1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:2006/07/07(金) 16:01:09
「なぜひとを殺してはイケナイのですか?」
この問いかけにたいするかみあう答えはふたつしかない。
ひとつは「ひとを殺してもいけなくはない」、つまり、「ひとを殺してもよい」である。
もうひとつは、「殺してならぬワケはある。しかし、それを言葉にしてはならない」である。
このふたつのほかに、この問いへの“かみあう”答えはない。
このふたつのちがいは、答える者の立場のちがいによる。
前者はひとを殺してもよいとの立場、後者はひとを殺してはならないとの立場である。
*
「なぜひとを殺してはイケナイんですか?」と悪魔が天使にたずねた。
天使はむじゃきに「○○○○だからイケナイのです」とこたえた。
すると、この問答をハタできいていた人間はかんがえる――
「なるほど。では○○○○でなければ殺してもよいのだナ」
そして人ごろしははじまった。
*
(つづく)
(
>>3 からのつづき)
どんな意見・かんがえ・ことばにもまぜっかえしたり、
云い返したりすることができる。反論というのもそのひとつだろう。
そう。この「いいかえせる」とゆうこと。
これは「ことば」というものにおける「ひかりと影」である。
これがこの問題をとくカギである。
光があればかならず影ができる。影をつくりださないためには、
ひかりをなくさなければならない。光をなくせば影はおのずときえる。
天使は、ひとを殺してはならないと考えておりながら、
ひとを殺してよいワケをつくりだしてしまった。
そうであれば、ひとを殺してはならないと本当におもっているのなら、
「わけはある。しかし、それをことばにしてはならない」とこたえるほかにはなくなる。
(つづく)
(
>>4 からのつづき)
考えのちがう人どうしのあいだで「かみあう」話合いがあたりまえにできていれば、
この「ことばをめぐる光と影の関係」のことを多くのひとたちがおのずとわきまえているハズだ。
したがって、「なぜ人を殺してはイケナイのか?」とだれかに問われたとき、
うえのように答えるほかはないことを知っている人もそこらじゅうにいるハズだし、
うえの説明もスンナリ受けいれられるだろう。
しかし、この問いかけをめぐるありさまは、
ニッポン社会に「かみあう対話」がちッともないことを、
2ちゃんねるのこのスレッド(過去スレもふくめて)にかぎらず、
しめしつづけている。
こどもっぽくもあり、単純でもあり、根源的でもあるこの問いかけを、
問うひとに問題があるのではない。逆だ。感受性のするどい年ごろなら、
この程度のことをおもいつかないほうがむしろヘンである。
この問いかけは、いつでも、どこでも、だれからでも発せられてよいし、
むしろ発せられつづけなくてはならない種類のものである。
「そんなことはきくな」だの「じゃあオマエ殺されたいのか」などといいながら、
内心でうろたえまくるだけで、こんなカンタンきわまる正解をおもいつきもしないことのほうにこそ、
現代ニッポン人のオトナどものココロとオコナイの闇がよりよくあらわれている。
(おわり)
人を殺してはいけない理由は、
人間が生きていくために人間が勝手に作り出した決まりがあるから。
ようは自分を守りたいだけ。
「〜である」から「〜べき」を導く行為は
【自然主義的誤謬】
と呼ばれています。
つまり事実に関する命題から
価値を含む命題を導き出す推論は、
論理学的には誤った推論だという事です。
>>7 >>6ですが。
では、『自分を守りたいから』に訂正します。
9 :
考える名無しさん:2006/07/08(土) 12:51:32
10 :
考える名無しさん:2006/07/08(土) 12:52:53
自分は死にたいけど相手は生きたいかもしれない
つまり、自分の価値観を人に押し付けて行動することは愚かな行為で悲しいこと卑劣なこと
13 :
考える名無しさん:2006/07/09(日) 19:15:36
15 :
高ぞう将軍 ◆HGbgI1jjhY :2006/07/09(日) 19:49:38
>>1 そういうルールだからです。
ルールはやぶることはできません。
あなたがやぶろうと考えるなら、それも大方ルールに従っているでしょう。
従って、最終的には殺さないことになるでしょう。
16 :
考える名無しさん:2006/07/09(日) 20:07:46
17 :
◆AwMZihQR86 :2006/07/09(日) 21:27:28
そういう社会契約を結んだから。
19 :
考える名無しさん:2006/07/11(火) 08:57:55
( ´_ゝ`)
20 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 01:18:15
9スレもやってきて、決定的な答えがでてないのかな?
前スレDAT落ちしてるので読めないので、流れがよくわかってないので
教えてください。
簡単な命題に思えるから
一応の結論出てるはずと推測してるんだけど・・・
21 :
あのね:2006/07/13(木) 01:49:00
なぜ人を殺してはいけないかは同じ人間として誰も殺されることを望まないから。
次に生きているものにはすべて目的があるから。
全体のなかで一部を除くことは全体として機能を制限することになるから。
以下次回に
22 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 01:54:19
人間は解釈が不可能だから、相手を尊重でき、また、話を聞く態度というものが大事にされる。
それは、死という解釈不可能性と絡んでくる。
そして、「人間=殺しても良いもの」となると、言葉による価値の定義が出来なくなる。永遠に考えていては
定義できない。
「殺すななかれ」とは、人間は人とのみ安らぎを得ることを可能にするという言葉だ?
そうなのか?
23 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 02:21:26
>>21 でも動物は殺してもいいわけですよね。
なんで家畜は殺して食ってもよくて、人間は殺しちゃダメなの?
って反論されてると推測するが、どうなんでしょう?
>>22 なんか難しいね。
というか日本語でOK
24 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 02:22:34
>>15 ルールは破るためにある
というルールを定めた場合にはどうなるの?
矛盾だよね。
それに、なんでルールをやぶったらいけないの?
25 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 02:40:30
22です。
がんばるぞー。けど、協力してよ。
26 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 09:49:24
>>24 特定の理由上から下敷きとしての制限を設けるのがルールであって
破ってはならないのかというところまでは制定できない。
そのために、ルールを守らなかった者への罰が用意されている。
これは法律に例えるとわかりやすいかもしれない。
法律は人の行動を束縛するためにあるわけではなく、犯罪者を罰するためにある。
人々が法律を破らないのは罰が設けられていることからくる意志の問題であって
決まりごとがそうさせているわけではない。
そこで法律は絶対に破ってはならないものという錯覚が起こる。
だから、ルールを破るルールだって破ることはできるし、矛盾はしていない。
ルールは守るためにあるわけではない。
ヒトを殺していけない理由はあるお、だからヒトを殺してはいけないんだお!
ヒト以外の生物を殺していけない理由はないお、だから殺してもいいんだお!
そんだけのことだお!
28 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 11:07:22
>>21 生に目的なんぞないよ。「目的」は人が創り出した概念
哲学板なのにそんなことも知らん奴がいたのか
29 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 13:45:30
生まれ瞬間死とゆう目的も生まれる
30 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 13:57:46
死刑は罰ではありません。仲間は仲間を殺しません(仲間の定義)。
敵の排除、これが死刑の意味です。
人は敵と仲間に分けられます。憲法とか法律は仲間内だけで通用する
もので、敵はこのようなものでは縛れません。死刑は仲間に対する
刑罰ではなく、敵に対しての処置なのです。
殺人は悪いことと思われています。しかし、殺人が絶対悪であると
されたことは人類史上ありません。敵をたくさん殺した者は英雄と
されてきたのです。いつの時代でも悪とされたのは人を殺すことでは
なく、仲間を殺すことなのです。
31 :
考える名無しさん:2006/07/13(木) 14:44:53
人って誰ですか?
「人を殺してもよい」と言ってる本人は含まれる?
その主張を聞く聞き手も含まれる?
ある主張が正当性を持つと認められるには
少なくともそれを聞く人と言う人が生きていなければなりません。
「人を殺してもよい」は、誰に対して有意味に言いうるのでしょうか。
>>30 仲間は仲間を助ける為に仲間を裏切ります。
仲間の定義が違うかと。
33 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 01:47:38
34 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 01:57:47
なぜ人を殺してはいけないか?
それは「人間だから」
9スレも消費して、こんな簡単な答えすら出てないようですね。
やれやれだ。
人を殺さない、というのが人間の定義。だから人を殺してはいけない。
殺すやつは人間でなくなる。
人を殺したやつは人間ではなく、獣。
人殺し野郎は獣。だから獣を殺しても人を殺したことにならない。
人は獣を殺しても構わない。しかし決して人を殺してはならない。
なぜならば人を殺すと自分が獣になってしまうからだ。
以上証明終わり。
おまえらの知性など、クズも同然だな。
35 :
あのね:2006/07/14(金) 02:37:50
生きているものには全て目的があるといったんだよ。無いと言い切れるのが信じられないね。
もっと自然とか、人でもよく観察して考えるといいね。
基本的に殺傷はなんであれよくないね。あらゆる生命は全体を進化させるために貢献して
いる。生物はそれ自体を生かすために心があり身を守っているので当然殺されることを拒む。
動植物は食べられて貢献するが、人間が植物を食べるのはまるで抵抗が無いと思うが動物、
特に肉食動物を食べるのは抵抗あるでしょ。なぜか...
人間は地球上では一番進化していて他の生物とは格段に違うのは創造して自然を変化させ
ることができるということ。人間が地球に貢献できることは動植物と違って自然環境をより
よく整えることじゃないかな。
だから人間同士の殺傷なんて意味がないと思うが。
高度な創造物は緊密な連携によって成されるのであり、人間間にイザコザがあるうちは人類
は進化するよりは、破滅の方向に向かうということですよ。
36 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 02:47:22
>>35 どこの誤爆だ、そのポエムは?
あと、べつに蚊を殺したり、牛肉食ったりするのになんの痛痒も感じない。
植物は殺してOKで、動物だと心が痛む、なんて選民思想のほうがわからないな。
さらに言えば、なんで地球に貢献したやつのほうが偉い、という
思想もよくわからない。地球への貢献なんて、誰が貢献だと判断するの?
人類が滅びても、地球は痛くもかゆくもない。というか、気づきすらしないだろう。
37 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 02:48:10
某大学の倫理学の講義で、教授は「人は人を殺してもよい」と
言ったそうだ。ただし、殺されたくない人たちは殺されないように
工夫して構わない。殺されたくない人のほうが多数であるから
人は人を殺してはいけないという装置(法律、道徳)が出来上がって
いる。ようは多数決の問題になる
38 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 02:54:36
>>37 原理的にはその通りだな。人を殺して悪い理由などないことになる。
でもどうしても人を殺してはいけないという原理的理由を求める人には
俺はこの回答を与えてあげる。
「人を殺してはいけない生物だけが人間と名乗れるんだよ」
だから、人は人を殺してはいけない。獣なら人を殺してもいいし、
人は獣を殺してかまわない。
「人間だから」 これが、なぜ人を殺してはいけないかの唯一簡潔完結な回答だ。
40 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 02:56:26
つまりしたいことがしていいことです
41 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 03:00:24
>>34 いまだに「人間」概念を自明視しているなんて、おめでたいやつだよ。
42 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 03:02:57
>>41 おめでたいと言われても、真理に見えるのでしょうがない。
反証よろしく。
43 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 03:10:14
人間以外の動物はころしていいの?宇宙人はころしていいの?地球はころしていいの?宇宙はころしていいの?
44 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 03:11:27
宇宙ヤバい!だから宇宙ころす!!!
45 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 03:14:13
>>43 いいんでね?
悪いとする理由がよくわからないな。
地球や宇宙を殺すと人間が困るかもしれんが、
それはべつに殺しちゃいかん理由にはならんな。
たんに保身の為の選択でしかない。
もし困らなければ、地球や宇宙を殺しても、なんの問題もない。
・・・そんなこともわからない童貞野郎ばっかりなのか?ここは
哲学が聞いて呆れるな
46 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 03:14:27
つごうの悪い人間はころしていいことになっいる。だからつごうの悪い宇宙もころしていい。
47 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 03:16:58
>>45 宇宙を殺すってどういう意味ですか?君はデムパですか?
48 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 03:26:15
>>47 宇宙に存在する全ての固有熱量をゼロにする、という意味だが
いちいち説明しないと分からないのか?
なんたる低脳揃いだこのスレは・・・
VIPPERの板じゃないよな、ココ?
2ちゃんに集まる知性つってもこの程度か。
哲学板だからとか期待した俺が悪かった
49 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 04:39:39
>>48 煽るな。
お前が賢いのはわかった。
他のスレで論破されてイライラしちゃった?
と煽ってみる
≫33
≫3-5
51 :
31:2006/07/14(金) 11:28:16
>>38 >殺すやつは人間でなくなる。
>人を殺したやつは人間ではなく、獣。
(1)人を殺した後に獣になる(2)人を殺すやつは潜在的に獣である、どちらだろう。
(2)なら、後に人を殺す人の形をした獣の行動は倫理的にまったく問題ない。
そもそも獣なのだから、人を殺そうがなんの問題もない。
また、潜在的な人型の獣は、人によって殺されてもいい存在でもある(規定)。
しかし、潜在的な人型の獣と人間を識別する術はないだろうから、(2)は意味を持たない。
ということで、(1)人を殺すと獣になる ですね。
ここで問題にしたいのが、「殺意」です。
殺意なく死に至らしめてしまった場合はどうなるのでしょうか。
人:殺してはならないし殺されてはならない存在者
獣:殺してもよいし殺されてもよい存在者
人と獣という構図では、潜在的に獣であることはないわけです。
(2)の分析に遡って、潜在的な人型の獣と人間を識別する術が、殺意の有無による識別であると 考える可能性がありそうですが、
そうすると、一度殺意を持ってしまったらその存在者は 殺される側、つまり獣の側になってしまいます。やはり潜在的な獣というのは無理がある。
人と獣の構図からは殺意を問題にすることはできない。 過失致死も殺人も、区別をすることができなくなる。 ということで、 行為者の何らかの行為によって実際に死んだか死んでいないかだけが問題になるのであって、
人と獣の構図からは倫理的命題「〜してはならない」が導き出されることはありません。
52 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 11:50:16
>>51 倫理として証明する必要はないのでは?
倫理、道徳、宗教、法 で、それぞれ人を殺めていけないことは
すでに決まっているでしょう。そこに理由は必要ですか?
必要だとすれば(だからこのスレが続いているのだと思う)
それらに依らない根源的な理由として
論理的(数学的)に証明するのがひとつの回答となるでしょうね。
「人を殺さない存在=人間」 と定義することによって、
論理的に証明可能になるし、
実際のところ、なぜ人を殺してはいけないか、という
問いに対する答えとしては、まさにそのように定義されているから、
という回答がぴったり強固に当てはまる。
たとえ過失による殺人であっても、それは変わらない。
53 :
31:2006/07/14(金) 13:10:27
>>52 私の疑問は、
「人を殺さない存在=人間」と定義することは
倫理的要請であることから逃れられるだろうか、ということです。
「人間であるなら、人間でありたいのなら、人間として扱われたいのなら
人を殺してはならない。」
という意味を持つのではないでしょうか、と思います。
私のこの疑問には既にあなたは歯切れよく返答してくださっている。
>たとえ過失による殺人であっても、それは変わらない。
なるほど、徹底的で首尾一貫しています。
過失による殺人も間接的殺人も殺人であって、殺人に荷担した存在者は獣である。と。
主張としては非常に明確だと思います。
しかし、殺人という事態を少し単純に考えてはいないでしょうか。
例えばイラク戦争においての殺人について、当然アメリカの政府、それを支持した
アメリカ国民、アメリカに従う日本国民、それを止められない世界全体の誰もが無罪ではないでしょう。
ほとんど誰もが殺人に関わっている、とまで言ってしまうとするのなら、
人と獣の構図は、獣の側にすべて包摂されてしまう。
すると、ホッブスの言う「万人の万人に対する闘争」=自然状態と同じことを言うことになります。
そうすると、
「人を殺さない存在=人間」と定義することは
「人間であるなら、人間でありたいのなら、人間として扱われたいのなら
人を殺してはならない。」
という倫理的要請になってしまうのではないでしょうか。
54 :
31:2006/07/14(金) 13:18:50
最後の文がはっきりしませんね、すいません。捕捉です。
「人を殺さない存在=人間」と定義することは
倫理的要請としてしか意味を持つことはないのではないでしょうか。
つまり、殺してよいかどうかという倫理的な意志(信念)と、
実際に殺してしまったこととを区別しなければ(この区別ではじめて倫理が問題となる)
意味を持つことはないのではないでしょうか。
55 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 13:47:49
自分が殺されたら嫌だからだよ。
ママに教えてもらえなかったの?
56 :
中西克徳:2006/07/14(金) 13:57:36
人間を殺してはならないのは、あなたも人間だから。
57 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 14:58:19
>>55 死ぬ覚悟ができてれば殺していいとママは教えてくれたんだな。
58 :
31:2006/07/14(金) 15:12:24
>>56 人間であることをやめれば殺してもいいのですね、と言えばあなたは
「人間であることはやめることはできません。」と答えられるでしょう。
しかし、そうだとすれば人間を殺しても人間であることに変わりはないですよね。
人間を殺したところで人間であるということは損なわれない、つまり、
人間を殺すことができるということも人間の性質の一つということですね。
一見同じことを言っているようにみえる
>>38は骨のある主張だけれど、
あなたのは小手先の思いつきです。
59 :
中西克徳:2006/07/14(金) 17:50:58
たとえあなたがどんな行為を行おうとも、あなたは人間であるに違いない。これは生物学的事実だ。あなたは人間なのだから同じ人間を殺すべきではない。
他方、モラルの点から言えば、あなたは人を殺せば鬼になってしまう。もはや人でなしというわけだ。
これは倫理と言う一種の修辞法である。
60 :
31:2006/07/14(金) 18:26:18
>>59 生物学的事実として同種の人間を殺す能力があります(ない人もいるでしょうが)。
>あなたは人間なのだから同じ人間を殺すべきではない。
は既に倫理の問題です。
61 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 18:46:23
>>29 死は目的じゃないってば。死を目的にするのは個々人の勝手自由だけど、本来は目的じゃない
>>35 目的は概念に過ぎないんだってば
>>38「人を殺してはいけない生物だけが人間と名乗れるんだよ」
綺麗事の典型
>>58人間を殺すことができるということも人間の性質の一つ
その通り。人間でない、獣だと定義すれば安心する類のバカだろ38は
62 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 19:06:39
どうして人を殺してはいけないのですか?と
>>1が聞く
しかし
>>1も人間だ
つまり質問は、どうして
>>1を殺してはいけないのですか?となって
>>1はその質問に答えなければならない
ささ、どうぞ↓
そりゃ、俺が殺されたくないからだよ。
64 :
中西克徳:2006/07/14(金) 19:50:21
>60
うむ、すでに倫理の問題ですというあたり、なかなかに鋭い。
確かに倫理の問題だ。
だが生物学と接続された倫理であることに気づかれたかな?
後者は、人倫の問題であり、生物学とは連続していない。
>『生物学的事実として同種の人間を殺す能力があります(ない人もいるでしょうが)。』
というところは文脈から切り離されているね。
唐突で何が主張したいのかが、わからない。
もちろん、殺人の能力は誰にでもあるだろうし、機会もある。人間は自由だから。
だがその同じ人間が、倫理的観点から、法律というものをつくり、殺人者を処罰するということをやるわけだ。
そしてその法律と処罰は施行される。つまり人間の能力で、人間を殺した人間を処罰するわけだ。
つまり、殺人を禁じる人間の能力の方が勝っているのだよ。
65 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 21:38:52
>>64 殺人を禁じる人間の能力の方が勝っていてどうして現に人が殺されてるんだよ?
66 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 21:52:05
>>64 その前にお前は倫理が概念に過ぎないことを悟れ
67 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 21:54:12
>>64 「倫理的観点」より「自己防衛の観点」じゃないかと思うが。
>>63 に同意。
68 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 23:13:14
簡単法律があるから
500年前考えてみろ平気で人
殺してたぞ
69 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 23:27:31
>>68 あのね、このスレの問題は、
「なぜ殺さないか?」じゃなくて、「なぜ殺してはいけないか?」なのよ。
70 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 23:28:01
何も罪もない人を何故殺す?
許せない。
何故殺すんだ?
犯罪者ども!!!
71 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 23:38:28
罪のある人間への殺人は?
72 :
考える名無しさん:2006/07/14(金) 23:44:38
73 :
z:2006/07/15(土) 00:37:23
、「なぜ殺してはいけないか?」っていう
意味が分からん。そんなことは個人の主観によって
左右される。俺の場合は自分にとって悪だと
感じる者はたとえ自分が刑務所に入ろうとも
殺す
74 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 02:13:52
同じ共同体の中で人殺しされたらたまんないからだろ
結局は利害の問題なんじゃないか?
幼児の超自我とかの発達過程も(よく知らんが)
実害が伴って初めて自己規定することを覚えていくんじゃなかったっけ?
親に怒られたり叩かれたり嫌われたり
75 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 04:01:43
「殺したい人は殺してもいい」でいいんじゃないの?
同じように「死にたい人は死んでもいい」し「生きたい人は生きてもいい」
神がいない限りこの世の中にはルールは存在し得ないんだから。
でも殺したことを後で後悔するようなアホに殺されるのは嫌だから、殺人罪は全員終身刑にすればいいじゃない。
76 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 07:46:46
>>75 一人殺されてはじめて手を打てる、後手後手ですね。
遅えんだよ
77 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 08:01:34
>>75 1「殺したい人は殺してもいい」
2「死にたい人は死んでもいい」し「生きたい人は生きてもいい」
同じように? 1、2は同時に成立しないでしょう?
「殺したい」によってまさに「生きたい(自分自身で死にたい)」が
妨げられるから問題なんでしょう?
そしてルールが存在しないというなら、「殺してもいい」ではなく
「殺すし殺される」「生きる」「死ぬ」、のように、ただ事実の記述になるはず。
78 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 08:03:34
>>76 100%当たる予知でもなきゃ後手に回る他ない気がするが。
79 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 08:03:42
>>63 俺、が死ぬ覚悟ができていれば殺してもいい、ということですよね。
80 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 11:27:08
>>77 「殺したい」と「生きたい」は同時に成り立つでしょ
逆に「生きたい人」も「殺したい人」の妨げをしてるわけで
「生きたい」側に加勢するようなルールを作るのは不平等でしょ
81 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 11:41:22
>>80 俺はお前の住所、氏名、年齢を知りたいので教えろ
教えなくても良いというルールは俺にとって不平等だから却下
82 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 11:50:33
>>81 俺はお前に教えたくないから教えない努力をする
知りたいなら知る努力をしろ
俺の俺ルールとお前の俺ルールが相対する場合はどっちかが諦めるしかない
83 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 11:57:54
>>80 生きてなきゃルールも何もないだろ。
神がいないんだったらルールってのは生きた人間が決めて維持するものなんだろ?
「生きたい」の側が絶対的に優位でなければならない。
84 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 11:58:40
生きている、はルールというものが意味をなすデフォルト。
85 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 12:00:16
>>82 努力をしなければいけないとういう
ルールは俺にとって不平等だから却下
相対化をしなければいけないとういう
ルールは俺にとって不平等だから却下
86 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 12:09:11
>>83 でも「生きたい」人の中にも「殺したい」人もいるわけで
そいつの意見だけ無視は不平等
>>85 それ言っちゃうと無限ループでしょ
そうなることを相対するって言うんだよ、どっちかが折れなきゃ終わらない
87 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 12:10:18
「殺したい人」は に訂正
88 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 12:15:44
>>86 だからね、そもそもお前自身が無限ループバカだって言いたいだけなの
だからね、どっちかが「折れる」ためのルールが必要なの
わかりる?
89 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 12:21:56
>>88 ループを断ち切るのはルールじゃなくて意思の問題だろ
ルールはそのどちらかに肩入れするだけで
90 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 12:25:25
>>89 ん〜
例として質問するがお前は
見ず知らずの人間にいきなりぶん殴られたらどうするの?
91 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 12:31:00
>>90 なんで殴ったか聞いて正当な理由だったら謝る
理不尽な理由だったら「集団の利益と個人の利益」と「集団の損害と個人の損害」を天秤に架けて判断する
生命の危機を感じる殴られ方だったらヤルね
92 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 13:18:59
で、何が正当で不正当かはどうやって判断するの?
同じく損害と利益も
93 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 13:45:38
一人一人が自分なりの判断基準を設けて判断する
損害と利益の判断の場合は不確定要素を考慮したうえで論理的に考えて利益が多い方を選択する
結局はどっちの行動をとればよりドーパミンの放出を増やせるかが判断基準(俺の)
後先考えない直感行動で他人に損害を与えて、後から後悔するような奴が一番の悪
94 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 13:47:01
人を殺せば人ではなくなる
95 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 13:50:46
そんなこったろうと思ったけどさ、だからさ
「一人一人が自分なりの判断基準」を設けるってことが
無限ループにつながるっていってるわけ
それが相対化なわけ
わかりる?
96 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 13:55:05
>「一人一人が自分なりの判断基準」を設けるってことが
>無限ループにつながるっていってるわけ
ところが、人間という生物では、完全にそうなっていまうほど、
そうなってしまうほど、個体間のばらつきは大きくない。
だから社会や国家が成り立つわけ。
わかりる?
97 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 13:56:27
ってか殺す必要ないだろ!!!
98 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 14:06:20
いや、わかりらない
無限ループは歩み寄りによって回避できるし、どうしても合わないならばそれでもいい
そもそも一人一人は経験が違うし環境も違う、厳密に言えば脳の構造も違う
だから全員が同じ価値判断なんて事はアリエナイし、ましてやそれを統一すること自体不自然なんだよ
だから判断は個々に任せるべき
だから「人を殺したい」と思う人がいてもいい
99 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 14:12:45
>>96 ルールをもって社会や国家を成り立たせて
個体間のばらつきをなるべく小さくするわけ
わかりる?
100 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 14:14:46
>だから全員が同じ価値判断なんて事はアリエナイし、ましてやそれを統一すること自体不自然なんだよ
そうかな、全員が必ずばらばらだということのほうがまれだと思うけど。
たとえば、
犯罪が増えたほうがいいと思う人と、減ったほうがいいと思う人の数、
経済が発展したほうがいいと思う人の数と、停滞したほうがいいと思う人の数、
これらが、つねに半々なんてことはアリエナイよね。
101 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 14:17:54
哲学板こそ、ID制じゃなきゃだめだよね?
102 :
松嶋75:2006/07/15(土) 14:50:08
>>98は
>>95の わかりる? に対する答え
ちなみに
>>96は知らん
>>100 で、結局多数決という形になって収まるというわけだな
でも多=善は成り立つかって多数決とったら成り立たない方が勝つんだよ
つまり多数決は存在そのものに矛盾を抱えているわけで、そんな危うい制度の下で自由を縛るようなことはあってはいけない
103 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 14:59:42
お、いい線きたね
おれも多数決絶対には反対だす
でも善悪は個人の自由な判断だけに委ねられる物ではないでしょ
そもそも個人の判断は環境に育まれる物であって
環境の在り方は社会の持つ伝統に由来するんでないの?
104 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 15:14:03
>>102 >でも多=善は成り立つかって多数決とったら成り立たない方が勝つんだよ
「多=善」って表現がよ要約しすぎてあいまいなんだよ。
「多数決における多数支持意見は必ず善」という意味なら、
成り立たないと答える人が多いだろうけれど、
「善であることが最も多いこと=善」なら納得する人は多いんじゃないの?
多数決で決めて社会で実現する、という手段は、
個人から見た場合、(他の方法とくらべて)「善であることが最も多いこと=善」」
ということだよ。
自分一人なら何でもかんでも自分で決められるけど、
実現できないことが多い、多数決社会では自分では決められないけど、
多くのことが実現できる。
この二つを比べて、自分にとって善なことがどちらが多く実現できるかと比べたら、
後者の方が多い、それが社会の存在意義だろう。
自分の善とすることが全て実現できるなら、それが完全なんだろうけど、
そんな手段が無い以上、現状取りうる最上の手段を最善=善とするしかない。
105 :
松嶋75:2006/07/15(土) 15:38:24
>>103 >>104 俺めっちゃ論破されてんじゃんw
でも善・悪には判断基準がないし、どっちも二面性を持ってるものだろ
それを多数決によって社会が悪と認定するから衝突が起きるんでしょ
確かに多数決には「得」の部分も多くあるけど、個人の自由の喪失という面での「損」も大きいよ
ちょっと俺の考えがブレてきた。続きはバイト行って考える
106 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 15:48:36
>>105 >でも善・悪には判断基準がないし、
あるよ。
何らかの価値観における善悪は判断可能。
価値観には対立するものがあるから、全ての価値観において善や悪、
ということはないけど、それは善・悪それ自体の判断ができないという意味ではない。
>確かに多数決には「得」の部分も多くあるけど、個人の自由の喪失という面での「損」も大きいよ
問題は、損があるかどうかではない。
まったくリスクのない手段なんて存在しないんだから。
問題は、「より損の少ない選択」があるかどうか、だよ。
「より損の少ない選択」が無いのに、現状の損を問題にするのは、
川面に映った自分の姿に向かって、口に咥えている肉をよこせと
吼えるようなものだよ。
107 :
52:2006/07/15(土) 17:21:54
>>53 >人と獣の構図は、獣の側にすべて包摂されてしまう。
そうなりますね。つまり人間は存在しない。
「殺さない」を反転させたらどうですかね。
「人間=”人をできるだけ長く生きさせる”存在である」
と。
108 :
牧師:2006/07/15(土) 18:48:38
迷える子羊たちよ、よく聴きなさい。
@まず、なぜ〜をしてはいけないのか?という問いの形式に注目。
「なぜ〜してはいけないのか?」という問いは「〜」の部分が現に
生じている場合に限り意味のある(答える価値のある)問となる。
例えば「〜」の部分に「ノーパンで出勤する」を代入してみよう。
すると
「なぜノーパンで出勤しなければならないのか?」という問いが出来上がる。
しかしそもそも「ノーパンで出勤しなければならない」ということが
生じていないので、この問は答える意味をもたない問いとなる。
したがって結論としてはこうなる。
なぜAをしてはいけないのか?という問いが有意味な問であるためには
Aをしてはいけないという命題が真でなければならない。
109 :
牧師:2006/07/15(土) 18:49:16
するとこういうことになるはずである。
なぜ人を殺してはいけないのか?という問いが無意味な問であるならば、
そもそも問として意味をもっていないので回答しようとしても無駄である。
また
なぜ人を殺してはいけないのか?という問いが有意味な問であるならば
人を殺してはいけないという命題は真である。
さらに
A命題が真であることと、なぜその命題が真であるかということはまったく別の
ことであるということに注目
110 :
牧師:2006/07/15(土) 18:50:15
例えば
「重力が存在する」ことと、「なぜ重力が存在するのか?」という命題は
別のことである。
このことは、重力が存在する理由がわからないとしても、
「重力が存在する」ことが否定されるわけではないということである。
重力が存在することはわかっている。しかしその理由はまだわかっていないのである。
とすると同様に、「人を殺してはいけない」という命題が真であることは、
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに答えられるかどうかとは
関係ないということがわかる。
重力が存在する理由がわれわれに理解できようができまいが、それと関係なく
重力が存在するように
人を殺してはいけない理由が我々に理解できようができまいが、それと関係なく
「人を殺してはいけない」という命題は真なのである。
111 :
牧師:2006/07/15(土) 18:51:31
かくして人を殺してはいけないということがわかってアハ体験ができてよかったという
ことでみんな納得したし納得した以上もうこれ以上議論してもしょうがないし議論する
だけ無駄だし議論よりももっと楽しいことがたくさんあるということでみんなの心は
一つになって感動のフィナーレを迎えたということでいいですね>ALL
112 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 19:01:15
>>98の
>そもそも一人一人は経験が違うし環境も違う、厳密に言えば脳の構造も違う
>だから全員が同じ価値判断なんて事はアリエナイし、ましてやそれを統一すること自体不自然なんだよ
のような立場って自明なわけ?「同じ価値判断は存在しない」というその前にさ、
「価値判断には基準となる善悪が必要になる」んじゃねーの?
個人の価値判断(の社会的な妥協)→善悪じゃなくて善悪→価値判断じゃねーの?
善悪=事実
価値判断=認識
と置き換えると
>全員が同じ価値判断なんて事はアリエナイし
は
>全員が同じ認識なんて事はありえないし(だから事実は個人の判断によるのだ)
となるだろ?こういう強い主張を議論の前提として採用すべきなのか?
113 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 19:29:42
人はできないことをしよとする
できることは伸ばそうとする
人を殺していけないわけではない
その理由が明確に示された例は無いからだ
だめなものはだめとはよく言ったものだが、
それに対して明確な答えを探し求めようとしてはいけない
答えを見つけるには、殺るしかないからだ
人はできないことをしようとする
だからこそ、今の殺人事件が起きる
だからって、できないことをしようとしないのはいけない
誰しも、誰かを殺したいと思うことはあるだろう
ほとんどの人が、それを理性によって食い止めてきた
だが、その理性を忘れないことが、人を殺す行為が教えてくれる、
唯一の学ぶべきことなんだ
114 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 22:01:05
>>111 貴方はそんなあほくさい理屈で納得してるんですか?哀れだなー
何の説明も出来てないことに気付けよ
115 :
松嶋75:2006/07/15(土) 22:26:35
>>106 確かに善悪という入れ物としての言葉は存在する。
でも全人類に共通した善悪というのは存在し得ないと考える
ならば実質としての善悪なんてものは単なる個人の主観であり存在するとは言えない
>>112 >「価値判断には基準となる善悪が必要になる」んじゃねーの?
いや、個人が善悪を区別できた場合、その人はすでに何らかの価値判断を行ってるでしょ
116 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 22:43:05
全人類に共通した宇宙論がないなら、宇宙など存在しないということになるか?
ならんだろ。だったら、何が善で何が悪であるかについて人々の合意が存在しない
ことは善悪が存在し得ない理由にはならんのじゃね?
117 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 22:50:54
>>115 >でも全人類に共通した善悪というのは存在し得ないと考える
存在するよ。全ての人が自分の価値観において善であるのを求め悪であるものを遠ざけようとする。
仮に、
>ならば実質としての善悪なんてものは単なる個人の主観であり存在するとは言えない
とすれば、自分の価値観において悪であるものを求め、
善であるものを遠ざけようとする人もいるはずだ。
でもそんな人は一人もいない。
118 :
松嶋75:2006/07/15(土) 23:17:14
>>117 もう頭パンパン
題目に戻ってなぜ人を殺してはいけないかの問いになんと答える?
過半数の人間の価値判断で悪だと認めているから?
119 :
考える名無しさん:2006/07/15(土) 23:26:50
人を殺してはいけない
訳ではない
cf.死刑制度
人を殺してはいけないというのは
ただの言葉じゃむさし
121 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 00:10:05
>>118 いや、なんで、
>過半数の人間(他人)の価値判断
なんてものを引き合いに出すのか理解できん。
殺人を行う当人にとっていけないかどうかの問題じゃないの?
なんで当人の価値観じゃいけないの?
122 :
31:2006/07/16(日) 00:58:59
>>107 >「人間=”人をできるだけ長く生きさせる”存在である」
確かにこれなら
>>53で指摘した獣の側への包摂は避けられると思います。
「できるだけ」という語は個人的にも好きです。
そうすると人間と対をなす獣の定義も変わることになります。
これについてはこう考えてはどうでしょう。
人間と獣の対照関係を「殺さない」と「殺す」の対照関係としてではなく――これだと獣だけに包摂される――
「できるだけ自分が生きようとする(他者も生かそうとする)」と「是が非でも自分だけが生きる」
の対照関係として考える。
自分(自己、主体)が生きるその生き方としての「できるだけ」と「是が非でも」の対比関係として
人間と獣の構図を捕らえ直すこともできるのではないかと考えますがいかがでしょう。
もし人間と獣の構図における獣を「人間を殺す存在」というより、
「無制限なありかたで是が非でも自身が生きようとする存在」
というように定義するのであれば、人間と獣という構図そのものには私は賛同したいと思います。
人間と獣、という呼び名が最適であるかどうかは考える必要が残ると思いますが。
123 :
31:2006/07/16(日) 01:12:46
捕捉
人-獣の再定義の提案を整理して書きます。
「獣=是が非でも自分だけが生きる存在者」はもちろん殺人を避けようとはしないでしょう。
そして、時には自ら進んで、時に意気揚々と、人を殺すでしょう。
「人間=人をできるだけ長く生きさせる存在者」は殺人を避けようとするでしょう。
そして、時には、避けられずに殺人に関与してしまうこともあるでしょう。
124 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 01:51:19
獣を超え、人を超え、そして今 神になる
125 :
松嶋75:2006/07/16(日) 02:09:28
>>121 当人の価値観であるならば殺人=善の価値観を持つ人の殺人は肯定されるよ
僕の哲学はそれで正しいんだけども
126 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 02:11:33
127 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 04:02:21
>>125 >当人の価値観であるならば殺人=善の価値観を持つ人の殺人は肯定されるよ
そのとおり、肯定される。
ただ、実際問題として、「殺人=善の価値観」なんてものが、
(偏執狂のような病気の場合を除いて存在しえるのであろうか?
結局のところ、観念的な存在でしかないような気がする。
まず、重要なことは、ある個人の価値観というのは、
当人の複数の同時に満たすことのできない欲求の調整によって成り立っているということ。
酒が大好きな人が、健康のために酒を控えるのは、
健康の価値が酒の価値よりこの人にとって大きいからだ。
酒好きのこの人にとっては、酒は善だが、健康というより上位の欲求・価値があり、
同時に満たすことができないために、この人の価値観全体としては、
酒は悪となるわけだ。
ここで殺人について考えてみると、殺人は多くの価値と同時に満たすことができない、
例えば、仕事上の成功、円満な家庭、知的欲求の充足、一般的な人が
高い優先順位をつけるであろう欲求からみて、それを損なう結果となる。
従って、それらいちいちについて、殺人がより優先順位の高い欲求でなければ、
個人の価値観全体において善とはならない(合理的な判断を行った場合に選択すべき行動とならない)
そういう意味で、(殺人より優先順位の高い欲求を持つであろう大多数の精神的に健康な人間にとって)
人を殺してはいけない、ということだ。
128 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 04:07:20
考える必要が無い。
129 :
松嶋75:2006/07/16(日) 05:47:42
>>127 大まかには同じ意見。でも最後の一文は
大概の人間は「人を殺しては総合的に損をする可能性が高い、だから殺さない方がいい」でしょ
「人を殺してはいけない」と言い切っては意味が変わってしまう
じゃあ殺してもいい条件は殺すことにより得られる利益が殺すことの損を凌駕しているという時だな
・食べ物の何もないところで餓死しそうな時、人を殺して食うことはOK
・自分を殺そうとしている者に先手を打って殺すことはOK
・冷静で合理的な判断のもとの自殺はOK
てことだ
130 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 06:04:20
>>129 >大概の人間は「人を殺しては総合的に損をする可能性が高い、だから殺さない方がいい」でしょ
>「人を殺してはいけない」と言い切っては意味が変わってしまう
どう変わるのですか?
それを行うと損をすること(欲しいと思ったものが得られなくなること)=いけないこと。
でしょう。
まったく同じ意味です。
131 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 06:13:03
>>129 >・食べ物の何もないところで餓死しそうな時、人を殺して食うことはOK
「カルネアデスの板」ですな。
>・自分を殺そうとしている者に先手を打って殺すことはOK
正当防衛ですな。
>・冷静で合理的な判断のもとの自殺はOK
「合理的な自殺の理由」は安楽死ぐらいしか思いつきませんが。
安楽死については議論があるけど、おおむね現代の法律でも、
それらは罪には問われないんじゃないの?
132 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 06:41:19
質問:どうして人を殺してはいけないのですか?
答え:俺がいけないと思うから。
終わり
133 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 06:48:56
どうしておまえがいけないと思ったら、いけないの?
134 :
FAQ〜良くある質問〜:2006/07/16(日) 06:51:34
Q.どうして人を殺してはいけないのですか?
A.俺がいけないと思うから。
Q.どうしてあなたがいけないと思うといけないのですか?
A.俺は君が何をしたらいけないか決める人だから。
Qあなたが私が何をしたらいけないか決める人だということを証明してください。
A俺は君が何をしたらいけないか決める人だ。
Q納得できません
A納得しなくて良い。
Q私が納得してない以上、人を殺しちゃうかもしれませんが?
A人を殺してはいけない。
135 :
FAQ2〜良くある質問〜:2006/07/16(日) 07:04:04
Qそれは循環論法では?
A第一にこれは循環論法ではない。第二にこれは論証ではなく答えだ。
Qじゃあ逆に私が「あなたは私が何をしたらいけないか決める人ではない」と言ったら?
A君が間違っていることになる。
Qその議論はフェアじゃない。
A俺と君とは対等ではない。
136 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 09:47:04
>>134 人を殺してもよい、でも全く同じやりとりが成り立ちますね。
137 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 10:54:28
人を殺してもよいと考える香具師は人間ではない。
そんな香具師は殺してしまえ!
138 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 11:24:04
>>117 でもそんな人は一人もいない。
いるやん。犯罪者。宅間守とか
>>137 じゃ、君も殺された方がいい訳だ
139 :
松嶋75:2006/07/16(日) 11:42:00
>>130 「人を殺してはいけない」で断定してしまうと
>>131の人達の行為までもが社会的に「悪」になるでしょ
それを行うと損をすること=いけないこと。という立場なら
>>131の殺人犯たちは「善」でなくてはいけない
140 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 11:49:50
>>138 >いるやん。犯罪者。宅間守とか
彼が、
>自分の価値観において悪であるものを求め、
>善であるものを遠ざけようとする
とは思えないが。
141 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 12:33:04
>>127の言うことは社会のレベルでは成り立たない。
例えば戦争賛成タカ派の欲求と反対ハト派の欲求に優先順位をつけるのは誰だ?
142 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 16:37:26
>>127 どうせ私は死んでしまう。
どうせ死んでしまうなら、波瀾万丈のドラマティックな人生を駆け抜けたい。
殺人は合理的判断の下で善になりうるじゃないか。
143 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 16:43:41
>>142 その乙女チックなメルヘン世界の住人のような発想の
どこが合理的なんだw
144 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 16:58:27
>>140 あそ。宅間が悪を求めた結果、小学生を何人も刺したことが、お前には分からないと
こんな明々白々なことを分からないバカもいたもんだ。世の中って広いね
145 :
FAQ2〜良くある質問〜:2006/07/16(日) 18:02:16
>>136 Q人を殺してもよい、でも全く同じやりとりが成り立ちますね。
A俺は人を殺してもよいと思っていないから、なりたたない。
146 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 20:56:43
何かしら究極的な前提が無いと(在るかのように振舞わないと)
何事も証明できません
147 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 21:29:33
>>144 彼は、自分の価値観に沿うものを、「悪」という名前で呼んでいただけでしょう。
それとも、「全人類に共通した善悪というのは存在し得ない」というのは、
概念につけるラベルが共通でない、という意味ですか?
148 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 22:47:16
>>130 物事には両面があって、
損害と同時に利益もあり得る。
特殊な例を除けば、いけないことであるのは間違いない。
しかし、同時に同じ事がいいことである場合もある。
ある一面を見ればいけないことだと言えるし、
別の側面から見ればいいことだとも言えるということ。
通常、人は利益と損害を比較考量して
どちらがより自身の価値観にとって重いかを判断し
(もし自身の価値観において両方とも重要な位置を占める場合、
ここで延々利害予測に時を費やす事になる。「悩む」という状態。
また、拒絶、判断放棄をする場合もある。)、
その結果を以て、それが総合的に見て
いいことであるかいけないことであるかを決定し行動する。
149 :
丸久守:2006/07/16(日) 22:50:52
/ | || | \
/ ,r'"j | || | i^'!、 ヽ
/ </´ | :|| | `ヾ> .:;i,
,l _,._, | || | _,._,. .:.:l,
| < (ヅ,>|:|| | < (ヅ,> ...:.::|
! ` ̄´ | ||: | ` ̄´ ..: ::::::! じゃ、どうして
| ノ . : . :;i, ... ::::::.:::| 殺さなきゃいけない?
! (.::.;人..;:::) ...:.:::::.:::::::::!
ヽ、 `´ `´ ........::..::..::.::::::::/
\......,,,,,,,_ .....:::::::::::::::::::::::::/
150 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 23:10:37
善悪の概念には
個人における善悪1 そうしたい、したくない
善悪2 その人にとってそうするのが善い、そうするのが善くない
社会における善悪
倫理的な善悪
すくなくとも五つの意味がある。
151 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 23:16:22
>>143 >>127は個人の価値全体の話をしているだろう?
乙女チックな発想であろうと、その価値全体において
殺人は善になるだろうよ。合理性とはその価値全体の整合性の話だろ?
>仕事上の成功、円満な家庭、知的欲求の充足
なんてのはくそ食らえだと思うがな。それ自体全くもって合理的でもないしな。
152 :
考える名無しさん:2006/07/16(日) 23:21:28
>>145 では私が人を殺したいときには、あなたの言葉を無視しさえすれば事足りますね?
勿論
154 :
FAQ〜良くある質問〜:2006/07/16(日) 23:48:54
155 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 00:00:09
156 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 01:03:03
>>154 「私の言うことは無視しろ」ということですね。
了解です。
157 :
FAQ〜良くある質問〜:2006/07/17(月) 02:28:33
>>156 俺が言うことではなく、俺が思っていることが君が人を殺してはいけない理由である。
158 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 02:39:36
人を殺してよけりゃあ、殺し合いになっちゃうじゃんか。
そりゃマズイだろ、簡単な事だ・・・。
159 :
さらに分かりやすい解説:2006/07/17(月) 04:11:34
>>156 第一に、君がこれから人を殺せるかどうかと、君が人を殺していいかどうかは別である。
第二に、君が俺の言うことを無視しようしまいと、俺の教えた答えを知ろうと知るまいと、俺は君が人を殺してはいけないと思っているのだから、君は人を殺してはいけないことになる。
160 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 06:40:50
疲れるじゃん。
162 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 08:10:06
哲学的思考を習慣化した後の難題は、身につけた思考でどうやって相手
に合わせ、日常生活を営むかということに尽きる。
逐一把握しなければならない、自己の感情と社会という二つの非論理の
一時的な定義による把握だ。仮のとりあえずの把握だ。
人を殺すということは、この一時的な定義を大変困難なものとする。
よって、人を殺した後の自己の価値形成、社会の意味形成はとても恣意
的なものとなり、その状況に人間の精神は耐えられないだろう。
163 :
z:2006/07/17(月) 08:37:46
性善説に基ずくと人は本来人を殺さない。
しかしそこに金や名誉や権力、物欲などが
絡んできて殺意が芽生える
164 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 09:06:05
いいかげんもうこのスレやめれば?
殺しちゃだめな理由なんてないんだし。自分がよけりゃいいじゃん?
誰も規制する権利も力も義務もない。できるならやればいいじゃん?
殺しちゃだめなのかよいのか。それは聞くものじゃなく。
自分で考えるもの。自分で決めること。人間じゃん?
165 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 10:00:42
>>164 キミはオオカミ少女を知らんのか?
人間は人間が人間になるようにそだてないと人間にならんのだよ。
166 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 10:23:57
>>157 了解。あなたの言う「してはいけない」は俺が知っている「してはいけない」
とは別のものであって、俺にとってはなんの意味もないことだ。
167 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 10:28:36
>>166 ここらへんから無限ループさせとく?
↓
95 :考える名無しさん :2006/07/15(土) 13:50:46
そんなこったろうと思ったけどさ、だからさ
「一人一人が自分なりの判断基準」を設けるってことが
無限ループにつながるっていってるわけ
それが相対化なわけ
わかりる?
168 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 10:35:49
>>167 えらくつまらん話になるな。
判断基準の相対化をすると、
万人の万人に対する闘争。自然状態。ホッブズだな。
169 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 10:51:35
170 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 12:00:15
そもそも「〜してはいけない」という思考自体が突き詰めれば個人的主観なわけだが
それをあたかも普遍的価値基準であるかの如く客観化したがるアホがいる
その理由は「己の主観に権威を持たせないから」
>>142 まあ、何がドラマチックかというのは、これも個々の人の価値観によりますが、
ただ人を殺せば、殺さないよりドラマチックか、というと、どうでしょうか?
三面記事をにぎわすような殺人で人生を終わらせるのと、
真面目に努力して仕事で成功する人生とどちらが
ドラマチックでしょうかね?
>>148 どうも、なにか一つのことについて説明されているようにしか読めません。
私が聞いているのは、
・「人を殺しては総合的に損をする可能性が高い、だから殺さない方がいい」
と、
・「人を殺してはいけない」
「がどう違うか」なんですが?
>>173 どちらがより、ドラマチックでしょうかね。
176 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 13:00:48
少なくとも周りの人間の「善い」価値判断から生命を守られてる分際で
オレ様だけは何人の価値基準にも興味がないと言い切るのは
いかがなものなの?
ジャイアン?
177 :
松嶋75:2006/07/17(月) 15:33:15
>>172 人を殺す方が利益になる人もいるでしょ
>>129 にあげた人達みたいな状況に置かれた人とか
178 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:41:27
死刑、仇討ちは認める。
てことで落ち着く?
179 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 17:02:28
おまえらまだやってるのか。よくあきないな。
どうしてちんちん丸出しで外を歩いてはいけないのですか?
181 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 18:42:40
>>180 いいんだよ。本来は。ただ「裸はハズイ」と洗脳されちゃってる人が社会に多いから、法律で禁じられてるだけ
182 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 19:01:33
>>180 まず「外」とは何かを考えるべきだな
家の中や銭湯ではちんちん丸出しで歩いているが
では外とはどこからどこまでが外なんだ?
露天風呂は外ではないのか?
183 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 19:14:16
所詮、相対的なな価値観の問題であり、無限ループなんだよ。
価値観や利害が対立すれば戦いが起こり、殺人が起こる。
戦争なんてその典型。
184 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 19:56:55
185 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 21:05:54
186 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 21:10:32
>>185 好きというより、社会での実体験から得た現時点の結論は、ホッブス
だな。
机上の善悪や倫理、道徳など、現実じゃあ容易く破られている。
人は生物ではありませんか?
生物は人ではありませんか?
生物は人を殺しますか?
人は生物を殺しますか?
物質は人を殺しますか?
人は物質を殺しますか?
自分は人ですか?
人は自分ですか?
全部答えて繋げてみよう。
188 :
考える名無しさん:2006/07/17(月) 22:33:20
ホッブスは偉大だな。
善し悪しは別として。
189 :
考える名無しさん:2006/07/18(火) 00:45:21
>>186はたぶん北アフリカあたりの
ヤバイ地域から書き込んでる(((( ;゚Д゚)))
190 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 10:32:40
止まった・・・。
刑法学者は社会契約説で考えているみたいだね。目的は社会秩序の維持なわけで、
そのために正当防衛で人を殺したりとか死刑はおっけー。
「人を殺してはいけない」ってルールが決まったのは
社会の秩序を守るため。
その他にも窃盗やらなんやらしてはいけないことをいろいろ決めたのもそのため。
じゃないと弱肉強食の何でもあり社会になるから。
「人殺し=罪」という意識が人間にあるのは、人間に感情があるから。
他の動物と違って、家族や友人に愛着を持つから、他人の死が恐くなる。
自分に対しても、本能とはまた違う意味で「痛い死に方はしたくない」みたいな死に対する恐怖をもつ。
だから死にたくないし、大切な人を殺されたくないから、殺人は罪。
そーいう理由で、人は人を殺しちゃいけないって決めるようになったのでは。
だから全然他人だったり、同じ人間とみなしてない人種のことは簡単な気持ちで殺せるんだよ。
193 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 19:16:35
>>192 こらこらこら。
動物は普通仲間の死を極端に怖れるぞ。
でな、あなたは「人を殺してはいけない」を社会契約だと言いつつ
ルールに先立つものの話をしていますよ。
でな、現実の人間のありかたを、必然であるように言ってはいけないよ。
>だから全然他人だったり、同じ人間とみなしてない人種のことは簡単な気持ちで殺せるんだよ。
蛇足。反例はいくらでも挙げられる。
194 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 19:31:22
動物は仲間の死を怖れる。
人間もまた、仲間の死を怖れる。
仲間の死因は、自分の死因にもなりえるから。
だから人間は、殺人者を怖れる。殺された者が他人だとしても、殺人者がいつ
自分を殺しに来るかわからないから。
だから、人間は殺人者を排除する。自分の身を守るために。
殺人者を排除するためには、排除しうる力が必要。
だから、殺人者を怖れる人間達は、協力して殺人者を排除する。
協力して殺人者を排除した人間は、殺人を社会悪と認定する。
以後、その禁忌を破る者は、全て悪として排除される。
かわいい顔をした女の子が人工中絶でいくつもの命を奪っていたらどうでしょう。
196 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 21:06:20
人を殺さないほうが自分が生き残る可能性が高いって気づいたんだろうな。
10000年ほどかかってな。
197 :
考える名無しさん:2006/07/20(木) 22:34:30
だから、資源問題等で人を殺した方が自分(及び子孫)が生き残る可能性が高くなれば、
人を殺した方が正しい世の中になるよ。
なんで人間って自分たちを別格にしたいんだろうね。結局人類も動物でしかないのに。
199 :
考える名無しさん:2006/07/21(金) 06:09:32
動物の共生本能と、人間の道徳的思想が同じものか否か。
動物にも闘争本能はあるが、略奪や戦争はしない。
動物における闘争本能は、縄張りに入ってきたら追い出す程度のもの。
人間は闘争本能を拡大した結果、他人を殺すことによって自己が守られると考えてきた。
動物の共生本能は種の保存のためであるが、人間の道徳的思考は拡大した闘争本能と
バランスをとるために共生本能を拡大したものとも考えられる。
元は同じでも、拡張してきたものは同じには見えないというところか。
いづれにしても第一原理は種の保存である。
200 :
考える名無しさん:2006/07/21(金) 06:57:52
人類と動物が同じって・・・・・・・
んなわけあるかい。
人間が、国家や核爆弾管理等を背負うことが無理なだけだろ。
よって、現代人は、動物でも人間でもありません。
201 :
考える名無しさん:2006/07/21(金) 07:12:53
善と悪をつくるだけが価値判断じゃなくて善と善または悪と悪を比べるのも価値判断だと思う
202 :
考える名無しさん:2006/07/21(金) 07:41:00
>>199 第一原理は種の保存と言ってるが車の存在はどうだろうか
交通事故が多発しているのに世の人間は乗るのをやめようとしない これは便利さと事故が起きて死ぬ確率を天秤にかけた結果である さらに軽い事故を起こしても尚乗ろうとする 動物であったら一回危険を察知したらもう近付かないだろう
動物は死を天秤にかけさえしないが人間は考える時点で動物とは違うと思う
あと車だけでなく動物と違うとこはたくさんある
>>202 人間は考えることができるので、種の保存の方法が高度になっているだけである。
動物の増加率と人類の増加率を見ればあきらかであろう。
DNAには情報があまり無いので、動物が持つ本能は極めて限られている。
人間は脳が後天的に知識や道徳を獲得することにより、効率的に種の保存ができる。
204 :
考える名無しさん:2006/07/21(金) 11:19:40
>>203 では、意図的に子供をつくらない夫婦の場合はどうだろうか
人殺しっていってもいろいろあるじゃない。死刑の場合とか、戦争で人を
殺す場合とか、あるいは堕胎の場合とか。
それらをひとまとめにして「どうして人を殺してはいけないのか」と問うことには
無理があるように思える。
>>204 先進国では子供を作るのに様々な負担が大きいため子供を作らない人がいるが、
しかしこれは人類が種を保存するための調整機構である。
先進国の人間は一人当たりの消費エネルギーが大きいため、そのエネルギー消費を
抑えることにより、世界的な人口増大が許容できるのである。
207 :
考える名無しさん:2006/07/21(金) 22:07:28
ルールを作ったからだろ
「私は殺されたくない、だから人を殺しちゃだめです」よってな
みんな難しく考えすぎなんじゃないの
209 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 00:23:48
>>207 どういう意図の質問かわからないが、人類は種の保存から外れた行動はとれない。
理由は、もしそのような考えを許容する民族が現れても、その民族がいなくなるだけで、
その他の民族がいなくなった民族の資源を活用してより繁栄するからである。
人間は種の保存のため、環境とエネルギーが許す限り増大を続ける。
先進国は人口の拡大にエネルギーがかかりすぎるため、発展途上国の人口が増えやすい。
また、人間の思考は本能を司る大脳辺縁系を経由するため、本能に完全に矛盾する行動は取れない。
しかし、闘争本能と共生本能が共存しているため、人を殺していいのか悪いのか簡単には決められない。
決めるのは、種の保存に有利なのはどちらかという判断からのみである。
210 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 00:41:55
211 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 01:28:40
>>208 なんの理由があってそんなルール作ったんだ?
思いつきでルール作るなよ。
>>211 ルールは思いつきで作られるものだろうが
見当違いの発言すんな。分からねえなら黙ってろチンカス
213 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 17:40:16
>>212 一人で作るものをルールとは言わないだろ。
で、
複数の人が考えることを思いつきとは言わないだろ。
見当違いのレスはなさらないでいただきたい。
分からないなら口をつぐんでいただきたいものです、チンカス
214 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 17:47:20
誰かが思いついて、他の人も同意すれば
でおkだろw
自分一人で作ったルールもルールの一つだろ
複数の人間だって、個人個人の思いつきがあるだろ
理解できないならママンのおっぱいでもしゃぶってろ、このチンカス
216 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 19:14:32
もうこのスレやめれ
哲学的な思考では答えのでない問いである事は
散々言い尽くされてきたことだろうに
哲学なんて看板掲げて、あたかも分かったような面して不毛な議論すんな、このチンカス
217 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 19:19:02
「駄目だから」
でいいよもうww、このチンカスども
218 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 19:21:20
殺人は人間の放棄
/ ⌒ ̄\ __,.. i
i -,-===ゞ' く__,. _ i
i ..::::ノ ヾ ̄ヾ- i
| ....::::: . }:. |
| ,イ ,;_ .,ノ:::... i
| / , ´ ー ´`i ノ
! ノ /-====ー、 i ノ
ヽ { ⌒ " ,、 ノ
220 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 01:02:17
自分一人で殺人についてルールが作れるかよ、マンカス
221 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 01:48:28
>>216 あたかも分かったような面して不毛な議論するのが哲学なんだよ、この運弧
222 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 20:40:38
道端でせっせとお砂糖を運んでるアリさんは殺してもいいでしゅか?
223 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 21:03:08
224 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 21:03:57 BE:150151027-ブロンズ
BEが変になってもいいのでしょうか?
225 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 21:13:41
>>222 殺してもいいだろうかと疑問に思うのは、どこかで殺さないほうがいい
って思ってるからだろうな。
まぁ
そう教え込まれたからだろな
世界で一番残虐なのは赤子だ
て誰か言ってたしね
227 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 23:09:26
ボクチン、アリさんは踏んじゃいけませんて教わったけど
>>226を殺してはいけないと教え込まれてないでしゅよ。
>>226
228 :
考える名無しさん:2006/07/24(月) 00:02:01
初めて哲学板に来て、ざっと見させてもらったけど予想通り命題が奔走しているね。
最初のスレを知っている人に訊きたいんだけど、このスレタイの意味は、
「なぜ人を殺してはいけないのか?」であり、「なぜ人を殺してはいけないと言えるのか?」じゃないんだよね?
なんか質問と回答が噛み合ってないレスをいくつか見たモンで。
個人的には
>>146と同じく「答えられません」っていうしかないと思うけどね。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
この問いは、「人を殺すのはいけないことだ」という結論が先取りされている。
「人を殺してどこが悪いのか?」
この問いは、「人を殺すのは悪くない」という結論が先取りされている。
「人を殺すのは悪いことか?」
この問いだけが、結論を先取りしてない純粋な問いである。
230 :
考える名無しさん:2006/07/24(月) 01:39:32
殺すのを良しとするとお互い邪魔な人間を排除し始める。
そうなれば繁栄できない。
「生」か「死」のどちらかを選択しなければならない場合、
すべての生物は、可能な限り「生」を選択する。
「あなた」も「生」を選択するだろうし(選択しないなら今すぐ死んでください)、
「あなた以外の人間も動物」も「生」を選択する。
「あなた」が「人を殺しても良い」と考え、人を殺すならば、
「あなた以外の人間」は、「あなた」を「自分の生を脅かす危険な存在」だと判断し、
「あなた」の生を奪うことを考える(または社会から隔離する)。
(動物を殺しても「あなた」の「生」を奪うことはないから殺してもかまわない。)
「あなた」が「生」を選択し続けるためには、
「人殺し」を「善」と判断するより、「悪」と判断したほうが、
より「あなた」が「生」でいられる可能性が高くなる。
すべての人間が生き残る可能性が高い考え方として、
「人を殺してはいけない」を善とするほうが
自分にとっても他人にとっても合理的だから
基本的には「人を殺してはいけない」。
ただし、「あなた」の「生」が剥奪されるような状況、または
「あなた」が「生」を望まないなら「人を殺してもよい」。
>>230 「邪魔な人間」が「繁栄に邪魔な人間」を指すこともある。
全ての人間が自らの繁栄より人類全体の繁栄を優先するという前提がないと、
あなたの言う「殺すことは繁栄に繋がらない」は成り立たない。
そしてその前提がないのは周知の通り。
>>231 >「生」か「死」のどちらかを選択しなければならない場合、
すべての生物は、可能な限り「生」を選択する。
日本の自殺者・・年間3万人
2段目以降の論理展開は最終段半ばにある「合理的だから」に収束するものであり、
その場合の結論は「人を殺さない方がいい」、若しくは「人を殺した方がいい」であって
「殺してはいけない」「殺してもよい」とするのは誤り。
233 :
考える名無しさん:2006/07/24(月) 18:49:08
この問題を扱う場合、論理が自己完結していなければなりません。
そうでなければ倫理がどうの、思いこみに過ぎないのと反論を呼びます。
人には敵と仲間がいる。
敵とは仲間を殺すもののことだ。
敵は殺す方が安全だ。
仲間を殺すと敵とみなされる。
したがって 殺してはいけないのは「人」ではなく「仲間」である。
235 :
考える名無しさん:2006/07/24(月) 22:17:04
1.法律でそう決まっているから
2.社会で生活していくうえでその方が都合がよいから
3.自分が殺されたくない以上、相手を殺すべきではないから
236 :
考える名無しさん:2006/07/24(月) 23:23:52
自然だとかなりちがうよね
Tvでやってた蟷螂の一生見ておもた
国家もしくは共同体の要請
>>234 自殺を純粋な自殺と間接的他殺に区分することなんて無意味じゃないの?
239 :
考える名無しさん:2006/07/25(火) 15:28:28
>>1こういう質問投げかける奴って、たいてい死ってものに対する自覚に欠けてるよ。
例えば喉もとにナイフつきつけられた状態で、同じこと聞けるか?
>>239 何わけわかんないこといってるんだ。
「自分が殺されることはどうしてよくないの?」と聞いてるんじゃないんだぞ。
「人を殺してはいけないのはなぜ?」と聞いているんだ。
だったら、「相手の喉もとにナイフをつきつけた状態で同じことを聞けるか?」ときかなくちゃ。
うん、聞けるだろw
241 :
考える名無しさん:2006/07/27(木) 00:49:31
人を殺していい理由がないからだよ
視覚からの信号で蓄積された経験は相手がナイフを持ったあたらしい状況にも対応できる。左足太ももを刃を縦に刺す、まわす。その間脳みそHDDは小脳に信号を送ってます。背中を刺すな。心臓周辺を刺すな それは己を縛る法律への恐怖感です
243 :
考える名無しさん:2006/07/28(金) 14:24:49
法律に縛られることに必然性はない。
244 :
考える名無しさん:2006/07/28(金) 15:51:50
人の未来を盗む権利は人にないから
245 :
考える名無しさん:2006/07/29(土) 11:53:52
いま244がいいこといった
246 :
考える名無しさん:2006/07/29(土) 12:30:41
群れで生き残ってきた生物だから、殺しを許していると群れじゃなく
なるから生きる事が大変になるんじゃない?
ちょっとくらいなら良いと思うかもしれないけど、
みんなそんな考えを起こすと一気に日本は滅びてしまうと思う。
だから1人1人守ろうとする事が大事なんだ。
例えばどうして人は殺していけないの?に応じ政府は殺人を許せば
自分すら簡単に死に今の何十倍も死者が出る。
247 :
考える名無しさん:2006/07/29(土) 13:56:58
>>244 本質を突いているかどうかは別として、
小-中学あたりの作文をそれで締めくくったら先生が大喜びしそうだな。
例えば1+1=2なのは、この社会が十進法を採用しているからであって、二進法の世界では1+1=10になる。
人を殺してはいけない、は絶対則ではない。社会が変わればこの決まりも当然変わり得る。
何故いけないのかと言えば、矢張り究極的には「法律で決まっているから」という答えになる。
>>248 十進法でも二進法でも可能なのはn進法という一般化した概念があるからであるが
殺人の禁止が十進法とするとn進法にあたるものは何だ?殺人の禁止を種とする上位概念はあるのか?
>>248 十進法と二進法の違いは、表現の違いに過ぎず、値が違うわけではない。
二進数の 10 は 十進数の2 と等価だ。
君の言っていることは、
日本では殺人は「犯罪」だが、アメリカでは「crime」だから、
アメリカでは人を殺しても犯罪にはならない。
といっているようなもの。
251 :
考える名無しさん:2006/07/29(土) 22:27:44
細かいつっこみで悪いのだが。
二進法では
1+1=11としか書けないんじゃないか?二進法ならね。
=10って、そこを十進法で書いたらだめだろう。
ちなみにパソコンで使われているのはブール関数で、
無理に同じ形であらわすなら1+1=0だね。よく二進法と間違えられるよね。
252 :
考える名無しさん:2006/07/29(土) 23:15:18
人間が1人でもなんとか生きていけるようになるためには、保護者であれ施設の人であれ、生まれてからしばらきは誰かに世話をしてもらわなくてはならない。
1人きりでは、食べ物や水分を探して食べることさえもできないからだ。今普通に生活している人間は、必ず、一定の期間誰かに世話してもらったのである。
だから(←この『だから』は少し語弊があるかもされないけれど…)、人を殺してはいけない、というのは論理的な物ではないと思う。
人は何でも理由をつけたがるけれども、本来は感情論が先行するものだ。
その感情に基づいた行為を納得させる(←自分自身あるいは他人に)ために、理屈をつけるだけである。
人を殺してはいけない、ということが一般的となったのは多くの人間が本能的にそれを感じとっているからだ。
単純に、殺される事は苦しいし、誰かが死ぬと、誰かが悲しい。
だから人を殺してはいけないのだ。
>>251 二進法の 11 は十進法表記では 3 だよ。
多分君は根本的な誤解をしてる。
十進表記 二進表記
1 1
10 2
11 3
100 4
101 5
>>253 ×十進表記 二進表記
○二進表記 十進表記
頭が悪く(笑)なるから。←やーいルサンチマン
感情が意志に勝るのは良い事だ。
人間社会は強さの証明を何故か押さえつける。
256 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 03:50:30
age
257 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 16:37:00
参考までに「中島均」の結論です。
殺人を禁止する理由などない。しかし、殺人はしてはならない。
このことを理不尽と思える哲学感度をもちなさい。
258 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 16:39:33
>参考までに「中島均」の結論です。
参考までに「永井均」の結論です。
259 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 17:04:56
>>252 >単純に、殺される事は苦しいし、誰かが死ぬと、誰かが悲しい。
さんざん言われているからわざわざ言うのもなんなんですが、
それを理由に殺人を禁止するのはおかしいんだよ。
誰かが悲しむこと(=A)を回避するために殺人(=B)をしてはならない。
という論理だよね。
一般に
Aを回避するためにBをやめるべきだと主張する場合、
AよりもBの方が価値が低くなければならない。選好ということになるのかな。
つまり、悲しむ人がいるから殺人をしてはいけない、って言うのは
人が死ぬこと(B)が人が悲しむこと(A)よりも価値が低いと言っていることになるよ。
>>259 そんな理屈があるか。
Aを回避するためにBをやめるべきだと主張する場合は、
「Aがもたらす不利益」と「Bがもたらす利益」を比較して、
前者が後者より重大であると判断しているのだ。
この場合なら
「人が死ぬことによる不利益(悲しみ含む)」が「人を殺す利益」より
重大だ、と判断しているだけだ。
実際、後者の方が前者より重大だ、と判断されれば、人を殺してもいい、
という結論になることも有り得る。
>259は最後に
「人を殺すこと」と「人が死ぬこと」を入れ換えてるからおかしなことになるんだろ
262 :
あ:2006/08/06(日) 00:47:04
俺は、人殺しなんか、たとえ戦争になってもしたくないし、
いけない、と言えるけど、やっぱり世の中には人を殺す人がいるんだよね。
環境や、その人のもって生まれた気質や、もしかしたら仏教で言う「業」
のようなものも考えないと説明できないと思うな。
人間の道徳で、「いい」「いけない」という以上のところに
真実が、たとえようもなく残酷な真実が、きっと存在している、、、。
263 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 02:21:15
人間の生活する社会は戦争の対極に位置する存在であるしまたそうでなければならないから。
264 :
小松:2006/08/06(日) 02:38:08
>>262 どうして人を殺したくないのですか?
人を殺してはいけない理由は平和を乱してはいけないから。
今この瞬間も戦争をしているような平和でない国では人を殺しても平気です。
日本だって戦争が起ったり、今の平和が乱れるような事があれば人を殺しても平気でしょう。
265 :
あ:2006/08/06(日) 02:54:25
理由なんかないよ、殺したくないだけ。
大部分の人間は、そんなふうにできてないでしょ。
「人を殺したくて殺したくてたまらないのに、平和を乱してはいけないから
我慢して殺さずに生活している。」
なんてこと、普通ありえないでしょ?
たとえ戦争であっても、「人を殺しても平気」なわけないじゃないですか。
266 :
小松:2006/08/06(日) 03:41:27
人を殺したくて殺したくて仕方ない人は殺すでしょう。平和より自分を優先しますよ。
ではあなたは他人に対して殺意を持った事がないのですか?
戦争になったら人を殺しても平気といいましたが、
私がいっているのは精神的な面ではなく[殺人をしても]平気ということです。
まぁ、自分が生きるためでしたら人間は平気で人を殺すんでしょうがね。
267 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 03:47:23
汚れるから。
268 :
あ:2006/08/06(日) 04:23:05
私は、人を殺したくも、殺されたくもありません。
それは、あなたもそうでしょう。
たとえ、「消えてなくなればいい」と思うやつがいても、実際に殺すということに
なるとぜんぜん次元が違います。なかには、殺人嗜好者もいるでしょうが、
そういう人の心理は、私にはわかりません。
じゃあ、「相手を殺さなければ、自分が殺される」極限状態の場合にはどうか。
その場合は、殺してしまうでしょうね。生存本能がありますから。それは、自然界をみれば、
あたりまえのことです。しかし、人間は動物と違って、こころがありますから、
あとで振り返り、心に深い傷を背負うでしょう。
・・・・そんな、相手も自分の魂も深く傷つけるような行為が、人間にとって「不快」
なものであることは、疑いようもないことであり、わざわざ理屈つけなくても
そんなことはしたくないし、したらいけない、と言うのが、ごく自然な人間の本性
なんじゃないですか?
269 :
考える名無しさん:2006/08/06(日) 13:11:09
ヒント:エゴイズム
270 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 00:09:42
人の命を奪っていい権利なんて誰も持てない
自分の命も奪っていい権利なんて誰も持てない
271 :
考える名無しさん:2006/08/08(火) 00:15:25
殺そうと思って殺したら殺されるから殺さない。
272 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 08:47:48
一方で、生物種には自己保存本能がDNAに組み込まれている。
他方で、生物種には他の有機物を食物として消化することで
固体を維持するDNAが組み込まれている。
これは事実だ。DNA事実判断からは食物として殺すことが事実上の前提となっている。
だから、人食い人種は正しい。食物としない殺人はDNA事実判断に反する不正である。
273 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 09:27:52
人を殺したがる人間はいない。何かの欲求によるのではなく、圧力に押されて
殺した、というのがほとんどだ。救世主のような高度な人間が殺されるのは、すべてを
悟っているのになぜ、といわれれば、Christすら最後に「父よ、なぜ私を見限ったのですか」と
十字架上で疑っているのでも明らかだ。
274 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 09:56:23
かわいそうだから
275 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 12:39:37
そんなの簡単なことじゃん
人を殺してよいとすると、誰かが殺人を始めたら、それを力でしか止めることができなくなる。
そうすると、最終的には一人しか人間が残らなくなるから。
つまり、人を殺しちゃいけない理由は、人間が絶滅しないようにするためなんだよ。
極論だけど。
本来、人を殺すという行為自体に善悪は無い。
しかし、人間は社会を構成することで多大な恩恵を得ている動物である。
社会を効率的に維持するには、個人の身勝手な欲望をある程度抑制しないといけない。
そのために人間は法を作り、個人の行動に規制を加えてきた。
現在の社会では、殺人は社会に非効率をもたらすものとされ、厳しく規制されている。
そのような状態が長く続いてきたことにより、人を殺すのは悪いことだという常識が
生まれた。
なんていかがでしょうか?
277 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:14:26
レイプするための女が減るから
278 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:21:15
>>276 まあ普通はそういった理論で通じるんだろうけど、たまにいる電波君や池沼には、
「常識」って言葉が通じないからね。
あと、長年の社会体制で生まれた常識ってことだと、全ての人間が納得しないかも。
今の社会の恩恵を受けることができない、いわば「法の狭間」に位置する人間ってのも少なからず存在するわけだし、
そういった人には関係ない話だろうしね。
279 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 13:51:45
人を殺そうとしている香具師を思いとどまらせようっていうことなら、
倫理学の説明なんかよりも、殺すと死後地獄に落とされて・・・・・・みたいな
脅しの方がまだ効果があるんじゃね?
でも、倫理学ってのは犯罪者予備軍の更正を目指す学問じゃないんだよ。
280 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 15:23:08
>>1 どうして人を殺していいのですか?
あんた答えられるの?
281 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:40:13
>>280 質問に質問で答える馬鹿ですか、あんたは。
282 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:47:02
>>280 言い返しとしても、ちょっと弱いね。
「してはならない理由がないなら、していい」って考えるのがふつうだから。
283 :
考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:52:52
>>1 人を殺したら褒章が与えられるとしたら、社会は滅びないですか?
284 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 12:59:23
>>283 質問に質問で答える馬鹿ですか、あんたは。
人を殺してはいけないのではなく、人を殺したくないし人に殺されたくないだけじゃないのか?
286 :
sage:2006/08/10(木) 19:03:29
人を殺しちゃいけないなんて事はない。
道徳を肯定させる手段としてたまたま選ばれただけ。
287 :
考える名無しさん:2006/08/10(木) 19:06:05
戦争になっちゃうから。
毎度毎度のループ展開、この問いにならん問いと気づくのが
常識になるにはいつになるんだろうな。
289 :
考える名無しさん:2006/08/12(土) 12:32:03
結論
人には敵と仲間がいる。敵とは仲間を殺すもののことだ。
敵は殺す方が安全だ。仲間を殺すと敵とみなされる。
仲間でいたければ仲間を殺してはいけない。
「即ち、自分がある集団(A)に属していたいのなら
Aに属する人を殺してはいけない。」ということが言えるだけなのであって、
その他のことは言えないのである。
戦争や死刑での殺人行為は敵を殺しているだけだから容認されるのである。
殺してはいけないのは「人」ではなく「仲間」である。
290 :
ステレオ:2006/08/12(土) 16:56:04
Q、なぜ人を殺してはいけないのですか?
A、「なぜ という質問形式は間違っている。私と貴方が他人である以上、
理由は貴方が決めなければならないし、結論もまたしかり」
291 :
あ:2006/08/12(土) 17:29:13
あのさあ、
そもそも「なぜ生まれてここに存在して、なぜ死んで行くのか」
という基本的なことすら、誰もわかってやしないのに、ましてや
「殺すことはいけないことなのか」なんていわれたって
説明できるわけないだろ?
われわれにできるのは、決めることだけだ。
もともと生死の問題は、人間の理解を超えたとこにあるんだから、
理屈を超えた本能に素直に従うだけだ。
あまりややこしく考えず、「生命」を尊重し、
「生命」に危機や不快を及ぼすようなこと元々やりたくもないし、
やっちゃだめ、と素直に本能に従っていればいいんだよ。
>>291 昨今の犯罪者には、最早その理屈じゃ意味がないだろ。
そんな抽象的な文章で納得するのは、小学生ぐらいじゃねえか?
293 :
291:2006/08/12(土) 20:40:28
292>大人より、子供のほうが直感的によっぽど本質をつかんでいる
場合だってあるだろ?
いかなる「理屈」でいかように説明しようとしても
ムリなんだから、「理屈」を考えるのをやめるよう努力するしかない、
って言ってるんだよ。
>>293 これまでも、いろんな奴がそれぞれの言葉で理由を考え出してるんだから、
「理屈を考えるのをやめる」なんて選択したところで、このスレでは全く意味がないだろ。
無理なんて言って考えることを放棄するのは、ただの逃避だと思う。
説明できるわけない、なんてことないさ。
どうして殺しちゃいけないのか、なんて考え方が人それぞれだし、
このスレで出た理論で納得する奴がいるんだからさ。
295 :
291:2006/08/12(土) 21:11:06
294>逃避じゃなくて、積極的に「頭で考えること」を
放棄すべきだって言ってるんだよ。生真面目に考えればね。
なぜなら、「Aだから人を殺してはいけない」と理屈で
説明すると、必ず「じゃあ、Aではないんなら人を殺していいんだ」
という風に、人間の思考回路は働くから。必ず、そう考える人が出てきて、
話がややこしくなるだけだ。
もっとも、ここは「俺はこう思う」ということをそれぞれ
いう場なんだから、個人で納得してればいいんだ、というなら
「そうだね」って言うしかないけど。
296 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 13:51:13
究極の真理:
このスレは、どこまでやっても、終わらない。
浜の真砂は尽くるとも
世に「どうして人を殺していけないのですか」と考える人の種は尽くまじ
〜石川五右衛門
297 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 15:12:11
>>1 どうして殺された人はいけないんですか?
に対抗しているから
298 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 22:30:38
そもそも人を殺してはいけないって誰が言ってんのよ?
300 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 22:39:50
人を殺すというのは如何にも人間的行為。
逆に言うと禁止しなければ殺してしまうので、
殺してはいけない事にしてるんだろう。
301 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 23:10:02
>>300 危険人物!
お前は誰かに(しかし、誰に?)禁止されてなければ人を殺すのか!
302 :
考える名無しさん:2006/08/13(日) 23:34:28
↑アフォ?
よく考えてみたら
「なぜ人を殺してはいけないのですか?」
に対して、
「わけはある。しかしそれをことばにしてはならない」
っておかしくない?
人間が起こった(起こりうる)事象を伝えるには言葉(記号)で伝えるか、体験して得るしか出来ない。
でも↑の文だと「わけ」は言葉にしてはいけないらしいから、
質問する側が「殺してはいけないわけ」を知るには体験するしかない。
でも元々「光」も「影」も無いもの、つまり透明の何か(=真実をともなわない言葉?)は体験しようがない。
質問者は回答者から答えを得ることが出来たけど、それを真に正しいと証明することは出来ない。
この質問「なぜ人を殺してはいけないのですか?」に対し「わけはある(ry」という解答が有効なのは
質問者に主観がない時。
質問者と回答者の主観が一致した時。
上の二つの条件をどちらか片方以上みたしているとき。
質問者に主観があり回答者と価値観が違った場合、殺人は起こりうる。
質問者の人格を全く無視したこの話には、
道徳的な見地からのマインドコントロール臭さを感じるね?
つか質問者は 人を殺してはいけないのを前提に、その理由を聞いてるんだから、
初っ端らから「殺しても良い」っていっちゃうのは、質問者の人格を無視してる本問においては
回答として不適切なんじゃないの?
304 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 13:12:43
>>1 日本語独特の動詞最後文法で狂わされているが、熟語にして要約すると
「なぜ人殺しはまずいのか?」でしょ?
「いけない」の意味は、質問者自身の経験なのか、解答者及び客観者の経験なのか
あやふやなところが、Mind Control的なので、「まずい」にして、質問者の経験を
踏まえていることにすると、はっきり分かる。
Why kill I people ? なんていわれたら、殺人恐喝容疑で逮捕されるよ。
Why kill you people ? ならなぜ「あなたは」ころさないのか? でMind Controlの
典型だ。主体者が質問者にあるのか解答者にあるのかを明確にすると一発でThread終了に
なるはずなのに、長々しいのはみな道徳心が欠け気味のような。
305 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 13:56:57
↑アフォ?
307 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 15:47:38
哲学は「善とは何か」(倫理)を考えるのが大きな役目である。
ほかにも認識論とか存在論とかいろいろあるが、以下「善とは何かを考えること」を指して狭い意味で「哲学」と使う。
哲学は善を考えるが、哲学自体は善だろうか?
哲学が悪(排除すべきもの)であるならば哲学自体を排除しなければならない。
哲学を排除するとは善(悪)に関する思考を排除することである。
しかしそれは「哲学は悪である」という思考も排除することになる。
哲学は悪である-(1,命題)
↓
哲学を排除すべし-(2,命題)
↓
哲学は悪である「と考える」(2-b,思考)
↓
哲学を排除しようと考える-(3,思考)
↓
「哲学は悪である」という命題も思考から排除する-(4,思考)
↓
哲学は悪であると思わなくなる-(5,思考)
哲学を排除するには哲学は悪であると「考え」(←ここ重要)なければならない。
(1,2)は論理(的な事実の仮定)に属し、(3,4,5)は思考に属する。
(1,2)は悪→排除という論理的な帰結として(3)の理由となるが、
その(3)から導かれる(5)は(2-b)を否定する理由となる。
自己言及によって矛盾(1,2と5)が生じた。
これは「哲学が悪である」という仮定が成立しないことを意味し、
哲学自体は善であるといえる根拠である。
>>307 >これは「哲学が悪である」という仮定が成立しないことを意味し、
>哲学自体は善であるといえる根拠である。
いい加減。
>>307 >哲学を排除するには哲学は悪であると「考え」(←ここ重要)なければならない。
何が「ここ重要」だ。アホか。
>哲学を排除するとは善(悪)に関する思考を排除することである。
>哲学自体は善であるといえる
アホだ。
312 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:00:23
晒しあげ
>哲学は悪である-(1,命題)
>↓
>哲学を排除すべし-(2,命題)
>(1,2)は論理(的な事実の仮定)に属し
最高にアホ。
314 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:04:27
>>307でとった仮定
悪=排除すべきもの
善=悪と相容れないもの
善+悪=この世のすべてのもの。
悪でなければ善、善でなければ悪。
先に悪は「排除すべきもの」としたが、これは
「善と悪は相容れない」、「善が存在するためには悪を排除ねばならない」
といった(疑わしい面があるが)直感にもとづく。
さて哲学は善に属することになった。
ここから悪を「哲学が存在するために排除せねばならないもの」として規定していきたい。
>>314 あなたは、最高度のアホですね。
>、「善が存在するためには悪を排除ねばならない」
が、
>(疑わしい面があるが)直感にもとづく
んですか?
316 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:09:41
>>307 >哲学は善を考えるが、哲学自体は善だろうか?
>哲学を排除するとは善(悪)に関する思考を排除することである。
>「哲学が悪である」という仮定が成立しないことを意味し、哲学自体は善であるといえる根拠である。
これはどういう意味?
>>307 「哲学を排除するとは善(悪)に関する思考を排除すること」だとすれば、「哲学自体は善」ではないw
318 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:11:16
すべての価値というものは生から生まれる。生がなければ価値も存在
しないすなわち生とはすべての価値の根源であるからにして相対的価値
を超えた超価値である。だから、自分の生を勝手に終わらせたり他者の
命を奪ったりすることは生を相対的価値によって判断している事であり
、誤りである。こう言う答えだと大学の哲学の先生に聞いたけど?
>こう言う答えだと大学の哲学の先生に聞いたけど?
「聞いたけど?」でお前、自分の聞いたことも分からないのか? なぜクエスチョンマークを使い、「聞いたけど?」と聞くのだ?
自分が何を聞いたか分からないのか?
320 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:13:59
学校の先生の言ったことの受け売りでした。
321 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:14:07
ネタでした。
>こう言う答えだと大学の哲学の先生に聞いたけど?
最高のアホ。
323 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:16:34
(1)暴力
暴力とは「危害」や「攻撃」と言い換えてもよい。ここでは日常的な意味でいう暴力とする。
暴力によって人を殺すことができる。人が死ねばその人の意識、思考もいっしょに消失する。
そしてその思考には哲学も含まれる。暴力、殺傷は哲学にとっての脅威である。
よって暴力は排除せねばならない悪であるといえる。
「人を殺してはいけない」とは「哲学を殺してはいけない」という意味でもある。
(2)洗脳
洗脳とは他者による意思の操作である。
意思を操作するのを認めれば「哲学的思考は消去してもよい」ということにつながる危険がある。
これは脅威である。よって洗脳は悪であるといえる。
>暴力とは「危害」や「攻撃」と言い換えてもよい。
一行目から文がおかしいね。
>ここでは日常的な意味でいう暴力とする。
ネタにレスすんなよ
放置
328 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:29:42
(3)貧困
貧困とは「健康のための物質的な条件が整わないこと」をいう。
人が生きるには身体を維持する必要がある。身体が維持されなければその人は死ぬ。
死ねば思考の消失につながり、それは哲学に対する脅威である。よって衣食住が保障されねばならない。
(4)麻薬・酒・タバコ
麻薬は思考を狂わせる。麻薬が利いている間は錯乱してまともな思考は存在しない。
すなわち麻薬の使用と哲学的な思考は時間上のトレードオフの関係にある。
よって麻薬が広まることは哲学の脅威であるから排除せねばならない。酒、タバコもこれに準ずる。
329 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:32:52
で、どうして人を殺してはいけないの?
330 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 16:36:22
私の個人的な考えでは、
殺すことは必ずしも悪ではないと思います。
同族を殺してよいと思う者の一族が残らなかったから、
人を殺してはならないと思い始めたのではないかと思います。
死によって救われる者や幸せな死がこの世にはあるとも思いますし。
>>330 >殺すことは必ずしも悪ではないと思います。
>死によって救われる者や幸せな死がこの世にはあるとも思いますし。
あなた、「殺すこと」と「死」を区別してないよ。
殺されて死ぬことによって救われる者や、殺されることによって幸せな死がこの世にはあると思います、ということか?
334 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:45:29
回答待ちあげ
殺されて幸せだった奴ってどんな奴だろう・・・
殺されてから、幸せかどうかなんて考えられないだろ。
死んでるんだから。
リトル・スターとかいう人の発言で、
>私の個人的な考えでは、
というのは、
「私の考えでは、」
とか、
「私は、」
とかとは違うわけ?
338 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 16:55:45
書き込みしろよ。
>>334 「人を殺してもよいとするならば善が存立しない」からだ。
善を唱える人間を鏖殺してしまえば善は社会に存在しようがない。
殺人は倫理自体を否定する面を持つ。
倫理はスポーツでいえば審判(の従う規範)であって殺人はその審判を消してしまう行為であるから
・どうして人を殺してはいけないのですか?
という問いは
・どうして審判をボコッて殺すのがFIFA公式ルールの違反なんですか?
と利くようなものだ。凡庸な答えですまんな。
340 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 17:02:55
>>339 それならば、社会の構成員全員を殺さなければいいだけでは?
342 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 17:04:16
済みません、他の板を見てました。
>331
幸せな死は、幸せな殺され方という意味を含めて書いたつもりです。
(少し解りにくかったようですが。)
>336
こんな殺され方ならいいなと思ったことが
私にはあるので書きました。
>337
いえ、同じです。深い意図はありません。
343 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 17:04:33
私の超個人的な考えでは、
これは問うものではなく、自覚するものである。
>>339 「人を殺してもよいとするならば善が存立しない」から殺したら駄目なの? 善が存在しなければいけないわけは?
>>339 >どうして審判をボコッて殺すのがFIFA公式ルールの違反なんですか?
あなたの考えは、功利主義的考えから、人を殺したら駄目ってことなんですね。
Q、どうして人を殺してはいけないのですか?
A、ばれたら逮捕されて牢屋にいれられちゃうし、
殺した人に縁のある人から恨まれて自分に危険が及ぶかもしれないから。
Q、人を殺したのがばれなければいいんですか?
A、それで君の心が痛まないのならね・・・
347 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 17:11:21
回答待ちage
>>342 殺される前に、殺されて幸せかどうか分かるのですか?
349 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 17:16:15
答えは65億通りある。
350 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 17:20:08
>>344 >善が存在しなければいけないわけは
ここはまだ解決していない(ガクッ)。もうちょっと待ってくれ。
>>345 結果的に功利主義と一致するが俺が言っているのは
「善が社会に存在するためには殺人を抑止しなければならない」であって
功利主義の「社会をうまく運営するには殺人を抑止しなければならない」とは
「善の存在のため」か「功利のため」か、この点が異なる。
351 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 17:21:40
>348
いえ、あくまでも予想で現実にそう思うか不明です。
「現実にそう思うか不明」って殺されたら「思う」ことなんてできないでしょ。
>>350 善が存在するから殺人を抑止されるのか、
善を存在させるために殺人を抑止するのか。
あなたの考えでは、後者なんですね。
>>350 「善が社会に存在するためには」ってことは、「善」を作るってこと? 維持させること?
自分と同種の生物をやたら無意味に殺すような固体は種の繁栄を妨げるし、
生物学的にも淘汰される
仲間に危害を加えないようにするのは、社会を営む生き物にとっては当然のこと
356 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 17:31:33
「善の存在のため」
は、善のために殺人をしない。
「功利のため」
は、社会のために殺人をしない。
前者は、善が社会に存在しなくても良いんじゃないか?
「善が社会に存在するためには」というのは、善を社会の維持のために使う、功利主義的な考えでは?
>>355 「やたら無意味に殺すような」というところがいい加減ですね。
「やたら無意味に」でなければ、殺してもいいということになるよ。
お前ら、くだらんことやってるな。
お前ら、どんどん書き込め。
意見を出し合おう。
362 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 17:39:29
>353
死ぬその瞬間に理解していれば、思うことは可能だと思われます。
>>362 「死ぬその瞬間」は死んでないだろ。
だから、それはまだ殺されて無いだろ。
だから、幸せな殺され方かなんて分からないだろ。
364 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 17:41:59
65億通り書き込め
>>362 「死ぬその瞬間に理解していれば、思うことは可能」って何のこと?
何を理解するの?
367 :
355:2006/08/14(月) 17:51:38
オレが考えるに、人間の感情や道徳なんてものは、ほかの生物との生存競争や
人間同士の集団生活の中で生まれたシステムに過ぎないと思っている
>>358 確かに『これはおかしい』と思う人はたくさんいると思うが、殺人も戦争や正
当防衛、義理、情状といったもので罪にされないこともある
368 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 17:51:50
>365
自分が殺されるということです。
>363
死んだ後は何も感じません。
つまり死ぬ瞬間に幸せであれば幸せな死を迎えたことになると思います。
369 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 17:52:10
べつに殺してもいいですよ
>>368 死ぬ瞬間というのは、その人にはわからないだろ。
>>368 死ぬ瞬間は意識無いだろ。
意識あれば、まだ死なないだろ。
373 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 17:56:40
>368
幸せだと思っているときに死ねれば、
死ぬその一瞬の正確な時間の認識までは必要ないと思います。
幸せな殺され方というのは、すでにそれは自殺である。
>>373 >幸せだと思っているときに死ねれば、
と、
>死によって救われる者や幸せな死がこの世にはある
は、合ってないのでは?
逆になってるね。
「幸せだと思っているときに死ねれば」って、死ぬ前に、自分の死が幸せなもの「だった」と思うんだから、矛盾してるよ。
>>373 三島の死とか、特攻隊員の死とか? 具体的にはどんなのがある?
>>373 正確な時間を認識しなくても良いけど、
「死ぬその瞬間」と「幸せだと思っているときに死ねれば」は、だいぶ時間的に隔たりがあるよ。
それに、「正確な時間を認識しなくても良いけど」って死んでからしか分からないしね。
380 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 18:05:53
>>341 >社会の構成員全員を殺さなければいいだけでは
これを「殺人のコントロール(思想)」と呼ぼう。
俺が上のほうのレスで言ったことを要約すると
・殺人を認めれば哲学者(善を考える人)が殺されて善が存在しなくなる
となる。これは皆殺しを前提にしている。
ならば全員を殺さなければ善が一応存在して問題ないのではないかという疑問がわくが、
確かにその通りである。3つに分類して(c)に該当する状況は容認しうる。
(a)
社会に全く秩序がなく争いが絶えない万人の万人による闘争の状態では
個人が勝手に人を殺すから殺人のコントロールはできない。コントロールには秩序が必要である。
(b)
一部の特殊な者だけが殺人を行う権限を持っているが、誰を殺すべきかという規定・規範は無い状態では
誰を殺すかが問題になる(選択)。選択には普通は基準が必要であるが規範(≒基準)がないので殺害は恣意による。
恣意によるので善(を考える人)が危険にさらされる可能性は高い。
(c)
一部の特殊な者だけが殺人を行う権限を持ち、誰を殺すべきかという規定・規範がある状態では
規範があるので一応善は保護される。現代はこの状態にあたり、現に善(哲学)が論じられている。
しかし誰を殺すべきかという規範が改変されることによって(たとえばファシズムの台頭)殺害が起こりうるため
まだ善は安全ではない。
>>380 >>社会の構成員全員を殺さなければいいだけでは
>これを「殺人のコントロール(思想)」と呼ぼう。
「「殺人のコントロール(思想)」」なら、「全員を殺さなければいい」ではなくて、「殺してはいけない」でなければならないだろ。
382 :
355:2006/08/14(月) 18:07:49
>>371 そりゃあ、「人を殺してなぜわるい?」だなんて、とんでもなくひねくれて間違った
ものの考えだ。
人殺しなんていいことじゃない。そんなことは誰でも分かること。それでも「なぜ?」
なんていう人がいるから俺は別のものの言い方で説明したんだ
>>380 (a)はホッブズの社会契約論
(b)は君主制
(c)は立憲制
>>380 >皆殺しを前提にしている。
なら、なぜcだけ認める?
「3つに分類して(c)に該当する状況は容認しうる」理由は?
功利主義的な理由でしょ。
>>380 >・殺人を認めれば哲学者(善を考える人)が殺されて善が存在しなくなる
>となる。これは皆殺しを前提にしている。
し、「全員を殺さなければ善が一応存在」なら、(b)の「恣意によるので善(を考える人)が危険にさらされ」ても、それが皆殺しでなければいいわけだから、
善を守るためなら、別に(b)でもいいわけでは?
その危険度が(b)よりも(c)のほうが低いと考えてるわけ?
(a)はホッブズが考える自然状態な。
なるほどー、全員を殺さなければいいだけってことか。
「誰を殺すべきかという規定・規範がある状態」?
殺すべき? 殺していいではなく?
390 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 18:35:06
>368
>371
私の書き方が悪かったことは認めますが、
私が書いたのは幸せな殺され方であって、
死ぬまさにその瞬間に、幸せと感じるのかではありません。
>375
>376
>378
自分が殺されることを認識し、
死んで意識がなくなるまでの間を私は言ってるつもりです。
(b)よりも(c)のほうが大分安全であるから(c)が容認しうると述べた。
善の存立の点から言えば(b)でもかまわない。
>>386 ここでモデルに新しい条件を導入する。
哲学者(善を考える人)は人であるから寿命で死ぬ。次々死んでいけば最後には哲学者が絶滅する。
これを防ぐには新しい哲学者を養成して減った分を補わねばならない。
これを「教育」(=哲学者を増やす行為、具体的には学校の道徳の科目)という。
(b)のような社会では殺人を行う者に目をつけられていないというだけで
公に教育は行われない、重視されないと思われる。
この点で長期的には危険である。
補足
>公に教育は行われない
は保護による教育という意味。具体的には
暴君の統治する社会では君主の気に障った者は
迫害され殺されるが気に障らない者は殺されないが特に優遇もされない、のようなこと。
別の機関があればそうではないからこのあたりは粗相。
>>リトル・スター氏
「幸せな死に方」というのは臨終(あるいは殺される直前)の状態だけでは判断しないものではないか?
肺ガンで苦しんで死んだ喫煙者と
タバコから逃げまくって引きこもって長生きした嫌煙者とでは嫌煙者のほうが幸せと一概に言えるだろうか?
俺としては幸せな死に方は年ごとの「幸福ポイント」の合計が一番多いような死に方だと思うが。
こうするとポイントの計量とか比較の問題が出てくるが。
394 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:20:58
>>393 幸せの尺度なんてのは人それぞれなんだから、
どのような比較をもっても一概には言えない。
395 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:25:34
幸せの比較なんてのは殆どが妬みだろうね。
〜より自分の方が幸せと言っている奴はあんまり幸せではないのかもしれない。
>>390 >自分が殺されることを認識し、
>死んで意識がなくなるまでの間を私は言ってるつもりです。
その間が、「幸せであれば幸せな死を迎えたことになる」は、単にあきらめの境地だろ。
>>394 言えるだろ。
マズローの欲求段階説とか、エロースとか。
398 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:30:47
>>397 マズローの欲求段階説が真理だと証明できるの?
ベンサムのそれでは。
>>398 「真理だと証明」・・・。説だからな・・・。そして、科学だからな・・・。
「科学だからな・・・」で釣れる!
403 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:41:07
>>401 で、君はマズローの説を真理だと証明できるのかい?
>>393 リトルスターとか言う人がいいたいのは、
殺されることを認識して、そこで、一種の諦めの境地に達して、過去を懐かしみ、楽しいことを思い出し、そして、今までの生を肯定し、死を受容することだと思う。そして、死ぬこと。
で、それが幸せな死だと言いたいんだと思う。
>>403 「真理だと証明」と言うのは科学が何かを勉強してない証拠。
406 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:45:40
>>405 出来るのか出来ないのかを聞いているんですが。
他人の受け売りも結構だけど、自分の頭で物事を考えた方がいいよ。
407 :
あ:2006/08/14(月) 19:48:07
まーた、みんな難しく考えちゃって。
理由を、「外部」に求めようとすると、収拾がつかなくなるだけだってば。
「道徳」だって外部だよ(だって、人間が勝手に決めたきまりだもん。)こ難しく考えず、
もっと、本能、しいて言えば「もともと人間の根源的なところに根付いている
「倫理」から発想しないと、発散するだけだよ。
「科学とは何か」を勉強しなさいって。
>>407 本能=倫理
なんだそりゃ。
倫理が抑制するものは何か? それは本能だろ。
そして、
>本能、しいて言えば「もともと人間の根源的なところに根付いている「倫理」
倫理が人間の根本に根付いていたらそれは、すでに倫理ではないだろ。
倫理が本能なら、それは規範ではないよな。それじゃあ、自己矛盾だな。
「倫理」の名前に値しない。
410 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:52:32
>>408 その科学とは何かというのは誰の受け売りなのですか?
411 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:53:08
>>363>>365 『死ぬ瞬間』Elizabeth Kubler Rossというぴったりの書籍がある。
>>1自体
Chritが「殺してはいけない」と言うのに対してか、Rome国王が「Rome人以外は殺してよい」と言うのに対してか
決めていないで問うている。他人の選択権を奪ってまで自分の選択権を行使することは許されないので、殺人=悪、
善社会にとっての排除すべき事柄=罰則あり=いけないもの、であるのではないか。
>>410 あなたは、内面化・社会化を勉強しなさい。
>>411 要するに社会規範だから、殺したら(特に同族は)駄目だということですね。
414 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:55:36
>>412
反論がなく逃避の書き込みに終始しているところをみるに
マズローの説を真理だと証明できないんですね?
415 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 19:55:58
>407
タナトス(死への欲求)と呼ばれるものでしょうか?
>396
>404
諦めではなくもっと積極的なものです。
意味のある死が欲しい。
醜くなる前に美しく死にたい。
自分が醜くて許せない。
自殺したくても出来ない等です。
>>414 「真理だと証明できないんですね?」とか言ってる時点で、終わってるよ。
417 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 19:57:57
>>415 殺されることは、積極的なことではないでしょう。
自殺ならまだしも。
>>415 > 諦めではなくもっと積極的なものです。
> 意味のある死が欲しい。
> 醜くなる前に美しく死にたい。
> 自分が醜くて許せない。
> 自殺したくても出来ない等です。
は、「幸せな殺され方」とどう関係あるの?
殺される中で、積極的に考えたって、それは、消極的な(殺される状況の中での)ものであるから、それは諦めでしょう。
420 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 20:04:47
やっぱりどう思おうときちんと定式化されたものをきちんと理解しないとダメなんですよ
421 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 20:10:48
「日本では、哲学というと、たいていの場合、とくに西洋哲学の諸思想の紹介や研究のことを指して言うことが多い。
けれども、哲学とは本来そうしたものではなく、現代を生きる私たちが、身近な現実の諸問題と向き合って、そこから、いかに人間的な生き方の道筋を立てていったらいいのかを、よく考え直すことになると言わなければならない。
そうしてこそ初めて、私たちは、生きた私たち自身の哲学を形成してゆくことが可能になるのである。
むろん、そのときには、伝承されてきた過去や現在の東西の哲学思想の有意義な視座や成果が、十分に生かし返されなければならない。
私たちは、豊かな歴史的伝承を継承発展させることのうちでこそ、私たち自身の哲学上の立場も本当に確立することができるからである。」
渡邊二郎・東京大学名誉教授・放送大学名誉教授 『現代人のための哲学』
http://www.bk1.co.jp/product/2587943
422 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 20:11:01
優しく分かりやすく哲学のことが知りたければ、渡邊二郎先生の『現代人のための哲学』(
http://www.bk1.co.jp/product/2587943)を読んでください。
私はたちは哲学を必要としているんですよ。下は、その本に載ってる渡邊二郎先生の言葉。
「少なくとも、私たちが、よりよく生きることをやめることができない以上は、私たちは、生の根拠としての哲学を必要としていると言ってよい。私たちは、今日においてこそ、現代に生きるための思想的根拠としての哲学を切実に要求せざるをえない、と言うべきであろう。」
423 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 20:11:28
殺され方とは どうやって殺されたか、その状態 です。
幸せなとついているので
幸せな状態に成れる、またはそれで居れると言う事です。
幸せな日々のまま死にたいと思っているときに殺されたのなら
幸せな状態でい続けながら殺されたので、幸せな殺され方です。
つまり、刺殺とか撲殺とかの犯行の手口ではなく、
このような状況、条件、気持ちで殺されたら
幸せになれるということを幸せな殺され方と言いたいのです。
>>423 >どうやって殺されたか
ここを修正したらどうだ?
まだ死んでいない、と言えば、死ぬ瞬間だと言うし、死ぬ瞬間は考えられる意識が無いといえば、殺されることを認識してからだと言う。
その状態が、とても、「どうやって殺されたか、その状態」だとは思えない。
426 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 20:17:31
>>416 出来ないなら出来ないと言えばいいじゃないですか。
そもそもマズローの説について、それを裏付けるような科学的な実験がされているのですか?
所詮君が言っている事は受け売りなんですよ。猿レベルですよ。
「真理の証明」とは何かを勉強してから発言するといいと思うよ。
科学哲学でも勉強するといいですよ。
429 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 20:27:55
むきになってる人たちを見るのは、おもしろいね。
自然界を見てみろって。
動物は、みんな自然に生き、自然に死んでいっている。
それに疑問を抱くこともなしに。
人間は、なまじ言葉を知っているもの(作った)ものだから、
自分では、「何で生まれて、何で死んでいくのか」ということも
わかりゃしないのに、「死ぬ」「いけない」等の単語を組み合わせて
勝手に疑問に思っているに過ぎないんだって。
いや、むしろそういう「言葉」に操られて考えさせられている、といったほうがいい。
→おそらくわれわれは、みんな勘違いしているんだよ。
430 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 20:27:59
>>427 何の根拠もない説を当たり前のように使用しないでね。
君は哲学の前にそこからスタートだね。
432 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 20:30:55
>424
有難うございます。言葉の使い方が悪かったようです。
>425
少数派かもしれませんが
特定の殺され方に憧れているといえるかもしれません。
つまり、殺されることに価値を見出しているということです。
>>432 主張の要約になってないよ。
なぜ主張するかの要約にはなってるけど。
年齢は関係ないだろ。
議論には属性は関係ない。
諦めの境地。
要約と詳解をお願い。
440 :
429:2006/08/14(月) 20:45:24
>431
要約すると、
1.「どうして人を殺してはいけないのか」という問いは、
もともと人間の頭では、わからない問題であり、
無理やりに答えを出すとすれば、「証明する」んじゃなくて
「決める」しかない、ということ。
2.そうすると、その決め方が問題になるわけだが、
「Aだから、人を殺してはいけない」という決め方だと、
「Aじゃなければ、人を殺してよい」ということになってしまうので
結局解決しない。これは、逆に「積極的に人を殺すこと」を肯定していることになる。
動物にはこんなことはない。肯定も否定もせず、ただ自然にしたがっているだけだ。
動物に見られない大量虐殺を人間がやってしまうのは、結局これが原因だと思う。
3.したがい、「人を殺してはいけない」理屈を、外部(道徳)に求めるのは
やめるべき(つい、やりたくなるが)である。
4.これを解決するには、人間の生存本能(と人間が意識しているもの)
に従い、「何かに強制されたわけでなく、殺したくないし殺されたくないから、
殺さないんだ」というしかないと思われる。
でないと、更なる悲劇を引き起こすだけだから。
441 :
429:2006/08/14(月) 20:47:40
外部(道徳)→外部(道徳も含む)の誤り。
>>440 >もともと人間の頭では、わからない問題
と分かっているの?
頭で考えたから、そう分かったのでは?
444 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 20:50:47
>433
>439
殺されることに価値を見出し、価値がある死を素晴らしいと思い、
素晴らしい死に方が出来たと満足するということです。
>437
私なら、私の好きな人に愛されながら、私の好きな人の手で、
多くの人に哀れまれながら、記憶の中の私が美しくなるように
殺されたいです。
>>444 >私なら、私の好きな人に愛されながら、私の好きな人の手で、
>多くの人に哀れまれながら、記憶の中の私が美しくなるように
>殺されたいです。
なにこれ。嘱託殺人でしょ。普通の殺人ではなく、自殺に近い。
そして、あなたの言ってることは、矛盾してるよね。
「殺されたいです」ではなくて、「殺される」ことを認識しながら「幸せ」を考えるんでしょ?
>>444の死に方は、準備された死に方、殺され方でしょう。
あなたは、前の書き込みでは、殺されることを認識してから幸せを考えると言うんだから、
「多くの人に哀れまれながら」なんて言ってられないでしょ。
「多くの人に哀れまれながら」なんていうのは、準備された冷静なものでしょ。
想定内の死なのか、想定外の死なのかどっちだ? 自分が殺されることは想定しているのか?
>>444の書き込みでは、想定しているように思えるけど、以前の書き込みでは、想定していないように思える。
446 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 20:59:49
だいたい、嘱託殺人でなければ、「多くの人に哀れまれながら」なんてことはない。
そもそも、嘱託ではなくて、想定外のことであれば、その「多くの人」は「哀れ」ないだろ。
多くの人がいるんだから、普通、助けるだろ。なぜ、多くの人が哀れんでるんだ?
哀れまないと思う。
>>444 殺されることを認識したら、まあ、死刑囚みたいに心が浄化されることがあるといいたいの?
449 :
429:2006/08/14(月) 21:03:46
443>そうですね。
これも「わかった」というより「決めた」という方が正しい
言い方ですね。
ただ、もともと人間の認識は、何かを「わかる」のではなく「決めている」
だけだと思います。言葉自体が、「名づけ」なんですから。
目の前に広がる海を、「海(UMI)」と名づけている(決めて)いるのは、ほかならぬ
人間自身です。もともと「海」それ自身と、「UMI」という言葉はなんの関係もありません。
そもそも言葉でそのものの「本質」それ自身を説明すること自体がムリなんです。
この問題についても然りです。
450 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 21:04:43
結局なんだかんだいっても
人間切羽詰ると何しでかすか分からないからなぁ
>>449 その通りです。物自体は認識できないですからね。
科学的知識もそうですよね。
>科学的知識もそうですよね。
というのは、これも「分かる」ではなくて「決める」であるということ。
453 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 21:07:03
自分はなぜ殺しちゃだめかと問われると答えられないな
漠然とまずい事だとは思うんだけどね
>>444 「記憶の中の私が」は、誰の?
好きな人の? 他の多くの人のも含む?
それと、美しくなるとか、哀れまれるとか、どういう状況だ?
愛されながら殺されるって、剥製にするためにとか?
法律には「人を殺してはいけない」というような事は一切書かかれていない、
ってな話聞いたけど法律に詳しい方どういうことでしょうか?
>>455 書かれてないよ。
法律というのは、そういうのは命じないからね。直接的には。
刑法第199条は、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」だから、これからは、直接的には、そういうこと=「人を殺してはいけない」は出てこない。
まあ、しかし、刑罰は、あらかじめ国民に知らせておく必要があるから、一応「人を殺すな」というか「殺さないほうがいいよ」というのは、知らせることになる。
そして、裁判をし、その条文に則って、判決を下すわけ。
>>453 そこから考えを進めていくのがいいよ。
そのためには、他者の意見を読むのがいい。
そして、考える。読む、考えるを繰り返したらいいよ。
じゃあ「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」
を受け入れる覚悟のある人は、人を殺してもかまわないってことになるのかな?
法律で駄目っていってるからって言う論議はできなくなっちゃうね
>>459 なるよ。法律は、「法律を破って行動してはいけない」とは教えないから。
461 :
リトル・スター:2006/08/14(月) 21:21:38
>445
あくまで私限定の例ですから。444は
>446
>454
相手が自分を殺さないといけないように仕向けるとか、
相手の性格を計算に入れて自分を憎めないようにして、
しかも私のことに囚われ続けさせるとか、
まあ現実には難しいでしょうしそんなチャンスまずないでしょうが、
計画して人を操って私の死を芸術品のようにしたいという
欲求が私にあったと言う事です。
>>459 >法律で駄目っていってるからって言う論議はできなくなっちゃうね
まあ、哲学的な話をする場合には、「法律で駄目っていってるから」という回答では、足らないよ。
もっと深く考えなければいけないからね。
>>459 それと、その「かまわない」という部分も、ちょっと注意が必要。
「かまわない」というのは、社会がそれを認める、ということではなくて、
それをやっても論理的におかしくない、ということ。
464 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 21:32:46
自分の中で人を殺してはいけないといえない理由の中に、
殺しても良い場合があるのがひとつのネックかなと思う。感情的にも法律的にも
1つでも良いとしてしまえば全部が崩れてしまうような気がして…
例えば、安楽死とか、堕胎とか、死刑、死刑判決を出すこと、正当防衛とかその他いろいろ。
>>464 それは、よく、殺人も、その範囲が文化や歴史によって違うって言われることですね。
安楽死を認める国とか認めない国とか、死刑も、堕胎も、そうですよね。
まあ、それに対する一つの考えは、それを逆に考えるということです。
466 :
貴人:2006/08/14(月) 21:43:45
憧れのロック歌手の真似をしてステージで歌い、歓声を聞いて、ステージと
一体感をもって、この上もない感動したならば、自動的に死亡する尊厳死マ
シーンを開発しましたが、何か?
467 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 21:51:59
む、難しいです。
逆に考えるですか・・・
人を殺して良い世界であえて人を殺さない理由は?みたいな感じでしょうか?
それとも高瀬舟ように法律では駄目だったけど、感情的には許したいって話でも無いですよね。
う〜ん
468 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 22:01:47
ばかじゃねーの
それは、例外的に存在してるってこと。
470 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 22:59:17
識者登場希望
整理してくれ。
472 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 23:10:48
頼んだ
473 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 00:37:20
>>1のThreadは自身の優越を前提としている。他者より役立つ-->だから自分の正当防衛より
他者の正当防衛を認めない-->殺人ができて誰かに役立つ部分において自身の殺害を正当化させたがる、
わけですね。殺人を正当化させられる場面は法治社会では皆無でしょうが、戦場ではそれが「正義」と
いわれます。つまり
>>1は「なぜ戦争してはいけないのですか?」と唱えているようなものだ。
戦争が許されるのは「戦争を終わらせるための戦争」つまり正当防衛が発生するときのみです。
とりあえず自分が殺されていいか悪いか自問しとけ
475 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 10:07:50
これは問うものではなく、自覚するものである。
476 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 10:19:50
>>449 >何かに強制されたわけでなく、殺したくないし殺されたくないから、殺さないんだ
が本能で
「超うぜー!おめーマジ殺っそ?」といってボコるのが本能ではないといえる根拠はなんだ?
どれが本能でどれが本能でないかを見定める基準は何だ?
育児板【独りで】虐待をやめたいと思う人 5【悩むな】
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/baby/1151998845/ 21 名前:名無しの心子知らず[sage] 投稿日:2006/07/06(木) 17:15:49 ID:C9eIZrXF
さっき、オムツ替えてる時に吐いたりしたからイライラが一気に爆発してかなり強くお尻と太ももの後ろ側を叩きました
ベビは物凄く泣いて真っ赤になって声が擦れて出にくいのに、泣きまくっています。
それに、またイライラして頬を力任せにつねりました。ベビは泣きまずにずっといます。
28 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2006/07/06(木) 19:26:34 ID:ZMKP+FEy
毎日一緒にいると疲れてイライラしてひどい罵声とともに叩いてしまう。
外では優しいいいお母さんのところに生まれて幸せだね、何て息子に声をかけてくれる人がたくさんいる。
でもそれは外だけ、私は鬼母です。最近は息子はおびえています。さっきも頬が真っ赤になるまで叩いてしまった。
32 すぐカンシャクを起こし、ごはんを食べない一歳二ヶ月の赤を怒鳴りながらビンタしてしまいました。
61 赤のほっぺをつねってバタバタもがきながら泣いてる姿を見たら楽しくてスカッとした。
お尻もつねって青く腫れた。腫れた赤のお尻をまた指で弾く。
ギャン泣き通り越してひきつけ起こすかってくらい絶叫泣き。このまま、ひきつけ起こしてほしいよ。
78 赤は、叩いたりつねったりしたり眠らせなかったのでひきつけ?みたいな(過呼吸みたいなの)を起こし、
唇が紫っぽくなり顔が青白くなったので一時預かってもらえました。今は赤と離れてホッとしています。
149 夜旦那が仕事でいない間気持ちのコントロール出来ないで子供を蹴ったり殴ったりしてしまいます。
276 まだ産まれて12日目なのにイライラして叩いてスッキリしてしまった。あたしは心の病気?それとも育児疲れ?
既婚女性板【心の】旦那には絶対言えない過去【奥に】
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1154259322/ ・援、風呂、整形、堕胎。言ってない ・経験人数40人以上
・中学の頃円光・整形・家出・乱交やりまくり・風俗・家庭内暴力 他多数
478 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 11:00:25
議論して。
なんでも、考え述べろ
480 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 11:12:21
結論を言え。
481 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 11:14:11
つーかここの人たちは
どうして放火がいけないのですか?とか
どうして万引きがいけないのですか?とかの疑問も本気で考えるわけ?
だとしたら相当無駄に脳を使ってる
484 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 11:18:06
485 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 11:19:17
住んでいる地域の法の裁きが恐くないのなら、
殺してもいいと思うよ
人を殺してはいけないは暗黙の契約
自分が殺されるのをよろしく無いと思う人達がお互いを殺すのをやめましょうと
約束し合っているという事
ただし、一々それを確認し合う場も無ければ契約書も無いのでこのスレみたいのが
生まれるわけだが
自分が殺されるのをよろしく無いと思う人達がお互いを殺すのをやめましょうと
約束し合っているという事
契約には明示と同意が必要です。幼児はいつこの契約に参加したのですか?
>>488 「暗黙の契約」がありえないというならそれまで
490 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 11:37:35
法は社会を守るために作られたのではなく、
自分を守るために作られたんだよね
492 :
道具:2006/08/15(火) 11:49:07
理性的に考えてみると、寿命を全うすることが自然なわけで、
自殺って不自然な事でしょう?
人は、かわいい子供を見るととてもほほえましくなるけど、
奇形の子供を見るとそういう心境ではなくなるよね。
同じ子供なのに。
それは不自然だからということ。
つまり自殺にしてもなんにしても、
不自然な理性が反発するような事柄にたいして、
人は不愉快を感じるものなのです。
自分が殺されたくないは本能
他人が殺される事に関しては本能的には問題無い
つまり自分は殺されたく無く、他者は死んでもいいのが人間の本質
でも、それじゃ自己の安全が図れないからお互いに殺さないようにしましょうが
暗黙の契約
それを一々明文化しなきゃ分からないのはバカ
494 :
道具:2006/08/15(火) 12:23:14
>人間の本質
それはどうでしょう?
エゴ的な動物的な本質という観点からすれば正しいですが、
真実の本質はもっと深いもので、
人の心はもっと奥ゆかしいものだと思います。
例えばですね。なぜ宗教家は殉教をするのか?
そこに何か答えがありそうですね、人間の真実の本質の理由が。
ぜひ自分の手で答えを導き出してみてください。
495 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 13:05:09
人殺しはいけない、今はそういう時代だよな。
>>494 人間の本質は動物的本能でほぼ決定するのは間違い無い
早い話、自分を満たし続けようとするのが人間の本質で殆どの人間は自然そこに
とどまり続ける
それ以上の思想や悟りといった物は人間の本質を超えた所で作り出される
そうした物の尊さは理解し敬うが、それはけして人間の本質では無い
497 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 16:38:10
宗教家は殉死し、虐待・非難・廃絶されるが、それはChristが間違っていたからではない。
殺した側が低意識だったのだ。
498 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 17:08:35
,. -─── 、
// / `ヽ _
/.:./ / / .:. / \ /__ `ヽ
/ .:.:./ / ,斗-- 、:{:. .:. ヽ ヽ .{ ( ヽ ',
/ /: イ´l .:|l.:.:∧:|.:.:.: .:斗ー ', ゝ' ,. -ー' ノ
l ..:.:|:.:. | ィチ才ミヾヽ.:.:.:/厶.: / .: 〉 / / ̄
l.:.:.:.!:.: ∨ }:ヘ.リ ノ/仟テk';.:./ィ/ / /
ノ.:.::人:. ヽ ゝ-' ト;'ソ//! __`´
/.:./.:.:.ヽ:. ヘ ` ` |:.: | (__)
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.:.〈.:.:.:.:.:./ ./.:. }_,工,.´ー=〈:.:.:.:.. ヽ
:ノ.:.:/ /.:.:.:.: /.、 ∧ ̄入ヽ:.:.:.:. \
/r' ─- 、/.:.:. / ∨_ノ´\l/ \:.:.:.:.: ヽ
.:.:.l /.:.: / \ \ /ヽ/ / ヽ:.:.:.:.:.:.: 〉
/ /.:.: / \ \ ヽソ / }:.:.:.:.: /
499 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 17:11:58
「本能」なんていう概念自体が人間の思想の果てにできた
フィクションにすぎないことに気づかないバカばっかり。
そんな低脳児が人殺しを語っても説得力0。
500 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 17:16:19
疑問は糧だけど批判は柔軟な思考の妨げになっちゃうぞ☆
501 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 17:29:36
私は、いわゆる
「己の欲せざるところ人にすること無かれ」論では
なぜ人を殺してはいけないかという問いに対しての最終的な答えにならないと思う。
人を殺しても良いと言えば、自分が殺されても良いですという看板を下げる事になるってのも分かっているけどね
どうしても納得できない
502 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 17:49:46
生きがいや守るべきものを見つけたヤシなら
言わずもがなの命題なんだがな
何も行動せずダラダラ時間だけ過ごしてきたヤシには
生命に価値や尊厳を感じることはできまい
その虫ケラのようなオノレの生活が、「生命」のサンプルなのだからな
>生命に価値や尊厳を感じることはできまい
正確には、
感じることはできても深く考えることができない
だと思う
504 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 18:04:37
あらゆる生命に尊厳を認めれば、人を殺すこともいけないことになる。
生命の尊厳を認める範囲が狭い(自分や家族程度)だから、
>>1のようなことがいえるのだ。
>>504 死刑制度の存在するこの日本社会で生活しているんだから、
>>1のような考えが出てもおかしくない。
>>502 >生活が、「生命」のサンプル
生活は活動であり、生命は活動ではない(生命活動といわれるように、生命は活動する主体である)。
というわけで、
>その虫ケラのようなオノレの生活が、「生命」のサンプルなのだからな
などというのは、事と物を区別していない馬鹿の発言。
異常な奴が登場することにいくら蓋然性があっても、
そいつが異常でないことにはならないぞ。
登場の正常性と、当人の異常性は別の問題だ。
>>500 そんなことはないだろ。批判それ自体は中立的なものだろ。
それを創造的に使えばいいだけ。
509 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 18:40:52
>>496 あなたは「本質」と「本質を超えた所」の説明をしたほうが良いよ。
>>507 あなたは何を言ってるの? 「異常者」が存在するとでも思ってるの?
>>507 「異常な奴が登場」という時点で、それは、「そいつが異常でない」かどうかを判断する社会が存在するということでしょ。
そうであれば、「そいつが異常でないことにはな」ることもあるだろ。
>>508 低脳とかバカって発言がどう創造的に作用しているのか。
人は痛いところをつかれると反応するんるん。
>>510 むしろ君の言っていることのほうが意味不明。
514 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 19:57:43
人を殺すと怨みが発生する→その恨みが新たな争いを呼び、
きりがなくなる→争いが終わらない
このサイクルを発生させないためにその根源となる人殺しはやってはいけないのだ
515 :
449:2006/08/15(火) 19:58:33
476>亀レスですが、
449>何かに強制されたわけでなく、殺したくないし殺されたくないから、殺さないんだ
が本能で
「超うぜー!おめーマジ殺っそ?」といってボコるのが本能ではないといえる根拠はなんだ?
どれが本能でどれが本能でないかを見定める基準は何だ?
これに対しては、私は、基準を示すことはできません。もともと、人間の頭を超えた
問題ですから。ただ、無理やりに回答するとすると、私の考えは、こうです。
すなわち、人間一般を見た場合、どう思いますか?
「人々は、みんなみんな、人を殺したくて殺したくて仕方ないが、
我慢して殺さずに生活している」のでしょうか?・・・・そんなことはないでしょう?
「人々は根本的には(大多数は)、喧嘩をすることはあってもお互いに殺したり殺されたりすることを
避けて生活するようにできている」と私は、思う(決めた)わけです。
もちろん、全員ではないでしょう。中には、殺人嗜好者のような人もいますからね。
そういう人の心理は私にはわかりません。
でも、例外的なそういう人たちの考え方の可能性を根本に据えて、
この問題を論ずる必要はないと思います。
それはイエスが死んだときからまだ根強く残ってるよ。
>>449 犯罪生物学においては、殺人嗜好者は先祖がえりしているという論もあるそうですね。
犯罪社会学だと幼少期の体験、人格形成期に重きをおいています。
当スレの命題はどこまでの広義なのかわかりませんが、逆に一般人と快楽殺人者の違いから紐解くのも面白いかと思いますよ。
518 :
449:2006/08/15(火) 20:12:59
501>納得できないから、考えたくなる・・・まさに、そのとおりです。
言葉を持った人間は、「答えがあろうがなかろうが、問いかけたくなる」
動物なのかもしれません。天才と言われた人たち、たとえばドストエフスキーの「罪と罰」
は、まさにこの問題を正面から問うた名作です、、、。
でも、こうも思うのです。
逆に、人間は言葉を持つがゆえに、こういうことを考えさせられているに
すぎないのではないか、と。
自然界を生きる動物という意味では、人間も動物も同じですからね。
おそらく、人間は自分で言葉を発明したのに、逆に言葉のわなに
自分でひっかかって、まるっきり堂々巡りのことを考えさせられているんです。
>>518 後半興味深いですね。
では言葉のラビリントスから抜け出すためのアリアドネの糸、それこそが哲学ではないでしょうか。
520 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 21:17:49
社会が許してないから
でもその迷宮に入る鍵となるもの、それも哲学だと考えるとパラドックスだな。
522 :
考える名無しさん:2006/08/15(火) 21:43:40
言葉を使うか、言葉に使われるかは、単に自由意志の問題だろ。
523 :
リトル・スター:2006/08/15(火) 21:44:09
ご無沙汰しました。
>449
>515
本能は心ではなく、生き残りそうな行動をとろうとするプログラム
と私は思います。殺されたくないも殺したいも本能じゃないと思います。
それは意思や、感情、衝動、気持ちと呼ばれる物で心の範囲だと思います。
>意思や、感情、衝動、気持ちと呼ばれる物
めちゃめちゃ。知情意の分類を知らんのか?
525 :
リトル・スター:2006/08/15(火) 22:00:42
>524
知は明らかに違いますが、情と意は大きく違って見えないのですが。
あと、ここでは本能かどうかが私にとって言いたいことです。
526 :
515:2006/08/15(火) 22:10:37
523>本当は、言葉の定義づけを厳密にしなきゃいけないんでしょうね。
523さんの言う「本能」とは、たとえば、顕微鏡の中のアメーバが、
スポイトで落とした一滴の有害物質から逃げよう、とする行動の
ようなものを指しているんでしょうか。
それに対し、「殺す」「殺したい」とは、人間がもっと意識的に
思うものである、したがって、人間はそれと戯れることができる、
すなわち「情死」「自己犠牲による死」等に、甘美なエクスタシー
を覚えることもありうる、と。
この、ある意味もっとも「人間的」である発想を否定はしません。
しかし、この問題を考えるとき、私はその発想を根本に据えては
考えません。
それは、やはり「言葉に操られているため」そういう発想が
人間には起きてしまうのだ、というふうに考えます。
(もっとも、それを言い出すと、人間の作り出した文化、芸術等
すべてがそうだ、ということにもなりかねませんが・・・。)
527 :
リトル・スター:2006/08/15(火) 22:18:39
>526
有り難う御座います。
私が言いたいことを的確に表現してくださいました。
もう少ししたら落ちます。
どうして赤信号で渡ってはいけないのか?
って疑問を抱く人はいますか?
529 :
小松:2006/08/16(水) 02:01:55
>>528 赤信号を渡ってはいけない理由は、自分の身に危険が及ぶから。
交通量や人通りの少ない場所に信号機付けても誰も守りませんよね。
もしかすると、スレタイや過去レス読まずに単発でレスする人?
そもそも「いけない」って言葉が良く分からないのでは無いかと
世の中全ての「いけない」に「何で?」と聞く事は可能
それに対する絶対的な誰もが納得する理由を有するものって何かある?
何故、物を盗んではいけないのか?
何故、学校をサボってはいけないのか?
何故、暴力をふるってはいけないのか?
何故、未成年とSEXしてはいけないのか?
何故、自殺してはいけないのか?
どうして人を殺してはいけないのか?
その命題を哲学的に論議しようってのがこのスレの趣旨でしょ。
主義や思想や倫理や道徳を語り合う場ではないし、ましてや善行や悪行なんて問題外。
万引きだの赤信号だのは根本的に勘違いをしている。
だが人、殺す(死ぬ)、いけないの3点において定義は明示しておかないとな。
でないと単なる価値観論争になってしまう。
過去レスから引用出来る人いないかね?
534 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 11:46:11
人が人を殺せるのだから禁止などされてはいない。
宇宙がすべてだとすれば禁止(いけない)されているものなど何1つ無く無限
の自由が有るだけ。
人間社会の枠組みを外した場合、人殺し=悪の図式は成り立たない。
しかし人間社会で生きる以上、人殺しは絶対に悪であるし、そう定義付けなくてはならない。
むろん、それは生存欲求に起因したエゴでしかないのだが、枠組みを外れて社会に害を与える者が罰られなければ集団の生活が機能しなくなるのは明白のこと。
殺人を肯定し、それを実行に移す者は客観的判断において間違いなく悪といえるのである。
536 :
534:2006/08/16(水) 13:05:00
>>535 この考えはすべて(宇宙)がいけない(禁止)としていないから人間が便宜
上都合のいいように解釈した結果ですでに哲学ではない。
例えば極論だが人間社会があってあと1人でも人が増えたらすべての人が餓え
て死んでしまうしまうとしたら今の社会を守るために人は人を殺す結果にな
るだろう。現に昔の日本でも姥捨て山などの話が有る。
人間社会の中ですら人は死を絶対的に禁止する事はできない。
537 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 13:34:08
>>536すでに哲学ではない
といったところで、
>>1自体が哲学(機能)ではありませんから、何とも言えません。
このThread「なぜ蚊を殺してはいけないのですか?」だったらどうでしょうか?
血を吸う蚊をいざ針を肌にぶっさしていたら殺すことになるかもしれない。それを「悪」と
いう人はいないでしょう。しかしこれが「人間」だったらどうか、つまりはそういうことです。
たとえ理性に適っていても、善であるとは言えない。哲学の名を借りて殺人を犯すなら、思想犯です。
538 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 13:34:37
539 :
534:2006/08/16(水) 17:48:40
>>537 俺が言いたいのは例えば社会を形成した人間が人を殺す事はどうなのかと考
えるのは社会学と道徳でこの場合は人を殺すのは悪いと考えます。
しかし、例えば人を殺すのはいけないとしてもそれを行うのは自分自身であ
って誰にも止める事はできないと云う事です。
これはどう云う事かというと宇宙の存在の意味が解らないのに人が存在する
意味が解るはずがないと云う事で、生が有る意味死が有る意味がわからない
のに殺してはいけない理由などわかるはずないのです。
しかし、解らないけれど人を殺す事は可能なのです。
宇宙が人を殺す事を可としたのでこれを変えることは出来ません。
結局いくら人間がいけないといったところで宇宙の意思には逆らえないので
す。
540 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 18:25:16
人を殺すことが物理的に可能でも、それを善か悪か判断するのは誰でしょう?
それは、人間です。
神(あるいは宇宙意思)の概念さえも、人間が作り出したものなのです。
541 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 18:30:08
有神論でいくと、殺人は罪。
無神論でいくと、殺人は悪にはならない。ただの違法行為。
542 :
534:2006/08/16(水) 18:43:35
>>540 俺もこの社会に生きて道徳を習ったので人を殺す事は善か悪かと聞かれれば
悪と答えます。
概念は人間が作ったとしても、宇宙がすべてのはじまりですべてなのです。
そのすべてである宇宙が決めた事を否定する事はきません。
543 :
534:2006/08/16(水) 18:51:05
話がかみ合ってないと思いますので書き込みますが。
いけない(禁止)と善悪の悪とは違うと俺は考えています。
ここで俺が言いたいのは宇宙は人を殺す事を禁止していないと云う事
です。
要は宇宙は人が人を殺すも殺さないも自由だとしていると云う事です
。
この事から宇宙はどこまでも自由だと考えています。
544 :
ぱぴぽ:2006/08/16(水) 18:52:33
人を殺してはいけない理由・・・
1.人間が集団的生活を営むについて、そのような秩序があったほうが都合がよいから
2.自分が殺されたくないから
>>543 多分噛み合っていないのは世界観が違うから。
形而上学的な話をするなら、倫理学的な話にはレスしないほうが良いのでは?
前提がない以上、すれ違いを避けるにはそうするしかない。
546 :
534:2006/08/16(水) 19:12:02
>>545 確かにそうですねと言いつつ反論しますが、それでもすべての始まり
が宇宙だとすれば人を殺すのは禁止か善いか悪いかもひっくるめても
自由であると考えるべきと考えます。
547 :
545:2006/08/16(水) 19:36:31
>>546 その「すべての始まりが宇宙」である思想が自然哲学なんですよ。
実無限の概念を使っていることからもそれはわかります。
多くの人は道徳哲学(メタ倫)で語ってるように思います。
哲学してない回答ですが、前提が異なる思想で語ることは消耗だと思うのです。
548 :
534:2006/08/16(水) 20:31:59
>>547 諒解しました。
心の存在は物質ではないので俺にはわかりませんがこの宇宙が自由で
有るならば最後は自分の心の善に従うべきだと考えます。
549 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 21:30:37
俺はこの世でもっと学びたいことがあるからまだ死にたくない。殺してくれるな。
自分が殺されたくないから自分も他人を殺さない。
をルールとして広めようとした権力者による影響でしょうな。
550 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 21:32:42
権力者はなぜそんなルールを広めようとしたんでしょうな。
551 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 22:20:25
人を殺すことに善悪の意義が掲げられるのは常に司法という存在観念が相対的に殺す側と殺される側に介在しているからである。あたかも神を公称付けるかの様な司法という形態を撲滅すれば国家はスラム化し弱肉強食の元、自然的な摂理で万物は淘汰されるのである
552 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 22:29:32
それでは司法という存在観念はなぜつくられたのでしょうな。
553 :
考える名無しさん:2006/08/16(水) 23:00:06
>>552生き仏の戯れたる高邁な思想が完全善という形を支配欲を背景に於いた堕落で象ったスターティングが顕著になったからである。人の世とは時追うごとに安寧に浄化され腐り逝くことを逃れたもうとするがその保守性は必ず過ちの中で剥落している
554 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 06:22:19
>>533 あの〜、もしかして議論を放棄してません?
そんな抽象的なもの言いをされても何がなんやらサッパリ解りませんけど。
555 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 06:23:07
556 :
534:2006/08/17(木) 12:15:30
道徳的な見方で考えると人情が有るのなら殺してはいけなく、人情が無けれ
ば殺しても善い。(人情が無いと云う事はもはや人では無い。)
科学的な見方だと自由だ。
人にすべてを超越した非物質例えば心があったとしても殺すか否かは自由だ
が人には愛情や情けが有るのを忘れてはいけない。
結論は人には心があっても無くても道徳で禁止されていようと法律で禁止さ
れていようと自由誰になんと言われようと結局殺すか殺さないか決めるのは
最後は自分なのだから。(善悪を決めるのすらも自分でそもそも人は自分に
とって善いと考える事しか行わない筈。)
557 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 13:47:27
自分にとって善いと思ったことしか行わない筈の人間が集まった社会で殺人が禁止されてるのは、それを人間自身が善と判断したからでしょ?
前に宇宙が禁止してないから殺人は自由だって言ってた人がいたけど、人間は宇宙の一部だし、その人間が今まで滅びずにやってこれたのも宇宙の意思といえるのでは?
確かに人間は人間を殺すことが出来るよ。
だけど、人間は人間を救うことだって出来るんだよ!
558 :
534:2006/08/17(木) 15:21:19
>>557 俺は殺人を肯定しているわけではなくそもそも道徳では解が複数にな
ってしまうので善悪ではなく禁止か禁止ではないかで考えるべきだと
思ったのです。
道徳は時代や国、地域や個人で全くちがう事がありますよね。
例えばあだ討ちが善いとされていた時代があったり、今も戦争では人
を殺すのは善いとされています。
これでは明確な解は導き出せないと思います。
それに対して絶対的に共通なのは人は人を殺す事ができると云う事な
のです。
この事から人は自由だと言っているのです。
ここで哲学の解は終わりだと思うのです。社会を形成した人間が殺人
をどうこうとか殺人の善い悪いはさらに殺人に対する罪と罰などの専
門的な話はこの質問に含まれてはいないと考えます。
>>1が何も発言しないので質問の意図は永遠になぞですが。
559 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 16:18:53
>>558道徳では解が複数になってしまうので
といっておきながら
>>哲学の解は終わりだと思うのです
とは、論理が矛盾している。道徳は哲学ではない、哲学は道徳的ではない、といいたいのですか?
狂気を狂気で終わらせようとするのは、狂気の沙汰だ。
560 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 16:21:34
殺していいよ
561 :
534:2006/08/17(木) 17:58:55
>>559 1つの国家や地域が勝手に決めた道徳の善悪を信じるほうが俺にとって
は狂気の沙汰だと思いますが。
戦争で人を殺す事が善であれば人を殺すのですか?社会全体がそれを
善とすればそれは本当に善いのでしょうか?
哲学は道徳を追求する学問ではなく真理を追究する学問だと考えます
。
562 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 18:12:09
563 :
534:2006/08/17(木) 18:18:59
>>562 例えで戦争を善いとすると書いてますが。
小分類を超越した思想で語るのは大義だけど、哲学の定義はここで戦らないほうがいいように思う。
道徳哲学や法哲学を学んでいる人もいるわけだからね?
565 :
534:2006/08/17(木) 19:04:29
この問題は「倫理の起源は自然か人為か」から考えてはどうだろう?
言い換えれば「人・社会が存在しなくとも倫理は存在するか?」。
例えば
>>534は「道徳は時代や国、地域や個人で全くちがう事がありますよね」とあるように人為説を前提にしている。
人為説には功利主義、相対主義が属する。自然主義は伝統道徳、自然法思想が属する。
(伝統道徳:近代以前から存在し社会に普及している倫理観。儒教、イスラム教など)
殺人を悪とする理由に主権者命令説(だっけ?)を持ち出しても
「ではなぜその主権者は殺人が悪であることにしたのか?」と問われれば
「秩序の維持」として功利主義に還元するか、
「恣意」として倫理に根拠はないとにするか、この二択は避けられないだろう。
「その主権者が道徳的だったから」とすると主権者の倫理(殺人の禁止)の制定以前に道徳が存在することになって矛盾する。
そもそも、倫理と善悪というのは同じものなのか。
「倫理における善悪」という部分集合と考えてはいかんの?
568 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 00:11:12
素人の質問ですが
「どうして人を殺してもいいのか」という問題の立て方はどうなんでしょうか?
569 :
568:2006/08/18(金) 00:21:20
・・・というのも、「どうして人を殺してはいけないのか?」という問いについて考え、
人を殺してはいけない論理的な理由はない、ということが論証できたとしても
そこには、「禁止する理由が特になければその行為はしてもよい」という命題が
暗黙のうちに前提とされていると思ったからです
570 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 01:05:10
強制力のない法制は無意味です。法制は刑罰をもって強制力となします。
法制とは、Moralityではなく、権力者の持つ権利を示しています。あなたの質問が
法制的に違反となる以上、権力者に逆らってからでないと論理矛盾を起します。
賛同者を募って署名を集め、内閣府に提出したところで、政治家になって憲法を変える
立場になる以上には効果は出ません。権力者になりたいという望みがあるなら、すべての
ここでの答弁は権力への執念ということですねえ。
>>1 それは、人に殺される事を恐れた人が「人を殺してはいけない」という決まりを作ったからですよ。
572 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 07:46:47
なぜ人を殺すことが禁止なのかというと、自分の遺伝子を残せなくなるから。
つまり自分が殺されないとしても、自分以外に誰もいない世界では自らの遺伝子を残すことができない。
外敵(ウイルスや自然災害等も含む)から身を守ったり、病気や怪我の治療したりする際にも他の遺伝子と協力関係にあった方が有利だ。
人間は人間を必要とせざるを得ないといえる。
むろん種の保存に障害となる人間は社会から抹殺されるのだろうが、そういった人間でさえギリギリのところまでは社会に適合させるべく周りが手を貸すべき。
自分の種をでき得る限り確実に残そうとした場合、その他にも多くの種があった方がよいのだから。
種を保存しようとする本能は倫理を越えたものである。
絶対に人を殺してはいけない、とまでは言わない。しかし、皆が仲良く平和である方向を目指した方がよいのは当たり前のことである。
573 :
↓意味不明文:2006/08/18(金) 11:26:48
>>572 人は自殺するが自殺する動物は人以外にはいない。なぜか?
それは人が「生きる」とは何か?「命」とは何か?を問うことが出来るからである。
種の保存が倫理の根源ならば種の保存に害となる自殺をする人間よりも他の動物の方がはるかに倫理的であろう。
しかしそうではない。ただ生きるだけの動物よりも生きる理由を問う人のほうが高等である。弱き葦は物思う葦でなければならない。
574 :
↓意味不明文:2006/08/18(金) 12:54:20
世の人は今生きている自分が誰であるか、どこから来たかを知らない。
「知らない」とは何であろうか?自分は「味野素子」だと知っているのではないのか?否である。
自分の名前を知っていれば自分が誰であるかを知っていることにならない。
これは「俳優」と「演劇」と「役」の関係に等しい。
亀梨という俳優が自分は誰かと問うて、広告代理店のアルバイトであると答えるだろうか?否である。
それは演劇の中の役であって真の自分ではない。
この「自分」と「役」の錯覚と「自分」と「名前」の錯覚とは同じものである。
人は現実という大きな劇に出演している俳優であり、自分の名前とは役の名前に過ぎない。
しかし世の人はそれを忘れて現実の世界に与えられた名前を自分だと思っている。これを「演劇のイドラ」と呼ぶ。
「自分が誰か」という問いに答えるには演劇のイドラに陥らないようにしなければならない。
そのためには目本という国に住んでいるとか、インターネットでダブルちゃんねるという掲示板を見ているとか、
こういった現実に属する知識を除外する必要がある。これを「意識の逸脱」という。
575 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 20:10:00
>>568 生き延びる確率を高めること。それが正義。
外的の排除は正義。そのためなら殺人も許される。
戦争はその典型例。
本質的に意味はない
しかし人にしゃべる時点で意味が付加される
つまり、話しかけている相手の同意を求める上で、「人殺しは正しい」では同意が得られにくい
「自分が殺されそうになったときは」とか「自分が生き残るためには」
とか条件付になれば、同意が得られやすいが、実はこの条件の定義によって、一気に収集がつかなくなる
つまり、家族のためになら死ねる人や、どうせどちらかが死ぬのなら、己が死ぬ道をえらぶ主義をもつ人間が事実現れるからだ
個人が生き残る確立を高めることと、組織や、国が生き残る確立を高めることも、立場が衝突する
正義は個人の主義によって容易に変化してしまう
主義が生死を凌駕してしまう瞬間であるが、ほぼ、大多数にとって肯定できるのが、動物としての人間であるということ
無機物であることにあがない、有機体として、自然淘汰の歴史の延長上に存在する事を尚も肯定するのが妥当であるとの立場によって、かろうじて、殺されたくないから、殺さないと言えるのではないだろうか
577 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 21:01:28
生命は生き延びる確率を上げるためには何でもします。
個体、集団色々な形で生き延びてゆきます。
勿論逃げるだけに特化した防衛もあり得ます。
何でもありです。
生き延びたものが勝者です。
勝者になるためには殺人もあり得るわけです。
人間の社会は集団で生き延びる傾向が顕著です。
集団というのは自分自身です。
自分を殺してはいけないのが適者生存のルールです。
これを多くの人は人を殺してはいけないということと
勘違いしているのです。
私も集団というのは結局個人だと思うわけですが、
やっぱりそれも私個人の主義だろうなーと思わずにはいられないというか
集団を自分自身だとする立場こそがまあ自分を肯定しつつ、他人を肯定するラインだとする、やっぱり主義なんだろうなと
579 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 12:22:55
俺は、ウルトラマンやら仮面ライダーやらのヒーローモノを見て
育ったせいか、「世界の平和を守るため」「正義のために」戦う、とか
いう言葉が、すごく耳に心地よく響く。
むろん、世の中そんなきれいごとでいかないのもわかっているわけだが。
「正義」がひとつではないことも。
「正義」のためなら、「敵をやっつける(=殺す)」。
本当は、みんな、これが正しいと誰か(神?)に決めてもらいたいんじゃないか?
自分では、決められないので。
>>579 >「正義」がひとつではないことも。
物語から得られる快感の多くは共感に根ざしている。
ヒーロの「正義」に快感を感じるのは、その作品で示される「正義」に
あなたも共感しているからじゃないの?
正義は一つではない、しかし、同じ作品を愛する人たちの間では、
ある程度の共感が存在する、と。
人を殺すと(虐待等も)大きなものを失うが
むしろ育てる方が価値がある。
と偉そうな事を言ってみる。
582 :
考える名無しさん:2006/08/20(日) 20:05:06
生物を殺したとき、思い入れや個体の大きさ、活動量なんかが不快感と連動しているのではないかな。
583 :
考える名無しさん:2006/08/21(月) 21:11:14
なぜ人を殺してはいけないかだって?
まさにそれを「愚問」という
逆に問う
なぜそういう事を考えようとするのか
>>583 逆に問う
なぜそういう事を考えようとしないのか
585 :
考える名無しさん:2006/08/21(月) 21:29:19
>>584 なぜ人を殺してはいけないかだって?
まさにそれを「愚問」という
逆に問う
なぜそういう事を考えようとするのか
ということだからだ
>>585 人を殺しちゃいけないのは考えるまでもない明白なことでありそこに疑問を感じること自体がおかしい、と言いたいのであれば、とてつもない馬鹿だな。末恐ろしい。
赤の他人やったら、殺しても構わない。てか、どうでもいい。関係ないし。
そやけど、わしの知人が殺された言うたら、わしは気持ち悪いと思う。
そして、わしが殺されるハメになったら、それは死ぬ程(!?)恐ろしいことやと思う。
589 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 08:20:38
社会に生きている人間に
人殺しの自由を認めるのならば自分もまた他人に殺されることを
無制限に許諾する羽目になり人間社会というものが根本的に不安定と
なり成り立たなくなるから
人間社会とはかけ離れた枠組みで生きる人間(仮に存在するとして)が人を殺そうとそれは
自由だろう
ただし殺した人間が所属する社会により社会を脅かす存在として
復讐される可能性は甘受せねばならないが
590 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 08:27:16
具体的にはある人間が所属している社会で人殺しをした場合と
戦争で他国の人間を殺した人間がその所属する社会でどのように
処遇されるかを比較してみれば
「人を殺してはならない」理由もはっきりするだろう
591 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 09:41:19 BE:549936768-2BP(0)
言葉遊び
「殺してもイイ」という言葉そのものでは死なない
言葉はブラウン管の中の映像みたいなもの
言葉によって引き出される欲望や感情のやり取りによる「言葉遊び」
592 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 13:43:40
まとめ
生命は生き延びる確率を上げるためには何でもします。
個体、集団色々な形で生き延びてゆきます。
勿論逃げるだけに特化した防衛もあり得ます。
何でもありです。
生き延びたものが勝者です。
勝者になるためには殺人もあり得るわけです。
人間の社会は集団で生き延びる傾向が顕著です。
集団というのは自分自身です。
自分を殺してはいけないのが適者生存のルールです。
これを多くの人は人を殺してはいけないということと
勘違いしているのです。
死刑は罰ではありません。仲間は仲間を殺しません(仲間の定義)。
敵の排除、これが死刑の意味です。
人は敵と仲間に分けられます。憲法とか法律は仲間内だけで通用する
もので、敵はこのようなものでは縛れません。死刑は仲間に対する
刑罰ではなく、敵に対しての処置なのです。
殺人は悪いことと思われています。しかし、殺人が絶対悪であると
されたことは人類史上ありません。敵をたくさん殺した者は英雄と
されてきたのです。いつの時代でも悪とされたのは人を殺すことでは
なく、仲間を殺すことなのです。
仲間とは仲間を殺さない存在であるという定義に従えば仲間を殺すことは決してできないのに、仲間を殺す存在が悪とされる??
最後の一文は別視点からの言葉か?
594 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 14:43:16
>>593 キミ、論理と言葉遊びの区別を勉強したほうがいいよ。
哲学ができるか否かの境目だから。
595 :
真:2006/08/22(火) 14:53:03
人を殺してはいけないかどうかはスピリチュアルな問題だと思う。
霊的なことは俺もよくわからないけど、なんとなく殺人はいけない
ように思う。
596 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 15:52:11
>>595 全ての人がそう思うのでない限り、スピリチュアルな問題(なんとなく)
と言うのではダメで、議論が必要です。
597 :
534:2006/08/22(火) 16:07:47
俺の考えは、森羅万象究極の自由を持っている。
とにかくすべては奇跡意味も無く宇宙があり、意味も無く自分がいてもし何
か1つでもこの宇宙に存在していなければ宇宙は無かったかもしれないと云
う奇跡の集合体。(心の存在もよく解らない奇跡)
だから人はもっとこの奇跡に日々感謝すべきだと思う。
例えば、いただきますと言う日本人がどれくらいいるだろうか?命に感謝し
自分は生かされていると知っている人は本当に少ないと思う。「無知の知」
のそのものだ。ちょっと話がそれました。
>>594 論理的じゃなかった表現は全て言葉遊びだったことにしてしまえる例の糞論法か。
お前が言葉に遊ばれてるだけだよ。
599 :
534:2006/08/22(火) 17:07:34
この掲示板に書かれていることが真理殺しても善い悪い禁止どっちかわかん
ない、どうでもいいなどどこまでも自由だ。いくら道徳があろうと法があろ
と人は自由。宇宙がそうで有るからそのまま宇宙の意思のまま受け取るしか
ない。
ここで議論すべきは社会学でも道徳でも法でもなく、心について議論すべき。
600 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 17:10:13
それが難しいんだよね。
生のままの成人などいない。
後天的に刷り込まれたものなのか、先天的に備わっているものなのか。
その論議は性善説と性悪説のスレが詳しいかもしれない。
先天的か後天的かが、なぜそんなに問題なのですか。
心は現にあるままの心でしょう。
社会学も道徳も法も、心を基礎にしてできあがっているのでしょう。
何故東洋哲学と西洋哲学に違いがあるか考えたことがありますか?
603 :
考える名無しさん:2006/08/22(火) 17:22:49
僕は、募集に来ました。
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604 :
534:2006/08/22(火) 17:57:21
それを基礎にしてさらに複雑なものを作る必要などあったのだろうか
?人が本当に不変の善悪を生まれながらに持っているのならばそれ以
上は必要ないのではないのだろうか?
日々の小さな出来事やいざこざも宇宙の奇跡によって起きてるんだな
ぁと云う心を持てれば難しい選択に陥っても乗り越えれると思います
。何かそんな時自分の意思(心)と運命が重なったような気がします。
605 :
534:2006/08/22(火) 18:01:02
文章が途切れていました。
追加
俺は心とは時間、空間の影響を受けない不変であると考えます。
心が有るのなら→604それを基礎にしてさらに〜と読んでください。
>>570 あなたは、法律に無知ですね。
それを法学板で言ってみてください。笑いものになりますよ。
607 :
あ:2006/08/25(金) 02:07:36
言葉を作ったせいで、こんなことを考えなきゃならなくなったんだね。
そして、こういうことを考えるのが、人間は好きなんだ。
動物は、殺したり殺されたりしても、何も疑問に思ったりしない。
ただ自然にしたがっているだけだ。
人間だけが、良いとか悪いとか正しいとか間違いとか
いろいろ意味づけして騒いでいる(楽しんでいる)。そうだろ?
だから、こういう議論は、みんな楽しみでやっているのであり、
議論自体に何の意味もない。
誰かに問いかけるんじゃなく、自分ひとりで決めればいいんだよ。
608 :
534:2006/08/25(金) 10:53:51
自分で決めるか、他人と議論して決めるかどっちが良いかなんて無いどっち
を選ぶかは自由。
>動物は、殺したり殺されたりしても、何も疑問に思ったりしない
>議論自体に何の意味もない
動物は死を知らぬおろかな存在である。死を知る人は高貴な存在である。
お前は動物になるのか?「知」という人が人である所以を棄てるのか?
610 :
考える名無しさん:2006/08/25(金) 11:05:10
>>606 法学を定めようとしている人間は低意識者に対して有効だというにすぎない、と言ってるのだ。
法律は刑罰を含む強制力、ゆえに低意識者に有効。しかし高意識者には有害であることは、どんな
精神書籍を眺めても明白なんだ。法学は哲学とはまったく別の分野と言えそうだ。そんな板で何を
書いても真の道徳的人間は育たない。
611 :
あ:2006/08/25(金) 12:16:15
609>「死を知る人が高貴な存在である」とは誰が決めたのか?
人間が自分で決めているだけではないのか?
じゃあ、なぜその「高貴な存在である」人間が、
動物界にも存在しない大量虐殺を引き起こしてしまうのか、
本当に、公平に、真面目に考えたことがあるのか?
>>607 あるところに山さんという人がいた。その人はずっと山に住んでいた。あるとき海さんという人が遊びに来て楽しく話をした。
海「なあ、「海」って知っているか?」
山「海って何だ?」
海「すごーく広くてよ、どこまで見ても全部水なんだよ」
山「本当かよ?」
海「本当だって、山に木がたくさんあるだろう?それと同じで水がいっぱいあるんだって。」
山「そんなわけねーよ、嘘だろう。」
山さんと海さんのどちらの言うことが正しいだろうか?普通の人は海さんのいうことは本当だと考えるであろう。
そして海があるということを信じようとしない山さんを頭が固いと思うであろう。
しかし
人「なあ、「死」って知っているか?」
獣「死って何だ?」
人「すごーく広くてよ、どこまで見ても全部虚無なんだよ」
獣「本当かよ?」
人「本当だって、空には何もないことろがたくさんあるだろう?それと同じで無がいっぱいあるんだって」
獣「そんなわけねーよ、嘘だろう。」
人と獣のどちらの言うことが正しいだろうか?普通の人は人さんのいうことが本当だと考えるであろう。
そして死があるということを信じようとしない獣さんを頭が固いと思うであろう。
さて海と山、人と獣の関係は何が違うのだろうか?このような意味で人は「高貴」といったのである。
613 :
考える名無しさん:2006/08/25(金) 20:08:59
その話を読む限り海と山、人と獣の関係に差異は見られない。
どこらへんが高貴の証明なのかさっぱりわからんかった。
614 :
あ:2006/08/25(金) 20:14:58
612>「獣が頭が固い」というレベルの話じゃねえよ。
獣は、言葉を知らないんだから、「死って何だ?」
という疑問を発することもない(できない)んだから。
嘘だと思うんなら、「死」という言葉を使わずに、
「死って何だ?」と考えられるか、自分で試してみなよ。
そんな単純なものじゃないんだって。
「獣」も「死」も「高貴」も、実はみんな人間が考えた(名づけた)言葉
にすぎないんで、その中で操られてあーだこーだ言ってても
仕方ないって言ってるんだよ。
真実は、言葉を越えたところにある。
人は今いる場所から別の場所に移動するには時間がかかる。これを人はある場所に「留まっている」という。
また人は旅行雑誌を見れば北海道から九州に瞬時に移動することができる。これを人は特定の場所に「留まっていない」という。
前者は留まっているといい後者は留まっていないというが、矛盾ではないかというと否である。
これは身体と精神を混同した詭弁である。身体は移動に時間が必要であるが精神はそうではない。
この身体と異なる精神の性質を「移動性」と呼ぶことにしよう。
移動性―精神は概念Aから概念Bへ時間を要せずに移ることができる
人は飛行機ができて外国(自分が住んでいない場所)にもすぐにいけるようになった。
人は「知」ができて非現実(自分が住んでいない概念)にもいけるようになった。
飛行機には移動性がある。知にも移動性がある。
なぜ山さんは海を信じないのだろうか?それは飛行機がないために「海を見にいったことがないから」である。
なぜ獣さんは死を信じないのだろうか?それは知がないために「死を見に行ったことがないから」である。
>>615 > なぜ獣さんは死を信じないのだろうか?それは知がないために「死を見に行ったことがないから」である。
人さんも「死を見に行ったことがない」でしょう。
人さんは死を見てはいないのに、見たと言う嘘つきってことだね。
山さんが「海なんて人の作った飛行機に操られた幻影だろう?」と答えた。
あさんが「死なんて人の作った思考に操られた幻想だろう?」と答えた。
山さんのいうことは常識的にはおかしい。しかしあさんのいうことは常識的には正しい。どうしたものか。
618 :
考える名無しさん:2006/08/25(金) 20:35:56
この例え話が破綻しているのは作った本人ももう気付いているだろう。
これくらいで次の話題へw
要するにだ、俺の言う説は
・知とはイデア界を移動する乗り物である
・動物はこの乗り物を持たない
・ゆえに人のほうが高度である
という陳腐なもんなわけよ。
で、「言葉や概念は望ましいものか望ましくないものか」という点で
あ氏が言うような「人は言葉にとらわれて妄想しているに過ぎない」という説(「人間妄語説」とでも言おうか)と対立すると。
619>素直にそう考えたくなるのは誰でもそうだと思いますが、
「高度である」はずの人間が、なぜ自然に生きている(下等な)
動物以上に、残虐な殺戮を引き起こしてしまうのでしょう。
そういうことを考えると、私は「人のほうが高度である」と
言い切ってしまうのに、ためらいを感じます。
お釈迦様の手のひらの上の孫悟空のように、ただ「そう思っている愚かな存在」
なのではないかとも思うのです。
621 :
考える名無しさん:2006/08/25(金) 21:47:34
誰の心にも、殺されたくないという思いがあるからだよ
だからそれが人々が協力して社会を形成する上でのルールになったんじゃない?
ただのルールだよ。
人を殺すという行為に対してどんな思いを抱こうと、そんなものは関係無いさ
何が善くて、何が悪いなんてそんな偉そうに、さもそれが真実であるかのようにあんた
ただのルールじゃないものって、何かあるの?
623 :
考える名無しさん:2006/08/26(土) 12:57:25
人間が高度な生物であることは疑いようがないよ。
でもよく言葉で勘違いしちゃってる人いるね。
高等生物の対立概念は下等生物だ。
これはあくまで機能についての説明。
上等(素晴らしい)とは誰も定義していない。
624 :
考える名無しさん:2006/08/26(土) 20:06:40
自分も殺されるから
殺されるから殺さないが成り立つなら、轢かれるから乗らないも成り立たなくてはならない。
しかしそれは現実には成り立っていない。
なぜならそれが真の命題ではなく単なる価値の問題に過ぎないからだ。
真偽と損得をごちゃ混ぜにしては何事も「哲学」できはしない。
「人を殺してはならない」は明らかに偽だが、そうしなければ大勢にとって損かも知れないのであり、そしてこの「損かも」の部分を掘り下げることでのみやっと有益な議論ができるのだろうが、それは社会学の範疇だ。
つまり哲学でこんなテーマを扱っていること自体があまりに幼稚なのだ。
625>何で幼稚なんだ?
「範疇」だとかいって、区分けしたって何の意味があるんだ?
疑問があることを素直に追求すりゃいいじゃねえか。
結果的にそれが、「哲学」じゃなくても、みんなが納得できる「解決」が
見出せればそれでいいんであって。
みんな「哲学」がやりたいんじゃなくて、「疑問を解決したい」んだから。
分類分類で、頭が凝り固まってんじゃないの?
俺は当テーマを自分なりに追求(という程のものでもないが)して「哲学」としての決着はつけた。
社会的にどうなのかは「そうしなければ損っぽいよね」くらいで止まっている。
そうした区分けをせずにここで損得の議論を進めるならば、皆が納得する答えなど永遠に出て来ない。
何らかの枠組みの中でなければ、話し合っても「結局は好みの問題」に行き着いてしまうからだ。
そもそも学問という個人の思いつきより余程蓋然性の高い枠組みを共有しなければ、議論の準備である「ルール設定」からして皆が納得するものは出て来ない。
こうした自明の構造を見抜けずに、単なる主観の押しつけ合い以上のものに決してならない「疑問を解決しあうための井戸端会議」は、幼稚以外のなにものでもない。
恣意的な罵声や賛同の場で必死に答えを追求(笑)してしまうのは、頭が凝り過ぎ、固まり過ぎているからだ。
628 :
627:2006/08/27(日) 07:32:48
日本語間違えたw
629 :
考える名無しさん:2006/08/27(日) 12:34:24
627>最初にあるのは、「どうして人を殺してはいけないのか」という疑問だ。
結果的にその回答が、「哲学的」「社会学的」と呼ばれる回答になるとしてもね。
ある前提が必要だっていうのはそのとおりだが(そりゃあたりまえだ、言葉を
使って考える人間の頭はそんな風にしか考えられないからね)、だったら
「それは哲学的」とか「社会学的」とか漠然としたことを言っていないで、
具体的にどういう前提を設定して考えるのが有効なのか、あなたの考え方を
示してもらいたいね。ついでに「哲学としてテーマを設定するのが」
なぜ「幼稚」なのか、ということも。
>>629 念のために書いておくと俺は625、627、628だ。
既に書いてることを聞くその頭の悪さもアレだが、質問しかしないで相手のミスを待つ「待ちガイル戦法」を用いるグロテスクなセンスも本当、凡人そのものだなw
殺されるから殺さないが成り立つなら、轢かれるから乗らないも成り立たなくてはならない。
・・・・・?
>627
幼稚だって言うのも個人の主観
俺も幼稚な部分はあると「個人的」には感じたけど、「幼稚以外のなにものでもない」という表現で結論付けてる時点で、自分の意見があたかも客観的であるように主張してるだけのように感じるよ
自分なりに追求して「哲学」として決着をつけたと思い込んでる立場からの意見に過ぎないわけでしょ
他人の意見に対して「幼稚」だと断定してしまう時点で哲学的には「幼稚」なんじゃない?
まあ個人的にね
>>631 だよな
「殺されるから殺さない」→「轢かれるから、轢かない」になるだろ
すり替えうぜー
>>632 全ては思い込みの主観なのであなたは決して負けないでしょう。良かったね。
>>633 轢かない=乗らない。本気でこれくらい分からんの?
635 :
634:2006/08/27(日) 13:50:58
分かるとは思うケド634と上の偉そうな奴は同一人物ね。以降634と名乗る。
>>634と、すべては思い込みの主観以外に何かあると思い込んでる人が言っています
>>636 主観の「強度」について自覚的ならば「全部主観なのでお前の意見は単なる独り善がりですから残念」のような無惨な発言はしなかろうに。
>>637 そういうアナタは謙虚さをウリにしてるクズですか?
名前入れ忘ればかりで本当申し訳ない。
>>638 わざわざ、お前の視線に合わせてやってるんだよ
最後にクズという表現でしか結論付けられないお前のためにな
後は自分で考えろ
641 :
634:2006/08/27(日) 23:48:02
>>640 そういう小学生にでもできる簡単な批判しかできないからクズなんだよ。
果てしなく頭悪いな(笑)
642 :
考える名無しさん:2006/08/28(月) 00:43:10
口論してるやつらおまいら何で殺しあわないの?
つまりそういうことじゃねーのかw
643 :
涙目:2006/08/28(月) 00:53:29
このスレッドはまず「人を殺してはいけない」ということを前提としてたてられています。
その前に「人を殺してはいけないのか否か」を議論するべきでは?
>>643 その場合
「人を殺してはいけないのは何故か」
「人を殺してもいいのは何故か」
を議論しなければなりませんが?
実際殺してもいいような人間はイッパイいる
「人を殺してはいけない」と考えているのは人だけ。
動物を殺してはいけないと考えているのもなw
まあ、アレだ、いろんなこと言ってもさ、
「どうして人を殺してはいけないのですか?」なんて、
たとえば、例の、福岡の車の海中転落で、3人の幼い子供をなくした
親の前で言えるわけはないんで・・・。
われわれが語ってるのは、われわれが言葉で定義した、「死」について
あーじゃないこーじゃない言っているだけで、「死そのものの厳然たる事実」
を目の前にしてるわけでもなんでもなく、要するに「暇つぶし」にか
すぎないという、(謙虚な?)気持ちを忘れちゃだめだよね。
われわれは、わかってるつもりになってるつもりだけであって、
実はなにもわかっちゃいないんだよ。
「俺は、哲学的には解決した」なんて、そんな単純なものじゃないよ。
>>648 暇潰しの発言だからその真偽や価値が無効になるだなんて、本気で言ってんの?
家族を殺された者の前で「人を殺してもいけなくはない」と言えないのは、愚かな道徳心に支配されているだけか、
数の権力(=暴力)への敗北が予想されるからに過ぎない。何が「死そのものの厳然たる事実」だ。
大切な者が殺されて悲しいのは道徳や損得の問題だろうが。
単純なのは何も分かろうとしない(できない)お前のおめでたい脳みそだけだ。
頼むから「馬鹿そのものの厳然たる事実」を目の前にさらけ出さないでくれ。
649>まあ、暇つぶしは言いすぎだったかもしれないな。
俺の言いたかったのは、「謙虚になるべき」ということ。
繰り返しになるが、われわれは「死」について、何もわかっていない
ということ。なぜか?
それは、われわれの誰一人として、まだ、死んだことがないからだ。
つまり、われわれ人間は自分にそう思われる現象に「死」という
名前をつけて「わかったつもり」になっているだけだ、ということ。
それを「社会学的」だろうが「哲学的」だとうが「なんとか」的に
説明しようが、そう名づけているだけで「わかったつもり」に
なっているだけだということ。
当然、つきつめて考えればそうであり、われわれは
「わかったつもりになることしかできない」
ということを当然わきまえていなければならないはずだ。
そう考えたとき、「自分だけが正しくて、お前は(みんな)バカ」
的な発言ができるのか、よく考えてみたらいい。
あんたも、同じ「言葉を使う人間」なんだろう?しかも、「プロ」なんだろうから。
こういう問題を解決(この場合、人間にとっての結論を決める、ということ)したいんなら、
たとえそれが思いこみに過ぎない(いや、全部思い込みだ)としても、
幼稚だなんて決め付けないで、みんなで意見を出しあって決めるしかないと思うんだ。
これ以上、不毛な喧嘩を続けるつもりはない。
ただ、最後にあなたの個人攻撃の言葉の文句を少し変えて、そのままあなたに返す。
「単純なのは、それっぽっちでわかったつもりになっているあなたの脳みそだけだ。」
651 :
649:2006/09/02(土) 19:15:32
>>650 「自分の死」と「他人の死」を何も考えずに混ぜて「我々は死について何も分かってない」って、なんだそりゃ?
「他人の死」くらい誰でも経験、想像できる。
そして殺人の是非を問う時に考えるべきはそちらだ。
そんなことも分からないで、分かったつもりにしかなれないから謙虚になるべきとか、どれだけ甘ったれだよ。
1+1=2だって突き詰めれば思い込み(笑)だが、「いや1+1=3かも知れない」などと宣う者は即座に「幼稚」と笑われるのが現実世界。
馬鹿の意見をいちいち取り入れてたら何も解決しやしない。
俺は一度も「俺の行為が暇潰しとは失礼な」とも「俺だけが正しい」とも「プロ」(なんのだよw)とも言ってないが、少なくともお前は「謙虚で物分かりの良い人」のフリをしている「傲慢な分からんちん」であることだけは確かだ(自覚してないだろうがな)。
「謙虚であるべき」という傲慢な押しつけをするタイプの人間は何も生み出せないゴミだ。
652 :
考える名無しさん:2006/09/02(土) 19:36:02
>>650の「謙虚になるべき」という意見は、もっともな意見で、
>>651の
>「他人の死」くらい誰でも経験、想像できる。
の方が疑問だな。。。
少なくとも、人と同じようには経験、想像できない。
「死」は極めて個別的なものだから。
>>651 >「謙虚であるべき」という傲慢な押しつけをするタイプの人間は何も生み出せないゴミだ。
さてどちらが傲慢なのやら・・
653 :
649:2006/09/02(土) 19:55:35
>>652 「最もな意見」、「疑問だな」と蒙昧さに慣れきった何も語らないに等しい発話ご苦労様。
俺は傲慢であることを自覚しているので、そのセンスの欠如した攻撃は無意味だよ(笑)
654 :
649:2006/09/02(土) 19:58:41
>>652 批判し忘れてたw
「他人の死」について各人に内在する概念が「極めて個別的」なんて本気で思ってんの?
無人島にでも住んでんのか?
655 :
考える名無しさん:2006/09/02(土) 20:02:12
ヒケンシャダイイチグループノコタイカラ、リンリシコウ
ショウガイガケンチサレマシタ。
>>1ヲショブンシテクダサイ
>>1ヲショブンシテクダサイ
656 :
考える名無しさん:2006/09/02(土) 20:13:42
家族を殺された者の前で「人を殺してもいけなくはない」と言えないのは、愚かな道徳心に支配されているだけか、
数の権力(=暴力)への敗北が予想されるからに過ぎない。
いくらなんでも言いすぎじゃないか?
これが単なる思い込みじゃないという理屈を説明してくれ
安楽死という考えからじゃないか。
なるべく必要の無い身体的な苦痛を無くそうということですね。
ただ苦しい物は賤しめる行為だと考えられるので、苦痛を与えない
ようにしようということです。
659 :
649:2006/09/02(土) 20:38:14
>>657 せっかくだからいっぱい批判しようや、勿体無い(笑)
>>656 あなたのようなタイプの人間に何かが「思い込み」でないことを納得させるのは、残念ながら非常に難しい。
なぜなら彼らは「突き詰めれば全て主観」という論法を、愚昧な自分を守るための道具としてのみ醜く用いるからだ。
要するに、俺は彼らに納得してもらえるなどとは端から思っていない。
俺や知的な者達がパッパラパーな彼らを嘲笑するエンターテインメントとして成り立てばそれで良いのだ(笑)
遺族に暴言吐いた殺人者なんて少なくないよ。
661 :
649:2006/09/02(土) 20:54:28
>>660 どういう立場からの意見かはっきりしないが、少し突っ込んでおこう。
だからなんだよw
親切心からの殺人は喜ばれるのではないかな。
彼の為によくないから、殺すことになってもしょうがないって考え方だ。
こんなことをしていてもしょうがないので、彼を殺してもいいのではないかということだ。
彼は抵抗するかもしれない。すると、そのままでいいのなら、勝手にすれば、せっかく人が
親切でやってあげてたけどね、やらないから呆れたという奴だ。
しかし、親切心から殺人になるのかということだ。確かに親切かもしれないけど、彼に喜ばれ
ないのではないか。すると、自分のしていることはそれほどいいことでもない。自分勝手な殺害
でしかなかったということである。
自分の殺害も彼に嫌がれているかもしれないと考えると、殺すよりもいいことがあるのではないか。
663 :
649:2006/09/02(土) 23:50:01
>>662 すまない、俺の読解力が無さ過ぎてお前が何を言ってるのかサッパリ分からん。というより、日本語でおk。
664 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 01:04:23
美意識に反するから人を殺したりしないが、自分の美意識に合致するのなら、殺すんじゃないか?
665 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 01:11:44
命を奪うと不愉快な感覚に襲われるが、あれが全人類共通だとは言えない。
彼らはそういう感覚が欠如しているか超越しているのか、はたまた快楽ですらあるのか。
666 :
649:2006/09/03(日) 07:07:46
>>665 もちろん、命を奪うこと自体やその副産物に利益を見出す人間の存在は想定できなくてはならない。
道徳教育だけでは誤魔化し切れないから、彼らに甚大なる被害を予告する法令が存在する。
ただしその被害を享受できる人間は、先に殺さなければ止められない。
667 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 12:03:55
俺や知的な者達がパッパラパーな彼らを嘲笑するエンターテインメントとして成り立てばそれで良いのだ(笑)
→どこが知的なんだか。
単純に、ニュアンスに鈍感だから、傲慢でいられるだけじゃねえか。
彼(649)には、「言葉」と「言葉に先立つものそのもの(言葉ではあらわせない)」
をいくら説明しても、彼の頭では、「うまく」考えられないんだよ。
「他人の死くらい容易に経験、想像できる」という文言によく表れている。
要するに、自分が想像した範囲=真実と混同している。
ここで「真実は異なっていて、みんなそれぞれ思い込んで(決めて)いるだけだ」ということが
わかっていれば、みんなの知恵を出し合おうということになると思うが、
彼にはその自覚がないんだよ。
彼には自分の理屈がすべて(正しいこと)であり、もしかして自分は
何かにだまされて「考えさせられているのではないか」というような発想は
夢にも頭に浮かばないのである。
あくまで自分が正しいと思っているから「どうしてみんなわからないんだ(馬鹿なんだ)」
というように他罰的な方向に考えが向かっていく。
当然そうなってしまうのだが、自分でも止められないのである。
(というか、止めようとも思ってないか。)
まあ、自覚しろといっても、彼には無理か。
668 :
534:2006/09/03(日) 12:42:35
人を殺しては良くないという思想の方に質問です。
人を殺したいと思う気持ちは善いでしょうか悪いでしょうか?
669 :
649:2006/09/03(日) 12:51:03
>>667 言葉で表せないものを説明しても?ニュアンス?
その曖昧さに逃げるだけの醜くダサい発話が「知的でない」と笑われるんだよ。
なんでもアリかお前は(笑)
「曖昧さに逃げるだけの」って、・・・
単純にお前が理解できないだけだろ?
素直にそう言え、バカ
671 :
649:2006/09/03(日) 13:18:20
>>670 心配しなくても君の頭の悪い妄想は君にしか理解できない。
例えば667に書かれた「何かにだまされて」とか、そういう矛盾しないが現実から剥離している捉え方に引き籠もって、「お前は正しくない俺は正しい」以上のことを語れないその粗末さ。
最底辺の馬鹿だ(笑)
672 :
534:2006/09/03(日) 13:29:19
>>667 科学法則で人を殺せない法則など有るか?観念によって人は人を殺さないか
?答えは人は人を殺す事が出来る。
すべては自由、人を殺すのも殺さないのも自由。
だから人は道徳や法律を作ったけど物質は変化するから時代や国によって善
悪は変わり絶対的な道徳や法律などない。(話合いが無駄とは言わない)
真理は真理として受け入れなけらばならない。
>家族を殺された者の前で「人を殺してもいけなくはない」と言えないのは
例えば戦争で家族を殺されたものの前だとみんな名誉の戦死っていって讃え
られるでしょ。やっぱり現実は数や権力の力そして金だよね。
人の死<国の利益なのかそんなもんなのか人の命は?となりますよ。
これらによって思い込みじゃないと考えられる。
673 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 13:39:13
672>その場合、人間の魂の問題はどう考えるの?
それも、単純に外部注入的な道徳の問題と思う?
674 :
534:2006/09/03(日) 13:51:28
人を殺すのは善いか悪いかコレの意見は分かれるけれど、善い悪いは善い悪
いでしかない。
道徳によって何々をするのは善い悪いと教えられるけどもともと魂のもって
いる善い悪いは絶対的な善い悪い。
意味解るかな?
675 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 13:51:42
もし人を殺してもいいとなったら、どうなるかわかるでしょ?
悪いことしてない人間が殺されるかもしれない。それを防ぐためじゃないの
676 :
534:2006/09/03(日) 14:03:00
間違った道徳や法律のせいでどれくらいの悪い事してない人が冤罪により死
刑になったのだろう?そもそも善悪の基準など国や時代によって全然あてに
などならないが。
そうだよ上にも書いたとおり日本は死刑制度があって冤罪で死刑になってい
る人がたくさん過去に居るよ。
677 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 14:05:39
674>じゃあ、その「もともと魂の持っている絶対的な善(それとも悪?)を根本において、この問題を考察はしないの?
「やっぱり現実は数や権力の力そして金だよね。」って言うんじゃなくてさ。
678 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 14:07:47
免罪で死刑になる人って戦後は多くないですよ。
じゃああなたは免罪をなくすために法律をなくせって言ってるの
679 :
534:2006/09/03(日) 14:14:47
>>677 いやだからあなたは自由です。
あなたの魂に従いなさいあなたが人を殺すのが悪だと思うなら自分の意思で
人を殺さない。
時に国は人を殺すのを善としますその時にもあなたは人を殺すのは悪とする
ことを切に願います。
この事から俺は人を殺すのも殺さないの自由だと言っているのです。
680 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 14:16:02
2ちゃんに来て2年数ヶ月
そろそろ潮時だと思う
だって廃人にはなりたくないしね
681 :
534:2006/09/03(日) 14:20:10
>>678 >悪いことしてない人間が殺されるかもしれない。それを防ぐためじゃ
ないの
のために悪い事をしてない人間が死んでいる事実も有ると云う事を言
いたかったんです。
死刑や刑罰は単なる見せしめ。
それ以外の得は無い
683 :
考える名無しさん:2006/09/03(日) 14:40:24
679>俺も、理屈じゃそうだと思うけど、おおっぴらに言うのは
ためらいを感じるな。殺されるのはいやだからな。
「生死を超越した」と一点の曇りもなく言えるんなら、
言ってもいいと思うけどね。
でなきゃ、理屈は単なる理屈にすぎない(別にそれでもいいけどね)。
あなたも、今この瞬間、自分が何の意味もなく虫けらのように
殺されても、一点の曇りもなく平静さを失わず、何の文句も言わず
死ぬことができるわけじゃないでしょう?
自然界を見れば679の言ってることは、ごくあたりまえのこと。
あたりまえのことを、さも新しい真理かのように言っているだけ。
結局、何も言っていないのと同じことだ。
685 :
534:2006/09/03(日) 15:09:36
間違いなく出来ません全力で抵抗するでしょう。俺は殺されたくない
です。
俺は理屈でなくありのままの世界を言っているに過ぎません。世界で
は未だに戦争が絶えず、殺人も無数にありますそれを無視して人は絶
対的に人を殺す事は良くないんだといえる根拠がわかりません。
誤解して欲しくないの俺個人としては最後の最後まで人を殺さないで
解決できる問題があればそれに越した事はと考えています。
686 :
534:2006/09/03(日) 15:10:30
>>684 真理に新しい古いなどありません真理はただ真理としてしかありませ
ん。
「存在するから」良くないという根拠がわからない、というのでなくて、
「自分も殺されたくないし、よくないと思うんだけど」なぜか、戦争も絶えず、
人殺しもなくならない、なぜ?という考え方もあるのでは?
688 :
534:2006/09/03(日) 15:54:18
>>687 思想の違い、利権、金≧人の命
善い悪いの前にこれがからんできてしまいますね。
ようするに人の命より大切なものが有ると考えている人がいるんですね。
現実を知った上でもあなたが絶対に人を殺さないですべての事は解決でき
るという信念を持っているのならそれが善いです。
534>それに答えるのは非常に難しいです。
以下は、素朴な私の思い込みです。
確かに戦争や殺人はつきませんが、地球人口60億人
の大部分が、そういうことをやっているわけではありません。
大多数は、「殺したくてしかたがないが我慢している」わけではなく、
「なんとなく、いけないことだと心のどこかでわかっている」から
社会が崩壊せず成り立っているんだと思います。
じゃあ、そのなんとなくいけない、と思う根拠はなんでしょう?
私は、それは仏教の言う「因果応報」的なものではないかと考えます。
みんな、自分の行為の結果が、自分に帰ってくることを
どこか心の片隅で無意識にわかってるんじゃないか。
そうすると、当然「前世」「来世」もあるということになります。
人間が、たかだか100年生きてそれで終わりだ、ということになれば、
当然「じゃあ、人殺しでもなんでも好きなことをやればいいじゃやないか」
ということになりますから。
そういう考え方に立てば、「人を殺さないですべてのことは解決できる」
というより、「殺したって、解決できない」と思うのです。
以上、私の思い込みでした。
690 :
534:2006/09/03(日) 20:01:09
>>689 「因果応報」か。。。そうかもしれない。
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
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(-_-) 誰もカキコしてない・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
(;´Д`)焦らないで・・・
新鮮な牛乳出す乳牛殺さないのと同じで、人を殺すと生産力が落ちるからじゃね?
生産しないやつは殺していいけど、そいつを殺す事でもともと生産してたやつが生産しなくなるようなら、殺さないかもしれない。
そこが動物と人間の違い。
>>692 ということは農民より貴族のほうが命が重いということですか?平等主義と相容れないことになりましょう。
694 :
考える名無しさん:2006/09/04(月) 20:15:04
ある人が敵に捕われた。敵が「仲間を一人銃殺すれば他の奴は解放する」と言うた。
命が平等より重ければ一人を殺して他の仲間を助けようとしょう。
一人を殺さなんだら他の人が死ぬ。それは殺すんに加わることでないか。どちらにしろ殺すならば一人を殺したほうが安かろう?
しかしようせん。なんでか?それは平等が命よりも重いけにじゃ。
仲間を一人殺すことは命を奪うことだけでのうて平等を犯すことじゃ。不平等な生は平等な死に劣る。
695 :
考える名無しさん:2006/09/04(月) 20:18:40
上記に書かれていることは有り得ず人一人の命と引き換えに別の命が助かるという状況はありえない。
696 :
考える名無しさん:2006/09/04(月) 22:32:15
>>694 「しかしようせん」から間違い。ようしますw
>>695 思考実験って知ってる?というかそもそも現実的に十分想定可能だし。
つカルネアデスの板
・・・・これ書くの3回目ぐらい
698 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 00:40:21
理由はある だが言葉にしてはならない ね
理由とは言葉があるからこそ考えられたもの
人が言葉で作りだしたもののひとつ
ならばその理由の存在を肯定しながらも言葉にすることを否定することは
どういうことなのだろうか
最初に書いてた変なコテ答えろ
699 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 00:41:27
言葉にしてはいけないというルールを絶対とすると、
なぜ言葉にしてはいけないのか、という疑問が残る。
その部分に対して認識を持っているものはそれでもいいと思うが、
持っていない子供にどう説明すべきか。
察してもらうしかないのだから、説明の術はないが。
なにせ「言葉にしてはならない」のだから。
>>697 >カルネアデースの板
これは正当防衛を故事に言い換えただけじゃろうがい。
>>694が言いよるんは「仲間を殺しても責められん」でのうて「仲間をよう殺さん」じゃ。
その立場になってみ。「カルネアデースの板だ」と言うて平気で銃を撃てるか?
「俺が生き残る邪魔すんじぇねーよお前死ねボケ」と言うて筏に乗ろうとする人を蹴り飛ばすか?
命の数の損得は分かっとってもためらうことに倫理の重要なものがあると思うぞ。
701 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 15:14:12
>>700 ためらっても結局は損得に吹き飛ばされる程度に脆弱な倫理に何の重要性があるというのか。俺からすると、自分の命が助かる道を(道徳に邪魔されて)選べないと考えるのは、想像力が欠如しているか、価値基準が狂っているとしか思えない。
じゃあ、人と人は?道徳の延長とかのべたりしませんよね?
703 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 16:56:43
704 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 19:00:12
ランデブーだね
上でばかなことばっか言ってる634と649って同一人物だろ!おまえら放置してないであのあほにもっと反論しろよ!
706 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 22:07:35
>>698 言葉にしないで、「人を殺してはいけない」と思えということ。
つまり不可能なことを要求しているわけだ。
あれは単なる言葉遊びに過ぎない。あまり気にしないように。
707 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 22:21:20
>>694 ならば自分がその一人になるから、仲間の解放を見届けさせて欲しいと頼む他あるまい。
己の遺志を果たしてくれるであろうような仲間であれば、十分にその価値はある。
そうでなくとも、己の価値観に従っての決断であれば、本望であろう。
勿論、自分が生き延びるために仲間を殺すという決断を下す人間がいても構わない。
その人は自分にとってそれが正しいことなのだと判断したのだから。
その状況でどのような判断をするかは一律ではない。
平等が命よりも重い人間もいれば、命が平等よりも重い人間もいる。
「殺してもいい」けどしないんだろ、人間は。
生まれた時から「殺してはいけない」とされている
人間社会の中で育ってきた人間は、それが普通だと思いこむ。
709 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 22:46:20
こいつはちょっと気違いなんじゃないのかな。
彼に関係ないものを自分に関係づけて怒ってるんだよ。
それでも、きっと、信念なんかねえんだよ。
なにも殺すことは無い。
711 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 22:49:40
今まで 人を殺したことは一度もない
712 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 22:55:46
例外として日本人は殺しても構わない。
生まれた時から「殺してもいい」とされている。
中国・韓国社会の中で育ってきた人間は、それが普通だと思いこむ。
死人を生き返らせることはできないよ。
フランケンシュタインの漫画じゃないんだから。
憎い感情があるとか、教育されてきた記憶があるとか、どこが違うものだとか
考えても理解できないんじゃないの。
714 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 23:13:00
715 :
考える名無しさん:2006/09/05(火) 23:14:09
>>710誰に何を言いたいのかよく分からん。「何も殺すことはない」とか何に対して言ってんのかな?馬鹿?(笑)
>>715 信じていると、その物が大好きだってすごいがんばるんだろうけど、
信念も無いんだろうし、対象もないのだろうなぁって。
すると、どうして殺すのかなあと考えると、とても大事な客観的な物だったのだろうなあ
ということですね。なんでもそのような世界にしてしまうんじゃないの。
戦争の世界観があると、殺すこともあるかな、考え違いしちゃった、てへ。
717 :
考える名無しさん:2006/09/06(水) 00:32:36
まず、絶対的に「殺すな」などといってるやつが何処にいるのか?
誰かに「殺すな」といわれたことがあるのか?
結論 人は人を殺してもよいというのが原則と考えるべき
その上で「殺すな」というからにはそれなりの理由が必要。
社会においては
秩序の維持による公共の利益の保護という理由があって初めて人に対して
「人を殺すな」
と言うことが許される。
逆にその社会の為に利益となる殺人は多くの人が認める
例 処刑 戦争 正当防衛
718 :
考える名無しさん:2006/09/06(水) 00:41:51
オナニーサイコー!
しかし、私がいざ殺すことを考えるとどうだろうか。
殺すように言われただけならば、むしろ、嫌がられるだろう。
何故なら、賎しい仕事を押し付けられているからである。
従って、割って入らないならば、免れるのにも拘らず、
自分のところに引き入れなければならないことになる。
正しいと考えることだけではなく、彼が争いを好むところがあるのだ。
殺人を依頼されると、仕事であるという適当な理由をつけて喜び勇む
のであり、彼を自分に対して行動するように仕向けるのである。
だから、汚れ仕事だけでなく、わざわざ争いを起すようなことが考えられ、
つまり、暴力集団になりさがっているのである。彼らに必要なのは正しい
という理由があるだけでいいのであり、むしろ、嬉々として没落するところ
にしたいのである。
720 :
考える名無しさん:2006/09/06(水) 02:31:06
それよりも、なぜ人を殺すことが悪いのか説得できるのか
診てるけど意味無いぞ、ローマからの市民法から現代までゆけば
戦争も正当化できるだろ
721 :
考える名無しさん:2006/09/06(水) 02:47:33
なぜ人を殺さねばならないのか
722 :
考える名無しさん:2006/09/06(水) 03:33:06
それは勝手(死刑になることも含む)だが、それではサッカーはできんよ。
人間は普通、自分で死ぬことはできません。
大体の人は生きたい・苦しまずに死にたいと思ってる
のではないでしょうか。
どんな人も自分の人生や意識を持っていて、
自分もその中の1人に入ります。
自分=他人・地球にいる人の中の1人と考えたら
他人(=自分)を殺したらいけないとなりませんか。
人を殺す人=自分しか見えていない人
・他人にも自分があることを分かってない人。
ではないですか。
私はこう考えているのですが。
ここは定期的にきては欠かさず読ませてもらっておるが、
もののたずね方もしらんゴミは当然ながら一切シカトじゃよ。w
725 :
534:2006/09/06(水) 14:40:34
どうして人を殺してはいけないのですか?
自分≠人≠他人とすると(これが「因果応報」ってことかな?)
人を殺しても善いとすると結局廻りめぐって自分が殺されるってことかな?
ここで疑問が殺人≠死とすると
人は死ぬ事が悪なのか?人を殺そうとする心が悪なのか?人を殺す事が悪な
か?
人はしゃべる事が悪なのか?人をゴミ呼ばわりする心が悪なのか?人をゴミ
と呼ぶ事が悪なのか?
>>717 >誰かに「殺すな」といわれたことがあるのか?
。
世の人は生きることに埋もれてしもうて
「どうして人を殺してはいけないか」とかフィヒテンシュタインとかプラトテレースとかそげなことは頭にないけに言われたことは無いわ。
生とは生を思うことであり死とは死を思わぬことである。―めめんと森夫
このスレドはタイトルに“人を殺してはいけない”という前提があることを暗示している
レスを読むと多くの人が“人を殺してはいけない”理由を説明している。
スレッドのタイトル通りに話題を展開するのだから当然と言えば当然なのだが・・・
タイトルに“人を殺してはいけない”という社会通念でもあるかのような暗示が
感じられることに誰も疑問をもたない。
はたしてそうなのか?ホントに人を殺すことはいけないことなのか?
例えば社会一般の常識としては“人を殺してはいけない”と言うことは
当り前のことである。常識であり、殺人を犯す者でさえ知っていることだ。
だがそんな浅い説明では納得できない。
728 :
考える名無しさん:2006/09/06(水) 19:09:54
727 全部読んでから言えタコ
ふっ、浅いな・・・
動物を殺してもいいのに、人を殺してはいけないのはなぜか。
ってのは、とりあえず
食べる分には、殺すことをしないと生きていけないから、
罪悪を感じないように、正しいと(無意識的に)感じるようにしてる。
また虫やら菌やら微小な生物を殺すことを許容しているのは、
単にそこまで考えると⇒すべての生物を殺してはいけない
つまり行動がかなり制限されるから
だと思うんだが、どうでしょうか。
>どうして人を殺してはいけないのですか?
別にいけなくも、いけなくなくも、ないだろう?
“人ヲ殺シテハイケナイ” だなんてどこから考え付いたのだろうか?
それに ”どうして” だなんて疑問をなげかけるなんて不自然
おそらくスレッドを立てた個体(おそらくヒト)は“人ヲ殺ス事ハイケナイコト” という
考えを他者も持っていると思っているのだろう。
732 :
なかじま:2006/09/07(木) 12:37:06
>>730 ということは食べるためなら殺してもよい。
殺したあとに食べるなら人を殺してもよいということですね。
733 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 21:10:54
生きてると食べにくいだろ
734 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 22:05:40
たしかに
735 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 22:24:26
736 :
考える名無しさん:2006/09/07(木) 23:50:14
>>724 気にするな。
ゴミ同士の会話など無意味どころか迷惑なだけだから。
浅いな・・・
738 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 07:28:41
人を殺しちゃいけないのは、それを簡単に認めると社会の秩序が乱れるからじゃね?
例えば、「あ〜あのギター欲しいな。よし、店員殺してとろう」とか、
「いー女発見。犯してから殺そう」とかいうことを認めたら世の中大変なことになるよね。
お金とか法律とか作ってある程度管理したほうが、まあ結局世の中上手くいくんじゃね、くらいの感じ。
739 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 09:55:11
「国民ひとり一人」より「社会や世の中」が大事というのは
キムジョンイルとかフセイン、昭和天皇とか江戸幕府に都合のいい
論理なんじゃネ?
740 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 10:05:58
「今の」日本では、「社会や世の中」よりも「国民ひとり一人」が大事にされてるのかね?
俺にはそうは思えないんだけど。警察とか役所の不祥事とか多すぎね?
年寄りの税金バカみたいに増やしておいて、役所で余ったお金をゴミと一緒に燃やしてる国ですよ?
741 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 10:29:16
追記だけど、俺は社会主義が云々とか全体主義がとか言ってるんじゃないんだけど。
民主主義や資本主義を維持するためにも、殺人は認められないよ。
投票しないと殺すとか、反対派は殺すとか、お金払うのめんどいから殺すとか。
そういうのダメ。イクナイ。って言ってんの。
流通もへったくれも無くなっちゃうじゃん?マック行ってもメシ食えなくなるっつの。
金じょんいるとか関係なく、「今」の日本社会を維持するためにも殺人イクナイ。とおもう。
742 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 10:49:33
>>741 「今の日本社会を維持するために○○はイクナイ」・・という考え方はイクナイw
社会が先じゃないのよ、国民ひとり一人が先でなくちゃ
よく考えてごらん、社会のために人は生まれてくるのか?
それとも人間のために社会が姿かたちを変えてゆくべきなのか?
答が後者だというなら、「社会を維持するために○○はイクナイ」という論理は
振り回せない
743 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 11:04:55
そこは見解の不一致ってことで。
その考え方は理想的だけど現実的じゃないよね。
実際みんながそんな風に考えてたら戦争なんておこらんでしょ?
でも戦争は際限なく続いてるわけで。つまり本気でそう思ってるやつはかなり少ないんじゃね?
政治家だってみんな絶対「国民ひとり一人が大事」って言うだろうけど、うそ臭いにもほどがあるっつーの。
それに国民一人の命が何より重視されるなら、死刑も廃止にすべきでしょ。死刑囚だって国民だよ?
仮に100人殺した大虐殺犯がいたとして、俺はそいつは死刑にしてほしいね。
744 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 11:25:10
追記だけど。
742さんはなんで国民にこだわるの?
日本国民以外はどうなってもいいの?
後、動物は?人間に屠殺されてる牛や豚の権利とかはどうなんだろう?
人間様はえらいから、動物なんて踏みにじっていいの?
優しさ。愛。権利。
言い出したら蟻も踏めない。野菜も食えない。だってみんな平等な生き物だよ?
地球の環境すら、破滅に近づき、絶滅した種もかずしれず。それも「国民ひとり一人」のためならやむなしってか?
スレタイは、次のような意味なのか。
「原則として人を殺してはいけない」という決まりを作ることに、
どうして多くの人は同意しているのか?
それなら答えは簡単で、
「そうした方が自分にとって利益になると多くの人が判断しているから」だ。
746 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 11:50:55
オレは自己本位
国家は二の次、牛や絶滅種など三の次w
オレは(他人が勝手にそうするのは自由なんだが)
「他」とその存在を軽々しく比較されるつもりはナイ
世界はオレと「その他」の2つでできている
国家は「その他の一つ」に過ぎず
オレの便利に都合よくできてなければその存在を認めない
「手段」だってこと、オレの上位に来るわけがない
平等しかり
「何をもって平等とするか」はオレが決める
ほかに決めてもらうツモリはない
748 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 12:21:45
俺もそう思う。
749 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 12:23:38
>>747 ならば
国民一人 ≧ 国家
が正しいスケールとなる之介
750 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 12:41:10
結局のとこ善良な一市民の普通の本音は746あたりになるんじゃね?
当然普段はかくしてるだろうけど。
難民のドキュメンタリー見て泣いてた女が、募金の呼びかけを鼻で笑ったりするからね。
地球が滅びますよって言われても明日も車に乗るし、暑けりゃエアコン使う。
それが善良な一般市民。
人を殺さないのはそっちのがメリットあるから。
751 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 22:50:26
厨臭い発言をするけど
人権を尊重しなければならないと思う。
動物は殺してもいいのかというとよくわからない。
けれども人間だけが肉を食べているわけではないし
それは生きるために必要なものなんだと思う。
752 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 23:12:49
>>751 「人権」とはなんであろうか?
人の権利とは?
そもそも「権利」とは何なんだ?
誰の権利を、誰が、どう認める事を指して言ってるんだ?
>>749 そんな社会的な意味合いでなく、あくまで一個人内の考え。
自分 ≧ 国家
754 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 04:16:49
究極的に、社会的な損失だけに論点を絞ることができるのなら、
場合場合によっては、人を殺すことも許されることがある、という結論が
導き出されるだろう。
果たして、100%そう言い切ってしまえるんだろうか。
人間には心があるし、生命に対する本能的な倫理感のようなものも
あるから、「100%損得の問題だ」という前提を設定することに
ためらいを覚えるのでは。
755 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 08:12:22
754
756 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 08:21:10
>>754 「殺人は場合によって許される」って、誰が許すんだ?
国は例えば「聖戦」とかいう大義名分を身に纏って戦争を仕掛けるし、
民は例えば死刑を認めているし、認めてない者のほとんどは大切な者を殺されたら認めるようになるだろう。
人間はどう甘く見ても「殺人を場合(=損得)によって許している」ぞ。
757 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 09:01:01
「社会的な損失」というものが果たして存在するだろうか?
そんなものは存在しないのではなかろうか?
「私にとっての損失」や「あなたにとっての損失」なら、それは確かに存在している
そうすると「損失を受けた人たち」の「損の総和」というのが「社会的な損失」と
呼ぶモノの「実体」ではなかろうか・・実際それしか思い当らないんだがw
それを「社会にとっての損失」と呼び始めた途端、オカシクなるのであるw
知ってのとおり何を決めても利害は同時に発生するし、立場の違いも必ず生まれる
またひとつの損失にはたいがい別の利益が隠されている
人ひとり死ねば納税者がひとり減る代わりに食料もひとり分浮くと言う具合だ
利害は表裏一体、一時的・短期的には利益でも長期的には害ということもよくある
結論だが、「社会的な損失」とはよくいうが、その正体は
「利益より損失と感じた者が多数を占めている」という指摘に過ぎず
決して社会「全体」にとっての損失とまで言い切ることのできないものをそう呼んで
しまっている・・つまり印象操作ということになるが、どうよw
>>756 国にしろ団体にしろ個人にしろ、客観的に見て
「非難されない程度の正当性(被害など)がある」
ってのものもその「場合」では。
>>757 個人感覚を不確定多数の社会に当てはめるからじゃないか?
そもそもTVやニュース、新聞なんか構成は
お客さんに見られることを意識してつくられてるし(印象操作)、
「社会的な損失」がなければ「社会的な幸福」もないわけで、
それは多くが操作によって曲解されてるとは思う。
カオス的な利害の連鎖は、
「幸福⇒不幸」もあるだろうし「不幸⇒幸福」も、
また「幸福⇒幸福」、「不幸⇒不幸」もまたしかりかと。
759 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 10:41:43
>>758 「社会的な幸福」などというものは存在しない、といってるんだが
>>750 >それが善良な一般市民。
そう、これが「善良」なのが現状なんだよね。
こんな善良あってたまるか、
とは思うんだが「悪」を徹底するのもとても難しい。
ため息が出る。
>>749 ならないよ。みんながエゴイストなんだから、
「誰にとっても」重要性においては
自分>>他人(の集まり=社会・国家)
しかし、頭数では、自分と他人では比較にならない。だから
「誰にとっても」力関係においては
自分<<他人(の集まり=社会・国家)
結局、「誰にとっても」自分の利益を最大化したければ、他人(の集まり)の利益を
尊重しなければならない。だから「原則として人を殺してはいけない」と
決めている。何も不思議はないでしょ。
762 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 11:28:03
>>759 にとっては存在しないかもしれない。
だがテレビの前でニュースを見て被害者に哀れみを抱く人には、
おそらくあると思われる。
「社会的な幸福」が損なわれれば、自分にも被害がおよぶかも、
とか考えるのは当然なことじゃないか。
実質、そんな幸福に中身がないのは知ってる。
それとは別に、観念としては存在する。
764 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 11:39:20
>>763 ニュースで「社会的な幸福が損なわれる光景」を放映するのは不可能なんだよ
なぜなら映像は常に「具体的誰か」の不幸しか写せず
「社会なるもの」を映像化することはできないのよ
なぜかわかるか?
そんなもの「存在しない」からさw
社会なるものが存在するとオマイが錯覚してるだけ、ってこと
その曇った目で何を見ても同じことw
社会と無関係の幸福なんてあるのかね。
セックスも文学もスポーツもゲームもネットも漫画もアニメも映画も、
創作活動も学問も社会の存在抜きには成り立たないんでないの。
>>762 何を言っとるんだキミは?
>>761は自由主義(個人主義)の原理を述べたものだぞ。典型はアメリカだ。
北朝鮮のような全体主義の国なら、重要性において
自分<<他人(の集まり=国家・社会)となり、ただ一人、金正日氏にとってのみ
自分>>他人(の集まり=国家・社会)となる。
>>763 それ、俺の代弁。
テレビ内で放送されるのが、「社会的な幸福」じゃなくて、
テレビで放送されるのを見て自分のなかでつくる(錯覚)、
それが「社会的な幸福だと解釈している。
補足、ありがとう。
>>764 その考え方で、「存在している」といえるものは何?
それとも、「存在しているものなんてない」と言いたいの?
>>768 763だが、
人間の感覚とか、脳に伝達する電気信号とか、
そういうものを疑うのとはべつにして、
「社会的」というものの定義があいまいで、
輪郭がぼやけたものにしかならないと。
それに加えマスメディアの操作が差し込まれるから、
ほぼ虚構となっている、という意味かと。
771 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 12:26:08
>>766>>761 寝ぼけるなw
殺人は国連も「軍を率いて」行なってるし
国家も個人も「常に殺人を犯している」のが現実だ
そんな現実の中で「私は他人を殺しません」だと
「殺される可能性だけがある人生」になるだろがw
たわけた事言ってんじゃね〜ぞ、コラw
あとアメリカは国家が個人の銃の所持を認めており
「人は殺しても良い」と考える国に近いんだが、どうかしたか?
>>770 だから、あいまいでなくて、マスメディアの操作が差し込まれてなくて、
存在しているといえるものを何か挙げることはできるの?
まあ、殺しちゃいけないって定めときゃ、
違反者を気持ちよく罰することが出来るからね。
俗に言う、大義名分ってやつだ。
罰することが目的なのか。
違反者を罰して何がうれしい
775 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 21:01:23
自由に人を殺せるようになったら、自分も殺される可能性が大きくなるからね。
それだけは皆嫌だろう。
相互牽制以外に意味などあるわけない。簡単なことだろうにw
>>771 >そんな現実の中で「私は他人を殺しません」だと
>「殺される可能性だけがある人生」になるだろがw
キミは
>>761の何を読んでいるんだねw?
そういう人生にならないために、「原則として人を殺してはいけない」
という決まりを作ることに、「誰もが」同意するんだろうが。
みんな自分の利益のために同意しているんだから、殺した方が
自分の利益のためになると思えば、そんな決まりなんか無視して
殺すだろうさ。それ以外の奴らは、それが「原則」に
なってしまうと自分が殺される確率が高くなって困るから
「それはいけない、決まりは守らなければならない」といって
(国家権力を使って)罰しようとする。というか、国家というのは
ほとんどそのために作られているようなもんだ。アメリカだって
どこだって同じだよ。キミはアメリカには殺人罪がない、とでも
思っているのかw?
>>771 >殺人は国連も「軍を率いて」行なってるし
>国家も個人も「常に殺人を犯している」のが現実だ
国連は自前の軍隊なんか持ってはおらんぞ。
個人が「常に殺人を犯しているのが現実」というのは、どう見ても
間違いだな。殺人なんか一度も犯さずに死ぬ人の方が圧倒的に多い。
自分が同意した決まりを破って人を殺す人もいるのは、上に書いた
通りで不思議でも何でもない。誰だってキミと一緒で、自分の利益の
ために生きているんだから、自分の利益のためなら法律なんて破るさ。
キミは「自分は特別だ」とでも思っているのかw?
国家が「常に殺人を犯しているというのが現実」というのも、
言いすぎだな。もちろん国家というのは「場合によっては人を平気で
殺せる組織」として、多数の合意によって作られているんだから、
いざとなったら死刑にしろ戦争にしろ平気で人くらい殺すよ。
キミはそれに何か不満でもあるのか。キミはひょっとして昔風の
左翼かアナーキストか何かなのかねw?
778 :
534:2006/09/09(土) 22:01:29
人を殺したいと思う気持ちはいけない事か?
779 :
534:2006/09/09(土) 22:05:28
すべての事を多数決で決める事は良いか?
>>778 人を殺すことが一番の望みなら、それ自体のよしあしは決められない。
それよりも大事なことがあるのなら、一番大事なことをするのに、
人を殺すことが都合が良ければいけなくないが、
わるければいけない。
781 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 23:14:13
>>776 >「原則として人を殺してはいけない」という決まりを作ることに、「誰もが」同意するんだろうが。みんな自分の利益のために同意しているんだから
俺はそんなことに同意した覚えは無いぞ
俺の親も、俺の友だちも俺の知ってる誰も同意してないぞ
オマエはしたというなら、いつその事に同意したんだ?
誰にどうその同意を伝えたんだ? 言ってみろやw
>>777 オマイ、国連軍が多国籍軍によって編成される事も知らんのか
世界中で毎年一定の割合で個人による殺人が行なわれてるのも知らんのか
万引きが一定の割合で行なわれるのとオンナジよ
国家が毎年殺人を犯してるのだけは認めたようだが
なんだその左翼だのアナーキストだのおかど違いのワケワカメはw
782 :
考える名無しさん:2006/09/09(土) 23:43:16
おかど違いのワケワカメwww
783 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 07:02:37
>>779 微妙だよね。多数決でひどいことになることも多い。
例えば、学校のイジメなんかもそう。「大勢の意見が合えば、一人をいじめ殺してもいい」というのが多数決の理論。
それが民主主義。
784 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 07:10:13
でもそれって10代の倫理観だよな。
成人して民主主義をそう捉えてる奴もそうはいないだろw
785 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 07:30:47
>>784 郵政民営化とかもそう。
困るからやめてっていってる田舎の人もいる。でも、少数だから無視。
我が子を殺されても、相手が未成年だとろくに罰することもできなかった。
それではいかんだろ、という人が増えて多数派になれば法律も変わる。少数派のままなら、無視。
それが民主主義。
786 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 07:51:00
>>785 いやいや議決とかの話をしているんではなくて、ネガティブに捉えるのが10代の感性だということ。
社会人であればどうすれば自分に有利になるかを考えるべき。
787 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 08:02:17
>>786 ニュースで特殊法人が何兆円も無駄遣いしてますよ、とかいうのを見て、どうして無駄遣いをやめさせないんだろう。
民主主義だからしょうがないか。とか思う。それが10代の感性だというならそうなんだろう。
788 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 08:13:33
無駄使い○
無駄遣い×
変換ミスった。
789 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 08:57:17
「何故、(ボクというか、疑問者は)ひとを殺しちゃいけないんですか?」
ということを
>>1 は盛んに尋ねているのだとしたら――それは、キミが
誰かを殺しても構わない、とされるのならば、逆に、誰かがキミを殺すこと
もまた許されなければならないということになるからさ――と、いう返答で
十分ではないのか?
「それでも自分は、全然オッケーだお?」というのなら、誰かに殺められる
前に、自分でバンバン・・・・否、首でも吊って逝なくなれば・・・・
相手が如何に絶対多数派であっても、許されざる巨悪?ならば討つべし!!
(勇気と、知恵と、義や、仁 を持つ先人達は、皆 そうして来た――)
790 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 08:58:24
┌‐┴─ ヽ ┼┼
──‐ ./ ̄| ̄ヽ │ ヽ│ノ┬┌┐ヽ l二l二l ──っll ─┼─
| │ | 人 /│ ┼││ 三|三 / d
(____ ヽ_丿 ノ / \ ノ .人└┘_/ _/\_ (_ ノ
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791 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 09:09:30
しかし、現在のテロリストと呼ばれる者達が、皆、義侠の徒である
とは、とても思えない――。彼等に真の意味での正義があるのなら
極力、一般市民を犠牲にしてはいけない。一般市民の中に犠牲者が
出る事態は、極力避ける必要がある――のが、大原則、であった筈。
普通の政治家が、まつりごとを行う際の、注意事項?も同じ――
極力、広く、最大多数の一般市民の、為になる、利益になるような
ことをする――のが、大原則。
打てる手がもう 他には全く 何も無い、と、本当に言い切れる
までは、全ての民のことを考えて、細かくて、小回りの利くケアを
するべきであろう――というのが、 基 本 中 の 基 本 。
792 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 09:12:17
>>790 から 続く―― (但し、
>>791 は 欠番!!)
という、新・適法ルールが採用されて・・・・・
真実は こう ↓
┌‐┴─ ヽ ┼┼
──‐ ./ ̄| ̄ヽ │ ヽ│ノ┬┌┐ヽ l二l二l ──っll ─┼─
| │ | 人 /│ ┼││ 三|三 / d
(____ ヽ_丿 ノ / \ ノ .人└┘_/ _/\_ (_ ノ
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\|/
793 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 12:16:13
誰が殺人はいけないって言ってた?
法律上禁止されているだけで、その他に理由はないよ。
人間以外の生物界でも、同種の生物を殺すのはよくあること。
殺したところで罰せられない。
>法律上禁止されているだけで、その他に理由はないよ
俺は法律に優る道徳の実在を感じているがなぜ法律以外に殺人を禁止するものがないといえるんだ?
>>795 道徳的判断は認識と無意識の感情に左右されるので、法に比べて主観的で、個人差が結構あるんだよ
法はとりあえず日本に生まれたらほぼ強制的に適用される
793は、多分みんな法治国家にいるという前提で、更に法を守るつもりがある人が殆どだという認識が
一般的で説明する必要も無いと感じたから端折ってこのように言ったんじゃないの?
797 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 17:11:15
罰っていったいなんの為に生まれたのだろう。
そりゃおまいさん、自責で苦しまなくて済むようにさ。
799 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:00:05
>>797 罰したい者がいるからよ
>>798 逆だろ、自責で苦しまないのが人の常だから強制的に罰するんだろがw
性悪説もいいが、その考えは美しくないな。
罰が生まれた背景の説明としては片手落ちだ。
801 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:29:49
性善説は奇麗事過ぎると思われ。
799の言うことは理にかなってる。
802 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:32:13
社会的制裁として語るべきところを私的な復讐心前面に出されても理にかなってると思わないな。
803 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 19:52:05
>>800 オマイの美的感覚にかなうかどうかなんてドウデモイイw
罰は主に、罰したいという感情をなだめるために作られている
誰も罰したいと思ってないのになぜか作られたというような
曖昧模糊としたものじゃないよw
804 :
考える名無しさん:2006/09/11(月) 20:05:04
とにかくおまいら過去レス通読しろよな。
同じ話題をいつまで繰り返すつもりだ。
やっていいことと悪いことの基準はその時の状況下によって異なる。
これでいいか?
以下レスするなよ
基準は同じだから、状況によって判断が変わるんじゃないの?
807 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 00:50:41
うるせー馬鹿
808 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 14:22:25
人は殺してよいと教えてやったろ
国連も国家も個人もみな殺人を犯しており
ひとり殺人を誰かに禁止されるいわれは無い
809 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 15:59:05
>>808 例えばさ、お前が大怪我をして腕を切り落とさなきゃ死ぬとするじゃん?
そのときお前は腕を切り落とすことを承諾するよな?
だからといって、健康なときに、特に必要も無いのに、
腕を切り落とされることも承諾するか?
お前の理屈は、怪我で必要なときには承諾してるんだから、
健康なときに切り落としてもかまわないといっているのと同じだ。
戦争で殺して英雄が何たらとか言い出す厨が出てもほっとけ。
殺人を目的とした戦争なんてない、それは侵略・略奪という前時代的なものだ。
ブラックジョークも通じない世の中かってチャップリンも草葉の陰で泣いてるぞ。
そういう厨の相手する以外の意味がこのスレにあるとは思えないが・・・。
812 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 16:45:54
>>809 そのとき俺が腕を切り落とすことを承諾するかどうかは・・「わからない」
わからない事を「わかった事のように言う」のはやめとけ、アホw
813 :
811 :2006/09/17(日) 17:19:31
>>812 が・・・こういう厨は放置するしかないと思う。
814 :
クロ:2006/09/17(日) 17:35:17
「人を殺してはいけない」という考え方、
これは3通り発生理由があるのではないでしょうか。
@集団内における殺人の禁止の理由
適者生存のルールは個体以外でも集団でも同じです。
弱い集団は消え、強い集団は残ります。
集団内で殺人を認める集団より、認めない集団のほうが強かったのでしょう。
A自己防衛のための殺人の禁止
生き物はDNAを残したい、生きたいと思うのが自然です。
もし人間を殺しても良いというルールがあれば
自分を殺しても良いということにもつながります。
人間を殺してもいけないとすれば
自分を殺すことも禁ずることになります。
B本能的に殺人を嫌う
人間には他の生き物より優れた共感能力があります。
目の前の人がコップを持つ映像を見ると、
自分がコップを持つ時と同じような反応が脳に起こります。
人を殺すということは死を共感することにもなりそうです。
それで?
816 :
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ :2006/09/17(日) 17:43:11
,. -ー冖'⌒'ー-、
,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 /
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人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ
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! l |::::::| ` ̄ ̄´ |::::::|/
ノ\ |::::::| |::::::|
817 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 19:16:05
>>814 @は発生理由じゃなくて、
何らかの理由で殺人禁止のルールを適用した集団が、
結果的に生存に有利だったということだね。
まあ、単純に自分の協力者は殺さない・殺させない方が
いろいろと収益を上げ易いわけだしね。
@はルールが継承されていくとか、広まっていった理由かな。
818 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 19:43:53
>>813 完璧な同意・・ありがと♪
反論できない悔しさ、にじませて恥ずかしくないのオマイw
819 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 20:12:33
>>818 だよなあ。
それに、やられる側が承諾するしないに関わらず、
結局はやる側の都合次第なんだしなあ。
承諾しないっつーのが、相手にどんな都合があろうと
手出しさせない抑止力を伴ってるってんなら話は別だけど。
820 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 20:45:02
>結局はやる側の都合次第なんだしなあ。
元もtも、「(やる側の都合が)いけない」という意味じゃないの?
それと違う、どんな話をしてると思ってたの?
821 :
考える名無しさん:2006/09/17(日) 23:43:50
はいはい、都合次第ってことでFA
822 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 02:30:14
殺して都合がいいことなんてめったに無いんで無いの?
一般論としての「殺してはいけない」ってそういう意味だと思うけど。
823 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 07:30:50
>>822 殺してはいけないという「一般論」なんか一度も聞いたことが無いぞw
「一度も聞いたことが無い」ものを一般論と言うか?
そういうの与太話とか言うんじゃないの?
824 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 12:50:04
>>823 つまり、君は、テレビも見ないし、親や、世間の人とも会話しない
ヒッキーということ?
825 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 12:53:12
>>824 ひとに言われた事をたらい回しするのやめてw
826 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 13:34:18
まあ、何が一般論か、というのはある程度主観の問題だけど、
「人を殺してはいけない」が「一般論」として通用してる、という認識を持ってない人
というのは、どういう社会生活を送ってるのだろうな、と。
827 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 14:14:10
>>826 「人を殺してよい」と考えて暮らしてるに決まってるだろ
そうでなくて、いったいどうやって
「国連や国家また個人の殺人が現に行なわれてる社会」
の説明がつくよw
銃や兵器が何のためにあると思ってんだよ、オマイはw
828 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 14:21:20
銃や兵器の目的は第一に抑止力だよ。
バカに刃物とはこういうことを言う。
829 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 14:33:44
>>828 >銃や兵器の目的は第一に抑止力だよ
ホント目出度い野郎だな
殺人行為が抑止力だって自分で認めちゃったぜ
おまいがソレ認めたら議論にならねぇだろがw
830 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 14:36:13
828の意味もわからんようではマトモな社会生活を営んでいるとは思えない。
抜き身で公共の場をうろつくなよ。
831 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 14:49:08
>>830 真性だな、おまいってw
銃や兵器を使って国連や国家、個人が何をしたと思ってんだよ?
殺人以外にないだろが、アホ
832 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 14:57:35
>>827 >「国連や国家また個人の殺人が現に行なわれてる社会」
>の説明がつくよw
そんなの簡単じゃん。
「一般論として殺してはいけないが、止むを得ない(特殊な)場合
は殺さざるを得ない。」
だろ。
逆に、
「 誰 も が 」
「人を殺してよい」と考えて暮らしてるとしたら、
人口一億人の日本で年間に殺人が千数件しか発生していない
ことが逆に説明できないだろ。
833 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 15:04:23
>>831 何のためにあるのか、という問いかけに第一に抑止力だと答えたわけだが。(オレは826じゃないが)
それを使った結果どうなるのかという問いなら最初からそう言えば宜しい。
自分で設問の意味を変えてしまったら議論になんかならない。
ところで
>>828の意味が本気でわかってないみたいだな。
834 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 15:07:55
>>832 アホかw
オマイが、国連や国家また個人は「事情があれば」殺してよいと
認めちゃったら議論にならないだろ
「事情はどの国にも誰にでもあるもの」・・なんだからさw
実際の世の中が「人を殺してよい」という論理で運営されてるにもかかわらず
殺人が千数件しか発生していない・・ということは
「殺してよいと考える事」と「実際に殺す行動に出る事」とは必ずしも一致しない
ということだろ
「思いと行動は一致する」と無根拠に考えるオマエが馬鹿だってことなんじゃないのw
835 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 15:19:56
>>834 まあ、いいたいことはわかるけどさ。
君のいう「人を殺してよい」の「よい」と、
このスレの質問の「どうして人を殺してはいけないのですか」の「いけない」は、
排他的に対立してるんだろうか。
つまり、君のいう意味で「よい」ということが仮に事実だとして、
このスレの質問における「人を殺してはいけない」は否定されるんだろうかね。
836 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 15:26:13
>>834 >「殺してよいと考える事」と「実際に殺す行動に出る事」とは必ずしも一致しない
>ということだろ
ということは、実際に殺人が行われていたとしても、「殺してよいと考えている」といえないということですよね?
837 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 15:41:14
スレタイを平たく解釈すると
「どうして人を殺してはいけないのですか、殺してもいいでしょ?」・・だ
この問いに対し、現実をもとに考えると「殺していい」と言わざるを得ない
あらゆる機関や人々が直接・間接いろんな形で殺人を行なってるのが
現実社会だからね
逆に現実を無視して「どうあるべきか?」と、ありもせぬ空想を広げるなら
「いけないんじゃないの?」・・という無責任な発言となる
そこで「現実を基盤に据えて現実を直視する」か、それとも「目をつぶる」か
ドチラの立場に立つかだが、「現実を無視するなんてとてもできない」という
のがオイラの立場
838 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 15:50:31
>>837 とりあえず、君において、「していい」というのはどういう意味?
>>837 それはたとえば、
「どうして嘘をついてはいけないのですか、ついてもいいでしょ?」
に対して、
「ついていい」と言い、それはいろんな人が嘘をついているから、
現実を考えると嘘をつかない人がいるわけがない、と言うようなもの。
「ついてはいけない」と言うのは非現実的であり、
無責任に他ならない、ということか?
こういったものは現実はもちろんだが、理想・目標がないといけないんじゃないか?
「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」
それが蔓延するなら、法も行政も意味がないだろ。
たとえがおかしかったら、すまない。
840 :
考える名無しさん:2006/09/18(月) 16:20:09
機関や個人が殺人を容認し実施するのは、殺人が“善”であるか“快”であるか
のどちらかの場合でしょう。
841 :
考える名無しさん:2006/09/19(火) 23:39:06
842 :
考える名無しさん :2006/09/19(火) 23:43:17
↓こうなると人も殺すだろうよ。ぴか恐るべし・・・。
262 :純一 :2006/09/19(火) 20:58:05
ぴかぁ〜は資産家の息子ですよ。
263 :純一 :2006/09/19(火) 20:59:34
月5万ぐらいは貰ってるみたいですね。
264 :純一 :2006/09/19(火) 21:01:48
ぴかぁ〜の両親とは基本的に不仲ですね。
彼は大学には行っていましたが、最近は大学時代の友達の影も見えません。
友人もおそらく結婚したか、ぴかぁ〜と親交をとらなくなったのでしょう。
265 :純一 :2006/09/19(火) 21:04:00
近頃ぴかぁ〜はネット依存による誤字・脱字も増えました。
年齢も今年で28歳、あと二年もすればバイトもできないでしょう。
しかし、彼はこのまま進むことでしょうがね。
843 :
考える名無しさん:2006/09/20(水) 09:02:16
>>842 ぴかがだれかを殺すという意味? ぴかが純一を殺すという意味?
それとも純一がぴかを殺すということかな?
>>837 規範というのは、現実にやる人がいるから「〜してはいけない」と
決める必要があるのであって、人を殺す人がいないのなら、そもそも
「人を殺してはいけない」などと決める必要がない。
殺していい、と主張したいのなら
「あらゆる機関や人々が直接・間接いろんな形で殺人を行なっていて、
しかもそのすべてが正しいとされている」と指摘しなければならない。
もちろん、そのような事実はないが。
845 :
考える名無しさん:2006/09/20(水) 20:42:53
殺してはいけない!と言った奴は誰だ?
戦争では人を殺すことを求められるし、
自分の部屋に包丁持った侵入者がいて、自分の手に拳銃が握られていたら撃つのは自然ではないかと思う。
まあ前提が間違っているので永遠に答えにはたどり着かないわな。
まだ戦争が人殺しの手段だと思っている奴がいるのか。
物騒な世の中だなあ。
847 :
考える名無しさん:2006/09/20(水) 21:01:02
俺が不思議なのは殺すという願望が少なからず人の心にあることだ。
だが種族同士の殺しはよくないという意識があるのも事実だ。
つまり人という個体が地球上に生き残るには数を増やし過ぎてもいけないし減らし過ぎてもいけないということ。
この考え方はどう?(哲学板って2ちゃんにあるんだね\(◎o◎)/)
>>845 自分の部屋でなく、包丁持った侵入者など現れず、自分の手になにも握られていなかったら?
条件が多すぎ。
そんな野郎が現れて自分が銃を持ってた場合、
俺なら野郎の太ももを撃つが。
849 :
考える名無しさん:2006/09/20(水) 21:23:49
スレタイが主題としては曖昧すぎるから、捉え方に個人の思想が反映されて大変面白い。
その敷居の低さの分、厨ぽくなるのは仕方ないだろうw
850 :
750:2006/09/20(水) 22:36:12
人の生を奪うことですから殺人は、その行為が殺された本人に
とってどんな意味を持っているかが問題になりますね。
851 :
750:2006/09/20(水) 22:37:04
自分が殺されたと想定すればどんな侵犯行為が行われていると
思いますか?
852 :
考える名無しさん:2006/09/20(水) 23:53:03
>>850 ぜんぜん関係ない。
その問題について考えるのであれば、設問は、
「どうして人は殺されてはいけないのですか?」
でなければならない。
853 :
考える名無しさん:2006/09/20(水) 23:57:12
>>848 枝葉への突っ込みなので気にしてくれなくていいが、もし、凶器を持った
侵入者に襲われそうになったとき、太ももを撃つ余裕はないだろう。的の
大きい上半身を撃つのが自然。よほど銃に使い慣れていても、咄嗟の際は
そうするはずだ。カッコつけて急所をはずすのは、時代劇で峰打ちにしたり
するのと同じで、生き死にがかかっている場合はありえないだろう。
人間それぞれには生存するという欲求があるから、殺人という形でそれを阻害する個体は排斥する必要がある。
そのために社会で刑罰を定め、殺人者の出現を抑制、殺人者を排斥する。
戦争なんかは自己保存の欲求が国や民族レベルになってて、敵側を同じ種類の個体とはみなさなくなってる。
と答えるようにしてるが、道徳的なものとして答えてないから本気で質問する人を納得させるにはちょっと苦しい気もする。
グロいから。きれいな人もグロい死に方したらグロいから。
単にグロいから。
殺しても良いが、殺されてはならない
死体のでない人殺しなんて息をするようなものだ。
死体が出るのはそれに比べたらレアだから特別扱いされるし、
俺はこんな事態を招くほど馬鹿じゃないと安心だってできる。
このスレッドを立てた奴はきちんと全レスをよんでいるのか問いたいんだが・・・
正直誰かまとめろよ。特に立てた奴は責任を持ってさ。
860 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 18:50:52
真の意味での善悪は無い。
有るのは善悪を押しつけられる権力差である。
それは共同体の性質を安定させるために利用され、
その結果として現在の法律が有り社会的な善悪が有る。
だから誰かが共同体の性質を揺さぶりたいとき、
例えば共同体自体の権力を強めたいとき、
例えば共同体におけるヒエラルキー下位層が上位層に転じたいとき、
戦争が起こり、
クーデターが起こるように、
善悪のルールはルールを利用してきた者の手によって容易く破られる。
以上のような「便宜的」に過ぎない善悪を道徳教育によって「真理的」と勘違いさせると、
共同体の日常は安定を得る。
それが「なぜ人を殺してはいけないのか」の解答だ。
そのような都合に騙されて、
例えば殺人者を「真の悪」とし、
相対的に自分を「真の善」だと思い込む輩は、
犯罪を犯して損した者と同レベルであり、
犯罪を犯して得した者より低レベルである。
自分が得するなら当然(自分自身でさえも)殺すべきだ。
861 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 19:23:12
真の意味での善悪はある。真実は人間が有する霊性(雰囲気や生気)、即ち生命力の良性に起因する。殺人はそれに遡行する行為である。善悪の良性はあり悪性は遡行である。論理は遡行をも善となし悪性の論理は遡行をも薄らさむい悪性を放つことがある。真実は不虚である
862 :
860:2006/09/22(金) 19:32:01
>>861 問答無用で「人間の霊性」が「良性」とされてるのは一体何が起こったんだ?
「人間は良性」だから「人間は性善」、よって「善」は在り、つまり「悪」も在る、とでも言いたいのか?
アホなトートロジーを語るな(笑)
863 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 19:51:25
トートロジーではないのが生命だ。何が起ころとここまでうまくいってる。よく見えるでしょう先の先
864 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 20:07:46
法律によって禁止されているから。が端的な答えだと思います。
法律によって、国の秩序を安定させ、混乱を避ける効果があるのだと思います。
法律によって、殺人が認められているのであれば、やってもいいのでしょう。
ただ、歴史的に考えて、国を統治する上で殺人を認めると乱れてきたという理由でもあったのではないでしょうか?
仏教の教義のなかに殺人を肯定するように思えるところがある。真宗の用語にじねん(自然)という言い方がある。じねんは流れのままに自我意識をもっていくというやり方だけどこのような世の中には逆行がある。なかに殺害を肯定している箇所があるかもしれない。
866 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 20:29:44
867 :
考える名無しさん:2006/09/22(金) 23:59:48
アホか?
ちょっと待って。
そら人殺したらあかんやろ…
じゃあ人に殺されたいか?
殺されてもいいか?
殺されたくないやろ?
じゃあ自分がされて嫌なこと人にすんな。
もし、人に殺されてもいいと思うやつは【今】の世の中の人間ていう定義から外れてる。
そういう奴は
人殺してはいけないのか?
じゃなくて
なぜ人殺したいと思うのか考えろそっからや
868 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 00:02:50
過去レス読んでから書けよ低脳w
レス番867でそれしきの意見が出てないとでも思ってるのか・・・
869 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 00:04:44
デスノートがあったら使いまくると思う人いる?
870 :
860:2006/09/23(土) 00:27:03
>>867 自分がされて嫌なことはしてはならないので、貴方は大学受験、就職活動他、あらゆる試験に合格してはならない。
あらゆる勝負事、ジャンケンでさえも負けるか行わないかのいずれかを選択しなければならない。
871 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 11:06:09
>>869 デスノートを使うことは悪である。善悪には手段の善悪と目的の善悪の二種類がある。
悪人を鏖殺して治安をよくしようとする目的は善であるとしても人を簡単に殺せるデスノートという手段は悪である。
悪は大きく分けて(1)破壊、(2)虚偽、(3)私物化、の三つがある。
「目的が悪である」とはこの三つのどれかを意図していることをいう。
「手段が悪である」とは手段にこの三つのどれかが伴うことをいう。
デスノートを使用する場合、(3)の私物化が該当する。
デスノートは名前を書き込んだ人が死亡する魔力があり、これを持つ人間は殺人を思うままにする力を手にいれたに等しい。
日光(ライト)という青年の一存で人が死ぬとはつまり生死の私物化である。
私物化を伴う手段は悪である。デスノートは生死を私物化する。デスノートは悪である。
872 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 11:13:43
>>871 >悪は大きく分けて(1)破壊、(2)虚偽、(3)私物化、の三つがある。
それらはなぜ悪なの?
873 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 11:28:28
私物化に該当し、一般に悪(あるいは問題がある)とみなされているものには
賄賂(政治の私物化)、貧富の格差(財物の私物化)、性的虐待(男子生徒の肛門の私物化)、
コーディネーター(遺伝子の私物化)、世襲(職務の私物化)、タバコ(煙を流すことによる空間の私物化)
などがある。
これを認めないのはなぜであろうか?それは「力の否定」である。
ナチュラルはコーディネーターを憎む。それはコーディネーターの体力・知力を恐れるからである。
嫌煙者は喫煙者を憎む。それは喫煙者の出す毒物を恐れるからである。
貧民は富民を憎む。それは富民の搾取を恐れるからである。
生徒は教諭を憎む。それは教諭の陰茎を恐れるからである。
私物化は力のある者が力の無い者を犯すことで行われるという性質をもつ。
874 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 11:42:29
しかし力の無いものはそれを許さない。ここに善の根源がある。
善とは「力の無いものを守る」ことであり、悪とは「力の無いものを犯す」ことである。
力の無いものは善に頼らなければ生きられない。しかし力のある者は善がなくとも生きられる。
むしろ善によって抑制されるよりは善がないほうがよく、つまり悪であるほうが都合がよい。
悪を行うのは常に力のあるものである。幼児を殺すのは常に大人であり、人民を欺くのは常に為政者である。その逆はない。
875 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 11:55:45
善とは「強いもの」で、悪とは「弱いもの」だよ。
強いから善なのであって、弱いのであれば善ではない。
876 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 12:02:18
どうして人を殺してはいけないか?
という問いは強者と弱者の二つの立場で回答が逆になる。
強者:別に殺していいじゃん?
弱者:殺すな
強者は自分が殺す側であるから賛成し、弱者は殺される側であるから反対する。
そして弱者を守ることが善であるから殺人は悪である。
平凡な結論であった orz
倫理とは善を求める弱者と悪を求める強者の闘争である。
877 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 12:10:17
「別に殺していい」と思ってる者が、強者だとなぜいえるのだろうか。
例えば、歴史に名の残るような英雄豪傑や武術の達人は、
「別に殺していい」と思っていただろうか?
878 :
クルーゼ:2006/09/23(土) 12:14:18
>>875 >善とは「強いもの」で、悪とは「弱いもの」だよ。
人の業!己が強き者と思う愚かな性よ!その心が滅びをもたらすことがなぜ分からん?!
879 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 12:16:44
これじゃー世の中善と悪しか居ないみたいな言い草ばっかじゃん
普通に「自分の正義」と考えれば?
ぶっちゃけ宗教やってようがなんだろうが「自分の正義」でみんな行動してるわけだし
その行動が自分で正しいからやってるわけである。
後は言わなくてもここの板の人ならわかるはずだ
880 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 12:23:44
>>878 「誰か」強いか弱いかはともかく、滅んだのならそれは弱かったんだよ。
881 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 12:37:43
>>879 近代は主客と公私の概念によって正義から目をそむけた時代である。
正義や道徳や倫理やは「主観的」「自分の正義」と呼ばれて論ぜられなかった。
世界の中心ならぬネットのはじっこでちっとばかし義を叫んでもばちは当たらんよ。
>>877 >歴史に名の残るような英雄豪傑や武術の達人
強者であって弱者の味方をした人も稀にいたということだべさ。
でも強者に悪人が多いというのは変わらなかんべさ。
>>880 >「誰か」強いか弱いかはともかく、滅んだのならそれは弱かったんだよ。
結果と性質を転倒させちゃあきませんぜ旦那。
因果関係は強い→勝つであって勝つ→強いじゃありません。
頭がよい(性質)からテストの点数が高い(結果)のであってテストの点数が高いから頭がよいのではありやせん。
まじめに働く(性質)から貯金が多い(結果)のであって貯金が多いから勤勉なのではありやせん。
882 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 12:39:38
>>881 歴史に名の残るような英雄豪傑や武術の達人より強い悪人は多かったの?
883 :
877:2006/09/23(土) 12:43:03
というか、何か勘違いしているな。
善は強く、悪は弱いのだよ。
「強い悪人」というのは「背の高い小人」と同じく言語矛盾だ。
884 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 12:55:57
>>883 >「強い悪人」というのは「背の高い小人」と同じく言語矛盾だ
なぜ強=善、弱=悪といえるのか伺いたい。
私見としては前のレスに述べたように弱者は善を主張し、強者は悪を主張するものであるが。
885 :
877:2006/09/23(土) 13:02:00
>>884 「善でるという主張を行うという行為が観察される」ということと、
「実際の善である」ということは別のことでしょう?
私は、「実際に善であるのであればそれは悪よりも強い」と
言っているのであって、あなたの主張と対立点があるとは思えないが。
886 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 13:03:37
強いものには強いものの、弱いものには弱いものの悩みがある。
それを分かってあげずに自分の主張するのが悪に近いもの、
分かってあげられるのが善に近いもののような気がする。
887 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 13:16:44
>「実際に善であるのであればそれは悪よりも強い」
>>876でいう「強い」は
(1)体力、兵器、集団など持っており物質的に強い
(2)金や権力を持っておりある人を社会的に抹殺できるという意味で強い
(3)知能が高かったり法律に詳しかったりして人を陥れることができる意味で強い
という意味で使っているが、
>>833でいう「強い悪人」の「強い」とずれている気がする。
何となく分かったような分からないような微妙な状態でレスをして申し訳ない。
888 :
877:2006/09/23(土) 13:47:17
>>887 >
>>876でいう「強い」は
私の言う「強い」とは、あえてひとことでいうなら、
「争ったならば勝つ」というような意味だけれど、
つまり、あなたのいう「強い」とは、それとは違う意味なのか?
889 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 14:05:20
馬鹿なのオマイラw? 善は善、強いは強いだろ
授業中、教科書の陰で弁当食ってんじゃね〜ぞ、こら!
890 :
877:2006/09/23(土) 14:13:38
上手は上手、旨いは旨い、だけれど、
上手な料理人の作った料理は下手な料理人の作った料理より、うまいでしょ?
善は善、強いは強い、だけれど、
善であるものは悪よりも強いのですよ。
891 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 14:25:24
みんな主観で言ってるから、人によって何が善で何が悪かのズレが
あるんですよ。
892 :
877:2006/09/23(土) 14:55:07
どのようにズレていますか?
893 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 15:20:53
>>1 その質問に対する答えは、法律で決められているから、で十分だ。
あとは、何故法律があるか、と考えれば良い。
人殺しに限らず、罪や善悪なんて人間が決めた事だ。
更にもう一つ違う意見。
生物は皆種族保存の本能を持っている。
その本能のために人は人を殺す事を罪と認識するのだ。
しかし、神が死んだ事がニーチェに告げられて以降
本能に従う事で善悪を判断するという事が出来なくなった。
いや。善悪という価値判断そのものが無意味となった。
しかし、そんな今だからこそ確信できる事がある。
それは、神や本能に頼らない、
理性による判断が可能になったという事。
理性とは、人間の中でも、最も美しい面でもある。
それが本当の愛を確信できる理性だったらの話だが。
問い:どうして人を殺してはいけないのですか?
答え:不自然だから。
895 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 16:03:22
896 :
877:2006/09/23(土) 16:32:42
>>893 >人殺しに限らず、罪や善悪なんて人間が決めた事だ。
善悪を人間が決めてしまえるのですか?
897 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 16:39:07
>>896 >善悪を人間が決めてしまえるのですか?
アホーw 善悪を「猿」に決めてもらう馬鹿がどこにいるw
898 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 16:41:40
ドストエフスキーが罪と罰で扱った課題だよね。
結局、どうして殺してはいけないと結論つけてたかな?
思いだせん。
たぶん良心の呵責、神の前での罪の意識・・・・
899 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 16:57:47
自然界では殺す=食べる これはOK
それ以外の殺戮は不自然。
900 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 17:16:15
>>896 善悪が概念でしかない限り、善悪を判断するのは人間の主観以外の何物でもない。
もう一度言うと、「善悪は存在しない」故にそれを定めた人間の「主観」が善悪を決めている。
質問しますが、貴方は善悪は誰が決定すると思いますか、神ですか?
それとも何か別な、言語云々では理解できない「意志」か何かですか?
901 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 17:16:51
>>899 自然界にも食べない殺しは普通に存在しますが。
902 :
877:2006/09/23(土) 17:37:56
>>900 >善悪が概念でしかない限り、善悪を判断するのは人間の主観以外の何物でもない。
光の速度も、円周率も概念でしかありませんが、
これらも、人間が勝手に決めてしまったものなのですか?
903 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 18:29:49
>>902 光の速度・円周率は、定義の積み重ね上に成り立っています。
光の速度・円周率などは、ある現象を分かりやすく表すために
記号(文字・数字)で定義しただけに過ぎません。
では、善悪に定義と呼べるようなモノがありますか?
904 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 18:48:50
>>903 善悪という言葉・・定義も知らずに使ってたのかw
905 :
877:2006/09/23(土) 18:52:38
>>903 >では、善悪に定義と呼べるようなモノがありますか?
ある目的について、ある事柄を見たとき、目的を適えるものが、
その目的について善で、損なうものが悪ですよ。
906 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:04:54
>>904 。
>>905 解読に自信がありません。日本語でお願いします。
出来ればもっと分かりやすい文章で。
ついでにこの質問も加えておきます。
「その定義は誰が決めましたか?」
「その定義は主観ではありませんか」
907 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:08:01
>>904 貴方には、「何をもって善とするか」という質問を置いておきます。
908 :
877:2006/09/23(土) 19:10:24
>>906 >解読に自信がありません。日本語でお願いします。
私の日本語力ではあなたとは、これ以上議論を継続することは無理なようです。
力不足ですいませんでした。
909 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:16:23
910 :
877:2006/09/23(土) 19:21:22
>>909 >自然界(食物連鎖)=善
>人間界=悪
なぜですか?
911 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:24:46
>>907 >「何をもって善とするか」
オレの善は=オレにとって都合のよいもの・・をいい
オマイの善は=オマイにとって都合のよいもの・・をいう
ほかに「善」の解釈は無い
912 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:27:55
>>909 自然界、人間界ですか。
あなたの論理で行くと「人間の存在=悪」
となりますが、そこまでは良いですか?
913 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:28:27
>>910 自然界(食物連鎖)=自然
人間界=不自然
自然=善
不自然=悪
914 :
877:2006/09/23(土) 19:29:44
>>912 >あなたの論理で行くと「人間の存在=悪」
私の論理でいくと、なんらかの目的を設定しない限り、
ある事柄を善とも悪とも(あるいはそのいずれでもないと)いえませんよ。
915 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:29:55
916 :
877:2006/09/23(土) 19:31:23
ああ、
>>914 は誤レスですね。すいません。
>>913 >自然=善
>不自然=悪
なぜですか?
917 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:34:16
>>908 毒のある言い方をしたことを謝ります。
すみませんでした。
>>911 おめでとう、パーフェクトな「主観」です。
918 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:37:15
>>916 私は世界は平和なほうがいいと思う者です。
この発想に立って物を言っていますが
あなたはどうでしょうか?
919 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:39:57
>>917 他人のパーフェクトなレスを高みから見下ろして、
己をパーフェクトと錯覚するのはやめましょうね。w
>>900 >善悪が概念でしかない限り、善悪を判断するのは人間の主観以外の何物でもない
>もう一度言うと、「善悪は存在しない」故にそれを定めた人間の「主観」が善悪を決めている
・善悪を判断するのは人間の主観以外の何物でもない←認識論
・それを定めた人間の「主観」が善悪を決めている←存在論
この二つは異なる。
善悪を判断するとはあるものが善と悪のどちらの性質をもつかを認識することである。
主観が善悪を決めているとは善悪は主観によって存在する(ある人から見れば善があるしある人から見れば善がない)という意味である。
認識が主観によるからといって存在も主観によるとはいえない。
蛇は概念である。細長いものが蛇であるかは人間の主観によって判断される、
ゆえにこの細長いものが蛇かどうかは人間が決める。
ある人によればこれは蛇であるしある人によればこれは蛇でない。この細長いものは蛇でありかつ蛇でない
という説を認めるか?
921 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:42:55
922 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 19:53:29
>>915 「人間の存在=悪」
と感じるのは貴方の自由ですが
個人的に純粋に質問があります。
貴方の死は善ですか?
また、それとは関係なく
その善悪判断を客観的であると主張できる材料がもっと欲しいです。
>>888 >「争ったならば勝つ」
では善=強、悪=弱、というのは善=争えば勝つ、悪=争えば負ける、と解釈される。
・争えば勝つ→善
・善→争えば勝つ
のどちらであろうか?
前者ならば勝った者を善と呼んでいるだけに過ぎないという立場で善の概念が無意味になる。
後者ならば
>>873にあるように現に暴力が存在するわけで善人が常に悪人に勝つとはいえないのではないか。
>>922 >貴方の死は善ですか?
鳥葬なら善
火葬なら悪です。
925 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 20:00:28
>>904・
>>919 僕は、
>>900で
人間の「主観」が善悪を決めている
と主張しているんです。
揚げ足を取るなら、せめて内容を把握してからにしてください。
>>37 最もしっくり来た回答はこれかな。
人を殺すことはいけないことではない。
但し人間は殺されることを恐れ、それらが大部分である内は
それらが定めた「人を殺しては成らない」というルール(文化)
に従わなくてはならない。従うというのは勿論殺した後の処罰の問題。
幾ら非難されようと、鬼畜と罵られようと大量虐殺も殺人もやりたければやればいい。
というか可能ですらある。
>>926 多数決っちしゃーしかね。当たり前のこつば言うてどげんするね。
深かこつば論ぜんといかんばい。
>>927 つまり回答としては「殺してはいけない理由など無い」ということ。
「殺してはいけない」という理由を論理的に証明しようとするから、此処まで議論が拗れて結論が出ないのではないかな。
929 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 20:26:46
殺してはいけない理由は食物連鎖の頂点だからっと言う極論はまずいでしょうか
930 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 20:31:37
>>920 遅くなって申し訳ありません。飯炊いてました。
とりあえず端的に結論を言います。
これは極論なので御幣が生じなければいいのですが。
僕は善悪の存在自体が無いと言っています。
善悪とは、あくまで主観の定めるところであってそれ以上でもそれ以下でもない。
貴方の論では
>善悪を判断するとはあるものが善と悪のどちらの性質をもつかを認識することである
ということらしいが、そこまでは同感です。
ただ僕の論を更に言うと、善と悪とは実体を伴って存在するものではないので
>認識が主観によるからといって存在も主観によるとはいえない
という意見には賛成できません。もともと存在しないからです。
蛇は違う。まず存在がある。
僕が長いと思おうが思わなかろうが、蛇(認識としての蛇は置いておいて)は存在する。
931 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 20:57:44
カッコイイ。。。誰か反論か別の論が見たい
932 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 20:59:01
。。。すいませんでした様な気がします
>>929 理由としては弱いんじゃないか?
ヒエラルキーのトップにいるから、殺す以外の愛玩として飼うことができるんだろうが。
それに「殺していけない」というのは倫理観であって、十人十色。
論理としては「殺していけない」は、たしかに存在しないだろうな。
これは論理には主観を差し込んではいけないから、とも言える。
社長と一緒で、トップに立つと配下の者には配慮しなきゃならない。
ただ社長にも色々いるから、給料の加減は社長次第。
だからトップの人間が、殺すことはいくらでもできる。
しかしここで重要なのが、「可能なことを、すべてするわけではない」ということ。
その制限をするのが、倫理観。
>>928なんかは、土台の部分である「論理」の部分を言ってるんだろうな。
934 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:17:25
食物連鎖を例にあげたのが間違いだったかもしれません
コレも倫理にあてはまるかも知れませんが飼うと言う行為は殺すに近くなる行為なのでなんとも罰に近い様な気もしますが必要性があるとも思えます
ただコレを必要性と見た場合に僕にはなんとも人が人を殺すと言う行為に対して哲学として見ると哲学の考え方からそれる様な
それを善悪に置き換えるとなんだか訳がわからないので
食物連鎖を例にあげました
むちゃくちゃですみません
935 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:29:25
絶対的な善悪が存在すると信じている馬鹿ってある意味凄いと思う。
どう生きたらそこまで知性から掛け離れるのか不思議で仕方無い。
936 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 21:47:03
善悪と言う所に論点を置く優しさは哲学的です
937 :
877:2006/09/23(土) 21:49:00
>>918 つまり、「あなたの思う(おそらくは求める)平和」にとってはそうであるということですね。
>あなたはどうでしょうか?
私は、とりあえず、
>人間界=不自然
とは思いません。
そして、私の求めるものについて善である事柄は、同じものを求める人たちにとってのみ善であり、
そうでないひとたちにとっては違うと考えているのです。
つまり、私にとって(私個人が求める目的について)善であるということは、
他の人たちにとってもも条件に善であるとはいえないということです。
938 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 22:01:00
平和・・このひと言で社会党は自らを消し去ってしまったw
(ピンフと読むな!)
キーワードは「安全」だったのに・・
ノ〜タリンに政治はしょせん無理なのよ
この辺オマイラにゃわからないだろから、もう寝ろ
939 :
877:2006/09/23(土) 22:02:01
>>923 おそらく後者です。
>後者ならば
>>873にあるように現に暴力が存在するわけで善人が常に悪人に勝つとはいえないのではないか。
>>873 は、「一般はどのようなものを悪とみなすか」という話で、
善悪そのものの話ではありませんね。
現に暴力が存在するとして、暴力はそれ自体では善とも悪ともいえません。
ですから、「暴力が存在する」という事実だけをもって、
「悪が善に勝つ」ということはできないと考えます。
940 :
933:2006/09/23(土) 22:09:00
>>934 たしかに「飼う」というのは、自分の精神を癒すというなどの自己本位な名目で
生殺与奪をすべて意のままにすることをかなりオブラートに包んだ言い方あと思う。
ただ代用できるものがあるとして、大した必要性はないと思う。
選択肢のひとつ、程度なんじゃないか?
>.>935
疑うってことを知らないんだろう。
懐疑主義とまでは至らずとも、少し考えると人間の感覚には行き着くだろうし、
そこまで考えてない人間も、少なからずいるってことなんだろうな。
>>936 ロマンスを求めるかどうかが、文学と哲学の最大の違い
942 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 22:20:43
940うん。考えたら大してないですね
943 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 22:58:08
938
人を殺してイイかという事に法律と今の制度との
安全に対しての哲学を
944 :
考える名無しさん:2006/09/23(土) 23:11:59
失礼しました
945 :
考える名無しさん:2006/09/24(日) 01:47:28
>>937 人間中心の考え方では心理には辿り着けない。
人間が考える主義は全部間違っていると思われ。
天然自然を見るしかない。
946 :
877:2006/09/24(日) 02:00:44
>>945 具体的に間違っている例を挙げられますか?
947 :
考える名無しさん:2006/09/24(日) 11:45:14
941このスレは文学とも哲学ともとれますね
948 :
考える名無しさん:2006/09/24(日) 19:32:51
とれね〜だろw
949 :
考える名無しさん:2006/09/24(日) 20:10:26
社会性を持つ動物は、必要以上の攻撃性を持つ個体を排除する
酷いときは、集団で噛み殺しちゃう事もあるよ
社会性と言うか、同じグループで固まるのは、外敵から自分の個体や
同系列のDNAを持つ同族を守ために有利だから
安全のために寄り集まって、社会を形成してるのに、その社会内部で
安全を脅かす個体が生まれたら、社会その物の存続だけじゃなく、存続する
一個体である、自分自身への安全も脅かされることになるんだよな
もし、殺す自由があるなら、安全装置としての社会も機能しなくなり、
野生の中では、自分自身も殺される可能性が飛躍的に高まる
ましてや人の場合、文明が現れた初期から隣接する土地を巡って、大勢での
殺し合いの戦争を繰り返して来た。んなもん、より強力な社会を形成して
生き残ってきた人間だもん、同族殺人への禁忌は、動物より強固なもんになるだろ
と言うわけで、人が猿やネズミの時代から、同族殺しはタブーとして
遺伝子に書き込まれた事なので、本能に近い部分の話になるんでね?
全ては自分の為に存在する。
だから大事にする
人を傷つける人は、自分を大事にしていない
951 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 01:19:29
資本主義社会では人が資本ですから
人を殺すと資本減るということで駄目ということを
本で読んだことがあります
952 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 10:13:28
> 人間が考える主義は全部間違っていると思われ。
>天然自然を見るしかない。
ありえねぇーーー
魚が見る天然自然は、魚眼レンズをう通したもの。
人が見る天然自然は、人から見えるものだけ、さらにそこからしか思考できない。
神の目で自然を観察できると思ってる人は妄想です。
953 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 10:19:27
>人を傷つける人は、自分を大事にしていない
他者を傷つけることと、己を大事にすることの関係をもっと判りやすく書いてくれ。
理論的にイコールの関係になってないぞ。
954 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 20:48:43
社会と言うか、集団と言うのは、一つの疑似生命体みたいなもんだろ
クラゲだっけ?各パーツ事に別の生命体が寄り集まって一つの個体になってるのは
集団の中で、殺人が容認されるようになると、相互不信が高まる
いつ隣のヤツに殺されるか解らないプレッシャーでは、
とても集団生活なんて出来ないでしょ
この場合、殺人は集団の死も意味するから、何とか集団の中で押さえようとする
ガン細胞を押さえようとする免疫細胞みたいなもので、押さえるのに失敗すると
集団の死を迎える
955 :
877:2006/09/25(月) 21:46:18
集団が死を迎えるとどうしていけないのですか?
956 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 21:50:31
>>955 個体としては生きていけるけど、自分の種を残せなくなるじゃん
同族殺しが当たり前の種族になってしまうと
その種その物が、そこで終わってしまう確立が高くなる
極まれにセックスに成功して出産できても、その種の個体数は激減するし
繁栄どころか、先細りになっちゃうでしょ
957 :
877:2006/09/25(月) 21:59:08
>>954 だから「可能」と「実行」は別なんだってば。
お前の言う「容認」は社会的なものであって、
論理的には、ほぼいつ何時どこでも誰でも殺せるんだよ。
隣の部屋に住んでるヤツを今から殺すこともできる。
それをしないのは、倫理的な罪悪感だったり単なる不利益だったり。
人は法則で生きてるんじゃなくて、倫理で生きてたりもするんだよ。
他人から殺人者と思われたくなくて殺さないヤツだっているだろうよ。
959 :
877:2006/09/25(月) 22:13:36
>>958 >人は法則で生きてるんじゃなくて、倫理で生きてたりもするんだよ。
ですが、行為の結果には法則性がありますね。
つまり、
>他人から殺人者と思われたくなくて殺さないヤツだっているだろうよ。
自分が殺人者だと思われるのがいけない、人にとっては、
殺人がいけないことは、外界の法則によって決定づけられていて、
これを内的な恣意で変更することはできません。
(「他人から殺人者と思われたくな」いという目的自体を変更するのならば別ですが、
その目的についてのいい、いけないも、結局は法則性があります。)
まあ、法則性の話を出すと不可知性の問題がでてきてしまうのですが、
とりあえずは、人間が人知のl及ぶ限りにおいて合理的に行動しようとすれば、
ということですね。
960 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 22:16:26
>>967 種の保存は、本能の部分だからそれを説明するのは難しいかもしれないが
例えるなら、今君がこうして色んな人と話ができ、知的好奇心を得る事ができるのは
君よりずっと前からDNAを運んできた存在があるからだとしよう
もし、先祖がいなければ、君と言う主観は存在しないよ
基本的に、生物は不死を望んでる
君個人が死んでも、君と近似値のDNAを持つ種その物は、生き続けられる
社会を消すと、種その物の不死が終わっちゃうんだよ
つまり、種と言う全体まで死んじゃう
死にたくないと望むのは、本能が持つ普遍的なものでは無いのかな
961 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 22:21:42
らぶらぶちゅっちゅが文化の起源だからだ
>>959 すまない、言葉が足りなかった。
「法則」 ⇒ 「論理的な法則のみ」
だな。
俺もカオス的な法則の可能性については、アリだと考えている。
↑は958のレス。
964 :
877:2006/09/25(月) 22:24:58
>>960 仮にそういった本能が存在するとして、
本能の衝動が当人の欲求と必ずしも合致しないことは、
便意や尿意、空腹や睡魔の例であきらかではないでしょうか。
つまり、便意も尿意も生存本能も、人間は持っていますけれど、
それに「盲従すること」が人間の普遍なのでしょうか。
965 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 22:32:06
>>958 >>倫理で生きてたりもするんだよ。
順序が逆な気がするのだが・・・
野生動物の中で、集団生活をする種族は、平時に同族殺しをしない
それは本能的にプログラムされたものでしょ
動物の中には、倫理を構築するほどの知性は無いし
人の場合、想像力を手に入れて論理的に考える事が出来るようになってから
本能とは違う生き方ができるようになったんじゃないのかと
本能が壊れたキチガイと違って、本能を残したまま、論理の力で同族を殺せる
力を持ったのが人でしょ
966 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 22:41:35
>>964 >>つまり、便意も尿意も生存本能も、人間は持っていますけれど、
それに「盲従すること」が人間の普遍なのでしょうか。
完全にコントロールできる部分の本能と、コントロールが難しい本能の部分
両方が存在すると思う
死にたくないと思う部分や、子孫を残そうとする部分は本能的な物で
コントロールが難しい部分でしょ
例えば、子孫を残すために男は、常に新鮮なDNAを生産する必要がある
で、特に若い生殖適期には、毎日のようにオナニーをしてる
新しい精子でないと、生殖が上手く行かないので本能部分からの命令で
オナニーをしてしまう。だてに気持ちいいだけじゃない
気持ちいいを付帯してるからこそ、新鮮なDNAを生産し、より有利な子孫を残せる
可能性を広げている
本能がもたらすプログラムを盲従と言うのは、ちょっと違う気がする
967 :
877:2006/09/25(月) 22:44:55
・同族殺しが観察されない ← 観察事実
・同族殺しを行わないことが、集団の維持に役立っていると推測される ← 学者の考えた推測
で、仮に、「学者の考えた推測」が事実としても、
以上の二つをもって「集団の維持のために同族殺しを行わない本能がある」
とはいえないのではないでしょうか(TVの動物番組では安易にそういうことを言いますが)。
968 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 22:52:14
>>967 お腹空かせた、凶暴とされる状態の肉食動物のオオカミでも
自分の同族は襲って食べない
本能として、自分の個体を維持するために食物が必要な時にでも、同族は殺さない
この本能部分を押し殺すほど強力なプログラムが、有るって事でしょ
969 :
877:2006/09/25(月) 22:54:35
>>966 >本能がもたらすプログラムを盲従と言うのは、ちょっと違う気がする
どう違うのですか?
例えば、訓練されたボディーガードは、銃声がしたときに、
逃げようとする本能を抑制して、VIPをかばおうとします。
あなたの考えでは、このような行為は、無条件に「いけない」ことになるのですか?
970 :
877:2006/09/25(月) 23:00:23
>>968 単に彼らが、「そのような」習性(本能)を持っている、と考えてもよいと思いますが。
「個体の維持本能」だけを特別扱いしなければならない論理的な理由は見当たりません。
( ^ω^)守ってお
972 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 23:06:27
>>969 コントロールが難しいとは書いているが、できないとは書いていない
解りやすく例をとると、本能であるオナニーを長期間我慢する事も可能ではある
毒男板に行くと、オナ禁スレがあって大人気のスレになってるのを見れば
アホやなぁっと思うのと同時に、本能を有る程度はコントロール出来るのが解る
上の例は、本能部分を観念で、有る程度のコントロール出来るって事を意味する
>>965でも書いたが、本能を論理の力で押さえてコントロールする能力を
完璧では無いが、人は手に入れている
ボディーガードが自分の死に直結するような危険が有っても、危険に対して
行動できるようになるのは、本能を押さえ込むための論理と訓練を積んでるから
更に、反復訓練によって、本能部分を鈍らせる訓練も受けているからこそ
瞬時に危険に飛び込める面も有る
973 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 23:13:33
>>970 >>単に彼らが、「そのような」習性(本能)を持っている、と考えてもよいと思いますが。
その習性(本能)が何かってことでしょ
>>「個体の維持本能」だけを特別扱いしなければならない論理的な理由は見当たりません。
すべからく、死にたくないって部分でしょ
動物は、死という概念が無いとされていますが、代わりに痛みや苦しみに対して
強固な拒否反応を示しますよ
さて、人と言う論理的に思考する存在側から見て、その反応は何かと考えると
「死にたくない」って事ではないでしょうか
この部分を否定するための論理を積み立てる方が難しいですが、
出来ないことはないですね
それこそ100%論みたいになってしまいますが
974 :
877:2006/09/25(月) 23:17:43
>>972 >コントロールが難しいとは書いているが、できないとは書いていない
わたしも、できないとはいっていませんし、
そもそも、
>>969 では、その点(実行可能性)についてはまったく触れたつもりはありません。
975 :
877:2006/09/25(月) 23:27:01
>>973 >その習性(本能)が何かってことでしょ
とりあえず、「習性(本能)」として何か不都合があるのですか?
>すべからく、死にたくないって部分でしょ
「死にたくなければならない」なんて、ここまでレスのどこにも書いてないように思いますが・・・。
>動物は、死という概念が無いとされていますが、代わりに痛みや苦しみに対して
>強固な拒否反応を示しますよ
現世種にはそのような反応がよく見られますね。
それがなにか?
>さて、人と言う論理的に思考する存在側から見て、その反応は何かと考えると
>「死にたくない」って事ではないでしょうか
「人間の生活感覚にわかりやすように比ゆ的に表現するなら」そうなりますね。
>この部分を否定するための論理を積み立てる方が難しいですが、
>出来ないことはないですね
>それこそ100%論みたいになってしまいますが
その比喩を否定はしません。
「白髪三千丈」という詩に「そんなことはありえない」と野暮を言っても始まりません。
976 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 23:30:02
>>974 例に挙げられたボディーガードの行動が、いけない事か、
良いことかってことですか?しかも無条件にと
本能と言う部分からみたら、いけない事じゃなのでしょうか
でも、人はそれを押さえ込む力を持ってるので、別の論理によって行動出来るでしょう
一応、こんな答えになります
無条件にと言う言葉をつけると、答えは出せなくなりますが
何故に無条件とつけたがるのでしょうか?
コテハンのレス番読んでみての感想ですが、君は、極端な0か1のみで
世の中を見てるタイプの人なのでしょうか?
正直、絶対善絶対悪を言うタイプの人だと、議論を好むように見えて実は
自分の中での思想を変えるつもりがないので、相手の話を読まないタイプが
多くいます。所謂ウヨサヨのレッテル張りで思考停止ってヤツの亜流でしょうか
ここまで、受け答えをしてきて段々と、その臭いがしてきてるのですが
自分自身で、どう判断しますか?
977 :
877:2006/09/25(月) 23:36:30
>>976 >良いことかってことですか?しかも無条件にと
よくわかりませんね。
あなたの、
>>954 には、何か条件があったのですか?
それとも、「本能に従うという条件のもとでは本能に反してはいけない」
ということがいいたかっただけなのですか?
そのような主張であるのなら、わたしも、疑問をさしはさむ余地がありませんが。
978 :
考える名無しさん:2006/09/25(月) 23:46:00
>>977 うーん、やっぱり会話をしてると言うより、一方通行の話をしてる気がしてきました
今日はこの辺で寝ます
それでは
979 :
考える名無しさん:2006/09/26(火) 21:04:08
>>978 あのね、相手の出方を予測して
どうあがいても相手が馬鹿にしか映らないようなレスをぶつける、、、
それが”2ちゃんクォリティ” ・・・わかったら、もう寝ろw
980 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 03:47:45
寝ると言ってる相手に、もう寝ろ、とか言ってる奴はどうなんだろう?
天才と呼べばいいのか?
981 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 05:09:38
誰も殺したいと思ってないから
982 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 21:43:51
983 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 22:46:05
「死にたい」と言う相手に「とっとと死ね」って言ったらきっとひどい奴と呼ばれるだろう。
984 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 22:48:11
>>982 だったら余計に変なのでは?
いつまでも粘着してるならともかく、その日はレスしてないのに。
あんた空回りしてんじゃんw
985 :
考える名無しさん:2006/09/27(水) 23:05:07
そんなこと言い合ってる内にスレ終了するぞw
986 :
考える名無しさん:
わたしはそれでもかまわん