◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない40◆
1 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
2 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/02(火) 00:45:42
3 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 02:17:46
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なるほど・・
5 :
ハル:2005/08/02(火) 05:56:05
>>前スレ855
>(世界とそれを決定するものの関係は)内とか外とかいう言葉では表現しきれないのではないでしょうか。
>>>(前スレ)847
>>外なるものは実在しない。
>>>(前スレ)853
>>外がないと内側もないんじゃないだろうか。
>この辺り、何を仰っているのか、私にはよくわかりません。
決定論なら世界はこの世界のみでそれ以外は実在しない。
しかし、この世界に認識の壁がないと何も決定できない。
壁は常に何かしら二つのものの境界線であるはずだ。
となると決定論を言うとなると同時にそれ以外のもの(非決定論)もそれの空集合として言わないと駄目になってしまうというディレンマがあるのでは?ということ。
ただ、自由意志と言うと、<何か「ある」もの(自分が使った言い方では内側のもの)>から自由であるということですから、その意味では確かに決定論は絶対に成り立っているとは思うのですが。
6 :
ハル:2005/08/02(火) 06:00:04
>>5 「外なるものは実在しない」は「外なるものは(内側に)実在しない」ということ。
7 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 09:21:35
40スレ目?w
日常に差し支えなければ決定論でも非決定論でもいいじゃないの?
9 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 12:19:54
>>8 それを言ったらすべての哲学はどうでもいいことになるよ
ところが非決定論では日常に支障がでるのです
11 :
ハル:2005/08/02(火) 12:26:41
歴史なき悲観的非決定論か?
>10
>ところが非決定論では日常に支障がでるのです
具体的に教えて
例えば過去がひとつでないとしたらどうでしょうか?
14 :
素人:2005/08/02(火) 12:55:11
>>13 どのスタンス、どの視点から?
それによっては、100人いたら100通りの過去があるわけだが・・・w
そのへんは適当に仮定してください。
16 :
ハル:2005/08/02(火) 13:06:52
即空即化即中
17 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 13:12:19
いったいいつまでつづくのですか
18 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 13:20:30
『意識は必然にすぎない』
この語呂の悪さ、見る度に体調悪くなるからいい加減終了して下さいよ・・・
19 :
ハル:2005/08/02(火) 13:22:21
>>17 さあ
>>16 間違えた。正しくは即空即仮即中だ。
自分的には
「摩訶止観 巻第五 上
一空一切空、仮・中として空ならざるなく、総て空観なり。
一仮一切仮、空・中として仮ならざるなく、総て仮観なり。
一中一切中、空・仮として中ならざるなく、総て中観なり。
(天台智)」
で結論になっていると思うがな。
自由意志と物理現象の関係(心身論)について
自由意志が物理現象の一部であると考える者はまずいない
デカルトの心身二元論の例にもあるように、人間はテレキネシス能力をもっていない
自らの意思を行動という物理現象に作用させないと意思はものに対して作用することができない
ここに意思などのスピリチュアルなものと物質などのマテリアルなものの二元論的な関係が浮き彫りになる
スピリチュアルなものをこの世界の実体であると考えるならば唯心論(観念論とも呼ぶ)
マテリアルなものをこの世界の実体であると考えるならば唯物論
相互に関係すると考えるならばデカルト的二元論になると考えていいだろう
この問題は伝統的な哲学問題であり、これ以外にも多くの考え方があるし、
また、観察などによって理論を変化させるのが極めて難しい形而上学的問題であるだろう
前スレでは決定論について、すなわち物理的(マテリアル)なもののすべては法則によって支配されているのか
ということがメインで議論となったわけだが
「マテリアルなもののすべてが法則によって支配されている」と考える決定論ですら、非決定論の余地は十二分にある
いわんや、精神的なものの自由を我々が破棄する理由はどこにもない
決定論を心身論で反論することができないのは、それらが論じるテーマが異なるからであり
決定論を自由意志の存在で反論できないのも同じ理由である
前スレにおいて、「決定論でも非決定論でも自由意志は見せかけだけ」という意見があったが、決してそうではない
決定論の議論において自由意志について語ると心身論と絡むために余計に混乱しやすいのであり
自由意志が否定されたわけではないということを説明しておきたい
議論の論点をより明確にするために自由意志を一時的に否定しただけのことである
21 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 16:50:40
>>20 意識は物理現象の一部だよ。薬物で制御できるのがその証拠。
>>20 「決定論でも非決定論でも自由意志は見せかけだけ」の可能性は大いにあるし、その通りだとも思う。
「決してそうではない」と断定するなら、根拠を出してくれ。
お前の言っている事は無茶苦茶。
>自由意志が物理現象の一部であると考える者はまずいない
「自由意志が物理現象の一部であると考えない者はまずいない」が正しい。
>>21 自由意志が物理的なものならば、自由意志で石ころを動かせたりできるだろうし
自由意志でものを押すことができるだろう
しかしながら、我々は自由意志がそのような性質を持っていると考えない
これは「自由意志」という言葉が指すものが、精神的なものであるからである
「精神的なものが物理現象である」などと言うのは馬鹿げたことも甚だしい
哲学者スピノザは決定論者であったが、彼もまた精神の自由は認めている
スピノザの心身論は心身並行論、物理的には決定論であるが、精神的には非決定論であり
精神と物質は一切関与しない
これは「自由意志を見せかけ」と解釈する決定論にだいぶ近いように思える
>22
俺は本を読まない人間も嫌いだが、論理の欠片を感じさせない馬鹿も嫌いだ
「決定論でも非決定論でも自由意志は見せかけだけ」という文章を否定するとどのような文章になるか考えてみろ
25 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 18:08:07
>>24 我々は自由意志が見せかけのものだと考える。
>自由意志が否定されたわけではないということを説明しておきたい
自由意志が見かけとして存在していることが否定されたわけではない。
28 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 18:22:01
>>24 初め二行
自分の身体も自由意志で動かすことができないのか・・・
不便な世の中だなw
29 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 18:29:26
>28
>初め二行
>自分の身体も自由意志で動かすことができないのか・・・
心身二元論の欠点は精神と物質が作用する部分を説明できないという点にある
デカルトは人体における松果体という器官において精神が肉体に作用するようになると考えたが
医学が発展した昨今で松果体の説を信じる人間はいないだろう
この問題は哲学的にもまったく解決されてないが
俺は、精神と物質は一切関与することができないという考え方を採用する
精神と物質はソフトウェアとハードウェアのように同じ実在の二面性であるという考え方だ
>>24 スピノザに限らず、神の存在を確信している人は、ほとんど決定論を語っているな。
彼等は未来を知っているのではないだろうか。
32 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 18:34:25
>>30 お前の下らん説など誰も聞きたくないんだが。
>俺は、精神と物質は一切関与することができないという考え方を採用する
俺は採用しない
>精神と物質はソフトウェアとハードウェアのように同じ実在の二面性であるという考え方だ
物質のかわりにプログラムに決定される精神になるだけだ
>>31 アインシュタイン、シュレーディンガーも決定論者。
ノイマンも決定論者ではなかったっけ?
>>34 相手にしてるじゃんw
お前の精神はやっぱりプログラムの通りに動いているw
このように、決定論と心身論を同時に論題に挙げると議論に収拾がつかなくなる
前スレにおいて論題となった科学的決定論は、心身論の問題を置いといて
「実在が法則によって決定されているかどうか」を論じる論争であり
精神を抜きにした物理的なものに限定してもなお非決定論を支持できる余地があることを示している
非決定論は今のところ幻想だよ。
39 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 19:03:00
>>39 俺は宇宙を"閉じている"とは考えない
"開かれた宇宙"という考え方を採用している
もっとも、このような考え方が議論にのせることができるものであるとは思ってない
41 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 19:17:48
>もっとも、このような考え方が議論にのせることができるものであるとは思ってない
なら黙ってすっこんどれ
誰もお前の考えなんて採用しない
>41
>なら黙ってすっこんどれ
>誰もお前の考えなんて採用しない
ボーアやハイゼンベルグになってくるかな
俺は自分で考えをつくれるほど偉くはない
>42
合理的な活動にはたいてい目的がある
俺は議論を合理的な活動であると考えるし、その目的は新しい知識の獲得にあると考える
物理学の目的を世界の記述にあると考えた者たちは物理学研究の終焉を語ったわけだが、
俺は、物理学が未来永久に続く果てしなき研究であると考えるし、そのような知識獲得の活動は誇るべきものだと考えている
追加
なおウィリアム・バートリーが
「非決定論者はこの問題に深く悩む必要はない。遠隔作用を認めればいい」
と言ったが、このような考え方は新しい知識獲得につながらないから、同じ非決定論者であっても反対する
45 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 19:43:56
>>43 後半は全く同意できるが、お前のレスは機械的な脊髄反射に近い書き込みばかりで、
自由らしさの欠片もないように見える。
オレオレ詐欺氏は不平不満をまきちらしているだけ。
まともな議論ができないし、相手にしないほうがいい。
ハンドルを見れば、真面目に議論するような人間でないことがわかるだろう。
48 :
哲子:2005/08/02(火) 19:59:06
自由意志なんてあるに決まってることを議論しても
しょうがないな。
それにしても自由きらいの主体性のない人がそろったもんだ。
自己責任を負えないやつばっかだ。
>45
>後半は全く同意できるが
かなり挑戦的な意見です
物理学における主流な目的、統一場の理論をつくろうという試みに対して、
疑問を投げている文章を参考にしています
古代ギリシャの哲学者にパルメニデスという者がいる
彼は世界が無時間的であり、新しいことは何も生じないと論じた
俺は、そのような世界観に反対する
というのも、物理学を含んだ諸科学への価値付けは、世界の斉一性への破棄からくると考えるからだ
50 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 20:01:28
自由意志なんてないに決まってることを議論しても
しょうがないな。
>>49 それ以前にお前は議論する態度がなってない。コテハンの中で最悪だな。
52 :
哲子:2005/08/02(火) 20:07:19
>>42 >決定論と自由意志
過去・現在・未来の時間が実在するなんて非科学的な
ことを言ってる論だな。
「実在」とは何かさえわかっていない。
54 :
ハル:2005/08/02(火) 20:49:32
非決定論は何も[分かる]ことを可能にしない
非決定論はつくづく不毛な論だと思う。批判するのみで建設的な進歩がない。
56 :
ハル:2005/08/02(火) 20:56:28
歴史は決定論的に出来てきたものだ。
ただ決定論は暴走しやすいため、そのブレーキ作用には非決定論はいいがな。
57 :
哲子:2005/08/02(火) 21:00:07
歴史問題とは常に現在の問題だ。
靖国然り、竹島然り。
何も決定されていない。
58 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 21:06:12
>>57 決定されていないわけではない。
決定されていても知らないだけ。
59 :
哲子:2005/08/02(火) 21:12:03
60 :
ハル:2005/08/02(火) 21:16:21
「クルアーン 第69章 絶対(部分)
絶対。
絶対とはなんぞ。
絶対とはなんぞとはなんで知る。」
強 : あたかも台本が結末まで書かれているかのごとく、
全ての事象はどのように展開していくか決定している。
→結果論・後付の域を出ない。
↑
ある程度決まっている(これまでの勢い・流れを受けて、
ある方向性をもって未来へ向かっている)にしても、
様々な対処により、将来の展開は変えてゆける。
並んだドミノに於いて、遮って任意の一枚を倒さずに置くように。
↓ →強度の決定論はそれすらも必然的流れとして捉える。
弱 : ある程度の制約・制限を除き、殆どが決定していない。
あたかもドミノを、倒しながら並べるように・・・(神業だなw)。
どんな絵が浮かび上がるか判らない、いや、まさに図面を描きながらの進行。
ドミノはまだ並びきっていない。絵は、これから作り上げてゆくもの。
非 : 何一つ決まっていない。過去に何があろうとも、
どんな事象もそれに影響され、果を結ぶことはない。
このほかにも、短いスパン(三時間後の自分)と長期的スパン(50年後100年後の事態)とで
違ってくるのではなかろうか?
また、意識作用に於いては、どうか?
62 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 21:27:04
>>55 進歩がないのはお互い様ではないだろうか?
そして決定論と非決定論どちらがより不毛かといえばそれは、とにかく決まってるんだから、としか言えず
説得力ある根拠のひとつも出せない決定論の側ではないだろうか?
なにしろ非決定論の側からは予測不能性やら量子的な不確定性とかなんとかつっこみのネタには事欠かないが、
その逆は見当たらない。
言うことといえばとにかく決まってるの一点張りだけ。
決定論信者の俺にとっては誠に残念だがこの勝負、明らかに非決定論の方に分がある。
一方、決定論と自由意思の対立は?
俺はこの勝負、決定論の方に分があると思うがどうか?
64 :
ハル:2005/08/02(火) 21:39:20
意識は思い込み。
よって自分の存在は思い込み。
あるものは一応総て決定的にあるだろう。
有為のダルマは刹那滅で所行無常なり、無為のダルマは三世に実有で涅槃寂静なり。
されど有為と無為は表裏一体で即ち同じものを指す。
65 :
考える名無しさん:2005/08/02(火) 22:10:14
決定論っていうか科学の方法論からやり直した方がいいんちゃう?
「決定論とは、何かが起こったときそれは決定していたとする理論である」
という定義ではバカでしょう。カルバン派から根拠が何も進歩していない
66 :
ハル:2005/08/02(火) 22:13:05
少なくとも科学は決定論ではない。
67 :
哲子:2005/08/02(火) 22:37:36
運命論者は言う。
「人間の意志は自然法則、神、運命等によって必然的に
規定されている。」
神や運命はまぁ、気のせい、気のせいでも済むが、
自然法則によって意志が規定されるなら自然と意志
の相互作用がなければならない。
エリザベット王女ならずとも「それは、なぜ?」
と聞きたくなるなぁ、デカルトさん。
「情念論」ではいくらなんでも・・・ねぇ。
68 :
でりだ:2005/08/02(火) 22:52:10
非決定論って、
「んじゃ、努力したってしょうがないじゃん。全部決まってるんだから
そういう『決定論』はおかしい。『未来は僕らの手の中!』革命だ!」
ということの希ガス。
69 :
ハル:2005/08/02(火) 22:55:48
決定論でも非決定論でも論としての存在は絶対。
どちらも正しく、また正しくない。
>>62 決定論的立場は、どこかで非決定性を受け入れることがなく、
常に原因を追究、解析していくので、進歩があると私は思います。
原因がないと諦めるのはまだ早すぎますし、原因がないと断定するのは思い上がりだと思います。
自由意志の有無については、コンピュータゲームのキャラクターと同じだと思います。
>>69 決定論的世界で見かけの非決定論世界が作れるため、
両者とも存在して正しい事は矛盾しません。
決定論的世界は「在りて在るもの」そのものです。
>>67 >自然法則によって意志が規定されるなら自然と意志
>の相互作用がなければならない。
相互作用ありまくりです。自然と意識は一体です。
意識の場所は一点に集中させることも、脳全体に広げることも、
体全体に広げることも、宇宙全体に広げることも出来ます。
73 :
でりだ:2005/08/02(火) 23:12:29
「運命は全て受け入れる。なぜならこの結果はわたしが努力した
必然だからだ」
……というのが決定論と自由意志論を、並列して肯定する
ことではないですかね?
非決定論によると科学で解明できない因果律を逸脱した事象があるのでしょうか。
76 :
でりだ:2005/08/02(火) 23:55:38
>74
素晴らしいですか。でもこれ認めると、
「君は君が努力してこなかったから今の状態になったのだ。
自業自得なのだ。甘んじて受け入れなさい」というのもありに
なってしまう……自由意志は無くなってしまう。
>>76 >「君は君が努力してこなかったから今の状態になったのだ。
>自業自得なのだ。甘んじて受け入れなさい」
それは自由意志で努力しないで自業自得の世界を選んだだけでしょう。
結果の良し悪しも本人の解釈次第ですし。
78 :
でりだ:2005/08/03(水) 00:08:11
>77
まぁ、自分の人生訓としてはいいですけどね。
とりあえず現状を認めることと、これからどうしていくのかを
ごっちゃにすると、とたんに怖い話になりますね。
79 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 00:11:05
>>76 >……自由意志は無くなってしまう。
やっと「真理のとばくち」に御到達ですか?
80 :
でりだ:2005/08/03(水) 00:12:40
>73はヘーゲルです。(小論理学147節補遺)
>79 真理のとばぐちなんですかねぇ
81 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 00:16:05
よし、この不条理を引き受けよう。それが私の自由であり運命なのだ。
82 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 00:18:30
>>78 「怖い」のは「個別脳」反応(にすぎない)ので、
ある脳にとって「怖いこと」が、別の脳にとっては
「何で怖いのか判らない」・・という現象が「社会科学分野」では
往々にして観測できます。
ある脳にとって「怖い」体験は「かなりの絶対性を持っている」ので、
その時点で「客観性はとりあえず放棄する」ことにならざるを得ませんが、
「恐怖」などそもそも存在しない(するべきではない)という「脳」にとっては、
「単にパニックに入り『ループ状アドレナリン過剰分泌状態に陥っている脳』」
を「自己コントロールできない状態」・・ということにすぎません。
83 :
でりだ:2005/08/03(水) 00:29:28
そのこととは別のことですが、機械さんに「文系認定」してもらったので
気軽に質問ですよ
「古典力学が量子レベルのミクロでは通用しなくなる」と言うことは、
「古典力学はマクロレベルでは<完全>に正しい」と言うことですか?
言い換えると、
「古典力学はだいたい誤差の範囲内で正常に運行される」(熱力学みたいに、
風船の表面はミクロではでこぼこしているけど、少し離して見れば丸い)
ではなく、
「ミクロとマクロの境はわからない」
ということでいいんでしょうか?
つまり「誤差」を突き詰めていけばミクロの範囲になって、いつの間にか
確率の世界に入っていく、という感じ
……なんか同じことを言っている気もしてきた。
84 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 00:36:24
>>83 >つまり「誤差」を突き詰めていけばミクロの範囲になって、いつの間にか
>確率の世界に入っていく、という感じ
ですね。「確率論」は「大数の理論」を根拠にしております。
「1個1個の事象が『1かゼロ』としか観測できなくても」
「ある有意のサンプル数を分析すれば『回答』は明らかである」
ということであり、「この宇宙」における「科学的回答」は、
それ以外あり(え)ません。
スペースシャトルの「無事帰還率」も「100%はあり得ない」
ということと同じです。
85 :
でりだ:2005/08/03(水) 00:51:00
レスどうも。
>スペースシャトルの「無事帰還率」も「100%はあり得ない」
>ということと同じです。
というのは「意識外の要因があった」という話で、古典力学の
貫徹性とは別の話のような気がします。
>83で「確率の世界」といったのは、量子レベルの世界、という意味です。
86 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 00:55:38
>>85 量子レベルの「シュレディンガー方程式」の計算結果が「実世界に及ぼす影響」
は、じつは「殆ど(全く)無い」ということが言えます。
我々を取り囲んでいる「電子機器」が、実は「量子のふるまい」の法則を、
「信じている」から「正常に作動している」ということで、そのことは明らかなのです。
機械さんは理系の方でしょうか。どうも仰っていることが不思議です。
よろしければ専門は何か教えては頂けないでしょうか。
88 :
でりだ:2005/08/03(水) 01:00:14
正面衝突する2物体は、その原子がどの位置に電子を持っているかとか
そういうミクロの事情はマクロでは相殺され、「運動量保存則」が正確に
貫徹する、ということでいいんですよね。
誤差がある、とか言う話だと、「どれくらい誤差があるのか」を測る、という新しい
理論体系が生まれてしまう気がするので。
89 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 01:01:59
>>87 「個人情報保護(法)」が一番(プライオリティー・ワン)の分野です。
90 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 01:09:05
>>88 >「運動量保存則」が正確に貫徹する、ということでいいんですよね。
「運動量保存の法則」は真性に「有効」だと思います。
量子力学の「量子スピン」「クーォクの色の保存」とかは、実際問題として、
「数式状の問題」・・・「感覚的クオリアで統御できない問題」なので、
「理解できている」とまでの「断言」は出来ませんが・・。
91 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/03(水) 01:10:45
今教育テレビで高校講座「地学」をやっていますが
「宇宙を知る事は、自分自身を知る事」にはびっくりしました。
突然失礼しました。
92 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 01:14:48
ヒント 人間原理
93 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 01:18:29
>>91 高校講座なんか見てびっくりしてんじゃねぇよw
94 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 01:23:16
>>91 「宇宙の中心で愛を叫ぶ」・・・のは「あたりまえ」
「宇宙の中心で失恋を嘆く」・・でもいいですが、
「だれも」が(理論物理学的な)「宇宙の中心」で「何かをする」
以外には「何も出来ない」・・というのが「この宇宙の構造」なの
です。
「地球の中心で核分裂反応が起こっている」からこそ、我々は
「のほほん」と、この「母なる地球」で過ごすことが出来る・・
ということです。
95 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 01:23:20
洩れの専門は機械力学ですが?汎用な機械系な知識なら修めましたが何か?
96 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 01:26:25
>1
証明してから言うべきこと。
97 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 01:30:10
>>96 確かに「94」は説明不足でした。
前段「宇宙の中心・・」も「真理」です
し、後段「地球の中心で・・」も「真理」なのですが、
同じ宇宙物理学でも「次元違い」だったかもしれません。
>>88 一切の誤差を含まない正確さとなると、ちょっと議論がありそうだ。
物理法則の数学的記述というのは、あくまでも現実を参考にしたモデルに
基づいて行われるから、モデル化の際に観測精度の限界や抽象化や省略や
近似によって抜け落ちた情報がクリティカルに効いてくるようなことがあ
れば、理論の適用範囲を再考しないといけなくなる。
しかしそれは誤りだったということではなくて、理論適用の前提条件が増
えたと捉えるべきだと思う。
>>51 >それ以前にお前は議論する態度がなってない。コテハンの中で最悪だな。
お前が俺と議論しようなんざ10年早い
>ハル
>あるものは一応総て決定的にあるだろう。
それは「決定論」と呼ぶものだろうか
俺の知る哲学者は「決定論」と「実在論」を分離することでこの問題を解決しようとした
物理学において決定論への信仰があるのは、決定論と実在論の区別ができず混同しており
また、物理学において実在論は重要であるが、決定論はそれほど重要ではない、という考えだ
もっとも、アインシュタインは時間を第四の空間次元として捉えていたが
このような無時間的な見方に対する解釈、時間の主観的解釈や
確率の主観的解釈、客観的解釈などの問題などもこの考えから多く提出された
決定論批判者(非決定論者)が物理現象的決定論と間違えないために、
超決定論とかイデア的決定論と定義し直した方がいいような気がしてきた。
物理的決定論+心理的決定論+論理的決定論→三位一体、超決定論
(ただし非因果的事象も含む決定論)
102 :
哲子:2005/08/03(水) 07:37:13
勤勉な運命論者「人事を尽くして天命を待つ」
怠惰な運命論者「果報は寝て待て」
103 :
哲子:2005/08/03(水) 07:43:52
>>75 非決定論とは関係ないけど科学で解明できない因果律
を逸脱した事象:−
・宇宙の起源;プランク時間以前は特異点となって解明できない。
・生命の起源
・種の起源
・言語の起源
・意識の起源
>>103 何れも、解明できていないだけで、因果律を逸脱はしておりません。
>>103 特に生命、種、言語、意識に関しては、解明できる見込みがあります。
106 :
ハル:2005/08/03(水) 08:08:14
>>100 そうですね。要するに時間的な決定論と無時間的な決定論が混同されるんですよね。
前者は変化が時間の流れの前提ですから厳密には成り立たないでしょうが、後者は成り立ちますね。
後者は成り立たないとこの世界が存在しなくなってしまいますから。
107 :
哲子:2005/08/03(水) 08:23:53
>>104,105
因果律にとらわれているから解明が遅れている。
因果律を離れればあ、そうかと思えることだけ。
起源に原因がなければと考えるから、されど科学だから
起源の原因は「神」とも言えないというアポリアに
陥る。
数学や論理の公理から始めるという方法論に学ぶとよい。
縁起の法も「無明」から始まる。仏法に習うのもよい。
論理の無限後退を防ぐにはこれしか方法はない。
>>107 >因果律にとらわれているから解明が遅れている。
違います。科学では解明というのは因果を用いて説明することです。
>因果律を離れればあ、そうかと思えることだけ。
それは解明とはいいません。その程度でよければ、勝手にそうかと思っていればいいですね。
>起源に原因がなければと考えるから
全然違います。原因を見つけようとしているだけです。探究はロマンです。
遅れようが何だろうが、因果的に解明できればそれは成果なのです。
あわてず、できるまで頑張ればいいわけで、そういう努力を摘み取る不毛な行為はやめましょう。
>>107 >論理の無限後退を防ぐにはこれしか方法はない。
貴方の頭で、それしかないと思い込んでいるだけです。
110 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 08:42:58
「貴方の頭で、それしかないと思い込んでいるだけです」って言葉が
向けられるのが一番適切なのは、この人自身に対してなんだが。
>>110 仮にそうだとしても、私の指摘が間違っていることにはなりません。
全く無関係な詭弁です。
112 :
哲子:2005/08/03(水) 08:52:03
>>100 因果的決定論を徹底すると時間の空間化により幾何学的
静的宇宙となり、時間は実質的に消え、幻となる。
アインシュタインが「過去・現在・未来は幻で時間の矢は
存在しない」と言っていながら、ゲーデルが相対性理論により
自分の過去へと戻ることが可能となるような宇宙モデルを
提示したところ、アインシュタインは「自分の過去へと
電報を打つことが可能だと信じることはできない。この
不可能性は物理学者たちに時間の不可逆性の問題について
再考を促すだろう」とゲーデルに回答したという。
もちろん、アインシュタインは最後まで決定論的世界観
を捨てることはなかったようですが・・・。
113 :
哲子:2005/08/03(水) 08:53:23
>>112 >因果的決定論を徹底すると時間の空間化により幾何学的
>静的宇宙となり、時間は実質的に消え、幻となる。
これは仰るとおりですが、時間が消えるのは映画のフィルムの外の世界です。
フィルム内の世界では時間は常に存在しています。
>アインシュタインは「自分の過去へと
>電報を打つことが可能だと信じることはできない。この
>不可能性は物理学者たちに時間の不可逆性の問題について
>再考を促すだろう」
これは幾何学的構造がそうなっているだろうというものと思われます。
>もちろん、アインシュタインは最後まで決定論的世界観
>を捨てることはなかったようですが・・・。
アインシュタインが正しかったと思います。
でも、エヴェレット解釈をアインシュタインが見る事がなかったのは残念です。
因果律を証明することは不可能である。証明は因果律(原因により結果が決定する)を
信じるから可能になるからである。
例えば数学の証明は様々な公式や数学的操作を用いて行われるが、証明に使用される
操作自体は既に証明されているものとしなければならない。イコールは因果を表す数学で
最も重要な概念だが、それ自体をまず信用してもらわないと証明が不可能なものになる。
>>107 解明は原因を明らかにすることではないでしょうか。非決定論では原因を
特定しないので解明も不可能です。
117 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 09:15:19
>>115 「因果関係」と「前提と帰結の間の論理的関係」を混同しているように見えるが?
118 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 09:19:52
> イコールは因果を表す数学で最も重要な概念だが、
「見える」というよりは、明白に混同しているな。
119 :
哲子:2005/08/03(水) 09:24:43
>>116 進化論で種の起源はなんと言ってたでしょうか?
突然変異と自然淘汰、いづれも偶然の支配する確率論
ですよね。因果律ではない。
>>113 出没時間帯と無意味な発言パターンがうみねこさんにそっくりです。気をつけましょう。
136 名前:うみねこ ◆4PoCtcaPGU 投稿日:2005/05/11(水) 08:22:38
>>135 軽く拍手(熱烈にではないけどね)
パラパラパラ
>>119 確率論は、因果律の上で成立するものです。
122 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 09:30:31
>>121 そこで言われている「因果律」というのは、正確にはどういうこと?
123 :
哲子:2005/08/03(水) 09:33:28
>>101 とんでも決定論のほうがわかりやすい。冗談、冗談
>>117 実際の因果と、それに対する我々の理解ということではないでしょうか。
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126 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 09:38:36
>>124 前提と帰結の間の論理的関係は、因果関係じゃないよ。
「公理が原因で、定理が結果」なんて変だろ?
>>123 とんでもなんてとんでもない。
なんでも決まっていたのです。つまりなんでも決定論ですよ。
>>119 >突然変異と自然淘汰、いづれも偶然の支配する確率論
そうではなく、膨大な因果関係のある事象を、確率を用いて把握しやすくするというだけの話です。
>>127 そう言われてしまうと辛いですが、そういう仮定をしてみて、世界構造を探ろうという程度ですけどね。
目の前の世界の存在も、過去の存在も、同様に仮定ですし、その程度には尤度があると思います。
>>126 証明においては左辺という原因から右辺という結果が導かれるのではないでしょうか。
132 :
哲子:2005/08/03(水) 09:48:52
>>115 >因果律を証明することは不可能である。
因果律は思考の形式だから証明する事柄ではない。
因果律に基づく個々の因果の法則は少なくとも反証
可能な形で提示しないと科学的な法則とはならない。
たとえば「生まれた者は老いやがて死ぬ」という「生滅法」
は他人が死ぬことを見れば「そうかな」と納得がいく。
133 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 09:50:24
俺の考えでは、決定論の立場をとっても、偶然というのはあり得る。
二人の人AとBが交差点で出会ったとする。Aがそのとき交差点に
来たことには原因があり、Bがそのとき交差点に来たことにも原因が
あるが、それらとは別の「AとBが出会ったこと」の原因は存在しない
という場合に、「AとBが出会ったのは偶然だ」と言うんじゃないかな。
>>133 偶然性というは、観測者の位置と情報量で決まってくる相対的なものです。
なので同じ事象でも、必然に見える位置と、偶然に見える位置が存在します。
135 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 09:56:18
>>131 等式の右辺、左辺だったら分るが、証明の右辺、左辺というのがすでに分らないが、
等式の右辺と左辺の関係も、証明の前提と帰結の関係も、因果関係ではない。
また、原因と結果の間には論理的必然性はない。
>>135 >また、原因と結果の間には論理的必然性はない。
これはわからないと思います。
因果関係は論理的関係によって作られている可能性もあります。
137 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 10:03:16
>>136 「論理」とか「因果」という言葉を普通に使われているのと違う仕方で
使うんでは、それらの言葉を使ってあなたが言うことは、
他の人には理解不能なものになるよ。
辞書つくろう
140 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 10:57:20
>>138 少なくとも、哲学で普通に使われる意味では使っていないと思うが。
ともかく、
>>136の「論理的関係」というのは何のこと?
それから、あなたの言う「因果律」の具体的内容の説明はまだ?
>>140 辞書を引いてください。私は辞書を片手に書いています。
142 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 16:24:29
因果律ってのは時間の存在を前提にしている。
一方論理には時間は存在しない。
よって「因果関係は論理的関係によって作られている可能性」などない。
いくら辞書を繰ってもこんなことは書いてないだろうな。
勉強が足りんって事だ。
>>142 >因果律ってのは時間の存在を前提にしている。
>一方論理には時間は存在しない。
ここから言える事は、論理には時間は存在しないから、
因果関係で論理が作られるわけではないということだけ。
逆はいえない。
>よって「因果関係は論理的関係によって作られている可能性」などない。
これは違うと思う。
因果関係で論理関係が作られている可能性はない。
論理関係で因果関係が作られている可能性はある。
144 :
流れ星:2005/08/03(水) 16:35:30
>因果律ってのは時間の存在を前提にしている。
一方論理には時間は存在しない。
こと、ものは時間、空間によって存在しているわけで、現象という現実
があるわけです。でも、論理というのは、単なる説明の手段であって、論理
というものが単独で存在するわけではないのです。
因果律を証明するには、証明の手段として論理が必要なだけで、あくまで手段
に過ぎません。
145 :
哲子:2005/08/03(水) 17:07:49
因果律は思考の形式ではあっても論理の形式ではないです。
命題論理にも述語論理にも因果律はない。
しいて、因果律みたいに見えるのは推論規則
としての前件肯定式だろうが条件法(pならばq)
を因果に当てはめるのはよくよく注意しないと
論理ミスを起こす。
>>115を参照。
論理で因果関係を扱えるのは様相論理の必然、偶然
にあてはめるか、時相論理の状態遷移として扱うか
でしょう。
146 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 17:11:26
147 :
哲子:2005/08/03(水) 17:31:18
「論理に時間は存在しない」の意とするところは
論理法則は時世、時節が変わろうと通用する不変性
を持っているものでなければならない、という
要請でしょう。
因果法則も法則である限りは当然、時間不変性
を要求されるでしょう。万有引力の法則が昨日
は使えたけど今日は使えない、なんてことは
起こらない。
ただ、事実を対象とする経験法則は論理法則
のような必然性はなく、つねに事実によって
その適用範囲が制限される近似法則と見ておく
べきではないでしょうか?
事実は法則より奇なり、を肝に銘じておくべし。
148 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 17:32:53
>>143 >ここから言える事は、論理には時間は存在しないから、
>因果関係で論理が作られるわけではないということだけ。
>逆はいえない。
んなこたーない
因果には時間がある。
論理にはない。
論理から因果が作れるとしたら、時間はどっから出てきたんだ?
>>144 >こと、ものは時間、空間によって存在しているわけで、現象という現実
>があるわけです。でも、論理というのは、単なる説明の手段であって、論理
>というものが単独で存在するわけではないのです。
それは単に君の意見に過ぎない。
>因果律を証明するには、証明の手段として論理が必要なだけで、あくまで手段
>に過ぎません。
論理を使おうがなにを使おうが、因果律を証明することなどできない。
>>145 そういや時相論理ってのがあったな。
まあ時相論理使っても、
「因果関係は論理的関係によって作られている可能性」などないのに
変わりはないが。
149 :
哲子:2005/08/03(水) 17:36:57
>>148 >因果には時間がある。
つまり因果は論理と時間から作られている可能性がある。
時間が論理で作られているかどうかは、まだわからない。
151 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 17:44:43
>>150 まったくわかってないな
「カテゴリーミステイク」という言葉を君に贈ろう
152 :
哲子:2005/08/03(水) 17:50:19
>>150 >時間が論理で作られているかどうかは
時間は実在しないと言いたいの?
アインシュタインは時間は幻である、といってるね。
でも、そんなん、常識的に考えてもヘンだよね。
哲子はすくなくとも「今、このとき」はありありと
実感できるけどね。
未来は可能性に開かれた「アルダロウ」
過去は過ぎ去ってしまった「アッタ」
ベルクソンの生活時間の感じかなぁ。
常識の哲学が哲子の流儀だったりする。
>>152 実在も論理で作られている可能性もある。
154 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 17:58:23
ホントにここは日本語を使ってるインターネットですか?
「論理的に真である」ということは「情報がまったく増えてない」ということである
また、論理的に正しい関係が真とされるのは、そのような関係が新しい事柄について何も述べていないからである
史的唯物論、哲子、SYNがこのスレの3大迷惑コテハンだが、
この中で一番迷惑なのは誰かって言ったら、ダントツで史的唯物論。
厨房程度の知能・知識しかないうえ、日本語をまともに書けないので
どのような見地からしても相手にする価値がない。
哲子は一応日本語はまともなので史的唯物論よりはずいぶんましだが、
言ってることに中身がないし、また論理的思考力に欠けるので
すこし突っ込むとすぐにボロが出る。
大きな害はないが、つまらないことをさも大層なことのように書き込むのでうっとおしい。
言いたいこと言わせて放置しておくのがよかろう。
SYNはいちおう言ってることに筋は通ってるが、自分の信念にがちがちに凝り固まってて
人の意見に耳を傾ける気が一切ないので、議論するだけ無駄。
また、たまに宗教者のような断定口調が出てくるのがウザイ。
言ってることは同じことの繰り返しなので、主張を一通り把握したあとは、
ヘタに反論したりせず放置の方向で。
番外としてうみねこがいるが、この人は真性のアレなので深く関わらないほうがいい。
余裕があるときはまともそうに見えるが、議論に負けそうになって余裕がなくなると豹変する。
そこまで追い詰めずに適当にあしらうのが吉。
(わざと豹変させてその様子を楽しむという遊び方もあるが、それはよそのスレでやるように)
史的唯物論=オレオレ詐欺
159 :
ハル:2005/08/03(水) 18:07:44
>>154 説一切有部では全てある(有為と無為で表現)となっている。
中観派では空であるというが関係性の中では色となる。
唯識であれ知識としては存在するとしている。
>158
悪いが、俺は古参のコテだ
おまえも俺に絡むなよ
161 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 18:15:33
162 :
哲子:2005/08/03(水) 18:20:13
>>153 観念実在論=実念論ならそう言うでしょうね。
163 :
哲子:2005/08/03(水) 18:21:34
ウィトゲンシュタインが私たちに繰り返し要求することは、
私たちが、「同じことをする」「数列を同じ仕方で続けていく」という表現がただ一つのことを、
そしてじっさいあらゆる事情の下で同一のことを意味するのでなければならないという根深い偏見から開放されることである。
「それでは、二つの事物は一つの事物と同じようであれば、同じなのであろうか。
そしてまた、その一つの事物がわたしに示すものを、いったいどのようにして私は二つの事物の場合に適用するのであろうか」
>>160 自分から古参などと発言する奴は痛い
よくいるんだw
「君、僧堂何年? まだまだだなw」と得意がる奴が・・・
氏ねw
166 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 18:27:28
自分に都合の悪い議論のときは名無しになるSYN
>165
俺は2ちゃん歴如きで比較することに何の意味も感じない
だが、発言の内容から今までの勉強量の差は歴然としている
発言するならもう少し教養を見せてくれ
そんなにコテにからんでなにが面白いのか。
どうせなら書き込み内容に反応してくれ。
>>167 おまえも相手するな馬鹿。
169 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 19:38:12
なあ、おまえら。
もいっかい確認するけど決定論と非決定論の勝負は今のところは非決定論の勝ちってことで決着ついてるんやろ?
なんでも、とかとんでも、とかが付く野放図な決定論は反論できない代わりに論証もできないから置いておくとして、
「一つの物理状態から起こりえる次の瞬間の物理状態が一つしかない」みたいな節度ある決定論に対してはよく知らんけど量子的な不確定性?とやらでそれが成り立たないことがわかってるんやろ?
もちろんこれが間違ってる可能性はあるけどもそれは新たな観測事実が出てから議論されることやろうし、
だいいち哲学の側から特に異論はないわけやろ?違うの?
それから自由意思のほうやけど俺は残念ながら自由意思は存在しないと思うんよ。
これは決定論・非決定論どちらが正しくてもどちらとも自由意思は両立できないということ。
なぜなら心のありようも含めて世界は物理法則に従ってると思うから。
心や意思が存在しないって言ってるわけじゃないんよ。心も意思も存在するし、世界に働きかけて動かしてもいると思う。
でもそれは「自由」な意思じゃないってこと。
自由意思が存在するという立場の人はその自由はどんな自由、なにからの自由と考えてるんやろ?
コテにからんでる人も考えを聞かせてほしいと思うんよ。
お願いします。
サッカー終わってからでいいから。
170 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 19:43:52
その前に、読みにくいので変な関西弁を直してください。
九州ですが、なにか?
172 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 19:46:59
松ちゃんが話してるみたいだね。インテリ松ちゃんだあ。
173 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 19:53:25
174 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 19:54:38
>「一つの物理状態から起こりえる次の瞬間の物理状態が一つしかない」みたいな
>節度ある決定論に対してはよく知らんけど量子的な不確定性?とやらで
>それが成り立たないことがわかってるんやろ?
エヴェレット解釈では「一つの物理状態から起こりえる次の瞬間の物理状態が一つしかない」と考えてよい
175 :
哲子:2005/08/03(水) 20:35:28
>>169 >自由意思が存在するという立場の人はその自由はどんな自由、なにからの自由と考えてるんやろ?
自由とは自分自身に由ること、つまり意思することは自分自身でしかできないことでしょう。
自分の思うがままになる,自分のしたい放題ができることが自由じゃないと思う。
だから、意識があり、意思表示ができるならそれは「自由」でしょう。
そんな、ささやかな自由さえないというのか?
176 :
哲子:2005/08/03(水) 20:44:46
>>174 >エヴェレット解釈では「一つの物理状態から起こりえる次の瞬間の物理状態が一つしかない」と考えてよい
エヴェレット解釈も多世界解釈だよ。平行宇宙とは言わないけど次の瞬間の物理状態は
ひとつではなく波動関数の確率にしたがって存在する。もちろんこの世界に現実化するのはひとつの状態だけど。
>>176 全然違うぞ。全くエヴェレット解釈を理解していない。
>>174 エヴェレット解釈?聞いたことはある状態w
俺の手には負えんからエロイ人同士議論してほしい。頼んます。
>>175 でもその自分自身も物理存在なわけだし。
っていうか自由意思を主張する人はそんな意味で自由って言ってるわけじゃないんじゃ?
>>169 決定論を否定できてないから決定論の勝ち。
180 :
哲子:2005/08/03(水) 21:04:16
>>178 >自分自身も物理存在なわけだし。
そうですね。自分の身体は物理的存在だから物理法則に従う。
そして、その物理的な身体が意識を生成するのだからその意識に
よって自分の身体の行為のいくらかを制御できて物理的世界に
相互作用を及ぼすことができる。自分自身で意識した行為は
「自由意志」に基づく行為とみなせるのではないか?
181 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 21:05:26
どうせ結論出ないだろ
次スレ立てておこうか?
182 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 21:09:42
自由意志ってあると思えばあるし無いと思えば無い
んだから、無いと言ってかまわないんだよ。
183 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/03(水) 21:12:50
>>180哲子さん
それはそっくり業に振り回されているという裏返しではないでしょうか。
184 :
哲子:2005/08/03(水) 21:14:49
そうです。
自業自得です。
185 :
素人:2005/08/03(水) 21:21:33
仏教用語と絡めて自由意志を語るならば、
(ここで話されているのは、厳密な、狭義としてのものかもしれませんが・・)
発菩提心との関連を述べるべきじゃないですか?
もっと俗っぽく幸せを求めることとしても良いですが・・・
>>180 制御してはいないでしょ。物理法則に従って動いているだけで制御した気になっているんじゃ?
187 :
哲子:2005/08/03(水) 21:30:49
>>186 >制御してはいないでしょ。
脳が脳自身をどのように生理的に制御しているかは知りえない。
(これは論理的にも自己言及のパラドックスとなる)
ただ、どういう行為をしてどういう結果となったかは常に自己意識で
監視できる。脳を制御する物理法則など知られていない。
188 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/03(水) 21:32:51
>>185素人さん
因位に在る限り「自由意志」は無い事になってしまいます。
求道が「業」によるものか「自由意志」によるかですよね。
やはり「業」なのではないでしょうか。
>>187 制御なんてなくて脳が勝手に動いているだけでは?
190 :
哲子:2005/08/03(水) 21:35:00
求道は遊行に限る。
191 :
哲子:2005/08/03(水) 21:36:33
>>189 勝手に動くのも自分自身の脳である。他人の脳を勝手に
動かせない。
>>191 他人の脳は物理法則で勝手に動いているってこと。
193 :
哲子:2005/08/03(水) 21:44:36
>>192 自分自身の勝手に動くならそれほど自由なことはない。
勝手にしたくても外部的な制限が加わるのが不自由だろう。
>>180 だからそれが「東シナ海の海上で発生した熱帯性低気圧を台風4号と名づける」
てのとどう違うのかってことなんやけど。
ささやかな自由って言うけど決定論なり非決定論と両立ないし否定するくらいの自由なんだからもうちょっと強い自由なんじゃあない?と思うんよ。
195 :
素人:2005/08/03(水) 22:23:02
>>188 (「自由意志」にあたる概念も仏教内の用語に翻訳すべき所でしょうが、)
唯識的には、全て(どんな意識作用も)は過去からの様々な因と縁に依っていて
現在の菩提心(果)もまたその外に出るものでないと・・・。
あ、それとも元々備わってましたっけ?(なんか勘違いしてるな・・・俺)
田上さんの「菩提心の研究」、買ったはいいけど未だに読んでないんだよなぁ・・・(^^;)
196 :
でりだ:2005/08/03(水) 22:56:17
>195
「菩提心の研究」でぐぐったら、大学の授業のシラバスが出てきた。
仏教というと諸行無常という感じだけど、
>講義22 テスト テストの設問・傾向と対策等についてあらかじめ
>説明するので十分に準備をして受験する事。
>講義23 テストの返却と質問を受ける。
とか書いてあると、妙に生々しいねw
197 :
でりだ:2005/08/03(水) 23:02:31
>98
でもそうすると、その「前提」を含まない「理論」は常に
「近似値」だということになりますよね。
一旦「近似値」とか「だいたい」とか、現にある理論を
「暫定的な理論」としたら、「真に正しい理論」と言うのが出てくる。
では、その「真に正しい理論」と「暫定的な理論」の間に横たわる
「誤差」はどうやって測り、どうやって妥当性を得るのか。
これに答えられないと、本当に「過去」が変わることになりますね。
>>169 自由意志とは「選択できる」ということ。
AかBか、選ぶという行為のトリガーとなる物が自由意志に他ならない。
生物は生きる上で、常に選択を迫れている。
時にはそれが無意識の変異となって現れる。
選択に際して迷うことこそ、自由意志が存在する証拠。
199 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 23:40:06
>>164 >「それでは、二つの事物は一つの事物と同じようであれば、同じなのであろうか。
>そしてまた、その一つの事物がわたしに示すものを、いったいどのようにして私は
>二つの事物の場合に適用するのであろうか」
ヴィトゲンシュタインは、哲学者としては「比較的(かなり)新しい存在」なのですが、
彼の死後の「自然科学の進化」を前提にすると、「古代思想」とした思えない、
「素朴なもの」ですね。・・・彼のファンには「失礼しました」ですが・・・。
200 :
考える名無しさん:2005/08/03(水) 23:50:00
前にも書いたことがあるが、その週刊誌の車内吊り広告みたいな
カッコの多用は何とかならんのか?
201 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/03(水) 23:55:39
>>200 別に「読みたくない」場合には「かっこ」を削除して読んでいただいても
結構ですが・・・「エクリチュール」は「パロール」と違い、
「抑揚やテンポによる意味の伝達の違い」を表現することが出来ないので、
「かっこ」を利用させていただいております。
「かっこ」(そのもの)には「意味がない(ありえない)」と信じる方は、
『「かっこ」を削除して読んでいただいても結構です』・・ということです。
現実にそこにあるかっこを削除して読むって、
かっこをかっこにくくるって感じでめんどいね。
203 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/04(木) 00:00:36
>>202 当然のことですが、「哲学」は「めんどい」行為を「敢えてする」ことを省略でき(え)ません。
204 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 00:07:26
まあ、俺はおまいの発言は読まないことが多いから、どうでもいいか。
敢えてっつーと、カントの
「敢えて賢かれ(Sapere aude)」だな。
「敢えてする」がかっこにくくってあるのも、
カントを踏まえていたりするのか。
なんてことはこのスレに、あんまかんけーないか。すんません。
206 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/04(木) 00:12:43
>>204 確かに、「あなた」(は)おっしゃるとおり、
「真理を追求する学問」・・「哲学」板では、「どうでもいい」と思います。
207 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/04(木) 00:16:10
>>205 時間に厳密だった「かんと」カント氏には(全く)影響を受けておりません。
208 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 00:18:16
>>206 哲学板でどうでもいいのは、俺じゃなくておまいの方だろが。
209 :
でりだ:2005/08/04(木) 00:21:05
>205
いや、認識論にカントは不可欠でしょう。
是非カントの認識論とその反駁についての展開を
簡潔に示してちょ。君はヒーローだぞw
210 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/04(木) 00:23:56
>>208 >俺
が「実在する」と信じているあなたは結構「緊急事態」です。
@神経科か精神科という脳の救済機関(有料ですが〜)もあり、
A「国民生活センター」という「ヤバイ人の無料受付」もあります。
「哲学をしている」という考えを、「いったん保留」して、
上記@かAの機関にアクセスしてみることも「あなたのため」かもしれません。
>>142 私が
>>136で申し上げていたのは、この世界のあらゆる事象は、
マトリックスの世界の計算で作られている可能性があるという意味で、
論理的な可能性もあるのではないかということです。
現時点では、可能性がないとは断定できないと思います。
212 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/04(木) 00:34:02
>>209 >いや、認識論にカントは不可欠でしょう。
「古典的」にはそう言わないと「通過儀礼が通らない」のでしょうが、
「認識論」は「脳内分子生物(化学)」において「クオリア生成の方策」
レベルまで来ております。
「脳内現象」は「クオリアであり・・5感である」・・「映画」はうち3感を再現
する「メディア」である・・ということです。
>>169 決定論仮説に対し、決定論批判者が批判をしましたが、今まで一度も否定することはできていません。
決定論はより強力になりつつあります。
また、決定論は量子力学に立脚しているわけではなく、逆の立場なので、
不確定性原理、確率解釈などに制限されることは原理的に一切関係ありません。
>>197 > でもそうすると、その「前提」を含まない「理論」は常に
> 「近似値」だということになりますよね。
前提を満たさないと、近似ですらなくなる。
前提が必要なのは、まず理論を成立させる(適用可能にする)ため。
そうやって理論が成立した上で、数式を解いたり数値を計算したりするた
めに、影響の小さい因子を省略して近似になる。
> では、その「真に正しい理論」と「暫定的な理論」の間に横たわる
> 「誤差」はどうやって測り、どうやって妥当性を得るのか。
「誤差」を測ることはできない。妥当性は実用性・実効性によって支持さ
れることになる。
> これに答えられないと、本当に「過去」が変わることになりますね。
変わりうると思うよ。
そもそも過去だって因果法則に基づいて推測してるだけだろう。その意味
では未来と同じ。
過去を知る手がかりは、記憶と痕跡だけだ。
記憶が捏造される可能性があることは周知の事実だし、痕跡は因果法則に
したがってこそはじめて過去と結び付く。
>>176 エヴェレット解釈では、状態遷移は決定論的で確率的ではありません。
また、現実化するのはそのまま全部であり、特定の一つではありません。
ある観測者からは一つに見えるだけです。
216 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/04(木) 00:39:54
>>213 「真理を最高の価値とする」ことにおいて「あなたは(今のところ)正しい」
・・ということです。
217 :
でりだ:2005/08/04(木) 00:42:50
>214
いや、>98で
>理論適用の前提条件が増える
と言っているからさ。
ある理論がある前提から成り立つ、とするとき、
その後その理論に新たな前提が付け加わるとすれば、
はじめに提示した理論は、必要な前提を示さないままにその理論を
組み立てていたことになるのか、新たな理論に対して全く別の理論だったのか
どちらかということ。
というか
>影響の小さい因子
というときに、何を根拠に影響が小さいとか大きいとか
決めるのか、ということですわ。
218 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/04(木) 00:43:34
理由があり、休息(急速)潜行します。1秒後は通信不能です。
>>198 決定論では未来が決まっているから自由意志はないと私も発言していましたが、
よくよく考えてみれば、
脳内の決定論的意志による行動が、外部の作用で妨害されないときに単に自由に感じ、
妨害された時に、自由でなくなるのではないでしょうか。
つまり未来が決まっていても、決定論の方が自由意志が妨害されなく意識の自由を感じ、
逆に非決定論作用があれば、脳内の作用を妨害され自由に感じる度合いが減るのではないでしょうか。
非決定論は自由意志の妨害であり、決定論こそが自由意志を強化するように思えます。
220 :
でりだ:2005/08/04(木) 00:47:47
>212
その認識って、時間の経過と認識の発展がセットになっている
「発展史観」という、それこそ「古典的」な認識だと思いますよ。
古いから乗り越えられた、というものではありません。
また、「西洋哲学史」という一つの哲学史上ではカントの理論は
必要不可欠ですよ。
哲学に興味あるひとたちって、「括弧」に多大な意味を持たせるよね・・・。
とりあえず、考えを括弧に入れるとかでつかうの?現象学?エポケー?
222 :
でりだ(夏の厨房を相手に):2005/08/04(木) 01:04:36
坊主、括弧ってのはな、「かっこいい」と思ったときに使うんだぞ
↑こんなふうにな
カッコワルイか?それを引き受けるのが哲学だw
>>217 > >214
> ある理論がある前提から成り立つ、とするとき、
> その後その理論に新たな前提が付け加わるとすれば、
> はじめに提示した理論は、必要な前提を示さないままにその理論を
> 組み立てていたことになるのか、新たな理論に対して全く別の理論だったのか
> どちらかということ。
「必要な前提を示さないままに組み立てていた」というのが一応「正解」
なんだろうけど、これは結果論で、古い理論が形成されたときにはそこま
で分からなかった(実験や観測をおこなう技術的・現実的要件が揃わず、
確かめられなかった)というのが実際だったはずだ。
ニュートン力学が定式化された当時は、例えば光速や量子の領域は手の届
かない世界だった。
後でそれらの領域に手が届くようになったとき、調べてみるとニュートン
力学ではカバーしきれない領域であるということが分かり、そのような領
域はニュートン力学の適用範囲外とするような前提条件が加わり、ニュー
トン力学はその再定義された適用範囲において、より包括的な理論に対す
る有用な近似理論として位置付けられるようになった。
> >影響の小さい因子
> というときに、何を根拠に影響が小さいとか大きいとか
> 決めるのか、ということですわ。
一般的には、その因子が数値として寄与するときのオーダー(桁・位)で決
めるはず。
224 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 01:19:27
私の目の前に、決定された未来を正直に語るという奇跡のスピーカーが存在する。
私がそのスピーカーに「お前はいつ壊れるんだ?」と尋ねたら、そのスピーカーは何と応えるだろうか。
226 :
224:2005/08/04(木) 01:22:43
追加:私はそのスピーカーをその気になればいつでも壊すことが出来る。
227 :
224:2005/08/04(木) 01:24:28
追加:そのスピーカーは自爆できない。自分で動くことも出来ない。ただ語るだけである。
>>227 来年壊れる、あれ、2秒後、あ、あれ、明日になった、あ、やっぱ2秒後だ、あ、明日、あ、2秒後、あ、あー。
みたいな。
229 :
224:2005/08/04(木) 01:28:27
だよね。
>>229 系の内側からは予測不能なのは決定論が保証している。つまり前提がおかしい。
231 :
224:2005/08/04(木) 01:31:38
奇跡のスピーカーの存在はもちろん非現実。
しかしそれと同時に、確認できない「決定された未来」の存在も非現実。
>>231 ところが、それが非現実とまでは言い切れないのです。
コンピュータゲームの世界を考えてみてください。
系の外ではすべてが決まっています。
233 :
224:2005/08/04(木) 01:42:24
ごめん、よう解らん。
実証できなければ結局は机上の空論だと思ってるから。
>>233 決定性は仮定ですが、目の前の世界が存在することも仮定で同じです。
非決定性の方が実証されていません。
直前の状態に束縛されていないと断定できる事象が観測されたことはないので、
未来は決まっていることを否定することは現段階ではできません。
235 :
224:2005/08/04(木) 01:49:51
幽霊が居るか居ないかのレベル
>>235 決定性を求めて予測精度を上げる努力をするのは、幽霊のようなオカルトと違って建設的です。
すべてが神によって決まっているとしても、何も問題はありません。
237 :
224:2005/08/04(木) 01:59:20
だってそういう努力してるの哲学じゃなくて数学とか科学なんだもん
>>237 その辺りは、哲学をどう実世界に役立てるかの立場の違いみたいなものですね。
239 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 02:27:08
バーカ
>>199 俺は、ウィトゲンシュタインの考え、特に最終結論に関してはまったくもって同意できない
彼の考えには到底受け入れられない信仰が眠っていると考える
だが、それでもウィトゲンシュタインを時代遅れの一言で片付けるお前よりはずっとマシだよ
自然科学の発展とウィトゲンシュタインの哲学には何の関係もない
ウィトゲンシュタインが研究したものは言語とその使用によって表現される写像の関係だ
言語に縛られる科学的営為の成果がウィトゲンシュタインの研究を否定できるとは思えないのだが?
科学における目的とは何だろうか
俺は、「この実在世界の記述」や「この実在世界の予測」が科学の目的であるとは考えない
科学的研究における予測はいつでも常に外部と切り離された閉じた範囲によってなされるからだ
例えば試験薬が温度の上昇によっても変化が生じるケースもある
その場合は報告書に温度を必ず記入しなければならないわけだが
科学的研究は、温度がどうなるかということについてまでは予測できない
「エアコンが壊れる可能性」「何らかの要因がエアコンに関与して設定を変える可能性」「実際の天気」
このようなことまで予測することはできない
予測が外れた時にはそのような外部要因に原因を求めて、再度同じ実験をする
科学は「この世界の決定性」を求めてもいないし、また、それらを予測しようともしていない
「予測の外部要因が決定している可能性」は常に残されているし、また、それを主張するのが決定論であろうが
そう考えることによって得られる科学の進展はない
科学的研究と決定論は無関係である
242 :
哲子:2005/08/04(木) 08:49:34
>>215 エヴェレット解釈もひとつの解釈であってそれを実証または反証できる
実験的内容が含まれていないので形而上学にすぎない。
>>241 >予測が外れた時にはそのような外部要因に原因を求めて、再度同じ実験をする
これは科学的研究が「決定性」を前提にしている実例だと思います。
例えば「同じ条件でやったはずなのにA回目とB回目では結果が
異なった」場合に、「世界は非決定的だから同じ条件でも結果が
異なるのは当然だ」とは考えずに「何か条件が違っていたのだろう」
と考えるのは、世界の「決定性」を前提にしています。
>>243 決定論は何の決定性を主張しているのだろう
閉じた系の内部においての決定性をいくら主張したところで、それは意味のない主張にすぎない
「この箱の内部にあるものは、−誰もこの箱に干渉しない限り−、決定している」
決定論がこのような主張ならば相手にするだけの内容をもたない
決定論は、宇宙全体がこの箱の例のように閉じた系であることを主張しているがゆえに内容をもつ
決定論が主張する決定性は「この箱の内部にあるものは、何があっても(決定論にとっては屋上屋の表現だが)、決定している」と述べるものである
>例えば「同じ条件でやったはずなのにA回目とB回目では結果が
>異なった」場合に、「世界は非決定的だから同じ条件でも結果が
>異なるのは当然だ」とは考えずに「何か条件が違っていたのだろう」
>と考えるのは、世界の「決定性」を前提にしています。
していない
科学の研究においては、理由が見つからない時に「偶然」という言葉を使って再度実験することも多々ある
実験を複数回行って精度を高めることは実験から偶然の要素を極力排除しようとする行為だ
また、決定論が複数の事象の関連性を主張するものであり、非決定論がそうでないというのも違う
非決定論は、いかなる個別な事象においてもこの宇宙全体がその事象との関連性を持つがゆえに、
未来を予測できない(未来は開かれている)とする考え方である
発酵の研究をしている人間にとって、星の動きをレポートに書くことは馬鹿らしいことだろう
しかし、目の前の唯一無二な麹が発酵するにおいてもこの宇宙全体が絡んでくる
(泥棒が麹を盗んでしまう可能性を考えてもいい、誰かが間違えて冷やしてしまう可能性を考えてもいい、気象でも隕石でも・・
個別な事象はすべての要因が絡んでいる、科学が扱うのは普遍的な知識の探求である)
仮に決定論が正しいとしても、科学の研究においては他の外部要因を切り離さなければ研究は前進しない
むしろ、決定論を信仰するならば「この実験は失敗することが決まっているのは当然だ」と考えてしまうだろう
科学に限らず多くの知識を得ようとする行為は闇夜に黒牛を探す行為とさほど変わらないが
決定論を導入することは知識獲得のさらなる妨げにしかならないように思える
>>244 結局私と同じようなことを考えているとしか思えません。
用語法の違いでしょう。
あ、トリップ変えたので。よろ。
新しいのは
>>244です。
>>246 |, ,_
|∀゚) < ニヤニヤ
|⊂ノ
「未来は開かれている(予測不能)」ということが「非決定論」であると
呼ぶのならこのスレに決定論者はいません。
249 :
流れ星:2005/08/04(木) 10:57:51
>>154 仏教は実在を否定していませんよ。
否定しているのは永遠不滅の実体であって、現象するものはすべて縁起しているわけで
生成消滅するは認めているのです。
「空」とは無ではありません、空観という観想法によって得られる、ものの見方です。
250 :
哲子:2005/08/04(木) 11:33:08
>>249 そうですね。
それが諸行無常と諸法無我の解釈の定説ですね。
縁起に基づく空観も一切法空、すべての物事に
実体はない、という物事の見方ですね。
>>248 非決定論とは簡単に言えば、「宇宙は雲である」ということです
決定論は、「宇宙は時計である」と言います
決定論は「雲もまた時計である」と言い、非決定論は「時計もまた雲である」と言う
この世界が理想的な時計のように進行していくと考えるのが決定論
認識的には「予測できない」という立場をとりますが、原理的にそのような信仰をもっています
対して非決定論は、時計のように見えるものでもよくよく見れば雲のように、予測されないあらゆることがらが生じると考える
時計のように見えていただけだというわけだ
252 :
ハル:2005/08/04(木) 12:06:05
無意識的に人は決定論を信じたがるように出来ている。
自分の親が本当に自分の親かなどを疑う人はあまりいないだろう。
自分の子が本当に自分の子かを疑う者も少ない。
そしてそれは「親ー子」という因果律を信じたい信仰に過ぎないということに気づかない。
基本的に非決定論者を装う者も本当は決定論者である。
真の非決定論者はその真実を見た瞬間に同時に発狂している筈だ。
>>251 >この世界が理想的な時計のように進行していくと考えるのが決定論
そういう決定論ばかりではありません。批判する対象を勝手に決めないでください。
また決定論者は少なくとも私は非決定論的世界を否定していません。
決定論的世界によって非決定論世界が作られるからです。
また、決定論では未来が決まっているから自由意志はないと私も発言していましたが、
よくよく考えてみれば、
脳内の決定論的意志による行動が、外部の作用で妨害されないときに単に自由に感じ、
妨害された時に、自由でなくなるのではないでしょうか。
つまり未来が決まっていても、決定論の方が自由意志が妨害されなく意識の自由を感じ、
逆に非決定論作用があれば、脳内の作用を妨害され自由に感じる度合いが減るのではないでしょうか。
非決定論は自由意志の妨害であり、決定論こそが自由意志を強化するように思えます。
255 :
ハル:2005/08/04(木) 13:36:07
「非決定論」が理性的に成り立つなら「決定論」の内に含まれてしまうので「非決定論」は表現不可能で、無理やりそれを表現しようとするとそれは意味不明な一種の「狂気」でしかないのではと思ったのですが。
>>255 同感です。非因果的要素は秩序ではなく混沌で、理性を破壊するだけだと思います。
>>257 言葉遣い、実績、人間性などで、どちらが狂気か第三者が判断すればいいでしょう。
259 :
素人:2005/08/04(木) 14:40:04
>>259 そうした感傷的な話は関係ないような。
何百人も死ぬようなテロが起きたことに対して、
「それは決定していたことだ」といえば、
「それでも人間か!」と罵倒されるかもしれないが、
だからと言って決定論が覆るわけではない。
261 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 15:28:34
>>258 どれを取っても君は・・・
いや言わないでおこう
262 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 15:30:12
>>242 んなことあたりまえだろ。
問題はそんなことじゃなくて、
お前が聞きかじりの知識だけでえらそうに語ったことは
まったくのデタラメだって事だ。
263 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 15:35:21
264 :
哲子:2005/08/04(木) 18:46:56
>>182 それは論理的に成り立たない。
存在命題はそれを満たすものごとがひとつでもあれば
成立するが、その否定の「存在しない」はひとつでも
反証があれば成立しない。
>>264 間違った事言ったときはちゃんと「間違えました」って認めないと
どんどん発言に対する信頼性が失せていくよ。
君いつも間違ったら間違いっぱなしでしょ。
そんな無責任なコテハンの言うことに、誰がまともに相手すると思う?
266 :
哲子:2005/08/04(木) 18:57:57
>>194 >ささやかな自由って言うけど決定論なり非決定論と両立ないし否定するくらいの自由なんだからもうちょっと強い自由なんじゃあない?と思うんよ。
哲子は決定論・非決定論と自由意志は無関係という意見です。
最初はささやかな自由であっても自由は進化するから大丈夫です。
強い自由とはどのような自由でしょうか?
クリシュナ・ムルティの説くようなアナーキーなまでの自由でしょうか?
釈迦の出家主義も社会問題になったような伝説が残ってますね。
リバタリアンは好きですか?
267 :
哲子:2005/08/04(木) 19:01:50
>>265 2チャンネルのレスを名前(コテハン)で評価したって
どうしようもない。レスの記述がすべてだ。
間違ってるなら、ここが違うというレスなら意味がある。
>>267 ほんまもんのアホやww
レスの記述が全てだと思ってんだったら
コテハンなんか使わないはずだろ
コテハン使ってレスしてるってこと自体が
「レスの記述がすべて」だなんて思ってないってこと
(つまり自分の間違いを認めたくないがための
屁理屈に過ぎないってこと)をはっきり示してる
>>267 あと誰もレスをコテハンで評価なんかしねーよ
コテハンをレスで評価するんだよバーカw
非決定論者は多くの人が因果律(原因により結果が決定する)の考えをしてしまうことに
対してどのように考えているのでしょうか。代わりに因果律にとらわれない思考を提案できる
でしょうか。
人は産まれたばかりの段階では完全な決定論の考えをする人は少ないと思う。
成長する過程で現実と向き合う機会が増えるにつれ因果律に基づいた思考を
するようになるのだと思う。
272 :
哲子:2005/08/04(木) 20:10:48
科学と決定論の関係
今や創発しつつあるのは、決定論的世界と、偶然性からだけなる
恣意的世界という二つの人間疎外的な描像の間の「中間的」記述
である。世界は法則に完全に支配されているものではないし、世
界はまたまったくの偶然に支配されている訳でもない。物理法則
は新しい形の理解可能性をもたらし、それは還元不能な確率論的
表式によって表現されるのである。微視的レベルか巨視的レベル
かを問わず、新しい自然法則は、不安定性と結びつけられること
によって事象の可能性を扱うのであり、事象を決定論的法則から
の演繹可能で予言可能な帰結へと還元させてしまうことはない。
出典:「確実性の終焉」(I.プリゴジン 著 みすず書房 p159)
確率論なら偶然から必然まで、すべてを記述できる。
因果的法則よ、さようなら。
確率論は因果律を否定するのではなく、確率論にとって因果律は前提となる
重要な論です。
274 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 20:16:13
>>273 こいつも間違えたら間違えっぱなしの無責任コテだな
コテより責任ある名無しなのかw
>哲子さん
思ったんだけど哲子さんの言う「自分自身で意識した行為」ってもしかしたら「第一原因としての自由意思」とか言われる奴のことなのかな?
もしそうならこれは自由って言っていいのかもねと思った。
でもこのタイプの自由意思って決定論的な記述っていうか物理学の記述なんかに乗りそうな気がするんよね全く根拠はないけどw
自由意思は自由意思でも自然化された自由意思って感じで、これは決定論と両立できる自由意思だと思うんよ。
で、俺が思う強い自由意思てのは
>>198のタイプ。
これは決定論を反駁ないし否定する自由意思、これぞ強い自由意思だと思うんよ。
俺は実を言うと決定論に親しみを覚えるんやけど、一方で自由意思も捨てがたいと感じててなかでも気になるのがこの選択の自由です。
でも一人前の決定論信者になるには反論せにゃならんので誰か頼んますw
俺も馬鹿なりに考えてみますよ。
>>213 SYNさん
君は決定論決定論言うけどなにがどう決定してるのかさっぱりわからんです。
決定論が量子力学に立脚してるって言いたいわけじゃなくて、要は決定論の主張の一部が量子力学によって否定されるって話なんじゃ?(されないという話もあるが)
まそれは俺にはわからんことなんやけどね。
とにかく君のいう決定論は、以前クオリアの起源の問題とはそれが解明されないことだみたいなことを言ってた人がいたけど、
それとおんなじようなわけわかんなさを感じるんよ。
でも君は科学の知識はしっかりしてるっぽいし、もったいないと思うんよ。
いっそのことコテ変えて心機一転出直してみてはどうやろか?
>>251 「時計も雲である」は決定論側の主張でもあります。
なぜなら時計の針の位置を正確に予測することは雲と同様にできないからです。
より正確に言えば、
「時計は[古典物理学にとって理想的な]時計に見えていた。」
ということです。
279 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/04(木) 23:27:02
>>273 >確率論は因果律を否定するのではなく、確率論にとって因果律は前提となる
>重要な論です。
そうとも言えますが、「確率論にとって因果律は前提(に)なる」こと自体は「当たり前」だと思います。
「自然法則そのもの」が(絶対的に)「存在する」・・という「科学を中心とする信念」が「決定論=唯物論」
であるからです。
280 :
考える名無しさん:2005/08/04(木) 23:40:28
ろくに何も知らないまま自分の妄想を垂れ流すのって、楽しいのかな?
肉体は男なのに
2、3歳くらいの最初の記憶が
テレビの前で体操のお兄さんを見ながら
性器をこすりつけていた記憶
282 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 00:19:01
>>280>>281 別に気にする必要はないよ。
愛国無罪が人口最大国でまかり通るのだから愛自無罪ぐらいは
充分な主張するための根拠になると思う。
283 :
ハル:2005/08/05(金) 00:27:19
>>282 極端になると自分を見ながらマスターペンションするようになるから、普通でありたいならやめた方が良いと思うが・・・。
284 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 00:31:16
>>280 おまえは「「「「何」」」」を「知っている」のかな?
妄想癖のおまえが「妄想」と呼ぶ「「「根拠」」」ぉを示せ。
てめえの垂れ流した粘液が「臭い」(臭すぎる)ので祇園では大騒ぎになっておる。
>>283 >普通でありたい
のだったら、二度とこのスレに「近寄るな」・・ということ。
よろしくおねがいしま〜〜〜す。凡人は「凡人の穴」に籠もることが、
唯一の「幸せ」だから。選択肢は「ない」のです。
>>272 >世界は法則に完全に支配されているものではないし、
支配されていないことを検証するのは不可能であり、こんな断言は出来ないので、
これだけでこの論がいい加減であることがわかります。
>>276 ハンドルを変える意味がわかりません。
このハンドルの方がいろいろな方面で影響力を持つため、このままにしておきたいです。
>>277 これは至言ですね。
非決定論者が非決定性を導入する位置に疑問を持っていましたが、
素晴らしいです。これでかなりすっきりしました。
自分の決定論の説明にも使いたいと思います。
>>286 > 支配されていないことを検証するのは不可能であり、こんな断言は出来ないので、
> これだけでこの論がいい加減であることがわかります。
これはSYN自身の持論にも、いえてしまうな。
>>289 そうでしょうか。基本的に自分で見たものは断言してもいいと思っています。
幻覚を見たと他人が判断すればよいことでしょう。
特にここでは、反対意見が欲しいため、意図的に断言していますけどね。
公式にサイトで完全な決定論を構築する時は、
反論できないようにこの辺りに細心の注意をはらうつもりです。
291 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 03:25:32
物理法則が、
途中経過によって変化する可能性は無い?
292 :
ハル:2005/08/05(金) 03:29:57
あるでしょう。
例えばニュートン力学はそれより力の強い相対性理論で少し改変されますし。
物理法則はその時その時の都合に合わせた経過に過ぎません。
ただ、かなり有用ですが。
293 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 03:37:06
このアナログな世界を、
デジタルに処理するためには、
多くの雑音を無視するしかないわな。
公式は、生データをフィルタにかけて、
理想化してからでないと使えない。
本当は二度と、
同じ条件なんて無いんだわな。
>>292 それは人間の作った予想が外れているだけで、
物理法則が変わったとは言わないと思います。
>>293 全く同じ条件を作るのは不可能ですが、
系を限定し、より近い条件に近づけることで、結果が収束していけば、
全く同じ場合なら、同じ結果になるだろうという仮定の尤度が上がっていきます。
296 :
ハル:2005/08/05(金) 03:51:55
>>294 では何を以って物理法則と言うのですか?
297 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 03:54:25
理想的な「全く同じ」ならね。
でも、それは無いでしょう?
二度と「同じ」は無いし、
それどころか、
完璧に同じでも、結果が異なる場合は、
ありえるんじゃないか?
と思うのよ。
>>296 現実の物理状態の変化の法則。
もちろん、それを完全に知りえるとは思えませんが、
より正しい近似式が出てくることで、変化していないであろうことが推測されます。
円周率の値もそうですが。
>>297 >完璧に同じでも、結果が異なる場合は、ありえるんじゃないか?
それは、ありえないないでしょう。
「同じ条件なんて無い」と主張するのであれば、文章自体が意味をもちません。
>>299 ×それは、ありえないないでしょう。
○それは、ありえないでしょう。
orz
物理法則、円周率、さて、これらはどこに存在するのか
我々は法則を観察することができない
「この世界に物理法則が存在する」と考える根拠はどこにあるのだろう
まるで「この世界には霊魂が存在する」という表現と同じようにすら聞こえる
物理法則それ自体は、物理的なものではない
「この世界に物理法則が存在する」という考えは唯物論とは相容れないようにすら思える
多くの著名な数学者たちがプラトン主義の立場をとるのもここらへんが関係しているのかもね
ついでながら言うと、
仮にこの世界に世界を支配する物理法則が存在したとしても、その法則は記述できない
世界を支配する物理法則もまた世界の一部であるがゆえに、そのような法則は自己記述性をもつ
このような法則を記述する行為は、世界を記述するのと同等の労力を要するだろう
物理法則は経験則じゃないのか。
>>302 俺の訊ねていることは「法則がどこに存在するのか」ということだ
別に物理法則に限らないし、数学の規則でもいい
「ゲーデルの不完全性定理」でも「クァス関数」でも「非ユークリド幾何」でもいい
「数自体」でもいいし、「虚数」でも構わない
もちろん誤った定理でも構わない
そのような規則や法則はどこに存在するのだろうか
>>278 >より正確に言えば、
>「時計は[古典物理学にとって理想的な]時計に見えていた。」
>ということです。
そして、それは雲のように見えるようになった
決定論も非決定論も主張することは観測の向こう側
雲のように見えるが実際は時計なのか、いやはや、実際にも雲なのか、ということではないでしょうか?
・(重要)そしてまた、
雲のように見えるものは、我々の主観的な限界から生じるのか、我々の認識と独立して存在するものなのか、
ということではないでしょうか?
前者ならば、確率の主観的解釈から決定論となり、
後者ならば、確率の客観的解釈から非決定論となるのではないでしょうか?
わたしは、確率が人間の知識の限界を表現しているとは考えません
物理法則はよく起きることでしかない。
306 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 10:04:59
個別の出来事に関して、「出来事Aが出来事Bの原因だ」と言えるために、
Aのタイプの出来事がBのタイプの出来事を100%の確率で引き起こす必要
はない。飲んだ人の50%が死ぬ薬は飲ませたことで被害者が死亡したら、
「その薬を飲ませたことが被害者の死亡の原因だ」と言える。
これだけで、決定論を認めなければ一切の因果関係が成り立たなくなるかのように
考えている馬鹿への反論としては十分だろう。
307 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 10:21:50
将棋は、一般的には決定的なゲームではないが、ある局面になればそこからは
決定的になる。(詰め将棋)非決定論的な宇宙の中で、局所的には擬似的に決
定論が成り立つ場所が生じても不思議ではない。
308 :
哲子:2005/08/05(金) 11:54:34
>>291 >物理法則が、
>途中経過によって変化する可能性は無い?
ポアンカレがこの件について考察しています。
「晩年の思想」(アンリ・ポアンカレ著 岩波文庫 青)
第一章 法則の変化です。
そのほか、空間はなぜ三次元か、とか面白い考察があります。
309 :
哲子:2005/08/05(金) 12:03:31
>>293 >このアナログな世界を、
>デジタルに処理するためには、
>多くの雑音を無視するしかないわな。
自然は本質的にデジタルの世界ではないか。
不確定性原理の示す通り、プランク長、プランク時間を最小
単位とするデジタル世界であって、それをアナログな微分方程式
などで近似解析しているのではないか。
時間、空間が離散であって連続でなければ本来、微分・積分は
適用できないハズ。
ゼノンのパラドックスはまだ生きているのかもね。
310 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 12:11:39
>>306 その薬を飲んで死んだ人にとっては
100%の確率で死ぬ薬だったということ。
決定論への反論にはならない。
312 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 18:47:45
用語を整理しとかんとやばいんでないか?
因果律:
1)ある時刻の状態がわかれば他のすべての時刻の状態がわかるということ。
2)すべての物事には原因があるということ。
1)の意味のほうが2)の意味よりずっと強いことを要求している。
どっちの意味で使ってるかはっきりさせないままこの用語を使っても無意味。
そこで提案。
1)の意味での因果律を「強い因果律」、
2)の意味での因果律を「弱い因果律」と呼ぶようにしよう。
何か他の意味で使ってる人がいたらレスよろ。
決定論:
1)ある時刻の状態がわかればその後の状態は一意に決められるという考え。
2)ある時刻の状態から他の時刻の状態を決めることはできないが、どのように
状態が遷移していくかはあらかじめ決まっているという考え。
1)の意味での決定論は「強い因果律」とほぼ同義。
状態遷移の法則が存在し、それに従って世界は発展すると考える。
2)の意味での決定論ではそのような法則の存在は仮定しない。
また因果律の存在も仮定しない(上記の1,2どちらの意味にせよ)。
宇宙の運命は「ただ」決まっていると考える。
で、また提案。
1)の意味での決定論を「法則的決定論」、
2)の意味での決定論を「事実的決定論」と呼ぶようにしよう。
何か他の意味で使ってる人がいたらレスよろ。
313 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 19:05:23
つづき。
非決定論
1)ある時刻の状態がわかればその後の状態はある程度決められるが、
実際にどのような状態に遷移するかは一意に決めることができないという考え。
2)ある時刻の状態から他の時刻の状態を決めることはできず、どのように
状態が遷移していくかは全くのデタラメであるという考え。
1)の意味での非決定論は、「強い因果律」の存在は否定するが、
「弱い因果律」の存在は認める。
また状態遷移の法則の存在を認めるが、それは未来を一意的に
決定するものではないと考える。
2)の意味での非決定論は、因果律の存在も状態遷移の法則の存在も認めない。
で、また提案。
1)の意味での非決定論を「法則的非決定論」、
2)の意味での非決定論を「完全非決定論」と呼ぶようにしよう。
何か他の意味で使ってる人がいたらレスよろ。
314 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 19:15:04
ケーススタディ。
物理学(てか量子力学)の知見をベースにするとどういう立場がありうるか:
「状態」として何をとるかで立場が変わってくる。
可観測量の観測値で記述されるものを「状態」とすれば、
量子力学は法則的非決定論を支持する。
(コペンハーゲン解釈)
波動関数を「状態」と同一視すれば、
量子力学は法則的決定論を支持する。
(エヴェレット解釈)
物理学を尊重する限り、少なくとも「状態遷移の法則の存在」は仮定せざるを得ないので、
これら以外の立場はとれない。
逆に言えば、これら以外の立場をとるなら、物理学の知見をどう説明するかを示す義務が生じる。
315 :
哲子:2005/08/05(金) 19:21:58
>>313 統計力学など確率論によるものは非決定論とするの?
316 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 19:31:49
>>315 統計力学はミクロの基礎理論ではございませぬ。
ミクロの基礎理論からマクロの現象論を抽出する手続きにすぎませぬ。
ミクロの基礎理論が決定論だろうと非決定論だろうと
統計力学には無関係でございます。
317 :
哲子:2005/08/05(金) 20:32:46
>>276 >「第一原因としての自由意思」
第一原因と考えるところがすでに決定論的ですね。
意思を行為・行動の原因とするなら、それはアリストテレスの
目的因、その行為の目的とか目標を言うのではないでしょうか?
どうしてそれをしたいかの願望や欲望を示すのが行為の動機では
ないでしょうか。
でも、これって通常の原因と結果の因果とちがって、予想された
結果が原因となっている時間的に循環する因果ですね。
行為の因果ならあれをしたからこうなる、で原因が結果に先行する。
もちろん、行為に対する意志は行為に先行しているのですが、その
意志内容はすでに行為がなされたことを夢見ているという関係にある。
将来の可能性を予測できることに自由意志があるのではないか。
その可能性が複数であればその中からもっとも自分のためになると
思われることを選択する。
>俺は実を言うと決定論に親しみを覚えるんやけど、一方で自由意思も捨てがたいと感じててなかでも気になるのがこの選択の自由です。
選択の自由があったときどのようにしてその選択をするか?
このときの助けとなるのが因果の法則の知恵でしょう。
これをすればああなる、それをすればああなる、と見通しをもてるとき
これが俺のためになると自分で選択することに確信を持てます。
ブッダのちえである「自灯明 法灯明」とはこのようなことではないでしょうか?
318 :
哲子:2005/08/05(金) 20:48:33
>>303 >そのような規則や法則はどこに存在するのだろうか
これは質問の仕方が悪いため無意味な問いとなっている
と思われる。
世界はもろもろの物事からなる。物事とはモノとコト。
モノの本質は延長性、モノはこの世界のどこかに存在する。
しかしのかかし、コトは言葉、すなわち情報であって
モノの属性の表現やモノとモノとの関係性の表現でしょう。
その情報は記号化すればモノを媒体としてどこかに記録され
ているでしょう。
でもその情報は「いま・ここ」でこれを見ているあなたの脳の中
の表象として再現されるしかないだろう。
>>318 決定論を支持する理由のひとつに、法則の自律性があるのではないかと思っただけさ
320 :
考える名無しさん:2005/08/05(金) 21:15:42
宇宙的に言えば、マクロでは決定論的、ミクロでは非決定論的。
アリストテレスの目的因は、マクロでかつ非決定論的なので誤り。
俺は、この世界は人間の認識とは独立に存在していると考えるし
また、法則などの諸知識も個人の認識とは独立に存在していると考える
だが、世界が時間の推移とともに常にただ1つに決定されていると考える理由はまったくないと考える
この世界の自律的な発展を認める立場にある
決定論を支持する者は、観念論を否定するために不必要な決定論に陥っているように思える
なんでお前らは馬鹿に釣られるの?
>>301 物理的なものとは一体どういうものなのでしょうか。
物理法則や円周率は、論理的存在です。それゆえ不変なのかもしれません。
しかし物理的存在もまたマトリックス世界のように論理的存在かもしれません。
>仮にこの世界に世界を支配する物理法則が存在したとしても、その法則は記述できない
それは断言できません。できる可能性があります。
詩的に言えば神は再帰します。
>>312 決定論でも「わかる」わけではありません。
未来は人の意志に関係なく決まっており、それを人は知りえないだけです。
>>314 物理学は世界の現象の一部を記述しただけであって、世界の本質ではありません。
マトリックス的世界では全く無力です。
>>317 >選択の自由があったときどのようにしてその選択をするか?
選択の自由はこの世に存在していません。選択している自由感ならありますが。
日常的な意味であれば、意識は選択していない瞬間はありません。
常に選択の連続であり、それが意識の流れになっています。
グラスの中で揺れる水のように、外部から作用がない限り、
時と共に決定論的に波打つことしかできません。
>>320 逆です。ミクロの決定性が膨大に集まると、マクロでは非決定論的に見えるのです。
コンピュータゲームの世界で考えるとわかりやすいでしょう。
>>321 >だが、世界が時間の推移とともに常にただ1つに決定されていると考える理由はまったくないと考える
>この世界の自律的な発展を認める立場にある
意識も「自立性を作り出している法則」に従っているだけですので、
人間が知らないだけで、未来は決まっています。あらゆる世界を支配しているイデアは不変です。
>決定論を支持する者は、観念論を否定するために不必要な決定論に陥っているように思える
観念論も唯物論も、同じものを主観で見たか客観で見たかの違いにすぎないと思います。
意識と物理現象の関係もこれと同じでしょう。
329 :
でりだ:2005/08/06(土) 00:19:38
>309
なるほど……そう言った考えをまとめて書いている本って
ありますか?
330 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/06(土) 00:20:33
「この世界」は、自分だけの世界ではない・・・と思います。
しかし、「この世界」が4次元時空として「固定された」ものであり、
「パラパラ漫画」のように「自分の人生は4次元空間の『一部をなぞっているだけ』」
で「創発」とか「意思の自由」とかとを「超越している」・・・被決定性を持っている
・・ということを・・・(できれば疑いたいけれど)疑うことは出来ない・・という態度が
21世紀の自然科学を目の当たりにしている個人として、「最も『真理』に誠実な態度である」
と思います。
>>254にも関連しますが、やはり決定論の方が自由意志があると思います。
どうも外界のマクロ的な物理的束縛から自由になるほど、意識は自由感や開放感を失う感じがします。
内部が外部から独立していればいるほど、外界との衝突が発生して不自由を感じ、
逆に内部が外部と連動していればいるほど、一体感や開放感を得られ、自由な感じを得られるようです。
離人っぽく意識を閉じ込めていくと、体を動かすのにも不自由感と苦痛を感じますが、
逆に意識を外界に拡張していくと、物理的には束縛されているはずなのに、圧倒的な自由感、気持ち良さを感じます。
自分の意識が外部に束縛されて決まっていることは、逆に考えれば自分の意識で外界を決めていることにもなり、
これを区別することはできないのではないでしょうか。
これまで私は物理現象そのものが意識だと申し上げてきましたが、よくよく考えれば当然過ぎるのかもしれません。
自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、その意志が妨害されないことが重要だと思います。
意識の連続性を考えるならば、決定論の方が都合がいいでしょう。
なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
332 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 04:01:58
「物理法則」は、法律じゃないし、
それに逆らえないってわけじゃない。
一般的には成り立つ可能性が高いってだけ。
333 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 04:36:06
334 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 07:51:44
多世界解釈論は決定論者にとって厄介な敵じゃないんですか?真理先生。
335 :
哲子:2005/08/06(土) 08:00:53
>>329 書名 :宇宙に心はあるか
著者名 :ヴィクター・J.ステンガー/著 , 青木薫/訳
出版者 :講談社
以前、一回引用したことのある本です。
著者は物理学者です。
336 :
哲子:2005/08/06(土) 08:18:06
物理法則も「法則」であれば、時間的不変性と
空間的普遍性、やさしい言葉で言えば、いつでも
どこでも性が要求されるが、実際の物理法則は
そんな完全な法則といえるものではなく、
とりあえずの「仮説」ですね。
いつ、事実によって反証されてもおかしくない。
物理法則が事実を決めるのではなく、事実から
人間が読み取った「情報」が物理法則です。
解釈違いはいつでも存在しうるということを
忘れないほうがいいでしょう。
337 :
哲子:2005/08/06(土) 09:53:17
>>319 >法則の自律性
・・・とはどういうことでしょう?
>>301とあわせて解釈すると「法則」という概念の
捉え方が違ってるように思える。
新明解さんの解釈は
法則:一定の条件のもとでは常に成り立つものと
考えられる、自然界の事物相互の関係。
自然界に見られる秩序。
なんか、自然法則に特化したような定義だけど、この
定義をもとに
>>301を読解すると???ばっかりなんだけど。
で、この「法則」の自律性というのはどういう性質であろうか?
338 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 10:13:19
午前中からオナニーしたくなった
オナニーしていいですか?
339 :
でりだ:2005/08/06(土) 10:52:56
>335
ありがとう。読んでみます。
340 :
哲子:2005/08/06(土) 11:31:00
(⌒o⌒)
342 :
凡人:2005/08/06(土) 13:29:43
人の心は物理も化学も関係有りません。誰でもが持っている心を
わざわざ書物で覚えたり難しく考える必要も有りません。人の生きる道
は蒙昧意識また啓蒙意識を選ぶか、道は二つしか有りません。
人類史の全ては知能の発育を拒む蒙昧意識に全てを委ねてしまった為に
現代に至っては弱肉強食の尤も醜い時代に差しかかって、います。
知恵を辞書で引いて書かれている事の真意を理解できますか?
>哲子
>337
まず、俺も君の回答と同じく、法則は人間の意識上に再現されるものであり、
それは物理世界でも観念の世界でもなく、「紙の上」とでも呼ぶべき第三世界に属していると考える
「法則の自律性」とは、
論理や法則などの諸知識が我々の精神内の存在でしかなく我々の精神の影響を受けて変化するものであるという考えを
否定するものだ
俺は、科学法則をその時代において通用するだけのものだとか、知識をその社会性において通用するだけのものでしかない、とは考えない
論理にしても法則にしてもそれらを含めた諸知識にしても、個々人の観念から自律した客観的なものとして存在すると考える
すなわち、知識の実在性を説く。俺は「客観主義」の立場をとる
「フロギストン説」も現在において信じる者は皆無だが、我々はそれを知識として知ることができる
そして、いつでもこのような知識について検討することができるし、そこから多くを得ることができる
これは、知識が我々の精神から自律して存在すると考える理由になる
数学者の多くは、数学の定理を、人間がつくった産物でありながら人間の手を離れた客観的なものであると考えている
数的実在がこの世界に存在すると考える者も少なからずいるが、
仮に数的実在がこの世界に存在しないと考える者でも、数という概念が個々人の観念とは自律した存在であるという信念を持っているだろう
>法則
法則は人間の悟性概念の世界への適用でしょう
法律でも法則でも規則でもルールでも数式でも、それらは人間の認識上の産物であり
紙の上に書くことで、我々はそれを客観的産物として独立したものとして考えることができ
自らの認識をも批判、検討できる
>>332 >「物理法則」は、法律じゃないし、
>それに逆らえないってわけじゃない。
法則は言語上の普遍性を強いるものです
法律でも物理法則でもそれは変わらないと思います
>323
>それは断言できません。できる可能性があります。
記述はできない、これは断言できる
「未来を100%予測することはできない」を断言できるのと同じぐらい強く断言できる
>観念論も唯物論も、同じものを主観で見たか客観で見たかの違いにすぎないと思います。
>意識と物理現象の関係もこれと同じでしょう。
言葉に注意
ここでの「観念論」の対となるのは「実在論」だ
ここらへんの名前があやふやなのは哲学の良くないところだと思う
「認識の対象」と「形而上学的実体」、論として説明されることが異なるにも関わらず同じ名がついてる
「物理法則に従っている」と言われるときの法則というのは、
人間が観察から見つけた近似の式のことではありません。
ありとあらゆるものの存在性や現象を、あるべくしている何かのことです。
意識はそれに立脚しており、そこから外れる事は原理的に不可能です。
自身が立脚している法則を変える事はできません。
あらゆる存在は因果的事象に従って流されるだけ、
コントロールできない非因果的事象にぶつかって飛ばされるだけの、
大海に浮かぶ木の葉の様なものです。
>>344 >>323
>>それは断言できません。できる可能性があります。
>記述はできない、これは断言できる
>「未来を100%予測することはできない」を断言できるのと同じぐらい強く断言できる
そんな根拠はありません。自己再帰性で記述できる可能性はあります。
また、記述できると思っているのが非決定論者だと私は思います。
決定論者はどこまでも原因があると考えるため、
非決定性を導入できる場所がなく、永遠に記述することができない可能性があります。
347 :
哲子:2005/08/06(土) 16:38:52
>>343 法則の「自律」性じゃなく法則の自立性または独立性または客観性
ということですね。了解しました。
数学の公理系の条件として、無矛盾性・独立性・完全性が要求される
がこの独立性、それだけでほかのものを必要としないで成立する性質
に近いのかな。もちろん完全性が成立しないことは不完全性定理が
証明したことですが・・・。
>科学法則をその時代において通用するだけのものだとか、知識をその社会性において通用するだけのものでしかない、とは考えない
これはクーンのパラダイム論に対立する考え方でしょうか。
芭蕉の流行と不易にも対立するのかな。
哲子はどっちかというと科学法則でさえも流行があると考えるほうだけど。
もちろん空の星を観測するときはいまだに天道説にしたがって見るし、
自分の家の敷地くらいを量るときは地面は平らと見なし地球であると考えない。
間に合うなら簡単なもののほうがよい。
法則についての考え方については哲子の概念とずれていなかった。
それにしては
>>310はなぜ違和感があったのだろう?
348 :
哲子:2005/08/06(土) 16:52:32
>>347 事故訂正。
>>310は
>>301の間違いです。
ついでにヘンだなと感じたところを書いてみる。
いや、哲子の感想だからこの件についてのレスはいらないです。
>我々は法則を観察することができない
>「この世界に物理法則が存在する」という考えは唯物論とは相容れないようにすら思える
>多くの著名な数学者たちがプラトン主義の立場をとるのもここらへんが関係しているのかもね
数学で「存在する」はそう考えても矛盾がないことくらいの軽い存在だから。
数も定理もこの世界に存在するし実在とも感じる。
>>347 >もちろん完全性が成立しないことは不完全性定理が証明したことですが・・・。
違います。完全性が成立しないのではなく、証明できないものがあるというだけです。
350 :
哲子:2005/08/06(土) 17:11:14
>>349 >証明できないものがあるというだけです。
それが不完全性すなわち完全性がないということだよ。
>>350 私は、そういうことを言っているわけではありません。
「完全性」といってもいろいろあり、どういう意味での「完全性」かによります。
なぜ「ゲーデルの不完全性定理」がここで出てくるのか
よく分かりませんね。
正直に言って不完全性定理を理解できていませんが。
353 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 18:05:54
>>349 不完全性定理は、自然数論よりも複雑な理論に関しては完全な公理系が
作れないことを証明しているのだから、
>>347は間違ってないよ。
>>352 それ以前に、数学や物理をわかっていない人が、成果や結果だけを聞いて語ることに危機感を感じます。
大学一般教養レベルの教科書にある問題程度は解ける能力を身につけているのだろうかとか。
文系向けの解説書をいくら読んでわかった気になっていても、
実際に演習問題が解けないようなら、理解していないことになります。
355 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 18:14:28
>>354だけ読むと御立派なことが書かれているが、
「違います。完全性が成立しないのではなく、証明できないものがあるというだけです」
って発言した香具師と同一人だというところ・・・・・・。
>>355 立派でもなんでもなく、当然のことです。
357 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 18:24:51
「御立派」という日本語のニュアンスが読めない香具師か?
358 :
素人:2005/08/06(土) 18:25:37
>>354>>357 個人(或いは業界内の)知的満足の範囲内にしておけ。
専門知識(特に理系・科学)もなく日々過す一般大衆の一喜一憂を責める権利がお前にあるのか?
世の中全ての人間が、専門知識を身につけねばならないのか?
>>354はそうとしか読めない。ひどく傲慢なレスだ。
359 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 18:30:54
>>358 いや、その発言をしている御当人の発言をいくつか読んで見れば、
傲慢というよりは滑稽だということが分るはず。
だから、目くじらを立てることはないよ。
>>358 知らない事は知らないでいいんです。
知らない事を知っているかのように語ることを問題にしています。
うみねこや哲子のように、物理がわかっていないのに量子力学を語るといった行為に
問題があると感じています。
物理学は未だ生命を、脳を理解できていない。混乱の根本的な原因はここにある。
物理学はもっと謙虚であるべきだと思います。
>>361 やっぱり出てきましたね。
物理は極めて謙虚であることが理解できていない貴方がおかしいのですけど。
もはや狂人は相手にしていないから。
心配しなくとも良い。
364 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 18:49:45
もっと謙虚であるべきなのは物理学ではなく、「生半可な物理学の知識
からいい加減な哲学的帰結を導き出す香具師」だろうな。
>>363 貴方は自分がどう扱われているか理解されていないのだと思います。
貴方の気持ちの悪い掲示板は、哲子ですら書き込んでくれない寂しい所ですね。
>>364 仰るとおりですね。
私は哲学は物理学に立脚してはならないと何度も申し上げているのですけどね。
367 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 19:00:03
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目にある丸太に
気付かないのか」って言葉がどこかにあったなあ。
368 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 19:01:57
物理学者が原爆を作ったことを哲学者が批判してもそれはそれでイイだろ。
369 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 19:04:32
「哲学は物理学に立脚してはならない」とは思わないなあ。
古代の哲学は自然学と明確に区別されていないし、近代の哲学も
その時代の物理学を前提にしている場合が多いことを考えると、
物理学と無関係に哲学をしようという方が無茶なんじゃないかなあ。
>>369 無関係だとは私は思いません。哲学的世界の検証に物理や数学は有効だと思います。
立脚してはならないというのは、単に尤度の問題です。
数学と物理の関係と同じで、哲学が物理の間違いを含まない方がいいということです。
371 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 19:09:33
>>369 いや、自然科学や論理学は初期の哲学から分離・独立して一家を成しているよ。
哲学からみれば自然科学も論理学も手段の一つに過ぎないのであって立脚点ではなかろうよ。
>>370 確認なんですが、
エヴェレット解釈が正しそうだから哲学は決定論を支持すべきだ
ではなくて、
哲学的に決定論が正しそうだからエヴェレット解釈を支持すべきだ
なんですよね?
373 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 19:23:37
「尤度」って、どういう意味? 何て発音するの?
374 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 19:26:55
>>371 特に自然科学については、私は哲学の単なる「手段」とは思わないなあ。
自然科学が提示する「現実」は、その時代の哲学の前提でもあると思う。
>>372 マトリックスの世界を否定できず、イデアの世界すら超越する哲学の世界では、
何でもありで、(実世界に適用する上では)正しいも何もないような気がします。
エヴェレット解釈は、これまでの物理を用いて実世界を把握する上で、
最も有効であろう一つの手段または認識方法に過ぎません。
>>375 私は哲学が実生活に立脚するのは少し変なのではないかと思います。
哲学は実生活の手段なのでしょうか?
>>376 実生活に立脚しないで廃人になるのが哲学のような希ガス。
哲子さん、物理学は無生物を対象にして構築された体系に過ぎず、
物理学は生物を扱えてこなかった。
たとえば、生化学では酵素反応を測定するために細胞をすりつぶすが、
その時点で、それは生物を扱っているのではない。
医学では今もなお、in vitroデータは参考に過ぎず、in vivoデータ
(典型的にはヒトを対象とする臨床試験データ)こそ最終的な証拠とされる。
これらについてはどのように考えますか?
380 :
哲子:2005/08/06(土) 20:06:58
>>373 >「尤度」って、どういう意味? 何て発音するの?
♪小原庄助さん、もっともだ、もっともだぁ
381 :
哲子:2005/08/06(土) 20:08:51
382 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 20:09:37
最近は、分子生物学みたいに生命現象を物理・化学的現象に還元して理解
しようという発想が、病理学なんかでは普通なんじゃないの?
383 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 20:12:09
>>381 とくに自然主義哲学に限らないと思う。
ニュートンの力学とカントの認識論の関係とかもそうでしょ。
哲子さんが実はDel*****さんだったら面白いのになw
>>382 分子生物学は物理学者が創始した生物学であって、本来の生物学ではないよ。
ま、これはあくまで私の見方だが。
386 :
哲子:2005/08/06(土) 20:41:26
>>383 ニュートンまでいっちゃたら、プリンピキア
「自然哲学の数学的原理」、自然科学・哲学・数学が
未分化の世界でしょう。
でも、ユークリッドの原論に見習ってるのはみえみえですね。
387 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 20:48:10
┌─‐‐─┐ だがねさん、書き込む際に
|_____________| SG(セキュリティー・ガード)に登録しないと自作自演がバレますよ。
='========='== SGに登録せずに書き込んだ場合、あなたのパソコン内の
/ \ /│ 情報は他人に見られていると考えてほぼ間違いないでしょう。
┌|-(・)-(・)-|┐ 自作自演がばれる方の多くはこの登録を怠っています。
└| 〇 .|┘ 初期の頃から2ちゃんねるにいる方達は、ほとんどの方が
| ___ |||||__ | このBBSのコマンドの仕組みを知っています。ですから簡単に
| \__/ | あなたのIPアドレス等を抜き取り自作自演を見破ってしまいます。
| ||||| | このコマンドの方法は決して教えないというのが初期の頃から
2ちゃんねるにいる方達の間で暗黙の了解となっていましたが、
あまりの被害の多さに心を痛めた私はあえて公開することにしました。
SGしておけばまず抜かれるコマンド自体が無効になってしまうのでどんなにスキルが
ある人でもIPアドレスを抜くことが不可能になります。SGに登録する方法は、
名前欄に「 fusianasan 」と入れて書き込みする。これだけでSGの登録は完了します。
一度登録すれば、Cookieの設定をOFFにしない限り継続されます。
fusianasanは、正式にはフュージャネイザン、又はフュジャネイザンと読みます。
元々はイスラエルの学生達の間で、チャットの時にセキュリティを強化する為に
開発されたシステムです。これを行うことにより同一人物が書き込んでいるか
どうか判別する手段が遮断されるので安心です。ぜひ書き込む前には
名前蘭にfusianasanと入力してください。自分の身は自分で守りましょう。
388 :
考える名無しさん:2005/08/06(土) 21:02:01
389 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/06(土) 23:31:53
>>378 >たとえば、生化学では酵素反応を測定するために細胞をすりつぶすが、
>その時点で、それは生物を扱っているのではない。
ずっと以前に言及したのですが、「タバコモザイク病ウィルス」は、昔の人工衛星
のような形をしております。・・・アポロ計画の前・・マーキュリー計画じのような・・
それはどうでもよいのですが、タバコモザイク病ウィルスは、50年前から「結晶化」が
可能です。
要するに「粉以上に細かい物質」であり、当然「永久保存」出来ます。
しかし、一度「煙草の葉」に乗せられると「ウィルス」としての本領を発揮し、増殖
を始め、タバコモザイク病を煙草の葉にもたらします。
このような強力な生命(存)力をもったウィルスが、人類の「癌ウィルス」でないこと
(ならないこと)・・・を(人類の一員として「心底」)祈ります。
>哲子
>数学の公理系の条件として、無矛盾性・独立性・完全性が要求される
>がこの独立性、それだけでほかのものを必要としないで成立する性質
>に近いのかな。
かなり違います
オレオレが伝えたいものはかなり哲学プロパ、形而上学的な問題です
別に「矛盾を含んだ公理系」でも構いません
「矛盾を含んだ公理系」それ自体も、個々人の主観から自律して存在するでしょう
「『紙の上』とでも呼ぶべき第三世界に属していると考える 」
という表現が示す通り、ここで俺が述べた内容は第三世界論をモチーフにしています
>これはクーンのパラダイム論に対立する考え方でしょうか。
わたしの科学観はクーンのパラダイム論と対立するでしょうが
三世界論は形而上学的な話題なのでパラダイム論と対立させるのは難しいと思います
391 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/07(日) 00:13:47
>>390 結構素朴な発言かもしれまんが、「数学は『真理に近づくための道具(の一つ)』」
であり、『決して「真理そのもの」』ではない・・という「大前提」は崩れておりませんよね?
392 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/07(日) 00:29:27
>>390 >「矛盾を含んだ公理系」それ自体も、個々人の主観から自律して存在するでしょう
よく判らないのですが、
@「私と一緒に入浴すると全ては好転する」
A@を試してみなければ、私の宣託の審議は(永久に)判らない。
・・どうしますか?
というような「矛盾を含んだ(かに見える)公理?系」の「真偽」は、
(一般的に)「観念論」ではどう処理されるのですか?
>>391 わたしはここで数学の真偽を問題にしていない
どうも混乱させただけのようなので三世界論に関する発言はすべて却下します
忘れてください
394 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/07(日) 00:37:12
>>393 (なんとなくですが)諒解いたしました。
395 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 01:15:29
諒解・・・・ふふふっ、ざけた語を使うな。www
396 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/07(日) 01:39:53
>>395 >www
前から思っていたのですが、「www 」って「かっこいい」と自分で思っている
のですか?私には『こけおどしで「嗤え」ば効くかな・・とりあえず「www」で表現』
としか思えないので、『「(自分が)頭の悪い主体である」という告白』だとしか思って
おりませんでしたが・・・私の勘違い(だった)ですか?
397 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 01:55:10
難しい哲学は専門家に任せて馬鹿は何で馬鹿でいいのではないですか?
とガムさん達に意見を言って欲しいのです。
馬鹿でもいいじゃないか?・・・・・・ということを主張すべきです。
真理などクソ食らえ!馬鹿は馬鹿だからお前らより生活保障の額を多くするべきだ!
・・・という切実な要求・・・である。
「金をよこせ!」もっとよこせ!・・・もっともっと多くよこせ!ぶぁか!
398 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/07(日) 02:06:29
>>387 切実な生活というモノもあるとは「観念的」には理解できます。
「具体的に理解する」のは「友達の惨状」を目の当たりにしたとき
・・とかです。
「真理」は・・・あくまで「である」論ですが、「あるべき論」を
排除する訳ではなく・・・むしろ「歓迎」します。
「この世」や「人生」は「どうあるべきか」・・・率直な「レス」を
受容・・致します。・・・「歓迎」(まで)は出来かねます。
399 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 02:50:00
物理法則というのは、
従うべき規則ではないし、
絶対的な規範でも無い。
確率的に、そうなりやすい、
ってだけのこと。
現実と教義を混同すると、
宗教になるぞ。
>>389 ウイルスを例に挙げなければならない、というところが生物学を知らない証のようなものですね。
確かに多くの生物学者はウイルスを生命と認めるかどうかの結論を出すのを渋っていますが、
私はあれは生命ではない、少なくとも生命の単位としての細胞よりは下位の存在だと思います。
おそらく、ウイルスも生命だと考えていることが混乱を起こすひとつの原因です。
401 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 03:17:52
生物の最小単位は、細胞でしょう。
ウィルスは、他の生物の「環境」を得ないかぎり、
生物としては機能しませんね、少なくとも。
402 :
人間:2005/08/07(日) 04:52:20
脳とは時計である。如何なる時計も万人に正しいとは言われない。又、電池が不足すると針が狂うし狂った時間を平気で人に見せている。しかし、止まった時計を正しいと言う者はないだろう。時計に決定論はない。時計は時計に従い続けるだけである。
決定論⇔根性論
404 :
人間:2005/08/07(日) 05:08:44
又、脳を見たければ先ず地球を見よ。
405 :
人間:2005/08/07(日) 05:16:02
宇宙には決定論もなければ循環論もない正もなければ負もない。あるのは宇宙だけである。
人間は無力な赤子だと思います。決定されたままに従わされているのに
決定されていないと信じ込まされている赤子なんだと思います。
407 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 06:30:42
人間の脳こそファイナルフロンティア
クォンタムコンピューターじゃないか。
残念ながら全く使いこなせていないがね。
意識がマクロコズムとシンクロすれば
宇宙そのものがそこにあるといっても
過言ではないだろうね。
まあ、そこまでいっていたのはジーザス位か?
だから彼は「私と父は一体である」と言ったんだね。
まず肉体は入れ物でありそれを包み込んでいるのが
普遍のエネルギーたる私という所まで体験しなければ
進化はこれで頭打ちでしょう。
408 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 07:11:20
402←おまぃ学者か?1論破されたっぽぃ
今までさんざん論破されているのに本人だけ気がついていないというか・・・
>399
>物理法則というのは、
>従うべき規則ではないし、
>絶対的な規範でも無い。
物理法則に限らず、いかなる規則も言語上従わせる義務を要請します
また、それゆえに科学は法則を通じて新しい知識をつくりだすことができます
例を出すと、万有引力の法則があるならば(古典の例ですが)
それは法則という形をとるため、あらゆる対象を従わせます
たけとんぼのような例外が発見されると、例外を説明するために「揚力」などの新しい知識が導入されます
しかし揚力は重力が存在しなければ作用しようがありません
(重力なき揚力は目的となるものを説明するだけの内容をもたないでしょう)
「法則」は常に言語上普遍的に作用することを要請します
また、それが法が法足りうるゆえんです
>>410 > それは法則という形をとるため、あらゆる対象を従わせます
そうではなく、万有引力に思いついてから改めて周囲の対象物を眺めてみると、
あらゆる対象がそれに従っていることに気がつく、というロジックなのではありませんか?
412 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 10:04:38
このスレにカキコは初めてなんですが、素朴な疑問を一つ。
もし、自由意志がなくて、全てが因果関係で決定されているとして、
ある選択場面で、どちらかを決定するときに、意識内部で
片方の選択への圧力をまるで感じないことが多いのは不思議な気がする
んですが。
お腹がすく欲求を感じるから物を食べるという行為を選択する。
なるほどこの選択は因果律的な支配の中にあるようだ。
今、右手を上げるかどうか、それ自体、してもしなくてもいいような
行為を選択する場面ではどうか。べつにどちらを選択するべきかの
内部的な圧力は何も感じないですよね。
つまり意志の行為には、因果関係の圧力から必然的にさせてられてしまう
行為と、そうではない、自由な行為があるのではないでしょうか。
もし、その自由さは見かけの自由さであって、それすらも外側の因果法則から
「させられている」行為だというのであれば、なぜ食欲に駆り立てられて
ごはんを食べるときのような「圧力」を意識は感じないのでしょうか?
何か自分の意志とは関係のない、因果関係によって「させられる」ので
あれば、重力に引っ張られるような強制感を意識は感じると思うのですが、
そういうことはないわけです。
つまり自由意志の自由さは、自分の内部感覚によって、すでに証明されている
ってことはないでしょうか?
413 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 10:05:16
> 例を出すと、万有引力の法則があるならば(古典の例ですが)
> それは法則という形をとるため、あらゆる対象を従わせます
物理法則のような「現象に見出される規則性」と、倫理規範のような
「従う」べき規則は分けて考えた方がいいんじゃないのか?
そうしないと「万有引力に従わない物体にはどういう制裁が加えられるのか?」
みたいなことになるよ。
414 :
哲子:2005/08/07(日) 14:33:59
>>390 >「矛盾を含んだ公理系」それ自体も、個々人の主観から自律して存在するでしょう
まぁ、矛盾律を無視した「矛盾を含んだ公理系」では「どうでもいい論」となり
無分別、無法の論外となるでしょう。
理論や法則が主観から離れて間主観の文化として存在することは依存ありません。
三世界論ってポパーの自然界、精神界、文化界に準じる世界観でしょうか。
まさか、創価の第三世界ではないですよね。ペンローズの自然界、精神界、イデア界
でもないですね。
哲子はやはり世界はひとつ、この世界しかないと思います。
デカルトの自然界、精神界の二元論でさえその世界間の相互作用が問題となるのに、
三世界にすれば三角関係で相互作用がややこしくなるのは眼に見えている。
・・・と思って後々を見たら三世界論は取り下げですね。
>>412 >>254にも関連しますが、やはり決定論の方が自由意志があると思います。
どうも外界のマクロ的な物理的束縛から自由になるほど、意識は自由感や開放感を失う感じがします。
内部が外部から独立していればいるほど、外界との衝突が発生して不自由を感じ、
逆に内部が外部と連動していればいるほど、一体感や開放感を得られ、自由な感じを得られるようです。
離人っぽく意識を閉じ込めていくと、体を動かすのにも不自由感と苦痛を感じますが、
逆に意識を外界に拡張していくと、物理的には束縛されているはずなのに、圧倒的な自由感、気持ち良さを感じます。
自分の意識が外部に束縛されて決まっていることは、逆に考えれば自分の意識で外界を決めていることにもなり、
これを区別することはできないのではないでしょうか。
これまで私は物理現象そのものが意識だと申し上げてきましたが、よくよく考えれば当然過ぎるのかもしれません。
自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、その意志が妨害されないことが重要だと思います。
意識の連続性を考えるならば、決定論の方が都合がいいでしょう。
なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
>>414 >やはり世界はひとつ、この世界しかないと思います。
見方によっては、あまりにも当然で、三世界論でも同じことでしょう。
多世界解釈でも宇宙は一つですから。
「この世界」だけを信じるとどうしても独我論になると思います。
これは哲学的難問のひとつでまだ未解決だと思います。
むしろ哲学の方が疲れて放置気味になってしまった感があります。
418 :
哲子:2005/08/07(日) 17:46:21
>>378 うーん、特にまとまった考えがあるわけでもないですが・・・。
>物理学は無生物を対象にして構築された体系に過ぎず、
これは違うと思います。物理学は自然科学の一分科ですから、その対象は自然であって生物・非生物は問わない。
人間も自然物としての身体は物理法則にしたがうでしょう。
>物理学は生物を扱えてこなかった。
これはその通りですね。物理学では生命の解明はできていない。 生物学や生命科学や生理学や医学のほうが生命の解明が進んでいる。
理論物理学者のファインマンは「物理学法則はいかにして発見されたか」(岩波現代文庫 学術48 p189〜)の中で次のように言っています。
宇宙の諸現象は、いろんな階級、あるいは階層に分けて考えることができます。(中略)一方の極端には物理の基礎法則があります。(熱力学の法則のような)
もうひとつ階段を上がりますと・・・物の性質に関する諸概念がくる。(例:屈折率、表面張力)階層をもっと上にまいります。水には波がたちます。
「嵐」もあれば「太陽黒点」「星」もある。いちいち基礎までもどって考えていては大変です。事実上、不可能でしょう。
この複雑さの階段をもっと上にのぼりますと、筋肉の収縮とか神経を伝わる電気信号とかに出会うでしょう。これらは物質組織にかかわり、物理の世界としては
もう猛烈に複雑なものであります。このつぎに階段をのぼれば、・・「蛙」・・「人」「歴史」「政治」などという言葉ないし概念にたどりつく。・・・(中略)・・・
今日この階層を下から上まで貫く経糸を引くことはできません。それができると言挙げしてみてもしかたがない。このような階層構造があることが今ようやく
見えはじめたばかりだからであります。
「この世界」で思い出しましたが、ウィトゲンシュタインに言わせれば
「この世界しかないなんてのは当たり前だ。あれってどれなんだよ?」
と言われておしまいかもしれませんね。
>>317 哲子さん
すまんがようわからんかったとです。
ただ、言葉尻だけに反応させてもらえるならば将来の予測可能性を言うのは「自由意思はない派」であって、
「ある派」はむしろ自由意思があるために将来の予測が不可能であるといってるように思うんですがいかに。
「法則的決定論」者は、条件さえそろえば将来の予測はできるはずだと考えてると思うとだけど、
しかし一旦その予測が知識として与えられるなら少なくとも行為に関することでは別様に行為することができるに違いない、
ということも否定はできないんじゃなかろうか。
どだい無理な前提であろうから難癖に近いとは思うけど、法則を口にする以上頭のいたい問題じゃないかなあと思うんよ。
あと自由意思の問題で良い入門書があれば教えてください。
目に付いたところではホンデリック『あなたは自由ですか?―決定論の哲学』が網羅的で良さげに思いましたがどうですか?
俺は自由意思と決定論/非決定論の問題は心脳問題と同様に考えているのでその点についてもふれられてるようでポイント高そうです。
それから
>>312-314は明快でいいね。
贅沢言うようだけど自由意思についてもまとめてもらえんかなw
>>413 「倫理規範」には必ずしも制裁が加えられる必要がありません
また、倫理規範や物理法則に限らず、論理も数学もルールの性質をもってます
それらの性質は規則の内部において個別的な区別がなされないということです
(足し算が数字の2を扱う時だけは加算を拒否したら足し算の規則は崩れるでしょう
法律もまた個別的な理由付け以外の理由なく刑を左右させるならば、それは法であることを否定するものです)
また、俺は物理法則が現象に見出される規則性とは思えない
「万有引力」(古典の例ですが)の例外になりそうな現象なんていくらでも発見できる
揚力で空に上るたけとんぼ、張力で落下しない電灯
現象から法則を抽出して知識を得るという方法では科学の発展はなしえなかったと考える
>>422 あなたの考える「万有引力」の法則を定義していただけませんか?
>哲子
>>414 ええ、矛盾を含んだ公理系が無分別に陥るのは当然です
矛盾からは何でも導き出せますからアナーキズムに陥ります
しかし、そんなことはわたしの発言とは無関係です
>デカルトの自然界、精神界の二元論でさえその世界間の相互作用が問題となるのに、
>三世界にすれば三角関係で相互作用がややこしくなるのは眼に見えている。
第一世界と第三世界の間の相互作用は必ず第二世界を通過するのがポパーの三世界論です
三角関係にはなりません
三世界論の特徴は第三世界の自律性です
これがなければ三世界論は骨抜きも同然です
三世界論の話題はここらへんでやめにしましょう
>>423 ニュートンが考えてアインシュタインによって否定された遠隔作用の力の考えです
「物質は互いに引き合う力をもつ」
ここで俺は万有引力を例に出しているだけで、
別にいかなる理論でも構いませんし、それが現在において通用するかどうかを問題にしていません
どのような法則であれ、法則は言語上の普遍性を要請するものでしょう
>>425 現象からの規則性抽出という作業を排除した場合、ガリレオの
落下の実験についてはどのように説明しますか?
あるいは、現象からの規則性抽出に代わる作業として
何を仮定しますか?
>>426 ガリレオが、ピザの斜塔からものを落としてそこから科学的な知識を得たというのなら、
わたしはガリレオをあたまがおかしい変人だと思うことでしょう
「あなたはなんでわざわざピザの斜塔に上ってものを落としたのですか?」と
こういう話があります
研究室に集まった学生に
「みなさんは知識は観察より得られると考えてますね。では、観察してください」と言うと
学生はキョロキョロして何をしていいのか分からなくなるそうです
実験をする時はたいてい先に結果を期待するものです
そういう期待をもたずに純粋に観察から知識を抽出することはできません
実験より先に期待が先行するということは、科学的知識が現象から抽出されるような性質をもってないと考える理由になることでしょう
>430
あなたが「本質」という言葉で何を言おうとしているのか分かりません
それとガリレオはいきなりピサの斜塔からものを落とした
のではなく、斜面で何回か実験したそうです。
この時、物体の速度は重さとどうも関係ないらしいという
ことに気付いたらしいのですが。
>>431 では数学が実験に「先行」すると考えますか?
>432
どっちにしろ同じ
「おかしいと思ったから実験する」のであって
「実験したからおかしいと思う」のではない
>>434 了解しました。
では「押し付け」で上手くいくならばそれは学問として何ら問題が無いと
考えますか?
>>433 ええ、理論(ドグマ)は実験に先行すると考えます
ドグマなき実験はありません
>>436 観察からドグマが生まれる例は皆無だと考えますか、
それとも、少しあると考えますか?
オレオレ詐欺氏は、何についての話をしようとしているのかをあらかじめ示して、
その話の焦点に関心のある者と無い者、
読み手を選別してから書いたほうがいいんじゃないかと思う。
読み手は、何の話だか分からずにとりあえず読む。
例示が面白いので、読み手は話の焦点と関係ないところに目を奪われて、
いつまでたっても話が脱線しがちになる。
脱線もそれはそれで面白い事がある。
それを楽しんでいるのであれば別にいいのだが。
>435
誤解してほしくないのですが、
わたしは科学に敬意を払ってますし、科学的知識は他と比較して信頼に値すると考えてます
今までも科学を擁護してきましたしこれからも科学を擁護するでしょう
もっとも、「うまくいく」という表現は嫌いです
というのも、学問はそれがうまくいくためだけのものではなく、客観的知識を問題にしていると考えるからです
>>437 >観察からドグマが生まれる例は皆無だと考えますか、
>それとも、少しあると考えますか?
産まれたばかりの赤ん坊はドグマをもってないでしょうから日々の経験から生じるでしょうね
しかし、理論の種とでも言うべき部分は常に人間の想像力から産まれると思いますよ
441 :
素人:2005/08/07(日) 20:04:38
>>415 >>412への回答になっていないと思うが・・
気のせいか?
論点ずらしすぎじゃないのか?w
442 :
哲子:2005/08/07(日) 20:04:43
>>417 >「この世界」だけを信じるとどうしても独我論になると思います。
「私の世界」なら独我論でなんら問題ない。
「あなたの世界」も「私の世界」と同じだなんて言えないでしょう。
443 :
哲子:2005/08/07(日) 21:14:36
>>420 むりやり決定論と自由意志を関連付けて説明したからかえって
解りづらくなってしまったのでしょうか?
哲子の「自由」は自分自身によること、だけの意味しか持たせていない
ので「意志」は本質的に「自由」であるという立場です。
自分自身で意識しているかぎり自由です。意識はすべて自由です。
もちろん無意識であっても自分自身の行動であれば自由です。
>将来の予測可能性を言うのは「自由意思はない派」であって、
>「ある派」はむしろ自由意思があるために将来の予測が不可能であるといってるように思うんですがいかに。
普通はそうだと思います。ところがここではちょうどその反対をいうやつがいて
決定論だから予測不可能なんていってます。
本の紹介、ありがとうございました。図書館で探して見ます。
444 :
考える名無しさん:2005/08/07(日) 22:38:14
>>412 > もし、自由意志がなくて、全てが因果関係で決定されているとして、
> ある選択場面で、どちらかを決定するときに、意識内部で
> 片方の選択への圧力をまるで感じないことが多いのは不思議な気がする
> んですが。
問いをこんな風に置き換えた場合、どう思う?
「ある者の意識が完全に同一の状態で完全に同一の状況に置かれたとき、
異なる意思を持って異なる選択をすることはありうるか」
446 :
412:2005/08/07(日) 23:33:11
>>415 すいません。ド素人なもんで意味がさっぱり。。。
>>445 さぁ?「ある者の意識が完全に同一の状態で完全に同一の状況に置かれたとき」
なんてことがありえるんですか?
まあ、そういうことがありえるとしてもいいや。
私の質問は、万が一そういうことがありえたとしても、その同一状況に
置かれたとき、もし自らの自由意志じゃなくて、物理的法則や
因果関係なりで、ある行為をさせられているのであれば、
その状況の意識内部で、外からの圧力とか内部からの欲求のような圧力とか、
感じるはずじゃないかってことなんですが・・・
人間はビルから落ちたら、重力で下に引っ張られているって感じるじゃ
ないですか。これはもう必然的に逃れられない強制力を感じるわけです。
意識的に何かを選択するときに、そうせざるをえない強制力って
ぜんぜん感じないですよ。
これは端的に意志が因果律から自由だって証明になっていないかってことなんですけど・・
447 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/08(月) 00:16:40
>>400 >私はあれは生命ではない、少なくとも生命の単位としての細胞よりは下位の存在だと思います。
「私は」・・・は正しい「限定」です。
>生命の単位としての細胞
??「生命の単位は細胞」であると誰が決めたのですか?
>下位の存在だ
ということは「(物理学的)構造が単純である」ということについて
(の限り)「そのとおり」だと思います。
「『アダムを創った(と言われている)存在』にとって下位」という意味では「ありません」
>>446 > その状況の意識内部で、外からの圧力とか内部からの欲求のような圧力とか、
> 感じるはずじゃないかってことなんですが・・・
決定性に対する主観者の自覚がなくても、決定論は成立しうる。
同一入力に対して同一出力しかなされないなら、その過程が強制であろう
と自発であろうと、決定性があることは変わらない。
逆に自由意志を主張するなら、同一入力に対して複数出力がありうること
こそが論点になる。
449 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/08(月) 00:27:40
>>446 すみません、読むつもり無く読んでしまったので、
>人間はビルから落ちたら、重力で下に引っ張られているって感じるじゃ
>ないですか。これはもう必然的に逃れられない強制力を感じるわけです。
「重力で下に引っ張られているって感じるじゃないですか
・・・「感じない」が正解です。
「重力」は「加速度」ですので「加速するとき&減速するとき」だけに
「感じる」ことが出来ます。
(地球の重力による)「慣性運動」に入った後(落下中)は、
「地球上において『重力加速度』を感じないで済む数少ない瞬間」の一つです。
450 :
素人:2005/08/08(月) 00:37:28
同一入力こそがあり得ないのでは?
451 :
考える名無しさん:2005/08/08(月) 00:37:56
>>448 >逆に自由意志を主張するなら、同一入力に対して複数出力がありうること
こそが論点になる。
これは何かをしたい誘惑に駆られても、しない選択もできるってことじゃ
駄目なんですか?
>決定性に対する主観者の自覚がなくても、決定論は成立しうる。
どうして成立しうるのか説明してもらえんでしょうか?
決定論では「いつも常に」内外からの強制力が働いているはずなのに、
意識はそれを感じることが理由を教えてください。
私はそれが一番知りたいんです。
>>449 比喩がおかしかったらすいません。物理って苦手なので。
452 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/08(月) 00:38:38
>>445 >「ある者の意識が完全に同一の状態で完全に同一の状況に置かれたとき、
>異なる意思を持って異なる選択をすることはありうるか」
ありえません。コンピュータプログラムに「同一のインプット」があった場合、
「異なる解」が出てくれば
@解はインプットに依存しない解を示すようなプログラム
A解は「乱数だけに(依存して)アウトプットされるプログラム
B解は「回答×乱数」で出力されるようにされているプログラム
の「いずれか」だと思われます。
453 :
考える名無しさん:2005/08/08(月) 00:42:43
刻み(スケール)が定常解を変える場合は?@AB?
454 :
412:2005/08/08(月) 01:11:34
>>451書き間違えました
決定論では「いつも常に」内外からの強制力が働いているはずなのに、
意識はそれを感じない理由を教えてください。
>>454 プログラムで動いているキャラクターが制限を感じない(ように作られている)のと同じです。
決定論的作用で、意識がそれを感じないように作られているだけのことです。
>>451 選択に理由があるならば、同じ状態の中で何度やっても同じ選択をするでしょう。
理由の選択の意志を保証するのが決定論です。
選択に理由があっても、その意志が因果的物理作用に関係なく勝手に変えられてしまうのが、
非決定論です。
非決定論の世界では自由意志が妨害されます。
>>451 > これは何かをしたい誘惑に駆られても、しない選択もできるってことじゃ
> 駄目なんですか?
何もしないのもひとつの選択であり、行動を取ったことになる。
>>454 > 決定論では「いつも常に」内外からの強制力が働いているはずなのに、
> 意識はそれを感じない理由を教えてください。
決定性すなわち強制というわけではないけれど、あえてその語を借りれば、
自発的にそうするよう「強制」されているため自覚できない、ということ
になる。そういう世界観がありうる。
ここでどんな状態や状況においても最善の選択はひとつしかないと仮定す
ると、つねに最善をなす者のおこなう選択は状態や状況と1対1に対応し、
ただひとつしかない。その者自身は選択の時ごとにさまざまに感じたり考
えたりした上で選択するのだとしても、結果として、あるいは事実として
ただひとつの選択しかありえないなら、それは世界の決定性と見なしうる。
自分の世界観に合致するかどうかとは別に、まず一説として整合性がある
かという点に絞って考えてみて欲しい。
>>456 ×理由の選択の意志を保証するのが決定論です。
○理由のある選択の意志を保証するのが決定論です。
orz
459 :
412:2005/08/08(月) 04:23:15
>>455 >プログラムで動いているキャラクターが制限を感じない(ように作られている)のと同じです。
食欲や性欲は一種のプログラムですよね?
人間はそういうプログラムに圧力を感じるですよ。
あるいは道徳も環境プログラムみたいなもので、それも「〜するべき」って
形で圧力を感じる。
生きている人間はゲームの登場人物とは違って、日々、そういう圧力を
感じて生きてるんですけど・・・だけど、最終的な選択の瞬間にそういう
圧力を無視できる自由感があるのはなんで?っていう疑問なんですけどね。
>決定論的作用で、意識がそれを感じないように作られているだけのことです。
食欲や性欲や道徳などの圧力は感じるのに、最後の選択の瞬間に何も
感じない。それって変じゃないですか?
「感じないように作られている」では説明になっていない気が・・・
460 :
412:2005/08/08(月) 04:27:15
>456
>>457はよく理解できませんでした。
>自発的にそうするよう「強制」されているため自覚できない、ということ
>になる。そういう世界観がありうる
こういう状況がどういう状況なのか、イメージできないんです。
こういう状況を具体的な例で説明してもらえないでしょうか?
461 :
考える名無しさん:2005/08/08(月) 07:32:18
>>459 >人間はそういうプログラムに圧力を感じるですよ。
人は、感じるように作られているものだけ「感じ」られます。
またクオリアと同じで個人差もあります。
>感じない。それって変じゃないですか?
そういう違いがあるのは変でもなんでもありません。
貴方の欠落してしまったクオリアなのかもしれませんが。
463 :
412:2005/08/08(月) 11:39:01
>>462 >そういう違いがあるのは変でもなんでもありません。 ]
説明できないのだったら、素直にわからないって言えばいいのに・・・
>貴方の欠落してしまったクオリアなのかもしれませんが。
どーいう意味ですか?バカにされてるらしいのはわかるんですが、
日本語になってないですよw
>>463 >説明できないのだったら、
そうではなく、貴方が感じないのが変だとおっしゃるので、
変ではないことを説明しました。光を感じない盲人がいるのは変なことではありません。
>どーいう意味ですか?バカにされてるらしいのはわかるんですが
それは貴方の思い込みと飛躍です。馬鹿になどしておりません。書き方がおかしかったですが、
「感じない原因は、クオリアの欠如によるものかもしれません」ということです。
465 :
412:2005/08/08(月) 14:10:27
>>464 >「感じない原因は、クオリアの欠如によるものかもしれません」ということです。
ん?私は何か行動を選択するさいに、生物的な欲望や、道徳的な
良心の命令というような、外圧内圧という強制力は感じるけれど、
最終的な選択をするさいに、自由な感じがあり、何かの因果関係や
法則に「従わされている」感覚はない、って言ってるんですが。
そういう選択のさいに、私が何も感じないのは、私の感覚に
何か欠如してるものがあると言いたいのかな?
何かしようと決意するときに、そうさせられているクオリア?を
感じる人なんているんですか?
何も感じないのに、納得もいく説明もなしに、それは気づかないだけだ
と断定するのはもうほとんど宗教と同じような気がするんですけれど・・・
>>465 別に気が付かなくてもいいのではないですか?
私は誰もが気が付く必要があるとは思いません。
世界に盲人が多くてもそれはそれでいいのですし、
盲人に「この絵は素晴らしいから信じろ」というような宗教には大反対です。
ただ、私は「私にとってこの絵は素晴らしい」ということを感じているだけです。
467 :
412:2005/08/08(月) 14:58:50
>>466 ???
あなたは何かしようと決意するときに、そうさせられているクオリア?を
感じる人なのかしらん?
(・∀・)ニヤニヤ
オフィシャル自作自演スレ
(・∀゜)ゲラゲラ
自作自演にひっかかるおれは負け組ですか?
472 :
412:2005/08/08(月) 18:07:07
ばれちまったようだ。
暇つぶしにヒキコモリの相手をしてやったが暇つぶしにさえならねーなww
473 :
史的唯物論:2005/08/08(月) 22:23:15
未来はすべて決定されてると強く主張する人はそう主張するのに大きな価値を感じてるからなのさ
価値を感じてることが決定論を主張することを決めてる
価値を感じる原因は結構ある
>>467 決意しようとする時だけではありません。常にです。
何もしていない時も、何もしようとしないという選択をしているに過ぎません。
>>472 私はヒキコモリではありません。定職についていますし、道場に通ってもいます。
>>473 それはそうですね。絵の価値は絵の見れる人にありますからね。
475 :
史的唯物論:2005/08/08(月) 22:52:18
それ以外に根拠はないのにね
道場って何の道場?カルト集団道場?
>>475 クオリアに根拠など必要ないと思います。感じるか感じないかだと思いますね。
478 :
考える名無しさん:2005/08/08(月) 23:25:54
ま、デムパも殺人指令を受信したクオリアを持ってるだろうしね
479 :
457:2005/08/08(月) 23:47:17
>>472を見て
>>460に回答が必要なのか迷ってるんだけど、本当に通じなかっ
たのか、そういうフリをしただけなのかどっち?
480 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/09(火) 00:54:08
>>464>>465 >「感じない原因は、クオリアの欠如によるものかもしれません」ということです。
そうです「クオリアの欠如」です。
当然「感覚的クオリア」はその場所とその時間が一致すれば「ほぼ同一」ですが、
図書館で本を選んで読んでいる人の「クオリア」は「志向的クオリア」であす。
世に言う「名作」に感動できない方は「志向的クオリア」(の蓄積)が不足している
・・のかもしれません。
いわゆる「猫に小判」「馬の耳に念仏」・・という現象です。
端で見てると「信じられない」ような反応をする「鑑賞者達」のことです。
クオリアってのは哲学界の水戸黄門の印籠か?
クオリアって言えば済むと思ってるようだなw
ところで、Wikipediaのクオリアの記述で理解しても構わないのかな?
482 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/09(火) 01:14:37
Wikipediaでも「世界大百科事典」でも「知恵蔵」でも「・・・基礎知識」
でも「英国アカデミー公認定義」でも結構です・・・が、
「ラング」は「パロール」によって「揺動」します。その「揺動」が重要なのです。
得に「クオリア」という新しい「概念・・というか、観念論者が無視してきた領域」
については「唯物論の有力な(重要な)概念」となり得るというか・・・
重要な概念になることは絶対的である・・・と言えます。
その前提には「コンピュータ科学」の世界における「マン・マシンインターフェース」
の研究の飛躍的進展があります。
>>482 一度でいいから、クオリアが「唯物論の有力な概念となり得る」と考える根拠をきちんと
説明してほしい。その辺が欠落しているように思える。クオリアをきちんと説明できた人は
まだいないと思っているが、それは間違いか? どこのだれがどのようにクオリアを
唯物論的に説明したのか、紹介してくれないか。
クオリア、クオリアと叫ぶ割に、その辺の説明が皆無。それではだれにも理解されない。
484 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 02:27:04
物理法則なんてものは無いだろ。
傾向をモデル化した計算式やらはあるけど。
485 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 02:41:53
科学と宗教は、
ともに世界を認識する手段としては同じだけど、
考え方が、まったく逆なんだわな。
現実と教義に相違が見られる場合、
教義を修正するのが科学、
現実を否定するのが宗教。
ようするに、
現象が法則に従ってるんじゃなくて、
法則で現象をあらわそうとするのが、
本来の目的。
486 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 05:38:28
クオリアを大問題にしているのは哲学者じゃなくてソニーや松下の技術者
487 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 08:07:07
どうでもいいがクオリアって欠如したり、増えたりするものなのか?
488 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 08:13:48
欠如したり増えたりすることはないが、欠陥が見つかって改修・修理されることはある>クオリア
489 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 12:27:41
>>488 >欠陥が見つかって改修・修理されることはある>クオリア
クオリアの欠陥ってどういうこと?
改修・修理されたことがどのようにして感じられるの?
クオリアは知覚とは違うのではないか?
知覚なら修正も知覚できるだろうが、感覚の修正はできないのではないか?
決定論というのは行動を選択する主体がそれを感じることができないという
ことが肝だと思う。
もしSYNが主張するように一挙手一投足ごとに決定論的な強制力を感じるなんてことに
なったら、ただの操り人形のようなクオリアしか持てなくなるはず。
>>490 >決定論というのは行動を選択する主体がそれを感じることができないということが肝だと思う。
主体がそれを感じないように、脳が意識を騙しています。
決定論的作用でこそ、これが維持できると思います。
>SYNが主張するように一挙手一投足ごとに決定論的な強制力を感じる
これは私の主張ではありません。
492 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 16:57:35
>クオリアに根拠など必要ないと思います。
クオリアは決定論に従わないということですね。
493 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 18:04:41
クオリアは決定論に従ってるだろ。受ける一方なだけで。
クオリアって哲学的領域の問題でしょうか?わたしには、そうは思えません。
Wikには、次のように書かれている。
但し、このようなクオリアなる概念を全ての科学者、哲学者などが
受け入れているわけではない。一般に、クオリアを認めることは、
人間の意識について物質や物質的作用の次元では説明できない
側面があることを認めることにつながる。
少なくとも唯物論的ではない希ガス
496 :
素人:2005/08/09(火) 18:28:55
五蘊で言ったら
受、いや、想にあたるかな?
いやいや、受と想のさらに間かな?
いやいやいや、色と受の間か?
どっちにしても、えらく曖昧でつかみどころのない概念だね。クオリアってのは・・
五蘊の想もむつかしいけどね(^^;)
497 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/09(火) 18:39:55
>>496素人さん
難しいですね。私は限りなく「想」に近いとは思うのですが。
縁に因って「生ずる」のですから個別に限定は難しいです。
〜の間はいい表現ですね。
498 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 18:57:00
>>495 物にクオリアがあるならば唯物論的だと思う。幽霊にクオリアがあれば別だが。
499 :
観念論的唯念論者 ◆udZBvQ2aNk :2005/08/09(火) 19:26:34
この世界はすべて私の観念です
500 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 19:28:18
物にクオリアがあるっていうのは物に霊が宿ってるっていうのと
同じじゃないか?それって唯物論的なのか?
501 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 19:31:21
>>500 それが物の性質であれば唯物論になる。
唯物論は物の正体が何かを説明しないで、そういう物があるとして世界を説明する。
>>500>>501 私も
>>501さんのおっしゃるように、「物自体」が
「クオリア」の変化を規定するという立場がこのスレ
における「唯物論」の多数派だと理解しています。
私自身は「物自体」「現象」「関係性」という三元論を
今のところは支持します。
まあ哲学っていうより信仰告白だね
504 :
素人:2005/08/09(火) 20:17:54
>>497 無理して当て嵌めればってことだからw
五蘊だって「色・受・行・識」でも良さげな感もあるし・・(傲慢だな、俺w)
唯識の方だとしっくり来るのがあったりしないのかな?
ってゆうか、わざわざクオリアなるものを想定する必要性を感じないわけで・・・(^^;)
イデアとかいう考え方は理解しやすいんだけどね・・
>>504 仏教思想とクオリアは近親だと思うのですが、そこは
捉え方が私と違うようですね。
507 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 20:37:05
色のみは唯物
色心なら二元
色行識なら三元
色受行識なら四元
色受想行識なら五元
色受想思触欲慧念作意勝解・・・なら75元
そんなに分別してどうする?
俺が子供の頃は燃えるゴミと燃えないゴミの区別しかなかったが。
>>507 分類は学問の要件だと思います。
一元論は説明になっていない。
AはXである、BもXである、CもXである・・・
一元論はむしろ体験でしょう。
510 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 20:54:39
A,B,C,クオリア、QUALIA、すべて計算機の一種です。
512 :
素人:2005/08/09(火) 22:38:44
>>506 2500年の歴史の間、
素朴な人生訓から仔細な哲学まで、仏教にも種々あるが一つ言える事は、
仏教が対象とするものは、しっかりと(知覚)認識できるもののみだということです。
別の言い方をすれば、「○○は、これこれこのようである」と如実に知りうるもののみを対象とするということです。
それが出来ないものについて無記が言われているわけで・・。
クオリアは捉え所がなさ過ぎるw 敢えて言えば虚妄ではないかと・・・。
また、百歩譲ってクオリアが存在するとしても、それは
刺激を感受して意識に上るまでの間のとある一課程を任意に抽出したに過ぎず、
何の特別なこともないように思う。
と、乱暴な物言いをしてみるてすと
513 :
457:2005/08/09(火) 22:44:53
>>505 了解。
例えば、喜劇には人を笑わせる作用がある(笑えない喜劇についてはひと
まず置いとく)。
誰をも笑わせる究極の喜劇を仮定すると、その喜劇は笑いについてある種
の決定性を持つと捉えることができるが、ではその喜劇は笑いを強いる圧
力を感じさせるだろうか?
バイオリン等弦楽器のある種の旋律を聴くと物悲しくなるな・・
う〜む・・・
パブロフの犬との違いをはっきりして欲しいな
>>512 レスありがとうございます。
クオリアは「この赤さ」であり、要するに「赤とは〜である」という
説明によらない「まさに認識している当のもの」だと、私は
理解しています。
つまり、クオリアの総体は「まさにこの世界」であると言い得る
のではないでしょうか?
私はクオリア=現象=表象=色=「まさにこれ」ではないかと思います。
518 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/09(火) 23:02:48
>>516 >>感じる、という対応関係こそあるものの、両者は別のものなのではないか、と考えることもできる。
>>クオリアとは、ここで、「脳の状態」だけからは説明できない「痛みの感触それ自体」にあたる
について『「516さん」は同意している』という前提で・・・
@対応関係に「ある」とは・・「因果的有効性で結びついている」ということですか?
A「説明できない・・・感じ」とは、『言語化できない「脳内事象」も存在する』という
エクリチュールと「置き換え」が・・・可能(なことのこと)ですか?
>>518 私は意味の指示説を一応受け入れているので、指示できない
脳内現象は無いと思います。ですが、極端な話、私の脳内現象
は他人に指示できないわけですから、ウィトゲンシュタインには
反対なのですが(語り得るものは何も無い)。
対応関係にあるということは、因果関係にあると考えていいと思います。
ただ疑問はいくつか残りますね。
(1)物質自体がクオリアに影響を与えるならクオリアも
物質自体に影響を与えるのか?(ペンローズの『精神界』
は『物質界』に影響を与える、というのはそういう意味か?)
(2)自然科学は物質自体の仮設的モデルなのか、クオリア
のモデルなのか?
(3)数学は???
まあペンローズは読んでないから何とも言えないのでは
ありますが。
523 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/09(火) 23:34:27
>>522 >>516の添付を「何故か読めない状況」なので、どうとも言えるし
どうも言えないのですが・・・
>>517 >私はクオリア=現象=表象=色=「まさにこれ」ではないかと思います。
は、
@「=」の使い方の間違い
A「概念の理解」の間違い
のどちらか・・です。
「間違い」ありません。
524 :
考える名無しさん:2005/08/09(火) 23:37:18
井戸端
525 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/09(火) 23:40:06
>>512 >仏教が対象とするものは、しっかりと(知覚)認識できるもののみだということです。
なるほど、だから「加速器の乾板に検出された粒子の軌跡」など「直接見れないもの」は、
全部「煩悩である」・・・ということですか?
私には(結局は)「我」に固執するそういう『宗教的態度』こそ「煩悩」だと思えますが?
526 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/09(火) 23:50:36
>>525機械さん
いい喩えですね。
心と宇宙をそのまま表しているようです。
527 :
ハル:2005/08/09(火) 23:51:15
>>512 空は対象としての理解は出来るが理論に内包するような理解は不可能。
むしろ空は理論的には矛盾そのもの。
ただしそれを単なる無じゃないとするのが科学と違うところ。
528 :
素人:2005/08/09(火) 23:55:36
>>517 参考までに、再び乱暴な(見る人が見れば怒りそうなw)提示を一つ
色 受 想 行 識
対象→ 感受 →想起→思考(意志)→認識
対象→ 感覚器官 →神経間伝達→(脳の神経が)それを受容→その影響による脳内の変化
あ、根境識と言った時の識が多少クオリアに近いかも・・・ わかんないけどw
529 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/09(火) 23:56:28
>>495 @>但し、このようなクオリアなる概念を全ての科学者、哲学者などが
>受け入れているわけではない。
A>一般に、クオリアを認めることは、人間の意識について物質や物質的
作用の次元では説明できない側面があることを認めることにつながる。
このような「疑似科学」=観念論の変装形態は、必ず「馬脚」を顕しております。
@「全ての・・は・・であるとは限らない」
A一般には・・
必ず「説明できない」(必須概念)が入っているけど、『「説明すること」とは何か?』
についての「説明」は「無い」・・・オレオレ詐欺とかフィッシングの類の「言葉のマジック」
だと思います。
・・・ご本人が「真理だと思ってレスしたのニィ!」と思っているなら、「ごめんなさい」です。
いつみてもキモイスレだこと
531 :
考える名無しさん:2005/08/10(水) 00:00:27
¶¶¶¶¶¶¶""""""¶¶¶¶¶¶
000◯◯0 _,,,,, ▼,,,≡0◯
¶¶¶¶ ¶ ¶''' ≡≡ヽ¶
¶¶¶¶ ¶ ≡ _ヽ、
r‐、'" ) ¶¶¶¶ ,,;;;;;;-=ヽ、
/ / / ¶¶¶;| ,,,,,;;;;;;;;;-、 ‐'"゙≡≡≡,_\
r‐、' ヽ/ヽ/゙l ¶¶¶;/ /-─'''''''"ヽ "((・)〉|≡ヽ、
/ ノ / /、ノ ¶¶;| '",,〈 (・)》 ヽ " 、≡≡≡ ヽ
/ヽ、/ヽ/ヽ/ / ,┴、;| ==ニ-‐'" , ヽ、 ≡≡ ゙i
/ヽ、/ / /、_/ |l |ヽl /l .)\≡≡ i
/ /--/、/_ / \|lノl /└-‐ヽ-‐' ヽ≡ i
/ ─'''" ''、/ l、 ゙| / ,,---'ニ=メ i≡;.|
/ / ヽ-i i' /-l「ヽ┼+//≡≡ /
>>529 そうかな?
./ ─-、__,,-- / ヽ、 ヽ=ヽ─++-''ノ≡≡ /、
/ / ̄ヽ ,,,,\ ヽ ┗━━━≡≡ / ヾヽ、
/ / ゙\____,,-''''" \ ≡≡≡ / )
./ / l'" ヽ、 \ヽ、 ≡/ /
l l __,,,,ノ \ ゙''ヽ 、,,,__,,;-'" /
l ,,,-─''" ヽ、,,, ,,‐"
人 ,,,,,,─''" ゙゙゙'''''''''''''''"~
532 :
ハル:2005/08/10(水) 00:02:38
>>528 分析的なアビダルマの方向に議論を進めようとするとそういう方向にいってしまいそうだね・・・。
533 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/10(水) 00:11:16
>>532 何故か仏教徒に人気が出てきたことについては懸念しております。
勘違いしないで下さい。
「真理」は「自然科学の探究する(した)『この世界』の歴史的知識の蓄積」
と「社会科学が『動物である人類』を「自然科学の真理」に近づけた』結果、
明らかになりつつある「ビッグバン宇宙論と相対性理論の融合」による、
THIS「4次元空間の完璧な説明」であり・・それ以外は「説明ではない感想」
です。
「真理は一つしかない」・・・それが「真理」の正体です。
>>521 物理現象と意識(クオリアを含む)は、表裏一体、
同じものを客観で捉えるか、主観で捉えるかの違いしかないと思います。
どちらが影響を与えるというものではなく、単に世界の事象が変化しているだけでしょう。
535 :
ハル:2005/08/10(水) 00:23:04
>>533 まず、ビックバン理論自体が不完全です。ボアンカレ十二面体の可能性もそうです。
この宇宙の真理が絶対だというのも結局は新しい人間中心主義に過ぎないのではないでしょうか。
宇宙はいくらでもあってもおかしくないのです。
それが具体的に何なのかは全く分かりませんが否定も出来ません。
科学とは基本的に否定できないものを経験則として認めてきたものでしょう。
詭弁と取るならそれでもいいですが、理解不能なものも認めなければ真理は絶対を含むことは出来ません。
真理とは力関係の結果の蓄積でそれが汎的であるとは認められません。
そうであればその言葉を言うだけで世界が変わるという魔術的なことが起こるはずですが、無理でしょう。
1+1=2をいくら言っても無意味です。真理とは基本的に結果論です。
>>535 真理は存在しても、人間がその全てを知りえないだけでしょう。
イデア界にあるもの、例えば円周率の値は不変です。
538 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/10(水) 00:37:05
>>535 「空を見上げた」ことはありますか?
殆どの「星」は太陽が「1兆個ずつ」含まれる「銀河宇宙」が、
「星」に見えているだけです。
太陽まで「光の速度(時間の速度)で「約8分」かかりますが、
その太陽の「隣の恒星」・・・これもどうということはない「ありふれた太陽」
まで、「光の速度」で「4年間」かかるのです。
それほど宇宙は「巨大」であるにも拘わらず「果てがある」ことは、世界中の
宇宙科学者が認めており、・・137億光年(距離の単位)先に「ビッグバン」
=「この4次元宇宙の時間の始まり」を「望遠鏡で見る」ことが出来るのです。
そのことを、よく考えて、みなさん「仏陀が悟った」とか「キリストが神の子である」
とかの「馬鹿な偏見」に費やす(無駄な)時間を省略すべきです。
ましてや、こんな「宇宙の辺境で)「イスラムの理想(要するに意地)のために自爆テロを
敢行する」ことや他国の侵略に備えて大量殺戮兵器を準備する」などの「愚かしさ」を「観賞」
すべきです。
>>538 このシトは無内容な大言壮語が好きですが、キリスト教も仏教も理解していないことは確かです。
批判するには批判の対象を知らなければならないという原則も不在です。開き直ってますから。
自作自演で競演
542 :
ハル:2005/08/10(水) 00:44:19
>>536 その場合、実は人間の存在の根底には全知全能な決定論的な何かがあると考えなくてはならない。
そうしなくてはその理論は成り立つことを許されない。
その無限の知識の一部を我々は切り取って遊んでいるに過ぎないといったような解釈をしなくてはならない。
円周率は計算して初めて値が出るともいえます。本当の値など誰も知りません。それは無限の向こうに消え果ています。それを知りうるためには我々が本当は全知全能な何かを内在的に保有していなくてはならないことになる。
543 :
考える名無しさん:2005/08/10(水) 00:45:28
唯物論=決定論、というのはわかりやすい。
しかし現実に自由意志があるというのをどう説明するのか。
おれも中学生の頃、辞書でみた言葉を並べて無意味な文を作って遊んだもんだ。
哲
板
は
自
作
自
演
者
に
と
っ
て
数
少
な
い
聖
域
546 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/10(水) 00:51:54
>>539 仏教も基督教もまに教もゾロアスター教もヒンズー教もイスラム教も
「真理に反する信念を人類の個体に植え付けて、人類の個体の本来あるべき
生存を脅かした」罪で・・・いずれは「断罪」されると思います。
「宗教は阿片である」と言ったのはマルクスですが、「その部分」だけは正しいと思います。
@「宗教を信じている方が楽である」
A人生は1回しか何ので、「楽をする」=安楽椅子に横たわることは「悪」であり、
「あらゆる可能性を探して奔走すべきである」
・・・私はAの方が「絶対的に正しい」と思うだけのことです。
「(宗教を含む)全部の観念論」は、@を選択し、人々が人生を浪費する手助けを
する」・・・という意味で、「宗教は阿片である」という言説は「正しい」と思います。
>>542 >その場合、実は人間の存在の根底には全知全能な決定論的な何かがあると考えなくてはならない。
その存在が果たして全知全能かまではわからないと思いますが、
人間から見ればそう見える決定論的な何かであると思います。
それは兎も角、
>そうしなくてはその理論は成り立つことを許されない。
>その無限の知識の一部を我々は切り取って遊んでいるに過ぎないといったような解釈をしなくてはならない。
これは実際その通りです。
我々のしている事は、大海に面した砂浜で遊んでいるようなものです。
唯物論者って因果論的世界自体の無根拠性に鈍感だな
>>549 それはちょっと違うと思います。限界と、無知の知を知っているというだけでしょう。
>>546 〜思います。
↓
あんたの観念
↓
(宗教を含む)全部の観念
↓
人々が人生を浪費する手助けをする
↓
阿片
↓
中毒患者?
553 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/10(水) 01:01:53
>>549 「あなた」が存在する「根拠性」は「殆ど無い」のです・・・。
そのいずれ数十年後には「完全に無」になる「あなた」が世界の
(存在の)根拠について「ああだこうだ」言うことの滑稽性を
自覚して下さい。
その前に逃亡を選択
↓
そして、無へ
↓
556 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/10(水) 01:11:34
>>551 >中毒患者?
哲学的自己欺瞞は、「そのとおり」としか言いようがない「伝統」を
持っております。
・・・・で誰を?・・と急に言われると「脳梅毒ニーチェ」「てんかんドスト」
スウェデンベルクの神秘主義、カント氏の神経症的散歩、・・・まあ、どの天才も
「夢を見る」から天才として「名を残す」ので、「凡人」は「狂気に近い」状況を
保持しなければ、まず「歴史に名を残す」ことは出来ません。
天才になりたければ「狂気を目指せ」・・・「あなたの思い込み」を、
どぶ(でも側溝でも)に投げ捨てろ!・・ということです。・・凡人は「妻子のために」
出来ません。
機械的刺激反応マシーンどもが外部刺激に反応して
また無意味な文を打っているな
脳梅毒ニーチェ曰く、神は死んだ
↓
死んだのであれば、それまでニーチェの神は生きていた
↓
ニーチェの云う神とは?
↓
このおっさんも言葉遊びが好きだったにちがいない
本能的自動書記刺激反応機による自作文 カタカタカタッカタッ・・・・
560 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/10(水) 01:26:38
>>558 そもそも、ニーチェに時代における「神(は死んだ)」という言説を囲む、
歴史的背景を認識・・・いや「学習」ですが・・それが出来ていないので、
説明しても「意味ありません」・・・(少しは)勉強して下さい。
>>560 それに歴史的に答えると、「専門馬鹿」は帰れとノタマウ機械タンって、ステキ!
カタカタカタッカタッ・・・・
どうして機械は自分の滑稽性は認識できないんだ。
人間は自分の行動を上から眺めるような二重意識を持っている。
つまらんことに必死になってる自分を引いて眺め時、滑稽感が生まれる。
そして人間が本能的なプログラムから自由なのもこの二重意識に関係があるかもしれない。
マシーンが自己の滑稽を認識することは可能だろうか?
565 :
考える名無しさん:2005/08/10(水) 08:51:07
>人間は自分の行動を上から眺めるような二重意識を持っている。
反省ならサルでもできる、と人は言う。
>>564 可能です。というか人間もマシンの一種です。
>>566 可能かどうかどうやって証明するんじゃこら。
568 :
考える名無しさん:2005/08/10(水) 20:03:18
>>533 >「真理は一つしかない」・・・それが「真理」の正体です。
未だにこんなこと言ってる人がいたとは驚き、桃の木、山椒の木・・・。
数学で言えばユークリッド幾何学だけが真理だなんて言ってるような時代遅れ
な人だな。真理は相対的で、公理・原理に何を採用するかで決まる。
これに対して「真実」はひとつ、自然法則が「事実」によって倒される「仮説」
でしかない理由です。
569 :
考える名無しさん:2005/08/10(水) 20:36:34
それを「真理」と呼ぶか「真実」と呼ぶか、それだけの違いで
「未だにこんなこと言ってる人がいたとは驚き、桃の木、山椒の木・・・」か?
570 :
考える名無しさん:2005/08/10(水) 20:42:50
理論と現実の違いがわからない人がいたなんて・・・。
正しい理論が「真理」、現実の事実を正しく捉えたことが「真実」
、簡単じゃないか。
571 :
練馬哲人:2005/08/10(水) 23:10:09
>>564 客観的な視点を持てない人間は数多いし、別に本能から自由であるわけではない。
572 :
練馬哲人:2005/08/10(水) 23:29:47
>>566 志ん生を聴いて笑える人工知能なんてのは、不可能じゃござんせんか?
573 :
考える名無しさん:2005/08/10(水) 23:45:00
>>572 別の方法で人間っぽいものを作ろうとすると、ちょうど人間と同レベルにはならず、
スペック的には遥かに人間を超えてくるものになると思います。
なので、「笑うポイントはここで、こんな風に笑うのが人間っぽいな」と判断して笑うAIになるのではないでしょうか。
そのレベルのAIから見れば、人間のする事は、
お祖母ちゃんが孫の話を聞いて「ハイハイ」と微笑むような感じだと思います。
575 :
練馬哲人:2005/08/11(木) 00:06:57
>>574 だからこそ、笑いはAIには不可能なのです。
論理の異化効果を感情的に容認することは、アルゴリズムの内部矛盾を引き起こす筈です。
>>575 私は不可能だとは思いません。そういう判断する存在が、
人間の場合でいうところの無意識層にいると考えれば、同じ状態になります。
アルゴリズムの内部矛盾に関しては問題ないでしょう。
いろいろなアルゴリズムを監視している存在が調整すればいいと思います。
577 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 00:20:10
「心を持っているか否か?」というのは実は対象の属性ではなく、
観察者のその対象に対する「態度」の投影ではないかと思ったりするんだが、
まあどうでもいいか。
578 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 00:25:37
>>577 面白いねw
幼い子供達は、なんでもかんでも擬人化して感情移入して一喜一憂する・・
情操教育としても大切な部分だと思うが、大きなポイントではなかろうか・・・
579 :
ハル:2005/08/11(木) 00:41:46
意識レベルが低下すると何でもかんでも意識があるように思えてくる。
鈴木大拙ではないが「体験」が重要だと思う。
臨死状態じゃないと分からないこともある。
>>579 意識レベルの低下といってしまうとアレですが、小さな命に気が付く感じですね。
地面を這うと、走っている時には見えてなかったものが見えてきます。
>>514 > パブロフの犬との違いをはっきりして欲しいな
パブロフの犬は経験則の問題だから類似の経験を積んでおく必要があるけ
ど、
>>513の話は喜劇というものに触れるのが初めてでも構わない(もちろ
ん、喜劇に用いられる語彙などの表現が理解できる程度の予備知識は必要
だけど、喜劇そのものや類似の経験はなくてもよい)。
要は、可笑しいものは可笑しいと感じさせるし、可笑しいと感じれば笑う、
決定論(とくに法則的決定論)的にはそれが必然の入出力だということ。
笑いが出力されない場合については、入力にいわば「異物」が混じったせ
いで前提となる「可笑しいもの」とは違う入力になってしまい、そのせい
で過程と出力も変わったと解釈される。
584 :
ハル:2005/08/11(木) 01:02:43
>>581 はっきりとは言いがたいですが、自我をただ固定しようとする事は、意識レベルを高いまま固定化してしまうということをあらわすと思うのです。
ただ、それは自分自身が自分自身に固執しすぎることで自分以外が見えなくなっていくことをもあらわします。
意識レベルの低下という言葉を決して悪い意味では使っていないつもりですが、ただ現実的には自分自身の我を保つことが生きる標になるでしょう。
そのためそれに重点を置くとやはり生きることの意味を考える場合は我を保つことができることが意識レベルが高位であると言うほうがいいと判断されるでしょう。
585 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 04:31:40
例えば何かの勝負に勝つと決まっていて始める前から結果を確信していたとする。
それで勝ってもむなしくね?
子供が一人でジャンケンをしていつも勝つ右側が自分だと思っている位の事じゃねぇか。
結果が決定されているのに何かをするということは全てが徒労だ。
悪い結果ならなおさらだが、良い結果であっても
これから起こる結果の決定性を信じる事はこれから成す事が徒労であり、
今まで起こった結果の決定性を信じる事は今まで成した事に対する報いだと思う。
つまり、未来の決定性は信じないけど、過去の決定性は信じるよ。と、
586 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 04:39:17
物理学は経験則で「これをしたら、こうなった」の寄せ集めです。
「これをすると、こうなる」なんてものは電化製品の説明書くらいしかありません。
大抵の法則は過去の決定性を現在に当てはめているだけです。
587 :
ハル:2005/08/11(木) 04:40:38
過去は本当に存在するのか?
過去も結局は直感的には象徴的なもので現存しないものではない以上、どうにでも意味を取れるのだろうか。
未来も直感的には非決定だが本当に決まっていないかといえばそれは疑問である。
既に決まっているものを恣意的な判断で決まっていないように感じているにすぎないと考える事でしか非決定性は現実的に判断できない。
そしてそれは決定論内部の非決定論に過ぎない。
もし非決定論を言うというのならば、どうしても表現不能な何かを無理やりに分からせるしかないが、表現できないものは表現できないので論理的にはほとんど無謀である。
588 :
ハル:2005/08/11(木) 04:45:04
>>587 訂正
>過去も結局は直感的には象徴的なもので現存しないものではない以上、どうにでも意味を取れるのだろうか。
過去も結局は直感的には象徴的なもので現存しないものではない以上、どうにでも意味を取れるのではないのだろうか。
我々は過去について知っているようで実は知りえていない。
589 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 06:01:31
存在するのは現在しかない。現(うつつ)に在る。
しかし、生き物には記憶能力がある。
よって過去に自分に起きたことを現在に適用してみることができる。
ここで言う適用とは、(このスレに合わせておくね、本当は・・・)
1.過去に起きたことを因果でグループ分けをする。
2.未来において期待する結果を得るため、現在で要因を作る。
これのどこに未来の決定性が含まれるのでしょうか?
2.の要因を作っても間違いということは大いにあるのです。
決定論を支持する人は将来「こんなはずじゃなかったのに」
と、後悔する事も決定されているんですかねぇ。
590 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 06:13:32
過去が現在の俺を決定し、現在の俺が未来を希望する。
俺は常に現在のここにしかいない。
現在の俺とは過去の俺の希望であり、まだまだ、夢を見果てない。
591 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 06:23:26
訂正
>過去の俺の
→過去の俺だったものの
592 :
ハル:2005/08/11(木) 07:12:40
まあ、このスレ自体が流れている以上は流動的な非決定論が強そうだが、だがそれは「今が未来と違うから非決定論は成り立つ」と<当然>のことを言っているのとさほど違わない気がする。
では存在するものについての実在論的決定論ならどうかと議論しているんのだな。
私は非実在は認識不能状態として在るものでない状態としてあるのではと思っているが、それはなかなか通常の感覚ではイメージが難しいものだ。
593 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 07:45:07
私が認識していないものは私にとっては存在していないのと同じです。
そう、そこのあなた。私はあなたを2chネラーとして認識していて、
生のあなたを見ていないから、あなたがいてもいなくてもどっちでもいい。
いたとしたら掲示板から「こういう考えの人もいるんだ」と感じるけど、
いなくても何も起こらない。
もし地球の反対側に誰かがいても、私は認知しないのでいてもいなくても変わりは無い。
ただし、知人が地球の反対側に行けば、あの人は今頃どこかな位は思う。
そもそも、実在論ってどうよ。認知しなければ実在してるか分からないんですよ。
辞書引っ張ってくると、(広辞苑)----------------------
【実在論】認識主観から独立な客観的実在を認め、
何らかの仕方および程度においてそれは認識され得るとする哲学上の立場。
----------------------------------------------------
「それは認識され得る」って「認識する事が客観的実在を認めること」じゃあーりませんか。
で、聞くけど、実在論的決定論って何?
595 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 08:00:51
「実在論的決定論=殴られたら痛い」を考えてみる。
【決定論】自然的諸現象、歴史的出来事、特に人間の意志は、自然法則・神・運命等
によって必然的に規定されており、従って意思の自由や歴史の形成を主張するのは
右の決定的原因を十分に知らないためとする立場。
------------------------------------------------------
実在論的決定論→認識してるよ神の意思
これが、殴られたら痛いということは神の意思は殴るってことか。
596 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 08:05:40
補足
実在論→認識する
的→その性質を帯びる
決定論→神の意思
597 :
ハル:2005/08/11(木) 08:28:46
>>593 実在論的決定論と言うより実在論と言う方が妥当でしょうね。
在りて在るものはあるのだから基本的にはどうしようもないでしょう。
変えられるのは存在(知識の本質)と直観(瞬間的な知覚)の関係のみですよ。
598 :
ハル:2005/08/11(木) 08:30:30
>>597 訂正
変えられる→変わっているように見える
だ
599 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 09:29:23
>実在論的決定論と言うより実在論と言う方が妥当でしょうね。
実在論的決定論は決定論の一種であって、実在論ではない。
実在論的決定論は事実的決定論と同じ意味ではないか?
可能性がひとつの必然的決定論ではなく、結果がひとつの
結果的決定論が事実的決定論でしょう。
事実はひとつは誰も否定しないけど、結果がそうなることが
決定していたかどうかはまた別の判断であり結果の事実を
もって決定論を正当化することはできない。
一天地六のサイコロを振って6の目が出たとき6の目であった
という事実はひとつだけど、6の目でなければならなかった
という必然性は感じられない。別の目も有り得たと思うのが
普通だ。
そういう意味で実在論的決定論や事実的決定論は無意味だ。
決定論の真がさきにありきでなければ成り立たない論だから。
法則的決定論や因果的決定論は未来の可能性を予測するから
有意義である。あたりはずれがあることで決定論の真偽も
検証できる。
>>585 >結果が決定されているのに何かをするということは全てが徒労だ。
それは、そう思いたい人が勝手に思っていればいいですよね。
小説や映画は、結末が決まっていますが、楽しいものです。
決まっていることに美を感じる人もいます。
結局、決まっているかどうかではなく、知っているか知らないかだけの問題でしょう。
決定論的世界の中で、非決定論的世界は構築できるので、共存すればよろしい。
その上で、それぞれ都合のいい立場で考えればいいでしょう。
601 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 10:01:16
>>589 >しかし、生き物には記憶能力がある。
>よって過去に自分に起きたことを現在に適用してみることができる。
意識の有無にかかわらず過去の来歴が現在の行動に影響を及ぼす
のが生物の特徴でしょうね。しかしこれはまだ「学習効果」であって
現在、その場、その状況にしか適用できない。
人間の特徴はやはりその先、未来に対してこの学習効果を適用したら
どうなるかと未来予測をすることができることでしょう。
未来予測は脳内での現実の経緯のシミュレーション、思考実験でしょう。
そしてそのシミュレーションの結果を使って現在の行為の選択を可能
とするのが、自由意志でしょう。結果が思いの通りならなくても選択
の自由があれば自由意志はあるといえるでしょう。
因果法則はこの未来予測を可能とさせる経験法則ですね。
>>590 自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。
未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。
哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
>>601 選択の自由はこの世に存在していません。選択している自由感ならありますが。
日常的な意味であれば、意識は選択していない瞬間はありません。
常に選択の連続であり、それが意識の流れになっています。
グラスの中で揺れる水のように、外部から作用がない限り、
時と共に決定論的に波打つことしかできません。
選択に理由があるならば、同じ状態の中で何度やっても同じ選択をするでしょう。
理由のある選択の意志を保証するのが決定論です。
選択に理由があっても、その意志が因果的物理作用に関係なく勝手に変えられてしまうのが、
非決定論です。 非決定論の世界では自由意志が妨害されます。
自由意志は、それが未来において決まっているかどうかは無関係で、その意志が妨害されないことが重要です。
なので、
決定論(自由と秩序) vs 非決定論(不自由と混沌)
という図式になり、
非決定論の非決定性は、自由意志を妨害する敵になると思います。
604 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 10:26:56
過去は「あった」、現在は「ある」、未来は「あるだろう」
と言語文法に時制があり時間は様相として捉えられている
ことはいずれの言語にも共通する普遍的な事柄であろう。
過去の出来事はもはや存在しないが、その痕跡は残ることも
ある。広島・長崎の原爆の痕跡が今も残っているように。
未来の出来事の痕跡はいくら探しても実在しない。
人間の意識できる「とき」は常に「いま」である。
人間の意識する時間は時の流れや時間の矢で示される
ように過去・未来非対称の時間である。
この時間感覚はニュートン力学の絶対時間や相対性理論の時空間
とは相容れないことがらである。
>>604 >人間の意識できる「とき」は常に「いま」である。
主体にとっては、認識できる空間も「ここ」だけです。
しかし、実際には時空は全部存在しています。
606 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 10:44:45
>主体にとっては、認識できる空間も「ここ」だけです。
これは違う。自分自身の位置が「ここ」と思うだけで
空間は三次元に広がっている。視覚であれば自分の
地平線までは見える可能性があると認識している。
>>606 違いませんよ。時間も広がっています。
>地平線までは見える可能性があると認識している。
違います。見ているのは空間ではなく、物体が反射しているフォトンです。
しかも、その事象は過去のものです。
視覚など、フォトンに特化した触覚の一つに過ぎません。
609 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 11:05:08
比較してみる
>>595 【観念論】物質に対して観念的なものの根源性を主張する立場。
1.イデア(プラトン)や宇宙的な精神(ストア学派)を世界の原理とする形而上学。
2.バークリーのように、物質的世界の客観的実在性を否定し、世界は終局的には神の観念に過ぎないと見る立場。
-----------------------------------------------
神によって決まっている→神の観念の内
違うのかな?
>>609 神の観念→物理現象→人間の観念
or
(神の観念を含む)物理現象→人間の観念
なので、人間の世界から見ると、唯物論が世界の根源です。
少なくとも人間の精神は、この世界の物理現象に立脚しています。
問題は神の観念ですが、人間から見ると、知ることが不可能、物理現象と不可分なので、
よくわからない何かが、物理現象として現れているとするしかありません。
611 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 11:18:16
>>610 うん、だから、
>>609における2.の
「終局的には神の観念」という立派な観念論ではないですか。
もうちょっと言いたい事あったんだけど、↑の一行書いている間に忘れてしまった。
>609に引用された1と2は内容が違うからね
1の観念論⇔唯物論
2の観念論⇔実在論
2の観念論はマトリックスのような世界を指す
613 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 11:47:44
>>612 (1A.)唯心論・(2A.)観念論
の対義語が
(1B.)唯物論・(2B.)実在論
で、決定論は1A〜2Bのどこに当てはまるの?
私は2Aと了解しています。
>>613 扱う問題領域が異なる問題だからねぇ
決定論と対になるのは非決定論だし
決定論は「実在が法則に支配されているのかどうか」を問題にしているから
必然的に、実在論であることと唯物論であることを前提にしていると思うよ
でも実在論で唯物論ならば必ずしも決定論になるわけじゃない
実在論と唯物論を認めてもなお非決定論を支持する余地はあるのよ
ただ、科学的決定論は予測なりいくつかの説明義務を課すから
形而上学的決定論はもう観念論(想像の中であれこれ言うだけでなんら根拠を持たないことへの揶揄)のとりこになっちゃってるってことだと思うよ
>>615 決定論の世界で非決定論の世界が作れるので、共存できます。
非決定論を支持しながら決定論も支持できます。決定論を否定する必要はありません。
>非決定論を支持しながら決定論も支持できます
?????
618 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 12:28:29
物理学系の連中が蓋然性という言葉を使う事自体決定論が成り立たない証拠
619 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 12:29:25
まあ説明の連鎖をどこで断ち切るかって問題って気もするな。
意思がすでにして非決定性の中にあると言うか、
意思も因果的決定性の連鎖の中にあるととりあえず説明して、
その説明を無限後退させることで、とりあえず究極的な「なぜ」を
保留するか。結局好みの問題と言えなくはないかい?
>>618 物理をある程度学べばわかると思いますが、近似であり、説明手段の一つにすぎません。
622 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 12:37:49
全ての事象が因果律に従っている→決定論
ならば、ヘビースモーカーだったけど、肺ガンにもならずに天寿を全うした。
或いは、1から100まで番号が振ってあるクジを引いて1回目で100番を引いた。
とかは、おおむねの因果律に反しているので非決定論成立ですか?
623 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 12:39:36
>おおむねの因果律に反しているので
なんだよ「おおむねの因果律」って
アホか
>>622 反していません。
決定論的世界で、観測する系の情報が不足すると非決定論的に見えます。
625 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 12:41:14
>>620 物理学を学んでいない人にも納得できるように説明できないと世間では相手にされない。人は色々忙しいのでわざわざ物理学など勉強してはくれない
>>624 同じこと何度も書くなよ、その書き方は、まったく説得力がないぞ
>>625 ならば物理など信用しなければいいのです。
物理を学んでもいない人間が、物理を信仰するのはどうかと思います。
物理を学ばずに「不確定性原理」という言葉を使っている人間はただの馬鹿です。
>>627 ハイゼンベルグの方程式は何を示しているのか
あの方程式は世界を記述していないということ?
物理学の目的からは外れているのか?
>>626 なら、わかりやすい別の例を。
新品のトランプをシャッフルしても、高速、高分解能のカメラで追跡していれば、
一番上のカードが何かわかります。ですが、普通の人間には何かわかりません。
決まっている事と、知らない事は別です。
630 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 12:51:08
>>595で
>従って意思の自由や歴史の形成を主張するのは
>右の決定的原因を十分に知らないため
と言い訳するのなら、
全ての要因を認識、計算する事が出来なければ、
「決定論は正しい」と主張(証明)できないと思います。
そして、全ての要因を認識する事は常識的に考えて無理でしょう。
で、認識できないとは存在しないということです。
631 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 12:51:23
>>627 ならば哲学も学ばずに唯物論などと言っている奴は度しがたい馬鹿だな
632 :
619:2005/08/11(木) 12:57:56
>>621 >>603は意志の非決定性を間違って解釈してるよ。
>選択に理由があっても、その意志が因果的物理作用に関係なく勝手に変えられてしまうのが、
>非決定論です。 非決定論の世界では自由意志が妨害されます
先行する物理的条件に影響をされないのが自由意志なのだから、
自由意志というのはある意味、無から存在が生まれるビッグバンみたいな
ものだ。別に何も妨害はしていない。
「より自由な意志が成立するためには、決定論が必要です」というのは
意思が周囲の世界に働きかけるためには決定論的因果法則に則った世界が
必要であるというだけのことで、意志自体が決定論的であらねばならない
説明になっていないと思う。
633 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 12:58:35
観念バカと実在バカの宿命の対決
>>630 前から申し上げていますが、決定論は目の前に何かが存在する程度に確かな前提、仮定です。
存在が証明できないように、決定論も証明するようなものではありません。
>で、認識できないとは存在しないということです。
違います。認識していないからといって、地球の裏がなくなったりはしません。
>>632 >先行する物理的条件に影響をされないのが自由意志なのだから、
そんな精神は存在しません。勝手にそういうものを自由意志にしないでください。
636 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 13:00:47
>>628 「ハイゼンベルグの方程式」って、
意味わかって言ってんのかこいつは
637 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 13:03:04
>>635 そういうとこが反感買うんだよアホ。
お前が勝手に「自由意志」って言ってるのは
世間では「自由感」ってもののことなの。
で、世間で「自由意志」って言ったら
>>632のようなもののことなんだよ。
勝手に俺様用語使って断言的な物言いするから
いらない煽りが湧いてくるんだろうが
>>633 物理的作用を使わずに精神で、他人の脳を破壊する事は不可能ですが、
物理的作用をで他人の脳を破壊することで、その中の精神を破壊することはできます。
どちらが基底にあるかは理性があればわかることです。
>>637 >世間では「自由感」ってもののことなの。
そうですよ。
>>603にあるように、決定論が自由感をつくっているという事です。
自由感は未来が決まっているかどうかとは無関係です。
640 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 13:08:11
全て決定されていたとしても、
「そう決まっていた事だ」と述べられるのは、過去か現在までで、
未来を予言する事は出来ない。そういう奴に言う言葉は
「しったかをするな」
>>640 ある程度の予言は可能ですよ。過去もある程度検証可能です。
でも、どちらも人間がすることなので、完全ではありませんが。
642 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 13:11:11
>>639 それがわかってんならわざわざ「自由意志」なんて言って混乱させるなアホ
>>640 ちなみに、自分が時空の中心や果てにいると思うのなら、それは自己中です。
>>602に書いたとおり、自分以外の認識する主体は、未来にも過去にも存在しています。
>>642 重要なのは、決定論が自由意志の自由感を高めているということです。
非決定性が入れば、それが妨害されます。
645 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 13:16:12
>>644 自分の書いたことが相手にどのように受け止められるかを考えないでものを書くのはただの自己中のガキ
>>645 もしかして、私がどういう意図で書き込んでいるのか知らない人ですか?
過去ログぐらいちゃんと読んでから書き込んではどうでしょうか。
読まずに書き込まれても。(´・ω・`)
>636
観測問題における素粒子の動きを確率的に表現した方程式
これが何を示しているのかという解釈問題は確率の解釈問題につながると思うのだが?
648 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 13:25:13
>>644 意志に非決定性があっても、外部の世界が決定論的であれば
意思が外部へ働きかけるさいに不自由感はないだろう。
あなたは意志の非決定性と外界の非決定性の違いが理解できないみたいね
>>648 >外部の世界が決定論的であれば
これは関係ありませんね。論理的思考能力の欠如が見られます。
また、意志の連続性を考えるのに、非決定性を持ち出す必要は全くありません。
>>648 >あなたは意志の非決定性と外界の非決定性の違いが理解できないみたいね
なお、意識と外界は切り離せません。連続しています。すべて決定的に絡み合っています。
651 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 13:45:50
>>647 ・・・・やっぱなんにもわかってなかったね
>651
そうか、方程式そのものは意味を語らないと思ってたけどね
一応、大学の「科学哲学」の講義でこの部分は勉強した
653 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 13:54:05
働け
654 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 14:00:42
認識した世界は、
世界のコピーであって、
世界そのものではないわな。
そして、
認識する以外に、
世界を把握する方法は無い。
・「物理学主義」の歴史
機械論的-力学的研究伝統は、
「あらゆる物体の力学的なふるまい、運動がそれを質点同士のつり合いと質点の運動とに還元することによって解明される。
ふつう広がりのある物質は、たがいに力を及ぼしあう質点の集まりと見なされる。
したがって、力が働いた時の質点のふるまいを規定とする法則=運動方程式がすべての力学の基礎になる。
どんな物体であっても、それをつくる質点の数、相互の距離、それらの間に働く力を知ることによって、
そのいかなる力学的なふるまいも演繹的に導くことができる。」
このような要素論的−力学的研究伝統は、17世紀の段階ではまだ数ある自然思想のうちの一つにしかすぎなかった。
しかし、18世紀に入り、ダランベールが
「力学は全自然学の基礎である。
実際あらゆる自然現象、物体系でおこるすべての変化は運動に帰せられねばならず、運動法則によって支配されている。」
と断定してからは、この研究伝統は野望をあらわにする。
要素論的−力学的研究伝統は、まず天体力学の分野での正確な予測の成功などにより、その目的を徐々に達成していった。
他方その理論はオイラー、ダランベール、ラグランジュらによって数学的に厳密に定式化され、強大化していった。
そしてラブラスが太陽系の安定性を証明したころには、物理学を代表する世界像を確立していた。
ラプラスは将来を見越して勝利宣言する。
「同じ式の中に宇宙でもっとも大きな天体の運動も、もっとも軽い原子の運動も包摂できるだろう。
この叡智にとって不確かなことはなにひとつない。
未来も、過去と同じように見通せるだろう。」
656 :
648:2005/08/11(木) 14:15:30
>>649 >また、意志の連続性を考えるのに、非決定性を持ち出す必要は全くありません。
意志の連続性なんて考えてないですよ。
逆に意志は非決定ゆえに本質的な部分で不連続と言えるでしょう
>>650 >なお、意識と外界は切り離せません。連続しています。すべて決定的に絡み合っています。
私の指摘に対する説明になっていませんね。あなたはただ自分の
信仰をリピートしてるだけです。
657 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 14:16:03
>>652 ハァ?なに白々しくごまかそうとしてんの?
方程式が物理の体系の中でどのような意味をもち、
何を表しているのかははっきり決まってんだよ。
てかそもそも、おまえ「ハイゼンベルグ方程式」と呼ばれる方程式が
どんなものかすらまったくわかってねーじゃねーか。
できそこない文型がいきがって意味もわからず理系の術語垂れ流してんじゃねーよカス。
658 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 14:16:41
ほうほう物理学が真理ですか。ならば不確定性原理が真理なのになぜ量子コンピューターなどというものが出来てしまうのかな。機械やSYNは質問にはいつも正確に答えないでごまかすからなw
>>656 >逆に意志は非決定ゆえに本質的な部分で不連続と言えるでしょう
いいえ、非決定ではありません。連続です。ボケている人は不連続かもしれません。
>>658 私は物理学が真理などと主張した覚えはありません。
物理を知らない人間ほど、物理を妄信しがちで困ります。
>>658 それに量子コンピュータを持ち出すなら、
決定論的量子力学であるエヴェレット解釈を理解してください。
662 :
656:2005/08/11(木) 14:24:00
>>659 残念ながらボケは関係ありません。
不連続というのは、因果関係の外にあるという意味ですからね。
19世紀後半におけるこの要素論的−力学的研究伝統の破竹の進撃を、
ボルツマンは適切な比喩をつかって、次のように報告している。
「ある国が近隣諸国に比べて大きな成功を収めると、ふつうその国はこれらに対する支配権を要求する。
それだけでなくこれらの国を征服し、隷属させようとする。
これと同じことが科学の分野でもおこっている。
力学は、ほどなく全物理学における支配権を獲得した。
まず音響学が当然これに無抵抗に従属した。
同じことが光学でもおこった。熱は物体の最小運動であるという考えにもとづいて、力学は熱理論の領域へ出兵を開始した。
電気と磁気も電磁流体の仮説によって力学の法則に従わされた。」
このようにして、全物理学を征服した要素論的−力学的研究伝統は、
いよいよ自然科学の他の分野にも進出しはじめ、その勢いは止まるところをしらない。
各分野におけるこの支持者たちは、勝手に「非科学的」とか「不完全」と要素論−力学的研究と相容れない研究伝統を抑圧し排除しようとした。
彼らはこのような立場を「唯物論」(マテリアリズム)、排除する者を「観念論」(イデアリズム)などと呼ぶが
この表現は不適切で紛らわしいので「物理学主義」(フィジカリズム)と呼んだ方がいいとある哲学者が提案していた
長々となったけど、用語の話ね
>657
>方程式が物理の体系の中でどのような意味をもち、
>何を表しているのかははっきり決まってんだよ。
決まってたら解釈問題はおきようがないわな
「物理学は道の終わりに達したのであってさらなるブレイクスルーは不可能だ」
という「道の終わり」(the end-of-road)テーゼを出した学派も物理学内にいたんだな
ここを契機に多くの解釈や多くの学派が生じたわけだが、
方程式が物理の体系の中でどのような意味をもっているかが決まっているのだろうか
「確率がどのような意味を持っているか」でさえ、今現在も論争が行われているというのに
666 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 14:50:18
>>664 やれやれ。
「物理の体系の中で」ってはっきりことわってるだろ。
解釈は物理の体系の外の話。
(物理の体系じたいをどのような世界観と適合させるか、というのが解釈。)
667 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 15:15:00
働 け
>>658 量子コンピュータの原理は不確定性原理と特に矛盾してませんが
669 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 16:25:52
まったく同じ状態の宇宙を、複数用意して、
それぞれ実行した場合、結果が同じになるか、
それとも、それぞれの宇宙で異なる結果がでるか、
それが問題だろ。
でた結果だけを問題にして、
こういう結果になったから、
こういう結果になることに決まってた、
とか言うのは、結局、
決定論じゃなく結果論にすぎないわけで。
670 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 17:09:18
結果は同じでも経過は違うという場合もある。
>>670 この宇宙では結果が同じ状態というのもありえない。
672 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 17:21:27
>>672 死をイメージして書いたのなら結果は同一では無いでしょう。
674 :
素人:2005/08/11(木) 17:37:06
>>637>>642>>645がSYN氏には伝わらないようですね・・(^^;)
換骨奪胎するのは構いません。
しかし、その時には
前後に「換骨奪胎していますよ」と相手に解らせる説明がなければならない。
あなたのレスはその部分のない独りよがりになっているようだ。 (説明なしに済むのは道場の室内だけだよw)
過去ログ?
ここ四五スレROM続けてるが、どのレスも変り映えのしない同じ言葉ばかりに見えるが?
>>674 SYNの目的はここで非決定論者の意見を出させることだろ。
ここで論破したり説得する気はないらしい。
676 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 17:49:44
>>674 お前の独りよがりのカキコもウザイ。スルーできない馬鹿だな。
677 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 17:49:53
>>675 より良い意見を引き出したいんだったら
相手の意見に対して建設的な批判を出してやらないとダメ。
SYNは単に自分の信念をゴリ押ししてるだけで、
そんなやり方で良い意見が出てくるわけがない。
多分リアルで人と議論したことがないんだろうな。
批判の出し合いによるアイデアの昇華ってのを
体験したことがないんだろう。
678 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 17:52:00
ミクロ、つまりプランク定数以下のスケールで起こる現象は非決定的だよ。
マクロでは大抵は確率的にならされて決定的に見えるが、ミクロの現象が
マクロに拡大されている場合はマクロでも非決定的に見えるよ。脳とか。
679 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 17:52:51
>>673 死に方は色々違うけど、行き着く所(見地)は同じだと思っています。
臨死体験で異能を得る。とか、火事場の糞力。とか、
不本意だけど決定論とか、全てのものは無抵抗に繋がっている。
決定論は、決定されていて、無批判にその決定を受け入れざるを得ない。
という所が、無抵抗。
無抵抗というのは抽象化されていて、全ての存在の属性です。
条件が整っていれば抗う事も可能ですが、突き詰めると抗えなくなる。
>>677 SYNは自分の信念を語ればいい。お前も自分の信念を語ればいい。
そこに個人攻撃は必要ないだろうに。
681 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 17:55:06
682 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 17:56:49
>>679 私は決定論と無抵抗は関係ないと思います。
努力も決定されてると考えるのが決定論ではないでしょうか。
選択の問題と決定論は実は関係が無い、と最近は思っています。
684 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 17:58:52
より決定的に見えることに確率論的な裏付けがあるのが重要なのでは?
人間の粗雑な感覚を通すとそれが決定的に見えるんでしょう。
685 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:02:10
>>684 確率論は決定論を前提にしていて、全ての原因を知ることを放棄したもの。
686 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:03:41
>>680 個人攻撃じゃないだろ
反対派の意見を引き出したいんだったら
SYNのやりかたじゃダメだって言ってるだけだ
687 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:03:59
>>685 んなこたないでしょ。観察も推測もできない部分が事実としてあるのに
ある部分では物事が決定論的に見えることを説明しているだけで。
女は言うことが論理的じゃないから非決定的だな
689 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:05:16
>>686 駄目だと思うならスルーしろ。お前もウザイ。
690 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 18:05:29
>>683 努力も決定されているんでしょうね。
でも要求が通らない事が決定されていたら、無駄。
その時は、どうするのでしょう。
例えば、死にたくなくても死んでしまう。という所に立つと
何を思うのでしょう。ママ助けてって感じ。
691 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:07:33
>>687 その出来ない部分のところで、確率論は決定論の前提がある。
>>690 >でも要求が通らない事が決定されていたら
まあ無駄ですね。
でも日常でもよくあることだと思います。
タイムマシンでも出来ない限り、決定論は否定できないだろ。
証明できなくても否定できなければ、決定論の勝ちだと思われ。
むしろ努力を一番否定しないのはキリスト教だと思います。
頭上に核ミサイルが落ちても神様が助けてくれるかもしれいので。。
>>693 それだと「非決定論は否定できないから非決定論の勝ち」
とも言えるのでダメだと思います。実はどっちにも立証責任が
あります。
>>694 実際に原爆の攻撃でも助かったという話がある。
697 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/11(木) 18:12:30
未来:未だ来ず。
ならば自分から向かうのか。
しかし何もしなくても時は流れる。
>>695 ここが非決定論を主張するスレッドならそうだろうね。
699 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:14:07
>>690 その瞬間どういう選択をするかによって、その後の結果は
決定論的に決まってくるかもしれないが、
どういう選択をするかは非決定的でありえます。
700 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:15:25
>>699 決定論だとどういう選択するかも決まっている
>>696 神がいなくてもあるでしょう。
別に「普遍的だ」と言ってるわけではありません。
程度の問題です。
物理学のみを信じるなら努力する人は少ないでしょう。
キリスト教の方はお祈り(努力)するかもしれません。
物理学
「物理的に死ぬ位置にいるならばその人は死ぬ」
703 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/08/11(木) 18:19:25
スレ違いだからこれで無抵抗の話は打ち切るつもりです。
1.要求が通らない
2.「今の俺では仕方ない」と思う。
3.要求が通る方法を考える
1〜3の繰り返しで無抵抗の力を溜めるのが努力。
仕方のない話です。
704 :
素人:2005/08/11(木) 18:23:24
>>701 (対象があるかないか、何を対象とするかはともかく)祈らない人間はいないでしょう。
今、ちょうど甲子園ですw
スタンドで応援する人たちは、9回裏2アウト、どう考えたって逆転の見込みはない。
それでも、彼らは拳を握りしめ、胸の前で手を握り、中には涙を浮かべながらグランドを凝視する・・・
これは一例だけれども、こうした、日常の些細な感情を拾うことを大切にしたいと思う。
たぶん決定論とは遠く隔たったスタンスだろう・・・
チラシの裏スマソ m(_ _)m
705 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:25:46
>>704 決定論だと、お前が大切にしたいと思うことが決まっている。
>>704 いえ。決定論にスタンスは無いと思います。
「私は決定論を信じるからこうする」という命題において、
前半は後半を理由付けしていません。
708 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/11(木) 18:28:25
>>705さん
その思いによって如何なる事象が生じるか。
それによって如何なる思いが生じるか。
709 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:33:43
>>697 空間と時間は一緒にできない。
時間の空間化は間違いである。
空間はわれわれの能力の象徴であり、時間はわれわれの
無能力の象徴である。>J.ラニョー
時を制御することは誰にもできない。
710 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:33:52
つか、問題なのは、
祈る行為じゃなくて、
祈ることが決まってたかどうかだろ。
712 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:51:41
祈ることと決定論なんて何の関係もない。
713 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:53:46
>>712 どちらも確率論に対する無知に由来するよ。
>>713 たしかになぁ・・・
お仏壇やお墓、神棚、十字架etc.に手を合わせてる人達(おじいちゃんおばあちゃん達)って
そういう難しいこと何にも知らないもんな・・・w
715 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 18:58:16
>「私は決定論を信じるからこうする」
決定論を信じようが信じまいがその人の行為が
変わるわけじゃない。
決定論が成立しているなら何を意志しても結果は決定
しているのだからその行為は関係ない。
非決定論ならその人の意志に従った行為を選ぶだけ
だろう。
>>715 意志して結果が変わらないのではありません。
そもそも何を意志しても結果が変わらないということは
因果律がどこかで破綻しているということになります。
「Aを意志する→Pという結果が起こる。」という場合に
「Bを意志する→Pという結果が起こる。」ということが
起こるのはありえなくはないですが、極めて低いでしょう。
むしろ「意志」という行為が100%結果と関係している
というのが「強い意味での」決定論でしょう。
「あなたがそれを意志しなければ世界は変わっていた」
ということです。
718 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 19:13:14
「強い意味での決定論」というのは何を意志するかもあらかじめ決定されてるって
ことじゃないのか?
719 :
素人:2005/08/11(木) 19:13:57
>>717 強い決定論では、それすら(極端に言えば)
宇宙の始まりにおいて決定していたと述べるのでは?
たとえ宇宙の始まりまで遡らずとも、
そのように思考するような因子がその事象以前に重ねられていた結果だと・・・
やはりポイントは、ある行為・選択が選んだものなのか選ばされたものなのか・・・
決定論だろうが非決定論だろうがその他であろうが無関係に
結局、受け止め方にしか過ぎないのではなかろうか?
>>718>>719 そうです。
強い決定論はその意志も決定されていたと述べます。
>>717は「決定論では何を意志しても〜」に対する反論
なのでご了承ください。
721 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 19:34:58
自発的に意思を持ち、行動したのではなく、
それすらも、最初から決まっていたと。
自発性なんてもの自体が無いのだと。
722 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 19:39:58
>>713 >どちらも確率論に対する無知に由来するよ。
全然違う。馬鹿丸出し
723 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 19:41:30
>>716 >因果律がどこかで破綻しているということになります。
因果律の破綻はすなわち決定論の破綻だよ。
724 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 19:41:32
非決定論でも自発性はないともいえる。
フト、何かをしたり、しなかったりするわけだが、
このフトには理由なんてないわけだから。
ただ、ある選択がなされた。それだけのことなんです。
725 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 19:46:20
>>717 >「あなたがそれを意志しなければ世界は変わっていた」
強い意味の決定論ならそんな仮定法は成り立たないだろう。
何をどう思うかも決定されていて初めて強い意味の決定論だろ。
726 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 19:48:43
>自発性なんてもの自体が無いのだと。
そうです。それが決定論の立場でしょう。
決定論なんて主張する自発性も持ち得ない。
727 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 19:50:44
>このフトには理由なんてないわけだから。
理由がなくてもよいとするのが非決定論なのだが。
>>725 仮定は可能です。
問題は「そっちには決まっていなかった」ということです。
>>723 その通りです。が、因果律の破綻は証明できません。
それは因果律の成立が証明できないのと一緒です。
730 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 20:01:09
因果律が破綻してるのではなく、因果律を認識する人間の脳の機能が
破綻しているのだろう。
もともと人間の認識能力はそんなに大層なものじゃありませんよ。
決定論と意識のズレをつついていてもしょうがない。
731 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 20:10:42
働 け
732 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 20:16:01
>>668 量子の運動を捉える事が「不確定」なのになぜ量子コンピューターは量子を制御できるんだ?不確定性原理が誤りだったからだろうが。量子は干渉波で確定的に観測できるだろ。でも物理学者は誤りを認めようとしないだろ?
733 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 20:17:24
>>731 働け働けってうるさいなw
俺はもうお盆休みだよ
734 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 20:36:39
>>728 >問題は「そっちには決まっていなかった」ということです。
それは何の問題でもない。その仮定が間違ってただけじゃん。
それよりそんな間違いを許す決定論のほうがおかしいじゃん。
何も決定してなかったことを意味するだけじゃん。
>>731 私はお盆も休みなく働いていますが何ゆえそのようにつぶやくのでしょう?
なんだか重みのある言葉に見えてくるではありませんか。
さあお答えください。
>>734 仮定の間違いは許されます。
もちろん「仮定の間違いを許さない」ことも許されます。
以下延々とループ。
錯覚、誤謬、不正。決定論は何も禁じませんし、また、何も許しません。
私は決定論も非決定論も信仰であることを認めます。
後は趣味の問題です。
今のところ素人さんの「決定論に興味が無いならば無視しても構わない」
という発言が一番的を射ていると思います。
長いいことセックルが気持ちよさそうな特徴はどれなのか、ということ
から初めて考えていくといいんじゃないの、そこからやる気なり将来の
展望をみいだしましょう
739 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 20:44:49
>決定論は何も禁じませんし
結果が決定してないことを禁じなくて何が決定論でしょうか?
決定論は非決定論を含むなんて矛盾の言い放題はないとして。
>>739 そうですね。私の誤りでした。
結果が決定していることだけを認める、ということです。
問題は決定の権利なのだ、決定していると考えられるのはどうしてか、ということだ。
それ故に、セックルが気持ちよさそうだからこれにしようというのだ。
お前らは少しだけ判っているところがあるのみだ。
742 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 21:18:11
何か行動をするときに最終的に関わっているものは
本能でもなく
選択直前の分子の位置でもなく
ズバリ理性ですよ。
理性というのは、神から与えられた光であり、因果法則から独立した
エージェントなんです。因果法則から独立した理性があるからこそ、
論理的な思考も可能なんです。もし理性が直前の物理的条件に支配
されていたら、思考は論理的筋道を追えずに、ピンボールの玉みたいに、
単なる玉突き運動を起こしてどこに転がっていくのかわからなくなってしまいます。
そうはならないで済んでいるのは理性が因果法則からフリーなエージェントであるからこそなんです。
743 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 21:24:25
理性なんてものは、君の頭にしかないよ
必ずこの世の中にあるよ
745 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 21:34:03
お金は社会の理性
お金は正義でしょう
正義は自己正当化された被害者意識。
748 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 22:04:07
>何か行動をするときに最終的に関わっているものは
からだですよ。からだ、からだ、からだ。
体が動かなきゃ何の行動もできない。
749 :
考える名無しさん:2005/08/11(木) 22:46:34
もっと他に突っ込みどころあるだろ
750 :
ハル:2005/08/11(木) 22:49:53
何にも意識しなければ何にも存在しないのと同じ。
「運命論者として一言 ◆84DmbwrCHo氏の心中を読み解く」
言葉を外界に解き放つ前と後のエクスタシー、これこそ
貴方が求めるものでありましょう・・・・・か?
若しくは、
状態・・・
状態・・・遷移・・・
チューリングマシンか・・・
オート・・・
オートマトン、
セル・オートマトン、
並列処理機構・・・
ニューロオートマトン・・・
脳は・・・自律的・・・
脳が脳を見るのか・・・
私は脳に興味を抱く、
いや脳が私に興味を抱くのか・・・
鬱・・・
・・・・・でしょうか?
753 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 00:11:39
>>745 >お金は社会の理性
「ある(限定的な)意味」では「結構正しい」と思います。
いわゆる「悪」を表面に突出させて「お金を魁集する行為」(要するに「夜盗の類」)が、
「割に合わない」社会的行為になったこと・・は、「野党」(社民党や共産党を含めて)も
「歓迎」するところだと思います。
しかし、その「世界に冠たる警察力」も「ネット上の犯罪」には、今のところ「無力」
・・・とまでは言えないまでも「苦戦している」実態は否定できないと思います。
あの、インテルプロセッサ上で動くマイクロソフトのOS上で、『「アルカイダの(同時テロ)
犯行声明」が可能な状況』・・ということを5年前のアメリカFBIやCIAが「予測できていたか」
・・と言えば、「結果論では『NO』でした」ということになります。
もしかしたら「エシュロン」でこのレスがひっかっかる可能性もありますが、私人としては世界の警察
はアメリカしかできないので、「エシュロンさん頑張って下さい」と思います。私は味方です。
754 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 00:15:45
2chを解読するのは一苦労だろうね。隠語というか
半角カタカナとか色々大杉。ある種のプロテクトになってるけどね。
755 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 00:18:11
>>754 今は検索エンジンで引っかければたいていの意味と(おまけに余計な背景)まで、
情報収集できますので、ついむかしの「たいへん」とは次元が違いますよ。
756 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 00:33:23
>>747 >正義は自己正当化された被害者意識。
そうでしょうか?
社会契約論で国家と契約することは「メリット<デメリットである」・・と判断する
方が「犯罪を犯す」可能性が高いのですが・・「国家警察に守られる要素」のほうが
多い生活をしている『普通の人達』は、「その逆」ですので、「警察が秘密警察化する」
ような事態が顕著にならない限り「街のお巡りさん」が存在することは「消防署が存在すること」
以上に「重要」だと思います。
757 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 00:35:17
756の「方」は「かた」です。
758 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 00:37:41
知能の抽出化。実現すりゃ・・・
欝をわずらう人工知能。まちがいない!!
759 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 00:40:10
普通の人達の被害者意識が正当化されて警察の正義を支えているのでは?
760 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 00:45:25
>>758 そんな根拠はありませんよ。
むしろ、ブログの連携?による「連想の発展」・・・が生じて、
ネット上における我々「リアル個人」が「人工知能個人」の反論に
より「次の(次元の)発想をする」・・というような「理想論」も
可能です。
「鬱」は「大脳生理学的代謝異常」であり・・・SSRI(選択的
セロトニン再吸収抑制剤)で、副作用無く治りますので、神経科医院に
お気軽に行ってください。・・・アメリカでは「心の風邪」という扱いです。
「「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I氏の心中を読み解く
形而上・・・・?
否、形而下・・・?
そして、私は、形而中・・・
・・・鬱かも?
762 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 01:01:37
>>759 確かにそういう側面もありますし、「そうあるべきである」と思いますが、
「警察」は、一応「行政機関の一部」ですので、「個人(容疑者を含む)の人権」
という「立法府」「司法府」が関与する可能性のある「憲法事項」には、
慎重にならざるを得ません。
しかし、彼らも「地方公務員」ですし、危険にさらされることも多いのに、給料は
それほど多くない・・・のです。
問題は「ネット犯罪」の裏を掻いて「摘発率5割強」くらいまで轢き上げる「警察の
(情報)技術力」です。
先ほど申し上げたように「FBI」や「CIA」が国家の敵に「お手上げ状態」の領域
で、「フィッシング被害」とか「著作権侵害」とかの違法行為を「どうやって」摘発できますか?
現状は、残念ながら「やったモノ勝ち」の要素が強いと思います。
これで「e−JAPAN」・・世界で最先端のIT先進国(確か)05年が「実現」できるの?
・・・出来る訳はない・・・と思いますが、通信料の低下・デジタル放送の普及・電子マネーの普及
・・・みなさんこれらに「協力」と言うまでもないですが「秋葉的見栄張り感」で「買い」ましょう。
若しくは、
セロトニン再吸収抑制剤・・・
・・・薬による副作用?
アメリカでの○○電工・・・
トリプロファン・・・
・・・そして、セロトニン
これがプログの連携?による「連想の発展」・・・
・・・鬱かも? ・・・でしょうか?
764 :
ハル:2005/08/12(金) 01:08:34
いろはがあったら(仮定)いが始まりでむが終わり。これは逃れられぬ真理?
765 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 01:16:37
>>763 鬱は、脳内における細胞間の情報を伝達する(為の)重要な役割を
担っている「セロトニン」という物質が「潤滑に情報伝達できなくなる現象」
ですので、「いったん元細胞から発射されたセロトニンの回収」を少なくすることで、
「細胞(ニューロン)間のセロトニン濃度の低下を抑止する」薬です。
・・・・殆ど全く「副作用」はない・・と思われますので、積極的に使用することを
お薦めします。
しかし、即効性は無いようで、早くても効き始めるまでに2週間程度かかるようです。
「医師の処方」で服用してください。
>>762 最終的にはローテクにより足が付き、ローテクにより検挙される例が多い
ローテクがなければハイテクは聳え立たないかも カタカタカタッカタ…
767 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 01:27:39
>>766 一番重要な事実は「摘発されるのはごく一部」であり、
「起訴される」のはさらに「その一部」であり、
裁判所の裁判官は「サイバーワールドなど知らない」方が
殆どであるにも拘わらず、
日本の裁判制度は、最終的には「裁判官の自由心証主義」が、
「絶対」・・・とされていることです。
泥酔裁判官が「これはこうだよ」と判決すれば「それ以外の正義は存在しない」
・・とみなす・・ということですね。(むろん「判決に対する学問的批判」は可能ですが)
「裁判官」という「一市民・一個人」が「期限を区切って」・・「こっちの勝ち」とか
「あっちの勝ち」とか決めますが・・・その「理由」については(サイバー上については特段)
「不可解な誤解の誤解の積み重ね」以外は読み取れません。
皆さん、「くだらない時間の無駄な(面白くもない)遊びばかりしていないで、少しはサイバー法を
勉強してみてください。・・・・将来あなた方の「現金収入」に繋がる可能性があります。
>>767 裁判員制度が始まるが、これは自由心証主義の崩壊?
それとも、裁判官の能力の限界を補う為?
カタカタカタッカタ…
>>739 >決定論は非決定論を含むなんて矛盾の言い放題はないとして。
決して矛盾するものではありません。エヴェレット解釈を理解してください。
決定論的世界の中で、非決定論的世界が観測されます。
>>719 >やはりポイントは、ある行為・選択が選んだものなのか選ばされたものなのか・・・
意識で説明するならば、選ばされたものを選んだと錯覚するのが人間です。
決定論で説明するならば、選ばないという行動は取れないということになります。
この場合、選択に理由があれば、同じ状態なら、同じように選ぶのが、
理由をもって選ぶことが阻害されないという意味で、自由意志となります。
やはりポイントは、ある行為・選択が選んだものなのか選ばされたものなのかだね
773 :
練馬哲人:2005/08/12(金) 07:53:22
自由意志をホモ・サピエンスだけに特化することは、唯物論的にフェアじゃないけどね。w
類人猿は意志を具えており、人間のような規則が欠けている印象を持っているのだが、
人間は蓄える能力があり、類人猿はその異なる程度のものなのだろうか。
栗鼠、馬、犬等も異なるだろう。蓄える能力が高いようだ、知識や食料など。
そこから、交易や言語や哲学が生じているに違いない。
775 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 11:12:53
>決定論的世界の中で、非決定論的世界が観測されます。
これは可能世界と現実世界を混同してるだけ。
夢・現・幻の分別がついていないだけ。
776 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 11:31:09
>>740 >結果が決定していることだけを認める、
まだ、足りない。決定論なら原因も決定していなければならない。
原因・結果の因果必然が決定論です。
>>776 マッチに火が付くという現象の原因は、マッチを擦るという行為だが、
マッチを擦っても、必ずしも火が付くわけではない。
つまり、一つの原因に対して、現実には複数の結果があり得るわけだ。
マッチを擦る(原因)→マッチに火が付く(結果)
マッチを擦る(原因)→マッチに火が付かない(結果)
つまり、決まった結果から、原因を探ることはできても、決まった原因から
必然的な結果を導き出すことは、原理的に不可能ということだ。
778 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 12:40:54
>>777 >決まった原因から
>必然的な結果を導き出すことは、原理的に不可能ということだ。
これは原理的に不可能じゃなく原因結果の因果必然が成り立たないから
因果の法則とならないという例でしょう。
あくまでも因果の法則だとするなら決定論が否定される例となるでしょう。
因果の法則がひとつでも成立しない例があげられるなら決定論は破綻する。
>>775 貴方がエヴェレット解釈を理解していないのでしょう。
「可能世界」は関係有りません。
決定論的世界の中で、非決定論的世界が観測されます。
780 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 15:09:43
>>779 そう書いているこの人もエヴェレット解釈を理解しているとは思えんな。
エヴェレット解釈を採用すれば、コペンハーゲン解釈の矛盾が回避できる
というだけで、正しいと実証されたわけじゃないし、
第一、「決定論的世界の中で、非決定論的な世界が観測される」という
ことでは、全然ない。
781 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 15:23:01
>>780 こいつのほうがやばいと思うんだが。
・コペンハーゲン解釈は矛盾などしていない
・どんな解釈であろうと正しいと実証されることはない
・「エヴェレット解釈の枠内で確率解釈が導出できる」という意味で、
「決定論的世界の中で、非決定論的な世界が観測される」というのは
あながち間違っちゃいない。
782 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 15:49:48
>>781 だから、分からないのに、書くなっつーの。
いいか、「観測する前は波、観測されると粒子」
これが、コペンハーゲン解釈の矛盾点なんだよ
エヴェレット解釈だと、それが回避できるってだけの話
783 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 16:18:04
>>782 やれやれ。
「観測する前は波、観測されると粒子」 を「矛盾」だと感じるのは、
お前が勝手に古典的な世界観を「正しい」と思い込んでるからだろ。
「量子とはそういうものなのだ」と宣言してしまえば
それは矛盾でもなんでもなく、単に世界がそうなっているというだけのこと。
あと、ボーアが最初に確立したコペンハーゲン解釈は
「観測前の状態については何も語ることはできない」ってもの。
「観測前は波」とか言っちゃいけないんだよ。
いわゆる「道具主義」ってやつ。
その後いろんな物理学者や哲学者が、いろいろモディファイされた
コペンハーゲン解釈を広めている。
「観測前は波」とかいうのもそのうちの一つで、かなり俗流のもの。
他にも「観測前は粒子はいくつもの粒子に分かれて存在する」とか
いろいろあるが、どれをとったところで矛盾などない
(矛盾があったら解釈として認められない)。
繰り返すが、お前が「矛盾」だと思うのは、古典的な世界像を暗黙のうちに
正しいと認めてしまっているから。
古典的な世界像は近似でしかないってのは、どの解釈においても共通。
その近似にしか過ぎないものを「正しい」と信じ込んじゃってるから
「矛盾がある」などと考えるようになる。
さあ、いい加減な理解によりオカルトスレと化してきました。
785 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 16:42:10
>>783 やれやれはこっちのセリフだよ
そんなことは、どうでもいい。
「決定論的世界の中で、非決定論的な世界が観測される」ってことが
問題なんだよ
どこにそんなことが書かれているか、ソースをあげてもらえるかな
787 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 16:55:33
>>785 >やれやれはこっちのセリフだよ
>そんなことは、どうでもいい。
プ
弱っwww
>「決定論的世界の中で、非決定論的な世界が観測される」ってことが
>問題なんだよ
>どこにそんなことが書かれているか、ソースをあげてもらえるかな
もう
>>781で
>・「エヴェレット解釈の枠内で確率解釈が導出できる」という意味で、
> 「決定論的世界の中で、非決定論的な世界が観測される」というのは
> あながち間違っちゃいない。
って書いただろうが。
「エヴェレット解釈の枠内で確率解釈が導出できる」ってことは
H. Everett, III, Rev. Mod. Phys. 29 454-462 に書いてある。
これ読めないようなら絡んでくるな。
788 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 17:12:12
>>786 馬鹿野郎! こういう糞ページをソースにあげるなっつーの
>>787 >これ読めないようなら絡んでくるな。
ってことは、お前、やっぱりSYNだな w
いいか、確率解釈が導出できるってことは
非決定論的な世界が観測されることとは違うんだよ
お前、本当に量子力学を知ってるのか?
俺を甘くみるなよ
意志は非決定論的だから「決定論的世界の中で、非決定論的な世界」が
すでにあるじゃない。
790 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 17:23:58
>>788 >ってことは、お前、やっぱりSYNだな w
わけわかんねえwww
どっからそんな結論が出て来るんだ??
頭の中にお花畑が広がってるのか?w
>いいか、確率解釈が導出できるってことは
>非決定論的な世界が観測されることとは違うんだよ
あのな、エヴェレット解釈をとっても、個々の観測者は確率的にしか
観測結果を予測できないんだよ。
それが「エヴェレット解釈の枠内で確率解釈が導出できる」ってことだろが。
それを「決定論的世界の中で、非決定論的な世界が観測される」と言っても
「あながち」間違っちゃいない、って言ってんだろうが。
>俺を甘くみるなよ
超ウケルwwww
791 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/12(金) 17:31:06
エヴェレット解釈というものを検索で見ましたが
多世界解釈というのでしょうか。あるいは平行宇宙というのでしょうか。
面白そうな解釈ですね。
非常に素朴な疑問ですが、人間の自由意志とか主体性等々の問題と、
量子力学等々の問題と、何か関係があるのでしょうか。
私は全くの素人なのですが、量子力学というのは極微の世界一般に
当てはまる理論であって、「人間」の「脳の内部」だけに
当てはまる話ではないのであれば、他の物質と比較した場合の
「人間」の特異性の説明にはならないと思うのですが。
「人間には他の物質と比較してなんら特異性などない」という
立場もありますが、人間の振舞い方が他の物質と全く違っている
ことは、否定のしようがないと思います。
むしろ「脳は物質でしかないのに、なぜそうなるのか?」が
本当の問題であって、そのことを物質的に説明するのなら、
「他の物質にはなく、人間の脳にだけある特別な性質」を
解明することが必要なのではないでしょうか。
793 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 17:42:16
>多世界解釈というのでしょうか。あるいは平行宇宙というのでしょうか。
多世界解釈とはいえるでしょうが平行宇宙とは別でしょう。
794 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 17:43:48
>「決定論的世界の中で、非決定論的な世界」
これは単純な形式論理の誤りです。
795 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 17:43:57
>>790 お前、馬鹿だね、俺が最初にレス付けたのは、SYNだよ
それをお前が、「絡むなって」言うのはおかしいだろ?
それと、よく見ると、
>>786にあるページが、
お前の知識のすべての元ネタじゃんか、馬鹿らしい。
お前さ、
エヴェレット解釈って、エヴェレットが書いたと思ってるんだろ w
>>792 量子論と自由意志は関係ないです。
今はただのスレ違い論争ですからスルーしてください
797 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 17:54:30
>>795 >お前、馬鹿だね、俺が最初にレス付けたのは、SYNだよ
>それをお前が、「絡むなって」言うのはおかしいだろ?
ハァ・・・
お前が最初に誰にレスつけようが、
俺のレスにお前が絡んできてることは変わりないだろうが。
俺のレスに絡んでくる奴に俺が「うっとおしいから絡んでくるな」
って言うことのどこがおかしいんだ?
お花畑で遊んでんじゃねーよまったく・・・
>それと、よく見ると、
>>786にあるページが、
>お前の知識のすべての元ネタじゃんか、馬鹿らしい。
あのな、あのページはエヴェレットの論文の解説をしてんの。
元論文と同じことが書いてあんのは当たり前だろうがアホ。
それがわからんってことは、お前は元論文読んだことがないってこと。
やっぱモグリやw
>お前さ、
>エヴェレット解釈って、エヴェレットが書いたと思ってるんだろ w
プ
モグリ度全開www
798 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/08/12(金) 18:03:54
コペンハーゲン解釈っていうのもあるんですね。
自分の知識はどうやらこちらのようです。
799 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 18:10:58
>>797 >俺のレスに絡んでくる奴に俺が「うっとおしいから絡んでくるな」
って言うことのどこがおかしいんだ?
ったく、だから、お前が、最初に俺に絡んできたんじゃないか、
俺はSNYの回答を待ってるんだよ、
お前が量子論のど素人ということは、よく分かったんでもういい
ひっこんでろ、
800 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 18:23:08
>>799 >ったく、だから、お前が、最初に俺に絡んできたんじゃないか、
>俺はSNYの回答を待ってるんだよ、
結局、俺=SYNってのは撤回かよwww
アホ丸出しだな
>お前が量子論のど素人ということは、よく分かったんでもういい
>ひっこんでろ、
おまえが量子論わかってると思わせるようなレスは一つもないんだがw
もうかわいそうだから「降参」受け入れてやるよw
あんまり知ったかぶって適当な知識広めるんじゃねーぞw
801 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 18:37:19
>>800 アホはお前、やっぱりSYNだって、バレバレだぞ
802 :
考える名無しさん:2005/08/12(金) 19:10:09
>>801 レス重ねれば重ねるほどみじめになるからもうやめたほうがいいよ
文体変えたってダメだよ SYNは口臭がキツイからすぐわかるなw
>>792 >「人間には他の物質と比較してなんら特異性などない」という
>立場もありますが、人間の振舞い方が他の物質と全く違っている
>ことは、否定のしようがないと思います。
それじゃ哲学の終わりでしょう。
問いの提起を放棄してるか禁止しているわけで。
>>805 「人間は他の物体と違いそう」だから「物理学では説明できない
部分があるだろう」という推論も、「物理学って正しそう」だから
「物理学で全部説明できるだろう」という推論も、スタート地点と
してはかなり後の方だ罠。確かに。
人間はとにかく特別なんだ!
という考えの支配に対する反動が、
人間は単なる物質なんだ!
という物質主義で、さらにそれに対する反動が、
やっぱり人間は特別なんだ!
という考え(何主義?)なのかな。
808 :
807:2005/08/12(金) 22:46:15
物質主義っていうか物質一元論ね。
>>808 物質一元論というよりも物質還元論が適切だと思います。
「概念も物質か?」とか「クオリアも?」という問題がありますから。
ただ「概念もクオリアも物質的説明に還元できる」という立場が、
このスレで唯物論と呼ばれている思想の主流だと思います。
>>780 別にコペンハーゲン解釈に矛盾があるわけではありません。
余分な前提を導入している分、無様なだけです。
それからエヴェレット解釈では、決定論的世界の中で、非決定論的世界が観測されます。
>>782 >いいか、「観測する前は波、観測されると粒子」
物質の根本は、波でも粒子でもありません。
波と粒子の性質を持つように見える、得体の知れない何かです。
>>788 >ってことは、お前、やっぱりSYNだな w
それは私ではありません。
>俺を甘くみるなよ
口先だけでなく、素性を明らかにされてはどうでしょうか。
>>799 >俺はSNYの回答を待ってるんだよ、
どれに回答すれば良いのでしょうか。
名無しではわからないので、ハンドルか番号を教えてください。
それから、SNYではなく、SYNです。
>>801 >>804 違います。
クオリティの高い漫才でしたw
>>792 人間と物質をいきなり比べるのではなく、機械と単細胞生物を比べるべきでしょう。
人間から単細胞生物の間はグラデーション的に(機能としての)中間体が存在するので、
その中で人間を特別視するのではなく、生命と非生命らしきものの境界で考えるべきでしょう。
虫ロボットに対してリアル虫にどういう特異性があるとか。
虫と機械に差がなくなれば、人間の特異性もなくなるでしょう。
人間は特別な存在ではありません。何れ自らの後継者であるAIにひれ伏します。
>>806 「説明できない」という表現にもいくつかの場合があると思います。
「完成された物理学によって説明できない領域がある」
「不完全な物理学によって説明できない領域がある」
「実際の観測能力の問題によって説明できない領域がある」
>>810 >それからエヴェレット解釈では、決定論的世界の中で、
>非決定論的世界が観測されます。
その回答は、
>>781とほとんど同じだな、
しかも>786で、阪口利文という奴のページをさらしてくれたお陰で
同じ元ネタってことまでわかったしね、
他にはこんな記述、見たことないからな
>シュレーディンガー方程式は、ミクロな観測対象のみならず、
我々観測者自身をも含めて、あらゆる物理的な対象に適応できる。
従って、波束の収縮は起こらない。|<X_i|psi>|^2 は確率ではなく
測度として解釈する。 確率は相対頻度の極限として定義され、
この理論から |<X_i|psi>|^2 に等しくなることが定理として導出される。
( 決定論的なシュレーディンガー方程式から、
原理的にも非決定論的な確率が出てくる! )
>>815 >他にはこんな記述、見たことないからな
貴方が見たことがないからといって、それが何か関係あるのでしょうか?
決定論的世界で非決定論的世界が作れるのは、エヴェレット解釈の世界だけではありません。
コンピュータの仮想空間でも同じような構造は作れます。
決定論的世界の中で、非決定論的世界が作れるのは、誰でもわかることです。
>>816 >
>>815 > 決定論的世界の中で、非決定論的世界が作れるのは、誰でもわかることです。
「観測できる」までなら妥当だと思うが、「作れる」はいい過ぎの感があ
るな。
決定論と非決定論は形而上の解釈の問題で、一方の世界観で他方の世界観
が見掛け上成立するのは当然だが、それは一方が他方のサブセットになる
ということとは意味が違う。
>>816 おいおい、論理が飛躍してるぞ
なんで「観測」から「作れる」に変わるんだよ
観測できるってのはあくまでセンスデータだけど、
作れるってのじゃ、何だってありに決まってるだろ
820 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 23:25:01
>>791 >エヴェレット解釈というものを検索で見ましたが
>多世界解釈というのでしょうか。あるいは平行宇宙というのでしょうか。
>面白そうな解釈ですね。
さすが仏教徒!懐が深いというか・・・??
@次の瞬間に(この)世界は「無限に分岐する」
Aその「各瞬間」においての実在は「ユニーク」である
という「超サイエンスフィクショナル」な世界観であり、
B「自分の脳(現在意識)」もそのような「瞬間芸」の一つである
という「超超文学的な」世界解釈である・・ということを
まず知って(識って)から「面白い」と言うのは判ります。
むしろ(荒唐無稽を超えているという意味で)「面白すぎる」と思います。
「理論」=『不確定性理論』を「現実」より「優先するモノ」として考えると、
「現実に譲歩して貰う」・・という「自然観」を生じる・・まさに「観念論」です。
>>818 作れれば観測できるのは当然でしょう。私は以前から「作れる」方を主張しています。
>>817 >決定論と非決定論は形而上の解釈の問題で、一方の世界観で他方の世界観
>が見掛け上成立するのは当然だが、それは一方が他方のサブセットになる
>ということとは意味が違う。
意味が違うのは当然でしょう。誰もそんな話はしていません。
作れるのも、観測できるもの、単なる事実です。
それに、見かけ上成立するだけで十分です。
非決定論の世界は見かけ上、そう見えるだけというのが、
決定論の主張ですから何も問題ありません。
もともと決定論は、仮定、前提でスタートしています。証明が出来ないこともはじめからわかっています。
しかし、それに対して誰も否定することが出来ていませし、否定される現象が観測されたことも一度もありません。
>>821 しかし、「観測できるから作れる」という逆はそれだけではいえない。
まぁ、何をいっても形而上の説は検証も反証もできないから、間違いとい
うこともできはしないが。
824 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 23:33:42
>>822 >もともと決定論は、仮定、前提でスタートしています。証明が出来ないこともはじめからわかっています。
それ(について)は「言い過ぎ」・・・「勝手な断定」だと思います。
>>823 そういう主張をしているわけではありません。
「作ることができる」「観測することができる」はそれぞれ独立に成立します。
826 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 23:42:19
>>824 そうではなくて、あなたが観念論者に迫られていることは、
@「証明」(検証)可能かどうか?・・どうやって証明(検証)するのか?
A@が(仮に可能となった)ならば、「それ」をどうやって証明するのか?
・・という2点ですよ。
ご苦労様です。
宗教だから。証明はない。ひたすら信仰を繰り返すだけ
>>826 私は、目の前の世界の存在と同様、証明するのは不可能だと思います。
この世界では、独我論的世界でないことも証明できませんし、マトリックスの世界でないことも証明できません。
>>827 宗教ではありません。どちらかと言えば科学に近いです。
科学法則の根幹にあるものがそうであるように、決定論は仮定や前提です。
反証可能であり、歴史上一度も反証される現象が観測されていないだけです。
830 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/12(金) 23:54:07
>>815 あなたは「あなたが主張している並行多世界」という世界観を本当に「信じて」
いるのですか?
『「本当に信じている」か否かは別として、とりあえず「祈りましょう」』という手法が、
「基督教的布教術」であり、近代科学も「ある程度」はそれ(そういう方法)に依存してきた
・・という事実はありますが・・・・
>>826 >>830 さっきから、アンカーの番号間違えていませんか?
対応関係が変です。スレッドの再取得をされたら如何でしょうか。
>>830 人間にも他人がいて、それぞれ世界があるように、
宇宙にも、他の並行宇宙があって干渉してあっていて、なにも不自然ではありません。
寧ろ当たり前に思えます。
大地は一つではなかった。太陽も無数に、銀河も無数にあるのに、
なぜ宇宙だけが一つだけだと思うのでしょう。不思議です。
もっとも多宇宙を合わせて一つだと言えば、それはそうなのですが。
私・自己・我・自我・主体 客体としての概念
┏━━━┻━━━┓
┏━┻━┓ ┏━━━┻━━━━┓ ┏━━━━━━━┻━━━┓
肉 脳 精 意 無 魂 いろいろ C
体 内 神 識 意
現 的 識
象 活
動
┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━┛
私・自己・ 客体としての概念 D
我・自我・主体
私・自己・我・自我・主体 いろいろ
┗━┳━┛ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┛
肉 客体としての概念 E
体
┗━┳━┛ ┗━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
肉 脳
体 内
現 F
象
┗━━━┳━━━━┛
肉
体
>>829 > 科学法則の根幹にあるものがそうであるように、決定論は仮定や前提です。
> 反証可能であり、歴史上一度も反証される現象が観測されていないだけです。
前提と結論をワンセットで捉えた科学的決定論についてはともかく、世界
の決定性そのものについては反証不能だ。
836 :
素人:2005/08/13(土) 00:43:21
反証不能に一票w
いつもながらプロレスみたいな展開になってるな。
>>835 タイムマシンが作れれば因果律が失われ、決定論は崩壊します。
タイムマシンが出来ない限り、決定論は不滅です。
>>838 > タイムマシンが作れれば因果律が失われ、決定論は崩壊します。
それすらも因果の鎖に埋め込まれていたと主張することが可能だ。
だいたいSYNの主張は矛盾している。
・決定論の枠内で非決定論を構築可能である
・決定論は反証可能である
このふたつは両立しない。
>>839 >それすらも因果の鎖に埋め込まれていたと主張することが可能だ。
それはそうですが、過去が複数存在することになり、一本の映画のフィルム的な世界は否定されます。
その場合の決定性は、世界ではなく、主体にあることになり、構造的には、決定論が一段階後退すると思います。
>・決定論の枠内で非決定論を構築可能である
>・決定論は反証可能である
>このふたつは両立しない。
両立します。
>>840 補足
両立しない決定論の世界も作れるでしょうが、両立する決定論の世界も作れます。
決定論の世界といっても、いろいろあると思います。
>>840 > >それすらも因果の鎖に埋め込まれていたと主張することが可能だ。
>
> それはそうですが、過去が複数存在することになり、一本の映画のフィルム的な世界は否定されます。
そうではなく、未来からの時間旅行者による干渉が最初から過去に組み込
まれているとする主張だ。改変されるわけではない。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではなく、『タイムトンネル』のよ
うな感じ。
> >・決定論の枠内で非決定論を構築可能である
> >・決定論は反証可能である
> >このふたつは両立しない。
>
> 両立します。
前者が真なら、その決定論に反証を挙げることはできない。
後者が真なら、その決定論の枠内に収まらない非決定論があることを認め
ねばならない。
矛盾だ。
ダーウィニズムは決定論か?
天気予報が完璧ではないの何故か?
「ラプラスの悪魔」は未だ存在し得るか?
>>842 >そうではなく、未来からの時間旅行者による干渉が最初から過去に組み込
>まれているとする主張だ。改変されるわけではない。
その過去は、旅行前の主体の過去とは違います。
私が申し上げている決定論はそういうものは認めていません。
>矛盾だ。
矛盾ではありません。貴方が自分勝手に決定論を限定しているだけです。
矛盾というならば、あらゆる決定論で両立しないことを証明するか、私の決定論を完全に知っている必要があります。
貴方が勝手に考えた決定論で矛盾しても、そんなものは私の知ったことではないです。
>決定論の枠内で非決定論を構築可能である
これは実際に出来ています。一例がコンピュータの中の仮想世界です。
>決定論は反証可能である
過去への時間旅行を認めない決定論ですので、反証可能です。
文系の俺がエヴェレット解釈の説明のHPを読んで思ったことね
・エヴェレット解釈もまた確率の解釈を行っている
・エヴェレット解釈における確率の解釈は確率を主観的なものと解釈している
・確率を客観的なものと解釈する人たちは素直に反対意見を述べるだろう
「AはBを決定する」は、まったくBはAから計算されるということを述べているに他ならない。
「決定される」という言葉は、かくして絶対的に「予測可能」、ないしは「あらかじめ計算可能」(vorausberechenbar)と厳密に同じことを意味している
シュリック
>>848 決定論的カオスは、予測不能、計算不能です。
850 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 08:13:49
決定論的カオスは決定論ではない。カオスである。
ミクロの決定論的規定からマクロのカオスが導出されるだけ。
統計力学の逆の状態である。
予測可能性のないものはすべて非決定論である。
851 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 08:16:31
なんでも決定論とかなんでも計算なんていう無意味な
思弁を主張する心理はなんだろう?
852 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 08:37:18
SYN氏によると、
@タイムマシンが作られれば、決定論は反証される。
A歴史上、タイムマシンが作られたことはないから、現段階では決定論が正しい。
これでいいのか?
しかし、
Bタイムマシンが作られても、我々には認識しようがないのではないか?
C非決定論は反証可能か? 歴史上、反証されたことはあるのか?
Dそもそも決定論が正しい場合と非決定論が正しい場合で、何がどう違うのか?
このへんが、非常に疑問。
853 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 09:16:53
>C非決定論は反証可能か?
実証や反証は事実命題に対して事実との照合によって
なされる。「科学的」決定論以外は反証可能性がない
非科学的・形而上学的・宗教的決定論だから、その
否定である非科学的・形而上学的・宗教的非決定論も
反証可能性はない。
合理的決定論なら論理により批判は可能です。
854 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 09:21:22
>>849 決定論的カオスは予測不可能だけど計算(シュミレーション)
は可能です。
ポパーが出たらポパーの反証可能性が前提になり、
ペンローズが出たらペンローズが前提になりみたいな
流れはおかしくないか?
>>853 論理による批判って合理的決定論云々じゃなくてもやってるのでは?
その前に合理的決定論って何よ、って話しなわけだが。
う〜ん、論理により批判が可能な決定論のことじゃないかな?
859 :
857:2005/08/13(土) 15:00:49
>>857 それだと非合理的決定論は論理によって批判不能な理論?
例えば、公理に「論理は適用されない」を入れるとかか。
860 :
857:2005/08/13(土) 15:03:42
>>858だった。
でも論理によって批判できる理論って大半の理論がそうだよね。
神学理論でも論理は気にしてるわけだし。
>>860 そういうことなんじゃないの?
お互いに矛盾する体系が真偽不明のまま相当残りそうだが
論理を認めませんなんつー理論はとりあえず門前払い、ってことでは。
862 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 17:16:20
矛盾律を無視する「理論」は合理的に批評できません。
神話でも合理的なら批評可能です。
863 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 17:18:15
論理、論理って言っているけれど、おまいらの言う「論理」って何さ?
もしかして、哲学的な理論が述語論理上で書けるとか思ってたりして。
「昆虫は哺乳類である」
「サンマは昆虫である」
「サンマは哺乳類である」
という推論は論理的に正しい。
「昆虫は魚類である」
「サンマは昆虫である」
「サンマは魚類である」
という推論は論理的に誤り。
865 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 17:21:20
え?なんで下は誤りなの?
上とどこが違うの?
867 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 17:22:24
>哲学的な理論が述語論理上で書けるとか思ってたりして。
書けなくてどうする?
なんならゲーデル数で表記してみたらどうか?
この時、
「神は存在する」
「神は善である」
「善は存在する」
という推論Aと、
「神は存在しない」
「神は善である」
「善は存在しない」
という推論は両方とも論理的に正しい。
が、結論は矛盾している。
しかも、両方証明不可能である。
869 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 17:26:30
推論って言うんなら、少なくともどれが前提でどれが結論かぐらい分るように書けよ。
870 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 17:27:16
>>867 じゃ、カントの定言命法を述語論理の論理式で書いてみて。w
871 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 17:36:28
>>868 推論形式が正しくても(妥当でも)
前提がすべて真でなければ
結論は真(健全)とならない。
872 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 17:39:37
>定言命法
・・・は命題ではない。
873 :
考える名無しさん:2005/08/13(土) 17:39:42
>>868 二番目の方の推論は正しくないんじゃない?
874 :
842:2005/08/13(土) 19:10:15
なんだ、結局SYNの主張って
・ある決定論の枠内で、ある非決定論を構築可能である
・その決定論は反証可能である
ということだったのか。任意の非決定論が構築可能じゃなかったんだな。
だったらSYNのいうような「ある非決定論」者なんてこのスレに登場して
ないのに、誰に向かってお題目を繰り返してるんだろう?
>>867 有限の文字列で表記できればゲーデル数に翻訳可能だけど、それが述語論
理の表記とは限らないのでは?