1 :
考える名無しさん:
2 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 23:06:14
バーカ
まずはジュダィシツの定理を学べ
4 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 00:35:53
いつまでやる気?
キモイお
5 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 01:00:14
6 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 01:03:10
人を殺すことより有害な毒物をそのまま川に垂れ流しにする工場の方が問題。
7 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 01:26:21
答えはもう出たよ
「人を殺してもよい」
きみだけでは済まないよ
「なぜひとを殺してはイケナイのですか?」
この問いかけにたいするかみあう答えはふたつしかない。
ひとつは「ひとを殺してもいけなくはない」、つまり、「ひとを殺してもよい」である。
もうひとつは、「殺してならぬワケはある。しかし、それを言葉にしてはならない」である。
このふたつのほかに、この問いへの“かみあう”答えはない。
このふたつのちがいは、答える者の立場のちがいによる。
前者は人を殺してもよいとの立場、後者は人を殺してはならないとの立場である。
*
「なぜひとを殺してはイケナイんですか?」と悪魔が天使にたずねた。
天使はむじゃきに「▽※○×□だからイケナイのです」とこたえた。
すると、この問答をハタできいていた人間はかんがえる――
「なるほど。では▽※○×□でなければ殺してもよいのだナ」
そして人ごろしははじまった。
*
(つづく)
(
>>10 からのつづき)
どんな意見・かんがえ・ことばにもまぜっかえしたり、
云い返したりすることができる。反論というのもそのひとつだろう。
そう。この「いいかえせる」とゆうこと。
これは「ことば」というものにおける「ひかりと影」である。
これがこの問題をとくカギである。
光があればかならず影ができる。影をつくりださないためには、
ひかりをなくさなければならない。光をなくせば影はおのずときえる。
天使は、ひとを殺してはならないと考えておりながら、
ひとを殺してよいワケをつくりだしてしまった。
そうであれば、ひとを殺してはならないと本当におもっているのなら、
「わけはある。しかし、それをことばにしてはならない」とこたえるほかにはなくなる。
(つづく)
(
>>11 からのつづき)
考えのちがう人どうしのあいだで「かみあう」話合いがあたりまえにできていれば、
この「ことばをめぐる光と影の関係」のことを多くのひとたちがおのずとわきまえているハズだ。
したがって、「なぜ人を殺してはイケナイのか?」とだれかに問われたとき、
うえのように答えるほかはないことを知っている人もそこらじゅうにいるハズだし、
うえの説明もスンナリ受けいれられることだろう。
しかし、この問いをめぐるありさまは、ニッポン社会に「かみあう対話」がちッともないことを、
2ちゃんねるのこのスレッド(過去スレもふくめて)にかぎらず、しめしつづけている。
こどもっぽくもあり、単純でもあり、根源的でもあるこの問いかけを、
問う人に問題があるのではない。逆だ。感受性のするどい年ごろなら、
この程度のことをおもいつかないほうがむしろヘンである。
この問いかけは、いつでも、どこでも、だれからでも発せられてよいし、
むしろ発せられつづけなくてはならない種類の問いかけである。
「そんなことはきくな」だの「じゃあオマエ殺されたいのか」などといいながら、
内心でうろたえまくるだけで、こんなカンタンきわまる正解をおもいつきもしないことのほうにこそ、
現代ニッポン人のオトナどものココロとオコナイの闇がよりよくあらわれている。
(おわり)
13 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 02:16:43
ほらまたおかしなのがきた
14 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 02:27:40
殺した事が有る人に聞く。
だめか?
ほう。このオレがおかしいとな?
では、この考えのどこがどうおかしいか、
キッチリと説明してみてくれんかの?
堂々たる「おかしくない」説明なり論理なりがあるんだろ?
たのしみにしているゾ。w
17 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 07:17:07
ジンギスカン
「王族・貴族の男子を殺し、婦女子を強姦するのは至高の喜びである。」
「殺してよい・殺していけない」
命題の設定の仕方でどちらの論も構成できます。
倫理の命題が存在しないのなら理由は存在しません。
自分に徳があるのか考えて見ましょう。
>>10-12 あまり論理的ではないように思うが。
>「なぜひとを殺してはイケナイんですか?」と悪魔が天使にたずねた。
>天使はむじゃきに「▽※○×□だからイケナイのです」とこたえた。
>すると、この問答をハタできいていた人間はかんがえる――
>「なるほど。では▽※○×□でなければ殺してもよいのだナ」
>そして人ごろしははじまった。
もし人間に一切の人ごろしを許したくないのなら、「▽※○×□」の部分に
「そうでないことがありえないような命題」を入れればいいだけの話で。
そういう命題が存在しないのなら、それはすなわち
「人を殺してはイケナイ場合も、殺してもよい場合もある」という点で、
天使と悪魔の意見が一致しているのだ、としか考えられないが。
実際、天使が一切の人ごろしを望まない、というのは余り根拠がないのでは。
>>18 ほう……
おまえはその意見が、
ワシの
>>10-12 の所論にたいして「かみあう」と、
自分自身で本当に心底からおもってるのか?
おまえにたいするワシの疑問はそのただ1点だけだ。
話合いや対話がかみあってるかどうかの判断ができないヤツには、
「ことば」の根源にある性質「ひかりと影」のことも本当にはわからないハズだ、
というほどの意味のことも、
ひょっとすると
>>10-12 にはふくまれているかもしれんのだがな、
おまえには(たぶん)皮肉なことにな。w
で、おまえがその意見を
>>10-12 にかみあうと考えているか否かは、
全宇宙のなかでおまえただひとりだけがしっている。
そして、おまえがその意見を
>>10-12 にかみあうものだと心底から本当におもっているのか、
それとも、心底では実はおもっていないのかは、ワシにとってまったくどうでもいいことで、
ワシにはまるきり無関係なことだ。
さらにまた、おまえのその意見をよんでも、
ワシは
>>10-12 を再考する必要も訂正する必要も撤回する必要も、
なぜかはわからないけれども、
まったく一切おぼえない。
以上の意味、わかる?
20 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 12:14:43
21 :
◆G7OA/lPHSQ :2006/04/10(月) 18:03:06
>以上の意味、わかる?
まったく判りません。
頭悪いんです。
噛み砕いて回答をお願いします。
(ちなみに、>18は良く判りました。)
>>10-12 何か論点がずれてるような…
このスレの問いに対する答えにはなってないんじゃないの?
23 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 18:50:28
★ 理 由 な ん か な い よ 。
死ぬまでやってな
24 :
零音:2006/04/10(月) 19:34:22
>>10 >前者は人を殺してもよいとの立場、後者は人を殺してはならないとの立場である。
この場合の前者と後者は、問いを放った相手に
「人は殺してもよいということを伝えたい人の場合」と、
「人は殺してはならないということを伝えたい人の場合」ということでいいでしょうか。
人間なるものには必ず両者が混在しているものですが、
立場ですからどちらの意向を伝えようとしている立場か、ということですね。
心の問題ですからね。
26 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 19:37:23
理屈はない
27 :
零音:2006/04/10(月) 19:38:27
>>10-12 > 光があればかならず影ができる。影をつくりださないためには、
>ひかりをなくさなければならない。光をなくせば影はおのずときえる。
光をなくせば確かに影はつくりだされはしません。
しかし・・・それはつまり光が全く無いということ。影で埋め尽くされた状態。闇。
返答者の意図に従うならば、たとえ影が生まれようとも、
闇よりは、光と影の世界を望むでしょう。
よって正しい選択となるのは、
影の上に光をさしかけ、出来得る限り世界から影を減らし弱めることです。
(より強い光をあてる、のは、影もまた濃くなってしまうので、あまり望ましくはありません。)
一方からのみでなく、様々な角度から光を当てる努力が求められるのです。
28 :
零音:2006/04/10(月) 19:43:56
勿論、ラミラミニャンダさんには予想済みの答えでしょうが・・・
不合格?かなあ?
29 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 19:48:58
わしはまったく的はずれだよ。
光あるところに影がある。
まこと栄光の影に数知れず殺人者の影があった。
命を懸けて歴史 を作った影の殺人者たち。
だが人よ名を問うなかれ。
闇に生まれ闇に消える。
それが殺人者のさ だめなのだ。
>>28 ワシのかきこんだ ≫10-12 についての解釈論なんてほとんど無意味だよ。
そんなことより、アンタはどうおもうんだ?
ひとを殺してもイイのか、ワルイのか、どっちだとおもうんだ?
ワシはひとは殺してはならんとおもうよ、当然ながら。
ラミラミニャンダ今いる?
質問:
ある刑務所の刑務官が死刑執行のために電気椅子の電源ボタンを
押した事実があるとしたばあい、彼は「人を殺した」といえるのか?
>>22 そうだろう。
「なぜ人をころしたらイケナイのか?」「そのわけはある。しかし、そのわけを言葉にしてはならない」
の問答をよんでいくら考えても、どうにも釈然としない気もちが強くのこっておちつかないんだろ?
それは当然だ。これははじめからその種の問題だよ。その、どうにも納得のいかない気もちは、
とてもたいせつだとワシはおもうよ。だからこの先もずっとわすれない方がいいとワシはおもう。
おまいら、老子をよめ。この問題はな、「おこなうこと」と「おもうこと」とのあいだの、
けっして越えられないミゾ・かきね・断絶に根ざすことがらだろうとワシはおもっとる。
老子って野郎は、きっと、そのあたりのことでずいぶん苦しんだんじゃないかとおもうよ。
「なぜ人をころしてはイケナイのですか?」とたずねたら、老子先生は、なんて答えただろうなあ?
>>34の考えは「黙知主義」と命名しよう。
黙知主義:倫理の根源的な部分は知りえても語るべきでないとする態度
人を殺すと心に傷が残るよ。だからなるべく人は殺さないほうがいいよ。
37 :
考える名無しさん:2006/04/10(月) 23:52:02
人を殺してもいいというならば自分も殺されてもいいってこと。
あなたは殺されてもいい?
ほとんどの人が「NO」というと思う。
結局エゴ。
それ自体不可能であることは絶対に成り立たない。
そのことにおいて成り立たないのだから、どこまで許されていようともそれだけが成り立たない。
人を殺すことが成り立っているのか。殺すことが成り立ってないと、どこまで許されていようとも
絶対に不可能だ。
殺すこと自体が何だか判っているのだろうか。
あいつの魂を破壊するにはどうするのか。あいつの信仰を汚してやる、そうすると、
来世の望みは絶たれて、あいつは生きてない、生きる屍だ。信じていること自体を成り
立たなくさせてはならない。
あいつの肉体を破壊するにはどうするのか。あいつの構成物の何割を奪ってはならない。
すると、体自体を維持することが不可能であり、彼の共同体、国家、宗教が健在でも、
彼自体が不可能だ。
あいつの人格を破壊するには(ry
40 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 00:34:34
殺したければ、勝手に殺せばいいのでは?
ただ、結果を考えて行動するのが、人間。
殺したければ殺す、殺したくなければ殺さない。
いずれもなんらかの結果を招く。
それらが、何を意味するのかを考えるのに意味があるのか?
殺されそうになった相手は自分を防衛しようとするだろう。
返り討ちにあうこともあり得る。人を殺せば社会からも制裁を
受ける。社会が制裁をするのは理由あってのことだ。
選ぶのは自分自身だろう。
昔中国の偉い人言ってた。
「君子は厨房には近づかないある」あるよ。
大量の血を見ると(豚のでも牛のでも鶏のでも)人間不安になるものあるよ。
その何故だかわからないけど不安になってくる気持ちは人間にとってとても大切ある。
血に慣れて不安にならなくなったらそれでもう人間終わりあるよ。
動物は仲間が殺されても平然としてるある。むしろ自分が捕食されなかったということで次の瞬間もう平然と草を食うある。
血になれたら動物と同じね。
43 :
零音:2006/04/11(火) 05:36:42
>>31 私はひとを殺してもいいと思っています。残念ながら。
しかし、ひとを殺してはいけないとも思っています。
そのどちらも人間は「考えられる」ものなのですから。判断を放棄しない限りは。
私は私の価値観に照らして、殺すべきか、殺すべきでないか判断します。
判断材料とは人を殺すことで手に入る利益。人を殺すことで被る損害。
天使が掲げる光とは。
人を殺すことで被る損害。なのでしょう。
そしてこの損害さえ被らなければ殺してもよいのだと人は考えます。
しかし、多くの光があれば。
人を殺すことで被る損害、殺してはいけない理由が沢山あるのならば。
それに従い「殺してもよい」という影は抑え込まれることになります。
ですから「どうして?」と尋ねられたら、出来うる限り沢山の光を与えることが最良だと思っています。
ですが、必ずこうしなさいと決めつけたくはありません。
人の判断は自由であればこそ、人はどんな状況にも対応していけるのですから。
より重要なのは先を読む力、だと思います。
つめたい云いかたかもしれんがね、アンタはせいぜい、いつもお花畑にいて、
しろいウマにのった王子か貴族の息子をまってるのがお似合いだとおもったよ、
そのかきこみをよんで。ちょっとガッカリだったな。
>>35 「黙知主義」なることばははじめて見た気がするし、
「知りえても語るべきでないとする態度」
というものをまとめてひとつの主義とするかんがえにもはじめて接した気がする。
いずれも興味ぶかくはあるとおもうが、この場合はどちらもあてはまらないとおもうな。
ワシは「倫理の根源的な部分」なんてことは何もいってない。
だいたい、ワシのようなものに「倫理」などというものをかたる資格はすこしもないよ。
いままで4人ぐらいころしちゃってるし。
ワシがいったのは倫理ではなくて、「ことば」の根源、
「おもうこと」の根源にあることのひとつにすぎないよ。
倫理のことはワシにはわからないけど、「ことば」「おもうこと」の根源に
「ひかりと影」の関係や作用があることは、だれにだってわかるくらいの単純で自明なことだろ。
ワシにいえるのはせいぜいそんくらいのことだ。
それに、「倫理」などというものが取りざたされることそれ自体が、
すでに倫理がなきものにされてる末期的な世のなかなのだと、
草葉のかげの老子先生になげかれているよ。
また、ワシは人をころしてならぬ理由が「ある」とはいったが、
「しっている」とはひと言もいってないよ。それとこれとは意味がちがうハズだよ。
(つづく)
(
>>45 からのつづき)
ころしてならぬ理由がもしなければ、それは、ひとを殺してもよいことである。
理由もなく人間の自由をうばうのは人権蹂躙である。ひとの道をふみはずしてる。
そんなことはゆるされるべきでない。ころしてならない理由がないなら、
基本的人権なり自由権的基本権なりに、自由に殺人する権利をあらたにくわえるべきである。
もし人をころしてはならないというのなら、
その理由はかならず「ある」でなければならんわけだよ。そして、それがあるからこそ、
殺人の自由は侵害されてしかるべきなのであり、侵害され束縛されなければならないものになる。
そして、その理由がいくら「ある」としても、それは口にも筆にもできないことは、
≫10-12 にのべたとおり、「ことばにおけるひかりと影」の作用がはたらくからだ。
だから、ころしてならぬ理由はしゃべることもつづることもできない。
ワシがいったのはそれだけのことだよ。倫理のこともいってないし、
ころしてならぬ理由を「しっている」といったわけでもない。(ただし、
その理由を「しらない」ともいわないし、つづりもしないけどな。w )
(おわり)
ついでにかいておこう。
このスレには、「人はころしてもいい」という意味のかきこみをするヤツが昔からおおぜいいるが、
それらをよむたびにおもうのは、本当に心底から「ひとを殺してよい」とおもうなら、
なぜ、殺人罪の廃止運動を大々的にやらんのかなあという疑問だ。
殺人罪廃止運動とむすびついてこそ、「ひとを殺してもよい」という思想はホンモノになる。
けっきょく、「なぜ人をころしてはイケナイのか?」とたずねられて、
こたえ方をしらないもんだから、内心でうろたえまくり、そのハケ口なき衝動にもとづいて、
あいてをびびらせて自分の精神を安定させようとする作用が心にはたらき、
そうしたかきこみをするだけなのだろうとおもう。
そして、そのほかの意味は一切ないだろう。つまり、原因はただその「内的衝動」というにすぎず、
哲学も思想も倫理もひとカケラもそこにはあるまい。なんの勉強をどれだけしてきたのかしらんけど。
48 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 08:52:59
>理由もなく人間の自由をうばうのは人権蹂躙である。ひとの道をふみはずしてる。
>そんなことはゆるされるべきでない。
それが「倫理」でなくて何だというのだ?w
≪人殺しの許される世の中≫
1.強者→殺しまくり
弱者→殺されまくり
↓
2.弱者殺されないために群れを作る
≪人殺しの許されない世の中≫
このように出来た群れの絶対はずせないルールとして、
「同じ群れの中の人を殺しちゃいけません」ってのが出来る。
これを破ると1に戻ってしまうから。
こんな感じで、集団行動の際の
「絶対はずせないルール」
これが倫理というのではないでしょうか。
かみあう対話なり話合いなりをやれる能力もなく、
そのやりとりがかみあっているか否かに気づく力もない見本のようなのはこのスレにもいくらもいるが、
たとえば
>>48 もそれだ。
なぜそうなのかは、きのどくにも
>>48 本人にはわかるまいが、
それを「きのどく」と認識するちからにもおそらく欠けていて、
ひとり本人だけはとくい気でいつづけてくれるであろうことが、
きっとコヤツのたったひとつのすくいなのだろうナとおもう。
>>48 のようなたぐいをみて我がフリなおしたいと、
いっそう自戒している。むろん
>>48 に胸をいためつつ……
51 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 16:51:38
どうして人を殺してはいけないのですか?
どうして猫を殺してはいけないのですか?
どうしてゾウを殺してはいけないのですか?
どうして牛を殺してはいけないのですか?
どうしてゴキブリを殺してはいけないのですか?
52 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 17:01:44
★ 理 由 な ん か な い よ 。
53 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 17:14:12
理由がないんじゃなくてお前に分からないだけだろ
54 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 17:17:12
★ 理 由 な ん か な い よ 。
またおっ勃ておって。
「いけない」が一人称的なものか、二・三人称的なものかはっきりしないと
各自の答えがバラバラになって話が噛み合わないって、前にも言ったでしょ。
56 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 19:22:03
責任は絶対的に強制は出来ないから(人を操れでもしない限り)
(第一人称から見た)いけないにはならない。
第二・三人称のいけないにも絶対的な強制力は無い。
(ちなみに第二人称のいけないは、個人から自分に発せられた"いけない"であり
第三人称のいけないは大衆的な団体から発せられる"いけない"で、
第三人称的"いけない"の方が強制力がある)
↑を分かりやすく言うと
「責任とって」に対し「反故する」
が充分実現可能であるということ。
「縛り」にも反抗するという自由がある。
前スレより転載。「いけない」の定義でグダグダになってたときにカキコした。
58 :
零音:2006/04/11(火) 20:20:12
>>44-47 ええ。思う存分ガッカリして頂いて結構ですよ。
なにしろ、あなたをガッカリさせないためには、
思いはある。しかし、言葉にしてはいけない。ということになってしまいますからね。
理由はある。しかし、言葉にしてはいけない。
もうこの考えには影ができてしまっているのですよ。
あなたが言葉として発してしまったが故に。(一寸嘘)
この考えを真理としておくためには、言葉にしてしまってはいけなかったのです。
ですから私がこう思うのも致し方ない事です。
人を殺してもいい。と同時に、人を殺してはいけない、と。
人を殺してはならない。そう考えたときには既に影として、
人を殺してもいい、という考えも存在してしまっているのです。
人を殺してもよい、というのは思想と呼ぶ程のものではなくて、
人であれば、至極当然に持っているものなのです。
「ワケはある」
「ある」「だけ」では人の行動には何の影響も与えられはしません。
「ある」ことを「知る」ことで始めて人の行動を変える力となるのです。
ひとがなにかをしるということは思考の根源です。
しっていなくてはみえないものがあります。
ひとがみるのはしっているものばかりなのですから。
いかにあなたが高邁な思想を持っていても、それが「ある」だけではだめなのです。
ですから伝えなければなりません。そのワケを。
つられて光という言葉を使いましたが、あなたの用いた意味とは少し違って、
言葉である必要はありません。手段やその形態などは何であっても構いません(まあ、同じ事ですけど)。
ただ、自分に損なことがあると認識しさえすればそれでいいのです。
人間にはそれ以外に出来る事は無いし、その上で、自らの利益に従え、とするしかありません。
ほかに人間に何かできることがあるでしょうか?あるかな?
59 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 20:23:42
「おこなうこと」と「おもうこと」。
「おこなうこと」に影ができないのはひとがそれを知らない時だけであり(それは言葉も同様ですが)、
いずれであっても影がつくりだされるのを免れる事はできません。
光で照らし、影をつくらないためには、思考の天秤を破壊するしかないでしょう。
60 :
零音:2006/04/11(火) 20:28:19
>>10-12は道話の類でしょうから、
ラミラミニャンダさんが本当に黙知主義?者なのかなんて知る由もありませんが・・・・・・
人の思考パターンや行動原理の参考にはなりましたよ。感謝します。
61 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 20:31:27
★ 理 由 な ん か な い よ 。
>>1 殺されたくないからじゃだめなのか?
それとも死刑廃止論者
大勢の人間で形成される社会を効率よく統制するには、他人の不利益を生む行為は禁止されなくてはならない。
それは詐欺であったり、暴力であったりするけど、殺人もそのひとつ。
殺人と言う行為は、被害者の行動をこの上なく制限するし、可能性も完全に奪う。
これは、人間にとって最大の不利益になる。
だから多くの法律では、自分の命に関わるような極限状態でもない限り殺人行為を禁止してる。
倫理観なんぞトコロ変わればひっくり返っちまうから、いくら論じたって意味無い。
64 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 22:07:10
65 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 22:53:11
人を殺してはいけない理由なんてないのです。
殺してもいいから、今まで殺し合いしてきたのです。
それが、しかし、あまりにひどい事で、殺されるのは
嫌と思う人が増えてきたから、取り合えず、お互い
殺さないないでおこうという合意が出来て北にすぎないのです。
わしも、人をころしてはいけないと思っていますが、理屈ではないのです。
殺してやりたい個人はいませんが、組織はありますし、顔の見えない
週刊誌の執筆者など殺したろかと思うときもたまにあります。
66 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 23:08:54
人間の倫理は、共存の思想が根幹にある。
共存という概念は、所有と共有という相反する行為を内包するが
どちらにせよ、略取という行為は人間の共存の思想=正義に反する。
生命も他者の所有する財産であると考えるなら、生命を略取する殺人は当然、
人間の共存の理念に反する悪であると言える。
一面で、他の所有を脅かす、何らかの所有が制限される(マンションでのペット禁止や死刑)
個人の生命そのものを、他の多くの者と共有する(戦争)といった行為も存在する。
しかし、そこに共通する価値観は、人間相互の共存の肯定である。
共存の根幹を脅かす、他者からの略取、殺害等は
人間に限らず、多くの社会性動物の倫理からも否定され、そこにも共存の肯定という価値観が垣間見れる。
だから、人殺しは罪なのだ。
人殺しを罪と考えない人間は集団で生活する権利を有し得ず
個体で暮らしている者が同族に対して殺人を犯すこともまた不可能だ。
>66
大体理解し納得できたけど、最後の一行がよく分からん。なんで?
68 :
考える名無しさん:2006/04/11(火) 23:28:39
>>個体で暮らしている者が同族に対して殺人を犯すこともまた不可能だ。
だって、周りに誰もいないじゃん。
そういうことか
70 :
考える名無しさん:2006/04/12(水) 01:01:46
>>1 人殺しはリスクが高いだけで無問題ですよwwwwww
とりあえず、リスクが高いのは充分問題じゃないの。
殺されたくないから、殺してはいけない。
と、強制することのできる権力を持っているかどうかは、
人それぞれ、状況次第。
だけど、
殺されたくないから、殺さない。
というのは、それなりにリスク軽減の効果はある。
あくまでリスク軽減、であって、殺されないわけじゃないけど。
権力?
権力だろ。 力でもいいが。
それが、どうしたの?
どうにもならないよ。
どうにもならならいことをわざわざ書いたの?
別に 書いてないよ
どうして人は死ぬのに人を殺してはいけないのですか?
80 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 00:47:48
>>80 りんごは腐るけど、盗んじゃダメなのさ。
女は年老いても、ハートは乙女なのさ。
わかりるか?
81 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 01:03:01
>>1 人を殺してはいけないなんて誰も言ってない
だから殺してもいいんじゃない
個人レベルまではだいたい
・生きる権利を侵害されたくない(これがほとんど)
・「死にたい」と思ってる人ですら、病気の頭で考えた答えだから答えが間違っている
もしくは苦難・苦痛から逃れたいそういう状況に最初からしないようにしる
だけど組織(国家)レベルだと説明つかない
・死刑制度(脅しじゃないし)
・戦争
あと番外編
・安楽死
・正当防衛(これは条件付許可になるの?)
>80
下はよく分からんけど 上は良くわかった。
84 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 08:21:51
「社会が成立しなくなるから」じゃダメ?
85 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 13:17:01
人は確かに、物を材料として作られたいわばただの機械だよ。
この側面から言えば、「壊して何が悪い?」というのもごもっとも。
ただ気になるのは、
「なあんだ。人間なんて、ただの機械じゃん。じゃあ、壊しちゃってオーケーでしょ?」
的に簡単に崩れるそのあり方なんだよ。
たったそれだけの気づきであっという間に逆転してしまうその幼さ、その単純馬鹿ぶり。
醜い人間への苛立ちはわかる。
人間をそこらの物体として扱う快感もわかる。
しかし、もっと慎重になれ、と。
この世の中は、そんなに簡単じゃないんだぜ?
単純な二分法で下した判断が、取り返しのつかない結果を帰結することがあるんだよ。
見えないものがあることをよくわきまえておけよ。
失ってから気づくというのが世の常なんだからさ。
86 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 13:59:37
★社会で必要なルールだからだよ。
それで納得できないヤツは、とにかくやってみなよ。
87 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 14:10:30
酒鬼薔薇の頃流行ったよな。
TVで見た当時の大人の一般的な回答。
Q.夢も希望もない・・誰も必要としてくれない・・どうして自殺しちゃいけないの?
A.努力しつづければどんな夢でも叶うんだ!
君が死ぬと悲しむ人がいるんだ!
・・・・・意図的なトートロジーなのか、日本語が理解できないのか、
あの時は激しく大人に嫌悪感を抱いたな。
Q.みんなが憎い。一生誰からも愛されない・・どうして人を殺しちゃいけないの?
A.いつか君に愛する人ができたとき、その時初めて「人を殺してはいけない理由」
がわかるはずだ!!
・・・・・・・・。
この番組を見て「死ぬもOK。殺すもOK。」なんだなと悟った14の頃の俺。
88 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 14:28:33
結論は
思考の中で人を殺すのは自由だが(他者に影響がないのなら)
社会の中で人を殺すと罪になる(規則で定められているため)
で、いいんでない?
哲学的に考えるというのは前者かと。
89 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 14:55:37
自殺も殺人ももちろん社会ルールの外に出ればオーケーだが、
決行すれば、さらに悲惨な人生になるということをどこまでわかっているのだろう。
まあ、自殺は後がないけどね。
極端な行動をとらずに、期待水準を下げるのが対処法その一。
夢も希望もない、しかしうまいメシは食える。
誰も必要としてくれない、しかし忠実なペットがいる。
みんなが憎い、しかし彼らは肉の塊にすぎない。
しかし、何でこんなにも不幸が蔓延するのか。
なぜ人を殺してはいけないのか、ってのは、
なぜこの社会は人を殺したくさせる社会なのか、という問題のすり替え問題だと思われる。
なぜこの社会は人を殺したくさせる社会なのか
なぜこの社会はこんなにも人を追い詰める社会なのか
こっちが本当の問題だろう?
助平の湾曲した道徳格率から、認められる社会を模索すると、
こうするしかなかったのかなぁと
どうして?とはどうして?
自然界では、
権利も義務も法律もないので、「殺人はいけない」、も、「殺人はしてよい」、もない。
自然界では殺しあったり、助け合ったり勝手にやってるよ。人間も自然生物なのでやってる。
人間社会の法律上では、
様々な人の様々な意見の妥協点として、殺人罪が規定されている。
様々な人の殺人への見解は様々なので、そこに明確な理由があるわけではない。
法律は、あくまで妥協点だ。
もし完全に、殺人が否定されているのなら、殺人罪=死刑罰となってもおかしくはない。
社会規則としても、認められた殺人があるということだ。何が何でもいけないとは言っていない。
社会規則は、誰かが決めたもの。変える場合は、立法府で変えればいい。
一般個人では、
この場合は、「どうして、あなたを殺してはいけないの?」と質問すべきだ。
または、「どうして、あなたの愛する人を殺してはいけないの?」と尋ねてもいい。
普通「どうもこうも嫌だ」と言う。「生きたいから、死にたくないから」それだけだ。
生物には、他を殺してでも自分が生きようとする本能があるからという答え。
逆に、種として残るために、自分を犠牲にする本能もあるが。
人以外ならいいかということも同じ。どんな生き物も殺されたくはない。人間を特別視するのは人間だけ。
あなた自身が誰かを殺すか、愛するかはあなたにしか決められない。
選んだように物事は進むし、それに他人がどう関わってくるかはあなたには決められない。
どうして?と問い、明快で論理的な答えを他人に求めようとすること自体が、考え不足だ。
こういう問いにイラつくのは、物事を誰かのせいにしている点だ。
精神論や宗教論なら、各自の信念を通せばいい。
大人なら、自分で決めろ。
私的には、誰かを殺して、毎晩、夢で苦しんだりしたら嫌だな。そんな一生ごめんだ、と考えます。
>91
素晴らしい。
(・ω・` ≡ ´・ω・)
94 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 22:06:12
>94どこが屁理屈か示せない典型
96 :
考える名無しさん:2006/04/14(金) 22:37:37
>>95 「示せない」んじゃなくて「示さない」
日本語は正しく使おうね
彼はもお無敵だよね
社会的な責任も人の未来を奪ってしまう責任も
全部一人で受け止めて一生背負えるなら人殺しもやむをえないんじゃね?
哲学板に来るのって
頭良い人が暇つぶしに来るか
弱者が救いを求めて来るか
>96みたいなどうしようもない馬鹿が来るかだよね。
あとは電波と反論しかしない人。
子供に対してなぜ人を殺すなと教えるか。
その子の損だから。
愛する人間が殺人をして、彼の人生が無茶苦茶になるのは、悲しいから。
大人は、殺人の不利益を、少なからず実感しているから。
また、どうせいつか死ぬことも、徐々に実感しているから。
明確な論理で、説教するわけではない。
だから、愛する人間に人殺しなんかすすめない。
また、見知らぬおかしな人が、「何で殺したらいかんのじゃー」とわめいていたら、
普通、逃げるか、戦うか、「知らん」、「勝手にしろ」、「警察を呼べー」くらいですね。
見知らぬ人にも、説教しようというのは、やさしいひとです。
誰かに愛する人間を殺された人が、このスレの問いを見ると、どう感じるかを想像してみるのだが、どうですか?
実際には、命には尊厳も感じるけど、雨のようにどんどん降り注ぎ、流れ、またざざーっと日光で蒸発していく、
そんな、大まかさ、ダイナミックさもあるのでないかと。
日々、幸せに暮らしたいなら、殺すより、 可愛がる、ことをお奨めします。
101 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 08:25:54
馬の鼻面に、ニンジンがぶら下げてあれば
馬はニンジンを食おうと必死になり、ストレスを感じる。
上手いことやって、また偶然にニンジンを食えた仲間や
仲間の鼻面のニンジンを奪って食った別の仲間への嫉妬や倫理的反感も生まれる。
『鼻面にニンジンがぶら下がっている馬。』=『利得の可能性を知らされた存在』が
理想的な将来、恵まれた現状を夢想しないことは難しい。
【利得の可能性】がある限り、ストレスはかなりの確立で発生する。
現代日本に限定すれば、日本人は豊かになれる可能性や事例が開示されすぎていて
そこに至れない苛立ちが、ヒトを他者への攻撃や、自己の否定に駆り立てている。と、思う。
日本人は鼻先にニンジンをぶら下げられた馬なのでは?
もちろん、貧しい社会にも【利得可能性をめぐるストレス】は存在するだろう。
村一番の美人と、彼女を巡る男たちの恋の戦いとか、【利得欲求】が大きすぎるヤクザ者抗争とか。
途上国の人々は、鼻先に小さいニンジンしかブラ下がっていない
比較的自由な馬だといえる。
しかし、例えば 現代の日本と、発展途上のアフリカの小国あたりを比べれば
日本人はあまりに多様で、自由で、些細な、【利得可能性】の為に苦しんでいるように思える。
馬のストレス源は、鼻先のニンジンと、それ以外の生活環境に起因すると思うから
鼻先のニンジンを取り去っても、すべての問題解決が図れるわけではないが、
鼻先のニンジンをめぐる煩悶と、美しい雌馬を巡る馬相互の葛藤/ストレス/犯罪があるのなら
すくなくとも前者は、現状への満足を教育したり世論化することで解決できるかも知れない。
プレステもってなくても良いじゃないか? 高校で彼女できなくても良いじゃないか? みたいな満足だ。
そして、馬達は自分の置かれた状況をもっと前向きに評価するべきかもしれない。
見た目そこそこのメス馬は、沢山の子供を産んで愛情豊かに育ててくれるかもしれないし、
鼻先のニンジンは美味そうかも知れないが、足元に拡がる牧草だって、そこそこ美味いかもしれないから。
102 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 08:27:53
あ、これサルトルじゃんw
俺は、別に殺していいと思う。
でも、人は殺していいとなると欲深いから殺せる人間はどんどん
殺して略奪して行く。
だから、人は法という物を創って人の世の中を継続するために人を
法で縛っているんだと思う。
別に、自分に死ぬ覚悟があるならころせばいんじゃないんですか?
104 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 14:44:46
>>103 【法】が何を守る為にあるのかと言う事を考える必要があると思う。
自分に死ぬ覚悟があれば殺しても良いという考えは狭いんじゃないか?
例えば、社会の人々が皆【殺されても良い覚悟】を持ってしまえば、殺人行為が【自由】な社会になってしまう。
無制限な殺人の自由が許されるようになれば、社会そのものが存在意義を失い消滅する。
そうなれば当然、個人の生命維持も覚束ない。
殺人の否定は個人の存在を基準に発生した必然ではなく、
【社会】の存続を通して【種】の保存を図るところに、その究極の目的があるのではないか?
【法】の目的は元来、【社会】全体を ときに【個人】に優先して保護し、維持することで
【種】全体、如いては【個人】【個人】の生存共生を図るものではないだろうか?
近現代的な【個人優先】の【人道的な法】も、近代社会の余剰生産力を背景に付け足された、付録のような物でないかと思う。
そうか、それはそれでいんじゃないか?
例え人が全て覚悟を持って殺しあってもそれもまた運命じゃないのか?
それに、多分人が殺される覚悟を持つことは無いと思う。
なぜなら、人は「死」を何よりも恐れているから。
それでも、この人が殺して死んで良いと思うならそれもまた良いと思う。
まぁ、一人殺しても相当エグイことやらなきゃ死刑ならないけどね。
106 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 23:11:50
>>105 自分の勝手でヒトを殺したいと思う奴が、
社会のモラルに留意して、腹切って責任を取るということは、
ほとんど無いと思う。
暴論だし、哲学ですらないだろうが
利己的欲求で殺人を起こす人間と、そうでない被害者の生命を等価で扱うこと自体に無理がある。
社会のモラルに留意しないような奴でも、社会のモラルの恩恵をこうむって生きてるんだよな。
108 :
考える名無しさん:2006/04/15(土) 23:33:03
うざい、しね
どうした?学校でなんか嫌な事でもあったか?
110 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 00:08:29
神がお造りになった者を同じ造られた立場である人間が殺してはならない からです。
なぜ同じ立場だと殺してはいけないの?
112 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 00:21:05
仮に「人を殺しても良い」という結論が出てしまった場合
>>1はどういう行動を取るのだろうか。人を殺すのだろうか。
俺はその点には興味が無い。
114 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 00:27:44
>>1 この世の全ての人間がヒト一人殺してみろ
人類は滅びるだろ
人類が滅びるとなぜいけないのですか?
116 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 00:31:39
どんな結論に転んでも、結局
>>1は殺人を犯すことなく暮らしていくんでしょ。
118 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 01:22:44
人類が滅亡したら地球は平和になるよ
119 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 01:51:45
なぜ人類が滅亡しないといけないんですか?
人類が滅ぶような事態が起これば地球の生物圏も只では済まないと思いますし。
平和と虚無も違うと感じるのですが?
>118
寝ぼけてるのか?
何が平和だ(笑)
122 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 10:37:14
>>121 【死にたくない俺】は共通無意識からの声だから
>>122 なぜ共通無意識からの声だといけないの?
>118
俺は、同意かな。
まぁ、世界は弱肉強食だから動物が弱いからいけないんだけど。
人間は、生まれてきたせいで資源が使われ皆も考えてみれば分かる
異常気象はなぜ起こったか?
地球からしたら、人間は害虫同然じゃないか?
まぁ、そういう俺も人間か・・・。
どうして人を殺してはいけないの?
だれか分かる人いないか
126 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 13:27:29
>>125 足りないのは みんなの説明ではなくて
君の理解力ではないだろうか?
なんで こんなに説明してもらっても わからないの?
自分で 他のヒトの言葉の どこ判っていないかは 判ってる?
自分が何を疑問に思っているのかも 判らないまま 問いかけても徒労だよ?
127 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 14:39:59
>>111 権利がないからです なぜそんな感覚すらなくなってしまったのですか
128 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 14:59:15
闇が存在するという前提で話している人がいるようだが、
闇とは単に「光を感知する能力の限界がある証明」に過ぎない
129 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 16:53:21
>>127 核保有国同士は戦争できないようなもんか
皆が、一回刑務所がどんなもんか経験しとくのもいいかもね。(数年間)
んで、どの程度のことをすると何年こういう暮らしをするとか、死刑になるとか学ぶの。
そしたら後は自由でいいと思う。
通常殺さなくちゃいけないような状態は訪れないけど、各自判断してリスク(法)をリターン(自我)が超えたときは
やっちゃっていいと思う。
そういうリスクリターンをお互いが知っている世の中になれば、お互い文句も言えない自業自得な世の中に近づくと思う。
132 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 17:43:40
色々答えてもらってんのに「なぜ〜の?」で返すのはよくないよ。
キリがないじゃないか。本当の答が出ても「なぜこれが答なの?」と訊く気か。
もういい加減におし。
133 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 17:46:07
まあ、ぶっちゃけ釣りと、犯罪教唆が目的だろうからさぁ。
いや、初歩的な入門書さえ読んでない香具師が、
いかに多いかわかるというもの。
135 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 18:37:12
>>130 >>132 そうですね('-^*)/
困ります
権利がないと なぜいけないかは
権利がないから ですからね
2位になったのに なぜ金メダルじゃないんだ
って 言うようなものですから
136 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 18:40:55
>>135 つまり、「権利がないからいけない」というのは、
「いけないからいけない」といっているようなものだ、
ということですか?
>どうして人を殺してはいけないのか
それは命の尊さを知っている人なら
出てこない疑問のような気がするから
それを問われる事の方が、不思議な感じがする。
ということは、この疑問を投げかけてしまう人は
残念ながらまだ、命の尊さをあまり知らないのかも知れない。
命の尊さを感じる気持ちは、いったい何処からやってくるのか。
それは、自分が慈しみ育ててきたものに
先立たれた時に心にぼんやりと沸いてくる感情だ。
この感情を人は“哀しい”とか“淋しい”とか“切ない”
という言葉へ置き変えて表現したり、どんな言葉にもできずに
涙に変わって流れ落ちたりするんだ。
或いは、哀しすぎるとその原因を作った他者や
どうする事もできなかった自身への
“怒り”や“恨み”や“憤り”といった類の
マイナスな感情へ変化してしまうことさえある。
でも、他者へ恨みをぶつけた所で失った何かが
還ってくるわけじゃない。
この時に大抵の人が受け入れる感情を仏教用語で
無常と表現したりもする。
話は横道に反れてしまったけれど、
現代はテレビや雑誌で、まるでフィクションのように
人の死を見聞きする機会はたくさんあるけれど、
個人的にそういう出来事に遭遇することがあまりないから、
実感として沸いてこないのかもしれないね・・・。
138 :
137:2006/04/16(日) 18:53:44
なんか自分流になっちまったけど
取り敢えず半日考えてこんな感じ。
雑談中だったのにごめんね。
139 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 19:01:16
まぁなんだ?
ぶっちゃけ、【なぜヒトを殺してはいけないのか?】なんて聞かれて答えられない方も修行が足らんけど、
そういう初心者相手にオチョクルような釣りばっかり繰り返して、スレ荒らしてる質問厨房もいい加減にうざいヨなぁ?
ってか、スレ自体が釣堀だから仕方がないのかぁ?
質問厨は、筋の通ったレス返されてもスルーで、『なんで?なんで?』ばっかりだモンなぁ?
ちょっとでもマシな議論や発見がないかと期待してた奴はホントがっかりしてるだろうよ。
ところで
>>136は 『なんで?』ではなくて
『僕はこう思うんだけど?』ってカタチに質問を変えないとダメだよね。
どうせ釣りだろうから言うだけ無駄だろうケド。
140 :
137:2006/04/16(日) 19:57:09
スレの流れからみて、>139は一見煽りのようにみえるけれど
適切な意見を述べていると思った。
哲学板に限らず相談や質問をする人に、よくありがちなんだけど
>136はやや思考回路停止状態に陥っているんじゃないのかな?
質問するからには<自分はこれこれこう思うので
それでこれが疑問なんですが、みなさんはどう思いますか?>
と始めるのがいいんだけれど、ゆっくりでもいいから
<自分はどう思う>のかも自分の頭で少し・・・考えてごらんよ。
>139は、別に意地悪からとかではなくて、無駄だとは思ったけれど、
「少しくらいは理解してほしいな」と思ってあえて書き込んだんだし、
勿論私もそうだけど・・・。
私は>137で自分の経験から感じてきたことは書き込んだので
同じ疑問で後々ここを訪れた人がこのスレをクリックした時に
役立てばいいくらいのスタンスなんだけどね・・・。
疑問点があったら、過去スレ全部読んで、それから質問してね。
大抵の疑問なら過去スレ読めば回答がある筈だから。
それでも分からないほどの難解な問いなら、
有意義なものである可能性もあるからね。
142 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 21:07:15
>>139 僕は、筋の通ったレスというのは、きちんとした理由があるレスだと思うんだけど?
理由が答えられないレスが、なぜ、「筋が通ったレス」だといえるんですか?
143 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 21:37:12
>>142 >>66 >>66は 以前、僕自身が書き込んだ【殺人が正しくない理由】
特に反論も無かったはずだけど、見落とされちゃったのかな?
根拠を提示しあって、意見を交換する議論は楽しいよね。
内容が明確な反論や質問は歓迎するよ。
根拠も反論もない質問攻めは御免だけどw
144 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 21:39:09
>>143 何の説明もなく、いきなり「倫理」という言葉が登場しています。
レスの内容は、この「倫理」についての議論に終始しているように見えますが、
このスレの問題とどういう関係があるのですか?
145 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 23:20:14
神が憎むことだから人を殺してはいけないってのが結論じゃないの?
カラマーゾフや罪と罰だってそういうこと書いてあるじゃん、
俺もう明日死ぬからたくさん人を殺してやるなんて人とか核爆弾のボタン
押す人とかにはもう神様や仏様の天罰でもなきゃ止められないよ。
146 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 23:35:22
もちろん道徳的にやってはいけないことであるというのを前提として・・・
「人を殺す」って大変だろうな〜。
「殺し屋」みたく設備が整ってるなら別かもしれないが…
それによって何らかの利はあるのか?
「金」か、「憎しみ」か、はたまた「悩み?」からか・・・
147 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 23:48:16
道徳ぐらいなら所詮人間が作ったものだし人殺しなんて屁とも思わないよ。
屁理屈で自己弁護できるし。
でも、無宗教の日本人じゃ解らないけどイスラムぐらい神に向かい合った生活
していて人を殺すなかれという神の教えがあったら人は殺せない。
148 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 23:49:47
>>144 罪を問い。規定するのは倫理だよ?
知らなかった?
149 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 23:58:39
つまり「権力」だよ!
法律や宗教、道徳、倫理、イデオロギーなどなどの
「権力」が規定しているから、
我々支配される者は従わねばならん。
(「権力」に命令されてやるのが「戦争」だろ?)
ただし、カント的な「良心」も我々には内在するのかも・・・
150 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 05:12:23
こういう問題って、
宗教的には「神の教え」、教育でいえば「親による躾け」「学校教育」などで
何の意味も分からず理解しているつもりになってはいるが、
いったいどうしてなのか本当は分かっていない。
「常識ではないか!」とかいう意見は最たるもので、
社会通念でしかものを考えていない(考えられない)
ようになってる人間ってたくさんいる。
そういう社会通念化(イデオロギー化)してしまうのも
一つの「権力」の形態なんだろうな。
151 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 11:15:24
どうして殺しちゃいけないか人間には解らないから神様の出番なんだよ。
152 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 11:24:16
動物にある生存の本能から学習したもの。
「殺すと殺された者が生存できない」
殺すことを良しとすることは、殺された者個人が生存できないだけでなく、
殺人は、我々が共有している生存の本能への批判と受け止められ、殺人は非人道的と批判される。
殺すわけだが、あなたと殺されたものを人はなんていうのだろうね。
生存競争に殺人が必要だったのかな。必ず殺さなければならないことがみつかるとも思えない。
とり得る選択肢の一つだったんじゃないの。
154 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 13:31:40
★ も う 結 論 で て る よ 。
155 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 13:41:28
よくこんな議論を長々とできるなあ。
殺してもいいって言った瞬間から、自分も他人から殺される可能性があるってことだよ?
ちょっと殴られただけでピーピー泣いちゃうヒ弱な体をした人達が、こんな議論を真面目にしてるなんて滑稽だと思わないか?
156 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 14:03:42
チョンばっかりだな
157 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 16:18:15
"権利がないからですよ"と以前書き込んだ者ですが、
神様が、お造りになった者を、
(その造られた者と 同じ立場にすぎない、)
人間が 殺してはならない、という意味です
‐自分がその人に 命を与えたのではない‐、
命を取って良いのは、
(母の胎の中でその人に)命を与えた方、本人だけです。
人間には、殺人遺伝子があるのだろうね。
159 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 17:35:48
殺人を肯定すると、いつか自分も殺されるんじゃないかと怯えるはめになるから規則で縛っておく。
自分が殺されるのが嫌だから保身の為にそういう政策をとったんだろう。
>>157 さんざん既出でしょうが、その理屈なら動物も植物も殺してはいけないと
いうことになるはずではないですか?
161 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 19:24:27
★ も う 結 論 で て る よ 。
162 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 19:45:18
>>160 神様は、それらを食物として、また、
草も、すべての生き物のために、食物として
お与えになっていますよ
この世界は、人を生かすために、神様が造られた舞台なのですよ
163 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 19:47:23
結局、人間は一人だけど、
一人では生きられないからだよ。
誰かが生きやすくする為に誰かを殺したとして、
残のは誰と誰?
164 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 19:50:48
人間を殺す植物も存在するわけだから
勝手な理屈ぬかすなボケ
165 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 19:52:26
★ も う い い 。 結 論 は で て る 。
当たり前のことは優しい誰かが教えてくれる。
難しいことは皆でもめる。いずれ当たり前のことになる。
この流れで行くと、まだスレタイの命題は難しいことに分類されそうだ。
167 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 20:07:41
でもさあ、昔は決闘ってあったじゃん。
あれは別にあってもいいような気するよね?
168 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 20:12:51
うむ、それいいじょ。食後一時間の血糖値勝負じゃあ。
169 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 20:14:57
もしかしたら、人間は一人じゃなくて、一つなのかもしれないね。
だから、命っていうのは、一人のものじゃなく一つのものだから、
勝手に死んだり殺したりしてはいけないってことになるんじゃない?
170 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 20:15:20
倫理は 人間の資質である。
原人、猿人の遺伝子を色濃く残した
進化途上のゲノムしか持た無い「亜人間」の脳では、
倫理は理解できない。
残念ながら人間には、2種類居て
洗練された万物の霊長たる「人間」もいれば、
サルに毛の生えた程度の「人間」も居るということだろう。
人類もまた、進化の途上なのだ。
サルに躾を行うには、話し合いでなく罰と調教が必要だ。
社会道徳でやんわりと躾けるか。刑罰で厳しく躾けるかだ。
なぜ人を殺しちゃいけないのか分からん。
貴方たちもたくさんの命を殺しているんではないですか?
蚊を殺したり・・・。
人間と蚊の命ってどっちが重いのですか?
172 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 20:25:31
人間と蚊なら、人間にとって重いのはヒトの命。
淘汰は生命の必然だからな。
逆に蚊の方も、病原体を媒介して人間を殺すが
彼らは自問自答したりはしない。
淘汰が生命の必然だからだ。
人間は優れてはいるが、神ではないんだよ?
意味が分からん。
結局、人も蚊も同じだと思う。
人間がこの世の支配者とでも思っているのですか?
人間にとって と書いてある。
>>171 人間。
基本的に記憶容量やら知恵やらが発達している生き物の方が、
いざ、殺そうとしたときに抵抗感を強く感じはしないか。
例えば、蚊を殺すより、犬を殺す方が抵抗感あるだろ。
で、抵抗感を強く感じる生き物、その最たるものが人間というだけ。
176 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 21:14:17
>>175 大人の男を殺すより、生まれたての赤ん坊を殺すときの方が
強い抵抗を感じるだろうから、その論はちょっと破綻している。
177 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 21:18:43
>>164 それは人間の罪のため
なんですよ
あなた以外の方でも、
皆さんそんな疑問ぐらいすぐに思いつくんです
初歩的なものを勝手に決定打にして 自分をそこまで、としないでください
>>176 赤ん坊なら、これから先にどれくらいのことができるかで考える。
大人なら、これから先にどれくらいのことができるかと、
これまでにどのようなことをやってきたかで考える。
当然これから先にできることの可能性は大人より子供の方が大。
大人の場合、何をしてきたかで価値が増減してしまったりする。
ただ、十分な時を生きたというだけで命の価値を低く見積もる人もいる。
これは見る人次第で。
偉人に列せられるような偉業を遂げた人や実行中の人は当然大幅贈。
179 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 21:47:04
>>148 また唐突に新しい概念が導入されましたね。
「罪」が何かこのスレのテーマと関係あるのですか?
>>176 大体、記憶容量やら知恵の程度は、同じ人間なんだから
当然同じ位なんだし
182 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 23:06:22
>>181しかし人は殺してしまう。なぜならそれは人間の本能だから
183 :
みょーん:2006/04/17(月) 23:19:49
人を殺しちゃいけないのは、単純に「こわいから」。
今、私たちは「生」の世界にいるでしょ?
だから、「死」を「こわがる」ようにプログラムされている。
大方…
殺したら罪とか罪じゃないとか。。そこには現象があるだけだよ。
壊したら、壊れたように進むだけ。
殺してはいけないのではなくて、殺して何を得たいのか。
それはとても大切な問い。
184 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 23:29:41
実際人殺したらどんな感じするんだろう?だから皆人殺せないんじゃない?
感情移入するかどうか
186 :
みょーん:2006/04/17(月) 23:36:59
人を殺すのは人間の本能?
弱肉強食の世界、強いものしか生き残れない?
そんなに単純にしか世界は見えてこない?
自分の中を流れている血をぶちまけてごらん。
187 :
みょーん:2006/04/17(月) 23:41:43
>184
「野菜を切るよう」に人を切り刻める人もいるよ。
人の残酷さに限りはないよ。
>185
そうそう、共感してもらったり、あたたかなものを経験
していたら、そこまでバランスは傾かない。
┏━━┓
┃・∀・┃
┗╋━━╋┛
┛ ┗
せかいは いつでも かわると おもう
きみが こわすから ばくは なんどでも つくりなおすよ
いやなかお するなよ
にげるなよ
189 :
考える名無しさん:2006/04/17(月) 23:52:19
一度暴力のサイクルが動き始めると、暴力そのものが習慣となり、
後には欲求を何度も満足させないと気が済まなくなることは間違いないね。
人間とは思えない暴力の中毒になってしまうことだけは請け合うよ。
190 :
権力嗜好:2006/04/17(月) 23:55:53
生死を自由にする以上の権力などあるだろうか
191 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 00:01:02
>>178 その意見も破綻している。ケネディ暗殺や伊藤博文暗殺。2.26事件に鑑みて。
人を狂わす権力とか?
193 :
みょーん:2006/04/18(火) 00:03:09
>190
わかりやすい考え方だけど。
「生死を自由にしてきた権力者」?
そんな人いる?
人間なめちゃだめですよ。
どんどん人を殺すでしょ?
今見ている世界はそっくりそのまま自分の内側に抱いているんだよ。
だから壊すほど、自分も壊れていく仕組みになっているのよ残念ながら。
194 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 00:04:46
自己に内在する「狂気」を恐れている。
その「狂気」は何らかの抑圧によって生まれたのではないの?
では貴方を抑圧してきたのは誰?
「大昔の偉大な発明家」ではないの?
でも、もう貴方はその発明品を捨てる事はできなくなってるんだろうね。
195 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 00:10:13
>>191 だから見る人次第だっていってるでしょー。
テロリストから見れば、標的のやってきたことは思いっきりマイナスなんだってば。
196 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 00:17:41
>>179 【 どうして人を殺してはいけないのですか? 】
と、言う問いは
【何故いけないのか?】=【何故罪なのか?】という問いだから
【罪】と【倫理】が命題のメインテーマになるんだよ? 知らなかったの?
197 :
みょーん:2006/04/18(火) 00:20:07
憎しみや精神的に殺害されたために生じた「破壊」の必要性ではなくて、
先天的に「殺すこと」に執着する人もいると思う。
破壊の美。
こういう人にとって「殺し」は美。
破壊し、破壊される。
壊れる美しさ。
こういう人を「罪」という名の下に抑圧してはいけない。
もちろん実行させるのではなくて、表現させる、消化させる手段を与えないと。
198 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 00:23:33
199 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 00:24:32
>196
本当に罪と倫理で堂々巡りするスレなのね・・・相分かった。
さらば!
>>197 ああ、それって大事だよね。
>>189、
>>190は連続殺人犯達の言葉だけど、
彼らも何か他に消化する手立てがあったなら・・・
壊れたと見なされずにすんだかもね。
201 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 00:27:41
>>199 堂々巡りというよりも、出された答えに反論したくても
上手く反論出来ない君が居るだけなのでは?
哲学の議論は検証であって、勝ち負けじゃないよ? 気楽にいこうや
202 :
みょーん:2006/04/18(火) 01:05:40
人を殺すことも、殺したいという気持ちを抱くことも「罪」
なんかじゃない。それは現象。
「罪」はそれを「罪」として、無視し、封印し「悪」
のレッテルを貼る、バランスの悪い考え方こそが「罪」。
人を殺したいという願望が警告するものは、「生きる意味へと直結する」
すごく尊い道しるべ。
生きることと同じに死ぬことはオゴソカ。
死と直面している人間と生のエネルギーの塊みたいな赤チャンはおなじく
神秘の領域にある。
なぜ人を殺してはいけないのか。
殺すことがいけないんじゃない。
殺したい気持ちを否定することがいけない。
殺したい気持ちを、うまく生かして循環させていく道を探すことが大切。
生きているのだから。
203 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 01:09:01
>>202 それはポエムではあっても、論証ではないし
哲学とも呼べないんでね?
204 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 01:55:44
★ も う い い 。 結 論 は で て る 。
スペースで字を開けるのとかキモイっす
206 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 02:15:30
>>204 じゃあ、結論をだしてもらって終わりにしますね。
結論は?
さあ、どうぞ。
207 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 02:20:04
208 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 02:27:15
殺されたくないから殺しを禁止にした。それだけのことだろ?
209 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 02:46:37
権力者は「敵を殺すこと」を奨励し、「味方同士殺すこと」を禁止してきた。
集団がより安定的に繁栄するためである。
したがって、集団の中で力も無いのに反逆するものは抹殺される。
210 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 03:01:22
習性
>>207 なるほど。終わりにはしたくないと。
では、続けるとしましょう。
>>208 >>209 禁止できたのは権力者。相応の権力を持たない者にできたのは、
せいぜい殺されたくないから、誰も殺さないで危険をできる限り回避すること位。
それを自分が誰かを殺すことを禁止した、と言うこともできるが・・・
権力者は殺されたくないとは考えるだろうが、
そもそもそう簡単に殺されるようなことはなかっただろう。
従って自らの資産たる支配下にある人民の損失を防ぐために、
「味方同士殺すこと」を禁止した、と考える方が自然だと思われる。
213 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 05:17:59
>>196 >【 どうして人を殺してはいけないのですか? 】
>と、言う問いは
>【何故いけないのか?】=【何故罪なのか?】という問いだから
>
>【罪】と【倫理】が命題のメインテーマになるんだよ? 知らなかったの?
はい、さっぱり知りませんでした。
そうすると、例えば、
【何故脂肪分をとり過ぎてはいけないのか?】
と、言う問いも
【何故いけないのか?】=【何故罪なのか?】という問い
なのですか?
俺のおじいちゃんは軍人だけど、俺は誇りに思ってるし、
人を殺してもしょうがないと思ってるよ。
おじいちゃんは立派な仕事だなって思ってるし、俺の自信にもなってる。
215 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 06:27:50
愚者が来る限り、いつまでも続きそうだな、永久ループで
216 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 06:31:14
殺されたくないから殺したい
217 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 07:15:16
殺す権利があれば殺していいんだな
ところで権利でどこでもらえるの?
役所?警察?コンビニ?
219 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 08:53:56
★ で は 、 は じ め か ら 。
>>218 法律には「殺す権利がある場合」も書いてありますよ。
悪いことしたんだろ?
お前が悪いことをしたなら、
死刑になるのは当たり前じゃん。
別の人がやってもそうなるよ。
@←A
↓
B
@は悪いことである、Bは私である、Aは刑罰である、
@ならば、Bであり、 Aならば、@である
君は何を言っているの?
>217
殺しを禁止する権利はどこから来たの?
224 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 13:35:23
法律は誰が作ったの?
226 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 16:14:46
227 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 16:15:56
>>218 >>223 そんな深く考えるなよ。
権利があるってのは殺れる能力と条件が揃っているよっていうことなんだから。
実際それが無きゃ殺すに殺せないっしょ。
で、それさえありゃ殺れるよね。ああそうだね。っていうだけのこと。
229 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 19:31:21
法律
230 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 19:38:19
軍律
231 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 19:41:13
天律
232 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 19:41:53
天津
233 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 19:42:20
刑法
234 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 20:02:08
>>228 >>223 >>220 157が答えですが
全く読んでいないようですね
私は考えていません
私の個人的な考えなら
間違いです
答えが提示されても
盲目で、
議論を続けるのなら
無意味ですから
もう結構です
>>220 自分達で作って 記されていますよ とは何事ですか、それなら
刑務所の囚人達も法律を制定して、出れる権利を制定して 記されているじゃないか と言えばすみます
人に権利やルールを
与えるのは
人を造った方です
それが分からなければ
話しても おおいを取り除く事はできません
235 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 20:06:28
刑法
236 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 20:15:22
やや、恐れ入谷の鐘の音♪
身体の構造上、人は比較的簡単に死んじゃうんだよなぁ
238 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 21:01:17
>>207 なぜ ヒトを殺してはいけないのか?
殺人を禁止する権威は何に由来するのか?
★ す で に 結 論 は 出 て る
つ の だ ☆ ひ ろ が、決めたから。
239 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 21:21:00
>>234 ごめん。わざと。
宗教的な神は人の空想だし。
ただし、権利やルールができるのは
天地開闢よりの必然として決まっていた。
それを決めていた何者かを神とするなら・・・
こじつけれないこともないかも。
ちなみに、「神様が、お造りになった者を、人間が 殺してはならない」のは何故?
神様は殺し合う事を望んでいるのかもしれないよ?
人類の歴史は戦争の歴史なんだから。
神様の望むがままに殺し合っているのか、神様が無力なのか。
そもそも神様は人を殺してはいけないと本当に言ったの?
240 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 22:17:31
>>139 神様がお造りになった者を 人間が殺してはいけない理由は、
そのレスに一緒に書きましたが、‐
自分も造られた同じ立場に過ぎないから、また、その人に命を与えた方本人だけが、その命を取る権利があるのは、
当然です、 あなたが買った車を他の人が売りに出し、「何でいけないんだ」と言われたら
どう答えれば良いのですか
241 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 22:26:24
>>239 それと、空想でも、
こじつけでもありません救われて知ってしまったんです
神がなぜ殺し合うために人を造りますか、あなたの体や世界が、どんなに丁寧に愛情深く造られているかわかりますか
この世は神から離れて暮らしているくせに、
そのために起こる理不尽を、よりによって神のせいにするのです
242 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 22:28:21
ごめん 139じゃなく239
243 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 22:30:02
習性
244 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 22:30:34
人を殺してはいけない特別な理由はない。
ただ、人を殺すと罰が与えられるだけのことである。
人はそれを罪と呼ぶだけのこと。
議論しても無駄だよ。○○だから、殺してはいけない
なんて明確な理由があるわけが無い。
殺しちゃいけないって昔から決まってんだよ。
殺人が横行したら社会だって不安定になるじゃないか。
その説明でわからないから、じゃあ、後は勝手にすればって
なるわけだし。
少なくとも殺人犯に人を殺してはいけない理由を説いても無駄だし、
哲学的な話をする人たちが実際に殺人をするとは思えないし、
要は子供じみた質問だよ。
殺してはいけない理由を否定したい人たちは実際に行動するべきだよ。
たぶん後悔すると思うけど、それでも後悔しない連中もいる。
殺してはいけないことがなんとなくでもわかる人たちは、
理由が神様だろうが何でも、そのままでいいじゃないか。
一体何が問題なのかがわからないよ。
>>245 お前はすれ違いだからさっさと失せろ。議論スレだボケなす。糞が気は糞して寝ろ。
人を殺してはいけない理由はやっぱり殺されて嫌だから
と言う結論になるんじゃないか?
スレ違いではない。
仮に議論の結果殺しても哲学的に問題が無いことになったと
しよう。
そしたら殺すのか?ということだ。
また、それが可能なのか、ということでもある。
そのような議論にどれほどの意味があるのかを問題にしている。
>>248 確かにこの議論に意味はないのかもね。
たぶん議論している人たちも分からないと言うことを分かってて議論してるんだよ。
250 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 23:01:12
どうして人を殺しちゃいけないの?
★答え:法律(刑法)で禁止されているから。
以上
251 :
248:2006/04/18(火) 23:11:31
単に刑法上の問題でもないと思う。
実際には、死刑制度という問題もある。
簡単に言うと、殺人はいけなくて、戦争は良くて、
死刑も良いというのが、社会のルールとして定着している。
堕胎を殺人と見るかどうかは、難しいが、形式的には
殺人とみなせなくも無い。
現在の慣行をトータルに言うと、一貫した論理など存在しない。
聖書などを使えば、説明は可能だが、そこにそう書いてある
という以上のものではない。
社会慣行という以外の理由があるのだろうか?
どうして法律(刑法)で禁止されているの? の答えも書かなきゃいけない気がする
253 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 23:18:47
どうして人を殺しちゃいけないの?
★答え:法律(刑法)で禁止されているから。
以上
この問いの解釈は、それ以上それ以下でもありえない。
そもそも論をやりたいなら、そういう問いを立ててやるべきだ。
そのあたりの議論も現スレに出尽くしている感はあるが。
>>253 それじゃ納得できないからここにいるんだろーが
255 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 23:24:05
256 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 23:28:01
好きか嫌いかの違いだろう。
自分自身や大切な人が殺されるのは誰でも嫌だけど、殺人事件の記事が派手にとりあげられたり、残酷な殺人シーンのある映画があったりするのも、殺人を完全に否定しているわけではない人の存在を示しているといえる。
また、人によって基準は違うと思うが、こんな状況では相手を殺しても構わないというレベルはあると思う。
俺の場合は妻(恋人)や娘を強姦した奴や殺した奴は殺しても構わないと思う。
殺人や死体に対しての反応だが、嫌悪というのが一般的だと思う。
これが、殺人をしてはいけない理由だろう。
戦争でも教育を受けた兵士が実際には殺人を出来ない(失敗する)
という話は良くある。
我々の体には何らかのプログラムが施されていると思う。
そのプログラムを超えるときに、人は狂うのではないか?
殺人に興奮を覚える者もいるわけだし。
一方で、大切な人を傷つけられたり殺されてりしたら、
逆に殺して仕返ししたいと思うのも自然だと思う。
実際に刑法もその通りになっている。
論理ではなく、人間に施されたプログラム(感情)によって決まっているのでは?
感情が(常識や環境、学習過程などに)プログラムされてるのか
感情=プログラムなのか 非常に悩ましい。知恵を貸してください
259 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 23:42:33
刑法の根拠は公序良俗・国家の平和と繁栄だろう。
本音は権力者の支配強化かもしれないが。
それに追従している人民の感情・思考ということであれば
>>257の意見に同感だ。
>>257 プログラム=人間にインプットされたものってこと?
261 :
考える名無しさん:2006/04/18(火) 23:46:20
忘れることができない生き物の方が多いよね
>>240 人間の所有者は神様だって考えてるわけね。
俺は人間の所有者は人間自身だと考えているから相容れないな。
まあ、信仰・思想は人それぞれ自由なのでこれ以上言うこともない。
ただ、貴方がそう考えているというのを教えてくれるのは良いけど、
他人にもその考えを強要してはいけないな。
>>258 上下両方正しいと思うよ。
このスレで納得しきれない人たちがいるのは、
内の世界のいい・いけないと、
外の世界のいい・いけないがあるせいだから。
しかも両方確かなものだからね。
265 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 14:48:09
>>263 何も 考えていませんよ。言ったように、
私自身の個人的考え方
なら、間違いです と。
救いの体験を経て、
真理を知ってしまったんです
ところが、皆さんには
「考え」と、見分けがつかないのです
>>214 はっはっはw
それは考えがずれているよ。おまえの考えを笑ってやろう。
肉親が偉大であると、死刑にすべきなのか?
おまえは殺し屋かよ。
殺し屋ではないだろうから、世の中の仕方でもよいだろう。
しかし、隣人はおまえの血縁者なのか。
まあ、おまえの理由にはなるんだろうけど、隣人には素質が無いとすると、
同じように考えることができないんじゃないの。
隣人も含めて考えることも譲歩しよう、
隣人も偉大であるのかね。つまり、おまえは偉大であるが、しかし、かれは偉大でない。
隣人を犠牲にして、おまえが名誉に与りたい訳だな。
それは怖い世界だ。
267 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 18:26:59
>>265 神様が人を殺してはいけないと仰有るのは何故ですか?
神様御自身は何を望まれているのでしょうか?
神様は最終的には何をなさろうとされておいでなのですか?
268 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 18:48:07
267。
やりたいことは自分が作った世界がうまく動いているところを見たいんだ。
殺しがあると、自分の作った世界が不完全だったことになってしまう。
ウサギ小屋の中でウサギ同士が殺しあいを始めると飼い主は嫌だろ。
それと同じだよ。
269 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 18:54:44
まあ、会社では上司にしかられ、家では女房の尻にしかれてるからな。
自分の作った世界ぐらいはうまく動いてほしいんだろう。
270 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 20:08:25
神など居ない。
もし、神が実在していて 世界がこの体たらくなら
神は真実でも、真理でもない。
そういえば、死刑の時の死刑執行人はいいんですか?
たとえ、人を殺しても人には変わりないんじゃないんですか?
最近、テレビで極刑を求刑している遺族も結局人を殺すという
同じ事をしようとしているにしか、見えないんですけどうでしょう?
俺、もしかするとおかしいのかな・・。
272 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 20:39:24
>>271 通常、殺人は憲法で保障されている生存権の侵害にあたる。
しかし、死刑囚は生存権を剥奪されるわけだから
この刑を執行する執行人に違法行為があると言えない。
もうちっと勉強しようね。さようなら。
では、結局人は法律があるから人を殺さないでいんじゃないですか?
生存権が剥奪されているから殺す。
生存権が保障されてるから殺さない。
それってちょっとおかしくないですか?
274 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 20:49:53
>>273 ちっともおかしくありません。
罰せられなければみんなやります。
いや、実際やりました。
戦国時代や戦争中の兵隊さんなんかはそうでした。
275 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 20:50:01
どうして人を殺さないのかって話だっけ?
276 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 20:51:47
277 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 21:09:20
【殺す】ことを 権利や、自由だと主張する者が居たとしても
【殺す】行為が極限まで進行すれば 【殺す】対象が居なくなり
【殺す】権利も、自由も、失われる。
【殺す】ことを 権利や、自由とする 主張も、行為も
【殺す】権利や、自由を、制限し、抹殺する行為であり
【殺す】ことの容認は、
【殺す】こと自体を不可能にする矛盾を孕んでいる。また、
【殺す】ことを【制限】して、【殺す】権利&自由を継続させようとする思想も結局は
【殺す】権利や、自由を制限し禁止するのだから【殺人の禁止】とは程度の差しかない。
【殺す】ことを論理的に否定することは以上から論証可能であるが
【殺す】ことを正当化することは不可能である。
【殺人】は、限定条件下でしか許容されない行為である。
278 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 21:14:55
法での処刑は、国民全てが同意した殺しとなる。おまえら、偽善ぶるなよ。
279 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 21:27:03
280 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 21:32:19
281 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 21:43:22
>>270 神を知らず、離れて暮らしているくせに、
そのための自分達の体たらくを、
よりによって神のせいにするのです
282 :
278:2006/04/19(水) 21:48:12
悪党ってなに
284 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 22:23:15
唐草模様の風呂敷が必需品の人だな。
285 :
考える名無しさん:2006/04/19(水) 22:25:32
>>267 本当を言うと、
神様に救われた人の事など、同じように神様に出会うまでは、理解できる訳がないのに、
ご謙遜で、素晴らしい問いだと思います。
それで、
これは、"知識"というより、"僕自身の思い"もあると思いますが、
〉もし あなたのお子様達が 殺し合いを始めたら、 あなたは、「やめなさい」と言いませんか?、あなたでも言う位なら神様はなおさらです‐〉あなたは、自分に逆らう お子様達に、何を望み、彼らとどうなっていきたいですか?、
あなたがそう望む位なら、神様はなおさらです。
286 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 01:05:15
>>285 私の望むことを神様も望んでいると思うのは不遜かもしれません。
しかし、神様の御心を理解するため、そのことを承知の上で考えてみます。
私が子供達に望むこと。知識と技術を学び、
私に匹敵し、超えるような存在となって欲しい。
そして私の助けとなって欲しいと望みます。
そのためには後裔の繁栄は欠くことのできないものです。
ですから子等が傷付くことには心を痛め、互いに協力する心を失わなぬようにと願います。
私の望みはそのようなものなのですが、神様もそうなのでしょうか?
人は神様の手助けをすることができるようなものとなることができるのでしょうか?
子孫が滅びない程度であれば、
争いも進歩を促すものとして許されても良いのでは?
288 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 02:09:23
>>283 悪って見方によってかわるよな。
例えば、
世界の人間を滅ぼそうとする奴と、それを阻止しようとする奴がいたとする。
普通に見れば、
前者が悪で後者が善だ。
そこで環境をメインに見ると、
人間は環境を破壊する。だから滅ぼす方がよい。
そう考えると、
前者が善になり、後者が悪になる。
善と悪って対極に見えるが実は近い。
289 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 02:13:47
>>286 ああ、そうですねぇ‐
まあ、あなたが お子様に対して そう思っていらっしゃる 事は、
神様は喜んでいると思います。
それに、あなたに
そう思っていてほしい
と、望んでいると、
思います。
ただ、神と人なので、
人が越えるという事は
もちろん ないです
〈 陶器が、陶器士を
越える様なものです 〉
そして、神様は もちろん全能であられる
ので、手助けがないと、〈できない〉
のではなくて
〈用いたい〉
という意味で 、それぞれに使命を与え、
必要としています
それに、生まれつき障害で、寝たきりの子が
うまれても、
あなたが、 その子が死んだら生きていけない
くらい 愛するように、
あなたの存在じたいを、神様は必要としています
神なんていないよ
>>74 >>149 >>150 ほとんどスルー状態ではあるが、
これらのような「権力」説には反論ありませんか?
まだボコボコに批判されてないように思えるのですが・・・
292 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 02:53:39
ではあなたがどうぞ
ってかな
哲学を語る上での鉄則
私は、主語と述語はいつも一致しなければならないという事は大切です。
ふさわしい日本語があるケースでは外来語を使わないようにしましょう。
古風なる表現を避ける事此れ筆者の義務なり。
誇張法を使ってはなりません。あなたには百万年早いのです。
横っ腹で笑ってしまう陳腐な表現は避けましょう。
比喩がいくつも使ってあると、はらわたが煮えくり返り、頭から湯気が出ます。
常に辞書で調べて、謝りのない言葉を使いましょう。
慣用句の誤用を避ければ、文章表現においてあなたの右に立つものはいなくなります
文章に使用する用語を使用する際に冗長な表現を使用しないようにしましょう。
同じ内容を繰り返したり、前述した内容を再度述べたりしないようにしましょう。
受動態は使用されるべきではありません。
二重否定でない表現を避けないようにしましょう。
ほかに言い方があるかどうか、注意深く文章を再設計しましょう。
言葉を正しく使い、無頓着の表現がならないようでしましょう。
短い言葉がある時は決して長い言い回しとなるような言い方を使ってはなりません。
砕けた言葉とかぁ、方言とかぁ、避けようじゃんって感じぃ?
省略形文章避けよ。
「とか」の誤用とかは避けましょう。
文章がどこで終わるのかはっきりさせ
Meiling Listなどで文章を公開する時は、英語のスペルミスに気をつけましょう。
「無神論者」と「神様否定論者」って同じなのかな?
(290は前者ではなく後者に分類したい。)
(素直に)その存在は分からないので肯定も否定もできない。
「神さま」がいるにせよ、いないにせよ
その「神」自体ではほとんど何も影響を及ぼさない(無力)であろう。
それよりも(また万が一にも)「神」の話しを直接聞いた人間が、
真夜中にラブレターを書くような浮かされた頭で書き記した、
または、伝言ゲームのごとく内容が改変されていった・・・
ような(恐れのある)書物や説教を信じてよいものか?
と思うわけである。
どうでも良いが・・・
>292
本題:自分は「権力」説を肯定したい。
ああ、陳腐な事を書いてしまった・・・
もう結構!私は私の(私だけの)真理を追究して行こうと思う。
296 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 05:09:10
権力 がどうしたって?
教育は同じモノを生産しているだけ。
神?
お前の中にいるかもな。私の中にはいないが。
298 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 08:00:19
自分が生きるためさ。
299 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 15:08:16
>>297 私達が、みな
神を知らず、‐羊のようにさまよい、
おのおの、自分勝手な道に向かって行った‐
事を悔い改め、
‐しかし、主は、私達のすべての咎を彼に負わせた‐
救いを受け入れて、
神に立ち返り、
罪の裁きから、救われてくれる事です。
300 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 19:40:19
>>291 【なぜ、ヒトを殺してはいけないのか?】と、問われて
【権力のせいで!】と、答えるのって
【法律だから!】と、答えてるのと同レベルで、低レベルだと思う。
>>1の問題定義は明らかに幼稚だが、少なくとも【権力の本質】を問うている分だけ
【権力だから!】と、答えて思考停止している方々よりは知的であると思う。
301 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 19:43:01
302 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 19:44:43
>>301 反論は論理的にお願いします。
論証を伴わない貴方の意見=
>>301こそ、
アンタの勝手な解釈です。レベル低すぎです。
303 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 19:44:49
★幼稚な問いには、幼稚に答えればいいんだよ。
304 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 19:47:05
>>303 説明も無しに達観を決め込んでも、子供は満足しませんよ?
子供は無智で幼稚ですが、その疑問は真理を突いていると思いませんか?
305 :
303:2006/04/20(木) 19:51:31
>>304 子供には、それで充分なんだよ。
この問いが必ずしも真理を突いているとは思いません。
時が来れば自然にわかることもある。
問いの言葉を素直に受け止めるべきだ。
勝手な解釈はしないほうがいい。
法で罰せられることを強調するほうが親切だと思う。
306 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 19:59:42
>>305 【なぜ、ヒトを殺してはいけないのか?】
この問いに、大人がちゃんと答えられるなら、子供の疑問を無視しても良いと思います。
ですが、ちゃんと教えてやら無いと判らない子供も居るでしょう。
【なぜ、ヒトを殺してはいけないのか】判らないまま大人になる者も出てくるでしょう。
そういうヒトは、現実にも増えてきているように思います。
【なぜ、ヒトを殺してはいけないのか】判らない大人は、例え自分でヒトを殺さないとしても
社会から悲惨な殺人事件を減らしたり、戦争を抑止したり出来るでしょうか?
むしろ、犯罪者の権利ばかり助長するような人間に育つのではないでしょうか?
307 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 20:09:34
>>306 ですから、法に従う覚悟があればよいのでは?
合法的な人殺しは現に存在している時点で、
実は1の問いは破綻しているのですよ。
スレを読み返して何が理解できないのかを整理し
問題提起を新たなスレでなさったらいかがですか。
1の問いには単純に答えるしかない。
各自の勝手な解釈で問題提起しても
結局かまってほしい子供みたいにしか見えませんからね。
308 :
考える名無しさん:2006/04/20(木) 22:21:06
法と倫理の違いは国家レベルでその規範を要求しているか否かの違いである。
そして、倫理とは、自分が当該集団の中に存在するために、必要な条件である。
その集団の中に存在しなくても構わないと考えた時に、倫理の拘束力はなくなる。
殺人をすると、人を殺してはならないという規範に忠実に従っている集団からは排除される。
それが、嫌でない人は殺人を犯すんだね。
要するに周りの目が犯罪抑止力になっているんだ。
相手が可愛そうだからという気持ちだけに全てを頼るのは危険すぎる。
そういう意味で、死刑は公開にすべきだと思う。
パパ?何で人を殺しちゃいけないの?
うん、人を殺すのは悪いことだからだよ。
何で悪いの?
お前は何でだと思う?
・・・わかんない
じゃあ、おまえはパパとママが殺されても良いかい?
やだ。
パパもママもおまえが殺されたらとってもいやだよ。
でもAちゃんなんかいじめっ子は殺されたっていいよ。
Aちゃんのパパとママもそう思うかな?
・・・きっとそう思うよ。
おまえは何でそう思うんだい?
だってAちゃんは悪い子だもん。
じゃあもしおまえが悪い子だったらパパもママもおまえが殺されてもいいと思うかな?
・・・
思わないよ、おまえがもし悪い子だとしてもおまえは俺の大事な子だからね。
じゃあ、パパもママもいないし、おじいちゃんもおばあちゃんもおじちゃんもともだちもぜーんぜん
だれもいやな人がいなかったら、殺してもいいの?
世界中のみーんなが殺してもいいって言ったら殺してもいいの?
その時、殺すだけの意味があれば殺してもいいよ。
でもパパは、その人をおまえが殺すのはいやだな。
なんで?
何でだろうね、とにかくいやなんだ。
おまえはパパがその人を殺してもいやじゃないかい?
・・・いやだ
そういう時はね、法律で国が殺すんだよ、死刑っていうんだ。
・・・しってるそれ・・・じゃあ死刑になる人ってパパやママとかぜーんぜんいない人なんだあ。
・・・いや、そうじゃないね。きっとパパやママとか、いやだっていう人もいるかもしれないね。
じゃあ国は悪いことをしてるの?
うーん、いやだっていう人にとっては悪いことなんだろうね。
でもね、日本ってのはね、多数決の国なんだ。
たすうけつ?
そう、いやだっていう人よりいいっていう人が多ければいいってことになっちゃうんだ。
反対に、いやだって人の方が多ければいやだってことになるんだ。
ふーん、じゃあ今まで死刑になった人はみんなたすうけつで殺してもいいってなったんだ。
うん、そういうことになるね。
でも、ぼくは死刑の人しらないよ?
いいっていってないよ?
それをいえるのは、もっと大人になってからじゃないといえないんだ。
パパもいったの?殺してもいいよって。いやだっていってる人もいるのに?
そうだね、パパは代わりにえらい人に言ってもらったことになるけどね。
ママもそうだし他の大体の人が代わりに言ってもらってることになるんだ。
その代わりに言ってくれる人をパパが選んでね。
でもパパが選んだ人が絶対えらい人になってパパの言いたいことを言ってくれるとは限らないんだ。
偉い人も多数決で決まるからね。
・・・ふーん・・・へんなの・・・わかんないや。
今はまだわかんなくていいんだよ。
でも今一つだけ分かって欲しいことは、おまえが人を殺すことはいけないっていうことだよ。
おまえが人を殺したらパパはとてもいやだからね。ママもそうさ。
・・・うんわかったよ。
312 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 00:12:37
・・・大人ってきたないね。
313 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 00:21:59
>>291 このような立場は「倫理の究極の根拠は恣意的か」という問いを肯定する立場である。
これを「無根説」「有根説」と呼ぶことにしよう。
続きは明日。
人間は社会的動物で、社会に生かされてるから。
殺したいと考えるのであれば
それは個人の思想だから別に良い
答えは己にある
でも殺した後はシラネ
まあ確かに、法律がどうであっても
個人の思想はそれを無視して行動できるからなあ。
結局、行き着くところは人の心なんだろうな。
318 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 11:54:17
昨日の続き。
有根説と無根説というものを提起したがそれぞれ問題点がある。
有根説の場合倫理の究極的な理由(以下略して「原理」とする)は自然かつ必然なもの
(そうなるべくしてそうなっている)であると考えるが、
「原理はAだ」といった場合「なぜAが必然なのか?」という問いが生じ、
「Aが必然なのはBだからだ」と答えれば「なぜBが理由になるのか?」という問いが生じ、
「Cじゃけんそうなんじゃ」と答えれば「なんでCなんじゃろうか?」という問いが生じ、・・・
と「なぜ」が無限に現れるのではないかという懸念(無限問題と命名しよう)がある。
解決の一例として「(原理なのだから)理由はない」と理由を答えることを否定する立場がありうるが
問う側からすれば「(権力者が勝手に決めたから)理由はない」という無根説と大して変わらないので有根説自体がゆらぐ。
319 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 11:57:05
一方「原理は恣意的なものだ」と考える無根説の場合、
「そう決めたんだからそうなんだ」の一言で済むので有根説のような問題は生じないがその代わり別の問題が生じる。
1、原理は恣意的に決まる
2、原理は恣意的なので変える(あるいは変わる)こともありうる
3、原理を変えようとする行為が原理によって禁止されている
この三つが成り立つとき2と3が衝突するのではないかという懸念
(禁止の変更の問題と命名しよう)である。
○○国でクーデタが起きたとする。
政府(三権分立云々の話は無視してください)の定める法律ではクーデタを禁じている。
しかしクーデタを起こした反政府派はそれを反故にしてクーデタを正当化すると思われる。
さてクーデタは正しいか?
・旧政府の法律が正しい
・クーデタ政府の法律(クーデタは不問)が正しい
・どちらともいえない
(※法律≠倫理だがこの辺りは比喩的に解釈されたい)
>319
論理的ではない、恣意的であったとしても、一定の性質があるのだと思う。
人間原理ということがあるけれど、そのような過程を経ていなければ、
今の我々はいないはずだ、結果的にその経過をたどらざるを得ない。(=だからそうなのだ)
簡単に言うと、殺人を容認するような社会が発展し得ないであろう、
従って存在しえないであろう、という必然性はある。
実験は不可能だけれど、仮に法改正して殺人を容認したとする。
すると、その国家は大混乱し、いずれは、別の権力にとって変わられる
ことになる。新しい権力は当然殺人を禁止するはずだ。
明確に近代国家の体裁をとっていなくとも、昔からそうしてきたのでは?
たぶん大昔は人を殺してはいけないなんてルールはなかったんだよ。
でも、みんな困ってそういうルールを生み出したんでしょ?
321 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 21:16:48
エートス論を勉強しなさい
322 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 21:55:48
>>155 殺してもいいって言った瞬間から、自分も他人から殺される可能性があるってことだよ?
コロしてもいいって言わなくても、常に他人にコロされる可能性はあるよ
通り魔とかに
あと、電車に乗ってたら突然電車が横転して潰されたり
とかくこの世は何が起きるか分からない
323 :
キキキ(完成形) ◆QIkCZQQdpM :2006/04/21(金) 21:56:34
人を殺してはいけない。
ではなく、
良心を捨ててはならない。
だな。
324 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 21:56:45
権利も理由も目的も、ヒトが考え出したただの概念なのに
何故それらがあることを前提に議論するんだろう・・・あほらし
325 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 22:04:11
殺される方が良い。
>>324 そんなこと言ったら「いけない」だってヒトが考え出した
ただの概念だよ。
そうそう、
太陽も地球も空気も水も人間が考え出したただの概念だよ。
328 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 23:28:52
うっさいボケ
(・∀・)ヘップリハ、ヘップリハ!
330 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 23:47:28
殺す人間がいれば殺される人間がいる。
殺すことを肯定すれば殺されることも肯定しなきゃいけない。
殺されることが嫌なら殺すな。
殺されたきゃ自分で殺せ。
殺すことが嫌なら生きろ。
331 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 23:49:03
議論についていけないからって暴言吐くのはやめて下さい。
333 :
考える名無しさん:2006/04/21(金) 23:57:53
なんで人を殺しちゃいけないかって?そりゃあ法律で決まってるからだよ、
日本国民が家の外を背中に気をつけること無く歩けるのは法律で守られてるからだ、
人(国民)が人(国民)を殺すことを国が禁じて平和で住みやすい国にしようというわけだ。
簡単に言えばそうでしょ? こんな簡単な事も分からないの?
ぐだぐだぐだぐだ8レス目まで立てちゃってww 俺以外このスレの奴ら全員バカだwwww
334 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 00:00:04
シンプルだなあ。まるで俺みたいだよ。
335 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 00:03:18
動物の世界では同種同士で殺しあったりしない。人間の世界で殺し(合い)
があるのは、進歩といえなくもないが、殺されたい人間なんて一人も
いないわけで、結局富の分配が人間同士の抗争を生んでいると思われる。
336 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 00:05:22
なんで議論するのか。
矛盾しているからだろう。
この場合、あなたは殺意をもっているものなのです。
何故、殺意をもつのだろう。
憎いからですか。
338 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 00:10:51
>>334 世の中のほとんどの事はシンプルに言い表すことができるんだよ
わざわざ難しく考えようとするのが愚か者なの
憎さだけで普通人は殺さないだろう。
怖いから、もしくは殺した後の希望のために殺すのだと考える。
くやしい・・・ でも感じちゃう・・・! ビクッビクッ。
340 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 02:02:12
殺す人間がいれば殺される人間もいる。
殺されることを拒否するなら殺すことを肯定しなきゃいけない。
殺すことが嫌なら殺されろ。
殺されたくなきゃ自分で殺せ。
殺されることが嫌なら生きろ。
341 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 02:18:03
大丈夫、元が辻褄合ってないから
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どのスレにもいえると思うのだが・・・
議論が『ループ』しているのは、今までのレスを読まないからなのだろうな。
確かに全部に目を通すのは難儀なことなのかもしれない。
なにか人間工学的にそれをやれるようにできないものか・・・
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
344 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 14:28:16
優良なレスはテンプレとして残せばいいんだ
345 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 17:19:17
>>344 確かにそれやってるスレは解り易いし、
今までの要点が最初に提示されるから、議論が先に進み易い。
よくある質問ならそれ見ただけで十分なことも多いだろうし。
無駄なループをしないためには良いやり方だと思う。
346 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 18:17:47
>>333なんで人を殺しちゃいけないかって?そりゃあ法律で決まってるからだよ
お前バカだな
日本の法律では「ヒト殺ししてはダメ」とはどこにも書いてない
「ヒトを殺したらこれこれこういう処罰を受ける」とあるだけ
348 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 22:50:09
人を殺したい、殺してもいい、って素朴に考えるようになるんだろうかね。
「浴槽にお湯をためてその中でパンにすばやくジャムを塗りたい」
くらい奇妙な考えかもしれないよね。
349 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 23:20:40
なんで殺しちゃいけないかって??
それは痛いからに決まってんだろ?
350 :
考える名無しさん:2006/04/22(土) 23:21:46
最近長文書く人少なくなったね
長文でも分かりやすく簡潔な文章ならイイよ
>>348 浴槽にお湯をためてその中でパンにすばやくジャムを塗ることで
何かいいことがあれば、そう考えるようになると思うよ。素朴に。
354 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 01:09:54
人を殺してはいけないってのは、当然のことながら条件次第だよ。
現状の社会で平穏に暮らしていきたければ、人を殺してはいけなかろう。
人間を工場で生産できるような世の中なら、人殺しの敷居は下がるよね。
まあ、そういう世の中なら、人殺しの欲求自体が薄いものになるだろうね。
あらゆる条件の下で人を殺してはいけない、と考えてしまうのは幼いよなあ。
現状ではどうして人を殺してはいけないんですか、って聞いてるなら、単に世間知らずだよ。
正論に近ければ近いほど、スルーされる法則。
356 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 11:17:53
>>346 あー ムキになって必死にへ理屈こねる厨うぜえええ
だからさー ヒト殺ししてはダメ とは書いてないかもしれないけど処罰は受けるでしょ
国は平和で住みやすい環境の国にしようと「ヒトを殺したらこれこれこういう処罰を受ける」
という法律を設けて人が人を殺したら多大なリスクを負うという環境を作ってる。
そういう環境で人を殺したら法律で裁かれるんだから、ヒト殺ししてはダメだろ。
それに法律抜きにしてもほとんどの人は人殺しなんかしたら罪の意識で生き辛くなると思う。
357 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 11:31:48
試論。
ヒューマニズム的観点
・相手が可哀想だから
・相手の親族が気の毒だから
・自分に良心の呵責を感じるから
社会的観点
・平和な社会に害となる行為だから
・支配権力の威光に差し障るから
・社会契約を破綻させる行為だから
従ってヒューマニズムのパラダイムも、社会規範のパラダイムも超えたガイキチの
暴走は食い止められないことになります。殺人はなくならないということです。
規制権力が「合法」的に行なう殺人が死刑です。EUは死刑を廃止しています。
EUは日米に死刑廃止を再三に渡って要求していますが日本政府は耳を貸しません。
ちなみに死刑によって犯罪率が抑えられているというデータはありません。
日本政府は合法的に殺していい場合と、合法的に殺していい人間を決定する
強大な権限を持っているということです。すばらしい権力ですね。
358 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 12:47:40
「人を殺してはいけない」という縛りが、実はフィクションだったのか、
と気づいて、ふざけるな、っていう転換の仕方もわからないではないけど、
たかだか人間界の縛りが、人間界以外で成り立たねばならない必然性は、当然ないわけだからな。
普遍的真実だと思われていたものがフィクションだった、と気づいて、このやろう、
となるなら、ほかにもいくらでもあるだろう。
359 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 13:16:39
★ 結 論 は 出 て る 。
あなたは、彼が、人を殺してはいけない、って言っている、になるのだ。
どうして、そんなことを言われたのかね。
361 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 15:15:45
人殺しの自由を容認したら
いつ殺されるかわからない。人間の感情なんてすぐ変わるもの。
殺人願望抱かれてその自由を尊重されたら、社会が成り立たない。
人間関係で感情に振り回されている奴っていうのは傍から見れば単なるわがまま。
社会を成り立たせるために、最低限の我慢は必要。
嫌な上司ほど殺してやりたいが、そいつがいなければ会社の経営が成り立たなくなる。
誰かは誰かと繋がっていて、そいつが死ぬと誰かが狂うし環境が変わらざるおえない。となると、その影響は微々たる物でも環境に影響を与える。
環境維持、社会維持のためにも殺人は容認できない。
殺人が許されるのは、感情的であることが第一ではあるのかもしれないけれども、
最も重要なのは同義的に誰が判断しても死に値する、といった場合。その同義的な部分は一応の基準として法律で定められている。
今度は逆に、そいつが死なないと、社会や環境が成り立たない。死刑が必要なのはそのため。
今死刑になるのは殺人をおかした人に限られると思うが、それは社会が殺人の自由を許さないという事である。何でも自由は尊重されるべきというのはおかしいのだ。
363 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 15:39:08
世界で最初に「人殺しは良くない」と言い出した奴が居るだろう。
恐らくそいつの動機は「そういうルールが無いと自分が何時殺されるか解らんから」では?
人を殺したら罪悪感が、というけど、それは人間が2000年以上を掛けて練り上げてきた倫理とやらのおかげなのであって
人間の勝手な理屈なんか完全に無視して単細胞生物かなんかの視点から見れば
至極人間ってのは馬鹿なことをやってるように見えると思われ。
現代でも殺人犯には「反省してない」という者が多く居る。
肯定する訳じゃないが、ある意味彼らは人間の倫理と言う固定観念からの脱出に成功した人種。
現代で
>>1の問いを発した時、「人の命を奪う権利はないから」とかが一番多いのかな?
もしそうならそいつは考えが足りない。「なぜ〜なのか」という問いを繰り返していった末に
答えられなくなるような答えは真理として正しくない。
364 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 15:58:33
いやいや、固定観念とかじゃないから。
失っては困るものを持たない貧しい奴は、
「俺がそれを壊したからって、何でそう怒るんだ?」という具合に、
端的に理解不能になってるだけだろ。
これは固定観念からの脱出なんていう高尚なものじゃなくて、
最初からその観念が欠落していたっていう貧しさもしくは粗雑さの表れでしかないだろ。
365 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 16:00:34
先週のデスノートを読まない奴は倫理学徒のモグリ
キラがイカれた人格の持ち主でなければ最も良識ある功利主義者
対するメロは陳腐な早退主義者
実におもろい
私はどうして人を殺しては行けないのですか?
367 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 16:24:11
キラハは人類にとって何が幸福かは指し示さない
人類にとって何が不幸かを指し示す。
そしてリバイアサンに自らならんとする
人類にとって支配者とは力
力こそが法・倫理
368 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 17:09:21
300にもなれば同じ事の繰り返し
>>363 殺される心配が無い時には、怯える必要はなく、
殺される恐れがある状況では、「良くない」といったからとて
殺されることを防げるとは思えない。
「殺してはいけない」にはそれを守らせるための権力が必要であり、
権力を持たない個人の段階では「殺したくない」と「殺されたくない」。
そして権力を持ったものが、その二つの理由から「殺してはいけない」
というルールを取り決めるのではないだろうか。
二千年の間練り上げられてきたって、人類の歴史は西暦でははかれんぜよ。
ここ東アジアでの倫理観の軸は中国4〜5千年の歴史だぜ。
二千年前っていったらもう漢の時代、中国史上儒教を素とする道徳の原形が出来上がっちまってる時代だ。
しかも、その罪悪感とか良心の呵責というものは、つくりあげられたものではなくて、
思想史やってるものから言わせて貰うと、科学(現状認識)から結果したもの。
単純に統治運用に合理性を求めるならば、秦帝国のように法家の法治主義を選んだほうが都合がよい。
しかし漢は法は重視しながらも、儒家の理念を選んだ。これは人為的に練り上げられた倫理の挫折を意味する。
371 :
考える名無しさん:2006/04/23(日) 19:24:10
ちなみに西暦は6000年
>>353 なにかいいことがあるかどうかを考えられるのは
「浴槽にお湯をためてその中でパンにすばやくジャムを塗る」
っていう行為の意味するところを自分で理解したあとでしょう。
人を殺してもいいか、悪いかって考えてるってことは
「人を殺す」っていう行為の意味するところを十分に理解した上でのことなわけです。
つまり「人を殺す」ってことを既に考えてるってことです。
それは素朴なことなのかな。
「どうして人を殺してはいけないのですか?」っていうことが問われることのある
文化においてのみ問題になることである可能性はあるよ。
373 :
考える名無しさん:2006/04/24(月) 01:13:42
自分の存在が何なのか、わからず震えたこと、ある?
オナニーして気持ちよくて震えたことなら
あるよ。
あれは確か15の夜だった。
376 :
考える名無しさん:2006/04/24(月) 01:19:45
377 :
考える名無しさん:2006/04/24(月) 01:22:32
どうして自作自演をしてはいけないのですか?
悲しくなるから
379 :
考える名無しさん:2006/04/24(月) 01:27:41
みたいな話でぐるぐるしてるってことは、
ここまであんまり読んでないけどわかった。
380 :
考える名無しさん:2006/04/24(月) 18:58:23
人殺しは悪いというより幼稚だよ。その手段としても、その目的・理由も
だから殺人はタブーなんじゃないの?
つまり1への答えは「それ以外の方法は幾らでもあるのに、それをするのは視野が狭く短絡的だから」
これじゃダメ?
381 :
考える名無しさん:2006/04/24(月) 19:03:41
その視野が狭くなった状態、その内部からその状態を緩和させるには、
どうすれば良いですか?
そういう感情を、
あたかも外から眺めるように観察できる人ばかりじゃないですよ。世の中は。
むしろそう言う事が出来る人は非難の対象となる事の方が多いんじゃないですか?
人殺しをしてはいけなくはない。これはガチ。
ただ、人殺しをした時点で社会から
悪呼ばわりされて罰を受けさせられるけど。
383 :
考える名無しさん:2006/04/24(月) 20:52:10
何をしてはいけないかは造られた時点で その感覚が植え付けられているので それに従えということ
>>383 それは無い。「何をしてはいけないか」と言う事は、
成長するにしたがって周りから刷り込まれていく。
それに仮にその感覚が植え付けられていたとしても、
それに従わなくてはならない理由も無い。
385 :
384:2006/04/24(月) 21:08:06
「社会的に何をしてはいけないか」だった。
自分も死んでもいいって思った瞬間から
人を殺してもよくなるんだろうな
ちょっとここで話題を変えないか?
「殺意は善か悪か?」殺人は大概は悪だとされるだろうが殺意そのものはどうだろう?
善と悪の定義が分からないので答えられんですぅ
殺人が悪とされる場合においては悪。
>>388 お前の言っているのは
トマトは赤いか?白いか?
赤と白の定義がわからないので答えられんですぅ
これと同じことだ。常識を前提にしなければあらゆる議論が成り立たんぞ。
391 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 01:05:53
>>384 人のルールを決めるのはそりゃ人を造った製造担当者だよ
学生ですら学校側が校則決めるし
子供だって親の決めた事に従う
人間なら神様の与えたルール守れないなら
神様が造った世界にいられない
ルールがあるなら、製作者がいるとしても、
製作者が世界にいられない、という論証ですが・・・
製作者が世界にいられないとはどういうことでしょう。
判らないので、別の例で説明してもらいたいのです。
393 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 01:38:06
>>392 あーああ、ごめんなさい、「神様が」じゃなくって「人間が」いられないです。だって、
「学校の校則」破ったら、「学校」にいられない、じゃないですか?
人間も「神様のルール」破ったら、「神様が造った世界」にはいられないよ‐出て行かなくちゃなんないよ って事です。(本当は)
それ故に、ルールがあるならば、神様が造った世界にいられない、と結論する。
先ず、ルール有りきである。
そのルールを誰が作ったかことが疑問が持たれる。神がいるからだとすると、
ルールを破ったからというよりも、失敗したことが、むしろ、神に反しているからだと考えられる。
神である訳です。
神が造ったものは全てである。神の外に出て行くとすると、何故なら、神が作ったもの以外にあるからだということなのです。
だから、神と号しながらそれ以外のものを認めているのだから、それだけでも、みんなが同じくする資格の持ち主でないことになります。
しかし、出ていかないならば、ルールを遵守している、という考えも可笑しなものです。
何か重大な裏切りを予想させます。だから、ルールを守るべきである、ということは言えそうです。
>390
色がはっきりしてるなら、はっきり示してみてくれ。
396 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 02:14:41
・・・地雷芸能人に消えていただきたい。
>化粧品を使ってない人のほうがキレイな肌です
コピペです↓↑(もう見飽きたと思いますが)
_______________________________________________
そういえば「田舎ぐらし」の人もキレイ(スゴクキレイではない)な肌でしたね。
>>(大家族で育った人、家が貧乏な人、部屋が散かってたりして肌のことに無関心な人は
>>ネタが広まる前から肌キレイだったし)
>これ、本気で言ってるの?肌に無関心な人は将来ボロボロ肌になるよ。
>肌に関心があって、ケアの仕方をちゃんと知っている人、の間違いじゃないの?
そうですね。
「化粧品などの被害に遇う前」に「ケアの仕方をちゃんと知っていた人」はスゴクキレイな肌でした。
化粧品火傷(化粧品やけ)(ここの一番下に原文があります)(ライフルから読んでみてください)
(読みにくい方はメモ帳などにコピペして読んでみてください)が知られていなかった時は
「ケアの仕方をちゃんと知っている人」は殆どいませんでした。
[2005年9月13日 0時54分18秒]
______________________________________________
ヤフーかグーグルで「化粧品やけ」で検索すれば 原文サイト↑ がヒットすると思います。
魅力ある人の言ってることが全て真実なら、分かりやすい世の中なんですがね。
人間的な魅力と信用度は別です。
397 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 12:38:58
善い悪い関係なく殺せるんだよね。身体能力として。
善悪と可能不可能をごっちゃにしちゃだめよ。
>>393 神のルールを破ったら、
なぜ神が作った世界に居てはいけないのか?
神が作った世界だからと言って、神のルールに従う必要は
これっぽっちもないのではないだろうか。
神が作った世界は神が作った世界。神のルールは神のルール。
神が作った世界に居る事と神のルールは別々。
神のルールを守らなくても神が作った世界を去る必要性は何処にも無い。
そもそもその相互性が何処から来る?
399 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 13:42:46
しかし弱々しい神だな。
ルールを破った瞬間雷で殺すとかできないのかね。
400 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 15:37:50
>>398 あなたは会社のルールを無視してもクビを断りなさい
校則を破っても退学を断りなさい
401 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 15:45:02
>>399 自分に逆らった子供に
そうする親がいる
親は子供を神から授かっただけだけど
神はなおさら自分で造った人を愛していて
滅ぼしたくないから
一時的に隔離してる
そして罰は自分が人となって代わりに受け
和解を期待している
402 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 15:47:50
人を殺してもいいとすれば自分も誰かに殺されるであろう
自分が殺されない為に人を殺してはいけないというルールがある
人を殺す奴は誰かに殺されるべきだから全員死刑にすればいい
403 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 15:52:01
>401
面白い考え方だが、神のルールなんて存在しないと思う。
今俺達が従っているのは、あくまで人間社会が決めたルールだ。
神は世界を創造したが、後は人間同士で勝手にやってくれと放置しているのでは。
>402
それは極端だなー。殺すと言っても種類があるんじゃないか。
正当防衛で人を殺してしまったらどうなる?
((;゚Д゚)ガクガクブルブル
コレカラ ナオシマス ナオシマス ハイ
405 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 16:17:02
人を殺すことは償える罪じゃないから他の犯罪とは全く違う
正当防衛だろうが殺したらもう取り返しはつかない
殺す必要ない状況で誤って殺してしまうことも罪
まず牢獄に入れることで何も罰を受けないのはおかしいだろう?
社会的制裁もささやく程度だしね
>社会的制裁もささやく程度だしね
それは事実か?
407 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 16:30:53
事実だよ
人殺しても、飯食ったり糞したり笑ったり寝たり話したりしてるんだ
平然とね
ささやく?
409 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 17:02:46
>>403 昨日生まれた人間に
正しい事が分かるわけがない
人は神に植え付けられた感覚でそれを作った
隔離したとゆったはず
410 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 17:13:24
>409
隔離の意味を分かりやすく説明してくれ
411 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 17:33:32
>>410 今すぐ、悪を裁いてしまうと どんな小さな罪も見逃せない から、
すべての人を滅ぼさなくてはいけなくなる
それを回避するために
一旦 隔離して、
ご自分が身代わりになることでの和解を用意して、
すべての人がそれを受け入れて裁かずに済むことを望んで 待っておられます
412 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 17:36:18
神とか妄想の域を出ないから人間の話してくれ
413 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 17:55:39
「人を殺してはいけない」に限らず、真理というものがあるならそれは人間の主観に頼らずとも
どんな状況でも正しい論理のはずだ。
思考実験をしてみよう。
生まれた時からある部屋に隔離されて他人と全く接することなく、ただミルク(成長したら食物)を与えられて
生きている人間が居たとする。
彼には外部的な情報は何も与えられないから人間としての言語やモラルは構築され得ない。
そんな彼がはじめて他の人間と遭遇した時、その人間を殺してしまう事はあるのだろうか?
人間といっても知識や経験によって構築された自我無くしては単なる動物。
やはり人間の倫理観は長い年月の中で「造られて」来たのであって、真理などとは程遠いという事。
414 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 18:03:41
妄想ね‥
それじゃこのレスの正しい答えはそれでおしまい
415 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 18:09:37
なぜ人を殺してはいけないの?と聞かれた時、神が云々言う奴は阿呆
416 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 18:11:29
私は子供にそう聞かれた時、
>>402前半を答えます
417 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 18:24:08
>>416 ってことは誰からも殺される心配のない強い人は
殺してもいいんだね、ママ。
418 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 18:36:38
どういう意味かわかりません?
強いとか関係ない
人を殺してもいいなら破滅しか残らないよ
みんなみんな殺されて全てなくなる
420 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 19:22:31
>>381その視野が狭くなった状態、その内部からその状態を緩和させるには、 どうすれば良いですか?
教育しかなかろうね。結局は
世の中見てみい、無教養な奴らばかりが人殺してる
>そういう感情を、 あたかも外から眺めるように観察できる人ばかりじゃないですよ。世の中は。
ああ、でも人類全体から見れば昔に比べればそういう人多くなってるよ
>むしろそう言う事が出来る人は非難の対象となる事の方が多いんじゃないですか?
そお?なんで?
善悪なんぞ、判断基準の定め方で如何様にも変化する概念に過ぎない
421 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 20:05:09
あのね、人は自由に生きる権利があるから
他人に迷惑をかけない限り何をしてもいい。
だから、その人の迷惑ではない限りで
殺してもいいんですよ。
これは哲学の問題で、現実の法律とは別問題。
だから真摯な承諾のある自殺幇助は「罪」ではありません。
>>420 >善悪なんぞ、判断基準の定め方で如何様にも変化する概念に過ぎない
ではなぜ善悪は相対的なのか?
誰かが「これが善である」と決めたからか?
423 :
421:2006/04/25(火) 20:23:15
この問題に、善悪とか宗教とか神とか全く関係がない。
他人に迷惑をかけない限り、人は自由だということだけだ。
殺す事がその相手の迷惑なら殺してはいけない。
相手および関係者の自由を奪うことになるからだ。
それだけのこと。
だから、他人に迷惑をかけない限り、自殺もOK。
なに糞難しく考えてんの。アホか。
>>421 >善悪とか宗教とか神とか全く関係がない。
>他人に迷惑をかけない限り何をしてもいい
「迷惑」という言葉はすでに「悪い」のニュアンスを含む。
「悪い」から「迷惑」だと感じるのであって
「迷惑」だから「悪い」のではない。善悪が意思に先行する。
迷惑かどうかを決めるものは何か?判断(意思)である。
判断を決めるものは何か?規範(善悪)である。
さて、問うが「善悪(の価値観)とまったく関係の無い迷惑」というものは存在するだろうか?
425 :
421:2006/04/25(火) 20:36:40
隣の嫁のいびきが迷惑です。
>>425 それは
音が大きいのは嫌だ=寝られない=体調が悪くなる=健康を損なうのは悪いことだ
という価値観のためだ。
「味噌汁が塩辛いのが迷惑です」というのも塩を取りすぎる=健康を損なう=悪い、という知識が
あるからそう感じるのであって飯にしょうゆをドバドバかける人もいる。
427 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 20:47:52
428 :
421:2006/04/25(火) 20:51:58
無意識の行動そのものに善悪判断はない。
快・不快はある。感情の問題だ。
好き・嫌いという感情の問題もある。趣味の問題だ。
429 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 20:56:15
快 不快 好き嫌い 感情 人格があるとは あなたは何者なのか
無からできた物ではないのか
>>400 社会のルールも同じ事だよ。
社会のルールなんて守る必要なんて、なに一つ無いのに
勝手にみんながみんな「自分は社会に属してるんだから、
社会のルールを守らなくてはならない」と思っているだけ。
成長するにしたがって周りからそう刷り込まされた。
そして、いつしか自分の子供ができて生まれた時も
「お前は社会に属してるんだから、社会のルールを守らなくてはならない」
と刷り込ませるだろう。これこそ道徳の連鎖。
社会のルールを守らない人は社会のルールを守る人に
悪呼ばわりされたり異端呼ばわりされるけど、社会のルールを守らない人のどこが悪なのか?
そこには善悪なんて存在しない。
431 :
421:2006/04/25(火) 20:59:38
>>427 だから「相手および関係者の自由を奪うことになるからだ。
それだけのこと。」と言ってるやん。
神様なんか知るか、そんな奴の面倒までみてられるか。
すまん、飯が炊き上がったようだ。嫁を起こして飯を食う事にする。
他の生き物の命を戴きます。ありがとう。ちょっと、タイム。
432 :
421:2006/04/25(火) 21:01:57
十難無記
433 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 21:03:37
迷惑がかからない限り、ってのは無理があるよ。
その人が殺されても誰も迷惑を被る人がいないある人がいたとしよう。
その人を殺すっていうことは、迷惑を被るその主体を消し去ることだから、
誰にも迷惑がかからない、ってことだよね。
迷惑を迷惑と思えるかどうかの認識論的な話もつめなきゃならんね。
>433
人一人殺されて、その死が他の誰かに影響を及ぼさない、という人間は実際にはいないだろうね。
まず殺人者に大きな影響を与える。
迷惑如何とかその程度の話じゃないよ。
相対主義では「善悪は判断基準の定め方でどうにでもなる」ということを言う。
これは「善悪は○○によって決まる」という文の○○の部分、
いわば「原因」を答えているのであって
「善悪とは○○である」という「性質」を答えているのではない。また
善悪を自然かつ必然なものと考える絶対主義者(単に相対主義の反対という意味)は
性質のほうを聞いているのあって原因を聞いているのではない。ここに齟齬があるのだ。
436 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 21:15:34
愛こそは完全な法律
437 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 21:16:30
愛こそは生きる基準
438 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 21:17:43
愛こそは見えない教科書
439 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 21:19:52
愛こそ 生きている者への接し方
440 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 21:26:31
>>430 皆がルールを守っていた方が社会が上手く回って、結果として自分の利益になる。
という認識があるからじゃないか?
皆が信号を無視したら、事故や渋滞だらけになるのと一緒。
もちろん利益に繋らないルールもあるけど。
441 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 21:34:15
人生を歩む前に 誰もが持たされた地図
人より前に立っていた法律
人手によらず あったもの
生きるものへの証言者
442 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 22:03:52
>>434 影響の話じゃなくて「迷惑」の話。
他人に影響を与えなければ自由、なんておかしな話があるかい。
>まず殺人者に大きな影響を与える。
そうかね。どんな?非難を受ける、とかじゃだめだよ。前提で封じてある。
>>440 それはあると思う。
「守る必要が無いのに何故それを人間は守るのか?」
と言う事も考えてみたんだけど、やっぱりそこには
自己の社会的・生存的利益に繋がるのではないかと思った。
生命の尊さやら愛やら人間らしさでは無くて。
「殺人をしても良い」ならば何故しないのか?
それは自分が殺されるのを防ぐため、
いわば自己生存の本能のためではないだろうかと言う気がする。
444 :
考える名無しさん:2006/04/25(火) 22:24:32
aもbも 自由に生きる権利 を主張した
aはそれを行使して bの子供を殺した が
bもその権利を行使して その自由を「bを許し 愛すること」に使った
そこで aは 裁く神がいないのだ といい気になった が
神には それが目的だった
この世で 命を得ようとする者は それを失い
愛の為に それを失う者は それを得るのである
自由を用いて どちらを選ぶか ふるいにかける為に 今の時間は必要である
445 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 00:21:18
>>444 あのさあ、親だからって子どもが殺されたことを勝手に赦すなよ。
子どもを人間として扱うなら、子どもにcを割り振れ。
そしてcにも自由に生きる権利を主張させろ。
>aはそれを行使して bの子供を殺した が
これは所有物を奪ったというような書き方だろう。
446 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 00:39:16
だから、本人はじめ関係者が「迷惑」かどうか、それを「承認」したかどうか
本人が権利喪失を「納得」したかどうかだけが問題なんだって。
俺は俺や、ほっとけや。本人の「納得」が優先キーワード。
神?善悪?道徳?宗教?アホか!確認・証明できんもん持ち出すな。
本人が納得したら、それでええやないか、ほっといたれや。
生きることは「苦」だとゴータマ・ブッダは言った。無明の基である
生存(本能)をすり潰すことが輪廻解脱への方法か。
ゴータマブッダ あんたちょっと根暗過ぎる。人生に色はついとらんで。
21Cに生きてたらほんまにおんなじこと言うとは思えんが・・
どやねん。
>>444(災いがありませんように!) 支離滅裂な作文やな。bがbを許すとは?
bの子供自信は殺される事を納得してないやないか。この時点でア ウ ト。
勝手に殺すな、迷惑かけるな、わかっとらんな。
しかしキリストも根暗やな。たかだか2000年で神もお変わりになって
諸行無常ですな。
447 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 02:14:19
たとえなんだから伝えようとした事以外の上げ足とらないの
子供でもb本人でもいいよ
cに権利があってもaが自分の権利を主張して殺しちゃったんじゃないの
主張させた場合このたとえから何が学べる
「aを許し」に決まってる
448 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 02:53:49
自分が殺されない為に人が皆殺人をしない様に決めた
法に従う者は法に守られる権利がある
法を侵す者は法に守られる権利はない
故に、自分が殺されてもいいと思うなら誰かを殺すのも自由かもしれない
尤も、自分が死ねば相手を殺しても意味がないと思いますが
449 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 03:18:12
>故に、自分が殺されてもいいと思うなら誰かを殺すのも自由かもしれない
法に守られる権利のある者や
殺されたくないと思っている者や
殺されてもあなたを愛してくれる者や
愛されている者や
マザーテレサや
母親でも?
相手にも あなたと同じ自由がある
しかもその自由を「殺さない」事に使った人を
「殺す」事に使おうと決めた人が 殺めてよいか
他人の車は他人の車
他人の命は他人の命
450 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 03:36:29
人に殺さないことを強要できるのは法だけ
人は法が無ければ全て自由だから
法に従わない者に殺されるのは天災のようなものじゃないかな
私は殺さないし殺されたくないし誰も殺されてほしくない
だけど他人が殺したい感情を持っていても止めることはできない
人間は社会的動物で、社会に生かされてるから。
そうでないなら殺してもいい。
損をしたくないなら殺してはいけないし、得をするなら殺せばいい。
成長するにしたがって、損はいけない・得は良いと実感するはずだ。
453 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 09:49:46
人間が二人しかいない場合を考えてみよう。
とりあえず、社会なんて想定に意味はないね。
そうだったら、社会的動物じゃなくなるから、
殺してもいい率が大きくなるね。
人間が二人しかいない場合なんていう想定にたいした意味があるとも思えんけどな。
>>448 >法に従う者は法に守られる権利がある
>法を侵す者は法に守られる権利はない
この理由はなんだろうか?
>>450 >人は法が無ければ全て自由だから
>他人が殺したい感情を持っていても止めることはできない
この理由はなんだろうか?
>>452 >人間は社会的動物で、社会に生かされてるから。
>そうでないなら殺してもいい。
この理由はなんだろうか?
457 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 18:59:44
>>453 たしかに。
殺人について言えることの内、
二人しかいない人間の想定で言えることを言い尽くしてなお言えることがあれば、
それは「一般的人間」について言えること。
そして、一般的人間、なんていうのは虚構。
458 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 19:20:27
>>422ではなぜ善悪は相対的なのか?
概念は全て相対だからだよ。左右、寒暖、大小・・きりないね
>誰かが「これが善である」と決めたからか?
その通り。誰かが何かを定義すれば、その人がそれをそのまま体験することになる
殺人を否定するのは社会や法律の規定でありそれを破るのは原理上は問題ない、とする説(
>>448,
>>450,
>>452)をとるとしよう。
>>450にあるように
>他人が殺したい感情を持っていても止めることはできない
のならばAがBを殺すのをCが止めることはないということ、いってみれば殺人の傍観である。
この態度が世間に広まっているならば「え?隣の部屋の○○さんがヤクザに殺された?あっそ、勝手に死ねよ」とスルーするしても
なんらお咎めなしのはずである。
が実際はそうではなく冷たいやつだと嫌がられる。なぜか?
1法律を破った=社会の脅威=敵=拒絶 の思考を刷り込まれているから
2自分に被害が及ぶことを恐れてそれを除去しようとする利己心のため
3殺人を否定する何らかの正義を信じているから
絶対主義者の私は3の説に立つ。
461 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 19:37:15
悲しむ人を見たくないからかな。
あんな小汚くなるまでやるなよ
463 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 20:01:07
相対するものは人により立場が逆転する。
よって殺人もまた変わる。悪人なら桶って人もいれば悪人でもダメって奴がいる。
本当にあなたが思うことが正しいのか?その確固足る証拠はあるのか?
人を殺していけないと思う人の中では人を殺してはいけないんですよ
>>463 >相対するものは人により立場が逆転する
それがなぜかと聞いているわけだが。
>>464 >人を殺していけないと思う人の中では人を殺してはいけないんですよ
人を殺してはいけない→人を殺してはいけない「と思う」
のであって
人を殺してはいけない「と思う」→人を殺してはいけない
ではない。規範→意思であって意思→規範ではない。順序が逆だ。
466 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 20:57:26
殺したいと思うこと自体、死という概念や死に至らしめる方法を、
知識としてもっていることが前提である。
動物ならば確固たる殺意は持ちえず敵を攻撃する闘争本能のみ。
結果として死に至っても動物の目的は殺すことではない。
人間の殺意も単なる征服欲の延長で完全なる屈伏を欲する本能かと思われる。
殺意は誰にでも持ち得る本能と知識が混在する人間特有の感情だが、
情緒と理性を持つ人間は本能に負けることは悪とされる。
人間が本能のまま野性に属する選択肢はもはや無に等しい為、
理性を持たず法に従わない者は糾弾され、悪とされる。
つまり、殺してはいけない理由は知りすぎた人間同士のただのルール。
人類が滅亡しないためのルールかな?
意味わからなければすみません。
>>459 1.2.3の説全てが混ざっている様な気がするんだが。
「自分に被害が及ぶ事を恐れてそれを削除しようとする利己心」
いわば自己生的生存の本能。
その上に被さる、自己の社会的な生存を確立するための
「法律を破った=社会のルール=敵=拒絶」の思考。
自己の生的生存に反し、自己の社会的生存に反する「殺人」を
否定するために、正義と言う物を自ら生み出す。と、俺は思ってる。
469 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 22:12:09
>>466 センスがいいと思う。
前半はすごくいい。
あなたの考えから二つの考えを抽出して擁護したい。
1、殺意は本能と(死に関する)知識の複合である。
2、殺人に関する倫理は、人間の知識ゆえの、あるいは言語ゆえのルール(あるいはゲーム)である。
俺はむしろ後半の方に納得したが・・・
物事はすべて相対て上で言ってたけど、じゃあ例えばパンダの相対は何?
471 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 23:04:36
皆さんは人を殺したいと思ったことがありますか?
ある人はなぜ殺したいと思ったか、なぜ思いとどまったか教えて下さい。
472 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 00:47:45
あるよ、キムジョンイルとか麻原、、ほかにもいっぱい
なぜ思いとどまったかって、殺しに行くカネがない・・
逆に、人を殺しても良い理由があるとすれば、何でしょうね?
最近思う。
>>1 の質問は単純な様でいて、意外と奥の深い命題なのではないかと。
どのような状況でも許されないという類の話ではないような気がする。
474 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 01:31:09
砂漠や 絶海の孤島に
俺と 誰かの 二人きりだったとしても
俺は その誰かを 殺したいとは思わない。
社会の規範が無い状態でも、
俺は本能的に、積極的に誰かを殺したいとは思わない。
極端に腹が減れば、違うかもしれない。
殺人の是非が、社会制度や本能に基づくとする説は
普遍的ではないと思う。
475 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 02:07:54
板違いかもしれませんがご容赦下さい。
私はほんのささいなきっかけで大切な人を殺されました。
私はそのとき初めて濁りのない殺意を知りました。
殺したいという感情を正当化する為、なぜ殺したいのか、
ほとんど寝たきりになって考えました。
私は犯人を殺していません。
私の殺意も犯人となんらかわりない、征服欲だと知り愕然としたのです。
私の殺意が善で犯人の殺意が悪という確かな違いは見つけられませんでした。
人を思い通りにしたいという感情が人を殺し、新たな殺意に繋がる。
今でも狂いそうな殺意が私の中にあります。
けれど私は殺意そのものをも憎んでいます。
犯人は死刑にはなりません。
大切な人はあっと言う間に無になったのに。
犯人の後悔には何も慰められません。
悔い改める自由すら奪いたいと思ってしまうのが本音です。
だけど私は殺しません。
理由はまだ自分にもわかりません。
犯人が悪だと言い切る自信もありませんが、
悪でないとしても犯人を殺したい事実は変わりません。
正しい殺意というのは存在するのですか?
殺さないことで犯人が幸せを掴み、それを喜ぶことが善ですか?
なんだかわけがわからなくなります。
答えは出ないかもしれませんが少し考えてみて下さい。
私に何か教えて下さい。
私は殺さないので安心して下さい。
476 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 02:22:40
>>475 我慢できる程度の殺意だったってことだろ
477 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 02:37:47
>>476 事実、私は我慢しています。
あなたは我慢することが正しいと思いますか?
犯人を殺すことが正しいのかもしれないと思うこともあります。
殺した方がいいと思っても言いにくいかもしれませんが。
例えば自分ならどうするか、と書いていただきたいです。
私は殺さないので書いて下さい。
憎くて殺すんじゃなくて、怖くて殺すんだよ。
479 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 02:46:35
>>477 正しいかどうか考えて行動したことなんて、ね〜よ
正しい正しくないなんてのは置かれた立場でコロコロ変わる
だから「どうしたいか」だけで行動してる
だいたいヒト殺すのに人様のご意見聞いてる場合じゃね〜だろw
480 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 02:54:01
殺しませんよ。
正しいという意味も法の上だけということもわかります。
だけど殺さない自分の感情が自分でもよくわからないのです。
殺したいのは事実です。
鬱陶しいならもうやめますね。
あまり熱く煽らないで下さい。
リターンよりリスクの方が上だからやらないだけでしょ。
482 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 03:06:55
>>480 殺したいのに殺さないのは
殺す行為をするのが怖いか、殺した後に待ち受けてる事が怖いか
どっちかだろ
「怖い」が勝ってる間はそうやってウダウダ言ってりゃいいじゃん
それでなんの問題も無い
殺したければ殺さなきゃいかん、という決まりがあるわけでもないし
おまえの勝手なんだよ
483 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 03:16:30
わかりました。
どうもありがとうございました。
蹴るのと蹴られるのとが対称的でありうる。やり返すことができる。
殺すのと殺されるのは非対称。やり返すことはできない。
だって死んでしまってるんだから。
ふつうの害・被害のようには扱えない。
485 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 11:25:07
じゃ、扱うな
486 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 14:30:29
故意に人を殺しても死刑にならないのは何故ですか
487 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 14:37:52
人殺しがダメじゃない世界だったら世界が崩壊しますよ(笑)
488 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 14:53:26
>>487 国連安保理も世界各国も個人も殺人Okだが
こうやって世界は崩壊せず発展してるだろ
事実をよくみろ
489 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 16:28:16
>487
上手く均衡が取れるよ。
おだてるのが上手い人や強い人が上手く残る。
一部変人は何人か殺すが、臆病者たちに隔離されたり殺されたり。
今と変わらんなw
>>490 おだてるのがうまい人と腕力が強い人がいれば、
地球温暖化も、鳥インフルエンザも解決できますか。
493 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 19:43:48
>>460 では概念が全て相対的なのはなぜか?
それが存在・概念の本質だからだよ
という答えで納得?
>>475 殺さないことで犯人が幸せを掴み、それを喜ぶことが善ですか?
その通り。社会の構成員の全員がそういう気持ちになれば、殺人犯など生まれないだろうな
>>477 あなたは我慢することが正しいと思いますか?
私は476ではないが、正しいとは思わない。我慢は貴方自身を傷付けるからね
貴方は物事の因果応報を悟ってない。全てに意味があることを分かってない
殺されたことが負だとか勿体ないとか肉体が滅ぶことを忌み嫌う社会通念に何の疑問も持たないまま、既成の死生観に盲従している
貴方の価値観が、貴方を苦しめる
貴方が考え方を変えない限り、苦しみは続くだろうね
>492
他にも居るんじゃない?
需要があれば、頭の良い人も必要数残されるだろう。
>>494 残す必要があるかどうかはどういう人が判断するんですか?
というか、「殺していい」ことになってるのに、どうやって残すんですか?
>495
臆病者が判断するんじゃない?
>というか、「殺していい」ことになってるのに、どうやって残すんですか?
有力勢が必要とあらば、保護・残そうとするんだよ。
497 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 21:27:28
もし人を殺していいコミュニティ(国、同盟)だと、
治安の悪化、経済の悪化、子孫繁栄の悪化に繋がる。
感情にも悪影響を及ぼす。
だからコミュニティ内のルールで禁じている。
ただ、コミュニティ同士の争いでは、戦争という形で人殺しが行われる。
これは戦争に負けた方が罪に問われ、戦犯は死刑になる可能性が高い。
独裁国家の独裁者になれば、人を殺しても罪に問われないが、
国連から経済制裁を受けたり、結局、アメリカみたいな国に滅ぼされる。
現在、人を殺しても罪にならない職業は、
死刑執行人、アラブ紛争地などの軍人、傭兵、
独裁国家(北朝鮮など)の軍人、警察や収容所の看守、
くらいかな?
殺人被害者の遺族が犯人に死刑を望むこともあるし、
正当防衛など、自分が生き残るために他人を犠牲にすることが合法な場合もある。
結局、人を殺して罪に問われるかどうかは状況とルールで決まるし、
人を殺していいか悪いかは政治が決める。
ただ、ルールに関係なく、今までの歴史を見ても、
他人を苦しめる行為は悪い事であり、長くは続かない。
感情的に言えば、人が死ぬのは悲しいし、辛い。
だから悪い事であり、イケナイ事だ。
葬式に行けばわかる。
精神障害で他人の感情を理解できない人もいるが、
もしそうなら、そういうものだと知るしかない。
498 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 21:57:43
<おれ>は普通の場合たいてい、殺されたくはない。
ので、<おまえ>と<おれ>との間に
「<おまえ>が殺さなければ、<おれ>も殺さない」
という暗黙の契約を交わして生きている。
ときどきこれは破られるので、歴史上どの社会でも、
警察とかヤクザとか、それに類する代行執行機関が存在していて、
速やかな代理復讐と、復讐の横行による混乱抑止を仕事にしている。
殺されてもいいから殺したい、という<おれ>もたまに、
というか、わりとよく存在する。それは戦争という状況で頻発する。
戦争での人殺しは合法である。しかしこれも一応不道徳ということになっている。
戦争のしすぎは体に悪い。なにせ結果によっては、死ぬからなー。
「なぜ人を殺してはいけないの?」という質問には、主語がない。
だからこの問い自体は、無意味だ。だれが、<殺したい>のか。
それは状況によって違う。
戦争もそうだが、死刑執行人や裁判官から医師に至るまで、
「人を殺して良い」<おれ>は無数に存在するからだ。
<おれ>が人を殺してはいけないのは、<おれ>がそう意思しないからだ。
その意味では「殺してはいけない」という語は成り立たない。
<おれ>は「殺してはいけない」のではなく、「殺さない」だけなのだから。
<おれ>が<おれ>自身にたいして「殺してはいけない」と言い得るのは、
そのときの<おれに>
「殺したいが、殺されたくない」
というジレンマが存在しているときだけであり、
そしてそれは実は、普遍的な欲望である。
道徳家も反道徳論者もそのことを隠蔽している。
欲求があるからこそ、禁忌の言葉は存在し得るからだ。
501 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:34:37
罪ない人は殺してはいけません
罪犯した奴は殺します
なぜ殺してはいけないのか、と問うやつは、たいてい、<おれ>の存在が希薄だ。
いいかえれば意思の問題だ。
<おれ>が自分の中にいることに気がつかないやつもいるくらいだ。
殺されてもいいから、殺したいというやつのなかの<おれ>もまた、不安定な存在だ。
<おれ>を確かめるため、欠如した<おれ>を埋め合わせるため、
「殺されたくないから、殺さない」という律から外れていくやつもいる。
この質問の正しいかたちは
「なぜわたしは人を殺してはいけないのか?」
であり、欧米語ではまさしくそのように問われるが故に、
この問いが内面的な倫理の問いであることは、すぐにわかる。
既存のこの「殺人禁忌の哲学」はほとんどがこの設問に基づくものであり、それはこのスレッドにおいても変わらない。
そしてそれは社会における道徳やルールのことを、つまり社会倫理のことを問題にしているわけではない。
そしてそれは、その問いは、それは日本語における
「なぜ人を殺してはいけないの?」
という設問のなかに潜む問題空間を必ずしも的確に射たものではない。
正しさが相対的なものであるのなら、
「殺されたくないから、殺さない」という他者関係に中において見いだされる
<殺してはいけない理由>も、
「わたし」の内面において肯定されるべき生ける倫理としての
<殺してもよい理由>も、
ひとえに価値は同じである。
「なぜ殺してはいけないのか」、この設問が主語曖昧なままに発されるとき、
<おれ>の確定されるべき場所が何処にあるか、それは不問に付されがちだ。
<おれ>は徹底的に自由である。
そして<おれ>が徹底的に不自由である。
それは<おれ>の本質であり、変えることも、変わることも出来ない。
それが<おれ>だからだ。
「なぜ1+1は3なの
505 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:49:10
カンジャガ ヒトリ ニゲタ ンデスガ ミカケ マセンデシタカ・・?
506 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:50:18
507 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:52:42
答えは、リスクを背負ってでも殺したいなら殺せということですか?
社会はうまく出来ている。"あくどい"といってもいいくらいだ。
殺すこと(悪いことをすること)のリスクは一方的に高く付くように出来ている。
それは「殺されたくない(悪いことをされたくない)」とおもう
<おれ>にとって都合がよい。リスクの掛け金をより増大化させることは
倫理や道徳で以て啓蒙するよりはるかに効果がある。
掛け金の重さ、システムに組み込まれたカウンター機構の自動化は
より上位のリスクを見えにくくするようだ。
どうして人を殺してはいけないのですか、それに答えはない。
然り、であるなら、残るのは
どうしても人を殺したいのに、なぜ殺すことが出来ないのですか、
という新たな問いである。
殺したくない、と思わせるよりも
殺せない、という仕組みを作ってしまうこと。
問いの内実を変えて、問いのかたちすら変えてしまうこと。
それが「正しい」のかどうかは知らない。
「なぜ殺したいのか」を自省すべき<おれ>すらいない時代には、
ふさわしいことかもしれないが。
511 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 01:12:14
スレタイに対する答えがないということは、
殺してはいけないという事実はないという意味ですか?
>>498 あーそれ、永井均のまんま、パクリだから。
殺してはいけない、という理由ということか?
<おれ>にはあるよ。もちろん。「殺してもいい理由」も。
514 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 01:35:22
じゃあおれ様の答えを参考までに教えて下さい。
きみという「おれ様」が殺さない理由はきみのなかの<おれ>に、きみ自身が聞くしかない。
きみはなぜ人を殺してはいけないと思うのか?
・確として答えがあるのなら、それがきみにとっては殺してはいけない理由。
・「人を殺してはいけない理由は、無い」というのなら、そもそもきみは「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いに
答えられない。なぜならきみはこの問い自体が間違っている、と言ってるからだ。
・誰かきみが、きみでない誰かに対して「あなたが殺さない理由」を聞くのなら、それはその人それぞれだろう。
そして殺す人(殺さなければいけない人)は怒るだろう。そこには殺す理由があり、殺さない理由はないのだから。
516 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 03:38:48
私自身は満足に文を理解することもできていません。
じっくりとよく考えてみます。
あなた自身の殺さない理由を聞いてはいけませんか?
人それぞれの一例として、知りたいのですが。
いいもいけないもない世界で、
必然的にすべきことと、すべきでないことが
形を成してきたっていうだけのことだね。
殺さない理由なんてない。
そもそも殺す理由がない。
519 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 11:23:43
>>10 この問いかけにたいするかみあう答えはふたつしかない。
>>ひとつは「ひとを殺してもいけなくはない」、つまり、「ひとを殺してもよい」である。
典型的な二元論。アホの極致だな
>>499-500 <おれ>が「殺したいかどうか」と「殺されたくないかどうか」は、
別問題ではないのか。
「殺したいけど殺されたくない(捕まりたくもない)。だからばれないように
こっそり殺そう」という奴も大勢いるぞ。
>>520 むろん「殺されたくないから、殺さない」という黙契は『ときどき破られる』。
倫理の応報性の側面は、各個人の平等によって(あるいは平等と見なすことによって)、
成立する。『警察なりヤクザなり』は現実の非平等を補整する装置ともいえるし、
それは諸個人の平等という近代思想の広まりと無関係ではない。
殿様が御小姓を手打ちにしても全く意に介されない時代は、そんなに遠い昔ではない。
522 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 12:46:32
ハ,,ハ
('(゚∀゚∩_ おいらをどこかのスレに送って!
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>>516 わたしが人を「絶対に」殺さない理由はない。いつかはわたしも人を殺す立場に置かれるかもしれない。
ただいまわたしは殺さない場所と場合とシチュエーションの中にいるという事実があるだけだ。
わたしには「相対的に」殺さない理由しかないし、ほんとうのことをいえば、わたし以外大多数の人も、
「相対的に殺さない理由」「相対的に殺す理由」しかないだろうと思っている。そしてそれはみんなが実は知っている、とも。
「なぜ人を殺してはいけないのですか?」という問いは
「なぜ太陽は黄色いのですか?」という問いに似ている。
太陽は必ずしも黄色くない。白昼は白金、朝と夕方には赤く、時に緑や青にも輝く。
殺人が良い、とまでもいわなくても、それが許される時や場合は数多い。
社会的道徳の観点から見ても、戦争、緊急避難、死刑、堕胎、安楽死、尊厳死、自殺・・・・etcと、
われわれは「人を殺してもよい」社会に住んでいる。それを忘れてはいけない。
殺人禁忌は条件の問題だ。この意味における問いの本当の姿は、
「殺してはいけない場合、条件の根拠は何か」
となる。
524 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 12:49:26
しかし太陽は一般的に言って黄色い。太陽が黄色いのはもっぱらスペクトルの性質だ。あるいは網膜の性質だ。
だからあくまで一般論において「なぜ人を殺していけないのか」という問いは成り立つ。
絶対的に、どのようなシチュエーションにおいても人を殺すのはおろか、傷つけたり悪事を働くことすら戒める立場もある。
それは宗教、ことに原理主義宗教の立場だ。
だから一般論でなく、文字通りの「(絶対的に)人を殺してはいけないのはなぜですか?」という問いに答えられるのは、
そのような立場からだけ、いうことになる。
一般的に人を殺してはいけないのは、わたしたちが一般的なものととらえてるこの日常社会や人間関係の要請である。
それはすぐわかることだろう。戦争も、緊急避難も、それは非日常のことなのだから。
だから戦争が日常であるような国の人々に、この問いは無意味である。かれらは、当然にも殺人禁忌にあまり熱心に
なれない。でなければ、「敵」を人と見なさないか、だ。
>>1 人を殺してもかまわないという明確な理由がないから
527 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 14:17:19
>>526 「殺したい」は明確な理由だろ、それ以上の理由があるか?
言い方が悪かったか
人を殺す理由ではなく、人殺しをして「かまわないとする」万人が納得する理由
願望は理由じゃねえだろ
530 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 15:53:59
531 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 15:55:19
>>528 ほぼすべての団体。個人が殺人を犯しそれを肯定している
国連は国連なりに、国は国なりに、個人は個人なりに・・
私だけが殺してはいけないとする理由がみつからない
532 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 15:57:30
>>529 アホですかw
理由というのは動機のこと
動機とはまさに欲求のことよ
アンポンタンw
理由 : なぜそうなったかという筋道。また、なぜそうするかという根拠。わけ。事情。
動機 : 人が行動を起こしたり、決意したりする時の直接の(心理的な)原因・きっかけまたは目的。
欲求 : ほしがり求めること。願い求めること
欲求にも願望にも動機にも、それなりの根拠がある。欲求それ自体は根拠ではない。
>人を殺す理由ではなく、人殺しをして「かまわないとする」万人が納得する理由
たぶんこれは存在しない。どんなに合理的な理由でも、殺されるある一人にとっては、それだけで理不尽な理由になりうる。
人を殺しては「いけない」万人が納得する理由もないでしょ。
そうだよ。個人個人の内的倫理に依拠する限りにおいて、
「人を殺してはいけない」「人を殺してもいい」とするパーフェクトな根拠付けはできないよ。
誰か一人でも、その個人独特の内的倫理において「賛成できない」と言うことができるから。
537 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 16:58:54
理由→国連も国も個人も殺してる
皆、殺してるんだから殺してよい
文句あっか?
538 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 17:07:57
殺したいという欲求に至った理由が、人の支持を得られるかどうかが問題?
その理由には目的があり、有益でなければ、殺す必要はないですよね
怨恨・復讐などは、殺すこと自体が目的で無益だから悪なのでしょうか
「殺してよい」資格や条件がありそうですね。
誰も国連や国家の殺人は仕方ないと認めても、
537の殺人は認めないだろうから。
なんか、ものすごーーーいいじめを受けてる中学生とかが、
もういじめが非道くて非道くて、いじめの相手を「殺したい!」と
思ったりするのもダメなんかな。
暴力以外の方法を、っていったて中学生くらいじゃ
そんな大人みたいに上手くできないでしょ。
半殺しくらいは許してホスイ。(´・ω・`)
541 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 17:17:48
>>538 国連は国連の支持で殺してる
国は国の支持で殺してる
個人は個人の支持で殺してる
ほかにどんな支持があるよw
有益無益は立場で入れ替わる
そんないい加減なもの、基準になり得ない
>>539 国連の殺人や国家の殺人を誰が認めてるんだ?
認めた覚えは無いがw
おまえはいつ認めたのよ?
また俺の殺人が否定された事も無い
誰がいつどう認めたんだ?
542 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 17:24:14
子供がいじめられて苦しい場合
相手を殺したいのは苦痛から逃げ出すことが目的ですよね?
殺さなくても相手の目の届かない場所へ行けば、
殺さなくても逃げ出せる術はあると思います
相手を思い通りにしたいと思うことは間違いじゃないでしょうか
543 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 17:29:03
殺すことによって得られるものがない場合、全て快楽殺人だと思います
うーん何を言いたいんだろ。
国連の平和維持活動や国家の防衛はしょうがないでしょ。
その中で敵対国の人が死ぬのは、暗黙の前提だから、
カマトトぶってもしょうがない。
軍人は殺人で訴追されない、それが暗に認めてる証拠。
537の殺人は認められない「だろう」という予想。
545 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 17:46:45
人という字はねry
いけないが殺しているだけです。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
547 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 19:15:53
>>544 国連や国家の殺しがしょうがないものなら
個人の殺しもしょうがないでしょw
まあ正当防衛とかならしょうがないかな。
>>547 止むを得ない理由がある場合に限ってはね。
これは、国連や国家でも同じ。
>524
いじめって相手を思い通りさせる行為だと思う。
そのなかから抜け出すための暴力は許されるべきだと思う。
そうでないと逃げることもできない場合もあるから。。。
「殺してもいい」ってはいえないけれど、
相手の思い通りから抜け出すには暴力もアリ、だと思う。
>542ダッタ(><;)
552 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 20:06:27
目には目を?
553 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 20:17:44
喧嘩するのはいいことだと思うよ
一方的に大勢にいじめられて太刀打ちできないなら逃げればいいと思う
殺す前にやれることやってみればいいよ
殺すことは、いじめなんかより一方的で非道なんじゃないかな
554 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 21:05:03
>殺す前にやれることやってみればいいよ
そうだな。腐るほど選択肢はある
なのに短絡的に殺すのはアホの極致
結局、殺していい理由なんて「言い訳」に過ぎない
それ以外に選択肢が見付からなかった無能者のね
ちんこが小さくなるから
556 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 21:06:44
で、殺す以外に絶対に選択できないケースって、存在するの?w
「どうして人をいじめてはいけないのですか?」でも同様のことが言えるな
いじめる以外に絶対に選択できないケースって、存在するの?
答えは、ない。だからいじめは悪&幼稚
カルネアデスの筏
558 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 21:27:50
大量殺人犯は死刑になりますね
殺されたくないから殺すというのが日本で許される唯一の殺人なのでは?
殺されそうな他人を助けるために殺した場合も、罪に問われないよ。
560 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 21:58:04
大型連休だから
もうすぐ黄金厨がやってくる
人を殺し続ける、ことはできるのか。
あなたは、人を殺すことを常にしなければならない。
しかし、人を殺すと、人間でなくてしまう、
それ以降は、生命という訳でなくなってしまうので、ものを壊すことになる、
人を殺し続けるはずだったのに、ものを殺すということになってしまう。
これだけで、同じ人を殺し続け得ない、ということが判る。
ただ、人間の一部を取り除いてしまうことは意見が分かれるとしても、
いずれにしても、人間を殺すことは一回できるだけ。
人を殺すということ、悪意があるからだと考える。
悪意をもって人を殺さなければならない、ということが人々の暗黙の前提にされている。
しかし、悪意というわけではないかもしれない、ほかの意志なり、善意なりで人を殺すこ
ともある、しかし、もしそれらのことから、殺人があるとすると、間違っていると考えるのだ。
つまり、殺人をすると、悪以外の否定だからだと考えるのである。
そして、
異なる理由でもって人を殺すということに結び付けない。例えば、正義ということから、刑罰に
結びつける。むしろ、殺人という訳ではなく、法であるのだ。
一方、複雑な事情があるにしろ、悪いからであり、相手に無いと自分に摩り替わり、悪いからだ、
と考えるのだ。
すると、悪意をもって、人を殺すことはあり得る。揺るぎない悪の信仰があるのだ。
だから、人を殺すことが続くのである。だが、正義だからだと考えるとすると、法で
定めているのであり、殺人でないので人を殺すことは不可能になってしまう。
我々は、人を殺す場合、悪意をもって殺さねばならないのだ。
人を殺すべきだと考えるなら、憎みたまえ。
憎んでいることを公言しているならば、彼らの動機にはならないにしろ、
それから、我々の社会で罰が無いとすると、しかし、もし法などで定めら
れていると、不正である。だから、人を殺すことが悪という訳ではなくなってしまうのだから、
彼らも、人を殺すことは悪いと考えるだろうし、
悪意から、人を殺すだろう。
564 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 22:56:00
ヒトゴロシなんてしてる暇があるんやったら
カワイイお姉ちゃんナンパして
永劫回帰に参加する方が
限りある人生の有効な使い方やと思うねん。
565 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 22:58:32
誰かわかりやすく要約して下さい
黄金厨がやってきた
それか、このように言い給え。
彼は死んでよかったと。
善いことをしようと思ったら、彼を殺すことだったと。
すると、人を殺すことは悪いなんてことは大手を振って言われなくなるだろうし、
彼は死ぬべきだったのだ。
568 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 23:03:31
理解できません
何に対して論じているのかすらわかりません
569 :
考える名無しさん:2006/04/28(金) 23:58:12
思うんだけどさ、
殺したい感情を知ってる人なんて、本当にいるのかな。
みんな知ったかぶりしてるだけなんじゃない?
本当に殺したいって思う?
死んでくれれば良くない?
その存在を記憶から消すだけじゃダメかな?
570 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 00:00:59
無残な殺し方をした殺人犯に無残な殺し方をしたいと思うのは?
罰は神が下してくれるのか、確証がないと信じられない
571 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 00:09:39
>>569 幸せな僕ちゃんは、何を求めて哲学板に来たのかな?
ここには、お菓子も、エロゲーも、ワロスもないよ?
572 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 00:15:09
まだまだ認識力が足りないと思うんだよね。
昔、ヴィトなんとかが言ってたじゃん。
知らない事は語れねーよ、みたいな。
たぶん、この問題はそういうことなんじゃないかな。
この問いは社会に向けられているの?
一人の人間に向けられているの?
>>570 「無惨な殺し方」をしたから、
その人も同じく「無惨な殺し方」を受けるべきだ
と言う思想・概念があるからだと。
しかし、「無惨な殺し方」をした、
だから「無惨な殺し方」を受けなければならない
と言う2つの間に相互性が存在しない事も事実。
575 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 00:30:51
どちらかに限定されていないのでどちらも含むと思います
576 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 00:35:36
犯した『罪』に比べて
受ける『罰』が、より軽いという現状に問題があるんだと思うよ?
例えば100万盗んで、罰金10万なら、誰も盗みを止めないし、法律に存在意義が無い。
ヒトゴロシも同じじゃないの?って、コレは哲学じゃない? 判ってるよw やだなぁーw
577 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 00:49:42
同じ苦しみを味わわせることに意味があるかといえば、ない気がします
しかし、そうなって欲しいと望むのは事実
殺人という最大の悪意は、新たな悪意を呼び新たな殺意につながります
殺人はなんの役にもたたないけれど、人は人を殺したいのですね
全て征服欲だと私は思います
殺す必要はなくても、欲に負けて殺してしまう人が多すぎる
>537
興味深いね。
リンゴを食べる理由でなく、リンゴを食べてかまわないとする万人が納得する理由
と
牛(家畜)を食べる理由でなく、牛を食べてかまわないとする万人が納得する理由
前者は今のところ否定する人が見当たらないけど、後者は菜食主義者がいるし、
この境界線がどこから来るのか気になる。
レスアンカー間違えた。
537ではなく>534ね
>544
それは国家側の都合であって、殺された側がしょうがないと思う根拠もなければ
そう思うという確率も低いのでは?
>553
例えばあなたが刺されて死ぬのと、一生いじめられながら生きていくの
どっちが良い?
少なくともそう思わされるほどの経験をしてみて、どう判断する?
582 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 01:18:14
いじめられながら生きるしか選択肢はないの?
大抵は相手から遠い場所へ行けば解決するよ
いじめた相手を屈伏させたいから殺すんだよね?
それはいじめる人となんらかわらない悪意だよ
>582
あなたの人生は未来で構成されてるんじゃなくて過去で構成されてるんだよ。
人は皆そうだと思う。
ココの認識をごまかしたり捻じ曲げたりしたら悲惨だよ。
>いじめた相手を屈伏させたいから殺すんだよね?
逆に言えば相手もいじめによって相手を屈服させようとしている。
この拷問に等しい行為を「仕方ないから」、とあきらめたり許したりできる人は
もうすでに死んでいる人だと思う。
その上で、
>例えばあなたが刺されて死ぬのと、一生いじめられながら生きていくのどっちが良い?
をじっくり考えてみて欲しい。
584 :
苛められたら殺すよね:2006/04/29(土) 01:25:40
みんな、生きるために殺すしかない場合はあるよな。
でもそんなに弱いだけの自分は他人を殺してまで生きる価値がない
から肉親を殺すしかないというのはどうかと思うわけで肉親にも
それぞれ事情があるし、お前なんて産みたくなかったというのが
本音だったのに産まれてきちまったからなけなしの金を払って
育ててやったのに、そいつに殺される理由はないと思うよな普通。
殺人も自殺も悪いことになってるけど
殺人者の自殺がどっちかって言うと良いことに分類される傾向にあるのはなぜ?
良い悪いなんて、都合にしか過ぎないってことの証明では?
586 :
585:2006/04/29(土) 01:29:35
突っ込みどころがあるわ。
一番最後の行は無視して。
587 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 01:35:10
>>583 一生いじめられながら生きていくという状況がありえるとは思えません
生きていれば色々な選択肢があるからです
殴り合ったり口論したり逃げ出したりできます
仲良くなる可能性もなくはないです
殺されるというのは一方的でなんの選択肢もありません
いじめは悪だけれど、殺人のほうがはるかに悪だと思うのはそのためです
588 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 01:41:25
おれをイジめるヤツがいたら殺す
殺されてからでないと警察は動いてくれないし、
だれも助けてくれるわけでもない
実際殺されるかもしれないというのに
そんなヤツを放置するわけにはいかないだろ
断固、殺す
甘くみるヤツは殺す、覚悟してイジめに来いや
>587
そのいろいろな選択肢を自分の中から摘まれていくのがいじめでしょ。
話し合いや殴り合いでもどうにもならない、解決しないと思わされたから殺そうとするんでしょ。
まあ、その人と同じ立場・境遇になってみないと分からないだろうね。仕方ない事だと思うよ。
そしていじめは被害者だけの責任にしていくにはあまりにも無慈悲だ。
悪から逃げるためにはそれ以上の悪をぶつけるしかない。
逃げるために仕方ないことだし、そこまで悪の水準を吊り上げた加害者側にも責任はあると思う。
590 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 01:56:10
いじめられたから殺して、刑罰を受けて、殺人犯として生きるの?
そこまでして殺したい?
職場なら仕事やめて、学校なら転校したらいいじゃない?
親なら然るべき団体に助けてもらえばいいよ。
その方が幸せだと思うけど、違いますか
>>588 だから、おまえは虐げられるんだぞw
おまえみたいな奴は少しも自分の内面を考えないで、
私の外に対して悪いことをすると、世の中が上手くいくと考える口のやつだな。
まあ、イジめたこともあるけど、イジめられたこともあるってやつだな。
こういうことを考えるようになったのは、
私の外に悪いことがあって、内部を切り離しているような、軽度の自閉状態だな。
だから、そんな考え方してるから、シカトされんだよ。
余所見して話したり、隔絶した会話を聞いていると、吐き気がするよ。
無視したくなる。
豚
>>591 何故だ、それが彼の自己実現だろ。
彼の考え方を認めると、そういうことになるだろう。
外が悪い気分であり、しかし、内部は少しも考えられないのだ。
そういうことに従わせると、気分が悪くなり、内面を考慮しないことにすべきだ。
気が違っているようだが、彼の世界はそういうようになっているのだ。
>590
そこまでして殺したいんでしょ。
殺人犯として周りから疎まれるのと、永遠にいじめられ続けるのを天秤にかけた結果だと思う。
何で、いじめによる報復殺人や自殺が相次ぐんでしょうか?
被害者が馬鹿だった?自分ならしない?同じ環境になってみないと分からないと思う。
いじめは考えを捻じ曲げ性質を捻じ曲げ、ある意味殺人なんかよりもっと酷い。
人は皆幸せになろうとして動いてるんだし、それを奪うものは排除していかないと確実に不幸せな人生になる。
>>593 彼がいるから、ものが足りないから、私の地位が危ういから、
いい女といい男がいるから、
だから、殺すっていうのは狂人だ。まあ、気違いだからね。
憎いから、殺すのだ。食いたいから、殺すのだ。高貴の感情から、殺すのだ。
女を抱きたいから、殺すのだ。
こういうのが無いのに、殺すとなると、過失だな。
例えば、賠償しなければならないようだな。
596 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 03:34:06
>>594 永遠にいじめられ続けるというのが、どういうことなのかよくわからない。
そこをわかりやすく説明してくれませんか?
殺してしまったりましてや自殺してしまうなんて、
正直に言えば私には視野が狭いように思えます。
もったいない。
いじめから逃れられる方法が無いなんてことがありえるのですか?
あなたがもしもまだ若いなら、いじめを永遠と感じてしまうのも
無理はないことかもしれません。
でも終わらせることは出来るはずです。
いじめる側の人間に何か罰が欲しいという気持ちはわかります。
でも殺さないほうがいいと私は思いますよ。
幸せな未来を求めるならね。
597 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 04:18:33
俺をイジめるヤツは殺してやります
そいつのポケットが空なのかナイフが入ってるかは俺にはわかりません
そいつがホームの俺を突き落とすか落とさないか俺にはわかりません
悪意を抱くヤツの行為がどの程度となって俺に降りかかるか見当もつきません
一回だけでもそういう事があれば俺の命は終わりです
一回でもです
「滅多にある事じゃないんだよ」って、お棺に入った俺に言う気ですか?
俺は身の危険に関して統計を信じません
1万分の1の確率が俺に1回でも起きたら俺の命は終わりなんですよ
道を歩く時だって後ろに車の音が聞こえたら俺は必ず振り返って注意して歩きます
突っこんできたら車には勝てませんから
殺されないための俺の予防措置は・・悪意を俺に向けイジを仕掛けて来るヤツは
皆、俺を殺す可能性があると解釈し「先に殺す」です
だれも俺の命は守ってくれませんから
毎日ウカツなヤツが殺されてます
悪意の引き起こす現実のなんたるか、自衛のなんたるかを知らない人たちです
俺をイジ゙めるヤツがいたら「殺られる前に」殺ってやります
後では遅いんですよ
ガンダム見すぎだろw
GANDAMseedでそんなことやってたよなw
確かコーディネィターがジェネシスでナチュラルが核
俺も見たよ
ところで上で書いたようなこと日常から口走ってないだろうな?
そんなこと言ってたり雰囲気出してたら普通にいじめられるとおもうぞ?
マッチョで強面なら周りは目をそらすだろうけど
普通かそれ以下の見た目の奴ならいじめられるのは仕方ない
ところでこのスレは政治板とかにあるといい感じに見えるな
599 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 05:03:11
>596
魔女狩りや部落差別なんかがいい例だと思う。
>正直に言えば私には視野が狭いように思えます。
現段階ではそうかもね。同じ環境になってみないとわからないと思う。
601 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 06:14:30
>>599 そうかそうかww
いつもいつも万一の危機に備えるというんだな?
じゃ万一の地震に備えて非常食やラジオなんかいつも持ち歩いてるんだな?
軽く地震に殺されるのもたまったもんじゃねーわなwwwww
1週間ぐらいは生きていけるように水も何Lも持ち歩くってwアホだwwwwww
地震とか最近多いし俺も気をつけますwwwww
あ、富士山が噴火したり隕石が衝突しても死んじゃうかなwwww
602 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 06:16:31
別に殺してもいいよ
>601
アリとキリギリス思い出した
604 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 06:44:13
アリとキリギリスかw
確かにそうかもしれないな
俺キリギリスかもしれんww
でも話し聞いてるとどうも気構えだけって感じだよ
アリは冬に備えて夏働く
スレ上の奴は夏の間冬に備えて食料を集めなきゃなーと考えるだけで
結局キリギリスと一緒に死ぬアリだろ
だっていつまでも軽く見られて暇つぶしか何か知らないがいじめられて
いじめられてるご本人様は妄想に励むばかりで仲間増やしてますとか
勉強できるようになりましたとか体鍛えてますとか見返す努力してる風には見えない
ガテン系のマッチョでおっそろしい顔ならナイフなくても「殺すぞ」って言い返すだけでいい
どして人殺していけなのですか
どー人殺いないですか
607 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 07:12:17
人を殺してはいけないと思わせるものがあるから
そこに人がいるから
誰でもよかった。今は反省している。
むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった。
611 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 11:04:56
>>558 そう言うケースでも、殺す必要はないじゃん。死ぬまで社会から隔離しておけばいい話
あ、隔離じゃコストが嵩むから、殺すってこと?
612 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 11:33:56
殺す必要はないですね
死刑がない国の方が多いですし
死刑は、ある意味独裁的だと思います
現実問題金がかかったり、隔離しておく場所がないかもしれませんが
613 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 11:38:38
死刑に反対する理由で最も多いもの・・・人権尊重
死刑囚のほとんど・・・多数の他人の人権を無視した者
どうよ?って板違いか。
614 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 12:10:34
例えば、緊急避難の場合は、加害者を殺すことが、
被害者の人権を守る唯一最善の方法だけど、
犯罪を犯した後(被害者が被害を受けた後の)の死刑囚について、
死刑を行うことが、被害者の人権を守ることになるのかどうか。
615 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 12:14:41
哲板で一番熱いなここ。
616 :
俺哲を聞け:2006/04/29(土) 12:14:44
>>577の
殺人も、死刑も 欲望であると言う思想は 理性の否定である。
殺人は欲望だが、死刑は受難者の意思を超越した社会的必要性にその根拠があるからだ。
自己の欲望によって、殺人を行うことは許されないという社会通念の実現の為に死刑があるのであり
被害者がカワイソスだから、加害者を殺すのではない。俗に言えば一罰百戒だ。
そして、自己の欲望で殺人を犯すことは許されないという社会的通念の実体化=死刑制度の維持により
副次的に被害者の感情的欲求、社会的に正当と認められうる報復の欲求もまた、満たされることで
社会正義が実現するのである。
つまり、殺人は欲求遂行の手段だが、死刑は欲求を治めるのである。
617 :
俺哲を聞け:2006/04/29(土) 12:27:13
>>616 7行目:補足訂正
殺人加害者と殺人被害者の生命の均衡が回復されて、社会正義が実現するのである。
618 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 15:13:18
ならば、人をただ一人でも故意に殺した場合も死刑にすべきでは?
619 :
俺哲を聞け:2006/04/29(土) 15:15:59
>>618 故意ならば、それが妥当だと思うよ?
現社会では、そう考えない風潮が強いけどね。
逆じゃないの。
殺人加害者と殺人被害者の生命が均等なら、
被害者が殺されてはいけないと同等に加害者も殺されてはいけない。
加害者の命を被害者に渡せば被害者が蘇るとでもいうなら話は別だが。
621 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 15:27:46
加害者の人権を尊重するのはなんのため?
622 :
俺哲を聞け:2006/04/29(土) 15:28:12
>>620 当然、生命の価値が等しい上に 【ヒトを殺すな】と言う前提があるんだけど
殺人が発生した時点で 【ヒトを殺すな】という前提は 壊されているんだね。 恐らくは、一方的に。
そういった 【裏切り】の存在を【補正】して、【生命の相互等価の均衡】を取り戻そうとすれば
殺人者もまた、【死刑】にされなくちゃイケナイんだよ。
殺人が無ければ、死刑もないからね。
100万盗んだら、罰金は【100万+刑罰分】
ヒト一人殺せば、罰は【死刑+制裁性(苦痛や不名誉)】
これこそが平等ってモンじゃないかな?
623 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 15:32:02
命を奪った罪を生きたまま償うなんて甘いよね
>>622 そうだととするとたとえば数百万人をいっぺんに殺した政治家と釣り合う刑罰は何だ?
>>622 >当然、生命の価値が等しい上に 【ヒトを殺すな】と言う前提があるんだけど
ということは、【ヒトを殺すな】と言う前提は、「生命の価値」を前提してないわけ?
626 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 15:38:24
全財産没収+チンコ刻みの刑+ミンチ・マシーンであぼ〜ん♪でどう?
627 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 15:39:20
犯した罪には罪と同等か、またはそれ以上の罰がないと
犯罪はやった者勝ちになってしまいますね。
628 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 15:40:46
>>624 A級戦犯として永遠に祀られることじゃないの
629 :
俺哲を聞け:2006/04/29(土) 15:44:59
>>624 >>622では、罰金の例を出したけど、一個の生命の価値って金額では贖えないと思うんだ。
だから、ヒトゴロシは罰金刑や懲役刑でなくて、死刑でないとイケナイと思うんだけど、
逆に言えば、生命ひとつの価値はそのヒトにとって【無限の価値】とも言えると思う。
数百万人殺した人間がいるとすれば、彼には【死刑】+【苦痛+歴史上の汚名】こそが相応しいと思う。
>>625 上に書いた事とダブるけど、生命の価値は【無限】だと僕は考えてるんだ。
もちろん、【無限の価値を持つ生命】=【生命の相互等価】その上に成り立つ
【ヒトを殺すな】だと考えてるんだけど、どうだろう?
630 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 15:50:28
歴史上の汚名は、親族が哀れすぎる
じわじわ苦しんで死ぬ以上の罰はないと思う
631 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 15:53:03
632 :
俺哲を聞け:2006/04/29(土) 16:03:25
>>630 そこで個人主義の肯定的側面も見出されるんじゃないの?
犯人は犯人。家族は家族。でさ
人間は感情と理性で判断を下すけど、感情の判断はあまりいい結果を生まないね。
人間の幸せは極言すれば【感情】や【本能】の充足だろうケド、
人間の【感情】は、【理性】と言う運んでくるエサ(充足)を、
巣でクチあけて待つ【ヒナ】のような存在であるべきかもしれないね。
愛すべし、ただし放任すべからず。みたいな
>>629 この世の全ての物には価値が有り、
たった一つしか存在しない命には無限の価値がある派。
この世の全ての物には価値が無く、命に価値なんて存在しない派。
このどちらかに属しているかによって意見が違ってくるね。
634 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 17:32:45
飼い犬をいじめられ隣家の住人を殺した事件があったが
他人の命なんてそういうもんよ、ペットのそれより軽いw
635 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 17:58:18
>>634 誰かにとって、身近な犬の命は、
疎遠な人間の命より重く感じられるのかも知れない。
ヒトラーが身近な人間に愛情を注いだみたいに。
でも俺ら人間だからさ。
牛も食うし、豚も食う。鯨も食うし、犬を食う奴もいるw
誰かが【犬の身内】として生きたいんなら、生きればいいさ。
その代わり、【人間社会】【身内の人間】の為に作られたすべての文明は
【犬の身内】に、犬の権利と、犬の生き様しか許されないと思うけどね。
636 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 18:11:25
>>633 この世の全ての物には価値が有るが、
それはあくまでも自分にとっての価値であり、
命の価値も例外ではない。
他人がどういった価値付けをしようとも、
自分にとっての価値こそが絶対である派。
命には軽重があり、無価値と無限のどちらかであるなど考えられない。
637 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 18:13:57
毎日世界で何万人も餓死してるの見過ごしといて
おまいら「人の命がどう」とかよく言うよw
638 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 18:19:40
そのとき世界がゆがむ 捩れる〜
639 :
636:2006/04/29(土) 18:33:28
>>629の意見には賛成。
自分にとって自分の命の価値はまさしく無限。
被害者が加害者の処罰を要求するなら、
最低限死刑以上の刑罰でなければならない。
故人が死を望んでいなかったのならば。
被害者が加害者を死刑にすることを望んでいるかどうかは確認のしようがないんだよね。
641 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 19:08:45
>>636 そうそう、個人的な生命の重要性こそが、生命の重要性の本質。
中には、俺命なんてイラネって奴も居るだろうけど
他人の価値観や気分は正確に推し量ることは出来ないから
【彼は彼自身の命を大事に思っている】という前提で物事を判断しないといけない。
死にたい奴は、ひとりで勝手に死ねばいい。(冷たw)
他人の命は無制限に大切なのだ。そしてそれを守るのが法であり社会であり、
他者の生命を奪うことは加害者の死刑でしか償えない。
642 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 19:15:04
>>611 実際のところ死刑に処してもあんまし利益なんてないんだよね。
見せしめと遺族の感情を静めるというくらいかなあ。
とりあえずその程度の価値は最低限でも必要だとして、
それ以上のコストに見合う価値をつくりだそうというなら、
死ぬまで何でもありの生体実験の被検体として
人類の繁栄に寄与できる栄誉に浴させてあげた方がいいんじゃないかな。
そうすれば脳の研究なんかも飛躍的に進歩するんじゃないかな。
643 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 19:19:06
>>642 刑罰に社会正義の確保以上の利益を求めることには反対だな。
中国が臓器売買目的で死刑囚の殺しまくってるのと同じ発想だ。
644 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 19:28:01
★理由なんか考えてるのは時間のムダ
645 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 19:28:14
>>640 自分が他人の我欲を満たすために殺されたら、
相手を死刑にして欲しいかどうか訊いておくべきかな?
臓器提供の意思確認みたいに。
まあ、もしもその結果圧倒的に同じ返答が多かったら、
一般論としてそれに統一しちゃってもいいだろうけどね。
で、例外としてそうして欲しくない人だけ特に意思表示しておくとかね。
そもそも、傷害罪ではなぜそうしないのかね。
被害者に聞くことができるのに。
647 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 19:43:07
>>643 辛うじて死なない程度でってことで。
故意に殺すようなことはしない。
多分、死ぬよりつらいだろうと思うけどね。
加害者に被害者に与えた損害以上に相当する罰を与えるなら、
この方法が妥当なのではないかな。
死刑同様その恐怖は社会正義の実現に繋がる。
死刑を廃止するなら代替刑はこのくらいのものでないとね。
648 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 19:43:38
>>645 殺されたい奴にも、殺されたい方法とか、タイミングとか、相手とかあるだろうから
表示の識別は大変だなw
>>646 司法権力が民衆に委譲されて時代が浅いから
封建時代のような強圧的な刑罰に対する恐怖心が法学者と民衆のトラウマとなり
お上品で無力な犯罪者擁護主義が幅を利かせてきたんだろうな。
共産主義ブームが犯罪者擁護、司法権力の悪役論にかなり拍車をかけた面も大きいし。
理想的な民主主義世界では、報復法+アルファが理想形だと思うよ?
今の日本でなら報復法をむしろ必要では?
俺はどちらかと言うと
この世の全ての物に価値は無く、
命にも価値が存在しない派だけど。
全ての物は「そこに存在している」と言うだけであって
価値と言う概念は、人間が勝手に与えるものだ。と思ってる。
650 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 20:13:39
>>649 我々人間は【ここに居る】のだから、
生命の価値も【ここにある】ことにならないだろうか?
651 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 20:15:37
ここに居ることに意味も価値などない
命の価値も意味もない
>>650 そこが意見の分かれ目なんですよね。
「存在する」=「価値」
「存在する」←「価値を与える」
存在と価値は同一なのか、
それとも「存在」の後の「価値」なのか。
そもそも、価値というのはなんでしょうね。
>>648 >理想的な民主主義世界では、報復法+アルファが理想形だと思うよ?
なぜだね?
>>636 >それはあくまでも自分にとっての価値であり
なぜ自分にとっての価値なのか?なぜ自我を前提にするのか?
656 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 20:52:00
>そもそも、価値というのはなんでしょうね
価値というのは利益を指すのさ
657 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 20:52:43
論題がちょっとずれてきている気がするが
【人間の生命】に限っていえば、【存在】=【価値】であると言えると思う。
人間は生まれる前も後も、無限に続く【無】であるが
人生が【無】から生じて、【無】に帰る旅路だとしても、
その瞬間の【生命】は【圧倒的な無】の中で、か細く受け継がれてきた
【存在の瞬間】の連続であり、【生命】の存在そのものに高次元の【価値】があるのではないかと思う。
個人から見たら【どうせ僕は死ぬんだー】敵な刹那主義も在ろうかと思うが
自分が引き継いだ生命、これから引き継げる生命について考えれば
むしろ積極的に、今現在の【生命】を価値あるものとして、評価するべきであると思う。
658 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 20:54:53
>>654 >>655 議論は、仮定→反証→検証→合意 で進むものだから
君なりの疑問点や見解を示さないで疑問ばかりぶつけていては
他の議論参加者の邪魔だと思うよ? ごめんね? ちょっと厳しかった?
>君なりの疑問点や見解を示さないで疑問ばかりぶつけていては
まだ二問しか聞いていない。「ばかり」というのは撤回して謝罪されたい。
660 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 21:00:25
>>649 その通りだけど、人間にとっては価値があるわけで。
つまりあなたにとっても価値はあるはず。
人間が関わらないことについて考えるなら価値は無視してもいいと思うけど、
この場合は考えた方がいいんじゃないかな。
>>652 存在してるだけじゃ価値は無いよね。
やはり人間とかが価値を与えるのだと思うよ。
でも人がいなかったらそもそも人命の価値についてなんて考えない。
>>653 曖昧に簡潔に言うなら、
誰かにとってそれがどれだけ好ましいかの度合だと思う。
その人に対象が与える利益とか損害の程度。
>>655 人は自分にとっての価値でしか物事を判断しないから。
他人の価値観で行動する人間はいない。
愚見を述べよう。
いわゆる値段、物価は交換の尺度、
A○○個=B〜〜個というように同等な交換を成り立たせるための数量であるが、
逆にいうと交換がないならば値段をつける必要はないのである。
例えば「鼻糞の値段は?」と聞かれても「誰も買う人がいないから値段なんてついてない」と答えるしかあるまい。
この値段(物質的な意味の価値)の概念をそのまま人命に適用すれば
人=交換できない=価値は無い(つけられない)、となるだろう。
言い換えれば「命の価値」ということを考える時点で命が代替の可能なものとみなしているのである。
このこと自体に問題はないか?
662 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 21:10:50
なんか生命について考えるほど
無限の無の中に浮かぶ、
一瞬の生命の輝きが愛しくなってきちゃたよ。
生きとし生ける者は、みんな愛しい。
生命の流れよ、今まで続いてくれてアリガトウ。これからもヨロシク。
特に俺の命は、俺にとっては、今のコレ一個きりだし 特に愛しいなぁw
>>661 人間の感情・思想を排除し、
客観的に見ればなんら問題は無い。
>>657 +1=−(−1)のように存在=非(非存在)と考えれば存在は非存在=無ともいえる。
存在に価値があるならば非存在にも価値があるのではないか?
>>660 >誰かにとってそれがどれだけ好ましいかの度合だと思う。
>その人に対象が与える利益とか損害の程度。
あるものAによってもたらされる損益は対象になる人B、Cなど異なる。
ある人の飼い犬Aが道をすれちがったBに吠えかかった。
この人は「うちのかわいい犬がこなんに吠えさしたブスのこの男のほうが悪いやんけ」と考える。
これは飼い主にとっては見ず知らずのBよりも心を癒すAのほうがより利益があるからである。
しかしBにとっては吠えかかってきた猛犬、損を与える存在でしかない。
さて、犬の価値は?価値を利損によって計れば相対主義に陥るだろう。
相対主義に陥れば「道徳の共有律」(道徳は万人が守らなければ意味がない)が守られないだろう。
【存在】に価値を与えるのは人間。たしかにそうだ。
ならば元々【存在】に価値は無い事になる。
だけど、価値は無くても意味はあるのではないだろうか?
自分の手を見て思う。意味が無いのならば、
この手を構成している細胞は何故手を構成しているのだろうか、と。
667 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 21:40:59
>>661 【価値】の基準が【貨幣価値】に限定されるのであれば
【貨幣】の存在以前には【価値】が存在しなかったことになるので
>661は破綻した意見だと思う。
【生命】の【現に在る】状態は、【貨幣価値】に置き換えることの出来ない【価値】の典型だから
やはり>661は破綻していると思う。死ねば【貨幣】を価値と看做す主体が居なくなるからね。
>>664 殺人はなぜ許されないか?について語ってるスレでその質問はズレてると思う。
ここは死の価値について語るスレじゃないからね。
もちろん死にも【意義】や【価値】は見出せるよ? 靖国神社はその象徴だ。
しかし、【死】の価値は、【生命】の価値と【対】にあってこそ【価値】となるのだから
【死】の価値は、【生命】の価値を超えるものでも、否定するものでもないと思うよ?
668 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 21:45:59
>>660 好ましいさの度合いと利益とか損害の程度というのは同じではないんでは?
好ましくないけど利益になるから受け入れること、
好ましいけれど損害になるから受け入れないこと、
というのはあるんでは?
669 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 21:48:58
>>668 【価値】について、人間の生命に限定せず
普遍的な意味について拡大したら論点がズレて収集がつかなくなると思うよ?
670 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 21:49:04
この世の全てに価値?w
そんなもの、無いよ
全て、価値や意味などは最初から存在しない
見た人間が己の価値観で意味付け・定義づけしているだけだ
価値や意味や目的や理由、禁止や義務や権利なども概念は全て人工物
価値があるだのいう前提で物事を話すなよ
671 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 21:52:02
そもそも、目には目をという精神に理性が働いていないと思いませんか
672 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 21:55:13
>>657 存在してるだけじゃ価値は無いって
>>660では言ったけど、
>【人間の生命】に限っていえば、【存在】=【価値】であると言えると思う。
「【人間の生命】に限っていえば」、ということだから間違いなく人間が含まれてるよね。
つまり価値があるということになる。というわけで同意。です。
>>661 価格と価値は違うんじゃないかな。
価値があるものに必ずしも値段が付けられるわけじゃないし。
値段の付いてないものには価値がないとは言えないし。
それはともかく
命は代替が可能ではないけれど、
秤にかけることはできると思うよ。
一人の命と六十億人の命ならどちらが重いか?とかね。
もちろん、物の値段でもそうだけど、
買い手にとっての価値次第で価格は変わってくるから、
絶対的な価値なんてものは決められないけどね。
>>664 >+1=−(−1)のように存在=非(非存在)と考えれば存在は非存在=無ともいえる。
存在は非存在じゃなく非(非存在)であるのだから無ではないように思うけど。
>>665 例には何か問題がある?それが人間だとしか言えないのでは。
それとも万人にとって共通なその犬の価値を決められるのかな?
>相対主義に陥れば「道徳の共有律」(道徳は万人が守らなければ意味がない)が守られないだろう。
それをなんとかするのが教育と法律。なんじゃない?
>>668 好ましいというのは利益のこと。
好ましくないのは損害と考えて。で、損得が混ざってるものはいろいろあると思うけど、
総合すると自分にとってプラスかマイナスかで考えてるっていうこと。なの。
673 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 22:01:49
火打石はカチカチするなり。ダジャレすまそ。
>>657の文章は
>人間は生まれる前も後も、無限に続く【無】であるが
>人生が【無】から生じて、【無】に帰る旅路だとしても、
>その瞬間の【生命】は【圧倒的な無】の中で、か細く受け継がれてきた
>【存在の瞬間】の連続であり
とある。これは「宇宙では命の存在は稀だから価値がある」というように受け取れるが
少ない=貴重=交換しにくい、という意味ではないのか?
675 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 22:29:37
死刑制度のない国は何故死刑を廃止したかわかりますか?
676 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 22:50:24
>>672 例えば、ある人間にとって、他人の好ましさの度合いは、
それが誰であるかによってまちまちだし、時間によっても変わりますね。
もちろん、ある人が好ましいと思った人が、
別の人にとっても同じように好ましいとは限らないし、
むしろ違うのが普通ですね。
さらには、自分自身を好ましく思っているかどうかも人によって違います。
つまり、人の価値というものは、それを測る人、測られる人によって変わるものであるということになりませんか?
命の価値の性質について
・連続
命の価値を持っている状態と持っていない状態があるのは確実として、その中間はあるか?
また差はあるか?ある価値Aの直上、直下(例えば100円の直上は101円、直下は99円、単位に銭が出てくる場合は除く)はあるか?
・所有者
命の価値はどこに属すか?例えば服の価値である美しさの所在は服であってその服を着ている人ではない。
これと同じならば命の価値は命自体にあって命をもつ人にはないことになるだろう。そうすると命の価値を損なわずに人を殺すことはできるのだろうか?
回答1
命は経験上有るか無いかの二つしかないのでそれに伴って生じる価値には差や中間が無いと思われる。
回答2
命が人体から独立に実在しているのではないので命とは別に人を殺すことはありえない。
678 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 23:13:33
>>676 620番台以降の話の中で、
他者から見た『被観察者』の生命の価値が、
『被監察者』の生命の価値を決めるのではない。
生命の価値を決めるのは生きているのは『被観察者』自身で
『被観察者』自身にとっては『被観察者』の生命は
≒『無限の価値』ではないかという結論になってるんだけど、どう思う?
679 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 23:16:09
>>678 >さらには、自分自身を好ましく思っているかどうかも人によって違います。
680 :
考える名無しさん:2006/04/29(土) 23:28:23
>>679 同じ620番台の話の中で
【死にたい奴はひとりで死ねばよい】とも言ってるし
それって。殺人じゃないと思うんだけど?
命の価値?何それ?
世界(人間の社会じゃねーからな)
からみれば俺やおめーらの命の何処に価値があるんだよ。
ただそこにいるだけだろ。
そもそも人間が滅んじゃいけねー理由は何だよ。
人間の思考や感情抜きにして考えてみーよ。
ねーだろーが。俺ら人間は勝手に生きて勝手に死ぬのよ。
数が少ない=価値があるという時点で
もう人間の思考や感情や概念が入ってるんだよ。
真理っつーものは、人間の思考や感情や概念一切を
削ぎ落とし研ぎ澄ますした先に有る物だろうが。
人間の思考や感情や概念を取りいれた瞬間から
それはもう人間の独りよがりにしかなんねー。
683 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 00:06:53
大多数の人間は、ただの駒だよ
何もかも国家繁栄ゲームみたいなものじゃない
法律なんて駒を扱いやすくするためのルールにすぎない
ゲームにも意味なんかないよ
暇つぶしの娯楽だからね
684 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 00:56:49
真理書いてしまった
685 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 00:59:42
みんなごめんね
686 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 02:51:37
「殺されても、別に構わないッスよ」って奴が、ほとんどいないからってだけだろ。
687 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 03:22:06
殺したいって思う?
痛めつけるでもなく、はずかしめるでもなく、
殺したいって思うの?
そう、思い込んでるだけじゃなくて?
688 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 03:26:10
殺したいと思わないってしあわせだよね
689 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 03:32:11
頭の中で「殺してやる」って考えてるだけじゃない?
人はいつか死ぬのだから、「なるべく生き辛く長生きさせてやろう」とは思わないの?
690 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 03:47:51
殺したいと思うよ
殺すかどうかは別として
逆に、生きて苦しめたいとは思ったことがない
691 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 04:01:31
存在だよね。
存在していることが許せない。
どうして?
692 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 04:16:19
自分が一番されたくないことだからかもしれないね
>>692 自分が殺されたくない→だから自分は他者を殺さない→ゆえに他者に殺されない
こんなんで良いの?哲学?
694 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 04:26:14
いろいろとめんどうだから
>>694 面倒だろうな。
各々の人間には、共通の「理念」とかいったものがあるのだろう。
各々の人間を支配する「理念」が…おいといて…
法律だけでなく、例えば・・・
一級建築士の姉歯氏の奥さん自殺したよな?
それは周囲の人間の「報復(嫌がらせ?)」が殺したともいえる。
言ってみればこれも直接は手を下してないが、
「殺人」なのではないか?
それは法によって裁かれないのか?
姉歯の奥さんが何をした?
>661
たとえば、人間の上に立つ宇宙人か何かがいて
人間を働かせることが出来れば、宇宙人にとって価値はがあり、人間の交換は成り立つ。
>価値の話
生物は価値という概念を持ち、その他のすべてのものには価値は無い。
生物がいない世界ならその世界は無価値だし、
争いがある世界ならどこかに価値があるということ。
697 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 05:30:39
>>676 人だけじゃなく、あらゆるものの価値は人によって違いますよ。
>>677 回答1
観測者と対象者と状況(もしくは時間)を特定しないと
価値は変動してしまうんじゃないかな。
人の価値観は一度決まれば固定されるというものではないし。
回答2
命が人から独立して実在できないのなら、人と命は一緒に考えればいいと思うけど。
命の価値はその人が他人にどう見られているかで決まってくる。
>>681 ああ、それはわかってますよ。
命だけじゃなくあらゆるものの価値なんて
測る人がいなければ意味はないからね。
でも、
>人間の思考や感情抜きにして考えてみーよ。
人間の思考を抜きにしたら、考えてみーと言われても
考えることができないです。思考抜きということなので。
人は何故命に価値を見出すのかってことでいいと思うよ。
思考する者達についての話なんだから。
>>682 人間の思考について突き詰めてみるのもある意味真理だよね?
独りよがりのしくみを考えてみればいいのではないかな。
698 :
697:2006/04/30(日) 05:48:12
10行目、
他人じゃなくて人ですね。自分自身も入りますので。
699 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 07:29:07
うん
自分を殺めることも殺人だからね
自分自身でこしらえてきた命なら勝手にしていいけど
700 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 07:32:56
かわいそうだからです
>>699 「自殺」という行為を「自己に対する殺人」と解し考えるのですか?
例えば、「他者によって精神的に追い詰められて」などは、
間接的であれ、他者によって殺されたとは考えられないのですね?
702 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 07:47:35
かわいそうだからです
>>700 例えば末期の癌で余命いくばくも無い、モルヒネも効かなくなった苦床の患者がいるとしよう。
そうなれば生きていることの方が苦しいのではないか?
「かわいそうだから安楽死は無しです?」と言える?・・・極論だが
704 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 07:55:21
その場合は殺します
>>704 ならば「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いの意味も分かるのでは?
706 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 07:58:28
つまりかわいそうだからです
>>706 という事は「かわいそうだから殺し」「かわいそうだから殺さない」ということだな?
ソクラテス的アイロニー?
708 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 09:10:20
殺さない理由は自分が殺されるのが嫌だと思うから
殺したい理由も自分が最もされたくないことが殺されることだから
両方とも真理ですが、前者こそが、人間ならではの理性ではないでしょうか
A「人間社会でどうして人を殺してはいけない事になっているか」
Q人間が決めた人間が滅びない為のルール
A「世界から見て、人間が人間を殺す=人間と言う種が自滅してはいけない理由」
Q無い。以上
>>708 しかし、それは
>>693にもあるように、
「どうして人を殺してはいけないのですか?」の理由にはならないのでは?
後者の理由で、被害者となる前者がある。
そうでなくとも
>>695のように直接的でなく、人を死に至らしめる可能性がある。
人間理性はそう(前者)であるにしても、それは間接的に起こっている。
711 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 09:33:43
牛や豚、野犬や野良猫を殺していいのなら、
人を殺していけない理由なんて、
あるはずがない。
712 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 09:36:18
殺してはいけないと強制するのは法律というルールです
個人個人の見いだす殺さない理由とは次元の違う話だと思いますよ
713 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 09:38:53
>>709 細かい事であるが、Qは「Question」、Aは「Answer」だよな?
少し頭の良い人間ならば、人間が好んで人を殺す事はしないだろう。
奴隷(家畜)よろしく、労働力として使ったほうが効率がよい。
支配する者であれば謀反を犯した者は見せしめとして、
残虐な公開処刑を行い、支配者に牙を向けないようにする。
人類は互いに殺しを容認することにより滅びるのだろうか?
まあ、自分は弱者であるので「殺しはいけない」には当然大賛成なのだが・・・
715 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 09:43:59
>>680 自分を嫌いな人を殺すのは殺人じゃない、ということですか?
>714
「人間が」→「その人間は」
717 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 09:52:07
単なる法律だな
国の法律は、その国に居る者が同意してる
殺人が禁止なのは、馬鹿がやるから
誰かを殺したところで意味ないから、賢者は殺しをしない
法律は馬鹿のためにあるのだよ
718 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 09:52:59
Q:世界から見て人間に存在理由はあるか?
A:ある。巨視的に見れば世界=宇宙の現象は唯物論的必然性に由来して存在する。
生命の発生も、特定生物種が種としての生存をめざすことも、必然だから
【淘汰】という全生物的サイクルの中での特定種の【全滅】は許されても、
【特定生物種】が自己完結的に【全滅】を回避しようとすることは【必然】で
あらゆる生物種の生きようとする最大努力の結果として【淘汰】や【全滅】が生じ
結果として全生物種的視点、生命すべてをヒトククリにした上での【進化】や【生存】が確保されるから
あらゆる生物種は、それぞれのアプローチで最大限の生存努力をする必然性が存在する。
Q2:間接的な要因は殺人となるか?
A2:ならない。生物種や生命は、【淘汰】の必然から当然、外部からの圧力を受ける。
その【圧力】と対抗し【生存】を計る意思が【本能】であり、
自らの【本能】の是非を判断するのが【理性】。
殺人は外的圧力による【他者の殺害】と【殺害に対する抵抗】によって成り立つが
他者に批判されました、自殺しました。という順序には【殺害に対する抵抗】がない。
【抵抗なき自殺】は、ただの【自殺】である。
外的圧力への対抗の形態が、【被害としての死】【逃避としての自殺】≒【理性の自衛としての自殺=切腹など】を分けるのではないか?
>>717 >>695が殺人に入るならば
法律は「どうして人を殺してはいけないのですか?」の理由にはならない。
720 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 09:58:07
「淘汰」ということを考えるのなら、
殺人を認めて、強い者だけが生き残る世の中にしたほうが、
長い目で見れば、人間の生存にとっては良いかも知れないね。
過保護にして弱者が生き延びるようにすることは、
人類全体の虚弱化につながり、人類の滅亡を早めるように思う。
721 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 10:01:45
法律バカ ご一同様へひと言
では、殺人を 法律的に罪とする根拠は 何でしょうか?
法律で決まっているから、殺人が罪なら、法律で殺人を罪と決める根拠はなんでしょうか?
なぜ、ヒトを殺してはいけないのでしょうか?
ヒント:
社会性動物の本能 < 人間の理性 < 哲学や倫理etc > 法律等の社会制度 < 人間の教化 < 理想的人間像の達成
>>718 生存努力?「努力」は意識的に行われる行為なのでは?
ゾウさんが好きです。でもアリさんは各々の自助努力により絶滅を逃れているのか?
自殺も他殺も何らかの外部のストレスからではないのか?
精神や理性(言ってる事はくだらんが)を持った人間は、
他者を死に至らしめる道具として、物理的でない道具を持っている。
723 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 10:16:42
>>722 溺れそうになってモガクとき、そこには【意識的な意図】は存在しない。
その様な状況に対応する訓練を受けていれば【意図】で対応できるが、
それは本質ではない。
>>718にも書いたが、他殺も自殺も外部からのストレスで起きるが
【死にたくない】という本能を、自分の【理性】で殺しているのだから自殺は他殺とはいえない。
【生きる】ことは【権利】であり【義務】でもある。
【自殺殺人説】は【義務】を放棄して【権利】を主張する、甘えた発想だ。
人間は戦って戦って戦って戦って戦って、死ぬべきなのだ。それが宿命だ。逃げる奴に弁護など無い。
724 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 10:21:38
理性的な自殺というのは、そう多くないように思うし、
あと、
生きることが義務であるっていうのは、ぴんとこないなぁ
>>723 【死にたくない】という本能を、自分の【理性】で殺しているのだから
「絶望は死に至る病である。」なんてキルケゴールは言ってたよな?
それは置いとくとして・・・
あなたが718と同一人物であるならば、あなたの発言の「矛盾」を指摘します。
さらに構造主義的に考えるならば、まさにブーイング物。
726 :
717:2006/04/30(日) 10:31:02
>>719 それは殺人では無い
自殺が禁止されてないのは、自殺は賢者が意味あって行う行為だから。
727 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 10:34:00
なぜ殺人を罪とする法律があるか?
人類が滅亡しないためにあると思います
もしも法律がなければ猟奇的殺人犯、無差別テロ犯がはびこります
人は銃を手にします
弱肉強食の世界では戦わないと生き残れません
銃を手にすれば我先にと撃つでしょう
先に撃たなければ一瞬の迷いが死に結び付きます
殺されない安心感を前提に今の社会はなりたっているのではないでしょうか
その安心感も幻想のようなものかもしれませんが
世界の根本的な物はなんだ?
何をしても良いし、何もしなくても良い。
では、ないのか?
素粒子はしても良いとか考えてないと思う。
730 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 10:37:29
生物が滅んだところで世界になんの影響を与えるんだ。
世界が無くなるとでも言うのか。答えは否。
生物が滅ぼうが何をしようが、時は流れていく。
何事もなかったかの様に。
>>726 貴方の言う「賢者」とは「厭世主義」のことか?
>>727 なんだか極論すぎない?
果たして、法律がなければ猟奇的殺人犯、無差別テロ犯がはびこるものなのか?
人類は滅びるのか?
>>731 だから何?
ちなみに我々は世界じゃなくて人間だね。
で、だから何なの?
なぜ殺人を罪とする法律があるか?
そりゃ罪とする方がしないよりも自分にとって得だと
判断する人の方が多いからさ。法律は常に多数決。
殺すメリットより殺されるデメリットの方が大きいからな普通。
何も難しいことはないだろ。
>>733 人間なんて、
その辺に転がってる石ころと差は無いってことさ。
>>732 一旦法律を全部無くしたって、すぐに新しく掟がつくられる。
無差別テロが蔓延るかどうかは、単に世界情勢次第。
>>735 あなた自身はどう考えているの?
自分のことをその辺に転がってる石ころと同じ価値だと思っているの?
その石ころを扱うように自分のことを扱っているのでしょうか。
どんなに傷つけても平気だし、何の楽しみも与えなくても気にしませんか?
それとも少しは石ころよりも大事に扱っていますか?
>>734 しかしながら、法律には限度がある。
その法律で裁ききれないものってあるのでは?
「どうして人を殺してはいけないのですか?」→「法律だから」
・・・われわれはその法律をいつも意識し、常に念頭に入れている訳ではない。
それ以前のもの(「抑止力としての法はあるだろうが」)によって、それを行わない。
まあ、「殺したいほど憎い」といった経験がないと難しいだろうな、考えるのは・・・
何かの実験で監視カメラを増やしたら、急に犯罪率が上がったとかいったものもあったか…
739 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:05:25
>>737 存在の価値を規定できるのは存在する本人だけ。
自己申告制にしたらイイジャン。
名札つけて、『僕人間です』『僕石ころです』って。
社会はその名札相応の扱いを本人に与えると。
740 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:08:07
>存在の価値を規定できるのは存在する本人だけ。
そんなわけはない。
社会の屑と烙印を押すのは、本人ではなくて社会だよ。
741 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:11:45
ニッポンの法律は殺人自体は否定してません
殺人を否定したら死刑もできなくなっちゃうし
侵略戦争に立ち向かう事もできなくなっちゃうからです
法は殺人を否定できない存在なんですよ
法は「人を殺してはいけない」の根拠になりえないということだす
>>741 そうそう、なんか前にも書き込みあったな。
このスレに対する「法律が理由である」とかいった
馬鹿げた論の否定の一つとして・・・
>>739 >存在の価値を規定できるのは存在する本人だけ。
ヒトのように考えられる者であれば、
それ(対象者)が(自分にとって)どんな価値があるのかを考えることができますよ。
たとえ当人は自分を石ころ同然だと思っていても、
隣にいる人にとってはかけがえのない価値を持った石ころなのかもしれません。
逆に自分のことを世界最高、至高の価値を持つ者だと信じていても、
周りの人達にとっては迷惑この上なく、
下手をすると本当に石ころ同然の価値としか見られない、なんてことも。
>>737 あぁ、確かに俺は俺の事を
その辺の石ころよりも大事に扱っているよ。
自分自身を大事にする、生存は人間の本能だしな。
だが、それがどうした?自分自身に与える価値と、
全世界・空間・時間からの価値は違う。
俺が死んだ所で世界が破滅するわけでも無い。
空間が無くなるわけでも無い。時間が止まるわけでも無い。
利己心・人間中心の概念・思想を排除して、
世界から見た俺の価値はそのへんに転がってる石と差が無いのでは?
と思っただけだ。
745 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:18:54
ん?
殺人は違法、死刑は合法なのではないの?
746 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:24:18
死刑は殺人でそ
747 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:24:57
法的には、死刑と殺人は別でそ
748 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:26:33
尊厳死と殺人も別でそ
では、殺人とは何でそ?
ちゃんと定義しろ!
750 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:29:45
死刑と殺人、外科手術と刃傷事件の区別が付かない・・・
751 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:30:36
法律の話なら、法律読め!
>>744 人にとっては人は価値あるものだが、
無生物から見れば全てのものに価値はない。
どうして人を殺してはいけないのですか?というのは、
誰かがいけないとしていなければ決して発せられない問いである。
誰か、とは人間であり、人間は何故いけないと考えるのかを訊いている。
無生物がいけないとしていなくとも、それはこの問いとは関係はない。
価値が無いから殺してもよい?と、そう「考えるのは人間」であって、
人間にとっては無価値ではないのだから、石ころ同然に扱うことはできない。
無生物にとっては価値が無くとも、殺してよいということにはならない。
殺す、殺さない、判断し、行動するのは人間であるのだから。
753 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:48:54
>>752 >殺す、殺さない、判断し、行動するのは人間であるのだから。
見方によっては・・
人間に殺す、殺さないを判断する権利があると思うことは、
神や仏の視点を失った人間の傲慢によるものかも知れない。
そう考えれば、774が人間中心の視点を離れた見方をしてるのは
それなりに意味のあることだね。
まあ、でも所詮人間は人間でしかないわけだし。
>>753 人間は「神」や「仏」によって生かされてるの?
756 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:00:43
GWは哲学向けじゃないなぁw
757 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:10:52
>>755 そういう考え方もできるよ。
少なくとも自分は自分の力だけで生きているんじゃなくて、
根源的な生命力に生かされているわけだよね。
たとえば人は自分の心臓を自分の意思で動かしているわけじゃない。
そういう根源的な力を、どう考えるかだね。
758 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:14:31
これは俺の主観だが 神だ仏だは神学でやるべきことで、
人間本質にガチに取り組む現代哲学は、神学から決別するべきだと思う。
759 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:16:31
>>753 神や仏も思考し、欲求するものがあるのであれば、
人間同様、事物に対する価値観を具えるだろう。
しかし神仏の思いなどというものは想像の域を出ない。
逆に神や仏が何も考えず求めるものもない存在であれば、
そのようなものを神仏として崇める必要もない。
神仏を用いれば、人の価値観をある程度一様に規定することが可能となる。
その為、支配者が被支配者を効率よく統制するために利用されてきた。
神や仏の視点を失うことは人の傲慢ではない。
それは人の心が他者による支配を解かれた証であり、
それ故に愚行に走るなどということはない。
逆に宗教対立による戦争、紛争のなんと多いことか。
人は神仏に縛られるべきではない。
文化として人生に彩りを添える程度のものにとどめておきたい。
761 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:30:50
哲学に宗教の介入を許すのは、人間理性の放棄だね。
神や仏が人間社会に降臨して、社会を良くしてくれた事例が無い以上
人間社会のことは人間が主体となって、思考し実践しなくてはいけない。
その為の根本学問が哲学なワケで、哲学に宗教の介入を許すしそうはシャーマニズムと変わりが無い。
762 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:35:23
昔から介入してるけどな。
763 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:37:47
>>760 争いが起るのは宗教のせいではなく、
それを利用する人間のせい。
また、「縛られる」と見るのは、神仏に対する否定的な視点からの一つの見方にすぎないね。
>>761 神や仏についての哲学的考察と、宗教とは別だよ。
>>761 人間理性の放棄=哲学だと、思ってたんだが…。
何時から哲学は人間の為になったんだ?
765 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:42:10
>>764 釣りと自己顕示欲についての考察は 哲学の範囲? 精神医学の範囲?
>750
ん、皮肉?
どっちにしろ理屈がおかしいからもう一度よく考えてみよう。
>758
俺も支持するよ。
768 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:55:38
カミヲ サガシテ ルンデスガ、ココデ ヨカッタ デスカ?
答えなんかでない
770 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 13:05:39
>>769 そう思う間はROMでヨロ。
貴方の思考停止は貴方の自由。
ヒトに押し付けちゃイケマセンし、
答えを求めていないなら、レスすること自体が無意味です。
理性を放棄したら哲学ではない。
772 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 13:26:26
>>727ですが
極論ではないと思います
今現在、日本で殺人が許されれば人はきっと殺し合います
誰も働かなくなります
物のために人を殺すことなど厭わないでしょう
どうですか?
なんのリスクもなくなれば躊躇しません
殺されるくらいなら殺してやろうと思いませんか?
人の価値なんてそんなものです
善悪の観念など、生き長らえやすくするための洗脳のようなもの
法律があることで、人は人でいられるのです
理性を放棄した哲学は何になる?
>きっと殺し合います
これはあなたの願望が入ってるよ。
>誰も働かなくなります
自分を生かすための金ぐらいは稼ごうとするよ
>物のために人を殺すことなど厭わないでしょう
まあ、そうだろうね。人によってボーダーラインは違うだろうけど。
>なんのリスクもなくなれば躊躇しません
本当に何のリスクもないと思っていますか?
>法律があることで、人は人でいられるのです
これは
法律があることで、人は(法律で規定された)人でいられるのです
ってことだね。
その他の部分には同意します。
775 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 14:02:23
>>772 >今現在、日本で殺人が許されれば人はきっと殺し合います
「許されれば」もなにも
許されなくても殺し合いは現に世界中で行なわれてるわけだし
許されたとしても殺さない者は殺さないわけよ
殺す欲求や必然性が無いのにだれが好き好んで殺すかよw
今日から殺しOKになったからといって俺は殺しに出かけないぞw
逆に「絶対禁止だ・死刑だ」といくら言われようが、その気になったら殺す
そういう俺をだれもトメられないと思うよ
これら事実の意味するところは
「殺人」は許すとか許さないの問題「じゃない」ってことだろ
単に「殺すか殺さないか」の「選択」の問題
万引き/泥棒と同じく、数の増減はあれ殺しは必ず起きる
起きれば不満/報復意思は必ず芽生える
報復意思はだれも否定できないし、必ず起きることだからこそ
政府が当事者に替わり法をもって報復を代行するまでに社会制度化されてるわけだ
「殺したらこうなるよ」と何が待ち受けてるか(刑)を知らせ実行がなされるだけの話
結局この問題は、
殺しの必然が発生した時、どの行動とリスクを選ぶかという「選択問題」に過ぎないのよ
必然が前提される時点で、「必然がなければやってはいけない」という結論になってるんでないの?
ひつぜん 0 【必然】
(名・形動)[文]ナリ
必ずそうなると決まっていること。それ以外になりようのないこと。また、そのさま。
だから、やってはいけない というより やらない が正解に近い。
というか、最初にそう設定したから必然という言葉になってるのでは?
「必要」に置き換えたらどうなる?
ひつよう ―えう 0 【必要】
(名・形動)[文]ナリ
(1)必ず要すること。なくてはならないこと。また、そのさま。必用。
(2)どうしてもしなければならないこと。
「家族に知らせる―がある」「精密検査の―はない」
"殺しの必然が発生したとき"を"殺しの必要が発生したとき"
と置き換えるのは少し不自然なので
"殺しの必要があるとき"とするのが妥当か。
意味道理に考えれば、"殺さなくてはならないこと"となるので、
逆を言うと「必要がなければ殺してはいけない」になる。
殺人狂にとっては殺しはなくてはならないこととなる。
いや、だから、最初に、「やるかやらないか」の問題である、
と設定したから「必然」という言葉になったのでは?
という話。
ん?
>「やるかやらないか」の問題である
これってどのレスのどの部分?
>>781 直近では・・・
>>777 >だから、やってはいけない というより やらない が正解に近い。
>777は>776に対するレスだよ。
んで>776は>775に対するレスだよね?
だとしたら
>最初に、「やるかやらないか」の問題である、と設定したから
と言ってるが、話の最初である775ではやるかやらないかの話はしてないから
見当違いの発言に聞こえた。
>>783 ええと、775 を対象にしたいのなら、
>775 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/04/30(日) 14:02:23
>>単に「殺すか殺さないか」の「選択」の問題
あ、ホントだ。見落とした(・∀・)ハズカチー。
つまり>780は
>単に「殺すか殺さないか」の「選択」の問題
と設定したから
>殺しの必然が発生した時、どの行動とリスクを選ぶかという「選択問題」に過ぎない
という言葉になったのでは、って>780の補強って事ね。
それが分かったところで気になる点が、
>776は誰に向けての発言なの?
786 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 18:30:13
殺すか殺さないかの選択が、
殺すか殺されるかの選択になれば、殺すでしょう?
私なら殺しますね
現代は殺傷を目的とした武器が発達しすぎている
ゆえに、法律のない人間社会は破滅の一途を辿るしかない
だから法律を守ることには大きな意味があるということです
殺人犯は野性の獣のようなものです
理性がなければ人ではありません
787 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 18:53:36
感情が無くても人間じゃないだろ
788 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 19:06:44
どうして蜘蛛を殺してはいけないのですか?
789 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 19:08:29
あとで助けてくれるから
蜘蛛は朝殺しては駄目だけど、夜は殺していいといいますよね。
あれって理由あるのかな。
791 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 19:27:32
つ〜か、朝寝てるおまえには夜しかチャンスないだろ
まったくその通りだ。
>>786 殺すか殺されるかの選択?極論すぎる。
本気で法律があるから人類は滅亡しないのだと思っているのか?
794 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 20:10:22
ゴキブリは殺したほうがいいのか?
795 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 20:16:48
厨房工房は哲学板に来るべきではナイと思う。
少なくとも書き込むべきではない。
君らに哲学は、まだ早い。
796 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 20:24:16
>>793 本気で思いますよ
この現代においての限定ですけどね
797 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 20:31:40
これはひどい
人生をゲームとして考えると、殺しは、ずるい行為として最大のもの
だからだろう。
799 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 20:33:04
全くもってひどい
>786
日常の自由な時間に方は関わらず
非常時に方が役に立つ。
法のデメリットは、欲を持った時にそれが邪魔になることである。
まあ流されて、なるようになるって事かな。
法だって結局、有力勢にとって不都合な時になれば姿を変える(変更される)。
理性なるものも法(損得の運用)によって理性が規定されてるので、
人ではない((屁理屈っぽいが)殺してもいい)ものも随時変わっていく。
有力勢とは誰か(何か)、が今後の議題になるかな。
>793
少なくとも仲間内での小さな法律(ルール)が守られてるから、
それが保たれている間 そのグループは生き残るしそのために力をあわせる。
法律があるから人類は滅亡しないといえるだろうね。
人それぞれが一匹狼だったらそもそも、餌・寝る場所・子供、
これらに関することでしか争いは起きない。
801 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 20:43:29
何もしなくても、死ぬから殺しても変わらないんだよ
802 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 22:24:12
何もしなくても、死んでしまうから生きてる今が大事なんだよ
>>800 「どうして人を殺してはいけないのですか?」→「法律」
この関係性を否定したいのです。
なんだか小学生に「人は死んだらどうなる?」と質問して、
「生き返る」と答えられたときの愕然とした感情にも近い。
もちろん貴方が云うように人間がコミュニティを作れば、
おのずと掟などのルールはできるだろうが・・・
それは「滅亡」を防ぐために作られるものではなく、
ひとえに権力の為に、支配者の為に作られる。
古いかもしれないがホッブズの「リヴァイアサン」のごとく・・・
国家とは・・・どうなんだろうか?民主主義といえど、権力の元を
たどっていくと国家にたどり着くのであるが・・・
804 :
考える名無しさん:2006/04/30(日) 23:39:21
じゃあことばを変えて、法律をやめて契約にすれば納得しますか
807 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 00:45:26
>>149>>150 概ね同意します。
権力を持つ者が善悪を定めたのでしょうね。
法律の真意を知る権力者はもうこの世にいないでしょう。
今生きている権力者が確固たる思想をもっているのかは疑問です。
テキスト通りにやれど、少しずつ捻曲がっているかもしれません。
文明は進化し、人の心も複雑化しているから。
もしくは、少しずつ故意に捻曲げられているかもしれません。
正義の名のもとに行なわれる独裁にも、私たちは気付けないかもしれない。
808 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 01:59:20
それは死の無二が必然に適っているからだ
809 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 04:10:40
殺してもばれなきゃよい
ばれたら 日本なら捕まるだけ
時代や国によって人を殺すことが良いとされる時もあるのだから
結論的にやっぱ殺してもいいべ その後はしらん
810 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 04:13:03
人に愛があるからですよ
811 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 04:55:52
都合のいい愛だよな
>803
自分は800で法により人間の理性が規定されると言いました。
"人を殺す・殺したい"は基本的に欲求です。
死刑の執行人はこのような感情を持っていない場合がほとんどで、
裁判官が殺したいという要請を出すようです。法により裁判官の欲求は許されています。
しかし裁判官は殺したい人を選べません。
法に引っかかった人を警察が持ってくるものです。
有力勢とは裁判官や警察のようなものを指すのかもしれません。
その力(権力)は基本的に分割させられているのですが、独裁を防ぐための措置だと思います。
ですが法を犯した物にとってはどう見ても独裁です。本当にありがとうございました。
話が逸れたようです。
法と"人を殺してはいけない"に直接的な関係はありません。上から下の関係ですが、
"人を殺してはいけない"に理性は関係がある、横と横の繋がりと見ています。
法の届かない自由な時間に"人を殺してはいけない"が介入してくるのは
おかしいことだと思います。違和感の原因はそれでしょう。
つまり非常時と本人が認識してないのに周りが非常時とみなし法を持ち出す、そのズレに問題があるようです。
要は周りによる禁止と自分による禁止の違いです。
結論を言うと自分で禁止しなければ"人を殺してはいけない"は(自分の中では)守らなくてもいい、意味のないものになります。
>57で書いたように、"いけない"の定義が曖昧なのでスレがループしています。
誰から見た"いけない"なのかをきちんと決めないと、この話題は先に進まないでしょう。
813 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 08:59:12
★ていうか、結論でてるけど。
そ れ で は 、 は じ め か ら 。
さんざん議論されてるんだから、過去ログ見て、もっと整理して
から書けよ。
815 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 10:53:50
そして 時は うごきだす・・・
816 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 11:43:44
結論とはどれのことですか?
あまり呑み込めていないまま書いてスマンが
>結論を言うと自分で禁止しなければ"人を殺してはいけない"は(自分の中では)守らなくてもいい、意味のないものになります。
要するに他人の禁止は破ることができるので禁止にはならない、ってことか?
それなら自分の禁止も同じだ。禁酒とか禁煙の例を見てみろ、破っているやつがいるぞ。
>他人の禁止は破ることができるので禁止にはならない
じゃなく、他人の禁止は破ることができるので人を殺してもいい(出来る)ってことです。
>それなら自分の禁止も同じだ。禁酒とか禁煙の例を見てみろ、破っているやつがいるぞ。
破ったから飲んでるんでしょ。もはや禁止してない状態になったから飲んだ。
少し考えて自分の発言の突っ込みどころとか思いつかない?
自分はいつもそれやってるんだけど。
相手を言い負かすとか、そんなこと考えてると
こうあって欲しい、って事を書き込みがちになってそれに対して突込みが入るよ。
ただ純粋に答えが知りたいとか、話し合いで答えに近づきたいとか
そういうのがまず第一にとるべき姿勢だと思うけど。話し合いにおいては。
>もはや禁止してない状態になったから飲んだ
禁止の存在とと行為は両立するぞ。禁止されているが行った、ということがありうる。
行った時点で禁止が解除されたことにはならない。人を殺した兵士がそのことで苦悩するのはなぜだ?
人を殺さないという禁止と殺したという事実が衝突しているからじゃないのか?
>禁止されているが行った、ということがありうる。
一人称的(自発的)な禁止でしょ。さっき>817で挙げたのは。
話が違くなってるよ。それは周りの禁止(法)。
ちなみに言っておくと、812でもわざわざ"自分で禁止しなければ"や(自分の中では)と
書いてあるから、よく読もう。
>人を殺した兵士がそのことで苦悩するのはなぜだ?
殺したくなかったからでしょ。常々変わる法(有力勢の都合)に強制されただけ。
文句は有力勢に言ってください。
>人を殺さないという禁止と殺したという事実が衝突しているからじゃないのか?
こっちの"人を殺さないという禁止"は"自分でした禁止"だよね?、それを法で強制されたから
苦しんでるだろうね。そんな時、うらむなら法律をうらむしかない。
ちゃんと>819を読んで欲しい。
822 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 12:47:22
結論:
この世に「いけない」事など何ひとつ無い
終了。
>禁止されているが行った、ということがありうる。
この「禁止されているが」の「禁止」は「良心の呵責」のことをいっている。
>それは周りの禁止(法)。
普通は周りの禁止でなくいわゆる一人称の禁止に読み取るわけだが。
>法と"人を殺してはいけない"に直接的な関係はありません
これと
>法の届かない自由な時間に"人を殺してはいけない"が介入してくるのはおかしいことだと思います。
これは矛盾するのではないか?
前者は「人を殺してはいけない」≠法律であり
後者は「人を殺してはいけない」=法律であるといっている
(「人を殺してはいけない」が法律でないのならば法の届かない空間に介入することがありうるのではないか?)。
825 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 23:01:22
人を殺せばカルマを生み、生まれたカルマを摘み取るまで
同じ疑似体験を繰り返すことになり、それが魂の進化の
妨げになるからやめなさい、と教わった
826 :
考える名無しさん:2006/05/01(月) 23:09:36
827 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 00:03:48
まあ、借金みたいなものだろう。
828 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 00:14:02
★公序良俗に反する行為だから。
829 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 00:22:49
830 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 00:33:10
どうして立小便しちゃいけないの?
831 :
短パン:2006/05/02(火) 00:37:12
別に、いいんじゃね?
832 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 00:38:08
つまらんこと書いてないでもっと考えろおまいら
833 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 00:46:45
おまいが一番つまらん
834 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 00:55:48
ごめん
835 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 01:15:05
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
836 :
短パン:2006/05/02(火) 01:19:20
はいはい、ワロスワロス。
・・・て、俺が補填役かよw
つか、もぅネルです。ねるねるねるねです(あぁ、くだらない・・・。)
そのうち、あそんでね?それでわ〜。
837 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 01:20:44
「なぜ人を殺してはいけないか」を問う
.....〓
「なぜ人が生きているか」を知らないから
838 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 02:20:15
しかし、誰だよ、似たようなスレを他の板にも立てまくっているいるのは?
しかも、何故か、「殺してもよい」という答えを導きたがる人がいる
そんなに人殺しがしたいのか?
人間は動物と違って理性がある、本能的のみで動いて殺し合う動物になろうと思うか?
道徳的には「殺しはいけない事」それでいいじゃないか、人間に理性がある証拠だよ
それを守っているほうが、お互いに殺しあうよりずっといいのだから
ちなみに過去スレ読んでません
↑あなたとは仲良くなれそうだ
840 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 02:32:10
↑なれそうもない・・
841 :
838:2006/05/02(火) 03:32:25
ん???
842 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 03:52:40
>>841 無考察・・つまり雑なんだよ、おまいはw
>823
>この「禁止されているが」の「禁止」は「良心の呵責」のことをいっている。
それなら別に、821で述べたとおりで別に問題ないよ。
呵責がなくなったから殺したって事になる。
>普通は周りの禁止でなくいわゆる一人称の禁止に読み取るわけだが。
は
>禁止されているが行った、ということがありうる。
とは2人称以上の禁止の場合以外には起こりえないから、普通はそう判断すると思うけど。
>824
前者も後者も人を殺してはいけない≠法律ではない。おかしいといっています。
それは周りと自分の認識のズレではないかと、821で指摘しているだけです。
矛盾ではなく両方とも同じ事をいっています。
普通、人が人を殺す事を容認しない
殺人を容認することは(人に属する)自分を殺す事も容認することだから
自分が殺されてもかまわないと思っている人、自殺願望者又は精神異常者は殺人を容認しかねないがね
なんかアホらしい話題だと思うのは俺だけか
『極刑を 恐れし汝の名は―昭和の生贄にされた死刑囚たち』より
朝日新聞:企画室・原裕司 著 ( 洋泉社,1998)
┌─‐‐─┐
|_____________|
='========='==
/ / \│
┌|--@-@- |┐
└| メ 〇 .|┘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ___ |||||__ | ∬ /冷たい言い方のようだが、殺されてしまった被害者の人権など、
| \__,=i===* < とっくに 消えてしまっている。人権を言うなら、
| ||||| | \ 生きている加害者の人権こそ保護するべきなのである。
/ト、 /7:`ヽ、_ \_________________
/::::::::| ~''x‐''''~~ /::::::::::::::`ー
/::::::::::::::::| ,,イ;;;;>、 /::::::::::::::::::::::::::
::::::::朝日新聞企画室・原裕司 ::::::::::
846 :
唯神論者:2006/05/02(火) 19:49:22
加害者の人権は制限されてしかるべきなんだよ
847 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 20:36:26
戦後の人間の中で戦争を支持する人間より支持しない人間の数の方が多くなったから。
さらに加えると
不変的ではないということ。
848 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 20:42:34
刑法は「国家が国民に替わり報復を行なう制度」である
もしその行動を裁判所がとらないのなら、
刑法も裁判所も廃止して「リンチ」を公認せよ
いったい何のための刑法なんだ、馬鹿ども!
849 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 20:53:21
サヨクは、あるときは【国家は暴力機械である】と力説し
. あるときは【国家といえどもヒトを殺す権利は無い】と力説する。
島国単一民族的な甘ったれた感覚は吐き気がする。
まあ、「現在の政権」と「あるべき国家」の違いだろう。
その点ではウヨクも変わらん。
852 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:42:15
加害者側は制限されてしかるべきなんだよ
853 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 00:36:23
──優しくなければ────生きてゆけない──────(・_・;)─────強くなければ──── 生きる資格がない ─
854 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 00:37:11
───強くなければ────生きてゆけない──────(・_・;)─────優しくなければ─── 生きる資格がない ─
故意に殺した人は全員死刑になればいいのに
でもきっと故意を断定するのは難しいよね
冤罪の場合だってありえるし
殺人犯みんな死んでほしいけどね
誤って殺してしまった場合の罰というのはどの程度が妥当かな?
人の命は戻らないけど、故意でなければ不注意への罰のみでいいの?
>>855 犯人に暇つぶしに家族皆を殺された仕返しとか、父親に
ずっとレイプと暴力を受けてある日殺されかけたから泣きながら殺ってしまった
とか、でも死刑でしょうか(・ω・)
その子はどうやって生きればよかったのでしょうか
もっと早くに相談して、などは禁止として下さい
857 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 03:31:34
禁止ってなんだ、おま
858 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 03:47:09
当然でおま
859 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 10:31:06
養老猛の「死の壁」に書いてあるだろう。
内的倫理(自分の在り方)においては「殺してもいいし、殺してはいけないともいえる」。
=自分がどうするかは自分が決めること。
道徳規範(社会の決まり)では「いけないこと。例外あり」。
=社会秩序維持のため、やって悪いことがあります。ただし、その維持のため
or維持に抵触しない程度なら、オッケー。
「自分がどうしたいのか?という倫理、欲望、可能性」と
「社会が押しつけてくるor自分が選択したルール」は必ずしも一致しない。
矛盾はある。
そのせめぎ合いが世の中を発展させているともいえる。
人を殺したり、それによって自分が殺されるかもしれないと想像したとき、
とてつもなく嫌な、ぞっとする感情が湧き出すことがある。
この点では「なぜ人を殺してはいけないのか?」ではなくて、
「なぜ人を殺すことに、ネガティブな感情を覚えるのか?」が正しい質問だろう。
道徳的刷り込みによるネガティビティを除くと、やっぱり、
生きている他者に対する「共感」の問題かなあ、と思う。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」系統のスレッドは遙か昔から哲学板に
存在していて、ほとんど伝統芸というか年中行事のようなものだが、
初期の印象に残ったレスの一つに、
「他者の可能世界を抹滅することに対する畏れが、忌避感情をつくってる」
というのがあった。
この場合他者=(自分の)可能世界、くらいの意味に取るべきか。
このレス自体は「なぜいけないの?」という答えにはなってない。
が、「なぜいけない、と思われるのか?」の答えとしてはいい線を行ってると思った。
862 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 12:04:08
>>856 犯人に暇つぶしに家族皆を殺された仕返しとか
>>暴力は国家に独占されるべきや。
個人的な報復では、公正や事実が保てへん。
恣意的に報復を「騙る」やつも出てくるやろうしな。
父親に ずっとレイプと暴力を受けてある日殺されかけたから泣きながら殺ってしまった
とか
>>殺人犯は死刑や。そやから殺人を行おうとする奴に暴力や死で対抗することは合理的や。
ただし、いっこ目の設問の答えから、暴力は国家に独占されなアカン。
個人が暴力を行っていいのは、事実上も倫理的にも、国家の支配が及ばん範囲のみや。
それも、事後の厳しい、極めて厳しいチェックを受けなアカン。それこそ殺人犯と同等のナ。
それが嫌なら、殺すより逃げることを考えってことや。
そやからエロ親父のケースでは、限定的な暴力が肯定されるのみや。
それでも、限定的な暴力の容認も恐いンやで?
国家の支配外の暴力なんて、ヤクザが地下室に誰かを閉じ込めて拷問するンとかわらへん。
863 :
絶対主義者:2006/05/03(水) 12:25:51
>>860 なぜ「内的倫理」と「外的倫理」というものに分けるのか?
倫理は心中に存在するモナドではないぞ。
お前はまず個体、個人があり、その個人の意思(内的倫理)の衝突を避けるために規範(社会の決まり)が作られたという英米系の思想に染まっているのではないか?
>>861 >他者の可能世界を抹滅することに対する畏れが、忌避感情をつくってる
これは要するに「死んだら二度と戻らない」ということであって別に傑出しているわけでもないと思うが。
>863
>英米系の思想に染まっているのではないか?
そうだね。
一般に道徳哲学は西欧思想の範疇にあり、著しく近代化された現代日本では、
非西欧思想(たとえば東洋哲学)ではこの問題にたいして、系統だった解答を出すのは
難しいだろう。
>これは要するに「死んだら二度と戻らない」ということであって
かなり違う。これは書いたとおり、共感の問題だ。
865 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 12:42:54
ん?
倫理には(個人を拘束する)社会的な意味での倫理と、
普通に個人の「倫理観」と言われる個人的な倫理があると考えるのが
普通だと思うが・・・
866 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 12:47:17
>>862 もう後半なに言ってるかわからん(・ω・)З
867 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 12:52:04
現実世界に倫理などというものは無い
あるのは「何をしたか」と「すると何が起きるか」のふたつだ
わかったら、もう寝ろ
因果関係の解明は行動則の妥当性とあまり関係ない。昼間まで寝てるな。いい加減起きろ
869 :
>862の説明:2006/05/03(水) 12:58:51
>>866 @ 死刑が正しいのは、殺人に暴力や死で、罰する、対抗することが正しいから。
A でも、暴力や、死刑は、国に独占されてないと危ない。
A.エロ親父に正当防衛を発動し、その結果、親父を殺しても@により、その行為は正しいと言える。
B.ただし、Aの行為はAの制限を受けるから、その正当性は限定的。
裁判を受けて、事後に正当性を実証しなければいけない。
C.Bが不充分であると、ヤクザが地下室に誰かを閉じ込めて拷問しさせても
「正当防衛だった」といえば、おとがめナシと、なってしまう。
870 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 13:25:27
>>865 >倫理には(個人を拘束する)社会的な意味での倫理と
>普通に個人の「倫理観」と言われる個人的な倫理が
この二つの倫理はどこから来る?
>>860では両者は別物(別の由来)で後者が主、前者が従、と主張しているとみえる。
これを批判しているわけだが。
872 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 13:26:47
873 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 13:41:16
>>871 どちらが主でどちらが従と考えるより、860が書いているように
「せめぎ合い」と考えたほうが良いのでは?
874 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 13:48:05
どちらが嫁でどちらが姑と考えるより、オットが書いているように
「ゆずり合い」を考えたほうがよいのでは?
ツマンネ
倫理ってのは身体知でしかわからない部分がある。
だから「殺していけない理由が、分からない」(あるいは分からないフリをする奴)に
対して苛立ったり、もどかしさを感じる。
殺さない理由?そんなの当然じゃないか・・・・・・・、でも言葉はなかなか続かない。
相手の内側にある「殺さない理由」を呼び起こし、納得させるのは本当に難しい。
877 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 15:25:04
いかるのは
権利を侵害されたとき
愛こそはすべて
法律
878 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 16:11:15
死刑こそが考えうる限り最も重い「罰」であると考える輩に反論したい。
現行法では死刑の方法は電気椅子か絞首かの二択と聞く。
しかしそんな物は所詮一時の苦痛。被害者やその親族、友人などが受けた
「一人分ではない精神的ダメージ」はそれ以降もずっと長期的に継続する。
確かに死ぬまで一応は面倒を見なければならないから、終身刑などはえらく金が掛かるだろう。
そういう意味でなら死刑は手っ取り早いし経済的でもある。
しかしコスト面を度外視するなら死刑など、甘い。一辺の希望もなく生きることこそ最大の罰だ。
「お前はどんなにいい子にしてても死ぬまでムショから出らんねーよ」と宣告されて
ただ理由もなく死んでいないだけの人生を「罪人」として過ごす。
或いは長期的な拷問などによって被害者が受けたそれを遥かに上回る苦痛を味わわせる方法もある。
痛みは人間が本能として避けたい感覚であるから、己の罪を自覚させるには効果的だろう。
が、犯人はそもそも犯行の時点で「社会的に人間であることをやめている」のである。
いっその事、消せない印か何かを顔面に刻んで社会に放り出してはどうか? 勿論監視つきでだが
すれ違う人々に後ろ指を指され、軽蔑の視線の中で生きていく人生というのもまた重い罰になり得る。
今問題なのは、死刑の受刑者がそもそも死刑など恐れても居ないケースが増えていることにあるのではないか。
そんな者を死刑にしたとて、果たして罰となるのか。
ただ形式に従って死刑を実行するのでは思考停止も同然、刑罰はもっと臨機応変な対応を求められていると考える次第。
879 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 16:20:02
死が肉体という牢獄からの解放であるとしたら死刑は・・・。
だぁね。
死より辛い仕打ちは確かに存在する。
881 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 17:09:00
もし仮に死刑囚が
>>879の言うような信念のようなものを持っていたとすれば、極刑は極刑とはならないだろう。
一方、法律というものは「とある共通の概念で、不特定多数を戒める」事が、その趣旨である。
考える事を辞めた国・・・。
まともには、なにをも動きはしない。。。
882 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 17:35:02
加害者が何を重罰と感じるかなど、ど〜でいい
被害者が死をもって報いさせたいかどうか、なんだから
883 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 17:45:11
人を殺すこともモノを壊すこともたいした違いはない
という感覚の持ち主が確かにいる。
先天的な欠陥だ。
こういう人間も普段の生活態度はふつうの人と変わらないように見える。
観察力のない平凡な人間から見て、なんの異常も感じられない。
しかし、やるときはやる。
884 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 18:01:34
人を殺してはならないと思っていても、いざやりたくなれば、人殺しを正当化するために相手を人と見なさなくなる都合のいい頭をしている人もいますしね。
道徳以外のことが殺人的だと考えることができる。
例えば、働かないアルバイト役を設定して、働かないから解雇しようということだ。
義務を果たせないのなら、他に働く人がいる。
こういうことから、私を辞めさせようと考えているのだから、私も他のアルバイトに
妨害することが許されている。
怠け者役のアルバイトは道徳的な問題だけれども、他のアルバイトは義務であるという問題だ。
怠け者役は誰かが死ななければならないと考えるが、それに対して、他のアルバイトは仕事を
しなければならないと考える。
このように、一方と他方が分離してしまい、一概にどうすべきだと言えないことがあり得るのだ。
話を戻すと、
人間は死ななければならないのかということだ。仮に義務を果たさなければならないにしても、
わざわざ、人は死ぬべきであるであるのか。
886 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 18:28:06
>>879 その続きは、「不幸者にとっての減刑である」
宅間守なんか、あっという間に殺されちゃって
死刑制度をいいように利用されて、あれじゃ死んだ子らが浮かばれないよ
>>885 しかし、道徳的な問題であると、例えば、
怠け者役は悪意から、どういうことをするのであれ、他人を妨害しており、他のアルバイトは
仕事をしている。すると、他人に悪いと受け取られるので、他人はあらゆる対立の温床を与え
られ得る。だから、その対立が解雇である。
話を戻すと、
悪意をもって殺人をしているので、死刑にされた。
888 :
唯神論者:2006/05/03(水) 18:39:30
>>886 余計なお世話、難しく考えるな。死刑でいいんだ。
>>887 しかし、義務的な問題であると、例えば、
怠け者役があまりにも働かないので、全てについて考える立場上、
みんな働かなければならないと標語を掲げることがあり得る。
すると、怠け者に対して全体的なことを考えるので、
他のアルバイトは非常に働かなければならない義務を課せられ得る。
すると、どうして私達がこんなに働かなければならないのだ、
とすごい働かせられることがあり得る。
だから、みんなが私をやめさせようとしていると考えるのだ。
話を戻すと、
殺人者がいるので、我々が厳しい規則に従わなければならないことがあり得る。
どんな極刑であっても、それを「覚悟した」囚人には無効だろう。
極端な話、めちゃくちゃマゾヒストの犯罪者がいたとして、
中世の拷問もかくやという、考え得る限りの極刑を与えても、
そいつの快楽の種にしかならない。
そいつにとって本当に嫌なことが「いためつけられることではなく、
いためつけること」だったらどーするよw
誰かボランティアを募って、その囚人にいためつけられてもらうか?
一人が贖えるのは、しょせん一人の命。
100万人殺したようなやつは、臼で磨り潰して処刑しても、
遺族の「悲しみの総量」には釣り合わない。
復讐刑主義は刑罰の基本だが、それにも限りはある。
処刑は「この世界にいてはまずい者」をただ淡々と、
別の世界=あの世に送るという側面もある。
このスレの人たちはデスノートなんか読んでるのかな。
おじさんは最近読み始めて、とても面白かったよ。
おじさんはおじさんゆえに、エル&ニア派なんだけど、
正直、月の目指す方向も見たい気にもなった。
若い人はどうなんだろね。
892 :
考える名無しさん:2006/05/03(水) 23:18:59
人は生きていれば何かしら歓びを見いだすよ。
犯人が生きたかろうが死にたかろうが必ず殺してほしい。
ほんとに殺してほしい。
私たちは日本の都市を焼き払うという恐ろしい仕事をやっていた。
それはつまり女や年寄りや子供たちを焼き殺す、てことだ。
私の中の野蛮な声がしつこく囁きかける・・・
「日本人なんか・・・皆殺しにしてしまえ!」
――B29搭乗員の回想より
このスレでまさかデスノートの話が出てくるとはw
ちなみに月派
895 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 13:23:55
あんだけ無様な死に方させられてもまだ支持できるのは
思想面に重点を置くこの板の者ならではか。
896 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 13:32:45
897 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 14:42:29
逆に聞きたい。どうして人を殺していいのか?
月の理想の世界って、密告制度つきの独裁恐怖政治だよね
そういう世界がどんなものかは現実に例がある
月「強いものがルールを作る」
エル「これは最初から正義も悪もない戦いだ」(←こういうんだったっけ?)
こういう考えはわりと哲学ファンにはなじみ深いからね。
900 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 15:11:22
殺人、それは自己主張の奥の手
死は貧困、老衰、病魔、苦痛、奴隷労働その他数ある人間におちかかる不幸のうち
もっとも重いもの。誰でも不幸は避けようと思うもの。殺人を禁止するのは、社会が
全体としてより幸福になるための取り決めだな。
>897
なぜりんごを食べていいのか。
なぜ箸を割っていいのか。
なぜガラスを壊していいのか。
一貫性のある答えを出すと、全部人の都合って事になる。
903 :
考える名無しさん:2006/05/04(木) 16:55:19
ところが人間の都合というもの自体、
かならずしも一貫性があるわけではない。
904 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 01:51:55
つ【選好功利主義】
だめって言ったらだめなの!
死んだらやなの!
うえーん
906 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 02:06:05
自分自身を最終的に死に追いやる行動が悪
907 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 02:50:13
908 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 03:07:00
人を殺すものは心ない物
人は殺しもせず殺されもせず死ぬだけです。
909 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 03:15:57
この世界の全ての人が「いけない」という事でも、本当はしてもいいんだ。
してはいけない事などない。この宇宙が生まれた時から変わらない真実。
やるか、やらないかは自分で決める事。
人を殺せば、みんな悲しむ。俺も悲しい。だから俺はやらない。みんなに幸せであって欲しい。人殺しなど、この世からなくなればいいと思う。この世に生きる全ての生物がそう思っていたとしても、殺してはいけない理由にはならない。
哲学しようぜ。
なんだか厨房が増えたな・・・
厨房はどんな哲学書(歴史思想)読んでも消化不良なんだろうな。
やはり経験なくして、そのニュアンスはつかみ難いのか?
>>908?
>人を殺すものは心ない物
>人は殺しもせず殺されもせず死ぬだけです。
阿呆か?
ならば「心」とはなんぞや?
人を殺してしまった者には「心」が無いと?
苦悩もないと?
ああ、もういい!もういい。反吐が出る。
>>909 おい、小学生!
「幸せ」ってなんだ?
蕩尽か?
「どうして人を殺してはいけないのですか?」
今あるイデオロギー的なものを排して考えよ。
ああ、そう云えば「人はたちまち殺し合いを始める」
なんてくだらんこと言い出すんだろうな。
「北斗の拳」の見すぎだっつんだよウンコ頭が。
912 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 03:46:14
仮に日本で殺人を合法にする→1ヶ月で日本あぼーん
アメリカなどの銃社会の場合→2週間であぼーん
>>912 意味分からん。
合法にする、しない?
それで好んで「殺し合い」をおっぱじめると?
どうして?お前も含め多くの「人間」は殺意にあふれているのか?
法はなくとも権力(支配・被支配の関係)は存在する。
914 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 04:01:10
>>910 心が何を意味しているのかわからないのは心ないからです。
説明できるものではありません。
>>914 説明できない?本当に分かって言っているのか?
とりあえずカント嫁!
916 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 04:23:45
>>910 909だけどさ、厨房と言われるのはいいんだけどどこが間違ってるか言って欲しい。
哲学者がどう言ってんのか知らないけど、俺は心とかルールとか生命の尊厳だとか…そんなものは宇宙が生まれた時からなんの意味もないと思ってるんだけど、何が違うか教えてくれよ
917 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 05:45:15
>>916 君は、殺されてもいいの?殺されたくないわな。普通。
理由もなく自分が殺されるのは理不尽だわな。他人も君と同じように考えてるんよ。
一人一人、理不尽に殺されたくないんだよ。
生命の尊厳とか云々ではなく人は社会を形成していきていくしかない。
人は独りで生きていくことは何人であってもできない。他人と接して生きていくんだから
自己保存のためにも理不尽なことを他人に強要できないだろ?
もし人を殺してもいいよーって仮にそんなルールになったら
殺しあうんだろうね。人類が滅亡するまで・・・・。
人間ってのは馬鹿な動物でね、ルールでびしっと規範を示してやらなきゃ
殺し合いをする欲どしい動物なんだよ。
共倒れになりたくないから人間が長い歴史のなかでそういうルールを自己保存の
知恵として考えたんだろうね。
だいたいゲーム感覚で人を殺す奴ってさ、人の命を奪えるほど
どんな価値を社会に与えてきたのかね。よくニュースとかでやってる快楽殺人した奴等って
そいつが殺した人やその遺族を踏みにじっても許されるほどどんな大きな価値を生み出したのだろう?
殺された者の命は、そいつらの快楽を遂げるための価値しか無かったというのか?
俺が君を殺したとしたらどう思う。君の命というのは俺の快楽を遂げるための価値しかないってことだよね。
それでも君は満足に死んでいけるかね?自分の価値を認めてもらうかわりに他人の価値も自分と等しく認めて
あげるわけだよ。そうすればお互い価値のあるもの同志、殺しあうことはできないだる?
それでもわからんというのなら、ちょっとキケンかもな、君。
高速道路を北に向かって走っていた私は、トイレ行きたくなったので
サービスエリアに立ち寄りました。
手前の個室はふさがっていたので、その隣に入りました。便器に腰を下ろそうとしたその時、隣から
「やあ、元気?」
と声がしたのです。
男は皆そうですが、トイレで見知らぬ人と話をすることはありません。
どうしていいかわからなかったので、ためらいがちに
「まあまあだよ」
と答えました。
すると隣人は
「そうか……それで、今何してるの?」
と言うのです。妙だなと思いましたが、私はバカみたいにこう答えました。
「君と同じだよ。ウンコしようとしてるんだ!」
やがて隣の男は、声をひそめてこう言ったのです。
「おい、あとでかけ直すよ。隣の個室に、俺の話にいちいち答えるアホがいるんだ!」
意味ってのは人間が世界に与えるものだから、
人間のいないところに意味はない。
ないっていうか、「有る」とか「無い」とかがいえる状態にない。
意味は「わたし」が与える。
意味は「わたし」とともにある。
意味とは「わたし」である。
意味も価値も倫理もルールも、
すべていっさいの行動則は
わたしより出でる。
もしあなたがそう願うのなら、
世界を滅ぼすのはとても簡単なこと。
もしあなたが願うなら、
人を殺すのも簡単なこと。
あなたは世界であるのだから。
にも関わらずあなたは、
世界を滅ぼしてはいけない。
人を殺してはいけない。
あなたはあなた自身を縛らなければいけない。
なぜなら。
あなたがそう望むのだから。
922 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 06:34:50
>>917 そんな事は分かってる。俺だって人を殺すなんて事するワケないし、許さない。社会だってそれを許さないだろう。
だけどそれは人間があとから決めた事だ。人類が滅亡するのは嫌だから人間が決めたって事。
地球が滅びようが人類が滅びようが無限にある時間と生命のサイクルの中では、全ての存在は無意味だって事。
そんな事考えてたって俺の普段の行動が変わるワケじゃないから安心してくれ。俺も人間である以上、人間の命を何よりも重んじているのだから。
なぜなら「他」とともに在ろうという意志と共に
あなたは「わたし」の前にいるのだから。
あなたが世界に呼びかけるときのみ、
世界はあなたを振り向くだろう。
あなたはあなたのなかの「わたし」を見いだすときのみ、
あなたであろうと思えるのだから。
存在は祈りのようなものである。
他者とは水平線の向こうに感じる手応えである。
しかし愛故にあなたは誰かを傷つけ、
人を殺すだろう、
人を殺すだろう。
そしてなおかつ祈るだろう。
人を殺してはいけない、と。
924 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 07:34:20
種保存の本能に従うから。
以上
925 :
キリスト:2006/05/05(金) 07:40:33
殺してほしい人はいっぱいいますひとはどうしているのでしょうか
926 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 07:59:35
>>917 あ〜、よかった。普通の人で。(笑)
『人を殺してはいけない』というのは規範(ルール)ではあるけれど、それは
人間が創りだしたルール。大いなる宇宙の営みの中で人類が積み重ねた歴史は
ほんの一瞬のようなもの。そのような一瞬の中で創られたルールに意味は無い
というのが君の論理だよね。
俺の考えは、ルールといっても自然の法則というものがあると思うんだ。
例えば、宇宙のどこかの星にある種が生まれるとしよう。その種を繁栄させ
滅ぼさないためにはむやみやたらに殺生をしないってものがあるのような気が
する。生態系バランスってあるじゃない。それを壊してむやみに殺生したら
必ず自然(宇宙)は自らの保存のためにバランスを破壊した種を消そうと反撃を
加えてくる。同種族同士の殺し合いも自然に対する破壊はあっても自然に対する
メリットはなんらもたらさないから自らの手で自滅させようと自然(宇宙)は
仕向けてくるよね。それが自然(宇宙)に存在するルール。
人類は知ってか知らずか歴史上の数々の殺戮で自然法則に通ずるこのルールを
経験則的に手に入れたんだと思う。やっぱり自滅したくないからね。
もっとも、自然(宇宙)から見ると『人を殺してはいけない』というルールを守る
のは人類の勝手。守らなければ自滅に追い込んで人類を滅亡させるだけ。
ご勝手にっていったところかな。そんなのやだよね。
このルールは死にたくなかったら人間自身が意味を感じなきゃいけないものなんだと思う。
感じないで殺生すれば自然に滅ぼされるだけ。ただそれだけのものなんじゃないかな。
ま、ちょっと宗教的な切り口なので宇宙そのものにそんな法則はないといわれれば
寝ぼけまなこなので反論の論理はまだ用意していないがそんな間違ってないと思う。
でも君はおもしろいところ考えるね。
>911
909じゃないけど幸せは安堵感だよ
>917
矛盾した文章書いてるの気づいてる?
>他人も君と同じように考えてるんよ。
に対し
>もし人を殺してもいいよーって仮にそんなルールになったら
>殺しあうんだろうね。人類が滅亡するまで・・・・。
とか
>それでも君は満足に死んでいけるかね?
病気や事故で死ぬ人も多い、むしろ日本はそういうのが殆ど。
"殺された"だけを上に持ってくるような文章はおかしい。同列に扱うべき。
>926
俺は>927じゃないが、その自然法論で君が何をしたいのか理解できない
自然法論は基本的に反論するのがむずかしい考え方だから、反論しようとは思わないけどさ
よしんば君の言う宇宙の法則みたいなものがあったとして、それが何なの?
スレタイの回答にもなっていないし、それは単なる「感想」であって意見じゃないと思う
自然法があるから、それに従って人殺しはイクナイとかなら反論のしようがあるが、君のそれじゃただの言いっぱなしじゃないのか?
考えの根拠を示すなり、そう仮定した場合行き着く結論なりを示して欲しい
930 :
929:2006/05/05(金) 08:51:30
豪快にアンカー間違えた
>927じゃなくて>917な
>926
>それを壊してむやみに殺生したら
>必ず自然(宇宙)は自らの保存のためにバランスを破壊した種を消そうと反撃を
>加えてくる。
具体例挙げてください。突き詰めれば、確実に漏れなく反撃が行われているという証明も。
>920-921,923
よくそんなこと思いつくなw 頭がよさそうでうらやましい。
ただひとつ突っ込ませてもらうと、愛故に傷つけるだけじゃなく、
楽しいからとか、追い詰められたからとか、無知だからとか
人を傷つける原因は五萬とある。 そんだけです。
932 :
929:2006/05/05(金) 09:04:59
>931
エントロピー増大(熱力学の第二)法則を反撃と見れば、この世のあらゆる物質はこの法則に従っている(…と今のところ思われている)からすべてに反撃してる具体例になると思う
ただ、これは球を斜面においたら転がり落ちるとか、冷水と温水を混ぜたら均一の温度の水になるとかいう、ほんとにただの物理法則なんで、反撃という恣意的な行為とはちょっと言えない気がするが…
反撃の言葉の定義によるかな
>>917 >殺しあうんだろうね。人類が滅亡するまで・・・・。
だから・・・違うだろ!
人間は猿以下か?
ああ、どうしてこんなことに大真面目に答えにゃならんの?
君の言っているのは「人間は死んだら生き返る」っていう小学生の発想だよな。
何度も云うが「北斗の拳」の見過ぎ!このウンコ頭が。
とりあえず傍論を解決しないか?
「法律や規範や権力などが存在しない場合人間は所謂悪に走るか?」
俺の意見は否定的なわけだが。どう思う?
単純に性善説、性悪説と考えると、歴史的には性悪説に分があるな。
そういう問題でもない、のかな?
>932
わからないから熱力学第二法則について調べてみたけど、
>熱は、自然に冷たいものから熱いものに流れ込むことはない!
だって。 これが事実なら、”反撃”を必ずしもするとは限らないことになるよ。
>934
難しい意見だ。
悪の定義が曖昧だけど、法で規範されてることを破ることが悪とした場合、
今まで"我慢"してた事をみんながやるようになる。 いわゆる悪に走ると思う。
限りあるものに対しては、その所得権についての争いが起こると思う。(法律の崩壊)
奇声を上げたり、意味の無い行動を繰り返したり、牛とセックスしたりも起こるだろう。(規範の崩壊)
だが、権力だけ暴力という別の形で残る、どうしても消せないものだと思う。(法律の崩壊も手伝って)
生物である以上、不当に他社から何かを奪わなければ生きていけないから。(植物とて例外ではない)
「法律や規範が存在しない場合人間は所謂悪に走るか?」
なら、いわゆる悪には走ると思う。
権力を持たない生物は存在しない。
自分は植物にも生まれ持った権力があるものだと考えてます。
938 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 12:13:12
>>926 917です。キチガイだと思われてなくてよかった。
だいたいそんな感じです。ルールとして「人を殺してはいけない」のは当たり前の事。
人間を始め、全ての生物には種を保存するためのルールが本能的に備わっているのだと思う。
虫だって豚だって「殺されてはいけない、種を途絶えさせてはいけない」と思って生きているはずだ。
なぜだろう。種を長く繁栄させたからといって何があるんだろう。地球もいつかは滅びの時を迎える。地球で生きる生物達のゴール。宇宙のどこかで同じようなストーリーがあったのかもしれない。
この世の存在に意味はない
人を殺してはいけないというのは人間だけの小さなルール
939 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 15:41:19
人を殺すのは当たりまえ・・そう思わないと現実を直視できないんだけど
>936
なんじゃそりゃ
エントロピー増大の法則っていうのは、閉じられた空間の中の現象はエントロピーが増大する方向に向かって進むこと
例えば、箱の中に赤玉と白玉を無数に入れて振ると、ほとんどの場合赤玉と白玉が混ざるだろう
これがエントロピーが高い状態。わかりにくいなら、起こる確率が高い状態と言い換えてもいい(厳密には違うが)
で、白玉と赤玉がきっちり別れている、これがエントロピーが低い状態
その上で、自然界の物質はエントロピーが低い状態から、高い状態へと変化していくというのがエントロピー増大(熱力学の第二)法則のはずなんだけど
閉じた空間というのは、外界からの影響が無いこと
局所ではエントロピーが減少しているように見えても宇宙自体を一つの空間と見なすと、その中のすべての現象はエントロピーを増大させる方向に向かっている
そのソースが何なのかは知らないが…それ信頼できる情報?
誤解して引用はしてないよね?
941 :
940:2006/05/05(金) 16:09:33
>936
ごめ
理解した
つまり、熱湯と冷水を混ぜたら、冷水が熱湯の側に移動したりはしないってことだよそれ
コップに紙でしきりを作って、片方に熱湯1、片方に冷水1を入れても、冷水が熱湯側に移動して冷水側0、熱湯側2にはならないってこと
さっきの赤玉白玉と同じで均一に混ざるはず
つまりその引用部分は、エントロピー増大の法則が成立してることを証明してる
942 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 16:12:55
GWに珍獣勢揃いですね
943 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 16:17:27
宗教的な意味にではなく、純粋に科学的な意味で
宇宙も、生命も、
活動(存在または生存と、それによる諸変化)と 収束(一定の運動サイクルの終息、或は死)を 繰り返している。
言い換えれば、宇宙も生命も、生まれて死んで、生まれて死んでを 繰り返している。
これは、「ある」ものすべてに共通する、不可避の大原則であろうと思う。(「ある」そのものについては、まだ考えていないが)
ただし、ワンサイクルが終了して、次のサイクルに移るには
「活動」こそが必要条件である以上、「収束」=「死」を大義として
「活動」を否定することはできない。
どうせ死ぬのだから、生は無意味だというのは、微小な個から見たニヒリズムであり
生命存在の大義である、活動・収束サイクルから見れば「生」には、重大な意味がある。
生命とは巨大なドミノ倒しの流れで、個の生命は ドミノのワンピースではないだろうか?
ドミノのワンピースが無くなったところで、生命の流れは止まらないか、
別ルートから継続されるかもしれないが、個のドミノピースの価値を全否定することは
ドミノの流れの総体を否定することになりはしないだろうか?
944 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 16:25:14
殺してもいいけど殺したら罰せられるよ、ってだけの事じゃないの?
945 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 16:28:48
>>944 君の言ってるのは「規則」
このスレで問われているのは「規範」
「規範」が「規則」の根拠なの。 OK?
>943
少なくとも科学的な意味では繰り返してなんかいない
宇宙は広がる一方だし、その後収束に向かうのか、延々拡散を続けるのかは誰にも分からない
自然界のサイクルは過程であって結果ではないよ
今のところ螺旋階段のように、似たところを周りながらも確実に降りている
まあ仮に収束に向かうとして、殺人は価値の否定なのか?
価値を否定したら逆に殺人なんて起きない気がするけど
または個人の意志を越える絶対的な価値観があるというなら、それは殺人に反映されるものなのだろうか
電光掲示板とかはそれぞれの電球がON(生)でもOFF(死)でも意味を為しているよ
「殺されたくない」から「殺さない」…私があなた殺さないのだから、あなたも私を殺さないでね。
↓
「殺さない」を強調するための「殺してはいけない」…殺さないから殺さないで。
↓
ということ?
でも、まぁ、他人は人を殺すんだけどね。
948 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 16:51:49
>>946 自己保存の利己主義(殺人とか侵略戦争、共食い)や 自殺が、
種そのものの保全を目的としているのなら、生きることも死ぬことも種の生存を指向している点で等価の行為かもしれない。
しかし、個の生命を否定することは、全体の存在を否定することになるから
個の生命の否定は、全体の生命の保全を大義として自然に存在するのではないか?
そして人間の価値観は、個人という小宇宙を基準に、血族、知人、小社会(会社や学校)、国家、民族、生物種という階層別で
その本能的重要性と個体的執着心が反比例して存在しているのではないか?
種の階層から見れば、個の殺害を止られていない。
しかし、個人〜小社会の階層では、殺人は、個体的執着心から否定され、
それが国家の階層から、個の日常について統制されている。(だから非日常である戦争は妥当とされる)
個人〜種までの各階層が持つ、生命に対する「本能的重要性」「個体的執着心」のどこに重きを置くかで
殺人の可否は固体ごとに判断されていて、そのせいで 神風に志願できる人間、できない人間とかも別れるのだろう。
最終的には、危機に瀕しているのが 個の生命か、種の生命かという点で 個の殺害の可否を判断してよいのではないか?
種として平和な時代に、個人への殺害を試みるのは「個体的執着心」からみて、大罪である。
国家の生存が脅かされる時代においては、固体の死は、相対的に軽い意味を持つ。
個人と個人なら、その立場は等しいから、平時においては「殺人が生存に必要なもの」=「適応弱者」こそが
種として不必要と判断され、殺人は不当とされるのではないだろうか?
>948
言ってることがさっぱり分からん
先の話だと全体の意志が働く対象は、種じゃなくて自然界全体だろ?
と言うか種がさらに大きな自然界に包含されるんだと思うけど
だとしたら平和な状態っていう定義は意味を為さない
それに殺人がどうして存在の否定になるんだ?
存在を肯定するから殺人をするんだし、殺人行為のあとも殺人という事実が残る
存在を否定するなら、その影響が他の何者にも及ばない形で消滅させるしかなく、そんなことをするのは不可能だろう
殺人自体はただの行為だと思うんだけどなあ
950 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 17:07:01
>>949 そして人間の価値観は、個人という小宇宙を基準に、血族、知人、小社会(会社や学校)、国家、民族、生物種という階層別で
その本能的重要性と個体的執着心が反比例して存在しているのではないか?
つまり判断を下す階層によって、判断は異なる。
地球が滅びそうなときに個人の犠牲でそれが回避できるなら、それは正しい。
危機に瀕しているのが個人の生命だけなら、個の保存=種の保存という大前提から 個人の生命が一番大事。
>>948 種の保全や種の生命なんてないよ。
ついでに、個の保存本能もない。
そゆのはDNAレベルの「力への意志」として読み解く方向が普通じゃないの?
952 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 17:21:24
殺人がみとめられると
まずいよね
かなり
953 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 17:22:47
>950
仮にそうだとして、「どうして人を殺してはいけないのか」という問いにはまったく意味を為さない
いけないと思うのは個人であって、君が言うのが正しいのなら自然界全体に異常状態を排除するシステムが成り立っているのだから、この世に起こる排除されないあらゆる人殺行為は肯定されることになってしまう
そんな本能というか、システムが働いているのに個が自らの意志でシステムに沿わなければならないってのは変だよ
もしその通りなら、自ずと殺人行為が是正されるはずだ
955 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 17:29:46
愛こそすべて
956 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 17:39:33
殺人したけりゃしてもいいよ。
けどもしバレて捕まったら最悪死刑にするし、警察は本気で探すからな。
別にこれで問題ないかと思われ
957 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 17:59:48
チンドン屋
958 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 18:00:25
「人を殺してはいけない」は
僕らの生まれた社会が植えつけた考えかもしれないし
戦争してるとこなら、「仲間は殺すな、敵は殺せ」
が常識か?
「僕は君を殺さないから、君も僕を殺さないでね」
を拡大していった結果ではないな。
互いの生を保障するためではなく
自分に生み出すことのできない利益を他人に生み出させるため
もしくは支配、被支配
もしくは他人の存在そのものが心の支えとして必要とか
もしくは愛着とか?
一言じゃないにしろ、多くの人に分かるような
多くの人が納得できるような答えは
あるんだろうか
959 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 18:12:56
>>958 俺の考えを書こう。
今でいう「個人」はかつては存在しなかった。
富を所有したり、取引したり、意志を持ったり、約束を守ったり破ったりしたのは
「イエ」や「ムラ」といった集団単位であって「個人」はそのパーツに過ぎなかった。
「殺してはいけない」という規範は、もともと「集団内の構成員」に対してのみ
適用された規範であり、他の集団の構成員を殺すことは罪ではなかった。
ここから言えることは、「殺してはいけない」という規範はもともと
「自らを傷つけるな」と等価で、規範とも呼べない当たり前のことであったということ。
960 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 18:14:06
あたりまえが通用しなくなった(゚д゚)JAPAN
961 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 18:17:12
>>959 いいね。それ。
じゃあ、時代の流れとともにパーツがちいさくなってきて
つまり、個人が確立されてきて、個人単位の殺しが増えてった
ってことになるのかな?現在は。
962 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 18:32:06
>>961 私有財産が確立されていったことで「個人」が単位となり、
それまで当然に「同じ集団の構成員」だった仲間が「相手」となった。
殺しが増えたかどうかはわからんが、「自らを傷つけるな」と等価で当然だった
「人を殺すな」が、ルールとしてしか機能しなくなったのではないかと。
963 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 20:46:12
おまえら、自分で結論だせ。
以上
>948
言ってることは大体、57と似てるけどおかしいところがある。
>しかし、個の生命を否定することは、全体の存在を否定することになるから
とすると
"この主義を否定することは全体の主義を否定することになるから"
が成り立ってしまい、?
>だから非日常である戦争は妥当とされる
や
>個の生命か、種の生命かという点で 個の殺害の可否を判断してよいのではないか?
も、差をつけるものではなくむしろ両者は平等であるべきとの論になるはず。
後の文章にもこれが当てはまる。
>959
ん? 個人だって富を所有したり取引したり意思を持ったり約束守ったり破ったりでできるぞ。
それも集団と同等かそれ以上の力で。パーツに過ぎないの言い方はおかしい。
>941
その証明で片方からしか干渉できないのに"反撃"とするのはおかしいってのが俺の言いたいこと。
お互い、言いたいことが噛み合ってないかもね。
967 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 21:09:17
>>965 今はな。個人で富を所有するほどの余裕がなかった時代の話だ。
968 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 21:14:26
私の仕事は人を殺す仕事です
私は陸上自衛隊
969 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 21:16:49
私の仕事は土木作業と雪祭りの雪像づくりです
私は陸上自衛隊
970 :
考える名無しさん:2006/05/05(金) 21:59:22
てかこんなこと考えないといけない人 不幸だね。
普通考えないよ。
それとも道楽?
>966
その言葉は君の「必ず反撃する訳ではない」と矛盾する
君、最初は反撃の言葉の定義なんか問題にしていなかっただろう?
"必ず反撃する訳ではない"
と
"反撃とするのはおかしい"
って矛盾って言うの?
まったく別のつながりの無い文章だよ。
確かに反撃の定義は最初に出さなかったのはミスだね。
はんげき 0 【反撃】
(名)スル
攻めてくる敵を反対に攻撃すること。逆襲。反攻。
「―に転じる」「―に出る」
だって。
973 :
考える名無しさん:2006/05/06(土) 04:10:28
ヤクザの若いのは
平気でマザーテレサを
殺すけど
マザーテレサは
殺されても殺さない
殺されたくないから
殺さない?
初耳だなあ
あなたがたの表面的な
気持ち
>972
必ず反撃する訳ではない
というのは、反撃の事実を認めた上で反証が存在するって意味だ
しかし君の言った言葉の定義の問題だとするなら、論点は反撃であるか、ないかだから、1か0、中間は存在しない
故に「必ず反撃する訳ではない」と言った君の言動は、明らかにもとより言葉の定義の問題を含んでいない
にも関わらず、君は言葉の定義の問題だと言う…
まあ、話がズレすぎだしどうでもいいけど
あと辞書的な意味はすでに離れているのだから、その引用は無意味だし、恣意的な要素を含まないものまで反撃と呼ぶかの疑問点は、すでにぼくが指摘しているはずだ
>974
"必ず反撃するわけではない"ってのは被対象者によって0か1かが
変わるからそういうニュアンスの発言になったの。
>故に「必ず反撃する訳ではない」と言った君の言動は、明らかにもとより言葉の定義の問題を含んでいない
>にも関わらず、君は言葉の定義の問題だと言う…
これは上でも、最初に持ち出すべきだったと反省しました。
確かに話がズレてきてるね。 これにて。
976 :
外野:2006/05/06(土) 11:43:19
だから「反撃」が地球に意志があるような語弊があるから避けようってことじゃないの?
977 :
考える名無しさん:2006/05/06(土) 20:02:51
<どうして人を殺してはいけないのですか?>
このスレのタイトルは殺人はいけない行為だという前提があることを暗示している。
つまりスレを立てた人は“人を殺してはいけない”ということを何処かで聞いたか
誰かに教えられたかでもしたのだろう。
殺人はいけない行為という前提で語るに於いて真実は見えない。
つまり社会通念や常識の範囲でしか答えを出せないわけだ。
978 :
考える名無しさん:2006/05/06(土) 20:10:51
979 :
考える名無しさん:2006/05/06(土) 20:16:16
アメリカの同時多発テロ知らないのか?
>>898 >月の理想の世界って、密告制度つきの独裁恐怖政治だよね
>そういう世界がどんなものかは現実に例がある
直接は関係ない話なんだが。
独裁政治は上手く行くときは、とても上手く行く。
才能ある個人と支援するスタッフの少数精鋭で、
危急の際には素早い判断力と大胆な行動力で
事態を切り開いていく。
独裁制は独裁者が名君である限り、なにも問題ない。
だが独裁者、かならずしも名君ならずだ。
夜神月は天才として描かれている。
誤ることは少ない。それはそれでいいのかもしれない。
しかし、たとえばこの体制は月の死後も継続し得るのだろうか?
そう、たとえば----、月(とミサ?)の子供は月のように天才だろうか。
遺伝や血族にもれないなら、教育システムか?
デスノート治安維持体制は、月以外の天才の存在を許すだろうか。
名君の世継ぎが凡君暗君であることは、歴史的に珍しくない。
ある個人の才能に左右された社会は、著しく不安定だろう。
981 :
980:2006/05/06(土) 20:34:28
この、名君という個人の才能に依存したシステムが不安定であるということは、
歴史的経験でしか得ることが出来ない。
はやいはなし、名君の元で生き、一生を過ごした者は、
「独裁制で何で悪いの?」と言うだろう。こういうことも歴史上、恐らく珍しくなかったはずだ。
"独裁制が悪い"という観念は、個人史的な経験で得られるのではなく、
そのような歴史的経験、個人を越えて時の流れの中で集積された知識によって
形成されるのではないか。
人殺しがなぜいけないの?という問いもそんな面があるように思う。
端的に言えばそれは、自分のいる社会を破壊するから「悪い」のである。
だが、日常的に人殺しを許す社会と、そうでない社会との「生存競争」は
個人の価値観が形成されるタイムスケールではなく、「独裁制じゃ、よくない」という
歴史観念同様、個を越えた判断基準の中で形成されてきたのではないか。
それが伝統であり、道徳であり、社会規範である。そんなことを思った。
しかし、月の笑いの禍々しさはなんだろうか。
月本人は自分で気づいてないのか。