【君も東工大で】東浩紀スレッド70【あずまんと握手】
/ / `ト 、', ヽ
\ / / -ト y i l\ ワレワレオタクとは、
l ハ l / ● l }-、 ! \ 近代のどん詰まりに現れた、
l/i yi ● , ⊂⊃ l ,!/. \ __ 近代科学とは異なる何かにょろ〜
― レvl⊃ r´`´ヽ l }´/ ヽ \|_/
i 、 ヽ、_,ノ j ト ~、 〆/
r- ,_ 」 ヽ , ____,. イll lヽ/ ̄ヽ//ノ
l、 ~'''TTト、 ハ,ヽ l==ソ―〜 //i
ヽ、 .l l l ', ', \ l./ .// |
`ー.l_l_l__', ',__ | ≠ _ノ
| ヽ /
ヽ__ ノ
新スレです
楽しく使ってね
仲良く使ってね
,ィiikァil{ミk{illliミi;,,.
,ィj|}}州ト、トii州ililk{ミ;,
j}iリリ州iト、 ヾk州ililk{lli
il}jリリ州j `ヾkリト州}ili
!jliリ州ソ ,z=;- ヽヾjミii}
Y{ ヾリ ■■■■|リ
ノハ i! .:: '´,; !、 i < チンポ
ソj` :::.:. /'_';=;ィ / jヽ.
ノ 丶 :..:. j ;'ゝ-' j' / /
,イ'` ‐-..__` ‐ _、 _ノ / 'ー 、 ヴィシッ
` ー'| / }
それにしても前スレの固有名詞の量は異常です……混沌ていうか
ジャンル横断? かえって内容の乏しさが強調されます
>とりあえずワレワレがオタクだと、
>複数形にしてみる程度の軟派さは自意識に残っているのだろうが
オタクの数は数百万人、日本の人口が1億2千万人だから、5パーセントくらい
かなあ。
そんなにいねえよ
数十万人
シュナイダー某ってのが「せつなさ系エレクトロニカ」なんだそうだ。
しかし、エレクトロニカって音楽にもやはり乗れないというか、なんというか。
音楽のノリが違うってのが、わかりませんか>サブカルとオタク
>6
仮にその程度なら、無視してオッケーだと思うよ(笑
ジャンル横断的な種族としてのオタクはそんなもんだろ
あとはジャンルごとにライトオタが貼り付く。
ゲーム、アニメ、ノベル、マンガ、
それぞれの業界におけるオタ向けコンテンツの売り上げを見れば、
彼らが実数としてはたいしたことないのに気付くはず。
>9
コミケだけで50万人もいるんだよ。同人誌市場だけでどれだけあるか(笑。
サンシャインクリエイションだのショタケットだの。
しかも、それは同人誌を作る余裕のあるオタクで、その何倍も買う人とか見る人
とかいる訳だから。
東京以外にも例えば大阪にだってある。日本橋は秋葉原同様だよ。
いや、だからそいつらは腐女子を含めたマンガのオタじゃん。
あずまんたちが具体的に想定して論じているのは、
色々なジャンルを横断して、ブログもやるようなタイプのオタクでしょう。
コミックマーケットは「ギャルゲーマーケット」ではない。コミケのホンの一角
にギャルゲーブースがあるに過ぎない。それ以外の多種多様なものがあるわけで
しょう?
各ジャンルのライトオタは、たいして濃くないし、
オタクという属性にこだわりもないだろう。
角川商法に乗っている中高生の大半は、
彼氏彼女ができると卒業していく。
非モテとかわざわざ言い募ったり、
小川びいみたいな自意識持った連中は、
それこそオタク市場の消費者としては少数派にすぎないよ。
フィギュアとかプラモのような特殊業界ならば、
大半がオタと言っても良いだろうけど、
マンガやゲームに関しては、
数十万規模で頭打ちになるのはよく知られているよ。
声が大きい割に金を落とさないから、
コンテンツビジネスとしてはたいしたことない。
ただ、オタクという集団意識があるから、
そこをつつけば安定した商売になる。
自分が所属していると自認している集団の影響力を、
実際以上に多めに見積もりたいという心理はわかりますけどね。
16 :
手塚 ◆kZ3T7x69ws :2006/11/30(木) 15:42:06
オタクを趣味として考えるか、帰属集団として考えるかの違いだろふつうに。
前者は、オタク文化に触れていれば、本人がどうであろうとオタクだし、
だから、インドアの趣味がある奴は何かしらのオタクだと思う。
後者は、判断するのは難しいと思う。究極的には本人の意識だから。
したがって、妥当なのは、コミケに集まる人数を調べることだ。
少なくともそこにいる奴は、オタク的集団に対して露骨に嫌悪的ではないし、
売るのでれ読むのであれ、楽しいから集まっている。これは前者の基準も満たす。
で、コミケの人数って何人?
そういうダブスタがすでにオタクの過大評価だよね
18 :
手塚 ◆kZ3T7x69ws :2006/11/30(木) 15:57:31
問題は、他の帰属集団が、市場的に操作されているのに対して、
オタクの場合、市場原理とは別の原理で動いているという点だ。
オタクのもともとの意識はこうだ。「世間で売れているから、人気
だから、面白いわけじゃない。人気がなくとも面白いものは面白い」
つまり、オタクになるような人間は、元来マイナー志向だということ。
さて、眼を非オタクに転じると、その領域で力を持つのは、
もともと人気があるものか、市場で優秀なのものか、たいてい
そのどちらかだということが分かる。
前者は、人間の欲求に基づく。おいしいもの、かわいい女の子、
かっこいい男、便利なものだ。後者は、いうまでもない。
これは総じてメジャー志向といえる。前者はダーウィンの、
後者は市場の、見えざる手により最適化されているためだ。
これらが力を持つのも当然の話しである。
さて、オタクはどうか。例えば猫耳。これは最適解ではない。
少なくとも、かつてはそうではなかった。人間の性欲の向かう先は、
自然の状態では、性欲を喚起する女だ。
狼に育てられた少年は、猫耳に欲情しないのだ。
では、何故オタクによって猫耳は力を持つのか。この力は何か?
少なくともいえるのは、これが市場や身体を分析しても容易には、
出てこない答えであるということだ。
自然はより複雑化すべきだ。したがってより複雑なものやことは、
それが何であれ、正しい。少なくともそうであるべきだ。
猫耳やメイド喫茶は、複雑さにおいて、他を圧倒する文化である。
オタクは、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・人類を超えていく何かだ。
>>10 オタクが1匹居たら30匹は居るというからな。
動物化の進行は止まらない。
動物たちにできるのはその内部での棲み分け、すなわち、
硬派オタク/軟派オタクの対立軸を持ち込むこと。
自分の所属しない余所のコミューンを攻撃することだろう。
その一方で、少数の非オタクによって多数のオタクを管理する
シナリオがあったが、いまやオタクによってオタクを管理する時代になったようだ。
避けたほうに飛んできそうだ
ワレオタさんはギャルゲーオタが嫌いなんだろうな・・・
22 :
手塚 ◆kZ3T7x69ws :2006/11/30(木) 16:43:22
管理というのもあれだよな。
管理社会といわれて久しいけど、もともと社会というのは管理する術によって成立しているともいえる。
何が管理で何がそうでないかっていうのは、何が自由で何が自由ではないか、っていう問題と表裏一体。
管理っていうとアレだけど、みんなだって自己管理しているわけでしょ。
監視カメラってのは、危ない人間を効率よく探したり、事件を未然に防ぐためにある。
それは、危ない行為、例えばネトゲにアディクトされることや、病気を未然に防ぐためにタバコをやめるとか、
個人個人で似たようなことをしている。これを代わりに社会がやってくれるということだ。
便利でいいことじゃないか。
この傾向をことさら批判する人間は、どうかしている(もちろん批判がまったくないのは危険だ)。
虚構(ポップ哲学)と現実の区別をつけよう。話はそれからだ。ずまそんよ。
ポップ哲学は面白い。しかしその面白さは、セザンヌの絵を見たり、シューマンの曲を聴いたりする面白さだ。
哲学をはじめよう。フラゲや文学は虚構である。思考しよう。現象を整理して、良き行動を計画しよう。
フラゲやっているとフラゲ脳になります。
フラゲを一度インストールされると、そこから抜け出るのは、容易ではありません。
なまじ合理的だからです。そして体系内では大抵の場合無矛盾です。
エクリチュール、スキゾ、超越論的シニフィアン、自由。
これらフラゲ概念は、体系内では一貫した論理によって導かれていますが、
現実との対応は希薄です。
現実との対応づけを持たない概念は、一般に創作と呼ばれます。芸術がそうです。
ドゥルーズだけがそれを誠実に主張しました。「私の哲学は、概念の創造である」
だから私はフラゲラーのなかでドゥルーズが好きです。
スキゾ、地図、動物、これらはすべて命令語なのです。
しかし一般のフラゲラー、日本の批評家は、これを忘れています。
あなたがたの使用している概念は、まったく現実と対応していませんよ?
さらに悪いことに、現実との対応づけ、つまり解釈を無視する論理があります。
論理学、分析哲学、数学基礎論の分野で論じられた論理がそれですが、
フラゲは、それを価値付けに利用します。
ここが危険なのです。
確かに現実と言葉、記号の対応づけには問題があります。したがって、現実は解釈しだいだ。
このように結論づけることも可能です。しかしこの時点ですでに現実から遊離してしまっている。
「現実は解釈しだいだ」は、「だから、好きな解釈を選べばいい」を意味していません。
この当たり前の認識を忘れている批評家がいます。最近のずまそんひろきがそれです。
フラゲについて論じるときは、フラゲ的な思考は通用します。
けれど現実を論じるときは、それは通用しません。
そしてオタクや社会は、現実です。
フラゲ脳を治すコツ。
・しばらくフラゲに関する読書をやめよう。小説も捨てよう。批評なんてとくにだめだ、焼こう。
・分析哲学、論理学、あるいは手ごろなプログラミング言語を学習しよう。言葉は頭の体操の道具。それで問題を解こうじゃないか。
・治療方法として単純に街に出るのは考えものだ。ほとんどの人間は潜在的なフラゲラーである。
25 :
>>22:2006/11/30(木) 17:27:50
いや東は虚構/現実なんて軸では考えていないだろ。
単に世界の状況において、小説や哲学書よりも漫画やアニメの方が
リアリティを表象するメディアとしての地位が相対的に上昇した
という話しかここ最近の東はしていない。
そして、メディアの具体的な分析をするのではなく、
漫画やアニメの方がリアリティを表象するメディアとしての地位
が相対的に上昇した根本理由を世界の状況の変化に見出そうとしている
(ポストモダンだというわけだ)。
26 :
25:2006/11/30(木) 17:29:27
監視についての考察もその一端でしょ。
どうして監視が一般化することを人々は受け入れるのか。
受け入れる論拠として、人々が世界をどう見ているのか、
世界をどう表象しているのか。世界の見方が変容することと、
漫画やアニメがリアリティを表象するメディアとしての地位を
相対的にあげることは、東の中ではリンクしている
(ここらへんは東が未だにFoucaultの枠組みを中心にものを
考えている証拠)。東流にいえば「でかい話」なわけだ。
俺個人はリアリティなんて言葉は嫌いだし、
世界なんて言葉も嫌いだけれども。
でも虚構/現実を区別したうえで、
虚構を選択しろなんて東は動ポモでも一言も言ってない。
宮台ならばいいそうだけれどもな。
おっと最後のポイントを補足。
先進国のほとんどの人間の間違い。快楽主義とは金や女や食い物のことではない。それを自覚していることだ。
そしてそれを表現したものが、芸術である。バルトはもう例外ではない。もはやテレビ番組、それは一個の芸術である。
社会的に迷惑を及ぼさない限り、快楽主義じたいは問題ではない。合理的である。まともな頭の持主なら辿り着く結論である。
問題なのは、思考が停止することだ。そして思考こそ現実である。
>>27 椅子の硬さの調節などによる環境管理にしても
ジジェクがコンピューターと人間の差異として置いた
「思考されないままに残っている何か」にしても
それらは「思考こそ現実である」と相反するだろ
29 :
考える名無しさん:2006/11/30(木) 17:35:55
>さらに悪いことに、現実との対応づけ、つまり解釈を無視する論理があります。
>論理学、分析哲学、数学基礎論の分野で論じられた論理がそれですが、
>フラゲは、それを価値付けに利用します。
貴方も面白い与太を飛ばすね。
現実との対応づけを解釈と翻訳する理由を
論理学、分析哲学、数学基礎論について貴方が
具体的に知っているトピックのもとで説明してくれ。
その後、そうしたトピックのどこが現実との対応づけ=解釈を
無視しているのか教えてくれ。
30 :
考える名無しさん:2006/11/30(木) 17:39:44
あー、予め言っておくけれども、モデル論とかそういうサブジャンルの固有名をあげるだけではもちろんダメね。誰のどの##のこれこれから私は現実との対応=解釈と翻訳し、そのこれこれにおけるここが現実との対応=解釈の無視と私が考えた理由ですと書いてください。
いやさ、セカイの見方が変容するって、じゃあどうやって検証するわけ?
ひとりひとりに聞いて尋ねるのだろうか。それともアンケート方式?
「あなたは、セカイをどう見ていますか?」
まさか、そんなことをしてまわるにはいかない。
ここで論拠として印象が炸裂するわけだ。
「モダンはこれで、ポストモダンはこれだ。今の日本はポストモダンだ。
したがって、これだ。これはこれを意味している。この場合、これはこれだ。
だから、これはこれだ」
こうした理論は、主張内部では一貫しているし、何かを説明する手段としても悪くない。
問題は、それで説明しているのは、ずまそん本人がいうように意味のセカイだということ。
意味のセカイは、完全に形式化することができないので、どこかで印象が炸裂せざるをえない。
だから、
>>25>>26の内容は意味のセカイについてのコメントとしては正しいと思う。
ところが、それが一足飛びに現実を説明している論調になるのが、問題だ。
ずまそんが、監理や社会を論じるときに欠けているのがまさにそこ。
意味のセカイは、いうまでもなく、説明しただけで変化してしまうセカイだ。
これを解釈学的循環と呼ぶわけだ。
批評家が管理と名付ければ、「あ、これ管理じゃん」と人々の意識は変容する。
マクドナルドの椅子が意味を持ち始めるわけだ。
そうなると積もり積もって人々のセカイの見方が変容する。
だから、現実についてずまそんは、誠実に対処していない。
監視というとき、「いや、これは意味のセカイのことで、マックの椅子に別の意味づけは可能です。
ご自由に好きなほうを選択してください」
とはいわない。ここが問題だ。
現実が管理社会化しているのではなく、事実は、ずまそんの脳内ではそのような意味づけが生じているということだ。
マックの椅子が自分を管理していると思わなくても、マックの椅子が無駄な時間を節約してくれている。
こう思うことも可能であり、この二つは別の価値観だ。
哲学者はこれを説いてきた。
そしてここは哲学板であり、ずまそんのファンクラブではない。
>>30 ああ、いや、フラゲ、とくにラカン派が解釈を無視するときの論拠に、
数学基礎論や分析哲学を利用しているということ。
詳細は、テレヴィジシオン(だっけ?)にあったと思う。
ここでの解釈という語はだから、そうした文脈でのこと。
分析では、いわゆるレーヴェンハイム・スコーレムの定理。
超越論的シニフィアンだかの概念を説明するときに、
どこかのラカン派が論拠としてましたよっていうこと。
>>31 「見ている誰かを考えさせる」ことによる管理と
椅子の硬さで調整される管理は違いますよね
平たく言えば、前者は思考・反省の層による管理ですが
後者は思考・反省の層ではない層における管理ですよね
だから、解釈学的循環とはちょっと問題が違うと思うのですが
いや同じだというのがおれのこの場合の意見。
それをまるでまったく別の局面が登場したと主張するずまそんを批判している。
大澤にしてもジジェクにしても。
形式化(仮想化)しきれぬ残余としての身体、環境という論理は、形式化の意味を狭く取りすぎている。
これがフラゲ脳っていうこと。
形式化はつねに行われている。批評家でなくても、誰しもマクドナルドの椅子が固いという理由を考えるでしょ。
問われれば。だからどこからどこまでが思考の層でどこからがそうでない身体の層なのかは正確な区別はできない。
ずまそんが、椅子が固いのは権力じゃね?といえば、それまで考えていない人間もそれについて思考する。
「たしかにいわれてみれば。糞マックめ」と考えるのか、「いや、固くてもべつにいいじゃん」と考えるか。
後者を無思考の馬鹿と切り捨てるのが、最近のあずまんの論調。
それはよくない。「べつにいいじゃん」にも、論理があり、価値観が存在する。
動物と違って、人間は問われれば答えることができるからだ。
ここが哲板である、という文脈による管理をよく見かけます
>>34 あなたのお話は主知主義的な思考(言語的な思考こそが思考である)の理論系にある
そう考えます
コカ・コーラとペプシのどちらかを選択しなければいけない時
誰もが同じように頭を使って選択しているようで、実はそうではない
コカ・コーラを選択する人間は選択の際に前頭葉を活発化させ
ペプシを選ぶ人間は味覚野を司る部分を活発化させているそうです
(これは日経新聞の新たなるマーケティングに関する記事によります)
コカ・コーラとペプシ、どちらを選んだ人間も間違いなく意思決定をしています
旧来の理論では、この二つの選択、意思決定に違いはありません
同じように考え選択していると考えられてきました
しかし、実際は異なった頭の使い方をして選択している
私は考え選択している、しかしあなたがそうするように考え選択してはいない
思考を普遍的、一律的な形式化と強く結びつけるという悪癖
これは伝統の主知主義的な思考の理論に組している
主知主義の観点では思考とされてはいない層が
現実と密接に関わっているということが諸研究によって明らかになりつつあるのに
それにもかかわらず「思考こそが現実である」といい
現実を主知主義的な思考に還元することは馬鹿げた反動であると考えます
37 :
>>31:2006/11/30(木) 19:44:40
>>31 検証できるかどうかという軸を基準に語る議論ですか?
整合的であるならば少なくとも必要条件は満たしているはずです。
ラカンといった名前を出す貴方が、
検証可能かどうかを議論の条件に導入してくるとは、
少し不思議な気分になります。
すまん、あなたの文章の意味が理解できない。
(1)意味の世界と現実は違うという議論
(2)東の議論は現実の説明を十分にしていない
(3)ゆえに、貴方の主義主張では現実の説明ができていない
議論では不十分であるから、東の議論は不十分な議論
という理解でいいのですか?
38 :
37:2006/11/30(木) 19:46:38
この理解を前提にした上で、わからない点。
(1)意味の世界と現実の違いの説明に貴方は解釈学的循環の例を
あげている。この例がよくわからない。
(2)貴方は意味の世界と現実の区別をした上で、更に東の議論は
現実について意味の世界の論立で駄べっている。けしからん、と
言っているわけですが、その理由がわからない。
(3)その際に提示されている、批評家と人々の意識の関係の説明がよく
わからない。
(4)哲学者が何を説いてきたかということと、貴方の議論が正しいかどうか
は独立の問題です。
手塚が36にどう反論するのかwktk!
もっと単純な事でしょう。東の動物化論の説得力は、
儲かっているものにラベリングしたことに由来します。
GoogleやAmazonが成功したから正しいんだみたいな。
ここで登場するしろうと
選択という行為において、行為の意味を何によって説明するか
の違いだと思う。36さんは、脳の働きに説明を求め(自然主義)、
テヅカさんは、説明自体が様々な解釈内における一解釈にすぎない
のだから、行為の帰結以外を論じる必要はないという
(主知主義から帰結するプラグマティズム=ローティ)。
えーと、マクドナルドの椅子で言うと、解釈がどうとかあんま関係なくて、
単に、客の自由の引き換えにマックが儲かるようになるからけしからん、
という話でしょう。新たな資本主義の装置で家畜化されちゃうよみたいな。
東的に言うと「解釈学的レベルではなく、工学的なんたら〜」になります。
しろうと、手塚の自演を邪魔するの巻。
しろうと相変わらずエアー読めない子
ランニングしてきた。
>>36 うーん。おっしゃることはよく分かります。つまり流行の脳科学、認知科学のお話ですよね。
まず賛成なのは、人間の意思決定が、言語的な思考とは関係がない場合もあるということ。
これは賛成です。ランニングしているとき、考えていなかったというのはその通りですね。
途中でこっちに自転車でぶつかってくるようなおばちゃんがいたので、思わず怒鳴りそうになりましたが、
これも言語的な思考を伴っていなかったような。まあ怒鳴らりませんでしたけど。
とはいえ、おれの意見は、主知主義ではないです。論点がずれていると思う。
ここで問題にしているのは、変奏すれば、理論と現実という古くからの哲学的なテーマです。
だからおれは言語だけが思考であるということを主張していません。
>>37 いや、おれの論の理解が不十分かな、と思うんですが。
よって、もう少し補足すれば、
「意味の世界と現実は違う」という議論。
これはおれの主張ではなくて、あずまんの主張なので。
おれはそれを足がかりにして批判しているだけです。
詳しくはあずまんの環境管理についてのコメントを参照してください。
あるいは東工大の授業のレポートでも触れているかも。ネットにあると思います。
それとこの場合の解釈学的循環というのは、もっと簡単なこと。
椅子が固いっていう事実は、さらにそれをどう意味づけるのも可能。
人によって違う。で、椅子が固いを権力と関連させて論じることは、
行為遂行的に効果を発揮している。実際、ずまそんがいうまでは、
マクドナルドの椅子に座って何も感じない人がほとんどだった。
動物的に環境を管理するっていっても、人間はどんなに馬鹿でも考えることができる。
「お前、マックに管理されてっぞ」「え?マジで」というふうに。
熊や豚に「お前、管理されてっぞ」といっても状況に変化はない。当たり前。
人間だと誰かがいうと変化するわけですよ。これが解釈がパフォーマティブに機能しているっていうこと。
つまり循環しているっていうことです。
だからズマソンが使用する動物というメタファーは無理があるっていう話。
意図的にそこらへんを曖昧にして、上手いことやっているなっていう話しです。
これがフラゲならともかく。
フラゲってなによ?
フライングゲット?
「お前、ここはアズマ・ファンクラブだぞ」「え?マジで」
アズマ・ファンクラブって、何か「ファイト・クラブ」みたいですね。
今更なんだけど
蝉寝る=タマキの東批判にあずまんは何か反応した?
最近読んだんだけど蝉寝るは饒舌だったなw
AZMANFUNKLOVE
上で言っているコカコーラとペプシの実験。
興味をもったんですけど、どこかにレポありませんか?
あずまんにコカコーラとペプシを飲ませる実験
>>46 リアル動物を呪う(言霊)ことはできないってことですね
ナウロマンティック
1200ですね。早すぎた80年代懐古でした。
ベイトソン読んだほうがいいぞ。セカイの見え方が変わるから。マジおすすめ。
オートポイエーシスとかどう?
>>36 どうして、選択に際して脳の活性化する部位が異なることが、
主知主義を批判する根拠になるのかを教えてください。
いいじゃん、その人はトンデモ系でしょ。資料として情報享受しましょうよ。
テレビ終わったな。これは歴史的大事件だ。
なぜなら今までテレビがすべてだったのだから。
>しかし、今はまだマインド・コントロールを心配する時期ではないと、スタン
>フォード大学のアントニオ・ランゲル助教授(経済学)は言う。ランゲル助教授
>によると、脳スキャン技術は近年大幅に進歩しているが、ニューロマーケティ
>ングの推進派が示唆していることに反して、米ゼネラルモーターズ社や米フォ
>ードモーター社による効果的な広告操作につながるようなレベルには遠く及ば
>ないという。「彼らが行なっていることを支持する科学的言説を、私はこれま
>で一切見たことがない」とランゲル助教授は語った。
心理学では昔から「サブリミナルパーセプション」と言って、「無意識下」に働き
かける広告により、コーラの売り上げやフライドポテトの売り上げが上がったという
伝説があるが、根拠に乏しいと言われる。
北野たけし監督映画も「DEAD」という文字がなんコマか入っているが効果があるか。
無論ない。
東の「動物化」は脳の古い部分(動物脳)に訴えかける、という意味だったのか?
まあ味覚野は大脳新皮質にあるんだけどね。
>皮質下に位置する、脳のより原始的な領域は、潜在的な報酬の大きさ――この
>実験の場合だと金額――を評価する役割を担っているようだった。報酬が大き
>くなればなるほど、それが実際に得られる確率には関係なく、この領域が活発な
>活動を示す
まあ「欲望」を司ってる古いとこだね。しかし、だから「動物化」とは言えないな。
人間の「動物的な部分」に訴えるから、アニメは売れていると、そう言いたかった
のかな、東は。
「萌え要素」は動物的なのかな?メイド服だの、触覚状の髪だの。東はそれで
「説明した」つもりだったのか?
東にとって無意識とは、人間とは、条件反射機械、欲望機械である。
しかし、「メイド」などが本能的(動物的)に脳内に書き込まれていないことは
明らかである。
>>70 >「メイド」などが本能的(動物的)に脳内に書き込まれていないことは明らかである。
だからデータベースだって言ってんじゃん。
脱構築って何?
脱肛
無意識にあるのは切り裂きジャック的欲望だけだ。
われわれはその欲望に従い、ただ動物的に振舞うだけである。
まとめよう。
あずまんの主張:
・「萌え要素」とは「サブリミナルパーセプション」だ。
・「萌え要素=サブリミナル効果」が人間の動物的な部分に訴え、アニメは売れているのだ。
・だから「萌え要素」は動物的だ。
・あほ毛やメイド服は「萌え要素=サブリミナル効果」で説明できる。
そのようにあずまんは言う。しかしである。
・「サブリミナルパーセプション」については科学的根拠がない。
・「動物的」とは本能的という意味だ。
・「メイド」などが本能的(動物的)に脳内に書き込まれていないことは明らかだ。
77 :
73:2006/12/02(土) 09:23:53
>>76 え全然ちがくない?君本当に動ポモ読んだ?
あずまんは本当に「萌え要素」とは「サブリミナルパーセプション」だと言ったの?
典拠はどこ? それも比喩じゃなくて言ってたの?
オタが自分の乏しい知識と照らして勝手に解釈したまとめなんじゃ……?
往々にして、この手の勝手な解釈が一人歩きするのがオタ界隈の寒いところだ。
動物化のタームがサブリミナルになってるってことに、
動物たちは全く気づいてないのが象徴的だな
>>76みたいなのはちゃんとオタクの人たちで引き取ってくれないと困るよ?
悪いけど回収できません、ていうかいりません
おまいらはもちろんwiiに徹夜して並ぶ家族の成員だよな?
あずまんを知ってるリアルオタクはほとんどいないわけだが
諸君、これが誤配の実態だ。
エアオタクはみんなあずまん知ってる
オタクがあずまんのことを知ってもメリットが皆無でしょ。
ここにいるのはあずまんオタクです
>>87 ワレオタさんを見る限りはメリットしかないように思うw
宮崎あおい(笑)
あずまんが意識してるような理屈っぽいおたくはあずまんを知ってるよ
そっちが購読者の多数派のような気さえする
>>84 逆に考えて、あずまんを知っているのはオタクばかりではないか?
それにセカイは動物化している。オタク化しているのだし。
リアルオタクはコミケだけで50万人もいるんだよ。同人誌市場だけでどれだけあるか(笑。
サンシャインクリエイションだのショタケットだの。
しかも、それは同人誌を作る余裕のあるオタクで、その何倍も買う人とか見る人
とかいる訳だから。
東京以外にも例えば大阪にだってある。日本橋は秋葉原同様だよ。
リアル日本橋知ってる?
関西人は東京に張り合って関西のアキバと言ってるが、もともと規模が小さいうえに景気が悪くて閉店続き
独自で発信するものも大してないし、おたく街としてはほとんど機能してない。客は梅田のヨドバシに流れたしね
それはリアル現実の話
現実を生きているひとの話だ
ワレオタに続き新しい人材が発掘されつつある悪寒が('A`)
現実のことは全部世界の中に出てるので、生きてればわかる。
生きてきた奴らなら、わかる。
「*」が久しぶりにアルバムを出すけど
やっぱりこれを聴く層はオタクなんですかね?
それ何? 尻の穴?
上野洋子は一般人が菊門じゃない
このスレは年中オタクについての話ばっかだな
ガガガの一次選考通った……
>>101 担当編集者があずまんチルドレンの山田になったら
このスレに書き込んでくれたまえ。
103 :
考える名無しさん:2006/12/02(土) 22:43:27
山田とか前島って小学館の編集になったの?
大卒ニートからえらい出世だな
104 :
考える名無しさん:2006/12/02(土) 23:23:44
あずまんの卒論読みたいお
セカイが100人の村だったら
48人が病院にかかることができず、23人が飢えで死に、1人が同人誌でぶっこぬきます。
セカイが1000人の村だったら
210人は自分の家から追い出されて難民として生きています
3人は罪を犯して、外に出してもらうことができず、
1人は外に出て働きなさいといっても部屋から出ず、同人誌でぶっこぬいています。
セカイが1000人の村だったら
250人は読み書きができませんが
1人はエロゲをプレイしています。
セカイが30万人の村だったら
ひとりはあずまんでぶっこぬき
/ ̄ ̄\/´ ̄ ̄ ̄` ‐ 、
/ / ̄> \
/ / / / / │ l ヽ
│/ / / / h l 丶 〆 l 49 名前:しろうと ◆AUSirOutoE 投稿日:2006/12/01(金) 01:12:45
∪ 凵 ││l 」へ」vヘノ \l │
│∨´ ヽ/ ( ゚ ) │ ││ アズマ・ファンクラブって、
│ │(゚ ) │ │ ││ 何か「ファイト・クラブ」みたいですね。
│ │ ヽ │ ││
││\ ι二つ │ ││
│││\ イ | ││
│ 丿 「`―ー´ │| l ハ
」´ /卜、_ 丿レ´\ ヽ
シロウ=ト[Sirou To]
(1977〜 日本)
あずまん村はゆかいな村
セカイが1人の村だとしても
人称はワレワレです
あずまんの科学は疑似科学
>111
それを言うなら、東なんてまるっきり「一人」じゃんかw。
あちこちと決裂してるんでしょ。
>>78 東は何も言ってないから、全て独自の解釈だよ。つまり、「無意識が連結する」
というときの無意識下の情報処理、あるいは「機械としての身体」がなす処理
を東が問題にしてるっぽいから、それは「閾値下知覚・認知」と呼ばれる問題
か?と具体化しただけで。
東用語は「哲学」だから、そもそも何を言ってるやらわからんから。
「検証可能命題」に置き換えないと・・。
そうやって哲学を蔑む態度は二流理系の悪い癖だよな
東自身はアイマイ極まりない概念を振り回してるだけだ。「郵便的」「否定神学」
ってなによ?
哲学板で「検証可能命題」を価値判断込みで使ってるのは馬鹿だよ
>114
文系でも同じだって。哲学にだって、概念の明確化を目指す学派はあったはず。
論理実証主義だったか、カルナップの科学哲学だったか、社会学だって。
118 :
続き:2006/12/03(日) 12:31:49
そもそも工学的思考を推奨したのは、東でしょ。
ウィトゲンシュタインがハイデガーのアイマイ用語を切り捨てたこともあった
でしょ。
>>117 だから分析哲学の方が、
「検証可能命題」をマジックワードにする馬鹿に厳しいんだよ
そして一流の理系なら、命題化可能な範囲の限界をわかっている
>>113 >東は何も言ってないから、全て独自の解釈だよ。
ワラタ
検証とかいきなり言う奴に限ってトンデモってことさ
>>113 >それを言うなら、東なんてまるっきり「一人」じゃんかw。
>あちこちと決裂してるんでしょ。
東の使う人称は、「ワレワレ」じゃないのでは?
,ィiikァil{ミk{illliミi;,,.
,ィj|}}州ト、トii州ililk{ミ;,
j}iリリ州iト、 ヾk州ililk{lli
il}jリリ州j `ヾkリト州}ili
!jliリ州ソ ,z=;- ヽヾjミii}
Y{ ヾリ ■■■■|リ
ノハ i! .:: '´,; !、 i < 割れワレぶっこ抜き!!
ソj` :::.:. /'_';=;ィ / jヽ.
ノ 丶 :..:. j ;'ゝ-' j' / /
,イ'` ‐-..__` ‐ _、 _ノ / 'ー 、 ヴィシッ
` ー'| / }
>そして一流の理系なら、命題化可能な範囲の限界をわかっている
ちょっと違う。
まともな理系なら、命題化可能な範囲の限界を分かっている。
そして工学系には馬鹿が多い。
あずまん工学は疑似工学
きれいな擬似工学
> そして工学系には馬鹿が多い。
偏見だな。
東の工学は「形而上的工学」なんですよね。
何が動物化の反証になるのか明確でない。
ケータイで絵文字メールを送ると動物、だと
石器時代は凄く人間的だったという話になる。
工学系は、数学も論理学もろくにやらないからね
しかしですね…、工学的視点を徹底すれば、
石器時代から人間性はないことになります。
なぜなら人間性はそもそも工学的でないから。
そうやって突き詰めると、現代への批判性が
かえって消失してしまうわけ。だから実際には、
近代辺りは人間的だったという地点に留まる。
その中途半端さ、不徹底さが気になるわけです。
「語れないものについては沈黙すべきである。」
というテーゼを「工学的に語れないものは〜」と
改変したのが東テーゼなのでしょうが、
郵便本で言う倫理的領域の単なる抹消、
というモチーフを自ら反復してしまった。
工学って、
おっさん向けメディアで濫用される「ものづくり」の言いかえにしか思えない。
134 :
考える名無しさん:2006/12/03(日) 17:51:21
あずまんのいう「工学的」ってどこから来ているの?
由来は? 英語で言えば何なのだろう?
カール・ポパー以来よくみかけるテーゼ
基本的には人文系が多い「知識人」を叩くのに用いられる
ポパーの社会工学だろう。
しかしあずまんポパー論じてたっけ?
冷戦期はマルクス主義を叩くのに使われた
あずまんは山形浩生あたりから持ってきているんだろう
社会工学=Social Engineering
で、工学部出のアホオタはどうするんだ?
>>130 > 工学系は、数学も論理学もろくにやらないからね
電子工学、プログラミング関係、建築、化学、など
どれも必須なんだが。
おまえの言う工学系ってどの分野だ?
あずまんが風邪で高熱を出している。
お大事に。
しかし
>金曜日にはけっこう体調が復活してきたのですが、土曜日にひとつ座談会を収録した
>のがまずかったのか、ふたたび風邪がぶりかえし、いまも激しい頭痛と高熱のなか
>自宅で伏せっています。
どれだけ座談会をしているんだ。
藤沢マリで抜いた数…計測不能
あの こじんまりとした つつましやかな美乳と透き通る様な白い美肌
ツンとすました可愛い顔にぶっきらぼうな口調
渦を巻いた陰毛もキュートだし
この先もマリのDVDは全作 永久保存盤となるだろう
>>140 工学部では「使うための」数学はやるが、
そもそも「数学」という知の体系まで含
めて学ぶわけではない。
「使うための」数学は、よく揶揄的に
「算数」といわれる。まあその算数に
したって習得するのはそれなりに難しい
んだけどね。
一昔前にエロ漫画批評でちょっと名が知れていた方は、現在、某大学工学部の助教授になっていますね。
つうか汐音たんがフツーにかわいい件。
ああっ
買います
はい、つぎあずまさーん、どうぞ。
ははあ、あずまさん、それは風邪がぶり返したのではないのではないですか?
おはなしだけでは、ちょっと判断がつきかねますが、
上気道感染症の後、新たにインフルエンザを発症したか、二次性細菌感染症をきたしたか、
あるいはパルボウイルスなども考えたほうがいいかもしれません。
最近、お子さんを連れて小児科に行ったりされませんでしたか?
いずれにせよ、病原検索をされたほうがよいと思います。
>>131 その場合の、人間性は常に不変である、いままでも不変であった、
これからも不変でありつづけるだろう、という前提はちょっと受入れ難い。
無理がないかな。人間がそうであるように、人間性は存在的ではなく
機能的に考えなくてはならないのではないか。したがって、
「現代への批判性」はむしろ「突き詰める」ことでこそ維持できると思う。
まあ、あずまん工学が形而上学的なことには違いないんだが。
プロの座談家っていうのが本職だから。
r . ヘ
i. !,, -、/ /
i.´ヽ( /
i`〉 `ソ
i ゝ /
i '' i
i i
i i , −―- 、
i ヽ f ヾヽ、
. i ヽ ノ _,,. -‐ = 、,
. i ヽ(ー '' " ___ ヽ
i i ヽ、 r", 、___ '''ーr,, t
. i ヽ, ヽ、_i.ニr' ー-、, !..,,r 、 ,リ
ヽ ヽ,,_ i. ゝ.zk、 'rリ _ -"
ヽ i. jif'"ヾik i ` i"
ヽ ヽ' '==' `/ . ト-、
ヽ r'´ ', ! ノ / ソ!、
. ヽ ,r' _ -`,ー " // ヽ、
リr'_ -/´ ' `` ,r',r' ,r'ヽヽ、
あずまの議論はほんとの数学には達しないで
計数工学的なところに終始してるみたいな。
154 :
考える名無しさん:2006/12/03(日) 23:09:18
SIGHT最新号で10代の頃のいじめ体験をカミングアウトするあずまん
>>154 小学校で教師に目をつけられていたという体験は
昔にもなんかのインタビューで語っていたことがある。
筑駒でもいろいろあったことが推測されるが、
あの手の進学校出身者は母校の教師をなぜか名指しで悪く言わない傾向があるから
(灘とかの連中と話せばわかる)たぶんカミングアウトしない。
ちなみにクラスメイトからは「しゃべりだしたら止まらない(うっとうしい)やつ」と
思われていたみたいだ、とあずまんが漏らしていたことがある。
いじめられっこのいうことより
いじめっ子の言うことのほうが信用できるのでは。アーテストはだいたいいじめられてる?
あずまん詩人だからな。
156は「アーテスト」が嫌いなんですね
ただあずまんの場合、被害妄想の嫌いがあるから
小学校時代の体罰教師の話も実話として受け取っていいかどうかは疑問。
本当に体罰教師だったら、あそこらへん(三鷹?)の他の生徒の親連中の間で
問題になるでしょ。
いいじゃん被害妄想
ルソー並みにすごい仕事をすればいい
>>158 いまならそうかもしれんが、あずまん小学生時代はそうでもなかった。
>>156 小山田圭吾の恥知らずなインタビューとか?
さんざん凄惨ないじめをしてきた体験を嬉しそうに語っている。
信用できるかどうかは知らないが。
> 小山田圭吾の恥知らずなインタビューとか?
それは、クイックジャパンのいじめ紀行という連載でのインタビューなんだけど
連載での文脈がまったく忘れられて、部分的にコピペされてネット住民が
激怒しているのが現状だから、真に受けないほうがいいよ。
あの連載において、小山田がなぜああいうカミングアウトしたかという
流れがみんなわかっていない。
たんなるいじめ自慢じゃないよ。
ならその文脈を語れよ
じゃないと「アレは実はね…」ともったいぶってるだけ
あずまんスレなのにQJも読んでいない奴がいるのか。
ところで平野啓一郎のブログで「普通においしい」って言うやん、
みたいな話があって、じゃあいつもは普通じゃないのか、
ということになりますが、これはメタの外在化じゃないですか。
ジジェクはTV番組に入れる声を分析してて、我々の代わりに
笑ったり驚いたりしてくれるといいます。(笑)とかもそうですが、
そういうのって「動物化」じゃなくて「呪物化」だと思うんですよね。
自分が風邪ひいたはいいけど、知り合いが脳梗塞で倒れたんだから、
そっちの方に言及しなさいよ。
そんなんだから人間関係壊すんだよ、東。
169 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:39:27
週一の講義とか休んでて、
お給料大丈夫なのかな〜
非常勤だから休んだら金でないんでしょ?
とにかくはやく元気になって、
今年の総括と来年の抱負を述べてもらいたいですぅ
> 今年の総括
・風邪を執筆遅れの言い訳に使う。
・副所長退任→辞任を執筆遅れの言い訳に使う。
・森川参加の鼎談本はなかったことにする。
・情報社会論入門はなかったことにする。
・テンプレ( )を執筆遅れの言い訳に使う。
・テンプレ( )はなかったことにする。
> 来年の抱負
・青土社から対談集を出します。
・今年も座談会にたくさん参加していきます。
171 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 02:36:02
今年の東の活動はまじで知らんわ。
数年前まではけっこう熱心な読者だったんだが……
調べるの面倒だから
十大ニュースの形で誰かまとめてくれ。
何もしてないわけでもなさそうだし。
172 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 02:47:04
動物化はいろんな文脈で理解できるが、その一つが物語消費とデータベース消費の違いです。
物語消費の特徴は、ある物語に対して、それが創発的に膨らんでいき、物語の内部と外部が明確であること。
データベース消費の場合は、物語が大きくなりすぎて、その物語の内部と外部の境界が希薄化する。
あるキャラクターが魅力的であるとき、物語を知っていることでその魅力がわかることから、
その前提が必要でなく、当たり前な事実として、魅力的であることが受け入れられる。
データベース化されてしまう。
でも物語の内外が希薄でも、それを支えるコミュニティが内部が強くあり、
その魅力を支えているわけだね。
たとえばオタクならば、どの物語ということに関係なく、萌えるキャラクター、要素が共有されている。
でもオタク外部では、今がわからないように。
なんのデータベースかの前提は必要になる。
その意味でいくと、データベース消費って、実は新しいものでなく、マニアでは当たり前の傾向で、
釣キチたちには彼らなりの、データベース化された萌え要素というものがあるわけで。
なんというか、東の指摘はおかしくはないが、オタクや現代に特権化する傾向が強い。
そのことでコミュニティそのものを作りだしているといえる。
たとえばこのスレをみるとわかるけど、やはり外部からの意味不明な宗教的であるよね。
173 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 02:59:44
東の好きなタームに「認知限界」というのがあるけど、
現代では、情報量の選択が重要な問題になっている。
物語を消費するのはデータ量が多すぎるわけで、
できれば、言葉、言葉で、訴えるスピードが要求される。
テレビ番組でも、60分みて楽しむのでなく、
チャンネルを変えたそのときにすでに訴えかけるものでないといけない。
ここで起こることは、番組60分よりも、芸能界好きというような、
より大きなコミュニティへ帰属が求められるわけ。
ここでは、テレビでおこることは大きな継続した世界なわけで、
キムタクはなにをしてもキムタクであって、
出川はなにをしても出川なわけだ。
というデータベース化される。
そうすると、チャンネルを変えた一瞬で楽しめる。
データベース消費というのは、物語消費がコミュニティ単位にまで広がった形態、
コミュニティ消費というところにまで広がっているということ。
たとえばこのコミュニティを人類という枠まで広げると、
もはや誰であるとか、何人であるとか関係なく、生理的なところに訴えるという
ところまで考えられる。衝撃映像など誰がいつ見ても、衝撃だというように。
東はこれに近い意味で、考えているフシもあるが、しかしそこまでは来ていないでしょう。
>>166 その「普通」は、美味しくないという蓋然性に対して使ってるんだから、
「じゃあいつもは」ということにはならないのでは?
「普通の長さのコードをください」はまた違いますけど。
こっちはコミュニケーションの文脈か。
で、ジジェクのそれはコロス的なものってことでしたっけ?
それと「(笑)」が同じというのはよくわかりません。くわしく。
175 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 03:03:57
コミュニティに支えられるか、もはやコミュニティの支えもなく、人間(生理)に支えられるか
動物化は人間(生理)という意味が強いように思うけど、
オタクは動物化しているというときに、なぜ「オタクは」なのか、ということ。
すでにコミュニティを名指ししてるわけで、生理でなく、コミュニティ帰属なんだよね。
176 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 03:15:16
コジェーブのいう「動物化」などという概念自体が思いつきの域だよな。
ましてや日本的スノビズムなんざ虚妄のきわみだよ。
高度消費社会が動物的というのであれば、
動物的でない消費ってなんだ?
動物的でない人間なんてどこにいるんだ?
>>172 動ポモに関する宮台との対談も読んでみることをお勧めする。
>>176 >動物的でない消費ってなんだ?
人間的な消費。
>動物的でない人間なんてどこにいるんだ?
欧米か。
ま、それは冗談としても、地理的というよりは時間的なものでは?
地理的な要素もあるけど。
特に日本に顕著っていうことであるからにはね。
179 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 03:31:41
「オタクは動物化している」というターム自信が、コミュニティ消費の対象なんですね。
「動物化」という言葉がオタクコミュニティにおけるデータベース化している。
すなわち漠然としてデータベースの共有こそがコミュニティの帰属を産みだしている。
でも動物化はもう一つの文脈使われている。
環境管理ということで、これは簡単にはマーケティングということなんだけど。
マーケティングという工学は人の欲求をいかに速やかに満たすかということが、
目的なわけで、工学化によって人は生理的なところに追い込まれる。
東は家畜化と呼ぶ。
逆にオタクというコミュニティはこれは逆なところにあると考えて方がよい。
先ほどの話して言えば、コミュニティを人類(生理)にまで広げるところに工学化があり、
オタクとはコミュニティを小さくすることで、その内部でデータベースを共有するということ。
対極だね。
今日の東工大の授業は、病気のため休講とします。取り急ぎ。
>だそうです。お大事に
ま、理系バカ相手のバイトだしな。
あんまり真剣にやる必要もないな。
しろうとは年末進行でへとへとなのがよくわかる、いい加減な書き込みですね
186 :
考える名無しさん:2006/12/04(月) 14:22:50
あずまん、本当は買ったばかりのWiiで遊びたいから休むんだろ
正直に言っちゃえよ
あずまんは並んでゲーム機を買うほどのゲーマーじゃない
つーかゲームはほとんどやらない。唯一やるエロゲも月に1本以下だよ
Wiiせっかく買えたのに論文書かないと駄目だから封印中
たしかにあずまんは全然ゲーマーではないね
ノベルゲー専門
ノベルゲーもゲームだ。差別しないでほしい。
あいつは全然ワレワレオタクじゃないね。
ギャルゲーオタクだ、というのとおなじ排除のシステムだ。
ノベルゲーは明らかに軸足が小説にあるじゃないの。
ノベルゲームがゲームじゃないとは言わないが、
同時にアクションゲームも少しは論じるべき
あずまんにはその意思も能力もないでしょう。
万が一Wiiを買ったとしても論文のために封印するとは考えられない
風邪>Wii>講義>論文
>>187 そうなんだよな。なんかおかしいんだよな、この人。オタクじゃないのに。
>>120 「存在論的、郵便的」を読んできましたよ(立ち読みで)。
東の姿勢がほぼわかりました。
要は科学哲学でもないし、ハイデガーなんだね。カルナップは形式化できない
ものの前では沈黙し、残余は「芸術」としてしか語れないと言ってる。
ハイデガーはそれについて、形式的に語る方法を発見したと(!)。
それは、日常言語を使うことだと。
郵便的脱構築という言葉が悪いんで、2つの意味がある。1つは、ゲーデル的
に壊された主体を更に壊すこと。無政府主義的郵便と呼ばれてた(本の中では)
もう一つは、形式的には思考できないものを形式化する方法、という意味であの本
は全編後者の議論をしてた。
つまり脱構築というより構築なんだね。
その「ハイデガーによって開かれた方法」だが、読んだ限りでは論理は美しい/芸術
も美しい、だから論理的に追究すれば、芸術的な残余を明らかにしうる、という
ことかな???
なぜオタクなのか?ということもわかったよ。後半に出てくる人間モデルで語
表象/絵表象とあって、意識=語表象、無意識=絵表象で、アニメが絵表象となって、
「無意識的情報処理」をしてると。
194 :
続き:2006/12/04(月) 17:51:56
分かりづらいと思うので、あの本を読んで見てください。
ついでに全体的なことを言っとくと、デリダの最晩年の主著「触覚」ってのが
本屋に出てた。東によればゲーデル的脱構築を第二期には超えた筈のデリダ。
第三期は「法の力」だの政治的発言だのをしてた筈のデリダだが、最晩年の主著
は触覚的リアリティーの否定で、特に政治的ではないし、考え方もハッキリ
してる。
つまり、「現象学的真理」(今こここそ真実)を否定する第一期のモチーフ
だよね、これは。東の主張する第二期における転換を経たわりには、第一期
の反復に見えるのだが。これも読んでみてください。
195 :
続き:2006/12/04(月) 18:01:20
ついでにフランシス・フクヤマの「アメリカの終わり」って本も出てた。
10年前にアメリカの勝利(歴史の終わり)をぶち上げたこの男だが、節操の
無いやつだ。
コジェーブ/ヘーゲル史観もころころ変わるのがわかるでしょう。
ゲーデルって誰だったっけ、不完全性定理?っていう漏れはdでもない奴なわけで
でも上のレスは面白かった
>>174 「ぐるナイのごちバトル」とかで99が「普通に美味しいわ」というときには
「別に番組だから言ってるわけじゃないで」というような含意がありますね。
一般人の「普通に」も「別に気を使ってるわけじゃ〜」とか「別に〜ない」
というパフォーマティブの効果を打ち消そうという意図があるでしょう。しかし…
「愛エプ」の不味い料理で逆に「普通に〜」で笑わせる場面もありえます。
結局「普通に」「普通じゃないて」というメタの無限後退から逃げられない。
で、「(笑)」は文脈の不足から生じる文意の誤配を繋ぎとめるために、
これは冗談の文脈で読んでくれという印ですが、やはり更にメタに読める。
(笑)←(笑)←(笑)←(笑)←(笑)… こういうことですね。
ただ、東センセイ的にはそういうメタゲームは面倒臭いから動物化したといいます。
>>198 あずまんって他人の同時代トークは批判するくせに
自分がローカルな同時代トークをするのは大好きなんだよな。
対談集でも、北田と東大トークしているときの
ノリノリっぷりったらなかった。
そんなの、読者の大半はお前らの学生生活に興味がないっつーの。
>>193 >要は科学哲学でもないし、ハイデガーなんだね。
ハイデガーとフロイトからデリダを読んだ、という視点が郵便本です。
>ハイデガーはそれについて、形式的に語る方法を発見したと(!)。
んーむしろ、形式的体系が単体で完結し得ないという点において、
記号体系の外部が参照できるはずだ、という位の意味でしょうか。
>郵便的脱構築〜1つは、ゲーデル的に壊された主体を更に壊すこと。
ええと、「郵便的脱構築」は「複数的な超越論性」によって可能で、
「複数的な超越論性」の「複数性」が、文字のレベルへの解体ですね。
>もう一つは、形式的には思考できないものを形式化する方法
「複数的な超越論性」の「超越論性」が、転移・中継による
形式化でしょう。エクリチュールによって散種しましょう的な。
>>185 んーまあブログは自分のアクセスになりますからね。
>>186 ちょw …東センセイの健康を心配してるのは自分だけですよ。
>>198>>199 『S改』的な対談本ですか。東大とか秋葉以外も語ってほしいです。
〒本の良さは、やっぱ袖の若かりし頃のあずまんの顔。
それには同意せざるをえません。
最近のしろうとは手を抜いてるというか、この場用のキャラを立てることに腐心してツッコミが鈍化している気がしてならない
>>202 >にちゃんねるとかでいろいろ言われるから言わないことにしてた
この部分気になる 誰が主語なんだろ
リンクのキャラに対しての認識がはじめて知ったものだったのでよかった
何にしろあずまんが2ちゃんのこのスレ見てるかもしれないっていうのが驚きだ
こんなスレ、見るんだな
自意識だけで生きてますから。誰も相手をしなくなったらあずまんは死にます
聞きたいのは自意識なしで生きている人間っているのかってことで
上のレスはだけでって言ってるけど自意識以外に何かほかのもの、本当はあるの?ってことでもあって
>>193 もう少し単純に考えても良いのではないかと思います。
精神分析、コジェーヴ、スノビズム…、いろいろと修飾が有りますが、郵便本、動ポモから今に至るまで、
彼の思考のエッセンスは「メタ読み」の感覚にあると思います。
向上さんが郵便本を「日本におけるデリダのイメージを決定した本」と言われてましたが、むしろ逆だと思います。
第一期デリダ…哲学の人
第ニ期デリダ…実験的なテクストを書いた人(葉書、弔鐘、+R)
第三期デリダ…正義の人(人権、反戦)
第二期はふざけてるが、第一期第三期は真面目に読めて脱構築は正義で偉い、みたいなイメージが流通しているが
東は第二期のデリダのテクストも実はメタ読みで意味を見出せる、と実践したわけです。
こういう発言がありますが
ttp://www.hirokiazuma.com/texts/dokushojin2.html 「デリダの第二期に「郵便的」というモチーフがあった、というのが僕の主張ですが、あれは実は普通に
読めばまず出てこない。それを、デリダのテクストをいったん分解して、あるやり方で再構成して読む
とそう読めるんだ、と主張したわけですよ。だから、もしデリダ自身に「郵便的というモチーフがあり
ますね」と尋ねても、肯定しないと思う。デリダ本人が否定する以上、ある意味でそれは間違った読み
なわけだけど、しかしでも、それはそう読めてしまう。この「読めてしまう」って部分が僕の強調した
かったことなんですね。」
>>209 大丈夫です。奥さんとシオネたんと親友がいます。
東に自意識ってないんだよw
スキゾフレニーって感情転移ってないんだからさ
>>211さんには、東の「動物本」は、どのように「読めてしまう」ですか?(笑)
さいたま先生は一言批評みたいなのをさせたら上手いよね。
宮崎:ロリコン、トラウマの反復。
イラク人質:判官びいきの悪い例。
ひきこもり:ほっとくしかない。
椎名林檎:戸川純を意識的にやってみた。
>>214 70のうちだいたいどこらへんか誤差5以内で言ってくれると助かります
218 :
211:2006/12/04(月) 23:10:17
>>215 動ポモででじこの絵が出てきますが、普通にでじこについて語るならば「服がいい」とか「顔がかわいい」とかなりますが、
東さんはデリダのテクストにそうしたように、作り手や消費者の無意識を作品横断的にメタ読みするわけです。
つまり「自分達では主体的に創作して読んでるつもりかもしれないけど、萌えるように、性的に訓練されているでしょう」と。
上の発言の後にこうも言っていて、
ttp://www.hirokiazuma.com/texts/dokushojin2.html 「そしていま、僕はオタク系文化やポストモダニズムに対してもまったく同じこと(デリダでやったのと同じ作品横断的読解)
をやろうとしている。だから、いま僕の書いていることをアニメの製作者や消費者に言っても、
別に同意も得られないと思いますよ。当然別の見方もあるし反論も出てくる。でも、彼ら本人の
自意識は異なるかもしれないけれども、ある見方で見るとあなたたちはこんなふうに動いている、
そしてそれを説明するにはこう考えるのがもっとも効率がいい、そういうタイプのものなんですよ、僕の仕事は。」
つまりオタクは意識的(主体)に創作するわけではなく、むしろ無意識に作品に駆動されて
興奮できる絵を「創作してしまっている」あるいは「消費してしまっている」。
そしてデリダと同じように作品横断的に読解し、エクリチュールの層を見出すわけですが、
それはもはやデリダがやったような「テクストの戯れ」だの「物表象への崩落」だの生易しいものではなくて、
「機械」なわけです。つまり萌え要素の集まった「データベース」。
マジックメモで言えば意識-知覚系(シニフィアン)の層と、エクリチュールの層(データベース)がピッタリくっついた状態になってしまう。
ラカンの術語を用いてシニフィアンの層を「象徴界」と言ってますが、機械に接続されたそれはもはや「存在者の世界」(象徴界)として機能せず、
想像界(萌えの世界)と現実界(データベース)の二つだけになってしまう。
219 :
211:2006/12/04(月) 23:11:36
ハムたん かあいい(はあと)
今だ!222ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
∧∧ (´;;
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ (´⌒(´
・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
∧∧
⊂( ゚Д゚⊂⌒`つ;
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ,)⌒ヽ
U‐U^(,,⊃'〜
おい東!!何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
ポ ∧∧ ポ
ン ( ゚Д゚,) . ン
(´;) U,U )〜 (;;).
(´)〜(⌒;;UU (´ )...〜⌒(`)
「人間において象徴界が完全ではない事」
↓
「?」← ここを埋めなければ、戯言に過ぎないのでは?
↓
「電極ラット」&「脳汁」?
224 :
211:2006/12/05(火) 00:28:29
自分は東さんと全然違う考えですが、動ポモでヒントになりそうな箇所の引用をすると
「そしてこのようなオタクたちの行動原理は、あえて連想を働かせれば、冷静な判断力に基づく
知的な鑑賞者(意識的な人間)とも、フェティッシュに耽溺する性的な主体(無意識的な人間)
とも異なり、もっと単純かつ即物的に、薬物依存者の行動原理に近いようにも思われる。ある
キャラクター・デザインやある声優の声に出会って以来、脳の結線が変わってしまったかのよう
に同じ絵や声が頭の中で廻り続け、あたかも取り憑かれたかのようだ、というのは、少なからぬ
オタクたちが実感を込めて語る話である。それは趣味よりも薬物依存に似ている。」
「オタクたちの多くは…(中略)…倒錯的なイメージで性器を興奮させる事に単に動物的に慣れて
しまっている。彼らは10代の頃から膨大なオタク系性表現に晒されている為、いつのまにか、
少女のイラストを見、猫耳を見、メイド服を見ると性器的に興奮するように訓練されてしまっているのだ。
しかしそのような興奮は、本質的には神経の問題であり、訓練を積めばだれでも掴めるものでしかない。」
あとはここの発言全体
ttp://www.hirokiazuma.com/texts/addiction.html 「オタク系文化とは私の考えでは、単にポストモダンの典型的なサブカルチャーとして社会学的に特徴づけられるだけではなく、
図像のレベルにおいて、「認知の訓練」という特殊な欲望にドライブされ続けてきた文化である。そしてこの点で、オタク系
文化は、いかにその見かけが異なっていようとも、最初に述べたように、ハウス/テクノ系のクラブ・カルチャーと近い重要
性をもっている。」
電極ラットは東さんが考えるイメージにあわせて自分が勝手に加えたもので、東さんが言ってたことではないです。念のため。
225 :
211:2006/12/05(火) 00:33:04
東さんは、デッドストックがなくなって、オタク系の文化も何も機械に与えられて「満足させられる」ようになってて、
脳が機械(データベース)に接続されてて薬物を与えられているようなもので環境管理だよね、
というけどそれは単なる印象論だと思います。
そもそも、何でもメタ読みしたら「認知的な訓練」だの神経だのに行き当たる。
哲学をメタ読みしていって遡行して筆者の無意識を見出そうとすれば、
それは行き当たるのは講義とか原典購読における「認知的な訓練」なり神経云々だし、
芸術だって作り手の無意識をメタに見始めたら全て「認知的な訓練」。
大学に行って哲学の講義か何かで
「ここにいる方たちは主体的に学問をやっているつもりかもしれないが、
その実、組織が作り出した価値の体系の内部で認知的な訓練をしているに過ぎないんですよ。」
とか言ってみたり、美術館で
「芸術家や鑑賞者は自分達がアートに関わっているつもりかもしれないですが、
単に作品を見ると感動したと錯覚できるように認知的な訓練をしているに過ぎないんですよ。
そしてそれは神経の問題で、訓練を積めば誰でも掴めるものでしかない。」
とか言ってみたところで全く意味はない。だから何?という感じなわけです。
ただし、オタク文化に切り込んでいって
「萌えは認知的な訓練でしかない」
とか言うと何となくイメージに合致するので通ってしまうわけです。
自分は硬派軟派どころかそれほどオタクともいえないし、世代的には唐沢、大塚英志より菓子折りの方やマエジマツリの方と近いですが、
「そういう創作は昔からやってるじゃないか」(唐沢)とか「コゲどんぼだって作家性はある」(大塚、新現実の発言)という意見の根底にあるのは
だから何?という感覚だと思いますが、これには全く共感します。
おおそうなのか! 権威づけられた学問もアートもオタクもそういう視点から一刀両断にできるぜ! かっこいい!
明快だからキャッチーに利用できるし、おれの論にも援用できるぜ!
的なスノッブ読者と研究者は「だから何?」をあえてスルーしあう共犯関係にあります
東がメタ構造を畳み込んだ作品にばかり食い付く理由もよくわかります。
ありがちな例ですが、デュシャンの泉などはまさにそのような意味で、
制度による美術作品への認知的な訓練を茶化した作品ですし、ハルヒ、
エヴァ、等々、東がフックアップする作品の多くが制度による認知的な訓練を
茶化した作品です。ではデリダはどうか?デリダは本当に哲学文献による人々
の哲学徒化(=認知的な訓練)を茶化した作家であったのか?
デリダがハイデガーを茶化した理由は、単にハイデガーが言葉憑きであった
からなのか?東がデリダを茶化さずに、デリダをシステムとして整理した
理由は、デリダによるハイデガー茶化しを白日のもとに晒すためではなかっ
たのか。哲学文献による人々の哲学徒化の最たる病が概念憑き、言葉憑きで
あるならば、そうした病を徹底的に生きたハイデガーを茶化すデリダに
東がひかれた理由もなんとなく分かる気がする。
とかなんとか嘘八百ならべてみたよ。
デヴィッドソンも「たかだか隠喩すら分析できない真理概念萌えの人々
にうんざり」くらいのことを書いてますし、
その意味でデリダとデヴィッドソンを同列に並べる森本浩一的な視点を
東がとる理由もわからなくもない、とかなんとか。
例えば、
「少女のイラストを見、猫耳を見、メイド服を見ると性器的に興奮するように訓練されてしまっているのだ。」
↑
↓
かつて、米プレイボーイ誌の金髪少女の
「ピンナップを見、兎耳を見、ハンドライトに照らされた丸いヒップの曲線を見ると、、、
「オタク」とやらを、ことさら精神的異形の者とみるから、東の文が刺激的に思えるのであって、
それは、けして本質的なことではないよ。
ヒガシここ見てるの?ウソでしょ?
230 :
東浩紀:2006/12/05(火) 01:25:07
手塚はNG指定してる
( ゚∀゚)・∵ブハッ!!
>>218 データベースはデッドストックと似ているんだけど、
タイムラグの概念がないために超越論性がない。
ただの複数的な超越性を担保する装置でしかない。
そこら辺が郵便本と同じ強度には見えないわけです。
>>219 だからその路線は唯脳論みたいな話になってきて、
かえってポストモダンのオタク批判にならないと思う。
だって、近代の小説も神経で訓練されたものでしょ。
ところが、東的には近代はまだ人間だったと考える。
ここにちょっと不徹底さと恣意性を感じるわけです。
>>225 そうそう、実は「ゲーム脳」に近い発想だと思います。
東センセイは一緒にされるとすごく怒ると思うけど。
ただ、「そういう創作は昔からやってるじゃないか」(唐沢)
というのも「アニメは絵巻物が元祖」的な発想で納得できない。
メディアの速度への注目が必要だと思う。例えば放映した
アニメがすぐさまYouTubeに上がってMADが生まれたりするのと、
浮世絵や歌舞伎との間には速度の差がある。この点は見逃せない。
>>227 >デュシャンの泉などはまさにそのような意味で、
>制度による美術作品への認知的な訓練を茶化した作品
ちょっと凡庸な見方だと思う。デュシャンの泉は過去にも議論して、
まあ色々な解釈があるらしいですが、自分的には「王様は裸」という
意味に取りたくないんですよ。あるいはデリダはふざけたみたいな。
そうじゃなくて「糞真面目」なあり方が真面目の地平そのものを解体
するんです。体系の周縁で道化的にふざけてみました、というのは
ヒエラルキーを補完するだけで、脱構築というのはむしろ徹底的に
規範を実践していくことで、規範自体が解体していくという面がある。
ちょっと弁証法に近い見方ですけど、流れの必然性があるわけです。
235 :
211:2006/12/05(火) 06:34:45
しろうとさん激萌え
脱構築も止揚も同じじゃないの?
237 :
考える名無しさん:2006/12/05(火) 07:24:11
都合の悪いものはないものとする発想
吉本隆明と全共闘はこいつの頭にない。
つまらないにも程がある
まったくだ。どうしよう
あずまんスレはおもろいスレ
化粧でもしてやがれ面白なんていう奴は
>>228 そう、本質的なのは、ピンナップの金髪じゃなくて、
そのオタク的なイラストであるということだ。
金髪のそれは訓練なしに興奮できるだろう、、、
が、訓練なしに、ひぐらしで抜けないだろう
ひぐらしで抜ける=ヲタク、ですかなるほどなるほど
>>244 違うだろ。ひぐらしで抜くオタク=ひぐらしで抜くオタク、ということ。
デリだッ!!!
ひぐらしで抜ける奴なんていないだろ
常識で考えろよ
>>247 常識人はひぐらしでは抜けないけど、
オタクは常識人じゃないだろう。
米兵の兵舎に貼られているポルノスターのポスター(乳首には★)が、
二次元のものに取って代わられたとしても何の驚きもない。
その訓練は世界的に進行しつつあるのだから。
>>247 それどころか、メタ萌えのひとはメタ構造それ自体で抜くらしいですよ。
全ての性的興奮が訓練的なものなんじゃないの?女が男の裸見て興奮するとか同性愛者の場合とか?
この前の土曜日に朝日カルチャーセンターで、
ナマ柄谷拝んできたよ。
サインをもらってちょっと話しちゃった。
252 :
考える名無しさん:2006/12/05(火) 14:46:09
>>250 じゃあぼくも訓練すれば性倒錯者になれそうです
訓練なんてしなくても自分のもつ原子全てを使って女に組成しなおせばええわ
14歳みたいに
スーツ姿の中年男って、、
素でその手の風俗と勘違いしてそーだ。
>自動車関係の上場企業の名刺を持っていたスーツ姿の中年男
ただのオヤジじゃ・・・w
260 :
考える名無しさん:2006/12/05(火) 22:11:18
あずまんは一度関西に住んでみたらよいのではないかな。
「ハヒル」はひどいな。「みている」もひどかったが。
メタ物語のパロディとして何か言えそうかとみせ、ただ途方にくれた。
産経新聞よりコピペ
「ハリー・ポッター」シリーズの五巻目が、これまでほどの
売れ行きを示していないとはいえ、書店に行けばまだまだ
「ファンタジー」と銘打った作品が所狭しと広がり、
「今まで本を読まなかった子も本が好きになる」という謳い文句で、
エミリー・ロッダの「デルトラ・クエスト」や、ケイト・マクミュランの
「ドラゴン・スレイヤー・アカデミー」(ともに岩崎書店)
などが低学年から読めるファンタジーとして書店をにぎわせいる。
前者の表紙にはキラ・カード風の印刷、後者の表紙にはホログラムが使ってあるのは、
本をお堅いものとして敬遠していた子供を引きつけようとの意図だろう。
しかし、こうしたゲーム的ファンタジーを読む子供が本当に本好きか、
文学好きになるのだろうか?
確かになんであれ本という形のものを読めば、ページをめくって頭の中に
イメージを思い描くという作業には慣れてくるだろ。
が、ゲーム的ファンタジーは1970年代までのファンタジーとは
その内容が大きく異なっている。
9 名前:コピペ[sage] 投稿日:04/11/22(月) 13:55:57 ID:BTLf6o90
かつてのファンタジー作家には、架空の舞台を借りて現実を描くのだ、
という自負があり、登場人物ひとりひとりの作り方も多面的でリアルであった。
ところが、今のゲーム的ファンタジーの作家たちは、最初から
現実との接点は放棄し、キャラクターづくりより展開の速さやアイテムで
読者を引っぱっていこうとする。
読者の方も、現実から逃避するために読んでいる。
文学のおもしろさのなかには、人間の生き方を考えたり、心の中のドラマを
見つめたりすることもふくまれるが、今は大学生になっても、
お粗末な人間理解しかできず、読書でも実人生でも人間関係が複雑に
なってくるとお手上げになってしまう者が多い。
続々と出版されるゲーム的ファンタジーが、人間の心理を理解することが
不得意で現実を見ようとしない子供をつくりだすことに
なってはいないのかどうか、売れ行きだけでなく、そのあたりも考えてみてもらいたい。
うわ、なんか臭い
ドブ河みたいなワレオタ臭がする
なんだ? 書き手は小川びいか?
>>263 >今は大学生になっても、
>お粗末な人間理解しかできず、読書でも実人生でも人間関係が複雑に
>なってくるとお手上げになってしまう者が多い。
ここ大事。何故なら俺がそれだから。
今は哲学者になっても、
お粗末な人間理解しかできず、読書でも実人生でも人間関係が複雑に
なってくると決裂してしまう者が多い。
「へへ、俺、この風邪が治ったら『動ポモ2』脱稿するんだ……」
脂肪フラグっすか
あずまんの場合、
娘の写真ネタが普通にあるから
死亡フラグがシャレにならん
あずまんの動ポモ2はきれいなはすみんのフロベール論
批評空間第X-1 共同討議
『動物化するポストモダン2』をめぐって
浅田彰×東浩紀×柄谷行人×斉藤環×福田和也
浅田 『批評空間』で連載されていた『存在論的、郵便的』でデビューされた
東浩紀さんの『動物化するポストモダン2』が今度一冊の本にまとまるというので、
編集委員としてもたいへんうれしく思っています。幸か不幸か、ちょうどそれが出る段になって、
東さんが本の中で論じられた舞城王太郎や谷川流がサブカルチャーを賑わしている。
そういうことも含め、いわゆるライトノベルにとどまらず、最終的には
オタク文化や文学一般を考えてみようというのが、この座談会の目論見です。
浅田: まず粗雑ながら東さんの主張をまとめてみたいと思います。
東さんは存在論的、郵便的において「哲学」という営為の解体に向かう
デリダの試みが、逆説的にデリダ派なる「哲学」徒を産み出したと論じています
。つまりデリダの主張をベタに読めば、哲学を哲学として定義することは
様々な水準で無理ということを逐一訓詁学的に真面目にあげつらうことで
哲学の不可能性を論証するということがデリダの試みだったわけですし、
むしろその不可能性というアポリアの前で躓くことなく哲学を始めてしまう
のではなく、別の語り方で哲学に類する試みが可能ではないだろうかという
のが言語遊技に見える中期デリダだというのが東さんの主張です。
浅田: しかしながら、中期を遊びとみなすならば、哲学の不可能性を論証
するというデリダの試み自体が逆に不可能性を論証する哲学として一般化し
流通してしまうという逆説を産むと同時に、不可能性というアポリアの前で
躓くことなく哲学を始めてしまうという「正義の人」デリダという像を産ん
だのだというのが大ざっぱな東さんの主張なわけです。
つまり、東さんの主張をかいつまめば、中期デリダの試みを捉えない限り、
デリダ=不可能性を論証する哲学の創始者、あるいはデリダ=アポリアに
躓かず真面目に哲学する人、というイメージの中でデリダを捉えることになる
よ、というものです。そこで東さんは中期デリダを次のように捉える。
前期デリダが行なっていた哲学の不可能性を論証するという試みを可能
にするためには、哲学と呼ばれるジャンルが前提となっている必要がそもそも
あるわけで、ラトゥール的に言えば、哲学の教科書と、哲学に従事する人々、
並びにそうした教科書と人々の結び付きを正当化する環境としての知の分配
が前提となっているわけです。
浅田: 東さんは、中期デリダはこの「知の分配」という地平の撹乱を
目指したと論じます。つまり、デリダは超越論的なものを複数化するという
試みを行なっていたのだ(=郵便的脱構築)という東さんの言葉を用いれば、
論理的脱構築では哲学の不可能性を論証することしかできない。
哲学の不可能性が逆説的に哲学の可能性でもあるのだという弱い主張しか
ここからは導けない。何故ならば、超越論的なもの、哲学という知の営みを
可能としている地平が単一である限り、哲学を肯定するか否定するか、
肯定しつつ否定するか、否定しつつ肯定するかぐらいの選択肢しかない。
郵便的脱構築を行なうことで、超越論的なものを複数化することで、
肯定や否定の身振りを何とか切り捨てられないかとデリダは必死に考えた、と
。ゲームのルールを順守する中でルールの抜け穴を見つけ出すのではなく、
ルールの数を絶対的に増やすことで、前提とされていたゲームそれ自体とは
似ても似つかないゲームを作り出そうとデリダはしたのだ、と。
柄谷:正直、だから何だという気がするけどね。
浅田: いや、いいんですよ(笑)。これだけデリダという人の主張を複雑なものにするというゲームを東さんは試みたわけで…。
斎藤:超越論的なものが複数化するという議論は私には全くわからない。
東:わからないという否認の身振りがあればいいわけです。
とりあえず浅田さんのまとめに続けると、郵便的脱構築によって、
超越論的なものが複数化するのかしないのかという議論はおいておいて
(僕は未だに本質的な議論だと思っているわけですが)、
問題は幸か不幸か超越論的なものを複数化するという戦略をとらずとも、
超越論的なものの地位が相対的に低下してきたわけです。
もちろん、地位が低下してきたということは、超越論的なものが無くなった
とか、超越論的なものの身分が変わったということを何ら意味しない。
哲学はそれでも続くわけです。ただし、相対的に哲学の営みがスケールダウン
したわけです。
柄谷:正直、だから何だという気がするけどね。
哲学だろうが文学だろうが、常に絶対的少数のものしかたずさわって
こなかったのであって、そうした状況論を提示することで何か議論が始まる
とは思わない。国家の地位が相対的に低下するからといって、
国家が無くなるわけではない。何故ならば、世界資本主義の要請によって、
国家は必要だからですよ。そんなことはマルクスに書いてある。
同様に、超越論的なものの地位が相対的に低下するからといって、
なくなるわけではない。当たり前です。
哲学にとって超越論的なものは必要だからです。
そんなことはカントに書いてある。
だから、マルクスを読め、カントを読めと僕はいうわけです。
デリダだのサブカルチャーだのにかまけずに。
リンク元どこだったっけ?
>>273-279 柄谷センセイが「正直、だから何だという気がするけどね。」を
二回繰り返してるところが最大の見所ですね。否認の身振りです。
それ何かの改変じゃないの?
283 :
273:2006/12/06(水) 20:36:00
>>273は『日本近代文学と差別』の座談会の改変だけど、
それ以下は自分が書いたんじゃないんで知らない
「郵便的不安たち」のからだろ。
本棚から手にしてペラペラめくってみたが、読む気にはならん。
手塚さんの暇さ加減には正直呆れるお
デリダ閣下の「触覚、」という晩年の主著が翻訳されたらしいですが、
ほんとうに、触覚、について書いてるの?
タッチだよね。あだち充風に言えば。
いちばん美しい日本語は「お尻を触る」だとか…
そうですよね、
いうまでもなく、あほ毛のほう
ここらで、一発堅いホンダ車、評価はウナギ犬だろうに。
>>282 もちろんコピペでしょうが、
二回繰り返すところはパロディになってますね。
291 :
考える名無しさん:2006/12/07(木) 19:49:23
再就職できなかったら危うくヲタ系フリーライターになるところだったあずまん
あずまんはきれいな清貧
フリーの編集者だった頃には不動産も借りられなかったが、
大学で非常勤講師をするとすぐに借りられるようになった(大塚英志談)
大学で非常勤講師をしたら片思いのあの娘が振り向いてくれた。
巽なんとかというひとの「論理の蜘蛛の巣の中で」という本は、
佐藤友哉たんはあの人らの代表みたいに扱ってた。
「西尾など」とか、「舞城など」とは書かず、佐藤などとゆやたんが代表格だと分かる書き方をされてた。
手塚さんも、同慶を得たわけだ。
ただ、ここ以外でそういう扱いをされてるのは見たことない。
非常勤って要はアルバイトのこと
だから非常勤講師≒フリーター≒フリーライター≒フリー編集者
舞城と記す恥かしさに耐えるためにはいっそのこと佐藤と記してしまおうという機制
作品の内容の話ではなく、これはパフォーマンスの問題なんです。
非常勤講師≒フリーター≒フリーライター≒フリー編集者>無職=しろうと
ということ?
東大教員(=北田暁大)>国立大教員(=浅田彰)>公立大教員(=宮台真司)
>私立大教員(=福田和也)>非常勤講師(=あずまん)>無職(=鎌田哲哉)
>>300 福田の務めている慶応は給料がいいのだが。
給料の話などしてない
303 :
考える名無しさん:2006/12/08(金) 03:14:00
東京工業大学 卒業生1300人
2006年度入社予定 東工大新聞調べ
(参考:慶應義塾大生の卒業人数は7800人)
49 トヨタ自動車
38 日立製作所
35 キヤノン
29 富士通
27 東芝
23 本田技研工業
22 富士写真、ソニー
21 NTTデータ
20 NEC
19 三菱重工、
15 デンソー
14 ブリジストン、三菱電機、シャープ、リコー、石川島播磨重工
13 東京電力
12 大日本印刷、NTT東日本、東レ、インクス
11 JR東日本
10 松下電器
----------------------------------------------------------------------
ここまでで467人 東工大卒の3人に1人が上記大企業へ就職
----------------------------------------------------------------------
9 旭硝子、NTTコミュニケーションズ、大和総合研究所、中外製薬、日本IBM、富士ゼロックス、三菱化学
8 野村総研
7 凸版印刷、ファナック、リクルート
6 NTTドコモ、旭化成、新日本石油、新日本製鐵、大成建設、竹中工務店、日揮、清水建設、富士通研究所、セイコーエプソン
4 電通、日本テレビ、ゴールドマンサックス、キーエンス
2 フジテレビ、Google、博報堂、
なにこのアホな流れ
就職いいのに、その割には工学部人気がた落ちだそうだね。なんで?
306 :
考える名無しさん:2006/12/08(金) 03:49:23
色。
>>305 事実上の六年制だし、遊べないからじゃ。
東の次の世代とかもういるの?浅田の次の世代が東で、まだその次はでてきてない?
前島賢。
311 :
考える名無しさん:2006/12/08(金) 09:54:10
東はなにやってんの
313 :
考える名無しさん:2006/12/08(金) 13:10:31
もうあずまんには飽きたよ
あずまんの次の人マダー?
314 :
考える名無しさん:2006/12/08(金) 13:27:18
東 浩紀(あずま ひろき、1971年5月9日 - )
1993年『ソルジェニーツィン試論
『存在論的、郵便的――ジャック・デリダについて』(新潮社, 1998年)
『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』(講談社, 2001年)
出るとしたら1980年以前に生まれたものだろうか
そのまんま東?
317 :
考える名無しさん:2006/12/08(金) 15:19:47
そして俺が新世界のあずまんになる
by 菓子折り馬鹿院生
319 :
考える名無しさん:2006/12/08(金) 19:17:57
ここで、今一つ俺が言いたい事がある!
「宇宙ナマコ!!!」
東大教員(=北田暁大)
>国立大教員(=浅田彰)
>公立大教員(=宮台真司)
>私立大教員(=福田和也)
>非常勤講師(=あずまん)
>予備校講師(=鎌田哲哉)
>無職(=しろうと)
30年後に勲章をもらうことは確実な北田。
それに比べてあずまんは……!?
通りすがりに、
KO教授の方が、体型はともかく、かっこよさげだ。
子供を慶応付属に入学させることが容易だと考えると
慶応の教授の方がお得。
宮台も同志社にでも行けばいいのに(一時期そういう噂が流れていた)。
付属小学校はお得だよ。
最近ここは寂しい?感じなので、ポエムを書いたので読んでください:
おれが首つりといつたら三十cmの舞台にのせてくれ
おれが飛びおりといつたら紐なしバンジーと思い捨ててくれ
もしも おれが飛びこみといつたらぷよぷよをもつて遺言としてくれ
もしも おれが練炭といつたら佐藤利奈は和解してくれ
もしも おれが樹海といつたらみんなコンパスをとつてくれ
どんなに真面目にやってもネタにされるんだから
どうせなら哲学芸人になってTVとか出まくればいい
326 :
考える名無しさん:2006/12/09(土) 04:27:55
ダチョウクラブかい? しかし、
東がやらねば、誰がやる!
そのまんま東浩樹会
328 :
考える名無しさん:2006/12/09(土) 10:51:07
しろうとのブログのヘッダの女の子かわいい
それだけ
洋もののおんなのこって、すごーーくかわいいよね。
日本人だとそんなにかわいくはないけど。
さいたま先生はオタクはロリを現実で実行はしないとか書かれてるけど、
これはこうしたところが原因だろう。
ただ、洋もののおんなのこの場合、劣化も早いんだね。少女っぽい感じが
なくなるの…そうなると、見てらんない
330 :
考える名無しさん:2006/12/09(土) 12:16:20
宮台は全知全能。
>>329 皮膚しか見てねーのか
骨格考えると大人の白人女性はいいぞ
333 :
考える名無しさん:2006/12/09(土) 13:52:53
ギターは、メジャーコード
C,D,E,F,A,Bと、
ド、レ、ミ・・・が弾けるようになった。
「タイトなドラマー」
よし今月はコレでいってみよう!
334 :
考える名無しさん:2006/12/09(土) 16:44:57
がんがれ
335 :
考える名無しさん:2006/12/09(土) 17:14:26
おぅ
スレの劣化激しいので無理矢理書き込んどく
コードギアスに関して以前は「政治シチュエーション萌え」って捉え方で
ネガティブに考えてたけれども、ちょっと違うかもな?
アニメって政治の現状を反映するメディアだけれども
甲殻機動隊以降は「国家 vs 国家」ってイメージできなくなったけれども
コードギアスって、9、11以降の政治を無理矢理イメージ化しようとしてるようだ
なんだか解らなくなってきた
アルチュセールの言う「重層的決定」って、このことか?
メタに見たらどうこうとかより、単にアニメ作りが上手いんですよ。
この前の放送も、時間枠ギリギリ使って、余韻なしで終わってます。
これは、暗転による時間経過を挟んで、空を見てるみたいな落とし方が
平凡な手法だと思うんですけど、ギアスでそういうヌルイことはしない。
尻尾まで餡子が入っている、コーンまでソフトが入ってる、みたいな。
アニメに限らないことだけど、現代的にはむしろ過剰に平凡にすること、
すなわち非凡な平凡が目指されるんだが、そうではなくて逆の場合は
伝統的な、平凡な非凡で留まるにすぎない。
まあその差異化の戯れみたいな、俺は分かってる俺こそが分かってるっていう
硬派オタクなんかは、それでじゅうぶんなんだろうけども。
ただその硬派は、戯れに留まらないことを目指しているんであろうから、
より過激にするべきなんじゃないんですかねと思う。
いわば、餡子まで尻尾が入っている、ソフトまでコーンが入っている、というくらいに。
>現代的にはむしろ過剰に平凡にすること、
>すなわち非凡な平凡が目指される
よく「難しいことを簡単に言うのが難しい」とか言うんだけど、
現代の哲学・文学・美術…とかは、自明だと思っていることを
解体したり異化したりします。デュシャンの泉とかですね。
それはよく分かるんだけど、アニメとかラノベでそれをやっても
受けないですね。村上隆とかがやればいいんじゃないですか。
おまいらむりやり考えすぎだって。
ギアスはクリエイターのセンスの良さとプロデューサーの薄っぺらい思想(と表現法)のせめぎあいのバランスの上にあるんだよ。
視聴者に(卑怯にも)一方的な思想を刷り込みたければ暗喩で示すとか方法はありそうなのに、世界地図をそのまんま出させて、
日本とアメリカをそのまま使わせてるのがクリエイターの足枷になってる。
竹Pが寝ぼけたことをしてる間に、スタッフと視聴者はずっと上の次元で作品を捉えはじめてると思うんだ。
>>340 村上隆が「受けてる」わけじゃないでしょ
というか、村上的なものを「受けてる」と見なして、地べたのラノベやアニメをそれより軽視する発想には、
悪い意味でのサブカル洗脳の影響を感じざるを得ないわけです
閾値を超えたものしか参照せずに知ったふうに語る、あるいはそういう人々を不当に重く見るんならあずまんと変わらないですよ
なんか書いててワレオタみたいになってきたな('A`)
>>340 「平凡なほど非凡、非凡なほど平凡」ってのは、さいたまが綿金にした評価だな。
村上隆はどうでもいいが、純文学的なんだろうか?
綿金にしろラノベ的なのだから、やってもいいんじゃないの?
それと自明じゃないことは異化できないと思う。
話は変わるんだけど、うんこにコーンが入ってたら驚かないが、
コーンにうんこが入ってたらちょっと驚く。これは異化どころじゃない。
世界そのものが解体されるんじゃないか。
>>336 むしろ「コードギアス」の元ネタになったといわれる(おそらくそうだろう)
「デスノート」のほうにこそ、「9、11以降の政治」というものが
無意識ではあるにせよ表現されているだろう。
このスレはあずまんスレなので無理やりあずまんと結びつけると、
かつてあずまんは「ユリイカ」の「攻殻機動隊SACシリーズ」特集での
神山監督との対談で、9.11以降戦争と警察行為の区別があいまいになり、
国家権力の弱体化とテロ組織のようなグローバルな組織の重要性が
主張されているにもかかわらず、「SACシリーズ」では
攻殻機動隊=公安9課(つまり国家権力)が犯罪者を取り締まるという図式に
貫かれているために、時代遅れなものになっているのではないかという疑義を呈し、
SACシリーズを現代的なものにするためには9課を解散し、
NPO組織のようなものに変更する必要があるのではないかと語っていた。
このようなあずまんのアイディアは、対談後に製作された「攻殻機動隊SACSSS」では
使用されなかったのだが、あずまんのアイディアを先取りして作られた作品が
あったのではないだろうか?つまりそれが「デスノート」ではないかということだ。
承前
「デスノート」では、近代社会において自明視され続けた国家権力の絶対性
というものは簡単に相対化されている。
まず第一点として、デスノートの力は国家権力に勝るということ。世界中の警察が
キラを血眼になって探そうとしても、(Lの力を借りなければ)全くキラには
太刀打ちできない。
そして第二点は、力だけではなく正義もまたキラの手にあるということ。
硬直した法システムに対し、民衆が常日頃抱いている不満を汲み取り、
キラはいとも簡単に国家を超える正義を掲げ、それは多くの人々に支持されている。
そして「デスノート」はその物語において、キラ(個人)、警察(国家)、
ヨツバ(企業)、Lやニアの属する組織(NPO)といった様々なセクターが、
すべて対等な対場で戦いを繰り広げるさまを描いている。
これは国家が他のセクターに対して優越する近代的な物語とも、
大企業が他のセクターに対して優越するサイバーパンク的・80年代ポストモダン的
な物語とも違う、9.11以降の現実を抉り出した新たな物語を成立させたといえるだろう。
そして「コードギアス」もそれを継承する。現在のところはルルーシュ(個人)、
ブリタニア(国家)、イレブンのテロ組織(NPO)の三つ巴の攻防が描かれるのみだが、
近いうちに企業、もしくはそれに類する組織が描かれるのではないだろうか?
うんことコーンは換喩として正しいから「不意打ち」のようなおどろきはない
だが配列を違えるとそうではない。違えるだけでいいのだ
それは現象的にも別のものだ、「え、この苦いの、もしかしてうんこ?」
まったく別のものなのだが、しかし、うんことコーンとしての結び付きは残っているんですね
だから、偽日記のひとも書いていたけど、ロートレアモン的こけおどし、退屈さは回避されます
このようなマグリット的親和性によって、セカイは解体され、驚くべきものとして、
われわれのまえに再びその姿をあらわすことでしょう
きれいなうんこ
コードギアスに関しては結局「家族の和解」が主題って予想してる
まあ、現在進行形だからなんとも言えないけれども
裏切ってくれたら「名作」になるかもしれないけれどもw
あずまんは氏賀の新著に言及をすべきではないか。
動物化した人間と人間化した動物というキアスムは動物的ユートピアを実現する。
それはデスノートどころか、デスパンダとデスキリンの跋扈する、動物化するポストモダン世界だ。
そこでは動物園の客、すなわちわれわれのメタポジションは剥奪されてしまう。
なぜなら動物園の出口のゲートは、より大きな動物園の入口のゲートだから。
動物園は世界のシネクドキだ。
動物園化するポストポストモダン世界はユートピアではないのだ。
押しつけられたパーツからいかに政治色を抜いてエンタテインメントを作るか、が谷口の発想だろう
ここから政治的な複雑化に向かうとは思えない。むしろ向かうと思ってしまうところに論者の視野狭窄がある
夕方までいい流れだったのに…
アニヲタウゼー
>351
新しい論点щ(゚д゚щ)カモーン
そう、娯楽を創るためには、政治などの「問題」(蓮実のいう意味での)を
建前として織り込まないといけない。
でもその政治は表層的な意匠で、といって深層もない、まさにパイパンフラットなものでしょう。
その建前とベタに戯れてくれるオタクは硬派なのか軟派なのかわからんが、良い消費者ですね。
>皮膚しか見てねーのか
>骨格考えると大人の白人女性はいいぞ
骨格…
まったく考えてなかった…虚を突かれた
アニメばかり見てると、そういうところからは遠のくからね
皮膚…
肌触りとかは大事だよね。どちらにしても僕には関係ないか
>>341 >視聴者はずっと上の次元で作品を捉えはじめて
…たりはしないですよ。むしろ下の次元で捉えている。
ルルの仮装に萌えるとか。でもそれ位がいいんですよ。
>>342 いや、海外とかアートという土俵では受けてますね。
ブランド力で何千万も値が付いたということを
過小に見るのは甘いと思いますけどね。
>>343 おはぎに針が入っていたら、人が信用できなくなるみたいな。
東なら動物・身体・神経のレベルの不安とか言うでしょうが、
単に慣れてるから驚くとかじゃなくて、悪意を感じるんだと思います。
>>344 むしろ東的には、デスノートは名前のデータベースに見えるんじゃないですか。
人間の政治的コミュニケーションを短絡した、個人情報による環境管理型権力。
死神とかはおとぎ話だけど、住基カード・ネットとかは現実にあるわけだから。
>>345 それはちょっと安易な気がしますね…。法システムの外部にあるからすなわち
正義だというのは短絡的だと思う。例えば、天災で人が死んでも正義じゃない。
キラは誰が悪人かという判断をメディアに頼っており、その点で超越者じゃない。
「おはぎと針」の組み合わせが「悪意」と安易に説明・分類付けられる点で、
既知の世界内ですよ。
こういってよければ、「悪意」のデータベースに登録済みです。
例えば鬼隠し篇のそれは、主人公のステレオタイプ的想像力の所産ではありませんでしたか?
そのようなDBからの引用はほとんど無意識的です(だから東は注目するわけです)。
そしてフロベールのいうように紋切型は自然とくちにしてしまうものでしょう。
異化はその反対に自然を脱自然化する。フロベールは内破を試みたわけです。
これは既知ではない。未だ世界にない。既知の世界は解体される。
だから、針のなかにこそおはぎをいれるんですよ。
上でしろうとさんが言ってた暗転のようなものは
エウレカにたっぷり入ってますが、エウレカもまだ不十分で
より徹底的にヌルーくすべきなんですよ
動物たちの楽園のために
>>357 >針のなかにこそおはぎをいれるんですよ。
いや、針の中におはぎは入るでしょう。
それは事実レベルの驚きに過ぎないですね。
内容と形式のレベルの違いもありますね。
鬼隠し編では、TIPSが客観的・中立的な
記述を装っていたのが、段々主人公の
主観に内在してくるのが面白いわけです。
>>359 >いや、針の中におはぎは入るでしょう。
>それは事実レベルの驚きに過ぎないですね。
自分は針のなかに入ったおはぎという「事実」を存じないんだが、
そもそもそういう話ではなくて、「針のなかのおはぎ」や「コーンのなかのうんこ」という「事実(?)」は、
ただちに紋切型で自然化してしまっている「現実」、
たとえば、比喩として「餡子まで尻尾が入っている」「針のなかのおはぎ」を
つい自然と持ち出してしまうような「現実」を否定するでしょうということですよ。
ロートレアモンにはクリステヴァによる改変が必要だったでしょう。
ついでにいうと、鬼隠し編は、パラディグム的世界はどうしてもサンタグムとして
しか書かれ得ないというエクリチュールの本質的な問題が面白いと思いました。
舞城王太郎『SPEEDBOY!』や映画『マインドゲーム』なんかも同様の主題ですね。
コードギアスから遠く離れて
×たとえば、比喩として「餡子まで尻尾が入っている」「針のなかのおはぎ」を
○たとえば、比喩として「餡子まで尻尾が入っている」「おはぎに針」を
でした。
コードギアスのモチーフも、マトリックスのシュミレーショニズムみたいなもんと思うが。
ネオが薬と注射器を隠していた本が、『シミュラークルとシミュレーション』という「引用」
も、(あずまんも指摘していたと思うけど)とても表層的であるように。
とはいえメシアニズムまで表層的な軽さになるのが面白いところですが。
ついてけんわ…
アニメとギャルゲーを知らないと理解できないスレになっちまった
まあ斯くようにアニメとギャルゲ―が現代の文学青年(少女)の潜在的需要を満たしているわけだ。
嫌な時代だw
こうしてみると、なんのかの言ってさ、
表層に戯れるよりも意味解釈に励んでるほうがオタク的だな、と思った。
オタク的ってのは、よれよれのネルシャツを着てウェストポーチをお腹に巻いているような意味。
そんでさ、たとえば「コードギアス」の政治的イデオロギー?のモチーフも、
ワレオタ理論(「オタクの考えは全部アニメの中に出てるので、見ればわかる。見てきた奴らなら、わかる。」)
によるならばオタクの考えなんだろうが、別に、アニメの中にその考えを入れる必要はない。
だってエッセイかなにかに発表すればいいんだから。
いやもちろんアニメで主張してもいいんだけど。でも必須ではないんだ。
したがってそれはアニメのアニメ性、つまりアニメ固有のものではないということ。
・・・すると、オタクとアニメは関係ないんじゃないの?
ワレオタ理論の瑕疵はこの点を見逃している点じゃないかな。
>>360 鬼隠し編は圭一による「事実」の物語制作の失敗の話で
それが「カケラ紡ぎ」というより大きな視点での物語制作と韻を踏むんですよ。
哲板的に言いますと
この物語の「事実」はニーチェのいう虚構(フィクション)や
大森荘蔵のいう過去制作のことですね。
しろうとさんのいうようにメタであるTIPSの存在はすごく面白い。
阿部和重みたいで。
ベイトソン読んだほうがいい。お勧めは天使のおそれ。あれはすごい。セカイ系の経典じゃなかろうか。
>>360 針が大きいかおはぎが小さければ可能ですね。でも問題は
そこじゃなくて、現実の否定は、ギネス的・三面記事的な
事実ではなく、構造のレベルで行われないといけない。
フローベール的、さらにジョイス的な過剰な描写の問題ですね。
つまり、対象が非凡ではなく、こちらの視点が非凡になる体験です。
細部に注目しているうちに地と図が反転するみたいなことかな。
しろうと、フラゲ脳化してない?気をつけろ。その先は渡部直己だぞ!
>>366 ひぐらしの設定の性格上、三人称の地で書きにくいので、
客観的な情報はTIPSに回すのは自然でしょう。でもそれを
本編を相対化するような形で入れているのが割と上手かった。
解編でボロが出てくるけど、物語のリアリティが首の皮一枚で
繋がってるとすれば、それはTIPSという形式だと思いますね。
雛見沢症候群とかくだらない。呼吸法で惨劇が防げたんだから。
逆に言うと、TIPSに書かれていることは事実だけど、本編は
そうじゃないかもしれないよ、といった約束事の形成をもっと
上手くやれば、納得できる形になったかもしれない。ところが、
お疲れ様会とか、正解は1%とか、そこら辺が凄く下手だった。
今思いついたんだけど東浩紀って西城ひできに似てない?いやそれだけだけど。
>>365 支持する人が違うんじゃないですか?例えば、デスノートはオタクが支持した
かどうかですよ。サブカル的なものが2ch住人に受けるのかも知らん。
だから、2ch住人の好みに合うようにしろという要求なのか、どうか。
prideの五味隆典にも似ている。
>>368 >針が大きいかおはぎが小さければ可能ですね。
>そこじゃなくて、現実の否定は、ギネス的・三面記事的な
>事実ではなく、構造のレベルで行われないといけない。
可能と事実は違いますよ。
ひぐらしの主人公は、針を渡されていたらおはぎを想像できなかった。
針のなかにおはぎが入るという事実と可能性はまったく違うからです。
そして「おはぎのなかの針」と「針のなかのおはぎ」とで配列、
つまりおっしゃるように構造レベルの変化があるということ。
だからむしろ、「おはぎのなかの針」という紋切型にたいしてこそ、
「針が小さいかおはぎが大きければ、おはぎのなかの針は可能ですね」
といわなければならないでしょう。
これはフロベールからベケットの流れです。中原昌也なんかがやっていますね。
可能と事実の違い、ステレオタイプの異化ともかかわるけれど、たとえば
自らたたかう少年→たたかいを拒否し続ける少年、といったふうな範列変化、
「コーンまでソフトが入ってる」的平凡な非凡に喜ぶのは、
このスレでいうところの硬派オタクだけじゃないのかな。
>>370 お疲れ様会はメタの指標でしょう。
TIPSやオヤシロ様の足音、またノベルゲームそれ自体もそうで、
少しずつ準備してゆく。下手かどうかは分からないが。
ミスディレクション目的であれば退屈ですけどね。
虚構であること、物語であることの強調ととってたんだが。
>針が大きいかおはぎが小さければ可能ですね
>呼吸法で惨劇が防げたんだから
こういうのはふつう「物語のリアリティ」といわず、現実主義とか、
現実と虚構の混同とかいうんじゃないかな。
どうでもいいけどちょっと気になること
その程度のことを言うだけで何でフロベールとかベケットを持ち出すわけ?w
しろうとにしてもちゃんと読んでるのかよ
そんなとこまであずまんに影響受けなくていいぞw
ゆうこりある
>>376 着想を得て持ち出しましたと出典を書かないと怒る世の中だからか
ワレオタさんのように「現実効果」か、どちらかだなw
しろうとが
>>368でフローベールとジョイスを同列にしているところが、読んでない感じ漂うな
ちゃんと読んでたらこういう仕方でラノベに熱中しないと思う
中条省平みたいなスタンスになるだろう
哲板なんだから、アニメやギャルゲやラノベなんかより、
フランス文学のほうがはるかに相性いいのは当然だろう
このスレは異常ですよ
382 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 16:00:45
>>381 > 哲板なんだから、アニメやギャルゲやラノベなんかより、
> フランス文学のほうがはるかに相性いいのは当然だろう
>
> このスレは異常ですよ
それが何故かあずまんの範疇の中でこじつけてください
すんません、ごくごくトーシロの質問なんですがよろしいでしょうか。
東氏は環境管理型権力なるものの不可避性と危険性、さらに批判困難性を以前から
言っておられますが、環境管理型権力の定義がいまだによくわからないんです。
まず支配する主体(階級)と支配される客体(階級)がそれぞれ誰なのかがわからない。
またそれらが具体的に示されないならば、力という言葉はつかえても、権力という言葉を
使う必然性がなくなってしまうのではないでしょうか。
384 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 16:37:14
>>383 力=power
権力=powerの和訳
いいたかったのは環境管理能力と環境管理型権力の差異が東氏の中で曖昧なのでは
ということです。環境管理能力というのはニュートラルな力、環境管理型権力
というのは環境管理能力を手段として誰かが誰かを支配・決定することでしょ。
だから支配・決定する誰かと支配・決定される誰かが明示されないのならば
権力という言葉を使う理由がないのではないかと。
>そんでさ、たとえば「コードギアス」の政治的イデオロギー?のモチーフも、
コードギアス?
はいいとして、リヴァイアスとかスクライド、プラネテスはいいわけ?
>>375 虚構を虚構だってのは一部のブンガク君だけでさ
一般人にとっての虚構は現実逃避か現実の説明かのどちらかなわけですよ
「呼吸法で惨劇が防げたんだから」っていうしろうとの言い分は正しい
お疲れ様会の楽屋の光景は虚構であることを暴露してしまうので許せない
ゴダールがマイクをカメラを撮影風景そのものを映画に映してしまったり、
俳優がカメラに向けて話し掛けたりして、つくりものであることを暴露するのは許せない
ということですよ
現実と虚構を混同するための妨げになるから
表層に戯れる軟派オタクは画像掲示板に、
「これ俺の彼女」
といってギャルゲのSSを貼り付けることができる。
「現実と虚構の混同を装う」という軽快な身振りだ。
それに比べたらコードギアスはにゅるい。
389 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 17:42:20
難破オタクw
軽快な身振りww
390 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 17:42:51
何こいつらwwww
キモスwwwwwww
>>387 ドラマなんかの、都合よく止まってくれるタクシーという紋切型演出に、
「ありえない、そんな都合よくタクシーは来ない」という批判がありますね。
「現実」はそんな都合よくない、と。
これは虚構と現実を混同しているんですね。ドラマは現実ではありませんから。
(しろうとさんも言及していた)たけくまメモの夢オチ批判が、
現実の夢と虚構の夢をあっさり混同してしまっているようなものです。
でもリアリティある物語と物語のリアリティは違うでしょう。
小説でも映画でも、客車に主人公と向かい合わせに座った美女が、
それ以降出てこなかったらおかしい。「フラグ」は何処いったのかと。
でも何もおこらない方が間違いなくリアリティがある。
アントニオーニやゴダールが批判的にかどうかやっていますね。
物語のリアリティというのは説明しづらいけど、
『LOFT』という映画に、中谷美樹が物音に驚くシーンがあって、
驚いてから物音がするんですね。このシーンがとてもいい。
もちろん「現実」にはありえない。タクシーが止まってから手をあげるようなものでしょう。
うまくいえないんですが、そういうことじゃないのかな、と。
こういうの全部、東のせいだから
393 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 18:01:05
虚構の「伝達作用」があるわけですね。政治でもプロパガンダに
使われたわけですから、どう思います?
メディアに支配されているから、ある種、虚構で、ある種真実
芸術から言えばメッセージ性が考えられますね。
映画学については、論じるのは難しいですね。メディアの性質
とメディアの本質の問題になりますね。
「オーディオビジュアル圏」と活字メディアとの性質の違いですね
>>383>>385 >まず支配する主体(階級)と支配される客体(階級)がそれぞれ誰なのかがわからない。
ああ、ビッグブラザーのイメージじゃないよという話ですね。
権力に支配する権力者が必ずいるとは限らないんですよ。
その問題意識で宮台真司『権力の予期理論』があります。
でもまあ非人称的な権力観が受け入れ難い場合は、
政府レベルから企業レベルの権力に移行した、位で
捉えればいいんじゃないでしょうか。「法人」ですから。
>>385 >環境管理能力と環境管理型権力の差異
あずまんに対して「“環境管理型権力”ではなく“環境管理能力”
というべきなのでは?」といったとしても、あずまんは、
「それでいいんじゃないの」と答えると思う。
つまりフーコーの生権力からインスパイアされて作られた概念だから
「権力」って使ってみただけで特に「力」と「権力」の区別はしてないと思う。
ただ「権力」って言葉の持つ反権力的なニュアンスが影響しているのか
どうかは知らないけど環境管理型権力について書かれた「情報自由論」が
反権力的な色彩になったことを理由に出版を断念したといってるから、
もし「情報自由論」が単行本化されるなら、環境管理型権力ではなく
環境管理能力って用語が採用されるかもしれない。
396 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 18:08:05
>>395 イデオロギーによる情報封鎖という感がありますね。
だせば危険視されるでしょう。悪用される場合もある。
しろうとの話はしろうとスレで
>>383 >まず支配する主体(階級)と支配される客体(階級)がそれぞれ誰なのかがわからない。
という不可視なものが、オーウェル的な権力との違いでしょ。
支配者/被支配者という明確な区分ではなくて、
被支配者自らが被支配者を支配、拘束してしまうような権力構造。
「権力」ってことばを使いたくなかったら、「環境管理型力」といえばいいんじゃないの?
日本語力とかコメント力みたいで、いいと思うよ。
398 :
397:2006/12/10(日) 18:09:44
あ、ごめん、少しかぶっちゃった。
>>391 >もちろん「現実」にはありえない。タクシーが止まってから手をあげるようなものでしょう。
ああそれはジジェクの言う幻想の効果と現実界の知の問題ですね。
例えばディズニー的アニメで空中を歩いて下を見てから落ちるという。
自分が死んでいることを知らない幽霊(それを知ってから本当に死ぬ)、
だとか因果関係の転倒は、心的現実のレベルでは受け入れやすい。
例えば、高度経済成長によって、団塊の世代が労働市場に参入できたのに、
団塊の世代が高度成長を起こした(「我々団塊は高度成長を支えた」)という
錯覚が起きるとかですね(橋爪大三郎が取り上げてたらしいですね)。
400 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 18:17:32
権力関係であればフーコーの影響ですね。ある種その通りですが、
「環境管理型」であれば、アドラー的な「権力」が人間の根本である考え方ですね。
それからニーチェからですがまともに解釈しているとは思えない。
「環境管理型力」ではだめでしょう。
「相互監視型権力」言ったほうがいいでしょう
>>395 >環境管理型権力について書かれた「情報自由論」が
>反権力的な色彩になったことを理由に出版を断念したといってるから
「権力」という概念が入っているから出版はできないというのは、
それこそ環境管理型権力ですよ。アイロニーになってますね。
>>400 >「相互監視型権力」言ったほうがいいでしょう
東が動ポモで参照・言及からデータベースに移したのと同じで、
データベースが権力の発生源だと言いたいんじゃないですか。
例えばマックの硬い椅子の例では、設計者がいなくなっても
椅子という環境は残るし、権力状態も残るわけ。「作者の死」。
>>386 >コードギアス?
>はいいとして、リヴァイアスとかスクライド、プラネテスはいいわけ?
いや、別にワレオタ理論でもいいんですよ。意味の動物になったって。
プラネテスは傑作だと思うけれども、どこかノスタルジックじゃないですか。
たぶんハードSF(という言い方でいいのかな)的コードに従っているから
だと思いますが。ハルヒが参照しているそれとは全く違いますよね。
しろうとは忘れた頃に同じことを熱くしゃべり出すな。
たとえ話も同じで、名人芸の域になっしてきた。
406 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 19:09:24
やっぱ哲板といえばここだよな
しろうとも八十九歳になり、少し老人になったらしい。
しろうとの老化は汚い老化
ディズニーの話とマックの椅子はもう飽きたけど、
しろうとはこのままで良いと思わせるよな
落語みたいですね。でもブログの方に労力を注ぎたいので。
あずまんの老化はきれいな終わらない文化祭前夜
バイト敬語を使いこなすしろうとはブログの方に力を注ぎたいと思っている。
しろうとは益々利口になり、万事賢くなりたく思っている。
東って意外にディシプリン型権力(フーコー)の人であって
コントロール型権力の人じゃないんだよ
「情報自由論」もそこから読まなきゃ
「 ますます賢く
しろうとも八十九歳になり、少し老人になったらしい。
しろうともいくらか老人になったらしい、しろうととしては少し老人になりすぎたらしい。
いくらか賢くもなったかも知れないが、しろうとになったのも事実らしい。
しかし本当のしろうととしてはいくらか賢くなったのも事実かも知れない。本当の事はわからない。
しかししろうとはいつ一番利口になるか、わからないが、少しは賢くなった気でもあるようだが、
事実と一緒に利口になったと同時に少し頭もにぶくなったかも知れない。
まだ少しは頭も利口になったかも知れない。然し少しは進歩したつもりかも知れない。
ともかくしろうとは少しは利口になるつもりだが、もう少し利口になりたいとも思っている。
しろうとが少しずつ進歩したいと思っている。しろうとは段々利口になり、進歩したいと思う。
しろうと少しずつ、いい人間になりたい。
いつまでも進歩したいと思っているが、あてにはならないが、進歩したいと思っている。
しろうとは益々利口になり、いろいろの点でこの上なく利口になり役にたつしろうとになりたいと思っている。
しろうとは益々利口になり、今後はあらゆる意味でますます賢くなり、生き方についても、
万事賢くなりたいと思っている。
ますます利口になり、万事賢くなりたく思っている。しろうとはますます利口になりたく思っている。
益々かしこく」
お答えどうもです。
なるほど、非人称的な権力観、被支配者自らが被支配者を支配、というのは
わかります。マルクス-フーコー的な考えかたですね。
ただ、僕は「1984」的権力こそ非人称的権力の究極だと思います。
あれはもはや権力のための権力の話ですから。
あれがオールドタイプで東氏のヴィジョンがニュータイプという差異化はちょっと
見当違い(東氏自身の)だと思います。なぜならしろうとさんがいうように、
>でもまあ非人称的な権力観が受け入れ難い場合は、政府レベルから企業レベルの
権力に移行した位で捉えればいいんじゃないでしょうか。「法人」ですから。
のようなニュアンスを東氏の言説は多分に残している、つまり環境管理型権力
はいまだ何かのための(ここでは企業の利益のための)権力なわけでしょう?
まあ自分のことはいいですよ。東に話を戻すと、
情報自由論は環境管理型権力の理論編で、
ギートステイトが応用編みたいな感じなんでしょう。
しかしですね、来年の一月に連載開始と予告すると
同時に遅れるかもね、ということも予告しちゃうのって…。
鈴木健も抜けちゃうし、何か良くない予感がしますね。
>>415 そうでもないです。
たとえば監視カメラの設置は一般の住人が欲してますし、
mixiの住人は自分のページに来る足跡を確認している(=監視している)わけです
左翼連中は、企業は広告等によって、一般住人やネットユーザーが
本来は有していない「監視したいという欲望」を喚起し、それにより
利益を上げているというでしょうが、そのような疎外論的アプローチ
(人間は本来相互に監視などしないはずだ!)は人間の本性などといった
観念を否定する(「人間は死んだ」byフーコー)現代思想に忠実で
あり続けるあずまんからすればとりえない立場でしょう。
すまん、しろうとのブログを失念してしまったからキーワードプリーズしまつ
>>417 いわゆる「左翼」でしょ?でも大きくいえばフーコーだって宮台だって左翼だし
東氏だってそうだと思う。でないと
>>401の話だって皮肉にならない。
>>418 ああなるほど。東氏はあの頃ちょっと大げさにぶちあげすぎちゃったと。
>>421 そだった、ありがとう思い出した。「理論」でしたね。うんうん。
さっそくはてブ。てか頑張ってるなぁ…
コテ叩きは醜いよ、「理論」知ってるなら「理論」でやったら?
正々堂々と「はてな?」に殴り込んだらいいと思う
??????
>>415 >環境管理型権力はいまだ何かのための(ここでは企業の利益のための)権力なわけでしょう?
環境管理型といっても(被)支配者の自縄自縛的構造だけでなくて、
堅い椅子どころか、権力の椅子だって残されてるわけです。
DBの依存する記号分析を思い出せば、バルトはそれを、
流行の仕掛け人と言いませんでしたっけ?
あずまんだって、どこの誰にも従事しない権力、
権力なき権力みたいなユートピアを考えてないと思いますよw
権力構造の差異は、選択つまり倫理の差異ですが、やはりキセルとかマクドの椅子とかがわかりいい。
この、たばこの自販機の例もわかりやすいですね。
ttp://d.hatena.ne.jp/zoot32/20060916
そういや、フローベールとジョイスの区別ついてない件については、
やっぱりスルーしてるね
フローベールからジョイスへ、という流れに
エッシャーとピカソと同じ構造を感じます。
つまり、空間の非整合性が外在化してくると。
フローベールもジョイスもリアリズムだよ
内面的リアリズムと言うべきか、とにかく描写至上主義だわな
なんであれ外在化させる発想を必要以上に共通のコードで結びつけてそこで思考停止してはいないのかと
431 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 21:56:34
しろうとのブログって小学生の壁新聞みたいだな。
>>429 そう。客観の徹底が徹底した主観になる。
「呼吸法で惨劇が防げる」という現実主義的幻想の批判なんですよ。
はてなで管理社会が萌えるなんて書いてるひとがいた
小説にしろアニメにしろ、管理社会を描くことはもうできないんじゃないか
コードギアスにしたって何を描いていても同様に消費されてしまうんだよ
>>431 情報が色々あって、その中に広告もある形にしたいので、
すっきりお洒落モダンなデザインにはできないんですよ。
436 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 22:15:45
現在放送中のテレビ
2006/12/10(日) 22:13:07
NHK総合の勢い: 326res/分 21:15〜22:30 NHKスペシャル『ワーキングプアU』 ←これに注目!!!
NHK教育の勢い: 3res/分 22:00〜00:15 芸術劇場
日本テレビの勢い: 52res/分 21:30〜22:24 行列のできる法律相談所
TBSテレビの勢い: 25res/分 22:00〜22:54 世界ウルルン滞在記
フジテレビの勢い: 51res/分 22:00〜23:15 スタメン
テレビ朝日の勢い: 300res/分 21:00〜23:39 日曜洋画劇場40周年特別企画「ラスト サムライ」
テレビ東京の勢い: 6res/分 21:54〜22:48 ソロモン流
437 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 22:18:29
デザインじゃなくて、必死さが。
>>435 自分でCSSいじりまくればいいじゃない。なんでデルタなの
>>438 将来的には他のブログサービスと共通させるために
一つのCSSで統一させるのが理想なんですが、面倒。
ダサい大手サイトはよくあるし、見栄えはアクセスに
繋がらず後回しになりますね。最近やっとトップ絵が。
>>439 トップ絵が前見た時と今日変わっていてよかったですよ
しろうとは仕事止めたの?
>ダサい大手サイトはよくあるし
ほらほら他人を持ち出さないの。
それにしろうと君は大手サイトじゃないでしょ。
443 :
考える名無しさん:2006/12/10(日) 23:03:54
ぴか の常駐スレって、どこ?
パプリカの時田君はあずまんがモデルだお
北田 セクハラ で書き込みできなかったので、試しに
このスレだけは無礼講なのかな?
社○○での、 の 同僚の 件は、その後、どうなったのかな?
と、宮○スレに、書き込もうとしたら、書けなかった。
北田とは無関係。
ここは伝統的に治外法権ですから。
451 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 05:25:05
452 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 06:46:52
ポストモダンと情報社会 / 東浩紀 特任教授
月曜5,6限 単位数2−0−0
*大学院生も価値システム専攻科目「世界文明2006C」を受講することで東先生の講義を受けることができます。
講師紹介
東浩紀:哲学者、文芸評論家。1971生。
ジャック・デリダを中心とした現代思想の深い理解をベースに、哲学からアニメやネット等の若者文化までを鋭く論じる気鋭の評論家として活躍している。
主な著作に『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞)『動物化するポストモダン』『網状言論F改』『網状言論S改』等がある。
講義概要
「ポストモダン」「ポストモダニティ」は、毀誉褒貶があるが、現代社会・現代文化を考えるうえでいちどは理解しておきたい概念である。
本講義では、「ポストモダン」の意味を明確にしたうえで、その条件として情報社会化を捉え直し、ポストモダンの概念の再構築を図る。
「ポストモダンとはなにか」「規律訓練と環境管理」「リバタリアニズムとサイバースペース」「二層構造の社会」といったテーマが中心になる予定。
参照される固有名は、リオタール、フーコー、ローティ、ノージック、レッシグなど初心者向けなので、これらの著作を読んでいる必要はない。
受講者は、講師自身の著作である『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)と「情報報自由論」(
http://www.hajou.org/infoliberalism/)を一読しておくことが好ましい。
453 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 07:07:48
今日の東工大授業って、ある?
454 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 07:24:14
455 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 07:49:45
先週の分しか書いてないように思えるから聞いたんですが・・・。
457 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 07:56:47
間違えた
本日東工大授業休講にします
カテゴリー[misc]
投稿日時: 2006年12月04日04:32
今日の東工大の授業は、病気のため休講とします。取り急ぎ。
これ見りゃわかるんじゃね?
458 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 08:01:55
「4日」って書いてるから、11日の今日はあるのか?って
聞いてるんじゃないんか?
投稿日時: 2006年12月04日04:32
見ろよな…
460 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 08:35:24
初心者には分かりづらいんじゃね?
あるかないか、言うてやればいいじゃんよ?
461 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 11:44:07
ずまそん、今日はどんな授業やるのかな?
例のブログの人、そっこうup期待してますよ!
今日も遅刻したら連続記録更新だな。
463 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 14:16:59
トースト口に挟みながら「チコク、チコク〜」って登場する機会を
うかがっているのだよ。
464 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 14:56:51
あのキングスライムみたいなあずまんに曲がり角でぶつかったら、そうとう吹っ飛ばされるだろ
「・・・み、見た?(かーっ」(すごく遠くの方で
465 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 15:07:33
君も東工大であすまんと握手、ってウケました。
独りで爆笑してしまったオレって。
あずまんって、意外と2ちゃんねるとか好きそうだよね。
「チコクチコク〜」でおなじみの「学園エヴァ」だけど、
あずまんはあれを最終話に持ってきたメタ構造は時代が反映されていると
とても評価していていた。
で、あれをやった庵野は偉いというあずまん評価になるのだが、
スタッフインタビューなどを読むと、あのアイディアを土壇場で出したのも
演出したのもすべて鶴巻であって、庵野はほぼノータッチだと
いうことがわかる(庵野は他の作業に忙しくてそれどころじゃなかった)。
つまりあの頃からあずまんはなんでもかんでも監督に帰納させて
アニメを語るしか能がなく、集団制作というのもをよくわかっていなかった。
その後あずまんが、エロゲーをシナリオライター「個人」で語ったりして、
ラノベや新海といった「個人」製作ものへと批評の軸を移していくことは
なにやらわかりやすいですね。
だから、集団制作になったとたん、深海について語らなくなるw
> あずまんって、意外と2ちゃんねるとか好きそうだよね。
何を今更。
時間に暇があるし、毎日はてなと2ちゃんをチェックしているそうだから、
普通の2ちゃんねらーよりよっぽど依存している。
東はいつの間にこんなにプロヴィンシャルになったのだ?
>>465 意外とどころか、講義で毎回2ちゃんの話してますよ。
ミクシーとはてなも
てか、今日のあずまんのりのりで超面白かった!!
それにしてもこの東、ノリノリである
>>443 剛・伊藤にとっては、エヴァはサブカルだったわけですね(笑。
エヴァはロックというより、クラシックであって。
>小説家になるのはやめたほうがいい 厳しい道だ
>批評家も無理ですね
>物語とか意味とか主題とかは社会全体としてはなくなっていくけれど
>意味がなくエンターテイメントを消費していくこと
>動物化
東はエンタテイメントは昔からそういうものだと(楽しみのために見るものだと)
知らないのだろうか。
らんま2/1や、ドラえもんで十分なわけで、オタクは昔からそうだよ。
哲学的テーマはない。近代文学じゃあるまいし。でも、それがエンタテイメント。
宝塚がそう。劇団四季も同じ。
>>466 >なんでもかんでも監督に帰納させて
>アニメを語るしか能がなく、集団制作というのもをよくわかっていなかった。
いや、映画における作家主義というのが半世紀前からあって、
なぜそれが出てきたかというと、素朴な印象批評や物語批評
とは別の軸で語るためなんですが、ここで集団制作を強調
し過ぎると、誰々が何日に現場に来なかったせいで〜とか、
事情通の業界人の楽屋話ばかりになってしまう。そうではなくて、
仮に監督が座っているだけだとしても、監督の名の下に語るわけ。
もっとも自分的には、単に作品名で語った方がいいと思いますけどね。
「宝塚」を「シニシズムをもって見る」のは、エリートだけだ。
宝塚に失礼ですよ。そもそもミュージカルってのは音楽的快楽なのであって、
何がポストモダンか。
>>473 >小説家になるのはやめたほうがいい 厳しい道だ
それ講義か何かで言ったんですか。いつもの話ですけど。
そういう説教的なことは通俗的な書き手が延々と書くから、
東が言う必要性を感じないですね。説教って誤配の逆だし。
分かってない奴が誤配しないように取り締まっていくという。
そういう2chにも転がってるつまんない台詞を言ってほしくない。
>476
講義のupからの引用だよ。
>例えば切腹
> 皆が死ぬのは無意味だと思っている
> 誰も死ぬ必要がないけれど儀式を貫徹させるためにやる
> 全く意味がない
江戸時代の話だが、忠臣蔵の切腹は無意味か。
あずまんへの道は険しい道
主君のあだ討ちのために努力をし、大晦日に討ち入りし、最後は切腹でケリを
つける。だから、「泣く」。無意味に泣いてるのではない。
忠義のために命かける話。
無意味に泣いているわけではな泣くために、泣く。
構造的にはセカチューなんかと一緒。ナルシズム。
まあ切腹は無意味だな。貫徹するためという無意味という意味。
切腹が無意味だという根拠はどこにあるのか。
切腹したこともないのに。
出典はコジェーヴだろ?
ていうか、切腹の意味云々じゃなくて切腹を無意味だという意味だろ、話は。
ワレオタ的破瓜型というか動物というか(笑
形式を完遂するためだけの行為が無意味というのなら
そもそも意味のある行為はどれほど存在するのか。形式美や祝祭は無意味?
まあ形式主義はきまって無意味さを指摘されるわな
貫徹するための行為、つまり目的的にまでなると形式というより形骸化だな
だから無意味(ナンセンス)
古来エンタテインメントは無意味なものじゃなかったか
ことさらにポストモダンだの動物化だのいわれる類いのもんじゃない
あなたの古来ってレトリックの使い方がポストモダンなんですよ
>エヴァはロックというより、クラシックであって。
くわしく。
まさかとは思うけど、バッハとかを使ってるというだけの頭の悪い話じゃないだろうね。
講義が人間の復権なんていう落ちだったらオタクたちはどうするんだろう。
蜘蛛の巣が切れて暗闇に落ちてゆく底辺の住人たち。
あずまんはニーチェの超人嫌いそうだしな
大いにあり得る
>蜘蛛の巣
「論理の蜘蛛の巣」という本が出てました。多重に
張られている蜘蛛の巣を
落下するのは、かえって容易ではない。
494 :
考える名無しさん:2006/12/11(月) 21:05:46
東はダントツの人気だよな。
それでバイト講師ってたいへんだよな。
おまえらも今こそ恩返ししろよ。
>>488 ことさらにいうからこそポストモダンなんだよ
>>493 落下はしない。蜘蛛の糸は底辺に張られているんだから。
多重に張られていることは落下しないということを隠している。
肯定的な意味合いでの「無意味」だろ?
無意味の地面なくして意味は成り立たないんだろ?
それはちょっとドゥルーズの意味の論理学っぽい
このスレって、現代思想系の言語に慣れてる人と、
そういうものに触れた経験のないオタの人が混ざってるのが面白いね。
現代思想系の言語に慣れてると、
>>483みたいな話は意外に新鮮だな。
言われてみればそうだw
意味の地面なくして無意味は成り立たない。
だから肯定的な無意味、意味の零度というユートピアを志向するのだろう。
ドゥルーズの「蜘蛛」って、話者マルセルに適用したのは覚えているけれども
なんの映画からインスパイアしたんでしたっけ?
切腹は抗争の終結など、社会的意味合いがあるから
さほど無意味ではないなぁ。
コジェーヴもバルトも日本のことをよく知らないから
適当に例として選んだのだろうけどさ。
だったらもっと無意味だけど形式的形骸化として
ヤクザの小指詰めでも例に挙げればいいのにw
504 :
考える名無しさん:2006/12/12(火) 00:03:29
>>478 >授業どこやってたかわからないがこういうときのために
>はてなダイアリーがある
読み始めてすぐに噴いたww
>>502 まあ西洋中心主義の相対化のための例だから
コジェーヴは園崎家の地下を例にとるべきだった
>東はエンタテイメントは昔からそういうものだと(楽しみのために見るものだと)
>知らないのだろうか。
>らんま2/1や、ドラえもんで十分なわけで、オタクは昔からそうだよ。
でも近代の終わりに現われたんじゃなかったの?
それにらんま2/1(いくらなんでもこれはひどいw)やドラえもんに
どのようなオタクの主張が入ってるのか。
主張などなく、「楽しみのために見るもの」なんじゃないの?
あずまん 「世界は動物化している!」
ワレオタ 「オタクは近代のどん詰まりから動物だった!」
インドの因習、後家殺し や
アフリカの因習、陰核切除も「無意味」か?
形骸化?→無意味? そういうのを短絡思考と言うのではないか?
>>508 ちゃんとコジェーヴの言っている文脈で考えてる?
サティや割礼が無意味だという根拠はどこにあるのか。
単著もないのに。
切腹にしても、自殺することが無意味と言ってるのではなく、無意味に儀式化され、
様式化されていることを指して言ってるんじゃないの>日本型スノビズム。
>>506 読もうと思えば、男と女の入れ替えは意味があるよ。
元々は男の主人公が女になって乳丸出しにしてるんだもん。
それも漫画で記号化されてるし、性的なものが無化されてるでしょう。
ドラえもんだって、ありゃ駄目な子を成長させる母性の一つのモデルとして
読めるよ。しょうがないなあノビタ君はってドラえもんがぼやいてさ。
原作ではノビタも成長したりするんじゃないの?アニメは長々やるために
相変わらずだけど、映画は成長物語になってるし。
楽しみながら、モラルやモデルケースを学ぶ意味が物語にはあると思うんだけど、
そんな常識も最近の小説とかアニメを見てると分からないのか。
たしかにポストモダンで物語は死にかけてるね。
けど物語がなくなるとは思えないから、今だけの現象だと思うよ。
コジェーブが言うところの「無償の自殺」、「すっかり形式化された価値に基づく」自殺とは
「社会的政治的内容をもった「歴史的価値」に基づいて遂行される
闘争(←ここが重要)の中で冒される危険とはなんの関係もない」自殺のこと
(A・コジェーブ 『ヘーゲル読解入門』 国文社 p247を参考)
主奴の弁証法において何の位置も持ち得ないような自殺
所与を否定し変貌させない行動が問題になっており
コジェーブのヘーゲル的世界観、「歴史の終末」の観点なしに、この問題を扱うことはできない
>513
あのだな、「主君の仇を討つために」、命賭けるということで、無意味とは。
「お家再興のために」命賭けるわけでね。無意味に死んだりしてないよと。
忠臣蔵の話知らないですか?
>506
エンタテイメントがわからない。驚かされる。落語に意味はないが、優れた芸術
であり、人々を幸せにする、という「意味」を持つわけだ。
やれやれ
驚かされるよね。もしかと思うが、押井の「ビューティフルドリーマー」
のように、明確に「意味」のわかる作品が上等だなんて、思ってない
でしょうな。
意味なんてものに還元できないから、「芸術」なんで、還元できたら
ただの「思想」になっちゃう。
そういうのを宮台真司は分かりやすくキーワードにしてますよ。
「意味より強度」って。一時期の宮台はこれしか言ってなかったのに…
最近は「表出より表現」?だったか真逆のことを言って強度だけじゃ
駄目だなって反省して意味を求めアジア主義らしいですけどね。
>>514 あくまで問題は切腹であって、仇討ちではありません
コジェーブは、ヘーゲルの思想をひもときながら
「歴史」を絶え間なくつづく命がけのイデオロギー闘争と解釈しています
そして、問題はこの「歴史」における切腹です
519 :
続き:2006/12/12(火) 02:05:21
まさかと思うが、「構造」のある作品が優れている、とか明示的な意味の体系
があるから良いとか思ってないでしょうね。
例えば、「ドラえもん」と「ハットリくん」は「物語構造」は全く同一である。キャラクター
の配置もコマ割りも同一。主人公がメガネをかけてるとこまで同じ。ユメコちゃん
と静ちゃん(ヒロイン役)、ジャイアン・スネオ役にいたるまで同一。描線も同じ。
困った時には忍術の力で、あるいは科学の力で助けてくれるという構造も同じ。
日常の中に一人の「異物」がやってくるというパターンも同じ。
つまり「構造主義」文学批評上は、全く同一で差異を見つけられない。しかし、無論
ドラえもんは世界的名作で、ハットリくんはただの子供向けのエンタテイメント
なのだ。「構造」では差異を見つけることができない。
「構造」とはただの入れ物(お皿)であって、その上に盛られた内容で勝敗が分かれる
のだ。
520 :
続き:2006/12/12(火) 02:12:14
構造上は同一作品である、ハットリくん・怪物くん・オバQ・ドラえもんの
区別さえつかない。片方はF先生の作品、片方はA先生のもの。
同じように見えるが(構造上は同一)違うのだ。
オタクが評価するのはF先生の方だが、構造主義上は区別がつくまい。
ただのエンタテイメントである、と同時に違うとこがあるわけだが、構造上
は同じに見えるわけでね。
>>520 言いたいコトはわからんが、ハットリくんにはあやまれ。
ああもううぜ
やめろおまいら
揉めるのは楽しいからもっとやってくれ
廃墟になって以下略
> オタクが評価するのはF先生の方だが、構造主義上は区別がつくまい。
,.――――-、
ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、
| | (・)。(・)|
| |@_,.--、_,>
ヽヽ___ノ A先生の扱いがひどすぎるでござる
の巻
>>515 「人々」って誰だ?
幸せじゃない「人々」は、落語をわからないからか。
優れた芸術をわからないからか?
わかるものだけがわかるのだ。
という排除はオタクの悪い癖だ。
>524
A先生自身、才能の違いを認めてるし、売れてる冊数が桁違いなんだよ(>ドラと
ハットリ)。
だけど、「日常の中に異分子一匹」という物語は同一だから(つまりドラえもん
の物語構造は非常に凡庸なのだ)そこでは区別がつかず、差が説明できない。
ドラは劇場版まで展開できるし、それだけのポテンシャルがあるのだ。
しかし、マンガ記号上は同一と言って良いのだ。記号の使い方はね。
>>518 切腹は責任を取るためだ。いくらあだ討ちとはいえ、封建社会における反乱・クーデター
・殺人行為なんだから、討ち入りは。切腹はしなきゃいけない義務だし、正当化
できない。切腹覚悟で、討ち入りに行ったわけで、主君の恨みを晴らすと同時に、
その違法性(殺人行為)も認識し、自ら責任を取る。
それが武士ということだなあ。
「らんま1/2」と「ドラえもん」というふしぎな組み合わせですが、
主題論的に見ると、「バスタブ」に注目するわけです。
>>514では羞恥心からか、なぜだか落語に話をそらせてるけども、
オタクの主張はこの「バスタブ」にある。
なぜなら、「オタクの考えは全部アニメの中に出てるので、見ればわかる。
見てきた奴らなら、わかる」から。
いったいなに考えてんだか。
>>526 あんた、武士でもないのにてきとうなこというなよ
>>519 差異を見つけられないじゃなくて、同一のものを見つけるんだよ。
構造主義的批評の歴史的価値は、構造は閉ざすことができないということ。
そもそも先鞭となったバルトの「物語の構造分析序説」では、読者の存在と、
構造の外部である「物語状況」が素描されていなかった?
そんで最終的には反復の不可能をエディプスの比喩になぞらえていた。
『S/Z』では複数化、立体化の試みをしていたでしょう。
・・・ていうか、ワレオタ氏はなんで「構造」の話をはじめたんだ?
反復の不可能性kwsk って言っても誰も答えてくれないだろうからいつかわかる日を願うのみ
>意味なんてものに還元できないから、「芸術」なんで、還元できたら
>ただの「思想」になっちゃう。
「オタクの考え」ってのは思想なんじゃないの?
それと意味や作者に還元するのはワレオタさんだったような・・・。
ついに軟派オタクに転向したかw
>529
東や夏目や伊藤や竹内やらが、「構造主義的」批評に見えたからだよ。記号論的
と言ってもいいが、「差」が説明できないのは変だよ。
そもそも例えばあらゆる推理小説の物語構造は同一で、それではなにも論じたことにならない。
>528
本格的な反乱(江戸幕府を倒すような)の場合は切腹などしない。ブルジョワ
革命と言っていい明治維新の場合は。
でも、明治新政府を倒そうとした西郷の反乱は許されず、自害・切腹している。
忠臣蔵は封建秩序を侵犯するミニ反乱だね。
>>532 豊臣後おそよ300年のあいだのことを
コジェーブは「「歴史の終末」の期間の生活」と言っているんだが・・・
主のイデオロギーが義務としているからこそ討ち入りを行い
同時に主のイデオロギーに則って自殺するということが
コジェーブにとってどう見えるかを考えればいいと思うんだ
>533
つまり、本当に「歴史が終焉」してるなら、ペリーが来航した程度で、ブルジョア
革命(明治維新)なんて起きないわけです。
コジェーブは江戸を天下泰平で切腹は様式化したみたいなこと言ってるが、それは
表面で、実際は農民一揆や大塩平八郎の乱など、政治・社会的動乱の可能性
を秘めていた、と考えていいでしょう。
忠臣蔵事件はその一こまであって。
ペリーが来たとき、ホントにスノビズムなら、すぐ植民地化されてますよ。
一見泰平の裏で、何かがあったと考えるべきで。
まあ、ヘーゲル的な歴史観は歴史の運動を語る際
地理的偏差などを考慮しておらず
現実とは合致しないかなり大雑把なものであることは繰り返し言われています
が、あくまで問題となっているのは
ヘーゲル的な歴史観における豊臣後300年の武士の生活であり
コジェーブ的な歴史における行動です
恣意的に或る行動に意味があるだのないだのと論じても埒があきません
きちんと理論を提示してください
>>519>>520 >例えば、「ドラえもん」と「ハットリくん」は「物語構造」は全く同一である。
>つまり「構造主義」文学批評上は、全く同一で差異を見つけられない。
それは粗雑過ぎ。ドラえもんの場合は物理法則を簡単に超えられるので、
ハットリ君やパーマンより自由度が高いけど、そういうのも構造。ちなみに、
キテレツはもっとドラに近いけれど、主人公が道具を作る点で異なります。
>>532 >そもそも例えばあらゆる推理小説の物語構造は同一で、
>それではなにも論じたことにならない。
「殺人の犯人を探偵が推理する」というようなことは
構造主義批評という程のことではないでしょう。
誰にでも分かることです。それではあまりにも粗雑です。
例えば、江戸川乱歩が「類別トリック集成」というのを
書いていて、推理小説のトリックの類型を整理しています。
そこで密室殺人の構造が浮かび上がってくるわけです。
あるいは最近では笠井潔が探偵小説論を書いていますが、
殺人と近代の大量死、探偵と都市の遊民との関係性を
論じています。これも構造です。(笠井は現象学好きだけど)
重層化され蓄積された知識層からの視点でつね
>>532 哲板で言うまでもないことだと思うんだけど、
構造主義的分析は社会・歴史を括弧に入れた静的な構造を目指したんだよ。
>「差」が説明できないのは変だよ。
ではなくて、差異があるなかから同一のものを抜き出したんだよ。
つまり「差」は前提というわけ。構造は閉ざせないんだよ。
>>534 ワレオタさんはコッポラ娘の『ロストイントランスレーション』を
百ぺん観た方がいい。視線がどこにあるのかを考えたほうがいい。
あと「歴史=物語の終焉」の果てに割腹自殺をした人がいましたが、
あれは無意味といっていいんじゃないでしょうか?
>>530 ここだけ引用してもわかりにくいから全部読むといいですよ。長くないので。
もはや古典といえるでしょうが、論文自体が「物語」的で楽しめると思います。
《人間は自分が知ったこと、経験したことを、たえず物語に注入することができる。
しかし少なくとも、ある形式のなかに注入するのであって、まさにこの形式が、
反復に打ち勝ち、生成のモデルをつくりだすのである。》(「物語の構造分析序説」)
ばななの小説には構造しかないってどういうこと?
>532
>東や夏目や伊藤や竹内やらが、「構造主義的」批評に見えたからだよ。
竹内って誰?
なんであずまんスレって午前3時過ぎると急に書き込みが活発になるの?
どういう人が書き込んでるの?
546 :
考える名無しさん:2006/12/12(火) 08:15:42
朝青龍を超える日本人力士が早く出ていて欲しい
ウホッ、いつもながら混沌としてて素晴らしい。
>>516 >明確に「意味」のわかる作品が上等だなんて、思ってないでしょうな。
もちろん「意味」をわかりにくくして、謎々あそびをするつもりじゃないでしょう。くだらない。
エンターテインメントは昔から楽しみのためにありましたが、これはいくらなんでも幼稚すぎる(笑)
例えばエヴァで、「赤い色は嫌い」と赤い少女が言う場面がありますね。
そこから、赤→血→生理→と連想して、これは成熟の拒否を「意味」するような謎々。
なるほど上手い、これは上等だ。などと感心するのは幼稚で、それこそ成熟の拒否なのかと(笑)
あるいはまた、作者の言ったことと「答え合わせ」をするようなことも同様です。
俺の解釈とは違う。あんたの解釈とは違う。なんなら直接監督に言ってみればいい。
「俺の解釈」が唯一の「意味」なんだから、と。たったひとつの意味、解釈。
これでは構造主義よりもさらに前にもどってしまう。
というより、それなら作者の言ったことだけで十分で、作品を観る必要が無い(笑)
>542
翻訳しやすいということ。
海外で評価されたことへの妬みということ。
>>543 あい
>>519 >「構造」とはただの入れ物(お皿)であって、その上に盛られた内容で勝敗が分かれるのだ。
勝ち負けの問題じゃないと思うけど・・・。
オタクに限らないが、勝ち組/負け組といった二極化は不自由な話だよ。
「構造は入れ物」って考えは構造主義やそれ以前の考えだが、
文学体質のひとの言葉とは思えないな・・・。
それこそ「ひぐらし」をやるべき。
上のほうでしろうと氏がTIPSに関して述べていることをよく読んで。
>>536 「粗雑だ」という意見は重々わかるし、受け入れますよ。でも例えば物理法則なら
「忍法むささび」で空を飛ぶか、タケコプターで飛ぶかということで、同じだし。
「忍法」だって法則は無視するから。
竹内オサムや竹内一郎がマンガのコマ割りを論じてるが、FもAも「四段ワリ」で同じ
だし、描線だって〇(マル)を主体としてて、差がつかない。
それは、構造や記号で作品を見るためで、「構造に還元できない意味」のようなもの
が欠けるからじゃないですかと。
夏目マンガ学は記号に還元するわけだが、それでOKなのかという疑問。
東だって、「構造しか見ない」とか言ってる。
549>勝敗
芥川賞レースとかで、東が「清涼院はいい」とか言って、ごり押そうとしてませんか?
理由は構造を解体した推理小説だから、か?
551 :
考える名無しさん:2006/12/12(火) 19:46:30
>>550 >物理法則なら「忍法むささび」で空を飛ぶか、タケコプターで飛ぶかということで、同じ
四次元ポケットとかタイムマシンとかもしもボックスとかありますね。自由度が高い。
>「構造に還元できない意味」のようなものが欠けるからじゃないですかと。
いや、単に差異を見出したいなら、表層に近い構造を見ればいいだけです。
FとAに絞って構造化してもいいけど、他に応用できないからしないのです。
例えばそれはCLAMPの個々のメンバ差には適用できないかもしれません。
この辺は、現象がハードに近い視点で、構造がソフトに近い、という感じかも。
構造批評の意義は、実存的な語りとは別の軸で語るためにあります。
これを見た頃は何歳で、俺にとってはこれこれの意味がある、みたいな。
世代論に還元していくこともあるけど、他の人にとってはどうでもいい。
最近の東もそういうモードになってきましたが、郵便本はまた別の姿勢です。
DVやセクハラ、パワハラなど、現代社会は、精神的暴力の管理に
たいへんに敏感になりつつあります。
しかし、これはたいへんに難しい要求です。なぜなら、いま言ったように、
精神的暴力については、なにが暴力でなにが暴力でないか、
決定するのがきわめて難しいからです。極端なことをいえば、
暴力をなくすためには、ひとびとのコミュニケーションそのものを
断ちきるしかありません。会話がなければいじめもありません
(「無視する」のがいじめになるのは、一方で会話が交わされているからです)。
ひとびとのあいだにあるていど親密なコミュニケーションがあるかぎり、
それは必ず、のちに暴力として再解釈される可能性を秘めています。
子どもたちが仲良く遊んでいた、教授が院生に夜中まで指導していた、
という状況が、解釈の枠組みが変わると、すぐいじめやパワハラに化けてしまう、
私たちはそういうリスクを抱えた社会に生き始めています。
チャーリーへのパワハラを正当化しようとするあずまんw
>>552 『自由を考える』に比べて領域が縮小していますが、
その分細部にまで踏み込んだ観察を期待します。
ギートステイトが1月に開始すれば、ワンツーパンチ。
人生はワンツーパンチ
汗かきベソかき歩こうぜ
>>550 >構造や記号で作品を見るためで、「構造に還元できない意味」のようなもの
>が欠けるからじゃないですかと。
構造分析の果てに、「構造に還元できない意味」のようなものが、
構造に還元できないことで見出せることが構造分析の意義ですね。
意味や解釈などは読者個人がやってればいい。
唯一の意味などはなくて、各々の関心からしか解釈できないんだから。
こないだ覗いたときはフローベールとひぐらしの話だったのに、
いまは赤穂浪士や忍法むささびの話してるスレと聞いてやってきました。
>>550 もっと端的に言うとこういうことでしょうか。
数学的な「1」とか「2」は現実には存在せず、
現象レベルでは常に「1円硬貨」「2匹の猫」とか
具体的な意味を持って立ち現れているんだけど、
「1+1=2」のような関係を抽出すると、極めて
応用が効きます。これが構造主義の考えです。
対して、「俺にとってあの一年は特別な一年だった」
という風に形式に還元しないで語ることもできます。
しかし個人の人生は他の人にとってはどうでもいい
場合も多々あるので、個々の読者がするのはともかく、
批評において禁欲することにある程度の意味はあります。
>>552 あずまんは本当に対談本しか出さないね。
あと、五十嵐はなんでこの企画からはずされたんでしょ?
あずまんの決裂癖はともかく北田の見解は?
東京論ということで秋葉原を語るのなら必要な人材では。
ここのスレの人は清涼院とか本気で(東云々抜きで)面白いと思ってるのかな。
俺は面白くもなんともなかったんだけど。
阿部和重は才能あると思ったけど。しろうととかどうよ。
>>550 >549>勝敗
>芥川賞レースとかで、東が「清涼院はいい」とか言って、ごり押そうとしてませんか?
>理由は構造を解体した推理小説だから、か?
文学賞を受賞することが勝ち、そうではない小説は負け、といった
このような勝ち組/負け組的発想が不自由じゃないのという話ですよ。
文学賞=権威ってことなのかな。
オタクのひとは変なところで権威主義なんだなあ・・・。
>>562 面白い、の質が違うんじゃないかな。
読後に本を叩きつけたくなる感が面白いとか。私はそう。曹操や芭蕉て。
音楽賞を形骸化させたおニャン子クラブ的面白さ?
だとしたらそれもかなりふるいんじゃない?
俺は読後に本を叩きつけたくなる感すらなかった。
くだらなすぎて。
阿部和重なんてただの文学じゃん。
>竹内オサムや竹内一郎がマンガのコマ割りを論じてる
オサムも一郎も相当ダメな部類だが、それでもまだオサムは一応有意義な
議論をやろうとしてる。この二人を一緒くたにしてる時点で、ワレオタさ
んはマンガ論を読めていない。
ていうか、本当にダブル竹内の本を読んだかどうか怪しいな。
読んだ奴なら、分かる。
才能あると思わせるより面白いほうがいいなあ
阿部和重よりハットリ君のが間違いなくおもしろい。スパイより忍者だな。
ハロプロ好きなところ
>>562 阿部和重は古典的な基準で上手い作家ですね。しかも、
平野啓一郎のような優等生的・偏差値的な上手さとも違う。
芥川賞前から、批評家の受けも良かったでしょう。
清涼院はラノベ基準で、アニメのノベライズ的な作家と比べて、
個性的だ、ということでしょう。またファウストグループの作家と
読み比べると違いが出て面白くなってくる、ということでしょうか。
>>571 しろうと自身の評価はどうなの?
単純に面白いか面白くないかで。
うーん、面白さの質が違うので、
何と比較するかですね。
本当はガジェット的なのが好きで
自分的には古典的に上手い人は
苦手ですね。萌えどころがない。
またカフカとかジョイスと比べたら清涼院は、
本人の派手な宣伝(大説)とは裏腹に、非常に
常識的ですね。平凡な非凡という奴ですか。
でも並の作家と比べたら面白いですよ。
今の文学界、村上龍がいれば要らない作家ばっかり。
しろうとって「読者」「批評家」「東ファン」という括弧の取り外しが意図的に
できない天然系の人なんですね。悪い意味じゃないです。
そこが魅力でもあります。がんばってくださいね。
一般人の常識からすると、新本格やらラノベやらは
非常識度でカフカやジョイスを軽く越えてしまってる。
まあオタクは非常識だから。このスレで把握したことだけど。
>>571 >芥川賞前から、批評家の受けも良かったでしょう。
それは反対じゃない? 批評家の受けが良くないと受賞できない。
例えば、高度経済成長によって、団塊の世代が労働市場に参入できたのに、
団塊の世代が高度成長を起こした(「我々団塊は高度成長を支えた」)という
錯覚が起きるとかですね(橋爪大三郎が取り上げてたらしいですね)。
浩紀をすぐ忘れるスレだな・・・
せっかくあずまんが「いずれにせよ」始動したというのに
いや、それはないだろ。
いきなりカフカやジョイスとドクロちゃんを比べても仕方がない。
20世紀初頭の欧州と21世紀初頭の日本のユースカルチャーのあいだには、
人類史における文化的な一大パラダイム転換が生じている。
これを無視して語っても埒があかないし、どうしたって薄味にならざるをえない。
それは、より大きなレベルでの人類史のさまざまなボーダーレス化のひとつの
徴候だ。図式化すれば、意味から娯楽へ。
娯楽は、じつはかなりのメディア的リテラシーを前提する。
写実的な純文学を読み現実を解釈するよりもはるかに複雑で巧妙な読解を求める。
カイヨウの指摘を待つまでもなく、遊びというのは非常に知的な洗練を必要とするわけで、
それが可能になるぐらいの大衆レベルでの知的発達があってはじめて起こるものだ。
そうしたメディア環境の発達に伴ったリテラシー能力の向上が、今の日本の娯楽文化の
下地になっているから、単純にその文脈を無視してカフカやジョイスの時代と比べられない。
単純に、メディアとその読解という環境の爆発的な機会増大という、まさしくリテラルに情報
社会的な今日の状況が、ドクロちゃんやハルヒなどという意味や解釈を読みこむことそれ
じたいを萎縮させてしまうだけのフットワークの良さを持った作品を生み出しつづけている。
なお、これは手塚理論である。あずまにあよ、パクらないでほしい。かしこ。
萎縮が姜尚中に見えてしまう俺はまさに負け犬orz
おれは阿部和重よりはまだ清涼院のほうが面白いと思う。
阿部和重は登場時から本質は何も変わっていない。
彼の新しいところは、ハスミ界隈の映画に対する自意識を
小説に持ちこみ、どこまで80年代的言説で突っ走れるか、
純文学という不良債権の現場で実験してみたところだろう。
そして彼が上手かったのは、それをギャグとして実践し、
絶えず狙いを無数の弾幕のうちに隠しつづけることのできる
だけの才覚と、空気を読むことのできる狡猾さに長けてた点だ。
それは、批評家に補足されてから減速してしまった、旧世代
(例えば高橋源一郎か)の失敗を眼にしていたからかもしれない。
まあ、でも、逆にいえばそれだけの話しなのだが。
その点、清涼院が面白いと思うのは、批評的な言説を土台に
まったくしていないにもかかわらず、軽い驚きを覚える程度には
作品の骨格およびキャラクターの造形が前衛的であるという点と、
さらにいえば、それらがさして面白くないという点、この二つだろう。
前者は、新本格の探偵のキャラ化を加速させた結果だろうけれど、
その加速の量が、図らずも質へと転換してしまっている点が興味
深いといえばいなくもない。つまり、「妹が12人いるなら、こっちは
探偵を30人だ!!」みたいな(しろうと語)。
とはいえ、阿部同様、だからといって、そこまで面白くはない。妹が12人いたほうが、良い。
でも、阿部よりはおれが感じいったのは、それが、市場原理からも批評の政治的駆け引き
からも、皆目予想がつかなかったからだ。単純に探偵が増えても、殺人事件が増えても、
金も回らなければ、人気もでない。一発芸人的な興味を引くだけだ。いったい、彼は何がした
かったのか、これは変わり種の多いことで知られるメフィスト賞作家のなかでも、それらを
越えて奇妙な点だ。(作品としての出来だけを見れば、同じようにはちゃめちゃでも佐藤の
ほうが数段以上にしっかりしているし、漫画やサブカルへの耽溺という点では、京極や森、
そして西尾なんかのほうが、より方向性が見えているのは、誰もが認めるところだろう)
結論は、存在の奇妙さという点では、戦後大衆文学に足跡を残す作家として面白い<清涼院。
ま、でもどうでもいいという点には変わらない。カフカやジョイスはこれからも読むかもしれないけれど、
清涼院や阿部とかを読む暇があるなら、ナルトやシスプリを見るな。まあナルトは見ないけど。
ところで、上でハットリ君とドラえもんが構造として同じだという指摘があったけど、まあそれはそうだ。
ケロロ軍曹だって、ドクロちゃんだって、うる星やつらだって、みんな同じといえばいえなくもない。
つまり、異物がやってきて、主人公と単独に親しくなって、主人公まわりの問題を解決するという話の、
無限の積み重ねで物語が作られるという点で。しかし、これは並の知性があれば、誰でも分かること
で、それを表立って論じるにはむしろ知性の欠如が必要だw
構造主義批評というのは、何だかんだいってマルクスで、左翼批評であって、我々の日常と心理、文学
を形成する暗黙の力を告発することが目的のひとつだから、その文脈を抜きにここ、日本の現状に
適用してもただ恥ずかしいだけだ。まだ、レッシングにコミケに来てもらうほうが、前向きだろう。
ただ、ドラえもんやこち亀やナルトを一度きちんとそこに潜む誰が見ても明らかな性差別主義や人種差別主義
を告発するような空気を読めない批評家がひとりぐらい日本にいてもよいのになあ、とは思う。
けれどそれらを輸入したあのアメリカでもそうした点が騒がれていない(ナルトのすごい人気)ということは、
これもやはり大衆のメディアリテラシー能力における飛躍的な知的発達があると考えたほうがいいのかもしれない。
現実界が噴出しはじめているのが、今の日本だと考えたほうがいい。マックの椅子に腰かけて環境管理に思いを馳せることじたい
が異常事態なんだ。テクノロジーとメディアの進歩は、そろそろリミットを越え、古代の神々を再び降臨させることだろう。
手塚様、僕らに未来を見せて…
手塚理論面白いな・・・。
はてなの講義録見たけど、東いいね。追い詰められているのか、糞味噌にいっているじゃない。
要は、意味(人文、象徴界、文化)→娯楽(身体、快楽、自然)へのパラダイム転換という
毎度毎度の話しの繰り返しなんだけど、その語り口が、吹っ切れていていいね。おれも授業行きたいなあw
文体、主題、消費というのは、まあおなじみの現実界、象徴界、想像界の三幅対のことで、象徴界が
すっぽり蒸発してしまって、現実界(データベース)と、それを分かりやすく演出する想像界(ユーザーイリュージョン)
のテクノロジーとメディアだけが、人間を無限の彼方に取り残して、異常に加速している。これは、
人文的な教養を受けた人間にとっては、ただ痙攣的に笑うほかないな(にやり)という話し。
一般向け科学解説書レベルの話しというのが、悲しいところだな。
まあカッコつければ物語の不在の不在ということになる。80年代までは、「少女漫画って物語ナサスwwwwww」とかポストモダニスムの
アホどもが言っていたけど、そうした物語の不在を指摘する言説すらなくなってしまっているのが、現代日本社会なわけだ。
不在の不在、ないことをいうものがいない、という現状。
作品が、表層的な技術の巧みさばかりを競い合い云々というのは、まあさすがアズマンってとこかな。
今までは、意味論的な次元で差異を競い合っていたけど、それが身体的な次元での差異になったってことだけだが。
まあ、後者のほうが、より管理しやすいってのはある。どのブランドがいいかは、不確定要素たっぷりだけど、
どの女の子がかわいいかは、より低い階層のお話で、それゆえデータベース化しやすい。
ハリウッドなんかも、時間あたりの視覚的興奮度をとにかく増やす方向にしのぎを削っている。
キアロスタミの長回し「うざ。常識的に考えてありえないだろ、これ」
マトリックスのCGバトル「キターーーーーーwwwwwwwwwwww」
後者に対して、人文的に何かを語ることは、非常に難しい。オタク系の映画論などで特撮の変遷を語るとかなら可能だけど。
社会が中毒化している。
この「キタ―ーーーーwwwwwwwww」という言説がすでに徴候的だろう。
これは歌舞伎などの「いよっ!待ってましたっ!!」から来ているのだろうが、
「待っている」ということは、何がクルのかすでに知っているわけで、既知
の出来事がただ何度も何度もメリゴーランドのように反復しているだけだ。
「ありえねー」ではなくて、「ウホ。キタ―ーーーーーwwwwwwwwww」が
好まれる社会。
おまえらがジョイス読んでるわけねーだろ
だよなぁ…
UREA百合
エンタテインメントなんてさ、娯楽なんだから、うだうだ言う必要ないじゃん。
意味がどうとか。楽しみのためにみるもんでしょ。昔から。
忠臣蔵は消費しやすいから人気ある、エンタの王道だな。
切腹の意味がどうとかじゃなくてさ。
赤穂浪士の複数キャラは「ネギマ!」みたいなもんだろ?
オタクキショイ
みんな実はワレオタさんのこと馬鹿にしてるだろ。
そりゃそうだろ
いや俺だけは尊敬している
俺はオタクでもなんでもないからな…
手塚やしろうとのように読解や関心の対象がオタク作品に集中することもないし。
古谷がかつて東の不過視本に対して「どれはモダンアートでも言えるじゃないか」と言ったが、
おおむね同意見だった。動ポモの認知的訓練・データベースというくだりにしてもシネフィルの傾向を想起してしまったほどだ。
にもかかわらず、このスレや読者において言及される対象がオタク関連に偏っていること、
また、偏りはどうしても生じるわけで無闇に広範にすることはかえって論の成果に関係ないとするならば、東の論旨をさらに基礎レベルで改変する様子が無いこと
などが、つまらないな。
まあ、むしろ「なんでそんな俺がこのスレを見ているのか」が自分自身疑問に思えてくるぐらいだ。
東の論旨から岡崎へと関心が移行したような人はここにはいないのかね
訂正 どれは → これは
>>561 五十嵐じゃなくて森川だろ。
共通点は「建築」「太っている」「エヴァ本を出していた」ぐらいだぞw
歌舞伎の呼び掛けは間が悪いとばい菌みたいなもん、だから客席側に紛れて声かけ専門の人が配置されてる
> 既知の出来事がただ何度も何度もメリゴーランドのように反復しているだけだ。
しかしこの世に生きていて毎度望みの時にメリゴーランドに乗れるとは限らない、そうとなれば居合わせることのできた場の 間の 妙にチクチク視線差し込むより
ただ単に楽しみ喜ぶべき、反復だの動物だの、 言ってろ、と 。
で も こ の ス レ と あ そ こ し か 哲 学 板 で 勢 い あ る の な い も ん ね ('A`)
あそこ?
菜食スレ??
>>590 その「ありえねー」さえも、「ありえる」状態に使われますね。
だから「キター」とそれは交換可能で、既知のことが反復している。シジュポス的です。
これはかつて蓮実が批判してたことでしょう。
知ってることしか語らない。物語ることが知っているということだと。
象徴的なのは、
ワレオタさんが会話が噛みあってないままに長々と語りはじめる状態、
しろうとさんが老教授のように同じことを繰り返してしまう状態でしょう。
説話論の構造上は二人とも同じなのですね。
>>599 このスレが哲学的には不毛で、モーヲタと同じレベルの戯れとして東理論が語られているにすぎない
という当たり前のことをレスするのは野暮であるが、定期的にあってもよいよ。w
529、535は頑張った。俺なら投げてるわ。
初期〜中期は東理論を理解したうえでの批判的検討や妬み嫉妬がスレの主成分だったが
特に動ポモが膾炙してからの
中期〜後期は、そもそも東理論を理解してない輩が跋扈するようになったから。
初期〜中期においては批判をしていたような人間が、わざわざ東理論やら現代思想やらの
基本的な解説を繰り返さざるをえない状況になっている。
つうか小川びいはこのスレ常連だろ
「セーラームーンを子供向けアニメと評することの是非」問題のときは
あきらかにこのスレに常駐していたな。
>>599 >言及される対象がオタク関連に偏っていること
モダンアートでも音楽でもウィニーでもなんでもどうぞ。東が「美少女ゲーム」
に延々とこだわるから、そういう話の流れになるだけで。
モダンアート路線をなんで諦めたんだろうね
>「ウィニーは有用で、将来その技術は評価していただけると信じている」
ウィニーはどう「有用」なんだ。違法ファイル交換以外の使途はあるのか。
なんにしても、アングラエロゲーマーケットはこれでお仕舞いか?ウィニーが
ないと成り立たないでしょう。
>モダンアートでも音楽でもウィニーでもなんでもどうぞ。東が「美少女ゲーム」
>に延々とこだわるから、そういう話の流れになるだけで。
モダンアートや音楽の話をしたらしたで、やれサブカルだやれスノッブだ
オタクとはなんの関係もないのだこっちくるなと語りだす人がいるからでしょ
>>615 俺はオタクじゃないから知らないんだが、
「アングラエロゲーマーケット」っていうのはなに?
ウィニーの利用者って大半がオタクなんじゃないかなぁ?
アニメやエロゲーがメインなんでしょ?よく知らんが。
有用性を支えてるのはオタクで、無くなったら困るのはオタクではないか。
だからウィニーを技術的に管理することはオタク管理に繋がる。
>616
ウィニーでは何十万人ものユーザーが違法にコピーされたゲームや映画をあさってる
んじゃないの?判決文にそうあるが。アングラマーケットでしょ。ただで流され
てる。
アート自体は全然OKですよ。ただ、アニメ自体を東は全然評価しないじゃん。
東が評価するのは、客を呼べるから、そのための方法に過ぎんやんか。
哲学書にキャラクターをつけるのも、宣伝戦略としてしかみてないじゃんか。
「それ自体がアート」じゃなくて、「本物のアート」へ導くためのフックとして
しか認識してないじゃんか。
そんなことして、利用されるだけだ。それ自体が芸術なら、そんな余計な真似する
必要ない。
>617
コミケを見れば分かるとおり、オタクは「コピー」はしない。
自分で同人誌を描いて、売る、あるいは買う。
「オタクは「コピー」はしない。」
またひとつ名言きますた!!111
アフガニスたんの作者とか、どうなるのよ…いやそれだけじゃなくて(ry とか思ったが、藪蛇になりそうだな。
isedの全てのページを保存するのってどうやればいいんでしょうか?
なんかウェブサイトのページをまとめて保存することのできる
いいフリーソフトを知ってる人がいたら教えてください
>>619 コミケだけでなくコミケ以外も見れば分かるとおり、
ほとんどのオタクは同人誌を描いてないのではないですか?
同人誌を読んだことないオタクだっているだろうし。
p2pを利用しているオタクって多いんじゃないかな。
具体的なことを言えなくて申し訳ないが(オタクじゃないので)
オタク向けアニメ、オタクしか見ないようなアニメ、
といったアニメはあるんじゃない?
そのようなアニメが流通しているのであれば、ユーザはオタクでほぼ間違いない。
それに同人誌は流れていないの? 読者はオタクでしょ?
失礼。
>p2pを利用しているオタクって多いんじゃないかな。
「多い」、は言い過ぎでした。取り消します。
>>576 >それは反対じゃない? 批評家の受けが良くないと受賞できない。
それはありますが、綿矢りさの『蹴りたい背中』とか、若い娘
に賞をあげて話題にしようみたいな路線にも飽きてきて、
そろそろ普通に上手い奴にやろうか、という面もあるでしょう。
>>581 >彼の新しいところは、ハスミ界隈の映画に対する自意識を
>小説に持ちこみ、どこまで80年代的言説で突っ走れるか、
>純文学という不良債権の現場で実験してみたところだろう。
手塚さんが作家・作品の短評をやると
いつも凄い的確で面白いですね。
>>606 >同じことを繰り返してしまう状態
反復するのは、批判で主張が淘汰されていくから。
君達は批評家ごっこをしながらでないと作品をたのしめないのかね
,ィiikァil{ミk{illliミi;,,.
,ィj|}}州ト、トii州ililk{ミ;,
j}iリリ州iト、 ヾk州ililk{lli
il}jリリ州j `ヾkリト州}ili
!jliリ州ソ ,z=;- ヽヾjミii}
Y{ ヾリ ■■■■|リ
ノハ i! .:: '´,; !、 i < BUKKONUKI!!!!!!!!
ソj` :::.:. /'_';=;ィ / jヽ.
ノ 丶 :..:. j ;'ゝ-' j' / /
,イ'` ‐-..__` ‐ _、 _ノ / 'ー 、 ヴィシッ
` ー'| / }
淘汰されたことを認識できているならば反復はできない。
そうではなく、トピックに対し考えて言うのではなくて、
考えてあったことを言うから、反復するのではないか?
つまり思考が動的ではなくて静的なんだよ。
その動的な部分が哲学的強度といわれるものだろう。保坂のエッセイなんかがそう。
比喩的にいえば、データベースに新たに登録するのではなく、
DBから古いデータを引き出してコピーペーストするようなもの。
古いデータは淘汰されちゃえばいいのに。
当然じゃないか。
動物になれない者しか「動物化」なんてことを口にしたりはしない。
>>609 それはありますね。先へ進まないという。
動物本を批判するときに郵便本に還れ、
というのを自分は提唱するんだけれど、
更にデリダにまで還る必要があるかも。
例えば「コーラ」という概念は郵便本でも
出てきたけれど、これをクリステヴァだと
想像界のような前記号的な場所のように
捉えてしまう。動物化論にも似てますね。
ところが、デリダは、もっと別の何か
(第三の類)として語っています。
ただ、排除でも分与でもないというのは、
単に、ああでもないこうでもない、という
曖昧模糊とした印象でもあって、それが
郵便本では固有名と誤配の論理で整理
されているのでとても明快になったわけ。
だから東の本を哲学的に読むならば、
動物本→郵便本→デリダという順番で
読むと問題意識が明確になると思います。
あと、郵便本で「古名」というのがあったけど、
「無名」「偽名」「秘名」なんていうのがある。
「匿名」も加えると面白い題材ではありますね。
半固有名的な、プロトタイプ的な何かですね。
>>628 認識しても反復しますよ。
2chのスレより自分のブログが大事だもん。
でもちょっと面白い批判ですね。
東のデータベースも静的だとつまらない。
自分的にはDBというより「キャッシュ」の方が
感覚として近いような気がしますね。流行する
ものは記憶のキャッシュに入っていて、暗示する
だけでも、それは○○のことだな、と分かるわけです。
そして、そこで前近代からDBがあった、みたいな批判と
違う路線に入る。なぜなら、キャッシュは時間によって淘汰され、
メディアの発達によるコミュニケーションの速度が重要になるからです。
>>625 >若い娘に賞をあげて話題にしようみたいな路線
綿谷金原という若い娘に賞をあげて話題になったのは事実ですが、
芥川賞にそんな路線のある事実はないでしょう。
形骸化しているけど新人賞的側面を残したいんじゃないかな。
ただ阿部の場合は、ここであげとかないと機会がなくなるからでしょう。
春樹や課長というトラウマがありますから。
>>632 平野の受賞に関してはあなたはどういう見解でしょうか?
当時、平野啓一郎は若い娘じゃなかったと思う。
浩紀と純文学を決裂させるための受賞といった側面は否定しないが。
平野も綿矢もオヤジ殺し。
若いから受賞できたわけではない。
>>631 >コミュニケーションの速度が重要になるからです。
そうたしかに、反復、既知の繰返し、紋切型、ステレオタイプは高速だ。
速度の時代に適している。
それは考える間が無いことであり、考えるまでも無いことだから。
この両者は現象的にはよく似ていてる。あるいは同じことかもしれない。
淘汰されないうちに繰返す。淘汰された情報は忘却されてまた繰返す。
考える必要はない。DBから引き出すだけで。
というとDBだけが主体(リアル)になるが。DB利用者はリアリティ。
>>635 むろん想像でしかないが、しかし若くなかったら受賞できなかったように思われる。
八十九歳が書いた蹴りたい背中。
638 :
考える名無しさん:2006/12/14(木) 00:40:06
>>622 そういうの欲しいよね。
ツリー型のそのWebページの構造をマッピングしてくれるようなソフトでもいいから。
欲しいけど知らない。
綿矢さんの『蹴りたい背中』の最初の一文「さびしさは鳴る」が現代文学になんちゃらかんちゃらって話は聞いたことあるんですけどどうなんでしょうね
そんなんは大昔からある。
以上。
あずまんのホモソーシャルっぷりに対する指摘は幾度もされているけれど、
このスレで使われるオタク概念にも当て嵌まるように思う。
作家が男の作家を表すようにして、オタクは男のオタクを指示するだろうか?
いや、そもそも女オタクはこの世に存在しない。
ラカンをもじっていえば――女オタクは存在しない。
だってオタクの考えが全てアニメに出ているのなら、女オタクの考えだって出ている。
でも出ていない。だから、「女オタクは存在しない」。
オタク(男)にとっての女オタクは、せいぜい荻上や大野なのだろうな。
(『げんしけん』にならって「女オタク」といいましたが、オタク女のことです)
>>641 フェミ系の学者が女オタクを批判した論文があった希ガス
あと、このスレで使われるオタク概念のみならず、
批評的言説として世に広く流布している主要なオタク概念は
どれもあまり上手く女性オタクをとらえきれてない事が多いよ。
もちろん絶無ではないけど。
女オタクをとらえられないのは説明装置がないからだが
「やおい」に興味無い女オタクは居ないかのようですね。
男オタクと嗜好が似ている女オタクは、名誉男オタクとされるんだろう。
まあ荻上さんや茉莉たんがいればじゅうぶんだけどなー
646 :
考える名無しさん:2006/12/14(木) 04:21:53
平野は意外にがんばってる感じがするね。
なんかあずまんより格上になっちゃったような気がして
さみしいです。
647 :
考える名無しさん:2006/12/14(木) 04:59:13
ワレオタさん出てこなくなった?
649 :
考える名無しさん:2006/12/14(木) 14:29:35
平野はすぐポシャると思ってたけど意外と頑張るよな。
今、あずまんと勝負できるのはモブノリオクラス。
>>638 その冒頭については、これも渡部直己ですが、
冒頭のカマシとしてはいいが、心理小説の綾付けで、
テクスチュアルな域にまではいかないという見方でした。
平野については律儀な20世紀純文学をやっているという。
>>644>>645 そもそもオタクのキモさというのは女々しさが含まれています。
なぜならDQNとオタクを比べるとDQNの方が男らしいから。
だから、男のオタクに比べて目立たない。見た目がダサいとか
アニメが好きだとか、そういう形骸化した基準しか残ってないと。
しかし、やおいは男にない文化なので、これが突出してきます。
DQNとは男である。
この命題を先天的に含みながら論をすすめることで、つまり、
語による抑圧によって女を抹消できる。これは歴史的な反復だ。
しかし、やおいに無関心な女オタクに女々しさが含まれているかどうか。
だから前提として、女オタクは皆やおい好きである、といった全称命題のかたちで
女オタクは存在するしかない。
差異を設けるために、この女オタクをワレワレ女オタクと呼ぶことにするなら、
やおいに無関心な女オタクは、当然、やおい好きワレワレ女オタクから排除される。
ワレワレオタクにとって他のオタクが存在しないように、
したがって、ワレワレ女オタク以外の女オタクも存在しない。
平野を擬古文的というように、綿谷も私小説的という意味で、
律儀に純文学していますね。新作との差でそれはより明瞭です。
平野は対談好きなんですかね。
最近読んだだけでも、大江、青山真治、ウェブ進化論のひと・・・
メディア論的な主体の変容への関心は面白くないし、
対談好き同士、あずまんと喋ったらいいのにと思った。
>「ありえねー」ではなくて、「ウホ。キタ―ーーーーーwwwwwwwwww」が
>好まれる社会。
おたくは「ありえない」好きだよ。プリキュアとか……
あと「ゼーガペイン」「ノエイン」……
「ちょっwwwwwおまwwwwww」は「ありえねー」というような意味ではないですかね
>>655 「ちょっとそれありえなくなーい?(語尾↑)」っていう女子高生の語彙とかわらんのだと思う
どっかのブログで、平野は対談本中の「ブレランじゃなくてスターウォーズなんですね(笑)」
みたいな皮肉の背後にあるのは坂本・浅田ら派生の権威主義(派生物のほうが権威主義化するんだが)では?
とか書かれてたけど、その流れに見える。「90年代後半のInterCommunicationカッコイー。俺も俺も」みたいな。
俺個人でいうと東はそんなに評価してないものの、さすがに東はこんな程度にはひどくないわけで、
平野にはいちいいち相手にしないだろう。第一、紙面のコンセプトが散漫すぎないか?
まあ、平野の名前と乗り気な編集がいてしまって、執筆者を集めちゃえば、この程度の雑誌を立ち上げることぐらいはできる、ってな風景に見える。
659 :
考える名無しさん:2006/12/15(金) 00:37:32
学生集めてメルマガや同人作って満足している東さんと比べるのは
今の平野さんに失礼だと思います。
>>657 ちょっとひねって「あるある・・・ねーよwww」
でも、責任編集のあの雑誌、執筆者だけ集めてすげぇ適当に発注してる、って感じするんだが。
悪しき文芸誌体質なんだよね。そのへんのヘボさ込みで、ICの悪い傾向とそっくり。
綿矢の新しいところは、ヴィジュアルかもしれない。いや、作者の。
というのは冗談だとして、単純に作品の出来をみても、純文学という
作法をそのままなぞっただけで、とくに面白くはない。
面白くないという点が、面白くないというところが、少し新しいかもしれない。
要するに「女子高生小説」のパスティーシュを延々やっているわけで、
「お。今時の女子高生を描くのか?(わくわく)」「ッズコー!!」という、
読者(救いようのない旧世代)の期待をすかすという点で、それのみで、
批評的にひとつ頭抜けているが、だからといってどうってこともない。
こうした芸当が可能なのは、読者がテレビジィオン装置によって、
AIE主導の物語教育を受けていた時代までの話しで、古き良き時代の
よすがを残す純文学という業界でしか、現在通用しない。
女子高生小説っていうのは…
女子アナがアイドル化したみたいに、
女流作家のアイドル化路線なのかも。
綿矢も金原も佐藤も西尾も乙一も若いって言う点ではみんな同じ
小説なんて若くて馬鹿でも書けるようになったということだよ
つーか90年代っていうのは、要するに、マスメディアにおける「女子高生の発見」の時代だと、
おれはパーソナルにそう思う。オタクやヒッピー、ヤンキーなどこれまでの若者文化と異なり、
「女子高生」が特異なのは、それが「文学」それじたいののメタファーとして機能している点だ。
「文学」というのは、そのまま「自意識」と置き換えてもいい。きな臭い単語だ。
90年代は、大衆レベルで「自意識」への注目が沸きあがった時代であり、それを表象するイコン
として「アダルトチルドレン」「少年」「岩井俊次」(あるいは認めたくはないが部分的に「エヴァ」)が、
AIE主導にさながらサリンのごとく散布されたわけだ。「女子高生」もそのひとつ。
これが教えるのは、大衆と平均的人文趣味のタイムラグに、とんでもない開きがあるという点だ。
仮に80年代の浅田とハスミを人文的趣味の最先端だとすると、すでに日本では、80年代におい
て、「自意識」からの消極的離脱が起こっていた。これが消極的であるのは、例えば小林ヒデオと
異なり、同じく「自意識」の陥穽を説くにしても、ポストモダニストは、それを「まあ、それもいいかもね」
とよりシニカルに主張した点だ。ところで、大衆レベルでは、90年代に「自意識」が発見された。
「文学は青年のもの」というコンセプトは昔からあるし、
例えば大江健三郎も在学中デビュー・受賞でしょう。
年齢の問題もあるけど、ファッション化なんだと思う。
>>667 大江(や三島)と綿矢金原佐藤西尾乙一を同一視するとは思わんかったな
大江も三島も今よりはるかに東大が難しかったころに入学してて
若いころから才能も抜群にあった。
大江は平野謙に同人誌の作品を激賞されて、三島も川端に認められ
文壇デビューしたわけだ。
昨今の新人賞デビュー組とはぜんぜん違う
しかし、惑星開発委員会のようなそんな分析は興味ないんだ…。
90年代理解としては手塚の主旨は別に違和感ないが、そんな分析に汲々とするのはもう止めたい。
でも「文学は女子供のもの」というコンセプトのほうが昔からあるよなあ。
その意味じゃ、「女子高生」というのは、やっぱ正当な「文学」のメタファー
なんじゃない?
ところが、日本じゃなぜか近代以降「文学は青年のもの」という主張があ
って、それでいえば、やっと正常な状態に戻ったっていう解釈もあるかも。
紫式部に先祖返りしたっつーか。
まあ、「文学」が機能している社会のほうがおかしいという解釈もある。
先進国になった証拠は、文学が売れなくなるっていう話しもあるしね。
大江ってオーケンなんだよ。頭のめっちゃいい奴がラリッっているようなさ。
その意味じゃ雫を経由して今のオタク文化に大江を読むこともできそうだ。
妄想が延々描出されるっていう点でいえば、卑近な例だが、ひぐらしなんかもそうだけど、
オタク系の作品には出自不明な強力な妄想気分に彩られた作品が稀に現出する。
これは、まあ想像界の爆発なんだけど、大江もまったく想像界のどぶで必死にひとり相撲
していたタイプの作家なんだから、やはり両者の血縁関係というのは無視できない。
村上春樹と大江健三郎は、オタク文化と相性がいいような。
村上龍と例えば後藤明生は、オタク文化と相性が合わないような。
>>666 メタファーかどうかはともかくとしてw
日本近代文学史的に、女子高生、女学生の発見があったでしょう。
綿谷には太宰の影響があって、その太宰には「女生徒」があるんだが、
そしてもっと以前の漱石には、女学生言葉の発明があるというわけだ。
「こっちへいらしって」というあれです。「あたし、知っていてよ」
漱石の影響で翻訳小説における少女たちの言葉が「女学生言葉」になる。
これは現代において、『マリみて』に受けつがれてます。
漱石はコバルト文庫を準備した。
>>665 友哉たんと理生たんと乙一の鼎談は、たしかに頭悪そうでしたが
>>672 手塚は本当にオタク文化について知っているのか?
エヴァンゲリオンが村上龍の『愛と幻想のファシズム』や『五分後の世界』
から多大な影響を受けていることは周知だろう。
もちろん庵野が『ラブ&ポップ』を映画化したということもある。
このスレで話題のコードギアスも村上龍の諸作品の影響があるという
指摘はすでになされているぞ
あ、コバルトっていう視点があったかw
でも「女生徒」と「女子高生」は違うと思うけどなあ。
単純にスカート丈が違うw
まあ太宰は「萌え」の先駆けかも。
「セレブ」(「斜陽」)もそうだw
つまりこれらは全部日本精神分析の対象なわけ。
手塚理論だけど。
オタク作品→龍と容易に見て取れるのに対して、龍→オタクは難しいかも。
いや見て取れるかもしれないが、すくなくとも、
オタク作品←→春樹の容易な往復よりは難しいと思う。
友哉たんの怒る怒る怒るなどは龍的だけど、コインロッカーベイビーはオタク的じゃない。
まあワレオタ理論であれば、友哉たんはオタクじゃなくて、
龍=暴力=薬=サブカルとなるんだろうけどw
後藤は読んでいないが、村上のある側面は確かにオタクに入っていないかもね。
イビサとかかぎりなく透明(ryのはじめの方とかの部分。柄谷の言う肉体的動物みたいな村上像でしょ。
で、観念的だったりロマンティックだったりする方の龍はたしかに庵野をはじめとして好かれた。
手塚が春樹・大江と龍を対比づけているのは、こっちじゃない方の側面を指してなんだろうな。
まあ、浅田の買った龍の側面、と言えば一言で終わるんだが…。
アンノと村上龍が対談したときに、アンノもこれまでかとは思ったけど。
でも基本的なイメージは違くない?
「イビサ」とか「トパーズ」とか秋葉原とは対極な気するけど。
でも坂本龍一の王立つながりでガイナとはちょっとつながってるかもな。
それとも最近の村上龍はオタク化してるのかな、よく知らない。
679 :
677:2006/12/15(金) 02:27:31
あ、ほぼ同時に似たようなこと言われたぜw
手塚がタイムリープしてる
2秒(以上)先の未来からようこそ
五秒後の世界ならぬ、二秒後の手塚
結局オタク文化にも二側面あるわけで
ジャンプ−ロボットアニメラインは龍に近いが
サンデー−ギャルゲーラインは春樹に近いということだろう
ただし、俺はオタクじゃないからよく知らないんだが、
五分後の世界で主人公がエリートたちに対して「ああ、俺にはなれない。あいつらは美しい」
みたいに思うような龍の資質は、ジャンプラインやギャルゲーラインにはつながってないんじゃない?
つまり、観念的な龍受容の側面と言っても、かなりバイアスのかかった受容なんじゃないかな、と。
寂しい国の殺人なんて、劣化した宮台(のロマン)みたいになってたし、結構90年代文脈の人ではあるんだが。
>>668 同一視じゃなくて、「文学青年」の概念は、昔からあったということです。
>>670 >まあ、「文学」が機能している社会のほうがおかしいという解釈もある。
>先進国になった証拠は、文学が売れなくなるっていう話しもあるしね。
近代・文学・青年は、どれも過渡期の現象ですからね。
>>672 ダブル村上は、オタクの中でもサブカルに近い場所で受容されていますね。
例えば庵野というかガイナがオタクの中ではサブカルっぽい。あとラノベとか。
>>673 >漱石の影響で翻訳小説における少女たちの言葉が「女学生言葉」になる。
そうそう、でも今は女学生言葉を作る程の力はないですよ。
>>684 五分後の世界のラストの、生き残るための条件なんかがそうだね。
主体自らに賭けられている。あのマッチョさはオタクに向かわないでしょう。
このスレでいう硬派オタクは好きかも知れませんが。
マッチョと言うよりは、主体の生存への感度が違う気がする。
エリートたちに対して「あいつらは美しい」というふうに見て、しかしルサンチマンは無い。
自分や自分の世界とは違うと感じつつも、どこか同一化への断念があるし、
ラストには主人公なりに五分後の世界を生きようとする、という。
これが、あまりオタクで受容されていない龍の観念系と関わった側面じゃないかな。
>>677の言う身体性はそのとき基礎部となっていはいるが、身体だけでは導き出せない側面になってる。
俺は浩紀を忘れない
>>648 好きに議論したらいいよ。ただ、東言うところの「第3世代オタク」なるものは
もうしょうがないと。
ウィニーの空間においては、全ての作品がただで取引されるから、そこではオタク
もサブカルもエイベックスもない、全てフラットだということでしょう?
フリー・フェア(?)・グローバルでフリーダムな場所で、クリエイティブなものは
皆のコモンズ(共有物)で、というリバータリアニズムな空間が実現する。
その一方で情報管理されてる(ウィニーがなければなりたたない)わけですね。
普通の市場では価格がシグナルになって作品に優劣がつくので(中古市場)フラット
たりえない。(ファンが作品に優劣をつけてる)
東の論はこのようにウィニーの存在を前提とした「動物化」なんだと。
そこがわかれば、謎は解けてる。
>好きに議論したらいいよ。
ワラタ。
と同時に、東はフリーライダーの層においてしか、
レッシグの言ったフリーの問題を考えていないということでもある。
法と市場とネットの新たなるバランスの民主的決定、というレッシグの悲願はどう読まれてるんだ…
>東の論はこのようにウィニーの存在を前提とした「動物化」なんだと。
動ポモよりwinnyのが後じゃなかったっけ?
694 :
続き:2006/12/15(金) 03:53:57
>688
パラレルワールド物SFとして読めば凡庸じゃないですか>5分後の世界。
だから「オタク」とも言えるわけですが。
ウィニーにある種の価値観(クリエイティブな物をコモンズに)というのが
あって、全くただの犯罪というわけではない。その種の価値観にコミットする
と言う意味では思想運動でもあるが、それは実際には任天堂とかに対する
侵略にしかならんかったと。
全てがデータとして「等価」な世代が出たとか、フラットだとか。そもそもウィニー
が前提ならば。
695 :
続き:2006/12/15(金) 04:19:49
逆説的なことだが、第3世代オタク(なるもの)はオタク市場を突き崩して
しまう。
アメリカンフリーダムで、クリエイティブなものがコモンズになる民主主義的世界。
せこでは値段がゼロだから等価。金子被告のあるいは東の理念はそこでしょう。
しかしそれではオタク市場が死んじゃうわけですね。
696 :
続き:2006/12/15(金) 05:21:53
>人間は生まれた瞬間にチップを埋め込まれて、どこでなにをやっているのかが、
>あるていど機械によってモニタリングされる。そのデータは強力なセキュリティで
>守られていて、個人が個人のプライバシーを侵すようなかたちでそのデータが覗か
>れることはない。しかし、暴力の抑止効果は極めて強い。それは監視社会ではある
>けれども、人が人を監視するリトルブラザー的な監視社会ではなく、極めて非人称的な
>―倫理研の言葉を使えば「ビッグイット(BIg It)」的な*1――監視社会である。
>このような社会をあるていどグローバルな規模で構築できるのであれば、国家はもはや必要ない
>のかもしれない
東よ、それを「国家」というのだ。それが「権力」だ。
>>694 >パラレルワールド物SFとして読めば凡庸じゃないですか>5分後の世界。
>だから「オタク」とも言えるわけですが。
そう、まさにその読みかた自体が問題となるのですね。
観念的なものが見えない、というよりも、観念的なものを見ることを拒否(ここでは成熟の拒否)
する態度によって、「オタク」が人間以下の存在(動物)として「オタク」と言われてしまうわけだ。
でもさ、凡庸に読んでおいて「凡庸じゃないですか」と問うてしまう無自覚さより、
あえて凡庸に読むこと、つまり自覚して動物であることを選ぶほうが、
「オタク」は人間的でいられると思うんだ。
>697
「ヒュウガウイルス」だってSFかもしらんよ。パニックSF。
別に「そうだ」と断定してるわけじゃないが、第二次大戦で日本が勝った別世界
とか、ディックにあるからなあ。
>>652 >他のオタク
他のオタクってのが「第3世代オタク」や「ウィニート」だとすると、問題が
多すぎるんでね。
オタク市場の寄生虫・コバンザメでしかないならば。血を吸い取るヒルみたい。
>>698 >別に「そうだ」と断定してるわけじゃないが、第二次大戦で日本が勝った別世界
>とか、ディックにあるからなあ。
それはあまりに粗雑すぎるよ・・・。
「高い城の男」と「五分後の世界」はともに大戦時の平行世界を書いている。
同様の設定である。同様の構造である。だから同様である。
そして「凡庸じゃないですか」と問うてしまう・・・。
これは構造しか見てないというしかない。構造が一緒なら全部同じだろうか?
まあ、上で言ったのは、凡庸に読んで凡庸だと批判すること。
そのように読むこと自体が否認なのでは?観念的なものを見ないことなのでは?
という話ですよ。
>>696 ジョージ・オーウェルが『1984』で描いたような社会
つまりビックブラザーが、一人の絶大なる権力者が影に表に君臨する社会
あずまんが「国家」と呼んでいるのはそうした社会であり
一方向的なメディアが幅を利かし、イデオロギー的な統一をなす(もしくは可能な)社会です
(参考
http://www.hajou.org/infoliberalism/)
また、そうした社会は政治のスペクタクル化、メディアの双方向化によって存在が困難となり
アメリカや日本は「国家」から環境管理型社会へとその形態を移行させていると考えているようです
(だから「国家は必要ないのではないか」という話が出てきます)
そして、あずまんらのこうした観点で重要だと思われるのは
「権力」がその位置を変えているだけでなく、同時に「自由」もその位置を変えている点です
まずはこのあたりの構図からきっちりと見ていくことこそ
批判にさえなっていない批判よりも必要なのではないでしょうか
>>696 権力がなくなると言っているのではなくて、
権力者から権力システムに移行するから、
旧態依然とした権力批判も変化せよという。
コンビニやファミレスや牛丼屋を無くせばニートが減るが、
Winnyを無くしてもオタクが減らないことが絶望である。――Soren Aabye Kierkegaard
いんや、管理システムってのは元々非人称的だよ。官僚制とかな。
>「女子高生」が特異なのは、それが「文学」それじたいののメタファーとして機能している点だ。
>「文学」というのは、そのまま「自意識」と置き換えてもいい。
女子高生って心がなかったんじゃあ…
管理システムはぜんぶ非人称なのだといってもいいけどさ
官僚制を非人称的だというときと、件の管理がおなじように非人称的かってことだな
差異化してるのに同じとこだけを見ても仕方あるまいよ
>>688 ごめん、
>>687は「ヒュウガウィルス」のラストと取り違えちゃった('A`)
あとマチズモは精神的なマッチョですね。
太宰の掌編「待つ」(だったかな?)のように、自己の諦念や外部への期待じゃなくて、
生存の条件としてひたすら自身に向かってゆく。
まあいずれにせよ、構造が一緒だからパニックSFなのだとして
表層で戯れられてしまうとき、観念的な側面が消えてしまう。
>>704 いやそれは非人称の規律訓練型権力でしょう。
環境管理型権力は人がいなくても作動します。
>>708 ただ『自由を考える』でもカフカの短編が話題になっていたが、
カフカ的な官僚制は規律訓練と環境管理の中間に位置するものだと
考えるべきだと思う
なんのための差異化ってこと。批判するものを批判するだけなら、それはけっきょく別の権力ゲームの中。
人間無きルールと社会環境の統御だな。
なるほど人がいなくても官僚制は作動する。プロトコルみたいなものだ。
>>710 そういうさ、権力やイデオロギーの外部はない、というかたちの差異の抹消という権力がいちばん問題なんだよ
>「女子高生」が特異なのは、それが「文学」それじたいののメタファーとして機能している点だ。
>「文学」というのは、そのまま「自意識」と置き換えてもいい。
宮台の分析によると、自意識なんか彼女ら持ってない。スキゾキッズの90年代版
みたいなかんじじゃないの。オタクは自意識しかなく、女子高生には自意識がない。標語完成。
>>709 >カフカ的な官僚制は規律訓練と環境管理の中間に位置するものだと
>考えるべきだと思う
うーん、詳しくお願いします
>>713 「オタクには自意識がなく、女子高生には自意識しかない」に正しく言い直せばいいのか?
>>714 詳しくは『自由を考える』を読んでよ
例えば『審判』において主人公のヨーゼフ・K(だっけ?)は
自分は全く身に覚えがないのにもかかわらず、
(おそらく)官僚組織によって勝手に審判され、勝手に処刑されてしまう。
そして、この過程に対してヨーゼフ・Kは特に逆らう様子もなく淡々と従ってしまう。
これについてはヨーゼフ・Kの主体性を重視して、法は正しいのだから、
法に対しては疑問が多少あろうとも従うべきだとするカント的な定言命令=
規律訓練によってヨーゼフ・Kは処刑されたのだと解釈することもできるし、
主体性を軽視して、ヨーゼフ・Kの内面とは無関係に、官僚制の力(≒環境)
によって自動的に処刑されてしまったのだと解釈することも出来るだろうということ。
『審判』を読んだのは10年近く前だから間違ってるところも多々あると思う。
後、『城』についても似たような解釈を導き出せると思う。
>詳しくは『自由を考える』を読んでよ
ああ、「話題になっていたが」を「逆接」と取っちゃった。
「掟の門」の男は規律訓練型ですね。門は開いているのだから。
しかしKの場合、執行者は自分ではない。執行する二人の人物がでてくる。命令を下したものの姿は見えない。
これは中心紋のような関係なのかなあ。
たしかに両義的で、さまよえる種族を文脈にすると悲壮ですが。
よくわからないんだけど、このスレでいう「(非)人称型」ってどういう意味なのかな?
(隠喩ではない)権力者が実在として居る/居ないことなのか。
また居ないとして、それは、居ても居なくても作動する、というときと同じことなのか。
「門番」が居なくて、門が開いていたら、男は入っていたんじゃないか。
それと同様のシチュエーションで、男が「門番」じゃなかったから、建物に入るという話があったような。
つまり門番という存在がリアリティをもたらしている、典型的なパノプティコンですね。
最近の東と、このスレを読んだ感想。
郵便本で東の才能に驚いたと思っていた俺は、実は郵便本の中で東を通して
浅田彰が書いた部分に驚いていただけだということがわかった。
あずまんのインスパイアはきれいなインスパイア
>>717 確か大澤真幸は「掟の門」の中に環境管理型権力的なものを
読み取ってたと思うが。
満足なあずまんより、不満足なアキラかい。
痩せたソクラテスより肥えたあずまん
しろうとの萌理ブログのせいで、
あずまんの動ポモ2発売の意味がなくなってしまうわけだが
ぶちゃけ動2に興味ないし。
ワレオタさんそれはいいすぎ
最近の紙媒体の仕事は全然フォローしてないな…
動ポモ2とか対談とかって面白いの?
きれい
トロトロ出版延期するくらいなら
アイデアをちょこちょこアップロードして
しろうとと激論すればいいのに、負けるのを恐れて無限延期地獄。哀れ。
しろうとには活字媒体に出ていく覚悟はないだろ
なんか、しろうと儲がいるな・・・
簡単にいうと、六〇年代は「ここではないどこか」を現実世界に実現しようとした「政治の時代」。
七〇年代は「ここではないどこか」を観念世界へと退却させる「アングラの時代」です。
それが、七〇年代末から、「パロディの時代」になります。
たとえ観念世界であれ「ここではないどこか」を追求するのは危険になったので、
「ここを記号的に読み替える」ことが推奨されるようになります。
自分の立つ位置を絶えず「ずらす」ように促されるんですね。
浅田さんの「逃げろ」「スキゾキッズ」というキャッチフレーズが象徴的でした。
マジで?
スキゾの後はどうなるわけ?
おしえて、おしえて、アルムの森の木よー
キライゾ
「脱構築いりませんか〜、お安いよ!」
>733
埴谷雄高などの転向左翼のことか。「死霊」とか。
東の言う「大きな物語」ってマルクス主義(とそのバリエーション)のことか。
オタク=転向左翼だと思ってるのか。
オタは軍産複合体好きだからサヨクのわけないよ
いや、オタク=p2pでアニメやエロゲをダウンするひとだと思ってる。
思っているというか、事実、これはダウンロード板を見るだけで簡単に証明できる。
>>734 「逃げろや逃げろ」が、「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ」になる。
オタクが前景化するわけですね。「キモチワルイ・・・」
パヤオは左翼だが戦闘機とか軍艦とか大好きだよ。
そういうの結構いる。
>740
ウィニーは2002年に作られ、2005年くらいに逮捕され、06年には有罪
判決になってる。オタクはその前からいたし、パソコンもずーとあったわけだから、
関係ないんですよ。2002年の前からあったことは明らかでしょう。
>741
つまり「パラノ」というわけでしょう?
このスレにくる香具師にはいないだろう
オタクを転向サヨクとみなし、虚構の「大きな物語」(イデオロギー)にすがる
人と捉えるか、または性欲バカ・感覚バカ・萌えバカと捉えるか、東は2つ
のしか示せない。
どちらでもない、ということがわからない。
オタクへの意志っていうのがなくなってきたってのはある。
オタクイズデッドっていうか。
文化的なモデルとしてのオタクとしてしか考えられていないのが現状。
オタク=非モテとかね。ウィニートとか。
いや、そうだけど、そうじゃないんだよ。
それだけじゃなくて、もっと夢が広がるようなさ、ロケット飛ばそうっていう、
気迫ね、それがなくなってきてるのが、第3世代オタクの現状じゃない?
萌えは性欲で、それでもうおしまいで、ツンデレもそう。
ここまで性欲に収束してるのはきびしいとこはある。
想像界がエスカレートして記録更新っていうか、進化の袋こじっていうか、
セカイ不思議発見、ただしセカイ系みたいな、そんなノリになってて、やばい。
まったくすごいもんだ。ふう。
>>746 それ単に「俺は違う」ってだけだろ
自己紹介乙
>>737 またワレオタさんに説明をしなくちゃなんないのか
鬱だ
進歩史観、理性的存在としての人間、学問による正義と真理への接近etc
これらもまたリオタールが『ポストモダンの条件』で語った「大きな物語」です
ですから、「大きな物語」は端的にマルクス主義(とそのバリエーション)のことではありません
まずはその点をしっかり押えて下さい
やっぱ、作品がね、ない、っていうか、どれもポルノ化してる。ポルノへの意志っていうのに、貫かれている。
赤信号みんなで渡れば怖くないっていうのがあるけど、まさにそれで、
フィギュア萌え族と名付けられても、ある意味しかたないっちゃ、仕方ない。
書店行くと、あるわけだ、そういうスペースが。で、それが自然と溶け込んでいるっていうのが、まさにジャパン。
何でもありっていうかね。これがヨーロッパ行くと、違うんだよね。絵はないんだ。
アイドルとかフィギュアとか、きれいさっぱり排除されている。排除の論理ってやつだ。
ギリシャなんかだと、ゲームやったら、即逮捕。すごいもんだ。これが象徴オーダーという奴。
対して、ジャパンだと、象徴界がノックアウトされて、代わりに想像界が、すごいことになっている。
噴出してるっていうか、エキゾチック!うううん、いいっ!
で、とくにそのなかでゲテモノなのが、オタクなわけだ。つまり日本想像界の濃縮還元。
一般人が飲んだらお腹壊す。危ない。
>749
そのバリエーションってのが、進歩主義とかヘーゲルとかも含むんでしょ。
虚構の時代=転向サヨク=オタク第1世代
動物の時代=性欲=オタク第3世代
というとこか。つまり、東ってイデオロギーと性欲の2つしかないんだね。
人間ってその2つのみで出来てるわけないでしょ。
>750
具体的作品を上げたらどうか。「時を駆ける少女」か。何の話だ。ポルノて。
そりゃ、あの話だって、女の子は出てくるけれども。
そう。で、イマジナリ―オーダー、想像界っていうのは、性と暴力への意志に貫かれた、無意識セカイなわけで、
本来ガクブルなもんだ。だから、ヨーロッパじゃ、排除されている。禁止の対象になっている。検問されて、
しょっぴかれる。ところが、ここジャパンだと、そのイマジナリ―オーダーが複雑な屈折をもっている。
性は、成人女性でなく、ヨウジョただし二次元、暴力は、メカ。美女と野獣ではなく、ヨウジョとメカ、コードギアス。
日本版想像界は、もはや夢が広がりんぐ、オーヴァーザレインボー。
イマジン、想像してごらん、妹とヨウジョのハーレムを。
イマジン、想像してごらん、剣と魔法のセカイを。
イマジン、想像してごらん、それがワレワレオタクのセカイ・・・・・・・・・・・
>753
フランスでセーラームーンがブームになったり、イタリアでドラゴンボールが
見られたり。検問ってなんじゃ。
>妹と幼女のハーレム
具体的作品を!。ゲド戦記か?だったル・グインに笑われるぞ(笑
「大きな物語」って、まあ、歴史、ヒストリーのことだよ。
だからマルクス主義っていう解釈でだいたいオッケー。
要するに、人工的な目的があるかないか。
なければ、どれだけ正義と真理を主張しても、
それはたんに「自然の進化の結果人間の脳がそのように
主張するように最適化されただけ」っていう話しになる。
歴史的にいえば、これが、マルクス主義唯物論が、
マッハ的現象主義を非唯物論的っていうことで、
批判した背景。
基本的に社会進化論あたりの思想文脈を押さえなければ、
それとの違いを含めてしっかりと大きな物語論を語るのは難しいよ。
だから、簡単にいえば、歴史という理解でいい。
啓蒙主義とはまた違う。それはポパ―を読んでみたら面白いと思う。
>>754 そうそう、日本発の想像界がウィルスのごとく世界を浸食しはじめているっていうのはある。
フランスでは文化侵略と名付けた。このフランスの対応が、ヨーロッパの底に流れる、
想像界への抑圧の強さを象徴している。日本じゃないでしょ、基本的に文化受け入れてきたし。
まあ、日本論をやりたいわけじゃないからこれはいいとして、で問題は、
セカイ系化する世界っていうテーマ。これはジジェクの分析するように、
世界が再びザ、リアルに遭遇しつつあるっていうこととパラレルという解釈もできる。
>>751 バリエーションですか・・・
あなたにとってはクソもミソも同じなのでしょうから、それでいいんじゃないんですか
人間的原理と動物的原理、この二層の「解離」の度合いを問題としており
あずまんの理論がイデオロギーと性欲でもって
オタク第一世代と第三世代の違いを区別していると解釈することは誤りです
(
http://www.hirokiazuma.com/archives/000194.htmlを参照のこと)
なぜなら、あくまで問題となっているのは「解離」であって
片方の層が消滅したことを意味していないからです
そして、この「解離」こそが近代とあずまんの言う解離的近代を分け隔てます
二層構造論の理論的射程は、オタク第一世代と第三世代の差異の分析に向けられたものではなく
近代と解離的近代の差異というかなり大きな枠組みに向けられています
動2どうなるかにゃ。萌理でもうオタク言論は出尽くしている感もあるし。
いまさらラノベっていうのもちょっとタイミングがずれてるんじゃないか。
手塚の立ち位置がどうも見えないな。
>>747では「性欲に収束してる」と言い、「想像界がエスカレートして」いるにすぎないと
言いかかっているのに、「まったくすごいもんだ。ふう。」と曖昧な姿勢で、
手塚が「手塚理論」と断って発言する箇所と、手塚の言う日本精神分析はある程度重なっているのに、
>>756では「まあ、日本論をやりたいわけじゃない」と。
しかし、手塚が積極的に語る論点はオタクの特異性に集中する…。う〜ん。
>>754 >>妹と幼女のハーレム
>具体的作品を!。ゲド戦記か?だったル・グインに笑われるぞ(笑
ゲド戦記がどうなって妹と幼女のハーレムとなるの?
>>744 >ウィニーは2002年に作られ、2005年くらいに逮捕され、06年には有罪
>判決になってる。オタクはその前からいたし、パソコンもずーとあったわけだから、
>関係ないんですよ。2002年の前からあったことは明らかでしょう。
それはむちゃすぎる・・・。
その論だとワレオタさんよりも前にオタクがいたんだから、
オタクは、ワレオタさんとはなーんの関係ないことが明らかになる。
,ィiikァil{ミk{illliミi;,,.
,ィj|}}州ト、トii州ililk{ミ;,
j}iリリ州iト、 ヾk州ililk{lli
il}jリリ州j `ヾkリト州}ili
!jliリ州ソ ,z=;- ヽヾjミii}
Y{ ヾリ ■■■■|リ
ノハ i! .:: '´,; !、 i < nyマンセー
ソj` :::.:. /'_';=;ィ / jヽ.
ノ 丶 :..:. j ;'ゝ-' j' / /
,イ'` ‐-..__` ‐ _、 _ノ / 'ー 、 ヴィシッ
` ー'| / }
>>747 >萌えは性欲
それは「インターネットはエロ」というのと
同じように、合っているし違っていますね。
>>750>>753 それだと単にイメージが氾濫しているという感じなので、
現実界の想像界化、という図式で捉えたいんですけど。
つまり、例えば美少女の純粋さのイメージは、エロゲなら
絵がエロゲ(グラデ)塗りである、というレベルで喚起されます。
これが東だと単なる条件反射でしか捉えないんだけれど、
小説で言うところの文体と同じ機能を果たしていると思います。
>>755 「大きな物語」はメタ物語なので物語じゃないですよ。
>人工的な目的があるかないか。
簡単に言うとそうかもしれないです。
「オタク文化」に限定しない方がいいんじゃないか?
レヴィストロースがトーテミズムって結局は、西洋人の不安心理の反映にすぎないって論じたように
「トーテミズム」なんて存在しない
現代日本人の不安心理を反映したのが「オタク文化」だ
「オタク文化」なんて存在しない
ああ実体がない共同体ですよね。きわめて人工的です。
ただ逆に言うと「心理を反映した」レベルでは存在します。
メタ物語って物語じゃないんだ
イギリスでは切り裂きジャックの話題が続いているがあずまんスレのおかげでオタクの起源をすぐさま連想する俺は勝ち組
768 :
考える名無しさん:2006/12/17(日) 00:16:42
しろうとさんの萌え理論ブログかなり整備され過ぎだ。
まあさっきアンテナRSS入れたけど
萌え理論ブログがあればおまいらはクリスマス一人でも大丈夫だな
いや、おれの今年のクリスマスはモーニング2と一緒に暮らすことになったんだ
771 :
考える名無しさん:2006/12/17(日) 03:46:10
北田と雑誌やるって話はどうなったんだ?
相変わらず構想だけ先にぶち上げて、何一つ形にならない男だな
>761
何をわけのわからんこと言っとるんだ。ウィニーがなくてもオタクは居たということ
でしょう?通信技術もあるしコピーも出来るが、スーパーマリオをパソ通にコピーして
流したり、コミケでマンガ本は50ページほどコピーして売るようなことは
してない、ということでしょう?
ウィニー自身がソフトなんじゃなくて、ソフトを(アングラで)流通させる犯罪ツール
に過ぎず、ウィニー自身がソフト作ってくれるわけじゃないから。
流通ソフトに過ぎんから。
それがあっても、あまり意味が無い。
>763
kagamiのブログで語られている萌えは、もっぱら性欲、という意味だよ。
流通ソフトがあっても、元の流通させる方のソフトがないと意味が無い
し、オタクはそこから(ウィニーからじゃなくて)発生したわけでしょう?
ついでにいえば、2チャンネルというシステム自体、パソ通に似てる。
アニメの会議室、環境問題の会議室、マスコミの会議室・・・。
いろんな板(会議室)が並ぶところはね。
「2ch以降」なんて言葉にほとんど意味が無いのは、わかるでしょう。
>>764 何のことだ、例えばファンタジーという文化をル・グインのようにヨーロッパ
に存在するじゃんか。ゲーテのファウストだって、一種のファンタジー
だと見做せるし。
ギリシャ神話にまで遡れるかしらん。近代文学の方が一時的なんで、ヨーロッパ
の正統と言っても良いくらいだ。
それらをまとめて、「オタク」と言ってるわけでしょう?
SFとかも一定の価値観でまとめて。
オタクの存在が疑わしいなら、ファンタジーの存在をたどってみれば
よい。手塚言うところの「剣と魔法」の世界観を。
>>772 ウィニーがなくてもオタクはいた。それは事実だ。
でもね、ウィニーがある、パソコンがある、という話なんじゃないか?
なぜなら現にウィニーはあるし、現にパソコンもある。現にコロニーはあるのだ。
架空世界に逃避しても仕方ないじゃあないですか。
その前からいたからこの現実と関係無い、などとどうして言えるのか。
いくら逃避しても、現在この世界はその前の世界じゃあないんだよ。
それに事実としてね、ウィニー以前にw@rezがあったでしょう?
そこでオタクはエロゲーを流通させ、同人誌はUGサイトで公開されていた。
とうぜんその放流者も消費者もほとんどはオタクだろう。
>コミケでマンガ本は50ページほどコピーして売るようなことはしてない
この事実は知りませんでしたが、けどそれもオタクがしたのでは?
>776
したら大問題。著者との良好な関係は壊れ、コミケ閉鎖ですよ(笑。
著作権をある程度侵害してるので、信用が失われたらオシマイだから。
ウィニーについては、これから無くならざるをえないだろう。
そうでないと、任天堂が潰れるんで、エロゲー会社とかはもう潰れ
始めてるんでね。
ル=グウィンはアメリカの作家だお
>>777 >したら大問題。著者との良好な関係は壊れ、コミケ閉鎖ですよ(笑。
>著作権をある程度侵害してるので、信用が失われたらオシマイだから。
でも、「現実」に閉鎖してないのでは?
>779
悪いことしてないからだよ。あくまで「創作」同人誌だと米沢さんも
皆もやって来てるからですよ。
一部の不心得者がいたら排除ですよ。
>>780 いやどう考えても、
「コミケでマンガ本は50ページほどコピーして売る」のは問題あるでしょう。
あとオタクがP2P以前にエロゲーをUGで流していた、落としていた、
そして現在P2Pで流している、落としている、という事実はどうですか?
オタクは「コピー」しないし、流さない。落とさない!
これはコミケを見れば、分かる。
,ィiikァil{ミk{illliミi;,,.
,ィj|}}州ト、トii州ililk{ミ;,
j}iリリ州iト、 ヾk州ililk{lli
il}jリリ州j `ヾkリト州}ili
!jliリ州ソ ,z=;- ヽヾjミii}
Y{ ヾリ ■■■■|リ
ノハ i! .:: '´,; !、 i < ぶっこ抜き!!
ソj` :::.:. /'_';=;ィ / jヽ.
ノ 丶 :..:. j ;'ゝ-' j' / /
,イ'` ‐-..__` ‐ _、 _ノ / 'ー 、 ヴィシッ
` ー'| / }
>781
よく知らんが、ゲームラボのように、ゲームを「改造」することはオタク
はよくやってきたが、横流しはどうかな。
アジアなどでは、DVDに大量に焼かれて出回っているらしいが。
p2pってのは、難しい問題だよな。
ファイル共有っていうのは、まあおおげさにいえば、私有財産の禁止っていうことだから。
まさに共産主義っつーか、プチ共産主義。
手に入れたお宝はみんなで共有しましょうねっていうことでさ。
とはいっても、まあnyでぶっこ抜いているほとんどはそんな自覚もないんだと思うけど。
けれど、まさかこんなかんじで資本主義がローカルに脱構築されるとは思わなかったw
ルネサンス以来無敵の市場原理も、テクノロジーの進歩によって、ついに内破されたわけだ。
昔もローカルには例えばテープの貸し借りやダビングなどがあったけど、
p2pひとつでその欲望がグローバル化してしまった。正しく例外状況の全面化。
コンテンツ産業の人達も相当参っているだろうね。
こうまで対応が遅れているのは、上に立っている人間が旧世代だからかな。
まあnyは潰しても、ファイル共有という行為を根絶やしにすることは不可能だろうな。
抜本的にネットを法規制しないかぎりは。少なくとも向こう数十年は。
新古書店や立ち読みやネットうp、さらにはyoutube、nyときて、そろそろ新しい流れが、
整いつつある印象はあるな。
貨幣概念、等価交換、とかそういうのをなくして新しい世界つくればいいじゃん
そしたらP2Pなんてなんてことないものとして可能だろ
つくれるかどうかは、知らんけど
元々の流通量も考慮すると、同人誌の総閲覧量にUGサイトやP2Pが影響している割合はかなりのものだよ。
オタク文化消費の広がりの一端を担っているのは間違いなく、無関係とはとても言えない。
まぁワレオタは「そいつらはオタクじゃない!」とか言いそうだが。
新しい世界(笑)
>>784 >よく知らんが、ゲームラボのように、ゲームを「改造」することはオタク
>はよくやってきたが、横流しはどうかな。
>アジアなどでは、DVDに大量に焼かれて出回っているらしいが。
それは事実です。でも「改造」や大陸の話をしていないんです。
事実として、オタクがP2P以前にエロゲーなどをUGにおいて関係し、
そして現在もなおP2Pに関係している、という話のことですね。
だって「オタクはその前からいた」から「関係無い」とおっしゃるのでしょう?
>ゲーテのファウストだって、一種のファンタジーだと見做せるし。
>ギリシャ神話にまで遡れるかしらん。近代文学の方が一時的なんで、ヨーロッパ
>の正統と言っても良いくらいだ。
>それらをまとめて、「オタク」と言ってるわけでしょう?
>オタクの存在が疑わしいなら、ファンタジーの存在をたどってみればよい。
ファンタジーの起源として聖書など宗教の聖典、神話をいうのは問題ないが
「それらをまとめて、「オタク」と言ってる」のならば
ワレオタ理論の命題、オタクが「近代のどん詰まりに現れた」ことと矛盾すると思う。
熱心な聖書=ファンタジーの読み手はもちろん信者だから。
それに過去だけでなく、現代にしたって信者たちはみなオタクだろうか?
いやたしかにオタク的かもしれないよ。動物の比喩は有効だ。
k様はまったく慧眼だよ。早々と東をオタクメシアと呼んだのだから。
792 :
考える名無しさん:2006/12/17(日) 11:58:29
>785
だからどう「対応」するんだよ。旧世代も新世代もないよ。ただ取りされたら
経済が回らないわけだから。成り立たない技術であり、ニートステイトという
ユートピアのウソであって。
「share」ってのは、本来アメリカのように、一極独占されてる経済環境に対する
カウンターであって、(マイクロソフトとかグーグルとか)日本みたいに、多くの
エロゲーメーカーがいるようなタイプの市場には合わない考えだから。
>789
悪いことしてる人がいるじゃなくて、それは誰でもできること(一般人でも
中国人でも、台湾人でも)だから。改造するのは専門知識がないと出来ないが
コピーして売りさばくのは中国人でも出来る。
専門知識で楽しんだり、その情報を誌面で共有したりして、1本のゲームを
十倍楽しもうというのが面白いんで。
「金儲け」が面白いわけじゃないから。横流ししても金が入るだけで、何ら
文化的には面白くないわけだから。
独占的な企業が弁護士などで著作権をがんじがらめにしてるから、その法的
プロテクトを破るという、カウンターが意味を持つのであって。
敵はあくまで、本来マイクロソフト・グーグルレベルなんだから。
日本は法的保護も少ないし、ましてや任天堂レベルなんだから。
ウィニーがカウンター足り得ない。ただの犯罪になり、当初持っていた
理念は吹っ飛んでるわけでしょう。
ウィンドウズもエンカルタもウィニーにちゃんと流れてますよ……
>794
なんしか、アメリカみたいな極度の格差社会ならば、ハッカーもありうる
けれども。どうせ、中産階級出身者なんでしょう、日本は。
ジャパニメーションこそが日本文化なのだという主張に対しては
浅田彰が2000年に行われた村上隆たちとの対談「原宿フラット」で
そういう発想そのものが近代の中で何回も繰り返されてきた
西欧的な視点による日本文化の発見の繰り返しではないか
という批判を正確に述べています。
でも浅田の言い方もカウンターでしかない。
西洋における文化論だって、
別に日本文化論と大差ない論理で自己正当化しているはずだ。
798 :
考える名無しさん:2006/12/17(日) 20:17:52
村上隆:オリエンタリズムでも儲かりゃいい
東浩紀:オリエンタリズムでも面白ければいい
ダダイズム=シュールレアイスム=ポップアート=オタク文化だよ
ただ「オタク文化」って政治を忌避してるね
しろうとをはじめとして、
このスレの常連は美術や文学の捉え方が壊滅的に酷い
 ̄ ̄あずまスレッド ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
―――――――――――――‐┬┘
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| |( ´∀`)つ ミ |
| |/ ⊃ ノ | | ミ
 ̄ ̄ ̄ ̄' ̄ ̄ ̄ ̄ | あずまん
|
>>800 西洋の文化を盲信してはいかんよ
オタク文化って「野生の思考」だよ、東的に言えば「動物的」なスタイルだと思う
武士道を読んでいるという財界人は、自分らが商人(士農工商)に過ぎないことを
忘れている。品性はそれ以下だが。オリエンタリズ
ム。
関曠野が明治維新って平民の総武士化って言ってるよ
オリエンタリズムじゃないね
西洋化じゃん
近代化だよ
>>800 自分の場合は文科系の教養を必死に
身につける動機があまりないですね。
ブログのカスタマイズとか、そういうのを
覚えた方がアクセスになっていくので。
>>801 ちょwww
>>803 >武士道を読んでいるという財界人は、
>自分らが商人(士農工商)に過ぎないことを忘れている。
ああ、戦国時代の武将が好きだったりしますね。
>>808 オタクコンテンツは理系と共存可能なんだ?
その割にPCゲー(非エロ)とかにはいかないようですね
百姓上がりがブシドーとかいってんじゃねーよ、と。
>武士道を読んでいるという財界人は、
>自分らが商人(士農工商)に過ぎないことを忘れている。
オリエンタリズムじゃなくてナルシシズムだな
社長とかが朝礼で、戦国時代から引用したがるのはなんなんだろうな
812 :
考える名無しさん:2006/12/17(日) 22:21:54
CR東浩紀
ああ、ビジネスマンの戦国時代好きっていうのは、
ポジティブシンキング系の燃え要素なんですよ。
戦国大名でキャラ立ちするのは、カラオケで曲を
歌ったりするのと同じ動機が根底にあるでしょう。
,.、=‐-{r‐―-.、
/:::::::::::::::::::::ヽ::::::::\
/::::::::::::::::::::::::::::::::::l::::::::::ヽ、
/:::::::::::::::::::;ィ::::::;イ:!ィ'i;:::::::::::::',
|::::::l::::/:://:://// }:/:i::::::::::i
. |:::::i::i:/_二ナ .ノ .__j/i:::l:|::::::::|
_/::::::弋´,{;;リ` ' ,ィミjX!/::::::ト;{
゛Z_;:rト';ヽ- !;リ ソ'::::::::,' ヽ
. /:\_` . , ィ´/ノリ ウィニーは2002年に作られ、
'ハ;:::::ヽ. '‐- 、 ./_ソ´ '´ 2005年くらいに逮捕され、06年には有罪判決になってる。
ヽ:::|ヽ, ,、イ:ト
r‐┬―┬‐┐ ノヘト, ‐ '´トト{`'‐ オタクはその前からいたし、
| |l ̄l |[] | r-┤ .| パソコンもずーとあったわけだから、関係ないんですよ。
|_||ニ| |__| / ∨ ├-、
丁≡=/ィ _、:-<{ ヽ、 ヽ'i \
|i|..:,/ ,イ / ̄ . \::| \ l ├- 、_
} V ./└-、 | f<`{-、 ,、-} __ ヽ、
,l/ '´_,.ィ=、.} ', | |::ヽ\ ./ /i } i i
. / ー-、ヽ ', .| |_,、 へ::::::\ヽ,/ _」 \ i. |
. | r, |┘ l | \:::::\| ` { |
| /`'´ Y \:::::\ V .|
. { { { ト;:::::ヽ__. ', }
同一視してるから痛いんだよ。
おまいらほんとアリスソフト好きだな
nyに親和性があるのは「厨房」じゃないですか。
>>800 ほら、オタクって大体、オタクコンテンツの枠からは出ないからさ…。
ボリス・グロイスの『全体芸術様式スターリン』なんかを読むようなやつはここにはいないんだよ。
グロイスの本は、社会的リアリズム(この語の奇妙さは当然触れられる)が
いわば非西欧における「もう一つのモダン」の実験場であり、
そのため一種の無時間的なユートピア志向も持ちながら、モダン克服を企図していたというもので、
最終的には留保あるいは批判のまなざしをグロイスは向けるせよ、興味深いものなんだが。
(ぶっちゃけ、下手なオタク論より余程面白い)
ポストモダン論とアートの交差と言っても、こういう論もあるわけだが、
ここのスレの連中は動物化(オタク的認知のサーキット形成)を語ることが自己目的化してるわけで、
「それ以外」「モダンに対する別の迫り方・論」には一切目を向けないからね。
西欧内部・周辺国・非西欧においても、それぞれにおいてモダンというのは、
最良のものとしては内在的な追い詰めの対象だったりしているのであって、
透明で教条的なモダンなんて誰も死守したがってないっちゅうねん。
それは、(東によって支離滅裂を通り越した曲解がほどこされてしまった)
『モダニズムのハード・コア』の議論だって言えることだ。
そういや漫画好きも少ないよな
アニメと比べると圧倒的に文系教養的だからなんだと思うが
>>808 >文科系の教養を必死に身につける動機
こういう言い回しは、「あなたにはオタク系の教養を必死で身につける動機があるわけですね?」
と返されて終わりだと思うがな。
当人は「教養」「必死」であることを否定するのかもしれないが、
そういうラベリングをほとんど無意識でやってるんだろうなぁ。
「あいつらは必死でやってるんだw」っていう。
傍から見ると、このスレの連中は「オタク系の教養を必死で身につけている」と
一瞥される可能性って考えたことは無いのかな。
しかし、「必死」でやる動機にしては、問いが循環していて、
何のための「教養」とやらなのか、目的が不明に見えるし…。
>>818 社会「主義」的リアリズムでしょ。
今ちょうどエラーギンの「暗き天才」読んでるところだよ。メイエルホリトカワイソス
>>817 ,ィiikァil{ミk{illliミi;,,.
,ィj|}}州ト、トii州ililk{ミ;,
j}iリリ州iト、 ヾk州ililk{lli
il}jリリ州j `ヾkリト州}ili
!jliリ州ソ ,z=;- ヽヾjミii}
Y{ ヾリ ■■■■|リ
ノハ i! .:: '´,; !、 i
ソj` :::.:. /'_';=;ィ / jヽ.
ノ 丶 :..:. j ;'ゝ-' j' / /
,イ'` ‐-..__` ‐ _、 _ノ / 'ー 、 ヴィシッ
` ー'| / }
>>821 あ。とちってたか。スマソ
読んでるやつがいて、俺は素朴に嬉しい
現代美術=アニメ
現代音楽=アニソン
現代小説=ラノベ
現代映画=アニメ映画
現代詩 =みつを
現代演劇=テニプリ
そして現代人=オタク
グロイスの問いなんかも、
このスレ住人はジジェクで代行させちゃうんじゃないかな
文系とか人文ってのが、
揶揄のためのマジックワードになってるよな
しろうともソーカルと大差ないメンタリティなんだ
>>826 代行っていうのは的確だね。
あずまんが言及していた、となにがしかのアートがここで引かれるとき、
その責任はあずまんにあるというわけだ。
そのようにしてデュシャンやジョンケージが引かれてしまう。
現代美術を批判するにも膨大な知識が必要だから、畏怖から来る忌避がある。
自分はよくわからないけど、あずまんやジジェクはこれこれと言っていました、
っていうこのスタンス。
たとえば偽日記を読んだところで言及された作品とか観ないんだよ。
それどころかハルヒい言及されてるのを観て喜ぶだけなんだ。
オタクに関してはメタになんでも語れるし、ミクロ的に批判もできて、
これはいい循環ですねと思った。あずまんスレの終わらない日常。
ハルヒいて。ハルヒが。
正直いうとボリス・グロイスがポポロクロイスに見えた
エロゲーは語ってもエロ漫画は語らないんだから、
同じオタク系でも文系の匂いがする要素は避けているんだと思うよ
俯瞰する欲望が強いという印象
文系教養は作品を読み解く作業がいるから、めんどくさいんだろう。
ハイカル忌避
古谷がシネフィル上がりだっていう出自にも関わるけど、映画・美術・舞台作品などでは、
ある種の身体-認知感覚と観察力をうまく練り合わせていく訓練も重要になってくるよ。
このへんの感度は、浅田にもやや弱いところがあるんだけど、東は輪をかけて欠落してる。
で、俯瞰する欲望というか手癖はやけに強くなってるんだよね。
東の場合は、論理構成への意識があったから、文体でぐちゃぐちゃやる罠にはまらずデリダを問うたわけだけど、
悪癖としては、論の目的が霧散したり、このポイントを無視してはいかに論をやっても無意味、
というところを気づけないでやっちゃうところがある(これはレッシグ言及にも多々見られる)。
俯瞰欲望だけの膨張、目的不明の論の展開、という東の欠点をまるまる反復しているように見える。
ハイカルチャーもオタクカルチャーも構造的に似たような物、
って書き込みが多いけど、
その上でハイカルチャーに興味持ってもいいはずなんだよね
構造主義を還元のためのツールにしてないか?
>>835 もう3年ぐらい前になるかな。村上隆が芸術道場というイベントをやって、
「君もアーティストに!」なんて媚び方で、モー娘みたいにやりだしていた。
そのとき、芸術道場BBSってのがあって、そこでは批評家気取りの素人が議論しあっていて、
このスレに近い循環性、オタクがオタクでいるループであるとか、
言及対象は増えるんだがポイントが霧散していたり……といった事態が多発していたんだ。
で、そこでも「ハイカルチャーもオタクカルチャーはもはや等価」とか、よく言われるわけ。
俺自身は、別に等価でもいいんだけど、本当は等価になってしまったら、
「どちらでもよいはずなのに、なぜその作品を選択して論じるのか」という問題が出てくるはずだった。
つまり、「ハイカルチャーもオタクカルチャーはもはや等価 → だからこそ、〜〜という成果としてきっちり論じる」
というふうに追い込まれるはずなんだが、むしろ大半は逆に、
「ハイカルチャーもオタクカルチャーはもはや等価 → よって自分はこのオタク作品を語ってもいい」
という「自分を許してくれる言葉」に摩り替えられている。
等価になったとしたら、何を持って何をどう論じるのか、というところがもっと厳しく晒されてくるはずだと思うんだけどな…。
このスレを見ているかぎり、自分への免罪符、循環的な耽溺への口実、
他の領域・言語・模索に対する鈍感・無知への理由にされているように思う。
ああ、このスレ自体があずまんを反復しているんだな。
ゴリオ爺さんのヴォケエ夫人が下宿を体現しているように。
俯瞰しつつ、自分語り。(あずまんのキャラ)
マクロとミクロによる永遠のサークル。ホモソーシャルなサークル。
永遠はここにある。幸福なことです。
そしてこれはメタです。
>>835 そりゃあハイカルを観ないための詭弁、レトリックですから
ハイパーフラットでもなんでもいいが、フラットにしたがる欲望があるわな
「非モテ系」とかいう醜悪な自己規定と同じですね
>>820 終わらないですよ。動機がありますから。
ネットで流通しやすいからです。シンプルです。
>>827 自分はポモよりポモ批判が退屈だと思っているので、
揶揄したりしませんよ。でも「有り難味」は欲しいな。
>>828 でも偽日記は、むしろブログのデザインが凄いとか、
もっとパッと見で素人に「有り難味」が分かるように
すればいいのにな、とも思います。高尚なんですね。
>>831 いや、(批評的な)ヘゲモニーが移ったから。
>>835 構造は同じでも強度は違うと思いますね。
>>837 >芸術道場BBS
ちょw そこ見てました。
素朴な疑問
しろうとは何故2chにいるのか? いわゆる敗北主義なのか?
何故、東スレでマルチレスしているのか?
ブログで詰まると気分転換に遊びに来るわけです。
しろうとがブログのデザイン云々をちらほら書いているのが目に付いていたけど、
高尚じゃない素人に有り難がらせるためにそれが必要だから、という動機からなのか。
たしかに高尚じゃない素人には、デザインの凄さが必要だね。
いくら形式(ここではデザイン)を弱めて相対的に内容(テクスト)に
目を向けさせること、形式偏重のブログは淘汰されてしまうこと、
あるいは反対に、デザインの拙い大手サイトが存在すること、
などを指摘したところで高尚じゃない素人にはデザインで魅せるのが経済的だ。
偽日記は、ぱんつの一枚でも描いておけばいいのに。
このスレ住人がハイカルを語れない理由は、あずまんのせいじゃないのに、
このスレ住人はハイカルを語れない理由を、あずまんのせいにしている
強度ってなに?
847 :
考える名無しさん:2006/12/18(月) 06:58:28
最近準にゃんのことばっかり考えてしまって、なにも手につかないのです。
俺は「しょこ☆まにゅ」読んでる。
おまいらは「筋肉質で体のどこかをケガしてる」要素を目指すがいいと思った。
線路にでも飛び降りてみるか
あずまんの筋肉は傷だらけの筋肉
傷口を舐める娘
>>844 「高尚じゃない素人」語句を積極的に反復させているあたり、
文面とは間逆の皮肉が、この語句の選択や主旨にあるだろうw
いや、巧く書いたな、と思ったんだが。
しかし、しろうとは恥知らずだなぁ…。
目的不明だとか問いが循環していると言われ、
メタ視点すらもその循環を強化する機能をもってしまっていると暗に言われているのに、
動機は「ネットの流通しやすさ・アクセス」「(批評的な)ヘゲモニー」で自分は決めていると言い、
「素人向けのありがたみ」がそのために意識したい、と返すとは。
これって、「人や批評シーン次第で振舞わされるのが楽しくて仕方がない、人から注目されたい」
とただただ卑しく言ってるのと変わんないじゃん……。
だから部分的に鋭くても、
活字媒体でも書いている香具師とは雲泥の差なんだよ
一昔前
知的雰囲気を醸し出したい人向けのありがたみ
ずっと前
アカデミー向けのありがたみ
現在
素人向けのありがたみ
今も昔も政治的オブセッション、社会的制度への順応
そして名誉欲なしに、人は書くことが出来たわけではないし
批評の言説がその嗜癖的循環構造を強化することも今にはじまったことではない
すでに繰り返されそれ自身が陳腐になっている貴族的な観点からの批判に終始しても仕方がない
その批判はポストモダン的な「すべてはなされた」という超平面に寄り添ってしまうのだから
すべてをフラットなものにしてしまう観点に対する批判が批判として機能しうるには
「すべてはなされた」に対して「しかしまだ残余がある」と述べる必要があるのではなかったか
都合よく忘却されたこの残余を思い出させようともせずに
もはやガラクタとなった「卑しい/高貴」を持ち出して批判することは
ポストモダン的言説が有する鈍さを共有することに他ならない
しろうとは商売でブログやってるんじゃないの?
それは活字媒体で書いている人とは違うわけ?
しろうとのことを悪く言う奴はいもうとが許しても俺は許さない
卑しい/高貴
なんて軸は持ち出していないだろうに
むしろブロガーが一般的に、
ポピュリスト的なレトリックで「実質的な高貴さ」を専有することが多い。
考えすぎだってw
>>859 「ポピュリスト的レトリック」による「実質的高貴さ」の「専有」ねぇ
それ自体がもうすでに卑しい(衆愚)/貴族のレトリックなんだよ
ブロガーは衆愚(ポピュリズム、大衆迎合)的レトリックを弄び
われわれハイカル貴族から「実質的高貴さ」を盗んでいる
それは本来われわれハイカル貴族が「享楽」すべきものなのだ
といったところかにゃあ
>>861 わかっていると思うけど、
そういう操作を繰り返せば
延々と高貴/卑俗ゲームは続くんだよ
856の出した視点の歪みを反映した形で
そもそも相手を「貴族気取りの馬鹿」
って視点でなじってるんだから
ハイカル/オタカルじゃなくて、同人作家同様ハイアマチュア的な
イメージ戦略をとっているブロガーのことをいいたいんじゃないの。
PNがしろうとだしな
さあ脱構築ゲームのはじまりです
メタな語りは、すなわち上からの目線である。
その際とる態度には二つの選択がある――
1. 「この低俗な大衆どもが」という露悪的な態度
2. 「私も語られる対象です」という偽善的な態度
あるいは両方を選択することも可能だろう。
そのとき「2」は不在証明=アリバイになる。「1」を不在にするためだ。
よくわからんが、高尚な玄人を有り難がる低俗な素人が、しろうとに怒ってるの?
駄目だこの流れ('Д`)
しろうと煽る香具師は表に出ろや
/ ̄ ̄\/´ ̄ ̄ ̄` ‐ 、
/ / ̄> \
/ / / / / │ l ヽ
│/ / / / h l 丶 〆 l
∪ 凵 ││l 」へ」vヘノ \l │
│∨´ ヽ/ ( ゚ ) │ ││ しろうと煽る香具師は表に出ろや
│ │(゚ ) │ │ ││
│ │ ヽ │ ││
││\ ι二つ │ ││
│││\ イ | ││
│ 丿 「`―ー´ │| l ハ
」´ /卜、_ 丿レ´\ ヽ
シロウ=ト[Sirou To]
(1977〜 日本)
邪珍しろうと
>>854は口調・言い回しの点で失敗している。
すべてはフラットになどなっておらず、すべてはなされていない、
まだ残余がある。そこからはじめよう、というのが
>>858の言いたかったことなのかな。
論においてまだ余地がある以上、目的不明さや問いの循環を忌避した方がよい、
というふうに
>>854は明確に言えばよかったのだ、と。
訂正
というのが
>>856の言いたかったことなのかな。
>>844>>854 いや、偽日記は凄いデザインができるだろうから、
そう言ってるんですよ。自分はできないですけど。
>>857 面白いからやってるんですよ。
ブログでは喰えないし、活字で
出版される方が有り難味がある。
あと自分の話はもういいから、
東センセイの来年を語ってください。
しろうとは昔からかわってないよ。その本質はちょっと回りから浮いた学級委員なんだよ。
「みんなそんな白けずに学祭がんばろうよ!」って熱くて、まあ良いやつではあるが、
押しつけがましいところがうざいなみたいな。
その立ち位置が大好きなさびしがりなんだけど、なかなかそんな立ち位置なくて、
哲学板でも微妙だったけど、いまのブログでやっと居場所を見つけたって感じじゃないか。
しかしあれだけブログに力を入れて仕事は大丈夫なのか。
定職止めたってことはないと思うが、かなりのリスクだろう。
もともと下流労働者だったのか。
いや、東センセイに語るものが残されてないから君の話でつないでいるのだ
偽日記は、まさに人文系の素養に時間割いてるから、
あんな程度のデザインなんだろう。
あれでも教養があるとは言えないような、底なしの世界だから、そこに立ち入れないオタクの心情はわからんでもないです
まあ、しろうとについてこうした言及され続けるのも、なかなか微妙だよな。
本人もしんどくなってるみたいだし。ブログでの考察については、あっちにコメントした方がいいだろうし。
東の近況話がいいかどうかはともかく、しろうとについての話ばかりやるのも不毛かもね。
ただ、偽日記は、自分の論の進行がグダグダになっている気もする。
ブログにせよとは全然思わないが、もっと書き手として自分を追い詰めやすくなる
記事の組み方にした方がいいんじゃないかな、とは思う。
あのグダグダさ加減、論の更新の曖昧さ、散漫な未継続ぶりへの
「だめだこりゃ(´Д`)」って感覚は何年も前から感じる。
まあ、阿部とか青山に比べると、相対的にマシな気がするし、
つい褒めてあげたくなるんだけど、率直なところあまりなぁ…。
岡崎とか樫村への食い込み方にしても鈍いし。
しろうとは、あずまんチルドレンのホープだから仕方ないんじゃない?
理系寄りのブロガーというのも語られやすい状況を生んでいる
>>883 そうなりがちなのが、ブログ言論の限界なのでは。
>>884 ウェブの限界と言うよりも、本人の能力や姿勢による部分が大きいと思うけど、
現状の限界があのへんにあるって感じはあるね。その意味では同感かな。
>岡崎とか樫村
しろうとに欠けている要素はそのへんだな
しろうとがパブリックで通用するとはとても思えないんだが。
本気でそう考えているやついるのか。マジレスですまんが。
>>885 しろうともふるやんも、
Web言論であることによって、
物書きが成長していく時に必要な
葛藤の過程まで省いているようにみえるんだよね
しろうとはチャーリーや森川に比べれば頭いいと思うよ
しろうとさんをなめんな
>>887 いや、微妙だろう。
ただ、活字媒体ももう何年もひどくなっているから、
活字媒体の現状でもってカウンターにする、ってのがあまり気が進まないんだよね。
阿部・青山の名を挙げたのはそういう意味でさ、古谷の方がマシなときって時々あるんで。
つまり、分野とか掲載紙によって大きくバラつくとはいえ、活字媒体もかなりひどくなってる面はある。
まあ、あまり強調しすぎるとアレな感じになるんで、言いたくないんだけどさ。
>>889-890 じゃあ、しろうとのパブリックで通用しそうな文章ってどれだ?マジレスですまんが。
>>891 このスレでは久しく話題が出ないけど、
駒場のあずまん後輩世代が、
とっくに翻訳者、解説者として世に出てきているんだよね
そいつらは評論やってない人文学者だけど、
物を書けばちゃんと高水準の文章になっている
しろうととkagamiを比べてもその実力の差は歴然だろう。
しろうとはそこらにうじゃうじゃいるブロガーの一人だよ。
じゃあなんでブロガーって一定水準でレベルが止まっちゃうの?
その理由が知りたい
ああ、駒場じゃない人・デリダ関係ない人も含めると、
西山雄二、西山達也、郷原佳以、國分功一郎、廣瀬純、増田靖彦、原宏之あたりかな。
俺、結構読んでるよ。『言語態』とかも数冊持ってるし。
897 :
考える名無しさん:2006/12/18(月) 20:13:40
>>895 ブロガーって、プロで通用しないとわかっているから、
ブロガーなわけだね。
プロで通用すると信じてれば、ブログに力入れないでしょ。
>>896 その周辺から批評家が出れば強いと思う
人文の訓練は侮れないよ
>>897 つまり、プロで通用している人のブログ最強
休止中だけど竹熊とか
プロで通用している人がクオリティーの高い文章をブログのためだけに書く理由がない。
900 :
考える名無しさん:2006/12/18(月) 20:33:37
>>896 原宏之てラカン学者だっけ?東よりかなり上のはずだが。
とりあえず東は彼らより世に出るのが早くて、
同年代から少し下ぐらいの表象関係者をスルーし続けたんだよね。
もちろん自分がいつまでも頭がいい坊やとして褒められるためにだが。
それで逆に首が回らなくてなってきた今日この頃。
表象もそうだけど、駒場全般をスルーしてただろう。
このスレ住人が人文知に弱いのは、
スレ主のコンプを反映しているのかも。
何か流れがブログ論になってきましたね…。
>>881>>883 偽日記は、図式的な思考を意図的に避けてるんでしょう。
自分は「底なしの世界」には潜らず、図式に頼りますが。
>>887>>891>>892 偽日記はユリイカに載りそうな感じだけど、
自分のはネトランに載るのを目指しますよ。
>>893 ああ、文学・思想から翻訳等に優秀な人材が
流れてるっていうのは聞いたことあります。
フルヤンは映画芸術その他に書いている
むしろしろうとは今のユリイカっぽい
少なくともネトランではない
東がオタク論を語るのがポスモダ思想論のパロディ的おもしろさがあるが、
始めからオタクしか語れないやつはただの素人だろ。
思想論に潜「れ」ないのに、
潜「ら」ないと言い換えてるんだもの
kagamiさんってなんでプロにならないの?宮台もみとめてるんでしょ。
>>905 そういう書き手が一人いるからと言って、
全員糞扱いにするのは早計
>>893>>896 高水準の文章は良いんですけど、ギャラリー的には
東みたいな派手な話題性がある人が出てくると面白い。
>>894 >しろうとはそこらにうじゃうじゃいるブロガーの一人だよ。
そうですよ。
>>895>>897>>898>>899 うーん…むしろブログのクオリティの進歩が早すぎて困るんです。
平野啓一郎とかプロがどんどん参入してきちゃうし、そもそも
ブログ自体がHTML知らなくてもそこそこの既成デザインが
用意されているんで有り難味がすぐ消費されちゃう。
続き
研究者はいないわけではないし、優秀な層も出てきつつあるとは思っているんだ。
さすがにそっちの方の人材体制がぼろぼろになったら泣くよ…。
ただ、批評・評論界隈の言葉や論が、青山・阿部あたりをはじめとして悲惨になってきてる気がしてな。
岡崎は悪くないとはいえ、もう数年前に総ざらい岡崎の射程をチェックした俺としては、
この2,3年には大きな進展は感じないし、ちょっと停滞していると思う。
そうなると、正直、批評界隈で読まなきゃいけないものって存在してないんだよね。
(いや、東やしろうとやオタク論が面白いと言うつもりはないが。)
>>898 うーん、あのへんの層から批評家って出ないと思うな。
積極的に禁欲してると思うし、俺はそれで正解だと思ってる。
80年代以降の批評の言語の基礎部分から作り変えないと、なんか沼にはまる感じがあって…。
>>900 ラカン学者の方は、原和之。言われる通り、こっちは結構世代が上だな。
原宏之は『エコーグラフィー』とか訳してる、メディオロジー近辺で研究してた人だ。
後者はまだ、研究以外の領域に関しては大したの書いてないんだけどね。
ところで、はなはだ遅れた話だが、
Ever 17 のKIDが倒産した件について東は何も触れないんですか。
>>903 ああ最近のユリイカはマンガとかアニメとかブログとか取り上げますよね。
攻殻で東や上野俊哉が話をするとかはともかく、本当にベタなエンタメを
ネタにしてたり、やや安直気味。ともかく、来年はもっとネトラン的にします。
>>910 >ラカン学者の方は、原和之。
「エクソダス」読みましたが、分かりやすいです。
(使用可能な)シニフィアンの集合が無意識で、
そうすると、シニフィアンの生成による機知とか、
そういう問題系が綺麗な構図を描いていきます。
>>911 ネガティブなことはうかつに言及すると叩かれる可能性もあるし。
それよりGLOCOMが、本にならないのはともかく、
サイトがいつ消えてもおかしくないってどうでしょう。
静的な表示でアクセスもそう莫大でもないだろうし。
鯖代とかじゃなくて、まさか痕跡を抹消しようとか…。
ネトラン的だと何か良いことがあるんだろうか?
その欲望の在処が謎
>>910 でも表象の映画学関係者とかは、批評を諦めてないんじゃないかな
批評なんて食っけないので、大学の先生や小説家や映画監督や画家の副業か
あずまんのようにプロ座談師になるか、ブロガーとして細々やっていくしか
ない、というのが結論か?
>>905 >社会科学も実際の政治経済も全くわかってないような
そこを突っ込まれると、弱いけどね。その意味でも、批評家向きではない。
……というか、浅田・柄谷の80年代以後、90年代に宮台・宮崎・東・山形などが社会科学を導入して以来、
批評・論壇の言語に社会科学・政治・経済が一定不可避になってるからな。
SITE ZEROのように美学近辺に集中させて切り込むなら別だけど、
批評において社会科学的にも鋭いものを要求するとなると、そもそも要求のハードルが相当高くなってしまう。
で、それに見合う人材生産体制があるわけでもないから、どうしても人は出にくいし、
変な短期的な論とかイベントとかはすぐに肥大しちゃいがちな、おかしな感じになってる気もする。
>>912 >うかつに言及すると叩かれる可能性もあるし
こういうのを恐れるから、
ブロガーに「批評家」が少ないんだと思う。
同調圧力が強すぎる空間だし、
何かを叩く場合も、
「サヨ」とか「外国人」とか、
わかりやすい対象に限られる。
>>914 それはあるかもしれない。表象の顔ぶれってあまり浮かばないけど
(廣瀬純、大寺眞輔、日本ドグマ人類学協会に入ってる橋本一径たちは、元日本版カイエの執筆人だが、早稲田出身)、
日本だと映画研究者は映画批評になだれ込みやすい体質があるし、
そもそもヌーヴェルヴァーグ以降、レヴューとインタヴューに傾倒する風習があるからね。
ただ、レヴューなどとは違うかたちでまとまった論考を出している層はまだあまり目に付かないような。
>>915 いやいや、批評ってもともと食える仕事じゃないから。
浅田だって柄谷だって大学勤務者だし、それ以前の時代でも外国文学研究者・翻訳者がやっていることが多い。
職にはならない以上、発表場所がブログか否か、ってのは副次的な問題じゃないかと思う。
論文をpdfでHPやアーカイブで再掲載する風習がもっと根付くと、
ブログに中心化している状況も多少は変わってくるだろうと思っているし。
ただ、ブログ特有のリンク・TB・コメントのような相互性は違ってくるし、
日記形式のインターフェイスではないけどね。
>>916 そもそもあなたの要求水準が高すぎるような気がする。
たとえば美学系のニーズは廃れないと思うがどうだろう?
社会科学の人は俯瞰のための還元が素早すぎるというか、
せめて浅田ぐらいには解釈学に関与しないと、文化に対する批評は無理という印象なんだけど。
そういうのはここでは80年代的と一括されがちだが、
作品の構造に踏み込む作業は、流行り廃りとは関係なく残ると思うし。
>>913 それは単純にアクセスが増えるからですね。
読者が来るのもあるけど、ニュースサイトの管理人が、
ネトランを読んで巡回対象に入れるのも大きいです。
>>915 寂しいですね。でも小説や絵や映画の人が
批評した方が良い面があります。批評専門
だとジャーゴンのプロレスになることも多い。
>>916 >批評・論壇の言語に社会科学・政治・経済が一定不可避
そのって、大きな物語が弱体化したから、
思想の言葉の有り難味も薄れてしまったので、
数式を入れてねじ伏せるという流れですね。
>>917 企業へのカウンターが無くなるのはまずいと思う。
ホワイトカラーエグゼプションとか、ネットでは
ゲーム脳への反対運動ほども盛り上がらない。
批評家リクルートの話ばっかじゃんか
モード=流行なんて関係ないよw
>>919 ああ、そうか。
無茶苦茶高いレベルの成果、と言わずとも、紹介・解説だけでも一定は必要だし、
その意味でなら、無闇にハードルを上げる必要はないかもね。
あと、俺の関心はどちらかと言うと美学系なんで、言わんとすることはよくわかるよ。
ただ一方で、岡崎がブリコラージュと言ったような、論理的な再構成で過負荷をかけた言葉は、
有効だと思うし、その点なら、東のあのざっくばらんさも条件付きで賛成なんだ。
メタ/オブジェクトの関係を見ていく彼の「ゲーム的リアリズム」って、従来の枠ならば悲劇論の問題設定と重なるし、
過度に素早くなく、もっと東自身が試行錯誤すべきなんじゃないかと思うな。
このスレがしばらくオタク批評ばかりなのは、
モード=流行だからじゃないの?
その理由を探らないとループだろう。
向上委員会はループに荷担しているから気付かないのかもしれない。
思想の言葉に数式入れてねじ伏せるつもりなら、レヴィ=ストロースとか、せめて浅田ぐらいの人文教養がないと無理じゃね?
あのね、ここ2ちゃんの東スレだから俺も、しろうと氏もループに荷担してるのw
現代美術やりたければ、それなりのネタ振ったら?
>>916 >90年代に宮台・宮崎・東・山形などが社会科学を導入して以来
他は知らんが少なくともあずまんは社会科学について何も知らないと思うよ
あずまんが言語態みたいな文化左翼に比べて多少評価できるのは、
小泉改革だとかイラク戦争だとかっていう自分があまり知らない
領域についての発言は控えているところでしょう。
そして戦線を若者受けするオタク文化やネット論に集中させたところが
あずまんの戦略のうまいところだと思う。
これからの批評家は、あずまんみたく戦線を縮小する代わりに、
一般受けしやすい部分にリソースを投入させる戦略が求められていると
いえるだろうね
俺のスレから出て行けってことかw
文化左翼というか、左翼的なもの一般が嫌いなだけじゃね?
権力論の萱野とかは、北田みたいな貧弱文化左翼よりだいぶまともな言説を編み出しつつある。
戦略のうまいところって、そもそもまだ批評家が終わってるよ。
社会科学に無知ならば、レッシグを語りだしたり、権力論やったらいかんだろう(゚Д゚)
>>930 レッシグは社会科学者じゃない。
法学者だ。
>>926 でも東本人の自己イメージとしては、(僕は他と違い)
狭い論壇を離れて社会の変化を捉えているのだ、
ということでしょう。GLOCOMは組織の枠を超えるとか、
ファウストが時代の最先端であることは疑い得ないとか。
でも確かに東が参加する企画は、どれも面白くなりますね。
面白そうな所に乗り込んで、旗を立てて振る人なんですよ、
東センセイは。彼が見出すと(決裂すると)出世する法則。
しかし、次のギートステイトはどうなるか。今回は決裂する
先に予め鈴木健が抜けているし、連載開始と遅延の予告が
同時なのが気になりますね。昔は必ず最初はノリノリだった。
>>932 というかあずまんの戦略は一転突破全面展開なんでしょう、昔から
デリダ論で(特に日本の)現代思想関連の議論全てをひっくり返すとか
オタク文化に現代文化全てを代表させる(動物化論)とか
情報社会論で現代社会科学(特に政治哲学)の可能性の中心を見出すとか
> しろうと
あずまんが選ぶ、今年の三冊(@論座)はこちら
『ウェブ進化論』
『少女七竈と七人の可愛そうな大人』
『万民の法』
>>916 >社会科学の人は俯瞰のための還元が素早すぎるというか、
これは面白い表現だ。もう少し詳しく書いてくれると
公共の福祉に役に立つだろう。東がトラップされている世界の
こともわかるかもしれない。
>>935 自分は
>>919ではないが、「俯瞰のための還元」というのは
浅田=あずまん的に言うのなら、チャート式ということだね
あずまんは『存在論的〜』や『動ポモ』に対する批判に対する答えとして、
自分はチャート式にデリダやオタク文化を整理したわけだから、
デリダやオタク文化の細かいディテールには興味がないのだ、といったわけだけど
>>936 でも社会科学の場合の「俯瞰」とは違いがあるんじゃないか?
浅田が哲学思想上の人物の俯瞰マップみたいのを
せっせと供給してくれていたおかげで、我々はそういうマップを片手に
胸を躍らせながらディズニーランドのパイレーツオブカリヴィアンや
スペースマウンテンに乗るかのようにして多くのことを学ばせてもらったんだが。
社会科学は浅田のようなディズニーランドのアトラクションの地図を
提供するのは違っているのではないかな。
彼らが提供するのはせいぜい芸能界のゴシップネタのような人物関係や裏話、
読者が実存的安定を得るために立ち位置確認のための「現在地はここ」マークが入った
俯瞰図ではないか。
>デリダやオタク文化の細かいディテールには興味がないのだ、といったわけだけど
東の本については中期のデリダを問題にしているはずなのに
テキストが少ししか引用されず、テキストの分析が
まるでなされていなかった。ちゃんとテキストに即して読んでいれば
例えばデリダとヘーゲルの蜜月な関係のような最重要な論点が抽出
できたはずだが(今やこの関係が専門家以外に知られているとは思えない)。
938 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 00:40:13
ディズニーランドの例えは見事
939 :
919:2006/12/19(火) 01:32:28
>>935 浅田彰がチャート化した時のスタンスは、
文化事象を解釈学でこね回すよりは、
理系的に明快な見取り図を描いた方が有益、というものだった。
けれど、こういう浅田の態度は、
いざ解釈が求められた時には、いくらでも応じる用意があるからこそ有効だった。
ヘルメスの音楽は今読むとたいしたことない本だけど、
事実それだけの教養的蓄積に裏付けられていたからこそ、
チャートの意義があったわけです。
ところがあずまん以後は、
「解釈は無駄」という切り捨てが、
気分的な80年代批判と結びついて、
社会学や工学の優位というテーゼに短絡した。
彼らはいざ作品解釈を求められたとしても、
それを行う教養も能力もない。
もちろんそれを「人文の時代の終焉」と言い替えたわけだけど、
これは悪しきヘーゲル主義と言わざるを得ない。
かりに「時代精神」がどうであれ、
文化的事象に対して、
解釈学に踏み込んだり、それを踏まえた上で構造的に見直す作業が、
無価値になるとは思えない。
仮に俯瞰を行うのであれば、
神話論理におけるレヴィ=ストロースのように、
膨大な細部に分け入った上で、そこから構造を導くのでなければならないと思う。
もちろん実際のあずまんは、
オタクコンテンツにかなり立ち入っている。
何度も不十分だという批判が出ているけれど、
メタレヴェルが繰り込まれた作品を語らせれば、解釈者として極めて優秀だ。
駒場には小森謙一郎というのがいたはず。彼のデリダについての本は
本編が始まる前の序文みたいな感じだったが、続きはないのかな。
とりあえず文体がとてもきれいで感心したんだが。
その人、まさにさっき叩かれていた言語態の文化左翼
943 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 02:21:53
150 :考える名無しさん :04/12/28 03:08:16
小森君、ここで叩かれているから、可哀想になって本買ってみた。
しかし残念ながら、いいところなんか少しもない。論理がホップ・ステップ・ジャンプ
で発展するところでは必ず、デリダの言葉をそのまま引いてしのいであったり、
自分でデリダを発展させたところが少しもない。読者に「デリダの言葉をあなたも
鵜呑みにしてください」と言っているだけ。
挙げ句、若いのにまだ「マルクス」ですが。そんなのもう未来ないよ。マルクスを
評価するにしても、本当にマルクスに傾倒した人間からすれば、デリダによる苦しい
弁護としか思えないようなところばかり、若いのか得意げに引用してくるのが痛い。
151 :考える名無しさん :04/12/28 03:13:07
本気で経済だの革命だの、考えてないだろう?なんですかあの本は?
もう学問をやめなさい。
フーコーについて、ごく一部分だけを採り上げて安易に博論を作って
出版したりする人が最近よくいるけど、デリダもとうとうそういう対象に
なったのかという感じだ。まぁ、それ以下のレベルなんですが。(それは出版界の
扱いを見ても分かることだと思いますが。)
デリダが終わっていく流れに拍車をかけているだけだよ、君は。
まぁ、それ以前に学問に対する態度が安易すぎる。
944 :
941:2006/12/19(火) 02:42:11
>>943 いや、デリダの文を引用して終わりというのはその通りで
だから
>>941「本編が始まる前の序文みたいな」と書いている。
やっとデリダ登場、と思ったら、それでその節終わりかよ、
といった感じで「ジャンプ」の部分がない。
好意的に解釈したら「ジャンプ」もあるはずなのかな、と。
表象関係者も美学化するのもいいかもしれんが
「法の力」ベースで法の哲学の本でも出すとか
やろうと思えばいろいろ企画できそうだけどなあ。
井上達夫編集の最近出た本(田島センセも参加)には
かなり余裕を持って応答できるはず。
分析哲学ベースの議論なんてちょろいよ。
>>939 もう随分前からだけど、A・C・ダントなんかは
君の言うヘーゲル主義とは異なったヘーゲル主義から「芸術の終焉」を語っているけどね
一度読んでみるといいよ
解釈すること(理知の言説)それ自身が排他的なイデオロギーとして
芸術からその多様性を奪い去っていたんじゃないか
ということをちょっとは考えてみてもいいと思うんだ
解釈(学)が行なわれていたその知的基盤を顧みてみればさ
解釈は芸術を一元的な真理と結び付け
真理の名のもとに解釈は芸術の多様性を廃棄していなかったかな
なんつうの、解釈に対してさ、みんなもうそれほど素朴じゃないから
解釈それ自身の問題を見ないようにして
ただ解釈しますってのは、ぶっちゃけもうあり得ない
21世紀はそんな感じなんだよ
>>945 予想していましたが、
そんな素朴な態度など提示していないつもりですけどね
文化事象に対して何か言うなら、
作品分析は欠かせないでしょう、という程度の話ですよ
あと、ダントの論も、ウォーホルを適当に用いる体の物で、
問題なしではないですよ
>>945 >ただ解釈しますってのは、ぶっちゃけもうあり得ない
ちょっと待て。
表象文化が何故表象とついてるのか?というと、
「ただ解釈します」への対抗でしょ。
ヘーゲルの美学やハイデガーの芸術論のような
作品に理念や存在の意味を解釈するといったものではなく、
あくまで「表象」を見よということで「表象」。
「キャラ」も「萌え要素」も「表象」の一種だから
蓮實的な批評をオタク文化に持ち込んだだけ、
と言えないことはないが、ただどうだろうね、
「動体視力」のほうはどんどん落ちてる感じがするが。
「データベース」なんて言ってる時点で「動体」がない世界。
949 :
947:2006/12/19(火) 03:53:52
>>945への補足だが、
蓮実的な批評の場合は表象の動きを追う動体視力の記述作業=こねくり回し
があったんだが、それにあたる作業が東には全然なくて。
ただデータベースがあってその組み合わせで、なんていう極めて
図式的な整理しかないんだよね。
950 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 03:56:12
自我(敢えて主観と書かない)と客観の狭間で揺れ動く波だ。
951 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 03:58:08
更に言えば客観ですら、
自我の拡大化がもたらした政治的副産物であり、
異なる自我にとっての完全なる真の客観ではありえない。
952 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 05:26:54
>>949 なんと言っても「データベース=大きな非物語」だから
さらに「過視的」でもあるわけだし、「動体視力」をことさら必要としない
だから「「映像」を見ることは、瞳が正常に機能しているものであれば
まったく容易いことだ。しかしその容易いことがどれだけ困難か」
といった話はあずまんにはまったく出てこないしね
それにあずまんには悲壮感もないね、太ってるしさ
だが、それがいいんじゃね
頑張ってる汁が先走ってる「動体視力」使ってますよ的批評ばっかでもアレじゃん
やっぱさ読むのが辛いんだよ?
冗談はさておき、データベースだ、大きな非物語だ、といっても
データ-ベース、大きな非物語をどうやって語るかってのは確かに問題だと思う
物語の後の物語だしさ、それを語り始めるには一種の鈍感さが必要なのかもね
「喋ろう。そうしないと何もはじまらない。それもできるだけ長く。
正しいか正しくないかはあとでまた考えればいい」っていう春樹的な鈍感さがさ
しろうとのふと漏らした(これは精神分析的だ)一言が、一夜でスレをここまで伸ばした
まったくしろうとは侮れない邪神だよ
そういうこと
はてなのブクマをブクマするブクマの・・・・・・ようなものだ(と高みから
>>954 スレの勢いをグラフにしてその変曲点がしろうとさんの発言っていうのはなんとなくわかりますけど
【共著クルー】東浩紀スレッド71【単著コナーイ】
960 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 09:16:03
ドーピングコンソメスープ。
東さんにもお薦めしたいです。
とうとうデリダとか読んでたのは恥かしい過去になっちゃったかw
法学部のままで井上達夫の弟子になればよかったねw
あずまんの過去はきれいな過去
あずまんのデリダはきれいな余白
965 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 14:06:58
ちょwwqwwwww2かじょうげ3んろんwwwwwwwwwwwww
966 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 14:07:45
http://www.hirokiazuma.com/archives/000265.html さて、先日CNET編集部に聞いたところ、意外と好評だったらしい「ギートステイト制作日誌」ですが(もっと早く言ってくださいよ!)、この12月で終了となります。
そこで最終回は、特別企画。桜坂さんと僕が共同で2ちゃんねるにスレを立て、読者のみなさんとギートステイトや2045年の未来社会のあれこれについてお話しし、その要約をCNETに掲載することにしました。
時間と場所は、僕などよりよほど2ちゃんねるを愛している桜坂"VIPPER"洋氏の指定で、クリスマスイブ直前の土曜日深夜、12月23日24:00、ネット関係>難民版ということになりました!
ギートステイトは非モテの味方、ということだそうです。
難民版@2ch
http://aa5.2ch.net/nanmin/ その時間近辺に、僕か桜坂さんかのどちらかがスレを立てます。僕たちは両方とも、トリップをつけて、それから1-2時間はスレに常駐しますので、どんどん議論にご参加ください。
だれも来なかったとしても、桜坂さんと僕でチャットしています。
967 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 14:51:19
人生で大事なのは…
∧_∧
( ´・ω・`) ∧_∧
/ \ ( )ハロワ池よ
.__| | .| |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ 働け! \| ( )
| ヽ \/ ヽ. オマエ無職だろ
| |ヽ、二⌒) / .| | |
.| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ /
しろうとや手塚が空気読めない質問する悪寒
>>934 > あずまんが選ぶ、今年の三冊(@論座)はこちら
>
> 『ウェブ進化論』
> 『少女七竈と七人の可愛そうな大人』
> 『万民の法』
『万民の法』は北田他の対談準備用に読んだとみた。
>>966 ネタかと思ったらマジだった(;´Д`)
なんというかもう、東らしいな、というか(´Д`)
>>966 前回は「認知」さんが大暴れだった。
同じ質問は1回だけ、とかルールを決めた方がいいな。
情報化屋台は流行らないと思うけど、
冷蔵庫がスキャナーを搭載して不足した商品を
自動的にコンビニや巡回車に注文する、というのは
実現しそうな気がする。
>>972も含めて住人に聞くけど、
ギートステイトに関する資料・コンセプトに関する、
ある程度以上まとまった説明・文章は、「ギートステイト制作日誌」ぐらいしか無いの?
質問をプロレス方向に不毛にしないためには、「〜〜を読んでおき、質問を用意しておいた方がいい」
とかで縛りを作るのが一番わかりやすいんだが。あとは、「これまでの三人の仕事を理解していればなおよし」ぐらいか。
俺は、桜坂に関してはよく知らないけども。
そんなわけで、今まで読んでなかった制作日誌を読んでるよ。
結局、企画の方針への関心があまり沸かなかったら、アタッチしないだろうけど。
>ギートステイトは非モテの味方
('A`)
>>972 そんで、きっと健康管理もやってくれるよ。
「Amazing Free」みたいなのな。
こたつから出ない社会が目指されます。
しろうとも手塚もその時間なら彼女と一緒だろ
まさか参加するわけがない
24、25は埋まっているけど、23日深夜は開いているなぁ。
>>974 ありがとう。でも、今から入手しても間に合わなさそう…。
彼女居るのか>しろうと、手塚
スレタイ案
【ギートステイト】東浩紀スレッド70【難民で実況】
【クリスマスは】東浩紀スレッド70【難民で実況】
ワレオタさんは誘い受け
【ギートステイト】東浩紀スレッド71【非モテの味方】
前も2chに降臨してグローコムをクビになったから、次も東工大をクビになるな。
懲りないバカだな。
>>983 2ちゃんに降臨することとクビとの間に
何の関連があるんだww
>>984 あずまんがクビになったのは、2ちゃんにチャーリーの悪口を書いたから。
あずまんのオモシロ発言を期待するには
23日にアルコールをしこたま飲ませておかないといけないな。
何を飲ませたらいいんだろう?
とりあえずビール1ダースを事務所に送りつけるか。
988 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 17:55:42
制作日誌読んでるんだが、割に面白いね。
しかしこれに対して、発言を面白く展開する質問を切り返すとなると、
それなりに力がある人か、技能的にきっちりコンセプトを練れる人でないと無理かもしれない。
俺は後から見返すと糞発言に思えることを書いてしまいそうだから、観覧席に回ろうかな。
あまりにもくだらない流れになりかけていたなら、うまく介入してみよっと。
難民版でやるということは
電車男狙いなのかな?
あずまんは確かにある意味電車男(電車の駅ホームから落下男)ではあるが。
>>986 あずまんはパワハラでグローコムをクビになったんだろ。
2ちゃんへの書き込みは決定的な証拠になったはずだろうに。
アニメ映画化決定
>>975 どうでもいいが、amazonにOTAKUストアなんてのができてるな
ちゃくちゃくと動物化は進行してる
あずまんの風邪ってノロウイルスだったんじゃね?