1 :
考える名無しさん:
「人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である」チャップリン 殺人狂時代
人類史上、如何なる民族や時代でも許されない三つの禁忌がある
殺人・食人・近親相姦
しかしチャップリンの言葉でも記されるように人類は、時として簡単にそれを破ってきた
そこに善悪があるだろうか?
そもそも善とは悪とは何であろうか?
2 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 01:51:01
3 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 10:10:22
善悪の概念を人間が作っている以上(神さまが作っているわけでない)
善悪は人間が決めているにすぎない。
人殺しの善悪は誰が決めるのか?
自分と他人である。
自分が善と思えば、自分の中では善なのであり、
他人が悪といえば、他人の中では悪なのである。
4 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 10:34:17
神の意に反してりんごを食べたアダムとイブは悪なのだ。
5 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 11:10:17
どうやって人間が神の意を知りえたのだろう?
そしてその方法がわかれば、全ての事柄の善と悪がわかるのであろうか?
6 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 11:40:27
健全な社会生活を営む上でのルールとして善悪が存在する
それ以上の価値はない
7 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 11:44:28
原罪を認めないものは悪である。
8 :
1:2005/11/12(土) 12:07:29
ちなみに最初は「悪とは何か?」で話をスレを立てようと思った
ところが、それでは片手落ちのような気がして「善悪とは何か?」にした
9 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 12:09:54
>>4 >>5 >>8 善悪を考えていけばいくほど、矛盾に溢れてくる
だから神様という絶対の権威を作ることで善悪をはっきりと決める
これはこれで意義があることだと思うね
モーゼの十戒には近親相姦や同性愛の禁止も記されているし
10 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 12:12:49
数千人、無為に殺したら、やっぱりただの人殺し。
>人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である
千人殺したことによって一万人の命を救った
という事例が一つも無いと言い切れますか?
12 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 14:35:45
>>11 人殺しという行為には代わりない。
ここではそれを論ずる意味はないだろう
>人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である
そもそもこの言葉の論点は個別の事例を検証することではなく
状況によって善悪そのものが変化する人間社会の矛盾を問うものなのだからな
13 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 15:38:09
善悪「そのもの」は変化してないんでないの?
14 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:04:11
善も悪も本来は存在しないもの。人間が誕生して生まれた概念。
それは実に主観的で人間の感情のように時と場合と立場によってどうとでも変わる。
したがって事物の善悪について論争することは愚かである。
端的に言えば、たとえば人類の滅亡は善も悪もない。人類が滅亡すればそれを判断する生物がいないからだ。
16 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:07:35
>>14 >それは実に主観的で人間の感情のように時と場合と立場によってどうとでも変わる。
「善悪そのもの」の意味が、時と場合と立場によって、変わる場合なんてあるの?
具体例プリーズ。
17 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:27:18
は?だれが「善悪そのもの」と申したのだ?文脈から善悪の判断について言っていることくらいわかるだろう。
まぁいい、一般に善と判断されるものは共存可能なものであり、悪は一人勝ちや破滅を呼ぶものに対してそう判断される訳だ
しかし、戦争の当事者となれば国の力や生き残ることが一番の欲望になるので善悪の判断基準が変わり、破滅を呼ぶ戦争でさえ国の力のために善となるわけだ。日清戦争に勝利して日露戦争にやる気だしてた経験が日本にもあったよな。
18 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:34:10
西洋の古代哲学は善を定義しようとして色々議論されてきたわけだ。
その意味では善そのものの定義も古代哲学のときはころころと変化してたよ。
19 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:36:14
>>17 >は?だれが「善悪そのもの」と申したのだ?文脈から善悪の判断について言っていることくらいわかるだろう。
じゃあ、
>>12 の、
>状況によって善悪そのものが変化する人間社会の矛盾を問うものなのだからな
は間違いということで OK ?
20 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:38:39
>>14道徳っていうのはね、精神的に向上しようとするいわば西洋のエロスに対応することばだから関係ないよ。厳密にはすこしニュアンスが違うが奈
21 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:42:16
>>19だから善悪そのものが変わる例をあげたじゃねーか。
そこまで執着するならポマエの言う善の定義と悪の定義を述べてからにしてくれよ。
22 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:45:19
>>21 >
>>19だから善悪そのものが変わる例をあげたじゃねーか。
どこに?
23 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:47:24
24 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:54:09
>>23 実際にあげてるなら、示せばいいだけのことじゃないですか。
できずに逆ギレですか?
25 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:57:01
26 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 16:58:15
どうも本当に逆ギレだったようですね。
27 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 17:02:37
28 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 17:07:37
いや、真剣に「善悪そのもの」が変わる例があるのなら知りたいんだが。
>>17 は、当人が違うっていってるんだから、もちろん違うよね?
29 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 22:22:45
おまえは他人の意見を聞きたいの?他人の意見に執着する割りには理解しようとしてないか全然自分で考えていないかどちらかだな。
すこしは自分で考えろやボケ
30 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 22:31:07
あなたは自分の意見が言いたいの?他人の質問に執着する割りには説明しようとしてないか全然自分で考えていないかどちらかなんでしょうね。
あなた自身の考え方でいくと。
31 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 22:32:48
仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一
切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是
諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙
故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅
三貌三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切
苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩
婆訶般若心経
32 :
3:2005/11/13(日) 18:50:20
>>6 健全な社会は誰が決めるのか?
ルールは誰が決めるのか?
結局のところ、善悪は人が決めるといわざるえないと思う。
どういう基準で決めるのか?
その中に、
>>6の話が含まれるのではなかろうか。
33 :
考える名無しさん:2005/11/13(日) 19:10:44
健全な社会とは、長続きする社会じゃないでしょうかね。
34 :
考える名無しさん:2005/11/13(日) 19:34:46
女が居ない健全な社会
35 :
考える名無しさん:2005/11/13(日) 19:51:30
女がいないと1世代で終わりますよ。
36 :
独身寡人:2005/11/13(日) 19:54:47
子育ては企業や国家や宗教にたよろう
善悪は、全て社会善と社会悪である。
社会善と社会悪は、権力者が恣意的に決定している。
それだけの話。
38 :
考える名無しさん:2005/11/13(日) 20:27:09
では赤子に良心は無い?
タブララサとか言うくらいだから、イギリス経験論だと無いといのが
結論なのだろうか。
40 :
考える名無しさん:2005/11/13(日) 20:54:05
>>37 そうすると、社会を発展させようと思ったら、
何を基準に判断したらよいのでしょうか?
41 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 00:07:17
>>19 善悪なんてものは初めから矛盾に満ちたものだ。
国家単位の善は個人単位の善を真っ向から否定することは良くあることでね
何もかんも一緒くたに論じてもらっても対応に困るが
その困ることこそ、ここでは論ずるべき価値があるのでね
この議論に答え何て出てくるわけはない、しかし哲学の議論とはそもそもそんなものだろう
>>1にあるような言葉をあえて持ち出し善悪を問うことがあるように、
すでに善悪とはどういうものかみんなだいたいわかってるんじゃないのか?
43 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 05:08:42
「世界が発展すること」は結構ケチのつけようがない善だと思う。
因みに、内に退化を孕むような発展はそもそも発展ではない、という前提。
44 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 05:12:24
善と悪 誰かが決めた漢字でしょ?
45 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 05:15:08
「善、悪、そんなものは元々無い」とか、もう飽きたよ。
そんなことはわかっているのだよ、諸君。
つまんねーな。
善悪なんてただの都合による主張に過ぎない
矛盾が起こるのも当たり前
47 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 13:02:45
善悪でなやむなら懐疑主義になるのが一番だな。
善も悪も区別なしってことだ。
48 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 14:20:34
悪をなすものは地獄へ落ちる。
49 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 14:58:30
50 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 15:08:49
>>41 おっしゃってることが、
>>19 とどう関係するのかさっぱりわからないんですが?
誤爆ですか?
変わる変わらないの以前に「善悪そのもの」というのは
存在するのだろうか?
52 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 16:05:32
まあ、仮に「存在しない」としても、
「存在しない」といえる人はなんらかの定義づけを持ってるのだろう。
54 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 17:00:37
定義がないからないんだろ
55 :
ハル:2005/11/15(火) 20:23:26
善悪とは人が社会的に行動するために必要な主観的でありかつ外的な指針なのではないだろうか
56 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 21:21:08
>>54 定義が無いなら、「○○は存在しない」っていうのは、
何も述べていない無意味な発言ということになるが。
毎日、俺達が通る道は生活の汚れで汚くなるが、
俺達の通る道が、食事の食べ残しで汚されようもなら
悪だということだ。
共通するので善いのか、習慣が善いのか知らないが、
個別的だと悪で、一瞬だと悪なのかね。
例えば「美味い・不味い」という言葉の意味は万人共通で、変化もしない。
しかし、何を食べたときに「美味い・不味い」と感じるかは、時と場合と
人によって千差万別で、一定しない。
この事態を指して「美味さ・不味さそのもの」が存在すると考えるのか、
それとも「個別具体的な無数の食経験があるだけで、美味さ・不味さ
そのものなどない」と考えるのか。
「善悪」も似たようなもんではないか。
一定しないことを証明しているのだろうか。
日本の客観の語感は彼の考えることなのだ。
イスラムにもみられる。
だが、西洋的な考え方だと、客観は広がりという起源の考え方があるようだ。
この客観は量や長さを問題にする。
何センチの広がりなどが考えられるだろうか。
重さが何キロの単位の量などだ。
デカルト的なことを話している。
こういう客観が千差万別に変わるとは、私は考えていない。
変わるとすると、デカルト的な客観に対する主観、
或は、二者に加わる三者目の主観である。
断っておくが、他人の寸法を測るということを問題にしていないことを祈ろう。
前者の主観は、私の目の前に物があるのかということが考えられる。
鈍磨ということはあり得る。
例えば、口の中で味が千差万別に変化するものを食べた事がないようだ。
これは、あなたの主観においても同じであると考えられる。
後者の主観であるが、二者に関係する他者についてだ。
人数が増えるということを制限するということで、一定する。
三人目の主観も同様であると考えられる。
>>58は、想像的であり、且つ、矛盾するところを追及していく態度ではあるまいか。
最後の矛盾は論が成り立たないということだ。
60 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 23:37:35
>>56本質的にはそれでも問題ないだろうな。そもそも主観的な判断によるものは一般性がないから議論するに値しないからな。
善について議論するって言うのは言い換えると、オレが善いと思うものについて議論するとなり他人が議論に介入してもテーマがあくまで主観によるものだから、議論にならないのだ。よって無意味。
>>60 「主観的な判断によるもの」って何のこと?
62 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:04:49
>>61当人が感じて判断するものに決まってるでしょ。愚問なり
63 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:10:09
>>62 「主観的な判断によるもの」という言葉の意味じゃなくて、
>>60 の「主観的な判断によるもの」という記述が
何を指して言っているのか、ということを聞いているんだけど。
64 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:16:55
65 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:26:34
>>64 定義が存在しないものについて、なぜ、
その判断が、「主観によるもの」だといえるのですか?
そもそも、「判断」の対象になるようなものかどうかさえ、
わからない(定義されていない)はずですが?
66 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:28:29
どんな判断も主観による判断だけどね。
67 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:30:30
だとすれば、「主観的な判断である」というのは、
何も言っていないに等しいですな。
68 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:32:40
一般的、共同主観的、常識的判断が考えられる。
69 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:33:45
おやすみなさいw
70 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:49:51
定義っていうのは厳密なものだよ。善悪が判断であることはわかるだろうが判断基準が定義できないからそういっているだけだ。
なぜ、そのように挙げ足をとるような意味でとらえるのだ?頭ちょっとはつかえや。
71 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 02:53:10
>>66おまえは本当に視野が狭い。じゃあ過去と現在、世界人口はどちらが多いか判断しろと言われたらお前は昔の方が多い気がするといって過去と答えるのか?
72 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 04:41:55
たしかに厨房みたいだな、
>>65とか見ると哲学ではなくて日本語の文構造を議題にしているようだからな。
哲学者だったらこんなの相手にしてもらえないんだろうなw
目的が定義されなければ、善悪を定義付けする事は不可能だと思います。
生存に対しての善悪。 繁栄に対しての善悪。 平和な生活に対しての善悪。
これらの善悪は、微妙に変化する。
主観的善悪と客観的善悪では、大きく変化するだろうね。
実際、歴史は目的が変わると倫理自体が変化している事を教えてくれる。
目的を定義しないまま、善悪を語っても、視点が違う者同志が否定し合って終わる。
宗教的な善悪なのか?現代の倫理観的な善悪なのか?一般法律的な善悪なのか?
>>1は、定義すべきだね。
目的が定義されれば、
目的に対して有効な事=善
目的に対して有効ではない事=悪
と、言えると思います。
目的が変化すれば、善悪の基準も変わる。
所詮、人間が作った概念なわけだから、不変ってわけにはいかないね。
75 :
boo:2005/11/16(水) 09:29:21
中・高・大学生の皆さん。ちゃんと自分の頭で考えましたか。
善悪は人間がこしらえたものだから云々の前に「善」とは何か、「悪」とは
何か、自分なりの答えみたいなものを突き詰めて、「やっぱり答えられない
や」と疲れ果てた後の言葉なのでしょうか。(それならば仕方なし)
私が今即答できる限界は以下です。
「善とは自己を他者の為に抑制したこと」
「悪とは他者との関係性において、衝動的な自己保存だけに基づいて行動し
たこと」
戦場では通用しないので不完全な「善悪」の説明となりました。悪しからず。
>>75 すると、敬愛するアサハラ尊師のために、自己の恐怖心や良心を抑えて
サリンを撒いた人たちは「善」を行ったのでしょうか。
77 :
boo:2005/11/16(水) 09:43:57
他者とは何ですか。
他者とは自分以外の全ての人間実存です。(広義では人意外を含め
る場合もある)
先ず他者とは何か自分なりに突き詰めましょう。
そうすると、他者同士の利害が相反していると判断した場合(ということは、
ほぼすべての場合)には、善を行う余地がなくなってしまいます。
また、麻原尊師ご自身は、疑いもなく「自分以外の全ての人間実存」のために
行動していたと思われるので、間違いなく「善」ということでよろしいのですね。
79 :
boo:2005/11/16(水) 09:53:14
80 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 09:56:31
「他者の為」になるかどうかは、何を基準に判断したらよいのでしょう?
善悪なんてないという立場は個人主義的なのかな。
82 :
boo:2005/11/16(水) 10:06:58
>>78 「他者同士?」そこに自己はいないのですか。
「ほぼ全ての場合?」つまり「全ての場合ほぼ利害は相反する?」のですか、
何がどうなのか主旨が飲み込めない。
「麻原尊師〜為に行動していた?」麻原は他者の為に自己を抑制したのですか。
自己を抑制するとは他者の言動を受け入れ、自己の言動を慎むと言う図式が
分かりやすいかもしれません。
83 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 10:13:02
麻原は主観的には善だったが、客観的(多数の共同主観的)には悪だった、
でいいんじゃないの。
「善は定義できない」と言ったのはムーアだが、
「熱い」でも「赤」でも、いわゆる「クオリア」と呼ばれるものは
すべてそれ自体は定義できない。それと同じことで、大した意味はない。
「美味」の例も同じ。
通常は、「人が善のクオリアを感じる場合」を規定して、善の定義とする。
行為の結果の側から規定したのがいわゆる功利主義。
行為の動機や様態の側から規定した一例が、
>>77。
これらはすべて経験的な事実から導かれているので、例外が出てくるのは
仕方がない。論じても余り意味はない。
本当の問題はそういうことではなく、善や悪をどう定義したところで、
「善を行わなければならない理由も、悪を行ってはならない理由も、
見出せない」ということ。哲学的な疑問として「善悪とは何か」を
考える人は、これに引っかかっている場合が多い。
まあ、ケンカしてる二人の間に入って仲裁するときどうしたらええかというような話では。
85 :
boo:2005/11/16(水) 10:14:41
>>80 鋭い質問ありがとうございます。
「他者の為」になるかどうかは確かに「他者」に聞いて見なければ
詰まる所わからないでしょう。しかし、ポイントは「他者の為」に
「自己を抑制する」点にあると考えました。
86 :
boo:2005/11/16(水) 10:22:12
柄谷が数学からぱくった「不完全性定理」みたいなどうどう巡り
の議論も楽しいですが、稚拙でも先ず自分で考えることから始め
ましょう。
言語を言語によって解体するのはフランス人に任せましょう。
仕事の時間なので失礼します。又。
>>85 何が患者のためになるかは、患者に聞いてみたってわかんないよ。
医者に聞かないと。
医者の行為の善悪は結果によるのであって、自己を抑制するかどうかなんて、
関係ないよ。
88 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 10:28:45
>>85 であれば、「他者の為になることを期して」「自己を抑制」したのであれば、
善といえるのでしょうか?
89 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 22:53:02
>>51 存在するよ。
だから、我々はあることを善いと言ったり、悪いと言ったりできる。
Aが善いと言う事を、Bは悪いと言うかも知れないが、「善」は「善」であり「悪」は「悪」であるということは変わらない。
91 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 23:50:41
俺の正義は「俺が楽しく嬉しく生きること」
俺の悪は「俺の邪魔する全て」
ってはっきり言えることが出来たら、どんなに楽しいことか
92 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 23:59:44
楽しいことばかりやっていたがために、
本当にやりたいことの邪魔になったりとかな。
93 :
boo:2005/11/17(木) 00:10:35
>>87 うーん患者さんは病気と怪我を治して欲しいと思ってるんじゃないの
かなあ
94 :
boo:2005/11/17(木) 00:18:28
>>85 少し詳しく述べてみます。
先ず、神はいないと私は考えます。
すると、真理(≒例えば人の生の目的)なるものがあるのかないのかは人間
実存の側にある問題として残ると考えます。
私は人間実存にとって普遍的な(怪しい言葉です)生の目的などないと考え
ます。西欧的なニュアンスで言えばニヒリストです。(ニーチェに傾倒して
ません)
この議論のお題は「そもそも善とは悪とは何であろうか?」でした。
「人間実存にとって普遍的な生の目的(曖昧な言葉ですが)などない」と考
える私にとって何が良いことで何が悪いことなのかを考えることは難しい問
題です。
しかし、良いことと悪いことはあるような気がしました。カントは道徳律を定
言命法によって説明していたと思いますが、そこには神の影が見え隠れします。
そして、神はいないと考える私にはカントの説明は腑に落ちませんでした。そ
してこう考えました、「人間実存は自分の生を全うするために他者との関係性
の中で他者を生かす(活かす)為に生きる。」普遍的な(怪しい言葉を再び使
用します)生の目的などはないと考えますので上記を取り敢えず今、生きる自
己基準その1と称しておきます。
(本題に戻ります)ですから、「善とは自己を他者の為に抑制したこと」には
私の自己基準に基づき、他者を生かす為に何らかの自己抑制をかけたのならば
私はそれを「善」と呼びたい、と言う意味が含まれます。(長くなってゴメン)
95 :
boo:2005/11/17(木) 00:21:19
96 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 00:21:55
まあ、呼びたいというなら、呼べばいい。
別に止めはせん。
97 :
boo:2005/11/17(木) 00:23:20
98 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 00:26:22
>>93おまえはそのレスをする時に規約をないがしろにした。又は既知し重々承知の上の判断、はた又知らなかった、範疇に置く自覚が無かった。これらどれかの何れにしろ善悪な可否は取れる。というのは俺の自己正当化。
99 :
boo:2005/11/17(木) 01:42:28
>>98 先ず、わかり易い文章を書くように心がけましょう。
2人称「おまえ」も品がないように思います。
100 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 04:50:42
目的が定義されなければ、善悪を定義付けする事は不可能だと思います。
生存に対しての善悪。 繁栄に対しての善悪。 平和な生活に対しての善悪。
これらの善悪は、微妙に変化する。
主観的善悪と客観的善悪では、大きく変化するだろうね。
実際、歴史は目的が変わると倫理自体が変化している事を教えてくれる。
目的を定義しないまま、善悪を語っても、視点が違う者同志が否定し合って終わる。
宗教的な善悪なのか?現代の倫理観的な善悪なのか?一般法律的な善悪なのか?
>>1は、定義すべきだね。
目的が定義されれば、
目的に対して有効な事=善
目的に対して有効ではない事=悪
と、言えると思います。
目的が変化すれば、善悪の基準も変わる。
所詮、人間が作った概念なわけだから、不変ってわけにはいかないね。
101 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 05:58:35
>>90お前、悪の定義が悪ってなんだそりゃ(;´Д`)
102 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 08:27:43
それよりどっかのスレにあったが定義とは何かをまず定義しないとな
心情を形式で表現したら駄目ですか
原理ではなく
>>94 本題とずれるけど、「普遍的」が曖昧で怪しいのはどうしてですか?
105 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 10:30:03
自分が正しいと言っている人間はその大部分が何かの信者だよ。
客観的とか、中立とか冷静とか、正しいの代わりにそんな言葉を使うけどね
自分の意見に自信がない人の方がゆがみのない意見であることが多い
106 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 12:36:22
自己の利益に寄与するもの それが善だ
自己の利益を害するもの それが悪
善悪とは利害の事にほかならない
わかったら もう寝ろ
>目的が定義されれば、
目的に対して有効な事=善
目的に対して有効ではない事=悪
と、言えると思います。
目的が変化すれば、善悪の基準も変わる。
所詮、人間が作った概念なわけだから、不変ってわけにはいかないね。
これはもろに功利主義ではないか。
というか、目的が善悪の基準そのものなんでは。
善悪そのものは、
>目的に対して有効な事=善
>目的に対して有効ではない事=悪
で、目的がどう変化しようと不変。
まあ、厳密にいうと、
「有効なこと=善」
「損なうこと=悪」
「有効でないが損ないもしないもの=無関係なもの」
功利主義ではどうなるかしらんが、
プラグマティズムでは眼目はむしろ、3つのうちの一番最後じゃなかろうか。
110 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 18:44:24
うんこは善か!?
うんこは臭い、汚い、毒々しい。
だけど人間は生きるために食べて、食べたものは例外なくウンコになる。
うんこはうんこ。それ以上でも以下でもない。うんこなのだ。
これに善だの悪だの余計な判断はいらない。
それはうんこなのだ。
うんこを否定するば排便すると自己矛盾になり、また、肯定すれば「おまえはうんこ。臭いうんこ」と言われようが受け入れなければならない。
よって否定も肯定もしたくない。
つまりうんこはうんこのままでいいのだ。触らぬ神に祟りなし。よけいな判断は自分を苦しめる。
111 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 19:03:59
目的というと漠然としてつかみ所がない
人間の目的は 「自己の満足」以外に無い
満足・・わかりやすく言うと「自己の利益」のことだ
議論するなら曖昧じゃなく もっとハッキリさせろやw
112 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 19:24:14
人生の目的が自己の満足?(´,_ゝ`)プッ
生きるなら満足を求めるだけであって、人生の目的じゃないだろ。
人生の目的があるとするなら生まれる前から目的がある必要がある。目的があって初めて何かを始めるのが順序ってもんだ。煮物料理を作りながらその作業の完成品の煮物を食うのは不可能ってわけ。
113 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 19:38:18
目的を達成した後はどうなるの?
114 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 19:38:26
>>112 生まれてない者に目的があるわけないだろw
者が存在しないんだから、者に付属する目的も
また無いのが道理。どっかで頭ブツけたのかw?
115 :
ハル:2005/11/17(木) 19:43:52
目的を達成した後には何も無い。
だが、無いものは無い。
ということは人は永遠に究極的な目的にはたどり着けない。
その意味で、善悪は幻のようなものなのだろう。
善悪は酔いのようなものを得るためにあるのではないだろうか。
116 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 19:52:04
117 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 20:15:46
>>116 馬鹿か、おまえw
人間にとっての目的というのは
自己の介在なしに、他によって勝手に置かれるものじゃない
自己の選択、つまり自らの意思で置くもの
自分で置いたそれを目的というのよ
自己の選択でなく他者によって言い渡された目的は命令・
強要に近く、通常、人の目的と呼ぶに値しない
おまえの目的が他者によるそれだというならイカれてるw
当然の話だが、自己の決めるはずの自己の目的が
自己の存在する以前からあるなんて理屈は通らない
118 :
おれには関係ないが:2005/11/17(木) 20:25:49
>>117会話になってないな。全然関係ないこと話してるよお前。反論されてそんなにくやしいの?厨房にはつらい板だから来ないほうがいいよ。
119 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 20:35:03
>>118 「人間」の目的と「人生」の目的を取り違えるおまえにゃ
何話しても無駄だ、ぐらいアホでもわかる
会話になるわけなかろ。はよ寝ろw
120 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 20:50:56
>>119ほうほう聞かせてくれ。その人生の目的と人間の目的の違いとやらを。
いっておくけど、お前の主観だけが納得するような内容じゃだめだよ。万民が納得する客観性がないとな。
さあ、はなせ
121 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 20:55:22
>>120こんなバカを相手にしなくていいだろ。どうせ、お前には〜とかで終わらせようと必死になるだけだ。
122 :
:2005/11/17(木) 21:05:23
>>120-121 おまえ、文体変えないとジエンばればれw
人間と人生の違いもわからんとはホントお粗末だな
人間というのは動物の分類をした言葉で
サルやゴキブリとどう違うかを踏まえたもの
人生というのはその動物の生命の誕生から死までを
ワンスパンとした単位を言う
もう寝たほがイイw
124 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 22:58:39
思ったよりこのスレは伸びるね。
よかった
よかった
125 :
boo:2005/11/17(木) 23:08:35
>>104 「特殊」の対義としての「普遍」は「一般」とほぼ同義で曖昧でも怪しく
もない。それが曖昧でないのは個物の範疇を限定しているからだと
思います。
しかし、哲学で用いられる「普遍」は個物の範疇を際限なく(大袈裟か)
乗り越える、プラトンのイデアに近い概念として捉えられる(その先入
見がいけないと言われればその通りですが)場合が多い。
よって、私がその言葉を用いなければよいだけの話なのですが、「共通の」
とか「一般的な」ではニュアンスが伝わらないので、つい便利な言葉とし
て使用してしまいます。悪しからず。
126 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 12:29:21
神のみが善と悪を決める。
それが一番に手っ取り早い
絶対の権威の前では少々の矛盾は人は目を瞑るもんだ
127 :
神:2005/11/18(金) 12:33:06
時間を楽しませる2チャンネルは必ず善であるに決まっている。
善とは、善く生きる ということ
悪とは、その善の邪魔をすること
善 く 生 き る というのは、
気高く、美しく、麗しく、正々堂々と
生 き て 行 く ということ
129 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 13:31:37
善悪の二元的価値判断は普遍的ではない。
自分は他人よりも優れているという優越感にひたり
たいときに使われる物差し。
130 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 13:47:34
>二元的価値判断は普遍的ではない。
いや、それは普遍的だろ。
>>126 その神が決めた善悪のおかげで、人類は絶えず争ってきましたね。
どちらも「自分達こそが善だ」と主張しながら。
手っ取り早いかもしれないが、その価値基準では幸せにはなれないね。
>>128 あなたの気高く、美しく、麗しく、正々堂々と、俺のそれは同じではないかもね。
そうなると、あなたと俺の善悪の基準も違ってくるね。
132 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 18:23:12
>>131 人間に善悪を教えるのに必要なものは、崇高な理想と恐怖だよ。
世界平和祈願教団の信者なんて最たるもんだ。l
戦争に反対し過去を反省することが平和に繋がります
戦争を賛美するような風潮が広がれば日本が侵略されても誰も救ってはくれません
そんな時代が来てもいいのですか?
何て真顔で言われた時にはあきれ果てた。
これは一種の宗教だってね。
133 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 18:23:55
>>122残念!別人でしたm9(^Д^)プギャー
134 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 18:46:53
善は夢をつくる。
135 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 18:49:30
悪だって悪に善を顧みさせて夢をつくるだろ?
136 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 19:09:06
>>122そんなこと誰でも知ってる。話を振ったなら話をそらさずに目的についてちゃんと答えろ。
まあいままでのは虚勢を張ってましたと言われれば返す言葉はないけどね。
137 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 02:33:19
善たる旧き神と悪たる旧支配者
こんな具合に簡単に分けられたらいいのにね
138 :
レベル69 ◆PGehGm5CiU :2005/11/19(土) 03:49:05
>>132 そうなると今度は、「崇高な理想って何?」「恐怖って何?」という話になるね。
善悪を教えるのに必要なのは、
「目的に対して有効か?有効ではないのか?」だと思います。
善悪を議論する時、宗教的思想は邪魔だと思います。
宗教的善悪は、その宗教に対して有効な思想を押し付けるだけですから。
個人が考える事を許しませんからね、宗教は。
139 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 10:53:43
>>126 神が善悪を決めていると思わせるということか。
神を創り出したのは人間。
神の善悪を決めたのも人間。
人間が善悪を決めている。
善悪を決めているのは思考。
人に限らず他の生物にとっても、善悪はある。
無論、「善悪」という言葉を使って考えたりはしないだろうが。
140 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 11:23:53
>>139お前みたいに人間が神を作ったとか言うヤツは話にならないからどっかいけ。ちゃんと一冊でもいいから哲学書読んできてください。ここは屁理屈道場じゃありません。
141 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 11:37:02
>>140 人間が神を作った証拠は山ほどある
おかげで世界中、神だらけだ
一方、人間以外が神を創ったという証拠はカケラもないw
あるんなら示してごらん
142 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 11:43:49
143 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 11:54:48
とりあえず、神は関係ないだろ。
144 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 12:00:48
神をこの世界、宇宙全体と見るなら、
神にとっての善悪はあるのかもしれないな。
即ち世界の維持は善。崩壊は悪。
ヒトがどちらに貢献してるのかは判らんが。
・・・もちろん、そんな宗教は存在してないけどね。
145 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 12:07:55
>>144 馬鹿かw
宇宙の存在は歴然としてる
宇宙は宇宙と呼べばいい
それを ありもしない神などというニックネームつけるのはお遊び
ごっちゃにするアホは絶えないがw
∧∧
(゚Д゚ )
⊂ ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〉 ノノ~ < まあまあ、おちけつ
∪∪ \______________
147 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 12:24:59
>>141お前は本質的な話をしようとしてないからそう言ったのだ。ならお前が指す神はあらゆる神のなかのどれだというのだ。
148 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 12:38:43
神がいないとか言うやつって頭が弱いよな。物事を三次元でしか考えられてないっていうか想像力が主観的っていうかな。
神の存在を証明できないからといって否定とするのは、自分の精神を否定とするのと実質的に変わりない。
自分の精神の存在を客観的に証明できないのと同じ。
149 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 13:06:14
というか、存在が証明できないから否定するというのは、非科学的だな。
存在が証明できないときにいえるのは、「存在するともしないとも断言できない」ということだけ。
で、あるが、いずれにしろ、このスレの議論とは無関係。
150 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 13:17:36
だな
>>148 同感です。
自分で考える事をせず、他者の考えを自分のものにしてますからね、そういう人は。
「自分の精神」ではなく、「他者の精神を自分の精神と思い込んでいる」です。
で、あるが、いずれにしろ、このスレの議論とは無関係。
152 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 15:47:10
宗教における神は人の創造物でしかないことは間違いない。
その想像物は確かに在るとも言える。人の精神の中に。確かに。
が、神が実体を持って実在しているということはありえない。
所詮は想像の産物。
で、あるが、いずれにしろ、このスレの議論とは無関係。
153 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 15:51:42
無関係と思うなら引っ張るなよ。
154 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 15:59:09
利は善。
害は悪。
今は買うな、時期が悪い
155 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 17:56:35
このスレででた結論はまだ
うんこは善でも悪でもないってことだけてすか?
あははみてらんねーよwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
156 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 18:00:19
神の啓示が昔の人あったとか言って、それから神はいると信じた人は神を作ったといえるのか?
157 :
ゼウス:2005/11/19(土) 18:04:25
私はポリスの人々に信仰されました。
つまり、創造された訳です。
158 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 20:38:38
人間が神を作った証拠は五万とある
人間以外が神を創ったという証拠はカケラもない
人間以外に神を創った者はいない
何か事を起こす。
その事象に対し、誰か一人でも眉をひそめれば、それは全くの悪であり、
全ての人が微笑めば、それは全くの善である。
よって、全ての事象が悪と言っていい。
160 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 23:07:25
(・ω・` ≡ ´・ω・)
迷子見っけ
162 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 23:54:10
水戸黄門を見れば簡単にわかる。
163 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 00:54:00
つまり、人生楽ありゃ苦もあると。
164 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 01:09:51
165 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 01:16:29
>>158そりゃ概念のはなしだろボケ
神を概念だけで片付けようとするその態度は議論する資格を自ら放棄しているも同然だ。
実質的な会話についてこれないんならそもそも来なくていい。
166 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 01:17:04
A君はBというアイドルを溺愛しており、彼女のウンコは彼にとっては善である。
A君はCというクラスメイトを嫌っており、彼のウンコは彼にとっては悪である。
つまり、善悪なんてのは、個人の立場によって色合いを異にする。
>>159 が真理。
目的に対して有効かどうかで善悪を決めるという意見
言葉が違うだけで循環しているように感じます
善と悪というものがなければ目的というものがそもそも作れないのではないでしょうか
また、作れたとして今度は、有効について説明しなければだめですよね
この説明にいわゆる、良いとか、悪いとかに相当するものを
用いて説明する必要があるのではないかと思うんです
屁理屈でしょうか
A君はBというアイドルを溺愛しており、彼女はウンコはしない。
これが真理。
170 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 01:27:50
>>168 >善と悪というものがなければ目的というものがそもそも作れないのではないでしょうか
その論理がわからん。
>また、作れたとして今度は、有効について説明しなければだめですよね
>この説明にいわゆる、良いとか、悪いとかに相当するものを
>用いて説明する必要があるのではないかと思うんです
具体的には、例えば?
>善と悪というものがなければ目的というものがそもそも作れないのではないでしょうか
人の観点から一理ありですが、ライオンがヌーを襲う目的に善悪はありません。
有効というのも、善悪と同じで、その個人(あるいは同類項)によって有効なだけで、
万物に有効なものなどないわけであるから、やはり、
>>159に落ち着きそう。
例えば酸素。
これは動物が生きるために必要であり(生きるという目的と有効性)
動物が生きることの善悪を問うと、こりゃまた善悪判じがたいw
172 :
168:2005/11/20(日) 01:36:21
>>170 前半について
例えば試合に勝つという目的を設定しますよね
一般的には、試合ははっきり白黒が突くので勝てば善、負ければ悪です
さて、逆にこういう白黒がつかない種類の目的というものは考えられるでしょうか
(目的の達成度合いがこのようにはっきりと区別できないものはあるだろうけど
>>172 >勝てば善、負ければ悪です
それは違いますね。
この場合、勝つことは目的ですから、そのこと自体の善悪はありません。
174 :
168:2005/11/20(日) 01:44:22
>>173 それは、わかります
ですから一般的にはとつけました
いいたいこと「白黒がつかない種類の目的は考えられるか」です
目的はそれ自体に判断基準を必要とするのではないか、ということが言いたいんです
175 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 01:45:13
万人に通用する善を語ってるの?
違うのなら、誰にとっての善を言ってるの?
176 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 01:50:15
>>174 >ですから一般的にはとつけました
どういう理屈なのかさっぱりわからない。
>いいたいこと「白黒がつかない種類の目的は考えられるか」です
考えられるけれど、白黒がつかないだろうね。
>目的はそれ自体に判断基準を必要とするのではないか、ということが言いたいんです
ですから、そのような場合の具体例を挙げてみてください。
いまのところ、「目的がそれ自体に判断基準を必要とするような場合」というのは、
抽象的な概念として提示されているに過ぎません。
177 :
168:2005/11/20(日) 01:53:08
>>176 >考えられるけれど、白黒がつかないだろうね
考えられるなら、それが
「それ自体に判断基準を必要としない目的の例」です
そして、白黒がつかないのだから勿論
目的に対して有効かどうかで善悪を定義するという立場の場合
目的を決めたのに善悪が決められないという状況が発生します
178 :
168:2005/11/20(日) 01:54:52
目的を決めたが、それが有効か判断する方法が無いため、
善悪が決められないという状況が発生します
です、すみません
179 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 01:59:53
誰の目的だ?
180 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 02:02:17
なんだよ、それもわからずにくっちゃべってんのかよw
181 :
168:2005/11/20(日) 02:03:43
試合に勝つという目標には試合のルールという
勝負がついたかどうかという判定基準になるものがあります
10キロやせるという目標には体重という判断基準があります
こういう判断基準の無いものは普通目的といいませんよね
太陽がある
は判断基準を必要としないけど、これは目的とは言わない
そこで、それ自体に判断基準を必要としない目的の例があるでしょうか
という質問をしました
182 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 02:07:49
試合に勝つのは選手だが、試合してる者の目的を
語ってんのかw?
目的の「主体が」何かぐらいハッキリしろよw
183 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 02:15:43
主体なしに目的だけ存在するわけ無いだろw
主体の意味がわかんないのか?
人類とか、人間とか、わが国民とか、私とか、
動物とか、生き物とか、すべてのもの・・・とか、
なんか主体の設定がないと目的は成立しないだろw
184 :
168:2005/11/20(日) 02:17:31
目的に対して有効かどうかで善悪を決めるというだけなら
主体は何でもいいです
定義それ自体の方法について疑問をもったわけで
主体は定義に制限を加えるものですよね?
例えばそれを人に絞るとか
複数にするとかは、また別の話だと思います
185 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 02:20:20
>>184 つまり、ゾウリムシや石ッころや河童や幽霊、でっちあげ・・
なんであれその目的ということか?
186 :
168:2005/11/20(日) 02:24:07
目的に主体が必要ってのは、考えていませんでしたが、確かにそうですね
ただ、循環定義になっているのではないかというのが疑問なんです
有効であるかどうかで善を定義するなら
有効であるかについても定義が必要で
目的を定義するために良い悪いが必要なのなら
その定義のために良い悪いを使用する、ような感じを受け
なんか循環しているように感じたのですが
これが屁理屈かどうかもよくわからない・・
良い悪いと善悪をイコールと考えています
187 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 02:28:26
石ッころや河童の目的を誰がどうやって判断するんだ?
石ッころや河童がかw?
またその目的に有効かどうかの判定を誰がどうやって・・w
石や河童がやるのかよw?
188 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 05:06:56
石には意思が無いし、河童は実在しない。神も実在しない。
189 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 05:13:07
>>159 「誰か一人でも」では間違い。
そこも「全ての人が」とするのが正しい。
190 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 05:14:39
神は石を投げつける河童の悪い意思を善に導く。
>>186 良い展開になってますね。 ありがとうございます。
まず、目的の主体は、人類もしくは、ここに参加している人達。じゃないですか?
ここで、犬の善悪を議論している訳じゃないでしょうから。
そうなると、人間(主体)の目的が問題になります。
例えば、平和や繁栄、進化などでしょうか。
この目的を決めるまでは、何が善で何が悪かは、定義できません。
違いますか?
>>191 それは言ってみれば、全くの善・全くの悪を定義しようということですよね。
しかし人類の目的を決めようとするのは無理があると思います。
誰一人として例外の無い共通の目的というものがあるとは思えません。
ですがそれに最も近い目的があるというなら、
それは万人にとっての善に最も近いものと言えるかもしれませんが。
ただし、それは完全な善ではありませんし、同様に完全な悪も定義はできないでしょう。
193 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 05:51:10
>>192 人類が一人か二人位になれば定義できるかもよ?
>>192 そうですね。
そこに行き着くまで人類は、善悪を完全に定義はできないかもですね。
とりあえず、
現代社会の善悪は、社会の存続(目的)に照らし合わせて作られていると思います。
社会を存続させる為の殺人(死刑、戦争)は善。
社会の存続に危険を及ぼす殺人(テロ、自殺)は悪。みたいにね。
195 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 10:13:24
>>177 >考えられるなら、それが
だから、抽象概念として想定可能だけれど、それが実際に存在するかどうかはわからない、
という話をしているのですが。
>「それ自体に判断基準を必要としない目的の例」です
>>174 >目的はそれ自体に判断基準を必要とするのではないか、ということが言いたいんです
どっちの話がしたいんですか?
>そして、白黒がつかないのだから勿論
>目的に対して有効かどうかで善悪を定義するという立場の場合
>目的を決めたのに善悪が決められないという状況が発生します
そもそも、白黒がつかないということは、目標が明確に設定されていない、
ということになるなるんでは?
196 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 10:14:42
>>178 >目的を決めたが、それが有効か判断する方法が無いため、
>善悪が決められないという状況が発生します
人間の能力には限界がありますから、当然ですね。
197 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 10:34:06
善悪の構造さえ解っていれば、具体例なんてどうでもいい
千も万もある具体例なんて挙げ連ねられても、仕方がない
198 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 10:44:16
>>197 まあ、一方が論述を要求した場合に、もう一方がそれを拒否し始めると、
議論の空転の始まりなんですがね。
>善悪の構造さえ解っていれば、具体例なんてどうでもいい
天界や地獄の構造も「解って」いましたよ。
頭の中だけで、構造が解っていたとしても、それが現実世界を反映しているとは限りませんし、
反映していない、頭の中だけの存在なのだとしたら、知的遊戯以上には、
我々にとって役に立ちません。
>千も万もある具体例なんて挙げ連ねられても、仕方がない
いまのところ、連ねあげる必要は見出せません。
千も万もあるのなら、そのうち一つをあげるのは容易なはずですね。
199 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 11:05:23
>>197 試しに具体例を挙げてみて、それがどういったものかを解析すれば
現実に即した善悪の構造とやらも理解がしやすいはず
別に千も万もの例を検証する必要はない
目的を定めるには究極的には善悪が必要なのでは?
例えば
歩く→目的は?→公園にいく→目的は?→休憩→目的は?→健康の維持
→目的は?→健康を保つべきだから=健康は善
みたいな。
目的を定めるのは「欲求」でしょ。
何も難しいことないと思うが。
202 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 11:18:54
>>200 >健康を保つべきだから=健康は善
ここに論理の飛躍がある。
なぜ「健康は善」といえる?
健康を保つべきだから→目的は?→ ・・・
となるんじゃないの?
203 :
マスクマンの哲学:2005/11/20(日) 12:06:07
/ /_/ ゝ
ノ |__| ヽ
( | | ゝ
|((  ̄ヽ' ─`ヽノソ ̄`ソ-ゝ
|<二> <二> | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| __/ ̄ヽ_____ | < キミ等のようなゴミは
`ヽ └ /6ノ` | 相手にはしないこと・・・
\  ̄ ̄ /ノ( \___________
|\__/ |丿
『それこそが(具体的な) 善――』
>>203 ` ー-〃 / ⌒ヽ 、ノハ!ヽ .,_ ` ‐ 、 / l ',
ll`ーi'´ ! \ヽ 、_ `ヽ , `ヽ l l. ',
、 ll ヽノ`、_, -〒iてトー-=、-、ヘ r--クィ ! l/ ;
l,', ll l, 、 ヽニノ ! `ヽi.`'ィ=、=ヽ!-‐リ .,' ;
.l ', ll l. ` ー - ‐ i l:しlヽ l / ;
. ! l ll l 、- =-ー- ヽ`´ノ ! / ;
! l l! ! ー `ヽ レ' ;
. l l ll ', r_'' ‐/ ! ;
l l ,!l-_、ヽ __ ` l. ,'
/ l / ``‐ 、_ /-―‐ ̄7l / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-' / / ` ‐ .,_ / ̄ `ヽ、 l' < 世直しのことを知らないんだな
"ヽ 〃 /"7ー- 、 `` ー ..,,_,.ゝク'ー- \_______
- 、\ / / / l | ! ` ー 、./
‐`-ヽ.〃 ,' ,' ! | | ヽ
、 ヽ‐-! l、 l ! ,l l
205 :
マスクマンの哲学:2005/11/20(日) 12:17:14
/ /_/ ゝ
ノ |__| ヽ
( | | ゝ
|((  ̄ヽ' ─`ヽノソ ̄`ソ-ゝ
|<二> <二> | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| __/ ̄ヽ_____ | < その行為の目的を問うまでもなく
`ヽ └ /6ノ` |その行為は有効だと分かるだろう?
\  ̄ ̄ /ノ( \______________
|\__/ |丿
それこそが、 善 なのだ
つまり、私が何事かを発言している という行為に 只自己陶酔しているだけ
な連中の、議論ごっこの輪の中に入っても、それは 虚しいだけ なのだよ―――
206 :
マスクマンの哲学:2005/11/20(日) 12:20:57
/ /_/ ゝ
ノ |__| ヽ
( | | ゝ
|((  ̄ヽ' ─`ヽノソ ̄`ソ-ゝ
|<二> <二> | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| __/ ̄ヽ_____ | < とりあえず、訳の分からない
`ヽ └ /6ノ` |屁理屈で難癖をつけるというのは…
\  ̄ ̄ /ノ( \_______________
|\__/ |丿 こういう感じの言い方をすれば好いのか?
207 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 12:22:16
(・ω・` ≡ ´・ω・)
208 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 13:41:17
209 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 13:46:37
社会にとっての善悪は成立し得ない
善悪が成立するのは 個人、ひとり一人の中だけだ
個人にとっての善悪は成立し得ない
ダイエットしようとしているAさんがポテチを食うことは現在の目的(欲求)には
かなうだろうが、数時間後のAさんにとっては被害である。
善悪が成立するのは刹那においてだけだ
211 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 13:53:03
>>208 「健康を保つべき」というのは、「健康を目的とする」の言い換えに過ぎないんじゃないの?
213 :
209:2005/11/20(日) 14:03:35
>>210 刹那において個人にとっての善悪が成立するだと?
同意ありがとw
214 :
209:2005/11/20(日) 14:10:46
>>212 51人がそう言ってるから「49人は不幸に甘んじろ」…だと?
ざけんな !!
215 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 14:15:58
>>209-210 それで正しいんじゃない。
社会自体が何か考えるわけじゃないし、
考えるのはそこに属する個人個人の人間だもんな。
そんで何かを善と考えてる時はそれは善だし、
悪だと考えてる時はそれはその人にとって悪なんだよね。
216 :
168:2005/11/20(日) 14:26:23
昨日は途中から連続投稿で怒られますた
>>191 >目的の主体は、人類もしくは、ここに参加している人達。じゃないですか
主体を人間に絞るというのには賛成です
犬にとって良いことはあるだろうけど、
普通犬にとっての善とはいいませんしね
動植物に倫理学などの学問は無いし
善悪はそもそも思考、思想を前提にしているような気がします
それができるのは今のところ人間だけですし
目的に対して有効かどうかで善悪を決めるという定義だとして
168前半の主張が
それ自体に判断基準を必要としない目的の例が存在するならば
この定義では善悪を判定できない場合となって破綻しないだろうかという事
あるいは、定義によって善と悪と、そうでない場合の
3種類の判断を許すのか議論が必要ですよね
>>191 抽象概念として想定可能だけれど、それが実際に存在するかどうかはわからない
なるほど、確かに
自分にはわからないのでとりあえず問題提起です
反例が見つかれば一発で検証できるんですが・・
217 :
168:2005/11/20(日) 14:27:34
168後半は
そういう例は無かったとしても
186で説明(になってないかもしれないが)したような
循環定義になりはしないか
という主張です
>>195 >どっちの話がしたいんですか?
2つの主張が混ざっています
>そもそも、白黒がつかないということは、目標が明確に設定されていない、
ということになるなるんでは
これが前半の問題提起です
218 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 14:29:23
>>210 個々の目的についての善悪は存在するでしょ。
そして、その個人の善悪を決めるには、個々の目的に優先順位が必要だ。
ある個人の持つ目的は同時に達成不可能なものが存在しえるからね。
(そのダイエットの例のように)
だから、優先順位を決められない場合は、その人にとっては深刻な悩みが生じ
(「義理と人情の板ばさみ」のような)、行動不能に陥ることも多い。
219 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 14:37:17
>>209 社会の目的があれば別に成立すると思うけど。
220 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 14:46:29
>>217 >循環定義になりはしないか
循環しているのは、目的の善悪を考えようというあなたの論理です。
>2つの主張が混ざっています
整理してください、わけがわかりません。
少なくとも、対話の中では一貫させてください。
同じ話の途中で勝手に切り替えないでください。
>ということになるなるんでは
>これが前半の問題提起です
目的が設定されていないければ善悪は決まりませんね。
それがどうかしましたか?
221 :
168:2005/11/20(日) 14:48:23
>>210 ダイエットしたい
お菓子を食べたい
どちらともお菓子を食べる前にはわかっていることだから
刹那的に決まるというよりは目的別に評価した時点で善悪が違うという
ことではないでしょうか
複数の目的に対して総合的に善悪が決められないのは
複数の人間に対して総合的に善悪が決められないのと同じですよね
222 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:00:26
ダイエットとお菓子を食べたい、は成立するだろ
御飯をその分、減らせばいい
223 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:01:53
必ずしもではないが
自分を正当化し、他人を蹴落とす為のレッテルだな
224 :
168:2005/11/20(日) 15:07:03
>>220 一貫はしているつもりです
2つの主張は前半と後半で分けていて
216,217に整理したつもりですが、わかりにくいのならすみません
自分がやりたいことは
目的に対して有効かどうかで善悪を決めるという定義
の検証です
>>220 >循環しているのは、目的の善悪を考えようというあなたの論理です。
論理が循環しているとわかればそれはそれでよいんです
>>220 >目的が設定されていないければ善悪は決まりませんね。
>それがどうかしましたか
目的が設定されていれば善悪が決まるのなら
あなたはこの定義を既に採用してるのですか?
>>218 その優先順位を決める要素は何だろうか?
>>221 >複数の目的に対して総合的に善悪が決められないのは
例えば寝ずに働いて食費をかせぐのは「生きる」という目的にとって善なのか?
生きるために重要な「寝る」という目的と同じく重要な「食べる」という目的に対して総合的に決められないのだろうか?
226 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:12:30
>>224 >論理が循環しているとわかればそれはそれでよいんです
じゃあ、もういいんですね。
>目的が設定されていれば善悪が決まるのなら
>あなたはこの定義を既に採用してるのですか?
「この定義によると」ということですよ。
あなたは、「この定義」の検証をしているのではないんですか?
>>225 それは将来についての予想でしょ。総合的に予想した幸福の総量。
228 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:14:47
>>225 >その優先順位を決める要素は何だろうか?
この場合は、その個人の意思でしょうね。
>>228 では端的にいうと「善悪は意思で決まる」ということなのか?
230 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:21:18
>>229 もちろん、違いますよ。
あるものが、目的について有効かどうかは、
意思で決めることはできませんからね。
231 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:22:34
w
232 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:34:52
>>228-230 いや、「善悪は意志で決まる」で正しいと思うよ。
意志が無ければ、いくら有効でも善だとは認識できない。
233 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:39:44
>>232 当人の認識はあんまり関係ないと思いますが。
目的は意志で決まるかもしれんが、善悪が意志で決まるのは変だろう。
「善悪は意志に影響を受ける」ならわかるが。
235 :
168:2005/11/20(日) 15:42:25
>>226 循環に絞ります
自明でない命題AとBがあります
AならばBであるが証明でき
BならばAであるが証明できたとします
これでA、Bを真だというのは論理の循環というのが自分の理解です
これらのA,Bを含む世界ではA,Bは必ずしも真とは言えず
既に真な命題Cを使ってAまたはBが真であることを示さなければ
真とはいえないですよね
目的に対して有効かどうかで善悪を決めるという定義では
「目的」と、「有効」を使用していて
「目的」と、「有効」は真なものとして受け入れるのに
妥当なのでしょうか
「有効」だということがらは自明でしょうか
自明なら、それで、良いです
あと、上のA,Bしか命題が無い世界ではA,Bが真だとしても
全く問題ないんですよね
236 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:46:06
悪を意図して実行するから善行になる。
237 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:49:45
見返りを期待せずに多少の犠牲を払って他人を助けることが善だよ
238 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:54:18
>>235 目的は特に必要ないんじゃないの?
人が有益だと感じる事は善。だけで十分な気がするけど。
239 :
225:2005/11/20(日) 15:57:14
目的はどこから来る?別の目的のためではないか?
車のブレーキを踏む→スピードを守るため→安全のため→自分の身のため,秩序のため→・・・
上のような連鎖はどこまで続くのか?
240 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:58:46
>>235 >AならばBであるが証明でき
>BならばAであるが証明できたとします
Aが真ならばBが真であり、
Bが真ならば、Aが真であるということですね。
>これでA、Bを真だというのは論理の循環というのが自分の理解です
どちらも証明しない段階でですか?
循環以前の問題だと思いますが・・・・。
>目的に対して有効かどうかで善悪を決めるという定義では
「決める」ではなく「決まる」ですよ。
その段階(目的を決めたあとの有効性自体の決定)には人間は能動的に関与できません。
>「目的」と、「有効」を使用していて
>「目的」と、「有効」は真なものとして受け入れるのに
>妥当なのでしょうか
あなたの言っているのはこういうことです。
「犬が西を向いたら尻尾は東を向いている」では、
「犬が西を向く」を使用していて、「犬が西を向く」は真なものとして受け入れるのに
妥当なのでしょうか
「Aならば、Bである。」という命題で、問われている問題は、「Bであるかどうか」です。
「Aならば」は前提であって、その真偽を問題にし始めたら、命題を立てるということができなくなります。
241 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 15:59:47
242 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 16:00:36
>>239 ブレーキを踏んだ時にその人の考えが及んでいたところまで
243 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 16:02:40
社会の存続が最終目的だね
社会の存続を犠牲にしてまで達成しなければならないことはない
244 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 16:08:03
>>237 見返りを期待するのは自然なこと
非難にはあたらない
人の行動にはすべて動機がある
自己のために…それが一番大きい
それを否定したら人間を否定することになる
人を助ける事で自己の満足(内容はイロイロ)が
得られるから、「助けてくれ」と頼まれなくとも
自発的に助ける行動に出るのよ
245 :
168:2005/11/20(日) 16:24:45
>>240 >命題を立てるということができなくなります
確かに、そのとおりですね・・
一般に論理の循環というのはどういうのを指すんでしょうか?
善ならば良い
良いならば善だ
こういうのは論理の循環に入りますか?
246 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 16:27:41
>>244 見返りというのは他人からの利益のことで
自分の中の満足感は見返りには含まれないと思ってくれ
247 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 16:30:15
>>245 論理の循環というか、トートロジーでは?
>>245 あなたの疑問は、善悪や循環を語る以前に優先順位の問題だと思います。
歴史の中には様々な、具体例がありますよ。
善悪(有効の有無)が、目的を定める場合もあるし、
目的が善悪を定める場合もあります。
俺が言っているのは、根本的な事です。
初めに善悪があったのではなく、最初は目的だと思います。
その最初の目的(根本的な目的)に照らして、有効か?有効ではないか?
が、善悪になり、それ以降は、その善悪が目的を作った。と思います。
生活の中の細かな目的や善悪は、根本的な目的に根ざしている。
と、考えられませんか?
249 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 16:36:59
>善悪(有効の有無)が、目的を定める場合もあるし、
目的なしで、有効かどうがどうやって決まるの?
>>249 ですから、俺は「最初は目的」と訴えています。
251 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 16:43:32
>>250 (より上位の目的についての)善悪(有効の有無)が、(副次的な)目的を定める場合もあるし、
ということですか?
例えれば「道」と「場所」の関係ってことかな?
暮らしやすい場所を探して、そこに行くための道を作ったが、
道のおかげで続く場所が暮らしやすくなる、と。
>>248 大筋合意。俺としては最初は善悪だと思うがね。
もっとも、現在あるような善悪が最初からあったという意味じゃなく、
人間の自然なふるまいに応じて目的が規定されていった、という意味で。
ハナっから目的を考えて行動できるほど人間は頭良くないよ。
まータマゴニワトリ論を続けても意味はないよな。
↑に書いたのはあくまで論理じゃなく感想だから。
256 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 17:01:45
>ハナっから目的を考えて行動できるほど人間は頭良くないよ。
でもまあ、そのことは善悪とはあんまり関係ない。
>>250 最初は欲求があって、その欲求を満たすことを目的にするんじゃないのかな。
その目的にとって有効なことは善。
循環はしないと思うよ。
>>257 はい。 ある意味、欲求だと思います。
目的自体が「こうなりたい」という欲求ですからね。
初めの人類の欲求(目的)は、生存。でしょうね。
そこから、繁栄になって、コミュニティの存続、平和、みたいな感じで、
推移したと思います。
>>257 単に、
「善悪は目的を元に構成される」
「目的は善悪を元に構成される」
この二つが同時に成立する、というだけの話。
循環を用いた詭弁じゃなく、実質的に循環してる。
「循環じゃない」と言うにはどちらかを否定する必要がある。
「循環だから間違い」というのは陥りやすい間違いだな。
>>256 そだね。そもそもこの議論自体が、善悪自体に
あまり関わらないし。まぁ多少の脱線は2chの華さ。
260 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 17:43:41
>>259 なんで、「を元に構成される」と言い換える必要があるのかよくわからないが、
「によって決まる」という意味だという前提で話すと、
>「善悪は目的を元に構成される」
>「目的は善悪を元に構成される」
なんか、「クレタ島のうそつき」と同じ問題に陥ってるような気がする。
>「目的は善悪を元に構成される」
これは、
>>251 ということなわけだから、ここ(二行目)における、
(文冒頭の)「目的」(副次的な目的)と、
(文後半の)「善悪」の「目的」(より上位の目的)は、
内容が違うんだから、循環にはならないよ。
>そだね。そもそもこの議論自体が、善悪自体に
ここでの「この議論」ってのは、どの議論のこと?
>>259 やややや、そこは循環していいよ。
そうじゃなくて一番最初の欲求(一次的動因)は、
善悪があって構成されるんじゃなくて、それとは関係なく発生してくるんじゃないかなーと。
262 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 18:22:19
263 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 18:40:28
ホント馬鹿だな、おまいらw
264 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 20:41:25
この世に善悪なんてないなんてわかったような口を聞く人間を信用するな。
この世に善悪があるのかないのか?
もし善悪があったとして、なにが本当の善でなにが本当の悪なのかがわかるのは死んでからだからな。
265 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 20:42:47
死んだらかえってわからんとは思うのだがなぁw
>>260 「によって決まる」という言い方をしなかったのは、
目的が100パーセント善悪に反映されるわけじゃないから。(逆も然り)
目的は善悪を含まないし、善悪は目的を含まない。互いに決定的な影響を
与えあうだけ。
ニワトリAが生んだ卵が成長したニワトリBがいるとする。
ニワトリAとニワトリBは別のものだが、それは「タマゴが先かニワトリが先か」の
問題から循環性を取り去るものじゃない。「タマゴ」概念と「ニワトリ」概念を包括的に
考えてるわけだからね。
>>261 「善悪」というのは「倫理性」と関係があるとは限らない。だから、
何がOKで何がNGか、それがなきゃ方向性の定まった「目的」とは
言えないだろ、ってこと。どっちに注目したいかと言えば善悪判断を
根源的なものとして注目する、という論理以前の話だよ。
おまいがそう思いたいならそう思うがいい。
267 :
168:2005/11/20(日) 21:22:50
>>247 トートロジーについて調べてみました
まったく同じ言葉を、まったく同じ意味でくり返すレトリック
それでいて、なおかつ意味をなす表現法
ex.良い物は良い、好きだから好き
例のあげ方が下手だったおかげで勉強になりました
>>248 最初は目的(欲求)→善悪の概念ができる→善悪が目的を作った
というのは面白いですね
善悪の主体を人間とするならば
欲求などの人間に備わった感覚から考えるのはどうでしょう
性善説を説明する例でよく出てくる
幼児が井戸に落ちそうな時、助けるよね
というやつは、自分が井戸に落ちたときに「痛い」から、ですよね
極端な話、痛いは悪、と定義できませんか
痛いのが好きという人もいるかもしれませんがw
この定義だと
とりあえず何故人を殺してはいけないかというのは説明できますよね
>>267 人を殺してはいけない。も、状況により善にも悪にもなります。
問題は、その状況(何を目的としているか)なんです。
何度も言いますが、目的を曖昧にした善悪は、善悪自体が曖昧になります。
目的が確立されて初めて、善悪を議論できると思います。
269 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 22:49:00
「善悪」が何かもわからず、「目的」が何であるかも書けずに
善悪と目的の「関係」に触れるとは・・
だまって病院で診てもらって来いw
270 :
:2005/11/20(日) 22:52:33
病院とは体内の悪を退治するところである。
271 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 22:58:03
>>270 悪の病院が 悪のの患者の善な体内に巣食う
悪を 悪の医者の善なるメスで治療に取組む。
さて、結果は善だろうか、悪だろうか?
272 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 23:01:01
273 :
168:2005/11/20(日) 23:17:56
>>268 >人を殺してはいけない。も、状況により善にも悪にもなります
目的で善悪が決まるならそうなる場合もありそうですね
でも議論はここでとまってるので・・
それでは、この定義を採用した場合
道徳はどういう意味あいを持つものになるでしょうか
道徳
ある社会で、人々がそれによって善悪・正邪を判断し、
正しく行為するための規範の総体
法律と違い外的強制力としてではなく
個々人の内面的原理として働くものをいい
また宗教と異なって超越者との関係ではなく
人間相互の関係を規定するもの。
大辞林より
274 :
168:2005/11/20(日) 23:21:58
ある社会=今の日本の状況ですよね
法律は目的ではないがルールを決めている
道徳は、強制力の無い法律といえるでしょうか
そもそも、ルールを目的とみなすことには無理がありますかね
ここまで考えてみて、法律のような制限も善悪を決めますよね?
そもそも目的というのは能動的な働きだと思うんだけど
そうではなくて、〜してはいけない、というのも善悪を決めると思うんですが
どうでしょう
>>273 日本で例を出せば、
江戸時代の道徳と明治時代、大戦前、現代で道徳は変化していますね。
道徳や倫理は時代により変化してきました。
その変化は善悪にも影響を与えていると思います。
276 :
168:2005/11/20(日) 23:42:40
うーん、もしかして自分の価値判断による善悪というものは割と簡単に定義できる
しかし、善悪を集団に適用するとおかしくなるのではないでしょうか
これが正しいとすると、独善というのはすごい矛盾した言葉に見える
>>276 ここでの議論はまず、
>>1の、
善とは何か?悪とは何か? をテーマにしなければいけませんね。
殺人=これは時と場合(状況=目的)により、善のも悪にもなりますね。
食人=これも個人的判断と社会的判断で答えは変化します。
個人的目的は生存だとしたら、食わなければ生存できない状況が生まれれば、
食する事が善になります。
社会的判断としたら、いかなる状況でも悪と判断するでしょうね、日本の場合。
近親相姦=中世のキリスト教では、悪ではありませんでしたね。
純粋な血統を守る。という信念が蔓延ってる時代では善ですらありました。
278 :
168:2005/11/21(月) 00:46:49
>>277 >ここでの議論はまず、
>>1の
>善とは何か?悪とは何か? をテーマにしなければいけませんね
前の発言はスレ違いですか?
1が問題にしていることは何なのでしょう
個々の禁忌に対する善悪の是非
禁忌が簡単に破られてしまう強制力のなさ
禁忌でああるはずなのに状況によって良しとされる行為になる矛盾、不条理さ
善悪自体が存在するか
善と悪自体はそもそも何であるか
とりあえず思いついたのはこのぐらいですが、違反はしてないと思うのですが
>>124 伸びすぎ。
>>125 なるほど。
気が向いたらプラトンのスレに
イデア論についてカキコお願いしまつ。
280 :
boo:2005/11/21(月) 00:49:29
お題は
@「〜人類は、時として簡単にそれを破ってきた そこに善悪があるだ
ろうか?」→人に守るべきモラルなどあるのだろうか。
A「そもそも善とは悪とは何であろうか?」→善悪とは何ぞや。
の2点と解釈しました。
私は@はあると思います。Aは既述しました。
>>94 既述に重複する点もありますが、何故@を「ある」と考えるか述べます。
・一般論及び起源的に考え、人は他者を殺さず、人以外の動物・植物等を
捕食していたと考えます。(L.ストロース援用など無用です)
・カントは定言命法によって道徳律を説明した。
・仏教(B.C.5)の十戒とモーゼの十戒(B.C.13)には少なくとも不殺生
・不偸盗(フチュウトウ)・不邪淫・不妄語ので重なる点がある。
上記3論は「人としてやってはいけないこと(≒悪いこと)ってあるんじゃ
ないの」と言う私の日常感覚にそぐいます。
私は何の宗教にも属しませんし、カントに心酔するものではない。そこで
人としてやってはならないこと≒悪は一般論としてありそうな気がする、と
結論しました。
(「それでも悪を繰り返す人間とは」は次に生じる問題性として私は捉え
ます。)
281 :
boo:2005/11/21(月) 00:53:45
>>280 訂正
「〜不妄語ので」→「〜不妄語で」
失礼
>>278 いえ。
スレ違いではないと思いますよ。
伝えたかったのは、
>>1から脱線しそうと感じたので、
原点に帰りますか。って事でした。
個人的善悪、集団的善悪など、話が飛躍する要素がたくさんありますからね。
283 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 01:05:59
>>280 一つだけいいこと書いたな
悪意←ほめてやる
あとは なってないがw
284 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 01:16:20
悪と悪意、善と善意、ちがいわかるか?
このスレの終着点だが。
285 :
168:2005/11/21(月) 01:20:08
>>280 神の影についてはわかりませんが
定言命法で道徳律を記述するというのは、仮定を言わないことによって
仮定に当てはまらない人の反論を防ぐ
→道徳を守らせるための措置、という理解でいいでしょうか?
哲学は初心者なのでわからない部分も多いですが
善についてはなんとなく理解しました
悪については、どういう風に考えてますか?
>>282 そこは、飛躍になりますかorz
善悪が矛盾してしまうのは集団の善悪?に原因があるのではないでしょうか
特に矛盾しない集団の善悪は決められない気がしますが
とりあえず道徳は個人の善悪に関するものですよね
286 :
ねふぇる:2005/11/21(月) 01:25:41
悪か善かは見る人によって変わる物
たとえば戦争で人を殺して英雄になった人がいてもある人が見れば
それは悪だろうし、ある人が見れば善にも見える。
よって、善悪とは何か、それは人によって変わる価値観。
絶対的な物では無いのでそれ以上は言えない。
287 :
168:2005/11/21(月) 01:34:04
288 :
ねふぇる:2005/11/21(月) 01:47:44
>>284 悪=小さい頃からの経験で「これは、やってはいけない、と言われてる事なんだな〜」と思う行為。自分が行為の対象に
含まれる場合は自己の不利益になること。(満足感、自己犠牲感、奉仕感などの感覚は利益で。)
悪意=悪を行おうとする意志
じゃないかなぁ?間違ってたらバシバシ指摘してください〜
289 :
boo:2005/11/21(月) 03:03:55
>>285 カントを詳しく知りたいということでなければ定言命法についてはそのよ
うな理解で良いのではないでしょうか。一つ加えますと、定言命法に従って
行動した時、意思は自己決定の自由を獲得し自律する、と言うことがカント
にとっては重要であったようです。(うろ覚えでゴメンナサイ)
悪については簡明に
>>75で述べました。
おやすみなさい。
290 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 15:04:45
アルセイド
291 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 16:26:13
善悪を厳しく分けようとする傾向は、遊牧民族とか厳しい環境にある民族に多いな。
白か黒かをはっきりと分けねば、生きられない世界の考え方なんだろう
日本人のような農耕民族にはそのような傾向は比較的に低い
中国人はどうですか?
この議論の実益は何なのだ。
「善悪」の意味が明確になったとして、
「なぜ善を行わなければならないのか、悪を行ってはならないのか」
と聞かれたら、何と答えるのか。
この問いは実践的なものだと思うので、「善悪」の定義自体を
ああだこうだと論じてみても、それ自体あまり意味がないと思う。
294 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 16:36:23
>>293 議論は議論することに意味がある。
そうとしか言いようが無い
哲学の議論とはそもそも結論を求めることが出来るものではなかろう。
295 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 16:41:16
>>292 中国の思想も、それほど善悪に厳しいようには感じないな
中国の陰陽説では、キリスト教の光と闇のように絶対に相反するものではなく
それぞれが二つで一つという考えだ。陽があれば陰があり、陰があるから陽もあるって具合にね
間違っても陽が陰を消し去るというものではなく、むしろ陽が強すぎれば問題であり
陰陽のバランスの取れた中庸こそもっとも好ましいことだと説いている
いま易経を勉強しているとこだけど、それも思想的にはそんなとこだな
>>294 他の議論なら、その通りだと思うが、「善悪」の場合、
「純粋に知的な興味に基づく議論で、議論自体に意味がある。」
というのは、明らかに本末転倒な気がする。
あやふやな「善悪」の意味をはっきりさせたい、という願望は、通常は
「人が何を行うべきで何を行うべきでないのか、知りたい」
という願望だと思うので、いくら純粋論理的に「善悪」の
定義を明確化しても、実践上の意味がないのでは、ほとんど
何も言っていないのと同じではなかろうか。
実践上の意味を見出すには議論が必要なわけで。
298 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 16:51:34
>>296 法律を作るとか裁判ならともかくとして、そうでない以上は結論を求める必要もなかろう。
まあ。度が過ぎた主張ならともかくとして、普通に考えれば善悪ってのはだいたいの結論は出ている。
そして個別の善悪を問うのではなく、善悪そのものを問うのがこのスレの議論なんだから
ヒトラーの処刑
酷い目に遭ったポーランド人
「我々の正義が勝った!我々にとって処刑は善である。」
やや傍観の姿勢の訳知りのアメリカ人
「ああ、例の人の処刑ね。うむ、正義の光明の瞬間であり、処刑は善であろうね。」
別天地のパプアニューギニア人
「人を殺すのか。その者は大量虐殺をしたのか、ならば処刑は善であろう。」
処刑反対論者
「いかなる理由でも、人が人を裁くのは悪である。」
宇宙人
「下等な生物が殺しあっているね。なんという悪だろう。」
どう考えても、全てにおいての善、全てにおいての悪は存在しないような気がする。
善は悪になり得、逆も然り。
300 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 18:45:18
なんの落ち度もない人間が
キチガイの妄想の中で憎むべき敵にしたてあげられることは
よくおこる。
まっとうに生きていてもぜんぜん安心できない。
ブッシュのような真性のやくざ者の方が
多少まともなところのある大統領より
暗殺の対象となりにくいことも知っておくべきだ。
歴史上、異常者の手にかかって殺された政治家は
たいていまともな部分の多い政治家であった。
キチガイが襲う相手は正常な人間であり、
できそこない、やくざ、キチガイなどは妄想の中では
ぜんぜん敵になりえない。怖いから逃げているぐらいだ。
キチガイは自分が安心できる相手をえらんでおそいかかる。
女・こどもが大半。あとは、恩師、家族なども狙われやすい。
彼らにとってなんの害もない人間に危害を加えるのが特徴だ。
だからキチガイなんだが。
>>299 >どう考えても、全てにおいての善、全てにおいての悪は存在しないような気がする。
無抵抗、というか「選択肢無しという立場」は誰からでも非難できない。
どうしようもないんだからどうしようもないでしょう。
善悪なんてないよ。
302 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 21:32:01
>>301 善悪はあると言うことは悪ですか?
悪でないならなぜ放置できないのですか?
303 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 21:42:25
>>299 >酷い目に遭ったポーランド人
>「我々の正義が勝った!我々にとって処刑は善である。」
もうこの段階で、なんか変。
処刑するとポーランド人は何か得をするのか?
>>302 選択肢があるということは「良い」「悪い」選択があるということです。
皆「良い」選択をしたいから放置できない。善悪じゃないよ。
選択肢がないならそのまま(のスタンス)で良いというだけのことです。
305 :
168:2005/11/21(月) 23:42:22
>>289 すみません、見落としていました
勉強になります
>>293 自分の場合は、自分なりに納得の行く定義付けがほしいからです
悪いことをしようとして良い結果になった場合
行為の結果を見ればそれは善ですよね
しかしこの場合は悪のような気がします
善も偽善も第三者にとって結果は善という言葉をたまに見かるし
この言葉自体は嫌いじゃないのですが
(偽善という言葉が偽善でない善の実行を阻害している場合がありそうなので
こうして考えると、この言葉をそのままには受け取れなくなる・・
306 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 23:43:36
「セカイガ 100ニンノ アホ ダッタラ」ノ スレハ ココデスカ?
307 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 01:30:51
自然哲学、森羅万象・自然界の様々な動きから人間の存在意義を見出そうとする考えと解釈していいかな?
易や陰陽五行は、太陽や月の動きや昼と夜から人間の生き方や国のあり方を説く考えだ。
いま易経を勉強しているが、発想はともかく考え方はなかなか面白いよ
308 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 03:25:21
面白い考え方を得たというわりに 面白くない。
309 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 03:43:54
>>308 まだ、勉強の途中であり、説明できるほどの知識はないものでね
310 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 04:00:16
すべてがpenpackなのだよ
311 :
神 = 宇宙 の 哲学:2005/11/22(火) 07:11:18
最後に (神=宇宙の定めた、最後の審判 の最終審査日?? 以降、
尚も)生き残っている者は、善の精神 を有し、善的行為 を行い得た者。
そうでは無い者は 悪の精神を有し、悪の行為 を行って来た者―――
312 :
神 = 宇宙 の 哲学:2005/11/22(火) 08:08:27
要するに、何が善で何が悪なのかを定めるのは 神=宇宙にのみ
許された行為というのか、神=宇宙 の定めたルールによってのみ、
善と悪は規定され、ある一人の人物の存在自体、あるいはその行為
の是が非は分かたれる、つまり判定・認知されうるのが、基 本 。
そのことを、人間様が論じる自由はあっても、直接善悪の基準の
制定? に絡む権利は一切無い。 ということになるだろうか――
仮にも学術的に何かを論じる際には、使用される用語は厳密に定義され、
正当性/客観性の立場から吟味されなければならないのは当然の話。
これは学問に限らずメディアで何かを述べる人間は身に付けておくべきデリカシーなわけで
「そういう些末なことをつついてくるばかりで」云々という「逃げ」は通用しない。
それとも人文系の人間にはそういう配慮が欠けているのが普通なのだろうか?
314 :
じゃんけん:2005/11/22(火) 09:21:34
つまりこの世はじゃんけんぽん……三すくみの定理で成り立っておってのぅ
“グー”は、“チョキ”に対して優勢じゃが“パー”に対しては劣勢になり
“チョキ”は“パー”に対して優勢じゃが、“グー”に対しては劣勢になる
つまりそれは、お前さんの言うことに、どうしても従わない者、理解しよう
という態度を取ることすら、断固として拒絶する者がどうしても現れてくる。
じゃが、それは何も相手がお前さんよりも、必ずしも低能で劣る訳では無く、
あくまでもそういう 奴 = 設定 = デフォルト であるだけじゃけん
そ ん な に 熱 く な り な さ ん な ー
315 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 10:34:57
>>313 その「正当性」というのは、何のことですか?
316 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 10:58:00
最近、どっちも被害者だ
あるいは誰の罪でもない、罪があるとしたらみんなだ
何て言葉は一種の欺瞞のように感じるようになってきた。
いかにも受難者的な言葉ではあるが、結局のところ、善悪の結論を出すことから逃げているに過ぎない
317 :
それに該当する具体例をひとつあげよ!:2005/11/22(火) 18:18:11
318 :
そもそも、善悪の結論を出すとは・・・:2005/11/22(火) 18:23:21
一体、どういうことを意味するのであろう―――
あるもの、者(?)を、善と結論づけたとして
それで、その後何がどうなるというのか?
あるいは、ある行為・行動・人間を悪であると結論を
出したところで、次に 何がどうなると言うのだろう
319 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 18:25:54
しかし非か否かの結論はつけねばけじめはつかない。
社会とは非を行った者にペナルティを与えることで秩序が維持されるのだからな
安着にみんなが悪いのだとか言い出すのは耳に優しいかも知れないけど。
どうにも受け入れがたい
320 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/11/22(火) 18:27:00
実質的な価値を喪失した権威的なもの、非合理的な制度一般(アンシャンレジーム)を悪とし、
それを合理的なものに正そうとする営為一般を善とすれば、大方はこの枠内で善悪を説明できると思います。
321 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 18:31:58
それならば、何ひとつ悪い所が無いか、
悪いことをしたことが無い人間が、一体
この現実世界には何人いると思うのか?
何処かひとつ、何かひとつでも悪い部分
のある者は全員抹殺すべきだと
>>319 は主張するというのだろうか――?
322 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 18:39:47
人に立場の違いがあるかぎり、
一つの行為が一方に善であり、
他方に悪であることは避けられない
善悪論争は不毛、さっさと寝ろ
323 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 18:54:44
>>321 一度でも悪を為したことがないと言えるものだけが他者を裁くことが出来る
それは確かにそうかも知れないが。
人は神ではない以上はそんな存在は一人としていない。
人が悪を為さないのは、悪を為すことへの社会的及び心理的なヘペナリティが存在するからであって。
そのために現実世界には法律を、精神世界には地獄と天国という存在を必要とした
死後に地獄に落ちたくないから善行を積むように人に努力を促す。
あるいは悪事が行われたならペナリティを科せられる。
その恐怖が人を善行に導き、悪行を押し留めるのだ。
そうした現実も無視は出来ない
324 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 18:58:03
人には原罪があるから死というペナルティーが課されているのだ。
325 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 19:48:52
人以外の生命体も死ぬぜー
>>318 恐らく、「善」と結論づけることによってその行為・行動・人間を
鼓舞・奨励し、「悪」と結論づけることによってその行為・行動・人間を
意気消沈させ牽制する効果がある。
最終的には善を増やし悪を減らすことが目的の政治的行為という他あるまい。
327 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 21:02:44
>>318 結論付けという行為自体では、直接には何もどうにもならんだろう。
結論づけたからといって善になるわかけじゃないしね。
>>328 「無根拠説」って何?
>>326は、「何が善で何が悪かを決めるのは政治的行為で、もたらすものは
政治的効果だ」と言っただけ。
政治的行為の目的は「幸福」だから、善悪の意味を決める根拠は何か、
と聞かれれば、功利主義的に答えるしかない。
今作っただけの名前だから気にしないでくれ。(意味はそのまま「必然的な根拠は無い」ということ)
それでだ、その説は
功利主義的に答えるしかない→何が善で何が悪かを決めるのは政治的行為
なのか
何が善で何が悪かを決めるのは政治的行為→功利主義的に答えるしかない
なのか
が気になるな。
331 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 22:06:20
だから、
善と人間が決めたからって善になるわけじゃないし、
悪と人間が決めたからって悪になるわけじゃないだろ。
政治的行為と決まってるわけじゃない。
333 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 22:21:25
完全なる善、完全なる悪は、現在ヒトには計り知れない。
しかし、ヒトが善と感じる事象、悪と感じる事象ならば在るといえる。
334 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 22:28:34
この世には何が善で何が悪かの見分けが付かない。人間がバカだから。
人殺しは悪だが、ヒトラーに両親を殺された人間からすれば、ヒトラーを殺すのは
「善」となる。
近くに駅が出来れば通学に便利で善だが、福知山線事故の様にそのせいで命を
落としてしまった人からすれば悪
この世には何が善で何が悪という断定的なものはない。
335 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 22:29:34
なんで人殺しは悪なの?
336 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 22:30:34
最高善を断定することにより悪のない神の国を創る。
337 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 22:33:55
>>335 悪だと感じる人が悪であるとするから。
本当に悪であるかどうかは判らない。
338 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 22:44:04
>>337 それで、「殺人を悪だと感じる人が悪であるとする」場合、
「人殺しは悪」といえるの?いえないの?
339 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 22:56:03
>>338 文字通り「言うだけ」なら言える。そう感じる人であれば。
しかし普遍の真理として「殺人が悪」であるかは解り得ない。
340 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 23:00:10
>>339 では、
>>334 の、
>人殺しは悪だが、ヒトラーに両親を殺された人間からすれば、ヒトラーを殺すのは
の部分は前提が間違ってるね。
342 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 23:03:38
安易に性善説を信じるとか言い出す連中ほど信用できない人間はいない
だから性悪説を信じるべきだとは言わないが。
少なくとも人の汚さ、どのようなことをやっても権威の前には正当化してしまう狡さ
そういうのを理解してないで、性善説を信じるとか言い出す人間が多すぎる
343 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 23:05:58
人は見たとおり 聞いたとおり
それ以上でも 以下でもない
344 :
考える名無しさん:2005/11/23(水) 01:05:52
善悪とは、単に方向じゃない?
2元的というより、善悪(±)直線上があり(絶対的なもの)
各々のポイントからみれば、善悪も相対的に変化するというような。
たとえば、小が悪、大が善とすると、
-3からみると1は善だが、7からみると1は悪。
だから、1自体は善でも悪でもどちらにもなりえるが、どちらでもない。
345 :
ねふぇる:2005/11/23(水) 01:21:16
>>344 しかし、それで行くと
「AよりはBのほうが悪い」
という絶対的?な順序が成り立ってしまうので間違いじゃないかな?
346 :
考える名無しさん:2005/11/23(水) 01:23:18
全ては主観
347 :
考える名無しさん:2005/11/23(水) 02:05:28
>>345 間違いであるかどうかは不明。
絶対的な順序があるのかもしれないし、ないかもしれない。
今のところ人類にはそれを知り得る術は無い。
人々は「真善美」を求めます。
真善美への希求と、「より良いもの」を求めるのとどう違うのでしょうか。
動物も「より良いもの」を求めます。犬に腐ったご飯と美味しい焼き肉を
選ばせると、美味しい方を選びます。
人間も動物も「より良いもの」を求めるのは同じです。
でも人間は求めすぎて人間関係や環境などを破壊してしまい、より良い物を
求めているのに、結果的に自滅してしまう事があります。
そのような危険を持つ運命だということを人間は自覚しているので、
自滅への不安や恐怖から「このままで大丈夫なんだろうか?」という不安を
常に感じています。より良いものを求める欲望のアクセルに対して、
ブレーキをかけようという不安感。この不安から真善美を求める心が
生まれたと思います。それが宗教や哲学になっていったのでしょう。
そして真善美への愛などという理屈が生まれた。
人間はやり過ぎのお調子者の馬鹿なので、自滅回避策として
真善美を考えるようになったので、真善美を考えるから動物より
偉いとは言えないのではないでしょうか。
私はそう思います。この考えってどうでしょうか?
/ /_/ ゝ 「全てが一様に善であることも
ノ |__| ヽ 全てが一様に悪であることも
( | | ゝ ありえない以上全ての善と悪には
|((  ̄ヽ' ─`ヽノソ ̄`ソ-ゝ 程度の違い、つまりは階層/落差が
|<二> <二> | そこには内包されている筈なのだ。
| __/ ̄ヽ_____ | しかし、どのレベルから 《巨悪》
`ヽ └ /6ノ` だと定義して、どのレベルから
\  ̄ ̄ /ノ( 《最高善》であると規定する
|\__/ |丿 べきなのかは、数人の話し合いで
決定されるべき事柄ではない―――
どうしてもお話合いでそれを決めるというのならば、百項目か、千項目だかは
知らないが、およそ想定出来る善と悪の具体例を列挙した表を配布して、全国民
に目を通して貰い、国民投票というのか国勢調査並みの作業をして、例えば――
これは善だ! と思う上位ベスト20位までの項目をそれぞれ投票してもらって
投票数の一番多かった項目を《最高善》だと規定する方法を取るしかないのでは?
/ /_/ ゝ 「但し、強大な軍事力を有する
ノ |__| ヽ 軍隊を動かせる権限を持つ
( | | ゝ 独裁者が居て、彼が 善と悪の
|((  ̄ヽ' ─`ヽノソ ̄`ソ-ゝ 判断 を 独自 に行って――
|<二> <二> | 『私が、悪と断定した者は、
| __/ ̄ヽ_____ | 容赦無く、成敗・制圧をする!!』
`ヽ └ /6ノ` として、彼の軍隊に出動命令を下す
\  ̄ ̄ /ノ( 事態が起きたなら、言葉による動議的責任?
|\__/ |丿 を幾ら彼に主張しても、全くのナンセンスで
物理的に彼の軍隊より強力な軍事力をぶつけて
阻止する以外に、それを止めさせる手段は無い。
/ /_/ ゝ
ノ |__| ヽ
( | | ゝ
|((  ̄ヽ' ─`ヽノソ ̄`ソ-ゝ
|<二> <二> | 。о〇(おっと変換ミスだ。動議⇒道義)
| __/ ̄ヽ_____ |
`ヽ └ /6ノ`
\  ̄ ̄ /ノ(
|\__/ |丿
352 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 00:25:32
性善説を信じるなんて簡単に言う人ほど、人間の暗部からは意図的に目を背ける
353 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 00:27:56
簡単に言っているのか、
さまざまな苦労の末に血を吐く思いで言っているのかは、
はたから見ただけではわからんがな。
354 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 01:03:48
>>353 人に裏切られ騙されながら、性善説を唱える人と
そうでない人は気配でわかる
苦労知らずの354には、まだそんな感受性は育ってないよ。
一回地獄を見てからそういうセリフを吐きな。
354は、他人に対する甘えが大きいから人間不信になっているだけだ。
自分が弱いから他人も信じられない。そういう未熟な精神状態で
性善説・性悪説など議論しても意味ないよ。
357 :
考える名無しさん:2005/11/24(木) 18:55:39
>>355 相手の個人攻撃で締めくくってもらってもね
真の善悪は人間には判らない。
善、悪と人間が感じるだけ。
宗教上の神は人間の想像の産物であり、
神が説くとされる善悪も人間が考えた善悪に過ぎない。
人間の考える善きこと悪しきこと。
絶対的なものでなくとも良いのなら、
それについて考えることはできよう。
359 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 00:31:56
社会生活を営む上で、より多くの人々に貢献をもたらすことが善である。
しかし原爆を落として三十万虐殺したトルーマンが、いまだにアメリカでは英雄のように
立場によって善とは変わってくるものだ。
360 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 12:08:56
善は変わらんでしょ。
立場によって目的が違うだけ。
361 :
micchan:2005/11/26(土) 12:54:26
立場によって変わるんだったら、話あっても無駄なだけでしょう?
何らかの、本質があると、うすうす感じているから、善悪に
付いて対話してんじゃないの?人間は。
362 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 13:18:05
だから、話し合いというのは、
双方の目的についてより善い解決を相談するわけでしょう。
目的が異なるどうしでも、双方の目的にとって同時に利益がある事柄であれば、
合意が可能だし、それが双方にとっての善になるわけですよ。
363 :
micchan:2005/11/26(土) 13:55:07
なんか、話がかみ合っていない感じ。
私が言っているのは、善そのものについて
はなしあうことが、無駄ということなんだけど。
364 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 14:41:48
だから、「善そのもの」は立場や目的に関係無く、
同じだといってるのですが?
365 :
micchan:2005/11/26(土) 14:48:46
そもそも、善ってあなたの定義に当てはまるような「ちんけ」
なものじゃない。でなきゃ、人類、こぞって、頭痛める
はずがない。
「善」を「幸福」と言い換えても、話は通じるのではないか。
367 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 14:54:11
では、どういうものだとあなたはお考えなのですか?
368 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 14:59:33
369 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 15:08:04
>>368 だから、その場合、違っていたのは、双方の価値観であって、
「善悪そのもの」が違っていたわけではなかったわけでしょう?
ノンケにとっては、男との接触はさけるべきものであって、悪
ホモの人にとっては、男との接触は求めるものであって、善
であったわけでしょう?
双方の「善悪そのもの」が異なるというのは、
例えば、ノンケにとっては、「さけるべきもの」が、悪だが、
ホモの人にとっては、「求めるもの」が、悪、
ということですよ?
370 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 15:25:38
善悪の基準がずれた時、双方の目的を認識しあえば、修正できます。
他人から見てどんなに悪行に見えても、当人にとっては最善の事の場合が多い。
それでもズレる場合、善悪に対しての知識の問題になる。
何をする事が最善か?は、知識が豊富で選択肢が多ければ、目的にとって、
より最善に近い行動がとれるはず。
「目的に対して有効な事」が善の共通点であり、行動の一つひとつが共通ではない。
ちんけでもなければ、議論する事が無駄なことでもない。
371 :
ふむ:2005/11/26(土) 17:38:26
悪は黒で 善は白です たぶん^^;
スカートの中のパンツの色でおんなの善悪が理解できる^^;
黒はカネが要る^^;
372 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 19:38:05
善悪ほど立場によって変化するものはないからね。
ヒトラーは敗北したから二十世紀最悪の政治家だが
勝利したトルーマンは、三十万人を原爆で虐殺しながら英雄だ。
373 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 19:46:28
善悪の意味が共通だからこそ、個々の判断が違っているといえる。
「ヒトラーは悪い」と言っている椰子と「ヒトラーは悪くない」と言っている椰子で
「悪い」の意味が異なっているのなら、そこに意見の対立はない。
374 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 22:49:55
>>369 文字通り、善いの意味と悪いの意味は変わらないものということですね。
その意味がスレタイの答えということでいいんじゃないでしょうか。
375 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 23:32:18
その「変わらないもの」が何なのか言わないと、答になってない。
376 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 23:34:06
カントは個人の自由は社会の悪と言っている。
377 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 23:36:13
>>376 どこで、どういう意味でそう言っているの?
何か誤解がありそうな気がするなあ。
>>375 善⇒望ましいこと
悪⇒望ましくないこと
379 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 19:25:08
>>378 おれの善⇒おまえを殺すのが望ましい
お前の善⇒おれに殺されないのが望ましい
どうやったって 成立しないだろ
380 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 20:03:44
>>378みたいに考えると、
善=みんなにとって望ましいこと
となって、これはつまり功利主義だわな。
381 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 20:56:29
>>379 これは何が成立しないと言っているのか?
382 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 21:10:30
>>381 お前とおれの「望ましい」が合致しないてこと
383 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 21:19:00
>>382 それが、「成立しない」?
何がいいたいのかわかえがわからん。
384 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 22:47:09
互いに合致しないものを善だ善だと言ってまわっても
しょがないだろw
たまに合致することのある事を取り上げるのはご都合主義。
普遍性とはほど遠い。
385 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 23:19:13
>>384 つうか、なんで急に普遍性なんて話が沸いてきたの?
386 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 23:26:23
善悪が「社会」規範と考える者多く、
社会規範が普遍性を その根拠に求めるからさ。
387 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 23:31:01
>善悪が「社会」規範と考える者多く、
まあ、でも「社会規範」はイコール「善悪そのもの」では無いよね。
強いて言えば、「社会の善に寄与すると想定されて行われてる規則」
程度のもの。
私と同じ若者へ言っておきたいことがあります。
それは探偵にはならない方が良いということです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そして官僚の方に以下の事実を認識して頂きたい。そして国民の一人ひとりが
真に安心に暮らせる社会を創って頂きたい。もちろん探偵さんじゃなければ出
来ない素晴らしい仕事はあります。でも最近は愚かな経営者の利益優先の経営
方針により自分の全く知らない老若男女を不幸にする(自殺するよう働きかけ
る、不治の精神疾患を煩わせるなど)仕事を多数行っています。ちなみに経営
者がヤクザだと言うことは探偵業界ではよくある話です。
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/recruit/1132661755/150
389 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 23:49:26
>>386 「自己と他との関係」を離れて善悪は存在しない。
善悪は「相互の利益関係」ということだ。
そして 利益というものは「〜程度のもの」というほど
生やさしくはない。
「人を殺す」
いらないだろ、そんな恐ろしいもんw
390 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 23:51:15
>>389 >「自己と他との関係」を離れて善悪は存在しない。
なぜ?
391 :
考える名無しさん:2005/11/27(日) 23:58:01
他との関係を離れた善悪など存在しないからよw
あると考えての問いなら、例をあげよ。
そう考えたお前の仕事だw
392 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 00:21:25
つまり、「体に良い/悪い」とかは、善悪とは別のものだと?
393 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 00:52:25
こういう問題だと、根拠なく自分こそが真実を知っていると思い込む椰子が多いんだね。w
394 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 04:13:08
第二次大戦で原爆を落としたエノラゲイの機長は、死ぬまで原爆降下は正しい行為だったと主張を続けた。
人はどんな悪行を行おうと、それを正当化する論理を幾らでも作ることが出来るもんだよ。
そして正当化できれば、幾らでも良識に従って残虐行為を続けられる。
395 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 04:16:32
>>393 究極的には個人で善悪を判断するんだから、それでいいじゃん。
どんなに立派な善悪の定義を立てたって、最終的には自分の生存が基準になるだろ。
396 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 07:40:10
>>395 個人の判断は、予想でしかないっしょ。
本当に善であったか、悪であったかは結果を見るしかない。
397 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 07:58:28
どっかに書いてあったけど、結局目的を達成する為の基準が善と悪だろ。
原爆を落とした側は、あれで人々を救ったと言う。
落とされた側は、あれで人々が殺されたと言う。
どちらも目的に対しては、正確なリアクションだろ?
目的が違えば、善と悪の基準も違ってくる。
大リーグのピッチャーは、ボールを速く投げる事が善になる。
速いボールは打たれにくいから、ピッチャーとしての目的が達成される。
その大リーガーが我が子とキャッチボールをする時、
速く投げる事は悪に変わる。
子供に怪我をさせる事は目的ではないし、目的に反するからだ。
キャッチボールの目的が、楽しむ為ならね。
398 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 10:26:34
>>379 善自体は同一。望ましいこと。
単に「おれの」「お前の」という付加条件が、
「おまえを殺すのが」「おれに殺されないのが」という
それぞれに対応するものを導いているに過ぎない。
399 :
ふむ:2005/11/28(月) 10:50:34
人道と法律が悪を決める^^;
そのときの法律と人道ですが^^;
タカはうさぎを食べる^^;タカを応援するか^^;うさぎを応援するか^^;
そこが疑問の矛盾です^^;
>>398 馬鹿かw
主体抜きで善悪が存在できるわけないだろ
善悪とは(相対的)評価だ
評価は評価を下す者(主体)がいて初めて発生する
主体を離れて評価だけが存在する事態はありえない
従い、善悪を語るとき
それが「誰にとっての」評価であるか
を明らかにしないまま話を進めるのは空論となる
401 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 11:14:05
>>400 馬鹿はお前のほうだろが。
善悪というのは、誰が何を望んでいるというような個人的なものではなく、
客観的な尺度として想定されるものだよ。
402 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 11:15:45
403 :
ふむ:2005/11/28(月) 11:16:47
ウルトラマンと怪獣理論ですね^^;
人類は願うおしっことうんこは変身前に^^;
つまり^^;人類の都合です^^;
404 :
神様:2005/11/28(月) 11:20:00
無限なる実体である余をあがめよ。
さすれば、
>>400は真である。
405 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 11:23:14
客観的な尺度や 人類の都合を
「誰が」想定するんだw?
406 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 11:39:40
評価するのは個々の人間だが、その評価は「これは俺にとっては善/悪」
というものではなく、「これは客観的に善・悪」というもの。だからこそ、
善悪について人の間に意見の対立がありえる。「へえ、これがあなたに
とっては善なんですか。私にとっては悪ですねえ。ホントひとそれぞれで
面白いなあ」で終わらないのはそのため。
>>406 善悪は人の間で対立する・・だと?
あはは、やっと一つだけ真実を書いたなw
その意味するところは以下、
善悪を「社会的」規範として設定する事は
人の間の対立を決定的なものとし、加速する
いらないだろ、そんな糞w
408 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 12:07:40
あなたは、いい加減な相対主義が蔓延する現代日本の風潮を反映したただのアホです。
なんにも知らない上に考えたこともないくせに、知ってると思い込んでいるという有様。
あ、これは私にとってはそうだってだけ。あなた自身にとっては違うでしょ。w
409 :
至高の剣:2005/11/28(月) 12:36:30
善悪についての考察かw
善悪を定義付ける事が悪であり、善悪の区別を止める事が善だ。
お前らが低脳でないならば、よーく考えることだ。
>>408 >>407への 内容の反論が無いところをみると
異論ないよ〜だな、賛同ありがと♪
どうせなら素直に表現することを学べ、タコw
411 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 13:03:34
反論に値しない、という意味だとは思わないのかい?
412 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 13:06:11
>>409 > 善悪を定義付ける事が悪であり、善悪の区別を止める事が善だ。
この「悪であり」とか「善だ」ってのは何?
「あなたにとって」だけのことなんでしょ?
413 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 13:13:19
> 善悪を定義付ける事が悪であり、善悪の区別を止める事が善だ。
↑こういうのを言行不一致と言う。w
414 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 13:16:05
>>411 馬鹿だなw
反論の返ってくる前に
オレはもう「反論不可」なのがわかってんだよw
無駄な抵抗やめれ
415 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 13:17:00
論理がない椰子(アホ)に反論しても意味ないわな。
416 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 13:19:03
「どんな答が返ってきても、俺にはそれが反論であることも分らない」
って宣言してどうすんのさ?w
論理学の基本的な法則からして納得できなくても、
論理学を信用できるとでも?
418 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 13:24:17
はいはい、いつまでも「善悪を定義付ける事が悪であり、善悪の区別を
止める事が善だ」とか、「俺が数学ができないのは、賢すぎて1+1=2
が納得できなかったからだ」とか言って得意になっていてください。
419 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 13:27:46
>>415 論理だの論理学だの クソみたいなもんを
持ち出す柄か、おまいらw
ロン!とかチョンボ!とか 一生やってろw
420 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 13:34:34
「論理学」ってのは
>>417のアホが持ち出してきたんだな。
(単位取れなかったトラウマでもあるんじゃねえの?)
ともあれ、「善悪の区別を止める事が善だ」なんていう主張は、
論理的には端的な自己矛盾だから、反「論」の対象にはならんよ。
421 :
ふむ:2005/11/28(月) 16:21:07
善悪の区別は胸に手を・・・
AカップでもOK それが善 それが悪
いいことが善 悪い事が悪
天国で友達と会えない^^;私は地獄に居るから^^;
「こんにちは」「あれ?君も地獄なの」
天国は人口 少ないかも^^;
422 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 16:27:08
^^;はうざい
423 :
至高の剣:2005/11/28(月) 16:39:49
>>412-413 普遍的でなければ意味が無いからな。誰にとってとか、そんなレベェルの
話をしているのではない。
よいか、あれは善だとかこれは悪だとか、そのようにレッテルを貼ることを
指しているのだよ。それを悪だと言っているのが解らんのかw
そして善悪という言葉が存在する以上、哲学に基づく説明が要るだろう。
その指針を示してやっているというのに、何たる侮辱であろうか!
頭の悪い者に講義をしてやっているのだよ。
424 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 17:33:24
余計なお世話。
押し付けは、いりませぬ。
425 :
至高の剣:2005/11/28(月) 17:54:12
善とか悪に絶対性は無いのだ。
時間軸や空間軸でも説明はつかぬ。
それは不安定で不規則で軟体動物の様でもある。
固定化した善悪の概念など、誤謬でしかない。
ただ秩序を維持するための知恵としての位置づけである。
それは二者択一のゲームであり、判定される側は、常に
怯えていなければならない。
私には戯れている時間は有限だが、お前たちには無限であろうよw
426 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 18:24:06
謙虚さがない人間の言葉って、空しいな。
自分は悟った!と思った瞬間、悟りから遠ざかる。
あなたは限られた時間で何かを学ぼうとしているんだろうよ。
俺は無限の時間を使い、学び続けていきたいね。
427 :
神様:2005/11/28(月) 18:36:19
予も無限である。
善と悪を生成しつづけるのだ。
428 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 18:41:21
>>423 >普遍的でなければ意味が無いからな。
なんで?
>>428 「狂人にとっての善悪」を考える→狂人といってもソクラテスは含まれるのかニーチェは含まれるのか隣の席の吉田君も含まれるのかで色々変るじゃん。
→じゃあ狂人のなかでも一般人、凡人について→凡人と言ってもいっぱいいるじゃん
→じゃあ東京人→東京っていってもいっぱいあるじゃん
→じゃあ俺→俺っていってもお前の手にとっての善なわけ?それとも脳?それとも癌細胞?
→じゃあ脳→脳っていっても寝ているときと起きているときで違うじゃん
→じゃあ・・・
のようにいくらでも続く。>>400にあるような「主体」は無数に存在する。
430 :
考える名無しさん:2005/11/28(月) 19:51:26
>>429 その無限にある主体のいずれにも当てはまる、
というのが普遍ということなのではないの?
つまり、
>>400 は、
「善悪そのもの」と
「(普遍的な)善悪を(個々の対象について)評価した結果」を混同してるだけのように思うが。
例えば、「直立したときの地面から頭の先までの長さ」とういうのが
普遍的な身長の定義とすると、その普遍的な定義を、
個々の主体に適用したものが、「ジャイアント馬場は209cm」とか、
「アンドレ・ザ・ジャイアントは224cm」とか、になるわけでしょう?
これらの数字にも意味はあるんでないの。
(個々の数字自体を「身長概念そのもの」と考えるのはおかしいけど。)
431 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:15:20
「キリストが十字架にかけられた時にジプシーの子供が釘を盗んだので、キリストは釘を一本打たれずに済んで、ジプシーに礼を述べた。だからジプシーだけは盗みを働いても良い」
こんな寓話は当然存在しない。
だが、実際にこんな寓話を子供達に話して聞かせて、盗み旅行を続けた盗賊一家がアメリカにいたそうだ。
そんな親をもったものだから、子供達は盗みに何ら抵抗を持たなかったとよ。
人間の良識なんてしょせんはこんなものであり、善悪など簡単にひっくり返るもんだな
432 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:19:43
いや、「人間の良識」と、善悪にどういう関係が?
433 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:29:10
434 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:31:43
>>433 「良識」というのは善悪を見分ける(すぐれた)見識、
のことらしい。
だから、魚群探知機と魚ぐらいの違いがある。
435 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:35:59
436 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:40:30
>>435 人の善悪を見分ける見識が確実でないから、
見分け誤ることはあるのは確かだが、
その見誤りによって、善悪自体が何か変わるの?
437 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 00:42:33
善悪など、ただの言葉じゃ。
438 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 01:33:37
>>436 人間の善悪が如何に危ういものか。
それを問うているのだと思うが
439 :
60:2005/11/29(火) 01:39:15
毛深い香具師のどこからが陰毛でどこからが腹毛かを議論するようなもの。
440 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 01:42:25
悪を経験的に善に変えていくのが住みよい社会。
441 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 02:20:28
>>438 それを問うためには、「見識」の危うさじゃなくて、
「善悪」の話をするべきですね。
442 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 02:55:41
善行をみんなで励めば悪は退治できる。
443 :
398:2005/11/29(火) 03:10:51
>>400 善悪について考えるとき、普遍的なものはそこしかない。
善悪の意味。・・・半分茶化すつもりで書いたわけだが。
しかし事実、これに主体だの何だの他の条件が追加されると
もう、すべてのものに共通する善悪なんてありえないわけだから
どうにもとりとめがない。まあ、考えたい人は考えてもいいけど。
>>430 そうゆうこと。
よくわかってらっしゃる。
444 :
至高の剣:2005/11/29(火) 12:03:30
>>428 真理の追究とは、普遍的なるものを探し求めることでもある。
特定の事象にしか合致しないものは、およそ真理とは言えまい。
このスレは善悪という、大きな命題を突き付けているのだよ。
存在、或いは様態に善悪のラヴェルを貼り付けることは自由だが
それは意識の成す行為であろう。
意思を持つ、ごく限られた種を維持継続するためには善悪の
基準を設けることは、有為である。
しかし、種の維持継続---善悪の基準を定めても、より広義な視点から
見下ろした時、果たして意味のあるものであろうか。
混乱を防止するために法がある。
だが十分ではない。
次は宗教である。
それでも不十分である。
そこで考え付いたのが道徳なのだ。
445 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 12:51:23
善/悪という概念は、かなりの程度まで生得的なものだろうと思うんだが、どうだろう?
446 :
ヤチャータ ◆WOLF//4NCo :2005/11/29(火) 12:53:19
馬鹿も休み休み言え!
食える事が「善」で食えない事が「悪」だ!
って田川が言ってたがおれもそう思う。
447 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 14:30:42
>>444 >真理の追究とは、普遍的なるものを探し求めることでもある。
真理の追究が何か関係あるのですか?
>存在、或いは様態に善悪のラヴェルを貼り付けることは自由だが
〜
>そこで考え付いたのが道徳なのだ。
それで、そのことと、善悪自体とに、どういった関係が?
449 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 18:20:57
>>448 ここは哲学板である。
余は、板の趣旨に沿って考証しているのだが、何か不満でもあるのか?
あれば具体的に指摘せよ。
お前の態度を見ると、ここが哲学板だということを理解していないようだな。
それならそれでもよいが、さっさと巣に戻ることだ。
450 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 19:00:05
451 :
至高の剣:2005/11/29(火) 19:00:32
人間社会における善悪とは、”種の保存”に適っているかどうかが、
ひとつの判断基準になる。
種の保存に敵対する行為は、悪だと言えよう。
ただ勘違いしてはならないのは、適正な保存でなければならないということだ。
異常に増殖しては逆効果(種の保存を脅かす)となろう。
かつては伝染病や新型ウィルスが、種の適正数を保ってくれた。
だが今では医学の発達により、本来、善である筈のそれら病原体は
かなり無力化されつつある。
医学の発達は、生物学的には終わるべき存在を生きながらえさせているのだ。
DNAには固体の寿命も組み込まれているが、人類だけが不文律を破ったのである。
452 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 19:03:35
欠陥マンション買ったDQNどもは笑えた!
DQNどもカウントしてたのは俺だけ?
よっしゃー10人突破!よーし次は20人突破しろーって)
DQNがこんなに多いとは思わなかったよ。バカどもは氏ねw
欠陥マンション買ったDQNどもは笑えた。まじで
ニュースで知って、手を叩いてわらったなぁ。
おまえらがギャーギャー騒いでる間、家でワイン飲んでた
アホだなーこいつらって思いながら
わざわざアネハマンションまで行って記念撮影しようかと思ったよ。
でも今回の件のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
結果的には良かったんじゃないかな。
政治家がDQN住人どもが大騒ぎしてるのに無視してるけど、
当たり前だね。バカは死んでもらわないとね。
欠陥住宅を建て直せとか言ってるDQNがいるけど、
せこいんだよ!俺らの税金なんだよね。むかつく。
ところであんな安物欠陥マンション買ったバカどもって生きてていいの?
死ぬべきだよねwはやく地震こないかなぁーw
どちらにしろアホどものファビョリぶりはまさにアホの極みで快感だった!
気持ちの良い夕刻でした
(・ω・` ≡ ´・ω・)
454 :
考える名無しさん:2005/11/29(火) 20:40:37
家賃滞納して追い出しかけられてるのが一匹、
嫉妬・・関西人くさいw
455 :
344:2005/11/29(火) 23:23:39
>>345 亀レスですが、絶対的な序列のようなものは、自分は必ずあると思う。
私の考えですが例えば、(数値はテキトー ---前後の関係はよくワカラン)
1000 聖人君子クラス (尊厳など、感動させられるもの)
300 社会貢献 クラス (世の中の為に生きている)
100 社会模範 クラス (法律を遵守できている)
----
150 自分の目的どおり生き、その結果が自分以外(多数)にも喜びを与える。
140 自分の目的どおり生き、その結果が自分以外(少数)にも喜びを与える。
50 自分の目的どおり生き、その結果が自分以外(少数)にも不快感を与える。
30 自分の目的どおり生き、その結果が自分以外(多数)にも不快感を与える。
----
ああ、せっかく書いてみたのだが、肝心な部分が(喜び、不快感のところが)
うまくいえないなぁ。
時代を超えて伝えられ、心を揺さぶり感動するものは、大きな善だと思うね。
逆に長期的にみて繁栄せず、破壊や滅亡に向かっていくようなものは悪だと思う。
456 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 00:17:43
>>455 人間の存在が、この世界の全てにとって善であるというのなら、ね。
457 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 01:40:55
自分が善人だと信じ、自分を疑わない人間はかならず阿呆か悪党だ。
自分を悪党と信じている人間よりも、正義だと信じている人間の方がよほど残虐にもなれる
ナチスとかね
459 :
至高の剣:2005/11/30(水) 17:43:00
善悪という概念は、様々な事象を判断する場合に下す、ひとつの観念である。
故に、唯一の基準など存在しないのである。
判断を下す場合は、そのカテゴリにおける最大公約数(広義)で在らねばならぬ。
特殊なケースも考えられるが、惑わされてはいけないのである。
虚ろな者どもは、否が応でも賢者に学ばねばならぬ。
水先案内人が全盲であって、どうして目的を達成しえようぞ。
余はこの時点でテストを行うこととする。
逃げる者は卑怯である。スルーという名の撤退は許さぬぞ。
答えるのだ。潔く己の無知を満天下に晒し許しを乞うのだ。
社会におけるエゴとはどのようなモノが存在するのであろうか?
そしてそのエゴは、善であるか悪であるか判定を下してみよ。
何年もこの板に巣食ってきた者ならば、難しくはあるまいよ。
460 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 18:39:00
厳密に言うとエゴ以外、正当な根拠をもつものは無い
461 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 18:51:53
エゴはなぜ正当な根拠を持つのですか?
462 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 18:58:50
人間の出発点と終着点が自己本位だからさ
誰でも一人で生まれてきて一人で死んでくのよ
それ以外の真実はない
463 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 19:01:15
>人間の出発点と終着点が自己本位だからさ
それが本当に唯一の真実ですか?
464 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 19:12:26
そうだ
いったいどうやってヒトの立場に立てるよw
一度でも立てたこと、
465 :
追加w:2005/11/30(水) 19:13:03
あるか?
466 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 20:32:32
いや、エゴには正当な根拠を問わない、つうだけのことでは。
467 :
ミギー:2005/11/30(水) 21:44:18
468 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 21:50:56
>>466 正当性の根拠をすべてナシにしようという提案ならご免だね。
自己本位以外に根拠を求められないんだから、
それを根拠とするのが自然だし、合理的といえる。
ほかにあるなら提示してみれw
469 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 23:36:09
>>468 >正当性の根拠をすべてナシにしようという提案ならご免だね。
もちろん、よほどのバカでない限りすぐわかることですが、そういう提案ではりません。
>自己本位以外に根拠を求められないんだから、
とりあえず、自己本位が正当である根拠って何です?
470 :
考える名無しさん:2005/11/30(水) 23:43:36
>>469 馬鹿だな、おまいw
自己=私=国民・・・国民主権!
国家が保障してるだろが
国民とはひとり一人を指すが、
それを根拠にせずにいったい何を根拠にできる
くだらない質問ばかりしてないで
たまにはコタエテミロw
471 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 00:14:37
>>470 なんか勘違いなさっているようですが、
「エゴが根拠になる」ことは私を含め、今のところ誰も否定してませんよ。
>>471 名無しだからってその場の雰囲気で書き流しすんなよテメエ。
473 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 00:18:36
471=473であることに100ペソ
475 :
至高の剣:2005/12/01(木) 12:58:31
社会的に善悪の判断は、時と場により決定されるという事実に鑑みて
思惟を続けることとしよう。
社会における個のエゴは、その根源において本能に根ざしたものであろう
と仮定することが回答への近道となるに違いない。
余には目的地が鮮明である。故に、無駄に道草をすることもなく虚ろな者どもより
正確により早く辿り着くことが出来るのだろう。
本能は個の永続的な存在を可能足らしめる顕著な特性であり、それが在る故
人類も歴史を刻み続けてきたのだが、本能と随伴して、本能に類似したエゴという不可分な
性質も備わっているため、歴史に争いのページを記してきたわけである。
言うならば大義である本能が、狭義である理性を従たる特性に追いやってきたわけだ。
ああ、大きな話をしても一向に思索が覚束ないのは何故だろうかと、苦悩してみても
始まらないのは、内に本能とエゴが横たわっているからにほかならぬ。
身近な現象で探索することにしようぞ。
「人を押しのけてでも目的を達成したい」と考えたことが
ない者は余の知る範囲では、その存在を確認できておらぬのだが、唯一、親子という
近親遺伝子間においては、例外を除いて、その親の行動形態に、
つまり親と子という関係においては、親の子に対するエゴ指数は極めて
低い値を計測するのだよ。ここに愛情と呼ぶ潜在幻覚媒体が作用する。
ムムー!長くなり、脳髄が痙攣を起こしているかのような事態に遭遇したようである。
ひとまず下僕である指に休養を与え、デスクトップに別れを告げることとするか。
476 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 13:04:24
自分の行為と他者の行為を同じ類型で理解することのなかに、
行為を客観的な視点から評価するということの端緒が
すでに含まれているのだろうな。
477 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 13:14:31
アハハ、基本がズレてるよ
理性というのは本能の充足のために発達したのよ
敵対関係には無い
本能を満たすための補助ツールだってこと
「人を押しのけてでも〜」〜確認できておらぬ
では、確認の機会を与える
おれがその最初のケースだ
おれは「人を押しのけずに目的を達成したい」と考え
行動してきた、これからもそうだ、習慣だからしょがない
親子の件だが、親の子に対するエゴ指数は極めて
「高い」値を計測する
他人同士では考えもつかないぐらい根深く広範囲にわたる
478 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 14:56:20
479 :
韓国人みたくはなりたくないと思った:2005/12/01(木) 17:53:25
阪神淡路大震災の時、韓国で良いニュースです!と世界初の『天罰だ!』の見出しの号外新聞出す韓国。
JR事故でも『プライドの脱線』と載せた国。
これらの新聞に抗議する韓国人は無し、むしろ日本に災害が死者が出るたびに喜ぶ韓国人。
同じ反日国として中国がありますが、新聞もここまで残酷で醜い記事は書かないし、公務員が国旗を踏んだりしないでしょう。
480 :
至高の剣:2005/12/01(木) 19:49:15
>>477 本能が理性を支配してきたから、人類には戦争の歴史が連綿と続いておるのだよ。
余は本能と理性が敵対関係にあるとは説明しておらぬ。
人を押しのけぬために、テストの問題をわざと間違えて同級生に奉仕してきたのだな。
或いは仕事の出来栄えをワザと落として同僚を助けてきたのだな。
戦後の日本は極めて熾烈な競争型社会を維持してきたのだが、おまえはマイノリティであろう。
こりゃっ!親子のエゴを曲解するでないぞ。
余は親がわが子に注ぐ無償の愛を説いておるのだぞよ。
481 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 20:17:54
>>480 馬鹿だなw
本能は人間の本性。
本性は肯定するしかない。
本性の否定は人間の否定、自己の否定。
そんなことしてなんになるw
戦争についてだが、戦争自体は本能の求めではない。
利益の追求や安全の確保等が本能の求め。
世界に利益追求の基本ルールがまだ定められてない事
安全のための国家間システムが構築されてない事が
戦争しかないという選択をさせてるだけ。
戦争は結果であり、目的じゃない。
わざと間違え、出来栄えをワザと落とすのは偽善。
自分が他人からそうされてみたいかどうか、考えればわかる。
誰もそんなこと望んではいない。
ヒトの望んでもいない行為をヒトに成すのは奢り、勘違い。
ホメられたことじゃない。
無償の愛など存在しない。
少なくとも愛の還って来るのを期待している。
人のやる事にはすべて動機がある。
その動機に気付かないのは知能的に欠陥があると
疑ってみるべきw
それに気づかぬ(気付きたくない?)
482 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 20:20:34
つまり、オシッコをしたくなったら、その場でして、
ウンコをしたくなってもその場でして、
セックスしたくなったらその場で女を犯し、
腹がへったらその辺の物をガツガツ食えと。
483 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 20:32:45
>>482 おまえの本能がそれを望むならそうだw
おまえみたいなヤツは少なくない。
おれとは少しちがうようだが、それも個性。
だから気にすんなw
484 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 20:35:42
>>483 すると、おっしっこがしたくなったり、セックスしたくなったりする本能は、
普通の人は持っていないのですか?
そうすると、寝小便や根グソ、膀胱破裂やが頻発し、
人類は文明を持つ前に破滅してると思うんですが・・・・?
485 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 20:42:21
>>484 w!おまえ、北朝鮮のマツタケが欲しくなったら
即、戦争始めるだろw
だって、見つかったら殺されるよw
マツタケと自分の命、どっちが大事だ?
殺されずにマツケタ手に入れる方法が一番だろ。
おれなら迷わず北関係の外務官僚になるw
結果はオレはマツタケを食い生きてる。
お前は食えないまま犬死にだw
ちっとはアタマ使えw!
486 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 20:55:42
487 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 21:11:41
>>486 本能は人間の本性、つまり「誰にもある」と言ってるだろ。
その満たし「方」に違いがあるだけよ。
オシッコより大事なものがある時は我慢しろ。
本能のより求める大事なほう、とるしかないだろ。
我慢できなくなったら、その場でしてイイ。
どうせ出ちゃうんだからw
セックスしたくなったら、させてくれる相手んとこ行けw
ふだんから、そういう相手を作っとく知恵も行動力も
無いおまえの場合だが・・・・・・・・・・→刑務所行けw
488 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 21:14:44
>>487 >オシッコより大事なものがある時は我慢しろ。
オシッコよりも大事な本能ってなんですか?
それとも、本能を否定しても、大事にしなければならないものが存在するということですか?
489 :
至高の剣:2005/12/01(木) 21:18:59
>>481 人類が理性的であり続けてきたならば、戦争は起こらなかったに違いない。
戦争は大衆や独裁者のエゴによって引き起こされる。
そしてエゴは本能的欲求と相まって、相手国を制圧しようと試みる。
より多くの富を得て、物質的幸福を掴み取るために。
それに安全の確保は、欲求(欲望)のひとつに数えられていることを知らねばならぬ。
動機はともかく、結果だけを見れば自己犠牲による利他的行為であろう。
おまえは、相対比較で成り立っている世の中に抗っているのだからマイノリティと、
言っても差し支えはない。
無償の愛とは、打算の入り込む隙がない愛情の絆である。
核家族化が進む現在、子供への見返りを求めて子育てをしている家庭があれば
これもマイノリティであろう。
動機など無償の愛に比べれば、ちっぽけなものでしかないぞ。
おまえは野良猫のように猜疑心が強いようだが、目に見えないものに
畏れを抱くことも大切である。
善悪
人間が勝手に決めた価値観
しかしその人間同士ですら善悪の基準が異なるのだからどうしようもないね
491 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 21:43:25
>>488 おまいは オシッコしか本能ないのかw!!!?????
>>489 人類が理性的であり続けてきた【ならば】・・だと?
完全に逝っちゃってるな、おまいw
【ならば】でコトが解決するなら、世界が平和【ならば】、
全人類が幸せであった【ならば】・・なんでも簡単に解決だろw
おまえみたいのを現実の見えない妄想馬鹿という。
戦争が無かったらいいのに、税金もなかったら・・
イケメンにうまれてたら・・、世界一の金持ちであったなら・・
世界中の女がおれの思いのままだったら・・
あはははは!
【無償の愛と呼べば、無償の愛になる】という新説の披露か?
高橋なんたらとかを思い出す・・「定説です」「サイババの勝手です」
ぶはははは !!
492 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 21:58:02
>>491 >おまいは オシッコしか本能ないのかw!!!?????
もちろん、そんなことはありません。
493 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 22:03:17
もちろん、善悪は時代劇に必要です。
494 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 22:56:20
そんなふうにしか人を愛せないのか?
495 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 23:41:52
>>490 その通りだと思います。
所詮、「善悪」などと言うものは、「人」が独自に定めた価値観や倫理にしか過ぎません。
496 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 23:56:56
>>495 「善悪」は、「人が勝手に決めたものではない」と信じられていたからこそ成立した概念だよ。
497 :
考える名無しさん:2005/12/01(木) 23:57:46
「成立した」じゃなくて「成立する」だな。
498 :
考える名無しさん:2005/12/02(金) 00:09:57
へえ〜、「善悪」を人間が決めることができるのか?
499 :
考える名無しさん:2005/12/02(金) 00:12:07
>>496 では、それを信じたのは誰ですか?
人しか居ないでしょう。
人が信じたからと言って、それが真実だとは、言えません。
500 :
考える名無しさん:2005/12/02(金) 00:49:11
>>499 >>人が信じたからと言って、それが真実だとは、言えません。
それがどうしたんですか? もしかして、
>>496への反論のつもり?
501 :
考える名無しさん:2005/12/02(金) 03:10:43
歴史観とか人生観とかで偏見に凝り固まっている人間ほどよく使う言葉がある
それは「正しい」「中立」「客観的」などなど。。
そして相手の主張を「間違っている」とか「嘘」とか必ず繰り返す
ともかく自分の主張を正当なものだと繰り返し言わねばならない人間ほど
はっきり言えば偏狭で嘘ばかり信じている
だからそんな言葉を多用する人間の主張を決して信じてはならないよ
502 :
考える名無しさん:2005/12/02(金) 08:16:23
> そして相手の主張を「間違っている」とか「嘘」とか必ず繰り返す
> ともかく自分の主張を正当なものだと繰り返し言わねばならない人間ほど
> はっきり言えば偏狭で嘘ばかり信じている
それは嘘だな。w
503 :
至高の剣:2005/12/02(金) 12:33:56
仮定から結論を導き出す手法を学んだことがないようだ。
余は戦争を起こさない方策を探っているのではなく、欲望(エゴ)と理性の
相互関係に、戦争という歴史的事実を交えて述べているに過ぎぬ。
<人類が理性的であり続けてきたならば、戦争は起こらなかったに違いない>
反論するなら↑の文言に対して過ちを指摘するなり、相反する意見を述べることだ。
育児というものは本能(無償の愛)であることは、お前の過去を振返れば
明らかだろう。
それはなにも人間だけに言えることではなく、ツバメでも熊でも蟻でも
すべての動物に当てはまる。
雌雄が交互に子育てをしたり、雌は巣を守り雄は狩に出るなど、驚くべき
役割分担が行われている動物も存在する。
人間の場合は本能だけでなく理性も作用するから、無償の愛−本能愛=理性的愛
といっても良いのではないか。そしてこの理性の数値が高い者ほど、
人間性が高いといってよい。
お前には無償の愛が自覚できないのだから、0−Y≧0となり、極めて社会性が
低く、感情が優先する粗暴な性格を有しているのだろう。
余のように偉大なる探索者には、愚民との対話も必要である。
それは決して滋養とはならぬが、幼き頃を回想させてくれる効果を生む。
>>503 あなたのようなタイプの人達が、戦争を引き起こしているんだよ。
自覚できてる?
あなたのような選民意識や「自分が理性的だ」と訴える人ほど、
争いを生み出しやすいんですよ。
505 :
考える名無しさん:2005/12/02(金) 15:39:37
>>503 もうろくが激し〜ようだなw
馬鹿馬鹿しいが1回だけ 付き合ってやろう。
「人類が理性的であり続けてきたならば、〜」
↑仮定とは可能性のある範囲で行なわれるものだ。
それ以外を空想・妄想という。
上の仮定は現実をすでに離れてる。
【理性的】な仮定じゃないってことw
なぜなら理性は理性単独で存在できない。
本能を軸とした欲求を効率よく達成するための理
のことを初めて理性と呼ぶからさ。
理が無くとも欲が単独で存在でき行動の源泉たりえて、
その逆が成り立たないことで証明は十分だ。
「〜戦争は起こらなかったに違いない」・・についてが、
違いない←は予想、推測・推量でしかない。
「起こらない」と100%違う。
つまりお前は、空想を前提にした予想をしたわけよw
おまえの思いつきが どんなシロモノかもうわかったろw
506 :
つづき :2005/12/02(金) 16:13:23
>>503 無償でも有償でもいいが、おまえは愛が何かを知らない。
それをまず知る必要がある。ホントめんどいナw
愛の行動(育児等)の根底を知るには、人の行動が
いかなる動機に基づくかの考察が欠かせない。
答だが、人の行動はすべてなんらかの「自己の」満足を
求めて行なわれるってことだ。満足とは本能・欲求に対す
る語だが、理性に対応させる語でいうと「利益」ってこと。
育児しかり。子を育てる行為を通し、「自己の」育児本能
が満たされ、他人と違う絆の強い存在(仲間)が「自己に」
増え、「自己の」孤独や非力が解消され、さらには生まれた
ばかりの弱い生き物を放置・見殺しにしなかったちう「自己」
への満足ほか・・育児による「自己の」得る満足・利益が
測り知れないほどある事を直感するから育てるのよ。
人の行動のすべては「自己の」満足や利益のためと
考えるほうが自然であり、合理的だ。
愛の行動も例外じゃないってこと。
おれは愛にいつも見返りを求める。相手に返す能力や
意志が無い場合に備えて、自己にも保険をかける。
「事前に最悪の事態を予測し、覚悟する」という保険をネ。
507 :
至高の剣:2005/12/02(金) 18:25:47
>>505 気温が下がるほど、身体の代謝が活発になるので冬も悪くはない。
冬はだから、食欲が旺盛になる。鍋も餅も旨い。
薄着で過ごすことだ。脂肪のコートを身にまとい、その上にコートが
必要であろうか。
ミネラルが不足していたからであろうか、式を誤ったので訂正するぞ。
0−Y≦0 が正しい。
仮定とは読んで字の如く、仮の定義のこと。仮の定義に妄想も何も無かろうぞ。
仮に「夜は明るい」と仮定しよう。これは変な仮定だから成り立たないと
お前は考えるのだろうが、「白夜ならば明るい」という推論が成立しよう。
これでさすがのお前でも、仮定に良いも悪いも正しいも妄想も無いことが理解できよう。
本能に動機も何も無いぞよ。それは種として、生まれつき具有する性質だからな。
自己満足を充足するために育児をするわけではないだろう。
苦労して育てても、事故や病気で早逝するかも知れぬし、成人したからと言って
油断は出来ない。犯罪の加害者にも被害者にもなり得るのだぞ。
本能に由来する、自己満足のようなエゴや利益だけで説明はつかないと思うぞ。
それは人間以外の動物には当てはまるかも知れぬが、子を思い心配する親の心情
は説明が出来ないではないか。
自らの死期を悟った親でさえ、我が子の行く末を案じるもの。
それは利害を超越した、正に「無償の愛」がなす業であろう。
「語りえぬことには沈黙しなければならない」
で?ですか?善悪論なんて意味もなく、したがって
有意義な命題ではありえないってことです。
快不快の総和くらいまで科学に落とし込んだらどうですか?
難しいですね。
「科学」はウィトゲンシュタインのいう事態が成立しているか否か、
その程度の意味で書いたのですが、
彼はそこに善悪を含んだんでしたっけ?
いずれにせよ、人の行動対象としての科学を
意図して使ったわけではない、と理解してください。
その意味では「科学」は善悪を語らず、
語られるとしたらそれは人を介してででしょうね。
なるほど。
それならウィトゲンシュタインのいう事態がどこからどこまでをいうかが問題になるのか。
科学は手段ですから。
513 :
考える名無しさん:2005/12/03(土) 10:25:44
>>507 本能的な欲求を満たしたい。
それは誰のためか。自分のために。
ヒトは本能的に子を愛しいと思うようにできている。
子を愛す。
それは誰のためか。自らの本能の呼び声に応えるために。
自己の心を満足させるために。
その大いなる利益を享受せんがために。
514 :
至高の剣:2005/12/03(土) 11:03:33
余の懐から剣を奪おうとしても、、、、それは徒労に終わることであろう。
この類まれなる聖剣には、幾多の輝かしい戦歴が記されているのだよ。
>>513 それらを指して本能と呼ぶのではなかろうか。
本能だけで人間を語る事なかれ。
それではネズミやムカデと大差がないではないか。
人間には本能以外に理性が宿ることを忘れるでないぞ。
サルの母は、我が子の死を認識できず亡骸を暫く離さない。
それが本能であり、人間との相違点であろうぞ。
人間は大脳の発達が進み、理性を獲得するに至った。
それから永い時を経て、理性にも愛を宿すことになったのじゃ。
愛は単一のものではなく、本能的な愛と理性的な愛で構成されておる。
それは複雑怪奇な作用を及ぼし、余人には説明が難しかろうよ。
515 :
考える名無しさん:2005/12/03(土) 11:09:08
本能には逆らえない
逆らい続ければ精神科逝き
>>515 現実には本能に従い続けると精神科に行くことになります
人間社会にはいたるところに数多くの規範があります
われわれは規範を遵守しながら生活しています
それがなぜかは知りませんが。
規範は本能ではなく理性によって生み出されたものでしょう
規範を理解できない人間は精神化に行かされます
517 :
ふむ:2005/12/03(土) 11:33:49
よい わるい は 人類が生きるのにが中心です
自分が生きるのにが中心ではない^^;
おれが美人と思うのは勝手ですが・・・
彼女の意見は身勝手です^^;
518 :
考える名無しさん:2005/12/03(土) 11:39:33
>>514 理性に宿る愛ならば、自己の利益を追求するものに違いあるまいよ。
自身への利益の還元が期待できるからこそ愛は生ずるのだ。
519 :
ふむ:2005/12/03(土) 11:52:36
良心 理性 自由意志 この心の原理で動かないと^^;
心は解明されない^^;善悪の判断は良心に組み込まれている^^;
理性の集合に自由意志も入り 愛は形を変える^^;
でも 下ごころの恋は・・・私も好きです^^;
520 :
考える名無しさん:2005/12/03(土) 11:58:31
オカルト板
【聖書】終末と新時代のリアルタイム【日月】
へどうぞ。
521 :
考える名無しさん:2005/12/03(土) 13:38:12
阪神淡路大震災の時、韓国で良いニュースです!と世界初『天罰だ!』の号外新聞を出す国。またJR事故では『プライドの脱線』の見出しの新聞。抗議するどころか大喜びでネットでもお祭り状態。同じ反日国でも中国は韓国のように公務員が国旗踏み付けないし、死者を喜ぶ新聞は出してない
人間のベースは動物的本能です。
その上に人間的行為を生み出す大脳新皮質による働きがあります。
常にベースは動物的本能なので、時として理性は容易に負けます。
ですから、犯罪は古代から無くならないわけです。
これは今後も変わりません。
なぜなら生理学的機能は遺伝子を弄らない限りあと数万年は変わらないからです。
523 :
至高の剣:2005/12/03(土) 19:02:33
>>518 損得を見極め判断する思考形態は、明らかに本能に依るものじゃ。
ここでいう「理性的愛」とは程遠いものである。
それは「エゴ愛」と言ってもよく、常に有利な状況に身を置きたがり、
つまりは、自己が社会に優先する原始的な思考形態である。
真なる愛は献身的である。相手を気遣い、和みを施し見返りを求めない。
それは常に一方向へのベクトルであり、自然発生的なものであるぞ。
打算を巡らすのは本能的恋愛感情であり、種の保存のために少しでも有利な
相手を品定めするという、極めて本能的な打算なのである。
それと親の子に対する愛情を混同してはならぬぞよ。
親の子に対する愛情には、高度な慈しみが宿っておるのじゃ。
それは現世欲とは異質な感情であり、種の保存本能とも違う感情。
余はそれを「理性的愛」と呼んでおる。
冬の寒さから我が子を守るのは、医者代が嵩むことを恐れてのことか。
風で学業に影響が出ることを慮ってのことか。
家族が罹患するのを忌避する故か。
そうではなく、その子を苦痛から遠ざけようとする慈しみの心が
源流にあり、美しき永遠の愛をそこに見ることが出来るのである。
ベースは動物的・・・そうじゃ
余は賤しい胃袋を持っておるので、旨いものが食いたくて仕様が無い。
鍋やら焼肉やら鮨やら洋風料理やら中華やら、なんでも揃っておるのでな。
この国は。
どれ、今夜はすき焼でも食そうぞ。上等の食材で、満ち足りた味覚と時間を味わおうぞ。
旨いものが余の崇高な哲学の礎となるのでな。
凡夫はお茶漬けでも啜っておることじゃ。身の丈にな、、、超えぬことよ。
>>523 そのような子への愛こそ、理性ではなく
本能に根差したものであろう。理性とは。
逆に打算を巡らせるものの方にこそ理性ははたらく。
茶漬けどころか二日もまともに食ってはいない・・・
有り難いことに特に上等な食い物を欲しない躰なのが救いか。
せいぜい鋤焼きに舌鼓を打つがいい。
人が旨いものを喰う姿を見るのは心が和む。
しかし悲しいかな、この地上は喰えぬ者で溢れている。
想いを馳せれば、世界には次第に悪が蔓延しているという気分となる。
しかしまだ暫しの猶予があろう。どうするかなのだろうな。
525 :
考える名無しさん:2005/12/03(土) 22:22:03
劇場?
526 :
考える名無しさん:2005/12/03(土) 22:27:29
善と悪は 人間が創り出した道具です。
何を善 何を悪とするかは、人間が自由に決めることができます。
動物や自然界には 善も悪もありません。
>何を善 何を悪とするかは、人間が自由に決めることができます。
そりゃすばらしい。
じゃあ、働かずに一日中遊びほうけていることを善にしようぜ。
528 :
至高の剣:2005/12/05(月) 11:33:48
>>524 余が懐に君臨する、妖刀村正を凌駕する剣が血を求めて彷徨っておるわ。
それでは自己犠牲の愛はどうであろうか。
厳寒の海で座礁し、沈没した船の乗員9名が海に投げ出され生死の淵に
立たされておる。幸い救命ボートにより8名が収容された。
だが、初老の婦人は息も絶え絶え、ボートの縁にしがみ付き喘いでおる。
ここであと1人乗り込めばボートが沈んでしまう。
8名は20代の青年である。
交代で海につかれば、全員が犠牲になるだろう。
おまえはその青年たちの1人である。
さあ、おまえならどうするのだ。
529 :
考える名無しさん:2005/12/05(月) 11:42:13
みんなが自己犠牲して船から手を離せば次の瞬間に乗り込める人がいる。
530 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 03:28:19
531 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 03:34:31
自分が善だと思ったものが善で悪だと思ったものが悪
それ以上は無理
532 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 04:54:51
自分が善だと思ったものが善なら、後悔することなんて絶対ないんじゃないの?
533 :
至高の剣:2005/12/06(火) 12:45:36
以前、韓国人青年がプラットホームから転落した人を助けようとして
犠牲になった事故がある。
結果は転落した人も助けようと行動した人も亡くなったのであるが、
極限の局面における心の奥底からの働きかけが、リスクを負わせた
のであろうよ。
それは戦争時に於ける激戦地での戦友を救助する兵士にもいえることじゃ。
そこには打算は無く、無償の愛だけが慎ましやかに静かに輝ける世界が
在り、それはあたかも急峻な山岳地帯に一輪の光を灯す白百合の歓待にも似た光景であろう。
このように心の奥底からの呼びかけは、保身本能とは対極にあるものぞ。
これだけの事を説明するのに、余の宝石のように貴重な、ああ、
何たる事態、なんという道草であろうか、煌びやかな我が持ち時間を費やしたるとは、
あまりにも軽率であった。余は激しく懺悔しなければならぬ!
我が歴史の汚点を払拭するまで。
それもこれも愚民教育せよとの、余の偉大なる深層からの働きかけかも知れぬて。
534 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 15:24:41
>>533 無駄死に&戦死礼賛かよ
どういう神経してんだ、おまいはw
535 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 16:39:17
後悔は、善悪に関係なくするやろ
536 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 16:46:53
マンガ ヨミスギガ アツマッテ ルッテ キータンデスガ ココデスカ?
善悪とは人々の好悪を平均化したもの。
538 :
至高の剣:2005/12/06(火) 18:32:38
これで自己犠牲による愛の理解が深まったことであろう、余は満足である。
>>534 うつけ者めがぁ!喝っっっつつつ!戦争を肯定しているのではないわ!
内面から滲み出る自己犠牲愛は、それが顕在化するための環境なり条件が
整うことによって、美しき感情が深層から滲み出す。
まずはその条件を考えてみようぞ。
この世に一人では発現しないであろうことより、社会というものが存在して
始めて芽生えるものなのだろうよ。
社会の最小単位は二人であることから、人類誕生の頃からあったかも知れぬ。
得体の知れぬこの不合理な感情は、人にしか持ち合わせぬものじゃ。
その感情を表しうるのが社会であるということは、個人と社会との関わりを
問うてくる。引きこもりは、ごく狭い社会とのみ関わりを持ち、一般社会を遠ざける。
それは悪でも善でもないが、同時に美しき感情と疎遠になりがちであるぞ。
{人として生を受けたい上、社会との関わりを避けることは勿体無いのである。
日に一度は空を見上げなさい。外の空気を吸い、他人の立ち振る舞いや
表情、言動に注意を払い、社会との関わりを持ちなさい。
テレビではなく生身の人を観察し、できれば声をかけなさい。
そうすることにより、潜在していた崇高な感情が蘇るのですよ。}
わが師、「選ばれし天空びと」様は、そのように仰ったのじゃ。
>>532 そうだよね。
やっぱり善と悪は表裏一体で、その時々で変化する。
540 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 18:52:46
自己犠牲愛←だんだん長ったらしくなってきたなw
単なる「無駄死に、戦死」だろがw
541 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 19:05:58
↑禿同 ところで話は変わるけど
「PSP」でレンタルビデオ――So-netが「P-TV」の本サービス開始
http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0511/29/news085.html >So-netが「PSP」を対象にしたVoDサービス「Portable TV」(P-TV)の有料サービスを開始した。
>映画、アニメ、ドラマなど約400タイトルをラインアップ。
>PSPのWebブラウザで直接ダウンロードすることも可能に。
これはやられたね。
まさにPSPのポテンシャルの一端を示す、恐るべきサービス。
元より、モンハン(
ttp://www.capcom.co.jp/monsterhunter/P/movie.html)
をはじめとするPS2レベルの本格的ゲームのみならず、
インターネットも閲覧可能、音楽や映像も楽しめる。
充分すぎるほどの魅力を放っていた。
が、とうとう映像配信にも対応した。
低価格で様々なコンテンツをメモリスティックDUOにダウンロードし
最新の映画やドラマを、気軽に持ち歩ける。
これは革命的すぎるサービス。
もう、ビデオレンタル店を利用する事がなくなってしまうかもしれない。
しかも通勤や通学の時間をそれらの視聴に使えるんだ。
忙しい現代人にとって、まさに夢のような出来事だね。
まだPSPをもっていない可哀想な友達にも、ぜひ購入を勧めないとね!
542 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 19:15:45
>>539 善悪自体はなんら変わらないよ。
ただ、人間が正しく判断できないだけ。
いや、それは絶対違う
確固たる善と確固たる悪なんてあるわけない
人の個々の環境によって色合いを変えるだけ
544 :
考える名無しさん:2005/12/06(火) 20:19:50
>>543 善悪は確固としたものだよ。
人や環境で、異なるのは、価値基準や判断能力だけ。
545 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 05:12:23
>>544 その価値基準で判断される善や悪は様々なかたちに変化するよ。
どんな状況、どんな環境でも変わらない善や悪なんて存在しないでしょ?
546 :
ぬえ:2005/12/07(水) 05:30:27
善悪は不透明。とても曖昧だよ。
善悪は所詮人が作り出した人の為のものさし。
その程度の基準でしかない。
547 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 05:35:36
変わらないものはあるだろ。
殺人というものは、明らかな悪ではないが、
何の害も自分に与えない者を殺すのは、明らかな悪だといえないか?
いつの時代だろうと、その殺す奴が何を思っていようとさ。
それにむしろ、人それぞれに善悪の価値が違うというのが一番の悪でしょ。
548 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 05:37:42
>>546 お前が人間じゃないならそれ言ってもいいよ。
>>547 戦争は?
死刑は?
子供をおろす事は?
もう、助からない状態で当人が痛みに耐えきれず、
「殺してくれ!お願いだ!」と訴えられたら?
状況で変化するものなんだよ。
550 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 06:07:46
>>549 屁理屈をいうな。
お前のいう戦争とは、どんな戦争だ。先の大戦か、
それともゲバラのゲリラ戦か。
どちらにしろ悪にかわりない。
死刑は、社会に害を及ぼす者を抹殺することが目的である。
よってそこには害を受ける当人の状況を当てはめることができる。
子をおろすこともしかり、もし子を産んでその子をまともに育てる自信がないのならば、
悪とはいえないだろう。しかし、その自信があり、財力も余裕もあるくせに子をおろすのは悪である。
つまり、個人や社会、もしくはその被殺者(もちろん、殺して、と頼んでくる者もである)
に害を及ぼす、もしくはそれを未然に防ぐための殺人ならば
暗黙のうちに認められるのだよ。
551 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 06:09:57
続き
そして、それ以外の殺人はおおむね悪という結論に達することができる。
>>550 屁理屈ってのは、あなたのレスみたいな事を言うんだよ。
変わらないものはあるだろう。に対してのレスなの。俺のレスは。
あなたの言ってる事はコロコロ変わってますが、大丈夫ですか?
状況、環境、目的などで善や悪なんてものはコロコロ変わるのよ。
553 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 06:40:56
>>552 ばかだな。
文章ちゃんと読めよ。
俺は、状況が変わろうが変わるまいが、
何も害を与えない者を殺すことが明確な悪だと言ってんの。
それは絶対的に変わらないというわけよ。
じゃあお前、
快楽のために人殺す奴がいて、そいつが悪でなくなるという
「状況」ってのを定義してみ。
554 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 06:55:34
>>545 それは善悪についての、判断結果であって「善悪そのもの」じゃないでしょ?
むしろ、善悪そのものが変わらないから、価値基準が変化することによって、
判断結果が変わる。
>>553 あなたこそ、しっかり読みなさいよ。
「人殺し」は変わらない悪だ。ということに対して書き込んでいるの。
「何も害を与えない人を殺す」って状況があれば「人殺し」は悪になる。
「連続猟奇殺人者を死刑にする」って状況なら「人殺し」は善じゃないのか?
「快楽の為に」ってな状況で「人殺し」をするならそれは悪だろ?
556 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 07:01:56
>>545 価値基準によって善悪が変わるというのは、
キリスト教の価値基準では、キリスト教の教義に沿うことが善だが、
イスラム教の価値基準では、イスラム教の教義に反することが善である、
というような違いが起きるということだよ?
そんなことが実際にあるかい?
557 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 07:05:28
>>554 意味不明・・・今そういう話してないの
>>555 俺は、一言も人殺し全般が悪であるとはいってないけど?
>>547でそれははっきりいってるし。
俺がいう、その害を与える云々に対してお前が、
戦争や死刑はどうなるといってんだろ?そうじゃないの?
だから
>>550と
>>551で説明したんだけど。
おまえこそ大丈夫かよ。
>「何も害を与えない人を殺す」って状況があれば「人殺し」は悪になる。
>「連続猟奇殺人者を死刑にする」って状況なら「人殺し」は善じゃないのか?
>「快楽の為に」ってな状況で「人殺し」をするならそれは悪だろ?
俺はこういう事についての悪は、絶対的にかわらないといってるだけ。
>>554 そもそも、善悪って人が作り出した概念のひとつだろ。
「善悪そのもの」って何?
人類が判断したから生まれたものじゃないのか?
誰も、何も判断しなければ、善悪自体が存在しないだろ?
判断結果がかわるなら、善悪自体が変わる。って事なんじゃないの?
559 :
557:2005/12/07(水) 07:07:14
上のレスの上段は、ミスです。スマン。
>>557 すまん。 ごめんなさい。
あなたの言う通りです。 しっかり読めていませんでした。
561 :
560:2005/12/07(水) 07:18:03
>>557 俺が言いたかったのは、状況や環境や目的で善悪は変化する。って事。
それだけ。
562 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 07:29:16
>>557 >意味不明・・・今そういう話してないの
直接レス先指定してるレスに「今そういう話してないの」といわれてもなあ。
あなたが、
>>545 じゃないなら無視すれば?
>>558 >そもそも、善悪って人が作り出した概念のひとつだろ。
まったくそのとおりですね。
>「善悪そのもの」って何?
ある価値基準について、望ましいものが善で、
望ましくないものが悪であるということですよ。
>誰も、何も判断しなければ、善悪自体が存在しないだろ?
判断する前に存在しないなら、どうやって判断するのですか?
>判断結果がかわるなら、善悪自体が変わる。って事なんじゃないの?
善悪自体が変わるってのは、
>>556 のようになるということですよ?
実際にはそうなっていませんね?
563 :
557:2005/12/07(水) 07:29:37
いや、わかってるよ。
お互い同じような意見だったわけだね。
564 :
557:2005/12/07(水) 07:41:52
565 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 07:44:27
例えば村の中の人間が死んだとき
その人間を食べる部族も居るわけじゃん
その部族にとっては、それはその人を伝承するれっきとした『善』
なわけで
でも食人は野蛮であり『悪』だとしてるところも普通にあるじゃん
566 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 09:15:53
「・・・は・・・では善だが・・・では悪だ」という例をたくさん挙げて雑学を誇るスレでつか?
そんなもん、善悪についてさまざまの異なる信念を持っているひとがいるというだけで、善悪の
相対性の根拠にも何にもなってないでつ。
567 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 09:17:22
で?
568 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 09:53:31
566は頭悪いね
「美味い」という言葉の意味は万国共通でも、
「どの食い物を美味いと感じるか」は場所と時と人とで千差万別、
とか、そういう話ですか?
相対主義の連中は「善悪」を「寒さ」に置きかえてみろ。
寒さは人間の作り出した概念であってもともとは存在しない・・・ってアホですか?
571 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 12:46:01
>>553 定義してやるから、
おまえのいう悪が何を指してるのか定義してみろ
>>570 おれはおまえの方が10000倍アホだと思う
573 :
553:2005/12/07(水) 16:34:07
>>571 悪とは、時間やそれぞれの倫理感を超越した普遍的、もしくは客観的な立場、視点において、大多数の人間がそれを悪と認知する事物である。
574 :
ぬえ:2005/12/07(水) 16:38:03
何もしてないものを殺す。
殺す側は殺す事が正義だと信じていたら?
絶対的な善だと信じて殺していたとしたら?
社会と関わりなく育って殺すとか何も知らずに何もしていない者を殺すことは悪か?
殺す行為が悪というのは人の社会の中でしか通用しないこと。
絶対的な悪も絶対的な善も存在しないよ。
主観だけでみれば存在するけれど。
この世界はある程度の善と、ある程度の悪で成り立っているからね。
>>573 「悪」の定義に「悪」が入っていては無意味では。
あらかじめ「悪」の意味がわかっていなければ、「悪と認知する」ことも
「悪と感じる」ことも、不可能では。
576 :
573:2005/12/07(水) 16:48:43
>>575 悪は、理論で云々いえるようなものではない、という意味で書いたのよ。
わかれよ。
577 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 16:51:46
都合の善し悪し
578 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 17:26:42
チンポをしゃぶる動画専門のサイトはよく見かけるが
金玉ばかりなめまくる動画のサイトをさっき見つけた。
これは久しぶりに新しいジャンルを見つけたような気がする。
579 :
ぬえ:2005/12/07(水) 17:38:57
577
結局はそれだな。
まあ、誰しも絶対にしたくない行為がある。
それが自分の中の絶対悪だ。
でもそれがすべての人に当てはまるとは限らないって事。
580 :
至高の剣:2005/12/07(水) 18:34:50
それでは自己犠牲愛や無償の愛とは何なのか?
動物的本能やエゴとは違う、種の保存に反する不合理な行為を何故するのだろう。
そこに決定的に欠けているものは何だろう。
保身、エゴ、打算、欲望、すべてが候補であろうよ。
その中で対極に位置するものを選択しなければならぬ。
それが、美の対極にある醜だと余は考えておるのじゃ。
まず欲望は種の保存から考えて必要不可欠であり、除外せねばならぬ。
その意味において保身も同様じゃな。
残るはエゴと打算であるが、打算は進化のために必要であろうぞ。
そして最後に残ったエゴこそが社会の秩序を乱し、種の継続的発展に対する
阻害要因と考えられるのじゃ。
それは極めて本能的で、「自分さえ良ければ他の者はどうなろうと構わない」
という、人格的な構造欠陥が透けて見えるのであるよ。
現代の日本でエゴの巣窟とも言える職種があり、それはズバリ官僚である。
日本の官僚の醜悪さは、ずば抜けたふてぶてしさと犯罪の隠蔽工作で明らかじゃ。
自己利益のためには、国家を悪魔に譲り渡すことさえ厭わない。
高級官僚の過半数が東大卒で占められており、その彼らが日本を支配する。
言わば、東大官僚こそ最悪で最も醜い存在だと結論が出るのじゃ。
余の如く、珠玉の論理を進める者は少なかろう。
羊と狂った羊飼いの関係をここまで曝してよいのであろうか。
581 :
ぬえ:2005/12/07(水) 19:10:21
エゴ=悪と考えるのは良くないと思うよ。
エゴはエゴ。人の考える善や悪、どちらかに傾くかで変わると思う。
人の行動のほとんどがエゴによるものだしね。
582 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 19:11:45
エゴは徳の妨げとなり悪である。
583 :
ぬえ:2005/12/07(水) 19:18:18
自己犠牲愛もエゴ。
それで自分は満たされるのだから。
満たされるものが欲しいがための行為。
だと思います。
584 :
至高の剣:2005/12/07(水) 19:20:53
>>581 美醜で判断すれば、美の対極に在ると言っておる。
それは最も醜いものであり、その意味において最悪とした。
勿論、善悪の判断における最悪ではない。
585 :
至高の剣:2005/12/07(水) 19:35:04
>>583 >>583 その意味で強弁するなら、エゴというより欲望に当てはまるのじゃよ。
しかし欲望は生存と不可分の関係にある。
反して、エゴは種の継続に害はあれど、益にはならぬもの。
その辺りの理解が浅いぞよ。下がってよろしい。
586 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 20:29:41
で?
587 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 20:32:38
あのさ、君のHPのBBSじゃないんだから。 >>剣
588 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 20:45:51
589 :
神様:2005/12/07(水) 21:30:18
>>584も、おもしろいから下がらなくでよい。
最高善について語られよ!
590 :
骨肉の争い ◆rBlGBOMBeg :2005/12/07(水) 22:23:06
良スレ
591 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 22:31:24
ある時代には天動説が信じられ、他の時代には地動説が信じられていることは、
「天文学的な事実」は存在しないという結論の根拠にはならないでしょ。
同様に、善悪の判断が時代・地域によって異なっていることも、
それだけでは善悪に関する事実など存在せず、
すべてが人間の取り決めであるという結論の根拠にはなりませんよ。
593 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 22:55:26
>>591 地動説は天文学的な事実ではないのか?
天動説は宗教的妄信で、地動説は事実に基づく確信だろう。
594 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:06:58
もし、ずっと後世の人間が
宗教でも科学でもない新しい分野の学問をやるようになって、
地動説はおかしいという結論をつけたとしたら?
そして、前時代の人間はアホだとか言ってたらどうよ。
595 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:07:19
「陽はまた昇る」と言ってノーベル文学賞を
受賞したやつもいる
天文学より文学を人類はとった
596 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:19:18
>>594 帰納不可能な仮定法で話をされても議論にならない。
そういうことを言ってはいけない。とは言わない。
妄想トークは楽しいからな。
ただ、こちらとしてはその理論には付き合えない。
議論の土俵の場外乱闘が目に見えてるから。
597 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:21:04
>>593 >天動説は宗教的妄信で
そこまで言うといいすぎ。
少しは歴史を勉強しなさい。
598 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:22:11
>>578 スパイウェア汚染間違い無しのサイトだなw
599 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:25:04
アッラーアクバルで自爆する連中、テロは絶対に悪だと言い張っても、連中には悪をなしてる自覚はない。
善悪は御都合なのだよ。
600 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:28:16
そりゃそうだろう。
彼らの価値観には適合してるんだから、彼らにとってはまごうことなき善だよ。
われわれが、われわれにとっての価値観に適合するものを善と言っているようにね。
つまり、彼らもわれわれも「同じく」「自分の価値観に適合するもの」を善といっているわけだ。
601 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:31:17
そういう、個人の善というものと、
人類の善というのは、まったく別の種類のものではないのか?
602 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:33:30
「別のもの」でないなら、名前だけ同じ別の概念ということだし、
「別の「種類のもの」」であるのなら、なんらかの共通点があるはずだ。
603 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:34:16
×「別のもの」でないなら、名前だけ同じ別の概念ということだし、
○「別のもの」なら、名前だけ同じ別の概念ということだし、
604 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:39:24
時代や地域ごと特異性の支配下にある合理主義
605 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:39:27
共通点はたしかにあるとは思うが、
往々にして相容れない時が多々ある。
たとえば同じ水であるけども、大きな湖と、そこへ注ぎ込むいくつもの細い川、
あるいはそこから海へと流れ込んでいく下流では、全く別の流れを形作っている。
606 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:43:22
>>601 そんなものがあるとすれば、それは宗教でも倫理でも経済でもなく、科学的考察によってしか見い出されないと思う。
607 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:46:04
とにかく宗教は最悪だ。ヤクザは悪い事をやっている自覚を持っているが、形式的に同じ事を、
宗教は善意故と信じ込ませて行なわせる。
608 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:48:01
総研は宗教、姉歯は下っ端の実務宣教師
609 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:52:58
>>605 とりあえず、その例では「相容れない点」というのは見出せないけれど。
610 :
考える名無しさん:2005/12/07(水) 23:59:23
事物を指定して、その善悪を問うことはできない。
しかしあらゆる状況にあいて人はその善悪を知ることができる。
そしてまた、誤った善悪の価値観をもたぬように人は気をつけなければならない。
そのために人は、生命の次に理性をいうもの己の内に誕生させることができる。
理性の求むることこそ善であり、それ以外の何ものでもない。
仮に理性をうまく誕生させることの出来ないでいる人間は、
生まれたままの生命が持つ本能によって善悪を見極めようとし、
さらに頭を働かせてそれが正しいのか間違っているのかを
検証しようとさえしない。
この板で、善悪について、「それは曖昧である」「状況によって変化する」
「人の都合である」などと解釈する人間にとって、彼らの捉える善悪が
おおむね人の本能によって創られている善悪だということが分かっていないらしい。
理性の捉える善悪の基準こそが、人類にとっての善悪であり
それはたとえ、幾百幾千の言葉を用いようと説明のつきがたいものであり
それについては、哲学というものはただ沈黙するしかないのである。
611 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 00:01:44
612 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 00:08:10
>>611 「見出せない」理由は、普通、「無いから」だと思いますが。
o-o、
('A`) メガネメガネ
ノ ノ)_
614 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 00:09:30
天動説・地動説についても、
>> 彼らの信念には適合してるんだから、彼らにとってはまごうことなき真理だよ。
>> われわれが、われわれにとっての信念に適合するものを真理と言っているようにね。
>>
>> つまり、彼らもわれわれも「同じく」「自分の信念に適合するもの」を真理といっているわけだ。
でいいですか?
615 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 00:13:49
616 :
◆GUGENiOq0w :2005/12/08(木) 00:57:01
>>610 ≫それについては、哲学というものはただ沈黙するしかないのである。
誰かが横着すれば悪い惰性が生じて次第に時代の渦とならば其の邪悪
勢い任せに邁進を食い止める事は比重が増し仕舞いには沸点に達して触れる事ができなくなる高圧の覚り
617 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 07:08:13
>>614 価値観 善悪 事実 という言葉の関係を考えて見ましょう。
・事実の価値観との適合・不適合が善悪である。
これにならって、信念 真理 事実 という言葉の関係を述べると、
・真理の事実との適合が信念である。
となります。
したがって、その言い換えは適切でなく、
>> 彼らの(認識している範囲の)事実には適合してるんだから、彼らにとってはまごうことなき信念だよ。
>> われわれが、われわれにとっての(認識している範囲の)事実に適合するものを信念と言っているようにね。
>>
>> つまり、彼らもわれわれも「同じく」「自分の(認識している範囲の)事実に適合するもの」を信念といっているわけだ。
ということになります。
618 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 10:20:12
要点は、<善=各々の価値観に適合するもの>と考え、
そこから「道徳的事実」の実在の否定を結論として導いている人は、
認識全般について、<真=各々の信念に適合するもの>と考え、
「事実」の実在を否定するのか否か、ということです。
619 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 10:39:25
「事実」の実在を否定する事は悪である。
620 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 13:48:32
>>618 全般的にどういうことをおっしゃっているのかわかりかねます。
とりあえず、
>要点は、<善=各々の価値観に適合するもの>と考え、
>そこから「道徳的事実」の実在の否定を結論として導いている人は、
の部分が、日本語としてどういう意味なのかがわかりません。
どのレスのどの部分で、そのような結論が導き出されていると、
あなたはお考えなのですか?
621 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 14:21:33
>>620 普通の日本語で書かれた文の意味がわからないのでは、
議論は無理ですね。
レスの番号まで調べる気にはなりません。
622 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 14:41:31
<普通の日本語で書かれた文>イコール
=<普通に意味を伝えることのできた文>だ
・・という新説を立てんとするココロザシは
わからんでもないが、愚説w
順序が逆になってるぞw
意味の伝わらないものを日本語と呼ぶことは
できない
623 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 14:48:18
>>618のどこに新説があるんだ? こりゃ、たしかにまったく意味が通じてないな。
<意味を伝えることができた文>って、それは読み手によるだろ。
おまいが読み手じゃ、図書館の本の大半は「日本語と呼ぶことはできない」じゃないのか?
624 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 14:49:53
>>621 無理だとおっしゃるなら、仕方ありませんね。
ここまでということで。
625 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 15:23:18
人類にとっての究極の選択が「有効な最大員数を存続する」ことであると仮定し、善悪はその命題から
演繹すれば?
626 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 15:25:09
>>623 物事は「 伝わって初めて意味になる」のがわからんのw?
世界は おまいみたいなカン違い野郎で埋め尽くされてる
【かん違いエンサイクロペディア】
1.自分でわかってない事柄をわかってるものとして扱う
・・(無能の人、2ちゃんバージョンw
2.それをためしにヒトに言ってみる・・(腕試しw
3.賛意の登場を待つ・・(あったためしがないw
4.否定意見には読解力の無さ、日本語がわからないヤツ
という解釈で切りぬけようとする・・(単細胞w
もちろん自説を否定するヤツ対し根拠などいらないと考える
・・(無責任w
5.自分でも自分の言ってることがよくわかってないので
細かい点の指摘に対しては逃亡
なんとか馬鹿にできるセリフはないかと右往左往
・・(おれのわからない事を聞くとは なんちゅ〜馬鹿?
6.他スレに移動すると もう自己の馬鹿さ加減を忘れてる
・・(すでに老化・廃人に向かってる自覚がないw
7.1.〜6.を死ぬまで繰り返す (ノ_ _)ノ サルト イッショw
627 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 18:22:30
国際社会では善悪は冷徹なものでな
第一次大戦ではドイツが毒ガスを使うと、暗黙の内に使うことが禁じられていた毒ガスの使用が合法となってしまい
双方が使いまくった。
第二次大戦ではヒトラーでさえ、同じ毒ガスの報復連鎖が起こることを怖れてしまい、最期まで使わなかった。
アメリカは真珠湾攻撃への報復を建前として病院船や民間人の避難船まで撃沈したが、日本人は馬鹿正直にもそんなことは最期までしなかった。
それでも結局、善悪は勝ったものが善となった。。。。
時々思うのが日本人が無宗教が多いのは現実世界をあまりにも理想的に見ているから、精神世界に理想を求める必要はないからではないか
欧米人が宗教を捨てきれないのは、現実世界があまりにも冷酷なことを知っているから、せめて精神世界くらいは理想を求めたいのではないか
そんなことを考えることがあるな。
ともかく国際社会も国の正義も全ての善悪は、その時代の主導権を握ったものが決めるものであり、その逆ではない
628 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 19:18:26
主導権を握ったものが、善悪を「決められる」のか、
ずいぶんお気楽で牧歌的な善悪もあったものだ。
価値観がいっぱいあるから普遍的な善悪は存在しない
のならば
価値観(ものの見方)がいっぱいあるから普遍的な事実は存在しないともいえるのか?
俺は上の「寒さ」の喩えをした愚人だが、
日本人にとって寒くてもモンゴル人には寒くない、寒さなんてあるわけないじゃんw
というのがおかしいと言っているのだ。
630 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 21:45:29
>>629 >価値観がいっぱいあるから普遍的な善悪は存在しない
>のならば
>価値観(ものの見方)がいっぱいあるから普遍的な事実は存在しないともいえるのか?
「のならば」もなにも、前者からどういう論理をたどると、
後者が出てくるのか、さっぱりわかりません。
そこのところの理屈をまず説明してください。
631 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 21:54:47
「価値観がいっぱいあるから普遍的な善悪は存在しない」なんて馬鹿げているという趣旨の
発(
>>629)に対して、
>>630の質問とは・・・・・・。
632 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 21:58:56
ああ、そうでないのか。
ア.価値観がいっぱいある → 普遍的な善悪は存在しない。
イ.世界観がいっぱいある → 普遍的な事実は存在しない。
アを主張しても、必ずしもイは認める必要がないってことを言いたいのかな?
633 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 22:01:33
とりあえず、誰かを批判したいのなら、レス先を示そう。
あなたの解釈に誤解があった場合、
何を批判してるのか誰にもわからなくなる可能性があるし、
ぜんぜん別の人がまた別の解釈で反論してくるかもしれない。
634 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 22:06:02
善悪は価値観と事柄の関係なんだから、価値観が多様であれば、
同じ事柄について善悪が異なるのは当たり前。
しかし、このことは普遍的な事実が存在しないということを意味しない。
普遍的でないのは価値観であって、価値観と事柄の関係について善悪常に不変。
(価値観に沿う事柄が善で損なうことがらが悪、この関係が価値観の内容によって、
逆転することは無い)
しかし、事実は価値観についての概念ではない(価値観の存在そのものについての事実のような場合を除いて)
のだから、価値観のありようは、事実のありようとは無関係。
635 :
考える名無しさん:2005/12/08(木) 22:15:30
>>634 そう独断的に言われても困るよ。善悪についての事実が存在するか否かが問題なんだから。
一般的に、人々が異なる信念をもっていることは事実の非存在の根拠にはならない。
それゆえ、善悪の判断が人によって違うことも、
「善悪についての事実は存在しない」ということの結論にはならない。
これはいいのかな?
>>631 普遍的な善悪の存在とは何か?
>>625-626 働かずに楽する趣旨に詳しいニートが善悪の判断を自分たちが助かりたい為だけ
>>633 物事を解釈できなくなる状態は少しでも楽がしたいという逃げでしかないらしく
>>634 邪悪という意味では無かろうか
>>628-630 家族内に指導者は不必要に尽き実際問題は圧力とか余計に症状を悪化させる失敗を何とも思わない事柄にあり
>>618 例えば時間を提供しても空回りだけでは無意味という事と各々の用件が
矢張り円滑に満たされている状態を間接的に否定する自体が最大の盲点かと思われます
>>635 一方に善意すなわち非存在の根拠を以て対応すると一方は悪意かと
疑心暗鬼に陥る信念に関しては表面で物事を判断する場合は善悪が
一応は判定することは可能だが何らかの優遇でなく本当は還元している
必然的に…‥
638 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 00:10:19
ヨクマー コンダケ ノータリンガ アツマッタ モンダ(^^;
モットイッテヤレ゜∀゜
640 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 00:19:27
つまり、善も悪もよろしくないということだ
641 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 03:03:36
悪人皆往生
自分の所業の罪深さを知っている人間こそ、本当の善人であり
自分が善人だと信じている人間は往生できない
642 :
まずる:2005/12/09(金) 04:02:01
現在の善悪を確定するのは裁判官で哲学者ではない。
宗教学者と法学者の言葉は聞くとして
哲学者と言うのは職業じゃなく、自らの答えを持つ者
↓以下続く
644 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 04:56:04
>>642 はあ?適法違法と量刑賠償を決めてるだけでしょ
645 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 07:10:15
>>635 >善悪についての事実が存在するか否かが問題なんだから。
だから「善悪についての事実」って何ですか?
なぜ、そのことが問題になるのですか?
646 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 08:40:20
そりゃ、問題になるでしょ。善悪についての事実が存在するとしたら、
「・・・は善い/悪い」という判断に真偽があるのだし、
ソクラテスが考えたように、善悪についての知識というのもあり得る、
もし善悪についての事実が存在しないとしたら、
善悪の判断というのは主観の投影であり、真偽はない、云々、
ということになるんだから。
647 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 08:43:18
「善悪の尺度は人間である。善いことについてはそれが善いということの、
悪いことについてはそれが悪いということの」という善悪についての人間尺度説っていうのは、
人間の主観とは独立した「善悪についての事実」は存在しないということだし。
648 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 13:39:10
>>646 だから、「善悪についての事実」というのが、
具体的にどういうことを指してるのかさっぱりわからんのですよ。
>「・・・は善い/悪い」という判断に真偽があるのだし、
はい、そうですね。
>ソクラテスが考えたように、善悪についての知識というのもあり得る、
そうですね。
>もし善悪についての事実が存在しないとしたら、
>善悪の判断というのは主観の投影であり、真偽はない、云々、
>ということになるんだから。
ですから、「善悪についての事実」というのは、どういうことを言ってるのですか?
言葉の意味をちゃんと説明してくれないと、そんなことを言われても、
なんの関係があるのかさっぱりわかりません。
>>648
は荒らしでつか?
「事実」は人間の主観に関係なく客観的普遍的に存在するが、
ある「事実」を「道徳的事実」に変えるのは人間の個別的主観である、
ではだめですか。
たとえば「温度」は人間の主観に関係なく存在するが、
ある「温度」を「寒さ」に変えるのは人間の主観である、と同じように。
同じ「温度」でも、日本人にとっては「寒さ」であるが、エスキモーに
とっては「寒さ」ではない。
同じ「牛の肉を食べる」事実でも、日本人にとっては道徳的事実では
ないが、インド人にとっては道徳的事実である、とか。
↑「道徳的事実」ではないですね「善悪についての事実」
ニーチェが言ってるでしょ
真実などない。あるのは解釈のみ。
真実を善悪に替えて考えたらいいと思う
>>652 >あるのは解釈のみ
なぜそう言えるのですか?
確固たる真実、確固たる善、確固たる悪
今現在、どう考えてもそれらは見出せない
あると思うとしたら、それは自己満足ではないだろうかと思う俺
万人共通の答えがない場合、それは各々の解釈しかないだろう
そう思ってるわけ
ただ、一部真実に関してはどうかな?
俺が俺であることはどうも真実のよう
でも過去の記憶ときたら、取りとめもないほどに頼りないもので
それらに寄りかかって生きてはいるが
655 :
654:2005/12/09(金) 17:23:06
でも過去の記憶ときたら、取りとめもないほどに頼りないもので
それらに寄りかかって生きてはいるが
これ蛇足でしたw
無視よろしく
656 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 18:26:48
>>650 >>651 だから、「道徳的事実」とか、「善悪についての事実」 の意味を、まず説明してください。
それなしで、それを変えるとか言われても、何をおっしゃっているのかさっぱりわかりません。
657 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 18:29:57
「石についての事実」の意味は分かるか?
658 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 18:36:00
おそらく。
659 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 18:42:16
ならば「石」の部分を「善悪」に置き換えるべし。
まず、 何か? の妥当性を提示してください。
661 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 18:51:35
普通、個人の持ってる考えや、自分で使ってる語彙やその意味ってのは、
人によって多少の違いがあるよね。
だから、議論において、そういった違いによる齟齬が生じる場合がある。
それで、まともな人間というのは、ある人がある主張をしたときに、
その人の発言について、自分の考えと違うと考えたとき、
その考えを自分の語彙で考えた後で、「相手の語彙」に変換して質問する。
ある言葉(たとえばA)でなされた主張については、
たとえそれについて、自分は違う語彙(たとえばB)で考えていたとしても、
その主張に反論したい場合は、相手の言葉(A)に置き換えて、話す。
そうすれば、お互いに混乱がすくなく、議論がスムーズに進む。
ところが、自我肥大が進行している人は、そういった思考ができなくて、
相手が「Aは○○だ」と主張したことに対して、「Bは××だ」と反論する。
この人自身のなかでは、AとBの関係は明白だから、「Bは××だ」は
「Aは○○だ」の反論になっているんだが、その自分だけの認識を「自明のこと」と思い込んでるから、
面食らった相手が「Bって何ですか?」
と聞いても頑として説明を拒み、Bについての主張を繰り返すだけ。
これでは議論は成立しようがない。
662 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 18:55:49
>>659 「善悪についての事実」がそのような意味だとすると、
たとえば、「善悪は漢字である」ということもそれに該当することになります。
すると、
>ある「事実」を「善悪についての事実」 に変えるのは人間の個別的主観である、
の意味がちんぷんかんぷんなんですが。
「善悪についての事実」が、「善悪の判断の対象になる事実」を
意味するなら、あるに決まっている。ないほうがおかしい。
それから、「事実」が必ずしも主観を排除するものではない。
主観的事実というものもある。「真偽」も同じ。主観的真偽もある。
>>646の
>もし善悪についての事実が存在しないとしたら、
>善悪の判断というのは主観の投影であり、真偽はない、云々、
>ということになるんだから。
というのがそもそも違うのではないか。善悪についての事実があるかどうか
と善悪の判断が主観の投影であるかどうかは別に関係ないし、
主観の投影であるからといって真偽がないということにもなるまい。
664 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 19:22:36
>たとえば、「善悪は漢字である」ということもそれに該当することになります。
それは含まない。「〜についての事実」の「〜」の部分に善悪を当てはめてみる、ということだ。
快不快の問題
はい、解決。
667 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 19:25:55
>>664 「善悪は概念である」は当てはまりますね?
668 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 19:31:34
〜ね? ってのが笑えるw
669 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 19:35:01
善をこつこつ施しても悪はなくならない。
善悪は人間が勝手に線を引いただけのもので
例えば人を殺すことは、殺される側が不快。(場合によっては殺す側も)
人を助ける事は、助けられた人が或る種受け続けたくなかった不快なものが取り払われる(快へ)。
前者は悪。後者は善。他人がいなきゃ生まれない
と馬鹿な俺が言ってみる
>>667 「手についての事実」は、左右二つある、指が五本ついている、物を持つ・・・など
「茸についての事実」は、暗い湿ったところによく生える、食えるものと食えないものがある、黴の仲間である・・・など
「2chについての事実」は、スレッドという小さい掲示板が集まってできている、電車男で有名、荒れる・・・など
では「善悪についての事実」とは何だろうか?
672 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 19:52:07
>>671 馬鹿だなw
事実は事実
評価前の姿をいう
善悪についての事実なんて無い
それだと評価が折り込み済みとなる
そんなもの 事実とは言わない
673 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 19:53:05
>>671 あなたのそのレスに従えば、
「概念である」も「善悪についての事実」ですね。
「私は〜すると幸福(不幸)である」というのは、「善悪についての事実」か?
「私は〜したい」というのは、「善悪についての事実」か?
「私は〜するのは善い(悪い)ことだと思う」というのは、「善悪についての事実」か?
675 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 22:14:40
善悪についての事実というのは、例えば「殺人は悪い/悪くない」というような事実ですよ。
各人がどう考えるかとは独立して、「殺人は悪い/悪くない」という事実が存在するなら、
その事実との対応で「殺人は悪い」という主張に真偽があるということになるけれど、
そうでないなら道徳的判断の真理条件を考えるのが困難になり、道徳的判断は
「感情の表明」とか、「偽装された命令文」などといった仕方で説明されることになります。
676 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 22:19:47
>善悪についての事実というのは、例えば「殺人は悪い/悪くない」というような事実ですよ。
そもそも、「殺人は悪い/悪くない」は「事実」なんか?
677 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 23:10:38
「事実」なのか否かが、20世紀のメタ倫理学の最大のテーマだったわけです。
たとえば「この花は赤い」というのは「事実」なのか?
679 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 23:37:10
「この花は赤い」という文は、その文に表されている事実が存在するときには真であり、
そうでないときには偽である、ということですね。
680 :
考える名無しさん:2005/12/09(金) 23:56:02
>>678 正確に言えば事実ではないな。
対象となる物質自体に「赤い」という性質が客観的に存在するわけでは
ないからな。
正確には「今現在、私の目にはこの花が赤く見えている」というのが「事実」。
善悪も基本的には同じだろう。
「今現在、私にはこの殺人が悪い(悪くない)と感じられる」というのが「事実」。
681 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 00:07:11
>>680 「この花は赤い」というのは「今私の目にはこの花が赤く見えている」
ということではないく、通常の光線の元で普通の視覚の人に赤の感覚
を生じさせる性質をその花が持っている、ということではないですか?
そして、その「赤さ」は「第二性質」ではあるかもしれないけれど、
花に実在している性質の一つでしょ?
682 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 00:09:35
>>680 あなたが言っているのは、いかなる性質も客観的に存在するわけではないということ?
それとも、客観的に存在する性質と、そうでない性質があるということ?
白い花も赤い光で照らせば赤く見えるが、赤い花になったのではない。
一般的には反射特性を指しているのだ。
684 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 00:15:50
>>681 「通常の光線」とか「普通の視覚」とかいう言い方はまずいな。
何となく「価値判断」が含まれるように感じてしまう。
「どれだけの波長の光線」「かくかくしかじかの構造の目と脳によって
得られる視覚」とでも言うのが正確。
第二性質と呼ぶかどうかはどうでもよい。それが「観察者と観察条件によって
変化して、一義的に定まらない性質」であることが明確なら。
685 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 00:20:17
「この花は赤い」と言って、それに異をとなえる者がいなければ
それは事実=真でいいんじゃね?
686 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 00:20:39
「観察者と観察条件によって変化して、一義的に定まらない性質」なんて
言い方のほうがよっぽど「まずい」と思うがなあ。
687 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 00:22:28
>>685 異をとなえる者がいてもいたらダメなの?
色覚異常者が「俺には緑に見える」と言うと、
その花が赤いことが事実でなくなったりするか?
688 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 07:12:40
どうも、妙な方向へ走ってしまっているな。
不可知性については妥協するしかないんじゃないの。
そうしないと、「確かなことは誰にもわからない」で終わってしまう。
689 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 07:33:18
色弱とかいう時点で色に関する真理から程遠いことくらいは、わかるけどね。
690 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 08:02:14
例えば、値段の高い安い、というのは、事実なのか。
日用品や実用品では、相場からある程度誰でも納得する判断を自動的に下せるが、
趣味の骨董品や嗜好品の値段は、例えば「この壺は一万円で売られている」という
「事実」だけでは、「高い、安い」という事実が存在してるとはいえない。
あくまでも、個々の個人の中での値踏みに対して、高いか安いかによって、
個々の個人の判断の中に、「高い、安い」が存在しているだけだ。
だから、人によって、「高い、安い」は異なるだろう。
しかし、「自分の値踏みより高価なものは高く、安価なものは安い」という「高い安い」
は確かに存在しているし、その点については確固普遍だ。
だから、
・「高い、安い」の「事実」は人間を離れては存在しない。
・個々の価格についての「高い安い」は人によって異なる。
・「高い、安い」という「概念」は存在し、それは普遍的で確固としたものだ。
これら3つは矛盾無く鼎立するし、前者2つによって最後のひとつが否定されるということはない。
691 :
至高の剣:2005/12/10(土) 11:42:11
余の啓蒙活動により、よい方向性に向かっておるようじゃな。
訳のわからん単語を羅列して満足していてはならん。
難解な書を取り上げて、一般人の進入を拒んではならぬ。
さて尋ね人の質問に答えなければならぬぞよ。
美の基準は何か、との反論含みのものであった。
答えよう。それは感動である。
感動こそが人の奥底にある、人を人たらしめている感情である。
それでは感動の対極は何であろうか。
それは「卑劣な感情を感じること」で、悪寒に近い感情であろう。
勿論、受け取り手により、感動の度合いにも差異があろうぞ。
それは悪寒もしかりである。
これで美醜についての講義は終了することとする。
纏めると、美は醜より多数の人に肯定的な影響を与える。
それに受け容れ易く、社会に好影響をもたらすということじゃ。
社会から見れば、少なくとも美は悪ではないとの推論が成り立つ。
余はスレタイを踏み外してはおらぬ。
これからも寒さに震える子羊に指針を与えるつもりである。
余の精神から溢れ出る高貴で稀有な叡智を、無料コーチするのじゃっ。
これはボランティアであるが、愚民のために一肌脱ごうぞ。
692 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 13:07:05
訳のわからん単語を羅列して満足していてはならん←w !!
693 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 13:59:57
事実に一片の評価でも加えたら もう事実の歪曲となる
>>690を例にとると
壺が自分の値踏みの「半値」だったまでは事実でも
そこに「これは安い」という評価が加えられてしまうと
いっぺんに事実性(普遍性)が損なわれてしまう
なぜなら、他店が同じものをはるかに安い値で売ってことを知ったら、
「安いという評価」は消し飛ぶ
しかし他店が遠い場所で交通費等を合わせると損な場合のある事、
損にならない場合も、足を運ぶ手間やかける時間まで加味した場合、
はたしてどちらが安い・得だと言えるか・・その総合判定は往々にして
自己の中でも困難な場合がある
せいぜい、そのときそう「感じた」のは事実である程度・・かな?
まさか1個人の感じを「世界の真実・事実」と断じるわけにはいかない
従い、事実を記述しようとする者、また事実や否やを問う者は
記述から形容詞の類(=評価の言葉)を取り除く事を要求される
そうはいっても人間は事物の評価を必ずしており評価は不可避
我々は事実を歪曲して日常を過ごしてるのが「事実」だってことw
694 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 14:09:30
>>693 >いっぺんに事実性(普遍性)が損なわれてしまう
事実性=普遍性なの?
たとえば、「服のサイズが合う」という事実は、
特定の体型の人にしかあてはまらない(「普遍性が無い」)から、
存在し得ないということ?
695 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 14:30:25
>>694 この世で普遍といえるのは「事実だけ」
ほかにない
で、事実ってのは5W1Hで構成される
実際それらが完全にそろう事は考えにくいので
「5W1Hをできる限り備えたもの」、
「他にそれ以上の信憑性を示す対抗存在の無い事象」と
いうべき・・かな?
結論だが、「服のサイズが合う」←は事実と判定しがたい
「誰」という「合うの主体」が欠けており、
事実の最低限の要件すら満たしていないからね
696 :
天才:2005/12/10(土) 14:32:14
>>694 君よ、「私に合う服のサイズ、、、」に、変えたまえ。
主語がないから、いけないのだよ。
単に「服のサイズが合う」ということはだな、それこそ
人類に普遍性のある言葉であろうよ。
697 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 14:38:43
事実と評価の二分を前提にすることは、価値に関する事実の存在の否定を前提にしているに等しいんだが。
698 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 14:43:04
例えば、「美」というのは対象に実在する性質なのか、それとも各人の主観的な評価の投影なのか。
同じ対象を美しいと思う者もいれば思わない者もいるということは、それだけで美という性質の
実在を否定する根拠になるわけではない。そこに美があるにもかかわらずそれを認識できない者もいる
というだけのこととも考えられる。
感性の性質。
もっと言えば脳の性質。
700 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 15:05:27
>>695 >結論だが、「服のサイズが合う」←は事実と判定しがたい
>「誰」という「合うの主体」が欠けており、
>事実の最低限の要件すら満たしていないからね
では「○○は善である」も、事実とは判定しがたいということですね。
「何にとって」という「善の主体」が欠けており、
事実の最低限の要件を満たしていませんからね。
701 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 15:45:34
>>700 お〜よく核心に気がついたね、そのとおりw
主体がなければ事実とはいえないというのはなぜか?
703 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 17:09:47
事実とは行為・行動、もっというなら「運動」じゃん
運動の主体がなくて運動だけ存在するか?
ありえないだろw
【にちゃん名物、貧乏ニートの特徴】
・面倒なことから逃げ回ってきたので経験値が非常に少なく人間総合レベルが低い。
・なので、ダメな自分を言い繕うことが習い性になっており、言い訳力ばかりが高い。
・狭い視野と世界で生きているので、知識自慢をしたり、すぐに対立を煽る。
・一般人を知的ではないと見下している割には、自分は他人の与える答えを憶えやすい。
・恐ろしくカラーがなく無視されてきたので、カラーのある人間を攻撃対象に選ぶ。
・自分が無能で退屈であるとばれないように、発言しないで誰かの意見をそのまま言う。
・答えを憶える勉強ばかりしてきた為HQが低く、自分で考えたり判断することができない。
・自分より優れたひとや、自分の足らないところを補う人と付き合えず、とんでもなく孤独。
・もはや自分が自力で今より幸福になることはないので、他人の不幸をクローズアップして忘却。
・人と目を合わせて話すことができず、ひとに聞こえるように話すこともできず、促すと怒る。
・断片的知識ばかりで、体験を通じた知恵や情感が無い。
>運動だけ存在するか?
「昨日」という運動の主体は何ですか?
別人だけど時間じゃね
707 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 18:02:31
>>705 まだ言ってんのかw
昨日が運動してどうする
「昨日」という時間自体は運動の主体たり得ないだろ
あえて主体に仕立て上げるなら
昨日という時間枠の中で「なにかしら」が行なった
運動の総和が・・昨日という語に集約表現されて
さも主体のごとく語られる事はあるが
そう、時間は全ての認識のアプリオリな条件なんだ!
709 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 18:19:24
時間が象徴界の善を悪に変様させる。
710 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 18:24:48
>>700 >「何にとって」という「善の主体」が欠けており、
>事実の最低限の要件を満たしていませんからね。
「事実の最低限の要件」というのは何のことですか?
最初から「善」というのは「○○にとっての善」でしかあり得ないと決め付けていれば、
当然善悪に関する事実などないということになるでしょう。
あなたがそう考えているのは分りましたが、その信念には根拠がありますか?
711 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 18:28:23
712 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 18:38:40
713 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 18:40:09
>>710 >「事実の最低限の要件」というのは何のことですか?
それは、
>>695 さんに伺ったほうがいいんじゃないですか?
>最初から「善」というのは「○○にとっての善」でしかあり得ないと決め付けていれば、
>当然善悪に関する事実などないということになるでしょう。
決め付けではなくて、観察事実ですよ。
「善悪に関する事実」という言葉が、「なんらかの事柄が善であったり、悪であったりすること」
という意味であるという前提で答えますと、善悪についての事実はもちろん存在しますよ。
単に、
>>695 さんの論理、語彙でで行くと、「「○○は善である」という事実は無い」という表現になるということです。
私の解釈では、「○○は善である」
>あなたがそう考えているのは分りましたが、その信念には根拠がありますか?
「○○にとって」という前提なしで、誰もが悪、ないしは善と認め得る事柄が一つも観察されていないからですよ。
あなたが一つでもそういう事柄を示してくだされば、わたしの(あなたの言うところの)「信念」も、
疑念に変わるでしょう。
>>712 「何を」どうにかしなくちゃいけないのですか?
>>713 例えば「白い」は誰にとっても白いと認める事柄が観察されているのか?
>>715 自然科学の世界、また、印刷業界などでは、一定の定義がありますね。
717 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 18:56:21
誰もが認めるものでなければ事実でないと考えるのに
自分の意見だけは観察「事実」? 変だと思わない?
718 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 19:23:20
>717
言葉の意味が分かっていませんね。
「観察事実」というのは、「観察された事実」のことで
「だれかの意見」という意味ではありませんよ。
「「蟷螂はバッタを食べる」というのは観察事実です」と言った場合、
これは「私の意見では蟷螂はバッタを食べます」という意味ではなく、
「私は蟷螂がバッタを食べるのを観察しました」という意味ですよ。
719 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 19:33:42
>>718 いいえ、あなたは単に自分の意見に過ぎないものを、観察事実と称している
のです。「「善」というのは「○○にとっての善」でしかあり得ない」なん
てことが「観察」できるわけないでしょうが。
>>718 >のです。「「善」というのは「○○にとっての善」でしかあり得ない」なん
というか、「○○にとっての善」しか観察されない、と申し上げているのです。
>>720 「∅(空集合)にとっての善」はあるのだろうか?
>>710 >最初から「善」というのは「○○にとっての善」でしかあり得ないと決め付けていれば、
>当然善悪に関する事実などないということになるでしょう。
そんなことはないでしょう。「××は、○○にとっての善である」というのは、
(事実だとすれば)誰にとっても変わりのない「客観的事実」ですよ。
砂糖が入ったカレーを美味しいと感じる人がいるなら、
「砂糖入りカレーは、その人にとっての美味である」というのは、客観的事実
であるのと同じです。
723 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 20:10:35
文脈を考えてほしい。そこで言っている「善悪に関する事実」というのは、
「○○は××を善/悪と思う(感じる)」というような各人の主観とは独立した
「××は善/悪である」という事実のこと。
724 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 22:00:06
ええと、「○○にとっての善」というのは、そもそもが、
>>695 あたりに「言い方」にあわせて、わかりやすく言い直したもので、厳密ではありません。
より厳密にいうのなら、「ある価値についてそれを増すものが善で損なうものが悪」
ということです。
そして、「価値」というのは、個々の人の「価値観」に由来するので、
それを、
>>695 あたりの言い方でいえば、「○○にとっての善」という言い方もできなくは無い、
ということで○○は、厳密には、人ではなく「なんらかの価値」になります。
ここで、「ある価値観を持つ人が任意の事柄についてその価値を増すだろうと予測すること(思うこと)」と、
「実際にその事柄がその価値を増すこと」の区別がつかないと、「○○にとっての善」を、
「○○が善だと思うことが善」といったような、本来の趣旨とは違った意味に解釈してしまうことになります。
>>721 あんまり意味の無い仮定のように思います。
空集合は価値観を持ってないのではないでしょうか?
>>723 そうです、人間は必ずしも、善悪を正しく判断できません。
でも、そのことは(いわゆる)善悪の事実とは関係ありませんね。
727 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 22:25:34
>>724 自然科学的な真理についても、「○○にとっての真」でしかあり得ないとお考えですか?
728 :
ねふぇる ◆IF/MVr7brI :2005/12/10(土) 22:34:27
>>727 善悪は相対的でしかありえない、と言ってるだけなので真理についてはそうではないかもしれないのでは?
真理についての議論には入りたくはないけれど、そもそも真理は「絶対的」という性質を持っているのでは?
729 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 22:35:27
>>727 ええと、あなたの言い方にあえてあわせるなら、
「自然科学的な真理」は「任意の命題にとっての真」でしかあり得ない。
と言うことも可能かもしれませんね。
言葉遊びでしかないように思いますが。
730 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 22:57:00
言葉遊び? 「善は特定の価値観においての善に過ぎない」ということと
平行して「(科学的)真理は特定のパラダイムにおいての真理に過ぎない」
という主張にも同意するのか、それとも善悪に対してだけ相対主義の立ち場
を取るのか聞くのは、この場合にでてきて当然の問いかけだと思いますよ。
731 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 22:57:55
「任意の命題にとっての真」というのは意味不明ですが。
732 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 23:12:14
>>730 例えば、「体を強くしたい」と考えている人がいた場合、
ある「適度な運動」が「体を強くする」ために良いのであれば、
それは、「体を強くしたい」という価値観について善であって、
ここで、「「適度な運動」が「体を強くする」ために良い」というのは、
あなたの言うところの「科学的真理」ではないのですか?
>言葉遊び? 「善は特定の価値観においての善に過ぎない」ということと
「過ぎない」なんていっていませんよ。
「善とは、事柄と価値の関係だ」ということを申し上げているだけです。
元来そういう意味の言葉なのですから「過ぎない」などという必要はありません。
>「(科学的)真理は特定のパラダイムにおいての真理に過ぎない」
ええと、そんなことは言っていませんよ。
科学的真理は科学的真理でしょ、パラダイムによって変わったりはしませんよ。
ある事柄のある価値においての善悪も、パラダイムによって変わったりはしません。
パラダイムによって変わるのは価値だけです。
>>731 例えば、「地球は太陽の周りを回っている」という命題があって、
それが「真」だということですよ。
733 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 23:41:50
> 科学的真理は科学的真理でしょ、パラダイムによって変わったりはしませんよ。
・・・ちょっとどう返答していいのか、分らなくなった。w
> 元来そういう意味の言葉なのですから「過ぎない」などという必要はありません。
「元来そういう意味」ってことはないと思いますよ。
何を根拠に「元来」と言っているのですか?
734 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 23:50:03
最高善を根拠にするのだ。
735 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 23:56:25
>>733 >何を根拠に「元来」と言っているのですか?
ええと、ですから、そのような意味であることが現に観察されていて、
そうでない事実がひとつも観測されていないから、ですよ。
科学的真理、といったことにこだわる以上、仮説と観測の関係はご存知ですよね?
仮説に反する観測事実が観測されない限りは、仮説を(暫定的とはいえ)真理とみなす、
のが科学的な考え方です。
736 :
考える名無しさん:2005/12/10(土) 23:57:47
それを、仮説が「ってことはないと思いますよ」といったような主観的な感覚で、
一つの反証も示さずに否定するのは、科学的とはいえません。
737 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:02:12
自分の気に入るものが善で、自分の気に入らないものが悪だと思う。
つまり、重要なのは価値観。
ある価値観があるとして、それ自体の価値の高低を定められたら良いんだがなぁ。
そうじゃなきゃ相対主義に・・・。それが真理、といわれたら、まあ、そうだよね。
738 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:10:49
>>735 過度の単純は困りますね。「善悪の判断はすべて特定の価値観のもので
の判断であり、普遍的な善悪などはない」というのは20世紀の中ごろに
よく主張された考え方に過ぎず、「善悪とは元来そういうもの」などと
言うことは出来ません。「科学的な考え方」についても同じで、あなたは
言っているのは科学哲学の一つの立場に過ぎません。
それにしても、「仮説に反する観測事実が観測されない限りは、仮説を
(暫定的とはいえ)真理とみなす」ということであれば、当然複数の互い
に矛盾する「真理とみなされるもの」が現れてくるわけで、
「科学的真理は科学的真理でしょ、パラダイムによって変わったりはしませんよ」
というご自身の発言とどう両立させるおつもりなんでしょうね。
739 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:16:53
>>738 ええと、結局、反証は一つも示せませんね。
あなたはは、「〜言うことは出来ません」「〜過ぎません」と、
言っているに「過ぎません。」
そういった抽象的な理屈をいくら並べてみても、
実際に善悪がそういうものであるという事実を覆すことはできませんよ。
740 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:20:37
あなたのご大層な理屈に内実があるのであれば、
私の主張を覆す反証が、いくらでも簡単に見つかるはずですよね?
ところが、あなたは反証以前に具体的なことは何一つおっしゃらない。
たとえば人間が出現する以前の世界、人間が絶滅した後の世界に
「善悪」は存在するのか?
存在しないのであれば、少なくとも善悪は「人間にとってのもの」で
しかないことは、明白ではないか。
742 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:34:13
>>738 >の判断であり、普遍的な善悪などはない」というのは20世紀の中ごろに
とりあえず、「事柄と価値観の関係」という善悪の意味は、「普遍的」ですよ。
そういう意味では、「善悪は普遍的である」といえます。
普遍的でないのは価値観の方です。
わかりますか?
743 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:42:47
私はあなたのような考え方に根拠があるかどうか問うているだけであって、
「覆す」とか「反証」とか言われても困りますね。こうした主張が反証可能な
「科学的」な主張だとも私は考えていませんし。
744 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:45:09
あれ?「事実」はどうなったんですか?
745 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:47:13
反証可能でも、覆りもしないことに、なぜ根拠が必要なんでしょうか?
746 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:58:28
仮に善悪が価値観に相対的なものであれば、善悪に関する主張の対立の
多くは見かけ上の対立に過ぎないということになるでしょう。「殺人は
悪いことだ」と主張する人と「悪いことではない」と主張する人がいた
としても、言葉を正確に使うなら、一方は「価値観Aの下では殺人は悪
い」と主張し、他方は「価値観Bの下では殺人は悪くない」と主張して
いるだけであり、そこに真の意見の対立はないということになりますか
ら。(これは「公理系AではPが定理となる」と「公理系Bではnot P」
が定理となる」が両立可能なのと同じですね。)
ということになる
747 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 00:59:47
748 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 01:01:49
>>746の続き。
しかし、「殺人は悪いことか否か」について議論している人は、ふつう
「悪い」という主張と「悪くない」という主張の間には意見の対立が
あると考えていると思いますが、それは勘違いということでしょうか?
749 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 01:07:02
>>746 まあそうです。
ただ、現実問題としては、同じ人間の持つ価値観という性質上、
人の価値観は似通っていますし、異なっているとしても、
大部分の価値観の実現のためには、社会は有用となる、といった関係性がありますので、
結果として、殺人、それも不特定の他者を殺すことを善とする価値観というのは、
絶対無いことは無いでしょうが、人間が抱く価値観としては、
統計的少数に属することになるのではないでしょうか。
750 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 01:13:17
>>748 まず、「殺人は悪いことか否か」は、命題として成立していませんね。
「誰にとって」が無いですから。
そこでの意見の対立は、(たまたま)両者が同じ対象を想定して善悪を議論していれば、
存在するし、別の対象を想定して主張していれば、別の命題についての別の結論を、
ぶつけ合っているだけ、ということになりますね。
751 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 01:28:52
人
(__) カタカタ
〃∩ (__) < 無職・引き篭もりも早く寝なさいよ
⊂⌒(,, ・∀・)
`ヽ_っ_/ ̄ ̄ ̄/ ζ
\/___/ 旦
753 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 09:42:32
>>749 >>750 一般的に「殺人は悪である」という主張と「殺人は悪ではない」という
主張の間に意見の対立があるかのように思われているが、それは誤解だ
というわけですね。私は、そこには意見の対立があるという多くの人の
直観の方が正しいと考えるので、そこに意見の対立はないという結論を
導いてしまう前提、つまり善悪は「○○にとっての善/悪でしかない」
というあなたの前提の方が誤りだと思います。少なくとも、多くの人たち
が抱いている善悪についての考え方が間違っていると主張するのに十分な
根拠は、提示されていないと思いますね。
754 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 09:51:12
>>753 あなたの前提は「多数決は正しい」にしか見えません。
多数決は大勢にとって有用であることは認めれますが、
それを以って正しいとしてしまうことには私としては反対します。
755 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 09:56:09
>>754 正しいとしているのではありません。
多くの人が信じていることが誤っていると言うに十分な根拠を
あなたは提示していないと言っているのです。
756 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 10:08:47
>>755,754
>私は、そこには意見の対立があるという多くの人の
直観の方が正しいと考えるので
正しいと考えてるではないの
757 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 10:12:55
>>753 ええと、簡単にいえば、多くの人が誤解している、ということです。
つまり、
>>750 で述べたように、「殺人は悪である」といったときに、
無条件に前提を想定してしまっているのですよ。
多くの場合、自分自身や、社会、自分の身近な人間、を前提にしています。
その証拠に、想定外の人間、「自殺志願者」や「快楽殺人者」を持ち込むと、
議論が混乱します。
「誰にとって」以外にも、行為の5W1H(誰が誰をいつどうしてどんな風に)
を特定しないで「殺人は悪である」とか「悪でない」とかいっても、
本当は無意味だよ。
>>758 ではある命題が意味を持つ必要条件はなんだろうか?
760 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 11:18:33
ある公理系Aで定理となるのはPという命題であって、「公理系AではP」という命題ではない。
同様にある価値観Aの結論として引き出されるのは、「○○は善/悪である」という主張であって、
「価値観Aにおいて○○は善/悪である」という主張ではない。
「公理系AではP」とか「価値観Aにおいて○○は善/悪である」はメタレベルの命題だね。
そこのところに混同があるようだ。
761 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 11:23:18
混同とは現実界の様態が象徴界で変様して差異がなくなることである。
762 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 11:28:45
定理とか真理とか、別の概念をむやみに持ち込まないほうがいいですね。
どうしても必要とは思えませんから。
公理とか命題とかいうのなら、まず「善」「悪」を定義しなければ
はじまらないのでは。
ここの対立は、「悪」の定義をめぐる対立(〜にとって、という条件
抜きに「悪」の定義は可能なのか)なのか、定義は共有した上で、
ある対象が悪であるかどうかの判断は普遍的で有り得るのか、をめぐる
対立なのか、よくわからない。
両方だな。
765 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 11:42:01
まあ、そういうことなら、具体的な個々の事柄からはじめるべきだと思うのですが。
どうも抽象的な議論は発散しがち、というか、どんどん導入される抽象概念について、
同様の定義の問題が生じますから。
766 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 11:46:24
>>762 「善/悪は行為に適用される一項述語のように見えるが、
行為と価値観の関係を述べる二項述語だ」という意味論的な主張について
議論しようとすれば、
>>760のようなことを考えるのは、
どうしても必要だと思うが。
767 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 11:49:08
>>766 >>760 は、公理、命題という言葉の扱いに問題がある、ということを指摘しているだけのように思いますが。
あなたのおっしゃっているその問題は、それらの用語を使って述べるほうが、
明快だと思います。
とりあえず命名する。
・善悪はなんらかの条件を必要とする
あるいは何が善悪の意味が成立するのに必要な条件なのか、→条件論
・善悪が普遍的かどうか、→普遍論
・善悪は判断や信念や好みといった主観的なものに属すのか
それとも客観的に存在するものなのか、→主客論
769 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:10:59
「価値観××において○○は善/悪」というのは事実命題であり、
「○○は善/悪」は規範命題だから両者は別のものだ思うが、
この点についてはどうよ?
>>769 話がループするが善悪も事実の一種ではないのか?(客観説)
771 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:20:14
善/悪が二項述語であると考えるよりは、「善/悪は一項述語だが、
価値観Aの下の善悪の判断の中の善/悪の概念と、
価値観Bの下の善悪の判断の中の善/悪の概念は共約不可能」
と考える方がいいんじゃないかな。
772 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:25:11
>>770 善悪の判断は、「価値観Aからは○○は善/悪という結論が導ける」というような、
論理的関係に関する事実命題だ、という意味?
それとも価値観や道徳的判断の正誤がそれとの対応で定義されるような
「道徳的事実」が存在する、という意味?
773 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:29:53
>>771 「価値観の下の善悪の判断」というのはおかしい言葉ですね。
価値が明確に規定できれば、その増減をで、
事柄の善悪(あるいは無関係)は決まります、
これは(人間の主観的な)判断ではなくて論理的帰結です。
そこで異なる判断が生じ得るのは、価値の定義が不明瞭であるか、
価値の増減が正しく観測(予測)できない場合で、
この場合、「判断」されるのは、価値の定義やその、
増減であって、善悪自体はそれらの定義や観測(予測)が正しければ、
人間の主観的判断を経ずに決まります。
>>772 たとえば、「功利主義」というのは、
「価値観や道徳的判断の正誤がそれとの対応で定義されるような
『道徳的事実』が存在する。それは『幸福』である。」
という考えだ、と理解していいのでしょうか。
775 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:39:01
>>773 価値観と個別の善悪の判断を公理と定理の関係みたいに考えればそうなるはずだが、
現実にはそうはいかないんじゃない。 それと、「殺人は悪だ/悪ではない」
と主張する人は、「××という価値観において殺人は悪だ」という
論理的帰結関係についての主張をしてるんじゃないよ。
現実離れした抽象論の典型だな。w
主観的な価値観に合致するものが善、合致しないものが悪である。
価値観に合致しているかどうかは客観的に決まる。
これを合致説と呼ぼう。
二行目が異なる場合(価値観に合致するかどうかは主観に決まる)は嗜好説と呼ぼう。
777 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:47:20
>>774 そうなんじゃないかと思う。ただ、その場合、
個々の行為の善/悪の評価はその行為がもたらす結果に基づくことになり、
原理からの演繹というような単なる論理的な関係ではなく、
因果関係に関する判断ということになるね。
778 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:49:44
>>777 いや、間違いだった。功利主義で「○○は善」と言うときその意味は、
単に「○○は全体的幸福を増進させる」という意味ではなく、
それに加えて「全体的幸福を増進させるのは善い」という主張を含んでいる。
だから、因果関係についての主張だけじゃない。
779 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:52:55
>>776 それに「価値観については、その正誤・優劣はない」というのが付け加わるんじゃないか?
仮に正誤があるとすれば、「善」=「正しい価値観に合致する」として、
端的な善悪が定義されることになるだろうから。
780 :
魅上:2005/12/11(日) 12:53:10
管理人…「このままではいけない。人類が滅びる」こう思考した有名私立大学付属高校首席の優秀高校生。
私がこの世を変えてやる…。と思ったこの私は、変えるのに最も適切な政界
えと足を踏み入れることにした。この人間が管理人の新時代掲示板は
主に、哲学・伝説・非現実的・神話・個人の思想・政治・漫画「デスノート」などの会話が行われています・・・と言っても常連さんは2人しか居ないので
メンバーになりやすいですよ・・・!!!!!!!!100%面白いです
アドレスです↓↓↓
http://bbs7.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/deathnote/
781 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:56:14
>>775 >現実にはそうはいかないんじゃない。
具体的には、どのような場合にそうなりませんか?
善悪の価値観なんてものは所詮人間が作ったものだから、
自分と他人、自分と社会の間の中で勝手に形成されていく秩序が善悪になるんじゃないのか。
783 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 12:59:16
>>779 この場合、「正誤、優劣」と「善悪」は同じではないですか。
とすれば、ある価値観の「正誤、優劣」を決めるためには、
より優先順位の高い価値観を持ち出すしかないでしょう。
>>782 のような考えを慣習説と呼ぼう。
慣習説は善悪は「社会の主観によって決まる」と言いかえられるので合致説の一種であると思われる。
>>784 合致説では、善悪は主観によって決まるわけじゃないんじゃないの。
>主観的な価値観に合致するものが善、合致しないものが悪である。
>価値観に合致しているかどうかは客観的に決まる。
786 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 13:11:40
>>781 >>775に書いてあるが。別の例を挙げるとすれば、
「殺人は悪いことなのか否か」を考えている人は、ふつう
特定の価値観からこの結論が演繹できるか否かという論理学の問題を
考えているわけではない。「殺人の可否に関しては、何を原理にして
考えるべきなのか」とでも表現すべきことをも考えているんじゃないか?
>>785 言葉を飛ばしたので分かりづらいが、784は社会の主観に(合致するかどうかに)よって決まる
の意味。
ただ、
>>782のような説に立つと、人間の間だけでしか善悪が論じられることが無い感じがして嫌なんだよな。
世界中の動物という動物が地球上で生きているんだから「他者と共存する為の秩序」を便宜的に善悪と呼ぶ
みたいなニュアンスが良いのかも知れない。
どうも理解できないが、善悪とは何かという議論は
1.世界はどうあるべきかという、何らかの「主義主張」なのか
2.善悪という言葉は世間ではどういう意味で使われているのかという
「言語分析」「辞書の作成」作業なのか。
>>789 もちろん1です。
「なぜ人は死ぬのか」という議論を「「なぜ」という言葉は世間ではどういう意味に使われているのか」に受け取る人はいないわけで。
>>789 世間では、善悪という言葉は「世界はどうあるべきかという主義主張」
の意味で使われている、ということだろう。
792 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 14:33:22
善悪は死語、おまいらが その意味を
はかりかねてるのが そのいい証拠
世間は おまいらよりマシだが
もう使ってない
どうしても回復したければ 現実に則して
リニューアルするよりない
意味を失なった死語の解析にうつつを
ぬかすヒマがあったら
もっと人の役に立つ生語の創造にはげめ
゚・ 。 ・。
。・゚・⌒)
−=≡ _ _ o━ヽニニフ ))
−=≡ ( ゚∀゚)彡。・゚。・⌒)
−=≡ ⊂ o━ヽニニフ ))
−=≡ ( ⌒) チャーハン!チャーハン!
−=≡ c し'
794 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 20:47:27
> 善悪は死語、おまいらが その意味を
> はかりかねてるのが そのいい証拠
あなたが属している社会の部分においてはそうなのかもしれませんが、
一般的にはそんなことありませんよ。ただ、みんな「善」とか「悪」とか
の意味に確信がもてなくなっているというのは事実かも。
このことをどう評価するかということになると、意見が分かれるでしょうね。
ある人は「善」とか「悪」とかについての迷信から人々が解放されたと考えるでしょうし、
別の人は現代人は混乱し善悪の認識ができなくなったのだ、と考えるでしょう。
悪影響は善悪ですか?
796 :
考える名無しさん:2005/12/11(日) 22:57:00
>>794 ちがうんだよ
キーはグローバル化、とくに情報化
うっかりすると 地元のことよりバクダッドやN・Y、
LONDONで今起きてる事、そこでの人々の生の声
のほうが詳しいという社会
善悪も全地球的角度でとらえざる得ないってこと
地域性という角が削られ、最後に残るものが何か?
という考察を日本人はすでに始めてるのよ
つかんだ者から順に生活に取り入れる速度の
早いこと早いことw
彼らをサポートしてやれる哲学が求められてるのよ
797 :
連投1:2005/12/12(月) 05:07:17
>>796 >善悪も全地球的角度でとらえざる得ないってこと
>地域性という角が削られ、最後に残るものが何か?
>という考察を日本人はすでに始めてるのよ
むしろ戸惑いをもって、時代の行く末を想っているだろう。
全地球的な角度で、善悪を捉えるということは、
西洋でいうところの絶対的倫理「GOD」に近いものがあり、
それについて人類の近づける余地は、まずほとんどないであろう。
たとえば、日本式資本経済の不文律の決め事もまもれぬような、
村上や堀江、もしくは米国の圧力に屈する小泉の政治に付き従う
なんたらチルドレン、まるで倫理感のかける、こういう奴らたちが、
次の日本の「経済」を支配していくのである。
こういう者たちが、地球的視野を持つ立場に自らを置き、
稚拙な人間性のままの行動で、情報、経済、すなわち我々の生活を
間接的に支配したまま、己はGODか何かのように善悪を司ることであろう。
そしてTV漬け、労働漬けの大衆の価値観というものも、おおむねそれと似た
いや迎合したようなものになり、
少数の、尊ばれるべき道徳的思想家も、まるで虫けらのように扱われいくだろう。
798 :
連投2:2005/12/12(月) 05:10:04
そこには善悪という概念のかけらさえ無い、
ごく原初的な精神構造の社会しか作れぬ、資本経済社会の図式があり、
同じようにそれがそのまま、我々の生活に影響を及ぼすのである。
その状態で、声高らかに善悪のあり方など唱えてみても、
誰も耳を傾けないであろう。
私が思うに、即ちこれからの日本人のすべきことは、
まったくもって幻想にすぎないそのような理論的、
全地球的という馬鹿げた善悪の定義、哲学ではなく
地域性の復活、いくらかの文明の回帰であるのではないのか。
と思うのである。
>>796のいうような、
国、世界から地域性のなくなった後に残るものの考察というよりも、
いくらかの利便性と飽食(どちらも身体にとっての害悪であるが・・・)
求めるがゆえに、それと引きかえに失っていくものが
案外大きいのではないのか?と日本人は気づきはじめているといえる。
地球的視野というのは、
突き詰めれば、地球にごまんとある
幾多の地域的視野を考えるということではないだろうか。
どうだろう?
善悪の概念よりも、回帰という言葉が重みを持ってはこないだろうか。
799 :
連投3:2005/12/12(月) 05:11:47
さあ、800レスばかり猿知恵を働かせて、善悪について議論をかわしたところで、
何の益もないということがわかるであろう。結論など出ないのだ。
むしろこれが答えであるともいえる。
いや、辞書的な言葉として善悪を語るならば、何もここまで書かないのである。
だが
>>790やら
>>791が世界がどうあるべきかで善悪を論じているなどといい
それについては、各々何の反論もないようなので、
理路整然ろはまったくいかないものの、
ここに私の愚論を述べさせていただいた。
二十代前半の若造で、
高校などにも行ったことのない私がいうのも、おこがましい事ではあるが、
諸君の観念的な思考の欠如には、はなはだ心痛を憶える次第である。
800 :
連投4:2005/12/12(月) 06:05:57
上レスの誤字の多いことを誤るついでに、いわせてもらえれば、
善と悪を対照とみることに何か違和感があり、
作用的な良と悪
観念的な善と愚
とするほうがしっくりくるのでは?
801 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 13:59:39
>>797 時代の行く末を想う・・だって?
どこにそんな悠長なヤツがいるよw
みんな今日明日の事でイッパイ イッパイだろ
本題だが、地域的な善悪など哲学の対象にならない
全人類をあまねく包み込んで初めて哲学
たかだか1惑星の1生物種の行動規範を見い出すのに
絶対的倫理「GOD」などという糞を持ち出すなんて
おまい、馬鹿? 「答」はすでに出ている
以下連投長くて読めないので(略
802 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 14:06:15
とりあえず、長文読めないやつは批判する資格ないよねw
803 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 14:15:53
人の書き込みを馬鹿にすることで自分が賢くなったように錯覚できる非とって多いんですね。w
804 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 14:16:56
非と→人(恐ろしい誤変換だ!)
なんだ、そんな見分けもつかんのかw
806 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 14:21:32
じつを言うと、おれ小脳変性なんとか症でさ、
眼球をコントロールする筋肉が、その・・
長い間タイクツなものを見るのが、その・・
あははは!
807 :
797:2005/12/12(月) 14:25:35
>>801 >時代の行く末を想う・・だって?
>どこにそんな悠長なヤツがいるよw
>みんな今日明日の事でイッパイ イッパイだろ
いっぱい、いっぱいとなることに危惧を申しておるわけで、
それが現時点では、あなたのいう「みんな」ではまだ無いでしょう。
それにもし、貴方がそうならその時点では、
貴方に哲学を語る権利がないでしょう。
>本題だが、地域的な善悪など哲学の対象にならない
>全人類をあまねく包み込んで初めて哲学
面白いことをいう。善悪は与え示すものではなく、
自然派生的に、人とのつながりから生まれるものである。
小を置いて、大を語るな。といっておこう。
>たかだか1惑星の1生物種の行動規範を見い出すのに
>絶対的倫理「GOD」などという糞を持ち出すなんて
>おまい、馬鹿? 「答」はすでに出ている
貴方は長文も読めないだけでなく、単語自体を解読できていないようですね。
私は、1惑星の1生物の善悪とは一言もいっていない。
「全地球」という表現を使っている。
西洋にとってはそれはgodであるという解釈のどこが可笑しいのかわからない。
それにそれを糞という貴方が、わからないです。
それにGODも所詮人間の想像上の産物。
808 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 14:47:16
>>807 哲学を語る権利・・だって?
世界初耳ワールドw
ネズミだって「おれはどこから来てどこへ行くのか」
ぐらい考えてるとおもw それネズミにも言ってやれ
物事は大が先、大事が小事より先なのも知らんの?
俺の言ってるのは、地域も世界も無い、人間のオツム
が地域性に縛られるのは愚であり、不要であり、
人類の本来からかけ離れた姿だってこと
そういう大事に向かうのを可能にしてるのが、情報の
グローバル化だってことさ
あと、哲学するのに西洋もヘッタクレも「無い」とだけ
言っとこうw
809 :
797:2005/12/12(月) 15:00:18
はいはいW
別に哲学を持ってもいいが、人に語ってくるな
ということです。
人の文章を理解すようにがんばってください。
>物事は大が先、大事が小事より先なのも知らんの?
>俺の言ってるのは、地域も世界も無い、人間のオツム
>が地域性に縛られるのは愚であり、不要であり、
>人類の本来からかけ離れた姿だってこと
まず、貴方の主張はわかりました。
しかし、なぜそうなのか、という大事なことが抜けていて
とても説明不足です。
とても高圧的ですね。または、喧嘩腰ともいえるでしょう。
因みに、私が言いたいのは、
グローバル化をしたときに、地域単位を無視するような
環境ではおよそよりよい社会にはならないということです。
そのための回帰です。
実際起こっている、自殺の増加や、残酷な殺人事件は
地域の力の衰退が生み出したものではないのですか?
地域、つまりしっかりした故郷を持たない人間は
そういう方向へ走りがちです。
日本にやってくる中国人、東京にやってくる地方人。
流浪の人は、責任感も薄いのです。
そういう意味では、ただ
広がれり、しがらみを取り去るだけが
必ずしも良いことではないのではないでしょうか?
素人参加型の応募と
811 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 15:29:59
>>809 なぜそうなのか・・だって?
おれが「そうであって欲しい」からに決まってるだろ
ほかにどんな理由があるよw
おれが 「いつ、どこで、どんな人や社会」に出くわそうが
理念の根幹部分でいらぬ混乱や戸惑いを覚えずに済む
ようであって「欲しい」からさ
「グローバル化する事=イコール地域単位を無視する事」
というのもえらく単細胞つ〜か、勘違いハナハダシ〜んじゃね?
各地域の共通部分を抜き出す作業と言ったほが合ってる
事件を「地域」が引き起こすんじゃなく、人は誰でも地域に
居住してるだけの話、だれでもどっかに住むだろがw
地域が自地域にこだわればこだわるほど世界はイラクの
様相を呈することになる
やれ民族だ、歴史だ、文化だと地域性を協調すればする
ほど、世界は対立を生み、抗争へと歩を進めることになる
だから「私は地球人」という視点に立つのが吉ってことよw
812 :
809:2005/12/12(月) 15:44:19
>>811 正直私も、そうなれば、一番いいとは思います。
が、やはり、それにも段階というもがあるのではないか?
社会主義のユートピアを掲げて革命に成功したソビエトが
大失敗だったのも、
結局、人間の精神が、理想に追いつかなかったから、
うまくいかなかったのですよ。
政府に立った人も、人民もです。
日本は取り敢えず、回帰に向かう時期だと思うし、
実際、ほっといてもそうなていくでしょう。
813 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 16:00:37
>>812 一番いいと思ったら、そう思うものへ真っ直ぐ進むのがいい
段階は社会単位では在っても個人の行動選択を邪魔する
ものであってはならない、つ〜か個人はそんなもん お構い
なしに勝手に突き進んでくわけだが
段階なるものが先じゃなく、「いい」が先、なによりね
段階は結果でしかない
人間の姑息さは永久になくならない
それが人間 ・・・そう考えたほが現実的かつ合理的
だからといって、それが「いい」にまっすぐ向かわなくていい
ということにはならない
ところで、おまえこそ回帰とやらの合理的必用、妥当性の
根拠を示す必用あるんじゃね?
814 :
809:2005/12/12(月) 16:09:54
>>813 は?
さっきから散々説明してきましたが・・・
あなたは、私の文章をしっかり読んでいないばかりか
文章や相手の意志を読みとる力が弱く
言ってることが頭アホそうで、やってられんので
もうすでに、議論する必要性を感じていません。
・・・すんまへんね。
815 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 16:25:48
わははw
自分のに合理的必用、妥当性の根拠が見当たらないと
「相手の意志を読みとる力が弱いアホ」になるのかよw
画用紙に落書きして「美が見えるだろ?」と言ってるのと
なんも変わらんしょw
回帰なんて糞用語で、なんか説明したり論証した気に
なってんじゃね〜よ、目出てぇ〜のw
816 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 16:32:55
粘着?
817 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 16:36:44
818 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 16:39:38
>変わらんしょ
紀北弁?気色悪いので止めてください。
>妥当性の根拠
この用語の使い方自体が間違い。
私は、論証をしたわけではないのです。
持論を展開したわけであって、ただの意見です。
あなたが、勝手に論証された気になったからといって
根拠、根拠とさわぐのが可笑しいのです。
分かります?あなたは頭がちとアホなんですよ。
819 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 16:50:18
>>818 粘着キター! !! !!!━━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━━━!!!
たいがい言うことに詰まると内容から逸れ
読点や句読点、言葉遣いの指摘へと向かう
その余地を残してやるために、あえてそう
してる事も知らずに・・がははは♪
ところで、人様の説明不足を指摘した者の態度か、それがw?
ぶはははは♪
820 :
至高の剣:2005/12/12(月) 19:34:37
皆の者、静まるのですぞ。
善悪を述べるには、その範囲を指定して語らなければならないのじゃ。
宇宙>地球>国>社会>組織>地域>家族>友人等というようにだ。
殺人事件を例にとると、それは家族にとっても国にとっても不幸なこと
であるが、地球規模の範囲でその善悪を考えると、判らなくなるのじゃ。
だから、もしどこかで殺人事件が起きた場合の善悪判断は、当該国家以下の
範囲において、悪だとすることができよう。
必ず、「〜の範囲において善悪の判断を下す」という条件が必要である。
余の論法は常に鮮やかであり、愚民どもの追従を許さないのである。
821 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 19:47:07
>>820 また北朝鮮キター! !! !!!━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━!!!
おまえの理屈だと、たとえば北朝鮮では
「将軍様国家の範囲において善悪の判断を下す」ことに
なるわけだが・・・マッピラだろ そんなの
どういう神経してんだよ、おまいはモーw
822 :
至高の剣:2005/12/12(月) 19:59:17
>>821 周辺国に影響を及ぼすレヴェルの事象であるならば、範囲を拡大する
必要があるだろうよ。
例えば、東アジア地域・地球的規模まで範囲に入れる必要があるのじゃ。
単なる殺人事件の例を拡大するでないわ!
それに北朝鮮は思想的マイノリティ国家であり、一般化することは適さぬよ。
823 :
考える名無しさん:2005/12/12(月) 20:14:19
>>822 わはは、いったいどっちなんだよ おまいはw
言ったそばから ヨレッてんじゃね〜よw
それと北はれっきとした国連加盟国だぞ
日本も国交回復をリクエストしてる国 !!
824 :
考える名無しさん:2005/12/13(火) 00:15:01
悪とは2chである。
善は、
そんなものは存在しない。
825 :
凡人:2005/12/13(火) 17:49:04
>>822番さん
北朝鮮は思想的マイノリティ国家?
北朝鮮はアジアに近い日本をアメリカの従国とする為に、思想を盾に経済的な弾圧を加え危険国家としてアメリカに作られた国です。
金銭至上をモットーとする弱肉強食な資本主義社会に於いては大衆の主は資本家で有り民主主義との融合は有り得ません。
従って資本主義国家の唱える民主主義は民主主義もどき、で有り真の民主主義とは全くの別ものです。
イラクに大量破壊兵器が有ると戦争を仕掛けて多くの人々を死に追いやり国を破壊し大量破壊兵器が無いと他の要因を引き合いにだす。
はなから戦争を仕掛けイラクの主権を奪う事を目的とした強盗団の国が民主主義を唱える等、ミスマッチとおもいませんか?
それに追従する日本と、その国民、どうやって戦争で国を破壊され命をも奪われた人々の償いをしますか?
北朝鮮の貧困もイラクの大儀なき戦争に殺された人々も資本主義と民主主義もどき、の犠牲者です。
我々が精神を預ける資本主義にとって、その支配下に置くことのできない社会主義、共産主義そして平和は尤も憎むべき敵です。
人類が平和な社会を構築するにあたっては真の自由と真の平等を切り離す事は不可能です。
真実を見つめる心を養う哲学の場では国家、体制に翻弄された曖昧な書き込みは戴けないですね。
「善悪とは個の良心が見極める事象」で有り、良心なくしては物事の是非、善悪の弁別ができず善悪を見極める事ができません。
826 :
至高の剣:2005/12/13(火) 20:26:00
>>825 余が北朝鮮をマイノリティ国家と記述した意味は、その独裁体制を
指してのことじゃ。それに善悪を指してもいないぞ。
資本主義は大衆の生活を改善し、夢を叶えてきた側面もある。
確かに弊害もあるが、人類の欲望は資本主義を選択してきたのじゃ。
自由と平等に関しては、これまた難儀なテーマとなろうが、両立
させることは、資本主義社会においても可能であろうぞ。
それには司法・立法・行政を、十分に機能させる必要がある。
イラクに関して言えば、宗教の名の下に国民を弾圧してきた歴史
を正視しなければならん。
確かに詐欺的な大儀で戦争を進めたのは米英であるが、口実を与えた
のは誰であったか?
開戦に至るプロセスを検証すれば、フセインの決断で戦争は回避で
きたと見ることができようや。
米英の思惑が石油利権にあったことは事実だが、イラクが少しでも
利口であったなら、中東諸国と連携して介入を防止できたはずじゃ。
そもそも南北朝鮮の悲劇の発端は、日本が彼の地を支配した事に始まるのじゃ。
戦後、米ソ超大国の系列化が進み、その犠牲として南北朝鮮が生まれた。
善悪に例外こそあれ、国家や体制の垣根は無いことを知れ。
余は、荘厳なる意識を研ぎ澄まし、愚民どもに善悪を説いておる。
良心と悪意は諸人に宿っており、それは時と場所を窺う。
また強く出るか否かの違いであり、衣類や化粧で糊塗するかどうかで
印象が変わるという差異でもある。
827 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 21:59:10
ツッコメナイ トコ ナクテ ナエル(^^;
|:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|
|;:;:_:;:_:;:_:;:_;:;_:;:l:;_;:_:;:_:;:_:;:_;:_;|
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| 三| _ _ |三 !
| 三| 三シ ヾ三 |三 |
| 三′ .._ _,,.. i三 |
ト、ニ| <でiンヽ ;'i"ィでiン |三.|
', iヽ! 、 ‐' / !、 ーシ |シ,イ
i,ヽリ ,' : !. |f ノ
ヾ! i ,、 ,..、ヽ lノ
| _ _ イ l
l ,ィチ‐-‐ヽ i /、
゙i、 ゝ、二フ′ ノ/'"\
| \ ー一 / / _,ン'゙\
,ィ|、 \ /_,、-'" _,.-''´ `丶、__
_, イ | ヽ_ 二=''" _,. -''´ """""´´ ``ー
829 :
至高の剣:2005/12/16(金) 12:55:35
人類は悪の償いとして刑罰を定め、褒賞をもってして善行に報いてきたのじゃ。
それら善悪の基準を定めることで人間社会の秩序と発展に寄与すると考えた。
それはつまり、我々が観念的に身に付けてきたことであり絶対的基準ではない。
言わば人間社会の都合に合わせた善悪の基準といえようぞ。
その上、宗教やら体制の違いで価値観の綻びは埋まりそうにない現実。
牛を食ってはいかんという国があるかと思えば、豚を食ってはいかんという
国があったりで、それはちゃんこ鍋の中のように混沌としておる。
それだけでなく国の善悪基準と、下位である地域のそれすら一致を見ない
実情を思索するとき、もはや善悪の基準は地に堕ちたと考えざるを得ないのじゃよ。
それは同時にモラルの喪失を意味することでもあるのじゃ。
驚異的な情報の発達が、禁欲的な神話や道徳を片隅に追いやり、人間本来の
欲望を開花させ、顕在化させたのじゃよ。
それはまさしく科学的根拠に裏付けられた豊富な情報が、迷信や宗教を駆逐
するプロセスであろうよ。
皆さんはここで善悪を語る際、少なからず書物などの影響を受けているかと思います。
皆さんが参照した、善悪・偽善などが論じられている文献を教えて頂けませんか?
というのはスレ違いでしょうか。
とりあえずプラトンの「国家」
832 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 14:16:36
>>830 どんな文献も他人の視点でまちがいない
他人の視点を知れば知るほど
自分独自(自己)の視点はかき消されてゆく
違うと感じる部分からはともかく
同意個所からは安易な自己「肯定」が
「他人の視点」を根拠として生まれる
同じ意見というだけで根拠になろうはずが
ないのを忘れて・・ (ノ_ _)ノ
さらに同意見ならば「その先の展開」も
自己の視点であるはずという、歪んだ同一視
が始まる
自分でありたいなら、他人の書いた文献など糞w
自分でありたいという人に限って、糞だという事実
人は、外から何かしらの影響を受けずに成長することは出来ない。
そによって、他人の言うことを全て鵜呑みにする判断力を養うことが大事なわけで、
他人の書いた文献を読むことは、やはり必要である。
834 :
833:2005/12/17(土) 14:25:31
鵜呑みにしない、だ。すまん
835 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 14:37:42
>>833 長良川で首に縄つけて死ぬまで泳いでろw
なんだそれw?
837 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 14:51:17
あなたが他人から受けて喜ばしい行為を想像しなさい
あなたが他人から受けて悲しい行為を想像しなさい
それがあなたにとっての善行であり悪行なのだ
838 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 15:04:36
>>837 その思想は相対主義につながる。
ある行為が複数の人間に異なった利害をもたらすときは善なのか悪なのか?
例:脱税=国の損害、企業の利潤
>>838 例がわるい
まず企業の利潤になろうが犯罪。
ばれて逮捕者を出し、
信用が墜ちていくのは企業にとって悪ではないか?
それはあくまでも結果論だが、
その要素を十分含んでいるものに善を当てはめることはできない。
840 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 17:05:10
>>836 長良川は「鵜飼」の名所、おまえが「鵜呑み」と
いうからシャレてみた
ご主人様の必用を説くおまえにうってつけってことw
841 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 17:49:16
>>832 スポーツとか楽器とかでもいるよな、何となく身についてしまった自己流の癖を
個性と勘違いして、「習うと個性がなくなるからダメ」とか言っている椰子。
まあ、好きなようにすればいいけれど、ふつうただの下手糞だよな。
842 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 18:08:49
>>841 他人の癖に染まる位なら自分のにしといたほがいいだろw
かん違いしてるようだが、
学ぶとは・・「自己の必用」を知るということだ
必用にかかわらず何でも知ろうとするのは用も無く図書館
に出入りするのに似てる・・趣味、ヒマつぶしw 評価無用
100万の不要かもしれないものの獲得より1つの必用の充足
必用は図書館にあるんじゃなく
耳と耳の間・・そうおまえの脳味噌の中に存在する
843 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 18:34:48
他人の考えを知らないが故に一つのことしか考えられない椰子の考えなんて、
そいつ自身のものとは言えないよ。ただの馬鹿。
844 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 18:40:52
>>843 だったら、他人の考え=たとえば
>>842の考えを
知ろうとすりゃいいだろw
そうしたのかw
そうせずに、一つのことしか考えられない自分の
考えを書いたようにみえるがw
845 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 22:08:51
>>842って、誰でも考えたことがあるようなこと以外に何か書かれているの?
俺にはとくに何も書かれていないように見えたんだが。
必用って変だよな。必要じゃないのか。
>>842の「自己の必要」を、「自己にとっての善」と言い換えても
いいように思うがどうか。
847 :
考える名無しさん:2005/12/17(土) 23:28:45
>>845 何も書かれていないレスに
なに言っても始まらないだろw
>>846 一般的な善悪など存在し得ない
どうしても善悪の概念に帰結させたいなら
個人的価値観として存在させる以外に手はない
「自分と自分たちにとって都合の良いもの・・それが善」
そうでないものが悪だ
このうち「自分たち」の枠組みは自己都合で変わって
ゆくから、揺らぎのない善悪はやはり個人ベースだけ
でみるのが現実的かつ合理的判断といえる
>>847 >「自分と自分たちにとって都合の良いもの・・それが善」
そうじゃないから人間なんだろ。
自分に都合がよくても、それが道徳観から悪だと判断できる。
欲望と抑制の葛藤から、人間心理は成り立ってる。
849 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 00:37:35
ふと思った。
人間にとって凶悪に感じる生命体とは?
映画の「エイリアン」等はどうだろうか?
あのような生命体が実在したら?人間にとってはとても脅威だろう。
しかし、自身が生んだ子供は大切にする。
人間の場合も、マフィア〜不良まで様々だが、結婚して子供ができれば
その子をとても大切にする人もかなり多い。
他人に対しては迷惑で恐ろしい存在だが‥‥‥
なにか「悪」について関係するところがありそうな‥‥‥
古の中国の哲人「孔子」の言葉だ
弟子「先生、この世で一番大切なものは何ですか?」
しばらく考えてこう答えた
孔子「それは、“思いやり”というものだ」
850 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 00:46:25
>>848 勘違いしてるようだが
人間は皆人間なんだよ
ある特定の概念(善とか)を持ってる者だけが
人間だという説は初耳w
身分制度のあった時代も天皇のために死ぬ
のが当たりまえの時代も、そのあとも
「みんな」人間なのよ
おまえの言ってるのは人間じゃなくて「人間らしさ」
とは何か?ということだと思うが、
その時代々々、その土地々々の「らしさ」に振り回
されて非道を繰り返して来たのが人間の姿
で、その「らしさ」を決めるのは国家でも町内でも
おまえでもないだろw
エイリアンが相手の場合。
人間はエイリアンとはネットワークを持っていない。
すなわち、人間は人間としかコミュニティを持っていない。
人々が皆、エイリアンを悪とみなせば、エイリアンは人類のコミュニティ上で悪と決定される。
たとえばエイリアンは、子供を守るために必死で人類に牙を向けていたとする。
だとしても、それは人間に伝わらない。意識は共有されない。悪は悪のままである。
善も悪も、共有意識上にのみ存在する。
そのときのコミュニティにより、善悪は変動する。
もしコミュニティにエイリアンも加わることができて、相互に理解することができれば
あるいは悪は善になったかもしれない。
そのコミュニティ全体にとって有害か無害か。それが善悪だと思う。
コミュニティの構成こそが、善悪だとも言える。
>>850 スマンかった。最初の一行は無視してくれ。
俺が言いたかったのは、「”都合がいい”というのが必ずしも善に直結しないだろ」 ってこと
853 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:01:11
善悪とは、それを定めようとする人にとっての都合で決まるもの。
あらゆる言葉を駆使しようが利己的な自分を誤魔化すために創りだそうとしている概念。
854 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:03:33
>>848 道徳観てなによ? 道徳って?
誰かにとって都合のいいものだろ、それって
自分以外の者に都合よく作られたものを
人道的・道徳的・倫理的とよぶわけには
いかないが、
おまえは、明文化された「どれ」のことを
道徳と言ってるんだ?
まさか明文化されてない八つぁん、熊さんの言う
ちぐはぐでトリトメの無いやつを言ってるんじゃ
あるまいなw
855 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:18:35
熟考してないので確定ではありませんが
>>852 「”都合がいい”というのが必ずしも善に直結しないだろ」 ってこと
は確かに賛成
856 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:25:41
>>853 例えばコンビニでガムを盗むとする。
バレない自信があれば、後々大変なことになるわけでもないし、
深い悪気も感じなければ、その行為はその人に都合がいいよな?
それはその人にとって善なのか?
>>854 道徳観
↑のはミス
>>854 道徳観=他人の権利を侵害する欲求への抑止力 とでも考えてほしい
859 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:38:10
>>832 あなたは、他人の書いた文献を読んだことがありますか?
読んだことがあるならば、同じ意見だからといって
歪んだ同一視をしそうになってしまったのですか?
自分で考えることを怠らなければ、他人の意見は良い刺激になるかと思うのですが。
他人は自分を映す鏡、という面もあるのではないでしょうか。
860 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:43:20
861 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:46:34
"都合がいい"ってので善悪が決まるの?
犠打は善?
862 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:49:59
>>858 権利義務でとらえるなら法律の方がシュアだろ
権利についても義務についても明確このうえない
で、どこに書いてあったんだ、それ?
わかるか、おまえが道徳を「自分で」解釈し決定
してることが?
>>859 刺激なら自分で考えることのが大きい
ヒトのは退屈つ〜かデタラメ多杉て役に立たない
自分は常に自分の鏡に映ってる
直視すれば一番確かな鏡だ
自己の自分を見る目を疑うんなら、ヒトのはもっと
ゆがむことだろよw
863 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:52:29
>>861 「"都合がいい"ってので善悪が決まる」と言ってません。
864 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:52:48
>>860 おれのは
>>847に書いてるだろw
「自分と自分たちにとって都合の良いもの・・それが善」だ
じゃ、おまえの番ね、どぞ
↓
865 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 01:57:22
866 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 02:01:29
867 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 02:05:40
>>864 自分にとって都合が良いものが善だと言い切るなら
あなたが嫌いな者を無条件に排除するのが善だとでも?
868 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 02:10:06
>>867 嫌いな者の中にも自己に都合いい部分は含まれてるし
好きな者でも不都合をもたらす者はいる
おまえの番なんだが・・
869 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 02:15:34
>>862 デタラメっていうのは、
>>862の考えからすれば、ってことだよね?
自分は自分を客観視しきれないと思うよ
自分で自分を見つめても完璧に説明することは出来ないし、自分で気付かないことに気付くためには他人が必要だ
もちろん他人から見た自分もまたすべてではないから、自分で考えることも必要だ
自分は確かな鏡だろうか?
自分を納得させる上で確かだということか?
他人の生み出した命題を自分で考えることや、自分の疑問に関する他人の意見を聞くことで
新たな自分が見えてくる気がする
870 :
861:2005/12/18(日) 02:17:33
871 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 02:18:26
>>864 何が「善か」など安易に言えるものではない。
ただ現実的に考えて、地球上で見習うべき善の見本は
植物だと思う。
872 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 02:21:34
>>866 面 白 い と 思 っ て 言 っ て る ん で す よ ね ・・・?
>>862 じゃあ理性でいいよ。教科書に載ってる”スーパーエゴ”ってことで。
言葉の定義なんて追及してたら議論にならない。
俺が言いたい内容が大体伝わってくれればいいんだけどな。
874 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 02:46:37
>>869 誰も完璧でない中で自分にだけ完璧求めてど〜するw
自分の事を見つめるってなによ?
知ってるだろよ、自分の事ぐらい
「なぜ今それをしてるか?」「なぜそこにいるのか?」
そんな事ひとつわからないのがヒトの文献読んで何になるw
自分が自分のことを理解できずに人様が理解できるなんて
ありえね〜よw
>>865 オモロなかったかw
>>873 お前敗北宣言早いな、見直したぞwってどこがwあははw
おまえの大体で おれの善悪決められてたまるかよw
善を行えば報われる。報われない善は自己満足。
876 :
871:2005/12/18(日) 02:49:52
付け加えて言うと、人間が植物のように生きれるわけが無いので
限界がありますが…
「上善は水の如し、水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に處る。」
何もしないのが善って事ですか?
878 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 03:06:23
>>874 >知ってるだろよ、自分の事ぐらい
あんたすごいなー
>「なぜ今それをしてるか?」「なぜそこにいるのか?」
あ、これに答えられたら自分を知ってるってこと?
上で指した"自分の事ぐらい"ってこれ?
結局
>>874は他人の文献を読んだことがあるの?
文献=他人の意見はデタラメなのに、どうして他人の意見だらけの掲示板にくるの?一方的な自己主張がしたくなっちゃった?
余すところなくヨロ
879 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 03:12:03
>>862 学問は疑うことから始まると思うのだが…
対象が自己であろうと
つーかあくまで
>>832は
>>832の個人的見解だろw
もし
>>832自身が皆に当てはまることだと思ってたとしても、そうじゃない奴なんていっぱいいる。
それなのにここまでレスが延びるとはw
他人はデタラメって言ってるんだから説得しようとすんなよw反対意見の奴は、世界せめーなでおわらせろよww
881 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 03:34:15
>>878 おれはごくフツーです
「なぜ今それをしてるか?」「なぜそこにいるのか?」に
答えられれば自己理解についてはOKだ
おまえのいう文献が何を指すか知らないが、
専門の書物を言ってるなら、ほとんどNOだ
何十冊か買ってはみたがどれも3ページと読み進めたことがない
理由は前に述べたとおりで退屈、お粗末、あるいは
自分で考えたほが早くて確かだとわかったからだ
ここに来るのは冷やかしだ、がはははw
自己主張・・だと?
そんなのおれが始めたらこのスレは即、停止状態におちいる
他スレでさんざん経験したw 控え目がいまのスタンスw
>>879 ひとつだけ疑わないものがある・・自分だ
自己懐疑が混乱以外の何かの役に立ったためしがない
事実だから しょがないw
連投規制入って なかなか送れないから また明日ナ♪
882 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 03:45:12
>>881 もう少し「伝える」という前提で文章を書いてくれると有り難い。
なんだか押しつけ的な雰囲気を感じたからな、冷静さを欠いた討論や叩きでレスが埋まると勿体ない。
お前の意見は大体わかった。
現時点で賛成というわけではないし衝撃も受けなかったが、参考にはなった。
あと、文献なんかは読破してから否定した方が良いと思うヨ♪
いい時間だったよ、おやすみ
883 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 06:14:09
>>838 >>838は「あなたにとっての」と限定しているわけだから
すべからく善悪というわけではあるまい
相対主義とはまた違うと思うが
国にとっての善悪ならば国としての事を考えろということでは?
あなたの中での絶対
国の中での絶対
しかしそれが相対関係にあるかというとなんとも言えんな
相対主義っぽく聞こえるけど、ロジック的に考えるとなんか違うな
相対主義って、本当はどういう意味なんだろうか。
大した関係があるとは限らないものを無理矢理「相対関係にある」と叫び
何でもかんでも「人それぞれさ」で片付ける口車
でも口車はとても役に立つので否定する気は無い
ただし明確な根拠無しに相対関係を叫ぶため
論理的に数式ロジックを組み立てられると馬脚が現れる
完全なロジックの塊であるコンピューターに口車が通用しないことと同じである
887 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 08:30:03
確かにバリバリの理系とかにも通じないな
明らかに自明なA=B、または証明のなされたA=Bは誰がなんと言おうとA=Bだ
文句があるなら証明をしろ
と斬って捨てられたことがある
888 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 08:34:31
>明らかに自明なA=B、または証明のなされたA=Bは誰がなんと言おうとA=Bだ
>文句があるなら証明をしろ
じゃあ背理法で
その証明が何故正しいといえるのですか?
889 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 08:41:20
>>888 じめい 0 【自明】
(名・形動)[文]ナリ
証明したり説明したりしなくても、すでにそれ自体ではっきりしていること。
「―なこと」
[派生] ――さ(名)
しょうめい 0 【証明】
(名)スル
(1)理由や根拠を明らかにして事柄が真実であることや判断・推理などが正しいことを明らかにすること。
「無実を―するもの」
(2)〔数・論〕 真であると前提されるいくつかの命題(公理)を用いて、ある命題(定理)が真であることを論理的手続きに従って導くこと。
890 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 08:43:02
ついでに言っておくと、背理法も証明の手順であって
自明、まは証明のなされた事柄に使うものじゃない
それ口車以前に日本語の問題かと
892 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 09:06:15
>>889 二値論理であるならば手詰まりだけど
現実世界は二値ではなく多値なんだから
背理法で「自明、または証明のなされた事柄」という事柄を覆すことが可能
だって自明も証明も二値論理に基づく理論じゃん
背理法は0%とか100%みたいな極端な理論を覆すには最適
自明、または証明のなされた事柄が
少なくとも自明、または証明のなされた事柄ではないことを表すことができれば
その理論は崩れますよw
893 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 09:23:13
ついでに言っておくと、背理法は証明の道具であって
場所を問わず使うことができる。
もし正しければ、背理法でも真と出るだけで
別に使う事に関しては問題はない。
>>892-893 >二値論理であるならば手詰まりだけど
>現実世界は二値ではなく多値なんだから
>背理法で「自明、または証明のなされた事柄」という事柄を覆すことが可能
それは前提条件を摩り替えるということでは?
そうなると背理法以前の問題
多値論理の自明って聞かないから、ニ値の場合かと思われるが…
それと背理法はあくまで手段であり、それによって導かれる証明内容が根拠となる
背理法自体を根拠にすることは出来ない
>自明、または証明のなされた事柄が
>少なくとも自明、または証明のなされた事柄ではないことを表すことができれば
それを行うことが「証明」であり、その結果が自明であり証明終了であるわけだ
意味分かってるのかな?
あと時々いるんだけど、複数の必要条件、および十分条件から必要十分条件を満たす証明の場合に
背理法だと言ってその内の1つの式と最後の必要十分条件をつなげて
説明が付かないから偽だ!と言い張る人がいたりするんだけど
数式にすれば解っても、論述内容からうまく理解できない人がいる
まぁそれは熟練した人でも陥りやすい事柄なわけだけど
>>888もその一例のようだ
「これが正しい」の背理は「これは正しくない」
「なぜ正しいと言えるのですか?」の背理は「なぜ正しくないと言えるのですか?」
なわけだ
896 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 09:41:27
そもそも自明を覆すことって可能なの?
覆せないからこその自明なんじゃないの?
多値における自明って“空集合Φが存在する”くらいしか思いつかないけど
それを覆すことはできる?
俺はできないと思うな
897 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 10:12:44
自明を覆すことができるって言ってるんだからやってもらえばいいと思うが
それって現代数学を根本から覆すってことじゃん
幾ら応用の幅が広いと言っても、なんでもかんでも背理法で通ると思ったら大間違いだ
それが数学的帰納法ではないのは、無限の理解が困難だからだろう
なんかスレタイと内容があってない気もするが
898 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 10:49:53
>>894 とりあえず頑張ったので載せます。
>背理法で「自明、または証明のなされた事柄」という事柄を覆すことが可能
の「証明」は
>明らかに自明なA=B、または証明のなされたA=Bは誰がなんと言おうとA=Bだ
での「証明のなされたA=B」 であり
これが二値ではないか?ということだ
だって「明らかに」なんて言葉を使ってるんだから二値だよね?
「100%肯定の否定」を自明することができればいいので
「明らかに100%の事柄」の自明とはわけが違う
そして多値なので必ずしも100%とは限らないという状態になればよい
別に100%になってもよいのである
100%にならない場合があればよいのである。
正しい・正しくないの永久ループになれば
正しいとも正しくないとも言えるわけで
→必ずしも100とは限らないという状態になるから
少なくとも、明らかに自明なA=B、または証明のなされたA=Bは誰がなんと言おうとA=Bだ
とは言えなくなる
多値なら自明を覆せるよ
なぜならこの世の中に0と100は存在しないからだ
…この2行は突っ込まないで…
来年の大学受験目指して頑張ってるのでもう落ちます。
応援よろしくお願いします。
連続投稿の計ウザイ…
899 :
ミギー:2005/12/18(日) 12:10:13
かつての中国は何より道徳を重んじることが人間にとっての美学とされていた
孔子か孟子か忘れたが、「盗賊には盗賊の道徳がある」と言っていたそうな
盗賊としてのルールを守っていれば、それが盗みであると人殺しであろうと
罪ではないのだそうだ
盗賊のコミュニティでは善と悪の基準が全く違うわけだな。
901 :
ミギー:2005/12/18(日) 12:51:00
思いや考えをめぐらす事はできても
実際に相対的な立場に立てる人間など居ない
法律でさえ、言語に依存しているのが現状だ
ようするに善悪とは何かなど、仮想空間での戯言にすぎないのだ
全てのものに「立場」が存在する以上、この世にはそれぞれの善悪があるのみだ
虚無主義者乙。
903 :
ミギー:2005/12/18(日) 13:03:24
ただ、立場も変化するものだ
以前の立場の善悪と、今の立場の善悪との違いに、
人は少なからず戸惑いを覚える
それがこのような仮想空間を生み出すのだ
おまいらみんな大好きだwwwwww
例えば、
北を向いている人にとっては、左が西で、右が東になるけど、
南を向いている人にとっては、左が東で、右が西になる。
って言ったら、これも相対主義?
>>898 突っ込みどころは多々あるけども1つだけ致命的なところを指摘する
>>明らかに自明なA=B、または証明のなされたA=Bは誰がなんと言おうとA=Bだ
>での「証明のなされたA=B」 であり
>これが二値ではないか?ということだ
>だって「明らかに」なんて言葉を使ってるんだから二値だよね?
>そして多値なので必ずしも100%とは限らないという状態になればよい
>別に100%になってもよいのである
>100%にならない場合があればよいのである。
それは前提の定義のすり替えであって、数学でそれやると捏造と言われます
例えば、「公理として1+1=2は自明だ」に対して「1個のリンゴと1個のみかんをたして2個になるか?いやリンゴとミカンだ!」
と言い出すようなものです
それなりに筋道が通った様に聞こえますが、定義されていない事柄を後からリンゴとミカンというxとyに摩り替えて誤魔化しているのです
ついでに、自明というのは証明する必要のない明らかな事
当然その対偶命題が偽であることも明らかであって当然です
どうも妙な価値観にがんじがらめになっているように感じます
覚えたての背理法って言葉にご自身が振り回されてませんか?
909 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 18:45:22
単に命題と命題を対偶させるのが下手ってことなんじゃない?
ぱっと見た感じだけど、
最近の高校数学は背理法とか数学的帰納法の証明とかは、
パターン暗記させるだけでそのロジックの理解まで学ばせてくれないから。
多いよ、
>>907みたく定義が途中から入れ替わっちゃって理論が無茶苦茶になっちゃう人。
>「100%肯定の否定」を自明することができればいいので
>「明らかに100%の事柄」の自明とはわけが違う
意味が分からない、「100%肯定の否定」を証明することは出来ても、自明するって言葉は意味が通じない。
2文の意味も繋がらないから、日本語的におかしいな。
一度学校の数学の先生にでも、自明について聞いてみるといい。
背理法で自明を覆すことは出来ますか?と聞けば100%無理だと言われるだろう。
背理法でしばしばこういう不思議な使い方をする人はいるが、
それは数学的命題を数式だけではなくて文によって表現しなければならないからだ。
きちんとした述語論理能力が養われていないと、
>>898のように上手く対偶させることが出来ない。
まぁ高校生ならば仕方の無いことかと思う、高校からプレゼンテーション能力を伸ばすような教育をしてる所は聞いたことが無いし、
ほとんどの進学校は大学入試のペーパーテストに合格する能力を伸ばす教育しかしていないからだ。
大学入試がんばれ、大学に入ってきちんとしたゼミや研究を行っていれば、述語論理能力は養われていくよ。
910 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 18:48:22
自己訂正、
>多いよ、
>>907みたく
「
>>907の内容みたく」ってことね。
>>907の説明は上手いね、その通りだと思うよ。
>それは前提の定義のすり替えであって、数学でそれやると捏造と言われます
>例えば、「公理として1+1=2は自明だ」に対して「1個のリンゴと1個のみかんをたして2個になるか?いやリンゴとミカンだ!」
>と言い出すようなものです
知識と知恵の足りないなんちゃって数学者に、こういう人は確かに良くいます。
911 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:19:53
確かに
>>888は背理法を間違って理解してるな
自明な事柄も、証明された事柄も、当然その対偶命題は通るに決まってる
そうでなければ自明でも証明されたわけでもない
既に証明されていることを覆すには>907の例えのように、前提条件を摩り替えるしかなさそう
0か1かの前提での話に、2も3もあるかもしれないなどと言い出すのと一緒だな
まぁ高校生なんてその程度だろ
反証と背理法を一緒くたにしてるのかな
ところでここは善悪スレじゃなかったっけ?
912 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:24:52
ええと、
「 ある事柄が善であるか悪であるか(あるいは無関係であるか)は、
何を目的にするかで変わる」
という事について、「相対主義だ」という批判がありまして、
相対主義を否定する文脈から、背理法が出てきたと思うんですが、
ちゃうかな。
913 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:33:11
「相対主義だ」というのは批判になるのか?
まぁ相対主義は口車という
>>886の指摘に同意だが
>>886自身は相対主義を否定する気は無いと言ってるし
相対主義を否定するレスってどれだ?
俺の見る限りでは、
>>888が
>>887に対するレスとして、背理法って言葉を使ってはみたものの
本人の理解が乏しく、使い方も間違っていたために周囲の理解が得られなかった流れと見るが
914 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:34:46
批判にならんとすると、このスレと関係ない議論が、
突然降って沸いたことになる。
915 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:36:09
そういうことにはならんだろ
道徳はある事象、行為を善か悪かで判定する必要が出てくる。(これは自明と思われる)
判定は断言を伴うわけで断言を避ける相対主義とは相性が悪いと思うが。
917 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:39:31
というより
>「 ある事柄が善であるか悪であるか(あるいは無関係であるか)は、
> 何を目的にするかで変わる」
こういう意見に対して、相対主義ではないか?というレスがついた
で、相対主義とは本当はどういうものだろう(
>>885)という疑問があり
それについていくつかレスがつきはじめたところに
>>888が突如謎発言をした、それ以降は
>>888の謎発言への指摘ややり取りだな
918 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:39:57
というか、とりあえず、相対主義の定義を明確にしてほしい。
「断言を避ける」ってのは相対主義の定義定義としては OKなのか?
そうすると、
>>906 のようなのは相対主義じゃないのか?
919 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:43:31
920 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:47:49
>>918 定義を明確にできないからこその相対主義とも言えると思われる
人それぞれと言い出したら何とでも言えるからだ
それを考えると、口車という表現は的を射ている
この場合の相対主義とは「善悪とは○○である」と一義的に言い表すことはできない、と考える立場をいうと思う。
922 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:53:59
ええとね、おそらく、問題は1つか、複数か、ということだと思うんですよ。
相対主義というのは、1つの問題について、対立する意見がどちらも正しいことがありえる、
ということを言っているわけですが。
>「 ある事柄が善であるか悪であるか(あるいは無関係であるか)は、
> 何を目的にするかで変わる」
というのは、「「善か悪か」という問題は、目的の数だけある」(そして個々の問題では答えは一つである)
といっているわけですよ。
ここで、「「善か悪か」という問題は、目的の数だけある」ということを認めることができない人間には、
相対主義に見えるわけです。
つまり、一つしかない「善か悪か」という問題について、目的によって違う答えがでるわけですから。
923 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 22:59:24
だから、
>「 ある事柄が善であるか悪であるか(あるいは無関係であるか)は、
> 何を目的にするかで変わる」
と主張している人間には、自分の主張が相対主義であるという認識は無いわけですし、
相対主義を積極的に肯定する意図も無いわけです。
まら、相対主義の定義についても、
>1つの問題について、対立する意見がどちらも正しいことがありえる、
という点で、双方に認識の齟齬はないわけです。
ますます口車っぽいなw
925 :
妄想将軍 ◆pq8y/nNWWw :2005/12/18(日) 23:36:24
齟齬は誹謗と妙な勘定高さと当たり前を罵詈讒謗の如く怒鳴る原因は物言いが我利我利と過去の幻想を引き摺っているから余計に阿漕な正体が浮き彫りになる
基本的に自分の発言の頭に、「だから」とつける人間は
相手の意見を一切聞き入れず自分の発言を一方的にまくしたてる傾向にあるな
927 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 23:49:19
だからなに?
虎口の讒言
只より高いものはない
単純極な弱さを讒す原因は骨折り損の草臥れ儲けに他ならない
悪い人間は宗教的であり物事を創価する
お布施が必要と思えば矢張り彼らは何か漫画とか漫才でも簡単に飯が食えると勘違いしている
其の致命的な勘違いは強烈ではないが確実に廃れる
そういった如何ともしがたい状況に顛覆しまいと執着している
邪心が強いから仆的に窶れ斃ている自爆の呪縛現象を自覚できない
そして悉く疲弊する
929 :
考える名無しさん:2005/12/18(日) 23:56:52
つまり、相対主義それ自体についての議論の対立はこのスレには無いわけだから、
相対主義についての批判を論じるのは無意味だと。
930 :
概念は具象化する ◆GUGENiOq0w :2005/12/18(日) 23:59:38
>>926 本当の原因は其処にある
出前を注文して時間を決めたら最後で連中は間違いなく喚く
元々自分たちに余裕がない奴ほど人より上になろとう無茶な背伸びをしている
そういった善悪の判断に逃げ道がある場合は守れない約束をしないに終始するかと思われる
重症患者を装って少しでも先に治療を受けたがる猿の悪知恵という不具合
結局狡賢い連中は離島に隔離された状況を内心苦しく思っているに違いない
どうも、謎発言の根源です。
数々のご指摘ありがとうございます。
でもいつか現代数学を動かして見せます。
応援よろしくお願いします。
932 :
妄想将軍 ◆pq8y/nNWWw :2005/12/19(月) 00:20:25
>>927 絶対的な保守主義を気取る為に眼前の有り合わせ即ち誤魔化しでしかなく際どい界隈
>>926 基本的に自分の発言の頭に、「だから」とつける人間は相手の意見を一切聞き入れず自分の発言を一方的にまくしたてる傾向にある
最後にだからをつける喋り方は固定観念で物事を断じてはいないかと思われますね
だからといってエイリアンみたく善悪に過敏な若い子を腫れ物と用心する必要は不可欠
エイリアンじゃなくてもエイリアンモードに陥っている人間は鼠みたいに我利我利します
虎は鼠を食べるか知らないが少なくとも猫と鳥を同じ籠の中では絶対に共存できませんね
934 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 04:59:12
この世は相対的な世界なんだから、しょうがない。
上が存在しなければ、下が存在できない世界。
そもそも、善悪の定義だって相対性の産物。
善だけ、悪だけ、の単独では存在する事ができない世界に住んでいる。
と言う事は、善悪だけを取り上げ、それについて議論する事は難しい。
「何」についての善悪なのか?というテーマでなければ答えは出せないはず。
>>1が出しているテーマは、殺人、食人、近親相姦。
目的により、善悪の判断が分かれるのは自明の事だと思われるのだが。
935 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 05:23:55
俺が思うに善悪の判断はソフィストとソクラテスの間にあると思う。
ソフィストは善悪の判断は社会や国家により異なると言った。つまり客観的な大勢の判断、現在で言うところの法律のようなものかな。
ソクラテスは理性をあきらかに、つまりは感覚世界を自らの理性で説き明かすことによって、善悪は判断できると言った。
僕はその中間で、社会と個人との両方に足を突っ込むことでおのずと正、不正の判断ができると思う。多少日和見に感じるかもしれないが現代を生きる者にはスマートだと思う。
世界に僕一人しかいないなら、善悪区別なくエゴ丸だしの人間になるけどね。
936 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 05:44:44
社会と個人・・?
ソクラテスはどちらの立場なの?
善のイデアは、社会も個人も超越したものなのではない?
937 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 06:25:05
>>1 そんなことも頭で考えないと分からないのか?
938 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 06:37:31
937さんへ
イデアはプラトンだよ。ソクラテスはロゴス。イデアって言うのは永遠で不変な物で、つまり感覚界とは対照的な…。ちょっと説明長くなりそうなんでやめときます。
939 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 06:39:37
追伸。
ソクラテスはありていに言えば個人派だけど、利己的な考え方じゃなくて、社会貢献を視野に入れた考え方だよ。
940 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 06:40:27
>>938 ソクラテスとプラトンの違いはどうやって見分けた?
ソクラテスが何も書いていないのだからね・・・
941 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 06:45:58
プラトンの書き残した物だけだから確かにあやしいかもね。
942 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 06:49:01
あっごめん!
ソクラテスもそうだけどロゴスを始めて使ったのは万物流転のヘラクレイトスだ。
>>922 >というのは、「「善か悪か」という問題は、目的の数だけある」
その目的は何通りありますか?
944 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 17:04:39
>>943 人間の数だけある。それでは社会がまとまらないので、互いに妥協点を見出し掟が作られる。
その社会も体制やら何やら色々ありすぎるがな
>>944 人間の数ってのも変じゃない?
無数にあるよ。
>>945 無数にあるのなら目的がないのと大して変らないのではないか?
947 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 17:38:30
>>945 善悪とは人間が決めたものだから、人間の数だけで正しい
歴史を語れば過去にも存在した全ての人間の数だけということになるが
948 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 17:44:45
>>946 ∞≠φ
無数にあるということと、0では流石に意味が通らない
>>947 国家にとっての事柄や、企業利益にとっての事柄もありえるだろう
無数が正しいかと
949 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 17:49:07
( ´,_ゝ`)プッ
( ´艸` ).:∵プゥッ
>>948 無数にあるなら
例えば
国にとっての善=右翼にとっての善&左翼にとっての善&隣の御婆ちゃんにとっての善&日本海にすむ蟹にとっての善・・・
のように同じ善になるような組み合わせは存在するのか?
952 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 18:48:00
>>947 一人の人間の中でも、複数の目的が存在するよ。
だから葛藤が生まれる。
>>947 俺の中にも人格は無数にある。
高校生としての善悪
人間としての善悪
哲学板住人としての俺の善悪
VIPPERとしての俺の善悪
それぞれが、せめぎあって、次の行動を決定している。
その最終決定事項をその人の善悪、と呼ぶのなら
複雑な葛藤を無視することになり、正しいカウントとは言えない
954 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 18:56:15
葛藤と善悪は関係ない
葛藤したしたからといって悪が減じられるわけじゃない
善悪は結果で判定される
955 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 18:56:17
流れを無視して質問なのですが。
罪悪感ってのは罰が下される可能性(妄想含む)に対する恐怖のこと
だと思うのですがどうでしょうか?教えて哲板の頭のいい皆さん。
不法投棄は知られることが無いと考えられるのだろ。
>>951 組み合わせることは可能なの?
そもそも、それらがそれぞれ組み合わせるに足るほどの相関関係を持つと証明できるの?
958 :
1:2005/12/19(月) 19:04:43
それにしても、このスレがここまで延びるとは思わなかった
最初のうちは燃料を投下していたが、300あたりから何も書き込まなくても延びているな。。
善悪はそれだけ難しい問題ってことか
>>955 他人の言葉に頼るんじゃない
君の考えと言葉で、君自身の哲学として結論を見つけなさい
>>955 見つかる可能性はないと確信していたが、
罪悪感を覚えたこともある。俺だけかもしれんが。
>>954 もちろん、葛藤と善悪は直接は関係ないよ。
葛藤は「目的」が複数あるから、どの目的を優先するか、という点で起きる。
ボランティアは見つけられることが無いことが善い、悪いなんて考えないだろ。
>>962 当たり前のように罪悪感と奉仕精神を関連付けてるな
宝投棄が見つけられないことは悪か。
竹やぶに現金の入ったバッグとか、あったやん。
>>957 俺はできないと思う。
仮説:善悪に和をとることはできない。
967 :
考える名無しさん:2005/12/19(月) 20:23:39
そもそもAの中の善悪、Bの中の善悪でそれぞれ独立した絶対では?
ということだろ
ならばA&Bなんて考え方自体がおかしいだろう
968 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 00:13:32
絶対悪が実在するとしたら全ての人類にとっての敵対者だろう
それはせいぜい天然痘くらいではないかね。
969 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 00:37:32
前にも出たけど、俺も善悪は相対的なものだと思う。
たとえば仇討ちは実行者にとっては善。やられる側にとっては自分の命を脅かす悪だ。
法律などは結局のところ多数決での善悪なので無視。
要するに、真実などない、あるのは多様な現実。ということだと思う。
970 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 00:50:34
971 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 03:39:19
>>969 まあ、時代小説を多少読めばわかると思うけど、
仇討ちはどっちかっていうと社会規範で、
本音を言うと、されるほうに限らず、仇討ちをするほうにとっても、
あんまり良いことはなかった。
法律で禁止されたのは、自然の趨勢かと。
973 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 13:53:49
そろそろ、次のスレを立ち上げようか?
この種の議論は結論ってのは出せないものだろうし
頼みます。
975 :
考える名無しさん:2005/12/20(火) 14:19:26
管理人…「この腐った世界…。この進行にピリオドを打つのは今しかない。そして・・・・・・・私しか・・・残されていない・・・・・。某有名私立大学付属高校首席が人類を変えてやる・・・。」
この思想を持った私は革命を起こすのに最も相応しい世界・・・政界へと将来足を踏み入れることにした。
「新時代掲示板」DEATH+NOTE notice+ 個人の思想・哲学・政治・非現実的な話(名前を書き入れると其の人間は死んでしまうノートなど…)
実質…始めたばかり・・・余り人も居ません…共にこの思想を歩んで行こうではありませんか・・・!!
アドレスです・・・!↓↓↓↓いや、本当に面白いですよ?騙されたと思って一回見てみてください!!!!!超面白!!!!!
http://bbs7.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/deathnote/
>>971 アインシュタインの相対性理論のことを言ってるのか?
あれは全ての万象の相対性を証明するものじゃないぞ?
別に知らんなら知らんでいいんだから、無理に変な名前引っ張ってこない方がいいかと
979 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 00:13:38
>>978 東洋哲学では、森羅万象・自然現象から人間がどう生きるべきかの答えを求めた。
つまり古代において哲学と物理学や生物学は一体のものだったのだ。。。
現在は完全に離れているね。。。
利己的な遺伝子学説を考えれば哲学とは無縁の世界だとわかるけどね
980 :
考える名無しさん:2005/12/21(水) 15:56:57
結論
魂にとって、成長に有効な事が「善」
魂にとって、成長に有害な事が「悪」
である。
魂の定義がないため結論として有用たりえない
982 :
考える名無しさん:2005/12/22(木) 02:17:43
この宇宙の全てを支配する多次元方程式というのが存在するのであれば、その中で人間の果たす役割は何であるか
古代の哲学者は常にこのことを捜し求めてきた
983 :
考える名無しさん:
光⇔影のような感じじゃないの?