★まなざしの快楽 PART18★

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717:2006/06/29(木) 14:18:50
セカイ系の三界構造

セカイ系の特徴は「象徴界の喪失」といわれる。ボクの日常と世紀末が、社会的な背景(象徴界)な
く、短絡する。しかし他にも似た特徴が上げられるだろう。斉藤環はオタク文化に共通するつよい少
女像を「戦闘美少女」と呼び、古くは60年代の「魔法使いサリー」、「りぼんの騎士」などから繋がる
日本のアニメを支える重要なキャラクターであるという。

たとえばオタク文化のあけぼのである70年代の「宇宙戦艦ヤマト」(1974)の「森雪」の存在と同じ松
本零志の「銀河鉄道999」(1978)の「メーテル」を対比して考えみると、「宇宙戦艦ヤマト」では、主人
公「強いヒーロー(古代)」と敵「強いアンチヒーロー(デスラー)」というヒーローものライバルの構造
が中心にある。このような構造にあるときには、「戦闘美少女」(森雪)は「紅一点」の脇役に留まる。

それに対して「銀河鉄道999」では、主人公のテツロウは強いヒーローではなく、反省的である。そし
て敵はアンチヒーローのようにつよく敵対するというよりもなにか漠然としている。そしてこの間で
「戦闘美少女」(メーテル)のキャラクターは上昇する。

ここには、「反省的な主人公」+「戦闘美少女」+「漠然とした敵」という三界構造がある。そしてセカ
イ系に向かってこの構造は純化されていく。

反省的な主人公+戦闘美少女+漠然とした敵
1978 銀河鉄道999       テツロウ+メーテル+(敵)
1995 攻殻機動隊        バト+素子+敵
1995 エヴァンゲリオン     シンジ+レイ(アスカ)+使徒
2002 最終兵器彼女      ボク+彼女+敵
2002 ほしのこえ        ボク+彼女+敵
2006 涼宮ハルヒの憂鬱   キョン+ハルヒ(有希)+(敵)
718:2006/06/29(木) 14:19:27
「ヒーローVSアンチヒーロー」の消失

セカイ系で純化された三界構造は、現代は男性が弱くなり、強い女性が男性を叱咤し守るということ
でない。問題は主人公がヒーローになるためのアンチヒーローが不在であるということだろう。

「宇宙戦艦ヤマト」の「古代」に対する「デスラー」、「機動戦士ガンダム」の「アムロ」に対する「シャ
ア」という「強いヒーロー」と「強いアンチヒーロー」にリアリティがなくなっている。なぜならば敵もまた
主人公同様にさまざまな背景を背負い、反省する同じ内部の存在であるからだ。

「宇宙戦艦ヤマト」も「機動戦士ガンダム」も続編が作られていくが、その中で「デスラー」にしろ「シャ
ア」にしろ、もはや敵ではなく、とても複雑な位置に置かれる。そして物語も対立構図が見えにくい複
雑なものへ向かう。これは、形而上学的な二項対立にリアリティがなくなっているポストモダン的な状
況ともいえるだろう。
719:2006/06/29(木) 14:20:17
「ファリック・ガール(ペニスをもつ少女)」

斉藤環は「戦闘美少女」を「ファリック・ガール(ペニスをもつ少女)」と呼び、その特徴として、「ヒステ
リー性」と「セクシュアリティ」を上げている。

ポストモダン的な「大きな内部」では、外部が消失し、内部が複雑化することで閉塞する。そのような
状況の中で「戦闘美少女」の「無垢」なヒステリー性とセクシュアリティは、ひときわ輝くリアリティを放つ。

たとえばこのような「ヒステリーとセクシャリティの上昇」は、ハードゲイHG、猫ヒロシなどの最近の
「お笑い」にも見ることが出来る。さらにいえば、現代のロリコン傾向もこの傾向の中にあるだろ
う。現代は「大きな内部」へと閉塞しているが故に、無垢な存在への欲望が強くある。
720:2006/06/29(木) 14:20:55
外部の産出

このような「ヒステリーとセクシャリティの上昇」が生みだしているものが、「外部」である。「戦闘美少
女」は内部と外部の「断絶(ファルス)」に位置する「享楽のシニフィアン」であり、「外部」への扉を開く
のだ。

「戦闘美少女」によって開示された外部とは「大きな内部」の向こうにあり、ボクたちの倫理を越え、
なにが起 こっているのかわからないただ「漠然とした不安」としてあるセカイである。だから「戦闘美
少女」が外部から飛来した不気味な「動物」を殺戮することは、「アンチヒーロー」を倒すのとは違い、
負債感なく享楽する、死を(純粋)略奪する快楽である。

セカイ系での戦闘シーンは必ずしも多くない。多くは主人公が反省する静かで閉塞したシーンであ
る。そこに突然、「戦闘美少女」を介して外部への扉が開き、享楽する。たとえば「エヴァンゲリオン」
では使徒とのわずかな殺戮シーン(それは電源使用時間で制限されている)の享楽によって、ボク
たちは解放される。

セカイ系が純化する三界構造とは、「戦闘美少女」を媒介として失われた外部を見いだし、ポストモ
ダン的な「大きな内部」の閉塞からの解放を意味する。「象徴界の喪失」とは「大きな内部」の閉塞か
らの脱出であり、ボクたちの身近(想像界)を外部(現実界)へ短絡することである。
721考える名無しさん:2006/06/29(木) 14:37:57
83:ぴかぁ〜◆q5y3ccmqnw :2006/06/28(水) 16:57:54
しばらくおやすみします。
722考える名無しさん:2006/06/29(木) 14:51:42
きみが自分で感じ、きみの魂から迫り出て、聞く人みなの心を根強い興味で打ち負かすのでなければ、
きみの思うことを遂げることはできないだろう。
まあ、せいぜいこしかけて、にわかで継ぎ合わせたり、
他人のごちそうのごった煮をこしらえたり、
きみの灰の山の中からとぼしい炎でも吹きおこしていたまえ!
子供やサルを感嘆させることはできよう。
それがきみの口に合うならば。
だが、きみはけっして心から心に働きかけることはできないよ。
本当にきみの心から出たものでなければ。
723三日月:2006/06/29(木) 21:29:52
残虐性を秘めた知の快楽

おお、光り輝く天の使いよ!
私は哲学者達の残していった物を見るよりもより良い快楽を見つけた。
それは生きた人間の解体(解釈)である。
今生きている人間の解体こそ、よりリアリズムに富んだ残虐な行為だと解かったのだ。

いつしか私は人体解剖展や博物館をめぐるように、
ある哲学者の心臓、脳みそ、胃袋、目玉、
好き勝手に解体され、ホルマリン漬けにせられたグロテスクな標本に快楽を見出すようになった。
もはや彼らには意思はないので、メスを入れるにはうってつけだ。

・・・物足りない。なので私は精神分析家の手法でもって生きた人間の解体しようと思う。
不器用なのはお愛想。不器用ゆえ如何様にも残虐にしあがる。
724考える名無しさん:2006/06/29(木) 21:45:28
■「外部産出型」物語

閉塞した「大きな内部」からの解放

セカイ系は、私的な日常(想像界)×社会領域(象徴界)×ハルマゲドン(現実界)において、社会領
域(象徴界)が消失すると言われていますが、ボクはむしろ無理矢理にでもハルマゲドン(現実界)を
産出しようとする表現=「外部産出型」だと考えています。

たとえばヒーローVS敵では、敵は社会領域(象徴界)の外(現実界)にいなければいけません。でな
ければ本来の闘争は可能になりません。しかし現代のポストモダン社会では、敵を社会領域(象徴
界)に回収してしまう。敵も親もいれば、子供もいるし、さざまな背景をもち同じように悩みながら闘っている。

すなわち社会領域(象徴界)が大きくなりすぎて、全てを回収し、そして外部(現実界)が消失します。
このようなヒューマニティーなドラマは多くありますが、では閉塞した「大きな内部」でボクたちは「動
物化」して生きられるかというと、そうはいかない。

セカイ系が目指すのは、外部にいる敵(現実界)です。なんの背景もなくただ不気味に殺戮にやって
くる敵です。そしてこちらもなんのためらいもなく殺す。それが享楽(純粋略奪の快楽)です。「人間」
であるためには享楽が必要なのです。これは人は人殺しを望むということではありません。人殺しと
は内部で行われ、罪悪感がともないます。人は外部=フロンティア(新大陸)を征服(略奪)すること
を望むのです。
725考える名無しさん:2006/06/29(木) 21:46:05
「戦闘美少女」という外部産出装置

このような外部にいる敵(現実界)を喚問するのが「断絶(ファルス)」としての「戦闘美少女」です。
「戦闘美少女」の無垢なヒステリーとセクシュアリティと道具性は、すなわち彼女のもつ「狂気」は、ボ
クたち(内部)の達し得ない不気味な「外部」を生み出す装置なのです。

たとえばボクはハードゲイHGも同様な位置にあると言いました。彼の「フォ〜」というヒステリーと
「ハードゲイ」というセクシュアリティと道具性は、人々のまえに「狂気」を提示します。彼の向こうにボ
クたち(内部)の達し得ない不気味な外部があるように錯覚し、欲望するのです。だから彼は空気の
読めない狂気を演じ続けなければならない。
726考える名無しさん:2006/06/29(木) 21:46:38
様々な「外部産出型」物語

ポストモダンという「大きな内部」への閉塞感は一般化していますので、このような「外部産出型」物
語はさまざまなに生まれています。先にお笑いの狂気化もそうです。たとえば有名なものは映画「エ
イリアン」です。エイリアンは外部であり、人間と倫理、情なく、ただ殺し合います。背景がない外部で
あるから大きな恐怖を生み、それをただ殺すから大きな快楽を生む。この物語の「断絶(ファルス)」
の位置にも「戦闘美少女」=リプリーがいます。

「リング」、「着信アリ」などが国際的にニーズがあるとすれば、日本の幽霊話がもともと「外部産出
型」の構造を持つからではないでしょうか。この当たりは様々に語られている「日本文化が本来もつ
閉塞性とスノビズムとその継承としてのオタク文化」につなげることができるかもしれません。
727考える名無しさん:2006/06/29(木) 21:47:20
外部の産出は強い内部を産出する

「デスノート」も「外部産出型」の構図を持っていますが、それを利用して、ヒーローVS敵を復活させ
ています。それは、外部が産出されることは、それに相対化する強い内部が産出する効果も期待さ
れるからです。たとえば先に示したように、「リング」、「着信アリ」では、負の贈与の連鎖によって、原
初的な社会の形成過程が再現されています。

これは「ポスト・セカイ系」というよりも、様々な「外部産出型」物語の多様性を示しているのだと思い
ます。セカイ系はオタクの特徴であるセクシュアリティへのこだわりによって、「外部産出型」を純化さ
せたものだと思います。
728考える名無しさん:2006/06/29(木) 21:53:27
名無しにしても改行の仕方が同じ
729考える名無しさん:2006/06/29(木) 22:02:10
今気がついた。
こいつは、自分の立てたスレが下がること自体が許せないのだね。
いくら哲学書読んだかしらんが、小賢しい浅知恵ばかりつけても、この幼稚なプライドは致命傷だね。
730三日月:2006/06/29(木) 22:46:31
ぴかぁ〜を切り刻め。
いや、虫ピンでもって貼り付けろ。
いずれ勝手に干からびる。
彼にとって悪害となるいい読み手(解体手)となれ。

「浅知恵」を多様しても、
それが陳腐浅墓な精神の構造物であることは隠しえない。
731考える名無しさん:2006/06/29(木) 22:53:29
君、短パンだろ?
名前変えてもハミチンしてるってば。
732考える名無しさん:2006/06/29(木) 23:07:35
ぴかぁはほんとに人間関係づくりがヘタだな。よってくるのは糞ばかり。
733考える名無しさん:2006/06/29(木) 23:17:37
おまえもな
734考える名無しさん:2006/06/29(木) 23:25:19
>>732
カフカの研究でもしたら?
ちったぁマシになれるかもよ。
735考える名無しさん:2006/06/29(木) 23:54:11
このスレはレスするだけで絡まれるんだな。誰もよりつかんよ。
736考える名無しさん:2006/07/17(月) 21:16:04
ひきこもり中年ぴかぁ〜w
737傍□□の□□ ◆4Rax5D4KLQ :2006/07/18(火) 01:59:26
738考える名無しさん:2006/07/26(水) 01:24:52
久しぶりに来てみたんだがこの閑古っぷりはいったいどうしたの?
ぴかぁ〜は来なくなっちゃったの?
739考える名無しさん:2006/07/26(水) 02:04:07
別スレたててそっちに移動したんだよ。

純粋略奪の快楽(自然主義的闘争論)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1151086281/l50
740考える名無しさん:2006/07/26(水) 21:30:11
>>739
ああそうだったんだ
741考える名無しさん:2006/10/04(水) 21:56:31
>>739
dat落ちwwwww
742qwe:2006/10/22(日) 14:45:35
asdd
743第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 14:38:32
■なぜWeb2.0なのか

数式→言語→シミュレーション

テクノロジーの発展をみると、たとえば古典物理学のように現象を単純な法則に還元し、近似的な数
学、方程式による基礎があり、つぎに基礎の厳密化の限界から、曖昧な言語にむかう。数式であらわ
せない、視覚的に理解できない複雑さを言葉で説明する。次にコンピューターによる繰り返し計算の高
速化、低コスト化の中でより細部なシミュレーション化が起こる、という流れがある。


功利主義→構造主義(記号消費、規律訓練型)→システム論(生管理)

たとえば消費では貧しければまず明確にほしいものある。人間は功利的法則に近づく。しかし豊かにな
ると次第に欲望は発散し、抽象的、あいまいに記号化する。つぎに計算により、自分ではわからないも
のがシミュレーションされ与えられる。

はじめが功利主義、つぎがボードリヤールのいう記号消費であり、構造主義、規律訓練型、次がシステ
ム論、生管理に対応する。マクドナルド化ではあった記号消費、すなわちアメリカを消費するものは、最
近のグーグル化ではない。グーグルのブランドに関係なく、ただ適切なナビゲートを望んでいる。
744第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 14:39:13
数式→言語→シミュレーション→コミュニケーション

シミュレーションの問題はパラダイムシフトを扱えないこと、結局初期設定内にしか変化しないことだ。
変化のダイナミズムは生まれない。グーグルなどが新たにめざすWeb2.0の方向は自律的に構造化する
ことだろう。場と小さな管理で手の中でダイナミズムを起こすことだ。

たとえば今知りたい情報を提供するとき、その道のプロの感、すなわち言葉でよいかもしれないが、多く
において根拠なく記号的になる。あるいはマーケティングによりシミュレーションすることも可能だろう。し
かしネットで起こっているのはまさにコミュニケーションによって、自律的に知りたい情報が立ち上がる
現場である。
745第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 14:39:50
Web2.0の自由と管理

たとえば2ちゃんねるはWeb2.0か。まったくの無法地帯ではないが、管理度は低い。サービスとしては
質が悪いか、その自由度とダイナミズムが魅力である。ミクシィは管理度が高く、サービスの質がよい。

2ちゃんねる、ブログ界隈で知りたい人々が集まり、話題が飛びかう。これをサービスとして、商品化す
るのがWeb2.0である。提供するのは適度に管理、整備された場である。

最近、メーカーのSNSができたしているが、単なるマーケティング調査でなく、場においてコミュニケー
ションを楽しむ中で次のブームを作っていくということだ。現に2ちゃんねるのニュースサイトの反響は世
論の一部としてマスメディアなどを経由し、社会に影響を与えている。このような社会的な影響というダ
イナミズムを管理することに目的がある。

話題のGoogleによるYouTube買収は、動画コミュニケーションという新たに育ちつつある場を買ったので
ある。そして質の悪い場を、整備し管理し治すことになるのだろう。その質の悪さの一番は著作権の確
信犯的な放置である。そしてこれを整備したときも、ダイナミズムは維持され続けるのか、それが問題で
ある。
746第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2006/11/01(水) 14:40:26
数字と言語の二重螺旋運動

数式法則(数字)→言語→シミュレーション(数字)→コミュニケーション(言語)の流れは、数字と言葉の
相補的な追い掛け合いのようにでもある。将来、人口知能などの技術革新によりダイナミズムが計算予
測されれば、コミュニケーションのような曖昧なものに頼る必要はなくなるかもしれない。

しかしこの追いかけ合いが終わるときとは、人間が数字に完全に還元されたときであるが、人のゲノム
が解読されても、人間そのものは還元されない。これは心身二元論的な終わりなき二重螺旋運動なの
である。
747考える名無しさん:2006/11/03(金) 09:54:28
批判
ポストモダンの思想家(評論家)は、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズから、
非西洋文化圏への強い偏見が残っている指摘され、批判された。

また、極めつけだったのは、物理学者ソーカルによって、ポストモダンを標榜する者たちが、
衒学的であり(読者が解らないことをいいことにデタラメな数式で根拠づけており)、相対主義
である、として非難された事件である(ソーカル事件参照)。"ポストモダン"評論家の数式を
装ったまやかしの記法を指摘したソーカルの指摘は正しく、ポストモダンの評論家からは
ソーカルに反論する者すら出てこなかった。結局、"ポストモダン"に関わっている者がしてい
ることは、ある種のまやかしの活動であり、学問に大切な誠実さが根本的に無い、ということ
は客観的に見ても明らかで、"ポストモダン"なる発想で活動していた評論家たちは、広く人々
の失笑を買った。ただ、この事件について知らされていない者(文学青年、評論好きの学生等)
の中には、その後も暫く"ポストモダン"の発想に惑わされつづける者もいた。
748考える名無しさん:2006/11/08(水) 02:51:39
NHKに取り上げられた 女子大生のブログ炎上

個人のブログに商品や映画の感想を書いてもらいPRする「口コミマーケティング」。その現状が2006年11月3日のNHK「ニュースウォッチ9」で放送されたところ、「企業から金貰って提灯記事を書いてるブロガー」と決め付けられ、
ニュースに登場した女子大生のブログが大炎上した。PRを仕掛けた企業のホームページには「誤解を解きたい」とするコメントが載るなど大騒動になっている。
「口コミマーケティング」は、アメリカでは「バイラルマーケティング」と呼ばれ、既存のユーザに自社の商品やサービスを知人に口コミで紹介してもらうもの。「バイラル」は「感染的な」という意味で、ウィルスの感染・増殖に例えている。

「上手なブログの書き方」を指導される
「ニュースウォッチ9」には、1日に1万人が見るブログを運営する女子大生で雑誌の読者モデルを務める坊農(ぼうのう)さやかさんなどが登場。映画の試写会にでかけたり、レストランでタダで食事をする様子などが放送された。
また、別のブロガーは企業から提供された化粧品や飲料を手渡され、「上手なブログの書き方」を指導されている様子が映された。ブロガーはこうした商品の話を自分のブログに書く事で、1回につき数千円の収入を得られるのだという。
単なる個人のブログだと思って見ていたのが、実は企業のヒモ付きだった事を知った人達は、この放送を見て裏切られた気持ちになったのだろう。ネット上にはカキコミが氾濫し、坊農さんのブログや、「口コミマーケティング」をしていた企業のサイトは大炎上した。
「今回の番組を見てとても驚いたし、正直失望しました」
「なにがクチコミだよ。ヤラセじゃねーかよ!!!」
「この放送見たけど新手のネズミ講みたいじゃなかった?」
749考える名無しさん:2006/11/08(水) 02:53:50
カキコミの削除が繰り返され、掲載が制限付きになったところも出た。坊農さんは06年11月6日に自身のブログにこんなコメントを書いて釈明した。
「放送内容が取材時とあまりに異なることに驚きました(中略)『企業の方が提供してくださった商品をレポートした』という部分だけがクローズアップされていました。番組的にはそのような内容が望ましかったのかもしれませんが、私は少し悲しい気持ちです・・・」
「現役女子大生芸能プロ社長の日記」を書いているプリンシパルエージェント代表取締役のクロミホさんのところにも飛び火し、06年11月4日、「一部の読者さんから、
『ブログの記事に隠れて宣伝をしているのではないか』とのご指摘があったようなので、ここに記させていただきます」とブログ上で釈明。
「ほとんどのケースが実はお金が発生していません」。
そして、「弊社でブログ関連のプロモーションをお受けしていることは確かで、商品の紹介をするときなど、今後ははっきりと普通の記事と差別化するようにしたいと思います」と書いている。

ブロガー達に支払う「原稿料」は高騰
NHKのニュースに登場した「口コミマーケティング」のナレッジパークも同日、ホームページに、(1)ブロガーに書いてもらう際には「提供された。」
という一文を必ず入れている(2)本人には感想をそのまま記載するよう伝えており、一切の脚色はない(3)ブロガーが商品の記事を拒んだ際には、
掲載することはありません、という内容を掲載した。同社には放送後、「彼女たちに無理やりブログを書かせているのではないか」といった問い合わせがあったという。
同社が「口コミマーケティング」を始めたのは2年前。「通常のバナー広告ではクリック率が高まらない。本当に良い商品を紹介したいとき、
実際に使ったモニターの意見をブログで紹介することによりPR効果が格段に上がると判断した」とJ-CASTニュースの取材に答えた。現在は800人ほどのブロガーを抱える。殆どが女性だ。
「バイト感覚でお金が目当てというよりは、自分達が紹介することによって(商品を知ってもらったり、売れたりする)生じる影響力に興味があるブロガー達なんです」
と話す。
750考える名無しさん:2006/11/08(水) 02:54:20
一方で、ブロガー達に支払う「原稿料」は高騰しているという。「1更新当たりに支払う価格が2年前が1とすれば、現在は8です。それだけ口コミマーケティングの需要が高まっていて、今後も相当需要が高まっていくと考えています」
ハウス食品はこの口コミマーケティングを活用している。導入以降、売り上げは4倍に増えたのだという。同社は、「テレビなどでCMを流していますし、
口コミがどれくらい効果があったのかは現在調査中です」と話す。「一度お試しください、という感じでブロガーに商品を渡したわけですから、
酷評を書かれ裏目に出る可能性もあるわけです。ただ、結果として良い評価が多かった」。口コミ導入は、一種の「賭け」だったわけだ。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2686290/detail?rd
751考える名無しさん:2006/11/08(水) 04:45:34
>ぴかぁ〜

なんかトラックバックとかまで俺をはじいてる?
752短パン:2006/11/15(水) 00:37:14
最近、ここ哲学板での打ち込みが通りやすくなっている。
「じゆん」とか「ぴかぁ」とかのお囃子がとんと見えなくなっている事に気が付いて、
見に来てみた次第。

撤退決め込んだのか。。。
時代編成?

・・・一応ageといてやる。
でも、解るんだろうな。
「誰かに、情けをかけられた時点で。。。」

753考える名無しさん:2006/11/19(日) 17:01:17
そういうのは病気なんだから医者に行って適切な治療を受けてください。
貴方の調子の悪い精神をどこまで掘り下げても、宗教的哲学的文学的真理なんて見えてきません。

貴方の心の中、貴方の実存のあり方に、世界の秘密なんて隠れてません。
それは全部貴方サイズの出来事、貴方の都合に収まる小さなこと、
世界の広さを前にすれば、吹けば飛ぶような砂粒に過ぎません。

どんなに深刻に哲学思想をこねくって観念遊びをしたところで、
それだけでは「嘔吐」のようにはおかしくならない。
あれは嘘なんです。

サルトルはメスカリンでトリップ体験をしたときに「自明性の喪失」を味わい、
それを何か哲学的な真理に通じるものだと勘違いしちゃったんでしょう。

宗教的神秘体験と似たようなもんですな。
砂漠で遭難して半死半生意識朦朧になって悪魔や天使と問答しちゃったイエスや、
合法ドラッグで宇宙の真理を悟っちゃった「NHKにようこそ」と同じです。

人は哲学や思想では狂わない。
一方でちょっと薬物を入れれば割と簡単に調子悪くなるもんです。
麻薬である必要さえない。
俺なんかカフェイン錠剤飲みすぎて一時的な不安神経症っぽくなったことあるよ。
いや、その時は確かにすごい怖かったんだけどね。

逆に言うと、人はそういう生化学的条件さえ整えば、
自動的に不安や恐怖に襲われたりパニックに陥ったりする、ということです。
どんな哲学も思想も、脳内化学物質をコントロールなんかしてくれない。抵抗力にはなりえません。

これは、宗教や思想が無力だと言っているのではなく、
脳が正常に働いてる時、正気のときにこそ力を発揮するものだ、と言ってるんです。
宗教の一部には、脳をそういう状態に慣らす修行はあるけれど
それって思想というよりは筋トレ的な、まさしく物質主義の発想だよね。
754考える名無しさん:2006/12/25(月) 23:11:53


ここってどうなったの?

どこかほかのところに移行したの?

スレ主?の人はどっか行ったのかな
755考える名無しさん:2006/12/25(月) 23:22:55
ぴかぁ〜なら、☆(←ヒトデではない)になってしまったんだってさ。
756考える名無しさん:2007/01/11(木) 20:44:59








$$$
757考える名無しさん:2007/02/22(木) 14:37:31
山形池田論争がブログで盛り上がった
ぴか〜も言及してた
・・・無視されてたw
うわ、これは恥ずかしいぃぃぃぃぃぃぃぃ
758考える名無しさん:2007/02/24(土) 02:07:36
どんな論争だったのかな? 何と何でググれば出てくるか教る
759考える名無しさん:2007/03/05(月) 00:46:29
ピカ虫、パクリ元を暴露したコメントを速攻削除の巻
 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20070228/1172578706
760第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/09(金) 14:21:56
経済学と経済は違うこと当たり前である。複雑な問題を孕んでいる。
かつて宗教により統括されていた次元が、近代、政治学、社会学、経済学として分割されたわけである。
これらは比較的新しく、学問とともに成長してきた。
社会と社会学、政治と政治学は違うものであることは容易にわかるが、経済と経済学は感覚的に混同されやすい。
この理由を考えると、政治、社会が人という質を扱うのに対して、経済学には貨幣という量をもっていることがあげられる。
量をもつことは、客観的な事実として考えられやすい。という数がもつ魔力であるということだけではなく、
数はより正確な伝達を可能にすることで反復を可能にする力をもつ。
いわば経済学は経済をより客観的に記述するだけでなく、経済学そのものが経済を構造化する。
数というシニフィアンは質的な言葉よりも構造化を促進しやすい。
たとえば企業をあらわすのにPLなどの資料が使われが、企業の経営状態をしめす指標である以上に
企業の正しい在り方がどのようなものであり、どこへ迎うべきかを示す。PLが優良であれではなく、PLという思想が企業をつくるのだ。
761第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/09(金) 14:27:01
だからといって、経済は経済学だということにはならない。
再度言えば経済は存在しない。経済として実態化されるものは経済学にしかない。そのような意味なら経済とは経済学なのかもしれない。
762第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/09(金) 15:09:03
「経済とは経済学である(でしかない)」

経済学と経済は違うことは当たり前であるが、ここには複雑な問題を孕んでいる。かつて宗教により統
括されていた次元が、近代において、政治(学)、社会(学)、経済(学)として分割された。だからこれら
は比較的新しい領域である。その中でも、社会と社会学、政治と政治学は違うものであることは容易に
わかるが、経済と経済学は感覚的に混同されやすい。

この理由を考えると、政治、社会が人という質を扱うのに対して、経済学には貨幣という量をもっている
ことがあげられる。量をもつことは、客観的な事実として考えられやすい。これは、人が数字を信じやす
いという心理学的なものであるだけではない。

数字には実際、力がある。数はより正確な伝達を可能にする。そして伝達された場所で、正確に反復さ
れる可能がある。この反復可能性は実際に試みられ、一つの秩序として構造化されていく。これが言葉
そのものが持つ力であるとともに、数字は伝達性において優れている。

これは、経済学が経済をより客観的に記述するということだけではなく、経済学そのものが経済を構造
化することを意味する。たとえば企業をあらわすのにPLなどの指標が使われが、PLは企業の経営状態
をしめす指標である以上に、企業の正しい在り方を示す一つの思想である。PLが優良であれで正しい
ということではなく、PLそのものが正しさとはなにか、すなわち企業とはなんであるか、をつくるのだ。

だからといって、当然、経済は経済学に従わない。これは単に為替などが経済学的な予測が外れると
いう意味ではなく、そもそも経済というものは存在しない。政治、社会、経済というのは便宜上の区分で
しかないし、切り離し、取り出せるようなものではない。ただ経済学が扱うものという曖昧な切り取りにお
いてのみ、経済というものが、そこにあるように感じることができる。だから「経済とは経済学である、(で
しかない)」、ということもまた言えるのかもしれない。
763考える名無しさん:2007/03/23(金) 20:38:19
人類の生み出したいわゆる「学問」は3種類に分けられる。

 数学
 素粒子学
 その他
764考える名無しさん:2007/05/07(月) 01:32:14
age
765考える名無しさん:2007/05/07(月) 06:02:22
ぴかぁ〜氏どこに行っちゃったの?
766考える名無しさん
差異共振シナジー性の理論的構成:二つの差異共振空間:超越的波動空間(MP空間)と物質的波動空間(量子空間)

差異的同一性を差一性(ないし差同性)と呼ぶ。すなわち、差一性Aと差一性Bとにおける
差異共振性(差異共振シナジー性)の実質はどういうものなのか。
A≠Bであり、同時に、A=Bであるという即非の論理がここで成立する。
通常の論理では、不等号の論理であるか、A=Aの同一性等価の論理が作用する。
即非における等価の論理では、差一性が共振している。ここで、図式化してみよう。
差一性1・差異共振性1・差一性2・差異共振性2・差一性3・差異共振性3・・・
差一性をDifference Identity(DI)として、差異共振性をDifference Resonance(DR)とすると、
DI1-DR1-DI2-DR2-DI3-DR3-・・・・・
となる。簡略化して、差一性を同一性Iとして、差異共振性を共振性Resonanceとすると、
I1―R1−I2−R2−I3−R3−・・・・
となるだろう。そして、MEDIA POINT(以下、MP)の理論を挿入すると、
I1-MP-I2-MP-I3-MP-I4-・・・・
となるだろう。MPは、普遍共通だから、序数をつける必要はないと考えられる。Iを元に戻して、差一性にすると、
差一性1−MP−差一性2−MP−差一性3−MP−差一性4−・・・
結局、差一性Aと差一性Bとは、メディア・ポイントを介して、共振するのである。
ここで、即非の論理が成立するのである。だから、即非論理をメディア・ポイント論理(MP論理)と呼ぶこともできよう。
とまれ、これで差異共振性の意味が明快になったと言えよう。
個と個とは、メディア・ポイントを介して、超越的に共振するのであり、このときには、
新たな超越的エネルギーが放出されるのである。しかし、これは、エネルギー保存則から、
消滅するエネルギーである。生成消滅的エネルギーである。
だから、思うに、イデア界・超越界においては、イデア・超越的差異共振性のデュナミス、即ち、
ポテンシャル・エネルギーがあり、それが、メディア・ポイントを介して、エネルゲイア化・エネルギー化すると考えられる。
つまり、m(ic)*(-ic)⇒E=mc^2というエネルギー公式で考えると、⇒の左辺は
超越界・イデア界のデュナミス(ポテンシャル・エネルギー)を意味して、⇒の右辺がエネルゲイアではないだろうか。