1 :
テカルド研究者:
このスレでは、テガルトの哲学を扱いたいと思います。
テガルドの著作を学問的に論ずるスレにしたいので、初心者の方や、
哲学とは何の関係もないのに哲板で書き込みを行っている精神異常者は、
書き込みを遠慮させて頂きます。
周知のように、デカルドは、フラソスの哲学者で、近代哲学の母と
呼ばれています。なので、近代哲学に興味のある変態は誰でも参加していいと
思います。(参加してはいけない場合も充分あり得ます。)
テカルドの主要著作を年代順に並べておきます。まず『方法の話』。
それから、『瞑想』。これは非常に重要な著作なので、このスレでも
重点的に読みたいと思います。最後に『毛利』。
この三冊を読めば、とりあえず、トガルトは卒業だと思います。
中国製電化製品の説明書みたいな誤字だな。
3 :
テカルド研究者:2006/03/01(水) 16:30:04
修正。
× 最後に『毛利』。
○ 最後に『公理』。
あと、デカルドの『話』さえ読んでいないのに、テガルトについて
語る人がたまにいますが、そういう人は井の中の蛙、かえるところを知らずと
ことわざで言うように、デガルトの思想を学びつつ、自分のおもむくところを
知らないで、右往左往している徘徊老人に似ていると、僕の兄貴が言っていました。
近代哲学に感ずる話題であれぶ、なんでもけっこです。
スピノドでもライニッツでも構いませんし、カンドでもシェリグでもベーゲロでも
けっこです。あ、これは欲張りですよね。欲張りは嫌われますよね。
4 :
テカルド研究者:2006/03/01(水) 16:32:49
誤字脱自が多くてすみません。デカルトを間違えてテガルドとか打ってしまいました。
僕のパソコンは古くて反応が良くないし、キーボドが壊れているので、たまに
おかしな書き方をします。
スピノラ、ライフニッツも間違って打ってました。すみません、以後気をつけまし。
6 :
テカルド研究者:2006/03/01(水) 16:37:18
それから一つ言い忘れていたことがあって、それを言わなくてはならないと思います。
このスレは、学問スレの代表になるようなスレにしたい、と言っています。
なので、荒らしとか余計な書き込みはせず、学問的な内容を具えた書き込みだけが
期待されている模様です。哲学板は現在、哲学とは無関係なスレがあまりに多いと
聞いています。先日も同急逝だった高原が僕に言いました。
「哲板はもう、だめかもわからんね」
僕はそうだとは思いません。みなんで哲板を復活させるのが義務である、と言われています。
7 :
テカルド研究者:2006/03/01(水) 16:40:06
>>5 それは学問スレではないです。学問スレとして僕は立ったのであって、
お遊びの雑談として足ったのではなかったりします。
なので、混同は厳禁です。そういう指摘はやめて頂くよう、
前にも述べていたはずです。
それを守れないあなたは、すでに荒らし行為を行っていると断定さぜるを得ない。
>>7 あれも学問スレだよ。
しかも既存のスレを、より学問的できるかどうかは書き込む者次第。
それ以前に、重複スレは単なるルール違反なので、削除依頼よろしく。
このスレ面白すぎる!!こんなに爆笑したスレ久しぶりだ
10 :
テカルド研究者:2006/03/01(水) 16:49:50
>>8 まったくなんという言い草だろう。僕は腹が立って仕方がない。
重複ではないと言ったのに、重複という。この人の書き込みこそが
まさに「重複」なのに、自分ではそしらぬ顔で人を重複呼ばわりする。
こんな罪悪が法の目に触れずに野放しになっていいのだろうか?
皆さんはどう思いますか?
このスレは学問スレであり、明らかに上記のスレとは常軌を逸するものです。
そういうことで、
>>8のような書き込みは以後ズルーでお願いしますよ。
特に、ここがすごい
>スピノドでもライニッツでも構いませんし、カンドでもシェリグでもベーゲロでも
テカルド研究者さん、そのキーボード絶対に買い換えずに使い続けてください
すばらしいです
12 :
テカルド研究者:2006/03/01(水) 16:53:34
>>11 タイプミスについてはもう誤ったはずです。それを蒸し返すのは残酷です。
僕はスピノザもライプニツッも読んだことがありますし、カントも
知って言います。なので、こういう学問とは関係のない不可避的なタイプミスに
ついては指摘はご遠慮下さい。おかしいと思ったら自分で治す、それが
重病に陥らない最初の秘訣だと思いませんか?
もしかしてチンポ太郎さん?ちがってたらごめん。
>>1 http://info.2ch.net/guide/adv.html#saku_guide >重複スレッド
> 同じ事象・人物に関するスレッドは、個々に多少の違い
>があっても原則的に削除対象になります。その場合、立て
>られた時期・時間、1に書かれている内容、レスがどれだ
>けついているか、という優先順位で総合的に判断します。
> 客観的な判断が難しい時は、利用者同士の話し合いを待
>つか、立てられた時間の遅いものを停止処置をすることと
>します。
> 同一掲示板内ではない重複スレッドは、内容にほぼ変化
>のない場合は悪質なマルチポストと判断し、板の趣旨に合っ
>た真面目な議論が続いた場合を除き、全てを削除対象とし
>ます。
15 :
テカルド研究者:2006/03/01(水) 16:58:10
>>13 それは誰のことを言っているのか、実際はよく分かりません。
太郎とは仲良しですが、彼はまだ浪人生ですから、違うと言えば言えるでしょう。
それでは、まずは何から始めましょうか?
デカルトの著作から始めるのが三番でしょう。
デカルツの茶作として先に挙げましたように、
彼は『話』『瞑想』『公理』の三冊を書いています。
『話』は方法に関する著述で、フランス語で書かれている、初心者向けの
くそ退屈な本です。こんな本は破り捨てて外で遊ぶのが目にいい、と言っていました。
『瞑想』は重要な本です。デカルトは自我から出発し、そこから、他の一切のものが
いかに導出されるのかを追っていきます。観念の議論や、神の存在証明など、
デカルト哲学のエッソンスが詰まった感じです。これはこのスレでやるべきです。
『公理』も重要です。ただ、第一部と第二部しか扱いません。それ以降は、
主に自然哲学に関するもので、形而上学とは一応、独立に扱っていいと思うからです。
『公理』を読むことから始めますか?
それから、近代哲学全般について質問がある人は質問をすればいいと
思いますが。
>>14 はいはい、デカルトとテカルドは別人。
つかもういいじゃねえか。もうやめろよ。
どう見たって重複じゃねえだろが。
こういうネタスレがたまに立つのは大歓迎だ。
おっと失礼。ネタスレじゃなくて読書会スレでしたか。
やっぱり重複
『中公パックヌ27 テカルド』しかもってないけど参加させてよ。
223ページあたりから始めんの?
20 :
:2006/03/01(水) 17:21:59
1は何をやりたいんだ
>>18 とりあえず『省察』専門のスレってことで勘弁してやれよ。
22 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 17:28:52
・・・思想に還元できる権威もありますよ。
じゃねえな。『省察』は後回しか。
331ページからだな。
24 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 17:56:56
>>3 僕の兄貴が言っていました。
>>4 僕のパソコンは古くて反応が良くないし、キーボドが壊れているので、たまに
おかしな書き方をします。
テカルド テガルド デカルド フラソス スピノド ライニッツ カンド シェリグ ベーゲロ
↑
おまえ、どんなネタスレだよ。
25 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 18:20:34
436 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/27(月) 10:38:20
ドゥルーズの「アンチ・オイディプス」では、去勢以前の人間には原初的な器質的な欲動(生の欲動)がある
と考えます。ラカンは、精神病を父の名(象徴界)の排除と考えますが、ドゥルーズは去勢前(象徴界排除)
を「器官なき身体」と呼び、精神病という病気ではなく、本当の生命の力と考えます。ここには、精神分析的
な、パラノ/スキゾ(神性症/精神病)、オディプス/アンチオディプスがあり、死/生が断絶があります。
これら人間と動物、死と生の「断絶」は、精神と身体の「断絶」、心身(心脳)問題です。これは、西洋哲学が
継承する「断絶」です。そしてたとえばフロイトはデカルトを継承して言うというように、精神分析もまたこの
「断絶」を継承しています。これに対抗するのが、進化論の系統です。進化という連続性が「断絶」を解体
する。科学は進化論の系統にあります。認知科学、心理学。
この問題の重要性の一つは、この「断絶」が西洋の倫理的ものを内包していることです。だからダーウィン の進化論が公表され、社会的な問題になりました。
26 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 18:48:32
祭り?
ネタじゃなけりゃぴかぁ並のキティガイ電波だな。
28 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 00:58:24
>>19 中公パックヌwww
それを言うなら、「中公パックス」でしょ?
しかも、僕と同じタイプミスをして、「デカルト」と打つべきところを
「テガルド」なんて打ったりしている。
僕は人を責める立場にはいりませんが、こういう安易なタイプミスは誤解を
避けるためにも是非とも回避して頂きたいと思います。
29 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 01:02:46
デカルドが重複、と言ってうるさい人が中にいますね。
なので、デカルトではなく、ライプニツを扱えばいいという話でしょうか?
それならそうですが、そういうわけにしたいとしておきましょう。
ライプニツはトイツの哲学者で、主著は『原子論』です。原子というのは
部分を持たない単純な実体であり、これはギリシア語に由来する「トリコモナス」(違ったか?)
という
名でも呼ばれています。(ちょっと記憶が曖昧ですが。)
そのほかには、『弁新論』という本を書いていて、神の偽証を証明するというものです。
ロックに対抗して、『人の知能に関する新しい文など』というタイトルの
本も書いています。これは対話です。
そのほか、雑誌や同人誌に投稿した著作が多数あります。僕は一応、それの全部を読み、
半分は脳内図書館に保管して、お好きな時にドウンロードできるようになればいいな、と
あわいを想いを描いた思春期の哲学的労作です。
こいつ結構アタマいいな
31 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 01:09:38
>>24>>27 ネタなんていう人がいて、僕はほんとに驚きが隠さないし、また、狼狽も隠さなかった。
実際、ほんつにネタではないという証拠があるから言っているのだkら。
そもそも、僕がミス・タイプがひどいということは知っている。あと、文章の調子がたま
はずれたりもするし、弁論大会でも落選という憂き目を見た。
しかし、ここで哲学を論ずる以上、それはマジ。本気とも言えば言えないことはない。
僕は哲学が好きであり、それは哲学が哲学だから好きなのではなく、哲学を哲学にする
自分が好きなんですね。多分、だから、こうしてデカルドのスレを立てて、急遽、予定を
変更してライプツニに方向指示器を向けることも、立派にその一貫なんですyo。
このスレは何度も言って来ましたが、その通りで、学問のスレです。
学問のスレであると同時に、哲学のスレであり、これは哲板では斬新なことです。
そもそも、学問と哲学が一緒に行くということ事態、今までは誰も考えることはなし。
32 :
不敬であろう:2006/03/02(木) 01:19:15
伏見宮・男系優先皇位継承順位(皇太子殿下と同世代以下限定)
1.賀陽宮家:章憲王系男子2名(小学生)
2.杜玖椀宮家:朝融王系男子3名(未婚2名)
3.朝香宮家:直系男子1名(既婚)
4.東久邇宮家:盛厚王系男子6名(乳児1名)
5.竹田宮家:恒徳王系男子5名(未婚5名)
伏見宮・女系血縁優先皇位継承順位
1.東久邇宮:昭和天皇第一皇女成子内親王及び明治天皇第九皇女聰子内親王の子孫
2.竹田宮家:明治天皇第六皇女昌子内親王の子孫
3.杜玖椀宮家:明治天皇第八皇女允子内親王の子孫
4.久邇宮家:靈元天皇第五皇女福子内親王の子孫
5.賀陽宮家:靈元天皇第五皇女福子内親王の子孫
33 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 01:20:12
おれがニーチョだ
以後、おやじギャグが続くスレに固定された
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
35 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 01:27:57
>>33 「ニッチョ」なんて哲学者はいませんよwww
それを言うなら、「ニーチェ」です。ドイツの哲学者です。
この学問スレに書き込むくらいなのですから、『ツァラトゥステラ』くらいは
読んで来て下さいねwww(書名も知らないかな?)
入門書だったら、ニーチェの自伝『こういう人を見よ』がおすすめです。
36 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 01:28:09
>>31 テガルト研究者さん、ぼうはデカルトが『方法』で
「悪しき神」の存在可能性あり、数学的・論理的な手法にも疑問が残ると言いながら
神の本性は善良であるがゆえ、神が悪である可能性はないと結論し
数学的・論理的手法を肯定するのはなんか納得いきません
やはり、人間はどこまで行っても神に翻弄されるがままの哀れな人形なのでしょうか?
ぼうは、人形は好きですが、自分が人形であることには我慢なりません
(ちなみに、ぼくはローゼンメイデンでは、蒼星関が好きです)
どうにかして蒼星関と一つ屋根の下で暮らしたいです
テガルト研究者さん、どうかよろしくお願いします
37 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 01:29:55
すまん、『この人を見よ』だった・・・。こういう人って・・・。
恥ずかしいミスをしましたが、一所懸命にこの学問スレを鍛え上げていく
つまりです。近代哲学スレの鑑となるようなスレを目指しています。
38 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 01:39:24
>>36 >テガルト研究者さん、ぼうはデカルトが『方法』で
>「悪しき神」の存在可能性あり、数学的・論理的な手法にも疑問が残ると言いながら
>神の本性は善良であるがゆえ、神が悪である可能性はないと結論し
>数学的・論理的手法を肯定するのはなんか納得いきません
その気持ちはよく分かります。実は僕も同じ疑問をもったばかりです。
神の本性の中に「悪」が存在しないということは、別に数学的・論理学的手法を
肯定するということではないです。神の本性(=善良さ)から、「悪しき神」の存在が
必然的に否定されるのですが、『方法』の「悪しき神」というのは、
神ではなく、神みたいな神のことではないでそうか。
神は善良である、よって悪ではない、という論理的帰結が語られているのではなく、
神は善根である、よって悪もたまには葉として生ずるけれども、それは
神が原因なのではなくて、被造物の有限性、被造物の欠如に、歯に、着せられるのです。
神は純粋肯定であるが、悪は欠如である。問題はこの神の純粋な肯定としての性質です。
欠如は否定であり、否定は限定です(スノラ参照)。神には限定(=否定)はない、
これが「悪しき神」はいないという理由でしょうか。
蒼星関と一つ屋根の下で暮らしたいということですが、僕は残念ながら、
蒼星関という人についてまったく情報を得ていないのですから。
39 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 01:50:07
>>38 即レスありがとうございまう
神が男根であることは、その完全性から帰結し
悪が人間の不完全性から発することはよく分かりました
となれば、デカルトが言及する「悪しき神」つまり「神みたいな神」とあh
シュミラクールとしての神、あくまで否定的な言辞がつくりだした神の煮姿なのでしょうか
(でも、ぼうは写真の少ない「スコラ」的なおしゃべりは嫌いです)
40 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 02:42:47
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、 ゙濁髟. |i ′$ .
41 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 03:12:39
>>39 僕は自分のキーボドが壊れていて、タイプミスが多くなってしまうことを自覚しています。
しかし、それを殊更に模倣して、僕を面白がらせるような書き方はしないでいいと思います。
>となれば、デカルトが言及する「悪しき神」つまり「神みたいな神」とあh
>シュミラクールとしての神、あくまで否定的な言辞がつくりだした神の煮姿なのでしょうか
>(でも、ぼうは写真の少ない「スコラ」的なおしゃべりは嫌いです)
最初の文章は途中で文章が途切れているので何を言っているのか、正直、よく分からない。
ただ、シュミレクールとしての神という捉え方はできないと思います。
それは否定神学的な神の規定であり、デカルトやスピノサの考える神はそれとは
違うと言います。否定的な言辞といいますが、言辞とはすべて否定です。
ラカンのいう「ものの殺害」であり、象徴とはすべてものを飼い馴らすことですから。
神の似姿とは否定的なものではなく、むちろ積極的なものとして確保されて然るべきであり、
そうであるからこそ、人の精神は小さな神と言える。
なので、デカルトは否定神学的な規定を逆転させる。
これはスノラも同じでしょうが。
写真の少ないとは具体的イメージに欠けるという意味でしょうが、しかし、
スコラなしでデカルドの哲学は語り得ない。彼はスコラ的なおしゃべりをしてるわけですから。
どの著作でも。もちろん、本人はそれを否定しますが、彼の用語は大体がスコラかぁら
来ている。
このスレを見て、やっぱりGOも太郎だったんじゃないかと思えてきた・・・
43 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 03:52:43
>>42 意味の分からない事を書くのはやめて下さい。
さっきから太郎とかOHとか言っている人がいるようですが、
僕は今年、C大学を受験して、腫れて今年からそこの文学部哲学科で
勉強する予定の者です。太郎というのは恐らく僕の友達で、
今年もやっぱり駿台で浪人をする太郎のことと思いますが、彼は
食堂で喫煙しているところを通報されて、危うく対校になりかけた。
その時のことを根に持っている人がこういう書き込みを繰り返すと思う。
僕は哲学科で懸命に哲学を勉強する予習として、哲学史の入門の本を
何冊か読んだだけの知識しかなく、またFM-TOWNSを使っていますが、これは
かなり前に親に譲ってもらった。
44 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 03:58:36
結論から最初に言っておくと、哲学を学びたいと思っている先輩でも、
さほどそうではないと言うことでしょう。思っているのは頭だけで、
本当は哲学よりもゲームとか部活とか飲み会とかで頭が一杯だ。
そういう人生を歩んできたのだから、みなんは僕のこれまでの人生設計に
ついていけないのだと思う。しかし、よく考えて、またよく考えるように
努力した限りでは、哲学を学ぶことが僕の直接の楽しみを形成して、
それ以上ではないことを根拠と呼ぶ。
なので、ここでそれらしいスレを立って、みなんの意見を聞こうとした。
哲学史に興味があって、そういうことを日々為している人だけが、
そういう書き込みがあってもいいと思われるものを書いていいと許可した。
しかし、読書スレという形態であるのは無縁で、むしろ、自由な活発な
意見交換という立場を固守して、また墨守していくのが当座の目標です。
なので、荒らし行為や、一行スレはやmて下さいね。
46 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:09:10
>>41 デカルトは『方法』でスコラを「砂上の遊郭」と貶し、その方法を表面上は否定したけどれも
詭計としての否定というスコラ的手法を匠に用いていたのは
他の誰でもなくデカルト自身だったということでしょうか!?
ところで、突然ですがここで速報です、ぼうは高校星です
ぼうは、90分でわかるシリーズや図解シリーズを読破するなど
学校ではインテリゲンチャンとして少しは名の知れた者ですが
まだまだテガルト研究者さんみたいなインタネーットの偉い人には敵いません
どうすればテガルト研究者さんのようなインタネーットの偉い人になれますか!?!?
これからどういった勉強をすればいいのでしょうか、教えてください(ビキビキッ!?!?)
待ってました!今日も始まった。
多分、初心者はすぐ入門書に跳びつくが原書を読むのが一番の近道だ、
というような趣旨の答えが返ってくるな。
48 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:51:26
>>47さんはなぜなにどうして、ぼうを初心者と呼びますか?
ぼうはすでに90分でわかるビトゲンシュタインも理解したのですよ
少し自慢になるかもしれないこともありませんが、ぼうは市井で流行っているというので
サルトル(ドナルド・D・パルマ―『サルトル』 ちくま学芸文庫)の専門書さえも
ここぞとばかりにすかさず読破するシテイボーイです
ぼうはこれからの波乱万丈だけど最期は孫に看取られて息を引き取る人生で
どちらかというとナウくて玄人好みの「脱法築」を極めたいでう
厚かましく睾丸ムチのことと思われますが
そこらへんを配慮しつつアドヴァイスを投企してほしいです
49 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 12:33:30
>>45 >デカルトは、懐疑という認識論的可能性を駆使する事によって、私の存在についての形而上学的議論
>を展開しているのだが、これは成り立たないということである。
これは違いますね。この程度の浅薄な批判がデカルトに向けられていること自体、悲劇です。
懐疑というのは、実はどうでもいいです。問題は、自我が絶対的に、それ自体で純粋に、
定立される存在であるということをデカルトが確認した点にある。
ここでは「認識論的可能性」などが問題になっているのではなく、
最初から、形而上学以外の何物も語られてはいない。
こなんことはヘゲールが『哲学史』の中でさらっと述べていることなので、
哲学史の予習をした僕達にとってみたら、基礎演習以下と思います。
50 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 12:38:06
>ところで、突然ですがここで速報です、ぼうは高校星です
>ぼうは、90分でわかるシリーズや図解シリーズを読破するなど
>学校ではインテリゲンチャンとして少しは名の知れた者ですが
>まだまだテガルト研究者さんみたいなインタネーットの偉い人には敵いません
>どうすればテガルト研究者さんのようなインタネーットの偉い人になれますか!?!?
>これからどういった勉強をすればいいのでしょうか、教えてください(ビキビキッ!?!?)
僕は今月で高校生を卒業します。しかし、童貞も一緒に卒業できるのか、それだけが
不安です。
それくら、勉強の仕方についてですが、僕は英語と数学だけに力を入れていました。
暗記科目はセンターの半年前から始めた。しかし、もう志望校は決めていたので、
別にそなんに勉強をしたのはない。哲学の本は入門書を沢山読んで、
できるだけ飽きない、ように薄い新書タイプのものが、推薦されている、と聞いた。
90分で分かるのは便利だが、90分で忘れるので、再読が重要かと、僕の兄貴が
何度も力説していた模様です。実際、岩波文庫、しか高くて買えないので、
厚い本は電車では読めないし、哲学書を読むのはちょっと指摘を受けそうで困る。
昨日も塾の帰り(自分は浪人生ではない)に本を見ていたら、
隣のカップルが僕の読んでいる本のタイトルを聞こえないように口にでして、
難しそうな本だな、と要っているのを聞いたばかりです。
なので、そういうことは用心するのがいいということじゃないでしょうか?
51 :
テカルド研究者:2006/03/02(木) 12:41:24
>>48 >ぼうはすでに90分でわかるビトゲンシュタインも理解したのですよ
「ヴィトゲンスタイン」が正しいですね。Wittは「ヴィット」と書き表すのが本流です。
(まあ外国人の表記はどうでもいいですが。カントでもカンドでも一緒ですから。
要は濁る濁らないだけです。)
>どちらかというとナウくて玄人好みの「脱法築」を極めたいでう
これも「脱構築」が正しいです。
>>48さんは用語に記憶違いが多いのが気になります。
用語を正しく覚え、精確な情報を保持していることが何よりも重要である。
それも、ミスタイプでないような間違いが・目立つのが気になります。
普段からタイプの練習をしておけば、レポートを書く時にいいと先輩が
言ってましたよ。
あと、もっと専門的な議論をして、スレを盛り上がらせてみたいとは
思えませんか?
>>51 > >ぼうはすでに90分でわかるビトゲンシュタインも理解したのですよ
> 「ヴィトゲンスタイン」が正しいですね。
↑
おまえに言われたくない。
>>51 素敵なご指摘ありがとうだいます
ぼうはデカルトよりもヘゲールがぶっちゃっけラブです
デカルツのコギトは、すなわち「我思う、ゆえに我あり」という回答は
「そうだとして、その時、我とは何であるか」という疑問を残しまう
そしてたま、デカルツ及びカルテシャンは思惟する存在者が思惟する時、
真理もしくは絶対知もしくは概念と共にあるということを忘れていまう
そうした理由から、デカルツはぼうを納得させることがないのでつ
55 :
長い人:2006/03/02(木) 14:35:48
おれがニーチョだ!
56 :
考える名無しさん:2006/03/02(木) 15:04:36
>>54 ぼうはそのインタネーットを読破した
そもそも「想像」と「認識」との区別が可能かどうか、というクエスチオンが残留した
われわれが何かの問題にストラグルする時、その問題の解決に至るまで
どこまでが「想像」でどこまで「認識」かを
われわれはサヴォアーしているのだろうか
(ぼうは田島氏の指摘する認識的可能性と形而上学的可能性を混同しているのだらうか?)
また、ミスター田島が語っているのは、あまりにスタティックな世界なのだ
すべてが知られたポジシオンから語られている(しかしこれは想像的だ)ように思える
氏の使う可能的という言葉には、あたかも絶対的な知がすでに存在するかのような趣さえある
現実的には、いまだ知られざるものが残留しており
われわれの知はどうあがいてもすくなからず想像的なのではないか
そうぼうはおもた、三月の空はいまだ憂鬱に垂れ込めているのだった
しかし、他人のブロッグから問いを引き出して
それを丸投げするのは少々チキンセンバンだ、反省しる
57 :
ライプニュッツ研究者:2006/03/03(金) 12:04:55
>>54 本当にその田島という人の、学問性を欠く、貧弱で浅薄な議論を扱って欲しいのなら、
全文をここにコピペするくらいのことはして下さい。その手間を省いて議論をして欲しいなんて、
プロレスラーに無料で興行せよと命令しているようなものですよ。
それが嫌なら、議論を要約して、あなた自身の言葉で言い直して、僕達に論争を挑めばいいじゃ
ないですか?要は他人の権威で身を守っているだけじゃないですか?
自分の言葉で哲学を語ることが出来ず、常に引用ばかりして、あなたのお書きになる論文も、
引用満載なんでしょうね。そんな奴は哲板で哲学を語る資格はないんですよ。
田島氏の議論の全文のコピペでもいいし(あなたの注釈付きで)、あなたのパラフレーズしたもの
でも結構ですよ。しかし、あなたはなんの意見も述べないのですか?そういう馬鹿は相手に
しませんよ。あしからず。
58 :
ライプニュッツ研究者:2006/03/03(金) 12:13:11
僕の友達にもこういう奴がいます。誰々はこう言っているとか、あの本にはこう書いてあったとか、
そういうことばかりを繰り返すだけで、自分の意見はもっていない。いや、そういうあちこちから
つぎはぎした意見はもっているが、自分では何も考えていないような人です。
僕は大学の哲学科はそういう人が一人もいないことを期待しています。昨日も実は学校の友達と
久し振りに会って(今、学校は行っても行かなくてもいいのです。彼は京都のD大学に行くそうです)、
いろいろ話をしましたが、ツンデレよりもそうでない方がいいという結論に達しました。
これらの議論は、常に濃厚な自己反省の上に成り立っているのであって、
机上の空論ではなく、自分の人生経験と密接した、ひとつの青い照明です。
従って、僕はみなんに言いたい。俺が哲学であり、俺は哲学そのものであり、俺はある意味で、
マシンガンである、と。これが僕の本望であり、願望であり、昨日コンビニで購入した
からあげなのではないか、とデカルトの先蹤にならって考える日々、
と僕の兄貴が逝ってきました。
59 :
ライプニュッツ研究者:2006/03/03(金) 12:18:05
僕は今、大学でどの哲学者を学ぶか考え中です。今日はハンドルを「ライブニッツ研究者」として
見ました。みなんはどうやって自分の研究対象を決めたのですか。僕は今のところ候補としては、
デカルト、ライプニッツ、カント、ヘゲルを考えている。
カントとヘーゲルは難しいから、まずはデカルトを読めと高校の世界史の田山先生に言われた。
それでいま、僕はデカルト研究者であろうとするのです。しかし、まだはっきりとは
内定をもらっていないのだkら、誰を研究するかは未確定です。
ルネサンス期の思想にも興味があります。
本はみなんは買ってよみmすが、それとも図書館で読みますか。
60 :
ライプニュッツ研究者:2006/03/03(金) 12:26:30
>>53 >デカルツのコギトは、すなわち「我思う、ゆえに我あり」という回答は
>「そうだとして、その時、我とは何であるか」という疑問を残しまう
>そしてたま、デカルツ及びカルテシャンは思惟する存在者が思惟する時、
>真理もしくは絶対知もしくは概念と共にあるということを忘れていまう
我とはなんであるか、と言うのなら、僕はこう答えます「それは僕です」と。
僕は僕自身についてよく知っているし、たとえば、僕は今、腹が減っていて、
姉貴の下着を盗んで、それでよからぬことをしようと企てています。
そんな僕、そんな僕が僕です。そんな僕、そんな僕を僕は好きです。
カルテシャンというのは誰のことですか?まあいいですが。
デカルトの我は絶対的に定立されたものです。これが真理の源泉と。
勿論、デカルトにとっての真理とは、確実性のことです。
我は確実性の基準であり、デカルトは我とともに、認識の原理も
獲得した。と僕は思う。
>>57 コピペでは邪魔だろうからリンクしただけだよ。
ハイパーリンク技術の恩恵に預かることがそんなにいけないことかね?
>あなたはなんの意見も述べないのですか?
意見を述べること自体が重要とは全く思えないね。
田島氏の議論は明瞭だから要約するまでもない、と思っただけ。
つまるところ重要なのは意見そのものではなくして、意見の内容の是非。
是非とも内容的な豊かさと堅実さを持ったレスを期待したいところだね。
貴方のを?
63 :
考える名無しさん:2006/03/03(金) 14:24:08
>>60 ライプニュッツ研究者さんはツンデレがお好ぎでないようですが
ぼうはスピノーザ的な嘲笑も涙も罵りもない「理性の人」よりも
嘲笑い、罵り、蹴りをくれるツンデレの方がかなり好きというか愛してます
>我とはなんであるか、と言うのなら、僕はこう答えます「それは僕です」と。
>僕は僕自身についてよく知っているし、たとえば、僕は今、腹が減っていて、
>姉貴の下着を盗んで、それでよからぬことをしようと企てています。
>そんな僕、そんな僕が僕です。そんな僕、そんな僕を僕は好きです。
だとすれば、思惟する我には、回収できない何か(残尿)が常に存在するということが
言えないことはないとは言えなくはないとぼうはおもた
>>61 マジレズwwwwwうはあえああおけえええええええ
64 :
ライプニュッツ研究者:2006/03/03(金) 18:57:56
>>63 >だとすれば、思惟する我には、回収できない何か(残尿)が常に存在するということが
>言えないことはないとは言えなくはないとぼうはおもた
僕の思うに、残尿感は誰にでもあります。誰にでもあるということは、どんなものにも
残尿感はつきまとうということだと思います。なので、思惟する自我だけではなく、
どんなものにも残尿感はあっていいと思います。
もちろん、無機物は放尿することさえしmせんので、残尿ということはあり得ない。
放尿が残尿のア・プリオリ(専門用語を使ってすみません)な条件であると思う。
なので、僕は放尿が確保されている限りは、残尿を問題することは必要でないと思う。
なぜなら、放尿がある限り、残尿があるからです。そして、残尿の「尿」は、
放尿の「尿」から理解されるべきだと僕は踏んだのです。
これは脱糞についても同様のことが言えるのではないですか?
65 :
ライプニュッツ研究者:2006/03/03(金) 19:08:19
上で述べたことをちょっとデカルト的に言い直してみると、たとえば意識と無意識というのが
あります。デカルトは自我の意識を全面的に出しているので、そこでは無意識というのが
見落とされてしまう。いや、見落とされることはないかも知れないが、意識の欠如態として、
何か消極的なものとして把握されてしまう。従って、無意識の本質を問うようなことは
デカルトの哲学の中には出てこない。
だから、みなんはデカルトの中では何かが見落とされたと考えるのかも知れませんが、
それは正しいとは思えません。
フロイトは意識に対して無意識の優位を説きました。しかし、彼においては未だに意識の
役割は大きく、意識が治療の大部分をリードすることになる。重点の置き方が違うだけで、
「意識、無意識」という二項対立は回避されていない。
なので、僕は、デカルトもフロイトも、程度の差はあれ、同じと思う。
66 :
ライプニュッツ研究者:2006/03/03(金) 19:10:52
でも、フルイトは、自我を無意識というものから派生すると考えたので、自我とは
何かという問題に一つの回答を与えたかも知れないです。つまり、自我とは、無意識の
一つの可能性であると。そして、自我とは実は作られたものに過ぎないと。
しかし、それがなんでしょう。デカルトはいうでしょう。逆だ。無意識の方こそ、
意識から作られたのだ、と。
これでは水掛け論です。鶏が先か、卵か先か、の議論です。
これを乗り越えるのが現代思想の課題であり、また、僕の明日の宿題のテーマで
あったりします。僕は受験も終わりつつあるので、また志望校から既に合格通知を
貰ったので、今はゲームしかしてません。ツンデレは嫌いではないのですが、
足コキが好きなだけです。あ、してもらったことはないですよ。
67 :
ライプニュッツ研究者:2006/03/03(金) 19:16:35
あと、スレと関係なので恐縮ですが、僕は全然女子にもてないので、
もう男に切り替えてもいいかな、と思っています。
でも、大学に行ったら自動的に彼女ができるとも聞きました。
先輩達、これは本当なのですか?(深刻に聞いていますよ。)
嘘を嘘と見抜けない人にはデカルト的会議は難しいと言われている
69 :
ライプニュッツ研究者:2006/03/05(日) 09:10:02
なんだよ、みんな度胸がないな。高校生だからってなめんなよ。
迷信に振り回されるなよ。
71 :
デカルト研究者:2006/03/06(月) 00:02:15
いいよ、みんながそういう態度だから、今のような糞スレ乱立時代が
到来したんだよ!
ざまあみろ!
何が哲学だ!
俺は今年から大学生なんだぞ!
ドイツ語するかフランス語するか迷ってるけど、
哲学をするならどっちがいいですか?
72 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:06:29
ポスモダならフランス、近代ならドイツ。
73 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:20:35
フランスの哲学を真面目に研究しようとしたら、ドイツ語も必要になると思うよ。
74 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:34:07
ぼうは「設定上」高校生だし
こういうところで「中の人」の視線で話すと事務所および各方面から
いろいろ文句を言われるかもしれないけど、勇気を出して言うよ
学部生の卒論に、原書は必要ない、っていうか
わざわざ使う人があんまりいないのが現実なのよね
ぶっちゃけ文献講読を選択しなければ、仏・独で哲学書を読むこともそうそうないよ
うん、今の大学の哲学科(院はべつだけどね)ってそんなもんだよ
邦訳っていうか、一般教養レベルの本さえ読んでない人が沢山いるのがデフォだしね
だからあまり期待しないほうがいい
そうぼうはおもふ
ぼうって何?
77 :
デカルト研究者:2006/03/06(月) 01:32:08
言語選択に関する助言有難く頂き候。
僕は現今、英語さへままならぬ恥ずかしき身の上、
然れども、英語は哲学を語る言語にあらずと聞けり。
哲学を学ばんと欲する者は、宜しくドイツ語もしくはフランス語をやるべしと
予の兄貴も言ひにけり。
予は近代哲学に多大の興味あり。よってドイツ語をなさんと欲す。
ドイツ語を極めたる暁には、ラテン語をも学ばんと欲す。
サンスクリットには予は微塵の興味もなし。
オウム真理教といふカルト集団、之を用いて人心を惑はす。
忌はしき言語と云ふべし。
卒論を語るべからず。こは、ただ未来に漠然と漂へる一塊のウンコの如し。
予は現在に生き、現在に働き、現在に食し、現在にウンコす。
未来に生くる者にあらざればなり。
ぼうの書き込みはつまらぬなり。
荒らしなのか?
79 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 01:46:27
80 :
デカルト研究者:2006/03/06(月) 01:49:04
あと、原書を読めと兄貴に言われたのですが、翻訳じゃ駄目ですか?
原書なんて読んでいたら、時間が掛かり過ぎて、僕の頭は破裂しそうです。
あと、先輩達は原書を読んだりするのですか?辞書は使いますか?
僕は外国語を読む時は辞書は使わない主義なんです。
分からない単語に遭遇したら、僕は想像を逞しくします。
外国語は要するに想像力の問題ではないかと思う位です。
81 :
デカルト研究者:
それに、辞書っていう言葉の響きがいやらしいと思います。
僕は「辞書」という言葉を聞くと、即座に「処女」を連想して、
勃起してしまい、勉強にならないことが受験勉強中にしばしばあった。
かなり年配の英語の女教師にもこれで勃起してしまい、無念と思った。
なので、外国語に辞書は必要なしと僕は確信する。