2 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 05:19:23
いつまでやるの?
経験則でしょ.
3 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 05:57:42
経験則って プ
4 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 06:54:44
人類の経験則ね.
本当にありがとうございました
=終了=
いけないことしちゃう
7 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 11:38:52
人を殺すこと自体は罪悪でもなんでもないんだよ。
それは状況しだいだね。
日常的には悪だけど、その日常の中でも殺しても良い時もあるし。
正当防衛とかね。
↑また初期の議論に戻ってるし。
9 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 12:16:59
>>7 では、殺人が罪悪でないとして、
殺人以外のことなら、罪悪といえることはあるのでしょうか?
すっごい長い産道を通って生まれてきたんじゃないの。
11 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 14:45:31
6スレ経過したけど「人を殺してはいけない」と言う人、まだ出て来ないね ^^;
いつになったら出てくるの?
12 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 14:48:26
俺は青森で生れたんだけど
親父は猟師なの。そんで口癖が「殺したものは敬意もって喰え」なんだ
人間喰いたくないだろ?
13 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 14:54:25
食うしかなくて食う事ってあるんじゃない?
食べるもんが人肉しかなくて、子供が飢え死にしそうだったら食ってもいいんじゃね?
>>2 住人が入れ替わって、新規の少年辺りが加入してくるだろうから
いつまでも続くのだよ。
15 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 15:54:49
13
人間の肉は塩分が多いと聞いた事がある。食えんようになってるんだろ。神は凄いやつだ。
>>12 親父さんだって、ハエとかゴキブリとか食わないだろうよ。
ゴキブリって生で食えるらしいね。
敵の捕虜になった軍人が、ゴキブリ食って1ヶ月間
生き延びたって言う話をどっかで聞いた。
18 :
abo-n:2006/03/06(月) 16:37:54
1
人は1人では生きていけないから。
>>18 一人や二人や一万人や二万人殺しても、生きていくのに支障はないですぞ。
「人」を全部殺したら生きてはいけないだろうって?
そうしたら自分も殺されてしまいますがな。
20 :
abo-n:2006/03/06(月) 16:47:09
だいたいなんで殺すのかな?
21 :
abo-n:2006/03/06(月) 16:48:50
自分の欲望のためかな?
22 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 17:01:05
殺す事情があるのよ
その事情がなくならないかぎり殺しは続く、誰にも止められない
23 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 17:42:38
>>7について
善悪をはじめ倫理は行為の属性であるとする立場(性質説)と
倫理は性質以外のものにもとづいた判断であるとする説(評価説)の二者が考えられる。
「頭のよさ」(※この「よさ」は道徳上の「よい」ではないが)はある人Aさんが知識が多いことを言っているのだろうか?
それともテストの点数が高いという成績のことなのか?
前者が性質説、後者が評価説である。また「この料理はうまい」の「うまい」を「味の一種」とするのが性質説であり、
「食べた人の好み」とするのが評価説である。性質説に立つならば「人を殺してもいいかどうかは状況しだいだ」という考えは
「服が白いかどうかは状況(例えば昼か夜か)しだいだ。だから服自体には色はないんだよ」という屁理屈と変わらないと否定され、
評価説に立てば物の見え方は人(の判断)によるとして肯定される。
「なぜひとを殺してはいけないのですか?」
この問いかけにたいするかみあう答えはふたつしかない。
ひとつは「ひとを殺してもいけなくはない」つまり「ひとを殺してもよい」である。
もうひとつは「殺してならぬワケはある。しかし、それを言葉にしてはならない」である。
このふたつのほかに、この問いかけに“かみあう”答えはない。
このふたつのちがいは、答える者の立場のちがいによる。
前者は人を殺してもよいとの立場。後者は、ひとを殺してはならないとの立場である。
*
「なぜひとを殺してはいけないんですか?」と悪魔が天使にたずねた。
天使はむじゃきに「▽※○×□だからいけないのです」とこたえる。
悪魔と天使のこのヤリトリをハタできいていた人間はかんがえる――
「では▽※○×□でなければ殺してもよいのだナ」
かくて人ごろしがはじまった。
どんな意見・考え・言葉にもまぜっかえしたり、
言い返したりすることができる。反論というものもそれらの内だろう。
そう。この「云い返せる」とゆうこと。
これは「コトバ」というものにおける「ひかりと影」である。
これがこの話題のカギである。
光があればかならず影ができる。影をつくりださないためには、
ひかりをなくさなければならない。光をなくせば影はおのずときえる。
天使は、ひとを殺してはならないと考えておりながら、
ひとを殺してよいワケをつくりだしてしまった。
そうであれば、ひとを殺してはならないと本当におもっているなら、
「わけはある。しかし、それをことばにしてはならない」とこたえるほかにはなくなる。
考えのちがう人どうしのあいだで「かみあう」話合いがあたりまえにできていれば、
この「コトバをめぐる光と影の関係」のことをみんなも自ずとよくわきまえていたハズだ。
したがって、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と誰かに問われたとき、
うえのように答えるほかはないことを知っている人はそこらじゅうにいただろうし、
上の説明もスンナリ受けいれられるハズだ。
しかし、この問いをめぐる有様は、ニッポン社会に「かみあう対話」がちッともないことを、
2ちゃんねるにかぎらず、しめしつづけている。
コドモっぽくも単純でも根源的でもあるこの問いかけを、
問う側が問題なのではない。むしろ逆だ。感受性のするどい年頃なら、
この程度のことをおもいつかないほうがむしろヘンである。
この問いかけは、いつでも、どこでも、だれからでも発せられてよいし、
むしろ発せられつづけなくてはならない種類のものである。
「そんなことはきくな」だの「じゃあオマエ殺されたいのか」などといいながら、
内心でうろたえまくるだけで、こんなカンタンきわまる正解をおもいつきもしないことのほうにこそ、
現代ニッポン人のオトナどものココロとオコナイの闇がよりよくあらわれている。
27 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 18:00:43
トリップまちがえたっぽい。ためす。
おお。やはりな。まちがっとったな。うかつじゃった。
ちょいと失礼して、いま1ど気になるためしをば。
31 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 19:03:23
テストでカンニングをして高得点だった場合、その人は頭がよいといえるだろうか?
性質説をとれば「頭がよいかどうかはテストの点数には関係ない」といえばすむので問題にならない。
しかし評価説では頭の良さ=高評価であるから、高得点だから頭がよいという結論になるのではないか?
ここで二者が考えられる。
評価には正誤があり誤った評価は評価から除外されるという立場(差異説)と
どの評価も同等であるという立場(同等説)である。差異説ではカンニングのテストは無効とされ、頭がよいとはされない。
同等説ではカンニングのときは頭がよく、別の試験のときはカンニング試験のときよりは頭がよくない、ということになる。
差異説の問題点は「正しい評価とは何か?」である。「その人の頭の良さを反映するような方法のテスト」が正しいテストである、
とするならば「頭のよさ」を評価以外のものに求める必要があり、それはつまり性質説である。
(頭のよさ=評価ならば「その人の評価を反映するような方法が正しい評価」ということになり語義が循環する)
同等説の問題点は相対主義に陥ることである。
例えば料理を試食してもらい審査員Aが「うまい」といいBが「まずい」といった場合、その料理はどうなるのか?
答えは出ている。
「殺してはいけない」のでは無く、
「殺してはいけないと道徳的に禁止されてしまっている」のだ。
つまる所、殺してはいけなくは無い。守る必要も本質的には無い。
33 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 19:12:55
>>32 では、「殺す」以外のことなら、
いけなかったり、守る必要が本質的にあったりことはあるのでしょうか?
本題。「どうして人を殺してはいけないのか?」
性質説
どうして人を殺してはいけないのか?→殺人は悪だから
→なぜ殺人は悪なのか?→殺人には悪が含まれるから→なぜ殺人には悪が含まれるのか?
→(現在地点)
評価説
どうして人を殺してはいけないのか?
→殺人は悪だから→なぜ殺人は悪なのか?
→殺人は何らかの基準によって評価されない(望まれない)から
→何にもとづいて殺人を認ないのか?→(現在地点)
どちらも変わらんね・・・・
O
/T
Z
>>33 この世にやってはいけない事は本質的に何一つ無い。
今、自分達がやってはいけないと思っている事は
突き詰めていけば全て「道徳的に守らなければならない」に繋がる。
「やってはいけない」んじゃない。「やってはいけないと道徳に思わされてる」だけ。
今の人間社会は、言うなれば道徳の奴隷。
自分達一人一人が道徳の操り人形なんだよ。
しかし、これが悪いか・悪くないかと言う事も
道徳の上に判断されてしまうので自分には分からないけどね。
36 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 20:23:09
>>35 >この世にやってはいけない事は本質的に何一つ無い。
じゃあ、死にたくなければ電車に飛び込んでも死なないんだ。
38 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 20:40:58
>>37 だから、一般的には命が惜しければ電車に飛び込んだりしてはいけないことになってるけど、
>>35 の理屈だと、それは道徳に思わされてるだけで、実際には死なないんでしょ?
39 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 20:42:29
生き返らすことができれば殺してもいいんだろうなあ。
40 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 20:46:03
>>38 いや、そういう事を言ったんじゃなくて
電車に飛び込もうが何しようが
本当は誰も止める事ができないって話。
>>40 多分勘違いしている真性だろう
>>37 命が惜しかったら道徳関係なしに飛び込まないだろう
43 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 20:52:34
>>41 「いけない」というのは「止めることができる」という意味なの?
>>43 「いけない」は無い。
だから「止めることができる」も無い。
45 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 20:59:03
>>44 いや、だから、「止めること」と「いけない」はどういう関係なの?
それから、「いけない」が無いとすると、
「死にたくなければ電車に飛び込んではいけない」は、間違い?
47 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:12:30
誰かが言ってた
「殺されてもいいなら殺しなさい」
と
肉体的限定ではなく多様な意味で殺されてもいいなら殺しなさいと
つまり殺しを肯定しているのだが、その先は道徳観念やらのループ
分かんね
48 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:14:32
>>46 ?
理解できないから質問してるんだけど?
それがなぜ言葉遊びになるの?
>>48 だからその質問自体が言葉遊びになってるって言ってんの
>>45 >いや、だから、「止めること」と「いけない」はどういう関係なの?
「止めること」も「いけない」も道徳
>「死にたくなければ電車に飛び込んではいけない」は、間違い?
間違えも正しいもここには無い。それさえも多数決の道徳だから。
「死にたくなければ電車に飛び込んではいけない」も止めることはできない。
「死にたくなくても電車に飛び込んでいい」それを止める事はできない。
51 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:27:04
>>49 どの点が言葉遊びなんでしょう?
>>50 >「止めること」も「いけない」も道徳
自動車のブレーキの機能は道徳ですか?
>間違えも正しいもここには無い。それさえも多数決の道徳だから。
「ここ」ってどこですか?
>>51 説明するの疲れたので、
後は自分で勝手に解釈してください。
>>51 道徳心は言葉で歯止めをかけるものじゃなく脳で判断するときに
考慮に入れるもの。とっさの時に一々言葉で考えないでしょ?
54 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:46:40
>>53 でも、とっさの行動は条件反射なんじゃないかな。
道徳は言葉にしなければダメなんじゃないの?
55 :
ソラ:2006/03/06(月) 21:51:25
>>25 どんな言葉にも光と影があるのであれば究極の解は「沈黙」しかない。
あなたの意見の「わけはある。しかし、それをことばにしてはならない」と
こたえるほかにはなくなる。が光だとしたら必ず影がある。この事から「沈
黙」するしかなくなる。
自分の考えは哲学的真理はある。
>>54 道徳を教える段階では言葉。子供の頃から繰り返された言葉は
無意識の中に確実に刷り込まれる。じゃないとしゃべれないし。
経験を無視して条件だけだと決断にエライ時間がかかる。
結局道徳も経験の一部。
57 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:59:00
>>53 それで、
>「止めること」も「いけない」も道徳
の説明になってますか?
私には、否定している(止めること≠道徳といっている)
ように思えるのですが・・・。
>>57 とりあえず…
相手がどう考えているか理解してくれ。
条件反射で質問するのはあなたの勝手だけれど、
条件反射じゃ相手の考えの奥底までとどかないだろ?
自分はこの考えに対してこう考えていると
自分の中でまとまったら質問してよ。
>>56が言うように時間がかかりすぎる。
>>57 つかそれを言ったのは私ではないんだけど。
60 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 23:12:48
>>58 >相手がどう考えているか理解してくれ。
何を述べているのかは理解しているつもりです。
述べていないことまで理解するのは難しいですね。
>条件反射じゃ相手の考えの奥底までとどかないだろ?
そんなに複雑な考えについて、
本当に考えていることを知るためには、
よく考えなけらわからなような表現で述べておられるということですか?
61 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 23:17:33
「殺されてもいいなら殺しなさい。」の意味は分からんがね。
「殺されたくないなら殺しなさい。」ならいくらでも現実的になれるぞ。
「生き続けたいなら殺しなさい。餌を食え。そして、敵を殺せ。」
「生き続けたいなら仲間を殺すな。そして、敵は殺せ。」
「生き続けたいなら仲間を増やせ。敵は減らせ。そして、自分たちを安全にしろ。」
これも原始的な道徳じゃないのかね。
>>60 じゃあ、どう理解してる?
あなたの考えをここに書いてみてよ。
63 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 23:49:17
>>62 とりあえず、誰がどこで述べていることですか?
>>63 んじゃあ、
>>35について。
これについてあなたはどう考えた?
あなたはどう
>>35について理解したと言える?
法律で決まっているからに決まってるだろ。
まあ法律で決まっていなくても危険因子は排除されるだろう。過去の歴史を見よ。
>>64 私が理解した内容は
>>36 >>38 に書いたとおりです。
>>35 さんが何を考えていたのか、は知りませんよ。
>>44 を読む限り、どうやら違っていると
>>35 さんは主張なさりたがっていたようですが、
私には、「「止めること」と「いけない」同じく、道徳である」という意味しかわかりませんでしたね。
この記述が、
>>35 の内容とどう関係するかは説明していただけませんでした。
67 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 00:12:12
>>67 勿論勿論、俺が35だしねw
「「止めること」と「いけない」同じく、道徳である」
という意味が分かったならOKOK。それで十分。
それじゃ、この事を含めて最後に一つだけ
「道徳的である事は究極的な説得力・制止力を持たない」
↑なぜかはニーチェの本に書いてある。気が向いたら読んでみて。
んじゃ、今度こそ本当に退散するわw。サイナラー
69 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 01:10:32
66、
>>36、
>>38の言いたいことはよくわかる。
>>35の矛盾点は簡単なことだ。ほんとうに書き手である68がそれに気付いて「理解している」と言ってるのかどうか、は知らんがね。
>この世にやってはいけない事は本質的に何一つ無い。
>今、自分達がやってはいけないと思っている事は
>突き詰めていけば全て「道徳的に守らなければならない」に繋がる。
「この世にやってはいけない事は本質的に何一つ無い」のであれば、
自分たちがやってはいけないと思うこと(68曰く「道徳」に「思わされる」)ことを、「敢えて思わない」ということは本質的に可能なのか?
66が言いたいのは、「本質的」には、それは人間には不可能だろう、ということだろ。
結局は、以下は35の文だから適切な表現ではないんだけど、
>今の人間社会は、言うなれば道徳の奴隷。
>自分達一人一人が道徳の操り人形なんだよ。
ってことが言いたいんだろう。
つまり35では、「現状認識・現実理解」と自身の論とに矛盾があるわけ。失礼ながら。
道徳ってのは後天的に身につけるものではなくて、食性眠と同様、先天的な部分が少なからずある。つまり真理がある。
そうでなければ、それを「理解」することも「ほんとうに実践」していくことも不可能だ。人により時代により様々なんてことはない。
またニーチェの言う道徳心ってのが、68が「理解」していると「道徳」でほんとうにいいのかどうかも疑問。
てか、「答えは出ている」と言い切って、35のような論を提示して、
ここまで結論のでない異論を戦わせているならば、
32以前の論についての方が論じがいがあると思う。
32には失礼な発言をお許しください。
>>70 だいたい同意ですが・・・。
>道徳ってのは後天的に身につけるものではなくて、食性眠と同様、先天的な部分が少なからずある。つまり真理がある。
>そうでなければ、それを「理解」することも「ほんとうに実践」していくことも不可能だ。人により時代により様々なんてことはない。
「思おうとしても思えな」い、ことの由来を、(人間の持つ)先天的な部分に求めてしまうと、
いわゆる「パラダイムシフト」のような現象をうまく説明できないんじゃないでしょうか。
実際には、従来は「思おうとしても思えな」かったことが、
現実に直面して「思えるようになる」ということが起きている。
つまり、「現実への適応」が最初にあって、それによって「思おうとしても思えな」くなったり、「思えるように」なる。
「人により時代により様々なんてことはない。」というのは、
「現実」が「人により時代により様々なんてことはない。」からなのではないでしょうか?
なぜ人を殺してはいけないのか。これまでその問いに対して出された
答えは全て嘘だろう。道徳哲学者や論理学者は、こぞってまことしなやかな
嘘を語ってきた。本当の答えは、こうだと思う。
「殺したければ、やむをえない」
世の中が面白くなく、どうしても生きる悦びが得られなかった人が、
あるとき人を殺すことによって、ただ一度だけ生の悦びを感じたとする。
それはよいことだろうか。それはよいことだ、と考える人は殆どいないだろう。
殺される方の身になってみろ、と誰もが考える。
そんな事で殺されてしまってはかなわないではないか。
だがほんとうに、最終的・究極的に、殺される方の身になってみるべきなのだろうか。
自分のその悦びの方に価値を認めるという可能性はありえないのか。
このように問う人は、まずいないだろう。しかしニーチェはそれを問い
そして究極的には、肯定的な答えを出したのだと。
だからニーチェは「殺したければ、やむをえない」と言ったのではない。
ニーチェは、「やむをえない」と言ったのではなく、究極的には
「そうすべきだ」と言ったのである。そこに相互性の原理を介入させる
必要はないし、究極的には、介入させてはならないのだ。
そうニーチェは考えたのだと思う。
75 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 13:45:10
だからこそ次の命題が成り立つのだ。
「仲間でいたいなら仲間を殺してはいけない。」
「仲間でいられなくてもよいなら殺してもよい。」
76 :
74:2006/03/07(火) 13:51:01
なぜ嘘であると言えるのか?
「人が道徳に服従するのは道徳的であるからではない。
道徳への服従は君主への服従と同じく、奴隷根性からでも、
虚栄心からでも、利己心からでも、断念からでも、狂言からでもありうる。
それ自体では、それはなんら道徳的なことではない」
「道徳的理想の勝利は、あらゆる勝利と同じ
『不道徳な』手段によって得られるすなわち、
暴力、嘘、誹謗中傷、不公平によって」
「なぜ人を殺してはいないのか」をはじめとする道徳の根拠に
答えようとするとき、結局、それは道徳に反するからだ、という
トートロジーしか与えることができない。なぜ道徳的であるべきなのか、
という問いに、その方が道徳的であるからだ、と答えることの
無力さを感じている答える側は、そこに誇り、尊厳、
真の自由、等々の嘘を忍び込ませるのである。
>ニーチェは、「やむをえない」と言ったのではなく、究極的には
>「そうすべきだ」と言ったのである。そこに相互性の原理を介入させる
>必要はないし、究極的には、介入させてはならないのだ。
>そうニーチェは考えたのだと思う。
なんで、そうしなければならないのですか?
なんで、介入させてはいけないのですか?
>>74 ニーチェや梅毒基地外やんけ。哲学者は徳のあるやつばっかりやないで
小学生をなぐりよったウィトゲンシュタインとか女たらしのサルトルとかな。
79 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 13:56:54
どうして人を殺してはいけないのですか?
↓
どうしてルールを守らなくてはいけないのですか?
ルールを守った方が大多数が効率的に生活できるからです。
80 :
74:2006/03/07(火) 13:57:45
「われわれの真理の基準はけっして道徳ではない。
われわれはむしろ、ある主張が道徳によって根拠づけられた
ものであることを証明することによって、高尚な感情を
駆り立てられたものであることを証明することによって、
それを論駁するのである」
誇りゆえに語られるようなことを、けっして信用してはならない。
なぜなら誇りさえも道徳の上に立つものだから。
>>80 >誇りゆえに語られるようなことを、けっして信用してはならない。
なぜ信用してはならないのですか?
82 :
74:2006/03/07(火) 14:12:39
たとえば、「いじめられている子の方も悪いところがある」
という主張は語ることをほぼ禁じられている。ここで「悪い」
というのは、固有の欠陥があるという意味だ。この命題は、
たとえ真理だとしても、いじめで自殺に追い込まれた子の親に対して
語るには、あまりに残酷な、心優しくない真理、つまり不道徳な真理である。
だからこれは真理ではなく間違いであるとされるのである。
あとは
>>80「我々の真理の基準はけっして道徳ではない」に繋がりマス。
仮に、「我々の真理の基準はけっして道徳ではない」が正しいとして、
その場合、「道徳である」といえるものは存在するの?
84 :
74:2006/03/07(火) 15:05:08
>>83 道徳的と解釈される現象はたしかに存在するが、
道徳的事実というものは存在しないんじゃないのかな?
実際に存在するのは後に「力への意志」と呼ばれる一種類のものだけで。
錬金術というもの自体はたしかに存在するが、錬金術的事実
は存在せず、実際に存在するのは化学的事実という一種類のもの
だけである、というのと同じことだと思う。
なぜ「力への意志」のみが存在するといえるのですか?
>「我々の真理の基準はけっして道徳ではない」
別に「何を真理と思うか」の基準はひとそれぞれで構わないが
真理の基準は道徳以外に求めることはできないぜ
明証性も確実性も経験も論理もダメなら残りは道徳だけじゃん
>>84 例えば、どういうことが起きれば、「道徳的事実」とみなせる?
錬金術の場合は、「鉛が金に変わる」とかだよね。
殺してはいけないって何よ。
別に殺したって構わないだろ。
そいつが痛かろうが苦しみもがこうが
殺す方になんの関係がある?
89 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 16:26:43
>>87 鉛でなくても金に変えられる。
オレの錬金術マシンを使えば。
去年は差額でずいぶん稼いだYO!!
仮に「人は殺してもいいものだ」とすれば、
自分が殺されても文句は言えない。
だが、切羽詰ってイッちゃってる人間でなければ
自分の死は避けたいものだ。
そこに矛盾が生じる。
よって正常な人間ならば「人を殺してもいい」と言うべきではない。
従って「人を殺すべきではない」。
また、「人を殺してはいけない」という言葉は法律にない。
結論は、あくまでshould notの形だ。
もし人に訊かれたらこう答える。ダメかな。
>>90 自分の死は避けたい=相手を殺してはいけない
を守る必要が何処にあるんだ?別に守らなくてもいーじゃん。
>>91 ”守る”必要はありません。
しかし、もし仮に”守らない”ならば、
自分が殺されても反論できないわけですから、
「自分が殺されるのを嫌がる人間」の立場上、本末転倒な主張となります。
そこで、大本をたどって「相手を殺していい」という主張を
撤回する結論に至ります。
>>92 反論もできるよ。ただ、基本的に誰も聞く耳を持たないだろうけどね。
まぁ、殺されてしまったら別の理由から反論できないわなw
>>92 「自分が殺されるのを嫌がらない人間」は他の人を殺して良いの?
95 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 18:36:17
人生 何してもいいのよ
この世に いけないことなんか 一つも無い
>>73 >「人により時代により様々なんてことはない。」というのは、
>「現実」が「人により時代により様々なんてことはない。」からなのではないでしょうか?
その通りです。まだまだ人間は、人類誕生以来人間としての生身の性質を越える事はできていません。
あなたがどういった「パラダイムシフト」を前提として話しているのかわかりませんが、
まやかしの想像の世界だけは膨らんでいっても、「思おうとしても思えない」ことは、人間の「現実」から消えてなくなりません。
それは人間は「感覚」の中でしか生きていけないからです。そのような人間に突きつけられた「現実」というものは古来より変わっていないと思います。
しばしば想像や観念の世界を前提とする「認識」の問題よりも、現実的な「感覚」の問題のほうが、
人類史の中では人間をより限定した存在として理解させてくれていると思います。
「感覚」がなければ、人間は外界との接点を持ちえません。道徳も宗教もすべてもって生まれた「感覚」に則してしるものだと考えます。
先天的という言葉を用いたのはそのためです。
自分が殺されるのが嫌なら相手も殺してはいけないとか、
社会的に殺してはいけないとか、人間的に殺してはいけないとか、
道徳的な理由以外に人を殺してはいけない理由はないものかね。
神や仏陀が殺すなと命令しているから。という理由はある。
客観的に考えるに値するのか。
憎いので、謀略を使うことがある。すっきりし爽快だね。
だけど、卑劣なことをされたら、彼はどうなのってことだ。
こんなものは役職で充分なんじゃないかな。
100 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 19:05:40
100取れなくなっちゃうからね。殺すと♪
101 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 21:58:19
>>96 「思おうとしても思えない」の直近の原因は人間の感覚かもしれませんが、
そのような感覚を備えるに至ったのは、
現実(外界)への適応の長い歴史の結果なわけでしょう。
そういう意味で、「思おうとしても思えない」における、
「人間の感覚」というのは中間的な事柄でしかなく、そのような性質を人間に獲得させるに至った、
それまでの外界の現実(物理法則とか、そういったもの)(による淘汰)が、
根本なのではないでしょうか。
>あなたがどういった「パラダイムシフト」を前提として話しているのかわかりませんが、
例えば、種痘をはじめとする医療行為ですね。
先天的な感覚では、そうった行為をすべきだとは
「思おうとしても思えな」かったわけですが、
病気を防げる、病気が治る、といった現実によって、
先天的な「感覚」を克服する必要が生じ、医療行為は、
すべきことだと「思える」ようになっているわけです。
>>101 >「思おうとしても思えない」の直近の原因は人間の感覚かもしれませんが、
>そのような感覚を備えるに至ったのは、
>現実(外界)への適応の長い歴史の結果なわけでしょう。
現実への適応の長い歴史を経てきた結果、感覚が備わった、というご意見でしょうが、
70で言っていることは、「感覚」は人類史以前からあった、というレベルでの話です。
人類ゆえに「感覚」はあったのだろうという話です。
そういう意味で
>>70での「先天的」の意味をくんで下さい、という事を73で説明をしただけです。
例えば、皮膚に物が触れれば物だと感じるわけで、だからこそ木の実を掴む事ができるのだと思います。
このように物理法則以前の、プリミティブなレベルでの根本を述べただけです。
このことは、そういうものだ、と理解する以外にないでしょう。
強いてそれ以外の説明をするならば、木の実に触れたことによって皮膚に直結している神経細胞が刺激を受け、
その刺激が神経を通じて脳に「触れた」という「感覚」を与える。などと説明する以外にしようのない気がします。
73で言いたかった事はお分かりいただけたでしょうか?
「感覚獲得の経緯」とは「観念論」にも近しいものとなると思われますが、
あなたの言ってるこの事と、73の内容は別の話になると思います。
ゆえに101のように思われる根拠は何かあるんでしょう。よければ教えてください。
>「人間の感覚」というのは中間的な事柄でしかなく
というのには疑問があります。何と何との中間なんでしょうか?「感覚」自体が人間の「経験」や「記憶」を形成していく「実体」のような気がしていますが。
また、医療行為はずっと高度な人間理解の下に成り立っていると思います。
人間の数多き「感覚」の原理を「経験的に理解」してきた結果として成り立ってきたものだと思います。
キュリー夫人も野口英世も、自らの研究対象に命を奪われたわけですが、彼らには「経験」が足りなかった、と言えるわけです。
しかし彼ら以後の我々が、彼らの死を「経験」したことによって「理解」しえたことがあったわけで、
それが放射線と黄熱病による人間に与える影響という「知識」だったわけです。それは「感覚」とは別の「思う」なのかもしれません。
104 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 03:46:34
>>1 殺してはいけない理由が発見されれば人を殺せなくなってしまう。
いいんだよ。どんどん殺して。
みんなやってるよ。
君もどんどん、ころしちゃえ。
誰も、とめられないよ。
>>103 >現実への適応の長い歴史を経てきた結果、感覚が備わった、というご意見でしょうが、
>70で言っていることは、「感覚」は人類史以前からあった、というレベルでの話です。
>人類ゆえに「感覚」はあったのだろうという話です。
ええと、101 で言っている話は、その「感覚」は人類が人類になる以前からの、
長い自然淘汰の結果備わったのであろうという話です。
それゆえに、「人類ゆえの「感覚」」も、最終的には
(外界、自然淘汰の場としての)現実に由来するわけです。
そういったことから、「いけない」の源泉を考えた場合、
「人類ゆえの「感覚」」は中間的な存在でしかなく、究極的な源泉は、
「(外界、自然淘汰の場としての)現実」ではないのではないか、ということです。
>>103 >というのには疑問があります。何と何との中間なんでしょうか?
「現実(究極的源泉)」と、「その場その場の思い」の中間です。
あなたの言うように、人間には、「思おうとしても思えない」「感覚」が備わっており、
多くの場合、その感覚が、個々の人、場面における「いけない」という
その場での「思い」につながるわけですが、
その「思おうとしても思えない」「感覚」は、先に申し上げましたとおり、
(外界の)現実による自然淘汰の結果として獲得された性質なわけです。
例えば、生命の危機に繋がるような事柄の忌避を考えると、
「ある事柄により死ぬという現実」
↓
「その事柄を忌避する固体(群)の淘汰における生き残り」
↓
「種の分化(人類の誕生)」(種の性質としての忌避感覚の固定)
↓
「その種(人類)の個々の固体の個々の経験における「いけない」感覚の発生」
という流れがあるわけです。
>>103 >また、医療行為はずっと高度な人間理解の下に成り立っていると思います。
〜
>それが放射線と黄熱病による人間に与える影響という「知識」だったわけです。それは「感覚」とは別の「思う」なのかもしれません。
まあ、仮にそういった「思う」があなたのいう「感覚」とは別のものであったとしても、
重要なのは、それが、先天的な「感覚」に優先する(こともある)ということです。
そして、「先天的な「感覚」に優先」させうるよりどころは、
常に、「現実にそうなった」ということなわけです。
現実が「いけない」において感覚に優先する、感覚が中間的な存在であると私が主張する所以です。
109 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 18:41:00
むじんくん、来ていません?
>>106-108 >>現実への適応の長い歴史を経てきた結果、感覚が備わった、というご意見でしょうが、
>>70で言っていることは、「感覚」は人類史以前からあった、というレベルでの話です。
>>人類ゆえに「感覚」はあったのだろうという話です。
>ええと、101 で言っている話は、その「感覚」は人類が人類になる以前からの、
>長い自然淘汰の結果備わったのであろうという話です。
ですから、103は、101で言ってることに関して述べたのではなく、70で述べたことを説明しただけですよ。
まあ103では、101の理解はできてなかったようですがね。しかしあなたの考え方は106〜108でわかりました。
ただ、意見を交している主題は、お互いに異なっているような気もします。水掛け論の様相です。
路線を変更して、あなたの論に則して疑問をぶつけましょう。
>(外界の)現実による自然淘汰の結果として獲得された性質なわけです。
というのは、あなたの考えの根幹にあるようで、しかもこの理解があなたの論の前提となっているようです。そして
>「感覚」は人類が人類になる以前からの、
>長い自然淘汰の結果備わったのであろうという話です。
と、言うのであれば、その疑問は次のことに尽きます。
人類であるあなたは、人類誕生以前の事をどういった根拠に基づいてこうであると断じえたのか?ということです。
>>110 >ですから、103は、101で言ってることに関して述べたのではなく、70で述べたことを説明しただけですよ。
ええと、それで、私がどうすることを望んでいらっしゃるのでしょうか?
>人類であるあなたは、人類誕生以前の事をどういった根拠に基づいてこうであると断じえたのか?ということです。
究極的には、人類である(神ならざる)私には、それを「断ずる」(100%正確な事実を知る)ことはできませんね。
そういう意味では、単に「より蓋然性の高い、より合理的な」(そうであろうと私の考える)推測を示しているに過ぎません。
これは、私のその発言に限らず、(あなたの発言を含む)人間が人間自身について述べる大部分の論述
についていえることだと思いますが。
すくなくとも、「人間の感覚」と(外界の)「現実」について、(外界の)「現実」が先んじて存在したであろうと考えるほうが、
その逆の考えよりも、合理的で蓋然性が高いであろうということです。
>>98 宗教って道徳のみなもとだってどっかの心理学者が言ってた。
根はつながってるのかもね。
「人を殺してはいけない」とみんながみんな
勝手に思っているだけと言う可能性は無い?
他の人が「人を殺してはいけない」と思ってるから
自分も「人を殺してはいけない」←これを、
「人を殺してはいけない」と思っている人全員が思っている。
これだったら「人を殺してはいけない」
と言う理由は元々無い事にならないかな?
でもこれだと一番最初に「人を殺してはいけない」と言った人が必要だし、
なぜそれが人々の間に広まったか謎だしね。そう簡単な物でもないか。
>>111 >ええと、それで、私がどうすることを望んでいらっしゃるのでしょうか?
反論と言うような形をとるなら(>>とつけて、その箇所をもとに論弁するなら)、言ってる内容を理解していただきたかった。
お互いの主意が異なっていたようなので、反論というか、その状態では双方建設的な議論はできないということです。
>すくなくとも、「人間の感覚」と(外界の)「現実」について、(外界の)「現実」が先んじて存在したであろうと考えるほうが、
>その逆の考えよりも、合理的で蓋然性が高いであろうということです。
なぜですか?その理由こそ、あなたの考えを知る上では特に重要かと思います。
115 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 22:46:34
生きてなきゃ何も出来ないんだがなぁ。
その前提を他人に犯されるのは、困るんだよね。
116 :
考える名無しさん:2006/03/09(木) 23:25:21
自分のものでは無いから
>>114 >反論と言うような形をとるなら(>>とつけて、その箇所をもとに論弁するなら)、言ってる内容を理解していただきたかった。
>お互いの主意が異なっていたようなので、反論というか、その状態では双方建設的な議論はできないということです。
どうも抽象的でよくわかりません。私に、何をしろ(何をすべき・すべきでなかった)
とおっしゃっているのでしょうか?
「言ってる内容を理解して」いるのであれば、私はどういう発言をすべき、
あるいは、どういう発言をすべきでなかったのでしょうか?
>なぜですか?その理由こそ、あなたの考えを知る上では特に重要かと思います。
あなたがそうお思いなら、
あなたの考えを私に伝えるために、あなたの考えの理由も説明しなければならない、
とはお考えにならないのでしょうか?
そもそも、あなたは、私の考えを知る必要があるということは、
私の考えを十分理解できていないということですよね?
それにもかかわらず、
>反論と言うような形をとるなら(>>とつけて、その箇所をもとに論弁するなら)、言ってる内容を理解していただきたかった。
>お互いの主意が異なっていたようなので、反論というか、その状態では双方建設的な議論はできないということです。
ということをなぜ断言できるのすか?
私の言っていることが十分理解できていないのであれば、まず、それを確認したうえで、
こういったことは言うべきなのではないでしょうか?
とりあえず、説明だけはします。
現在我々の知っている知識(科学知識)では、外界の現実が人間に先んじて存在した、
という予想を矛盾無く構築することは可能ですが(よく知られている生命誕生→自然淘汰→人類の発生というモデル)、
外界の現実に先んじて人間が存在したという前提でのシナリオを、
他の知識と矛盾しないように構築することは難しいからです。
118 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 13:18:34
>>17 言いたいことはよくわかるし、
きちんと勉強しているとも思うけど、
外界の現実に先んじて存在していたオレのような
人間から見ると、突込みがイマイチなんだよね。
もう少し視野を広げたほうがいいんじゃないかな。
119 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 17:06:02
>>117 >私に、何をしろ(何をすべき・すべきでなかった)とおっしゃっているのでしょうか?
ここまで言う必要はないと思いますが、要するに
建設的な議論をするつもりなら、相手の論旨に基づいて疑問を呈したり、返信をするべきだろうということです。
それまで、話していた内容は、双方ともに主題が異なっていたでしょう。だから自分の考えをあなたに伝えても、主題が異なるわけですので、お互いに水掛け論におちいる可能異性が出てきました。
だから自分の考え方をあなたに理解してもらって、あなたと自分との主題は違うということを認識してもらえれば、その件で建設的な議論ができるのかできないのかの判断がお互いともにつくでしょう。
そして、この現状を見ればお分かりのように、その議論は終わりましたよね。あなたの認識でははじめから話題は変わっていないのかもしれませんが。
一応「議論形式」ですので、主題が異なるということを表明することは必要かとも思い敢えて述べただけです。
しかしそれが却ってアダになり、説明不足だったのも手伝って、このような説明をするはめになっていますが…。
あなたにこう言うべきとか言うべきではないとか、特に要求することなんかはっきりいって無いです。ただ、違いを理解していただければ十分だと思います。
今はあなたの考えに則した議論をはじめようとしています。
>>117つづき
>私の考えを十分理解できていないということですよね?
>それにもかかわらず、(省略)
少なくとも、自分の考えは理解できていますから、あなたの考えは十分に理解できずとも、聞けばわかる部分も多分にあるわけで、双方の考えていることの主題が異なる、と言うことの判断がついたのです。
自分の考えていることはわかっていたので、そう断言できたのです。
ですから、「あなたの考えに則して出てきた疑問を述べましょう」のような断わりをいれてからその「質問」をはじめています。
したがってその段階ではまだ、あなたの考えに則して自分の反論をしたわけではありませんよ。
そういうことなんかよりも、
あなたもおっしゃっておられるように議論をするにあたり、まず必要なこと、つまり主題をお持ちの「あなたの考えを知るため」の質問を先のレスに書いたんですよ。
あなたの考え方を117で知れましたがやはりおもしろそうなので、
「外界」と「内界」とが前後して存在しているという、あなたの考えについて、もしよければもう少し詳しく聞かせてください。
外界と内界とが、同時存在的に発生しているとも考えられると思いますが?どうなんでしょうか?
人間は特別な存在ではなく、人間も自然の一部に過ぎない、といった考え方もあります。そういった考え方はどうやって覆せるのでしょうか?
123 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 20:21:50
>>121 >建設的な議論をするつもりなら、相手の論旨に基づいて疑問を呈したり、返信をするべきだろうということです。
いや、まったくそのとおりですね。
私のほうこそ、それをあなたに強く言いたい。
>それまで、話していた内容は、双方ともに主題が異なっていたでしょう。
>だから自分の考えをあなたに伝えても、主題が異なるわけですので、お互いに水掛け論におちいる可能異性が出てきました。
>だから自分の考え方をあなたに理解してもらって、あなたと自分との主題は違うということを認識してもらえれば、その件で建設的な議論ができるのかできないのかの判断がお互いともにつくでしょう。
あなたは、「主題が異なる」という、「あなたの結論」について、
私に何の説明もなく、自分ひとりで勝手に決め付けていますね。
私に反駁をまったく許さない態度で、「主題が異なってる」ことを前提に話を進めようとしています。
これでは私としても、理解のしようがありません。
本当にあなたが、「自分の考え方をあなたに理解してもらって、あなたと自分との主題は違うということを認識して」
もらいたいと思っているのなら、少なくとも、あなたの認識における「あなたの主題」と「私の主題」を示し、
その具体的な違いを説明すべきではないのですか?
それを行わずに、私の具体的な発言内容をなんら引用することなく、
「主題が異なる」という、「あなたの判断」(の結果)だけを示して、
私にそれを納得しろというのはずいぶん乱暴な議論とは思いませんか?
自分の立場に置き換えて考えてみてください、
あなた、議論している相手に、勝手にこんな決めつけをされて、納得できますか?
124 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/10(金) 20:23:58
外界と内界っていう二元論でいいのかな?
125 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 20:31:34
>>121 >そして、この現状を見ればお分かりのように、その議論は終わりましたよね。あなたの認識でははじめから話題は変わっていないのかもしれませんが。
あなたが、持ち出さなかった(存在を説明しなかった)
議論は始まってさえいませんね。
>一応「議論形式」ですので、主題が異なるということを表明することは必要かとも思い敢えて述べただけです。
本当に「主題が異なる」と表明しただけですね。
>しかしそれが却ってアダになり、説明不足だったのも手伝って、このような説明をするはめになっていますが…。
>あなたにこう言うべきとか言うべきではないとか、特に要求することなんかはっきりいって無いです。ただ、違いを理解していただければ十分だと思います。
ですから、抽象的でわからない、具体的に説明してくれ、と、
申し上げていますが。
あなた、違いがある、と言っているだけで、何も具体的なことを言ってません。
違いを理解させるのが目的なら、違いを示すべきでしょう。
>今はあなたの考えに則した議論をはじめようとしています。
それは、はい、そうですか、受容できる性質の提案ではありませんね。
それは非常に卑怯な論法です。
あなたは、なんの論理的な説明もすることなく、私の発言がそれまでの議論と、
「主題が異なっている」という「あなたの結論」を押し付けようとしています。
126 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 20:47:48
>>122 >少なくとも、自分の考えは理解できていますから、あなたの考えは十分に理解できずとも、聞けばわかる部分も多分にあるわけで、双方の考えていることの主題が異なる、と言うことの判断がついたのです。
少なくとも、その点については、あなたは私に説明すべきではないのですか?
なぜ、あな他一人で、「主題が異なる」と結論づけ、それを私に押し付けるのですか?
>自分の考えていることはわかっていたので、そう断言できたのです。
その違いを私に理解しろといいながら、具体的な説明をしないのはなぜですか?
>ですから、「あなたの考えに則して出てきた疑問を述べましょう」のような断わりをいれてからその「質問」をはじめています。
>>123 >したがってその段階ではまだ、あなたの考えに則して自分の反論をしたわけではありませんよ。
ええ、反論してませんね。
あなたは、あなたの結論を(主題が異なっている)を、自分一人で正しいと決めつけただけです。
>あなたもおっしゃっておられるように議論をするにあたり、まず必要なこと、つまり主題をお持ちの「あなたの考えを知るため」の質問を先のレスに書いたんですよ。
よくわかりません。この段階で、(あなたの主観において)あなたの「主題」と異なる、「私の主題」を知る必要があるのですか?
なぜ、それまでの「主題」で議論を続けないのですか?
>あなたの考え方を117で知れましたがやはりおもしろそうなので、
>「外界」と「内界」とが前後して存在しているという、あなたの考えについて、もしよければもう少し詳しく聞かせてください。
私は、私の理解できる範囲で必要と思えることは全てお話しました。
私は今のところ、あなたの「主題が異なる」という主張には納得していませんので、
これまでの議論との関係において、それを話す必要を説明して下さらない限り、
これ以上その点について説明する必要を認めません。(単なるスレ違いの議論になってしまうと考えますので。)
127 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 21:37:57
殺してもいいんですよ。
少なくとも 神はそれを許します。
人間社会のルールが許さないだけです。
すべての存在は この宇宙において 完全なる自由が保障される。
128 :
考える名無しさん:2006/03/10(金) 22:29:39
養老は直せないからと書いてたな
>>120 自分が殺されていいなら、殺していいのか?となるよ
129 :
120:2006/03/10(金) 23:22:55
いやな事を書くようですが、その通りです。
自分の生命を尊重しない人は他人の命も尊重しません。
まずは自分の命を大事にする所から始めれば、
他人の命を奪うことも難しくなると思います。
130 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 02:09:00
>>127それは
>>1の掲げる論点じゃないよ、最初はわたしもそう考えたけど。
わたしの考えは「殺されたくない人が大多数いるから。」
生き残りの競争が始まったら殺しあうとおもうけどね。
>>128 ちょっと質問。直せない=復元できないから殺人を悪とするならば
復元する量の多寡によって命の価値は変わるのか?
例えば80歳の人間と3歳の人間を殺した場合、
80歳のほうが3歳より73年余分に失ったわけだから罪が重いのだろうか?
3才のほうが可能性があるからねぇ。
言い方悪いけど、80歳ってピーク過ぎてるし。壊れかけた機械と新品みたいなもんじゃん。
まぁ過ぎ去った年月は復元できないわけだし、ここではそこで決めるとかは?
ちがうだろ
どんなにちゃんとした理由やその必要があって殺すとしても、
なおやっぱり「ひとは殺しちゃいかん」のだろ
「いかんけれどもこの場合は仕方ない」って話だろ
自分が話をずらしてること自体に気づくこともできんヤツラぞろいだな
さすが哲学板
これでこそ哲学
無能者・ダメ人間のあつまり
こうでなくては哲学なんぞ出来ん
だろ?
134 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 18:54:46
>>133 正当防衛も否定かよ
殺されるだけの人生。。。。。。。。。
お、きた、哲学者!
だれが正当防衛を否定した? どこで? あ?
また、正当防衛をやる(やった)からといって、
「したがって殺人はやってよい」って話なのか? あ?
そもそも「正当防衛」てのはそういう行為、そういう話なのか?
自分が話をずらしてること自体に気づくこともできない。
まさに哲学者。やっぱりこの板はこれでなくっちゃな!w
この板の人が馬鹿なのは認めるよ。でも、この板の人は哲学者じゃないし、哲学してるわけでもない。
つまり哲学板の人は(ry
いや、議論がしたいのか、煽りたいだけなのか。
138 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 23:39:54
殺人とは何か? 「人を殺すこと」であり それ以外ではない
防衛殺人は殺人ではないのか? れっきとした殺人であり それ以外ではない
さて、殺人が「いけない」とすると防衛殺人が「いけない」のは理の当然
防衛殺人が「いい」となると 前提を殺人は「いい」とおくしかない
「おまいらは理というものがまるでわかってない」
139 :
考える名無しさん:2006/03/11(土) 23:56:40
どうして人を殺してはいけないのかというと、それはおまいが人を殺せば、
殺された人が死ぬからなんだよ。分ったか?w
140 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 00:42:31
インターネットの時代に、研究室が隣かどうかなんて・・・分ったか?w
>>126 あなたはスレをよく読んでませんね?
>>70、>73、>96、>101、>103、
>>106-108、
>>110-111、>114、>117、
>>121-122、が我々の議論の軌跡だと思います。他にもあるかもしれませんが面倒なのでこの辺で。
この流れの中で、あなたには「主旨の違い」がわからないようなので、ご説明しましょう。
まず、極簡単に言えばあなたの言いたいこととは「人類の感覚は、人類誕生以前の環境によって身に得たもの」と言うことではないのですか?簡単に過ぎてはいるかもしれませんが、ちがいますか?
しかし70からの自分の主旨は、「道徳と先天的な感覚とは切り離せない」と言うことですよ。そういうことを言ってはいないですか?その後一貫して、「先天的」の説明をしていましたよ。
しかし「感覚」が「先天的なもの」と述べたことに対して、あなたにはこの点にこそ異論があったようなわけで{反論・返信}をされています、ですよね?
ただし「先天的」とは言っても、一体どこから「人類誕生以前」などという少し大げさ(?)な「先天的」の意味の「推論」がでてきたのでしょうか?
「人類誕生以前」などというような文言は、まず最初に書いた自分のスレにはありませんよね?「人類誕生以前」というのは、あなたがご自分の考えを述べるために、「推論だが」、ということで提示してきたものですよね。
では、そのような「推論」の「提示」は、前レスの論旨を踏まえた上での「推論」であり「提示」だったのですか?
単純に、あなたは粗探しのようなことをした結果、「「感覚」とは「先天的」なものなどではなく、「人類が人類となる過程で生得的に獲得してきたものだ」と言っていただけではないのですか? 違いますか?
粗探し的なものではなくとも、少なくともそれで論旨を踏まえた上での建設的な議論となると言えるでしょうか?なりえませんよね。主旨が違いますよね?
確認しますが、自分の主旨とは「道徳とは現在の生身の人間が生れた時から持っている(先天的な)感覚である」ということですから、「人類が人類となる過程においての「感覚」の獲得方法」などを論じていないということは、なんとなくでもわからないでしょうか。
だから、「水掛け論の様相だ」と述べ、「話題転換」と称して、あなたの「その考え」を聞こうとしていたのですよ。
つづき
「先天」というのは、試みに辞書でも引いて下さい。恐らく「認識論上、経験に先行し、しかも経験の基礎となる」というような意味が書かれていると思います。
あるいは、「生まれ出る前から身につけている」こと、などとあるかもしれません。これは単純に「感覚」と考えていいのではないですか?
もしかしたら「感覚」についても誤解しているかもしれないので極簡略に説明しときますと、
視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚の事を「感覚」といいまして、目、耳、肌、鼻、舌でとらえた外界の刺激が、脳に達しておこる意識のことですよ。
こんな説明ではわからないかもしれませんが、ぼたんの掛け違いはありませんでしたか。
すべては70の
>道徳ってのは後天的に身につけるものではなくて、食性眠と同様、先天的な部分が少なからずある。
この部分からはじまったことだろうと思います。
しかしいきなり、「先天的な部分と言うところは違う。それもあくまで後天的に形成されたもの」だ、
と言われても、その根拠が「人類以前」の話という「推論」なのだとすれば(推論に過ぎないだろう事は誰にでも推察できることです)、
厳密に言わずとも、やはりそれだけでは
>道徳ってのは後天的に身につけるものではなくて、食性眠と同様、先天的な部分が少なからずある。
の建設的な反論、返答足りえないでしょう。
ここであなたの「推論」の根拠が提示される必要が出てきませんか?だから質問したまでです。
「推論」の明確な根拠が提示されないのであれば、70のその箇所からはじまった議論では、とても「建設的な議論」とはなりえないでしょう。
話題転換を行なったのは、あなたの「推論」についてを聞くためです。あなたは議論の中で、ご自分の発言がどのような意味をもってくるのか、ご自分自身でよく把握できていなかったようですね。
>>141 >「道徳と先天的な感覚とは切り離せない」と言うことですよ。
そのことと、
>>70 がレス先にしている、
> 66、
>>36、
>>38の言いたいことはよくわかる。
までの議論とは、どんな関係があるのですか?
私は、
>>73 の段階で、
>「思おうとしても思えな」い、ことの由来を、(人間の持つ)先天的な部分に求めてしまうと、
と言っていますが?
つまり、「思おうとしても思えな」いことが、先天的な感覚に由来するかどうか、という問題として、
最初の問題提起はなされています。
「道徳」という言葉は使っていません。
>>96 を読む限り、あなたもそれを理解していらっしゃったと思うのですが?
145 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 21:00:27
>>138 >>145 ええと、なんど論破されても理解できないようだが・・・。
「止むを得ない」と「いい」はイコールでは無いということ。
正当防衛には、「自己の生命を守るため」という「例外条件」がつく。
このような「例外条件」が必要となるということが「いけない」ということ。
本当にいけなくない、のなら、「例外条件」はいらない。
話題につまったらメタを考えるべし。
どうして「どうして人を殺してはいけないのか」という問いの答えがすんなり浮かばないのか?
それは「人を殺してはいけない」という命題が倫理の中でも最上級だからである。
なぜ最上級の命題だと答えが浮かばないのか?一般的、抽象的、基本的な命題ほど理由が不明だからである。
なぜ不明なのか?内包が少ないからである。
A→Bが成り立つとき、AがBを含む。例えば人を殺してはいけない=A、味野素子を殺してはいけない=Bとした場合、Aが成り立てばBも成り立つがその逆が成り立つかどうかは不明である。
これはBよりもAのほうが条件、限定が少ないから(多数いる人間のうちの味野素子という人)である。
条件が少ないとは内包が少ないことであるが、内包が少ないと論ずる手がかりも少ない。
シルエット伯爵の影だけの肖像画について論じてください、といわれたとしよう。
普通の肖像画は「似てるなー」とか「この服は○○の様式ですねー」、「美化されているなー」とか話を切り出すことができるが
影だけだと「輪郭のとりかたが凝っている」とか、「影の色あいがよい」とか、
直感的に普通の画に比べて話題が少ないと思われる。
人を殺してはいけないという命題は倫理の基礎であるから(←これに異論はないと思われる)一般的なものであり、内包も少ない。
さて、内包が少ないと議論しづらいということだが、
そうするとえてして一般的、抽象的である重要なもの(=論ずべきもの)ほど議論しづらいことになり、大きな問題である。どうすればいいか?これが解決すればこのスレも賑わうと思われる。
148 :
考える名無しさん:2006/03/12(日) 22:20:26
>>146 ロンパールームじゃね〜んだよ、ここはw
防衛殺人は殺人じゃないのか?←「れっきとした殺人」だろが
事実の一つも認めきれないくせにゴニョゴニョ言ってんじゃね〜よw
>>148 逆切れですか?みっともないですね。
防衛殺人は殺人ですよ?だれがどこでそれを否定しましたか?
発言された内容には反論できないから、捏造ですか?
いやいや、そもそもココはどうみてもロンパールームだろ
正当防衛での殺人が、「ひとを殺すのはイイことだ」と考えて行われるもんだ
としか想像できないこの純粋素朴ぶり。
この純朴なココロはまさにロンパールームの特徴だ。
もっとも、いまどきの実際の幼稚園児はもっと人間や社会を理解している可能性があるが。w
死刑執行官だって「ひとを殺すのはイイことだ」なんて思ってるわけがない。
しかし、こんなことは議論の余地のない常識以前……いや常識未満にすぎないのだが、
このロンパールームのヒトビトには議論の余地がある。その理由はここが「ロンパールームだから」。
愛娘を残虐に殺された親が復讐心から確信犯で憎悪の対象を殺す場合ですら、
だからといってその犯人(親)が「ひとを殺すのはイイことだ」なんて思ってるわけがない。
これだって議論の余地なんてない、このロンパールームの連中のほかは。
正当防衛での殺人だろうと、死刑だろうと、娘のアダ討ち殺人だろうと、
これらは全部、ひとつ残らず、まぎれもない 「 殺 人 」 であり、
そのほかではまったく絶対にありえない。
みんな、もれなく、まごうかたなく 殺 人 である。
そして、これらのどれひとつとして、例外なく、すべて、もれなく、みんな、
「ひとを殺すのはイイことだ」という考えで実行されているのではまったく絶対にありえないものばかりである。
これが、ロンパールームの外での常識未満にすぎない考えだ。
151 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 10:16:42
良い、悪い。 −−−倫理
許される、許されない。−−−法律
ここにどうして、こんな解釈をする人がいるのか。
哲学的に「いけない」とは禁止のことじゃないの?
殺人とは絶対的に禁止されていることなのかどうかを問うスレじゃないの?
>>147 それなら、「○○を殺してはいけない」という(より内包が少ない)
命題と比較したらどうでしょうか。
「○○=人」である場合にこの命題が成立し(するかどうかは議論あり)、
そうでない場合にこの命題が成立しないとすると、考えるヒントには
なるでしょう。
153 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 13:18:07
>>149 「殺人はいけない」が成立してるなら「(防衛)殺人はいけない」となるだろ
「(防衛)殺人は許される」を包むには「殺人は許される」が大風呂敷として
必要になるのがわからんの?
>>153 うん、そんな気の狂った論理はわからん。
殺人に限らず、「やっていけない」ことの大多数には、例外がある。
パトカーや救急車が信号を無視できるからといって、
「信号を無視していい」としなきゃならん理由は無い。
刑法の緊急避難の条文を百回読み返せといいたい。
155 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 18:44:51
>>154 「殺人はいけない」が「命題として成立してない」こと・・よくわかりますた
あなたの言ってることはそういうことなんですよw
>>155 君が「命題」という言葉の意味を知らないことだけはよくわかった。
157 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 18:55:59
これも例外
↓
∧_∧
( ´∀`)< ぬるぽ
158 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 19:19:54
>>156 横やりですけど、どうして人を殺してはいけないのですか?というのは「命題」じゃなくてなんて言うの?教えてください。
159 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 20:05:43
>>158 あなたは、なぜそれを、「命題じゃない」と主張するのですか?
そして、その(あなたオリジナルの主張の)理由をなぜ、私に聞くのですか?
161 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 20:39:32
>>159 命題のようですね。だったらべつにそれでいいんです。
(´д)(´д`)(д`)ヒソヒソ
>>153 >「(防衛)殺人は許される」を包むには「殺人は許される」が大風呂敷として
>必要になるのがわからんの?
そりゃどう考えたってばかばかしいぞ。
「すべての殺人が許されないわけではない」から、
「すべての殺人は許される」が導けるわけないじゃないか。
164 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 22:43:59
>>163 「殺人は許される」という貴重なご意見、たしかに承りました。
このバカに何を言っても無駄。
風邪引いて特別に缶詰みかん食わせてもらってる兄弟を見て、
自分にも食わせろと駄々こねる子供と同じ。
166 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 22:52:58
ブタを殺して食べてはいけませんか?
人を殺して食べてはいけませんか?
167 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 23:01:50
殺したら 食べないといけませんね。
人は人を食べもしないのに 殺しますからね。
それは とっても良くないことですね。
人を殺して食べるやつがいたら、どう思う?
(´д)(´д`)(д`)ヒソヒソ
170 :
考える名無しさん:2006/03/13(月) 23:35:02
>>165 正当防衛といえども「殺人は殺人」許されるものではないという意見、承りました!
猫に念仏
172 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 00:41:08
だって自分が殺されたら嫌じゃん。
自分がされて嫌な事しちゃだめだよ。
173 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 10:30:58
>>1 自分だけがそう思っていると思わない方がいいね。
それは誰しもが通る登竜門的な思想だ。
誰しも考えている事。ただ、口に出さないだけだ。
君に存在価値はあるか?そして、その根拠とはなんだ?
174 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 14:32:35
A,己の欲せざるところ人に施すことなかれ
↑大抵の人は殺害を嫌がるのでこれですむのだが、問題は
「殺されてもいいと思っている人」と「殺してもいいと思っている人」をどうするかだな。
問1、「うちは殺人上等じゃけん、人を殺すじょー」という人(加害肯定者)の殺人は認められるか?
答、Aを「他人がして欲しくないと思うことはするな」という意味であると解釈すれば防げる。
問2、「殺してくれー」と叫ぶ自殺志願者(被害肯定者)を殺すのは認められるか?
答、大抵の人は自分は殺されたくないのでAにもとづいて他人も殺さない。
問3、問1の加害肯定者が問2の被害肯定者を殺すのは認められるか?
答、否定派は合意の上で殺人を行うのを認めるのを欲しないので肯定派の殺人も認めない。よって殺人は認められない。
問4、なぜ否定派の意見が通るのか?
答、・・・・
↑ここが問題。「殺す」と「殺さない」の「殺さない」ほうが優先されるのはなぜか?
殺人が行われても何ら咎められる(世間の圧力や良心の呵責)ことがない、ということ。
定義なんて筆のすべり具合ですから気にせんでつかーせ。
カフカの『異邦人』読んでみれば?お前の様なヤツが主人公だぞ?
178 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 18:06:31
麻原を殺してはいけない。
宅間を殺してはいけない。
宮崎を殺してはいけない。
私にはこれが正しいことだとは とても思えません。
179 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 18:11:55
彼らは人ではない のでしょうか。
何で、死刑制度があるのに、正しくないのかね。制度に適っているので、正しいだろ。
正しくないのだから、不正を働きたくて仕様が無いといってのだろうね。
それとも、
正義でなくて、善とかでもって死刑だと考えている。
死刑制度をなんとかしたい。
被告の心のあり方をなんとかした。
それとも、
告白すると、自分でも複雑でよくわかってない。
181 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 18:15:51
何でもいいけれど何かが、自分が含まれていることが否定であるとすると、
それに飲まれて、否定的なことにおいて、正しいだ、正しくないだ考えるんだ。
すると、今回限りの特別法を立てたりする。
つまり、彼の間違いは、
否定的なことにおいて、
正義を考え、
特別法を立法し、
個別的なことを判断する、
ってことなんだ。
この特別法でもって、誰がいいだ悪いだ言ってる。まあ、馬鹿かなと。
意味が無いね。精々、お使いくらいかな。
183 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 18:29:09
184 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 19:07:30
自分や家族が殺されたくないから人を殺しちゃだめなんだろ。
185 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 19:08:01
人類には不要なDNAとみるのが普通
186 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 19:20:31
自分や家族が殺されたくないから(凶悪殺人鬼が襲ってきても)
人を殺しちゃだめなんだろ。
187 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 20:10:53
なんで当たり前の事をいちいちしちめんどくさく考えるのか。
そんなに哲学って高尚か?
素直に考えれば笑い飛ばしてハイ終わりみたいな事じゃん
そもそも「どうして人を殺してはいけないのですか?」の「いけない」とはどういう意味なのだろうか?
189 :
小さなヨハネ:2006/03/14(火) 20:39:04
人を殺してはいけないのは当たり前ですが(社会の秩序を守るための
死刑制度は別)、霊的な殺人も同様です。
それは故意に虚偽を語って人を真理から遠ざけ、誤謬を身に付けさせる
ことであり、それも殺人です。自分も霊的に死んでいますが人をも殺す
ことになります。
当たり前、
なるほど、皆が判っていることですから、当然でしょう。
いまこそ、皆の前に引きずり出して、よく判らせてやるがいいのです。
なんですか。
>そもそも「どうして人を殺してはいけないのですか?」の「いけない」とはどういう意味なのだろうか?
用語の議論を行うならば「殺す」とはどういう意味なのだろうか?
「人」とはどういう意味なのだろうか?「?」の表すものはなんだろうか?と
対象がいくらでも存在するのにどうして「いけない」を論じようとするのか?
「いけない」の部分が重要であると分かっているからだろう?
その時点で用語の意味が分かっているようなものではないか?
その部分の意味が分かっていないのならば重要であるかどうかさえ分からないはずだ。
192 :
小さなヨハネ:2006/03/14(火) 20:49:54
>>191 嘘をついてはいけないのいけないと同義です。正義に反する悪であり、
人間はそれをしてはいけないという意味です。
193 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 20:54:37
194 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 21:11:33
195 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 21:12:51
>>192 それは嘘です。死刑が正義に反する悪だというならば、
国が悪に染まっていることになるからです。
倫理、法よりも上の禁止事項と捉えるべきです。
宅間(という「人でなし」の人 )を既に殺したことは、
倫理的にも法律的にも容認されることだからです。
それは言いすぎだ、国の全ては死刑制度であるのか。
そんな訳がない、だから、或る制度が悪いといっている。
悪いものはあると考えないのかね。
何を基準に善悪を決めてるんだ。
198 :
小さなヨハネ:2006/03/14(火) 21:21:13
>>195 ?死刑は正義に反しません。私は死刑制度に賛成です。
199 :
小さなヨハネ:2006/03/14(火) 21:24:44
>>197 十戒です。また、十戒を一言で言えば、自分が人からして欲しくないこと
を人にするなということです。それを「秩序の法則」と言います。
200 :
小さなヨハネ:2006/03/14(火) 21:27:08
基準は死刑制度
202 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 21:28:27
キリスト教徒は 正義?をふりかざして 殺戮をおこなうのが好き。
203 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 21:30:24
>>199 それは嘘です。
なぜなら姦淫して欲しい人もいるからです。
>>201 死刑やらなんやら含めてなんだけど法律って言うのは、
「自分が損したのに相手が損しないのはおかしい」
て言う復讐精神が少なからず入っているよね。
法律を基準として考えるのは危険じゃないのかな?
いけない
はそれをしないという状況をあたかも自然のように強制することじゃないの
人が自然に生きていくために人が作り出した
206 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 00:11:22
人の心が和らげば此善也
人の心が乱れれば此悪也
もっと長い眼で地球を外から見てみよう。
死刑が存置されている間は、死刑廃止論が声高に叫ばれる。
死刑廃止論が勝ち、死刑が廃止されると、また死刑復活論が声高に叫ばれる。
さらに死刑復活論が勝ち、死刑が復活されると、また死刑廃止論が声高に叫ばれる。
さらにさらに死刑廃止論が勝ち、死刑が廃止されると、また死刑復活論が声高に叫ばれる。
以下無限ループ。このサイクル、およそ300年〜500年。
我々はちょうど、死刑存置の日本という国にたまたま出くわして、
たかだか100年の人生を生きている。それだけの話ではなかろうか?
ある命題の論理的妥当性と世論の周期性は別の問題でしょ。
209 :
ソラ:2006/03/15(水) 16:29:34
>>1 人には憎悪や快楽、哀しみもあるが人情が有る。
憎悪、快楽などによって殺したい。
哀しみなどによって死にたい。
「それでも人には人情が有る」
人情が無いか無くすならいけない事はない。
人情が有るならいけない。
210 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 17:30:52
だんだんレスが
くたびれてきたな
「権力を否定するから」だといってみる。
公然と殺人が行われるようになった場合、実際に殺せる人間は腕力のある人間(肉体的強者)か位のある人間(社会的強者)なわけだ。で、人民は権力者の横暴を嫌がるから殺人も否定する。
ではなぜ権力者の横暴を拒否するのか?という問題だが、
それは「秩序を求めるから」となって結局「社会を保つため」に行き着く。
212 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 21:37:06
イデアを追いかけるからでいいじゃん
三角形が存在しないように、人を殺してはいけない世界も存在しない
だが、人は何故か人を殺してはいけない世界が本来的な世界だと知っている
だから、それの近似になるような世界を作ろうと努める
第一言明として、人を殺してはいけないは真であるにしないといけないのが
この論の盲点か・・・
それの真偽は止揚してとりあえず真に置くってのはダメ?
・昔殺し合いは無かった
・人を殺した場合ほとんどの場合にトラウマを伴うためほとんどの殺人者が後悔する
・後悔しない異常な趣味の人は文字どうり異常であり少数派である←これがどう生まれるのかは知らない
殺した場合本人に好ましくない変化がおきる→やりたくない→殺さないのが吉もっと言えば真
こんな感じかなぁ
214 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 22:00:12
地球にとって 人間は増え過ぎ。
良き地球のために 自然界に害の無い方法で 人間を減らしましょう
さあ、 みんな あかるい未来を信じて 殺しあいましょう。
215 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 22:17:49
「みんながいけないって言うから」ってみんなが思ってるから
目と目で通じ合う、かすかに、ん、色っぽい
216 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 23:09:38
なんかさ、簡単な言葉で説明できる事をいちいち難しい表現使って説明しようとしてる
人たくさんいるみたいだけど、そんな必要あるの?
もっと子供にも分かるような表現でいくらでも説明できると思うんだけどね。
いちいち難しい言葉選んでややこしい言い回ししなきゃ哲学的じゃない、とか思ってる?
俺それは絶対違うと思うんだけど。
万人に理解できなきゃ学問の意味なくない?
万人に恩恵があれば、万人がわかる必要はないんじゃないの。
218 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 23:20:51
2ちゃんで 学問だってか
みんな ここで言葉遊びしてるだけよん
219 :
しゅらけーたい:2006/03/15(水) 23:47:35
人殺しオーケーの世の中になると
不当に得してる人達が不当に損してる人達に殺されるからだし
不当に損得が生じるような世の中を形成して競争意識を煽ったりすることで
今の水準の世の中が成り立ってるから。
つまり、今の世の中にそれなりに満足している人達は殺人反対ってこと。
220 :
しゅらけーたい:2006/03/15(水) 23:51:15
また、人殺ししたいけど、それをすると周囲とか家族に愛されなくなって拒絶されてしまうので
我慢をしている人達が居て、そういう我慢をしている人達が
人殺しの是非に対して強い関心を持っている場合が多い。
221 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 23:53:54
女王の教室SPを見たら分かるかもね
>31
難しいね。考えを改めさせられたよ。
223 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 12:10:11
>>219 そういう世の中だとどうなって行くんだろ…まずほとんどの人が武器を携帯して街あるくだろうね…
信用できる人だけで集まって団体や集落が出来上がっていってまたその中で新しいルールが作られていきそして他のグループと抗争が起き、また他のグループと同盟を組み……で結局は歴史は繰り返すでFA?
勉強しろ。
うるさい。しんどけ。
226 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 00:58:33
>>197 どういう行為をヒトが善(悪)と認識するかを考えればよい
【善】=集団(群れ)の維持にプラスとなる(と認識される)行為
【悪】=集団(群れ)の維持にマイナスとなる(と認識される)行為
ヒトのように、群れることによって生存確率を上げてきた生物にとっては、
群れを維持する為の本能を獲得している。その本能の表れとして、群れ
の秩序を乱す行為を【悪】というふうにネガティブな反応を示し、逆を【善】
とポジティブに捉える。この感情(回路)、価値基準こそが善悪の本質で、
生き残りのための強力なツール(戦略)となった。
227 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 01:41:09
軍隊でこんな質問したら、鉄拳制裁ものだな。
殺人はどこの国でも刑罰の対象にはなっているが、禁止はされてない。もし禁止に
なると誰も自己防衛すらできなくなるし、軍隊や警察すら持てなくなる。むしろそ
うした観点から見ると殺人とは人類にとってひとつの権利であると考えられる。
229 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 11:13:26
戦争を見てみろ 「たくさんの人殺し」をした者はヒーロー♪
「たくさんの人殺しをした国」は正義を名乗る♪
230 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 11:21:19
>>228 「刑罰の対象にはなっているが、禁止はされてない」だって?
じゃ、禁止されているものって何?
正当行為として違法性が阻却される場合があるだけだろ。
ああ禁止といって良いだろう
いけないというのは禁止であって、やれないという束縛を表すものではない
>>31 その例はおかしいんじゃないの。
>>23の説明もおかしい。
性質説と評価説を「頭のよさ」の例にあてはめるなら、
「頭のよさとは人の頭に内在する客観的性質だ」と考えるのが性質説で、
「頭のよさとは人の頭に対して他人が下す主観的な評価だ」と考えるのが評価説。
いずれにしろ、テストの点というのはその判断の一要素に過ぎない。
その人が客観的に「頭がよい」ことの結果としてテストの点が高いのだ、
と考えるのが性質説で、テストの点が高いことは「頭がよい」と評価され得る
要素の一つだ、と考えるのが評価説。
どちらにしても、自力で点を取ることが条件なので、カンニングで何点取ったって、
性質説でも評価説でも「頭がよい」ということになるはずがないよ。
「ずるがしこい」という意味で「頭がよい」と評価される可能性ならあるが。
>頭のよさとは人の頭に内在する客観的性質だ
これの意味が良く分からん
234 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 22:53:33
教えてあげる
どうして人を殺しちゃいけないか
235 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 23:01:59
236 :
考える名無しさん:2006/03/17(金) 23:10:09
命の尊さを知ること
人殺し認めたら自分が殺される確率があがっちゃうよ
238 :
阿呆:2006/03/18(土) 00:14:19
生物はみな自分の生きやすい世界を構築するようにできているのだよ。よって邪魔者は消していい訳だが他人にとってそいつが利用できる奴なら問題になるわけなのだよ。
人を殺してから言え
240 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 00:49:20
本当はボクだって戦いたくないんだぁ
241 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 01:23:49
結局、これは哲学的な問いでは無いんだよな。
制度から外れた殺人は容認されず、制度の維持のためには死刑は容認される場合があるし
規律の維持のためには、軍隊は敵を殺すし。
人間においては、制度や規律が生命より重要視されるのはよくあることで
「どうして人を殺してはいけないのですか?」なんてのは、間抜けな問いなんだよね。
基本的に、哲学が扱う問題じゃないでしょ。
242 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 07:05:49
人を殺していい、となると
あなたが殺されます。
殺していい、というひとを隔離してすませてみればよい。
あほ。
人類史は殺人の歴史といっても過言ではない。
そしてそれはこれからも続くであろう。
244 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 07:15:16
大宇宙では殺しは当たり前
人間界だけが殺しを禁止した
都合の良いときだけ
245 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 08:44:30
マジレスすると人殺しも動機次第で善にも悪にも成りうる
246 :
0canor:2006/03/18(土) 08:55:06
人の命は何故貴いのか。
人が根本的に持っている性質。
他の下等動物よりも明らかに価値を見出せる点がある。
それを以て万物の霊長とするならば否定はできない。
全ての生きる者にとって最も必要なものとは何か?
その貴さ故、人は人の命に特別な価値を見出す。
たとえ敵と見なした相手においてさえ、その性質への畏敬は払拭できはしない。
蚯蚓の命と人の命、どちらの命にも貴さはある。しかしその貴さは等価ではない。
命とは失われれば不可逆なもの、だから貴いのではない。
生きて為すことにこそ価値があるのだ。
貴いに何故と問うよりは何故貴いと思うのかの方が良いと思う。。。
貴いも恐らく説明できるのであって、辞書の意味とは異なる。
価値とかではなくあくまでそのことの意識があるのは人間だけなんだから
人間はミミズに興味が無く、別にミミズを殺すということが大したデメリットがあるわけではないのだ。
死骸を見るのが不快かもしれない。動く姿が見てられないのかも知れない。
そんな事だけだろう。それが嫌だからそれを避ける
その配慮が人間のミミズへの生の価値とでも言える物なのかな。
それ以前に其処には人を殺すという行為から植え付けられた「いけない」というものを
意識して殺さないのだろう。
人間を殺すという場合はもっとデメリットがある。殺した後のトラウマ、
これを大前提として出来た社会への不適合。自然な状態では人は人を殺そうとしない。
そこで殺そうとするのは不適合。自分の命もその社会不適合ゆえ危うくなる。
>その貴さ故、人は人の命に特別な価値を見出す。
これはトートロジーじゃないかな。貴さも特別な価値も変わらんだろう。
>>247 仮にメリットもデメリットも無い人間を殺さないのは何故か?
そんな境界にいる人間いるか?
メリットがあるのは「皆が居て欲しくない判断する殺人を犯した人間」を殺すことと考えます。
>>249 現実には存在しないからこそ、仮定して考えて頂きたいという事。
では、殺人犯の命には何らの価値も一切存在していないと考えられるだろうか?
251 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 11:54:55
アメリカでの面白い実験
マイナス何度かは忘れたが人の息の色を調べた
そうだ
怒っている人の息は
赤色
怯えや不安な時は
青色
殺人者の息の色は
茶褐色
これをモルモットに舐めさせたところ...
頓死したそうだ
252 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 12:56:07
世間は全てさかさまだ。
世論が政治を作るのではなく政治が世論を作る(政治)。
事件が報道されるのではなく報道されたものだけが事件となる(マスコミ)。
正しい法律だから従うのではなく法律だから正しい(法律)。
生きるために飯を食うのではなく飯を食うために生きる(生きがい)。
役所を動かすために税金があるのではなく税金を使うために役所がある(役所)。
必要だから物を買うのではなく物があるから欲しくなる(商売)。
国家を守るために戦うのではなく戦うために国家を讃える教育を行う(右翼愛国)。
失業者は仕事がないから働けないのではく(自分のせいで)働けないから仕事がないとみなされる(貧民)。
犯人が容疑者なのではなく容疑者が犯人にされる(冤罪)。
結婚して妊娠するのではなく妊娠のせいで結婚する(デキ婚)。
酒を飲むのではなく酒に飲まれる(酒乱)。
正しいことを望むのではなく望むことが正しいことにされる(選好功利主義)。
理由が分からないから「人を殺してはいけない」のであって、
「人を殺してはいけない」ことの理由が分からないのではない。
善悪が不明の行為は「悪」とみなす。これ善悪の内容に先立つ原理。
253 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 13:25:31
>>248 俺なら殺すが。
なんで殺さないって断言出来るんだ?
そんな状況は現実には存在しないのに
>>253 断言はしていない。殺すのは何故か、であっても構わない。
では、「現在」メリットもデメリットもない人間を殺すのは何故か?
それは貴方がその人間を未来においてデメリットとなると考えるからではないのか。
泥棒より恥ずかしい行為であると思う
256 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 17:23:26
理由が分からないから「人を殺してはいけない」のであって、
「人を殺してはいけない」ことの理由が分からないのではない。
よく分からんぞ
分けが分からない理由は分からないが、
分けが分からないということだけは分かっていると。
軍人が人を殺してしまうのですが、
何故、軍人が人を殺していいのでしょう。
>>256 見たことがないキノコが生えていて村の人が集まって食えるのかどうか考えていたら
村一番の食いしん坊の原へっ太が勝手に食べて死んだ。
これが食べられるキノコだったらどうなるのだろうか?
「危ないことをするな、死んだらどうする気だ」と言われる。
出来事には
1「善いことだとわかっていること」、2「悪いことだとわかっていること」
3、「善いか悪いか分かっていないこと」の三つがある。
3≠2であるが「3をすること」=2である。
火事になるかどうか分からなくても火遊びは悪いことだし
人をはねるかどうか分からなくても三輪車で暴走するのも悪いことだ。
悪い結果を引き起こす可能性のある行為もまた悪いことなのだ。
>>256 そして「人を殺してもいい」という文は3に含まれる。
「人を殺してもいい」という規則にのっとって行う行為=殺人
であるから、殺人は2に属するのだ。
261 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 21:21:29
人を殺すな!
人を殺したい奴は日本を出て行って傭兵になれ。
262 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 21:27:58
人を殺せ!
人を殺したくない奴は日本に来て自衛隊員になれ。
263 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 22:45:52
女王の教室で答え出た。
哲学板も哲学もイラネ
女王の教室の答え、
人間の感情入ってるじゃん。
「どうして人を殺してはいけないのですか?」
日本の中じゃ、裕福な家庭に育った三流ニート以下のクソ厨房がよく吐き出すタワゴトだな。
教えてやるよ。
簡単だ、自分の太ももをカッターナイフで思いっきり刺せばいい。
すぐにわかるさ。
266 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 00:03:33
若いねえ
まあ、話は横道にそれるけれども、
月・退だよね
「人を殺してはいけない理由」は「無い」
で、放置しとくと大変なんで法律があるんですわ
殺してもいいけど、その後の法の処置には従ってね
「なんで法律に従わなければならないのですか?」ってのは別スレで
てか板違いになるか
>放置しとくと大変
もう十分過ぎるほどの理由じゃないの。
いやいや
それが「大変」って思わない人がいるから「どうして?」って出てくるんでしょ
で、なぜ「大変」かが説明しづらい
どうせどんな理由並べたって「どうして?」ですから
で、めんどうくさいから「理由」云々でなくって「法律」で強制ってことになったんでないの
>>270 >なぜ「大変」かが説明しづらい
というか、要するにわかって無いんじゃないの?
272 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 03:08:31
>>271 いや、説明は簡単。平和が乱れるってこと。
難しく言えば、共同体がどうとかなるんだけどね。
273 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 03:20:41
274 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 03:37:13
「明日から殺人を解禁しようと思うんだ…」
___, - 、
/ _____) _|_ l l .__|_ __
. | | / ヽ || _| |/ | 。 。 。
|_| ┃ ┃ || (__ /| ノ
_|_ l l __|_ __ (/ ⊂⊃ ヽ) /  ̄ ̄ ̄ \
.. _| |/ | 。 。 。 ! \_/ ! ( ( (ヽ ヽ
(__ /| ノ ,\ _____ /、 | −、ヽ\ !
ゝ/  ̄ ̄ ̄ \ /. \/ ̄\/ .\ |0 |─ |__ /
/ _____ヽ | | _┌l⊂⊃l | | ┌ - ′ ) /
| | / ─ 、−、! | | / ∋ |__| | | ヽ U ヽ <
|__|─ | 。|。 | | /`, ──── 、 | | ` ─┐ h ̄
( U` ─ o−i ヽ / \ .ノ_ .j ̄ ̄ |
ヽ、 u┬─┬ノ / ̄ ./ U ヽ- 、\ /  ̄ ヽ\
// /ヽ─| | ♯| / i U | ..) ) \ i ./ |\\
| | / `i'lノ))┘/ , ─│ u !-l⊂⊃l┐__ヽ__/\ / | | |
| | |C |/ /| / ( (... .ヽ u /. |____|∈ __./ .| | |
|_|/ヽ、_/ ./ ` ─ /\ /ヽ  ̄ \-──| \|_|
| | |───/____i l=======l |_____ __\ |\ | |
|/ ヽ── |______\ l二|^|二二|^|二l 丿______ |_丿 \|
l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | | |. | | | | | | | |  ̄ ̄ ̄ l
| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄.| |────| |. | | | | | |.──────| | ̄ ̄ ̄| ̄|
275 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 05:02:27
>>265
んー・・・・・つまりアナタが言いたいのは
「自分がやられて嫌なことは人にしちゃだめだろ」ってことかな?
でもスレタイみたいな疑問を持つ人は
「別に他人がどんな目に遭おうが僕は何とも無いし、どうでもいいよ」って思う奴が大抵じゃないかな。
その意見じゃぁ質問者を説得できないと思う。
276 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 05:41:35
>>265 お前は自分を傷つけて悦ぶ人種がいることを知らないようだな
短絡的思考の産物乙。もっと考えろ
>>272 それじゃ説明にならんのじゃないか
「平和なんてどうでもいいじゃん」とか「共同体なんて(゚听)シラネ」
こんな疑問持つ奴はどうせそう言うわけでしょ
まあ「法」って言ったところで「法律(゚听)イラネ」って言うでしょうけど
そいつの思惑は放置ってことでいいでしょう
殺してもかまわないけど、そういう奴は法で処置される
法律の枠内で勝手にやってくださいと
法律ってそういうものでしょう
法律に疑問持ったって、そいつもその枠内で暮らしているんだし
278 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 11:25:47
>どうして人を殺してはいけないのですか?
俺のようなエスタブリッシュメントは、ルサンチマンな貧乏人の攻撃の
対象になりやすいから、ルールーで禁止しなければならない。
それなら権力を持っている俺が貧乏人を先制攻撃すればいいってか?
ノンノン
エスタブリッシュメントにとって貧乏人は貴重な労働力であり、攻撃対象
ではありえないのさ。
279 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 12:41:21
殺した後の処理が面倒くさいからさ!!!
殺さないなら、私の仕事でないなんていう奴なんだろ。
彼は殺人者の純粋な部分が受け継がれているんだね。
どうして人を殺してはいけないと問うのなら、どうして人を殺さないのですか?
何かの拍子に殺人者になり得る人の考え方
圧倒して殺す。負けて殺される。
我慢させる。自分を押し殺す。
みんなのために、犠牲にする。彼の為に、みんなが我慢する。
283 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 13:22:35
昨日の女王の教室思い出した
死ぬ時は苦しいから
誰にも生を奪う権利が無いから
それに放っておいても人は死ぬじゃない
ならわざわざ手を汚してまで殺すことなんかないね
284 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 14:49:12
君たちは俺様の大事な労働力だ。俺様の財産だ。
それをわかってほしい。
285 :
`:2006/03/19(日) 14:56:53
自分とか他の大切な人を殺されるのも困るけど
なんか人を殺した人が「人を殺した」ことばっか考えて、
または人を殺す人が「人を殺す」ことばっか考えて一生を終えるのは
もったいないと思います。生まれたらなにか残さないと。
消すことで人生費やすのはどーかと思います。
286 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 15:02:17
そもそも「死」とは現象でなく、概念です。
この概念は「人間」のみに可能であり、個人の尊重によって
可能になる概念です。
すんわち「死」には強度が存在する、ということです。
「この私」というとき、「死」は最高の強度をもち、
「集団の中の一人」のとき、いわば集団の新陳代謝の1作動として
「死」の強度は低下します。
他者を「殺す」ときに、それが殺すということであるときに、
それは、「このあなた」という、「死」は強い強度のもと
あります。
「このあなた」とは「この私」の反転であり、個人の尊重された
存在であり、殺すことは禁じられます。
すなわち「殺す」という概念には、すでに始めに「禁止」が
内在されているのです。
287 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 15:14:13
たとえば、結果的に他者を殺害したときに、
「殺す」という目的をどれほど持っていたのか、
ということはあると思います。
まず動物は「殺す」ことはありません。
そもそも「死」の概念がないので、
「他者を潰そう」ということはあっても、そこに「死」の目的性はありません。
人間の事件では、「殺意」というものが問題になりますが、
人間は動物のような「他者を潰そう」という純粋性は失われています。
「死」の概念を完全に排除することは不可能です。
「他者を潰そう」は「禁止」とともにあります。
288 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 15:20:55
なるべく「殺す」ことを、「死」の概念を忘却し、「他者を潰す」
この隠蔽のもとに、多くの「殺人」が行われているのでは
ないでしょうか。
たとえば戦争の目的は、殺人でしょうか。各自ミッションがあり、
そのために、障害を排除し、ミッションを成功させるのです。
必ずしも、他者を「殺す」ことが目的ではないのです。
それが多くの殺害を生むのは事後的な結果でしかない、のです。
「どうして人を殺してはいけないのですか?」ではなく、
「他者を潰す」によって、事後的に他者が死んでいた。
それが問題なのですね。
他者を潰すことは彼の外の出来事である。
先ず、動物は殺すことがない。つまり、動物は、他者を殺すことが外であるものでない。
人間は殺意が内である。
どうして動物が出て来たのでしょうか?
人間でないものに関することであるのか。
人間の殺意が内にあるというわけではない。
他者を潰す外のことから、死亡する外のことになった。これは我々の外の条件を表しています。
問題は内から外になることです。どういう内のことから、他者を潰す外のことになったのか。
人間の殺意が内にあるという訳ではない。つまり、彼は我を忘れていたということでしょうか。
彼じゃないんですね。
291 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 15:37:23
>>289 「死」、「殺す」ということの特性を見るときに、
「人間」としての人、「動物」としての人の
二面性、心身二元性を見る必要があるからです。
多くは「心」でしか語られていない。
292 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 15:44:34
再度、まとめると、「死」、「殺す」は、「心」=内部
にしかない。
しかし多くの殺人は、「身」=外部として行われるように
隠蔽される。「殺意」なき殺人のように、行われる。
戦争はまさにそうだ。
人間は動物ではないように、「殺意なき殺人」は存在しない。
殺人のより重要な問題は、「どうして人を殺してはいけないのですか?」が問われない、
殺人である、ということです。
例えば、軍人が殺人をしても、後ろ指をさされないのは命令があるからです。
すると、人間の殺意が内にある訳でないのです。
彼は軍人の命令に従っているのです。
どんな命令があったのでしょうか。
我々の外の条件に加えて、殺人をすることになった。
彼らが他の目的をもって行動しているところに、
殺人を加えることになった。
295 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 15:52:49
>>293 「殺意なき殺人」は存在しません。
ただ隠蔽されるだけです。
多くの軍人が退役後に苦しむのは、隠蔽された「殺意」が回帰する
からです。
296 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 16:23:35
何でこういうこと聞くとき他の犯罪は一切すっ飛ばすんだ。
んなこと言うなら
「何で幼女とエッチしちゃいけないの?」って問うよ。
>>296 >「何で幼女とエッチしちゃいけないの?」
別にしちゃいけない理由もない。
罰を受ける覚悟があるのなら、すればいい。
と俺なら答える。
,. - ─── - 、
/ , `ヽ.
/〃//,. ,ィl/|l ト、 !、 、 ヽ
ー'´| | l |1 | !l. l| ! | l.|ヽ ! !、 ', パパは
YレV!ヒエ「! |l.「_ト!Ll」| l l l ヒトコロシなの?
! lハイJ | ´|_jヽ. リ,! ! l. l |
|l |l.} ー , L _,ハl.lトl l. | l
|l ilト、 n '' ,1l|ィ| |l l |
_ 二,ニ^tュ--ェ_t1」l.|l !リ|_lノ
r7´ f r┐| 〔/ミヽ>,-、 ̄´
Y ー个‐'t ハ-、_'ゝ、
ヽ ._・ rく ̄ヽト-'丿 ヽ l
/ (・__,)ゝi┬'´ハ` '`|
|ヽ, イ ノ┴くヽヽ、 /
`´ ゝ┬ヘ`ヽ | `ー‐1
ゝノ-‐^ー'一''丶 ヽ ヽ
ト、_ `ーァ'¨不ヽ
| | 「 ̄「 ̄l ̄ト、,イトヒi′
l l. l l ! !└' l |
└ L 」_,|__l_l.__L.l′
| | | |
l l ! !
l l. l l
ト--┤ !--‐1
f‐t央j. ト央ァヘ
| 甘l、 / 甘 |
l ,.-‐ヽ レ'⌒ヽ/
`く.__ ノ ゝ--‐′
299 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 17:29:03
怖いのは、他国の戦争も含め、自分が殺人に加担していることに何の罪意識も持てない殺人者。
300 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 17:30:36
>299
それを言ったら、日本国民で、その罪から免れる人間を探すほうが難しいよ。
301 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 17:32:45
罰を受けるから〜
で済むなら殺人の是非に対する答えも同じでいいじゃん。
それで納得しないから問題なんじゃないのか。
つまり、「何で罰せられるの?」ってことだろ。
302 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 17:37:02
スーパーエゴ
これで解決
,. -─=─- 、.
,. ‐' ´ ,、 ,、 `丶、
/ ト、 / \/ ', /| \
/ | ``'' ''´ │ ヽ.
/ 、─‐┘ └─‐ァ ヽ
.l ヽ. 表 示 価 格 よ り , ' l.
.l ,. -' __ __ `丶、 l
l く <ヽ |│ ノ> r‐' └‐lニ,ニニ! / .!
| ヽ _ゝ>」 |_<∠, L =ニ! 」「 == | < |
l / └─┐i‐─┘<,、ゥ 〈 │==│ \ .!
l. `丶、 l二二 二二! r'_rュ.、> ! ==│ ,. -''´ .l
l. /´ |│ | lニl | _ヶtァt'_ ´、 /
ヽ /__ └' └' ̄ `ー'´`ー′', /
\ | ,、 ,、 「 ̄ ̄ /
\ レ '´ ヽ , へ / \| /
゙丶、 `' ゙‐' ,. ィ
` 'ー-=====-‐'' ´
304 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 17:41:47
殺人を認識している人間なら、まだ救われる。
大部分が自分も殺人者であることを認識していない。
自分が手をくだす、くださないか、のどちらが罪が重いか?
たとえ無知が動機であっても。
305 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 17:43:04
殺人者がいる。
殺人は悪である。
罰として死刑が執行される。
殺人者を殺人する。
死刑執行人は殺人者である。
罰の殺人は許されるなら、
最初の殺人に最もらしい理由があれば許されるのか。
306 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 17:49:33
>305
<死刑執行人は殺人者である。>
死刑執行人は直接手をくだすし、それが職業であることから免責。
殺人主体は、大量の自殺者と殺人者を排出している政治と経済。
307 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 17:51:11
>306
と、書いてみても、もちろん、それに関与することから自由になれるわけでは決してない。
政治と経済でないなら、殺人者でないんですね?
309 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 17:55:31
誰が殺しているかじゃなくて何で殺しちゃいけないかの話だろ。
310 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 17:58:43
>308
イラク民間人殺害、大量リストラによる自殺、耐震偽装、ホームレス殺人等々と、他者よりも多く貨幣を抱え込もうとする経済活動とが無縁でなければね。
311 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 18:02:19
何で殺しちゃいけないか、
には誰も答えられないわけね。
312 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 18:09:18
■「どうして人を殺してはいけないのですか?」
そもそも「死」とは現象でなく、概念です。この概念は「人間」のみに可能であり、個人の尊重によって
可能になる概念です。「死」には強度が存在する、ということです。「この私」というとき、「死」は最高の
強度をもち、「集団の中の一人」のとき、いわば集団の新陳代謝の1作動として「死」の強度は低下
します。
他者を「殺す」ときに、それが殺すということであるときに、それは、「このあなた」という、「死」は強い
強度のもとあります。「このあなた」とは「この私」の反転であり、個人の尊重された存在であり、
殺すことは禁じられます。すなわち「殺す」という概念には、すでに始めに「禁止」が内在されている
のです。
313 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 18:09:46
何で幼女とエッチしちゃいけないか、
にも誰も答えられないわけね。
314 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 18:10:04
動物は「殺す」ことはありません。そもそも「死」の概念がないので、「他者を潰そう」ということは
あっても、そこに「死」の目的性はありません。人間の事件では、「殺意」というものが問題になります
が、人間は動物のような「他者を潰そう」という純粋性は失われています。「死」の概念を完全に排除
することは不可能です。
「死」、「殺す」ということの特性を見るときに、「人間」としての人、「動物」としての人の二面性、
心身二元性を見る必要があります。「死」、「殺す」は、「心」=内部にしかない。しかし多くの殺人は、
「身」=外部として行われるように隠蔽される。「殺意」なき殺人のように、行われる。
たとえば戦争の目的は、殺人でしょうか。各自ミッションがあり、そのために、障害を排除し、ミッション
を成功させるのです。必ずしも、他者を「殺す」ことが目的ではないのです。それが多くの殺害を生む
のは事後的な結果でしかないのです。なるべく「殺す」ことを、「死」の概念を忘却し、「他者を潰す」
この隠蔽のもとに、多くの「殺人」が行われているのではないでしょうか。人間は動物ではないように、
「殺意なき殺人」は存在しない。ただ隠蔽されるだけです。多くの軍人が退役後に苦しむのは、隠蔽
された「殺意」が回帰するからです。
315 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 18:12:03
>何で幼女とエッチしちゃいけないか、
なぜ子供は「あのお星さんがほしい」というのか。
かわいいね。ぼくちゃん。
>>306 死刑執行人も殺人者だろうが。
事実を見ろ、事実を。
317 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 18:17:00
318 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 18:20:10
いけないというのは論理学の記号で表現する事は出来ない。
殺すことは「可能」だがそれを(しない」事を「強制」するのである。
ただ社会を保つ為である。荒れた社会よりは少なくとも生き易いと感じられるからだ。
それを億劫になって破るのが殺人
319 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 18:27:09
>>316 死刑執行動作の分散が行われていますね。
誰がスイッチを押したかわからないように、するなど。
320 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 18:31:36
理由もよく考えず規制規制できたツケとして
子供がこういう質問をするようになる。
大部分の犯罪について、
法律で決まってるからダメ、としか言えない大人が大半だろう。
321 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 18:36:03
>>320 こういう質問をしない子供こそが怖い。(笑)
322 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 18:44:50
答えられない大人が怖い
323 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 18:45:07
>>309 >>311 殺しをしちゃってるんだよ。
現に。
いい悪いの議論の前に。
傍観者気取りで、また〜りと、殺しがいい悪い、のレベルで論じる前に、自分の日常の経済活動一般を介し、もう殺しをしちゃってるし、し続けてるんだよ。
戦場や日常生活の中の殺人現場にいなくても、否応無く、認識のレベルを超えて、げんじょうと繋がっちゃってるんだよ。
これを認識していないことの愚かさを、自戒を込めて書いている。
324 :
死が死を見つめる時、生は命に死と生きる。:2006/03/19(日) 19:29:22
『死の説教者。』 残念ながら“死“は現象の域を超えては居ません。
何故、“死“があるのか?およそ、我々は人類学の始まりと伴に、常に知的好奇心を持ち込みました。
『肉体』と『精神』この、二つの二言論的に相対の中で成立する『人間』としての理性と野性の『器』から死の背後を操る『説教者』について話しましょうか? 【死の視察。】
var.1過ぎ【去った】事過ぎ【行く】事、概念から現象までのプロセスと認識の確認【ノエートンの影絵】
我々は魂より先に肉体が、先に朽ち果てます。
つまり『肉体』が判断と反応を過程により、判定を選んだ結果が“死”の選択権を『あなた自らの意志により受け入れた。』事が“死”を概念から現象へと変化する、一つの『相転移』とでも、置き換えられましょうか?
『感覚で見えない力。』の場の力学とでも、感覚で捉えて下さい。
思想的感覚で表すなら、 『ノエートン』と呼べば解りやすい人も、居るかと。 説明はプラトンに自分で聴け。
325 :
死が死を見つめる時、生は命に死と生きる。:2006/03/19(日) 19:31:12
『ノエートン』により偲惟を認識する光の範疇にまだこの場では“概念”の場に位置する“死”は『見られるもの。』つまり『ホラートン。』までには到りません。
此処から思考実験を比喩により進行して行きたいと、俺の勝手に進めます。
“私”は“あなた”が死ぬ事を『理解』してます。
これを『ノエートンの概念化。』とでも呼びましょうか?
つまり、思惑としての憶測から単一で一定の認識を、“在る”共通の思惟へ呼び起こす、言葉による概念化により圧縮された情報を取り出す、行為として意志と理解を読み取る事が可能な“基盤”へ移り行きました。
“私”は“あなた”が戦死した事を聴きました。
此処までに私が解る事は、彼が『戦場』で『戦争』に加わっていた事と、恐らく彼の精神が“死”を選び、受け入れたのではないかと言う、感覚に置ける憶測の一面にしか、認識が届きません。
未だこの場を支配の影響を与えるのは『ノエートンの概念化。』であり、今だ立体化して開けた理性では、認識の過程を確認は出来てはいません。
ポイント ※理性とは何処を『支配』する感覚か良く考えて見てください。
326 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 19:32:45
なんだこのみにくさは
発作
328 :
死が死を見つめる時、生は命に死と生きる。:2006/03/19(日) 19:38:01
【死の視察。】
var.2 見る事を意志する理解する事を意志する。 受け入れる事を意志する。 やはり“あなた”は“死”を選びました。
私は、まさか“あなた”の亡骸を一番近い未来から手を合わせ迎え様とは思いも選りませんでした。
意志は意識を取り戻す事を諦めるとは、思えず意志が肉体の通告により、意識を意志が取り戻す事を拒否しました。
“私”の“あなた”は今まさに“死”んじゃったのだ。
そしてこれから少し難解な思想論の深みを目指すが、解らなったら後で誰かに聴け。
此処で『概念』から『現象』へと“私”と言う“あなた”は創りあげなければ、“彼”の“死”を思惑の霧の中から思考の渦へと認識を移した事の確認を理解した事とした辻褄が、二つに別れません。
簡単に言うと、“死”は、何故“彼”を選んだのか?と言う一番近い未来から、彼は過ぎ去る事が容易には解釈出来ません。
329 :
死が死を見つめる時、生は命に死と生きる。:2006/03/19(日) 19:40:51
【死の視察。】 var.3思考実験2。会話辺。
俺「あなたは死んだのだ」
彼「イヤーやっぱ、勇次郎みたく素手で戦車には、勝てねーわ。マジ御免な?」
俺「・・・・・死んだら、治ったか?」
彼「飯を食らい、気を食らい、喜びを食らい、悲しみを食らい、愛を食らったのだ!!故に死も喰うに値する!」
俺「オ・オ・オーマイガッ!!何たる勘違い!勇次郎は素手で戦車と戦った事などなかろうに・・・・」
俺「しかも、色々食らった挙げ句、砲弾を食らって、死亡・・・実に哀れな生き様だった。」
彼「それは・・マ・マ・マジか?糞お!早まったぜ!地上最強の生物の一線を軽く、フライングしちまったぜ!・・・まぁしぁない。」
彼「で?俺が“死”んだ事は、どうやって理解しろと言いやがるんだ?」
俺「それは“あなた”の問題では無い。“死”とは対象者に起こる現象ではなく対象者との、関係の中で成立する、自然現象と環状の一部だと、言っておこうか。」 彼「俺、死んだら関係薄いじゃん!!まぁ良いか。したら又な!ツーーツーーープチ!」
330 :
死が死を見つめる時、生は命に死と生きる。:2006/03/19(日) 19:42:17
大きく反れてしまった。 しかも、余り効力が理解に繋がるとも思えない。 まぁ許せ。
まとめ。
※“死”と“生“を二言論性により媒体にし、その本質の一言論の義を命とした『開閉式の性質』であると理解できよう。
※2補足を加えると、表裏、陰陽、善悪といった『単一の資質が本来持つ複数の性質』の様なものだ。
※3“彼”の“死”を見せられた思惟だと理解しようと、するなら、およそ次の様な過程を踏まなければ成るまい。
※4第一工程、意志による“彼”の“生きた”を“死んだ”事に概念化された“死“から実態化された“死”に、創り上げなければならない。
※5第二工程、創り上げた“彼”の“死”を『すでに、こう在った。』事から『私がこう在った。』事にしたのだと受け入れなければ成らない。
【死の終点。】
var.4死は反応の結果である。
素晴らしく支離滅裂な深みを伴ったが、まぁ勘弁しろ。
結論から言う“死”は決して概念ではない、野性動物達でさえも、自然現象の環状の一部だと言う事を理解した上で“死”を選択する事を本能で回避しているのだ。
少し考えて欲しい、動物達が死を理解してはいないと推測した時に“あるパラドックス”が発生してしまうのだ。
サバンナを見渡した時に、必死で逃げる草食動物達、何故、彼等は肉食動物からああも必死に逃げるのか?
彼等が死を理解していないのなら、逃げる必要は無いのである。
331 :
死が死を見つめる時、生は命に死と生きる。:2006/03/19(日) 19:43:09
捕獲=死、草食動物を突き動かしている意志はおよそ生存が可能な力を欲する意志。
これだけで在る、又、在る鳥類は巣が襲われた時に傷ついた降りをして、外敵の注意を引き付ける行動を実行する。
もし、その鳥類が“死”を理解してはいないのなら、一体、何を賭けて幼子達の“死”を遠ざけ様としたのだろう。
此処を考えて欲しい。
『理性とは一切の過ぎ去った事を思考しているに過ぎない。』
真実とは恐らく理性の閉ざされて、本能が理性を支配して開かれた反応に未来を送り込むものだと、思えて止まない。
ポイント
※何故、人を殺しては成らないか?人を殺す事を許さなければならないからと、そして、人を殺す事がいけない事ではなく、自分が人を殺す事を認めて、実行を受け入れた時に作用・反作用が自己を滅ぼす、復讐と言う名の罰に自ら創り上げた事を認めねばなるまい。
“死”は生の後を追い掛けて来る影ではない、“死”は常に目の前に“在るものだ”。覚悟しな、、、。
332 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 19:53:54
“死”は生の後を追い掛けて来る影ではない、“死”は常に目の前に“在るものだ”
↑
ここだけわかった。
他は難しすぎてよくわからない。
333 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 20:05:32
■「どうして人を殺してはいけないのですか?」
「死」の心身二元性
「死」とは、概念です。この概念は「人間」のみに可能です。動物は「殺す」ことはありません。「死」の概
念がないので、「他者を潰そう」ということはあっても、そこに「死」への目的性はありません。
(「人間」の)「死」という概念は、「この私」という個人の尊重によって、生まれています。「この私」という
とき、「死」は最高の「強度」をもち、逆に「集団の中の一人」のとき、いわば身体を形成する1細胞という
集団の新陳代謝の1個体のように「死」の「強度」は低下します。
だから「殺す」=「他者を死へ至らしめる」ということは、「他者」とは「この私」の反転としての「このあな
た」であり、個人の尊重された存在であり、「殺す」という概念には、すでに始めに「禁止」が内在されて
いるのです。
このように「死」、「殺す」という言説を考えるとき、「人間」としての人、「動物」としての人の二面性、「心
身二元性」を見る必要があります。それは、「死」、「殺す」は、、「人間」としての人、「心」にしかないので
す。
334 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 20:06:28
「殺意なき殺人」は存在しない
人間の「殺人」事件では、「殺意」というものが問題になりますが、人間は動物のような「他者を潰そう」
だけという純粋性は失われています。人間から「死」の概念を完全に排除することは不可能です。しか
し多くの「殺人」は、「殺意なき殺人」のように、行われます。
たとえば戦争の目的は、「殺人」ではありません。各自ミッションがあり、そのために、障害を排除し、
ミッションを成功させるのです。それが多くの殺害を生むのは事後的な結果でしかないのです。
しかしこれは、なるべく「殺す」こと、「死」の概念を忘却し、「他者を潰して」いるだけだ、という隠蔽こと
です。この隠蔽のもとに、多くの「殺人」が行われているのではないでしょうか。人間には動物ではない
ように、「殺意なき殺人」は存在しません。多くの軍人が退役後に苦しむのは、隠蔽された「殺意」が回
帰するからです。
335 :
二チェ:2006/03/19(日) 20:18:10
【簡単な解決方】 はーい!皆さんきちんと死についてなんか解った事が在ったかな?解らなかったお友達の為に簡単に、説明してやるよ!!
“死”とは、その存在自体すでにそう在った事なのだ
我々が死を現象として理解した時には『逆向きの未来』へ、その対象者ごと“死”は一切に振り向かずに過ぎ去っているのだ。
まぁぶっちゃけ、どんなに意志が強くても過去を創り出す事は不可能なのだ。
だから、民間人と大衆は【過去】へ固執する、人の死も人の未来も。
嗚呼どうか!!幾人の兄弟達が理解してくれる事を、願いたい。
我々は未来によって償われる事を真剣に、考えてよれば?!って事よ!!
死んだ人を『私がこの様にぶっ飛ばした』事にして、過去を救いなさい。ってね。
はーい!皆さん解ったかな?解らなかったら誰かに聞けアホ!!それでは、マタタビ!!
336 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 20:43:39
>>334 戦場における敵を倒す、壊滅させるというミッション、または日常生活における殺人行為遂行中において、殺意はあるが、それは隠蔽される、と。
何故なら、死は概念であるから、と。
そうでしょうか?
自分の死は、「他者にとっての他者の死」ですが、他者の死は最初から無条件に他者の死ですよね。
そして、それらの死は、否定、反駁、論理否定/抹消不可能な「事実」ですよね。
死は、概念の範疇ではなく、「事実」であり、心身二元性に基づき、その強弱により分けられる、または一時的にせよ「隠蔽されるもの」でしょうか?
他者の首を締上げている、銃弾を撃っている、ナイフを突き刺している最中、は夢中であり、瞬間的に、判断力、理性とも停止状態となる、判断停止状態であるというレベルまでは理解できますが、
そこに至る行為の前段に遡及し、「殺意無き殺人」という「概念」を延長するのも、かなり無理があると思います。
もちろん、ここでは、出来心、愉快犯、及びスタブローギンやラスコーリニコフ等の文学上の価値などの「例外」はすべて捨象していますが。
即ち、<「殺す」という概念には、すでに始めに「禁止」が内在されている>というのは、殺人を概念として捉えるから成り立つのであって、それを「事実」であるとすると、ア・プリオリに成立する概念、認識とは離れることから、
殺人という行為には予め「禁止」が内包されている、という論は苦しいものと思います。
私見で結論を出すとすれば、「人を殺してはいけない」は、最初から偏りすぎ呼ばわりを覚悟で書きますが、「体制維持のための為政者による体制維持、安定化のためのア・ポステリオリな禁止条項」であると思います。
もちろん、この為政主体には宗教者も含めます。
337 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 20:48:56
>336
この「体制維持のための為政者による体制維持、安定化のためのア・ポステリオリな禁止条項」は、
たまたま、統治対象となる人間にとっても受け入れられないものではなかった。
そのシナジーが「人を殺してはいけない」という命題が、統治する-統治される側双方にとって、
所与の規範もどきのものになっていったものと思います。
338 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 20:54:58
>>337 そして、この規範は、「もどき」であるがゆえに、為政者側の方がこれを簡単に破り、大量殺戮を繰り返してきたのは歴史上の「事実」です。
339 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 20:57:38
>>336 ボクがいっていることと近いですね。
もう少し明確に書くと、ボクは、「死」は「ア・ポステリオリな禁止条項」である、と言っているのです。
ただそれは、体制維持のための為政者によるものではなく、「動物」でなく、「人間」であるために
根源的な「ア・ポステリオリな禁止条項」ということです。もっと簡単にいうと、「死」は言語であり、
インストールされた言語体系に内在している、ということです。
「規範」というのは論述の形式であって、
ほんとうに「規範」であるかどうか、
と、規範の妥当性は別の問題じゃないの。
341 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2006/03/19(日) 21:11:28
>340
だから、「もどき」。
342 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 21:31:19
ア・ポステリオリであるから、容易に改変可能であるという相対主義ではなく、
「死」の成立と「人間」の成立は、「根源的なア・ポステリオリ」としての
同じ次元にあると、ということです。
だから「体制維持のための為政者」による目先の言説ができるのは、隠蔽であって、
根本的な改変ではない、ということです。
343 :
ピカチュウさん、お元気ですか?下痢しろ。うそー!:2006/03/19(日) 21:32:25
【残念ピカチュウさん、もう一歩先を見て!!】
『死とは概念である。』
およそ、真実と言えよう。だが、逆向きに開かれた、真実へは持ち込めない。
『この宇宙の全ては、情報と言う、概念で在る。』
是は私の持論だ、さて、そんな事はどんな事?として『死は概念か?』およそ、此処を攻めて見よう!?
死とは概念である、ふむ、間違いはない、但、正しく無いと言えよう。
何故なら我々には『創造する意志が在るから。』だと言えよう。
我々がおよそ、進化と発展を見つめた時に『自然』を概念から一つの現象に捉えなくては成らぬのだ。
例1。アインシュタインに見る時間と空間と言う概念の時空と言う現象に捉えられた過程。
かなり複雑だが、かなり省略する。
まぁ簡単にぶっちゃけると『時間』と『空間』は伴に存在している『概念』だと言えよう、つまり相対する関係の中でしか存在出来ない現象なのだ。
344 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 21:38:53
>『時間』と『空間』は伴に存在している『概念』だ
『時間』と『空間』の存在論のレベルと、「死」という
認識論、言語論のレベルと混同してはいけません。
端的にいえば、『時間』認識と『空間』認識は、人間ほどでなくとも、
動物にもありますが、「死」の概念は人間にしか、ありません。
345 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 22:04:26
>>341 まったく論理がつながりませんが。
だから、なら、「「もどき」という言葉は使う必要が無い」でないと、
つながりません。
346 :
ピカチュウさん。お元気ですか?下痢しろ。うそー!:2006/03/19(日) 22:20:07
つまり『空間』が存在しない場所には『時間』と言う概念は存在出来ない、否、必要性の無い概念だと言えよう。
空間を移動する距離に対する速度が時間と言う概念を創り出しているのだ。
だが重要な箇所は此処では無い。
何故?アインシュタイン博士は空間と時間と言う概念を一つの『時空』と言う現象で在る事を発見出来たか?理屈は純粋に空間と時間をそれぞれ別の現象として、視察を行なったからだと言えよう。
つまり、概念とは思惑であり実在の思考(イデア論)へ移した時に余りに御粗末な思考しか、持ち込めないのである。
つまり、我々人類が“死”を何時までも概念で在るとするならば、我々は永遠に“死”の恐怖から抜け出せないので在る。
嗚呼!!叫ばして貰おう!我々は何時の日か、自らの“死”をも克服せねばなるまい。
その時には“死”は概念と言う実態の乏しい、性質ではなく、一つの自然現象で無くてはならない!!
何故なら我々の意志は我々の意志を克服する事を創造しなければ、ならないからだ。
それからピカチュウさん。『殺意の無い殺人は無い。』と言うが、在る。
それは『無関心と言う名の殺意による殺人だ。』
毎日砂漠で、どれ程の命が見捨てられている?
所、変わってこの国で死にかけてる人を見殺しにしたら、世論の倫理論と道徳心溢れる法が、自由を殺すだろう。
それともう一つ、禁止されている事など、我々の意志の限りは何一つ無い。
『混沌とは秩序。』
347 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 22:32:09
>>346 毎日砂漠で、どれ程の命が見捨てられている、ことと、
『殺意の無い殺人は無い。』こととなんの関係があるのでしょうか。
>禁止されている事など、我々の意志の限りは何一つ無い。
とすれば、それは、「世界」は「禁止」によって成り立っている
ということですね。
348 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/19(日) 22:39:58
>>340 「規範」というのは論述の形式であって、ほんとうに「規範」であるかどうか、と、規範の妥当性は別の問題じゃないの。
「本当の」規範と、「妥当性がある」規範との違いってなんでしょう?
349 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 22:44:02
ココデ イーンデスヨネ、ニューインノ マドグチ?
350 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 22:47:43
自分が殺されたら嫌だろ
だから殺しちゃいかんよ
352 :
嗚呼!!私の意志が退化の理性に支配され無い事を願う!!:2006/03/19(日) 23:36:55
殺意とは殺す事を意志した気概の念。
ピカチュウさん!!見損ないました!!
殺意とは向けられるものではない。
『殺す事を意識する。』この何物でもないのだ。
まだ気遣ぬか?概念とは何を媒体に広がる認識論なのか?およそ、全ての概念と呼ばれる『思惑』と『推測』の複合体は、すでに一つの秩序を与えた。
あなたは何を信じる?
己か?知識か?知恵か?
全ての言語は一切の
私を、通り過ぎて行った。
どうやらあなたも『復讐の頭脳』から今だ逸脱出来ぬ魂だと、忠告しよう。
人が見殺しにされるのを、あなたは創造は出来ない!
何故なら、あなたは理性の服従者だからだ。
353 :
嗚呼!!私の意志が退化の理性に支配され無い事を願う!!:2006/03/19(日) 23:37:37
何故に、我々が動きと反応を支配出来るのか、何故に全ての動きが『相対的』な視点を必要とするか、今一度、思い出すが良い。
あなたは何を道連れに、没落を望む?
まことにわたしはあなたに言う。
人が見殺しにされるのを意志により意識に取り入れた時にそれは紛れも無い、『殺意』に他ならない。
あなたに、この真理の二言論性を理解しなければ、ならない。
まことにわたしはあなたに言う。
何一つ無い事と言う事と、あなたの理性で閉じ込めてはいけない。
気付きなさい、思い出しなさい。
まことにわたしはあなたに言う。
さぁツァラトゥストラよ!!何故に精神が『駱駝』から『獅子』をへて最後に『幼子』に戻るのか、彼等は今だ、あなたを救ってはいないのだ!!
嗚呼!!何より私は感情の服従者なのですから・・。
但、理解して欲しい、私の結論が間違っていようと、あなたの理論が間違っていようと、そのどちらも、一つの正しい答えなのだ。
人間と動物の架け橋を渡る者が現れたなら、次は半獣と植物の架け橋にならなければならない。調度、獅子が幼子に戻るように。
何故、言葉と言う言語が、一つなのか、何故、命と言う生物が一つなのか、今まさにこの言葉の感情は、あなたに何を呼び起こす?
国家(理性)の終わりから超人はやって来るのだ。
あなた方は『超人』を創造する事は出来ない!!
魂は何を移し何を移し往く?
私の安全が理由でしょうね。
お墓参りさせられてたり、懲役したり、
彼も我慢することになるんだ。
恨まれたり、彼に出会わされると不愉快思うので、私にも伝染したり、働く人がいなくなったりして、
大変な思いをするでしょう。
人でなしは殺していいのか?
彼は裏切り者ですから
357 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 23:55:30
>>351 確かに理論的にはそうなるが、
感情の面においては「自分は殺されたくない」という気持ちと「あいつを殺したい」という気持ちの2つは、
自然に両立しうる。
殺しにもいろいろあるんだなぁ
359 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/20(月) 00:01:51
>>352-353 >人が見殺しにされるのを意志により意識に取り入れた時にそれは紛れも無い、『殺意』に他ならない。
殺意は「殺す事を意識する」ことではなく、「殺す」という言葉そのものです。
そして「死」、「殺す」という言葉は、発せずとも、すでに「人間」の一部です。
ニーチェの問題は、ルサンチマン=「語る主体」が人間の条件であることを、
知らなかったことです。
「力への意志」は人間になるときに、語りはじめたときに失われたのであり、
だから『獅子』は挫折し、『幼子』に戻るしかなかったのです。
「死」は言葉でしかない。そして僕たちは「語る」ルサンチマンでしかなく、
僕たちの「世界」は「禁止」でできており、
「どうして人を殺してはいけないのですか?」と必ず語るのです。
それが、アポステリオリに「人間」になることだからです。
361 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 00:10:16
もし、あなたがこのルールを受け入れることができないのであれば、あなたはこのルールが適用されない世界に去らねばならない。
世界には理由を超越して存在するルール、言い換えるならばその世界が存在するために必要とされるルールが存在する。
あなたがこのルールを踏み越え、しかも自ら去ることをしないのであれば、世界があなたを追放するであろう。
362 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/20(月) 00:12:29
『幼子』が、
「あの星を取ってよ」
「なぜお空は青いの?」
「子供はどこから生まれるの?」・・・
によって、「人間」へなっていき、
「私とはなに?」
「どうして人を殺してはいけないのですか?」
を発することで
「人間」とは欠けてことで「人間」である、という意味の「人間」として
完成されるのですね。
363 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 00:16:42
>>348 >「本当の」規範
ですから「本当」かどうかというのはあんまり意味の無い問題だといっているのですが。
形式を備えていれば全て規範なのだから、本当もモドキも無い、という話です。
>「妥当性がある」規範との違いってなんでしょう?
元来、その二つを対比すること自体が無意味ですが。
「「妥当性がある」規範」は規範の部分集合です。
364 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 01:19:10
365 :
まぁ良いんちゃう?:2006/03/20(月) 01:23:20
おお!!ピカチュウよ!!何故に其処まで認識を手懐けているにも関わらず、今だ開けた本能は目覚めぬのだ?!
死と言う言葉は人間の一部。
よくぞ此処まで思い出したものだ、だがこうとも、考えられんかね?
言葉と言う概念が人間と、精神の一部だと。
その究極は人間は混沌の、一部なのだとは私の憶測だ。
精神の三段階。
私の解釈とは途方も無くかけ離れた答えだと言えよう。
何故、駱駝が見当たらないのかね?ピカチュウ君?
まぁ細かい事は、細かいな独楽かいな?!
軽いジョークだ、怒りたまえ!!笑えないのなら!! では、一つ尋ねよう。 今、あなた自身を制御して支配している“もの”は、一体、何かな?
心?理性?精神?本能?野性?魂?
では、肉体はどうなる?
駱駝は従順者と呼べよう。あらゆる苦悩を瘤に背負ったね。
やがて、駱駝は意志を意識し始める。
366 :
まぁ良いんちゃう?:2006/03/20(月) 01:25:22
そう自由を意志する様に成る。
そして、獅子の力を欲する。
この獅子は言わば奴隷と言った所か、やがて獅子は、意志の自由を取り戻すために、自らに支配を与え様とする“力”と対峙し、その“力”が何物をも創り上げれる事を微かに思考を過る。
故に獅子は竜にその姿を重ねた「神」と呼ばれる意志と戦うのだ。
神はこう言う、この世の一切は私が創り上げたものだと、この世の一切の価値は私と伴に在るものだと。
獅子は言う、私は私の意志を自由にする“力”を持つ反攻と言う権利がある!!
故に一切の『すでにそう、在った事』を『私がこの様にする事』となる様に創造する“力”を欲しったのだ!!
やがて彼が最も愛した、偉大な存在は没落へと移り往くのだ。
やがて獅子は自らの意志では新しい価値を創造できぬ事に苛立ち始める。
創造する“力”は今だ自由とはならない。
獅子の精神は此処で気付く。私の意志が何よりもの“力”なのだと、一切の価値を創造と逆向きの価値を、与える事が出来ると。
だが意志は自由だと言うが精神は“力”の支配を自由にはしてはいないと言う。
367 :
まぁ良いんちゃう?:2006/03/20(月) 01:28:39
やがて獅子は気付く、全ての“力”に支配されればいいと。
全ての“力”に変わる、“何”かに服従を使えた事が在る者に獅子は変化する。
幼子である。幼子はその、精神を“無垢”により支配されて居ると推測が出来よう。
やがて幼子は全ての“力”の支配に服従した。
“力”とは相対した関係の中で存在するもの、即ち、『存在そのもの意志。』だと、幼子は理性の支配を免れて心、つまり感情の服従者となる。後は心の反応しだい。
“力”とは己の存在自体、強さとは、その理解を欲する事である。
何故に。私達の理性に僅かな混沌を残すのか良く反応を信じて見た方が懸命かも知れない。
何故?神は死んだ。
答えは一つだとは禁止してはいない。
368 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 04:48:14
>>367 そうなると、神は死んでいない、が二つ目の答えじゃね?
369 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/20(月) 09:38:33
>>365-367 >では、一つ尋ねよう。
>今、あなた自身を制御して支配している“もの”は、一体、何かな?
>心?理性?精神?本能?野性?魂?
なにがなにを支配し、なにがなにを支配しているつもりなのかは、彼岸にある難しい問題ですが、
「心、理性、精神、本能、野性、魂、肉体、意志、意識」そして「獅子、力、神」も言葉であり、
概念であるのは、確かでしょう。
>やがて幼子は全ての“力”の支配に服従した。
>“力”とは相対した関係の中で存在するもの、即ち、『存在そのもの意志。』だと、幼子は理性の支配を免れて心、
>つまり感情の服従者となる。後は心の反応しだい。
>“力”とは己の存在自体、強さとは、その理解を欲する事である。
たとえば樫村は、「ドゥルーズはどこが間違っているのか?」の中で、ニーチェの「力」は
純粋な「力」などでなく、「症候的概念」であると言うわけですが、ボクはニーチェの原点は
「悲劇の誕生」のディオニュソス的/アポロン的に見なければならない、と思います。
その後、「力」が症候的になろうとも、ディオニュソス的「力」、は「本当の力」の
描写がある。それは「獅子」でなく、「幼児」的な「力」です。「幼児」的な「力」とは、
「己の存在」以前の力、理解以前の、言葉以前の力、「ただただ力としてのみある存在」なのです。
言葉によって、「力」は失われ「人間」になるのです。
そして僕たちは「語る」ルサンチマンでしかなく、僕たちの「世界」は「禁止」でできており、
「死」という言葉を取り入れ、「どうして人を殺してはいけないのですか?」と必ず語るのです。
370 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 11:12:07
>>369 なんの主張も無い文字列だな、天然なのかw
371 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/20(月) 15:20:55
>>363 >>340 :考える名無しさん :2006/03/19(日) 21:08:25
<「規範」というのは論述の形式であって、ほんとうに「規範」であるかどうか、と、規範の妥当性は別の問題じゃないの。>
↑
あなたが、ここで、<ほんとうに「規範」である>かどうか、と、<規範の妥当性>は別の問題じゃないのか? という問いを発したから、私は、<「本当の」規範>と、<妥当性がある規範>との相違を聞いたまでです。
もちろん、規範も慣習も法律も、すべて、「論述の形式」に還元できますが。
372 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 16:31:41
規範などいらない、基準の曖昧さ利用し
都合よく用いる輩を有利にするだけのこと
373 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 01:56:58
>>371 私が、
><ほんとうに「規範」である>かどうか、と、<規範の妥当性>は別の問題じゃないのか? という問いを発した
のは、「あなたが、それを問題にしていたから」ですよ。
「<ほんとうに「規範」である>かどうか、」<を問題にする「あなた行為は」<<規範の妥当性>は別の問題じゃないのか? >
ということです。
「<ほんとうに「規範」である>かどうか、」を問題にしていたのはあなただけです。
わたしは、それを「問題にすること」を問題にしただけです。
この違い、理解できますか?
お彼岸だぞ
γ'⌒ヽ∧ ∧ o O ( お彼岸かぁ・・・
し'ゝつ( ゚Д゚)つ
o O ( でも今日は寒いしなぁ・・・
∧∧ o O ( よし!!
(,,゚Д゚)ミ ガバッ
/ |
〜OUUつ
∧∧
(,,゜Д゜) ヨイショ....
/ つ〜⌒ヽ
( (';; _, ...,,)
∪,)....´;;;,,,..(ヽ
(::::::ノ⌒)_ヽ)
 ̄
∩⌒>⌒ヽ ゴソゴソ
/(';; _, ...,,)
( ,)...´;;;,,,..(ヽ
U(::::::ノ⌒)_ヽ)
∧∧
/(*゜Д゜) オフトンサイコー♪
/ :::У~ヽ
(__ノ、__)
_ カタカタカタ
.//|.| /'∧
| |..|.| (Д゜,ノ⌒ヽ オフトンサイコー♪
 ̄ll ]-、と/~ ::ノ:::)
 ̄ ̄ ̄|(_.( :: ,:_)
オフトンサイコクラッシャー!
377 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/21(火) 16:08:16
>>373 :考える名無しさん :2006/03/21(火) 01:56:58
>>371 <私が、><ほんとうに「規範」である>かどうか、と、<規範の妥当性>は別の問題じゃないのか? という問いを発したのは、「あなたが、それを問題にしていたから」ですよ。
「<ほんとうに「規範」である>かどうか、」<を問題にする「あなた行為は」<<規範の妥当性>は別の問題じゃないのか? >
ということです。
「<ほんとうに「規範」である>かどうか、」を問題にしていたのはあなただけです。
わたしは、それを「問題にすること」を問題にしただけです。
この違い、理解できますか?>
では、↓はどのように読めばいいのですか?
>>340 :考える名無しさん :2006/03/19(日) 21:08:25
『「規範」というのは論述の形式であって、 ほんとうに「規範」であるかどうか、と、規範の妥当性は別の問題じゃないの。』
>>377 >『「規範」というのは論述の形式であって、
>
>(「モドキ」という形であなたが問題にしている) ほんとうに「規範」であるかどうか(という問題)
> ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>、と、規範の妥当性は別の問題じゃないの。』
379 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/21(火) 19:03:13
規範は、あなたが言うように、「論述の形式」であるとしたら、
その真偽は、それが事実により裏付けられるかどうか、により決まります。
で、どういう規範のことでしたっけ?
お墓参りなどをしなければならない、それは陰気で、死人の顔を見せられると
こちらにまで陰気になる作業だから、
お墓参りするのは嫌であり、それなら、殺すべきじゃないってことだ。
381 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/21(火) 19:10:11
>380
墓参で死人の顔見るの?
>>379 知らずに「モドキ」とか言ってたんですか?
みる
墓石の陰に立っていたり、建物の中にいたり、
向こうから近づいてきて一睨みして去っていったり、
乗り物の中に座っていたり、
頭の中に語りかけてきたりするでしょ?
384 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 19:17:54
プラトンなんて持ち出すとグダグダ
385 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/21(火) 19:18:45
>>382 ですから〜、どういう規範のことでしたっけ? って、素直に聞いてるのです。
>>385 つまり、私がこれこれだ、といったとしても、
それを(本当にあなたが規範「モドキ」といっていたものであると)確認する
手立てが無いということになりませんか?
>>383 それは生前に心残りがある霊ですね。心残りのある霊はあなたに何事かを訴えかけようとしています。
だから、この世に現れているのです。貴方の身に危害はありましたか?
そうでないなら、あなたが何かをしたからという訳ではありません。別のことで死んだ霊があなたに
解決して欲しいと頼んでいるようです。
ですが、あなたが何かをしたならば、霊は安らかな眠りを妨げられ、怒ってしまったのです。
388 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/21(火) 19:35:27
>>386 語る-聞く、書く-読む、という行為一般において、それらにより両者間でコミュニケーションが成立するためには、
両者が共有する所与の「規範」(規則、ルール、言語、等)が不可欠ということですよね。
そうだとして、あなたのいう「規範」と、私のいう「規範」とが、言語としてなんらかの機能を果たすためには、
無条件に共有できる、規範、規則、ルール、言語、等が不可欠ですね。
そこで、そういうものは措定できないとすれば、無条件の共通規範などは無いわけで、
それが、モドキという言葉を誘引したのかな、と他人事みたいに書いています。
>>388 >語る-聞く、書く-読む、という行為一般において、それらにより両者間でコミュニケーションが成立するためには、
>両者が共有する所与の「規範」(規則、ルール、言語、等)が不可欠ということですよね。
ええと、「私は」そういう話はしていません。
390 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/21(火) 20:01:26
>389
<つまり、私がこれこれだ、といったとしても、それを(本当にあなたが規範「モドキ」といっていたものであると)確認する手立てが無いということになりませんか?>
↑
という問いに対しては、お答えしたのかな、と思いますが。
我々が気をつけなければならない霊がいます。それは邪霊と言われる存在です。
邪霊は、我々が危機に陥ってしまう存在です。
彼らは心残りがあるという訳ではありません。訴えたいことはないのだけれでも、現世に
強い執着があります。あなたが何かをしたからというよりは、むしろ、誰でもいいのです。
そして、あなたが隙をみせると、執着のある霊は我々から執着物を引き出してしまうのです。
大抵、邪霊からすると、大したものではありません。しかし、我々は我々のどこをとっても
欠く訳にはいかないのです。
それだから、邪霊が彼らの執着を具現化すると、危機的なことであるという訳なのです。
邪霊は彼らに来るものを待ち受けるものなのです。
人を殺すと霊界に近くなります。ややもすると、邪霊に出くわすことになりかねない。
つまり、我々に危機的な状況ですから、従って、殺すべきではないのです。
わかりますね?
1・人間的世界(道徳に縛られた社会)は
『禁止』によって成り立っており、
『禁止』を守らなければ崩壊してしまう。
2・人間は人間的世界の、
道徳の奴隷としての立場を手放したく無い。
道徳の奴隷でいれば何をしなくても君主が
自分の事を守ってくれるのだから。命を、権利を。
3・「人間を殺した人間」は『禁止』を守らない、
人間的世界を崩壊させる可能性がある危険分子、
住人自身の奴隷としての安息を脅かす悪として罰せられる。
表向きには、誇り、理性、命の尊さなどをちらつかせて。
393 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 22:12:22
4・心理学的に「人間を殺した人間」は殆どの場合トラウマを負い、
死体のシルエットは脳裏に焼きつき、それに快感を覚える人間はごく僅かである
を追加して欲しい
つうかさ、なんで「道徳」という言葉にそういう神秘的、
不可思議な意味づけをする必要があるのかわからん。
395 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 22:37:45
ようは1,3,4の意味を纏めて一つ言葉で表せるようにしたのが道徳とでも考えれば良いんじゃないの
つうか、煎じ詰めると、電気製品のマニュアルとかわらんじゃん。
「・濡れたまま使用しないでください」とか、「・吸気口をふさがないでください」とかいうのと同じでしょ。
なんで、もったいぶったいいかたをする必要があるのか。
>>390 >確認する手立てが無いということになりませんか?
>それが、モドキという言葉を誘引したのかな、と他人事みたいに書いています。
問いと答え、になってませんね。
「なりませんか?」の答えなら、「なります/なりません」のいずれかが結論のはずです。
398 :
考える名無しさん:2006/03/22(水) 09:02:52
>>396 たぶん1,3,4以外にも理由らしきものは幾つも思い浮かぶだろうからじゃない?
信じたいんだろう。そういう不可侵の聖なるものみたいなものであると。
だかたカントみたいに道徳を一つの数学の答えのように扱っているのは間違いだと思う
カテゴリー表に当てはめるべきものではないよ
399 :
考える名無しさん:2006/03/22(水) 09:03:23
だかた→だから
5・だからこそ、
殺してはいけないという理由は存在しない。
>>398 理由は、「社会の維持」に不都合だから、に集約できるんじゃないの。
社会に何を求めるかは人それぞれだけど、
その人それぞれの目的に有用だというある程度の合意があるから社会が
求められるわけでしょう。
殺人が「「社会の維持」に不都合」な理由は別に神秘的でも不可思議でもない。
掃除機の排気口を塞いだら、まともに動かないのとなんら変わりがない。
>だかたカントみたいに道徳を一つの数学の答えのように扱っているのは間違いだと思う
>カテゴリー表に当てはめるべきものではないよ
合理的な理由がありますか?
それとも、あなたの個人的な嗜好に万人が従うことを要求してますか?
402 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/22(水) 21:00:12
>>397 私が、
>>336で、
<この「体制維持のための為政者による体制維持、安定化のためのア・ポステリオリな禁止条項」は、たまたま、統治対象となる人間にとっても受け入れられないものではなかった。
そのシナジーが「人を殺してはいけない」という命題が、統治する-統治される側双方にとって、所与の規範もどきのものになっていったものと思います。>
と書いた「規範もどきのもの」に対し、
>>340で、
「規範」というのは論述の形式であって、 ほんとうに「規範」であるかどうか、と、規範の妥当性は別の問題じゃないの。
という問いを発してきたのはあなたです。それに対し、わたしは、
>>348で、
「本当の」規範と、「妥当性がある」規範との違いってなんでしょう?
と問い直しています。その後、あなたは、
>>371で、
<私が、><ほんとうに「規範」である>かどうか、と、<規範の妥当性>は別の問題じゃないのか? という問いを発したのは、「あなたが、それを問題にしていたから」ですよ。
「<ほんとうに「規範」である>かどうか、」<を問題にする「あなた行為は」<<規範の妥当性>は別の問題じゃないのか? > ということです。
「<ほんとうに「規範」である>かどうか」を問題にしていたのはあなただけです。
わたしは、それを「問題にすること」を問題にしただけです。
この違い、理解できますか?>
と書いています。
さて、私は、何に対し何を答えなければならないのでしょうか?
「規範」に関する私の記述の「形式」でしょうか?
それとも、「規範」に関する記述の「内容」でしょうか?
それとも、「<ほんとうに「規範」である>か、と<規範の妥当性>とは違うのではないか?」という問いに対する回答でしょうか?
あるいは、「規範である」と私が記述した内容(または記述形式)の真偽を確認する手立てなど無い、ということに対する私の判断を述べよ、ということでしょうか?
403 :
あなたのツァラトゥストラはどう言った?:2006/03/23(木) 00:26:01
『許される事を禁止された世界。』と『禁止された事を許せた未来。』への真、細やかに明るい視察と展開論。 “彼”はこう言うのだ。
『人間とは禁止する事でなりたって居るのだと。』
悲しいかな、もはや“其処”には『神』はいない事にいまだ、寝呆け眼を擦り付け、『真実』の断片を、玉座に座らせ“彼”は語りかけるのだ。
悲しいかな、『余りに多くの一切の数。』も持たざる『思考の意志の軽蔑者』達のなんとも喜びの無い創造の悲鳴な事か!!
悲しいかな、“彼”により二度も踏み躙られた“彼”の『心』に“彼”は嘘を吐く。
あまつさえ、真実とは呼ばれては貰いたくは、無いものだ。
私は真、嘆かわしい。
やがてこの『思考の意志の軽蔑者』達はこう言うのだ。
『死とは人間だけが、唯一持たざる尊いもの』だと。
真に意志する事を禁止した魂の寄生虫は、この様に我々の“死”を禁止する事により与え様と私に『復讐』しようと、その余りにも、貧弱に萎えた両の手を、こう言って振り回すのだ。
『我々は弱いものです、ですから、我々は一切の大きな“存在”を禁止しなければなりません。』
“彼等”にはとって未だに余りに“大きな存在”とは憎まれるべき『悪』なのである。
私が“死”に語りかけた時に、こう言った。
『全ての命ある、生物にとって私は在りとあらゆる、未来を超えて“存在”しなければ、ならない。』と。
404 :
あなたのツァラトゥストラはどう言った?:2006/03/23(木) 00:28:48
“死”は私にこう言った。
『私はその悲しみと、没落する事で人は人の“死”を遥かなる高みへ昇らせようと試みるものなのだ。』と。
だが“彼”はこう言った。
『死とは人間だけのもの。死とは人間だけの“余りにも大きく、存在しがたいもの”』だと。
我が兄弟達よ!!どうか、この“死”を私達だけが登る山々だとは、認めてくれるな!!
我々が、真に目指すべき山頂は“あの”山々など、ある筈が無い!!
どうか、我が兄弟達よ!!『人』の死を愛せない、彼等に何よりも同情の涙を、流したのは、他でもない、“彼等”の『神』で在る事を見つめて欲しいのだ。何よりも。
“死”が“悲しみ”を、引き連れ伴に時と堕ち往き、
『移り往く事。』だと、我々が心に血が流れる音を聴く事により、我々、人間は“死”を特別な存在だと、認識し『概念』から『現象』へと『移り往き。』として『あの山々の空に掲げる事』を、なによりも試みるものなので在る。
405 :
あなたのツァラトゥストラはどう言った?:2006/03/23(木) 00:32:02
嗚呼!!我が友よ!! 私は先頃、この“真実の死”が語りかけて来た事を、あなた方に与えよう!!
『我々は“死”を“自由”に選ぶべきで在る。』と。
私はこの“死”と名乗る、克服されるべき“恍惚の喜び”はより自由な意志により、この世から、こっそりと盗まれる事を私達は何よりも、創造の意志により、すでにこうして在った事から私がこうで在った事へ、私と言う、一つの試みは
“死への意志”と言う、およそ『生を意志する事』と逆向きの『在り得ない事』を創造すると言う“彼等”が常に私達を憎んで居る事も、同時に理解しなければなるまい。
この、余りに多くの余計な『静観者』達は、真に騒がしく『力の意志』による、創造を“彼”は【メタトロン】的な事だ、とか【アール・マティ】的な“概念”だと真に醜く騒ぎ始める。
我々は『神』を創造は出来るのか? 否、出来ない。
何故なら、この“この地上”で人間達により『神』と呼ばれる“存在”は、全てに置いて“憶測の創造物“でしか存在してはいない!!
406 :
あなたのツァラトゥストラはどう言った?:2006/03/23(木) 00:36:11
“彼”は葡萄酒と踊りの、神を見つめる事は可能か?
否、出来ない!!何故なら“彼”は何故“得る”と名乗る意志がタイタロスとハデスの秘密を持ち帰える事に、幾度かの“死”の恐怖が“得る”と名乗る“彼”が持ち帰った自らの“死”
そのものが打ち勝てる勇ましさを、持ち込んだのか、理解してはいないのだ。
何故ならば、“得る”を名乗る彼は、正しく、ディオニッソス神に仕える狂乱の女達(マイナデス)により、引き裂かれ“死”を持ち帰った時に、そう、正しく
【ディオニッソス神】的なものと“彼”が持ち出した時に【力による意志】の背後関係が“ディオニッソス神“と言う創造された“概念的”な思想を持たされると言う事がなによりの【力による意志】の証明になるとは、及びもつかぬのだ。
あなたは『神』を創りだせるのか?否、出来ない。
故に彼等、始まりを試みた人達は自らに意志を強く、力を与える『神々』を意志により『想像』して“力”を与えた。
『想像力』此処に秘められた、移り往く没落を望む、精神をあなた方は、まだ知らない!!
『禁止された世界』、彼は私に真こう言うのだ。『もっと自由に禁止をしなさい。』
何故なら私の語りかけるべき“真実”はこう言うのだ
『我々の“死”とは自らの意志により未来によって“選ばなければ”ならない。』
“彼”は【メタトロン】的なものに語りかける【スラオッシャ】的なものか?!
否、違う“彼”が“真実”と呼び、語りかける“神”と崇めるものは『もう、其処には自身の骸。』しか残してはいないのだ。
『一切の“真実”とは一切の未来により創られなければ、真に実り熟れた果実は悪臭の未来ですでに腐り尽きた事を創造しなければ、ならない。』
俺のツァラトゥストラはこう言った。
言いたいことが分かりそうで分からない。
もっと普通の言葉で分かりやすく語ってください。
神の名前もよく分からないし、友とか彼とか言われても困ります。
409 :
考える名無しさん:2006/03/23(木) 05:34:58
小泉!!
殺人的格差が良いなら
殺しもいいだろう
>>402 >さて、私は、何に対し何を答えなければならないのでしょうか?
>それとも、「<ほんとうに「規範」である>か、と<規範の妥当性>とは違うのではないか?」という問いに対する回答でしょうか?
ですね。
注釈しておくと「ほんとうに「規範」である」という問題を提示したのは私ではなく、あなたです。
私は、あなたが提起したことがらを参照しているだけです。
411 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/23(木) 21:15:29
>>410 「<ほんとうに「規範」である>か、と<規範の妥当性>とは違うのではないか?」という問いに対する回答を求められているのですね。
<注釈しておくと「ほんとうに「規範」である」という問題を提示したのは私ではなく、あなたです。私は、あなたが提起したことがらを参照しているだけです。>
先ず、私は、前レスにおいて、「ほんとうに「規範」である」という問題を提示したのでしょうか?
>>336 「私見で結論を出すとすれば」、「人を殺してはいけない」は、「最初から偏りすぎ呼ばわりを覚悟で書きますが」、「体制維持のための為政者による体制維持、安定化のためのア・ポステリオリな禁止条項」であると「思います」。
もちろん、この為政主体には宗教者も含めます。
>>337 この「体制維持のための為政者による体制維持、安定化のためのア・ポステリオリな禁止条項」は、たまたま、統治対象となる人間にとっても受け入れられないものではなかった。
そのシナジーが「人を殺してはいけない」という命題が、統治する-統治される側双方にとって、「所与の規範もどきのものになっていった」ものと「思います」。
次に、<ほんとうに「規範」である>か、と<規範の妥当性>とは違うのではないか? に関し、
規範を、『社会や集団において個人が同調することを期待されている行動や判断の基準。「行動の望ましさ」も含む』ものであるとし、
「・私は・規範というものが・成り立つためには・体制維持のための為政者による体制維持/安定化のためのアポステリオリな禁止条項・と・統治対象となる人間にとっても受け入れられないものではないこと・との・シナジー効果により・成り立つものである・と思います・」。
この記述により、私は、規範は、「そのときどきの統治側と、統治される側双方にとって、現実的且つ合理的であるものとして受け入れられる/た/ている、もの」であると思います。
それが、規範の成立条件であると「思います」。
ここで新規に命題を提示します。
「・規範・と・それを破った場合の罰・が無ければ・経済動物であるヒトは・限りなく・経済行為として・無条件に・ヒトを殺す・と思います。」
412 :
考える名無しさん:2006/03/23(木) 21:27:26
>>411 >先ず、私は、前レスにおいて、「ほんとうに「規範」である」という問題を提示したのでしょうか?
「もどき」という言葉が、「ほんとうでない」という意味であれば、
そのことを引き合いに出した、のは事実でないですか?
どうでもいいっす
414 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/23(木) 21:39:01
>>412 「もどき」という言葉が、「ほんとうでない」という意味であれば、そのことを引き合いに出した、のは事実でないですか?>
「ほんとうに・「規範」・である」と記述するためには、実証が必要になります。
私は、何の実証をしていません。
私は、「私の・考えていること」を書きました。
そこで「もどき」という用語を使いました。
415 :
考える名無しさん:2006/03/23(木) 21:48:06
>>414 >「ほんとうに・「規範」・である」と記述するためには、実証が必要になります。
つまり、あなたのいう「規範」には、私の申し上げた、「形式」以上の意味があるということですか?
私が最初に申し上げたとおり、「規範」が「形式」であれば、
(その形式を備えていることは文意から明白であるから)「実証」は必要ないはずです。
416 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/23(木) 21:55:08
>415
<あなたのいう「規範」には、私の申し上げた、「形式」以上の意味があるということですか? >
「私が・考えている・規範・」を書いています。
即ち、「形式」以外の、余剰としての、私が規範という用語に対して意味づけをした「内容」を書いています。
417 :
リーマン:2006/03/23(木) 22:01:56
>>359 >ニーチェの問題は、ルサンチマン=「語る主体」が人間の条件であることを、
>知らなかったことです。
ぴかぁ〜さん、卓見です。
これはラカンの言葉なのですか?
418 :
考える名無しさん:2006/03/23(木) 22:08:56
>>416 「形式」以外の、余剰として、あなたが規範という用語に対して意味づけしたものはなんですか?
419 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/23(木) 22:12:21
>418
繰り返しですが、
規範を、『社会や集団において個人が同調することを期待されている行動や判断の基準。「行動の望ましさ」も含む』ものであるとし、
「・私は・規範というものが・成り立つためには・体制維持のための為政者による体制維持/安定化のためのアポステリオリな禁止条項・と・統治対象となる人間にとっても受け入れられないものではないこと・との・シナジー効果により・成り立つものである・と思います・」。
420 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/23(木) 22:50:58
>>418 逆に質問させていただきます。
「ヒトを殺してはいけない」という命題が「規範」であるとして、それは「形式」でしょうか?
421 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 00:48:25
みんな殺されたくないだろ?殺される運命なんて嫌だろ?
だから人を殺しちゃだめなんだよ。
>>421 全然説明になっていないよ
わざとだろうけど
423 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 02:08:03
人を殺していけないのは、人間社会の規範だからである。
規範とは、江戸時代の藩校の規則のようなものである。
藩校の規則は、証明なしに「ならぬことはならぬものです」としていた。
この規範は数学の世界の公理のようなものである。
規範は公理のように証明する必要がない、出発点だからである。
公理から定理を証明して、その公理系の数学が出来上がる。
「人を殺してはいけない」を含む規範系から人間社会が出来上がる。
この規範が崩れると人間社会も崩れる。
424 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 02:32:00
>>421 「殺されてもいい」・・ときどきそう思うことがある
425 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 04:53:04
A=animal, B=humanity, C=law, D=homicide, E=death
B,C⊂A=F A∩B=Person=G
D⊂F⇒E=Guilt,Sin D⊂G⇒E=Sin D⊂C⇒E=No guilt?
426 :
快楽殺人犯:2006/03/24(金) 05:17:19
ここにもこのスレ立ってんのかよwww
↓回答↓
人の物を取る権利が無いから。
生きているすべての人間は生きたいという意思のもとで生きている
なぜなら人は死にたいときにいつでも死ねるからな。
何人にも他人の所有物を奪う権利はないだろ。
だから殺していいのは自分自身だけだ、自分の物は自由に扱え
427 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 05:25:40
殺したいとは思わないが
殺されたいと思うことは幾度となくありますよ
あ、どうだろ
あるんでしょうかね
430 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 07:02:20
431 :
便乗君:2006/03/24(金) 07:25:41
>>426 他の動物は自分でない生命の生きる権利を奪いながら毎日を生き抜いているのに、
どうして人間だけがそうしたらダメなの?
>>426 じゃあ死にたいと思ってる人なら殺していいの?
433 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 08:32:37
>>420 「ヒトを殺してはいけない」という命題は、「形式」ではないですよ。
「規範」という分類が「形式」を指すもので、「〜は規範である」という記述が、
「〜は規範の形式を備えている」という意味だということです。
セダンは車の形式ですが、「カローラはセダンだ」といったとき、
「カローラは形式だ」という意味で言っているわけではありませんよね?
434 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 09:37:12
ってか、人は殺していいんだよ
駄目だって文句を言われるのは、法律があるからさ。
戦時中は殺すことこそが大事だったんだ。
その時代によって、世論って変わるだろ?
だから根本的には殺してもいいんじゃないか?
あくまで俺の意見
435 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 15:32:29
>>434 その考えはおかしい
殺していいのではなくて殺せるんだ
いけないと言うのは禁止だ。それは原理上解除される事はない
戦時中は世界のルールもまだ何も決まっていないという状態で、
もちろん自分の国では自国の人を殺してはいけないと教えている。
今は世界で社会はほぼ出来上がっている
436 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 15:37:48
殺していいっていうのは語意不明になるね。
確かに殺せると言った方が現代社会的には穏やかだよ。
でも社会の中だけの問題になってるよ。
此の世全体から見て人を殺す行為はどうなの?
437 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 15:42:02
どうなのと言われても答え様がない
誰も自分の思いどうりに行動したりしていない。いたとしてもそいつは迷惑だから
何らかの処罰を受ける。それ以外は何とも。この世を見るのは人間しかいない
438 :
426:2006/03/24(金) 15:50:47
>>430 お前のものじゃないからさ
>>431 なに言ってるんだ君もそうして今まで生きぬいてきたじゃないか
それは生きる事と同意義
>>432 本当に死にたいと思っている人間はすでにこの世にはおらんよ
人間は死にたいときにいつでも死ねる生き物だからね。
みんな。生まれて、死にたくないから生きているにすぎん
439 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 16:15:53
殺人的な格差がよいのなら
殺人もよいのか
440 :
偽善者どもへの言辞 ◆ybvG0fBJHc :2006/03/24(金) 16:47:58
〜してはいけない、と決まっているまたは言われているからといってその行為は
必ずしもできないわけではなく、意味するところは「〜をしないでくれ」という要請である。
暗黙的に禁止されていることや、法律で決まっている事柄すべても「禁止の要請」であって
絶対的な強制力は無い。
ある人が「〜してはいけない」といわれて納得すれば様々な理由の上で「(私は)〜してはいけない」
と思うし納得しなければ「〜してはいけない」とは思わない。
このスレでは、誰にとっても殺人はしてはいけないわけではないにもかかわらず「なぜ殺人はしてはいけないのか」という質問の形式になっているので
答えを出しづらい。
(私的な)答えを出すとしたら「殺人は(必ずしも)してはいけないわけではない」である。
>>440 そんな当たり前のことを言ってどうする、殺人しちゃいけないって言ってる人が
死刑や安楽死の反対を訴えてるわけじゃないんだから。
442 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 18:02:06
>>438 >それは生きる事と同意義
生きる事は他の生命体の生きる権利を奪う事?
>>426の他人の所有物とは具体的に何を指しているのか。
自分は他者の生きる権利を奪って生きているが、
自分には他者の生命を奪う権利は無い???
>お前のものじゃないからさ
自分のものでなければ奪う権利がない?
(そもそも自分のものは奪う必要は無い訳だが。)
命を奪う権利を有するという状況も存在しているということについては?
>>442 命を奪わないでどうやって生きる事が出来よう?
所有物=自分の物として持っているもの
>>自分は他者の生きる権利を奪って生きているが、
自分には他者の生命を奪う権利は無い???
他者であって他人ではない。
そして奪う権利を有する(
>>441の言う安楽死、死刑etc)場合
に関する殺人に対する否定はしていない。
444 :
偽善者どもへの言辞 ◆ybvG0fBJHc :2006/03/24(金) 18:17:07
>>441 どうする?と聞かれてもこうする、とはいえないが、
個人個人「〜してはいけない」と思う理由は違うし「〜してはいけない」と思わない人もいる。
それゆえに、「なぜ殺人をしてはいけないのか」の問に答えは出ない、ということ。
445 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 18:26:31
>>443 人の命を奪う権利を有する場合もある。と。
人の命を奪う権利が無い場合には人を殺してはいけない。と。
うむ。全面的に同意。
446 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/24(金) 20:12:49
>>433 「<体制維持のための為政者による体制維持/安定化のためのアポステリオリな禁止条項である>と、
<為政者の統治対象となる人間にとっても受け入れられないものではない>
という2つの条件を満たすものを、
<社会や集団において個人が同調することを期待されている行動や判断の基準・行動の望ましさも含む規範>という。」
「ヒトを殺してはいけない」という言葉は、この規範の1様態である。
447 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 20:13:40
もし殺人は駄目だっていう決まりがなかったら、みんなお互い殺しまくってるのかな?
昔は法律も何もなかったさ。それでも滅多な事では殺人なんてしなかった
449 :
考える名無しさん:2006/03/24(金) 21:53:05
450 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/24(金) 22:11:41
>>449 >>420で、
逆に質問させていただきます。
「ヒトを殺してはいけない」という命題が「規範」であるとして、それは「形式」でしょうか?
と書きました。
それに対し、あなたは、
>>433で、
「ヒトを殺してはいけない」という命題は、「形式」ではないですよ。
「規範」という分類が「形式」を指すもので、「〜は規範である」という記述が、「〜は規範の形式を備えている」という意味だということです。
と書きました。
そこで、私は、
>>446で、
「<体制維持のための為政者による体制維持/安定化のためのアポステリオリな禁止条項である>と、
<為政者の統治対象となる人間にとっても受け入れられないものではない>
という2つの条件を満たすものを、
<社会や集団において個人が同調することを期待されている行動や判断の基準・行動の望ましさも含む規範>という。」
と書き、
あなたの言う
<「規範」という分類が「形式」を指すもので、「〜は規範である」という記述が、「〜は規範の形式を備えている」という意味だということです>
という定義に適っているのかな、と思った記述をしてみました。
451 :
選択の彼岸。:2006/03/25(土) 01:28:02
『全明日の悲願。』
およそ、何が己にとって最良の選択か?我々が冗談でも“哲学“と言う名をほんの僅かでも、我々の上に或る事と、認識し又、あなたの意志が『未だ、神は私を幸福にはしてくれず、伴に没落してくれる事へは思考を抜け出せない。』
『そして、その命“一切、疎の者達が連絡待ち見たいデス。それを命だとは“死”を道連れに移り往く事に飽き飽きした、私は自らの多いなる“必然的”すら単なる“瞬間”が燃え上がるのだ。
『この黄昏の黄金たる、夕日は、未だ大いなる正午の真上を目指していると、意志は自由だと、意志は決して自由にはいない。』のならば常に“此処”に
そう、但、単に例え、あなたの好奇心が、あなたの存在を疑い始めその挙げ句『一切は虚しいすでに、そう逢った事』でしか。
真、あなた方にとっての最良の判断だと、何よりあなた自身が納得したとしても
『この没落を輝かせる、羞恥心の卓越者達。』全ての『悪意の夜。』を駆け上がり少しの『善意の夜。』を知るが出来る事を遠くまで、責めて今し方までに、力の意志を理解の果てに真で持ち込みながら!。
やがて円熟の夕闇の夜が果て、朝日に消え往く聖徳者達は、何よりも、こんな事言ってた?
『一歳のものはすぐに育ち、あれよ、それよ!と過ぎ去る事よ、と言わんばかりに!?!!真、騒がしく苦しい事だ。』と。
『その姿は未だ、卑しい!その“儘”で育つ事は、何よりも悔しく、又ちょっと楽しそう、だが、やはりそれ、では喜びは楽しめ無いし何よりも“アホ臭い”』
およそ、これだけが、私の本音だと、誰が勝手に言いやがるのだ!!
452 :
選択の彼岸。:2006/03/25(土) 01:29:37
手間、省けた、独楽、弾けた。つまり、『そう、言った』事に彼等は『そう、言ったって?』と取り敢えず
“反応”して見た物の何処に“反応”した事もあやふやにした儘、お仕舞いに、人と人との間を見つめる事が出来ると、信じた人が、
およそ、どの生命の幾らの相場なのか?こう言った。
『で?結局サァントリィモルツはどう飲むかって?』
彼を飲まんとする事を、あなた方は、未だ、試み様とまでは意志出来ない。
何故なら“その事”一切が未だに自身の“残酷な偶然”となり、あなた自身に何時の日か帰って来る事に、何よりも恐れて居るのだ!
彼等は、それは何故かって尋ねる、彼等は結構強い口調でお喋りの続きを、真似て見る?
『彼が神を殺した罰当たり。』だと、結構しんみり。
理解が及んではいない事を何よりも、憎むのだ!!
そしてお喋りの続きを真似る。
『待てい!ルポーン・アイティアー・ヘロメヌゥ。テオス・アナイティオス。』
『待て待て待て?あれ?本当にちょ待って!つーか是は待たずに説明しろ、基本的には浪漫・賛成!!』
『アイティアー・ヘロメヌゥ。テオス・アナイティオス。(選ぶ者に責任が在り故に神に一切の責任は無し。)』
そう、まぁ是は一種の、物語的な作り話だが、この様な憶測により創られる事も力に意志さえ無くても理解出来ちゃうんじゃないか?と、素晴らしい自己自由論により私は『こう言った』事に出来るのだ。
453 :
選択の彼岸。:2006/03/25(土) 01:33:29
「ピンポーン、パンポーンお昼の大いなる正午をお伝えします(株)ワールド・イズ・マイン代表取り締まり役の、なんか偉い人から最近、業績の悪化がいちじるしく、倒産か?破滅なのか?』
皆さんと言う世論の中では“一種の博打”の丁半に価値を委ねる程に“この会社はマジで終わってますよ、と激励に程遠い素晴らしく身近に感じるお言葉を“白っと”この方から皆さんに言いたい事が在ると、この放送に伝えました。」
「それでは社長、見たいな在る意味、現場監督の様な立場の視点に多い【神多きを信じるハゲた人】の有り難迷惑な善い話しを、有り難く、受け取ったなら投げ帰して、如何なものか?それでは社長!どうぞ!!」
「あーあーデス!デス!!ただ今、死刑のテスト中、デス!デス!・・・その後ハッデス!!。」
「あーゴッドン。以下にも私は髪でリアル。そんな事はヨクアル。まぁどうでも良い、皆さんにとって大変、重大な本当に別に構わない小さな事かも、推測に範疇を留めなさい。」
「えー本日、在るお告げにより、この会社は倒産に追い込まれ懐妊により辞任を“表明”しようと思いました。」
「つまり、明日から皆さんは自由な定職に付ける。 フリーな他人つまり、降り板への我々の意志による真実像にすぐに弱い企みによる、』
『“試みた”を繰り返したくて、出て見ましょう、焦り気味では風邪は拗れませんか?』
『ようはオメエら全員、本気で頭の中身が悲痛により動かなければ、おまえ等全員、罪として改めて“栗”だと懐古に鳴り響きやがて治まり増すまい。』
『何故なら同姓に、どうせいと言う前に私が何らかの卑猥な孤独を飲まされます。』
454 :
選択の彼岸。:2006/03/25(土) 01:36:35
「神は、およそこの様に、言う事だろう!!我が友よ!!」
「私にあなた方の出した負債の支払いを取り交わした」後にこう言った。
『責任は戦闘の中へ飛び込む、認識により関係無いと神を名乗る。今私はこう、言いたい。オマエラ、ゼンイン・クビ。指?』
『自分て決めた事位、他人に任せられる事が許されないのなら、世の中遣る事だらけでとっくに嫌になるに、何となく賛成!!』
『まことに私はあなた方に言う、神なんか遣ってられるか!!ほんの少しでも、砂糖が甘いからとこう言って私を侮辱するのだ。』
『拝啓、神様?お元気で何よりとは、私の勝手な推測です、缶コーヒーはやっぱBOOSですか?BAKAですか?
缶コーヒー結構、糖分甘さ全壊ですよね?血糖値で偲ね!!それでは、馬鹿、否、又、四縫!!敬具。 乱筆乱文かも知れないが、其処位、あなたの自費で、何とか紙塗!!』
『はい私、神、辞めます。大体、血糖値で私縫とか、マジ言われたら、多分、幾分雷鳴と伴に雷セットするだろう、これ以上此処に居たら。だからもう、解散!!』
『神はもう、辞任したのだ人間に夜に光り輝く“提灯”の常に瞬間で流れる事で在れ!我が友よ!!我が友おおツァラトゥストラよ!』
キチガイきた!
456 :
選択の彼岸。:2006/03/25(土) 01:40:45
二重のチェインが抱えた問題を真、厚かましく理に準ずる、思考論では今の所、
全く二重、螺旋の鎖を辿り往く事を“彼等”は全く見事なまでにこう言い、二股のチェインが何故を問題に持ち込んだ事なのか、消えて行きます。
「ア・ンポンタンの語る指数の崩壊により没落した」と、残念それは、はっきりとした間違った視察の推測の結果で在ろうか?
否、こうも捕えまいか!?否、すでに面倒だ。
恐らく獅子が忘れる事が、出来ず、もし、語る事に“挫折”していようものなら
恐らく、下に書かれた永眠怪奇、現象に彼は悩みぬく自らを“閉じ込めた”後に解き放とう等とは決して、思えぬと推測する。
つまりこう多分こんな、感じ?。 およそ幾らの人集りが、 私の影を取り囲み、伴に落ち往く彼等の魂に、規制する寄生虫に成るので在る。
そして、私の意志はこう言って居る!!私がその“事”を知らぬからと言って、一体どれ程の影響が今日までに響く事を奏でるのか?
「語られる主体」の蘊蓄は私も知らないが、大体、皆目検討を持ち出せる。
語られる刻に結んで開いて両手を上に合わせて、開いてくっついて?蝶々の歌に合わせて話かけれ、これ即ち語り掻けの奥義。
「人の主体がまず持つべき概念!で間違いねん!是、即ち超人的な男の到来。」
おっと!!此処は通さないぜ・・・ひぃーーい・い・意志しろう!!ひぃーー。
彼の姿が見えるか、否まだ見えない、彼の眉は太いか?い、否!在りえねぇ!!位に太すぎる!!彼は何処からやってくる?!
力と一子相伝を伝え往く為、砂漠から来た見たい。正しく奴は超人的に戦いまくる、やがて、かつての彼と伴に居た“神”をも恐れず自らを“神”と名乗る、時の覇者と殴る蹴るの暴行を繰り広げる。
哀を取り戻せ!!
全財産の悲願。
457 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 06:00:20
人を殺さなきゃいけない理由がないからだと思う。
動機・目的がないと、行動まで達さないってのはあるね。
459 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 08:16:36
なにくだらない事言ってるんだよ!
殺しはダメに決まってるだろうが!
だから基本的に殺人はいけないって事になってるんだよ。
とりあえず同じ種類である人間同士が殺し会う事は不自然極まりない事。
殺人鬼に囲まれたら俺はそれを殺して生きるぞ
461 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 09:45:10
まったくだ。
人の歴史とはどうしてこうも不自然極まりないのだろうか。
462 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 10:10:29
人間が思ってるほど動物は自然な存在じゃにいよ。
自然はエントロピーの増大に逆らう不自然な存在なんだ。
463 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 15:38:32
>460 殺人鬼を殺そうとした時、事情をしらない善意の第三者に、合法的に殺される可能性が出てくるので、力の限り逃げたほうがいいと思う。
464 :
短パン:2006/03/25(土) 15:53:02
「どうして人を殺してはいけないのですか?7」
別に、誰もそれを「強制」は出来得ぬものだろうさ?
『ならば、おまいは人を殺す事を是定するか!』と、やられると困るけど、
犯罪かどうかの定義は、「それが起こらぬ限り定義されない。」のだし、
しょせんは「2次的な称号」に過ぎないのではないのだろうかね?
殺したい者が、おまいの中に存在するのならば、とりあえず殺ってみれば〜?
逃げれば「警察」という名のおってに君の生き方が拘束されるし、され続ける。それだけの事だろう?
所詮は、他人な俺に何を問いかけようと、おまいの今後など、どうでもいいのだよ・・・・。
もちっと、気の利いた投げ方しな。ノシ
465 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 16:04:34
誰か明確な答えをだしてよ・・・無理か。
466 :
短パン:2006/03/25(土) 16:13:07
「明確な答え」
そりゃ、君の心の中に在る。
恐れるなよ?
誰だって、本気で真剣にやってる。そうおもいなよ?(そうありたいが・・・)
「法律」は、案内版・・・。絶対を与える事は無いんだよ。
たまたま、さ。。。
なんとも言えないものだけど、僕等は誰かの結果を見ているだけにすぎない。。。
467 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 16:18:49
人が自由の権利を有するから。
自由で自らの生き死にが決められるのかはともかく、
自由の権利に従えば、他人には決められるべきではない。
468 :
短パン:2006/03/25(土) 16:34:00
定義に必死w乙・・・。
まだ書き込み出来るか?
469 :
短パン:2006/03/25(土) 16:39:43
「自由」とは、誰にも認めてもらえない場所に、ビルを建ててみるようなものだろ?
それは、ある者にとっては、反逆であるし、法律違反だ。
なにゆえ自分を、どこかに所属させようとするんだい?
おまい等の気持ちが自由であるのならば、所属はウザイだけのはずなのだけどね・・・
人殺しを否定する事も肯定する事も恐らく我々には出来ない……。
しかし、今の日本の中で他人と同じように
電車乗って、コンビニでスナック菓子買って、水道・電気を使う
ような文明的な生活を送りたいになら全体のルールに則って生活せざるを得ない。
それが出来ないのなら無人島にでも行って
アナーキーな社会を形成すればいいだけ。
471 :
考える:2006/03/25(土) 17:28:14
逃走の論理を本格的に構築する必要性すら生じていると実感しています。
みんな正しいこと言ってるし
みんな間違ったこと言ってるね
わかった気になるな
他者がいるからじゃない?
個としての世界なら罪なんて自分で定義しなきゃねーんだし。
最終的に殺されたくねーと思っている他者がいるからだろうね。
ようは自分の価値観と他人の価値観の差異って奴だと思う。
まぁ、これは欠点見え見えですが。
「人を殺してはいけないよ」をオカルト的に考察
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1141827433/l50 よりコピペ
138 名前: 本当にあった怖い名無し [sage] 投稿日: 2006/03/26(日) 11:59:31 ID:7WMfL97P0
いつの日か母親に「死刑は無くしたほうがいい」って言われた。
なんでだよ、いいじゃん、と首を傾げる俺に優しい問いかけ。
「なんで人を殺しちゃいけないか分かる?」
「えー・・?・・・・んーあんま分からん」
「例えばコップや皿やペンは壊してもまだ大丈夫、分かる?」
「何で?」
「”直せる”からだよ。生き物が死んだら”直せる”?
直すっていうのはね、”元通りに戻す”ってこと。
だから殺しちゃいけないの。壊すのもダメだけどね。」
「・・・・死刑は裁きじゃん?悪い事したんだから。だったら・・」
「死んじゃったら意味がないね。」
「・・・」
「その罪を犯した人が『何が悪かったのか』に気付いてくれないと」
「・・・」
「『生き物は”直らない”』から悪いことなんだよって反省すればいいの」
厨房の俺にもちょっと意味は分かった気がしたよ。
空気読めてなくてスマソ
477 :
考える名無しさん:2006/03/26(日) 19:32:44
>>476 コップや皿やペンだって壊れてしまえば元通りには戻せやしない。
再利用可能な状態に修復できる場合もあるけれど、それは損壊の度合いによる。
人間だって同じこと。
壊れ方が非道くなければ更生することもできるけれど、どう頑張ったって直らないこともある。
直せないくらい粉々に割れてしまった皿をそのままにしておいたなら、
誰かがその場に身を置く度に、破片は触れるものを傷つける。
被害を止める確かな手立ては、割れた皿を片付けて捨ててしまうこと。
鋭く尖った欠片の上で、どうして笑って過ごせるだろう。
死刑廃止論者は身内数人が酷い殺され方しても無期懲役でいいのだろうか?
試してみたいよ。
しかも、日本の場合は無期でも出てこれる場合が多いし。
|・∀・) ニョキッ
>478
基本的には罪は犯罪者本人の意思というより、そういった存在を生み出してしまった
社会と貴方と私にあるのだから、犯罪者を過剰に糾弾する事は間違い。
もっとも、どれほど優れた社会であっても人間の条件を満たさない低劣な個体は
生じてしまう訳で、そういう場合は不適合者として社会抹殺するしかない。
481 :
死を殺されたくないまでの『前略の彼岸2』あなたは神を哀しますか?:2006/03/27(月) 07:55:31
『悲劇的と喜劇的な朝日に昇る太陽の輝きは伴に黄金色。』【伴に同じ価値だとは夕日に進む孤独な貧しい漁師でも等しく持てる。】
此処での私があなた方との間で取り交わした、在る共通の“同意”による、一つの“試み”について、“私の”これ又、至極、私的な“力への意志”による【移り往き。】と【没落】によって【一つの彼岸】へと
創造する事と過ぎ去る破壊の痕跡を粗方、拾い上げる事により私の“意志”の許に横たわる“残酷な偶然”をこの瞬間に、どうか救われる事を創り上げる事を
今更ながら、私は自ら償いたく今、正に“ツァラトゥストラ”あなたに寄せた“私”の“同情”を、何よりも自らに許される事を望んだ私の“原罪”を過ぎ去った、不届き者として。
誰よりも“彼”により『救い無き運命だと、いわしめて貰いたいものだ』とは、私の行き過ぎた虚栄心だと“私”は“私”を限り無く一つの孤独な“一人遊び”の一人の人形になる事で、あなた方に一つ“許して貰う”事と“試み”ようではないか!!
482 :
死を殺されたくないまでの『前略の彼岸2』あなたは神を哀しますか?:2006/03/27(月) 08:00:18
“試み“1、比喩と検証による洞察の例え話。
およそ、そう“ツァラトゥストラ”彼の過ぎ去った、道を私が辿ると、すると、どうだろう。
真に一つの黄昏を待ち望む様な、この感覚を追い求め、彼の足跡を辿り追う度に“彼の足跡は消えて行く”事をあなた方はきちんと“消し去る”事により
最後には其処に“あなた”自身が僅かながら、残った混沌に“自ら”の中に創られる“自身”を何より読まされていると言う事に気付くだろうかと。
そして又、幾度と無く“彼”により影が私、自身の感覚に映り延びると言う錯覚とも、肩を組み寄り添い歩く様な悪戯による衝動に
誘われた少年の夜が、その夜を駆け上がる孤独な月の冷たい柔らかな光を輝かせる、冷たい心の感触に触れ揺らめく“孤独”と“華燭”により、この一人の“詩人”により謡われる詩を、
少しでも、あなたの意志が其処にある“痛み”と“苦痛”を見る事に躊躇いが少しでも、近づこうものならばその時にはそう、
“何故”あなたが“孤独”なのかを僅かながら、この詩の中へ残せるだけの“悲しみ”を知る人で在る事を願って止まないのだ。
何よりも“あなたが、孤独を愛する人ならば“と。
そして、この詩が語られ謡われる時にまず何よりも私の“企み”により。
483 :
死を殺されたくないまでの『前略の彼岸2』あなたは神を哀しますか?:2006/03/27(月) 08:05:27
“私”の『生きる』と言う“命題”に一つの“試み”を“彼岸”と言う一つの“移り変り”へと、ほふり去る事と供に、其処で燃え上がり、立ち上りつつも揺らめく事を忘れない、背徳の陽炎の様々な高みへと、
ゆっくりと上昇しながらやはり、移り変り往く視点による私の“悲願”見送る事が、“私”にとって何にも増して、この“生きる”と
言う未だ我々の残酷な偶然に苦悩する“私”の孤独を癒したとするものは、もはや、私、自らが望み、創り上げ立ち向かい挑んだ“試み”によりもたらした
“勇気”であると私が呼ぶ事のその何物でも無い自らの意志による力だと、誰が私から、この“力”を退く事を望もうものか!!
私の意志が自由で在る事を叫ぶ限り、私はあらゆる“言葉”を武器に、およそ、私が是からも、繰り返し
対峙するで有ろう“あらゆる同情に繋がれた退化の敵”が囁く“私”が無知を侮辱すると言うだけに押さえ込まれる事を軽蔑する時に笑い出す“悪意”が何時までも混沌の闇の中で見つける
この無垢な無知と戯れようと幼子の如く興味を貪る。
『人の上を飛び越す道化師』で有り続ける事を“私”の意志が“試みる”と言う事を恐れる事の無い
“魂”にまで持ち続けるだけの“愚かさ”の中には、常に幾分かの“賢さ”が有り、
又その賢さの中にも“常に知恵を欲する”枯れ果てぬ小さな泉の湧き水が尽きぬ事を私は、今、改めて確認し楽しみを喜びとの
架け橋に出来る、この自由な精神の本能が持ち出した叫びを響かせよう!!ではないか!!おおツァラトゥストラよ!!
484 :
死を殺されたくないまでの『前略の彼岸2』あなたは神を哀しますか?:2006/03/27(月) 08:08:47
“私”は、その様に、この一つの創造される事と伴に“没落”を見事なまでに輝かせた。
この“悲劇と破滅”を伴に連れ添い道連れに“あなたの横を”その“瞬間”を
過ぎ去りて生きそして、その場から駆け昇り、その“時”を告げる“大いなる正午”の訪れを“我々の喜び“として輝きを照らし続けた
“彼”の“悲劇”をどうして“私”が救い出す事が出来るだろう!?
どうして“私”が受け止めない理由が持てるだろう!?
なる程!!彼の言う事に従うならば「私がこの様に救った事。」だとして
“私“に残された問題を、あなた方達との“全明日の彼岸”までに今、此処から送り届けようではないか!!おおツァラトゥストラよ!!
ツァラトゥストラよ!! あなたは私にこう言った。最初の扉に書かれた看板に垂れ下がる“試み”と“企み”には恐らく、次の事柄により未来から償わなければ、成らない。
「書き上げられた孤独が創ると言う事を読み続く明日への午後を読み終る夢を見る夜には、あなたは読まれる事により、孤独な“彼”が、あなたと言う孤独な
“たった独りの一人ぼっち”が読み続ける内におよそ、もう独りの“あなた”を読み切れなければ『読む事の終り』を読み続けてさらに、終りは過ぎ去っては
行く事を向かい入れ様とも、在る事でさえも、理解は言葉を解釈するまで苦痛と苦悩の破滅が創られた瞬間にも届かない。」
485 :
死を殺されたくないまでの『前略の彼岸2』あなたは神を哀しますか?:2006/03/27(月) 08:13:59
『全苦悩の彼岸。』
“試み2”忘却の幼子。獅子と幼子に見る「彼の問題。」遠い未来による推測と判断の一つの“私”が創る回答。
さぁ、私は此処を私が、創り出さ無ければなるまい。
何故?かともし、尋ねられたら、私が彼の足跡を追いその、跡に残る言葉を拾い上げ創られる意志が私を呼び止めた時に彼は、向い側から走り出して過ぎ去った、とだけ、今は理解を求めよう。
私の大いなる復習の“仮説”により“試み”て検証の輪郭と過程にある喜び。
そして、その認識を浮かび上がらせ「私の意志がこうで有った」事に書き換える事とする“救済”と“復讐”による復習による視察。
およそ、此処で取り上げる視察と解釈の議論の焦点を“私”の主観により、独自が持ち出す、“彼”が書かれた独特な理論の幅を広げる事を念願の先に求めて、進行させて頂きたい。
論点はおよそ、この一点。『精神の変化』に見られる獅子と幼子を繋ぐ架け橋に置ける解釈と独自私感による“痛み”と“苦悩”の“忘却”を巡る再構築とでも題しましょうか?
『獅子』“意志の力による”自由への“苦痛”を患う“意志”による解放の略奪。
をこの『獅子』のごとき、力を欲し自由を奪った、この『意志が持つ力。』が新しき価値を創造する時に一体どの様に変化を、そうまるで日没に流れる、黄昏の如く自らの疑問の闇へ没落させるのか?
そう、私は“試み”ては、楽しもうでは無いか!!
何故なら、そう、今正に私を流す感覚は、そう遠い過去に程、近い幼子が舞踊るあの完成度の水準を、その舞台に舞う俳優達が一体、
どんな内容か?と言った悩みも、そう忘却の彼方へ追いやる、そのアンビバレンツな破綻の色すでに脚色の
敗北を塗り潰し舞台演劇として“私“の理解が敗退の色濃く、その幼子達を受け入れた“私”の智理に及ぼそすで有ろう考え得る影響は『あれもしたい!是もしたい!でも、あれとこれがなんなのかなんてもっと、どうでも良い。』で在り。
486 :
死を殺されたくないまでの『前略の彼岸2』あなたは神を哀しますか?:2006/03/27(月) 08:19:17
この素晴らしき認識論と、存在論すらその余りに稚拙な、虚栄心すら寄せ付けぬ
この俳優達の背後関係を支配する“力”は親御さん達による無理矢理な舞台デビューであり又、本人の意志でさえ、恐らく『どうでも本当に良い』ので在ろうと
言った具合の恐ろしく『獅子が幼子を求め渡った、結果なら、なんとも、アホ臭い、否、失礼なんと幼稚な視察の結果だと言えよう。。
此処には、何処の国の“朝眠いショウ”を、彼岸に追いやる程の早起きを昇らせようがお遊戯会に挑む様な心持ちとも、“私”の意志は『この様に自由で在りたい。』等とは決して、そうは思いたくない。
と、心からそう、思う。
彼の問題は獅子が『語る主体』を知らない為に挫折して『全て』を忘れるために『幼子』になる必要が有った。
およそ『全て』を忘れる、なんてオチは恐ろしく、往年のドリフさえも避けるで有ろう、取り敢えずベタベタに剛速急な勝負所を
間違えた、勝負師におまえが破れたのは、自由な意志を求めたから、なんかじゃないさ。嗚呼そうさ、ちょっと運がなかったのかな?
487 :
死を殺されたくないまでの『前略の彼岸2』あなたは神を哀しますか?:2006/03/27(月) 08:21:50
と、あからさまに侮辱してる事に気付くべきであり、意志が自由に成る為に『幼子に成る!!幼子に成る!!』とおよそ『馬鹿の壁』
の厚さを“試みる”為に頭をひたすら打ち付けて記憶喪失による忘却を本気で実行しようとは“私”は痛いから『嫌だ』と確実に拒否するで有ろうから。
だが本気で実行し、その自らの意志を押し通そうと、壁に頭を打ち付ける“者“がもし、いたら私はきっと尊敬の念を密かに抱き、
誰にも悟られる事無いよう『死ぬまで笑い転げる』かも知んない。
獅子により幼子によって、『忘れる』事により喜びに変えて欲しいと願った物は自らの『意志の苦痛。』
理論の倫理化を自ら創り上げようか!!
およそ“此処での”理解を構築する素材は『ツァラトゥストラはこう言った・上巻』により納めら見られる『救済』の記述に見れる。
ポモ役の方ですか?
489 :
死を殺されたくないまでの『前略の彼岸2』あなたは神を哀しますか?:2006/03/27(月) 08:29:33
逆向きの『時』に散らばる『憎しみ』と『和解』を
逆向きの『今』に持ち込んだものは、あなた方の過去此処での全ての『そう有った』事によると言う事を意志により遡れないと言う。
『苦痛』による、大いなる逆恨みによる逆向きに嫉妬する意志により復讐として仮面を掛けた『罰』そのもので有る。
『そうあった。』――――これこそ意志が歯ぎしりをして、この上なく悲哀を噛み締める所である。すでにそうなされたことに対しては無力である・・・中略・
・・・意志はさかのぼって意志することができない。意志は時間を打ち破ることができない。・・・中略・・・・
こうして自由にするはずの意志が苦痛を与える者となった。そして苦痛の感覚そなえた一切のものに、意志は、自分が逆もどりさせえないということの復讐をする。これこそ、いやこれのみが、“復讐”というものである。
ツァラトゥストラはこう言った上巻・第二部・救済より一部抜粋。
あなたは意志の痛みの中から、自らの痛みを捜し出す事は他でもない“彼”が
悲劇な所から、生まれた事と差程なんら、あなたがこの詩を未だ悲劇的なままと、読まれたなら、あなたが悲劇のままに終る事となんら変わりは無い事を
この“問題”がなにより、あなただけの“問題”である事を何故、私がお前と伴に行く事が出来ようと同じ道を目指す?
伴に行く事は・・・出来ない、あなた方の行く道は、螺旋曲げて結ぶ事が恐ろしく、理解出来る理由が欲しいとは思えない。
490 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 08:39:13
ココデスカ、チョーブン コンテスト?
>>480 やや論点ずれてないか?
それに死んだ方が社会にとっては有益な人間も
お前の言う通りいるにはいるし、それをどうするかって話だぞ。
492 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 15:52:14
>>491 シンダ ホーガ ユーエキナ ニンゲン? ズイブン カワッタ ジコショーカイ ダナw
493 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 16:03:48
人間は痛みに対して敏感だから殺すのがよくないことぐらい
わかるはずです。何故音楽を聴いてはいけないのですかという
質問より、何故人を殺してはいけないのですかという質問の方が
聞いてみたい上位にくる時点で質問者の考え方はクレイジーです。
人を殺す空想に浸り楽しむ。しかし罪悪感があるから答えが
でないような質問をぶつけ罪悪感の薄らぎにかかる。最低ですね。
494 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/27(月) 18:21:04
「統治者と被統治者間での了解ごとであるヒトを殺してはいけない」という規範と、それを破った場合の罰が無ければ、経済動物であるヒトは、限りなく、経済行為として、無条件に、無意識に、ヒトを殺す。
ヒトには、それ以上の、ア・プリオリな自己規制の倫理も本能も備わっていない。
ヒトを、原始状態のまま放置すれば、他者と交わり、且つ分配ルールを確立できるだけの経済的なメリットが無い限り、国家間戦争に至るまで果てしなく殺しあう。
ヒトには他の生物と同様、「種の保存本能」など無く、「自分の遺伝子のコピーを残す」という「利己的遺伝子」しかない(チャード・ドーキンス)とする。
この前提に立つと、自分の痛みがわかれば、他者の痛みもア・プリオリにわかるはずだ、あるいは、その程度の想像力は、教育を介し経験知として涵養される、という楽観論は、
既に、裏切られているという事実に対しても、おそれもおののきもなくなる。
これが、ヒトのプリミティブなありようである、と割り切れば、殺人が非ヒト的行為であるかそうでないか、という次元を超えた、
技術論(規範に逆行したものへの社会的報復=相対的多数者による相対的少数者であるヒト殺し主体に対する懲罰。即ち、多数者を取込んだ為政者が演出する民主主義)の領域だけの問題になる。
いかにも、無味乾燥、無機的な記述ではあるが、反面、そう割り切れば、ヒトの本源的ありように対する「過剰な」かいかぶりからも自由にはなれる。
また、そういう観点に立てば、何故ヒトは、たやすくホロコースト、その他のヒト殺し行為に奔るのか、の説明も不要となる。
誡めるべきは、ヒトに対するかいかぶりであり、この認識に立たないと、ヒトがヒトを殺さない社会構築のビジョンもみえてこない、と「思う」。
>>491 社会にいない方が有益な人間も、生まれた時は居ていて欲しい存在であった人も多いと思う。
そんな人間が、社会にいない方がいいといわれてしまう、そんな社会がやはりひずんでいるのかな?
生まれてくる子供に罪はないと思うのだが、やはり悲しかった。
>>494 wisteria-1さん、僕も同意です。
統治者と被統治者の「殺人は罪であるという」という同意が必要ですよね。
深く掘り下げたあなたの意見、大変興味深かった。
497 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 19:04:29
>>494 モデルが不自然
国家があるのに原始的な状態って何?
人間の理性はどっかにやっちゃうわけ?
論旨は納得できるんだけれど、ちょっと例えが強引でない?
まあ、戦争を憎む気持ちは伝わってきたが、ちょっとなぁ・・・
498 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 19:50:14
どうして人を殺しては行けないのですか?
499 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 19:57:21
人を殺すという行為自体が共同体に対して、いかなる影響を及ぼすのか
よく考えてみるといい。
当然のことであるが、共同体の成り立ちの構造は人と人との和や秩序
で成り立っている。和や秩序を管轄するのが法だ。
法は規則や制度のことであり、簡単に言えば共通の決まり事みたいなもんだ。
決まり事は、みんながより良い暮らし、すなわち安定的な社会を維持するためにある。
そして殺しの行為がとてつもなく、和や秩序を乱すものなのだ。
だから殺しは人類の歴史において厳然たるタブーなのだ。
500 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 20:07:42
その人殺すと、その人の未来の可能性を消しちゃうから駄目なんじゃない?でも死刑は認めるし難しい問題だね
501 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 22:08:24
( ´゚д゚`)まだグダグダつまんねー屁理屈こねてんのかよ低脳ども
っていうか「なぜ人を殺してたらいけないのか」と疑問に感じはじめたら
「なぜ俺達は生き続けてるのか」とか「この世は存在するのか」
なんてキリがなくなるよ。
503 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 04:27:22
さっき宇宙にきいたらやっぱり人を殺したらいけないんだって。
私はこの扱いに反対します。
505 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 05:33:09
「人を殺してはいけない」と一般的に決める事によって
自分自身を守ってるんじゃないのか?と
とゆう事は殺人を罪にすると決めた人はそれだけ人に恨まれてたんだね
506 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 05:35:06
なぜ人を殺してはいけないか?
それが「悪いこと」だから。
507 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 05:39:03
>>506 どうして人を殺すことが「悪いこと」なんですか?
どうして「悪いこと」はやってはいけないのですか?
508 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 05:42:43
そんなことより、
「なぜ」とは何かのほうが気になる
509 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 06:17:14
人を殺してもよい。ただし、法で処罰される。それだけのことだ。
あと人を殺す時に相手が強いと逆に殺されるので要注意。
510 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 06:28:10
あなたのお父さんお母さんが殺されてもいいんですか?って言えば心にくると思う
511 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 06:28:28
とか言ってるやつは生きてる資格が無いので死んでほしい
512 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 06:31:14
こんな時間に哲学板入り浸って即レスで煽る奴は生きてる資格が無いので死んでほしい
513 :
本当に終ってる人達と、何故か伴に居る、乗り呑んだ:2006/03/28(火) 10:42:06
もし、人間が創作者でもあり、謎の解明者でもあり、偶然の救済者であるのでなければ、どうしてわたしは人間であることに讃えられよう!
過ぎ去った人間たちを救済し、すべての『そうあったこと』を『わたしがそのように欲した』につくりかえること――これこそわたしが救済と呼びたいものだ。
ツァラトゥストラはこう言った。上巻・第二部救済。
【賛美と甘美の瞬く、深淵万物の究極に於いての数】はおよそ1のみ。
だが、全ては『過ぎ去った事』なのだ、諸君。
そう、あなたも、わたしも全ては、この『瞬間』により過ぎ去ってしまうのだ。
『万物に於いての究極は静止で有る。』
『万物に於いて、およそ全ての“真実“を実証し認識に繋ぎ止め続く虚偽の偲惟が見る知覚の動きを捉えた、その究極は、この世に有る一切の“瞬間”と言う正視により憶測の安住を覗き込めよう。』
嗚呼、意志!!認識に没落する、偶然と実数にもつれ揺らめく熟れた果実の剥奪者達!!!!
嗚呼!!意志!!青天井に開閉の生誕を包み込む。
この暗黒の晴れ上がりに、一切の過ぎ去りし未来を破壊しながら創造する過酷な賛美歌により、破滅の喝采を浴びる日増しに二割増しな島な人間達よ!!
大いなる忘却の観客に沸き上がる定説な感情の服従者達よ!!
あなた方は正しく今、正に是と一体と一切の何が微妙かなんか、全く問題は正解だと言えないかね?
意志はさかのばって意志することができない。意志は時間を打ち破ることができない。こうして自由にするはずの意志が“苦痛“を与える者となった。
過ぎ去った人間たちを救済し、すべての『そうあったこと』を『わたしがそのように欲した』につくりかえること――これこそわたしが救済と呼びたいものだ。
さぁ一つの“私”の創り上げた回答を拾い上げようではないか!!!そう、およそ無秩序を装う、この混沌の臨海に、没落した、残酷な偶然により。
未だ、この遥かなる瞬間に繋がる浮沈船のごとき、思惟に沈む事でおよそ、追い付かぬ実数を数える程に、
過酷な宿命に生きた孤独が置き去りにした影を手解く意志によるさらなる転回を待ち望む、静かに通り過ぎた、劣情の断片をあなたが覚えているなら。
514 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 10:45:37
別に殺してもいいんじゃね?それは自分のなかに
殺す=悪という概念が存在するからではないか?
そのかわり刑務所生きだがな・・・・
今の日本で法律が無くなったら日常茶飯時人殺しだろう
昔は法律なんて固いもんがなくたって人殺しは殆どなかったさ
ゲームとかで殺人が生活に近すぎるのだ
「いけない」とか「悪い」という言葉がどういう意味なのか、わからない。
517 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 10:49:59
たしかにそれもある。法律が無くても人々の中に心が
あったからね。子供は殺しを2次元から3次元へと
理解しちゃうから
宗教的に言うと神から頂いた体を
寿命ではない時に体を無くすのは失礼だから
人を殺してはいけない。
一般的に言うと一度きりの人生を苦痛と共に
人から奪ってわいけない。
519 :
本当に終ってる人達と、何故か伴に居る、乗り呑んだ:2006/03/28(火) 10:54:36
さぁ意志により、あなたと言う“真実”を唯一あなただけが意志を持ってでしか経験する“真実”へ帰って来る事が何故あなたにしか訪れる事を認めれぬことか!!
嗚呼!!この未だ笑わない獅子に混じり一体と重なります、私し事、俺と言いまする独りの人形を操らんと
奮闘する、獅子舞の優雅に降り立つ意志の伝道者は、嗚呼!!未だおよそ全ての“力“に有る忘却の没落が始まりと終わりを記録する羅針盤に“見られる“
我が、意志が生きるこの不道徳な混沌の源となる数が数で無い瞬間に“大いなる衝突”と“紙幣““通貨価値、増大理論”の虚数により閉じられた結び目を
どうか“意志”この、素晴らしき背徳の祝福者は、そう、自らの“試み”を掛ける事を約束した『幼子にも満たない過去。』と言う、
意志により遡る事を見つめ直した時およそ、こう言ったのだ、私の詩人は。
だが未だ“力”を持った意志は自らの自由にならない事に“痛み”を覚える。
『罰』とは、すなわち復讐が自称するところのものである。
そして意志者自身の中に逆もどりを意志することができないという苦悩があるから――従って意志すること自体ならびに一切の生がーー罰だということになった!
駱駝は砂漠を心に広げる事を“危険”だと忠告をした。
520 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 10:55:00
宗教的に理解すると大変な目にあうぞ
521 :
本当に終ってる人達と、何故か伴に居る、乗り呑んだ:2006/03/28(火) 11:00:37
獅子は自ら欲したものを見付け拾った時に“くれた“ものを奪い取る事が、より多き実りが押し寄せてこようとは思えぬか?
幼子よ、その未熟な洗練された転武の才とはこの際もう、何も言うまい。
幼子よ、そなたの手に取り上げる“もの“は何よりのお前の宝に成らなければ、為らない。
幼子よ、何よりも無垢なる“無知”を寄せ付ける事をあなたの人徳にしろ。
幼子よ、あなたはその純粋な踊りと一切の余りに大きな“砂時計”がやがて失意と誘惑の金の音を呼び止める。
さぁ“語る指数“が滅び去る、語源の主体について、今話を付けた。
だれひとり理解するものとていない。
だがそれは“語らぜるをえない”のだ、――つんぼたちにむかって。
「ましな人間」たちよ!
あなたがたはわたしを理解出来ないのだ。
ツァラトゥストラはこう言った。下巻・第四部・酔歌
だから拾い上げろとは支配による強制はなんらの力が無い事か!
だが恐らく君達は此処に、書かれた言葉を正しくは知らないと、未だ言い張るのかい?
まぁどちらにせよ私には、煩わしい事だ。
嗚呼!!この上無く煩わしい事だ。
さぁ、あなた方に聞こう。
意志により決しては後戻りの足跡を消せは出来ないと“知った“時にまるで赤裸々なまま立ち尽くす“あなた自身”が、其処に居たなら、さぁ胴上げする?
522 :
本当に終ってる人達と、何故か伴に居る、乗り呑んだ:2006/03/28(火) 11:03:01
私はおよそ、走り出すだろう、その自身を覆いながら又は力の限り張っ倒したいだろう、素裸で痛みに震えて居たなら、何よりも
その姿を軽蔑し肌に突き刺さる、つむじ風の痛みを何よりも忘れはしないだろうと。
だが私は“其処”へは降りて行く事は“今”は無理なのだ、故に何より今だ目前のやや上の空に、晒される
“自身”を感覚が創り上げる事により見る事を認識出来たなら。
およそ、恐らく、否、確実にこう思うだろう事か!?
おお寒空に素裸を“試み”る様な余りにも稚拙な、
マジで“痛い”くてその自身の四肢すらも口を開かず
呆れた失態を、歯軋りしながら、その“姿“を何より悲しく哀れな痛い人だと私の決しては戻れぬこの過去から、自由に逃せれるならば。
嗚呼!!どうか無かった事にしてしまえ!!私の痛ましい悲壮な過去を、およそ九歳により起こった出来事として!!
何故なら私にはこの“意志”の“力”が御座居ますから、私は自由な意志の力に服従する事により、およそ
全ての興味に夢中の夜を、見つける事も又、宜しかろうかと告げまする。
獅子はやがて小さな微睡みを見つける、其処で苦痛に追いやられた自らの痛みと引き替えに眠りにつく。
幼子は眠りの淵からは、やっては来ない、何処からか?およそツァラトゥストラあなたと同じ国を目指した所で有ろう。
幼子は獅子、自らの悲劇により目覚める。
523 :
文一の星:2006/03/28(火) 11:19:09
まず
>>1に問う。あなたは自分が人を殺すと思うか?殺せると思うか?想像できるか?
殺人の是非など哲学にあらず。
殺人は才能だ、生まれた次点で決まってる。
そもそも出来ない人間が殺人について語ることなど無意味なのだ。
そしてその解釈はそのままの形で自殺についてもあてはまる。
524 :
本当に終ってる人達と、何故か伴に居る、乗り呑んだ:2006/03/28(火) 11:21:35
さぁ、後は心の反応だ!!
幼い頃、そうどんな事なんてさえ忘れ必死に追い駆けたのは”楽しみ“そう、それは何よりも“私”と言う孤独を“喜ばせる”ものだったから、だと。
私は自ら、この様にしなければならない事として、自らの過去に休載させた。
およそ、あなた方はショッカー見たく又、A.Dと呼ばれて見たり、時には頭、伸びた?とこずかれ、やがてあれ?俺?一体どれい?
正解!!自らの意志の余りに行き届かぬ命令により、突き動かされる、石の奴隷と言えよう。
故にすぐに“砕ける”とは憶測だが真実だと忠告しとく、何故かって?私も同じ身分だからだ、意思の奴隷。
是こそ、真の“意志”として私達に細やかな映画に見る様な、何時もと違う、儘レモンな友情で有った様な気がするだけか!?
おおツァラトゥストラよ!?
我々は自らの意思により、死ぬ事を受け入れなければ殺されるべきにはいかない。
恐らく此れが、あの夕日の没落を繰り返してる理由の、一部では無かろうか?
525 :
本当に終ってる人達と、何故か伴に居る、乗り呑んだ:2006/03/28(火) 11:23:15
独り殺せば反逆者、独りの億人殺せば革命の英雄、 地上の独りと言う一人殺せば、あなたは神だと言えるだろうか?
否、死なない。何故か? 死ぬ程“阿呆臭い”から嫌だ。ねぇ此れ、どなたの真実?
恐らく神様だってもう少しまともに死ぬ事を願うだろうぜ?!オーバーエンガディーン・・・記す生母。
千の没落と八百八十と五回目の結び目をロクでもない月と伴に数えた記述と思っては如何かな?
あなた達の此処までの評価『全楽の志願』駄目じゃね?誰か一人位、志願しないで楽できなきゃ? 失格。
あっそう、でもそれ、実感。次。逝って観よう?
何故人を殺すな?だと? およそあなたの様な質問を問い掛けて来る人が、私を殺る気なら、迷わず、没落をお薦めします。
あの山々なんか如何では、無いでしょうか?
記に食わない?ですから死ねませんし、殺す事すら、煩わしい事とは全く”死合わせ”な事ではなろうか?
526 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 11:26:45
謬院いったほうがいいでしょ
>>525 明らかに似非キチガイ
キチガイの振りをしている凡庸な人間
>>527 禿同。
こういう天才、紙一重、基地外のふりしたがるやついるんだよな。
うちの学校の美術の教師とか正しくそれで
「僕って変でしょっ?」って聞いてくる時点でかなり痛い。
529 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 15:39:57
法律とかはその時のお偉いさんの都合ですね
江戸時代は人を斬ってもなんともなかったですし・・・
あと、「良い」「悪い」も全部お偉いさんの都合できまっちゃってます
だから、殺人も同じように制限されてんじゃないの
531 :
考える名無しさん:2006/03/28(火) 16:07:16
人を殺したら自分の脳みそ変えられちゃうよ。人を殺したらめぐりめぐって自分を殺すあらゆる形のどれかによって自分を殺すよ。なかでも生き地獄はきついよ。
でもほんとは無意識に殺されたいやつが人を殺すんだよわかった?
ハエ野郎
人を殺すのはあいつの家の教育方針なんじゃないの?
535 :
考える名無しさん:2006/03/29(水) 06:33:33
トルネード山田
ねずみ溝のように人が死んで
人口が減る
537 :
考える名無しさん:2006/03/29(水) 10:55:23
暗い世界 暗い時代の果て 笑い合い 笑いたいのに なぜ
涙を流すの 声をころすの 人の上にひとはいないのに なぜ
争い事絶えない世の中
また歴史は同じ道をたどる愚かさ
罪のない子供たち
力ない者から
消されて行くその優しい心が
その銃の重さ知らない
命の重さくらい伝えたい
ばらまかれた欲望のかたまりとの戦い
誰のため 何のため
兵士さえ戦う意味も知らず
人々のため 国のため
なぜまた黒い雨を降らす
神さえ止められない 祈りさえ届かない
待たざるものが なくしかない
またいつ笑い会えるのか?
この声 心に響くのか?
道徳だから、人間を殺してはならない。
539 :
考える名無しさん:2006/03/29(水) 14:12:38
道徳なのになんで殺すヤツがいるの?
道徳という訳でないから、殺すんじゃないの?
541 :
考える名無しさん:2006/03/29(水) 14:25:54
人間は道徳が第一優先じゃないってこと?
542 :
考える名無しさん:2006/03/29(水) 15:08:24
何で殺しちゃいけないかっていうと、養老たけしさんが言うには、人を造れないからだってよ。
よって「死の壁」読めー
人を殺すなら、人を作ることが可能だ。
縮小サイズの人類を作り出せないならば、人間を作りだせない。
人間を作り出せないから、人を殺すべきではない。
○分の一モデル人類の発明が希求されています。
544 :
考える名無しさん:2006/03/29(水) 15:36:00
人なんかいくらでも造れるだろ
世界は人口の爆発で食糧不足まで心配してるぐらいだ
もし、ある特定の(個)人が造れないという意味なら
この世のすべてが二つと無い固有の存在なんだから
人間だけに特別な固有性を主張するのはおかしい
つまり、合成精子を作りだせないから、人間を殺すべきでないのだ。
しかも、合成卵子を作りでせないならば、人間を殺すべきでないのだ。
しかし、我々ができないから、殺すべきでないにしても、
合成生殖細胞を作りだせるならば、人間を殺すべきであるのか。
人間に背いているのではあるまいか。
人間を合成物にむかわせたいということである。
我々の理想が合成人間であるとすると、どういう理念であろう。
我々が神だ。
>>1 こういう問いをするやつって、自分は殺されてもいいと思ってるんだろうか。
547 :
考える名無しさん:2006/03/29(水) 16:08:53
もう「人を殺しても良い」でいいじゃん
548 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/29(水) 16:13:27
良い/悪い、ということ以前に、ヒトはヒトを殺す存在である、ということだけ。
この事実に、良い/悪い、を付け加えることは、次元の異なるものを無理につなぎ合わせるだけ。
即ち、無意味である。
事実に対して規範が存在する必要はないという意味か?
そうなら超危険思想だな。
550 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/29(水) 18:03:06
>549
「事実には良いも悪いも無い」、ということ。
ヒトは死ぬ、ヒトはヒトを殺す、ヒトは経済動物である、・・・
これらの事実自体には、良いも悪いも無い。
この事実に対する規範に関する考えは、前レスで書きました。
551 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 01:28:19
wisteriaさんは率直だよ
人は確かに経済という無数にはりめぐらせた関係性から抜け出せない
そして経済的な因果で殺人は行われる
ただ、人は集団幻想を持たざるをえないと思ってます
そこに確かな根拠が無くても殺しを悪とする(これはwisteriaに言わせれば自己欺瞞でしょう)
矛盾しつつも殺しを悪とし、一方善なる殺しも認める
そうしないと経済的生き物である人として究極的には生きられないからです
社会という枠組みがあり経済とそれは不可分でありいとこ同士です。
経済的生き物である人間は集団幻想を持つことによって
社会的人間としていきているんだと思っています。
経済という利己的な私と社会という集団幻想的な埋没した私を人は同時に持ちながら
生きているんじゃないでしょうか。
ただ、果たしてその集団幻想は殺人を止められるかというと止められませんね。
集団幻想そのものが善なる殺人を認めているわけですから。
理想はやはり高度に発達した共産的社会でしょうか。
これは今の時点では形而上学的ですね・・・。
552 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 01:36:48
>>546 とりあえず死ぬ覚悟くらいは出来ていると信じたい
553 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 02:53:49
ある人に質問したら
「どうでも良いです。
そんな事を考えている人に何を説明しても分かるはずがないと思う。
人間としてどうかしてる。」
と返ってきました。
「どうして人を殺してはいけないのですか?」という質問をする人は
「人を殺してもいいじゃん」とか「人を殺したい」とか思ってるわけではないと思う。
そんなレベルの話じゃなくて、もっと深い問いだと思う。
逆に、上のような答えをする人の方があぶない人のような気がする。
554 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 02:59:35
>>553 禿同。
人を殺してはいけないことは当たり前の話。
「どうして人を殺してはいけないのですか?」という質問をその次元で考えてる人の方が問題あるのかもしれない。
555 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:02:45
殺されたくないから
理屈じゃない
556 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:03:36
じゃあ最強の強くて誰からも殺されないっていうなら人を殺してもいいの?
557 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:04:21
訂正)最強の→最強に
558 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:05:33
>>556 そういうのは殺してんじゃないの
マフィアとか
559 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:07:34
最強に強くて誰からも殺されないと思い込んだ人にしか聞けない質問だと思うよ
560 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:09:35
殺されたくないから
これは、殺される側の意見
殺さないで、イコール殺したらいけない
561 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:11:20
>>553 いけないも何も人は毎日殺されている
この事実は「人間は人を殺して良い」と考えていることの証左以外ないだろ
言動より「行動が真意を表わす」と解釈するのが合理的判断というもの
違う例があったら教えてくれ
562 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:12:51
563 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:14:14
ていうか、他人に
どうしてアナタを殺したらいけないのですか?
と質問されたらどう答えるか
こう考えたらいい
564 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:15:51
盛り上がるな屁理屈ども。
565 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:17:39
>>561 人が人を殺したからと言ってその人が「人を殺してもいい」と考えてるとは限らない。
人を殺すことが悪いことと分かっていても他の何かしらの理由で殺しをする人もいる。
566 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:17:47
人を殺して幸せを手に入れた人は居ただろうか。
567 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:21:42
実際に人を殺してる人も、良いとは思っていないでしょう。だからどうしてダメなの?って
聞きたくなるんじゃないかな?自分が生きるために人を殺したとしたら、殺さざるを得ないわけです。
戦争をしている人や医者が自分が生きるために人を殺したとしても、悪い事だから殺しませんでしたと
そういうわけにいかない訳です。医療ミスは殺したくて殺した訳じゃないけど、仕事に対する注意力や誠意が欠けていた
と言われれば、そうなのかもしれない。でも俺疲れてたしそんなのわかる訳ないじゃん。とか
本当は家族にとってもお荷物だったんだから、これで良かったんじゃないの?とか言う意見も分からない事はないわけです。
悪いと言えば確かに悪い、でも生きるために仕方なかったんですよ。と彼らは言っているんです。
そして社会が言えることは只一つとりあえず人は殺さないで下さい。ということなんです。
生き延びるために人を殺す人々に対して、殺してはいけませんと言うは意味がありません。
568 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:31:22
殺されたくないと思うのは殺される側の意見
殺す側の意見じゃない
殺す側がどう考えているかに関わらず
殺される側は、殺すのはやめてほしいと願ってるってこと
569 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 03:35:47
>>565-567 「人の真意はその言動にある、どう行動したかは真意ではない」という意見は初耳だな
どこからそんな出まかせを引っ張って来たんですか? 教えてくださいな
憎いから、殺してはいけないのだ。
お前が憎いんじゃない、俺が殺すのは憎いからではない。
俺が殺すなら、ほんとうに正しいのだ。
572 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 04:17:39
569さんはつまり言ってる事と実際に行った事とどっちが本当のそいつの意思なんだ!って
ことだと思うわけなんですが。たしかにどう行動したかで判断するのが一番確実な方法だと思います。
タバコを止めたいけれど止められない人って良く聞きます、それはそいつらが単に嘘つきなのかもしれません。
タバコは別に悪いことではありませんが。エロ本を買うのが悪いと思っている人とそうは思ってない人がいたとして
それを本当か確かめるのに本当に買ったかどうかで判断するのは中々いい判断です。
しかしながら良いか悪いかというのは現実には存在しない物です。
尊厳の魂
生きているならば、魂である。魂ならば、来世であるはずだ。
人間を殺すことはどういうことだろうか。
魂の観点から、来世を無にする、魂を消滅させる、ならば、人間が生きていないのだ。
魂の消滅、来世の無が殺人である。
肉体の観点から、我々の肉体の機能を停止させるならば、死である。
我々が殺人であると考えると、魂の消滅や来世の無、肉体の死がそれにあたるのだ。
だから、信仰の否定や植物状態の否定は殺人ではあるまいか。
574 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 05:34:57
「殺さないで」と泣き叫ぶ人を殺すことは可能だが
可能、不可能の問題ではなく
「殺さないで」と泣き叫ぶ人を殺すことが
その人と自分にとって具体的に何がどう良い事なのか
そこが説明できない
法で裁かれるだけで、別に禁止されてるわけじゃない。
理解とは自分が損得を経験したときに発生するもので
人を実際に殺したことの無い俺ら、はどうして殺しちゃいけないのかは理解できない。
>法で裁かれるだけで、別に禁止されてるわけじゃない。
それは既出なわけで
「禁止されていないのになぜ裁くのか?」という問いに撃沈する。
577 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 11:54:04
>>572>>574 「良い」の意味を取り違えてるよw
ここで使われるのは「いけない=禁止」の対義語としての「良い=許可」であり、
英語でいえば "may "(…してもいい、かまわない)の意味なのよ
「悪い」の対義語である「良い」の意味じゃない
おまいら、日本語を先に勉強した方がいいんじゃないかw
このスレを「個人」として見ると、物凄く物分りの悪いアホですね。
無限ループ恐るべし。
579 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 12:07:35
>>577 「いけない=禁止=かまう」なのか?
するとこのスレは
「どうして人を殺すことは禁止されているのか」
「どうして人を殺すと放置されずに警察にかまわれるのか」
と問うているのか?
そんなの、わかり切ったことだと思うのだが。
580 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 12:17:56
>>579 許可(may)と道徳的/善(good,fine)の区別がつくようになったらまた来いw
581 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 13:39:07
>>580 だから、スレタイはどっちの意味なのか、と聞いているんだが。
582 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 14:32:22
>>581 まだわかんないのかよw
人を殺してはいけない’の「いけない」は良い悪いという「評価にとどまる語」
ではなく、「禁止されている」という行動規制にまで踏み込んだ語だ
そうすると、人を殺しても良い’の「良い」は良い悪いという「評価にとどまる語」
じゃなく、「禁止されていない」 "may "(…いい、かまわない)という やはり
行動に関する「禁止・許可の概念」でないと対比が成立しないだろ
583 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 14:51:30
>>582 ああいや俺は上の方の
>>572>>574とは別人で、単にスレタイの疑問は
「禁止」という事実行為について聞いているのか「善悪」という価値判断について
聞いているのか、疑問に思っただけだ。
俺の問題意識だと、むしろ「禁止」という事実行為は大した問題ではなくて、
「善悪」という価値判断の評価の方が問題だと思うのだが。
それと、上のほうをちょっと読んでみて思ったが、「人を殺すことは悪いことだ」
という価値判断を持ち「人を殺すことは禁止されている」という事実認識を
持ちながら、なおかつ人を殺すことは別に珍しいことではない。というか、
ほとんどの殺人犯はそうだろう。
584 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 15:16:43
>>583 なに言ってるかよくわからないがw
要は人は、「人を殺さずに済む状況」では「殺してはいけない」理由に重きを置き
「殺さざる得ない状況」に置かれると、途端に「殺してもよい」理由を探し始める
ということだろ
585 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 16:05:52
「殺さざる得ない状況」であることが明らかならば、
それ以上理由はいらんだろ。
586 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 01:07:35
>>585 動機無しで犯罪が成立するかよw
そうでなくとも人の行動にはすべて動機・目的がある
587 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 05:09:26
まず「殺す」とはなんなんだ?
ちゃんとした定義があるのか?
588 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 06:19:02
ニュアンスはなんで殺しちゃいかんのだ、殺してもいいじゃないかみたいに感じるけどね
そうとれば定義は殺そうという意思を持って誰かを殺すことだろうなぁ
集団の例え話をしよう。
部長が部員を首にしたとしよう。何故、首にしてはならないのか。
首にしたならば、どうなるのか。
部員を首にしたならば、部活でなく、もっと大きな同一の集団の人になるわけだ。
すると、同一の集団で顔を合わせたり、同一の集団の規則では否定することが無いのに、
そこに含まれる小さな集団では否定である。
大きな集団に適合しないので、大きな集団において小さな集団としては不正を働いていることになる。
従って、大きな集団において、首にしたものが劣等な振る舞いをしたものにならなければならない。
彼は人を殺した。何故、人を殺してはならないのか。殺したならば、宗教的な世界観で考えることになる。
すると、宗教的な世界観では殺すべきであることがあるのか。
宗教に殺すべきことがないならば、彼の魂は来世に関わる葛藤をもってしまうのだ。
この世界と次の世界をまたいで、劣等な行為をしたのだと思い悩む訳だ。
すると、首にしたら復職があるが、死んだら生き返るのか。
我々の精神が死んでしまうと、次の世界に行ってしまっているので、
精々、肉の塊を弄るくらいですね。
小さな集団では否定であり、大きな集団では肯定であるとしよう。
大きな集団に適合しないので、従って、小さな集団はやり難いのです。
小さな集団は劣等です。しかし、大きな集団において、否定的なものがすばらしいものだ、と考えると救いがあるようです。
小さな集団の中には何も疚しいことが無い。
すると、何かの企画であることになるのです。
つまり、企画に起源を置き換えて、そこから始めるので、大きな集団でも、小さな集団は目出度いものであるようです。
殺人の罪の意識がある。しかし、宗教的な世界観において、殺人が善である。
早く死んでよかった、苦痛が無かった、彼の苦しみが緩和されたとも考えるのでしょう。
すると、儀式を執り行うのです。お葬式だから、死者は満足になると考えるのです。
人を殺してはならないのか。罪の意識がなくても、葬式をしないとすると、
人を殺してはならないのです。
セレモニーを開設して、死人を葬式に従わせ、隣人を満足する目的があるのです、
儀式が無いと、いろいろ不満が起きて、彼らが苦しむのです。ああ、殺さなければ
よかったなんて思いたくないので、いちいち参加するのですよ。
592 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 13:07:03
馬鹿か、おまいらw
「殺していい」から殺すのよ
「殺した」ということはそういうこと、ほかに解釈は無い
口先で「殺してはいけない」といくら言おうが
行動が殺しなら口先はウソ、行動が真実
つまり殺しを「した」者および将来殺しを「するであろう」者達は
「人を殺していい」と考える人々であり
生涯、殺さなかった者のみが「殺してはいけない」といえる人々ってこと
そこで問題の核心に入るが、
将来殺しを「するであろう」者達とは誰を指すのか?
殺しを実行した人々と同じ状況にあっても「殺さない」と言えるか?
あるいはこういう状況なら「殺すだろうな」という場面が「おまえに存在
しない」と言えるか?ってことなんだが・・
おれは今まで殺しをしたことは無いが正直、その野可能性を否定できない
「こういうケースなら殺すだろうな・・」がいくらもあるのよ
だからおれは自分に関して「人を殺してはいけない」などと口が裂けても言えない
「おまえはどうよ?」
593 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 13:22:00
想像力のない連中には荷の重い質問かもね
A屋のラーメンはうまいが、B軒のラーメンはまずい。
ある殺人はよい(may)が、ある殺人はいけない。
何か問題があるのか?w
595 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 16:53:01
>>595 をいをい、ごまかしてないで、ちゃんと反論してみろw
598 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 17:05:28
社会がそういう殺し合いをする社会を目指していない、というのが本当の所だと思うけど、
それがよく分からないのは、社会の向かっている方向がいまいちよく分からない、見えにくい。
とまぁそういうとこにあると思うわけです。ギリギリな言い方をすると人を殺さないでもいい、
世の中を目指しているとそういうことではないのか、江戸時代は復讐も無礼うちもアリアリルール
だったわけだし。
600 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/31(金) 17:23:27
>>580 人を殺してひとたび権力を奪うて、人を殺してはいけません、地獄に堕ちます、天罰がくだります、っていうのが人間の歴史だろ?
宗教も、そのときどきの権力を守るための衣になってきた。
そして、いざ敵国が出現すると、正義のために命を捧げなさい、敵をたくさん殺しなさい、正義とは「自分の」国を守ることです。
こういう事実の前では、「許可(may)と道徳的/善(good,fine)の区別」などは隠れてしまい、「国」という共同幻想が、許可や道徳的視点からの善悪を超え、拒否の選択肢など無い暴力装置として現出する。
有事でない日常生活においても、この構図はかいまみえる。
601 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 19:10:07
人を殺してはいけない理由は無い
そんなものがあるのなら法や宗教は必要ないからだ
602 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/31(金) 19:19:09
>601
人を殺してもよいという理由も合理性も無い
そんなものがあるのなら、法や宗教も、統治者-被統治者双方ともに必要ないからだ
603 :
445:2006/03/31(金) 20:39:01
>>599 うむ。俺も同意だ。
人の命を奪う権利を有する場合もある。
人の命を奪う権利が無い場合には人を殺してはいけない。
至極単純な事だよな。
権利というのは条件や能力のことなんだし。
604 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/31(金) 20:45:02
>603
「人の命を奪う権利を有する場合」って、どういう場合でしょうか?
安楽死とか死刑というのは、単に他者の「死」に立ち会う以上のことなのでしょうか?
この場合の安楽死とは、不治であり、且つ患者/親族の同意を前提にした合法であるものとします。
605 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/31(金) 20:48:49
>>603 「人の命を奪う権利を有する場合」とは、
その行為(殺人)が、「合法である場合」の言い換えに過ぎないのではないでしょうか?
606 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/31(金) 20:51:22
>>603 「人の命を奪う権利を有する場合」が、もし、合法/非合法で規定されるのであれば、法律論議ですね。
607 :
考える名無しさん:2006/03/31(金) 21:04:07
1、どうして 人を殺してはいけないのですか?
2、どうして 入学式の会場で 野グソをしてはいけないのですか?
これらの質問を、他人に真顔で問えば、普通、キチガイ扱いされるのは
必死であるが、2ちゃんねるという特殊な言論空間においては
さも、重大な問題のように議論されている。
真剣に? それともキチガイ? もしくは悪フザケか?
608 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/31(金) 21:13:30
>607
どんな問題でも、それを「特殊な言論空間」の中のできごと、として割り切れるヒトにとっては、その問題は非存在である。
逆も、また然り。
Omae Ha Mata Shigoto De Oreni Meiwaku kaketeiru No Ka ?
Omae No Tuiteiru Shigotoha Rokudemo Nai Shigotoda.
610 :
wisteria-2:2006/03/32(土) 03:20:47
>>608 そうはいっても、特殊な言論空間の中に限定すれば
その問題は厳然として存在する。これが問題保存の第一法則。
エネルギー保存則の変形として覚えておいたほうがいいと思うよ。
611 :
考える名無しさん:2006/03/32(土) 03:52:19
>>604-
>>606 ?別に法に限らない。
人を殺せる能力があり、殺せる状況下で、
且つ人を殺してはいけないという思いよりも
殺したい、殺そうという思いが上回った場合。
というだけ。
>601は 法や宗教が殺すのを禁止している、と取れるけど
>602は 法や宗教が人を殺すことを許可している と取れるけど・・・ 別の意味があるのかな。
613 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 00:29:45
だからさ、見知らぬ人から
どうしてキミを殺してはいけないの?と
包丁でザクザク刺されながら質問されたときに
アナタはどう答えるか?ということでしょ
誰もどうぞご自由に。とは言わないでしょ
どうしてこんな分かりきった答えに頭を使うの?
相当頭悪いから?
え〜と、包丁でザックザック刺され、且つ、質問されるならば、
あなたは何かである。
あなたはご自由にというものではない。
え〜と、私が包丁でザックザック刺され、且つ、質問されるならば、
私はあなたの自由でない。
すると、あなたの何であるのか。
誰かの命令に従ってる、私はあなたの必然的行為に従っているものである。
大して頭がよくないので簡単に言うと、
あなたの起源を知りたいってことですね、それから生じた自由行動であるのか、
何から生じて、自由という訳ではないのか。
相当頭が善くという訳ではないようですから、
気分は優れないでしょうねぇ。
615 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 00:46:33
つまんね
荒らしていいですか?
いいよね
616 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 00:56:42
そんなことしたらぬっころすよ
617 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 01:06:53
どうしてスレを荒らしてはいけないのですか?
618 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 01:08:08
宗教だよ、宗教。
どんなことにも言えるけど
本質的に何やっても自由だよ。
ただそこに自己責任が伴ってくるだけ。
620 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 03:29:11
川崎のマンションに住んでるけど
やっぱりいけないだろ。
621 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 07:09:17
どうして子供をマンションから投げ落としてはいけないのですか?
本人いわく、私にもわからない
623 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 07:45:22
>>1 こんな疑問持つこと自体どうかしてる
病院行けよキチガイ
>623
簡単に言ってくれますね。
どうして、"どうかしている"になるのか説明できますか?
626 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 13:56:42
私があなたを殺すことは可能だけど
あなた達はそれを許可してくれない
それと同時に
あなた達が私を殺すことも私は許可しない
結局のところ
それは世界中の誰ひとりとして許可しない行為になる
殺すことができるにせよ、できないにせよ、どうしても殺さなければならないのだろうか。
殺すことから、何か帰結することがあるのだろうか。
殺人は認めるものであるのか。そして、他人を殺すことから自殺をすることになるのか。
むしろ、何故、他人があなたを殺さなければならないのか。
もう一度いうと、殺人は認めるものであるのか。
628 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 15:10:23
殺されても「いい」と思うことがある
629 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 15:14:15
いやもっと正確に言っておこう
私はひとに殺されてもしかたがない自分を感じるときがある
そのような時、ひとは私を殺すことを許されているように思う
630 :
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631 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 15:20:53
「・・・してはいけない」という道徳的な主張の意味とか妥当性を問いたいってことだろ?
632 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 16:27:51
気分が良くないからだろ。
633 :
殺人大好きマン:2006/04/02(日) 16:41:49
道徳は物理学で観測されない。
ただ脳内の電気信号があるだけである。
電気信号自体に善も悪もない。
ゆえに、一切は許されている
634 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 18:02:03
殺「されたくない」から殺「してはいけない」という論理だと矛盾がおきる
・盗むのを止められたくないから止めてはいけない
・ドラッグを禁止されたくないから禁止してはいけない
この種の例は山ほどある
635 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 18:13:03
・人を殺したら、罪悪感がすごい。
なぜか、人を殺してはいけないと、教育として埋め込まれたから。
・人を殺したら、その後のいざこざが面倒臭いから、人はそういうのを避ける傾向にある。
636 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 18:25:09
>>635 人を殺してはいけない「という教育」など一度も受けた事が無い
おまえはいつどの先生にそう教わったんだ?
嘘もたいがいにしとけw
なりゆきまかせに人を殺し時には誰かを傷つけたとしてもその度心痛めるような時代じゃない
638 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 18:33:02
バカ
639 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 18:33:30
蘇 生 し な い か ら だ 。
640 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 18:33:48
人権を尊重するなら人を殺してはいけない。
641 :
殺人大好きマン:2006/04/02(日) 18:44:41
本当に利他的な善ってのは、
人殺しの快楽という人殺しの幸福も認めること。
「それは間違った幸福だ」とか「人を傷つけることは本当の幸福ではない」
とかいう道徳イデオロギーで人殺しを改心させるのは
単なる押し付けの思想暴力にすぎない。
だからどんどん人を殺しましょう。人を殺すという快楽は、
誰にでも享受する権利があるのです。
それが真の自然法です。
642 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 19:08:27
自分の勝手な思い込みで「真の自然法」について語るのは、
単なる押し付けの思想暴力にすぎない。w
643 :
殺人大好きマン:2006/04/02(日) 19:11:25
>>642 俺は真理を語っているだけだ、この馬鹿野郎
644 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 19:19:04
馬鹿野郎だと? そんな下品なボキャ使っていいと思ってんのか!この大馬鹿野郎!!!
大馬鹿野郎!!!大馬鹿野郎!!!大馬鹿野郎!!!大馬鹿野郎!!!
他人の幸福を認めるとかそんな煩わしい事しないでも
人は本来自由気ままに生きているさ。
禁止も強制も無い。
禁止するにも強制するにも自己責任が発生する。
反発されて酷い目にあってもそれは自業自得。
646 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 22:42:25
人は自由に生きているのか?
人前で道路にウンコして、そのウンコを食べるやつ
大抵そういう人は病院の中にいるはず
647 :
考える名無しさん:2006/04/02(日) 23:16:54
DNAがそれを望んでいるから。
648 :
せつな:2006/04/02(日) 23:39:37
あなたが、「何故人を殺してはいけないのか?」と思った時に
頭を過ぎった理由があなたにとっての殺してはいけない理由です。
理由は一つではなく、各個人によって違うはずです。
「何故人を殺してはいけないのか?」と言う疑問が浮かばない物は
躊躇無く他者を殺すでしょう。それだけです。
>648
何も( 感情的なものは )頭を過ぎらなかったが、
刑を受けるのが不服なので、殺しはしません。
ただ許可が下りれば殺したい人間がいます。
どうみても病んでます。本当にありがとうございました。
650 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 00:00:20
法は人権を優先するからな。躊躇なんて選択肢がある奴にしか意味が無い。
人を殺さざるをえない精神状態では、他の選択肢は見えない。せめて精神病院に行くという選択肢を見出だせればな
なぜ人を殺してはいけないのか、は法に裁かれるからとか平静を装ってるうちは、大丈夫だな。ただの嫌な奴だ。
651 :
殺人大好きマン:2006/04/03(月) 00:00:56
お前ら、もし法律というものがなくなって殺人が
罰せられなくなったら一人や二人くらい殺すだろ。
それが普通だよ。誰でも殺意は持ってるの。
偽善をなくそう!殺意を解放しよう!
みんな殺してないから自分も殺さない
って受け身の態勢の人も多いんじゃないかな。
あんまスレの趣旨に沿ってないけど。
653 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 00:22:34
>>651 別に解放しなくても、すでに殺しは世界中で大量に起きてる
いけないと「思ってない」事の証しだ
事実に沿って考えるのが合理的かつ自然ってもんだろ
それともなにか?
このスレじゃ事実を無視してお花畑でメルヘンwなのか?
654 :
せつな:2006/04/03(月) 00:22:42
>648(補足)
人を殺せる者が、素直(自由)なのではありません。
人を殺すと言う発想がすべての人にある考えではないからです。
他者を殺さないと生きていけない時点で、そういった不自由(問題)を
抱えているといえます。
(スレタイとはすこし違う内容になってしまいました、すみません。)
655 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 00:24:04
>>652 つまり殺す時は殺すんであって
実際の場面に直面すると「いけない」は建前だったってことだろ
656 :
殺人大好きマン:2006/04/03(月) 00:24:26
>>653 本当に世界中のみんなが共通了解として「殺していい」と思ってるなら
こんなもんじゃ済まないよ。
あと10倍くらいにはならないとおかしいんだよ。
米軍もイラク人虐待するだけで殺してないしね。
事実を見てないのはお前だろ!
657 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 00:25:38
>>654 おまえだって殺すしかない場面では殺すだろw
それって実際は「いけない」と考えてないってことよ
658 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 00:27:42
>>656 馬鹿かw
殺す必要の無い場面で殺さないのは当たりまえだろ
裏を返せば、誰でも必要になれば殺すってことよ
659 :
せつな:2006/04/03(月) 00:42:15
>>657 そのとおりです。「人を何故殺してはいけないのか?」と言う問いは、
人を殺している瞬間以外(前後)にしか存在しないでしょう。
660 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 00:49:49
>>659 アホかw
いざという時に出るのは「普段から考えてること」よ
「瞬間において普段考えてもいない事が必ず出てくる」とでも
言いたげなおまえの理屈はヘンw
661 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 00:58:39
戦争の時は殺して良いし、死刑執行人は殺しているな。法相も殺していると言えるかも知れん。
つまり殺してもいい( 許可 )人と殺しは駄目( 禁止 )な人で差別が生まれてるって事?
663 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 01:22:00
>>662 潜在的には「誰もが」ひとを殺していいと考えてるってことさ
664 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 01:23:29
まあ、殺しも法が許せばして良いということだよな。
俺達が人を殺してはいけない理由は、法的に、殺しの権限がないからだよな。
紳士だからだろうw
666 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 01:33:45
本音いうと皆んな 他人の命なんか どうでもいいのよ
ペットの犬のほうがずっと大事、そんな程度さ
667 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 03:12:09
どうして人を殺してはいけないのか。
「殺してはいけない」は人が決めた事。
人は殺せる。
人が決めた「人を殺してはいけない」理由は、殺されたくないから。
単純にコレかなと。
668 :
667:2006/04/03(月) 03:16:58
「殺されたくない」理由は、痛いのは嫌だから。
怖いから。
669 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 03:22:36
社会秩序維持のため、そう決めたから。
(大部分の)社会のルール。
哲学板でありながら、まだ、こんなバカな問題続いてんだね。
単純な話だよ。
人殺しを否定するの肯定するのと、どちらに理があるか?
それは、人殺しを肯定する方。
「人殺しを否定する奴は皆殺しだ」は無矛盾。
「人殺しを肯定する奴は皆殺しだ」は自己矛盾。
ならば、社会はなぜ、人殺しを否定するのか?
その理由がわからんのが子供。
わかるまで、殴れ、蹴られて、痛い思いをしなさい。自然にわかる。
671 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 12:02:43
>>670 おまい事実がわかってないよw 社会人殺しを「肯定」している
「国連」は安保理という「殺人戦争肯定機関」で堂々とその決定を行なってる
その卑近なケースは「湾岸戦争」だ
「国家」は国内・国外を問わずしょっちゅう「殺人戦争」を実施している
逆らうと軍法会議だ
いったい毎年、何百万人が「社会」によって殺されてるか、よく考えろトンマw
672 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 12:52:19
673 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 13:00:39
殺されたら困る人がいるからに決まってるだろ!
どうして堀江が捕まったか良く考えろトンマ!!
674 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 13:02:51
ウーム、遠い未来にはトンマからホモ・サピエンスに人類は向うであろうなあ。
675 :
殺人大好きマン:2006/04/03(月) 13:06:13
>>671 お子様だね。なんで世界に死刑制度や戦争と言うものが
あるのかまるで分かってない。
677 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 13:19:38
死刑制度や戦争は「人は人を殺してよい」を絵に描いたような好例だろw
678 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 13:32:32
「どうして人を殺してはいけないのか」を考えるのはまだお前らには難しいな。
「どうして万引きをしてはいけないのか」から考えろアホども。
679 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 13:36:12
なんで万引きやねん
680 :
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681 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 13:42:24
堀江は金儲けしたから捕まった
682 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 13:58:46
田代は金儲けしてないのに捕まった
田代のは身を挺したネタでしょ
>>678 その通りだね。
それでもわからんなら、自分が呼吸してる罪について考えてもいいな。
他人の酸素取るな。二酸化炭素出すな。お前ら。
それ以前に、文字読めないのに、理屈で遊ぶな。
オレは、殺人を肯定することが論理的だと書いてるんだアホども。
それを否定する社会が大人の論理だと言ってんだよ。
まあ、どうせ理解できないだろうが。
686 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 16:32:38
迷惑にならなきゃ何してもいいって言ってるガキがまだ大人。こいつらは他人に迷惑をかけてはいけないとわかってる。
もちろんそれは無理だ。迷惑をかけてこそ人間だ。でも殺人って・・・邪魔だからはよ死ねって感じ。死刑ってそんな原理だろ
歳だけ喰っててもガキはガキ。有名無名関係ない。
ガキも社会の一員だ。
テレビで堂々といい歳こいたガキがバカコクから、わけわかんないだけ。
ガキはガキ。
理屈なし。
子供のときは大人は大人してるんだなぁって思ってたけど
それは幻想だったのね。
そんなに出来てる人間は少ない。
689 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 19:27:40
「一人の人」と書いて「大人」と読む。。。
大人って一人の人に過ぎないんですね (ノ_ _)ノ
690 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 22:10:57
少なくともここの人達は
規則性に従ってるからこそ2ちゃんをやれるわけで
本当に精神が自由な人間ならば
パソとお風呂に入ったり
キーボードに乗ってビルからダイブしたりできる
今まで普通に生きてこれて、2ちゃんをやってるということは
何百という規則に従い生きてる証拠
きちんと横断歩道を渡り、衣服を来て外出している限り
そこに自由なんてない
1のような質問をするのは単なる言葉遊びに過ぎない
結局、フェイクはフェイクでしかない
691 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 22:12:11
規則に従うと→衣服を着て
692 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 22:53:42
自分の意志が規則に従ってる・・・テライヤス
>690
全くそのとおりなんだが、
じゃあ、どうして人を殺してはいけないのですか?
694 :
考える名無しさん:2006/04/03(月) 23:10:58
>>693 おまいナニ読んで来たんだよ
このスレでは「人を殺していい」という結論がとっくに出てるわけだが・・
695 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 00:12:26
殺してはいけません
自分が殺されるときそれを肯定できないから
自分が殺されるのが理に適ってると思える哲学者すげ
696 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 01:20:41
>>695 じゃあ、自分が殺されてもいいと思ってる人は人を殺してもいいの?
697 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 01:28:12
殺人を肯定しているからね
法で裁かれるからでしょ
俺はいつ殺されてもいいと思ってるぜ。
どうせ一度の人生なんだからパァっといこうぜ
「いつ死んでもいい」
最高の精神状態ですね。
恐れるものが無い。
701 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 14:49:29
人殺しは「いけない」その理由を「法で裁かれるから」だとするのは間違ってる
法は殺人を「いい(許可」とする場合も設けているからね
それに、そもそも「法」は「報復は良し」を基本前提としている
>>701 その理由づけは変ですよ。
法は「報復」は「法に基いて公的機関が行う場合」に限って良しとしている
のであって、それ以外の報復はすべて「いけない」としています。
刑罰はすべて原則としては「いけない」行為だからこそ、「例外的に
やっていい場合」を法律で規定しているのです。報復の意味も含めて。
「人を殺すこと」「人を監禁すること」「人の金品を奪うこと」
みな、原則として「いけない」行為です。そうでないのなら、わざわざ
刑法に「例外としてやっていい場合」を規定する必要がありません。
なぜ「いけないかいけなくないか」二者択一、all or nothing で
考えたがる人が多いのか、理解に苦しみます。
人殺しがいけない理由を法に求めるのが間違っているのは、
「いけないから罰せられる(いけない行為によって報復される)」ので
あって、その逆ではないからです。
703 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 15:18:25
>>702 「法」が「報復は良し」を基本前提としている点への賛同、ありがとね♪
で、おまえのマチガッテル点だが
「いい、いけないの概念が罰則を定める基準」だというのは事実を見誤ってる
「被害者の望む報復の度合い」を考慮して罰則は定められるのよ
「いい悪いの尺度」というものが先に存在してる訳じゃないってこと
>「被害者の望む報復の度合い」を考慮して罰則は定められるのよ
全くの間違いですw
被害者がどれほど報復を望んでも(中には、どうでもいいようなことで
激烈な報復を望む方もいます。足を踏まれただけで相手を殺したがるDQN
すらいます)、被害が軽かったり、被害者の側に落ち度があったり、
加害者の側に特段の事情があったりして、「客観的な違法性の程度」が
小さいと判断されれば、罰則は軽くなります。全く処罰されない場合すら
あります。
逆に、被害者が全く報復を望まなくても、「客観的な違法性の程度」が
大きいと判断されれば、重い罰が加えられます。死刑になることもあります。
まさに「客観的な違法性(いい悪い)の尺度」が先に存在して、
それによって罰則が定められるのです。
法が「報復は良し」を基本前提としているのなら、ヤクザや珍走団の
抗争などは大いに奨励するはずですがw、実際には逆なのです。
705 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 15:45:26
>>704 わははw
「いい悪いの尺度」が先に存在するわけないだろ
国家が「いつ」「どこに」いい悪いの尺度を明文化して定めたか示してごらんよw
「客観的な違法性」って誰が決めたんだ?
だれが客観的だと認めたんだ?
>>705 「いい悪い」は暗黙なんだろ
そもそもそれが無かったら刑法の存在しようが無い
罰が用意されるという事は、罪(悪い)があるって事だろ
708 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 16:03:41
客観的な違法性の程度など存在しない。
あるのは伝統的な違法性の程度だけである
709 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 16:09:00
>>707 暗黙・・だと?
まったくいい加減なヤツだな、おまいはw あははは !!
刑法の基本姿勢は「れっきとして存在する報復心」という
明確な基準に基づいてるのよ
できるかぎりその報復心が満たされるよう刑罰は決定され
調整されて行くのよ
>>705 先に存在する、というのは、「判断として先行する」という意味です。
明文化などされているわけがありませんw
その判断の結果としての刑罰の内容は、明文化されています。
国会の判断の結果は、抽象的類型的に刑法に書いてあります。
たとえば一般的には殺人は窃盗より「悪い」と判断されているので、
重い罰(報復の意味も含む)が加えられると書いてあります。
むろん、判断が変化すれば、刑法が書き変えられることもあります。
裁判所の判断の結果は、具体的個別的に判決に書いてあります。今日も
あちこちで書かれていることでしょう。
具体的な事情を考慮すれば、殺人犯が執行猶予になったり、窃盗犯が
実刑になったりすることもあります。裁判所はこの場合は後者の方が前者より
「悪い」と判断したわけです。
何かわからないことがおありでしょうかw?
711 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 16:21:51
>>710 わからな点を尋ねるべきはオマエだろw
いずれにしても「いい悪い」の判断が「報復」に由来するという
結論にたどり着いたのはホメてやろうw
今度から、もう少し素直になれw
>>706 法解釈学という糞学問で用いられる「客観的」という言葉は
単に外形的・物理的ということ。
法解釈学は、他の人文科学とは全く何の交渉もなく、
未だに、ド単純な主観/客観二元論のデカルト的世界観の上に築かれている。
>>711 全く逆で、「いい悪い(違法性)」の判断が、国の報復(刑罰)の度合いを
決めるのです。
いい悪いの判断が報復に由来するなら、窃盗犯が殺人犯より重い罰になったり
するわけがありません。
山口県の母子殺人など、被害者の夫ははっきりと極刑を望んでいますが、
裁判所は今までのところ死刑判決を下しておりません(私は反対ですが)。
そういう例は、枚挙にいとまがありません。
いい悪いの判断が報復に由来するなら、ヤクザや珍走団の抗争など、
激烈な報復の応酬なのですから「非常にいい」と判断されるはずですが、
そのような判断をする人(国)はまずおりません。
具体的な反論は何もないようですが、以上の点はおわかりになりましたでしょうかw?
あなたは素直にならなくてもよいので、もう少し読解力をつけていただくと
助かります。まあ、無理でしょうがw
714 :
712:2006/04/04(火) 16:44:23
正確に言えば、学派によって「客観的」の定義は異なる。
単に、「一般的、常識的」のような意味で用いる立場もある。
何れにしても、法解釈学なんて、糞みたいな学問(?)だ。
715 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 16:44:45
目には目を歯には歯を
716 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 16:46:36
>>714 にいちゃん、司法試験に落ちでもしたんか?w
>>709 人をいい加減と書いてる割にはお粗末な事言ってるように感じるな
とりあえず「刑法の基本姿勢」が明文化されてる部分と
「れっきとして存在する報復心」がどう明確な基準になるのか書いてみろ
>>報復(刑罰)
刑罰が応報だと認めてるわけでw
現刑法について論じているのなら、お前らは皆、不正解W
刑罰の重さが、何に基づいているかは、一元的には語れない。
道徳的・倫理的な意味、応報的な意味、社会防衛的な意味など、
いろんな意味合いがある。
>「被害者の望む報復の度合い」を考慮して罰則は定められるのよ
それは事実か?
報復的な意味もあると考えていいだろうね。
刑法が報復の手助けをする側面があるのは事実だろうが
人殺しが必ず死刑になるとは限らん
例えば娘さんを殺された親は、犯人に死刑を望むだろうが、
そうならない事例は良く報道される
724 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:16:49
>>713 どこから手を付けていいかわからない位錯乱してるな、おまいw
>「いい悪い(違法性)」
仮に「いい悪いの根拠」が「違法性」だとして
では違法性の元となる「法」の根拠は「何に由来して」定められるんだ?
それをきちんと正面から答えてごらんよ
おまえの説明では法の根拠は「法」だというが法の根拠が法であるわけないだろ
なんの説明にもなってないだろ、頭冷してからもう一回来いw
>>724 お前も十分手が付けられないがな
妥当に読んでいけば
>>713が刑法の根拠こそ「いい悪い」だと言っている
事がわかりそうなもんだが
726 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:27:43
>>725 アホかw
その「刑法の根拠」が何かと聞いてるんだろが
逃げ回ってないで答えてごらん
>>726 既に答えられてる事を何度も聞くお前がアホだろ
お前がそこまで大したヤツならこちらがグウの音も出ないほどの
意見を書け
水掛け論を仕掛けて来るヤツとは話が出来ない
729 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:39:34
>>727 「刑法の「根拠」が何かもわからず、それを振り回してしまいました」と
素直に書けw おまえ以外の人はとっくにそれがわかってるのよw
730 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:41:00
>>728 「おまえが語れない」から「人様も語れない」・・だと?
どういう理屈引っ張り出してんだ、おまえはw
731 :
728:2006/04/04(火) 17:45:40
>>730 アホ。
「お前が勝手に語れる」から刑法学の通説を否定するのかW
732 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:51:35
>>731 馬鹿か、おまいw
刑法学の通説・・だと?
法なんて多数決の産物、学も説もあるかw
733 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 18:05:27
>>732 国会で採否されることは、学門の分析対象にならないとでもW
基地外?W
734 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 18:07:20
>>732 国会で採否されることは、学門の分析対象にならないとでもW
基地外?W
735 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 18:13:31
>>733 「なんの反証もできない」のはわかったw もう寝ろ
多数決と言ったって、1907年以来、数人の刑法学者が起草したものがほとんどそのまま使われているのだが…
737 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 18:17:42
どうして人を殺してはいけないんですか?
それは、自分が殺される前にわかると思う,たぶん。
君はあがき、苦しみながら、その時わかったとしても死の一歩手前だ。
その後は、もうこの世からおさらばなのだ。
殺される身分になってみて おのれの、まちがいがわかるのだ。
だから、人を殺してはいけないんだ。 バカボンのパパ
>>735 だから証明できてないのはお前も同じなんだって
お前が何言ってたか既に分からんが、お前の説とその証明を書けって
する気がないならお前が寝とけ
739 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 18:18:26
>>736 法が多数決の産物である事への同意、ありがと♪
バカボンパパは殺してもよい
>>740 そんなこと同意されてうれしいのかW
なんだ小学校かW
742 :
殺人大好きマン:2006/04/04(火) 18:22:30
お前らうざってえんだよ。
糞法学とかいう糞小細工テクニックがどうかしたって?
そんなものは何の意味もないんだよ。
じゃんじゃん犯せ!じゃんじゃん殺せ!そして喜べ!
743 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 18:23:33
>>738 おれの主張は明快だ→
>>701、
>>703 反証できないなら、おとなしく寝とけw
「おれが何言ってたか既に分からん」ままレス返してたおまえってホントにアホw
>>743 は多分、小学校生W 法律が多数決で採否されることを同意して喜んでいるW ホント早く寝なさい
反証
売春防止法、猥褻物頒布罪
反証
賭博罪
刑罰の根拠は、社会防衛、倫理・道徳に基づく応報、被害者の報復感情等、多元的に考える他はない
しかし、このバカは何故一元論に固執するのか?
基地外なのか?
>>746 俺は一元論を批判してるんだぜ
つまり、君に対してもだ
748 :
746:2006/04/04(火) 19:09:57
>>747 いや、俺は別に一元論では無い
議論のいきがかり上、反対の立場に立っただけだったのだが
下手な口出しで気分を害して悪かった
>>748 一元論ではなかったのか。
それは、こちらこそ失礼しました。
750 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 19:34:00
>>744-746 おまいら、ホント馬鹿だねw
売春防止法、猥褻物頒布罪、賭博罪
それ全部、国を含めた「誰かしら」の「なんらかの被害」に対する
「報復意思」を顕わにした刑罰じゃん
顔洗ってデナオセw
今日は馬鹿という単語が多く目に付きますね
752 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 19:48:01
元に戻せないから
>>750 「誰かしら」の「なんらかの被害」
もっと具体的に言ってみろよw
随分長い間、考えた割には糞な答えだな
例えば、猥褻物頒布罪について言えば、
国を擬人化して意思を認め、秩序を乱された報復意思と
強引に言うこともできる。
しかし、それは社会防衛の為と記述するのが、素直というものだろう。
逆に、「報復意思」を顕わにした刑罰と解釈されるものを
社会防衛や倫理・道徳に基づく応報を顕にした刑罰と言い換えることもできる。
わかるか?
言葉遊びをしてもしょうがないだろ。アホw
社会防衛、社会秩序維持を目的とした法律
例えば、性風俗秩序の維持を目的とした法律を
報復意思の満足を目的にしたものと
言葉遊びとして言うのではなく、本気で主張するのなら
唯の馬鹿。
国語偏差値40未満w
755 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 19:53:55
俺、別に法に裁かれるから人を殺さないんじゃないと思う。そもそも殺すほどの理由が普通の人にはない。
あるとして殺したらその恨みで殺されるという漫画的悲しみの連鎖?超うぜー。なら最初から殺すな。
>>755 馬鹿じゃないの、お前。
通り魔に、肉親が突然殺された人のことを考えろ。
757 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:03:14
>>753 >随分長い間、考えた割には
アホかw 連投規制にかかっただけよ
おまいらにレスすんのに5秒以上かからないw
それにしてもアタマ悪いな、おまいら
誰かのした行為が「報復(処罰)に値するから刑でお返しする」というのが刑法
じつに単純なことよ
ま、単純なことほど頭の悪い者にはわかりにくいという側面はあるがw
彼は何条を用意しなければならない。だから、正しいのだ。
だけど、彼は勉強が足りないから、口挟んで被害者を増やす仕方で立ち向かう。
彼と二・三人が納得して自信をつけることを正しいように考えているのだけれども、
対立しているんだ。
何条を用意する。何故、彼は執行する事が許されているのか。彼は訳が判らないので、
個人で考える厳格な正義とは異なり、
複数人で執行するには緩い理念である正義くらいが当てはまったので、正義と言っている。
確かに彼は正義かもしれないけど、彼等は幅広いことに当てはまることをするのだ。
>>アホかw 連投規制にかかっただけよ
プッ。言い訳ができてよかったな。
売春防止法、猥褻物頒布罪、賭博罪 について
「誰かしら」「なんらかの被害」を具体的に言ってみろよ。
それから、
性風俗秩序の維持を目的とした法律を
国家の報復意思の満足を目的にしたものというより
社会防衛を目的とした法律と言った方が素直じゃないか
ってことに答えろよ、馬鹿。
761 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:14:39
>>760 「おまえの持ち出した」法を説明するのはお前の仕事だろw
舌足らずで混乱してるおまいに替わって補足説明してやったわけだが
おまえときたら感謝の意の表明も知らないw
さっさとおまえの出した事例が
「誰かのした行為が【報復に値する】から刑でお返しする」というのが
マチガイだという指摘してみろ、とんまw
762 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:16:53
法律が多数決で採択されることに同意を貰って喜んでいる痛い人がいるって本当ですか
このスレ俺含め今4人ぐらいだな
764 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:24:02
>>761 だから、「誰かしら」「なんらかの被害」を具体的に言ってみろ
早くしろ、ボケナスw
766 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:27:11
>>762 本当に頭悪いね、おまいらw
法が多数決という「政治決着」で作られてる政治的産物だってことも
理解してないのかw
知って知らぬフリとも思えないレスばっかしてるが、おまいらw
767 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:28:49
>>764 自分でも説明のつかぬ事例を持ち出したこと・・よ〜くわかったから
もう寝ろ、説明はもういらんw
768 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:32:10
政治決着って多数決て同義なの
ヘェー、ヘェー、ヘェー、ヘェー、ヘェー、ヘェー、ヘェー、ヘェー
8ヘェー
769 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:35:25
>>767 お前は真正池沼か?w
社会防衛、社会秩序維持が目的と書いているだろ。
770 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:36:47
>>768 俺のおかげでひとつ利口になったようだなw
ま、感謝まではいらんが。。。そろそろ連投規制
じゃまた来年な (^▽^)/~バイバイ
771 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:37:18
772 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:38:38
>>769 なに中国共産党の手先みたいなこと言ってんだよ、アホタレw
いや金正日のほうが合ってるかな。。 (^▽^)/~バイバイ
773 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:39:31
774 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:40:29
>>771 おまいの出した事例の説明は おまいがするのよ
なんべん言やわかるんだ、ドンカスw (^▽^)/~バイバイ
775 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:44:10
>>756 ここにきて殺された側の人権ですか。正論っぽく矛盾を溢れさせてますね。
776 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:50:09
>>774 共産党W
金正日W
公然猥褻罪、猥褻物頒布罪の法益は、善良な性風俗に決まってんだろ、ボケナスW
俺は、社会秩序維持だと説明したと何度言えばいいんだ。基地外。
お前が言った「誰かしら」「なんらかの被害」っていう脳足りん記述の説明を、何で俺が引き受けなきゃーならんのだw
やっぱり、お前は基地外だなw
777 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:58:57
>>775 矛盾って何?
通り魔に肉親殺されても、ニコニコしてろってこと?
変わった奴だな、お前。イエスの生まれ変わりか。
殺人犯は指名手配されるからじゃないの
://www.police.tokushima.tokushima.jp/03jyouho/tehai_3.html
779 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 21:25:07
通り魔の殺人は許されない。でも、その通り魔を殺すことを許したら。キリがないだろ。その連鎖を止めるのが法だが。
その法が無い場合、殺し合いOK。のはずだがおそらくそうはならない。なぜかは馬鹿な奴には分からんだろうがな
781 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 22:01:09
何故殺してはいけないか→自分個人が第三者の人生を侵す権利は無いから
なぜ侵す権利が無いのか→相手方が「存在する自由」がある
それを侵せば自分も同じ立場に置かれても仕方が無い
自分もその立場でいいから殺したい→…あれ?
>>757 >誰かのした行為が「報復(処罰)に値するから刑でお返しする」というのが刑法
誰のどんな行為が、どれだけの報復(処罰)に値するかしないかの
基準は何なのだ? (たとえばそれが「良い悪い」だというのが一つの答え。)
それをはっきりさせなければ、「行為が処罰に値するから処罰する」
と言っているだけで、単なる同語反復に過ぎんぞ。
783 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 22:03:55
ぶっちゃけ人を殺してはいけない理由、っていうのに法律はタブーだろ
法律が無くなった時点で殺人はOKなのだから。
人は殺してもいいんですよ〜〜ん。
その代わり自己責任でお願いしますー。
>>779 通り魔は殺されても、通り魔の身内は、文句を言える立場ではない。
それが道理だ。
キリがないということはない。アホか。
>>なぜかは馬鹿な奴には分からんだろうがな
馬鹿はお前なのだから、その理屈を詳解して、皆に矯正してもらえ。
>>法律が無くなった時点で殺人はOKなのだから。
倫理的、道徳的な障壁はないのか?
凄い奴は現われたぞw
つーか、
>>ぶっちゃけ人を殺してはいけない理由、っていうのに法律はタブーだろ
>>法律が無くなった時点で殺人はOKなのだから。
と、この御仁は言っちょるわけだが、
そうすると、タブーどころか、唯一の理由は法律ってことで、
頭悪すぎな件
788 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 22:30:51
法と刑罰について混同してない?
法そのものは社会秩序を保つのが第一目的(多義的ではある)
刑罰はその行為における償い(これを報復とも言える)
刑法はその償いをどの程度にするか決める法
それはねえ、
復讐っていうんだよ
残念だけど、法ではないようだね
近代法と復讐法って違うんでしょ?
791 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 22:44:07
>>788 あのなー、刑罰は法で規定されてんのよ
こういうことしたら、こういう刑罰を科す
てな。
法と刑罰を分けて考えるのは間違い
絶対に、総理大臣が殺人を認めるから、
私は殺人を認める。
裁判官が死刑を判決するから、
私は彼を死刑であると考える。
執行人が殺すから、
私は彼の息の根を止める。
判りますか、この理屈が。あなたは権限を越えて死刑を認める僭越であり、
正義をしらないのに判決を下した独裁者であり、彼はどうせ死ぬからと殺し
た殺人者なのです。あなたは越権者であり、独裁者であり、殺人の実行者
なのです。あなたはあのたの属する体系で僭越の罰を下され、世の中を乱し
、適当な理由で人を殺したのです。
わかりませんか?
>>1
>>1 法を傘に着て、法に委ねることなしに、私的な制裁を加えたとすると、
恐喝に暴力である。
794 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 23:14:22
人殺しが、いけないのゎ
わたくしが、殺されるのが、嫌いだからですよ!
ハイ
795 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 23:21:55
>>791 法があり、その法を破る、すると刑法に照らし合わせて刑罰を受ける。
この時、刑法そのものには報復的に意味合いは無いよ
法は社会秩序を守る為の基準であって、刑法も当然その一部
刑法があるから、刑罰があるのであって、刑罰があるから刑法があるのではない
刑法そのものは罰を与えられないでしょ?(あなたは罰を受けますよと判断はするが)
刑罰が当人に罰を与える。
おれは法そのものが応報的なものというよりも刑罰が応報的なものだと解釈してる
と思うんだが、違うかな・・?
796 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 23:24:34
理由なんぞないのですよ。
理由も無くいけないと決められてるんですよ。
それに対してどうしてとか訊ねるのは馬鹿なんですよ。
どうして1はことほどさように馬鹿なんですか?
まずそれについて答えて欲しいわけなんですよ。
なるほど、理由がある訳が無いのですね。すると、まるで我々が理由があるみたいに考えてしまう訳です。
彼は死刑にしただけである。そして、我々は、彼が不正を働いたから、死刑であるとすると考えてしまっていたのです。
我々は考え違いをしていました!!
>>795 言ってることがよくわからんが、
刑法が刑罰が科すと定めているのだから
刑罰が応報的処置であるなら、刑法は応報的処置の基準体系てことになるだろ
799 :
逆立ち:2006/04/04(火) 23:37:57
復讐心の基準体系とは例えばどんなものでしょうか。
人を日常的に殺していては、非日常の時空間で殺戮をするときに
(更には、殺人のアナロジーとしてのセクスをするときも)
快感が生じないからですよ。
ですから日常の時空間においては、殺人は禁忌とされているのでつ。
これが真実でつ。
801 :
800:2006/04/04(火) 23:41:01
以上、栗本慎一郎がお伝えしました。
802 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 23:42:07
ペンパックの奴隷にならないためでつ。
これこそが隠れた真実でつ。
803 :
800:2006/04/04(火) 23:45:03
なぜ、あなたは女の娘の、マン○を喜んで
ペロペロしなくてはいけないのですか?
あれは、カニバリズムのアナロジーなんでつよ。
804 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 23:50:18
どんどん殺しあえ。
破壊と創造を繰り返してこそ人類は進化できる。
さあ殺せ!親を殺せ!友達を殺せ!隣人を殺せ!世界を殺せ!
みんな滅びろ!
805 :
考える名無しさん:2006/04/04(火) 23:54:18
みんな滅びたら、進化できないでつね
殺意が沸いた瞬間対象者(相手)が死ぬ世界。
こんな世界があったらさぞ平和だろうなぁ。
807 :
考える名無しさん:2006/04/05(水) 15:18:34
>>798その通りだと思う。
795は詭弁に過ぎない。
>>806 殺人鬼が喜ぶだけでねーの。
ビルから投げ落とし放題w
809 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 00:15:26
>>808 頭悪いね
投げ落とす前に、死んでんだよw
わざわざそんな労力使わなくていいのよ
810 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 02:23:56
殺してはいけない理由などない。なぜならこの世は一人一人の頭の中にあり、この世で起こるすべての出来事は自分の頭の中で作られるただのイベントにすぎないからだ。
811 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 02:25:32
思っただけで殺せる世界になったら一週間で人類ほぼ絶滅だわ。
812 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 02:41:08
間違えて思い浮かべちゃっただけでも、
「今のなし!」は効かないしね。
危険なところを「立ち入り禁止」にするのと、同じようなもんだ。
しかし、こんなアホなスレが7回もつづいて、
まだ、バカが絶えないというのは、
哲学板のバカの象徴か?
恥ずかしいから、次スレは止めろよ。
バカ隔離スレだわ。
>814
どうして人を殺してはいけないのですか?
>>815 とりあえず、殺してみろ。
どうせ、そうしなければ、わからんバカ。
哲学板じゃないだろう、君のいるとこはヽ(^。^)ノ
>816
捕まるから、(処罰されるから)ということで宜しいでしょうか?
818 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 12:51:03
殺してみた結果、殺人常習者になるヤツが多いのはなぜだろ?
殺せばまた殺したくなる、あるいは一人殺すも十人殺すも同じ・・が
殺し経験のもたらさす心理だってことのように思える
「殺してみれば、なぜ殺しがいけないかわかる」というのはウソッパチのようだな
819 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 13:12:27
わたくしも、何人も頃してますが、なにが悪いのか、判りませんね。
820 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 13:14:58
どーして野糞しては、いけないのですか?
821 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 13:17:32
どーして街の中で、オナニーしたら、ダメなんですか?
822 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 14:12:39
●●●●●●●●●●●●●
ダメじゃないよ、やってみなよ。
●●●●●●●●●●●●●
823 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 14:17:30
一切は許されている
824 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 16:51:13
「どうして人を殺しちゃいけないのですか?」
という言葉は、人を殺したやつが言わないとなんの意味もないんだよ。
なぜなら、その言葉をいうやつが人を殺してないってことは心のどこかで
「人を殺してはいけない」と思ってるってことだろ。
825 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 17:03:57
>>824 殺す必要の無い状況にいるってことよ
おまえがそうだろ
でも、さしせまれば、すぐに殺す側につく
そんな変わり身の早さが人間の本性
問うだけ無駄w
826 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 17:05:55
>>824 人間誰だって1度は人を殺したいと思うだろ
ましてや「どうして人を殺しちゃいけないのですか?」
なんて言う人間は思った事あるだろ
827 :
817:2006/04/06(木) 17:41:18
(・∀・)
828 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 17:46:07
>1度は人を殺したいと思うだろ
残念ながらその必要に駆られたことはいまのところ一度も無い
しいてあげるならキムジョンイルとフセイン・・かな
立場を利用して自国民を平気で殺害し、それを正当化・・・
昭和天皇のした事を知って同じ思いに駆られるのはなんだろ?
神風特攻・桜花・竹鑓部隊・自決の強要・一億玉砕・・・
キムジョンイルやフセインに劣らぬ実績ゆえかな。。。。。
829 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 17:58:09
で、だから ど う し て 人 を 殺 し て は い け な い の で す か ?
能書きはいいからさっさと答えろ
830 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 17:59:01
●●●●●●●●●●●●●
ダメじゃないよ、やってみなよ。
●●●●●●●●●●●●●
いけないと思う人が多いからいけない
「明日から殺人を解禁しようと思うんだ…」
___, - 、
/ _____) _|_ l l .__|_ __
. | | / ヽ || _| |/ | 。 。 。
|_| ┃ ┃ || (__ /| ノ
_|_ l l __|_ __ (/ ⊂⊃ ヽ) /  ̄ ̄ ̄ \
.. _| |/ | 。 。 。 ! \_/ ! ( ( (ヽ ヽ
(__ /| ノ ,\ _____ /、 | −、ヽ\ !
ゝ/  ̄ ̄ ̄ \ /. \/ ̄\/ .\ |0 |─ |__ /
/ _____ヽ | | _┌l⊂⊃l | | ┌ - ′ ) /
| | / ─ 、−、! | | / ∋ |__| | | ヽ U ヽ <
|__|─ | 。|。 | | /`, ──── 、 | | ` ─┐ h ̄
( U` ─ o−i ヽ / \ .ノ_ .j ̄ ̄ |
ヽ、 u┬─┬ノ / ̄ ./ U ヽ- 、\ /  ̄ ヽ\
// /ヽ─| | ♯| / i U | ..) ) \ i ./ |\\
| | / `i'lノ))┘/ , ─│ u !-l⊂⊃l┐__ヽ__/\ / | | |
| | |C |/ /| / ( (... .ヽ u /. |____|∈ __./ .| | |
|_|/ヽ、_/ ./ ` ─ /\ /ヽ  ̄ \-──| \|_|
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| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄.| |────| |. | | | | | |.──────| | ̄ ̄ ̄| ̄|
833 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:02:02
>>829 おまえ今までに人殺したことあるの?
どうせ口だけのチキン野郎だろ?
834 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:03:34
>>833 で、だから ど う し て 人 を 殺 し て は い け な い の で す か ?
能書きはいいからさっさと答えろ
835 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:04:21
大勢がいけないという理由は、自己防衛のため。
その証拠に、たいていの国では、正当防衛ならば殺人も無罪。
836 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:04:47
>>829 馬鹿かw
「人は殺していい」となんべんも教えてやってるだろ
837 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:05:57
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
ダメじゃないよ、能書きはいいからさっさとやってみなよ。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
或る国は全ての殺人が無罪である。
そうでないとすると、何かしら無罪である国は少しも無いのです。
殺人があり、それが正当防衛であるならば、罪があるのだろうか。
何かしらあるようだ、謹慎やらなんやら。
839 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:09:16
>>834 殺しちゃだめなんて言ってないだろ
池沼?
840 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:09:37
過剰防衛は別問題だと思うが、正当防衛ならば殺人も無罪。
841 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:10:07
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
ダメじゃないよ、能書きはいいからさっさとやってみなよ。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
「いけない」とか「だめ」とか、いったいどういう意味?
843 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:12:22
844 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:12:38
小学校に行くようになったらおしえてもらえるからねーボク
845 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:13:45
桜がきれいだ
846 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:15:00
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
ダメじゃないよ、能書きはいいからさっさとやってみなよ。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
これが結論。自由にコピペしてね。
847 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:16:31
ひねくれたガキが「どうして人を殺してはいけないのですか?」
と聞いてきたら
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
ダメじゃないよ、能書きはいいからさっさとやってみなよ。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
これでおk
848 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:16:45
勝手に結論だすな
教唆犯乙
まあまあ、ぼくと縄跳びでもして荒んだ心をおちつけようよ
851 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:22:02
>>842 「いけない」というのは、「禁止する」とか「許さない」という
「意志表示」。反対語は「いい(may)」。
だから正しいとか正しくないとかいう判断の対象ではない。
「人を殺してはいけない」も「人を殺してもいい」も、
どちらも正しくもなければ間違ってもいない。
だから、スレタイは「人を殺してはいけない」と意志表示している人に
向かって「なぜそう言うのですか?」と尋ねている、という意味にしか
理解できない。
852 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:23:36
just do it!!大人は子供の心を失ってしまったんだね!!
奇麗事を言わない子供は、僕は嫌いです。
そうだなぁ、思い起こせば昔は石切なんて遊びがあったわなぁ
低い体勢から水面に沿うように石を投げるなら、波紋を広げながら飛んでいくってやつ。
向岸にいくと、偉いだ。
まあまあ、ぼくと石切でもして荒んだ心をおちつけようよ
>>853 あれは二回以上跳ねたためしがないので、やればやるほど心が荒みます。
855 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:45:51
殺したら法に問われるだけであって殺してはいけないとは記述されてないよ。
法はただの抑制で敷かないよ
講義を聞いてて正義というものが感じられず少し白けた。
正義を決め付けたら思想統一とか言われるんだろうけど
857 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 19:37:14
結論でちゃったなw
3スレ目ぐらいで結論でてもよさそうな話題でしたな。
859 :
考える名無しさん:2006/04/06(木) 19:55:49
遺族が悲しむじゃないか
どうして人を殺してはいけないの? は、人を殺せる事が前提でしょ。
そりゃいくらでも殺せるよね、確かに。うん。
ではなぜいけないか?ですよね。
(人)殺す。は、(人)生きる。に矛盾するでしょ。
生きる。は正に至上命題でしょ、(人)死にたくないでしょ?
(人)生きる(生きたい)と、(人)殺す(殺したい)と、(人)死ぬ
(死にたくない)の(人)の所に全部(自分)当てはめてみなよ。
(人)殺す(殺したい)を我慢するんじゃないですか?
だから人を殺してはいけない。つーか、当たり前。朝メシ前。
(人を殺す)のは、(人の生命、生きる)より、論理的に弱い力だそうだ。
法学の先生だったな。
>どうして人を殺してはいけないの? は、人を殺せる事が前提でしょ。
>そりゃいくらでも殺せるよね、確かに。うん。
◎
>ではなぜいけないか?ですよね。
うん
>(人)殺す。は、(人)生きる。に矛盾するでしょ。
間違えてる。Aが殺す、そのときAが生きている。矛盾してない。
被対象者を履き違えててイコールになってないよ。
>生きる。は正に至上命題でしょ、(人)死にたくないでしょ?
至上命題かどうかはさておき、死にたくない時のほうが多いね。
>(人)生きる(生きたい)と、(人)殺す(殺したい)と、(人)死ぬ
>(死にたくない)の(人)の所に全部(自分)当てはめてみなよ。
ここも被対象者を履き違えてる。↑参照。
>(人)殺す(殺したい)を我慢するんじゃないですか?
めったに殺したい人はいないけど、たいていの人は理性で我慢すると思うよ。
>だから人を殺してはいけない。つーか、当たり前。朝メシ前。
(・∀・)
>(人を殺す)のは、(人の生命、生きる)より、論理的に弱い力だそうだ。
>法学の先生だったな。
弱者が強者に牙向くってことですかね? 全ては自己責任ってことで。
862 :
860:2006/04/06(木) 23:07:08
>>861 え、だから、自分生きたい、と自分殺したい、と自分死にたくない、
になるんですよ。そうすると自分殺したい、が却下かなーと。
それをね、昔法学の先生から聞いたの。その時なるほどなーと。
言葉たりなくてスミマセン。
863 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 00:22:54
わたしは人を殺したいと思うことがある
実際殺すかもしれないし、殺さないという保証はできません
まだ死にたくない、と思うこともあるし
これ以上生きたくない、と思うこともある
またヒトに殺されても仕方がないな、と思うこともあるし
実際今ならわたしを殺していいですよ、と言いたくなるときさえある
同時にわたしに殺されても仕方がないな、と思う人もいる
異常でしょうか?
もし誰にもわたしに似た感情があるかもしれないなら
人を殺してはいけないとまで言えないのはないでしょうか?
( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ
>>860 は、要するに
「人間は生きていたいのだから、殺してはいけない」っと言ってるだけ
のようだが、
恐ろしく、頭の悪い椰子だね。
>>昔法学の先生から聞いたの
って書いてあるが、本当に、こんなのが大学生or大学卒なんだろうか?
まぁ、大学といっても色々あるが、本当に日本人の学力は地に落ちたな。
866 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 01:06:04
>>864 反論皆無・・同意ありがとう o(^-^)o ワーイ
ちょっと前にテレビでやっていたんだが、
バーベキューパーティーをやらせて、
そのときのリーダーシップだとか、マネジメント力だとかを
試験官がチェックするのが入学試験という大学があったぞ。
学科試験は無し。
漫画みたいな話だがね。
>>860 のような国語力のやつが入れるのは、その程度のとこだと
思うが、ああいうところでも、「大学」と呼称されるのは問題だよ。
制度改革を望む。
>>863 ( ゚,_ゝ゚)バカジャネーノ
ふと誰もが「○○○がしたい」と思うときがある。
よって「○○○はいけない」とまでは言えない。
小学生かw
870 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 02:37:33
>>868 繰り返しなぞっていただいて恐縮です
(そんなに気に入ってもらえるとは思いもしませんでスタ m(_ _)m
871 :
↑:2006/04/07(金) 02:47:43
小学生は早く寝なさいね
872 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 05:51:13
この世界は絶対的な存在である
それは「維持」されるものであり
この世界の全ての物が「維持」するため働いていている
その「維持」こそが生命の生きる意味や本能である
では、この世界の「維持」とは何か?
それは時である。時の流れのない世界は無になるからだ。
時とは何か?
それは物の変化である。
すなわち、物の変化はこの世界の絶対的な存在を「維持」するために必要なのだ。
物の変化
それは生命のサイクルであったり、惑星の移動でもある。
つまり生命のサイクルは常に変化を求めるのだ。
それが進化である。
すなわち進化はこの世界の絶対的な存在を維持する。そしてそれは生命の宿命なのだ。
進化をするには生命は子孫をつくらねばならない。
そう、子孫つくる事。それが生命の生きる意味である。
だから当然SEXは意味のなすこと。
また子孫をつくる事に間接的にふれる容姿を研く、恋愛、マスターベーションなども意味をなすこと。
また、そのまま、物の変化をつくる事も生命の生きる意味になろう。
物の変化、それは人類に影響を与える事である。
勉学や感性を研き世の中に影響を与える。
それは生命の生きる意味そのままになろう。
つまり要約するとこの世界に存在を大きく見せる事。これが生命の生きる意味なのだ。
そして、必然的に人を殺す事。これは生命の生きる意味に反する事である。
それは物の変化を、すなわち世界の絶対的存在を小さくさせてしまう行為なのだ。
だから人は人を殺す事をいやがるのだ。
>この世界に存在を大きく見せる事。これが生命の生きる意味なのだ。
存在を大きく見せる為の変化。変化は時であるならば、
時を出来得る限り多く抱え込むために、我等は在る。
時をどうして保存出来ようか。それは記憶によってである。
記憶とは過去の時間。過去は現在に干渉できる力。
圧縮し、より多くの時間を保持せんが為、我等は在る。
その為の変化を求め、進化を続けようとする。
ヒトはこの地上で最も大なる力を持つ生命。
故なれば万物の霊長と呼ぶこともできよう。
故なれば魂には決して拭い去れぬ畏敬が在る。
874 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 07:22:13
いいかげん目覚めなさい!!何で人を殺しちゃいけないか教えてあげましょうか。それはね、死ぬ時にとても痛いからよ!!苦しいからよ!!生きたいって思うからよ!!誰にも人の未来を奪う資格なんて無いの!!
875 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 07:24:32
>>863 らいっつもいっつこれ、ここれ、この板での板でまんこれ、この板でねーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwワロスつもろっつってろわだらいっつまつまんつまんつまんこ
れ、つまんこの板でつもろっつってんwwwwwwwwwwwww
ばか!ばか!まんこ!!
877 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 10:48:19
道徳論持ち出すと家畜や害虫までも殺すなと延長するから、ヒト社会の保持程度に考えたほうがいいと思うよ
878 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 11:15:54
>>877 生き物を「殺さないこと」が道徳なわけないだろw
おまいら吉野家ぐらい行くだろ?
いったい毎日 哺乳類だけでも何万頭殺してると思ってんだ、こら!
それと人社会は人口過多で問題となってる
知ってるだろ、チャイニーズなどは子供二人以上つくると犯罪だ
ヒト社会の保持をいうならマビキこそためになるということだ
道徳の定義もあいまいだけど
とりあえず学校で習うような道徳って意味合いで言ったんじゃない?
人間の都合によって正しさなんて変わっていくんだから、
そして都合を作り出す人は権力のある人だから、
そして権力のある人は人を殺して良い(罰を受けない)から、
なんか全然平等じゃないから、
からあげ喰いたい。
文を読み取れないような人とは話が進まない・・・
881 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 12:45:01
>>873 それは俺(872)の考えに同意でいいのか?
882 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 12:48:32
生命をひとつのものと考えれば効率的に認められない殺しもあるが認められる殺しもある
883 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 13:19:19
生命をひとつのものと過程すれば、多くのものと共存する事を常に求めるわけだ
その共存を効率よく考える事のできる人間は生命を殺す罪を知っている
だが、生命を殺す事で効率が上がる場合がある
故に生命を殺す事全てが罪ではなく、許される殺人もある。
そして生命がひとつのものであるという過程をたてたがこれは正しい
生命の全てはこの世に存在するものである。
つまり、それはこの世に存在するものはこの世の存在のために生きる事を共通とする。
だから共通の目的を持つ生命はひとつのものなのだ
この過程が正しいとなると生命の共存の効率を考え生きる人間には認められる殺人がある事を証明してるのだ。
884 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 13:22:15
大勢がいけないという理由は、自己防衛のため。
その証拠に、たいていの国では、正当防衛ならば殺人も無罪。
大部分の国についてよく判ったつもりだ。
そんで、殺人はどうなのってことなんだ。
殺人も色々あるわな。
なんでも殺人は無罪であるのか。
法律的なことでありながら、無法的であるという法と法の矛盾的適用を考えている。
期間限定で適用なんてどうよ?
886 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 13:32:33
理屈はあとづけがほとんどだろうな
体制というか、その場の権力バランスで決定されるんだろう。
887 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 13:55:45
死刑とかは、殺人なわけだけど。冤罪でないなら、オウムの頭のあいつとか
タクマちゃんとか、はっきりいってもう手に負えないよ、かといってほっといたら
しゃれにならんし、どうにもならん・・・・ヤルしかないか・・・ぽちっとな!
となるわけで、殺人がいいと思われているわけではないよ。人を殺すと、色々な面で色々な事が下降螺旋を描く事になるわけで。
いつか自分が殺されるんじゃないかとか、アイツは人を殺す奴だからダメだな、とか。
殺された人に関わっていた人も色々恨まなきゃいけなくなるわけだから、禁止するに越した事はない。
ただ死刑は、もう本当にどうしようもない時に使う手段なんじゃないかな、監獄から戻ってきて告訴した女の人を殺した下衆もたしかいた。
だから更生なんてものが事実上出来ていない以上、死刑を乱用した方が世の中のためってのもまんざら嘘じゃない。
でも基本的には、殺さない方が穏やかに生きられるので・・・
>887みたいな人が2chに溢れればいいのになぁ・・・
889 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 15:01:04
人の権利は他人の権利を侵害してはならない。←権利の及ぶ範囲
将来的には、冷凍保存刑ができるだろうね。
冷凍保存100年の刑とか。
適合する社会になると解凍。生命も大事にする目的があるしね。
>>891 むしろ冤罪防止のために、死刑の代わりに冷凍保存刑、でしょう。
一定期間新しい証拠が出なければ廃棄処分、とか。
>890
たんにカリカリしたような人が嫌いなだけ。
895 :
891:2006/04/07(金) 18:34:53
>>893 我々の内は道徳であり、我々の外は価値であると普通考えられているようだ。
冤罪防止は生命の価値であるにしても、生命の価値を目的になるのは、何故なら、
どういうものにしろ道徳から生じたものだからである、と一般に考えられている。
一方、冤罪防止を目的にするのは、動機が不明確である。しかも、一定時間の
証拠がないならば、廃棄処分になる。例えば、政治的に関心がある動機から、
冤罪防止を目的にすることは大した価値があるのだろうか。しかも、我々の外に
おいて、一方から他方に関係するとしても、我々に何の関係があるのだろうか。
余談だが、私が思い出したから、冤罪が防止されるという話になる。
しかし、生命を奪うならば、不道徳なのだろうか。死刑にする人だから、良識が
が無いのかね。
896 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 18:47:04
もし「生命そのものに価値あり」だとするなら
犯罪者の命も非犯罪者の命も同等である
「生命そのものに価値あり」と考えている人間はいないだろうね。
プランクトンやゾウリムシ、ダニやノミや蟻や雑草などは、
知らぬ間に踏みつけにし、殺してしまっている。家を建てるだけで多くの生物を殺す。
微生物も、食物連鎖に重要な役割をもっているが、それは食べられるということだ。
犯罪者にとっての生命の価値とは、
残酷なる死刑を受けることによって、犯罪抑止を訴える事にある。
もはや、特に人を殺した犯罪者に認められる価値とは、その程度である。
898 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 19:11:31
>>897 人間の「生命そのものに価値なし」という意見よくわかった、ごくろうさん
899 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 19:19:29
>>896 価値あるけど、犯罪したぶんマイナスされるんじゃねーの?
生命そのものは、持ち主にとっては価値があるけど、
他人(他生物)にとっては一概に言えない、というだけだ。
何も難しいことなどありゃせん。
901 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 19:23:42
結論がさらに強化された形になったな。
903 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 19:36:57
人を殺してはいけない理由は
人をむやみに殺さないという社会契約があるからですよ
殺すならば、死体になるとしても、殺すならば、生命が生まれるというものでもない。
905 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 22:00:35
大人の結論!俺そんな事どうでもいいから早く家帰ってぐるナイみたい!
>>903 社会契約なんて嘘っぱちだよ
そんなもの無い
理性ってどこから来たんだろう。
一種の強制力があるよね。
コレ解明できたら人は一歩自由になれると思う。
908 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 22:51:30
人を殺してもいいと思ってる奴は、まず自分を殺してみろ。
909 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 23:00:40
理性解かなきゃ答え出ないのかな
910 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 23:09:03
理性は今までの生活で身につく。好きな人の目の前で屁をこくのを我慢するのも理性があるからこそです。
911 :
考える名無しさん:2006/04/07(金) 23:54:31
屁を我慢するのが「おまえの理性」かよ・・w
すげぇ〜な、おい!
>>908 >人を殺してもいいと思ってる奴は、まず自分を殺してみろ。
ほんとに死んでもお前が自分で勝手にやっただけだ。
俺は関係ない。
このように自分の責任が問われない殺人は平気でやるんだな。
913 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:10:43
人を殺したら責任とって自分も死ななきゃいけないからひとをころしちゃいけないんd
914 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:24:55
そりゃ変だろ、
直接間接を問わず、人を殺しておいて「責任を取らない」ヤツは五万といる
915 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:31:28
>>907 ヒトがヒトを殺さないのは本能。
例えば『高いところで足がすくんだり』、『ヘビやクモに嫌悪感を感じたり』
と同様なレベルの原始的なもので、脳内にこの機能を持つ回路が形成さ
れていると考えた方が自然でしょう。(あるいは、動物や昆虫が、 毒々し
い色のキノコを食べることをためらうのと同じレベルの話?)
もちろん、どちらも育った環境や、訓練次第では克服することができる
程度の本能だけどね。
( ) ゝ/ __ヽ
| | | / | h 「ちょっと、ぶっ殺してくる!」
, ── 、 __ i |-||
/ ヽ / ヽ (|| | /^ヽ
/ /)ノ)ノ // \∧/ ノ /ヽノ
| ///⌒ヽ / , ─/ ̄ ̄`─ ´ / ______/
ヽ /)─| ミ| / / ,-─ ′ ─────/
∠ (| |. ヽ__ノ> ( ̄ノ/ 感情 / −、 /
∠_ / ` /^\__ >  ̄ |─── |─┬┘ |───/
ノ (__ ヽ___ノ─┴ 、__ノ ̄ ̄/
/ ̄ ̄\┌─ ′ /^−、 -、_/ /_____ /
/ ̄ ̄ ̄⌒ヽ ( 丿 / | /─────/
\ / ̄/ (__ノ ̄ ̄ // /
本能 \/ / 「いけません!」
916 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:32:20
「人を殺しちゃいけない」
それに反してるヤツなんじゃないかな
917 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:32:31
生物の本来的な行動基準としては、他者の資源を容赦なく奪い、自己を際限なく
増やしていこうとするのが本来の姿であろう。
ところが人間をはじめ、群れることで生存確率を上げてきた生物は基本的にはこ
れをしない。仲間内で奪いあうと群れが維持できないからだ。逆にお互い助け合う
こと で淘汰をくぐり抜けてきた。
ヒトのこの群れを維持しようとする行動様式こそが、人間の価値観でいうところの
「善」なのである。我々の先祖が進化の過程でたまたま身に付けたもので、この
『善なる行動様式』を身につけることで厳しい淘汰を生き抜くことができたのである。
もちろん略奪や殺し合いも幾度となく行われてきたが、これも人間を滅ぼすには
とても十分ではなく、大局的に見れば些細なものでしかなかった。今現在、人間
が生き残っていること自体が人間が善であることの証明と言ってもいい。
本来「善」であるからこそ、他人の物を奪うなどの”生物として当たり前の行動”
が、「悪」として感じられるに過ぎないのである。
>>915 >>もちろん、どちらも育った環境や、訓練次第では克服することができる
>>程度の本能だけどね。
ってことは人殺しはできるってことじゃん。
919 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:35:28
相変わらず、日本語の『いけない』と『できない』を混同している人がいるな。
殺人は物理的に『できない』わけではない、だからこそ『いけない』と禁止するわけで。
920 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:36:11
「いけない」という言葉は、誰かが誰かに禁止を要請する言葉。
要請を無視しうるかどうかは関係無い。
「殺してはいけない」と発しているのは社会。そしてそれに従わ
ない者には制裁を加える。ただそれだけのこと。これが『いけな
い』ということ。
なぜ社会がこのような要請を構成員にするかと言えば、殺人な
どの集団を乱す行為が頻発すると社会が不安定になるから。
この殺人等の行為を排除しようとする衝動はヒトの本能でもある。
ヒトのように集団を形成することで生存確率を上げてきた生物は、
仲間を攻撃する行為が頻発すると、集団の維持が難しくなるため、
これを抑制する本能が備わっている。
921 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:38:45
いかなる場合においても人を殺してはいけないの?
殺人は場合の全てである。
あなた戦場にでもいるつもりでつかw
923 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 01:44:20
>>917 ちがうだろw
人間は「殺すことで群れを維持」してきたのよ
おまい歴史の時間、弁当食ってたろw
責任は絶対的に強制は出来ないから(人を操れでもしない限り)
(第一人称から見た)いけないにはならない。
第二・三人称のいけないにも絶対的な強制力は無い。
(ちなみに第二人称のいけないは、個人から自分に発せられた"いけない"であり
第三人称のいけないは大衆的な団体から発せられる"いけない"で、
第三人称的"いけない"の方が強制力がある)
↑を分かりやすく言うと
「責任とって」
↓
「反故する」
が充分実現可能であるということ。
「縛り」にも反抗するという自由がある。
死ね
なんといい言葉か。
これが無ければ君らは生きていけなかっただろう?
チンタラ考えてる暇があればちゃっちゃと実行しろよ。
刑事さんや裁判長が嫌と言うほど教えてくれるって
>>923 違うよ。
外部の群れを殺しまくって、自分達の群れを維持してきたのだろうが、
群れ内部の殺し合いは禁忌としたのだよ。
でも、
>>917 >>生物の本来的な行動基準としては、他者の資源を容赦なく奪い、自己を際限なく
>>増やしていこうとするのが本来の姿であろう。
は、間違い。
人間以外の生物は、容赦なくとか、際限なくとか、形容されるようなことは
しない。
人間だけが、過剰に行為するんだよ。
928 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 03:05:53
>>927 おまいどこ見てんだよw
内部の敵対者や敵対者候補もガンガン殺すだろが
キムジョンイル、フセイン、信長、etc.....
群れと言ったって、しょせんそのとき自分にとって都合いいやつらを
指すんであって内部抗争で結局群れ内の殺し合いが常態なのよ
>>896 たとえ生命そのものに価値があるとしても
犯罪者の命と非犯罪者の命は等価ではない。
既に種々の経験を重ねた者であれば、その経験に対して価値が与えられる。
あくまでも生命そのものの価値というのは人間の価値の極一部であって、
それが人間の価値の全てではない。
>>897 人間と雑草・プランクトンとでは生命の価値(ヒトが直感的に感じる命の重さ)が違う。
犯罪者であっても、プランクトンやゾウリムシ程、気軽には殺せないだろう。
蟻を踏み潰すように殺してしまっても構わないとは思うだろうが(つまり現在の総価値は蟻程度)、
ダニやノミよりも、その命の重さは感じる筈だ(純粋に命だけを比較すれば雑草よりも重い)。
虫を殺すよりも犬やイルカなどを殺す方が抵抗感が強いのは何故か、ということ。
生命の価値+可能性の価値+実績(経験)の価値が人間の価値であり、
実績の価値は自分と他者や社会にとってでは価値が異なる(マイナスにもなる)。
本来は微生物より高かった自分の価値を、行為によって微生物並に迄下げてしまうこともある。
ただし、そうなってさえ尚、命自体の価値はヒトの命としての価値を保つ。
・・・無論、欲望・怨恨や制裁の前では、命の価値に因る躊躇など脆くも吹き飛んでしまう。
自身の欲望を満たす事の価値が、殺害対象の生命に対する価値を上回ったということ。
930 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 03:21:17
価値?w
931 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 03:23:02
>>927 >>917で想定しているのは、本当に初期の原始的な、
単純に資源のある限り自己複製を繰り返していく生命。
932 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 03:24:09
>>927 知能が高いから、相手を殺すことによるメリットも認知することができる。
また、刃物や銃を使ったり、策を弄することで、比較的少ない労力で相手
を殺すことが出来るということも大きい。
ただし、人間もほとんど人を殺したりはしない。
まわりに人を殺したことのある人間なんてほとんど見かけないし、
普通に安定した社会だと、千人に一人、0.1%にも満たない発
現頻度なんじゃないか?正確なデータは知らんが、これは極め
て少ないと考えるべきだと思う。
933 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 03:24:44
冷静に考えると殺人なんてほとんど発生していないのだが、頻度が
多いかのように錯覚する理由としては、
(1) メディアの発達で、遠くで起こった殺人も認知することができる。
(2) 個体数が多いから発生数も多い。
(3) 集団を乱す行動をいち早く排除できるよう、 殺人等の他人の悪行
を牽制し、敏感に知覚できる生来的なヒトの能力。
などが考えられるが、本質的には(3)なんだろうな。集団化して生存確
率を上げるうえで必要となったツールとして、善悪の価値基準や、他人
の横暴にたいする不快感をみたいなものがあったのだろう。
934 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 03:25:04
>>929 おまいおかしな事言うねw
「生命そのものに価値がある」なら
(犯罪)者の生命も(非犯罪)者の生命も生命という次元では
「両者ともに生命」である点に間違いはなく、
ともに生命なら、ともに冒頭の「生命そのものに価値がある」に必ず帰結するだろ
おまいの言いたいのはそれとはまったく別の事なんだよw
よく考えて正確な表現をしてごらん
書けなかったら、あとでおれが代わりに書いてヤッから
判らないやつなんだろうね
>>934 貴方の賢さが私を上回っているのは間違いないと認める。
たたずまいからそう感じ取れる。
代わりに書いて頂けるのなら、それに越したことはない。
>>928 そりゃー、権力闘争の殺し合いもあるだろうが、
群れ内部の殺し合いをタブー化したのも事実だろう
人間は「殺すことで群れを維持」してきたという面もあるが、
「殺すことをタブー化して群れを維持」した面だって、でかいだろーが!
普通に考えられる事は大概、既に言い尽くされ切っていて意味を持たない。
多少、変でも構わないから、もっと突拍子もない考えを出してはくれまいか。
939 :
◆/XvJ1z5Egs :2006/04/08(土) 06:32:52
>>938 たとえ過去や現在においてありふれた考えで、その考えを聞かされたところで
誰も何も感じないような考えでも、それは無意味ではない。
もしそれが無意味なら、それこそほぼ全ての人間の精神活動が無意味だろう。
あなたが求めているのは意味ある考えではなく現状からの変革ではないのか。
>>939 語弊があった。
自分にとっては余り意味が無いという事。
過去ログに何度も登場している
既知である情報を三度も四度も聞いても無意味に近い、と。
自分の利益優先の押しつけである事は重々承知した上での願望だ。
考え自体に意味がないと云いたかったわけではない。
941 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 09:47:33
生命の定義があいまいでわからんけどオレは昨夜、数億匹の人になる可能性のある者達を無駄に殺した。
普通の考えに矛盾する考えを提示すればいいというものではない
当然に、その普通の考えを説得的に論駁できなきゃ、しょうがないだろ
自分のレスを読み返して自分で突込みが入らないような話の展開にしてよ。
哲学板なんだし。余計にそう思う。
945 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 14:01:55
人を殺しちゃいけない、ってわけじゃないよね
人を殺したら罰せられるという掟がある、それだけだよね
どうして人を殺したら罰せられるの?
神だからです
947 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 14:08:01
>>945 近代国家では報復が法の基本精神であり
つまり国が報復行為を認めており、本人に替わり国が報復を代行するよう決めてるからさ
948 :
考える名無しさん:2006/04/08(土) 14:26:54
>>940 スレ違いだが、
筒井康隆のSF「幻想の未来」という中編小説に、生きとし生ける者に限らず、存在するモノ全てのあらゆる現象に
意味があり、価値があり、はるか未来に1つの集合意識に繋がっていくという話があったな。
当然、凶悪な殺人やレイプ、戦争も価値があるし、善と呼ばれる行為にも価値がある。
筒井はフロイト大好きだったみたいだけれど、
フロイト的観点から観た「殺人」とはどうだろう?
抑圧された性衝動に全て還元されてしまいそうだが・・・w
人を殺してはいけないっていうか、殺すのってそもそも嫌じゃない?
首絞めるのも体力使いそうだし、包丁で体刺すのも感触が気持ち悪そうだし。
殺すのに生理的不快感が伴ってしかもそれによって
自分は逮捕されて自由を拘束されるなんてすごく割りにあわない気がする。
殺すことで得る利益と殺さないことで得る利益を考えたら
圧倒的に後者の方が得。
殺す理由もいろいろだからな。
憎い(怖い)から殺す。
楽しいから殺す。
後者は少ない気がする。根拠無いけど。
>>948 「犯罪者には無意識の葛藤による罪悪感が犯行に至る前に既に存在しており、
犯罪者は無意識の罪悪感を現実に結び付けることによって安心を得ようとする。
罪悪感は犯罪の結果ではなく、むしろ動機であるといえる。」
統制を失ったイドが人を犯罪へと導く。
超自我の過剰発達もしくは未発達、
つまりは精神の異常が犯罪を引き起こすのであると。
心理学では犯罪は異常と判断される。
私は異常な部分も含めたものが人間であると思うのだが。
社会的には異常と判断される価値観を持っている正常な人間だと。
生理的不快感も逮捕されて自由を拘束されることもいい、
とにかく楽しいから殺す、という理由ならわかる気がする(不謹慎だけど)
それだけのリスクに見合った利益を得てるわけだから
相手が怖かったり憎かったりという理由で殺してしまうのは殺した方が可哀想だ
ちょっと想像力を働かせれば殺す方が圧倒的に損だってわかるのに
また変なコテが沸いたなぁ。
スレを読み直してみてよ。 一応の結論が出てる。
人を殺してもいいと思ってるヤツもいるし、いけないと思ってるヤツもいる
あるのはその2勢力の対立だけで、今はいけないと思ってるヤツが圧倒的に
優勢だということだな
次スレキボンヌ。
957 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 01:16:35
958 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 01:25:37
友達のお母さんの、マ○コの中に、ウンコしたら、怒られました。
どーしてマ○コの中にウンコしては、ダメなんですか?
そのお母さんは、頭が悪いのか答えてくれません。
賢い人教えて下さい、お願いします。
959 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 01:46:25
960 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 01:53:32
961 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 02:39:57
962 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 04:07:08
マルコってチビのマルコ?
963 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 04:08:14
それじゃ訊くけど、猫とか犬とか殺したいって思う?
964 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 04:11:32
虫はいくら殺しても良いよね?
だけど、殺したいって思う?
965 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 04:17:41
人は人を殺したいんだと思う。
だから、殺してはいけないんだよ。
966 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 05:34:31
道徳とか法律とか本能とか、
ぜんぶ種の保存が根っこになってると思うんだよね。
967 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 05:41:02
理屈じゃないんだ
世の中には理屈じゃない事がいくつかある
968 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 06:05:51
人を全部殺すとこのスレの伸びが止まるから
969 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 06:28:17
言葉は心を超えないのかな。
970 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 07:40:53
言葉によって、心が生じるのだから、当たり前だろ
逆だろ。
972 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 08:54:06
・私は死の淵に立っているという危機感から殺意が生じる。
・殺意の対象は入れ替わりやすい。他人から自分へ。自分から他人へ。
・殺意が殺意を生み増殖を繰り返していき、ある臨界を超えれば爆発的に増殖することになる。
以上のことから殺意を抱くことが既によくないし抱かせるのもよくないとわかるかもしれません。
既に殺意を抱いている死生活を送っている人に
なんで人を殺してはいけないの
と問われれば答えになってないと反論されようが非論理的に
あなたに生きてて欲しいから
という主旨の言葉を答え続け行動でもそれを示さないなら、殺意を氷解させることはできないでしょう。
どうして人を殺そうと思うのですか?
974 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 09:10:10
バカやろう! バシッとビンタ
生きろばか。 そこでなんで生きなきゃいけないのと問われれば
間を開けて落ち着きを取り戻しつつ、
「生きてくれ」
と言う展開も人間関係によってはありかもしれませんね。
975 :
蒙昧:2006/04/09(日) 12:18:01
人に限らず、生物を殺す時のあの「生理的嫌悪感」。
あれがどこから来るのか、何故沸き起こるのか、分かる人いますか?
「人を殺してはいけない」って考えに少なからず影響しているであろうあの感覚は、
スレタイの議論をする時に重要な要素な気がする。
976 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 12:43:59
977 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 13:00:57
>>975 自分の死を痛切に感じるところからくる。
死にたい人間にとってはそれが快楽でありうる。
978 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 13:03:38
>>975 虫とかばい菌とか殺しても「生理的嫌悪感」なんて生じないよ。
979 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 13:14:08
他人を殺したいという人は苦しみ方がまだ浅いと思う。
苦しみが募ってくれば刃は自分に向かうようになると思う。
だが苦しみに対する耐性が低い人は刃を自分に向けるまで耐えられず人を殺すだろう。
980 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 13:33:51
981 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 15:51:03
人を殺してはいけないという質問はどうして野糞してはいけないのかという質問と同じである
説明足らずだよ。
突込みが入ると予想されるんなら注釈を入れないと。
983 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 16:11:44
説明してほしいの?
各自の知識で自己解釈してくれればいいよ
984 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 16:16:40
>>983 おれの解釈→おまえは野糞の常習犯につき懲役100年の刑が相当♪
>983
「なぜなら〜」で注釈しなさい。
様々な自己解釈に対して個々に突っ込みが入る、話が拡散して
結局981自体の言いたいことからずれて行くから。
986 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 16:55:54
一応訂正しておきますが、野糞は法的に許容されます。
987 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 17:25:38
>>986 歌舞伎町ならチン列罪で逮捕ですが・・お住まいは神興部村かなんかですか?
988 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 17:26:55
あ、すんません…マン列罪てありましたっけ?
やっぱりね、
軍人に任せると世の中がおかしくなるんだよね、
みんな手を汚したくないから、って考えるけど、
でも、手を汚したくないってことから、軍人の鼻息を荒くさせるなんてことにはならんのだ、
あ〜あ、
まさか、普通の職業だと思ってたけど、
彼の誇りが軍人だからだ、
なんてがっかり、もう自信なくしちゃったな、
彼が悪いからだ、なんて言っているけど、それって軍人だからでしょ、
よっぽど前提に違反しているって考え方だよね、
あ〜あ、けっきょくどこか悪くなっちゃうんだよな、
でも、どこか悪くなっちゃうって言っても、
こういうことにはあり得ないって考え方なんだから、
これだから、世の中おかしくなるのよね、
普通の人のふりをしているけど、やっぱりねぇ〜。
次のスレあるとしたら、誤解を避けるために
どうして人を殺しては悪いのですか? とかにするべきかな。
その話ですらこのスレで決着付いてた気がするけど。
992 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 17:57:02
いらない
そうやってまた嘘をつく、
あなたのいつもの手口だ、
みんなの代表だからって嘘、
初めから嘘を付いていたからって嘘、
そして、うまくいかなかったら、
初めから嘘を付いていたからだって説明して、逃げ出してしまうのでしょ、
嘘を嘘で塗り固めて周りを身動き取れないようにしているのがまだ判らないのか。
嘘を嘘と見抜けない人は( 掲示板を使うのは )難しい。
久しぶりに見た
996 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 19:55:14
★小泉の国会答弁なら
「そんなのあたりまえでしょ、しっかりしてよ、○○さん!」
で、終わりだね。
997 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 20:26:09
1000なら哲学王
998 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 20:27:42
999なら哲学神
999 :
考える名無しさん:2006/04/09(日) 20:28:38
999なら哲学は死ぬ
>>991 どうして人を殺してはいけないと'されている'のですか?
として欲しい。
前スレの最後あたりにも言ってたけど・・・
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。