【共同体】コミュニタリアニズム【Communitarian】

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1考える名無しさん
  _  ∩
( ゚∀゚)彡 コミュニタリアン!コミュニタリアン!
 ⊂彡

政治思想板池とか言われそうだけど向こうは廃墟だし…
こっちで立ててみました。
語ろう
2考える名無しさん:2006/01/10(火) 00:01:49
政治思想板池
3考える名無しさん:2006/01/10(火) 11:33:53
政治哲学一般スレすら過疎化してるのに、無理だろ。

あとまぁ法学版もあるよ。
4考える名無しさん:2006/01/10(火) 13:19:56
こみゅにたりあにずむ。

いいにくい。りべらりずむのほうがいい。
5考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:48:44
communityを重視する思想だけど
communistにしたら共産主義に
なっちゃうから、延ばして妙に
まだるっこしい言葉になってしまった
のではないかと思われ。
6考える名無しさん:2006/01/30(月) 22:45:16
こみゅにちぃ
7考える名無しさん:2006/01/31(火) 08:34:24
コミュニタリアンはリバタリアンを批判しているみたいだがこの二つはドッキングするべきものだと思うのだが
8考える名無しさん:2006/01/31(火) 14:34:14
>>7
根本からして違うのに、何をドッキングするんだ?
9考える名無しさん:2006/01/31(火) 20:44:38
マッキンタイアを昔読んだくらいだな
10考える名無しさん:2006/01/31(火) 21:06:23
日本人には個人の権利の起源を社会の慣習に求める香具師が多いような気がする。
だとすると、多くの日本人はコミュニタリアンなんだろうか。
11考える名無しさん:2006/01/31(火) 22:47:52
>>10
和辻哲郎の倫理学なんか代表的なものだと思うが。
12考える名無しさん:2006/02/01(水) 20:51:35
>>8
中央政府はリバタリアニズム、地方自治をコミュニタリアニズムというふうにドッキングするという事
13考える名無しさん:2006/02/02(木) 23:59:02
なんとも住みづらい感じだ
14考える名無しさん:2006/02/03(金) 00:01:28
>>12
哲学板でそんな卑近な政策レベルでの野合について語ってどうすんの?
15考える名無しさん:2006/02/03(金) 01:56:40
んな事ゆってるから哲オタがバカにされるわけ
16考える名無しさん:2006/02/04(土) 01:40:45
はいはい、コヴァ板にでもいってらっしゃい。
17考える名無しさん:2006/02/04(土) 05:29:20
じゃあ「負荷なき自我」についてでも議論するか?誰か食いついて来いよ
18考える名無しさん:2006/02/04(土) 05:44:51
クダラネ
鉄板って学部生以下のアフォが増えすぎ
19考える名無しさん:2006/02/04(土) 06:23:50
アフォリズムが増えて、知的になったってよ!
「パラフレーズきぼんぬ!」ってこと?
20考える名無しさん:2006/02/04(土) 09:05:00
>>17
するか?じゃなくて、負荷なき自我について垂れ流してくださいよ。
21考える名無しさん:2006/02/04(土) 12:14:36
>>18
それは永井均とかが見栄っ張りな書き込みばかりしたから反感を買ったんだよ。プロなら議論ぐらい受けて立たないと
22考える名無しさん:2006/02/04(土) 12:15:46
> 永井均とかが見栄っ張りな書き込みばかりしたから

これ何? 事実なの?
23考える名無しさん:2006/02/04(土) 12:19:57
>負荷なき自我

法学板の正義論スレ行った方がいい。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/jurisp/1094232262/

どうにも共同体主義で単独スレは無理がある。
24考える名無しさん:2006/02/04(土) 12:22:30
サンデルはロバート・ケネディまんせーだし、
テイラーもマッキンタイアも元はニューレフトだからな。
アメリカのリバタリアンとはまず相容れない。
25考える名無しさん:2006/02/04(土) 20:07:02
アメリカのリバタリアンの中には元々トロツキストが居たんだっけ
26考える名無しさん:2006/02/05(日) 01:26:37
ハイエクの言う「自生的秩序」は「民度」という条件付きで初めて説得力を持つ。「民度」を育てるのが共同体だと仮定するならばリバタリアニズム(ハイエク流)とコミュニタリアニズムは環で繋がるのではあるまいか。国家を共同体だと捉えると両者が矛盾するのは避けがたいが
27考える名無しさん:2006/02/07(火) 14:20:18
>>26
それってけっきょくコミュニタリアニズムに回収されちゃうってことじゃん。
28考える名無しさん:2006/02/07(火) 14:27:09
結局、社会以前に個人が存在し、その個人は社会の合意とは無関係に
権利を持っていると考えるか、
個人というものは社会の産物であり、その権利というのもすべて社会的
規約から生じると考えるか、というところが争点なんじゃね?
29考える名無しさん:2006/02/07(火) 14:42:52
それぞれの場合の利益を考えてみよう。
社会の産物であることを考えるとすると、王権神授説までいくようだ。
すると、神の御名において、封建的な権利が与えられる。
王権の権威に従って、民衆の権利が考えられる。
自然状態の産物であると考えるとすると、人間が何であるかだ。
何であるのかとは、どんな考えがある、人間がどんな社会である、
これらの視点から考えるようだ。例えば、ホッブス・ロック・ルソーがよく挙げられている。
大きく分けると、神、人間の根源この二つである。
では、我々は何だと考えると、神である、人間の根源である、どっちだ。
30考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:59:28
古代ギリシアの政治共同体って
ここで言うコミュニタリアニズムの遠因になっているのか?
31考える名無しさん:2006/02/10(金) 01:01:10
コミュニタリアンにはアリストテレス主義者が多いようだよ。
32考える名無しさん:2006/02/10(金) 03:02:41
共同体というアイデンティティーのなかで個人が作られるし、追求すべき善も明らかになるってのは確かに人間は社会の中で幸福を達成するようにできてるっていう目的論に似てるな。
33考える名無しさん:2006/02/10(金) 03:20:20
ポリスやユートピアニズムをイメージするならば当然個人の主体性確立も重要になってくるはず。そこから吉本流共同幻想の「個人ー対ー共同」という流れがゲマインデのレベルまで下がって一つの単位になる。かも
34考える名無しさん:2006/02/10(金) 10:17:13
>>30
アレントが近い。時代が違うから共同体主義者には
分類されないだろうけど、人間の条件あたりで
展開されている論は共通するものがある。
サンデルとかも影響受けてるし。
35考える名無しさん:2006/02/10(金) 10:18:03
ああ、マッキンタイアはアリストテレス主義者だね。
36考える名無しさん:2006/04/02(日) 00:10:53
権力者が土地の授与をして、土地の返報として秩序の維持や労役を提供するのは封建主義です。
私は、共同体と封建主義の区別がついていないようです。
詳しい方は、共同体についての考えを聞かせてください。
37考える名無しさん:2006/04/05(水) 00:47:43
古代ギリシャの都市国家とか、アメリカ建国当時のタウンミーティング
みたいなものが想定されている。封建制は無しで。
38考える名無しさん:2006/04/05(水) 01:39:32
共同体は、強壮・知的教育をされた優秀な市民と生産業に従事させる他国民の奴隷から成り、
近隣諸国を併合して、対立を繰り返して、近国を潰していく国家。
スペインと東海岸に対立して、イギリスの課税を否定して独立をした国家。
共同政治は、選民の合議体と民衆の代議士政治。
選民と民衆の関係はどうなっているのでしょうか。
39考える名無しさん:2006/06/03(土) 13:01:04
 
 農耕とともに始まった?
 
 収穫物の略奪,土地の収奪は不可避。これに対抗するためも不可避。
40考える名無しさん:2006/06/03(土) 13:21:34
青木孝平によると、マルクスの「人間は社会関係のアンサンブルである」
という定義は、サンデルによるロールズ批判に活かされているらしい。
41考える名無しさん:2006/06/03(土) 13:31:16
>>37から>>39
共同体を歴史学的に実体化してはだめだよ。
コミュニタリアンのいう共同体は、もともとロールズ的リベラルの
「無知のベール」やノージック的リバタリアンの自己所有権といった
「負荷なき自我」やそれがつくる社会契約論の批判として出てきた。
だから、個人の自由意思によってつくられるアソシエーションと
対極の位置にある。家族・近隣・民族など個人のアイデンティティを
構成する関係性そのものだといってよいだろう。
42考える名無しさん:2006/06/03(土) 13:39:06
サンデル、マッキンタイア、ベラー、テイラーの社会哲学。
エッチオーニの社会学などを読むのもよいですが、
まずはリベラル/コミュニタリアン論争を全体として鳥瞰して
おくべきでしょう。
わが国の青木孝平『コミュニタリアニズムへ―家族・私的所有・
国家の社会哲学』、菊池理夫『現代コミュニタリアニズムと
第三の道』などを読まれるのがよいと思います。
43考える名無しさん:2006/06/03(土) 14:24:50
要するに、リベラリズム=アトミズムの社会契約論と
     ファシズム=ホーリズムの社会有機体論という
双方の実体主義を批判し、社会関係によるアイデンティティの
構成を説く構造主義の社会哲学。
ただし旧来の構造主義が方法論的関係主義にとどまるのに対して、
規範理論的関係主義をとる。その意味で当為の哲学でもある。
44考える名無しさん:2006/06/03(土) 14:32:40
ソビエト連邦の崩壊以後、マルクス主義は全面的な解体をとげ、
ドミノ倒しのような転向が始まっている。……かつての転向は
西欧近代の超克から日本的な文化保守主義へ向かうのが
通り相場 だったが、現代の転向は、逆に、リベラリズムの
世界制覇とあいまって、 近代自然法思想や社会契約説の復権、
あるいは新古典派的な 効用価値説、功利主義的倫理学、
そして現象学的主体論やさらには リバタリアニズムといった
方向に流れていくのが主だった傾向のように 思われる。
それは単にレーニン=スターリン的なロシア・マルクス主義
からの 離脱にとどまらず、マルクス理論の最良の継承の
一つであった構造主義 以降の「人間」批判、あるいは
さまざまな関係主義的な「主体」批判の 成果をも全面否定
するものであり、これらに対する安直なアンチテーゼ として、
アトム的個人に立脚するリベラル・ヒューマニズムや
ラディカル・デモクラシーに回帰しているように思われる。
すなわち現代におけるマルクス主義の瓦解は、徹底した
リベラリズムへの屈服と溶解、そしてイデオロギー的同化
現象として進行しているといってよいだろう。
本書では、こうしたマルクス主義のリベラリズム化に
あえて異議を唱え、 これらと異なったマルクスの現代的
再生の可能性をぎりぎりのところ 追求していくことになる。
 青木孝平『コミュニタリアニズムへ』

要するに、マルクス主義が崩壊後した後の、リベラリズムに対する
最後のアンチテーゼということね。
45考える名無しさん:2006/06/03(土) 14:40:26
菊池理夫『現代のコミュニタリアニズムと「第三の道」』書評
 著者は、日本でコミュニタリアニズムが誤解されているとして、
サンデル、マッキンタイア、テイラー、ウォルツァーらの見解を紹介している。
そして現在、アメリカのコミュニタリアンのほとんどはリベラルな価値をも
尊重するリベラル・コミュニタリアンであるという。
対してロールズやドゥオーキンなどのリベラルも共同体の意義を評価して、
晩年はコミュニタリアン・リベラルに転向したという。
著者はこうしたリベラル・コミュニタリアンのアソシエーショニズムを
肯定しているみたいだが、個人の自由意志によって形成されるアソシエーションと
いうだけなら、森村進『リバタリアニズム読本』がいうように、リベラルどころか
リバタリアンだって賛成している。反対に青木孝平『コミュニタリアニズムへ』
などは、コミュニタリアニズムをアソシエーショニズムの対極において、
コミュニタリアニズムの意義を強調しているが、著者の菊池理夫の見解では、
コミュニタリアニズムのもつラディカル性を「誤解」として払拭しようとするあまり、
結果的にそのコミュニタリアニズムはリベラルは殆んど内容が変わらないものに
なってしまっている気がする。リベラル/コミュニタリアン論争の原点に帰って、
もっと旗色を鮮明にしてほしい!

46考える名無しさん:2006/06/03(土) 14:59:51
以前、哲学板に[青木孝平『コミュニタリアニズム』へ]っていう
スレが立っていましたよね。柄谷派やアナリティカルマルクス主義と
徹底的に議論する良スレだったと思います。スレ復活のキボンヌが
多いので、もしかすると、このスレはあのパートUでしょうか?
47考える名無しさん:2006/06/03(土) 15:11:52
今回は、もう少し間口を広げて
マルクス=宇野=青木だけではなく、
故藤原保信の仕事やエッイオーニやウォルツァー、
ポランニーやアーレント、ハーバーマスなどとの
関係も論てほしいものだ。よろしく。
48考える名無しさん:2006/06/03(土) 16:19:28
なんで構造主義が出てくるのか
さっぱり不明なのだが。
49考える名無しさん:2006/06/03(土) 16:45:04
>>48
サンデルのロールズ批判は、ロールズの社会契約説は
カント的な超越論的主体を前提とする「負荷なき自我」から
始まるという点に向けられた。それはまさに「主体」の
イデオロギー批判であり、資本主義という社会関係による
「人間」という主体の構成性を暴くものであった。
こうした人間批判の方法に、すでに構造主義との親和性を
読み取れるが、コミュニタリアニズムは、そうした
方法論的個人主義の批判に留まらず、さらに一歩進めて
ポジティブな倫理的関係主義を提起する。すなわち
社会から離床した人間「主体」をもう一度、
分厚い文化をもった社会共同体的関係の中に「埋め込む」
べきことを主張する思想である。この点ではテイラーが
ソシュールの音韻論を共同体的コミュニケーション論に
読み込む方法論を提起していることも留意すべきだろう。


50考える名無しさん:2006/06/03(土) 17:29:51
市場的個人主義の批判としてコミュニタリアニズムを評価する仕事が
最近目につきます。青木孝平氏のほかにも、大川正彦氏の『マルクス
―いま、コミュニズムを生きるとは』は、マルクスのコミュニズムと
ウォルツァーのコミュニタリアニズムを結びつける試みですし、
佐藤光氏の『カール・ポランニーの社会哲学』は、ポランニーの
市場と共同体の二重運動論をマッキンタイアのコミュニタリアニズム
に結びつける企てです。こうした傾向は最近の静かなブームのようです。
51考える名無しさん:2006/06/03(土) 17:45:56
マルクス主義固有の用語、ウザイ。
52考える名無しさん:2006/06/03(土) 18:05:22
>>51
50は、マルクスをコミュニタリアニズムに関係づけていても、
マルクス主義じゃあないだろ。反対に、マルクスを保守派にも
受け入れられるものに読み替えようという意図じゃないの?
53考える名無しさん:2006/06/03(土) 18:31:28
過去スレです
青木孝平『コミュニタリアニズムへ』 @2ch哲学板
http://www.geocities.com/frafrea/aoki_com_philo.htm
参考
☆リベラリズムとコミュニタリアニズム☆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1019422033/l50
宮台による論評
リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=28
54考える名無しさん:2006/06/03(土) 20:20:15
過去スレ、サンクス!ちっと読み返してみっか。
55考える名無しさん:2006/06/03(土) 21:11:37
この青木の過去スレは、みんなマジでいい議論してるね。
読み直すとホントに勉強になる。ここにカキコしてた人たち
もう一度戻ってこないかな。もっとも、こういう熱情は
聖なる一回性といわれるヤツで、何度もできるもんじゃ
ないけどね。
56考える名無しさん:2006/06/03(土) 21:34:53
レコレコ「コラムと書評」
橋本努(北海道大学大学院経済学研究科助教授・経済思想)

青木孝平著『コミュニタリズムへ 家族・私的所有・国家の社会哲学』社会評論社2002年

市場と国家の両方に対抗する原理としての「共同体主義(コミュニタリアニズム)」を
視軸にしつつ、マルクス派社会哲学の遺産を救出しようと企てた労作。
宇野理論の脱科学化、家族論や所有論や日本資本主義論争の脱進化主義化、
会社共同体の批判的検討などを経て、市場原理主義の思想を批判する理論的観点を
再規定する。その議論展開には勢いがあって包括的である。著者の関心の中心には、
自然法思想、古典派経済学、超越的主体論、方法論的個人主義といった概念装置に対する
強い疑念と批判がある。他方では、現代の分析マルクス主義やアソシエーション論に
対しても批判的な立場をとり、家族や自治会や町内会や階級や民族といった、
自由意志に左右されない共同利害性の原理としてのコミュニティを復権しようと呼びかける。
1.満足度 3
2.本のリンク マッキンタイア『美徳なき時代』みすず書房

3.読書キーワード (概念)会社共同体(戦後の日本経済は「会社共同体」なるものを生成することに
よってコミュニティの機能を資本の論理に従属させてきた。)
57考える名無しさん:2006/06/03(土) 22:45:35
G.A.コーエン『自己所有権・自由・平等』書評

 本書は、分析的マルクス主義者であるコーエンがリバタリアンのノージックに
対して行った理論的批判の集大成である。リバタリアンはその社会契約説の出発点を、
ジョン・ロックの自己所有権論に求めている。自己所有権とは、人間は生まれながらに
自己の身体と生命を所有しており、従ってそれを使用した労働と労働の結果である
生産物は自己のものであるという自然法思想である。マルクス主義の立場からみれば
自然法思想など容易に批判できるようにみえるが、コーエンによれば、そうではない。
なぜならマルクス主義が資本家の搾取を批判する論法は、労働の生産物は労働者自身の
ものであり、資本家が剰余価値を所有するのは労働者の自己所有権の侵害であり
不正義であるという、ある意味でリバタリアンと同じ前提の議論だからである。
 それゆえコーエンは、リバタリアンの福祉国家批判とマルクス主義者の資本家批判は、
同一の論理構造であるという。従ってコーエンによれば、マルクス主義は自己所有権を
完全には批判できず、その前提を弱め相対化することしかできない。
これが本書の結論である。
 マルクス主義の弱点を突いたおもしろい議論ではあるが、マルクスの理論は
分析的マルクス主義の考えるような方法論的個人主義のものばかりではないだろう。
リバタリアニズムやリベラリズムの人間観(自己所有権論)に対しては、たとえば
コミュニタリアンのサンデルが「負荷なき自我」であると鋭い批判をしているし、
わが国の青木孝平なども、マルクスの人間観を関係主義的に理解し、
自己所有権を前提とせず、逆に自己所有権が資本主義の最終的イデオロギーである
ことを明らかにしている。
 コーエンの議論は分析的に精緻ではあるが、その分析哲学がかえってマルクス
理論のもつ自己所有権・人権・自由・平等といったリベラルな観念に対する
ラジカルな批判精神を減じてしまっている。分析的マルクス主義は、
どこまでいっても近代合理主義の申し子であり、けっきょく近代リベラリズムを
超えられなかった。この意味で本書は、分析的マルクス主義とは何かを理解すると
同時に、その限界をも知る恰好のテキストといえよう。
58考える名無しさん:2006/06/03(土) 23:13:39
マッキンタイア『美徳なき時代』

私は誰かの息子か娘であり、別の誰かの従兄弟か叔父である。私はこの都市の
市民であり、特定のギルドや職業団体の一員である。私はこの一族、ある民族、
この民族に属している。したがって、私にとっての善は、これらの役割を
生きる者にとっての善であるはずだ。そういう者として私は、私の家族、
私の都市、私の部族、私の民族の過去から、負債と遺産、正当な期待と責務を
相続しているのである。これらは私の人生の所与となり、私の道徳の出発点と
なっている。
59考える名無しさん:2006/06/03(土) 23:46:29
私の人生の物語は常に、私のアイデンティティの源である諸共同体の
物語の中に埋め込まれている。私は過去を伴って生まれたのだ。
とすれば、個人主義者の流儀でもって私自身をその過去から
切り離そうとすることは、私の現在の諸関係を不具にすることである。
歴史的同一性を所有することは、とりもなおさず社会的同一性を
所有することに合致するからだ。
 ここで再び〈埋め込み〉という物語が決定的意味をもつ。
というのは、私たちの時代の実践の歴史は、伝統の持つ長期にわたる
広範な歴史の中に埋め込まれていて、その歴史に基づいて理解可能に
なるからであり、その歴史をとおして現在の形態の実践が私たちに
伝えられてきたからである。また、私たち自身のそれぞれの人生も、
一般的かつ特徴的には、多くの伝統をもつ長期にわたる広範な歴史の
中に埋め込まれていて、それらの歴史に基づいて理解可能なものに
なるのである。
60考える名無しさん:2006/06/03(土) 23:54:10
以上の引用から、マッキンタイアの(埋め込み)理論は、ポランニーの
経済人類学にヒントを得たものであり、コミュニタリアニズムを
共同体から離床した市場的個人を批判するマルクス的社会哲学として
読むのも、あながち間違いではないことが証明できると思います。
61考える名無しさん:2006/06/04(日) 00:09:54
マルクスって市場批判したワケ?
62考える名無しさん:2006/06/04(日) 00:25:28
じゃ逆に聴くが、マルクスって市場社会主義を支持したワケ?
63考える名無しさん:2006/06/04(日) 01:00:12
マルクスが支持したのは資本主義の市場だろ?
「市場社会主義」って何よ? どこに書いてある?

「資本主義は最も道徳的な科学である」というマルクスの指摘が
何を意味してると思うの?
64考える名無しさん:2006/06/04(日) 01:28:37
資本主義からしか共産主義は生まれないんでしょ?
市場が共産化するって全然想像できないんだけど。
65考える名無しさん:2006/06/04(日) 08:59:48
マルクスは共同体と共同体の間に市場は始まるといっている。
資本主義というのは、この市場が共同体の内部原理となった
商品によって商品を生産する社会なわけです。
よく比喩的にいわれるように、市場というのは共同体にとり憑いた
ガン細胞のようなものです。資本主義の発展からしか社会主義が
生まれないというのは、ガンが全身に転移したあとでしか
健康な身体はつくれないという、バカな神話と同じです。
コミュニタリアニズムは、市場というガン細胞の増殖を
抑制し、共同体から外部に押し出し、共同体と市場の棲み分けを
はかる思想運動なのです。
66考える名無しさん:2006/06/04(日) 09:13:30
>>63
マルクスはヘーゲルを継承して「資本の文明化作用」を語った。
今にして思えば。このマルクスの進歩史観が諸悪の根源だった。
資本主義を止揚した共産主義など、かつてもこれからも
存在しない。可能なのは資本主義市場を共同体的に抑制する
ことだけだ。マルクスは資本主義市場を「天賦の人権の真の
楽園」といい、そこで支配するイデオロギーを「自由・平等
・所有・ベンサム」と揶揄した。これこそが「最も道徳的な
科学」なるもののだ。われわれに必要なものは科学的社会主義や
リベラルな正義ではなく、共同体的な共通善の復権なのだ。
67考える名無しさん:2006/06/04(日) 09:23:58
ここで言われている「共同体」とは何?
市場経済によって解体されていったかつての村落共同体のようなもの?
68Jimmy:2006/06/04(日) 10:11:57
>>67
横レススマソ。
私も同じ質問したい。「人格的依存関係」(グルントリッセ)じゃないよね?
69考える名無しさん:2006/06/04(日) 10:24:18
>われわれに必要なものは科学的社会主義や
>リベラルな正義ではなく、共同体的な共通善の復権なのだ。
これは納得できました。説明感謝します。
それで市場は共同体間の調節システムとして大事なんじゃないですか?
市場が悪いという考えですか?市場化した個人が悪いんですか?
市場の生成も必然だと思うのですが。
70考える名無しさん:2006/06/04(日) 10:36:00
マルクスは「共同体から離床した市場的個人を批判」したんですか?
自分的にはマルクスは「共同体の解体」を夢想したんじゃないかなと
思うんですが?
国家の廃絶とか、そういうことじゃないのかな。あれはレーニンなの?
71Jimmy:2006/06/04(日) 10:46:25
具体例を挙げてみよう。
19世紀自由主義段階のイギリス資本主義の周辺にあった農村は
共同体なのかどうか。資本主義的生産関係に対しては労働力予備軍と
食料・原料の供給基地として、一面では商品経済的に再編されていたが、
しかし農業生産自身は決して資本主義的経営が全面化せず、むしろ
中農および零細家族経営が長く残存した。
あるいはまた例えばモルモン教徒の自給自足的な村落のイメージなのだろうか。

共同性あるいは共同体には水平的にも垂直的にも様々なバリエーションが
あるのではないか。それらの差異を問わずして、ナニが何でも「回帰」
では説得性がない。
72考える名無しさん:2006/06/04(日) 11:36:59
共同体の定義はムズカシイ。種々雑多。しかも現実には多層多重に
共同体に所属しているでしょ、多くの人が。
73考える名無しさん:2006/06/04(日) 12:08:10
でも「共同体」という言葉が使われている以上、
そしてそれが重要そうなものならば、それを
明確に定義して貰わんと
74考える名無しさん:2006/06/04(日) 12:37:33
72さんがいうように、共同体をあまり実体視し歴史具体的に
定義しない方がよいと思います。重要なことは、資本主義市場は
近代的個人を形成しますが、イデオロギー的には逆立ちして現れ、
あらかじめ自立的な自然人が自存し、自由な意思によって社会を
つくるかのように転倒して正当化されます。
共同体はこのような逆立ちしたイデオロギーを生み出しません。
人間が共同体をつくるのではなく、反対に、人間を生み育て教育する
基層社会(ポランニー)を共同体と呼ぶしかないのです。
そうした共同体は伝統や文化によって多様であり、人間は多層的で
多重的に共同体に帰属します。家族、地域、民族、そして世界など。
Jimmyさんにひきつけていえば、市場を媒介しない経済原則のかたち
といえるのではないでしょうか。およそ人間が労働をすれば、必要
労働を超える剰余を生産し、それによって、蓄積や公共財の補填、
そして非労働人口の扶養が充足されます。資本主義のように
エゴ的競争が結果的にこの原則を実現するのではなく、人々の
家族や近隣への愛情と愛着が伝統や文化・風習となり、それに
基づいて自覚的に剰余の分配が果たせれるのが「善き社会」
すなわち共同体なのではないでしょうか?
75考える名無しさん:2006/06/04(日) 13:03:53
そうすると共同体の最もよい例は家族になりますね。
資本主義はあらゆるものを市場化しようとしますが
最後まで市場化に抵抗するのは、恐らく家族でしょう。
地域的コミュニティは崩れてますし、エスニックの
同一性に訴える運動が世界各地に現われても、それは
市場化に対する反作用的な運動でしょう。
ギデンズの言う「再帰的近代化」、つまり家族なり地域なり
は壊れたけど、それなりにパパ、ママ、隣人になりきった
ゲームをしましょう、という形での共同体か、
旧来の伝統・習俗にもとづく共同体を大切にしましょう、
という素朴な保守主義に帰着するのではないですか。
それも市場化への反作用として呼び起こされたものですけど。
76考える名無しさん:2006/06/04(日) 13:42:48
家族は二重に存在します。
マッキーバはアソシエーションとしての定位家族と
コミュニティとしての生殖家族を区別しました。
すなわち子供が意思と無関係に生まれこむ集団としての家族と
個人が自分の意思で配偶者とつくる任意集団としての家族です。
また、市場による共同体の分節の結果のこされる最後の共同体が
家族であるという考え方もありますが、レヴィ・ストロースなどの
女性の交換理論(氏族外婚制)によれば、家族は氏族的共同体と
共同体のあいだに成立するともいえます。ですから家族を
共同体の典型とみなすこともできれば、逆に最初の商品交換と
みなすこともできるのです。
結局、コミュニタリアニズムは、市場を否定するものではなく、
市場の介入できない領域を承認する、初期ウォルツァーのいう
「分離の技法」ということになるのではないでしょうか?
77考える名無しさん:2006/06/04(日) 15:04:54
でもレヴィ=ストロースの女性の交換理論と
市場における商品交換は、明らかに別のものでしょう。
コミュニタリアニズムをよく知らないんですけど、
安直な保守主義者に恰好の口実を与えそうに思えるんですけど、
保守主義としての共同体主義との違いって何ですか。
78考える名無しさん:2006/06/04(日) 16:42:54
コミュニタリアニズムは保革、左右という冷戦時代の二項対立の無効を
宣言するものとして登場した。もはや世界に保守主義などないではないか。
世界中の保守は、プライヴァタイセーションと構造改革派として、すなわち
資本主義市場原理の保守でしかない。
左翼はもともと、インターナショナルの名におけるグローバリズムを掲げ、
資本主義的リベラリズムを尻押しするしか脳がない。ネオ・リベやリバタリアン、
アナルコ・キャピタリズムは、もはや左右を超えた両者共通の方向性だ。
マルクス主義も「資本の文明化作用」などといって、結果的にグローバリゼーション
の先に未来社会を展望しようとする。私は資本主義の後に理想社会が訪れるなどという
弁証法を信用しない。青木氏の本には全面的に賛成なわけではないが、唯一つ
正しいと思ったのは、マルクスのいう「自由な個人的所有者の共同体」などと
いうのはヘーゲル・マジックであり、弁証法という詭弁を除けば単なる言語矛盾だ
という指摘だ。マルクスを弁証法から解放してやれば、そこにはリベラルと
コミュニタリアンの両面の分裂した論理が残る。マルクスのテキストを
リベラルとコミュニタリアンに丁寧に腑分けしたのが、青木氏の先駆的業績だと
いってよいだろう。世界資本主義的な歴史進化理論としてのマルクス主義は
すでに死んだのである。
79考える名無しさん:2006/06/04(日) 16:55:18
ソ連型社会主義はなぜ失敗したと思いますか?
それはけっしてミール共同体のせいでも
文化的後進性や民主主義の欠如のせいでも
ないでしょう。まったく反対だと思います。
伝統を破壊し、合理的人為的に理想社会を
設計しようとした理性の傲慢のせいだと
思います。そのかぎりではハイエクは
正しかった。資本主義はグローバルな
普遍主義です。今もとめられているのは
地域や伝統・文化に根ざした基層社会への
着床です。これこそが本当の反グローバリズム
なのではないでしょうか?
80考える名無しさん:2006/06/04(日) 17:06:23
>>78 >>79
でも「地域や伝統・文化に根ざした基層社会への着床です」というのは
グローバリゼーションによって反作用的に喚起されたものですよね
例えばアメリカは外から見ればグローバリゼーションを広げる国家の
ように見えますけど、アメリカ国内の地方部では、今キリスト教の
共同性や規範性に回帰する動向が見られます。日本でも、古来の慣習、
習俗に回帰せよ、それらを基礎とした学校道徳教育や「国家の品格」
などの本が売れたりします。そうした傾向を保守主義と呼んだ場合、
コミュニタリアンとの違いはどこに求められますか。
81考える名無しさん:2006/06/04(日) 17:36:47
>こうした人間批判の方法に、すでに構造主義との親和性を
>読み取れるが、

なんか強引な気がするなぁ。解釈学ならまだわかるけど。

>この点ではテイラーがソシュールの音韻論を共同体的コミュニケーション論に
>読み込む方法論を提起していることも留意すべきだろう。

テイラーのどの著作?
82考える名無しさん:2006/06/04(日) 17:37:30
保守が、市場原理的保守と伝統保守に分化していくのだから、
左翼も、資本主義の延長に未来を求めるリバタリアン的左翼と
資本主義の発展を制御しようというコミュニタリアン的左翼に
分化していくのは自然の成り行きだと思います。
というより、やはり右翼と左翼、保守と革新という旧来の
対立図式がもう成り立たないのでは?
ちなみにコミュニタリアンといっても、
マッキンタイアのような保守的傾向の強い人と
ウォルツァーのような社会主義者、
エッチオーニのようなブレア=クリントンの「第三の道」派まで
種々雑多な立場があります。
83考える名無しさん:2006/06/04(日) 17:55:57
>>81
テイラー「アトミズム」『現代思想』22巻5号、1994年
同「承認をめぐる政治」『マルチカルチュラリズム』岩波、1996年 かな?
84考える名無しさん:2006/06/04(日) 18:24:52
>>83
インデックス見る限りはソシュールの名前は出てこないんだけど、
どのへん?
85考える名無しさん:2006/06/04(日) 18:29:50
ああ、Irreducinly Social Goodsにあるね。
86考える名無しさん:2006/06/04(日) 20:56:29
>>74
>人々の
>家族や近隣への愛情と愛着が伝統や文化・風習となり、それに
>基づいて自覚的に剰余の分配が果たせれるのが「善き社会」
>すなわち共同体なのではないでしょうか?

「善き社会」の「善い」とする基準やそれを保障するものは何でしょうか?
それからこれだけシンプルなものであれば何故いままで歴史の過程とともに
共同体は解体してきたのでしょうか?
それから山岸会やある種の宗教団体はこれらに近似してるのでしょうか?
87考える名無しさん:2006/06/04(日) 22:15:59
善はGoodであり、正=権利のRightとは異なります。
リベラルは普遍的正=権利の存在を主張しますが、
コミュニタリアンは特殊的ないし共同体ごとに異なる善い社会を
追求します。たとえばある共同体にとっての善が、他の共同体に
とっては邪のこともありえます。共同体の共通善が個人に
内面化されることが、その人のアイデンティティを構成する
のではないでしょうか?共同体は市場によって一方的に解体
されるのではなく、時に市場への対抗運動の形態を採ります。
現在のアメリカン・デモクラシーの普遍化がムスリムの反撃
に出会っているように、歴史は常にポランニーのいう
市場と共同体の対抗的な二重運動なのではないでしょうか?
ヤマギズムや新宗教の団体はコミュニティというより
やはりアソシエーションとして理解されるべきだと思います。
88考える名無しさん:2006/06/04(日) 23:09:20
ポランニー(あるいは欧米思想)が対象化した共同体や市場ではなく、
日本における共同体や市場を考えた場合ですが。
たとえば日本の共同体では村八分のようなことがあります。
この場合、排除(差別)する方の根拠や排除(差別)される方の困難といった
問題あり、これらに解決を与えるものはコミュニタリアン的にはどういう処方
なのでしょうか?
それから日本の市場では談合問題のように構成員のコミュニケーション(談合)によって
利益配分がなされ完全な市場的自由はないケースがあります。この場合非構成員の排除という
メカニズムが前提をなしていますが、この排除は共同体からの排除に近いものだと考えられます。
このような問題はコミュニタリアンはどう評価するのでしょうか?
89考える名無しさん:2006/06/04(日) 23:12:07
>ヤマギズムや新宗教の団体はコミュニティというより
>やはりアソシエーションとして理解されるべきだと思います。

都合のいい話だな。
90考える名無しさん:2006/06/05(月) 08:42:06
>>88
どうして共同体をそのように社会学的に「実体」化してイメージされるのか
理解に苦しみます。個々人は重層的かつ重複的に共同体に帰属し、
それらの複合性が逆に個人のアイデンティティを構成しています。
帰属する共同体が個人個人によって、すべてズレているのですから、
人の行為の選択は無意識的に共同体の選択でもあるわけです。
もともと共同体はストレンジャの排除を前提にして成り立っていますが、
逆にいえば,外部との差異が共同体の固有性を支えているともいえます。
コミュニティを、自我を構成する複合的総体と捉えてください。

>>89
同じことがここでも言えるでしょう。
コミュニタィは個人の選択ではなく、反対に個人を構成する根拠です。
ヤマギシも新宗教もいかにファナティックとはいえ、任意的加盟集団(組織)
であり、個人があらかじめ「生まれこむ」コミュニティでないのは自明でしょう。
91考える名無しさん:2006/06/05(月) 10:11:30
人は実体のないイメージの共同体に属しているのではありませんし、
ましてや実体とは関係の無い机上での、しかもある特定の共同体定義に
依拠してるわけでもなく、そこに現実以上の価値や必要性を感じるわけでも
ありません。現実の問題の解決に無効あるいは障壁でしかないならば、ただ
それを問いただすだけでしょう。
92考える名無しさん:2006/06/05(月) 10:28:07
端的にいって国内なら今日のニート、古くは村八分、海外ならユダヤ人差別に代表される問題などが
ありますが、これらのすぐれて共同体的な問題、あるいは共同体こそが問題の起因となっている事象において、
これらへの問題解決を希求することがコミュニタリアンにおいては原理的に不可能なのだというのであれば
(それを認めるならば)問題はないのです。それ以上の価値を見出そうと思いませんので。
その程度の思想であれば、特定の思想が必要以上に主張されるときに根源的な時代の病を見出すことも
簡単ですから、その点から追及した方が意味があるかもしれませんし。
93考える名無しさん:2006/06/05(月) 11:21:34
>>91
そうだろうか?ひとはむしろ常に実体のない共同体に属しているのではないか?
空想の共同体、過去の共同体、リアリティのない幻想に人は命を捧げる。
アソシエーションのような人工的に作られた任意加入の組織と異なり、
いま求められているのは、自我が合一化し同定しうるコミュニティではないのか?
ニートは共同体が問題の起因?逆だろう。アイデンティティを維持できる
共同体の喪失がニートを生み出してる。村八分。いまや村八分できるような
ムラ的連帯は都市化と市場化によってどこにもない。ユダヤ人差別?
ユダヤ人はパレスチナの共同体を破壊する差別者ではないのか?
アパルトヘイトないし棲み分けを否定し、普遍主義的に欧米近代の
自由・平等・民主主義によって世界を単一化するグローバリゼーション
こそが、「リベラリズム」という時代の病を生み出し、「負荷なき自我」の
挫折と焦燥が、民族主義や宗教ファンダメンタリズム、あるいは排外主義や
差別の蔓延をつくりだしている。コミュニタリアニズムはその現実的な
処方箋であると信じている。
94考える名無しさん:2006/06/05(月) 12:23:54
>>72>>90
>現実には多層多重に共同体に所属しているでしょ、多くの人が。
>個々人は重層的かつ重複的に共同体に帰属し、
>それらの複合性が逆に個人のアイデンティティを構成しています。
よくわかるんだけど、共同体にはヒエラルカルな力の順位があるんじゃないの?
影響力の強度の違いかな? たとえば通常は国家が最強でしょ? でもマルクスになると
それが整理されてくるよね。アルチュセールの重層的決定概念だって基盤に下部構造、
生産諸関係を置いてるよ。いちばん強い共同体の同定と、それからの影響力行使の経路を
取り出さないと説明不足になる。単なる保守主義の共同体護持イデオロギーでないなら
そこを考えないと。実体的に考えるのを拒否するのは>>92さんの指摘どおり時代の病でしょ?
だから精神分析や心理学が流行っても、せっかく意味あるはずの共同体やマルクスの論議が
コケにされちゃうんじゃないの?

>コミュニタリアニズムはその現実的な
>処方箋であると信じている。
いいね! 現実的な解決こそボクみたいなヒッキーの永遠のテーマですよん。
95考える名無しさん:2006/06/05(月) 12:37:34
>>93
>いま求められているのは、自我が合一化し同定しうるコミュニティではないのか?
これって「母型論」やフロイトにでてくる母子関係が原点の認識のことでしょ。
エディプス論とどう違うか詳しく知らないけど。この認識が成長・成人化とともに
抽象化していく経路を丹念に観察したのが精神分析や心理学だよ。
96考える名無しさん:2006/06/05(月) 12:53:23
95のつづき
>>74
>人間が共同体をつくるのではなく、反対に、人間を生み育て教育する
>基層社会(ポランニー)を共同体と呼ぶしかないのです。
それはマルクスが示した範囲内のことでしょ。基層社会を形成する物質的基盤は
マルクス経済学のお得意分野。でも特殊具体的な人間個人は母子関係に大きく
左右されるからフロイトはそこを看過しなかったわけでしょ。フロイトがマルクスを
読んで「唯物論が足りない」と皮肉った事実は重いんだよん。
97考える名無しさん:2006/06/05(月) 12:56:47
栗本真一郎ってポランニーの研究家なの?
あの人カルトの信者じゃん。栗本スレもヘンな雰囲気だし。
98考える名無しさん:2006/06/05(月) 12:57:08
私は、ここまで防戦のレスに追われてきました。
しかしスペースの限られたレスで説明不足の点もあると思いますので、
直接にサンデル、マッキンタイア、ベラー、テイラーの社会哲学、
エッチオーニの社会学など原典に当たっていただくのがよいと思います。
しかし、それもなかなかたいへんですので、
まずはリベラル/コミュニタリアン論争を全体として鳥瞰した
書物をよんでいただけたらありがたく存じます。
私は、基本的にマルクス=コミュニタリアニズムをめざしており、
わが国の青木孝平『コミュニタリアニズムへ―家族・私的所有・
国家の社会哲学』、菊池理夫『現代コミュニタリアニズムと
第三の道』などから大きな啓発を受けました。
このスレのみなさんにも、これらを読んでいただくと
議論がスムーズにかみ合い、また膨らむのではないかと思います。
ぜひ共通のベースで議論を深めましょう。


99考える名無しさん:2006/06/05(月) 15:13:58
>>97
たしかに栗本は脳梗塞を患ってから、カルトっぽくなっちゃたね。
昔はまともなポランニー研究者だったんだが。
ところで、青木孝平さんって、単著以外の共著は、ほとんど宇野派関係とくに降旗節雄と一緒に
書いたのが多いけど(『クリティーク経済学論争』など)『法社会学研究』っていう栗本慎一郎との共著があるね。
それから広松渉との共著っていうか解説本に『唯物史観と国家論』ってのもあるね。
宇野・ポランニー・広松をへてコミュニタリアニズムか。なんとなく思考の流れがわかる気がする。
100考える名無しさん:2006/06/05(月) 16:36:16
なんだ、値段の高い本読まないと参加できないのかあ。
やっぱヒッキーは共同体から排除されてるのかよ。いいけどさ。
これはマルクス的な問題だなあ、貧乏だと勉強もできない。。。
>>99
ポランニーはもともと科学者じゃないの?
ノーベル賞取ってた気がするなけど。
宇野理論出身の人はいろんなとこにいるね、生態学とか変り種がいた。
複雑系にもいたかな。
101考える名無しさん:2006/06/05(月) 17:00:27
>>100
いや、無理に読まなくても、鋭い啓発や批判をどんどんしてくださいな。

あなたの言ってるポランニーは、弟の方のマイケル・ポランニーでしょ。
ここで言っているのは、兄の方のカール・ポランニーのことですよ。
102考える名無しさん:2006/06/05(月) 17:25:07
今検索したら、暗黙知の概念はマイケルなんだ。
ずっとカール(経済人類学)だと思ってた。
おまけにノーベル賞はマイケルの息子なんだ。
アタマがごちゃごちゃだったあ。。。
栗本しか読んだことないからしょうがないか。はずかしい。。。
やっぱ本人の本読まないとだめだね。
マルクスは講義や読書会でいっぱい読んだけどなあ。
103考える名無しさん:2006/06/05(月) 19:16:54
>現実的な処方箋

それで具体的に何の問題について何するの?
104考える名無しさん:2006/06/05(月) 20:44:24
>>103
>普遍主義的に欧米近代の
>自由・平等・民主主義によって世界を単一化するグローバリゼーション
>こそが、「リベラリズム」という時代の病を生み出し、「負荷なき自我」の
>挫折と焦燥が、民族主義や宗教ファンダメンタリズム、あるいは排外主義や
>差別の蔓延をつくりだしている。

↑ だから、これが問題なのです。
リベラリズムとグローバリズムがその反作用として国家権力の強化を生み出しています。
これに対抗するには、市場と国家に抗し得るコミュニティを再建するしかありません。
いまだ現実的処方箋とまではいきませんが、少なくとも処方=方向性だけは明瞭です。
105考える名無しさん:2006/06/05(月) 20:48:09
92です。
ここで共同体についてラジカルなことを訊ねたのは、身近かにいくつかの事件があるから
ということもあります。東京なのですが、小学生の頃には引越の挨拶の順番が悪いと有力者から
スポイルされた方により八つ墓村のような惨殺事件が起こりました。やはり引越の挨拶が不備で
就任地から追い出された駐在所員がいます。もちろん警官です。また最近ではマンションの反対運動で
マンションの子供を村八分あるいはイジメの対象にしてやれという発言もありました。文教都市として
有名な街でのことです。杉並区のようにゴミは埋立地に行けという運動もありました。
イラク派遣反対のビラを配布して逮捕され、その横ではすし屋や蕎麦屋のチラシが配られていたりします。いずれも現代の東京です。
どれも地域エゴまたは地域有力者のエゴのように感じます。そして重大な結果を招いています。
この東京の(地域共同体の)実体がおかしくないわけは無いでしょう。
それにいわれているようなコミュニタリアニズムが有効なのかと問うことそのものが拒否されるのでしょうか。
私なりに抽象して訊ねたのであり、それが論議を中断するものであるというなら心外だということにつきます。
端的にいって実体に即した「現実的な処方箋」というのをいちばん知りたかったのです。
一応これまでですが。
106考える名無しさん:2006/06/05(月) 22:22:44
>>104
>「負荷なき自我」の挫折と焦燥が、民族主義や
>宗教ファンダメンタリズム、あるいは排外主義や
>差別の蔓延をつくりだしている。

そこにいきなり飛ぶ具体的な因果関係が分からんのである。
107考える名無しさん:2006/06/05(月) 22:42:55
>>105
現実的な処方箋とまではいきませんが、次のことだけは言えます。
コミュニタリアニズムに対して、それが偏見と不寛容を助長する卓越主義の
強制でありアナクロニズムである。さらには国家が個人を吸収するのを
正当化し全体主義ないしファシズムに道を開く反動思想である、という
批判がたしかにあります。
あなたは、東京の数々の事件にそうした共同体の危険性を感じておられるのだと
思います。しかしそうした事件は東京が日本的ないし共同体的村八分を残存させて
いるから生じるのではないと思います。逆です。私は、市場社会としての東京人が
共同体の根を断たれ拠りどころを失ってアトム的に孤立し「負荷なき孤人」となった
不安と挫折感から生じた事件だと考えます。リベラリズムによる権利の際限ない
拡大が、それを保障する装置をますます強大にして、伝統的共同体の喪失が
これを代替する無機的で包括的な権力組織を要請しているのだと考えます。
繰り返します。
>自由・平等・民主主義によって世界を単一化するグローバリゼーション
>こそが、「リベラリズム」という時代の病を生み出し、「負荷なき自我」の
>挫折と焦燥が、民族主義や宗教ファンダメンタリズム、あるいは排外主義や
>差別の蔓延をつくりだしている。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、それらの事件は決して前近代的共同体の
「地域エゴ」ではなく、むしろ共同体の崩壊による焦燥感に起因するのでは
ないでしょうか。アトム的個人のホーリズム的国家は共犯関係なのです。
それゆえ、個人と国家を架橋するコミュニティの創出が唯一の処方箋だと
思います。抽象的ですみません。
108考える名無しさん:2006/06/05(月) 22:45:17
ほとんど電波入った新興宗教じみてる罠。
109考える名無しさん:2006/06/05(月) 23:36:31
>>107
おいおい、あんたは青木理論の継承者みたいな顔して
まったく違うこと言ってるんでないかい?
青木氏のコミュニタリアニズムは、そんな情緒的な
処方箋なんて全然提起してないよ。宇野の原理論を、
ロールズ的リベラルとノージック的リバタリアンを
批判する社会哲学として読み替えるところに主眼が
あるんだぜ。妙な処方箋を書かれたら、きっと
ありがた迷惑だと思うよw
110考える名無しさん:2006/06/06(火) 00:35:27
菊池本では、リベラル/コミュニタリアン論争は
リベラル・コミュニタリアンとコミュニタリアン・リベラルの論争だと
言ってるね。もう、なにがなんだか分からない。
英米の論争当事者も自分がどっちだか分からんようになってるみたい。
111考える名無しさん:2006/06/06(火) 00:48:55
しかし左翼/右翼とか、革新/保守とかいう分類より
今ではリベラル/コミュニタリアンの方が
はるかにリアリティがあるのは間違いない。
まだまだ、この種のテーマは、これから盛んになるだろう。
20世紀末の論争は前哨戦にすぎなかった。
欧米でも日本でも、この種の哲学思想本が続々とでている。
それからもう一度、柄谷あたりをダシにして
誰かアソシエーショニズム/コミュニタリアニズム論争を教えてくれ。
112考える名無しさん:2006/06/06(火) 07:36:30
何度も問うて申し訳ないが、地域のコミュニティが壊れた、
学校が壊れた、家族が壊れた、だからそれら共同体を回復
せねばならない、という傾向、これは学校道徳教育を重視
せよ、「国家の品格」という本が売れる、市場社会がアトム化
した個人を生み出す運動への反作用的な運動として、そうした
共同体への回帰運動も起こるわけです。それを、ごく素朴な意味で
保守主義と呼んだ場合、コミュニタリアンとの違いは何ですか?
113考える名無しさん:2006/06/06(火) 07:43:15
>>112
政策レベルでは違い無いんじゃね?
114考える名無しさん:2006/06/06(火) 09:02:44
>>112
 たしかに政策レベルというか実践としては、『新しいコミュニタリアン運動」
など、失われた共同体への郷愁にもとづくロマン主義運動の人たちもいる。
しかし運動の主唱者のエッチオーニなどは、過去への回帰ではない
新たなコミュニティの創造運動=「第三の道」路線だし、現在はこちらが
主流だと思う。またウォルツァーなどは社会民主主義路線だ。
 そして最も重要なことは、ほとんどのコミュニタリアンは実践運動ではなく
純粋に哲学的な人間のオントロギーとしてコミュニタリアニズムを説いている
点だ。すなわちロールズの無知のベールやノージックの自己所有権といった
カント的な超越論的主体を前提とする社会契約論とヘーゲル的有機体論への
両面批判を意図している。その背景に進歩史観に対する批判があるのは事実
だろうが、やはり保守主義と決め付けるのはどうだろう。資本主義市場も
伝統的文化も含めて、社会関係による主体の構成性を説くところにこの哲学
の主眼があるのではないだろうか。
 申し訳ないが、私にはこれ以上うまく説明できない。たしか青木氏の本
に「コミュニタリアニズムは保守主義か?」という章があったと思うので
時間があったらその辺りでも読んで自分で判断してほしい。
115考える名無しさん:2006/06/06(火) 09:41:14
>>109


( ´,_ゝ`)おやおや状況くんはこんなところで負け戦の憂さを晴らしているのかね?m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

116考える名無しさん:2006/06/06(火) 10:50:41
>>114
青木氏の著作を読んでないもので、ごめんね
別に保守主義と決め付けるわけではなく、差異は何か?を
知りたいだけです。

>資本主義市場も 伝統的文化も含めて、社会関係による主体の構成性を説くところにこの哲学
 の主眼があるのではないだろうか
ということは、コミュニタリアンは、資本主義市場も認め、伝統的文化も
認めるのですね。
117考える名無しさん:2006/06/06(火) 11:20:49
>>116
認めるとか認めないとかいう価値判断の問題ではなくって、
市場のつくりだす人間像と伝統的共同体のつくりだす人間像は
異なるということです。繰り返しになるが、要するに
人間が自由意志で社会をつくるという社会契約論は間違っている。
社会関係による人間の構成性を理論化するのがコミュニタリアニズムの
本領だということです。それによってリベラリズムのような超越的主体の
固定も初めて回避できる。これは私の独断ですが、地域や文化の差異に
よる人間の多様性を説明することが可能になる。その意味で、保守主義と
いうより、マルチカルチュラリズム(多文化主義)と親和性をもつのでは
ないでしょうか?
118考える名無しさん:2006/06/06(火) 11:58:19
彼は便宜上「それを、ごく素朴な意味で保守主義と呼んだ」だけであって、
別に保守主義のレッテル自体を云々するのは違うんじゃないの?
バークとかオークショットに代表される政治哲学としての保守主義は
また全然別の話なわけで。
119考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:04:36
>人間が自由意志で社会をつくるという社会契約論は間違っている。

別に「間違」ってはいないし、自由主義の「負荷なき自我」を存在論レベルで
批判するようなのはもう20年以上前の古い議論で、今更とりあげる意味ないでしょう。

それはそうと、哲学板だから純粋な哲学の話をしてもまぁ当然なんだけど、
私的にはもっと具体的な政策レベルでどういうimplicationがあるのかを
探りたいところなんだよね。
120考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:26:51
121考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:33:52
122考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:34:27
>そして最も重要なことは、ほとんどのコミュニタリアンは実践運動ではなく
>純粋に哲学的な人間のオントロギーとしてコミュニタリアニズムを説いている
>点だ。
>社会関係による人間の構成性を理論化するのがコミュニタリアニズムの
>本領だということです。
じゃあコミュニタリアニズムって理論運動なんだ。とりあえず実践とは関係ないとか?
そんならそんでいいけどさ。
でもいままでの説明だと市場の拡大や共同体の弱化などの現実を見てコミュニタリアニズムが
生まれたんだろうから、その現実にどう対応するんだろう。理論運動だけならお題目ゴニョゴニョに
なっちゃう気がする。実践に貪欲な創価とか新興宗教にも負けそう。。。
123考える名無しさん:2006/06/06(火) 12:36:39
たしかにサンデルによる「負荷なき自我」の批判そのものは古いかも
しれんが、青木的なコミュニタリアンは、それを資本主義の構造的連関
から超越的主体のイデオロギーが構成されるプロセスとして詳細に
フォローして、マルクスとの接合を図ったところが新しい。そして
ノージック的「自己所有権」が資本主義を正当化する最終的イデオロギー
であることを明らかにしたのが、面白い。
つまり「社会契約論は間違っている」というより逆立ちしているという
べきなんじゃないかね。
わたしゃ、エッツィオーニのような政策論としてのコミュニタリアニズム
には全然興味にゃーね。権利と責任の調和だとか、国家に拠らない福祉社会
だとか、しょせん煮え切らない中道=折衷主義で、日本の麗澤大学の
モラロジー運動くらいにしか取り入れられていないんでねーの?
124考える名無しさん:2006/06/06(火) 13:05:47
>たしかにサンデルによる「負荷なき自我」の批判そのものは古いかも
>しれんが、青木的なコミュニタリアンは、それを資本主義の構造的連関
>から超越的主体のイデオロギーが構成されるプロセスとして詳細に
>フォローして、マルクスとの接合を図ったところが新しい。

サンデル他の「負荷なき自我」批判は、ロールズら自由主義者がこれを存在論レベルで、
あたかもそれを自体において人間という存在の実態に関する理論であるかのように提唱して
いるものとして批判していた。でも自由主義者らにしてみれば、「負荷なき自我」も社会契約も、
道徳原則・政治規範を導き出す為の単なる思考実験の道具でしかなかったわけで、
別に「負荷なき自我」が人間存在の本質であるとか、あるべき姿だとか、そういうような主張を
していたわけではなかった。それで、この種の批判は自由主義批判としてはちょっと的外れみたいな
あしらわれ方をされて終わっている。まぁロックやホッブスからして社会契約はフィクションだと
明言してたわけだけれども。

ロールズはポリティカル・リベラリズムになると、その名からも分かる明らかなように、
「政治的」な規範理論としての自由主義を提唱しているのであって別にカント的な人間論まで
包摂するような包括的自由主義を言ってるのではないことを明言している。
125考える名無しさん:2006/06/06(火) 13:36:20
現状、自由主義的な市場原理を徹底させようとして、その結果
旧来の共同体が破壊される、それに対して旧来の共同体を復活
させようという「素朴な保守主義」が台頭してくる。この市場
主義と素朴な保守主義は対立しているようで、補完的な関係に
あると思います。
コミュニタリアニズムは「あり得べき世界像」を提出している
のですか?代替体制を志向してますか。それは市場主義と素朴な
保守主義の補完関係とどう異なりますか。
126考える名無しさん:2006/06/06(火) 15:48:58
>>124
>「負荷なき自我」も社会契約も、
>道徳原則・政治規範を導き出す為の単なる思考実験の道具でしかなかったわけで

マルクス的コミュニタリアンはその思考実験そのものを批判しているのです。
たとえばロールズの無知のベールにせよ、ロック=ノージックの自己所有権に
せよ、また分析的マルクス主義のゲーム的行為論にせよ、新古典派のミクロ
理論にせよ、宇野派内山口派の行動論的アプローチにせよ、現代の社会理論
(思考実験)が、おしなべて方法論的個人主義を採用している点を批判して
いるのです。そうした思考実験から導き出された規範理論が、結果的にせよ
倫理的個人主義に帰結するのは、いわばあらかじめ結論のある証明にすぎない
と思います。これに対して青木さんらのマルクス派は、まさに思考実験として
市場という関係的構造を仮設し、そこから流通・生産・分配の重層的構造を
とおして「関係に先立つ自己所有権的主体」というイデオロギーが最終的に
構成されることを証明するわけです。つまり社会契約論を逆立ちさせる思考
実験をおこなって、リベラリズムの道徳原則・政治規範の特異性を暴露する
という方法論的戦術を採るわけです。ですから青木さんたちも、負荷なき
自我を存在論的にひはんしているのではないし、ましてや「共同体的人間」
が人間の本質だとか主張しているわけではないと思います。
いいかえれば、ロールズやあなたのいう「政治的規範理論としての自由主義」
が、資本主義という社会関係を前提とし、そこからのみ構築されるイデオロギー
だということを論証し、その規範的限界を明らかにしているのです。
127考える名無しさん:2006/06/06(火) 16:03:00
>>125
基本的に126が125さんへの答えにもなっていると思います。
コミュニタリアニズムといっても色々で、たしかに「あり得べき世界像」を
提起するエッチオーニのようなコミュニタリアンが主流かもしれません。
しかし、いま問題にしているのは、リベラリズムの普遍主義的な規範理論に
対する批判にとどまるし、また留めるべきだと思います。なぜなら、あり得べき
代替体制の提示という志向自体が、リベラリズムの普遍主義そのものであり、
コミュニタリアニズムは普遍主義を拒否するところに初めて成り立つ思想だ
と思うからです。コミュニタリアニズムは普遍的正義の存在を否定し、共同体
ごとに異なる善を認めるものです。
128考える名無しさん:2006/06/06(火) 16:44:53
>そうした思考実験から導き出された規範理論が、結果的にせよ
>倫理的個人主義に帰結するのは、いわばあらかじめ結論のある
>証明にすぎないと思います。

ロールズらの規範理論は、もともと人間が持つ常識的な価値判断を哲学的に
明らかにし形式化するのが目的ですから、哲学的に導き出した「帰結」には
最後に反省的均衡によるチェックが入いります。規範理論にとって重要なのは、
結局、それが規範として説得力があり、善悪判断や政策決定の際の妥当な
基準たりえるかどうかです。そういう割り切った用途のために原初状態などの
「思考実験用道具」が用いられる。これは、人間の本質に関するア・プリオリな
前提から永遠不変の道徳原則を演繹する、みたいな基礎づけ主義とは違います。
社会科学であれば、その理論モデルを使用して社会現象をうまく説明できるか、
実験観察データと整合するか、社会現象を正確に予測できるか、によってその
理論モデルが評価されるのと同じです。

>これに対して青木さんらのマルクス派は、まさに思考実験として
>市場という関係的構造を仮設し、そこから流通・生産・分配の重層的構造を
>とおして「関係に先立つ自己所有権的主体」というイデオロギーが最終的に
>構成されることを証明するわけです。
>つまり社会契約論を逆立ちさせる思考
>実験をおこなって、リベラリズムの道徳原則・政治規範の特異性を暴露する
>という方法論的戦術を採るわけです。

この「証明」というのは、いかなる類いの証明ですか? 存在論的、あるいは
社会科学的なものですか?
129Jimmy:2006/06/06(火) 16:52:46
コミュニタは社会科学方法論としての方法論的個人主義をまず批判する。替わりに関係主義あるいは構造主義的視点を提起している。ここまでは、そうだとして、リベラリズムへは批判はするが実践的には対峙しない、ということ?
あるがままにあればよしと。どうなんだろ。
130考える名無しさん:2006/06/06(火) 17:08:45
テイラーもマッキンタイアも、もともと方法論の面からbehavioralismに代表される
アメリカの政治科学を批判していた。で、そのオルタナティブとしてinterpretivist
approachを提唱していた。で、その延長のようにロールズらの義務論的自由主義批判に
つながっていっている。

でも、社会現象のメカニズムの「〜である」を解説する社会科学と、「〜すべし」を
説く規範理論とでは、やっぱ違うわけで、方法論的個人主義批判とかを直接援用するのは
少し無理がある。ぶっちゃけ、仮に社会科学的事実として人間が共同体的存在だったとして、
だから何なんだという話。結局、事実から当為に飛躍するところで規範理論の領域に入り、
そこで何らかの価値論的な追加説明がなければ自然主義的誤謬ということになる。
131考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:02:45
>>127
>コミュニタリアニズムは普遍的正義の存在を否定し、共同体
>ごとに異なる善を認めるものです。

「共同体ごとに異なる善を認める」って言葉が出ちゃうと、
善の差異を認めているのは? 認める根拠は? ってならないかな。
認めるってことは、共同体を補完するメタ審級を否定しないってことだろ。
それは普遍的正義の存在を肯定していることにならないかね。
132考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:23:50
>コミュニタリアニズムは普遍的正義の存在を否定し、共同体
>ごとに異なる善を認めるものです。

人種差別も性差別も奴隷制もコミュニティーローカルで
肯定されていれば許容する文化相対主義に陥るね。
133考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:23:59
俺も聞いちゃったかと言われれば聞いちゃったw
134考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:27:39
>>131
>認めるってことは、共同体を補完するメタ審級を否定しないってことだろ。

そこがいちばん気になる。結局終始自らの主張だけを正当化する方途を索してるみたいな。
誰かが指摘したとおり最も現代的な病なのか?
135考える名無しさん:2006/06/06(火) 20:30:05
コミュニタを熱く説く奴って、
ヤマギシズムとか、
先般の一夫多妻男みたいなの想像しちゃうんだけどw
136考える名無しさん:2006/06/06(火) 22:30:59
そりゃ、君が無教養だからだよ。
137考える名無しさん:2006/06/06(火) 23:36:46
まあ審級の最上位に自分を置くか、
自分だけ審級を免れる発想なら、確かにアブナイけどな。
138考える名無しさん:2006/06/06(火) 23:38:44
なんだただの啓蒙野郎か。
文化資本格差で食っていこうって奴のただのマッチポンプ運動だろ。
だったらポピュリズムの方がマシですわ。
青木チェンチェイの本、もっと売りたいわけか。
一生2ちゃんで必死コピペ巡業してくおつもり?
(もう長いよなお前。なんでも青木持ち出して。)
ブログやった方がいいと思うよ。
139考える名無しさん:2006/06/06(火) 23:39:30
そういう超越性を相対化する意味においては市場に価値があるだろな。
140考える名無しさん:2006/06/07(水) 00:35:13
宮台真司が言うように、

 リバタリアン →リベラル→コミュニタリアン
   ↑              ↓
コミュニタリアン←リベラル← リバタリアン

っつー補完関係が回ってないとだめなんだよ。
この環だとリベラルが大人の役割を果たしてる感じがするね。
141考える名無しさん:2006/06/07(水) 01:30:08
なんだか皆さんのお話を聞いて、勉強させて貰ってますが、
ますますグローバリゼーション経済によって解体される
各地域、各層の共同体を復権せよ、というナショナリズムの
言説を説く人たちに恰好の口実を与える理論のように見えて
くるのですけれど。そうした共同体を軸にして、国家に対抗するなり
市場原理にとってかわる交換原理を提起するなり、代替体制を志向
するなら、まだ意義ある気もするんですけど、代替体制も提起せず
各地域の習俗・伝統の共同体を称揚するだけなら、市場原理−共同体復権
の補完関係としての現状を追認するイデオロギーになってしまいませんか。
まぁ私が勉強不足なんでしょうけれど。
142考える名無しさん:2006/06/07(水) 03:17:22
小泉の「米百俵」も、
実物清算シバキ主義の論理とコミュニティー道徳精神のタッグです。
「マルクス=コミュニタリアン」説も理解に苦しむ。
それは旧露、旧独、旧伊路線の道徳的根拠に成り下がることでは?
コミュニタリアン路線の延長に実物清算シバキ主義の論理が生まれる。
経済と思想のリンクについて考察するなら、
あまり「対抗」とか「市場原理」とか雲の上のでかい話に乗らずに、
1920年代の経済史・批評史を理解する方が現在のヒントに満ちています。
長幸男『昭和恐慌―日本ファシズム前夜 』(岩波現代文庫)
柄谷行人ほか『近代日本の批評〈3〉明治・大正篇』(講談社文芸文庫)
例えば、三木清も当時マルクスのハイデガー化に貢献した。
「共産主義でも自由主義でもなく」といった「第三の道」的言説にも罠があるってことです。
(浅田彰を福本和夫の反復だとすると、宮台真司には三木清の兆候が?)
143考える名無しさん:2006/06/07(水) 07:57:07
>141
「市場原理にとってかわる交換原理」の具体例を知りたい、教えて。
144考える名無しさん:2006/06/07(水) 08:46:28
>>143
私も知らない。そんなものがあるのか。

>>142
浅田彰と福本イズムは全然別。知的な書物が大衆ブームとなった点は似てる
宮台と三木は比較にはならないのでは。
145考える名無しさん:2006/06/07(水) 08:47:17
>>128
全く同意です。
>規範理論にとって重要なのは、
>結局、それが規範として説得力があり、善悪判断や政策決定の際の妥当な
>基準たりえるかどうかです。

ラジカルな問題として「規範」の相違こそが文化の違い共同体の違いであるはず。
するとコミュニタリアニズムそのものを規範的に提示はできないはずで、しかも理論活動で
あって実践活動ではないとするならば提示する本人の自己顕示以外の何ものでもない可能性さえ
あるぞ。本の売り上げやこういう掲示板でさえ基本にあるのは市場的原理。それに共同体間の
リレーションが市場的であるのは当然で、なぜ市場が全面的に否定されるのか理解できない。
146考える名無しさん:2006/06/07(水) 09:10:35
互いに背反するような規範、価値体系を持つ複数の共同体が
平和に共存できるように政治レベルで調停するのが政治的自由主義だな。
147考える名無しさん:2006/06/07(水) 09:32:15
なんだかんだいって政治的リレーションが現実に世界を救ってるんだよ。
理念を特権視したらファシズムか宗教でしょ。
148考える名無しさん:2006/06/07(水) 11:10:29
>>131>>132
>「共同体ごとに異なる善を認める」って言葉が出ちゃうと、
>善の差異を認めているのは? 認める根拠は? ってならないかな。
>認めるってことは、共同体を補完するメタ審級を否定しないってことだろ。
>それは普遍的正義の存在を肯定していることにならないかね。

>人種差別も性差別も奴隷制もコミュニティーローカルで
>肯定されていれば許容する文化相対主義に陥るね。

前者と後者は矛盾しています。たぶん別の人が書かれたのだと思いますが……。
前者について「共同体ごとに異なる善を認める」というのは、レヴィ=ストロース
のいう超越的な外部の観察者、あるいは広松のいう学知が「承認」するという
意味ではありません。あくまでも共同体・内・存在すなわち当事者が善として
認識するかぎりの規範という意味です。したがってメタ審級の普遍的正義を
肯定することにはならないと思います。

後者については、たしかにある種の文化相対主義ないしマルチカルチュラリズム
と言えるかもしれません。それから奴隷制は奴隷の側に善として受容される
根拠に乏しくヴェーバーのいう支配の正統性があるとは思えませんが、
人種や性の差別ではなく差異は、それが当該共同体にヴァナキュラーなもの
であるかぎり、当事者に善として認識されると思います。アパルトヘイトも
当事者が受容すれば文化の棲み分けとして成立するし、ジェンダーの区別も
イリイチが指摘するように、文化的アイデンティティの根拠たりえます。
むしろ民族融合による地球市民の創出や、中性的なアトム的個人という
グローバル・リベラリズムの方がはるかに危険なのではないでしょうか?
149考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:10:55
人種差別や性差別などの人権侵害を相対主義の名の下
まんま容認するほうがよっぽど酷いし危険だと思います。
ニヒリズムの極みです。
150考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:12:24
つうか、別に共同体主義者はそんなアホウな相対主義を
唱導しているわけじゃないんで、別にこれを共同体主義の
主張として批判するつもりはないけれどね。
151考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:22:32
>むしろ民族融合による地球市民の創出や、中性的なアトム的個人という
>グローバル・リベラリズムの方がはるかに危険なのではないでしょうか?

この場合「どう危険なの?」という実体論的な疑問は百出するでしょうし、
それに解答したところで、それはそれでいつまでもリベとコミ論議のトートロジーに
なると思いますが..。
そうではなく問うと、「危険」かどうかの価値判断全以前に「地球市民の創出や、中性的な
アトム的個人」あるいは「市場」や「普遍」という概念そのものの登場..を問うたマルクスの
ような分析検証をもっと深めた方がいいのでは、と思います。
マルクスへの接続が意味あるとすればその点ではないですか?
152考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:28:25
マルクスはインドヨーロッパ語圏外の別言語による哲学は、
別のもの別の可能性があることを示差しているので、欧米思想に拠る限りは
論議の限界なのかもしれないが。それこそが「規範理論」の根源的な限界?
153考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:44:20
「地球市民の創出や、中性的なアトム的個人」こんなこと誰が言ってるの?
戯画化されたロールズ?
154考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:46:21
>>151
>「地球市民の創出や、中性的なアトム的個人」あるいは「市場」や「普遍」
>という概念そのものの登場を問うたマルクスのような分析検証をもっと
>深めた方がいいのでは、と思います。

まったく賛成です。その方が天賦の人権を崇拝する>>149さんのような人に
対して、マルクスが「自由・平等・所有・ベンサム」を揶揄した精神に
適うものでしょう。
しかしその答えはすでに>>126あたりに出ているのではありませんか?
155考える名無しさん:2006/06/07(水) 13:22:53
結局、「哲学的」な難癖つけるだけで、突っ込まれると具体的な対案も解決策も
出せないんだよね。それで言うに事欠いて「負荷なき自我の挫折と焦燥が、
民族主義や宗教ファンダメンタリズム、あるいは排外主義や差別の蔓延を
つくりだしている」だなんてもう、笑うしか無い。
156考える名無しさん:2006/06/07(水) 13:40:05
>>155
>突っ込まれると具体的な対案も解決策も
>出せない

なぜそう思ったのか?
対案や解決策を出そうとしているやつはいくらでもいるだろう。
157考える名無しさん:2006/06/07(水) 16:57:44
>>155
で、リベラリストはどんな対案や解決策をだしたんだい?
まさかアフガンやイラクに攻め込み、イスラムを撲滅して、
世界地図をアメリカン・リベラリズムやデモクラシーで
1色に塗りつぶすグローバリゼーションが解決策だとでも
言いたいのかな?
158考える名無しさん:2006/06/07(水) 17:18:25
>まさかアフガンやイラクに攻め込み、イスラムを撲滅して、
>世界地図をアメリカン・リベラリズムや

そういうこと言ってるから、いつまでたってもバカにされるんだよ・・・
159考える名無しさん:2006/06/07(水) 18:28:56
>>158
答えになってない。バカにされるのはどっちですかね?
偉そうにタンカきったんだから、リベラリズムの
対案や解決策をちゃんと教えてくださいなw
160考える名無しさん:2006/06/07(水) 18:41:08
ジェラード・デランティ(著),山之内靖・伊藤茂(訳)
『コミュニティ グローバル化と社会理論の変容』(NTT出版)
は今日チラッと見てみたが、面白そうだったな。もう読んだ人いる?
161考える名無しさん:2006/06/07(水) 19:31:07
なに、反米反資本主義左翼がマルクス主義ぽしゃったから
その代わりに共同体主義採用みたいなことやってるっての? 
勘弁してくれよ。
共同体主義をそんな陳腐なイデオロギーの道具にしないでくれ。
そういうのはポモでも読んで勝手にやってろ。
162考える名無しさん:2006/06/07(水) 21:25:03
それで、あんたは、どういう共同体主義をやってんの?
陳腐でない、イデオロギーの道具でない、ポモなんか読まない
本物の共同体主義を、ちょこっとでもいいから教えてキボンヌ。
163考える名無しさん:2006/06/07(水) 21:38:29
>>160
近代社会がますます個人主義へと傾斜してゆくにつれて、コミュニティは、ますます
不確実性をましてゆく世界のただなかで安全性と帰属を与える源泉となったのであり、
郷愁をさそう理念であり続けた。そして最近では、政治の基盤である国家の代替物と
見られるようになっている。コミュニティは消滅するとかつて言われたことがあったが、
まったくそうではない。コミュニティはグローバリゼーションが進み、個人主義が進む
につれて、復活している。 J.デランディ『コミュニティ』NTT出版
164考える名無しさん:2006/06/07(水) 21:46:18
   http://www007.upp.so-net.ne.jp/associe21/

アソシエ21  ニューズレター2003年9月53号
     マルクスはアソシエーショニストか?


165考える名無しさん:2006/06/08(木) 04:16:57
イギリスの社会学者ジェラード・デランティの整理によれば、
共同体主義には、自由主義的共同体主義(リベラル・コミュニタリアニズム)、
ラディカル多元主義、公民的共和主義、
統治的共同体主義(ガヴァメンタル・コミュニタリアニズム)の四潮流があるという。
(ウィキぺディアより)

いろいろあるんだ。
166考える名無しさん:2006/06/08(木) 08:14:24
あんまり当たり前のことで驚かないでほしいめ。
リベラリズムだって、リベラルからリバタリアンまで色々あるんだ。
ましてやコミュニタリアンは、もともと保守派から社会主義者までいる。
マッキンタイアのようなアリストテレス共和主義者から
ウォルツアーのよんあグローバル市民社会を肯定するリベラル主義までいる。
しかも政治的には、ローかリストから、多文化主義者、共和主義者、社会民主主義者、
第三の道派、コミュニストまで、もう千差万別。一人一派といわれる状況だ。
青木のコミュニタリアニズムは、徹底した反リベラリズムとマルクスとくに宇野理論
の導入という欧米的ではないオリジナリティにおいて評価されているだけさ。
167考える名無しさん:2006/06/08(木) 09:15:01
一口に左派と言ったって、コミュニタリアニストからアナーキストまで幅広い。
168考える名無しさん:2006/06/08(木) 09:16:30
結局、>>153

>「地球市民の創出や、中性的なアトム的個人」こんなこと誰が言ってるの?
>戯画化されたロールズ?

につきるだろう。Atomismや方法的個人主義批判を
めちゃくちゃに拡大解釈して膨らませ、
もう電波カルトかってくらいの領域にまで逝っている。
169考える名無しさん:2006/06/08(木) 09:39:13
>まさかアフガンやイラクに攻め込み、イスラムを撲滅して、
>世界地図をアメリカン・リベラリズムやデモクラシーで
>1色に塗りつぶすグローバリゼーションが解決策だとでも
みたいに何でもリベラリズムに責任を擦り付ける人もいるくらいだから
170考える名無しさん:2006/06/08(木) 09:52:57
>>168
そんなことあないだろ?
元コミュニタリアンの現在リベラルであるウォルツァーだって、
グローバル市民主義なんて言ってるし、ラディカル(リベラル)
フェミニストのいうジェンダーフリーは、理論上、中性的
アトム的個人をめざすものといっていいんじゃないか?
だいたいリバタリアンの多くはアトム的個人の社会契約論だし、
性の自己決定権を説いてる。そして彼らのいうアナルコ
キャピタリズムは国家の廃絶による無国籍社会=グローバル
(地球的)市民の実現を公言してるよ。拡大解釈というより
リベラリズムを哲学的に突き詰めれば、当然そうなるだろ。
電波カルトでもなんでもない、まっとうな結論だ。
171考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:02:07
>フェミニストのいうジェンダーフリーは、理論上、中性的
>アトム的個人をめざすものといっていいんじゃないか?
な、なんだってー!?
172考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:06:33
コミュニタリアニズムがそこまで振幅の広い概念ならば
このスレで議論するときはどのコミュニタで発言してるのかを
明らかにしてもらわないと、土俵が見えにくいね。
あるいはすべてのコミュニタに共通する基盤を抽出してから
議論するとか。
173考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:07:27
>>169
考える名無しさん :2006/06/07(水) 18:28:56
答えになってない。バカにされるのはどっちですかね?
偉そうにタンカきったんだから、リベラリズムの
対案や解決策をちゃんと教えてくださいなw

だからオレは、リベラリズムはまさかそうじゃないだろって、言ってるじゃないか!
人の意見をさかさまに引用するなよな。卑怯だぞ!
あんたが対案だ解決策だと言うんだから、リベラル・グローバリズムでない
リベラリズムによる対案なり解決策なりをきちんというべきだろが。
174考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:11:55
>フェミニストのいうジェンダーフリーは、理論上、中性的
>アトム的個人をめざすものといっていいんじゃないか?
これは真逆じゃないの?
ジェンダーフリーっていうのは多様な生き方を認めよう、そして、
典型的ではない生き方を選択したとしてもそのこと自体によって不利益を被らないようにしよう
ということじゃないの?
どうしてそのことが中性的アトム的個人を目指すことになるの?
175考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:14:52
>>171
いや、おれもこの点については170が正しいと思う。
哲学的に詰めれば、ジェンダーフリー(性の自己決定権)論は
最終的に中性化されたアトム的個人にいきつくと思う。
リバタリアンの「自己所有権」「自己決定権」というのは
文字通りあらゆる負荷を取り去った自我そのものだからな。
176考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:18:49
>>175
訂正

文字通りあらゆる負荷を取り去った自我があり得るという幻想そのもの
177考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:27:50
「中性化されたアトム的個人に」がなんかもう
悪魔教か何かみたいになってるな。w
178考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:36:38
>>174
青木さんの「コミュニタリアニズムへ」は、純哲学論議と
マルクス経済学の社会哲学的読み替えが中心だが、
ジェンダーフリーと夫婦別姓については、徹底的に
実践的な批判を展開している。それは、エンゲルスの
家族理論があまりにリベラリズムの進歩史観に陥って
いるという理論的批判でもあるが、決定的な論点は
「性」や「姓」の自己決定論が、個人の自己決定という
幻想を根拠にしている点だ。およそ人間の性や性は
個人に帰属するものではない。それは人間が自己決定
して生まれてくるものでもなければ、自己決定して死ぬ
べきものでもないことと同義だ。コミュニタリアニズムとは
突き詰めれば人間存在に対する社会関係の負荷を肯定するか
否かという一点に尽きる。
179考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:41:26
諸悪の根源、リベラリズムですか(笑)。
しかし、なんでこうアホみたいに大上段な陰謀論にすぐ飛びたがるかね。
「負荷なき自我」から「アフガンやイラクに攻め込み、イスラムを撲滅」に
話が飛ぶような電波を真面目に相手しろってほうが無理がある。
180考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:55:25
自己決定論にいう自己と言うのは因果帰属上の観念ではなく選択帰属上の観念なんだから
「個人は関係に規定されている、自由な自己など幻想だ」云々の批判は的外れじゃない?
大体、「もっとジェンダーバイアスから中立的な制度に改善しよう」というフェミは
個人が関係に規定されているなんてことは言われなくてもわかってるでしょ
むしろだからこそ、制度=関係を規定しなおそうとしているのでは?
181Jimmy:2006/06/08(木) 11:43:02
なんか「社会哲学」の「業界」話題に終始していません?
例えば、グローバリズムがネオ・コンたちのある種の「普遍主義」
から主張されているという言い方があったとして、なぜアメリカ資本主義の
蓄積容態の変遷からも規定しようと考えないのか?
私はそれ程明確な見通しを得ているわけではないが、あまりにも
「原理論」の視界の中に自己限定した議論が続いているように思われてならない。
ここは「哲板」だって返されたらそれまでですが。
182考える名無しさん:2006/06/08(木) 12:21:33
普遍主義も批判者に酷く戯画化されてる最たるものだろうね。
形而上学的な永遠不変の真実を想定して、その実現のためには
何をしても正当化さえるみたいな話になってる。確かドウォーキンか
誰かが批判してたな。
183考える名無しさん:2006/06/08(木) 12:42:41
>>178
やっぱりそういう方向に行くんだよね。
どちらかというとネオコン的なキリスト教右派っぽい。
「社会」主義の右派路線というか。

> エンゲルスの家族理論があまりにリベラリズムの進歩史観に陥って
> いるという理論的批判でもあるが、

ランドル・コリンズが、差別主義的な封建主義者だとマルクスのことをボロクソに
扱き下ろして、マルクス主義の学問的功績のほとんどはエンゲルスによるものだ
と言うのも頷けるところがある。
184考える名無しさん:2006/06/08(木) 12:44:48
>>175
>哲学的に詰めれば、ジェンダーフリー(性の自己決定権)論は
>最終的に中性化されたアトム的個人にいきつくと思う。
どうしてそうなるのか説明願います
185考える名無しさん:2006/06/08(木) 12:55:34
>>181
「なぜアメリカ資本主義の
蓄積容態の変遷からも規定しようと考えないのか?」

本当にこういう展開がないとこのスレの意味がわかりません。
資本主義が現在のグローバル市場に致った過程、その政治的イデオロギー
である民主主義の必然、それに依拠したフリをするグローバリズムという
名辞に隠されたテキサス辺りの右派野郎(W)。少しは読めるスレにしてください。
お願いだから・・・W
186考える名無しさん:2006/06/08(木) 13:01:47
>>180
>自己決定論にいう自己と言うのは因果帰属上の観念ではなく選択帰属上の観念なんだから
>むしろだからこそ、制度=関係を規定しなおそうとしているのでは?

そうじゃないでしょう。たとえば夫婦別姓というときの「姓」は「名」と異なって
個人に先行する因果帰属的な関係、すなわち韓国だったら血族、日本だったら家族
の名称でしょ? それから「性」も「生命」と不可分であり、選択帰属の対象たり
えない。何度もいうが、あなたは自己決定して生まれてきたのではないだろう。
いまや性や姓は人間存在論の究極テーマであり、人工生殖や安楽死と同様、
自己決定権の限界を画する倫理=善の根幹に位置するコミュニティの問題だ。

とともに
187考える名無しさん:2006/06/08(木) 13:39:47
>>179
アホの一つ覚えみたいに、そればっかりカキコするオマエの方がデンパ。

一例としてジョン・レノンの「イマジン」を歌うイラク反戦運動がある。
オレは、あの歌はアメリカのイラク戦争の賛歌だとおもってたよ。
だって、想像してごらん。宗教も国境もなくなった世界を。
それはすばらしい世界だ、って歌ってる。リベラリズムの世界市民の歌だ。
オレは、そんな世界はごめんだね。宗教や民族のちがいがコミュニティを
つくりあげる。それから性の違いが。イマジンの世界はリベラリズムの
デスユートピアだね。これこそ普遍主義のファシズムだ。
188考える名無しさん:2006/06/08(木) 15:38:47
>>184
だって性を自己の意思によって自由に選択し決定できるということは、
選択に先立つ自我はニュートラルだということになり、選択意思の
根拠は存在しないことになる。それは出生にともなう生命に因果帰属性
を認めない「負荷なき自我」を実在的に錯認するものであり、そういう
状態を中性というか「ノンジェンダー」的アトミズムといって、何が
いけないんでしょうか?
189考える名無しさん:2006/06/08(木) 15:51:32
>>185
>その政治的イデオロギーである民主主義の必然、
>それに依拠したフリをするグローバリズムという
>名辞に隠されたテキサス辺りの右派野郎(W)。

なんでマルクスというと、何でも経済的基底に還元しないと気が
すまないんだろうね?そりゃ資本の蓄積様式がイデオロギーに
影響を与えるかもしれないが、経済のソフト化や情報化が
グローバリズムを招いたというより、ソ連の崩壊がグローバリズム
の最大の根拠であり、情報化はその原因ではなく、むしろ
結果というべきだろう。やはりグローバリゼーションは
共産主義に対するリベラル・デモクラシーの勝利であり
普遍主義化だ。資本主義への批判は経済的搾取や差別に
ではなく、リベラリズムという規範イデオロギーの超克
なくしてありえないだろう。いまコミュニズムではなく、
コミュニタリアニズムが求められるゆえんだ。
190考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:01:41
854 名前:考える名無しさん :2006/06/08(木) 15:39:26
( ´,_ゝ`)必死だなぁw独り言で満足できちゃうひょったらくんw
ひょったらおやおや上京しちゃうぅううネトレネトレw


855 名前:考える名無しさん :2006/06/08(木) 15:41:49
しかしあれだな
手前の犬が誰に噛み付こうと一切の責任を負わないと豪語する馬鹿が
愛国心については「すべての国の人々を愛しましょう」とはw
つまり日本人は嫌いで犬にかみ殺させれば良いと思い、
外人=ドッグラン愛好者のニューヨーカーは愛せとw
( ´,_ゝ`)
どうよ?独り言ぶつぶついってるおまwww
おまえみたいなひきこもりはかみ殺しても良いんだってよw
191考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:33:38
>>189
「ソ連の崩壊がグローバリズムの最大の根拠」だとすると、
「市場」や「普遍主義」は「ソ連の崩壊」が根拠なのか?
あまりにも論理的にお粗末ではないかな? その言い分は。
ならば市場や普遍主義に対抗できるのはソ連型の国家とイデオロギーなのか?
192考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:42:03
>>189
>資本主義への批判は経済的搾取や差別に
>ではなく、リベラリズムという規範イデオロギーの超克
>なくしてありえないだろう。

リベラリズムの恩恵や害悪を受ける以前の人々が、
ある資本主義社会下で貧困や差別に苦しんでる場合はどうするのだろう?
民主主義やあるいは旧来的な左翼思想に飛びつくのではないか?
実践活動をしないコミュニタリアニズムになにができるのだろう?
193考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:43:29
>>188
えーと、ネタで言ってるんですよね?^^;
マジだとしたら相手の主張も正しく理解せずに藁人形叩きが趣味の人の相手はしたくないんですが
194考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:44:48
↑つづき
少なくともここで>>189のようにいわれるコミュニタリアニズムに
解決や救済を求める人間はいないだろう?
195考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:46:01
グローバリゼーションというが、アメリカ1国の
自由主義政策に過ぎないと思うが。19世紀のイギリスの
ように、覇権国家は外に対して自由主義政策をとるわけで
今回はアメリカがそれをやってる。それに対して他国は
保護主義にならざるを得ないわけで、日本はたまたま
アメリカ追従だから、日本から見るとあたかも世界中が
グローバリゼーション経済に覆われたように見えるが、
EUや南米の最近の動きを見る限り、アメリカ1国の
自由主義政策が世界制覇するとは思えん。そもそも
アメリカ国内経済がやがてはヤバくなるだろう。
確かに金融ではうまくやったし、資本の輸出もこれから
だろうけど、うまくいくかね。
196考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:46:16
>>194>>192のつづきです。
197考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:59:39
>>195
ルービン&グリーンスパンのコンビのときには
確かに金融ではうまくやったよね。アジア通貨危機に
まで発展したけど。で、彼らはもうもたない、と思ったときに
うまく引退したわけね。
198考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:06:08
グローバリゼーションというアメリカ1国の自由主義政策に過ぎないものを
どうしてこんなに何か普遍的なものみたいに考えちゃうんだろ?
ちょっと妄想っぽいよなあ。
199考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:24:54
既に90年の段階で、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」なんて
ことを言ってたわけで、自由主義は45年に全体主義に勝利し、89年に
共産主義に勝利した、それを持って歴史は自由主義の勝利で終わる、と。
でも自由主義も内部矛盾を抱えているわけで、国内的には経済格差を
生み出さずにはいられないから、ある程度、福祉国家的な政策をとら
ざるを得ないし、対外的に自由主義に振舞うことで、各国に様々な
反応を引きおこさずにはいられない。EUのように国家の枠組みを超えた
広域ブロック圏を構成させたり、ウクライナみたいに露骨なナショナリズム
が起こったり、一部のイスラム圏みたいに絶望的な戦いを強いたりする。
コミュニタリアニズムもそうした一連の動きとして出てきたものかもしれない。
コミュタリアニズムを日本で提唱する場合には、日本はアメリカの
属国ではない、日本の伝統に基づく政治経済のありようを復権せよ、
という俗流保守主義に吸収されないように注意が必要だね。
小泉改革は旧来の日本型資本主義をある程度は解体したけど、一方で
道徳教育の重視とかやってるしね。
200考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:30:29
>小泉改革は旧来の日本型資本主義をある程度は解体したけど、一方で
>道徳教育の重視とかやってるしね。
政治はバランスだからだろうが。コミュニタもある種バランスかね。
201考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:34:07
リベラリズムをそんなに単純化されてもねえ。
「個人」というものを一つの「集合体=コミューン」というふうには
考えられないの? そのコミューンの多様性を擁護するのがリベラリズムだよ。
202考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:38:05
諸々の個々人の多様性に対してそれを規制・統制・制約する社会
という上位原理を掲げるなら、個別の文化に対してグローバルという
それを規制・統制・制約する上位原理を掲げちゃいけないの?
どっちも同じことだと思うんだけどなあ。
203考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:40:19
個人を一つのアイデンティティ(同一性・自我)に囲い込むのが
リベラリズムじゃない。それはむしろコミュニタリアンがこれまで
やってきたことだったんじゃないの。
204考える名無しさん:2006/06/08(木) 17:43:22
このコミュニタリアンさんは時折自分の論理のイレギュラーを
他人の主張のように見出して錯認してるような気がしてきましたが
205考える名無しさん:2006/06/08(木) 18:06:11
ジェンダーフリーというのも、個人を男とか女とかそういった一つの個的
ジェンダーアイデンティティの一貫性、性別自我の同一性に還元できない
という、非個人主義・反自我主義から出てきた思想だと思うよ。
206考える名無しさん:2006/06/08(木) 18:17:04
おれはコミュニタリアンではないが、俗に言う男か女かという前に
まず人間だとか、一個の個人だとかいうフェミニストとかリベラリストは
信用しないね。男でも女でもない人間なんてバケモノだ。
そういう素朴な拘束が自我を支えていると思うね。
こういうのも「帰属ある自我」で、オレもコミュニタリアンなのかな?
207考える名無しさん:2006/06/08(木) 18:31:09
これは19世紀にアナーキストが考えた問題の反復に見えるね。
ヘーゲルのような「概念を通した人間の規定」というやり方に
反発したのがフォイエルバッハやシュティルナー。極限まで
いけば、シュティルナーの「唯一者」にたどりつく。いかなる
概念的規定によって捉えられる人間、というものに抵抗する。
ただ単に「この私」であり、人間一般だとか、類的存在だとかに
絶対に還元され得ない、単独的な私、という主張ね。
208考える名無しさん:2006/06/08(木) 18:45:53
アメリカという国は、極端に言えば移民で成り立ってる国だから
もともと共同体がない国とも言える。だから様々な人種を束ねる
ために法というものを持ってくる。法によって普遍を実現し、対外的
にも普遍主義的に振舞うように見える。一方、ヨーロッパでは、EU統合の
ときにクリステヴァが言ってたけど、自分はまずフランス人であり、
そしてヨーロッパ人であり、そして人類である、という考え。これは
カント的、あるいはヘーゲル的な「理念」でヨーロッパを束ねようという
思考ね。他方、かつてソ連邦に属していた国々は、共産主義=インター
ナショナリズムから解き放たれて、ナショナリズムが勃興している。
さらに他方では、イスラム圏のように宗教的原理主義が台頭している。
アメリカ的な法の下での普遍主義、ヨーロッパの理念的統合、ナショナリズム、
宗教原理主義。共同体というのをアメリカ的普遍主義に対置した場合、
その名の通りヨーロッパ「共同体」、ナショナリズム、宗教原理主義に
どう関わっていくのか。単に共同体は重層的ですよ、ではダメでしょう。
209考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:06:06
>>187
ジョン『イマジン』は「それはすばらしい世界だ」なんて
一言も歌っておりません。
ちゃんと歌詞聴いて批判してよ。
「(宗教も国家も想像の産物だから)
君たちみんながそれらが無いことを想像してみたら、
世界は一つになるかもね」って歌だろ。
小野洋子の詩集『グレープフルーツ』(1964年)の影響だと
ジョン本人が語っている。
それはベネディクト・アンダーソンに通じる認識だと思う。
俺は「ベートヴェン第九」も「六甲おろし」も、
コミュニタリアンの「家族・民族」も想像の産物、
「建設的フィクション」だと思うよ。
ちなみに今村仁司『マルクス入門』では、マルクスは、
ルソー「社会契約論」の影響を受けており、
一度は分裂する共同体の「復元」を構想していたと解釈していた。
210考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:16:21
>「(宗教も国家も想像の産物だから)
>君たちみんながそれらが無いことを想像してみたら、
>世界は一つになるかもね」って歌だろ。
だからそれらが無いことを想像したら
世界は一つになるかもしれんが、
一つの地獄になるっちゅうこだわな。

今村も田畑もアソシエーション論者だから
都合よくルソーを持ち出す。
↑で誰かが貼り付けた青木の
「マルクスはアソシエーショニストか?」を
読んでみな。解釈の違いがおもしろいよ。
211考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:18:36
ああ>>164です。「マルクスはアソシエーショニストか?」
212考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:35:28
>>210
ジョンは、
「天国も地獄も無いことを想像してごらん」って歌ってるよ。
地獄も想像の産物だ。まず、ちゃんとイマジンを聴け!

あと、今村仁司は別にアソシエーション論者ではないでしょ。
今村のどの本のこと言ってるのさ。
213考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:03:32
すまん。どちらも早トチリです。
でも、天国も地獄もないというのは宗教がないということに
変わりはないんじゃないの?
宗教という想像力は人間には不可欠だと思う。
オレにとって「神が死んだらすべてが許される」

分裂した共同体を社会契約によって
復元するのをアソシエーションって
いうんじゃないの?
214考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:07:57
>>206
> おれはコミュニタリアンではないが、俗に言う男か女かという前に
> まず人間だとか、一個の個人だとかいうフェミニストとかリベラリストは
> 信用しないね。男でも女でもない人間なんてバケモノだ。

まさか、男か女かという個を想定しているんじゃないだろうねえ。
それこそ個人実定主義だろう。
男や女という個を想定することからして個人主義の前提に立っている
というドグマに、ジャンダー実定主義者は早く気づいたほうがいい。
構造主義的リベラリズムはその実定主義を超えていく。
それゆえにリベラリズムが要請されるのだ。
215考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:11:02
個人は男か女かのいずれかであるはず、というジェンダー実定主義こそ、
アトミズム的前提から導き出されたものだろう。個人は女として男と
しても個的な実体(静態的自我)はもたない。
そういう前提に立ってこそジェンダーフリーなのであり、リベラリズムなのだ。
216考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:18:59
だからオレはコミュニタリアンじゃないって断ってるだろ。
少なくとも女という絶対的にオレと異なるものが好きだ。
絶対的な差異があるから、あるいは在る女ほど
愛するにたりる、という個人的な恋愛観を
披瀝しただけだよ。でもそういう直感こそ
思想の根拠として最も信じられるんだよね。
難しい哲学より・・・。
217考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:21:14
>ジョン『イマジン』は「それはすばらしい世界だ」なんて
>一言も歌っておりません。
>ちゃんと歌詞聴いて批判してよ。
>「(宗教も国家も想像の産物だから)
>君たちみんながそれらが無いことを想像してみたら、
>世界は一つになるかもね」って歌だろ。

そこでは世界が一つになることが善いことであるという暗黙の前提が
存在しているのだ。
そしてそれ自体世界が一つになることを信奉する宗教なのだ。
つまり、イマジンの歌はすべての宗教をすすて世界一つ教の信者に
なろうとうたっているのだ。
ああ、恐ろしい。
218考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:30:28
>>216
> だからオレはコミュニタリアンじゃないって断ってるだろ。

断わらなくとも、充分にコミュニタリアンだよ、安心しなw
共同体主義と個人主義は矛盾しない。むしろ共謀関係にすらあるからだよ。
219考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:44:28
弱い個人が共同体を背景に強がるという世俗的でありがちなスタンスこそ
普遍的だよね。
220考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:48:27
まず、社会が近代化して農村の荘園制度、封建制度が崩壊する。
伝統的な「共同体」の差別的階層秩序の楔から解き放たれた人口が都市に流入し、
労働者という「原子的個人」となり、賃金契約関係を基本とした社会を生む。
そういう社会背景から「自由」で「平等」な近代的個人が生まれ、自由主義や
平等主義、個人主義といった哲学思想もそれに呼応するように生まれてくる。

「負荷なき自我」や「社会契約」といった自由主義の諸概念は、旧来の重い差別的な
階層秩序を否定し、新しい社会の在り方を正当化するのに必要不可欠なものであり、
また、それは実際に近代社会における新たな人間存在の在り方を如実に反映している
ものであって、別に「間違っている」わけじゃない。

共同体主義者が自由主義について批判しているのは、主に(1)人間存在における
個人主義的な側面を強調し過ぎること、および(2)その背景にある近代社会が実際に
極度に個人主義化しすぎていっていることであって、別に個人主義的理念に基づく平等や
自由といった概念を否定しているわけではない。個人主義の行き過ぎはまずい、もっと
人間の共同体的存在という側面も重視されなければならない、と言ってるのであって、
自由主義は「間違っている」だとか、人間の在り方は共同体的存在以外にありえない
みたいな暴論は誰も主張していない。
221考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:03:25
>>220
平凡で陳腐な共同体主義だな。
こういうのもコミュニタリアニズムに入るの?
まあ、穏当な常識人の部類だな。
しかし、こういう人たちにも過剰な個人主義への
危機感が広まっているから、コミュニタリアニズムも
静かなブームになるんだろうな。↑にたくさんいる
リベラリストたちもちっとは、こういう時代の空気を
感じ取らんといかんぜよ。
222考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:29:28
西部邁がずっと前から言ってることのように聞こえるけどね。
資本主義はあらゆるものを市場化する、その結果、共同体は破壊され
個人はますますアトム化される。インテリは家族は壊れた、地域は
壊れたと言うけれど、相変わらず人は家族なりコミュニティなりに
しがみついている、だから伝統・習俗に基づく共同体を保守せよ、と。
223考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:36:56
>>217
だーかーらー。
ちゃんとイマジン聴いたことないんでしょ?
ジョンは小野洋子が大好きってこと。殺す理由も死ぬ理由もごめんだってこと。
ただそれだけなんだ。
「善いこと」とか「暗黙の前提」とか「宗教」とか余計なものを勝手に読み込まないで、
下のクリップ最後まで見て「余計なものが無い」状態を「想像」してみなよ。

http://boss.streamos.com/wmedia/capi001/johnlennon/imagine/video/imagine_v300.asx
(公式サイトより)
224考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:42:01
日本のことは知らん。アメリカでは、例えばサンデルなどは自由主義は
比較的新しい思潮であり、それ以前の小さな自治コミュニティー中心の
市民共和主義(civic republicanism)への回帰を唱導している。

225考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:43:02
私は、このスレに触発されて、最近、青木孝平の『コミュニタリアニズムへ』を読んでみた。
正直いって、マルクスの「資本論」や宇野「経済原論」の細かい議論には十分に付いて
いけなかった。しかし、リベラリズムやアソシエーショニズムに対する批判には
直感的ではあるが、正当性を感じた。マルクスをリベラルとコミュニタリアンに
腑分けする論理や、よくは知らないが分析的マルクス主義をリベラリズムの一派と
みなす論理、柄谷への批判は多分あたっているのではないかと感じた。
これまで宇野理論の経済学者の教条的論文には辟易してきたが、宇野を
社会哲学(コミュニタリアニズム)として読むのは新鮮な驚きだった。
とくに労働価値説をロック=ノージックの「自己所有権」にひきつけて
批判する論理は、強引ではあるがユニークだ。あと、上で誰かが論争して
いたが、エンゲルスの家族論をリベラリズムとして論破するのも鋭い。
所有論としての価値形態論、土地所有論としての地代論。このあたりが
構造主義的コミュニタリアニズム(関係論的マルクス主義)なのだろう。
宇野理解が不十分な私には正確な理解ではないが、たぶん宇野以上に
価値実体を消極化し、形態論=関係論的純化によってコミュニタリアン
的なのだろう。ただ、日本資本主義論争の国家論はいただけない。もはや
語論の水準が少し古いと感じた。それに、ここの共同体論はあまりに
歴史的実態としての共同体に引き付け過ぎていると思う。青木氏の本領で
ある哲学的な切れ味があまり感じられない。やや残念な部分だ。
ともあれ、このスレに集まっている諸君、とくにリベラリストの諸君、
君たちのコミュニタリアニズムやマルクスへの先入観を拭い去るのに
最適だと思う。一読のうえ議論の続行をお勧めする。
以上、素人の読書感想文でした。
226考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:47:09
ネットで検索して歌詞を調べてみました。
やはりぞっとします。

>僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
>でも、僕ひとりだけじゃないんだ
>いつの日にか 君も仲間に加わってくれよ
>そうすれば 世界はひとつになるだろう

ほら、やはりレノンはみんなが宗教がない国境がないと想像すれば
世界が一つになるのだということを言っているのです。
そして他の人たちに、そのような世界が実現するためにそのような想像
をすることを推奨しているのです。
まさに宗教です。
他の宗教を否定しながら実はその行為自体が一つの宗教(世界一つ教)
への呼びかけになっているのです。
ぞっとせざるをえません。
227考える名無しさん:2006/06/08(木) 21:56:05
>>225
「青木氏の本領である哲学的な切れ味があまり感じられない。
やや残念な部分だ。」って。
また自演ですか?

>>226
それ誤訳クサイです。
228考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:06:32
>>227
いつも自演、自演ってご苦労さん。でも違うだろ?
いくらなんでも青木なら、もうちょっと上手い文章を書くだろが。

最初にイマジン批判をカキコしたのはオレだけど、
いつのまにか禿同の椰子が登場してんのね。
援軍アリガトさん。がんばってヤ!
229考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:08:32
イマジンはいい曲だね。
230考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:13:35
こいつ、なんか凄くキモいんだが・・ 有名なやつなのか?
231考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:17:34
230の文がキモイ。
232考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:24:06
ジョン・レノンの思想には興味ないけど、「イマジン」は
アメリカでは反戦ソングに数えられていて、戦争中はラジオ
などの放送が禁止になるんだよね。小野洋子はしたたかで、
ニューヨーク・テロのあと、イマジンの歌詞をニューヨーク・
タイムズ紙に全面掲載したりしてる。
233考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:27:27
>>230
かなり昔からいる人っぽいな。
「青木の本は評判がいい」って巡回してる人。
いつも「青木さん、青木さん」って。
青木孝平がジョン・レノンの批判してるみたいで。
(その文章のコピペ見たことある。)
だから必死なんだろうな。
さすがに本人ではないと思うが、相当入れ込んでると見た。
2ちゃんでコピペ巡回する暇あったらブログでもやれば良いのに。
234考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:28:05
帆船なんて関係ないよ?
235考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:30:03
今までどこのスレにいたの?
政治哲学、正義論系のスレはけっこう
チェックしてたつもりなんだけど。
236Jimmy:2006/06/08(木) 22:51:52
ま、「2チャンだけが恋人」みたいんで、大文字の「ism」語ってるのだけは
寂しすぎるワナ。イや自戒を込めて言ってんだが。ワラ
237考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:57:03
>大文字の「ism」

これ小文字だよ。大文字はISMだよw
238考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:00:30
つうか、このリベラリズムの「普遍主義」経由でアメリカの覇権主義に
こじつけてるのは青木某が言ってることなのか?
それともこのファン氏が勝手に解釈して言ってることなのだろうか?


239考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:02:03
普遍主義もほんと酷くカリカチュアされてて
わけわからん代物にでっちあげられてるみたいだし。
240Jimmy:2006/06/08(木) 23:06:07
>>237
ダネ。つーか、「やれやれ」orz
241考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:13:46
>>233
漏れは、↑にカキコしてる「昔からいる」青木ファンみたく
入れ込んでないけど、青木の「コミュニタ」はかなり面白く
ユニークなのは事実だと思う。欧米のコミュニタリアンと
比べて正当かどうかは分からないが、マルクス本としては
光ってるのは認めたい。これマジ。つまらんレスでゴメン。
242考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:25:25
>>238
いちおう読んだ者として言っておきたいが、
青木氏の本に、アメリカの覇権主義など
現実政治にかんするテーマはまったく
出てこない。全体としてマルクス=宇野の
社会哲学的=コミュニタリアン敵読み替えが
テーマ。前にも書いたが、唯一現実に触れて
いるのはジェンダー論と家族論に尽きる。
243考える名無しさん:2006/06/09(金) 00:49:25
理論というのは実践に試されなければならないのが基本的前提
ならば、青木某の純粋「理論的」に見える書物にも、実践的な
契機を読み込まなければ、あまり意義はないだろう。支配的な
言説に対する批判の書、として限定するならそれでもいいけど、
世界の理論家たちは、やはり89年以降の世界に対してアクチュアルな
ものを提出しなければならない、という現状認識があると思う。
青木某も、世界の趨勢に対して、それなりに敏感なのだろうと思うから
純粋「理論的」な書物にも、そうした世界情勢への射程は込められて
いるはずだよ。
244考える名無しさん:2006/06/09(金) 09:16:37
>>222
だよな。西部あたりの主唱する新保守主義と何がちがうのかさっぱりわからん。
ネオリベとネオコンとが呼応し合っている亜米利加合州国の昨今のヘゲモニー
となにがちがうのか。
ブッシュは市場的に自由主義、かつ、社会的には(西部が美化するような)
プロテスタンティズム的共同体主義っぽいし。
この自由主義と共同体主義の癒着構造をコミュニタリアニストはどう分析
するのだろうか。
245考える名無しさん:2006/06/09(金) 09:31:48
どうでもいいけど、
「コミュニタリアニスト」は
やめてくんない。
やっぱ、「コミュニタリアン」って
言ってほしいな。
246考える名無しさん:2006/06/09(金) 10:07:52
ついでだが、「リベラリスト」も嫌すぎる。
どっから来てるのか知らんが、英語じゃ普通
自由主義者は「リベラル」という。
247考える名無しさん:2006/06/09(金) 10:17:09
アメリカの今の共和党系保守は、経済面では自由放任主義で
ベースの思想は個人主義のリベラリズム(というかリバタリアニズム)だから
コミュニタリアニズムとは相容れない。

「保守」するところの伝統的価値観も普遍宗教であるキリスト教のもので、
民族主義を鼓舞するような日本の保守とは少し違う。
そして、日本の保守の民族主義も国家レベルの大規模な民族共同体的なものを
前提にしている場合が多く、小さな自治コミュニティーを奨励する
コミュニタリアニズムとはまた違う。
248考える名無しさん:2006/06/09(金) 11:21:44
コミュニタリアニズムが肯定する共同体の最小単位は家族なの?
249考える名無しさん:2006/06/09(金) 11:35:08
アメリカ開拓時代の村とか、ルネサンス時代の都市国家
250考える名無しさん:2006/06/09(金) 11:59:55
また、社会学や歴史学の実体主義が紛れ込んできたなw
251考える名無しさん:2006/06/09(金) 13:15:42
>>247
じゃあ、>>222も指摘しているように、西部邁あたりが従来より語ってきた
新保守主義とコミュニタリアニズムとではどこが決定的に異なるの?

> 「保守」するところの伝統的価値観も普遍宗教であるキリスト教のもので、
> 民族主義を鼓舞するような日本の保守とは少し違う。

どんな宗教だってその共同体の内部からみれば、普遍的義務・普遍的
信仰対象を民に向かって主張するもんだろ? 民族主義だって同じだろ?
252考える名無しさん:2006/06/09(金) 13:21:45
小さな自治コミュニティを奨励する、といっても、その自治
コミュニティ同士の利害を調整するために上位のコミュニティが
要請されるのではないですか。さらに上位のものを求めていけば
今の国民国家を要請することに帰着しませんか。
共同体は重層的である、といっても、現に共同体は重層的にあるわけ
で、現状追認のイデオロギーに帰着しませんか。
そうすると、新たな共同体を創出するっていう方向のコミュニタリアンの議論の
ほうに関心があるんですけど、どういうものなんでしょう。
youはどう思う?
253考える名無しさん:2006/06/09(金) 13:27:44
>さらに上位のものを求めていけば
>今の国民国家を要請することに帰着しませんか。

そのさらに上位は国連やグローバルなもんだろ?
グローバルヴィレッジなんて言葉もあったよな。
254考える名無しさん:2006/06/09(金) 14:42:51
>西部邁あたりが従来より語ってきた新保守主義とコミュニタリアニズムとでは
>どこが決定的に異なるの?

保守主義という政治思想であれば、その要諦は「理性」主導の革命や大規模な
社会工学による急激な社会改革への反対、および「伝統」を通しての穏健で漸次的な
社会変化の推奨。理性万能主義への過信に対する懐疑が基本であり、論者によっては
有機的社会論などは必ずしも提唱しない。「保守」というのは伝統を保守する
ということであり、その「伝統」が個人主義的なものであれば個人主義を保守する
ことになる(アメリカはその典型)。思想レベルで共同体主義と接点は無い。

「新保守主義」は政治思想というよりもっぱら政治ラベルなわけで、共同体主義と比較する
メリットはあまりないと思うけど、例えば共同体主義は少数民族のコミュニティーも
共同体として尊重することから文化多元主義を主張するのに対し、保守主義者は文化多元主義を
奨励してはない。アメリカはもともと白人中心の社会だったことから文化多元主義は
「伝統」にはないので。

>どんな宗教だってその共同体の内部からみれば、普遍的義務・普遍的
>信仰対象を民に向かって主張するもんだろ?

普遍宗教はコスモポリタニズムみたいなもので、特定のローカルな共同体を想定しない。
普遍宗教の逆は民族宗教で、例えばユダヤ教徒とか。
255考える名無しさん:2006/06/09(金) 14:46:16
>さらに上位のものを求めていけば今の国民国家を要請することに帰着しませんか。

「さらに上位」にいく前の、中間がすっぽり抜けてることが問題であるというのが
共同体主義の主張で、国民国家を廃止しろというわけじゃあない。
国民国家が強大すぎることが問題。
256考える名無しさん:2006/06/09(金) 15:08:21
>中間がすっぽり抜けてることが問題

そうすると、国家の権力を地方自治体などに部分的に委譲、地方自治体
の権力を下位の自治コミュニティに委譲、というプロセスで、共同体
主義一丁上がりってことですか。
257考える名無しさん:2006/06/09(金) 15:15:19
>>256
少数民族なども「共同体」を形成していると見なされるているわけで、
別に地方自治体が全てではない。また、政治権力を分散すればいいって
わけでもない。
258考える名無しさん:2006/06/09(金) 15:16:35
カナダのケベック州の例なんかが
よく引き合いに出されるね。
259考える名無しさん:2006/06/09(金) 15:20:50
でもまぁ市民共和主義(civic republicanism)の流れで
地元の自治へのコミットメントを奨励するのが多いから、
地方分権支持ということになるのかな。
260考える名無しさん:2006/06/09(金) 15:23:56
そうすると共同体主義とは何なのですか。
共同体に権力を伴わせないで、単に称揚するだけですか
261考える名無しさん:2006/06/09(金) 15:26:08
北田暁大
『リバタリアン的監視社会と道徳的総会屋が幅を利かす共同体主義は、
「リスク管理」という媒介によって、意図せざるかたちで共犯関係を築いてしまうわけです。
ゲーテッド・コミュニティに住まう住民は、まず確実に経済的リバタリアンであり、
道徳心にあふれたモラリストだと思います。』
(東浩紀編著,『波状言論S改 社会学・メタゲーム・自由』,青土社,2005年。)
262考える名無しさん:2006/06/09(金) 15:29:24
いや、まぁ権力を分散してもいいんだけど、主眼はそこに無いって話ね。

リベラリズムの場合、政府は基本的に単なる利害調停機関でしかなく、
政治も個人の権利保護、利益追求の道具的な扱いにどうしてもなる。
(ロールズの一見利他的な福祉主義も、その必要性の哲学的論証は
私利を追求する合理的個人モデルに依拠している。)

一方、共同体主義系の共和主義だと、自分の所属する共同体の
政治に参加すること自体に価値を認め、これを奨励することで
公共心を育み共同体を育成する、というような話になる。
263考える名無しさん:2006/06/09(金) 15:41:01
例えば国民国家(主権国家)についてサンデル曰く:

  "The most promising alternative to the sovereign state is not a one-world
  community based on the solidarity of humankind, but a multiplicity of
  communities and political bodies -- some more, some less extensive than
  nations -- among which sovereignty is diffused. The nation-state need not
  fade away, only cede its claim as sole repository of sovereign power and
  primary object of political allegiance. Different forms of political
  association would govern different spheres of life and engage different
  aspects of our identities." (Sandel, Democracy's Discontent, p. 345)
264考える名無しさん:2006/06/09(金) 15:46:15
共同体というのは重層的にあるとされているのでしょう。
人はある共同体に属し、他の共同体にも属している、と。
自分の所属する共同体の政治に参加すること、ということは
複数の共同体の政治に参加することになるのですか。
また、共同体同士の利害調整は上位レベルに求められないのですか
265考える名無しさん:2006/06/09(金) 16:12:23
「里」という思想 内山 節著
日本型コミュニタリアニズムとしての「里」

本書は世界的なグローバリズムに抗する思想的根拠の提示である。
著者によれば、グローバリズムとは地域の伝統や風土を無視し、
市場や理性によって世界を均質に設計しようという普遍主義である。
それは過去の歴史をもたないがゆえに近代合理主義を至上の価値とする、
アメリカ的なリベラル・デモクラシーそのものである。
このような視点からみれば、近年流行している「帝国」に対する
マルチチュードやマルクス主義のプロレタリアートなどは、
グローバリズムに抗するどころか、逆にそれを加速する同類でしかない。
内山は、こうした常識的な反グローバリズム運動を拒否し、
グローバリズムに真正面から立ち向かう思想的拠点として、
ローカルで多元的な伝統と風土に支えられた「里」を評価する。
本書を読んで私は、内山のいう里の思想に、リベラリズムの普遍主義に
対するコミュニタリアニズムの個別主義を想起した。
文化的伝統のないアメリカにおいて、サンデルやマッキンタイアの
コミュニタリアニズム(共同体主義)は十分に根付かなかったが、
逆に近年わが国で佐伯啓思や菊池理夫によって、その日本的な摂取が
試みられている。本書『里という思想』は、内山自身がマルクス主義への
痛苦な反省を介してたどり着いた地平であるだけに、とりわけ青木孝平の
などと深く共鳴する、ほとんど最後のグローバリズム批判であると感じた。
日本型コミュニタリアニズム論との併読を推奨したい。
266考える名無しさん:2006/06/09(金) 16:26:56
マンガ日本昔ばなし みたいになってきましたね
267考える名無しさん:2006/06/09(金) 16:37:51
www
268考える名無しさん:2006/06/09(金) 16:37:53
しかし日本の人文社会科学系はあいもかわらず
舶来物礼参ばっかりだな。
269考える名無しさん:2006/06/09(金) 17:48:16
>>268
だから>>265をコピペしたんだよ。
コミュニタリアニズムは、欧米の「舶来物」の輸入の段階を超えて、
日本独自の社会哲学として土着化の段階に入ったということを言う
ために。たとえば菊池理夫は丸山真男を、青木孝平は宇野弘蔵を、
それぞれ独自に読み替えて、欧米の物まねではない独自の日本型
コミュニタリアニズムを創りだそうとしている。内山節の里の思想
も、みごとな日本型コミュニタリアニズムだ。これらを見ないで、
どうして「舶来物礼賛」などと言えるんだい?
270考える名無しさん:2006/06/09(金) 18:53:44
てめえが書いた素人アマゾンリビューなんぞ
コピペしなくてもいいっつうの(笑)。
271考える名無しさん:2006/06/09(金) 19:05:10
自分で書いたレビューを2chに晒す奴がいたら信じられんわw
272考える名無しさん:2006/06/09(金) 19:39:30
アマゾンでマルクス系書籍のレビューに、
匿名で「青木孝平」を対置して批判書いてまわってるのは君かい?
その執念が怖いんですけどw
  _  ∩
( ゚∀゚)彡 青木孝平!青木孝平!
 ⊂彡
273考える名無しさん:2006/06/09(金) 19:51:10
キモすぎ・・・
274考える名無しさん:2006/06/09(金) 19:56:14
「カスタマー(大阪府)」?
275考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:20:27
「里」かあ。福田和也を想起するのは必然 W
いまさら「里」なんて存在しないという大塚英志の指摘も必読かも。
大塚は民俗学だからその手の現状には詳しいだろうし。
276考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:21:16
青木某がでてくるのはともかく、レビューの内容は
それなりにまともだと思うのだが・・・。
277考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:27:58
コミュニタリアニズムは、結局ノスタルジックなロマン主義かも
しれんが、進歩的な未来に何の展望も見いだせんのだから、
それもやむを得まい。保守といって切り捨てるのもどうかねえ?
「里」を振り返るのもいいんじゃない?
278考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:43:20
ありかなしかって言ったら、まあありだろうけど、
懐古主義は何だかなって感じだな。
個人主義化の流れが止まるとは思えんし。
むしろ、このまま行き着くところまで行って、
その先どうするかってな問いのほうが興味深い。
279考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:47:19
別に舶来でも構わないんだよ
丸山だって宇野だって、日本の学知はそもそも舶来で成り立ってるし。
それをどう日本に吸収するかが問題だけど、「里」かぁ。
西部が「発言者」で「田園特集」やってたのを思い出すよ。
やっぱりこの共同体主義を日本型にするに際しては、西部みたいな
保守主義に吸収されないように注意しないとね。
その意味でも、保守主義との理論的差異を明確にしておく必要があるね。
280考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:49:43
舶来なら舶来で、向こうの学術誌に寄稿して議論に参加し
派手にやってくれる分には構わんよ。
281考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:50:43
リベラリズムの個人主義化がグローバリゼーションと癒着すると
このまま行き着くところまで行っても、もうアトはないだろう。
おれはペシミズムとニヒリズムしか残らん気がする。
だから、コミュニタリアニズムなんてのも
出てくるべくして出てきたんだろう。
282考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:51:38
所詮は転向左翼の生み出した思想なんだから、
別に保守の手に渡ったところでどうということもあるまい。
283考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:52:52
>おれはペシミズムとニヒリズムしか残らん気がする。

戦後の実存主義の頃から言われてることなんだから
いまさら悪あがきしたって無理だろう。
284考える名無しさん:2006/06/09(金) 21:17:48
コミュニタリアニズムというと、いつも青木を持ち出す
バカの一つ覚えみたいなヤツも哂えるが、それに、いつも
条件反射的に反発するヤツがいるのも同じく哂えるw
粘着には粘着が粘着するてネw
285考える名無しさん:2006/06/09(金) 21:18:47
その争いを縫うようにレスしてる奴やれすの流れを見てる奴もいるぞ
286考える名無しさん:2006/06/09(金) 21:25:45
>>283
日本的共同体がまだ「封建的」とよばれた近代化論の時代と
それがすっかり消滅したグローバリゼーションの時代とを、
同一次元では論じられないだろう。むしろ冷戦後の
リベラリズムの勝利を前提にして、コミュニタリアニズムは
始めて意味をもつんじゃないだろうか?
287考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:30:16
要するに、コミュニタリアニズムは
資本主義的リベラリズムの緩衝材
あるいは永遠のアンチテーゼってとこか。
288考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:48:23
見っとも無い。
289考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:57:00
菊池理夫さんがいう、リベラル・コミュニタリアン、あるいは
コミュニタリアン・リベラルというのは、どういう立場ですか?
どなたか教えてください。
290考える名無しさん:2006/06/10(土) 01:39:48
なんか自作自演が、、、
291考える名無しさん:2006/06/10(土) 06:34:24
何役か使い分けてるっぽいな。
劇団ひとり?
名前付けてやるからコテハンにしろよ。
お前は今日から「共同体ひとり」だ。
292考える名無しさん:2006/06/10(土) 06:36:49
>>290>>291
自演乙
293考える名無しさん:2006/06/10(土) 07:22:48
>>292
ひとり君?
294考える名無しさん:2006/06/10(土) 08:13:57
ここにもコミュニタリアニストがひとり
ttp://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2006/05/post_50.html
295考える名無しさん:2006/06/10(土) 12:31:49
>>291>>290とは別人。
被害妄想乙
296考える名無しさん:2006/06/10(土) 12:41:03
>>295
289より↑は、自作自演というのは、さらなる被害妄想乙w
297考える名無しさん:2006/06/10(土) 12:51:11
私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない。
このままいったら「日本」はなくなってしまうのではないかと
いう感を日増しに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、
ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
ある経済大国が極東の一角に残るであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にも
なれなくなっているのである。  (三島由紀夫)

三島も保守というより反リベラル、反グローバルの
日本型コミュニタリアンというべきだったんだろう。
今にして思えば・・・。
298考える名無しさん:2006/06/10(土) 12:55:39
>>297
プッwww
299考える名無しさん:2006/06/10(土) 13:38:03
コミュニタリアニズムと言えば鈴木宗男だね。
300考える名無しさん:2006/06/10(土) 15:26:23
こいつの行動原理は結局「グローバリズム」に対する
ルサンチマンだけだな。
301考える名無しさん:2006/06/10(土) 16:00:32
>>298のプッwww に ぷっ(藁)
リベラル・グローバリゼーションに
何の危機意識もないドンな椰子w
302考える名無しさん:2006/06/10(土) 16:23:17
日本でコミュニタリアニズムを実践しているのは鈴木宗男。
303考える名無しさん:2006/06/10(土) 16:26:58
なんかもうフリーメイソンとかユダヤ陰謀論みたいな話になってきてる…
304考える名無しさん:2006/06/10(土) 16:27:13
何だかんだ言っても、こいつの匙加減一つだろう。
もう笑うしかないね。
305考える名無しさん:2006/06/10(土) 16:30:35
個人主義が一番なんだよ。精神衛生上はw
306考える名無しさん:2006/06/10(土) 16:48:17
そろそろまたコピペ爆弾投下が来るぞ。
さあ今度は何かな〜w
307考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:48:16
>>303
あのう、このスレの新参者ですが、三島由紀夫さんがどうして
フリーメイソンとかユダヤの陰謀とかに関係あるんですか?
このスレの流れがもうひとつ掴めないんですけど。
308考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:57:46
デンパさんの話を真に受けちゃダメ
309考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:01:07
もう、ゴミレスにゴミレスが付きまとう典型だな。
つまらんケチの付け合いは無視して
本来のコミュニタリアニズム論議に話を戻したい。

私はウォルツァーの初期の著書『正義の領分』は
文字通りコミュニタリアン的な善=財(goods)の
多元性を説いたものとして、よく理解できた。
しかし最近の『グローバルな市民社会に向けて』は
これが何故コミュニタリアニズムなのか、
どうにも理解できない。ウォルツァーは転向したのか?
あるいは独特の深い意味があるのか、この本の位置づけを
どなたかご教示願いたい。
310考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:21:45
「コミュニタリアニズム」とか、そういうラベルは
他人が勝手に付けてる物であって、本人にしてみれば
余計なお世話でどうでもいいことだろう。
311考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:32:21
>>297
あのう、このスレの新参者ですが、三島由紀夫さんがどうして
反リベラルとか日本型コミュニタリアンとかに関係あるんですか?
このスレの流れがもうひとつ掴めないんですけど。
312考える名無しさん:2006/06/10(土) 18:53:11
>>309
ウォルツァーは時勢迎合的たらざるを得ないのでは?
「共同体にとっての善」となんら矛盾することなく、
ブッシュ支持の正戦論に帰結したんだから。
グローバルな市民社会に向かっていくのも、
「共同体にとっての善」なんでしょう。
結局、アメリカでコミュニタリアンやるってことは、
アメリカの国益の裏付けしかできないんだと思うよ。
日本でやるのも同じだよ。
自分はそんなの倫理学の仕事だとは思えん。
313考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:29:21
>>312
アメリカのような本来の伝統文化を欠落した社会において
コミュニタリアニズムがグローバルな市民社会の後押しとなり
国益の裏づけになっていくのは、なるほどと思います。
しかし日本のような固有の文化をもつ社会では
違うのではないでしょうか?むしろ日本でこそ、
新自由主義の政治路線とは異なる独自の
コミュニタリアニズムが可能なのではないでしょうか?
314考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:29:35
>>311
グローバリゼーション経済によって、単に経済だけでなく、西欧的な
というよりアメリカ的な個人主義も世界に広がりつつある、と仮定した
場合、それに対してどうするか、となったときに共同体主義というもの
がある。それを日本に吸収する場合、日本型共同体主義は、三島由紀夫
(彼を代表させるのは適当でないが)などの思想を受け継ぐ、日本の
伝統・習俗に基づく共同体を保守せよ、という保守主義と似たりよったり
になりませんか、ということで、三島の名前が出ただけです。
315考える名無しさん:2006/06/10(土) 19:40:36
日本の場合、80年代まで「イエ社会」とか言われてたわけで
規制緩和や株式持合解消はここ数年の改革だし、近代的個人主義
がしっかり根付いてるわけじゃないから、しばらくグローバリゼ
ーションの波にもまれて、経済格差が階級分解に至るくらいのと
ころで、物を考え出す「個人」も現われてくるんじゃないのかな。
共同体主義は、その後ってことで。
316考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:06:25
>>315
日本の「イエ社会」とか「世間」とかいわれるものは
本当に実体があったのか?という問い直しが最近
行われています。日本には本当の意味での信仰も
宗教倫理もなかったのではないか?だから一たび
新自由主義=ネオリベが導入されると、歯止めの
効かない個人主義に流されていきそうです。日本には
欧米的普遍宗教もアジア的土着宗教もありません。
だから共同体が解体されたあとで、個人が
自由意志で共同体を形成するとは考えられません。
仮に創られたとしても、それは、擬制共同体としての
アソシエーションであり、リベラルの社会契約論
でしかありません。そういう「共同体」なら
リバタリアンこそが熱心に説いています。
317考える名無しさん:2006/06/10(土) 21:04:07
日本人全てを統括する宗教や原理はないよ。
その代わり、ある種の共同体志向は日本は強いと思うよ。
318考える名無しさん:2006/06/10(土) 21:49:07
>>317
>その代わり、ある種の共同体志向は日本は強いと思うよ。

それも、1980年代まででしょう。
少なくとも今の30代以下の世代は
ニート、フリーター、ヒッキー、
離婚、晩婚、非婚、孤食、個電、ネット中毒が
あふれて、その個人志向はおそらく欧米以上でしょう。

319考える名無しさん:2006/06/10(土) 22:01:15
>>316
やはり最大の問題は、人間のアイデンティティを構成する
「場所」としての共同体(community)と、個人が自由意志で
結成する社会契約体(association)との違いに帰着するのでは
ないかと思う。その意味で今後のコミュニタリアニズム論は、
柄谷的「世界共和国」の批判が重要なテーマになるはずだ。
320考える名無しさん:2006/06/10(土) 22:37:08
>>319
う〜む、チミのテーマはやはりそこに行き着くのね。
資本主義を批判したいのか、個人主義を批判したいのか、
その両方なのか、その辺が良くわかんないんですけど。
資本主義の批判は、個人主義でも出来るし、
個人主義の批判は、資本主義でも出来ると思うのですが。
また、資本主義と個人主義の両方を、
資本主義と個人主義の両方で批判することも出来ると思います。
コミュニタリアニズムじゃないと駄目な理由がわからない。
それじゃ「柄谷憎し」という別のエートスしか伝わらない。
コスモポリタニズムの場合は少なくとも資本主義と共同体主義の両方を
批判したがっているんだなとわかるんだけど。。。

資本主義かつ共同体主義というのは今の日本もそうなんですよ。
経団連の皆さんは共同体主義だろう。全然びくともしない。
「日本型こそカタギの資本主義であって
アングロサクソン型資本主義こそヤクザなんだ。」
と思っている人がまだまだマジョリティだと思うよ。
321考える名無しさん:2006/06/10(土) 22:51:29
連投すまん。320です。
つまり、>>319の結論は、
国連とか、国際NPO(国境無き医師団etc)とか、
オープンソースコミュニティ(ウィキペディアetc)とか、
そういうものを目の敵のするためだけに、
コミュニタリアンやろうぜってことにならないか?
単純に何で?って思ってしまう。
誰にも迷惑かけてないし、国を超えた公共心だけあって、
金儲けを目的としてない行動を批判することが、
>>319氏のような人のアイデンティティ確保にしかつながらんのなら、
自分は、コミュニタリアンなんて百害あって一利無しだと思う。
322考える名無しさん:2006/06/10(土) 23:47:19
日本型資本主義(会社主義)は今やアジアのどの国も
モデルにしてないから、やはり遅かれ早かれ国際競争の
波にもまれて再編を余儀なくされるだろうね。
でも、それはいいことだと思うけどね。
現時点で共同体主義を摂取しようとすると、現状の日本の
ありようと妙にフィットしてしまうんだね。
ニートやフリーターも「家族」にはしがみついてるわけだし。
323Jimmy:2006/06/11(日) 01:04:07
資本主義的生産は「一国」内的にすら部分的生産に過ぎず、ましてや
「世界市場的連関」においてはなおさらである。故にいたるところに非資本主義的
生産関係を外的に前提しそれらと商品経済的にのみ関係を取り結ぶに過ぎない。
したがって、原子論的な「個人」への共同性の極限的分解を実体視する所作は純粋資本的な
錯覚にとらわれているというべきだろう。
原理論的に言って資本主義的生産関係と「共同体」はべつに相互排除的な関係に
立っているわけでは決して無い。その具体的様相は資本蓄積の段階的変遷に従って
歴史的に変遷してきている。
「グローバリズム」はもっぱらアメリカ主導で提唱されその背景には、内国市場
を開放し「多消費経済」を推し進めてきたアメリカ資本主義が、財政赤字の
慢性化と貿易収支の逆調に耐え切れなくなり、なりふり構わぬ輸出拡大
路線を強行せざるを得なくなった事態に立ち入ってことの政治イデオロギー的
表現なのではないか。20世紀第二次世界大戦まではこの国は国際政治的には
むしろ「孤立主義」を採っていたのではないか。
324考える名無しさん:2006/06/11(日) 01:51:24
サッカーを見ながら、次のような下らないことを考えてみました。
近代史を振り返ってみますと、世界にはざっくり分けて4チーム
あったような気がします。

「共産主義+共同体主義」・・・@
「資本主義+個人主義」・・・A
「共産主義+個人主義」・・・B
「資本主義+共同体主義」・・・C

そして、第1回近代史リーグ戦の結果は、

@vsA→@<A、AvsB→B<A、@vsB→B<@、
AvsC→A<C、CvsB→B<C、Cvs@→@<C

という試合結果となりました。勝敗をまとめますと、

1位=C(資本主義+共同体主義)・・・3勝0敗
2位=A(資本主義+個人主義)・・・2勝1敗
3位=@(共産主義+共同体主義)・・・1勝2敗
4位=B(共産主義+個人主義)・・・0勝3敗  となりました。

さあ、記念すべき第2回を迎えたポスト近代史リーグ戦の第1試合は、

C(資本主義+共同体主義)vsA(資本主義+個人主義)ですが、
前半終了時点で0−2と、A(資本主義+個人主義)が2点リードという状況です。

開幕第1試合、優勝候補のC(資本主義+共同体主義)が早くも2得点を許し、
2大会連続優勝の夢が早くも危ぶまれており、予断を許さぬ展開となっております。
後半戦も見逃せません。
325考える名無しさん:2006/06/11(日) 02:06:23
>資本主義的生産は「一国」内的にすら部分的生産に過ぎず、ましてや
>「世界市場的連関」においてはなおさらである。故にいたるところに非資本主義的
>生産関係を外的に前提しそれらと商品経済的にのみ関係を取り結ぶに過ぎない。

うむ。jimmyさん、おとくいの岩田世界資本主義論、というよりどこかローザ的な
な外囲を前提とする資本蓄積論ですな。しかしながら現代のグローバリズムは
岩田的な段階=現状分析という経済史主義では決して分析し尽くせるものでは
ないでしょう。理由は二つ。一つは情報・通信のグローバル化によりほとんど
資本主義の外囲が侵食されつくしていること。もう一つは、ソ連という敵の消滅後
はグローバリゼーションが単に経済のグローバル化にとどまらず、むしろイデオロギー
主導のグローバル化、すなわちリベラル・デモクラシーのグローバル化そのものが
逆に経済をリードしていることである。すなわち宇野的にいえば、やはり金融資本を
超えた主導国家(アメリカ)の政策が存在することである。もはや経済還元主義は
通用しない。
326中卒NEET:2006/06/11(日) 02:16:18
岩田とかローザとか宇野とか・・・・・・
何言ってんだか全っ然分かんないよぉ!
「すなわち、すなわち」って何がすなわちだか分かんないよぉ!

>>324
俺向きw
327考える名無しさん:2006/06/11(日) 02:20:16
>>320
あなたは、市場経済が共同体の間から始まり、労働力の商品化を
へて共同体を崩壊させて資本主義という体制が成立した事実を
過小評価し過ぎている。さらに現代日本の新自由主義による
構造改革を過少評価し過ぎている。いまや経団連も自民党も
かつての護送船団方式ではない。完全にアメリカ的なリベラリズム
的資本主義に文字通り「改革」されている。それは終身雇用の
解体から果ては天皇制実質的消滅までを射程に入れた、先を
見越したものだ。旧来の「共同体」的日本資本主義(土建屋資本主義
=国家資本主義)は、すでにどこにもない。
328Jimmy:2006/06/11(日) 02:44:45
>>325
ローザ的というのはチョイ苦笑ものですね。ローザは実現論的な
文脈で資本主義の外部を必然性として要請するとしていたと思う。
私は個別無政府的商品経済主体という資本の本性から部分性と
世界性を資本主義的生産に見て取っています。
それはそれとして
>情報・通信のグローバル化によりほとんど 資本主義の外囲が侵食されつくしている
この「侵食」という表現をもう少し説明してもらえますか。
資本ーチン労働関係に編成されつくしているという意味でしょうか。
情報・通信によって結び付けられてそのことが直ちに伝統的生産関係
の分解へと資本主義的生産関係への編入という筋書きだとしたらそれは
無いと思います。

>ソ連という敵の消滅後
はグローバリゼーションが単に経済のグローバル化にとどまらず、むしろイデオロギー
主導のグローバル化、すなわちリベラル・デモクラシーのグローバル化そのものが
逆に経済をリード

むしろイデオロギー的な敵が消滅してしまえばそのような「コユイ」
ブルジョアイデオロギーを前面に押し立てる必要が無いのではないか。

私は何でもかんでも経済過程に「基底還元」施与と言い張っているのではない。
しかしすべて政治過程論やイデオロギー論で片付けるのもまた当のイデオロギー
の理解において過度の一面化に陥る恐れがあると思う。
329考える名無しさん:2006/06/11(日) 02:45:10
>>324
それなりに当たってるとこがニクいw
330考える名無しさん:2006/06/11(日) 02:48:09
>>327
だから?
それが「世界共和国」を批判するのがコミュニタリアニズムのテーマだってのと
どうつながるの?
柄タンみたいな爺さんなんてどうでもいいんだが、
自分は「個人としてグローバルな公に奉仕する倫理」が駄目だとは思えないから、
そこが一番気になるんですよ。ジョン・レノンのクリップのリンク貼ったのも俺です。
(ジョージの方がもっと慈愛の人で好きなんだけど)
331考える名無しさん:2006/06/11(日) 04:26:54
そう言われてみれば、日本の会社って一種の共同体だったんだな。
332考える名無しさん:2006/06/11(日) 14:17:24
>>328
>情報・通信のグローバル化によりほとんど 資本主義の外囲が侵食されつくしている
>この「侵食」という表現をもう少し説明してもらえますか。
>資本ーチン労働関係に編成されつくしているという意味でしょうか。

違います。資本・賃労働ではなく、むしろ商品・貨幣関係によって、
匿名で無機質的で相互他者的なアトム的関係という意味です。

>むしろイデオロギー的な敵が消滅してしまえばそのような「コユイ」
>ブルジョアイデオロギーを前面に押し立てる必要が無いのではないか。

逆でしょう。イデオロギー的な敵の消滅は、自然必然的に市場の侵食と
ともに市場的個人主義のイデオロギー、すなわちリベラル・デモクラシー
による社会関係の包摂を意味するはずです。とくにアメリカのような
伝統文化のない、自由・平等の個人を「伝統」とする国が世界の一強
となれば、パラノイア的自由主義が市場主義と手をたずさえ、世界を
包摂しようとするのは避けられないと思います。
333考える名無しさん:2006/06/11(日) 14:30:02
>>330
>自分は「個人としてグローバルな公に奉仕する倫理」が駄目だとは思えないから、
>そこが一番気になるんですよ。

私も、個人によるグローバルな公への奉仕がいけないとは思いません。
ただアトム的個人からグローバルな公へと、どうして一足飛びに
飛んでしまうのか、理解に苦しみます。むしろ個と公の分離こそ
近代の病理ではないのか?個と公の隔たりを架橋する中間的
コミュニティをどうして無視されるのでしょうか?
私は次のように考えます。自分の身近か人を幸せにできない
人が、どうして地球人類を幸福にできようか、と。
自我を構成する小さなコミュニティ、ローカルなコミュニティ
から、「公に奉仕する倫理」は重層的多層的にのみ育まれる
ものだと思っています。
334考える名無しさん:2006/06/11(日) 15:36:54
>>333
なるほどね。自我の構成をどう見るかだな。
その「一足飛び」こそが自我の本格的発動だとは言えませんか?
小さなコミュニティが構成できる自我は自我になる直前の段階までで、
正確にはまだ自我ではないとも言えませんか?
小さなコミュニティは「一足飛び」できるようになるまでの自我を育て、
「帰ってきて、俺たちを愛してくれたらラッキー」程度で丁度いいのでは?
良く知りませんがギデンズなどの言う「再帰的」という言葉がありますよね。
今のニートとかひきこもりは「父さんを愛し、父さんみたいになれるように頑張りなさい」
あるいは「あそこの惣菜屋の旦那に気に入ってもらって雇ってもらえるように頑張りなさい」みたく、
コミュニティのメッセージと構成員の利害が一致した環境で育てられた自我では無く、
「頑張らないと父さんみたいに駄目になっちゃうから頑張りなさい」とか、
「頑張らないとビル・ゲイツみたいになれないから頑張りなさい」という、
コミュニティのメッセージと構成員の利害が不一致した環境で育てられた自我だと思います。
だから、統合失調症的に動けなくなっちゃったんだと思います。
ベイトソンの「ダブル・バインド」ってこういうことですよね?
今言われているスローライフとかは、一旦「一足飛び」をした自我が、
コミュニティを「選んで」帰っていくことで、
精神と生活のバランスを取り戻そうという考えですよね?
やはり「選ぶな考えるな。ここで生きここで死ね。」の提唱では、
健全な自我なんて出てこないと思うんですよ。
今のコミュニティは、佃島の惣菜屋モデル的な成功イメージを本気で
イメージできていないんです。
ビル・ゲイツをルサンチマン抜きでまず認めることです。
そんな状態で強固なコミュニタリアニズムは毒にしかならんのです。
「一足飛び」すら生まれんのです。みんな統合失調のまま死んでゆくのでは?

ジョン・レノンを否定して三島由紀夫を奨励してた人(同じ人?)がいましたが、
三島は右翼が中止を求めたビートルズの来日公演を武道館まで見に行ってるし、
当時の文化人の中では珍しく肯定的に語っているんです。
そういう風に確固たる自我を持った人が「再帰的」に選ぶコミュニティだったら、
自分は断固支持しますよ。
335考える名無しさん:2006/06/11(日) 16:01:25
日本の文脈を簡単に振り返ると、1980年代は中曽根政権により
レーガン=サッチャー的な自由主義政策を掲げた改革を始めた
けれど、国鉄民営化くらいに留まり、中途半端に終わってしまった。
思想面では、ポストモダンが流行となり、近代批判的言説が
いろいろ言われたけれども、経済面ではバブル期を迎えて、
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われた日本型資本主義
いわゆる会社主義を資本主義の先端をいくものとして称揚さえする
声(イエ社会賛美)も現われた。
1990年代は冷戦の終わりとともに、自由主義の勝利を鼓舞する言説
と、自由主義の内部矛盾を批判する言説が対立し、日本は不況期に
入り、政治は迷走して、アメリカによる国際金融政策が成功
し、アジア通貨危機などを引き起こし、日本のみならず世界的にも
流動的で何の展望も見えない空白の時代だった。
2000年代にブッシュ・ジュニアの登場で自由資本主義のグローバル化
それに伴う民主主義の外国への押し付け政策が露骨に出現し、呼応
するように日本でも小泉首相により、かつて中曽根政権がやり損ねた
構造改革をそれなりに実現した。思想面では近代批判を繰り広げていた
ポストモダンへの反省として、むしろ丸山真男のようなレベルでの
「近代」がないがしろにされている、その水準は維持しないといけない、
という議論がなされたが、オタク、引きこもり、ニートなどの出現により
社会学−精神医学からの言説が目立つ時代となってる。
日本の場合、西欧的な意味での「近代的個人」がきちんと確立されて
いるのか、という問題が1つあり、現状の若者世代の個人志向が
ネオリベの台頭に呼応してなされているものであるのか、その連関が
今ひとつわからない、ということがある。個人志向というより、むしろ
「孤立志向」となってしまい、公共的な場所での対話を持たない、
閉鎖的な「私」に閉じ篭る現象となっている。姜尚中なんかが
言ってるように、日本の社会の中で「公共的な場所」をどうやって
構築していくかが、第一歩でしょう。ただし、公共的な場所で対話
できる「個人」がこの国できちんと確立されているか、も1つの
問題点でしょう。
336考える名無しさん:2006/06/11(日) 16:18:28
>>334
ベイトソンのダブル・バインドはそういうものではなくて、
1つのメッセージとは背反するメッセージが同一のものから
同時に生じる、というもの。優しいしぐさを見せながら
一方で厳しい言葉を述べる母親などが、子供にとって
ダブル・バインド状況を生み出す。
ギデンズの再帰的近代化というのは、家庭や地域は壊れた
壊れたけれど、それなりにパパ、ママ、隣人に「なりきった」
ゲームをすることはできる、だからそうしたゲームをしましょう、
というもの。これには主体に大きな負担を強いるといった批判が
ある
337考える名無しさん:2006/06/11(日) 16:23:10
自分はいまだ「発展途上」の人間であるという理由で、
「国民栄誉賞」を辞退し続けるイチローには、
「個」はもちろんだけど、「公」の理想も高いんだよ。
あの「公」はコミュニタリアニズムから出てくるかね?
なんとなく、出てこないと思うんですけど。。。
338Jimmy:2006/06/11(日) 19:38:52
>>332
>商品・貨幣関係によって,匿名で無機質的で相互他者的なアトム的関係
商品・貨幣関係は確かにその所有者の出自についてまったく無関心な関係性
であるといえるが、「アトム的関係」を作り出すのだろうか。「アトム」とは
何でしょうか?共同性を剥奪された「個人」でしょうか。商品・貨幣、要するに
商品経済は共同体間を取り結んだり、要はなんらかの社会関係の「間隙」に生息
するので必ずしもそこに参与する主体は「アトム的」とは言えないのではないか。
因みに「アトム的」という表現は宇野理論にはありません。

>イデオロギー的な敵の消滅は、自然必然的に市場の侵食と
ともに市場的個人主義のイデオロギー、すなわちリベラル・デモクラシー
による社会関係の包摂を意味するはず

よく理解できません。冷戦期こそ反共イデオロギーがもっとも強烈に喧伝され
市場経済が共産党による中央指令型計画経済より遥かに効率的でかつ平等な
システムであると主張されていましたよ。

繰り返しますが市場万能論が近年席巻しているかのように見えるのは、アメリカ資本主義の
危機を背景に持っていて、それに追従している日本にいるからあたかも普遍的現実的
イデオロギーのように思い込んでしまっているからではないでしょうか。
339考える名無しさん:2006/06/11(日) 20:38:10
結局、社会主義・共産主義も
福祉主義として自由民主主義内に取り込まれ、
そしてそれが一番上手く行ったわけだわね。
純粋な社会主義国、共産主義国の大失敗を尻目に。

共同体主義も同じだろう。共同体主義単体で丸々
自由民主主義のオルタナティブになるとは
とても思えない。自由民主主義の枠内で
どううまく取り入れるかを考えた方が現実的。
340考える名無しさん:2006/06/11(日) 20:38:57
無論、共同体主義を新たな反米イデオロギーに
仕立て上げてるような電波は論外。
341考える名無しさん:2006/06/11(日) 21:41:21
>>338
「アトム的関係」という表現は確かに不正確だったかもしれません。
商品・貨幣という匿名で無機質的で相互他者的関係の結節が
自由で平等なアトム的個人という幻想をつくりだす、
と言い換えたいと思います。

>よく理解できません。冷戦期こそ反共イデオロギーがもっとも強烈に喧伝され
>市場経済が共産党による中央指令型計画経済より遥かに効率的でかつ平等な
>システムであると主張されていましたよ。

現代はもはやそうした反共イデオロギーの宣伝が不必要なほど
市場経済とそのイデオロギーであるリベラリズムは自明のものと
なっていると思います。事実、現代の倫理学ではリベラリズムは
思想とは認められず、自由な思想的議論を展開する前提として
扱われています。コミュニタリアニズムも、社会思想の学界では
リベラリズムをヴァージョン・アップするための一プロセスと
みなされています。あらゆる思想的議論は、思想の自由市場である
リベラリズムという大きな枠組みの中でのみ可能という位置づけです。

342Jimmy:2006/06/12(月) 07:29:16
>>341
以下のところは私も同じことを言っています。
自然かつ現実的なイデオロギーであると。
しかしであるならば、なぜことさらグローバリズムや市場万能論
が喧伝されなければならないのか?別の機制が働いている
としか思えません。それこそがアメリカ資本主義の危機にある。

>現代はもはやそうした反共イデオロギーの宣伝が不必要なほど
市場経済とそのイデオロギーであるリベラリズムは自明のものと
なっていると思います。
343考える名無しさん:2006/06/12(月) 08:39:33
>>342
たしかに経済的には、ある種のアメリカ資本主義の危機が背景に
あるかもしれません。
もちろんグローバリズムの根幹は貨幣・金融市場のグローバル化
でしょうが、はるかに大きな問題は、それがリベラリズムの思想と
結び付けられ、個人の自由な意思と行動の自己決定が何人にも
否定できない普遍的正義としてあらわれている点です。その
社会科学における再帰的表現が「方法論的個人主義」です。
繰り返しになりますが、こうしたリベラリズムそのものの
思想的克服は果たして可能なのか?もしその可能性がなければ、
いくらアメリカ経済の危機がさらに深化しようと克服されようと、
グローバル・リベラリズムしたがって世界資本主義はかたちを
変容させ、永遠に続くのではないでしょうか?
コミュニタリアニズムの哲学的彫磨が求められるゆえんです。

344考える名無しさん:2006/06/12(月) 08:42:43
人間関係「希薄に」80%…読売世論調査

 読売新聞社が実施した全国世論調査(面接方式)で、社会の人付き合いや人間関係が希薄になっていると思う人は、2000年7月の前回調査よりも7ポイント増え、80%に達した。

 希薄になっていると思う人は、大都市よりも、中小都市や町村で急激に増えており、人とのつながりの喪失感が大都市部だけでなく、全国的に広がっていることが浮き彫りとなった。

 調査は5月13、14日の両日実施した。人間関係が希薄になりつつあると思うかとの質問に、80%の人が「そう思う」と答え、「そうは思わない」という人は19%だった。

345考える名無しさん:2006/06/12(月) 09:36:30
「個人の自由な意思と行動の自己決定」はいいことだと思う。
それが「個人志向」にならず「孤立志向」になれば病理だと思う。
日本は、横のつながりというか、共通の理念のもとに連帯する行動が
稀薄だと思う。先進国でデモが少ないのも日本だけだし。
「共同体」に訴えるよりも、「公共的な対話の場所」を創出すること
が重要だと思う。
346考える名無しさん:2006/06/12(月) 14:09:09
これからはアトムではなく量子の時代だよw
347考える名無しさん:2006/06/12(月) 15:13:22
>>343
あなたのような思考は、昔ながらの、
「(世界)資本主義」に対抗なり中和なりをしようとする、
「(世界)共産主義」の、そのまた内部の屈折の形態ですよ。
路線をめぐっての話に永遠に照準を合ってしまうタイプ。
だから「(世界)資本主義」の批判をしようと思っているようで、
やることと言えば、同じ動機を持つ対抗者(リベラル左派や社会契約論)叩きに、
やっきになることしかできない。(例えば>>319氏のように)
マルクス主義者がアメリカの「草の根保守」のための理論を取り込むなんて、
倒錯としか思えない。日本共産党と同じ道でしょう。
348考える名無しさん:2006/06/12(月) 17:50:24
>>347
コミュニタリアンは別に共産主義を目指している訳ではありません。
だからマルクス主義も、ましてや革命路線なんて話は全く無関係です。
それに、リベラル左派や社会契約論の、どこがどういうふうに
同じ動機なんでしょう。理解に苦しみます。さらに草の根保守という
レッテルの意味も分かりません。私は、左/右、保守/革新、
進歩/反動といった二分法それ自体を批判したいと思います。
リベラルとコミュニタリアンは、旧来の対抗軸に代わる
今日もっとも有効な思想の分類だと思っています。
349考える名無しさん:2006/06/12(月) 18:32:26
>>348
>マルクス主義も、ましてや革命路線なんて話は全く無関係です。
サンデルやマッキンタイアはマルクス主義からの転向者であり、
全く無関係ではありません。

>リベラル左派や社会契約論の、どこがどういうふうに
>同じ動機なんでしょう。
「(世界)資本主義」に対抗なり中和なりをしようという動機をもって、
ロールズやルソーやロックから論を立てようとする人もいるわけです。

>草の根保守というレッテルの意味も分かりません。
アメリカにおいてネオリベやネオコンとも対立する極右です。
「思いやり保守」とも言います。
パット・ブキャナンに代表され、宗教的道徳主義者で、
ピューリタン的な地域コミュニティを重視し、
コミュニティの寄り合いとして以上の国家の過大な意味を認めない共和主義者です。
伝統派コミュニタリアン(サンデル・マッキンタイア系)の研究が
思想的バックボーンとなっています。
350考える名無しさん:2006/06/12(月) 19:09:59
>>348
上で散々出てきたあなたの大好きな「青木孝平」もマルクス主義(マルクス系哲学者)でしょ。
「アソシエ21」に投稿して「路線」の話してるんだから。
アソシエ21でコミュニタリアニズムを説くなんてイカレポンチとしか思えませんが。
あなた「グローバル資本、恐ろしや〜」って散々言ってきたじゃない。
それが「グローバル資本に抵抗するグローバル左翼、恐ろしや〜」になっちゃう所が、
端的に「倒錯ですね」と申し上げておる次第です。
「方法論的個人主義」はイカンと言うあなたも、
客観的には「方法論的個人主義」に支えられつつ、
「方法論的共同体主義」を唱えているだけではないですか?
351考える名無しさん:2006/06/12(月) 19:24:33
>リベラルとコミュニタリアンは、旧来の対抗軸に代わる

新たな「対抗軸」にしてしまってる時点で
根本的な解決には到底なりえない罠。
352考える名無しさん:2006/06/12(月) 19:27:27
テイラーは愛国主義(patriotism)も肯定的に評価してるんだよね。
353考える名無しさん:2006/06/12(月) 20:05:21
「資本主義は良くない。
資本主義が生んだ個人主義は良くない。
個人主義への対抗が資本主義へ対抗である。」

これじゃ支離滅裂。
トンデモ理論だよ。
354考える名無しさん:2006/06/12(月) 20:10:43
たくさん書かれたんですが、同じ人ですかね?不明なので断片的なレス
しかできません。ご了解ください。
1.マルクス主義からの転向者なら、今はまったく無関係と言えるでしょ?
2.リベラルの社会契約論、ロックやルソーは初めから資本主義の擁護者です。
3.コミュニタリアンが文化的伝統を尊重するのは当然で、それに「草の根保守」
とレッテルを貼るなら、私も日本的草の根保守でもかまいません。
4.客観的にも主観的にも私は方法論的関係主義です。「方法論的個人主義に
支えられ」ているつもりはありません。
5.青木氏はマルクスを読んでいますが、宇野の視点から批判的に読んでいる
のではないでしょうか?少なくともマルクス主義者ではないでしょう。
それに上で青木氏を全面評価しているのは私ではありません。
6.グローバル左翼にはグローバル資本主義が批判できない。倒錯でも
何でもなく、ごく常識的な見解だと思いますが。
7.リベラルとコミュニタリアンの対抗を中心にして現代の思想状況を
解読しようというのであり、別に私が世界の現状を解決できるなどと
思っていません。
8.私も国家主義(etatism)は全面的に批判しますが、郷土愛(patriotism)は
間違っているとは思いません。
355Jimmy:2006/06/12(月) 21:17:39
受けあってもいい、現今アメリカが強制している「市場解放」「規制緩和」など、双子の赤字か解消すれば誰も語らなくなると。なぜ日本は「ノー」といえないのか?
それはアメリカ国債をはじめとする膨大な対米投資を、保護せざるを得ないからである。
資本主義に汎通的なイデオロギーと、それの特殊な現れ方との区別と連関が必要なのでは。
356考える名無しさん:2006/06/12(月) 22:36:46
>>354
宇野弘蔵はマルクス主義でしょ。
マルクスを中心テーマに論を立てる人は、素直にマルクス主義と言うべきなんですよ。
自分達だけ絶対安全な立ち位置なんてないんです。それは錯覚です。
あと、マルクス主義から転向した人は本当に全く無関係だろうか。そんなの嘘だと思う。
小林秀雄はマルクス主義と全く無関係だろうか。江藤淳はどうだろう。

>グローバル左翼にはグローバル資本主義が批判できない。倒錯でも
>何でもなく、ごく常識的な見解だと思いますが。

ごく常識的ですか。初めて聞いたんですけど。
私が非常識なんですか。そうですか。
グローバル左翼を批判してグローバル資本主義を批判した気になっているのは、
倒錯とは言わんのですか。そうですか。

あと「草の根保守」というのは別に悪口でもレッテルでもないです。
彼らは彼らなりに筋が通っています。
ただ、マルクス主義に(マルクス論者、要するに青木某です)、
その論理を後からくっつけて、
「やっぱ、これだぜ〜。マルクスはこれだよな〜。」というのは見苦しいというか、
単にアホだなと。
357考える名無しさん:2006/06/12(月) 23:16:44
>>355
資本主義に汎通的なイデオロギーと、それの特殊な現れ方との区別と連関が必要なのでは。

資本主義に汎通的イデオロギー(自由・平等・所有・ベンサム)があるのは
そのとおりだと思いますが、はたしてその現代に特殊な現れ方(グローバリズム)を
そのまんま双子の赤字のみに還元してよいのでしょうか?具体的なイデオロギーには
それなりの相対的自律性があるのではないですか?そこでは
やはりアメリカ固有の伝統の欠落とフロンティア的個人主義など分明史的背景への
考慮が必要なのでは?Jimmyさんは、あまりに生粋のマルクス主義経済学者で
ありすぎるのではないでしょうか?果たして双子の赤字の解消が可能かどうか
わかりませんが、もし解消すればグローバリズムも同時に消え去るものかどうか、
Jimmyさんの「受けあい」の行方を楽しみに見物したいと思います。
358Jimmy:2006/06/12(月) 23:36:27
>>357
イヤぁー「受けあう」はチト大きく出すぎたかな ワラ
でも私の言っていることくらい「マルクス主義」とは何の関係もないでしょう。
資本主義経済の歴史を少し齧ったくらいなので、断言するつもりないが
アメリカ資本主義の歴史に限ってもかなりその外交政策と連動していると思う。
「市場開放」「内需拡大」「規制緩和」などが強圧的に迫ってきたのはプラザ合意
前後からでしょう。

少し話しそれますが、私自身が一番ムカつくのは宇野派の「方法論的個人主義」
への雪崩打った「転向」で、新古典派やそれに範をとった規範論なんぞ100年前から
の話でいまさら何か?でしかない。
359考える名無しさん:2006/06/12(月) 23:36:46
Jimmyさんって何しにここに来てんの?w
単に「コミュニタリアニズムなんていらない」ってわけじゃなさそうだし。
360考える名無しさん:2006/06/12(月) 23:38:08
>>356
1.マルクスの研究者が必ずしもマルクス主義者でないのは、
宗教学者が常に特定の宗教の信者ではないのと同じだ。
2.青木はマルクスがコミュニタリアンだとは言っていない。
むしろそうした志向の欠落、すなわち唯物史観や弁証法という
進歩史観を批判して、これに宇野のコミュニタリアン的思考を
対置しているのだ。あんたは宇野も青木を読まずに当てずっぽうで
悪罵を投げているに過ぎない。批判には礼儀と節度が必要だ。
3.「グローバル左翼にグローバル資本主義は批判できない」
ということと、「グローバル左翼を批判すればグローバル
資本主義を批判したことになる」ということは、全く位相の
異なるテーゼである。以上。

361考える名無しさん:2006/06/12(月) 23:56:37
>唯物史観や弁証法という
>進歩史観を批判して、これに宇野のコミュニタリアン的思考を
>対置しているのだ

何のために?
362考える名無しさん:2006/06/13(火) 00:08:23
>>361
そんなこと、私にわかるか!
きっと青木氏の趣味、志向なんだろ。
363Jimmy:2006/06/13(火) 00:21:41
>>359
コミュニタがいるかいらないか?
私にはまったく必要ありません。

「生き方」に関して身の丈以上のことを申し上げるつもりはモートーございません。

資本主義の原理的かつ現段階的把握が如何にされるべきか、そうした観点からだけ、
ここにきて物申しているだけです。
364考える名無しさん:2006/06/13(火) 00:31:23
>>362
青木氏の最新の趣味・志向、例えば、
反「反資本主義的コスモポリタニズム」や反「ジョン・レノンのイマジン」、
に、真摯にお付き合いするためには最低「¥4,935 (税込)」の投資が必要です。
しかし「反資本主義的コスモポリタニズム」や「ジョン・レノンのイマジン」は、
そこまでのコストを要求しません。
環境さえ整っていれば無料の動きがあるんです。
最低限知ってもらうために何が何でも投資を要求する、
いかなる「反資本主義的な知」も私は支持いたしません。
365考える名無しさん:2006/06/13(火) 00:39:46
まぁネットで原稿ファイルを公開するくらいしても
バチは当たらんわな。
366考える名無しさん:2006/06/13(火) 00:43:52
>>363
ご回答ありがとうございます。
『宇野派の「方法論的個人主義」への雪崩打った「転向」』
というのは有名な話なんですか?代表的な人物は誰なんでしょう。
ご存知でしたら以後のカキコのついでで構いませんのでご教授頂ければ幸いです。
367Jimmy:2006/06/13(火) 00:56:24
>>366
山口重克、小幡道昭とそのエピゴーネン
368考える名無しさん:2006/06/13(火) 01:04:49
>>367
ありがとうございます。すみません。
宇野派って良く知らないんでググッてみます。
マル経は置塩とかが書いた教科書程度の知識しかないもんで。
369考える名無しさん:2006/06/13(火) 01:30:14
マルクスには資本主義(及びそれに先立つ各段階での経済ー社会的構成)
の法則性を科学的に解明しようとする側面(つまり科学者)と
革命家マルクスという二面がある。
370考える名無しさん:2006/06/13(火) 01:57:31
イデアルな資本主義は必然のマシンであり、個々人は部品に過ぎない。
これが純理論である。

一方、進行する疎外はいつか、生きものである人間の反逆を招かざるを得ない。
しかしそれは、生産力が決定的に増大した段階においてのみ革命として成就する
のである。

これが弁証法的唯物論から見た資本主義の命運である。

371考える名無しさん:2006/06/13(火) 02:07:05
>>370
ん?何か物の本の引用でござるか?
372370:2006/06/13(火) 02:14:52
違いますが。
373考える名無しさん:2006/06/13(火) 02:26:51
>>372
失礼仕った。どうぞ続けて下され。
374考える名無しさん:2006/06/13(火) 02:35:21
■変なおじさん
「志村けんのだいじょうぶだぁ」でもっとも有名と思われるキャラクターであり、
コントである。若い女性が集まる場所に、志村けんが扮する変なおじさんが変装など
して忍び込み、女性にちょっかいを出すのだが、要領が悪いのでバレてしまう。
けつけた田代まさしに女性が「このおじさん変なんです〜」と訴え、田代が
「なんだ君は!」と問い詰めると、居直ったおじさんは「なんだチミはってか!
そうです、私が変なおじさんです」と名乗り(この時、志村と田代がじゃれあったり、
志村が田代の腕をつねったりする場合もある)、「♪変なおじさんだコーリャ
変なおじさん〜」と踊りだす。ときには、研ナオコが変なおばさんとして共演する。
「なんだ君は!」と変なおじさんを問い詰めていた田代の方が、後年、本当の
「変なおじさん」になってしまったことは、ある意味皮肉である。
375考える名無しさん:2006/06/13(火) 08:02:35
>>367
Jimmyさんが、ここに来るのは
コミュニタリアニズムそのものへの関心ではなく
むしろ青木氏のコミュニタが、それを
基礎づけるために、方法論的関係主義を採用し
山口的「方法論的個人主義」を徹底的に
批判してるからでしょ?
リベラルやリバタリアンの社会契約論も
方法論的個人主義ですからね。
376考える名無しさん:2006/06/13(火) 08:17:02
>>370
こういう資本主義観がマルクスのものなら
マルクスは根本的に間違ってるって。
「必然のマシンであり、個々人は部品に過ぎない」なんて
社会有機体説 。ジミーさんの批判する「方法論的個人主義」が
主流の時代に、もうこんなマルクス理解の人なんて
誰もいないでしょう。弁証法的唯物論も、神学的形而上学。
資本主義の自動崩壊の必然性もおかしいが、おまけに
このカキコは人間主義の立場から疎外論をくっつけてる。
50年前でも、こんな幼稚なマルクス理解はなかった。
これはたんなるアラシか。
377考える名無しさん:2006/06/13(火) 09:58:19
>>376
>50年前でも、こんな幼稚なマルクス理解はなかった。
まさか。そこまで言うことはないだろう。
あんたビッグマウスだな。
この50年間、幼稚ではない(大人の?)
マルクス理解をしたつもりのあんたのような人たちが、
いい気になってサボっていたとしか思えない。
何のためにやってたんだろう。こういう人たちは。
趣味のサークル? 暇だねえ。
378考える名無しさん:2006/06/13(火) 10:50:49
>50年前でも、こんな幼稚なマルクス理解はなかった。
>まさか。そこまで言うことはないだろう。

いや本当です。戦後のマルクス主義は、
唯物史観ないし唯物弁証法を頑なに
信奉してきた。これに対して
初期マルクスの人間疎外論を持ち上げる
主体性論=人間主義が登場してきて、
前者の機械的唯物論を批判したのです。
>>370さんのように、一方で生産力の
発展による革命の必然性を主張し、
他方で、人間疎外による体制への反逆を
説く矛盾したマルクス主義を語る者は、
戦後50年間、誰もおりません。
私は唯物弁証法も疎外論も、どちらも
間違ってると思いますが、いずれにせよ
戦後マルクス主義は、このどちらかでした。
379考える名無しさん:2006/06/13(火) 15:32:16
>>375
しっかし、Jimmyさんは、方法論的個人主義批判の一点で
コミュニタリアニズムと共闘するなんて言ってるけど、
方法論的個人主義は、当事者の主観においても
客観的にみても、論者の心情つまりは規範的個人主義と
不可分一体なんじゃないのかねえ?
ロールズらリベラルの社会契約論でもリバタリアンでも
アナマルでも、そのあたりをかなりはっきり表明してるが、
宇野派の山口一派は規範論を隠したまま方法論的個人主義を
説いてるようだ。Jimmyさんも規範的にも個人主義リベラル
批判もしくはそれが嫌いだと表明した方がすっきりするん
じゃないかい?コミュニタリアニズムとの立ち位置も分かり
やすくなる。
380考える名無しさん:2006/06/13(火) 16:42:51
青木孝平って、
マルクス『聖家族』と『ゴータ綱領批判』を、扱って(論じて)いる人?
381考える名無しさん:2006/06/13(火) 17:35:20
>>380
誰かと間違えてるんじゃないの?
そんなの論じてないと思うよ。
マルクスで論じるのはほぼ『資本論』に
尽きるはず、と思う。
382考える名無しさん:2006/06/13(火) 17:45:35
>>364
誰が本を読めといった?
オレは青木の志向なぞ知らん、
と言うただけだ。
ましてや本を買え、なんぞと
一度も言うとらんぞ。曲解。
もし本を読むにしても
まともな大学の図書館や
県立の図書館なら
当然置いてあるだろ。
383考える名無しさん:2006/06/13(火) 19:38:48
>>381
『聖家族』と『ゴータ綱領批判』に、
一貫したもの汲み取り論じたものでなければ、
どんな分厚いマルクス解釈論でも歯抜けであると、
個人的に思っているだけ。
青木氏はどうなのかな?と思って。
384考える名無しさん:2006/06/13(火) 23:55:06
ついでに質問。青木孝平は、
マルクス「ザスーリチへの手紙」はどう評価してるの?
385考える名無しさん:2006/06/13(火) 23:58:43
知らない、か、意図的に無視してんじゃない?
386考える名無しさん:2006/06/14(水) 03:05:44
「ザスーリチへの手紙」は、
マルクスの共同体観、共同所有観を示す資料として興味深いんですよ。
山之内靖と柄谷行人が本の中で言及してます。
(英文ですがネット上でも読めます。)
あと『聖家族』と『ゴータ綱領批判』にも触れているんですね。
もちろん二人は、ここで奨励されている種類の、
コミュニティやコムニタスの論者ではないので、
名前を出しただけで叩かれそうですが。。。
ここにはマルクス系コミュニタリアン(コミュニタリアン系マルクシアン?)
の方が書き込んでいるようなので、
「ザスーリチへの手紙」でのマルクスの共同体観は、
どう見ているのか、気になるところです。
387考える名無しさん:2006/06/14(水) 06:18:30
>>387
青木氏も「ザスーリッチへの手紙」は高く評価しているはずだよ。
ロシアの伝統的ミール共同体が資本主義的に分解しないで
むしろそのまま新たな共同体として再生される。
マルクスの意図はともかく、これは唯物史観ではない
伝統的文化の評価の文脈からも読解可能だから。
388考える名無しさん:2006/06/14(水) 12:32:40
>>387
>青木氏も「ザスーリッチへの手紙」は高く評価しているはずだよ。

「はず」? 正確ではないな。
自分で調べるしかないのカニ。青木派は啓蒙熱心ではないね。
『コミュニタリアニズムへ』で内容に触れてるの? 触れてないの?
ちなみに「ザスーリチへの手紙」は網野善彦の共同体観にも影響を与えているね。
389考える名無しさん:2006/06/14(水) 16:42:21
>>388
アホ木およびアホ木信者は、
論争けしかけるか本の宣伝しかできないから聞いても無駄w
390考える名無しさん:2006/06/14(水) 17:13:36
>>388
「はずだ」を削除。内容に触れてる。
391Jimmy:2006/06/14(水) 18:42:06
>>379

>方法論的個人主義は、当事者の主観においても
客観的にみても、論者の心情つまりは規範的個人主義と
不可分一体なんじゃないのか

「不可分一体」にならざるを得ない理由は何でしょうか?よく分かりません。
対象が「現にこうある」というのと「そうあるべきだ」と全く別の事柄の
様に思っていますが・・・
因みに私自身は「・・・であるべきだ」と言う規範はすべて「嫌い」です。
392考える名無しさん:2006/06/14(水) 19:41:42
ザインとゾルレンを完全に分離するのはカント哲学のお家芸ですね。
宇野理論の理論と実践の分離も、それでよく新カント派の亜流だと
正統派から非難されましたね。
しかし今やイデオロギーと完全に分離された純粋「科学理論」なんぞと
いうものは、自然科学でも誰も信奉者がいません。降旗氏の「科学としての
経済学」論がまったく誰からも相手にもされないのが現実でしょう。
現代の科学哲学では、科学の規範負荷性というのは常識に属します。
たとえば宇野理論を科学哲学として検証したとき、そこに規範性が
全く介在していないといえるでしょうか。社会主義イデオロギーと
まではいわなくても、少なくとも資本主義に対する批判的情熱なくして
あのような資本論研究はあり得ません。まして、Jimmyさんは、批判
されるかもしれませんが、宇野の原理論における物神性の強調は
明らかに資本主義に対する規範論的批判そのものです。宇野流に
いえば、前提を措定するさいの、前提の設定そのものが宇野さんの
規範的精神を表現しています。唯物史観の論証しかり、労働価値説の
論証しかり、資本主義の特殊歴史性しかりです。もっといえば原理論を
形態としての商品から始めるのは、一定の規範的スタンスそのものです。
対象に対する総体的認識は、対象に対する規範的直感なくしてありえま
せん。あらゆるものは疑いうるというのは、マルクスの規範的批判精神
です。
方法論的個人主義に限っても、それを主張する者は濃淡はあれ、
背景に規範的個人主義が前提になっているのです。
古典的社会契約論でも、ロールズ以後のリベラルやリバタリアン
でも、アナマルでも、誰かそうでない人はいますか?
393Jimmy:2006/06/14(水) 21:36:03
>>392
「世界の見方」と言う意味では何らかの先行的な範形を持って対象に
あたるのでしょうけれども、それがすべて規範的というような種類のものなんでしょうか?
例えば市場を分析するときに私は経済主体の個別無政府性(個人とは限らない)
を認めて考察を進めますが、別に人類が何時までもそうあってほしいとかそうあるべきだと
とも思いません。対象がそういう性質を持っているからそれに沿って分析するだけです。
ほかのアプローチもあるでしょう。
資本主義の原理的把握を進める際に「方法論的個人主義」ではミスマッチがあるから
それを退けているだけで、ほかの対象領域でそれが有効なら何も反対しません。
あくまで説明能力として優れていれば採用すればよいことです。

またあとで戻ってきます。これから仕事なんで。
394考える名無しさん:2006/06/15(木) 02:43:33
>>390
どうも。どんな解釈なんだろうな?ますます気になるな。
個人的には「ザスーリチへの手紙」に現れているような、
絶妙なバランスのマルクス自身の共同体観に惹かれております。
そこをうまく汲み取っている共同体論者はいないかなぁ?と思っているわけです。
例えば、青木方式のコミュニタリアニズムは、
リバタリアニズムやアソシエーショニズムとは全く相容れないんですよね?
自分は青木氏も言っているようにマルクス自身は、
ちょうどその間で複眼的な共同体観を持っていたんじゃないかと思ってます。
レイモンド「伽藍とバザール」で言うと、
通常、伽藍方式はコミュニタリアニズムと、
バザール方式はリバタリアニズムやアソシエーショニズムと親和性が高いと思いますが、
「ザスーリチへの手紙」を読むと、そこからは、
「バザール方式コミュニタリアニズム」のような複雑な世界観を思わせます。
395考える名無しさん:2006/06/15(木) 05:46:49
イデアルな資本主義とは抽象モデルであって、これは例えば物象化により
個々人の意識や主体性など排除されるものです。
396考える名無しさん:2006/06/15(木) 05:59:32
経哲草稿では生きた人間が主役ですが、資本論では、そんなものは虫けら
でしかないような「力・装置」としてのブルド−ザーのような「資本」
が主役です。
397考える名無しさん:2006/06/15(木) 07:56:02
>>395-396
物象化は「単なる構造主義」(by浅田)。
主体性を排除したモデルなど、いまや意味なくなりつつあります。
なぜか自己だけは排除しないそういった主張はビョーキとしてクローズアップされつつ
ありますが。
「そんなものは虫けら」というような言い方そのものに病気が表象しているわけです。
自分では何もできない無力さが対象に自己を投影して{「力・装置」のような「資本」}
などの表現に表出します。クールを装ったニューアカでそういう馬鹿さ加減は消失したと
いうのはやはり楽観だったのでしょうか。(ワ
398考える名無しさん:2006/06/15(木) 08:34:22
>>395-396
単独者はどのように主体性を発揮するのか、あるいは社会と関与するのか?というフーコーの根源的
な問いがフーコーは近代に主体性の消滅を指摘した≠ニ誤読されるのと同じです。
その誤読の仕方に病気を見出すのはフーコーの超え方の一つであり、唯一の方法かもしれません。
399考える名無しさん:2006/06/15(木) 08:41:25
>>396
経哲草稿の個でしかないのになぜ類か≠ニいうテーマが、
資本論では労働という具体個別的行為が資本主義という共同社会的なシステムとしての営為に
致るのかの時空間的な過程として論述されているだけです。剰余価値も価値形態論もその過程で生じる
価値の特定の過程的時空間における概念でしかありません。問題は個が類に、個別的現存が共同的存在
として表出する過程のシステムの解明であって、どこにも主体性の喪失や物象化はありません。
400考える名無しさん:2006/06/15(木) 10:03:17
>>395->>399
これまでの議論との関連、流れがつかめないんですけど・・・?
コミュニタリアニズムや方法論的個人主義となんか繋がる話なの?
401考える名無しさん:2006/06/15(木) 10:21:16
「資本論」(マルクス)に関してのことでしょ。
「資本論」への根本的なスタンスの差異が共同体論を左右するから。
個人(主体(性))の定義そのものがあやふやのまま、
自分が自在に語れる用語の範囲内でおしゃべりしても発言者の自己発現以外に
意味は無いから。それではいくら反復しても他者に伝わらないと言うことかな。
402考える名無しさん:2006/06/15(木) 11:05:36
青木孝平とそのエピゴーネンが2chを徘徊していることが、
倫理学のコミュニタリアニズムにマルクス解釈が絡んできたそもそもの原因では。
(だから>>394みたいな質問する奴も出てくる。
青木派はぼやかさないでちゃんと答えろよ。マルクス語るなら。)
コミュニタリアニズムの議論に、加藤・藤原・川本・稲葉、
最近ならデランティに基づく整理などが全く話に出てこないのは何か別の意図、
(NAMや旧新左翼イデオロギー論の代理戦争)を感じる。
実際、上の方で元気が良かったのは青木派ばかりだろう。
403考える名無しさん:2006/06/15(木) 11:46:37
395-399はともかく、
上の方の元気のいい青木派っていうのは、他者との疎通なしに
主張するばかりだから、本物の青木派には迷惑では?
私的にはこのスレを読んで青木への興味が萎えたよ。w
マルクスへの興味はあるけど。
404考える名無しさん:2006/06/15(木) 12:32:38
「本物の青木派」ねえw
あれはあれで本物だったと思いますよ。
別の本物がちゃんと青木説伝導のフォローをしないと。
青木説はまだまだマイナーなんだから、
他者のマルクス論で気に食わない説があるならば、
マルクスのどのテクストの話かを少しは示して主張しないと。
そこを端折るとガキっぽい話になる。
相手が「古い」「非常識」と思い、自分の「新しさ」「常識」を伝えたいなら戦略が必要。
405考える名無しさん:2006/06/15(木) 14:19:35


53 :考える名無しさん :2006/06/03(土) 18:31:28
過去スレです
青木孝平『コミュニタリアニズムへ』 @2ch哲学板
http://www.geocities.com/frafrea/aoki_com_philo.htm

はっきり言って、↑の過去スレの方がはるかに青木派にも
迫力と論争力があったと思う。このスレ読んでるより
過去スレを読み直している方がはるかにおもしろい。
青木派も反青木派も議論がかみ合ってるし、参加してる
人数もここよりずっと多い感じがする。
406考える名無しさん:2006/06/15(木) 16:19:30
過去スレで活躍している青木シンパは、たぶん
スガ秀美が主催してる東大駒場の現代哲学研究会の
学生たちだろう。どうりでなかなか切れ者が多い。
このスレにも紛れてるのかな?
407考える名無しさん:2006/06/15(木) 17:17:04
>>406
その研究会ってブログとかないの?
その頭の良さを2ちゃんでもてあまさずに
ブログで公開すれば未来のコミュニズムは一歩近づくよw
(↓)メイド研究会の方がよっぽど優秀だぜw
http://maidken.hp.infoseek.co.jp/info.htm
408考える名無しさん:2006/06/15(木) 17:47:13
>>394の話で自分も興味をもったのだが、
早く青木派は『ザスーリチへの手紙』に見られる「末期マルクス」の共同体観についての、
青木本での扱いについて述べよ(まんまコピペでもいい)。
今村仁司『マルクス入門』では、
保守でも進歩でもない両義的な共同体像として位置づけられていた。
409考える名無しさん:2006/06/15(木) 18:32:05
あんな高くてデカイ本買う気も読む気もしないわな。
青木も岩波新書出してくれよ。
青木孝平『家族共同体へー資本=ネーション=国家の下で』¥777(税込)
410考える名無しさん:2006/06/15(木) 18:48:32
[「尻馬・勝馬」的つばぜりあいとの関連で重要なのが]
僕の言葉では「統合シンボル問題」ね。どんな社会でも、経済がうまく回っていること自体が統合シンボルになる。
逆に経済がポシャると統合シンボルが問題になる。だから90年代に「新しい歴史教科書をつくる会」が生まれた。
この問題に小泉改革による過剰流動化──昨今のホリエモン問題に象徴される──が拍車をかけ、
教育基本法の愛国心問題へと繋がる。
「つくる会」の如き連中を単に批判しても駄目で、統合シンボルの代替物をどう作るかが重要。
米国や欧州では統合シンボルについての明確な理解がある。「プラットフォーム」ということ。
最近翻訳されたロバート・パットナムの『孤独なボーリング』という素晴らしい本があるけど。
フランスならレジスタンス史に象徴される「連帯」がプラットフォーム。
デモやストや暴動は、政治要求であると同時に、要求行動の土台たるプラットフォームの保全行動。
米国ならプラットフォームは「社会関係資本」つまり結社リソース。
パットナムは一人でボーリングする人が増えたとのデータを基に「社会関係資本の減少」を説くけど、
ボーリングが減った分を別のサークルやボランティアやNPOが代替したとする批判が続出。
この批判自体がまさに米国の結社主義を示すんだな。
「個人が埋め込まれた社会性」を強調する欧州流の共同体主義と違い、
結社主義は「個人が選び取る社会性」。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=363
411考える名無しさん:2006/06/15(木) 20:40:19
↑スレ違い。結社主義=アソシエーショニズム。
宮台アソシエ・スレでも立てたらw
412考える名無しさん:2006/06/15(木) 20:55:08
>>411
悪ぃけど、もうちっと柔軟に考えてよ。まぁもちつけ。
宮台がパットナムに触れてたから。パットナムはコミュニタリアンなんだ。
ここで言われてる、
「統合シンボル」「連帯」「社会関係資本」「結社リソース」
「要求行動の土台たるプラットフォームの保全行動」「個人が埋め込まれた社会性」
「欧州流の共同体主義」という言葉を、
宮台は「結社主義(アソシエーショニズム)=個人が選び取る社会性」
の対概念として使っていることに注目せよ。
コミュニタリアニズムが守るべき「伝統」についての話なんだ。
413考える名無しさん:2006/06/15(木) 21:13:12
宮台は廣松渉の東アジア共同体(=大東亜共栄圏、=AU?)
の構想を受け継ぐ「真性コミュニタリアン=保守主義者=右翼」だよな。
414考える名無しさん:2006/06/15(木) 21:18:42
>>411
条件反射レス乙w
これでも嫁、アホ木派アホコミュニタリアン!
http://www.bund.org/opinion/1081-2.htm
415考える名無しさん:2006/06/15(木) 21:33:07
だから俺は言ったんだよ。
浅田彰が福本和夫のリニューアルバージョン、
宮台真司は三木清のリニューアルバージョンなんだ。
1930年代の反復なんだよ。
416考える名無しさん:2006/06/16(金) 04:40:53
なんで結社主義と共同体主義を対立させなきゃならないのか。
ソーシャル・キャピタル論として両義的に考えられないのか。
『ソーシャル・キャピタル』(宮川・大守編著、東洋経済)に入ってる、
アスレイナーの「知識社会における信頼」論文は面白いですよ。
「経済的成果の達成→信頼度の上昇→市民参加増加(ボランティア、寄付金増)」というもの。
マクロ的にもミクロ的にも経済状況の改善がソーシャル・キャピタルの核といえる「信頼」をもたらす、
という因果関係で、その逆ではない。「場」や「生活圏」は関係ない。
417考える名無しさん:2006/06/16(金) 07:15:23
ついこの前の初台ICCでのトークライブで浅田と宮台が対談したけど
宮台は「孤独なボーリング」を挙げつつ、プラットフォームが
ヨーロッパにもアメリカにも存在するが、日本はそれを欠いている
いるがゆえに、先端実験国家的にポストモダン再帰性を実践せざるを
得ないと述べていた。浅田はギデンズ的な再帰的近代化論と重ね合わせて
異論はなさそうだった。この2人に共通なのは、かつての共同体、歴史的
地縁的共同体はもう日本には残存しない、残存したとしても、それに回帰
することは不可能、という現状認識という印象を持った。
418考える名無しさん:2006/06/16(金) 09:34:45
また実験国家=再帰的近代化としての結社主義か?
まだポストモダンの言葉遊びをしてるのか、こいつらは。
共同体への回帰はもはや不可能だって?そしたら
日本は消滅すればよいだけの話ではないか?
寺山じゃないけど「身捨つるほどの祖国はありや」だよ。
神武以来の万世一系の天皇という幻想に殉じること、
これが日本人の幻視の共同体だ。共同体は保守の魂にある。
419考える名無しさん:2006/06/16(金) 10:03:58
>>416
そりゃあ結社主義と共同体主義は対立するでしょう。
結社というのは個人の自由意志で作られ入退自由
それこそリベラルどころかリバタリアンも認める
社会契約論の世界。共同体っていうのは個人が
つくるのではなく、逆に自我が構成される伝統
文化の関係性。個人の意思を超えた、文字通り
「場」であり「生活圏」。社会資本なんて関係
ないよ。
420考える名無しさん:2006/06/16(金) 10:25:50
>かつての共同体、歴史的
>地縁的共同体はもう日本には残存しない、残存したとしても、それに回帰
>することは不可能、という現状認識という印象を持った。

三島由紀夫さん、やっぱり日本はあなたのいうとおりになりました。
421考える名無しさん:2006/06/16(金) 10:38:56
三島は独善的でからね。
422考える名無しさん:2006/06/16(金) 10:42:18
福田和也もなあ
423考える名無しさん:2006/06/16(金) 14:38:37
>>418
ポストモダンの本義も保守の本義もまったく理解していない台詞だな。
>>419
対立しないという見方もある。
対立させたがってる人がいるだけ。
>>420
三島に自己投影して何かを批判し憂国オナニーに耽るアホの典型。
424考える名無しさん:2006/06/16(金) 14:55:09
バカほど単純な白黒二元論に仕立てたがる
見本みたいなもんだな。
425考える名無しさん:2006/06/16(金) 17:03:57
ホント「バカの壁」としか言えん。壁作り屋乙。
保守の魂も伝統文化の関係性も「言葉遊び」だという事に気づけよ。
三島も「あえて」。宮台も「あえて」。廣松も「あえて」。
三木も「あえて」。ハイデガーも「あえて」。
で、問題はそれで世界に「信頼」がもたらされる(た)のか?
あまり期待しない方がいいと思う。(浅田は分かってると思うけど。)
コミュニタリアンもアソシエーショニストも、アスレイナーや山岸俊男を参照すべし。
行き着くところは「社会関係資本論」であって「信頼」の条件の探求。
(その意味では、中野剛充は頭の良いコミュニタリアンだ。)
426考える名無しさん:2006/06/16(金) 23:34:29
信頼は実物支給で醸造するんだよね
大切なのは現実に何をしてくれるかとゆーことでしょ
427考える名無しさん:2006/06/17(土) 03:04:24
アクチュアリティの無い他人の使い古しの「言葉」のパッチワークで、
火事場泥棒的振る舞いをするより、
「社会関係資本論」のような哲学込みの実証研究に期待したい。
意外とマルクス的かもしれない。
今日の状況はある意味「末期マルクス」の時代(1880年代)と似ている。
経済の無政府性と下流社会化のなかで、
ある種の社会性をいかに意識的に組織していくという模索の時代。
120年前にもアソシエーショニストや、社民主義者がいた。
その中でマルクスは最新の経済理論の批判的摂取をしながら、
「つくりだされるべき理想的状態ではなく、
現在の矛盾を乗り越えていく現実的運動」と言いながら、
臨機応変に現実を見きわめ介入していった。

中身はともかく柄谷行人は不況のどん底だったマルクス業界の
底上げには貢献しましたねw
岩波書店が暖簾の中に入れたぐらいだから、
戦に負けて恐慌に勝ったんですよ。
青木さんも悔しかったら今度はPHP新書でも光文社新書でもいいから、
新書書いてみて欲しいものです。マジで。
読みますよ私(もちろんまずは立ち読みだけど)。
428考える名無しさん:2006/06/17(土) 10:16:59
「マルクスの使いみち」(稲葉 振一郎ほか)はどうですか?
私はマルクス業界を概観するのに参考になりました。
貨幣・通貨に関するような新古典派からマネタリストまで含む根本的な
問題にはノータッチですけどね。いまどきそれでは新味も説得力もないですが。
429考える名無しさん:2006/06/17(土) 12:22:17
>>428
巻末の赤い注冊子がまさに「使いみち」ですね。
あと、リベラル・リバタリアン・コミュニタリアン論争に巻き込まれがちな
ユーティリタリアン(ピーター・シンガーetc)を冷静に拾い上げる観点が良かったと思います。
やはり、
@「帰結主義(責任倫理)―動機主義(心情倫理)」
A「効用主義―非効用主義」
B「個人主義―共同体主義」
の三層構造ぐらいで見ないと面白くない気がします。
その中で、マルクスを別に「サヨク」の統合シンボルにする必要はもう無くて、
120年前にいろんな思潮にちょっかいを出して中途半端に死んじゃった、
「文学部哲学科出身の元新聞政治記者の経済学通の変なおじさん」ぐらいで構わないんだと思う。
ドサヨクもドウヨクもマルクスの前からいたんだから。
それぐらいのスタンスで読んだ方が豊かなものを見落とさずにすむと思います。
430考える名無しさん:2006/06/17(土) 17:35:00
青木派がおとなしくなったのは何故?
おーい生きてるかー?
431考える名無しさん:2006/06/17(土) 20:09:07
>>429
確かに結構使える本ですよね。
3者のかみ合ってないところがよかった。
あれだけかみ合わずに1冊の本に仕上げて、
それなりに仕上がってるのが面白かったです。
注釈の赤い冊子は便利でいいですね。
432考える名無しさん:2006/06/18(日) 03:10:17
お勉強して優等生的な立ち位置を取る社会学なひとたちが混じると場が白けるよ。
これなら青木の話のほうがいいね。
433因縁 ◆INNEN8sGug :2006/06/18(日) 03:17:45

434考える名無しさん:2006/06/18(日) 03:25:36
>>416
チャールズ・テイラーの本を読んでると
どうも対立してしまうんじゃないかと(少なくともテイラーの頭の中では)
思ってしまう。
435考える名無しさん:2006/06/18(日) 09:24:35
>チャールズ・テイラーの本を読んでると
>どうも対立してしまうんじゃないかと

逆だと思うが。
436考える名無しさん:2006/06/18(日) 10:35:20
>>432
青木の話にしないと出番が無い人がいるからね。
437考える名無しさん:2006/06/18(日) 13:07:18
>>435
俺は『ほんものという倫理』を読んでそう思ったんだが
あなたも同じのを読んでそう考えてるの?
438考える名無しさん:2006/06/18(日) 13:56:32
>>437
ほとんど全部。
439考える名無しさん:2006/06/18(日) 14:53:35
古典古代回帰派・・・サンデル、マッキンタイア
   「共通善」の実現(一元的)
市民的共和主義派・・・ティラー、ウォルツァー
   正義・権利の多元性、差異の政治
440考える名無しさん:2006/06/18(日) 14:55:39
じゃあ第十章に出てくる
「〔市民〕団体」だとか「小集団」は結社の範疇には入らないの?

テイラーはこういうものが断片化を引き起こして民主的プログラムを実行するのを
難しくさせるから問題だといって、地域コミュニティが機能する連邦制を主張している。

という理解でいいのか?

更に聞きたいんだけど、結社と共同体=コミュニティって英語の文脈では同様のものなのかな・・


441考える名無しさん:2006/06/18(日) 15:32:36
そもそも「結社主義」(associationism)なる
珍奇なものはリベラリズムにもコミュニタリアニズムにも
無縁な代物だと思うんだけど。どっから出てきたんだ?
442考える名無しさん:2006/06/18(日) 16:38:53
アソシエーショニズムは、もともとはリバタリアンが自由意志の任意団体
として最小国家の導出過程で構想したものだろう。
それをロックやルソーの社会契約論に引き寄せて、
分析的マルクス主義者や田畑稔がマルクスの文脈の中に強引に読み込んだ。
それに市民社会派マルクス主義(平田系の弟子筋)の連中が飛びついた。
さらに柄谷が、まったく逆の宇野理論の立場なのに、何をとち狂ったか、
ひっかかった。それで宇野学派の青木孝平が、宇野的価値形態論理解からは
どう転んでも「個人的所有者のアソシエーション」は出てこないと、柄谷に
噛み付いた。それでマルクス=宇野=コミュニタリアニズムという一連の
流れが出来上がった。久しぶりにコミュニタリアニズムの青木が復活したね。
443考える名無しさん:2006/06/19(月) 10:15:11
自然史過程的な生成を経てきた国家(含む民族)に対して、市民社会は職能集団を以て対峙する
という「資本論」からすれば、自然的共同体に対して人為的(意識的)共同体を対置してるわけで、
後者共同体がアソーシエイションであるのは確か。
するとリバタリアンのアソーシエイションとマルクスのアソーシエイションは違うでしょ。
ましてや青木の示唆する共同体が家族だという誰かさんの過去ログの真意がわからん。?
444考える名無しさん:2006/06/19(月) 10:20:15
>>442
柄谷はマルクス全体をカントに戻って系譜学的に論じてるわけで、
別に宇野や鈴木や岩田の学問的代理人ではない。
もちろん資本論の先行研究として参照はしても、
あくまでもマルクス経済学や宇野派には批判的に言及している。
445考える名無しさん:2006/06/19(月) 11:38:16
>>443
そうじゃないだろう。市民社会派的な小商品生産者社会を起点として
その階級分解から資本主義を説く立場からすれば、未来社会の弁証法は、
生産手段の共同占有にもとづく個人的所有の再建とそのアソシエーションという
図式が成り立つ。しかしマルクスが他方で強調したように、商品経済は
共同体と共同体の間で始まるという視点を貫けば、商品に固有の
生産過程は存在せず、価値形態=流通形態論の純化が可能になる。
そうした資本の流通過程は、労働力の商品化を介して、
あくまで外部から表皮的に生産過程を包摂するだけであり
未来の共同体は、流通形態の廃棄によって可能になる。
そこに自立した個人の社会契約のようなアソシエーションの誕生する
余地はない。それはあくまでも関係の共同性に貫かれたコミュニティ
であるはずだ。
446考える名無しさん:2006/06/19(月) 11:59:27
>>444
分からん人だねえ?
商品を共同体の外部に求め、価値形態論を認め、売り手に対する
買い手の優位を説くこと自体が、マルクスを批判する宇野派の
代理人だと言うことになるんだよ。そういう共同体に対する
市場の外部性を説く柄谷が、未来に単独者のアソシエーションを
説くことが、そもそも論理矛盾だと言ってるんだ。「宇野派に
批判的に言及して」どうしてもアソシエーションを主張したいなら、
ロック=スミス=カントの自然法思想に従い、商品は共同体内分業
から自然発生し、人間は労働価値に基づいて商品を所有する、
といえばよい。そうすれば資本主義の未来に、労働=所有すなわち
柄谷のいう生産者=消費者である自立した個人のアソシエーション
が、すっきり説明できる。今の柄谷では「代理人」のままだよ。
447考える名無しさん:2006/06/19(月) 12:55:23
>>446
すまん。仰るとおり全然分からんw
あなたは>>442で、
「ロック=ルソー≠マルクス=宇野=コミュニタリアニズム」だと言う。
「ロック=ルソー=マルクス=宇野=アソシエーショニズム」は矛盾だと。
自分は>>444で柄谷の場合は、
「カント=マルクス≠宇野≠アソシエーショニズム」だと言った。
・・・・・・これは矛盾してるのか?
今度はあなたは>>446で、
「ロック=スミス=カント≠マルクス≠宇野=アソシエーショニズム」が矛盾だと言う。
そりゃ矛盾だろうな。ムチャクチャだもの。
448考える名無しさん:2006/06/19(月) 13:05:07
>>447
常識的な哲学のテキストでは、カントは広義の社会契約説に
含まれます。そのかぎりで、ロックやルソーの延長上に位置づけて
問題ないと思われます。またスミスは経済学者であるとともに
社会契約の自然法学者です。このことは、コミュニタリアンの
サンデルがロールズの社会契約論を指して、カント的な
「負荷なき自我」だ、と批判したことからも明らかでしょう。
449考える名無しさん:2006/06/19(月) 13:08:59
お前らさ、ロックとかルソーとかカントとかロールズとか一次文献ちゃんと読んでるの?
450考える名無しさん:2006/06/19(月) 14:39:13
>>449
自分はつまみ食い的に検証している程度。(俺は447の方ね。)
一次文献ちゃんと読んでから物言えなんてのは、
ブロッホの言う「原点フェティシズム」だ。そんなの「必要に応じて」ですよ。
あと、上の方でマルクス『ザスーリチへの手紙』に拘ってるのは自分。
マルクスとコミュニタリアニズムの接点(?)に興味があるのは、
青木的な「反アソシエーショニズム」的関心からではなく、
『ザスーリチへの手紙』に言及する今村・山之内・柄谷・網野の本を読み、
末期マルクスの共同体観の両義性
(資本論後においてなお残る、初期マルクスの残滓)に関心を持つ人に
関心があるから。
コミュニタリアンでは、テイラーに興味がある。
ロックよりもモンテスキュー、ヘーゲルよりもトックヴィルに重点を置いて、
結社主義はそのままでは資本主義のブレーキにはならないから、
共和主義でバランスを取ろうというもの。もちろん結社の否定ではない。
フランス社会主義型よりアメリカ共和主義型ってだけ。
451考える名無しさん:2006/06/19(月) 15:21:42
>>446
「小商品生産者社会を起点」という論理も
「商品経済は共同体と共同体の間で始まるという視点」も
その論理から帰結する結論を是とするために予め用意されてるだけみたいですね。
マルクスの思想中の「資本論」の位置づけが捨象されてる..というより読めていないかな。
その理由を考えるほうが面白そう。

>>450
「末期マルクスの共同体観の両義性
(資本論後においてなお残る、初期マルクスの残滓)に関心を持つ人に
関心があるから」
ワタシに関心あるわけ?
452考える名無しさん:2006/06/19(月) 15:31:11
ところでコミュニタリアニズムの主張に
レヴィ=ストロースや親族の構造が援用される向きがあるようですが、
その理由がよくわからないです。部族毎に構造もなにも違うとより、
共通構造そのものが無いので、それで理論的に説得力を持たせようとした
グローバリストがイラク攻撃するより暴力的な気が。
453考える名無しさん:2006/06/19(月) 15:45:10
>>452脱字多し
「違うとより」→「違うというより」
説得力を持たせようとした→説得力を持たせようとしたら
「ら」が抜けてました。

ワタシは言語障害気味かも。ごめんなさい W
454考える名無しさん:2006/06/19(月) 15:50:17
>>451
>「関心を持つ人に関心があるから」
>ワタシに関心あるわけ?
すまんw言い方が悪かった。
ワタシは『ザスーリチ書簡』を本で取り上げてるような人
(コミュニタリアンじゃなくても)に、今関心があると言うこと。
理由はコミュニティ論として面白いから。
所謂マルクシズムはナロードニキと対立したけど、
マルクス自身は違うこと考えてたんじゃないかな〜と思ってて。
「農村共同体保守的結社主義者」というか、
コミュニタリアンとアソシエーショニストの折衷の方向ではないかな〜と。
実際、晩年は歴史人類学(民族学)のノート書いてるし、
網野善彦的な自治集団(アジール)のようなコミュニティ論を構想していたとしても
不思議ではない。
保守すべきものと革新すべきものを両方考えていたはず。
455考える名無しさん:2006/06/19(月) 15:51:23
>>451
資本論の商品論を単純商品生産とする理解から
旧来の労働価値説は導き出された。
これに対して宇野は商品論から価値実体を消去し
価値形態論の再構成を図った。柄谷の商品に対する
貨幣の優位は、宇野が始めて明らかにした価値尺度
論の成果。一部にはノーベル賞級といわれる。
 それから「単純商品生産社会」起点説は
いわゆる唯物史観に即し生産力の発展から資本主義を
位置づける論理。これに対して「共同体の間」説は
資本主義を生産過程に外的な流通形態の展開から
位置づける論理。すなわち資本主義の何を批判するか
というマルクス主義の根幹にかかわる論点だ。
いうまでもなく前者は階級社会批判であり、
後者は市場社会批判に力点が置かれることになる。

>>450
なお、蛇足ながら青木氏は網野の主催する世間学会の
有力メンバーであり、網野共同体論から大きな啓発を
受けている。青木がアソシエーションを批判しつつも
ヘーゲル流の有機体的共同体観を前面否定し、広松的な
関係性としての共同体にこだわるのは、そのせいだろう。
456考える名無しさん:2006/06/19(月) 17:20:31
>>452
青木本がレヴィ=ストロースを援用するのは、
エンゲルスの無規律性交に始まる家族の進化学説を
批判する文脈ですよ。族内婚の批判に「女性の交換」の
例を教科書的に使ってるだけです。したがってあなたの
心配は誤解です。むしろ市場=リベラリズムの普遍的構造に
対して共同体=コミュニティはそれぞれ多様で多元的だと
理解しているはずです。

>>454
青木本も、マルクスの晩年の民族学ノートを非常に重視しています。
457考える名無しさん:2006/06/19(月) 17:35:27
>>455
ワタシにもわかるほどの鮮やかな説明アリガトウゴザイマス。宇野理論の特徴が簡明に書きとめられてますね。
正統派の講義を受けた身でいうと平田や水田の市民派マルは発展史観や階級形成上の1コマ(に過ぎない)。
市場社会批判は、予め流通形態が除外棚上げされますが、すると第3次産業以降が総生産の過半数を
占めるG8には無効なんですよ。宇野系の人が生態学とか複雑系とかへ散種しちゃった理由は
その辺なのかな。
「商品に対する貨幣の優位」の事由は貨幣における価値の抽象度に依存するという見解?

>ヘーゲル流の有機体的共同体観を前面否定し、広松的な
>関係性としての共同体にこだわる
広松センセは静態的な構造分析が緻密かもしれないけど、生成のダイナミズムが抜けてる?
柄谷・浅田(というよりDGの)みたいにエイディプス△論を援用した方が説得力がある気がしますが。共同体論は精神分析が本領発揮じゃないかな。
458考える名無しさん:2006/06/19(月) 17:41:05
>>454
>「農村共同体保守的結社主義者」というか、
そりゃマフノみたいな人?
トロツキーにやられるまで天下だったらしいですね。

アジール論は阿部勤也センセに習いました。
網野善彦の無縁の関係とか公界とか、阿部勤也の概念なんですけどね、もともと。
阿部センセイは自己主張しないからなあ。古ゲルマン語読める人は世界に2名。1名は阿部センセイ
なのに、全然自慢しないんだもん。

>>456
了解
459考える名無しさん:2006/06/19(月) 19:15:43
>青木氏は網野の主催する世間学会の
>メンバーであり、網野共同体論から大きな啓発を
>受けている。青木がアソシエーションを批判しつつも
>ヘーゲル流の有機体的共同体観を全面否定し、広松的な
>関係性としての共同体にこだわるのは、そのせいだろう。

なるほど、そう言われれば網野先生の影響があるかもしれない。
伝統擁護的な保守性と異文化理解の革新性の共存はそのラインと
いえなくもない。
しかし宇野、広松に網野や構造主義がうまくマッチするかねえ?
青木のコミュニタは、よく言えばマルチカルチュラル、
わるく言えば何でもありで、批判は鋭いがポジティブな
ものがなんかでてくるのかねえ?
460考える名無しさん:2006/06/20(火) 01:17:34
このスレでは宇野理論のことが色々言われてるけれど、
対馬斉の柄谷への影響はどうなの?
461Jimmy:2006/06/20(火) 02:12:31
あのゥ、イヤそのまなんツーか・・・
組み合わせ理論のラレツのような。
引用と即興ツーのもありなんだが。それならソニー・ロリンズを聴け。

ナニ言ってんだか支離滅裂だよね。ニヤリ
462考える名無しさん:2006/06/20(火) 02:51:30
なんか何でもいいから青木に落としたい!みたいな。
必死すぎやしないか?w
463454:2006/06/20(火) 03:03:48
>>458
そうそう「ヴ・ナロード」ですよw
難しいことは良く分かりませんが、
もう「人民主義」でまとめちゃえよと。
ザスーリチ萌え〜
(何かナウシカみたいなんだよね。マルクスがユパ様)
464考える名無しさん:2006/06/20(火) 11:16:40
対馬斉って誰ですか?
対馬忠行だったら知ってるんだが、
465考える名無しさん:2006/06/20(火) 11:21:43
466考える名無しさん:2006/06/20(火) 11:28:02
青木孝平よりは有名だったでしょ。
467考える名無しさん:2006/06/20(火) 11:31:18
>>465
電波のレヴューをコピペすんなよw
一冊しか出してない人ですけどいい本ですよ。
468考える名無しさん:2006/06/20(火) 11:33:18
>>467
電波以外が書いた、ちゃんとした情報・評論がないんだよねw
鎌田哲哉は何か書いてるのかね?
469考える名無しさん:2006/06/20(火) 11:44:11
>>461
オレならキャノンボール。ホントはフレディ・ハーバードがええ。スマソ
470考える名無しさん:2006/06/20(火) 12:53:59
http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/jinbun/tanpin/3542.htm
この人の「受苦者」視点は山之内靖の初期マルクス再興論(広松と対立)
より早かったかもしれん。『聖家族』に注目しているところも。
471age:2006/06/20(火) 13:05:02
>>470
この時代になって、ようやく理解されそう。
今の格差問題にはマルクス的視点が欠けている。
472考える名無しさん:2006/06/20(火) 13:23:24
柄やんより13歳上で、五月祭賞評論部門では2年連続('66,'67)で
両者とも佳作だったんだよね。
久野収に「両者とも吉本っぽい」とかなんとか言われて。
473考える名無しさん:2006/06/20(火) 13:31:00
当時はみんな吉本や小林秀雄の影響下で書いていたんだろうね
474考える名無しさん:2006/06/20(火) 13:41:55
吉本の最近出した『カール・マルクス』ってどうなの?
未読なんですが。
475考える名無しさん:2006/06/20(火) 13:54:42
「吉本に今更マルクス語られてもなぁ。
吉本かぶれのイタイおじさんたちは今まで何をやってきたんだって言いたいよ。
・・・しかも光文社文庫って」とか思ったっきりスルーw
476考える名無しさん:2006/06/20(火) 14:22:02
吉本は渋谷陽一・糸井重里的な
文化左翼ギョーカイしか生まなかった。
小林は「アハ」だか「イヒ」だか戯言言う
NHK的趣味人しか生まなかった。
477考える名無しさん:2006/06/20(火) 15:20:31
青木本はハンナ・アレントには触れてないんですか?
478考える名無しさん:2006/06/20(火) 16:00:21
>>477
もち触れてる、というより、アーレントは
青木の重要な種本のひとつだろ。
今さら、当たり前のこと聞かないで。
479考える名無しさん:2006/06/20(火) 16:49:25
いくらなんでも小林と吉本を並べるなよ。
まるで青木と柄谷を並べるようなもんだ、ん〜?
480考える名無しさん:2006/06/20(火) 17:30:38
どっちがどっち?
柄谷は小林に自己投影してるよね絶対。
「歴史と反復」とか言いつつ。あれが嫌。
481考える名無しさん:2006/06/20(火) 19:44:12
>>478
ハンナ・アレントが当たり前に読まれていても、
青木孝平が当たり前に読まれているとは思わないで。
482考える名無しさん:2006/06/20(火) 23:33:36

コミュニタリアニズムって要するにこういうことだろ?
ttp://www.warewaredan.com/cat1/



共同体を越えた共同体=ファシズムこそコミュニタリアニズム
483考える名無しさん:2006/06/21(水) 18:08:04
↑何にも知らないオバカさんね、だめよ、いたずら書きしたら〜メ!
484考える名無しさん:2006/06/21(水) 18:46:12
民族主義に関するホームページを作りました。

http://www008.upp.so-net.ne.jp/nation3/

民族主義的思想を広める目的で作られたサイトです。
よって、民族主義に関連した論文を掲載してあります。
民族主義とは言うものの、社会主義的な主張もあるので、
民族社会主義という表現が妥当かもしれません。
是非見に来て下さい。
485考える名無しさん:2006/06/21(水) 21:57:18
>>484
チカチカして読みづらいです。
486儒家:2006/06/21(水) 23:53:26
>>484
法家乙。
487考える名無しさん:2006/06/22(木) 04:20:21
セルジオ越後をブラジル戦に起用ってのはどう?
コミュニタリアン的に
488考える名無しさん:2006/06/22(木) 09:56:58
意味不明。
でもコミュニタリアニズムという言葉は
このスレのせいかどうか知らないけど
完全に社会的認知を受けたね。
もう専門用語じゃなくフツーに
使われてる感じ。みんなグローバルに
飽き飽きして、こじんまりした
古里に落ち着きたいんだろうな。
489考える名無しさん:2006/06/22(木) 13:38:29
>柄谷の商品に対する
>貨幣の優位は、宇野が始めて明らかにした価値尺度
>論の成果。一部にはノーベル賞級といわれる。

上の方にあるこれが気になる。求む詳細。
490考える名無しさん:2006/06/22(木) 16:06:02
簡単にいえば、マルクスは抽象的人間労働(価値実体)を前提に、
価値形態論を展開したために、左辺(相対的価値形態であるリンネル)と
右辺(等価形態である上着)の関係を、両辺の投下労働の等値として展開した。
そのため「簡単な価値形態」から「拡大された価値形態」を説いた後、
左辺と右辺を逆転させて、一般的価値形態すなわち貨幣形態が成立するものとした。
これは「交換過程」において二つの商品の物々交換の不便から貨幣を導き出すに等しい。
すなわちマルクスにおいては相対的価値形態の商品(リンネル)が貨幣になることになる。
これに対して宇野は、商品論から労働生産過程を外して、価値論をひとまず価値形態論に
純化し、相対的価値形態の商品の価値を等価形態の商品の使用価値によって表現するものと
みなした。言い換えれば価値形態論を左辺から右辺への一方的価値表示関係として
理解して、マルクス的な相互の逆転の論理を封殺した。それゆえ相対的価値形態にたつ
複数の商品の価値表示が単一の商品(一般的等価形態)に収斂してゆく過程によって
貨幣の必然性を説いた。これによって左辺の商品と右辺の貨幣の労働による相互交換性という
マルクス的論理は全面否定され、商品交換はゆいいつ貨幣による商品の購買としてのみ
実現されることが明確にされた。これが商品(売り手)に対する貨幣(買手)の優位論。
したがって商品の価値は労働で計られず、貨幣によってのみ尺度されることになる。


491考える名無しさん:2006/06/22(木) 16:23:14
<ライオン>が<動物>に飛翔するやつ、ね?
492考える名無しさん:2006/06/22(木) 16:33:04
付け加えれば、宇野はリンネル(相対的価値形態)から上着(等価形態)への
一方的価値表現をいうために、リンネルの側に所有者という人間を導入し、
リンネル商品所有者の上着の使用価値に対する欲望を価値形態論の展開の
動力とみなした。このことが青木氏には気に入らなかったらしい。あらかじめ
人間の欲望を前提として商品経済的関係を展開するのは、論理の逆立ちではないか。
そのような自由な近代的個人の価値表現すなわち意思表示によって、人間が
商品経済的関係に入るという想定は、ロック、ロールズ、ノージック流の
社会契約説と基本的に同じことになるのではないか?という疑問だ。むしろ
逆に資本主義の商品経済という物象的関係が、イデオロギーとしての自由な近代的
個人を作り出していくのではないか。それで青木氏は、商品論から労働主体とともに
商品の所有主体をも消去して、相対的価値形態から等価形態への一方的ベクトル関係
としてのみ価値形態論を設定し、商品所有者が価値表現するのではなく、反対に
価値形態論の展開によって所有主体という「人間」のイデオロギー的構成過程を
明らかにした。これは宇野価値形態論の発展か、それとも後退か、議論の分かれる
ところだ。しかしコミュニタリアンによるリベラルの超越的主体批判の応用である
とはいえるだろう。
493考える名無しさん:2006/06/23(金) 07:42:20
マルクス→宇野→青木の価値形態論の違いか〜〜なかなか頭がついていけん〜〜
しかしマルクスをコミュニタリアニズムとして読む、ってのは大仕事だなあ〜〜
494考える名無しさん:2006/06/23(金) 12:29:07
青木孝平が正しいとしても、
この考えは極めて個人に息が詰まる思いをさせるものであると感じるのは私だけ?
これは結局、所与の貨幣・言語・法の下で、
それらを道徳の根拠として、むしろ守るようにして生きよということですか?
霞ヶ関官僚には都合が良さそうですね。
495考える名無しさん:2006/06/23(金) 13:24:03
>霞ヶ関官僚には都合が良さそうですね。
少しズレますが昔?から宇野派=官製マルクス学的なニュアンスは拭えないかも。
文部省のカネでエウロパ行ったりしてますからねえ。
496考える名無しさん:2006/06/23(金) 13:28:14
団塊の世代、全共闘世代のずるずるべったりな実感信仰、
「生活者」とか「家族」とか言えば自己正当化できるというところに、
ただ戻ってしまうという構造があるような気がする。
柄谷が『内省と遡行』以来切断して来たものって、
そういう欺瞞的な自己撞着でしょう。
<共同体>や<友愛>って、私的な道徳の根拠にも公的な道徳の根拠にもなる。
方法論的個人主義を採るのは、
異なる共同体や友愛の間の倫理を考えるためには、
仕方がないのでは?
497考える名無しさん:2006/06/23(金) 13:51:29
>>494
ちょっと違うんではないでしょうか?
むしろ>>492さんは、青木さんの事実認識として近代的個人が貨幣
すなわち市場連関によって構成されているという存在の負荷性を
説いているだけで、それを「守るようにして生きよ」という当為を
語っていないし、むしろ当為(べき論)を語るとしたら、全く逆に
市場連関から人間は開放されるべきだと言うのではないでしょうか?
少なくとも貨幣によって造られた人間、あるいはその「道徳の根拠」は
異常だ。むしろそうした道徳の根拠そのものを批判する経済学批判=
社会哲学がコミュニタリアニズムなのではないのですか?
498考える名無しさん:2006/06/23(金) 14:09:03
>方法論的個人主義を採るのは、
>異なる共同体や友愛の間の倫理を考えるためには、
>仕方がないのでは?

必要なのは、異なる共同体の間の倫理ではなく、
共同体そのものの多様性・多層性を認め合う
マルチカルチュラルな倫理ではないでしょうか?
そうした重層的な共同体の倫理の承認は、
方法論的個人主義からは出てこないと思います。
むしろ方法論的関係主義=構造主義こそ必要であり、
たぶん青木氏はそのために、宇野の流通形態=形式
理論を広松の「関係の第一次性」で解釈し直そうと
したのだと思うのですが・・・。

499考える名無しさん:2006/06/23(金) 14:20:24
青木信者は青木以外の本は読んでる?
リベラリズムがどうこう言ってるわりに井上達夫もまともに読んだことないでしょ?
500考える名無しさん:2006/06/23(金) 14:40:47
一銭も持たず裸族のホームレスとして、
野草や野良猫や野鳥を食べて放浪しつつ、
たまに地元のゴミ拾いでもして、
お礼におにぎりでも恵んで貰いながら
生き延びることが倫理的で立派だと言うこと。
まず青木、お前がやれ。
誰も邪魔はしない。
お望み通り棲み分けてしてやる。
501考える名無しさん:2006/06/23(金) 15:39:01
502考える名無しさん:2006/06/23(金) 15:58:33
なにかカンチ君が多そうだな。
だから今はsollenの話じゃないちゅうに。
みんな井上くらい読んでますよ。
ただあの優等生的な価値相対主義そのものを
逆手にとって普遍として押し出す啓蒙がうそ臭い。
天皇制論もフェミニズムも戦争責任もイラク反戦も。
オレは人間の自由は関係性そのものだというseinを
論じたいんだけど。どうして>>500みたいのが
出てくるんかね。だれも個人の生き方のsollen論なんか
興味ないがね。マ、オレは青木じゃないから
痛くも痒くもないけどね。けど私は>>490>>492じゃないよ。
この人みたくすっきり経済学的に主体を批判したいけど、
いかんせんまだ資本論の知識がちょっと足らんけんね。
でも勉強になった。ありがとさん。
503考える名無しさん:2006/06/23(金) 16:12:46
>>489
せっかく時間を割いて>>490を書いて上げたのに
礼とまではいわないが、何らかのレスないし
コメントが在って然るべきではないかと思う。
504考える名無しさん:2006/06/23(金) 16:14:38
気長に待つべし。
便所で奮闘してる最中かもしれないだろ。
505考える名無しさん:2006/06/23(金) 17:47:23
青木や青木信者が主体や個人の批判に執着する、その動機が理解できない。
宇野や廣松の衣鉢を継ぐことがそれほど重要なのかね。
それはコミュニタリアニズムの可能性を狭めることにならないかな。
共産主義国家崩壊後のマルクス主義の方法論争のために齧った知識を後からくっつけてるだけのような・・・・・。
青木もマルクスのテクストにアソシエーショニスト的な側面があることを認めていながら、
なんでそこまで必死になってつぶして宇野廣松流コミュニタリアン一本で行かなきゃいけないのかな。
それって結局主体や個人ベースの「対抗」的なものに水を差す「ためにする議論」じゃないのかな。
sollenの出てこない社会哲学や法哲学って考えるだけ徒労ですよね。
もしかして癒しとか心の安定とかそういうものを求めてやっているんですか?
506考える名無しさん:2006/06/23(金) 18:29:48
>それって結局主体や個人ベースの「対抗」的なものに水を差す「ためにする議論」じゃないのかな。

「主体や個人ベースの「対抗」的なもの 」という意味がわかりません。
あなたこそ他人を信者呼ばわりして、いったい何に「対抗」しようと
いうんですか?国家主義や全体主義、ファシズムへの対抗ですか?
それこそかつてのマルクス主義とその同伴リベラルそのものでは
ないでしょうか?いま、世界とアメリカの資本主義が目指しているのは、
自由な個人の民主主義です。独裁国家やテロリスト国家を倒し、世界中に
リベラルな民主主義を啓蒙し宣伝するために戦争が行われています。
私としては、こうしたリベラルな個人主義的グローバリズムに大きな
危機意識を感じています。それは資本主義のイデオロギーそのものです。
上で三島を引用したのは私です。その意味では「主体や個人ベースの
対抗的なものに水を差」し、地域や民族固有の伝統的文化を守りたいと
心より思っています。あなたのいわれる青木信者に属さないかもしれませんが、
その「ためにする議論」で、どうしていけないのでしょうか?
507考える名無しさん:2006/06/23(金) 19:26:41
>>506
どうぞご自由に。
508考える名無しさん:2006/06/23(金) 19:46:56
>>506
まあ確かに、自由な個人やそのアソシエーションでは
資本主義や市場経済に対抗できないのは間違いないわな。
いまどき自由な個人のシンボルは自己所有権だし、
その連合としてのアソシエーショニズムの一番の主唱者は
誰よりもリバタリアンとアナルコ・キャピタリストだからな。
509考える名無しさん:2006/06/23(金) 20:26:28
でもさーほっときゃいいじゃん。
なんで青木孝平はアソシエーショニスト潰しに、
場違いな土俵でエネルギー使うの? 理解できない。
資本主義の邪魔をしようとしてホームページ等で主張を公開して呼びかけは行っても、
誰も青木の邪魔はしてないじゃない。
むしろシカトか共存共栄を図ろうとしてる。
青木のお邪魔戦略の動機が分からない。
そのエネルギーで別のことやってほしい。
もっとコンパクトに主張を公開するとか。
それしない限り支持できない。
510考える名無しさん:2006/06/23(金) 20:46:07
>>509
>なんで青木孝平はアソシエーショニスト潰しに、
場違いな土俵でエネルギー使うの? 理解できない。

お前が言うなwwwwお前がwwwwwwwww
511考える名無しさん:2006/06/23(金) 21:23:06
>>510
え?おかしい?
自分>>505ですが、ホントそう思ってるんだけど。
512考える名無しさん:2006/06/23(金) 22:01:49
>>511
サンデルもマッキンタイアもテイラーもウォルツァも読まずに
青木信者のカキコだけで判った気になってる。
どうせ本物の青木さえ読んでないだろw
場違いな土俵でエネルギー使ってんの、あんたじゃないのw
513考える名無しさん:2006/06/23(金) 22:11:18
ねらー共同体テラキモス
514考える名無しさん:2006/06/23(金) 22:11:19
>>512
死ねば?
515考える名無しさん:2006/06/23(金) 22:19:39
>>505>>509>>511>>514
お前が言うなwwwwwwオマエが死ねば?
516考える名無しさん:2006/06/23(金) 22:49:56
>>515
「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。
生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。
われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、
真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」
さあ早く。君の憧れの三島の如くドーンと逝ってみよう。
517考える名無しさん:2006/06/23(金) 23:10:27
   ,r yー、                      _
   (.ヽ \ヽ,   ,r-、             ,.r=ー -、` 、
  i-、\ヽ .` `し' /               /__vr=_ニ、 \.ヽ     青木孝平、万歳!
  ヽ `"      {               irテソ ヾ,'"'`  ケ、j_
    \ _,    l,              }r'`- ヘ.,    ir= )
     ヾ、_ノ^ヽノi              | .r_iニtッ'   t_ソ{
       >'  ,r  |              i }rー' /   i.ハ|
      r''  ̄   l              ヽー=二ー-'Y_| |
      i      |      _   ,r-ー(  ̄  ̄二__|I |
      l      l    ,r^ ̄ヽ`ニ、           `ー- _
       |      |_,、−'-    i`-               r-i` >、
       l      r`ヽ '     y{r_i            _ `'  r' ,ニ{
        |      i   k、  ,r'"j _            <,j   i    i,
        i           r'  l`-'          rっ    l    l
         ヽ_     _,r-t /  |            `    i     /
             ̄  ̄    レ   l
                   |
518考える名無しさん:2006/06/24(土) 00:01:46
くだらない冗談はやめてくれ。
私は>>490>>492を書いたが、三島を賛美したことは断じてない。
519考える名無しさん:2006/06/24(土) 01:41:02
荒れましたな。
これでまた一つ青木ファンのイメージが悪くなりましたな。
520考える名無しさん:2006/06/24(土) 01:46:55
青木って人の説って法哲学の学会とかでちゃんと評価されてるの?
マル系の降旗チームだけの話じゃねぇの?
521考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:19:25
学会誌では経済理論や社会思想史の方が青木の登場頻度が高いかもしれない。
しかし法哲学ではリバタリアンの森村進氏が青木氏を最大のライバルに見立てて、
事あるごとに名指しで批判を繰り返してる。こないだの法哲学会に行かなかったかい?
テーマがリバタリアニズムなのに開口一番青木批判だった。法哲の学会誌でも
『リバタリアニズム読本』でも、コミュニタリアニズム批判のターゲットは
常に青木だね。けど青木当人は法哲学会に入ってないのかな。見たことないな。
522考える名無しさん:2006/06/24(土) 09:32:11
おれ、マル経だけど、たしかに
季刊経済理論や紀要に最近、
青木や青木批判の論文めだつ。
けど降旗氏とはこのごろ
仲良くないと思います。
引用するのは、むしろ
山口派や分析的マルの人の
方が多い気がします。
523考える名無しさん:2006/06/24(土) 11:22:53
リベラリズムにおける共同体とは、自己省察を通じて探求され背後に発見される
前提ではなく、絶対的な正義のもとでどのようにでも好きなように決定できる
主観的選好の対象にすぎない。すなわちリベラリズムは自己の選択以前にどんな
道徳的紐帯の存在も認めないため、共同体とは、自己のときどきの恣意の赴く
まま完全にヴォランタリーに加入し離脱が可能なものでなければならないことが
普遍的要請となる。それゆえ、ここから導き出される共同体のヴィジョンは
二通りしかありえない。
一つは、社会契約に参加した個人が自己の便益を最大化する手段としてのみ
共同体の必要を認めこれを私的に選択する「道具的(instrumental)共同体」観
である。もう一つは、仮に共同体の形成がなんらかの道徳的紐帯を実現して
いたとしても、個人の欲求が利己的便益だけでなく極めて偶発的に利他的同胞愛
の感情を含んでいたことに起因する「情緒的(sentimental)共同体」観である。
   M.J.サンデル『自由主義と正義の限界』のアソシエーション批判
524考える名無しさん:2006/06/24(土) 11:35:44
はいはい藁人形藁人形
525考える名無しさん:2006/06/24(土) 12:29:06
>>523
2ちゃんねるにも結構まともなこと考えている奴がいるんだと思ったら、
サンデルの本からの引用か。w
526考える名無しさん:2006/06/24(土) 17:13:31
「資本のグローバル化が進むと国家が解体するなんていう人がいるけれども、
そんなことはない。明治時代の日本も、現代の中国も、資本主義は国家が促進してきた。
いまだかつて、資本主義が勝手に発展した例はない。
国家をどうするかが最大の課題だ」
http://www.yomiuri.co.jp/book/author/20060620bk01.htm
527考える名無しさん:2006/06/24(土) 17:51:27
柄谷さん、そんなこと解ってますよ。
しかし世界共和国=国連じゃ、何の解決にもなりません。
それは文字通り資本のグローバル化に対応する
国家のグローバル化に過ぎない。
問題は、国家は社会契約によって正当化された
一つのアソシエーションそのものだという点にある。
社会契約的アソシエーションでは、資本にも国家にも
まったく対抗できない。
528考える名無しさん:2006/06/24(土) 18:00:49
コミュニタリアニズムって田舎インテリのための思想だってほんとですか?
529考える名無しさん:2006/06/24(土) 18:06:24
田吾作一揆思想ですか?
530考える名無しさん:2006/06/24(土) 18:07:45
コミュニタリアニズムでどうやって対抗するんですか?
531考える名無しさん:2006/06/24(土) 18:12:34
山口組みたくやればいいの?
532考える名無しさん:2006/06/24(土) 22:31:46
柄谷さん、立花隆に顔が似ている。
533考える名無しさん:2006/06/25(日) 01:54:59
>>498
>そうした重層的な共同体の倫理の承認は、
>方法論的個人主義からは出てこないと思います。
ここのコンテクストに関係なく問いたいのですが、
「倫理」を「承認」する機序はいずれに由来するのでしょうか?
自分は経済(学)をよく知りません。ただ単に「倫理」というものの
由来を知りたいだけです。たぶん自分としては単純な実存的な興味が
あるだけなのかもしれません。
534考える名無しさん:2006/06/25(日) 03:13:59
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Hermeneus
この人このスレにいそうなプロフィールだな。
535考える名無しさん:2006/06/25(日) 12:29:15
青木孝平の記事ないんだな。
536考える名無しさん:2006/06/25(日) 18:11:49
青木派は、
リベラリズムとマルチチュード派とかを、
「社会契約論」としてまとめて批判してるようだが、
ホッブスとスピノザの違いとか踏まえて言ってるのかな?
537考える名無しさん:2006/06/25(日) 18:50:10
いいえ
538考える名無しさん:2006/06/25(日) 19:39:54
キモッ。ダサッ。クサッ。
539考える名無しさん:2006/06/25(日) 21:52:42
>>533
たしかに、この「共同体の倫理の承認」という表現は間違っていました。
共同体の重層性が個人のアイデンティティすなわち倫理を構成するのであり
純粋原理的にいえば倫理が自我に同化されるというべきかもしれません。
むりに個人の側からいえば、自我が共同体倫理に埋め込まれてある、とでも
いうべきでしょうか?
540考える名無しさん:2006/06/25(日) 22:00:10
>>536
最近出たばかりの降旗節雄編『市場経済と共同体』(社会評論社)に
収録されてる青木孝平「資本主義批判―その批判スタンスの転換」
という論文で、青木はホッブス・ロック・ルソーといった社会契約論
と明確に区別して、スピノザを非常に高く評価してるよ。
541考える名無しさん:2006/06/25(日) 23:01:26
>>539
共同体が自我に埋め込まれてあるからこそ、
ことさらに共同体主義を掲げるまでもなく、
あえて掲げられたものは自我の選択の結果である。
アレントはそういうことを主張していたはず。
>>540
スピノザはドゥルーズやマルチチュード派や柄谷の源流です。
どうも青木の議論は逆立ちしていて「今さら何を」って感じがするな。
542考える名無しさん:2006/06/25(日) 23:23:00
スピノザはネグリ的マルチチュードだけを主張している訳ではない。
むしろデカルト的二元論を批判し、神即世界の一元論によって
世界の内在的発展・変容を否定し、変容の契機として外部の
契機に意味を見出した。宇野は段階論において、古くから
スピノザを援用し、高い評価を与えていた。最近の流行とは
何の関係もない。

あなたの「あえて」と、わたしの「むりに」は、ほぼ同義でしょう。
だからわたしもむりに共同体主義を強調する必要はないと思います。
543考える名無しさん:2006/06/26(月) 00:49:39
>>542
だな。そう思う。
そもそもマルクスに中にスピノザの影響があるのを指摘する論者もいるし。
(アルチュセールや最近だと的場なんとかとか)
でも、ドゥルーズやマルチチュード派や柄谷は、ご存知の通り、
アルチュセールや宇野から飛び立っていった奴らですよね?
(柄谷は学生の時にアランの影響でスピノザを読んだと言っていた)
つまり、共同体主義・構造主義・関係主義で言われているような地点から、
充分に踏まえた上で、そこから「転向」して借り物競争的にディコンストラクトを志向していったのが奴らなわけですよね。
当然、構造主義はサルトル的実存や主体の批判であり、市民主義の批判だったわけです。
どうも青木派の主張は、スタート地点から40〜30年前に走り出した奴らの、
走っていく方向や借りてくるもの間違いを指摘するのではなく、
「スタート地点はここですよ〜。」と一生懸命言っているような気がします。
そんなの分かったうえで、どこに走って行って何を拾ってくるのかが面白いんじゃないのですか?
544考える名無しさん:2006/06/26(月) 01:33:54
デカルトは単純な二元論には還元できないよ。
545考える名無しさん:2006/06/26(月) 11:23:40
>どうも青木派の主張は、スタート地点から
40〜30年前に走り出した奴らの、
>走っていく方向や借りてくるものの
>間違いを指摘するのではなく、
>「スタート地点はここですよ〜。」と
>一生懸命言っているような気がします。

私が青木派かどうかはともかく、
ネグリの帝国とマルチチュードにせよ
柄谷の世界共和国とアソシエーションにせよ、
走っていく方向は、グローバリズムの賛美であり、
借りてくるものは、トランスナショナルな社会契約論
ではないかと思います。それはやはり、そもそも彼らの
スタート地点が市民社会派的な地球民主主義であり、
けっきょくおかしなスタート地点を相変わらずウロウロ
しているだけのような気がするんですが・・・。
546考える名無しさん:2006/06/26(月) 12:37:57
そうですね。
547考える名無しさん:2006/06/26(月) 12:46:21
>>545
「グローバリズム賛美」「社会契約論」
「市民社会派」「地球民主主義」
全部違うな。
これらは資本から出てきたものであるというのは彼らの大前提。
548考える名無しさん:2006/06/26(月) 13:02:23
だから資本のグローバリゼーションに
民衆やマルチチュードのグローバリゼーションで
対抗しようってんでしょ?
それをグローバルな市民社会っていうんじゃない?
個人の自由意志で参加し離脱する社会契約体を
アソシエーションていうんじゃない?
要するに資本のグローバリゼーションと表裏一体の運動でしょ?
549考える名無しさん:2006/06/26(月) 15:11:02
表裏一体にはなれない。
資本のグローバリゼーションはどこまで行ってもイギリス経験論的な私的なもの。
彼らのグローバリゼーションは、
存在論としてシンギュラー(特異)な個が公的=世界市民的であるとするもの。
「市民」と「世界市民」の差には「私」と「公」程の距離があって、全く役割が変わる。
スピノザやカントの個人と、イギリス経験論の個人は違うよ。
550考える名無しさん:2006/06/26(月) 15:16:52
>>549
じゃあ、資本のグローバリゼーションは私的で、マルチチュードは公的
という分け方でいいの?
551考える名無しさん:2006/06/26(月) 16:39:15
>>550
そう言い切ってしまえない部分があると思います。
私的なマルチチュードだっているでしょう。
552考える名無しさん:2006/06/26(月) 18:12:18
イギリス経験論の市民は「私的=市民」で、
大陸観念論の市民は「公的=世界市民」ですか?
なんと機械的な二分法なんだろう!
たしかにロックやバークリーの市民が社会契約論の
基礎的モデルではああるが、
サンデルがロールズを批判するさいに
無知のベールに包まれた「負荷なき自我」を
対象を削ぎ落とされたカント的な超越論的主体と
命名して批判した。この点において大陸観念論と
イギリス経験論を区別する意味はない。
ロック=ノージック的な自己所有権の主体も
カント=ロールズ的な「負荷なき自我」も
それが社会契約の主体であるかぎりで
資本のグローバリぜーションに適合的な
人間像だ。マルチチュードも世界市民も
しょせんグローバリズムのイデオロギー
そのものだ。そんものに何の変革性も
ありはしない。
553考える名無しさん:2006/06/26(月) 18:40:11
くだらなすぎて頭痛たくなってくるな。
554考える名無しさん:2006/06/26(月) 18:48:00
ほんと
脳内完結してる人は無敵だな
555考える名無しさん:2006/06/26(月) 20:09:44
>>552
>イギリス経験論の市民は「私的=市民」で、
>大陸観念論の市民は「公的=世界市民」ですか?
>なんと機械的な二分法なんだろう!

・・・誰もそんなこと言ってないんですが。
>>551で「私的なマルチチュードだっている」と言ったでしょ。
無理にニ分法にはめようとしてるのはあなたです。
短絡的だな。簡単にまとめすぎ。
556考える名無しさん:2006/06/26(月) 20:38:04
552です。
私は二分法でまとめること自体に反対してるんです。
市民もシチズンシップも世界共和国の世界市民もマルチチュードも
国連中心主義も自由な個人のアソシエーションも、
資本のグローバリゼーションに対抗できない。
むしろその補完物であり普遍主義的リベラリズムの亜流だと
いっているんです。このかぎりではイギリス経験論と大陸観念論の
差異も、市場のアトミズムのつくりだす「主体」として同定できると
言っているんです。マルチチュドなんてしょせん私的に決まってます。
そもそも公的なマルチチュードなんているんですか?
557考える名無しさん:2006/06/26(月) 20:55:26
>>556
いるかもしれないし、いないかもしれない。
それがマルチチュードといものでしょう。
私が確認しておきたかったのはカントの語法での「公/私」では、
家族も中間集団も市民も国家も「私」であるということ。
マルチチュードは可能性として「公」を成し得る存在だと思います。
558考える名無しさん:2006/06/26(月) 22:27:29
「マルチチュードは可能性として「公」を成し得る」という
意味がよく理解できません。
私流に中間集団を整理すれば、乱暴にいえば、
自立した個人がつくるアソシエーションは「私」的であり、
関係性によって個人が構成されるコミュニティは「公」的存在と
思います。
559空気無視介:2006/06/26(月) 22:34:23
コミュニタリアニズムは「個人が社会を作る」という「個人→集団」の図式(アソーシエーション主義)を批判して
「社会から個人が生じる」という「集団→個人」という逆の図式を提起しているわけですよ。
560ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/26(月) 22:37:40
帝国に対抗するどこからともなくあらわれて消える群衆
マルチチュードとは誰か、結局わかりませんね。

2ちゃねらー=マルチチュード説についてはいかがですか?
561ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/26(月) 22:41:44
柄谷も世界共和国では外部は失われますが、
人は外部なく生きていけるのでしょうか。
という疑問だ残りますね。

資本主義は、先進国は外部が失われる閉塞感が表れていますが、
いまだに後進国、マイノリティなど格差に外部から搾取があり、
作動してえていますが。
562考える名無しさん:2006/06/27(火) 00:14:47
資本蓄積の根拠を外部からの収奪に求めるのはローザ・ルクセンブルク説。
宇野説では、資本主義の変容の根拠を外部からのインパクトに求めます。
これは資本主義の弁証法的発展や移行を認めないスピノザ的世界観の
影響であると思われます。柄谷の世界共和国は、カント的であっても、
まったくスピノザ=宇野的ではありません。
563考える名無しさん:2006/06/27(火) 01:23:31
>>539
「倫理が自我に同化される」
「自我が共同体倫理に埋め込まれてある」
以上の言葉からフロイトを想起しました。
ここの文脈とは違いますが、フロイトや初期マルクスの提示した根源的な
問題はいまだに未解答の大きなテーマになりうるようですね。
564考える名無しさん:2006/06/27(火) 01:48:35
ネグリとハートによれば、現代の“ポストモダン経済”の特性は、
生権力が経済と融合することにより、〈生〉が経済力及び権力と一体化する点にある。
それは、一見、権力による〈生〉の支配であるように見えよう。
しかし、〈生〉は権力の作動にとって必要欠くべからざるものになっていくが、
他方で〈生〉に内在する豊かな壊乱的性質は権力の痛点を構成する。
この二つの〈コミュニティ〉(「道徳的コミュニティ」と「非道徳的コミュニティ」)
の共存関係こそが、“アドヴァンスト・リベラリズム”の統治の種別性を、
そしてそれゆえそのウィークポイントを指し示してはしないだろうか。
そして、統治権力と主権権力の交点に位置するこの権力は、
援助しつつ排除する――あるいは排除しつつ援助する。
この権力は、相反するこのダブルバインドの要請を満たす虚数解のようなもの
であることによって非常に不安定である。
ポストフォーディズムにおいては、〈怠慢〉が逆に富の源泉となりうる。
・・・それは自己価値化や“下からの威信”という観点からそういえるばかりでなく、
資本にとっても大きな価値の源泉なのである以上、
ネオリベラリズムは〈反動〉の制度化であり、それは、
いまや生産的・能動的となった〈サボりの文化〉への反感を原動力にしている。
いわばネオリベラリズムは能動的な力への寄生体なのである。
565考える名無しさん:2006/06/27(火) 06:35:06
トンチキな「グローバリゼーション」「普遍主義的」批判を
しつこく無理矢理こじつけたがる電波はいったい何なんだ?
566考える名無しさん:2006/06/27(火) 07:38:46
資本主義的な階層構造と共に、ブログなどによる情報学的な階層構造が形成され始めている。
すなわち資本主義的バックボーンを持たない人間が英雄となりうるネット社会は、
資本主義への興味を薄れさせ、若者をニート化させてゆくのである。
567考える名無しさん:2006/06/27(火) 08:28:25
>>565
トンチキな「帝国」と「マルチチュード」を読んで
しつこくネグリ、ハートを賛美したがる時代遅れの電波は
いったい何なんだ?ここはコミュニタリアニズムの
スレだぞ。カンチ君は共産板へ逝け〜w
568考える名無しさん:2006/06/27(火) 11:25:47
電波で勘違いしてるのは、
青木信者の自演野郎。
…そう、お前だ。
569考える名無しさん:2006/06/27(火) 11:48:24
>>566
>資本主義的バックボーンを持たない人間が英雄となりうるネット社会は、
>資本主義への興味を薄れさせ、若者をニート化させてゆくのである。

これは酷いな。ただの貧困蔑視じゃねえか。
570ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/06/27(火) 12:02:16
資本主義への興味とはなんでしょうか。イデオロギー?金儲け?法?
興味と関係なく作動するのが資本主義システムということもいえます。ある程度の豊かさのあとには興味はなくなる。
571考える名無しさん:2006/06/27(火) 12:23:50
ばかぁ〜は消えてください!><
572考える名無しさん:2006/06/27(火) 12:36:31
「ポストモダン・ブルジョワ」と「リベラリズム」を同時に肯定する政治政体は、
しかし未だに存在していない。
ポストモダンは、1980年代以降の新自由主義や新左翼と親和的であるのに対して、
リベラル派は、国内における所得格差是正を掲げる福祉国家主義や社会民主主義の経済観と結びついているからである。
ローティが「ポストモダン・ブルジョワ」を肯定する理由は、
共同体主義(コミュニタリアニズム)に対する彼の批判にある。
ローティによると、共同体主義は次の三つの要素から成り立つ。
第一に、プラグマティズムは啓蒙の合理主義の必然的所産であり、
それは道徳的共同体を可能にするほど強い哲学ではない。
第二に、自由主義の制度や文化が生み出す人間は、望ましい人間ではない。
第三に、政治制度は人間本性に関するある教説を「前提」し、
それは自我が本質的に歴史的性格を有することを明確にしなければならない。
以上の三つの命題を掲げる立場が、共同体主義であるとされる。
これに対するローティの応答は、リベラルな社会が哲学的前提に訴えなくても可能であること、
またそれは歴史的所産であり、普遍主義を僭称するものではないという点にある。
ローティによれば、人間存在の目的や本性は、
私的領域の問題であって政治的・公共的な問題ではない。
公共の問題とは、人々のあいだで重なり合う信念に関する「合意の問題」であり、
この問題は、一定の人間本性の理念に基づいて政治の究極目的を正当化することではない。
何が排除されるべき信念であるか、何が重なり合う共通の信念であるかについては、
歴史的・社会的状況によって異なるのであり、究極的なものなど存在しない。
道徳的進歩とは、原理や権利や価値の普遍性が浸透することではなく、
むしろ、状況内にある個人や共同体の、
対話的意見交換や反省的均衡や詩的業績の歴史の中から生まれるという。
共同体主義は、強い価値を共有する社会体を理想とするのに対して、
自由主義は、諸価値の基底にある正義という理念を共有することこそ、
道徳の進歩であると考える。
そしてローティは、正義への合意を求める自由主義の立場に立っている。
(「リチャード・ローティを脱構築する」橋本努)
573考える名無しさん:2006/06/27(火) 12:47:49
ちょっと荒れてきました。そこで提案ですが、
もう一度>>126>>490>>492>>525あたりの
マジレスに戻って議論をしませんか?
574考える名無しさん:2006/06/27(火) 12:58:16
青木信者の自演に付き合うのは御免です。
575考える名無しさん:2006/06/27(火) 13:00:03
>>572
失礼しました。
このローティのコミュニタリアニズム批判も
久々の検討に値するマジレスですね。
>>573にこの>>572も加えてください。
576考える名無しさん:2006/06/27(火) 13:28:57
>>126のロールズの反省的均衡という方法論に対する青木やサンデルの批判が
正当なものかどうか気にかかるところ
577考える名無しさん:2006/06/27(火) 15:34:31
>>576
たしかにロールズの「無知のベール」は、
ノージックらリバタリアンの「自己所有権」のように
アプリオリな実体化に陥っているわけではないのは理解できる。
たぶん渡辺幹雄氏が展開するように、ある種の規範関係の中心点として
事後的に設定された主体だと思う。しかしよく判らないのは、いわゆる
反省的均衡の結果としてのこの原初状態と「社会契約=正義の二原理」
との関係だ。やはり社会契約に先立って「反省的均衡」が想定されて
いるのではないか。そうであるなら、この「反省」という倫理の根拠が
説明できないのではないか。それともあらかじめ正義の社会契約が予定
され結論先取り的に無知の原初状態を設定しているのか。いずれにせよ
精緻な思考実験というには、論理が循環論に陥っているようにみえる。
まったく的外れかもしれないが、それなら「反省的均衡」の概念を
素人にもわかるように噛み砕いてほしい。
578考える名無しさん:2006/06/27(火) 16:03:59
>>572
>ローティによれば、人間存在の目的や本性は、
>私的領域の問題であって政治的・公共的な問題ではない。

そのような公共から切断された私的領域を創出したものこそ、
資本主義市場経済ではないのか?そうした公私の分断こそ
特異な近代主義イデオロギーではないのか?

>公共の問題とは、人々のあいだで重なり合う信念に関する「合意の問題」であり、
>歴史的・社会的状況によって異なるのであり、究極的なものなど存在しない。

まったく異論はない。コミュニタリアンも共同体ごとに異なる善の多様性や重層性を
肯定しているではないか?

>道徳的進歩とは、原理や権利や価値の普遍性が浸透することではなく、
>むしろ、共同体内の対話的意見交換や反省的均衡の中から生まれる。

道徳的進歩という言葉に抵抗はあるが、共通善が普遍的なものではなく
共同体内の規範的関係性そのものであるというのは、
むしろコミュニタリアンの立場だ。コミュニタリアンは強い価値を
共有する社会なぞ理想としていない。ただ自由主義が共有すると
称する諸価値の基底にある「正義」が、あまりに個人の自己決定を
絶対視し、個人の多様性や差異性への懐疑を絶対的に否定する、
相対主義の絶対化というパラドックスに陥っている点を指摘して
いるだけだ。ローティのいう正義は個人の合意すなわち契約の結果
かもしれないが、そうした個人を構成する社会的文脈にこそ留意する
のがコミュニタリアニズムだ。


579考える名無しさん:2006/06/27(火) 16:17:27
>>577>>578 実況中継
      青木派が、切れ味の鈍い苦しい抵抗を試みています。
      やはりマルクスと宇野の土俵を出るとリベラルに分があるか?
      ロールズ派とローティ派は、決定打をうちだせるか?
      サッカーよりおもしろい展開になるか?はたして視聴率は?
580考える名無しさん:2006/06/27(火) 18:25:16
青木信者の自演に付き合うのは御免です。
581考える名無しさん:2006/06/27(火) 19:08:42
http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~yasuda/furihata060617.jpg
この中に青木孝平とかいうキモイマンがいるのか? どいつだ?
キモそうな連中ばかりだな。
582考える名無しさん:2006/06/27(火) 19:19:48
そこで何を話したはほとんど覚えていない。
唯一覚えているのは,(青木さん)『コミュニタリアニズムへ』(社会評論社,02)は千部刷って100部残ってるんだよね」
900部!凄いじゃないですか「何言ってんだよ。君。『ポスト・マルクスの所有理論』(社会評論社,92)は3000部,
『資本論と法原理』(論創社,84)はさらに売ってんだよ」。

だから信者に2ちゃんで絨毯爆撃的に自演営業させてるのか?、青木w
583考える名無しさん:2006/06/27(火) 19:34:03
その900人でコミュニティ作れば?
あ、アソシエーションになっちゃうから青木的には絶対駄目か。
家族か、やっぱ家族からコツコツとだよね、明るい家族計画のバイブルなんだろ?
最低900部×3人=2,700人で、
それぞれ勝手に資本のグローバリゼーションに対抗しろってか?
どうやんの?その本増刷して売り裁いて生活するの?
でかいこと言ってる割りには、
ただの妖しいネズミ講ビジネスと一緒じゃん。
584考える名無しさん:2006/06/27(火) 20:31:08
>リベラルな社会が哲学的前提に訴えなくても可能であること
アメリカはそもそも建国当時からそうだよな
585考える名無しさん:2006/06/27(火) 20:45:21
書店で見たことないんだけど。
ノージックは平積みになってた。
586577,578:2006/06/27(火) 21:16:36
>>572さま、>>576さま
あなた方は青木派と何の関係もなく、ロールズやローティを
使って実り多い議論をしようとしてるのに、また、
つまらん荒らしで議論が妨害されてしまい申し訳ないことです。
ここでは、もう真摯な議論は不可能のようですので、
しばらくロムに徹したいと思います。どうか良い議論を!
587考える名無しさん:2006/06/27(火) 21:25:12
こんなコストパフォーマンスの悪い本、
アマゾンで売りたきゃ「見える検索」導入しろよ。
左翼でパフォーマティブ・レベルでセコい奴はもうお話になんないね。付き合いきれん。
今日、内容も見ずに買っちゃえるようなお気楽な奴が、分厚いマルクス論なんて真剣に読むかね。
センス以前の性根の問題。腐臭が漂ってる。「読んでから言え」というのは読ませてから言うべきで、
思想家にあるまじき失礼な態度。
588考える名無しさん:2006/06/27(火) 21:36:27
お、信者がまた逃げたか。
お前、今までマルクス系のスレで何度かそれ繰り返してきてるよな。
そういうの「売り逃げ」って言うのだよ。
村上世彰もビックリだな。
今度は経済学板に青木スレでも立てろや。
589考える名無しさん:2006/06/27(火) 21:38:00
コストパフォーマンスって馬鹿の壁を越えてない奴のいう事じゃね?
590考える名無しさん:2006/06/27(火) 22:53:38
コストパフォーマンスを気にする貧乏人や商売人はみんなバカですか。
おめでたい人だ。
591考える名無しさん:2006/06/27(火) 23:42:54
>いずれにせよ精緻な思考実験というには、論理が循環論に陥っているようにみえる。

でもまあ循環しないとfoundationalismの誹りを免れなくなってしまう罠。
でなけりゃ「便利なおとぎ話」で開き直るか。
592考える名無しさん:2006/06/27(火) 23:44:06
とりあえずマルクスと青木某の話題は禁止にしてほしいなり。
593考える名無しさん:2006/06/27(火) 23:54:24
なんでマルクスが禁止なんだ、ゴルァwwwww!!
594考える名無しさん:2006/06/28(水) 00:47:53
だいたいやね〜〜、マルクスと青木を抜きにしてこのスレ、議論がもつかね〜〜w
あっオレ、青木信者じゃねーよ、でも客観的に見てほかにロクなレスないのも事実w
595考える名無しさん:2006/06/28(水) 00:53:20
あの子は人一倍元気な所が取り得なんですが、
一度こうだと決めたら絶対に曲げないタイプでして、
お友達と仲良くお勉強することが出来ないもんですから、
担任の先生のお話ではいつも教室では嫌われ者だったみたいです。
(母親談)
596考える名無しさん:2006/06/28(水) 10:39:30
自分の感受性くらい    茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
597考える名無しさん:2006/06/28(水) 10:52:33
ちきゅう座  石塚正英
 われわれが廃絶を目指すものには、さらに、家父長的家族がある。
古代ローマのファミリア(奴隷の意)に発する「家族」は、とんでもない出自をもっている。
生産と消費が一体化していた前近代においては家父長権は家族内部に成立基盤を備えていたが、
生産と消費が分離して家族が消費の場に限定されると、今度は外的社会が家父長権を支える
基盤となった。いずれにせよ家族は、諸個人の自由な協同としてのアソシアシオンとは
無縁のままこんにちに至っている。これはなんとしても解体しなくてはならないのだが、
その動きはすでに開始している。一つは民法上の夫婦別姓化に見られる。
また一つに晩婚化・晩産化、シングルライフ化。また、独居老人など非血縁者による擬似家族の形成。
さらには生殖技術の革新による独身出産の増加。こうした事態は家族から個人への経済単位の移行を
推し進め、やがては自由な諸個人による協同生活を開花させる可能性を増大させることになる。
598考える名無しさん:2006/06/28(水) 12:35:03
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』
「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、
けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。
けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えとうその考えとを分けてしまへば
その実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる」
599考える名無しさん:2006/06/28(水) 20:57:43
え? 結局、ここに書いてた青木派って一人だったの?
600考える名無しさん:2006/06/28(水) 21:09:16
>>597
石塚は何をバカ言ってるんだ?
晩婚、晩産、シングルライフばかりか、
生殖技術を使った独身出産まで賞賛している。
個人単位の社会、自由な個人の連合なんて
そんな素晴らしいもんかねえ?
おそろしい社会破壊主義者にしかみえん。
アソシエーショニストなんて木地害だよ。

601考える名無しさん:2006/06/28(水) 21:17:08
そんなこと程度で社会って簡単に破壊されちゃうんだw
602考える名無しさん:2006/06/28(水) 21:57:10
そりゃそうだろ。中間集団のない個人単位なんて
社会(共同体)とはいえないだろ。
トックビルがファシズムの定義とした社会解体(アノミー)そのものだ。
だって人間は中間集団をホコとしてのみ国家への参加が可能になり
国家権力の圧力は中間集団をタテとしてのみ緩衝されるのだ。
クローンや試験管ベビーで父親は匿名となり、人間の生殖ではなく
機械的生産に移行する。人間のロボット化であり、社会関係の否定だ。
要するに人類の終焉でしょ?
603Jimmy:2006/06/28(水) 23:23:57
>>602
そーユーのは女の性(さが)を知らぬ幸いなる「単独者」だけが取り付かれる
観念論だな。私の知る限り女は愛する男の子を身籠りたがる。
大いなる自然の摂理を思い知らされる瞬間だな。
試験管ベービーが常態となる社会が現実化する可能性を否定はしないが、
殆ど杞憂だろう。
604考える名無しさん:2006/06/28(水) 23:56:23
605考える名無しさん:2006/06/29(木) 00:02:15
>>603
いやーJimmyさん、お久しぶりです。
私も個人単位(単独者)社会なんて妄想は杞憂であってほしいと願わずには
いられません。しかし私はJimmyさんほど楽観的になれないのです。Jimmy
さんのような世代には想像もできないでしょうが、現代の若い者には、
現実に恐ろしいほどのシングル志向が強まっています。これを資本主義
商品経済のもたらすアトミズムやリベラリズムのせいだけには還元できない
と思いますが、それらとあいまってジェンダーフリーやフェミニズムの
感性は平凡な若者にも常態化しつつあります。Jimmyさんは、方法論的
個人主義批判に自己の課題を限定されていますが、むしろ留意すべきは
やはり現代資本主義のイデオロギーとしての規範的個人主義の問題です。
上の石塚のようなバカ者的「左翼」は、家族や男女の差異の解体を本気で
コミュニズムないしアソシエーショニズムだと信じているのです。こうした
「単独者だけが取り付かれる観念論」者がマルクス主義を僭称する以上、
私はやはり方法論のみならず規範的個人主義への批判を強めざるを得ない
と思います。
606考える名無しさん:2006/06/29(木) 00:13:48
青木派にとっては異性愛単婚制を選択する個人以外は人にあらずなんだろうな
死ねばいいのに
607考える名無しさん:2006/06/29(木) 00:19:42
>現代の若い者には、
>現実に恐ろしいほどのシングル志向が強まっています。

その社会科学的根拠は?

>ジェンダーフリーやフェミニズムの
>感性は平凡な若者にも常態化しつつあります。

その社会科学的根拠は?
608考える名無しさん:2006/06/29(木) 00:22:15
>>599
good job www
609考える名無しさん:2006/06/29(木) 00:23:09
男女の差異の解体って何のことですかね?
610考える名無しさん:2006/06/29(木) 04:26:11
コミュ二タリア二ズムって実践を語ると
スーペーさんの床屋政談に陥りがち。
自分のさじ加減でザイン-ゾルレン切り替えないでさ、
実践を語るなら、
コロンビア政府やイスラム原理主義の良さを
楽観的に語ってみてよ。
歴史ならフランス革命史やロシア革命史の総括でコミューン主義を語ってよ。
今のところ哲学ではマルチチュード派の方が全然マシですよ。
ぼやかし方、逃げ方は。
611考える名無しさん:2006/06/29(木) 09:57:46
>青木派にとっては異性愛単婚制を選択する個人以外は人にあらずなんだろうな

違います。異性愛ほそもそも個人選択ではなく人間の存在論的負荷です。
Jimmyさんがいうところの「大いなる自然の摂理」というべきでしょう。
そもそも人間はその存在を市場的な自由意志で選択できるでしょうか?
あなたは選択=自己決定してこの世に生まれてきたのですか?異性愛を
選択というなら、他者への愛そのものをもたない選択も可能なのでしょうか?
ここにもリベラリズムの大いなる錯誤を感じます。どうか杞憂でありますよう。


612考える名無しさん:2006/06/29(木) 13:11:48
>>605
クローン人間や試験管ベイビー、遺伝子治療、臓器移植によって、
たしかに家族や性差のない個人単位(シングル)社会と人間の機械的
生産は可能になるだろうな。これを社会主義とかアソシエーション
とかいう石塚のような「左翼リベラル」は狂っているとしかいいようが
ない。少しは現代の生命倫理の観点からするリベラリズム批判を
読んだ方がいいよ。立岩真也とか小松美彦の「自己決定権」批判、
「自己所有権」批判は、コミュニタリアニズムと共鳴するはずだ。
613考える名無しさん:2006/06/29(木) 13:26:30
小松の自己決定権批判って典型的な存在から当為を導き出す自然主義的誤謬じゃなかった?
あと、立岩さんがリベラリズムを批判するのは、自己決定権にもとづく尊厳死のような
ある種の生命を死へと廃棄することを許容してしまう言説に対してであって(生の無条件の肯定)
本当に生命を生み出すことそのものに対して批判なんかしているのかね?
そうだったら「生殖技術万歳!クローン万歳!」の同僚の小泉義之と何かやり取りがありそうなもんだけどね
614考える名無しさん:2006/06/29(木) 13:30:04
>異性愛はそもそも個人選択ではなく人間の存在論的負荷

そんならホモもバイもAもだな。愛そのものをもたない人も。
複数婚も負荷の一類型でしょう。
でも、愛には選択(もちろん不完全情報下での)も負荷も入り混じってないか?
この世に超美人のニューハーフ少年とドブスのオバサンがしかいなかったら、
あなた(がヘテロの男性だとして)存在論的負荷でオバサンの方を愛せますか?

>人間はその存在を市場的な自由意志で選択できるでしょうか?

それは単純に市場と言うべきでも自由というべきでもないと思うが、
存在は都度の選択による連鎖の一コマであるとも言えるはず。
粘菌もアリも個々の選択の結果としてたまたま、
秩序と言っていいような集団行動になっている。
卵細胞は精子を選択していないのだろうか?
本当に選択と負荷を対にして考えていいのだろうか。
選択が負荷を招き、負荷が選択を招く。
そのような連鎖ではないだろうか?
615考える名無しさん:2006/06/29(木) 13:35:25
>超美人のニューハーフ少年
紹介してください(;´Д`)ハアハア
616考える名無しさん:2006/06/29(木) 13:40:06
脱線スマン。
若僧のため良く知りませんが、
廣松渉って若い時パイプカットしたんですか?
617考える名無しさん:2006/06/29(木) 13:59:04
青木派が変えたくないもの=存在論的負荷
青木派が変えてもいいもの=選択
これで万事おk
618考える名無しさん:2006/06/29(木) 15:39:54
>存在は都度の選択による連鎖の一コマであるとも言えるはず。
>粘菌もアリも個々の選択の結果としてたまたま、
>秩序と言っていいような集団行動になっている。
>卵細胞は精子を選択していないのだろうか?
>本当に選択と負荷を対にして考えていいのだろうか。

あなた、選択行為と選択行動の初歩的区別がわかってないね。
リベラリズムのいう選択は自由意思による行為の自己決定のことであり、
動物行動論や細胞の自然的最適選択行動とはまるで違う。
最近は「あなたのような誤解を避けるため「選好」という訳語が多い。
ここで「負荷」と対にしているのは「選好」的「行為」。
粘菌もアリも卵細胞もリベラリズムの選好とは無関係です。
619考える名無しさん:2006/06/29(木) 16:00:48
応えやすいとこだけ応えて後はスルーってパターン化してるの?
620考える名無しさん:2006/06/29(木) 16:42:07
なんでオレが全部に応えなきゃならんのだ?だいたい
アンタが青木派と呼ぶヤシはオレじゃないしね。
このスレでコミュニタリアニズムに共感するのは
たくさんいるんだぜ。なんかカンチしてないかい?
621考える名無しさん:2006/06/29(木) 16:43:51
>>618
すまん。そういう言葉があるのは知らなかった。勉強になります。

>動物行動論や細胞の自然的最適選択行動とはまるで違う。

それホントにそうなのか?
こっから「自由主義」の理屈が出てきたんじゃないの?

イギリス経験的国家マンセー論からマンデヴィル「蜂の寓話」
→スミスの創発主義(レッセフェールマンセー論)が生まれる。
しかし真面目なスミスは交換価値マンセーの重商主義が気に食わず、
労働価値論のおまけをつけ批判。富の源泉を労働に求めた。
こうして「国家・創発・労働マンセー」の経済学はリカードに受け継がれたが、
ベイリーが「・・・ていうか富は交換価値だろw労働しても売れなきゃ意味なくね?」と水を差す。

結局、これはカントの議論の反復なのでは?
「負荷なき自我」批判は
ホッブスのイギリス経験的国家マンセー論の回帰であり、
スピノザの大陸合理的自我マンセー論の批判なのでは?
ロールズを「カント的」と言うのはカン(ト)違い。「スピノザ的」と言っときゃ良かった。

カントは大陸合理的自我マンセー論とイギリス経験的国家マンセー論を
「ふむ、どっちも合ってるね。って、どっちも違くね?」と。
よってカントにとって「自我・国家・自由は超越論的・統制的なもんで、理屈ではムリぽ」なんでしょ?
622考える名無しさん:2006/06/29(木) 17:15:16
>>620
このスレにはコミュニタリアニズムに共感しても、
青木派に共感出来ない奴も複数いるようですので、
青木派さん(じゃなかった)
「自称青木派じゃないコミュニタリアン」さんもそうカッカしないで下さい。
623考える名無しさん:2006/06/29(木) 18:36:18
>>621
よく議論の流れが掴めない。なんでマンデビル、スミス、リカードウ、ベイリー
というイギリス的価値論の流れが、カントの反復なんですか?
それとサンデルの「負荷なき自我」批判がホッブズのイギリス経験的国家論と
どう結びつくのかもわからない。ゆいいつ理解できたのは、ロールズをカント的
と呼んだサンデルへの疑問の部分。けどこれもカントではなくスピノザ的と
いわれるとやっぱりわかりません。どうしてスピノザの汎神論的な神の意思
としての自我が「負荷なき自我」に結びつくのか?非常に面白いことを言って
いる気がするので、無理にフザケタ文体にしないで、手順をふんで教えてください。
624考える名無しさん:2006/06/29(木) 18:46:03
周到なつもりで、自演はちゃんとバレてるぜ。
行動はリバタリアンゲリラですからね。
2ちゃんだから別に構いませんが。
マルクスにもコミュ二タリア二ズムにも、
宇野にも廣松にも興味はあるけど、
青木だけは絶対に買わないって決めた。イカレてる。
2ちゃんねるのおかげで騙されずに済んだ。
そんな本買うならユニセフに寄付する。
625考える名無しさん:2006/06/29(木) 19:32:31
みんな、なんか言ってやれよ。
全部、青木派の自演だとか言われてるぜ。
おれは618、623を書いたが
おれは青木派とかじゃないし、マジな議論を
してるつもりなのに、腹が立つなあ。
くだらんこと書くひまがあったら
議論に参加してみろ。624は
議論のできないバカだろう。
626考える名無しさん:2006/06/29(木) 20:43:09
青木先生乙
627考える名無しさん:2006/06/29(木) 21:00:32
>「負荷なき自我」批判は
>ホッブスのイギリス経験的国家マンセー論の回帰であり、
>スピノザの大陸合理的自我マンセー論の批判なのでは?
>ロールズを「カント的」と言うのはカン(ト)違い。「スピノザ的」と言っときゃ良かった。

このあたりの説明を希望します。ホッブスはイギリス経験論といっても
近代自然法で社会契約論ですよね?サンデルの「負荷なき自我」批判は、
社会契約的な主体の批判ではないのでしょうか?カントも社会契約論を
引き継いでいるかぎりで、サンデルの批判対象だったのでは?
それに比べてスピノザは神即自然の一元論であり、その属性としての
自我は負荷のある自我であり、サンデルの批判対象=ロールズとは
異なるのではないかと思うのですが・・・。違うかな?
628考える名無しさん:2006/06/29(木) 21:32:20
「岩波新書書いたら負けかなと思ってる。」
「2ちゃんで自演やめたら負けかなと思ってる。」
「相関社会科学なんて知らないことバレたら負けかなと思ってる。」
「3000部は売らないと負けかなと思ってる。」
「sageを小文字で打ったら負けかなと思ってる。」
「立ち読みでスルーされたら負けかなと思ってる。」
「柄谷行人に反論されたら負けかなと思ってる。」

青木孝平(New Communitarianism Movement 代表)
629考える名無しさん:2006/06/30(金) 03:12:36
>>627
社会思想史語らなきゃならんしめんどくさいから勘弁して。
素人の思いつきですよ。あまり気にせんで下さい。
このスレには関係ない本ですが、
パオロ・ヴィルノ『マルチチュードの文法』と
生松敬三『社会思想の歴史』を読んで、
リベラル−コミュニタリアン論争で、
それぞれが重きを置いているものの違いがなんか似てるなーと。
スピノザ≒ロールズ(前提、特異性、真)
ホッブス≒サンデル(約束、同一性、善)
で、カントはその後出てきて綜合した人だから、
「非社交的社交性」とかヒネた言葉が出てくるんだろうな。
マルクスも「自由の国」と「必然性の国」の両方言ってるしあんまり、
一方的に見てはいかんぜよと。稚拙ですまん。
630考える名無しさん:2006/06/30(金) 10:13:27
たしかにサンデルのロールズ批判は、
どうしても「カント的」でなければならん
必然性はないのかもしれん。
631PK:2006/06/30(金) 17:19:04
「リベラリズムとは何か―ロールズと正義の論理」 盛山 和夫
買いました。わかりやすくておもしろいですね。
632考える名無しさん:2006/06/30(金) 17:53:15
皆さん青木孝平「コミュ二タリア二ズムへ」は
ちゃんと買って読みましたか?
これを買わなきゃコミュ二タリア二ズムを語る資格はありませんよ。
私はこれを読んで毎日2ちゃんにカキコして、
宣伝しながら他の思想をぶっ潰してていくことこそが、
私の実践であり使命だと思っています。
私こそ真のコミュ二タリアンです。
早く皆さんの感想を聞きたいものです。
それ以外のカキコはどうでもいいです。
633くろしろー ◆rJrN8dAq0M :2006/06/30(金) 19:08:44
スレには全部目を通してません。
青木「コミュニタリアニズムへ」は
肝心の「コミュニタリアリズム」
そのものより○の総括に終わってしまい、
○のなかの小さなコミュリタリアw ぐらいな本だった。
実際に「コミュニタリアリズム」が何かは
アミタイ・エツィオーニの「ネクスト」で知った。
確かにコミュ二ティがあったほうがいいだろと
単純な俺は思った。
634考える名無しさん:2006/06/30(金) 19:20:35
くろちゃん元気そうだな。
635考える名無しさん:2006/06/30(金) 21:04:45
価値形態論とは何ですか?
636考える名無しさん:2006/06/30(金) 22:37:00
マルクスの「資本論」第一巻冒頭の少し後に入っている、
労働が商品の価値の実体であるとしても、
それは社会的必要労働として認められなければ価値ではなく、
それが認められるためには、商品が交換されなければならない
という、交換の重要性の論じる部分。
商品が交換される中でいかに社会的に妥当する価値を獲得していくか
ということを延々と展開する。
637考える名無しさん:2006/06/30(金) 23:11:05
それは少し違うでしょう。それは第二章の交換過程論。
価値形態論とは、文字通り商品の価値の表現形態。
商品の価値はそれ自体では表現されず、
他の商品の使用価値で表現されるしかない。
したがって商品同士が相互に交換されることはありえない。
この商品の価値(相対的価値形態)と他の商品(等価形態)の対立は、
あらゆる商品の一般的等価形態に置かれる商品の登場によって
のみ解決される。これが貨幣形態。つまり商品と商品は
交換されることはありえず、このことが貨幣の必然性を
もたらす。だから商品交換とは常に貨幣による購買として
初めて実現される。この商品からいかにして貨幣が
生み出されるかを明らかにする論理が価値形態論です。
638くろしろー ◆rJrN8dAq0M :2006/07/01(土) 01:10:03
>>634薬効いてるよ。w 薬と水の面倒がなければ躁鬱恐るるに足らずだね
>>635
X量のY=A量のBと言う使用価値の組み合わせがあるとする。
ここで注意しなければ=が数学的な=ではなく
左辺が売る側、右辺が買う側と決まっていること。
右辺は「直接交換可能性」を持っている。つまり買う権利だ。
さてここで
X量のYがもっと交換できるように、
市場でいろいろな財を求めると、
X量のY=A量のB、D量のE・・・・
と市場にあるだけ、右の交換先が拡大する。
それでX量のYを買う側(右)に移行し、
同時に右辺の各財を左辺に移行bされると
A量のB、D量のE・・・・=X量のY
としてYは「一般等価物」となる。
つまり貨幣の誕生。
あとはYに金が取って代わり、マルクス的には
ここでおしまい。
ただ今は金本位制ではないから、金の先があると
思う、信用かな?
まあエロイ人、後をよろしく。
 
639考える名無しさん:2006/07/01(土) 02:21:16
>>637
>それは少し違うでしょう。それは第二章の交換過程論。

何が違うんだよ偉そうにこの馬鹿。
交換の重要性を論じる論は全体で「価値形態論」と言っていいんだよ。
640マルクス:2006/07/01(土) 02:38:55
商品交換を生産の前提とする社会において価値がいかにして交換価値という形態をとるのか
という問いに答えるパートを価値形態論と呼んでいます、これが定説なんです
どうかしましたか?
641考える名無しさん:2006/07/01(土) 02:45:41
>>640
馬鹿だな。何が定説なんだよ。誰が決めたんだよ。誰が呼んでるんだよ。
全員名前挙げてみろこのクソ。
642考える名無しさん:2006/07/01(土) 07:47:46
価値形態論の意味については>>490>>492を参照してください。
643考える名無しさん:2006/07/01(土) 07:53:39
上の青木ネタが柄谷スレにコピペされてピエって人がどうのって、言われてるぞ。
ここにその転向したピエって人が書いてるのか?
青木派が向こうに出没してるのは間違いないな。
644考える名無しさん:2006/07/01(土) 08:50:16
宇野派はビンテージ趣味の高踏派密教だよな。
なんで師匠の全集を出さない。
「経済学方法論」も絶版のままにして。
偉ぶりたいだけか?
クルーグマンや山形浩生を見習えよ。
マルエン全集もバカみたいに高いしね。
結局、やってることは知的所有権ビジネスであり、
実践においてリベラル以下、ビル・ゲイツ以下なんだ。
645考える名無しさん:2006/07/01(土) 10:02:20
「宇野弘蔵著作集」全10巻別巻1巻は岩波書店から
20年ほど前に出版されています。古本屋にいけばあるよ。
646考える名無しさん:2006/07/01(土) 10:13:43
>>644は絶版ならばPDF化してダウンロード可をキボンヌって言ってるんだろ。
647くろしろー ◆rJrN8dAq0M :2006/07/01(土) 11:27:39
>>490
おおなるほど、宇野の価値形態論というのはそこまでマルクス
と違っていたのか。○バカの俺は知らなかった。
しかし貨幣の発生については、論理的にこのレス
には含まれていないと思う。
>それゆえ相対的価値形態にたつ
>複数の商品の価値表示が単一の商
>品(一般的等価形態)に収斂してゆく過程によって
>貨幣の必然性を説いた。
このあたりの貨幣の発生をくわしくご指導願いたい。
648考える名無しさん:2006/07/01(土) 12:51:09
>>647
拡大された価値形態から一般的価値形態への移行については
宇野学派内部でも大きな論争となっている。
宇野=降旗は等価形態に立つ商品のうち最も使用価値性の低い商品に
収斂すると説くが、鈴木=岩田は価値と使用価値の矛盾とその解決と
いう弁証法的展開を試みる。また山口を中心とする最近の主潮流は、
商品所有者の行動論というアナマルばりの方法論的個人主義によって
他の商品所有者の行動論的模倣から次第に一つの商品=貨幣が分化
するという。なお青木は貨幣の発生論を放棄し、商品世界の外部に
あらかじめ貨幣は前提とされているという。
649考える名無しさん:2006/07/01(土) 13:03:23
だから青木とか宇野とか経済学板でやれよ。
ここでやるならコテハンでやれよ、
青木さん(だか青木ファンだか自称非青木派だかの常連さん)!
「私は○○ではない」って言いながらのこのこ出てくるな、
このクソ野郎。汚いよお前。だから荒れるんじゃないの?
650考える名無しさん:2006/07/01(土) 13:29:59
青木ってただの「決め付け詐欺」だからな。
電波の域に達してる。
651考える名無しさん:2006/07/01(土) 13:37:01
「決め付け詐欺」かwたしかにwww
652考える名無しさん:2006/07/01(土) 13:38:49
ってか故・玉野井芳郎の劣悪なパクリだな。
653考える名無しさん:2006/07/01(土) 15:01:03
今後このスレではマルクス、宇野、青木の名を出すこと自体を禁止する。
論じることのできるテーマはマッキンタイア、サンデル、ベラー、テイラー、
ウォルツァー、エッチオーニ、デランティの理論に限定する。以上、
みなさん、固く厳守してください。

654考える名無しさん:2006/07/01(土) 15:04:30
オケー
655くろしろー ◆rJrN8dAq0M :2006/07/01(土) 16:47:02
>>648
どうもありがとうございます。非常に勉強になりました。
>>653
単純な話、エッチオーニの「ネクスト」は気に入りましたね。
自分が喪男なのも共同体がないせいか、と思いました。w
でも、今日はスナックのお姉ちゃんとテニスで面白かったです。
関係ないか。w
656考える名無しさん:2006/07/02(日) 01:08:07
○○派がいなくなって静かになってよかったね。でも
これから欧米のコミュニタリアニズムについて本格的議論を
するんじゃなかったのかい?それともキミらは
○○派にいちゃもんつけるだけの、ただの荒らしだったの?
657考える名無しさん:2006/07/02(日) 01:14:54
うるせー、今からやるんだよ。
658考える名無しさん:2006/07/02(日) 01:28:04
柄谷スレに移動しました。
659考える名無しさん:2006/07/02(日) 02:18:58
コミュニタリアニズムってコミュニズムとどう違うの。
マルクス主義じゃないっていうけどコミュニズムはマルクス主義の前にあったよ。
Communismを共「産」主義としたのは日本語の誤訳。
660考える名無しさん:2006/07/02(日) 02:19:10
共同体とプロジェクトチームの違いは何?
661くろしろー ◆rJrN8dAq0M :2006/07/02(日) 04:10:29
ネクストまだ一回しか読んでないけど、共同体があるほうが
健康だ、とかうなずかされる点が多い。前に何か医者が出した
新書にも結婚、出産から離れると病気しやすくなると書いてあ
った。やっぱり人間も動物、クロマニヨン人は現代人と基本的
に同じ、それを「社会的効率」に押し込めれば、破綻が来るのは
必至、日本の人口減も洒落にならなくなってきている。
662考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:41:54
くろしろーさんがエッチオーニを読んでるだけで、
このスレにいるその他の椰子は、どうやら
コミュニタリアンの本を一冊も読んでいない
ことがバレバレになりました。
こいつら○○さえ読んでないくせに
○○派に脊椎反射だけするゴミです。
ゴキブリみたいなヤシです。
サンデルもマッキンタイアも
読まずに、おまえら何で
このスレに巣食ってるんだ。
くやしかったらサンデルでも
マッキンタイアでも論じてみろ。
できないんなら、二度とくるな。
663考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:53:14
質問! 国家と共同体はどこが違うの?
それから家族と共同体もどこが違うの?
664考える名無しさん:2006/07/02(日) 09:27:57
共同体の最小に近いのが家族
共同体の最大に近いのが国家
665考える名無しさん:2006/07/02(日) 09:33:31
↑ 小学生レベルの質問しかできない反○○派
666考える名無しさん:2006/07/02(日) 10:35:38
嫌な奴。こいつの共同体には死んでも入りたくないな。
だから俺は自由意志を尊重するね。
667考える名無しさん:2006/07/02(日) 10:39:49
>666
タバコの灰が膝に落ちたので、貴様は万死に値する。
ふざけるな!
あちい!
いてえぞ!
668考える名無しさん:2006/07/02(日) 11:21:07
コミュニタリアンは女子にモテなさそう。
アソシエーショニストは女子にモテそう。
669考える名無しさん:2006/07/02(日) 11:30:53
アソシエーションを連合と訳すとモテなさそうだろw
670考える名無しさん:2006/07/02(日) 11:43:43
訳さないからモテるんだヨ!
671考える名無しさん:2006/07/02(日) 11:50:18
アソシエーションはもんぺ臭いからアウト。
672考える名無しさん:2006/07/02(日) 11:52:51
女は馬鹿だからストライク!(例外アリ)
673考える名無しさん:2006/07/02(日) 12:01:22
ホント、あ組の人たちがいなくなったら、便所の落書きだけだな〜。
前の方がず〜〜とよかったのに。
674考える名無しさん:2006/07/02(日) 12:50:34
リベラルが青木派に呆れていなくなり、青木派もツッコミに答えられずに逃げ出し
残ったのは・・・
675考える名無しさん:2006/07/02(日) 14:46:13
哲板なんて過疎スレばっかりなのにどんな盛り上がりを期待してるんだよ・・
676考える名無しさん:2006/07/02(日) 15:34:59
↑自分の無知を居直るバカ。
そんなら、なんで哲板それもコミュニタにカキコするんだ?
おまえが過疎スレにしちまったんじゃねーかよ。
677Jimmy:2006/07/02(日) 21:04:18
ゴラッ、くろしろー。小説書くのに忙しかったんじゃないのか?
相変わらず、居心地が悪くなると他所に行ってはた迷惑なカキコ繰り返しているな。

ミットもない。草野球のキャッチャー。
678考える名無しさん:2006/07/02(日) 22:52:25
>>676
いや、上で書き込んだらマルクス系の争いに埋没しちゃったんで
呆れただけですよ。
そこまで怒ることも無かろう。
679考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:07:34
いつも怒ってる人、いるよね。
怒った時間だけ早く死ぬらしいからやめた方がいいよ。
680考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:15:51
怒ってる人はきっと「あ」の人です。
681くろしろー ◆rJrN8dAq0M :2006/07/02(日) 23:28:13
>>677
昨日は徹夜しましたよ。w
大枠はすでに仕上がっていますが、まだ改良の余地
があるのではないかと。
別にスレから逃げるとかそういうことではなく
ネクストを読んで、興味をもったので欠いたまでで。
682考える名無しさん:2006/07/02(日) 23:41:14
>>664
共同体とネーション=ステートは違うんじゃないの?
683考える名無しさん:2006/07/03(月) 00:32:53
宮台の整理。
「自然的な自明性を生きる」共同体主義
「人為的な非自明性に合意する」結社主義
「人為的な自明性を生きる」ネオコン(新保守主義)
「自然的な自明性を人為的に押しつける」ネオリべ(新自由主義)
684考える名無しさん:2006/07/03(月) 00:53:56
じゃあリバタリアニズムは?
685sage:2006/07/03(月) 01:13:18
共同体は〜主義によって成り立つわけじゃない。
686考える名無しさん:2006/07/03(月) 01:37:23
>>683
これ宮台の内容とちがくないか。
687考える名無しさん:2006/07/03(月) 03:24:50
散々経済決定論的な話が出てたけど、
コミュニティに関しては先般亡くなったジェーン・ジェイコブズみないな見方もありでは?
http://hotwired.goo.ne.jp/altbiz/inaba/031202/textonly.html
これはどうなんですか?経済学詳しいコミュニタリアンさん的には。
688考える名無しさん:2006/07/03(月) 03:46:05
経済学ではコミュニタリアンなんてことはやらない。
政治・社会学あたりの人たちが経済の知ったかぶりを
やってるんじゃないですか。
689考える名無しさん:2006/07/03(月) 12:52:24
>>684
リバタリアニズムは結社主義の一種。
>>686
え?どこが?これ↓っすよ?
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335
>>688
塩野谷祐一とか金子勝とかがやってませんでしたっけ?
塩野谷はおそらく日本で最初に哲学のコミュニタリアニズムを紹介した人のはず。
玉野井芳郎とか公文俊平とかのポランニアンが「地域主義」とか「イエ社会」を言い出した時代。
「A木K平」は全く後発組でしょう。
U野派が「コミュニティ」を言うのは、ある種のお家芸なのかな。
(ちゃんと塩野谷とか玉野井とか公文とか参照してるのかしら。)
690考える名無しさん:2006/07/03(月) 15:30:01
>>689
塩野谷祐一って、福祉国家マンセーの人でしょ?
あのひと、コミュニタリアンじゃなく社民でしょ?
それに宇野派となんか関係あるんですかあ?
金子勝は、東大社研にいて宇野の影響もあるだろうけど
基本的に正統派=日共でしょ?それにコミュニタリアニズム
なんて、どこでも聞いた覚えがないなあ?
玉野井の地域主義やポランニーは有名だが、コミュニタリアン哲学を
語ってはいないんじゃないの?公文は中野門下から社会システム論へ
移ったと思うが、共著「文明としてのイエ社会」ではコミュニタリア
ニズムを語っていないと思うけど。むしろ岩田弘がアナルコ・コミューン
主義、降旗節雄が中村吉治の中世共同体評価をしてる方が有名じゃない?
でも青木以前にコミュニタリアニズム哲学を宇野理論と結び付けてるのは
やっぱり知らない。たんにボクの不勉強かもしれないので、正確な情報が
あったら教えてください。
691考える名無しさん:2006/07/03(月) 15:49:16
塩野谷はU野とは無関係ですが、
哲学のコミュ二タリア二ズムを1984年に論じていますよ。
経済学と関係ないという話が出たので、
私は、むしろ日本で論じ初めたのは、経済学者であった
という事実の確認をしておきたかっただけです。
692考える名無しさん:2006/07/03(月) 16:44:13
アホ木信者が、
決め付け詐欺であることがまた露呈しましたな。
コミュ二タリア二ズムを論じることより、
全てアホ木基準で喧嘩することが優先なんだから。
あーやだやだ。
693考える名無しさん:2006/07/03(月) 16:49:18
できましたら塩野谷さんの1984年の著書名を教えてください。
ちょっと興味があります。
金子、玉野井、公文についても、もし分かりましたら
コミュニタリアニズムに言及している著書を教えてください。
694考える名無しさん:2006/07/03(月) 19:28:50
>>693
ここ見てみな。塩野谷氏の本は相当昔に宮崎哲哉氏に教えて頂いた。
http://homepage2.nifty.com/public-philosophy/public-philosophy-shohyou.htm
金子氏は『反経済学』(新書館)にあったと思う。
随分昔に読んだので覚えていないが。方法論的個人主義の批判だったような。
玉野井氏には出てこない(地域主義というのは玉野井オリジナル)。
公文氏は最近の『情報社会学序説』で宮崎氏を引用していたな。
(これはブログで公開してるからwebで全文読めるはず)
695考える名無しさん:2006/07/03(月) 19:56:50
「自然的な自明性を生きる」
保守主義、共同体主義

「人為的な非自明性に合意する」結社主義
米国のネオリベラリズム、ネオコン、(リバタリアニズム)

「人為的な自明性を生きる」
宮台的新保守主義
696693:2006/07/03(月) 20:00:55
>>694
ありがとうございました。
このhpをゆっくり拝読させていただきます。
697考える名無しさん:2006/07/03(月) 22:11:24
>>695
>「人為的な非自明性に合意する」結社主義
>米国のネオリベラリズム、ネオコン、(リバタリアニズム)

結社主義といわずに英語でアソシエーショニズム(柄谷)と言ってください。


698考える名無しさん:2006/07/04(火) 08:57:35
たしかにアソシエーションと英語で言うと、
柄谷の単独者の思想が、ネオリベやリバタリアンと本質的に
同じということがはっきりするわな。
699考える名無しさん:2006/07/04(火) 09:19:35
勝手に変えるな、アンチ柄谷君。
700考える名無しさん:2006/07/04(火) 10:42:45
勝手じゃなくて、宮台の共同体主義はコミュニタリアニズム
            結社主義はアソシエーショニズム
        本人もそのつもりで使用しているはずだよ。
701考える名無しさん:2006/07/04(火) 12:34:48
>たしかにアソシエーションと英語で言うと、
>柄谷の単独者の思想が、ネオリベやリバタリアンと本質的に
>同じということがはっきりするわな。

あのさぁ、頭おかしいんじゃないの?
「結社主義(associationism)」の派生態が自由至上主義や新自由主義であって、
英語(カタカナ)で言うからどうこうとかいう問題じゃないし、流れは逆ではないのだよ。
よりによって自由至上主義や新自由主義まで柄谷にカリカチュアしちゃってる時点で頭いかれてますね。あなた。
702考える名無しさん:2006/07/04(火) 12:45:08
>あのさぁ、頭おかしいんじゃないの?
>「結社主義(associationism)」の派生態が自由至上主義や新自由主義であって、
>流れは逆ではないのだよ。

あんたの方が頭おかしいんじゃないの?
アトム的個人の自立・自由の思想がリバタリアニズムであって、
そうしたア・プリオリな個人が然る後に自由意思の契約で
連合しましょうってのが、アソシエーショニズム。
自由主義の派生態が結社主義、論理的な流れは逆ではないよ。
703考える名無しさん:2006/07/04(火) 13:05:26
>論理的な流れは逆ではないよ。

それはあなたの論理がそうなってるだけ。
私は歴史の事実を確認しただけです。
704考える名無しさん:2006/07/04(火) 15:02:55
>>653
賛成。

しかしちょっと間をおいて戻ってきたら100近くレスがついてた。
705考える名無しさん:2006/07/04(火) 15:06:24
つうかassociationismって誰の用語?
漏れ的には「associationism」つうとヒューム他の
認識論の連合主義なんだけど。
706考える名無しさん:2006/07/04(火) 15:46:56
プルードンとかのアナキズムや初期社会主義の中に出てきたことば。
「選択共同体」重視。
組合とかギルドがありゃええじゃないかの発想。
707考える名無しさん:2006/07/04(火) 18:54:39
「柄谷行人」使用禁止令出します。
ご用の方は柄谷スレへ。OK?
708考える名無しさん:2006/07/04(火) 22:09:12
>>707
またみんなが真っ白になるようなカキコをしたねw
スレがしばらくストップしてしまったじゃねーか、ヴァーカ!
709考える名無しさん:2006/07/04(火) 22:24:35
>>653>>707
だいたいマッキンタイア、サンデル、ベラー、テイラー、
ウォルツァー、エッチオーニ、デランティの理論にテーマを
限定しようといったって、それらをいちばんよく知ってるのが
「あ」組の人たちだったんだから、○や「あ」組を排除して
おまけに「柄」派まで追い出そうってのがムチャクチャだ。
次は「宮」派も来るな、なんて言い出すんじゃないの?
710考える名無しさん:2006/07/04(火) 23:45:53
>>1
全部チャラにして、最初からシキリ直しだ。よーい、ドン!
711考える名無しさん:2006/07/04(火) 23:47:43
それで、共同体の決定に従うって話だっけ?
712考える名無しさん:2006/07/05(水) 00:11:40
共和主義が出版ブームなんだが、コミュニタリアンの反応は?
713考える名無しさん:2006/07/05(水) 00:56:33
宮台氏は追い出す必要は感じないが、私は柄谷を自主規制します。
何故なら、「米国思想の非排他的な三者関係」が分かっていそうだから。
青木派は「柄谷」を古典的自由主義を含めた形で擬態化し批判しているだけでなく、
米国思想を「排他的な三者関係」で捉えているように思える。
また、ロールズやノージックでもなく、ロックやスミスでもなく、
「柄谷」批判に終始している。あるいは同一視している。
私は柄谷氏の本は湾岸戦争の頃から読んできており、
その思想の内容を理解しているつもりなので、青木派の批判は当たっていると思う。
しかし、柄谷氏はローカルな選択共同体は否定していない上、
小林秀雄や福田恒存や江藤淳といった「保守派」論客から多くを負っている批評家でもあり、
新カント派(マールブルク学派)やカール・ポランニーに近い道を歩んできているので、
サッチャー・レーガン的な「新自由主義」とまで同一視できてしまうのかどうかには疑問が残る。
しかし、柄谷批判への反批判を本気でやるなら柄谷スレがあるのであちらでやった方がいいと思っている。

むしろこっちでは「柄谷」「青木」の名を一切出さない条件で、
(しかしマルクスぐらい使わせろって言いたいところだが、)
コミュニタリアニズムについての議論に集中したい。
私の主張は、
@「自然共同体」と「選択共同体」をコミュニタリアニズムは同様に賞揚すべきであり、
 むしろそこに境界線を付けるべきではない。
 生まれ落ちた家族であれ、自ら参加した組織であれ、自我にとっての「徳」の源泉、負荷に変わりはない。
Aスピノザ・ヒューム・カントの自我像はそれぞれ違う。
 古典的自由主義思想は多様であり、一括して退けられるものではない。
B新自由主義は自然共同体の再生産機能をつかって社会福祉を削り、
 他の自然共同体との弱肉強食を煽るダブルスタンダードの思想であり、
 いわば偽コミュニタリアニズムである。
 偽コミュニタリアニズムと新自由主義を共犯関係を牽制するには、
 真のコミュニタリアンは米国思想の三者関係を絶えず「非排他的」に捉え直すべきである。
714考える名無しさん:2006/07/05(水) 02:59:36
>だいたいマッキンタイア、サンデル、ベラー、テイラー、
>ウォルツァー、エッチオーニ、デランティの理論にテーマを
>限定しようといったって、それらをいちばんよく知ってるのが
>「あ」組の人たちだったんだから…

このスレ読んでる限りでは、
仏教スレで創価信者の人たちが仏教を「いちばんよく知ってる」から、
キリスト教スレで統一協会信者の人たちがキリスト教を「いちばんよく知ってる」から
排除しちゃだめ、っていうのと同じように聞こえる罠。
715考える名無しさん:2006/07/05(水) 03:15:11
負荷無き自我批判でも何でも結構なんだけど、そんな20年以上前に英米で
やってたような議論を今更むしかえして、したり顔で説かれても困るっていうかね。
まぁそういう論点を再興して英米の学術誌に発表し、今現在向こうの政治理論家と
喧々囂々議論してるってんならかまわないけども、
日本ローカルで蒸し返して一人勝手に頓珍漢な批判のたまわってるだけじゃ
文鮮明がキリストの生まれ変わりだってのと変わらないだろう。
向こうじゃ誰にも相手にされないお味噌みたいなのが何言おうとだから何、
さらにそれを2chで語ってるお前ってさらに何、って感じなんだよな。
716713:2006/07/05(水) 03:39:03
確かに仰るとおり。こんなとこで論争したって、
オンライン対戦麻雀やってるのと変わんないんだよな。
むしろ、情報交換にしか使えない。
俺は興味があるトピックだから有用な情報(読書案内)が欲しくて来ている。
しょっちゅう「あ組」さんの頓珍漢な奇説が書き込まれているので、面白がっているだけ。
素人だし「現代」思想より、社会・経済・世界観については古典思想の現代的意義を考える方が好きなので。
俺はコミュニタリアニズムはイギリス経験論の反復であり(これは福田和也が言っていた)、
『アナーキズムと右翼』のヴァリエーションの一つだと思っているから、アソシエーションとバトルさせたってしゃあない話だと思っている。
オチは一緒ですから。それを吟味するためにこそ今でもマルクスは役立つ。
「あ組」さんは「批評空間」2002年V−4号(これが最後に出たやつかな?)の共同討議が未読であればお薦めしたい。
「か」とスガ秀美と福田和也が昔のコミュニティ運動のおさらいしてるから。
717考える名無しさん:2006/07/05(水) 03:58:01
>>715
>2chで語ってるお前ってさらに何、って感じなんだよな。

お前も何って感じですな。まあいいけど。
718考える名無しさん:2006/07/05(水) 04:09:30
コミュニタリアニズムに限らず欧米から輸入した流行思想をネタに日本人が書いた
パチモンみたいな本は基本的に読む気がせん。
719考える名無しさん:2006/07/05(水) 04:26:44
よりハッピーに生きハッピーに死ぬために、
自分を取り巻くありとあらゆる環境を考えるんだよ。
少しぐらい先人の知恵を拝借したって罰は当たらないだろう。
20年以上前だろうと2世紀前だろうと。
この国でも戦前の景気が悪い時の農村運動が右翼になったり、
脈々と田中角栄になったり、竹下派のブレーンになったりして続いてるわけ。
結構、コミュニティの「ああでもないこうでもない」が、
俺の国、俺の会社、俺の町、俺ん家の話に繋がってくるものなんだよ。
あんたのパソコンだってどっかの店で「円」と交換したんだろ?
まさか自給自足でパソコンまで全部自分で作ってネットに繋いでるわけじゃないでしょ?
720考える名無しさん:2006/07/05(水) 04:33:07
>>718
別に読まなくてもその決意をここにわざわざ書き込まなくても結構。
721考える名無しさん:2006/07/05(水) 08:00:40
> 俺はコミュニタリアニズムはイギリス経験論の反復であり(これは福田和也が言っていた)

ロック、ヒュームはリバタリアンでないか?
722考える名無しさん:2006/07/05(水) 11:08:25

http://homepage3.nifty.com/mcg/japan/theory/aoki.html

田口氏の批判に答える
労働に基づく所有は将来社会の理念たりうるか
             青木孝平
723考える名無しさん:2006/07/05(水) 12:02:01
名付け必死もなんかサブいね。
もはや各問題に対してどう考えるかだけだろ
724考える名無しさん:2006/07/05(水) 12:06:20
金正日は出はコミュニタリアンかねぇ?
近いんじゃないの?
725考える名無しさん:2006/07/05(水) 15:00:30
イギリス経験論にとっては国家(平等)も市民社会(自由)も手段であり、
極小化を志向します。
共同性(友愛・同感・信頼)を基礎に置くからです。
だから、リバタリアンとしてもコミュ二タリアンとしても読めてしまうし、
結局、アナキズム(プルードン)と似てくるんです。
マルクスを使って商品交換から読み解いて、
どっちかの側に所属させもう一方から否定することには、
あまり意味がないことだと思います。
マルクスは「友愛」を否定しているのではなく、
それが何によって成り立つかをもっと考え(吟味し)、
「友愛」を基礎に置かなくてもいいような条件を記述したのではないでしょうか。
726考える名無しさん:2006/07/05(水) 16:02:16
基礎的な流れを確認させてくれ。
古典的自由主義から功利(効用)主義が生まれ、
社会主義を取りいれソーシャル路線になったり、総戦力体制を取ったが、
財政難でスリム化が不可避となり、
新自由主義として「安い政府」論が流行った。
「なら、そもそも分配正義とは」と、ロールズ「格差原理」が出てきて
古典的自由主義的議論の復興をはかりあるべき政府の役割を義務論的に論じた。
(単純な安い政府論を吟味するためにはイギリス経験論だけでなく、
社会契約論以前の合理論や両方を批判したカント以降の社会論を踏まえた)
しかし「安い政府」派のからさらに2派が現れた。
どちらも自治の原理として一方は個人、もう一方は共同体に基礎を置いた。
727考える名無しさん:2006/07/05(水) 16:51:39
で、コミュ二タリアンは所与の属性を括弧に入れるべきではない、
と。そこで「善」とされているものこそ第一の善であると。
そういうことですよね?
それを人工的に上で調整しないような社会が望ましいと。
それで、最終的には何を目指すのかな。
連邦制?
共同体間の経済格差はあえて自由放任?
共同体間の法制度とか条約・協定は無し?
国連撤廃?
728考える名無しさん:2006/07/05(水) 17:31:18
リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=28

■リバタリアニズムでは足りないとリベラリズムが主張され、リベラリズムでは足りないと
コミュニタリアニズムが主張される。でもコミュニタリアニズムで足りないとリベラルな
追加措置が提案され、一部リバタリアニズムが再評価される。こうした三者の円環が、
政治思想の煮詰まった今日的状況だ。
729考える名無しさん:2006/07/05(水) 18:21:34
で、コミュニタリアニズムマスターの「あ」組の主張はどこいっちゃったの?
結局、マルクス解釈をめぐる喧嘩に汲々としたいだけだったんでしょ?
そのためにコミュニタリアニズムを借りてきた猫のようにくっつけたんでしょ?
「アソシエーションなんてやっぱ駄目だよね」って。
後だしジャンケンで勝ったってかっこ悪いだけですよ。湾岸戦争後の吉本シンパと一緒。
68年大好き万年立ち位置決めかね日和見コバンザメ勝ち馬乗りたがりのスガ秀美の好みにあったんでしょうな。
西部派と「か」派の間でトランスクリティークして学生相手に武勇伝ですか?
みみっちい火事場泥棒的振る舞いですな。
マルクス経済学タームでマルクス主義批判して終わりですか?
資本主義批判がおろそかになってませんか?そんなんで一生を終えるんですか?
宮台のグーチョキパー理論はもういいです。
で、アーキテクチュアルなネオコンで亜細亜主義ってのも存じ上げてます。

コミュニタリアンは今回のミサイル騒動をどう考えますか?
北朝鮮の生と日本の生は異なるとして、レットイットビーですか?
アメリカにお任せですか? 憲法改正再軍備ですか?
「か」派と一緒で国連決議に一任して日本は国連の言うことしか聞きませんですか?
730考える名無しさん:2006/07/05(水) 19:09:01
>リバタリアニズム・リベラリズム・コミュニタリアニズムの円環

資本主義の閉じた円環=帝国か・・・
もはや政治のスノビズム
731考える名無しさん:2006/07/05(水) 19:46:57
「寄生性」について

地理的に継承される共同体ではなく宗教(価値観)的つながりを基礎に、地理的に継承されて
いるほかの共同体との経済取引を通じて利益を得ようとする構えを意味します。

土地(地域)ではなく宗教(価値観)的つながりで一体性が保たれているのですから、
空間的に近い場所に集まって生活する必要もなければ、過去・現在の居住(活動)拠点に
執着する必要もありません。

利益を吸い上げたことで寄生対象(宿主)がやせ衰えたら、別の宿主を探します。
元の宿主がどうなるかについては無考慮です。

寄生するほうがそれでいいのでしょうが、寄生されるほうはたまったものではありません。
寄生された共同体は、利益を吸い上げられてボロボロになります。
732考える名無しさん:2006/07/05(水) 19:48:22
効率的に寄生するために、宿主共同体の制度を変えようともします。
百貨店という商業形態は、寄生者が生み出したものです。

ご存知のように、それまでは、ギルドという排他的相互扶助形態で
商工業が営まれていました。
靴屋は靴を売り、鍛冶屋は鍋釜包丁を売るという棲み分けです。
そのような棲み分けを崩すための価値観が「営業の自由」です。

このような共同体破壊がそれなりにスムーズにできたのは、アジアやアメリカなど
欧州外から貨幣的富が流入があったことやその結果生じた経済困窮者がアメリカに
移住できる条件があったからです。
このような条件がなければ、寄生者が価値観でいくら煽ったとしてもうまくいかず、
彼らを放逐する動きにつながったでしょう。

第一次世界大戦後のドイツで国家社会主義が熱狂的に受け入れられた所以でもあります。
ナチスは、たぶん、将来予測されるそのような動きを“悪魔の所業”として封じるために
つくり上げられたものでしょう。

そのおかげで、味噌もクソもいっしょたくたにナチズム=国家社会主義は悪
という価値観が蔓延しています。

侵略戦争や外国人迫害を主張しているわけではないフランスやオーストリアの“極右”が、
ナチスと結びつけられてどのような扱いを受けているかを見ればわかります。

日本の民族派も、戦前の体制と結びつけられて際物のように扱われています。
支持はしていませんが、“極右”や民族派は、寄生者の価値観や論理よりもずっとまともです。
733考える名無しさん:2006/07/05(水) 19:54:47
>>729
あなたの「あ」組批判は一部あたっていることを認めます。
たしかにマルクス・タームによるマルクス主義批判であり、
アソシエーション批判に主眼があり、コミュニタリアニズムは
ポジティブな主張というより、リベラルやリバタリアン批判の
消去法的選択による主張であったような気がします。。しかし
「後だしジャンケン」というのだけは間違いでしょう。
722をお読みになれば分かるように、青木氏は、
柄谷のアソシエーショニズムより以前の10年以上前から
個人的所有やアソシエーション批判を行っていますから。
たしかに青木氏は主張が党派的で、資本主義批判よりも
あまりに俗流マルクス主義批判に精力を注いでいると私も
思います。それは冷戦的発想の内ゲバ主義です。
彼らはポジティブな展望は何ももっていないのでは
ないかと疑いたくもなります。『コミュニタ』は、
ほとんで未来志向のないニヒリズムの一種かも
しれませんが、他をバッサバッサと切り捨てる
論理の展開が面白いだけですね。
734考える名無しさん:2006/07/05(水) 19:55:35
寄生したいと思っても、現実として寄生者が共同体に寄生するのは容易なことではありません。
宿主は、すぐに寄生者に不信感を抱くようになります。

寄生者は、自分たちが寄生者ではないこと、自分たちが求める取引形態は正当であること、
自分たちの価値観はまともなものであることなどを宿主に認めさせよう(錯誤させよう)と努力します。

寄生者は、「騙されるほうが悪い」という価値観を持っています。
騙されるのが嫌だったら、知性を使って騙されないようにすればいいと思っています。
また、宿主共同体の価値観に基づく規制(法など)を邪魔な存在だと受け止めています。
しかし、法には犯した場合の罰が付き物ですから、規制をうまくかいくぐろうとしたり、
嘘や罪のなすりつけを行います。
そして、罰を食らう結果になってしまったら、不運だった、知恵が足りなかったと思うだけで、
悪をなしたという意識は持ちません。(価値観が違うので当然の思考過程です)

宿主に寄生する最高の方法は、自分たちが効率的に養分を吸い上げられる価値観や制度を
宿主共同体が持つようになってくれることです。

端的には、収奪者(寄生者)ができるだけ自由に収奪活動に励むことができ、被収奪者(宿主)
が収奪されるための仕掛けだとは思わず、それを素晴らしい考え方だと信じる理念・価値観・制度
を普及させることです。

このために、宗教・学問・政治制度などを利用します。
ユダヤ教とキリスト教(ローマカソリック以降)は、寄生者が宿主を収奪するために普及させた
宗教です。(同根であるイスラムは、それを否定した近似的宗教です)

民主主義・個人主義・自由主義・経済学・科学的世界観なども、寄生者が宿主から“養分”を
スムーズに吸い上げるためにつくり普及させた論理的説明体系です。

「寄生性」&「知的謀略」が国際金融家や国際商人の“危険因子” − 
トヨタなど日本の国際商人(輸出優良企業)も“危険因子”を持ちつつある −
ttp://asyura2.com/2003/dispute8/msg/737.html
735考える名無しさん:2006/07/05(水) 20:09:37
宿主共同体が陥る罠

じゃあ、これまで、世界中が寄生集団に騙され続けてきたのかという疑念を持たれた方もいるでしょう。

残念ながら、そうなのです。

しかし、それは、世界の多くの人が知性で劣っていたとか愚かだったからというわけではありません。
ただ、そこまで強欲で平気で嘘もつける人がいるとは想像だにできない人が多いというだけのことです。
そんじょそこらにいる詐欺師ではなく、自分たちの強欲のために、国家を丸ごと、世界を丸ごと取って
しまおうという人が現実にいるなんてことに思い至らないのです。
(このような思考は、健全な精神の持ち主であるがゆえのことです)

しかも、悪魔を天使と言い立てられるほどの嘘を平気でつける人たちですから、人殺しや強奪を
耳触りのいい美辞麗句で正当化するのはお手のものです。それでは、身近にいる一般的な嘘吐きを
見破るようなわけにはいきません。
また、なかなか見破られないよう、学校教育やメディアを通じて、それをもっともらしく受け入れる
価値観や世界観を形成しています。

(米国や英国の政治支配層の言動はTVでも腐るほど流されているので、それを見れば、これが
よくわかるはずです。竹中大臣はまだまだ悪魔崇拝者になりきれていません)
736考える名無しさん:2006/07/05(水) 20:46:40
>>733
了解。平田清明とか昔からいるアナーキズムに対して言ってたわけですね。
経営下手なアソシエーション事業ほど冴えないものはないですな。
自分はNAMが始まった時「こりゃ駄目だ」と思って一切関わりませんでした。
人材募集しながら参加する奴に「円よこせ」ってお布施集めしちゃってるんだもの。アホかと。
「倫理だけでは人は働かないぞ。円で雇用できるようになってから募集してくれ。経済学よりドラッカー嫁。」と思ってました。

連続コピペ怖い。何かの宗教?洗脳的な文章ですね。
737考える名無しさん:2006/07/06(木) 03:53:47
市場が所有権を生んだわけではない。
所有権が市場化されたんだ。
738考える名無しさん:2006/07/06(木) 09:52:46
>>737
違います。たとえばキミはそのパソコンをどうして所有しているにか?
貨幣で買ったからでしょ。キミはその土地をどうして所有しているのか?
誰かから買ったか、または相続したからでしょ。キミの前の所有者は
どうして手に入れたか?やはり買ったか相続したからだ。
所有権は市場の流通=譲渡によってのみ獲得できるし、それ以外に
所有の方法はない。市場だけが所有を生み出し所有を正当化するのであり、
その逆ではない。市場の流通以前に「労働」を想定し所有権が成立すると
考えるのは、価値実体論的な資本主義のイデオロギーにすぎない。
詳しくは>>722を読んでみてごらん。
739考える名無しさん:2006/07/06(木) 12:42:31
それを資本主義のイデオロギーであるとするのが、
マルクス主義のイデオロギーなんだと思いますが。
市場の成立前に法的な所有権が生まれてたんですよ。
だから国家が先です。譲渡・相続だけで所有権が発生していた。 
740考える名無しさん:2006/07/06(木) 13:04:30
市場経済の発展が所有という観念を作り出し
国家権力がそれを追認したというべきでしょう。
その証拠にすべての資本主義国でまったく同一の
使用・収益・処分の絶対性から成り立つ所有権法が
制定されています。国家間の国際市場でも所有権は
成立します。
741考える名無しさん:2006/07/06(木) 16:45:47
それは無理やり決め付けて全てを市場一元的に説明しただけ。
何かの宗教ですか?
青木は少しはローエコ分野の勉強してくれよ。
それで「相関社会科学」なんて勝手に肩書きつけてメシ食ってると、
そのうち身元詐称で訴えられるかもよ。
742考える名無しさん:2006/07/06(木) 17:32:57
市場経済は5000年も前からある。そのかぎりで古代ローマ法いらい
所有の観念はあった。これに対して近代法的所有権はエンクロージャ
(土地の囲い込み)を起点として300年ほど前に成立した。土地が商品
として処分の自由が確立したからだ。ちなみに封建法では土地は領有と
保有の身分権として構成され所有権の観念は成立しない。人間は土地に
緊縛され自由な処分権がないからだ。商品経済が自由な個人をつくり、
あらゆる財貨は自由な使用・収益・処分が可能となる。これが所有と
いう観念だ。いいかげん国家法フェチを卒業した方がいいよ。
743考える名無しさん:2006/07/08(土) 10:01:44
>市場経済の発展が所有という観念を作り出し
>国家権力がそれを追認したというべきでしょう。

追認したのでなく、所有を認める権利を有するというところに
国家の存在意義を生成させたのでしょう。国家の存在意義をでっち上げるために
所有を認めると仮構したというべきか。
744考える名無しさん:2006/07/08(土) 11:13:22
イギリスのような先進資本主義ではエンクロージャにともない
所有権が確立した。ちなみにイギリスには民法典はなく
コモンロー上の慣習的権利。それは文字どおり市場経済の
観念を制度化したにすぎない。これに対して、後発資本主義
のドイツや日本では国家が法制度によって資本主義を育成した。
パンデクテンシステムによる民法典の制定が市場経済の前提
となる。原理的には所有は市場のイデオロギーといってよいが、
国家の役割(本源的蓄積)は、各国の条件によって異なる。
745考える名無しさん:2006/07/08(土) 11:24:24
市場経済そのものは共同体と共同体の間に古くから存在するが、
労働力の商品化と土地の商品化によって、初めて共同体は
解体する。所有権が法制度的に確立するのは、職業選択の
自由と田畑売買の自由、すなわち人身に自由(基本的人権)と
表裏一体だ。この商品化の強行には国家権力が不可欠である。
それゆえ所有権は市場のイデオロギーではあるが、国家の
介入なしには形成されない。
746Jimmy:2006/07/08(土) 14:48:21
>>745
イギリスのエンクロージャ運動とブルジョア法体系の成立の関係に
ついて教えてください。この時農地から追い立てられたのは、小作農でしたっけ?
既に封建的な農奴ではなかったような・・歴史の基本なんだがドッチだったか。
747考える名無しさん:2006/07/08(土) 15:10:37
よくしりませんが、
モノの本によると、コピーホルダー(謄本保有者)から
フリーホルダー(自由保有農)への転換期とか
いわれてますね。要するに封建的拘束は
弛緩し小作農化しつつあったのでは。
しかし宇野的に本源的蓄積の意義を
強調したいなら、やはり封建的拘束を
認めたいところでしょうな。
748Jimmy:2006/07/08(土) 15:41:56
>>747
イヤ別に土地緊縛規定が廃棄されて、近代的借地農であっても農業生産に
固定的に従事している限り、実質的な労働市場の形成は阻害されていることに
なる。よって土地からの強権的追い立てがこの時は土地所有者の手によって
推し進められたのではないのか。ただしこれも労働市場の形成を目的としたの
ではなく、土地所有者側が羊毛生産に特化したいがためで、土地から追い立てられた
農民は、無産労働者として都市周辺に流入し、後の綿工業成立期に労働人口プール
として新たな規定を受け取ったというのが、歴史というものだろう。
だからエンクロージャ期の農民について封建的拘束を認める必要は、必ずしもない
ように思う。
749Jimmy:2006/07/08(土) 22:58:11
>>748
法制史はまったく守備範囲にないから、単に理論的な推論をやっているに過ぎないが、
エンクロージャ期には既にブルジョア所有権体系は骨格は出来上がっていたとして、
しかし、いわゆる借地権の所有権に対する優位については未だ確立せず、ということではないか。
それゆえ、農地の所有権者である地主が借地契約を一方的に破棄して、借地農をを
所有地から強制的に排除することが可能になった、という筋書きは「あり」ではないか。
ようは本源的蓄積のうちの二重の意味での自由な労働者の創出と言う事態は、決してあからさまな、
国家権力の介入によるものではないのではないか。むしろそれは家内工業ーマニュファクチュア
経営を問屋制によって支配する商人資本と、地主階級の結託のなせる業であったと。
750考える名無しさん:2006/07/09(日) 01:15:39
http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/nakanishi.htm
初期の「コモンロー」は自律的な資本主義社会の経済法則の反映と呼べるようなものではなかった。そこでの<所有(=財産)>は「契約」によって「交換」されることによってよりも、
「占有」されることによって、また(「交換」ではなく)「譲渡」されることによって(基軸的には「遺贈」/「相続」によって)社会的に承認されるものであった。
つまりここでの「所有社会」としての「市民社会」はなお十分に「市場社会」、市場に売るべきものを持ち出す者たち、
買うべき者を見出す者たちすべてにより組織される社会ではなかったのである。
やがて市場経済の発展は、<所有(=財産)>を「契約」を通じた「取引(=交換)」によって承認された「価値」という尺度でもって新たに意味付け直していく。
「市民社会」は「市場社会」という側面を持つようになる。それが「所有社会」であることになお変わりはないが、
そこでの<所有>は主に市場との関係で社会的に承認されるものへと変貌しているのである。
このような<所有>の新たな定義を、「コモンロー」は主に商業慣行を判例の中に取り込む形でルール化していく。
751考える名無しさん:2006/07/09(日) 01:55:58
『プライドと偏見』(18c末)と『オリバー・ツイスト』(19c)をハシゴで観ると、
「土地の所有(相続)が一大事の時代」が産業革命で「ハンカチの所有(スリ)が一大事の時代」に変わったことが分かります。
752考える名無しさん:2006/07/09(日) 09:56:13
>>750
所有を財産と等値するのは間違いでしょう。
コモンローを近代法に等値するのも間違いでしょう。
封建社会の領主だって財産を「所有」していたのですか
ちょうどエンゲルスが唯物史観の公式を生産手段の「所有者」を
支配階級としたのと同じ間違いでしょう。
これに対して近代的所有は使用・収益・処分の自由をもつ
普遍的・絶対的権利です。それは必ずしも「財産」ではありません。
propertyとownershipの違いでしょうか?
753考える名無しさん:2006/07/09(日) 14:13:52
要するに商品経済一般が共同体を解体するのではなく
労働力と土地の商品化(所有)が共同体を解体するってことね。
だから労働の生産物だから所有できるということではなくて、
土地と労働力が所有されたとき、はじめて労働生産物も
所有の対象になるということ。
これがマルクス的共同体論のエッセンスね。
754考える名無しさん:2006/07/09(日) 16:37:32
青木孝平だぬ〜ん。
俺の高い本買って欲しいぬ〜ん。ぐへへ。
755考える名無しさん:2006/07/09(日) 17:05:44
ちがうちがう!漏れ青木じゃないよォ。
マルクス好きのいち社会思想史OD。
誰かの議論へのレス書いただけっす。
756考える名無しさん:2006/07/09(日) 20:24:17
青木は柄谷や稲葉や松尾や吉原に、
ちゃんと自著を送り付けたのだろうか。
彼らなら何らかのリアクションはするだろう。
あるいはメールでも送ってちゃんと自説を主張したのだろうか?
論敵に真正面から挑まずに何やってんだ?
学会にも身内以外のものには参加してなさそうだし。
表舞台でちゃんと決着着くまで論争してないのでは?
このままだと死ぬまで子供騙しだな。
757考える名無しさん:2006/07/10(月) 01:04:45
経済史では日本についてもイギリスについても、
小農収奪の資本蓄積上の積極的意義はあまり認められていない。
たとえばイギリスやドイツでの労働者階級形成についても、
「土地を取り上げられた食い詰め小農起源説」の当てはまる範囲は狭いとされ、
「人口バランス崩壊に伴う相続財産を持たない食い詰め次三男大量出現起源説」
の方が強い説明力を持つ。
産業化へのテイクオフの準備としては、イギリスも日本も、人口学的なマルサスの罠を逃れ、
早めに少産少死に移行していたこと、本格的産業革命前にすでに小農層まで含めた層の厚く広範囲な貨幣経済が成熟していたこと
の意義が重視されている。(アラン・マクファーレンなど)
758考える名無しさん:2006/07/10(月) 10:45:38
小農って表現はおかしいんじゃないの?
いくら身分的拘束や封建的土地緊縛がなくても、大塚史学的な独立自営農民
じゃあるまいし、地主から土地を借りてる小作農いわゆるリースホルダーの
ことでしょ。そうでなければ領主であれ国家であれ、土地収奪などできる訳
がない。要するにエンクロージャは法制度的には一物一権(一地一主)の土地
所有権の確定ですよね。それによって土地と切り離された過剰労働力がどれ
くらい生じるか、資本がどれくらいの労働力を吸収するかは、各国の資本主
義の蓄積水準や有機的構成によって決まることで、また次元の異なる問題で
しょうけど。
759考える名無しさん:2006/07/10(月) 14:15:06
日本てEthicsとかPolitical Theoryみたいな広く認められてる
権威のある学術誌無いの? でなけりゃどこで議論してるんだ?
760考える名無しさん:2006/07/10(月) 15:49:37
どこでやってもいいと思うが法学よりだと法哲学会か
761考える名無しさん:2006/07/10(月) 16:30:21
『諸君!』『正論』でしょw
762考える名無しさん:2006/07/10(月) 22:48:06
水呑み百姓だべ
片山内閣の農地解放は革命的じゃのうて
763考える名無しさん:2006/07/11(火) 12:48:41
↑ そりゃ、戦後改革=市民革命論という講座派の神話にすぎない。
日本資本主義の確立は明治維新の地租改正に求められるべきだろう。
農地解放は、ケインズ主義=ニューディールの日本版だからね。
764考える名無しさん:2006/07/11(火) 12:54:55
>>759
欧米のリベラル/コミュニタリアンの研究は政治哲学学会が中心で、
社会思想史学会と法哲学学会でも行われている。
分析的マルクス主義とコミュニタリアニズムの関連は経済理論学会で
行われている。それぞれの機関誌がいちおう権威があることになるかな。
765考える名無しさん:2006/07/11(火) 15:19:28
安倍氏が外交理念発表へ、自由・民主をアジアに拡大

自民党総裁選の有力候補である安倍晋三官房長官が政権構想としてまとめた外交に関する論文を近く米国の外交雑誌などに
発表することが10日、明らかになった。
「安倍外交」の哲学として自由、民主主義、人権、法の支配という四つの普遍的価値観をアジアや世界に広める姿勢を打ち出す
のが主眼。
中国と北朝鮮の人権状況について国名を挙げて懸念を表明するほか、北朝鮮のミサイル発射を糾弾することにしている。
関係者によると、安倍氏は、国内外に政権獲得後のアジア外交を不安視する声があるため、総裁選前に外交理念を整理し、
提示する必要があると判断した。
安倍氏は論文で、自由や民主主義などの普遍的価値観を共有できる米豪印3か国などと連携し、アジアを中心にその拡大に
積極的に取り組む方針を打ち出す。
多様な政治・社会体制の国々が混在するアジアや中東との外交でも、相手国の民主化や人権状況を重視する立場を明確にし、
国際社会に「安倍外交」の一貫性を印象づける狙いがある。
また、近隣諸国との相互理解の重要性を指摘したうえで、中国の人権状況について「宗教の自由や言論の自由が圧迫されている」
と懸念を表明。北朝鮮については「自由と民主主義の恩恵を望みながら、それを得られていない多くの人がいる」と名指しで批判する。
安全保障では、北朝鮮によるミサイル発射や日本人拉致事件を強く非難し、日本国民の生命や財産の保護は「国家の責務」と
明記する。日米同盟を強化する一方、自衛隊派遣を含む国際平和活動に積極的に参加する考えも盛り込む。
日本の伝統・文化や歴史の良さを海外に発信していく意向を示し、日本人の国家観や歴史観を踏まえ、終戦直後に制定された
憲法改正の必要性を訴える。靖国神社参拝については「戦没者に哀悼の意を表すことは各国共通の慣習だ」と理解を求める
方向で調整中だ。
経済では、日本を「開かれた国」にするため、規制緩和や自由貿易協定(FTA)などを促進。「技術革新」で日本経済の活力を高め、
環境やエネルギー分野で技術協力も推進する。

ソース:読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060711i101.htm
766考える名無しさん:2006/07/11(火) 16:50:27
>安倍外交」の哲学として自由、民主主義、人権、法の支配という四つの普遍的価値観をアジアや世界に広める姿勢を打ち出す
>のが主眼。 安倍氏は論文で、自由や民主主義などの普遍的価値観を共有できる米豪印3か国などと連携し、アジアを中心にその拡大に
>積極的に取り組む方針を打ち出す。
>日本の伝統・文化や歴史の良さを海外に発信していく意向を示し、日本人の国家観や歴史観を踏まえ、終戦直後に制定された
>憲法改正の必要性を訴える。

自由・民主主義・人権・法の支配という四つの普遍的価値とかいうリベラリズムと
日本の伝統・文化、日本人の国家観や歴史観をふまえた憲法改正というコミュニタリアンな哲学が
まったく何の説明もなく共存してるところが、いかにも小泉ゆずりのインチキ政治家だなw
767考える名無しさん:2006/07/11(火) 19:35:56
外に自由・内に伝統、
お馴染みのパターンじゃないか。
唯我独尊のヤンキー文化。
コミュ二タリアンはこれとどう差別化を図るつもりなの?
768考える名無しさん:2006/07/11(火) 21:43:59
>>767
それを「帝国」と言うのがネグリ=ハート。
「資本=ネーション=ステート」と言うのが柄谷。
「頭の悪いネオコン・ニセモノ右翼」と言うのが宮台。
コミュ二タリア二ズムは、国家を否定しないもの・するもの、
また、超国家的な集団を否定しないもの・するもの、
リベラリズムを否定しないもの・するもの、
混在しており有耶無耶で終わっちゃったってのが実態でしょ?
「違う。」という人は沢山いるだろうけど、
どう「違う」かがまた「人生いろいろ節」に陥ってしまう。
769考える名無しさん:2006/07/12(水) 08:51:17
>>763
実際に農地を所有できるようになった農家は少なくないから、戦後の農地解放は革命的だね。
現実には意味のない論争史上の定義づけはその道のオタクがやればいい。
この手の論を遊ぶことしか自己発現ができないものを腐すつもりは無いけどね。
片山内閣の人員そのものは労農系なのでその事実認識は間違えないように。
770考える名無しさん:2006/07/12(水) 09:01:00
>>490,>>492あたりの見事な微分には感心するね。
ただ、その後の説明を読むと抽象を許さないニュアンスがある。
つまり科学ではないということ。理論を装った宗教か?
この手の語りがどこでも最近は多いね。スガゼミとか。
実はただの「ボクも見て、見て」君か?だろうが‥
771考える名無しさん:2006/07/12(水) 10:34:52
>>770
これは単なる青木氏の本の一部要約でしょ?
たぶんご推察のとおり、スガさんが指導する
東大現代哲学研あたりで青木本を読んだ際の
レジュメかなんかから持ってきたんじゃないの?
772考える名無しさん:2006/07/12(水) 10:45:22
>>769
片山社会党内閣が労農系なのはあたりまえでしょ。
そうじゃなくて戦後改革はアメリカのニューディーラーの
意図を汲んで戦後憲法体制構築の一環としてなされたということ。
いわゆる国家独占資本主義とか福祉国家とか修正資本主義とか
いわれる体制がつくられ、所得の再配分政策が強権的に行われた。
このどこに革命の要素があるのかねえ?私がいいたいのは
片山内閣の性格ではなく、この改革をブルジョア革命ないし
民主主義革命と位置づけるのは「講座派」的偏向だということ。
講座派潮流
773考える名無しさん:2006/07/12(水) 15:25:21
共産板でやってくれないか、そういうの。
774考える名無しさん:2006/07/13(木) 09:16:40
変形マルクス主義者のショボい鍔迫り合いが
コミュ二タリアンのテーマなんでしたっけ?w
775考える名無しさん:2006/07/13(木) 10:01:10
ネオリベ、新自由主義の哲学的基礎には
個人の自由主義を認めるという自由思想があるの?
J.S.ミルの系譜から出てきているような。
市場における個人、私企業の自由な振る舞い、といったときの
「自由」の哲学的基礎はやはりスミスにまで遡れるような
自由思想がある、でオーケー?
776考える名無しさん:2006/07/13(木) 10:35:36
>>775
経済学的には古典派まで遡れるといってよいでしょうが、
スミスには、シンパシー(共感)の哲学がありました。
むしろ新自由主義はリバタリアニズムの影響があり
その基礎にはロックの「自己所有権論」すなわち、自己の
生命と身体は自分のものであり、それをどう使おうと
個人の自由だ、そして自己労働の生産物はあらかじめ
自分のものだという自然法的な社会契約論があるのでは
ないでしょうか?
777考える名無しさん:2006/07/13(木) 11:29:34
新自由主義に哲学的基礎なんてあったのかね。
「反新自由主義」から見出だされた「基礎」でしかないような。
「反ケインズ的学派」ならばルーツはハイエクですか。
スミスも単純な自由至上論者ではないし、
ミルはベンサムから続く功利主義であり、
ハーサニは分配的正義論として功利主義原理を基礎づけている。
シンガーも功利主義として左翼やってる。
778考える名無しさん:2006/07/13(木) 11:36:31
J.S.ミルは福祉重視だよ。
ベンサム的な快楽主義ではなく「不満足なソクラテスがいい」という徳を称揚してる。
779考える名無しさん:2006/07/13(木) 11:45:16
ハイエクらの哲学的基礎ならやはりヒュームに遡るんじゃないかな。
スミスの経済学とヒュームの哲学はパラレルと言って良い。
780考える名無しさん:2006/07/13(木) 12:10:17
自然法的な社会契約論や自己所有権を否定しないコミュ二タリアンっていないの?
781考える名無しさん:2006/07/13(木) 12:56:33
完全に社会契約や自己所有権を承認するコミュニタリアンは
さすがに居ないでしょう。しかし社会契約の一種として
アソシエーションを認める者や、一定の関係性的条件を
つけて自己所有権を認める論者はいるでしょう。
ウォルツァーやテイラーにはその傾向があるんじゃないかな?
782考える名無しさん:2006/07/13(木) 13:14:56
もっとも青木氏のいうように、アソシエーショニズムや
自己所有権論は、コミュニタリアニズムよりもリバタリアニズムに
親和的であり、ノーズィックらが最も精力的に主張しているのは
否定できない事実だけどね。
783考える名無しさん:2006/07/14(金) 09:23:59
アソシエーションって、まだ流行ってるんですか?
田畑さんもシュンとしちゃってるし、柄谷もトーンを変えたみたいだし、
ワーカーズやコム未来の運動もほとんど潰れたみたいだし
リバタリアニズムもこのごろ勢いがない。もっとも
コミュニタリアニズムも細々と続いてる感じだけどね。
784中西克徳:2006/07/14(金) 10:42:09
ちなみに、神の下ではケインズの一般均衡は成し遂げられているはずである。
人の目でみると一般均衡は成し遂げられていないかに見える。四次元的ではないからだ。
785考える名無しさん:2006/07/14(金) 12:44:01
学校で調べてるんですけど、エガリテアリニズムとエンヴァイアランメンタル・プロテクショニズム
ってなにか教えてください。
786考える名無しさん:2006/07/14(金) 14:40:06
一つ目は「平等主義」かな。
二つ目は「環境保護主義」かね。
787考える名無しさん:2006/07/14(金) 18:51:10
egalitarianism(平等至上主義)
青木『コミュニタリアニズムへ』43ページ
リベラリズムの中から登場したTh.ネーゲルに代表される思想潮流。
現代リベラリズムの平等原理は差別一般を否定したが、人々の能力に
もとづく差異を否認する根拠をもたなかった。これに対しネーゲルは、
平等概念を生まれながらの人間の能力の次元まで絞りこみ、それを
多様性における平等と捉えることによって、ロールズ以来自明のことと
された、能力の差異を経済的・社会的報酬や利益に結びつける「基本財
の平等」論に反対する。すなわち、能力の差異ではなく個々人の機能と
ニーズおよびその可能性に応じて財の配分の平等を追及する、現代リベラル
のひとつの到達点を示すものといえよう。
788考える名無しさん:2006/07/15(土) 10:41:46
名前を変えたコミュニズム
789考える名無しさん:2006/07/15(土) 19:35:18
>>788   >名前を変えたコミュニズム

それって、イガリタリアニズムのこと、
それともコミュニタリアニズムのこと?
イガリタリアニズムはリベラルの急進版。
コミュニタリアニズムは反リベラル。
全然違うんだけど・・・。
790考える名無しさん:2006/07/15(土) 22:04:37
コミュ二タリア二ズム(共同体主義)は、
コミュ二ズム(コミューン主義)
と同一ではない。
しかしコミュ二ズム自体には、
コミュ二タリア二ズム・アソシエーショ二ズム双方の要素が含まれていたのではないか?
じゃなければ青木孝平って人は、
学術的根拠に乏しい個人的妄想を、
マルクスの用語を使って語っているにすぎない、
ということになるが。
791考える名無しさん:2006/07/16(日) 01:02:37
>しかしコミュ二ズム自体には、
>コミュ二タリア二ズム・アソシエーショ二ズム双方の要素が
>含まれていたのではないか?

そんなこと、当たり前でしょ?
むしろマルクスはヘーゲル的弁証法をつかって
その二つの矛盾的統一を図っているわけです。
青木氏が言ってるのは、弁証法などというのは
しょせん形式言語的には二律背反であり
論理的一貫性を保持しようとすれば
どちらかに整理しなければならない。
アソシエーショニズム的整理をしたのが
分析的マルクス主義や柄谷、宇野派の山口らであり、
宇野原論自体はコミュニタリアニズムに
位置づけるべきであるというだけのことです。
792考える名無しさん:2006/07/16(日) 01:33:52
じゃ、「全く違う」んじゃなくて青木の主張するコミュ二タリア二ズムは、
コミュ二ズムが種を蒔いた腹違いの異母兄弟のそのまた息子(娘)という感じだね。
本家の米国思想は全く違う血統なわけだけど。
793考える名無しさん:2006/07/16(日) 08:48:40
そうじゃなくて、マルクスを弁証法や唯物論やコミュニズムの
呪縛から解放してやろうということ。そうすればコミュニズム
なんてハナから成り立たなくて、英米のリベラリズムや
コミュニタリアニズムのやや急進的思想のひとつに
すぎないんではないかというころ。だから英米の
現代思想の先駆として評価しようということ。
794考える名無しさん:2006/07/16(日) 11:34:52
そんな「解放」や「評価」なんて誰も頼んでない罠。
795考える名無しさん:2006/07/16(日) 14:04:18
だからマルクス主義なんて、エンゲルスやレーニンやスターリンが
つくった思想で、マルクスとは何の関係もないっていうこと。
もうソ連もコミュニズムもないんだから、自由にマルクスを
読んだっていいじゃんか。ほとんどの左翼がリベラル化して
アソシエーションの方に向かってるから、まったく違う読み方
だって出来るんだってのを示したという意味があるんじゃない?
796考える名無しさん:2006/07/16(日) 14:33:56
反リベラルが、
そんなに自由を主張しちゃっていいんですか?
797考える名無しさん:2006/07/16(日) 14:58:58
名前を変えたスターリ二ズムに帰結する罠。
798考える名無しさん:2006/07/16(日) 18:07:27
そもそもその自由が共同体に制約されているということじゃないの?
799考える名無しさん:2006/07/16(日) 18:57:51
それなら思いっきり厚くて高い本を買おう!
青木孝平『コミュニタリアニズムへ』なんてどうだ!
800考える名無しさん:2006/07/16(日) 19:09:54
↑本の宣伝より自分の見解を述べた方が良いと思うが?
801考える名無しさん:2006/07/16(日) 19:12:55
↑誰か、成りすましがカキコしまくってる。
青木および青木シンパは無関係です。
陰湿な陥れはやめてください。
802考える名無しさん:2006/07/16(日) 19:14:06
自分の見解なんて持たないのが青木信者です。
803考える名無しさん:2006/07/16(日) 19:20:28
>>801が青木関係者です。
804考える名無しさん:2006/07/17(月) 10:56:55
>>799
お金のない人は最寄の所蔵図書館へどうぞ。

http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA56517729
805考える名無しさん:2006/07/17(月) 11:10:49
どれも近くないな。
806考える名無しさん:2006/07/17(月) 11:13:04
それなら思いっきり厚くて高い本を買おう!
青木孝平『コミュニタリアニズムへ』なんてどうだ!
807考える名無しさん:2006/07/17(月) 11:41:24
>>805
県立や市立の図書館の検索を出したいが
やりかたがわからないで、あせってる青木信者。
808考える名無しさん:2006/07/17(月) 11:43:40
買って詰まらんかったら、オマエが保障するのか?
まー買わないで、立ち読みで済ますけど。
取りあえず、反撃材料ぐらいになるか?>>806
809考える名無しさん:2006/07/17(月) 11:52:01
必死だな>>806
810考える名無しさん:2006/07/17(月) 12:04:57
>>806 のカキコは青木派ではなく、アンチ青木派の謀略。
まあ、どっちでもいいことだけど・・・。
811考える名無しさん:2006/07/17(月) 12:48:49
北朝鮮の「主体思想」と、
青木氏のコミュ二タリア二ズムは、結構近い。
812考える名無しさん:2006/07/17(月) 13:18:55
バイアスを強調する思想には暴力がつきもの。
彩香ちゃんや豪憲君を救えたかもしれないのも、
家族・共同体的拘束力ではなく、
リベラルでグローバルな法体系に基づくネットワークのみ。
近隣住民も学校も、知ってて救えなかったではないか。
813考える名無しさん:2006/07/17(月) 13:34:32
ひどい誤解ですね。北のチュチェ思想は、
自他ともに認めるようにカントの主体性論を
マルクス主義の階級意識に適用したものです。
宇野派の鎌倉氏がマルクスのカント的解釈を通じて
金日成の評価にいたったのは有名な話でしょう。
青木氏は、構造主義や広松関係主義の評価によって、
マルクスや宇野に残る超越的主体を全面否定し、
コミュニタリアニズムに至ったわけでしょう。
カント、梅本、黒田の主体性論とさえ対極に位置します。
むしろカント的主体の倫理的評価という点では
柄谷氏の方がはるかにチュチェ思想に近いのでは・・・。
814考える名無しさん:2006/07/17(月) 13:54:27
カントから独裁国家なんて出てこない。
関係主義のみで閉じたまま押し切るから、独裁が正当化される。
815考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:20:23
それなら思いっきり厚くて高い本を買おう!
青木孝平『コミュニタリアニズムへ』なんてどうだ!
816考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:26:51
>>814
いま問題にしているのは、北朝鮮の国家体制の問題ではなく、
チュチェ思想の問題です。チュチェ思想が、カントの人格論、
すなわち選択対象としての目的に先立つ道徳律の基礎付けを
経験的属性をいっさい削ぎ落とした純粋な選択能力としての
超越論的自我を、マルクス主義の労働者的主体性に結びつけて
つくりだされたイデオロギーであることです。
北朝鮮が独裁国家であるのは事実にしても、その国家理念は
過剰なまでの人民の主体性の強調に置かれています。こうした
先見的主体性論の形而上学性を「負荷なき自我」として批判した
のがコミュニタリアニズムです。なおH・アーレントが指摘する
ように、、ナチスであれ金日成であれ、独裁体制は常に
イデオロギー的には大衆の主体性を称揚し、ファナティックな
民衆の「主体」的支持によって正当化される、ある種の
ポピュリズムを前提として成り立つと思います。この意味で
アイロニカルですがカント的主体から全体主義が招来する
可能性は常に存在します。
817考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:40:27
>経験的属性をいっさい削ぎ落とした

カントのどの本の何ページに
そんな主体が出てくるかね。
読んでもいない思想家の名前を
批判対象のシンボルにする奴はみんな詐欺。
818考える名無しさん:2006/07/17(月) 16:43:05
青木尊氏は読んでもない思想家を流通している通俗的イメージに訴えて批判しまくりんぐです
819考える名無しさん:2006/07/17(月) 19:10:23
>>817
スマソ。いちおう目を通しただけで、なんとなく雰囲気と
メクラ打ちの流れでカキコしてしまった。ちゃんとカント
を読んでないのは認める。でも、金日成と鎌倉孝夫の
「チュチェ(主体)思想」がカント的人格論の影響を受けて
いるのは間違いのない事実です。ゴメン。
820考える名無しさん:2006/07/17(月) 19:51:41
この本を読んでみてキボンヌ。チュチェ思想とカント的主体の関係がわかる。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4639015534/249-1580740-1338724?v=glance&n=465392
821考える名無しさん:2006/07/17(月) 22:28:14
>>820
分かったから柄谷スレで自演すんの止めれ。
822考える名無しさん:2006/07/18(火) 16:16:51
>>821
分かったから柄谷スレから出張するのは止めれ。
823考える名無しさん:2006/07/19(水) 02:05:09
そして誰もいなくなった。
824考える名無しさん:2006/07/19(水) 16:18:12
青木先生は本でいくらコミュニタリアニズムを語っても
他人を拒絶する徹底的に孤独好きのその偏屈な性格は
リバタリアンを絵に描いたような人物だからな。
レーニンがレーニン全集の中にだけあるように
青木コミュニタリアニズムは本の中にしかない。
まあ、柄谷のアソシエーショニズムだって
NAMにはならない柄谷の脳内絵図だけどね。
825考える名無しさん:2006/07/19(水) 16:23:06
リバタリアンが孤独好きで偏屈?
826考える名無しさん:2006/07/19(水) 16:23:21
社会思想なんてしょせん知的ゲーム。
マジで未来を語る椰子はみんな宗教。
論理的整合性だけ楽しめばいい。
賢い読者はそれ以上期待してないよ。
827考える名無しさん:2006/07/19(水) 16:29:18
>>825
日本のホンモノのリバタリアンは一ツ橋なんかにいないよ。
こないだ死んじゃったけど、日本で最後のリバタリアンは
玉川信明先生ただひとりだった!孤独で偏屈の典型ね。
828考える名無しさん:2006/07/19(水) 19:03:17
>>827
どうでもいい大衆を挙げるなw
829考える名無しさん:2006/07/19(水) 19:35:58
玉川信明セレクション全8巻(社会評論社)を知らんのか?
現代日本で最後で最大の大物アナーキスト=リバタリアンだよ。
もっとも本人は最期まで、自分のことをリバータリアンと
「−」を入れて自称していた。革マル派のクロカンの
無二の親友としても有名だ。知らないのは自分が無知なだけ。
830考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:41:56
>>826
なるほど『コミュニタリアニズム』に未来なんてないわな。
しかし論理的整合性だけで推していく知的ゲームとしては
それなりに面白い本だった。青木氏には会ったこともないが
たしかに偏屈で人間嫌いの個人主義者だろうと本から察しはつく。
往々にして書物とは著者の自己嫌悪を反転するカタルシスだから。
831考える名無しさん:2006/07/20(木) 10:02:07
新自由主義というのは市場で人々が合理的に自分の利益を
追求するという経済学のモデルに立脚してるの?
つまりネオリベは、個人の自由意志を認めている?
所有についても、変な言い方だけど、人は自発的に所有する、という
考え方でオーケー?
832考える名無しさん:2006/07/20(木) 10:39:32
>新自由主義というのは市場で人々が合理的に自分の利益を
>追求するという経済学のモデルに立脚してるの?

ここまではOK!しかしこのあとは?
自発的な財の所有以前に「自己所有権self-ownership」を前提とする。
つまり自分の生命や身体、意思そのものを自分が所有していると考える。
だから自己決定すれば、自分が自分をどうしようと勝手でしょ、となる。
そこから自分の身体を使って作った財は自分のものと敷衍される。
順序でいえば、自己所有→自由意志→財の所有→市場的合理主義かな?
ちなみに自己所有権から自殺権や同性婚、臓器売買、麻薬吸引も
正当化される。


833考える名無しさん:2006/07/20(木) 10:52:41
売春の合法化もそうだね。
834考える名無しさん:2006/07/20(木) 11:42:16
>>832
解答ありがとう。自己所有の概念に意思も含まれるのなら
自己所有が最初に自明の前提とされている以上、自由意志も
(正しい順序としては所有→意思がつくけど)殆ど最初から
自明視されていると考えてよいよね
835考える名無しさん:2006/07/20(木) 12:56:55
言い忘れたけど、自由意志には危害原則という制約が課せられる。
ロック=ノージックによれば、他者に危害を加えないかぎり、
個人の自己決定による意思行為は全面的に自由であるという。
これを愚行権と呼んで他者危害がないかぎり、客観的にみて
いかなる愚かしい行為でも、それが本人の自由意志に基づく
ものであるかぎり無条件で承認される。
836考える名無しさん:2006/07/20(木) 13:36:43
そんなわざわざ教科書に載ってるようなことを・・・
837考える名無しさん:2006/07/20(木) 14:42:40
コミュニタリアニズムというのはロック=ノージックの
自己所有の考えを礎にしているのかね
838考える名無しさん:2006/07/20(木) 16:16:07
>>837
アホか?ジョークか?
ロック=ノージックの自己所有権論はリバタリアニズムの礎。
コミュニタリアニズムはそういう人間観を「負荷なき自我」と
呼んで全面批判してるんだよ。
839考える名無しさん:2006/07/20(木) 17:46:11
アホ木派もういいよ
840考える名無しさん:2006/07/20(木) 21:33:29
>>838
釣られるなよ、アホ
841考える名無しさん:2006/07/20(木) 23:23:43
>>839>>840
小学生みたいにヒトのことをアホ、アホいうな。
論理のないところにアホという言葉が踊る。
真正のアホ。本物のアホ。アホの中のアホ。
842考える名無しさん:2006/07/21(金) 01:48:52
>自発的な財の所有以前に「自己所有権self-ownership」を前提とする。
>つまり自分の生命や身体、意思そのものを自分が所有していると考える。
>だから自己決定すれば、自分が自分をどうしようと勝手でしょ、となる。
>そこから自分の身体を使って作った財は自分のものと敷衍される。
>順序でいえば、自己所有→自由意志→財の所有→市場的合理主義かな?
>ちなみに自己所有権から自殺権や同性婚、臓器売買、麻薬吸引も
>正当化される。
↑これを「負荷なき自我」と呼んでいるのはなぜ?
843考える名無しさん:2006/07/21(金) 01:53:28
馬鹿だからじゃない?
844考える名無しさん:2006/07/21(金) 08:46:55
>>842
人間は他者との関係・紐帯・絆のなかで「私とは誰であるか」が
決定される。つまりアイデンティティは対他反照的につくられる。
こうした他者と共生する場所である社会=共同体を一切無視して
それに先立って超越的に主体=自我があるというのは幻想だから。
845考える名無しさん:2006/07/21(金) 08:56:03
>>844
回答ありがとう。
846考える名無しさん:2006/07/21(金) 10:39:11
>>844の説明は分かったが
それがなぜ「負荷」という名前で呼ばれるのか分からん
847考える名無しさん:2006/07/21(金) 11:48:53
アホ木派はアホ木の負荷ありまくり。
雇用労働者向けの理論だよ。
行儀のよいケツ舐め「社畜」たれ右へ倣えということだ。
「他者を手段としてのみならず目的(自由)として扱え」じゃなく、
「手段である他者の手段であれ」
848考える名無しさん:2006/07/21(金) 12:00:48
で、その「負荷なき自我」を批判するコミュニタリアニズムによると、
その「愚行権」は否定されるわけですか?
他者に危害を加えないのなら、別に否定する理由はないような気がするのですが。
849考える名無しさん:2006/07/21(金) 13:02:18
自我は社会関係の負荷によって始めて構成される訳だから
それぞれの共同体の伝統や文化、宗教や慣習、
纏めて言えば「善」に規定され「善」を推進するとき
はじめてそのアイデンティティを獲得しうる。
自殺権、同性婚、臓器売買、麻薬吸引、売春の合法化といった
愚行権は共同体の善を破壊し社会を崩壊に導くばあいには
法的にではなく倫理的に否定されることになる。
850考える名無しさん:2006/07/21(金) 13:15:16
>>849に倫理語られると癪に障るの何でだろ〜うw
851考える名無しさん:2006/07/21(金) 13:19:04
負荷なき自我として超越的主体の想定を批判することは
そのような自我よりも共同体が先行しており、主体は
共同体の論理=倫理に拘束されるということになる。
前にこのスレでも話題になったけど、同じく共同体を唱える
保守思想との区別がよく分からない。西部邁が言っているような
伝統的共同体を保守する思想とどこが違うのか。
852考える名無しさん:2006/07/21(金) 13:20:47
他の否定されるべき愚行権として、近親姦、人肉食などもある。
853考える名無しさん:2006/07/21(金) 13:21:59
共同体といっても、その内実は、複数あり、多層的に
存在しているものだろう。そうすると家族から始まって
隣近所や村や町、といった共同体同士の利害関係を
調整するのはどうしたらいいのだろうか。より上位の
共同体の論理=倫理を要請せざるを得ないのではないのか。
それは最終的には国家に行き着かないだろうか。
国家主義との区別もよく分からない。
854考える名無しさん:2006/07/21(金) 13:23:32
朝、姉ちゃんが俺の部屋に起こしに来てたんだけど
俺は連日の2ch閲覧による夜更かしで眠すぎて起きれなかったんだ
全然起きる気の無い俺を見て、姉ちゃんが部屋に入ってきて、俺に馬乗りになる
鬱陶しいなーとか思ってると、姉ちゃんが寝てる俺の耳元で

「朝だぞおおおお早く起きなさああああい」

寝起きの悪い俺は姉ちゃんにムカついてガバっと起きた
「キャッ!!」
起きた瞬間俺の唇に何か柔らかい感触、びっくりして目を開けたら
俺が急に起きたせいでベッドの上に転んでる姉ちゃん
「え・・・と、今口に何か当たったんだけど・・・」
「ん・・・んー?wなぁに?w」

二人でちょっと無言になっちゃったけど気づくと姉ちゃんの手が俺の股間に乗ってるのがわかった
「ちょっと姉ちゃん、とりあえず降りて、ベッドから降りて!」
俺は焦って、慌てて姉ちゃんをどかそうとする。
「なによwせっかく起こしてあげたのにー・・・あ、そっかwコイツのせいかw」
俺の股間の硬さに気づかれた、俺は思わず逃げようとしたが寝起きで力が入らない。

「ちょっとおとなしくしててw」

そう言うと姉ちゃんが両手で俺の股間に手を置き、触りだした。
初めて他人に触られる俺の股間・・・みるみるうちに大きく膨れ上がるのが自分でわかった
「あ・・・wおっきくなってきた・・・もうwしょうがないなぁw」
そう言うと姉は俺のトランクスの中に手を入れてきて

長くなりそうなんで続きはこっちで↓
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/souji/1150284363/
855考える名無しさん:2006/07/21(金) 14:01:26
青木派はコミュニタリアンじゃなくて脳足リアン
856考える名無しさん:2006/07/21(金) 15:16:40
>>851>>853
2点問題がある。
1つは、共同体という実体はない。それは初めから関係概念である。
超越論的自我と同様に超越論的共同体も否定される。
2つは、共同体相互の利害調整という現実的問題。
自己の帰属しない共同体なるものは問題とならない。
りあるポリティクスではないので利害対立や紛争という
問題はもともと射程にない。いえるこよは自己に
最も身近な共同体から次に家族、近隣、民族、世界という
ように重複的に自我は構成される。自己にとって最も身近な
最愛の共同体を尊重せずに、どうして民族や世界を愛せよう。
そういうのは偽善でしかない。したがって上位の国家が優先
されることはありえない。だいいち国家stateというのは、
共同体ではなく組織にすぎない。このばあい民族はnation
ではなく、むすろエスニシティを意味する。
857考える名無しさん:2006/07/21(金) 15:36:48
>>856
一方で「共同体という実体はない」と言いつつ、
他方で「最愛の共同体を尊重せずに、どうして民族や世界を愛せよう」
と言う。この後者で言われている「最愛の共同体」という言い回しには
明らかに実体概念として共同体を捉えてるフシが見えるけれど、どうですか
858ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/21(金) 16:47:16
>>856
共同体は絶えず外部との対立関係で考えないといけない。
最も身近な共同体から家族、近隣、民族、世界という
ように重複的に自我は構成され、自己にとって最も身近な
最愛の共同体を尊重するとしても、
対立がないところには、帰属は表面化しない。
上位の国家に他国家との大きな対立が生まれれば、
国家への帰属意識がもっとも浮上する。
859考える名無しさん:2006/07/21(金) 19:07:15
>>857
最愛の共同体という表現がまずければ
最も大切な関係と言い換えます。
>>858
だから国家は共同体ではないちゅーに。
国家はヒエラルキーによって制度化された組織。
英米系の国家論では社会契約体だから
アソシエーションといってもよいかも。
860ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/21(金) 19:12:29
>>859
柄谷のようにボロメオの輪で見ても良いでしょうが、
純粋な「国家」は存在しません。というように読めると思いますが・・・
861ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/21(金) 19:23:58
「共同体という実体はない」ということは、逆説的には
なにものも共同体たりえるということでしょう。
その共同体の実体化は対立を元にする。
2ちゃねらーという共同体は、マスメディアで2ちゃねらーはクズだと
言われたときに表れる、みたいなことですね。
これは2ちゃねらーという実体はないと同じ意味です。
だから国家が強い共同体足り得ることもありえる。
ということです。
862考える名無しさん:2006/07/21(金) 21:02:25
>「共同体という実体はない」ということは、逆説的には
>なにものも共同体たりえるということでしょう。

ちがいます。共同体とはゲマインシャフトリッヒな関係態
であるという意味であって、ゲセルシャフトリッヒないし
アソシエーショナルな関係態ではないという意味です。
国家(中央集権権力)は、社会のアトミズムを幻想的に
統合する組織態であり、コミュニティとしての共同体
では、ついにありえませんでした。
863ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/21(金) 21:11:31
>>862
それ自体を否定しているわけです。
言葉の定義としてはそれでよくても・・・
定義としての純粋な国家も、共同体も存在しない。

そもそもそのようは定義は後付けでしかないのですから。
いまの自分がなににどのように帰属しているかは、
明確ではないのですよ。
たとえば日本国民であることは契約であっても、
それ以上に帰属意識を持ち得ているわけです。

ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトの脱構築といいましょうか、
柄谷的にボロメオの輪といいましょうか・・・
864ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/21(金) 21:25:00
>共同体とはゲマインシャフトリッヒな関係態
>であるという意味であって、ゲセルシャフトリッヒないし
>アソシエーショナルな関係態ではないという意味です。

たしかに「共同体」とはなにかの足場は必要ですね。
ボクはより広義の意味、コミュニティに近いものとして語っています。
そのようなコミュニティがあり帰属しているという人々の思いによって
維持されているようなコミュニティです。
865考える名無しさん:2006/07/21(金) 22:07:40
でも、ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnwさんみたいに共同体の定義を広げたら
何でも共同体になってしまう

「殺人共同体」とか「強姦共同体」とか、、、なんでもありだ

歯止めをつけるならアソシエーションを考えざるをえない
866考える名無しさん:2006/07/21(金) 22:28:04
私は共同体を自我に先行する関係性という意味で使用します。
アソシエーションのように、あらかじめ自由な個人を想定し
その個人が任意に結成したり参加したり離脱したりするものは
共同体(コミュニティ)には含まれないのです。
867考える名無しさん:2006/07/21(金) 22:40:38
現実として、スポーツ新聞やダブロイドにて売春/買春情報が満載されてる
オヤジ連の「売春/買春共同体」は現存しているし「援助交際」にしたって
共同体の犯罪だ
868考える名無しさん:2006/07/21(金) 22:53:13
このようなアソシエーションとコミュニティの区別は
青木氏も紹介しているように、マッキーヴァによる
ものです。たとえばマッキーヴァは家族という社会集団を
二重に定義しました。まず子供が誕生する場所としての
家族(親)は、少なくとも子供の意思によって選択できません。
これを定位家族と呼び、個人に先行する関係性として
コミュニティとみなしました。これに対して、男と女が
自由意思で形成する家族を生殖家族と呼び、個人の任意
加入集団としてのアソシエーションに属するものと規定
しました。市場経済の発達とともに、人間は社会関係を
契約に擬制しアソシエーションが拡大してゆくのは事実
でしょう。しかし社会には必ず個人の意思から独立した
社会関係が存在します。もっとも分かり易い例として
インセストタブーを想起してください。それは人間社会
の最低限の負荷であり倫理です。これを私たちは共同体
=共通善(コモン・グッド)と呼んでいます。
869考える名無しさん:2006/07/21(金) 23:16:14
例えば、太陽系の、地球の、日本の、
秋田県の、山本郡の、藤里町の、畠山家の、
彩香さん(当時9歳)は、畠山家のゲマインシャフトリヒな善に従い、
アイデンティティを獲得した。
(例えば、男が来ている時には冬空の下でも一人で遊ぶ等)
近隣住民および学校はゲゼルシャフトリヒな観点からは「おかしい」と思いつつ、
ゲマインシャフトリヒな藤里町の善(場の空気と言っても良い)に従い、
ゲゼルシャフトリヒな「児童虐待の防止等に関する法律」には従わなかった。
しかし、自分のアイデンティティ元である男とのゲマインシャフトリヒな善を優先した
母親鈴鹿によって殺害された。
藤里町も秋田県警もゲマインシャフトリヒな善に従い、鈴鹿を事情聴取せず、
豪憲くんという第二の犠牲者を出した。
日本のマスメディアもゲマインシャフトリヒな善に従い、
鈴鹿の主張を散々公共の電波・活字にたれ流し続けた。

この事態をコミュニタリアニズムからいかに考えたらよいか。
私にはわからない。
ゲマインシャフトリヒな関係を離れたところに生命を守るものがあるのではないか?
アイデンティティを守って生命を失わせて「善い」のだろうか。
そんなアイデンティティこそ「偽善」「幻想」なのではないか?
870考える名無しさん:2006/07/21(金) 23:17:51
アホ木派はアホ木スレ立ててそこでやってくれ
871ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/21(金) 23:30:21
>何でも共同体になってしまう

しかしそう簡単ではない。
「最も身近な共同体から家族、近隣、民族、世界というように重複的に自我は
構成される」なら、自由度があるようにないのです。それは自らの血であり肉ですから。
共同体はそんなに容易に出たり入ったりできるものではないのです。

>インセストタブーを想起してください。それは人間社会
>の最低限の負荷であり倫理です。
>これを私たちは共同体=共通善(コモン・グッド)と呼んでいます。

構造主義でいう象徴秩序ですが、これはボクがいう共同体の一部です。
自由度があるようにないのは、帰属意識は拘束しあう関係でもあるからです。

たとえば市場でさえ、その原理ほど自由で対等ではない。商品を買い、所有することが
オタク・マニアのように帰属意識をともない、自我の肉付けの一部になります。
その帰属が強くなると、いつのまにか、オタクとは、マニアとは、という拘束をともないます。
それは肉となり、そう簡単に破れない。

その意味で自立した諸個人の自由で対等なネットワークとしてのアソシエーションは
いかに可能かということは難しい問題です。
872ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/21(金) 23:40:57
>>869
ゲマインシャフトとゲゼルシャフトを自由に使いすぎではないですか。
たとえばこの二つだけで、すべての犯罪は説明するなら、
その帰属すべてを還元してしまいあまりに問題が簡単になってしまう。
873考える名無しさん:2006/07/22(土) 00:46:34
>>872
全ての犯罪というより、
「犯罪」を普遍の犯罪として成立させていく力がゲゼルシャフトにはあると俺は思います。
全ての犯罪はまだない。永遠にない。
あるゲマインシャフトではオッケーでも、あるゲマインシャフトでは駄目。
ある時代のゲゼルシャフトではオッケーでも、ある時代のゲゼルシャフトでは駄目。
時間とともに合法化も増えるが違法化も増える。つまり法が増える。
法で雁字搦めになってウザイのは分かります。でも守られるものはある。生命です。
自由よりも財産よりも平等よりも友愛よりも、まず生命です。全ての。
青木派コミュニタリアンの言う、
ゲマインシャフトで「善」とされるものがバラバラのままでもそれが「善」であるという、
その理屈でローカルなアイデンティティを保っても、
そのクライシスが生命的抹消を伴っては余計なお世話かもしれんが悲しいというより、
巡り巡って、俺が損かもしれない。彩香ちゃんはベッピンさんになって、スーパーモデルになってたかもしれない。
青木もビックリのコミュニタリアニズムの論客になってたかもしれない。
その意味で俺はリベラリストでもリバタリアンでもなく、ユーティリタリアンです。
体制なんてどれでもいい。動物・生命・地球環境の全体最適が実現できれば。
ヒューマニズムではないです。人間オンリーの話じゃない。
874ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/22(土) 01:20:39
>「犯罪」を普遍の犯罪として成立させていく力がゲゼルシャフトにはあると俺は思います。

危険ですね。複雑なものは複雑にみないと、安易な還元は危険です。

>その意味で俺はリベラリストでもリバタリアンでもなく、ユーティリタリアンです。
>体制なんてどれでもいい。動物・生命・地球環境の全体最適が実現できれば。
>ヒューマニズムではないです。人間オンリーの話じゃない。

これも単純化しすぎですね。これが本当なら、人間の命が軽くなりすぎます。
環境問題はなんといっても人間中心主義です。人間が生き残るために、
環境の多様性を保つのですね。

特に経済とは自然との関係であり、下部構造であるなら、
もう少し丹念に考えないと、コミュニタリアニズムもなにもないような・・・
875考える名無しさん:2006/07/22(土) 04:14:23
自我の形成に先だって存在して影響を及ぼすという意味で、言語的共同体はやはり決定的な共同体と言えるんじゃないか。
しかし標準語を選べば日本と言う国家を覆ってしまうし、地方なら方言を共有する範囲を考えることもできるし
家族内方言が最も先に学習される言語だし、スケールの取り方は様々だが。
876考える名無しさん:2006/07/22(土) 06:20:23
青木信者の次はぴかぁか。
完全に電波発信基地へと
堕してしまったな。
877考える名無しさん:2006/07/22(土) 09:55:46
コミュニタリアニズムは構造主義の成果を取り入れた
とのことですが。それとは関係なく、
広松渉の関係主義の哲学との親近性はありますか
878考える名無しさん:2006/07/22(土) 12:03:24
ない。(ただし青木の妄想を除く)
879考える名無しさん:2006/07/22(土) 14:26:00
アホ木派とばかぁ〜は別にスレを立てるといいと思うよ
880考える名無しさん:2006/07/22(土) 16:33:18
コミュニタリアニズムは関係としての共同体を前提に
個人を考えるようですが、個人の自由意志は共同体の
習俗・伝統などに制限されることを主張するのですか
881考える名無しさん:2006/07/22(土) 19:05:39
個人の意思が共同体によって制限されるのではなく、
構成されるのです。個人なるものは裸で存在するのではなく
共同体の文化の学習と継承によって初めて気分が誰かを
理解できるのです。共同体は個人の自由に対する制限では
なく、逆に個人の自由とアイデンティティの原泉であり
根拠なのです。
882ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/22(土) 20:08:11
>>881
制限と構成は同じものの見方ですね。
このような個人と共同体の関係はリベラルでもなんでも見られる。
だからなにを共同体と呼び、どのように構成することで制限するかが
問題なのでしょう。

883考える名無しさん:2006/07/22(土) 20:54:52
何度も書きますが、
人間とは自己を何と考えるかではなく
「人間とは社会関係のアンサンブル」(マルクス)
以外にありえないのです。ここに
コミュニタリアニズムの原点があります。
884考える名無しさん:2006/07/22(土) 21:04:43
「人間とは社会関係のアンサンブル」(マルクス)
以外にありえないは、構造主義などいまは一般的です。
885考える名無しさん:2006/07/22(土) 21:22:55
>「人間とは社会関係のアンサンブル」(マルクス)
>以外にありえないのです。ここに
>コミュニタリアニズムの原点があります。

だったらコミュニズム=共産主義で、いいんじゃない?
コミュニタリアニズムってわざわざ名乗るのなら、なにか別の理論があるのか?
886考える名無しさん:2006/07/22(土) 23:06:37
現代のマルクス主義は、アナリティカルマルキシズムや
現象学的マルクス主義、アソシエーショニズム、
リベラル左派など方法論的個人主義と社会契約論が主流です。
これらがマルクス=コミュニズムを僭称しているかぎり
われわれはマルクス主義ではなく、コミュニタリアニズムを
名乗らなければならないのです。
887考える名無しさん:2006/07/22(土) 23:12:01
じゃあ、コミュニタリアニズム=コミュニズムって言えば良いじゃん
888考える名無しさん:2006/07/23(日) 00:57:49
>>886
オマエ、二言目にはそればっかだなw
名乗りは勝手にやれだけど、傍から観れば皮はコミュニズムだよ。
肉(方法論)が違うだけで。
コミュニズムと言う名のリベラリズム
コミュニズムと言う名のコミュニタリアニズム
コミュニズムと言う名のリバタリアニズム
逆では無い。見た目を変えたいなら、
青木はマルクスおよびマルクス主義方法論に拘るな。
あと、社会評論社からなんて本出すな。
マルクス畑から出てきて勝負しろ。
889考える名無しさん:2006/07/23(日) 01:04:24
共同体は通時的なものもある。シオニズムでそれは代表されるだろう。
890考える名無しさん:2006/07/23(日) 01:15:03
青木スレを立ててください。ちゃんとID出る板で。
多分、青木派のねらーなんて本人とアンチ青木派入れても多くて片手で充分だろう。
議論(洗脳?)もしやすいと思うよ。
891考える名無しさん:2006/07/23(日) 01:24:34
社会思想としてコミュニタリアニズムは何を目指しているの?
構造主義の成果として超越的主体としての個人は否定する。
共同体というけれど、保守思想と違ってそれは実体概念ではない。
では、何に依拠して社会を考えるのか。また現状の社会に対する
オルタナティブは提示しない、という社会思想なのか。
892考える名無しさん:2006/07/23(日) 01:25:19
>>890
それができないのが青木派クンの弱み。
だって、できなくなるじゃん。あれが。
え? 得意のあれだよあれw
893考える名無しさん:2006/07/23(日) 01:28:29
>>891
本場のコミュニタリアンは構造主義の成果など踏まえていないと思うけど。
誰かいたっけそんな哲学者。アメリカに。
894考える名無しさん:2006/07/23(日) 04:59:21
つうか、コミュニタリアニズムが何だとか構造主義が何だどうだとか、
そういうアホみたいに大上段なラベルで云々するのは
止めてほしいのである。せめて思想家の個人名でやってくれ。
895考える名無しさん:2006/07/23(日) 08:08:28
某青木孝平氏は構造主義を継承している
896考える名無しさん:2006/07/23(日) 12:12:13
青木以外は知らないんだろどうせ。
897考える名無しさん:2006/07/23(日) 12:38:22
釣られるな、アホ
898考える名無しさん:2006/07/23(日) 12:55:53
本場のコミュニタリアンは共同体を実体的に捉えているのかね
また、個人はやっぱり社会的総関係のアンサンブルに過ぎず
超越的主体なるものは否定しているのかね
899考える名無しさん:2006/07/23(日) 14:03:43
>>898
釣り?
900考える名無しさん:2006/07/23(日) 19:22:30
900get
「里の思想」を応援しよう
901考える名無しさん:2006/07/23(日) 23:41:57
政治哲学と経済哲学、法哲学をクロスオーヴァーさせた
リベラリズム批判。青木孝平『コミュニタリアニズムへ』は
10年に1冊出るか出ないかの名著。いまや古典となった。
902考える名無しさん:2006/07/24(月) 12:01:17
もう古典になったのか。早いなぁ。
この青木氏の考えに影響受けた人っているの?
信者は別として。
903考える名無しさん:2006/07/24(月) 17:25:34
千人にも読まれていない本が、
古典なわけないんだよ。
904考える名無しさん:2006/07/25(火) 00:08:51
青木信者は、
小田中直樹『日本の個人主義』(ちくま新書)を批判してください。
905考える名無しさん:2006/07/25(火) 15:43:04
青木の人糞こねくり散らかして終わったなこのスレもw
906考える名無しさん:2006/07/26(水) 19:30:23
青木信者は夏休みか?
907考える名無しさん:2006/07/27(木) 18:13:44
自演がばれたから布教活動しづらくなったんだろ。
奴の消えてくパターン。
908考える名無しさん:2006/07/28(金) 19:17:35
青木さんの分厚い本よりもイケメン山城むつみさんの「生産協同組合と価値形態」のほうが
薄くても面白いですね!
909考える名無しさん:2006/07/28(金) 19:20:36
あいつはおせっかいな奴なんだ
責任感という感じでやってるから、
どういう様子であれやたらに熱いんだ
910考える名無しさん:2006/07/28(金) 20:03:07
おいおい、ちゃんと読み比べたのかい?冷静かつ客観的にみて
山城では、マルクス=宇野価値形態論の理解のレベルが
青木の足下にも及んでない。残念ながら資本論研究の水準に
あまりにも差があり過ぎる。
911考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:20:43
あ、まだいたの。青木派。
912考える名無しさん:2006/07/28(金) 22:06:59
>>911
青木信者じゃないから、
冷静で客観的に比べられる。
913考える名無しさん:2006/07/28(金) 22:38:47
あっそ。
914考える名無しさん:2006/07/29(土) 21:31:34
それなら思いっきり厚くて高い本を買おう!
青木孝平『コミュニタリアニズムへ』なんてどうだ!
915考える名無しさん:2006/07/30(日) 08:30:29
対価に見合う交換価値が見いだせません!
916考える名無しさん:2006/07/30(日) 09:47:57
↑ マルクス価値形態論の初歩的無理解だな。
それもいうなら「対価に見合う使用価値が見いだせません!」だろ。
相対的価値形態の商品の価値は、他の商品の使用価値によって表現される。
マルクス的に言うならこんなのもあるよ、「プディングの味は食べてみて
初めてわかる。」要するに、読まずに評価できないってこと。
917考える名無しさん:2006/07/30(日) 11:18:25
ヴェァ〜、不味い。
もう一杯!
918考える名無しさん:2006/07/30(日) 11:32:49
青木のことが嫌いにならずにいられない。
919考える名無しさん:2006/07/30(日) 16:16:23
青木孝平っていいよなぁ
920考える名無しさん:2006/07/30(日) 23:44:01
921考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:32:05
ワロタ。「どうだ!」ってww
id出るとこでやれっつったろ。
922考える名無しさん:2006/07/31(月) 12:22:03
青木派がだれもいなくなってから新スレ立ててもダメポw
923考える名無しさん:2006/07/31(月) 16:24:19
新スレは、完全にホメゴロシを狙った、
デッチアゲだぜ。
青木派も反青木派も、
まともな議論をしたい椰子は
近づかない方がいいよ。
924考える名無しさん:2006/07/31(月) 16:56:24
青木氏と無関係な一部の信奉者が悪乗りをして
宣伝まがいに本をやたらと褒めるから、逆に
これまた本を読んでもいない一部の無関係な者が
過剰に反発して、アラシとホメゴロシに走る。
この悪循環が続けば続くほど、迷惑するのは
青木氏本人だろうな。もっとも、青木氏は
2ちゃんねるで自分が晒し者にされてるなんて
ぜんぜん知らないだろうけどね。
925考える名無しさん:2006/07/31(月) 23:38:07
926考える名無しさん:2006/08/03(木) 10:15:07
新スレ潰れちゃったのね〜〜
927korosiya:2006/08/03(木) 10:27:11
watasihaaokisitoah
issaikannkeiganaiorehawatasinohukushuudearu
928考える名無しさん:2006/08/04(金) 21:06:31
わ、コミュニタリアンスレについに殺し屋が。
殺される〜〜逃げろ〜〜

青木孝平っていいよなぁ
929考える名無しさん:2006/08/07(月) 17:33:17
政治思想板池
930考える名無しさん:2006/08/07(月) 18:17:59
どうせもう消えてくのに上げるなよ。
931考える名無しさん:2006/08/07(月) 19:48:53
青木孝平っていいよなぁ
932考える名無しさん:2006/08/07(月) 23:21:59
↑ ネットウヨ乙!
933考える名無しさん:2006/08/08(火) 01:26:51
青木孝平を褒める奴はネットウヨなわけね。了解。
俺、ウヨは生理的に嫌いだから青木孝平もダメだろうな。以上。
934考える名無しさん:2006/08/08(火) 10:37:37
政治哲学一般スレすら過疎化してるのに、無理だろ
935考える名無しさん:2006/08/08(火) 15:10:56
政治思想板ってくだらない政治家の雑談ばかりだ
936考える名無しさん:2006/08/08(火) 21:26:22
青木孝平はまたまたいいですなぁ
937考える名無しさん:2006/08/09(水) 19:30:45
↓ 青木孝平信者の決め付け詐欺商法(その4)
938考える名無しさん:2006/08/10(木) 17:18:32
残念、予言は当たらず、誰もオマイなんか相手にしてないよ〜〜〜〜〜ダ。
939ホメゴロシオトコ:2006/08/10(木) 17:25:45
わざわざw
940考える名無しさん:2006/09/16(土) 00:01:47
941考える名無しさん:2006/09/17(日) 20:58:37
右翼っていいよなぁ
942考える名無しさん:2006/09/17(日) 21:19:39
スガシエーション革命
943考える名無しさん:2006/09/18(月) 02:47:25
ホメオ、アカネにきてピエと勝負しろ。
944考える名無しさん:2006/09/18(月) 13:42:21
柄谷は青木さんにコロンビア大学教授の地位を無償で
贈与すべきだと思う。
だから、必要以上の地位を持つ柄谷は余剰の地位を青木さんに無償で
贈与しなければならないし、柄谷ほど地位を持たない青木さんにはそれを
受け取る資格があると思う。
そして、柄谷が無償で青木さんに贈与しないなら、それは弱者切捨てだ。
だから、柄谷からはやはり国家の力によってコロンビア大学教授
の地位を強制的に剥奪した上で、青木さんに再分配しないといけないと思う。
日本人に愛読されるのは青木さんの『コミュニタリアニズムへ』
だけでいいよなぁ
在日の浅田はさっさと青木さんに京大助教授の地位をあけわたして
故郷の朝鮮半島に帰ったほうがいいよなぁ
だから、柄谷からはやはり国家の力によってコロンビア大学教授
の地位を強制的に剥奪した上で、青木さんに再分配しないといけないと思う。
このような危険人物が何のお咎めもなしに野放しにされているのが
信じられない。
いちはやく危険な左翼を取り締まれる法を整備すべきだし、
徹底的に取り締まるべきだと思う。さもなくば、日本民族のために
ならないと思う。
取り締まりの第一号は、左翼として強い影響力を持つリバタリアンの柄谷行人
がふさわしいと思う。
日本人に愛読されるのは青木さんの『コミュニタリアニズムへ』
だけでいいよなぁ
945考える名無しさん:2006/09/18(月) 16:15:52
↑ ホメオの犯行と非公認の認定
946考える名無しさん:2006/09/18(月) 17:22:05
ホメオ、こんなほめごろしやってるとまたアカネにぼこられるぞw
947考える名無しさん:2006/09/18(月) 18:03:24
(脅迫罪)
第222条 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、2年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
2 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。
948考える名無しさん:2006/09/21(木) 12:41:36
青木孝平嫁というインチキも同様とする。
949考える名無しさん:2006/09/21(木) 13:12:34
インチキというのは、読んだことないヤシか、読んでも理解能力のないヤシw
950考える名無しさん:2006/09/21(木) 16:07:33
読んだことがあり理解能力があるのでインチキだとわかる。
その逆はありえない。よって>>948がインチキである。
951考える名無しさん:2006/09/21(木) 16:30:02
読んだのではなく眺めただけで、
自分の理解能力を買いかぶる傲慢さ。
よって、>>950はどうしようもないインチキである。
952考える名無しさん:2006/09/21(木) 16:40:13
もはや堪忍袋の緒が切れた。
インチキインチキと五月蝿いインチキ野郎。
悔しかったら東大現代哲学研へ来い。
いつでも議論の相手になってやる。
953考える名無しさん:2006/09/21(木) 20:38:24
東京大学現代インチキ保守マルクス研究会
954考える名無しさん:2006/09/21(木) 20:39:38
そんなあたりまえのことを、今更いうなよ。
そこいらの青木信者は知らないけど、おれたちは
マルクスを左翼から解放しようとしてるのだ。
左翼の進歩主義、個人主義を批判してるのさ。
だからおれたちゃリベラルやフェミが大嫌い。
はじめから西部にも小林にも何の違和感もないよ。
マルクスを保守の視点から読むのが
青木の「コミュニタリアニズムへ」だよ〜ん。
955考える名無しさん:2006/09/21(木) 20:40:13
青木の「コミュニタリアニズムへ」だよ〜ん。
956考える名無しさん:2006/09/21(木) 20:47:08
悔しかったらコロンビア大
悔しかったら取り締まり
957考える名無しさん:2006/09/21(木) 20:53:31
だよ〜ん。
958考える名無しさん:2006/09/22(金) 13:08:49
悔しかったら東大現代インチキ保守マル研
959考える名無しさん:2006/09/22(金) 13:41:48
↑東大コンプレックスは格好悪いよw
960考える名無しさん:2006/09/22(金) 14:50:05
確かに、東大現代インチキ保守マル研コンプレックスはこの上なく格好悪いな。
961考える名無しさん:2006/09/22(金) 18:00:14
青木孝平さん、浅田彰への告訴はいつですか?
962考える名無しさん:2006/09/22(金) 18:04:25
ラリってるな
963考える名無しさん:2006/09/26(火) 19:55:54
マルクスを保守の視点から読むのが
青木の「コミュニタリアニズムへ」だよ〜ん。
964ホメオ ◆N8n1ZThgrI :2006/09/29(金) 22:04:55
アソシエ(スレ)で糞本売り付けるのは本人だけにしろやゴルァ!!
965考える名無しさん:2006/09/29(金) 23:26:49
要するに、右翼であったハイデガーをデリダが左翼的に解釈
したように、マルクスを右翼的に解釈したってこと?
青木孝平は?

コミュニタリアリズム、読んでみようかなあ
966考える名無しさん:2006/09/30(土) 15:25:24
自演乙
967考える名無しさん:2006/10/02(月) 19:18:42
残り43
968考える名無しさん:2006/10/02(月) 21:59:41
千取合戦開始
969考える名無しさん:2006/10/02(月) 22:31:06
あげ
970考える名無しさん:2006/10/03(火) 05:01:12
971考える名無しさん:2006/10/03(火) 06:14:06
【グモッ】人身事故スレ◆Part170【チュイーーン】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/train/1159682159/
972考える名無しさん:2006/10/03(火) 09:46:03
【しぬしぬさぎ】実は別に移植しなくても大丈夫っぽい♪25【さくらちゃんは殺される】
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1159776315/
973考える名無しさん:2006/10/04(水) 21:54:17
【追悼】コミケ代表交替【ありがとう米やん】2
http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1159807055/
974考える名無しさん:2006/10/04(水) 23:09:22
975考える名無しさん:2006/10/06(金) 16:48:37
976考える名無しさん:2006/10/06(金) 21:02:23
あげ
977考える名無しさん:2006/10/07(土) 05:50:11
【mixi】アタック25で不正をして優勝賞金をゲット?
http://game9.2ch.net/test/read.cgi/quiz/1159715625/
978考える名無しさん:2006/10/07(土) 16:17:16
沖縄にはマンコという湖がある
http://game9.2ch.net/test/read.cgi/quiz/1079438082/
979考える名無しさん:2006/10/09(月) 05:35:24
【追悼】コミケ代表交替【ありがとう米やん】333
http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1160226669/
980考える名無しさん:2006/10/09(月) 11:29:17
沖縄にはマンコという湖がある
http://game9.2ch.net/test/read.cgi/quiz/1079438082/
981考える名無しさん:2006/10/09(月) 13:33:18
ムラムラ フカフカ パンツを脱いだ青木孝平
982考える名無しさん
マルクスの偉大さは、労働=生産過程と流通=交換過程を
まったく別のものとして峻別した点にある。
人間は、いつの時代も、自然対象に労働を投下して
労働生産物を生産し、そのうちの必要労働部分を
消費して労働力を再生産する。そして剰余労働部分は
社会的・公共的な蓄積にあてられる。(超歴史的過程)

これに対して商品は交換=流通の中でのみ購買され
価値を尺度され所有され市場をつくりだす。(特殊歴史的過程)

重要なことはこの二つの過程はまったく無関係だということだ。
ただし唯一、資本主義だけが、この二つの過程を合体させる。
すなわち労働・生産という超歴史的過程が商品の価値形態と
結合される。こうして労働が価値を生むものとして幻想される。
これが労働価値説というイデオロギーだ。
間違ってはいけない。労働したところで報酬(貨幣)が得られる
わけではない。働いた報酬として賃金が得られるのではなく、
労働力という商品を販売するから 貨幣が得られるのだ。
そこは労働過程ではなく流通過程だ。
「労働にもとづく所有」というイデオロギーは、
労働=生産過程と交換=流通過程の混同・合体に
よる錯認的イデオロギーである。