◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない56◆

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1「機械的唯物論」者 ◇Wrk8395W0I
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
2考える名無しさん:2006/03/01(水) 11:34:41
前スレ↓

◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない55◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1140273935/l50
3考える名無しさん:2006/03/01(水) 11:45:59

終了
4考える名無しさん:2006/03/01(水) 12:31:18
人間の脳は一見,複雑で混沌としているようだが,
実際はものすごく規則的に組み上がっている.
(人間の意思関係無くに組み上がる.)
その為,私達はそれなりに身体を動かせる.
脳だけではなく,生物の作りがとても複雑でありながら規則的.

だから,その中で生じていると思われる意識自体が
それら規則に従っているのだ.

とは,思いもするが,素直に納得できない自分も確かにいる.

生命が現れる規則が存在する気はするし,
それを知りたいという気持ちは強い.
(この気持ち自体が何処から来るのかという事も知りたい)
それには哲学もその他科学も必要だと思う.
ここまでの考え方には哲学的に問題あり?
5考える名無しさん:2006/03/01(水) 12:34:29
6考える名無しさん:2006/03/01(水) 12:48:04
なぜ◇?   >>1
7考える名無しさん:2006/03/01(水) 13:12:27
4
いいんじゃね
別に具体的な内容もないし反論も糞もない
8:2006/03/01(水) 13:13:38
>>5
多いですね.
全部読むのは,ちょっと…
せめてどこら辺に回答あるか教えて下さい…
9考える名無しさん:2006/03/01(水) 13:35:05
回答なんてないよ。
ないから続くんだ。
過去スレ読むのが面倒で結論だけ欲しいなら、
その程度の問題意識なんだろう。
10むじんくん:2006/03/01(水) 14:30:04
おや、新しいのができたのですね。

前すれでも書いたのですが、機械さんのキリスト教論が聞きたいです。
11考える名無しさん:2006/03/01(水) 15:03:56
おまいら寂しそうだったから代理で立ててあげたんだけど
1の名前に「「機械的唯物論」者 ◇Wrk8395W0Iの名前つけると
本人使えなくなる? ちょっと気にしてみた
12考える名無しさん:2006/03/01(水) 15:06:43
そんなことない。
◇で偽トリップだとわかるし、代理で(悪意でなく)偽トリで立てられたことは今までもあって
機械本人はむしろ感謝していたよ。
13考える名無しさん:2006/03/01(水) 15:07:28
名前欄の◇と◆は、大きな違いがある。
14考える名無しさん:2006/03/01(水) 15:11:30
>>12
んじゃぁ早速タワゴト始めれ
15考える名無しさん:2006/03/01(水) 15:32:36
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 |Д`]
 |⊂
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オモロイネタフリヲ オナガイシマス…


 ♪ .Å
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 ヽ[´Д`;]ノ
   [ へ]
    く
フリリン
  フリリン
   ネタフリ
     リン

 ♪ .Å
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 ヽ[;´Д`]ノ
   [へ ]
     >
ネタネタ フリフリ
   ネタフリリン


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16ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 15:39:03
乙!
17考える名無しさん:2006/03/01(水) 19:18:50
>>10
そのためには、まずむじんくんがキリスト教についてなんでもいいから、
語ってください。ここには、私を含めて絡み好きの人が少なくないので、
話は進むでしょう。素人さんのような仏教に通暁しているかたもおられる
ので、ますます面白くなるはずです。そのうち、常連の人たちも何か述べ
るでしょう。最高位がでてきたら、場は荒れるでしょうが、面白さは増す
はず。そのうち、江東的、いや高等的、いや高踏的な機械氏も姿を現すの
ではないでしょうか。
18むじんくん:2006/03/01(水) 19:50:08
>>17
> そのためには、まずむじんくんがキリスト教についてなんでもいいから、
> 語ってください。

そうですか。実は僕はキリスト教徒なんですよ(笑)。だからあまり語ることが信用ならないと
いうか、バイアスがかかるような気がしてしまうのです。

それでもあえて書いてみますと、自分は子供の頃から教会へ通ってましたけど、教会の
説教などは"キリスト教とは何か"という問いではありません。信仰から発せられる言葉なので
当然ですが、それは認識ではないのです。

僕が"キリスト教とは何か"という事柄に関して、非常に理解の助けになったのは、ニーチェの
著作を読んでからです。反キリスト教の人の考えというのは非常に参考になるんですね。信仰が
無いからでしょう。後にフォイエルバッハとかちょっと見ましたけど、それも面白かった。

キリスト教を"認識する"という観点からすると、僕はニーチェが言うことがほぼ正しいと思います。
特に著作「反キリスト」の説明でもかかれてますが、その基本的原理は古代ユダヤ教にあり、
それは一言で言えば"民族を繁栄させない神"を信じるということです。

これがイエスの教えとパウロの体系化によって世界宗教になり、同時に個別的、内面的な宗教となる。
その原理の極北に位置するのがカルバン派の予定説です。何をしようと最初から救われる奴は
決まってる、というものですね。

19むじんくん:2006/03/01(水) 20:29:46
哲学の話題に戻りますと、機械氏が言うようにデカルトなどの哲学者の記述の
裏側にはキリスト教があると思います。

昔、内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりしか」という本を読んだことありますが、
この人はキリスト教に入信してから慣習的な縁起かつぎというか、色んな制約から自由に
なったと書いてます。

これは、フォイエルバッハが言うように、キリスト教徒というのは本質的に現世というか、
感覚的なものに対して精神を無関心にしているというのがあると思います。だからこそ、
デカルトのように世界の裏側にある原理を探るということが可能になるのじゃないか。

ニーチェがキリスト教徒を「贋金つくり」とよく呼びますね。これは的確な表現です。キリスト教徒は
現世とは関係のない、別世界の世界の住人なのです。感覚的世界を現実とするならば、
キリスト教徒の精神は「贋」の世界に生きている。

更に、近代科学というものも同じ視点から記述されていると思います。感覚的人間であるならば、
自然は唯の自然ではなく、何か意思を持っていると感じてしまうでしょう。しかし、近代科学は
そういった質的なものを消去して、量的に自然を記述するわけです。

機械氏の愛してやまない物理の世界も裏側にはそういった精神が控えている。"機械論的唯物論"の
人たちはその点をどう考えているのかな、というのが興味あるところです。
20探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/01(水) 21:00:28
最高位がこだわっていた問題。
私はなぜこの私であって、他人ではなかったのか。

多くの人が指摘していたように、この問題は「私の存在性」とは別に関係がない。
「これ」はなぜ「これ」であって、「あれ」ではなかったのか。
このように書き換えても同じ問いが残るからだ。

「これ」は「これ」であって、「あれ」ではないからだ。指示の関係性から当然。
こう答えるしかないのだが、「これ」が「あれ」であることは本当にありえないのか?

単に言葉の上だけでとらえないで欲しい。
今あなたが使っているそのマウスは本当に他のマウスではありえなかったのか。
マウスを購入するときに偶然隣のマウスが手に取られ、結果「このマウス」が「あのマウス」
になっている可能性もあったのではないか。
21探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/01(水) 21:01:19
現実はこうだが、可能性としては他でもありえた。
「この」性とは単なる指示ではなく、可能性の中の一つとして、多くの「他」から
現実の「一」に絞り込むような指示である。「この」とは「他ならぬこの」なのである。

実は、「自由意志と決定論」にも同じ問題が絡んでいる。
自由意志は「他の選択をすることもできるが、敢えてこの選択をする」ところに現れる。
他の可能性が一切なければ、自由意志も見出されえない。

自由意志は、現実以外の可能性を見るところに現れ、現実のみを見るなら決定論になる。
自由意志や「この」性の起源は、「可能性を見ること」にあるのだ。

では、「現実以外の可能性」はどこから来ているのだろう。
それは人間の概念操作(言語)に由来するたんなる錯覚に過ぎないのか?
それとも、コペンハーゲン解釈のように、もともと多くの可能性があったのが
観測行為によって「一つの現実」に収縮しているのか?
あるいは、多世界解釈のように、「一つの現実」の方が錯覚に過ぎないのか?
22考える名無しさん:2006/03/01(水) 21:57:54
>>むじんくん
キリスト教ってあの世(来世?)が前提になってるんだね。
人間の感覚世界から離れてメタ的な視点に立つことってそれ自体がもう宗教的な行為なのかな・・。
なんかニーチェの言う事って感情的に反発したくなるんだよなぁ・・・。
23「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/01(水) 22:33:38
>>10
>機械さんのキリスト教論が聞きたいです。

 ニーチェがあの時代に「要するにルサンチマンである」と喝破したのは
結構すごいと思います。私も要するに(なんだかんだ言っても)
「イエスが(罪深い)人間どもの罪を背負って十字架に掛けられた」
・・・という「基本的な教理」は、ユダヤ教やイスラム教に比べ、
「ルサンチマン度?」が「より高い・・殆ど(精神的)マゾの世界」に近い
と思います。
「十字架上の代理贖罪」など、非キリスト教徒(あるいは無宗教論者)にとっては
「余計なお世話」以上の何でもありません。
 そもそも「人間は(アプリオリに例外なく)罪深い」と信じる方は(が)信じれ
ば・・良いだけのことで、「真理とは全く関係のない世界」のことです。
24ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 22:52:17
>>20
>「この」性とは単なる指示ではなく、可能性の中の一つとして、多くの「他」から
>現実の「一」に絞り込むような指示である。「この」とは「他ならぬこの」なのである。

柄谷は「この」を固有名であると言いました。犬と「ポチ」の違いですね。
100匹の犬がいて、どの犬である可能性はありえた。しかしそのうちの1匹を
選び、「ポチ」と名付けた。
固有名の過剰性とはなにか。これはラッセルからつづく議論ですね。
東は、デリダの「郵便的」をつかって、その犬が「ポチ」でなかった可能性(散種)が
転倒されて、「ポチ」という意味(多義性)になる。しかしボクたちは「ポチ」の意味として、
転倒された意味でしか受け取らず、失われた可能性が過剰にあるように錯覚する、
と言います。

ボクはジジェクの固有名論を絡めて、どの犬でもありえた可能性の中で、
「この犬」を選んだのはなぜか。名付けられて根拠はなにか?
そんなものはない。しかしそれに意味=過剰があるように振るまう。
これは、「ポチ」が「対象a」だからです。
ここでも東と同じように、可能性の抑圧があります。
25ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 22:52:59
>自由意志や「この」性の起源は、「可能性を見ること」にあるのだ。

これを自由意志の問題につなげるのは、すばらしいですね。
ボクも目から鱗です。
自由意志とは、ほんとうは意味などないが、意味があるような振る舞いであり、
その過剰は、選択された「もの」が「対象a」として振る舞われるからです。

ボクはラカンから、主体を否定神学システムとしてとらえますが、これは象徴界の穴、
ゲーテルの消失点、言語化できない自己言及点=「この私とはなにか?」が、
否定的に(欠如として)主体という単独性を示す。それは、消失点を
隠す欲望の「対象a」という空想を見せることによってです。
すなわち主体とは消失を隠す「空想」である、ということです。

これは、自由意志が「この選択」という単独性であり、「対象a」である、ということと
まさに繋がります。

わかるかな?ボク的には「目から鱗」なんですが・・・
26「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/01(水) 23:04:25
>>19
>しかし、近代科学はそういった質的なものを消去して、量的に自然を記述するわけです。

そこが「結構キモ」だと思うのですが、
例えば「ディジタル化」というのは、「1とゼロだけ」言い替えると「有ると無いだけ」で、
アナログ的な「質感」も何もかも「表現できてしまうという技術革新」ですが、
ある意味で「有る」と「無い」・・・という情報は「究極の『質』に関する情報」なのです。
自然科学は「数学」を(唯一100%信頼できる)基本的道具(方法)として採用している訳
ですが、その基本である「自然数」の中で「素数である数」と「素数でない数」の2つの」
「質の違い」があり、2、3、5、7、11、13、17、19、23・・・と続く「素数の
出現の法則」・・は未だに「数学的に発見されていない」訳です。
従って、発見されている最大の素数の「次に大きい素数」は、「手当たり次第に割り算してみて
『整数の約数』が存在しないことを確かめる」以外にはないのです。
 しかし『「自然数」という集合』が『「奇数」+「偶数」という集合』に「=」である
ように『「素数」+「非素数」という集合』もまた『2種類の「質の違う数」の合計』が、
全体集合(自然数)を示す・・・という意味で、「質という概念」と「量という概念」に
「橋が渡されている」・・・ということです。

27ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 23:10:41
しかしこれは意味の問題です。
主体が、「選択」に「意味」を見出す方法です。
100匹の犬から「ポチ」を選んだことが、単なる「偶然」でなく、
必然であったという「必然」を支える「意味」です。

自由意志の問題は、さらにこの「偶然」が本当に偶然か、
ということで残り続けるということでしょう。
28ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 23:16:11
行為の「選択」はいかに行われるのか。
心の作用(意識的意志、無意識)+身体反応+外部環境要因
29「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/01(水) 23:21:20
>>25
>自由意志とは、ほんとうは意味などないが、意味があるような振る舞いであり、
>その過剰は、選択された「もの」が「対象a」として振る舞われるからです。

@『「過剰」とは「意味である」』・・・とアプリオリに定義し、
A『「自由意志」とは「その過剰」』である・・・という「定義」をすれば、

「自由意志は意味である」・・・という結論を導き出すことは容易です。

しかし、何故か@もAも納得できない「私」が「存在」してしまうのですが?

30一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/01(水) 23:21:47
でも、それは何も言ってないのに等しいか、あるいは、
「人の行動は多くの要因に基づいており予測できない」
と言ってるのと一緒ですね。
31「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/01(水) 23:26:52
>>28
>心の作用(意識的意志、無意識)

を「脳内における(感覚的クオリア発生に伴う「その脳固有の反応」)
・・・要するに『「指向的クオリア」の発生』と言い替えれば、
おっしゃるとおりだと思います。
32ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 23:27:49
>>29
「意味」とは無意識であり、「現実(リアリティ)」そのものだからです。
33ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 23:29:13
>>30
何も言ってないのでなく、
「人の行動は多くの要因に基づいており予測できない」
といっているのです。
34一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/01(水) 23:30:22
>>33
それは結局何も言ってないのと一緒だと思います。
35「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/01(水) 23:30:59
>>32
そう定義すれば「何でも(全ては)意味である」・・・と言っているのと同じであり、
それ(の言説)こそ「意味がない」・・のではありませんか?
36ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 23:34:38
>>34-35
「全ては意味である」
「人の行動は多くの要因に基づいており予測できない」

そしてそれがなぜか、言っているのですね。
最後の「決め台詞」以外は、ボクの言っていることが
理解できていないだけではないですか。
37一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/01(水) 23:41:05
「全てはポチである」
「人の行動はポチにより予測できない」

と言い換えても何ら支障が出ません。
なぜなら、前者は定義で、後者は見せかけの理由付けだからです。
38「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/01(水) 23:42:58
>>36
>人の行動は多くの要因に基づいており

それが「決定論」ですので、誤解なさらないで下さい。
要するに「原因のない結果(例;人の選択)」はない・・・ということで、
「結果(人の選択)には全て原因がある」・・ということです。
「その原因は何であったか?」・・・ということは「全て明確化できない」
ことは「過去における(自由意志の)選択」も「未来における(自由意志の)選択」
も・・・「同じこと」です。
 「キモ」は「必然とは『結果には必ず(法則性に基づいた)原因が存在する』ということ」
を意味するということであり、それが「唯一の真理」である・・ということです。
39一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/01(水) 23:44:25
>>38
それも何も言ってないに等しいと思います。
40考える名無しさん:2006/03/01(水) 23:45:26
キモである「法則性」を完全に記述出来ないと決定論は空論じゃない?
常に過去しか見れないじゃん。
41「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/01(水) 23:46:50
>>39
そうかもしれませんね。「自明のこと」(真理)を敢えて言っているだけですので・・
42一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/01(水) 23:49:52
>>41
自明と言うか、

「物質から生じるものは必然である」
「脳は物質である」
「意識は脳から生じる」
「ゆえに意識は必然である」

という3前提1結論を採用しようがしまいが、
世界は変わらないということです。そして、
私のこの説明自体も何も言っていないに
等しい。
43「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/01(水) 23:49:58
>>40
理論物理学が「極微のひも世界」から「極大の半径137億光年の(この)宇宙」
を「全て」記述するのは時間の問題です。
・・・それを「重力を含む『大統一理論』」・・・と呼びます。
44考える名無しさん:2006/03/01(水) 23:53:53
ラプラスの魔でもないかぎり法則によって全てを決定なんて出来ないでしょ?
45考える名無しさん:2006/03/01(水) 23:55:22
>>42
その何も言ってない、というのは「世界が変化しない」ということ?
46りくーつ・こねりー:2006/03/01(水) 23:57:50
>>40
量子力学に基づけば世界は無限の変化の可能性があったりする
人が予測できないことが、決定的であるないを判断しうるものなのか?
とかなんとか、いっちゃたりしたりみたりして…
47一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/01(水) 23:58:35
>>45
「他の命題に繋がらない」くらいに読んでもらえればいいです。
一元論的定義(全ては〜である)も、世界解釈もそこから何かが
出てくるわけではないと思います。
48ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/01(水) 23:59:45
>>42
カントの、「現象」と「物自体」から思考するとよいでしょう。
なにもいっていないのでなく、「物自体」といっているのです。
この意味わかりますか?
49考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:04:14
俺は決定論寄りだし、直感的に決定論は正しいように思っているけど、
唯一ひっかかるのはまだすべてを記述できていないのにいずれ必ずできるような確信をしているところかな

これは観測問題とか予測可能性とは別の話だよね
50ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 00:04:57
■私はなぜ「この私」であって、他人ではなかったのか。(自由意志の在処)

柄谷は「この私」を固有名であると言いました。犬と「ポチ」の違いですね。100匹の犬がいて、
どの犬である可能性はありえた。しかしそのうちの1匹を選び、「ポチ」と名付けた。固有名の
過剰性とはなにか。これはラッセルからつづく言語論上の議論です。

東は、デリダの「郵便的」をつかって、その犬が「ポチ」でなかった可能性(散種)が転倒されて、
「ポチ」という確実な意味(多義性)になる。そしてその転倒(散種の多義性化)で失われた可能性が
過剰にあるように錯覚させる、と言います。

ボクはジジェク(ラカン)の固有名論を絡めて、どの犬でもありえた可能性の中で、「この犬」を
選んだのはなぜか。名付けられて根拠はなにか?そんなものはない。しかしそれに意味=過剰が
あるように振るまう。これは、「ポチ」が「対象a」だからです。ここでも東と同じように、可能性の
抑圧があります。
51一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/02(木) 00:05:07
>>48
「物自体」という仮設は余計です(これも結局何も言ってないに等しい)。
52ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 00:06:14
これを「自由意志」の問題につなげると、「この私の選択」には、ほんとうは意味などないが、意味が
あるような振る舞いであり、その過剰は、選択された「もの」が「対象a」として振る舞われるからです。
すなわち「自由意志」とは、可能性を抑圧した「意味」であるということです。

ボクはラカンから、主体を「否定神学システム」としてとらえますが、これは象徴界の穴、ゲーテルの
消失点、言語化できない自己言及点=「この私とはなにか?」が、否定的に(欠如として)主体という
単独性を示す。それは、消失点を隠す欲望の「対象a」という空想を見せることによってです。
すなわち主体とは消失を隠す「空想」である、ということです。これは、自由意志が「この選択」という
単独性であり、「対象a」である、ということとまさに繋がります。「自由意志」による選択が、
自己同一性を維持する、ということです。

しかしこれは「意味」の問題です。主体が、「選択」に「意味」を見出す方法です。100匹の犬から
「ポチ」を選んだことが、単なる「偶然」でなく、必然であったという「必然」を支える「意味」です。
自由意志の問題は、さらにこの「偶然」が本当に偶然か、ということが残り続けるということでしょう。
行為の「選択」はいかに行われるのか。

それには、心の作用(意識的意志、無意識)+身体反応+外部環境要因の要因が考えられます。
すなわち自由意志の在処は欲望の対象である「意味」(想像界、象徴界)の向こうにあり、
到達できないところ(現実界、物自体)にある、ということです。
53ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 00:12:15
>>51
先ほどからいっているように、
「物自体」の意味は、「現象とはなにか」にあるのです。
ボクの「現象」論への言及できない点で、わかっていない。
「結局何も言ってない」だけで、結局何も言っていない(笑)

久しぶりに機械論にきたので忘れてました。
たしか、一言って境界粘着でしたね。
54りくーつ・こねりー:2006/03/02(木) 00:14:47
>>49
不完全性定理では、人は無限を操作することはできない、ということも明らかになってるんだよ
不確定性原理の観測問題だとかなんとかの問題じゃなかったりするんだよね…
55考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:19:36
>人は無限を操作することはできない
自分は新参であまり知識がないのでこれがどうつながってくるのかよくわかりません
もう少し詳しく説明をお願いできますか?
56「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 00:24:20
>>42
あなたが「真理」を認識しようがしまいが「あなたの『世界』」は変わらない
・・・と思います。但し、「宗教活動にのめりこんでいる」方にとって、
「真理に目覚める」事は重要です。
・・・下らない宗教活動を止めること・・は、その方の「世界」を変えることになります。

私は「真理を正しく認識すること」・・要するに「理論物理学の成果」を受け入れることは
「ここの人々の生」を(良い意味でも悪い意味でも)変える可能性があると考えます。
コロンブスが「大地は球である」という「科学的知識」を持っていなかったなら、「西方に
遠洋航海をしてインド(東方)に辿り着こう」などとは考えもしなかった・・と思います。
 要するに、科学的知識がクリストファー・コロンブスの人生を変えた・・と言うことが出来ます。
57ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 00:25:13
このスレは、いわば怪談話と同じ次元の話を、
真剣にセカイを語れるところのベタさが魅力です。

ボクが言っているのは、その前の認識論の話ですね。
人は如何様にセカイを認識するのか、
怪談話にリアリティを感じるのか。
決定論にリアリティを感じるのか。
クオリアというリアリティを感じるのか。

>>50-52は確かにこのスレ的ではなかったかもしれませんが、
話の流れですから。たまにはよいでしょう。
58一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/02(木) 00:26:10
>>53
「物自体」が余計な仮設であると同時に、「現象」や「表象」も
余計な仮設だと考えます。

あなたの理論は、

「何も説明できない」

「全部説明できる」

「何を説明できて何を説明できないかを説明できない」

のどれか=自己完結理論だと読んでいます。
59一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/02(木) 00:27:45
>>56
宗教活動にのめり込むかどうかも決まってるんですから、
変えようがないでしょう。>決定論内部では。
60りくーつ・こねりー:2006/03/02(木) 00:31:15
>>55
人はなんとかすれば、無限大の超越的存在として世界を知り得ると思ってたとけど、それが無理ってことが分かった
で、納得できない?ついでに、>>46 も、もう一度読んでみて…
61ゾルレン:2006/03/02(木) 00:39:24
>一言
>「物自体」という仮設は余計です(これも結局何も言ってないに等しい)。

ウィトの前で「語りえぬものなんて余計だ」と言ったら多分ぶん殴られますよ
62考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:41:53
>>18
むじんくん自身は、カルバン派の予定説をどう思っているのですか。この説
では、救われるか否かだけがきまっているのですか。その人間の、それ以外
のことも決まっているのですか。
機械氏は、人間の贖罪のためにイエスは十字架に架けられたという「基本的
教理」を、ほとんどマゾ的世界と述べています。この見方をどう思いますか。
もう一つ、あなたにとって“十字架のイエス”は何を物語っているのですか。
63一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/02(木) 00:42:04
>>61
ぶん殴られるかどうかは問題ではありません。
もし、ウィトゲンシュタインと対話できるなら、私はまず
「語りえぬものには〜」について「そこはおかしいと思う」
と言います(他の質問をするかもしれませんが)。
64「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 00:44:20
>>59
「変えようとする努力」もまた「脳の働き」であり「必然」なのです。
「怠けること」=「努力をしないこと」を選択する(若い個体の)脳が
増えている・・・ということが「社会現象としてのニートの増加」を
「結果」として表現しており、それには「脳に影響する何か」の原因がある
のかもしれません。
 「鬱病」の多くが「SSRI」(セロトニン再吸収阻害剤)で治癒する事
が最近判り、そのおかげで「鬱病による自殺」は統計的に有意に減少している
ので「間違った哲学(観念論)の蔓延」も、社会にとっては「悪い結果」をもたらす
原因になる可能性があります。
・・勿論「真理(機械的唯物論)の普及」がこの先どうなるのか?・・・・
それは、ドストエフスキィ『カラマーゾフの兄弟』の中での「大審問官議論」で
言い尽くされております。・・・彼が最終的に書きたかった小説のタイトルは、
『無神論』です。
65ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 00:47:19
>>63
ヴィトに言う前に、ここで「そこはおかしいと思う」理由を
ご教授ください。
66考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:48:23
まあ、ラッセルが理解を示してるのも『論考』の前半だけで、
後半については言葉を濁してるからね(ウィトに言わせれば
そもそもラッセルの誤読らしいが)。
67一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/02(木) 00:49:45
>>65
倫理や美も世界の内だと考えるからです。
68一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/02(木) 00:50:26
あともう一点。
ウィトゲンシュタインは言葉で遊ぶということを考慮してないと思います。
69ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 00:52:46
>>67-68
一言にたりないのは、アイロニーですね。
70考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:54:44
>量子力学に基づけば世界は無限の変化の可能性があったりする
>人が予測できないことが、決定的であるないを判断しうるものなのか?
これは観測問題の話じゃないんですか??

>人はなんとかすれば、無限大の超越的存在として世界を知り得ると思ってたとけど、それが無理ってことが分かった
ラプラスの悪魔にはなれなくとも、世界を知ることは出来ると思います。



あと、意識の話になるとよく量子物理の確率の話を持ち出される方がいますが、
短期間のミクロの物理がどれほどマクロに影響を与えているのか気になるところです。
数億年とかそういうロングスパンで考えるならまだしも、
生きている人間の脳に関してはほとんど影響がないと考えても問題ないのではないでしょうか。
これは決定論とはまた違った話です。
71考える名無しさん:2006/03/02(木) 00:57:57
>>67
ウィトに言わせれば言語に「意味」は無いわけだが、
その代わり世界内のものは全部語れてしまうんだな。
語りえるものは、明晰に語りえる。しかし、本当にそうか?
と言われると怪しいのは確かなわけで。

ところで、一言はウィトが「倫理や美も世界内にある」と
言うとどの程度反対されると思う? 「それは大した問題
ではない」とあしらわれる可能性はあるんじゃまいか?
72「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 01:01:51
>>70
>生きている人間の脳に関してはほとんど影響がないと考えても問題ないのではないでしょうか。
毎回(スレ)「1」でも申し上げているのですが、
「問題ない」どころか「完全に影響することはあり得ない」のです。
「脳」については「大脳生理学」のレベルで論じることが「正解」であり、そのレベル以下の
「超ミクロ粒子か波か判らない」レベルの議論は「全く意味をなさない」のです。
 「相模湾に浮かべた笹舟の振動」が「太平洋の気候」に影響を与え(え)ない・・ということと
「同じレベルの違い」なのです。
73一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/02(木) 01:14:53
>>71
『論考』3.203なんかだと「意味(Bedeutung)」の定義がされてますが、
しかし、それは一般的な「意味」では無いですね(ということを仰り
たいのでしょうか?)。しかし、それは「語」であって、「命題」には
当て嵌まらないのではないかと思います(4.01,4.022,4.061など)。
と、書いてると自信が無くなりますね。確かに、「命題」の「意味」も
結局は「像」であって一般的な「意味」とは異なるように思います
(けれども、意味論の範囲では立派に通用するのでは?)。

>ところで、一言はウィトが「倫理や美も世界内にある」と
>言うとどの程度反対されると思う? 「それは大した問題
>ではない」とあしらわれる可能性はあるんじゃまいか?

ウィトゲンシュタインの時期によると思いますが、前期なら強硬に
反対されると思います(後期はよく分からない)。
根拠として、6.42,6.421,6.422 vgl. 6.41
74「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 01:15:04
>>71
>「倫理や美も世界内にある」

「倫理や美は脳内にある」・・が「より正しい記述」ですが、ウィト氏の時代には
「大脳生理学」の知識が存在しなかったので「仕方がない」と考えます。

さらに「倫理(善)のクオリア」と「美のクオリア」・・とは「脳内現象」として、
どういう状況を指すのか?・・という考察が必要です。
脳内『「指向的クオリア」と「感覚的クオリア」の「整合」』が「価値(真善美)
の指向的クオリア」を「再生産する」・・・といったところ(が「正解」)
だと思います。
75考える名無しさん:2006/03/02(木) 01:23:25
>>38
結果には、すべて原因がある。原因のない結果はない。と言いながら、ただし、
“その原因はわからない、確定できない、記述できない”のなら、初めの言説
の真偽は問えない。つまり『決定論』が機械氏の願望的思考でないという保証
はなくなる。
>>43
これも、同じ。『大統一論』が生まれるだろうというのは、機械氏の希望的観
測以上のものではない。それに、機械氏が未来を予測するのは逸脱している。
76「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 01:34:19
>>75
>“その原因はわからない、確定できない、記述できない”のなら、初めの言説
>の真偽は問えない。

「明日も地球が自転し続ける」ことが「必然」であっても(科学的には「蓋然性が高い」)
・・・その「必然的過程を全部計算式で示す」ことが出来ない場合には・・・、
「明日も地球は自転し続ける」・・要するに「この国にも朝が来る」・・ということは
「断定できない」・・・というのが「論理的には当然」であれば、「地球自転が逆行する」可能性
もあるし、「時間が逆転する可能性」も否定できなくなります。
・・・そういう「観念論的天の邪鬼児童主義」に対しては、「自然科学の勉強をして下さい」・・としか
言いようがありません。
77考える名無しさん:2006/03/02(木) 02:07:28
>>52
99匹の可能性を抑圧して一匹を対象としたのは、必然ですか。もし、それが
必然なら、その対象は選ばされたものであり、自由意志は錯覚以外のなにも
のでもありません。が、それともその一匹は“選んだ”のでしょうか。私は、
ささやかながら“太平洋の気候変動に影響を与えない”ていどの自由意志は
残されていると思っているのですが、どうお考えですか。
78考える名無しさん:2006/03/02(木) 02:23:44
>>76
それは、論点のすり替えというもの。私が問うているのは、いま地球は
このように回っている。あなたによれば、これは何かの結果である。で
は、地球がこのように回っている(結果)すべての原因を確定(記述)でき
ますか、と問うているのである。もし、それができなければ、結果には
原因があるに違いない、くらいのことしか言えないのではないか。
79考える名無しさん:2006/03/02(木) 03:03:23
目の錯覚は、何故起きる?
人間の意志や思考に関係ないように思うが…。

有無も言わさずそう感じてしまう。
これは、自由意志と関係ないか…。
80考える名無しさん:2006/03/02(木) 03:45:35
錯覚が自由意思によって起きるなら
人によって全く異なった錯覚があると考えそうじゃない?

実際錯覚って誰でも同じように起こるから
共通の何かがあると考えやすいと思うんだが
81ゾルレン:2006/03/02(木) 03:52:24
>一言
>>63
ウィトは超越的なものについて余計だと発言する人とは対話しないと思うんですよ

まぁ、俺はウィト哲学についてはっきりと把握してないのでこの話題は置いときましょ
82ゾルレン:2006/03/02(木) 04:05:52
>>80
ゲシュタルト心理学に代表される「クラインの壷」ってありますよね
あの、つぼに見えたり向かい合う女の人に見えたりするやつです
他にも、アヒルに見えたりウサギに見えたりする絵があるんですけど
あれも錯覚ですよね

似たような実験で、階段の絵図が見ようによっては「覆い被さる蛇腹」に見えるというのがあります
(シェリントンの図、言葉では表現しにくいので検索するのが一番かと)

これらは、意思によって片方の解釈に図を見ることができるという意味で
大脳に対する意思からの影響を見ることができる
逆に、シェリントンの図は階段には見やすいが、「覆い被さる蛇腹」のように見るのは相当の注意力があり
油断すると階段のように見える
これは、大脳の働きが意思の介入より強いということを示す事例にもなる
83ゾルレン:2006/03/02(木) 04:09:22
あー、ついでに、
シェリントンの図を未開文化の住人に見せると
それを階段と解釈することもできないそうです

平面に書かれた図形が立体的に見えるというのもわれわれの錯覚のひとつなんですね
84ゾルレン:2006/03/02(木) 05:02:40
>むじんくん
俺は現実のキリスト教にはまったく関わり合いがないが
デカルトの信仰する「哲学者の神」を信仰するという意味では有神論者だし
デカルトにとっての神様は数学や論理の無矛盾を保証してくれる神だから
近代哲学が現代思想から「キリスト教」と言われるのもまぁわからなくもない
感覚世界よりも理論世界の優位性を説くわけだからね

この序列をひっくり返したのが、ニーチェに端を欲する非合理主義者と呼ばれる人たちだね
感覚世界こそ真であり理論世界は偽である
だが、ニーチェの言ってることは「獣の論理」だと思ってしまうね
俺は獣のように生きている人間を見ると「狂人」と思ってしまう
狂人を見ても自己反省して教訓を得る人間こそ本当の賢人なんだろうけどねぇ

だからニーチェの本が哲学的に意義があるかというと、哲学の根底にある理念を懐疑するという意味では哲学なんだろうけど
それは哲学史をある程度勉強した上でこそ考える意義があると思うんだよね
非ユークリド幾何学だってユークリド幾何学をある程度勉強した上で考えると思考が広がるけど
ユークリドも何も知らない上でいきなり非ユークリド幾何学を学ばせると混乱するだろう
だから初心者がニーチェやポストモダンから読むのはおすすめしない
ある先生も「哲学の初心者にとってニーチェやデリダは無意味です」とはっきり言ってた
でもこういう発言をする人は稀で、たいていの合理主義者は非合理主義を無視する
非合理主義について理論的にまとめて書くということが価値がないということになってしまう
俺がよく参考にする本の著者についても
「合理主義者であり、その限りで非合理主義の反対者であり・・
ポストモダンやデリダについて書くことに価値を認めることはできないだろう」とある
こういう態度に対して現代思想はよく「閉鎖的な体質」と責めるわけだ

長々となったけど、結局、お互いの関心が異なるんだから
関心が一致するところ以外ではお互いの仕事に集中するのが一番だろうとは思うけどね
85ゾルレン:2006/03/02(木) 05:04:35
なんかダラダラ書いちった、すまん
86考える名無しさん:2006/03/02(木) 07:02:45
どうでもいいことですがクラインの壷じゃないですよ。
ジャストロー図形とか錯視図形でいいんじゃないですか。
87哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/02(木) 08:28:09
>>20
>探求者君
もっと、よく考えて欲しい
これだけは言える
「キミは全く理解できていないんだよ」 とね
もう少し次元の高い、本質的な話だから
そんなことを言っていると 一生、理解できないよ
とにかく、自分は理解できていないんだという事を自覚しないと前に進まんな

>私はなぜこの私であって、他人ではなかったのか。

>多くの人が指摘していたように、この問題は「私の存在性」とは別に関係がない。
>「これ」はなぜ「これ」であって、「あれ」ではなかったのか。
>このように書き換えても同じ問いが残るからだ。

その問いを発している自分の主観性について考えなきゃ理解できないよ
そんな客観的観点の話ではないんだよ
その説明で
私は、なんの物理的要因で存在したのか という問いに答える事ができるかな?

>今あなたが使っているそのマウスは本当に他のマウスではありえなかったのか。
>マウスを購入するときに偶然隣のマウスが手に取られ、結果「このマウス」が「あのマウス」
>になっている可能性もあったのではないか。

その話からすると、マウスの存在性が既に前提になっているわけだ
そして、その選択に関する偶然性であるにもかかわらず
存在の存在性に関する偶然性 という観点にすりかえている
というか、わかっていないんだろな
ゴッチャになってるんだよ
そもそもキミ達は、偶然 という言葉の使い方そのものを間違えている
単に、ごまかすのに都合よく感じて使っているだけだ
厳密性に欠けるんだよ
88哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/02(木) 08:43:58
全体的に「この」とか「あの」とか
言葉にしばられて本質を見失っているな

「この」とか付けて言うのは、人に伝えるために、わかりやすくするために付けているだけで
べつに「この私」などと言わなくても
「私」は唯一絶対なんだから「この私」の事なんだよ

100匹の犬は、なぜ「その」100匹の犬であったのか
という問題ね
まぁ犬のことはわからんから
100人の人は、なぜ「その」100人だったのか
いや、他人の事も厳密にはわからんけどね
少なくとも、1人の人は、なぜ「私」だったのか
という問いに関しては、全く的外れな発言である と言える
89考える名無しさん:2006/03/02(木) 08:49:31
あのー潜在意識とかってどうなんでしょ?
90考える名無しさん:2006/03/02(木) 08:55:53
>>89
なにが?
91考える名無しさん:2006/03/02(木) 09:07:57
常に私という絶対に抜け出せない檻の中に囚われた私はその次に何を思考・行動出来るの?
残るのは空想による遊びごとだけだろ。
最高位タンの言ってることから確からしいことは最高位タンの私以外何一つ見えてこない。
機械タンの方がまだ観念論として体系的にまとまってると思うよ。
日常と剥離しすぎた思考はただのお遊びじゃない?
私から一歩も外に踏み出せず終わってしまう哲学だよ。
でも、100年後は主流の哲学になるかもしれないね。
92考える名無しさん:2006/03/02(木) 09:24:06
>>87>>88
登場しましたね。このスレには、あなたに敬意を払う人がいます。ここまで
くると、その理由が少しわかりました。“信念”を持っている人は、どの世
界でもそれなりに評価されるものです。
ただし、機械氏の“決定論”が氏の信念では困ります。それが“真理”たる
ゆえんを、科学的知見(専門用語)を列挙するだけでなく、普通の言葉で語っ
てくれなければ。
93探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/02(木) 09:38:59
>>87
最高位が言わんとしてることは完全に理解できてるよ。

「私」とは純然たる主観性そのものであって、モノとは質がまったく違う。
モノは「私」によって世界から区切られ、認識され、名づけられただけであって
「マウス」なんてモノがもともと存在しているわけではない。

「私」がなければ「マウス」も「この」もありえない。
つまり、「私」という主観性は全ての前提であって、絶対に消去しえないものなのだ。

こういうことでしょ?どこか違うところあったら指摘どうぞ。
94考える名無しさん:2006/03/02(木) 09:39:42
敬意を払ってると言うより、腫れ物に触れるように対応してるんだと思われ
95考える名無しさん:2006/03/02(木) 09:42:53
最高位がいっているのは実は唯物論そのものだと思う
最高位のいう「私」は、物質の質量とかポテンシャルのような属性。
全ての物質が持ちうるもの。
96考える名無しさん:2006/03/02(木) 09:43:54
>>89
底はありますか?
97考える名無しさん:2006/03/02(木) 09:50:41
最高位は独我論にいすわってるだけ
そりゃ最高だわ
98考える名無しさん:2006/03/02(木) 09:55:05
私とは内言である。
99考える名無しさん:2006/03/02(木) 09:55:42
思うんだが、最高位絡みの「私」については、
《「今まさに、ここに居る」感》
という表現で手を打たないか?
そうしたら、各分野での調理が、し易いのではないかと・・・。
100ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 10:02:36
(この)我を思う故に我あり
(この)ポチを思う故に我あり
(この)マウスを思う故に我あり
101ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 10:03:59
>>97
それはすでにみながわかっていることでしょう。
102考える名無しさん:2006/03/02(木) 10:04:22
(この)子を思う親の心を子知らず
103考える名無しさん:2006/03/02(木) 10:04:50
最高位タンの問題は最高位タンしか考えることが出来ない類のものだよ。
他とありようが全く違うんだから、他者と共有して考えることなど出来るはずが無い。
探求者が、それを「そこまで行くと行き過ぎだから、他者の私と最高位の私も同レベルで
考えてみようよ」と諭してあげてるのに「自分の考えてることはもっと高次元なんだ」
と共通の理解をつっぱねてるんでしょ。
これではもう最高位タンが一人で「唯この私論」を抱えていくしかない。

104考える名無しさん:2006/03/02(木) 10:06:18
ダニに私という感覚はあるか?
犬に私はあるか?
胎児に私はあるか?
乳児に私はあるか?
私はいつから生じるのか?
105ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 10:08:49
(この)我を思う故に我あり
(この)ポチを思う故に我あり
(この)マウスを思う故に我あり

すなわち「この」性とは、「クオリア」であり、
この「現実(リアリティ)」のありありとした感じである。
では人は「この」を思うことから逃れることはできるのか。
106考える名無しさん:2006/03/02(木) 10:11:04
どの?
107ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 10:11:15
(この)「今」を思う故に我あり
108むじんくん:2006/03/02(木) 10:12:45
>>22
> 人間の感覚世界から離れてメタ的な視点に立つことってそれ自体がもう宗教的な行為なのかな・・。
> なんかニーチェの言う事って感情的に反発したくなるんだよなぁ・・・。

感覚的世界から精神を引き離し続けつつ生きるとなれば、この世を越えた価値が必要となる。逆に
この世を越えた価値を信じているならば、この世は所詮"被造物"になってしまう。

109考える名無しさん:2006/03/02(木) 10:15:07
私という実体の無い内部幻想である
メタ認知に唯一性をおいて
論を組み立てるのには無理があります
110ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 10:22:01
>>109
僕たちが言語世界(象徴界)という内部幻想に住まう住人で
あるときに、なにによって、唯一性が保たれるのかは、
その言語世界に(唯一の)裂け目(ゲーテルの自己言及点)が
あるという否定神学によるものです。

すなわち、
(この)我とは?、(この)ポチとは?
(この)マウスとは?(この)今とは?
「この」性とは?
には、答えられないということそのものが、
「唯一性」を支えているのです。
111むじんくん:2006/03/02(木) 10:23:20
>>23
>  そもそも「人間は(アプリオリに例外なく)罪深い」と信じる方は(が)信じれ
> ば・・良いだけのことで、「真理とは全く関係のない世界」のことです。

これは"罪がある"と信じるのではないんですね。ユダヤ民族に神が十戒を授けた、
その十戒に照らすと全ての人間は罪人だということになる。つまり、神を信じると
罪人になるのです。

>>62
> むじんくん自身は、カルバン派の予定説をどう思っているのですか。この説
> では、救われるか否かだけがきまっているのですか。その人間の、それ以外
> のことも決まっているのですか。

実は僕はカルバン派のキリスト教徒なのですよ(笑)。だから、ちょっとバイアスかかって
いることを了承してください。カルバン派では天地創造の時に既に神は全てを決定している
とするわけです。その基本にあるのは、人間のために神がいるのではなく、神のために人間が
いるという理念です。神は全能ですから、人間の限られた知恵で把握できるような存在ではない、
とするわけです。その考え方と、近代諸科学は親和的です。

> 機械氏は、人間の贖罪のためにイエスは十字架に架けられたという「基本的
> 教理」を、ほとんどマゾ的世界と述べています。この見方をどう思いますか。
> もう一つ、あなたにとって“十字架のイエス”は何を物語っているのですか。

キリスト教はマゾ的世界でしょうね。この視点からの論述ってどこかにありそうです。十字架のイエスは
難問ですけど(笑)、人間の罪による"キリスト教的な死"であり、復活は"キリスト教的な生"を表して
いると思います。これをマゾヒズムと言うのは結構的確だと思います。
112むじんくん:2006/03/02(木) 10:27:30
>>26
> 全体集合(自然数)を示す・・・という意味で、「質という概念」と「量という概念」に
> 「橋が渡されている」・・・ということです。

自然界を"被造物"として見なければ、つまり、そこに質的なものを感じないようにしなければ、
近代科学的記述はあり得ないと思うんですね。太陽が自分の周りを回っており、その輝きに
神話的意味を読み取るということと、そう回って見える、輝いて見えることを"再現"する、自分自身に
錯覚させることができるということは、世界に対する態度としては正反対なのです。

つまり、太陽の輝き、見た目の動きなどを数学的に解説できる人間が、一方で太陽に神話的意味を
感じ続けることなど不可能だということです。
113考える名無しさん:2006/03/02(木) 10:33:23
110
それすら幻想です
114計算楽:2006/03/02(木) 10:37:00

棒読み=立ち読み=縦書き=横書き=斜めガキ
115ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 10:38:09
「我思う故に我在り」はゲーテルの消失点への近接である。
この象徴界を疑うことで現れる裂け目において、
「この」性をこれ以上さかのぼれないことにより、
「この私」の唯一な存在を確証するという否定神学です。
116むじんくん:2006/03/02(木) 10:40:33
>>84
> デカルトの信仰する「哲学者の神」を信仰するという意味では有神論者だし
> デカルトにとっての神様は数学や論理の無矛盾を保証してくれる神だから

そこなんですけど、その「哲学者の神」をあっけらかんと展開したのがスピノザだと思うんですね。
しかし、ちょっと分からないのはそこに倫理があるんだろうかということです。更に、

> この序列をひっくり返したのが、ニーチェに端を欲する非合理主義者と呼ばれる人たちだね
> だが、ニーチェの言ってることは「獣の論理」だと思ってしまうね

ニーチェは近代で唯一スピノザは評価できると書いています(笑)。つまり、超越的世界との
関係性を信じるという"世界偽造"をしてないということなんです。永劫回帰とエチカの世界は
同じだと思いますね。

非常に科学的な人間が、汎神論になるというのはよくあるんです。このスレッドの"決定論"と矛盾
せず、且つ自分自身をも含んだ世界観を成立させようとするならば、汎神論的なものになる。ただ、
そこには倫理が無いんですね。

> だから初心者がニーチェやポストモダンから読むのはおすすめしない
> ある先生も「哲学の初心者にとってニーチェやデリダは無意味です」とはっきり言ってた

これは日本的な現象だったりしませんか?ポストモダンって欧米のアカデミズムでまともに存在
できるんでしょうか。日本の場合、蓮実重彦氏が東大総長やったり、心理学はユングだったりします。
また、日本が"超近代社会"であるというのは、定期的にブームになりますね。80年代バブルとか、
近代の超克とか。
117考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:04:55
(この)「今」を思う我に幸あれ
118考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:08:41
どの?
119考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:17:21
都会の片隅の
120考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:19:10
言葉あそび
121哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/02(木) 11:32:11
>探求者君
>>93で書いてあること自体は、まぁ間違いではないんだけど
根本的に、問題の本質を理解していないんだよな
でなければ、>>20みたいな事は絶対に言わないわけよ

「私はなぜこの私であって、他人ではなかったのか」 という文章を読んで
「この」とか「あれ」とか
「このマウス」とか「あのマウス」とか
偶然とかね
だいたい、偶然なんていう言葉を使うこと自体が
問題を理解できていない証拠だ

>>95
>最高位のいう「私」は、物質の質量とかポテンシャルのような属性。
>全ての物質が持ちうるもの。

根拠を書いてくれないと、ただの独り言だよ?
そんな抽象的な思い込みはいいから
もっと具体的に
「私」が、いかなる物理的要因で存在しているのか説明して下さい
122哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/02(木) 11:32:53
>>99
>思うんだが、最高位絡みの「私」については、
>《「今まさに、ここに居る」感》
>という表現で手を打たないか?

《「今まさに、ここに居る」感》
は、誰の感?

自分の言っている事のおかしさに気づきませんか?
キミ達って、いつも
主語と述語が逆さまなんだよ
感じてるのが「私」なんだから
何にも「私」を説明した事にならんでしょう
123考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:35:30
>>115
“この性とは?に応えられない”ことが唯一性を支えている、というのはわか
ります。が、「この」性をさかのぼれないことによって、「この私」の唯一な
存在を確証すると言ってしまうと、最高位を呼び寄せるのではないでしょうか。
「それを確証するのは私という主観だよ」というふうに。
そこは、微妙かつ精緻な言い回しが求められます。むろん、最高位と同じ考え
なら、それでいいのですが。
124考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:55:21
だからさー。

脳にコンピュータつなげてコンピュータで会話できるシステムが
病人のために開発されてて、もう臨床実験段階まできてるんだって。
参考URL:
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20040414301.html
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20040116301.html
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2003/11/11/14.html
http://slashdot.jp/articles/03/11/15/1128201.shtml?topic=70
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20050118301.html

ここまで科学で意識を解析できてきているのに、
なんでまだ意識を物理現象の結果だと思えないの??
大脳生理学はあんたらの大好きな言葉遊び以上に
あんたらの考えていることを当てる事が出来るよ。

まあ機械が散々スルーされてるようにこういうこと言っても哲学という名の自我信仰に逃げ込むんだろうな。
125考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:56:18
>>121
>「私」が、いかなる物理的要因で存在しているのか説明して下さい

説明する必要ないじゃん。
物質に付随する、質量が如何なる物理的要因で物に存在しているか説明できなくても唯物論は成立する。
物質に付随する、「私」が如何なる物理的要因で物に存在しているか説明できなくても唯物論は成立する。
どちらも付随して存在していると定義しているのが唯物論。
むしろ、説明できたら、唯物論が否定できる可能性がある。
126考える名無しさん:2006/03/02(木) 11:57:00
思っているんじゃないの。
誰がそういう訳でないと思っているのかね。
127ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 12:14:14
>>123
「それを確証するのは私という主観だよ」=独我論を否定することは、できません。
だから、そこに居直れば、馬鹿でも天狗になれる。

ではそれでもいかに世界に開かれるかが、重要なわけで、
それが、他者の世界=言語であり、その向こうの「裂け目」であるわけです。
128哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/02(木) 12:15:11
>>125
ほぉ
ちょっと意味がわからんのだけれども

「私」は、物理現象によって発生するものではなく
物質が存在したと同時に、存在した
存在性そのものである という事かな?
「私」は宇宙の存在と同時に存在したと?
はて
では、どういうわけで、何の理由で
この体に「この私」という存在性が対応しているのかは、不明だねぇ
体は物質の集合体
「私」は唯一絶対の存在性
この関係について、もっと詳しく説明して下さいな


今日は、これで離席しますんで、具体的に説明しといてね
129ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 12:17:55
>>124
たいへん面白いのですが、究極的に、
人の手でキーボードを操作して、コンピュータを操作することと
なにが違うのでしょうか。
指の動きも脳の命令であり、それがキーボードを叩くという
圧力になる。
130考える名無しさん:2006/03/02(木) 12:33:49
>>128
俺は125ではないが、
「私」=自我ってのは物理現象そのものだ
宇宙の誕生と同時に存在したのではなく、
たまたま今自我と言っている物理現象が起こっているだけ

>>129
というか、それ以外になにがあるの?
意識=脳の物理現象が体の各部位を動かすことために命令を出すことと、
指がキーボードを叩くという単純な物理現象を並列に考えられるってことは、
もうどちらも同じマクロの物理現象だってハッキリわかってるじゃん。
131考える名無しさん:2006/03/02(木) 12:36:34
「マクロの」物理現象
動かす「こと」ため

ミスった
「」いらない
132ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 12:39:25
>>130
問題は心と脳の断絶にあるのであって、
脳の「拡張」にあるわけではない。
心脳問題のなんの解決にもなっていないでしょう、
ということ。
133考える名無しさん:2006/03/02(木) 12:41:07
>>128
>「私」は、物理現象によって発生するものではなく
>物質が存在したと同時に、存在した
>存在性そのものである という事かな?

その通り。従って「私」の意識は、物理現象と同じである。

>「私」は宇宙の存在と同時に存在したと?

その通り。

>では、どういうわけで、何の理由で
>この体に「この私」という存在性が対応しているのかは、不明だねぇ

理由など無い。
それはAという物質に、Aの物質の質量が付随しているのかは、不明であるのと同じ。

>体は物質の集合体
>「私」は唯一絶対の存在性

石ころは物質の集合体
石ころの「その形状の存在性」は唯一絶対の存在性

画像はピクセルの集合体
画像によって作られているその情報は唯一絶対の存在性

というのと同じ。
134りくーつ・こねりー:2006/03/02(木) 12:56:17
>>70

> >量子力学に基づけば世界は無限の変化の可能性があったりする
> >人が予測できないことが、決定的であるないを判断しうるものなのか?
> これは観測問題の話じゃないんですか??

人が予測したところで、世界の変化に無限の可能性がある、とでも解釈してみればいいかもね
観測問題であっても、人が到達できない問題で、人が予測できんのは変わらんのだし…


>>49
> 唯一ひっかかるのはまだすべてを記述できていないのにいずれ必ずできるような確信をしているところかな

の発言に対して(>>54>>55 を通して)、

>>60
> 人はなんとかすれば、無限大の超越的存在として世界を知り得ると思ってたとけど、それが無理ってことが分かった

という発言をしたんだけど


> ラプラスの悪魔にはなれなくとも、世界を知ることは出来ると思います。

で、あなたは世界の「何を」知ることができるの?
どんなモデルを前提にしたお話なの?
あなたにとって世界って何?

ということかもしれないね
世界は神のみぞ知る、と俺は思うんだけど…
135りくーつ・こねりー:2006/03/02(木) 12:57:55
>>124
> なんでまだ意識を物理現象の結果だと思えないの??

多分、そうなんだろうなとは、思ってるよ、俺は

> 大脳生理学はあんたらの大好きな言葉遊び以上に
> あんたらの考えていることを当てる事が出来るよ。

紹介された記事を読んでみたけど、体と脳の神経の信号の入出力をマッピングしてるだけと思うんだけど

> この方法の基本的な考え方は、意識を刺激するのではなく、神経の活動を受動的にマッピングして、
> 特定の動作を行ないたいという信号をいつ脳が発するかを識別できるようにする、というものだ。

と記事にも書いてあるけど、違うの?
紹介された記事は、人が思ったり、考えたりすることを操作できるもんではないのじゃないかな?

人の心が読める仕組みは可能なの?
136考える名無しさん:2006/03/02(木) 13:01:16
電波ホイホイ
137りくーつ・こねりー:2006/03/02(木) 13:13:28
意識について、人はまだなんも分かってないんだよ
分かっていると勘違いしてるんだよ… >>124 は…
138考える名無しさん:2006/03/02(木) 13:29:37
ニューロンの発火がどのようして意識内容に変換されるのかはわかりませんが、
意識を生じさせることはわかっているのです。
そのすき間がわからなくても操作可能になってきたのです。
139むじんくん:2006/03/02(木) 13:41:18
>>138
それは変な理屈ですね。というのは、そもそも人間に意識が存在するということを証明できた
ためしがあるんでしょうか。
140考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:00:48
>>139
キミには意識が存在しないのか w
141考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:04:16
139
意識とは空想の産物の名前ではないんです。
観察された現象に名付けられたものですから。
142考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:06:48
やはり意識は物理現象だな。唯物論と決定論が正しいね。
143探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/02(木) 14:11:24
>>121
ほら、俺はちゃんと君の考え理解してるだろ?
理解した上で全部発言してるのよ。君は俺の考え理解するつもりもなさそうだけどね

>>124
前スレで話出てたときからこんなことだろうとは思ってたけど、
実際に記事読んでやっぱりがっかりしました。

>>140-141
意識が客観的に観察されたことなんかないでしょ。
144考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:18:31
>>143
意識は、客観的に観察されているよ。
例えば、脳波によって計ることができる。
145考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:22:08
目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 
目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 目糞鼻糞戦争 
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146探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/02(木) 14:25:47
>>144
「意識がある」とされてる状態の脳波がどんな特徴をもつか
などが分かってるだけじゃないのかい?
147考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:27:49
>>146
それで十分だろ?少なくとも意識がある状態の例を検出できているんだから。
148探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/02(木) 14:32:46
>>147
いやまずいだろw
幽霊がいるとみんな思ってる状態でラップ音を聞いて、
「ほら、あれは幽霊がならしてるんだよ」って言ってるようなものじゃんか
149ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 14:35:49
ボクはこのスレがベタだといっていますが、
>>147のような意見を聞くと、本来哲学とは
このようなことを言うのかなと思います。
素朴に世界の不思議さを不思議に思う。

ニーチェのいうディオニソス的ですね。
このスレは本質的に、この板で数少ない「哲学」スレなのですね。
150考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:38:15
>>148
意識があるかないかの例えに幽霊持ってくるのはなんかなぁ。
意識の問題って人にはアプリオリにあるってことを前提にしないと
人でも茶碗でもPCでも幽霊でもなんでも言えちゃいそうな気がするんだが・・・。
151考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:46:11
>>148
全然違うだろ。幽霊の場合、実在の例が無いわけで、幽霊の有無の根拠にならない。
ある特徴の音がしたら、ラップ音があったということが言えるだけ。
同様に、ある特徴をもつ脳波があれば、意識があったと言える。
152ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 14:50:09
そもそも>>150-151のいう「意識」とはなにを指しているのか、
ということです。国語的に「意識」の意味は3つあると
言われている。

いわば、「ある特徴をもつ脳波」があるから「意識」があるのでなく、
「意識」を「ある特徴をもつ脳波」と呼んでいるだけだ、ということですね。
153探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/02(木) 14:50:11
>>150
行動主義って心理学のジャンルでは、意識の存在を前提しない。
インプットとアウトプットだけ見るんだね。

幽霊も意識も現象を理解するための説明原理なんです。
実際そんなものがあるかどうかは分からない。ただ、そう考えれば分かりやすい。

「他人と一緒に誰かの意識を見た」って話よりは「他人と一緒に幽霊を見た」
って話の方が多そうだよ・・・?w
154考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:50:16
>>146
お前の論だと、「物が存在する」とされているのは、
光がどんな特徴を持つかわかっているだけであり、

>>143
>意識が客観的に観察されたことなんかないでしょ。

物が客観的に観察されたことなんかないでしょ。ってことになるな?
それとも、客観的に観測されるものなどこの世にないという主張かな?
155考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:51:38
>>153
他人と一緒に、意識があるのを確認したという方が多いだろ。
156むじんくん:2006/03/02(木) 14:53:20
>>140
> キミには意識が存在しないのか w

意識が何であるかが科学的記述で可能になることと、人工知能が可能であることは等価です。
今のところできてないわけです。
157考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:59:12


ハローワーク http://www.hellowork.go.jp/




ハローワーク http://www.hellowork.go.jp/




ハローワーク http://www.hellowork.go.jp/

158考える名無しさん:2006/03/02(木) 14:59:42
>>156
等価じゃないよ。
記述できても作れないものはあるし、記述できなくても作れるものもある。
159考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:01:58
>>153

探究者ってのはもう少しマシかと思ってたけど、全然だめだめ。
意識と幽霊はまったく違うだろ。
脳死を判定する時に、医師たちはちゃんと意識の有無を確認している。
意識が何であるかを説明できないのと、存在しないのはイコールではない。
160考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:03:42
>>159
同意。どっちかわからない、意識不明というのもあるわけだしね。
161素人:2006/03/02(木) 16:25:53
>>159 >>160
喩え話は、往々にして差異を捨象したところでなされる。
でなければ、喩え話は成り立たない。
問題は、「捨象された部分こそが、(その時の論点として)重要」であった場合だ。
今回はそれにあたるか?あたらないか・・・?w

2chには、故意に捨象した差異をわざわざ拾い上げる御仁が多いわけだが・・・w

もし、喩え話や比喩表現に厳密なイコールを求められたら、
仏教はお手上げだw 八万四千の法門が百くらいになるんジャマイカwww
162考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:28:53
>>161
ここではそもそも喩えになってなかったのが問題。
163考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:30:41
>>161
探求者の場合、結論を誘導するために、間違った喩えを使ったことがダメ。
164素人:2006/03/02(木) 16:40:43
>>162 >>163
『意識と幽霊がそのまま比べられている』 のでなく
『意識というものへの眼差し・捉え方と幽霊というものへの眼差し・捉え方との間に、
 我々が普段意識しない共通の「からくり」がありそうだ』
と私は読んだのだが・・・。

誘導とも感じませんでしたよw
165考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:50:43
というか、幽霊というのは「肉体なしに存在する意識」のことだと
思うので、両者に共通する点があるのは、当然ではないですか。
観察できるのは他人の肉体だけで、他人の意識自体は観察不可能です。
他人の意識自体を直接観察できるとしたら、それは文字通り「幽霊を
観察する」ことと同じでしょう。いわゆる「霊能者」と呼ばれる人々は
それができると主張しているわけですが。
166考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:57:52
>>164
それは全然違うぞ
思いつきで幽霊を持ち出しただけなのは>>148を読めば明白。

>いやまずいだろw
>幽霊がいるとみんな思ってる状態でラップ音を聞いて、
>「ほら、あれは幽霊がならしてるんだよ」って言ってるようなものじゃんか

167考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:58:25
>>165
>というか、幽霊というのは「肉体なしに存在する意識」のことだと

勝手に決められても困る。
存在しないもので例えるのはやめないか?

例えるなら、多くの人が知っていて存在するものにしてくれ。
168考える名無しさん:2006/03/02(木) 16:59:51
>>165
幽霊に体があると考える奴もいるだろ。でなければ写真に写らん罠。
169考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:02:04
>>
人間と事物(人間も含む)との関係がもたらす“反応”を意識だと思ってい
るので、意識は存在する。たぶん、人間は意識(のようなもの)をつくりだす
のではないか。ただし、人間の意識をつくるのは難しいだろう。

人間の(意識)の本来性は何か。それは、無目的性にある。私たちの意識には
目的がない。そのかわり、私たちは無数の目標を持つことができる。ただし、
その目標は容易に変えることができ、簡単に捨てることさえ可能である。人
間の意識が変幻自在なものに思えるのは、この二つの理由による。

目的を持たない“意識”をつくれるのか。変幻自在に目標を設定できる“意識”
をつくれるのか。それができなければ、どんなに精緻・複雑なものであって
も『機械』と呼ぶしかあるまい。
170考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:05:02
>>169
機械の方が簡単にできる。乱数で動けば無目的に動く。
171考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:06:43
>>169
>その目標は容易に変えることができ、簡単に捨てることさえ可能である。

できない。
物理法則に従って強制的に変化していくだけで、
主体はそれを自分で変えたとか、捨てたとか思い込んでいるだけ。
172考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:09:16
>>167
幽霊が存在しないと決め付けることはできないと思います。
(私はしないと思いますが。)
というか、仮に存在したとしても、普通に考えるとそれを認識する方法が
ない、というのが問題の本質ではないでしょうか。他人の意識でも
それは同じだと思いますが。だから哲学的ゾンビなどという問題があるわけで。
>>168
だからこそ、心霊写真だのラップ音だのはよく意味がわかりません。
体を持っているなら、それは基本的には普通の人間と同じです。
「幽霊に体がないなら、なぜ写真に写るのか」という疑問は、
心身二元論に対する「なんで心が体を動かせるのか」という疑問と
相似形だと思います。
173考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:10:16
>>170

無目的・ランダム・偶然、こういったことを思考するのは不可能。
乱数も設定された時点で必然になる。
深く考えてみろ。偶然ってなんだ?
人間は有目的・必然・関係で物事をとらえること「しか」できない。
174考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:15:19
要するに、人間そっくりの動きをするロボットができたとして、
そいつに意識があると言えるのかどうか。
175素人:2006/03/02(木) 17:15:53
>>166
>>148ですか?
うまいこと言うなぁw
と思いましたが何か?
176考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:17:33
>>172
前スレにもあったが、それこそが「悪魔の証明」だ。
「ある」ことが証明できないうちは「存在しない」ものとしてよい。
それが科学的態度だろ。
意識はちゃんと脳波によって計ることができるが、幽霊は測定できない。
177考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:21:27
>>176
計測した脳波は、ほんとうに【意識】の顕れなんでしょうかね・・・? (・∀・)ニヤニヤ
178考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:30:21
>>177
ああ、それ、逆だよ。
脳波が計測されたから、意識があるって判断してるの。
目に見えないけど、皮膚が感じる風の存在を
空気って名付けることはできるだろ。
別にその正体が何であるかは関係ない。
179考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:31:08
>>176
いや、私は幽霊が存在するなどと主張しているわけではありませんが、
その態度を厳密に貫くなら、他人の意識についても「ある」という証明は
できないと思います。ただし、幽霊と違って他人の意識については「ある」と
みなすことはほとんど必然だと思いますが。
要するに、他人のそれであれ、幽霊であれ、あるいはロボットのそれであれ、
「意識」というのは、「肉体(脳波も含む)」によってしか計ることも、
存在を「推測する」こともできない、ということです。
ただ一つ「自分の意識」を除いては。
180考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:40:07
機械も>>76で言っていたが、
「態度を厳密に貫く」とかいって究極的には断言できないとか
屁理屈こねてても仕方がないと思うんだ

(何故だか原因はわからないが)今すぐ空に飛び上がっていきなり死ぬ可能性がないとは言えないかもしれないが、
そんなことがありうると本気で思っているわけではないだろう

自分の意識について考えるなら、
そんなくだらない論理とかいう宗教性にこだわっていないで
もっと自分の実感に正直になってもいいだろうよ
181考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:44:42
>>180
最高位?
182考える名無しさん:2006/03/02(木) 17:46:05
おまえら低能の頭でいくら考えても無駄
それはおまえらが一番わかってるはず
183考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:00:03
>>178


ラップ音は、ほんとうに【幽霊】の顕れなんでしょうかね・・・?


ああ、それ、逆だよ。
ラップ音が計測されたから、幽霊があるって判断してるの。
目に見えないけど、皮膚が感じる風の存在を
空気って名付けることはできるだろ。
別にその正体が何であるかは関係ない。



 (・∀・)ニヤニヤニヤニヤニヤニヤ
184>>>:2006/03/02(木) 18:02:36
目的と目標を混同している人がいる。通俗的な譬えだが、人生の目的は何?に
対して“正解”を答えることはできない。そこで、私たちは『目標』を答える。
「何歳までに何々を持つことだ。何歳までに何々になることだ」
あるいは「今日の予定は?」に対して「何時までに何々をする。何時までに、
どこそこへ行く」というのも目標。
目標には大中小と色々なものがあるが、その気になれば変更するのも、捨てる
のも勝手。そもそも、初めから目標など持たなくてもやっていける恵まれた人
もいる。
理由は物理的強制でも何でもいいから、変幻自在に目標をつくったり捨てたり
しながら、あるいは無目標のまま稼動する機械=人間をつくることは可能か?
185考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:15:35
幽霊がいるか、いないかと考えることはナンセンス
他人に意識があるか、ないか問うこともナンセンス
意味があるのは幽霊とみなせるか、意識あるいは意志があるとみなせるか
例えば、「影を見て幽霊にみえる」というのは、そのようにみえたんだから否定はできない
「その影が幽霊である」という主張とはまるで違うから
同じように「あの肉、細胞の塊には意識(意志)があるようにみえる」は
その人にはそうみえたんだから、しょうがない
もっと単純に言うと「心霊写真に出ている葉、木々が人の顔にみえる」は
「確かに人の顔に見えるね」で済むけど「葉、木々が幽霊である」は意味不明
まあ、そう考えるとロボットが人間のように振舞った場合、意志があるとみなせる
というのは自然だよね
逆に構造上(科学的な意味)の違いから意志がないとみなす人も自然だよね
要するに見方の問題であって、存在の問題じゃないってこと
186考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:17:21
機械は、(日常生活における科学の利用などから?)科学に強い実感をもってる
最高位は、なんだかよくわからんけど「我思う故我在り」から自分の存在に強い実感をもっている
これらの考え方の根本はかなり似ていると思うんだよね

自分はどちら実感の根拠もなんとなくわかるつもりだけど、
やっぱり生活の基盤になっていたりして万人の共通了解になりつつある科学の方に少し重きをおいてしまうかな
こういうところから考えると、もうそいつの嗜好の問題になってきて、
誰が何を信仰しようがどーでもよくなってくるね
187考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:18:58
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188考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:21:44
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189考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:25:08
まだ春休みじゃないと思ってたがな・・・w
190ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 18:29:01
「意識」という言葉で言っているその「もの」はなにか。
ということですね。
191考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:47:14
だから、意識は存在じゃないってばw
192ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 18:52:38
存在とはいっていません。
その「もの」はなにか、ということです。
193考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:59:21
>>191
「動き」は存在じゃない。
「愛」は存在じゃない。
「国家」は存在じゃない。
「小泉劇場」は存在じゃない。
「いじめ」は存在じゃない。
「トリノオリンピック」は存在じゃない。
     ・
     ・
     ・


「私」「我」は存在じゃない。


 (・∀・)ニヤニヤ
194考える名無しさん:2006/03/02(木) 18:59:28
悪いけど、何逝ってるのかわからない
195考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:06:04
>>193
うん、そう思う
196考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:06:17
>>191-193
そこでいう「存在」とはどういう意味で?
197考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:10:47
>>196
物理学的意味
198193:2006/03/02(木) 19:11:41
>>194
ほんとにわかんないの?


>>196
その問いを191は無視しているようだったので・・・。
私は、>>193は全て存在だと思ってますよ。
なぜでしょうねw
199りくーつ・こねりー:2006/03/02(木) 19:27:40
>>176
でも、そればっかりいい出すと、科学って凄くせまくならないかな

で、意識については、それがあるないに関係なく、その仕組みを解明しようということだと思うんだよ
少なくとも自分には意識があるという実感を人々が共有してるからこそ、
人はその仕組みを解明しようとしてるんじゃないかな、と俺は思うんだよ

自分だけがいくら幽霊をみたといってもしょうがないし

モデル化され、その存在を予測でき、追試できるか?というのは、
科学では重要であるとは俺も思うよ…
200ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 19:39:32
「幽霊」という実体があるないでなく、人々が「幽霊」とよぶその「もの」
「意識」という実体があるないでなく、人々が「意識」とよぶその「もの」
201考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:40:41
>>194>>192に対するレスなんだけど・・・
悪いけど>>193は全て存在じゃないね
202考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:43:01
>>200
すごい分かりやすいね
203考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:50:20
この前、買い物から帰る途中のお寺と高校に挟まれた淋しげな夜道で、
50mぐらい前方に、茶色いダウンジャケットを来たちょっと太めで20代後半の女の人が、
一人で突っ立ったまま右手に持った携帯の画面をじーっと見つめていた。
道で女の人をじろじろ見るのも変態みたいだから視線を向けないように歩いた。
でもいやらしい話、どんな顔してるのかが気にかかってしまって、
すれ違い様にその女性のいる場所を見た。
するとそこには女性はおらず、人の背丈ほどの木が一本立っているだけだった。
俺のいやらしいさが俺自身に木を女性と見せてしまったのか。
いやちがう。あれは間違いなくあの木に宿る木の精だ。
いや、やっぱり俺の気のせいだったのかもしれない。
204考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:54:33
長さという実体は存在しません
それをぼくたちはモノサシという機具により
仮想実体としてコード化をします
実体は無いけど、たしかに「ある」もの
つまり、構成概念ですね
205考える名無しさん:2006/03/02(木) 19:56:51
ですね♪ ですね♪

変な言い方〜
「です」って言ってよ。
206考える名無しさん:2006/03/02(木) 20:04:05
>>200
言葉の意味のこと言ってるの?
人が何を見たとき「幽霊」という言葉を使うかってこと?
207193:2006/03/02(木) 20:15:29
>>201
> >>194>>192に対するレスなんだけど・・・
失礼しました。

では、後半。
「愛」は存在しない、と
「いじめ」は存在しない、と
「国家」は存在しない、と、こう仰るわけですな。

特に、「いじめ」は存在しない。なんて、
「ウチの学校に、いじめはありませんでした。」と保身に躍起な校長の台詞みたいだなw
208むじんくん:2006/03/02(木) 20:41:19
>>207
> 「国家」は存在しない、と、こう仰るわけですな。

これは分かりやすいと思います。国家と人間精神は同じというと全体主義者みたいですけど、
等価な扱いが出来ると思います。我々が「国家」という場合、それは何を指しているのか、何を
構成物としているのか。そこから逆に精神とは("意識"というのはちょっと混乱しそうですね。医学
的に使用される言葉なので)、と考えるとヒントになる気がしますね。
209考える名無しさん:2006/03/02(木) 20:44:13
しますね♪

でたーー!!!!!!
210ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 20:47:13
>>206
>人が何を見たとき「幽霊」という言葉を使うかってこと?

人が何を見たとき「意味」という言葉を使うかってこと?
???
211ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 20:47:46
人が何を見たとき「意識」という言葉を使うかってこと?
???
212201:2006/03/02(木) 20:50:06
>>207
ああ、あんたはそういう意味で言ってたの
俺はあなたの言うようにいじめが存在するしないじゃなくて、
いじめとしてみなせるか、みなせないかに意味があるって言ってたの
昔、サッカーやってて大会で優勝したんだけど
翌日、そのときに休んでた奴にどうして休んだのか聞きに逝っただけで
そいつは「いじめ」だと判断して、
先生たちにもそれが「いじめ」だと決め付けられたときがあったなw
こっぴどく何時間も叱られたよw
そういえば、うちの母親はいじめじゃないって言ってたな・・・
213考える名無しさん:2006/03/02(木) 20:57:41
あーあ
また言葉遊びの流れにもどっちゃった
214探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/02(木) 21:05:22
「意識」とは「愛」と同じように、ナニカを説明するための概念だ。
そんなものが本当にあるかどうかは分からないし、存在が確認されたこともない。

「意識がある」「愛している」などで表現されるある種の状態がその説明されるナニカだ。
これらは客観的に確認されうる。脳波で測定されたり、医学的に定義されてるのはこれ。

「後者が観察される=前者が観察される」と考えるのは、単に科学的センスの欠如。
「私の存在性」を前提に「我思う故に我あり」を主張するような論理力の欠如と同じだ。
「意識がある」が観察されても「意識」が観察されたわけではない。

ここをごっちゃにすると「幽霊的現象の観察」と「幽霊の観察」もごっちゃになってしまう。
つまり「ラップ音の観察」を「幽霊の観察」と呼ぶことになってしまう。

当たり前だが、脳波の測定は「意識がある/ない」状態の観察であって「意識」の観察ではない。
こんなこと真面目に主張させるなよ
215むじんくん:2006/03/02(木) 21:29:58
僕は幽霊を見る能力がない人間なんですけど、幽霊、UFOなどの話で決定的なのは
第三者的な観察というものが不可能な点ですね。個人か、同じ感覚を持つ小集団が
見るわけですが、そこから外に出た形での測定というのは成されない。

ところが、「我」というものもそれと大して変わらないんですね。脳ははっきり第三者的に
観察できますね。しかし意識というか精神はできない。

国家というのはどうか。これも当事者にしか分からないんですね。山がある、月があるとか
いう感じにはいきません。しかし、我々の意識上では「アメリカがイスラムと戦争をしている」
とか平気で語ってしまいます。
216むじんくん:2006/03/02(木) 21:34:26
だから、人間の精神と歴史というのは切っても切れない関係にあります。精神の問題を科学的に記述可能である
ということは、つまり歴史を科学的に記述できるということです。

ちなみに僕は、それはできちゃうんじゃないか、という考えです。
217考える名無しさん:2006/03/02(木) 21:39:38
「幽霊がいる」よりも「意識がある」の方がはるかに万人に共通した意味を持っていると思う。

幽霊ってのはいまいち明確ではないからラップ音で幽霊を見たと言ってしまったりする人がいる。
でも、脳波とか意識とかはそうでもないと思うんだけどね。
幽霊って例が極端すぎるだけなのかな。
218探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/02(木) 21:42:46
>>216
ヘーゲルだねぇ。

科学は歴史的なものを排除することで成立する。
言い換えると「このりんごが何時何分に落下した」を「あるりんごが時間tで落下する」
と読み替えることで一般的な記述を可能にするのが、科学の方法論だ。

ゆえに、科学的に記述された歴史は既に歴史ではないという批判があるけどどう思ってる?
219193:2006/03/02(木) 21:46:27
>>217
『現代では』ね。
じゃあ、『古代社会』ではどうか?

なぜ、埋葬する時、胸で手を合わさせさらに石を載せたりしていたのか?
死霊の存在が信じられていたからじゃね?
死霊の存在が万人に共通した意味を持っていたんじゃね?
220考える名無しさん:2006/03/02(木) 21:50:55
56スレ目にして、科学論のお勉強ですかwww
221考える名無しさん:2006/03/02(木) 21:53:50
>>219
一瞬なるほどと思ったけど、埋葬儀礼は信じていたとかの根拠として弱い気がするよ
現代でも葬式とかちゃんとするし、墓を粗末に扱うと罰当たりとかって思うじゃん
俺は民俗学とか全く知らないけれど、古代とどれほどそういう信仰に差があるのか疑問
同じ人間だし、あんま信じてないやつもかなりいたんじゃないかなーと想像する

ただ、時代とか文化によって万人に共通した意味を持っているものが変わる
ってのは面白いと思ったのでもう少し考えてみます
222探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/02(木) 21:55:26
>>220
「意識は脳波で客観的に観察されている」とか真面目に主張するやつがいるのはどうなんだw
223ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 21:59:55
結局、このスレは、認識を理解している者と素朴は実在論者の対立
という構図で説明できるのかな。

すなわち素朴な実在論者(科学読み物好き)=哲学初心者が、
はじめて哲学(懐疑論)に触れるスレってとこかな。
224「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 22:15:28
>>111
>これは"罪がある"と信じるのではないんですね。ユダヤ民族に神が十戒を授けた、
>その十戒に照らすと全ての人間は罪人だということになる。つまり、神を信じると
>罪人になるのです。

 「そのころ」の時代に、「神なるエホバさん」が依怙贔屓していた「ユダヤ民族」に
対してその依怙贔屓の「おとしまえ」として突きつけたのが「十戒」ですので、
その依怙贔屓を独占した「ユダヤ人(軍)」に女子供まで抹殺された民族やユダヤ民族の
とは「地球の反対側に居た」民族(や個人)にとっては「十戒などどうでも良い」のです。
 十戒はユダヤ民族の「えこひいきして欲しい」という「ずるい」真理につけ込んだ、
「エホバ神」の奸策にすぎない・・・訳であり、非ユダヤ教徒・キリスト教徒の我々日本人
にとっては、当然に「そんなこと、知ったことではない」訳です。
225「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 22:22:41
>>223
>認識を理解している者

大脳生理学の「だ」の字も知らない、クオリアの「ク」の字も知らない
「コテ観念論者」であるあなたは「認識を理解していると(誤)認識している」
方だと思います。
(聴覚クオリアでは「同じ」でも)・・「誤認識」と「御認識」とは異なります(為念)。
226ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 22:27:53
>>225
古いつきあいだが、その素朴さがマジか、ネタかわからないよ(笑)
昔はもっとアイロニーがあったよな。
227小脳生理学者:2006/03/02(木) 22:29:00
しょの字なら知ってるぞよ
228「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 22:30:36
>>226
常にマジ(のつもり)です。
一度、『「(キリスト教的)観念論」というエピステーメー』について、
ご一緒に考察してみませんか?
229むじんくん:2006/03/02(木) 22:30:45
>>224
>  十戒はユダヤ民族の「えこひいきして欲しい」という「ずるい」真理につけ込んだ、
> 「エホバ神」の奸策にすぎない・・・訳であり、非ユダヤ教徒・キリスト教徒の我々日本人
> にとっては、当然に「そんなこと、知ったことではない」訳です。

それはちょっと違いますね。ニーチェが書いてますけど、ユダヤ民族の特異性というのは、
「えこひいき」をしてくれると思っていたら全然してくれなかったわけです、彼らの神は。ニーチェは
「そんな神なら捨ててしまうべきだった」と書いてますけど、普通はそうするんですよ。ところが、
ユダヤ民族は神を捨てず、「徹底的に世界を偽造することを選んだ」(ニーチェ)。

この信じるものを不幸にする可能性をも持った神を信じるというのが、所謂"客観的"精神を
作り出したんだろうと思います。だから、ユダヤ民族は世界で初めて、物語ではなく「歴史」を
持ったとされるのです。

230ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 22:32:21
>>255
機械やんの「独我論」への見解って、どうだっけ?
すなわち、「決定論とか言ったって、この世界は私の認識世界
でしかない」ということ。
231ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 22:34:38
>>228
マジなら、強迫神経症だよ(笑)
232むじんくん:2006/03/02(木) 22:38:07
>>218
> ゆえに、科学的に記述された歴史は既に歴史ではないという批判があるけどどう思ってる?

ちょっと前に議論になっていた、"ユニーク"であることを科学的に表現できるか?ということですよね。
それはできるんじゃないかと思います。例えば、まだ実用化されてませんけど、量子暗号技術という
のがありますね。パケットを盗聴すると中身が変異して復元ができなくなる技術です。

下はショッピングサイトやチャットから、上はテロリストの監視まで、今世の中では「個人認証」というものを
どうするか、かなり研究がされてますよね。最終的には、その人間の生活史そのものが認証IDとなるような
仕組みを目指すことになると思います。それは、電子的な空間でユニークさを実現できることを意味し、
歴史が発生することを意味します。
233「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 22:38:17
>>229
紅海が二つに割れて「出エジプト」出来たユダヤ人を追ってきたエジプト人は
どうなってしまったのでしたっけ?
・・・ユダヤ人は「依怙贔屓された『恩』をすぐ忘れる」・・という、
「神の『してはいけない帳』」の例題作成に沢山貢献したので、「エホバの
お気に入りの問題児」になった・・・ということではないのですか?
そのユダヤ人の大半が「キリスト教を(絶対)認めない」のは、(唯一依怙贔屓された筈の)
「ユダヤ人」以外の民族をキリスト教が「容認してしまった」からではないのですか?
234ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 22:42:08
■決定論を妨げる6つの不確実性

@独我論・・・この世界は私の認識世界でしかない
A認識論・・・人間は現象しか認識できない。科学も一つの認識方法でしかない。
B不完全性定理・・・科学にはこの世界を記述できない。
C不確実性定理・・・ry)
D量子力学・・・ry)
Eカオス理論・・・ゆらぎの不確実性によって決定できない。
         仮にゆらぎさえ決定しているとすると、
         この世界が閉じている必要がある。
         すなわちこの世界の外はなにかに答える必要がある。 
235「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 22:42:52
>>231
そういうおっしゃり方しかできないのなら・・、言わせて戴きますが、
観念論者(要するに宗教者)は、ある意味で全員「偏執狂(パラノイア)」ですね。
236素人:2006/03/02(木) 22:46:01
>>233
初めて、貴方のレスをおもしろいと思いましたよw
特に中盤。
> ・・・ユダヤ人は「依怙贔屓された『恩』をすぐ忘れる」・・という、
> 「神の『してはいけない帳』」の例題作成に沢山貢献したので、「エホバの
> お気に入りの問題児」になった・・・ということではないのですか?

この文章はお洒落だw
237「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 22:50:14
>>234
すみませんが「現代(理論)物理学」を「未だ」にご認識されていないのではありませんか?
「この宇宙は26次元である」こととか、「とりあえず16次元に折りたたまれており」
「とりあえず10次元の宇宙観があり」それが「さらに折りたたまれ」
縦・横・高さ(3次元)+時間次元=4次元であり、その「現在の真空」に満ちているのが、
クォーク他の「素粒子」と「重力や電磁気力他の4種の基本力」を構成する「力媒介粒子」
・・の「正体」である「2次元のひも」である・・という「大統一理論の世界観」について、
何処までご存じなのですか?
238ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 22:51:46
>>237
じゃあ、追加で。

F実証不可能性 「大統一理論」を実証する方法がない。
239むじんくん:2006/03/02(木) 22:53:38
>>233
> そのユダヤ人の大半が「キリスト教を(絶対)認めない」のは、(唯一依怙贔屓された筈の)
> 「ユダヤ人」以外の民族をキリスト教が「容認してしまった」からではないのですか?

それはそうでしょうね。だから、M.ウェーバーなんかもユダヤ人というのは差別によって
存在しているのではなく、積極的に周囲の連中と自民族とを分けてきたんだといってますね。

ただ、一方でユダヤ教の本質的な部分を世界宗教化したのはキリスト教です。世界宗教と
いうことは個人的な宗教であり、内面的ということです。そういう意味では、キリスト教は
民族単位ではなく、個人単位で周囲にゲットーの石壁を築いているともいえる。

 わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
 こうして、自分の家族の者が敵となる。

 (マタイ伝)

哲学の話題に戻ると(笑)、こういう精神が機械氏が愛してやまない物理学などに通じてると思いますが、
どうですか?
240「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 22:57:08
>>238
それを断定するならば、「実証」という概念(観念)と「方法」という概念(観念)の「意味」が、
そっくり全部喪失する・・ということになってしまいます。
「物理学が『世界』を観測する『方法』以上の『実証的方法』」は存在しない・・からです。
241考える名無しさん:2006/03/02(木) 22:58:58
ヤッター!このスレのお陰で依怙贔屓と漢字で書けるようになりました。
これで来年こそは8年間の浪人生活にケリをつけられるぜ!!
242「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/02(木) 23:01:02
>>239
すみません。宗教者(「絶対者」に憑かれた方)との対話は結構疲れる(つかれる)ので、
本日はこの辺で就寝させて戴きます。
243むじんくん:2006/03/02(木) 23:04:10
もう少し分かりやすく書くと、ある村に育って変な大木を皆が拝んでいるときに

 「あほらし」

と機械氏は言えるんでしょうか。わりと簡単に大木の前で土下座してしまいませんか。
244考える名無しさん:2006/03/02(木) 23:09:13
ちょっと話題違いますが…。
複雑な騙し絵の錯覚ではなくて、単純な棒の長さが違って見える錯角。
(同じ長さの棒の両端に矢印が付いているやつ)
あれは、意思が介入できますか?
(同じだ!と言い張られるとそれまでですが…)
複雑な物は、確かに脳で判断するのに
色々時間掛かるから意思が介入できるのかな?
(…考えてみたら脳で世界を認識するとしたら、
目という感覚器官で見てから脳で認識するまで時間掛かりますね。
ということは僕の認識している世界は全て過去?)

あと、動く錯覚はどう思われます?
(ドングリみたいなのが円形に配置されていて、
じっと見ていると動いて見えるやつ。)

その様なものをみると、意思と関係ないのかな?
と思ったりします。
245探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/02(木) 23:09:59
>>232
なるほど面白そうだね。ちょっと考えてみるよ

ちょっと気になったのは、鍵が複製されたことに気付いて内容を壊す暗号が
量子的に作れたとすると、鍵を移動させることができないんじゃないかと。
246ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/02(木) 23:24:14
■決定論を妨げる7つの不確実性

@独我論・・・この世界は私の認識世界でしかない
A認識論・・・人間は現象しか認識できない。科学も一つの認識方法でしかない。
B不完全性定理・・・科学にはこの世界を記述できない。
C不確実性定理・・・ry)
D量子力学・・・ry)
Eカオス理論・・・ゆらぎの不確実性によって決定できない。
         仮にゆらぎさえ決定しているとすると、
         この世界が閉じている必要がある。
         すなわちこの世界の外はなにかに答える必要がある。
F実証不可能性 「大統一理論」を実証する方法がない。  
247探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/03(金) 00:09:48
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20010704304.html

>「全身麻酔ガスは、非常に微妙な量子力学によって完全に、そして可逆的に意識を消す」と、
>アリゾナ大学で麻酔学と心理学の教鞭もとっているハメロフ氏は語った。
>「化学結合、イオン結合といったことは一切起こさない。ただ、とても弱い量子力学的力によって
>麻酔は作用するのだ。つまり、つきつめて言えば、脳は量子力学的な力で機能しているということだ」

>「夢、陶酔状態、幻覚、それにたぶん精神分裂状態も、われわれが量子的に重なった状態情報が
>濃密になっている状態にあるときに生じる。その量子の重なりが壊れると、それがわれわれの現実、
>知覚、感覚を決める。これが1秒に40回起こるとしたら、意識とはそれらがつながったものと言える」

これはすごい説だな。>>1の考え(分子レベルが全て)を一部否定する議論だ。
>>21の最後で俺が3つ書いたうちの2番目の発想に近い。
248考える名無しさん:2006/03/03(金) 00:22:58
>>247
量子力学自体相対性理論と同様に90年以上前に成立したわけだし、
現在の26次元宇宙論とか10次元宇宙論とか関係なく4次元宇宙論
が大前提なので量子力学や不確定性理論はもはや恐竜理論だと考える
方がよいと思うよ。
249考える名無しさん:2006/03/03(金) 00:39:07
まあ、確かに量子力学における不確定性理論とシュレディンガー方程式は
文科系から見るといつまでも神秘的に見えるみたいだけれど、要は結構
簡単な物理学の記述方法にすぎないんだよな(w
250ゾルレン:2006/03/03(金) 02:37:38
>むじんくん
>>116
一回、長文書いたが、強制終了で飛んでしまった
だから簡潔に書く
わけわからんかったら無視して流しといて

>そこなんですけど、その「哲学者の神」をあっけらかんと展開したのがスピノザだと思うんですね。
>しかし、ちょっと分からないのはそこに倫理があるんだろうかということです。更に、
俺はあると思ってる
倫理や道徳は言明に普遍化可能性を要求するものだし
普遍性が感覚世界と理論世界のどちらにあるかと考えるなら明らかに後者だ
むしろ倫理を肯定するためには感覚世界を偽と考える必要がありそうだ
野良犬に倫理があるとは思えない

といっても何でも理性で解決するとは俺は思ってない
「なぜ情念ではなく理性を信じるのか」という問いは神義論のような問答になるだろう

>非常に科学的な人間が、汎神論になるというのはよくあるんです。このスレッドの"決定論"と矛盾
>せず、且つ自分自身をも含んだ世界観を成立させようとするならば、汎神論的なものになる。
逆に汎神論から決定論に至っているんじゃないですかねぇ
科学者が決定論に固執するのは無用の長物だとわたしは考えてます
何らかの宗教が権威付けに神を持ち出すのと、科学を重んじる人間が権威付けに決定論を持ち出すのに、
わたしは大きな違いを見出すことはできません
決定論が正しいところで科学の正しさを保証することはできないですし、
非決定論的世界観だろうと科学的営為を肯定することはできるわけですから。
スピノザは自然に対する洞察と理性や情念への考え方から決定論的世界観を唱えましたが
同じだけの洞察をこのスレの人がもっているとも思えません
ヒュームはスピノザとはまるで逆のことを唱えたわけですが、このヒュームすらどれだけ知られているか
科学論の「帰納の正当化の問題」にまったく触れていないと思います
帰納の正当化を果たす最も簡単な方法は「自然は斉一的である」とか「世界は決定している」という考え方を導入することですからね
251考える名無しさん:2006/03/03(金) 02:38:50
252ゾルレン:2006/03/03(金) 02:39:30
続き

>これは日本的な現象だったりしませんか?ポストモダンって欧米のアカデミズムでまともに存在
>できるんでしょうか。
正直興味ないですし知りませんが、合理主義者は相手にしないと思いますよ
わたしがその後に引用した言葉もドイツの大学で科学哲学、基礎論研究のまとめをした教授の言葉です
(哲学者ではなく文字通り哲学研究者の代表例です)
もともとポストモダンはアカデミズムと相性が悪いんじゃないですかねぇ

一応、わたしが通ってた大学にはニーチェ研究の先生もいましたが、講義では近代の倫理学やロールズの英文読解などでした
その先生の本では「事実は小説より奇なり」などの言葉でこの1回きりの生に関心がよせられるみたいなことを書いてましたが、
講義や学会に招待講師として呼ばれたときの発表などはとても普通なものでしたよ
253ゾルレン:2006/03/03(金) 02:59:43
>>244
多分、意思の介入ができるでしょ(それを「意思」と呼ぶかどうかはおいといて)
階段の図形を覆い被さる蛇腹に見ることができるんだから(これはそれなりに意識しないとできないと思う)
無理やりにうがった見方をしたら逆向きの錯覚のように感じることもできるんじゃないの?

>あと、動く錯覚はどう思われます?
>(ドングリみたいなのが円形に配置されていて、
>じっと見ていると動いて見えるやつ。)
テレビとかもそうだよね
厳密には映像が写ってるわけじゃないんだけど、われわれはそれを番組として内容を見ることができる
これは訓練された人でないとテレビのブラウン管をただの色の変化と見ることは難しそうだ

>(…考えてみたら脳で世界を認識するとしたら、
>目という感覚器官で見てから脳で認識するまで時間掛かりますね。
>ということは僕の認識している世界は全て過去?)
誰か哲学者の言葉で、「われわれはすべて痕跡を見ているにすぎない」みたいなのがあったよ
興味ないからそれ以上は知らないけど
254考える名無しさん:2006/03/03(金) 03:21:34
>>253
動く錯覚はテレビとかではなくて、絵なんです。
じっと見てたらグルグルとは回らないけど、
なんか動いて見える錯覚なんです。
脳の本に載っていたんですが、
人間が動きを見る(脳で処理する事)という事は、
どうやら物体の前後の位置を判断しているわけではない
と書いてありました。(まだ理由はわからないそうです。)

それは、見るという能の機能についてですが、
このような自動化というか、脳の構造的に
決まっていることが、思考というものにも
あるのかもと思ったのです。

あと、定規では同じ長さの線が、両端の矢印の向きによって
長さが違って見えるのは、人間が二次元の絵を
脳で三次元化している為とありました。
255考える名無しさん:2006/03/03(金) 06:32:41
お前等精神世界から物理世界までこの世の全てを説明できる超超超・大統一理論すら理解できてないの?こんなん表で発表されてないだけで知ってる奴世界に1万人は居るぞ
その中で明確に理解して言葉でまとめて全てを一瞬で説明できるレベルがたぶん10人くらい?、ここ10年以内に必ず超超超・大統一理論は表に出てくる、簡単過ぎてマジで笑うぞ。
これひとつを教えれば子供のころから純粋に全てを楽しく好奇心のまま勉強できる
256考える名無しさん:2006/03/03(金) 06:36:30
進化の理由も宇宙が無から生まれた理由も収縮するのか永遠に広がり続けてくかどこかで停止するのかでもめてるのも全部簡単にわかっちゃう魔法の答えを俺が発表する前にみんなも早く見つけてね
257考える名無しさん:2006/03/03(金) 07:02:45
>>254
錯視のイラストの話だろ。認知科学の分野じゃないの。色や角度で
前後左右上下の位置関係が違って見える。それに残像と実際の像のズレ
が組み合わさってイラストが動いて見えるという原理。

思考の癖も心理学で実証的に研究されてるよ。心理学の勉強してみれば?
それは哲学じゃなくて心理学的な瑣末な問題だと思うんだけど。
哲学は、意識のもっと本質的な問題を扱う。
258考える名無しさん:2006/03/03(金) 07:55:48
>>122
君は、なぜ、レスの全文を読まないのか・・・。
>そうしたら、各分野での調理が、し易いのではないかと・・・。

君の言葉・言い方のままでは、多角的にアプローチできない、ってことだよ。
その必要がない、というなら、しかたがない。話はそこで終わりだ。

>《「今まさに、ここに居る」感》
>は、誰の感?
ほら、その言い方の方が
「私は私だ」と言うより、とっつきやすくないかい?
259考える名無しさん:2006/03/03(金) 07:56:47
>>128
ヒント:
「動き」は物質じゃない。
「愛」は物質じゃない。
「国家」は物質じゃない。
「小泉劇場」は物質じゃない。
「いじめ」は物質じゃない。
「トリノオリンピック」は物質じゃない。
     ・
     ・
     ・

「私」「我」は物質じゃない。
260考える名無しさん:2006/03/03(金) 09:41:03
幽霊の話がありました。意識について本質的なことが語られていたように
思います。
たとえば、機械氏と最高位とむじんくんが同じ事物、事象をみたとします。
三氏に感想を聞くと、それぞれ別のことを言うでしょう。三人が一つのこ
とに異なる“意識”を抱いていたことがわかるはずです。それぞれが、こう
言い合うでしょう。「君たちは、なにをみていたんだ。幽霊でもみていたの
か」
人間の意識は“幽霊をみる”のがその本性なのでしょう。その幽霊は人それ
ぞれでしょうが、欧米人のみるそれと比べたら、上記の三人の幽霊もどこか
似ているはずです。



261ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/03(金) 10:55:39
【意識】
@「意識する」 情報操作、知覚
A「自意識」 自己認識、自我
B「意識がある」「意識を取り戻す」知覚を有しているときの状態
262考える名無しさん:2006/03/03(金) 11:06:21
>>253
少し前に、平面の図形を立体的にみてしまうのも錯覚である、と述べられて
いました。しかし、ここはそう簡単に言えるかどうか。おそらく、そう断定
するのが“科学”でしょう。
たとえば、ユトリロの絵。この平面の絵をみたとき、奥行きを排除できるで
しょうか。この平面のどこにもない奥行きをみてしまうのが普通(多数)でし
ょう。もし、この絵に未開人が「階段の図」をみたときのように、平面的な
線と面だけをみるとしたら、それこそ“錯覚”ではないでしょうか。

平面に立体をみるのを“想像力”といいますが、人間の意識は必ず「ないもの
をみる」想像力に侵されています。この架空の侵入物を排除して事物をみるの
が“科学”なのでしょうが、ユトリロ絵に画布と色のついた線や面をみたとし
ても“本当”を認識したことにはならないでしょう。
263考える名無しさん:2006/03/03(金) 11:32:00
>>257
心理学は心理学を知っている人にはあまり有効ではないですよ?
(あまり知らないので何とも言えませんが…)
つまり,心理学と言えば心理テストのような物を思う浮かべます.
例えばそのテストを作った人は,テストの内容を知っているので
正確なテストになりません.心理学が有効に働かないと思います.

しかし,錯覚については,ほぼ万人に同じような錯覚を見せます.
(それは,これは本当は同じ長さと知っていても,違うように見えてしまう.
そう感じてしまう.という事です.
たぶん心理学とは関係無い.

>それに残像と実際の像のズレ
が組み合わさってイラストが動いて見えるという原理。

動く錯覚はモノクロです.一枚の絵を見るだけです.
残像は見えませんが,動いて見えます.原理は不明です.
ある脳の一部が反応しているのだけ確認されています.
錯覚は目の機能に拠りません,目で見た情報を脳が情報処理する途中に
自分の意識とは別な情報処理が勝手に行われているのです.

まあ,根拠無く人間の意志はあると信じてますけど,そう言う事が
あるよと言われると意思も決まってるのかなと.
264考える名無しさん:2006/03/03(金) 12:16:42
>>259
それらが「物質とそれが高度に変形したもの」の複雑な組み合わせであっ
てもいいのです。科学的な方法では、そのすべてを記述できないだろう
ということです。
たとえば、ある人間の動き。これを概略的に記述(数値化)する術を、科
学は持っているでしょう。が、彼がなぜそういう行動をしたか、行為し
つつ何を思ったか、その動きの過程と結果が人間を含む事物にどんな波
紋を描いたかについては、お手上げの(記号化できない)はずです。
機械氏がユダヤ・キリスト教について述べていました。最高位に言わせ
れば「それは、君の主観的解釈だ」ということになるでしょう。まだ、
科学は宗教(錯覚)を解き明かす記号を持っていません。
科学は、事物を記号化する技術を高度化させるでしょう。しかし、所詮
記号は“本当の事物”ではなく、その代替物だということです。

265考える名無しさん:2006/03/03(金) 12:21:42
>>264
「科学は万能でない」なんて、当たり前やん。
266部外者:2006/03/03(金) 12:23:17
>>259
物質の属性も物質の問題に帰するでしょう

>>1
まず第一に、なぜ宗教や観念論が徒労になるのか分かりません
脳の物質を直接いじるわけではないにせよ、快や安心を得ようとする思想は、たとえ意識が物質であるとしても
否定される理由はないでしょう。快感を感じる物質は必然であろうと物質であろうと、何かしら「ある」意識にとって有益なものです。
要は、物質だから快はくだらない、無意味だとするのはどうか、ということです。
むしろ、物質だからこそ、重力に従って林檎が落ちるように、脳内の物質の運動の結果宗教を編み出す、という(まだ科学では解明できない
脳の細部の問題ですが)必然があるのでしょう。すべては必然、だからこそ必然として宗教があるのではないでしょうか、それを糾弾する事はできないでしょう
なぜならすべてが必然と認めている以上、その意味を問うのは的外れだからです
人は必然=意味の放棄と考えがちですが、必然だからこそ意味などはない、無意味ということが無意味でしょう
第二に、全てが必然ならば、何故あなたはこのような考えを主張するのでしょうか?
それはあなたにとって、何かしら意味があるからですよね?
しかしそれすらも必然。ここで語り合って、分かるも分からないも必然。意識も必然にして意味などはない。
そうなると、何を語ることが残されているでしょう?
答えは簡単、意識は必然なる物質ですが、その物質が何かを望んでいるからでしょう。私は必然として現れ、その必然はあなたに自身の説の確信という必然を与えたでしょうか?
そうでなかったにせよ、全ては必然です。
つまり私が言いたいのは、あなたがそのように感じるのは必然なのでどうにもなりませんが、その必然を人に教えるというあなた自身も必然の一環であることを感じているのでしょうか?ということです。
まあ感じているのでしょう、なんとなく空虚でいて周りの見え方が一時的に変わったような感覚を覚えたことでしょう
ここで私がレスをしたのも必然ですが
長くなりましたが、私はあなたの意見に賛成しますが、それに意味を付随させるのは無意味だと思う、それだけのことです
267りくーつ・こねりー:2006/03/03(金) 12:30:18
>>264
> 最高位に言わせれば「それは、君の主観的解釈だ」ということになるでしょう。まだ、
> 科学は宗教(錯覚)を解き明かす記号を持っていません。

http://eye.pfizer.co.jp/general/see/expect.html
「カニッツアの三角形」の「主観的輪郭線」って不思議だよね
描いてないのに見えちゃう…
268考える名無しさん:2006/03/03(金) 12:33:39
>>82
>>86
「ルビンの壺(もしくは杯)」ですね。
ジャストロー図形や錯視図形とはまた別でしょう。
「見誤る」訳ではない。多義図形です。
269考える名無しさん:2006/03/03(金) 12:37:51
脳以前の視神経レベルでの錯視もあるね。
明るさの錯覚は特にそう。
270りくーつ・こねりー:2006/03/03(金) 12:51:13
以前、人工知能スレに貼ってあったけど、こういうのも錯視なんだろうね

杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー
  杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー
 杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー
  ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏
   ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏
   ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏ーナマ杏
  杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー
  杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー
 杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー杏マナー
271部外者:2006/03/03(金) 12:54:21
>>270
感動した!
272考える名無しさん:2006/03/03(金) 13:20:17
>>214
>「意識」とは「愛」と同じように、ナニカを説明するための概念だ。

どんどん意見が乱暴になるな。全然違うだろうよ
273考える名無しさん:2006/03/03(金) 13:50:45
>>272
そうでしょうか?
けっこう似てると思いますよ。
特に、「究極には、当人の中に於いてのみ確実である」という点でもw

ポイントがあるとすれば、
「愛が意識に包含される・愛は意識の一部であるだろう」という点。
「愛は、行動や事象そのもの(或いは物そのもの)を指して〈愛〉と呼ぶことが日常的に可能。」という点。
「そして、自分の中では確実なものであるはずなのに、意識よりも疑い易く、崩れ易い。」とかかなw

あぁ、この辺、キリスト者からは物申されそうだな・・・w
274考える名無しさん:2006/03/03(金) 13:53:03
申し訳ないが、上に挙がっている「錯覚」の類にどういう哲学的意味が
あるのか、全然わからん。
275考える名無しさん:2006/03/03(金) 13:56:29
>>270
しかし、それは錯視するほうが正常なのでしょう? 
もし、これが“まっすぐ”にみえたら、おかしいのでしょう。つまり、
そのほうが“錯覚”ということでしょう?

276考える名無しさん:2006/03/03(金) 14:04:33
>>273
>特に、「究極には、当人の中に於いてのみ確実である」という点でもw

それは、認識されるもの、すべてにおいて言えることじゃん。
277考える名無しさん:2006/03/03(金) 14:24:12
>>273
別に面白いようなことでもないのにwとか頭悪そう。まともに議論する気がないようだね。
278考える名無しさん:2006/03/03(金) 14:26:38
>>266
そのとおりです。このスレを立てた機械氏は、必然という意味を知ら
ないか、反論を呼ぶために故意にネジ曲げて“必然”という言葉を使
っているかのどちらかです。
何を思うか何を意思するかは法則によって決定されている、と言いな
がら、ある宗教を信じる人間を“観念論的迷妄”“観念論的誤謬”に陥
っていると批判します。機械氏のように科学的法則を“信じる”ことが
正しいい態度だそうです。
面白いでしょう? すべてが必然だといいながら、正しいそれと間違っ
たそれがあるというのです。普通、必然には正誤も徒労もないのですけ
ど。
279考える名無しさん:2006/03/03(金) 14:26:42
意識は物理現象の一部。存在しないと言われる幽霊とは全然異なる。
280探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/03(金) 14:26:47
まともな議論がしたいなら、まず具体的に反論したらどうですか。
281探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/03(金) 14:27:40
>>279
現代でも幽霊の存在を信じる人はかなりたくさんいると思うが?
282考える名無しさん:2006/03/03(金) 14:28:23
>>281
で?
283考える名無しさん:2006/03/03(金) 14:29:01
>>281
幽霊の存在を疑う人はかなりたくさんいるが、意識の存在を疑う人はほとんどいない。
284探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/03(金) 14:35:55
意識も幽霊も別に違わないってことだ。

昔の人だって「霊魂・幽霊の存在を疑う人はほとんどいない」って
思ってたに決まってるんだから。
285考える名無しさん:2006/03/03(金) 14:38:36
>>279
“存在しない”幽霊をみるのも物理現象です。つまり、ありもしない
(とされる)幽霊をなぜみてしまう(意識する)のか、平面上に、ありも
しない立体をなぜ想像するのか、ということです。それは錯覚だ、と
片づけても何も述べたことにはなりません。
286考える名無しさん:2006/03/03(金) 14:52:34
なんかアナログ電波を受信しちゃうように進化したんだろう。
287考える名無しさん:2006/03/03(金) 15:01:17
>>285
錯覚というのは「どういう場合に見えるか」とか「どうしてそう見えるか」
について検証できるわけでしょ。だから客観的な解明ができる。
上のような実例も挙げられる。
幽霊については、そのときその場で見える人には見える(らしい)という
だけで、客観的検証も解明もできない。そこが違うということでしょ。

288考える名無しさん:2006/03/03(金) 15:06:21
>>284
違わないって思っているのはお前ぐらいだろ。
普通の人にとっては全然違うし、それがわかる奴だけで議論を進めたい。
電波と議論する気はないよ。
289考える名無しさん:2006/03/03(金) 15:08:13
>>285
何かの現象を指して幽霊と呼ぶなら、幽霊も物理現象になる。
意識も幽霊も、存在するならそれは物理現象になる。
290考える名無しさん:2006/03/03(金) 15:08:42
>>287-288
>思ってたに決まってるんだから。
こんな馬鹿を相手にすんな
291考える名無しさん:2006/03/03(金) 15:09:48
どんなものでも存在するならば、それは物理現象。
唯物論で問題なし。
292むじんくん:2006/03/03(金) 15:35:48
>>250
> 普遍性が感覚世界と理論世界のどちらにあるかと考えるなら明らかに後者だ
> むしろ倫理を肯定するためには感覚世界を偽と考える必要がありそうだ
> 野良犬に倫理があるとは思えない

スピノザは神秘主義的な部分があるので、ちょっと分けて考えるべきかとは思いますが、
感覚的なものを否定することが倫理的であることとつながるというのはその通りだと思います。
(ただ、日本人の基本的行動規範である「人に迷惑をかけない」は感覚的なものだと思いますが)

しかし、感覚的なものを否定することで理性が生成したとしても、それが暴力を持つという
ことがある。ソ連などを持ち出さなくても、経済的合理性から人を殺してしまうというケースは
簡単に起こってしまいますね。

> 逆に汎神論から決定論に至っているんじゃないですかねぇ
> 科学者が決定論に固執するのは無用の長物だとわたしは考えてます

決定論で一番問題になってしまうのは、倫理的なものだと思います。津波で死んだならば
それは誰も責められないが、偽装設計マンションであれば責めることができる。また、
当事者は罰せられなければならない。しかし、ヒューザー小嶋氏の生活史をつぶさに
見ていくと、起こるべくして起こったような気がするとか(笑)。

カントなんかもそこを一番重要視してますね。それこそ当為(ゾルレン)ですが、
それが入る隙間があるだろうか、ということです。それを物自体を想定することで
説明しようとした。

こういう話は科学の普段の議論では出てきませんけど、極限状態の記述、例えば世界の果て
とか、宇宙の始まりとか、そういう話になると繰り返されますね。昔、ローマカソリックが
ビッグバン理論に賛成したとかいう話を聞いたことがあります。何故かというと、少なくとも
ビッグバンの時には神の手が入る隙間があるからです。

293考える名無しさん:2006/03/03(金) 15:51:56
>>284 閑話休題
探求者さんにお訊きしますが、このスレに時おり、あなたのことをボロクソ
にいう人がいます。最高位の場合は、なんだかんだと言いながら、あなたを
最良の相手と思っているフシもあり、その罵倒には愛情めいたものがありま
すが、この人のそれには憎しみさえ感じられます。何か、過去に曰くでも。
294むじんくん:2006/03/03(金) 15:57:56
>>252
> もともとポストモダンはアカデミズムと相性が悪いんじゃないですかねぇ
> 一応、わたしが通ってた大学にはニーチェ研究の先生もいましたが、講義では近代の倫理学やロールズの英文読解などでした

教えにくいというのもあるかも知れませんね(笑)。カントなんかも哲学は学習できないと言ってますけど、
本来は師弟関係で覚えていくような類のものだと思います。楽器を習うのに近いんじゃないか。古代ギリシャ
なんかだとそうしてたわけですしね。
295考える名無しさん:2006/03/03(金) 16:25:45
>>292
旧ソ連の経済政策は、経済的合理性からほど遠いものだったでしょう。
そこには、幾つかの集団の思惑(利益、都合)がその政治的力量に応じ
て投影されており、これに「あらかじめ全体の利益の総和は算定でき
る」という“迷信”が結びついて、あのような混乱を招いたわけです。
ソ連の事例は、理性が不足していた、とみるほうがよさそうです。

小嶋については「なるべくしてなった」と言えても、被害者について
はそうは言えませんね。それに、小嶋以上に好き放題しながら、人生
を恙無く終えた経営者を何人も見知っています。このあたりのことを
クリスチャンはどうみるのですか。
296考える名無しさん:2006/03/03(金) 16:29:48
>>294
>カントなんかも哲学は学習できないと言ってますけど、

カントはどこでそんなことを言ってるんですか。
ソースを示してください。
哲学教授を務めていたカントがそんなことを言っていたというのは
初耳なので気になります。
297探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/03(金) 16:41:23
>>293
このコテはここ以外ではほぼ使ってないから、ここでのレスが原因かと。
298むじんくん:2006/03/03(金) 16:44:21
>>295
> クリスチャンはどうみるのですか。

あはは。いや、こういうところが日本にキリスト教が広まらない理由でしょうね。

それはともかく、理性の暴力というのは20世紀散々世界中が体験したことですよね。
それを「不完全な理性だった」というのは屁理屈ですよ。例えば、有名な話で言うならば
サドをどう考えるか。あれは感情の赴くまま、やりたいことをやっているだけなのか。
違うわけです。サディズムというのは理性的なんですよ。

あと、小嶋氏のことは半分冗談ですが、カント風の当為があるということを私は信じてます。
これはキリスト教で言えば啓示というものと関係していると思います。
299むじんくん:2006/03/03(金) 16:45:14
>>296
> >カントなんかも哲学は学習できないと言ってますけど、
> カントはどこでそんなことを言ってるんですか。

かの有名な「純粋理性批判」です。
300考える名無しさん:2006/03/03(金) 16:58:06
>>299
申し訳ありませんが、引用元の文章または、
純粋理性批判のページ数を示して貰えませんか?
301むじんくん:2006/03/03(金) 17:03:12
>>260
> たとえば、機械氏と最高位とむじんくんが同じ事物、事象をみたとします。
> 三氏に感想を聞くと、それぞれ別のことを言うでしょう。

そうでも無いんじゃないかと思いますけど(笑)。少なくとも、第三者的な観測というものが
あるという前提で僕らは生活してますね。言い方は違っていたとしても。

ちょっと関連するか分かりませんが、古文では同一事象を複数の人が見たときに
同じ文章になりますよね。言文一致以降、個人の文章というものが成立するわけですが、
そのことと、僕らの意識のあり方は密接にかかわりがあると思います。
302むじんくん:2006/03/03(金) 17:07:09
>>300
> 申し訳ありませんが、引用元の文章または、
> 純粋理性批判のページ数を示して貰えませんか?

名文句なのでGoogleとかで検索するとすぐ出てきますよ。

http://members.at.infoseek.co.jp/yukisaka/philosophy%20-1.htm

 『純粋理性批判』B866を参照せよ。

とか書いてありますね。今手元に無いので確認してませんけど。
303考える名無しさん:2006/03/03(金) 17:25:39
>>302
なるほど、そういう文脈で使われているんですね。
しかし、「哲学すること」は学べると。それなら納得できました。
304考える名無しさん:2006/03/03(金) 17:39:46
>>298
理性(正義)の名で暴力がなされたのは本当です。しかし、殺人を含む暴力が
なされるのは、それが“快感”だからです。殺せば、儲かる。殺すこと自体
が気持ちがいい。これでは露骨すぎるので“理性的な名目”を立てます。こ
のとき、理性は“快感”のシモベとして利用されるわけです。しかし、この
ことを批判的に取り出せるのもまた理性なのです。

サドが描出した人物たちは、理性に唾をかける連中でした。“快感”のために
身と魂を滅ぼすことを究極のテーマとする人間群です。サディズムは“反理性”
です。サドは人間のなかに“衝動”をみ、それを人間の一側面として理性的に
描いただけです。退屈な読み物ですけどね。


305考える名無しさん:2006/03/03(金) 17:50:25
>>274
俺のは特に深い意味はないんです…ごめんなさい…
>>264 で解釈の話があったから >>267 で、つい、なんとなく…

人はいろんな事物を解釈しようとするよね?
解釈における、

・事物に対する見方の違い(ルビンの壺とかとなんとなく似てる)
・事物に対する見誤り(カニッツアの三角形とかとなんとなく似てる)

みたいなのってないかな?

なんとなく解釈って錯視に似てるよなあ(>>267
なんてことを、ぼんやり考えただけだったりするんです

解釈の違いって、見方の違いかも?みたいなことがあったりしないかな

例えば、

・コペンハーゲン解釈
・多世界解釈

は単なる見方の違いかも?みたいな感じ
(どっちで解釈しようが、結果は同じだったりするから)
306考える名無しさん:2006/03/03(金) 17:54:19
>>305
このスレでいうと決定論と非決定論がそうだ。
いずれにも解釈できる。で、やっかいなことに
どちらもその正しさが実証できない。
307りくーつ・こねりー:2006/03/03(金) 18:03:54
>>306
決定論と非決定論については、
俺は解釈できるのではなく、現状では分からない、
ということだと思うけどなあ…
308りくーつ・こねりー:2006/03/03(金) 18:12:14
というのも、神がサイコロ振ってる現場を実際には見れないからなんだけどね

人が到達できない観測問題を抱えてるといえるし…
観測問題が解決できて、初めて、本当にサイコロ振ってるのか振ってないのかが分かる、
と俺は思う
309考える名無しさん:2006/03/03(金) 20:47:44
>>305
あなたは、もしかしたら素人さん? 以前、仏教に対する無知を露わにして
しまったことがあるので、恥の上塗りにもう一つ。
仏教は“決定論”をどうみているのですか。ここには、二つの“決定論”が
あります。一つは、機械氏のそれ。もう一つは、むじんくんにみるキリスト
教のそれです。後者のほうが徹底性があります。いかなる理屈も通用しない
ときは、神の“啓示”をそこにみればいいのですから。
仏教も因果応報、ある種の決定論ですね? しかし、この因果の連鎖は断ち
切れると考えるわけですか? 
素朴に質問します。この世界は決定されているのですか。たとえ、そうだっ
たとしても、人間は“善行”を積めば連鎖を断ち切ることが可能なのですか。

310ゾルレン:2006/03/03(金) 21:37:27
>むじんくん
>>250
>(ただ、日本人の基本的行動規範である「人に迷惑をかけない」は感覚的なものだと思いますが)
それも理論世界の産物です
規範は感覚世界ではなく理論世界に属するのではないでしょうか?
獣の倫理とは規範ではなく共感などの感覚に訴えるものでしょう(それを倫理とはわたしは思いませんが)

>しかし、感覚的なものを否定することで理性が生成したとしても、それが暴力を持つという
>ことがある。ソ連などを持ち出さなくても、経済的合理性から人を殺してしまうというケースは
>簡単に起こってしまいますね。
だからどうしたというのでしょう
理性にこの世に理想郷を実現する義務も責任もないと思いますよ
経済的合理性が情念の支配下にないとは思えませんが、理性はそれもまた批判し反省できるのではないでしょうか?
経済的合理性が殺人を強く訴えたとても、彼が理性的に考えることはその行為を中止させるかもしれません

>決定論で一番問題になってしまうのは、倫理的なものだと思います。津波で死んだならば
>それは誰も責められないが、偽装設計マンションであれば責めることができる。
津波だって責任を考えることはできます
予測する者の責任、予防する者の責任、事故を拡大しない者の責任
知的な職業につく者は知的な責任を負うのです
もっとも、すべての人に知者であることを望むほどわたしは人々を楽観視していませんが。

>また、 当事者は罰せられなければならない。
まったくもってわたしはそう考えません
倫理を誰かを罰したり責めるための道具と見ること自体がわたしには倫理への冒涜であるように思えます

>カントなんかもそこを一番重要視してますね。それこそ当為(ゾルレン)ですが、
>それが入る隙間があるだろうか、ということです。それを物自体を想定することで
>説明しようとした。
カントにとって当為を基礎付けるのは物自体ではなく最高善でしょう
どちらも超越的なものであるということには変わりありませんが
311りくーつ・こねりー:2006/03/03(金) 21:37:27
>>305
私は素人さん、じゃないけど、哲学のしろうとです
私は因果応報や神を仮定するような決定論は支持してなかったりします

私が >>308 でいった神は自然という神です
私は、人の世界への解釈として物理法則に目を向けてます

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E6%80%A7%E5%8E%9F%E7%90%86
> 粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができないという事実に対し、
> それは元々決まっていないからだと考えるのが、ボーアなどが提唱したコペ
> ンハーゲン解釈であるが、アインシュタインは決まってはいるが人間にはわ
> からないだけだと考えた。

私は「隠れた変数理論」を支持しませんが、「人間にはわからないだけ」と思ってます

これについては「人間にはわからないだけ」だし、あれこれ考えても無駄な感じがするから、
「元々決まってない」と考えないと、何も先に進まない感じがするから、合理的な考えだ、
とは思ってます
312ゾルレン:2006/03/03(金) 21:39:04
続き

>教えにくいというのもあるかも知れませんね(笑)。カントなんかも哲学は学習できないと言ってますけど、
>本来は師弟関係で覚えていくような類のものだと思います。楽器を習うのに近いんじゃないか。古代ギリシャ
>なんかだとそうしてたわけですしね。
哲学という語は非常に多義ですから、そう考える余地もあるでしょうが、
楽器を習う感覚でいる限り哲学することを学ぶことはできないと思いますよ
過去の研究を学んだところで、「研究すること」を学ぶことはできないですからね
自然科学で言えば、多くの科学理論を知ることと自分で研究テーマを決めて研究することは違うでしょうからね
313りくーつ・こねりー:2006/03/03(金) 21:41:08
×>>305
>>309
肝心なことを書いてなかったです…>>305 を書いたのは私です…
314考える名無しさん:2006/03/03(金) 21:43:16
決定論にしろ唯物論にしろ、世界に関する形而上的な主張は実証されてナンボというよりは
まずはその「もっともらしさ」によって評価されるもんだ、と俺は思う。
例えば柴田正良のこの言い方はその辺を良く言い表してると思う。
(以下引用)

存在論的な主張の身分をどう考えるかに関して、私はチャルマーズとは違う路線を取りたい
。一元論にしろ二元論にしろ、それは、哲学的な(とは限るまいが)ノックダウン・アーギュメン
トによって真理が確証されるような主張ではないだろう。むしろ、例えば物理主義は、科学の
フロンティアをどこへどのように広げていくのか、倫理を含めたわれわれの知識全体をどう整
合させるのか、また、宇宙におけるわれわれのアイデンティティをどこに求めるべきか、とい
うようなことに関しての一つの探求の枠組み、というか控えめな意味での一つの世界観の提
案であろう。したがって、それは、まずそれが論証されて初めてそれを前提にした探求の路
線が取られるというよりは、科学のさまざまな戦線での探求の結果、次第にもっともらしさを
獲得していくものであろうと私は思う。要するに、物理主義はこの意味で、世界の見方に関す
る一つの提案なのであって、<ふつうの最善の説明(best explanation)の成功についての最
善の説明>の一つとして、他の同様の(二元論的?)提案と、もっと息の長い戦いに耐えね
ばならないものだと思われる。

http://web.kanazawa-u.ac.jp/~philos/zombi.htm
315ゾルレン:2006/03/03(金) 21:48:32
>>262
あなたの感覚にはわたしは同意します
わたしも同じ感覚をもっていますし、むしろ科学は錯覚を前提にしないと成立しないと言うこともできるでしょう
わたしは常識を擁護する人間です

ですが、あなたの>>262の文章はあなたの言いたいことを伝えるには不十分だと思います
「何が正常か」のような問いは表現の争い以上の効果を生まないでしょう
316考える名無しさん:2006/03/03(金) 21:51:03
>>素人さん
すみません。りくつさんと間違えました。もう一度、お訊きします。
仏教は“決定論”をどうみているのですか。
317素人:2006/03/03(金) 21:56:13
>>316
なんかレスした方がいいですか? (^^;)
ふいんき(なぜかh)的にはOKっぽい感じですが・・。。
けど、疲れてて頭回らないんで、むつかしい事は書けません・・・w
318考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:24:19
>>りくつさん
あなたの>>270の錯視図に対して275で感想を述べたのですが、これは論外?
“正常”という言葉が不適当では?とゾルレン氏にいわれました。多数くらい
の意味に受け取ってください。


319考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:26:24
>>317
なかなか重い質問ですので、体調万全のときにお願いします。
320素人:2006/03/03(金) 22:35:21
>>319
お気遣い多謝。 m(_ _)m

とりあえず前置きを幾つか。
私が、どれたけ、もっともらしいことを書き込んだとしても、
それは「私個人の見解の域を出ない」ということを、忘れないでください。
また、「仏教は、この世の全てを《正確に》記述するものではない」ということ、
むしろ、「多くの部分を故意に捨象してこそ成り立つものである」と受け止めておいてください。
「仏教は、非常に合理的・科学的な面もあり、現代科学の成果との親和性もみられますが、
 融合・融和には、慎重の上に慎重を重ねるべきである。」ことをわかってください。
いや、むしろ《仏教そのもの》は、現代科学の成果とは、しっかり距離を置くべきだろうと思います。
(仏教ベースのトンデモ説は悲しいです。)

あと、とりあえずは、
私の、このスレへ参加し始めの頃の、一言さんとのやりとりは多少参考になるかもしれませんw

最後に、
「本格的な回答を望みますか?だとしたら、こちらも準備が必要なので、すぐにとはいきませぬ・・(^^;
321考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:40:45
>>315
>わたしも同じ感覚をもっていますし、
>むしろ科学は錯覚を前提にしないと成立しないと言うこともできる
ウソだ!戦場で機銃掃射に逃げ惑う少女にカメラを向けて写真を撮る
キャメラルマンよりも身を挺して助けてあげる方が人間的だ!
322むじんくん:2006/03/03(金) 22:41:55
>>304>>310
獣であれば大量殺戮はしないでしょうね。感情的な自然人も、理性的な近代人よりも暴力において限度が
ありますよ。不快なことは続けてやらないわけですから。ところが、理性的人格は不快を超えた何かに従う
わけで、際限の無い暴力を行う可能性があり、それが20世紀の経験だった。

> 津波だって責任を考えることはできます
> 予測する者の責任、予防する者の責任、事故を拡大しない者の責任

そういった話ではなくて、津波自体に対して責任追及はできませんよね。ところが、ヒューザー小嶋がアネバ設計士に
偽装しろと言ったとすると、それはヒューザー小嶋に責任がある。脳回路の決定論っていう話は、ヒューザー小嶋の
偽装計画を津波の自然災害と等価だとする発想です。

> カントにとって当為を基礎付けるのは物自体ではなく最高善でしょう
> どちらも超越的なものであるということには変わりありませんが

最高善は物自体ですよ(笑)。例えば、決定論者がマンション偽造を自然災害と扱う場合、人間社会というものを
どう扱えばいいのか考えてみるのは面白いかも知れませんね。殺人も何もかも自然災害であり、罰することは
できないと。
323哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/03(金) 22:42:39
>>133
その通り、その通り って
全然、説明になってないんだよ
何の宗教?

>理由など無い。
>それはAという物質に、Aの物質の質量が付随しているのかは、不明であるのと同じ。
じゃぁ、とりあえずの所は
『私』の存在性というものは、物理現象によっては解明できない という事でいいんだね?
人間の根本までは、物理現象で記述できないんだから
唯物論は間違いである という所までは 一応、OKだね?

しかしあれだなぁ
>石ころは物質の集合体
>石ころの「その形状の存在性」は唯一絶対の存在性

>画像はピクセルの集合体
>画像によって作られているその情報は唯一絶対の存在性

>というのと同じ。

まだ唯名論というものが理解できていないんだなぁ 困るねぇ
このスレには、まだまだ
人間の認識や価値観というものでしか外界を分析できない人が多いなぁ
石ころ とか、画像とか
そんなものは、人間が勝手に線引きしているだけで
人間が存在しなきゃ、そんな『概念』なんて元々ありえないだろ
324考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:45:03
>>320
>私が、どれたけ、もっともらしいことを書き込んだとしても、
ケッ!

325考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:45:53
最高位さんはウィトゲンシュタインの再来?
326考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:48:50
>>322
>そういった話ではなくて、津波自体に対して責任追及はできませんよね。
できるでしょう。むじんくんとつなもくんは友達なのだから。
327考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:50:44
このスレは科学勉強モードから言葉遊びモードに戻りますた
328考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:51:11
>>323
人間が存在しなければ「概念」があるはずないでしょう。
329考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:52:50
>>323
何度も言うように、あなたにとって(あなたの主張に於いて)
「『私』が物理現象であるかどうか」は、まったく関係ない。
物理現象であろうと、神様の捏ねた粘土であろうと、魔法であろうと、魂であろうと、霊体であろうと、
『私』がどのような在り様であったとしても問うことのできるもののはずだ。
『私』がどのような在り様であったとしても、
《なぜ、この私が(ここに)この私であったのか?》という問いには、最終的にぶち当たるだろう。
別に唯物論に限ったことではない。(宗教系では、答えが用意されてる場合もあるだろうが・・)
330考える名無しさん:2006/03/03(金) 22:58:42
>329
>《なぜ、この私が(ここに)この私であったのか?》という問いには、最終的にぶち当たるだろう。
>別に唯物論に限ったことではない。(宗教系では、答えが用意されてる場合もあるだろうが・・)
あま〜〜い。あまあまよ〜〜。
「この私」と言った時にすでにこの私でなくなっているじゃ〜〜〜ん。
331考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:00:05
ゲロゲーロ
‐カエル‐
332考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:02:06
>>328
>人間が存在しなければ「概念」があるはずないでしょう。
あま〜〜〜い。あままよ〜〜〜。
人間がなくても「概念」が存在してもいいでしょう?

333考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:02:07
>>330
じゃあ、なんて表現するの?
334考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:04:32
>>328
そうでもないよ。あなたや最高位wは唯物論者だからそう考えるだけさ。
「人間より先に概念が存在する」と考える観念論者は大勢いる。
聖書には「最初に言葉(ロゴス)ありき」と書いてある。
335唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/03(金) 23:04:34
新スレ立ってましたね。
おめでとうございます。
336考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:06:06
>>333
それはね。メタで表現するの。
論理学の常識ですよね。対象言語、メタ言語。
私、「私」、「「私」」、、、、、、、、∞

337考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:16:39
>>328
クラゲの世界を考える。概念は昼寝をしている。そこに、
クラゲ1号が近寄って来て「おまえ、こんな所で寝ていちゃだめ
じゃないか!下界に行って人間を作らなければ」「はい。わかりもうした」
しかし、概念は間違ってクラゲ1号を作ってしまいました。クラゲ1号
は昼寝している概念に言いました。「おまえ、こんな所で寝ていちゃだめ
…」
338素人:2006/03/03(金) 23:20:11
>>335
ヘルプ!!!w
339「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/03(金) 23:22:31
>>266
>まず第一に、なぜ宗教や観念論が徒労になるのか分かりません
>脳の物質を直接いじるわけではないにせよ、快や安心を得ようとする思想は、たとえ意識が物質であるとしても
>否定される理由はないでしょう。

「快や安心を得ようとする思想」とは・・「快や安心を(自己を欺瞞しても)『最終目的とする』思想のこと
要するに・・宗教(とその変化系である「観念論」)です。
 マルクス・エンゲルスは「(真の)唯物論」の近くまで来ながら、観念論者ヘーゲルの影響排除に失敗したため
「弁証法」という、意味のない「観念論の残磋」を引きずり・・哲学として「破綻」しました。
 しかしマルクス:エンゲルスが主張した「宗教(観念論)は阿片である」という洞察は「当たっている」のです。
 あなたは落ち込んでいる友人に阿片やヘロインやコカインを吸引して、「快や安心」(あなたの表現)を
得ることを奨めますか?

第二に、全てが必然ならば、何故あなたはこのような考えを主張するのでしょうか?
それはあなたにとって、何かしら意味があるからですよね?

 「私」も「人間(の脳)の一つ」ですから、統合失調症にでも罹らない限り「意味あることを求める」
方向に「動かざるを得ない」ということです。
 恣意的に「意味のない行動をとること」は、人間には出来ないのです。
 例えば、「何の報酬もないけれど、今後1年間、あなたは家の前の道を東西南北どちらかの方向に歩き、
その方向を10分ごとに変える」・・・という行動をすることについて・・・それが「物理的には可能」でも、
「あなたという『人間の脳』」の「命令継続性」として「不可能」なのです 。
・・遅かれ早かれ「俺は何でこんな意味のないことを続けているのだ?」という「疑問」が脳内に発生し、
その「疑問」に脳は「最初の決意」を変更せざるを得なくなる・・ということです。
 要するに「意思」は「自由である」・・という「感じ」はしていても・・実は「記憶や環境により決定
されている要素」からは・・「自由」ではありえない・・・ということです。
340むじんくん:2006/03/03(金) 23:25:26
>>339
>  例えば、「何の報酬もないけれど、今後1年間、あなたは家の前の道を東西南北どちらかの方向に歩き、
> その方向を10分ごとに変える」・・・という行動をすることについて・・・それが「物理的には可能」でも、
> 「あなたという『人間の脳』」の「命令継続性」として「不可能」なのです 。

この手のことをやっていると主張する「聖者」はインドに沢山いるらしいですよ(笑)。
341「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/03(金) 23:36:30
>>340
全宗教は「無意味な行動や儀式」により「大脳を麻痺させる」という
「機能」を備えております。
胸で十字を切るキリスト教や、メッカの方向に五体倒置するイスラム教
や焚き火の周りを踊りまくって熱狂するゾロアスター教・・・さらには
ひたすら性交を続ける「カーマスートラ」の世界・・・も、要するに
「快を求め、真理から逃亡するという衝動」・・阿片としての宗教の「結果」
なのです。
 そういう意味では、イスラエルで生まれた宗教(ユダヤ教・イスラム教・キリスト教)
の「自分の神の正当性を守るためには自爆テロさえ辞さない」粘着性により、人類は
滅びることになるのかもしれません。
342考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:48:32
機械はあるときは数学、またあるときは社会学みたいに、
ものを語る次元をころころ変えるからおもしろい。
皮肉なのか混乱させるためなのかよくわからんけど、それがいい味だしてる。

そしてそれによって混乱したまま質問する新参?のひとがもっと面白い。
343練りわさび:2006/03/03(金) 23:48:57
>最高位氏
『私』の存在性についてですが
これはもう主観的にしか確認できないのではないでしょうか?

意識・我・心、こういった事を『私』と表現しているのだと思いますが
『私』を他人との理論で理解するのは無理なのではないでしょうか。
『私』は『ワタシ』が自ら感じないと理解できないもので、
物理的に認識できない以上は理論で語っても伝えられないと思います。
(もし、人工知能ができたとして、『私』を理解させたような文字を
 機械が表すだけならば可能だとは思いますが、『私』を理解しているか否かは
 確認できないと思います)

それで、私も『私』について散々考えたのですが、『私』について最終的に検証を行えるのは
『私』だけではないでしょうか?(一般的に思い上がりと誤解されそうなので
私ではなく『私』と表しました)

最終的に、『私』が存在するか否か、『私』は何なのかは『私』が確認するしかなく、
議論は客観的に証明するのではなく『私』を理解するための
ヒントと思った方が有意義だと思いますが、どうでしょうか?
『私』に関する探求だけは、客観的に証明するのではなく
『私』自信が理解するしかないと思います。
344考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:52:49
そこで賢明な者は熟考する。
完全に非物質的な状態は無いという見解を抱いているその隠遁者達や
ブラーミン達は言うだろう。私はそんなものは見たことがない、と。
完全に非物質的な状態はあるという隠遁者達やブラーミン達は言うだろう。
私はそれを知っている、と。見ることも無く知ることも無い私は、
これが唯一の真実であり他の全ては本当ではないというその浅はかな見解を取らないだろう。
そういう流儀で考えるのは私のような者には相応しくない。
もし完全に非物質的な状態は無いと言った隠遁者達やブラーミン達の
言葉が本当であったなら、精神的な性質の物質的神々に囲まれた私の誕生は
お見せすることはできない。もし完全に非物質的な状態があると言った
隠遁者達やブラーミン達の言葉が本当であったなら、
非物質的で感覚的な神々に囲まれた私の誕生はお見せすることはできない。
物質的な理由により、そこでは棒や武器を取り、紛争をし、戦い、
立場を取って悪口をし、止むことが無い。それらは完全に非物質の状態の
内には明らかではない。そう賢明に熟考しながら我々は物質から離れ、
休止の道へと落ち着くことができる。
345考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:56:14
「家長達よ、そこにはこんな見解を持って表明している隠遁者達やブラーミン達がいる。
そこには存在の完全な休止は無い。そこにはそれとは正反対の見解を持って表明している
隠遁者達やブラーミン達がいる。そこには存在の完全な休止がある。家長達よ、
彼らは全く正反対の見解を持っているだろうか?」
「尊者、そうです」「賢者は熟考する。そこには存在の完全な休止は無いという
見解を抱いて表明している隠遁者達やブラーミン達がいる。彼らは言うだろう。
私はまだそんなことを経験したことが無い、と。そこには存在の完全な休止はある
と言う隠遁者達やブラーミン達がいて、言うだろう、私はそれを経験したことがある、と。
私はこれを見ることも無く知ることも無いので、これをこれが唯一の真実であり
他の全ては本当ではないという浅はかな角度からは眺めない方がいいだろう。
そういう流儀で考えるのは私のような者には相応しくない。
もし存在の完全な休止は無いと言った隠遁者達やブラーミン達の言葉が本当であるのなら、
感覚的な性質の非物質的な神々に囲まれた私の誕生はお見せすることはできない。
もし存在の完全な休止はあると言った隠遁者達やブラーミン達の言葉が本当であるのなら、
私が今ここで休止に「成る」方がいいという可能性がある。存在の完全な休止は無いと言う
隠遁者達やブラーミン達の見解は、貪欲に近く、くびきに繋がれ、興味とともにあり、
専有に近く、保持に近い。存在の完全な休止はあると言う隠遁者達やブラーミン達の見解は、
無欲に近く、くびきに繋がれておらず、興味とともに無く、占有から遠く、保持から遠い。
彼は存在から休止する方法に、存在から離れることに、存在を諦めることに、
熟考することによって落ち着いている。
346考える名無しさん:2006/03/03(金) 23:58:42
家長達よ、世界には四種類の人々がいる。四種類とは何か:
そこには彼自身を責め、苦しみのくびきに繋がれている人がいる。
そこには他の者達を責め、苦しみのくびきに繋がれている人がいる。
そこには彼自身と他の者達を責め、苦しみのくびきに繋がれている人がいる。
そこには彼自身も他の者達も責めず、くびきに繋がれていない人がいる。
彼は今ここに鎮められ、冷まされ、ブラーマ神のような心地よさに浸っている。
家長達よ、彼自身を苦しめ、苦しみのくびきに繋がれている者は誰だろう?
ある人は、カランダカスッタムにいるように、服も着ずに出かけ、行儀も知らずに手を舐める。
…こうして彼は様々な種類の苦行を肉体に加えるというくびきに繋がれ、
彼自身を苦しめる苦しみのくびきに繋がれている。家長達よ、他の者達を拷問し、
そのくびきに繋がれている者は誰だろう?ある人は豚と羊を屠殺し、様々な種類の拷問を
生き物に与えるというくびきに繋がれている。
家長達よ、彼自身と他の者達を責め苛んでいる者は誰だろう?
347考える名無しさん:2006/03/04(土) 00:00:13
家長達よ、ある人は王や将校であり、他の者達を恐怖させることが
任務に涙の眼をともなわせる。この者は彼自身と他の者達を苦悩させる
というくびきに繋がれている。家長達よ、彼自身も他の者達も苦しめず、
くびきに繋がれていない者は誰だろう?今ここにいて、なだめられ、
冷まされ、ブラーマ神のような心地よさに浸っている者は?
家長達よ、完全で正しく覚醒した、真実からの来訪者は世界に誕生している。
348考える名無しさん:2006/03/04(土) 00:03:24
>>345
でも、隠遁者やブラーミンにも
たまには気晴らしが必要だよ。
そんなとき2ちゃんは最高だね。
小難しい理屈を言う香具師がいないから。
349考える名無しさん:2006/03/04(土) 00:04:16
誰の翻訳?
350考える名無しさん:2006/03/04(土) 00:08:26
ブラーミンて何ですか。ロシア人の名前?
351練りわさび:2006/03/04(土) 00:10:02
で、>>20で挙がってる
>私はなぜこの私であって、他人ではなかったのか。
についてですが。

最高位氏や唯識氏と機械氏や名無しの立場が唯識論と唯物論という様に
分かれていると考えて書かせてもらいますが、
唯識論ならばその問いそのまま、唯物論ならば
「宇宙や物理法則はなぜこの今の状態であって、別の状態ではなかったのか」
と表現できないでしょうか。

存在Aの在り方はa,b,c,d,e…と無数に可能性があるが、
なぜ今のこのaなのか、なぜbやcではないか。
なぜ無数通り可能性があるうちこの一通りになってるのか、と表現できないでしょうかね。
この問題は、物理現象・認識の変化にヒントがあるような気がします。
どうやって今の身の回りの物事は発生したか。
考えられるのは三通りです。

・物理法則のような絶対的なルール、法則にしたがって動いた(変化した)
・その存在A自身の自由意志により動いた(変化した)
・他の存在BやCの自由意志により動いた(変化した)

日常に存在する物の動き・変化を見ると、この三つのうちどれかに思えます。
352「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/04(土) 00:10:22
宗教が「自分の脳を麻痺させる」最大の方法は「意味のない言葉の連呼」
でした。
「聖書にはこう書いてある」とか「コーランを連唱しなさい」とか
「般若心経を模写しなさい」とか・・・とにかく「連続による大脳の麻痺」
により、「真理から眼を反らし『快感』を得る」方法としては、現代に
生き残った「各種宗教」が「優秀」であった・・事は事実だと思います。
いずれにしろ「騙される(騙されたたいと真から思う)人達」が存在する限り、
宗教は存続し、その「社会的害悪」を生産し続けることを止めない・・という
「絶望的感想」を抱かざるを得ません。
353むじんくん:2006/03/04(土) 00:23:29
>>352
> いずれにしろ「騙される(騙されたたいと真から思う)人達」が存在する限り、
> 宗教は存続し、その「社会的害悪」を生産し続けることを止めない・・という
> 「絶望的感想」を抱かざるを得ません。

やはり機械氏は宗教、特にユダヤ教系のそれに対して悪態をついているときが
一番輝いてますね(笑)。

しかし、人間はどこかで"脳を麻痺"させないとやっていけませんからね。意味もそこから
発生するわけです。麻痺させないでとことんやったら生活不能になります。ニートは
それに近いかもね。
354考える名無しさん:2006/03/04(土) 00:27:13
ブラーミン=バラモン??
355「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/04(土) 00:29:22
>>353
>人間はどこかで"脳を麻痺"させないとやっていけませんからね。

「やっていけません」という「日常的事実」を哲学(真理の追究)の
場面に持ち込むことが「大間違い」なのです。
「無意識の公私混同」はこの国の「常態」ではありますが、その正当性
などは・・・「官製談合の正当性」以上のものではあり(え)ません。
356考える名無しさん:2006/03/04(土) 00:40:08
まだ起きてたりして・・・(^^;)

機械が、仏教のぶの字も知らないということがわかったよw
直接会って話そうか?w(最高位も同様だがwww)


う〜ん・・・ 酔ってるかもしれん・・・
おやふみなふぁい・・・

       っ_ _)っ =3 zzzzz
357むじんくん:2006/03/04(土) 00:47:13
>>355
> 「やっていけません」という「日常的事実」を哲学(真理の追究)の
> 場面に持ち込むことが「大間違い」なのです。

あはは。じゃあ、機械氏もカントと同じですね。認識の無限の拡張を保障しつつも、一歩
外に出れば自由な主体として行為する。
358「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/04(土) 01:02:54
>>357
あなたが「キリスト教に帰依することを決めた」状況がわかりませんし、
他人には「どうでもいい自己欺瞞者が1人増えただけ」・・というだけのことです。
所詮「ヤワな知性かヤワな意思力」を具備していない「個体」は、「宗教」という
「域ながら死ぬ安心(教)」のほうに行きますし、「そのなれの果て」は、
「アレフ」とか・・・何でも良いけど「肩を寄せ合う一夫多妻制家族?」
・・とかだと思います。
 ただ、私が思う感想は「その手の『愚行』に出来るだけ接近したくない」
・・・ということです。
359考える名無しさん:2006/03/04(土) 01:15:25
むじんくんに踊らされてるなぁ・・・。
360「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/04(土) 01:25:29
>>357
むう、信長の戦国時代のヨーロッパにおいて「頭の良かった哲学者」
が未だに「名を知られている」事自体・・・後世の「観念論者」達が
「(不正確であるとしても)引用しやすい概念」・・インパクト『物自体』
インパクト『悟性』、インパクト『範疇』・・とかの「インパクト性」が、
優れていた・・というkと「だけ」であり、・・結局は「真理=唯物論」の
「足手まとい」になっただけ・・・という意味で「反科学」「反真理」以外の
何でもありません。
361考える名無しさん:2006/03/04(土) 01:27:37
宗教と法律。
大勢の人間がある程度納得して生きていくために
偉い人が決めた規則。
似ていませんか?

認識と信仰も似ているように思う。
362一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 01:55:07
このスレ的には、法律というと公法なんでしょうか?
363在日朝鮮人 ◆Q79JYp/mn. :2006/03/04(土) 01:56:02
まだ機械さんて居るんだ?2年くらい前に来たときも居たけど同一人物?
364唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/03/04(土) 01:59:42
>>338素人さん
決定論についてですか。
365考える名無しさん:2006/03/04(土) 02:36:03
>>363
公法と私法という言葉も知りませんでした。
ウィキペディアには、
公法は公の利益関心のためにあり、
私法は私人の利益関心のために存在する。
と在りました。

宗教は、私法と思わせて(言葉が悪いかな…。)規則を守らせる。
そして、宗教(法、規則)を作った側は公法として作用させている。
と言う感じがします。
結果的には、その法(宗教)の範囲内では皆幸せかも。
法(宗教)が複数存在して、お互いに認めなかったり、
こっちが正しいからお前も信じろ。
(宣教というのは、あまり好きではない。)
と言い出すと争いになるような気がします。

まあ、争いの無い世界も何か薄気味悪いですが…。
366考える名無しさん:2006/03/04(土) 03:24:31
でも、物理学も突き詰めると信仰と同じになるか…。
完全には理由の判らない前提に依存しているし。
その前提を信じている理由は不確実であるから、信仰か。
こんなことばっか考えて…。
哲学者ばかりになると、人類滅亡しますね。
367りくーつ・こねりー:2006/03/04(土) 07:19:25
>>365
宗教自体は法だの規則だのじゃなくて、単純に人を救うための説明原理で、
そういう目的の道具なだけ、と俺は思うけどな

その道具の利用方法が信仰であり、説明原理に基づいた実践だと俺は思う
何の宗教も信仰してない俺が思ったりすることだけど…

>>366
なんとなくファイヤアーベントに似たような主張をみた気がした…
http://www.csicop.org/si/9703/end.html

信仰してる変な人はいるかもしれないけど、
物理学者は物理学を信仰なんてしてないと思うけどね

信仰したら科学じゃない、と俺は思うよ…
(信仰は辞書通り「一般的に、信頼して疑わないこと」だし)

これは科学だけでなく、他の学問にもいえることだと思うけど、
より真理に近づく努力をして記述を修正したり、
新しい問題の発見こそが学問にとって重要だと思わない?

こういったことは信仰していないからこそなせるんじゃないかな

そして、科学自体はただの説明原理で人を救ったりしないよね
科学を信仰することは、宗教の信仰者みたいなものではなく、
カルトに近い狂信者だと俺は思うよ
368ゾルレン:2006/03/04(土) 07:51:20
>むじんくん
>獣であれば大量殺戮はしないでしょうね。
「ネアンデルタール人はクロマニョン人に殺害されて絶滅された」という仮説があるそうです
生物でも別種のハチ同士の争いでは敵の家族をすべて皆殺しにするそうです
逆に、キリスト教徒がイスラム文化に対して寛容な態度をとったと見れる根拠もあるそうです
反例を考える余地は大量にあるでしょうね

「獣は大量虐殺をしない」なんてものは理屈として言えるものではなく
非合理主義者が20世紀の経験とやらで拒絶反応をつくっているために出る不信感の吐露でしょう
別に理性に不信感をもってる人がいようが俺は興味ないです
俺は精神科医ではないし相談相手でもない、個人の不信感をぬぐう気はない
俺の興味は「理性が大量虐殺を引き起こす」ということが本当かどうか、その真偽です

>そういった話ではなくて、津波自体に対して責任追及はできませんよね。ところが、ヒューザー小嶋がアネバ設計士に
>偽装しろと言ったとすると、それはヒューザー小嶋に責任がある。
どう責任があるんですか?
ヒューザー小嶋はこう言えばいいじゃないですか
「地震が起きてマンションが崩壊したら、わたしではなく地震の責任を追及しろ」
わたしにはあなたが倫理や責任について少しでも考察をした試しがあるとは思えません
これ以上、くだらない与太話を続ける気はない

>最高善は物自体ですよ(笑)。
最高善は実践理性の判断を成立させるために要請されるものだ
物自体は理論理性に対する実践理性の優位性を働かせるために設定されるものだ
物自体が最高善ならカントの理論は循環論法になってしまうのではないか?

>殺人も何もかも自然災害であり、罰することはできないと。
罰したいのはあなたがただけなんじゃないんですか?
なぜそんなに「罰したい」という欲求に悩まされるのか理解に苦しみます
369考える名無しさん:2006/03/04(土) 08:01:16
>>367
>(信仰は辞書通り「一般的に、信頼して疑わないこと」だし)
説明はどこかで終わらなければならない。言葉で記述する以上は。
自然科学ではよいのだけど、文系科学は本当にコミュニケーション
できているのかな?共同幻想はパールライトが言うように存在しないし。
370ゾルレン:2006/03/04(土) 08:02:09
>>321

>ウソだ!戦場で機銃掃射に逃げ惑う少女にカメラを向けて写真を撮る
>キャメラルマンよりも身を挺して助けてあげる方が人間的だ!

人間的かもしれないが、そのような人間的行為にある価値は倫理的価値ではなく宗教的価値です
時に宗教的行為は人の心に深い感銘を与え、言葉よりも迅速に相手の心に訴えかける力があることを否定する気はありません
しかし倫理や正義はそのようなことを問題にしない
というのも倫理、道徳などは言葉と密接に結びついているからです
371メシア:2006/03/04(土) 08:23:32
>>352

そもさん、人間というのは自由を恐れる。
何故なら、自由な思考は苦痛であるからだ。
自由な思想は苦痛であるからだ。
自由には逃れられない責任が付きまとうからだ。

>>>人は、常に、蹂躙を求めている。<<<

苦しむ人々を思考から開放する術として必要な時もある。
思考から開放される事を望む者が居る。
思考から開放してあげないと無限に苦しむ者が居る。

人々を思考から開放する為に真理と律法は在る。
それは、『絶対的に多数の人々が求めた結果』だ。

脳を停止させ、一つの世界観の中で庇護される事の快感を人々は知っている。
人々は、>>>知による原罪と、それによる苦しみを日々感じている<<<
何の教えも無しにだ・・・。

殆どの人は、知が原罪であり、苦しみの根本原因である事を認めざるを得ない。
それを、『当然』だと教えるしかないんだよ。
372むじんくん:2006/03/04(土) 09:31:30
>>368
> 俺の興味は「理性が大量虐殺を引き起こす」ということが本当かどうか、その真偽です

ソ連などの国で発生したことが、原子爆弾投下があなたの嫌いな非合理主義で行われたことと
はいえませんね。理屈で説明するならば、近代的理性はその成立根拠自体が非合理的であり、
暴走する可能性を最初から持っている。感覚的世界の住人ならば成しえないような惨事を
起こせるのです。

> 「地震が起きてマンションが崩壊したら、わたしではなく地震の責任を追及しろ」
> 罰したいのはあなたがただけなんじゃないんですか?
> なぜそんなに「罰したい」という欲求に悩まされるのか理解に苦しみます

問題にしているのは、科学的な記述から人間の行いが外されているということですね。別に
僕が罰したいとかではなくて(笑)、現実に我々の社会ではそういうことになってます。脳の
決定論というのはそこをどう考えるのかというのが焦点だと思います。多分うまく説明つかない
だろうと思います。

> 物自体が最高善ならカントの理論は循環論法になってしまうのではないか?

循環論法ですよね、あきらかに。だから、カントの話というのもデカルトのコギトと同様で
話が本当は逆さまなんだと思います。まず、何故か知らないが最高善を信じている、信じて
行為する"私"は物自体の領域のこととして扱わないと困る。だから理論理性とは区別する。

何で困るかというと、上の話とつながりますが、科学的必然論から最高善は発生しないからです。
最高善を"信じる"ものとして、それは問答無用で否定されるべきものだというのがホンネでしょうね。
そのホンネを嗅ぎつけて批判しているのが機械氏というわけです(笑)。
373りくーつ・こねりー:2006/03/04(土) 10:05:42
>>369
> 自然科学ではよいのだけど、文系科学は本当にコミュニケーションできているのかな?

あなたのいうとおり、文系科学については微妙かもしれないです
文系科学は科学なのだろうか?という問題と同じくらい触れるのは危険な感じがします
蜂の巣を突付いてもしょうがないんで、これについては、この辺にしときますです
374哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/04(土) 10:38:22
>>329
>何度も言うように、あなたにとって(あなたの主張に於いて)
>「『私』が物理現象であるかどうか」は、まったく関係ない。
ふむ
キミの言ってる事は、イイ所までいってるんだけどね
半分は正解だけど、それが現代哲学の限界かな?
悲しいかな、そこで思考停止しちゃっていて、中途半端になっているんだよ
一応、断っておきますが、私は何々論が正しい という主張をしているのではないですよ
既存の思想の優劣 を語っているのでもありません
そこを、みなさん誤解していらっしゃるようです
唯物論というのは
「世界には物質しかなく、その物質による物理現象によって全てが成り立っている」
という思想ですよ
だからキミの
>「『私』が物理現象であるかどうか」は、まったく関係ない。
というのは、間違い発言 だね
唯物論というのは、『私』を物理的に説明できる と言ってるわけ
まぁ、唯物論者というのは『私』も理解できないバカだから仕方ないんだけどねw

先ほど、思考停止していると言いましたが
どんな事を持ってきても解明できない問題  が、物事の根本にある
しかし、なぜ解明できないのか
この、解明できないもの というのは、実は『主観性』なんですよ
みんな当たり前に持ってるから、普通の人は何の不思議も感じないんだけど
この『主観性』というものは、とんでもなく摩訶不思議なものなんだよね
どんな事を持ってきたって解明のしようがない
それが人間の根本にあるわけだ
それが『私』というもの
唯物論なんて、明らかに前時代的な思想なんですよ
唯物論者こそ、思考停止しているわけです
思考停止しているからこそ根拠もないのに、こじつける事ばかり、必死になっている
375哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/04(土) 10:39:52
続き

>物理現象であろうと、神様の捏ねた粘土であろうと、魔法であろうと、魂であろうと、霊体であろうと、
>『私』がどのような在り様であったとしても問うことのできるもののはずだ。
>『私』がどのような在り様であったとしても、
>《なぜ、この私が(ここに)この私であったのか?》という問いには、最終的にぶち当たるだろう。
>別に唯物論に限ったことではない。(宗教系では、答えが用意されてる場合もあるだろうが・・)

確かに唯物論に限った事ではない が
だからといって、唯物論が間違いであるという事から逃れられるわけではないのよ
唯物論というのは人間の精神を含め『全て』を物理現象で説明できる とする思想なんだから
全てを物理現象で説明してもらわなきゃね
できないんなら、それは単なるトンデモ『物理学』であって
唯物論なんてものは必要ない
物理学という物理的な事を解明する学問だけがあればよい
何でもかんでも「全て」が物理現象で解明できる とするのが『唯物論』
376哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/04(土) 11:06:33
唯物論というのは
「この体は物質なんだから、精神は物理現象に決まっている
だから構造さえ解明できれば、人間の精神も作成できるはずだ
これが科学的な思想 というもんですぜダンナ」
という、極めて当たり前っぽい単純なものだ
そして、これに対抗する思想といえば、宗教的な価値観しか存在しなかった
物質文明が、豊かな人間社会を形成してきた事も否定できないだろう
唯物論こそが正しい価値観である と思い込む人が大多数であっても無理はない
だけど時代は進んでいる
人間の精神を、あらゆる角度から深く考察した場合に
「ありゃりゃ?計算が合わないぞ???」という不思議な事になってきちゃってるわけだ
みんな、まだ理解できんのかい?
頑なになって唯物論にしがみついてても
取り残されちゃうだけだよ?w
哲学も進歩しているのさ
377考える名無しさん:2006/03/04(土) 11:11:14
>>376
>「この体は物質なんだから、精神は物理現象に決まっている
>だから構造さえ解明できれば、人間の精神も作成できるはずだ
>これが科学的な思想 というもんですぜダンナ」

いや、構造が解明できなくたって、人間の体を物質的に作成すると
(毎日世界中で誰でもやっているw)人間の精神も同時に作成できる
んだから、唯物論が優位なのは当たり前でしょw
378探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/04(土) 11:11:43
紀元前390年にケルト人がローマを占領したとき、当然略奪・虐殺・暴行しまくったが、
7ヶ月後には帰っていって、その後ローマは素早く都市と軍団を復活させ、周囲の国々から
の侵略を防ぐために戦った。

紀元前146年にローマ人がカルタゴを占領したときは、住民を全て殺すか奴隷にするかし、
都市の建造物を全て破壊しつくし、土地を鋤でならし、一面に塩を撒いて、その後100年間
草も生えない完全な不毛地帯にしてしまった。

ローマ軍の有名な規律正しさは、理性が不毛な虐殺をしばしば止める証拠だろうけど、
いったん理性的な虐殺が行われると、非理性的なそれをはるかに凌駕するという事実もある。

>最高位
君はまず>>314をちゃんと読んで、唯物論(物理主義)に対する素朴な誤解をなんとかしろ
379考える名無しさん:2006/03/04(土) 11:16:07
とおりすがり。
よく分からんがハードとソフトの問題なんか?形而上と下を合わせて考えようとしているのか?
一般人にはわかんねえ。
意識=理性+本能やそこら
理性=論理=数学=情報=ソフトだろ
本能やそこら=体を維持するもの=ハード側の問題?
物理現象で形あるものは囲めるけど
数学はどうなの?純粋に形而上のものなのかな?
大学時代に哲学取ったくらいの俺にはこれくらい。
380哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/04(土) 11:28:21
>>377
いやいや
構造が解明できてれば唯物論が正しい となるんだけどね
「解明できなくても」と言った時点で
それは『生命の神秘』なのよ
唯物論が優位になれる根拠なんて、な〜んも無いわけだよ

>>378
ん?>>314 ???
これも、なんだか誤魔化そうと必死だねぇ
特に
ここがヒジョーに気になるなぁ
>息の長い戦いに耐えね ばならないものだと思われる。

この人、単なる左翼じゃないの?
この人は、唯物論が正しいのが「前提」になってるんじゃないのかい?
でなきゃ、戦う って何よ
何のために、戦いに耐えねばならぬ のか
ソレ、説明してよ
381哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/04(土) 11:40:31
>>379
あー その考え方だと頭かたいかたい

私のは今までの考え方と、かなり違いますよ
ハードとソフト で、全て
というのは今までの考え方
私のは
ハードもソフトも『私』につながっている
という考え方
ソフトが『私』なんて古い古い
なんで『私』がソフトなんだよw
作れないでしょ『私』
よく考えてみて
素質があるならわかります

あと
形而上学ね
精神が物理現象なのならば
勝手にカチャカチャやってればいいのに
なんでそもそも形而上学なんてもんが存在するのか
考えた事ありますか?
382探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/04(土) 11:47:17
>>380
文章難しくて理解できなかったろ?w
まぁ軽く説明するとだな。

君みたいな二元論も唯物論も、世界解釈についての提案に過ぎないんだから、
どっちかが勝てばどっちかが負けるようなものでもないんだよってこと。

だから、どっちが正しいかをはっきりさせてからそれを前提に知的探求をやっていくんじゃなくて、
知的探求を通して、どっちの方がより「もっともらしいか」を決めていけばいいじゃないかと。
そういう「息の長い」戦いに耐えるような物理主義の方がいいんだよってこと。

イスラム教とキリスト教でどっちが正しいか白黒つけようぜってやったら宗教戦争なるだろ?
そういうのはイクナイ、もっと地道にいこうって話だ。
383考える名無しさん:2006/03/04(土) 11:55:34
>>380
「生命の神秘」って、生命って純然たる物質よw
どんな動物も、まして植物も、「体」以外の何物でもないでしょ。
「生命の神秘」って、つまり「物質の神秘」ってこと。
唯物論と、何の関係があるのw?

それに、生命の構造って、かなり解明されているでしょ。
人体の構造も、脳の構造も、かなり解明されている。
構造も解明されて、しかも簡単に作れるんなら、問題なんか何も
ないじゃないのw
384考える名無しさん:2006/03/04(土) 11:55:48
>>373
「科学」を、簡単に定義してください。もちろん、通俗的なもので結構です。
たとえば、機械氏の意見を聞けば聞くほど、彼が信仰者にみえてきます。とく
に“一神教徒”に近いですね。
一方、むじんくんは以前、唯物論者だと告白したこともあるように“神”という
シャッポを大統一論かなにかに被りかえたら、機械的唯物論者。
あなたの独断でいいですから、科学ってなんですか。
385哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/04(土) 12:08:57
>>382
なんのこっちゃ
結論を出す方向を目指すんじゃなく
ダラダラやりましょう
それが正しいんですよ って???

キミは、偉い人が「それが正しいんですよ」と言ってると
無条件に信じちゃうタイプなんだな
アホか と言いたい
内容が問題だろ内容が
なんでわざわざダラダラ気長にやらなきゃイカンのだ?
アホか

>イスラム教とキリスト教でどっちが正しいか白黒つけようぜってやったら宗教戦争なるだろ?
>そういうのはイクナイ、もっと地道にいこうって話だ。

おぃおぃ
唯物論は、やっぱり宗教なのかよw

ところで
>君みたいな二元論
って
誰が二元論なんだよ・・・
キミは全然わかっていないんだから
わかってるようなクチぶり、思い込みはヤメてくれよ
もぉマッタクゥ・・・疲れる
386哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/04(土) 12:21:28
>>383
単純に考えると、見ため的にはそうだねw

しかし『私』は天上天下唯我独尊 であって
物質的に全く同じに作っても、それは『私』ではない
『私』は発生しないんだよ
人間として動き出さない いわゆる死体を作成するか
動き出したとしても、それは、いわゆる『他人』だな
それは少なくとも『私』には絶対にならない
すなわち、ここから導き出される結論を簡単に言えば
『私』=物理現象ではなく
また『私』にとって物理現象が、全て なのではない
人間の持つべき思想として、唯物論は明らかに間違いである という結論
だな
387むじんくん:2006/03/04(土) 12:37:06
>>358
>  ただ、私が思う感想は「その手の『愚行』に出来るだけ接近したくない」
> ・・・ということです。

機械氏はダーウィンの淘汰に関してどう考えるんですか?脳神経細胞も淘汰によって
形成されるとして、どうして愚考する神経細胞が淘汰に残るんでしょうね(笑)。

>>360
> 「足手まとい」になっただけ・・・という意味で「反科学」「反真理」以外の
> 何でもありません。

カントは近代哲学の頂点ですからね。我々が近代的社会にいる間は参照する価値は
あるでしょうね。カント哲学と機械氏が愛してやまない大統一理論は両立しますよ。そして、
機械氏が「日常的事実」に大統一理論を持ち込めないこともカント哲学はちゃんと書いて
ますよ(笑)。
388考える名無しさん:2006/03/04(土) 12:59:32
>>386
だから、それについては前スレで散々説明したでしょ。
それは『この机』でも『この体』でも、同じだって。また繰り返すw?

>人間として動き出さない いわゆる死体を作成するか
その場合は、精神の唯物論的理解に疑問を提起する材料にはなるわね。

>動き出したとしても、それは、いわゆる『他人』だな
だから、『誰』にとっての他人? 動き出したその人にとっては『他人』
じゃなくて、『私』でしょw 誰にとっても、自分の体以外の体は
定義によって『他人』なの。そして、異なる時点の『私』が同一の『私』
かどうかは、体の同一性によってしか決められないの。もう忘れたw?
あなたの体が眠っているときに、神様がその体と物質的に全く同じ
体を作って、布団の横に入れておく。
目が覚めると、二人とも「自分は『私』だ。哲学者最高位だ」と考える。
どちらが「眠る前の『私』と同一の『私』か」は、主観的には決めようがなくて、
客観的にどちらの体が眠る前の体と時空的に連続しているか、によってしか
定義できない。まさに「この机はさっきの机と同一の机か」と、同じ問題。
ね、『私』の存在って、物質である「体」に依存しているでしょw
ちなみに、本当はこの話は眠る必要もないのよ。起きていて、
「我思うゆえに我あり」とか考えている間にも、別の『私』にすりかわって
いる可能性だってある。それでも、つねに『私』は『私』で他人は他人。
ま、どっちみち唯物論とは関係ないけどw
389哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/04(土) 13:04:39
>愚考する神経細胞が淘汰に残るんでしょうね(笑)。

愚考ねぇ・・・
愚考とは何なんだろうねぇ・・・
動物から進化したのならば
人間は、いつごろから愚考するようになったんだろうか・・・
愚考するようになって、どれぐらい経つんだろうか
愚考する事が、人間の人間らしさ というような気もする が
それとも愚考は、更なる進化の過渡期ゆえのものなのだろうか
さまざまな愚考を経て
はたして、人間は完全なる存在に辿り着く事ができるのだろうか・・・
おそらくは、それもまた愚考なのだろう

考えずにはおれない
人間が自らの矛盾と戦い 殻を破る衝動
愚考とは、私にとって
すなわち哲学そのものであり、衝動なのだ
390探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/04(土) 13:16:29
>>385
いやこの考えは俺が前スレで言ってたこととほぼ一緒じゃん。
唯物論は解釈であり信仰なんだから、正しい/正しくないの対象じゃないって言ってたろ。

ついでに君が唯物論の矛盾を示せてないことも指摘したよな。
もう忘れたのか?

>なんでわざわざダラダラ気長にやらなきゃイカンのだ?

不毛な宗教戦争になるからって書いてるだろ。
他の人も指摘してたけど、君は聖戦したいだけの狂信者。

>誰が二元論なんだよ・・・

どっから見ても君の考えは素朴な二元論だよ。解釈であり、信仰です。
391一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 13:17:27
>>365
キリスト教は刑法には積極的に介入しましたが、私法にはあまり
介入しませんでしたね。その私法は、キリスト教以前の時代の産物
であるにもかかわらず、です。

刑法は可罰的な行為と罰の内容を比較的容易に変更できますが、
私法の概念体系をいじるのは難しいからだと思います。
392むじんくん:2006/03/04(土) 13:17:32
>>389
> 愚考とは、私にとって
> すなわち哲学そのものであり、衝動なのだ

そんな難しい話ではないですよ。人工知能のフレーム問題をどう解決するかです。人間も
身の回りのあらゆる可能性を考慮に入れて行動しようとしたら、一歩も動けなくなってしまうんです。

だから、認識というものが発生した段階で必然的にフレーム問題が出てくるので、「考えない」仕組みが
必要なのです。それが宗教であったり、様々な文化的制約であったりする。
393むじんくん:2006/03/04(土) 13:22:10
>>389
ちなみに、分裂病のあるタイプではフレーム問題が現実に発生して、あらゆる事象が
徴候と化してしまいますね。人間が古典的な人工知能化してしまうのが分裂病と
いえるんじゃないか。
394考える名無しさん:2006/03/04(土) 13:26:43
どのタイプだよ?
395考える名無しさん:2006/03/04(土) 13:30:52
>>むじんくん
フレーム問題って科学的に解決できる問題なの?
396考える名無しさん:2006/03/04(土) 13:36:26
人間的みたいに一から情報を学習して、あまり使わない情報は消去するなどを積み上げて行かないと無理。
397考える名無しさん:2006/03/04(土) 13:42:52
>>396
生命というものを科学が完全に記述出来ないと難しくない?
398考える名無しさん:2006/03/04(土) 13:45:13
>>392
「考えない仕組み」をフィルターと呼ぶことにすると、分裂症者は
なんらかの理由でフィルターが壊れてしまい、適応不全を起こした
人間のことだ。ならば、フィルターを再構築することさえできれば、
分裂症も治癒しうるはずなのだが、その方法論はないのか?
399考える名無しさん:2006/03/04(土) 13:47:09
自然淘汰が最善の選択になるとは限らないと思いますよ.

進化はトップダウンではなく,ボトムアップで進行する.

アルゴリズムが正しいかどうかは,実際にプログラムを走らせてみないとわからない.
チューリングの決定不可能性定理.
人間には,どうしても予測できないアルゴリズムが常に存在している.
コンピューテーションと生命は類似点が多い.
生命進化の先を予測する事も決定不可能なのだ.
400むじんくん:2006/03/04(土) 13:51:58
>>395
> フレーム問題って科学的に解決できる問題なの?

それは解決不能ですよね。論理的に不能だということで、人工知能は違う方向性を
探っていくことになったわけです。

>>398
> 人間のことだ。ならば、フィルターを再構築することさえできれば、
> 分裂症も治癒しうるはずなのだが、その方法論はないのか?

まず薬物ですよね。あの手の薬を飲んだ場合に患者からよく出てくる声として、
「突き詰めて考えることができない」というのがあるそうです。つまり、突き詰めて
考えることを薬はとめており、それが効果があるということは突き詰めていくことが
患者の精神にとっては危険なことだからでしょうね。発病とはそれが限度を超えて
天井が抜けた状態なんだろうと思います。
401むじんくん:2006/03/04(土) 14:02:03
>>395
すみません、変な回答でした。科学的に"解決"とはいかないが、"回避"はできるという
言い方があってますかね。ニューロンチップとか、皆そういう発想ですね。また、ダーウィンの
進化論などはそういった発想の先駆けです。
402考える名無しさん:2006/03/04(土) 14:10:04
こんなところで語ってないで論文にまとめて本でも出せばいいのに

ノーベル哲学賞がなぜないのかが哲学板見てるとよくわかるよね
皆さんがんばってノーベル文学賞を狙ってくださいな
403考える名無しさん:2006/03/04(土) 14:14:51
うん。まず、分裂症者と分裂気質者の違いがあるよね。
発病するというのは前者の話だ。
一度、フィルターが出来てしまっている者がなんらかの
ショックによって壊れてしまい、パニック状態に陥るのが前者で、
そもそも始めからフィルターがうまく構築されず、
偽適応の状態でずっとやって来たのが後者なのではないか、
というのが漏れの仮説なんですけどね。
・・フィルターの存在によって、つまり「考えない仕組み」が存在
する事によって、はじめて隣人としての他者が存在できることに
なるのです。
404考える名無しさん:2006/03/04(土) 14:18:22
ある種の「考えること」は隣人としての他者の存在を否認してしまう
のです。
405ゾルレン:2006/03/04(土) 14:36:41
>むじんくん
>ソ連などの国で発生したことが、原子爆弾投下があなたの嫌いな非合理主義で行われたことと
>はいえませんね。
おいおい、俺は「非合理主義が大惨事をひきおこすかどうか」、
つまり、「合理主義と非合理主義のどちらがユートピアをつくるか」は一度も問うていないよ
俺が問題にするのは、「理性が大惨事をひきおこす」というのが本当かどうかだ

例えば、政治制度では俺は民主主義を信頼するが
ヒトラー政権が民主選挙にのっとって誕生したからといって、民主主義を否定する気はない
「民主主義はヒトラーのような政権を産み出す」とは限らないからだ
ナチス政権の誕生と民主主義制度に必然的な関係があると考える理由は何一つないからだ

同じように、ソ連のおこした大惨事が理性に由来するものかどうか
それが問題だろう?

>理屈で説明するならば、近代的理性はその成立根拠自体が非合理的であり、
>暴走する可能性を最初から持っている。
理屈で言えば、上の文と下の文が明らかに論理的飛躍があることに気づいてますか?
成立根拠から性質を導き出すことはできませんよ

>問題にしているのは、科学的な記述から人間の行いが外されているということですね。
外れてるのは人間の行動ではないでしょうw
科学的記述は人間の行動でも記述しますよ
むじんくんが問題にしていることは言葉として表現することには失敗している
それはむじんくん自身に原因があるのではなく、弁証法的唯物論の研究伝統によるものなのでしょうが
406ゾルレン:2006/03/04(土) 14:38:27
続き

>循環論法ですよね、あきらかに。だから、カントの話というのもデカルトのコギトと同様で
>話が本当は逆さまなんだと思います。
話が逆さまなら循環論法になりませんよ

>まず、何故か知らないが最高善を信じている、信じて
>行為する"私"は物自体の領域のこととして扱わないと困る。
カントは行為する私を一度も問題にしていません

>何で困るかというと、上の話とつながりますが、科学的必然論から最高善は発生しないからです。
むじんくんはカントを読んだことがあるんですか?
407ゾルレン:2006/03/04(土) 14:55:14
科学が人間の行動を記述できないというのは端的に偽だ
では科学は何を排除しているのか
科学が排除しているものは、実は「成立根拠の問い」だ

自然科学の例を見ればアインシュタインの特殊相対性理論は光速不変原理と相対原理から成立するが
この光速不変原理の成立根拠などは非合理的なものだ
だが、そんなことを問題にしても科学者は見向きもしないだろう
科学者は理論や原理の成立根拠には一切興味がないからだ
科学者が興味あるのは理論の内容の真偽、すなわち特殊相対性理論と現実との照合であり
それゆえに成立根拠ではなく実験や議論に注目することになる

「成立根拠を問う」というのは「知識はその血統によって正当化されうる」という形而上学的理念に由来する
最高の権威を求めるこのような態度をポパーは「無知の源泉」と批判しました

>そのような純粋で混ぜ物のない、誤ることのない源泉など存在しないし
>起源と純粋さへの問いと
>真理と妥当性への問いと混同してはならないと確信するからです
        ポパー
408哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/04(土) 14:57:49
>>388
>それは『この机』でも『この体』でも、同じだって。また繰り返すw?
同じじゃない と何回説明すりゃ理解できるのかねぇ このアホは
いい加減、理解できろよ

>>動き出したとしても、それは、いわゆる『他人』だな
>だから、『誰』にとっての他人?

私にとってに決まってるだろ クソが
物理的に全く同じ要素の別の体があって、それが他人なら
私の要素は物理的な要素では無い という結論しかないだろ
物理的な要素なんだったら、具体的に何の要素の違いで私は私なのか を挙げなさい
と言ってるわけだ
いい加減、理解できろよ

>>390
いずれについても、全く根拠が示せてないな
>どっから見ても君の考えは素朴な二元論だよ。
だから言ってるだろ
キミは理解できていないんだ とね
なんでそれを受け入れる事ができないんだ?
話はそれからだ

>>392
あー あれは独り言だから気にしないでw

あと分裂症とかの話は、極力やめてもらえませんか
私には主観的には全く理解できないんでね
正常な人の場合で話しましょうよ
それで不都合はないはずですよ
今日はこれで離席しますね
409素人:2006/03/04(土) 15:14:53
>>364
そうです。
おおいに関係があれば当然として、
もし、まるっきり無関係だったとしても、「関係ない!」の一言だけでなく、
なぜ関係ないと断じることができるのか?の理由を併記すべきだろうと思うからです。
そしてそれを、経文の引き写しでなく、日常の言葉へと翻訳し・日常の価値観へと喩えるべきだろうと。
>>309(316)さんは、仏教外から、まさにその理由を問うているのでしょうから・・・。
410素人:2006/03/04(土) 15:24:58
>>374>>375>>376
私は、あなたのこういう文章を待ってたんですよ。
非難や罵倒に分断されず、且つポイントが明確になっている文章を・・・。

貴方の唯物論に対する意見は、この3レスにまとまったじゃないですか。
やっとレスを拾っていただきましたが、役に立ったでしょう?w


そうして浮上するのは、
1、「唯物論」という思考方法に対する視線(解釈・定義)の相違。
2、目的地(頂上)への登山ルートとして唯物論が有効かどうか。
  (たとえ辿り着けなくとも、直前に脇道へ入り登頂出来るかも知れないという可能性を含めて。
   その脇道へは唯物論からしか見えてこないものかもしれないという可能性を含めて・・・。)
   参: 55スレ目の823。 あるいは>>314
3、少なくとも、【私】に到達する手前までは唯物論は有効であったのではないか。
  たとえ、【私】に手を出すことが、唯物論の傲慢・不遜な行為であったとしても、
  全否定する必要はなかろう。「おいおい、ちょっとそれは行き過ぎだろw」と肩を抑えればいい。
4、この肉体(・脳)と、「こころ」「精神」「意識」「主観」etc.・・・そして「この私」は、
  不可分なのか?可分なのか?
5、不可分であるなら、これは 2 に被るが、
  全てではないにしても【私】(の手前まで)の記述の仕方として(数ある説明書の一種として)、
  唯物論的視点は現在最有力ではなかろうか? (我々が、この肉体(・脳)を離れることができない限りは・・・)


とまあ、名無しさんも含め他の住人との(唯物論を巡る)対立点は、以上に尽きるんじゃない?
「この私」「この机」問題、及び私個人の視点との差異はまたの機会に・・・。
上記3レスとは、別の文章を待たねばならない。
411練りわさび:2006/03/04(土) 17:39:13
>最高位氏
この手の話で分裂病うんぬんの話が出てくるのは
議論のシステム上、仕方ないと思います。
人間は少数派の考えは宗教・精神病・オカルト・擬似科学に分類します。

『私』の要素は物理的な要素では無い、の説明は
「全く同じ体を別の場所で再現したら
それは自分か否か?」の例えではダメでしょうかね?
A地点にこの体の『私』が居て
B地点に原子レベルまでこの体と全く同じ構成の体を作ったとしたら、
A地点の体を消しても『私』はB地点に体があるから存在するか?

多くの人は「否」と答えると思いますが、もし『私』は消えるとすると
『私』は今のこの瞬間しか存在しないという結論になります。
この体は日々物理的に変化していくので、幼少期のこの体と老年期のこの体は
B地点に作成したこの体よりも、A地点の体(つまり今のこの体)と違う構造です。
しかし、人は幼少期や老年期の『私』は今のこの体の『私』だ、と認識しても
B地点に作成した(A地点の『私』の体と原子レベルまで同じ構成の)体は
『私』ではないと言います。
だから、多くの人は、『私』というのは多くの人は物理的な人間の状態よりも、
社会的なアイデンティティ、例えばA地点のこの体は『私01』
B地点のこの体は『私02』と名づけるとしたら、
『私01』という固定化された名前に付随しているように考えるのではいでしょうか?
412むじんくん:2006/03/04(土) 18:22:31
>>405
> ナチス政権の誕生と民主主義制度に必然的な関係があると考える理由は何一つないからだ
> 同じように、ソ連のおこした大惨事が理性に由来するものかどうか
> それが問題だろう?

そういう意味では理性は惨事を"必ず"引き起こすとはいえませんね。しかし、ナチス政権は
貴族政治下では発生できないでしょう。同じように、感覚的世界の住人から見たら途方もない
大惨事を起こすには理性的である必要はあるでしょうね。

> >理屈で説明するならば、近代的理性はその成立根拠自体が非合理的であり、
> >暴走する可能性を最初から持っている。
> 理屈で言えば、上の文と下の文が明らかに論理的飛躍があることに気づいてますか?
> 成立根拠から性質を導き出すことはできませんよ

カントの批判書で描かれている人間像というのは、ヨーロッパで近代化が成立し、そこで近代的人間が
成立した"後"で自画像を描くようにして記述されたものだと思います。そこでは"人間"というのは所与の
ものとして扱われているわけですね。

ところが、実際にはそこまでかなり長い道のりがあったわけで、その成立過程を記述しようとしたのが
ヘーゲルだったりするわけです。ニーチェの暴露的記述も同じですね。つまり、理性というのは一方的な
抑圧によって成立したというものです。

ヘーゲルやニーチェは論理的遡行によってそれを見出そうとするわけですが、単純に植民地支配の歴史を
見れば明快です。そして、近代理性の信奉者、近代的自由の信奉者というのは、必ず一方で植民地支配を
肯定しているし、現地の生活を破壊することをやむなしとするのです。
413むじんくん:2006/03/04(土) 18:29:37
>>407
> 科学が排除しているものは、実は「成立根拠の問い」だ

"人間の行為"を科学が排除しているというのは表現がおかしかったかも知れませんが、
成立根拠に居座っているのはそれでしょう。それは主体的行為と言われたり、歴史と言われたり、
デカルトの"我"なんかもそうですが、我々の社会は"形而上学的理念"と言われようと"無知の
源泉"といわれようと、そういうわけの分からん第一原因をあるものとして生活しています。
414考える名無しさん:2006/03/04(土) 18:29:41
>>393>>398>>403
“フレーム”の意味がわかっていませんが、頬かぶりして質問します。
分裂病の場合、そのフレームが壊れて機能不全を起こすということですか。
初めに、むじんくんが挙げていたのは、むしろ機能しすぎるということで
はなかったですか。もう一つ、逆に自ら機能を狭めるという症例はないで
すか。
発病の原因は何が多いですか。仕事上、鬱病になった人間は幾人もみてき
ました。その原因は、人間関係の高度化・複雑化に耐えられなくなって発
症するケースがほとんどです。平社員には少なく、管理職になった途端に
鬱が高じるわけです。分裂病の場合、そう単純ではないのでしょう。
415考える名無しさん:2006/03/04(土) 18:40:15
>>412
日本人の場合、江戸から近代へと接木されたわけで、
そーゆー教科書的なこといでぱらぺん。
416考える名無しさん:2006/03/04(土) 18:45:23
>>412
で、日本人の場合は、近代的自我なんて今でもないの。
たとえば、数学者で世界観をもって研究している日本人
はごく少数でしょう?日本人はいまだに近代以前で
船橋ヘルスセターを懐かしいんでいるの。
417考える名無しさん:2006/03/04(土) 18:49:16
君達は日本人なのだから、そこに立脚して自分の言葉で
考えようよ。教科書は卒業だよ。
ひとつヒントをあげるね。江戸時代はなぜ人口が
増えなかったのだろうね。
418一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 18:56:06
>>417
それについてちきんと研究した人はまだいないんじゃないですか?
419一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 18:56:49
きちんと。
420考える名無しさん:2006/03/04(土) 19:02:56
>>418,419
きちんと言うとね、米国人でいるよ。
大変に有名な研究だよ。
421一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 19:05:07
>>420
誰ですか?
422考える名無しさん:2006/03/04(土) 19:06:23
>>418,419
日本人でないので腹立つのだけどね。
人文系の学部になぐりこみに行くわけにもいかないよね。
423一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 19:10:16
>>422
書誌情報を教えていただけるとありがたいのですが。
424考える名無しさん:2006/03/04(土) 19:13:29
物理的に体をコピーして、それが私か、と言う話はおかしい。
だって脳が意識の元だという話をしているのに、
全く同じであろうが脳が二つあったら当然別の意識が発生する。

ただ、本当に全く同じなら、それぞれの「私」はかなり近い行動を取るはずだとも言える。
これは双生児に関する話で大体わかると思う。
425むじんくん:2006/03/04(土) 19:15:56
>>408
> 正常な人の場合で話しましょうよ

あはは。だけど、あなたの好きな"私"が崩壊する病という意味で、このスレッドに関連する
話題かと思いますけどね。
426考える名無しさん:2006/03/04(土) 19:18:55
「この意識」であるか否かはあくまでも「この体」であるかに依存する。
全く同じならいいというわけではない。
そして、「この体」の「この」を規定するのは時間軸上の位置と三次元的な位置。
427一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 19:27:31
むじんさんの命題に賛成するしないの前に、歴史を研究する者として、
そういう命題についてのむじんさんの方法論に賛成できません。
ある歴史的事実の社会的経済的思想的背景を論じる、というやり方が
です。もっとも、これとは反対の方法論で研究する人もいるので、一概
に「それはダメだ」とは言えないんですが。

人口論についても私はあんまり乗り気になれません。
428むじんくん:2006/03/04(土) 19:36:11
ということで、最高位氏には悪いですが、分裂病の話題を続けます(笑)。

>>414
> “フレーム”の意味がわかっていませんが、頬かぶりして質問します。

フレームというのは文字通り"枠"ですね。決まった範囲のことだったら全可能性を判断の前提として
考慮できますが、その枠から外に出るともうダメになる。現実の世界は枠が無いので、論理的にフレーム
問題を解決できるロボットは作成不可能という話です。

> 分裂病の場合、そのフレームが壊れて機能不全を起こすということですか。

>>398に書いているのは、"フィルター"が壊れるという話ですよね。つまり、フレーム問題は人間にも
解決不可能なのですが、それでも現実世界で生活できている理由に"全可能性を考えない"という
点があります。つまり、自分の生活にとってノイズとなるようなものを無意識に排除して考え、行動する。
それが"フィルター"です。このフィルターは基本的に人間が育つ過程で環境に適応的に作られていく
んでしょうけど、分裂病になりやすい人というのはそこが失調しやすいんでしょう。

鬱病になりやすい人は逆だと言われてます。つまりフィルター第一で生きているわけですが、周囲の
環境などがコロコロ変わるとそれでは適応できなくなってしまうため、病気になると。
429むじんくん:2006/03/04(土) 19:46:14
>>427
> ある歴史的事実の社会的経済的思想的背景を論じる、というやり方が

僕は史的唯物論支持者なのです(笑)。

だけど、歴史というのは今のところマルクス主義的なもの以外に何かあるんですか?
学校で教えているやつだって、あれ、マルクス主義的なものでしょ。
430一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 19:50:19
>>429
体系的叙述という観点はマルクス主義で停止していると思います。
良かれ悪かれ、今のところ最後の体系的世界観ではないでしょうか?

ただ、最初に体系を作ってそこから眺める、という方法自体が採用され
なくなってますね(そういうことをし続けてきた最後の世代が定年を迎え
つつありますが、後進がどうなるかは分かりません)。
431考える名無しさん:2006/03/04(土) 19:50:54
>>428
( ・∀・)っ ヘーヘーヘー

(・∀・) 解かり易いでやんす。
432考える名無しさん:2006/03/04(土) 20:00:38
>>423
日本人だったね。勘違いしていたよ。
日本経済史の速水融先生の一連の研究なんかね。
これは知っているのじゃないかな?
433一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 20:04:47
>>432
すみません。私は西洋の法制史なので知りません。
今度読んでみます。ありがとうございました。
434考える名無しさん:2006/03/04(土) 20:07:52
おまえら学習能力ないよな。
435素人:2006/03/04(土) 20:18:20
>>411
最高位の言う【私】は、そうした視点のさらに根源に位置するものなのだろうと思う。

たとえば、55スレ787
>>> 785
>キミらと話してると頭がおかしくなりそうだよ
>真剣に言ってるのか?
>疲れたよ
>
>>「【ある条件下の】【関係】」を「私」と(あるいは【私】と)見做すのだよ。
>
>誰が?
>見做すのではなく、決まっていたんだろ?
>キミは気がついたら既にキミだっただろ
>誰かが、その関係をキミだと見做したからキミになったわけか???

┃>>「【ある条件下の】【関係】」を「私」と(あるいは【私】と)見做すのだよ。
┃>
┃>誰が?

↑この部分。
「私」という存在の在り様を考えた時、
それがどのような視点・どのような分解図であったとしても、どのような解説がなされたとしても、
「最終的に、そのように解釈・認識している『なにものか』があるじゃないか」ということです。
どれだけ深く潜り続け、その深淵を覗くことができたとしても、
「深淵を覗いているものがいるじゃないか」ということです。

一人だろうが大勢だろうが自分だろうが他人だろうがクローンだろうが人工知能だろうがレプリカントだろうが
私01だろうが私02だろうが神様の粘土だろうが霊体だろうが、どのような在り様の場合でも、
そこで思考がなされている所には必ず現れる、ピンチの際に颯爽と現れる正義の味方のような【私】がいるのです。
だから、この話題のときには、デカルトが何度でも甦るのだろう・・・。
436ゾルレン:2006/03/04(土) 20:24:16
>>412
>むじんくん
>そういう意味では理性は惨事を"必ず"引き起こすとはいえませんね。しかし、ナチス政権は
>貴族政治下では発生できないでしょう。
ルイ14世の独裁政治もありますし
ある民族を虐殺した王制はいくらでもあるのではないでしょうか?
よく例に挙がる十字軍の遠征ですら民主制ではないでしょう

>同じように、感覚的世界の住人から見たら途方もない
>大惨事を起こすには理性的である必要はあるでしょうね。
そうですか
わたしは感覚世界の住人だろうと大惨事を起こす可能性はあると考えてます
が、あなたの信仰を変えるつもりもありません

>カントの批判書で描かれている人間像というのは、ヨーロッパで近代化が成立し、そこで近代的人間が
>成立した"後"で自画像を描くようにして記述されたものだと思います。そこでは"人間"というのは所与の
>ものとして扱われているわけですね。
もう一度質問します
むじんくんはカントを読んだことがあるんですか?
具体的に著作名を挙げてみてください
437ゾルレン:2006/03/04(土) 20:25:08
続き

>>413
>"人間の行為"を科学が排除しているというのは表現がおかしかったかも知れませんが、
>成立根拠に居座っているのはそれでしょう。
あなたが成立根拠を問う自由を否定する気はありませんが
わたしは成立根拠に関心がないのです
わたしに限らず、科学者の数人かとある種の哲学者は成立根拠に関心がないのです
成立根拠なんてものは「最高権威の神の座」と同じようなものですし
そんなものがあるとはまったく思ってないからです

>それは主体的行為と言われたり、歴史と言われたり、
>デカルトの"我"なんかもそうですが、我々の社会は"形而上学的理念"と言われようと"無知の
>源泉"といわれようと、そういうわけの分からん第一原因をあるものとして生活しています。
デカルトの"我思うゆえに我あり"は成立根拠を本当に問うているのでしょうか?

あなたたち非合理主義者はそのような成立根拠をあるものとして考え生活しているかもしれませんが
わたしはそんなものはくだらないと考えてます
あなたのいう「人間」というグループにわたしたちは含まれないのでしょう
別にそのことをどうこう言うつもりもありません
438考える名無しさん:2006/03/04(土) 20:26:26
>>430
>ただ、最初に体系を作ってそこから眺める、という方法自体が採用され
>なくなってますね(そういうことをし続けてきた最後の世代が定年を迎え
歴史と言う「物語」だよね。
439一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 20:48:34
>>438
「物語」という表現が適切かは分かりませんが、少なくとも、
私の分野では、各分野が体系的に接合されて一体化する、
という前提ではやってないと思います。
440ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/04(土) 20:49:23
■決定論を妨げる7つの不確実性

@独我論・・・この世界は私の認識世界でしかない
A認識論・・・人間は現象しか認識できない。科学も一つの認識方法でしかない。
B不完全性定理・・・科学にはこの世界を記述できない。
C不確実性定理・・・ry)
D量子力学・・・ry)
Eカオス理論・・・ゆらぎの不確実性によって決定できない。
F実証不可能性 「大統一理論」を実証する方法がない。  
441むじんくん:2006/03/04(土) 20:56:31
>>430
> ただ、最初に体系を作ってそこから眺める、という方法自体が採用され
> なくなってますね(そういうことをし続けてきた最後の世代が定年を迎え
> つつありますが、後進がどうなるかは分かりません)。

体系なしの歴史というのは、つまりは年代記になってしまいませんか?ある歴史的
事象の意味というものを一切不問にするということですよね。
442一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 21:05:03
>体系なしの歴史というのは、つまりは年代記になってしまいませんか?ある歴史的
>事象の意味というものを一切不問にするということですよね。

一切不問はできないと考えます。
この辺は、「歴史は純粋な事実の総体では無く、記述者の介入が必ずある」ということ
から察しが付きます。

喩えるならば、歴史を長編小説ではなくショートショートの集まりとして捉えるわけです。
443考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:07:06
           ___
          ,;f     ヽ
          ...-ー -─
          |    /∪ヽ |  
          ヽ  `=ニ= ' /   量子論と相対論の統一なんか
           ヽ_.._`ニ_ /   とっくに解決しとるわな
          /    ;.::\  
         /    /::::::::::| 
         | ./|  /:::::|::::::|
         | ||/::::::::|::::::|
444むじんくん:2006/03/04(土) 21:11:30
>>436
> ルイ14世の独裁政治もありますし

それはナチなどの独裁と質的に違いますね。

感覚的世界の住人と理性的世界の住人とでは世界の広さが違うでしょう。感覚的世界の人間は自らの
身体的限界外のことは無関心ですよ。ところが、理性的世界のそれは自分と全く無関係な理由から
世界の裏側の人間を消滅させたりすることもあり得ます。

> もう一度質問します
> むじんくんはカントを読んだことがあるんですか?
> 具体的に著作名を挙げてみてください

ありますよ(笑)。3つの批判書とか、啓蒙とは何かとか。

>>437
> デカルトの"我思うゆえに我あり"は成立根拠を本当に問うているのでしょうか?
> あなたたち非合理主義者はそのような成立根拠をあるものとして考え生活しているかもしれませんが
> わたしはそんなものはくだらないと考えてます

成立根拠をくだらないというある種の哲学者ってプラグマティズムということですか?それはゾルレン氏が
嫌いな"ポストモダン"ではないですか?(笑)。むしろモダンであることは根拠を信じているということだと
思いますよ。

あと、くだらない/くだらなくないではなくて、普通の日常生活としてゾルレン氏が万引きしたら逮捕されますよ。
ゾルレン氏が第一原因として行ったこととして。これは科学的因果関係からみたら"形而上学的"発想ですけど、
僕らはそういうことを前提に生活しています。

445むじんくん:2006/03/04(土) 21:14:22
>>442
> 喩えるならば、歴史を長編小説ではなくショートショートの集まりとして捉えるわけです。

ああなるほど。視点が落ちているというか、第三者的視点というものを前提としない歴史ということですね。
そういう意味では歴史もポストモダン化しているということですね。
446むじんくん:2006/03/04(土) 21:18:54
>>437
> あなたのいう「人間」というグループにわたしたちは含まれないのでしょう
> 別にそのことをどうこう言うつもりもありません

そもそも、こういうのってポストモダニストの常套句ですよね。ゾルレン氏はポストモダニストで
あることがよくわかりました。
447一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 21:20:04
>>445
>ああなるほど。視点が落ちているというか、
>第三者的視点というものを前提としない歴史ということですね。

いえ、それはできないんですよ。>視点の欠落
ケルゼンやラートブルフらが論争するちょっと前に、「無視点な歴史はありえるか?」
という問いに対して、「それは無理だ」とされました。

実際、ショートショートの一話一話は、第三者的に書くしかないと思います。
「じゃあこの一話一話の連関はどうなってるんだろう。もしかすると、一連の話なのかも
しれない」という仮説に「それは確かめようが無いよ」ということです。
448考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:21:57
分裂病(失調統合症)について「社会しそー」的に語る人が多いのだけど、
「フレームからずれたのだぜい」とかね、
でもねえ、精神病院で介護師をやってみたら。
脳がね、こわれちゃうのが精神病でそんなアマイ、教養主義的なものじゃないしょう?
449考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:23:47
それは器質的といって精神疾病とは区別されているはずだが、
どんな疾病のことかね。
450考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:30:00
>>449
うん。でもね、そーゆー分類はもう古いのだよね。
ごめんね。(言葉だけだからね)今ではね、脳の
こわれは「器質的」だけじゃないとするのが主流みたいだよ。
451>>414:2006/03/04(土) 21:32:17
>>412>>436
むじんくんもゾルレン氏も、もっと端的に論争していただきたい。これは、
公開論争であり、自分たちだけがわかればいいのなら、携帯かなにかでやり
あうべきだろう。
そこで、質問。ネロを初めとする皇帝たちのクリスチャン大量虐殺は、理性
のなせるわざ?それとも別の何かによって行なわれたもの? 十字軍(キリス
ト教徒)によるイスラム社会に対する略奪と虐殺は、理性によるもの?
ナチズムによるユダヤ人大量虐殺は、理性の産物?
三人とも三十人とも三百人とも三千人とも三万人とも三十万人ともいわれる
日本人による南京虐殺は、理性の発露? 大空襲と原爆による米国の日本人
(非戦闘員)大量虐殺は、理性の仕業? もし理性によるものでないとしたら、
それは何?
カントがどうのというのも結構ですけど、むじんくんの言うように理性は“有
罪”なのかそうでないのか、各々の考えを聞かせていただきたい。
452ゾルレン:2006/03/04(土) 21:34:11
>むじんくん
>それはナチなどの独裁と質的に違いますね。
どう質的に違うのですか?

>ありますよ(笑)。3つの批判書とか、啓蒙とは何かとか。
そうですか、わたしは三批判書の中では『判断力批判』だけは全読してないですが、
あなたがまともにカントを読んでるなら、お互いの解釈が根本から違うのでしょう

>成立根拠をくだらないというある種の哲学者ってプラグマティズムということですか?それはゾルレン氏が
>嫌いな"ポストモダン"ではないですか?(笑)。
プラグマティズムも成立根拠を問題にしないでしょうね
しかし、彼らは真理も問題にしないでしょう
わたしは真理を問題にします

ポパーの言葉を借りれば
>「起源と純粋さへの問いを妥当性と真理についての問いと混同してはならない」
わたしは前者の問いをくだらないと思いますし、後者の問いはとてもすばらしいものだと考えます

>むしろモダンであることは根拠を信じているということだと
>思いますよ。
ポストモダンだろうと根拠を信じていますよ
ポストモダンに限らず大概の非合理主義者は形而上学的理念として成立根拠を信じているでしょう
その点はポストモダンだろうと彼らが嫌悪するモダンの発想から抜けてないんですよ

>あと、くだらない/くだらなくないではなくて、普通の日常生活としてゾルレン氏が万引きしたら逮捕されますよ。
逮捕されるかもしれませんね

>これは科学的因果関係からみたら"形而上学的"発想ですけど、
>僕らはそういうことを前提に生活しています。
あなたがそれぞれの単語をどのような意味において使用しているのか分かりません
あなたの問題が理解できません
453考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:35:00
>>451
スレ題と関係ないので、他でやってもらえるますか。
454考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:40:45
何級症状が出るのかね
455考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:43:00
>>453
では、何がスレと関係のあるテーマ? 具体的に答えてくれ。
456むじんくん:2006/03/04(土) 21:44:06
>>447
> いえ、それはできないんですよ。>視点の欠落

すみません、「落ちている」というのは「低い」という意味でした。つまり絶対的な
第三者的視点というのはもう信じられないので、個別の記述者それぞれの視点
しか存在しないんですよ、と。そういうことですね。相対主義というか。
457考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:52:02
分裂病については米国のウィルソン・ヴァン・デュセンという精神科医の
書いた本に、スウェーデンボルグの解説する霊の世界との密接な関連が
報告されています。興味のある方はどうぞ。
『霊感者スウェデンボルグ』という本で昔は日本教分社から、今はサン
マーク文庫というので出ているかもしれません。
(久しぶりに来てみました。小ヨハネ)
458一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 21:54:53
>>456
それは相当難しい問題ですが(『歴史における相対主義』なんて
学位論文級でしょう)、私見を言わせてもらえば、「絶対的な視点」
を信じないことと(つまり、相対主義的であることと)、「でもやっぱり
説得的な議論はあると思う」という信念は両立すると思います。
459考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:55:08
>>456
>すみません、「落ちている」というのは「低い」という意味でした。つまり絶対的な
>第三者的視点というのはもう信じられないので、個別の記述者それぞれの視点
>しか存在しないんですよ、と。そういうことですね。相対主義というか。
うーーーーーーん。むじんくん。
これでは「弱い」。一言さんにまけちゃうよ。
「バーロー、テメー」と言う意気込みでもう一度書いてみたら?
460考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:56:42
461考える名無しさん:2006/03/04(土) 21:58:31
>>456
インターネットのこれが利点なんだから、
むじんくん、がんばれよ。
462考える名無しさん:2006/03/04(土) 22:01:38
>ゾルレンさん
回りくどい言い方ばかりしないで、もっと端的に直接的に自分の意見を書いてください。
気持ちは分かりますが、それだと嫌味が言いたいだけの陰湿な人間に見えますよ。

「〜を読んだことがありますか?」「解釈が違うのでしょう」ではなく、
「私は〜だと思う(/ではないと思う)。なぜなら、〜だから」
と書けば済むことじゃないですか。
463考える名無しさん:2006/03/04(土) 22:11:01
まあ、私自身の進歩もありませんが、皆さんの進歩もなさそうです。
キリストを知らない者のキリスト論を聞いても意味はないでしょう。
「盲人が盲人の道案内をすれば二人とも穴に落ちないだろうか・・・」
また、神を知らない者の論考や哲学(?)などしょせんごまめの歯軋り
(誤謬の論争)にしか過ぎないのです。嘘をついて良いかどうかの議論
をするだけで皆さんの馬脚が現れるでしょう。しかし、またいつか。
464ゾルレン:2006/03/04(土) 22:16:10
>>462
>「〜を読んだことがありますか?」「解釈が違うのでしょう」ではなく、
>「私は〜だと思う(/ではないと思う)。なぜなら、〜だから」
>と書けば済むことじゃないですか。

「私は〜だと思う(/ではないと思う)。なぜなら、〜だから」 という表現は
理由付けをしていますから、それは理性を信じる合理主義者の表現です
理性を信じない非合理主義者はそのような理由付けを、理由付けがしてあるというそれだけの理由で相手にしないでしょう

>回りくどい言い方ばかりしないで、もっと端的に直接的に自分の意見を書いてください。
>気持ちは分かりますが、それだと嫌味が言いたいだけの陰湿な人間に見えますよ。
俺がむじんくんと対話していることがすでに奇跡なのです
非合理主義は対話する相手ではないんですよ
たいていの合理主義者は非合理主義を相手にしないものです

野良犬と真剣に議論しようとするのは滑稽でしょう
俺はそこまで人間ができていない
ただ、野良犬を見て自己反省することが賢人の生き方だと思うから
その言葉に何か自己反省するきっかけでもないかと耳を傾けるだけだ
465 :2006/03/04(土) 22:20:20
>>462
最高位の文にも似たことが言えるなw
彼の場合、一つの言いたいことの間に、
2つも3つも罵倒や嫌味を織り交ぜてくるので読み難くてしょうがない。
結果、2,3行で済む文章が5行10行になるw
466考える名無しさん:2006/03/04(土) 22:20:40
>>408
>同じじゃない と何回説明すりゃ理解できるのかねぇ このアホは
だって、どこが同じじゃないのか全く理解できないんですものw
「唯名論」なんて言ってもダメよ。現在この瞬間にはこの体もこの机も
この私も間違いなく存在するんだからw 次の瞬間にはどうかなんて、関係なし。

>私にとってに決まってるだろ クソが
だからw、どの私にとって? 私なんて、世界中に何十億といるよ。
この話に限っても、最低二人はいるんだけど。もちろん、誰に聞いても
「自分以外は全部他人」に決まってるけどw
「元の私にとって」って、現在最低二人いる私のどっちが元の私と
同一の私なのか、というのが問題なんだからねw 
どっちも、主観的には完全に「元の私だ!」と思っているんだから、
客観的に体の時空的連続性で決めるしかないでしょ。「この机」と、全く同じw

>物理的に全く同じ要素の別の体があって、それが他人なら
>私の要素は物理的な要素では無い という結論しかないだろ
あなた、思わず自分で認めてしまってるじゃない。
「物理的に全く同じ要素の『別の体』」ってw
「物理的に全く同じ要素の別の机があっても、それが他の机なら
この机の要素は物理的な要素では無い という結論しかないだろ」
ね、同じでしょ。(くどいようだけど、唯名論なんていってもダメよ。
現在のこの瞬間の話で、次の瞬間なんて関係ないからw)
「この机がこの机であって他の机でないのは、物理的な要素によるものではない」
からって、「この机」が物質でない、という結論には、ならないでしょw
467むじんくん:2006/03/04(土) 22:38:01
>>452
> >それはナチなどの独裁と質的に違いますね。
> どう質的に違うのですか?

近代戦争と前近代のそれとの違いと同質ですよね。つまり、ナチというのは超インフレ下にあって
生活破綻をしていたドイツ民衆が選び取った道です。ところが、貴族政治下というのは民衆なんぞ
どうでもいいわけで、戦争に行くといったって、貴族の身内以外の連中はやる気なんかないんです。

> あなたがまともにカントを読んでるなら、お互いの解釈が根本から違うのでしょう

カントは近代哲学の頂点だと思ってます。ヘーゲル以降というのは、それが揺らいでいく過程という
認識です。

> わたしは真理を問題にします

だけど、その真理とは"妥当性"ということなんですよね。プラグマティズムじゃないんですか?
「普遍妥当性」だとしたら、起源の問いが発生しませんか。

> >これは科学的因果関係からみたら"形而上学的"発想ですけど、
> >僕らはそういうことを前提に生活しています。
> あなたがそれぞれの単語をどのような意味において使用しているのか分かりません
> あなたの問題が理解できません

万引きをある個人が第一原因として発生した事象と考えられているということです。外界と相互関係の
ある脳回路などの"結果"としては見ないと。これはくだらないと言おうとどうだろうと、そういう発想で
僕ら生活してますよ、ということです。
468考える名無しさん:2006/03/04(土) 22:44:34
>>466
最高位の「私の主観性」を理解出来てないように思えるが。
最高位の言う「私」は独我論的な「私」で、一つの世界だろ。
あまり他人に理解される性質の問いじゃないから最高位は叩かれるんだろうけれど、
最高位の抱えている問いは唯物論では説明出来ないよ。
彼の問いはただの思い込みなのかもしれないし、
もしかしたら非常に重要な問いなのかもしれない。
どちらにしろ、最高位自身が抱えていく問いで、他人と共有するのは難しいと思うなぁ。
他人に話した瞬間、誰にでもある普遍的な問いにレベルが下がっちゃうからね・・・。
なんかレスが矛盾しているけれど、多分、あんまり的は外してないと思う。
469むじんくん:2006/03/04(土) 22:45:10
>>458
しかし、第三者的である基準のようなものは無いわけですから、視点がずっと低くなって
感情移入しちゃうというんですかね、昔の民族神話みたいなものへ退行していく気がします
けどね。

今のところ世界史はマルクス主義でまだやっていると思いますけど、将来そうなっちゃう
かも知れませんね。私は認めませんけどね(笑)。
470一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 22:57:49
>>469
>しかし、第三者的である基準のようなものは無いわけですから、
ここはとりあえず共通理解として前提しておくとして、

>視点がずっと低くなって 感情移入しちゃうというんですかね、
>昔の民族神話みたいなものへ退行していく気がします けどね。
これは「主観への言及」でちょっと問題があると思います。
少しだけ具体的な話をしてみましょう。

例えば、史料に「1/1 私は妻に対して嫌悪感を抱いている」と書かれています。
そこで、私は「この人は妻に対して嫌悪感を抱いている」と命題を組みます。
そして、その次の史料に、「2/1 私は妻と離婚した」「3/1 私は欝になった」と
書かれてるとしましょう。さて、この時に、次の仮説を立てるとしましょう。

仮説(1)「妻と離婚したのはこの人が妻を嫌っていたからである」
仮説(2)「この人が欝になったのは夫婦生活の破綻にショックを受けたからだ」
471ゾルレン:2006/03/04(土) 22:59:21
>むじんくん
>近代戦争と前近代のそれとの違いと同質ですよね。つまり、ナチというのは超インフレ下にあって
>生活破綻をしていたドイツ民衆が選び取った道です。
民主制度によってなされた政治を民衆が選び取ったことと混同するのはあまりにもひどくありませんか?
ハーバーマスならきっと「多数決のどこが民衆が選び取ったことなんだ!」と言いますよ

>カントは近代哲学の頂点だと思ってます。ヘーゲル以降というのは、それが揺らいでいく過程という
>認識です。
そうですか
そのような解釈もできるでしょうね
わたしはヘーゲルの言葉をまるで相手にしません

>だけど、その真理とは"妥当性"ということなんですよね。プラグマティズムじゃないんですか?
>「普遍妥当性」だとしたら、起源の問いが発生しませんか。
事実言明についての是非が「真理」で規範言明についての是非が「妥当性」でしょ
あなたがヘーゲルという研究伝統に属するように
わたしはもとが科学哲学という研究伝統に属するんです
お互いの言葉の使用が異なるのでしょう

>万引きをある個人が第一原因として発生した事象と考えられているということです。
もちろんそう考える余地もありますが、別のことを原因に考えてもいいでしょう
経済的な原因、心理学的な原因、その個人の背後関係を探ればもっと様々な原因を見出すことができるでしょう
起きた結果の原因を個人に還元するだけでは知的な前進は何も得られないのではないですか?
472一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/04(土) 23:06:57
>>470の続き

この時に面白いのは、歴史家が10人いたら10人とも違う印象を抱く
であろうという点です。

第一の人は、「これは両方とも十分に説得力がある」と言うかもしれない。
第二の人は、「(1)は説得力があるが、(2)は疑わしい」と言うかもしれない。
第三の人は、「(1)は疑わしいが、(2)は説得力がある」と言うかもしれない。
第四の人は、「(1)も(2)も疑わしい」と言うかもしれない。
第五の人は、「そこに因果関係を見出すこと自体がおかしい」と言うかもしれない。

そして、各人が理由付けをするわけですが、しかし、史料の欠損があるがゆえに、
最後は説得力の問題で終わってしまうことが多いんです。つまり、「これ以上は
史料が不十分であるがゆえに、理由付けができない」ということですね。
さて、そんな中で「私はこの人がこう感じたと思うから〜」という理由が、どれだけ
説得力があるのか、(過去ログの言葉借用するならば「もっともらしい」のか)、
と問われて、私は「そんな感情の解釈なんて困難だから説得力なし」と答えます。
したがって、第三者の基準を私が認めないからと言って、私が感情移入に頼る
ことにはならないと思います。
473考える名無しさん:2006/03/04(土) 23:17:35
歴史がどーたらとか今どういう流れなのか全くわからん
誰か三行で説明してくれ
474考える名無しさん:2006/03/04(土) 23:40:04
むじんくん ←<歴史解釈>← 一言さん@求愛中
むじんくん ←<理性>→ ゾルレンさん@けんかふっかけ中
最高位さん ←<この私>→ 考える名無しさん@おちょくり中
475 :2006/03/04(土) 23:44:43
すげー解り易いwww
476むじんくん:2006/03/04(土) 23:53:50
>>471
> 民主制度によってなされた政治を民衆が選び取ったことと混同するのはあまりにもひどくありませんか?
> ハーバーマスならきっと「多数決のどこが民衆が選び取ったことなんだ!」と言いますよ

それは民主制の必然的矛盾点ですよね。ここでの話はナチが貴族社会では発生しないという話です。

> わたしはヘーゲルの言葉をまるで相手にしません

まぁ、起源を問わなければそうなりますかね。

> >万引きをある個人が第一原因として発生した事象と考えられているということです。
> もちろんそう考える余地もありますが、別のことを原因に考えてもいいでしょう
> 経済的な原因、心理学的な原因、その個人の背後関係を探ればもっと様々な原因を見出すことができるでしょう

それは既にやってますよね。しかし、現実に万引きすると逮捕されます。様々な背後関係を考察して知的前進しても
逮捕されない社会にはならないでしょう。これは人間の行為を第一原因とする"形而上学"が前提となっていることを
意味します。
477一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 00:00:56
相当因果関係説なんかはどう解釈するんですか?
法適用と第一原因の仮定は関係ないようにも思えますが。
478考える名無しさん:2006/03/05(日) 00:01:14
>>468
ほぼ同意する所だが、
現在、彼と最高位の対立は、
あなたの言う【私】(おそらく最高位の言う所の【私】と近似であろうが)について為されているのではないであろう。
もう一つか二つ上の階層のことかと思う。
最高位が、「この机」との明確な差異を的確に示すことができれば、
最高位が用いている「この私」(【私】)が、深淵を覗いている「なにものか」であることがもっと的確に呈示されれば、
あのような対立にならずに済みそうな気がする。
別な切り口から、アプローチが可能になるような気がする。
が、最高位自身が、この階層の差異を表現する方法に悪戦苦闘しているようだ。
(もっとも、最高位が階層を意識しているかどうかはわからないが・・・)

「存在の在り様としては、「この机」も「この私」も同じである」と私も考えるが、
デカルト的懐疑(あるいは>>435)のように、最深部に横たわる、思考の残滓をどう処理するか?どう受け止めるか?
は、「この机」「この私」問題の更に先にあるのだろうと思う。
そこへ至るためには、「主観があるかないか。意識があるかないか。」で分類をしておいて、
そのあとさらに、どの階層の「私」なのか?についても、話者の間でコンセンサスをとらねばならない。
勿論そうなると、「意識」って何?「主観」って何?ということも同時に問われてくるだろうが・・・。
479一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 00:02:12
あと四日市ぜんそく訴訟や水俣病ですね。
あれも因果関係の実在が法適用に本当に関係あるのか
考えさせられる事例だと思います。
480考える名無しさん:2006/03/05(日) 00:17:25
>>478
ぶっちゃけ、きみじゃまだな。
481ゾルレン:2006/03/05(日) 00:28:20
>>476
>それは民主制の必然的矛盾点ですよね。ここでの話はナチが貴族社会では発生しないという話です。
以前にも話題になりましたが
民衆の意図と民主政治に関係はないとわたしは思いますよ
民衆の意図を反映させた政治は衆愚政治です
「誰が政治を治めるべきか」「民衆が治めるべきである」は間違った問答です

とりあえず、ナチス政権の虐殺が民主制でなければなしえかたった特異性についてわたしはわかりません
この説明責任はあなたにあるはずです

>まぁ、起源を問わなければそうなりますかね。
わたしに限らず、言葉、論理を重んじる人は相手にしないでしょう

>それは既にやってますよね。しかし、現実に万引きすると逮捕されます。
万引きが発覚しなければ逮捕されません
発覚しても店員が通報しなければ逮捕されません
通報されても加害者が責任能力がない幼児だったりしたら逮捕されません
責任能力があっても注意で済ませるならば逮捕されません
ま、こんなことはどうでもいいでしょう
問題は

>様々な背後関係を考察して知的前進しても
>逮捕されない社会にはならないでしょう。これは人間の行為を第一原因とする"形而上学"が前提となっていることを
>意味します。
だから、なんなんですか?ということです
わたしはあなたの問題が不明だと言ったのです
(逮捕されない社会の実現があなたの問題なのですか?)
ならば、あなたはあなたの問題意識を説明する義務があるのではないですか?
事実やそれに対するあなた自身の説明をされたところでわたしはあなたの問題を理解することはできません
482むじんくん:2006/03/05(日) 00:30:26
>>472
> したがって、第三者の基準を私が認めないからと言って、私が感情移入に頼る
> ことにはならないと思います。

いや、それはある種の基準を一言氏が持っているからじゃないですか?そこが外れると民族神話に
退行しませんか。
483一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 00:41:16
>>482
>いや、それはある種の基準を一言氏が持っているからじゃないですか?

民族神話が退行かと言われると私には何とも言えない表現ですが
(私は歴史を発展や進歩とは捉えないので)、それはそうですね。
そこが外れれば、民族神話に向かう可能性はあるでしょう。

しかし、逆に言えば、私が何の基準や信念も持ってないのに、歴史人物に
感情移入しないで済むことが可能である、ということがまずありえないように
思われるのですが、どうでしょうか。

むじんさんに当て嵌めるならば、あなたが唯物史観を信じてるから(基準を
持ってるから)民族神話に向かわない、とも言えるのではないですか。

最初の論点に話を戻すならば、唯物史観を信じてるか、ポストモダンを信じてるか、
あるいは、私のように歴史観の理論化をしないか(=現場で個別的に処理するか)、
という態度決定は、民族神話に向かうかどうかと必然的関係にあるわけではないと
思います。
484一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 00:49:29
というか、極端な感想を言わせてもらえば(同業からは強い反論があるでしょうが)、
体系だった歴史観を持ってても、具体的な歴史解釈になるとそれを応用するのが
非常に難しいと思います。これに成功してる人は、本当に大家か、あるいは、理論
が優先して(それに合わない)歴史的事実を無視してるかのどちらかが多いでしょう。

この点、決定論もこのどちらかに陥る可能性があります。
485考える名無しさん:2006/03/05(日) 00:54:33
うーむ、むじんくんと一言の対立点がイマイチよく分からん…。
別に対立しているわけでもないのかw
486一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 01:01:10
>>485
一番大きな差異は、

体系的な歴史観は個々の歴史的命題の根拠付けに寄与せず、
個々の歴史的命題は体系的な歴史観の根拠付けに寄与しない、
そして、むじんさんは体系的な歴史観を持つが、私はを持たない。

だと思います。これは私の考えです。

では、歴史観はどこに寄与するのか。
それは個々の命題の「横断的な」読み方だ、と私は捉えます。

a,b,c,d,e...という命題を、

(a,b)ゆえに(c,d,e)
と読むのか、
(a)ゆえに(c,d)そして(b)ゆえに(e)
と読むのか。

私はここで、単にa,b,c,d,e...とショートショートとして眺めるわけです。
むじんさんは、「そういう読み方はダメだ」と言うでしょうけれども。
487「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/05(日) 01:04:54
>>374
>唯物論というのは、『私』を物理的に説明できる と言ってるわけ

・・だからぁ・・・そう言っているのはあなた(だけ)であり、唯物論は
「説明可能性の限界」をよく理解しております。
言い替えると「(統計的に有意な数の)複数の人類の脳」が「全員納得する」
というのは「不可能なこと」なのです。
「進化論」という、(自然)科学の世界ではもう100年以上「常識」とされている
「真理」についても、宗教は「違うかもしれない」・・・という「願望的思考」に
基づく(根拠のない)「いちゃもん」をつけ続けております。
・・・5〜6年前にローマ法王庁がやっと「進化論を認めた」・・というニュースが
流れましたが、法王が変われば「いや認めたのは間違いだった」とか・・言い出すことは
容易に想像できます。
 彼らの「論理」は・・・「基本的に非科学的」であるので、結局「神学的レトリック」を
用いれば「自分自身の脳を(言葉で)麻痺させる」ことが出来ますので、「何を言い出すか
全く判らない」訳です。
 しかし「(自然)科学」は、仮説を立てる→実験してみる→実証する・・という方法を
絶対に逸脱できない「監視網」のもとで、発展しておりますので、「無意識的なやらせ」
さえ不可能であることは、つい最近の韓国の「ES細胞でっち上げ事件」でも明らかです。
488485:2006/03/05(日) 01:08:13
>>486
なるほど。
「彼は妻と仲が悪かった」と「彼は離婚した」という歴史的事実は、
一言から見ればまさに「彼は妻と仲が悪かった」と「彼は離婚した」
という単なる列挙以外の何物でもないと。。。
でも、一般的な感覚から言えば、「彼は妻と仲が悪かったから離婚したのだ」
というように、「から(原因・理由)」で繋げたくなる罠。
489ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/05(日) 01:14:02
>>486
デリダ(東)的に言えば、それだけでは不十分というでしょうね。
たとえばaでなかった可能性。aというのが誤配であった可能性が
のこります。
490一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 01:15:24
>>488
「から」で繋げること自体には何の問題も無いと考えます。
私もおそらく「彼は妻と仲が悪かったから離婚したのだ」という
命題を組むでしょうし、それに一定の説得力を認めます。
その点、唯物史観的な理由付けにも一定の説得力を認めます
(むしろ、むじんさんが言うように、教科書的にはこの唯物論的
歴史観は、どうしても説明するのに便利だという面すらあります)。

私が問題視するのは、

この「から」は必然性を含む、

とか、

この「から」は後件命題を現に証明している、

と考えることです。私はこれに反対します。
491考える名無しさん:2006/03/05(日) 01:16:45
邪魔か・・・

『深淵を覗く「なにものか」』は別に保留しといても構わないんだが、
自分のスタンスを表出する際に、もし、そこを突いてくる人が居た場合、
「ウチではちょっと扱ってません・・・(^^; 」
と一蹴するのは、現代ではふさわしくないような気がするから・・・。
また、避けて通れない部分に抵触する可能性があるから・・・。


ああ、そうか・・・。
だから、自己中なレスになってるのかもしれないな・・・ orz

けど、ここに来る人の言葉・意見は、(茶々入れも含めて)バラエティに富んでいて、
専門板・専門スレに居るよりおもしろい。
あまりにも邪魔ならば、やっぱり去るべきでしょうか・・・ (´;ω;`)



(もちろん、「居てもいいよ。」という言葉を期待した上でのレスであることは自覚しているw)
492考える名無しさん:2006/03/05(日) 01:18:40
>>489
漏れは妻と仲良くしたかったのに
離婚されてしまった。漏れ的に言えば
こんな経験は漏れだけで十分だな!
493一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 01:19:35
>>489
私はデリダは読みませんが、その可能性は認めます。
ただ、後で「んー、aでないのではないか?」というのは
直感的に分かることがありますし、それは多いと思います。
494考える名無しさん:2006/03/05(日) 01:23:14
>>491 >>468(おれ)は邪魔だとかそういうレスはしてないからね・・・。
誰か他の人だよ。
>>478はおれにはとても有意義なレスだったし、去らないで欲しいな。
明らかに煽りのレスを気にしてもしょうがないです。
495考える名無しさん:2006/03/05(日) 01:23:30
>>490
でも「から」は必然性や証明とは関係ないって、ある意味当たり前じゃね?
仲が悪いから離婚するとは限らんし、仲が悪い状況で離婚しても、実は
周囲の強制ってのはありえるわけだし・・・。
496ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/05(日) 01:25:35
>>489
誤配可能性は、全ての歴史的命題に内在している、ということですね。
一言くんの厳密さへの強迫性もほどほどにということです(笑)
497考える名無しさん:2006/03/05(日) 01:26:41
>>495
ところが、理論に拘泥すると、えてしてそれを忘れがちになる。
唯物論然り、決定論然り。一言が批判してるのはそこだろう。
498「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/05(日) 01:28:37
史的唯物論に欠落しているのは「(人間という種の)欲望の分析」です。
@人間(の脳)は「異性の肉体」を「コントロールする」ことに欲望する?
A人間(の脳)は「特の権力が発行した(する)貨幣」に欲望する?
・・・・しかし、「客観的に観測」すると・・・
「いつも・全ての人間の脳」の「欲望の対象となるモノ」は、実は@でも
Aでもない・・・ということが判ります。
 史的唯物論は、フロイト的(キリスト教的)な「家父長主義」を前提に
組み立てられており、その意味で@とA「だけ」が『人類の個体の「最終目的である」』
・・・というドグマから抜け出せない・・結果、「人間は結局『社会的権力』を追求する
以外のことを「考えることはない」動物・・・だと考えた・・その「間違い」が「致命的」
だった・・ということです。
499「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/05(日) 01:32:11
498の訂正です。
 「特の権力が発行した(する)貨幣」
→「時の権力が発行した(する)貨幣」
でした。
500一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 01:32:13
>>496
>誤配可能性は、全ての歴史的命題に内在している、ということですね。
それは歴史学では半分常識ですね(私はポストモダンのこういう遠回りな
余計さが個人的に嫌なのですが、まあ、それはポストモダンの理論上の
欠点にはならないでしょう)。

>一言くんの厳密さへの強迫性もほどほどにということです(笑)
むしろ歴史を研究すると、ほどほどにすることを逆に心得てしまいますね。
「歴史学で厳密さを徹底すると、一文字も書けない」です。
501一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 01:35:03
>>495>>497
まあ、そういうことです。本日は寝ます。
502ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/05(日) 01:36:02
>>500
たぶんポストモダン?は相対主義としか理解されていないのでしょう。
そうではなくて、神性が発生する構造分析の「科学」なのです。
なぜ誤配可能性が生まれるかの物質性ですね。

と、それはどうでも良いですが、昨日?粘着されたので仕返しです(笑)
503むじんくん:2006/03/05(日) 01:37:00
>>477
> 相当因果関係説なんかはどう解釈するんですか?
> 法適用と第一原因の仮定は関係ないようにも思えますが。

自然災害とは区別されますよね。
504考える名無しさん:2006/03/05(日) 01:40:47
というか、法学において確固とした因果関係解釈は実際には無いよ。
まとまったものはあるけど、哲学的に叩けばすぐ埃が出る。
妥当な結論を直観的に把握して、それを根拠付けてくれそうな因果関係の
範囲を設定しているというほうが正しい。
だから、厳密な因果関係の議論に法学は向かないと思う。因果関係という
物の見方が実生活でそれだけ役立たないかを知るにはいかもしれんがw
505むじんくん:2006/03/05(日) 01:50:15
>>481
> とりあえず、ナチス政権の虐殺が民主制でなければなしえかたった特異性についてわたしはわかりません
> この説明責任はあなたにあるはずです

ナチの虐殺ではなくて、ナチが民主制からじゃないと出ないだろうという話ですね。奴隷制の社会では難しい
だろうと。少なくとも言葉の統一がされ、民族意識が成立していないとダメですよね。"我々の"国家というものが
なければナチは誕生しません。昔の貴族社会ではそんなことできないでしょ。

> わたしはあなたの問題が不明だと言ったのです
> (逮捕されない社会の実現があなたの問題なのですか?)

もともとの話は、"成立根拠"という、ゾレルン氏がくだらないと語る場所に人間行為というものがあるという
私の主張からきてますね。どうも"ポストモダン風"に話がそれちゃいますが(笑)。だから、くだらんと言っても
あなたは万引きすれば逮捕され、"あなたが"行った行為だとされているのが我々の社会だと言ったわけです。

要するに、成立根拠っていうのはどこかでゾレルン氏の主体に関わらざるを得ないということです。好む好まない
関係ありません。そうなってくると、ヘーゲル的思考を相手にしなければなりません(笑)。
506むじんくん:2006/03/05(日) 02:04:00
>>483
> しかし、逆に言えば、私が何の基準や信念も持ってないのに、歴史人物に
> 感情移入しないで済むことが可能である、ということがまずありえないように
> 思われるのですが、どうでしょうか。

もちろんそうです。だとしたら、それは史実をある体系から見るということになってしまいませんか。
例えば、日本史っていうのは何かと言ったら、日本国家に住む人間に国民意識を持たせるという
明らかな意図があってかかれてますね。"日本人"というある種の統合を想定して記述をしようとする。
そうじゃなければ日本史なんか存在しませんね。
507むじんくん:2006/03/05(日) 02:07:23
>>486
> 私はここで、単にa,b,c,d,e...とショートショートとして眺めるわけです。
> むじんさんは、「そういう読み方はダメだ」と言うでしょうけれども。

これで思い出したんですけど、丸山真男の「日本の思想」というのありますね。あれと似てます。
思想史が日本に無いという話で、結局個別の思想家がショートショートとして読まれちゃうので
歴史にならないと。「そうですか、そういう意見もありますねぇ」となってしまうと。

その意味で、一言さんもポストモダンですね(笑)。
508ゾルレン:2006/03/05(日) 02:48:21
>>505
>ナチの虐殺ではなくて、ナチが民主制からじゃないと出ないだろうという話ですね。奴隷制の社会では難しい
>だろうと。
だから、それはなぜですか?と説明を求めているのです
「現にナチスが民主制によって登場したからナチス政権は民主制じゃないと出ない」というのは説明になってません
このような説明は対話における正義理念に反するのです

>少なくとも言葉の統一がされ、民族意識が成立していないとダメですよね。"我々の"国家というものが
>なければナチは誕生しません。昔の貴族社会ではそんなことできないでしょ。
昔の貴族社会は民族意識が成立していないということですか?
では、過去の歴史における民族の争いや虐殺が王制や封建制度下においてなされているのはどのように説明されるのですか?

>もともとの話は、"成立根拠"という、ゾレルン氏がくだらないと語る場所に人間行為というものがあるという
>私の主張からきてますね。どうも"ポストモダン風"に話がそれちゃいますが(笑)。だから、くだらんと言っても
>あなたは万引きすれば逮捕され、"あなたが"行った行為だとされているのが我々の社会だと言ったわけです。
わたしが万引きすれば逮捕されるのは、万引きを行うことの成立根拠がわたしにあるからではなく
「わたしが万引きをした」という行為が法にひっかかるからではないのですか?

>要するに、成立根拠っていうのはどこかでゾレルン氏の主体に関わらざるを得ないということです。好む好まない
>関係ありません。そうなってくると、ヘーゲル的思考を相手にしなければなりません(笑)。
なぜ上の文章を要するとこのような文章が出てくるのかまるでわかりません
どう要されているのですか?

わたしは言葉には論理を前提とされることを求めますし
真偽を吟味できない表現は偽なる言明よりも劣ると考えています
正直、今日一日のあなたと交わした言葉の数々は対話にすらなっていないと感じます
これ以上わたしはくだらない言葉遊びを続けたくないのですが
509ゾルレン:2006/03/05(日) 03:16:07
それと、理性に関してはそれが災いをもたらすかどうかはまだ不明ということでしょう
理性を信じれば幸福になれるとは思えませんが、理性の使用は必ず災いをもたらすという結論にも達してません
(そう考えるきっかけすら与えられてません)
それどころか、理性ですらそれを無批判、無謬的に盲信することは災いをもたらしかねず
理性自身もまた理性的に批判される必要がありそうです
ですので、わたしはとりあえず理性を保持しようと思います
510考える名無しさん:2006/03/05(日) 03:27:45
ぞるれんさーん教えて
理性って何ですか?人間の能力ですか?何をどうする能力なんですか?
511探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/05(日) 03:38:30
>>478
最高位のロジックは二つ。

(1)「この私」というものは、物理的要素では成り立ってない(「この性」の問題)
(2)「私」というものは、決して対象化されえない(主観性の問題)

(1)は「この机」や固有名を考察すれば分かるように、「この」や「私」といった
言葉と「あの」「あなた」といった言葉の関係性から成り立つ指示の問題。
だから物理的要素は関係ない。当たり前。

(2)は、主観性が「対象を見ているもの」なので、言葉の定義上「対象」とは
別のものを指しているという話。

もちろん主観を対象化することはできるが、対象化されたとたんに定義上その外側の
主観が見出される。ここはちょっと厄介なんだけど、別に全然深淵な話ではない。

(1)を指摘されたら(2)に関する反論をしてごまかし、(机はモノであって主観じゃない)
(2)を指摘されたら(1)に関する反論をしてごまかす。(主観を物理的な要素で説明汁)

こうやって逃げ回りつつ、「分かってない」「もっと深いんだよ」と虚勢はって
罵倒し続けるのが最高位クオリティなのです。
512ゾルレン:2006/03/05(日) 03:48:15
>>510
「雑多な感覚をまとめてそれらに何らかの意味をつけてまとめる能力」として悟性や感性と対となる概念だが
ここでは「理屈を使用して吟味する能力」と考えてオーケー
513考える名無しさん:2006/03/05(日) 05:10:20
最高位は答えを知られるのがイヤなんだな
「俺は知ってるぞ」「おまえらより偉いんだぞ」って言いたいだけ
最高位教だもんね。
514哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/05(日) 05:30:15
>素人君
キミは、だいぶん理解できてきたみたいだね
私も説明した甲斐があったというもんだw
しかし
>私01だろうが私02だろうが神様の粘土だろうが霊体だろうが、どのような在り様の場合でも、
>そこで思考がなされている所には必ず現れる、
>ピンチの際に颯爽と現れる正義の味方のような【私】がいるのです。

いやいや
颯爽と現れるんじゃなくて
ただ単に「そういう構造になっている」という事実がある
という事だよ
515哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/05(日) 05:37:56
>>513
あー それはあるかもね
実際には、本当は理解させるの、もったいないんだよねw
バカはバカのマンマで、バカな事を一生言ってて欲しいな
という気持ちが、どこかにあるのかも知れないね・・・
516哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/05(日) 05:57:10
唯物論者というのは、全てを物理現象にこじつけなきゃいけない という制約に縛られているんだよな
主観性に関しても、深く考える事も無しに、すでに『前提』扱いなんだよね
当たり前に感じている実感だから、当然コレも物理現象であるに決まっている
というように、極めて安易な発想だ
私にはキミ達の、ありきたりな思考回路が手に取るようにわかるんだよ
そしてそこから、簡単には脱却できはしない
脱却するには、劇的な発想の転換がなされなければ無理だからね
517考える名無しさん:2006/03/05(日) 07:19:19
意識とは最も進化した物質
518哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/05(日) 08:10:36
>>511
>最高位のロジックは二つ。

>(1)「この私」というものは、物理的要素では成り立ってない(「この性」の問題)

「この性」というものが、よくわからん
いったい、何それw
「この私」なんて表現は、本当は必要ないんだよ
『私』と言えば『この私』のこと以外にはないんだからね
自分で『この』と付け加えて、頭がゴチャゴチャになってるだけだな
変な方向へ行っちゃってるだけだよ

(2)「私」というものは、決して対象化されえない(主観性の問題)

べつに対象化できない事もない
対象化できないんなら、自覚する事もありえないからね
まぁ厳密には、表現する場合に不都合がないわけではないけどね
ただ、キミ達の勘違いは
『私』というものと『自我一般』をゴッチャにしているところなんだよ

キミ達は唯物論に呪われている状態だ
早く開放されて、悟れるといいね
519探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/05(日) 09:43:10
>>518
(1)「この私」は物理的に再現できないが、「この机」は物理的に再現できる
(2)「主観性一般」は物理的に再現できないが、「机一般」は物理的に再現できる

このどっちかをちゃんと主張すりゃいいんだけどね。

>『私』というものと『自我一般』をゴッチャにしているところなんだよ

主観性の問題になったら、こうやって「この性」に逃げるだろ?
んで「一般性のないものは、机だって物理的に再現できない」って言われたら、
「机は主観性じゃない、唯名論」とか言ってまた主観性の問題に逃げるわけだ。

もうみんなにバレバレです。
520考える名無しさん:2006/03/05(日) 10:49:38
>>466
あら、私と最高位のアホなやりとりを読んでいる方がいるとは
思いませんでした。
一応お断りしますと、私は永井均も知っております。「高階の神」だの、
面白いですな。ただ、最近はどうも私は懐疑的なのですが。
最高位のアホな書き込みを見て「それは永井均の問題で、唯物論とは
関係ないんでは」と最初に教えてやったのは私です。ずいぶん昔の話ですが。
(もっとも、彼はかたくなに読もうとしないんですが。最高位はとにかく
本を読もうとしないんで困ります。)
ただ、三浦俊彦の批判なども読んで、最近では永井の問題は単に
論理的混乱に基づくものではないか、という気もしていますが。
どっちにしろ、最高位は自分で「独我論ではない」と言っております。
彼の目的は唯物論が人間一般を物として扱うから「思想的にけしからん」と
糾弾することにあるので(永井とは大違い)、独我論では仕方ないわけです。
独我論は 人間一般など最初から問題にもしないわけで。
彼の抱えている問い(混乱していて不明確ですがw)が唯物論でも観念論でも
扱えないのは当たり前で、単に問いの次元が違っていて「無関係」なわけです。
私はそれを手を替え品を替え、時々キャラも替えwて説明しているだけなのです。
521考える名無しさん:2006/03/05(日) 10:51:25
あらあら、うふふ
522素人:2006/03/05(日) 10:56:22
>>514
> キミは、だいぶん理解できてきたみたいだね
> 私も説明した甲斐があったというもんだw

笑かすなよw(君の代わりに説明したようなもんだ。)
私は、もう随分前から「ほぼ君に同意する」と表明していたはずだが?
君が>>410の内容を認めるなら、>>478の内容と表現の仕方を認めるなら、
私は、かなり早い段階で君の視点を理解していたことになる。
(勿論、細部に亘っては、レスの積み重ねあってのことだが・・・)
私が粘着する理由はたった二つ。
一つは410の通り。
もう一つは、「深淵を覗き込んでいる〈なにものか〉すら、前スレ20〜22のように見る」
という思考方法が、君に届くかどうか興味深いからだ。
また、自分のスタンス(その思考方法)の中で処理できるかどうか?が、自分で気になるからだ。
(ま、こちらに関しては殆ど語っていないに等しいのでチンプンカンプンだろうが・・・w)

> いやいや
> 颯爽と現れるんじゃなくて
> ただ単に「そういう構造になっている」という事実がある
> という事だよ

再び笑かしてくれますねw(ちなみに「颯爽と現れる」は表現の仕方で遊んでみただけだよ。)
 > ただ単に「そういう構造になっている」という事実がある
これも、私や前スレ(前前スレ?)の248さん他がそう言っているじゃないですか。
 (もっとも、私が自分のスタンスに厳密に表現するならば、
  やはり、「そのようなものとして生じている。」とする所だがw)
523考える名無しさん:2006/03/05(日) 11:20:26
目の前にリンゴがあるとして.
それを見ている二人がいます.
僕の頭の中にあるリンゴと,隣の他人の頭の中にあるリンゴ.
この二人のリンゴの認識は違うように思います.
なぜなら,二人のこれまでの経験が違うので,認識したリンゴは
厳密には違うと思うのです.(色とか香りとか,好き嫌いで)
でも,目の前のリンゴは一つと物理的には認識?認定?されると思います.

そう言った,人間の認識と,物理的な記述を考えると.
物理的な記述とはどの様な所までの事になるのでしょうか?
(リンゴは記述できないのかな?
人間の認識を無視した記述となると,一体どういうことになるのか?)
もし,頭の中の色や香りの感じ方を観測出来る様になったとして,
二人の感じ方が違っていたら,どちらのリンゴが正しいリンゴ?
(まあ,これは,観測できたと仮定して,
更に観測結果が違っていたらと仮定する事になるのですが…)
524哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/05(日) 11:36:59
>>519
いい加減に理解できろよな
頼むぞ
「この机」なんて無い と言ってるだろ
「この机」は人間の概念なんだよ
単なる物質だ
物質は境目無くつながっていて、明確に線引きされた定義などないんですよ

>(1)「この私」は物理的に再現できないが、「この机」は物理的に再現できる
これはね↓
「私」は再現できない が、「机」は再現できる だろ
だから、「体」は再現できるが、「私」は再現できない
これで合ってるじゃないか
まだわからんかい???

>(2)「主観性一般」は物理的に再現できないが、「机一般」は物理的に再現できる
しかしキミは、とことんバカだな
「主観性一般」て、具体的には何の事だか わかってんの?
これは論じる場合にだけ便宜上で使う表現であって、具体的には存在しないんだよ
そんなものを再現する と言ってるけど、意味わかって言ってるのかね???
「主観性」というものは唯一絶対の「私」なんだよ
キミ達は、それを無視してテキトーに一般論として論ずる事ができると勘違いしているから
それは「自我一般」だろ と言って理解させようとしているだけだ
「自我」「主観性」というものは、それぞれが「唯一絶対」である事に変わりは無いんだよ
それを作る なんて言ってるけどさ
どこにも根拠の無いテキトー発言なわけよ
ただ単に、「唯物論は正しいんだから、できるだろう」
「できるに決まっている」というダケの思い込みであって
実は、何の根拠も無いんだよ
525哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/05(日) 11:53:58
>>520
アホだなぁ
キミはホントに応用力というものが無い人間だな

>>522
キミが本当に理解できているのか判断つきにくいんだよね
全体的に、なんだかスッキリしないんだよねぇ
抽象的な発言ばかりだしね
言いたい事を端的に説明してくれなきゃ
口の中で、モゴモゴ言ってたってわからんよ

ところで
前スレ20〜22って何?
それだけ書いたって、何のこっちゃ ってなるよ
こっちはそんな事とっくに忘れてるんだからね
そういう可能性は考えなかった?
526考える名無しさん:2006/03/05(日) 12:18:13
物理のいう物質と,哲学のいう物質と,唯物論のいう物質は同じですか?
527探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/05(日) 12:28:49
>>524
「この机」は人間の概念にすぎないって?
んなこたみんな分かってて聞いてるんだよ。「私」だって人間の概念だろーが。

>「自我」「主観性」というものは、それぞれが「唯一絶対」である事に変わりは無いんだよ
>それを作る なんて言ってるけどさ
>どこにも根拠の無いテキトー発言なわけよ

おう、それには同意するぞ。
前も言ったが俺の考えは「作れそうな気はするが、実際のところ分かりません」だからね。

で?「自我」が作れないって根拠あるの?

ここで最高位は「私」は「この私」であって「他人」じゃないってすりかえるんだよな。

最高位は、他人にも自我あるって認めるんでしょ?
んじゃ「私が1回死んで物理的に完全に再現されたら、それは他人だが自我を持つかも」
ってことになるじゃねーか。

自我が再現されないって言い切れるの?
528考える名無しさん:2006/03/05(日) 12:53:49
物理学も哲学も,極限まで突き詰めたら根拠の無い適当な事いってませんか.
そう信じているだけではないか.
しかし,何処まで突き詰めるかは学問によって違っていて,
構造的には一緒じゃないのかと
そんな感じがしてきた.
529探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/05(日) 13:12:08
>>526
ここでは特に区別されて使われてはないですね。

>>528
構造だけ見れば別に変わらないかと。
530考える名無しさん:2006/03/05(日) 13:12:25
えー
自我が主体の価値判断基準であるとして
では自我に対しての判断機構などは無いとします
形而上学的諸問題解決のためにね。
で、となると自我へのあらゆる考察はしてはならず、
自我が主体を働かせているとなれば
自我=運命
なのであります。これよく考えましょうね。
あらゆるものにおいて可能性を持つものがあるひとつの結果しかもてないのは
この運命が走させているからである。
そのとき主体はそれほどの「主体性」など発揮しない。
主体における可能性から無作為にひとつの結果を起こすもの
それが運命であり自我なのである。
531考える名無しさん:2006/03/05(日) 13:13:53
>>515
バカにするためにこのスレに来るんだったら単なるスレ荒しだな
続くようなら削除依頼出すけど
都合よくコテハンだし。
532考える名無しさん:2006/03/05(日) 13:26:00
>>499
ヒマ過ぎるので突っ込む。
>「時の権力が発行した(する)貨幣」
時の権力が造幣した貨幣
時の権力が発行した紙幣
時の権力が信用を与えた貨幣
時の権力が信用を与えた紙幣
時の権力が信用を保証した貨幣等
表現はいくらでもあるが、発行した貨幣は絶対におかしい。
まぁどうでいいけどな。
訂正後に間違いに気が付かない所に機械君の泣ける部分を感じる。
機械君は貨幣論でも読んだ方が良さそうだ。
貨幣の成立は、ある程度成熟した文明において、
余剰生産分を効率良く流通(交換)させる為に必要になった訳だ。
貨幣=食
貨幣=物
貨幣=女
貨幣=権力
まぁ流通するほぼ全ての商品に対して交換性があるって事だな。
それを、時の国家が保証する。貨幣とは国家権力そのものだ。
GDPの趨勢の範囲で発行される紙幣の『価値』は、
変動相場に於いて正にその国の国力をあらわす。
そして、高度な哲学や思想は富める国の自由な環境意外では発達出来ない。
煩悩が満たされた後に求める人間的思想ですら、
余剰生産(大多数の犠牲)とそれを成立させる貨幣経済体制の上で成る。
この国の富は世界トップレベル。
トップレベルの国では低レベルの思想哲学が許されるwww
庶民がクソを語れるこの国は相当なもんだと思うなぁ〜この板を見るとw
どうでもいいな。はーヒマだヒマだ。
533考える名無しさん:2006/03/05(日) 13:28:30
( ´,_ゝ`)と、この国での負け犬無職無収入ニートがなんかぶつぶついっております
534考える名無しさん:2006/03/05(日) 13:30:39
やり取りを見ていて,面白いので削除は
もう少し待ってもらえませんか?
この微妙な感じが,すごく良い感じ.
535考える名無しさん:2006/03/05(日) 13:40:09
>>470>>472
一言氏が挙げている喩えを云々してもどうかとは思うのですが、
「ある人間が妻に嫌悪感を抱いている」「この夫婦は離婚した」「この夫は欝
になった」という記述(史料)が残されていたとする。このなかで比較的、信憑
性を問うことができるのは「離婚した」かどうかだけでしょう。

この三つの史料を“視点”の高低はともかく、『から』で結びつけるのが歴史
的記述だとしたら、歴史家の力量というのは“物語”をつくる巧拙、説得力の
有無によって定まるということになります。一言氏は、そのことをを否定して
いるのか、仕方ないとしているのか、どちらですか。
一言氏は“ショート・ショート”ふうを良しとしているそうですが、そのほう
がむじんくんの“大河小説”あるいは“本格小説”よりも『嘘』が少ないとい
うことですか。
536考える名無しさん:2006/03/05(日) 13:44:39
なんか各人が「自分は賢い」オーラ見せびらかしたくて好き勝手書いてるって感じ。
だれかまともなひと。
流れと本題をまとめてよ。
537考える名無しさん:2006/03/05(日) 13:57:05
このスレの登場人物

「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I
むじんくん
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw
探求者 ◆IageKhlEwc
一言 ◆84DmbwrCHo
りくーつ・こねりー
ゾルレン
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo
素人
唯識 ◆Vidya0E1.s
練りわさび
538素人:2006/03/05(日) 14:02:22
>>525の発言に無茶苦茶ムカついたんだが、
この怒りは不当だろうか?  >>ALL
539一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 14:19:34
>>506
>もちろんそうです。だとしたら、それは史実をある体系から見るということになってしまいませんか。

その通りです。
私は「歴史はある視点(体系)を持たないと書けない」ということ認めます。
これは絶対的歴史・客観的歴史の否定という立場になるでしょう。
問題は体系の大きさです。そのための長編小説とショートショートの区別ですから。

>これで思い出したんですけど、丸山真男の「日本の思想」というのありますね。あれと似てます。
>思想史が日本に無いという話で、結局個別の思想家がショートショートとして読まれちゃうので
>歴史にならないと。「そうですか、そういう意見もありますねぇ」となってしまうと。

私はこれは間違いだと思っています。
それどころか、「西洋の思想」なんていうのは「日本の思想」と同じくらい幻想だと思っています。
西洋の場合は、「それがあるかのごとく記述するので、あるかのように見える」だけではないでしょうか。
その際、多くの思想家が異端として見過ごされることになります。
この辺は、思想史とは何か、という大きな問題とも絡みますが。

>その意味で、一言さんもポストモダンですね(笑)。

結論が部分的にポストモダンと類似する、というのはあると思います。
私は別にそれを否定しません。
540一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 14:26:52
>>535
>「ある人間が妻に嫌悪感を抱いている」「この夫婦は離婚した」「この夫は欝
>になった」という記述(史料)が残されていたとする。このなかで比較的、信憑
>性を問うことができるのは「離婚した」かどうかだけでしょう。

これは場合によります。つまり史料の状態ですね。

「xは妻に嫌悪感を抱いている」という三人称の記述なのか、
「私は妻に嫌悪感を抱いている」という一人称の記述なのか、
「夫は私に嫌悪感を抱いている」という実は妻側の視点なのか。

この時、「私は妻に嫌悪感を抱いている」という史料と、「彼は離婚したらしい」という
噂の記述があるならば、嫌悪感という感情の方が離婚という外的行為よりも信憑性が
高い、ということになると思います(感情よりも行為の問題のほうが信憑性を問い易い、
というのはやや偏見だと思います)。

後は、どのような補強史料がどの点についてどれだけあるか、です。
541考える名無しさん:2006/03/05(日) 14:29:08
(感情よりも行為の問題のほうが信憑性を問い易い、
というのはやや偏見だと思います)。

なんでも言えば良いってもんじゃないってことを学びましょう。
言葉遣いだけ丁寧で
言っていることはDQNそのもの。
542一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 14:35:31
>>535
>この三つの史料を“視点”の高低はともかく、『から』で結びつけるのが歴史
>的記述だとしたら、歴史家の力量というのは“物語”をつくる巧拙、説得力の
>有無によって定まるということになります。一言氏は、そのことをを否定して
>いるのか、仕方ないとしているのか、どちらですか。

「から」で結び付けるのが歴史的記述の仕事だとは思いません。
別に「aだった」「bだった」「cだった」でもいいわけです。
他方で、例えば、「aだったんだから史料には無いけどdだったんだろう」ということ、
あるいは、「aだからbだったんだろう」ということも、歴史の仕事に含めていいと
思いますし、実際的には含めざるをえないでしょう。そして、これが巧拙・説得力の
差を有する、というのも認めます(さらに、これを「仕方が無い」と諦念的に表現し
はしません)。
但し、歴史を「物語」と表現するのにはいささか躊躇しますが。

>一言氏は“ショート・ショート”ふうを良しとしているそうですが、そのほう
>がむじんくんの“大河小説”あるいは“本格小説”よりも『嘘』が少ないとい
>うことですか。

ショートショート風を「良し」とするというよりも、「私が見てきた中では、長編大河で
私が強い説得力を認めたものはない」ということですね。あと、説得力とウソの関係
はそんなに強くないと思います(非常に説得力のあるウソ、というのもあります)。
543考える名無しさん:2006/03/05(日) 14:37:22
>>532>>498
暇にあかして、そのような細かい突っ込みをしなくても>>498の文章には、
機械氏の不思議さ滑稽さが洩れなく表現されています。
機械氏によれば、異性を欲しがるのも、カネを欲しがるのも間違っている
らしい。脳を観測すると、第一義的な欲望は前記の二つではない、という
のである。それが何か教えていただきたいものです。
もし機械氏の言うとおりだとしたら、なぜ脳は第一義を欲望しないで「異
性とカネ」を求めてしまうのか。機械氏は「理念」ではなく、機械的唯物
論・決定論で説明していただきたい。

もう一つは、あなたに対する質問です。
貨幣と国家は共闘しつつも“抗争”しているようにみえます。すでに、部分
的には貨幣の“交換価値”は国家のそれを超えているのではないですか。
たとえば、ホリエモンはそのことを知っていたように思えます。彼は、資本
のシモベたろうとしたわけでしょう?なぜ国家権力にスリ寄ったのか。それ
は、貨幣・資本に対する裏切りではなかったのか。いかがですか。

544哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/05(日) 14:38:58
>>538
だから
何でムカついたのか、ハッキリと具体的に言わないとわかんないだろ
口の中でモゴモゴ言ってたって伝わらんのよ
545一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 14:40:05
>>542
訂正

×「から」で結び付けるのが歴史的記述の仕事だとは思いません。
○「から」で結び付けるのが歴史的記述の*主要な*仕事だとは思いません。
546哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/05(日) 14:50:46
>>527
>「この机」は人間の概念にすぎないって?
>んなこたみんな分かってて聞いてるんだよ。「私」だって人間の概念だろーが。

そこが甘い
単なる概念ではない
「私」は概念の主体
主体的存在性
概念が存在する とした時点で、主体を認める事となる
その存在性を、自我意識によって認識している のであって
価値観による曖昧な概念である「この机」と同じに考えちゃう所が甘い

>で?「自我」が作れないって根拠あるの?

はぁ・・・(ため息
今まで、いったい何を読んできたんだよマッタク・・・
思った通り
な〜んにも理解できていないんだねキミは
あきれた
547素人:2006/03/05(日) 14:53:32
>>544>>525
> 抽象的な発言ばかりだしね

貴方のほうが抽象的な発言ばかりではありませんか!

> 言いたい事を端的に説明してくれなきゃ
> 口の中で、モゴモゴ言ってたってわからんよ

私が、どれだけ手を変え品を変え言葉を重ねてきたか・・・。
何度、途中で、まとめレスを挟んできたか・・・。
それを、(前スレ20〜22は貴方へ向けたレスではなかったものの)
 > ところで
 > 前スレ20〜22って何?
 > それだけ書いたって、何のこっちゃ ってなるよ
 > こっちはそんな事とっくに忘れてるんだからね
こんな風に言われたら腹も立つさ。
548考える名無しさん:2006/03/05(日) 15:07:13
549考える名無しさん:2006/03/05(日) 15:09:18
>>548
蛇口は水を出している。水道管があるから、蛇口が水を出しているんだ!
550考える名無しさん:2006/03/05(日) 15:29:14
最高位のもったいぶった言い方は
自分と同じ考えを持った人が現れるのを恐れてるんだな
おまいの考えてることはお見通し
特に素人、探求者あたりはね
最高位の「私」とやらもたかが知れてるな。
551哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/05(日) 15:29:46
>>547
>私が、どれだけ手を変え品を変え言葉を重ねてきたか・・・。
>何度、途中で、まとめレスを挟んできたか・・・。

そんなん知らんよ
それを言い出したらキリが無いだろ
みんなだって同じなんだよ
もう一度言うよ?
「何が言いたいのか、よくわからん」
すまんけど

今日は離席しますね
552532:2006/03/05(日) 15:49:59
>>543
本題とは関係ねーなしかし。
>貨幣と国家は共闘しつつも“抗争”しているようにみえます。
ありえません。
ここが根本的に間違えた視点なので以下全てトンチンカンですね。
発行の権利を巡る抗争ならわかるけどね。
そだとしても国家の範囲無い。
貨幣そのものが国家を超える事はありえないw
君、どうにかしちゃってるよw
例えば、日銀法でも日銀の独立性が問われる。これは権利抗争だ。
戦後から続く、旧大蔵(財務)と日銀(中央銀行)の権力抗争。
まぁどちらにせよ国家の範囲内だけどなw
>部分的には貨幣の“交換価値”は国家のそれを超えているのではないですか。
意味不明wしかも抽象的すぎる。
仮に俺が気が付いてない盲点があるなら具体的に提示してもらいたいなぁ〜
交換価値が国家のそれ?それとはなんだよ?w
紙幣が国家権力を超えてるって言いたいわけ?w
ありえんよw
553考える名無しさん:2006/03/05(日) 15:50:55
まだ最高位なんて馬鹿相手してるのか?
私というメタ・ゴクニションに絶対性をおいても無駄
「私」をもたない人や生物は存在意義が消えてしまうだろ
554532:2006/03/05(日) 15:50:56
>>552

続きだw本文が長すぎるとよw2chも疲れるなw

日銀と財務省が『明日から日本円は廃止します!』といえば紙切れになるw
明日から日本クソという通貨を使用します!と言えばいいだけだw
日銀券を受け取って喜んでるのは国家権力に踊らされているのと一緒だw
>ホリエモンはそのことを知っていたように思えます。
オマエ格好付けてるけど何もわかってないなw
だからwオマエの前提が間違いw
1:ホリエは会計手段を用いた『信用創造』と、
2:それを以って株式市場にて『株価と日銀券へ転換』し、(時価総額経営による株価操作)
3:『問題企業への分配』を行った。
当然、ファンダメンタルに対抗する手段な故、バブルは崩壊する。
ライブドアが行った事は、一連のバブル崩壊からの日本経済の問題へも繋がる。
それはまだ、庶民の目に晒されて居ない。
晒しても、基本的構造を理解出来ないだろうしな(爆)
上記1〜3の流れすらメディアで問われる事は無い。
近い将来『ライブドアの真実』などと言うお題目で本でも出るだろう。
アホでヒマな経済学者か評論家が執筆でもしてるんじゃね?www
アホ臭いwちょっと見れば何をしてるかわかるだろw
貨幣紙幣への裏切りねぇ〜まぁここだけは少し近いかなぁ〜裏切りねぇ〜
まぁ、架空帳簿にて信用創造を行い、架空を日銀券に転換したって事で・・・・。
ん〜貨幣への裏切りでは無いね。単純に市場への裏切りだね。
しかし、wまぁいいよw
555探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/05(日) 16:28:42
>>546
その発言の内容は全て>>511で予測されてますよw

>>552>>554
>日銀と財務省が『明日から日本円は廃止します!』といえば紙切れになるw
>明日から日本クソという通貨を使用します!と言えばいいだけだw

日本円←→日本クソの交換レートも設定せずに、勝手に廃止したら政府潰れるよ。
いくら温厚な日本人でもこれは黙っちゃいない。
つまり、政府は紙幣を紙切れにしたくてもそんなことは絶対にできないし、
日本円廃止したけりゃ新紙幣との交換可能性を保たなければ「いけない」。

あと、政府が何を言おうとと変動相場制なんだし、紙幣乱発したら確実に価値が下がる。
ということは(他の通貨との)交換可能性が紙幣の価値を規定してるということ。

以上より、紙幣の信用保証が国家の範囲内というのはウソだと思うぞ。
556考える名無しさん:2006/03/05(日) 16:50:19
遠い未来の東京にA君(20)がいました。しかし、A君は交通事故で
帰らぬ人になってしまいました…しかし、未来技術でA君が死ぬ寸前の状態を
分子レベルで再現したらA君の二十年間の記憶は失われないんですか?
つまり、記憶も分子で再現できるものなのですか?
557532:2006/03/05(日) 17:08:56
>>555
嘘?w笑っちゃうね君w
>紙幣乱発したら確実に価値が下がる。
これを量的緩和と言うだろ?w量的緩和は政策だw誰がやってると思ってんの?w
>以上より、紙幣の信用保証が国家の範囲内というのはウソだと思うぞ。
論外wオマエらやっぱり馬鹿丸出しw紙幣を見てみろよw
日本銀行券の押印があるだろうw
『ただの紙が政府によって保証されている』だけだよw
信用保証は国家によってのみ成されるw
そもそも、信用創造は『法で定義』されてる事なんだよ?w
その法に則って『紙幣は運用』されているんだよ?w
オマエ本当に笑われるぞwよくそんなんで生きてるな?w
>いくら温厚な日本人でもこれは黙っちゃいない。
大戦直後に預金封鎖は行われているw紙幣乱発による国家的危機はナチスを生み、
タイバーツの暴落も生んだwブラジルの財政悪もこれが原因だw
全ては国家権力が行った事だwオマエ論外w
>つまり、政府は紙幣を紙切れにしたくてもそんなことは絶対にできないし、
日本円廃止したけりゃ新紙幣との交換可能性を保たなければ「いけない」。

そんな法律は何処にも無いwそんな決まりは何処にもないw
信用とはそもそも相互の自己責任により成立するw
>>>日銀券をより多く保有する事は自己の責任の範囲による<<<
これ当然の事だよwオマエのような貧乏人には縁が無い話だけどなw
相応の資産を有するものは、日銀券の『リスクヘッジ』として、
様々な形態の資産を余裕する。日銀券の『リスク』を低減させる為にだなw
これが資産運用上の分散だwオマエwクソガキの戯言ばかり言ってないでw
『信用崩壊』って検索して調べてみろよwそれからなwそうだなw国債の乱発。
この国の国債発行とその仕組みに、これに連動する紙幣価値w
まぁいいよw大恥です。
>>>以上より、紙幣の信用保証が国家の範囲内というのはウソだと思うぞ。<<<
地球は四角だと言ってるのと同義w間違いなくこいつは未青年で世間知らずのクソガキw
厨房だなwまw頑張れよ!
558りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 17:10:06
>>556
A 君の意識は連続していないから、元の A 君とは別人だと俺は思う
世界の一部として、同一構造の人が再現された、ということだと俺は思う

A 君のいる世界にもう一人の同一構造の A' を再現しても、
A 君が思うことは A 君が思うことであり、
A' 君が思うことは A' 君が思うこと、と俺は思う…
559532:2006/03/05(日) 17:16:33
>>555

>日本円廃止したけりゃ新紙幣との交換可能性を保たなければ「いけない」。

この最後の『全く根拠の無い』「いけない」発言からw
探求者君の脳内構造がとってみれるw
勝手な決めつけw勝手な妄想w
勝手な妄想の上で展開される探求者君だけの世界w

自信をもって『いけない』・・・ッブw
オマエが法か?w
この一言で彼の過去発言は全て否定されたと同然w
程度バレバレw論外だな論外w

「いけない」←は?w何勝手に決めてるわけ?w
常識の無い者に哲学が語れるのか?w

終わり終わりwここの板w終わり〜wはははw
560532:2006/03/05(日) 17:28:48
>>559

ままw俺は優しいからさw教えてやるよw

今般だなwニュースとかで『リフレ論』とか『インフレターゲット』とか言ってるだろ?w
検索して調べろなw
あぁ後はデフレも検索しろなwあぁついでにデノミネーションも調べろなw

哲学最高位だか最低位だか知らんがw
言っちゃってる事は小学生レベルだろw
こんなの相手して楽しいか?w
最初は楽しかっただろうなぁw
そのうちw小学生を相手にし続けw『俺って頭いいの』とか勘違いしてない?w
これを小学校教師症候群と言うwww

農業高校卒の学校教師が勘違いする現象だw
人は、愚かすぎるw
俺もここに長居すると勘違いしそうだから退散するよ(爆)
561考える名無しさん:2006/03/05(日) 17:45:58
>>558
じゃあ睡眠や気絶で意識の連続が一時的に途絶えたら、
そのあとは別人なんですね。
562考える名無しさん:2006/03/05(日) 17:52:35
>>532
もうquitしちゃったかな?
>貨幣の成立は、ある程度成熟した文明において、
>余剰生産分を効率良く流通(交換)させる為に必要になった訳だ。
まあねえ、そーなんだけど〜〜〜〜〜。
やっぱりねえ、経済人類学が持ち出す例なんかみるとね、
やっぱりね、近代合理主義での説明は無理があるのではないかなあ。
563543:2006/03/05(日) 17:55:45
>>554>>553
多少、格好をつけるのが好きだし、何もわかっていないことも本当だが、あな
たも「国家は共同主観(幻想)の最終形態」に類する相当に古い“国家観”に立脚
して喋っているようだ。これは『円』についてさえ、部分的には当てはまらない
のではないか。
まして『ドル』となれば、しばしば“国家”を超えて動く。ドルは過去、途上国
を実質的に“購入”したことさえある。実際にそれを手がけるのはドル(貨幣)の
シモベたる多国籍企業である。むしろ、米政府は国際的には多国籍企業に追随
させられることが多いのではないか。

今回のイラク戦争も国家権力の主体的な発動なのか、多国籍企業の意思に動かさ
れているのか、まだわかっていないはずである。


564考える名無しさん:2006/03/05(日) 17:57:28
>>532
行動経済学とか神経経済学とかね、経済学も「彼岸」の世界に
迫ってきているようだよ。
565考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:17:06
561
睡眠時でさえ脳内は活動していますから
活動のレベルが落ちているだけで活動の連続性は保たれています
566りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 18:20:37
>>561
人の意識の連続って記憶が保証すると思うんだよ

A 君の意識が A 君の意識に連続してるって考えられないかな
A' 君の意識が A' 君の意識に連続してるって考えられないかな

A 君の構造が A 君の意識を再現してる
A' 君の構造が A' 君の意識を再現してる

A 君が経験することは A 君が経験する
A' 君が経験することは A' 君が経験する

A 君が A 君の経験を A 君が記憶をしてる
A' 君が A' 君の経験を A' 君が記憶をしてる

例えば、A 君が記憶喪失になっちゃうとするよね?
ある意味、人としては別人になっちゃうと思うんだよ
でも、A 君は同じ世界の一部の同一の A 君ってな感じ
567考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:22:53
活動の連続性が意識の連続性で、意識の連続性がその人の同一性なのですね。
じゃあ事故の衝撃などで短時間でも身体の活動が停止し、
電気ショックなどで活動再開した場合は、その後別人になるのですね。
568考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:24:54
>>566
では、B君という人がいたとして、A君の記憶を彼に植えつけることができれば、
A君とB君は同一人物なのですね。
569考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:26:14
脳内の血流が停止=脳死したらお終い。
心臓がとまっても若干動きがあれば助かる
570考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:28:41
>>568
A君の記憶をもったB君。
571考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:29:35
>>568
将来の医療の進歩により蘇生が可能になることを期待して、
遺体の凍結保存を請け負う会社がありますが、あれは詐欺なんですね。
572一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 18:30:35
>>566
意識の連続が仮定されてるから記憶の連続も仮定される、とも言えませんか?

例えば、「私が記憶してることは私の記憶である」という命題は、既に、
「私は私で在り続けている」ということを前提にしてると思うんですよね。

また、例えば、A君が記憶喪失になっても、

「記憶が無い空白の期間も私は私だっただろう」

とA君は考えるでしょう(でなければ、「私の記憶を回復したい」と言う欲求がよく分からない)。
573考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:30:37
>>570
じゃあ記憶は関係ないということですね。
574りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 18:31:15
>>568

>>558
> A 君の意識は連続していないから、元の A 君とは別人だと俺は思う
> 世界の一部として、同一構造の人が再現された、ということだと俺は思う
>
> A 君のいる世界にもう一人の同一構造の A' を再現しても、
> A 君が思うことは A 君が思うことであり、
> A' 君が思うことは A' 君が思うこと、と俺は思う…

で、

>>566
> A 君の構造が A 君の意識を再現してる
> A' 君の構造が A' 君の意識を再現してる

というのじゃ、納得いかない?
A 君は A 君で、B 君は B 君…
>>570 氏のいうような B 君なだけ、と俺は思う
575考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:31:45
>>571
じっさいに蘇生=実験してみるまでは結論はでません
576考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:32:54
絞首刑なんかもね、人類学的に見ると面白いものがあるよね。
577考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:35:43
>>573
記憶にも種類があります。
手続き記憶は身体運動とセットになっていますので
身体が入れ替わると無理です
578考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:39:28
皆さんの意見をまとめると、
人物の同一性は、意識の連続性でも、記憶でも、身体活動の連続性でもなく、
身体構造の連続性ということでしょうか。
579543:2006/03/05(日) 18:42:27
>>557>>559>>560
退散する人間に言ってもしかたないが、過剰なほどのル・サンチマン
をみせつけられましたね。

それにしても政府筋の人間だから、国家に仕えている、という短絡的
な見方。ブッシュが「自由と民主主義のためテロと戦う」としながら、
その実、石油資本を初めとする多国籍資本の利益を追求していない保
証がどこにもないように、日本の政府筋の人間もそう単純ではないの
である。

また恨みに侵されると、矛盾に気がつかないらしい。「紙幣乱発による
国家的危機はナチスを生み」。  この頃すでに貨幣は政府単独の意思
(政策)の手に余る“怪物”に育っていたことがわかる。この“怪物”は
取り扱いが難しく、一つ誤ると『国家』を滅ぼす。
580考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:49:58
>>577
身体の一部を移植したり機械に置き換えたりする技術が進歩してきていますが、
仮に、B君が脳死し、A君の脳以外の部分に重大な機能不全が起きた場合、
A君の脳をB君の体に移植する技術ができたとして、実際行ったとすると、
それはA君でもB君でもないということになるんですね。
581543:2006/03/05(日) 18:51:29
>>547
素人さん、余計なお世話ですけど、そろそろ最高位との論争は「お開き」に
したらいかがですか。私自身は、あなたの“縁起としての私”に与しますが、
一旦、鉾をおさめて、最高位には別の質問をしませんか。
582考える名無しさん:2006/03/05(日) 18:55:30
移植手術(何の移植かは忘れました)の後に提供者の記憶がまじるような事例をきいたことがあるよ
これは、脳以外にも記憶に関連する部位があるかもしれないってことなのかなー??
583りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 19:05:50
>>578
身体構造の連続性だけでは、人を物体のように識別する意味しかない、と俺は思う…
584考える名無しさん:2006/03/05(日) 19:10:05
>>583
人の識別とそれ以外の物体の識別には、
識別する側にとってどのような違いがあるのですか。
また識別される側にはどのような違いがあるのですか。
585りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 19:18:20
>>584
識別する上では、B 君であるけど、A 君の記憶を持った B 君は、身体的に B 君であっても、
もはや、人物として B 君じゃない、と俺が思うからなんだけどね
B 君にとっても、以前の B 君ではないと思う
586りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 19:22:41
というわけで、

>>574
> A 君は A 君で、B 君は B 君…

A 君は A 君で、B 君は A'' 君…

に訂正させていただきます
587考える名無しさん:2006/03/05(日) 19:36:47
> 意識の連続
がキーワードになってるみたいだね。
よくね、お酒を飲んで意識無くなっちゃうし、
毎晩寝るよね、これでも意識無くなっちゃうよね。そーすると、私は年末年始
には特に私で無くなっちゃうのかな?
「そーではない!私とゆーselfの連続性が大事なのだ」でもね、それは意識が
ないとそーゆー認識もないよね。

588一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 19:37:52
>>584
>A 君の記憶を持った B 君は、
しかし、B君がA君の記憶を持ってるかどうかは、結局、外観から
判断するしか無いのではないですか(声は音波ですし)。

B君にA君の記憶を移植できたかどうかの判定も、そうなのでは。

こねーりさんが神の視点を持てる、というのは別ですが。。。
589一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 19:39:33
というか、「記憶の移植」というのが何をやってるのか、ということですね。
「A君の記憶」「B君の記憶」を直接知覚できる、というならば、神の視点が
前提になってるように思います。そういう前提でやるのですか?
590考える名無しさん:2006/03/05(日) 19:43:41
A が「 B の記憶を移植された!」と認識できるかどうかは怪しいよね。
仮に、認識できるんなら A は A としての自覚を失ってないはずだ。
でないと、「自分の中に他人の記憶が移植された」なんて考えられないだろうからね。
591考える名無しさん:2006/03/05(日) 19:45:19
これって永井均がなんかで論じてなかったっけ?
結論は出てなかったが。
592考える名無しさん:2006/03/05(日) 19:49:57
>>591
あれは問題が似てるようで違う。
今問題になってるのは、

A の記憶を B に移植した時、B は 依然 B なのか、を第三者がどうやって判定するのか?

>>585
>識別する上では、B 君であるけど、A 君の記憶を持った B 君は、身体的に B 君であっても、
>もはや、人物として B 君じゃない、と俺が思うからなんだけどね

永井が問題にしたのは、

私の意識を他人に移植した時、私はどうなるのか?

>>585
>B 君にとっても、以前の B 君ではないと思う
はこれに近いが、ただそれはりくつこねーりが判断する問題ではない。
永井の「この私」は「他の誰にも知りえない私」なんだから。
593りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 19:52:13
>>587

>>566
> 人の意識の連続って記憶が保証すると思うんだよ

という認識だけど、おかしいのかな?
594考える名無しさん:2006/03/05(日) 19:54:46
>>593
それって逆でもいいんじゃね?

「記憶って意識の連続が保証すると思うんだよ」

意識の連続が無ければ「あれは俺の記憶だ」と言えない。
595考える名無しさん:2006/03/05(日) 19:57:20
重大なお知らせがあります:

記憶が移植できもしないのに
できる前提で議論しないでください
できてから初めて議論する価値がでてきます
人が鳥のような空を飛べるようになれば
チャリンコは必要なくなるか?と真剣に議論しても無駄です
できるようになったら実際に実験して確かめれば済むことです
596素人:2006/03/05(日) 19:57:56
「動き」は存在する。
「愛」は存在する。
「国家」は存在する。
「小泉劇場」は存在する。
「いじめ」は存在する。
「トリノオリンピック」は存在する。
     ・
     ・
     ・


「私」「我」は存在する。
597素人:2006/03/05(日) 19:59:24
>>551
本気で言ってんのか?(怒
発言するたびに、過去の書き込みを全て貼り直せと言うのか?
要点をまとめろと言うだろうが、同じだ。
発言するたびに、過去の書き込みをまとめたものを付加していけと言うのか?
どうしても必要だと思えば、引用もする、再掲もする。
が、便を図ってレス内容の引用も加えれば、それだけで行数を消費する。
行数制限の中で、削って削ってダイエットさせつつ
ポイントを押さえることが難しいことは、貴方もよくわかってるでしょう?
それをさらに短くすることは、誤解の元を多くするだけで、たいしたメリットはない。(リンクを貼ればよかったですか?)
それでも、「こうですか?」「こうですか?」と自分なりにまとめたりもした。
貴方以外の人に答えたこともあった。言い直し・書き直しもあったかもしれん。
けれども貴方は、近くの単発レスには反応し、まとめはほとんど無視。
レスが返ってきても、ほんの数行にしか触れない。(他の部分はどうなの?って思うよ。)
そのくせ、レスが流れた頃に蒸し返してくる。(それ、アンタがスルーしたとこだよw って思うよ。)
(私のことを完全スルーしてるわけでもなさそうだしw)

連投規制がなければ、(辿れる書き込みに限られるが)いくらでも貼りますよ。
それとも、まとめサイトのようなものもあるようなので、そちらのリンクを貼ればよいですか?


 > こっちはそんな事とっくに忘れてるんだからね

三歩歩いたら忘れちまう鳥じゃねーだろ。
これまでのレスを、読んでないなら読んでないと(読む気もないwと)、
はっきり言ったらどうだ? その方が、まだなんぼか清々しい。
598考える名無しさん:2006/03/05(日) 20:00:29
>>582
うん。肝臓の移植だね。肝臓は巨大な化学工場だから、そこから
作り出される化学物質が微妙に影響するのだろうね。
>>598
"bottom up"にゆーとそーゆーことだよね。で"top down"にもね
言えると思うよ。つまり、「記憶は脳を含む体の分子構造だ」と
ゆー前提が暗黙のうちに仮定されているとゆーね。
で、めでたくこの板のテーマ、唯物論に関係して来るのかな。
599素人:2006/03/05(日) 20:00:46
>>581
最高位を相手にし続けるなら、はっきりさせなきゃならない部分だと思う。
まず、『「深淵を覗く者」以外は種々の関係性に依っている』という視点に彼が首肯するかどうか。
しないならば、>>259>>596前スレ20〜22をとっかかりに、
『およそ存在するものは、(時間的因果関係も含め)種々の関連そのものである』という視点を、
賛同・反対どちらでもいいが、頭の隅へ受け入れてくれるよう説明し直さねばならない。
もし、『「深淵を覗く者」以外は種々の関係性に依っている』という視点までは了承するなら、
そのとき初めて、『「深淵を覗く者」も、ある条件下にそこに生じている』
という視点・解釈の方法が妥当かどうかに話が移せる。

ということで、
>>410 >>435 >>478を受け入れるのか、拒絶するのか、どっちだ?w  >>最高位

ところで、別な質問ってどんなの?  >>581さん
   ∧_∧
   ( ・∀・)ワクワク
 oノ∧つ⊂)
 ( ( ・∀・)ドキドキ
 oノ∧つ⊂)
 ( ( ・∀・)ハラハラ
 oノ∧つ⊂)
 ( (;・∀・)オモイ・・・
 ∪( ∪ ∪
   と__)__)


てか・・ そろそろ潮時か・・・


あ、それから、「こねりー」さんだと思うんだけど・・・
みんなわざとまちがえてるのかな?
600一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 20:05:55
探求者さんやりくつさんの問題意識を守るならば、これは実験できない
と思うんですよ。

というのは、実験する、ということは、既に「外面的観察に任せる」という
ことであり、「他人の意識は直接認識できない」という非外面的な定義に
反するからです(探求者さんやりくつさんが、そう考えてると仮定しての
話ですが)。
601探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/05(日) 20:08:01
>>557>>559
おまえきもちわるいやつだなー
煽りに来ただけのくせにこんな長文かよーこわいなぁ

>>582
そんな話あるんだね。
記憶は偏在するっていう京極夏彦説の補強になるかもなw
602考える名無しさん:2006/03/05(日) 20:18:35
600
実験にもいろいろあるけど?
実験したことないでしょ?
童貞がセックス語るな
603りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 20:19:03
>>592
永井さんって人を俺は知らないし、永井さんという人の「この私」を俺は知らないんです
永井さんって人の話を前提に話してたつもりではなかったりするんです
不勉強で申しわけない…

>>594
あなたのいうとおり、そう考えたほうが、おかしくないね
今日、唯一の収穫なのでした
604りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 20:25:17
>>600
勝手に適当な他人の問題意識を語らないでください
私の問題意識とあなたとは何の関係ありません
605考える名無しさん:2006/03/05(日) 20:28:15
>>600
ってか、ここで言われてる記憶ってインプット(体験)・アウトプット(対外的な記号化)
の途中のブラックボックスみたいなもんでしょ。インプット・アウトプットをだけ見る実証科学
が扱うもんじゃないのではないか。
このスレの流れ的に、「脳の状態が実験の結果こうなってる」と言っても、「それは
脳と意識の関係を前提としているから結論先取りだ」と言われちゃうんだろうしな。

「意識」の座を定めてくれないと実証科学は手足が出ない、というか興味を持たないw
606594:2006/03/05(日) 20:36:14
>>603

>>594>>572で一言が指摘してることの繰り返しなんだけどね。

まあ、それはいいとして、

「意識が記憶を保証するのか?」
「記憶が意識を保証するのか?」

はどちらとも言えないんじゃないか。
607594:2006/03/05(日) 20:39:14
もう一点、一言は>>572で、

意識の連続が仮定されてるから記憶の連続も仮定される

と言うが、これはちょっと変ではないか?
俺から見れば意識も記憶も非連続的だ。
俺は寝てる時に意識がある、なんて言わないし、俺は人生の全てを記憶している、
とも言わない。意識の連続も記憶の連続も仮定する必要はないんじゃない?
608りくーつ・こねりー:2006/03/05(日) 20:41:44
>>606
>>587 氏の内容を読むと、そう考えたほうが合理的だなあ、と考えたんだけど、
おかしいのかな?
609一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 20:43:08
>>604
そうですか、失礼しました。

>>605
むしろ、「私が実験できない」という理由は、

「何が観測されたら記憶の移植ができたとするのか?」

のまさにここが問題であり、かつ、その解答が与えられていないからです。
つまり、「何の実験をするの?」に「それを議論中」ということですね。
610一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 20:48:05
>>607
そうですね。連続性ではなく同一性が問題ですね。
「意識の同一性を仮定するから、記憶の同一性も仮定される」

ただ、「必要」という言葉を使うと、

「昨日の私と今日の私を同一と仮定する必要も(絶対的には)ない」

と言えるように思います。
611考える名無しさん:2006/03/05(日) 20:53:22
>>609
>「何が観測されたら記憶の移植ができたとするのか?」
うん。人工知能の問題と同じだよね。
頑張って、がんばって、がんばって、がんばって、がんばって、
機械に人間と同じ知能を持たせたと思ってもねえ。
「どーやって検証するの?」とね。
チャーチの検証(「検証」だったけ?)なんてね、外人の名前
だからありがたそうだけど、ほんとにそれでいいのかな?
612探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/05(日) 20:53:28
>>607
まさにそれを俺も考えてたが、連続性や同一性はどうも「違和感のなさ」
とかいう曖昧なものに担保されてそうだぞ

例えば、昨日のある時点で自分はこんな顔だったって記憶と今朝の自分は
こんな顔してるって意識を照らし合わせて、「違和感のない程度の変化」
ならば連続してる・同一であるとみなされるっていう感じ

記憶や意識の連続性は基本的に仮定されてるっぽいね
613594:2006/03/05(日) 20:54:43
>>608
別におかしくは無いんじゃない?
どちらとも言えるというだけで。

>>610
でも、「昨日の私」ってのも記憶ではなかろうか?
だとすると、記憶=私と言っても良さそうな。
614一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/05(日) 21:01:39
>>611
ここなんかはいろな見解があって面白いですね。
ttp://www.hatena.ne.jp/1138120442

>>613
記憶=私だと「記憶の同一性は私の同一性」で、結局、
「記憶を文の先頭に置こうが私(意識?)を文の先頭に置こうが同じである」
ということになりますね。

しかし、「私は2005年1月1日の正午に何をしてたか覚えていない、
ゆえに、その時、私はいなかった」とは思わないですが。
615594:2006/03/05(日) 21:05:11
>>612
それは現実的な答えだけどね。
要は、俺がそれらを同一と感じるかどうかだ、と。
ただ、そこで議論は打ち切りになってしまう。

>>615
>しかし、「私は2005年1月1日の正午に何をしてたか覚えていない、
>ゆえに、その時、私はいなかった」とは思わないですが。

そうきたか。
これはちょっと降参w
記憶=私はあまり支持できんな。
616594:2006/03/05(日) 21:08:15
間違えた。>>614ね。
617考える名無しさん:2006/03/05(日) 22:13:43
>>527
>「私が1回死んで物理的に完全に再現されたら、それは他人だが自我を持つかも」
>ってことになるじゃねーか。

横レスすいません。この話は前に最高位を相手にやったことがあるんですが、
その「他人だが」というのは、「誰にとって」他人なんでしょうか。
例えば、本能寺で死ぬ寸前の織田信長の体を、全能の神様が現代に物理的に
全く同じに再現したとします。(論理的には、不可能ではありません)
精神に関する唯物論的理解が正しいならば(この話と唯物論が関係するのは
ここだけですが)、精神(記憶意識その他)も、同時に再現されます。
すると、その人の主観(この私)にとっては、自分は戦国時代を生きてきた
「織田信長」以外の、何者でもないと思います。
要するに、織田信長その人が、現代にタイムスリップしてきた、という
状況と、物理的にも精神的にも完全に同じ状態なのですから。
「わしは光秀の裏切りにあって自害する寸前であったに、気づいたら突然
周囲の光景が一変してしまった! この面妖な世界は何じゃ!」
とか思うでしょう。
では、その人は、「戦国時代の織田信長」にとって他人だ、ということで
しょうか。しかし、それもおかしいのです。何であれ「過去」はすでに
存在しないので、存在しない人にとってどうであるか、などという言い方は、
意味をなしません。
結局、現代の第三者から見て客観的にどうか、ということですが、
現代の信長と戦国時代の信長はあくまでも別人だ、と見るか、
いやこれはまさに戦国時代の織田信長その人だ、と見るか、それは
もう「解釈」の問題でしかないと思います。ただ、通常は
肉体の時空的連続性がないので、「別人だ」と解釈する人の方が多いでしょう。
この話は、基本的には「死んだ私と再現された私」でも「百年の冷凍睡眠から
覚めた私」でも「寝る前の私と起きた後の私」でも同じことだと思うのですが、
いかがでしょう。
618むじんくん:2006/03/05(日) 22:38:47
>>508
> これ以上わたしはくだらない言葉遊びを続けたくないのですが

あはは。いや割と常識的なことしか書いてないつもりですけどね。

> 昔の貴族社会は民族意識が成立していないということですか?

どうも前提となる知識が違っているようなので簡単に私の認識を書いてみます。一つだけ誤解しないで
いただきたいのは、私はナチが理性主義とは考えてません。ナチは反理性主義であり、しかしそれは
近代的理性と相補的な関係にあるという考えです。

近代的民族意識というものが成立するにはいくつかの前提条件があります。一番重要なのは言語の
統一性です。これは言文一致と義務教育制度、そして言文一致の文章を広めるためのメディアが必要と
なります。近代の発明として印刷術というのが教科書に出てきますが、これがテクノロジーとして重要な
わけですね。言文一致は書き言葉が人々の知性ではなくて心情に訴えることを可能にします。

同じ音声言語を共有し、それが書き言葉とほぼ一致し、その書き言葉が新聞などのメディアによって広まる。
そこに近代的民族意識が誕生する。近代以前の貴族社会にはそういう民族意識は当然ありません。まず
言葉が通じない。地域によっても違うし、階級によっても違う。生活風習なども相違が激しい。離れた場所に
ある人間が"同じ民族"だと感じるための物質的条件が無いのです。

ナチなどの全体主義は、こういう物質的条件が整った場所にこそ花開くことができます。同じ民族意識を
持つことができ、頂点に立つヒトラーが"ドイツ民族の諸君"と語りかけることができる、ある均質的な空間が
成立してなければならない。
619むじんくん:2006/03/05(日) 23:12:41
>>508
続きですが、

次に、近代的理性の話になりますが、近代的理性は上に書いたような均質空間において成立した精神的インフラ
にあたります。例えばルターの有名な言葉「神の前にただ一人立つ」というのは、言文一致によって書かれた聖書を
一般人が手にとって読めるということから来ている。それ以前は聖書はラテン語で書かれており、聖職者か一部の
特権階級しか読めなかった。キリスト教社会の大半の人間は聖書を読めなかったわけです。だからこそ、悪いことを
したかどうか、教会の神父に"告白"に行ったわけですね。聖書を読めればそうする必要は無い。個々人が神の前に
正しくあろうと志すことができます。

これはキリスト教の話だけではなく、近代的理性というのはつまりは近代的均質空間を成立させている言語的な
制度なのです。近代社会に育つ人間は、必ず所与の感覚的世界を一旦否定され、そういう制度をインストール
されるようになっている。かつて農民が土地を離れて賃労働に身を転じたときに体験したであろうことを、生活史の
中で体験します。そこで強制的に注入されるものが近代理性なるものです。

だから、カント哲学などでも理性は所与のものとして扱われますね。その起源は問いません。起源は明らかに
キリスト教でしょう。だから、機械氏がカントなどの語る理性なるものに"キリスト教信仰の残りかす"を見るのは
正しいんですよ。

この理性は当然キリスト教である必要は近代社会ではありませんし、カントの時代既に宗教臭は避けるように
なっていたと思います。しかし、この最終法廷としての理性というものがそれ自体非合理的であることは明らか
であり、それは起源を問われることを拒否し得るが故に、一方的な暴力になりえます。

> わたしが万引きすれば逮捕されるのは、万引きを行うことの成立根拠がわたしにあるからではなく
> 「わたしが万引きをした」という行為が法にひっかかるからではないのですか?

法って自然発生したわけですか(笑)。だから、我々は好きとか嫌いとか、関心ある/なしに関わらず、科学的認識も含めた
ある人間の行為をその人間が第一原因としてなされたものとするという、形而上学を前提としている世界に生きているし、
そう強制されているのです。
620「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/05(日) 23:21:15
>>532
>まぁ流通するほぼ全ての商品に対して交換性があるって事だな。
>それを、時の国家が保証する。貨幣とは国家権力そのものだ。

そうですけれど、「交換価値」が何処から生じるのか?・・・の説明が欠落
しております。
ケインズ理論における「有効需要の創出」における「有効需要」ですが、
「近代経済学」はその「有効需要そのもの」を未だかつて一度も説明しておりません。
私は「ここの人間の欲望の『その国家内における総和』」だと考えます。
そういう意味では、北朝鮮人民共和国の有効需要は「金正日体制を維持したという人民の『欲望』の総和」
・・ですので、「金正日体制」は、「金正日体制の維持」を人民が「欲望する」為に「ありとあらゆる事をする」
わけで、いまのところ「資本主義国の『内需拡大』・・・国民の『欲望』の創造」・・同様に
「北朝鮮人民共和国の『国家権力』は(残念ながら)機能している」・・と言わざるを得ません。
621ゾルレン:2006/03/05(日) 23:28:23
>むじんくん
>>618
>あはは。いや割と常識的なことしか書いてないつもりですけどね。
わたしは常識を述べた言葉遊びよりも非常識な言明の真偽を問う方に価値を見出します
これはわたしがあなたとは異なる哲学の研究伝統に属するからです

>どうも前提となる知識が違っているようなので簡単に私の認識を書いてみます。一つだけ誤解しないで
>いただきたいのは、私はナチが理性主義とは考えてません。ナチは反理性主義であり、しかしそれは
>近代的理性と相補的な関係にあるという考えです。
では、その部分からわたしとは意見が異なりますね
わたしは、ナチスが脱近代と近代のどちらの時代精神をもつかと問われるなら近代と答えます
わたしはナチス政権を古典的な意味で合理主義に属していると考えます

わたしはこう言ってるのです
黒人の犯罪者が出たからといって黒人と犯罪に関係があると考えるのは馬鹿げている
かといって「彼は偽りの黒人だから」などというのは言い訳がましい行為です
黒人と犯罪の因果関係を分析しその真偽を問う必要がある
622ゾルレン:2006/03/05(日) 23:36:34
続き

>離れた場所にある人間が"同じ民族"だと感じるための物質的条件が無いのです。
近代以前なら同じ民族だと感じないと?
個人として生を営んでいたというのですか?
ラッセルの民族論などは逆で、歴史を経て、部族、親族、家族、個人と主体が全体から個人に変化してきたという論文がありますよ
わたしにはラッセルの方が説得力がありました

>頂点に立つヒトラーが"ドイツ民族の諸君"と語りかけることができる、
>ある均質的な空間が成立してなければならない。
あなたの意見は、
ナチス政権はイデオロギーによって発した政権であり、
ナチスの虐殺はイデオロギーによる虐殺だったということですね?
ええ、そのとおりでしょうね
で、続きをお願いします
合理主義はイデオロギーと必然的に結びつき、非合理主義はイデオロギーがないから災いをもたらさないということですか?

それと、以前にも"poverty"と感想をもらしましたが、その歴史に対する歪曲な言い回しはわたしの前ではご遠慮願いたい
わたしは『歴史主義の貧困』『西側は何を信じるか』などに大きく影響を受けています
むじんくんのような合理主義への批判は哲学の歴史においても多くなされている
わたしは本を通してそのような議論についていくばくか目にしたことはありますし
非合理主義の論証には欠陥があると考えています

とりあえず、わたしはあなたが合理主義に不信感をもつことを否定する気はない
すでにいくつかの議論を見知っているのですから。
自由に合理主義を批判してください
長々と言葉を論じたあげくにその実、述べたことはすずめの涙にも足らないというのはヘーゲルの影響を受けた人たちの悪い癖ですよ
623考える名無しさん:2006/03/05(日) 23:37:02
たとえ話で馬鹿げてるとか言い訳ががましいなんて言うよりも
推論に論理的誤謬があることを形式的に指摘してほしい
624ゾルレン:2006/03/05(日) 23:39:35
>>623
推論に論理的誤謬がない議論は議論として成立しませんよ
あなたは、まず議論が成立するにはどのような条件が必要なのか考えてみるべきです
論理的誤謬をまったく犯さない議論とはどのようなものでしょう?

これはわたしが論文のテーマにしたものです
625考える名無しさん:2006/03/05(日) 23:41:16
>推論に論理的誤謬がない議論は議論として成立しませんよ

だからそこを指摘してほしいって
626ゾルレン:2006/03/05(日) 23:47:47
>>625
わたしは「推論に論理的誤謬がある議論は議論として成立しない」と言ってるのではなく
「推論に論理的誤謬がない議論は議論として成立しない」と言ってるのです
論理は推論の道具ではなく批判の道具です

それと非合理主義者が論理を無視するというのは
対話において「論理へのコミットを拒絶する」ということです
これもまた推論の論理的誤謬を問題にしません
627考える名無しさん:2006/03/05(日) 23:51:57
>>626
そうそう、推論に論理的誤謬が
あるから面白いんだよね。なければ
退屈だし。誰にも相手にされなくなっちゃうYO!
628むじんくん:2006/03/05(日) 23:55:18
>>621
> 黒人と犯罪の因果関係を分析しその真偽を問う必要がある

民主主義はナチ発生を必然とはしませんが、ナチ発生にとって必要ではありますね。
629考える名無しさん:2006/03/05(日) 23:56:06
>>626
よくわからん。どういうこと?
630むじんくん:2006/03/05(日) 23:57:58
>>622
> >離れた場所にある人間が"同じ民族"だと感じるための物質的条件が無いのです。
> 近代以前なら同じ民族だと感じないと?
> 個人として生を営んでいたというのですか?

違います。逆ですよ。近代的個人とは、均質空間に住む精神であり、その均質空間がなければ
近代的民族主義は成立しない。均質空間は言語的統一性、とうとうの物質的基盤が必要です。

> 合理主義はイデオロギーと必然的に結びつき、非合理主義はイデオロギーがないから災いをもたらさないということですか?

私は非合理主義者ではありませんよ(笑)。ナチは非合理主義ですからね。
631りくーつ・こねりー:2006/03/06(月) 00:06:48
>>625
ゾルレン氏とむじんくん氏の議論は、

  むじんくん氏の主張は、どういった前提であれば、それは納得できるものなのか?

そういう話にしかなってないと思うけどなあ…

むじんくん氏の論旨の前提が、今一、俺には見えてこなかったりするんだよね
論理的誤謬という問題以前のような気が俺はするんだよ…
(俺の読解力に問題がある可能性は充分にあるとは思ってはいるけど)
632探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 00:07:23
>>617
>その「他人だが」というのは、「誰にとって」他人なんでしょうか。

まあ「死んだ私にとって」って考えればナンセンスなんだけど、コピーが作られた後に
死んだ私が復活してコピーとオリジナルの2人になるケースが考えられる。

オリジナルにとってはコピーは「他人」だし、コピーにとってはオリジナルは
「他人」だろう。これはナンセンスな表現ではない。
裏を返せば、両方とも「私」であるといってもナンセンスではないね。

誰かも前言ってたけど、自分がコピーかオリジナルかは判断できないし、
第三者的には主に「身体の連続性」で判定することになるだろう。
記憶の一致とかも考えるんだろうけど、しょせんは解釈の域を出ないよね。

ただこれに対して、素朴な人は「私が私であることは、身体の連続性に拠らずに
決まってるし、解釈なんてレベルじゃなくて、確信できる」って思うわけで。

実はその確信自体が第三者的な解釈に保証されてるんだって思わないのかな?

「朝起きたら、Bさんの体になってました」
この時点でなら、確かに自己同一性を自分で疑うことは普通ない。
けど、このあとずっとみんなからBさんとして扱われ続けたら、
「私は私であってBさんではない」って確信するのも不可能になると思うんだけどね。
確信し続ける自信あるのかなぁ、普通ないと思うけどどうなんだろうなぁ
633「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/06(月) 00:09:28
>>630
>違います。逆ですよ。近代的個人とは、均質空間に住む精神であり、その均質空間がなければ
>近代的民族主義は成立しない。均質空間は言語的統一性、とうとうの物質的基盤が必要です。

そうでしょうか?同じ紙幣(要するに印刷物)を印刷・流通させる・・という試み「ユーロ」は、
言語の壁を越えた「相互信頼」が存在するからこそ可能になったのだと思います。
北朝鮮が印刷した100$紙幣を「無効化」するために、あの「かつて100年近く流通した印刷物:グリーンドル」
をアメリカは「廃止」しようとしております。「新ドル札」は「50$」が完成し、流通を始めておりますが、
近々「ザ・ドル札」・・「100$札」も「全取り替え」される・・ということです。
634考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:13:01
階段から落ちて中身が入れ替わっちゃう「転校生」のパターンはどうよw
635むじんくん:2006/03/06(月) 00:14:20
>>633
> そうでしょうか?同じ紙幣(要するに印刷物)を印刷・流通させる・・という試み「ユーロ」は、
> 言語の壁を越えた「相互信頼」が存在するからこそ可能になったのだと思います。

機械氏にしては随分「観念論」ではないですか?(笑)。
636むじんくん:2006/03/06(月) 00:15:36
>>631
> そういう話にしかなってないと思うけどなあ…

いや、違います。多分、ゾルレン氏はマルクス主義が嫌いなのです(笑)。
637考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:15:57
俺(A)がアイツ(B)で、アイツ(B)が俺(A)で
638考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:17:33
ナツカシスwww
639「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/06(月) 00:20:28
>>635
国家とは「共同幻想である」という「吉本氏」の「その部分」は正しいと考えます。
「貨幣の安定性」は「国家の安定性」が支え、「国家の安定性」は「貨幣の安定性が支える」
・・・という「国家という共同幻想」なくして「国家」はありえないし、「近代的個人」も
ありえません。
・・・それと「人類の各個体の脳の『第一の欲望(衝動)は『不安』を回避し『安定』を求める」
・・・ことである・・・という「大脳生理学(唯物論)」は全く矛盾することなく「整合」します。
640探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 00:21:19
俺の理解だと、

むじんくん:理性は大虐殺を生む
ゾルレン:そんな証拠あるのか?そう思いたいだけちゃうんかと

↑これがそもそもの論点で

むじんくん:理性はこういう条件、ナチスはこういう条件で、民主主義は・・
ゾルレン:だからそれがどうやったら証拠に繋がるのかを言わないと意味ねーだろ

↑こんな感じで脱線しつつも展開してきてる。

ちなみに俺はむじんくん説理解しやすいけどなー
別に虐殺に限らず、大事業一般について理性的な方が効率的に行えるんだし。
641むじんくん:2006/03/06(月) 00:59:18
>>639
> 「貨幣の安定性」は「国家の安定性」が支え、「国家の安定性」は「貨幣の安定性が支える」
> ・・・という「国家という共同幻想」なくして「国家」はありえないし、「近代的個人」も
> ありえません。

それはそうですね。近代的個人をつり支えているのは貨幣です。しかし、民族性の境界は
やはり言語でしょう。だから、哲学者で民族主義になる人は必ず自国語で哲学しないと
ダメだと言い張るのです。

> ・・・それと「人類の各個体の脳の『第一の欲望(衝動)は『不安』を回避し『安定』を求める」
> ・・・ことである・・・という「大脳生理学(唯物論)」は全く矛盾することなく「整合」します。

だとしたらキリスト教も認めないとね(笑)。
642543:2006/03/06(月) 01:08:23
>>620
これは、機械氏の意見ではないけれども、国家が貨幣(の価値)を保障できる
わけがないだろう。円の価値は、ドルをはじめとする他国通貨とのあいだの
多国間取引きによって決まる。そのシステムの輪郭を描くことはできるかも
しれぬが、そのシステムを一国が恣意的に操作することはできない。それが
できれば、不況もインフレもないだろう。
もう一つ、近経にかぎらず、どんな経済理論も未来(有効需要)を一応、推測
はするが、言い当てたためしはない。それは、あなたの決定論と同じだ。
仮に、鎖国下の一国経済でも正確に有効需要を予測することは難しかろう。
まして多国間ですべてが変動相場的に動く、世界経済の需要(欲望)の総和を
算定することは不可能である。

643543:2006/03/06(月) 01:33:03
>>640
探求氏の指摘のとおり、いつからか二人の意見がスレ違ってきたでしょう。
むじんくんはサディズムなどを挙げながら、その種の衝動を理性的な産物と
みていたはず。それと同じとは言っていないが、ナチズムをほぼ同列に論じ
ていたのでは? それがいつの間にか、ナチズムは反理性主義だと言いはじ
め、それに応じて、ゾルレン氏の意見も微妙に変わってきたように思えるの
ですが。
論争を続けるのなら、そこをもう一度、わかりやすく整理してから始めてい
ただきたい。
644考える名無しさん:2006/03/06(月) 01:50:45
なあ、何で俺は未来に生まれられなかったんだ?
何で俺はアラブの石油王に生まれなかった?

こういう疑問は誰しも考えると思う。そこで最高位とかの
哲学的な『私』が出てくるのはありがたい。
誰か結論を出してくれよ。そして『私』を自由にする方法を教えてくれ。
どうすれば『私』は今のつまんねー自分じゃない他人になれたんだ?

これは脳科学の範疇じゃないと思うので
誰か賢明な人、答えを出してくれませんか?
いつも「明日こそは大金持ちの子供になってますように」と祈ってるんです。
それか実はマトリックスの世界でしたとかね。
この嫌な現実から逃れる方法を教えてください
645考える名無しさん:2006/03/06(月) 01:59:00
経験的に思った事だが,
考えている前に行動すると
自分で答えが判ってくる.
人間は何の為に生きているかというと,人間の為なのだ。

自分のことは取りあえず置いておいて,
ちょっと人の為になる事をしてみると,嫌な現実が変わる.
と思う.僕は哲学は知らないので,経験則.
・・・哲学も経験則なのかな.
646ゾルレン:2006/03/06(月) 03:35:10
>>629
説明だるい
自分で調べるなりして自分で考えることだ

>>630
>違います。逆ですよ。近代的個人とは、均質空間に住む精神であり、その均質空間がなければ
>近代的民族主義は成立しない。均質空間は言語的統一性、とうとうの物質的基盤が必要です。
ナチス政権の近代における特異性を説明するのに「近代の民族主義」という言葉を使用したら
「じゃあ近代の民族主義って何よ」って質問されるだけじゃん
君は理解しているかもしれんが、君の説明は他人に提出するものじゃない

>民主主義はナチ発生を必然とはしませんが、ナチ発生にとって必要ではありますね。
じゃあ今度は王制ではナチが発生しない理由を説明しないとね
俺は「君の言葉は間違ってる」と言ってるのではない
「君は言葉の無駄遣いをしている」と言ってる

>私は非合理主義者ではありませんよ(笑)。ナチは非合理主義ですからね。
別に君が非合理主義者だろうが合理主義者だろうが、黒人だろうがナチス党員だろうが
人間だろうが野良犬だろうがなんでもいいよ
議論には関係ない

>>636
>いや、違います。多分、ゾルレン氏はマルクス主義が嫌いなのです(笑)。
たしかにマルクス主義は馬鹿にしてます
ちなみにマルクスは尊敬してます
俺がマルクス主義が嫌いな理由は単にヘーゲリアンが嫌いだということ
俺はいくつかのマルクス批判とヘーゲル批判のロジックを知ってるが
むじんくんに使用したのはヘーゲル批判の方
647ゾルレン:2006/03/06(月) 03:51:53
>俺とむじんくんの問題について

俺がむじんくんに対してつきはなした議論になっているのは
理性の使用の吟味は一方通行でしかないからだ

ちょっとした比喩で言うと
キリスト教徒と無信仰者がいて、信仰について議論しているいうことだ
ちなみに信仰をもっているのは俺のほうで、むじんくんは一切の超越的なものについて無信仰だ
俺の信仰は理性信仰と呼んでもいいものだ
(それゆえに以前にこの問答は「神義論」のような問答になると書いている)

「理性自身に欠陥があるかもしれない」
この言葉は正しいだろう
理性自身に欠陥がないことは証明されていない
だが、欠陥があることもまた証明されていない(むじんくんは欠陥の指摘もできていない)
ここで証明責任があるのは俺ではなくむじんくんだ
(「理性」を「論理」と読むとわかりやすいだろう)

それとむじんくんに対する議論における態度だがこれはポストモダンを意識しているからこうなっている
俺はポストモダンの思考がどのようなロジックを汲んでいるかたいてい想像がついている
これは当の合理主義の間で議論された問題でもあるからだ
648ゾルレン:2006/03/06(月) 04:01:58
あと、俺とむじんくんの一番の違いはお互いの前提とする論理
ヘーゲルは形式論理を否定する

表に「真」と書いてあるコインの裏にはなんて書いてあるか、について
俺は「偽」と答えるのに対して、むじんくんは「無」と答えるだろう

別にどちらが正しいとかそういうことではなく、それぐらい思考の前提が根本から違う
俺はむじんくんに対して個人的に議論に値する者と思えない
だから打ち切ろうとしているだけ
649哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 04:02:35
>>555
ん?>>511
私が、別々の2つのロジックを使って逃げているって?w
いやいや
まとめて考えれば済む話だろ
別に相反する事を言ってるわけじゃないんだからさ

『私』というものは、主観性そのものであって、それは物理的要素では特定できない

簡単だろ?
だから何度も言ってるでしょう
キミは、ただ単に理解できていないんだってね
理解できていないんだよ
キミは理解できていないの
理解できていません
勘違いしています
キミは、理解できていません
理解できていないのですキミは
自分は理解できていないのだ という所から出発しなさい
でなきゃ 一生理解できないよキミ
650哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 04:16:19
>>597
素人君
キミは自分の言いたい事を、端的にまとめて説明する事もできないのかね?
私なんて同じ事を何度も何度も説明させられているよ?w
しかし誰も理解できないでいるんだけどね
で、仕方ないから
また新しく、いろんな表現を考えては伝えようと努力している
まぁ、それは置いといて
ところでキミは、いったい何が言いたいのかな?
まとめて簡単に説明してよ
って事だったんだけどね
では仕方ないから質問でもしていこうかな
ところで
「深淵を覗く者」 って何?
651考える名無しさん:2006/03/06(月) 04:25:13
最高位
気付けよな
おまいの言ってる「私」とやらは「2ちゃんに書き込んでるおまい自身」だということを。
652考える名無しさん:2006/03/06(月) 04:46:19
>>649
>『私』というものは、主観性そのものであって、それは物理的要素では特定できない

残念ながら、情報は物質がないところに存在しえないから、
物質的要素に還元されるでしょう。
653ゾルレン:2006/03/06(月) 04:47:32
なぜ、われわれ啓蒙家にとっては、言葉の簡明さがこれほどまでに重要なのでしょうか。
真正の啓蒙家、真正の合理主義者は決して説き伏せようとはしないからです。
そうです。彼はもともと承服させようなどとは思ってもいないのです。
彼は、自分が誤りを犯すかもしれないことをいつでも意識しています。
しかし、何にもまして彼は、他の人の自立性や精神的独立性を大事にしますから、
重要なことがらにおいて相手を承服させようなどとは思わないのであって、
むしろ、相手の反論、批判を呼び起こそうとします。
彼は決して承服させようとするのではなく、相手の思想を揺り動かし自由な意見形成を挑発しようとするのです。
自由な意見形成こそ彼にとって価値があるのです。
それが価値があるのは自由な意見形成によって真理に接近しうるのみならず、
彼が自由な意見形成それ自体を尊重しているからです。
ですから、彼は出された意見をまったくの誤りと見なすときでも、
自由な意見形成は尊重するのです。

啓蒙家が説き伏せてしまおうとか承服させようとは思わないひとつの理由は、
彼が論理学と数学という狭い領域の外部には、いかなる証明もないことを知っているということです。
手みじかに言えば、なにものも証明されえないのです。
なるほど、しかるべき論拠を提出し、諸々の見解を批判的に検討することはできます。
しかし、数学の外部では、われわれの論拠付けは、決して完全ではありません。
われわれはいつでも根拠を慎重に検討しなければなりません。
ある意見を支持する論拠とそれに反対する論拠の、いずれがより重みをもつのかを決定しなければなりません。
このようにして真理探求と意見形成には、いつでも自由な決定という要素が含まれています。
そして、ある意見を人間にとって価値あるものとするのは、自由な決定なのです。
  『西側は何を信じているか』
654ゾルレン:2006/03/06(月) 04:52:54
哲学史には啓蒙主義vs浪漫主義という有名な対立がある
ハイデガーの弟子ガダマーがこの対立を調停したと言われている
もっとも、現代の哲学の潮流では啓蒙主義なんてものは死んだ思想なのだろうが。
655ゾルレン:2006/03/06(月) 04:59:29
すまん、なんかイライラしていた
656あのさあ:2006/03/06(月) 05:53:03
分かり易く、また実用的にすべく、『私』ではなく快苦を使ったらどうかな?

自分と全く同じ構造の体があって、そいつを殴っても私は痛くない。
しかし、そいつが美味いものを食っても、私は美味いと感じない。
こう考えた方が分かり易くない?
感じる主体うんぬんではなくてさ・・・

で。最高位さんがよく挙げる「なぜ私は今のこの私なのか」ですが、これって
人類永遠のテーマなのでは?
もし私の在り方を自由にできたら、それこそ天国だと思う。
好きな感覚を味わえるんだから。
だから最高位さんの問いは非常に考える価値があると思う。
分かるか分からないかは別として、思考と感覚を自由にできる可能性があるってことで
『私』はなぜ今この状態になってるのかは
とても良い問いだと思う。

物理的に社会がどんな風に変わっても、結局は感じる『私』がどう感じるかだから、
直接それを追求する最高位さんは、確かに最高の問いを考えてると思う。
だって思わないか?
『私』の謎が解明されたら、いろんな宗教の言ってる天国がまさに実現できるんだよ?
657考える名無しさん:2006/03/06(月) 06:00:06
やっぱり,哲学も経験則だな.
この板見てて思った.
哲学も物理も,皆が考える「私」も何もかも.
突き詰めると,根本には,根拠無く信じている何かがあるわけだ.
ある哲学者の哲学書を読んで,その哲学を理解したと思う根拠はなんだ?
本当にその哲学者の言いたかったことを理解していると疑わない根拠はなんだ?
理解したとして,その考えが正しいと思う根拠は何だ?

哲学も物理も,考える範囲を勝手に決めている.
際限無く考えると,無限時間掛かるから,脳が勝手に枠を決めている.
(コンピューターのフレーム問題の回避作用として,
脳に備わっていると,このスレにあったけど,それじゃないの?
経験でここまで考えりゃ良いだろって勝手に決めてる.)

その枠が,皆バラバラだから,いつまで経っても終わらない.
658657:2006/03/06(月) 06:03:02
面白いけどね.
659考える名無しさん:2006/03/06(月) 06:06:12
最高位はデカルトあたりを初めて読んでワアワア騒いでる
中学生みたいだな。
痛すぎ。
660哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 07:18:47
>>651
そうだけど何?
何が言いたいのかわからん

>>652
残念だけど「私」というものは、情報ではありません
よく考えてから出直して下さい

>>659
キミのように、本を読む事が哲学そのものだと勘違いしちゃっている人には
多分、永遠に理解できないだろうね
デカルトを読んだからって、私の言ってる事は理解できんぞ?w
何を勘違いしてるのかねぇ
661532:2006/03/06(月) 08:06:27
>>642

言えば言う程底が知れちゃってるなw

紙幣に対して国家が保証するもの⇒信用そのものと交換性(納税等)
紙幣の価値は『国によって違うが』変動相場性により、市場参加者の総意で確定する。

行き過ぎた相場観を是正する為に各種オペ『公開市場操作』等が行われる。
為替市場においては公然と認められる。(各国の圧力有り)

得に3大通貨、USドル・ユーロ・日本円に関しては、
各中央銀行が常に相場を監視し、国際経済が安定するように『介入』し合う事もある。
FRB・ECB・日銀は介入という量的調整により相場を『都合に合わせる』。
君さぁ〜金融政策で検索してさwよく調べろよなwなwなw
な?言う前に調べろよwな?な?w勝手な妄想は恥かくだけだぞw
ちなみに不況と通貨価値には殆ど関連性が無いw意味不明だなw
物価に関する部分は経済全体と権力者の都合に合わせて常に誘導される。

それから機械なw「交換価値」の発生なw
だからオマエ貨幣論読めよwぐたぐた言ってねーでよwな?な?w
そもそも貨幣や紙幣というのは『預り証』を原点としている。
交換価値というのは信用そのものだが、『信用流通』の仕組みは自分で調べろなw
Aさんは米が100tあります、これを土地倉庫を持つ者が預かりました、所有者は預かり証を
受取ました。Aさんは着物が欲しくなりました、着物の価値は米10t分です、Aさんは預かり証
11t分を呉服屋に渡しました。1tは取引コストです。
まぁいいやw面倒くせwオマエらいいから『哲学っぽい』事でも語ってろw
その範囲が適当だw
662657:2006/03/06(月) 08:17:01
最高位殿
>残念だけど「私」というものは、情報ではありません
情報では無いとして,
僕は「私」は人体が在り活動していないと現れないと思います.
僕の考えている「私」と最高位さんの考えている「私」は違いますか?

僕の考える「私」も直接は観測できないと思います.
でも,間接的には,もしかしたら観測出来るかもと信じています.
(ここには,根拠はありません.直感です.)
最高位さんの考える「私」が人体が無くても現れるなら,
それは全く観測できない事になりそうです.
しかし,その考えの根拠がわかりません.
そう信じていると言う事ですか?直感ですか?
663哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 08:49:53
>>662
>僕は「私」は人体が在り活動していないと現れないと思います.
うむ
現れるかどうかだね?
私も現れないんじゃないかな とは思う
「私」は、人体によって現れているんじゃないかなw
人体なしで「存在」するか、しないかは、わかりません
体を失った経験がないから、わかりません
何か勘違いしておられるようですが
私は体が無くても存在するから唯物論が間違いだ と言っているのではありませんよ
唯物論の主張によると
物質が主体で、原因であり
人間の内的部分は、結果的な現象にすぎない
というものだから
それは、論理的に突き詰めて行くと、明らかにおかしいんだよ
という事ですよ

>僕の考える「私」も直接は観測できないと思います.
>でも,間接的には,もしかしたら観測出来るかもと信じています.

私は直接的にしか観測できないと思いますが
間接って、どういう状態ですか?
ちょっと意味がわかりません
664考える名無しさん:2006/03/06(月) 09:05:52
>>660
>残念だけど「私」というものは、情報ではありません
>よく考えてから出直して下さい

たいへん残念ですが、情報です。
情報は物質がないところに存在しえないから、
物質的要素に還元されるでしょう。
665657:2006/03/06(月) 09:06:21
最高位殿
回答ありがとうございます.
唯物論の主張については,
もう少し考えて理解していきます.

>私は直接的にしか観測できないと思いますが
>間接って、どういう状態ですか?
僕は「私」は情報の一種と勝手に考えています.
つまり,外から観測するには,脳波とか電気とかその他の
別の信号に置き換えて観測するという意味で間接的と使いました.
考えてみたら,直接とか間接とか無いですね.すみません.
666哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 09:08:19
>>664
残念ですが
同じ情報が存在しても、それは「私」ではありません
さよオナラ
667考える名無しさん:2006/03/06(月) 09:15:56
残念ながら、同じ情報の有無は関係はないですよ。
物質なき情報はないということですから。
668哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 09:20:42
>>667
アホですか?
それは情報の説明でしょう
私は、「私」は情報ではない と言っているのですよ?
キミは、「私」が情報である という根拠を提示しないと意味がないでしょう
669考える名無しさん:2006/03/06(月) 09:26:20
残念ながら、情報でないならなにか、的確にいうことはできないようですね。
困ったことに、この宇宙には同じ情報は存在しないんですよ。宇宙にはそもそも同じはないんですよ。
同じって人の認識方法なんですよ。
670哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 09:44:58
>>665
キミは「私」というものを、精神活動の事だと思っているようですね

私が言ってる「私」というものは
「私」という存在性の事です
「私」という主観性そのものな主観の立場であるところの「存在性」ですよ
難しいですかね

>>669
具体的な正体を提示しなければならない という事はありません
情報ではない という論理的な根拠があれば、それは情報ではないのです
そんな事も理解できませんか?
こっちは、情報である根拠を出せ と言ってるんですよ
出せばいい だけの話でしょう
へ理屈はいいんですよ

水の分子はH2O
H2Oは水の分子
であって
H2Oは、同じ水の分子としての情報ですが何か?
H2Oが水の分子としての情報ではない という根拠を挙げてもらいましょうかね?

何度も言うけど
キミらは本質的な事柄を突き詰めて考えた経験が浅いか
素質がないかのどっちかなんだろな
必死で、こじつけてるばっかりだもんな
671543:2006/03/06(月) 09:49:37
>>661
退散したのではなかったのか。それなら格好つけて、啖呵などきるな。
経済の専門家と思っていたけれども、怪しくなってきたな。私の常識のほう
がマシに思えてきた。
たとえばインフレが起きたら、貨幣の価値は減る。国家がそれを補償してく
れるのか。そもそも、インフレを国家が管理できるのか。
紙幣の価値は変動相場制によって市場参加者の“総意”よって決まる、その
とおり。私もそう言っている。ただ、総意を推測することはできても、だれ
にも予め確定することはできない。総意が確定するするのは、常に取引きの
事後である。
その他、色々と述べているけれども、貨幣の価値(を決めるの)は一国では、
どうにもならないことを縷々、説明しているだけではないか。
もう一つ、物価は“経済全体”と“権力者”の都合で決まる? 経済全体とは
何? まさか、統計数字を挙げたりはしまいな?  権力者とはだれ? 政
官財のお偉方のこと? 公共料金だって、彼らの都合では決まらない。
あなたは、私や機械氏に大口を叩く前に、貨幣(人間)について、もう少し考
えたほうがいいのではないか。
672考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:00:38
>>670
大変残念なのは、いまさら情報でないが、
なんであるか、言えないということなんですね。
ではいままで、そんな適当に言いはってきたのか、
ということになることが残念なんです。
もう逃げるしか残ってないんでしょうね。残念です。
673考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:01:51
いっぱいお金を貯めたらどうですか?
674むじんくん:2006/03/06(月) 10:08:08
>>643
> 論争を続けるのなら、そこをもう一度、わかりやすく整理してから始めてい
> ただきたい。

ちょっと話が広がりすぎですね(笑)。>>648に書いてくれているように、ゾルレン氏は
弁証法が嫌いなのです。或いは歴史が嫌いなのですね。

カントは理性を所与のものとして議論しますが、ヘーゲルの精神現象学では如何にして
理性が生成するかを問題にする。片方は理性をそれ以上遡れない何かとして、最初の
出発点として設定するが、片方ではそれを一つの到達点とします。

ナチに関する話はそれ自体はどうでもいいわけですが、ゾルレン氏はあくまでもナチが
如何にして生成するかという話はしないわけです。それは彼の言う"理性"の範疇では
ないし、そもそも証明が不可能である。歴史というのはIFを言い始めたら無限に可能性が
存在するだろうということでしょう。同じように理性の起源に関しては問うても仕方ないと。

これは歴史を語れば必然的に発生する問題です。つまり、ヘーゲルの思想に対して
一番よくある反論は、それは"やらせ"だろうと。つまり、ヘーゲル哲学とはヘーゲル思想を
到達点とした合目的道筋が在るかのごとく錯覚させているにすぎない。最初に結論があって、
後からそこまでの歴史を語っている。それは最初に疑い得ない論理を設定し、そこから
数々の結論を導き出す科学的手法とは正反対なのです。
675考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:14:13
神が始まりでしょう。それなのに、何故、我々が悪になるのでしょう。
676考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:25:39
むじんくんはキリスト教徒であり、かつ唯物論者+マルクス主義者
なわけですか? それは矛盾してはいないのですか?
677むじんくん:2006/03/06(月) 10:33:00
>>643
続きです。

この点における僕の主張は、「そういうこと言っていても、万引きすると逮捕されますよ」というものです。
ヘーゲル哲学では「どうして逮捕されちゃうんだろう」と問います。しかし、ゾルレン氏は問わないんです。

もっと端的に言えば、ゾレルン氏が帰依する思想家というのは政治的言説を禁じているわけですが、
ヘーゲルというのは端的にその思想が政治的なのです。ゾルレン氏の私に対する言説とは、とどのつまり
「俺は政治に興味ない」という意味です。

ゾルレン氏が>>653で引用している「我々啓蒙家〜」と語っている裏側には、近代社会があり、その成立過程がある。
更に人間はそこに属することを強要されているし、今も新しい領域で強制加入が続けられてます。ここで書かれて
いる"啓蒙家"はそこには絶対触れないのです。そこに触れようとする人間の言説を「我々の思考の前提とは
違いますな」という形で外して考えるんですね。そして再び書斎に戻り、彼らの"論理"を弄繰り回すことへ
集中するのです。

まぁ、哲学とは何かということにもなりますが、このスレッドで語られている「脳は物質だから〜」において一番
焦点になるのはヘーゲルが問題にしたような領域だと僕は思っています。大統一理論と万引き逮捕の橋渡しが
できるならば、"必然にすぎない"が実現する。
678哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 10:33:03
>>672
はぁ?
情報じゃないんだよ カスが
話をすりかえるな

「私」は「私」だ
存在性なんだよ
物理現象では記述できない特別なもの なんだよ
679むじんくん:2006/03/06(月) 10:37:14
>>676
> むじんくんはキリスト教徒であり、かつ唯物論者+マルクス主義者
> なわけですか? それは矛盾してはいないのですか?

マルクス主義的唯物論はキリスト教的精神からしか出てきません。
680考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:40:29
意地悪爺さんの理性がポチを殺したって?
アホらしw
681考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:43:20
>>679
・・・その理屈は、具体的な論証抜きでは「はい、そうですか」
と受け取ることは出来ませんが、それを置いておいても
第一、マルクス主義は神の存在をみとめないでしょう?

むじんくんのなかで矛盾がありませんか?
682考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:44:25
ギリシア正教かもなw
683考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:46:20
>>677
>ゾレルン氏が帰依する思想家というのは政治的言説を禁じているわけですが、

嘘でしょ?その思想家って誰だと思ってるの?
684考える名無しさん:2006/03/06(月) 10:55:38
>>663
>唯物論の主張によると
>物質が主体で、原因であり
>人間の内的部分は、結果的な現象にすぎない
>というものだから
>それは、論理的に突き詰めて行くと、明らかにおかしいんだよ
>という事ですよ
しかし、その話は「私」の問題とは何の関係もないぞ。
ここでいう「人間の内的部分」とは明らかに精神活動のことであり、一方
あなたは>>670で「私とは精神活動のことではない」と明言している。
あなたがいくら「私」の話をしたところで、物質と人間の内的部分(精神活動)
の関係について「論理的に突き詰める」ことに、なるわけがない。
要するに、あなたの話は唯物論とは無関係である、と認めているようなものだが、
いかがw?


685むじんくん:2006/03/06(月) 11:18:57
>>681
> むじんくんのなかで矛盾がありませんか?

ありませんけど。マルクスは彼の唯物論から宗教は阿片だといいました。阿片を必要とする
社会に我々は住んでいると。別に矛盾しませんよ(笑)。
686むじんくん:2006/03/06(月) 11:21:06
>>683
> 嘘でしょ?その思想家って誰だと思ってるの?

誰だか知らんけど、>>653にはそう書いてありますね。論理学と数学以外の領域は証明不可能だと。
チョムスキーみたいに余計な口出しすることは越権ですよと。
687哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 11:21:28
>>684
「私」の精神活動というものを分析した時に
それは当然の事ながら
「私」の存在性なくしてはありえない という結論に到達する
この存在性
存在「性」という無形なる「存在」
「私」の存在性 なくしては精神活動もまた有りえない
内的部分 とは、この無形なる部分を総称して表現したにすぎない

すなわち
唯物論では、人間の本質については何も記述する事はできない
という当たり前の結論に、到達せざるをえない
688哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 11:24:34
>>685
じゃあ、無人君は阿片をやってるわけだなw
689むじんくん:2006/03/06(月) 11:31:07
>>688
> じゃあ、無人君は阿片をやってるわけだなw

そういうことです。
690考える名無しさん:2006/03/06(月) 11:31:48
>>672
残念ながら「存在性」「不思議ちゃん」でもお好きにしていだだいて結構なんですが、
聞いているのは、物質による情報以上のなにがあるか、それに答えられるかだけでなんですよ。
691考える名無しさん:2006/03/06(月) 11:33:18
>>687
他のどんな論よりも唯物論の方が記述できる。
692考える名無しさん:2006/03/06(月) 11:35:46
唯物論で全てを記述できるわけではないが、
この世界を一番記述できるのは唯物論であり、
唯物論はこの世の至上の論である。
693665:2006/03/06(月) 11:42:22
最高位殿
>私が言ってる「私」というものは
>「私」という存在性の事です
>「私」という主観性そのものな主観の立場であるところの「存在性」ですよ
>難しいですかね

うーん,難しいです.
「存在性」が特に判りません。
「存在性」は「存在」ではなく「存在している事」でしょうか?
(「存在している事」が「私」.では何か変な気がします.)
694考える名無しさん:2006/03/06(月) 11:56:14
最高位殿へ

最高位殿のお考えとデカルトの「われ思う、ゆえに、われあり」は
同じ考えとして解釈してよいのでしょうか?
695考える名無しさん:2006/03/06(月) 11:56:46
>>687
残念ながら「私の存在性(不思議ちゃん)」は物質による情報である。
すなわち唯物論そのものを言っているわけですが、
を否定する理由は見当たりませんね。
696考える名無しさん:2006/03/06(月) 11:57:07
>>687
>「私」の精神活動というものを分析した時に
>それは当然の事ながら
>「私」の存在性なくしてはありえない という結論に到達する
「他人」の精神活動については、どうなのでしょうかw?
「私」の存在性などあってもなくても、存在すると思いますがww?
そして、私の精神活動も、他人の精神活動も、残念ながらそれぞれの
肉体がないとありえないと思うのですが、いかがでしょうかwww?

>唯物論では、人間の本質については何も記述する事はできない
すいません、「人間」はあなただけではないと思うのですがw
それとも「世界で人間はこの私だけである」というお考えでしょうかww?
697考える名無しさん:2006/03/06(月) 12:10:04
たいへん残念なんですが、この宇宙は一回限りで再現されることがない故に
物質情報の「私の不思議ちゃん」は他にないこの「私」としてあらわれる。
これだけのことでした。
698練馬哲人:2006/03/06(月) 12:19:37
>>695,>>697
おいおい、物質による情報や物質情報ってなんだよw
699考える名無しさん:2006/03/06(月) 12:21:28
残念ながら、物質を介在しない情報はない、それだけです。
700543:2006/03/06(月) 12:26:45
>>688
最高位、むじんくんとのアヘン論議を、そのまま続けてください。もう、
あなたの『私』論は聞き飽きました。あなたの立場からみて、むじんくん
の考えをどう思いますか。また、あなたと対極にある(と思しき)機械氏の
唯物論については、いかが? 過去に散々、やりあってきたでしょうが、
改めて聞かせていただきたいものです。その場合、アホ、バカその他の罵
倒の合いの手は抜きにお願いします。
>>689
むじんくん、やっぱりクリスチャンが麻薬をやるとなれば、陶酔剤系のほ
うがいいですか。覚醒剤系は合わない?
701655:2006/03/06(月) 12:27:17
えーと,最高位さんが言われている「私」という概念を
自分なりに納得する形で理解した上で,
それでも反論がある場合は反論した方が
議論が進むと思うのですが….
「私」の認識について,大きなズレが感じられます.

もしかして皆さん,もう理解済みですか?
(僕だけわかってないのか…誰か教えて下さい.)
702練馬哲人:2006/03/06(月) 12:29:40
>>699 介在?君は情報の本質が物質であることを、証明しなければいけないよ。
703考える名無しさん:2006/03/06(月) 12:35:38
残念ながら中身のない雑談はすきではないので最後に
唯物論とは世界は物質を介在した情報である、ということです。
704考える名無しさん:2006/03/06(月) 12:38:47
>>703
でもー、2ちゃんを介在した情報もあるんじゃない?
そこのところをもう少し掘り下げて欲しいんだけど。
705練馬哲人:2006/03/06(月) 12:44:41
>>703 わっ!唯物論陣営にとっての永田議員みたいなやつだなぁ。
706考える名無しさん:2006/03/06(月) 12:49:24
>>703
中身のある議論を君のほうから仕掛ければいいではないか。
この二行だけで、君がどんな人間か、わかってしまうところ
がコワイね。
707哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 12:50:40
しかし信仰とは、信じてこそ阿片としての効力を発揮するはずなんだけどな
自分が信じているものが、阿片だという認識では、信仰は発生せず
ゆえに阿片としても効力を発揮しないはずなのに
いったい何のためにキリスト教やってるんだろねwむじんくん
708探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 12:50:43
>>701
最高位の「私」は、場面によって、今まさに対象を見ている「主観」の意味になったり、
一般的な対象としての「自我」の意味になったり、適当に使い分けられてます。

相反してないんだから分ける必要はないというのが彼の主張です。
>>511も参照どうぞ
709考える名無しさん:2006/03/06(月) 12:51:59
>>685

宗教は阿片であるってのは、宗教を肯定しているわけじゃないだろ。
むしろ宗教を否定するための喩えとして用いている。
あんたの主義が矛盾しているのは明らか。
710ばか:2006/03/06(月) 13:05:33
このスレってホッとするね。
わかるとかわからないとかじゃないみたいだもんね。
自己主張をしているだけというか。
みんなわかっているようなことばかりいうけど
結局わかっていないみたいだし。
711哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 13:07:19
>>690
情報ってのは、変化したりするしね
しかし「私」は「私」であって、変化しないわけだよ
精神は変化するけどね
「私」ってのは変化しない性質のものなんだよ
存在性なわけ

とにかくね
偉そうに言うなら、何の情報であるのか
具体的に説明してくれよ
712探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 13:09:44
>>702
別に唯物論を支持するわけじゃないが、情報は物質を介さないと伝わらないし、
伝わらない情報は情報ではないって当然じゃないか?

情報の本質は差異なんだから、我々が差異を知覚できなければ情報も存在しえない。
まぁ差異を知覚できれば、必ず情報になるってわけじゃないが。

ということは「物質を介在しない情報はない」という命題は「我々が物質しか知覚できない」
ならば真だし、「我々は非物質をも知覚できる」なら偽となるよね。

「非物質を知覚」ってできるのかなーちょっと想像つかないけどなー
713哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 13:14:01
>>708
適当 という言葉を間違えて使っているな
適当ってのは、いい意味なんだけどな
本当は、いい加減 という意味ではないんだよ
私は、的確に使い分けているんであってね
な〜んにもごまかしてなんかいないんだよ
キミが、いっぺんに色んな事を同時に考察できる能力がないだけであってね
だから理解できないわけ
何回説明してもグルグルグルグル
矛盾してもいないのにグルグルグルグル
いいかげんにしろよな
こっちも疲れるんだよ
714哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 13:16:47
>>712
差異って
何と何の差異?
715探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 13:22:48
>>714
例えば、0と1、有と無、白と黒、上と下、大と小、熱いと冷たい。
とにかく違いが知覚できれば、なんでも「差異」です。
716練馬哲人:2006/03/06(月) 13:23:32
>>712 うん、そうだな。ただ>>697は情報=認識する私、になっているので、最高位批判としてはまずいのよ。
717哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 13:24:49
>>703
>唯物論とは世界は物質を介在した情報である、ということです。

これは、唯物論の敗北宣言 と捉えていいのかな?
それなら、単に「物理学」があればいいわけであってね
唯物論は、人間の内的世界全般にまで言及できる思想ではない という事を宣言するわけだね?
718むじんくん:2006/03/06(月) 13:25:04
>>700
> むじんくん、やっぱりクリスチャンが麻薬をやるとなれば、陶酔剤系のほ
> うがいいですか。覚醒剤系は合わない?

私は麻薬やってませんよ(笑)。キリスト教信仰がどういうタイプの麻薬と似ているか、という
お話でしょうか?それは私も興味ありますね。研究とかないんですかね。

>>707
> 自分が信じているものが、阿片だという認識では、信仰は発生せず

そんなことありませんよ。ラーメンの成分を知っていることと、ラーメン美味しいと感じることは
両立しますよね。
719哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 13:31:56
>>715
>情報の本質は差異
なんだよね?

では、0は情報ではないと?
1は情報ではないと?
0だけでは情報にならないと?
白1平方cmと白1平方cmで、2平方cmにはならないと?
黒がなければ情報として認識されないと?
わけがわからんな
どういう事?
720むじんくん:2006/03/06(月) 13:32:04
こういう話があります。宗教的体験が脳のどこの部位の活動なのかという研究は既に
されてますね。臨死体験などでよく発生することを研究したものなども有名ですよね、
立花隆とか昔書いてましたけど。

だから、宗教体験の物質的基盤というのは分かっているわけです。問題は、神を
信じている人間の脳活動があったとして、それは脳が勝手にそうしているのか、
本当に見えない神と関係を持っているからそうなっているのか区別ができないと
言う点です。
721探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 13:32:08
>>716
すまん、そこまで読んでなかった。確かにかみ合ってないね
722考える名無しさん:2006/03/06(月) 13:34:08
>>717
すいません。「人間の内的世界全般」というのは、何のことでしょうか?
そもそも、あなたによると、「人間」「この人間」などというのは「机」「この机」
と同様、切れ目なくつながっている物質の一部を「私」が任意に認識した
「概念」に過ぎず、存在性など全くないはずなのですが、
なぜそんなものに「内的世界」があるなどと言えるのでしょうか。
答えられないのは承知の上で、あえて質問してみましたw
723探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 13:47:18
>>719
わけわからんか。

そうだなー、1以外の数字を理解できない状態を考えてみてください。
0と1があっても両方とも1に見える。2や3って言われても1のことだと思う。
1と他の数字の区別が全くつかない人を想像してみてください。

この人に「1センチ」って言って通じると思う?
2センチの目盛りも、0.5センチの目盛りも、0.1センチの目盛りも全部1に見える。
こんな人には「1センチ」なんて計れるわけないと思わないかい?
まぁこういうわけで、1だけでは情報は伝わらないわけです。

黒の図形があったとしても、背景が全部同じ黒だったら図形自体見えないでしょ?
これと一緒です。
724練馬哲人:2006/03/06(月) 13:48:56
>>717 永田議員の自爆発言につきましては、唯物党として陳謝致しますw
>>719 それ全部、差異ですよ。
725655:2006/03/06(月) 13:55:30
>探求者殿
回答ありがとうございます.
でも,ちょっと意味がよく理解出来ません.
以前に最高位さんは「私」という「存在性」と言っています.
更に
>「私」ってのは変化しない性質のものなんだよ
>存在性なわけ
と言われています.
「存在性」って,どのような意味でしょうか?
主観が存在している事ですか?

あと,別の質問ですが,知覚とは何でしょう?
五感の事ですか.ラジオは人間が知覚出来ない波長の
電磁波を知覚出来る様に変換していますが,
その波長の電磁波を知覚したことになりますか?
(例えばニュートリノも検出されたら知覚したことになりますか?)
726考える名無しさん:2006/03/06(月) 13:57:53
>>712
>ということは「物質を介在しない情報はない」という命題は「我々が物質しか知覚できない」
>ならば真だし、「我々は非物質をも知覚できる」なら偽となるよね。

残念ですが、「我々が物質しか知覚できない」のではなく、
「世界には物質しか存在しない」のですね。「唯物論」とはそうでなくてなんなのでしょうか。

>>717
>唯物論は、人間の内的世界全般にまで言及できる思想ではない という事を宣言するわけだね?

残念ながら、「人間の内的世界」でさえ、物質を介在した情報なのです。
だから、その「存在性(不思議じゃん!)」は物質を介在した情報ではない、ことを
端的に説明するしかないのです。
もちろん、その説明は、物質を介在した情報としてで結構ですよ。
727探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 14:07:38
>>725
>存在性
「現にここにあると感じる」その感じという意味です。
これは「モノがある」というのとは全く異なっているって主張だから、
客観的な意味での存在とは全然違うと理解しておけばいいかと。

>知覚
「備わってる感覚器の機能」ぐらいの意味で使ったんだけど。

この意味で行くなら、

人間には知覚できない電磁波を、人間が知覚できる音波にラジオが変換したことで、
人間が電磁波の情報を読み取る事ができた

と説明することになるのかな。
728考える名無しさん:2006/03/06(月) 14:10:08
>>726
「存在」の使い方が素朴な実在論じゃん。
最高位が納得するとは思えんが。

729考える名無しさん:2006/03/06(月) 14:18:18
>>712
それを“空想”とはいいませんか。それとも、空想なるものを否定し
ますか。
730探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 14:21:57
>>729
「それ」って何を指してるの?
731考える名無しさん:2006/03/06(月) 14:31:38
>>730
非物質を知覚することです。たとえば幽霊をみたり、UFOをみたり
することです。
732考える名無しさん:2006/03/06(月) 14:42:53
存在性というのは属性だろ。
存在とはちがう。
733725:2006/03/06(月) 14:43:56
>探求者殿
難しいですね.
何か感覚的な感じがして,自分でも理解しているのか判断できません.
そういう「感じ」は,現在物理的に観測できないから非物質と言うことになるのかな.
でも,知覚は出来ると言う事ですね.
(ちょっと不思議だけど,なんか判る気がします.)

物質の意味が物理でいう物質と同じとすると,
この先,観測できたりしたら最高位さんの「私」も物質になるような気もしますね.

…もう少し考えます.ありがとうございました.
734探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 14:50:33
>>731
空想とは違うと思うけどねぇ
空想って知覚してないことが自分にも明らかな場合に使う言葉じゃないか?

そうじゃなくて本当に非物質を知覚しちゃって、しかもそれが個人の妄想じゃなくて
情報として成り立っちゃうような状況を意味してます。

まぁ俺には想像しにくいから、ありえねーとは思うけど。
735練馬哲人:2006/03/06(月) 14:50:55
>>703「唯物論とは、世界は物質を介在した情報である」
>>726「世界には物質しか存在しない」
これを同一人物が語ったら、単純に矛盾している。
736哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 14:54:55
>>718
ほー!
>> 自分が信じているものが、阿片だという認識では、信仰は発生せず

>そんなことありませんよ。ラーメンの成分を知っていることと、ラーメン美味しいと感じることは
>両立しますよね。
ほー!!!キミはラーメンを食べて味を感じるがごとくに
日常的に、神を実感しているというのか!w
もしかして、イエスの再来???
なのに阿片とは、どういう事だい?w
>>722
あははは!
キミ、自分で何を言ってるのかわかってんの?w
自分の書いた文章を、よく読んでごらんよ

この辺り
>あなたによると、「人間」「この人間」などというのは「机」「この机」
>と同様、切れ目なくつながっている物質の一部を「私」が任意に認識した
>「概念」に過ぎず、存在性など全くないはずなのですが

特にココ
>「私」が任意に認識

「私」を分析し説明するのに、「私」を使っちゃイカンよ
キミは、「私」の存在を、すでに前提にしちゃってるじゃないかw
そもそも質問している「キミ」が、おかしい
737哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/06(月) 14:56:28
>>723
>1以外の数字を理解できない状態を考えてみてください。
そういう状態を知らないから、よくわからんけど
1以外を知らなくても、1という情報はあると思うけどなぁ
たとえば、他の感覚を知らなくても
痛い とは感じると思う
それは、紛れもなく「痛い」という情報だろ
>>724
いや彼は、たとえば0と1が差異だと言っている
単独では差異にならないんじゃないのかね?


今日はこれで終わり
738考える名無しさん:2006/03/06(月) 15:24:37
>>737
>「私」を分析し説明するのに、「私」を使っちゃイカンよ
あらあら、>>722は、「人間の内的世界全般」についてお尋ねしているのであって、
「私」を分析し説明しているわけでは全くないのですが、なぜそれを
「私」の分析のことだと誤解されたのでしょうか? う〜ん不思議w
>「私」が任意に認識
むろん、ここでいう「私」は、世界でただ一つしか存在しない、
あなた(哲学者最高位殿)の「私」であります。
「私は世界で唯一なのだから『この私』などと言う必要はない」と力説されて
いたのは、他ならぬあなたではありませんか。
なぜ、それ以外の意味だと誤解されたのでしょうか? う〜ん不思議ww



739考える名無しさん:2006/03/06(月) 15:28:08
最高位なんて相手にしたら負けだよ
740考える名無しさん:2006/03/06(月) 15:35:39
今、>>739がいいこと言った
741考える名無しさん:2006/03/06(月) 15:38:18
では、念のためにもう一度質問を繰り返させていただきますw
あなたによると、「私(無論、哲学者最高位の私w)」は世界で唯一の
純粋な存在性であり、切れ目なくつながって常に変動する物質(これが存在性か
どうかは不明w)を、その時々で任意に「机」「この机」「人間」「この人間」
「機械的唯物論者」「探求者」等々の概念で認識している、従って、机にも
人間にも存在性などまったくない、ということになります。ここまでは、
間違いないでしょうかw? 
さて、それでは、なぜ「人間」に「内的世界全般」があるなどと断言できるので
しょうか。そもそも「人間」など概念に過ぎず、存在性などないはずなのに。
どうぞ、一晩じっくりお考えの上w、解答をお願いいたします。

742考える名無しさん:2006/03/06(月) 15:44:27
>>739
ちなみに、私(今書いている「この私」w)は、最高位とは
付き合いも長く(彼がこの板に来た当初から知っております)、
相手をしていると面白いからやっているだけなので、あしからず
ご了承ください。
743考える名無しさん:2006/03/06(月) 15:59:35
そんじゃあ、ぴかスレでやってくれ
744考える名無しさん:2006/03/06(月) 16:01:37
最高位の「私」は単なる理屈コネ
その「私」と俺らの私をいっしょにするな。
745素人:2006/03/06(月) 16:02:42
746探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/06(月) 16:08:36
>>737
なるほどねー
これが理解できなきゃ「私は関係だ」って言われてもそりゃ理解できないよなぁ

こういうのはどうだろう。
俺と最高位がテニスのダブルスをやるとする。

俺がサーブするときに、センター狙いかサイド狙いかを最高位に暗号で伝えたい。
というわけで、サーブ直前の俺の掛け声の長さでそれを伝えることにする。

掛け声の長さが1.0001秒だったらセンター、1.0002秒だったらサイド。

俺が超人的な時間感覚と発声能力で正確に使い分けられたとしても、
最高位が長さの差を認識できなきゃどっち狙いかはわかんないわけだ。

これで俺が「わかんない?何言ってんだ、声聞こえただろ?ちゃんと動けよ」
って怒ったらすごい理不尽だろ?w

「1.0001秒の掛け声」が聞こえても「1.0002秒の掛け声」との差が認識できなければ、
情報は伝わらない。けど、最高位が差を認識できれば情報が伝わる。

情報の本質が差異にあるってのはこういう意味ね。
747むじんくん:2006/03/06(月) 16:33:56
>>736
> ほー!!!キミはラーメンを食べて味を感じるがごとくに
> 日常的に、神を実感しているというのか!w

宗教とはそういうものでしょう。感覚、感情に強く作用するものです。知性に作用するもの
ではない。

そして、機械氏が愛してやまない"大脳生理学"からみたら、それは麻薬などをやっているときと
似たような脳の活動を引き起こしているというのは十分考えられます。そういう具体的な研究が
あったら面白いですね。
748むじんくん:2006/03/06(月) 16:35:04
>>736
誤解ないように書いておきますと、私は幻視を見たり、神の声が聞こえたりはしてません(笑)。
749考える名無しさん:2006/03/06(月) 16:41:04
君にとって、神ってなんなの?w
750考える名無しさん:2006/03/06(月) 16:42:38
石ころにもラーメンにも神が内在しているのだよ。
内在というより神そのもの。
751考える名無しさん:2006/03/06(月) 16:53:53
最高位をマジにつぶしにかかるのはやめてください。彼が来なくなってもよいのですか?
彼がいないこのスレなど考えられますか。愛のあるツッコミを心がけてください。
752abo-n:2006/03/06(月) 16:57:35
>>750
う〜ん、どうだろう。僕は創造物だと思う。
人間もかな。
753むじんくん:2006/03/06(月) 17:01:43
>>749
> 君にとって、神ってなんなの?w

私にとって神とは最も重要な、第一に設定される"関係"です。人間との横の関係はそこから見れば
派生的な、二次的なものになります。別に人間関係を粗末にしているというわけではなくて、あくまでも
神との関係からみた場合の人間関係という形をとる。

更に、神との関係はこの世の全てを被造物として見る事を可能にします。つまり、物質を物質として見る
ことを可能にする。徹底的な唯物論的思考は神との関係なしに成立させることは殆ど不可能だと思います。

また、私が行う、或いは行ってしまったことに対する判断基準でもある。神との関係なしには、全ての
行為は相対的なものとなり、善悪は溶解し、単に快不快を行動原理とすることになるでしょう。

「お前、随分ご立派だな」という声がありそうですが、それに対して最後に言うならば、上記の事柄は生きている
人間には達成不可能です。人間は神よりも目に見える人間関係に引きづられますし、この世の特定事物を
崇拝してしまいますし、行為を神の視点から見て正しくするなどというのは達成不可能なのです。

だからこそ、キリスト教では信仰を持つものは罪人なのです。罪人とは信仰を持つものの自己意識であり、
同時に罪は信仰なしには救われない。
754考える名無しさん:2006/03/06(月) 17:02:26
>>750
さっき神を踏んづけた ^^;
755考える名無しさん:2006/03/06(月) 17:35:38
さっき神で鼻かんだ
756考える名無しさん:2006/03/06(月) 18:59:22
>>755
君がご立派な事を述べているかすら判らん。君が何を述べてるのか述べたいのか全く判らん。
君にとって、神とは「関係」だと述べている?で、「神との関係」なのか、なんじゃそりゃw
「神との関係」は「関係の関係」のつもりなのか?キルケゴールの末期の言葉を意味不明に曲解したのか?
君は言葉遊びをしているだけで、何も述べていない。
757543:2006/03/06(月) 19:07:05
>>753
「人間は関係である」「関係意識が私である」という粗っぽい言い方で
最高位とやりあってきたので、『神とは第一に設定される関係』との説
明が少しはわかります。
ただ、なぜその“関係”が第一なのか。それを第一とした必然性?がわか
りにくいところです。あなたにとっては、わかってもらう必要はないの
でしょうが。
私たちには、初めに人間(事物)関係があり、それが複雑化するのが“生き
る”ことを意味しています。この“関係”の外に何かがあることも、どこ
かで信じていて、少し前にピカ氏が述べていたように「大木」に手を合わ
せたり、頭を下げたりもします。しかし、この「大木」とあなたの信じる
超絶神とのあいだは隔絶しています。一神教徒は、やはり謎であり、本音
を言えば不可解です。
758練馬哲人:2006/03/06(月) 19:07:43
>>753 中国共産党には神はいないが、絶対的な判断基準はあるぞ。
759考える名無しさん:2006/03/06(月) 19:13:00
次から次へと、DQNプロじゃないだろうな。

機械論→最高位→むじんくん
760考える名無しさん:2006/03/06(月) 19:13:26
>>757-758
君達はむじんくん以上に何も述べない糞であることを自覚しないさいw
761考える名無しさん:2006/03/06(月) 19:43:34
むじんくんの言葉を理解する一助になるかも?

619 2/2 2006/02/04(土) 15:53:57 ID:Sygx4n9S
参:
|†| キリスト教@質問箱141 |†|
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1132116793/
 →888辺りから。特に895

|†| キリスト教@質問箱142 |†|
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1133763611/
 →特に16、特に380、406、413、特に421、433、特に466

キリスト教徒が追い詰められるための「質問箱」
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1133522966/ →
 →Aさんのレスを中心に。特に260、254と261、314、493と508
762練馬哲人:2006/03/06(月) 20:03:03
>>760 自覚しないさい!と言われても、どうすればいいのかわかりましぇん...
763むじんくん:2006/03/06(月) 20:31:53
>>756
> 君にとって、神とは「関係」だと述べている?で、「神との関係」なのか、なんじゃそりゃw

神が関係という書き方はよくなかったですね。普通に人格的存在との関係と考えていいんじゃないでしょうか。
難しく考えると「私という"関係"を措定した存在」と言えると思います。

>>757
> ただ、なぜその“関係”が第一なのか。それを第一とした必然性?がわか
> りにくいところです。

私の場合、単に身内が信者だったので子供の頃から教会に行っていたわけで、環境的な
ものですね。最初は教会行っても遊んで帰ってくるだけでしたが、そういう環境なので
割と自然に入っていけたんだろうとは思います。

しかし、そもそも何故そんな関係性が人間社会に侵入してきたのか?と考えるとそれは不思議ですね。
だから、ユダヤ教系の宗教は"啓示宗教"と呼ばれるわけです。感覚的にはっきり捉えることが
できる存在との関係ではなく、見えないものとの関係を第一とするというのは、これは人類史の中でも
かなり奇妙な事件だろうと思います。
764むじんくん:2006/03/06(月) 20:34:05
>>758
> >>753 中国共産党には神はいないが、絶対的な判断基準はあるぞ。

そうです。神の座に共産党がある。これが旧来の社会主義であり、それは基本的に失敗しました。
ヘーゲル哲学では人間は、カントの言う物自体を認識の下に引き入れることができるとされてますが、
それはダメだったということですね。
765考える名無しさん:2006/03/06(月) 20:41:04
>>762
お前らは自分の意見をいわん糞コテだからじゃねえの?w
543君は読書感想文や第三者への議論の強制だけに終わる何の価値もない長文。
練馬君はどーでもいいことをつっこんだ気になって悦に浸る。
機械君や最高位君やむじんくんは自分の意見をいうだけマシ。
要するニダ、543君や練馬君はコテつける意味ねーってことw
766むじんくん:2006/03/06(月) 20:44:22
>>757
ただですね、これは機械氏がきっと書くだろうから先回りして書きますが(笑)、ニーチェが
言うようにルサンチマンであるというのはあたっていると思うんですね。つまり、ユダヤ民族
というのは非常に不幸であった。その不幸において出てきたのが超越的な、しかも一方的に
人間を支配する神だった。第一の関係とするというよりは、それ以外に何も残らないぐらい
この世において不幸だった民族、それがユダヤ民族であり、ユダヤ性というものと言えると
思います。
767考える名無しさん:2006/03/06(月) 20:54:19
>>765は他人に期待しすぎ。
768考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:07:27
関係ってw わはは
「何かと何かの関わり」を関係というわけだけど、「それ」ちゃんと説明してごらんよ
まさか「わかんないけど関係だ!」って言ってるわけじゃないだろなw
なんでおまいらそういい加減なんだ?
769練馬哲人:2006/03/06(月) 21:13:12
>>765 で、自覚しないさい、についてはスルーかよ?何語だよw
何でも言やぁいいってもんじゃない。まっ、揚げ足取りは趣味ではあるが、そればっかりやってるわけでもないのよ。
>>764 上位自我がキリスト教の神であるべき必要は無い、ということだね。
770考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:13:45
わははVsあははw
771考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:16:43
>>769
でも、中位自我がゾロアスター教の
最高神であるべき必要は存在すると
思うんだけどな。
772練馬哲人:2006/03/06(月) 21:23:37
お米一粒に百人の神様
773考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:50:46
最高位とうとう撃沈されたか。
774考える名無しさん:2006/03/06(月) 22:03:20
最高位は仕事中でそ。
775考える名無しさん:2006/03/06(月) 22:04:38
>>773
彼の活動時間帯は、深夜から明け方、長くて午後二時頃までw
776考える名無しさん:2006/03/06(月) 22:12:41
>>774
しかし、この>>768は最高位でないの。それとも、
偽・最高位かな?
777考える名無しさん:2006/03/06(月) 22:19:10
哲学板に詳しい人にちょっとお聞ききしたいんですけど、
「哲学者最低位」というハンドルはすでに使われたことありますか?
なければ使いたいんです。
778考える名無しさん:2006/03/06(月) 22:21:35
>>777
「哲学者最○位」の屋号は最高位のもの
商標登録そてるかもしれん、聞いてみれ
779「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/06(月) 22:32:26
>>543
>機械氏によれば、異性を欲しがるのも、カネを欲しがるのも間違っている
>らしい。脳を観測すると、第一義的な欲望は前記の二つではない、という
>のである。それが何か教えていただきたいものです。
>もし機械氏の言うとおりだとしたら、なぜ脳は第一義を欲望しないで「異
>性とカネ」を求めてしまうのか。機械氏は「理念」ではなく、機械的唯物
>論・決定論で説明していただきたい

『人類も「哺乳類」という「動物の一種類」である』・・これは「科学の結論」です。
動物(の「脳」)を動かす(DNAプログラムされている)「最も根元的な原理」は、
哺乳類について(本当は「動物全体について」)・・
@「種族保存本能」とA(@の「手段」としての)個体保存本能・・です。
@とAの為に人類の個体は、「優れた異性を追いかけ回し」たり、「貨幣(紙幣)」を
「出来るだけ沢山」収集しようとするのです。
・・・・ちなみに「@やAはつまらないもんね」・・という立場が、ニーチェの言うところの
「ルサンチマン」・・・イソップの狐が手の届かない葡萄を「酸っぱいに決まっている」と断じた
「ひがみ精神」・・であり、それを色々な方法で「体系化」ることに成功したのが、
現存する「世界宗教」である・・ということです。
780考える名無しさん:2006/03/06(月) 22:32:42
>>777
哲学者は使わずに、最低位だけ名乗れば?
781「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/06(月) 22:54:48
>>661
>交換価値というのは信用そのものだが、『信用流通』の仕組みは自分で調べろなw
>Aさんは米が100tあります、これを土地倉庫を持つ者が預かりました、所有者は預かり証を
>受取ました。Aさんは着物が欲しくなりました、着物の価値は米10t分です、Aさんは預かり証
>11t分を呉服屋に渡しました。1tは取引コストです。

それは、合法(の範囲内)ですが、「貨幣の創造」は(一般的)刑事法(刑法だけではなく)上の「罪」になります。
ホリエモン氏達が行った「株の100分割」は当然「合法」ですが、「100分割する意図」が、
「投資組合による買い付けと(買収するターゲット企業との)株式交換」&「(買収された企業が)当該株式を売却すること」
と「その売却先がマネーロンダリングする」・・というスキームは、警察には判りませんでした。
・・・しかし、「東京地方検察庁」は、さすがにその程度の「経済犯罪」には気づく能力を備えていたので、「証券取引法違反」として、
「立件」出来たのであり・・、結局要するに「資本主義経済」とは「マネーゲーム」でしかないのです。
・・・何故か?それは「普遍的交換価値」なるものは(人類にとって)存在しないから・・です。
 最初に戻って「人類にとっての『最終価値』」とは、
@種族保存本能の命じる価値&A(@から派生した)個体保存本能が命じる価値・・「だけ」です。
782Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/03/06(月) 22:55:28
最高位は、よく名無しで自演する卑怯者だからなあ。
783考える名無しさん:2006/03/06(月) 23:11:34
決定論 意識は名称をつけるから物質は必然にすぎない。
784「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/06(月) 23:35:18
>>689
>> じゃあ、無人君は阿片をやってるわけだなw
>そういうことです。

そこまで自覚されているなら、「阿片を止めること」の実行をお奨めします・・
しかし、阿片どっぷりの方(宗教者&観念論哲学徒)は、「止められない」のが、
「統計的事実」です。・・・運良く一時的に「止められた」としても、何かの
「困難なこと」が(あなたの「人生」に)生じれば、すぐに「阿片(宗教)」に
「回帰する」・・であろう事は容易に想像できます。
 それが「麻薬」・・・阿片・ヘロイン・コカイン・・の「恐い」ところなのです。
・・・「マリファナ」と「ハシッシュ」・・については「アルコールと同程度かそれ以下」
の「習慣性&耐性強化」が「無い」ので、(例えば末期癌患者への使用について)・・は、
「合法化を検討」するべきだと思います。
785素人:2006/03/06(月) 23:36:32
さて・・・
このスレも終盤か・・・
ってことで、試みに再掲しておく。


19 1/5  夜更かしは良くないんだがな・・・(^^; sage 2006/02/19(日) 01:36:49
ご新規さんによる、案の定のカキコもあるし、
自分としても、批評が欲しいので再掲しておく。


888 考える名無しさん 2006/02/18(土) 01:42:46
>種々の条件によってそこに顕現した状態
に関してもう少し説明をお願いします。
786素人:2006/03/06(月) 23:37:28
20 2/5 sage 2006/02/19(日) 01:37:30
984 素人 1/2 sage New! 2006/02/18(土) 16:17:27
>> 888
たとえば、あくまでもたとえば、ですよ。
「スクリーンプレー」という『存在』、辞書にはこうある。
《和screen+play》バスケットボールで、攻撃している側の選手が、
味方をマークしている相手チームの選手の前を幕のように遮断して、
味方選手のゴールなどを助ける組織的なプレー。◆英語ではscreen .. [さらに]

これだけでは簡易すぎるので、もう少し具体性を持たせてみる。

ゴールしようとしているA選手をa,b,(あるいはc)選手が妨げようとする。
B,C,(あるいはD)選手は、A選手にゴールさせるためにa,b選手の前に立ちふさがり、
A選手のゴールを成功させようとする。
《【ゲーム中の】【このような】【一連の】【動き】》を『スクリーンプレー』と称する。
[※ある選手がある選手を妨害している只それだけでは『スクリーンプレー』とは言わない。←これ重要。]
としよう。( ゴメンネ カーチャン、スポーツクワシクナイカラ ゴメンネ… J'ー`)し )
787素人:2006/03/06(月) 23:37:59
21 3/5 sage 2006/02/19(日) 01:38:04
985 素人 2/2 sage New! 2006/02/18(土) 16:18:19
以前、一言さんとサッカーのゲームを引き合いに出したことがあったように思うが、 同じように、
時代、場所、時刻、天候、選手の顔ぶれ、選手の体調、選手の精神状態、
ゲーム展開等の条件を問わないならば(その個別性を問わないならば)、
『スクリーンプレー』は【ゲームが行われるところにおいては】どこにでも普遍的に存在しうるだろう。
しかし、それら条件をどれかひとつでも限定したら、途端にそこには個別性が生じてくる。
限定条件が増えれば増えるほど、指し示される『スクリーンプレー』もまた限定されたものになってゆく。
そして、全てが、一回性の因と縁とするならば、この世に一つとして同じ『スクリーンプレー』は『存在』しない。
であるならば、そうした条件に左右されない、不変な、『スクリーンプレー』の【本質】とは何であろうか?
そもそも、そのような【不変な】【本質】がありえるのだろうか?
もし、あるとするならば《【このような】【一連の】【動き】》という括りを採用するしかないだろう。
そこにあるのは、【時間的幅】を前提とした《【一連の】【動き】》そのものなわけだ。
それとて、はたしてほんとうに不変だろうか・・・    ( 自性ですかね(爆    >>唯識さん )
勿論、常識的な、日常における本質を否定するものではない。
  (ただしそれは、幾つかの条件を併せ持った上でのことであり、
   人によりその条件の組み合わせにズレがあった場合に、誤解としてそのズレが表面化するわけだが・・・。)

これを、【人間】【自分】【私】【自我】【意識】(とまあなんでもいいがw)
についても同様に見るスタンスということです。
「概念」「思想」(「家族」「学級」「地域社会」「国家」「世界」「宇宙」「公約」「愛」「喜怒哀楽」etc.)等
「机」「富士山」「路端の花」etc.etc.全ての存在についてそのように見るということです。
簡単に言えば、ほぼ>> 776さんの文のようになるわけだがw

>> 888さん、こんな感じでよろしいか?

以上の文を【私】に改変するともっと解かり易いんだろうが、
IMEパッドからの入力ではめんどいので誰かヨロw  m(_ _)m
788素人:2006/03/06(月) 23:38:34
22 4/5 sage 2006/02/19(日) 01:38:36
987 985 sage New! 2006/02/18(土) 16:47:47
もう一言付け加えておきます。
 > もし、あるとするならば《【このような】【一連の】【動き】》という括りを採用するしかないだろう。
 > そこにあるのは、【時間的幅】を前提とした《【一連の】【動き】》そのものなわけだ。

と言ったが、実は、『そこに、プレーする【選手】がいなかったら、存在しない』とも言えるわけです。
それが、個物なしの存在はありえるのか?という問いでもあるし、
脳(の中の諸々の働き)なしに意識はありえるのか?という問いと重なる部分なわけです。
脳の中の諸々の働きは、ニューロンの発火なしにありえるのか?
ニューロンの発火は、脳を構成する物質なしにありえるのか?・・・以下ミクロに潜航を続けるw

一旦マクロに目を移し、
「概念」「思想」「家族」「学級」「地域社会」「国家」「世界」「宇宙」「公約」「愛」「喜怒哀楽」etc.等についても、
《 脳(の中の諸々の働き)なしに 〜乃至〜 構成する物質なしにありえるのか?・・・以下ミクロに潜航を続けるw 》
となるわけですねw
789素人:2006/03/06(月) 23:39:07
23 5/5 sage 2006/02/19(日) 01:39:10
776 考える名無しさん 2006/02/16(木) 20:16:33
>> 764
では、その関係を意識する「主体」なるものは“関係”以前にあらかじめ
どこかに用意されているわけですか。“関係”が生まれるのを、どこかで
待機しているのでしょうか。主体は“関係”の後に、厳密には“関係”と
ともに立ち現れるものでしょう? 主体が“関係”を意識するのではなく、
事物との“関係意識”自体が主体であり、この私なのです。
この私、私の存在性はたしかに特異であるかにみえます。が、本当に唯一
無二なのは、この私ではなく“事物との関係”であって、それはこの机に
もこの猫にもいえます。
790素人:2006/03/06(月) 23:39:47
24 補 sage 2006/02/19(日) 01:39:45
762 考える名無しさん 2006/02/16(木) 17:26:36
物理的な要素の同じ肉体を二箇つくっても、同じ人間を二人つくった
ことにはならない。それは、双子とほぼ同じ。双子がそれぞれの「この
私」を持っているのは当たり前。二人の時空の位置(事物との関係)が
異なるからである。
もし、事物との関係も含めて、物理的に同じ要素の肉体を二個つくる
ことができたなら、この二人は同一の「この私」意識を持つだろう。
ただし、これは背理である。時空の同じ位置に二つは存在できないか
らである。
最高位が後生大事に掲げる「この私」は、特定の肉体と事物との“関係
意識”でしかない。この関係のなかに「この私」が立ち現われるにすぎ
ない。絶対的で唯一なるものは“この私”ではなく、時空(事物)との
「関係」である。私たちは、この「関係」を“この私”と意識しているに
すぎない。この「関係」は唯一無二であり、従って、そこに立ち現われる
この私も「そこにしかない」のは当たり前ではないか。


764 探求者 ◆IageKhlEwc sage 2006/02/16(木) 17:45:14
>> 762
「この私とは関係意識でしかない」というけど、
関係ってそれを見出す主体が絶対に必要だよね。

ある事物がある時空とある関係をもって存在している。
ということを認識する「この私」はすごく特異なんじゃないか?

というのが>> 761の論点なんだけどどう思う?
791素人:2006/03/06(月) 23:59:53
見易いようにアンカーにしとこうかw
>>785>>786>>787>>788>>789>>790
   &
>374>375>376>410>435>478
792練馬哲人:2006/03/07(火) 00:10:31
>>786 スクリーンプレイは言語である、という話し以上になるのかなぁ?
793素人:2006/03/07(火) 00:18:22
>>792
いいポイントです。
もっと具体的にツッコんでください。 m(_ _)m
794哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 00:35:10
>>726
>残念ながら、「人間の内的世界」でさえ、物質を介在した情報なのです。
>だから、その「存在性(不思議じゃん!)」は物質を介在した情報ではない、ことを
>端的に説明するしかないのです。
>もちろん、その説明は、物質を介在した情報としてで結構ですよ。

ん?何度もやってるでしょう
物質的に全く同じ要素の体を作っても、それは『私』ではない とね
意味わからんの?
具体的に、『私』は何の物理的要素なのか情報なのか明確に提示して下さいな
唯物論を主張するなら、その思想の性質上から考えて
「不思議じゃん」では済まされないでしょう
具体的に解明できる根拠がなければイカンでしょう
唯物論にとって、『不思議』だったら、その時点で敗北宣言なんですよw
ところで
何がどう不思議なのかわかっていますか?
何がどう不思議なんです?

>>738
ん?またまた変な事を言っているなぁ
まだ理解できんかね
キミは私が、『私』は存在性である と言っているのを否定したいんだろ?
だったら『私』を前提にした発言は一切するな と言ってるんだよ
キミは、『私』など前提にできない という意味の事を
『私』を前提にした説明で、説明しているわけだ
だから、自分で何を言ってるのかわかってるの?と教えてあげたわけ
ここまで丁寧に教えないといけないのかよ・・・
ちなみに「人間の内的世界全般」とは、存在性も含めた無形な部分
いわゆる精神世界全般の事だよ
795練馬哲人:2006/03/07(火) 00:40:56
それぞれの言語の事物との対応関係の厳密さには、ばらつきがある。
スクリーンプレイはまだ語り得るものだが、私や情報となるともう手の着けようがないw
言語で思考するのであれば、多少の冗長性は止むを得ない。それでもコミュニケーション成立の可能性を、信じてはいるけれども。
796考える名無しさん:2006/03/07(火) 00:52:10
>>794
最高位さん、最低位を名乗っていいですか?
哲学者じゃないので「哲学者」は削ります。

ところで、存在性ってどういう意味ですか?
797哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 00:54:36
>>741
全然違います
ところで
キミは昼間の3時半ごろに書き込みしてるのに
>どうぞ、一晩じっくりお考えの上w、解答をお願いいたします。
コレ、おかしいでしょう
頭、大丈夫ですか?

>>746
ころころ話を変えなくていいんだよ
1は、1という情報ではないのかね?
『痛い』という情報は『痛い』という情報ではないのかね?
他の感覚がなければ『痛み』も感じないと言うのかね?
と聞いているんだよ
赤は赤という情報ではないのかね?
私から言わせれば、『差異』とは、『差異がある』という情報であって
前の情報との差異を、明確に認識できる というだけの話なんだよね
当たり前だと思うんだけどな
差異が情報 っていう発想自体が国語的におかしいだろ
だから「私は関係だ」などという おかしな発想がでてくるんだな
関係っていうのは、何かと何かの関係なんだよ
だから、いったいそれは何と何の関係ですか?と聞いているだろ
「私」って、何と何の関係によって発生してるの?
元々、「私」は存在しなくて、「関係」によって生じるとするならば
他と他の関係によって「私」が発生していると?
それを具体的に説明して下さいよ わけわからんからさ
798考える名無しさん:2006/03/07(火) 00:55:18
>>794
そんな書き方してるおまいが偉そうに「私」がどうのこうの言ったって
説得力無いんだよ
いいかげん二重人格が2ちゃんに出てることに気付けよ。
799「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/07(火) 00:57:03
>>784
>唯物論を主張するなら、その思想の性質上から考えて
>「不思議じゃん」では済まされないでしょう
>具体的に解明できる根拠がなければイカンでしょう

その主張の「逆」は、「観念論には具体的に説明できる根拠が無くてもいい」
・・・という「免罪符」を出したのは、一体誰なのですか?
 (自然)科学は、もう十分すぎるほどの「根拠」を提出しております。
 ただ、それらの「明白な根拠」を(都合が悪いので)「怠惰」に基づき「読まない」
・・「観念論者(宗教者)」の病は・・・「もう数年」で終了する・・と考えます。
・・・が「そのしぶとさ」で、「(自然)科学を無視する」態度を継続する・・・と考えます。
進化論という「(自然)科学的には常識中の常識」をローマ法王庁がやっと認めたのは、
確か・・1998年です。
 ローマ法王庁にとって、「自然科学」などは「出来れば消えて欲しい」存在であることは、
「ガリレオが地動説を主張した時代」と・・・「全く変わっていない」のです。
800「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/07(火) 01:05:41
>>796
>ところで、存在性ってどういう意味ですか?

「私は観念論者なので(従って)『まやかしの言葉』を発する権利があるわけです」
・・という(観念論者の「よくある主張」)だと思います。
普通「存在性」などと・・言うことは「ありえません」ので・・そういうことだと思います。
801一言 ◆84DmbwrCHo :2006/03/07(火) 01:06:29
>>787
次のような架空の図書館における議論を考えてみましょう。
素人さんと私はその図書館(ボルヘスのあやかって『バベルの図書館』と名付けます)の
ある通路にいます。そして、素人さんが「この前、スクリーン・プレイを見た」と言い、私が
「スクリーン・プレイとは何か?」と訊ねます。そこで、素人さんは手近な棚にある辞書を
取り出し(というのは、その背表紙には『日本語辞典』と書かれていたからなのですが)、
「スクリーン・プレイ」という項目を引きます。そこにはこう書かれています。

「テーブルが泡立っているビールの前を横切ってジョッキを受け止めるプレイのこと」

さて、この時、次のような会話が行われたとします。

素人「この辞書は使い物にならない」
一言「いや、分かり易い定義だ。私は十分に理解した」
素人「そんなはずはない(と、ちょうどテレビ中継でスクリーン・プレイが映されたので)。
だって、 あ れ が スクリーン・プレイだ(と指差す)」
一言「そうだ。あれはまさにテーブルが泡立っているビールの前を横切ってジョッキを受け止めている」

この時、素人さんは何と考えますか?
802哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 01:16:00
>>747
>> ほー!!!キミはラーメンを食べて味を感じるがごとくに
>> 日常的に、神を実感しているというのか!w

>宗教とはそういうものでしょう。感覚、感情に強く作用するものです。知性に作用するもの
>ではない。

はぁ???
宗教というのは信仰だよ?
信じる というもの
ラーメンがうまい というのとは違うだろ
>>748
>誤解ないように書いておきますと、私は幻視を見たり、神の声が聞こえたりはしてません(笑)。
アレレ???
キミは実体の無い神を、ラーメンを食べてウマイと感じるがごとくに実感できている
と言ってたんじゃないのかね?
そしてその実感は、阿片だと言っていたよね
阿片というのは、妄想による実感、快感をもたらすんじゃないのかね?
そういう意味じゃないの?
妄想でもなくラーメンを食べるがごとくに神を実感しているが
見えたり声が聞こえたりはしない
では、どういう五感によって、ラーメンを食べるがごとくに神を体験しているわけですか?
しかし、そこまでの強い実感的な信仰をもっていながら
宗教は阿片(妄想による快感)である と主張する
これをみんなは矛盾だと指摘しているわけですが、どういう事ですかね?
803考える名無しさん:2006/03/07(火) 01:17:49
オオカミ少女とオオカミの違いなんて関係意識で説明つく?
ホントかどうか知らないけれど、オオカミ少女は人間らしさを最後まで見せなかったんだよね。
でも、教育次第では関係意識(主体)を少女は持てたんじゃないかな。
オオカミの子供を人間が人間のように育ててもきっと人間にはなれないような気がする。
強引だけれど、もし↑が正しいなら、人間の持つ関係意識(主体)って単純に脳の構造の問題なのかな。
そうだとしても、関係意識(主体)を支えるオオカミには無い「何か」(私の存在性?)があらかじめ人間に備わっているからこそ、
関係意識を持てるんじゃないだろうか。

なんか矛盾してるかな・・・。
見当外れのこと言ってたらごめんなさい。
804考える名無しさん:2006/03/07(火) 01:19:10
最高位に警告
2ちゃんのルールを守りましょう
805哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 01:20:57
>>800
>「私は観念論者なので(従って)『まやかしの言葉』を発する権利があるわけです」
・・という(観念論者の「よくある主張」)だと思います。

キミは一番最初に
>「私は〜
と言ってるじゃないかw
存在するから「私」は なんだろ?
ん?
存在しないの?
じゃぁ「私は〜 って何?w
806「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/07(火) 01:29:45
>>805
「現在のあなたの肉体」は確かに「物質的に存在する」事は(当然「疑い得」ますが)
認めます。
・・で「あなたの肉体(当然「脳」を含む)」が、「完全消滅」している(であろう)
「紀元2100年3月7日」も、何もなかったように・・来るわけですが、その時点でも
あなたのおっしゃる『「私」なるもの』が存在し続けている・・とお考えなのですか?
「あなたの肉体(勿論「脳」を含めて)が、腐敗したり焼却されたりした「後」・・でも、
やはり「あなたの『私』」は「存在している」と信じるのですか?
・・・・それとも『「信じたい」・・ということが「今の私の最高願望である」』ということですか?
807むじんくん:2006/03/07(火) 01:29:51
>>784
> しかし、阿片どっぷりの方(宗教者&観念論哲学徒)は、「止められない」のが、
> 「統計的事実」です。

キリスト教は耐性強化はなさそうですよ(笑)。あと、タバコを一日100本吸う人が
やめたとたんに今度は酒を飲んでしまって肝臓悪くしたという話を聞いたことがあります。

ちなみに、キリスト教信仰がどれほど劇的な効果があるかを私が知ったのは、自分の体験では
なくて作家の加賀乙彦氏が精神科医時代に獄中で出会った死刑囚の話をきいた時です。今
麻原彰晃氏は拘禁中でまともな精神状態ではないそうですが、死刑囚はほぼ確実に強度の
ノイローゼになるそうですね。

ところが、加賀乙彦氏がある時獄中で出会った死刑囚は全く症状を出していなかった。何でだろう
と思っていたら、この囚人はカソリック教徒に刑務所に入ってからなっていたそうです。これは
かなり強い薬物投与よりも効果があると言えるかもしれません。

ちなみに加賀乙彦氏は後に自身がカソリック教徒になってます。現在麻原彰晃氏の鑑定結果は間違っている
と提言してますね。
808哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 01:29:54
>>799
>その主張の「逆」は、「観念論には具体的に説明できる根拠が無くてもいい」
>・・・という「免罪符」を出したのは、一体誰なのですか?

はぁ?
私は、唯物論が間違いだと言ってるだけでね
他の何の思想が正しい と言ってるのではないんですよ
ちなみに
観念論は、はじめに観念ありき であって
物理的に観念を説明できる などと間違えても主張していないわけですw
何考えてんの?
809練馬哲人:2006/03/07(火) 01:39:43
>>803 人間はオオカミ社会の関係性を理解できるが、オオカミは人間社会の関係性を理解できない。
こりゃあ動物同士、脳の容量が違うんだからしょうがない。どっちが幸せというもんでもないがね。
810「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/07(火) 01:41:37
>>807
麻原彰晃氏のほうが「まとも」だと思います。
「自己欺瞞」という「脳の操作」は、一歩違えば「ナチズム」「自爆テロ」
「金日正至上主義」・・・何でもありの世界であり、要約すると「自分が気持ちいい」
状態・・・に奉仕する・・「自己中心主義の権化」・・です。
 一言で言えば「自分が『崇高だと思って気持ちが安らぐ宗教の仲間達』」の敵は、仲間達で
「抹殺する」・・・権利があるはず・・・という主張です。
 それが「宗教」・・「観念論」の「うさんくささ」であり、「普通の感覚」では、
「ありえない」・・・ということに気づかない・・一種の「自己欺瞞という精神疾患」なのです。
811考える名無しさん:2006/03/07(火) 01:48:26
長さ30センチの定規の目盛で 0や1の方を観る人と29や30の方を観る人
812考える名無しさん:2006/03/07(火) 01:49:51
じゃあ、定規全体を俯瞰すれば答え出るかな。
813「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/07(火) 01:55:11
>>808
>観念論は、はじめに観念ありき であって
>物理的に観念を説明できる などと間違えても主張していないわけですw

だから「非科学的」であり、「恣意的」であり・・・これが一番重要なのですが
・・・「完全に相対的」なのです。
 別にガリレオがああだこうだ言い出したなら・・適当に迫害しておけばいいものを、
失敗したなら、殺すか何とかしておけばいいモノを・・とにかく「教祖」はなんてどう
いい、教団の権威を守れ」・・という至上命令を出している以上、気に入らないのだから
(真理だろう何だろうが)「潰す」しかない・・・という忠誠心で固まれよ。と号令を下すのですね?
「宗教」は体育会系の閉鎖集団」だから、苛めも強要も排除もない・・世界・・

・・という「たてまえ」があり、それが「内部告発」で崩壊しない限り「幹部の地位は安泰」ということです。
814練馬哲人:2006/03/07(火) 01:57:22
>>807 オウム真理教とキリスト教を同列に置くような論旨は、宗教者として不適当ではないか?
イワシの頭でいいからキリスト教にしなさい、というキルケゴールに対して、バスカルは激怒するのではないか?
815練馬哲人:2006/03/07(火) 02:02:47
わ!バスカルになってら。パスカルね、スマン。
816考える名無しさん:2006/03/07(火) 02:03:20
機械氏は芸術なんかはやっぱり信仰の一形態だから、下らないとするわけですよね?
「非科学的」であり、各々が「相対的」な価値観を持たざるをえない芸術は
自己欺瞞という精神疾患を持つ人々のものであり、「まとも」な機械氏は芸術など相手にしませんよね?
817「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/03/07(火) 02:14:09
>>816
そうですね、芸術の理解・・こそ「証明不可能」な分野はありません。
そういう意味では『なんて俗物的な趣味に甘んじている「感性皆無の」ブタ』
だという批評は「お互いさま」です。

絵画で言えば「流派」はフォービズム」、作家は「モーリス・ブラマンク」、「マチス」「ボナール」
文学で言えば「三島由紀夫の『音韻駅日本語』」、村上春樹の処女四部作、ドスト、ヘッセ、ジョイス
が好きです。
 
818考える名無しさん:2006/03/07(火) 02:19:01
>>794
残念ながら、逃げの体制に入られてようですね。
あえて、もう一度書きましょう。

>物質的に全く同じ要素の体を作っても、それは『私』ではない とね

残念ながら、何度も答えています。
物質的に全く同じ要素、同じ状態の体、を作ることは不可能なのです。
なぜならこの宇宙は一方向であり、「同じ」は存在しないのですね。
体というような複雑なことでなくとも、物理の教科書にある単純な例、
物体Aと物体Bの衝突でも、同じ衝突を再現することは不可能なのです。

>唯物論を主張するなら、その思想の性質上から考えて
>「不思議じゃん」では済まされないでしょう
>具体的に解明できる根拠がなければイカンでしょう

残念ながら、「存在性(=不思議じゃん)」を持ち出したのはあなたです。
>だから、その「存在性(不思議じゃん!)」は物質を介在した情報ではない、ことを
>端的に説明するしかないのです。
>もちろん、その説明は、物質を介在した情報としてで結構ですよ。
819練馬哲人:2006/03/07(火) 02:22:32
>>817 なんでその趣味で、機械的唯物論者なんだかw
820考える名無しさん:2006/03/07(火) 02:38:37
>>794
残念ながら、次になにを言うかわかりますので、答えを先に書いておきます。

「存在性(=不思議じゃん)」が変化しない、同一である、ことは、
あなたが、「物質的に全く同じ要素の体」が可能であると、錯覚したことと
同じ理由でで説明されます。
すなわち同一であると錯覚する「物体」がある、ということです。
だから以下に行き着くのです。

>だから、その「存在性(不思議じゃん!)」は物質を介在した情報ではない、ことを
>端的に説明するしかないのです。
>もちろん、その説明は、物質を介在した情報としてで結構ですよ。

残念ながら、これに答えること以外に、唯物論批判はありませんよ。
821哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 02:39:21
>>818
何を言ってるんだよ
逃げてるのは明らかに、そっちだろw
こっちが攻めてるんだからさ

『私』は物理的な何の要素なんですか?と聞いているんだよ?
早く答えてくれよ
822考える名無しさん:2006/03/07(火) 02:49:35
最高位の負けだろw
823考える名無しさん:2006/03/07(火) 02:57:52
最高位は負けてからが本領発揮だから
824ゾルレン:2006/03/07(火) 03:02:25
>宗教とはそういうものでしょう。感覚、感情に強く作用するものです。知性に作用するもの
>ではない。

知性に作用する阿片は「知識人の阿片」ってことだな
825哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 03:05:27
ん?
全く負けてなどいないよ?
逆です逆
私が、物理的に全く同じ と定義したのは
みんなに、わかりやすくするためであってね
極論すれば作れようが作れまいが関係がない
要は
何をどんな事をしても、物理的には『私』は作れない
『私』が唯一絶対の存在である限り
唯物論では記述できないんだよ
物理的な何の要素で『私』であるのかは
何をどうやったって、物理的には特定する事は不可能なんです

同じもの と言われて、それしか考えられないんだなw
無駄無駄w
キミらは頭が弱いんだからさ
私に勝とうなんて、無理なんよ
826考える名無しさん:2006/03/07(火) 03:11:31
>>825
残念ながら、逃げの体制に入られたようなので、まとめました。
がんばってパズルを解いてください。

・情報は物質がないところに存在しない。
・世界は物質を介在した情報の総体である。
・世界に同じは存在しない。
  物質的に全く同じ要素、同じ状態の体、を作ることは不可能なのです。
  なぜならこの宇宙は一方向であり、「同じ」は存在しないのですね。
  体というような複雑なことでなくとも、物理の教科書にある単純な例、
  物体Aと物体Bの衝突でも、同じ衝突を再現することは不可能なのです。
・「この私」の自己同一性は、同一であると錯覚する「物体」があることで、説明される。

・よって、唯物論批判は、物質を介在しない情報があることを、端的に説明することである。
827考える名無しさん:2006/03/07(火) 03:30:14
こう見ると最高位って言ってる内容も発言の仕方も幼稚だな。
828考える名無しさん:2006/03/07(火) 03:30:33
>>825
勝ち負け論争してるんじゃないんだけど
荒しなら削除依頼出すよ。
829ゾルレン:2006/03/07(火) 03:31:42

>>ゾレルン氏が帰依する思想家というのは政治的言説を禁じているわけですが、

>誰だか知らんけど、>>653にはそう書いてありますね。論理学と数学以外の領域は証明不可能だと。

所詮この程度だ
下の文章から上の文章を論理的に導き出すにはある価値判断が前提として必要不可欠である
その価値判断を問い直すべきなのだ、すべての哲学者は。
830哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 03:54:37
>>826
『私』は、情報じゃない と言ってるのに
なんで最初から情報だという前提になってるんだ?と言ってるんだよ
まず『私』が情報である という根拠を提示しなさいよ
どういう情報が『私』なんだ?
831考える名無しさん:2006/03/07(火) 03:58:41
>>830
たまには質問からでなく、説明からはいれ、馬鹿ちんw
832考える名無しさん:2006/03/07(火) 04:05:50
最高位は人のかきこを読んでそれを攻撃することしかしないのかな
そういうのを荒しって言うんですよ。
833探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/07(火) 04:10:02
>>797
「1.0001秒の掛け声」と「1.0002秒の掛け声」がそれぞれ1と0に対応します。
1と0の区別がつかなければ、1が聞こえても情報は伝わらない。
実際こんな掛け声聞いたって、最高位はどう動けばいいか分からないだろ?

「痛み」の例でいうと、「痛い」と「痛くない」の差が分からなければ
痛いはずの刺激を与えても「痛い」という情報は伝わらないってこと。

「痛み」を伝える個々の神経細胞の状態には「オンとオフ」しかない。
弱い痛みでオンになる神経細胞や、強い痛みでやっとオンになる神経細胞があって、
この組み合わせで「ちょっと痛い」「すごく痛い」という情報を作っている。

つまり「痛み」もオンとオフ、0と1の区別から成り立ってるわけです。
834哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 04:10:49
>>831
何回説明したと思ってるんだよ
おんなじ事ばっかり繰り返さすな ボケが
835考える名無しさん:2006/03/07(火) 04:21:50
http://info.2ch.net/guide/faq.html#B2
http://info.2ch.net/guide/adv.html#saku_guide
投稿目的による削除対象
http://qb5.2ch.net/saku/
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo
最終警告。
836考える名無しさん:2006/03/07(火) 04:23:19
>>833
このトラップは更に単純化出来るよ。
「掛け声」が掛かったかそうでないか。
つまり、「きっかけ」は差異としての始まりだ。後にしか無いんだよ。
それが反復して混乱して反省し(ry
837哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 05:16:05
>>833
掛け声を聞けば、音声という情報が伝わるけどな
キミには何も聞こえないのかね?
ず〜〜〜〜っと痛くて、痛くない状態というものが、どういう事かわからなくても
痛い という情報は常に入力されているのだから、痛いのは痛いだろ
痛くない状態になって初めて、「さっきのは痛い状態だったんだな」と気づくわけかい?キミは
狂ってるとしか思えんw

>>835
はぁ?
唯物論が論破されたら削除依頼かよ
他の人だって私を罵倒してるだろ
なぜ私だけを攻撃するのかな?
やっぱり、それしか唯物論を守る手立てがないって事?
私には、論理で負けるもんねw
838考える名無しさん:2006/03/07(火) 05:47:13
名前:哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo
あなたの発言が暴言でスレを不快にするものかどうか
削除人に判定してもらいましょう
それでも尚且つ暴言を繰り返すようならばアクセス禁止になるでしょう
このスレの暴言と思われるレスを抽出しますが。
839考える名無しさん:2006/03/07(火) 05:57:32
>>837
君が何処から物申すのかが興味では無かったらしいな。
流れを変えないと不味いっぽいぞ。お前の「論理」を披露するのは今しかない。
840不苦労:2006/03/07(火) 05:58:56

エガ&住吉&HG 追加
841哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 06:00:25
>>838
どうして私だけが攻撃されるのか と聞いているんです
それは思想の問題
唯物論という主義主張を持っている人が、このスレには多く存在し
それを論破された逆恨みで
私に対して、名無しで罵倒したり挑発する発言をしている
なぜ私だけが責められねばならぬのか
まず、そこを明確にしてもらいたいですな
842考える名無しさん:2006/03/07(火) 06:02:51
>罵倒したり挑発する発言をしている
それって誰のことかな。
843哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 06:05:59
>>842
過去スレを読めばわかるでしょう
たとえば>>831
844考える名無しさん:2006/03/07(火) 06:15:08
最高位は自分のどこが批判されているか、それさえ理解できていない。
845探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/07(火) 06:23:33
>>837
やっぱ理解できないよね。最高位は今の自分の感覚を信じすぎてる。
それがあやふやになるような体験を実際にしてみないとダメだね。

「犬」って漢字を紙に書いてじーっと見てると、なんか変な図形にしか
見えなくなってくる体験とかしたことないのかな。
846哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 06:34:32
>>844

たとえばコレもそうだね
理由も書かれていないでしょう
私に対する、単なる中傷にすぎない
だから私は
人を批判するのなら、理由ぐらい書けよ と
コミュニケーションの基本を教えてあげているわけです
いくら何回教えてあげても、一向にわからないみたいなので
いい加減、いい加減にしろよ となったりもするわけです

>>845
あるよ?
で?
あー 変な図形に しか 見えなくなる という事はないな
変な図形 にも 見えてきた 事はある
犬って、こんな字だったかな?
今更だけど、よく見て、考えてみれば、変なマークだな
なんてね
それが何?
847不苦労:2006/03/07(火) 06:35:51

カルトバンドいらねw
848不苦労:2006/03/07(火) 06:38:52

モーヨせw
849考える名無しさん:2006/03/07(火) 07:23:43
ロボットは複製された2号機にデータを移したら「自殺」できそう。でも私は私の複製に同じ記憶をもたせても自殺できません。唯物論はちょっと・・
850探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/07(火) 07:43:01
>>846
いや聞いてみただけ。そのぐらいの体験はさすがにしてるんだね。
851あら?:2006/03/07(火) 08:03:59
なんだか,つまらなくなってきたぞ.
皆さん注意してください!!
852哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 08:08:09
>>850
なにをそんな大袈裟な・・・
そんな体験なんて、何の意味もないだろw
てか、体験というほどのものでもないw
キミってホントに、わけわからん人だね
853考える名無しさん:2006/03/07(火) 08:09:44
>>852
そろそろ出てけよ。じゃまなんだよ。
854考える名無しさん:2006/03/07(火) 08:38:43
このスレは唯物論スレなんだよね。
でも最高位はやっているのは、唯物論反論でなく、
「唯物論者よ!オレで考えを否定して見ろ!」ってことだから、
このスレとは関係がないんだよ。

単に自分の考え(独我論?)の披露だから、
自分のスレをつくってそこでやるのがよいと思うよ。
855哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 09:04:44
>>854
違うな
唯物論というものは
世界には物質しかなく、人間の精神もまた物質による物理現象である
という思想だ
そこで素朴な疑問として、ごく自然に
「私は、物質による物理現象なのか どうなのか」という課題が出てくるわけだ
なぜ、この疑問が唯物論とは関係がない と言うのか
全く意味がわからんね
思想とは、私が持つべき価値観であって
ストライク ど真ん中 なんですよ
『私』は物質による物理現象なのか どうなのか
『私』が、物理現象なのならば、それはいかなる物質の、いかなる要素による、いかなる現象であるのか
具体的に解明できるはず なのである
しかし、『私』は唯一絶対の存在性であるがゆえに
物理的な要素によって、具体的にコレだと特定できる性質のものではないのである
ゆえに
歴史を通して争われてきた心身問題におけるところの唯物論の主張である
「人間の精神も物理現象にすぎない」は
私、哲学者最高位によって、ようやくピリオドが打たれたのである
永き歴史の幕が今、降ろされました
めでたし、めでたし
856考える名無しさん:2006/03/07(火) 09:11:04
>>821
「私」は物理的要素。質量や電荷といったモノに付随する性質。
857考える名無しさん:2006/03/07(火) 09:11:43
結局、唯物論と決定論が正しい。
858考える名無しさん:2006/03/07(火) 09:13:01
>>855
ここは決定論スレなので、これ以上関係のない話をするなら、
悪質な利用者として届出を出しますのでそのつもりで。
859考える名無しさん:2006/03/07(火) 09:15:09
>>841
>私に対して、名無しで罵倒したり挑発する発言をしている

お前がここに出てこなければいいだけのこと。
暴言を吐いているお前がまず問題なのに、責任転嫁するなよ!
860探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/07(火) 09:16:20
「ある」と自分にしか確信できないようなものを示して
「ほれ、説明してみんかい。できないならお前の負けね」と言って勝利宣言する

それが最高位クオリティ
861考える名無しさん:2006/03/07(火) 09:29:30
>>794
>キミは私が、『私』は存在性である と言っているのを否定したいんだろ?
あらあら、私wがいつそんなことを? 
普通に「私が存在する」ことなど、つゆほども疑っておりません。
ただし「私」は世界中にたくさん存在すると思っております。「この私」は
一つしか存在しませんが、それは「この机」が一つしか存在しないのと、
全く同じことです。さよう、「この私」も「この机」も全く同様に存在する、
というのが私wの考えで、これに対しあなたは「机・この机」など存在性がない、と
強調されるので、それなら「人間」にも存在性などないはずなのに、なぜ
人間の内的世界全般うんぬんなどということが言えるのか、という
疑問につながったわけです。
>>797
>全然違います
いやあ、そう言われても、どこがどう違うのか説明していただかないとw
もう一度質問いたしますので、1分でも一晩でも一年でもw、ご随意に熟考
の上ご解答を。
>あなたによると、「私(無論、哲学者最高位の私w)」は世界で唯一の
>純粋な存在性であり、切れ目なくつながって常に変動する物質(これが存在性か
>どうかは不明w)を、その時々で任意に「机」「この机」「人間」「この人間」
>「機械的唯物論者」「探求者」等々の概念で認識している、従って、机にも
>人間にも存在性などまったくない、ということになります。ここまでは、
>間違いないでしょうかw? 
862考える名無しさん:2006/03/07(火) 09:30:18
だれか最高位のために「「私」は物質か」スレをたててあげてください。
まさか誰もこの板から最高位はでてけとはいわないでしょ。w
このスレに人集まりすぎてレス流れるから、分家ね。
863考える名無しさん:2006/03/07(火) 09:31:10
>>855
簡単に幕を降ろさないように。そこで、最高位に質問。
最高位の唯一無二の『私』は、これからも世界(事物)と関係し続けなけ
ればなりません。失礼、関係という言葉が嫌いでしたね。最高位の『私』
は、世界と相渉っていきます。その“渉りかた”は『私』の意思で確定
できるのですか。それとも、必然の連鎖を歩かされるだけですか。
864哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 09:35:38
>>856
昔の人は、その辺に誤魔化されてきたんですよ
表面的に捉えると、単純にそう考えて結論付けちゃうんだけれど
たとえ付随していても
決して、そこから「発生」しているとは結論づける事はできないでしょう
逆に、私が発生しているのではない という証拠を出したのですから
そんな昔ながらの抽象的な反論では、全く意味がありませんよ
『私』とはコレだ と具体的に示さなくちゃね

>>858
必死だね
職業左翼の方ですか?
スレ主は、機械的唯物論者なんだから、唯物論を根拠にした決定論を主張しているわけですよ
だから私は、その決定論の根本から否定する論理展開を行っているわけです
決してスレ違いではありません
ストライクど真ん中です

>>859
もうしばらくは
あなたのような露骨な挑発にも乗りませんから
ご安心をw
865むじんくん:2006/03/07(火) 09:39:08
>>810
> 麻原彰晃氏のほうが「まとも」だと思います。

あはは。いや、ちょっと私も思ったんですけど、拘禁状態でもあの人(麻原)は平気な顔して過ごして
いるんじゃないかと思っていました。そうじゃないみたいですね。

>  それが「宗教」・・「観念論」の「うさんくささ」であり、「普通の感覚」では、
> 「ありえない」・・・ということに気づかない・・一種の「自己欺瞞という精神疾患」なのです。

キリスト教信仰とは自己中心主義であるというのは、フォイエルバッハの「キリスト教の本質」なんか
でも繰り返し書かれてます。それに対置するのは共同体なんですね。人間同士の横のつながりです。
或いは現世の物質的世界との相互関係。

ユダヤ民族の特異性というものがあるとしたら、そこを切断して精神の関心をこの世から離れたところへ
持っていったという点です。だからヘーゲルも、ギリシャ人の悲劇は感傷的で美しさを感じることができるが、
ユダヤ人のそれは端的に醜悪であるに過ぎないという訳です。

問題は、そういった"醜悪"な事態が現実に起こりうるということですね。マルクスはだから宗教は阿片であり、
それは阿片を必要とするような現実があるのだ、と語ったわけです。"普通の感覚"が結構な確率で決定的に
破壊される。そう考えると、機械氏が嫌いなキリスト教も脳神経細胞の"必然的"な回路形成と考えることが
できると思います。
866あれ:2006/03/07(火) 09:44:19
さて,物質であるか,物質で無いか(非物質である)という判断は
どの様にしているのでしょうか
人間が観測可能であるかどうか,人間の頭の中に浮かんだ概念も物質?
浮かばなかったら物質ではない?
しかし,人間は頭の中でしか,この世界(宇宙)を考えることができないですよね.
こうだと思った事(信じた事)が,その人の世界(宇宙)になる訳ですね.
そうなると,人間の概念の外にある,存在があったら「それ」は物質・非物質?
人間の概念の外側は,無ですか.枠外ですか.
867考える名無しさん:2006/03/07(火) 09:49:35
>>864
>決して、そこから「発生」しているとは結論づける事はできないでしょう

誰も発生しているなんていっていない。
付随しているし、その状況証拠も数限りなくある。

電荷がモノから発生しているのではなく、モノそのものと共に付随してあるように、
「私」もまた、モノそのものとして、その性質が付随している。
868むじんくん:2006/03/07(火) 10:00:18
>>829
> >>ゾレルン氏が帰依する思想家というのは政治的言説を禁じているわけですが、
> >誰だか知らんけど、>>653にはそう書いてありますね。論理学と数学以外の領域は証明不可能だと。
> 所詮この程度だ

それは、この引用された文章は裏側では非常に政治的ですよ。つまりタイトルにあるように「西側」という、
ある精神的地盤を主張しているわけです。

僕はこういう主張自体を端的に否定するつもりはありませんが、例えばサイードなどが語ったことについて
何と言うだろうかと思うのです。20世紀は人間中心主義の終焉であると共に、"西側"が行ってきた殖民地
問題に関して、殖民地の人間から声が上がってきた時代です。殖民地問題を問うならば、同じテーブルに
つかない連中を馬鹿にして終わりという言説にはならないはずなのです。

"他の人の自立性や精神的独立性"を尊重することができるように、"西側"は旧植民地で"非理性的な連中"を
抑圧してきた。引用文からは、そこを綺麗さっぱり忘れようという発想しか見えません。
869考える名無しさん:2006/03/07(火) 10:01:56
決定論と言うが,そう考える根拠を突き詰めていくと其処には,何がある?
あらゆる事は,根拠無き原理や定理を信じているのではないか?
つまり,真に決定する事が可能になるのは,人間の知りたいこと
(考えられる全ての謎)が全て解明された時であるので,
決定論は成り立たない.
870哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 10:06:12
>>860
キミは『自我』を認識できない人ですか?
キミには、無いんですか?自我

>>861
またキミか・・・
この机 って・・・
あの机と大部分の部品を交換したり
溶接しちゃったりすると
この机とか、あの机とか
そういう定義は曖昧で、どう呼ぶのかはテキトーだろ?
しかし『私』は、体をいかにいじろうとも臓器移植しようとも
『私』は、『私』である限り『私』でしかないんだよ
だから
一緒じゃない と、何度も言ってるでしょう

>>863
別に『関係』という言葉が嫌いなわけじゃありませんよ
何を読んでいるんでしょうね
関係とは、何かと何かが関係する という事であって
関係 という言葉だけで存在するものではない と言っているだけですよ
>その“渉りかた”は『私』の意思で確定
>できるのですか。それとも、必然の連鎖を歩かされるだけですか。
うーん
これに関しては、決定的な論理体系が組めていないので
今日のところは言及しないでおきます
ただ人間は、抽象的な価値観 という物理現象そのものではない所で
行動を決定していきますので
決定論が正しい という根拠は、極めて薄い という事は言えるでしょう
スレ主である機械クンも、自分の主張を述べてみたり
倫理道徳を説いてみたり、いつも決定論者らしからぬ言動をしていますよねw
871考える名無しさん:2006/03/07(火) 10:13:05
>>869
それは決定論を誤解しているのでは無いでしょうか。
決定論を否定する事は、原理的に不可能です。
872哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 10:28:08
>>867
唯物論の主張では「発生」している なんだよ
「現象」している と意味としては同じ
キミの考え方は、唯物論ではないよ
それだと「私」は、物質に付随した性質なんだから
物質の起源、宇宙の発生と同時に存在した事になり
そしてまた「私」は「私」という個人的な唯一絶対の存在ではなく
物質全てに普遍的に存在する事となってしまう
私も他人もなく、全てが私自身である という事になり
物理的に離れた「あの人」の目ん玉からも、ものを見る事ができる というわけのわからん事になる
のではないかね?w
その理屈では
なぜ「この体」に「この私」なのか
そもそも、なぜ他人ばかりなのではなく、「私」などというものが存在しているのか
などの疑問には、物理的な解答は、何にも与えられていないと思うよ?
電荷と同じだ なんて
根拠も無い、こじつけによる信仰だ という事だよ

>むじんく〜ん
私の>>802は、スルーですか?w
873考える名無しさん:2006/03/07(火) 10:28:14
>>871
>それは決定論を誤解しているのでは無いでしょうか。
>決定論を否定する事は、原理的に不可能です。
私は知らないが,その原理が正しいという根拠は?
874考える名無しさん:2006/03/07(火) 10:31:59
>>873
どんな世界を持ってきても、
その世界を成立させる決定論的モデルが構築できるからです。
それ故否定する事ができません。
875考える名無しさん:2006/03/07(火) 10:32:53
>>872
>唯物論の主張では「発生」している なんだよ

違うよ。
最高位は唯物論を正しく理解していない。発生しているなんて唯物論はないよ。
876考える名無しさん:2006/03/07(火) 10:33:58
>>872
>物理的に離れた「あの人」の目ん玉からも、ものを見る事ができる
>というわけのわからん事になるのではないかね?w

これできるよ。
877むじんくん:2006/03/07(火) 10:42:39
>>872
> >むじんく〜ん
> 私の>>802は、スルーですか?w

あなたの書き込みが膨大なので見落としてました(笑)。

このスレッドで語られている「脳は物質だから意識は」という話は、結局のところ「ラーメンの成分を
知ることと美味しいと思って食べること」の違いの話と等価だと思います。機械氏はそこで、観念論と
いうのはどんなに偉そうにいっても、主観的に「美味しい」と勝手に思い込んでいるだけである。それは
宗教信仰と同じなのだというわけです。

神の信仰とは"知る"領域に作用するのではなくて、明らかに"感じる"領域のものです。しかし、それは
実在すると言われるもの、具体的なラーメンであるとか、そういった形では提示できない。しかし、信仰を
持つ人間は明らかに沢山おり、ある種の感覚的な影響を受けてます。>>807を参照ください。これぐらい
劇的な効果がある例もある。私はそこまでいきませんけどね(笑)。

それを、脳の"誤った動き"だと主張するのが機械氏ですね。私はそうではないと思います。また、脳が
信仰をもつときにある動きをする、ある特定の回路形成をしているというのは十分考えられるわけですが、
それが神がいるからそうなっているのか、いないのに勝手にそうしているのか、"科学的"には区別つかない
だろうと思います。


878探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/07(火) 10:43:11
>>870
自我と私をごっちゃにするなって言ったの最高位じゃなかったっけ〜?
俺の自我なんて最高位にとっちゃ全然確実じゃないでしょ。「私」じゃないんだから。

俺は自分の自我を確認できるけど、「錯覚かもしれない」と疑ってますよ。
最高位みたいに「自分にとって確実なものは絶対確実だ」なんて思い込みません。

やっぱ他の人からみても確実なものじゃないとね
879考える名無しさん:2006/03/07(火) 10:53:03
しかしまあ。機械タンも相変わらずの支離滅裂だねw
特定の個体保存にとって都合のいい種族が保存されるのは、
単なる伝統じゃないか。種族保存は建前(宗教)だからね。
種族保存なら票(金)集めが出来るってこと。
もちろん機械的唯物論内での化学反応のひとつ。
あの反応が駄目でこの反応が良い理由を書いてみな。
同じ人間が存在しないなら同じ種族だって存在しない。
種族を保存するかどうかなんて、個体の反応次第でしかない。
とりあえず人間とか脳とか私を保存する必然について述べてみ。
単なる反応だとしてもそれとは違った反応もまた存在する以上、
援助交際並みにどうでもいいことになる。
健康で美人で若い方が気持ちいいのは正当な脳の反応だ。
880考える名無しさん:2006/03/07(火) 11:15:11
>>870
あら、困りましたね。何度も言いますが、『私』の話ではなく、
「人間」の話なのですw
あなたの『私』から見れば、机も、人間(機械的唯物論者とか
探求者とか小泉純一郎とかあなたのお子さんとか)も、本当のことを
言えばあなたの肉体も、すべて単なる「切れ目なくつながった物質」であり、
何も変わらないはずだから、「机・この机」が単なる概念であって存在性が
ないのなら、「人間・この人間」にも存在性などないはずなのに、
なぜ「人間の内的世界」うんぬんという話ができるのですか、と
お尋ねしているのですがw?
ちなみに、机に関しても、あらかじめ「この机」「あの机」「部品」
等が確固として存在(特定)していないと、「交換」も「溶接」も
できませんですよ。あなたがよく「あらかじめ私が存在しなければ関係
できない」と強調されているのと、全く同じことですw
881ゾルレン:2006/03/07(火) 12:01:08
二日酔いで頭痛くて機嫌が悪い

>むじんくん
>それは、この引用された文章は裏側では非常に政治的ですよ。つまりタイトルにあるように「西側」という、
>ある精神的地盤を主張しているわけです。
この文章は公演をまとめたものなのだが
当時、マルクスと共産主義革命というヨーロッパにおける大きな熱風に対して当然反発もあった
それに対する批判だから「西側は何を信じているのか」というのは西側における自己批判なんだよ
イギリス首相ハロルドが「西側は何を信じているのか」と質問されて「キリスト教だ」と答えたわけだが
共産主義者は「君らはキリスト教徒などではない、共産主義者と称しているわれわれこそ本物のキリスト教徒だ」という返しをするわけだ
それに対して公演では
「西側は何か統一的な理念を信じているわけではないし、それを西側の弱点と言う人がいるけど、
それは弱点ではなくて誇りに思っていいことなんだよ」と公演しているわけです。
「むしろ、共産主義と対立するために統一的な理念を探そうとするのは愚かなことだよ」と戒めているわけです。

この公演ではこうも言われている
>言うまでもなく、テロと非人間性を招くのは、キリスト教の理念ではありません。
>それは、むしろ、ひとつの統一された理念(があるべきだ)という理念、
>ひとつの統一された、そして排他的な信仰(が存在すべきだ)という信仰なのです。

民主制を例に挙げるならば
民主制はナチスという不幸を招いた、それはとても悲劇的なことだ
だが、わたしは、そのような悲劇を招く可能性があるがゆえに、民主制とその伝統を誇りに思うわけです

「この世に楽園を実現しようとするいかなる試みもこの世を地獄に変えるだけだ」
という言葉を心に刻んでいるわけです
882考える名無しさん:2006/03/07(火) 12:06:19
冗長に過ぎる。
883ゾルレン:2006/03/07(火) 12:08:00
>殖民地問題を問うならば、同じテーブルに
>つかない連中を馬鹿にして終わりという言説にはならないはずなのです。

馬鹿にして終わりではない
馬鹿を見てそこから自己批判、反省して終わりさ
884ゾルレン:2006/03/07(火) 12:21:36
それとキリスト教圏に限らず古代ギリシャだろうが馬鹿は馬鹿だ

古代ギリシャでは市民と奴隷という区分けがあったし
プラトンも「奴隷の性分は奴隷」って感じの発言をしているが
これも要は「馬鹿は馬鹿」ってことだ
885考える名無しさん:2006/03/07(火) 12:21:44
>874
>どんな世界を持ってきても、
>その世界を成立させる決定論的モデルが構築できるからです。
>それ故否定する事ができません。

…それは,そう信じているだけではないのですか?
どんな世界も,というのは,人間が観測したり,
概念に出来る範囲内の話ですよね.
つまり,この世は物質や観測したもので, 成り立っている,
理解できると信じている訳ではないのですか?
その中では,モデルを構築できると言うことではないのですか.
僕もその様に信じていますが,根拠は無いのです.
どんな世界も決定論的モデルを構築できる根拠は何ですか?
根拠ないのにそこを基準にして決定していると言われても困る.
それは決定論ですか?

僕も物理を信じてますが,決定しているとは思えません.
886考える名無しさん:2006/03/07(火) 12:39:29
>>885
君の考えでも、少なくとも君の考えよりは、
決定論が否定できない事の方が信頼性が高いのはわかるだろう。
他のあらゆる論よりも、決定論が否定しがたいこともわかるだろう。

信じているだけではなく、
「人間」には決定論を否定する事ができないのは永遠に変わらない。
887考える名無しさん:2006/03/07(火) 12:42:07
>>885
仮に決定論を否定するとしても、その否定論が正しいとするために決定論的モデルを使用してしまう。
故に決定論は否定する事が出来ない。
論理の正しさは決定論モデルに立脚しているのさ。
自分の足場は崩せない。
決定論も、唯物論も、我々が人間である限り永遠に否定できないよ。
888哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 12:54:18
>>878
>やっぱ他の人からみても確実なものじゃないとね

あはは!
キミは自分の自我でさえ「錯覚かも知れない」と思ってるんだろ?
(この錯覚は、誰の錯覚なのかは不明だがw)
その曖昧な存在であるところの自分が認識しているだけの『他人』
その『他人』からみても確実
とは、いったいどういう事なんだろうねw
本当にキミは、面白い事ばかり言うねぇ

>>880
>あら、困りましたね。何度も言いますが、『私』の話ではなく、
>「人間」の話なのですw

あなたに自我がないのなら、それでいいじゃないですか
私以外にも、自我がある と言う人がいるので
自我がある人は、私以外にも存在するであろうと思っています
あなたには自我が無い
面倒だし、そういう事で、いいじゃないですかね
自分には自我がある派 と
自分には自我は無い派 に分かれるのも面白いかも知れませんしね
そりゃ、自我が無い人に、自我とはこういうもんですよ と説明しても
理解できるわけありませんもんね
それこそ、徒労というものですよね
889考える名無しさん:2006/03/07(火) 13:03:03
>>887
>決定論も、唯物論も、我々が人間である限り永遠に否定できないよ。

同じことが非決定論にも観念論にも言える
890哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/03/07(火) 13:06:11
>>887
だけどね
実は、決定論を実証する事の方が難しいんだよ
物理現象というものが絶対に100%、どんなわずかな狂いも無く遂行されるものだと証明できなければ
ただのおとぎ話だよ
原因と結果が、絶対に絶対に、ぜ〜〜〜ったいに、わずかな狂いも無く
100%同じでなければならない
この世に、わずかでもランダムな現象が、たった一つでもあれば
決定論は崩壊するのだよ
それが無い と証明できなければならない

できるの?w
891考える名無しさん:2006/03/07(火) 13:08:34
機械的唯物論によれば、差異に種々の反応を示したとしても
差異の一種としてヒトくくりなワケだから、なにもかも
よくあるささいな行き違いの一つとして同一な存在なのだよ。

偶然を必然たらしめる装置の必然ってやつだね。
ただ差異以前にプログラムが存在することは不可能だ。>>887
892むじんくん:2006/03/07(火) 13:26:41
>>881
> 「西側は何か統一的な理念を信じているわけではないし、それを西側の弱点と言う人がいるけど、
> それは弱点ではなくて誇りに思っていいことなんだよ」と公演しているわけです。

なるほど、そういう背景であればよく分かります。冷戦時代にはどこの国でも発生した議論ですね。
そのとき、西側を支持する人々は「民主主義はベストではないがベターである。ベストを目指すことは
ワーストである」といった議論をしていたと思います。

しかし、そういった冷戦時代の議論では出てこない問題があって、それが植民地問題だと思うのです。
「統一的な理念をもたない」という言葉の裏側には、そう語れるだけの強固な構造があり、そこに強制加入
させるような行為があった。サイードはイスラム社会を軸にその問題を問うたわけです。

マルクスの資本論には近代植民地論が出てきます。この公演をしている人にはそういう発想はあるんだろうか、と
思うわけですよ。「我々は相手の自由を尊重します」と公演している裏側で、汚れ仕事をしている人間がいる。
汚れ仕事とは、植民地支配であり、搾取です。

>>883
> 馬鹿を見てそこから自己批判、反省して終わりさ

サイードが主張した植民地の問題とは、視点が一方的であるということです。"西側"のテーブルに参加できるか
どうかはあくまでも宗主国の主体が決定するのです。相手を非理性だと馬鹿にするかどうかは特定の主体が
握っていた。そういうことをしつつ、一方では「相手の意見を尊重します。僕ら民主主義です」と語るのです。

冷戦時代はそれが見えなかった。抑圧されていたのです。しかし、ソ連がこけた後はあちこちで声が上がって
おり、今のイスラムの問題も元はそういったところに端を発している。日本も靖国などで苦労してますね。
この公演をしている人間はイスラムの問題などをどう解釈するんでしょうか。弁証法なしでそれが可能でしょうか。
893むじんくん:2006/03/07(火) 13:35:37
>>884
> それとキリスト教圏に限らず古代ギリシャだろうが馬鹿は馬鹿だ

話を戻すと、「ゾルレン氏は万引きすると逮捕されますよ」という話はどうですか。例えば、
ある人間は逮捕されて、ある人間は見逃される、そういう話はありえませんか。そういう
問題は「論理と数学の外」だから無関心でいられるわけでしょうか。無関心でいるのが
哲学ですか。
894考える名無しさん:2006/03/07(火) 13:43:35
>>888
>あなたに自我がないのなら、それでいいじゃないですか
あらあらあら、ますます困りましたねww
>>861でちゃんと説明したように、私は自分に自我があることなど、つゆほども
疑っておりませんよw ただし、私wはあなたと違って、唯物論が正しいと仮定しても
さして不都合もないと思っておりますので、自分の内的世界(精神)が
外的世界(客観的肉体)の活動から発生したものだとしても、一向に構いません。
ですから、机と同様の物質である人間の肉体が存在していて、普通に活動していたら、
とりあえず「精神・自我がある」と判断いたします。
私wにとっては「自我=私」で、「この自我=この私=自分」「他の自我=他の私=他人」
ですから、この机と全く同じ物質を作ってもそれは他の机であるごとく、
この私と全く同じ肉体と精神(自我)を作ってもそれは他の自我=他の私=他人
であって、何の不思議も不都合もございません。
むしろ、「私は自我でもなければ精神でもなく、世界で唯一の純粋な存在性だ」
「机だの肉体だのという単なる概念は存在性ではない」と主張しているあなたは、
そういう考え方はできないはずだが、と疑問に思って質問しているわけです。
では、念のためにもう一度質問をコピぺしておきますので、気が向いたらお答えくださいww
>あなたの『私』から見れば、机も、人間(機械的唯物論者とか
>探求者とか小泉純一郎とかあなたのお子さんとか)も、本当のことを
>言えばあなたの肉体も、すべて単なる「切れ目なくつながった物質」であり、
>何も変わらないはずだから、「机・この机」が単なる概念であって存在性が
>ないのなら、「人間・この人間」にも存在性などないはずなのに、
>なぜ「人間の内的世界」うんぬんという話ができるのですか、と
>お尋ねしているのですがw?
895考える名無しさん:2006/03/07(火) 13:43:59
てs
896ゾルレン:2006/03/07(火) 13:45:03
>>892
ヘーゲルにとっては「自分の精神」と「世界」は同じものだから
考え=世界になるわけだし、
だからこそ弁証法ではなんでも語れるわけだし
言葉をこねくり回せば世界について述べたことになるわけだが
これはヘーゲルという狭い領域だけにおいて通用するんじゃないのか?

>相手を非理性だと馬鹿にするかどうかは特定の主体が握っていた。
俺は西洋文化圏に属する人間だし、それを理性的にどうこう言うつもりはないが
感想としてはだ、厨房ぐらいのヤンキーの反発心にしか見えない

「子供だからという理由で俺を抑圧するなよ、子供か大人かの判断も大人がしてるじゃん」と言って
盗んだバイクで走り出して廊下の窓ガラスを割って歩いてるようにしか見えない

俺は奇麗ごとを言うつもりはない
「ああ、そうだね、君の言葉は一人前として扱うよ」とは言うが
「君の言葉以外まで一人前として扱う義務はないよ」と言って「通報しますた」やるだけだ
897ゾルレン:2006/03/07(火) 13:48:39
>>893
>話を戻すと、「ゾルレン氏は万引きすると逮捕されますよ」という話はどうですか。例えば、
>ある人間は逮捕されて、ある人間は見逃される、そういう話はありえませんか。
その違いが何に属するかだな

感覚世界に属する違いか理論世界に属する違いか
前者ならば、それは「不正」と呼ばれ、禁止される対象となるだろう
後者ならば、それは議論をする意義はあるだろう
898885:2006/03/07(火) 14:08:09
>>887
確かに僕も科学を今のところ信用していますが,
決定論に疑問があります.
観測範囲内で,物理法則に置き換えたりして理解する.知覚する.
新しい,観測装置で,宇宙を知覚する.
あっ,実は違ってましたね,この理論と判る.など…

観念論とかは別にそう信じているで良いですが.
物理法則の根拠が論理的に説明できないのに,
機械氏曰く
>あらかじめ物理・化学法則により決定されております。
と決められても,…困る.

世界を物理的に記述出来る事が,先のことを決定する事にはならない.
世界の根本は物理法則に従うが,先のことは何一つ決定していないはず.
物理法則はボトムアップなのだ.
生命もボトムアップなのだ.と信じている.
899むじんくん:2006/03/07(火) 14:17:28
>>896
> これはヘーゲルという狭い領域だけにおいて通用するんじゃないのか?

ヘーゲルが物自体の領域を認識の配下に十全な形でおけるというのはおかしいし、マルクス
が言うように逆立ちしているわけです。しかし、だからといって弁証法から逃れることは我々は
できないですよ。

> 感想としてはだ、厨房ぐらいのヤンキーの反発心にしか見えない

ヤンキーでも構わないですけど、自由とか民主とか言っていることで弁証法的に
世界と関わっているということ、これを忘れちゃ困るわけです。ちなみに植民地とは
宗主国から"永遠に厨房視される"存在です。あなたのような"理性的な人間"が
色眼鏡で人を見続けること、これが植民地問題の中心なのです。

>>897
> 感覚世界に属する違いか理論世界に属する違いか
> 前者ならば、それは「不正」と呼ばれ、禁止される対象となるだろう
> 後者ならば、それは議論をする意義はあるだろう

どうしてゾルレン氏の"理性"からそういう議論が発生し得るのですか。万引き逮捕なんていう
汚れ仕事、弁証法的問題からは一歩引いて、知識人らしく"自由に議論することは素晴らしい"
という念仏を唱えることで満足するのではないのですか。
900考える名無しさん:2006/03/07(火) 14:49:20
>>889
残念ながら言えない。論階が違う。
901考える名無しさん:2006/03/07(火) 14:52:49
>>890
非決定論は実証どころか論証すら出来ない。
論理の正しさには決定論的作用が必要。
非決定論は、非決定論自らも否定するこになる。

人間が何かを正しいとか間違いとか、何かを的確に言うためには、
決定論が前提でないと不可能。
言葉を使って議論している時点で、実は決定論が成立していることを意味している。
902考える名無しさん:2006/03/07(火) 14:53:32
>>890
>この世に、わずかでもランダムな現象が、たった一つでもあれば
>決定論は崩壊するのだよ

崩壊しない。決定論の内側でランダムな事象を作る事はできる。
903考える名無しさん:2006/03/07(火) 14:56:01
>>898
>世界を物理的に記述出来る事が,先のことを決定する事にはならない.

唯物論でも決定論でも、世界を完全に記述する事はできません。
記述は全く関係ありません。
904考える名無しさん:2006/03/07(火) 14:58:19
>>898
>先のことは何一つ決定していないはず.

決定していないように見えるだけ。
映画の主人公が映画の結末を知らないのと全く同じ。

我々の世界を支配している物理法則を変える事が出来るものはいない。
πの値を変更することができるものもいない。
世界の流れに従うしかないし、どうなるかは知りえないだけで決まっている。
905考える名無しさん:2006/03/07(火) 15:10:51
軍人の方針を尊重して、
情報媒体は標語を作った。国民は我慢しなければならないという標語だ。
媒体は何故、軍人が国民にそんなことをしなければならないのか、と考えるべきだ。
軍人が大和魂をみせて頂きたい、と高慢な姿勢を出すと、
厳しいですね、となんとかしてしまうのだ。
軍人の方針に従い、正しいことを考えるので、情報媒体は国民を殺してしまった。
軍人に媒体が従うと、人が死にます。
906探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/07(火) 15:16:55
>>901
同意しない

>>902>>903
同意する

>>904
同意しない。なんで「決まっている」ことをあなたが知ってるんですか?
907考える名無しさん:2006/03/07(火) 15:22:02
>>906
別に同意など求めていない。
理解できない奴は永遠に同意しないものだ。

>同意しない。なんで「決まっている」ことをあなたが知ってるんですか?

それをあなたが知る必要はない。
私が知っているだけで十分だ。そしてそれを否定することも誰も出来ない。


908考える名無しさん:2006/03/07(火) 15:25:36
SYN復活

わたしSYNを倒します
絶対倒します
909考える名無しさん:2006/03/07(火) 15:29:54

212 名前:SYN ◆Dgc0R/.dgc 投稿日:2006/01/04(水) 09:10:50 1SbCMy++0
あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いします。

PS
今年は身を固めることになり、萌え〜とか言ってられなくなってしまいました。orz
(同時にこれまでアンチキリスト教でしたが、洗礼を受けてカトリック教徒になります。)
でも真面目な開発は続けていきますので、よろしくお願いします。

神の祝福が皆さんにありますように。アーメン。
910探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/07(火) 15:39:35
>>907
なるほど。信念と垂れ流しにきたか。
911考える名無しさん:2006/03/07(火) 15:39:53
軍人は殺す職業である。
彼らは尊重する人が必要である。
だが、彼らが尊重するものであると、彼らも死ぬべきである。何故なら、殺すことが仕事だからだ。
それ故に、味方が敵の手にかかり、敵も殺害するのである。
従って、彼も死ななければならない。
彼らの仕事を最も尊重すると、それ以外に尊重するものがない、彼らの仕事は敵が必要である、
誰か死ぬ人が必要になるのである。誰もが彼らの仕事に含まれるので、立案者も死ぬべきである。
だが、立案者も人間だ、人間には死にたくないという考えがあるようだ。立案者が例外であるとす
ると、何かにおいて、彼らを除き、それ以外が死ぬようにする。それだから、彼らが死なないよう
に方針を転換する必要から、もっと高いものが必要であると考えるのである。
だから、彼らの仕事は最も高いものにすると、彼らも死んでしまうので、彼ら以外のものを必要と
して、我々は最もなものであるが、他は我々の方針を尊重すべきであると考えるのである。
例えば、正義であると考えることがあるようです。我々の方針は正義であるけれども、
我々の方針でないので、正義でないと考えるのです。でも、軍人の方針は殺人ですから、
軍人に方針に従うと、死亡者が正しいのです。
912543:2006/03/07(火) 15:45:47
>>むじんくん
話しをムシ返しますが、キリスト教がヘロイン系の代替を果たしたのは、ごく
初期まででした。ユダヤ教の一分派だった頃までです。ある時期以降、キリス
ト教はコカイン系のそれに変わります。彼らは目を見開いたまま、イスラム教
徒を殺し、ユダヤ人を迫害し、アジアとアフリカを植民地化し、搾取し続けた
わけです。たぶん、それは現在も変わっていないと思います。
ちなみに、オームが常用していたのも、たしかコカイン系だったはずです。
913ゾルレン:2006/03/07(火) 15:48:54
>>905,911
君とは「人を殺してはいけない」スレでも会話したね
俺の言うことはあのスレと同じだ

それにしても下手な詩だ
このレベルなら論文のほうが相手に伝わるぞ
914むじんくん:2006/03/07(火) 15:53:07
>>913
> それにしても下手な詩だ

自動書記じゃなかったんですか?(笑)。

いや、>>905,911さん、気を悪くしたらすみません。
915考える名無しさん:2006/03/07(火) 15:55:30
>>910
お前自身がそうなのは自覚しているか?
916探求者 ◆IageKhlEwc :2006/03/07(火) 15:56:36
>>915
一緒にすんなw
917むじんくん:2006/03/07(火) 15:57:38
>>912
だけど「人を殺すなかれ」ですよ。そういうのはやってはいけない行為なのです。
918考える名無しさん:2006/03/07(火) 15:58:54
>>916
傍から見てると同類だけどなw
919考える名無しさん:2006/03/07(火) 16:00:23
個々のドグマをたっぷり含んだ醜い醜いスレだなあ、おい!
哲学?主義・思想板なのか?ここ?
議論のない只の街宣スレだなw
920考える名無しさん
今、>>919がいいこと言った。