1 :
考える名無しさん:
科学とはなにか?
科学とは反証可能性を持つものを言う。
少なくともディスカッションが成立しないと科学とは言えない。
しかし、哲学の中には科学とは言えないテーマが存在するのもたしかだと思う。
これは科学、これは科学ではないというふうに、さまざまな哲学を分類してみよう。
まず、ニーチェ哲学。
これは科学と言うより文学でしょ。支離滅裂だし。
>>1 少なくともディスカッションが成立しないと科学とは言えない。
↓
少なくともディスカッションが成立しないと「学問」とは言えない。
>しかし、哲学の中には科学とは言えないテーマが存在するのもたしかだと思う。
哲学に科学なんてない。科学「的」なものはあるが。
あくまで「的」であって、その手の分類をするなら
すでに分析哲学と大陸哲学に分類されている。
う〜ん、いきなり本質的な批判をされてしまったが、では哲学とは
いったい科学のどの部分に貢献していると考えるべきなのだろうか?
哲学とは科学大系の何をになっているのだろうか?
科学とは、経験的学問で探究法が体系化されているものを指すわけだが
経験的学問でないにしても、探究法が体系化されている分析哲学は
何らかのかたちで科学の役にたつと思われる。
6 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 09:34:20
哲学の中の最も科学的でない部分は神学が入り込んでる部分ではないかな?
>>4 >科学の仮説の部分に貢献している。
仮説の部分?
これは具体的にどういったことを指すのかな?
哲学がどのように科学の仮説に貢献しているのか?
仮説、もっといって科学のありかた、手法を支える世界観とつながっているのでは?
9 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 10:35:59
科学…。
科学とは結論ではなくあくまで手法。つまり、仮説、実験、観察の手続き、方法のことだ。
この方法論は、科学哲学という思考の結果編み出されたものだ。
ということは、もしかしたら、哲学とは科学そのものかも知れない。
哲学とは方法論や諸概念の定義を議論することであり、それは科学であり、
その方法論によって導かれたものが、諸科学的結論といえるのではないだろうか?
10 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 10:54:38
そもそも「哲学」と「科学」と「学問」ってどれがいちばん重要なの?
なんかこの板って、学問にステイタスを与えて、そこから哲学なり科学なりを判断している人が多い気がする
11 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 11:04:04
>>7 科学者が何かの仮説をたてるとき、それすなわち
科学的に証明されていない段階なのだから哲学なのだ。
たとえば原子論・宇宙論がそれ。
>>9 >哲学とは科学そのものかも知れない
と論理実証主義は考え挑戦しましたが行き詰まって挫折しましたとさ。
「科学的に証明された」というのは
誰にとっても共通了解たりえることを示した
ってこと?
>>12 >科学的に証明されていない段階なのだから哲学なのだ。
>たとえば原子論・宇宙論がそれ。
それじゃ、科学的に証明されたら、自然哲学じゃなくって自然科学になるってこと?
それもなぁ。
「仮説の段階=哲学」ってわけじゃないと思う。
>>14 共通了解って言っても、どんなものにも限界がある。
相対性理論はまちがいだって言う科学者もいる。
結局現段階では、科学的真理とは、多数決でしかないと思う。
>>17 多数決でしかないとしたら
科学者は自信を持ち、得てして哲学者は妄想扱いされる、その理由というのも
実にくだらないことになってしまわない?
歌手Aは歌手Bより売れるから、歌手Bよりも歌手Aを支持すべき、
と言ってるのと変わらなくなってしまうような
20 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 12:11:55
>科学とは反証可能性を持つものを言う。
これ(この定義)自体には反証可能性が無いから、
これは科学ではないよね。
21 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 12:24:12
>>19 >実にくだらないことになってしまわない?
う〜ん、しかしメンデルの法則を発見したメンデルは、当初まったく学会に相手されなかったと言うし……。
後に再評価される学説もあれば、そのまま異端のままで終わる学説もあるわけだし。
もしかして相対性理論もいつかくつがえるかもしれない。その功績がすべて否定されることはないと思うが。
その別れ道はなにかって言うと、結局、多数決なんだよなぁ。
正しくてもマジョリティに支持されなければ意味はない。
>歌手Aは歌手Bより売れるから、歌手Bよりも歌手Aを支持すべき、
>と言ってるのと変わらなくなってしまうような
科学も結局そういうものだと言い切っていいのか、それとも決定的なちがいがあるのか…。
文学も哲学も科学も、そうはっきりした違いはないのかも知れない。
>>20 それはその通りなんだよな。
しかし、科学の本質を反証可能性に見るのは、パポーの偉大な発見だと思うし。
しかし、その発見そのものに反証可能性がない。
それがゆえにパポーの発見は、哲学であって、科学ではないのか…。
アホらし
23 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 13:43:04
科学、哲学、科学的結論の関係を野球に置き換えてみよう。
科学→野球
哲学(諸学の定義や検証方法を決める。力とはなにか? エネルギーとはなにか?とか)→野球のルール
科学的検証(実験やディスカッション)→プレイ、技術の競い合い
科学的結論(相対性理論やニュートン物理学は正しい)→試合結果
こんな感じでいいんじゃないかな。
つまり哲学とは、「ルール決め」なんだ。
ルールがしっかり決まっていないと、プレイも勝敗決定も不可能。
だから、哲学は科学の根本をになっている。
これでいいや、これで。
24 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 16:50:00
つまり、哲学そのものは反証可能性がないから科学的研究対象ではない。
しかし、哲学(方法論の確立と用語の定義づけ)無くして科学は成立しない。
いや、むしろ哲学そのものが科学(方法論としての)である。
スレタイに沿って言うのなら、「哲学は科学」だ。
しかし、科学的研究対象ではない。
25 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 16:58:08
現代において哲学は技術知(テクネー)に対する拒否反応の受け皿に過ぎない。
それはわかっちゃいるんだが。。。
tp://web.kyoto-inet.or.jp/people/eisaku/maze/mindex15.html
27 :
考える名無しさん:2005/10/10(月) 19:12:15
> 相対性理論はまちがいだって言う科学者もいる。
その可能性は0%とは断言できない。
しかしながら、その主張をする者の書物等を読むと、
そもそもまったく本論に至らない初歩的なところで誤っており、
そのことに気付く知性を持ち合わせていない。
学会で質問されてもまともに答えない。
メタ科学
29 :
考える名無しさん:2005/10/12(水) 10:31:43
ハイデッガー哲学って、文学だよね。
ハイデッガーは20世紀最高の哲学者とか言われてるけど、過大評価されてると思う。
「存在」なんて反証可能性ないじゃん。
「存在者」は検証可能だけど。
「存在」の分からないヤツは、「世俗に頽落している」って、あんまりじゃない。
そんなの霊の存在のわからん奴は、霊感がないとか言ってるようなもんじゃない。
なにが「死の先駆的決意性」だよ。
完全にオカルトだよ。
30 :
凡人:2005/10/12(水) 22:56:09
>>1番さん、哲学は科学か?
哲学の探究目的は物事の理を悟り真の道徳と倫理観に依って産み出される愛智「潜在知能」を以て全てを成す事です。
人が諸学を目指す為に知能を育て潜在知能を活用する事が不可欠で有る為に哲学は諸学の源と成されています。
☆☆哲学や★★を哲学する等と言う事は、まるでナンセンスです。
哲学は諸学の源で有り科学でも物理でも数学でも有りません。
31 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/10/13(木) 01:44:07
例によってグダグダですが、「反証可能性」についての理解をもう少し固めておきましょう。
>>14 反証主義に関して言えば、方法論的に採択されるものです。
>>20 >これ(この定義)自体には反証可能性が無いから、これは科学ではないよね。
あります。反証可能性やその適用に関して反証がなされる事にも開かれています。
>>24 >哲学そのものは反証可能性がないから科学的研究対象ではない
そうですね、よく言われます。が、自分的に哲学は
「経験的な反証可能性」はないが、「分析的な反証可能性」はあると言いたい。
32 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 02:11:39
科学の権威を借りないといけないとは哲学も落ちぶれた。
哲学数千年の歴史を無視して「哲学は始まっていない」と云う奴も論外だが。
すると、問題が科学的であるってことなのかな?
ゲーデルの不完全性定理より、
自分の世界観が正しい事を証明するためには、新しいことを覚える必要がある、即ち'経験'が必要不可欠である。
又、自分の世界観では自分が正しいことは証明できない。他者から認めてもらうしかない。
35 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 02:17:03
科学は観測されるものを扱う。
観測する者は対象じゃないからね。
とはいえ、鏡を見れば目玉も見えるわけだが。
37 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/10/13(木) 02:25:53
>>34 飛躍がありますね。ゲーデルの定理は
経験によって自分の世界観を証明するという事ではないです。
>>35 それは、科学は個々の対象を法則化し全体に関連付ける、という解釈で、よくある見方ですね。
>>36 文系では観測者の視点が織り込まれていますね
39 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 02:37:04
哲学数千年の歴史を無視して「哲学は始まっていない」と云う奴も論外
というやつは論外だが。
40 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 03:07:43
不思議文章でつね
41 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 03:18:34
>>31 >「経験的な反証可能性」はないが、「分析的な反証可能性」はあると言いたい。
ほほう。
「分析的な反証可能性」とは具体的に?
たとえば、デカルトの「我思うゆえに我あり」を反証できるとか?
42 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 03:47:33
しろうとは用語の言い回しに自己陶酔するかな w
43 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 17:25:03
数千年の歴史を持っていても、まだ本来の目的からすると夜明け前、ということもあり得るわけだが。
44 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 21:18:15
だから、本来の目的、とか言うとさ、、
45 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 21:21:35
やるしかないよな。
46 :
無慈悲 ◆n1001z04V2 :2005/10/13(木) 21:24:33
宇宙で引き篭ってろな
47 :
考える名無しさん:2005/10/13(木) 23:37:24
ゃ〜れ〜婆〜
はい、今日ご紹介するのは、この商品、○○○、
○○○は、なんと普通の物質の△△倍のDNAが含まれています、
全てに効果的!
49 :
考える名無しさん:2005/10/14(金) 17:05:52
みんなこぞって「愚問」って言葉を知らない始末だ
50 :
考える名無しさん:2005/10/15(土) 00:02:14
愚問とはなにか、が哲学の喫緊の課題だよ
51 :
考える名無しさん:2005/10/15(土) 01:44:35
哲学とは「哲学とはなにか」という学問ということですね。
52 :
考える名無しさん:2005/10/15(土) 01:46:36
自己言及性が自意識のルーツかな。しかしそれをあえて対象としている所が独特だ。
ほほう。 というやつは論外だが
55 :
考える名無しさん:2005/11/14(月) 03:41:41
>>51 科学哲学はパラダイムとして成立しますか?もしくわコンセンサスとして?
56 :
考える名無しさん:2005/11/14(月) 04:24:11
成り立っています。
57 :
考える名無しさん:2005/11/14(月) 04:44:04
58 :
考える名無しさん:2006/01/09(月) 02:32:15
59 :
考える名無しさん:2006/01/09(月) 06:04:18
哲学の唯一困ったところは役立たずのくせに
意味も無く必要以上にプライドが高いつうとこ
哲学者には関係なくて、彼と誰かの関係なのだ
哲学者には関係なくて、或る人と他の人の関係なのだ。
そして、哲学者に関係なく、一方がプライドが高く、他方が低くされているとすると、
誰かが高く、他方が低い関係のようだ。
63 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 19:34:24
哲学を知らんようだね?
r'"⌒ヽ
/◎ω ◎\
,____/ヽ -==- /
r'"ヽ t、 ヽ___/
/ 、、i ヽ__,,/
/ ヽノ j , j |ヽ
|⌒`'、__ / / /r |
{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,_____)--、j
/ \__ /
| "'ー‐‐---''
,ハ ,ィ' ,;-ゝ、
/ミ`ーt!,_,ィ-‐彡''"^ヽ
/ ヾ::::::::::::::::r''" ぃ ;}
l t:::::::::::/ ノ /
l! `'T7′ / /
65 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 04:46:23
_,;::-ー-:;:,,、
/ \
|::-=・=--=・=-|
| ー=〓=- | ダメだよ? 踊らされてるようじゃ?
\ /
,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ノ゙-、.
66 :
考える名無しさん:2006/03/22(水) 22:37:09
ちょ、ちょっと!
>>41にはいつ答えてくれるんですカー?
>「分析的な反証可能性」とは具体的に?
これ、オレも知りたい。この用語にのっかってしばらく踊ってみたいが。
67 :
考える名無しさん:2006/03/22(水) 22:42:21
哲学数千年の歴史を無視して「哲学は始まっていない」と云う奴も論外
というやつはラリっている。
68 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 00:05:25
あげさしてもらいますよ
69 :
考える名無しさん:2006/03/25(土) 14:17:00
______
/:::::::::::::::::::::\
/::::::::::::::::::::::::::::::::\ ←68
/ ∵ 3 丿
/\ U ___ノ
/ .\ ____ノ\
\______ノ .\
70 :
考える名無しさん:2006/03/27(月) 16:02:05
______
/:::::::::::::::::::::\
/::::::::::::::::::::::::::::::::\ ←69
/ ∵ 3 丿
/\ U ___ノ
/ .\ ____ノ\
\______ノ .\
71 :
考える名無しさん:2006/06/01(木) 06:40:41
何故、女は哲学ができないのか??? 2
876 :考える名無しさん :2006/05/31(水) 03:19:41
女はトイレについていくまではできる。だが、立ちションができない。
もし敢行したとしても既に連れションでなくなっている。
決して、連れションができない女。
女が連れションしたきゃ、女同士が集まって座りション集会でもすればいい。
だが、女の集会はたいてい井戸端会議止まり。
苦情の言い合い、悩み相談、ゴシップ、誹謗中傷、罵り合い・・・程度。
↑哲学にできるのはこの程度ってことですか。
>>71 どんなことにも深い意味がある、それを悟れないから「この程度」と判断する
愚かだと思わないか?
思わないからこそ、理解できないんだろう。
目の前のものに囚われすぎだw
73 :
考える名無しさん:2006/06/02(金) 19:55:00
74 :
考える名無しさん:2006/06/02(金) 20:39:40
>>72 はたしてそうかな?
その考えにこそとらわれているんじゃないのかな?
75 :
74:2006/06/03(土) 11:11:56
77 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 06:14:25
>>75 はたしてそうかな?
その考えにこそとらわれているんじゃないのかな?
78 :
77:2006/06/04(日) 10:43:55
よく考えたら72が一番納得できるように思えてきた。
前言撤回する。反省したよ。
何の話か知らないが、みんなそうしてるみたいだから、
私もとりあえず72に納得しとく。
80 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 14:07:46
>>79 はたしてそうかな?
その考えにこそとらわれているんじゃないのかな?
82 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 14:12:58
ざっとスレ読んだが、結局具体的な事は書いてないな。
だんだん人の言葉のあげ足を取るだけになってるよ。
83 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 16:43:42
>>82 哲学板の単発スレで読む価値があるのは大体最初30レスくらいまででしょ。
あとはいつも知ったかぶりと素人の押し問答になる
84 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 17:19:59
>>82 はたしてそうかな?
その考えにこそとらわれているんじゃないのかな?
具体的なものだけを望みすぎその本質を見ることを拒否していないか?
分かりやすいことを受け入れるだけの合理的考えではないのか?
押し問答が無意味だと結論付けるのは早いのではないのか?
モマエが具体的なことを発言できないからこそストレスを感じて
いるんじゃないのか?
無意味は有意味に変化するものとは思わないか?
85 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 17:22:39
>>78 はたしてそうかな?
その考えにこそとらわれているんじゃないのかな?
86 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 17:23:43
>>84 理屈や意味のあることだけしか見れない閉じた世界の考え方は
自分の価値観を主張して正義となす。
放置しておけ、完成したものがほしいやつは他人の真似をしたいだけの存在
なのだから。
87 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 17:26:01
>>86 はたしてほんとうにそうかな?
その考えにこそとらわれているんじゃないのかな?
88 :
考える名無しさん:2006/06/04(日) 18:22:39
89 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 00:28:05
>>83 哲学って、「素人」と呼ばれても、ちっとも悔しくない学問だ。
90 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 06:06:03
堵虞慧螺も知らんのか?
91 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 06:20:41
今週にはすでに破綻してるだりえろよwwwwwwwwww
バキ゛ャ゚。プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー してみたまえwwww
負けた後でキャキ( ´,_ゝ`)親上京くん久しぶりに見たw
どこで遠吠えしてるのかと思ったら、あんなとこでトクワンの次の電波語を吠えてたとはなぁw
くっくさっさちゃん引退すればいいのにw
ャ?m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ 他の言語にすりかえたりして
自分で考えろよwwwwwwwwww
バーーーーーキ゛ャー してみたまえwwww
92 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 06:34:19
むしろ科学が哲学に接近してきてるな。量子力学のコペンハーゲン解釈なんか哲学そのものだし、宇宙の起源なんかも、ほとんどオカルト理論と同じだ。
93 :
考える名無しさん:2006/06/06(火) 23:04:33
オカルト理論は勝利した!!!
94 :
考える名無しさん:2006/06/07(水) 00:52:32
哲学のオカルト的要素を否定する香具師は思考が停止していることに気がつけ。
言っていることはすべて抽象的で具体性がない妄想で何が悪い。
だが論理性まで放棄するのはどうかと
96 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 20:35:01
科学とは何だ!!!!!
97 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 22:09:43
じゃあ手っ取り早く
科学のアプローチとして身近な例を挙げると
俺のチンコが毒マツタケであることを証明したい
のだが、まずはじめはどうしたらよいことやら
食ってみれ
99 :
考える名無しさん:2006/06/25(日) 22:31:51
チョジェジン(清水エスパルス、2006W杯韓国代表メンバー)
「Kリーグは個々の選手の勝利への気持ちが物凄い。それに対してJリーグはまずサッカー自体楽しむ、
、そういう文化がある。それで初めの頃はなかなか適応できませんでしたね。サッカーを楽しむのは良い
ですが、負けた時に笑っている選手がいるのには本当にビックリしました。それで監督にこれはおかしい
と言ったこともあります。すると監督には「ここではこれが自然なんだ、むしろ君の考えを変えるべき」と
言われましたね。それでもファンの人達は本当に素晴らしい。韓国では代表チームで見られるような観客
をここでは毎週クラブで見られますからね。自然と力が沸きますよ。」
2005年1月
キムジンギュ(ジュビロ磐田、2006W杯韓国代表メンバー)
「Jリーグは攻撃的です。韓国と同じで全員守備、全員攻撃が基本。そして選手のパス能力が高いのが
大きな特徴でしょう。しかし、韓国と比べると高いボールに対する競り合い、パワープレイにかなり弱い。
そして勝負欲という面でもまだ韓国と比べると足りない。磐田でもチームが敗れると相変わらず笑ってる
選手が居ます。友人や家族と電話してたりね。ただピッチではだいぶ変わってきたとは思います。競り合
いで激しく相手にぶつかっていく選手も以前より増えてきた。
それでも一方でタフネスとパワーという自身のスタイルが日本に来て弱まったように感じる。パワープレイ、
闘争心溢れるプレイをピッチ上で沢山しなければならないのに、クラブは練習でそういうことはほとんどし
ない。韓国に居たときよりそのような面で自分自身が退化しているように残念ですが感じてます。」
2006年1月
哲学が科学だったら、科学哲学は、科学科学ってことになる。
>66
>分析的
たぶん、内的矛盾を証明したり、首尾一貫性のなさを証明したり、
誰もが受け入れる直観と食い違っていることを証明したり
できる、という意味であろうと思う。
でもそれを反証可能性と呼ぶのは言葉の濫用。
102 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 00:46:07
103 :
考える名無しさん:2006/06/29(木) 01:22:22
>>102 ニーチェはそれ以降が続かない哲学だからな。
哲学史的に言うと、体系から外れてそんざいする異端児的な哲学と
言うべきだな。なぜか日本人は好きな人が多いみたいだが。
運命愛、超人、ニヒリズム
これらは科学的とは言い難い。
科学の根幹は数学的、量的、なものだろ。
科学を哲学することはできても、哲学を科学することはできないのでは?
ぎゃあああああああああああああ!
でもまぁなんというか
ぎゃあああああああああああああ!
その
ぎゃあああああああああああああ!
まあいいや
106 :
考える名無しさん:2006/07/22(土) 18:49:38
ニーチェはミイラ取りがミイラになったって感じだな
科学的な哲学は恐ろしいよ
逃げ道がないからねえ
108 :
考える名無しさん:2006/07/23(日) 06:50:05
哲学は既に2度目の氏を迎えつつある。
そして3度目の再生も間近だ。
109 :
考える名無しさん:2006/08/14(月) 12:47:41
一度目の死はいつ?
110 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 03:24:31
二度目の再生ってルネッサンスのことかな?
111 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 06:44:04
哲学は哲学。科学のレベルまで落ちぶれることはないだろう。
112 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 07:29:55
社会科学や自然科学を理解するだけの知力がない連中が哲学科に集まる。
科学を理解できないという劣等感から目を背けるために、「科学の基礎は脆弱だから
哲学による基礎付けが必要だ」と痰壷に向かって話しかける。
きさまらの手の内は全てお見通しだ!
そういう足の引っ張り合いはキャンパス内だけでやってね。
社会人のオレには全く興味が無い。
114 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 09:30:38
実際のところ、哲学は文芸なのだが。
115 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 09:49:53
西洋思想が今いる場所は仏教・儒教が2000年前に通過した場所だ。
仏教・儒教の伝統を捨てて西洋思想に傾倒した軽佻浮薄な連中は
バカにされて当然。
日本の自然科学者の中には仏教・儒教などの東洋思想への造詣が
深い者が少なくない。また、欧米の哲学者・科学者が東洋思想に注目し始めて
既に100年以上たつというのに、未だに西洋思想の受け売りをする人は
学問の大きな流れを見る目が無い。東洋思想を学ぶ企業経営者は多いが、
西洋思想は完全に無視されている。東洋思想よりも格段に劣っていることが
素人の目にも明らかだからだ。
数学や理論物理は教科書を読めば誰だってロジックを理解できる。でも、直観が
働くレベルまでイメージを膨らませて理解するには、並外れた修練が必要だし、
そのレベルまで理解しないと研究を始められない。高校から大学、修士までは
大天才と呼ばれていても、研究レベルでは雑魚扱いされるし、その多くが
崩れ去っていくのが数学と理論物理。
116 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 09:59:03
> 高校から大学、修士までは大天才と呼ばれていても、
> 研究レベルでは雑魚扱いされるし、
> その多くが崩れ去っていくのが数学と理論物理。
それは数学や理論物理だけでなく、哲学も含めてどの学問でも同じだよ。
>>115 「西洋」と「東洋」を二分法的に分けて、どちらが優れているか?なんていう発想を
している時点で、それが「優れて」いない者の発想だと分かるね。。。
118 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 11:23:44
東洋思想は自然科学と相性がいい。
「科学の基礎は脆弱だから哲学による基礎付けが必要だ」など発言して、
キ印扱いされる恐れも無いし・・・
119 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 11:27:37
>>118 > 「科学の基礎は脆弱だから哲学による基礎付けが必要だ」
そんなことを言う奴は流行おくれだよ。
日本人にとって西洋哲学は流行なんだからさ、その時々の流行を先取り
しなくちゃ駄目だ。
120 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 11:54:35
>>115 諸行無常は唯物論をひとことで表してるとかね
ちょっと説明してみ
121 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:01:00
哲学とは諸学の基礎を学ぶことです。
したがって、諸学問の基礎を知らないものは哲学を知らないのです。
122 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:03:03
>>120 唯物論なんてタダの謬論だと思うが・・・
まともな思考力のある人なら、そんなものに引っ掛からないでしょう
123 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:16:48
>>122 君は唯物論とはなにがどうであるという理論か知ってるのか
124 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:18:40
東洋思想は自然科学と相性がいい。
「科学の基礎は脆弱だから哲学による基礎付けが必要だ」などという
キ印発言もしないし・・・
125 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:22:33
>>122 俗流馬鹿の唯物論を見聞きしたんだな
唯物論とはある意味諸行無常ということさ、わからんだろう
126 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:26:25
西洋思想が今いる場所は仏教・儒教が2000年前に通過した場所だ。
仏教・儒教の伝統を捨てて西洋思想に傾倒した軽佻浮薄な連中は
バカにされて当然。
日本の自然科学者の中には仏教・儒教などの東洋思想への造詣が
深い者が少なくない。また、欧米の哲学者・科学者が東洋思想に注目し始めて
既に100年以上たつというのに、未だに西洋思想の受け売りをする人は
学問の大きな流れを見る目が無い。東洋思想を学ぶ企業経営者は多いが、
西洋思想は完全に無視されている。東洋思想よりも格段に劣っていることが
素人の目にも明らかだからだ。
数学や理論物理は教科書を読めば誰だってロジックを理解できる。でも、直観が
働くレベルまでイメージを膨らませて理解するには、並外れた修練が必要だし、
そのレベルまで理解しないと研究を始められない。高校から大学、修士までは
大天才と呼ばれていても、研究レベルでは雑魚扱いされるし、その多くが
崩れ去っていくのが数学と理論物理。
127 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 14:20:58
>>126 やれやれ同じのを2回投稿してきたか.東洋哲学のイメージがさがるぜ
128 :
考える名無しさん:2006/08/17(木) 23:03:49
哲学は文芸なのだろうなやっぱり
129 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 14:00:45
堵虞慧螺すら知らないようでは、意志の疎通もママ成らない道理
つまりマイ哲学、マイ物理にすぎんのだよ
130 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 14:25:53
そこで、量子弁証法です。
131 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 14:27:33
132 :
考える名無しさん:2006/08/18(金) 19:36:57
>>130 今週にはすでに破綻してるだりえろよwwwwwwwwww
バキ゛ャ゚。プギギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ ー してみたまえwwww
負けた後でキャキ( ´,_ゝ`)親上京くん久しぶりに見たw
どこで遠吠えしてるのかと思ったら、あんなとこでトクワンの次の電波語を吠えてたとはなぁw
くっくさっさちゃん引退すればいいのにw
ャ?m9。゚(゚^Д^゚)゚。プギャーーーッハッハーヒャヒャヒャヒャヒャヒャ 他の言語にすりかえたりして
自分で考えろよwwwwwwwwww
バーーーーーキ゛ャー してみたまえwwww
133 :
考える名無しさん:2006/08/24(木) 05:42:27
236 :考える名無しさん :2006/08/13(日) 11:05:07
____
/ \
/ ─ ─\ パンはパンでも空を飛ぶパンはな〜んだ?
/ (●) (●) \ そんなのフライパンに決まってるだろ・・・
| (__人__) | ________
\ ` ⌒´ ,/ | | |
ノ \ | | |
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ヽ -一ー_~、⌒)^),-、 | |_________|
ヽ ____,ノγ⌒ヽ)ニニ- ̄ | | |
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/imgdata/large/4569683029.jpg ____
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ノ::::::::::u \ | | |
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ヽ:::::::::::: -一ー_~、⌒)^),-、 | |_________|
ヽ::::::::___,ノγ⌒ヽ)ニニ- ̄ | | |
134 :
考える名無しさん:2006/08/25(金) 06:30:38
waros
135 :
考える名無しさん:2006/08/26(土) 01:49:56
哲学は文芸だろ
136 :
考える名無しさん:2006/08/26(土) 04:51:02
そう。
137 :
考える名無しさん:2006/08/26(土) 23:46:20
似非学問なんだよ
138 :
考える名無しさん:2006/08/27(日) 05:54:04
哲学は吉本です。
140 :
考える名無しさん:2006/08/27(日) 23:10:37
科学かと問う前に
学問なのか(現在でも)を問うべきだね
科学は哲学か?
って書いてみたけど、意味無いなw
142 :
考える名無しさん:2006/08/28(月) 01:59:00
それよりなにより、
哲学は哲学か?
143 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 01:20:53
そもそも哲学とは何か?
144 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 01:24:07
音楽は哲学か?
145 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 01:25:38
そもそも雅楽は哲学だろうか?!
鉄道学は哲学か?
148 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 04:52:50
質問自体がキチガイだな
149 :
考える名無しさん:2006/08/29(火) 05:01:59
哲学は似非学問と化して久しい。
日本ではね。
150 :
考える名無しさん:2006/08/30(水) 04:01:26
科学だろ?
151 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 00:15:25
しったかぶりの技術として洗練されつつあるな。
152 :
考える名無しさん:2006/08/31(木) 06:44:10
洗練を極めれば、経済的にも潤うのじゃよ?
153 :
考える名無しさん:2006/09/01(金) 16:32:25
漏れもしったかで飯食いたい
デヘへっ!
154 :
考える名無しさん:2006/09/01(金) 23:52:11
>>153 いかさまと蔑むひとも多いが、
それで職を得るのは、やはりそれなりの技術が必要なのじゃよ。
155 :
考える名無しさん:2006/09/01(金) 23:54:14
ソフィストの術を極めれば社会的地位も財産も得られるということですね
156 :
考える名無しさん:2006/09/02(土) 00:01:45
>>155 うむ。そういうことじゃな。
あまり表立って表明するわけにもいかんが。
157 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 08:10:07
こんなところで表明ですかw
哲学が科学だとしたらそれはテレパーシーではないかな(あるとしたら)
159 :
考える名無しさん:2006/09/08(金) 15:24:42
ドイツ語ではwissenshaftの意味が科学、学だからな
科学の1つだ。
161 :
考える名無しさん:2006/10/06(金) 04:25:29
162 :
考える名無しさん:2006/10/25(水) 00:45:05
すなはた
163 :
考える名無しさん:2006/10/25(水) 23:48:33
科学じゃなくちゃいけないのか?
科学はいつのまにかに、実証や反証が薄れ仮説だけの世界になった
科学はいつのまにかに、実証や反証が薄れ仮説だけの世界になった
科学はいつのまにかに、実証や反証が薄れ仮説だけの世界になった
科学はいつのまにかに、実証や反証が薄れ仮説だけの世界になった
科学はいつのまにかに、実証や反証が薄れ仮説だけの世界になった
科学はいつのまにかに、実証や反証が薄れ仮説だけの世界になった
165 :
考える名無しさん:2006/10/28(土) 00:52:55
科学すれ?
>>164 思想の価値は見える人にしか見えない。それに尽きる。
思想を理解するにはセンスが必要なのだ。
そしてそれは後天的に身に付くものではない。
持たざる者に何を言っても無駄。原理的に理解し合えない。
また持たざるものが持っているふりをしようとしてもみっともないだけなのだ。
がしかしそのみっともなさを理解できるのはセンスを持って生まれたものだけなのだ。
堵愚慧螺簸轡にも劣る低学歴が杜玖椀を誤読して恥じないのもそれを示している。
ことほどさように思想とは人を断絶させるものなのである。
そして現実に商売の種になる。
それを傍からとやかく言われても、痛くも痒くもないのだよ。
思想の恩恵に浸りきっているものは終生幸福なのだよ。
167 :
考える名無しさん:2006/10/28(土) 01:46:08
で?
168 :
考える名無しさん:2006/10/28(土) 23:46:52
>>168 それは、投資の対象という価値だろw金金金金金金金
科学は哲学の一種
科学は、薄い実証と誤差の多い反証の積み重ね。
仮説は多重にするのは当然であって、本質からかけ離れてゆく。
おまいらの科学とはそういうもの。
172 :
哲学の真髄:2006/12/11(月) 00:32:04
71 :考える名無しさん :2006/06/01(木) 06:40:41
何故、女は哲学ができないのか??? 2
876 :考える名無しさん :2006/05/31(水) 03:19:41
女はトイレについていくまではできる。だが、立ちションができない。
もし敢行したとしても既に連れションでなくなっている。
決して、連れションができない女。
女が連れションしたきゃ、女同士が集まって座りション集会でもすればいい。
だが、女の集会はたいてい井戸端会議止まり。
苦情の言い合い、悩み相談、ゴシップ、誹謗中傷、罵り合い・・・程度。
↑哲学にできるのはこの程度ってことですか。
72 :考える名無しさん :2006/06/02(金) 07:30:06
>>71 どんなことにも深い意味がある、それを悟れないから「この程度」と判断する
愚かだと思わないか?
思わないからこそ、理解できないんだろう。
目の前のものに囚われすぎだw
173 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 04:35:42
深淵だなw
哲学者が科学を語ってもダメ。
実戦経験のない者では上っ面しかわからんよ。
哲学者が相撲を語ったとしよう。
まじめに聞くバカがいますか。
やはり、哲学は総合力だな。
最近スレタイを忘れたレスが大杉。
科学=反証可能=理論物理
だから、
理論物理以外の哲学は科学でない。
哲学オタクの文系君の中には、科学は哲学の一部のように言うけど
自然科学の事象はまったく理解できなんだよね。
文系って哲学を本当の意味で極められないだろうね。
178 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 11:46:42
>>177 なにもしない境地が哲学の最先端なのだが…
179 :
考える名無しさん:2007/04/07(土) 00:02:48
マルクスが非常にいいことをいっているよね。
哲学ちゅうものは次のものに解消される。
論理学と弁証法、あとは自然と歴史に関する実証的な学問に。
つまり、実存主義だの現代思想だのって「哲学」の名を語った観念のお遊びは不要、と。
アホな俺様でもマルクスのいうことはよくわかるわ。
180 :
考える名無しさん:2007/05/06(日) 08:15:13
むう。
181 :
考える名無しさん:2007/05/06(日) 09:24:11
だからこそ、哲学がやっぱりいちばん素晴らしい。
182 :
考える名無しさん:2007/05/06(日) 23:55:53
学問としての哲学と板の先頭で説明がある。これが間違いの原因だろうな。
哲学は学問ではない。
183 :
考える名無しさん:2007/05/07(月) 02:15:18
単に科学といっても、うさんくさいものも多いらしい
哲学とは何かが哲学のテーマになった。それくらい哲学は落ちぶれ
てしまった。でもそれがいい。
185 :
考える名無しさん:2007/07/04(水) 19:12:06 0
186 :
考える名無しさん:2007/07/22(日) 14:25:22 0
神学
↓
哲学
↓
科学(理論)
↓
科学(技術)
みんな哲学にコンプレックスを持ってるみたいだな。
188 :
考える名無しさん:2007/08/24(金) 05:03:11 0
哲学なんてただ恥ずかしいだけだろw
科学技術の確立した現代に、いまだに哲学ってる人間は、
ただの夢見るキモオタに過ぎない。
日本人は「科学」というと、「物理学」より「工学」のことを思い浮かべる。「工学部」というのはテクノロジー・デパート
メントのことで、「科学技術」のことだ。あるいは、限定すれば「機械工学」エンジニアリングのことだ。そしてこれらは、
実は、サイエンスが発見した自然法則(ナチュラル・ローズ)を、産業に応用して、人間の生活に役立つ工業製品を作り出す。
それが技術(テクノロジー)なのだ。だから「工学」「機械工学」は、厳しく言えば学問(サイエンス)ではない。
テクノロジーとは「応用科学(アプライド・サイエンス)のことなのである。だから発見することが学問(科学)なのであり、
科学技術は発明であるに過ぎない。そして西欧の知識伝統では、発見がすばらしいことであり、発明は「実用新案」に
すぎないと考えられている。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P167〜169
190 :
考える名無しさん:2007/08/24(金) 10:16:16 0
レベルを下げて考えるなら
それぞれの人がそれぞれに考えることが哲学で学問
とまでは行かないものもある。一まとめに科学と
いえるかどうか。哲学では食べて行けないこともあるし。
191 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 14:39:56 0
>>1のような言明を見ていつも思うのは、
「科学でないからどうした」ということである。
科学であることに至上の価値を見いだし、それを絶対化するいわば科学信者は独断バカである。
192 :
考える名無しさん:2007/08/26(日) 14:42:14 0
自然科学などというものは、
絶対確実かどうか分からない数学(数学は循環論法であるため)が位置しているところからさらに後退した(つまり絶対確実性から遠ざかった)ものであるから
正しさを追究している者が奉ずるというのはわけが分からない。
形而上学的実在論、科学的実在論、道具主義、操作主義、実証主義、奇跡論法、構成主義的経験論、介入、構造的実在論、内在的実在論
……全部解釈レベルじゃないか。
そのいずれかを無批判に前提するのは独断である。
「809」 副島隆彦の「ミネルバの梟(ふくろう)は夜、飛び立つ」論。
私が原著は12年前に書いた本である「決然たる政治学への道」(弓立社=ゆだちしゃ=刊、2002年)の
P.174に、「本当は学問の体系はこのようになっているの表」で、私は、はっきりと、「フィロソフィー
(×哲学と訳すのは嫌いだ。知恵の学)と数学は、神学(セオロジー、テオロジー)の下女、はしためである」
そして、「サイエンス(ヨーロッパ近代学問)と、この神学が、大きく闘うのである」と書いた。
神学(セオロジー)は日本人には分からない。「神学論争」なる言葉は、日本語になっているが、その中身を
日本人で分かる者はいないだろう。そして、その下に、初級学問=下等学問としての、ヒューマニティーズ
(人文、じんぶん、人間の文字による記録、石碑、古文書の解読、文学部の世界)があるのだ、と書いている。
「数学は、神学の下女」なのだ。これは、ヨーロッパの学問の体系の中では、はっきりしていることだ。
数学は、決して自然科学(しぜんかかく、ナチュラル・サイエンス)には、所属しないのだ。
ただ道具として多用される。私、副島隆彦がこのように書いて、まだ反論したり、何か異論を唱えることの
出来る、日本人は、誰でもいいから、名乗りを挙げて出来てください
どんな大理論でも必ず修正されたり覆されたり、もっといい見方が出てきて「ウソ」になる可能性がある。
しかし、その理論が出された時点では正しかった。したがって科学とは、その時点におけるもっともレヴェル
の高いウソである。
(中略)
前に、「科学とはうそをつくことである」と言ったけれど、ウソだけの話になってしまっても困るんで、今度は
別の面から、科学とは何か、話そうか。サイエンスという言葉は、語源がラテン語のスキエンザSCIOで、「知る」
という意味なんだ。SCIOはアイ・ノウ、NESCIOはアイ・ドント・ノウということで、SCIENTIAが知ること。
要するに科学とは「知ること」なんだ。だから、「知ること」が基礎かどうかなんてあるはずがない。知ってから
何に使うかは別問題だよ。「知る」ためには、ストーリーが必要になるよね。「○○は××である」という
話になって「なぜならば」という理由が付いて初めて一つのストーリーができるわけ。そのストーリーをこちらが
諒解して、納得するという行為がサイエンスなんだと、僕はずっと思っている。「なぜならば」の部分をどういう
ふうに証明するか。その理由は時代によって内容もやり方も違う。ウソでもいい。あるいは時代が変わればウソに
なる、というのはそういうことなんだ。
日高俊隆 竹内久美子 「もっとウソを」
195 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 14:57:53 O
>哲学は科学か?
科学の問題は数式によってデジタルに解決できる。
哲学の問題はデジタルな答えが出せない。数学的に表現するなら哲学の答えには常に虚数(i)がつきまとうから。その虚数について考え続けるのが哲学でありアナログの世界。
科学は理系、哲学は文系、争う必要はあるの?
196 :
考える名無しさん:2007/08/29(水) 16:16:00 0
哲学 ← オカルトを熱心に生産する工場
ヘーゲルは宮廷哲学者であったし、自ら「哲学は進学の婢女」と言っている。
アリストテレスは奴隷の身分であった。
このような身分を自覚し、成り上がろうとしたのは、マルクスやアナーキスト達であった。
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに
集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この
「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として
やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを
使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」
と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑
されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く
深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って
いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、
絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。
Philosophy is not a science!
アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。
こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と
思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは
ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177
日本人は、「理科系=科学」「文科系=いい加減な、自分勝手な、自分勝手の考えの寄せ集め」だと考えている。もっと言えば、
ある人が「数学」ができるかできないで「理科系」と「文科系」に分ける。この考え方には、大きな欠陥がある。ここに、
西欧人が共有する、世界普遍価値から、日本人が脱落する原因の一つがある。今から五百年前、すなわち十六世紀に西ヨー
ロッパで「科学=近代学問」というものの考え方が興ったのだ。十二〜十三世紀ごろには、修道院の僧侶(モンク)たちが、
神への祈り中心の生活信仰をしていたのだが、そのうち「合理的精神(ラショナルマインド)」に目覚めて、考える」とか
「知る喜び(ちなみにphilo-sophy フィロ「愛する」、ソフィア「知を」の意味から「哲学」が生まれた)とかいう考え方を
手に入れるようになった。彼らは、キリスト教の聖典である「聖書」だけでなく、古く、ギリシア古典学の、とりわけ
アリストテレスの学問体系に巨大な真実が隠されていることに気がつくようになった。このようにして、僧侶の中から、初期の
「科学者」が誕生するようになった。
(中略)
日本人は「科学」というと、「物理学」より「工学」のことを思い浮かべる。「工学部」というのはテクノロジー・デパート
メントのことで、「科学技術」のことだ。あるいは、限定すれば「機械工学」エンジニアリングのことだ。そしてこれらは、
実は、サイエンスが発見した自然法則(ナチュラル・ローズ)を、産業に応用して、人間の生活に役立つ工業製品を作り出す。
それが技術(テクノロジー)なのだ。だから「工学」「機械工学」は、厳しく言えば学問(サイエンス)ではない。
テクノロジーとは「応用科学(アプライド・サイエンス)のことなのである。だから発見することが学問(科学)なのであり、
科学技術は発明であるに過ぎない。そして西欧の知識伝統では、発見がすばらしいことであり、発明は「実用新案」に
すぎないと考えられている。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P167〜169
>哲学は科学か?
「哲学」といっても、二つの相反する立場が「哲学」には同居しているからね。
一つは、「存在の意味」「生き方」を問うとか、主観的で、まさに文学の世界に分類できるもの。
二つ目は、世界の姿とか社会と人間との関係とかを論じる客観的なもの。
一つ目のは、たしかに「科学」とはいえないだろう。例えば実存主義とか。
本来は文学や文芸で扱うべき。
二つ目のはいちおう科学に分類すべき。素朴ではあるがギリシャ哲学とか。
あとはカントからヘーゲルの線。あとマルクスあたり。
ここいらは客観的に世界や人間、またその関係がどういう仕組みで成り立っているかを
客観的に論じているから。(ただしヘーゲルあたりは読み方に注意が必要)
だから「哲学は科学か?」という問いに対しては、「科学的なものもあるが、
そうじゃないものも混じっている」と答えるしかないかも。
201 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 04:43:49 0
,.rn─‐- .,_
ァニ´入} ̄`` `ヽ
,. / ´レ′ !| | | | |l ', わたし・・・
, '´ / i |l 」_ ト、! || | |l 哲学書の粉末を・・・
/ / ,'.ハl!lL]_TN |リ lリ 作ってみたの・・・
/ // /,′ `.{リ` 似}′
ー- .,_// ! __/_ }'ヘ
/) l ,.イ ヽ、 '.イ 〉 _,. -─‐一¬フ___ / /
_,. -‐ 7/ lr'/ ,. ェ 、 コ=´‐--一''" /-‐''  ̄、ヽ -‐
,. ‐ ´ // l{.{ //\〉 ,.イー、--‐t.,j」ノノ ニ
〈 // ハ ´ ァ----┬ェ‐ェ 、_ / { 〈 / ハ ヽ
`丶、 // / ヽ / ヽ「l_j ヽ` ー<_ `ヽ ヽ
ヽ// / / /\ 〉| ヽ `丶、 L {
//ヽ / / / ハ 〈.イ ノ `ー-ヽ}
//_,ノ / / / / ノ }ハ /
_,.. -‐/'´ / l / / / / _ノ ハ〈
'´ / / / >-〜‐、__,.イ´ Vニゝ`丶、
/ / / / / } ヽ \ )
/ / // / ! / ヽ ヽ
202 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 05:18:28 0
近年科学哲学のような分野がでてきたようだが、哲学は基本的に科学の軍門に下るような
俗っぽいものではなく、人間の認識そのもの(?)に対する考察とともに、
認識では掴み取ることのできない謎めいた存在に対する考察ー脱考察が
主軸となって展開してきているのです。特に、イマニュエル・カントや
エドムンド・フッサールといった存在論から認識論への転換に寄与した哲学者
は科学の発展に与してきたと同時に常に謎めいた霊(?)にたいする考察も
最重要課題として取り組んできたのです。しかしながら、彼らが白羽の矢を向けた
形而上学的存在論がいままさにブーメランのように舞い戻ってきていて
ロゴス認識そのものにまとわりつくドクサへの考察とともに、
理性を超えた存在ー認識の運動論を展開したのが、現代哲学なのです。
哲学は終わった(大きな物語の終焉)といった決まり文句の裏では、
存在論哲学の巻き返しが起こっていて、科学の分野にも
今後重大な衝撃を与えるポテンシャルを有しているということは疑うべくもありますまい。
203 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 07:01:51 0
やっぱり社会的弱者や貧乏人が小林のウソマンガ読んで萌えてるに過ぎない。
だからもう少し頭使って楽しく生きることを考えろよ。
ちなみに俺は一部上場企業で働いてるからな。
お前らが野垂れ死にしようが関係ないが
ヤケで戦争やるのだけはやめろって言ってんだよ。
そういうバカ小林ヲタは一刻も早く北朝鮮に行って自爆テロやれ。
根性ないくせに戦争とか言って萌えてんじゃねえよカス。
204 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 07:21:31 0
>202
>認識では掴み取ることのできない謎めいた存在に対する考察ー脱考察が
>主軸となって展開してきているのです。
それは、考察すべき問題でしょうか?
認識不可能なものをどうやって考察し、実証するのでしょうか?
実証できないものを論じることは、科学ではありません。
科学は、基礎科学においても何においても、実験をすることで実証してきました。認識不可能なものがそのような実験で確かめられるレベルのものですか?
>存在論哲学の巻き返しが起こっていて、科学の分野にも
>今後重大な衝撃を与えるポテンシャルを有しているということは疑うべくもありますまい。
存在論と認識不可能なものを扱うことは別問題でしょう?
存在論事態は、別に哲学でなくとも諸分野で論じられていますよね?
しかし科学的見地から実験を重ねていくことで、存在というものをどう捉えるかということを考えていくことは、
あなたのおっしゃるとおり重要であることは確かです。
ただし、今後ではなく現時点で論争が起きていることは言うまでもありません。
205 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:12:59 0
>>202 >認識不可能なものをどうやって考察し、実証するのでしょうか?
>実証できないものを論じることは、科学ではありません。
これがまさに現代人が抱いている哲学のイメージでしょう。つまり実証可能なものだけを
考察の対象とし、それ以外は切り捨てるという効率性重視の方法論をとる
哲学研究者が一般的に増えている。つまり、哲学はおわった、哲学も科学的であらねばならないと。
検証不可能なものは括弧にいれて沈黙を決め込む、という基本姿勢は
常識となっているようです。しかし、わたしはこの常識が不可解に思えて成りません。
哲学はここまで衰退しのかと。たしかに、ロゴスを積み重ねて真理に到達しようとするする
かつての哲学は終焉した(かのようにみえます)
ですが、存在という不可思議ななにものかにむかって今後も問いは投げかけられるでしょうし、
新しい理論や技術の発展とともに、また新しい答えが模索されつづけることでしょう。
206 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:14:21 0
>>204 でした。つづき。
科学的方法論に拠ったからといってわたしたちの疑問のすべてが払拭されるでしょうか!?
科学の分野で思考したい人ならそれでもいいでしょう。
検証可能なものに思考を限定して、反証を積み重ねて理論を提唱し、世に貢献する、
こういった営みも重要です。しかし哲学は科学とはまったく異質なものです。
観測可能なものに思考を限定していくという道とは対極にあり、
むしろ観測者側に重点を置いて問題を立てるという、「常識批判」が哲学の本領であり、
しかも解決不可能な「不可思議なもの」にたいしても
意識を開いているのがわたしの考えるところの哲学者というものであります。
わたしの観方では、現代に蔓延している「観測」や「反証可能性」といった方法論上の常識は
科学優勢の時代に特有の、一過性のドクサを形成していて、
人間が生きるうえで有用なものを生み出し、使う者の観念のなかに、
使われるものの反映が付着して逆転が起こった結果、
科学の発展が本来は自由なはずの人間の思考を固定観念化してしまった
(=哲学の敗北)が起こった末に出てきたものではないかと思います。
本来哲学が科学に取って代わられるということはありえないことです。
なぜなら、現代の科学的方法そのものがデカルト以来の科学の発展とともに出来してきたものであり、
はじめから哲学は〈人間〉が生きる最中で相即的にまとわりついてくる常識への
批判が中心的な仕事であったからです。我々を惑わす常識があるかぎり、
哲学は何度でも蘇るさ(ムスカ風に)
207 :
考える名無しさん :2007/09/08(土) 08:33:25 0
>観測可能なものに思考を限定していくという道とは対極にあり、
>むしろ観測者側に重点を置いて問題を立てるという、「常識批判」が哲学の本領であり、
>しかも解決不可能な「不可思議なもの」にたいしても
>意識を開いているのがわたしの考えるところの哲学者というものであります。
では、観測者を通じて以外、いかなる方法で物事を検証できますか?
また、解決不可能なことを論じて、どうなりますか?
そこについて詳しく述べていただきたいです。
>わたしの観方では、現代に蔓延している「観測」や「反証可能性」といった方法論上の常識
反証可能性は論理の問題であり、観測と並列すべき問題ではないと思います。
>科学の発展が本来は自由なはずの人間の思考を固定観念化してしまった
何を持ってこのようなことを言えるのか分かりません。
そもそもあなたは自由をどのように定義しているのですか?
208 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:37:21 0
>>207 あなた、以前キリスト邪教スレに張り付いてませんでしたw?
哲学は哲学でいろいろ解決されない問題は今後も残るでしょうね。
一昔前の人間は、哲学に大変ロマンを感じていて、いつか哲学の
難問が解決されるだろうと考えていました。世界の根本を扱う哲学
を偉大なものと考えていた。
ところが、現代人の哲学観は「どうせ解決できないことをゴチャ
ゴチャ書いて時間の無駄するバカバカしいもの」というものです。
「哲学の終焉」などありえません。哲学が終焉した「かのように見え
る」のは、現代人が哲学を「哲学的問題の解決は、どうせできっこ
ないのだかるから、哲学とは適当に距離を置こう」としているから
です。
要するに、現代の哲学の位置が、賢人のやるものから病人のやる
ものへと落ちぶれてしまったのです。
哲学的言語が、賢人の言葉ではなく、病人の言葉になったという
大転換が、哲学史において起こったのです。それに気づかない
哲学者が多いのではないでしょうか。
210 :
考える名無しさん :2007/09/08(土) 08:42:34 0
>むしろ観測者側に重点を置いて問題を立てるという、「常識批判」が哲学の本領であり、
>しかも解決不可能な「不可思議なもの」にたいしても
>意識を開いているのがわたしの考えるところの哲学者というものであります。
観測者側を通じて以外、どのように世界を捉えることができるのでしょうか?
解決不可能なことをしることで、どうなるのですか?
>科学の発展が本来は自由なはずの人間の思考を固定観念化してしまった
あなたが示す自由な思考とは、どのようなものですか?
科学の発展がそれに影響を与えたという論理がそれでは通っていません。
211 :
考える名無しさん :2007/09/08(土) 08:49:35 0
>ところが、現代人の哲学観は「どうせ解決できないことをゴチャ
>ゴチャ書いて時間の無駄するバカバカしいもの」というものです。
確かに、私もそのように考えています。
しかし、バカバカしいではなく学問としてやるべき理由が分からないだけです。
それは、趣味としてやるものだと思います。
学問としてやるべき理由を教えてください。
212 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:51:26 0
>>207 観測者の外に出て物事を検証するということではなく、
いわば事象は観測者と観測対象との絶対矛盾の自己同一として
意識の現れ出てくるものです。ですから、原理的に観測者側の視点と
観測される側の対象とは切り離すことができないものです。
科学はいまのところ測定科学であり、測定できる事象のみをその考察対象としますが、
哲学は観測者側に付着している「思い込み」を批判の対象として取り扱います。
「いかなる方法で物事を検証するか」ですが、観測対象にに検証されるべき真理が
隠されているという発想そのものが、古いタイプの科学者にみられるドクサですね。
「解決不可能なことを論じてどうなるか」は、論に応じて様々でしょう。
そもそも、解決可能なこと/不可能なこと というわけ方は本来正しくないのかもしれません。
可能か不可能かはやってみなくちゃわからない。ベルグソンならば、「問いを立てることができるということは、
解決できるということの証だ」というでしょう。いまの段階で不可能にみえることも、
永遠に不可能だと断定することはできないのですから。
>反証可能性は論理の問題
反証可能性は科学理論を打ち立てる上で、「反証可能なものに限定する」といった
方法論です。つまり、その理論の確かさを実際に観測によって確かめることができるもの
だけに限定するという方法です。論理というよりは、論理の正しさを検証できるかどうか
という点に重点を置いているのです。
213 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 08:54:18 0
>>211 哲学を学問としてするのと趣味としてする事の違いは?
214 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 09:05:34 0
>>207 >自由をどのように定義している
普通の意味で使われている自由と判断してもらってもかまいません。
哲学的に自由論を展開しても面白いのですが、このスレの趣旨とはずれてきますので
やめておきましょう。逆に不自由な思考とはどのようなものかを述べると
はっきりするかもしれません。不自由な思考とは、ドクサに捉われ、
その反映としてしか物事をみれない思考です。
たとえば、赤いりんごをみると、それだけで「ここに赤いりんごがある。
りんごであるかぎり食べられるはずである。」といった観念です。
光の加減で赤いように見えていたり、かじってみるとつくりものであったりという
可能性を考えない。「確かにそうだ、そうでしかありえない」と断定してしまう
思考上の思い込みが、哲学では問題視されます。科学者であったとしても、
こういった種類のドクサが存在するのではないでしょうか。(優秀な人はべつですが)
いったん常識となった権威ある理論が提唱されると、その理論に相反するような
ものの考え方は、無意識的に避けてしまう(思考しない)といった傾向があるのでは?
215 :
考える名無しさん :2007/09/08(土) 09:10:33 0
>>212 >科学はいまのところ測定科学であり、測定できる事象のみをその考察対象としますが、
>哲学は観測者側に付着している「思い込み」を批判の対象として取り扱います。
確かにそうですね。
では思い込みはどのように排除できるのでしょうか?
それから、測定科学以外の方法論でどのように考察できるのでしょうか?
>論理というよりは、論理の正しさを検証できるかどうか
>という点に重点を置いているのです。
では、論理の正しさを検証できるかどうかということを論理以外でどのように考察するのですか?
>>215 思い込みの排除
と
論理の正しさを検証
は「多数決」で解決できますよ。
217 :
考える名無しさん :2007/09/08(土) 10:24:56 0
>>216 了解しました。
しかし、それは多数派の思い込みとしても捉えることも可能です。
この点に関してはどうでしょうか?
それと多数決というのは、少数派の意見を排除するという点で問題である思いますが、この点についてはどうですか?
218 :
考える名無しさん:2007/09/08(土) 12:57:28 0
混合物とかあるわな、目が粗いと組成が表面に出てくるやつ。
容器の中に混ざっているだけだわな。
>>217 「多数決」の代案ってありますかね。
なければ、それに頼るしかないのでは。
220 :
心の仕組みドットコム:2007/09/15(土) 22:38:25 0
>>215 >論理の正しさを検証できるかどうかということを論理以外でどのように考察するのですか?
論理的に正しい検証をできる心を備える以外には有りませんね。
お前はこのスレで気に入らないことがあればここで言えばいいんだよ。
他スレでチマチマ工作してんじゃねえよ、このカス。
でさ〜、自分に都合のいい情報を何も検証することなく鵜呑みにして得意気になってるような白痴が、
どうして「学問」のことなんかに首を突っ込みたがるのか、という俺の疑問にお前答えてないんだけど。
早く答えろよ、ボケ。
何モタモタしてんだよ。
224 :
考える名無しさん:2007/10/24(水) 09:20:52 0
なんでも哲学だから科学ではない。
科学哲学は科学ではなく哲学だ。
哲学科学などない。
sage
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07年度国家公務員1種試験合格者 私立大学別(10人以上合格)
早稲田大 85 さすがは早稲田の一言に尽きる
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227 :
考える名無しさん:2008/01/17(木) 04:28:41 O
哲学とは仮説だ
仮説は実証の前段階に過ぎませんが、哲学における言説の真理性の
真偽の判定には自然科学のような主観を排除した機械的な方法論は
意味がありません。
そういう意味では哲学は反証不可能なものですね。説得力のない
言説は相手にはされないでしょうが。
自然科学、もっと領域を限定するなら物理学は、この世界における
物体は同一条件では常に同じ振る舞いを見せるという前提のもとに
成り立っています。それを「自然法則」と呼ぶのですが、この
自然法則の恒常性自体を証明する方法は存在しません。
これが自然科学は常に反証可能であるって意味だ。コラ
百回同じ実験して百回同じ結果が出ても百一回目にも同じ結果が
出ることの証明にゃならねえんだよ。
アタマの悪い貴様らに俺が懇切丁寧に説明してやるが、物理学ってな、
厳格な方法論に則った論理的に無矛盾な、しかし経験則の大系に
過ぎねえんだって。
233 :
考える名無しさん:2008/01/18(金) 14:52:27 0
,r'^⌒⌒ヽ,r''⌒`ヽ、
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノノ´`´`ヽ;;;;;;;;;;;;i
!;;;;;;;;;;;;イ::. / \ ヽ;;;ノ
ゝ;;;;;;;|:::: (。) ,(・) |シ
从从/: \ 、_! / ノ 勝は警察とか機動隊に電話を
从从 i 'ー三-' i l かけまくっているらしいな。
ノ从ヽ._!___!_/ 狙いは俺。 若々らしいですよね。基本ができていないんですよ。
234 :
考える名無しさん:2008/02/19(火) 16:01:28 0
処刑ライダーくんが、
お馬鹿な哲学青年であることはわかった^^
235 :
考える名無しさん:2008/02/20(水) 23:03:43 0
かが
提供 ル・サンチマン™
237 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 03:21:17 0
科学の祖先
238 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 23:42:59 0
科学の絞りカス
>>236 この人さ、5年以上哲板のあらゆる所に毎日書き込んでるよね。
生活保護か年金暮らしでもしてるのか。
240 :
考える名無しさん:2008/06/09(月) 02:26:41 0
>>236 ↑プグマリプキンペー症候群の安倍沈だな?www
みっともないよw
どのつらさげて登院できるのか
美しい国に逃亡した方がいいんでないかな
↑プグマリプキンペー症候群の安倍沈だな?www
みっともないよw
どのつらさげて登院できるのかww
美しい国に逃亡した方がいいんでないかなwww
242 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 22:31:29 0
人智学だと哲学科学でありうる。
なぜという問いに答えることができ理論的に研究することができるから。
243 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 00:24:13 0
哲学は、抽象的なものを科学的に証明する学問
244 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 00:26:34 0
>>243 はぁ?。
哲学は、抽象的なものを哲学的に証明する学問だろうが。
245 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 09:56:55 0
科学と全く無縁なくだらない娯楽になっちゃったね、哲学
糞学だろw
247 :
考える名無しさん:2008/07/03(木) 09:38:27 0
既に学問ではなくなって久しいね。日本では。
248 :
考える名無しさん:2008/07/22(火) 22:34:48 O
昔は科学だった
249 :
考える名無しさん:2008/07/22(火) 22:38:49 0
一応、思想なんだろ。
趣味の人みたいな一途毛
250 :
考える名無しさん:2008/07/22(火) 22:47:55 0
>>248というか哲学から科学が派生したんじゃなかったけ?
251 :
考える名無しさん: