般的な物理現象であっても、唯物論が説明できるわけではない。
唯物論で説明できない物理現象は幾らでもある。
超流動だってそうだし、2重スリットの実験結果だって説明できない。
それらを説明するのは唯物論ではなく物理学だ。
801 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 18:29:04 0
>>794 >「私の意識の外に存在者が実在する」と断定する素朴実在論者
そのような主張をしている素朴実在論者はいないぞ。
意識と自我が不可分で自我意識しかなく、自我は意識によってもたらされた仮象である、
と述べているのである。そして意識は脳の物理的作用によって作られる、と述べている。
ここまでは、唯物論的見解だ。
次に、世界の全てを認識する事は無理でも、部分的になら主客一致も可能だとみるのが、素朴実在論だろう。
主観から離れて認識すると述べているのではなく、主観から客観を把握可能だと見るのである。
カントがコペルニクス的転換を唱えたのは、「認識が対象を構成する」と考えた時に
客観性が得られると主張しているのであって、フッサールが現象学的還元を主張したのも、
客観性を得るのが目的だったはずだ。カントが主観による現象学的還元を、認識の基盤に据えるべきだと述べた理由は、
客観把握を目的としていたからだろう。これは純粋理性批判に明記されているのではないか。
802 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 18:33:35 O
自しかないか?
無限に差異されるな。
時間は。。。。。。
803 :
ネコの味方:2007/10/28(日) 18:37:39 0
>>796 酔いが回って手元が狂ってしまった。許されよ。
後半の三行は、このスレで俺が主張してきたことじゃないか。
初めに(何かの)意識あり、と幾度も強調してきた。素人氏と違うので、過去スレを
読めなどとヤボなことは言わない。
>>794 をみれば十分だろう。表現は違うが君と
同じことを幾度も記している。
「存在者(の意識)を通して存在が開示される」ということも述べている。ただし、
これは最高位に教えられたもの。彼は、日曜哲学者wかもしれぬが、日曜画家の
アンリ・ルソーのように、しばしばユニークで鋭い認識を示してくれるよ。w
ハイデガーについては、いずれ。彼はフッサールとの関係から“意識”について
ほとんど触れていなかったよね?
804 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 18:47:06 0
>唯物論で説明できない物理現象は幾らでもある。
超流動だってそうだし、2重スリットの実験結果だって説明できない
唯物論で物理現象が説明できるか出来ないかというなんというお馬鹿な議論だろう
、その唯物論はなにはどうであるという論なのかな、唯物論ってのは人間の意識に関する科学だといっただろうが
805 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 19:05:29 0
>>804 唯X論というのは、すべて同じだ。
唯物論であろうと、唯心論であろうと、具体的な定義がなければ、
ラベルが違うだけの同じものに過ぎない。
そしてそのどれもが間違いにはならない。
唯物論は、単体では何も説明しないし、科学ですらない。
806 :
ネコの味方:2007/10/28(日) 19:10:18 0
>>801 意識が脳(物体)のどんな物理作用か、そのうち明らかにしてもらいましょう。w
カントについては詳しくないが、その認識可能な“客観”は現象界(自然)に
限られており、現象界の表れである意識は捨象されている。それは科学の
言う客観と同じであり、彼自身も“物自体”を疎外せざるをえなかったように
いわば擬似客観ではないのか。
フッサールは(よく知らないがw)初めから客観にいたることを諦めていた
ようにみえる。彼は間主観的な妥当の条件を見出そうとしていたのでは?
客観把握ではなく、彼らが探っていたのは相互了解の基礎づけではなかったか。
>>790 そもそも君が、モノの集まりが具体的な(君のいう)存在者である『人間』という形をとったのは何に拠るのかと聞いてきたんだから今更存在者についてじゃないと言われても困るよ。
まあいいけど。
付けたしとして、
>>782 > その組み合わせによって現出した「私」を物理的要素に還元することは不可能だし、
> その心的現象は物理法則には則らない。
なぜこう断言できるのか相変わらずわからない。
どういう事態を指して還元と言ってるのかも不明だけど。
主観的な意識というのはかなり複雑な現象だと想像される。
多分それはあるイオンの電荷が+か-かといったような小さな性質がものすごく沢山集まって実現されるような協同現象だろう。
だからこういった現象がある特定の要素で説明されるようなことは多分ない。
でもそれがその現象が物理的な現象ではないということにはならないと思うよ。
>>806 >意識が脳(物体)のどんな物理作用か、そのうち明らかにしてもらいましょう。w
そんなの、意識のあるときとないときの違いでも調べればわかるのと違うの。
「素朴実在論」とは「認識の模写説」の立場をとる立場のことである
「素朴に実在を肯定する」という意味ではない
「どっちが先か」「何が先か」「主観と客観のどちらが先か」
「先か?」って何を問うているんだ?
「起源を問う」問いはどのような知的関心から起こるのだろうか?
>>806 >意識が脳(物体)のどんな物理作用か、そのうち明らかにしてもらいましょう。w
他人に頼らずとも身を持って識る事が出来る。
自分の脳に物理的刺激を与えてみよ。
812 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 22:15:02 0
>>809 主観が先の立場では温暖化を防止しようと世界の多くが思って初めて温暖化防止が始まるじゃないかという
客観が先の立場では、しかし世界の温暖化がひどくなってきて始めて人々が防止しないといけない思うようになったという
それだけといえばそれだけ、第一唯物論は後者を強調する、つまり物(世界)の状況がいつも先だろうが。それが意識を決定していっておるだろうがとね
この件での対立唯心論は、温暖化を防止しようとおもわなければ物質世界に変化はおきない、意識が先と強調する
まったく君(他)は常に後付けだなw
814 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 22:34:30 O
815 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 22:35:09 0
>>812 決定論というのはもともとはこの、客観つまり物世界が意識を決定してるだろうがというものだったんだよ
それは馬鹿厨は頭は物だから意識は決定されてるとほざく、マジで議論しようとする
そのはじまりはロシア人のほんのジョークつまり釣りだったんだよ、厨どもがひっかるだろうとおもってね
816 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 22:40:15 0
もっとわかりやすく。たとえばドイツの北の田舎みたいに主食としてはジャガイモしかとれないところだったとする
そうすると当然農民はジャガイモを多く栽培しようとする
俺はジャガイモをたくさん作りたいそれもうまくたとえば土地がやせないように作りたいという自由意志を持つ
だがこれは自由意志といっていいんだという議論等が昔はあった
この場合生活を良くするしたいという自由が自由の発露だからだ
817 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 22:43:24 0
>>812 そんなあたりまえが第一唯物論かよと思うかも知れない
むろん
>>812 は本の最初の一章でそれから重大なことが明らかになってくる
だから唯物論が世界で注目されたんだよ
818 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 22:54:59 0
>>812 もちろんむろん地球が温暖化してきてそれをわかっても
温暖化防止しようという意識をもたないものも結構でてくる
それじゃ決定してないと馬鹿厨は言うだろう
で唯物論の主な本題は何故、温暖化がすすんでも防止しようとおもわないやつが出るかなんだよ
同様に神は観念が作り上げたものだといわれてもいや神は実際いると思うやつもけっこう多いのは何故かなんだよ
つまり唯物論は意識の科学であって宗教とかじゃない
819 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 22:58:10 0
>>818 >それじゃ決定してないと馬鹿厨は言うだろう
その反論への準備のために「規定してる」といったんだよ。じっさいまたそうだ
820 :
1/3:2007/10/28(日) 23:53:15 0
言われっぱなしは悔しいので少し・・w
脱線なのでコテは無しで。
>>795 曲解ねぇ・・・w
こういう作業が必要なのは最高位氏だけかと思ってたんだがね・・・。
>>785 > 差異の“認識”を踏まえて、自と他を概念化しているのである。「他がある」
> というのは差異の認識から演繹された後追い解釈。
≪差異の“認識”≫の「の」が、
助詞としてどういう意味をもたらす係り具合なのか、何と何を接続してるのか、にもよるだろうから、
自分がどう曲解しているのかの確認も兼ね、幾つか検討してみる。
※(「A」の「B」:Bは動作・行為の名詞化されたもの。◆Aは・・・?◆)
821 :
2/3:2007/10/28(日) 23:55:09 0
とりあえず思いつくパターンとしては、
a『差異が有する“認識”(という行為)』<≒所有>
例:【ベッカムのシュート、イチローの盗塁、社長の決断、私の判断私の動き、私の考察、私の認識】
※【政治家の義務、私の宝物、私の優しさ、私の愛、私の存在性】などは
「B」が名詞(及び形容詞・形容動詞の名詞化)なので不適切。
b『差異が“認識”(すること)』<主格→AがするB、AがBする>
例:【パソコンの起動、運転技術の向上、社長の決断、私の動き、私の負け、私の考察、私の認識】
c『差異がもたらす“認識”』<主格→Aが要求するB(という行為)>
例:【私の認識】
「B」が動詞系列であるせいか、あまり思いつかないw ※これは、「A」の要素を大きく限定する。※
c2『差異が用いる“認識”』<主格→AがB(という行為)を要求する>
例:【田中さんの私のやり方、私の考察、私の認識】
「B」が動詞系列であるせいか、あまり思いつかないw ※これは、「A」の要素を大きく限定する。※
d『差異が“認識”(されること)』<主格→BされるA、AがBされる>
例:【歴史の検証、事件の捜査、環境の破壊、試合の続行、私の検査、私の考察、私の認識】
e『差異による“認識”』<主格→AがするB、AによるB(という行為)、>
例:【ベッカムのシュート、イチローの盗塁、社長の決断、私の判断、私の認識】
f『差異を“認識”(すること)』<目的格>
例:【使い方の説明、パソコンの起動、バスの運行、私の考察、私の認識】
g『差異という“認識”』<修飾>
例:【道端の花、水色の服、がらんどうの部屋、発病の可能性、私の存在性】
※ここに於いて上の例文は不適切。「B」は“動作・行為”を伴わねばならない。
が、「差異」に関しては通用しそうな気配があるw ※
(※日本語文法に詳しい方の降臨を望む※)
822 :
3/3:2007/10/28(日) 23:56:32 0
これら幾つもの解釈が可能なのは、
「差異」という語が、『A』が、どういうものか確定していないからだ。
その場合、
≪その文脈から(或いは「の」がどう使われているかによって)【「A」がどういうものか】を類推する≫
ことになる。
また、≪「の」の係り方によって、【「A」がどういうものか】が限定されてくる。≫
また、≪「B」がどういう行為であるかによっても【「A」がどういうものか】が限定されてくる。≫
それは、例文を見比べてみれば良く解るだろう。
勿論、日本語の使用に熟達してくれば(無意識のうちに)よりふさわしい使用法が選択されるようになる。
だがそれは、「A」の意味が確定されていて、
且つ「B」という行為が「A」が為しても(或いは「A」に対して為されても)不自然でない場合に限られる。
「B」が純粋に名詞の場合には、「A」と「B」との結びつきに違和感がない場合に限られる。
いずれにしろ、
>>785に於ける
≪差異の“認識”を踏まえて≫≪差異の認識から演繹された≫という言い方は、
〔 【「差異」があるということが前提とされる読み】を最初に要求してしまう 〕言い方だということだ。
蛇足ながら、さらに脱線すれば、
最高位氏の【『私』の『存在性』】という言葉について、
(あの時は、上記のような「B」が動詞系列の場合に限定したものではないが)
どの使用法かで『私』と『存在性』との関係が変わってくるから、
私は幾度となく尋ねたのです。時には上記のような細分化で尋ねたこともありました。
彼は、ゴニョゴニョと誤魔化していましたが・・・w
ちなみに、例文に於いて「私」が入っている使用法は、
「A」の部分に「(動作・行為の)主体」としてのものを持ってくることができるということだ。
上の用例で言えば、d、e、f、(g)、が妥当な読みとなろうが、
さて、ネコ君は、どの意味合いで文章を書いたのでしょう?w
823 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 00:03:11 0
>>785 他と我、真っ先に思い付くのは他だだと思う。
他を理解し得なければ、自言う概念なんぞ生まれやせん。
仮にキミが正しいならば、赤子まず己から理解することになるが、
実際は外界の他に興味引かれて行動を起こすのだと思うがね。
チンパンジーですら鏡の己を見て敵意無視だしだよ。つまり、
視覚的には己よりも他が優先されている現状。
ちょと、生ゴミ捨ててくる。w
824 :
823:2007/10/29(月) 00:23:21 0
大体にして、単細胞生物に自なんて概念は不要だ。
自よりもまずは外界の刺激に基づいて行動を起こし
捕食し、その次に己の保身を確保するのが順番だ。
825 :
791:2007/10/29(月) 00:27:47 0
826 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 00:28:04 0
差異と言うものは類似の下に成り立っている。
月とお醤油は比較不能だ。w
827 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 00:29:51 0
828 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 00:31:28 0
>>827 違いはあっても同質でないのでその差を議論することは出来ない。
酔っ払いに絡むなよ。w
829 :
827:2007/10/29(月) 00:34:04 0
>>828 「同質でない」ということを「差異がある」と見るのだよw
830 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 00:45:57 0
>>829 異質な物を比べるな、うーんと誰だっけ、ミルプラトーぉ?。
その理論もへんだよな。w
831 :
827:2007/10/29(月) 00:48:32 0
>>830 だから、「差別即平等」なんですよwww
さて、
そろそろ寝るか・・・。
1000行く前に、唯識さんに返答できるだろうか・・・・
みなさん、おやすみなさい ノシ
833 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 00:58:16 0
>>831 頼むその理論を展開した学者ってだれ。
寝るなまて、最後にレスせよ。
834 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2007/10/29(月) 00:59:58 0
>>714最高位さん
分子構造を調べても「私」は見つかりませんね。
また、物理法則に従わない云々とありますが
科学とは主従関係でしょうか?
どれも平等に扱われるものだと思いますが。
最高位さんは「唯識」という意味を
間違って取られているのではありませんか?
835 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 01:02:33 0
>>746 >しかし私は「これ」であった同じ組み合わせの物体が複数作成が可能であるならば
>「これ」の組み合わせが「私」である と特定する事は、絶対に不可能であるという事になるよな?
最高位の最後の砦はそれだ。さてそれは砦と言えるほど強固なものなのか?
普通の神経、普通の感受性を持っていれば「人格乖離体験」を時々経験するものだ。
今日起きた『私』が記憶のみで昨日行動した『私』と「同じであろう」と考えるのが普通。
「絶対に変わらない『私』がある」と主張するのはむしろそれが「不安でしょうがない」からか?
子供の頃から他人の感情に無神経でなおかつ親に甘やかされた人格は「自己自我の存在性」
について誇大な妄想を抱くようになる。
何処にでも居る凡人の宗教的妄想としての自我という客観像が永遠に見えない構造がある。
最高位の『私』など、人類史的に見ればウンコ以下の汚物・処理しなければならない
負の遺産なのだが、彼自身にとっては掛け替えのない存在だから他人にそれを主張する。
亀田一家の(ナルシシズム)自己過信と同じなので最高位のレスは全部実は「爆笑もの」なのである。
そのレスに(爆笑と書かれた相手のレスは傾聴に値する可能性が高い。
836 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 01:08:57 0
ドゥルーズだったな。
古いだろ。w
差異と反復・・・あの訳本はゴミだったなぁ。wwww
>>835 最高位が「特定する」というのは、実は科学的な同一性の特定を意味しない。
最高位が「それは特定だ」と言うのは実は最高位の主観世界にしか存在しない「特定」
なのだ。だから最高位以外の脳について「特定してみろ!やーい、やっぱできないだろ?」
というのはガキの主観性がわめいている我が儘な自己中論理なのだから、どの他者(大人)
とは共有できえない「ガキのヒステリー」なのだ。
最高位のような甘やかされた誇大妄想教のナルシスト人格に「客観性というもの」を説得したり
理解させようとしたりするのは徒労だと思う。
最高位はそういう意味で「『私』という死に至る病を病んでいる病人」なのだ。
838 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 01:37:00 0
最高位が多重人格になったらさぞ面白いだろうな?
同じ脳の中で『私』の存在性を確信している複数個の自我がお互いをののしり合いつつ
「お前は偽物だ!」「そういうお前こそ!」とあちこちで罵り合いが続き、
最高位の脳は疲れ果てて眠ってしまう。
翌朝最初に起きた人格が「オレが最高位だからお前ら出て行け!」と叫ぶけど、
起きてくる人格も全部「オレこそはオリジナルだよ、だって不変に『私は私」だったから
お前らはしらんだろうが??と言い、第3人格は「オレがオレである当然。だからお前らは
侵入者である、これも当然」とか言い出す始末。
「元々最高位を支配していた人格」は支配していたことを忘れて他の人格が主張することに
耳を傾け、結局自分が主張してきた「自分だけが出来る自分を1個に特定する行為」が不可能で
あることに気づく。
839 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 01:44:51 0
ひととおりみさせてもらったが
最高位って奴が思いこみの激しい奴だってことはわかった
840 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 01:48:13 0
>>771 >問題は、「これ」が「他人」ではなく『私』になっているのは何故なのか。
>『私』が(「他人」としてではなく)今此処に顕現しているという事に何か法則性はあるのか。
>それは物理主義的な考え方で説明がつけられるものなのか。
うむうむ、非常にイイ問題意識ですね
>という事なのですけど、途方もなく知識が不足している為に、解らないとしか言えません。
私も昔は、そう考えていました
しかし、果たして『知識』で解明できる種類の問題であるのかどうなのか ですね
これはもう、たぶん『私』の本質に気づいてもらう以外には理解できないかと思います
気がつけば気がつくほど、言葉にできないほどに、特異な存在様式で存在しているのです
理解できたとたんに、認識はひっくり返るはずです
『私』というのは、これはもう足し算も引き算もできない『純粋な存在性』なのですよ
一方
あなたが『それ』と認識しているモノ
それは本当に『それ』なのでしょうか?
本当は境目無くつながっている物理世界から
あなたの価値観によって任意に切り取られた『それ』なのではありませんか?
ここに自動車(A)と自動車(B)があり、(A)は『それ』と認識されますね
では、(A)と(B)のエンジンを乗せ換えてみたらどうなりますでしょうか
『それ』は(A)と言えるのでしょうか?(B)と言えるのでしょうか?
物質的に入れ替わっているにもかかわらず『それ』を『それ』だと認識するならば
それは単に、価値観によって『それ』だとされている存在である と言えませんか?
絶対的基準で『それ』であるのではないわけです
『それ』は、極めていい加減な基準で、任意に『それ』と呼ばれているにすぎません
『私』という純粋な存在性と、『それ』を同列に論じるには
実際には、あまりにも無理があるのです
行数の都合上、今回はこの辺にしておきますね
841 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 01:56:27 0
842 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 02:07:41 0
>>835 >今日起きた『私』が記憶のみで昨日行動した『私』と「同じであろう」と考えるのが普通。
同じであろうがなかろうが、そんなの関係ねぇ
と何度説明したらわかるんかねぇ・・・
「同じなんかな?」と考えているのは、紛れもなく『私』だろ
>>838 多重人格については、よく知らんが
それでも同じなんじゃないか?
『私』は『私』だろ
もうひとつの人格が『私』でない『他人』であるならば
それは『他人』は『他人』だという事であって『私』ではないだろ
なんら変わる事はない
何を混乱してるのか理解できんがね
むしろ、同じ物体に他の人格が存在していれば
なおさら物理的要素に還元できない理屈になるんじゃないの??(笑
843 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 02:13:37 0
>>842 投薬で多重人格にしたり戻したりできて、
本人も確認ができても、還元された事や解明された事や説明された事にはならないの?
>>840 >ここに自動車(A)と自動車(B)があり、(A)は『それ』と認識されますね
>では、(A)と(B)のエンジンを乗せ換えてみたらどうなりますでしょうか
ホンマしょーもない低脳だなお前は。
「それ」というのは相手のそばにあるものを指す言葉にすぎない。
Aのエンジンを取り替えようが、スクラップにしようが糞を塗りたくろうが、
「それ」と言って指示すれば「それ」と言えるんだバーカ。
お前みたいな馬鹿は哲学なんかやろうとするな糞が。
>『それ』は、極めていい加減な
あのなーお前の論理がいい加減なんだよ!
いやいや、最高位も少しはセンスあるだろ
懐疑論だと考えれば理解できるし
カントの先験的形式の一つの範疇について述べようとしているのかもしれん
時代遅れと言えばそれまでだが
847 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 03:18:20 0
848 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 03:20:22 0
君の言う線引きさ
君は懐疑論だろ?
850 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 03:31:54 0
『私』は、ほかにらぬこの人間ですが、この人間で終わりたくないよね。
851 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 03:41:05 0
>>849 お! いい線いってるじゃんか
いい線いっているんだが、しかし
厳密に考えれば
線引きは「懐疑できる」ではなく、答えまででちゃってるよな
「線引きの基準など、客観世界には有りえない」とね
私はたった一つしかないなんていう主張は非常に馬鹿馬鹿しい。
どうやって私の数を数えたのか教えてもらいたいものだ。
853 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 03:49:39 0
>>851 いい線もなにもねえよ
他人に同調を求めるな
うぜえ
854 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 03:55:12 0
855 :
じいさん ◆6rgGIYz09M :2007/10/29(月) 03:56:05 0
>>688 :哲学者最高位
>脳を破壊すれば〜とか、死ねば〜とか
>その後の事は、実際には「わからん」が正しい
正確に言うと「私」であることがわからなくなるということなんですよ。
生きている間は自我を休み無く主張し続けます。
其れが死ねばおとなしくなるんです。
最高位さんも生きているからAちゃんに参加できるんです。
後のことが「判らない」のだから「私の喪失」なんです、これが死です。
856 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 04:04:49 0
>>855 >正確に言うと「私」であることがわからなくなるということなんですよ。
それも、どうだかわからんよ
あの世があれば「私」であることがわかるんじゃないの??
知らんけど(笑
少なくとも、「わからなくなる」とは結論づけられないでしょう
>生きている間は自我を休み無く主張し続けます。
>其れが死ねばおとなしくなるんです。
他人から見ればね
寝てる間の記憶すらもほとんどないんだから、死んだらなんにもなくなるんだろうな。
私は0〜5歳のころの記憶が全くないが?
859 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 06:21:55 O
人格の一致だね
860 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 07:25:23 0
>>834唯物さん
>分子構造を調べても「私」は見つかりませんね。
>また、物理法則に従わない云々とありますが
>科学とは主従関係でしょうか?
>どれも平等に扱われるものだと思いますが。
で?
>最高位さんは「唯識」という意味を
>間違って取られているのではありませんか?
で?
>>833 昨夜は連投規制でした。
|
|゚) < 「仏教」(特に「禅」)ですよw
|
| < 誰が言いだしっぺかは、調べてないのでわかりません。
|ノシ
|
| サッ
|彡
|
862 :
ネコの味方:2007/10/29(月) 09:38:34 0
>>820>>821>>822 長々と思考のプロセスを書くんじやねぇー。それは最小限にととどめ、結論を
言えばいいんだよ。だから、だれからもレスが来ないんだよ。まず、マナーを
身につけなさい。w
君が挙げている例は、差異の“認識”よりも“意識”のほうが自然だった。
むろん、この『の』は目的格。そして、ここから君の頑固な思い込みによる
曲解が始まるw。「まず差異があり、それを主体が意識(認識)する」と。
よく読め。まず意識に差異が現われる、と言っているんだよ。
対象の(これも目的格w)措定はそのあとだ。俺が言ってきたのは、それだけ。
863 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 09:41:47 0
>>862 それは最高位にもいえる事
おまえもな(のって何回使ってる?w)
864 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 10:02:43 0
「のってけのってけ」・・寺内タケシ。
最高位は
エンジンを交換しても交換する前と同じ『それ』だと思ってるのかw
まさか、そこまで知能が低いとは…
だいたい「交換」するってのは何を交換したんだ?
「エンジン交換してくれ」と頼まれたら何を交換すりゃいいんだ?w
「その前にまず君のエンジンという価値観を教えてくれ」ってかw
>>604 >当たり前だけど
>できた試しはないよ
>これは世界中探しても、誰一人としてできない事なんだよ
おお、最高位氏、言ったそばから忘れておりますなw
第一に、私が反駁したと言ったのは「還元することはできないと立証したという
あなたの主張」であります「還元できない」を否定している人は、 「還元できる」
と断定しているのだ、 と思い込んではなりませんw
第二に、仮に「今までできた試しがない」としても、それは「今後も決してできない」
ことを何ら根拠づけるものではないのです。おわかりになりませんか。
ちなみに、
>>546>>547は私ではありません。というか、あなたの文章を読めば誰でも
同じ疑問を持って当然でありますw
>>614 私はどう考えても「私」とは「この世界という客観的存在の主観性を持った一部分」
であるとしか思えないので、私が死んだら世界は消えるというような発想は
実感として「馬鹿馬鹿しい」としか思えないのですが、それはさておいて、
>>520の「『存在そのものが「私」』」という定義は、最高位氏には採用し難いの
です。なぜなら、私にとってはその定義に従う「私」とは「これ」のことであって、
最高位氏など全く関係がないからです。彼が「自分の体をコピーしても
私にはならない。なぜなら私はここにいるから」とか言っても、それは単に
「間違い」なのです。だってどちらも全然私ではありませんから。
彼は「自分のことに置き換えればわかるだろう」とよく言いますが、
もしもわかるとしたら、それは「存在そのもの」が人間の数だけある、という
おかしなことになってしまい、定義と矛盾するわけです。
最高位氏ご本人が
>>531で述べていますが、そういう考え方はどうしたって
独我論(というか、本当の独我論者は独我論などという概念自体を理解できない
はずですが)にならざるを得ないと思います。最高位氏ご本人は、
私と同じくらいの「素朴に実在する論者w」なので、賛成するはずがありませんw
>>771 >問題は、「これ」が「他人」ではなく『私』になっているのは何故なのか。
>『私』が(「他人」としてではなく)今此処に顕現しているという事に何か法則性はあるのか。
>それは物理主義的な考え方で説明がつけられるものなのか。
>という事なのですけど、途方もなく知識が不足している為に、解らないとしか言えません。
申し訳ありませんが、これは全くの誤解です。
「これ」が『私』になっているのではなく、『私』とは「これ」という意味であって、
それ以外の意味はないのです。「これ」抜きで『私』を定義づけることは、
ついにできません。
従って、『私』が他人として今此処でない何かに顕現することは、論理的に不可能なのです。
(すでに今此処に存在して意味を持った『私』が他の人体や他の場所や他の時間に
同一性を保ったまま移動することは、無論論理的には可能です。場所や時間については、
むしろ当然です。)
ですから、これは物理主義云々とも知識の過不足とも全く関係はありません。
純然たる「定義」の問題に過ぎないのです。
もちろん、「人体という物質の組み合わせから自我という奇怪なものが発生するのは
なぜか(というか、そもそも発生しているのか)?」というのは、物理主義的な考え方で
説明がつけられるかどうか解らない大問題に違いありません。
869 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 10:59:57 O
科学は平等。
良いことか?悪いことか?
はたまたそんな価値のことでは無いとすれば、何
を意味するんだろ。
870 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 11:42:01 0
感嘆氏のつっこみを見ると条件反射的に
にやけながら咳き込んでしまうのは私だけ?
871 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:09:18 0
僕もまだ客観的な思考になれない小学校高学年くらいまでは、
「このからだ」という観念が抜けきれず
「何でこのからだが私なんだ?」という、あたかも
私(霊魂)がこの体に宿っているのような感覚にとらわれていました。
872 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 12:10:41 0
>>823 要するに
自我意識というものは
どちらかといえば、より高度な意識であると言えるね
『私』はいない などと言っている人は
よりチンパンジーに近く、より単細胞生物に近い と言えるのではなかろうか
>>867 >「還元できない」を否定している人は、 「還元できる」
>と断定しているのだ、 と思い込んではなりませんw
ん?
私はキミを相手にしているのではないよ?(笑
唯物論を相手にしているわけだ
唯物論は、還元できなきゃならない
なぜなら主張する根拠がなくなるからね
873 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:12:38 0
>>872 >唯物論は、還元できなきゃならない
と最高位が勝手に思っているだけですね。
874 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 12:17:10 0
>>873 還元できないのに、なんで正しいと思ってるの?
875 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:18:27 0
>>873 そのとおりです。
唯物論者でなくてもそれは「変」だと思います。
彼は還元主義的な唯物論しか、唯物論と認めようとしません。
その頑迷さが、唯物論の立場でない人も敵にしてしまっています。
876 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:22:20 0
最高位は悪い頭で唯物論を曲解して、変てこな批判をして
空回りしてるだけなんだね。
877 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 12:31:27 0
還元できないのに、なんで正しいと思ってるの?
878 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:33:48 0
>>874 還元できないとなんで間違っていることになるの?
そもそも唯物論自体は何も説明しないから、
正しいとか間違いとかいうレベルの問題じゃないだろ。
物事の見方の一つであって、そういう視点があるというだけのこと。
879 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:35:34 0
非還元主義的な唯物論の人は、
「還元できる」と思っている訳がないでしょう。
880 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 12:37:28 0
>>878 「人間の精神は物理現象である」
と主張してるんじゃないのか?
だったらお前、説明責任があるだろバカ
881 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 12:40:47 0
お前ら、会話になってないんだよ
質問は
「還元できないのに、なんで正しいと思ってるの?」 だ
882 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:41:10 0
>>880 精神活動は物理現象だろ。だから薬が有効なわけで。馬鹿じゃねーの?
883 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:41:40 0
>>881 >「還元できないのに、なんで正しいと思ってるの?」
そもそも唯物論自体は何も説明しないから、
正しいとか間違いとかいうレベルの問題じゃないだろ。
物事の見方の一つであって、そういう視点があるというだけのこと。
884 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:43:29 0
「還元」ということに焦点をあてるならば、
還元主義的な唯物論と非還元主義的な唯物論がある。
唯物論を否定するならば、両者の根底にある共通する部分を否定すること。
唯物論の根底にあるものは何なのか、人に訊かず自ら調べてみることです。
辞書で調べても分からないことはたくさんありますよ。
885 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 12:47:12 0
>>882 そんないい加減な根拠じゃ困るんだよ
バカなら納得できるんだろうけどさ
それから
わざわざ『精神活動』と言って、ごまかすなバカ
>>883 じゃぁ唯物論て、いったい何?
そういう視点て、何?
886 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 12:53:57 0
>>885 認識している何かには、客観的実在があるからこそ、認識可能であるとし、
その客観的実在をとりあえず物理的なものとし、
それによって世界のすべてが成立しているのではないかという仮定に立つ立場。
887 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:01:30 0
もろもろの理論・仮説は
「実証されなければ、実証されない時点で無いものと同じ」ではない。
そんなこといったら皆消失してしまう。
888 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 13:21:58 0
>>886 それ、素朴実在論な
あと
>客観的実在をとりあえず物理的なものとし、
とりあえず って何だ?
というか、客観的実在 だけでいいじゃんか
「全ては物理的なものだ」と主張するから
「じゃぁ説明して」と言ってるんだよ
そこでキミらは
「説明など必要ない。関係ない。唯物論は正しいのである」と・・・・
ムチャクチャだな
>>887 「実証されない」にもいろいろあってね
実証できる可能性はゼロではないが、まだ実証されていない
というのなら否定されはしない
しかし、この場合
やはり信仰である事を認めねばなるまい
更に、今回のような 実証性ゼロ の場合
なぜゼロなのかが問題になってくる
存在性を現象に還元する事は、絶対に不可能 であるがゆえ
私が物理現象である可能性はゼロ%
「私は物理現象なのではない」 という事なんだよ
889 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:24:45 0
素朴実在論て俺が最高位に教えてやったんだけど、得意になって
使ってやがるw
890 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:25:27 0
哲学最高位って奴は、脳が完全に機能停止してもなお認識とか思考が存続し、
それが「私」だ、っていうような二元論を主張してんの? それとも、
心的現象の脳内の物理現象への還元の不可能性を主張してるだけ?
>>881 相変わらずお馬鹿さんですねw
「還元」ということがどういうことかに依る、というのがまだわかりませんか?
(はるか昔にも、そういう議論がありましたでしょうに・・・w)
A1:「(単一の)個物」(貴方流に言えば、拡散した各ツブツブ)のみに還元する
A2:「(複数の)個物」に還元する
A3:「(複数の)個物」とそれらが構成する「構造」に還元する
B1:「(多くの)個物」と「その状態(動き、関係性、スパンのある中での変化・変容など)に還元する
(当然、入れ子状の関係であっていい)
B2:「(多くの)個物」とそれらが構成する「構造」と「その状態(動き、関係性、スパンのある中での変化・変容など)に還元する
(当然、入れ子状の関係であっていい)
門外漢がざっと見ても、これだけパターンがありますよ。
892 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:33:34 0
>>888 まさに、あなたから
「実証性ゼロ」の根拠が示されるのを待っている!
「私もいろいろ論理的に考えたが物理現象であり得ないことが分かった。
君たちも、根拠を示せないんだろ?」は、根拠が示されていない。
あなたの判断に至った思考過程が知りたいのだ!
唯物論者でなくとも、非常に興味がある!
893 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:40:02 0
895 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 13:51:30 0
>>890 私が言ってるのは
「私の存在性は、物理現象ではない。故に唯物論は間違いだ」
という事です
>>891 全然、的外れ
>>892 いや
このスレでも何度も書いてるが???
しかも、わかりやす〜く
>>893 全然違います
確かに、アホには区別つきにくいわな・・・
>>894 なんでもかんでも、とにかく唯物論だな(苦笑
左翼かぶれバレバレ
896 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 13:52:50 0
唯物論者は「物自体」的な客観的実在(量子とか)を前提として出発する。
素朴実在論者は「リンゴ」「人」がそのまま実在すると考えている。
という振り分けはどうですか?
897 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 14:02:40 0
>>895 わかりやす〜く
物理現象ではない決定的根拠を書いておられるスレは何番目ですか?
とても興味があるので、是非知りたいです。
898 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 14:04:49 0
>>896 歴史的に前者は反映論で後者は模写説と言われている。
というか
>>895ってぜんぜん否定になってないな。
子供がイヤイヤしてるのと同じだろw
901 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 14:16:09 0
もぉお前らバカすぎて疲れた
902 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 14:17:59 O
疲れたとか言いながら書き込んじゃう症候群しかいないな
そういや最高位は全く同じものはつくれないって話はもう理解できたのかな?
>>901 お前は最高位なんだからバカにも分かるように最高の説明しろw
今のところ言ってる事が小学生の駄々っ子と変わらんぞw
最高位なんだから最高と認められる説明が出来るだろwww
「私の存在性は、物理現象ではない。故に唯物論は間違いだ」
…と、主張する最高位が観測される。
最高位が物体である可能性を否定出来ない。
どこが哲学最高位なんだよ。
自分の考えを筋を通して説明できないし、全然駄目じゃん。
909 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 14:39:33 0
>>803 >初めに(何かの)意識あり、と幾度も強調してきた。
ネコの味方は自我と意識とを分け、自我が意識から独立した存在と主張してなかったか。
睡眠という法則的なものがあるもんだし、それが物理現象であることの証明なんじゃ。
「私」が具体的に何を指すのか知らんけど、脳味噌様が睡眠機能を実行したら強制スリープだし。
全ては物理現象。
説明も物理現象。
理解も物理現象。
不理解も物理現象。
在るが儘です。
>>908 『私』は世界でたった一人だけですので、
上から数えて一番なのです。
913 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 14:53:50 0
>>901 疲れておしまいですか?
物理現象で説明しえない決定的根拠を書いておられるスレは何番目なのでしょう?
彼が示したという真実を誰か知って居られる方がいたら、是非ご教示ください。
915 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 14:56:32 0
>>911 その現象(存在者)を在らしめているもの(存在)は物質でも物理現象でもないんだね。
916 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 15:06:59 0
>>913 「俺はニュータイプだ!」っ豪語してるログならあるけど。
917 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 15:52:52 0
>>913 それ、新人類ということ? デンパな人? 角川の雑誌?
物理現象で記述出来る可能性は100%ない、というようなものは
やたらあるんだよね…。
脳科学への実証的反論とか、思考過程とかの書きこみがあるとうれしい。
919 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 16:13:57 0
>>809 >「素朴実在論」とは「認識の模写説」の立場をとる立場のことである
単純な感覚の模写じゃないよ。
科学が観測と実験を重視するのは、感覚についての不信が根底にあるからだ。
観測機器の開発や、実験を重要と考えるのも、
精度を高めるため第三者の追試を経て、再検証の要求を主要な原則とされるのも、
個人的な形式としての、主観による恣意を離れようとする態度を持っているからだ。
自然科学の営為は、恣意を取り除く把握の様式を研究してきた。
科学的実在論とは、明晰判明さの上に分析的かつ総合的判断によってもたらされるのである。
「私」を一つしか知らないという事も、
「私」を一つしか知り得ないという事も、
「私」が一つしか在り得ないという事にはならない。
二つ以上あっても全然おk
「私」が何故存在するかの原理が不明なのに、
「私」が一つしか在り得ないと分かる筈もない。
勇み足。
ま、複数あったとしてもわからないんだけどね。
923 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 17:18:59 0
ひ〜と〜りに ひとつずつ〜 大切な いのち♪
924 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 17:30:16 0
唯物論は第1も第2もかなりは正しい意味での還元主義だよ、馬鹿最高位の言う意味での還元でなく寝
ねそのうちまたちゃんと解説してやっからね
注 上部構造はたった一つの下部構造に還元できるとはいわない
925 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 17:30:56 O
>>919 好きな女の子を分析して総合的判断するのは、
細かく分断してまた組み立てるみたいな愛し方?
これに対しては一般的な方法ではないな。
>>925 精緻ではないだろうが、
人が人を好きになるときは、(無意識のうちにでも)それは行われていると思うよ。
927 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 17:38:04 O
>>927 同じだと思うよ。
てか、この話、
はるかはるか昔にもしたような気がする・・・w
>>922 そうとも限りません。
単に今は分からないだけかもしれません。
>>929 そうじゃなくて
わかる方法がないんだよ。
931 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 18:48:31 O
>>928 無意識がそんにまどろっこしい事するかなぁ。
まぁ間違いなく意識はせんな。(笑)
932 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 18:53:55 O
>>931 ああそれと、なぜ意識では無く無意識がするのか
、またその逆ではだめなねか。。。。みたいな。
933 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 19:06:37 0
といっても唯物論=還元主義ともちょっと違う
唯物論は唯物論
934 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 19:08:07 0
まったく還元を行わないと私というものが全然わからないのはあたりまえ
ただどういう還元がいいかだな。やはり唯物論
>>930 そうとは限りません。
方法を知らないだけかもしれません。
それに、仮に今の世界に方法がないとしても、
未来には生まれるかもしれません。
原理が分からなければ何とも言えません。
明日にも奇跡が起きて、私は二人になるかもしれません。
明日にも奇跡が起きて、私は二人だった事に気付くかもしれません。
そもそも、未来に一人でも私がいるのかも分かりませんね
>>935 残念ながら、チャーマーズがいうような、拡張された物理学が成立したとしても無理なんだよ。
そういった奇跡が起きても、わからないことにはかわりない。
938 :
みや:2007/10/29(月) 20:10:53 O
俺のどこが悪い?
>>937 物理学の話など一切してませんが?物理学と何が関係あるのですか?
単純な論理の話です。
分かっているのは今、何故か私が一人は存在している事だけです。
明日には二人になったと分かるかもしれませんし、分からないかもしれません。
今はどちらとも断言出来ません。明日になればきっとわかるでしょう。
941 :
素人:2007/10/29(月) 21:40:31 0
>>939 「論理の話」【だからこそ】、
二人になろうが三人になろうが百人になろうが、判らないのでは?
「私」と《私》、(或いは「意識」と《私》)、は≪一対一対応≫だと思います。
(感嘆子さんの話はこの部分だと思われます)
人は常に、一人の自分しか意識できない・・・。
実感されるのは常に《私》であり、唯独りなのでしょう・・・。
942 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 21:43:27 0
>>913 私とは、いったい何なのだろうか
「我思う故に我あり」
「あり」である事は、どうやったって否定する事ができない
この「あり」であるとしか言えない「私」は、いったい何なのであろうか
唯物論者は「それは脳による物理現象だ」という
なるほど、素朴に考えるならば、確かに脳の働きである としか考えられない
私も、ずっと、そう考えていた・・・・
しかし、もう少しよく考えてみて欲しい
この脳は、他の脳と、「物体」という意味では丸っきり同じである
何も特別な存在というわけでもなく
紛れもなく、その他の脳と差別されない客観的存在であるはずの物体 の働き
であるのならば
それはべつに、私である必要はなかったんじゃないのか
なぜ、この物体が私なのか
その原因的根拠を探る必要があるのではないか?
これは当たり前の問題意識であろう
そこでだ↓
同じ物理的構造、同じ物理的状態 は
複数、作成する事が可能である
ゆえに、私の体という物体においても
原理的には同じ構造のモノは作成が可能である(技術的問題は置いておくとして)
しかし、私はココにいて唯一絶対であるが故に
この体の物理的構造に、私の原因的要素を発見する事は
100%絶対に不可能である という結論以外には、ありえない
私は間違いなく、物理現象による因果関係の論理性を超越して存在している
全ては物理現象にすぎないとする唯物論は、間違いなのである
943 :
素人:2007/10/29(月) 21:49:20 0
>>942 >>786&
>>891 >>唯識さん、
返答遅れてすいません。 次スレになりそうです・・・ orz
所用で、暫くしたらPCを離れます。
次スレで会いましょう。
944 :
776:2007/10/29(月) 22:05:05 0
>>868 ちょっと違うと思います。
うまく言えないんですがこれは定義の問題と答えるのではなくもっと実質的な説明が可能だと思います。
もし
>>771の問いが
>問題は、『私』が「あれ」や「それ」ではなく「これ」なのは何故なのか。
というものならそれは定義の問題だと思うし実際俺も前スレで「文法的な事実」という答え方をしました。
でも、実際の問いは
>問題は、「これ」が「他人」ではなく『私』になっているのは何故なのか。
です。
『私』は「これ」なのですが、「これ」であれば必ず『私』であるわけではありません。
「これ」が『私』であるのは「これ」が手もとの鉛筆やパソコンではなく「これ」が「これ」自身を指しているときだけです。
「これ」が「これ」自身を指すような能力を持つのは多分「これ」が主観的な意識であるときだけです。
「これ」が『私』なのは何故か、という問いに「これ」が主観的な意識だからだと答えることは結局は定義の問題になるのかもしれません。
けれども文法的なものも含め『私』の性質を主観的な意識から捉えてみることは
単に定義の問題だと答えるよりは望ましいものだと俺には思えます。
だから同じものを作成なんてできないって。
あるものを複製するならその周囲の環境、つきつめれば宇宙全てを複製しなくちゃならない。
そうじゃないと全く同じものとして見なせない。ちょっと考えれば分かるだろうこんなこと・・・。
>>944 最高位氏が貴方のように(或いは貴方のような方向性で)考えてくれれば、
話題はグッと深まるんですけどね・・・w
落ちます。 ノシ
>>941 今の私には分からないというだけです。
単に想像がつかないというだけでしょう。
未来の私の存在が今の私に決められるでしょうか?
明日も存在出来るかすら分かりません。
一人もいなくなって、その事も分からないかもしれないし、
百人になったと分かるかもしれません。
存在の原理が分からないのに予測が出来る筈がないでしょう。
それと、もし今この存在だけを私とするのならば、
「私がどうなったら〜どうであったなら」という思考実験は無意味です。
あり得ませんから。
>>944 鉛筆やパソコンが自身を指しているかどうかは
鉛筆やパソコン自身以外に分かりますか?
>>942 1段目の「私」は「思う我」であり、2段目の「私」は「この私」である
ので話が混乱しているように見えます。
950 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2007/10/29(月) 22:39:10 0
>>945 そんなもの、全て含めてもダメなんだよ
たとえ同じ宇宙を、もう一つ作っても
私は唯一であり、それは私にはならないんだよ
『私』というのは、もっと深遠な問題なのです
ちょっと考えただけじゃ、理解できっこない問題なんですよ
少なくとも、人類が歴史を通じて抱えてきた問題です
>>947 いや
完全に物理現象の論理性を超越しており、絶対につながってこない
という問題です
というか
そもそも
あなたの発想は『私が』から始まっており
私の原因性 という問題意識には、立てていません
現代哲学的観点 というものは
自分の自我意識を、さらに応用的に発展させなければ理解できません
>>949 どう混乱しているように見えますか?
私は混乱していませんので
混乱していない意味に、頭の中で調整するよう努めていただければ、理解できます
>>950 デカルトの言う「私」と「この私」の関係を教えてください。
952 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 22:50:55 0
>>950 >私は唯一であり、それは私にはならないんだよ
唯一である根拠はなんでしょうか?
重ね合わせ状態や縮退していないとなんで言えるの?
君が言うように私が『私』について理解出来てないならば、
『私』とは私に理解出来ないという事があり得るものだ。
しかもその事が他人には分かって指摘される事もあり得るものだ。
私には分からなくて他人の君には分かる『私』とは何だ?
一人しかいない私には分からなくて、
たくさんいる他人の君たちに分かる『私』とは何だ?
それはその人の人物像じゃないの?
私が私自身について知らないという事があり得るだろうか?
あり得るだろうと思う。
957 :
考える名無しさん:2007/10/29(月) 23:17:05 0
最高位は自分をほとんど知らない(かなり低脳レベルで)ともいえるよ
私が私自身について知らないにも関わらず、
知っていると思いこんでいるという事はあり得るのだろうか?
君の言う通りならあり得るだろう。
959 :
考える名無しさん:
僕は「私」とはやはり唯一だと思います。
私が「私」だと認識できる私とは自分一人しかいないからです。
仮に思想・行動・外見etc..が全く同じであっても。
誰が私が二人だと判断するのでしょうか。