1 :
考える名無しさん:
アノスレニツイテ
. l |\ |ー=ミ、,. | | メ, !"´_ .、 ̄7゙1 |、_! /
| l | ,メ | rー:、 ゙'i ヽ ! ヘ |/c:::;:::ヽ |/7/ ./
| ヽ l, ヾヽ|.r':l: :'! \ ヽ,||::. ::l|: ::| / イ /
ハ |ヽ, |\ ヽ;.': ;! u. ヽ;:..'' .;ノ l /
ハ | ヽ !. ヽ ヽ,_~,. =' ‐=、'ー-ミ~_,../ / /
ヽ | .| ヽ! ヽ , u. / /
、! | ! ハ、 { 、 / ィ'
ヾ ヽ |、 l >、 ー、-------ァ' ' / / ! /
ヽ !ヽ, |! | ヽ、 ヽ ,. -'" /"´ l /| /
\| ハ || ! , `丶、 ,. -'" | / / /
| l ハ | l `丶-‐ < | / //
| ! ハ | | ヽ、__ ,. -‐'"´| / l/
|. ヽ,| リ ! / .| /
,イ !,' | /
語ってみよう。
エイエンノイノチ,エイエン,フッカツ,ジュウジカ,キセキ,シンコウ,,,
うわべだけの理性はよるべき基盤を失う
キタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!!
神キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
キタ━━━━━━\(T▽T)/━━━━━━ !!!!!
キタ─wwヘ√レvv〜(゚∀゚)─wwヘ√レvv〜─ !!
キタワァ━━━━━━(n‘∀‘)η━━━━━━ !!!!!
イカガッスカ- キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!!!
∧__∧ キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!
( ´・ω・) キタ━━━━━(゚(゚∀(゚∀゚(☆∀☆)゚∀゚)∀゚)゚)━━━━━!!
/ヽ○==○キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
/ ||_ |キタ━━━( ´∀`)・ω・) ゚Д゚)・∀・) ̄ー ̄)´_ゝ`)━━━!!!!
し' ̄(_)) ̄(_)) ̄ ̄(_)) ̄ ̄(_)) ̄ ̄(_)) ̄ ̄(_)) ̄ ̄(_)) ̄ ̄(_))
\\ キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! //
\\ //
〃〃∩ _, ,_
⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダー!!
`ヽ_つ ⊂ノ ジタバタ
∩
⊂⌒( _, ,_) < ‥
`ヽ_つ ⊂ノ
神は全能である。
全能であるゆえに論理を超越している。
それゆえに論理的に神を理解することはできない。
神即聖書という考え方が気に食わない
7 :
誘導:2006/11/08(水) 16:19:35
8 :
考える名無しさん:2006/11/08(水) 18:01:57
ジャー ____
∧_∧ つ/__ o、 |、
( ´・ω・)ノ .ii | ・ \ノ お茶入れておきますよ
( □| ・ |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
旦~旦~旦~旦~旦~旦~旦~旦~旦~旦~旦~旦~
9 :
考える名無しさん:2006/11/08(水) 18:14:51
10 :
クウォンタム ◆sZMOg20d0E :2006/11/08(水) 18:18:59
自分の理性(客観性)では神を語れないなー。
自分の考え(主体的思惟)でなら語れるけど。
11 :
考える名無しさん:2006/11/08(水) 18:25:09
10
オネガイシマス
∧_∧
(∩・∀・)age
( ⊂) age
ヽ/ )age
(_)J age
12 :
考える名無しさん:2006/11/08(水) 18:29:26
13 :
クウォンタム ◆sZMOg20d0E :2006/11/08(水) 18:35:09
>>11 んじゃあ、少しだけ。
俺はキリスト教なんで、神を信じてる。
そしてこの神を信じるという自分n考え、信念は実験不可能(死なないとわからない&まだ科学は神の存在も不在も明らかにできていない)
から、批判され得ない。よってこれはこのまま自分の中に残る。
しかし神を信じる事によって生まれる隣人愛等の考えや、自分のこう行動すれば良い等といった考えは、
理性によって現実で実験され、訂正される。
14 :
クウォンタム ◆sZMOg20d0E :2006/11/08(水) 18:36:40
自分n考え→自分の考え
絶対者・神の存在証明
スピノザ
「神は実体である」
「ところで実体は必然的に存在する」
「ゆえに神は必然的に存在する」
デカルト
「人間の神観念は神そのもの。」
「生得的神観念。」
「神がないところから神観念が生まれるわけはない。」
ライプニッツ
「ものの最後の理由は,かならず,一つの必然的実体のなかにある。
それは泉に似ていて,さまざまな変化の細部を,もっぱら優越的に
ふくんでいる。その実体を,わたしは神と呼ぶのである。」
16 :
クウォンタム ◆sZMOg20d0E :2006/11/08(水) 19:21:17
そして理性(客観)も思惟(私)も絶対はないと考えてる。
絶対なのは、現実の方。
で、あくまで自分という人間は絶対や真理という概念に近づき
はするが、得る事はないと考えている。
でも、そういう事を考えると理性が耐え切れないから、
神という存在を信じる思惟は捨てない。そしてこれにより思惟と同じように、
ある意味で自分の中で絶対的な理性も、批判し訂正する余地を
与えている。
あと関係ないけど、きのうゾルレンという人と話してから思ったのは、
パラドクスは神や聖書と同じように、理性ではなく、思惟の中に入れておく方がいいかな?
と思った。
で、理性ではやはり神を語れない。
神や聖書というのは理性から判断するとどこまでも真理かどうかわからない。
とここまで意味なく書き込んだけど、ま、アホの戯言だと捉えておいて下さいw
17 :
考える名無しさん:2006/11/09(木) 18:14:37
「神を信じるという自分の考え」というのは、生得的神観念なのでしょうか?
その、神は、どのような神なのでしょうか?
そして、聖書の神と同じなのでしょうか?
疑問に思います。
「絶対や真理という概念に近づきはするが、得る事はないことに
理性が耐え切れないから、神という存在を信じる」
ということですから、おそらくロゴス的なカミなのでしょうね。
そして神観念を満たすカミが、現実の聖書の神であるかどうかは、
自分の中で絶対的な理性(批判や訂正は可能)によっても、
パラドックスを抱えた思惟によっても、
近づくことはできても、判断する事はできず、
そういう事を考えると理性が耐え切れないから、聖書の神を
信じたということになりますでしょうか…
立て看板 設置させてください、<(_"_)>ペコリ
『 ☆彡 目も見えず、耳も聞こえぬお人が、桜の木に抱きついている。
桜を、見たい、聞きたい、と言う。
さて、どうやって桜を見せようか?
☆彡 坐禅と見性 四十六章 公案見性
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1161444933/ 而二不二(ににふに)、不二而二(ふににに)、
二ではない(不二、ふに)、一の如し(一如、いちにょ)、それは、ほとけさま(さとり)のことです、どうですか、参禅していきませんか?
問う。
『 この場に坐したままで、30メートル先のローソクの炎を吹き消せ。 』
答える。 ・・・と。
☆彡沢木興道老師のなぞなぞ?
アメリカに 「我が妻は我が父の母なり、我が父は我が子なり、我が妹は我が孫なり」 という言葉があったそうな。
☆彡碧巌録(へきがんろく)第45則 趙州布衫(じょうしゅうふさん)
【本則】
禅僧「万法は一に帰す。では、一はどこに帰しますか」
趙州「私は若い頃、青州に住み、一領の布衫(実務着、サラリーマンなら背広と言うことかと)を作った。 その重さは7斤(4.2kg)もあった」
また、あるひと(ジャック、ラカン) 曰く(いわく)
「世界をキリストが支えている。キリストを聖クリストファーが支えている。では、その聖クリストファーを支えているのは何?」という謎々と同じかと。
‥‥……━★ 友好スレ
精神世界で癒される第15章 仙界の癒し大混浴場(バトルなし)
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1156683671/
19 :
考える名無しさん:2006/11/09(木) 18:51:35
ちなみに「哲学する」という営みは「この世の理をその原理まで遡って探求する事」
とも言われています。
そして、「知りたい」という欲求が人々を哲学するという営みに駆り立ててきた
そうです。
20 :
考える名無しさん:2006/11/09(木) 18:56:24
り‐せい【理性】
1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。「―を失ってつっ走る」
3 カント哲学で、広義には先天的能力一般。狭義には悟性・感性から区別され、
悟性の概念作用を原理的に統一・制御・体系化する無制約の認識能力。理念の能力。
4 ヘーゲル哲学で、悟性が抽象的思考の能力であるのに対して、弁証法的な具体的思考の能力。
5 宇宙・人生をつかさどる基本原理。
21 :
考える名無しさん:2006/11/09(木) 19:08:07
22 :
考える名無しさん:2006/11/09(木) 22:40:38
神わからず
ヤフー検索:c点による時空論
読んでーーー神おも一度かんがえてみてわ
誰かさんの書いた本によるとね、つまり受け売りだけどね。
元々、理性と狂気は、表裏一体で、どちらか一方を欠いては有り得ないだとさ。
23
アンコクノセイキハオワリマッスル
sayonara
サクジョイライシマスタ
シツレイシマシタ サヨウナラ