殺人を悪とするのは自明のことではない

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1考える名無しさん
1get
2考える名無しさん:2005/09/21(水) 03:09:47
ポケモンget
3考える名無しさん:2005/09/21(水) 03:37:10
相互社会的には自明のことだな。
4考える名無しさん:2005/09/21(水) 09:26:51
社会の大部分の人が「殺人は悪」だと思っているなら、
死刑もないよな。
5考える名無しさん:2005/09/21(水) 09:40:33
必要悪と言うこともあるし。
それにそもそも善悪ははっきり白黒がつくものじゃない。
白黒がはっきり付くといっている人は、善を悪、悪を善と言い張る、
善悪の基準が入れ替わっている人である場合がほとんどだし。
6考える名無しさん:2005/09/21(水) 10:02:19
刺激的な表題だな。
だが、それだけだ
7考える名無しさん:2005/09/21(水) 10:08:06
殺されるぐらいなら殺す、という権利は個人に帰属しより根源的だ。
その意味では>>1の言う事は正しい。しかし復讐の連鎖を断ち切る
ために人は社会や国家や法を打ち立てるので、そちらの方がより正しい。
社会や国家や法が一方的な善であり、個人の根源的な権利を悪とする
説明は倒錯している。しかし我々は、個人の暴力と言う根源的な、
しかし曖昧な善と同時にある個人の暴力が横溢するという根源的かつ
曖昧な悪を、社会の暴力と言う悪を避けながら、社会の秩序と言う
善につなげていくことができる。
8考える名無しさん:2005/09/21(水) 11:12:46
殺人については自然法にすらある概念だったはず。
お互いに殺さない代わりに、殺されない。それだけの単純な事だ。

だが、俺は殺人は罪ではないと思う。殺人は人間であることの放棄であり、決別だ。
人を殺したのだからそれはもう同じカテゴリーの人ではない。
動物でもなんでも、害を与えたらそのカテゴリーが消えて、敵となる。
法によって安全を保障されている人間全体の敵であり、脅威だ。
ならば身を守るために倒さねばなるまい。捕まえて、クビをくくってやる。

いくら改心しようと、もう手遅れだ、それは人の形をしているが、人として扱うことはできない。
どのような理由があっても、暴力までは許せても殺人は枠の外に出る行為であって
許されないのだ。人でなくなるのだ、毒虫の命乞いなどだれが聞くだろうか。

9考える名無しさん:2005/09/21(水) 11:14:33
>>1
重複につき誘導

【NO?】殺すというのは【OK?】part2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1112587103/
10考える名無しさん:2005/09/21(水) 11:31:50
11しろうと ◆AUSirOutoE :2005/09/21(水) 19:23:41
1+1=2が自明じゃないと同じで、
殺人悪のルールが事実上運用出来てるという事でしょう。終り。
12考える名無しさん:2005/09/22(木) 00:41:27
「自明」てどういう意味だっけ?
13考える名無しさん:2005/09/22(木) 00:52:56
自ずと明らかの意。
14考える名無しさん:2005/09/22(木) 00:55:18
悪とするのが自ずと明らかなものってなんかあったっけ。
15考える名無しさん:2005/09/22(木) 01:05:18
理由など無い
ただ殺さないのだよ、我々は

そして理由もなく殺す人、理由があれば殺す人
を隔離しつつ、今日も生きる
社会という現実の中で
16考える名無しさん:2005/09/22(木) 01:06:25
往生の為に千人殺せといはんにすなはち殺すべし
然れども一人にても殺すべき業縁なきによりて害せざるなり

わが心の善くて殺さぬにはあらず
また害せじと思ふとも百人千人を殺すこともあるべし
17考える名無しさん:2005/09/22(木) 01:12:01
タイトルは日本語として変だ。
18考える名無しさん:2005/09/22(木) 01:31:09
>>17
どこが?
19考える名無しさん:2005/09/22(木) 01:35:00
           ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           ( ´Д` ) < 通報しますた
          /,  /   \
         (ぃ9  |       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          /    /、
         /   ∧_二つ
         /   /
        /    \
       /  /~\ \
       /  /   >  )
     / ノ    / /
    / /   .  / ./     (゚Д゚) <しますた
    / ./     ( ヽ、     @( )>
   (  _)      \__つ   / >
20考える名無しさん:2005/09/22(木) 01:52:36
何が善か悪かは人間が決める。しかも強い人間が決める。

弱い人間は生き残れないので何が善や悪を決めることができない。この世からいなくなるので、それができないのだ。

そして殺人を肯定する人間は弱い。強い人間は殺人を肯定しない。

この結果、殺人は悪だという決定がなされる。
21考える名無しさん:2005/09/22(木) 01:54:15
理由など無い
ただ殺さないのだよ、我々は

そして理由もなく殺す人、理由があれば殺す人
を隔離しつつ、今日も生きる
社会という現実の中で
22わがままな遺伝子 ◆0bNY21/WAs :2005/09/22(木) 01:59:45
「悪い人間は拘束・追放・殺害する」というのが自然法。
つまり、自然法で殺人は肯定されている。
現にテロリスト・凶悪犯はどんどん殺されている。

「殺人はいけない」などというのは寝言のたぐい。
23しろうと ◆AUSirOutoE :2005/09/22(木) 02:11:40
1.社会の成員にとって、殺すことの効用より
殺されないことの効用が統計的に大きいので、
2.互いに殺されない環境を作るのでしょう。

1は自分が一人しかいないからそうなります。
2はアクセルロッドの報復戦略とかでそうなるのかも。
自明ではなくても自然にそういう秩序が形成される。
24考える名無しさん:2005/09/22(木) 02:16:31
警察がシッカリしてないとジレンマになる
25しろうと ◆AUSirOutoE :2005/09/22(木) 02:26:57
銃が既に普及してるアメリカでは、
囚人のジレンマ的状況で、
なかなか銃を捨てられないですね。
26考える名無しさん :2005/09/22(木) 02:40:56
殺人をするにはそれなりの理由があるんじゃないのかな
動機があるんだよ
27考える名無しさん:2005/09/22(木) 02:52:11
同種のスレがたっています。
こちらへどうぞ。
  ↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1127238686/l50
28考える名無しさん:2005/09/22(木) 09:35:15
往生の為に千人殺せといはんにすなはち殺すべし
然れども一人にても殺すべき業縁なきによりて害せざるなり

わが心の善くて殺さぬにはあらず
また害せじと思ふとも百人千人を殺すこともあるべし

29考える名無しさん:2005/09/22(木) 09:42:01
凄いこと言った気分になってる>>1に真面目に返答してる奴らは救えないな
30考える名無しさん:2005/09/22(木) 09:43:48
死人が口をききやがるw
31考える名無しさん:2005/09/22(木) 10:40:10
少しの憎悪では僕は人を殺せません。
でも家族を目の前で殺されたら殺します。
32考える名無しさん:2005/09/22(木) 11:04:19
目撃したお前もその場で殺される可能性大
緊急避難が成立するからもともと無罪だよ
33考える名無しさん:2005/09/22(木) 13:14:03
結局>>1のような奴は
「殺人を正義である」というキャッチコピーにも飛びつく。
単に目立ちたいだけというだけで
深い考えを持ってるわけではない。
その辺のアホと同じ程度の思考回路
34考える名無しさん:2005/09/22(木) 13:24:37
あまりにも漫画的
35平下流:2005/09/23(金) 03:12:36
>>1
同意
価値観は時間・空間の落とし子。
現代人にとっては誰もが「当たり前」と思われていることでも、そうなったのはつい最近のこと。

現代人は自惚れが強いから、今の「当たり前」は不変と勘違いしているだけ。
将来、どう変わるかは解らない。

「ついに非望の遂(と)げられないことを悟(さと)った紀昌の心に、
成功したならば決して生じなかったに違(ちが)いない道義的慚愧(ざんき)の念が、
この時忽焉(こつえん)として湧起(わきおこ)った。
飛衛の方では、また、危機を脱(だっ)し得た安堵(あんど)と己が伎倆(ぎりょう)についての満足とが、
敵に対する憎(にく)しみをすっかり忘れさせた。
二人は互いに駈寄(かけよ)ると、野原の真中(まんなか)に相抱(あいいだ)いて、
しばし美しい師弟愛の涙(なみだ)にかきくれた。
(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。
美食家の斉(せい)の桓公(かんこう)が己のいまだ味わったことのない珍味(ちんみ)を求めた時、
厨宰(ちゅうさい)の易牙(えきが)は己が息子(むすこ)を蒸焼(むしやき)にしてこれをすすめた。
十六歳(さい)の少年、秦(しん)の始皇帝は父が死んだその晩に、
父の愛妾(あいしょう)を三度襲(おそ)うた。すべてそのような時代の話である。)」
36考える名無しさん:2005/09/24(土) 02:23:22
36get
37考える名無しさん:2005/09/24(土) 02:40:33
>>20
なんと!!
強い人間は、何が善か悪かを、決めることができるのですか!!

じゃあ、強い人は、病気になっても、医者にかからなくてもよいということですね。
38考える名無しさん:2005/09/24(土) 02:53:28
病気ぐらい赤チンでも塗っとけば治る
39考える名無しさん:2005/09/24(土) 12:14:33
どうして人を殺してはいけないのですか?2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1127472365/
40考える名無しさん:2005/09/26(月) 01:16:21
あげ
41考える名無しさん:2005/09/26(月) 04:40:48
42考える名無しさん:2005/09/26(月) 16:39:42
社会契約がある限り悪でしょ
適当に人を殺し続ければ社会が崩壊するのは当然

逆に自分がまったく社会に帰属してないのなら殺しても罪はないだろうね
大体、罪を裁く司法の機関がないんだから
43考える名無しさん:2005/09/26(月) 22:30:51
厨房はお呼びでないよ

中学公民レベルの知識で書き込まないように
44ルシフェル:2005/09/27(火) 13:00:04
どうして人を殺してはいけないのですか?2
の169みて
45平下流:2005/10/07(金) 01:35:16
age
46考える名無しさん:2005/10/07(金) 01:39:00
殺人が悪かどうかは周囲の判断によるだろ。
一人殺して善悪を聞いた時、善<悪なら悪。善>悪なら善。

それくらいしか確かめる方法って無くないか?
47考える名無しさん:2005/10/07(金) 06:43:17
>>46
一貫した判断基準の確立が難しいな
48考える名無しさん:2005/10/07(金) 12:31:09
殺人権は権力(主)が占有するものです。
一般国民(従)には、その権利はありません。
というのが、人類史です。
49考える名無しさん:2005/10/07(金) 12:50:00
基盤を考える仕組みを思惟しな
50考える名無しさん:2005/10/07(金) 12:53:33
>49
>>48は、人類の性を思惟するための「基盤」です。
「仕組み」は、権力側が勝手に都合よく殺人を合法化する、ということです。
51考える名無しさん:2005/10/07(金) 13:02:29
ブーメランのようだ、
思惟の構築をしないで、それは既にこんな仕組みのものである、
で済むようだ。
52考える名無しさん:2005/10/07(金) 13:06:42
権力がなくっても、人は互いに殺しあうよ。というか権力がないほうが
人はより激しく互いを殺しあう。未開部族が民族間紛争で死ぬ確率は
ニューヨークで人が殺人事件で死ぬ確率よりはるかに高い。
53考える名無しさん:2005/10/07(金) 13:16:31
>>51
権力は、直接手を下さなくとも、過重労働、過重課税等で、自死に追い込んでいる。
それに比べれば、下部構造の中の1:1、1:nの殺人行為で死ぬ絶対数等、ネグりジブルマイナーだよ。
後者は、マスコミ等が吼えまくるから、あらまあ、となるが、前者の殺人の仕組を解き明かしていく方がよほど建設的だよ。
54wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/10/07(金) 13:23:49
>53
賛同。
一般社会の中での殺人と、社会構造/権力構造等とは切り離しては考えられないと思います。
なぜなら、人間は社会的存在であるから。
富の偏在/二極分化、学歴偏重による教育現場の荒廃、等々、
社会構造/権力構造等との関連性を省いた「殺人論」では、
ドストのラスコーリニコフも解き明かせないと思います。
55wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/10/07(金) 13:35:55
殺人者のこころの中の闇は、殺人者が自分自身がつくるものではなく、
時代時代の社会との軋轢の中で、好まずして生じてしまうものですよ。
56wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/10/07(金) 13:38:00
>55
(文法直しです)
殺人者のこころの中の闇は、殺人者が、自分自身だけでつくるものではなく、
時代時代の社会との軋轢の中で、好まずして生じさせてしまうものですよ。
57wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/10/07(金) 13:47:40
ドストのスタブローギンの少女陵辱などになると、「超越的」ニヒリズムとしか表現できないことから、
少し異なる切り口が必要になりますね。
58K太:2005/10/07(金) 14:20:02
はじめまして、でいきなり書き込みます。

これってどういうところから見ているわけ? これじゃ口悪いかな?
「どうして人を殺してはいけないの?」なんて質問してくるたとえば子供とかにどう答えればいいのか
という理由で考えるのでなければ簡単なことで、善でも悪でもないと断言できる。
自分の価値観で人間は生きているわけで、何かをする理由足りえるものは己自身だけにあればいい。
これは肯定でも否定でもないってこと。
誰もがわかっていると思うけど、これって決められることじゃないよね。

「殺人の仕組みを解き明かしていきたい」っていうのだと、このスレの本質からずれている気がする。
というかそこに必ずしも善悪は存在していないでしょ?
善悪が関係する殺人っていうほうが多分稀なことだと思うんだけど、どうだろうか。
まあ、だからこそ 社会構造 とか出てきたんだろう。
コレが関わるとなぜか一気に善悪の話に行くからねえ。

いまふと思ったんだけど、人を殺す という言葉にもそれぞれイメージが違うと思う。
たとえば 殺人と人殺し ではK太の中では微妙にニュアンスが違う。
殺人には本人の意思がありそうだけど、人殺しは突発的、無意識的イメージがある。
あ、無意識って言うのは、原因を作った誰かがそれを意識せずに人が死んでしまうようなことが
起きたときのようなことね。
本人にその気はなくても、やっぱりそのひとは「人殺し」って呼ばれるわけです。
こういうのってそれぞれが勝手にそうイメージしているだけで誰も否定できないけど、
語りあう上で重要な相違を生みそうで怖い。

まあだからどういう想定で善悪を語っているのかな〜とちょっと気になって。
これがハッキリしないうちは意見を100%出せない。
流れから 社会や権力構造のせいで善悪が決められているということだとは思うけど、確認取りたいです。
59考える名無しさん:2005/10/07(金) 14:49:13
>>55
なぜ「殺人者」のこころの中の「闇」だけに限定するんだ。
その論法を徹底するなら、
「人のこころというものは、自分自身だけでつくるものではなく、
時代時代の社会との軋轢の中で、好まずして生じてしまうものですよ。」
と言わなければおかしい。
60wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/10/07(金) 16:31:58
>>58
<善悪が関係する殺人っていうほうが多分稀なことだと思うんだけど、どうだろうか。>

殺人が極端になるとすれば、犯罪一般とします。
そこで「善悪」という尺度ですが、殺人行為にまで追い詰められる要因分析が必要です。
私は、この大半が社会構造/権力構造に起因する経済的なものであると考えています。
これには「善悪」という尺度は不適切であると考えます(法解釈ではありません)。

もちろん、これだけでは説明できない犯罪もあります。

前レスでは、前段の、社会構造上、ある程度の犠牲者(犯罪行為主体)が出ることだけを書いております。
61wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/10/07(金) 17:19:07
>>59
<その論法を徹底するなら、「人のこころというものは、自分自身だけでつくるものではなく、時代時代の社会との軋轢の中で、好まずして生じてしまうものですよ。」 と言わなければおかしい。>

その通りだと思います。
「殺人者のこころの闇」に関しても、一般市民の日常生活の中における意識一般も、等しく、「自分自身だけでつくるものではなく、時代時代の社会との軋轢の中で、好まずして生じてしまうもの」であると考えております。

ことさら、「殺人者のこころの闇」だけが、一般市民の日常生活の中の意識一般から、かけ離れて生起してくる割合は大きくないと考えております。
換言すると、一般市民が、いつ殺人行為に奔っても不自然ではない、ということになります。

しかし、殺人という非日常的な行為を、単純に、一般市民の日常生活の中の意識一般のエキセントリックな現出の仕方であるという帰納的な推論だけで説明できるものだとも考えておりません。

すると、これらの推論から漏れ落ちていく殺人行為があるとして、そのロジックを構築しようとすると、これは大変に難儀な作業になると思います。
その1つの典型事例として、「ドストの悪霊におけるスタブローギンの少女陵辱」というものを挙げたわけです。
これも、単純に、「異常性格者の行為」、「異常な資質を、生来、産れ持った個人オリエンテッドな行為」という割り切りでは、何も言っていないことになります。
これを紐解くのは、プロの文芸評論家や思想家が一生かけても、客観的に受け入れられる解など、出せるものではないと思います。
もっとも、スタブローギンのニヒリズムとは何だ、という問題意識をインプットしてしまった人間にとっては、意識に刺さった棘として、おそらく、間断的にもせよ、継続して対峙していかざるをえない命題でしょうね。
62wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/10/07(金) 17:31:14
カミュの小説に、あるテロリストが、ターゲットを狙って、今、撃つべきときに、ためらう場面があります。
示唆に富むシーンですが、70年代、80年代は、カミュのこの表現は、大方、否定的に捉えられていました。
日和見ということで。
この「ためらい」の真偽、正当/不当性に関しても、現在でも一律的な解はありません。
63考える名無しさん:2005/10/07(金) 21:07:44
カミュよりは、大岡昇平の「俘虜記」のほうがいい。と思う。
64考える名無しさん:2005/10/07(金) 23:23:45
はあ、またこのネタか。

そりゃ自明ではないが、そんなこと「発見しました」と取り立てて叫ぶようなことか?
少なくとも人を殺すことに抵抗を感じるように育ったんだったら、
それをありがたいと思うこった。
人を殺さないでいるのに、それなりの想像力が必要だとしたら、すごい面倒なことだぞ。
人を殺さないでいられる習性にもうちっと敬意を払えよ。
65考える名無しさん:2005/10/07(金) 23:46:34
>>64

当たり前のことを言ってるのはどっちだろうな?
そう、世の中ってのはものすごく面倒なものなんだ。
そのことを見ない人間が、見てる人間を蔑む道理はない。
66考える名無しさん:2005/10/07(金) 23:47:11
スレ・タイトルには無理があると思う。例えば人殺しを冒した人間が“これの何が悪いのだ。殺して当然さ”と内心思ったとする。彼は繰り返し〈殺人は悪〉という命題に反論する。そうしてその事は実は彼の中で〈人殺しは悪〉という善悪が消えない事を意味している。
67考える名無しさん:2005/10/07(金) 23:59:56
そりゃ葛藤してるじゃん。実際には平然と殺す奴もいる。
悪と思わない人間も確実に存在するのが問題なんだよ。
68考える名無しさん:2005/10/08(土) 00:01:06
殺人のイメージを固定化してるからややこしくなるんじゃないだろうか。

「殺人」を悪と決めつけるのは被害者、その周りの者だろう?
ある意味、物の一面しか見ていない気がするんだ。
昔の日本は「仇討ち」がとても尊い物だと思っていた。その思考は現代日本にも確かに存在してる。だからこそ、情状酌量があるんだし。

「殺人」にも、種類があるんじゃない?
69考える名無しさん:2005/10/08(土) 00:03:11
価値観に拘わることであるのに、サッカーのパスみたいだと
ボールが渡されるように殺されるなんてこともあるだろう。
70考える名無しさん:2005/10/08(土) 00:05:58
“殺人を悪と思わない人間が確実に存在する”という事態を指して〈自明性の喪失〉と呼べるのではないか。つまり自明な事はあるとしか思えないんだが。
71考える名無しさん:2005/10/08(土) 00:11:58
彼は運動だったんじゃないか、
何かがあったから殺した、
殺したから何かを現在している、
こういう考え方だ。
72考える名無しさん:2005/10/08(土) 00:12:28
多くの野生動物は、殺さなきゃ食えないんだよ。
ただ食わなきゃ死んじまうっていう強迫観念だけで、ハンティングはできない。
「食う為には殺さなければならない。」
という目的を理性ではなく、本能に埋め込まないと絶対に行為として何世代も続く
わけがない。
その為には、義務感ではなく、快感が必要なんだよ。
血を流して断末魔の声をあげ、命乞いをする弱者を救うのではなく、殺して肉にして、新たな強者の一要素に変換させてやること自体に
快感の要素と意味が宿ってるんだ。
俺ら人間は、生物としての歴史があまりに浅い上に、大脳だけが(何の因果かわからんが)異常に発達してしまって、人間的規範のみによって生態系の美しい造型を安易に中傷するきらいがあることは絶対に否めない。
そういう考えが不謹慎だとか反社会的だとかという議論を抜きにしても、そういう流れに人類が依存せざるを得ないながれを、人類自体がつくりつづけているかぎり、人類の堕落を回避することは絶対に不可能だ。
73考える名無しさん:2005/10/08(土) 00:57:02
偶然にも数学を理解できる脳を持ったサルがそれ以前の脳も併せ持っている事
74考える名無しさん:2005/10/08(土) 00:59:10
哲学というより道徳の問題
75考える名無しさん:2005/10/08(土) 01:04:15
そこらの肉食獣にライフル扱える知能を与えたとする。
76考える名無しさん:2005/10/08(土) 01:11:34
でも、体の構造上ライフルは持てないし撃てないので・・・(´・ω・`)。
77考える名無しさん:2005/10/08(土) 01:27:58
>>76
撃てるように改造する知能も与えたとする。
78考える名無しさん:2005/10/08(土) 08:59:53
>>65
誤解しているようなので、もう少し丁寧に説明しましょう。


「人を殺すことが悪いことだというのが、実は自明ではないことに気がついた。」
 ↓
「でも、自分には、人を殺すことに抵抗を感じるような奇跡的習性が偶然備わっている(もちろん、生育過程の学習成果であるのだが)。」
 ↓
「このありがたい奇跡が、多くの社会構成員にも起こっているおかげで、お互い、頻繁な殺し合いを避けることが出来ている。」
 ↓
「良かった。この非自明な習性のおかげで、頻繁に殺し合いに巻き込まれるような不愉快な人生を送らずに済んでいたのか。」
 ↓
「このような奇跡的習性を、尊重し、大切に守っていこう。」

という評価ルートもあるんじゃないの?ということだよ。もっと感謝してもいいんじゃない?
79考える名無しさん:2005/10/08(土) 09:00:37
(続き)
一方、巷で跋扈しているらしき、以下のような

「人を殺す事が悪いことだというのが、実は自明ではないことに気づいた。」
 ↓
「なぁんだ。殺してもいいんじゃん!!」

的な思考プロセスは、あまりにも短絡的でお馬鹿さんでしょ?と言いたいわけ。
こういうたがの外れ方は、非常に子供っぽいと思うんだけど。


ちなみに、人殺しが悪である事が自明ではないという気づきに至るプロセスだけど、私の場合は、次のような小学生でもわかるものでした。
「人間は、原子・分子で構成されている。」
 ↓
「人間の行動は、全て原子・分子の位置移動である。」
 ↓
「人間が何をしようが、結局、原子・分子の位置移動でしかないんだから、そもそも善も悪もないってことか。」
ごく当たり前のことですよね?
80考える名無しさん:2005/10/08(土) 17:29:35
非自明な習性って・・・自明じゃん
誰もが皆、想像力を要しない奇跡的な習性で殺したくないと思ってるわけがない
思考することなく、こうしろと教え込まれたからこうしましたなんて人間ばかりだったら空恐ろしいよ
まあでも殺さない方がいいということに気付かせてくれた社会環境に在ったことを奇跡と呼ぶなら確かにそうかもしれないが
81考える名無しさん:2005/10/08(土) 18:38:37
ありがとう
おかげさま


絶滅危惧種の言葉だなw
82考える名無しさん:2005/10/08(土) 19:34:30
「ありがとう」
茶店でちょっと可愛いウェイトレスが居たときに、
顔を覚えてもらうために最初にかけるセリフとして多用。

「おかげさまで」
これは他人に自分のことを何か言われたときの返事として、
たいがいこの言葉一言で片付くとても便利な言葉。
83考える名無しさん:2005/10/11(火) 22:30:40
>>81,82
変なこと書くからレスがとまちゃったろ!
84考える名無しさん:2005/10/11(火) 23:11:20
殺人を悪とする人々の自我を安定させる殺人は善とは
言わないまでも黙認される。
85考える名無しさん:2005/10/11(火) 23:30:59
自分がされたら嫌だと言う事を他人にしないという点から殺人を悪と見る思考があるのだろう。
一方で自分の死より代え難い何かとか、殺さないと自分が死ぬとかいう状況下では前述のかぎりでは無い。
ただし多くの人の利害の天秤は死を最大の不利益であると判断するから通念的に殺人は許されざる事なのであろう
86考える名無しさん:2005/10/12(水) 13:22:14
ゲーム理論について詳しい人の意見をききたいな
日常の生活に限ってだけど、おそらく、どのような条件下においても、自分にとって殺人行為がプラスの利得にならない、となるのではないかな
87考える名無しさん:2005/10/12(水) 16:43:53
生物というのは、一定領域内の個体数が増加すると、不安定なためにそれを減らそうとするものだ。それによって安定を保てる。「殺す」と「生きる」は一体なのだ。
この世界にはもともと善悪はなく、不安定から安定に向かうという原理があるだけだ。
88考える名無しさん:2005/10/12(水) 20:47:31
>87
ということは、殺人は種を保つための自然の摂理ということですか?
89考える名無しさん:2005/10/13(木) 00:51:29
87の「だけ」ってところは正しくない。
むしろエントロピーの増加のほうが優先される。
人間は不自然であり、殺人はその極端な症例の一つ。
90考える名無しさん:2005/10/13(木) 13:22:32
>89
<人間は不自然であり、殺人はその極端な症例の一つ。>

凄いことを書かれようとしているやにみえます。
もう少し詳しく書いていただければ幸いです。
91考える名無しさん:2005/10/13(木) 21:41:41
では、聞きたいことなのか分かりませんが↓

動物は「生にとって正である」素直な行為に終始する生き物ですが、
対する人間はその言語、蓄積、集団(共同体)などなど
「不自然」というに足る特徴を持っています。

食べたいときにたべ、ヤりたいときにヤる動物・・は、
そのまま「食べるべきときに食べ、ヤるべきときにヤる」自然な存在です。

87は「不安定を減らす」、という言い方をしてますがそれも間違いで、
実際には各各の種にはより繁栄しようという「本能」のみが備わっています。
総体的には非常に多くの種が存在し、食物連鎖という形で調和をとっている
わけです。

というわけで。
同種の殺し合いが「自然である」というのは完全に間違ってる。

ちなみに
殺人はその極端な症例の一つ。>の方ですが。
さっき言った動物の「本能」に対して、
人間は「欲動」(フロイト)を持ち合わせているとされます。
ぼくが「症例」と言ったのは、その「欲動」が引き起こす負の要因だから。
もちろん、人間に特権的なさまざまな正の要因だって数えればきりがない。
ただし実際に殺人を犯したかにかかわらず、
「タナトス(死の欲動)」は普通の人間に備わっているものです。

はいはいどうせ長いですよ
9290:2005/10/13(木) 22:29:31
>91
ありがとうございました。

ただ、タナトスは死の欲動であって、殺人の欲動ではないですよね。
しかし、種の保存本能を人間が本来的に持っていないのであれば、という仮定に立てば、
自殺もあり、他殺もあり、要は、人口が、地球が人間を養える以上に多すぎると判断すれば、
種の保存のためには、何でもあり、というところまでいってしまうということですね。
ま、今でも、十分に、その症例が国家単位でも具現化しているわけですから。
そこで、種の保存本能は、自然から逸脱している人間には無い、という所与の下で、
葛藤の軸は、人口、消費エネルギーの増大を「世界的理性」で抑制できるか、
そんなものは、「人間に特権的なさまざまな正の要因」には見出せず、抑制不能か、
ということになりそうですね。
前者が優位であれば、自殺、他殺に関わらず、任意の口減らしを無くすことができる。
後者であれば、口減らしを無くせない。
現在は、まぎれもなく、個人単位、国家単位とも後者であることは否定できませんから、
口減らしは人間にとって、「自然な行為」となりますね。
但し、それを生起させている要因を、個人単位に見出そうとすると、
日常的には見えにくい大きな別の要因(国家単位の殺人)を看過してしまうことにもなると思います。




93考える名無しさん:2005/10/13(木) 23:32:01
うですね、(人間にとって、「自然な行為」)という表現を許すならば。

少し話の整理が必要かと思いますが、
「人間の行為」というとき、それは言語的なあり方をしています。
ラカンの象徴界における行為の範列。そのバリエーションは他の動物にはちょっと
真似ができない。良くも悪くも。
かといって、生態的にはあくまで動物です。本能が抹消される訳ではありません。

ただ、この辺は文脈で切り替える必要がありそうです。
精神についていえばフロイトの「自我・超自我・エス」構造がありますね。
こうした、自我から自然的本能に遡行することが
もはや実効的でない議論もあるでしょう。

なお、死の欲動は外の対象にも向けられえます。自らの死の代行として。
その対概念としてのエロスは、やはり人間固有のものです。(動物はコスプレしません)
94考える名無しさん:2005/10/13(木) 23:33:36
(続き)

では殺人のトピックに戻って。
国家の内在的な欲望としての口減らし、つまり戦争は
冒頭でいったとおり(自然)だと思います。
有限のリソースの争奪(相対的にそれを占める人口は減少、さらに優劣が生じ、
リソースの占め方に序列、プライオリティが付け足され、絶対的数字的不足は解消)
ですから、自然とそれは起きる。
だから、無理にでも起こさないようにすることが世界平和にとっての難題になる。
一方、ローカルな殺人に対して「国家」でもってアプローチするのはかなりテクニカル
な気がしますので、ぜひそのあたりをご教授頂きたいものです。
(ここからは整理付きませんが、、)構造や関係を取捨して
個人にすべての原因を求めるのは勿論原理的に正しくないですよね。
基本的には国家がローカルな殺人を潜在的にも欲してるとは思いませんが。。
国家は秩序の上にあるものなので。そのための構造的犠牲者ということなら、
看過することは勿論問題だと思います。
9590:2005/10/14(金) 13:47:10
>94
<国家は秩序の上にあるものなので。>

国家が自らの体制維持のために行使するのが、秩序をもって統制するための軍隊なり、警察の、国家による私的所有権と使用権だと思います。
96考える名無しさん:2005/10/14(金) 18:47:48
ありがとうございます。
なるほど政治学的なアプローチで簡潔です。

「殺人が自然?」のトピックの延長で、
精神分析的なアプローチに行きそうになりました。

抑圧による現状維持。
抑圧は個-人レベルでは、超自我としてイドの直線的な開放を阻止し、
自我という結果に立て直す。
何らかの抑圧は必要で、うまく機能しなくなれば変えるしかない。
97考える名無しさん:2005/10/18(火) 03:09:48
あげ
98考える名無しさん:2005/10/18(火) 17:58:59
そういうことは
殺されてから
言え
>>1
99考える名無しさん:2005/10/18(火) 18:00:36
精神病の傾向がある人間は、自分の家族や恩人に対して
妄想の中で敵意・殺意を抱くことがよくある。
むかし、会社で
みんなから「あいつはおかしい」といわれていたバイトの男がいた。
俺自身も、なんとなく様子のおかしい、陰気な奴だなと思ってたが
そいつがおれに話し掛けてきたときはきちんと相手をした。
帰りの電車で、なんかよくわからん悩みごとを言ってきたときも
だまって聞いていた。
ところが、ある日、とつぜんおれの家に電話をしてきて
おれに恨みごとを並べ始めた。驚いた。そいつに
うらまれるようなことをしたり言ったりした記憶はまったくない。
妄想の中で、そいつの敵にしたてあげられてしまったのだ。
猛烈に腹がたったので、
「おのれ、電話なんかでしのごの言うな。
こっちへきてサシで話せいやタコ」とののしってやった。
するとおとなしくなって、二度とからむことはなくなった。
この手のキチガイは気が弱いので、きつく言ってやるのが一番だ。
キチガイもキチガイなりに相手をえらんで妄想する。
キチガイにとって、親兄弟や恩人は安全な人間だからこそ
妄想の中で殺意・敵意の対象となるわけだ。
100考える名無しさん:2005/10/18(火) 20:02:39
>>99

彼ら潜在的患者に対し、画一的な傾向と対策でぶつのはあまりにも
短絡です。
あなたがその時的確に判断できてない、と言うのではありません。
しかしそれだけに話し相手に乏しい彼(女?)だったのでしょうから、
あなたと話せてよほど嬉しかったのが、
「何か」のきっかけが、トラウマの再演というもののトリガーを弾いてしまい、
「裏切られた」と感じてしまう場合もあるのです。