◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない55◆
1 :
建ててみますたw :
2006/02/18(土) 23:45:35 人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
by 機械
前スレ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない54◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1139407103/
2 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 00:09:55
「美しい」や「楽しい」という感情は物質ではないんじゃないんでしょうか?
3 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 00:20:52
物質に感情があるんだと気付いて自分で自分に言ってみた。 「祝終了〜」 前世の記憶が残るものに偶然も必然も関係ない。 俺はここに必然しているだけのこと。 らしい。
4 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/19(日) 00:22:24
>>1 諒解です。
>>963 >私の哲学は、論理的なんだが新しいから、ちょっと難しいんだよ
>こんなこと言っちゃぁ何だけど別にコレで食ってるわけでもないし
要するに「(自分が)食っていくこと」至上主義ですか?
あなたにとって「自分(とその家族)の経済的利益」が「全てに優先する価値」
だということですね?・・・まさに「プロテスタンティズムそのもの」ですね?
・・・そこには「所詮『真理』など馬の餌にもならない」という「俗物主義」が
隠されており・・・それこそが「現代哲学の最大の敵」なのです。
『「真理」という価値は「他の全ての価値(のように見えること)」に優先する』
を「主義」とする立場・・・それが「哲学」なのです。
5 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 00:41:33
僕が今頭の中で想像している風景は物質なんですか?
6 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 00:48:50
「概念」「思想」(「家族」「学級」「地域社会」「国家」「世界」「宇宙」「公約」「愛」「喜怒哀楽」etc.)等を A:物質と捉えるのが唯物論? B:種々の条件によってそこに顕現した状態という見方は唯物論の範疇に入る? 「現象」「はたらき」等を A:微小であろうとなかろうと物質だとするのが唯物論? B:これらは物質ではなく、物質の様々な関係性であるとするのは唯物論の範疇に入る? (勿論、脳内のことで言えば化学物質の伝達の複雑な構成やニューロンの発火等の上で成り立っているという見方で) A:全ては物質である。 B:全ては物質と、物質相互の関係・作用によって成り立っている。 C:全ては物質と、非物質的存在によって成り立っている。 D:全ては物質と、物質相互の関係・作用と、非物質的存在によって成り立っている。 E:全ては、あたかも夢を見ているかのように非物質的存在によって感じられているもので具体的個物は存在しない。 F:全ては、非物質的存在が具体的個物を存在(生じ滅し)せしめている。 G:全ては物質と、非物質的存在によって成り立っていて、 物質は(物質の相互作用は)、非物質的存在を規定する(束縛する)。 H:全ては物質と、非物質的存在によって成り立っていて、 非物質的存在は、物質を規定する(束縛する)。 I:全ては物質と、非物質的存在によって成り立っていて、 物質と非物質的存在は相互に規定し合う(束縛し合う)。 J:全ては物質と、物質相互の関係・作用と、非物質的存在によって成り立っていて、 三者は互いに影響し合う。 ここでは、非物質的存在=霊・魂・神の意思etc. など、たま出版的なものとして・・
7 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/19(日) 00:49:48
>>5 「光」や「音」も「物理学の現象」であることは「義務教育中学校」で、
学習したはずなのに、その後「大学」を終了するまでに至った方の多くが、
「光」や「音」は「物質(物理現象)」とは違うのではないか?・・と
考える・・これは「1960年代以降の『エレメンタリー教育』の完璧な不備」
だと思います。
・・・要するに「文科系に進んだ方達は(いわゆる『エリート』を含め)・・・
この21世紀に不可欠な「(自然)科学」の知識が「皆無と言っていいほど貧弱」
・・だということです。
>>4 横レスだが、私はそうだよ。
食ってくには適当に論文書かないといかん。
まあそれなりにでっちあげるのには都合がいいんだよ、この業界は。
9 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 00:51:12
>>6 >>たま出版的なものとして・・
NOOS理論?ww
10 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/19(日) 01:00:09
>>8 しかし、論文を書き上げる事に『創造性』をかんじていない・・・
前世紀に亡くなった「ビッグネーム」を引用して作文しても「学会で一定の評価がある」
ということは、「学会そのものに根本的問題〔膿〕があるのかも?」という
事はお考えにならないのでしょうか?
・・・お考えになった上で、「やはり金の力の方が大きいから」・・「学会の権威」に
(逆らうどころか)「露骨に媚びを売る」ことが「哲学では『最重要』である」と「信じる」
ことが・・・あなたには出来るのでしょうか?
11 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 01:00:30
新たに措定されるアトム論的原形質xの、異なる性質的側面としての物性と質感性。 しかしもちろんこの考え方は新たに措定されうるxという実体があると仮定された 上でのことである。ここでも我々はまた形而上学的欲求に図らずも身をゆだね てしまうということになる。
12 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 01:09:48
>>7 頭の中で風景を想像している時に脳が光や音を作っているという事ですか?
14 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 01:19:56
脳が光や音を感じたときの状態を再現しているということだろ イメージして光が出たら神だw
16 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 01:23:36
17 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 01:29:23
選手村は期待はずれ。飯もまずいし 僕は天才 国母のフルコースを召し上がれ (17歳国母和宏・男子ハーフパイプ予選落ち)
ふざけんな ばか
ご新規さんによる、案の定のカキコもあるし、 自分としても、批評が欲しいので再掲しておく。 888 考える名無しさん 2006/02/18(土) 01:42:46 >種々の条件によってそこに顕現した状態 に関してもう少し説明をお願いします。
20 :
2/5 :2006/02/19(日) 01:37:30
984 素人 1/2 sage New! 2006/02/18(土) 16:17:27 >> 888 たとえば、あくまでもたとえば、ですよ。 「スクリーンプレー」という『存在』、辞書にはこうある。 《和screen+play》バスケットボールで、攻撃している側の選手が、 味方をマークしている相手チームの選手の前を幕のように遮断して、 味方選手のゴールなどを助ける組織的なプレー。◆英語ではscreen .. [さらに] これだけでは簡易すぎるので、もう少し具体性を持たせてみる。 ゴールしようとしているA選手をa,b,(あるいはc)選手が妨げようとする。 B,C,(あるいはD)選手は、A選手にゴールさせるためにa,b選手の前に立ちふさがり、 A選手のゴールを成功させようとする。 《【ゲーム中の】【このような】【一連の】【動き】》を『スクリーンプレー』と称する。 [※ある選手がある選手を妨害している只それだけでは『スクリーンプレー』とは言わない。←これ重要。] としよう。( ゴメンネ カーチャン、スポーツクワシクナイカラ ゴメンネ… J'ー`)し )
21 :
3/5 :2006/02/19(日) 01:38:04
985 素人 2/2 sage New! 2006/02/18(土) 16:18:19 以前、一言さんとサッカーのゲームを引き合いに出したことがあったように思うが、 同じように、 時代、場所、時刻、天候、選手の顔ぶれ、選手の体調、選手の精神状態、 ゲーム展開等の条件を問わないならば(その個別性を問わないならば)、 『スクリーンプレー』は【ゲームが行われるところにおいては】どこにでも普遍的に存在しうるだろう。 しかし、それら条件をどれかひとつでも限定したら、途端にそこには個別性が生じてくる。 限定条件が増えれば増えるほど、指し示される『スクリーンプレー』もまた限定されたものになってゆく。 そして、全てが、一回性の因と縁とするならば、この世に一つとして同じ『スクリーンプレー』は『存在』しない。 であるならば、そうした条件に左右されない、不変な、『スクリーンプレー』の【本質】とは何であろうか? そもそも、そのような【不変な】【本質】がありえるのだろうか? もし、あるとするならば《【このような】【一連の】【動き】》という括りを採用するしかないだろう。 そこにあるのは、【時間的幅】を前提とした《【一連の】【動き】》そのものなわけだ。 それとて、はたしてほんとうに不変だろうか・・・ ( 自性ですかね(爆 >>唯識さん ) 勿論、常識的な、日常における本質を否定するものではない。 (ただしそれは、幾つかの条件を併せ持った上でのことであり、 人によりその条件の組み合わせにズレがあった場合に、誤解としてそのズレが表面化するわけだが・・・。) これを、【人間】【自分】【私】【自我】【意識】(とまあなんでもいいがw) についても同様に見るスタンスということです。 「概念」「思想」(「家族」「学級」「地域社会」「国家」「世界」「宇宙」「公約」「愛」「喜怒哀楽」etc.)等 「机」「富士山」「路端の花」etc.etc.全ての存在についてそのように見るということです。 簡単に言えば、ほぼ>> 776さんの文のようになるわけだがw >> 888さん、こんな感じでよろしいか? 以上の文を【私】に改変するともっと解かり易いんだろうが、 IMEパッドからの入力ではめんどいので誰かヨロw m(_ _)m
22 :
4/5 :2006/02/19(日) 01:38:36
987 985 sage New! 2006/02/18(土) 16:47:47 もう一言付け加えておきます。 > もし、あるとするならば《【このような】【一連の】【動き】》という括りを採用するしかないだろう。 > そこにあるのは、【時間的幅】を前提とした《【一連の】【動き】》そのものなわけだ。 と言ったが、実は、『そこに、プレーする【選手】がいなかったら、存在しない』とも言えるわけです。 それが、個物なしの存在はありえるのか?という問いでもあるし、 脳(の中の諸々の働き)なしに意識はありえるのか?という問いと重なる部分なわけです。 脳の中の諸々の働きは、ニューロンの発火なしにありえるのか? ニューロンの発火は、脳を構成する物質なしにありえるのか?・・・以下ミクロに潜航を続けるw 一旦マクロに目を移し、 「概念」「思想」「家族」「学級」「地域社会」「国家」「世界」「宇宙」「公約」「愛」「喜怒哀楽」etc.等についても、 《 脳(の中の諸々の働き)なしに 〜乃至〜 構成する物質なしにありえるのか?・・・以下ミクロに潜航を続けるw 》 となるわけですねw
23 :
5/5 :2006/02/19(日) 01:39:10
776 考える名無しさん 2006/02/16(木) 20:16:33 >> 764 では、その関係を意識する「主体」なるものは“関係”以前にあらかじめ どこかに用意されているわけですか。“関係”が生まれるのを、どこかで 待機しているのでしょうか。主体は“関係”の後に、厳密には“関係”と ともに立ち現れるものでしょう? 主体が“関係”を意識するのではなく、 事物との“関係意識”自体が主体であり、この私なのです。 この私、私の存在性はたしかに特異であるかにみえます。が、本当に唯一 無二なのは、この私ではなく“事物との関係”であって、それはこの机に もこの猫にもいえます。
24 :
補 :2006/02/19(日) 01:39:45
762 考える名無しさん 2006/02/16(木) 17:26:36 物理的な要素の同じ肉体を二箇つくっても、同じ人間を二人つくった ことにはならない。それは、双子とほぼ同じ。双子がそれぞれの「この 私」を持っているのは当たり前。二人の時空の位置(事物との関係)が 異なるからである。 もし、事物との関係も含めて、物理的に同じ要素の肉体を二個つくる ことができたなら、この二人は同一の「この私」意識を持つだろう。 ただし、これは背理である。時空の同じ位置に二つは存在できないか らである。 最高位が後生大事に掲げる「この私」は、特定の肉体と事物との“関係 意識”でしかない。この関係のなかに「この私」が立ち現われるにすぎ ない。絶対的で唯一なるものは“この私”ではなく、時空(事物)との 「関係」である。私たちは、この「関係」を“この私”と意識しているに すぎない。この「関係」は唯一無二であり、従って、そこに立ち現われる この私も「そこにしかない」のは当たり前ではないか。 764 探求者 ◆IageKhlEwc sage 2006/02/16(木) 17:45:14 >> 762 「この私とは関係意識でしかない」というけど、 関係ってそれを見出す主体が絶対に必要だよね。 ある事物がある時空とある関係をもって存在している。 ということを認識する「この私」はすごく特異なんじゃないか? というのが>> 761の論点なんだけどどう思う?
25 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 01:51:29
>>24 でも、三角関係のときには
三人いるから唯一無二とは
いえないんじゃないの?
そういうケースを考えないと。
26 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 01:56:38
28 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/19(日) 05:24:45
>>4 >要するに「(自分が)食っていくこと」至上主義ですか?
しかし極端な人だなぁ
別に至上主義でもないよ
要するに
理解力の低いキミ達に、親切にわかりやすく教えてあげる事に対して
仕事ほどの責任感をもって取り組む必要性はない から
どうしても、いい加減な部分もでてきてしまう というだけだよ
あくまでも趣味だという事
考える事が極端なんだよな
ガキじゃないんだろ?だったら普通に考えりゃわかるだろ
>>7 それもみんな、必然なんじゃなかったの?w
んで、全て物理現象なんだろ?
物理現象は延長だ
全てつながってるんだよ
宇宙には物理現象しかないんだったら
宇宙全体として、物理現象が全てつながっている一個のものでしょう
キミの考え方も私の考え方も、全部つながった一個の宇宙なんじゃないの?
だったらキミも私もなくて、全部一緒で、一個ではないのかな?
でもそれだとおかしいねw なんでかな?
単に物理現象は、物理現象でしかなくて
それが隣接する物理現象と、只つながって連続しているだけなのにねw
なんでキミは、そんな抽象的な価値観を発言する必要があるのかな?
物理的につながっている宇宙という一個のものなんだから、そんな必要ないのにね
それに、決定しているのなら、価値観をうったえる意味もないのにね
実に無駄で、不合理な行為だと言える
全然、唯物的ではないんだよな
キミの行動をはじめ、人間の行動原理ってやつはね
唯物論というものは、なんかどっかで
物理現象の基本性質を、テキトーに都合よく無視してるんじゃないのかい?w
29 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/19(日) 05:39:22
>>24 >最高位が後生大事に掲げる「この私」は、特定の肉体と事物との“関係
>意識”でしかない。この関係のなかに「この私」が立ち現われるにすぎ
>ない。絶対的で唯一なるものは“この私”ではなく、時空(事物)との
>「関係」である。私たちは、この「関係」を“この私”と意識しているに
>すぎない。この「関係」は唯一無二であり、従って、そこに立ち現われる
>この私も「そこにしかない」のは当たり前ではないか。
それは客観的にのみ捉えた場合の分析だね
普遍的に誰にでも有るであろう『自我』を客観的にのみ捉えた場合なら
その説明で問題ないように見える
しかし問題の本質は
その『この私』というものが、なぜ他人ではなく
『この私自身』であったのか という事だ
この文章を読んで
悲しいかな
問題を理解できる人と、問題そのものが理解できない人がいる
このスレでは、ほとんどの人が、問題そのものが理解できないようだ
実に嘆かわしい事実ではある
が
まぁ、私の知ったこっちゃない といえば知ったこっちゃないw
一生、気がつかない人は、それはそれで幸せな人なのかも知れない
30 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/19(日) 07:41:20
>>29 >その『この私』というものが、なぜ他人ではなく
>『この私自身』であったのか という事だ
そういう「(脳の)内観」を持っていた方が「自己保存(本能)」にとって
「有利」だから・・です。
『他ならぬ自分』を保護するための「抵抗」は、「他人」を守るための抵抗
より、桁違いに大きな努力を引き出しますので、「進化」は「個体保存本能」
の一環として、「脳」に「他ならぬ自己(の「脳・肉体」)は超特別に重要で
ある。「最優先で守るべきである」・・という「自己保存本能プログラム」を
組み込んだのです。・・それを組み込んだ(意思)は「物質の進化」・・・
という「エントロピー現象系の特異現象」・・である「複雑化への(物質)進化
の基本原理」であり、ある意味では「自爆テロ」等という狂気よりは「正常」
です。
しかし、「自分を理解していない(脳)」という意味においては「自爆テロ
(などをする「脳」)」と同(じ穴の狢)様のレベルの「脳」です。
31 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/19(日) 07:54:59
>>30 >そういう「(脳の)内観」
が
なぜ『私自身』であったのか という事ですよ
他人は、いっぱいます
それこそ星の数ほどいます
唯物的に考えるなら
他人だけで構成されているのが自然な形です
今まで、そうでしたしね
なぜ『この私自身』など、いるのですか?
物理的に説明して下さい
155 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2006/02/13(月) 06:16:54 ∩___∩ | ノ ヽ/⌒) /⌒) (゚) (゚) | .| / / ( _●_) ミ/ あ〜みぴょぴょぴょぴょぴょぴょ .( ヽ |∪| / みぴょぴょぴょぴょあわせてぴょぴょぴょ \ ヽノ / みぴょぴょぴょ / / | _二二二二二つ | /UJ\ \ | / ) ) ∪ ( \ 156 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2006/02/13(月) 12:40:27 ↑こういうレスでキキキから逃げる奴が多かったな
33 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 08:03:41
>>29 >このスレでは、ほとんどの人が、問題そのものが理解できないようだ
>実に嘆かわしい事実ではある
>まぁ、私の知ったこっちゃない といえば知ったこっちゃないw」
哲学者最高位が嘆かわしい事実だと思うが思うまいが、
ほとんどの人にとってはそれこそ知ったこっちゃないのだが。
34 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 08:06:12
33の続き* ただ、「この私が、他人ではなくなぜ「この私自身」であったのか」という問いで 哲学者最高位がいわんとすることもわからないわけではない。 おそらく、この問いで大事な部分は、「私」ではなく、 「この」「自身」そして「であった」という表現ではないだろうか。 「この」は924氏のいうところの他との関係性をさすのではないだろうか。 つまり、他の何者でもない「この」私という意味だ。 さらに「自身」という言葉で、今度はその関係を自分に向けている。 つまり(いわば)私からも逃れることもできないような私そのものの部分である。
35 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 08:07:15
34の続き* 哲学者最高位は、さらに続けて、そのような「この私自身」が なぜこの私自身「であった」のか、と問うている。 「であった」というのは、すでにそのようなものとして存在する、という実感である。 「この私自身"である"のか」、ではなく、「この私自身"であった"のか」、 という問いのたて方・感性に、哲学者最高位の存在論的な驚き・おののきを感じる。 哲学者最高位がいらだつのは、そのような驚き・おののきが、 この私自身から発せられ、かつ、そこで抱え込まれてしまうものであり、 他とは決して分かち合えないからだろう。 たぶん、哲学者最高位と問題意識を共有できる可能性がある者は、 「この」「私」「自身」ではなく「であった」というところに共感できる者に限られると思われる。
36 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/19(日) 08:30:02
キミ達は、自分が存在している事を「当たり前の前提」としているよな 気づけよ 気づけば、ここにいるのは『この私自身』「であった」という表現が近い感じになると思う 「この私自身」であったわけだが、しかし、そこには物理的な要因が有りえない いろんな角度から、いろんな表現で説明してあげてるんだよ くだらん事にばっかり関心がいくんだなキミ達は だから理解できないんだよ 素直に文章を読みなさい とにかく何か、何でもいいから反論しなきゃならない と思って読んでるんじゃないかな だから理解できんのよ 関係、関係と言うけれど 『私』が関係するのであってね 『私』だよ『私』 根本は『私』
/\___/\ | ⌒ ⌒ | / -=・=--=・=-| | ( _●_) | | /|∪|ヽ |/⌒) ヽ ` ヽノ ' / / 黒木だYO! (ヽ_..____ / / \ / / / | _二二つ | /UJ\ \ | / ) ) ∪ ( \
38 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 09:51:06
1>> 「唯一の最終真理」とは科学的、哲学的などのすべての真理に答えを出せるの ですか? 「唯一の最終真理」の概論を教えてください。
あんれ〜最高位、また遊んでくれるの〜w
>>29 >それは客観的にのみ捉えた場合の分析だね
>普遍的に誰にでも有るであろう『自我』を客観的にのみ捉えた場合なら
>その説明で問題ないように見える
で、普遍的に誰にでも有るであろう『自我』を主観的にのみ捉えたら、
全部『この私』になるわけねw
Aさんの自我は、主観的に見たら『この私』で、BさんやCさんの自我は
(そもそもあるかどうかわからないけれども、あったとしても)他人。
Bさんの自我も、主観的に見たら『この私』で、AさんやCさんの自我は
(そもそもあるかどうかわからないけれども、あったとしても)他人。
Cさんの自我も、…
ね、当たり前でしょww
>その『この私』というものが、なぜ他人ではなく
>『この私自身』であったのか という事だ
それは、「他人」というのが、「この私でない人」を意味する言葉だからだね。
同時に他人である『この私』って、存在し得ないでしょ〜。
同時に「あの机」である「この机」が、存在し得ないのと、全く同じねw
>>28 >物理現象は延長だ
>全てつながってるんだよ
質問その1.あなたの私は物理現象ではないはずなのに、なぜそんなことが
わかるのでしょう?
質問その2.他人もすべて1つながりの物理現象のはずなのに、なぜそれが
「他人」で、自我がある、とわかるのでしょう?w
>>33-35 その素朴な驚きのまま留めておけば、微笑ましいだけなんだけど
「唯物論を破壊」「全く新しい考え」って感じで妄想がすごいからなぁ
そりゃみんな突っ込みたくなるさw
「当たり前だと思ってたことが全然そうじゃなかった、ほんとはこうだった」
と思い至ったのは分かるんだが、その思い至ったところをまた壊して
どんどん疑い続けていかないといけないんだよね。
誰かも言ってたけど、「確実だって分かったんだが、やっぱ確実じゃないかも」
という視点を失ったら、哲学として終わりですな。
41 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/19(日) 11:15:44
>>39 キミは全然、理解できてなくてラチがあかないから、スルーさせてもらうよ
>>40 >その素朴な驚きのまま留めておけば、微笑ましいだけなんだけど
って
それを更に突き詰めて考察すると
論理的に「唯物論を破壊」する「全く新しい考え」に至るわけだよ
キミは、私が論理的に出した結論に対して、具体的な反論もできないのに
「いくら論理的だと言っても、絶対という言葉はないじゃん」と
キミは、単にケチを付けているダケ にすぎない
私の言ってるのは
一般的に信じている人も多い唯物論だが
これこれこういう理屈によって間違えている事が明らかとなった
という事だけだよ
私の、その主張を覆すには、理屈によって明確に証明できなきゃならん
しかし、それは原理的に、まず絶対に不可能なわけ
出来るんなら、やればいいんだよ論理的にね
ただ単に、前時代的な思想なんだよ唯物論
哲学も進歩しているのさ
42 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 11:21:11
>>41 >それを更に突き詰めて考察すると
「自分」とは誰かと言う問いに対して答えを出したんですか?
論理的真理と哲学的真理は同じと言う考えなのですか?
43 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/19(日) 11:43:39
>>42 いやいや
「自分」とは誰かと言う問いに対して
唯物論では絶対に答えは出ない という答えを出したんですよ
唯物論というのは
世界の全ては、物質の物理現象であり、物理的に解明が可能である
という説であり、そういう思想ですからね
物理的に記述できない と結論づけるものなど、あってはならないんですよ
もちろん
人間の精神も物質による物理現象である という主張でもありますし
よって人口知能も作成できるのだ と言ってるわけですから
精神の根本に鎮座する『私』の正体も、物理的に記述できなければいけないでしょう
44 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 12:01:33
>>40 最高位の“この私”の発見と素朴な驚きは、わが国の近代文学者たちが
見出した“自意識”に対する反応とよく似ている。彼らは、その奇怪さ
を持て余したものだが、最高位は自分だけがそれに気づいたかのごとく
嬉々としている。そこは強いていえば、出発点。
一見、特異にみえる“この私”を問うことから様々な思考の営みが始ま
るのだが、最高位の場合、スタート地点にしがみついたまま「ここがゴ
ールだ」と叫んでいる走者と同じ。
とはいえ、最高位が唯一無二な存在であるのは間違いないので、引き続
き大いに気炎をあげていただきたいものである。
45 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/19(日) 12:16:13
>>44 誰もゴールだなどと言っていない
たかが『唯物論』を、論理的に破壊した というだけだよ
何を大げさなw
ただそれが、歴史上で初めてではあった
実はキミら
ほとんど理解できてないんだけどな
「物理的な記述ができないものは存在しない」という命題にもいくつか意味がある。 「存在しないのだ」という事実についての言明、 「存在しないはずである」という信念の表明、 「存在すると言ってはならない」という存在解釈についての定義。 唯物論とは、「存在する=物理的な記述ができる」と定義して、 "客観的な世界"を構築するという目的をもった一つの思想である。 科学哲学では常識的な話だと思うが、思想(科学)の根本命題(定義)は 検証をするための基準であって、検証の対象にはできない。 唯物論ではとらえられない存在を実証できても、唯物論は破壊されない。 「それは存在ではない」と言えばいいだけだから。 唯物論を破壊する方法はいくつか考えられる。 (1)唯物論よりも有用性の大きい存在解釈の方法を提唱する (2)根本命題群(定義群)から明らかな矛盾を導いて、唯物論の稚拙さを示す (3)唯物論者をことごとく殺してしまう 「『私の存在性』を私は発見した!」なんて言ってるだけじゃ意味ねっすw
_, ,_ (`Д´ ∩ < ヤダヤダヤダヤダ!私はここに居るのー! ⊂ ( ここでちゃんと考えてるのー! ヽ∩ つ 〃〃 ジタバタ 〃〃∩ _, ,_ ⊂⌒( `Д´) < 客観的に分析されちゃうのヤダヤダ! `ヽ_つ ⊂ノ ジタバタ ジタバタ ∩ ⊂⌒( _, ,_) < <私の存在性>は疑い得ないものなんだよ・・・ `ヽ_つ ⊂ノ
うまく言えないんだけどさ、 「主観的意識」が、脳内の、とある電荷状態であるというような意味での 全ては物理現象であるという視点はそんなにおかしいことなのかな? (つまり、それは「静止していない、ある一定のスパンの中での現象」で、 一瞬を切り出して〈物〉としてみることは不可能であって・・・・・) そのように見るならば、 (このような刺激に際してこのような事象が連鎖して起き、一意の反応を示すと・・・) いつか解明される可能性もありそうじゃない? でも、なぜそうなのかという問は依然残るのか・・・ ────────────────────── 『私』というものが先に(アプリオリに?)存在するのではなく、 いまここに起きている精神活動に対して『私』とラベリングしているに過ぎない。 (当然それは、ここにあるこの肉体を離れてはあり得ないわけだが・・。) 君が言う『私』は、そうしたラベリングされたものではないのか? 少なくともそのように見做し得るのではないか?ということ。 精神活動そのものが『私』である、と。 ────────────────────── 何度も言うように、あなたにとって(あなたの主張に於いて) 「『私』が物理現象であるかどうか」は、まったく関係ない。 物理現象であろうと、神様の捏ねた粘土であろうと、魔法であろうと、魂であろうと、霊体であろうと、 『私』がどのような在り様であったとしても問うことのできるもののはずだ。 『私』がどのような在り様であったとしても、 《なぜ、この私が(ここに)この私であったのか?》という問いには、最終的にぶち当たるだろう。 別に唯物論に限ったことではない。(宗教系では、答えが用意されてる場合もあるだろうが・・)
49 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/19(日) 12:53:15
>>46 それでは、まず
「我思う故に我あり」
これを論理的に否定し
『私』が存在しない事を証明してもらいましょうか
思想というものは、人の生きる価値観
更に、社会における方向性を見いだすための
価値観の指針であって
私の人生における、価値観の尺度となるための考え
であるからして
『私』を否定してしまっては、思想じたいに意味がなくなる
何の為の思想であるのか という事
それは 私、人間の為である
唯物論では、人間を物理的に解明しつくす事ができる という
では『私』は、いったい
物理的な何の要素で『私』であったのであろうか
この命題に対する答えは
物理的な要因である可能性は
完全にゼロである という結論である
よって唯物論は、当然 間違いである と言える
50 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/19(日) 12:54:09
今日は、ちょっと忙しくなるから ここまでね
>>49 物理現象であろうと、神様の捏ねた粘土であろうと、魔法であろうと、魂であろうと、霊体であろうと、
『私』がどのような在り様であったとしても、
《なぜ、この私が(ここに)この私であったのか?》という問いには、最終的にぶち当たるだろう。
別に唯物論に限ったことではない。(宗教系では、答えが用意されてる場合もあるだろうが・・)
>>49 「我思う故に我あり」で「私の存在性」が確認されても、
唯物論は破壊されないんですよ、って書いたんだが・・・
「では否定してもらいましょうか」って意味が分からない><
否定する必要なんか全然ないんだが、否定してあげようか。
「我思う故に我あり」の前提は、全てを疑って偽と仮定することだったよね。
という風に全てを疑っても、「そう疑ってること自体」の存在は偽ではない。
だからといって、その疑いの主体が存在するかどうかは確実じゃない。
述語があるからといってその主語が存在するなんて誰が決めた?
あるいは、主体が存在してるとしてもそれが「私」であるとは限らない。
「私」のふりをした誰か(神様?)が疑ってるのかもしれない。
もしくは、誰かが疑ったその身振りだけがそこにあったのかもしれない。
「我思う故に我あり」なんて証明でもなんでもないんですよ。
【私】は、胎動という科学的に未だ解明できていない(今後されるであろう 初動を根源に各々情報を集めていく物質である。
55 :
練馬哲人 :2006/02/19(日) 16:17:22
>>45 >最高位氏
>ただそれが、歴史上で初めてではあった
どういう根拠でそういうこと仰るのか教えて頂けますか?
57 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 17:25:01
で、私ってなに? そっからたのむ
>>57 860 849 sage 2006/02/17(金) 15:06:59
>>850 >>849 のどこが、あなたの主張と違うのかを言ってもらわないと・・・orz
もう一度書くね
イ:【私】は存在している。
ロ:【私】は【物理現象】ではない。諸々の【関係性(そのもの)】でもない。【関係性の上に顕現しているもの( こと)】でもない。
ハ:そうした【私】が、ここに居る【理由】・【根拠】はわからない。
ニ:少なくともそれは、【物理的要素】・【物理的理由】によるのではない。
ホ:【私】は、【主観】・【主観性】とイコールで結べるもの。
へ:唯物論 〔 ならば 〕、【私】が、ここに居る【理由】・【根拠】があるはずだ。
ト :物理(現象)に則っている 〔 ならば 〕、ここに居る【理由】・【根拠】が物理的に説明できるはずだ。
893 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 2006/02/18(土) 02:40:19
>>860 解釈は、だいたいよさげだが
問題は
>>849 の、キミのコメントだよ
増補
チ:【私】は、【今まさにここにいる、思考しているという事実】【純粋な存在性】
リ :【私】は、【今まさにここにいる、思考している主観性】
ヌ :【私】は、【今まさに自らを見つめているもの】
59 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 17:49:56
私 → 思う→ 在る この3点各々について、あるていど定義づけないと話が進まないんじゃ?
「『最高位』だけは唯物論で説明出来ない例外的存在」で手を打とう
61 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 18:31:59
>>1 >「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
この「物理・科学法則」の使い方は恣意的な表現だな。
「深さ数千m、広大な事は果てがない海」と「洗面器の水」を
「所詮はどっちも同じ液体」と言っているようなものだ。
62 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 18:33:03
>>45 お前純粋理性批判読んだことないだろ。
>論理的に破壊した というだけだよ
こいつは自分が語っている論理という言葉の意味すら知らない哀れな奴だな。
違うよ。 最高位の語ってる「論理」の意味を僕らが知らないのだ。
64 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 19:07:50
>>58 最高位に真面目に何かを主張しても無意味です。最高位は、あなたが
幾度も述べてきたことをきちんと読んでいないでしょう。私の誤解か
もしれぬが、あなたの「私は存在している」との言表、前提は最高位
のそれと同じでしょう。その前提が間違っているとは断定しないが、
疑わしいとい言っているのです。
もう一つ、唯物論は“存在”する事物をすべて物理的に説明できるとは
言っていないはずです。そこに、法則が見出されるはずだということで
しょう。最高位はこの法則を因果関係と、とっているフシがある。
時空、生命、人間の起源とその存在理由については、唯物論であれ何
であれ、まだ暗中模索でしょう。
ちなみに、私は他のスレから前回、ここに遊びにきた素人。しばしば
見当違いのことを言いますが、笑って許して欲しい。
最高位は、自分では
>>6 のどこに位置すると考えているのだろうか?
それとも、あれ以外のまったく別の立場なのだろうか・・・?
66 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 19:18:38
最近の親は道に落ちている食べ物を食べちゃいけないって教育してないから、 子供がお腹痛を起す。
68 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 19:45:30
69 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 20:02:55
>>65 本人は、超越的な立場に立っていると思っているのではないでしょうか。
>>55 誤爆って何のことかわからんが、まぁキニスンナ
>>63 「定義」って言葉の使い方一つみても、彼が論理学を学んだことがないことは分かる
食いましたよ
73 :
練馬哲人 :2006/02/19(日) 22:19:01
最高位は、ずっと唯物論者で無神論者だからなぁ。唯物論が生活実感と乖離しちゃう部分が許せないんだと思うぞ。 観念論の大系を構築する気は、はなから無さそうだ。マルキ・ド・サドのキリスト教攻撃みたいなもんだろう。
74 :
ソラ :2006/02/19(日) 23:14:28
>>探求者、練馬哲人
>>1 の「超・大統一理論」は「唯一の最終真理(思想)」に対してどう考えていま
すか?
75 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/19(日) 23:22:56
>>49 >それでは、まず「我思う故に我あり」これを論理的に否定し
>『私』が存在しない事を証明してもらいましょうか
ああ、そういうことでしたか。それならば・・
「我思う故に我あり」で結構ですが、あなた(の「脳」)が「思う」ことを止めた瞬間、
「あなた」が「『あり』でなくなる」・・・ことも「当然の論理的帰結」となります。
要するにあなた(の「脳」)が、(脳)死に至っても「世界」は何事も無かったように
(実際「何事も無かった」ので)存続しつづけますが、「あなたの『我』は存続しつづける」
・・・ことが「できない」・・・ということ「だけ」のことで、「世界」にとっては、
「蚊に刺されたほどの感覚もない」・・・「無意味な変化」である・・ということです。
76 :
考える名無しさん :2006/02/19(日) 23:30:43
わははは !!
77 :
練馬哲人 :2006/02/19(日) 23:36:02
>>74 量子論が全ての上部構造を決定できるとするなら、怪しいねw
物理法則は、局所的にしか抽出できない認識方法のひとつの型だ。
マンションの構造計算に、量子論や統一場の理論が介入できる余地は無い。
78 :
ソラ :2006/02/20(月) 00:10:46
>>1 ,>>練馬哲人
量子論、一般相対性理論の科学的真理は自分の脳では理解できないません。
ただ科学的真理を証明している理論らしいと言う事しかわからない。
量子論と一般相対性理論を統一した「大・統一理論」の科学的真理を理解し
ているんですか?
79 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/20(月) 00:17:49
>>78 「この宇宙」の「4種の基本力」・・「重力・電磁気力・弱い力・強い力」
と「基本粒子」が、「大統一」されるのが「大統一理論」ですが・・・
最後の「基本的力」・・・「重力(万有引力)」を媒介する「粒子」・・
「グラビトン」が未だに「観測機器」に「掛かっていない」のが気になります。
万有引力だけは・・・「大統一」されるまでに「あと1世紀」かかるかもしれませんね。
>>74 意識が機械的であることには同意するよ。
ただ、「決定されてる」としても予測できないと意味ないからねぇ
意識が予測可能かどうかについては・・・ちゃんと考えてみたがよくわからん。
俺らが現在認識してるような意味での「意識」は予測できないと思う。
意識って何かについての解釈なんだよな。存在してる=物理的に記述できるとは思えない。
ただ、「意識」が定義しなおされて、予測可能になることはありえるんじゃないかと。
81 :
ソラ :2006/02/20(月) 00:28:26
>>79 ということはまだ完成していない理論なのですか?
もし「大統一」されらばすべての問いに答え導く事が可能になるんですか?
82 :
ソラ :2006/02/20(月) 00:35:49
>>79 すいません文を訂正します。
ということはまだ完成していない理論なのですか?
もし「大統一」されればすべての問いに答えを導く事が可能になるのですか?
以後誤字脱字を確認してから書き込みます。すみません。
83 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/20(月) 00:42:07
>>81 そうです。
「この宇宙」が137億年前に「ビッグバン」により「(時間を含め)始まった」
・・ということは、もはや「宇宙物理学」では「完全な真理」です。
反対の「極微の世界」を扱う「量子力学」では、最終的に「全ての粒子は『力』であり、
全ての『力』は「粒子」である」・・・ということまで判っております。
ただ「重力」を司る(筈の)「グラビトン粒子」が未発見であるために、
「この宇宙」は、粒子(実は「2次元の『ひも』」)のバリエーションである
「素粒子」で構成されいる・・という「非常に単純な構造」を有しており、
その「非常に単純名構造」・・のことを「大・統一理論」と呼ぶ・・ということです。
84 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/20(月) 00:46:02
83の訂正です。 >ただ「重力」を司る(筈の)「グラビトン粒子」が未発見であるために、 →ただ「重力」を司る(筈の)「グラビトン粒子」が未発見であるために、 「大統一」の一歩手前で「小休止」しているだけです。
85 :
練馬哲人 :2006/02/20(月) 00:49:20
>>78 ランダウとジューコフの共著「相対性理論入門」は、解りやすいと思うが。
特殊相対性理論とニュートン力学の関係が解れば充分。理論物理にただ恐怖心を持つのはイクナイぞw
86 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/20(月) 00:54:16
>>80 ご同意有り難うございます。・・・ただ、
>ただ、「決定されてる」としても予測できないと意味ないからねぇ
「決定していること」を予測できたら「意味がある」・・競馬で儲けることが出来る
ことは判りますが、「予測できないと意味がない」という「意味」が「金儲け」以外の
「何かの『意味』」がある・・・のですか?
87 :
ソラ :2006/02/20(月) 00:57:08
>>80 意識が機械的ということは同意するとありましたが意識を物質と考えている
んですか?それとも非物質と考えているんですか?
88 :
ソラ :2006/02/20(月) 00:59:33
>>練馬哲人 ありがとうございます。
89 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/20(月) 01:05:00
>>87 「物質」が「堅い物」(固体)「流動するもの」(液体)「浮遊するもの」(気体)
の三種の「形態をとる」・・時には「粒子」である「形態」を採ります・・
が「e=mc2乗」という「一般相対性理論」では「粒子はエネルギーと等価である」
・・「真理」がしめされております。
「エネルギー」は、そういう意味で「物質」であるので、「全て」は「物質である」
・・・ということです。
90 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 01:09:38
>練馬 >特殊相対性理論とニュートン力学の関係が解れば充分。 >機械 >「物質」が「堅い物」(固体)「流動するもの」(液体)「浮遊するもの」(気体) >の三種の「形態をとる」・・時には「粒子」である「形態」を採ります・・ こいつら、本当に(ry
91 :
ソラ :2006/02/20(月) 01:10:02
>>89 この宇宙は物質だと理解しました。
あえて唯物論者の「機械的唯物論」者さんに哲学的な問いでビックバ
ンの前は何なのか何があったのか聞きたいです。
(-=・=-) (-=・=-) (-=・=-) (-=・=-) (-=・=-)
94 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/20(月) 01:18:11
>>91 >ビックバンの前は何なのか何があったのか聞きたいです。
「前」「後」・・・という「四次元時空の座標」で見れば「前」とか「後」
とかは「同列」です。・・(「この」宇宙の)「ビッグバン」の前には「時間(の経過)」
が無いので「前」という「概念そのもの」もないのです。
95 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 01:22:30
>>91 ビッグバンの前にあったのはプレ・ビッグバン。
オリンピックの前に各国で選手選考をするプレ大会
があるでしょ。それと同じだよ。
96 :
ソラ :2006/02/20(月) 01:27:17
>>94 難しくてよくわからないけど何も無い状態からビックバンがおこったという
事ですか?
97 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 01:28:10
この宇宙が閉じた系ってことはもう証明されたの? よく知らないので良かったら教えて欲しえて下さい。
>>86 別に金儲けに限定しなくても、例えば「次あいつがグーを出すかパーを出すかは
決定されている!」と思ってたって、予測ができなければ、
「決定されてない」と思ってる人と実質的な対応は一緒になるでしょ?
>>87 意識とは、物質的なものを解釈した結果だと思ってるよ。文字と一緒。
>>83 >「この宇宙」が137億年前に「ビッグバン」により「(時間を含め)始まった」
・・ということは、もはや「宇宙物理学」では「完全な真理」です。
仮定学問の上での完全な真理など哲学上になんの意味も持たないさ。
100 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 01:52:04
>>99 目撃者がいるわけでもないしね。
でも、137億歳の人がどこかの山奥で
ビッグバンの記憶と共に暮らしていて
いるかもしれないよ。
>>100 別にそういう点を批判している訳じゃない。
もっと身近な科学の視点から迫るべきだと言っているだけだよ。
ただ理論である以上間違いとは言わないが。
102 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/20(月) 08:34:35
これだけ説明しても理解できないんだったら 理屈もクソもないな このスレ なんだかヒジョーに疲れました
おはようございます。何の話ですか?僕も仲間に入れて。
104 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 09:33:23
>>80 意識が機械的であると、そう簡単に言えるのでしょうか。機械的という意味が
わかりにくいが、計量可能ということですか。それなら、予測できるはずです。
しかし、いまのところ、あなたの言われるように意識は予測しえない。つまり
“機械的”とは言えないのではないか。ここに最高位のような“実感論者”が大手
を振るう理由もあるわけです。
これは計量のしかた(技術)に難があるのか、意識の定義に欠点があるのか、そ
れとも人間の限界なのか。
ビックバンの前はどんなことがあってもどんな奴でもわからない カビが「どうして私達が急に生まれたんだ?」と思うのと一緒 でも人間はみんなしっているけど始まりは急に始まらない 「何かが起きる」から始まる そして「何かが起きる」のも何かがあったから起きる 1があり100があり-10があり-10000があり・・・ -100000が1(始まり)にもなるし100が1にもなれる この世界(宇宙など)自体「本当の始まり」が100%ない 本当の始まりがあるのだとしたら世界は存在しないと思う(矛盾でスンマソ) だからビックバンを1にするしかない そもそも数字があるのが間違いなんだ 宇宙に数字は効かない 数字は人間が考えた「モノ」でしかない その概念があるからこそ始まりを決めたがり知りたくなるんだと プーの俺は思う
106 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 10:06:18
>>105 数字は「モノ」ではなく、記号。それはともかく、数字の発見が
始まりに関心を持たせたという指摘は面白いですね。
107 :
105 :2006/02/20(月) 10:24:20
>>106 そっか
記号か
高卒のうえ留年していたくらいだから言葉がどうもうかばないw
知識がないので
でもいちをIQが120相当あるので悪知恵はそんじゃそこらの不良よりあるとおもう
自慢になんねーーーーーーーーーー
記号が自慢の種で世間の評価で面接うかんねーーーーーーーー
しかしみんなで意見だしあうのは面白いわ
機械というのは人間の意識が作り出したものなんだから、 意識が機械的であるのは 当然だと思われる。 むしろ機械が意識的であると言うべきか。
109 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 10:45:26
>>107 ただし日本語の「もの」というのは、必ずしも機械氏の述べるような物質だけ
を指しているわけではなさそうです。「もの」が「こころ」と同義に使われる
場合も少なくなかったようです。そうすると、数字を「モノ」と言っても別に
いいのか。
110 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 10:52:22
>>108 そのとおりですね。ただし、その逆の「意識は機械的」と言えるか
どうか。このスレの論点の一つは、そこにあるわけでしょう。
111 :
105 :2006/02/20(月) 11:34:29
あ〜
ビックバンのところしか見てなくてスレタイをみていなかったのに
レスしてしまってた・・・
全然
>>1 の言っていることがわからないけど
見えないものに言葉をつけるのはとてもわかりやすいようでいて
アホなことだと思う
心で「感じる」ということがこのスレにはないような・・・
脳で「感じる」これはみんな日常的に起きている
まぁ機械的に
でも心の「感じる」は機械的でもまたその逆でもないと思う
見えないものに「心」と言葉をつかっているので難しいけど
なんで人形は動かないのか
脳も心臓もないから
では脳と心臓、人間が生きることに必要な肺やら皮膚やらがあれば
動くのか
これも動かない
死体といっしょだ
しかし心(魂)が入れば問題なく動ける
そして「感じる」と言うモノが生まれる
魂が人間だとしたら脳(体)は人間体
心で感じそして脳が感じる
112 :
105 :2006/02/20(月) 11:35:13
決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない だからこれは正解 てかまずこんな決定論だすなら 魂もひっくるめて答えをだしてほしい 見えないから「ナイ」じゃ100%の答えがでないと思う 活動の源は脳でもご飯を食うことでも寝ることでもなくて 心が感じるから脳が動いてご飯食って寝るんだと思う てか全然このスレと関係ないない意見ならスルーしてねww
113 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 11:44:36
ズット シテマツガ ナニカ?
114 :
105 :2006/02/20(月) 11:50:50
ゴメン キヅカンカッタw
115 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 12:13:36
>>111 >>112 また“実感論者”が登場しましたね。この人の言う“こころ”と最高位の
“純粋な私”は同じでしょう?
116 :
105 :2006/02/20(月) 12:34:57
みんなは 「見えない何か」は 見えない物質だと思ってない? 木は木で、犬は犬で、鏡は鏡で、人は人で・・・ こんなんじゃすべて答えはでないよ 見えないモノで行き詰って 結局「ナゾ」で終わってしまっていることがすごく多いんじゃないか? 全ての分野をものにするのは難しいけど 少し触れてみないと 「解らないものはナゾ」 「解ったものは100%コレ!」 ってなってしまうと思う 見えるもの見えないもの全部ひっくるめないと本当の答えはでない 神社で「神様・・・今回は合格しますように・・・」って 見えない相手に言うなんて都合がよすぎるんでないかい?
118 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 13:34:31
>>116 でも、神様が姿を現わして
「わかった、お前を合格させてやる」
って答えてくれることもあるよ。たまにだけど。
119 :
ソラ :2006/02/20(月) 13:38:28
ビックバンの前は物質としては無いと言う事でいいんですか? それなら非物質があったそして今現在もあるという考え方はおかしいですか?
それ以前に「物質」って何よ。 ちゃんとした定義を見たことないぞ。「物質しかない」んだったら、 定義なんかしたって無駄だがw
121 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 13:56:28
>>89 機械氏に伺いたいのですが、存在の態様は「物質とエネルギー」の他には
ありえないのですか。あるかもしれないが、みつかっていないということ
ですか。それとも、もう発見されているのですか。
122 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 13:58:27
123 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 14:05:17
>>119 素人の私見ですので当てになりませんが、物質がないというよりも、
『前』がないということでしょう。私という“関係意識”の最果て
であり、いまのところ『前』は語りえないのではないでしょうか。
124 :
ソラ :2006/02/20(月) 14:17:54
>>123 「前」が無いと言う事はビックバンは無から生まれたと言う事ですか?
そこがよくわからないのです。
>>104 まぁクオリアの話と基本的に同じなんだけど、「意識」という言葉の定義に
内観報告的なもの=解釈が含まれているのが問題なんだよね。
あるモノがどのように変化するか、を一意な解釈の下で予測することは可能だ。
しかし、あるモノがどのように解釈されるか、を予測することはできない。
解釈は自由にすることはできないし、システムに規定されている=機械的である。
同時に、解釈はシステムのみに拠っては決まらないと言うべきだ。
解釈には必ず「システム外との関係性」「システムの外部性」が絡んでくるんだ。
だからシステム(脳や言語)をどれだけ分析しても解釈・意識は予測ができない。
そういった関係性や外部性をも包括できるような視点(システム)を立てて、
解釈を一意に定めて考察すれば予測はできるだろう。
ただそのとき予測される「意識」は俺らが普通に考える「意識」ではなくなっている。
簡単に言うと、「意識を客観的に定義しないと予測なんかできるわけないんだが、
意識って言葉の定義に主観性が含まれちゃってるからね」ってことだ。
なんというか、質問ばかりしてる人。 仮にも真理を求める身なら自分で調べるくらいしようよ。
127 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 14:43:53
>>124 「無から生まれた」と言ってしまうと、おかしくなります。そこは、だれも
どんな理論もまだ説明できていないのでは? まず、そこを言語(記号)で解
き明かさないかぎり、唯物論は不完全な理論ということになります。むろん、
それを解明したとしても、それで唯物論の役割が終わるわけではないでしょ
うが。
予測も学術的推論だ。 もっと実地の方で検証してもらいたいものだな。 その方が実感論者であっても歩み寄りが可能であろう。 意識を解析しシミュレーションできる時代が来るのか・・ する意味が分からんっつーツッコみが来るのか・・
129 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 14:48:56
無から万物は生まれた・・それが機械的唯物論なの?
130 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 14:58:58
>>129 それは、宗教です。それとも、宗教と唯物論は反転して一致する、という
意味なら、それはそれで結構ですけど。
131 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 15:16:33
>>125 1と2はよいとしても、3以後はどうでしょう? 3は矛盾でしょう。
また、システムの外部との関係性を包括する新たなシステムを立ち上げ
ても、それは一度では終わらず、無限に繰り返す必要がありそうですね。
無限に連なる“自意識”と似ていますね。
結局、意識は機械的とは言えないというのが結論ですか。
>>102 「我思う故に我あり」を否定したんだけど、どう思う?
「全然論理的じゃない」って一蹴するかな?
おや、おかしいね。
全てを疑っても、そう疑ってる我「だけ」は確実、じゃなかったっけ?
疑ってる我以外に「論理」とやらも確実だったのか?
デカルトが神を持ち出してるのはここらへんに理由があるんだよ。
デカルトは君のように素朴に論理や言葉を信じてはいない。
もっと徹底的に疑ってみようぜ。論理ってどこからきてるんだろうね?
>>131 1と2と3って何のこと?
意識というプログラムは完全に機械的だけど、そのプログラムはそれ自体で
完結しているわけじゃない。外で定義された関数を引っ張ってきて動いてる。
だから、意識というプログラムがどう動くかは予測ができない。
外での定義を完全に予測できれば可能なんだろうけど、それができるのかって話になるね。
ある程度限定すればできると思うけど、どこかで限定しないとできないってことだな。
134 :
ソラ :2006/02/20(月) 16:18:09
>>1 唯物論はビックバン以降の「前」は無い(物質として)としいる。 唯物論はビックバン以降の物質に真理を証明できるようになるかもしれない が、宇宙以外に対する問いに答える事はできない。 なぜならビックバン後に物質(宇宙)ができた状態の物質のみに真理を見出 せる理論だから。 「無からビックバンが生まれた」とすると矛盾するので物質ではない非物質 があると考えるのを否定はできない。 非物質は科学で言うところの時間、光、量子でもないので「非物質」はある とだけ考えればあるということになるこれが哲学で言う精神「心」と考える。 例えば極論で「無」を考えてみようしかし「無」と考えている心があり無い という事は考えれないことがわかる。 この事から「ビックバンの前は無い」という問いに対して無いと言う事は無 いので心(非物質がある)があると答えられる。心では無を考える事はでき ないから。 科学では便宜上「ビックバンの前は無」としかできない。 この事から心とまで断定できなくても非物質があると考えるべき。
135 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 16:23:58
デカルトが神を語ったように、哲学者最高位も神を語りだすはずだ。
136 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 16:31:29
>>1 脳は複雑な回路です。
神経細胞は電子部品にすぎません。
電子軌道の分布が物理学上確率分布であることが絶対的に証明されたので
決定論はその論拠が崩壊しました。
本当にありがとうございました。
結論:脳は物質だが意識は電子の確率分布の結果なので必然とは限らない。OK?
>>134 君の論証を整理しよう。
・全ての物質がビッグバン以後に生まれた、と定義すると、
ビッグバン以前に存在したものは非物質であると言える
・我々は無を思考することはできない
・我々が「ビッグバン以前」を思考できるということは、ビッグバン以前は無ではなかった、
つまり何かが存在した、ということを意味する
・よって、非物質は存在すると言える
「無を思考することはできない」って自明か?
俺には、無を概念上でのみ思考するぐらいのことは可能だと思えるけど。
140 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 17:31:19
>>133 勝手に、あなたの行分けをそう呼んだだけです。
3番目を「矛盾」と言いましたが、それは規定を決定と読み違えたからです。
もし、システムによる“規定”の内実を一定のパターンとしてとりだせるもの
なら、意識は機械的といえるでしよう。そうでないのなら、無規定と同じでは
ないでしょうか。
もう一つ、言葉じりを捉えるようですが“外”と切り離されたら、それは意識
ではないでしょう。最高位の“純粋なこの私”になります。だから“外”に侵入
された私(意識)が、完全にプログラム化されているという意味がわかりません。
141 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 17:42:28
>102 哲学者最高位さん いつも「これだけ説明しても理解できないんだったら 理屈もクソもないな」などと 唯物論者の方々の理解能力の無さに呆れているようですね。 唯物論者さん達は必ず最高位さんの穴を狙ってきて反論し、自説の正当性を守ろうとします。
>>138 何で?
どんな物質でも、ミクロレベルで見たら同じやん
143 :
ソラ :2006/02/20(月) 17:54:41
>>139 無を概念上でのみ思考する事ができれば物質を否定できるのでは?物質は無
では無いのだから。
無を概念上で思考しようにも無いものは思考できない。
144 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 17:55:16
マクロレベルで見たら真っ黒やん?
145 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 17:59:38
そこで、「この私」がもし朝起きたら「起きる前の私」と違っていたとする。 見た目は客観的に同じとして、密室状態で他人との入れ替わりが不可能であるとする。つまり肉体は昨日と同じ。 起床したら「この私」が「昨日までの私」と違うと思ったとする。 そのように思えるのは「昨日までの私」を記憶にとどめているから違和感がある。 原因は何らかのショックによる神経回路の変化や脳内物質の分泌の変化でも何でもいいとする。 で、問題は何なのでしょうか?
146 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 18:00:08
>>143 無は有の反対ですよね。有るべき物質が無いというだけならば、
物質自体は否定できないでしょう。
物質が存在しないといえるだけではないですか。
147 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 18:02:19
>>141 ここで自説の正当性を守っても、たいして意味ないでしょう。
148 :
ソラ :2006/02/20(月) 18:02:57
>>139 訂正させてください
>ビッグバン以前に存在したものは非物質であると言える
ビックバンにより物質が生まれたのでビックバン以前という解釈では
なく非物質はただ「ある」としてください。以前とすると時間という
物質が含まれるので。
150 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 18:10:12
このままでは、なんか、もやもやが残ったまんまで居心地悪いんだけど・・・w
微分して、分析して、最深部まで潜って、もしそこに何か残滓のようなものが見えた時、
それが、真如や自性(或いはタターガタ)と呼ばれうるものでは困るのだ。
(→「困る」ってナンダヨwww と自分でツッコミ。)
【時間を無視した】、超越的な、圧倒的な、存在。
欠けることもなく増えることもなく、不可知であるもの。 力?魂?霊?神?梵我一如の我?いや、むしろ梵か?
たとえ同一性を問わずに一瞬を切り取った「もの」だとしても、
最高位の言説は、こうした考えと容易に結びつくのだよ。
そう、最高位の言説は、【そこにある何か】という【もの】を想定させてしまうのだ。
個人的には、「最終的に『今まさにここにある!』という事実」は認めるべきだと思ってるが、
(最高位の言ってることってこれに尽きるんじゃないかと思うんだが、「うん」と言わないんだよねぇw)
それを特別視することだけは避けたい。
『今まさにここにある!』【こと】では、私も石ころも変わりはしない。
>>141 おいらは自分では、唯物論者だとは思ってないんだけどなw
傍から見たらそう見えるのかしらん? (?_?)
151 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 18:15:35
最高位はたいした事を言っていないのに、何で話題に出すの?
152 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 18:18:45
>>150 すみません。傍から見たから唯物論者と判断したのではないんです。
当然、唯物論とは異なる主張を持つ方も多くいることは承知しております。
最高位さんのいう「自我」が感覚と概念の世界の違いから崩せたらな、と思いまして。
153 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 18:29:29
崩すも何も、最高位のいう「自我」なんて、無意味だよw
154 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 18:30:06
いや最高位はね、主観ですら怪しい人類が その「すでに怪しい主観のフィルターを通して得られる客観なる視点」を 主観以上の根拠に据えるのはおかしい、ってことだろ
>>140 プログラムの話はまぁ比喩だよw
外部性を「世界の外部」みたいに神秘主義的に読み取られても困るんで。
>システムによる“規定”の内実を一定のパターンとしてとりだせるもの
>なら、意識は機械的といえるでしよう。
取り出せる、というのが俺の予想です。
心理学や大脳生理学の知見見てるとそうとしか思えない。
たぶん、その構造はそこまで複雑じゃないと思う。
>“外”と切り離されたら、それは意識ではないでしょう。
これは全くその通りなんだけどね。
けど、俺らの実感として「意識」は"内なるもの"として把握されてる。
そういう定義での「意識」は予測できないよってのが論旨です。
>>143 >無を概念上で思考しようにも無いものは思考できない。
いやいや概念上でならできるだろう。
「ドラゴン」なんて存在しなくても、俺らは「ドラゴン」について思考できる。
「広がりのない点」なんて存在しなくても、概念上でなら思考できる。
同様に、無についても「有の全否定」として思考できるよ。
言葉をいじれば、存在とか関係なしに思考できるっしょ。
君が言ってる「ビッグバンに拠らない非物質」ってのもそういうものだ。
>>155 >けど、俺らの実感として「意識」は"内なるもの"として把握されてる。
>そういう定義での「意識」は予測できないよってのが論旨です。
「誰が」予測するのでしょうか。
予測できるできないの以前に、内なるものとしての意識は、その意識
自身によってしか観測(認識)できないのでは。
159 :
152 :2006/02/20(月) 18:51:18
だから私は感覚と概念の世界を別に考えてほしいと思うんだ。 >「ドラゴン」なんて存在しなくても、俺らは「ドラゴン」について思考できる。 こりゃドラゴンが存在しないなら御伽話かなんかで出てくるってことになる。結局、 ドラゴンを見た人はいないから伝説をもとに、「足はこんなで、頭はこんなだった」みたいに なっちゃう。
160 :
ソラ :2006/02/20(月) 18:52:01
>>157 確かに概念上ならできる。
そしたら逆にそれを概念上でも思考できる「自分」とは何なのだろう?それ
が問いになりますよね。
概念と実在ははなから違うぞ。 犬の概念は、実在の犬とは違う。 個々の犬を離れた「犬の概念」は単なる「名前」で、頭の中以外に 「実在」はしない。それこそ「唯名論」だろ。
>>158 そうだね。だから普通の意味では「意識は予測できない」。
ただ、普通じゃない意味で「意識」が定義しなおされる可能性はあるからね。
そうなったら予測できるんじゃないの、とは思うけど。
>>160 俺が指摘したのは「非物質を思考できることは、非物質が存在する証明にはならない」
という実に当たり前のことだ。
で、「存在するかどうかなんて関係なく、対象を思考できる『自分』って何?」
という疑問をどういじったら非物質の証明になるのかな?
163 :
ソラ :2006/02/20(月) 20:16:32
>>162 俺が指摘したのは「非物質を思考できることは、非物質が存在する証明にはならない」
という実に当たり前のことだ。
確かに証明はできないが非物質を思考できること自体がとても不思議だ。
例えば「自分とは何?」について答えることができますか?
>>163 さぁなんだろうね?よくわかりませんな。
165 :
ソラ :2006/02/20(月) 20:41:17
>>164 自分とは何かについて〜であるとしたら〜であるところの自分は何という
問いに永遠になってしまう。例えば自分は「脳」であるとしても自分が「脳
」とわかるには先に自分が自分とわかっていなければいけないから。
この事から物質ではない非物質があるかもしれないと言う問いが生まれるので
す。
>ALL おまいら頭良いな。
>>165 悪いけどその問題意識は共有できないな。
物質が非物質を思考しても、俺は全然不思議だと感じない。
そういう思考を可能にする言語ってものの不思議さは感じるけどね。
とりあえず「非物質があるかもしれない」なら別に異論はないです。
福田元官房長官や紳介のCMではないが、 まさに、「かもしれませんねェ・・」だw
170 :
ソラ :2006/02/20(月) 21:03:52
>>168 わかりました。
いろいろ考えを訂正しなければいけないところがあったのでまた考えてみま
す。
今現在は「非物質があるかもしれない」という考えです。
いや、その前に「物質」って何よ。
「かもしれない」って、おまえらマジですか?
173 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 21:21:48
「動き」は物質じゃない。 「愛」は物質じゃない。 「国家」は物質じゃない。 「小泉劇場」は物質じゃない。 「いじめ」は物質じゃない。 「トリノオリンピック」は物質じゃない。 ・ ・ ・
みんな物質じゃないものを挙げるんだ! そうしたら物質に近づいていく!
>>171 今の場合は「ビッグバンに起源を持つ存在」って感じになるかな。
確かそんなような定義だった
176 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/20(月) 21:36:14
>>96 >難しくてよくわからないけど何も無い状態からビックバンがおこったという
>事ですか?
そうです。(ビッグバンで始まった)「この宇宙」の尺度では「粒子」もない、「空間」もない、
「時間もない」「真空」もない・・・『何か』から、137億年前に「突然」ビッグバンが「起きた」
ので、その『何か』は要するに、「『無』と名付(え)る『もの』があるとしたらそれ」・・「から」
生じた・・と言うことが出来ますが、「因果律」とは「時間の経過」を前提条件とする・・という立場
では・・、その『何か』は「因果律の言う『原因』とか『理由』とかではない」・・ということになります。
177 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 22:21:44
>>163 ソラさんのいう“非物質”は、『前』を考えるとき、大事な概念です。たしかに
「非物質が存在する」ことがわかれば、問題は片づきます。数時間前に、機械氏
に存在の態様は物質とエネルギーの他にあるのか、と質問しましたが、答えを
もらっていません。
ただ、ソラさんのように「非物質は心である」と断定したら、これもおしまい。
>>157 探求者氏は“無”について思考できる、と述べています。ただし、それは本人
も認めているように概念を言葉で弄ぶということでしょう。探求氏といえども
“無”を意識することはできないはずです。
“無”は存在しませんが、というよりも存在しないことが“無”なのですが、
しかし『非物質』はあるかもしれません。それがみつかれば、幾つかの謎が解
かれるのではないでしょうか。
178 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 22:25:20
だから、存在ってなによ?
179 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 22:30:44
>>173 それらは複雑な様相を呈していますが、“存在”の態様であることは
間違いないでしょう。
180 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/20(月) 22:35:33
>>177 >数時間前に、機械氏に存在の態様は物質とエネルギーの他にあるのか、と質問しましたが、
>答えをもらっていません。
「存在の態様」・・という概念設定が「観念論的先入観」で冒されている・・ということは
ご自分では自覚されていない・・・と思います。・・・が、
「エネルギーと等価である物質」・・・アインシュタインの『絶対方程式』::「E=mc2乗」
は「質量=m」を持つ物質のことです。
超ひも理論世界の「この世界」・・・「26次元世界」においては「質量を持たない粒子」も
(「重力」媒介粒子・・・「グラビトン」も)「存在を仮定される」状況です。
しかし「未だに観測されていない」という意味では「科学的仮説」という領域に留まらざるを
得ません。
「科学的仮説」であったのに、つい最近「観測(機器の感知能力向上のため)された」現象・・としては
「トップクォーク」とか「超新星爆発(時の)ニュートリノ」とか・・あります。
181 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 22:45:41
「ワカリマセン」ヲ コンナニ ナガイ ブンショーデ カクヤツモ メズラシーw
182 :
173=誰でしょう?w :2006/02/20(月) 22:47:46
>>179 貴方だけだわ (^^;
まじめに答えてくれたの・・・w
ありがと♥
183 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 22:48:30
>>178 それは「ある」ということでしょう。ちなみに、機械氏は「初めに物質は存在
する」と述べ、最高位氏は「純粋な私という存在性は存在する」と言っていま
す。私は“関係意識は存在する”という立場です。
探求者氏は、何意識であれ、人間のそれは計量化でき、取り出せるようになる
だろうと言っています。私は、そこは懐疑的です。中途半端な唯物論者です。
184 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/20(月) 22:52:43
>>181 ニュアンスは(よく)理解できます。
ワグナーの「無限旋律」は「終わりが判らないのでむずがゆい」・・というのが「感想」ですが、
ラフマニノフの交響曲2番やピアノ協奏曲2番・・の「永く引き延ばされた旋律」は、「芸術(『美』の領域)」
の問題・・ですので・・多分(に)・・・「あなた」には関係ありません(ね?)。
だから、「ある」とか「存在する」というのは、どういう意味なのだ?
186 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 22:55:40
>>185 条件を付与しなければ絞り込めないんじゃないですか?
>>185 唯物論的には「計測できる」って意味だろうね
それじゃ、「存在するとは知覚されることである」 というのが正しいのか?
189 :
素人 :2006/02/20(月) 23:05:08
190 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:06:36
その方法はどうあれ、人間の認識できるものは すべて「在る、存在する」と呼んでいいのか? それとも、認識できるできないにかかわらず、 「在る」とは ある一定の条件を満たしたものの呼称なのか? そうであればその条件とは何?
だって、直接知覚されるのは自分の意識だけだから、 「唯物論=独我論」ということになってしまうぞ。 レーニンがバークリーを褒めたとかいう話もあるから、 それでもいいのか。
192 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:09:41
>>184 「ウゼーゾ、テメー!」ヲ イウノニ コンナ イーマワシガ アルトハ シランカッタw
193 :
素人 :2006/02/20(月) 23:09:48
>>190 それが確定されない(確定できない?)から、喧々諤々になるわけで・・・w
194 :
素人 :2006/02/20(月) 23:11:44
195 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:11:47
>>180 中途半端な唯物論者ですので、私の言葉が“観念的先入観”に冒されて
いることは自覚しています。では、だれが“観念的先入観”に捉われず
に喋ることができるのでしょうか。それができれば、“真理”を語ること
になります。あなた述べていることも所詮、いや、やめておきましょう。
機械氏に敵対するのは。
196 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:16:20
197 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:17:43
198 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:19:26
199 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:20:54
200 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:24:09
やふーじしょ ↓ けんけん‐がくがく【喧喧諤諤】 [ト・タル][形動タリ]《「けんけんごうごう(喧喧囂囂)」と 「かんかんがくがく(侃侃諤諤)」とが混同されてできた語》 大勢の人がくちぐちに意見を言って騒がしいさま。「―たる株主総会の会場」 .. [さらに]
みんなの意見が割れない意見が真理であることが確からしい。
202 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/02/20(月) 23:30:16
>>195 うん。誰にもできない。
唯物論にしてからが「物質」という観念に依拠してるわけだからね。
203 :
ソラ :2006/02/20(月) 23:31:52
>>167 ,
>>23 例えば自分は「事物との関係意識」であるとしても自分が「事物との関係意
識」とわかるには先に自分が自分とわかっていなければいけないのでは?
204 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:35:48
存在とは「力」…つまりエネルギーだと誰かが説明してた気がする そうだとすると一般的物質にはエネルギーがあるから確かな 存在ということができ、言葉や概念もエネルギーを持つから 「ある、存在する」と呼んで差し支えない気もしてきた・・。 ならば一見、抽象的で物とは違うように思える「言語や概念」も その実形態をたどると正体は記憶だから、記憶を「物質化した何か」 とみなすことで、「言語や概念」も確かに「存在する」という見方が 成り立つような…?
>>203 自分が何だかわからないから考えるのでは?
206 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/02/20(月) 23:51:00
>>204 ナポレオン・ヒルなんかの成功哲学によれば、
「思考は物質である」んだそうだよ。
唯物論だなw
207 :
考える名無しさん :2006/02/20(月) 23:54:58
208 :
ソラ :2006/02/20(月) 23:58:24
205>> その通りですね。実際「自分が何か」と言う問いに対して僕は現在答えを出 せません。 考える事が科学的、哲学的、論理的、道徳的、宗教的真理を導く唯一の方法 だと考えます。
>>208 > 考える事が
正しいと信じることが、と思うな…俺は
210 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/21(火) 00:06:21
>>195 >あなた述べていることも所詮、いや、やめておきましょう。
・・所詮・・?「何」というご感想をお持ちなのですか?
なんで「やめておきましょう」・・となるのですか?
>機械氏に敵対するのは。
・・ちょっと待って下さい。私(が)「権威」になったことは一度もありませんよ。
いつも「観念論が支配する哲学(学)界」の『権威』に異を唱えてきた(存在)・・が、
私なのですが・・・・?
211 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 00:09:02
自分が2つに分裂しました。その際にどちらか一人は死なないといけません。 生き残った方の自分をA、死んだ方の自分をB、分裂する前の自分をCとします。 自分以外から見たらA・Bどちらが、または、どちらもCですか? Aから見たB、または、Bから見たAはCですか? Aから見たA、または、Bから見たBはCですか? Aから見たCはAですか? Bから見たCはBですか? Cから見たA・BはCですか? あと、記憶喪失になった自分は記憶喪失になる前の自分ですか?
すみません、昔既に書いたのかもしれませんが、機械氏はどうしてキリスト教にこだわりが あるんですか?
213 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/21(火) 00:24:54
>>195 >では、だれが“観念的先入観”に捉われずに喋ることができるのでしょう
>か。それができれば、“真理”を語ることになります。
「だれ」でしょうか?・・少なくとも「観念論的先入観」という「自己意識の土壌」
を「認識」している個体(の脳)である・・という「必要条件」はありますが・・、
その先に「必要十分条件」・・となるための「十分条件」を備えるのは「科学者のみ」
です。・・・・この時点で「観念論者」・・・は「排除」されま(れるべきで)す。
214 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 00:26:52
>>211 空間座標と時間で説明つくんじゃね?
上手く説明できんけど。
215 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/21(火) 00:29:54
>>212 私が「キリスト教にこだわりがある」のではなくて、
「真理を追究したいと思っている人々」が「キリスト教にこだわって」
「真理」を見失っている・・という「現代思想の状況」を踏まえて、
「大衆」は『「エピステーメー」としてのキリスト教(の存在)にあまりに無自覚である』と、
警鐘を鳴らしているだけ・・・です。
216 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/02/21(火) 00:29:59
>>212 うん。機械のあまりのアホさ加減に愛想をつかし、
熟年離婚した元嫁さんが、どうも、
変な宗教に引っかかってたらしいんだな。
で、以来、宗教に憎悪の念を抱いてる。
217 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/21(火) 00:35:22
>>216 で、「ハンニバル」さんですから、「反キリスト教」ではあるのでしょうが、
あなたが「地中海(世界)を支配している」と考えている「神」は何なのですか?
「ハンニバルさま」では収拾がつきません・・ローマ(キリスト教)により、
抹殺され、滅亡した民族・・でしたよね?・・それともその「怨念」ですか?
219 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 00:45:47
>>218 確かにそう言われたら何もいえんな・・・。
トーシツって見方も出来るしなw
220 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/02/21(火) 00:46:54
家庭内で、こんな
>>217 わけのわからん受け答えを
(しかも、ユーモアか何かのつもりで)されたんじゃ、
そりゃ、嫁も逃げるわなあ。
221 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/21(火) 00:50:53
>>180 SUSI理論でしたっけ?
グラヴィトンは発見されてませんし
フォティーノ、グラヴィティーノ等は数学上存在を仮定された素粒子ですね。
222 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/21(火) 00:51:25
>>220 嫁・・って民法上の「配偶者」のことですよね?
『「財産分与」無しで「嫁が逃げてくれる方法」』があれば、ご教授下さい。
>>191 独我論とは「私しかいない、他人は存在しない」という思考ではなく、
「私に妥当することは他人にも妥当する」とする思考のことである。
唯物論は「客観的なモノしか存在しない」として主観を排斥するかに見えて、
「万人に共通する超越的な主観」を暗黙のうちに想定している。
唯物論とはまさに独我論である。
224 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/21(火) 01:07:00
>>221 「数学上」と「物理学上」が「近接接近」していることが、「面白い事実」なのです。
要するに「真理は(何故か)数学的に構成されている」・・ということです。
・・・ただし、そのことは「数学が物理学に優先している」という意味ではありません。
何故か「物理」学は・・・結局「数学的に整合している」・・・という「真理」がある・・
ということです。
225 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 01:12:20
>>203 その立場が最高位ですね。初めに『私』があって、事物を認識する。主観、
主体(探求者氏)なるものを最初に立てるわけです。しかし、私という純粋な
存在性は存在しないのではないか。
この『私』は事物に侵入された(関係づけられた)夾雑物としての私である。
あえていえば、この夾雑物こそが私なのである。夾雑物の私が何かを認識し
たとしても、新たに夾雑物を加えるだけであろう。“関係意識”が変化する
だけである。
では、その夾雑物を削ぎ落とせばどうなるか。その底に純粋な『私』がある、
というのが最高位。だが、そこには全き“私の不在”しかあるまい、という
のが夾雑物としての私の見方。私は、唯物論者です。
226 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 01:31:49
>>210 そのうち、あなたにも色々と質問します。いまは、他の人たちとのやりとり
を楽しんでいます。しばし、待たれよ。
227 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 01:49:59
>探求者 >「我思う故に我あり」を否定したんだけど、どう思う? >「全然論理的じゃない」って一蹴するかな? >おや、おかしいね。 >全てを疑っても、そう疑ってる我「だけ」は確実、じゃなかったっけ? >疑ってる我以外に「論理」とやらも確実だったのか? すばらしい論証です 「わたし」を疑っている時には、論理を使用しています 論理もまた疑えます これは次のように定式化できるでしょう 「すべてを同時に疑うことはできない」 もっとも、このことでデカルトを批判することはできないと思います というのも、デカルトの意図を探るなら デカルトが「『われ思うゆえにわれあり』だけはいかなる懐疑論者も疑うことはできない」と述べているのですが、これは「すべてを同時に疑える」ということを否定することが目的だったと考えるからです
別に、すべてを同時に疑えるんじゃないの。 「すべては、正しいかもしれないし間違っているかもしれない」で。
>>215 遅レスですんません。
> 「大衆」は『「エピステーメー」としてのキリスト教(の存在)にあまりに無自覚である』と、
> 警鐘を鳴らしているだけ・・・です。
つまり、観念論的哲学は全て裏側にキリスト教信仰があるということですか。キリスト教
信仰を分かりにくい術語で表現したのが観念論哲学だと。
デカルトは疑い得ない私を出発点にしますが、ヘーゲルはそれを一つの到達点と 見ました。精神現象学とは如何にして自己は生成するのだろうか?という物語です。 当然それは人間の発達段階と結びつくわけで、その記述は精神分析的です。つまり、 現に在るところの精神から系譜学的遡行を行うということになる。 ヘーゲル批判もまたこの点にあります。つまり、彼の哲学とは畢竟自分の立場を 絶対化し、そこへ如何に到達するかを物語っているに過ぎないのだと。実際ヘーゲルは 歴史とはつまり近代ドイツ国家への道であり、そのドイツ国家の精神とは自分であるかの ような言説をするわけです。 しかし一方で"我思うに我在り"が如何にして発生するか?という問いは重要であり、我が 社会的な過程で生成したという指摘も重要だと思います。"純粋な我"は実のところ俗世に いなければ存在し得ない。無人島にいたらなくなるものだということです。
232 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 11:22:08
>>231 >"純粋な我"は実のところ俗世にいなければ存在し得ない。無人島にいたらなくなる
そうなの?無人であっても我は存在するんじゃない?
我は人間でなくとも「我以外の他の存在」さえあれば存在してるんじゃ?
狼少女はどうなるんだ?と俺もおもたYO
別に「我以外の他の存在」なんかなくたって、我だけあれば 存在してるんじゃ。
235 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 11:45:21
我以外の存在がゼロの中で我は存在できるの? やめとこ、泥沼の予感w
>>235 > 我以外の存在がゼロの中で我は存在できるの?
できません。それは言葉のお遊びとかではなく、実際精神病院の臨床で日々
発生していることですね。統合失調とは他者との関係性が決定的におかしく
なったことによって引き起こされるのです。よく言われるのは、発病前に
周囲の人間のちょっとした仕草が決定的ニュアンスを含んでいると思い込み
始める。そこからガラスにひびが入るようにして世界が壊れていき、自分が
自分ではなくなってしまいます。
例えば、宇宙人の声がする、自分の考えが友人の頭に入っていく。こういうのは
よく統合失調の患者が語る妄想の典型です。また、妄想はそれ自体が防衛とも
いえますから、他者との関係性が決定的に失われたことを補うために、自分で
代替的な世界を構築しているといえます。だからこそ、妄想は支離滅裂な非構成的
なものではなくて、正常とされる人たちと"違った形で"構成的なのです。
237 :
ソラ :2006/02/21(火) 11:55:36
>>225 確かに客体的に考えると自分とは夾雑物であるという結論になりますね。
ビックバンによって物質が生まれたというのは異論はないのですが。
ただ無からビックバンが生まれたとすると異論があり「非物質」がある
のではと問いたくなります。
夾雑物を落とせば「私の不在」に対して異論はありませんが非物質があ
るのならば「私とは何か?」の問いに現在は答える事はできない。
>>236 統合失調症の患者だって「我」はあるのでは。
あるから「統合失調」になり得るのであって。
「気」がなければ、気が狂うこともできないであろう。
239 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 12:14:12
「我」は「いつ誕生したか」という問題もあるんだよなぁ・・
>>188 数学史上に、0の発見というものがある。
0のくせに発見されちゃったり、存在を公的に認知されちゃっているw
>>231 ロビンソン・クルーソーにもカスパー・ハウザーにも我はあったと思うけどなぁw
>>241 訂正
しまった!ロビンソン・クルーソーは小説上の登場人物だったw
>>229 「すべてを"同時に"疑うことはできない」です
ニヒリズム、非合理主義に正しい可能性があるという意味では
「すべては、正しいかもしれないし間違っているかもしれない」というのは正しいでしょう
しかし、任意のひとつの問題を吟味するときには、
他の幾つかのことが、与えられたものとして前提されなければならない。
実際、このことから、絶対的な確実性に到達することが不可能であるという結果になる。
ゾルレン氏に激しく賛同。
246 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 14:56:09
>>231 むじんくんが“純粋な我”などという言葉を使うから、混乱を誘うのです。
この俗世であれ、無人島であれ、純粋な我なるものは存在しません。概念と
して抽出できるだけです。
テレビに映る映像やラジヲから流れる音声は物質じゃないよね
248 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 17:42:47
>>132 ゾルレン氏も認める
>>228 ように、その論証はすばらしいと思います。
その場合の『論理』というのは“思う”と“我あり”を「故に」でつないで
いることを指しているのですね? たしかに論理らしきものがあり、それを
彼は疑っていません。
これは質問ですが、最初の「我思う」の“我”はどこから引っ張りだしてきたの
ですか。
このスレ見てて思うんだけど、こういうのを機械氏らのいう科学的真理みたいにいっていいいのかな?
よく知らん俺でさえ無茶な気がするんだよ
(未だ先走りすぎな気が俺はするんだよな…すでに定説みたいな話にしてるみたいだけど)
>>175 > 今の場合は「ビッグバンに起源を持つ存在」って感じになるかな。
>>176 > そうです。(ビッグバンで始まった)「この宇宙」の尺度では「粒子」もない、「空間」もない、
> 「時間もない」「真空」もない・・・『何か』から、137億年前に「突然」ビッグバンが「起きた」
>>237 > ビックバンによって物質が生まれたというのは異論はないのですが。
とても科学的真理とまでいえないと思うんだけどね…俺は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%B3 > これらの観測結果は、これを過去へと外挿すると、宇宙は全ての物質とエネルギーが計り
> 知れないほど高い温度と密度にあるような原始状態から膨張してきたことを示している。
> この高温・高密度の状態よりさらに以前については、一般相対論では重力的特異点になる
> ことを予言するものの、物理学者たちの間でこの時点の宇宙に何が起きたかについては広
> く合意されているモデルはない。
>>248 最初の「我」は"偽かもしれない"「我」だね。そんなものないかもしれない。
今まさに検証の対象になっている仮定であり、思い込みから来ているものだ。
つまり普通に「私は考える」という時に、論理的に信じ込まれている「私」だ。
デカルトの「我思う」は、そのような「私」の自明性を疑うことなんだから、
「述語には必ず主語がある」という論理自体を疑わなければならない。
だから結論を導くときにその論理を使っちゃったら証明にならないってことだな。
252 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 18:38:54
だから「私」ってなに?
253 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 18:44:34
>>252 それって、(哲学界で)答えが出てるもんなの?
いまだ統一見解あらず。
なんじゃない?
あ、哲学(史)に詳しい人に列挙して貰えばいいんだ (・∀・)b !!。
>>254 (;゚Д゚)Σ
|
|;゚Д゚) ))
|
|゚) )) )
|
| ))
>>249-
>>250 機械氏の科学知識はあまりにひどいので、さすがにこのスレでは、ほとんどスルーされているw
我思う。故に我あり と我思う と思う我あり と。。。思う我・・・無限に続く。
>>257 ラテン語で「我思うゆえに我あり、と我思う、と我思う・・・」と
延々とは繋げられないと思います。
ego cogitare ergo ego esse, cogito.
でその次に接続法を一回使っておしまいではないでしょうか。
だから、機械氏に科学論戦を挑むのは止めておけと...まるでUFOか霊界について話してるようだ。 過去にも様々な名勝負がある。なごみたい人はどうぞ。
>>258 いや、流れからいったら254のように読むのが普通だな・・と思ってw
| _, ,_ けど、それをきっかけに
|;゚∀゚) < 根本を問うているかもしれんし、
| ⊂ノ まんざら外れでもないか・・
>>260 あなたは機械氏ばかりに目が向いてるようだけど、機械氏の他に探求者氏、ソラ氏に対しても発言してるんだよ
でも、あなたの忠告を受けて、適度な書き込みを心掛けるよ
>>261 本音を聞かせてくれて、ありがとう
出てきてくれて、ちょっと安心したよ
263 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/21(火) 22:47:05
宇宙誕生の神話 乳海攪拌。
264 :
248 :2006/02/21(火) 22:51:26
>>251 われ思う、われ疑う、われ感じる、われ意識する…。あなたは、この“われ”
が偽かもしれない、と述べています。敷衍すると、主観、主体、換言すると
“主語”の我・私は、怪しい。では、何が“本当”か。思う、疑う、感じる
つまり『述語』である。ここから、何をどのように思おうが、疑おうが、感
じようが、そうしている『私』は存在する、と確かな私を引き出すわけです。
怪しい私に述語を持たせることによって、疑いない私に変える。これは、一
種の詐術ではないですか。
>>252 俺の場合は、「私」は発言者を一般的に示すときに使ってます。
例えば「我」という場合は、「我思う故に我あり」を発言した人。
発言者を個物として見ていることを強調する場合は「この私」、
『探求者』を示すときはかっこなしで俺って言ってます。
>>249 「物質=ビッグバンに起源をもつ存在」なんて定義は俺も初めて聞いたよ。
ソラがどういう意味で「物質」「非物質」と言ってるかを解釈すると
そういう定義になったから、とりあえずそのまま乗っかって議論してた。
その流れで質問されたから、「今はこういう意味で使ってるよ」と説明したのです。
266 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/21(火) 23:02:06
狭い偏狭な私か 広く普遍な私か。
>>264 「我思う、我感じる、我意識する」から確かな「我」を導きだすのは詐術だな。
ただ、「そのような『我』が偽なのではないか?」と"疑っている"ときの
「私」はそれらの「我」とは全然別のあり方をしている。
それはもはや「この私」としてしか取り出せないようなものだ。
この差異を消去しないことが大事だと思うよ。
268 :
メシア :2006/02/21(火) 23:23:56
久しぶりに覗いたけど、機械君厳しいねw そもそも、俺は物理化学は全く駄目(人間的にも駄目だけどw) で、その駄目な俺でも、ビッグバン以前、又はビッグバンと同時に時間が発生した という部分にいろいろ考える所がある。 当然俺にはそれを証明する術(数学)が無い。 惟に、時間と云うのは、物質より先に存在したはずだ。 時間とは物質だと、言う学者も居るようだが、 物質は時間が無いと存在出来ないからそう言っている気がしてならん。 もっと言えば、空間。 空間も存在した瞬間から時間が必要になる訳だ。 そして素粒子、素粒子は質量0であろうが、『質量が−』であろうがあまり関係なく、 空間が無いと存在出来ないはずだ。 この素粒子に拘る機械君が如何に物事を他に求め、委ね、自分の考えが希薄なのがわかる。 物質の前に素粒子であって、物質も素粒子もマイナスの存在があってもなんら不思議は無い。 空間もしかり、マイナスの空間があってもおかしくない。 しかし、全てに必要なのは時間だ、マイナスたる存在をするのにもマイナス方向に進む時間が必要だ 時間とは物質だと言う学者が居るが、彼は虚しい。 『時間とは存在』だと言えば、少しは納得が出来る。 >>>存在する為には、絶対的に時間軸が必要である<<< と、理数系が全く駄目で無知な俺が言ってみる。 当然これを証明する術を俺は知らない。(根拠無しとも言うw) それでは、時間が存在する為には何が必要か? 時間が存在する為には大極陰陽が必要である。 大極陰陽が無いと時間はプラス方向にもマイナス方向にも拡大が出来ない。 と、途中だけど面倒なのでこの辺で切り上げる。 とにかく、オマエら!ちゃんと3食飯食って運動をちゃんとしろ! そして、目先やるべき事をせぃ! 日々、全てに感謝しなさい。 あぁ、あの雲が流れるから今日も俺は生きてるんだなぁ〜と(謎 あぁ、風が吹くから今日も俺は飯が食えるのだなぁ〜と(謎 ま、そういう事だ(激謎
269 :
考える名無しさん :2006/02/21(火) 23:31:47
>>267 『我』や「私」や「この私」の間に差異は無いようだが・・。
仮に違いがあるとして、どれでもいいがその指してる内容は何?
「何の事」を我とか私とか言ってるわけ?
270 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/21(火) 23:40:06
>>133 >意識というプログラムは完全に機械的だけど、そのプログラムはそれ自体で
>完結しているわけじゃない。外で定義された関数を引っ張ってきて動いてる。
>だから、意識というプログラムがどう動くかは予測ができない。
「予測可能性」は、あくまで(その時点における)「技術」の問題です。
「予測可能性」と「被決定性」は異なる範疇に属する概念であり、その意味で、
「被決定性」を前提として、その「決定されている未来」を「過去のデータ(だけ)」を用いて、
何処まで「有効に予測」できるか?・・・という問題なのです。
要するに、「当たるも八卦・当たらぬも八卦(双方50%)」の「丁半未来予測」もある中で
例えば「天気予報の的中率」が「50%」であれば誰も信じないのと同じように、「過去の法則性
の中で未来は推移する」・・・という「科学的思考」を採用すれば、「過去の出来事」が「未来の
出来事」の「全て」を決定している・・・という考え(決定論)に(必然的に)辿り着く・・
・・ということです。
(ただし137億年前にビッグバンで始まった「(他ならない)この(THE)宇宙」内の出来事
・・という前提で・・・です。
おっしゃっている『「脳外」の「関数」』も、当然に「この宇宙」内には収まるということです。
272 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/21(火) 23:51:54
>>270 機械さん
かなり前にも書いたのですが
自然は確率では無いと思います。
確率(「期待」値)を知りたいのは人ですから。
雨であろうと晴れであろうとそれぞれの都合は人が決めるもの。
273 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/21(火) 23:54:50
>>268 >物質の前に素粒子であって、物質も素粒子もマイナスの存在があってもなんら不思議は無い。
>空間もしかり、マイナスの空間があってもおかしくない。
「マイナスの物質」とは「ビッグバンの直後」に多数存在していた「反物質」のことだと思います。
不思議なことに「同数」であった筈の「物質粒子」と「反物質粒子」の数において、「ごく僅かに」
「物質」の方が多かったため、その後の「物質と反物質の衝突による『無』の生成」の結果が「ゼロ」
ではなく、「物質」の方が残った「宇宙」が「この宇宙」である・・・ということです。
従って「パラレル宇宙」としての「反物質宇宙」が「この宇宙」外に存在する可能性は、否定できません。
また「空間」は「現在の真空」のことだと思いますが、ビッグバン理論によればその「現在の真空」は、
ビッグバン直後(10のマイナス44乗秒後)の「真空の相転移」により発生した「真空」であり、「それ以前」
の「最初の真空」とは異なる「空間」であるとされております。
勿論「物質」や「空間(真空)」はもとより「時間」も「ビッグバン」以降生じた「ビッグバンの結果」である
・・ということになります。
274 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/21(火) 23:59:10
>>272 しかし「蓋然性」を抜きに「日常生活」は成立しません。
「明日も太陽は昇る」・・・なんて「言うことが出来ない」・・という立場で、
「日常生活」は成立しませんが、その反面「いつか(100%の確率で)、
太陽(恒星)は死ぬ」という「科学的観測結果」もまた、誰も否定することはできません。
>>269 「私」「我」とは、グループの中の一員であるような「私」だ。
つまり、誰にでも妥当する、文法上の一人称に過ぎないような、無名の「私」。
「この私」ってのは「他ならぬこの私」っていう意味で、グループに属さない。
誰にでも妥当するわけじゃない、固有名を持って今まさにここにある「私」だ。
まずこの違いが理解できるかな?
276 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/22(水) 00:14:53
>>274 機械さん
お言葉を返すようで恐縮ですが
ビッグバンも素粒子の角運動量もプランク時間も
それを知らなくても「日常生活」に影響はありませんね。
重力が他の力に比べてほとんど無に近いように。
277 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 00:21:22
>>275 違いもなにも尋ねてるのは、前後の語を取り除いたレスの「私」の部分
が何かであり、その「私」を「私」という語を用いて説明されても・・
278 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/22(水) 00:25:20
>>276 あなたがおっしゃる(あるいは否定する)「確率の有効性」とは、
結局「明日太陽が昇ってくる確率は100%に限りなく近い」ので、
「その確率は『意味がある』」・・という文脈の中でしか成立しません。
逆に言うと「全ての未来における事象の確率」は「ヒィフティヒィフティ」
・・である・・という『言説』には「全く意味がない」・・ということであり、
「確率」については・・・あくまで「過去の統計によると」という注釈がつかない
(確率)には「意味がない」ので・・敢えて「確率」という概念を当て嵌める「価値」
も生じない・・・ということです。
要するに「ありとあらゆることが起こりえる」・・という「真理」と、「明日も太陽が昇る」
・・という「確率の意味」は・・「同じ『確率』」でも「違う概念」である・・
・・ということです。
279 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 00:37:23
◇公に対する私。→あるいは、多に対する個人。 ◇いまここにいる・ある、肉体。→生きていようが死んでいようが関係ない。 ◇日常的な、意思・行動の主体。→肉体を離れることはない。 ◇認識という事象における主体。→自我意識を離れることはない。≒意識。 ◇いまここにいる、という実感としての私。→哲学的? ◇全ての経験、全ての環境、全ての入力、全ての記憶、を受け止める私。 ◇五蘊の総体としての私。 ◇脳の電荷パターン。→蛋白質としての脳を離れることはない。 ◇『生命(いのち)』としての私。→主に、宗教的・人生訓的文脈の中で用いられるもの。 思いつくだけでも、これだけパターンがあるが?www
280 :
メシア :2006/02/22(水) 00:41:30
>>273 君さw
>ビッグバン理論によればその「現在の真空」は、
ビッグバン直後(10のマイナス44乗秒後)の「真空の相転移」により発生した「真空」であり、「それ以前」
の「最初の真空」とは異なる「空間」であるとされております。
勿論「物質」や「空間(真空)」はもとより「時間」も「ビッグバン」以降生じた「ビッグバンの結果」である
・・ということになります。
ここに『凄く単純な矛盾を見出せない』かな?w
10の−44乗後という『時間』の上に空間が成立したのがわかるよね?w
>、「それ以前」
の「最初の真空」とは異なる「空間」であるとされております。
それ以前という事は時間があるね?w
時間と言うのは存在であり、存在というのは変化であるねw
ビッグバンというのは存在と変化そのものであり、
時間はビッグバン以前より存在してた可能性が在ると思うねぇ〜
理数の全く駄目な俺でもこの矛盾に直ぐに気が付くよw
ここだけ見てもビッグバン理論が意外にいい加減なのがわかるw
そして、そのいい加減な理論を以って頑張る君は・・・・・
でも、いいじゃないか!
明日があるよ!明日がある〜♪明日が〜ある〜♪
明日があるんだぁ〜〜〜♪
明日の為に、今日もたっぷり寝よう!!!お休み!!!!!!!
281 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/22(水) 00:46:29
>>280 >時間と言うのは存在であり、存在というのは変化であるねw
それが「明らかな間違い」です・・・から、他に(追加の)コメントの
しようがありません。・・・「悪しからず」・・です。
存在は変化だ、というたしかにそうだけど、 変化には時間と空間が必要だよ。
>>277 前後の語や文脈を無視した「私」が何を指すかってこと?
俺の場合は単に「発言者」を指す言葉ですよ。
284 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 00:53:55
場所的な誤りをしている。 文脈が前後の場所であると、どこの場所から他の場所へ移ると、 どうなるというのかだ。
285 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/22(水) 00:56:28
>>275 >「この私」ってのは「他ならぬこの私」っていう意味で、グループに属さない。
>誰にでも妥当するわけじゃない、固有名を持って今まさにここにある「私」だ。
それは「最高位さん」がおっしゃっていた「我思う故に我ありの『我』」と「同じ」ですよね?
286 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 00:57:07
「私」=「発言者」てことは 彼でも彼らでも「発言者」であれば「私」になっちゃうんだけどw ま、いいや、じゃ「発言者(=「私」)」って何?
287 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 00:59:08
>>284 場所が変われば、内容が同じでも意味は変わるよ。
「1000円も」と「1000円しか」では内容が同じでも意味は変わる。
俺が言ってるのは、その意味の違いを無視するべきではないということ。
>>285 まぁ同じっちゃ同じだよ。俺は君よりは最高位に近い。
>>286 「発言者」とは「その発言をしている人」のこと。
別に特別な意味はこめて使ってないよ。普通に解してくれ。
289 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/22(水) 01:05:10
>>287 「この宇宙」は(本当は26次元ですが)・・とりあえず「3次元『空間』+時間次元」
の「4次元」・・・という意味では「3次元空間」=「空間」(+「時間」)・・という
「存在(するもの)」の「座標」・・・は(「座標としてのみ」存在)はします。
290 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/22(水) 01:08:46
「ストップ安」のようなので・・就寝させて戴きます。
291 :
ソラ :2006/02/22(水) 01:20:39
>りくーつ・こねりー >とても科学的真理とまでいえないと思うんだけどね…俺は 「物理学者たちの間でこの時点の宇宙に何が起きたかについては広く 合意されているモデルはない。」としているので考えに誤りがあった事を認 めます。
292 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 01:38:23
宇宙は俺が創った。 だからスゴイ。そんなの当たり前。 宇宙スゴイ。いやマジで。 今のところ俺の最高傑作に属する。初期値を決定するのに三日もかかった。 RPGツクールの敵キャラのパラメーター設定より難しかったぞマジで。
293 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 01:45:14
そろそろパラメーター超テキトーにいじくっちゃおうかなぁと考えてるんだが、 どうよ? んでもってデータセーブしてからもいっかいリセット、今度の宇宙はおまいら 存在しないかもよマジで。
294 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 01:45:31
>>292 >宇宙は俺が創った。
んなら「コテハン」ぐらい「創る」「労力&勇気」を持て。(よな)
295 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 01:47:54
ほらおまいら人間が言っているではないか。 俺の名をむやみに唱えるな、ってな。 それは俺だって同じだ。これ常識。
大いなる創造主、略して、大創(ダイソー)
297 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 01:58:41
頭ん中の右端あたりに宇宙が見えるんだが気のせいか
298 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 01:59:17
人間には、『我』は絶対に否定できないんだよ 否定するのも、何をするのも 『我』だからw 否定できたと思おうが、何ができたと思おうが たとえ、それが出来たとしても、それが出来たのは『我』なんだからw 『我』を否定した と思ってる『我』が在るわけ 『我』は最後まで残る 人間には『我』は、否定できない 少し考えりゃわかるでしょう んで、どんなに考えても結果は同じ 「否定できる」なんて言ってる人は、頭おかしいんじゃないの? 『「否定できる」「できた」と「思ってる」「言っている」我』を否定できてないじゃんかw 何で、こんな簡単な事が、わからんのかねぇ
分別つかないキティの中には自我喪失してるヤツいっかも
300 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 02:02:06
これだけはいえる。 ほしのAきの目線は絶対キャバクラ嬢だよ。
301 :
248 :2006/02/22(水) 02:02:10
>>267 あなたは、疑っている『この私』を主語、主体として取り出せる、と述べて
います。それは、できないのではないか。
妙な言い方だが“私”は名詞としては存在しえない。動詞、もしくは状態
そのものとしてしか『私』は存在できないのではないか。主体として私が
思ったり、感じたりするのではなく、逆に、思ったり、感じたりする主体
としての私があるわけでもない。初めに事物との関係があり、以後も事物
と関係する状態だけが存在するのではないか。その“状態”のなかから、
関係意識としての私が立ち現れるのではなかろうか。
まだ新興宗教もどきのこのスレあったのかよ
303 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 02:20:38
>>301 あなたは頭が整理されていないようですね
されていますか?
自分が何を言っているのか、ちゃんと理解できていますか?
詳しく説明しても、こんがらがるかも知れないので
これだけにしますね
>動詞、もしくは状態
>そのものとしてしか『私』は存在できないのではないか。
それは一つの思いつきではありますが
そもそも
存在を否定できていないじゃないですかw
そう考えている状態なのは『我』ではないのですか???
誰です?何です?
>>289 >「この宇宙」は(本当は26次元ですが)
あっそ、タキオンも(本当は)あると、若しくは発見されると主張したいわけですか・・・
>>273 >「この宇宙」外に存在する可能性は、否定できません。
あっそ、以前君は、エントロピー増大則は普遍ですとキッパリ言い切っていたはずだが・・・
>>301 その見識はまぁ正しい。
「取り出せないようなものだ」と言ったのは確かにまずいかも。
疑いの果ての「この私」ってのは、取り出したらもう「この私」じゃないんだよな。
それは関係の瞬間にしか存在しない。
取り出したらもう定立された、客観化された、一般化しうる「私」になってしまう。
「我思う故に我あり」の意味を理解するには、この差を無視してはいかんのですよ。
>>298 だから疑われた「我」と疑ってる「この我」の差異を無視するな、と。
307 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 02:31:49
>>306 『我』なんて
全然、否定できてないじゃんかw
そう考えてるのは『キミ』じゃないのかい?
308 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 02:36:16
>>298 >人間には『我』は、否定できない
あんたの単純素朴「我」感は、むしろ「幼稚園児・保育園児」の「それ」に近い。
小学校に進む「6歳児」に至っては『「我」ってみんな持ってるじゃん』・・「相対的」
に「誰かの『我』が先生の『お好み』になる」・・・というのが「必然」じゃん・・。
・・ということだな。
>>270 >「天気予報の的中率」が「50%」であれば誰も信じないのと同じように、「過去の法則性
>の中で未来は推移する」・・・という「科学的思考」を採用すれば、「過去の出来事」が「未来の
>出来事」の「全て」を決定している・・・
あっそ、エルゴート的なマルコフ過程の典型例である天気が、非マルコフ過程なわけですか・・・
あっそ、兎に角、科学を持ち出すときはオカルトは抜きにしような・・・
311 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 02:41:46
>>308 ガハハ!
だからぁ〜
否定してみろ と言ってるんだよ
できないんだろ?
できないクセに、何言ってんだろねマッタク
普通の会話ぐらいできるようになろうよ・・・
子供以下だなキミはw
>>290 >「ストップ安」のようなので・・
あっそ、日経平均株価は今年2番目の上げ幅だったわけだが・・・
313 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/22(水) 02:51:20
>>311 あなたの「我」は、間違いなく「既に存在しない」・・という意味で
「大衆の『眼』に触れることがない」(触れる価値がないから)・・
でも「下手物で一発大逆転の『可能性に掛ける』立場から言うと、
「ライブドアが復活する可能性」が「無いでもない」ので「61円の買いが入る」
・・ということで・・「それ以上のことは(全く)存在しない(存在し得ない)」
状況の中で、「起こったことが起こった」・・・ということです。
>>313 あっそ、まだ起きてたのかよ・・・
今年のキーワードは「想定外」かもな・・・
そんなことより、もうすぐ女子フィギアスケート(シングル)が始まるぞ・・・
>>307 「我」を否定したんじゃなくて、「我の存在性が確実」であることを否定したんだよ。
もう一度言うが、疑われた「私」と疑ってる「この私」が同じである保証はない。
それは「この私は私である」という論理に拠っている。
また、「全ては偽かもしれない」という疑いがあるからといって、
疑ってる主体としての「私」が存在するという保証もない。
それは「疑ってるのは何者かであらねばならない」という論理に拠っている。
全てを偽と仮定するならば、これらの論理も偽とせねばならないが、
「我思う故に我あり」ではこれらを真と仮定してしまっている。
以上より、「我思う故に我あり」は証明として間違っており、
「私が存在することは確実である」ことを結論づける事はできない。
・・・まぁ理解できんだろうなw
316 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 03:59:16
>>313 とうとう本格的に壊れちゃったみたいだね
しかしアレだな
機械君は『価値』とか、形而上学的な言葉が好きだなぁ
あんまりものごとを深く考えた事ないんだろね
>>315 うむ
全然、理解できんな
>疑われた「私」と疑ってる「この私」が同じである保証はない。
同じである保証の必要性がくずれると、そのものが無になる
という事の理屈がよくわからん
同じであろうが無かろうが、キミの発言そのものが
すでに「この私」の存在が、前提となっているわけだが?
まぁいいや
>以上より、「我思う故に我あり」は証明として間違っており、
>「私が存在することは確実である」ことを結論づける事はできない。
そもそも、証明するための論理ではない
そもそも、そこが勘違い
屁理屈こねたって、何をどう考えたって
考えている『我』は、絶対に否定できない
という事だよ
『証明性』を否定したってダメなんだよ
『我』を否定しなきゃね
>>316 >そもそも、証明するための論理ではない
>そもそも、そこが勘違い
ってかそれ俺が最初から(
>>52 )言ってることだろw
「私の存在性」なんて証明されてません、ってことでいいね?
319 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 06:25:48
>>317 ん?
キミは何かを大きく勘違いしているねぇ
『存在』とか『証明』という言葉の意味
わかってんの?
厳密に言えば
『存在』という言葉そのものが、未だ意味不明な言葉なんだよ
キミは、『存在』が存在する証明なんてできるのかい?
というか
キミは、何も認識していないのかな???w
そもそもの話
今、認識している全ては、疑う事ができる
しかし、認識している『我』そのものは疑いようもなく否定できない
という事なんだから
『我』まで否定したら
キミの思想に、いったい何が残るのか教えて欲しいw
あ、いや
「キミの思想」という言葉自体がおかしいか・・・
キミは、いないんだもんねw
しゃべっちゃイカンよ キミはいないんだから
考えてもイカンw
いないものが考えるのは、おかしいでしょ
いないもの というのは『無』だよ
『無』は考えないでしょ
『無』なんだから
320 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 06:43:18
『存在』という言葉そのものが、未だ意味不明な言葉なんだよ ということも疑うことが出来るんだよ
321 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 06:47:47
>>320 はぁ?
それじゃそもそも
日本語が、おかしいだろ
じゃぁ意味を、明確に答えてみりゃいいだけじゃんか
>>319 「存在」って言葉もここにきて意味不明にしてきたか。苦しいな、最高位。
んじゃなおさら「私の存在性」なんて意味不明だろーがw
「私の存在性」は証明されたどころか、意味不明ってことで。おつかれさん。
323 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 07:20:21
>>322 お疲れさん
キミは哲学には向いてないわ
言っておくけど
厳密な証明性なんて事を言い出したら
何にも、何一つ証明なんてできないんだけど
そんな事も知らなかったの?
てか、教えてあげても理解できないんだったら
やっぱキミは、哲学やめた方がいいわ
無理だ
一応、最後に教えてあげると
私の存在性 ってのは、証明する という話 というより
前提にする以外には、有りえない という話なんだよ
キミを排除して、キミが思考し、哲学を語る事など、理屈からいって
原理的にありえないだろw
どんなんなんだよマッタク
324 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 07:29:54
>最高位 わかってるな.
325 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 08:13:20
はぁ? それじゃそもそも 日本語が、おかしいだろ ということも疑うことが出来るんだよ
>>323 そうそう。やっと半分ぐらい理解してくれたね。
君は論理的に証明なんかできないことを「前提として」主張してただけなんだよ。
その態度は全く論理的じゃない。なんていうのかな?
みんな言ってたけど、それを「宗教的」って言うんだよ。
だってそうじゃん。
世界を創った神がいなければこの世界はありえません。
なぜこの世界が在るのか。これはどんな物質的な理由をあげても説明できません。
説明できますか??・・・できないでしょ。
よって神は疑い得ないのです。
これと何が違うんだろうね?w
327 :
メシア :2006/02/22(水) 08:35:28
>>289 おぉ機械君ちょっと気が付きそうなとこに居るねw
座標とは!?⇒大極陰陽の事じゃぁーないかな?
そう、初めに大極陰陽が想像された。
>>初めに、神は天地を創造された。<<
っちゅーこっちゃ。
人間的感性による『錯覚』に陥ってればこれに気が付かない。
そう、初めに座標があったんだよ・・・座標が無ければ『全ては成らない』。
もっと面白い事を教えてあげようか?
>初めに、言葉が在った。言葉は神と共に在った。言葉は神で在った。<
じゃぁこの言葉の前に何があった?
これを考えるだけで君は人間がその弱さ故に頼る、
人間が人間の為に用意した『秩序』という強迫観念から脱する事が出来るかもしれない。
知も相応に極まると人を傲慢にさせる。
そしてその知が、人に真理等と言わせる。
この、知による傲慢は人類の罪の中で相当重い。
全ての紛争は、初めに、『知の闘争』であったと言っても過言ではない。
それは、思想であり宗教であり、政であり経であり農であり武だ。
最初の原罪を知とした神の御言葉は誠に正しい。
その弱さ故に知(秩序)を手に入れ楽園を追放され、
無限の苦しみにもがく人類。
その答えは>>>>>>秩序の中には無い<<<<<
全人類は贖罪を果たさないといけない、>>これは、約束だ<<
328 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 08:58:19
>>326 >君は論理的に証明なんかできないことを「前提として」主張してただけなんだよ。
>その態度は全く論理的じゃない。なんていうのかな?
>みんな言ってたけど、それを「宗教的」って言うんだよ。
ところで
「君は」って、いったい誰に話しかけてるの?
みんなって、何?
宗教的???
キミは、前提にもできない対象に話しかけてるみたいなんだけど
それは宗教的ではないの?
最高位の言っていることは、要するに 「思考し、判断する(肯定し、否定する)ことができる存在は、宇宙で我だけである」 「だから、肯定したり否定したりしている以上、我の存在は当然の前提である」 ということに過ぎないんじゃあるマイカ。 言い換えると「自我がなければ考えられない」、という、当たり前のことw
>>328 自分の考えを主張してそれを人に押し付けて同意を求める。
最高位こそ宗教的。
331 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 09:20:12
328の続き 『対象』ごときを前提にしているキミが 『キミ自身』を否定し、前提にもしない思想を構築できているとは考えにくい てか できてないしw あのね 証明、証明なんて言ってると 独我論に陥っちゃうぞ? あ キミは、独我論をも越えて 『無我論』だなコリャ てか 全てが『無』なんだから 『無我』というのもおかしい ただの『無』だね 『論』も全て無いんだし なんも無くなっちゃうねw 哲学もクソも、な〜んも無い『無』だなコリャ
>>328 君ってのは「哲学者最高位」のことだよ。
名無しによく言われてるじゃん、最高位は宗教って。
「前提にもできない対象」に話し掛けてるわけじゃーないよ。
普段は普通に信じてる。でも論理的に思考するときは疑う。
だって根拠ないんだから。どこまで探したってないんだから。
「俺は根拠のないものを普段信じてる」ってことを明らかにすること。
これは宗教的態度とはむしろ逆じゃないですか。
一応確認しておくと、 「私の存在性は疑い得ない」を否定すると、 「私の存在性は疑いえる」になるだけだぞ。 「私なんて存在しない=無」ってことにはならん。 あと、構築された思想なんて俺持ってないすよ。 構築しては壊し、構築しては壊し。この繰り返しが哲学ですよ。 まぁ最近衰えてきてるけどさw 構築して満足したら信仰になっちゃうから、どんどん壊していかないと。
334 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 09:47:42
>>332 キミは『俺は』とか言うなよ
『俺は』と言った時点で、前提にしてるんだからさ
おかしいだろ
矛盾してるぞ?やってる事がさ
『俺は』とか言わず、自分の哲学を貫けよ
できないだろ?
いくら、へ理屈こねて、無理ヤリこじつけても
実際には
どうやったって『我』を否定する事などできないのさ
哲学の、一番最初の、根本の前提なんだよ
>>333 しかしアホだな
疑いえる って?
そりゃ疑いえるよw
根拠無く疑えば済む話
しかし、疑っても疑っても、否定できる根拠すら有りえない
という事だ
疑っても疑っても、疑っているんだからこそ
否定できる糸口すらありえない という事だよ
ホント、バカじゃないのかね
>>334 だから貫くような信仰を持ってないんだって。
まぁ確かに君は「我は疑い得ない」って信仰を貫いてるけどさ。
んで、否定するには「肯定する根拠がないこと」を言えばいいのであって、
「否定する根拠」なんか持ってこなくていいんだよ。
だって「存在を否定する根拠」なんかありえないんだから。
君だって「神の存在を否定する根拠」なんか出せないでしょ。
「Xの存在を否定する根拠」とは、何か?
饅頭怖い。
>>336 見たことのある人がいない、とかでしょ。
339 :
248 :2006/02/22(水) 10:49:41
>>303 アタマが整理されていないのは認めるが、あなたの誤解(曲解?)にも触れて
おきたい。
だれも『私の存在』まで否定する人間は、このスレにはいない。『私』の
あり方を議論しているだけである。私が否定しているのは、あなたの言う
“純粋な存在性としての私”である。それを基底とした主観、主体がまず
前提として存在し、それが事物(あなたの言葉を借りれば外界)に関わると
いう図である。それは、わかりやすく整理された虚偽である。
個体としての“私”は初めから事物(人間も含む)との関係のなかに投げ出
されている。私(人間)は、いわば事物と関係し合う『場』である。そこに
は、人間や事物に侵入された“関係意識”としての私しか存在しない。
純粋な私という存在性・主観・主体が事物と関係するのではない。事物と
関係づけられた夾雑物(の私)が“関係の場”として存在しているだけである。
断っておくが、いまこうして語っているのは最高位のいう純粋な私と直通
した“主観”“主体”なるものではなく、関係意識・夾雑物としての私で
あり、語っているというよりも「語らされている」と言ったほうがいいか
もしれぬ。
>>338 疑うのは勝手だが議論であればお前が否定する根拠を出せばいい話だろ?
「神の存在を否定する根拠」がどうかしたのか?神の存在をお前が証明
してから言えっての。お前は只の糞懐疑主義者だ。お前には、何の前提
も何の論理もない。
340は335宛
342 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 11:20:46
ついでに
>「私の存在性は疑い得ない」を否定すると、
>「私の存在性は疑いえる」になるだけだぞ。
>「私なんて存在しない=無」ってことにはならん。
「私なんて存在しない=無」って事になっても矛盾しない事は説明できなきゃダメだろ
そういう考え方も、ありうる できる 可能だ という事を説明できなきゃ意味がない
>>335 キミは「我」を否定もできず
しかも前提に論じてるくせに、なぜか偉そうだな
>んで、否定するには「肯定する根拠がないこと」を言えばいいのであって、
>「否定する根拠」なんか持ってこなくていいんだよ。
ん?我思う故に我あり だぞ?
根拠は、我思う だろ
これが根拠にならない という理屈を持ってこなけりゃ否定した事にならないだろ
>>339 キミのように『自我』が無い
または『自我』を自覚できない人とは、話が通じないと思います
『関係』というのは『関係する』という事であって
では何が関係するのか と言えば
『私』と『他』、『他』と『他』です
そして『他』と『他』との関係からは、『私』が発生する根拠がありません
343 :
248 :2006/02/22(水) 11:29:22
>>探求氏
そもそも、あなたが“主体”のごとき一貫したイメージを与える言葉を使う
から、最高位をつけあがらせるのです。最初から“差異としての私”
>>306 と表現すべきでした。
このスレにきて、いまだに主観とか主体などという言葉が踊っているのには、
驚かされました。それらの言葉は大切ではあるでしょうが、哲学的には、と
っくに“始末”されているものと思っていました。(他スレからの訪問者)
344 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 11:36:53
>>343 アハハ
差異だけでは、私にならないんですよ
ところで、差異としての私 って
何の差異ですか?
>>340 何言ってんだ?最高位が証明もしてないものを否定してみろって言うから
俺も証明してないものを出して否定してみろって言ったんだよ。
まぁね、「Xの存在を否定してみろ」って言い出したらもう終わりなんですよ。
これ、悪魔の証明っていう有名な詭弁。
「私の存在性が疑い得ない」が、証明の対象じゃないって認めた時点で最高位は詰んでる。
それって前提・定義・信念、そうした類のものじゃん。
>>46 で既に指摘してるけど、唯物論の「物理的記述ができないものは存在しない」も
そうした前提・定義・信念を含んでるんだよね。
何か反論されても、
「そう疑ってるオマエは疑えないじゃん」
「記述ができないのは、それが存在ではないからだ」
「それもまた神の意思の一部なのだ」
という感じで、いつまでも言い逃れを続けられる構造を持っている。
証明の対象にならないような命題=定義を否定することなんてできないんですよ。
はい、詰み。
>>342 >そして『他』と『他』との関係からは、『私』が発生する根拠がありません
しかし、「私」が「発生」したものならば、
「他と他との関係」以外からは「発生」のしようがないと思うが。
それとも、「私」は発生したものではなく、宇宙の初めからずっと存在しているのか?
「Xの存在を証明せよ」が実は悪魔の証明ということもあります。 →例:自分に所有権があることの証明。
悪魔の証明は厳密な証明についてはそう言えるが、 「お隣には犬がいない。なぜなら飼ってる形跡が無いからだ」 という発言は合理的な推理だろう。普段はこのレベルの推理で 満足されるが、哲学では通用しない。言い換えれば、哲学で いうところの厳密さは普段は通用しない。
>>348 所有権があることの証明はできなくもないでしょ。
もともと所有権ってのは「確実にある」とされてるものじゃないから、
対抗要件を兼ね備えている者が所有権者であると推定されるとか
そういう規定がちゃんとあるし、それによって立証責任も細かく決められてる。
まぁ今の例と照らし合わせて言うと、
「私の存在性」を確実に確かめる方法はないが、「〜〜という状態ならば、私が存在しない
証拠がない限りは、私が存在すると推定する」というルールがあるならいいよ。
けど最高位はそんなルール提示してないからな。
むしろ引用元のデカルトが「全てを偽と仮定する」って逆のこと言ってる。
>>346 馬鹿だなお前。疑い得ない命題を前提にしようとしてるんだろ?
公理って言葉を知ってるか?デカルトは何で「神の存在証明」をしようとしたんだ?
352 :
248 :2006/02/22(水) 12:30:31
>>342 「私」が「他」に関係するというのは短絡です。「他」が「私」に関係して
いるともいえる。関係とは常に相互的である、というのは常識。
あなたの言う“自我”なるものが現れるのは、物心がついたとき。事物(主
として育ての人間)との関係がある段階に達したときの“関係意識”による
関係の自覚をそう呼んでいるだけです。物心ついた、つまり自我に目覚めた
ときには、純粋な存在性としての私など、どこにもないはずです。以後も同
様である。ただ関係意識が変化するだけである。“差異としての私”とは、
そういう意味である。
仮に、最高位のいう純粋な私という存在性が存在しているとしても、純粋な
るものをいじくりまわしても何も出てこないですよ。
353 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 12:51:51
で、「思う」ってなに?
355 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 13:18:49
>>346 キミはホントに理解力が低いな
>「私の存在性が疑い得ない」が、証明の対象じゃないって認めた時点で最高位は詰んでる。
>>323 に書いただろ?
私の存在性 ってのは、証明する という話 というより
前提にする以外には、有りえない という話なんだよ
とね
何回説明させるんだよマッタク
前提にする以外に、何か提案があれば代案を出してくれれば検討するんだよ
証明できないから詰んでる ってアホかw
>証明の対象にならないような命題=定義を否定することなんてできないんですよ。
>はい、詰み。
言ってる事の意味がよくわからんのだけどさ
キミが『我』の存在を否定できる と言ったんじゃないのか?
「疑える」では、「疑う」という事の
キミの国語的な解釈が浅かった という事で
実に単純に決着が着く事になるんだがね
ちょっと聞きたいのだが
キミは証明しろ証明しろと言うけれど
それではまず、何か一つでも存在が証明できるものを挙げてもらえないか?
>>347 かもね
>>349 厳密に純粋な証明性なんてものは、ありえないんだよ
だから、さまざまな角度から考察を加えて信頼性、精度を高める
矛盾なく推論を重ねて分析し、世界の正体を可能な限り突き詰めて探求するのが哲学
>>351 おお、まともな人が来たな。
俺が
>>346 で言ってるのは、「私の存在性は疑い得ない」が最高位公理系の
中心的な公理=信念だってことだよ。
デカルトが神の存在証明をしたのは、その公理の自明性を基礎づけるものが
神の存在以外になかったから。
ところが最高位は自分の公理を基礎付けるものが神=信念以外にないことに気付いてない。
言い換えれば、正しい/間違ってるを論じられるレベルではなく、信じる/信じないという
レベルであることに気付いていない。
で、自分の公理系で唯物論という公理系を「論理的に」破壊できたと考えているわけだ。
そんなことできるなら、唯物論だって「論理的に」最高位公理系を同時に破壊できるはずだろ。
実際にはどっちもできない、が正解。
357 :
メシア :2006/02/22(水) 13:31:49
>>318 オマエは本当の事を言い過ぎるぞw
ちょっとは場の雰囲気を掴めw
まぁそれもありだけどなw
マクロ的エントロピー増大に籠もれるエントロピー減少を見るしかないよなw
その一端を担っているのは人とも云える。
これを、万人が理解出来るように(万人救済)、聖書では次ぎのように表現しています。
>生めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。<
まぁこんなとこで、3千年前に決着が付いてる事だ。
これを思えば!!!(謎なテンション)
次ぎのように成る!!!!!!(キレ気味)w
今日も一日頑張ろうーーー!(自分)
オーーーーーー!!!(自分)
父と子と聖霊の御名によりて
アーメン
358 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/22(水) 13:39:47
>>356 あー面倒くさい
信じる/信じない というレベルでもいいんだよ
いずれにせよ
信じたり、信じてなかったりしてる『我』が、否定できないんだよ
何をどうやったって否定できる理屈がないんだよ
今日はココまでね
>>358 そのコメント自体宗教だね
哲学じゃない。
>>358 そりゃ、「信じる」「否定する」ことができる主体が「我」以外に
存在しない(発見されていない)んだから、当たり前ですよ。
私の「我」があなたの「我」を否定することなんか、朝飯前です。
というより、あなたに「我」が存在するかどうかなど、わかりゃしません。
361 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 14:01:37
彼思うゆえに彼あり 猿思うゆえに猿あり 脳思うゆえに脳あり
私はあるからあるんだよ!って言ってるだけじゃん
363 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 14:29:37
最高位の戦法は将棋にたとえると、原始中飛車、もしくは 鬼殺し。初心者には猛威を発揮します。みなさん、彼の原 始的な戦法を持て余している格好ですね。
ようは、数学で1+1=2を否定できる要素はない!っていうようなものってことでしょ? 前提からはじまってシステム内部で完結してる話を そのまま別のシステムにあてはめて唯物論とったどー!って言ってるってことでしょ?
366 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 15:54:47
わはははははははははははははははっはははあっはは !!
367 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 16:06:39
>>365 単純なものは清すがしくみえるもの。「あそこまで逝く」
ということは、最高位はもう死んでいる?
368 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 16:38:46
日テレの『踊る!さんま御殿』で一言体験談を募集してるぞ。 テーマは「どうしても理解を得られない私の哲学」。 おまえらどうですか?
>>367 生きるも死ぬも参加者が決めるのさ。最高位と参加者との
議論があれば生きている。何もなければ死んでいる。
数学を否定する事は簡単。 この世の中数学ではわからないことだらけ。
スレタイの意味がわからん。 脳は物質。脳は意識。はわかるが、 物質だから必然。って何言ってるんだ。 物質は必然。とは言い切れないなだろう。 言い切れないものを言い切っているところにこのスレの無理がある 何言ってるんだ?
>>1 の本文は機械の作文だけど、タイトルは本人じゃなくて誰か別の人がつけたんじゃなかったかな?
373 :
素人 :2006/02/22(水) 17:31:07
とりあえず、ネタフリをひとつw 173 考える名無しさん 2006/02/20(月) 21:21:48 「動き」は物質じゃない。 「愛」は物質じゃない。 「国家」は物質じゃない。 「小泉劇場」は物質じゃない。 「いじめ」は物質じゃない。 「トリノオリンピック」は物質じゃない。 ・ ・ ・ 「私」「我」は物質じゃない。
「脳は物質」だから「意識は必然」にすぎない
構造は物質ではないよな。物質が無ければ構造は無いが。 ひよことすり潰したひよこ、物質的には同じ(とも言い切れないが、とりあえず同じとしておく)だ。 構造が違うだけ。構造は存在するのか。
>>350 推定や立証責任と言う考え方があるということは、そこに悪魔の
証明ないしそれに近いものが含まれていると言うことです。
例えば、「所有権があることの証明」は「所有権の取得原因が無効では
ないこと」の証明を(厳密にやるならば)含みますね。しかし、それは
「無効であること」を主張する者に立証責任が負わされます。
(ちなみに、日本法では対抗要件は所有権の存在を推定させません。)
>>356 >デカルトが神の存在証明をしたのは、その公理の自明性を基礎づけるものが
>神の存在以外になかったから。
それはデカルトの著作の何ページに書いてありますか?
ゾルレンも言ってたが、「全てを同時には疑えない」ってやつだな。 「私の存在性」を疑う時には構造や関係が所与の前提とされてしまってるし、 「構造や関係」を疑う時には構造を見出す主体の存在性が前提されてしまう。 ゆえに、「私の存在性」から「関係」を基礎付けることもできなければ、 「関係」から「私の存在性」を基礎づけることもできない、と言わねばならない。 「存在」を持ち出すにしろ「関係」を持ち出すにしろ、どちらかを絶対化しないこと。 「存在」にしろ「関係」にしろ、万人に共通するような根拠を持つと考えないこと。 「この私の存在が疑い得ない」を「私の存在が疑い得ない」と拡張することで、 無名の存在としての「私」がそこに在るモノを認識することになってしまうし、 「関係や構造は決定的である」と考えれば、決定されている構造を見出せる 無名の主観がどこかに在る、ということになってしまう。 このスレには前者の最高位、後者の機械がいるのでとても分かりやすい。 どちらも「神(一般者=無名の私)」の表象に容易に結びつく考え方である。
379 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 20:29:31
脳は物質なのか?物質は必然なのか? これらはまだ未解決問題だよw
>>377 推定や立証責任というルールを守るからこそ、悪魔の証明は避けられるとも言えるね。
確かに形式だけから、悪魔の証明か否かは判断できないな。
デカルト自身が「全てのものをいったん偽と仮定する=立証責任は自分にある」と
してるんだから、最高位もデカルト引用するなら守ってもらいたいものですな。
方法序説の何ページかはちょっとわからんが、こういうくだりあるよ。
>さきに私が規則として定めたこと、すなわちわれわれがきわめて明晰に判明に
>理解するところのものは全て真であるということすらも、神があり現存すると
>いうこと、神が完全な存在者であること、および、われわれのうちにある
>すべては神に由来していること、のゆえにのみ、確実なのである。
「物質は必然なのか?」 じゃないだろ?どう読めばそうなるんだ? あんたにも分かるように言い換えてやるよ。 「脳が物質」であれば「意識は必然」
382 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 20:39:29
「意識は必然」の意味は「物質には必然しか起こらない」ってことだろ 機械はどうしてもそこに持っていきたいわけよ
>>380 しかし、それは違うのではないですか。
デカルトの公理はあくまでも、「私は疑い得ない」であって、これを
神の存在によって基礎付けるわけではないと思います(基礎付け
られるのはあくまでも「私が明晰判明に理解することは真」である
です)。
そもそも、公理とはそれ以上基礎付ける必要がないものではない
でしょうか(ちなみに、このスレで何度か出ている1+1=2は既に証明が
あるので公理でも定義でもありませんが)。
>>383 ん、そっかぁ?
「さきに私が規則として定めたこと」すなわち「われわれが明晰判明に理解できること」
(=『我思う故に我あり』という公理)の真理性が、神のみに依拠する
普通に読んだらこうなると思うけど。
>公理とはそれ以上基礎付ける必要がないもの
基礎付けてたらキリがないから、もう疑わないことにするっていう決断じゃないの?
実際はそうするしかないけど、デカルトは公理で終わらなかったよね。
神の存在証明してるんだし。
386 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 21:01:53
ゾルはハッキリもの言えないヘタレだからなぁ・・
>>384 今、手元にデカルトの著作が無いことに気付いたのですが(明日にでも
買って来ます)。
>次のように気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、
>そう考えているこのわたし自身は必然的に何ものかでなければならない、と。
>そして、「わたしは考える,ゆえにわたしは存在する」というこの真理は、懐疑論者
>たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、
>この真理を求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。
>わたしは,わたしが疑っていること,したがってわたしの存在はまったく完全ではないこと…
>に反省を加え,自分よりも完全である何かを考えることをわたしはいったいどこから学んだのか
>を探求しようと思った.そしてそれは現実にわたしより完全なある本性から学んだにちがいない,
>と明証的に知った.…それを無から得るのは明らかに不可能だし,またわたし自身から得ること
>もできなかった.完全性の高いものが,完全性の低いものの帰結でありそれに依存するというのは,
>無から何かが生じるのに劣らず矛盾しているからだ。
>神があり,存在すること,神が完全な存在者であること,われわれのうちにあるすべては神に由来すること.
>その結果として,われわれの観念や概念は,明晰かつ判明であるすべてにおいて,実在であり,神に由来
>するものであり,その点において,真でしかありえないことになる。
この順番だと、 「我思う。ゆえに我あり」 ↓ 我の中にある完全性の概念の由来は? ↓ それは外部すなわち神から与えられたとしか考えられない。 ↓ 諸概念は神によって担保される。 であって、「我思う、ゆえに我あり」は神の存在証明の先だと思います。 >基礎付けてたらキリがないから、もう疑わないことにするっていう決断じゃないの? >実際はそうするしかないけど、デカルトは公理で終わらなかったよね。 ですから、神の存在は公理ではないと思います。 そもそも、数学でもないのに公理という概念を持ち込んでいいのでしょうか? (ところで、基礎付けはほんとに無限に行えるのか?)
>>387 キリスト教スレに書き込んでも違和感ないくらいの信仰告白だなw
390 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 21:19:34
脳が物質かどうかも分かっていないのに。物質が必然かどうかも分かっていないのに。 意識が必然って・・・。話が飛びすぎw
>>388 それは基礎付けを遡ってる順番じゃねーか?
叙述の順番は「我思うゆえに我あり」のが先だけど、
どっちが基礎かって言ったら神だと読めるけどなぁ。
「我思う故に我あり」はきっとみんなに第一原理として受け入れられるぞ!
↓
けど、なんで俺ってそもそも疑ったのかな(「我思う」)
↓
俺が不完全だからだろうな、ってことは完全なやつがどっかにいるってことじゃん
↓
完全なやつのおかげで俺は疑えるし、それ故に「我あり」も言えるってことだな!
神の存在は公理じゃないね。公理の真理性を保証するものだ。
まぁ公理って言葉出てきたのは、誰かが言い出したからなんだがw
公理の基礎付け=公理Aの無矛盾性・完全性の証明は、それに一個なんか規則を足した
公理A´によって行うことができる、みたいなこと習った覚えあるけど、ちと記憶曖昧
脳は物質だが、意識が物質かどうかは分からないだけ
393 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 21:31:03
394 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 21:32:28
なんで神とか言い出すんだよ、この馬鹿どもはw
>>391 でも、神の存在証明に使われてる「完全性の概念」は「我」の中に
あるわけですから、「我」を疑い得ないものとしとかないと完全性に
ついて語れないと思います。
>公理の基礎付け=公理Aの無矛盾性・完全性の証明は、それに一個なんか規則を足した
>公理A´によって行うことができる、みたいなこと習った覚えあるけど、ちと記憶曖昧
あー、確かそれありましたね。では
>>384 は撤回します。
いやいや。公理は基礎付けれらないことにするわけだから
>>384 でいいんだよ。
探求者が言ってるのは導入した諸命題が公理としての条件を満たしてるかどうかでしょう。
397 :
396 :2006/02/22(水) 21:38:52
疑問なんだが、384を撤回するっていうのは384に対する批判を 撤回するという意味でいいんだよな?
こういう決定論は誰もが思いつくことなんだけど、 物理学と違って、哲学の人は分かりもしないことを言い切ってしまうから・・・
400 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 21:44:46
わからないまま おわる そんなのは イヤだ!
401 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 21:46:05
私は神です。意識は物質です。あなた達は私の作った機械です。
>>395 >…それを無から得るのは明らかに不可能だし,またわたし自身から得ること
>もできなかった.
って言ってるから、「完全性すら我の中にある」という読みはどうかと思うんだが。
公理系Aの無矛盾性・完全性を判定するには、Aに公理を足した別の公理系A´を持って
こなくちゃいけない。で、公理系A´を判定するには、さらに足した公理系A´´が必要。
って言う風にずっとやってれば、そのうち「全てを公理として含むような公理系」が
想定されるな。これが「完全なる神」ってやつの正体かね。
公理のウィキペディア面白いね、復習になるわ。
>>402 「完全性」ではなく「完全性の概念」です。
デカルトの問いは、
私は完全ではないのになんで「完全性の概念」を知っているのか???
というものではないでしょうか。いずれにせよ「私」を先に担保しておかないと
この説明には移れないと思うのですが。
>>403 デカルトは、不完全な自分が「完全性という概念」を思考できるのはなぜか? と問う。
その答えが、「わたし自身からも得られなかった」だよね。
>>387 読むと。
「そう疑ってる我は疑えない」は確かに無限に言い続けられるんだが、
デカルト自身はそういうことはしてないだろう。
「そう疑ってる我は疑えない」で完全性の問題がカタつくのなら、
神の存在証明なんてする必要なかったんじゃないかな。蛇足になっちゃうよ。
>>404 >「そう疑ってる我は疑えない」で完全性の問題がカタつくのなら、
そんなことは言っていません。
考えている私は疑い得ない。
↓
ところで私は「完全性」を備えていないが「完全性」について考えることができる。
↓
では「完全性」という概念をどこから学んだのか?
↓
私の中には「完全性」は無いのだから他から学んだに違いない。
↓
だとすると私の他に「完全性を備えた何か」=「神」が存在するはずだ。
↓
ゆえに神は存在する。
まあ、デカルトの論証は不完全で混乱しているようにも思うが。
探求者の解釈の場合、 我思うゆえに我あり。 ↓ 我完全を思う。 ↓ 完全は神によって与えられた。 ↓ 「我思うゆえに我あり」は神よって保証される。 になるけど、これは循環論法なんじゃないかな?
別にデカルトが循環論法を犯していると考えてもいいんじゃね?
>>404 まぁそうとも読めるんだけど、その読みだと神の存在証明はあってもなくても
いいことになるじゃんか。「ところで」以下が完全に蛇足だ。
神についての話なんかない方がすっきりするし、説得力もあるだろう。
ここはやはり「わたし自身から得ることもできなかった」の意を汲み取って
「我あり」←「我思う」←「神あり」という基礎付けの遡行と読むべきでしょう。
これなら、わざわざ神の存在証明を「第一原理発見」の直後に書いた理由も分かる。
>>407 うん、俺はデカルトのあれは循環論法だと思ってる。
だから最初から「我思う故に我あり」は証明じゃないって言ってるわけで。
>>409 いえ、逆でも神の論証は蛇足ではありません。
「我思うゆえに我あり」は「我」の存在しか言っていません。
この「我」が真理に辿り着けるという保証どこにも無いのです。
「我」の内部にあるのは全て誤った観念かもしれません。
しかし、デカルトは真理に辿り着けると答えることができます。
なぜなら、
>神があり,存在すること,神が完全な存在者であること,われわれのうちにあるすべては神に由来すること.
>その結果として,われわれの観念や概念は,明晰かつ判明であるすべてにおいて,実在であり,神に由来
>するものであり,その点において,真でしかありえないことになる。
からです。
412 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 23:02:02
>>405 >では「完全性」という概念をどこから学んだのか?
馬っ鹿じゃね〜のw
完全性という概念は「不完全性」から学んだに決まってんじゃん
単に、「足りないものがある(不完全)」なら「足りてる(完全)」もあるはず
という推測概念に過ぎないだろ
探求者と一言の解釈上の差異はなんか違いをもたらすのか? (´・ω・`)ゼンゼンワカラソ
>>413 探求者のデカルト解釈の場合、最高位の「この私」は神によって保証されねばならないが、
一言の場合、そうはならない。
>>411 なるほどねー。一言の解釈ははっきり分かったけど、納得はいかんな。
>さきに私が規則として定めたこと、すなわちわれわれがきわめて明晰に判明に
>理解するところのものは全て真であるということすらも、神があり現存すると
>いうこと(略)のゆえにのみ、確実なのである。
「さきに私が規則として定めたこと」ってのは例の第一原理なんで、
「われわれがきわめて明晰判明に理解すること」=「第一原理」の真理性が
神のみに依拠する、って言ってないか?
「すなわち」以前を読み飛ばしたら一言の解釈もありなんだろうけどさ。
416 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 23:06:14
前スレ888さんは、滅多に2ch見ないのかな・・・ 少なくとも週末までは来ないのかな?
>>415 どこで文章切ってますか?
私は、
さきに私が規則として定めたこと
=すなわちわれわれがきわめて明晰に判明に理解するところのものは全て真であるということ、
で切るのですが。
あなたの場合、
さきに私が規則として定めたこと
=すなわちわれわれがきわめて明晰に判明に理解するところのもの
=我思うゆえに我あり、
は全て真であるということ
で切ってますか?
418 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/22(水) 23:11:59
>>411 それは「トートロジー(『永遠自己言及』という無駄な発語)にすぎない」のではありませんか?
要するに・・「神」とは「下記@」として定義する・・
@存在すること&完全な存在者&われわれのうちにあるすべて&観念や概念&実在
&真でしかありえないこと
・・と定義すれば、「定義行為」が「神」(という「観念」)を「作成する」ので、
その「作成後」に、『「神」とは何か?』というQに対しての「一番正確なA」は、
「@を反復すること」・・ということに(当然)なるだけのことです。
所詮「観念論の実像」・・は、「その程度のレトリック」にすぎません。
>>414 おまい、よく読んでるなー。確かにそういうことになる
まぁ「神の存在のみによって保証される」を、神を信じてない奴が言うなら
「保証するものはなにもない」ってことだわな。
抹香臭い話と思って敬遠する必要は別にないです
> 「定義行為」が「神」(という「観念」)を「作成する」 てのは、興味深いなw
421 :
413 :2006/02/22(水) 23:16:49
>>414 なるほど。サンクス。
ただ、一言の解釈でも、最高位が「この私」以外の真理を認めようとしたら神様に
保証してもらわないといけないのではなかろうか???
>>417 いや、俺の切り方も一言と一緒。
さきにわたしが規則として定めたこと
=「我思う故に我あり」が真である、疑い得ないという規則(第一原理)
=われわれがきわめて明晰に判明に理解するところのものは全て真であるということ
こう読んでるよ。
>>422 =「我思う故に我あり」が真である、疑い得ないという規則(第一原理)
=われわれがきわめて明晰に判明に理解するところのものは全て真であるということ
上段と下段がイコールなのが疑問です。
例えば、数学なんかも明晰判明で真だとされるのではないですか?
でもそれは第一原理ではないと思います。
私の読みは、
さきに私が規則として定めたこと
=われわれがきわめて明晰に判明に理解するところのものは全て真であるという「規則」、
≠第一原理
です。
>>421 まぁ最高位は「この私の存在性は確実」以上のことは言ってないからな。
キミの存在性は確実じゃないの?いや推測なんだけど みたいなことよく言ってた
ttp://www8.plala.or.jp/StudiaPatristica/philosophia19.htm >デカルトは、この考える実体としての私の存在は、絶対に確実であり「明晰判明に」知られるから、
>これと同程度に私が明晰判明に認識するものは確実に存在するという真理の規準を打ち立てた。
>簡単に言えば、私の存在と同程度に「明晰判明に」知ることのできるものは、絶対に存在するのである。
これが「規則」のことではないでしょうか?
>デカルトによれば、我々は、神の完全性について明晰判明な知識を持っており、
>神の完全性を疑うことは絶対にできない。もしも神が不完全であれば、神は神でなくなる。
>ところでこの神の完全性の概念には「存在する」という観念も含まれている。
>もしもこの完全性の概念に「存在する」ということが含まれていなければ、神は不完全ということになろう。
>それゆえ神は確かに存在する。
>デカルトによると、「神の完全性」の観念には、「神の誠実さ」の観念も含まれる。
>したがって、万物の創造主である神は、我々「理性」が、間違いを犯すように創造したはずがない。
>神の誠実さを信用すれば、我々は、神によって与えられた「理性」を正しく使用する限り、間違えることはない。
426 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/22(水) 23:32:14
>>422 >=われわれがきわめて明晰に判明に理解するところのものは全て真であるということ
「は」以前は「感覚的クオリア」のことですから、それが「全て真」という言説は「間違い」です。
・・・『「全て」は真ではない』(「一部真である」可能性はあっても)・・というのが、
(「存在」と「認識」に関する)「正しい言説」・・ということになります。
427 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/22(水) 23:36:45
>>425 >神の完全性を疑うことは絶対にできない。もしも神が不完全であれば、神は神でなくなる。
ある意味で「神=完全」(要するに「言い替え」)という「定義」を前提とすれば「当然すぎる帰結」です。
・・・観念論の「論理」とは、要するに「そういうこと」です。
・・・(唯物論的)「実在性」・・・を「存在の根拠」にしない・・為に「自由に観念をでっち上げる」こと
・・・ができるからです。
428 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 23:37:31
>>426 もうクオリアはいいよ・・(^^;
分類の為のラベルが増えただけで、
しかも貼る場所も決まってない!ときたもんだw
429 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/02/22(水) 23:51:13
>>428 そのラベルが貼らないうちに、どっか行っちゃったと思ったら、
靴下の裏かなんかに貼り付いてたりするんだな。
430 :
考える名無しさん :2006/02/22(水) 23:54:33
>>423 >>425 リンク先読ませてもらったよ。これはこれで一貫した読解だね。
まぁまたデカルト読み返してみないといかんなーw
お礼にレヴィナスの読解を引用しておこう。
>事実デカルトのコギトは、第三省察の最後で、無限なる神の存在性に依拠したもの
>として提出される。そして、この神との関係において、コギトの有限性あるいは
>懐疑がたてられ、認識されるのである。現代の哲学者たちは無限に依拠することなく、
>たとえば主体が死ぬということにもとづいてコギトの有限性を定義しているが、
>デカルトにおけるコギトの有限性はこのような仕方では定義されえない。
>デカルトの主体が自己を把持しうるのは自分自身にとって外的な視点を設定し、
>この視点に立脚することによってである。(『全体性と無限』)
432 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/23(木) 00:02:18
「クオリア」という概念は観念論者さん達に人気がないようです。 「大脳生理学」が彼らに人気がないのと・・同じ理由・・なのでしょうか? 観念論者さん達に「共通する恐怖」は、『「自分の絶対性」が「相対化」されてしまう』 ・・事だと思われます。・・・しかし「大脳生理学」「理論物理学」がここまで発達して (しまった?)現代において、なおかつ「自然科学の成果に目をつむる」のは、 「非常に難しい」ことに目覚めて欲しいものです。 ・・・いまや「それでも地球は動いている」・・と語った「ガリレオ」の方が「勝ち組」 ・・だという「真理」について、是非「心眼」を見開いて欲しいものです。
>>431 続き
>たとえ第一の行程においてデカルトが自分では自分を疑いえない自己意識を
>抱くとしても、第二の行程、つまり反省についての反省では、彼はこの確信を
>支える諸条件に思い至る。この確信は、コギトが明晰かつ判明であることに
>由来する。・・・が、この確信それ自体が探求されるのは有限なる思考のうちに
>無限が現存するためであり、無限のこうした現存を欠くと、有限なる思考は
>自らの有限性に気づかなくなってしまうのである。(同上)
434 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/23(木) 00:09:24
>>433 ルネ・デカルトという「観念論者」の言説を信奉されている事は理解できます。
しかし「科学」や「真理」の観点から見ると、それらの言説は「宗教(観念論)的迷妄」
の「バリエーション」にしか見えない・・・ということです。
ちなみに「ルネ・デカルト」さんは「江戸時代の方」でしたよね?
435 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 00:12:42
十返舎一九かよw
436 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/23(木) 00:13:53
437 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 00:14:16
「デカルトによれば」←これ何の根拠にもならないだろw
438 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 00:16:23
デカルト(Descartes,Rene). 国籍. フランス. 生没年. 1596年〜1650年
439 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/23(木) 00:22:12
>>438 「戦国時代〜江戸時代(初期)」・・・ということですね。
>>434 デカルトについて語ってるから信奉してるとか、表面的な理解はやめてくださいよ。
俺は「私の存在性が確実」ではないことを示そうとしてたわけ。
確実だと言える根拠を最高位に聞いたら、「我思うゆえに我あり」だという。
だから俺は「デカルトのアレは証明じゃない。信念なんだから確実じゃないだろ」と言った。
むしろ、デカルトの論理を攻撃してるんですががが。
その途中で言った俺のデカルト解釈に突っ込まれたから、今こんな話になってるだけで。
>>440 レヴィナスは難しいですね。
ラッセルみたいに、「思われる。ゆえにそれ有り」の方が簡単に
懐疑できるような気がします。
442 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 00:39:40
探求者と一言のコギトをめぐる長々とした会話を、だれか要約 してくれ。それが、どういう意義があるのかも。 一方、機械は彼の観点からご本尊のデカルトの言説さえ観念的 迷妄と切り捨てている。いわんや、探求や一言の発言など機会 からみれば、クズ以下に違いない。こうなれば、コギトをめぐ って両者で徹底的にやりあってくれ。
443 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/23(木) 00:44:15
>>440 諒解しました。
あなたは「デカルトの信奉者ではない」
・・・ということですね?
『戦国時代の「思想家」』など・・殆ど「戦国自衛隊の『竹中半平衛』」
と「同様」・・・ということになりますね?
・・・なにしろ「関ヶ原以前」の『軍学者』の問題ですので・・・
探求者の主張 「我思う。故に、我在り」は神の存在によってのみ保証される。 したがって、「この私」の存在は確実ではない。 レヴィナスのデカルト解釈が基本にある。 一言の主張 「我思う。故に、我在り」よりも「疑い在り」の方が確実である。 そして、「疑い在り」から「我在り」は出てこない。 したがって、「この私」の存在は確実ではない。 ラッセルのデカルト批判が基本にある。 両者の批判は最高位の「この私」の自明性に向けられている。
445 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 00:50:16
だからぁ〜〜〜〜〜、「私」ってなに?
447 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 00:56:07
そうか? 私=世界って哲学の世界だと結構見かけるが。 ウィトゲンシュタインなんかモロそうだしね。
>>443 まぁ古いからショボイ、新しいからスゴイってもんでもないよw
古いものはそれなりに批判もされてるが、中には今でも通用する部分もある。
そういう部分は新しいものよりスゴイかもしんない。
哲学でも科学でもこれは一緒だと思うけどね
450 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 01:13:32
>>448 「ウィトゲンシュタイン」が根拠にゃならないつってんだろがw
451 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 01:21:51
根拠になるのは、それが誰の言であるかではなく その「理」以外になのよ、それを示せつってんの。 「私」が何かを、論理、理性、合理、科学、物理、数学・・ なんでもいいが、筋道の通った説明をして明らかにしてみろよ
452 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 01:24:52
質感のレベルにおいて「我」と「他」を分け隔てる境界線についてはどうだろうか?
444さん偉い!あなたのおかげでよく分かりました。
>>381 それは「「物質」であれば「必然」」ってことじゃないの?
意味わからん。何が必然なんだ?
何を論じ何を言いたいのかわからんが、心は脳だけか?
455 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 03:50:09
あのね キミらが『私』などいない というから 「我思う故に我あり」を否定してみなさい と言っただけであってね デカルト哲学の全体を考える必要なんてないんだよ 我思う=根拠 我あり=結論 なんだから 神の存在証明 なんて、ここでは関係がない 私は、私を否定する事は、不可能である という事だよ 人間の哲学として、私の哲学として 『私』を否定する事は、論理的には絶対に不可能 だという事 できるというなら 「我思う、しかし我なし」という極めて不自然な主張を 合理的に説明しなきゃならんでしょう 話を逸らしてばかりいないで 「我思う、しかし我なし」とは、いかなる状態であるのか説明してもらいたし
相手の理論を打ち破るときは 「推論を構成する各段階の妥当性をつき」、「推論全体の論理的不整合性をつけろ」 その1、認識操作 事実認識が違うから答えられないとつっぱねる。 その2、争点操作 質問の意味を勝手にすりかえて長々と答え、聞く相手があきれ疲労退屈し、再度質問する意欲を失わせる。 その3、前提操作 その質問の前に前提として○○の事実や理論を勉強してからにしろと突き放す。 その4、次元操作 「あなたは現在(一部、現象、たてまえ)のみを問題にしている。私は将来(全体、本質、本音)を問題にしているのだ」といい、次元の違う質問には答えられぬ、とつっぱねる。 その5、立場操作 質問者は少数のリーダーの立場に立っているが、自分は大衆の立場に立っているのだ。 その6、戻し質問 あなただったらどう考えますか? 答えられなかったら、質問者自身もわからない質問には答えられない、と突き放す。 その7、本心操作 そのような質問をする人の心の中はだいたい見当がついている。そのような否定的態度をとる人に対しては何を答えても無駄である、と質問を封殺する。 原典:オルグ学入門
「我思う」の「我」と 「故に我あり」の「我」は同じか? 「「我思う、故に我あり」と思っている「我」」が「我思うの「我」」か? 根拠と結論が同一でも何かの証明になるのか?
>>458 機械的に言えば同等。
日本語の解釈で言えばどちらともいえない
>「我思う、故に我あり」と思っている「我」=「我思うの「我」
で
FA
という見解もアリ(日本語ってセコイな('A`)
>>459 で、「我」の証明になるのか?ならないよね?
しかもスレタイのどこに関係するんだ?
はっきり言ってもうニーチェ以後デカルトは古いでつよ。
461 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 04:43:16
>>444 彼らは、デカルトの批判に成功すれば、私への批判が成功すると勘違いして
過去の有名なデカルト批判を引っ張ってきてるみたいだね
無駄なんだけどなぁ
>探求者の主張
>
>「我思う。故に、我在り」は神の存在によってのみ保証される。
>したがって、「この私」の存在は確実ではない。
>レヴィナスのデカルト解釈が基本にある。
そもそも、全く見当はずれではあるが、一応、突っ込まずにはおれんな・・・
保証とは、いったい誰に対して成されるのか
それは、紛れもなく『私』に対してである
>一言の主張
>
>「我思う。故に、我在り」よりも「疑い在り」の方が確実である。
>そして、「疑い在り」から「我在り」は出てこない。
>したがって、「この私」の存在は確実ではない。
>ラッセルのデカルト批判が基本にある。
「疑い有り」って・・・「疑い」ってのは「思い」の一種ですよ
>そして、「疑い在り」から「我在り」は出てこない。
だったら「我思う、しかし我なし」を説明しなきゃならん でしょう
「疑い」や「思い」は『私』の「疑い」や「思い」であって、それ以外の何ものでもない
『他』の「思い」については認識のしようがないんであって
「疑い」があるのかどうかも、わからなくなる
今、自覚している「思い」は、紛れもなく『私』の「思い」ですよ
それ以外の思いは、自覚できないのですから
462 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/02/23(木) 04:56:31
>>456 あはははは。そのまんま最高位じゃない。
その2と3は、機械にも当てはまる。
「我」の存在について、 「我」の考えている事自体を証明材料にしたって、 証明材料にしている「我」の存在を証明したいのだから、 「我」を説明するのに「我」を持ち出したんでは、証明にならない。 そこでデカルトは、「我」以外の「神」の存在をちらつかせるように持ち出す事で、 証明材料の「我」の方の存在を「保証」しようと試みた。 と言うことで、一般的なコギト理解はよかったかしら?違ってたら修正してください。 デカルトは中世ヨーロッパのキリスト教全盛期に飲み込まれていたんじゃなかった?
こんな時間に起きてたんすか
465 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2006/02/23(木) 05:02:56
どうにもドルがねえ…。
1は観念を批判するが1自体が観念論に陥った論でしかない。 デカルトも観念世界でしか生きていなかった。 いまやサルトルもお亡くなりになられた時代ですよ。
>>458 デカルトの方法論的懐疑と関係ないとすると。
「我思う」の「我」という言葉の定義に「存在する」が含まれてます。
なぜなら「存在しない我」という言う方が許されていないからです。
つまり「我思う故に我あり」は前提=結論の当たり前の話であり、
「我は思いつつ、いるんだぞ!」という宣言に他なりません。
468 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 05:12:11
>>463 いや、彼は
「神の存在証明」と言ってるでしょう
とするならば
神の存在は、証明しなければならぬ対象である という事
対して
「我思う故に我あり」については
いかにしても疑いえない事実だ としている
以上の事から言えるのは
『我』の存在という自明の事実 をもとに
神の存在証明 を導いている という事になる
っていう簡単な事がわかりませんか?w
>>467 「存在する」を「含ませている」のは「誰」?
「我」だったら話にならないよね?
「「存在しない我」という言う方が許されていない」のはなぜ?
「「我は思いつつ、いるんだぞ!」という宣言に他なりません」
論理破綻に他なりません。
>>463 デカルトが神の存在証明をした意味についての一般的な解釈はないんじゃないかな。
だいたいは最高位風に、神の方は無視して理解されてるんじゃない?
>>469 「論理」というやつの仕業です。
論理に従うならば、そんな言い方はできないはずです。
よって「我思う、しかし我なし」と言う事も許されません。
存在してない幽霊が何か考えてても、その幽霊は「私としては存在している」はずなのです。
「私」という言葉の定義上そうなります。論理的な要請です。
472 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 05:32:42
>>470 あ、探求者君いたの?
キミの主張はこうだったよね
信仰が前提にあって、神を公理にすえての論理だから
デカルトは滅茶苦茶な哲学だと
初めに信仰ありきだと
キミ、全くわかってないんだよ
まぁどうでもいいけど
早く
>>355 の質問に答えてよ
私に、純粋な証明性を求めて来て
それが出来ないんなら詰みだと言ったんだから
何でもいいからさ
証明できるものを挙げて、見本を見せて下さいよ
>>472 また遊ぶかい?
ちなみに俺は「証明しろ」なんて一回も言ってないぞ。証明じゃないって言っただけ。
証明というのは、確実かどうかも分からない公理や定義をとりあえず前提として、
結論を導く過程である。そして、公理や定義が絶対に確実であることは証明できない。
故に、何の前提もなく、確実に「○○が存在する」ことなど一切証明できない。
>デカルトは滅茶苦茶な哲学だと
言ってないよそんなこと。
デカルトのアレは証明じゃないけど、哲学としては価値ある部分もあるよ。
もちろん「我思う故に我あり」は信仰だけどね。
----------以降----最低君を弄るスレ-------m9(^ω^)------
475 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 06:05:34
南〜無〜♪
476 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 06:29:02
>>473 証明ってのは
誰が、誰に対してするんだい?
実は証明性そのものが、既に『私』を前提にしているんだよ
キミは
証明性そのものが、『私』を基点にしている論理だという事に気づいていない
「我思う」は、哲学の根本であって、一番最初の前提
哲学とは「我思う」という事だからね
これを「無」だとすると、何も成り立たない
全てが無意味に崩壊する
もちろん、証明性を含めて崩壊する
証明性というものを当てはめる対象を間違えているんだよ
よりによって『私』にだけは当てはめちゃイケナイ
『私』あっての証明性、論理性、哲学そのもの なんだからね
>>476 んなこたぁ誰だって分かってる。
何マジレスしてんだこのピザ!
478 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 06:37:53
ついでに >もちろん「我思う故に我あり」は信仰だけどね。 誰の信仰? 『我』だよ
>>476 ふむふむ。「私」は疑っちゃいけないわけか。つまり最高位の主張には反対しちゃいけないと。
いや、同意しませんけど。
何か確実な拠り所が欲しいんだね、最高位は。
俺は別になくたって平気なんで。
「確実な根拠はないし、よくわからんが現実はとにかくこう」
普通の人はこうやって生きてるんだし、別にこういう結論で問題ないと思うよ。
崩壊?知らんがな。そんなの理論上崩壊しただけの話だろ。
何考えたって現実が突然崩壊するわけじゃない。まぁ例外もあるけど・・・
哲学の世界で納得いくまで疑いまくり、崩壊させまくりでも別に悪くはないでしょ。
現実は納得いかなくたって納得しなきゃいけないことばっかりなんだからさw
>>478 自分の信仰を疑えない人たちがどれだけ新興宗教に食い物にされてると思って。
自分を客観的に見て、おかしなことしてないかチェックする視点って大事でしょ。
そりゃどこかで判断停止はしなきゃいけないけど、チェックしすぎない程度にはチェックした方がいい。
「私」は疑っちゃいけないんだ!ってイロイロと危ない感じするけどねー
>ふむふむ。「私」は疑っちゃいけないわけか。 こいつも何時迄たっても馬鹿だな。相手するなら、「我」を否定しろタコ! それすら出来んカスなら相手すんな。お前は自分をお利口に見せたい ようだが、お前がレスすればするほど糞馬鹿なのが露呈するだけだぞ。 女々しい糞馬鹿なのは既に明らかだがなw
>「私」は疑っちゃいけないんだ!ってイロイロと危ない感じするけどねー 馬鹿を罵る馬鹿が一番タチが悪い。性格曲がった馬鹿程臭い物はない。 先ず自分が馬鹿なことを疑え馬鹿!
>>481 >>482 こんなスレで最高位の相手してる時点で俺が馬鹿であることは明らかだなw
しかし君も俺を煽ってる時点で似たようなもんなんじゃないの?
484 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 07:49:25
>>479 >ふむふむ。「私」は疑っちゃいけないわけか。
いやいや疑っていいんだよ
疑って疑って、疑い尽くせばいい
疑って疑って、疑い尽くしても
疑って疑って、疑っているのだから
疑って疑って、疑っているのだからこそ
疑って疑って、疑えば疑うほどに
疑って疑って、疑っている『私』の存在は否定できない
という 実に基本的な事が理解できればいいんだよ
>つまり最高位の主張には反対しちゃいけないと。
いやいや、反論があるならすればいいよ
ただし反論なんだから、論理的に根拠を挙げてして下さい という事
>何か確実な拠り所が欲しいんだね、最高位は。
>俺は別になくたって平気なんで。
うむ、確実な拠り所があるなら欲しいね
というか、その確実なものを探して哲学してるのさ
キミは何の為に、考えてるのかな?わけわからんな
単に批判が目的って事?
>「確実な根拠はないし、よくわからんが現実はとにかくこう」
>普通の人はこうやって生きてるんだし、別にこういう結論で問題ないと思うよ。
いや、普通は『私』は存在していると考えてるのが普通だと思うぞ?w
>こんなスレで最高位の相手してる時点で俺が馬鹿であることは明らかだなw 思い上がるな!お前は最高位より糞馬鹿だってことだ。お前は一日中スレに張り付いて 糞馬鹿な書き込みを続ける糞馬鹿だ。ハッキリ言ってな、お前のほうが迷惑だ。最高位 は店番しながら暇潰しの余興でやってる分、数倍マシ。
486 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 08:00:50
>>480 >自分の信仰を疑えない人たちがどれだけ新興宗教に食い物にされてると思って。
それこそ「知らんがなw」だよ
それとこれとは関係ないだろ
逆に言えば
信仰そのものを否定する根拠も、証明できないだろ
>自分を客観的に見て、おかしなことしてないかチェックする視点って大事でしょ。
>そりゃどこかで判断停止はしなきゃいけないけど、チェックしすぎない程度にはチェックした方がいい。
まぁ、正論といえば正論だと思うけど
さっきまで証明性とか何とか言ってた割りに、いい加減な結論だな
もうキミの発言は、全体的に反論という次元ではないな
何か言わなきゃ!って感じで
苦し紛れの言い訳だな
信仰告白や人生哲学みたいな感じになってるぞ?
>>484 その疑いの果ての「我」もまた疑える、という基本的なことを(ry
まぁ目的の違いだな。
俺は
>>480 に書いたような理由で、自分を相対化する方を重視するし、
そういう疑い自体を可能にしているものはどんなものか、とかに興味がある。
確実なものを探してるのは一緒だけど、思考停止(信仰)はしたくない。
>『私』は存在していると考えてるのが普通だと思うぞ?w
そうだなw
普通は存在してると考えるが、根拠なんかない。
けど別に根拠なんかなくたって、確実じゃなくたってかまわん。
そういうものなんだから、って感じで。
>>485 たかが2ch哲学板のことでそんな怒るなって。君が不愉快なのはよくわかったよ。
>たかが2ch哲学板のことでそんな怒るなって。 最高位君は余興であっても真剣にカキコしてるぜ。そんな言いざまなら初めからカキコするなよ。 うっとおしい奴だ。。。
「『私という何物かが、何かの対象を、疑うという行為をしている』として、 そのこと自体を疑わないとすれば、 その場合、何かを疑っている私はいる」 と書けば正しいと思います。 しかし、 「何かを疑っている私」という主体(主語)も、 「私が何かを疑う」という行為(述語)も、 「私に疑われている何か」という対象(目的語)も、 それぞれは解明しようとすれば無限退行していくものなのでしょう。 たとえば、「私」という主体の存在に焦点を当てて考えるなら、 何かを疑っている私の存在、を疑う私の存在、を疑う私の存在、を疑う私の存在・・・・・・、 と、疑う主体としての私と、疑われている対象として私が無限に分離されつづけます。 私が思うに、探求者さんが最高位さんに指摘しているのは、 第一点として、 最高位さんの「私の存在だけは疑い得ない」というような命題が、 正しい命題として成立するためには、 そこには、『私という何物かが、何かの対象を、疑うという行為をしている』として、そのこと自体を疑わない、 という「決定」あるいは「決意」が必要である、ということと、 第二点として、 そのことに気付かない、あるいは、無視することは、 信仰という行為と類似している、 ということではないでしょうかね?
>>488 自分はお利口だと勘違いしてんだろ、どうせ
491 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 08:58:37
というか、この話とスレタイと、何か関係があるのか。 「考えることができるのは私だけなので、考えがある限り私は存在します。 私とはこの脳のことです」 で、問題ないんじゃないの?
何かしら思ってそれを見ている何かがいる 何かしら思ってそれを見ている何かがいるから 何かが何かしら思って何かしら見ている。 その一つがどうやらこの私で後は茂木(科学)に任せた。
493 :
489 :2006/02/23(木) 09:36:36
.:| . :| .! .l .l .i::l | | .:| . :| ∧∧ .! .l .l .i::l | | .:| .__|( ゚д゚ ) :| .i .i .|.:! _, | | .:|::||□| ̄ ̄ ̄〜〜〜 /\ \|| └l[ ̄]-―――― |\| ̄|=| |コ= :::::::~<⌒/ヾ-、__ |\| |, | | ::::/<_/____ノ \.|_|, | |
>>481 ,
>>482 ,
>>485 ,
>>488 脳味噌が腐ってる人は、書き込まないでくださいなw
最高位の私論は哲学大系内ではデカルト解釈の攻防になるので、探究者のレスは当然だ。
しかし最高位の私論は、どうやら哲学外にあるかも知れんのだがw
495 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 10:14:30
最高位がいくら「私の存在性」を叫んでも、他人から(おれから)見れば そんなものが最高位にあるかどうか分からないで終わる。 だが、その一方でこうやって上のように考えてるおれがいるのも事実だ。 これはまぎれもなくおれの「私の存在性」なんだろう。 すると最高位の「私の存在性」もおれの「私の存在性」も他者には 認識出来ないが自分では認識できるものだ。 これって敷衍していくとどうなるんだろう。 ・「私の存在性」は自明だが、他者はいるかどうか分からないから〜独我論的 ・他者もおれと同じように「私の存在性」を持っているから〜実存的 になるのかな。 最高位はどちらを支持しているんだろう。
>>85 >>90 お前は何時も知りもしない科学を騙ってるがな。探求者とお前は同じ臭いがするから不思議なもんだw
馬鹿は馬鹿に共感する、若しくは同一人物のどちらかだなw
>>496 論理に対してフェアなスタンスをとるという意味なら、私もゾルレンや探究者と同じだ。
君が私より科学として正当なことを述べたいのであれば、きちんと書きたまえ。
お前は自分が知らない事を騙っているのだ。つまり知識を騙っているのだ。 科学に対するスタンスと知識は関係ない事も理解出来ないのかw
>すると最高位の「私の存在性」もおれの「私の存在性」も他者には >認識出来ないが自分では認識できるものだ。 そうではないでしょう。そもそも他者については「自分」があるかどうかも 「認識」しているかどうかもわからないので、「私の存在性は自分では認識できる」 かどうかも、全くわかりません。 この考えは、どこまで行っても「独我論」にしかなりません。 そこでデカルトは「神」を呼び出してくるわけです。 現代人は、神の代わりに「自我に関する唯物論的理解」を呼び出して、 「他者の私の存在性」を担保することになるでしょう。
500 :
248 :2006/02/23(木) 11:08:27
>>487 探求氏が「私」を主体(主語)として立てるかぎり、その言説は最高位のそれに
回収される。「何をどのように思おうが疑おうが、そうしている私は存在する」
というふうに。
少し前に「我思う」故に「我あり」は詐術である、と述べた。疑わしい「我」を
『思う』を挟むことによって確かな「我」に変えてしまうからである。ここには、
商品を貨幣に換えるような跳躍(詐術)がある。
別の見方をすれば、こういうことだ。「我思う。故に、我あり」の二つの我を我
たらしめているのは、実は『思う』である。『思う(疑う、感じる、意識する)』
のを止めた瞬間、我は消える。我は主体ではなく“動態”に依拠せずには存在し
えないことがわかる。
“動態”は常時、対象(事物)と関係する。そこに立ち現れる“関係意識”が、あ
えてそう呼びたければ“私”であり、
>>445 の一言氏が言う『世界』でもある。
501 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 11:19:02
>>487 >その疑いの果ての「我」もまた疑える、という基本的なことを(ry
いや、だから疑えばいいんだってw
でも、どんなに疑っても否定できないだろ?って事だよ
そりゃ、疑えるのは疑えるよ
根拠なくても疑える
人間は不可能な事でさえ、考えるだけなら出来るんだからね
今すぐに太陽のド真ん中で昼寝できるかも知れない なんて事も考えるだけならできる
疑う事ができる という事じたいからは、結論なんて導けないんだよ
それは「考えている」という事に他ならない
当たり前だと思うんだけどなぁ・・・
なんでこんな事を説明しなきゃならんのか、あまりにも不思議すぎるんだけどね
まぁキミが、真剣にそんな事を考えているんならと思って、私も親切に説明しているわけだ
実際、小学校低学年の担任になったような、とても複雑な気分ではあるけどね
>確実なものを探してるのは一緒だけど、思考停止(信仰)はしたくない。
別に思考停止してるワケじゃないんだよ
否定できない事実を、事実として、とりあえず暫定的に採用して論理を組み立ててるわけだ
その時に、キミ達が、あまりにも幼稚で突拍子もない反論をしてくるから
「アホか?」となるんであってね
本当は、私は常に全てを疑っているよ
しかし否定できないもんは否定できない事実として
宙吊り状態にしてある
全部、宙吊り状態なんだけど
それを矛盾しないパターンで何種類にも複雑にからめてまとめてある
そして、そのパターンに外れた事を言う人には、それは矛盾するよと教えてあげてるわけさ
否定できるんならやってよ 「我思う故に我あり」
くだらない根拠での否定なら、容赦なく切り捨ててあげますから
という事で、キミ達相手に遊んでるだけです
502 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 12:28:37
>>500 キミ、ちょっと頭おかしいよ
>少し前に「我思う」故に「我あり」は詐術である、と述べた。疑わしい「我」を
>『思う』を挟むことによって確かな「我」に変えてしまうからである。
基本がわかってないな基本が
キミの言ってる事こそ詐術だよ
疑わしい我 って何なんだよw
単に、疑ってみる という事であって、普通は疑わしくなんて思っていないんだよ
そんなのキミだけだよ
早く病院へ行った方がいいな
>別の見方をすれば、こういうことだ。「我思う。故に、我あり」の二つの我を我
>たらしめているのは、実は『思う』である。
アホだな
我たらしめているんじゃないんだよ
「思う」は原因ではなく、根拠なんだよ
国語を、ちゃんと勉強した方がいい
てか日頃、普通に人と会話した方がいい
「我思う故に我あり」というのは
我は思ってるから我である ではないんだよ
我は、いるのか? という疑問に対する答えだよ
我は思っている
思っている我を、どうしても、どう考えても否定する事ができない
という事だよ「我思う故に我あり」
つづく
503 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 12:29:35
つづき
>『思う(疑う、感じる、意識する)』のを止めた瞬間、我は消える。
>我は主体ではなく“動態”に依拠せずには存在しえないことがわかる。
これまた詐術だな
「思う」のを止めた瞬間、我は消える なんていう根拠はどこにあるのか
それは確認できる根拠を失う というだけであって
思わない我 が存在する可能性を、否定する根拠にはなりえない だろ
こじつけだ、こじつけ
キミの発言は、こじつけ詐術だよ
>“動態”は常時、対象(事物)と関係する。そこに立ち現れる“関係意識”が、あ
>えてそう呼びたければ“私”であり、
>>445 の一言氏が言う『世界』でもある。
アホだな
キミの言う関係ってのは、そこいらじゅうに、いっぱいあるんだよ
それを全部、あえてそう呼びたいからといっても、それは『私』ではないだろう
私以外のそれは『他人』というんだよ
『私』というものは『私』だけだ
ボルヘスの短編小説『トレーン・ウクバール・オルビステルティウス』 には面白い仮想言語が出てきます。それは、名詞を含まず、 (1)動詞と副詞と前置詞から成立する。 あるいは、 (2)形容詞から成立する。 もし、このような言語体系が可能だとすれば、「我思う故に我在り」は そもそも表現できないことになります。 「疑っているなら誰かが疑っていなければならない」という言い方は、 実はある言語体系内でしか使えないのではないか、と考えることも 可能です(つまり、「主語+述語という構造を持つが*故に*我在り」)。
もっとも、ボルヘスの仮想言語に対しても幾つかの疑問が残ります。 (1)そのような言語は本当に可能なのか?(特に気になるのは、翻訳版 ではこの副詞と動詞のみで作った文を上手く訳せていない)。 (2)そのような言語は不完全言語ないし欠陥言語では無いか?(しかし、 完全言語なるものが存在するのか。それとも優劣は無いのか)。 (3)ボルヘスが前提とするように、このトレーン語は唯心論のもとでは 上手くいくが、果たしてそれ以外の常識と整合的なのか?(しかし、常識 に合わせる必要は無いのかもしれない)。
> 『思う(疑う、感じる、意識する)』のを止めた瞬間、我は消える。 眠ると「我」が消えるの? 「我思う」限りにおいて「我在り」なの? 我が連続してる保証はないの? 朝起きた我は誰なの?
507 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 13:11:11
>>504 >「疑っているなら誰かが疑っていなければならない」という言い方は、
>実はある言語体系内でしか使えないのではないか、と考えることも
>可能です(つまり、「主語+述語という構造を持つが*故に*我在り」)。
疑っているなら誰かが疑っていなければならない
じゃないんだよ
根本的に、出発点からして違うじゃないか
疲れた
こいつら現代国語0点じゃないのかマジで・・・・
誰か じゃないんだよ
私だろ私
主観性そのものな主観の立場
これが唯一絶対の『私』なんだよ
これは普通に誰でも自覚してるだろ(と思う というか、とりあえずの前提)
この『私』は存在を否定できる可能性のある性質のものか
という疑問に対して
その疑問を発し続けている発信元である『私』自身を否定する事は
疑問を発しているのだから、疑問を発している限りは絶対に不可能であろう
という事だろ
何が誰か なんだよ
そんなの決まってるんだよ『私』だよ
主語+述語 なんて、言葉の性質に欠陥があるかのごとくに言ってるけど
根拠がない
さも言葉の責任 であるかのごとくに問題をすりかえちゃイカンよ
>>506 >我が連続してる保証はないの?
主観的には、記憶以外には、ありません。
客観的には、肉体の連続性以外には、ありません。
>朝起きた我は誰なの?
いつだろうと、存在している限りは「我」です。
昨夜の「我」と今の「我」の同一性については、上の通りです。
511 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 13:52:51
>一言君 でも、どんな言葉なのか ちょっと興味はあるなw てか日本語は かなり文法を省略して表現したりするよ? 「する?」「はい」 とかね 省略して表現するけど、それは「前提」として省略されているだけで 無くなっているわけではないけどね その言葉には、名詞という観念そのものが無いの? どんなんやねんw おもろそうやん
名詞が存在しないなら自動的に主語述語はなくなると思われ。
>>512 だいじょうぶだよ。
ものごとの名前を固定しないで、文を作る場面で主語も名詞以外の品詞で説明するってだけでしょ。
あと、述語になるのはもともと名詞じゃないよ。
それは、違うでしょ。 そもそもものごという考えがないわけだし。
名詞をなくさずとも、一人称をなくすことはさして難しくないような 気がするが。 日本語では、もともと省略されることが多い。
516 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 14:26:27
まぁ省略じゃぁ意味ないわな 使わんというだけで、あるのと同じわけだからね 抜本的に異質な言語体系でなければ、意味がない まぁ、おそらくは期待はずれだろな 人間の思考回路そのものを変える必要が生じるんだからね あと、使わない とか省略ってのは 通常、消極的変革だな 増えるなら発展的で良さそうだけどね
517 :
512 :2006/02/23(木) 14:26:50
>>513 >>515 いや、俺も読んだことあるけど、「別の品詞による言い換え」だとか
「省略」だとか、そういう話ではないんだよ。もっと、根本的に世界観が
違う。それに、言い換えや省略だと「言い換えてるだけ」「単に隠れてるだけ」
だからね。
第一、形容詞・副詞・動詞という考え方自体がボルヘスの苦渋の表現で、
本当はトレーン語にはそういう考え方さえない。だって、形容詞は「何を
形容しているのか?」、動詞については「何が運動してるのか?」という
問いを立てられそうだが、しかし、トレーン語ではそういう問いは無効、
つまり意味を為さないのだ。
518 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 14:28:27
>>517 もう少し、具体的にお願いできませんか?
519 :
512 :2006/02/23(木) 14:31:31
このような世界観を象徴してるのが『銅貨の詭弁』だ。 ある日、Xが一枚の銅貨を見た。翌月、Yが同じ場所で やや錆びた銅貨を見た。翌月、Zが同じ場所でもっと錆びた 銅貨を見た。 ボルヘスは言う。トレーン語を用いるものは「X,Y,Zが同じ銅貨を 見たのだろう」という理屈をまったく理解できない。のみならず、 「同じ銅貨」など存在しないのである。ある瞬間の銅貨は次の瞬間 の銅貨とは異なる。それどころか、「ある瞬間の銅貨」という言い方 さえ、トレーン語圏の人は理解できない。 ※とはいえ、これは英語で書かれてるが、トレーン語で表現すると どうなるかについてはボルヘスは触れていない。
>>519 要するに、トレーン語を話す人は、
「昨日の私と今日の私と明日の私は同一である」
を理解できないばかりか、
「昨日の私」
すら理解できないわけですな。
しかし、そのような言語は可能なのだろうか^^;
521 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 14:37:33
522 :
519 :2006/02/23(木) 14:39:24
>>520 そう、そういうこと。
>>521 不便かどうかは、実際にやってみないと分からないね。
ただ、「日本人が○○語を使うと不便だ」ということは何らその
言語の欠陥を証明しないから難しい。でないと、日本語の完全性
を前提にしてしまうことになるからね。
523 :
520 :2006/02/23(木) 14:43:10
ちょっと考えてみたが、トレーン語はたぶん自動詞(のようなもの) だけの体系になると思う。他動詞は目的語を持たないといけないが、 519の説明だとそれはできそうにない。 しかし、その自動詞は主語を持たない。 ということは、運動そのものが存在なのだろうか? ヘラクレイトスの世界観に近いな。 だが、犬とか猫とかはどうなるんだ?
524 :
519 :2006/02/23(木) 14:45:31
>>523 ボルヘスは次のような動詞を作っている。
「月している(moon)」
犬は「犬している(dog)」であり猫は「猫している(cat)」だろう。
これが意味するところは、「犬が存在している」のではなく、
「犬するという運動が連続している」のである。
525 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/23(木) 14:49:20
>>522 しかし所有観念じたいが有りえない感じだし
原始共産主義のような社会にしかならないような気もするな
>>524 おお!
それは面白い感じだね
今日は離席します
526 :
248 :2006/02/23(木) 15:32:54
>>506 眠っている状態でも“動態”として事物と関係し続けている。露骨にいえば、
動態が関係する“人間する”
>>524 ことをやめれば、動態による関係は死ぬ。
最高位の大好きな“私(意識)”は直ちに消滅し、物質としての肉体もその
後に消失(変化)するだろう。
例えば我々の言語には「固有名詞」はあっても「固有動詞」とか 「固有形容詞」はない。 トレーン語には名詞がないだけで、「固有動詞」や「固有形容詞」は あってよさそうな気がするが。 「すべてを一回性の出来事としてとらえるか、同一の存在の 運動・変化としてとらえるか」というのは、我々の言語とトレーン語の違いとは、 別の次元の違いではなかろうか。というか、前者の世界観だと「言語」 自体が不可能ではないか。あるとしても文字通り「便宜」として使う以外は ないのでは。
528 :
248 :2006/02/23(木) 16:27:11
>>502 最高位は退席したようだが、頭がおかしく、基本ができていないので、教えて
いただきたい。原因と根拠は、どう違うのか。他のかたでも結構です。
動態としての固体は所与の事物のなかに投げ出される。動態は事物と関係し続
け(人間し)、その複雑な“反応”が私(意識)である。
いやぁ、ほんとに文化系の唯物論者は疲れます。本音は、こう言いたいのです。
すべては、レトリック(幻想)である。私は幻想(錯覚)する。故に、錯覚す
る“私”はあるらしい。しかし、これだと、最高位の手の内にあるようですね。
レトリックという何であるのかだ。 最高、完全、全部、極限、絶対、唯一、当然、こういうことを言いたいようだけれど、 それ故に、根拠なるものを考え出したのだ。
530 :
考える名無しさん :2006/02/23(木) 17:17:04
t
>>528 最高位ではないが、
>>502 は要するに
「思う」は「私」の存在の原因ではなく、その認識の根拠に過ぎない、
というようなことを言いたいのだろう。
いずれにしろ、思っていない(眠っている)ときに私が存在するかどうかは
「わからない」としか言えないはずだが、まあ恐らく彼はそうとは認めまいw
ミルクをいれましょうか?
533 :
248 :2006/02/23(木) 17:28:40
>>527 ボルヘスのその本は読んでいませんが、想像するに、名詞のない世界
ではすべての言葉が「固有詞」ではないでしょうか。私たちの言語の
名詞(固有名詞も含む)も、便宜上のものでしょう? 名詞(名詞形)
を立てずには、主語が働かないということです。主語を働かせるため
に名詞を設けたと言ったほうがいいでしょう。
至高の(代)名詞、すなわち究極の便宜が最高位の言う『私』です。
この『私』は世界を認識し、解釈します。この『私』は神を見、世界の
果てを覗くこともできます。世界を安心して受け入れるために、この
『私』を必要としたのではないでしょうか。
534 :
248 :2006/02/23(木) 17:44:34
>>531 あの人は,因果関係を関係と思っていますから。
熟睡しているとき、最高位の言う『この私』は消失しています。しかし、
動詞、動態としての“私”は世界と関係し続けています。最高位の言う
『私』が不在でも「人間している」ということです。
ダス マッヘン オダ テー?
人間って何で眠れなきゃいけないんだろうな?
トレーン語おもしろいねぇ。 ちょっと考えてみたけど、トレーン語を使う生物は「海藻」みたいなものだと思う。 海流の流れを感じ、温度を感じ、光を感じ、音を聞くことはできる。 それにあわせて、自分の体を伸縮させたり、発声したりすることもできる。 しかし、自由に移動したりモノを持ったりモノの位置を特定したりはできない。 なぜかというと、手足などの器官で環境に積極的に働きかけられるなら、 働きかけられる「対象」やその「位置」を指示する必要がどうしたって出てくる。 自由に移動できるなら、移動先の「場所」を指示する必要も出てくる。 違う位置の海藻にとっても、"同じ"対象や場所を指示できなければならないとき、 それを指示するための「名詞」が必要になってくる。 そのような必要が特になければ、名詞のない言語も可能だろう。
>>537 でもその言語って、誰を相手に使うんだ。
そういう生物にとって、自分と同格の「他者」というものが
存在できないような気がするが。他者も周囲の風景も区別する実益が
ないといおうか。生殖も胞子か何かによる「自然現象」でしかないん
だろうし。要するに「他の海藻」とコミュニケーションする必要が
見当たらないから、言語は発生しないのでは。
>>538 例えばだな。
海藻は高さ150センチくらいなんだが、不定期に高さ100センチぐらいのところまで
海面の方からこの海藻を食べにくる生物が来るとする。
んでこの生物が近づいてくると、周囲の海水の温度が徐々に上がってくる。
この生物が近づいてきたら、海藻はしゃがんで低い位置に避難しなければならない。
しかしこの生物が来ないときには、高さが高いほど生存上有利だとする。
こういう環境だとすると、自分の周りの海水の温度の変化を周囲の海藻に
伝えられるタイプの海藻の方が、生存率が高くなり、そのように進化する。
こういう条件をどんどん複雑にしていけば、名詞のない言語もありうるんじゃないかと。
540 :
素人 :2006/02/23(木) 22:16:28
>>最高位
おいらのレスをスルーしてるのは、
答える気がないのか?
それとも、認めてくれてるのか?
それとも、答えられないのか?
どれだいw
ま、反証されてないオイラの立場は安泰ってことだな(爆
>>23 も、どこがいけないのか、はっきり指摘されてないしw
>>154 >>531 (は自分じゃないが)に対する賛同あるいは否定もないし・・
>>339 >>500 の深さが解らなかったら致し方ないか・・・ orz →>342>503
この現行スレでの参考は>20-22>48>51>373
248さんの視点は、私とほぼ被りますねw
∩ ⊂⌒( _, ,_) < いじっても貰えない・・ 叩かれもしない・・・。 `ヽ_つ ⊂ノ ∩ ⊂⌒( _, ,_) < 淋しいよ・・・ `ヽ_つ ⊂ノ _, ,_) ・・・・・ つ ⊂ノ )) ) )) )
542 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/23(木) 23:56:06
>>455 >「我思う、しかし我なし」という極めて不自然な主張を
まだ「我思う」に拘っておられるのですか?
では、あなたは熟睡している時にも「我思う」状態なのですか?
・・・「そうはでない」・・・ということでしたら、
熟睡している時には『(「あなた」にとっての「私」は「存在」しない』
・・といういことでよろしいのでしょうか?
言葉の表現方法はそれぞれの属する研究伝統に左右されるものだろうし 俺は簡易で一般人にもわかりやすい表現方法を使うのが好きだ デカルトは次のように書いている >どんな身体もなく、どんな世界も、自分がいる場所もないと仮想できるが、 >だからといって、自分は存在しないとは考えられない。 >反対に、自分が他のものの真理性を疑おうと考えること自体から、 >きわめて明証的にきわめて確実に、わたしが存在することが帰結する。 >逆に、ただわたしが考えることをやめただけで、 >仮にかつて想像したすべての他のものが真であったとしても、 >わたしが存在したと信じるいかなる理由もなくなる。 ここで、デカルトは 「わたしが考えることをやめただけで、わたしが存在したと信じる理由はなくなる」と述べている ここらへんは >> 『思う(疑う、感じる、意識する)』のを止めた瞬間、我は消える。 でも触れられた通り
544 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/23(木) 23:59:48
>>534 いま読み返して、同じような(内容の)レスがあることに驚きました。
「パクリ」ではありませんので悪しからず。
545 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/24(金) 00:07:50
>>543 デカルトの時代(戦国時代〜江戸時代初期)に、「この宇宙は26次元が折りたたまれた4次元である」
・・という「科学的世界観」・・はもとより、そもそも「縦・横・高さ(3次元)+時間次元」という
発想自体が存在しなかった・・・訳ですので、「存在」(「ある」こと)とは、
「今ここにあること(いわゆる「現前性」)」以外を想定していなかった訳です。
デカルトの時代に「今見える(現前している)太陽」は「8分前の太陽である」と「知っていた」人間
は、全く存在しなかったのです。・・・「その真理」が判ったのは実は「つい最近(数世紀前)」のこと
・・だからです。
546 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/24(金) 00:10:22
545の訂正です。 「数世紀前」→「百数十年前」・・・ですね。
俺は、デカルトのコギトと神についてはこう解釈する 懐疑論に対する反論としてコギト→「真理はある」 真理であるには何が必要か→存在するということ 真理を考えるのはなぜか→わたしの外に存在があるということ→神の証明につながる だから神の存在証明については もとがデカルトの「自分より完全であるものについて考えることをわたしはどこから学んだのか」という問いに元を発してるわけだから 「デカルトが学ぼうとする探究心が神をつくっているのではないか?」という批判が可能だろう 学ぶ気が何もなく何も探求するつもりもなく、すなわち何も吟味しようとしたり疑ったりする気がない者が 神の存在を不必要に思ってもいいわけだ 「わたしは他人の言葉に耳を傾けず自分の考えに固執する、ゆえにわたしは存在せず神も存在しない」 こういう新しい哲学があっても面白いかもね
548 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/24(金) 00:21:59
>>547 >真理を考えるのはなぜか→わたしの外に存在があるということ→神の証明につながる
なんで「わたしの外に存在があるということ→神の証明につながる」・・・という
「むちゃくちゃな論理の飛躍」に「納得」できるのか??・・
・・観念論者さん(達)の発想は、私には全く理解できません。
>>545 >デカルトの時代に「今見える(現前している)太陽」は「8分前の太陽である」と「知っていた」人間
>は、全く存在しなかったのです。・
これこそデカルトの正しさが後の科学によって証明されたってことなのでしょうw
>>548 なんで機械君がそれを論理の飛躍と読めるのかが俺には不思議だ
俺は「神」という言葉で表現されるものが何かなんてわからないが
きっと機械君は「神」という言葉が何を指示しているのか知っているから
「外の世界の存在証明」と「神の存在証明」に違いを感じるのだろう
皮肉はおいといてだな
なんで「神」という言葉が「外の世界」の比喩だと想像してみることができないんだよ
トレーン語、結構考えてたけど難しいねぇ。 ミツバチダンスってあるけど、あれは距離と方角しか示さない。 すごい単純だけど一応「名詞なき言語」と呼べると思う。 彼らはエサのありかを実際に、記号を用いて他者に伝えている。 エサをみつけ、巣に帰るまでの彼らが「何かを思っている」とみなせないだろうか?
>>537 そういう複雑な環境化の生物でも面白いのですが、単純に
テレビゲームについて考えてみてください。
「キャラクターが画面の左から右へ動いている」
という表現が日常的な見方なのに対して、
トレーン語の見方は、
「左から右へ色変している」
です(これはテレビゲーム画面の説明としては奇妙ではない)。
これを現実世界に応用するだけです。
553 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/24(金) 00:29:58
>>549 「デカルトの正しさ」ですか?
我思う故に我あり・・・故に「神」あり・・・という「完全な宗教的告白」
・・が「正しい」と「考える?」あなたは「宗教者」ではあっても「哲学」
・・とは無縁な方だと思います。・・・(たとえ、自我を脅かすような世界観でも)
「正しいものは正しい」「真理は真理である」・・ということに一番拘泥する態度、
・・・「それでも地球は回っている」と言える「自己への誠実さ」・・それが
「哲学」なのだと・・・私は考えます。
554 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 00:33:42
>>554 似てるけどちょっと違うんではないかと思っています。
この小説の元ネタはバークリーですし、そこから日常へは
返っていきません。トレーン語は私たちの世界へ接近しよう
としません。
>>553 『方法序説』読めば?
デカルトがそれぞれの論証をどのような問いに対する回答として出したか見れば
少しは考え方も変わるよ
論理を少しでもかじっている人間から見れば、
演繹的に導き出された結論は前提より多くの内容を一切含んでいないということは分かるものなのに
557 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/24(金) 00:37:15
>>550 >なんで「神」という言葉が「外の世界」の比喩だと想像してみることができないんだよ
簡単です。「比喩」とか「想像」という概念が(両方とも)「NOT外の世界」・・「内の世界」
の「できごと(指向的クオリア)」だからです。
>>557 今は月曜の夜8時50分ですか?
哲学で何度も言われつづけた印籠を出させるなよ
恥ずかしすぎて俺には言えん
>>555 > そこから日常へは返っていきません。
> 私たちの世界へ接近しようとしません。
なるほど。そこは、大きな違いですね。
今日はどことなく皮肉屋なゾルちゃんでした
>>機械 「客観的世界」の確実性を信じるのは「デカルト的な神」を信じることと変わらんのだよ
562 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/24(金) 00:48:56
>>556 >演繹的に導き出された結論は前提より多くの内容を一切含んでいないということは分かるものなのに
最高に「演繹的」な学問・・「数学」において、「素数の出現法則」の方程式が存在しない・・
・・要するに「次に大きい素数が何であるかは計算してみなければ判らない」・・という「真理」
が「ある」のですが・・・「素数」の基になる「自然数」は「1・2・3・4・5・・」と「無限」
であること・・・は明瞭です。
・・しかし「自然数の中で『素数』は有限個しか存在しない」・・という「証明」はできません。
「自然数」とか「素数」という「定義」が「完全に明らか」・・でもなおかつ「(演繹的に)証明できない
数学的真理」がある・・ということです。
563 :
541 :2006/02/24(金) 00:53:36
けどまあ考えてみれば、 機械を徹底スルーしてるおいらの言う台詞じゃないなw
ゾルちゃんの558の皮肉の意味が分からないです・・・・・・ 誰かぼくちゃんに教えてちょ
565 :
248 :2006/02/24(金) 01:39:21
>>540 最高位のことなど気にする必要はないよ。彼は典型的なボケ。ただしボケ方
がワンパターンなので、複雑な突っ込みを入れると、逆上するか、無視する
かのどちらか。
最高位よりも、探求氏や一言氏に絡んだほうが、うるさがりながらも、とに
かく答えてくれます。むじんくんは、どこへ行ったのでしょうか。名前はわ
かりませんが
>>489 も明晰な人ですね。
やはり、面白そうなのは機械氏でしょう。以前、観念的先入観に冒されてい
ると批判されましたが、本日、最高位に対する指摘が似ている、と言われま
した。喜ぶべきことでしょうね。そのうち、絡んでみましょう。
566 :
素人 :2006/02/24(金) 01:56:07
>>565 あなたは私より、はるかにこのスレを楽しんでますね・・・(^^;
(´・ω・) ウラヤマシス…
おやすみなさいw ノシ
567 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 02:16:15
>>540 他の人への書き込みを読めば
いちいち説明しなくても理解できるでしょう
同じような内容のレスを書くのは面倒なんですよ
>>23 >では、その関係を意識する「主体」なるものは“関係”以前にあらかじめ
>どこかに用意されているわけですか。“関係”が生まれるのを、どこかで
>待機しているのでしょうか。主体は“関係”の後に、厳密には“関係”と
>ともに立ち現れるものでしょう?
関係するためには、関係するものが必要ですよ
何と何が関係するのか
関係とは「関係する」という動詞ですので、主語が必要です
関係は関係のみでは存在しえません
必ず「何の?」という疑問が付きます
『無』は関係できません
>主体が“関係”を意識するのではなく、
>事物との“関係意識”自体が主体であり、この私なのです。
>この私、私の存在性はたしかに特異であるかにみえます。が、本当に唯一
>無二なのは、この私ではなく“事物との関係”であって、それはこの机に
>もこの猫にもいえます。
あなたは本質を全く理解できていないんですよ
関係は、そこらじゅうにいっぱいありますね?
あなたの言う、唯一無二の関係も、いっぱいあります
では、その関係が、なぜ他人ではなく私であったのか
その違いは何ですか?
本当に不思議な事ですが、このスレには、このての質問が理解できない人が多数、存在しています
あなたもそうですか?
568 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 02:49:38
このスレは何年続くんですか?そろそろ飽きてきました。 新ネタでお願いします。スレタイも変えて。 こんなスレを仕事にしないでください。
569 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 03:01:38
>>534 関係にもろいろあるんだよ
んな事もわかりませんか?w
人間関係 というのも関係
肉体関係も、もちろん関係、三角関係も関係
因果関係も関係だ
関係の種類は、いろいろあるんだよ
あ た り ま え だろ?こんな事w
>熟睡しているとき、最高位の言う『この私』は消失しています。しかし、
動詞、動態としての“私”は世界と関係し続けています。最高位の言う
『私』が不在でも「人間している」ということです。
熟睡してる時、という状態を、キミは主観的に観測できるのかい?w
通常は夢でさえ覚えていない事が多い
実際には見てるのに、忘れちゃうんだよな
寝てる時に起こされると「せっかくイイ夢みてたのに!」なんて事も多々ある
要するに、寝ている時にも、起きてる時に自覚しない、覚えていない私は存在している という事が言える
まぁ人間は、常に寝ている間中、夢を見ているわけではないらしいけどね
いずれにせよ睡眠と私 という問題については未だに解明されていない事だ
キミのように『断言』しちゃう事は、明らかなミスなんだよ
睡眠という事を、もう少し考えてみると
寝る前の私と、起きた後の私が、なぜ同一人物であると自覚するのか という問題がある
まぁ、これについては自己同一性の証明ができない という事にこだわる人もいるから
更に根本的な問題へと進めましょう
今日起きた私は、今ここにいる私は、なぜ私であったのか、私であるのか という問題
この問題は理解できる?出来ないんだろうなぁ・・・・
できるんならさ
なんで、この関係が『この私』であったのか、『他』ではなかったのか
『他の関係』との何の違いで『この私』なのか 明快に、答えてもらいたし
570 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 03:37:19
>>489 >「何かを疑っている私」という主体(主語)も、
>「私が何かを疑う」という行為(述語)も、
>「私に疑われている何か」という対象(目的語)も、
>それぞれは解明しようとすれば無限退行していくものなのでしょう。
>
>たとえば、「私」という主体の存在に焦点を当てて考えるなら、
>何かを疑っている私の存在、を疑う私の存在、を疑う私の存在、を疑う私の存在・・・・・・、
>と、疑う主体としての私と、疑われている対象として私が無限に分離されつづけます。
別に全然、無限退行したり、無限に分離されつづけたりしませんよ
難しく考えすぎて、何か大きく勘違いしちゃってるようですね
自分で自分を殴る行為
これって具体的に可能です
私が、私を殴る私が、私を殴る私が、私を殴る私が、・・・・・
と、無限退行 なんてしますか?w
分離され続けますか?w
何か勘違いしていませんか?
>最高位さんの「私の存在だけは疑い得ない」というような命題が、
正確には、疑いえない ではなく、否定できない が正しいんです
何度も言いますが、疑うだけなら、いくらでもできますよ
しかし、いくら疑っても疑っても、否定する事は、どうしてもできない という事です
本質が理解できていないから、そういう勘違いをしちゃうわけです
最高位 何の宗教からのインスパイアかな? どっかの宗教屋みたいに都合のいいとこだけ集めて自論にしてる。
572 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 04:04:35
>>571 具体的にお願いします
なに言ってるのか、よくわかりません
都合 とは?
>>570 「私」は疑える。しかし疑っても疑っても、また疑えない「私」が出てくる。
つまり「私は存在する」が偽であるとは言い切れない。
ここまではあってる。ただここから、
「ゆえに『私は存在する』は真である」というのは論理的にまずいよね?
「偽とは言い切れない」は「まだ偽でもないし、真でもない」って状態。
つまり「私が存在するかどうかはまだわからない」って結論が妥当になる。
この結論には同意する?
>>572 そのままの意味だけど
宗教や哲学書から自分に都合のいい部分を利用して自論にしてるってこと
575 :
ソラ :2006/02/24(金) 04:38:27
>>573 私が無いと云う事は無い。
私が無いと考えても無いと考えている私がいる。
この事から「どのような私が存在するかわからない」
576 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 04:39:50
>>573 >「私」は疑える。しかし疑っても疑っても、また疑えない「私」が出てくる。
>つまり「私は存在する」が偽であるとは言い切れない。
しかし国語力低いなぁ・・・・
こじつけるなよ
つまり「私は存在しない」とは、どうやったって言えない だよ
また
私がいなけりゃ 考えること、すなわち哲学そのものが無意味となる
すなわち、いずれにせよ
私は存在する という前提は
私が哲学を哲学し、論ずる上で必須である と言える わけだ
>「ゆえに『私は存在する』は真である」というのは論理的にまずいよね?
ニュアンスの問題だね
『私は存在しない』という結論には、どうやったって到達できない
「ゆえに『私は存在する』以外に考えられない」
そしてまた、論理性を無視して『私は存在しない』とした場合
全ての思考作業が無意味になる
というか思考作業は『無』だ ということになる
というか、そう考える事が、人間には、そもそも不可能w
『無』は考えない 思わない
思っている その主観性の主観の立場が『私』
思っている 哲学してる この事実を事実とするならば
ゆえに『私は存在する』は真である
と考えること以上に理屈にかなった事はない と言える
577 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 04:47:42
もって何かあるんじゃないの
>>576 論理的ってのは、ニュアンスを排除して言葉のルールを厳密に守るってことだよね。
>「私は存在しない」とは、どうやったって言えない
この文章からニュアンスを排除して論理的にとらえると「『私は存在する』は否定できない」になるよね。
ここから「ゆえに『私は存在する』は肯定できる」とすることは論理的にできない。
ここまでは同意するかい?
580 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 06:05:19
>>579 言葉のルール?
言葉は数式ではないよ
自分の頭の中にあるイメージや論理的な事柄を
一番近い言葉を選んで表現し、伝えるわけ
キミ達は、どうもその辺を勘違いしてる人が多いな
まぁいいや
もちろん「我思う故に我あり」は、100%真である とは言い切れないだろう
他に、今は想像だにできない理屈によって、覆されないとも言い切れないからね
だから常に、それを探求してはいる
しかし、今のところ
何をどうやたって、それは覆りはしない
そこで「みなさん そうでしょう?覆りませんよね?覆せるならやってみて下さい」
と言って、全ての人々に問いかけている
しかし未だに、それを覆した人はいない
A「頭の上に飛行機が落ちてきたら死ぬでしょう」
B「いやいや そうとも言い切れんだろ」
A「体が原型を留めないまでに破壊されるんだから死ぬでしょう」
B「いやいや そうとも言い切れんだろう」
まぁ確かに言い切れないけどね・・・・
どっちが論理的なんだろうか
>>580 ろんり 【論理】
(1)思考の形式・法則。議論や思考を進める道筋・論法。
(2)認識対象の間に存在する脈絡・構造。
これは辞書的な意味だけど、まぁ論理は「形式」であり「法則」であり「構造」なんだな。
数式と本質的には一緒で、実際の思考や推論の「内容」は関係ないわけ。
だから、論理的かどうかは「推論として正しいかどうか」という段階の話であって、
「内容や結論が正しいかどうか」はその次の問題なんですよ。
内容・結論が正しくても、推論のルールを守ってなければ『非論理的』
内容・結論が正しくなくても、推論のルールを守っていれば『論理的』
一般的にはかなり適当に使われてるけど、厳密にはこういう意味なんです。
582 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 07:02:09
この道を、真っすぐ歩いて行くと、私は崖から落ちるんだよ どう考えても、私は落ちるんだよ 足場が無くなるから、私は落ちるんだよ 歩いて行けば、足場の無い地点にたどり着いちゃうんだから落ちるんだよ どう考えても落ちちゃう 何をどう考えたって、足場の無い地点は歩けないんだから、私は落ちてしまう いやいや 落ちるとは限らない その場所でも、地球の引力が存在する事が真である とは言えない そしてキミが落ちる なんて事も言えない 存在するとも言えないんだからね 歩くということ以前に主体が存在すると、なぜ言えるのか 歩く事により、歩くという関係と同時に主体(と勝手に思われているキミ)は立ち現れるのです 関係です関係だけがあるのです キミが落ちるのではなく関係が落ちるのです その落ちたものを、そう呼びたければ「私」と呼んで差し支えありません どうぞ安心して、真っすぐ歩いて行っちゃって下さい こんな感じかな? アホかw
583 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 07:05:15
>自分の頭の中にあるイメージや論理的な事柄を >一番近い言葉を選んで表現し、伝えるわけ ということはある人にとっての『私』と別の人にとっての『私』は 同じではないので(イメージを一番近い『私』と言う言葉に置き換えた物だから) 「我思う故に我有り」 も真であるとは言えない
584 :
胎内記憶保持者 :2006/02/24(金) 07:05:52
トルストイ トロい人 吐露スコビッチ このスットコドッコイ
>>579 馬鹿だろお前?最近の恥ずかしい書き込みを帳消しにしたいから言葉尻で批判か?
馬鹿を批判する馬鹿の話を摩り替える、糞だな。
「『私は存在する』は否定できない」じゃなくて「我思う故に我在り」を否定出来ないんだろ?
586 :
583 :2006/02/24(金) 07:14:26
具体的に言うと 熟睡している人も 死んだ後の意思も 思っていないけど「私」として捉えている人は普通にいますよってこと それなりの定義で言葉を使わないと言葉尻の取り合いになっている気がする
それでも583のお前の書き込みはおかしいぞ。「我思う故に我在り」と関係ないだろ? これを否定して、お前は自分が何を主張出来るんだ?お前の今の書き込み何なんだ?
>>585 「私は存在する」の部分が「我思う故に我あり」でもXでも全く一緒じゃんか。
推論の内容じゃなくて推論の形式を問題にしてるんだから。
「Xが否定できないことから、Xを肯定できる」とするのは論理的ではない。
君はこれに同意するかい?
589 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 07:36:22
>>581 ねぇねぇ
キミはまさか
現存する言葉で世界の全てをそのままに記述できて
それを万民に伝える事ができる
なんてこと本気で考えているんじゃないだろうね
数式ってのは、頭の中にある数式そのものを表現するだけだから
そのまんまなんだよ
頭の中にある 伝えたい数式そのまんまを書けばいい
しかし、言葉というのは
抽象的な価値観やイメージなどを、言葉に変換する などの作業が必要なわけ
しかも数式のように、公理によってルールが定められて保証されているわけではない
たとえば、痛い という言葉から受ける印象や意味は
人によって違う可能性がある
快感に感じる人もいるらしいぞw
もちろんコミュニケーションツールであるからして、ルールは必要
というかルールそのものではあるのだが
厳密に規定 なんて、できはしないんだよ
どうしても、意味に幅ができてしまうものなんだよ
そこで誤解も生じるし、「誤読」なんてのもあるわけだ
キミは国語の専門家なら100%のコミュニケーションが可能で
誤解は発生しないとでも思ってるのかい?w
言葉は難しいんだよ
>>588 また話を摩り替えるw
「我思う故に我在りは命題である。コギトは推論と言えるかもしれない。
しかし、推論であると言えないかもしれない。
なら、最初から推論であるといえよw最低の糞だなw
今迄はこの命題が真であるか否かが問題のはずだったのになw
>>589 要は「言葉は難しい」から辞書的な論理の意味も確実じゃないって言いたいの?
まぁそりゃもちろんそうなんだけどさ。
確実じゃなくたって、議論する人たちの間で合意されてれば問題ないじゃん。
だからまず形式的なルールから確認してるんです。
俺が「厳密には」って言ったのは、学問の世界ではこういう意味で使われてますよ
って意味であって、それが絶対に正しいとか言ってるわけじゃない。
で、「論理的」って言葉の意味にも同意してくれないのかな?
>>586 > それなりの定義で言葉を使わないと言葉尻の取り合いになっている気がする
最高位氏は思っていればある「私」を指してると思うんだけど
思ってないときの「私」はどうだか知らん、なんじゃないかな?
思う我がある、以外のことは何も説明できない、と思うんだけど…
探求者氏のいう「私」は何を指してるのか、よく分かんないね
>>591 「我思う故に我あり」は証明じゃないって最高位が認めたときから真偽はもう問題にしてないよ。
証明じゃないってことは真偽を議論することもできないんだから、ここでこの話は終わり。
んでそれ認めたら唯物論を「論理的に」否定することが完全に無理になるってのが次の話。
で、今はまた違う話で「論理的ということ」についてです。
595 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 08:31:31
>>592 いちいち根本から全部教えなきゃいかんから面倒なんだよ
んで、これだけ説明すりゃ、いくらなんでも理解できるだろ
と思ってダメ押ししても、まだ理解できない
面倒くさいわ
私は、論理性というものにも、さまざまなレベルがあって
一概に、一言で言えないものだと思ってる
それに言葉は厳密性がないから、あるていど限界があると考えている
万能ではなく、特に新しい事柄を伝えるには難しい面がある
だから応用しながら、相互理解に向けて努力するためのツールであると考えている
キミは論理的って言葉の意味を、完全に理解してるらしいから聞くけど
これが『論理的』というものだ!というものを
具体的に説明してよ
>>595 論理性は相互理解に向けて努力するためのツール?言葉全般の話じゃないのか?
「論理的である」ってこの場合どういう意味になるんだろう。
「相互理解に向けて努力できている」=「論理的」ってことか?
論理的だって思うものか。
俺は論理は「推論のルール」だと思ってるから、その方向で説明するね。
AならばB
BならばC
ゆえに、AならばC
例えばこういうの。三段論法ってやつ。
A、B、Cの内容が無茶苦茶でも、この推論は推論としては正しい。
つまり論理的な推論だ。
>>594 お前が言い訳三昧のみっともない奴なのはよーっく分かったw
598 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 08:57:31
>>594 キミは本当に浅いなぁ
私の揚げ足を取ろうなんて百年早いよw
まぁ百年経っても無理だけどね
もぉ何だか面倒くさくて、浅い としか言いたくなくなるなぁ
なんで、こんな事まで説明しなきゃならんのかねぇ って感じだな
証明、証明って、厳密な証明性なんてものは、ドコにもないだろ
だったら唯物論の言うところの『物質』の存在を証明してみなよ
実存主義の証明をやってみなよ
厳密な証明性を追求していくと、観念論になるんだよ
不確実な世界で、一番 確実性のあるものが『私』なんだよ
私は私を私だと認識しているだろう
私を否定すると何にも始まらないんだよ
哲学じたいが始まらないだろ
何の為に哲学してるんだ?
自分の為だろ
自分が知りたいからだろバカ
キミは本当に『本質』というものがわかっていない
唯物論を正当化するために、表面的な事ばかりを、こじつけてるだけだ
根本的な話
まず主観性という概念を抜きにした論法しかできていないんだよ
哲学としては次元が低いの
前時代的な思考方法しかできないんだよキミは
もはや、これからの哲学の対象ではないよ
ついて来れてない
「我思う故に我あり」は、正しいんじゃないですか。 「思う」でなくて、「痛い」でも「クソする」でも同じだと思いますが。 「思いあり故に我あり」だと、これは正しくないでしょう。論理的飛躍です。 いずれにしろ、この問題はデカルトスレでやるべきで、唯物論や決定論とは 何の関係もないと思うのですが。
600 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 08:59:29
>>597 ヤジは見ていて気分が悪い。
探求者は真面目にレスしているんだから、それを否定したいなら、597が反論を書けばいい。
出来ないなら、茶化したりヤジをするのはやめれ。
話を摩り替え続ける馬鹿に何を反論しても意味ないしな、練馬君もそうだけどなw
602 :
ソラ :2006/02/24(金) 09:04:54
>>596 A,B,Cは「命題」でなくてはならないを追加。
603 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 09:07:10
最高位の言う事を要約すると、我以外は全て不確かで虚ろな世界って言えるよな。 我以外は何も確かじゃないんだから。 これってただの独我論に過ぎないと思うんだけれど、 一方で最高位は独我論を否定している。 どういう根拠で自分の「我だけが確実」という言説から独我論を否定しているの? 誰にでも共通する「我」は認めないんでしょ、最高位は。
604 :
597 :2006/02/24(金) 09:07:41
>>600 なら名無しでキラリと光る例文を書いてみろよ。
機械氏以外理系いねぇし
くっそ低レベルな文型ばっかしかおらんスレだろ
>>599 最高位は「私の存在性は確実なので、唯物論は明らかに間違い」という主張をしています。
そして、「私の存在性が確実」である根拠が「我思う故に我あり」です。
議論の展開もデカルトと同様のものを使っています。
だからデカルトが話題になっていたのですが、解釈論は完全に脱線でしたね。
608 :
597 :2006/02/24(金) 09:19:40
>>607 あれは偽者の本物のクズだ。相手にすんな。
機械が理系な訳ないだろw
609 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 09:20:15
>>596 >論理性は相互理解に向けて努力するためのツール?言葉全般の話じゃないのか?
もう一回、ちゃんと嫁
>AならばB
>BならばC
>ゆえに、AならばC
具体的という言葉の意味わからんの?
それに今まで話してきた確実性とか証明性に関する論理性とは
明らかに次元の違う内容だな
まずAの存在から証明してもらわなきゃ話が進まんよ
で、その次はBの存在証明
その次は、AならばB という事についての証明
でなければ論理的だとは言えない
AやBが存在する という飛躍した前提を持ってきちゃ
論理的な話ではないだろ?
そういう話だったよね?
こんな感じで具体的にお願いしますよ
610 :
248 :2006/02/24(金) 09:25:37
>>567 関係するには、関係するものが必要である。最高位は、それを主語(主体)だ
と言う。そこが私との違いである。
動詞、動態(の私)は寝ても覚めても関係し続ける。動態としての私に必要な
のは、実は、主語ではない。目的語である。つまり、対象である。
探求氏の説明を借りながら、コギトを易しい文章に変えると「存在している私
は思っている、だから、思っている私は存在している」となる。この文章が何
を隠蔽しているか明らかだろう。それを隠すことによって、便宜上の主語(私)
を招きよせ、確定してしまうのである。それを詐術と言う。
最高位みたいなタイプは唯一無二ではないが、最高位(という動態)のこの一瞬
の事物との関わりは、唯一無二です。時間がないので
>>569 については、また
のちほど。
611 :
素人 :2006/02/24(金) 09:36:45
>>567 > 他の人への書き込みを読めば
> いちいち説明しなくても理解できるでしょう
> 同じような内容のレスを書くのは面倒なんですよ
私のような異端児はこのスレに居ませんが?
少なくとも今、私と近い意見は248さんのみ。
そして、それについても、たいした返答は返ってきてないw
> 関係は関係のみでは存在しえません
なるほどw ならば、
あなたと私は、未来永劫交わることはない。
なぜなら私は、『(厳密に、冷徹に見るならば)関係のみが存在する』という立場だから・・。
> 関係は、そこらじゅうにいっぱいありますね?
> あなたの言う、唯一無二の関係も、いっぱいあります
あなたは、ほんっとに他人のレスを読まないんですね・・・ orz
> では、その関係が、なぜ他人ではなく私であったのか
> その違いは何ですか?
>>48 & あなたは、ほんっっとに他人のレスを読まないんですね・・・ orz
> 本当に不思議な事ですが、このスレには、このての質問が理解できない人が多数、存在しています
> あなたもそうですか?
あなたは、ほんっっっっとに他人のレスを読まないんですね・・・ orz
私は、あなたに多くの部分で同意するのに・・・。このスレでは
>>150 (名無しだったがw)
もし釣だとしたら、最高位は名手だな・・・(^^;)
ちなみに
>>23 (の中身)は、たぶん248さんw
>>609 論理性なんて一概に言えない、ってこと?
んじゃ最高位は「論理的」って言葉をどんな意味で使ってるんですか?
特に説明されてないから、てっきり辞書的な意味かと思ってましたよ。
>AやBが存在する という飛躍した前提を持ってきちゃ
>論理的な話ではないだろ?
いや、俺が使ってる論理的ってのはそういう意味じゃないっす。
AやBの内容が真であるかどうかは推論の論理性とは関係ありません。
推論の内容の正しさには関係ありますが。(ちなみにAやBは命題です)
内容の正しさと形式の正しさを区別してください。形式が正しい=論理的。
デカルトの議論の場合は「全てを偽と仮定する」ってのがあったから
論理すら疑わないといけなくなったんです。
この仮定に反して、前提されてない論拠を使ってるから論理的にまずいんです。
613 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 09:54:25
>>610 いやいや
キミのは論理性を無視して無理やりにこじつけた、自分の信じてる考え方を発表しているだけの
ただの独り言だからね
キミと素人君の為に書いたコレ→
>>582 読んでねw
>>611 >なぜなら私は、『(厳密に、冷徹に見るならば)関係のみが存在する』という立場だから・・。
だから、それは何で?
何でそう思うの?
キミはそこにいるんじゃないの?いないの?わけわからんな・・・
>あなたは、ほんっっとに他人のレスを読まないんですね・・・ orz
そんな事だけ言っても意味ないでしょう
せっかく今、読んでるのにさ
キミも読んでよ
>>582 キミの為に書いてみたよ
614 :
素人 :2006/02/24(金) 10:16:09
>>613 > 歩く事により、歩くという関係と同時に主体(と勝手に思われているキミ)は立ち現れるのです
> 関係です関係だけがあるのです
> キミが落ちるのではなく関係が落ちるのです
> その落ちたものを、そう呼びたければ「私」と呼んで差し支えありません
おお、最高位よ。まったくもってその通りです。
私はそのように言っているのです。
お出かけです。疲れてなければまた今夜w ノシ
615 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 10:21:01
>>612 >内容の正しさと形式の正しさを区別してください。形式が正しい=論理的。
うむ
まぁ、そりゃそうだな
だがキミは、私に証明性を求めたんじゃないのかい?
自分が自分を自分だと認識している この実感すら
他人に証明できないという理由で、この事実にすらフタをしてしまった
この事実は、いったいどうなるの?
その事に対する説明もなしに、否定だけしてしまったんではないのかね?
否定できないから在る という単純な言葉だけを言葉の通りに解釈すると
全く信用できない言葉ではある
そりゃ言えないだろ となる
しかし、この場合は言葉を省略しすぎなんだよ
自分を自分だと実感しすぎているほど実感している この実感は本当にあるのだろうか?
という事だからね
本来、否定する事の方が、無理がある状況の中での
何をどうやっても否定できない であって
あると考える以外ないだろう という事だよ
思想レベルでは十分に採用できる根拠なわけ
何をどうやったって無限に否定できない という論理性
ただし証明はできない というだけ
対 唯物論の思想レベルの対決に於いては、十分な論理性だと言える
唯物論にこそ、私を否定できる論理性が無い
>>605 >最高位は「私の存在性は確実なので、唯物論は明らかに間違い」という主張をしています。
これはまた意味がわかりませんね。
私の存在を否定する唯物論者はあまりいないと思いますがw
>>615 俺は最高位に証明性を求めたことはないですが、最高位の理論の証明性は否定しました。
それは信念・信仰に過ぎないといって、フタをしました。
なぜこうしたかというと、最高位自身が自分の実感に共感できない人に対して
「バカ」「論理的に思考できてない」「当たり前」と発言していたからです。
>思想レベルでは十分に採用できる根拠なわけ
これはその通りです。ただ、同じ思想を持たない人が採用しなくてもバカとは言えない。
他の人が「論理的に」考えたって最高位と同じ思想を持つとは言えないんですから。
そこで、俺が今問題にしてるのは「論理的」という言葉の意味です。
最高位はどういう意味で使ってるんですか?
少なくとも俺が理解している「論理的」ではないようですが。
>>617 前スレからそうだが、馬鹿が馬鹿を叩いて優越感に浸る議論ごっこだ。邪魔も糞もないだろw
馬鹿な癖に馬鹿を叩く、そいつが一番の糞なんだがなw
「我思う。故に我在り。」 我思う→我在り さて、この時、どのような推論を言っているのか。 例えば、 「xは思う」をP(x)と置く時、 ((x=私)∧P(x))→(x=私) ? ←しかし、これはトートロジーくさい。 それとも、 ((x=私)∧P(x))→∃x(x=私) ? それとも、 ((x=私)∧P(x))→∀x(x=私) ?
×推論 ○命題
「全てを偽と仮定する」
これのせいでデカルトの証明は証明としては間違ってしまうんですが、
この仮定はとんでもないですよ。
「私が私であるという実感すらも夢ではないのか?」と疑うような行為だからです。
最高位が言うように、普通に考えたら不可能なはずなのに、それでも疑うという決断。
デカルト自身は最終的に確実な「私」にたどりついてしまったかもしれませんが、
この決断はまさに哲学だと俺は思います。
もちろんこれも思想・信仰・信念です。
だから俺は、最高位が証明じゃないと認めた後は「我思う故に我あり」の真理性を
否定していません。むしろ肯定しています。
>>467 >>471
623 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 11:43:47
>>618 まともな反論ならバカにしたりしないよ
ちゃんと理解した上での反論ならね
こっちが言ってる事の内容も理解できないくせに
偉そうに見当はずれな事ばかり言うから アホか と言うんだよ
論理的ねぇ
論理性にも種類があるでしょう
例えば、具体的な例として
物理的に全く同じものを作成する と定義しても
『私』は作成されない
物理的に100%全く同じ と定義しているのだから
物理的な要素に『私』の要因が存在している可能性は
100% 全く有りえない
これは100%論理的でしょう
こういうのを具体的な例と言うんだよ
しかし常に100%完全な論理性では構築できない
人間というものは、唯物的には解明できないんだよ
たとえば、『私』の存在性については、これは証明性は適用できない
これはあくまでも『前提』だよ
どんな事をしても否定できない『前提』であり
哲学を哲学する上で、最初の出発点になる
どうやったって、そうなる
それに対して反論してくるのなら当然「では否定して下さい」となるわけだが、絶対にできない
唯物論者はマトモには反論できないから
いつも、話題をすり替えて来る以外にないわけだけどね
唯物論者は、相手に対してだけ、何でも唯物的に理系で割り切れるはずだろ
という論法でくるから、ごまかされてはいけない
自分自身が唯物的に説明しきらなければならないのに、相手にばかりそれを求めるのだよ
逆だっつーの!こっちは人間には神秘的な部分があると主張してるんだからさw
唯物論の矛盾点を指摘するだけでいいのにバカだね
機械タンは理系! カコイイw
625 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 12:06:29
>>622 >だから俺は、最高位が証明じゃないと認めた後は「我思う故に我あり」の真理性を
>否定していません。むしろ肯定しています。
最高位が認めた という言い回しはおかしいんじゃないか?
証明してるなどと最初から言った覚えはない
勝手に勘違いしていたんだろ?
『私』という主観性は、他人に証明するスベなど無い
逆もしかり
他人に『自我』ある事を直接に認識する事など不可能であり、また証明も不可能
と昔から言ってるだろ私は
>もちろんこれも思想・信仰・信念です。
という事は
唯物論はもっと信仰的要素が強い事になる という事は理解してるのかな?
>>もちろんこれも思想・信仰・信念です。 >という事は >唯物論はもっと信仰的要素が強い事になる という事は理解してるのかな? なんでなんで?なんでもっともなの?
×もっとも ○もっと
628 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 12:22:03
>俺は最高位に証明性を求めたことはないですが、最高位の理論の証明性は否定しました。 >それは信念・信仰に過ぎないといって、フタをしました。 うむ よしよし では、キミは今日から唯物論を含めた、全ての実在論 を始め 全ての哲学にフタをしなさい キミが実感している実在も証明する事などできない フタをしなさい 更に、キミは自分自身の存在性についてもフタをしなさい 全ての信仰にフタをしなさい 世界の全てに、フタをしなさい クチにチャックしなさいw
>論理性にも種類があるでしょう >例えば、具体的な例として つまり俺の理解する「論理的」と同じ意味で使ってることもあると解釈します。 他にはどんな意味で使っていますか?あと一つだけでいいので教えて欲しいです。 >物理的に全く同じものを作成する と定義しても >『私』は作成されない 「私の存在性は確実である」と前提されてるんだから当然ですよね。 「『私』の存在性は確実と前提すると、『私』は唯物論では説明できない」 推論としては正しいと思いますが、唯物論の矛盾の指摘としては無意味じゃないですか? 「そんな前提勝手にして矛盾導き出さないでよ!」って唯物論者は思うと思いますが。 こう言われたら次は最高位がその前提が正しいことを証明しなきゃいけなくなりますよ。 だって「矛盾してる」って言い出したのは最高位なんですから。 この時に「私の存在性は前提なんだから」ということはできませんしね。
>最高位の理論の証明性は否定しました 前提である公理的な命題の証明性を否定しただけなのになw馬鹿最高位だなw 馬鹿にしてるはずなのに馬鹿なことを書くw相手にしなきゃ馬鹿もばれずまいにw
631 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 12:52:18
>>614 >> 歩く事により、歩くという関係と同時に主体(と勝手に思われているキミ)は立ち現れるのです
>> 関係です関係だけがあるのです
>> キミが落ちるのではなく関係が落ちるのです
>> その落ちたものを、そう呼びたければ「私」と呼んで差し支えありません
>
>おお、最高位よ。まったくもってその通りです。
>私はそのように言っているのです。
だろ?だろ?
ちゃんと読んで理解してるだろ?w
でもこれを省略しちゃイカンよ
次の行
>どうぞ安心して、真っすぐ歩いて行っちゃって下さい
一回、ビルの屋上から、落ちちゃってみれば?w
って、ウソウソ
2ちゃんて、本当に落ちちゃう人がいそうだから怖いわ・・・アブナイ
まぁ、キミには『私』と『他人』の区別がつかないらしいから
これからの収入は全て、国や地方自治体、またはボランティア団体等に寄付すればいいよ
所有観念なんて無いんだろうからね
んで、他人を『私』だと思い込んで生活するのもオツかもね
たとえば、「私は他人である!」とか言いながら
「誰が私のサイフを使っても、それは私なんだから自由だ!」言いながら
発展途上国なんかで私財を全額寄付して、生涯その地の人達の為に奉仕生活する
なんてのもキミにとっては、幸せの一つの形なんじゃない?w
で、誰も一言の質問には答えられないのか? 意味を理解してるなら論理記号で表現できるだろ。
633 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/24(金) 13:10:24
>>629 ん?
勝手に?
だから反論があるのなら
まず「我思う故に我あり」を唯物的に否定して下さい と言ってるじゃない
第一、私がいない なんて事を言ってるのは
唯物論者の中ででも、ごく一部の特殊な人だけであって
このワケのわからない人を対象に考えなければいいだけの話ですよ
こういうふうな自分に自我がある事も自覚できないような人達を相手にする必要など
実際にはないとも思いますね
もし万が一、唯物論者の大半が、自我を放棄したのなら
それはそれでスゴイ事でしょうがねw
まぁ今日は急に時間がなくなりましたので
ではまた
>>632 わざわざ言葉で表現できることを記号で書いて何の意味がある?
論理記号で対話するのか?一言の自己満足にしか見えんがなw
>>623 >物理的に全く同じものを作成する と定義しても
>『私』は作成されない
>物理的に100%全く同じ と定義しているのだから
>物理的な要素に『私』の要因が存在している可能性は
>100% 全く有りえない
それは、『この私』でも『この机』でも全く同じことだって、
前スレで散々教えてあげたでしょ〜。忘れちゃったの〜w?
637 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 14:13:44
>>636 でも、この机とあの机は違うんじゃない?
この机は木製だけど、あの机はスチール製
だとか、よくあるし。
638 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 16:20:49
多重人格の「この私」と「あの私」は違うんじゃね?
639 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 16:24:51
故に「この私」と「この机」は全く同じことだって、ことじゃね?
640 :
248 :2006/02/24(金) 16:28:04
>>582 >>613 最高位の“名文”を読ませていただきましたが、ここからどんな教訓を汲み
取れというのでしょうか。最高位の言う“純粋な存在性としての最高位”が
穴ぼこに落ちる心配はありません。人間や色々なことにかかずらわされてき
た“関係意識”の最高位が落ちるのです。痛いかどうかは、人それぞれでし
ょう。
「純粋な存在性としての私は存在する」という文章とコギトは、たしかに
似ている。どちらも目的語(対象)を排除している点だ。ただコギトの場合、
それを隠してはいない。「思う」は他動詞だからだ。それに対して“コギト
原理主義者”最高位のそれは、純然たる自動詞。何にも凭れずに、最高位の
“私”は屹立している。しかし、それは自閉している(差別語なら許せ)か、
死んでいるかのどちかである。
本日は疲れぎみなので、他のスレで遊んできます。
>>637 ああ、まさに「この机」が「この机」であるのは、それが
木製であるかスチール製であるか等の物理的性質とは全く関係なく、
今まさに私(任意の意識)がそれを指示している、という事実によるわけです。
従って、この机と物理的に全く同じものを作成しても、
それが「この机」になることは、有り得ません。同時に複数の「この机」が
存在することも、定義によって、有り得ません。
1番から100番まで番号を振った机があり、次々に指示する机を変えて
行っても、私(任意の意識)にとって、「現在」における「この机」は、
常に世界で唯一の「この机」だけです。
「この私」でも、全く同じことなのですw
642 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 17:53:29
>>639 「私はピアノ」ってヒット曲あったけど
「私」=「ピアノ」という哲学的真理を
歌っていたのかな。
((x=私)∧P(x))→(x=私) 「xは私である」かつ「xは思う」 ならば 「xは私である」 ((x=私)∧P(x))→∃x(x=私) 「xは私である」かつ「xは思う」 ならば 「私であるようなxが存在する」 ((x=私)∧P(x))→∀x(x=私) 「xは私である」かつ「xは思う」 ならば 「すべてのxは私である」 この述語論理でのポイントは二点。 ・「私である」が述語として扱われており、なんらかの属性とみなされている ・「x」が主語として取り出されている 主語xとは何かというと、その命題の発話者の指示対象=「これ」である。 俺が「『この』性が唯物論ではとらえられない要素だ」といったのは 「主語xが唯物論的な意味では存在していないのだ」ということと同じである。
>>643 まず、一番目は明らかにトートロジーですね。
すると、「故に、私在り」は余計だということになると思います。
二番目も三番目もそれっぽい気がします。
(「xは私である」)。
だとすると、「我思う。故に我在り。」という命題は、いったい
どういう構造をしてるんでしょうか?
「ゆえに我あり」の部分じゃなくて「我思う」が余計なんじゃね? まあ、どっちでも一緒か。
>>645 どうも「xは思う」が余計みたいですね。
>>646 かな。
これって要するに、
我在り∈我思う だから、「我あり故に我あり」
っていう分析なんでしょ。そこの信憑性はどうなの?
そもそも、「我思う」に「我」が含まれてるじゃん、というツッコミが できるのかできないのか。
>>647 そこは何とも。組み方がおかしいのかもしれないですし。
>>649 推論にはなってないと思います。
前提−結論の構造になってないのではないですか?
前提:私は存在する。 結論:私は存在する。 この推論は妥当である。 と解釈できなくもない。
652 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 18:59:57
思う=在り なんじゃね?
>哲学者ガッサンディはデカルトの命題を、「(1)全て考えるものは存在する、 >(2)私は今考えている、(3)ゆえに私は存在する」という三段論法と異ならないと批判した。 >しかし、デカルトにとって、「(1)全て考えるものは存在する」は、疑わしい。 これは深読みしすぎで、「(1)全て考えるものは存在する」という前提は立ってない んじゃないかと思います。
ガッサンディのデカルト批判は「我在りは三段論法の結論に過ぎない」だが、 一言のデカルト批判は「要するに我在りは前提なんだろ?」ということ?
>>655 何か差が出るの???
(´・ω・`)ゼンゼンワカラン
別に出ないと思いますよ。「我在り」の真偽はどちらでも出てきませんので。
参考にどうか分からんけど、カントのコギト解釈を貼っときます
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~library/ronsyuu/pdf/2003/049P01_YAMADA_H.pdf 『純粋理性批判』
> K2「私は思惟する」(Ich denke)はすでに述べたように経験的命題(ein empirischer Satz)であって、
> 「私は存在する」(Ich existiere)という命題をそのうちに含んでいる。しかし私は「思惟するものは
> すべて存在する」ということはできない。なぜならそう言うとすれば、思惟するという性質が、この
> 性質をもつ一切の存在体を必然的な存在体たらしめることになるであろうからである。であるから、
> 私の存在は、実は、デカルトが考えたように「私は思惟する」という命題から推論(folgen)された
> ものと解されてはならず(なぜなら、さもなければ「すべて思惟するものは存在する」という大前提
> が先行しなければならないから)、むしろ「私は思惟する」という命題と同一(identisch)なのであ
> る。3 B422
> K 第一命題(「私は思惟する」)で言われていることは「すべて思惟するものは実際に存在する」とい
> うことではなく、……むしろただ「私は思惟しつつ存在する」(Ich existiere denkend)ということ
> である……。それだからこの第一命題は経験的であって、単に時間における私の表象に関して私の現
> 存在の規定可能性(Bestimmbarkeit)を含んでいる。B420
> しかし私は「思惟するものは > すべて存在する」ということはできない。なぜならそう言うとすれば、思惟するという性質が、この > 性質をもつ一切の存在体を必然的な存在体たらしめることになるであろうからである。 これでいけない理由がよく分からないんですよね。
参考になるかどうか分からんけど、また貼っときます
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~library/ronsyuu/pdf/2003/049P01_YAMADA_H.pdf デカルトは
> D 「私は思惟する、ゆえに私は在る」という命題は、あらゆる命題のうち、順序正しく哲学する者なら
> だれもが出会う、最初の、最も確実な命題であると私が言ったとき、だからといって……「思惟する
> ものが存在しないということはありえない」(quod fieri non possit, ut id quod cogitet non
> existat)を、その命題よりも前に知っておかねばならないことを否定したわけではなかった。
> Principia.I.10
> D 「私は思惟する、ゆえに私は在る」という結論に先立って、その大前提「すべて思惟するものは在る」
> (quicquid cogitat, est)は知られることができます。なぜなら、実際この大前提は私の結論よりも先
> にあり、私の結論はそれにもとづくからです。かくして著者(デカルト)は『哲学原理』で、大前提
> が先行するとしています。なぜなら、潜在的にはそれが常に前提され、先行しているからです。しか
> し、だからといって常にはっきりと顕在的に私がその先行を認識しているわけではなく、私の結論の
> 方を先に知ります。なぜなら、私が注意を向けているのはコギト・エルゴ・スムのように、私のうち
> に経験されるものについてのみであって、「すべて思惟するものは在る」という一般的知見にはそれ
> ほど注意を向けていないからです。Entretien avec Burmann. AT.V.147
と考えたからじゃないかな…
661 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 19:38:40
どうもおれらは「思う行為(そのもの)」を指して我と呼んでるんじゃ? 「思う」は「在り」の根拠や前提じゃなくて「主体そのもの」なんじゃね?
662 :
素人 :2006/02/24(金) 19:38:43
>>631 > 次の行
> >どうぞ安心して、真っすぐ歩いて行っちゃって下さい
>
> 一回、ビルの屋上から、落ちちゃってみれば?w
そんなつもりはありませんw
私は、【諸々の総体としての私】【唯一無二の私】を大事にしていますので・・・w
> まぁ、キミには 〜〜〜 幸せの一つの形なんじゃない?w
てか、ほんっっっっっっっっとに他人のレスを読んでないんですね・・・ orz
私は、そのようなことは一度も言っておりません。
私は、【私】を否定してもいないし、【常識的な日常的な私】を否定してもいない。
『【私】が【他人】と同じである』と言う時、『【私】が【石ころ】と同じである』と言う時、
それは、存在の在り様を日常とは違う側面から見た場合だ。
また別の側面から見たならば、【私】は【他人】と同じではないし【私】は【石ころ】と同じではない。
また別の側面から見たならば、【私】は【他人】と同じではなが【石ころ】と同じかもしれない。
また別の側面から見たならば、【私】は【他人】と同じかもしれないが【石ころ】と同じではないかもしれない。
よーするに、と゚の場面・どのような議論において、どこに【私】とラベリングするか?
ここまでの一連の流れにおいては、ノートの中の文章にラベリングすべきだと思ったからだ。
場合によっては、ノートの中の文章の中の文字に貼ってもいい。引き出しの中のノートに貼ってもいい。
引き出しに貼ってもいい。戸棚に貼ってもいい。部屋の入り口に貼ってもいい。家の玄関に貼ってもいい。
(喩え方がむつかしかったかな?)
大事なのは、ラベリングすることなしに、人は『自分』たりえない、ということだ。
ここまでの一連の流れと、この喩えの中で言えば、
あなたは引き出しにラベリングし、私はノートの中の文章にラベリングしたにすぎない。
引き出しに貼った場合、崖から落ちるのはまぎれもなく『私』です。
ね、眠い・・・w
663 :
素人 :2006/02/24(金) 19:41:12
うわっ、すごいタイミング・・(^^;
>>661 さん、私はまさにそのように言っているのですw
カントとデカルトの見解は逆と言うことでいいんですかね? カントは「すべて思惟するものは在る」という大前提が必要になるから、 「我思う。故に我在り」は推論ではなく、同語反復であり、 デカルトは逆に「すべて思惟するものは在る」という大前提を否定する つもりはない(それどころか先行を認める)と。
あ、違いますね。 主体そのものとまではカントは言っていない。 「我思う」と「我在り」は同語反復であると。
>(quod fieri non possit, ut id quod cogitet non existat) これは「思惟するものが存在しないということはありえない*はずだ*」 というニュアンスだ思うんですが、どうでしょうか? ニュアンスから察して、これ以上論証する気はないんですかね?
>>668 >>660 > なぜなら、潜在的にはそれが常に前提され、先行しているからです。
からじゃないの?
670 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 20:14:16
言説の真意を洗う作業と 言説をテーマにさらなる命題を発掘する努力が混在してる?
カントや最高位の読解のように「思う」をそのまま「思惟する」と読むとトートロジー に過ぎなくなる。。しかし俺は『方法論的懐疑』を重視したいので、「思う」は 「自己言及的に疑う」と解すべきと考える。 「我は我を疑う。故に我あり」 すなわち 「xは私である」かつ「xがxを疑う」 ならば 「x´が存在する」 xとは指示対象=「これ」である。 「これ」と指示される内容が前提と結論では異なっているということがポイント。 デカルト「コレがコレを疑ったら、なんかコンナノが出てきたんだけど。」 x´とは前提に出てきた疑わしきxとは質が違う。 自己言及したが故に出現した素性が知れないx´なのである。 xの存在が偽であっても、それには影響されないような謎のx´の存在性。 しかし、実際にx´の存在性を示すとそれはxに回収されてしまい、存在しなくなってしまう。 このような微妙なところを表現しているのが「我思う故に我あり」だと思う。
>>669 そこも接続法だと、
「なぜなら、潜在的にはそれが常に前提され、先行しているはずだからです。 」
こんな感じになりませんか?
>>671 それは懐疑の無限後背の構造を示してるんではないですか?
>>673 「この私」を「私」に回収してしまえばね。
言い換えると、「この私」が「私というグループ」の一員であると考えるならね。
そこに差異を見出す視点からは無限後退しないです。
>>672 >>649 にも、ちょっと書いてあるけど、要するに直観だからじゃないかな?
一応貼っておきますねえ…
http://www.lit.nagoya-u.ac.jp/~library/ronsyuu/pdf/2003/049P01_YAMADA_H.pdf > D だれかが「私は思惟する、ゆえに私はある、私は存在する」と言う場合には、かれは存在を思惟から
> 三段論法によって演繹するのではなくて、あたかも自ずから知られたものとして精神の単純な直観に
> よって認知するのである。そのことは、もし存在を三段論法によって演繹するというのであれば、彼
> はそれより先に「すべて思惟するものはある、存在する」(illud omne, quod cogitet, est sive
> existit)というこの大前提を知っていなければならなかった、ということからして明白である。むし
> ろその人は「存在していなければ思惟することはできない」(fieri non posse ut cogitet, nisi
> existat)ことを、自らにおいて経験することからその大前提を知るのである。というのは、特殊なも
> のの認識から一般的な命題を形成するのがわれわれの精神の本性であるからだ。
> Secundae Responsiones.AT.VII.140-141
>>674 それは超越的な認識の固定点があるということですか?
差異を見出すのは誰なんですか?
677 :
素人 :2006/02/24(金) 20:49:40
よーするに、 『人は、なにかしら足場がないと不安な生き物』 ってことでFA? w
>>675 ではやはり論証はそれ以上されないということですかね。
>>676 誰なんだろうな?って考えたときにまた現れたx´´としての俺ですねw
一言のせいで無限後退したじゃねーかぁあああw
>>678 これは、俺が本当に個人的に思うことなんだけど、
命題そのものが直観で、命題の論証は後付けのような気がするんだよね
疑い得ない直観っつうか
681 :
素人 :2006/02/24(金) 21:04:07
>>677 あ、でも、ヒトだけじゃないな。
ヒトは(二足歩行で地面に依存しているせいか?)、踏みしめる大地がないことに不安を覚える。
地震が怖いのは、まさにそこだろう。
が、樹上生活をする動物は、
木の一本も生えてない平原に放り出されたら、とてつもない恐怖を感じるだろう。
しかし、
寄りかかるべき確かなもの(自分を裏切らない(≒不変な)もの)って
あるのかな?
>>679 他動詞を使う限り無限後退すると思います。
>>680 まあそういうことは多いと思います。
>>682 ああ、失礼。よく考えたらやっぱ無限後退しないじゃん。
問われて思わずx´をxに回収しちゃったけど、x´´もx´もxも全然別だった
やっぱ対象をその瞬間のみで捉え続けるって普通の人間には無理だなw
気付かないうちに概念に回収しちゃってることをリアルで体験
>>683 いや、むしろ逆で全然別だから問題がおきます。
その調子だと、x''',x''''も生じるのではないですか?
探求者の場合、無限後退というよりも無限増量だな。 世界は無限のxで埋まってしまう。
686 :
素人 :2006/02/24(金) 21:42:40
>>684 生じるでしょうね。
けど、それほどの問題とは思えませんが? (・∀・)ニヤニヤ
と、いっちょかみしてみるテスツw
ってか、認識の無限後退って認識主体をひとまとめに 回収できないから起きるんじゃないの??? 「「「我を疑う我`」を疑う我``」を疑う我```....」
>>686 世界の限界に向かって収束するんですか?
発散じゃないのか?
発散の可能性もありますけどどうでしょうか?
691 :
素人 :2006/02/24(金) 21:57:44
>>688 (
>>685 さんにも)
みなさんは、一回の遡行(「○○を疑う××」を疑う△△)を、どれくらいのスパンで設定していらっしゃるのでしょうか?
いや、そもそも、『疑う』という行為は、無時間的に行うことが可能なんでしょうか?
100回前の疑いは、まだそこあるんでしょうか?
(半分はマジな疑問。)
>>684 さっき一言に言われて"初めて"俺が疑ったように、実際に自己言及しないと出てこない。
んで自己言及したときに実際に出てきたやつは、毎回新しい「コンナノ」だ。
n回疑った先にもやっぱり出てくるのでは?とは考えられるが、
それは今予想してる「ソンナノ」であって「コンナノ」はそこに回収されない。
だからn回疑った先に「コンナノ」が出てくるとは言えず、無限後退はしない。
疑える回数が有限である、なぜなら俺は死ぬからって考える事もできるけど
それは違うってレヴィナス言ってたな。
これ使った方が「n回疑った後に(n+1)番目のx´が存在する」っていう
数学的帰納法による「私の存在証明」を否定しやすいんだがなー
>>691 アキレスと亀が競争した。
アキレスは10m後ろからスタートする。
アキレスは5m,2.5m,1.25mおきに加算される万歩計を身に付けている。
追い抜かれた亀はアキレスに聞いた。
「ところで、君の万歩計はいくつを指してるのかね?」
>>692 毎回新しい(=新しい認識主体が無限に生じる)から無限後退すると思ってたけど違うのか?
>>694 2006年1月1日がきて、1月2日がきて、1月3日がきてって続いていっても
無限後退してるとは言わんだろ?
遡っていくんじゃなくて、実際に疑うたびに新たに出てくるだけなんだ。
疑われる前からあったものを見つけたんじゃないんですよ。
そーいや無限に関する議論で、数学的帰納法を否定する論理があるって話
思い出したんだけど誰か知らない?あれ論理構成主義っていったっけ?
>>695 いや、新たに出てくると認識の客体が広がるんだよ。
つまり、疑うたびに世界がだんだん広がっていく。
「未来は無限に遠ざかる」に似ていると思う。>1/1,1/2,1/3...
「疑わなきゃ広がらない」ってのは織り込み済みじゃなかった?>認識論では
その前に「私は私を疑う」があやしくね? 自己言及可能なのか???
698 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 22:25:45
嘘つきが「私は嘘つきです」って言ってるみたいだ
>>695 探求するたびに認識の客体が広がるのは、何か無限後退になるの?
認識論で織り込み済みってのはちょっとわかんない。説明頼む
>>697 俺の解釈だとそれはねー
「私は私を疑った」つもりだったが、実は「私´が私を疑っていたぞ!」っていうこと。
700 :
素人 :2006/02/24(金) 22:26:21
>>693 たとえ何回前の疑いでも、そこにあり続けるということですか?
>>685 さんの指摘が妥当だ。ということですか?
時間を考える時は、常に必ず微分すべきだ。ということですか?
私は昔から、このアキレスと亀の話の「意義・役割・効果」が解らないのです。
っと、
>>693 では追い抜かれてますね・・・
ますます ? です・・・
アキレスと亀では、前にこのスレでも出てきてましたね。
いつごろでしたっけ?決着ついてましたっけ?
なんか、「あぁ、なるほど。」と思った記憶はあるんですが・・・。
>>699 >「私は私を疑った」つもりだったが、実は「私´が私を疑っていたぞ!」っていうこと。
「それが『理論上(実際に疑わなくてもよい)』無限回可能である」=無限後退説
>>700 いくつを指してると思いますか?
いくつか候補を。
1、∞
2、最大の自然数
3、解なし
まあ私も分からないんですがね。
「われおもうゆえにわれあり」を記号で表現するとしても「われ」や「わたし」という語は記号に載せるには不適な表現だから まずは「われ思うゆえにわれあり」を 「わたし」という語を使用しないで定式化することを試みてはどうだろう 「思推するわたし」という言い回しはグルっちも好きな表現だったが それが真意を伝えやすい表現だとは思えないねぇ 次に少し実験をしてみよう
わたしは今、熟睡している
>>1 なんか我田引水な帰結を当たり前のように織り込ませてハジョウしてますよ命題
機械君が書いた表現を参考にした
> 熟睡している時には『(「あなた」にとっての「私」は「存在」しない』
>・・といういことでよろしいのでしょうか?
>>705 の文章は真であると思う?それとも偽であると思う?
「真」や「偽」という言葉に抵抗があるなら
>>705 で、俺は正直に話してると思うか?それとも嘘をついてると思うか?
また、真や偽であるならそれを証明できるか?
また、真であることが証明できないとしたらどのような反論が可能か?
708 :
702 :2006/02/24(金) 22:50:31
>>700 万歩計のカウントスピードが無限大と仮定するなら、無限大を指してるはずじゃね
>>707 トウシロの俺は事実であるのかないのかが不明だ、というのしか思いつかなかったりする
712 :
248 :2006/02/24(金) 22:57:13
>>641 そのとおりですが、厳密に言うと、この瞬間の「この机」は次の瞬間には別の
机に変化しています。その際、その机と関わる「この私」も次の瞬間には異な
る“私”に変わっているということです。
たとえが下世話ですが、どうやら世界は完全な“変動相場制”らしいのです。
変化し続ける“私”と“事物”そして両者の関係。いま、この私・事物・関係
の変移をそのまま記述できる記号も視点も存在しません。最高位は別ですが。
機軸のない世界は不安定であり、常に不安感が忍び寄り、それが機軸としての
『私』を招き寄せたのでしょう。が、これは偽造です。動態としての私の断面
を切り取り、静態の私(名詞)をでっち上げただけです。欺瞞は新たな不安を招
き、欺瞞を重ねる。それが“神”の創造でしょう。世界は、変動相場制からフィ
クショナルな『私と神』による固定相場制にかわりましたが、偽造による安定
は所詮、長続きしません。
713 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/02/24(金) 22:57:16
>わたしは今、熟睡している 外部からの情報を収集するという意味での意識が停止しているから、 寝ている私という外部情報を収集できない!
>>710 それはわからんが、問題文の前提に既に数としての無限大が
含まれてるからそうとしか答えようがない気がする
>>710 禅問答は苦手なので論点を分かり易くお願いします。
(´・ω・`)
時間は影響するのか。 何時から始まるのかね、 何時からどの机に影響するのかね。
717 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 23:01:51
>>712 時間を存在に優先させてどうする
仮に時間というものがあるとしても存在の属性にすぎないというのにw
718 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/02/24(金) 23:03:56
>>712 動的なものについては考えようがありません。
せいぜい、静的なものの連続変化くらいです。
>>714 >>715 元ネタは野矢茂樹の『無限論の教室』のアレンジです。
先生「アキレスと亀の問題を知っていますか?」
生徒「はい。知っています。キプロスのゼノンの有名な詭弁です。」
先生「君は、今、『詭弁』と言いましたね。どこが詭弁ですか?」
生徒「はい。ゼノンは、無限の点を通るには無限の時間が掛かるという
誤りを犯しています。無限の点を通過するには有限時間で足ります。」
先生「本当に無限の点を通るのに有限時間で足りるんですか?」
生徒「はい。極限の概念が知られるまではこの問題は解けませんでした。」
先生「では、問題を変えて見ましょう。」
アキレスは亀と競争します。
この時、アキレスは距離を半分縮める毎に自然数を数えます。
5m近付けば1、さらに2.5m近付けば2、さらに1.25m近付けば3・・・と。
さて、アキレスに追い抜かれた亀が訊ねました。
亀「君が最後に数えた自然数、つまり最大の自然数を教えてくれたまえ。」
720 :
素人 :2006/02/24(金) 23:06:13
>>705 測ってみなきゃわからない。
だって、アキレスがと゚のくらいのスピードで、亀がと゚のくらいのスピードで、
途中でスピードに変化があるかもしれないし、つまづくかもしれないし、吉野家に寄るかもしれない。
純粋に思考実験で、理論上はどうなのか?と問われたら、
数学食わず嫌いの私には、やっぱりわかりません。
けど、スタートしてからいつ追い抜かれたのか?に依るような気がする。なんとなく。
けど、2が、なんらかの数値を示す。ということであるなら、
2に近いかな?(最大かどうかは知らんけど・・)
>>719 の続き
生徒「先生、最大の自然数などというものは存在しません。」
先生「なぜですか?」
生徒「自然数は無限にあるからです。」
先生「しかし、君はさっき『無限の点を通るには有限の時間で足りる』と
言いましたね。では、無限の自然数を数えるのに有限の時間では足り
るのではないですか?」
生徒「一定の長さの上にある無限の点を通過するのと、無限の自然数を
数えるのとは違います。」
先生「どう違うのですか?」
生徒「・・・それはですね・・・多分、前者は一定の距離に限定されている、
つまり終点があるのに対して、後者には終点が無いからです。」
「私とは事物との関係である」 これはまぁ間違っちゃいないんだが、もっと正確に言うと 「私とは、あなた・それ・あれ・これ・・・との関係性を示す記号である」じゃね? 昨日「わたし」や「右」といった名詞を、名詞を使わずに示そうとしたら どうしても『視線の向き』に頼らざるをえないってことに気付いて、 これが「わたし」の起源なんじゃないかと思ったんだが、どうだろうか。
>>721 の続き
先生「それはおかしいですね。」
生徒「なぜですか?」
先生「途切れの無い一定距離の直線上にある点の数と、自然数とでは
どちらが多いですか?」
生徒「<多い>という概念が当て嵌まるかどうかは分かりませんが、
無限の<濃度>について言えば、直線上にある点の数はアレフ1であり、
自然数はアレフ0ですから、点の数の方が濃度が高いです。」
先生「では、全ての点を通るよりも先に、自然数を数え終えるのではない
ですか。つまり、アキレスは笑ってこう言うかもしれませんね。」
アキレス「亀君。僕は最後の点を通過するとっくの昔に自然数を全部
数えてしまったよ。だから、最後の点の時、もう僕は自然数を数えて
いなかったのだ。」
生徒「しかし、亀はこう言うのではないですか?」
亀「では、いったいどのへんで自然数を数え終えたか教えてくれないかね?」
先生「で、なんと答えたものでしょうか?」
生徒「・・・そんなことはありえないと思います。」
先生「直感ではそうですが、さて?」
どこがおかしいんでしょうね^^;
724 :
248 :2006/02/24(金) 23:24:55
>>705 その表現は、虚偽です。「熟睡している」がある、ということでしょう。
ただ、この場合、だれが主語か。ゾルレン氏ではありません。そう述べて
いるこの私か。むろん、違います。私は、単なる“視点”でしょう。
とすると、動詞の私が存在するためには、他者の存在を前提にしなければ
ならないのかもしれません。
>>723 思考実験に対して「その思考実験は現実では不可能だ」、
ってのはやっぱダメ?
(´・ω・`)ジッサイニハカゾエラレナイヨネ
726 :
考える名無しさん :2006/02/24(金) 23:26:54
>>723 オカシーノハ オマエノ アタマニ キマッテルダロw
>>725 それはありえますよ。
野矢先生は「無限は実在する」に対して「無限は可能性でしかない」
という立場を対抗させますね。もっとも、数学者の大半は前者だそう
ですが。
>>722 素人や一言が随分前にその説言ってたよ。
>>707 705は真である。
寝ている本体が他方に自分の状態を表現できないという意味では偽である。
>>728 すると懐疑の無限性も実は可能性に過ぎないということだろうか???
(´・ω・`)ジッサイニハシンジャウシネ
>>707 ちょっと思いつきだけど、
今のゾルレン氏についての事実の真偽を問う命題なのか、
ある「わたし」についての事実の真偽を問う命題なのか、
が分からんということなのかな?
人生は有限である。これは真である。 ご利用は計画的に>ALL
735 :
素人 :2006/02/24(金) 23:49:04
>>729 もし居酒屋に寄ったら、
「亀なんかどうでもいいやw 明日謝っとこう!」
と腰を据えてしまうでしょう。(私だったら・・・w)
【必要な】条件を揃えたら、何らかの数値は出そうなもんだが・・・。
てか、だから数学は嫌いなんだ・・・(^^;)。
>>730 私?
起源についての発言しましたっけ?
>>730 おー1人よがりじゃなかったか。やっぱそうだよなぁ。
視線の向きが違うのに、同じモノを示さなきゃいけない場合
どうしたって視線の下(原点)をラベリングする必要が出てくる
ミツバチダンスを言語としてみても、原点が巣でみんな一緒だから
「私」なんて使う必要ないんだよな
738 :
248 :2006/02/25(土) 00:07:32
>>717 時空を同時に変化させたつもりですが、表現が下手でごめん。
739 :
素人 :2006/02/25(土) 00:27:09
だめだ・・ 限界・・・ ミ(っ_ _)っ=3 パタッ・・・ zzz (っ_ _)っ
740 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 00:52:07
>本来、否定する事の方が、無理がある状況の中での >何をどうやっても否定できない であって >あると考える以外ないだろう という事だよ 物理法則に従わない例外的存在はいまのところ見つかっていないのだから、 (どこまで厳密にしたがっているのかわからないものはあるものの、おおよそ観測技術の問題) 唯物論は成立すると考える以外にないだろう 物理法則にしたがっていないものなどあるのだろうか?
すまん、本気でうたたね寝していた
これではシャレにもならん
「ゾルレンは今熟睡している」
「彼は今熟睡している」
このような発言なら、それは真であるか偽であるかはわからない
だが、「わたしは今熟睡している」という表現なら
一般的な感覚はそれが偽だと強く訴える
なぜなら、この表現は、その言葉の内容とするところと実際の行動が両立しないからだ
これが"理性的直観"ってやつだ
極端な例として「わたしは今この文章を書いてない」という表現でもよかろう
>「われ思うゆえにわれあり」という表現を、三段論法や論証の結果の帰結と読むのは適切ではない
>意識の内面に訴える証明不要の直観的真理である
こういう文章はたいていの教科書に書いてあるだろう
この理性的直観を感じてもらうためにちょっとした実験をした
ピカがよく「なんでもさじ加減」みたいな発言をするが
デカルトは、われわれが理性を使用するということはさじ加減じゃないんだよ、と
それを哲学の第一原理にすえたわけだ
ついでに言うと、反論の可能性はある
>>705 の表現が真である可能性はある
>>723 自然数は無限なので、数え終えることは出来ない。
>>720 ,
>>729 ,
>>735 アキレスと亀のバラドックスは、収束数列は無限に収束しないという仮定自体に偽がある。
実際には数列は収束し、0になる地点で、アキレスは亀を追い越す。
745 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 02:56:14
>>636 キミは、何度教えてあげても、いつまでたっても
唯名論という言葉が理解できないんだね
「この机」なんていうものは「この私」による概念にすぎないんだよ
>>640 >最高位の言う“純粋な存在性としての最高位”が
>穴ぼこに落ちる心配はありません。人間や色々なことにかかずらわされてき
>た“関係意識”の最高位が落ちるのです。痛いかどうかは、人それぞれでしょう。
いや、落ちるんだろ?
何を人事みたいに言ってるんだよ
真っ直ぐ歩いて行くと、キミは落ちるんだろ?
キミは、存在するから落ちるんだろ?
「関係」が落ちるんならキミの知ったこっちゃないだろうけど
キミは落ちるよね?
キミは『私』なんてものは、そもそも存在しない と言っていたよね
私ではなく、それは「関係」だとね
しかし、落ちて痛いんだろ?
人それぞれに痛いんだろ?
それぞれの『私』だから、痛いのは人それぞれなんだよ
で、キミは痛いのがイヤだから落ちたくないんだろ?
キミが落ちても、私は痛くないから知ったこっちゃないんだよ
でもキミ自身は当事者だから痛いわけだ
当事者であるキミ でもない、単なる「関係」というものだったら
文字通り、キミとは「関係」がないだろ
キミが落ちても、私は痛くない
なんでキミは痛いのかな?
キミは、キミだからだろ
物理現象における関係 というものは、宇宙全体で切れ目なくつながっているんだよ
なんでキミはキミであって、キミだけがキミなのかな?
746 :
胎内記憶保持者 :2006/02/25(土) 03:15:49
正しく栄えるで正栄だすがなにぬねの?
747 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 03:15:53
無限というものは、無かったら物理も数学も、そもそも有りえないわけだけれど 現実世界では、これは実在すると矛盾してしまう という、やっかいなものだ ちなみに∞というのは、数字ではありません これを数字と同じに扱って数式に使ったりはできません これだ と、定める事のできないものです
748 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 03:22:33
>744 ケツ学者君 それ逆だよ逆w わかってるんだろうけど、文章が間違えているよ >アキレスと亀のバラドックスは、収束数列は無限に収束しないという仮定自体に偽がある。 >実際には数列は収束し、0になる地点で、アキレスは亀を追い越す。 無限に収束すると追いつけないんだよ しかし実際の現実世界では追いつくんだから 無限には収束しないんだ とすればパラドクスは解け、矛盾しない という話 私が以前に説明した話を聞いていたのかな?
749 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 03:33:38
アキレスと亀の話も 答えを聞けば、何の事はないと思うんだけど 実際には、ほとんど答えは知られていないようだね なぜか答えを教えても理解できない人も多かったけどね まぁ、2ちゃんというのは、そういう次元だから 『私』なんていう現代哲学の最先端 時代を先取りした次世代哲学 なんて説明しても、理解できるわけないかw
> 2ちゃんというのは、そういう次元だから 哲学やってるやつのレヴェルはね
751 :
これが哲学クオリティw :2006/02/25(土) 03:47:19
アキレスと亀の話も 答えを聞けば、何の事はないと思うんだけど 実際には、ほとんど答えは知られていないようだね
752 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 03:47:39
それはそれ、としてそのまんま受け入れるもので 数学やらなんやらで解くたぐいのものではないと思います
>>633 唯物的に「我思う故に我あり」を否定すればいいんですか?簡単ですよ?
最高位の前提に「私は確実に存在する」があるように、唯物論者の前提にも
「存在するとは、物理的に記述できることである」というような前提があります。
唯物論側から見れば「『我あり』と言いますが、『我』はまだ物理的に記述できていません。
つまり「我あり」は真ではないです。だから矛盾してないです」ってことになります。
こう言われると最高位としては、最高位の前提を使わずに「我あり」を示さないと
唯物論の矛盾は言えなくなりますよね。
んで、「論理的に思考すれば、私が存在しているなんて当然」というような最高位の発言での
「論理的」という言葉の意味を教えてくださいね。
俺の意味での「論理的」だと「私が存在する」とは言い切れないことになっちゃいますので。
>>633 唯物的に「我思う故に我あり」を否定すればいいんですか?簡単ですよ?
最高位の前提に「私は確実に存在する」があるように、唯物論者の前提にも
「存在するとは、物理的に記述できることである」というような前提があります。
唯物論側から見れば「『我あり』と言いますが、『我』はまだ物理的に記述できていません。
つまり「我あり」は真ではないです。だから矛盾してないです」ってことになります。
こう言われると最高位としては、最高位の前提を使わずに「我あり」を示さないと
唯物論の矛盾は言えなくなりますよね。
んで、「論理的に思考すれば、私が存在しているなんて当然」というような最高位の発言での
「論理的」という言葉の意味を教えてくださいね。
俺の意味での「論理的」だと「私が存在する」とは言い切れないことになっちゃいますので。
755 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 05:46:10
>>753 >唯物論者の前提にも 「存在するとは、物理的に記述できることである」
>というような前提があります。
それはペテンだろ
それだと
水槽内にあるものは水槽内に存在している
水槽外にあるものは水槽内には存在しない
と言ってるのと同じであって、水槽内の説明にしかならない
すなわち
物理現象で説明できるものは唯物論で説明できるから存在する とし
物理現象で説明できないものは唯物論で説明できないから存在しない とする
それは唯物論における『存在観』を説明しているにすぎない
唯物論が正しい という前提における『存在』だという事だ
んなペテンないだろ
では
実存だと認識している物体が、私の妄想ではなく
実存している事を証明してもらいましょうか?
この命題を出しているのは、主観性の主観の立場である『私』です
『私』を否定しながら、『私』が認識している対象である『実存』を肯定する という理屈を
ぜひ聞きいてみたいですな
>>755 そうですね。指摘は正しいと思います。ペテンは言葉が悪いかとは思いますがw
唯物論は存在(世界)解釈の方法を定める思想なので、否定するのが難しいですね。
「私の存在性」を前提にした「我思う故に我あり」が否定しにくいのと同じです。
ともかく「唯物論が正しいと仮定すると、こういう矛盾が発生する」と言わないと
唯物論が間違っているとは言えないですよね。
だから矛盾を示すつもりなら、唯物論が正しいという前提で「存在」を解釈しないといけないわけです。
「実存」というのは「私」の身体のことですか?
身体ならば、実際にいろいろ物理的に記述されてると思いますけど。
「実存」とやらが物理的に記述できないとどんな問題が起こるんでしょう?
あと「論理的」の意味もお願いしますね。誤解がないようにしましょう。
すいません、誤読してました。「実存していることの証明」ですね。 「実存する」ってどういう意味ですか?「存在する」とは違うのかな。 「実存していることの証明」ができないとどんな問題が起こるかもお願いします。
758 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 06:23:04
>>750 >> 2ちゃんというのは、そういう次元だから
>
>哲学やってるやつのレヴェルはね
一応、突っ込むと
アキレスと亀の話は、哲学の話だから
2ちゃんの哲学板のレヴェル という事になるね
>>748 私はあのスレに居て数学的な誤謬は指摘したのですが、最高位殿が論理のアクロバットを楽しんでいる最中だったので、しばらくスルーされましたよw
760 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 07:25:08
>>757 実存というのは、一般的には 今、私によって認識されている物質なりが
この認識のままに実体として、ここに在る という事だろ
存在とは、実体でなくとも、在ると言えるであろうもの全てを指して使う言葉だろ
実存は唯物論の前提だろうよ
実存がなければ、それは観念論だという事になる
実存だと認識している この物質は
実体のない妄想のたぐいだったという事になるんだからね
キミは『私』というものを否定する事によって唯物論を肯定できる と思っているようだが
しかし物質とは、あくまでも『私』が認識しているから、そこに在るとされているものであって
それ以外に存在を肯定できる根拠など有りえない のではないかね?
私が認識しているということ以外に、物質が実存する根拠を提示してもらいたい
キミが今、認識している その物質が
そこに実存している という 証拠を
自分の認識以外の根拠で提示できなければ
私を否定する事と、唯物論が正しい という事の両立ができないはずだ
という事だよ
1.賀陽宮家:章憲王系男子2名(小学生) 2.杜玖椀宮家:朝融王系男子3名(未婚2名) 3.朝香宮家:直系男子1名(既婚) 4.東久邇宮家:盛厚王系男子6名(乳児1名) 5.竹田宮家:恒徳王系男子5名(未婚5名)
>>695 結局、アキレスと亀の話とどう関係あるのか、よく分からんちんだなあ
疑うたびに発生する疑いが収束される保証がどこにあるんだらう(
>>702 の P(X) が収束する)
アキレスと亀はゴールに着くけど、疑いはゴールに着けるのかなあ…
なんつうか、暗黙の前提なの?こういうのは疑う人いないんだねえ
>>745 > 「この机」なんていうものは「この私」による概念にすぎないんだよ
そう言い換えちゃうと、「この私」も概念にならないかなあ?
764 :
762 :2006/02/25(土) 08:41:31
>
>>702 の P(X) が収束する
とういうのは変だね…
何も生成しなくなるのほうがいいのかな
>>760 今ここで俺が認識してるディスプレイは、認識しているままに本当にそこにある
これが「ディスプレイが実存する」という意味ですね?
とすると、実存は唯物論の前提ではないと思いますが。
むしろ「認識される物体は、実体とは異なっているのではないか」と疑ってるから、
客観的な、共有しやすい、物理的な記述を「存在」の根拠に据えようとしたのでは
ないでしょうか?
まぁそれでも唯物論は観念論を批判しつつ、実はそれ自体観念論だと思いますが。
>キミは『私』というものを否定する事によって唯物論を肯定できる と思っているようだが
「私の存在性」という観念論も、実は観念論的な唯物論も、その内部ではどちらも正しいので
どちらかを否定できれば、どちらかを肯定できるというものでもないと思ってます。
「私」を否定したって、唯物論が肯定できるわけじゃないです。関係ないッス。
>しかし物質とは、あくまでも『私』が認識しているから、そこに在るとされているものであって >それ以外に存在を肯定できる根拠など有りえない のではないかね? 別に「私」が認識しなくても、周囲の人たちがみんな信じていて、「私」にとって有力に 感じる反対意見が特になければ、それは「私」にとっても在るんじゃないですかね。 『認識』よりも、「私」が感じる『説得力』の方がでかいように思います。 だって、富士山の上に浮かぶ巨大ピラミッドを認識しただけでは、ピラミッドがそこに 存在してるって信じませんよ、俺は。まずトリックを疑います。 クリスマス島とか窒素とか、俺も周りの人も認識したことないけど、存在するんでしょう。 『認識』を含むいろんな要素によって『説得力』さえ満足すれば、「存在する」と言えるかと。 「実存」については全く信じません。自分の認識なんていい加減なものだと思いますし。
>>762 俺のコギト解釈とアキレスの亀は、無限が出てくるって共通点しかないんじゃね?
>>702 の式とか、収束とか発散とか意味わかんないんですけどw
疑いが収束しないと何がまずいの?
768 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 09:16:14
>>762 そもそも
「我思う故に我あり」が無限後退する という考える方がおかしい
最初の我とか後の我とかさ
昨日か一昨日に言ったけど
私が、私を殴る私が、私を殴る私が、私を殴る私が、・・・
と、無限に言う事はできるけど、べつに無限後退なんてしないよね
ただ単に、私が私を殴ってるだけで
殴る私が、別の私を、殴っているワケではない
このスレって本当に頭がおかしい人が多いっていうか何と言うか・・・
>>763 「この私」っていうのも概念だよ
「この私」のね
「この私」という存在性による「この私」という概念
違いわからん?
言ってる意味わからん?
よく考えて
私が、私の頬を、私の手で、殴る 私の頬が、「私」と呼ばれるものに属しているのは分かる。 頬は、殴る私という動作主体と同じものなのだろうか? 頬を切り取れば、私が二つになるのだろうか?
>>769 理論上無限後退するとしても(俺はしないと思うが)、
途中で諦めて疑いを止めれば、事実上納得できるんじゃないの?
何も現実でまで徹底しなくてもいいと思うけど。
相対主義の自己矛盾ね。これ最近読んだよw
「なにも信じない」って絶対的に信じたら、パラドクスだね。
そこでこれも相対化する。そうすると全てを信じつつ、全てを疑うっていう状態になるな。
矛盾してるようだけど、別におかしくないと思うよ。
>私が、私を殴る私が、私を殴る私が、私を殴る私が、・・・ >と、無限に言う事はできるけど、べつに無限後退なんてしないよね つまり、「私」という語の意味を限定しないために、 主観性の問題と、同一性の問題を混同しているだけじゃないのだろうか?
それに、「殴る」は解明ではない。
>>745 >キミは、何度教えてあげても、いつまでたっても
>唯名論という言葉が理解できないんだね
いや〜、よく理解できているから
>>39 で質問したんだけど〜。
(というか、唯名論って本当は唯物論のはしりみたいなもんだと思うけどw)
一応もう一度書いておくねw
>>28 >物理現象は延長だ
>全てつながってるんだよ
質問その1.あなたの私は物理現象ではないはずなのに、なぜそんなことが
わかるのでしょう?
質問その2.他人もすべて1つながりの物理現象のはずなのに、なぜそれが
「他人」で、自我がある、とわかるのでしょう?w
(続き) >「この机」なんていうものは「この私」による概念にすぎないんだよ そうすると、「この体」も「別の体(他人)」も「この宇宙」も「物質」も、 すべて「この私」による概念に過ぎないことになるね。存在しているのは 「この私」と、「この私による概念」だけ。 (でも、そうすると「物理的に全く同じものを作成する」って、何と 同じものを作成するのかわからないけどw) いや、間違っているというのではないよ。こういう「独我論」も、 十分有効な仮説の一つ。 ただ、普通はそうは考えないで、「この私」とは独立に「何か」が存在する と考える。その何かを「物質」とか「物自体」とか呼ぶとする。で、 その物質の一部を、「この私」が認識して、「机」とか「体」とか「電子」とか、 「概念」で捉えて区別している、と考える。「この机」とか「この体」というのは、 「個物という概念」。こう考えると、「この机」という概念に対応する物質は、 「この私」の外に客観的に存在していることになる。 (というか、あなたも本当はそう考えているんでしょw) で、「この私」が「この体」と呼んでいる物質の一部が先に存在していて、 「この私」はその活動から派生した存在なんではないか、と考えるのが唯物論。 これも、十分有効な仮説の一つ。だって、そう考えると、「この私」が 物質を認識したり物質と相互作用したりする説明がやりやすいから。 他人(他の体)に自我があると考える根拠にもなる。 ね、「独我論」でも「唯物論」でも、十分世界を説明できるでしょw だから、「この机」が概念だからといって、そこで示されている対象が 物質でないということには、ならないわけよ。「この私」でも、同じことでしょw
>>772 > そこでこれも相対化する。そうすると全てを信じつつ、全てを疑うっていう状態になるな。
> 矛盾してるようだけど、別におかしくないと思うよ。
おかしいと俺は思うな…
1. とっても信じてる
2. 信じてる
3. ちょっと信じてる
4. 信じてもないし、疑ってもない
5. ちょっと疑ってる
6. 疑ってる
美味しい、不味いと同じだけどねえ
納得して喰えるかどうかってことで、とっても不味いもんは余程の理由がない限り喰わない
これと同じだと思う
とても美味しいし、とても不味いなんてありえないから、
あなたのいうことは変だと俺は思うよ…
778 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 10:11:00
>>765 >「私の存在性」という観念論も、実は観念論的な唯物論も、その内部ではどちらも正しいので
マテマテ 観念論的な唯物論って何だ???
どんなんやねんw
しかも、どちらも正しいなんて、なんのこっちゃ
もっと具体的に頼むよ
キミは、とにかくいい加減な事ばかり言ってる
証明できない事は信仰なんだから、『私』という認識も信仰であって
論理的ではない と言っているにもかかわらず
どうどうと『私』を前提とした論理を展開しながら唯物論を主張する
いったいどっちなんだよ
『私』が否定できない前提として理解できるのなら
証明できなくても『前提』にした論理展開を受け入れなきゃいかんだろ
しかしキミは、受け入れない
信仰だと言ってフタをする
突っ込まれると、唯物論も全て信仰ですよ と一旦は、うやむやにし
しかし、なぜかまた自分でも『私』を前提とした話しをしながら唯物論を主張し始める
まぁ、ノラリクラリするのは唯物論者お得意の戦術ではあるんだけど
それって、ちゃんと自覚してやってんの?
『私』を前提に話すなら、唯物論は否定しなさい
唯物論を主張するなら、『私』は前提にはせず否定しなさいよ
>>769 だから・・・・
「この机」っていうのは、存在性ではなく唯名論だと言ってるでしょう
「この私」による概念にすぎないわけです
そして「この私」というのは
「この私」という存在性が、単に自分を指して「この私」と表現している
なんでわからんの???
779 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 10:20:42
>>775 キミに対しては、病理的なものを感じるから、気味が悪いんだよね
何回も何回も同じ事の繰り返し
何回説明しても同じ事の繰り返し
気味が悪いよ
>>778 > なんでわからんの???
>>776 > そうすると、「この体」も「別の体(他人)」も「この宇宙」も「物質」も、
> すべて「この私」による概念に過ぎないことになるね。存在しているのは
> 「この私」と、「この私による概念」だけ。
を読んで納得できました
781 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 10:48:39
>>780 マジで??
何が納得できたん?
微妙に、大きくズレてるんだけど?
それは唯名論ではなく、独我論だよ?
>>781 概念の名札を『』、存在する名札を「」とすると
『この私』と『この机』と「この私」は存在するよね?(「この机」は存在するの?)
で、
> 「この私」という存在性による「この私」という概念
「この私」という存在性による『この私』という概念、
と解釈したんだよ…違うのかな?
>>779 いや〜何回説明してもらっても全然答えになっていないから重ねて質問している
だけなのに、嫌われちゃった〜w
でも、嫌いでもいいから、できたら
>>39 の質問にも答えてねw
(実は、俺はあなたのことそれほど嫌いじゃないの、バカだとは思うけどw)
>>781 だ〜か〜ら〜w、
>>776 の前半は、独我論的唯名論wの説明なの。
後半(「ただ、普通は」以降)は、唯物論的唯名論の説明なの。
というか、唯名論って普通は「実念論」の反対で、非常に唯物論的な思想なんだけど。
で、あなたはどうみても唯物論的唯名論者wなんだから、
「この机」が概念(名前)に過ぎないとしても、その対象である何か(物質)が
存在しないということにならないでしょ、ということ。「この私」が概念(名前)
に過ぎないとしても、その対象である何かが存在しないことにならないのと、同じ。
だから、「この机」や「この車」と、物質的に全く同じものは無理だけど、
まあ非常によく似ているものは作れるでしょ。作れなかったら、規格大量生産
なんて、無理だものw
全知全能の神様なら、物質的に全く同じものだって作れる。
でも、いくらそっくりでも、全く同じでも、現在の「この机」は世界で唯一の
この机で、「別の机」は定義によって「別の机」。「この私」でも、同じこと。
ね、唯物論と、な〜んの関係もないでしょw
>>778 唯物論は「私の存在性」だってモノとして解体しようとする。そこにはモノしかない。
だから人間全部がいなくなったって、月も地球もそこにあるはず、と考える。
それを認識するのって誰?って考えたらもうそれは『神』じゃん。
唯物論は『神』の視点を暗黙のうちに前提している。だから観念論。
最高位の場合は、「私」以外がいなくたって「私」はいるはず、と考える。
本当か?生まれた時から1人ぼっちで、他人を見たこともない、言葉も知らない。
そんな状態で「私」なんて実感できるの?「私」が存在してると言えるの?
唯物論は神の視点(主観性)を隠蔽しているし、主観性は他との関係性を隠蔽している。
どっちを信じても見落とされるものがあるんだから、探求者はどっちにもつかないよ。
ただ、どちらも現実で非常に有効な考え方なわけだ。
今こうして書いてる俺だって、俺の存在を当然信じてる。
でもそれは正しいからじゃなくて、便利だから信じてるんだ。
唯物論だって一緒だよ。
研究するときとか推理するときとか『神』の視点で考えた方が便利だもの。
こういう意味では、俺はどちらの立場でもある。両方使い分けてるんだし。
785 :
素人 :2006/02/25(土) 12:43:36
>>745 だからぁw
「【ある条件下の】【関係】」が「私」だと言ってるんだよ。
もう少し謙虚な文章にしようか?
「【ある条件下の】【関係】」を「私」と(あるいは【私】と)見做すのだよ。
それとも、【関係】という言葉がマズイのかな?個別性を持たせ難いか・・・。
一般的には解かり易いかも・・と、248さんに追随して使っているのだが。
(ほんとは、【縁起している】【私】、と言い切ってしまいたいのを堪えているw)
きみが、「今ここに思考している私」をしっかり受け止めているように、
私は、「諸々の条件により、今ここに顕れている私」を受け止めているのだ。
【私】がどのような在り様であっても、落ちるのは「私」だ。
痛いものは痛いw
【】と「」の違いは、それほどの意味はない。強いて言えば、
このレスでは、日常で使えるラベルとしての私を「」で括っただけ。
【】は、説明としての内容をもつものとして強調するために括った。
けど、《【私】がどのような在り様であっても、落ちるのは「私」だ。》の文での
【】と「」の違いは、結構重要なポイントかもしれない・・・。 (・∀・)ニヤニヤ
なんか、雑なレスだな・・・ ○| ̄|_
786 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 12:47:55
>>782 うむ
まぁそんなトコかな
「この机」というものは
その時その時で、人間の価値観などで、存在したりしなかったり
そう呼んだり、べつに呼ばなかったり
テキトーな都合で変化しちゃう
名前付けてるんだけど、別にそれをイスだと呼んでも問題は無い
「机の売り場で、机として買ったんだけど、いつもこれに座ってるしイスだと呼んでいる」
「これはイスだ」としても問題ない
あるんだけど無い存在
勝手な価値観で、机だと呼ばれている存在
それが『この机』
「この机は、もういらないからバラバラにして、あの机の引き出し部分を作ろう」
なんて事も自由自在だ
この机!という存在性なんて 無い
>>783 >全知全能の神様なら、物質的に全く同じものだって作れる。
>でも、いくらそっくりでも、全く同じでも、現在の「この机」は世界で唯一の
>この机で、「別の机」は定義によって「別の机」。「この私」でも、同じこと。
「この私」は天上天下唯我独尊、唯一絶対な存在
「この机」ってのは「この私」が便宜上で
そう呼んでいるにすぎない単なる物質のかたまり
「この私」と「この机」は明らかに違う
なんで、こんな簡単な事が、何度説明してもわからんのだ?
787 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 12:52:17
>>785 キミらと話してると頭がおかしくなりそうだよ
真剣に言ってるのか?
疲れたよ
>「【ある条件下の】【関係】」を「私」と(あるいは【私】と)見做すのだよ。
誰が?
見做すのではなく、決まっていたんだろ?
キミは気がついたら既にキミだっただろ
誰かが、その関係をキミだと見做したからキミになったわけか???
例えば、 無重力の真っ暗な防音室に触覚がない人をいれて、 幼児の時から一切のコミュニケーションをさせずに育てるとどうなるか? -五感がない状態で意識は発生するのか? --五感は感覚器に依存しているのか?
例えば、地球とほぼ同じ条件をもつ惑星に地球を再現して、 地球の自分の居る位置と同じ位置に同年齢のクローンを置いたらどれほど異なる行動を示すか? -同一条件下の2人の人間は同じ行動をとるか? 例えば、条件の似た生活環境で育つ双生児は、 互いに異なる人間になろうと意識するために極端に似る事は稀だという。 では、お互いの存在を知らなければどうなるか? -人間の行動はどれほどDNAによって規定されるのか?
あともう一つ、ソース探してもみつからなかったんだけど、 障害で会話できない人が電極をつないでコンピュータごしに会話できるシステムが 実用化に向かっていると言う話をニュースで見た。 これはどう思う?
>>787 おお、最高位。それがまさに正解だと思うよ。
家族が最高位を○○と名づけてそう呼んで、○○として扱われることを通して
キミは自分を○○と認識するようになったんだ。
子どもは真似をする生き物だからね。
そこからさらに言語習得が行われ、母親が母親のことを「わたし」といっても
○○は母親のことを「わたし」とは呼べず、○○が「わたし」というとそれは
○○を示してしまうことを理解して初めて「私」が存在しはじめる。
「私」とは視線の方向の原点位置を示す記号なんですよ。
そしてこれは、原点位置と方向が自分と異なる視線を知らずに理解できる概念ではない。
>>786 で、あなたのいう「この私」はなんとなく分かった気がするんだけど、結局、何が存在するのかな?
1. 「この私」と「世界そのもの」と『この私』や様々な概念の名札が存在する
2. 「この私」と『この私』や様々な概念の名札が存在する
のか、どっちなのかな?
1. の場合は、「世界そのもの」から切り出されたモノを人が認識を通して名札を貼っている
2. の場合は、人が認識するモノに名札を貼っている
なんて感じになると思ったんだけど、どっちなのかな?それとも全然違う?
(「」『』の記号は前のまんまです)
793 :
792 :2006/02/25(土) 14:08:36
修正です > 1. の場合は、「世界そのもの」から切り出されたモノを人が認識を通して名札を貼っている > 2. の場合は、人が認識するモノに名札を貼っている 1. の場合は、「世界そのもの」から切り出されたモノを「この私」が認識を通して名札を貼っている 2. の場合は、「この私」が認識するモノに名札を貼っている
794 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 14:21:18
>>791 だから、なんで
うちの家庭に生まれた子供が『他の人』でなく『私』だったのか
という問題だよ
無数にある他の家庭では、当然のごとく『他の人』だろ
なんで、この家庭が『私』の家庭だたんだよ
意味わからんか?
キミは、ほんとに知能指数が低いなぁ
>>793 世界そのものから切り出された という意味がわからんな
べつに切り出されてなどいないだろ?
切り出している と思っているのは、キミの観念ではないのかね?
何を聞きたいのか、よくわからんわ
>>788-
>>789 みたいな話は誰も考えようとしないの?
なんか言葉遊びになってきてるよ
>>794 「この私」と概念に付けられた名札以外に
何が存在するの?
ということなんですよ
(主観から独立した外界があるのかないのかってことなんです…)
797 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2006/02/25(土) 14:36:32
>>796 突き詰めて、厳密な話しをすれば
「我思う故に我あり」しか言えません
自分が、確実に言える事は、これだけです
「この私」が存在し、思っている ということ以外には
確実な事はありません
今日はここまでね
798 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 14:59:05
ココデツカ、シャベリバ?
799 :
248 :2006/02/25(土) 15:01:31
>>694 >>696 たぶん同じことを述べていると思うが、私ならこういうでしょう。
あなたの言う認識主体と客体の「関係が毎瞬、複雑化する」と。もっとも、
単純化する場合もあるようです。この複雑化が招く不安に耐えかねて「私」
か「神」を立て、それを信じてしまえば、世界はシンプルになり、かなり
楽になるみたいです。
>>795 何をどう考えればいいの?おいらには分かんね。御伽噺の様だ。
おいらには無理だから、とりあえず何かを考えてみてくれんかね?
話は面白そうだから、とっかかり求む。おいらのオツムでは何も演繹出来ないんだ。
801 :
248 :2006/02/25(土) 15:36:24
>>745 読解力がないといっても、白を黒と言っては話にならない。「私が存在し
ない」とは一度も言っていない。最高位の言う“純粋な存在性としての私”
などは、どこを覗いても不在である、と述べただけだ。いや、あなたの頭
のなかに「信心、信念、信条」としては存在しているに違いない。ただし、
それは実際の最高位という存在とは別の代物である。
たぶん、最高位と同じように『私』も穴ぼこに落ちるだろうし、痛がるだろう。
が、「火もまた涼し」人もいるので、みんなが痛がるとは限らない。
>>777 中トロを食べたらとても美味しかった。
しかしこれをキャベツだと思い込んで食べたら、とても不味いと思うこともあるだろう。
キャベツとしては不味いが、中トロとしては美味い。
食べられたXは、美味いが不味い。矛盾してるけど別におかしくないね。
痛かったが、予想してたほど痛くはなかった。
痛いが、痛くない。全くおかしくないね。
恋人はお金に関しては信じているが、浮気に関しては信じていない。
恋人を信じてるし、疑っている。まぁありえそうな話だな。
分かると思うけど、矛盾ってのはほとんどが捉え方の問題だよ。
相対主義の絶対化を再び相対化するってのは、疑うために悪いところを探すんだけど、
信じるためにいいところも同時に探すってことなんだ。
これを表現すると「全てを疑いつつ、信じる」って状態になる。
「信じても疑ってもいない」とは対象への関心が全然違いますな。
803 :
素人 :2006/02/25(土) 16:44:47
>>787 私は、【私】の【在り様】について述べているのですよ。
《【在り様】に一切関係ない、【純粋な私】【純粋な存在性】》
を主張するあなたは、【在り様】を批判する必要はないでしょう?
>>48 >>51 私は、あなたの言う【純粋な私】【純粋な存在性】を認めますよ。
ただ、『その【在り様】はこのようなものではなかろうか?』
と意見を提示しているだけです。
それとも、あなたの言う【純粋な私】【純粋な存在性】は、
やはり、【在り様】に大きく「規定(あるいは制限)」されるものなのですか?
> 誰が?
なるほど・・・。
あなたは、大地がないと不安になる典型的な人なのですね。
804 :
248 :2006/02/25(土) 16:49:57
>>784 “神”であれ、“私”であれ、切羽つまっていたとはいえ、便宜上、取り
出してきたものです。これを機軸に据えると、探求氏の述べられるように
便利です。
ただ主観論は、ここでのやりとりからもわかるように、底が割れていて、
純粋な“私”からは、なにも出てきません。また“神”も、人間がどう
やって仮構したか、おおよそ想像がつきます。
やや図式的にいえば“科学”は、この二つの基軸の信憑性が低下するの
を見下し?つつ、せり上がってきたわけでしょう。
科学とその応用としての技術は、これまた多くの便益をもたらしました。
が、まだ確たる基軸にはなりえていないでしょう。私は、その未知数に
一票を投じたわけです。
>>786 >「この私」は天上天下唯我独尊、唯一絶対な存在
>「この机」ってのは「この私」が便宜上で
>そう呼んでいるにすぎない単なる物質のかたまり
>「この私」と「この机」は明らかに違う
だ〜か〜ら〜w
「現在」に限っていえば、あなたから独立に厳然として存在する物質のかたまりを、
あなたは(便宜上だろうと何だろうと)間違いなく「この机」として認識している
わけでしょ。だから、概念としても、その対象である物質のかたまりとしても、
間違いなく天上天下唯机独尊w、唯一絶対の「この机」という存在なのよ。わかるw?
あなた、自分でわざわざ話を現在に限ったでしょ。
>>569 で
>今日起きた私は、今ここにいる私は、なぜ私であったのか、私であるのか
>という問題
って、言ってるじゃない。今日存在する机は、今ここにある机は、
なぜこの机であるのか、という問題。ね、同じでしょw
答えが私や机の物質的精神的性質とは何も関係がない点も、同じ。
「次の瞬間」にどうだかなんて、関係ないのよ。「この机」も「この私」も、
瞬間ごとに存在しているかしていないか、どちらか。
あなたの「この体」が眠っているときには、あなたの「この私」は存在して
いるかどうかわからない、って、あなたも認めていたじゃないw
さっき存在した「この机・この私」と、今存在する「この机・この私」が
同一の存在かどうかは、「私」の側から主観的に考えても定義できない、
という話は前にしたでしょ(まあ、普通は記憶内容で判断するけど)。忘れたw?
だ〜か〜ら〜w
807 :
248 :2006/02/25(土) 17:27:14
>>785 “縁起”という言葉を使いたいところですが、専門用語すぎるので“関係”
を多用してきたのです。あなたの“縁起”論を私たちにも理解できるよう
な言葉で述べてください。
ところで、機械氏が「デカルトは戦国時代の人物ではないか」という意味
のことを述べておられました。たとえば、家康は彼と時代が重なります。
家康は自らをどう称していたのでしょうか。拙者?みども? この家康の
自称とデカルトの『我』は、相当に内実が違うでしょう。どちらが、この
国の人間の“私”に近いのか。いまでも案外、家康に近い輩が多いように
も思えるのですが、あなたはどう思われますか。
>>802 >>772 > そこでこれも相対化する。そうすると全てを信じつつ、全てを疑うっていう状態になるな。
から
> これを表現すると「全てを疑いつつ、信じる」って状態になる。
になんか変わってるし…
全てを疑いつつ何を信じられるんだろ?
> 「信じても疑ってもいない」とは対象への関心が全然違いますな。
世間では「信じても疑ってもいない」というのは「どうでもいいこと」というんだよ
疑ったり信じたりというのは、人の関心なんだよね
あなたは疑いから別の疑いが発生するという話だったんだよねえ、元々は
で、疑いの程度で、納得するかしないかって話だったんだけどねえ、元々は
物凄く話の内容が変わってるんだよな…
結局は、信じることが納得すること、と思ってるからこうなるんだろねえ
思考する対象を信じてどうするの、ということなんだけどさ
あなたの発言から信じるとかいう言葉出たときから、奇異に感じたけど
不毛な気がするんで、私はこの辺にしときますです
>>807 このスレで「縁起」(及び仏教用語)を使う困難。
その1:デカルト的懐疑(無限遡及)に対する印籠が用意できるかどうか?
→結局、「受け止め方だよ。」としか言えなかったら、【このスレでは】意味がない。
→個人的には、時間を楯に「一回でいいじゃんw」と言いたいのだが・・・。
その2:一言さんと少しやりとりをしたこともあるが、現代科学の研究成果との整合性に難あり。
→特に、《五蘊十二処十八界=五蘊は上記。十二処は、根と境。十八界は、根・境・識。
仏教に於いての一切の存在を一言で述べたもの。(→厳密に吟味すると少々不整合な部分も?)》
その3:このスレでの「因果(因果律)」という言葉、「因」という言葉の用いられ方は、
絶対的な第一原因あるいは直接の原因のみで、付帯条件はほとんど無視される傾向にある。
その4:仏教的価値観を多方面に敷衍させる際のコワさがある。こじつけは避けたいから。
→その意味では、ここは結構いい実験場ではあるが・・w 好感の持てる論客も居るしw
自分にもっと文才があれば、理系・物理板へ突撃してみてもいいんだが・・・(爆。
その5:自分の理解を、そのままズバリ表現する文章がでてこない。
→縁生偈そのままじゃ芸がないし、あれは、
実存的に「私が縁起している」という背水の陣の宣言だと受け止めているから。
その6:話が深くなるほど、核心に触れていくほど、自身の生き方から目をそらせなくなる・・・。
その他:ま、はっきり言ってスレ違いになることは否めない。
そうならないためには、他住人のあたたかい理解がないと・・・w
今すぐ言葉にできるのはこれくらい・・・ スマソ orz
812 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 20:20:44
みんな、まだやってんだー。ヒマだねえ。 みんなのやってることは真理探究?それともヒマつぶし? みんな、いろいろ複雑な理論をそれぞれ展開してんだけど、 その限界を超えると、とたんに「不思議だ」って驚いているようにしか見えない。 言葉が、同義反復に過ぎない以上、「不思議」なのは最初からわかりきって いるだろうに、エロ本見ながら、どのページでイこうか、時間を引き延ばしている だけじゃん。 それとも、まだ説明できると思ってる? だとしたら、マスターベーションをこれからも延々と続けるしかないわけだが。 無 駄 だ。
813 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 20:32:04
>>812 ムダスレ ホーモンハ モット ムダ ダロw
815 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 21:17:15
週末だし スレの稼働は、また深夜明け方かな・・・w
だからもっと妥当性の高い範囲で話をすべきじゃないの? 科学の範囲で。 物理法則から外れたものなんてあるか? あるいはこれからみつかるかもしれないけれど、 今のところそれを確信付ける要素もないし、 当然のように法則から外れたものすらみつかっていないんだから、 わざわざ物理法則が間違っていることを検討する必要はないんじゃないの?
>>812 はマスターベーションが無駄だからしないそうです
俺は無駄でもするぜ!
818 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 21:34:41
日本最強の思想ブログです。
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817>でも、確かに、4〜5ページ目くらいで、射精の決断を したほうがよいような気もするな。 過度にやりすぎるとアタマが悪くなるって、誰かいってた。
821 :
考える名無しさん :2006/02/25(土) 22:00:34
64 名前:132人目の素数さん[sage] 投稿日:04/03/22 19:38 数学的には電子の存在は証明できないし、 (空集合の存在も出来ないと言えば出来ないが) 物理学では無理数の存在は証明できない。ついでに 言えば哲学では何故か、公理もないのに自分の存在が 証明されるらしい。
823 :
素人 :2006/02/25(土) 22:42:31
>>812 マジレスすると、
たとえ、頂上に「不思議」があることが判っていたとしても、
登ることをやめる必要は無い。頂上からの景色も見てみたいじゃないw
又、途中に、何か面白いものがあるかもしれない。
(ちなみに、最高位のする罵倒は、まさにこの「途中の面白さ」を否定するものなのだよw)
文明や科学技術の発展、新たな発見、などは、まさに、こうした登山の成果なのではないかい?
たとえば、その山が「自己・自我」等であるなら、こう宣言するほかはない。
「なぜ登るのか、って?
決まってんじゃんw ここに自分がいるからだよ。」 (´∀`)b
>>811 仏教系の知識がほとんどないんで、関係あるところを分かりやすく語ってくれると俺は嬉しい
>その1:デカルト的懐疑(無限遡及)に対する印籠が用意できるかどうか?
> →結局、「受け止め方だよ。」としか言えなかったら、【このスレでは】意味がない。
> →個人的には、時間を楯に「一回でいいじゃんw」と言いたいのだが・・・。
一回的な「この私」「この疑い」を数えてしまうからまずいんだよね。
"2回"起こってるように見えても、それは1回と1回でしかない。
差異を無視して、グループでくくってはじめて2回になる。ここが無限後退の原因。
って概念的な説明するか、時間的な直感に訴えるか。
私を【今まさに疑っている】「この私」を、私が【今】疑うことができるのか?
これを事後的に見て、できるとみなすことが無限後退の原因。
実際俺が経験したのは、最後の「私」が俺ではなくて一言という他人だったことを忘れて
「俺が疑えたんだ」と錯覚してしまったという、似たようでちょっと違う話だ。
時間を楯にしたほう分かりやすいかなぁ?
823さんのように、前向きに考えたほうがいいよ。 確かに、究極までつきつめてまじめに考えると、「全部無駄」にならざるを 得ないと思うけど(理論的には)。 まじめに考えてるからそうなっちゃうのかもしれないけど、 それは神みたいに、人間の味合う喜怒哀楽を100%味わいつくした上で、 「こんなもんか」とわかっちゃっ者だけが言えること。 俺も一時期そうだったから、気持ちはよくわかる。 多分、この議論を見てると、イライラするんだろう。 でも、そこまで、人生をあじわっちゃいないだろ? だったら、「何かあるかもしれない」って思ってやってみるほうが、 精神衛生上いいよ。人間は、神じゃないんだから。 つきつめすぎると、病気になっちゃうよ。
826 :
素人 :2006/02/25(土) 23:18:52
>>824 様子を見ながらw努力してみまつ・・・ m(_ _)m
827 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/26(日) 00:24:48
>>824 探求者さん
大乗仏教哲学の二大思想は「縁起」と「空」です。
縁起に関しては「三性説」を調べられては如何ですか。
828 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/26(日) 00:34:25
>>768 >「この私」のね「この私」という存在性による「この私」という概念
>違いわからん?
私にも「わからん」ですね。「『この私』という『指向的クオリア』」である点において、
@『「ある脳のクオリア」は「別の脳のクオリア」では「ない」』・・といのが「クオリア」定義上の必然
A『「ある脳のクオリア」と「別の脳のクオリア」の共通性』・・が「類的存在」・・である。
要するに「人類」とは、「ある種の進化した『類人猿』」の中で「特定の(人類特有の)クオリア」を共有する
「類人猿の『一種類』のこと」である・・ということになります。
ちなみに「アフリカン」(黒人)、「アングロサクソン」(白人)、「モンゴリアン」(黄色人)、
「アボリジニ」(オーストラリア原住民)・・・とかの『亜種』は存在しますが「兄弟種」である
「ネアンデルタール人」他の『種』は、現在の地球には残存しておりません。
・・その理由は「人類が滅亡させたから」・・・という『唯一の理由』以外にはありません。
830 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 00:40:07
必然の横にはifの必然がある。 故に、必然は偶然である。
831 :
248 :2006/02/26(日) 00:41:44
>>810 縁起について書いて欲しいと言いながら、ほとんど理解できませんでしたが、
勝手な感想を述べてみます。
「一切は無常である」 これは、すべてが変転している? 私(肉体・意識)、
事物、時空。これらの関わり。たとえが俗ですが、いわば超多元的な“変動相
場制”にある、という解釈でいいのでしょうか。
『空』は無常・変転を載せる“場”ですか。これは、一定しているのですか。
時空は、それ自体が変転しています。(たぶん) 『空』は時空を乗せていると
いう解釈でいいですか。これは、一神教の『神』に近い概念ですね。
唯物論は『空』を認めないでしょう。時空の一切の変転を計測できる、という
立場だと思います。もし、それができれば“神”に取ってかわります。計測で
きなくても「こうすれば、できる」という条件と方法を提示するだけでもいい
はず。まぁ、難しいでしょう。
仏教の場合、空のみぞ知る、ということですか。
832 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/26(日) 00:52:42
>>830 「もしサーシャ・コーエンとイリナ・スルツカヤが転倒しなかったら?」という「仮定」
が、「実際的に有効」とお考えですか?・・もしそれを言うならば、
荒川静香が風邪を惹いていたら?村主が怪我をしなかったら?・・・
どういう「仮定」も「ありえないこと」が「ありえない」・・ので、
「実際に起こるまでは何事も『決定されていない』」・・という立場に立てば、
最終的に「決定した」のは「神の意志」であると言わざるを得なくなる・・ために、
「誤謬が誤謬を呼ぶ」・・・という観念論的スパイラルに陥るのは「必然」です。
「(ビッグバンの時点で)既に決定していた」・・という「この世界に関する『真理』」
を認めないと・・・必然的に「神を持ち出す立場」=「観念論」を採用せざるを得なく
なる・・・ということです。
それはひどい想像ばかりですね。 最後はどうなるのですか。
最後は、 イナバウアー です。
835 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/26(日) 01:02:25
>>831 >唯物論は『空』を認めないでしょう。時空の一切の変転を計測できる、という
>立場だと思います。
それこそが、私が口を酸っぱくして異議を唱えている「唯物論に関する(意図的)偏見」です。
「もう一度」言いますが、
@『「決定されている」ということ』
A『「決定されていること」(内容)を予測できる』
・・という命題について、唯物論は「@は真理である」としますが、
Aは「偽である」・・・とします。
『予測する』・・ということは「人間的あまりに人間的」だから・・です。
836 :
素人 :2006/02/26(日) 01:14:22
>>831 仏教畑の中の人じゃなかったんですね・・(^^;)
「空」を気にし過ぎです。乱暴に言えば、「空」なぞ解らなくても仏教は理解できます。
> 「一切は無常である」 〜 いいのでしょうか。
構いません。
> 『空』は無常・変転を載せる“場”ですか。これは、一定しているのですか。
> 『空』は時空を乗せているという解釈でいいですか。
違います。『空』は、強いて言えば【性質】【属性】です。
【確固たる存在(他の基盤になる)】と捉えてはまずいです。
ましてや【場】と考えてしまうと、山口組系列にボロクソ叩かれますw
> 唯物論は『空』を認めないでしょう。
→ > 空=本来は「空性」というべき。もろもろの存在は縁起によって成り立っており、固定的実体がないということ。
>
> ここでいう「実体」は、
> 不変で、他の影響を受けず、種々の存在にとっての根源であり(種々の存在はこれによって存在しうる)、
> 種々の存在に対しては影響を与え、物質的なものでなく(→通常感覚知覚できるものでなく)、
> あるものを、あるものたらしめる唯一の要素(他の要素は重要でない!)と見做されるもの。
> また、それのみで存在しうる(縁起するものでない)。術語では、「自性」と言われる。
> この意味の実体を否定することは、個物や対象そのものの存在を否定するものではない。
むしろ、逆だと思います。唯物論的思考は、「一切皆空」に親近性があるかもしれません。
> 仏教の場合、空のみぞ知る、ということですか。
「空」を気にし過ぎですw
>>1 それを立証するには、観測する第三者の存在を立証せねばならんだろうに……。
神様とか、笑える意見は言ってくれるなよ。
838 :
素人 :2006/02/26(日) 01:20:51
839 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2006/02/26(日) 01:30:00
>>837 「立証しなければいけない責任」を(漠然と)感じた時点で、あなたは「観念論の術中に
嵌って」しまっております。
・・・「誰に(どう)何のために『立証するのか?』」・・が(唯一)「重要」なのです。
「思弁的立証」・・・などは唯物論にとって「何の価値もない宗教論」ですが、
例えば「(「自然数」における)素数の出現の法則」が、「数学的に」立証されたとしたならば、
それは「唯物論(自然科学主義)」において、「有効な立証(証明)」ということになります。
840 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 01:32:25
841 :
248 :2006/02/26(日) 01:41:53
>>836 恥ずかしいほどの解釈の浅さ、誤解でしたね。縁起は、動態の「私」、関係
意識(の私)、“関係の場”という考え方と近いものがあると思っていました
が、『空』については全然ダメでした。“空性”がわかりません。おいおい
教えてください。
実は、アウトロー・スレから来たのですが、山口組系列にボロクソに叩かれ
るというのは、どういうユーモアですか。これもわかりません。
>・・・「誰に(どう)何のために『立証するのか?』」・・が「重要」なのです。 私は、立証されていないものは存在しないと考える。つまり、「私」に「違うと認めさせる」ために立証する責任が生じる……で、どうでしょ?
ひどい説明されてるのあるなぁ<三性説
844 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/26(日) 01:56:25
>>843 さん
おそらくは(いい意味に解釈して)分かり易く説明するためだと思いますよ。
経典、論書を挙げて説明されているものはかなり難解です。
「偏計所執性」から入られてみては。
845 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 01:58:28
>>841 >>248 それはユーモアではありえんよ。サイコのバカですか?暴力は哲学の敵、
何のために哲学があるのか?暴力から自由であるため・・・・であろ???
この板は暴力そのものや山口組に関して全く感知しないので、
それに言及する方にも感知することはありえない・・・ぶぁかが!。
それらは存在しないと言えるほどアホらしい。
人生を浪費するために産まれてきて一生懸命浪費することだけに邁進する
ことは・・・・・哲学の正反対事だ。
おまえ自身が早急に全世界から消えて亡くなれおなおなおな・・・この呪い結構効くのね
846 :
248 :2006/02/26(日) 02:00:48
>>835 最近、ここへ来たものですから、機械氏が強調してきた異議を知りません
でした。それは、唯物論に関する“定説”ですか。予測も含めて、すべて
を計測できるのが唯物論だ、といった勇ましい説を唱える唯物論者はいな
いのですか。起きたことを、整合的に説明できればいいのですか。むろん、
これとて厄介でしょうが。
暴力から自由という事と暴力から横暴を働く事は同じようなものだ。 暴力中心主義者だから、暴力はやむ得ないと考えることがあるだろう。 暴力から平和になったのでよい etc etc 似たようなものだから、暴力を使っても、よい事になれば認める。 ただ、よい事になりずらいと言ったらどうかね。 暴力中心主義者よ。
848 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 02:08:05
>>847 暴力に直面したことがない坊っちゃん、すぐ近い内に経験させてあげるから
その後にレスしてくれ(冗談です)・・・・・と書いたらそれもやはり脅迫罪になるの?と書いたら・・・・??
>>844 いろいろ見てみたけど、どうも「ひどい説明」がまともだったらしい。
空じゃないのか?なんか実在に至ってるんだがw
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | 通報 \  ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ( ´Д`) /⌒ ⌒ヽ /_/| へ \ (ぃ9 ./ / \ \.∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ./ ヽ ( ´Д` )< しますろう ( / ∪ , / \_______ \ .\\ (ぃ9 | .\ .\\ / / ,、 > ) ) ./ ∧_二∃ / // ./  ̄ ̄ ヽ / / / ._/ /~ ̄ ̄/ / / / / )⌒ _ ノ / ./ ( ヽ ヽ | / ( ヽ、 \__つ).し \__つ
>>841 私の言葉も、100%信じちゃダメですw
間違ってるかもしれないんだから・・(^^; →冷暖自知。
個人的には、【場】という概念は、あまり仏教にふさわしくないように思います。
> 山口組系列
山口瑞峰門下の(袴谷・松本・伊藤等の)流れのことw。
真如や如来蔵、本覚思想(あるいは【場】)のような、全ての発生・存続の基、根源を想定する立場を批判する立場。
ちょっと違いますかね・・・? >>唯識さんw
「空性」については、また今度・・w 眠い・・・(^^;
>>844 唯識さんは優しいですねw
某スレの人達なら、そういうサイトは、ちょっと違うだけでボロカスに言われますよ・・(^^;
852 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 02:17:31
>>847 >暴力はやむ得ないと考えることがあるだろう
やむを得ないというのはあらゆる暴力の口実だから暴力の本質ではないよ。
暴力というのはやむを得ないと感じることが出来ない実力行使のことだと思う。
確かに暴力とはやむを得ないと感じることが出来ない実力行使ではあるけれど、 やむを得ないと感じるというのはまた相対的な基準でしかないし
854 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 02:30:20
>>1 人間は一人一人性格も違えば考え方も違う
脳が物質でできていて感情が物理・化学法則によって決定されているなら
何でみんな同じにならないのか?
感情の根っこにあるものは果たして何なのか?そこが問題だ
必然中心主義者よ。 必ず、暴力をふるわなければならない業深き獣よ。 何故、暴力を振るうのかね。 でも、単に暴力をふるえば、思いのままになるだろうに。
856 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/26(日) 02:33:28
>>849 さん
実際(現実)を重視するのが唯識です。
元々インドでは先に「空性」の探求・実践が行われて
厭世的な解釈が広まった反省?から派生した学派です。
後の後期仏教理論に重要な理論です。
>>851 さん
あの「如来蔵思想は仏教にあらず」の方でしょうか。
このまま暴力の話題で次スレ突入か?w
>>856 そうですw
おやすみ ノシ
>>854 どっちかというと
>>1 よりも
> 脳が物質でできていて感情が物理・化学法則によって決定されているなら
> 何でみんな同じにならないのか?
なんでそうなるのかが不思議。
>> これを表現すると「全てを疑いつつ、信じる」って状態になる。 デカルトは次のように書いている >そして、それぞれの事柄で、疑わしい点、誤りやすい点について、一つ一つ反省を加えながら、 >その間に、わたしの精神に前から忍び込んでいたあらゆる誤謬を根絶していった。 >しかし、だからといってわたしは、疑うためにだけ疑い、つねに非決定でいようとする懐疑論者たちを真似たわけではない。 この表現は気に入られているのか 「われ思うゆえにわれあり」の説明では、「疑うためだけに疑う人」は除外される傾向がある グルもチンポ太郎も、「疑うためだけに疑っているわけではない」と発言し 哲学はそのような低俗なものではないとしてたね
>言えば哲学では何故か、公理もないのに自分の存在が >証明されるらしい。 「自分の存在は疑いうるのか?」 こう質問されたらデカルトはこう答えるだろう 「もちろん、疑いうる」 それと、デカルトは数学に偉大な貢献をした人だし(カルテジアン座標) 哲学者の代表ではなく、むしろ数学者として哲学に挑んだようなものだ パスカルはデカルトを激しく叩いた 「無用で不確実なデカルト」 この叩きはむしろ数学への冒涜に近いとすら思うぜ ところで話はかわるけど、証明できない真理ってあるのかねぇ
861 :
248 :2006/02/26(日) 09:17:02
>>836 知見のなさを露呈したついでに、もう一つ。私自身が確固たる存在の基盤を
設定したことはありません。むしろ『場』そのものが変転する、という考え。
主観論であれ、唯物論であれ、宗教であれ、必ず“基軸”を立てます。『空』
が仏教のそれだと誤解していたのです。
>>835 「人間的あまりに人間的」だから、予測できないという意味ですか。これは、
人間的なものは予測・計測を妨げる、狂わす、ということですか。
暴力反対w
863 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 09:32:35
この宇宙を色々決めている規則である物理法則は,いつからあるのでしょうか? 発見した時? 宇宙が出来きた時に全てあったのかな. (今だ人類が発見していない法則も含めて) それとも,ドンドン増えているのでしょうかな. 僕はそんな感じがしますね. あと,物理法則は宇宙の何処でも同じように働いて,この先も変わらないでしょうね. …本当ですか?(確かめ様がないかな?)
864 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 09:32:37
>>854 通俗的に言いますと、あなたと別の人とでは、DNAと育ちが
が違うからではないですか。
>>863 物理法則は始まりも終わりも無い気がする
866 :
248 :2006/02/26(日) 09:53:22
>>860 それは、真理とは言わないでしょう。ただ、その場合、証明でき
ないのは“方法・技術上の問題”と考えるのが唯物論では?
証明の対象にならない“真理”がある、とするのが宗教かな?
主観“哲学”も、こちらですか?
867 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 10:08:53
真理ってどういったものを言うの? 人は言語を介してコミュニケートするは真理? これってただの事実に過ぎないよね? 水はH2Oから成るっていうのは真理?
真理って、トートロジーとその変形のことじゃなかったっけ?
869 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 11:44:00
>>868 私は私である、というのはトートロジーですか。
870 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 11:52:09
>言えば哲学では何故か、公理もないのに自分の存在が >証明されるらしい。 だからあ、「証明」じゃなくて「自分でそう決めている」だけなんだってば。 もお、イライラするなあ。 言葉ってそういうものだろ?結局名づけているだけなんだからさあ。 ここの人たちって、みんなそれがわかってないから、えんえんと 無益な議論を続けてるだけだ。
871 :
863 :2006/02/26(日) 11:57:32
>>865 始めも終りも無いとは?
宇宙とは別に存在(?)していると言うこと?
(宇宙に始めと終りがあるのか知りませんが…)
例えばボイル=シャルルの法則がありますよね.
(気体の体積と圧力、温度に関係する法則)
これって,気体が出来てからできたのか,
その前から決まっていたのか?
(気体の発生も含めて)
この質問は哲学では無いかな?
872 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 12:41:52
>>871 いえ、このスレではどんな質問をしてもいいのです。
時おり「そんな低次元の質問はするな」という態度
を示したり、無視したりする御仁がいますが、自分
のことを勘違いしている俗物です。
幼子の素朴な問いに懇切に答えるのが“哲学”の徒。
「基本を勉強してから、出直して来い」などと言う
のは、知識をひけらかすのが趣味の教養人。
>>870 無益だと思うなら黙って立ち去りなさい。
>言葉ってそういうものだろ?結局名づけているだけなんだからさあ
↑これが正しいなら、無益さを気付かせようとする君のレス自体も無益だろ?
874 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 12:55:31
>>870 イラつくな。他人の言動が腹立たしいのなら
こんなところに出てこないで、一人ごとでも
つぶやいていればいい。日記でも相手してれ
ばいいだろう。「分からない奴だなぁ」と思
っているのは、お互いさま。
875 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 12:59:50
55スレ使ってもこのザマですか? 目を覚ましてください
877 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 13:35:23
>>875 人間というものに、何か特別の期待を抱いている
のではないですか。世界を見わたしてください。
高等教育を受けた者が、その知能を振り絞って集
団の人殺しゲームに挺身しています。この国でも
いたるところに「愚昧、愚考、愚行あり」です。
それらをも繰り込み勘案するのが哲学では?機械
氏に逆らうようですが、哲学は数学ではありませ
ん。
いずれにせよ、このスレでみられる“愚かしさ”
はタカがしれています。
>>871 答える人がいなさそうなんで、暇だし俺の空想を一つ
物理法則は人の世界への解釈だと俺は思う
以下、全然根拠なく空想だけど、
もし世界があるなら、ありようのない世界であり、世界はただあるだけ、
そんなふうに俺は思ってる
で、そんな世界で何の規則性を発見できるの?になると思うけど、
そういった物理法則の規則性は人が時間を錯覚してるから、
法則性を発見してる、と俺は思うんだよ
結局、そういった法則は人の概念なだけな気がする
人の錯覚できる時間の始まりこそが人の解釈する法則の始まり、
と俺は思ってたりする
>>878 わたしもそう考えます
「法則はどこにあるのか」という問いに対して
「法則は世界に内在している」と答えるのは哲学的には素朴な回答でしょう
カントは、法則はわれわれの認識が経験するより前にもっている概念であり
それを経験と同時に組み合わせることによってわれわれは知識を得るという考え方をしてますね
数学などは経験から知識を得ることはできないわけですが、
経験を通して悟性を吟味しているわけです
カント的に言えば
「世界は数学的である」のではなく、「われわれは世界に数学を押し付けている」のです
>>866 >それは、真理とは言わないでしょう。ただ、その場合、証明でき
>ないのは“方法・技術上の問題”と考えるのが唯物論では?
>証明の対象にならない“真理”がある、とするのが宗教かな?
>主観“哲学”も、こちらですか?
あのレスは数学者をイメージしてそれに対して書いたものだが、
数学において「真」という概念と「証明可能」を混同すると数学を続けようとする気がなくなるだろう
一流の数学者ならこの2つの概念に区別をしいているはずだ
つまり「証明できない真」の存在を認めるはずだ
そのような数学者の態度がデカルトと親和性があるんじゃないかと思って
ちょっと話を振ってみた
数学者がデカルトを笑うのはいただけない
このスレではよく「証明」とか「論理的」とか言われるが
「証明」や「論理」という言葉は何を求めているのだろうか
というか、なぜ論理は正しいのかというと
論理は前提と結論の関係において
結論が、前提より多い情報を一切含まないからだよ
われわれは正しくて内容のある情報を求めている
われわれの求める知識は「正しさ」と「新しさ」の両方が満たされている必要がある
論理的な関係が正しいのは論理的に演繹されたことは新しい情報を一切含まないからだ
つまり論理は新しい結論を得る道具としては致命的に役立たずということだ
「情報」はまずいね。 トートロジーですら「新しい情報」を含んでる場合がある。
>>867 >真理ってどういったものを言うの?
「真理」は英訳すると"truth"
ある種のパラドクスを排除するならば、言明は真理と虚偽のいずれかに必ず分類できる
>人は言語を介してコミュニケートするは真理?
>これってただの事実に過ぎないよね?
「人は言語を介してコミュニケーションしない」が虚偽であるならば
「人は言語を介してコミュニケーションする」は真理です
>水はH2Oから成るっていうのは真理?
「水はH2Oから成らない」が虚偽であるならば
「水はH2Oから成る」は真理です
逆に、前者の言明が真理なら、該当の言明は虚偽です
形式論理を前提にする限りこうなります
884 :
863 :2006/02/26(日) 15:33:35
回答ありがとうございます. 哲学的な解釈だとそうなるんでしょうか? でも,僕は今まで発見された法則(数式ではないですよ)は, 人間が現れる前からあると思うんですけど…. つまり,それら法則も物質が増えるに従い増えてきて, (分子が出来たら分子同士の関係, それが集まって水が出来たら水同士の関係など, 次々に関係が出来たのでは?) その延長で生物(人間)も現れたのではないかと思います. 意識や思考は,その複雑な法則の関係から出てきているみたい. …と,自己組織化と複雑系の本読んでたらフトそう思って,哲学板見に来ました. それでも,人間の意識は法則で決まってはないと思ってますけどね.
>「人は言語を介してコミュニケーションしない」が虚偽であるならば >「人は言語を介してコミュニケーションする」は真理です これは、 命題Pがある理論体系Qの内部において偽であるならば、 同体系Qの内部において命題¬Pは真である。 の方が正確ですね。
>>884 > でも,僕は今まで発見された法則(数式ではないですよ)は,
> 人間が現れる前からあると思うんですけど….
俺もあると思ってるよ
887 :
886 :2006/02/26(日) 15:43:31
補足 : ここでの「ある」は人の概念としてであり、実際に世界に存在するもんじゃないです
>>885 2つの異なる理論体系があったとしても
それぞれが同一の事象に対して、両立しない言明を共に真とするならば
2つの異なる理論体系のうち少なくともどちらか一方は間違っている(あるいは両方が間違っている)
この時、「間違っている」と批判にかけられるのは、当の言明だけではなく理論体系全体である
>>889 >それぞれが同一の事象に対して、
これは曖昧ですね。
例えば、平行線は同一事象ですか?
891 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 15:49:38
よくわからんけど、 物質のあり方は人間に関係なく一定の規則性をもっているけど、 法則という概念自体はそういった物質のあり方についての人間の解釈にすぎず、 実際に法則が存在しているとかいう表現はおかしい ということ?
892 :
888 :2006/02/26(日) 15:52:08
>>889 ふ〜ん・・・
複数の理論体系か・・・
同一の事象に対してか・・・
「あばたもえくぼ」は真か偽か? (・∀・) ニヤニヤ
>>890 二つの異なる理論体系があったとする
「平行線はAだ」
「平行線はAではない」
とそれぞれ発言したとしよう
彼らが自分たちの使用する「平行線」という言葉が同じ対象を指していることを認める限り
二つの異なる理論体系のうち少なくともどちらか片方は間違っている
その前にゾルレンの「数学も経験的に吟味される」というのが、 数学者のあまり取らない立場なんじゃないのか?
あー非ユークリド幾何学か
>>891 いや、俺の空想では、世界には規則性も法則もなかったりします
どういったらいいんだろ…
例えば、人が 100 億年前にいなくても、100 億年前という概念はあるよね
法則は概念だけど、そういった感じであてはめて考えられないかな?
>>895 「経験を通して」という言葉を使ってるだろ
俺らは数学を紙の上に数式を書いたりして吟味するだろ
これは「経験」を使用してるだろ
アリストテレスはタイルの図形からヒントを得た
これも「経験」だろ
だけど、タイルに数学があるわけじゃないだろ
>>898 「経験」の意味の違いだね。
脳内だけやるとどうなるのかね?
また、脳内の推論なんかも「すべて経験である」とするならば、
一元論に付き纏う無意味さが生じるのでは?
>アリストテレスはタイルの図形からヒントを得た
>これも「経験」だろ
平行線公理の場合、それで1000年以上の勘違いが続くわけだろう。
「紙の上にはどうみても平行線は一本しか引けない」と。
数学は「内観」だ、とある数学者はいった
>>895 四色問題の時に、「最終的な証明の過程はコンピューターだけが知っている」
で揉めましたね。まあ、美しい証明じゃないというのもあるんですが。
902 :
248 :2006/02/26(日) 16:43:56
>>878 世界のありようについてはともかく「時間の錯覚」は、なぜ生じたのですか。
少し前に、本来は正確に記述できない“動詞の私”を便宜上、静態“擬制の
私”として基軸に据えた、という“空想”を述べたことがあります。
ゾルレン氏の言葉を借りれば、その“私”が「世界に数学を押しつけている」
ことになります。
時間の錯覚の理由は何だとお考えですか。
数学の道具は人の体だけ 観測する機材もないし、機材を用いた実験もしない でも、数学は自然科学だったりする
>>902 時間は流れない(経過しない)、からです
一般的な分類だと数学は論理学と共に純粋科学では?
907 :
胎内記憶保持者 :2006/02/26(日) 16:54:26
シーザーおまえもか? by クレオパトラ
908 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 16:59:28
おまいらのつまらないとこは目的が無いこと 哲学自体が目的化しちまってる あらゆる学が手段でしかないことすらわかってない
909 :
胎内記憶保持者 :2006/02/26(日) 17:00:55
By ま・さ・こ
910 :
248 :2006/02/26(日) 17:01:33
>>880 「証明できない真理がある」という場合、俗な言い方ですが“人間には絶対
証明できない真理がある”という意味ですか。それとも、いまは無理だが、
条件が整えば可能になるということですか。
証明の対象にすらならない“真理”がある、というのは上記の二つとは違う
意味で述べたのですが、そんなものはない?
911 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 17:12:16
>>881 トートロジーで“新しい情報を含む”やさしい説明をお願いします。
912 :
248 :2006/02/26(日) 17:18:30
>>904 「時間は流れない」というのは、あなたの時間認識ですね。私の質問は、
流れていないものをなぜ流れていると錯覚したのか、その理由です。
>>911 小説で「俺は俺だ」とか「犯罪は犯罪だ」というのは、同語反復だが、
なぜか小説的技巧として通用する。つまり、無意味な同語反復では無い。
もっとも、これは「情報」の定義の曖昧さ(多様性)によるものだが。
>>913 こういうのはどうでしょうか。
チョモランマ=エベレストであり、
かつ、
xがチョモランマであるならば、
xはエベレストである。
は、同語反復ではないですが恒真式ですね。
しかし、チョモランマ=エベレストを知らない人には、
なぜか新しい知識を与えている、と。
915 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 17:26:31
>>882 >>885 ちなみに論点をはずした質問になりますが、人間が言語を介して
コミュ二ケーションする、というのは真ですか偽ですか。
>>915 それはその命題だけからでは真偽を決定できませんよ。
すべての語を明確に定義してから、「では何が観測されたならば
その命題を真と考えるのか?」を言ってもらわないと。
>>906 数学は自然科学だ、と俺は思ってたけど、よく知らんけど、違うんだね
で、自然科学が純粋科学を含むとか、そういうのじゃないんだね
>>912 > 「時間は流れない」というのは、あなたの時間認識ですね。
私だけの時間認識ではないと思います
これについては物理を勉強してみてください
>>916 では、
>>893 も、「負けるが勝ち」も、
真偽を判定するにはデータが少なすぎる・・・と。
データが揃えば判定可能になる・・・と。
>>918 ひとつ考えて欲しいのですが、例えば、
「人間が言語を介してコミュ二ケーションする」
を「あらゆる人間は言語を用いる。かつ、それによって他者と会話する」
という意味で捉え、「一人でも言語を用いない人間がいるならば、前件命題
を偽とする」なら、この命題は「偽」ですね。
では、「90%以上の人間は言語を用いる。かつ、それによって他者と会話する」
という意味で捉えたらどうなりますか。今度は「真」になるかもしれませんね。
統計をとったことはありませんが。
>>919 ということは、論理学・記号論理学とは、
『単なるモデルであり、そのまま応用するだけでは使えない、基本的技術』
『現実問題へ応用するには、様々な条件を付加しなければならない不完全なもの』
ということ?
>>920 そもそも各命題の真偽を判定するのは(a∧bでがa,bともに真の時、
a∧bは真かどうかを決めるのは論理学の仕事ですが)論理学の
仕事ではありません。
というか、論理学が万能なら記号論理学という分野が ひとつあるだけでいいじゃん。
>>921-922 なるほど。
結局、最後の最後は自分で判定せねばならないわけか・・。
問いがモデルに合致してたら、(ラッキー!考えるのがちょっと楽になったw)
という感じかな?w
最終的な判断は各々方の尺度に拠って決まるという訳かな?
925 :
素人 :2006/02/26(日) 19:51:26
>>861 失礼しました。けど、
私自身が『場』という表現に馴染みがないからかもしれませんが、
(やはり理系分野発なんでしょうか・・?原語は何かしらん?)
危ない言葉のような気がします。
無理矢理に伝統的術語をさがせば、
dha^tuを原語とする場合の「界」、特に後期教学における──例えば華厳の法界とか──
が相当するようにも思えますが(事事無碍法界とか理事無碍法界とか・・)、
実際、そのように「場所」を想定する立場もあったようななかったような・・・。(唯識さん知ってます?)
いずれにせよ、「そこで何かが起こる」、というような「場所」的括りはよろしくないかと・・・。
仏教には、『場』という捉え方はないかもしれません。(←未熟者故、私が知らないだけかもしれません。)
その都度、縁起している対象を指し示すだけ。 《何もなくて、『場』だけがある》となってはまずいとおも。
範囲を決めてから鬼ごっこをするのでなく、鬼ごっこで走り回っている範囲が鬼ごっこの範囲である、と。
(こういう言い方をするから、詭弁だ!とか、のらりくらりだ!とか言われちゃうんだが・・・(^^;) )
> 〜必ず“基軸”を立てます。
仏教では、やはり縁起を軸にすべきでしょうね。
926 :
素人 :2006/02/26(日) 20:04:00
ちなみに dha^tu の原義は、主に「要素」です。
>>899 すまん間違えた
アリストテレスじゃなくてピュタゴラスだね
>平行線公理の場合、それで1000年以上の勘違いが続くわけだろう。
>「紙の上にはどうみても平行線は一本しか引けない」と。
球の上に書けばリーマン幾何学だな
>また、脳内の推論なんかも「すべて経験である」とするならば、
>一元論に付き纏う無意味さが生じるのでは?
俺らは脳内の推論もまた発話し、それを議論にかけるなどの吟味を行い推論を修正できる
この場合も経験を通してる
「経験を通して」という言葉を、俺は経験に知識の基礎付けを求めるという意味では使用してない
生まれたての赤子を放っておいても知識を得ることはできない
すべての修正や吟味を与える要素は経験を通して得るものではないだろうか?
われわれは経験を通して、(たいていの場合、それは直接的ではなく学習における比喩的なもの以上ではないかもしれないが)
自らの脳内の推論を磨くことができる
ポパーの言葉を借りれば
「われわれは言語を介して脳を磨く」のです
>>902 >時間の錯覚の理由は何だとお考えですか。
カントは時間もまたわれわれの認識と切り離されて世界に存在するものではないと答えてます
ちょっとした比喩を。
われわれの観察を自然科学に例えてみます
例えば、ある液体を観察する際にはビーカーにそれを移す必要があります
その液体をそのまま観察するのはあまりにも曖昧すぎるからです
そして、ビーカーにはメモリが書いてあります
この液体を「認識する対象」(素材)
ビーカーに書いてあるメモリを「認識の仕方」(認識の形式)
としたのがカントです
われわれは、素材に認識の形式をあてはめることによって知識を獲得する
この認識の形式ですが、カントはこの例を4つ挙げました
実在、無限、範疇、時間です
これらは、われわれの認識を離れて存在するものではないというのがカントの結論です
要約すると、カントの時間観は、われわれの認識と離れて時間が流れているわけではない
時間はわれわれの認識の形式が何かを認識する際に現われるものであり
そのような時間の基準が間違ってないかどうかを判断することはできない
(ビーカーのメモリが間違ってないかどうか、メモリをじっと睨んでいる自然科学者を想像してみればいいでしょう)
>>910 >「証明できない真理がある」という場合、俗な言い方ですが“人間には絶対
>証明できない真理がある”という意味ですか。それとも、いまは無理だが、
>条件が整えば可能になるということですか。
「人間には絶対に証明できない真理がある」ということです
「証明可能/不可能」と「真/偽」を混同するか区別するかということです
>証明の対象にすらならない“真理”がある、というのは上記の二つとは違う
>意味で述べたのですが、そんなものはない?
たいていの人間は「真理」とは証明の必要があると考えているでしょうが
わたしは、「真理」と「証明」には何の関係もないと考えています
ある言明の真偽を考えることと、それが明証的かどうか考えることはまったく異なるとわたしは考えます
930 :
素人 :2006/02/26(日) 21:38:06
>>929 > 「証明可能/不可能」と「真/偽」を混同するか区別するかということです
> たいていの人間は「真理」とは証明の必要があると考えているでしょうが
> わたしは、「真理」と「証明」には何の関係もないと考えています
> ある言明の真偽を考えることと、それが明証的かどうか考えることはまったく異なるとわたしは考えます
なるほど。
931 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 21:38:54
素人ウザイ。スレ違い。
>>893 >「あばたもえくぼ」は真か偽か? (・∀・) ニヤニヤ
どこに複数の理論体系があるのですか?
あなたが出す例のどこにも複数の理論体系が見えないんですが?
それと
>>889 はデュエム・クワイン・テーゼをわかりやすい言葉で表現すべく改良したものだ
「当の言明だけではなく理論体系全体に批判がかかる」などはホリスティックだろ
なるほどてw そう考える理由の説明もろくにされてないのに、「〜とわたしは考えます」だけで納得する奴 始めて見たw
934 :
893 :2006/02/26(日) 22:15:33
>>932 >どこに複数の理論体系があるのですか?
>あなたが出す例のどこにも複数の理論体系が見えないんですが?
そうですね。『AさんとBさんとの間で、「あばたもえくぼ」は真か偽か?』
という問いにしなければいけなかったですね。
てか、誰かの価値観と誰かの価値観との間に生じるものである。と勝手に設定してましたw
でも、そうしたらデカルトの問題も、あの一文だけでは情報が少な過ぎません?
いや、揚げ足取りでしたね。去ります。スルーしてください。
935 :
考える名無しさん :2006/02/26(日) 22:32:57
>>931 最高位の詰めが甘いから調子付いてんじゃねーの?
だれか鉄槌下してやれやwww >>素人
どこかに「実体」を想定してしまう思考に対して、 「実体などない、それは関係に過ぎない」と批判する思考がある。 「まず実体があって、そこから我々が関係を読み取る」とする方が我々の素朴な実感に 適合するが、実体が既に言語的構造・数学的構造に媒介されていることもまた明らかである。 大乗仏教の三性説においては、このような構造を"脱構築"することで「真実の世界」が あらわれてくることになっている。 それは「真如」であると言われたり、「空」であると言われたりしている。
これはどのようなものなのか。 「云何が諸法の円成実相なるや。 謂く、一切法平等の真如なり。此の真如に於て諸の菩薩衆、勇猛・精進を因縁と為すが故に、 如理の作意・無倒の思惟を因縁と為すが故に、乃ち能く通達す。此の通達に於て漸漸に修集し、 乃至無上正等菩提を方(ま)さに証すること円満なり」 一切法相品第四 わかりにくいが、がんばって解釈してみると。 「真実の世界」を認識しようと、信者たちは一生懸命バイアスがかからないようにがんばるので みんな共通の「真実の世界」が見えてくるのです。 この共通理解が少しずつ進んでいくことで、自然と悟りの境地が証明されることになります。 同じ教え信じて一緒な方法で修行してれば、共通理解がえられるのは当然だろうね。 なんていうかとても党派的・宗教的な感じはするけど、言語的な構造の性質について この時代から正確に理解されていたのは驚きですな。
>探求者 宗教の知識を何の脈絡もなく御開陳したいなら宗教板逝け、ドアホ!
939 :
素人 :2006/02/26(日) 22:57:44
>>938 わからん話が出てきて不快なのはわかるけどな。
三性説って三段階あるんだが、最初の二つは完全に構造主義的な認識なんだよ。
最高位を批判する人たちと同じこと言ってる。それが
>>936 。
となると三段階目が気になるだろーがw
俺は三段階目を宗教的にしか読めなかった(
>>937 )が、誰か知識あるやつはそれを
哲学的に読む方法を知ってるかもしれん。俺はそういう指摘を待ってんの。
カントやデカルトやソシュールの話はOKで、三性説はいかんってことはないだろ。
似たような話なんだから
>>940 だねw
畑違いの人の意見って結構大事かもしれないよね
けれどオールラウンダーって難しい…ってかありえなくね?
>>940 やかましい!後になってガタガタ言い訳ぬかすな、氏ねよ糞ゴミムシ!
591に書いた通りキサマは本物のカスだ!
943 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2006/02/27(月) 00:02:16
探求者さん
仰る通り
>>936 の円成実性は
「神秘体験」「宗教体験」の領域と思われます。(書かれた内容その通りに)
偏計所執性「迷いの状態」が「因」ならば
円成実性は「悟りの境地」「果」ですから。
ここは哲学板なので仏教哲学からの事象の見方までに留めておいたほうが無難でしょう。
哲学の実践?と宗教の実践の差異はなんでしょうね。
>>940 完全なオールラウンダーは無理だろうけど、相当幅広いやつって実際いるからな
>>942 おまえだったんかいw
>>943 やっぱ二段階目までですかね。
ただ、脱構築の後は「空」だって言ってるのは重要だと思う。
この「空」が共同的なものとみなすところで宗教的になるのであって(デカルトのように)
単に「空」だというならば、「構造を外部から見渡せるような地点がない」と言ってるも同然。
これは「公理系の外での真理があるのか」という問いに対する一つの答えですから。
俺は、哲学と宗教の実践の差は"共同性"に回帰するか否かだと思ってます。
945 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 00:39:19
>機械 あまりに頭脳のできが悪いので親の跡を継ぐしかない「どうでもe仏教大学」の暇すぎるアホどもに占拠されてるよ〜〜!!
946 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 00:44:06
>>945 それって機械に対する悪口になってないかw
機械の力量はそれ以下だとwww
947 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 00:46:40
>>946 んなことしらんわな。結構永い付き合いなんでアラーム出してるだけ
948 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 00:49:58
>>947 そかwww
俺も、機械の着眼点は嫌いじゃないw
949 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 00:59:00
>>048 探求者とか唯識とか仏教徒はキリスト教とかイスラム教とかユダヤ教が
批判されているのを他人事みたいに見てたアホどもだけど、結局「寺院商売」
が目的な宗教さん達で、それのノウハウを教える商業学校が「仏教系大学」
そいで卒業生が学ぶ最重要な「きも」は、「出来るだけ宗教活動にして税金を
免れる方法論」・・・それが「大乗仏教」では許されるのよね・・オープンに
賽銭を収集する・・・・「経営学」みたいなもの。
機械w
そか、最近スルーされすぎなので隠密行動で「仏教」排斥? でも、唯識って機械に一貫して親和性を示す唯一の常連なのに 機械にとっては仏教=宗教=観念論だから邪魔だと そこで仏教に関心を持つやつはお寺の跡取り以外にないという だれにも理解できない機械流「社会学」の登場www
952 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 01:09:10
>>950 モサドは身分を消滅させるのよbyスピルバーグ「ミュンヘン」
この映画を視たIQ140の女性は、「殆ど内容を理解できなかった」
と告白・・・そうなんですか?単なる「愛国心」「仲間意識」「復讐」
・・そして「殺さなければ殺される」状況で「殺さない」選択肢は「ある?」
:::と言うモンダイ。
機械さんの言うように宗教なんて必要ない・・と決めることは重要なのかモナ。
953 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 01:10:26
本物なら、もっと硬い言葉硬い文章が並ぶだろうよw
なんで俺が仏教徒になってんだよw 仏教系の知識はほとんどないって言ってただろーが
>>953 機械は結構変幻自在だお
観念論者に化けたりキリスト教徒に化けたりもするんだお
過去スレは笑いの宝庫だから、おすすめ
956 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 01:17:18
だお、ってなんだよ だお、って がちゃめら、え!なめんな!
>>956 そういえば、機械はときどきとても乱暴なレスもしてたよね、匿名で
まあ、それでも機械臭は消えないところが機械タンw
958 :
863 :2006/02/27(月) 04:07:16
りくーつさん,ゾルレンさん回答ありがとう. すると,規則は人間の前から存在していて, その連続した規則に従い物質が変化して人間が発生した. と考えるのは,短絡的でしょうか?
959 :
863 :2006/02/27(月) 04:24:30
つまり,規則があって,物質が現れ,その後人間が現れた. この現れた事が存在ではないのですか? 理系の僕には,哲学の存在がよくわかりません. さらにイギリスの動物学者のリチャードドーキンスの問い 石を手にとって投げると,石は放物線を描いて飛んでいく. 物理法則に命じるままに行動する. 外からの力に対して単純な応答しかできない. 所が,小鳥を捕まえて空中に放り投げると, その行動はまるで違った物になる. この小鳥にも石と同じ力が働いているが, 小鳥の内部にはその行動を決定付ける気の遠くなるような 情報処理が進行している. これは,細胞についても言える. 単純な力に対して応答しているわけではないんだ. そこで問い. 物理学的な力に応答する物から, その力学が情報処理に支配されるようなようなシステムが いったいどんな条件の元で生まれてくるのだろう? いつ,そして何処で,情報処理や情報の記憶が 重要な意味を持つようになるのだろう? 僕はこの情報処理が私では?と思ってしまいます.
960 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 06:32:39
まず、死んでみろ。
961 :
鉄額 :2006/02/27(月) 06:37:00
いやだ
962 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 06:49:09
>>958 短絡的です。
前とか後とかは時間を逆行できない人間の日常的感覚に
縛られた観念であって、真実の様相は過去も未来も現在も
一体不可分でありますので分けて考えるのは誤りです。
>>962 そうだよね、
時間の概念は人間の間にだけあるものだからね。
964 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 07:45:33
自分の存在を疑っているような人達が どうして”時間の概念は人間の間にだけあるものだからね。”などと 言えるんだろうか。
965 :
863 :2006/02/27(月) 08:27:04
>>962 どうやって過去現在未来を不可分に考えるかわかりません.
時間の概念って,人間が感じている時間の事ですか?
それとも,時間その物ですか?
哲学では時間は人間の概念という事になっているんですか?
>>959 単に複雑な情報処理をしてるだけじゃ、「私」とも「意識」とも言えないかと。
それは一つの要素に過ぎないんじゃないですかね。
「私」ってのは明らかに、他と自分を区別する必要性から出てくるものであって、
情報処理だけじゃ出てこないと思いますよ。「社会性・関係性」が必要でしょう。
・・・ネットに繋がってるパソコンは要件満たしてそうだな。
967 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 09:59:39
>>962 あなたは人間の日常的感覚に「縛られて」いないの?
968 :
863 :2006/02/27(月) 11:19:59
人間の脳と,パソコンは情報処理を行っている点では同じです. (生物の生命活動自体がものすごい情報処理をしている) その違いは,外部の環境からの情報によって 自身(脳とか生物自体)が絶えず変化する事らしいです. パソコンは変化しません. 「私」は他と自分を区別する必要性からではなくて, 「私」は物質(人間の体)を媒体に生じている非常に複雑な情報処理 の結果だと思います. つまり,「私」が生じた時には既に他と区別されていると考えてます. 人間の体やその周りの環境無しに, 「私」が生じるんですか? (「私」と言うのが哲学では何と解釈されているか 分からないので,おかしかったらすみません. 「私」とは人間の意識でしょうか? それとも,生物のことでしょうか?)
>>962 「時間を逆行できない」と「過去も未来も現在も一体不可分」は、
矛盾してませんか。
キルケゴールが言うように、精神とは関係である。自分とは他者との関係において立ち現れる ものである。だから、他者との関係が決定的に崩れ去ったとき、自己もまた解体するのだ。 さて、デカルトは有名な懐疑でこう述べている。起きている間も夢を見ている間も関係なく 「我」はあり、感覚されるものが現実と言われるものだろうと夢だろうと関係が無い。更に この世の全てが消え去ったとしても関係なく存在し続けるものがデカルトの「我」である。 しかし、精神とは他者との関係であるならば、デカルトは他者なしの世界においていかにして 精神であり続けることができるのだろうか。なるほど、「疑いつつ在る」という形式において、 論理的に想定することはできるが、しかし真に関係を解体したならば、我もまた消え去ることに なるのだ。 しかし、デカルトはその何とも関係しない「我」をあらゆる認識の根本的基盤としている。こんな ことがどうしてできたのだろうか。彼は実は裏側で何かと既に関係していたのではないか?彼の 精神とは感覚されない何者かとの関係が既に成立していたのでは? 感覚されないものとの関係としての精神ならば、この世の全てを「懐疑」し、その後に自らの存立 根拠に神を据え付けるのは当然であろう。だから、デカルトの「我思うゆえに我在り」は次のように 言える。 「信仰しているが故に我は懐疑しつつ在る」
971 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 13:34:32
信仰は「思う」の一種じゃ?
972 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 14:00:26
素材を近くに置いてやると勝手に自己複製してゆくロボットがあったね 昔どっかのサイトで見た
信仰は命題的態度なので消去されます
974 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 15:21:14
機械タソの人気に嫉妬
>>968 >パソコンは変化しない。
本当だろうか。ネットからいろんなデータがやってきて、日々変化していないか?
こちらからデータを取りに行かなくても、勝手にいろんなデータを受け取ってないか?
ネットに繋がったパソコンは「外部の環境からの情報によって 自身(HDD)が絶えず変化している」
と言えると俺は思うがね。
>「私」が生じた時には既に他と区別されている
まぁ当然そうなんだが。他と区別することが「私」の前提なんだから。
情報処理をする「身体」があるだけでは、「私」は出てこないよ。
情報移動の中から「あっち」と「こっち」を区別する必要が出てきて、まず世界が現れる。
今パソコンにはオフラインとオンラインの区別がある。「ネットの世界」が現れている。
次いで、「こっち」と「世界の一部」との間で恒常的に情報移動が行われるようになると、
その一部が「相手方」として認識される。このとき同時に「こっち」の中でも、
「相手方」と同じ構造であるとみなせる部分が「私」として認識される。
なぜなら、そうした方が恒常的な情報移動をスムーズに行えるから。
>>970 完全に同意です。関係を解体したら、疑うこともまた不可能になるんだから。
デカルトが何かを信仰しているかと言えばそうだし
それは「神」という表現で代替可能だろう
だが、日常的な感覚では「神」という言葉には抵抗があろうが
俺は「神」を信仰しているし、たいていの人はそれを前提にしている
デカルトの「われおもうゆえにわれあり」の裏側を考える余地は哲学的にはあるが
一般人にはお勧めしない
>>958 >すると,規則は人間の前から存在していて,
>その連続した規則に従い物質が変化して人間が発生した.
>と考えるのは,短絡的でしょうか?
わたしは規則がこの世界に存在するとは考えてません
この世界は唯一無二(ユニーク)です
「石を投げたら放物線を描く」とありますが(ここでは物質の意図で例えられているだろうが)
それが紙だったり竹とんぼだったり紙ひこうきだったりするだけで描く線は変化します
もちろん、それらも物理法則に従っていると言えるかもしれません
しかし、果たして、物理法則に従うから例外も記述できるのが
例外が観察されるたびにそれらを記述できるように物理法則が改良されたのか
おそらくは後者でしょう
仮に世界に法則が内在していたとしても、物理法則がそうであると考える理由はないですし
ましてやわれわれにはそのような世界に内在する法則は決して手に入らないという困難がありますからね
>>959 の問いはとてもおもしろいと思いますよ
977 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 17:11:24
>>976 >仮に世界に法則が内在していたとしても、物理法則がそうであると考える理由はないですし
その内在している法則を、物理法則と呼ぶだけのこと。
>ましてやわれわれにはそのような世界に内在する法則は決して手に入らないという困難がありますからね
これは正しい。
さらに言うなら、我々に決して手に入らない法則によって、世界が存在している。
故に決定論、唯物論は正しく、永遠に覆される事はない。
>>977 もし、あなたの書いた文章が正しいのならば
われわれは物理法則を手に入れることはできないということですね
では、現在においてわれわれが「物理法則」と呼ぶのは何なのでしょうか?
物理学者が手に入れたものはいったい何なのでしょうか?
それが物理法則でないのは確かです
なぜならば、あなたは「物理法則はわれわれには決して手に入らない」と言っているからです
979 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 17:25:58
パソコンは変化してるでしょ。 毎秒ものすごい回数でたえずメモリをリフレッシュしてるわけだし。 そもそも厳密に見れば物理的にも哲学的にも あらゆる物質は一時たりとも同じ状態を保つ事は出来ないわけだし。
980 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 17:29:18
>>978 >われわれは物理法則を手に入れることはできないということですね
手に入るのは物理法則の一部だけということです。
>では、現在においてわれわれが「物理法則」と呼ぶのは何なのでしょうか?
現象の背後にある「理」です。
>物理学者が手に入れたものはいったい何なのでしょうか?
物理法則の一部です。
>それが物理法則でないのは確かです
いいえ、物理法則の一部です。
>なぜならば、あなたは「物理法則はわれわれには決して手に入らない」と言っているからです
いいえ。あなたの誤読です。
>>980 そう答えるだろうと思ってましたよw
当然ながら次のような疑問が生じます
われわれが物理学や自然科学などの営みを通じて得たものが
世界に内在する法則の一部であるということがどうやって分かるのか?
物理法則の一部は、ある2つの関係を記述するわけです
例えば、石ころは空気抵抗と投げた力の関係によって運動が記述されるわけですが
なぜこの一連の世界から、石ころと投げた力だけを切り抜いて法則化できるのか
また、そのような法則が世界に内在する法則の一部だとどうして言えるのか
わたしが石ころを投げたそばで猫がニャーニャー鳴いていた
この猫の鳴き方がなぜ石ころの描く放物線と無関係と言えるのか
わたしが石ころを投げたそばでキャッチボールをしている少年がいました
なぜこの少年たちが石ころの描く放物線と無関係と言えるのか
仮に世界に法則が内在していたとしても、
世界の一部だけの関係を切り取ってもってきて
世界に内在する法則の一部と言うことはできないでしょう
982 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 17:43:01
>>981 >世界に内在する法則の一部であるということがどうやって分かるのか?
全部ではなく一部であるのは当然。
全部記述できていたら誰も苦労しない。馬鹿馬鹿しい。
正しいかどうかという意味なら、もちろん疑いはあるだろう。
でもそれ以上に、あなたの頭の中の論や言葉の理解の方が疑わしい。
何もかも疑うならば、まず自分の論説を永遠に疑い続け、口を閉ざすことだ。
分からないという断定すらあなたには出来なくなる。
あなたに言える事は、自分(あなた)はわからないということだけになるだろう。
983 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 17:47:08
>>981 >物理法則の一部は、ある2つの関係を記述するわけです
そうとは限らない。
>例えば、石ころは空気抵抗と投げた力の関係によって運動が記述されるわけですが
それは物理法則ではありません。あるモデルの記述に過ぎません。
>なぜこの一連の世界から、石ころと投げた力だけを切り抜いて法則化できるのか
はあ?この世界の法則ではないでしょう。あくまでモデルであって。
>この猫の鳴き方がなぜ石ころの描く放物線と無関係と言えるのか
だれも無関係とは言っていませんが。
一般人よりも物理に詳しい人ほど関係があると考えるでしょう。馬鹿馬鹿しい。
ちょっとした比喩を 人間の行動を決定する法則があるかもしれない しかし、切られた爪の再生の法則を発見したからといって それが人間の行動を決定する法則の一部であると考える理由にはならない ついでに言っときますが、わたしは哲学畑では科学擁護の立場になります 科学の正しさを保証するために世界に斉一性を持たせようとする野望は昔からありましたし、 そのような考えをする無名の学者も多くいました 彼らの考えを批判することが科学を尊重しないということにはならないはずです
985 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 17:52:46
>>984 >それが人間の行動を決定する法則の一部であると考える理由にはならない
この世のどんなものも、全てのものに影響を与える。
どんなものだって無関係になり得ないし、一部にならざるを得ないよ。
>>976 > デカルトの「われおもうゆえにわれあり」の裏側を考える余地は哲学的にはあるが
> 一般人にはお勧めしない
感覚されない何者かとの関係において成立している精神が、感覚される世界に対して何を
見るだろうか、ということですね。例えば、何故我々は向日葵を太陽と相似だとして、そこに
関連性を見ることを「非科学的」というのだろうか。天動説ではなくて地動説を唱えるのは
どういった動機なんだろうか。
>>983 >だれも無関係とは言っていませんが。
>一般人よりも物理に詳しい人ほど関係があると考えるでしょう。馬鹿馬鹿しい。
わたしも関係があると考えてますよ
だからこそ、われわれが得た法則はあくまでもモデルであって
「世界に内在する法則の一部ではない」とはっきり言えるのです
988 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 17:56:30
>>987 残念ながら、モデルであっても一部になりえます。
989 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 17:58:38
>>987 まあ、もう少し付け足すなら、
あなたは世界の実像を知らないのだから、そのように否定することもできないということです。
単にあなたが一部であることを認識できないというだけでしょう。
フロイドがどこかで書いてましたけど、人類は3度自尊心を大きく傷つけられたと。 一回目は地動説であり、それによって自らを中心に世界が回っていないことを知らされた。 二回目は進化論であり、人類は他の生物の一派生形態に過ぎないことを知らされた。 三回目はフロイドの精神分析だということで、これが一番言いたいことなんでしょうけど(笑)、 人間は自分の意志が無意識によって既定されていることを知るのだと。 これらに共通しているのは、「反感覚的」ということですね。
>>988 なりえません
あなたはとても素朴な世界観をお持ちなのでしょう
あなたがヒュームを読んで悲観するよりは、その素朴さを持ったままの方があなたにとって幸せでしょう
わたしはすべての人に哲学を押し付ける気はありません
992 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 18:01:53
>>991 >なりえません
いいえ、違います。
あなたが断言できるのは、あなたが「なりえない」と思うことだけです。
あなたが知らないところで、なりえている可能性がないとは、
あなたの論を使う限り言えません。言ったら矛盾します。
993 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 18:02:37
>>991 あなたが出来るのは、あなた自身が無知だと告白することだけでしょう。
機械氏がデカルトなどの観念論者にキリスト教の匂いを嗅ぎ取るのは正しいわけですね(笑)。 しかし、一方でそういった精神によって質的ではなく量的に記述された世界が展開するわけで、 それは機械氏が愛して止まない物理法則なわけですが、奇しくも機械氏は(江戸時代?)の デカルトの弟子ということになりますでしょうか。
おまいら、まだ争ってんのか
>>989 わたしが世界について何も知らないというならそのとおりです
しかし、わたしは「世界は矛盾していない」という信念をもっています
ここにおいて、わたしは論理を前提にしつつ
世界について無知でありながら世界について知ろうとすることができ考察することができるのです
反論は、世界について議論する者として論理にコミットすることにより可能なのです
まぁ、こんなことを書いてあなたに理解できるとは思っていませんが
デカルトについての考察がこれだけ続いた中で
よくそのような書き込みができるなと少し感心してしまいます
すれ違いかも知れませんが、機械氏のキリスト教論を聞きたい今日この頃です。
信じてないんじゃない?
999 :
考える名無しさん :2006/02/27(月) 18:24:26
>>996 >ここにおいて、わたしは論理を前提にしつつ
>世界について無知でありながら世界について知ろうとすることができ考察することができるのです
>反論は、世界について議論する者として論理にコミットすることにより可能なのです
つまり論理が必ず成立する世界を前提にしているということです。
それは決定論、唯物論と何も変わりません。
>>994 >機械氏がデカルトなどの観念論者にキリスト教の匂いを嗅ぎ取るのは正しいわけですね(笑)。
キリスト教の匂いという意味では
すべての学的営為はキリスト教の匂いがします
学問という営為もまた西洋キリスト教文化の遺産です
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