714 :
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【用語解説試案】
五蘊=人間。(実存的に捉えれば、私という存在。) → 広義の色で考えれば、一切の存在。
色=物質および肉体 → 「五蘊に於いてのみの狭義の色であれば、(この私の)肉体のみを指す」という見方もあり。
ちなみに、色(rupa)の語源は「壊れるもの、変化するもの」。
受=感受作用。
想=表象作用。(印象、イメージとも。)
行=意思及び受想識以外の心作用。→(十二支)縁起や、諸行無常で言われる行とは違う。(原語は同じだけどねw)
〔作意(注意)・(和合としての)触・思(意思)・定(精神統一)・念(忘れないこと)・慧(知的作用)・etc.〕
識=認識作用・意識。或いは(六識の総体という見方をすれば)認識主体との解釈もありうる。
715 :
2/4:2005/09/23(金) 23:33:04 ID:fRvQx3Q3
(六)根=眼・耳・鼻・舌・身・意。各種感覚器官、及びその能力。後者に重点が置かれることが多いかも。
意根は、脳及び脳のはたらきと受け止めることも可能かもしれない。
(意識との差異や関連については略w。手に余る(^^;) )
(六)境=色・声・香・味・触・法。上記の各根が捉えうる、それぞれの対象。(ややこしくなるので現代的分類分析は略w)
必要な補足だけすると、ここでの「色」は物質或いは色(いろ)・形・明るさ。視覚的に知覚できる対象。
触は、身体(皮膚)で知覚する対象のこと。或いは前四つ以外の外的対象。
法は、思想・概念とか、およそ人の意識が認知するような(抽象的存在としての)対象をいう。
(ダルマ(理法)という語が用いられていることから、もともとは
「理法等真理・本質を認知・認識するのは意識である」という考えから導かれた用法であろう。
ちなみに、認識対象の法を、勝義において「おしえ・縁起・四諦」とする場合あり。)
(六)識=眼・耳・鼻・舌・身・意。根と境の和合により成立した(生じた)それぞれの認識。
ひっくるめて(五蘊の)識というも可。根境それぞれに合わせて分別すれば六種になる。(雑だなw)
少し具体性を持たせれば「これこれはこのようである」とはっきり知覚認識し分別されたもの。
(ちなみに、これら六識も法境として意識の対象となりうる。但、意識を認識する意識を、哲学的に無限遡及はさせない。
→縁起としての時間的流れからすれば一度で十分であろうし、刹那的な存在と捉えれば解決する?
以下略wってかお手上げ(^^;) )
716 :
3/4:2005/09/23(金) 23:33:39 ID:fRvQx3Q3
五蘊十二処十八界=五蘊は上記。十二処は、根と境。十八界は、根・境・識。
仏教に於いての一切の存在を一言で述べたもの。(→厳密に吟味すると少々不整合な部分も?)
縁起=一切の存在は固定的な実体をもたず、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ。
故に、全ては無常であると言われる。
(ちなみに無常を解する場合に、ネガティヴに虚しいというのでなく
「単に移ろいゆくということ。そしてそれは、向上の可能性をも含む」と見るべきであろう。)
因縁=直接的原因(因)と間接的条件(縁)。または、それから結果(果)が生じること。縁起。
空=本来は「空性」というべき。もろもろの存在は縁起によって成り立っており、固定的実体がないということ。
ここでいう「実体」は、
不変で、他の影響を受けず、種々の存在にとっての根源であり(種々の存在はこれによって存在しうる)、
種々の存在に対しては影響を与え、物質的なものでなく(→通常感覚知覚できるものでなく)、
あるものを、あるものたらしめる唯一の要素(他の要素は重要でない!)と見做されるもの。
また、それのみで存在しうる(縁起するものでない)。術語では、「自性」と言われる。
この意味の実体を否定することは、個物や対象そのものの存在を否定するものではない。
【補】
色即是空=色は、空なる性質を持っている。(縁起するものである) → 空そのものではない。
空即是色=空なる性質を持つものは、すなわち色である。
当然、受想行識についても同様に見る。
「色」の部分だけを取り出して、さらに「空」を「無・無い」とするからトンデモ解釈が生まれてくるw。
717 :
4/4:2005/09/23(金) 23:35:22 ID:fRvQx3Q3
>>695さんのレスがあまりに綺麗だったので、拝借しました。
記述の殆どは、水野弘元「仏教用語の基礎知識」に依っています。
ただ、某スレのように「読んどけ!」とかリンクが貼られるだけでは不十分かとも思いますし、
各種板各種スレでの仏教関連のレスを見る度に、テンプレというか
会話のベースとしてこんなようなものがあった方がよいかと思い、僭越ながら試作してみました。
くどい言い回しや、まだまだ固い術語の使用もあり、結局難解な言葉の羅列wという粗雑な仕上がりになりました。
慙愧の念に耐えつつ諸賢の添削・改定を願いあげます。