1 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :
まずはじめに人は根本的に欠けた存在なので、完全な充足を求めているということです。そのために
「無垢」を欲望します。なぜ「無垢」を求めるのかというと、それが処女地(フロンティア)だからです。
そこに一番に乗り込む、征服することによって、私が1番、すなわと他者とは違う、唯一な存在として
承認され、充足されます。たとえば、だれも登ったことがない山を一番に登ることによって、彼には、
初登頂、初征服した唯一な存在としての名誉が与えられ、充足が得られます。
たとえば、大航海時代には、みなが未開地を求めて世界へ旅立ちました。それによって、アメリカ大陸は
発見され、発見者に名誉が与えられます。しかしここでおかしいのが、原住民がいたのになぜ発見
なのか。それは西洋的なコミュニティの価値として、アメリカ大陸はフロンティアであり、発見だって
わけです。だから、だれも登ったことがない山を一番に登ることの価値も、それが価値あることだと、
承認するコミュニティが必要です。アメリカ大陸発見者の名誉なども、原住人にしてみれば、なにを
言ってるの?ということになります。ここでいう未開地が無垢なのですが、それが無垢であるという
価値は、あるコミュニティの承認によって得られますから、ボクはこれを「無垢の幻想」と呼んでいます。
つづきは
>>2-20あたり
「無垢の幻想」として、物理的な処女地をあげましたが、コミュニティ内にそれを行うことに価値があると
いうときすべてに「無垢の幻想」が生まれます。たとえばある算数の問題が解けることにしろ、新品の
靴を買うことにしろ、誰かとコミュニケーションするにしろ、属するコミュニティが、そこに価値を認める
ときに、小さな「無垢の幻想」が生まれ、それをすることで、小さな充足をえるのです。小さなところでは、
「上から二冊目の本」を買うことから、大きなところでは、オリンピックで優勝するなど、より多くの人が
欲望することほど、大きな「無垢」があり、それを達成することで大きな充足が得られます。しかし
どのような無垢を征服しても、人が完全に充足することはないので、人は一生欲望し続けます。
現代では、大きな無垢がなくなってきています。なにをやってもすでに誰かがやってきたことでしかない。
特に社会的な価値という大きなコミュニティの価値ではそうです。だから人々は無垢を求めて、
コミュニティを細分化させています。たとえば、オタクの中で有名な声優と握手したというの価値は、
オタク以外の人々には価値がありません。しかしオタクたちにはものすごく大きな名誉でありえます。
このように小さなコミュニティ内で、小さいながらも、誰もやっていない無垢へ、よりディープへ向かって
います。
現代で、特に若い人が、家庭や学校などで言われる社会的な価値に興味がもてないのは、そこには
無垢が見いだせないからです。そして若い人たちは、無垢を求めて、オタク、ネット、ファッションなどの
より趣味的な小さなコミュニティに向かいます。
たとえば「女たちはなぜパンツを見せるのか」の中で言いたかったのも、このようなことです。若い女性
たちが、無垢を求めて、ファッションへよりディープへ向かうとき、外から見ると、非常識、グロテスクに
見えます。特に若いときは過剰に自分の価値を求め、ディープな方向に無垢を欲望しますので、
社会的な価値観からはグロテスクに見えます。そしてオタクや、ギャルが気持ち悪いのは、その
ディープさゆえです。それをボクは「汚物性」と呼んでいます。
そしてこのディープな方向とは、より細分化された価値の誰も到達していない無垢へ向かうことであり、
それが社会的に禁止され、タブー視されているところであるのは、当然ともいえます。たとえば
「女たちはなぜパンツを見せるのか」の中で言いたかったのも、このようなことです。若い女性たちが、
無垢を求めて、ファッションのディープへ向かうとき、外から見ると、非常識、グロテスクに見えます。
それは社会的に女性が下着であり、肌を露出することはいけないというタブーへ近接するから
無垢であるのです。特に若いときは過剰に自分の価値を求め、ディープな方向に無垢を欲望します。
古くは不良少年が犯罪をするのも、あるいは女子高生がスカートを短くするのも、オタクが幼児を
ロリコンとして性の対象とするのも、タブーへの近接であり、過剰な無垢への欲望です。それをボクは
「汚物性」と呼んでいます。
4 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 02:08:36
ぴかあさんいつも日記読んでますよ
新スレ乙〜
5 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 02:10:53
まったく読まずに書きます。(スレタイは読んだ)
別に処女しか求めてないわけじゃない、可愛くてわかい女なら誰でもいい。
6 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/21(月) 02:20:56
可愛くてわかい女=無垢、なわけです
お前いくつスレ立ててんだよ、いい加減にしろ引きこもり
欠けてるってのはどうかな。
9 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 03:52:54
オレは処女を欲望してない
何々の人ってあーだとか言ってんじゃねぇ
> 可愛くてわかい女=無垢
ロリコンさんには通じるだろうけどね〜
本当に可愛いのは、ある程度男の視線を意識できる女だよ。
ぴかぁ〜が自分を批判しているから、それに対して応答したらどうかといわれた。
しかし、こんな固定の低レベルな批判にまともに応答する理由はない。
この固定は、哲板に昔からいた。毎日いた。
哲板では、自分が利用したと思っているかもしれない。
もちろん、積極的に利用したのは事実である。
しかし、その後の仕事については、また別である。
自分の評価はそのつど変わる。
ただし、それをいちいち言うべきではないと思い、長い目で見ようとしてきた。
しかし、彼が錯覚し思い上がって騒々しく噛みついてくるとなったら、
一言いっておかねばならない。
こういう固定は、全面的に自分の問題系(東・斎藤…)の中で育ってきて、
一人前になるために、そこから出ようとして、まず自分にからみ攻撃する。
しかし、それでは自分に対する従属をますます認めることにしかならない。
(何にしろ自分はこんなニートにつきまとわれたくない。)
そもそも、このような心理はあまりに単純であって、
それを自覚できないということだけからみても、この固定には見込みがない。
彼には「アスペクト論」を論評することなどできない。
端的にいって、日本語作文能力が欠けている。それでも、勉強しようとして
理系に通じる数理モデル化でもできればいいが、それもない。
たんに、何か派手に有名になりたいという根性があるだけだ。
さらに、この固定は引用も要約もできない。
もともと「孫引きの孫引き」しかやったことがないから、
原典が読めない。教養がない。語学力もない。
これらは致命的な欠陥で、彼がまともな良コテになれるわけがない。
(その点で、何はともあれ、自分は過去の固定たちを良コテとして認める。)
12 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 21:05:00
13 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 21:20:50
え〜、男というものは遺伝子を一つでも多く残そうとするものです。
逆に女というものは少しでもよりよい遺伝子を手に入れようとするものです。
加えてその優秀な遺伝子をほかのメスに渡さず、かつより確実に自分のものにするために、その遺伝子を持ったオスを自分のものだけにすることを好みます。
これは女性の性機能が男性よりもより多くのリスクを負うことも原因となっています。よって女性は性に対して貞順であろうとします。
男性にとってもメスが浮気性であったのなら、妊娠時に果たしてこれは自分の子か分からなくなります。処女であると、他者の遺伝子が介在していないという証明になりますし、
より自分だけの遺伝子を残せる可能性が高くなるということも示しています。
このような原始的なもに人間特有の「文化的」なものが修飾されて、現在の男性には処女崇拝?みたいなもんが本能的に植えつけられているわけです。
現在では、聖書のマリアは処女で妊娠したいう有名な一説がありますが、あれはヘブライ語の「イザイア(若い)」、というものをギリシャ語に訳する時に間違って処女としてしまったことが、分かりました。
しかしマリアが処女で妊娠した、というのはある意味人間のそういった処女を好み性質、というものに関係しているのかもしれません。
最後にとある映画の名台詞を引用しましょう。
『今は21世紀だ。結婚前のセックスなんてあたりまえじゃ』(多少の誤訳あり)
まあ、なんだかんだ言っても、
私の出番のようだね?
ぴかぁ〜重複スレ、
全部で8スレぐらいでしょうかね?
232 :案内人チャーミー ★ :2005/11/19(土) 18:44:26 ID:???0
>>228 きちんとレス番指定をしてください。
233 :名無しの報告 :2005/11/20(日) 22:49:21 HOST:actkyo016027.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
>>232 >純一 ◆Fn0dptrDJwのレスすべて
これでわかると思いますが、改めて番号指定する必要がありますか?
234 :名無しの報告 :2005/11/20(日) 22:57:16 HOST:actkyo016027.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
>>232 削除対象アドレス:
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131456419/2,3,6,7,9-18,21 削除理由・詳細・その他:
5. 掲示板・スレッドの趣旨とは違う投稿
レス・発言
スレッドの趣旨から外れすぎ、議論または会話が成立しないほどの状態になった場合は削除対象になります。
故意にスレッドの運営・成長を妨害していると判断した場合も同様です。
純一 ◆Fn0dptrDJwは明らかに、スレッドの運営・成長を妨害するために、
スレッドの趣旨とは関係のない内容のレスを連続で繰り返しています。
*まず以下のレスについて削除依頼願います。これでまず、あなたの判断能力を
試させてください。それによって、追加で削除依頼させていただきます。
バカみたいに番号書いても、一言で流されると、バカみたいなので。
宜しくお願いします。
44 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/22(火) 00:32:26
なぜ芸術は人々の魂を揺さぶるのか
「孤独な箱」の中の私
ボクは「コミュニケーションは必ず失敗する」といいました。ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」
として示されるように、言語は不完全なコミュニケーション手段であり、またある人がいった言葉の
(本当の)意味を、完全に人に伝えることはできません。そのような意味で、ボクたちはそれぞれが
隔離された「孤独な箱」に閉じこめられた存在であると言えます。
ボクが「まずはじめに人は根本的に欠けた存在なので、完全な充足を求めている」というのは、
このような意味です。
>>
まずはじめに人は根本的に欠けた存在なので、完全な充足を求めているということです。
そのために「無垢」を欲望します。・・・そこに一番に乗り込む、征服することによって、私が1番、
すなわと他者とは違う、唯一な存在として承認され、充足されます。・・・それが無垢であるという
価値は、あるコミュニティの承認によって得られますから、だからボクはこれを「無垢の幻想」と
呼んでいます。
「無垢」はなぜ「汚物」なのか
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20051123 <<
私が孤独であるのは、私だけでは、欠けた私を充足できずに、他者の(コミュニティの)承認を
求めているが得られないためです。そのような意味で、ボクたちはそれぞれが隔離された
「孤独な箱」に閉じこめられた存在だということです。
45 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/22(火) 00:33:31
芸術というコミュニケーション手段
このために、コミュニケーション手段は、言語を越えています。顔の表情であり、涙を流すであり、
行為による感情表現や、スキンシップなど様々な方法によって、言いたいことを伝えようします。
そして芸術とはこのような言語を越えたコミュニケーション手段の一つではないでしょうか。
たとえば詩は読んだままの(コンスタティブな)意味では決して伝わらない意味を、その行間、音感、
見た目など、抽象的な表現によって、パフォーマティブに意味を伝達しようとします。このような詩や
小説などの言語表現だけでなく、絵、動画、ダンスなどの視覚、音楽などの聴覚などによって、
「孤独の箱」の間で、少しでも意味を共有し、ともに感動し、ともに笑うことが求められます。
芸術の「大衆性」と「芸術性(自己探求)」
芸術には、大衆へ広く受け入れられることを狙った「大衆性」と、大衆受けを重視せず、自分の
表現したいものを表現するというような「自己探求性」があります。特に「芸術性」と言われる
ときには、後者の「自己探求」としての芸術を指すのではないでしょうか。これらは二項対立する
ものではなく、どのような芸術の中にもあるバランスとしてあるものでしょう。
そして、特に芸術の「大衆性」の追求は、より多くの人々に比較的容易に共感しやすいように、
社会的なコミュニティ内部の価値、すなわち「無垢の幻想」が演出されます。
46 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/22(火) 00:34:38
「芸術性」という崇高さ
それに比べて、「芸術性」の探求は、社会的なコミュニティ内部の価値、(無垢の幻想)を解体する、
すなわちそれは自分の内部にある社会的なコミュニティ内部の価値、(無垢の幻想)を解体し、
自分の感性の核心、「本当の無垢」へ向かうような行為です。芸術家の利己的な自己探求であり、
表現者の内部へと向かうような孤独な行為です。
これは、デカルトが疑えないものを思考し、「我思う故に我在り」という境地に達したものに似ています。
しかしデカルトの懐疑は、「疑えるものの深層を目指す」というような明確な問題意識をもった、
いわば言語という価値の中での探求であるのに対して、芸術家の探求は、漠然とした不安であり、
孤独であり、根元的な飢餓感から、自分がどのような問題意識をもち、なにを求めているの
かもわからないにもかかわらず、表現せずにはおれない衝動でしょう。
しかしこのような「芸術性」の高い作品が、人々に深い共感を与えるという逆説が起こります。
それは、芸術家が自己の内部へ向かい、人の感性の核心、「本当の無垢」に近接するところを
表現することによって、「孤独な箱」に閉じこめられたボクたちが、本来、決して共鳴しえないだろう
深いところで共鳴し、人々は自分でもわからないうちに「孤独な魂」を揺さぶられるからではないで
しょうか。
このような意味で、芸術の「大衆性」が「無垢の幻想」による容易な共鳴であるのに対して、芸術の
「芸術性」は「本物の無垢」の深い共鳴を呼び、「崇高」なものとされるのではないでしょうか。
47 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/22(火) 00:36:10
「アウラ」という幻想
しかしこれは形而上学的、あるいは「アウラ」的な芸術の理解かもしれません。時代性、空間性の
コンテクスト(状況)を越えたところ、「無垢の幻想」を解体しところにあり、ボクたちの魂をふるわ
せるような「本当の無垢」という超越的なものは、存在するのでしょうか。たとえば、名画といわれる、
ダビンチの「モナリザ」や、ゴッポの「星月夜」などなどによって、現代の西洋文明から離れた人々、
歴史的に西洋文明を隔絶した人々の魂も震えるのでしょうか。
ポストモダン的にいえば、時代性、空間性に毒されていない、すなわちコンテクストに依存しない
「本当の無垢」などないということです。だから「芸術性」の崇高さとはあくまで、時代性、空間性の
コンテクスト(状況)に依存したところでの、コミュニケーションでしかありません。
多くにおいて芸術性と言われる芸術作品は、その芸術家の生き様とともに流通することが多いのも
事実です。ボクたちはその芸術作品の崇高さを、この作品に崇高さを感じるというよりも、その
芸術家がどれだけの魂を込めて、その作品を作ったかという事実とともに、この作品が「崇高である」と
学習することが多いのも事実です。
芸術作品という「汚物」
歴史的、空間的に、どのような文化にあっても、コミュニティ内で芸術には価値がもたれたのでは
ないでしょうか。現代においても、芸術作品は、より大衆化したとは言え、楽しまれ、感動を生み、
時に魂が揺さぶります。そして芸術家は決して到達しないだろう「本物の無垢」を求めて、表現し
つづけるのです。
それは、芸術表現が、言語を越えた「孤独な箱」間の有効なコミュニケーション手段であり、そこに
作動するのが、「無垢の欲望」であるからです。そして多くにおいて、革新的な「芸術」は、過剰で、
社会的タブーを越えた「汚物」なのです。
警告 この手の連続荒らしは、荒らし規制対象になります。
自ら証拠を残しているようなものです。
73 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/22(火) 09:26:13
ボクの根底にあるのはニーチェは始まるとされる価値の相対化はテクノロジーの進歩の必然であり
残念ながらその後のポストモダニストたちは歴史家でしかない。
ポストモダンとはテクノロジーの進歩により社会の変容である、ということです。
だからボクはその変容に軋む人間という形而上学を救済したいのです。
74 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 10:12:32
75 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/22(火) 10:15:52
簡単にいえば、恋でもイデオロギーでも芸術でも没入すればよいのです。
そこにアイロニーなどいりません。
なぜすぐに覚めるからです。テクノロジーの速度はそう簡単に人を一所に安住させてはくれません。
あーだーこーだで新たな無垢を提示します。そしてボクたちはアイロニカルにならざるおえない。
むしろいかに形而上学を確保するかが問題なのだ
76 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 10:31:45
無垢=処女になれないぴかぁ〜が象徴界でトラウマに悩まされています。
77 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/22(火) 10:48:23
形而上学
確かな起源を信じる。それはより、信仰、二項対立など世界観を受け入れ、感染している。
ポストモダン思想
反復の中の差異により、形而上学の起源への懐疑。
ネオ形而上学
人間とは形而上学でありそこから逃げられない。
なおかつポストモダンとは思想ではなく、テクノロジーの速度による社会変容の記述であり、
解体される形而上学への回帰をめざす人間復興運動
今日もむくむくと処女の幻想と戯れるぴかさんですた
現実界はどうなったのか知らん
79 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 14:30:29
中古よりなら新品のほうがいい
車然り
中古で買ったパソコンは大事に使わないからな。乱暴になる。
パソコンは新品で買うと大事に扱う。嫁さんも新品購入は
大事に扱う。つまりそういうこと。
81 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 01:03:36
*なぜ「ネオ形而上学的思考」なのか?
形而上学/ポストモダン/ネオ形而上学
ボクの言った「本物の無垢」のような、超越的な「起源」は幻想であり、「否定」すること。これは
ニーチェから始まり、構造主義、ポスト構造主義へと続く、「差異の思想」ではないでしょうか。
たとえば、デリタの差延、脱構築、ドルゥーズの反復と差異のように、(形而上学的な)超越的「起源」
という中心をずらすこと。さらにはここにニーチェの「笑い」も続くでしょう。「深い理解を、感動を、
共感を示しながら、なおこれを笑いうること」とは、対象に没入しつつも、それに距離をおいて見ると
いう距離、すなわちアイロニーを持ち続けることです。超越的中心からの差異、距離。これが
形而上学に対するポストモダン思想です。
ここでボクは、ボクの考えを示すために簡単な構造を示したいと思います。すべてがこのような
簡単な構図で説明できるわけではないですが。
@形而上学的思考・・・「真の」、「本当の」など超越的な起源と受け入れる思考
Aポストモダン的思考・・・形而上学的思考(「真の」、「本当の」など超越的な起源)を疑い、
差異を思考する。
Bネオ形而上学的思考・・・これがボクが思考しようとするものですが、ポストモダン的思考
(形而上学的思考への疑い)の継続することが不可能であり、結局、どのような思考も形而上学的
思考に回帰する。
82 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 01:04:02
ポストモダン思考の滑稽さ
ボクが、前回、芸術について言及した*1のは、芸術が「神が死んだ後の」現代においても、もっとも
有効な信仰の形態の一つとして機能しているからです。たとえば、名画などへの人の思い入れは、
神性なものですし、コンサートなどはまさに信仰的な集会です。アーティストを信仰し、みなが
陶酔する、感動する。
さらに現代の信仰の代表的なものが「恋愛」です。たとえば、ある女性に恋をした。寝ても覚めても
彼女のことを思ってしまう。しかしなぜその女性なのでしょうか。無数にいる女性の単なる一人であり、
また別の彼女である可能性はいくらレもあるはずです。この「熱い想い」について、「真の」、「本当の」
という起源を疑う、「否定」する、ズラす、アイロニー(距離)をもって対応する。これはとても滑稽
ではないでしょうか。
ボクは「デリダも必ず恋をする」と言いました。神への想い、芸術への想い、イデオロギーへの想い、
彼女への思い、家族への思いは、同様な原理で作動しているのではないだろうか。ポストモダン的
思考は、思弁的にはよくわかるのですが、このような「滑稽さ」がつきまとい、「デリダも必ず恋をする」
すなわち「脱呪術化という呪術化」をする。それが「無垢への欲望」という「孤独な箱」に断絶された
人々の飢餓感です。これが、ネオ形而上学的思考の前提です。
83 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 01:05:16
ポストモダンというテクノロジーの進歩
しかし多くにおいては、ニーチェも含めた、ポストモダン的思考は、「発明」ではなく、「発見」
なのではないか。ニーチェの時代は、まさに進化論、古典物理学への懐疑など、時代が相対化へ
向かっおり、その中にニーチェはいました。形而上学的思考への「否定」の思考をニーチェであり、
その後のポストモダン思想家が考え出したというよりも、たとえばリオタールの「ポストモダン」や
「大きな物語の凋落」という名付けのように、時代が宗教的な神を必要としなくなり、大きな
イデオロギーにリアリティーがなくなったことを、歴史家のように表記しただけではないのか。
そしてこのようなポストモダン的な、差異化される時代性を作っているのは、「テクノロジーの進歩」
ではないのか。テクノロジーが進歩し、情報化されることによって、社会的な価値観は、かつての
ような形而上学的な絶対性を維持することが困難になっているのではないか。
ボクは「デリダも必ず恋をする」と言いましたが、また、「デリダの恋も必ずいつか冷める。」とも
言いました。ポストモダン的思考の本質とは、意志をもって、形而上学的思考を「否定」する
(「この恋は本当は幻想なんだ」と考える)のではなく、「テクノロジーの進歩」、情報化が、様々な
恋する機会(作られた可愛さというアイドル、、作られたエロのエロビデオ、あるいは出会い系による
性関係の増加などなど)を増加させることによって、形而上学的な「純愛」を不可能にしている
ことではないのか。
特に、テクノロジーの進歩の先端として、ネットにおいては、主体はより散乱する傾向があるとも
言われています。形而上学的な自己同一な主体像を保たれずに、主体がポストモダン的に
散乱するとも言われます。
84 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 01:06:01
「健全」な形而上学的思考に健全な精神は宿る
このような考えには、様々な問題があります。思想界のファシズムへのトラウマは根深く、
形而上学的思考を疑い続けることは、強迫的で、容易に形而上学の回帰は許されないでしょう。
しかし「孤独な箱」に断絶された人々は、ポストモダン的な否定の否定の否定・・・という形で、
「無垢への欲望」がズラされ、延滞され、価値が発散し、飢餓感が増しおり、逆に大きく転倒して、
ファシズム的な信仰へ猛進する危険もあるのです。それが、オウムであり、最近のネット右翼化など
の傾向とも言えます。だから、むしろ守られるべきは、「健全な」形而上学的思考なのではないか。
「本当の無垢」を求めた、神への想い、芸術への想い、イデオロギーへの想い、彼女への思い、
家族への思いを、疑い、ズラす必要などない。「「健全」な無垢への欲望に健全な精神は宿る」
というのが、ネオ形而上学的思考の視点です。そして「ヘタレイズム」もここに繋がります。
85 :
考える名無しさん:2005/11/23(水) 01:06:15
ぺンパック
良スレ!!
>>81 @→A→B→
→C.AとBの差異を反復するで、結局Aの域を出ないと思うのだけど、、、
88 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 11:52:36
89 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 11:57:26
■続なぜ「ネオ自然主義」なのか
■ネオ自然主義
>>
@形而上学的思考・・・「真の」、「本当の」など超越的な起源と受け入れる思考
Aポストモダン的思考・・・形而上学的思考(「真の」、「本当の」など超越的な起源)を疑い、差異を
思考する。
Bネオ形而上学的思考・・・これがボクが思考しようとするものですが、ポストモダン的思考
(形而上学的思考への疑い)の継続することが不可能であり、結局、どのような思考も形而上学的
思考に回帰する。無理な懐疑でなく、形而上学的思考の救済を目指す。「ヘタレズム」
なぜ「ネオ形而上学的思考」なのか?
<<
このような構図はあまりに単純すぎますが、ボクの問題意識を明確にするために用いています。
ボクの問題意識は、「デリダも必ず恋をする」、「デリダの恋も必ず冷める」で表せます。
「デリダも必ず恋をする」は、ポストモダン的思考のように、ズラしいくことの限界を示します。これは
「認知限界」にも繋がります。いわばこれは円滑な記憶(伝達)システムであり、物理学的には
「エントロピーの増加」に対応します。
ポストモダン的思考のようにズレつづけることは、あたらな情報を取り込んで行くことを意味します。
しかし人は「認知限界」から、情報処理能力に限界があり、「複雑性の縮減」によって、なんらかの
(形而上学的な)単純な図式によってしか、理解できません。すなわち形而上学的思考は、人間の
生理的なシステムにも見合っているのです。
「デリダの恋も必ず冷める」は、形而上学的思考を保持することの限界を示します。いわばこれは
記憶(伝達)の消失=「忘却」であり、物理学的には「エントロピーの減少」に対応します。
「認知限界」からくる「複雑性の縮減」でいえば、次々にくる情報を処理する中で、古い情報は捨てて
行かざるおえない。特に情報処理社会では次々と新たな刺激的な情報が送り込まれ、特的の
(形而上学的な)単純な図式に固執することができません。
90 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 11:58:47
■カオスの辺縁
このように、ボクが言う「ネオ形而上学」とは、いかに、現代において、一つの人の生理的なシステム、
あるいは社会システムが作動し、そして「健全」に維持されるか、を問題にします。それが、「「健全」な
無垢への欲望に健全な精神は宿る」ということです。だからボクはかつて「ネオ自然主義」と呼び、
またこのような主体の維持を「カオスの辺縁」として示しました。
「カオスの辺縁」というのは、複雑系の科学者カウフマンの言葉で、秩序相とカオス相との中間付近の
自己組織化が起こる場所です。すなわち主体システムの維持は、適度な秩序(いわば形而上学的
単純化)とカオス(いわばポストモダン的差異)によって行われるのです。(これはまさにドルゥーズの
「反復と差異」に対応します。)
そして「カオスの辺縁」は、綱渡りのような状態であり、秩序(いわば形而上学的単純化)へ向かい
過ぎても、カオス(いわばポストモダン的差異)に向かいすぎても、破綻します。
>>
生命が存在し、かつ進化してゆくためには、秩序(形態)の維持と新情報(新形態)の創発という相反
する2条件がともに必要であるが、秩序相は形態の維持には好都合だが新情報の創造性には欠け、
カオス相は情報の創造力に富むがともすれば秩序維持にはむかない、というディレンマが生じるのだ。
そこで生命秩序にとっては、秩序維持と情報創発という2つの条件をともに満たす場として秩序相と
カオス相との中間付近のきわどい領域が自己組織性全般のなかでもとりわけ重要な意味を持つ。
この領域をカオス辺縁と呼ぶ。カウフマンによれば、このカオスの辺縁こそ進化能が最大となる
領域なのである。
自己組織化とはなにか 吉田民人編著 ISBN:4623025608
<<
91 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 12:01:23
■ネット社会における主体維持
かつては、テクノロジーが発展する前は、カオス(いわばポストモダン的差異)の進入が少なく、
ゆっくりとした秩序(いわば形而上学的単純化)が進んでいました。しかし現代の情報化社会では、
カオス(いわばポストモダン的差異)の進入が活発すぎて、秩序(いわば形而上学的単純化)維持に
懸命です。ネット社会において、特にカオス(いわばポストモダン的差異)の進入が活発になって
います。
>>
部族社会の小さな共同体においては、諸個人は誕生から「知られて」おり、日常の経験によって
同一性を再生産するような広大な親族関係の構造の中に組み込まれている。こうしたコンテクスト
において、主体は社会的であり、相関的な自己として構築され、再生産されている。都市においては、
対照的に、諸個人はそのような同一性の再生産から引き離されているが、ここでの会話は、
情報様式以前には対面状況的な位置を必要としており、それゆえ個人を特定する身体的な
「署名」をされており、必要ならば実際の同一性は後から召喚することができるのである。書き言葉と
印刷によって、同一性はコミュニケーションからさらに取り除かれるようになったが、著者性は、
たとえ筆名であっても、同一性を固定する役割を果たした。コンピュータのメッセージ・サービスと
共に、言語使用は根源的に伝記的同一性から分離されたのである。同一性はコミュニケーションの
電子的ネットワークとコンピュータの記憶システムの中で錯乱したのだ。
情報様式論 THE MODE OF INFORMATION マーク・ポスター (1990)
<<
92 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 12:02:17
このようにネット上では、ネカマ、あるところでは子供などなどが容易に使い分けられるために、
主体の散乱、疑似多重人格性が言われます。しかしボクは、現実起こっているのは、逆では
ないだろうか、と考えています。 カオス(いわばポストモダン的差異)の進入が活発になるから、
逆に秩序(いわば形而上学的単純化)=自己同一性を保とうとする、懸命に「本当の自分」を
求める、(これを「ヘタレ化」と呼びます)ということです。
たとえはのまネコ問題が宗教的であるのは、2ちゃねらーが、2ちゃんねるという場に対してマジに
思い入れがある。それは、2ちゃねらーである自分へのプライドであり、自己同一性への渇望です。
ネット上で様々に「炎上」が起こっているのも、白熱するのは議論の相違ではなく、賭けられているは、
プライドともいえる自己同一性の維持です。あるいは「電車男」の物語のような「おまいら」の繋がり、
正直さには、社会的な自分よりも、本当の自分がここにいるということの表れです。
93 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/23(水) 12:03:57
■哲学の終わりとヘタレの可能性
このように「ネオ形而上学」、あるいは「ネオ自然主義」において、形而上学もポストモダンも本質は、
「思想間の闘争」というよりも、「主体と環境との闘争」なのです。だから哲学的よりも精神分析的です。
その根底には「歴史の終わり」、そして「哲学(思想)の終わり」があります。もはや哲学(思想)は闘う
べき敵を失った「議論ゲーム」としてしか維持されていない。世界の様々な境界は失われ、混沌
(カオス)とした透明な(資本主義的な)秩序によって維持されて、その中で主体システム、あるいは
人々(マルチチュード)はいかに生きるのだろうか。
「議論ゲーム」において、イデオロギーであり、右翼左翼などはあるのでしょうか。エリートとヘタレの
差異さえも不明確です。だからといって、悲観的になっているわけではないのです。それでも主体は
懸命に生きていくし、社会秩序は懸命に保たれようとしてる、そして今まで哲学家、思想家などの
エリートのみが与えられていた発言権が解放され、ブログレベルでヘタレたちの様々な言説に
溢れ出している。ネット社会はまだ始まったばかりで、ヘタレたち(マルチチュード)への可能性に
満ちています。
94 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:19:53
■なぜ「カオスの辺縁」なのか。
■「カオスの辺縁」とラカン的主体
たとえばこの世界になぜ秩序があるのか、と言う疑問があります。この精巧な宇宙であり、生命
などなどのシステムはどこから生まれたのか。これには今のところ二つの答えしかないと思います。
一つは神(超越的な意志)と、もう一つは自己組織化です。自己組織化とは、すべてが偶然の世界
の中である確率で生まれる秩序です。そこにはどのような意志も必要なく、ただ生まれてくるのです。
このような現象はすでに科学的に確かめられています。すなわちアダムスミスの「神の見えざる手」
です。
ボクがいったカオスの辺縁は、混沌と秩序のバランスを保つことによって、自己組織化(簡単に言えば
成長)を生むシステムなのです。混沌(カオス)とは、予測できない不規則性で、いわば外部です。
秩序は規則性で、いわば内部です。内部の秩序だけでは、変化はおこりません。ただ静の世界です。
そこに外部から予測できない不規則性が進入することによって、外部と内部の境界(カオスの辺縁)
で自己組織化がおこります。
この世界の成長する秩序、生命、進化、主体、社会、宇宙などなどすべてが、カオスの辺縁であり、
これらが階層的に、そして複雑に絡み合い作動している。たとえば、海の作動を考えると、海流など
地球規模の秩序で作動をしていますが、微視的には一つの波の発生にも秩序があるというような
イメージでしょうか。
95 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:21:43
カオスの辺縁としての主体システムについて、以前ここで検討しました
>>
ラカンの構造のダイナミクス・・・象徴的なものを文化,現実的なものを自然と言い換えれば,文化の
秩序はそれをはみ出した自然の秩序に接することで活動し続けている。
主体は原抑圧を経て象徴界を獲得するのだが,象徴界は,それだけ取り出せば,諸項の差異と
結合の規則のたんなる集積にすぎず,いわば死せる構造,「アウトマトン(自動機械)」である.
象徴界に参入することで設立された主体が作動するのは,象徴界から逃れていくもの=現実的な
ものとの出会い,「テュケー(偶然性)」の次元があるからである(Lacan1973=1998).
[お勉強]精神分析的主体のオートポイエーシス大光寺耕平(2001)
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050217 <<
ここで、主体システムを、秩序/混沌(カオス)=象徴界/現実界としてしめしました。たとえば主体
という内部の境界はどこにあるのか。この考えで行けば、境界はないということになります。現実界と
象徴界の接触部に主体は生まれる、ということです。たとえばこれは社会にもいえます。人間文化/
自然(環境)であり、この境界に社会が成長しつづける。では、主体システムと社会システムの
位置関係はどうなっているのか。これは物理システムではありません。位相システムですので、
様々に重複し、複雑に作動しているとしか、いえないのではないでしょうか。
96 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:22:44
■ラカンにおける「自由意志」の位置
では、ラカンにおいて、「個人性」、「自由意志」はどのように確保されるのか。ボクの考えでは二つの
意味で「個人性」は確保されると思います。ます象徴界を社会性と考えると、その人の経験によって、
それぞれの社会性があると思います。まったく同じ社会性は存在しない、ということで、「個人性」が
現れます。
もう一つは、主体の「自由意志」は象徴界ではなく、現実界に存在すると思います。個人がなにを考え、
するのかは、象徴界(社会性)を通して行われるとしても、その根底は、欲動として現実界に存在
します。簡単にいえば、「なぜ〜をしよう」と思ったかは、自分でもわかりませんし、必ずしも自分で
コントロールできるものではないが、そこに自由意志はあるということです。
さらに、ラカンの倫理「己の欲望に譲歩するな」は、「社会的(象徴界)にやらされるのではなく、本当に
自分が望むこと(現実界=自由意志)をしろ!」です。社会的なものを相対化し続けると言う意味で、
宮台的のエリート主義に近くもあります。
宮台の「戦略的アイロニズム」は、まずたとえば超越的なもの(サイファ)に感染します。しかしそこで
ヘタレずに、歴史主義的な教養を身につけることによって、その超越的なものを相対化しつづけ、
立ち位置を戦略的に見いだすという「エリート」のみが可能な「エリート主義」です。
97 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:24:14
■倫理的開かれと処世的開かれ
「問い直し続けること」=脱構築思考というのは、とても能動的なことに見えて、実はもはや受動的な
ことでしかないのではないか。なぜなら現代において、「問い直し続けること」を止めることなどできる
のだろうか、と思うのです。
たとえば、ある女性に恋をする当初は恋しくて仕方がない。しかしこのような想いをどれだけ継続できる
だろうか。人の想いは冷めていくものではありますが、現代の情報化ではとくに毎日テレビ雑誌に
かわいい子が写り、町中にもタレントをコピーした同じぐらいかわいい子が溢れている。(たとえば
未開発な国に行くと女性も洗練されておらずに、やぼったい子ばかりです。日本もかつてはそうだった
のでしょうか。)性的なものでも、エロビデオ、風俗でかわいい子が溢れています。現代の情報化社会
においては、内部の変化が速いのですから、「問い直し続けること」を怠ることは、むしろ内部から
排除されることです。
ボクはこのような「問い直し続けること」を「開かれ」と呼び、良い開かれ(本当に外部へ開いていくこと)
=「倫理的開かれ」、悪い開かれ(開きながら内部に閉じる)=「処世的開かれ」と呼びました。
>>
倫理的な「開かれ」とは、内部/外部の境界をなくし、外部に排除された人々を救済するということで
あるが、空気を読む的、すなわち処世的な「開かれ」は、内部に居続け、外部へ排除されないための
ものである。このために、処世的な「開かれ」は、むしろ積極的に外部を作り出す傾向がある。
スケープゴードとして外部を作ることによって、自分の帰属する内部を作り出すという、「閉じられ」をめざす。
「のまネコ」インスパイヤ問題はなぜ「戦争」なのかその2安心して閉じられる場所
http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050924 <<
98 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:25:21
その意味で、「現代において、「問い直し続けること」を止めることなどできない」というのは「処世的
開かれ」であり、長谷部悠作さんのいうの「言語という共通解に縛られていることを自覚し、その上で
観念的な自己を絶えず問いながら創設し、内部に浸透している自己を発見したらよくよく問い直す
こと。」が目指すのは、「倫理的な開かれ」だと思います。
宮台の「戦略的、教養的、歴史主義的アイロニー」も「倫理的な開かれ」戦略です。「処世的開かれ」は
強迫的なアイロニーであり、ヘタレだ。真理とは歴史によって作られるということから、徹底的に歴史を
学び、いま真理とされているものが、どのような背景によって作られたものか、勉強をしよう!そして、
「処世的開かれ」と「倫理的な開かれ」の違いを見わけよう。」という「エリート主義」です。
99 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:26:24
■透明な社会
これらを踏まえた上で、「倫理的な開かれ」の困難さを思うのです。現代は、いわばあちこちで、
内部/外部が活発に自己組織化し、生まれては消えるダイナミックで、社会が細分化た世界=
ポストモダン社会=高度情報化社会=「透明化」した社会で、「内部に浸透している自己を問い直し
続けること」だけではだめなのです。これが内部だ、というものが明確でない。「透明化」した社会に
おいて、なにをもって、「倫理的な開かれ」であり、「処世的開かれ」とするのか。それを決定可能な
のか、という問題があります。
たとえば、宮台が相対化のために、歴史主義へコミットしているなら、ボクは自然主義の誤謬を
あえて踏み、宇宙論、進化論という超歴史主義へコミットしているといえるのかもしれません。
そのような意味でも、「自己組織化」であり、「カオスの辺縁」への言及なのかもしれません、と気が
つきました。
このような視点から、「透明化」し社会を生きるには、二つのポイントが見えてきます。自己組織化
では、すべてはランダム(偶然性)からはじまります。すべてたまたまの秩序が生まれるということです。
より大局の次元として、人のコントロールの限界がある。特に透明化した現代では、ブームを仕掛ける
などの操作はもはや不可能です。それはたまたま生まれ、そしてそこに飲み込まれるしかない。
ここから見えるポイントは、ソクラテスの「無知の知」的なこと、操作の限界をしる、ということです。
そして、むしろ過剰なコントロールの欲望は、転倒し、強迫的となり、ファシズム的なものになる。
100 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:28:48
もう一つ、ボクたちもこの「透明でダイナミックな社会」の一部であるということです。操作は不可能
でも、楽しむことはできる。海を作り、波を作り出すことはできないが、サーファーのように波の一部と
なり、一時的にも乗りこなすことはできるかもしれない。
このような意味で、ヘタレ保守であり、2ちゃんねるの祭りを、良い意味でみると、「開き直った
ヘタレサーファー」と見ることができます。彼らは、小泉を信仰し、祭りに没入しているのでしょうか?
透明な社会はそう甘くはないでしょう。一つの波に乗れたら、次の波のことも考えておかないと、
はじき飛ばされてしまいます。その意味で彼らは、生きることに懸命なヘタレサーファーでもあります。
101 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 22:29:19
俺、ぴかぁ〜さんのファンだけど…
このスレはどこまでがふざけでどこまでがマジなのかいまいち
分かりませんね。
ま、そこが面白いのかな。
長文だけどちゃんと読んでるから続きたのむよ!!!
102 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:29:51
■ネオ形而上学的思考
「ネオ形而上学的思考」を再度、以下に示します。
・「ポストモダン的なもの」の本質とは、、「思想間の闘争」というよりも、「主体と環境との闘争」である。
環境とは、テクノロジーの発達による情報化による、複雑化である。
・「ポストモダン的なもの」によって、形而上学的自己同一性などの主体の秩序が困難になりつつ
ある。・いますべきことは、むしろ、「形而上学的なもの」の救済である。「本当の無垢」を求めた、
神への想い、芸術への想い、イデオロギーへの想い、彼女への思い、家族への思いを、疑い、
ズラす必要などない。「「健全」な無垢への欲望に健全な精神は宿る」
ボクがいう「ネオ形而上学」的な「健全な無垢を欲望せよ!」とは、このようなラカン的な意味もあり、
ますが、宮台的ほどストイックではなく、現代の相対主義化された社会では、象徴界的な「無垢の幻想」
を欲望するのも困難であり、「信頼」できるなんかを見つける(ヘタレる)ことからはじめよう程度の意味
もあります。たとえば、ほんとに好きだと言える人を見つけることからはじめる、ようなことです。
103 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:32:28
>>101 どこがふざけて見えるのか、教えてください。
ぴかぁ〜哲学の核心を語っております。
104 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 22:39:02
はいはい、ぴかぁにポモ用語や宮Dや東くんを教えてあげた俺が
相手してやるから、要約してみろや。
105 :
104:2005/11/24(木) 22:48:20
どうしたぴかぁ?おじけづいたか?
106 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 22:52:02
107 :
104:2005/11/24(木) 22:55:15
>>106 スレが伸び悩みぎにっぽいから俺が相手してやるから
このスレの主題を書いてみろや。
108 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 23:02:39
>>107 過去ログ読んで理解できたら、なんかかいといて。
風呂はいってくる。
109 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 23:25:39
ぴかぁ〜様はいったい何者よ?
110 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 23:52:27
ボクのいう「カオスの辺縁」とは、現代の「欲望する機械」である。
111 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/24(木) 23:58:28
「構造と力」の「一章 6 象徴秩序とカオスの相互作用」は、かなりボクの言っていることに近いですね。
「秩序と混沌の弁証法」、「カオスの象徴的秩序への進入による象徴界の再構築」は、ボクの無垢の進入であり、
さらに、「カオスの進入に関わる祝祭」は、ハプニングによる無垢の作成ですね。続けると、現代は、
無垢が欠乏する故に、毎日が祝祭化している、繁華街や2ちゃんねるのように、ということとですね。
112 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 00:08:19
2ちゃんねるはフロンティアですよ?
113 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 00:16:25
>>112 ネットがフロンティアであるのは、コミュニケーションが失敗するからですよ。
クリアーする前のゲームのクリアーすべきハードル的な無垢が
無数に作られていくことが、フロンティアを作っているのですよ。
114 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 00:19:37
昨日、筑紫テツヤ見ていたら、ブログについての話をしていた。
最近、アメリカのニュース番組のアンカーが、ブログによって
追いやられたらしい。
アメリカのブログのジャーナリスティックの高さは有名だが、
結局は、祭りバッシングのようなものだったらしい。
どこもかしこも、炎上炎上!
115 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 00:25:31
筑紫が何言ったかしらんけど
炎上が常態なんだからそん中でどう気持ち良く過ごすかを
既存メディアは提示して見せればいいじゃんね
ぴかぁ〜はいかにインターネットが革新的か唱えるIT企業営業マンと変わらん。
117 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 00:31:17
だって、いまさらギャルでも、オタクでもないでしょう。
いまは、ネットが無垢なんだよ。
118 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 00:33:22
ギャル?コギャルじゃないの?(プギャー
119 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 00:33:24
まあなんだかんだでネットも20年ぐらいの歴史はあるけどな
120 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 00:47:48
>>115 「炎上が常態」
とうとうここまで来たね。
これを「炎上の時代」と名付けよう。
>>111に示すように「ハプニングによる無垢の作成」の時代。
121 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 00:59:47
パソ通の時代から燃えっぱなしなんでどうってことない
ただ類焼しやすくなっただけのこった
>>114 情報量が多くなれば、馬鹿の排除が容易になるということであろうな。
や、
233 :名無しの報告 :2005/11/20(日) 22:49:21 HOST:actkyo016027.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
>>232 >純一 ◆Fn0dptrDJwのレスすべて
これでわかると思いますが、改めて番号指定する必要がありますか?
234 :名無しの報告 :2005/11/20(日) 22:57:16 HOST:actkyo016027.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
>>232 削除対象アドレス:
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131456419/2,3,6,7,9-18,21 削除理由・詳細・その他:
5. 掲示板・スレッドの趣旨とは違う投稿
レス・発言
スレッドの趣旨から外れすぎ、議論または会話が成立しないほどの状態になった場合は削除対象になります。
故意にスレッドの運営・成長を妨害していると判断した場合も同様です。
純一 ◆Fn0dptrDJwは明らかに、スレッドの運営・成長を妨害するために、
スレッドの趣旨とは関係のない内容のレスを連続で繰り返しています。
*まず以下のレスについて削除依頼願います。これでまず、あなたの判断能力を
試させてください。それによって、追加で削除依頼させていただきます。
バカみたいに番号書いても、一言で流されると、バカみたいなので。
宜しくお願いします。
236 :まばゆい案内人 ★ :2005/11/24(木) 02:25:51 ID:???0
>>233-234 レス削除の際に考慮されるのは、そのレス番に書かれた内容に対してであり
誰が書いたのかという情報は、削除判断の際には一切考慮されません。
ですから「特定のコテハンが書いたレスを全て消してくれ」というのは意味を成しません。
そういうわけですので、ご面倒でも「貴方が削除対象と思うレス番」を削除人に提示してくださいませ。
蛇足ながら2chという個人サイトでは、「削除人が削除しない」という行為については全く問題がありません。
削除人を計るようなことを書かれましても、事態が進展するとは思えませんのでご理解ください。
234 :考える名無しさん :2005/11/10(木) 10:48:03 HOST:178.9.244.43.ap.livedoor.jp
削除ミントさん、ありがとうございました。
>>146,142,137,135,157,167,172,179,182,197,199,208,209,212,220,225,227,231等、
約二年前より哲学板で恒常的に続いている同一違反スレの再発です。
削除対象アドレス
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131549070/ 削除理由・詳細・その他:GL3:固定ハンドル(2ch内)に関して
・固定ハンドル叩き・固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法
・固定ハンドルが題名に入っている
以下、
>>207,210,212,227,231の再発です。
削除対象アドレス:
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131549431/ 削除理由・詳細・その他:GL4. 投稿目的による削除対象
・全く情報価値が無い・真面目な議論や話し合いを目的としない・利用者の気分を害する
(程度を越えたAAの連貼り等)
238 :削除ミント ★ :2005/11/25(金) 00:11:27 ID:???0
ほぃ☆ここまで対応です。
出た!問題児
>>129 @どこが問題なのかね?
A何が問題なのかね?
というわけでね
また、削除依頼をしてしまったのかね?
ぴかぁ〜と友人になれるのはしろうとだけの気がする
>>133 しろうとはぴかぁ〜を友人とは思ってないと思うのだがね?
まあ、ぴかぁ〜を配下ぐらいには認めているかもしれないがね
じゃ、ぴかぁ〜の重複スレを確認しようかね?
君も友人になれる
なれるかなれないかの話です
そうやって、必死に付き合える貴方が羨ましい
マジでID制導入しようやー。もしくは運営に新しいID板もらってここは廃板。
ぴかぁ〜が音頭とれや
もしかしてここで削除人に訴えかけてるのか?>純一
そんなひねたことしないで堂々と自治議論でやれや
>>150 自分で立ち上げるか批判要望板で文句言うかしろ、他力本願野郎。
おまえ男だろーが。女の腐ったようなマネしてんな!
>>151 昔立ち上げたけど
とんだ閑古鳥掲示板になっちゃったんだよねー>純ちゃん
純一のモットー
他人に厳しく(「目的も手段も正当でなければならない」)
自分に甘く(「目的はどんな汚い手段も正当化する」)
………
157 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:13:13
割りとぴかぁの文章が読みやすくなって、多少理解できてきたけど
ぴかぁの言ってる事を理解した上でクソだまんこだ言ってるなら賢いんだろうね、哲学板の人
例え誰かの言ってる事の受け売りでも、ぴかぁ次第に自分の言葉で語るようになってるし
過去の誰かの書き物を必死に理解するより、正に今の世の中を語ってるぴかぁ俺はおもしろいと思うな
なんだか偏った立場からものを見てる気するけど
多分、ぴかぁをうんこ扱いする人は俺に見えてる以上に
ぴかぁのうんこ部分を目にしてるんだろうけど、もう少しぴかぁの宣う事にそって会話してくれたら
俺みたいなあほには哲学板が面白く感じるだろうから、ちょっとでもそっちに傾いくれたら嬉しいなあ
それをしてほしいのかね?
どうなのかね?
160 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:19:05
してほしいから書き込んだけど、君はしようと思えば出来るけどなんらかの理由でやらないだけなの?
まあ理由はなんであれしてほしいなってスタンスだよ俺は
正直、ぴかぁ〜の書いてるものは、
東+宮台+他人のブログなのだから、
元ネタを読んだら早いと思うのだがね?
>>157 ぴかぁと真面目に議論しようとした人は今まで何十人もいたんだよ。
今もたまに出現する。でも全部裏切ってるのはぴかぁのほう。
今に君にもわかるさ。
たぶん、ぴかぁ〜の場合は、
ジャーゴンを使えるけど、使わないのではなくて、
使いたくても使えないのだろうね
164 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:25:13
元ネタ教えてくれてありがとう
でもぴかぁはそれを読んだ上で自分なりに解釈して、思う事を書き始めてるんじゃないの
だから、その人達とは少しづつ違うんでしょ?
もしその元ネタになってる人と話せる場があるならそこにもいってみます
東と宮台でブログ検索してみれば、
似たような書き込みはあると思うがね
>>164 君が素人だとしたなら、
ぴかぁ〜の書いたものがオリジナルと考えると危ないと思うがね、
全部、パクリだからね
167 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:29:01
うん、ありがとう
でさ、君はぴかぁの書き込みの内容についてレスするならどういう風な感じになるのかな?
彼は二番煎じどうのとかじゃなくて
>>157 俺もそう思ってるんだけど、彼自身が思うほど
あんまり対話形式にむいてないんじゃないかな。
wikiみたいに自分の書いたことの履歴がはっきりわかるような
とこでじっくり書いたほうがいいかもしれないね。
そういえば、ぴかぁ〜のはてなに登録されてる
サイトから苦情が来てたがね、
パクるなってね
961 名前:考える名無しさん :2005/11/25(金) 03:25:39
俺は三年間でスレ立ては二度しかしてないよ。
しかも自治議論の継続スレを立てただけ。
ほんとだよ。 from Mr.X
172 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:35:02
純一は文句ばっかりで、全然考える気がないのかな
別に好きにしたらいいと思うけど、ぴかぁをバカにしてるけど、本人明らかにそれより「あれ」だよね
>>167 東と宮台のパクリだから、
普通はぴかぁ〜なんかはその亜種として
認識されるのではないかと思うがね
>>172 いや、君はぴかぁ〜しかわからないのかもしれないがね、
君が凄いと思ったことは、大体元ネタの人が凄いのだよ、
そこのところを勘違いしてはいけないと言ってるだけさ
俺をミスターXなんていう得体の知れないものと
いっしょにしないで欲しいな。困るから。
まあ、実体はないしね
177 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:46:08
だから別に二番煎じでもいいじゃないの、他の人が言ってたように
多分、ぴかぁ会話にならし自分で何いってるか理解できて無いところがあるから
こんな扱いになってるんだと思うけど
今は大分、自分の言葉で語るようになったんじゃないのかな
178 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:49:25
純ちゃん病気だから自分に否定的な事いう人間はミスターエックスだという
特定の人物作り上げて、他の人は自分を受け入れてくれてる幻想の中を
いきているメルヘンさんだからそっとしてあげて
>>177 ぴかぁ〜にオリジナルの書き込みは無いのだよ
だから、ぴかぁ〜自身の理解とは認められないのさ
君がそういうのが面白いと感じるなら、
素直にパクった元ネタの東、宮台を読んで自分なりに解釈したほうが良い
>>178 ミスターXの書き込みはわかるのですがね?
181 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:52:43
純ちゃんのオリジナルが読みたい〜
ちなみに、そうしたら、
どこがどう悪いのか分かるようになるさ
185 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:54:59
じゃあ君にはオリジナルな書き込みがあるのかい?
前までぴかぁは取って付けたような文章で、それこそ東やだんかんの文章
読んでない人にはさっぱりだったけど
少し変わったなって、やっと自分が少しづつ見えてきたなって思うんだよ
188 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:58:18
190 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 03:59:08
从∧ヘ
丶 〃 / /
ミ 〜ミ 〃 / /
^^ 彡 /// ぼくはあの時なんにもわかってなかった
_ / o |/ / あの花の言うことなんかに気を取られないで
\o丶 |、/ する事で判断をするべきだったんだ
. \ っ__ノ ) ̄ \ ぼくはあんまり小さかったから
/ _ / \ \ あの花を愛するってことが分からなかったんだ
ヽ \ \
\\ \ \
\ \ = / \/\
\ \ / (ノノノ
/ \ ~\ \/
ヽ)ミ \ 丶
\ \ \
彡=ミゝ /\/ \/ )
ミΞ彡ゝ / ノ/ ノ/
\
まあ、どっちにしても、
東と宮台の軽い文章を読めば、
どこが悪いのかわかるようになるさ
それから、ぴかぁ〜のブログは
圧倒的に他人からのパクリが多いのだがね?
容易にコピーできるから、パクりやすいのだろうね
最初はパクった元ネタをリンクしなかったのだがね、
この頃はパクり元を書くようになったのだよ
著作権対策らしいがね
195 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 07:17:19
東やダンカン読めば分かるとか逃げてないで、純一説明してくれよ
ぴかぁの文章の何が駄目なのか
誰かの文章よんでそこから何か得る事をパクリと呼びそこが悪いと否定したら、哲学書はおろか学校教育なんてのもっての他です
それにぴかぁを凄いと思うのは、何年もこの板に貼り付ける粘着力くらい
そういう意味じゃ君も同じか
でも俺はぴかぁがアウラがどうとかの頃から見てるんだけど、ぴかぁは徐々に理解した事をうまく伝えれるようになってるし
俺なんかより遥かに知識は豊富だろうし
よんでて面白い文章は沢山あるよ
かけてる時間のわりには得てるもの少ないのかもだけど
たぶん、言ってることを理解した上で内容突っ込んだら今はちゃんと答えてくれるんじゃないかな
何年も哲学板に貼りついてるキチガイで友達がパソコンだけというコミュニケーション能力が著しく低い彼に、僕は怖くて怖くて思った事を聞く気にはなれないけど
196 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 12:13:17
かつてヨーロッパにチンパンジーなどの知的な猿がもたらされたとき、議論されたのはこの人間くさい動物はどの程度人間なのか、ということである。
そしてこれは、征服した原住民にも適用されたのだ。
この動物はどれだけ人間か。
小説世界一周旅行のように、生得と経験が議論される時代、今風にいえば、貴族は遺伝子にかかれているか
であり、多くにおいて血は信じられていたのだ。
だから猿がそうであるように、奴隷は「人間」ではないのだ。
197 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 12:19:33
その後のテクノロジーの発達は、人間の意味を定義づけた。
すなわち人間と動物の差は明確に遺伝子という証明書で証明されている
歴史がリベラルの勝利でおわった大きな要因の一つが、人類史において形而上学的にさまよった人間という内部が
すなわち平等が遺伝子により種という最大に広げられた結果である。
198 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 12:28:57
すなわち人間の理念的なエントロピーの最大値がリベラルなのである。
だから様ざまな構造的格差は時間的に解体されるだろうことがリベラルの、そしてボクたちの根底にある。
199 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 12:48:59
リベラルがめざすのが自由度の確保である。自由度の確保により構造は自己組織的にあらわれてくる。
そこでは当然さまざまな差が生まれる、しかしこれは当然である。
しかし自由度の確保は明日を保障しない。差は転倒しつづける。
問題は構造的に代謝さないよどみである。たとえばまずしさから回復されない澱みに政府は介入し流れをつくるのだ。
これが理念的なリベラルだ。
200 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 13:06:15
構造改革とは澱み構造の補修である。
これにより自由度は増し流れは加速される。
たとえばこのような流動性の加速と引きこもり、ニート、フリーターなどの関係をどうみるかだ
流動性の加速が競争社会となり格差を生み出している。
あるいはなにをすべきか見いだせず、動物化するなど言われる。
ほんとにそうだろうか。ボクはむしろまだまだ淀んだ構造が、やる気をそいでいるとみる。
いまだによい大学、よい会社神話は寝ずよく
会社の年功序列構造は根深く
ニートなどの脱社会者の実力による回復はむずかしい
このような社会的な無垢のなさが問題であり、若者はむしろ流動性高く、無垢が生まれる趣味的なものにむかうのだ。
彼らはやる気をなくしているわけでなく、ゲームやブログなど楽しいものには労力をおしまない
201 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 13:10:41
あるいは社会的な無垢の欠乏により、親が子供の無垢を搾取することが起こっている。
いつまでもペットのように子供として手元においておく。
去勢されない子供は社会に適応できない。
202 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 14:01:19
すなわち、すなわち、すなわち、すなわち。馬鹿の一つ覚え。
精神現象学スレでその使い方覚えたのかも知れないが論理性無し。
ただの思いつき。
204 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 19:49:08
駄文とかおもいつきやパクリと、今更言わなくてもぴかぁがそうなのは周知
だからせめて内容の方を否定してあげてよ
俺にはぴかぁが何いってるのかよく理解できないから
205 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 20:45:59
かつてヨーロッパにチンパンジーなどの知的な猿がもたらされたとき、この動物はどの程度人間なのか、
ということが議論されました。それはあまりに猿が人間くさかったからです。そしてこの事実は、征服した
新大陸の原住民たちにも適用されていました。「この動物はどれだけ人間か。」
小説「世界一周旅行」のように、人の教養は生得と経験が議論される以前の時代であり、多くにおいて
血は信じられていたのです。今風にいえば、貴族は遺伝子に書かれていると信じられていたのであり、
猿がそうであるように、奴隷は「人間」ではなかったのです。そこには、アガンベンのいう「人類学機械」と
いう「人間」を「産出」する形而上学が作動していたのです。
その後、テクノロジーの発達は、人間と動物の差は明確に遺伝子という証明書で証明されました。
これも一つの現代の「人類学機械」ではありますが、人類史において形而上学的にさまよった「人間」と
いう内部、すなわち「平等」が、遺伝子により種という最大に広げられたのです。歴史がデモクラシーで
あり、リベラルへ向かったのは、このようなエントロピーの最大な「人間」という内部でしょう。
だから様ざまな構造的な格差は時間的に解体されるだろうことがリベラルの、そしてボクたちの
根底にあるのです。
206 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 20:47:14
リベラルがめざすのが自由度の確保です。自由度の確保により構造は自己組織的にあらわれてくる。
そこでは自由度の確保は明日を保障しないために、当然貧富の差などのさまざまな差が生まれるだろう。
差は転倒しつづける。問題は構造的に代謝さないよどみです。たとえばまずしさから回復されない澱み
に政府は介入し流れをつくるのだ。これが理念的なリベラルだ。構造改革とは澱み構造の補修である。
これにより自由度は増し流れは加速される。
たとえばこのような流動性の加速と引きこもり、ニート、フリーターなどの関係をどうみるかだ流動性の
加速が競争社会となり格差を生み出している。あるいはなにをすべきか見いだせず、動物化するなど
言われる。ほんとにそうだろうか。ボクはむしろまだまだ淀んだ構造が、やる気をそいでいるとみる。
いまだによい大学、よい会社神話は寝ずよく、会社の年功序列構造は根深く、ニートなどの脱社会者の
実力による回復はむずかしい。あるいは社会的な無垢の欠乏により、親が子供の無垢を搾取すること
が起こっている。いつまでもペットのように子供として手元においておく。去勢されない子供は社会に
適応できない。このような社会的な無垢のなさが問題であり、若者はむしろ流動性高く、無垢が
生まれる趣味的なものにむかうのだ。彼らはやる気をなくしているわけでなく、ゲームやブログなど
楽しいものには労力をおしまない。
207 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 23:05:01
>ぴかぁ〜さん
スレタイには興味あったけど今日始めて覗きました
文章長すぎ。多すぎ。
何か主張したいことがいっぱいある事だけわかる
「無垢を欲しがる」…確かに人間は欲しがる。
しかしながら、どうしても譲れない案件でもないですね。
や、
211 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/25(金) 23:25:23
>>207 文章多い?まだ原稿用紙数枚分しかないですよ。
?
213 :
考える名無しさん:2005/11/25(金) 23:54:57
哲板2年ぶりにきたが、バカのドミノ倒しだな。
ちなみに私は天才ですがね
216 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 00:00:24
さあ?
218 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:38:16
内部とは
まず内部とはなにか。大きくは社会(象徴界)です。社会とはなにか?デイビットソンの「信頼」、
ラカンの象徴界について、次のように言いました。「言語コミュニケーションが成り立つのは、
シニフィアンに対する確実なシニフィエがあるわけではなく、意味の伝達において、「象徴界」という
社会性であり、ある種の信頼関係があるだろうからです。」社会とは、「信頼」関係が成り立つ範囲
です。これは言葉が通じるという意味ではなく、「おはようと」挨拶すれば、「おはよう」と答える、
電車の中で知らない人に話しかけないなどなど、同様の社会性を身につけているだろうことが
「信頼」できることです。このような社会にいるから、ボクたちは様々な危険にあるにもかかわらず、
ないことのように安心して暮らせます。
219 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:39:12
無垢への欲望
しかし内部の意味は、安心だけではありません。内部は、「私とはなにか」という主体を支えているます。
>>
まずはじめに人は根本的に欠けた存在なので、完全な充足を求めているということです。そのため
に「無垢」を欲望します。なぜ「無垢」を求めるのかというと、それが処女地(フロンティア)だからです。
そこに一番に乗り込む、征服することによって、私が1番、すなわと他者とは違う、唯一な存在として
承認され、充足されます。・・・それが無垢であるという価値は、あるコミュニティの承認によって
得られますから、だからボクはこれを「無垢の幻想」と呼んでいます。・・・「無垢の幻想」として、
物理的な処女地をあげましたが、コミュニティ内にそれを行うことに価値があるというときすべてに
「無垢の幻想」が生まれます。
人はなぜ「汚物」に惹かれるのか
<<
根元的な内部への帰属は言語のインストール(去勢)です。生まれて、言語をインストールされること
によって、主体は作動します。しかしそれだけでは、主体の意味は得られず、主体は自分の意味を
求めて、内部の価値(無垢の幻想)を欲望しつづけるのです。
内部に帰属し、「信頼関係」によって価値を共有し、その価値(無垢の幻想)を消費することによって、
主体は主体たりえる、唯一の私という実感を持つことができるのです。だから内部への帰属が
まったくないところに主体はありませんし、主体とはすでに大きな内部の一部であり、主体とは
内部の総体であり、内部から切り離された主体は、何ものでもないのです。
220 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:40:21
人類学機械
たとえば嫌韓的な考え方では、日本社会にとって、韓国社会(韓国人)は外部です。外部は内部の
ような「信頼」がもてません。嫌韓的には、彼らは、日本人の常識では予測できないことをする安心
できない人々なのです。かつての西洋文明では、植民地化した現地人を外部として排除し、同様の
「人間」として扱わずに、野蛮な奴隷としました。
ジョルジョ・アガンベンは「開かれ―人間と動物」(ISBN:458270249X)の中で、このような内部/外部
の境界生成を「人類学機械」という「人間」を「産出」する場として表現しました。「形而上学
(メタフィジカ)は、まさしく動物の自然(ピュシス)を人間の歴史へと止揚し温存させるようなメタに
関わっている。(アガンベン)」
社会(象徴界)という内部に形成において、必ず外部が想定されます。外部を排他することで、内部は
形成されるのです。ナチスがユダヤ人を迫害したのは、ユダヤ人を外部として積極的に、排他する
ことによって、自分たちを内部の中心として結束を固めました。このような強力な内部(全体主義)の
作動によって、内部の人間(一般市民)は無理矢理でなく、積極的に外部を排他するのです。ここでは
ユダヤ人は「人間」の外におかれ、容易に殺害されたのです。
これは、現代のイジメの構造でも同じです。いじめる人はいじめられる人を外部へ排除するスケープ
ゴードとして、自分を中心とする内部を作動させます。これは一つの「信頼」のある社会として機能
しますので、回りの人々は積極的にいじめに加わらなくても、いじめの構造を支えます。
221 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:41:01
倫理的な開かれ
かつての社会では、規範をもち、内部/外部が明確に作動していました。西洋という内部とその外、
あるいは貴族の内部とその外、平民という内部と奴隷、規律的社会と外部など。アガンベンのいう
ように、このような内部/外部を作動させるために、政治的操作としての「人類学機械」(つまりは
言語=哲学)は作動していました。
ここでは内部に留まり、内部に「閉じて」いれば、内部に居続けることができました。たとえば、ナチス
の形而上学的言説が政治的操作によって、アーリア人であるだけで、「内部」にいつづけ、「外部」の
ユダヤ人を迫害することができました。
脱構築などのポストモダン思考が行ってきたのは、このような「人類学機械」の内部/外部の境界を
規定する形而上学の根拠のなさを指摘し、内部を外部へ開いていくことです。これをボクは「倫理的
な開かれ」と呼びました。
223 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:41:50
「デリダは必ず恋をする」
しかしこのような「倫理的な開かれ」は、いくつかあります。ボクは「デリダも必ず恋をする」と
いいました。恋をすることは、形而上学的行為です。なぜその女性を好きになったのか、を問うことが
できません。そこでは彼女は超越的な存在であり、とにかく好きなのです。そしてこのような恋愛も
一つの内部として作動する「無垢の幻想」であり、彼女を好きなことによって、主体としての自分の
欠落が満そうとします。
主体はこのような形而上学的な行為によって維持されています。たとえば親子を思う気持ちも、
生物学的に問うことができない、内部としても価値です。ボクたちは社会として、親子の絆が尊いと
学ぶのです。それは、宗教でも、イデオロギーでも、あるいは趣向であり、好きなこと、ものでも
変わらない作動原理です。そしてこのような内部への帰属の総体が「主体」です。
「倫理的な開かれ」は極限では、「恋のようなもの」を疑い、外部へ開くことです。彼女を好きに
なったのは、実は流行りの格好をしているという社会的流行に魅了されたのではないかと、様々に
脱構築することです。これは滑稽であり、強迫症的ではないでしょうか。
さらには、デリダは「脱構築は正義である」というときには、正義の決定不可能性を意味します。
脱構築し、内部を外部へ開き続ける、あるいは差延としてズラしつずける姿勢こそが「正義」である
ということです。立ち止まることは結局、「脱呪術化という呪術化」であり、そこに内部を構築する
ことです。人はこのような「強度」に耐えられるのでしょうか。
224 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:42:38
透明な社会
現代のポストモダン社会、情報化社会では、、「社会」という内部が揺らいで、かつてあった社会に
共有された礼儀が、共有されなくなっています。価値が多様化して、かつての形而上学的な
内部/外部の境界が曖昧になっています。
社会を豊かに、安心にすることによって、人々が社会という大きな内部による安心の支えを必要と
しなくなっている。そして豊かさが内部/外部の格差を消失させている。情報量の増加は、内部の
作動を、大きな形而上学的言説に頼る必要がなくなっている。というような意味で、大きな内部は、
解体されているのだと思います。
これはジェネレーションギャップというだけではなく、趣味などによる小さなコミュニティーとして内部が
作動し、信頼がなりたたなくなっています。これがポストモダンの「大きな物語から小さな物語へ」と
いうことです。
さらに内部が分散しているだけでなく、小さな内部が生成、消滅を繰り返すというダイナミックな状態に
あります。たとえば、昨日まで流行っていた、当たり前だった言葉や約束事が、流行り廃りを繰り返して
いるのです。ボードリヤールはこのような内部/外部の境界が不明確な社会では、悪意は
「透き通っる」と言いました。このような意味でボクは「透明な社会」と呼びました。
?
226 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:45:43
カオスの辺縁
ボクはこれはポストモダン的思考の「倫理的な開かれ」の成功ではなく、テクノロジーの発展に
よるものだと考えています。
>>
「カオスの辺縁」というのは、複雑系の科学者カウフマンの言葉で、秩序相とカオス相との中間付近
の自己組織化が起こる場所です。すなわち主体システムの維持は、適度な秩序(いわば形而上学
的単純化)とカオス(いわばポストモダン的差異)によって行われるのです。
かつては、テクノロジーが発展する前は、カオス(いわばポストモダン的差異)の進入が少なく、
ゆっくりとした秩序(いわば形而上学的単純化)が進んでいました。しかし現代の情報化社会では、
カオス(いわばポストモダン的差異)の進入が活発すぎて、秩序(いわば形而上学的単純化)維持に
懸命です。ネット社会において、特にカオス(いわばポストモダン的差異)の進入が活発になっています。
<<
227 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:46:23
「デリダの恋もいつかは冷める」
「倫理的な開かれ」は、形而上学的に内部/外部がある程度明確にされていることが前提とされて
います。それによって、内部を外部へ開いていくことができます。それに対して「透明な社会」では
内部/外部が明確にされていません。いわば、社会システムの中に自己組織的に脱構築が
組み込まれているようなものです。
このような中で「倫理的な開かれ」(脱構築)にどのような意味を見いだすのでしょうか。「デリダの
恋が冷めていく」中で、なにを開いていくのでしょうか。
??
229 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:47:07
ヘタレ化
かつては大きな内部に帰属し、どのような階級であるとか、どのような家柄であるとか、内部の
社会的な位置によって、主体の意味が規定されていましたが、このようなダイナミックな「透明な社会」
では、主体を支えていた内部が透き通ることによって、主体の意味は散乱して行く傾向にあります。
逆に主体を維持する=形而上学的なものが困難になっています。
このような反動として、主体は維持のために、「強迫的」に内部を作動させ、無垢を欲望しようと
しています。ボクはこれを「ヘタレ化」と呼びました。そしてヘタレ化の方法として、いくつかをあげて
います。
このような「強迫的」に内部を作動させということは、かつてのように内部へ「閉じて」いればと言うもの
ではありません。ただ立ち止まって「閉じている」だけでは、帰属していたはずの「小さな内部」が、
移動し、消滅し、気がつくと外部に排除されてしまいます。そのために絶えず環境の変化に敏感で
あり、流行り廃りをサーチし、外部へ「開いて」、まわりの空気を読みつづけなければなりません。
230 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:48:03
処世的な開かれ
人々が現在、懸命に「空気を読み」内部に居続けようとするのは、「透明な社会」では内部にいる
ことを実感できにくい。無垢が欠乏に対して「処世的な開かれ」によって懸命に内部を作り出し、
帰属しようとしています。
「倫理的な開かれ」では、「人類学機械」としての形而上学を解体するように「外部へ開いていく」ことを
目的として、外部へ開いてきます。これに対して、ヘタレ化としての「開かれ」は、「透明な社会」で
主体を維持するために、内部へ閉じることを目的として、外部へ開いてきます。いわば、この社会を
生き抜くための処世術としての開かれであり、ボクは「処世的な開かれ」と呼びました。
231 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 01:48:51
つづく
?
233 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 13:03:41
保守
234 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 16:49:24
なんか最近はにぎわってないな
235 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 17:01:03
236 :
ふむ:2005/11/26(土) 17:14:54
無垢の考えですね^^;
友達の嫁は無垢だと友達から聞いていた^^;
その嫁さんとホテルに行きやっちゃいました^^;
友達は無垢です^^;
237 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/26(土) 23:42:37
貨幣は究極の無垢だろう。
238 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 11:49:36
ぴかぁ〜は無垢である。
特に童貞が処女だとか幼女に走るね。
ある程度経験あるとその傾向も薄まるけど・・・
そういやぴかぁは童貞?
240 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 13:39:35
たしかにその傾向はあるね。健全に無垢を欲望していないと
幻想ばかりが膨らんで健全な精神がえられない。
まさにヘタレ化の典型だ。
242 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 13:46:00
ぴかぁ〜は無垢である。
243 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 13:55:39
新古ってアウトレットみたいなもんだよね
244 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 13:57:06
”アセクシャル”を検索してみると良い<ぴかぁ〜
245 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 16:18:38
ここまで自作自演下手なヤツもめずらしい。
こいつマジで頭悪いな。
ぴかぁとかいうヤツ絶対チビで車も持ってなくて
友達も彼女もいなくて嫌われてて挨拶もろくにで
きなくて口臭くてボソボソ何言ってるのか聞こえ
なくて単純なミスが多くて運動オンチで合唱の時
間一人だけ歌わなくて一冊本読むのに5時間も6
時間もかかるお先真っ暗の人間のクズ。ごみ。
246 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 16:24:58
ちょっとつけくわえるが、ぴかぁさ、お母さんに
妊娠中に喫煙とか飲酒、薬の服用がなかったか聞いてみ?
もしあったとしたら軽度発達障害の疑いあり。
処女の善さは、欲望の善さだ。
誰も手を付けておらず、我々に具わるところがあるということだ。
誰か手を付けているものは処女とは言わないのだし、我々に欲望がないとするとよいとは言わない。
私が手を付けたものは処女とも言わないのであって、私が処女のままでいさせたいという訳ではない。
何故なら、手を出したいのだから。
未踏の地に踏み分けて、征服する喜びということもあるのだろうが、未踏の地は私が踏み込んだ足跡
を残す事が非常に名誉なのであって、誰も知らない秘境にしておきたい訳ではない。
つまり、処女を望んでいるとすると、その女を日陰者にして誰の手出しもしないように囲い込み、生涯
処女のままにしておきたいと考えていることに相違ないということなのだ。
誰も手を付けていないことが我々の欲望だけを明確にする。
我々の実現することに熱心になる欲望をは、私の思うところに素直になれるからである。
こういうわけで、我々は処女が善いと思うのである。
248 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 17:07:38
無垢である私、ぴかぁ〜が無垢を語る
249 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 17:27:15
処女は無垢である。
おめこぼしに与ることも無垢ですか?
251 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 18:50:58
誰よりも無垢である私、ぴかぁ〜が語る、真理を語る。
252 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 20:05:57
処女の神秘性を語るなら文化人類学の領域だろう。処女性(無垢)=冒されてないということか。すなわち、ファーストという順序数の憧憬がもたらすのか?
253 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 20:26:38
まあ、そんなとこですが、なぜTVを見てしまうのか。
TVから無垢が溢れ出しているからです。
254 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 20:41:34
何故ナンパした女とセックスする無垢でなくテレビから溢れる無垢を選ぶの?
255 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 20:44:53
君のまなざしは何を映しだすの?たいの?
256 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 20:52:56
無垢無垢いったかて、結局自分の世界の中田家の話
広い世界に目を向けて、押し寄せる計り知れない大きな力を感じて
心を閉ざし、独り無垢無垢した気になる
だが友達とは心を閉ざしたきみの無垢は共有できない
だからネットを飛ばし今日もあっちでムック、こっちでムック
ガチャピンあっての、無垢です、あなたのガチャピンは誰ですか
257 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:10:55
僕はガチャピンと言う名の彼女がいます
彼女は僕にとても大きなムックを与えてくれます、僕はしがない一フリーターなのに
まるで一国の主人のように扱ってくれる
そんなムックを演じる内に僕は知らぬ間に自分が偉い人間だと錯覚しはじめ
僕はガチャピンのまなざしだけに飽き足らず、幼なじみの田中の前でもそのように振る舞い始めた
田中にしたらムックの着ぐるみ着用の僕がとんだ道化のように見え
僕のガチャピンに手をだそうとした
田中はそういう奴だった、知っていた、だがガチャピンが田中になびかない事も容易に想像できた
だがしかし
258 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 21:17:56
>何故ナンパした女とセックスする無垢でなくテレビから溢れる無垢を選ぶの?
選んでませんよ。人それぞれです。人は絶えず無垢を供給しないと生きていけません。
軽い無垢は、空気みたいなものですね。
ただ無垢は空気のようにただあるものでなく、作り出すもの、感染するものです。
259 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:26:38
元よりガチャピンは田中の女、しかも三番目くらいの
いつも俯き加減でちんぽばかりいじっている情けない僕に
田中がプレゼントしてくれたガチャピン
もう僕は何を信じていいのか分からない
憎しみをガチャピンに向けても、田中に向けても僕はもうムックの着ぐるみを着る事ができない
なんだか全てがどうでもよくなったついでに、二件お隣の橋本さんを
出会い頭に殴り付けた、少し気持ち良かった
でも橋本さんは切れた唇から流れる血を拭って、僕に優しくこういってくれた
ほら涙を拭って、元気だそ
因みに橋本さんは田中の女です
260 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:28:56
実に分かりにくい表現ですがそれが僕と哲学の出会いです
261 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:31:28
ぴかぁたこ、俺のチラシに分かり切った説明挟むなさや
262 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 21:35:56
もうこの際、中途半端な事書いてるぴかぁは
統計学的にこういうタイプの人間は、このような無垢を欲望する傾向があります
だから、こうしなさい、そうじゃないと地獄に落ちますよとか言うといたらいいわ
263 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/29(火) 21:36:49
こっちも電波かよ。
265 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 21:36:57
無垢には二通りの無垢がある。
一つは、一つは減算な無垢であり、もう一つは加算な無垢である。
たとえば「上から二冊目」の本は、使われた瞬間に減算される。
しかしそのものに価値があれば、使うことに愛着として無垢が加算されるのだ。
使うほどに、無垢が加算される。
266 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 21:38:00
健全な無垢とは、加算される無垢である。
267 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 21:44:27
無垢とは、幻想である。コミュニティ内の価値として生まれる。
それが消費によって減算されるのは、その対象への欲望が
借り物だからである。他者が良いといった、それだけのことである。
加算の無垢は、単なる他者の借り物でなく、自分もその価値に加わる
からである。そのためにいとおしさが増すのである。
処女がいる。やっちゃう、それで「処女」という価値は減算される。
しかし相手への愛があれば、それが加算されるのである。
268 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:00:39
しかし減算と加算は対立ではなく、ある無垢にある特性である。
ある対象に対して、無垢は減算され、そして加算される。
大別すると、
無垢の減算とは消費である。反復によって減算される。
無垢の加算とは想像である。反復によって加算される。
269 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:07:05
チンコ太郎の「論戦」とは、減算の、消費の「論戦」である。
相手の無垢を消費しようとする。そこには相手への興味であり、
議論の内容への興味がない。ただあるのは、剥き出しの欲望である。
加算の、創造の「論戦」とは、相手とともに価値を創造することである。
そこには相手への愛情と、議論の内容への愛情がある。
たとえ、それが激しい論戦であってもである。
健全な無垢への欲望とは、このような加算する、創造する無垢への欲望である。
270 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:13:59
これはリバースすることができるだろう。
すなわち、「愛」とは何であるか。
「愛」とは、相手ととともに価値を創造すること、
その「場」に無垢が生み出されることである。
チンコにこれほどまでに勝手に傷づいていたとはな。憐れなり。
272 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:27:11
無垢を与えられすぎると、「愛」を生み出せない。
ただ消費するだけであり、無垢が欠乏していく。
そこに「愛」がなく、孤独へ向かう。
無垢を作ることを知らなければならない。
それは「愛」を気づくことでもある。
それが健全な無垢への欲望である。
273 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:31:16
消費とは与えられた無垢を減算することである。
創造とは無垢を加算することである。
「遊び」とは、単に与えられたものは消費するのではない。
与えられたものを越えていくことである。創造である。
「遊び」が「愛」を作るのである。
「思いつけ」、創造しろ、そして遊べ。
274 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 22:38:25
使うことで愛着が湧く。単なる安物のコップが、
繰り返された時間とともに、たった一つのものとなる。
無垢が加算されるのだ。
275 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 22:43:34
愛着?
276 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 22:48:46
株取引とか、どうよ?感情こめすぎると損してしまう。
携帯株取引とか、どうよ?学生が授業うけながら取引してるよ
277 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 23:14:29
たとえば、レイザーラモンHGは無垢として登場した。
その汚物は、人々を欲望させたのである。
そしてこの無垢は次第に減算していく、消費されていく。
多くにおいてそれは「忘却」であり、反復によって差異が消費されていく。
レイザーラモンHGは無垢を生み出さなければならない。
それは次のギャグを考えることではない。仮にそれが受けても、
また消費されるだろう。
それは、愛されることである。愛される強い内部を作ることである。
強い内部において、無垢は生み出されるのである。
たとえば、様々な「永遠のスター」たちは、深く愛されることによって、
そのような強い内部の存在によって、「忘却」に逆らい、
無垢が生み出されるのである。
ではいかに強い内部は作られるのだろう。
278 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/11/30(水) 23:26:49
まなざしが継続することが強い内部である。
たえず無垢を供給せずとも、無垢が作り出され続ける力とは
なんだろう。
たとえば憎しみは、どうだろうか。
深い憎しみ、継続した憎しみも、生み出すだろう。
しかしここで難しい問題が起こる。深い憎しみと深い愛情の転倒である。
ここでは、愛であるか、憎しみであるか、悲しみであるか、関係ない、
それは深さの問題である。
対象への強い興味の継続が、無垢を加算するのである。
では強い興味の継続は、いかに行われるのか。
それは、感染である。そしてなに、どのように感染するかは、
どの程度継続するか、そこには意味はなのではないだろうか。
そこにあるのは、ただ恣意性である。
279 :
正常者:2005/11/30(水) 23:34:27
征服欲
280 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 23:40:57
すり減ってヘタレたコテハン、ぴかぁ〜。
281 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 00:49:24
こいつ紐として何年も女を扱ってる俺にとっては当然の事を言ってる訳だが
こういうのも哲学ってものなら俺は立派な哲学者みたいだな
この人がいるから私が私でいられると思わす事を加算、この人のせいで私はこんなになったと思わす事を減少って言ってるのだろ
でも人は何かを克服して成長していくもんよ、どっちかといや俺からみれば減少のが健全に思えるわ
君は保守的なんやろな、変化が怖いのやろ
いつまでも離さないようしがみ付いてなさい同じ物に
282 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 00:52:05
*なぜ「愛」が「健全」な無垢への欲望を導くのか?
■レーザーラモンHGの憂鬱
たとえば、レイザーラモンHGは無垢として登場した。その汚物は、人々を欲望させたのである。
そしてこの無垢は次第に減算していく、消費されていく。多くにおいてそれは「忘却」であり、反復に
よって差異が消費されていく。今後も生き残っていくために、レイザーラモンHGは無垢を生み
出さなければならない。それは次のギャグを考えることではない。仮にそれが受けても、また
消費されるだろう。
それは、愛されることである。愛される「強い内部」を作ることである。「強い内部」において、無垢は
生み出されるのである。たとえば、様々な「永遠のスター」たちは、深く愛されることによって、
そのような「強い内部」の存在によって、「忘却」に逆らい、無垢が生み出されるのである。
283 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 00:54:26
■減算の無垢と加算の無垢
無垢には二通りの無垢がある。一つは「減算の無垢」であり、もう一つは「加算の無垢」である。
たとえば「上から二冊目」の本は、使われた瞬間に減算される。しかし使いこむことで愛着が
わいていき、無垢が加算されることもあるだろう。
無垢とは、幻想である。コミュニティ内の価値として生まれる。無垢の減算とは「消費」であり、
反復によって減算されていく。それが「消費」によって減算されるのは、その対象へのまなざしの
強度が低下するためである。このような強度の低下の本質は、「忘却」であり、エントロピーの増加で
ある。多くにおいて、他者が良いといったというような、安易な感染は、容易に減算するのだ。
無垢の加算とは「創造」であり、反復によって加算されていく。それが「創造」によって加算されるのは、
その対象へのまなざしの強度が増加するためである。このような強度の増加は「忘却」に逆らうので
ある。エントロピーの増加に逆らう、減少である。
284 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 00:54:59
■感染の恣意性
ではいかに「忘却」に逆らい、まなざしの強度は継続、増加されるのだろうか。多くにおいて強い
愛着である。しかしたとえば憎しみは、どうだろうか。深い憎しみ、継続した憎しみにおいて、まなざし
の強度は継続されるだろう。しかしここで難しい問題が起こる。深い憎しみと深い愛情の転倒である。
ここでは、愛であるか、憎しみであるか、悲しみであるか、関係ない、それは強度の問題である。
対象への強い興味の継続が、無垢を加算するのである。そしてなに、どのように感染するかは、
どの程度継続するか、そこには意味はなのではないだろうか。そこにあるのは、ただ恣意性である。
■All you need is Love.
しかし通常、ある時期の強度が長期的に継続されることは少ないし、仮にそのような場合には、
短期間に受けるその強度は身体的への弊害をともなうのではないだろうか。
だから、まなざしの強度が「健全」に継続する方法としては、強い内部がつくられることである。
たとえば、無垢を外部から与えられすぎると、「愛」を生み出せない。ただ消費するだけであり、
どこかで無垢が欠乏していき、孤独へ向かう。だから単なる他者の借り物という静的な無垢の
消費でなく、内部を作動し、その内部に帰属し、動的に「創造」することによって、無垢を
生み出していくのである。そしてこのような強い帰属を支えるのが、愛着である。
すなわち、「愛」が「健全」な無垢への欲望を導くのである。
285 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 00:58:58
健全な無垢は愛で絞めて俺は独りじゃないってか?
そんな生き方なら、哲学やめて身近な仲間と酒でものんで一喜一憂してたほうがええわ
286 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 00:59:05
>でも人は何かを克服して成長していくもんよ、どっちかといや俺からみれば減少のが健全に思えるわ
キミは所詮、お釈迦の手の中。内部でこちょこちょしているだけ。
それで克服、外部へ「開かれ」てるとは片腹痛い。
ほんとの「愛」を知りなさい。
287 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:01:01
じゃあ、憎しみは無垢に含まないほうがええわ
そしたら言ってる事が破綻してまうやろけども
288 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:01:04
>>285 >哲学やめて身近な仲間と酒でものんで一喜一憂してたほうがええわ
多くにおいてそのほうがよい。当然のこと。
哲学になにを期待してヘタレているのかね。
289 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:03:07
>>287 その憎しみにどれだけの強度があるのか。
憎しみ続けることは難しい。愛し続けるよりも。
そこにそこまで強い強度があるなら、それはもはや愛だろう。
歪ではあるが。
290 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:03:17
討論から逃げているオノレを正当化しようと、必死こいてる君に向けていってんのよ?
自覚あるかな?
291 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:04:50
>>290 可哀想なヤツ・・・キミが心静かに眠れるように、おやすみ。
292 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:07:20
おいおい、憎しみ続ける事も愛とは得意気だけど
人のことまるでみえてないような
これは復讐が果たせない故に固執する、人間の悲しい性だわ
293 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:09:51
■レーザーラモンHGの憂鬱
・ゲイではないこと
・婚約者がいること
・ゲイ風を守るために結婚を延期していること
・両親にタレント業を反対されていること
・偽ゲイであることが公になった場合、同性愛者団体からの圧力
・父親が某一流企業の社員であること
294 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:10:39
無垢に健全も糞もないのよ
加算と減少はあるが、自分が無垢であり続けたいなら
手段は問わずただ自分になんらかの感情を抱かしどうにかしたいと欲望を向けさす事に終始するだけよ
ひもってのも大変なんだわ
295 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:14:38
健全な無垢はありません、ただ僕は議論から逃げた自分を肯定したかったんです
ほら、いってみ?
296 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:17:01
無垢?吉村の幻想と同じか?
297 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:22:26
吉村知らんけど、どうせ同じようなもんやろ
てか会話読んで違いが分からんようなら、お前は
その吉村の言う幻想てのもなんら理解してないのやろな
298 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:33:15
無垢と幻想の区別がつかないぴかぁ〜。
299 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:40:35
よい内部では無垢を生むために差異化運動が起こる
差異化運動とは、他者と差異をより細部に見いだそうとする運動である。
たとえば古典ずきと現代ずきの差異において見いだされる相違は大味で無垢としては弱い
ハイデェガー好きの道具分析に関する相違の議論は無垢として強く、わくわくするだろう。
差異化運動が魅力的なのはより詳細に自分がなにものか記述するからである。
300 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:43:59
最下位運動にはげむぴかぁ〜。
301 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:45:16
たとえばこれはスポーツでも同じ、互いに切磋琢磨することにより
その差はわずかになる。それは互いに細部がわかるである。
このギリギリの差異により競い合う快楽は健全な無垢へ欲望である。
302 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 01:49:02
それはライバルと呼ばれ、そこには強い愛がある。
現代においてこのような健全な無垢への欲望は
困難になっているのだが
303 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:52:37
鉄板住人とたばこ板住人のちがいかな?鉄板内ならみんなライバル?
304 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 01:52:39
ファルスへの欲望に困難を感じるぴかぁ〜。
305 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:10:47
また逃げるようやし、一々いらん事いうといたるわ
そもそも哲学に期待してんのは、お前だわぴかぁとかいうの
俺に期待してぶらさがって、憎んで、金注ぎ込んで、人生を棒に振ってるかどうかは本人が決めたらええけど
そんな女と大差ないわ
消費して無くなったら、また得たらええのよ
失うのが怖くて逃げて、それでも居場所が欲しくて自分を正当化して
それじゃああまりに情けないわ、まあどうせ議論しても同じような事が露呈されたやろし
それがこいつの資質なんやろうな
306 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:14:07
象徴界に無垢をもちこんみ破綻したぴかぁ〜。
307 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:16:19
ぎりぎりの差異を擦りあわせるのは建設的ではあるやろうが
それを健全な無垢と言うのは恣意的やわな
308 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:18:25
俺がごちゃごちゃ言うてもしゃあないけどな
そろそろ見切りっちゅうもんを見せんかいって事や
オトコやったらケジメしたらんかい・・・とな
言いすぎたか?しかし現実に傍から見てても、気色のいいもんちがうで!
309 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 02:18:32
>>305 こんなところで自分の境遇を吐露して、ボクにどうしろと?
キミの無垢の欠乏はキミが招いたことだろ。
ボクが言えることは、健全な無垢を欲望しろ。だけだ。
あとは、自分で考えたたまえ。
310 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 02:21:39
差異を刻むといっても、それがなれ合いになると、
「創造」が止まり、無垢が生み出されない。
どれだけ近づこうが、決して重なることがない。
それでも近づく、その緊張感、闘争に無垢が生まれるのである。
その意味で、コミュニケーションは闘争なのである。
311 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:22:12
境遇はまあええとして
無垢に健全も糞もない、それを描きたいのは自らを正当化したい為やと言うてるんやわ
愛とか持ち出してなにしとんねん
312 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 02:24:34
>>311 キミが言いたいのはそれだけかね。
ならキミはもうこのスレに用がないだろう。
すがるような目で見るのは止めてくれたまえ。
313 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:25:18
314 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:27:48
やな、もう相手したってもしゃあないわな
健全な無垢を断固押したいのは、なんでも哲学一点張りの純一の心理やろうし
言ってもしゃあないわな、寝るわ
315 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 02:31:48
起源をめぐる思想を批判できない哀れなぴかぁ〜。
316 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 04:03:42
そもそも、言うてしもたら無垢とは欲望の対象の事だろ
なぜ人は「欲望の対象(ぴかぁにとっては処女)」を欲望するのか?
それは私が唯一の存在であると確認する為、だけど人間は不完全だから
いつまでも欲望は途切れない、だから時々淋しいの
と言葉を代えダラダラ言ってる訳やろ、極端な話
どうしょうもない暇人よな
317 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 09:29:40
物分かりがええやないか
そういうことやな
ラカンは欲望の対象を対象aと呼んだが、もともと想像的他者からきているので重い感じになっている。
ボクの無垢は「上から二冊目の本」を例にあげるように軽い。
そして時代性を反映し減算の無垢、消費を考えやすいなっている。
このように無垢という超越論的対象を想定することにより、すべてを考えやすくしている。
世界のどのような記述も無垢で語れるし、無垢なしではかなれないわけ。
いわば現象学の志向性(ノエシス)に近い。あるいはクオリアにも近いかもしれますん。
目の前のリンゴがありありとしているのは、無垢だからです。
すなわちみながそれを欲望しているだろうからです。
318 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 09:31:34
ファルスを象徴界で語りつづけるぴかぁ〜。
319 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 09:32:57
このように欲望論による超越論的還元をアホケーとなずけます。
320 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 10:15:52
次回は「戯れるノエマ―ノエシスなき専守防衛の思想―」でよろしく!
321 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 10:30:49
来世では防衛庁に勤めることを願うぴかぁ〜。
322 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 11:27:52
快感原則と彼岸、エロスとタナトス
フロイトの欲動論はその時期で内容が異なる。特に「快感原則と彼岸」と「エロスとタナトス」の関係は
不明確である。ボクなりに整理してみた。
エロスとは動物的な生の本能である。生きようとするエゴイスティックな力であり、力への意志である。
このような力は、環境からの外圧に反発する力である。環境とは静へ向かう力(エントロピーの増加)で
ある。それに逆らい、エロスとは動へ向かう力(エンタルピー)である。ここに宇宙/生命の対立がある。
しかしここで逆転がおこるのは、環境という静へ向かう力は、主体にとって、動を抑圧する不快なものと
なる。このために主体は、不快なものを排除し、動として安定することを思考するのである。これが、
快感原則である。快感原則が、緊張を和らげる、主体内部の静へ向かうのであるが、ここで重要なのは
主体にとって静とは、安定した動である、ということだ。
それに対して、快感原則の彼岸は、本来環境が作り出す不快を、自ら作り出すことを示す。安定した
動であるエロスが、自ら不安定を生みだすのである。
323 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 11:28:26
これは物理学の法則で考えるとわかりやすいかもしれない。快感原則とは、等加速度運動である。
一定速度で動く。このとき物体には力が働かない。電車でいえば、走っているが、車内では止まって
いるような安定した状態である。
そこには原則させようとする環境の力が働く。速度が低下するときには、物体に力が働く。電車が
ブレーキを踏んだときのように、車内の人に力が働き、不快なのである。そしてエロスは、環境の力に
対抗して、等加速度運動しようとする
それに対して、タナトスは加速度運動である。エロスによって等加速度運動し、快感であるにも関わらず、
自ら加速することによって、物体には力が働く。電車が加速すると、車内の人に力が働く現象である。
すなわちエロスもタナトスも環境の外圧(エントロピーの減少)に対抗する力であり、環境と相反し安定を
目指す動物的な力がエロスであり、それを越えて安定を崩す過剰である、人間的な力がタナトスである。
その差は過剰性にしかないために、混同した形で使用されるのである。
324 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 11:35:31
タナトスとは生存に危険を及ぼすかもしれない毒を試してみたいという欲望である。
325 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 11:36:06
ぴかぁ〜の無垢の欲望論は、竹田現象学に急接近!
竹田のエロスの現象学に対して、
タナトスの現象学を目指すのか!?
326 :
ふむ:2005/12/01(木) 11:39:42
人妻・ヤクルトおばさん^^;
大好きです^^;時代は初雪ふみふみ^^;より^^;
物理学的にやればやるだけ^^;気持ちいい^^;
回数が感度を増す^^;
327 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 13:14:13
汚れた自分を写す鏡は曇りのない鏡に限る。
328 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 13:47:51
鏡像界での汚れた自分を歪みをもって語るぴかぁ〜。
329 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:22:44
■エロス=タナトス
■エロスとタナトス
フロイトの欲動論はその時期で理解が異なる。特に「快感原則と彼岸」と「エロスとタナトス」の関係は
不明確である。エロスとは動物的な生の本能である。生きようとするエゴイスティックな力であり、
ニーチェの力への意志である。このような力は、環境からの外圧に反発する力である。環境とは静へ
向かう力(エントロピーの増加)である。それに逆らい、エロスとは動へ向かう力(エンタルピー)である。
ここに宇宙/生命の対立がある。
しかしここで逆転がおこるのは、環境という静へ向かう力は、主体にとって、動を抑圧する不快なものと
なる。このために主体は、不快なものを排除し、動として安定することを思考するのである。これが、
快感原則である。快感原則が、緊張を和らげる、主体内部の静へ向かうのであるが、ここで重要
なのは主体にとって静とは、安定した動である、ということだ。それに対して、快感原則の彼岸は、
本来環境が作り出す不快を、自ら作り出すことを示す。安定した動であるエロスが、自ら不安定を
生みだすのである。
330 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:23:34
■エロス=タナトス
これは物理学の法則で考えるとわかりやすいかもしれない。快感原則とは、等加速度運動である。
一定速度で動く。このとき物体には力が働かない。電車でいえば、走っているが、車内では止まって
いるような安定した状態である。
そこには原則させようとする環境の力が働く。速度が低下するときには、物体に力が働く。電車が
ブレーキを踏んだときのように、車内の人に力が働き、不快なのである。そしてエロスは、環境の力
に対抗して、等加速度運動しようとする
それに対して、タナトスは加速度運動である。エロスによって等加速度運動し、快感であるにも
関わらず、自ら加速することによって、物体には力が働く。電車が加速すると、車内の人に力が働く
現象である。すなわちエロスもタナトスも環境の外圧(エントロピーの減少)に対抗する力であり、
環境と相反し安定を目指す動物的な力がエロスであり、それを越えて安定を崩す過剰である、
人間的な力がタナトスである。
331 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:24:32
■環境的現実界
多くにおいて、動物は環境に逆らい、生きることに必死であり、いつもエロスは環境の力に対して不足
しているのである。しかし人間が環境の内部に秩序世界を構築したとき、その内部でエロスは過剰へと
転ずる。その過剰性がタナトスである。
この欲動理解から、ラカンの不明瞭な現実界の姿見えてくるのではないだろうか。ラカンの現実界の
一つの説明が、カントの「ものそのもの」である。これがここでいう環境であり、「環境的現実界」と
呼ぼう。環境とは単に自然世界ということではない。人間の認識の向こうにあり、人間が決して認識
できないものである。その本質は不確実性である。偶然性とカオスが渦巻く、何がおこるか不確定な
世界。本来、世界とはそのようにあり、人間は「現象」として見たいように見ているだけである。人間は、
この環境世界の内部に秩序ある世界を構築したのである。
環境的現実界は、人間社会(内部)/環境(外部)と考えることができるが、これは物理的な制約とは
関係がない。大きなところでは地震、事故などの偶発的な障害もそうであれば、庭の花壇も飼い
慣らされているようで、そこのは不確実性が内在している。そして人間そのものもまた環境的現実界で
ある。心身二元論的にいえば、この身体で何が起こっているかわからない。不確実な存在である。
そして管理できない欲動そのものも環境的現実界である。
332 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:25:21
■去勢的現実界
しかしここで区分が必要である。欲動が過剰でないときには、エロス(生の欲動)と呼ばれ、環境的
現実界に分類されるが、過剰であるときには、タナトス(死の欲動)と呼ばれる。これは、「去勢的
現実界」と言える。ラカンの理解では、タナトス(死の欲動)は象徴界(社会秩序)への参入によって、
去勢による抑圧によって生まれる。これはまさに、動物的なエロスが環境の力を越えたとき、本来
エロスによって構築された秩序が、抑圧として働くのである。社会で生きるとは、このような抑圧を
受けて、内部に過剰性を持ち続けるのである。
ドゥルーズは、ラカンが欲動を去勢によるタナトス(死の欲動)として強調して考えたことを批判し、
そのエロス(生の欲動)面を強調した理由がわかる。タナトス(死の欲動)は欲動の一部である。
しかし精神分析においては、抑圧された欲動が問題であり、それが「人間」なのである。
333 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:26:33
■本能の壊れた動物
現代では、環境からの脅威は軽減されている。しかしエロスは止められない。外部にでられずに
閉じこめられ、内部圧力は増していく。止まらないエロス、すなわちタナトスはどこに向かうのか。
たとえば、それは内部での殺し合うに向かうのである。有史以来、人は過剰性によって互いに
傷つけあってきたのだ。
しかし有効な使用方法は、内部世界の拡張に費やされている。環境の不確実性を秩序あるものとして
開拓するのである。それが加速されたのが近代であり、数量化革命である。世界のすべてを定量的に
数値化する手法は確実に、開拓を成功させ、内部世界を拡張した。それは地球から宇宙へという空間
から、物理的な量子力学によるミクロ的、そして宇宙物理学的なマクロ的へ、あるいは遺伝子工学に
よる身体へなどなどへと向かうのである。
たとえば量子力学が、原子力発電所に応用され人類の英知と言われるときは、エロスであり、それが
原子爆弾として使われるときには、タナトスと呼ばれるのである。だからこの分類は両義的である。
あるときは豊かさを生み、すばらしい芸術作品を世に生み出すが、またある時は、殺戮の狂気へ
向かう。そもそもにおいて過剰性があり、それが有効であるか、どうかに決定できないだろう。これは
「人間」が生まれた時から内部に抱えた問題なのであり、「本能の壊れた動物」としての「人間」である。
334 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:34:19
■健全な無垢への欲望に健全な精神が宿る
ボクが、「健全な無垢への欲望に健全な精神が宿る」というときには、この過剰性をいかに「健全」に
解消するか、という問題意識である。それは、エロスとタナトスの両義的な問題ではない。それ以前の
問題として、現代において欲動の内圧が上がっているいるのだ。
欲動は、本質的に不確実性=フロンティア(無垢)を必要とする。近代は科学技術という工作機械が
発明され、まだ未分化な世界を開拓したのである。それによって欲動は解消された。しかし現代、
そのような意味での大きなフロンティアは消失した。科学技術は環境問題などで行き過ぎを指摘され、
豊かさの中で、必要されなくなっている。物質的フロンティアの宇宙開発にはまだまだ多くの人を
つぎ込むことはできない。
■闘争の快楽
その意味で戦争は、過剰性の解消装置だったのである。兵器戦争でなんなる悲惨な場になったが、
戦争は人々を生き生きさせる装置であった。いまならワールドカップの熱狂があるが、サポーターで
なく、男子は全員がプレーヤーになる。そして敵国と戦う。賭けるのは命程度のものでなく、家族も
含めた我々のコミュニティそのものである。これにまさる無垢があるだろうか。
ある意味でもはや戦争ができなくなったなかでいかに生きるか、無垢を欲望するか。それが僕達の
問題だろう。戦いの場をいかに見いだすか。なら僕達は戦争にいけばいいのだろうか。ファイトクラブ
すればいいのだろうか?残念ながらノンだ。なぜならもはや素朴な、ベタな対立では満足できない
からだ。それは外国土産のおかしのように大味すぎるのだ。現代における戦いの難しさはそこにある。
すなわち、安易な二項対立による大味な戦いは、本当の戦い、「無垢欠乏といかに戦うか」からの
逃走でしかない。すなわちヘタレ化だ。無垢欠乏の強度から逃げ出し、一時の快楽に没入してしまう。
335 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 20:36:25
動物の本能がファルスにより壊れるとぴかぁ〜になる。
336 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:37:42
■レーザーラモンHGの憂鬱
たとえば、レイザーラモンHGは無垢として登場した。その汚物は、人々を欲望させたのである。
そしてこの無垢は次第に減算していく、消費されていく。多くにおいてそれは「忘却」であり、反復に
よって差異が消費されていく。今後も生き残っていくために、レイザーラモンHGは無垢を生み
出さなければならない。それは次のギャグを考えることではない。仮にそれが受けても、また
消費されるだろう。
それは、愛されることである。愛される「強い内部」を作ることである。「強い内部」において、無垢は
生み出されるのである。たとえば、様々な「永遠のスター」たちは、深く愛されることによって、
そのような「強い内部」の存在によって、「忘却」に逆らい、無垢が生み出されるのである。
■感染の恣意性
ではいかに「忘却」に逆らい、まなざしの強度は継続、増加されるのだろうか。多くにおいて強い
愛着である。しかしたとえば憎しみは、どうだろうか。深い憎しみ、継続した憎しみにおいて、まなざし
の強度は継続されるだろう。しかしここで難しい問題が起こる。深い憎しみと深い愛情の転倒である。
ここでは、愛であるか、憎しみであるか、悲しみであるか、関係ない、それは強度の問題である。
対象への強い興味の継続が、無垢を加算するのである。そしてなに、どのように感染するかは、
どの程度継続するか、そこには意味はなのではないだろうか。そこにあるのは、ただ恣意性である。
337 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:39:40
■差異化運動
しかし通常、ある時期の強度が長期的に継続されることは少ないし、仮にそのような場合には、
短期間に受けるその強度は身体的への弊害をともなうのではないだろうか。
だから、まなざしの強度が「健全」に継続する方法としては、強い内部がつくられることである。
たとえば、無垢を外部から与えられすぎると、「愛」を生み出せない。ただ消費するだけであり、
どこかで無垢が欠乏していき、孤独へ向かう。だから単なる他者の借り物という静的な無垢の
消費でなく、内部を作動し、その内部に帰属し、動的に「創造」することによって、無垢を
生み出していくのである。そしてこのような強い帰属を支えるのが、愛着である。
そして、このような動的に「創造」する内部では無垢を生むために「差異化運動」が起こる。
差異化運動とは、他者と差異をより細部に見いだそうとする運動である。たとえば古典ずきと
現代ずきの差異において見いだされる相違は大味で無垢としては弱い。ハイデェガー好きの
道具分析に関する相違の議論は無垢として強く、わくわくするだろう。差異化運動が魅力的なのは
より詳細に自分がなにものか記述するからである。
■All you need is Love.
たとえばこれはスポーツでも同じである。互いに切磋琢磨することにより、その差はわずかになる。
それは互いに同じ苦労をし、相手の細部がわかることである。それはライバルと呼ばれ、そこには
強い尊敬の愛がある。
そしてこのギリギリの差異により競い合う快楽は健全な無垢へ欲望である。すなわち、「愛」が
「健全」な無垢への欲望を導くのである。
338 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/01(木) 20:42:26
■なぜタナトスが「愛」を生むのか
339 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 21:39:03
詩の本能?
340 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 21:51:36
禁断の果実を食べそこなったぴかぁ〜。
脳味噌ツルツルなぴかぁ〜との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)
その驚きとともに私は『存在論的、郵便論的』がとうとう完全に過去のものと
なったことを認めたのである そのまんま東
ま、マンネリだ罠。
342 :
富田派:2005/12/02(金) 01:03:29
>>1-
>>341 知らない人の使った食器はできれば使いたくないなあ、ってのと同じだと思うけど。
343 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/02(金) 10:50:02
ぴかぁ〜哲学第1期は自己組織化による進化論、宇宙論をつむぐ。
欲動は徹底的にエロスに位置付けられ、生命理性として肯定された。
第2期はラカンの精神分析によるポストモダン的人間を描く。
欲動は去勢され、抑圧されたタナトスに位置ずけられ、まなざしと無垢の欠乏の場として、健全化がめざされた。
344 :
遠隔セクハラ親爺ぴかぁ〜の彼女:2005/12/02(金) 10:54:04
ファルスのままに不特定のエロを追求するぴかぁ〜はまさにセクハラ大王です。
345 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/02(金) 11:17:44
かつてニーチェの再来と賛辞されたように本来、ボクはエロスの肯定者であったはずた。
「迷うな、思考にだまされるな。すべての答えはエロスにある。だからキミはすでに答えをしっている。」それが生命理性の本質である。
これはニーチェの力への意志であるだけでなく、ラカンの「己の欲望に譲歩するな」にもつながるはずだ。
健全な欲望とは、欲動をタナトスのしてうまく処理するのではなく、
あくまでエロスとして肯定することである。
現代は閉塞などしていない。閉塞はいつの時代にもあり、それこそが人間である。
ボクはこの閉塞、飽和なイメージは地球という物理空間の飽和からきているように感じる。
それはエコロジーブームしかりである。
しかしそれでもエロスの闘争はまだまだ終わらない。空間はなんの制約でもない。
まさに無垢は目の前に広がっている。
346 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/02(金) 11:56:39
たとえば2ちゃんの祭りはまさにエロスの蠢きである!!!!
347 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2005/12/02(金) 12:02:17
ぴかぁ〜哲学第3期に向かい、充電期間に入ることになりました。
第3期はエロスへの回帰へむかいます。お楽しみに
それではちゃ〜オ!
348 :
考える名無しさん:2005/12/02(金) 12:30:51
これにて終了
ぴかぁ〜、前よりもちょっとまじめになった気がする。気のせいかもしれないけど。いいことだ。
本当かな?
ネタが切れただけじゃないのかね?
352 :
m:2006/01/02(月) 19:58:36
匿ってください
353 :
通行人:2006/03/14(火) 05:43:08
山本夏彦が言つてたけど、処女が尊ばれるのは、男が自分のペニスの大きさ(と機能の良否を)を他人と比べられ度くないからだと云つてゐる。
実際には誰も他の性器の記憶は殆ど無いから、単なる短小コンプレックスに過ぎない。
処女なんかは面白くも何ともない。尤も女性の7割は不感症ださうだけど。
処女なら、ファックスするのみならず、結婚したり、オプションがある。
355 :
考える名無しさん:2006/03/14(火) 06:13:31
無垢を求める人は、ここよりどこかに理想郷があると思っている人なんだと思うよ。
でも、無垢なんて、原理的にありえないでしょ。
本来人はこの世に生を受けたときから、常に他とかかわり続けている。
故に無垢は存在しないと。
おそらくは何でも自分を信じて肯定してくれる存在への希求が無垢女願望なんでしょうが、
そんな上手い話はないってことだね。
茨城県
浮島キャンプ場(茨城・桜川村)
小滝沢キャンプ場(茨城・高萩市)
北山公園キャンプ場 (友部町)NO321&586&711
波付台キャンプ場(石岡市)678
千葉県
橘ふれあい公園(千葉・山田町)554&559〜
市原市民の森(千葉・市原市)
グリーンウオーターパーク(千葉・大栄町)NO290
市原市文化の森(市原市)648&674&675&712
君津緩衝緑地坂田東広場(君津市)760
処女なんてめんどくさいです
経験者でさえなかなか感じないというのに
358 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 21:09:36
>>355 ハゲド(´・ω・`;)
だからあたし早く汚して欲しくて堪らなかった…。
>>358 「だから」の接続詞に至るまでの思考の経緯を簡単にチャート化していただけますか?
私にはその感覚の把握は不可能です。
360 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:39:23
少なくとも母親は非処女。
処女は蜃気楼である。追えば逃げるし、逃げれば現れる。
そして、現れるころには処女でないのです。
362 :
考える名無しさん:2006/06/08(木) 22:54:10
まあ、女は使い古されたのより、新しいの。
男は、新しいのより、使い古されたのが良い。
女は器で、男は器に入れるものだから。
器はきれいに越したことはないね!
非処女はなんではじめての男とずっと付き添わなかったのかと。
興味本位でやりたかったなんて軽挙妄動じゃないか
ほんとに愛し合ってたのかい?そこに愛はあったのかい?
証拠を見せてくれ、今ここで
非処女は次の男に付き添うことになったんだろうね。
なぜか。
あかちゃんの名前?、かれはねぇ(ry
造幣局に勤めたら、作りたてのお金を見せてもらえるよ。
処女なんて面倒くさい
やっぱ百戦錬磨だろ
367 :
考える名無しさん :
「おんな」は男性社会においては「商品」だろ。
「商品」は「中古品」よりはできるだけ「新品」の方がいい。
ちなみに「女の友情」は「商店組合」、「男の友情」は「消費者連合」だと思う。