★なぜ人は「無垢(処女)」を欲望するのか★

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218ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw
内部とは

まず内部とはなにか。大きくは社会(象徴界)です。社会とはなにか?デイビットソンの「信頼」、
ラカンの象徴界について、次のように言いました。「言語コミュニケーションが成り立つのは、
シニフィアンに対する確実なシニフィエがあるわけではなく、意味の伝達において、「象徴界」という
社会性であり、ある種の信頼関係があるだろうからです。」社会とは、「信頼」関係が成り立つ範囲
です。これは言葉が通じるという意味ではなく、「おはようと」挨拶すれば、「おはよう」と答える、
電車の中で知らない人に話しかけないなどなど、同様の社会性を身につけているだろうことが
「信頼」できることです。このような社会にいるから、ボクたちは様々な危険にあるにもかかわらず、
ないことのように安心して暮らせます。
219ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:39:12
無垢への欲望

しかし内部の意味は、安心だけではありません。内部は、「私とはなにか」という主体を支えているます。

>>
まずはじめに人は根本的に欠けた存在なので、完全な充足を求めているということです。そのため
に「無垢」を欲望します。なぜ「無垢」を求めるのかというと、それが処女地(フロンティア)だからです。
そこに一番に乗り込む、征服することによって、私が1番、すなわと他者とは違う、唯一な存在として
承認され、充足されます。・・・それが無垢であるという価値は、あるコミュニティの承認によって
得られますから、だからボクはこれを「無垢の幻想」と呼んでいます。・・・「無垢の幻想」として、
物理的な処女地をあげましたが、コミュニティ内にそれを行うことに価値があるというときすべてに
「無垢の幻想」が生まれます。

人はなぜ「汚物」に惹かれるのか
<<

根元的な内部への帰属は言語のインストール(去勢)です。生まれて、言語をインストールされること
によって、主体は作動します。しかしそれだけでは、主体の意味は得られず、主体は自分の意味を
求めて、内部の価値(無垢の幻想)を欲望しつづけるのです。

内部に帰属し、「信頼関係」によって価値を共有し、その価値(無垢の幻想)を消費することによって、
主体は主体たりえる、唯一の私という実感を持つことができるのです。だから内部への帰属が
まったくないところに主体はありませんし、主体とはすでに大きな内部の一部であり、主体とは
内部の総体であり、内部から切り離された主体は、何ものでもないのです。
220ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:40:21
人類学機械

たとえば嫌韓的な考え方では、日本社会にとって、韓国社会(韓国人)は外部です。外部は内部の
ような「信頼」がもてません。嫌韓的には、彼らは、日本人の常識では予測できないことをする安心
できない人々なのです。かつての西洋文明では、植民地化した現地人を外部として排除し、同様の
「人間」として扱わずに、野蛮な奴隷としました。

ジョルジョ・アガンベンは「開かれ―人間と動物」(ISBN:458270249X)の中で、このような内部/外部
の境界生成を「人類学機械」という「人間」を「産出」する場として表現しました。「形而上学
(メタフィジカ)は、まさしく動物の自然(ピュシス)を人間の歴史へと止揚し温存させるようなメタに
関わっている。(アガンベン)」

社会(象徴界)という内部に形成において、必ず外部が想定されます。外部を排他することで、内部は
形成されるのです。ナチスがユダヤ人を迫害したのは、ユダヤ人を外部として積極的に、排他する
ことによって、自分たちを内部の中心として結束を固めました。このような強力な内部(全体主義)の
作動によって、内部の人間(一般市民)は無理矢理でなく、積極的に外部を排他するのです。ここでは
ユダヤ人は「人間」の外におかれ、容易に殺害されたのです。

これは、現代のイジメの構造でも同じです。いじめる人はいじめられる人を外部へ排除するスケープ
ゴードとして、自分を中心とする内部を作動させます。これは一つの「信頼」のある社会として機能
しますので、回りの人々は積極的にいじめに加わらなくても、いじめの構造を支えます。
221ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:41:01
倫理的な開かれ

かつての社会では、規範をもち、内部/外部が明確に作動していました。西洋という内部とその外、
あるいは貴族の内部とその外、平民という内部と奴隷、規律的社会と外部など。アガンベンのいう
ように、このような内部/外部を作動させるために、政治的操作としての「人類学機械」(つまりは
言語=哲学)は作動していました。

ここでは内部に留まり、内部に「閉じて」いれば、内部に居続けることができました。たとえば、ナチス
の形而上学的言説が政治的操作によって、アーリア人であるだけで、「内部」にいつづけ、「外部」の
ユダヤ人を迫害することができました。

脱構築などのポストモダン思考が行ってきたのは、このような「人類学機械」の内部/外部の境界を
規定する形而上学の根拠のなさを指摘し、内部を外部へ開いていくことです。これをボクは「倫理的
な開かれ」と呼びました。
222純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/11/26(土) 01:41:09
ぴかぁ〜の重複スレまとめ

★ヘタレ化するポストモダン 4★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131633641/
★ ラカンと愉快な仲間たち ★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1087470797/
★ヘタレ化するポストモダン 3★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131456419/
★ まなざしの快楽 PART10 ★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1126142982/
■今日の時事ネタを哲学するスレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1096534361/
★ 「歴史の終わり」後の歩き方 ★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1124221280/
★★ リアル(現実)とはなにか? ★★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1109358171/
★なぜ人は「無垢(処女)」を欲望するのか★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1132506416/
★ まなざしの快楽 PART11 ★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1132505941/
223ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:41:50
「デリダは必ず恋をする」

しかしこのような「倫理的な開かれ」は、いくつかあります。ボクは「デリダも必ず恋をする」と
いいました。恋をすることは、形而上学的行為です。なぜその女性を好きになったのか、を問うことが
できません。そこでは彼女は超越的な存在であり、とにかく好きなのです。そしてこのような恋愛も
一つの内部として作動する「無垢の幻想」であり、彼女を好きなことによって、主体としての自分の
欠落が満そうとします。

主体はこのような形而上学的な行為によって維持されています。たとえば親子を思う気持ちも、
生物学的に問うことができない、内部としても価値です。ボクたちは社会として、親子の絆が尊いと
学ぶのです。それは、宗教でも、イデオロギーでも、あるいは趣向であり、好きなこと、ものでも
変わらない作動原理です。そしてこのような内部への帰属の総体が「主体」です。

「倫理的な開かれ」は極限では、「恋のようなもの」を疑い、外部へ開くことです。彼女を好きに
なったのは、実は流行りの格好をしているという社会的流行に魅了されたのではないかと、様々に
脱構築することです。これは滑稽であり、強迫症的ではないでしょうか。

さらには、デリダは「脱構築は正義である」というときには、正義の決定不可能性を意味します。
脱構築し、内部を外部へ開き続ける、あるいは差延としてズラしつずける姿勢こそが「正義」である
ということです。立ち止まることは結局、「脱呪術化という呪術化」であり、そこに内部を構築する
ことです。人はこのような「強度」に耐えられるのでしょうか。
224ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:42:38
透明な社会

現代のポストモダン社会、情報化社会では、、「社会」という内部が揺らいで、かつてあった社会に
共有された礼儀が、共有されなくなっています。価値が多様化して、かつての形而上学的な
内部/外部の境界が曖昧になっています。

社会を豊かに、安心にすることによって、人々が社会という大きな内部による安心の支えを必要と
しなくなっている。そして豊かさが内部/外部の格差を消失させている。情報量の増加は、内部の
作動を、大きな形而上学的言説に頼る必要がなくなっている。というような意味で、大きな内部は、
解体されているのだと思います。

これはジェネレーションギャップというだけではなく、趣味などによる小さなコミュニティーとして内部が
作動し、信頼がなりたたなくなっています。これがポストモダンの「大きな物語から小さな物語へ」と
いうことです。

さらに内部が分散しているだけでなく、小さな内部が生成、消滅を繰り返すというダイナミックな状態に
あります。たとえば、昨日まで流行っていた、当たり前だった言葉や約束事が、流行り廃りを繰り返して
いるのです。ボードリヤールはこのような内部/外部の境界が不明確な社会では、悪意は
「透き通っる」と言いました。このような意味でボクは「透明な社会」と呼びました。
225純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/11/26(土) 01:43:43
226ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:45:43
カオスの辺縁

ボクはこれはポストモダン的思考の「倫理的な開かれ」の成功ではなく、テクノロジーの発展に
よるものだと考えています。

>>
「カオスの辺縁」というのは、複雑系の科学者カウフマンの言葉で、秩序相とカオス相との中間付近
の自己組織化が起こる場所です。すなわち主体システムの維持は、適度な秩序(いわば形而上学
的単純化)とカオス(いわばポストモダン的差異)によって行われるのです。

かつては、テクノロジーが発展する前は、カオス(いわばポストモダン的差異)の進入が少なく、
ゆっくりとした秩序(いわば形而上学的単純化)が進んでいました。しかし現代の情報化社会では、
カオス(いわばポストモダン的差異)の進入が活発すぎて、秩序(いわば形而上学的単純化)維持に
懸命です。ネット社会において、特にカオス(いわばポストモダン的差異)の進入が活発になっています。
<<
227ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:46:23
「デリダの恋もいつかは冷める」

「倫理的な開かれ」は、形而上学的に内部/外部がある程度明確にされていることが前提とされて
います。それによって、内部を外部へ開いていくことができます。それに対して「透明な社会」では
内部/外部が明確にされていません。いわば、社会システムの中に自己組織的に脱構築が
組み込まれているようなものです。

このような中で「倫理的な開かれ」(脱構築)にどのような意味を見いだすのでしょうか。「デリダの
恋が冷めていく」中で、なにを開いていくのでしょうか。
228純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/11/26(土) 01:46:51
??
229ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:47:07
ヘタレ化

かつては大きな内部に帰属し、どのような階級であるとか、どのような家柄であるとか、内部の
社会的な位置によって、主体の意味が規定されていましたが、このようなダイナミックな「透明な社会」
では、主体を支えていた内部が透き通ることによって、主体の意味は散乱して行く傾向にあります。
逆に主体を維持する=形而上学的なものが困難になっています。

このような反動として、主体は維持のために、「強迫的」に内部を作動させ、無垢を欲望しようと
しています。ボクはこれを「ヘタレ化」と呼びました。そしてヘタレ化の方法として、いくつかをあげて
います。

このような「強迫的」に内部を作動させということは、かつてのように内部へ「閉じて」いればと言うもの
ではありません。ただ立ち止まって「閉じている」だけでは、帰属していたはずの「小さな内部」が、
移動し、消滅し、気がつくと外部に排除されてしまいます。そのために絶えず環境の変化に敏感で
あり、流行り廃りをサーチし、外部へ「開いて」、まわりの空気を読みつづけなければなりません。
230ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:48:03
処世的な開かれ

人々が現在、懸命に「空気を読み」内部に居続けようとするのは、「透明な社会」では内部にいる
ことを実感できにくい。無垢が欠乏に対して「処世的な開かれ」によって懸命に内部を作り出し、
帰属しようとしています。

「倫理的な開かれ」では、「人類学機械」としての形而上学を解体するように「外部へ開いていく」ことを
目的として、外部へ開いてきます。これに対して、ヘタレ化としての「開かれ」は、「透明な社会」で
主体を維持するために、内部へ閉じることを目的として、外部へ開いてきます。いわば、この社会を
生き抜くための処世術としての開かれであり、ボクは「処世的な開かれ」と呼びました。
231ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:48:51
つづく
232純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/11/26(土) 01:50:20
233考える名無しさん:2005/11/26(土) 13:03:41
保守
234考える名無しさん:2005/11/26(土) 16:49:24
なんか最近はにぎわってないな
235考える名無しさん:2005/11/26(土) 17:01:03
僕の詩、哲学的に見てどうでしょう
http://my.minx.jp/karasunouta
236ふむ:2005/11/26(土) 17:14:54
無垢の考えですね^^;

友達の嫁は無垢だと友達から聞いていた^^;

その嫁さんとホテルに行きやっちゃいました^^;

友達は無垢です^^;
237ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 23:42:37
貨幣は究極の無垢だろう。
238ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 11:49:36
ぴかぁ〜は無垢である。
239考える名無しさん:2005/11/29(火) 13:18:14
特に童貞が処女だとか幼女に走るね。
ある程度経験あるとその傾向も薄まるけど・・・
そういやぴかぁは童貞?
240ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 13:39:35
たしかにその傾向はあるね。健全に無垢を欲望していないと
幻想ばかりが膨らんで健全な精神がえられない。

まさにヘタレ化の典型だ。
241考える名無しさん:2005/11/29(火) 13:40:45
>>240
なるほど・・・・・・・で、童貞?
242ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 13:46:00
ぴかぁ〜は無垢である。
243考える名無しさん:2005/11/29(火) 13:55:39
新古ってアウトレットみたいなもんだよね
244考える名無しさん:2005/11/29(火) 13:57:06
”アセクシャル”を検索してみると良い<ぴかぁ〜
245考える名無しさん:2005/11/29(火) 16:18:38
ここまで自作自演下手なヤツもめずらしい。
こいつマジで頭悪いな。
ぴかぁとかいうヤツ絶対チビで車も持ってなくて
友達も彼女もいなくて嫌われてて挨拶もろくにで
きなくて口臭くてボソボソ何言ってるのか聞こえ
なくて単純なミスが多くて運動オンチで合唱の時
間一人だけ歌わなくて一冊本読むのに5時間も6
時間もかかるお先真っ暗の人間のクズ。ごみ。
246考える名無しさん:2005/11/29(火) 16:24:58
ちょっとつけくわえるが、ぴかぁさ、お母さんに
妊娠中に喫煙とか飲酒、薬の服用がなかったか聞いてみ?
もしあったとしたら軽度発達障害の疑いあり。
247考える名無しさん:2005/11/29(火) 16:57:03
処女の善さは、欲望の善さだ。
誰も手を付けておらず、我々に具わるところがあるということだ。
誰か手を付けているものは処女とは言わないのだし、我々に欲望がないとするとよいとは言わない。
私が手を付けたものは処女とも言わないのであって、私が処女のままでいさせたいという訳ではない。
何故なら、手を出したいのだから。
未踏の地に踏み分けて、征服する喜びということもあるのだろうが、未踏の地は私が踏み込んだ足跡
を残す事が非常に名誉なのであって、誰も知らない秘境にしておきたい訳ではない。
つまり、処女を望んでいるとすると、その女を日陰者にして誰の手出しもしないように囲い込み、生涯
処女のままにしておきたいと考えていることに相違ないということなのだ。
誰も手を付けていないことが我々の欲望だけを明確にする。
我々の実現することに熱心になる欲望をは、私の思うところに素直になれるからである。
こういうわけで、我々は処女が善いと思うのである。
248ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 17:07:38
無垢である私、ぴかぁ〜が無垢を語る
249考える名無しさん:2005/11/29(火) 17:27:15
処女は無垢である。
250考える名無しさん:2005/11/29(火) 17:33:37
おめこぼしに与ることも無垢ですか?
251ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 18:50:58
誰よりも無垢である私、ぴかぁ〜が語る、真理を語る。
252考える名無しさん:2005/11/29(火) 20:05:57
処女の神秘性を語るなら文化人類学の領域だろう。処女性(無垢)=冒されてないということか。すなわち、ファーストという順序数の憧憬がもたらすのか?
253ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 20:26:38
まあ、そんなとこですが、なぜTVを見てしまうのか。
TVから無垢が溢れ出しているからです。
254考える名無しさん:2005/11/29(火) 20:41:34
何故ナンパした女とセックスする無垢でなくテレビから溢れる無垢を選ぶの?
255考える名無しさん:2005/11/29(火) 20:44:53
君のまなざしは何を映しだすの?たいの?
256考える名無しさん:2005/11/29(火) 20:52:56
無垢無垢いったかて、結局自分の世界の中田家の話

広い世界に目を向けて、押し寄せる計り知れない大きな力を感じて
心を閉ざし、独り無垢無垢した気になる

だが友達とは心を閉ざしたきみの無垢は共有できない

だからネットを飛ばし今日もあっちでムック、こっちでムック
ガチャピンあっての、無垢です、あなたのガチャピンは誰ですか
257考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:10:55
僕はガチャピンと言う名の彼女がいます

彼女は僕にとても大きなムックを与えてくれます、僕はしがない一フリーターなのに
まるで一国の主人のように扱ってくれる

そんなムックを演じる内に僕は知らぬ間に自分が偉い人間だと錯覚しはじめ

僕はガチャピンのまなざしだけに飽き足らず、幼なじみの田中の前でもそのように振る舞い始めた

田中にしたらムックの着ぐるみ着用の僕がとんだ道化のように見え
僕のガチャピンに手をだそうとした

田中はそういう奴だった、知っていた、だがガチャピンが田中になびかない事も容易に想像できた

だがしかし
258ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 21:17:56
>何故ナンパした女とセックスする無垢でなくテレビから溢れる無垢を選ぶの?

選んでませんよ。人それぞれです。人は絶えず無垢を供給しないと生きていけません。
軽い無垢は、空気みたいなものですね。
ただ無垢は空気のようにただあるものでなく、作り出すもの、感染するものです。
259考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:26:38
元よりガチャピンは田中の女、しかも三番目くらいの

いつも俯き加減でちんぽばかりいじっている情けない僕に
田中がプレゼントしてくれたガチャピン

もう僕は何を信じていいのか分からない
憎しみをガチャピンに向けても、田中に向けても僕はもうムックの着ぐるみを着る事ができない

なんだか全てがどうでもよくなったついでに、二件お隣の橋本さんを
出会い頭に殴り付けた、少し気持ち良かった

でも橋本さんは切れた唇から流れる血を拭って、僕に優しくこういってくれた

ほら涙を拭って、元気だそ

因みに橋本さんは田中の女です
260考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:28:56
実に分かりにくい表現ですがそれが僕と哲学の出会いです
261考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:31:28
ぴかぁたこ、俺のチラシに分かり切った説明挟むなさや
262考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:35:56
もうこの際、中途半端な事書いてるぴかぁは
統計学的にこういうタイプの人間は、このような無垢を欲望する傾向があります

だから、こうしなさい、そうじゃないと地獄に落ちますよとか言うといたらいいわ
263ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 21:36:49
こっちも電波かよ。
264考える名無しさん:2005/11/30(水) 09:34:23
>>263
君にだけは言われたくないw
265ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 21:36:57
無垢には二通りの無垢がある。
一つは、一つは減算な無垢であり、もう一つは加算な無垢である。
たとえば「上から二冊目」の本は、使われた瞬間に減算される。
しかしそのものに価値があれば、使うことに愛着として無垢が加算されるのだ。
使うほどに、無垢が加算される。
266ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 21:38:00
健全な無垢とは、加算される無垢である。
267ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 21:44:27
無垢とは、幻想である。コミュニティ内の価値として生まれる。
それが消費によって減算されるのは、その対象への欲望が
借り物だからである。他者が良いといった、それだけのことである。
加算の無垢は、単なる他者の借り物でなく、自分もその価値に加わる
からである。そのためにいとおしさが増すのである。

処女がいる。やっちゃう、それで「処女」という価値は減算される。
しかし相手への愛があれば、それが加算されるのである。
268ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:00:39
しかし減算と加算は対立ではなく、ある無垢にある特性である。
ある対象に対して、無垢は減算され、そして加算される。

大別すると、
無垢の減算とは消費である。反復によって減算される。
無垢の加算とは想像である。反復によって加算される。

269ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:07:05
チンコ太郎の「論戦」とは、減算の、消費の「論戦」である。
相手の無垢を消費しようとする。そこには相手への興味であり、
議論の内容への興味がない。ただあるのは、剥き出しの欲望である。

加算の、創造の「論戦」とは、相手とともに価値を創造することである。
そこには相手への愛情と、議論の内容への愛情がある。
たとえ、それが激しい論戦であってもである。

健全な無垢への欲望とは、このような加算する、創造する無垢への欲望である。

270ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:13:59
これはリバースすることができるだろう。
すなわち、「愛」とは何であるか。

「愛」とは、相手ととともに価値を創造すること、
その「場」に無垢が生み出されることである。
271考える名無しさん:2005/11/30(水) 22:16:43
チンコにこれほどまでに勝手に傷づいていたとはな。憐れなり。
272ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:27:11
無垢を与えられすぎると、「愛」を生み出せない。
ただ消費するだけであり、無垢が欠乏していく。
そこに「愛」がなく、孤独へ向かう。

無垢を作ることを知らなければならない。
それは「愛」を気づくことでもある。
それが健全な無垢への欲望である。
273ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:31:16
消費とは与えられた無垢を減算することである。
創造とは無垢を加算することである。

「遊び」とは、単に与えられたものは消費するのではない。
与えられたものを越えていくことである。創造である。
「遊び」が「愛」を作るのである。

「思いつけ」、創造しろ、そして遊べ。
274ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:38:25
使うことで愛着が湧く。単なる安物のコップが、
繰り返された時間とともに、たった一つのものとなる。
無垢が加算されるのだ。
275考える名無しさん:2005/11/30(水) 22:43:34
愛着?
276考える名無しさん:2005/11/30(水) 22:48:46
株取引とか、どうよ?感情こめすぎると損してしまう。
携帯株取引とか、どうよ?学生が授業うけながら取引してるよ
277ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 23:14:29
たとえば、レイザーラモンHGは無垢として登場した。
その汚物は、人々を欲望させたのである。
そしてこの無垢は次第に減算していく、消費されていく。
多くにおいてそれは「忘却」であり、反復によって差異が消費されていく。

レイザーラモンHGは無垢を生み出さなければならない。
それは次のギャグを考えることではない。仮にそれが受けても、
また消費されるだろう。

それは、愛されることである。愛される強い内部を作ることである。
強い内部において、無垢は生み出されるのである。

たとえば、様々な「永遠のスター」たちは、深く愛されることによって、
そのような強い内部の存在によって、「忘却」に逆らい、
無垢が生み出されるのである。

ではいかに強い内部は作られるのだろう。
278ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 23:26:49
まなざしが継続することが強い内部である。
たえず無垢を供給せずとも、無垢が作り出され続ける力とは
なんだろう。

たとえば憎しみは、どうだろうか。
深い憎しみ、継続した憎しみも、生み出すだろう。

しかしここで難しい問題が起こる。深い憎しみと深い愛情の転倒である。
ここでは、愛であるか、憎しみであるか、悲しみであるか、関係ない、
それは深さの問題である。
対象への強い興味の継続が、無垢を加算するのである。

では強い興味の継続は、いかに行われるのか。
それは、感染である。そしてなに、どのように感染するかは、
どの程度継続するか、そこには意味はなのではないだろうか。
そこにあるのは、ただ恣意性である。
279正常者:2005/11/30(水) 23:34:27
征服欲
280考える名無しさん:2005/11/30(水) 23:40:57
すり減ってヘタレたコテハン、ぴかぁ〜。
281考える名無しさん:2005/12/01(木) 00:49:24
こいつ紐として何年も女を扱ってる俺にとっては当然の事を言ってる訳だが
こういうのも哲学ってものなら俺は立派な哲学者みたいだな

この人がいるから私が私でいられると思わす事を加算、この人のせいで私はこんなになったと思わす事を減少って言ってるのだろ

でも人は何かを克服して成長していくもんよ、どっちかといや俺からみれば減少のが健全に思えるわ

君は保守的なんやろな、変化が怖いのやろ
いつまでも離さないようしがみ付いてなさい同じ物に
282ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 00:52:05
*なぜ「愛」が「健全」な無垢への欲望を導くのか?

■レーザーラモンHGの憂鬱

たとえば、レイザーラモンHGは無垢として登場した。その汚物は、人々を欲望させたのである。
そしてこの無垢は次第に減算していく、消費されていく。多くにおいてそれは「忘却」であり、反復に
よって差異が消費されていく。今後も生き残っていくために、レイザーラモンHGは無垢を生み
出さなければならない。それは次のギャグを考えることではない。仮にそれが受けても、また
消費されるだろう。

それは、愛されることである。愛される「強い内部」を作ることである。「強い内部」において、無垢は
生み出されるのである。たとえば、様々な「永遠のスター」たちは、深く愛されることによって、
そのような「強い内部」の存在によって、「忘却」に逆らい、無垢が生み出されるのである。
283ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 00:54:26
■減算の無垢と加算の無垢

無垢には二通りの無垢がある。一つは「減算の無垢」であり、もう一つは「加算の無垢」である。
たとえば「上から二冊目」の本は、使われた瞬間に減算される。しかし使いこむことで愛着が
わいていき、無垢が加算されることもあるだろう。

無垢とは、幻想である。コミュニティ内の価値として生まれる。無垢の減算とは「消費」であり、
反復によって減算されていく。それが「消費」によって減算されるのは、その対象へのまなざしの
強度が低下するためである。このような強度の低下の本質は、「忘却」であり、エントロピーの増加で
ある。多くにおいて、他者が良いといったというような、安易な感染は、容易に減算するのだ。

無垢の加算とは「創造」であり、反復によって加算されていく。それが「創造」によって加算されるのは、
その対象へのまなざしの強度が増加するためである。このような強度の増加は「忘却」に逆らうので
ある。エントロピーの増加に逆らう、減少である。
284ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 00:54:59
■感染の恣意性

ではいかに「忘却」に逆らい、まなざしの強度は継続、増加されるのだろうか。多くにおいて強い
愛着である。しかしたとえば憎しみは、どうだろうか。深い憎しみ、継続した憎しみにおいて、まなざし
の強度は継続されるだろう。しかしここで難しい問題が起こる。深い憎しみと深い愛情の転倒である。

ここでは、愛であるか、憎しみであるか、悲しみであるか、関係ない、それは強度の問題である。
対象への強い興味の継続が、無垢を加算するのである。そしてなに、どのように感染するかは、
どの程度継続するか、そこには意味はなのではないだろうか。そこにあるのは、ただ恣意性である。

■All you need is Love.

しかし通常、ある時期の強度が長期的に継続されることは少ないし、仮にそのような場合には、
短期間に受けるその強度は身体的への弊害をともなうのではないだろうか。

だから、まなざしの強度が「健全」に継続する方法としては、強い内部がつくられることである。
たとえば、無垢を外部から与えられすぎると、「愛」を生み出せない。ただ消費するだけであり、
どこかで無垢が欠乏していき、孤独へ向かう。だから単なる他者の借り物という静的な無垢の
消費でなく、内部を作動し、その内部に帰属し、動的に「創造」することによって、無垢を
生み出していくのである。そしてこのような強い帰属を支えるのが、愛着である。
すなわち、「愛」が「健全」な無垢への欲望を導くのである。
285考える名無しさん:2005/12/01(木) 00:58:58
健全な無垢は愛で絞めて俺は独りじゃないってか?

そんな生き方なら、哲学やめて身近な仲間と酒でものんで一喜一憂してたほうがええわ
286ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 00:59:05
>でも人は何かを克服して成長していくもんよ、どっちかといや俺からみれば減少のが健全に思えるわ

キミは所詮、お釈迦の手の中。内部でこちょこちょしているだけ。
それで克服、外部へ「開かれ」てるとは片腹痛い。
ほんとの「愛」を知りなさい。
287考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:01:01
じゃあ、憎しみは無垢に含まないほうがええわ

そしたら言ってる事が破綻してまうやろけども
288ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:01:04
>>285
>哲学やめて身近な仲間と酒でものんで一喜一憂してたほうがええわ

多くにおいてそのほうがよい。当然のこと。
哲学になにを期待してヘタレているのかね。
289ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:03:07
>>287
その憎しみにどれだけの強度があるのか。
憎しみ続けることは難しい。愛し続けるよりも。
そこにそこまで強い強度があるなら、それはもはや愛だろう。
歪ではあるが。
290考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:03:17
討論から逃げているオノレを正当化しようと、必死こいてる君に向けていってんのよ?

自覚あるかな?
291ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:04:50
>>290
可哀想なヤツ・・・キミが心静かに眠れるように、おやすみ。
292考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:07:20
おいおい、憎しみ続ける事も愛とは得意気だけど
人のことまるでみえてないような

これは復讐が果たせない故に固執する、人間の悲しい性だわ
293考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:09:51
■レーザーラモンHGの憂鬱

・ゲイではないこと
・婚約者がいること
・ゲイ風を守るために結婚を延期していること
・両親にタレント業を反対されていること
・偽ゲイであることが公になった場合、同性愛者団体からの圧力
・父親が某一流企業の社員であること
294考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:10:39
無垢に健全も糞もないのよ

加算と減少はあるが、自分が無垢であり続けたいなら

手段は問わずただ自分になんらかの感情を抱かしどうにかしたいと欲望を向けさす事に終始するだけよ

ひもってのも大変なんだわ
295考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:14:38
健全な無垢はありません、ただ僕は議論から逃げた自分を肯定したかったんです

ほら、いってみ?
296考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:17:01
無垢?吉村の幻想と同じか?
297考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:22:26
吉村知らんけど、どうせ同じようなもんやろ

てか会話読んで違いが分からんようなら、お前は
その吉村の言う幻想てのもなんら理解してないのやろな
298考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:33:15
無垢と幻想の区別がつかないぴかぁ〜。
299ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:40:35
よい内部では無垢を生むために差異化運動が起こる
差異化運動とは、他者と差異をより細部に見いだそうとする運動である。
たとえば古典ずきと現代ずきの差異において見いだされる相違は大味で無垢としては弱い
ハイデェガー好きの道具分析に関する相違の議論は無垢として強く、わくわくするだろう。
差異化運動が魅力的なのはより詳細に自分がなにものか記述するからである。
300考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:43:59
最下位運動にはげむぴかぁ〜。
301ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:45:16
たとえばこれはスポーツでも同じ、互いに切磋琢磨することにより
その差はわずかになる。それは互いに細部がわかるである。
このギリギリの差異により競い合う快楽は健全な無垢へ欲望である。
302ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:49:02
それはライバルと呼ばれ、そこには強い愛がある。
現代においてこのような健全な無垢への欲望は
困難になっているのだが
303考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:52:37
鉄板住人とたばこ板住人のちがいかな?鉄板内ならみんなライバル?
304考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:52:39
ファルスへの欲望に困難を感じるぴかぁ〜。
305考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:10:47
また逃げるようやし、一々いらん事いうといたるわ

そもそも哲学に期待してんのは、お前だわぴかぁとかいうの

俺に期待してぶらさがって、憎んで、金注ぎ込んで、人生を棒に振ってるかどうかは本人が決めたらええけど

そんな女と大差ないわ

消費して無くなったら、また得たらええのよ
失うのが怖くて逃げて、それでも居場所が欲しくて自分を正当化して

それじゃああまりに情けないわ、まあどうせ議論しても同じような事が露呈されたやろし

それがこいつの資質なんやろうな
306考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:14:07
象徴界に無垢をもちこんみ破綻したぴかぁ〜。
307考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:16:19
ぎりぎりの差異を擦りあわせるのは建設的ではあるやろうが
それを健全な無垢と言うのは恣意的やわな
308考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:18:25
俺がごちゃごちゃ言うてもしゃあないけどな

そろそろ見切りっちゅうもんを見せんかいって事や

オトコやったらケジメしたらんかい・・・とな

言いすぎたか?しかし現実に傍から見てても、気色のいいもんちがうで!
309ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 02:18:32
>>305
こんなところで自分の境遇を吐露して、ボクにどうしろと?
キミの無垢の欠乏はキミが招いたことだろ。
ボクが言えることは、健全な無垢を欲望しろ。だけだ。
あとは、自分で考えたたまえ。
310ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 02:21:39
差異を刻むといっても、それがなれ合いになると、
「創造」が止まり、無垢が生み出されない。
どれだけ近づこうが、決して重なることがない。
それでも近づく、その緊張感、闘争に無垢が生まれるのである。
その意味で、コミュニケーションは闘争なのである。
311考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:22:12
境遇はまあええとして

無垢に健全も糞もない、それを描きたいのは自らを正当化したい為やと言うてるんやわ

愛とか持ち出してなにしとんねん
312ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 02:24:34
>>311
キミが言いたいのはそれだけかね。
ならキミはもうこのスレに用がないだろう。
すがるような目で見るのは止めてくれたまえ。
313考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:25:18
>>311は女性ですか、どうよ?
314考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:27:48
やな、もう相手したってもしゃあないわな

健全な無垢を断固押したいのは、なんでも哲学一点張りの純一の心理やろうし

言ってもしゃあないわな、寝るわ
315考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:31:48
起源をめぐる思想を批判できない哀れなぴかぁ〜。
316考える名無しさん:2005/12/01(木) 04:03:42
そもそも、言うてしもたら無垢とは欲望の対象の事だろ

なぜ人は「欲望の対象(ぴかぁにとっては処女)」を欲望するのか?

それは私が唯一の存在であると確認する為、だけど人間は不完全だから
いつまでも欲望は途切れない、だから時々淋しいの

と言葉を代えダラダラ言ってる訳やろ、極端な話
どうしょうもない暇人よな
317ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 09:29:40
物分かりがええやないか
そういうことやな
ラカンは欲望の対象を対象aと呼んだが、もともと想像的他者からきているので重い感じになっている。
ボクの無垢は「上から二冊目の本」を例にあげるように軽い。
そして時代性を反映し減算の無垢、消費を考えやすいなっている。
このように無垢という超越論的対象を想定することにより、すべてを考えやすくしている。
世界のどのような記述も無垢で語れるし、無垢なしではかなれないわけ。
いわば現象学の志向性(ノエシス)に近い。あるいはクオリアにも近いかもしれますん。
目の前のリンゴがありありとしているのは、無垢だからです。
すなわちみながそれを欲望しているだろうからです。
318考える名無しさん:2005/12/01(木) 09:31:34
ファルスを象徴界で語りつづけるぴかぁ〜。
319ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 09:32:57
このように欲望論による超越論的還元をアホケーとなずけます。
320考える名無しさん:2005/12/01(木) 10:15:52
次回は「戯れるノエマ―ノエシスなき専守防衛の思想―」でよろしく!
321考える名無しさん:2005/12/01(木) 10:30:49
来世では防衛庁に勤めることを願うぴかぁ〜。
322ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 11:27:52
快感原則と彼岸、エロスとタナトス

フロイトの欲動論はその時期で内容が異なる。特に「快感原則と彼岸」と「エロスとタナトス」の関係は
不明確である。ボクなりに整理してみた。

エロスとは動物的な生の本能である。生きようとするエゴイスティックな力であり、力への意志である。
このような力は、環境からの外圧に反発する力である。環境とは静へ向かう力(エントロピーの増加)で
ある。それに逆らい、エロスとは動へ向かう力(エンタルピー)である。ここに宇宙/生命の対立がある。

しかしここで逆転がおこるのは、環境という静へ向かう力は、主体にとって、動を抑圧する不快なものと
なる。このために主体は、不快なものを排除し、動として安定することを思考するのである。これが、
快感原則である。快感原則が、緊張を和らげる、主体内部の静へ向かうのであるが、ここで重要なのは
主体にとって静とは、安定した動である、ということだ。

それに対して、快感原則の彼岸は、本来環境が作り出す不快を、自ら作り出すことを示す。安定した
動であるエロスが、自ら不安定を生みだすのである。
323ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 11:28:26
これは物理学の法則で考えるとわかりやすいかもしれない。快感原則とは、等加速度運動である。
一定速度で動く。このとき物体には力が働かない。電車でいえば、走っているが、車内では止まって
いるような安定した状態である。

そこには原則させようとする環境の力が働く。速度が低下するときには、物体に力が働く。電車が
ブレーキを踏んだときのように、車内の人に力が働き、不快なのである。そしてエロスは、環境の力に
対抗して、等加速度運動しようとする

それに対して、タナトスは加速度運動である。エロスによって等加速度運動し、快感であるにも関わらず、
自ら加速することによって、物体には力が働く。電車が加速すると、車内の人に力が働く現象である。

すなわちエロスもタナトスも環境の外圧(エントロピーの減少)に対抗する力であり、環境と相反し安定を
目指す動物的な力がエロスであり、それを越えて安定を崩す過剰である、人間的な力がタナトスである。
その差は過剰性にしかないために、混同した形で使用されるのである。
324考える名無しさん:2005/12/01(木) 11:35:31

タナトスとは生存に危険を及ぼすかもしれない毒を試してみたいという欲望である。
325ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 11:36:06
ぴかぁ〜の無垢の欲望論は、竹田現象学に急接近!
竹田のエロスの現象学に対して、
タナトスの現象学を目指すのか!?
326ふむ:2005/12/01(木) 11:39:42
人妻・ヤクルトおばさん^^;

大好きです^^;時代は初雪ふみふみ^^;より^^;

物理学的にやればやるだけ^^;気持ちいい^^;

回数が感度を増す^^;
327考える名無しさん:2005/12/01(木) 13:14:13
汚れた自分を写す鏡は曇りのない鏡に限る。
328考える名無しさん:2005/12/01(木) 13:47:51

鏡像界での汚れた自分を歪みをもって語るぴかぁ〜。
329ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:22:44
■エロス=タナトス

■エロスとタナトス

フロイトの欲動論はその時期で理解が異なる。特に「快感原則と彼岸」と「エロスとタナトス」の関係は
不明確である。エロスとは動物的な生の本能である。生きようとするエゴイスティックな力であり、
ニーチェの力への意志である。このような力は、環境からの外圧に反発する力である。環境とは静へ
向かう力(エントロピーの増加)である。それに逆らい、エロスとは動へ向かう力(エンタルピー)である。
ここに宇宙/生命の対立がある。

しかしここで逆転がおこるのは、環境という静へ向かう力は、主体にとって、動を抑圧する不快なものと
なる。このために主体は、不快なものを排除し、動として安定することを思考するのである。これが、
快感原則である。快感原則が、緊張を和らげる、主体内部の静へ向かうのであるが、ここで重要
なのは主体にとって静とは、安定した動である、ということだ。それに対して、快感原則の彼岸は、
本来環境が作り出す不快を、自ら作り出すことを示す。安定した動であるエロスが、自ら不安定を
生みだすのである。
330ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:23:34
■エロス=タナトス

これは物理学の法則で考えるとわかりやすいかもしれない。快感原則とは、等加速度運動である。
一定速度で動く。このとき物体には力が働かない。電車でいえば、走っているが、車内では止まって
いるような安定した状態である。

そこには原則させようとする環境の力が働く。速度が低下するときには、物体に力が働く。電車が
ブレーキを踏んだときのように、車内の人に力が働き、不快なのである。そしてエロスは、環境の力
に対抗して、等加速度運動しようとする

それに対して、タナトスは加速度運動である。エロスによって等加速度運動し、快感であるにも
関わらず、自ら加速することによって、物体には力が働く。電車が加速すると、車内の人に力が働く
現象である。すなわちエロスもタナトスも環境の外圧(エントロピーの減少)に対抗する力であり、
環境と相反し安定を目指す動物的な力がエロスであり、それを越えて安定を崩す過剰である、
人間的な力がタナトスである。
331ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:24:32
■環境的現実界

多くにおいて、動物は環境に逆らい、生きることに必死であり、いつもエロスは環境の力に対して不足
しているのである。しかし人間が環境の内部に秩序世界を構築したとき、その内部でエロスは過剰へと
転ずる。その過剰性がタナトスである。

この欲動理解から、ラカンの不明瞭な現実界の姿見えてくるのではないだろうか。ラカンの現実界の
一つの説明が、カントの「ものそのもの」である。これがここでいう環境であり、「環境的現実界」と
呼ぼう。環境とは単に自然世界ということではない。人間の認識の向こうにあり、人間が決して認識
できないものである。その本質は不確実性である。偶然性とカオスが渦巻く、何がおこるか不確定な
世界。本来、世界とはそのようにあり、人間は「現象」として見たいように見ているだけである。人間は、
この環境世界の内部に秩序ある世界を構築したのである。

環境的現実界は、人間社会(内部)/環境(外部)と考えることができるが、これは物理的な制約とは
関係がない。大きなところでは地震、事故などの偶発的な障害もそうであれば、庭の花壇も飼い
慣らされているようで、そこのは不確実性が内在している。そして人間そのものもまた環境的現実界で
ある。心身二元論的にいえば、この身体で何が起こっているかわからない。不確実な存在である。
そして管理できない欲動そのものも環境的現実界である。
332ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:25:21
■去勢的現実界

しかしここで区分が必要である。欲動が過剰でないときには、エロス(生の欲動)と呼ばれ、環境的
現実界に分類されるが、過剰であるときには、タナトス(死の欲動)と呼ばれる。これは、「去勢的
現実界」と言える。ラカンの理解では、タナトス(死の欲動)は象徴界(社会秩序)への参入によって、
去勢による抑圧によって生まれる。これはまさに、動物的なエロスが環境の力を越えたとき、本来
エロスによって構築された秩序が、抑圧として働くのである。社会で生きるとは、このような抑圧を
受けて、内部に過剰性を持ち続けるのである。

ドゥルーズは、ラカンが欲動を去勢によるタナトス(死の欲動)として強調して考えたことを批判し、
そのエロス(生の欲動)面を強調した理由がわかる。タナトス(死の欲動)は欲動の一部である。
しかし精神分析においては、抑圧された欲動が問題であり、それが「人間」なのである。
333ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:26:33
■本能の壊れた動物

現代では、環境からの脅威は軽減されている。しかしエロスは止められない。外部にでられずに
閉じこめられ、内部圧力は増していく。止まらないエロス、すなわちタナトスはどこに向かうのか。
たとえば、それは内部での殺し合うに向かうのである。有史以来、人は過剰性によって互いに
傷つけあってきたのだ。

しかし有効な使用方法は、内部世界の拡張に費やされている。環境の不確実性を秩序あるものとして
開拓するのである。それが加速されたのが近代であり、数量化革命である。世界のすべてを定量的に
数値化する手法は確実に、開拓を成功させ、内部世界を拡張した。それは地球から宇宙へという空間
から、物理的な量子力学によるミクロ的、そして宇宙物理学的なマクロ的へ、あるいは遺伝子工学に
よる身体へなどなどへと向かうのである。

たとえば量子力学が、原子力発電所に応用され人類の英知と言われるときは、エロスであり、それが
原子爆弾として使われるときには、タナトスと呼ばれるのである。だからこの分類は両義的である。
あるときは豊かさを生み、すばらしい芸術作品を世に生み出すが、またある時は、殺戮の狂気へ
向かう。そもそもにおいて過剰性があり、それが有効であるか、どうかに決定できないだろう。これは
「人間」が生まれた時から内部に抱えた問題なのであり、「本能の壊れた動物」としての「人間」である。
334ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:34:19
■健全な無垢への欲望に健全な精神が宿る

ボクが、「健全な無垢への欲望に健全な精神が宿る」というときには、この過剰性をいかに「健全」に
解消するか、という問題意識である。それは、エロスとタナトスの両義的な問題ではない。それ以前の
問題として、現代において欲動の内圧が上がっているいるのだ。

欲動は、本質的に不確実性=フロンティア(無垢)を必要とする。近代は科学技術という工作機械が
発明され、まだ未分化な世界を開拓したのである。それによって欲動は解消された。しかし現代、
そのような意味での大きなフロンティアは消失した。科学技術は環境問題などで行き過ぎを指摘され、
豊かさの中で、必要されなくなっている。物質的フロンティアの宇宙開発にはまだまだ多くの人を
つぎ込むことはできない。

■闘争の快楽

その意味で戦争は、過剰性の解消装置だったのである。兵器戦争でなんなる悲惨な場になったが、
戦争は人々を生き生きさせる装置であった。いまならワールドカップの熱狂があるが、サポーターで
なく、男子は全員がプレーヤーになる。そして敵国と戦う。賭けるのは命程度のものでなく、家族も
含めた我々のコミュニティそのものである。これにまさる無垢があるだろうか。

ある意味でもはや戦争ができなくなったなかでいかに生きるか、無垢を欲望するか。それが僕達の
問題だろう。戦いの場をいかに見いだすか。なら僕達は戦争にいけばいいのだろうか。ファイトクラブ
すればいいのだろうか?残念ながらノンだ。なぜならもはや素朴な、ベタな対立では満足できない
からだ。それは外国土産のおかしのように大味すぎるのだ。現代における戦いの難しさはそこにある。
すなわち、安易な二項対立による大味な戦いは、本当の戦い、「無垢欠乏といかに戦うか」からの
逃走でしかない。すなわちヘタレ化だ。無垢欠乏の強度から逃げ出し、一時の快楽に没入してしまう。
335考える名無しさん:2005/12/01(木) 20:36:25

動物の本能がファルスにより壊れるとぴかぁ〜になる。
336ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:37:42
■レーザーラモンHGの憂鬱

たとえば、レイザーラモンHGは無垢として登場した。その汚物は、人々を欲望させたのである。
そしてこの無垢は次第に減算していく、消費されていく。多くにおいてそれは「忘却」であり、反復に
よって差異が消費されていく。今後も生き残っていくために、レイザーラモンHGは無垢を生み
出さなければならない。それは次のギャグを考えることではない。仮にそれが受けても、また
消費されるだろう。

それは、愛されることである。愛される「強い内部」を作ることである。「強い内部」において、無垢は
生み出されるのである。たとえば、様々な「永遠のスター」たちは、深く愛されることによって、
そのような「強い内部」の存在によって、「忘却」に逆らい、無垢が生み出されるのである。

■感染の恣意性

ではいかに「忘却」に逆らい、まなざしの強度は継続、増加されるのだろうか。多くにおいて強い
愛着である。しかしたとえば憎しみは、どうだろうか。深い憎しみ、継続した憎しみにおいて、まなざし
の強度は継続されるだろう。しかしここで難しい問題が起こる。深い憎しみと深い愛情の転倒である。

ここでは、愛であるか、憎しみであるか、悲しみであるか、関係ない、それは強度の問題である。
対象への強い興味の継続が、無垢を加算するのである。そしてなに、どのように感染するかは、
どの程度継続するか、そこには意味はなのではないだろうか。そこにあるのは、ただ恣意性である。
337ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:39:40
■差異化運動

しかし通常、ある時期の強度が長期的に継続されることは少ないし、仮にそのような場合には、
短期間に受けるその強度は身体的への弊害をともなうのではないだろうか。

だから、まなざしの強度が「健全」に継続する方法としては、強い内部がつくられることである。
たとえば、無垢を外部から与えられすぎると、「愛」を生み出せない。ただ消費するだけであり、
どこかで無垢が欠乏していき、孤独へ向かう。だから単なる他者の借り物という静的な無垢の
消費でなく、内部を作動し、その内部に帰属し、動的に「創造」することによって、無垢を
生み出していくのである。そしてこのような強い帰属を支えるのが、愛着である。

そして、このような動的に「創造」する内部では無垢を生むために「差異化運動」が起こる。
差異化運動とは、他者と差異をより細部に見いだそうとする運動である。たとえば古典ずきと
現代ずきの差異において見いだされる相違は大味で無垢としては弱い。ハイデェガー好きの
道具分析に関する相違の議論は無垢として強く、わくわくするだろう。差異化運動が魅力的なのは
より詳細に自分がなにものか記述するからである。

■All you need is Love.

たとえばこれはスポーツでも同じである。互いに切磋琢磨することにより、その差はわずかになる。
それは互いに同じ苦労をし、相手の細部がわかることである。それはライバルと呼ばれ、そこには
強い尊敬の愛がある。

そしてこのギリギリの差異により競い合う快楽は健全な無垢へ欲望である。すなわち、「愛」が
「健全」な無垢への欲望を導くのである。
338ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:42:26
■なぜタナトスが「愛」を生むのか
339考える名無しさん:2005/12/01(木) 21:39:03
詩の本能?
340考える名無しさん:2005/12/01(木) 21:51:36
禁断の果実を食べそこなったぴかぁ〜。
341考える名無しさん:2005/12/02(金) 00:33:04
脳味噌ツルツルなぴかぁ〜との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)
その驚きとともに私は『存在論的、郵便論的』がとうとう完全に過去のものと
なったことを認めたのである そのまんま東

ま、マンネリだ罠。
342富田派:2005/12/02(金) 01:03:29
>>1->>341
知らない人の使った食器はできれば使いたくないなあ、ってのと同じだと思うけど。
343ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/02(金) 10:50:02
ぴかぁ〜哲学第1期は自己組織化による進化論、宇宙論をつむぐ。
欲動は徹底的にエロスに位置付けられ、生命理性として肯定された。
第2期はラカンの精神分析によるポストモダン的人間を描く。
欲動は去勢され、抑圧されたタナトスに位置ずけられ、まなざしと無垢の欠乏の場として、健全化がめざされた。
344遠隔セクハラ親爺ぴかぁ〜の彼女:2005/12/02(金) 10:54:04
ファルスのままに不特定のエロを追求するぴかぁ〜はまさにセクハラ大王です。
345ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/02(金) 11:17:44
かつてニーチェの再来と賛辞されたように本来、ボクはエロスの肯定者であったはずた。
「迷うな、思考にだまされるな。すべての答えはエロスにある。だからキミはすでに答えをしっている。」それが生命理性の本質である。
これはニーチェの力への意志であるだけでなく、ラカンの「己の欲望に譲歩するな」にもつながるはずだ。
健全な欲望とは、欲動をタナトスのしてうまく処理するのではなく、
あくまでエロスとして肯定することである。
現代は閉塞などしていない。閉塞はいつの時代にもあり、それこそが人間である。
ボクはこの閉塞、飽和なイメージは地球という物理空間の飽和からきているように感じる。
それはエコロジーブームしかりである。
しかしそれでもエロスの闘争はまだまだ終わらない。空間はなんの制約でもない。
まさに無垢は目の前に広がっている。
346ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/02(金) 11:56:39
たとえば2ちゃんの祭りはまさにエロスの蠢きである!!!!
347ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/02(金) 12:02:17
ぴかぁ〜哲学第3期に向かい、充電期間に入ることになりました。

第3期はエロスへの回帰へむかいます。お楽しみに
それではちゃ〜オ!
348考える名無しさん:2005/12/02(金) 12:30:51
これにて終了

349考える名無しさん:2005/12/02(金) 13:02:10
ぴかぁ〜、前よりもちょっとまじめになった気がする。気のせいかもしれないけど。いいことだ。
350純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/02(金) 20:26:28
本当かな?
351純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/02(金) 20:28:53
ネタが切れただけじゃないのかね?
352:2006/01/02(月) 19:58:36
匿ってください

353通行人:2006/03/14(火) 05:43:08
山本夏彦が言つてたけど、処女が尊ばれるのは、男が自分のペニスの大きさ(と機能の良否を)を他人と比べられ度くないからだと云つてゐる。
実際には誰も他の性器の記憶は殆ど無いから、単なる短小コンプレックスに過ぎない。
処女なんかは面白くも何ともない。尤も女性の7割は不感症ださうだけど。
354考える名無しさん:2006/03/14(火) 05:56:45
処女なら、ファックスするのみならず、結婚したり、オプションがある。
355考える名無しさん:2006/03/14(火) 06:13:31
無垢を求める人は、ここよりどこかに理想郷があると思っている人なんだと思うよ。
でも、無垢なんて、原理的にありえないでしょ。
本来人はこの世に生を受けたときから、常に他とかかわり続けている。
故に無垢は存在しないと。
おそらくは何でも自分を信じて肯定してくれる存在への希求が無垢女願望なんでしょうが、
そんな上手い話はないってことだね。
356考える名無しさん:2006/05/29(月) 17:53:32
茨城県
浮島キャンプ場(茨城・桜川村)
小滝沢キャンプ場(茨城・高萩市)
北山公園キャンプ場 (友部町)NO321&586&711
波付台キャンプ場(石岡市)678

千葉県
橘ふれあい公園(千葉・山田町)554&559〜
市原市民の森(千葉・市原市)
グリーンウオーターパーク(千葉・大栄町)NO290
市原市文化の森(市原市)648&674&675&712
君津緩衝緑地坂田東広場(君津市)760
357考える名無しさん:2006/05/31(水) 10:07:14
処女なんてめんどくさいです
経験者でさえなかなか感じないというのに
358考える名無しさん:2006/06/04(日) 21:09:36
>>355
ハゲド(´・ω・`;)
だからあたし早く汚して欲しくて堪らなかった…。
359考える名無しさん:2006/06/04(日) 21:20:25
>>358
「だから」の接続詞に至るまでの思考の経緯を簡単にチャート化していただけますか?
私にはその感覚の把握は不可能です。
360考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:39:23
少なくとも母親は非処女。
361考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:50:47
処女は蜃気楼である。追えば逃げるし、逃げれば現れる。
そして、現れるころには処女でないのです。
362考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:54:10
まあ、女は使い古されたのより、新しいの。
男は、新しいのより、使い古されたのが良い。

女は器で、男は器に入れるものだから。

器はきれいに越したことはないね!
363考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:20:00
非処女はなんではじめての男とずっと付き添わなかったのかと。
興味本位でやりたかったなんて軽挙妄動じゃないか
ほんとに愛し合ってたのかい?そこに愛はあったのかい?

証拠を見せてくれ、今ここで
364考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:58:15
非処女は次の男に付き添うことになったんだろうね。
なぜか。
あかちゃんの名前?、かれはねぇ(ry
365考える名無しさん:2006/06/12(月) 17:16:01
造幣局に勤めたら、作りたてのお金を見せてもらえるよ。
366考える名無しさん:2006/08/11(金) 23:27:47
処女なんて面倒くさい
やっぱ百戦錬磨だろ
367考える名無しさん
「おんな」は男性社会においては「商品」だろ。
「商品」は「中古品」よりはできるだけ「新品」の方がいい。

ちなみに「女の友情」は「商店組合」、「男の友情」は「消費者連合」だと思う。