何のために「哲学」するの?

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1考える名無しさん
「哲学」をとことん突き詰めていった時に、結局何が見つかるの?「真理」?「幸福」?
それとも、そこに行き着くまでの過程が重要なの?
2考える名無しさん:2005/10/08(土) 13:53:24
とりあえず世間一般でいうところの「幸福」は
見つからないと思う。
むしろ哲学と幸福は相容れぬものではないか。
3考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:05:49
んじゃ、「哲学」なんてのは「何か気になるから考えてみよう」ぐらい意味でしかないの?
4考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:07:37
ほとんどの学問はそうだと思われ。
実学であっても研究者の意識はそんなもんだろう。
5考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:09:48
>>1
重複につき誘導

哲学って何のためにあるの?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1121617724/
6考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:10:05
まあこれは、哲学をどう定義するかによると思うんだけど。
7考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:11:51
ほとんどの人は適当なところで考えるのを止める。
だけど中にはとことんまで考えないと気が済まない人もいる。
「何のため」ではなくて「そうせずにはいられない」から
哲学するんじゃないの。
8考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:13:30
好奇心として気になるわけで
それを追うことはある意味幸福と呼べるのかもしれない
9考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:16:45
5
いや。微妙にニュアンスが違う。
「哲学」を否定したいんじゃないんだよ。ただ「哲学」を考えるうちに、「哲学」そのものが気になったんだよ。
文字で表せば「哲学学」みたいな。
10考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:17:31
ケアレスミス
11考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:23:42
適当な思いつきと文献学との奇妙な混淆。それが哲学。
ではなぜ人が思い付きを求めるかというと、それは人が自由を求めるからだ。
12センズリ一筋:2005/10/08(土) 14:34:58
哲学するとは死ぬための準備だと言った人がいた。たしかプラトンでは
なかったかな。私と言う気持ちが一番不思議だよ。それが死後どうなるか
無かはたまたあの世があるか。実際生き返って死後を教えてくれた人は誰もいない。
生き返った人がいると言う話はあるが信用できない話だ。実験できないことに答える
これが哲学だよ。実験できれば科学になる。しかしやがて実験できない限界に達する
だからすべては哲学に始まり哲学に終わる。
13考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:44:46
真理を探究するためのみ。
14考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:47:36
自ら発見した真理に従って生きれば本当に自由になるという確信があればこそかも知れない。
15考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:53:44
じゃあ自由とは何かね?
16考える名無しさん:2005/10/08(土) 14:54:59
自由とは自律だろうね。
17考える名無しさん:2005/10/08(土) 15:26:47
ほとんどの人は適当なところで考えるのを止める。
だけど中にはとことんまで考えないと気が済まない人もいる。
「何のため」ではなくて「そうせずにはいられない」から
哲学するんじゃないの。
18考える名無しさん:2005/10/08(土) 15:41:26
どこで考えるのを止めるべきか判断できないので、結果として哲学になるという事だろう。
19考える名無しさん:2005/10/08(土) 15:44:41
至言です
20考える名無しさん:2005/10/08(土) 16:09:56
人を説得するプロセスが哲学である。
しかし、無限の要素があるので多様な真理が表現されるのである。
21考える名無しさん:2005/10/08(土) 16:14:14
他人との関係でしか自分を評価できない状況に、哲学徒といえど飽き飽きとすることはないのだろうか。
22考える名無しさん:2005/10/08(土) 16:39:28
他人とは恐怖である。
つまり、他人に評価されなければ哲学はなりたたない。
しかし、生きる指針として自身の思索を明確に述べる事ができる。
23考える名無しさん :2005/10/08(土) 16:45:01
人が生活していると、様々な疑問が生じるが、
それらの疑問を突き詰めていくと、「この世界・宇宙・生物・人・私」が「何ものであるのか?」という
「謎」に行き着く。これらの「謎」を解明しようとする行為を無意味であると言う人は多いが、
これらの「謎」は、人間社会に大きな影響を与えている。「私達は何者であるのか」を理解することは、
人類の進むべき方向や、あるべき姿を決定し得るからだ。言わばこれらの疑問は、人類の「基本」
とも言えるのだ。
ただ、「哲学」というものを「観念」だけに限定してはいけなくて、「物理学」や「量子力学」等の「科学」
の観点をフルに活用しながら、「究極の謎」に取り組むことが大切だと思う。



24考える名無しさん:2005/10/08(土) 19:29:12
ただまあ、自分なんかは、そういった「謎」が「ある」というのが、
予断のような気がしてならんのですよ。
いや、もしかしたら、あるのかもしれんのだけれど、
その謎事態がどのようなものなのか、何が問題なのかもわからぬうちに、
問題だ、問題だといっている部分があるような気がする。
25考える名無しさん:2005/10/08(土) 20:58:06
そういう仕事だから、俺パン屋だったら絶対考えんね、
そっちのほうが幸せだもん、哲学=>不幸せ
26考える名無しさん:2005/10/08(土) 21:05:13
まあ、雨が降るけど、暑い日は水も乾くからね
27センズリ一筋:2005/10/08(土) 21:07:19
真っ赤なパンティ君に 贈ってあげたい君に
素敵な君にだけ 愛しているんだよ へへい
君と踊ろう。
28考える名無しさん:2005/10/08(土) 23:11:19
henntaiseiyokuwomitasutamedaro
29センズリ一筋:2005/10/08(土) 23:57:40
カントは実践理性批判で書いている。自由には責任が伴う。自分の
意志で決めた道徳に従うことが自由の意味であり人間の責任である。神は
人間に自由を与えた。道徳を守ると言う自由を。しかし人間の一生は
短い。道徳を守る道徳の実践は人間の一生では完成しない。だから神は
人間の魂を不滅にした。私は思う。子孫を残すことで道徳の完成があると。
しかし私には子孫はいない。もう道徳はいい。楽しくやろう。
30考える名無しさん:2005/10/10(月) 02:06:53
学問の解体
人間知性の否定
31考える名無しさん:2005/10/10(月) 02:22:15
哲学って無益。
無駄な事をやって他人には理解されない(同じ意見の人もまれにいるが)のに、文化をうみだしてしまった人間の定め
32考える名無しさん:2005/10/10(月) 02:23:05
哲学って無益。
無駄な事をやって他人には理解されないし(同じ意見の人もまれにはいるが)
文化をうみだしてしまった人間の定めではないでしょうかね。
33考える名無しさん:2005/10/10(月) 02:24:29
まあ、そうだな、猫に小判、豚に真珠といったことわざもあるし。
34考える名無しさん:2005/10/10(月) 12:57:17
有益ではないが有益である必要もないしな
35考える名無しさん:2005/10/10(月) 15:00:35
有益と無益を越えたところに哲学は存在するからな
36考える名無しさん:2005/10/10(月) 16:03:09
いや、有益か無益かを考えるのも哲学だし。
37考える名無しさん:2005/10/10(月) 16:39:34
⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン
38考える名無しさん
いや、有益か無益かを考えるのは実学。
哲学は有益とは無益とは何か、を考える。