1 :
考える名無しさん:
大切な人なら依存的になるのは当然
病的な依存は破滅を招く
深く愛すれば依存も大きくなりがちになる
相手への負担にならない愛し方をするために
愛と依存の違いについて議論しましょう
2 :
考える名無しさん:2005/09/27(火) 23:50:22
2
甘えと依存の違いじゃないの?
5 :
考える名無しさん:2005/09/28(水) 05:50:14
愛=依存にほかならない。
そうでなければ愛は愛である必要はなくなるだろう。
あなたが恋人をこの上なく愛すれば、恋人がいなくなったと同時にあなたも崩壊する。
あなたが信仰者で宗教をこの上なく愛すれば、宗教がなくなったと同時にあなたも崩壊する。
あなたが仕事をこの上なく愛すれば、仕事がなくなったと同時にあなたも崩壊する。
我々は依存しているのだ。
6 :
考える名無しさん:2005/09/28(水) 08:39:58
完全な愛は「支配=依存」
本能が無意識的に求め、理性が拒否する
7 :
考える名無しさん:2005/09/28(水) 21:20:25
では、不幸と隣り合わせの愛し方しかできない、ということ?
自分のために、何より相手のために、不幸を回避、ひいては恐怖を回避するために
なにかしら防衛策を練るのも一つの手だろう
依存は免れない、だが愛の対象を複数持つことで
愛する人への負担は減るはず
9 :
考える名無しさん:2005/09/28(水) 23:51:06
「相手への負担にならない」とかいってる段階でもう愛じゃないわけよ。
つまり、それは体裁を気にしてるというか、保身しているというか、
要するに「何物へも依存しない自分」とか「誰にも迷惑をかけない自分」といった、
安全な場所に安住したいという意識なわけ。
愛というのはその安全な場所から一歩踏み出して、
言い逃れのできない非難を受けるかも知れない立場に身を置くということを、
あえてできるということなわけよ。
10 :
考える名無しさん:2005/09/29(木) 00:21:44
>>9 自分のための保身じゃなく、『愛する相手の不幸・恐怖を回避する』ことが最大の目的
本能に限りなく忠実に生きるのではいずれ破滅を招く、それは瞬間を生きてはいるが未来は暗い(もちろん相手の)
相互依存が深く強くなるにつれ、失った時の反動もまた強くなる
明日も自分がこの世に生きている保証などない、人生は何が起こるかわからない
それを想定するのは『愛の意思』、あなたのそれは『愛の感情』
11 :
考える名無しさん:2005/09/29(木) 00:30:14
>『愛する相手の不幸・恐怖を回避する』ことが最大の目的
それを自分が望んでて、その上でするなら、同じことなんだって。
「破滅」「失った時の反動」も同じ事。
要は、安全でいいわけの効く場所から足を踏み出すのがイヤだ、
といってるに過ぎん。
12 :
考える名無しさん:2005/09/29(木) 00:37:44
>>11 依存が深まり続ければいずれ病的依存、つまり依存症となり
相手がいなくなったら、相手が裏切ったら私には誰もいなくなる、と
相手への不信・詮索が生まれる
依存という概念すらはっきりわからない人間ほど依存症を回避しずらく回復は難しい
それでも愛を深め合うと共に相互依存を深め合うのが、本当の愛か
後戻りはできない、という心理はやがて後悔へと変わる
>>12 違うよ、「依存」がどうなるかは、わからなくてもいいんだよ。
わからないけれども「依存」が悪い形になる「かもしれない」から、やめておこう、
誰かが「依存」による悪いことが起きない、と保証してくれるなら愛そう。
というのはもう「愛」じゃない、ってことよ。
それを自分の知ってる言葉で表現するなら「打算」となる。
14 :
考える名無しさん:2005/09/29(木) 00:59:07
>>13 わからなくてもいい、わるいじゃなく、『俺は依存の行く先がわかっている』事実
これを踏まえた上で、相手の幸せを思う行動は「愛」だろう
お前のそれは現実逃避の理想論だ。「愛」と密接関係にある「依存」から目を背ければ
愛する相手は必ず不幸になる。それがわかっていて愛するなんてのは愛ではない。
15 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:04:57
16 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:17:10
>>14 自己犠牲をして相手を愛したとして、愛された相手はそれを愛とは受け取らない。
依存の行く先がわかっていると言いながら、相手を愛するってのは、
愛ではなく、自己満足の世界でしょ?
愛とは分け隔てなく当てはまるが
依存とは自己愛に限定されたものじゃないの?
17 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:20:17
なんでも安易に病気のせいにしてはいけない。
完全な依存こそ愛。
愛とはアガペー。
18 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:22:07
愛とは相互依存。一方的な依存と支配とが愛の欠落に他ならない。
19 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:28:27
>>17 だから、完全な依存はあなたがあなたに限定した愛なわけよ。
あなたが何かに依存している時、依存の対象を愛しているのではなく、
ただ、依存している。ってなだけ。
依存している対象を愛してると思い込むと、そこからは愛ではないものが生まれる。
愛から派生する感情や経験と、依存から派生するそれを比べれば、わかるでしょうに。
20 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:32:13
たぶん誰も読まないと思うよ
21 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:41:34
愛してるなら依存するよ。
愛してる人と共に生きて、共に死ぬんだ。
22 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:45:25
依存⇔支配
こそが
『愛のかたち』
23 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:46:41
愛する(依存する)相手に愛される(依存される)かどうかは賭け。
賭けに失敗すると愛する(依存する)だけで支配されてしまう。
24 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 15:56:06
愛は I であり、互いに気持ちがぴったりとくっ付くことを意味する。
一方的な愛なんてあんのかよ。ないね。
相方向の思いが高じた時、そこに愛が結晶するのだ。
という気がする。
26 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 16:08:19
不自由な子供に愛の手を
民族のためなら身を献ずる
愛とは一方的にあたえられる
故に、テロルの根本原理なのだよ?
ヒント: ご飯とピッコロ、一般化
第2ヒント: 4様「愛してます」
第3ヒント:ストーカー「お前は俺を愛してる」
29 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 16:31:31
>>25 愛は一方的なもの。結晶にもならない。思いは思い。
30 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 16:32:58
>>18 相互依存は、単に相互依存であって、愛ではない。
31 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 16:34:28
>>5 恋人は恋しているだけであって、愛しているわけではない。
一方的な愛などありません。認めません。
34 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 17:42:46
>>33 おまえのような屑が認めるかどうかじゃねーし。
愛は一方的なもの。
身体障害、精神障害を患って、親を認識できない子でも、
母が子を大切に思うようなものが本当の愛だ。
どれだけの大犯罪を犯そうが、自分を裏切り殺そうとしようが、
どんな状況でも、その人を大切に思えたらそれが、本当の愛。
ま、普通の人間には不可能だ。
一方的な愛というのは妄想に基づいているのです。妄想愛です。
ヒント3を参照しましたか?
36 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 17:46:50
嘘の愛を体験しないと本当の愛には巡り合えない。
37 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 17:51:28
>>35 ヒント3が駄目なのは、見返りを求めているから。
また、愛しているということをわざわざ言うのは愛でもなんでもない。
人の望む事を見守ってやれなければ、愛じゃないね。
神がこの宇宙や人間を愛するように、愛は一方的。
一方的ゆえに、双方向になったときに「愛しあう」という言葉が成立する。
38 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 17:52:37
恋人や夫婦には愛は成立しない。ほんとんどは単なる依存と性欲。
39 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 17:56:38
一切の見返りを求めないのが本当の愛。
41 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:00:51
>>41 それじゃなくて、大犯罪を犯そうが、自分を裏切り殺そうとしようがってとこ。
無茶ですね。神を持ち出すとは。
信仰じゃないですか。
>>37
44 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:07:10
>>42 イエスの愛はそこまでいっているな。あれは本当の愛。普通の人間には無理だが。
45 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:13:45
キリストについては信仰ですね。
母親が殺人を犯した息子を尚愛する場合、どうも息子はマザコンみたいなんですけど? 例外はありますか?
>>44 普通の人間には無理だと思わせるキリスト教ってのはロクなもんじゃないね。
>>45 愛は、甘やかしたり、世話することとは違うぞ。お前は愛を理解していないと思われ。
親以外だと、良い教師が生徒に対して持つものが近いんじゃないかな。
>>46 キリスト教に関係なく、理想的な行動をとれる人間は、普通ではないと思われ。
普通の人間は私利私欲にまみれて汚れているよ。
49 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:21:42
>>46 実際普通は無理だろ。お前はキリストの生き方が出来るんか?
50 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:33:35
>>49 キリストは、神殿、商売、運、寄付の結びつきを一括して憎しみ過ぎた。
愛の人の規範としては現代的ではない。
>>49 俺がするかどうかじゃなくて、人間にそういう可能性があるかどうかだろ。
キリスとだって普通の人間として生まれた訳だろ。
>>51 可能性があっても普通の人間にはできないだろ。
出来る人間が少ないわけだし、それだけでもう普通じゃないぞ。
53 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:39:33
>>50 イエスは愛の規範ではあるが、愛が常に正しいわけではないということ。
54 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:41:18
母親が子を愛してるなら子も母親を愛してるよ。
一方的だなんてどうしていえるのかな?
良い教師ということは良いと思われてるのだよ。
キリストが人々から愛されることなく彼らを愛したとしよう。
それはなぜか? 彼は神を愛し神に愛されているからだよ。
人々は神の子だからだよ。
一方的に愛すとか愛されるとか言うのが、それこそ甘えなのさ。
55 :
51:2005/09/30(金) 18:42:14
>>52 ごめんよ。その論法受け入れるの無理だわ。何で無理なのか考えてみるよ。
56 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:46:18
>>54 >母親が子を愛してるなら子も母親を愛してるよ。
そんなことはない。親を認識できない子供もいる。親を知らない子供もいる。
>一方的だなんてどうしていえるのかな?
おまえは馬鹿か。
愛が一方的だからこそ、双方向になったときに「愛しあう」という言葉が
できると言っているだろうが。
>良い教師ということは良いと思われてるのだよ。
全然わかってないな。良いと思われているかどうかではない。
>一方的に愛すとか愛されるとか言うのが、それこそ甘えなのさ。
いや違う。お前が馬鹿なだけ。愛に甘えなど含まれない。お前は愛を知らないだけ。
57 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:49:01
>>1 まず、辞書を引きなさいよ。
自己愛に限定すれば、依存は含まれるかもしれないが、
ここでの愛の定義からすれば、愛と依存は別物だよ。
こんな事でこんな理解しか生めないって、教育機関の責任は大きいね。
愛と依存の区別もつかない人達は、ある意味、犠牲者かもね。
58 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 18:52:41
>>57 1が言いたいのは、世間で愛という言葉で着飾った依存が生まれているってことだろ。
恋人同士で愛なんてあるわけがないのに、愛しているという馬鹿が多いのと同じ。
区別できていないのは1よりも一般大衆。もしかしたら1もわかってないかもしれんが。
60 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 19:02:07
>>58 うむ。同感です。
わけのわからん、ゆとり教育とかしてないで、
こういった人間としての基本を教育できないもんかね、学校で。
知識重視の教育がこういった、自分はもう知っている。的な、
謙虚さがない人間を作り出してるのよ。
俺達が知ってる知識なんて、時代、立場の違い、科学の発展などで、
あっという間に役に立たなくなる事を学んでもらいたいもんだ。
61 :
51:2005/09/30(金) 19:09:11
愛とは何か。
神とは何か。
同じような答えになると思うよ。
63 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 19:24:48
64 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 19:27:50
>>63 いや。
>>61は、正確に物事を判断している。
あなたよりは、理解が深いと思われます。
神=愛の記憶。
最近のオヤジは自己愛が旺盛で大変だな。昔のオヤジはしらんが。 此れからのオヤジも同じか。
ちなみに今壁を体長12センチのクモが歩いてる。
今や飛び級とか意味がない。
興味や目標に従ってどんどん進める。
少年よ、今こそ大志を抱く時だ!!
集中し、没頭し、専心して突き進め!!!行け、来る英雄たちよ!
遥か彼方の壮大なる光景を眺め、その豊かなる大地を体感し、大空に羽ばたくがいい!!!
68 :
ママよ:2005/09/30(金) 20:58:18
可愛い坊や…
今日はいい天気よ。 ほら見てすごい綺麗な青空よ。風も気持ちよくて。
気持ちいいでしょう?
…気持ちいいよね。わかるわ。ママにはわかるのよ。
そうねあなたももうすぐ6歳になるのね。
大きくなったわ。ほんとに大きくなって。
頑張ったもんね? ほんとに頑張ったわ。6年も…
あなたは頑張りたいの?幸せなの?
いつまでもそうやって頑張ってて幸せなの?
いつかママって呼んでくれるの?
教えて、どうしたらいいの? どうしたらあなたは幸せなの?
…どうすればいいのよorz
69 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 21:04:01
愛に、正しい誤っているとか無い。
有るのは、完全な愛か不完全な愛かだけ。
愛のかたち、は『依存と支配』
聞いて下さい。自分は空気がないと生きてはいられません。
空気に依存してます。でも空気を愛しているとは思えません。
しかしながら、朝の澄み切った空気は大好きで、森林では深呼吸したりします。
愛とか依存とか、良く解りませんが、自分は空気になりたいです。
必要と感じさせず、必要なときにそばにいる。そんな存在になりたいです。 おわり。
71 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 21:14:55
>>69 略奪愛は依存ではないし、
まして略奪を支配しても愛がえられるとはかぎらない。
72 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 21:20:50
>>69 依存と支配は、依存と支配であって、愛ではない。
73 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 21:22:31
愛とは無償で、見返りを求めないで、大切に思う気持ちであり、一方的でも成立するもの。
74 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 21:46:31
すまん。完全な愛が依存と支配だな
完全な愛であふれとるな。空気とか空気とか空気とかで
75 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 21:54:39
>>70 なるほど。
空気ね。 人間関係はそんな感じがいんじゃね
我々は依存すべきではない、何故なら、依存は私とあなたの関係であって、
私はそれのみのものであるが、依存するには、私は他人がいなければならない
からである。
依存は他人の出方に従って、私のことが考えられるのである。他人の仕方が
がないと、私というものが成立しなくなる。他人が私の規定でるという考え方
は、私というものの規定は他人を含んでいるのである。そして、私の規定が他
人を含んでいることは、私が認められなくなることである。血族であっても、
同じ振る舞いをする人格が強制されるとすると、何に同一になるのかが考えら
れていなければならないだろう。普遍的な振る舞いを確立した人物であるのか。
その人格に降りかかる苦労など諸々味合わせることになるだろう、そんな幸せ
であったのだろうか。
依存は、私に他のものを含ませることであって、そんな素晴らしいものを求
めているのであるとしたら、やってみるといい。
78 :
考える名無しさん:2005/09/30(金) 22:36:40
>>14 >わからなくてもいい、わるいじゃなく、『俺は依存の行く先がわかっている』事実
>これを踏まえた上で、相手の幸せを思う行動は「愛」だろう
違うよ、それは、相手を不幸せにするという、「自分にとって都合の悪い未来」からの逃避だよ。
79 :
考える名無しさん:2005/10/01(土) 22:20:04
>>78 愛する相手が不幸なら自分も辛いのは当たり前だろ
他者への愛は存在せず自己愛だけが存在するとでも言いたいのか?
80 :
考える名無しさん:2005/10/01(土) 22:30:05
浮気を許すのは愛?
>>80 相手を縛るのではなく、自由にする事ができるなら、それは愛です。
でも、その為に自分を犠牲にする必要はありません。
浮気をされたら、自分がどんな気持ちになるのかをハッキリ伝え、それでも、
相手が浮気をするなら、そんな相手を受け入れるのか?受け入れないのか?は、
あなた次第ですね。
浮気は絶対に許さない!って人は、相手を愛しているのではなく、
相手を通して自分を愛しているだけ。 他人を不幸にする自己愛です。
依存とは、自分を不幸にする自己愛です。
82 :
考える名無しさん:2005/10/02(日) 06:52:46
>>80 浮気を許すかどうかは愛とは無関係だが、
許せないなら少なくともそこに愛は存在しない。
許せても愛があるかどうかはまったく別。そういう話題が出る時点で愛がないと思われ。
83 :
考える名無しさん:2005/10/02(日) 10:08:02
>>79 >愛する相手が不幸なら自分も辛いのは当たり前だろ
そうでないなんて言ってるか?
そのとおりだから、それを回避しようとするのは、
単なる打算だって言ってるんだよ。
84 :
考える名無しさん:2005/10/02(日) 10:10:10
打算と愛は釣り合わないが何か。
85 :
考える名無しさん:2005/10/02(日) 23:59:11
つりあいを計ろうとしてる時点で打算だと言ってるんだが何か?
86 :
考える名無しさん:2005/10/03(月) 21:50:04
>>83 単なる打算?
お前の理論でいくと、どんなプラス感情も一度思考を通せば全て打算ということになるな
優しくなりたいと願い起こした行動は打算
傷つけたくないと思っての行動も打算
お前は『打算』という言葉のもつイメージで孤独主義か何かに陥ってるようだが
そんなくだらない思考に支配されて冷めた人格を形成するのは俺はごめんだね
87 :
考える名無しさん:2005/10/06(木) 16:39:01
ここは愛のないインターネッツですね。
88 :
考える名無しさん:2005/10/06(木) 17:50:05
純粋な愛、分割不可能な愛という事を考えると、
知性(思考)はそういう分割不可能なものを扱うのが苦手だから
自然に打算と区別がついていくとおもわれるんですけどね。
89 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 00:32:49
>>88 分割不可能なものをどうして『打算』だと分割してるんだ?矛盾してるぞ
しかも
>>86でその思考の問題点は浮き彫りになっている
愛は打算なんて冷めたもんじゃない、あきらめが『人』を殺すぞ
90 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 00:52:24
>>89 あなたにとって、打算と愛とは一体なんですね。
91 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 01:10:56
依存=「オレはお前がいないと生きていけない」
非依存=「お前なんかいてもいなくてもどうでもいい」
92 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 03:33:02
|┃三 _________
|┃ , __ /
|┃ ≡ /_、_\ < 話は全て聞かせてもらった!
____.|ミ\___( <_,` ) _ \
|┃=___ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ≡ ) 人 \ ガラッ!
93 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 22:01:44
乳幼児と母親
乳幼児と父親
乳幼児と祖母
乳幼児と祖父
乳幼児と兄弟姉妹
乳幼児と親戚
乳幼児と他人
それぞれの間に愛があったとして、そこに生じるであろう依存は
同じものであろうか?違うであろうか?
また、一方向的なものであろうか?双方向的なものであろうか?
そもそも、愛に深度が存在するのではなかろうか。
それによって、依存の仕方・度合も変わってくるのではないか?
94 :
MORALITY ◆oMyMORALjQ :2005/10/07(金) 22:58:10
95 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 01:29:09
>>90 まったく質の違うもの
打算と思いやりをごっちゃにするなよ
96 :
骨肉の争い ◆rBlGBOMBeg :2005/10/08(土) 07:21:06
じゃあ何か猫や鳩に餌を与えなくても人間は銭の匂いに釣られるからな
97 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 07:46:05
相手の欲求を満たす為に何でも手を尽くし、例え一人で何もできない人間になろうと常に支え続けようとするか
自分の正しさに照らし合わせある時は守ってある時は突き放す、いわば自分の理想を相手に強要するか
なるようにさせどんな状況であれ、それでいいのだよと全てを肯定するか
付かず離れずの距離で常に暖かく見守り続けるか
ふふふ、だからそれが何だっていうのよね
どれも一長一短かな
98 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 07:54:56
相手の幸せを願う気持ちを愛と呼んでも
私達は生きてる限り、そして関わる以上
何か選択肢を選んで行動しなきゃいけない
さて愛の名の元に何をしようかしらね、ちんぽども
高橋愛と加護亜依の違いだろ。
100 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 11:18:02
まあ、相手の幸せを願う時点で相手に依存してるわけだが。
その思いが切実であればあるほどな。
食物連鎖は依存関係だわな
感謝と賞賛の違いくらいかな
103 :
◆GUGENiOq0w :2005/10/13(木) 20:49:27
104 :
考える名無しさん:2005/10/14(金) 19:12:52
愛は「何か」と問う事に余地が残されている。
とりあえずオリジナルに愛を追求できて、いいんじゃない?
依存は現実の状態。
見返りを求めないのが本当の愛じゃないか?
106 :
考える名無しさん:2005/10/17(月) 03:31:50
愛されるよりも愛したい。
愛するよりも憎まれたい。
憎まれるよりも憎みたい。
憎むよりも許されたい。
許されるよりも許したい。
>>105 正義を気取る親は子供を成長させない
正義で子供は育たない
108 :
考える名無しさん:2005/11/09(水) 14:45:51
なんで誰も正義など語っていないのに正義を持ち出すのか意図不明
109 :
考える名無しさん:2005/11/09(水) 15:27:23
愛なんて欲望以外のなにものでもないが、ふつうは相手を
正しく評価し、自分自身も正しく評価できている中でお互い
折り合いをつけていく。深く求めても相手が見えているから
迷惑はかけない。
依存は自分の都合のいい理想を一方的に押し付けているだけで、
相手を見ていない。自分の力量も分かっていない。
相手がどれだけ迷惑しているかなどは結局どうでもいい。
そうかね、「愛は盲目」というではないの。
相手も自分も客観的に評価できなくなるのが愛ではないのか。
111 :
考える名無しさん:2005/11/10(木) 04:48:07
愛と依存か。
ずっと考えてるんだけど、まだ答えが見つからないな…
ちなみに知ってる??
依存症と云う病的な人格の人間ほど、「依存」という言葉をやたらと使うんだよね。
周りにそーゆー奴が居た時があって、こっちまで気になって来ちゃったww
112 :
考える名無しさん:2005/11/10(木) 04:55:56
>>109 愛を欲望ととらえているのは、可笑しいな。
親に大事に育てられなかったんだね。かわいそ
113 :
考える名無しさん:2005/11/10(木) 05:04:08
>>111 愛とは相互依存だよ。依存は一方通行だが、愛は双方向だ。テレビとテレビ電話との違いみたいなもんだね。
114 :
考える名無しさん:2005/11/10(木) 05:08:41
愛は、人のことを親身に考えるから、優しさや、労りがあるが、
依存というのは、自分のことしか考えてない。その人がいなきゃ駄目なわけ。
てか普通わかるじゃん。なんで疑問に思うの?
>>111あたりがすげえアホに見える。あんた考えすぎ?
115 :
考える名無しさん:2005/11/10(木) 22:09:19
>114
愛と依存ではなく、「愛とエゴイズム」の方がレス伸びそうだね。
人間は社会的な生き物。社会的という意味は、自立しながら依存しあうこと。
依存しつつ自立する、それこそが愛の本質であり、人間関係で最も難しいこと。
人との距離感は人生で一番難しい。一生をかけて追求するテーマ。それが愛。
どうしても甘えあって喧嘩になってしまうのが人間の常。
>>114 人への思いやり、いたわり。
これこそ、最大のエゴであり、与えてると思いつつ依存している人間の典型。
ボランティアって、与えているようで、実は依存行為だからね。
119 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 21:57:49
人が、もっとも(真の)シヤワセを感じる瞬間ってのは
「役に立っている・必要とされている」というときじゃないのかな・・・
子供にお手伝いを頼んで、やり遂げた時の誇らしげな顔・・・ ヽ(`・ω・´) チャントデキタヨ!
或いは逆に、
ぼちぼち介護が必要になってきたお年寄りが抱えるもどかしさ・・・ (;ω;`) スマナイネェ…
120 :
考える名無しさん:2005/11/21(月) 22:02:52
121 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/11/21(月) 22:06:31
>>118 無償ボランティアを、ほんの少しでも体験したことのある人なら、
与える/与えられる、という関係が、一方向だけのものではないことを感得できますよ。
122 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/11/21(月) 22:10:49
福祉論の講義を聴いたことがあります。
そのセンセ、この無償ボランティアや福祉の「与える-与えられる関係」が、
一方向に留まる限り、与える側は、その驕りから自由になれない、
と言ったら、逆上してました。
123 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/11/21(月) 22:12:39
福祉や無償ボランティアを語るのであれば、
せめて現象学の辞書レベルの知識だけでも持っていてほしかった。
124 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2005/11/21(月) 22:16:55
福祉や無償ボランティアにおいて、与える-与えられる人間関係の中で、
両者は、常に貸し借りなしの50:50で相互的な「与える-与えられる」関係を構築していますよ。
ボランティアの仕方を考えると、五分五分なもので成り立っているのでしょう。
でも、ボランティアをするのなら、同じ時間だけ働いた賃金を与える援助もあるでしょう。
奉仕する精神をもっているのです。
何に奉仕しているのか判りますか。
>>1 愛は、ある対象を希求する動作のことで、
依存は、何かの目的を達するために、
ある対象を条件のひとつとして使用することに慣れてしまった状態じゃないかな。
127 :
考える名無しさん:2005/11/22(火) 15:20:18
孤独を恐れる凡人は愛依存症である。
それこそ人らしさ
129 :
考える名無しさん:2006/02/01(水) 20:13:52
130 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/02/08(水) 19:58:33
>>125 <でも、ボランティアをするのなら、同じ時間だけ働いた賃金を与える援助もあるでしょう。
奉仕する精神をもっているのです。
何に奉仕しているのか判りますか。>
↑
「みんなが幸せでなければ自分だけの幸せなど無い」、
という社会構築への奉仕ではないでしょうか?
排除、剥奪、収奪、待ち受け、etc etc
設定:シカクを埋めて、数式の答えを定めなさい。
□+0=
ゼックス ウント ドライスィヒ バス ノウインスィヒ
134 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 20:30:18
イッヒ リーベ デッヒ
135 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 20:44:20
愛に依存はある。
だが
依存に愛は無い。
と同時に
愛に依存は無く
依存に愛はある。
と言えると思うのだが。
136 :
考える名無しさん:2006/02/14(火) 20:56:18
137 :
考える名無しさん:
愛ってとても好きなことじゃないの