◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない55◆

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952考える名無しさん:2006/02/27(月) 01:09:10
>>950
モサドは身分を消滅させるのよbyスピルバーグ「ミュンヘン」
この映画を視たIQ140の女性は、「殆ど内容を理解できなかった」
と告白・・・そうなんですか?単なる「愛国心」「仲間意識」「復讐」
・・そして「殺さなければ殺される」状況で「殺さない」選択肢は「ある?」
:::と言うモンダイ。
機械さんの言うように宗教なんて必要ない・・と決めることは重要なのかモナ。
953考える名無しさん:2006/02/27(月) 01:10:26

本物なら、もっと硬い言葉硬い文章が並ぶだろうよw
954探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/27(月) 01:12:00
なんで俺が仏教徒になってんだよw
仏教系の知識はほとんどないって言ってただろーが
955考える名無しさん:2006/02/27(月) 01:15:34
>>953
機械は結構変幻自在だお
観念論者に化けたりキリスト教徒に化けたりもするんだお
過去スレは笑いの宝庫だから、おすすめ
956考える名無しさん:2006/02/27(月) 01:17:18
だお、ってなんだよ だお、って
がちゃめら、え!なめんな!
957考える名無しさん:2006/02/27(月) 01:20:37
>>956
そういえば、機械はときどきとても乱暴なレスもしてたよね、匿名で
まあ、それでも機械臭は消えないところが機械タンw
958863:2006/02/27(月) 04:07:16
りくーつさん,ゾルレンさん回答ありがとう.

すると,規則は人間の前から存在していて,
その連続した規則に従い物質が変化して人間が発生した.
と考えるのは,短絡的でしょうか?
959863:2006/02/27(月) 04:24:30
つまり,規則があって,物質が現れ,その後人間が現れた.
この現れた事が存在ではないのですか?
理系の僕には,哲学の存在がよくわかりません.

さらにイギリスの動物学者のリチャードドーキンスの問い

石を手にとって投げると,石は放物線を描いて飛んでいく.
物理法則に命じるままに行動する.
外からの力に対して単純な応答しかできない.
所が,小鳥を捕まえて空中に放り投げると,
その行動はまるで違った物になる.
この小鳥にも石と同じ力が働いているが,
小鳥の内部にはその行動を決定付ける気の遠くなるような
情報処理が進行している.
これは,細胞についても言える.
単純な力に対して応答しているわけではないんだ.

そこで問い.

物理学的な力に応答する物から,
その力学が情報処理に支配されるようなようなシステムが
いったいどんな条件の元で生まれてくるのだろう?
いつ,そして何処で,情報処理や情報の記憶が
重要な意味を持つようになるのだろう?


僕はこの情報処理が私では?と思ってしまいます.
960考える名無しさん:2006/02/27(月) 06:32:39
まず、死んでみろ。
961鉄額:2006/02/27(月) 06:37:00

いやだ
962考える名無しさん:2006/02/27(月) 06:49:09
>>958
短絡的です。
前とか後とかは時間を逆行できない人間の日常的感覚に
縛られた観念であって、真実の様相は過去も未来も現在も
一体不可分でありますので分けて考えるのは誤りです。
963考える名無しさん:2006/02/27(月) 07:35:27
>>962
そうだよね、
時間の概念は人間の間にだけあるものだからね。
964考える名無しさん:2006/02/27(月) 07:45:33
自分の存在を疑っているような人達が
どうして”時間の概念は人間の間にだけあるものだからね。”などと
言えるんだろうか。
965863:2006/02/27(月) 08:27:04
>>962
どうやって過去現在未来を不可分に考えるかわかりません.
時間の概念って,人間が感じている時間の事ですか?
それとも,時間その物ですか?

哲学では時間は人間の概念という事になっているんですか?
966探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/27(月) 09:50:43
>>959
単に複雑な情報処理をしてるだけじゃ、「私」とも「意識」とも言えないかと。
それは一つの要素に過ぎないんじゃないですかね。

「私」ってのは明らかに、他と自分を区別する必要性から出てくるものであって、
情報処理だけじゃ出てこないと思いますよ。「社会性・関係性」が必要でしょう。

・・・ネットに繋がってるパソコンは要件満たしてそうだな。
967考える名無しさん:2006/02/27(月) 09:59:39
>>962
あなたは人間の日常的感覚に「縛られて」いないの?
968863:2006/02/27(月) 11:19:59
人間の脳と,パソコンは情報処理を行っている点では同じです.
(生物の生命活動自体がものすごい情報処理をしている)
その違いは,外部の環境からの情報によって
自身(脳とか生物自体)が絶えず変化する事らしいです.
パソコンは変化しません.

「私」は他と自分を区別する必要性からではなくて,
「私」は物質(人間の体)を媒体に生じている非常に複雑な情報処理
の結果だと思います.
つまり,「私」が生じた時には既に他と区別されていると考えてます.
人間の体やその周りの環境無しに,
「私」が生じるんですか?

(「私」と言うのが哲学では何と解釈されているか
分からないので,おかしかったらすみません.
「私」とは人間の意識でしょうか?
それとも,生物のことでしょうか?)
969考える名無しさん:2006/02/27(月) 12:25:03
>>962
「時間を逆行できない」と「過去も未来も現在も一体不可分」は、
矛盾してませんか。
970むじんくん:2006/02/27(月) 12:38:00
キルケゴールが言うように、精神とは関係である。自分とは他者との関係において立ち現れる
ものである。だから、他者との関係が決定的に崩れ去ったとき、自己もまた解体するのだ。

さて、デカルトは有名な懐疑でこう述べている。起きている間も夢を見ている間も関係なく
「我」はあり、感覚されるものが現実と言われるものだろうと夢だろうと関係が無い。更に
この世の全てが消え去ったとしても関係なく存在し続けるものがデカルトの「我」である。

しかし、精神とは他者との関係であるならば、デカルトは他者なしの世界においていかにして
精神であり続けることができるのだろうか。なるほど、「疑いつつ在る」という形式において、
論理的に想定することはできるが、しかし真に関係を解体したならば、我もまた消え去ることに
なるのだ。

しかし、デカルトはその何とも関係しない「我」をあらゆる認識の根本的基盤としている。こんな
ことがどうしてできたのだろうか。彼は実は裏側で何かと既に関係していたのではないか?彼の
精神とは感覚されない何者かとの関係が既に成立していたのでは?

感覚されないものとの関係としての精神ならば、この世の全てを「懐疑」し、その後に自らの存立
根拠に神を据え付けるのは当然であろう。だから、デカルトの「我思うゆえに我在り」は次のように
言える。

 「信仰しているが故に我は懐疑しつつ在る」
971考える名無しさん:2006/02/27(月) 13:34:32
信仰は「思う」の一種じゃ?
972考える名無しさん:2006/02/27(月) 14:00:26
素材を近くに置いてやると勝手に自己複製してゆくロボットがあったね
昔どっかのサイトで見た
973考える名無しさん:2006/02/27(月) 14:32:50
信仰は命題的態度なので消去されます
974考える名無しさん:2006/02/27(月) 15:21:14
機械タソの人気に嫉妬
975探求者 ◆IageKhlEwc :2006/02/27(月) 16:10:44
>>968
>パソコンは変化しない。

本当だろうか。ネットからいろんなデータがやってきて、日々変化していないか?
こちらからデータを取りに行かなくても、勝手にいろんなデータを受け取ってないか?

ネットに繋がったパソコンは「外部の環境からの情報によって 自身(HDD)が絶えず変化している」
と言えると俺は思うがね。

>「私」が生じた時には既に他と区別されている

まぁ当然そうなんだが。他と区別することが「私」の前提なんだから。
情報処理をする「身体」があるだけでは、「私」は出てこないよ。

情報移動の中から「あっち」と「こっち」を区別する必要が出てきて、まず世界が現れる。
今パソコンにはオフラインとオンラインの区別がある。「ネットの世界」が現れている。

次いで、「こっち」と「世界の一部」との間で恒常的に情報移動が行われるようになると、
その一部が「相手方」として認識される。このとき同時に「こっち」の中でも、
「相手方」と同じ構造であるとみなせる部分が「私」として認識される。
なぜなら、そうした方が恒常的な情報移動をスムーズに行えるから。

>>970
完全に同意です。関係を解体したら、疑うこともまた不可能になるんだから。
976ゾルレン:2006/02/27(月) 16:51:05
デカルトが何かを信仰しているかと言えばそうだし
それは「神」という表現で代替可能だろう
だが、日常的な感覚では「神」という言葉には抵抗があろうが
俺は「神」を信仰しているし、たいていの人はそれを前提にしている

デカルトの「われおもうゆえにわれあり」の裏側を考える余地は哲学的にはあるが
一般人にはお勧めしない


>>958
>すると,規則は人間の前から存在していて,
>その連続した規則に従い物質が変化して人間が発生した.
>と考えるのは,短絡的でしょうか?
わたしは規則がこの世界に存在するとは考えてません
この世界は唯一無二(ユニーク)です
「石を投げたら放物線を描く」とありますが(ここでは物質の意図で例えられているだろうが)
それが紙だったり竹とんぼだったり紙ひこうきだったりするだけで描く線は変化します
もちろん、それらも物理法則に従っていると言えるかもしれません
しかし、果たして、物理法則に従うから例外も記述できるのが
例外が観察されるたびにそれらを記述できるように物理法則が改良されたのか
おそらくは後者でしょう
仮に世界に法則が内在していたとしても、物理法則がそうであると考える理由はないですし
ましてやわれわれにはそのような世界に内在する法則は決して手に入らないという困難がありますからね

>>959の問いはとてもおもしろいと思いますよ
977考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:11:24
>>976
>仮に世界に法則が内在していたとしても、物理法則がそうであると考える理由はないですし

その内在している法則を、物理法則と呼ぶだけのこと。

>ましてやわれわれにはそのような世界に内在する法則は決して手に入らないという困難がありますからね

これは正しい。
さらに言うなら、我々に決して手に入らない法則によって、世界が存在している。
故に決定論、唯物論は正しく、永遠に覆される事はない。
978ゾルレン:2006/02/27(月) 17:16:28
>>977
もし、あなたの書いた文章が正しいのならば
われわれは物理法則を手に入れることはできないということですね
では、現在においてわれわれが「物理法則」と呼ぶのは何なのでしょうか?
物理学者が手に入れたものはいったい何なのでしょうか?
それが物理法則でないのは確かです
なぜならば、あなたは「物理法則はわれわれには決して手に入らない」と言っているからです
979考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:25:58
パソコンは変化してるでしょ。
毎秒ものすごい回数でたえずメモリをリフレッシュしてるわけだし。

そもそも厳密に見れば物理的にも哲学的にも
あらゆる物質は一時たりとも同じ状態を保つ事は出来ないわけだし。
980考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:29:18
>>978
>われわれは物理法則を手に入れることはできないということですね

手に入るのは物理法則の一部だけということです。

>では、現在においてわれわれが「物理法則」と呼ぶのは何なのでしょうか?

現象の背後にある「理」です。

>物理学者が手に入れたものはいったい何なのでしょうか?

物理法則の一部です。

>それが物理法則でないのは確かです

いいえ、物理法則の一部です。

>なぜならば、あなたは「物理法則はわれわれには決して手に入らない」と言っているからです

いいえ。あなたの誤読です。
981ゾルレン:2006/02/27(月) 17:38:45
>>980
そう答えるだろうと思ってましたよw

当然ながら次のような疑問が生じます
われわれが物理学や自然科学などの営みを通じて得たものが
世界に内在する法則の一部であるということがどうやって分かるのか?

物理法則の一部は、ある2つの関係を記述するわけです
例えば、石ころは空気抵抗と投げた力の関係によって運動が記述されるわけですが
なぜこの一連の世界から、石ころと投げた力だけを切り抜いて法則化できるのか
また、そのような法則が世界に内在する法則の一部だとどうして言えるのか
わたしが石ころを投げたそばで猫がニャーニャー鳴いていた
この猫の鳴き方がなぜ石ころの描く放物線と無関係と言えるのか
わたしが石ころを投げたそばでキャッチボールをしている少年がいました
なぜこの少年たちが石ころの描く放物線と無関係と言えるのか

仮に世界に法則が内在していたとしても、
世界の一部だけの関係を切り取ってもってきて
世界に内在する法則の一部と言うことはできないでしょう
982考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:43:01
>>981
>世界に内在する法則の一部であるということがどうやって分かるのか?

全部ではなく一部であるのは当然。
全部記述できていたら誰も苦労しない。馬鹿馬鹿しい。
正しいかどうかという意味なら、もちろん疑いはあるだろう。
でもそれ以上に、あなたの頭の中の論や言葉の理解の方が疑わしい。
何もかも疑うならば、まず自分の論説を永遠に疑い続け、口を閉ざすことだ。
分からないという断定すらあなたには出来なくなる。
あなたに言える事は、自分(あなた)はわからないということだけになるだろう。

983考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:47:08
>>981
>物理法則の一部は、ある2つの関係を記述するわけです

そうとは限らない。

>例えば、石ころは空気抵抗と投げた力の関係によって運動が記述されるわけですが

それは物理法則ではありません。あるモデルの記述に過ぎません。

>なぜこの一連の世界から、石ころと投げた力だけを切り抜いて法則化できるのか

はあ?この世界の法則ではないでしょう。あくまでモデルであって。

>この猫の鳴き方がなぜ石ころの描く放物線と無関係と言えるのか

だれも無関係とは言っていませんが。
一般人よりも物理に詳しい人ほど関係があると考えるでしょう。馬鹿馬鹿しい。
984ゾルレン:2006/02/27(月) 17:51:02
ちょっとした比喩を

人間の行動を決定する法則があるかもしれない
しかし、切られた爪の再生の法則を発見したからといって
それが人間の行動を決定する法則の一部であると考える理由にはならない

ついでに言っときますが、わたしは哲学畑では科学擁護の立場になります
科学の正しさを保証するために世界に斉一性を持たせようとする野望は昔からありましたし、
そのような考えをする無名の学者も多くいました
彼らの考えを批判することが科学を尊重しないということにはならないはずです
985考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:52:46
>>984
>それが人間の行動を決定する法則の一部であると考える理由にはならない

この世のどんなものも、全てのものに影響を与える。
どんなものだって無関係になり得ないし、一部にならざるを得ないよ。
986むじんくん:2006/02/27(月) 17:53:12
>>976
> デカルトの「われおもうゆえにわれあり」の裏側を考える余地は哲学的にはあるが
> 一般人にはお勧めしない

感覚されない何者かとの関係において成立している精神が、感覚される世界に対して何を
見るだろうか、ということですね。例えば、何故我々は向日葵を太陽と相似だとして、そこに
関連性を見ることを「非科学的」というのだろうか。天動説ではなくて地動説を唱えるのは
どういった動機なんだろうか。
987ゾルレン:2006/02/27(月) 17:53:35
>>983
>だれも無関係とは言っていませんが。
>一般人よりも物理に詳しい人ほど関係があると考えるでしょう。馬鹿馬鹿しい。

わたしも関係があると考えてますよ
だからこそ、われわれが得た法則はあくまでもモデルであって
「世界に内在する法則の一部ではない」とはっきり言えるのです

988考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:56:30
>>987
残念ながら、モデルであっても一部になりえます。
989考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:58:38
>>987
まあ、もう少し付け足すなら、
あなたは世界の実像を知らないのだから、そのように否定することもできないということです。
単にあなたが一部であることを認識できないというだけでしょう。
990むじんくん:2006/02/27(月) 17:59:50
フロイドがどこかで書いてましたけど、人類は3度自尊心を大きく傷つけられたと。
一回目は地動説であり、それによって自らを中心に世界が回っていないことを知らされた。
二回目は進化論であり、人類は他の生物の一派生形態に過ぎないことを知らされた。
三回目はフロイドの精神分析だということで、これが一番言いたいことなんでしょうけど(笑)、
人間は自分の意志が無意識によって既定されていることを知るのだと。

これらに共通しているのは、「反感覚的」ということですね。
991ゾルレン:2006/02/27(月) 18:00:06
>>988
なりえません
あなたはとても素朴な世界観をお持ちなのでしょう

あなたがヒュームを読んで悲観するよりは、その素朴さを持ったままの方があなたにとって幸せでしょう
わたしはすべての人に哲学を押し付ける気はありません
992考える名無しさん:2006/02/27(月) 18:01:53
>>991
>なりえません

いいえ、違います。
あなたが断言できるのは、あなたが「なりえない」と思うことだけです。
あなたが知らないところで、なりえている可能性がないとは、
あなたの論を使う限り言えません。言ったら矛盾します。
993考える名無しさん:2006/02/27(月) 18:02:37
>>991
あなたが出来るのは、あなた自身が無知だと告白することだけでしょう。
994むじんくん:2006/02/27(月) 18:05:52
機械氏がデカルトなどの観念論者にキリスト教の匂いを嗅ぎ取るのは正しいわけですね(笑)。
しかし、一方でそういった精神によって質的ではなく量的に記述された世界が展開するわけで、
それは機械氏が愛して止まない物理法則なわけですが、奇しくも機械氏は(江戸時代?)の
デカルトの弟子ということになりますでしょうか。
995考える名無しさん:2006/02/27(月) 18:09:45
おまいら、まだ争ってんのか
996ゾルレン:2006/02/27(月) 18:12:56
>>989
わたしが世界について何も知らないというならそのとおりです
しかし、わたしは「世界は矛盾していない」という信念をもっています
ここにおいて、わたしは論理を前提にしつつ
世界について無知でありながら世界について知ろうとすることができ考察することができるのです
反論は、世界について議論する者として論理にコミットすることにより可能なのです


まぁ、こんなことを書いてあなたに理解できるとは思っていませんが
デカルトについての考察がこれだけ続いた中で
よくそのような書き込みができるなと少し感心してしまいます
997むじんくん:2006/02/27(月) 18:18:51
すれ違いかも知れませんが、機械氏のキリスト教論を聞きたい今日この頃です。
998考える名無しさん:2006/02/27(月) 18:24:10
信じてないんじゃない?
999考える名無しさん:2006/02/27(月) 18:24:26
>>996
>ここにおいて、わたしは論理を前提にしつつ
>世界について無知でありながら世界について知ろうとすることができ考察することができるのです
>反論は、世界について議論する者として論理にコミットすることにより可能なのです

つまり論理が必ず成立する世界を前提にしているということです。
それは決定論、唯物論と何も変わりません。
1000ゾルレン:2006/02/27(月) 18:25:33
>>994
>機械氏がデカルトなどの観念論者にキリスト教の匂いを嗅ぎ取るのは正しいわけですね(笑)。

キリスト教の匂いという意味では
すべての学的営為はキリスト教の匂いがします
学問という営為もまた西洋キリスト教文化の遺産です
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