◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない39◆
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全く無いのです。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全観念論は徒労の情熱です。
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない38◆
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1120925007/l50
挿入ミス。
3 :
3の男か女:2005/07/24(日) 16:29:24
前のスレから継続、唯物論について
>>955 >僕の言ってる唯物論は、人間の生活という実体と物自体双方と両者の関係性が根源だといってるのです
>こうとると一元論になります、ちょっと論としては入り組んでるが実際ほんとの唯物論はこの立場です
唯物論で大事なのは肝心なのは一元論で無ければならないと言うことです、ハル氏の言うとおり弁証法唯物論では意識はもちろんあるのですから
諸々の意識はなにから生じるか言ってなくてはなりません、すべての抽象思考、精神は生活実体から上昇して生まれてる
根源は本当に根源でなければ一元論になりません、また諸々の物資物質も生活実体から意味付けされる
食用きのこはいいきのこで毒キノコは悪いきのこと言った具合です
4 :
3の男か女:2005/07/24(日) 16:33:21
>すべての抽象思考、精神は生活実体から上昇して生まれてる
厳密に言うと生活実体からでないものも少しは混ざる、下部構造が上部構造を規定すると言います決定するではない
こんな抽象思考がと思うものも生活実体から出る、たとえばフセインは極悪かどうかです
あるいは宇宙とはなにかとかも
>>3>>4 どのように一元論なのかもう少し詳しく説明願います。
私は一元論に否定的(というか一元論では「説明」が
成立しない)という愛と夢さんやハルさんの意見に賛成
なので。
6 :
3の男か女:2005/07/24(日) 17:50:16
>諸々の意識はなにから生じるか言ってなくてはなりません、すべての抽象思考、精神は生活実体から上昇して生まれてる
これが極論されれば、自由に発想したと思われる一般論等や抽象的思考もあるいはそのときそのときの判断も、実は生活実体から規定されててほんとに自由に発想したと思われるのはほんの一部だ(ゼロ出はない)
したがって極論すれば意識は決定されてると言えると言うことになるというのです
でもその後かなり生活実体外からも混じってくることも唯物論で言われ(たとえば教育教養、情報)規定されてる決定されてるのではないと言うことになった
だがそれは多くはない
7 :
3の男か女:2005/07/24(日) 18:12:13
>>5 生活実体も生活物資と生活感覚に分かれてるではないかというとそうもいえますが
生活物資と生活感覚は分かちがたく一体ともいえる(金持ちは別とマルクスはいってる、分離したと)
一元論とは哲学上のすべての事象がある根源から説明できると言う表現になるのではないか
>>7 私は還元主義と一元主義を分けて分けて考えます。
「全ての事象がある根源から説明できる」というのは
還元主義であり、「全ての事象は○○である」という
のは一元主義だと思います。
9 :
3の男か女:2005/07/24(日) 19:54:22
すべての事象は00であると言うのは、思考上の遊びじゃないの
仮に何か00であると言ったとしてそれがどういう意味があるか
10 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 19:57:17
>>9 「一元主義」は「説明」できないのです。
意味が無いとは言いません。
「本家は何か?」という論争はあまり意味が無いので
私は一元主義に関してはこれくらいにします。
話を戻すと「事象は全て物理に還元されるか?」という点が問題でしょう。
14 :
3の男か女:2005/07/24(日) 20:53:32
僕は還元されないと言った男か女です、物理はすべてを束縛してますがすべては物理学に還元されない
だからその意味の一元主義は架空だと思う.架空です
地球温暖化の話はまだか。
16 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 21:00:14
なんだよその男か女って。くろしろはおっさんだろ。
17 :
哲子:2005/07/24(日) 21:23:53
哲学で一元、二元が何を意味するのかわかって議論してるのか?
哲学で一元といえばすべての物事をひとつ(1種類)の実体とすること、
二元といえば二つ(二種類)の実体とすることでしょう。
実体の種類をどのようにして決めるかといえばその実体の本質が同じ物事は
は同じ種類の実体と分類するのだよ。
この観点で論を分類すれば、無元論、一元論、二元論以上の多元論に三分割
されるだろう。
無元論は仏教哲学特有の論で諸法無我=一切法空の「すべての物事に本質はない」
とする論でしょう。
一元論は観念論・唯心論・唯物論などすべての物事の本質を観念(理想)とするか、
精神(心)とするか、物質とするかで区別する論でしょう。
二元論は心身二元論などのように物質と精神の2種類の実体を立てるような論でしょう。
ちなみにデカルトは正確には神と精神と物体の三元論です。
ポパーの物理世界・精神世界・文化世界も世界の三元論でしょう。
ペンローズの物理世界・意識世界・プラトン(理念)世界も三元論でしょう。
インド哲学のヴァイシェーシカ学派なんか9種の実体を立てる多元論でしょう。
これくらい踏まえたうえで議論しようね。>ALL
18 :
哲子:2005/07/24(日) 21:38:06
哲子は無元論の空論がだいすきでぇーす。
決定論と意識についての哲子の主張の要約。
1.因果的決定論は成り立たない。(不確定性原理ゆえ)
2.決定論と意志の自由は関係ない。
(運命は自由に切り開かれる。自業自得ゆえ)
3.意識は物理作用で束縛されない。(脳内物理作用は無意識ゆえ)
「ただ決定してる」の決定論は無意味です。
観念論は一元論ではないです。
>>14 物理学には還元されないのに生実体には還元される
というのは納得が行きません。
○生活実体
×生実体
よく読んだら「生活実体に還元される」とは書いていませんね。
失礼しました。
個人的に観念論か物質論かという対比は意味が
無いんではないかと、最近思ってます。
24 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 22:01:30
>>13 >「事象は全て物理に還元されるか?」
事象を事実と現象とするなら物理に還元されるのは
物理現象だけでしょう。
事実は物理を超越する。事実に反する物理は捨てられる。
人文系の事実は論理で表現できても物理では表現できない。
25 :
3の男か女:2005/07/24(日) 22:06:26
>>24 >人文系の事実は論理で表現できても物理では表現できない。
あたりまえですね 、それは自然科学的にも(前には統計力学的にといった)そうなってると言いました
26 :
3の男か女:2005/07/24(日) 22:09:51
本当の唯物論はこのスレではまだ理解できる人が極少数なようですのでしばらく休み
興味あるひとは
>>3ーー
>>15をしばらくよんでてください.今回はかなりしっかり書きました
>>26 > 本当の唯物論はこのスレではまだ理解できる人が極少数なようですのでしばらく休み
こういうことをいう奴って、ほとんどの場合はむしろそいつ自身の説明能
力に難があるのを責任転嫁してるんだよな。
28 :
3の男か女:2005/07/24(日) 22:33:03
>>27 今回はかなりしっかり書きましたが、ちゃんと読めるかどうかは読むひと次第」
僕はあんまり文はうまくない、前のスレの終わりの方も今のうちに参考にさされれば幸いです
まともな意味のある質問にはできるだけ答えます、スレは時々見ます
29 :
3の男か女:2005/07/24(日) 22:43:34
>>20 ほんとの唯物論では人間の世界の抽象精神活動はほぼ生活実体に還元されると言ってるのだろうと思います
ここで還元されると言うのは原因がある、根拠を持つと言うことです
物理学には統計力学上?の理由で還元はされません、束縛はされてます
未来も物理学上そうとうきまってる部分もかなりある
相当決まってる部分もあるからそこに注意を引きたくて、未来は細部まで決まってると言う極論、盲論も出るんじゃないかと言うのは唯物論だ
と思います、未来の生活実体への不安からそういう論が起きてるだろうと言うわけです
30 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 22:44:32
で、そのほんとの唯物論は誰が主張したの?
31 :
3の男か女:2005/07/24(日) 22:49:52
>>30 数が多かったのは哲学的にはレーニン派でないロシアの連中のようです
32 :
3の男か女:2005/07/24(日) 22:53:22
注意深く読んだ人がもしいるとすればお気づきでしょうが、「決定論」と言うのは本来は意識は決定されてるんじゃないかと言う方が
まともな論で、それは
>>6に書きました
未来がすべて決定されるてるというのはそれから連想された空想ですね
ミクロの因果律がマクロにもおよんでるという勘違いだけど
33 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/07/24(日) 23:00:38
新スレ、おめでとうございます。
面白そうなスレタイだったので空気読まずに火器庫
必然にすぎないことを自己は客観的に認識できるのかな?自分のままで。
んでその客観視点から必然を覆す行動を起こすことができるのかな?
それとも、できないということが分かるだけ?それならあの猿の電流実験の話みたいに
無知が一番幸せという結論?
35 :
3の男か女:2005/07/24(日) 23:22:04
>>34 意識は必然ではないかと言うほうの必然でしたら唯物論でも全部は必然ではない(多くは必然)
と自己否定のようにされてます(80年位前かな)
人間の印象としては必然でない方が強力強調されるので、ということもあって(自発性も結構あるように感じるのが普通)必然の部分が相当はいってると言うことはよほど思考訓練してないと意識されないと思う
思考訓練でメリットもあるかもですが、それはいちいち考えないで重要なときは最善を尽くせばいいんだろう
またいったん考えればこういう外部条件があるからこうだなあと言うのは反射的に出て気ますよ、単に状況分析が大事だと言う形でね
36 :
3の男か女:2005/07/24(日) 23:24:11
いちいち考えてると思考が遅くなり散漫になってかえって失敗するかも
37 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/07/24(日) 23:25:54
「すべては決まっている」
みなさんはどうお考えでしょう。
38 :
3の男か女:2005/07/24(日) 23:39:40
>>34 全世界はこの意識されないと言う面白い例を最近見たわけです
それは多くのアメリカ人がフセインの大量破壊兵器はあるに違いないと錯覚したが何かが意識されてないからだと誰も気が付かなかった
本当にあるに違いないとおもってたひとが圧倒的に多かったようだ95%か
テロリストが怒り心頭でさめないのも多少訳があるだろうね
39 :
哲子:2005/07/24(日) 23:40:10
>>32 たしかに
>>6を注意深く読んでみると意識に対する史的唯物論からの
説明としてはまともだと思えます。ただ、言葉遣いがちょっと変なので
相当理解しがたくしてると思われます。
「意識は生活実体で規定される。」
「生活実体」ん? あ、生活実態かな?意識は各自の経験してきた生活
実態によって影響され、それは脳の来歴として記録されるので次に物事の
判断をするときの意識に反映される。
すなわち、各自の生活来歴は各自の歴史そのものであり、意識がその生活来歴
によって規定される、とは史的唯物論に整合する説明である。
脳科学でも、 脳のニュラルネットワークは生活来歴によりシナプス結合の
重み付け逐次書き換える可塑性を有しこれがその人の意識の個性を生み出す
と考えられている。
ただ、意識はつねに「いま」しか機能しないので未来の意識が決定することは
ありえない。そのときまでの歴史を踏まえたうえでの意識である。
「いま」の意識に拠る行動・行為はよくもわるくも自分に跳ね返り、あらたな
歴史として将来の自分を規定することになるでしょう。
>>3 >すべての抽象思考、精神は生活実体から上昇して生まれてる
>根源は本当に根源でなければ一元論になりません、
>また諸々の物資物質も生活実体から意味付けされる
おい、「上昇して」とか「意味付けされる」って何だ。
それのどこが「一元論」なんだ。
思考や精神(意識)が「生活実体」から生じる、諸々の物資物質も「生活実体」
から生じる、というのなら確かに「生活実体一元論」になるがなw
とりあえず
1、「生活実体」というのは何を意味するのか?
2、物質や精神と「生活実体」の関係は?
以上2点を明らかにせよ。
41 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 23:46:28
茂木や天外を初めとする脳科学研究者は自分達の道徳感情の欠如を研究した方がいいよ。小学校の道徳の授業から始めて社会人としての当たり前の責任の取り方を勉強すべきだね。いずれ天罰は下るけどね
42 :
考える名無しさん:2005/07/24(日) 23:52:27
道徳に真理はない。あるのは欺瞞と都合のいいこじつけ
43 :
3の男か女:2005/07/25(月) 00:13:16
現代で唯物論の言いたいのは.フセインとの戦争で、アメリカはフセインはどのくらいの悪かということをかなり抽象的もまじりそれでも一生懸命かんがえただろうが
自分らの生活が石油付けで、多くの車が無ければやっていけないそれにすごい石油を使ってると言う生活実体が、フセインは極悪か否かと言う抽象論精神活動真理問題を規定してた
ということ、必然に大量破壊兵器はあると言う幻想を生んだ、かように「規定」してると言うこと、規定されてるのを、知らず人間は今思ってる真理は真理だと思いたがる
フセインも石油に対するアメリカの態度に怒ってると言うことをはっきり言わなかったのもよくなかったが」
エピソードですがね
44 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/25(月) 00:19:11
>>41 >自分達の道徳感情の欠如を
未だにこういう無神経な言葉の使い方をする方が存在するのですね。
「ナチスドイツ」がユダヤ教徒達を500万人抹殺した(計画では1100万人)
根拠も、同じように「(基督教的)道徳感情の欠如した連中を処分する」という
理由・・であるという「歴史的事実」を知識として知るべきです。
一言で言えば「知的怠慢が(歴史上かつて無い)大虐殺を可能にしてしまった」
ということです。
ちなみに、当時の独逸「ワイマール憲法」は、世界中で最も「民主的な憲法である」
とされており、国家社会主義独逸労働者党(ナチス)は、その憲法下で「合法的に」
政権を獲得し、アドルフ・ヒトラーはその党首として当然に「首相」となった訳です。
(国際法的にも)「合法性」においては、なんら欠陥もない「国」の末路は、
ご存知の通りです。
45 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 00:26:35
|‐'' .|,,,,,,,,,,,,,______
,、L,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,-‐‐‐''''"~´_____,,,,、、-‐'r゛
, -‐' ________,,,,,,,、、、-=;;''''ヽ| ,,、-‐''"
< ―‐'''!'''''''h''T'''廿'i= .r廿´| { r~
 ̄ ̄ |⌒i r ヽ-- ' |i‐‐‐' }|
|λ|{ ヽ |
. |ヽi | , r.' |
lV r | 2ちゃんねるはとんでもないものを盗んでいきました
`、 ! ‐‐''''''''"""' !
ヽト "" / 我々の人生です
|\ ,.!
これこそ最強の哲学
46 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/25(月) 00:31:12
>>45 それは「そんなもので盗まれるだけの価値しかない人生」だったからです。
「もっと価値ある人生」を送っている方達も沢山居ますが「全員を救済する」
ことは、「哲学」という分野の性格上「不可能」です。
48 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 02:19:13
>>44 「無神経」とはヘソが茶を沸かす。
社会人としての当たり前の責任取りなさいと言ってるの。歴史の話しじゃなくて今現在の話し。あんたらはこのスレで現実逃避してるだけじゃん。自分のした事は科学的にw分析しないの?
>>44 >一言で言えば「知的怠慢が(歴史上かつて無い)大虐殺を可能にしてしまった」
>ということです。
機械タンって、ときどきこういう決定論者らしからぬ事を言うよね。
知的怠慢も決まっていた事ですから。
51 :
ハル:2005/07/25(月) 15:04:33
「運命を愛せよ」
決定論ならこうなるはずなんだが。
ならないと思います。
決定論から演繹的に導かれる規範は無いのです。
53 :
ハル:2005/07/25(月) 15:20:59
確かに。
だが、そうなると何をこのスレッドで言ってもいいことになるでしょう。
機械的唯物論者も結局のところそれを利用しているのだろうが・・・。
54 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 17:15:48
「脳は物質だから意識は必然にすぎない」
このスレは心理学板と宗教板にも立てているのですね。
55 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/25(月) 18:58:28
最近、あるある探検隊や長井秀一、波田陽区、など、俗に言うあるあるネタが一つのブームに
なっている。このような「あるあるネタ」は、その境界線が重要である。当たり前すぎるあるあるは、
あるあるにならない。「あ〜それあるあるよね」とは、自分だけが思っていた独我論的世界に、
他者が進入したとき、わかりあえたときに悦びが生まれる。だから、あるあるネタにもたえず
「暗闇への跳躍」という賭が存在するのである。
最近のあるあるネタの特徴は、テレビの世界である。そこに共通項を見いだすことが考えられる。
その中での「あ〜それあるあるよね。私だけが、思っていたら。」そしてそれへのウケによって、
「みんなのそうだったんだ。」という悦びである。
逆説的にこのようなことがよくわかるのが、外国のバラエティを見たときの気持ち悪さである。
たとえば韓国のバラエティを見たとする。するとどこのだれかわらない、そして取り立てて、特徴もない。
なんで彼なのか、まったくわからないが、とにかく一言一言大受けなのである。その内容が面白い、
面白くないがわかる、わからないということではなく、だれかわからない、兄ちゃんが大受けなのが、
気持ち悪いのである。おそらくそれは、外国人が日本のバラエティーをみても同じように感じるのでは
ないだろうか。
誤爆すまん
57 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 19:49:12
「心が機械に影響を与える」プリンストン大学の研究(1)
ジャン教授によると、マクドネル氏が知りたがっているのは、重要な電子システムが、ス
トレス下にある人間の操作者の考え方にどのような影響を受けうるかだという。
「マクドネル氏は、『F18』戦闘機のコックピットに若者を乗せておいて、非常に高度な機
器のすべてが、戦闘時やその他の非常事態の際にパイロットがさらされるストレスの影響
をまったく受けないと根拠もなく思いこむことは、良心に照らしてできないと話した」と、ジャ
ン教授は振り返る。「マクドネル氏は、そのような影響を受けないようにするには、機器を
どのくらい強化する必要があるかを判断する研究を求めていた」
ttp://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20050720301.html
58 :
哲子:2005/07/25(月) 19:50:37
>>1 >「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
>決定されております。
ここで決定といってるから決定論とつけてるのかな?
物理・化学法則で意識に直接関係した法則はひとつも
ありません。現在の物理学では意識の定義さえできていない。
神経生理学や心理学や認知科学などが意識を科学的に扱っている科学でしょう。
情報工学やAIなどの工学的アプローチのほうが脳の機能を解明しつつある。
物理学は脳科学に対してはまったく無力です。
59 :
哲子:2005/07/25(月) 19:58:50
60 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 20:04:08
脳科学も物理学も一緒だよ。決定論という意味で。
意識が科学の射程外にある、を言うのに脳を出しても何の意味もない。
脳という概念自体が観測結果でしかないのに、
それを絶対視したら自己矛盾を犯すだけ。
哲学と科学を混ぜて使う人間は、科学者以上に論理の使用法を間違えている。
61 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 20:04:53
63 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 20:17:47
>>60 どういう意味で決定論といってるのかな?
意識は科学の対象ではあるけど現在、物理学の対象には
なっていない。
脳の観測手段として物理技術を使うことはあっても意識を
物理として定義することはできていない。
もし決定論が確実に存在しうるなら、
その物理化学法則とやらを利用して大金持ちになることができるんだがね。
万人の認識システムに訴求する存在を生産することによって、
株式市場の先読みによって、あずき相場にひと財産ぶっこむことによって・・・etc。
でも決定論者が、100億かせいだリーマン様というウワサは聴いたことがない。w
無限の決定因子の入力中なのかしら?でもそれは決定論といいうるの?
>>64 何か根本的に勘違いしてます。
「株式の上下」が決まっているのと同様に「それにあなたが
投資するか否か」も決まっている、というのが強い意味での
決定論の主張でしょう。
まあ「未来を完全に予測する」ということ自体ありえないわけですが。
>>64-65 何か根本的に勘違いしています。
決定論的には、誰がどの銘柄にどれくらい投資するか否かも法則に基づいて決定済みな訳ですから、
なおさらボロもうけでしょう!
そして悲しいことに自分がボロもうけできることも既に決定済みの訳です。
スリルのない人生に合掌w
問題は「予測可能性」の無い決定論は何学なのか?
ということです。
69 :
考える名無しさん:2005/07/25(月) 21:52:49
予測できない決定論は論外です。
物理学もしくは数学かな?
でもどの系に依存させて、具体的な解を得るのかによって微妙に変るのかな?
でも漏れは、決定論を認めない立場だからね。(^_^;)
でもここでの心脳問題の解決法がほとんどあるある大事典レベルなのは
ちょっとあやう過ぎる。
よって漏れもかなりテキトーに書いてます。スマソ。
むしろ予測できる決定論こそ意味不明、無用の長物では?
ちなみにペンローズのモノと心と抽象数学のウロポロス的関係の決定不能性は
押さえておいた方がいい。
決定論者は、無媒介に世界の真の秩序を押さえてるつもりらしいが、
それはカント的な有機体の種に固有な認識図式を媒介にしか語り得ないことも。
して鹿ね。
テキトーにもほどがある。(^_^;)
ウロボロスってトコも間違ってる。
きっと決定不能なノイズが意識過程に生成しているからだ!
(かな打ちのミスタッチはなぜ起こるのかな?決定論者よ!)
75 :
哲子:2005/07/25(月) 22:07:34
>>67 >法則に基づいて決定済みな訳
そうですね。決定論なら因果を決定する法則がなければならない。
その法則に従って、「今、こうなのだから、将来のそのときはそう
なる」と判断できるわけです。で、そのとおりにならなかったら
それはその法則が偽法則であったわけです。
では、正しい不変の因果の法則がこの世に存在するでしょうか?
法則もまた不変ではなく変化することでしょう。
法則も仮設された物事でありいつかは法滅をむかえる。
法則が滅すれば決定論も滅する。
A、Bどちらが正しいのか正直わからない。
A もし意識が存在しないのなら、すべての世界は他の世界であり実感することができないから、
世界が存在しないのと同じことになってしまう。すべては実感を持つ意識ではないだろうか。
B 世界はただ因果律に基づいているだけで、人間が自分に意識があるという考えに至ることも
人間の脳という機械が因果律に基づいて動作したことによるものであり、本当に存在する
のは因果律に基づく実在のみではないだろうか。
以下、
>>76 のBの立場で書きます。
機械である脳が、脳内に自我やクオリアという特別なものがあると主張するのは
奇妙なことではないだろうか。そのようなものが錯覚でないことを示せるのだろうか。
また、自分以外の存在に自我やクオリアがあるかどうかをどのように考えるのだろう
か。
>>70 心脳問題は半分放置ですね。
決定論も信仰(神学)の一環ですし。
↑私の場合は、の話。
心脳問題は現代の水準では解決できないと思ってます。
うまく言えないけど、因果律は世界に存在しないって立論もある!
事実関係をつなぐ論理として存在するのであって、それは予め世界内にある訳ではないと。
つまり論理的な秩序図式は主観意識の側だけにあるとでも言ったらいいのか。(ヒュームとウィトゲンシュタイン、クワインなんかが取り上げてる。)
心脳問題はここではあるある的に解決してるようです。
>>1を見ると・・・まいったな。
連続投稿規制にもはまってもうたヨ。まいったな。もう寝ようっと。(^_^;)
>>75 人間が認識しているものが間違っている場合はありますが、法則が変化することはありません。
例えば、円周率の値が変わることは絶対にないでしょう。イデアの世界は不変です。
>>76 Bが正しいでしょう。
「意識」が存在しないという、無意味でありえない仮定はやめませんか?
ある存在に「意識」というラベルをつけているだけであって、
その実体がどうであれ、「意識」と呼ばれる物理現象は存在します。
>>82 SYN氏には同意できない点が多々あるが、
これだけは禿同だな。
>>74 神の意志や真実の姿に反している事を「体」が知っており、心が乱れるため。
85 :
哲子:2005/07/25(月) 23:02:43
>>81 法則という言葉の意味を知らないようですね。
円周率は定数だけど法則だなんていわないよ。
数学では法則より定理というほうが一般的だろう。
法則とは一般に前提と帰結と間にある不変な関係性をいう。
自然法則なら、世界の現在の状態と直ちにそれに継ぐ状態との
間にある恒常的な対応関係(関数)をいう。
はたして自然法則は不変の恒常的なものであろうか、それとも
偶然的なもので時とともに変化することもあるものであろうか?
>>69 決定論が予測不能性を保証します。カオスは決定論的作用で起きます。
>>85 少なくとも私は偶然という事象を見たことがありません。すべて必然に見えます。
もっとも日常会話では、観測者の情報量の不足によるものを「偶然」と呼びますが。
>>82 では意識という現象をどのように定義するのでしょうか。
90 :
哲子:2005/07/25(月) 23:11:07
>>86 カオスとは無秩序のこと。無秩序は決定論ではない。
ミクロの法則性があってもマクロの法則性がないのが
カオス現象であろう。
>>89 自我意識なら、物理現象を主観側で見たもの。
>>90 この宇宙にミクロとマクロの境界は存在しません。
すべて決定的です。
>>67 映画は結末が決まっていますがスリルはあります。我々の世界も同じようなものです。
>>87 たとえば、今あなたの本名を知らない私が、でたらめに
「山田太郎」と書いて、それが当たったします。
それを普通は、偶然と呼びますが、あなたに言わせると
必然に見えるらしい。
で、そこに、どんな必然があるのか、説明できますか?
>>94 それは貴方の脳内にある情報を、決定的自我意識によって選別し、書いたに過ぎません。
この程度のことはコンピュータでもできます。
ここでは当たるか外れるかは関係なく、貴方がそう書くことが決定的ということです。
いきなりクリンゴン語で書いたりはできないでしょう。
これだけ間違ってても!?スゴイ寛容だね。
史的唯物論という弁証法の法則は、先の世紀末あたりで変化してしまいましたが!
円周率は、四捨五入する桁で変りまくりですが!
イデア界は、人間の感覚形式に置き換えなければならないのであれば、それは主観に従属するものですが!
意識が単に数学的な計算過程だとしたら?我々が意識としてこれまで扱っていたものは霧散しますが!
そもそも意識を物理現象としての自明な存在とするのは、抑圧的なイデオロギーに過ぎないのですが!
97 :
哲子:2005/07/25(月) 23:20:28
>>92 ミクロとマクロも決定できないのが決定論?
ミクロもマクロもいかようにも設定可能だよ。
>>95 そういうことではありません。私がどのように書いたのか、
脳内の作業に、そうした因果関係があることは私も知っています。
その結果がなぜ、あなたの名前と一致したのか、そこに
どのような因果関係があるのか、それを説明していただきたいのです。
それが説明できなければ、必然とはいえないでしょう。
>>97 それは境界がないから、好きなように設定できるというだけでしょう。
線分を任意の長さで区切れるという程度のものです。
>>98 説明できないのは情報の不足によるものです。
当たることも外れることも、必然には変わりありません。
>>100 説明できないそうした情報不足の事象を、
一般的に「偶然」と呼ぶのです。
それは用語の問題であって本質的問題ではないと思います。
「因果律はどこで破綻しているのか?」ということがより重要でしょう。
>>98さんは偶然を説明できないことと定義しているのでしょう。
なにをもって説明可能、説明できたとするかは難しい。
では対象の事象が決定にいたるまでに、無限の決定因子を入力しなければならない時、必然は存在しうるの?
とどのつまり明日傘を持っていくかどうかで、全宇宙の粒子の位置と運動量が必要になるんじゃないの?
それでも必然は存在しうると?まさか!
106 :
哲子:2005/07/25(月) 23:36:12
>>87 自然法則は経験則であり論理的必然性はありません。
自然現象はすべて確率過程であらわされます。
確率ですからたまたま必然的に見えるときもありますが
ほとんどは偶然的です。地震や台風にいつ会うか確実に
予知することはできません。
いや、決定論者はスパコン使って全宇宙を計算済みらしい。
ちなみに
>>122では、誰が何と言うんだろ?偶然がないならば!
>>105 系によっては、見かけとしての「偶然」が存在します。
もっとも、ゲームのキャラクターにも自由意志があり、そこで起こることを偶然と呼ぶのであれば、
偶然と呼ぶのもいいかもしれません。
要は人間の自由意志も、複雑さが違うだけのその程度のものということです。
109 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/25(月) 23:41:16
>>85 >はたして自然法則は不変の恒常的なものであろうか、それとも
>偶然的なもので時とともに変化することもあるものであろうか?
「π」はユークリッド幾何学のみならず、非ユークリッド幾何学にいても
依然「有効」です。
プランク常数や「プランクの距離」あるいは「光速」という「この宇宙の
基本常数」が将来「変更されること」はありません。
自然数における「素数」が、将来「増えることはあっても減ることはありえない」
ことと同じ理由でありえない・・からです。
>>106 確率は物事の把握の仕方であって、事象ではありません。
また、予測不能性は決定論的作用が保証しますし、カオスは決定論的作用が起します。
111 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/07/25(月) 23:42:51
極論(暴論)かもしれませんが
自他があるかぎり(あるからこそ)決定論云々があるのではないでしょうか。
すべての事象を必然と呼ぶのは、
やはり無理があります。
成功率0.00001%と、成功率98%の手術が
いずれの成功した場合、どちらの手術も成功は
必然であるとはいえないでしょう。
それ以前に、自他のない世界を論ずることは不可能だと思います。
では
>>109への反駁
イデア界は、人間の感覚形式に置き換えなければならないのであれば、それは主観の秩序に従属するものですが!
115 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/25(月) 23:45:16
>>111 それを言うならば「決定論云々」だけではなく、「**論云々は脳があるからである」
と言うべきだと思います。
マーフィの法則曰く、失敗する可能性のあるものは、必ず失敗するw
>>109 数学は自然法則の範疇なんだろうか? 大学だと理学部系で扱ってるけど
自然科学と呼ぶべきなのか昔から疑問なんだよな。
あと、方法論としての科学とその一時的成果物としてのいわゆる「現代科
学」をごっちゃにして語るのは止めてくれないか?
>>112 その確率というのは、人間の予測方法であって、事象ではありません。
そういう確率は、人によって、モノの見方によって、情報量によって、時によっていくらでも変わります。
>>107 決定論者によって計算済みであるわけではない。
この世の中で誰一人としてその予測ができる者はいない。
けれども、全ての事象の展開・行き着く先は決まっている。
というのが決定論なんじゃない?
観測できるか、予測できるかどうかは関係ないと。
>>117 私は分けるべきだ、と思ってます。
理由付けは困難ですが、やはり普遍的関係性を
扱う学問と実証科学は異なるのでは無いでしょうか?
121 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/25(月) 23:49:46
>>112 手術の「成功」あるいは「失敗」は、医学(場合によっては「法学」)
の対象であり、ある手術が「誰々のどういう判断でどう行われるか」は、
「(あらかじめ)決定されている事象」です。
それについての「責任の追及」等々の『価値判断』は「次元に違う議論」
だということです。
むろん、「その次元の議論をするべきではない」ということではありません。
122 :
哲子:2005/07/25(月) 23:51:25
>>102 >「因果律はどこで破綻しているのか?」
その因果の法則に合わない事実すなわち反証が観測されたとき
でしょう。反証は一例でもあればよい。
>>118 もっと想像しやすい例を出しましょう。
ビー玉の大きさに穴の開けたガラスの板めがけて、
10メートル離れた場所からビー玉をぶつけます。
ガラス板を割ることなく、一発でその穴をすり抜けた場合、
「それは必然である」と言い切ることができますか?
ガラスが割れなかったことに正統な根拠などないでしょう。
>>123 >ガラス板を割ることなく、一発でその穴をすり抜けた場合、
はビー玉はぶつかっていないでしょう。
それから実際に起こる例を持ってきてください。
詭弁の特徴のガイドライン
1:事実に対して仮定を持ち出す
「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
125 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/07/25(月) 23:57:13
前にじいさんという方から
「自然現象は確率」という話で二三やりとりしたのですが
私は「確率」というものを「付与」しているのは人間の方ではないかと思います。
126 :
哲子:2005/07/25(月) 23:58:01
>>105 πは天上界に存在するか?なんて形而上学問題があったね。
πに限らず自然数といえども「数」は物理的実在ではないですね。
物理定数は常に変わっている。恒常的定数とはいえない。
高速不変。
失礼。光速不変。
>>125 仰るとおりで、確率は実際の時間とは関係ありませんし、後方確率というものもあります。
>>125 確率論もきっちり位置付けようとすると厄介だな。
すべての可能性の内に含まれるある可能性の比率を厳密に求めようとする
なら、決定論の場合と同様の形而上の仮定が必要になるだろう。
>>126 変わっているのは人間の間違った値であって、実際に定数が変わったことはありません。
132 :
哲子:2005/07/26(火) 00:03:12
>>111 決定論は自他の法の問題ではなく業と無常の問題と思います。
>>124 よく読んでますか? ビー玉が同じ大きさの穴を
通り抜けるという、実際に起こる例ですよ。
詭弁ではありません。
どうやら、あなたは偶然の意味を知らないらしい。
違う。高速度不変だった。
orz
>>133 通り抜けるのならぶつけていません。矛盾する仮定を持ち出されても困ります。
>>125 確率を付与しているのは、もちろん人間ですよ
でも、すべてのことに意味づけを行うのが人間でしょ?
必然だって、決定論だって、その意味を付与しているのは
人間じゃないですか。
138 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 00:06:55
>>125 >私は「確率」というものを「付与」しているのは人間の方ではないかと思います。
なるほど、ごもっともです。
「宝くじ」(やその他の博打もろもろ)は「必ず胴元が儲かる」から成立します。
すなわち「胴元に『個々の必然的結果』が判らなくても、数を重ねるうちに胴元が儲かる」
システムなのです。
>>136 バカですか?
もう一度例をよく読んでください。
>>139 「10メートル離れた場所からビー玉をぶつけます。」と書いたのは貴方です。
馬鹿と仰るような相手と議論するのはやめたらどうですか?
論理的思考能力の欠如と、議論する相手を選別する能力の欠如が見られます。
141 :
哲子:2005/07/26(火) 00:11:41
>>119 >全ての事象の展開・行き着く先は決まっている。
>というのが決定論なんじゃない?
だからその展開・行き着く先が決まってるということは
どうなるか、どこに行き着くかわからなければ決まっている
ともいえない。その時点では不定だから不定論となるんじゃない?
142 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 00:13:48
『猖獗の極みの中で、「就寝する私」』でした。
143 :
哲子:2005/07/26(火) 00:15:08
>>125 >「確率」というものを「付与」しているのは人間の方ではないかと思います。
そうですね。何が「事象」かと捉えるのも人間が決めているのですから。
144 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/07/26(火) 00:15:18
>>137さん
その意味付けの「動機」が正しいかどうか。
>>138機械さんの宝くじではありませんが
抽選が行われる限り、誰かに必ず当たりは来ます。
ただ「自分」に来るかどうかは?です。
くじのほう(自然現象)は誰に当たろうと関係無いのでは。
>>140 名無し ドーナツにビー玉をぶつけます。
名無し ドーナツの穴をすり抜けました。
SYN ドーナツにあいた穴にはぶつかっていません。
・・面白くありませんね。
それにしたって、あなた怒っちゃいけませんよ
私にバカっていわれるのも必然なんですから。
>>141 一言さんは、「信仰である」という指摘を受け入れているようですよ。
「後付の論である」に関してはわかりませんが・・・(^^;)
>>146 後付というより「もう分からないから信仰ということで…」
みたいな心境です。
神学とは「分かることと分からないこととを区別し」、それから、
「分からないことについて自己の信仰を告白する」ということ
だと私は定義します。
148 :
哲子:2005/07/26(火) 00:19:38
>>131 物理定数は理論値ではなく観測値だから技術の進化により
変わって当然です。
>>145 別に怒っていません。貴方がそういう言葉を使うのは必然だとわかっていますから。
>>148 こちらの言っている意味を理解しないで反論しているのでしょうか?
あなた「うみねこ」さんですか?
光速は理論値でしかも不変です。
152 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 00:23:32
>>147 >神学とは「分かることと分からないこととを区別し」、それから、
>「分からないことについて自己の信仰を告白する」ということ
>だと私は定義します。
で、その「告白した相手」が「神のふりした悪魔」だあったりすると、
待望の「基督教的茶番劇の始まり」ということになるわけですね?
153 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/07/26(火) 00:24:47
>>151運命論者さん
相対性理論はよく分からないのですが
ブラックホールを進む光自身も不変でしたでしょうか。
>>153 不変だったと思いますが私の勉強不足でしょうか?
155 :
哲子:2005/07/26(火) 00:30:41
>>146 「ただわけわからず決まっている」と信じることに何か意味があるの
でしょうか?
星座占いなどのほうがまだましな気がする。どうにでも解釈できること
だけど少なくともああなる、こうなると内容のあることを言ってるから。
マスメディアでも迷信と知りながら占いのなくならないのはやはり需要が
あるからでしょうね。
同一慣性系では、ですけども。
>>155 何を見て感動するかは人によって違います。
158 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 00:33:32
>>153>>154 不変ですよ。
速度の定義=移動距離/単位時間・・ですから。
「距離」と「時間」が両方とも「同率で歪む」ことで、
高速度の普遍性は担保されます。
159 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 00:34:56
158の訂正です。
高速度→光速度
160 :
哲子:2005/07/26(火) 00:35:41
>>150 >>148の記述のどこか間違いがありますか?
あるならそれを指摘すればよいでしょう。
>あなた「うみねこ」さんですか?
ちがいますよ。
>>158-159 相対論における「光速度不変」ということの物理的意味を勘違いしてない
か? 円周率が数学定数だというのこととは意味合いが違うぞ。
>>161 数学と物理学が異なるというのは弁えています。
163 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 00:47:10
>>161 同じですよ。
光速度は「E=MC2乗」というこの宇宙(を記述する)「基本的法則」
の「常数(C)」です。・・・このような「単純な式」で、普遍的法則が記述
されること自体が・・「殆ど神秘」だと思います。
しかし間違ってるんなら教えていただけるとありがたいです。
>>163 光速度cの値は、例えば1であっても構わない(実際、光速度の値を1として
記述してる相対論のテキストも存在する)。なぜだ?
>>164 ニュートン力学までは光の速度は変わってもよかったし、むしろ変わるは
ずだったんだよ。それが不変ということになったから、わざわざ原理とし
て取り上げなければならなくなった。
166 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 01:06:07
>>165 >光速度cの値は、例えば1であっても構わない
うーむ、そうすると「E=MC2乗」の
「C2乗」部分は=「1×1=1」ということになり、
「核分裂反応で実際に質量(M)が、エネルギー(E)に
変換されている事実(現在の東京電力の電気は半分以上ウラニュウム)
を説明できません・・が?
。
>>165 ニュートン力学は不完全だった、という理解ではダメなのでしょうか?
>>166 他の単位も変わってるだけだと思います。
169 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/07/26(火) 01:17:33
ここでいう質量の単位ってなんでしょうね。
Kgでしょうか?
エネルギーはどうでしょう。
ジュールなのか、カロリーなのか、電子ボルトなのか。
質量欠損のモデルだとあー成る程という感じなのですが。
(扱う質量が小さいのとアボガドロ数云々でなんとなく解かりやすい)
運動エネルギーは速度の2乗に比例する。物質原子では質量エネルギーが光速で回転している
から、その分のエネルギーが取り出せる。つまりみんな光速で動いている。
171 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 01:18:46
Eは「発生するエネルギー」
Mは「この世から消滅する物質の質量(重さ)」
Cだけが「常数(定数)」なのですから、
今現在「パソコンを動かしている」「部屋を照明している」
電力・・・は「E」(エネルギー)の一形態であり、電力会社
が「発電所」で制作して送ってきているから「停電ではない」
のです。
「発電所」では「原子核分裂反応」により「ウラン235」
が「核分裂」し、その結果出来た「核分裂生物」(核のゴミ)
との「質量差」・・生滅した「質量=M」が「エネルギー」として、
我々の個々の「家庭」に送られ続けている・・・という構造です。
オレ、エネルギーの保存法則信じてないから。
>>167 > ニュートン力学は不完全だった、という理解ではダメなのでしょうか?
いまの文脈上だと、ちょっと論点がずれてると思う。
例えば、ニュートン力学にもとづくと光も観測者の速度に応じた相対速度
に変化しなければならない。これが相対論より前の常識で、それを覆した
のが光速度不変の原理だったということ。
そもそも等速直線運動の速度はニュートン力学でも一定なんだから、「定
数だ」なんてことはわざわざいう必要がない。
> 他の単位も変わってるだけだと思います。
正解。
ほかにも、高校理科で理想気体の状態方程式というやつ(PV=nRT)が出てく
るんだけど、全く同じ現象を表す全く同じ方程式なのに、物理と化学で気
体定数Rの数字が違うんだわ。それも同じ理由。
自然科学(Physical Science)では、単位を無視して値だけありがたがって
「絶対だ」とかいっちゃうのはナンセンス。
174 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/07/26(火) 01:33:34
>Mは「この世から消滅する物質の質量(重さ)」
この世から…プッ! ちっとも保存されてないじゃん。
175 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 01:36:30
>>172 遅かれ早かれ教会に行くか、寺の坊主になるか、怪しげな新興宗教の
教祖の側近になるか・・・、まあ、いずれにしろ「判らない人は判らない」
という「効率性」も必要ですので、必要以上に「真理を目指して下さい」
「観念論や宗教で自分の人生を『教祖の生贄』にはしない方が良いですよ」
としか「アドバイスの方法」がありませんので、最近は、
「そういう邪教に引っ掛かる人達」は、まさに「そういう邪教に引っ掛かって
超悲劇的な人生の週末を迎えることを『美』とする方達である」と考える
ようにしております。(そう考えなければこっちがやりきれないからです)
マゾは痛いのがキモチイイ。
>>176 とすると、女王様だけが「常数(定数)」ですかね。
>>175 では簡単な質問しますよ。保存則によれば、家庭で消費された電力は家庭に電力に比例した影響を
与えるはずだよね。では調理器具や暖房によって熱効率が違うのはなぜでしょう。
180 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2005/07/26(火) 01:49:53
>>179 熱効率の悪い奴ァ、要するに根性が足りないんだよw
>>177 ちゃんと伝わる説明ができたようで良かったよ。
しかし、運命論者がすんなり理解できる科学の話に機械論者がついて来れ
てないようなのはどうしたことだ。
182 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 02:04:39
「熱効率」を理解されておりますか?
@最短純な例・・・100ワットの電力量が99ワットの「百度のお湯を沸かした」
・・・これは現代技術における「最高効率」ですね。
「百度のお湯を沸かした」・・これは「電熱線(ニクロム線)」が不必要な、
「熱交換方式」で行った「効率的冷房(あるいは暖房)」です。
・・・「熱」とは「火を燃やす」とか「氷を作る」以外の方法だけでは
ありません。
「直接電気エネルギー」→「(冷)エネルギー」という方式が、
「主流」となりつつある・・ということです。
183 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 02:19:39
ちょっと酔いすぎました。
現在では、「熱」はヒートポンプ」(エアコン)で簡単に「移動」できます。
まさに「エアコン」の冷媒が収縮熱と圧縮熱で、行うことですが、
クールビズによって、「何がどう省エネルギーになるのか?」・・説明は
足りません。
この国では「誰も本気で説明出来ない」のです。
「地球温暖化」こそが「諸悪の根元」であり、それに最も無神経なのが、
「世界の工場:中国」です。・・・「
工学部機械科の熱力学研究室で修士まで修めた俺が来ました(・∀・)よ!
みんな寝た?俺は寝ます(・∀・)よ!バイバイ。
冷房と暖房を同時に運転してちょうど打ち消しあって室温は変わらなかったとする(排熱も含めて)。
この場合、エネルギーは何に変換されたのかな。
>冷房と暖房を同時に運転してちょうど打ち消しあって室温は変わらなかったとする(排熱も含めて)。
その場合、地球温暖化問題はすべて解決する気がしますが。
酔っ払いスレ?
おはようございます。
やはり
>>187は設例が既に不可能だと思います。
排熱も含めて冷却できるクーラーは実現不可能です。
正確には「排熱も含めて温度変化を起させない」クーラー。
191 :
哲子:2005/07/26(火) 09:34:35
>>66 >まあ「未来を完全に予測する」ということ自体ありえないわけですが。
これは形而上学的決定論の否定です。
ラプラスの悪魔は存在しない、というのに等しい。
「未来の世界の可能性はひとつに決定している」が決定論です。
現在の人間の脳力で予測可能かどうかは決定論と関係ない。
予測可能でなければ決定しているといえない、とするのは
「科学的」決定論です。
予測・予言があればそれと予測された未来の現実の事実と比較
することによりそれが正しいか間違っていたか検証できる。
すなわち反証可能性のある決定論となるでしょう。
反証可能性が科学の必要条件とする立場なら「科学的」と
いえる決定論となるでしょう。
ポパーはさらに予測の「算出可能性」という初期条件の精度不足で
言い訳するのを防止する条件もつけている。
ポパーは徹底的に非決定論を擁護する論を展開している哲学者です。
192 :
哲子:2005/07/26(火) 09:57:00
>>106 :哲子:2005/07/25(月) 23:36:12
>>107 :考える名無しさん :2005/07/25(月) 23:40:22
>>122 :哲子:2005/07/25(月) 23:51:25
うぁああ、偶然だぁ!
193 :
哲子:2005/07/26(火) 10:11:23
>光速は理論値でしかも不変です。
そうですね。現在では光速(真空中の)は物理学の定義できまる
定数となっていますね。もはや測定による物理定数ではなく理論値です。
光速と定義された物理時間から長さの基準が決まる。メートル原器も廃止です。
しかし、これが不変かどうかは不明です。ただし、光速が変わったということを
実証しようはないですね。相対性理論が破綻することがあるかどうかでしょう。
決定論を語るのになぜこんなに科学を語るのか。
法則でもって観測しているのだから世界が法則に満ちているのは当たり前。
観察される世界は常に決定論的に現れる。
決定論はすべてを支配する、という問いは、科学に導かれたその「法則」、
因果律という観察方法が絶対的に正しいかどうかを問うているのに、
観察結果たる科学法則を出してきてもトートロジーにしかならない。
195 :
藻:2005/07/26(火) 12:14:37
物理学は数式よりなる。自分で式を読んでみれば、式が破綻するなんて
ありえないことがわかる。前提条件を変えればもちろん結果も変わるが、
それはただ別の式(理論)であるというだけで、元の式が破綻するわけはない。
196 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 12:20:59
>>194 同意。科学について書いても、
>>193のようにでたらめなことを
書き散らかすだけで、かえって混乱を招くだけ。
197 :
& ◆F.hGBGnt12 :2005/07/26(火) 12:22:54
因果律という見方がわれわれに提供するのは、
"そうなって当然だ"という見解であって、"必然だ(絶対にそうなるのだ)"
という見解ではない。
因果律という論理(見方)を推し進めても、決定論は確実性をもたない。
198 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 12:30:42
>>191 ほうほう、決定論には、未来という時間が存在するのですね?。プッ
>>197 >"そうなって当然だ"という見解であって、"必然だ(絶対にそうなるのだ)"
>という見解ではない。
因果律は、蓋然的だってこと?
因果律は、必然的に起こりうるものの関係則ではないの?
200 :
ハル:2005/07/26(火) 14:05:27
>>193 しかし、情報の直接的な伝達速度の最高速度は存在する。
そうしないとなぜ我々が世界を一体的に無限に眺めうることが出来ないのかが説明できない。
つまり、あなたはなぜあなたの眺めようとするものしか見ることが出来ないのかということです。
201 :
史的唯物論:2005/07/26(火) 18:32:08
>>194 前に書いたように、自然科学として未来はすべて決定してると言うことはないからですよ
みなさん統計力学的な科学事実を知らないだけ
哲学でいくら議論しても百年しても未来はすべて決まってるかどうかと言う問いの結論は出ない
自然科学で社会や人生の未来は決まってないと決まってるのですから(物理化学的制約は結構大きくあるけどね)、物理学者に何がどうなってるか聞いたほうがいい
202 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 18:32:39
>>201 統計力学は実際には決定論。決定論から生まれる予測不能な現象をまとめただけ。
>>203 この人に物理学の知識は全くないことが前スレで明らかになってますから、
まともに相手するのはやめたほうが良いです。
205 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 18:37:42
>>204 史的唯物論がわかってないだけだろ。誰もまともに相手にしてないし。
>>205 新参さんかなと思ったので注意してあげてるんです。
無駄な議論でスレが荒れないように
哲子=史的唯物論
他のスレも見れば誰でもわかる。相手にするな。
209 :
史的唯物論:2005/07/26(火) 18:41:05
実は物理化学的制約から、端的に言うと大きいのはエネルギー問題で
未来は大変なことになると今のままでは決まってる
決定論者はその危機を無意識に言いたい、だがそれをさける方法は全くなくて、何をしてももはや無駄だと吹聴してる
決定論者は未来の危機から避ける人間をなくして犠牲になる分はみな殺したいと考えてる、つまりナチスみたいなもんだろう
今のままでは危なくなる人間は10億とも20億とも一部で言われてる、決定論者はそういう危機を察してはいる
実際は危機をかなり避けるやり方はあり避けられる道は残ってる、だが決定論者はそれを妨げ大虐殺したいのだろう、ナチスだ
のかもしれない、そういう未来の「実際」がいまの抽象思考を規定する=唯物論 物理化学とエネルギーの未来を調べてみればいい
211 :
史的唯物論:2005/07/26(火) 20:16:37
>>209 決定論者も、未来の大きな危機がほぼ決まりかけてるぞと言う警告を発するつもりで決定論を思った
だが理論が間違ってるので極論になり決まりかけてる部分は避けられないと誤った部分まで言ってる
避けられないと言う供述を除けば警告を発してる意味で決定論者の思考は善であるかもしれない
つまり、未来の実体から今の抽象的思考が生まれてる
だが理論として決まってるものは避けられないと言う極論をとるからおかしくなる
ナチスもユダヤ人に大きな欠点があるとだけ思ってればいいのに、極論になってみな殺してしまえとなって誤った
212 :
史的唯物論:2005/07/26(火) 20:21:47
訂正 >だが理論として決まってるものは避けられないと言う極論
ーーー>だが理論として決まってるから避けられないと言う極論
気違いは、自分が気違いだということに気が付かないようだ。
214 :
史的唯物論:2005/07/26(火) 20:25:49
>>209は極端な言い方をしただけだよ
だが実際にエネルギー危機は今のところ大きくあるのよ
215 :
天才数学者:2005/07/26(火) 20:25:53
前スレで書いたのですが、「非決定論ならば未来が決まっていない
ばかりか決めることもできないので努力は空しい」のではないか、
という私見には誰も興味ないですか?
217 :
史的唯物論:2005/07/26(火) 21:22:29
結果的には決定論が多少は広まった方が、未来に対する危機難が大きく生じて
何とかしなくてはと言うことに結果的になって大きな危機が避けられるかもしれない
かえって決定論のほうが警告となる、いずれはそこまでは決まってない何とかしようと言うことになるからだが
でも非決定論は未来はどうやっても少しも変えられないとはいってない
218 :
哲子:2005/07/26(火) 21:31:48
ついに因果的決定論の必然性を破棄して確率的決定論
で結果のゆらぎや分散を許容しても「決定」してると
強弁したいようですね。
確率・統計といえば学力テストの「偏差値」で受験校を
先生に「決定」してもらい自由意志で希望校を決めることも
できなかった世代にとって見れば、「偏差値=決定論」なんだろうな。
統計力学はミクロは偶然性の支配する確率現象、マクロは大数の法則の
支配する統計現象として物理現象を記述する。
もっともミクロ・マクロの区別もつかない人に説明しても無駄か。
神のサイコロふりを認めたらもう決定論的世界観とはいえない。
アインシュタインも不確定性原理にあれだけ反対してたでしょう?
219 :
哲子:2005/07/26(火) 21:39:50
決定論であろうと非決定論であろうと人間の意志で
自然が支配されなければならない論理的必然性はない。
だから、人間に自由意志がある思える。
>>217 決定論は「危機に対して変えようと対応する」ということが折り込み済みなのです。
映画の危機と同じようなものです。
>>218 ミクロとマクロに境界はありませんし、非決定論は非決定性をどこで導入するかが問題になります。
原理的に非決定性を人間が見つけることは不可能ですから、
人間が知りえない原因によって決められるという仮定が健全であると私は思います。
人間が知りえない原因は常にありますし、人間が知りえない原因がないというのは人間の思い上がりです。
決定論というのは、建設的かつ謙虚で、目の前に何かが存在している程度に確かな仮定だと思います。
いい加減
>>194の先に進もう。
次の問題は、反決定論的な考察をしたり表現したりする場合、
我々の観念や言語自体が決定論的な構造を持っているが故に
どうどう巡りになってしまうという事だ。の件について。
>>219 人間にはではなく、人間にもでしょう。
その程度の自由意志ならコンピュータのゲームのキャラクターにもあることになります。
自由意志というのは見かけの上での感じです。実際には映画のように決定しており、
本人が知らないだけです。
224 :
史的唯物論:2005/07/26(火) 22:20:50
>>222 決定論的世界の中で、見かけ上、非決定論的世界が作れるため、
当然こういうことが起こると思います。
「決定論的世界の中での、見かけ上の非決定論的世界」という考えを持てば、
非決定論者も決定論者も共存できますが、
多くの非決定論者は間違っているだけでなく、排他的なのが困ります。
>>222 非決定論的立場だと、大別して
・未来がコントロール可能(自由意志論等)
・未来がコントロール不能(確率論等)
という感じになるのかな。
>>225 そうではなく、例えば
>>225がそう論拠付ける考察方法自体が
決定論的構造を持っている。という事です。ですから、言語
つまり思考を離れてそれを議論する事の不可能性の件について。
>>226 その〜論自体が決定論的構造を持っている件について。
>>227 私は「思考」に全能性があると思います。
計算によって世界を構築でき、それが原理的にこの世界と区別できないということから、
この二者を同じものと扱うことができ、再帰性を利用し、フラクタル展開のように真の値に収束していくことが可能だと思います。
しかし同時に、永遠に完全な真の値には到達できないとも思います。フラクタル展開がそうであるように。
229 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 23:01:46
>>221 >決定論というのは、建設的かつ謙虚で、目の前に何かが存在している程度に確かな仮定だと思います。
かなり「適切な『真理に関する言説』」だと思います。
「数学的帰納法」が『有効な証明ではない』と言い張る「観念論者」さん達には「通用しない」かも
しれませんが・・・。
そもそも、彼らには「統計学(と)は何か?」「確率論(と)は何か」が「判らない」し、
そういう視点で見れば「自然科学(と)は何か?」も、「(全然)判っていない」からです。
230 :
史的唯物論:2005/07/26(火) 23:08:39
>決定論は「危機に対して変えようと対応する」ということが折り込み済みなのです
危機に対して変えようとする人たちには決定論はおしえないでおこうとでも言うのかな」
それとも対応すると決まってるのですよと言うのかな
>>227 その「決定論的構造」って何?
俺様語を説明なしにいきなり使い出されても分からんよ。
>>230 映画の結末を見ていない人間が知ることはできません。でも映画の結末は決まっています。
どうなるかわからないというだけで、決定論的な神の意志の通りに努力をすることは大切です。
もちろん努力しない人間も決まっており、その者にはそれ相応の運命が待っています。
>>228 永遠に完全な真の値に到達出来ない前に、その原理自体が思考であり、
思考によって思考を証明する不可能性の件について。
>>231 言語構造自体が決定論的だということです。
234 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 23:18:56
SYNさんにお聞きします。
気功といった新しい物理法則の開発はどうすればできますか?
過去ログを見る限り貴方のレスは
大変興味深いんですけど・・・
235 :
考える名無しさん:2005/07/26(火) 23:19:15
アホクサw
>>233 目の前の世界の「存在性」を証明することは出来ないのと同じで、
証明する必要がないと思います。
>>233 > 言語構造自体が決定論的だということです。
だから、その「決定論的」はどういう意味?
情報量の増えない記述を分量だけ増やしても、説明にはならない。
>>234 気功が「新しい物理法則」かどうかは私にはわかりません。
私が体験したり見たりした現象は、異常であっても、既存の物理法則の中で可能な範囲にあります。
239 :
ハル:2005/07/26(火) 23:28:56
学問は常に完全ではない。
完全なるものは反証可能性を打ち消すためもはや学問できず存在忘却される。
すなわち今発展しつつある学問は完全からは遠い。
忘れ去られたものの中にこそ真実は内包されている。
現代、神秘主義が注目されているのもこのためではないだろうか。
>>236 つまり
>>236がいう決定論は、思考が必要だと思っている事だけに
限定されるものですか?
それはこう言い変えられるかも知れません。決定論的な思考構造が、
決定論的に認識できたものだけを必要とする。それ以外はその思考
構造が認識出来ないので不必要だとする。
>>237 ・決定論
自然や歴史の諸現象の生起は、外的な原因(神・自然・因果性・社会関係など)
によって究極的に規定されているとする考え。
243 :
ハル:2005/07/26(火) 23:40:57
>>240 「必要」=「信仰」=「妄想」のような気もするが。
だが何かしら信じないと始まらない。
まず、世界は存在すると信じるように。
244 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/26(火) 23:47:35
>>240 >決定論的に認識できたものだけを必要とする。
>それ以外はその思考構造が認識出来ないので不必要だとする。
「決定論」は「最終唯一の真理」です。
@決定論的(クオリアとしては)=「クオリア間に矛盾が生じる」(何故か矛盾が生じてしまう)
・・「統合失調症の世界」の脳
A決定論以外(的)クオリアとして「認識できる」・・宗教の教祖の「勘違い自己陶酔」
という「(感覚的or志向的)クオリア異常」の脳
の「認識」については「感知」できません。
言い替えれば、「真理を捉える脳」は「誤謬を生じた脳」のクオリアについて、「エラーです」という
以外の「(本当の)解説」は出来ません。
「『エラーを生じた言語(大系)』で(その)エラーの内容を説明することは意味がない」からです。
>>243 存在って「信じる」ものでしょうか?私は「感じる」ものだと思います。
>>240 その答えが何らかの論拠を持っているとしたら、その論拠が説明
する意味以外の理由はありません。しかし論拠はその論拠により
証明できません。
論拠がないなら、やはり
>>243の様に信仰頼みなのでしょうか。
しかし、その信仰対象でさえ、我々の思考以外のものではないの
です。
>>244 その説明は決定論も非決定論も証明しません。ただ思考の不可能性
だけが残されます。
248 :
ハル:2005/07/26(火) 23:54:31
>>245 言い方の問題なので何とも言い辛いですが、
たとえば瓶があったとき、あの瓶はあそこに存在しないのだと強く信じ込めば幻覚的にそれが消滅するでしょう。
人間の感性も現象と同じ力を持っていると思うのですが。
「信じる」も「感じる」も同等(もしくは同種)の存在性を持っているのではないかと。
249 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/27(水) 00:02:41
>>248 スパコンハルさん、ずいぶん情緒的・観念論的なスパコンですね。
宗教的目的を持って制作された米国国防省肝いりのスパコンさんですかね?
米国大統領の就任式では、「新約」聖書に手を当てて、「宗教(プロテスタント)
に『帰依する』こと」を誓うのでしたね?
250 :
ハル:2005/07/27(水) 00:10:27
>>249 はい?
いや、根本的なところですよ。
結局はあらゆる価値は転倒しますよ。
しかし、その価値の源泉は信じるという非理性に支えられているというのも確かでしょう。
私は二元論なので、その神と言う一元論的な考えはあまり・・・。
251 :
ハル:2005/07/27(水) 00:29:47
私は認識不可能性をそのうちに宿しているため、あらゆるものを無視できうる。
力や権力がそういう存在を押し殺そうとも、その瞬間におけるそれは否定できない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ただし、実存するためにはそういう場所にリスクを背負い自分を投擲するしかない。
それが生きるということだ。
全てを無視したところには何も存在しないのだ。
この文には、転倒と反転の二元的要素が含まれています。
252 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/27(水) 00:36:53
>>250 >私は二元論なので、その神と言う一元論的な考えはあまり・・・。
「二元論」の意味が今ひとつお判りではないようで・・
@神(観念:意味・・「志向的クオリア」)
A物質(触覚以下のクオリアで認識出来る「外界」)
の「両方が根元的である」という主張が「二元論」です。
「感覚的クオリア」=胎児〜生後の「感覚器官を通じた脳へのインプット」
がなければ、「後発的」志向的クオリアは生じない・・というのが、
「唯物論」という「一元論」なのです。
253 :
ハル:2005/07/27(水) 00:46:17
>>252 「自分」と「世界」の構図が対称的に存在するというのが二元論でしょう。
まあ「神」が何かについて我々は語ることが出来ないのでこの議論は無意味ですが。
254 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/27(水) 00:53:06
>>253 「無意味な議論」などはありません。
「あなたにとって『無意味となってしまった』議論」は、当然
あると思います・・が。
255 :
でりだ:2005/07/27(水) 00:53:29
256 :
ハル:2005/07/27(水) 00:55:38
一元論者も二元論者も、各々がその方法論を使って各々の方法を
証明する事の不可能性をどうお考えですか?
各々×
各自○
259 :
ハル:2005/07/27(水) 01:01:15
>>257 原理そのものに不可能性が根源的に混ざっていると説明できればOKかと。
260 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/27(水) 01:03:41
>>257 証明することは、大切ですが「人生や世界や価値の全て」の「究極」
ではありません。
もっも単純な「そのこと」を生涯主張したのが「ニーチェ」だったと思います。
要するに「(我々の)実人生とは『強烈さの到来』である」ということであり、
「強烈さの到来」については、「一つの哲学的待機状態」が「必要条件」なのです。
>>259 それをどの様な方法によって説明するのですか?
>>260 ではその哲学的待機状態が機械的唯物論だと自分に説明するには
どうすればよいのですか?
263 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/27(水) 01:17:24
>自分に説明するには
それは「宗教の領域」ですから、「科学」では「無理」です。
極端な話ですが「科学は宗教に対する冒涜である」というのが、
つい最近まで「常識」でしたが、
「科学」という「客観性」「公正」「真理」を実現する方法は
「既存の宗教」には「エクスキューズ」する必要性はありません。
264 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 01:17:50
はいはいわろすわろす
265 :
ハル:2005/07/27(水) 01:19:09
>>261 簡単に言えば存在の単一性と複数性の説明です。
原子命題に対し関係性として条件命題が複数存在しうるとか、
一つの存在に対し複数の形象が存在するとか、
一つの存在内容に対し複数の使用形式があるとか、
一つのシニフィエに対し複数のシニフィアンがあるとか、
そういうように存在には常に矛盾が存在する。
このように、存在とは常に矛盾を孕むものです。
これはまた同時に、存在は常にその矛盾に対する弁証的存在であるとも言うことが出来る訳なのです。
266 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 01:28:38
「超・大統一理論」は「大統一理論」プラスαと考えていいですか。
>>263 それは科学が全てを説明する訳ではないということ
を認めるという事ですか?では何故唯一物質なの
ですか?
>>265 しかしそうなるとその論拠自体も矛盾している
という事になります。
一、二元論者お互いにただ各々の方法で神的視点を仮定
されているだけな気がします。各々がただ各自の方法
で語り、各自で納得しているだけの状態になっている
様に思えます。そしてその状態は不可避に思えます。
寝ます。
268 :
ハル:2005/07/27(水) 01:54:05
>>267 不可避なことも分からないわけなのだが。
主張すること自体が真理的に無意味。
だが我々は語らねばならない。
語ることこそ我々の意味なのだから。
非決定論において未来を無数の可能性の集合とモデル化した場合、その集
合の濃度は加算無限だろうか、非加算無限だろうか?
270 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 02:06:44
どうでもいいけどソース古いね、この人達
271 :
ハル:2005/07/27(水) 02:09:00
無限はそもそも具体的な数ではないだろう。
計算して・・・という「条件」がある限りそれが本質的に確定した数とはいえないであろう。
272 :
ソニー板よりジャンプ:2005/07/27(水) 02:49:09
クオリアとは思考盗聴盗撮機の音質や画質の精度の事です
273 :
萌え板よりジャンプ:2005/07/27(水) 02:56:26
1がクオリアを理解してないことだけは確かだな。
274 :
哲子:2005/07/27(水) 07:29:11
>>216 >「非決定論ならば未来が決まっていない
>ばかりか決めることもできないので努力は空しい」のではないか、
非決定論的世界観なら未来の世界は確定していない、未来世界の
予想をしてもあくまでも可能性でありそのとおり実現するとは
確定していない。予定は未定であり確定ではない。これが非決定論
的世界観でしょうね。
だからといって、未来が確定していないから現在何もしないあるいは
何もできないと考える心理根拠は何でしょうか?
実現するかどうかはたしかに必然ではないけど、目標をたてその目標
の実現のための手段を考え実現することを「希望」して努力する、
怠ることなく修行せよ、は現在でも生きている知恵ではないか?
希望とは希(まれ)にしか実現しない望(のぞみ)の謂いでしょう。
絶望は死に至る病ともいいます。
「人事を尽くして天命を待て」運命論者ならこれを受け入れてもよい
のではないでしょうか?
なんか人生相談みたいなレスだな。(われながら微苦笑)
275 :
哲子:2005/07/27(水) 08:04:04
>>199 >因果律は、必然的に起こりうるものの関係則ではないの?
必然的な原因と結果の関係則が因果法則です。
それを実現する付帯条件(仮定)は明示されたりされなかったり
でしょうが。そしてその因果法則に合わない事実があると普通は
その付帯条件が満たされていなかったからだと説明されます。
しかし、因果律に基づく物理法則が必然と信じるのは迷信です。
「事実は法則より奇なり」は哲子のキャチコピーです。(笑)
276 :
哲子:2005/07/27(水) 08:14:27
>>224 しいて言えば
>>203かな。
しかし、「決定論」の定義を明確にしておきたかっただけで
このスレ全体に対する新規提言と思ってもらったほうがいいです。
あまり人のレスにぶら下げるとストーカ行為と間違えられやすい、
という経験もふくめてアンカーなしとしました。
哲子は統計力学のような確率論まで決定論とすれば決定論は
なんでもありあり論の無分別になってしまうと考えます。かしこ
277 :
哲子:2005/07/27(水) 08:21:46
>>226 「コントロール」という言葉をどういう意味と解釈するか、にも
よるが、未来は不確定である、が非決定論的世界観と思われる。
非決定論の主張は端的には「未来は開かれている」と表現される。
278 :
哲子:2005/07/27(水) 10:37:12
>>255 >むしろ巨視的世界で成立している通念を押し通すことのできぬ微視的世界が
>見出されたという認識が重要だろう
・・・ですね。量子力学の世界では因果律は破綻する。
原子の遷移や原子核の崩壊といった事象は、自発的
かつ予測不可能なやりかたで、原因もなく起こると
いうことだ。偶然のできごとは、ただ単に起こるの
である。宇宙で起こることのすべてが、自然法則に
よってあらかじめ厳密に決められているわけではない。
実際、われわれが「法則」と呼んでいるものは、物理系
の統計的集団(アンサンブル)の平均に対して適用され
るにすぎず、個々の系にあてはまるわけではないのである。
個々の系の振る舞いは、偶然の気まぐれに任されている。
(出典:「宇宙に心はあるか」ステンガー著 青木薫訳 講談社 p299)
統計力学や経済学の確率的理論の対象となる要素の振る舞いについても
偶然の気まぐれとみなされる。(逆に偶然性がないと確率論にならない)
ただ、心配することはなく一般に「大数の法則」が成り立つのでマクロ世界
では偏差値程度のばらつきはあってもめちゃくちゃな世界にはならない。
>>278 青木薫さん、前から物理系のすごい本をたくさん訳していらっしゃいますね。
こういう仕事はどうやったら来るようになるんだろうw
自分でリーディングして出版社にプッシュするというより、向こうからやって
くるんだろうなぁ。
>>278 つまり自由意志があっても未来は決められないということですね?
未来は必然かそれとも偶然か?
意志は必然に支配されるのか偶然に押し流されるのか?
>>278 ミクロとマクロに境界はありませんし、非決定論は非決定性をどこで導入するかが問題になります。
原理的に非決定性を人間が見つけることは不可能ですから、
人間が知りえない原因によって決められるという仮定が健全であると私は思います。
人間が知りえない原因は常にありますし、人間が知りえない原因がないというのは人間の思い上がりです。
決定論というのは、建設的かつ謙虚で、目の前に何かが存在している程度に確かな前提だと思います。
>>277 非決定論の世界は未来が開かれているわけではなく、
事象が出鱈目に進んでコントロール不能というだけです。
自由意志の否定だけではなく、理性の否定にも繋がります。
>>284 私も同意見です。
未来が決定されて無いが自由意志に依れば決定できる
というのは思い上がりだと思います。
「思い上がり」はあまりよくなかったかも知れません。
「納得できない」ですね。
地球温暖化は決定されていない→でも人類が頑張れば
決定できる、というのは因果律を否定し、かつ、肯定している
ように見えます。
>>276 確率論は決定論に立脚しています。確率論が成立するのは決定論の世界です。
史的唯物論さんと哲子さんは、うみねこさんと同じような間違いをしていらっしゃいます。
3人とも同レベルで、偏っているのは奇妙な一致ですが、
うみねこさんみたいにならないように気をつけたほうがいいですよ。
一度、人工知能スレのうみねこさんの態度を見てください。>史的唯物論さん、哲子さん
SYN氏のような人間にもならないことを祈っております。
290 :
哲子:2005/07/27(水) 11:44:14
>>279 うみねこさん、はじめまして。 哲子です。
いやぁ。こういう挨拶からはじめるレス懐かしいですね。
ここでは、哲子はうみねこさんと同一人物と思われても
いるようですが、これも何かのご縁かと、よろしくでぇす。
本の出版に興味があるんですか?
哲子も出版の編集者を知っていますがやっぱ売り込みが
大事みたいです。それより先に名前が売れてるとたしか
に原稿は編集者まかせで名前だけ看板として著者にして
出版する裏技もあるようですが・・・。
>>289 うみねこさんも名無しになるのに、他の名無しを卑怯者呼ばわりする人に言われてもなんとも思いません。
貴方の人間性は周知です。
292 :
史的唯物論:2005/07/27(水) 11:48:16
>>288 >史的唯物論さんと哲子さんは、うみねこさんと同じような間違いをしていらっしゃいます。
3人とも同レベルで、偏っているのは奇妙な一致ですが
どう間違っていてどう偏ってるんだい??君はかたよってないの??自分ではそう思ってるだろうが
僕はミクロとマクロのあいだには境界があると言ってる、SYN氏はその科学に無知だと言ってるのよ
何で境界がないといえるか、第一ミクロとマクロの構造の違いを知ってるのか
293 :
史的唯物論:2005/07/27(水) 11:51:22
この場合のミクロとマクロだがね
マクロは人生や社会現象だよ
(ただし俺は物理的に制限されてる部分はあると言ってるのよ、だからエネルギー危機があるのじゃないか9
今はあるが回避されることはないと決まってない、回避したいと言う自由意志がだれにもなければ回避できないだろうがね
>>290 哲子さん、はじめまして。 しかし、大胆なハンドルですな。
名前が売れるのが先決なのですが、
> 哲子も出版の編集者を知っていますがやっぱ売り込みが
> 大事みたいです。
何度か売り込みましたが蹴られっぱなしですね、今のところは。
その一方で、この種の半専門書のたぐいは苦労が報われない
という話もよく聞きます。難しいもんです。
>>292 あらら、こんな時間に3人とも登場ですか。素晴らしい偶然ですね。
いくら貴方が私に無知と言おうが、何の説得力もありません。
寧ろそういう態度によって、貴方は自分の人間性を貶め、
主張の信頼性を失うことに気がついていないのでしょうか。
この辺りがうみねこさんと全く同じです。
哲子さん、史的唯物論さんへ。
SYN氏ははっきり言って危険人物です。放置するのがよろしい。
>>296 どう危険人物なのか説明していただきましょうか。
そもそも、なぜ、うみねこさんがこのスレにまでやってくるのでしょう。
人工知能スレでも、反対を言って荒らしているだけですし。
>>294 専門は医学系なんでしょ?
まずはそちら方面の手軽な啓蒙書(あればですが)をねらってみては?
私はここのところ黙っていたのに、
>>288でSYN氏が唐突に
私の名前を挙げたのははっきり言って嫌がらせ。悪意のある証拠です。
>>300 嫌がらせではありません。そっくりだと指摘しているだけです。
もし嫌がらせなら、2ちゃんではなく貴方のサイトに書き込むでしょう。
黙っていたというより、忙しくて出て来れなかっただけでしょう。
(名無しか別ハンドルか仕事かしりませんが)
>>299 ハンドルを変えるのを失敗したんですか?忙しくて大変なんでしょうね。
>>302 > もし嫌がらせなら、2ちゃんではなく貴方のサイトに書き込むでしょう。
お待ちしていますよ。是非、書き込んでください。
なぜ、そんなことをいちいち断るのですか? 本当は私のサイトに書き込む気など
ないからでしょう。
台所で流動システムによる自発性の研究をしてひと山当てるんじゃなかったのかね。
>>306 台所ではできませんよ。
ひと山当てるつもりというのは当たってますがねw
>>305 何が建設的かは個々人が勝手に決めることです。
まあ運命一貫してますが。
訂正:まあ運命という方が一貫してますが。
>>216 以前「強い意味での決定論が正しいのか間違っているのか。これだけが問題。」
と言ってたみたいだから、その問いはほっとけばいいのでは?
っていうか
>>309。
まあ、非決定論=自由意思はある派を黙らせる方便としては良いかもしれないですが。
>>308 それでもし成功して原始生命みたいなのが出来たとしても知能にするには
どうするつもりなんだろう。淘汰圧をかけるとか1からやり直しにならないで
しょうか。
>>312 例えば「強い意味の決定論が否定されたらあとは一枚岩の
非決定論が残っているのか?」
私はこの辺を深く考えていなかったですね。
316 :
素人:2005/07/27(水) 12:35:55
>>309 哲学的にどうなのかはよくわからないが
人が生きていく上での支えや拠り所としてみた場合
「知りえない」という所がポイントかと思うから。
英語のreligionは語源を辿れば「再び結ぶ」という造語らしい。
「改心する/人が変わる/眼から鱗/心を入れ替える/再出発etc.」
決定論という受け止め方を「信じて」、
それを羅針盤として生きることを否定するものではありません。
むしろ、聖書やコーランを片手に生きる人たちと同様に敬意を表します。
>>315は面白そうですねw
>>315 > 例えば「強い意味の決定論が否定されたらあとは一枚岩の
> 非決定論が残っているのか?」
決定論が一枚岩でないのと同様非決定論も一枚岩でないと思いますけど。多分。
どっちにしろ自由意思は決定/非決定の枠組みとは無関係というスタンスを共通認識としたい、みたいに思ってましたが違うんですか?
ああ、でも無関係かどうかの議論もこのスレでは当然ありですね。
すみませんでした。無視してください。
>>317 「一枚岩ではない云々」というのは私自身直感的に捉えただけで
「ではどういう分類が在るのか?」について考えていなかった
という意味です。
特に非決定論+自由意志派については深く考えていませんでした。
>>317さんのおっしゃる通り、決定論・非決定論と自由意志
の間に演繹的関係は無いと思います。
いかんいかんトリップ晒してしまったw
(少なくとも見かけ上存在している)自由意志が、
・整合性をもって機能する→決定論
・出鱈目にかき乱され、見かけの自由意志まで否定する→非決定論
トリップ変更です。
>>322 非決定論でも自由意志が有意義である場合はあると思います。
それは「意思決定それ自体が第一原因である」場合です。そして
意思決定以外は因果律が作用すると考える。ギリシャ人は「魂」
という概念でこれを先取りしてますが。
>>324 「魂」というものがどういうものであれ、相互作用をする以上物理現象の一部に組み込まれます。
意思決定が第一原因であろうと、その決定性はどこから来たかということになり、決定論は崩れません。
この宇宙を支配している法則は(一部分としての)我々が作ったものではないですし、
本当の「神」の意志に逆らうことは原理的に不可能です。
>>325 物理現象を超えたものを「魂」として仮定するってことを言ってんだろ
ホント頭固いなあんた
>>327 超えても相互作用しなければ無意味ですし、
相互作用すれば物理現象に取り込まれます。
>>328 相互作用はしないです。
第一原因とはそういう意味です。
つまり、自由意志が物理現象の原因になっても逆は無いか、
無い領域があるという意味です。
但しこの「自らそれ自体で動くもの」というのがいかなる
概念なのかは問題ですが。
>>328 「それ自身は因果律を超えて原因なしに生じるが、他の物理的対象には因果的影響を及ぼすもの」
として「魂」ってのを考えてるんだろ。
物理現象を超えて、なおかつ物理的対象と相互作用するものとして「魂」があんの。
>>329 この宇宙と相互作用しない宇宙をいくら考えても無意味です。
また、その「意志」を途切れることなく一ヶ月ほど持続した人間もいないでしょう。
みな強制的にシャットダウンされているではないですか。
>>329 最初に「相互作用しない」って言っちゃったのはまずかったね。
それだけで、SYNって人、それ以降の文章読まなくなっちゃうから。
>>330 原因なしに「生じる」という言葉が意味不明です。「生じる」という現象自体が原因を現しています。
(言葉の上では矛盾する言い回しはいくらでもつくれますが。)
因果律を超えることはできません。
超えたように見えても、それを包含する因果律があることになるだけです。
じゃあ「原因なしに存在する」でいいや。
まったく、堅苦しいことで
>>330 相互作用するものは、すべて物理現象になります。超えることはありません。
>>334 原因がないものは存在しません。人間が原因を知らないだけです。
>>337 「人間が知らないものがない」という方が宗教でしょう。
常に知りえないものがあることは、理性あるものには明らかです。
因果律があるからって単純に物理現象に還元できるものではないでしょう。
>>339 還元できるということではなく、相互作用すれば物理現象の範囲が拡張するということです。
>>338 >「人間が知らないものがない」という方が宗教でしょう。
はて、誰がそんなこと言いましたかな?
自分の好きなように都合よく「人間の知らないもの」を拵えるほうが
よっぽど宗教に近いと思いますがねw
そういえば例の3人は同時に消えましたね。同じような名無しがいるようですが。
>>341 まあ、貴方がどう思おうと自由ですけどね。
必然を感じるクオリアがない盲目には見えない世界がありますから。
やれやれ。
俺はむしろあの3人を叩きまくってたほうなんだが。
融通の利かない信念にがんじがらめになって
まともな思考もできなくなってるようだ。
お気の毒に
こんな時間、こんなスレに、同じ文体で書き込んでいる偶然はすごいですね。
病的思考が伝染しているのか、同一人物で本人が気がついていないだけかわかりませんが、
ここの板もIDを導入して欲しいものです。
>>344 叩きまくったと仰るのなら、レスの番号を列挙してもらえますか。
>>346 このスレじゃないからなぁ
前スレか前々スレで、史的唯物論が知りもしないのに統計力学なんて言葉持ち出してくるから
こてんぱんに叩きのめしてやったのは俺だよ。
ああ、このスレの
>>202や
>>204も俺だったわ。
うみねこは、人工知能スレで何度か「まあ、お互い精進しましょう」しか言えなくなるまで叩いてやった。
自発性スレでもあいつの「自発性」に何の意味もないことを明らかにしてやった。
哲子にはあんまりからんでないな。
「中道」とか言ってどっちつかずのことばっか喋ってるから馬鹿にしてやったぐらいかな。
348 :
史的唯物論:2005/07/27(水) 14:02:47
>>347 >史的唯物論が知りもしないのに統計力学なんて
おまえが知りもしないのにと勘ちがいしてるだけだよ
知ってるけどうまく説明できないだけさ
コテンパン??おまえはおまえの無知おもいこみを何回も書いただけだろう
>>347 その程度では叩きまくったことにならないと思います。
そもそも「叩く」という考え自体が、よろしくないと思われます。
350 :
史的唯物論:2005/07/27(水) 14:03:59
>>347 ところでおまえさんはこのスレで言う決定論じゃかい??違うんだろう
>>348 わかってないから、知らないから、説明できないのです。
そういうのは知っているつもりになっているだけです。
>>348 >おまえはおまえの無知おもいこみを何回も書いただけだろう
なぜ名無しの相手を限定できるのでしょうか。不思議です。
353 :
史的唯物論:2005/07/27(水) 14:12:01
夏場に虫がわく
>>314 原始生命ができたらそれだけでも御の字なのですがね。
重要なことは、ビッグバンを起点とする1本の因果関係でしか
動いていなかった、無生物のみから構成されていた宇宙に、
因果関係を開始することのできるシステム(=生命)が出現した、
ということなのです。
>>329 > 相互作用はしないです。
> 第一原因とはそういう意味です。
> つまり、自由意志が物理現象の原因になっても逆は無いか、
> 無い領域があるという意味です。
> 但しこの「自らそれ自体で動くもの」というのがいかなる
> 概念なのかは問題ですが。
多分、これに近いものになる。
「神」「魂」「決定・非決定」などの言葉を用いずに説明する体系があり得る。
もめるだろうが。
SYN氏は相手にしない方がよい。可哀想な人ということで…
たいていの人は通信回線が1本しかないから連投すると発言できなくなってしまうでしょ。
ところがSYN氏は複数の回線をお持ちのようで、連投規制に引っかからないらしい。
これでは勝てませんて。
>>357 SYN氏が連続投稿できるのは、金を払ってユーザー登録して●を持ってるからだろ。
過去ログ拾っていることからそれがわかる。それに勝ち負けの問題じゃないだろうに。
360 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 15:20:19
>>360 可愛いでしょ(笑)
それと、奈々美が言っていること、これが重要なんですよ。
362 :
藻:2005/07/27(水) 16:28:45
"必然"ではなく、"当然"としたのは、ちゃんとわけがあります。
(まあ言葉の用い方の問題なので、厳密にそうしろ、というわけではないのですが。
実際、僕が言う"当然"の意味で、たまたま慣習的に"必然的"という語を使っているだけ
という場合もありますし。(なにしろ"当然的"という言葉がないので、統語関係上
そうなってしまうことがありうる))
必然とは、必ずそうなるということ。
ではなぜ、(因果律という概念において)必ずそうなるのかといえば、
これは観察のかたちがそうであるからで、観察の対象が必ずそうなるから、というわけではない。
(<原型が一般に妥当するのは、原型が観察のかたちを決めるからであって、
原型にしか当てはまらないものが、すべての観察対象に当てはまるからではない。>)
つまり、対象を含めて(対象に対して)因果律を適用しようとするならば、
それは恣意なのだから「絶対にそうなるのだ」とは言えず、
言えるのは「そうなって当然だろう」という見込みでしかない、ということ。
(もし観察の対象に対して「必ずそうなるのだ」と言ってしまうと、これは
観察の原型に当てはまることが観察の対象にも当てはまるのだ、と主張されることになってしまう。
それは独断であって、論証ではない。)
363 :
藻:2005/07/27(水) 16:29:43
364 :
藻:2005/07/27(水) 16:30:27
(補足)
人は、たとえば色という概念について発言することができる。
(色という概念は、その概念上の特質からそれのみで話されることがある)
しかし、その場合でも"色"が、もとは、わたしたちの具体的な視覚印象である
赤や青であるところのものであることに変わりはない。(赤という具現的な視覚印象はあるが、
色とはそれにともなっておのずとそこにあらわれる論理に過ぎない。
すなわち、赤から色という概念を抽出することはできるが、「色という概念から赤は定まるのだ」
とはいえない。)
同じように、因果関係も、その概念上の性質のみで話されることはある。だが実体としての
因果関係とは、対象に対しての仮定(観察の原型)・原因・結果という連関のなかでのみ
存在する(あらわれる)論理だ。「因果律によって結果(未来)は定まるのだ」とはいえない。
(つまり「因果論的見方によって未来は定まるのだ」ということだから、
>>222の話につながる)
365 :
藻:2005/07/27(水) 16:31:13
さて、なぜ何人かの人(あるいは多くの人)が因果律、あるいは質量保存則、あるいは
エントロピーを確かな存在だと思うようになるかといえば、われわれの外因、まわりに見えるものが
因果論的見方を提示するからだ。
(それはちょうど、ある人とって砂漠と貧困とが内戦(略奪合い)の勝利による幸福を信じるように、
ある人にとって日に5回の祈りとラマダンとがが神の実在を感じさせるように。)
つまり、天動説が優位であったという状況と変わらない。
人はあることを疑ってない状態にあると、そのことより導かれることも疑わない。
根を疑ってない人は、樹も疑わない。この場合、樹が否定されても根がそのままなのだから、
相変わらず意見は対立したままだ。それで論証の歴史上の発展はごくわずかな速度でしか進まない。
あの単純な地動説の確定的論理でさえ、発見されてから、天動説がほぼ消えるまで200年は要した。
現代もあまり変わらない。というのは、人々は変わらないから。人間は同じことを考え続ける。
>>320 とはいうものの、
>>216は
「自由意思派は脳天気に非決定論を主張することは出来ませんよ。
少なくとも因果的な決定性を認めないことには自由意思は成り立ちませんよ。」
というようなことを言外に語っているような感じを受けますが。
>>366 私は「必然的関係は無い」のではなく「論理的関係は無い」とか
「演繹的関係は無い」と表現してきました。これは、要するに、
「決定論ならば自由意志はない」ということが「証明なしに導かれ
るわけではない」ということです。
ですから、「決定論ならば自由意志は無い」ということが何らかの
証明方法によって関係づけられるということはあり得ると考えています。
したがって
「決定論・非決定論と自由意志が自明に関係づけられること
はないが、その関係性が証明されることはあり得る」と表現
するのが正確かもしれません。
そして、
>>320はその関係づけの一試案だと思ってくれれば結構です。
>>367-368 運命論者さんが「決定論・非決定論と自由意思の関係は自明ではない」という意見の持ち主であることはここ最近のスレを読んでますので承知しています。
一方で決定論・非決定論と自由意思をストレートに結びつける方や、
あるいは自由意思派の中にも自由意思を強調するあまり決定論ばかりか因果性までも否定するような意見もみうけられます。
なので
>>216は面白い議論のきっかけになるのではと思いレスしてみましたw
370 :
史的唯物論:2005/07/27(水) 17:57:12
俺は自由意志を強調し、決定論を否定し。因果性を肯定してる、それが普通だよ
そうなるとミクロとマクロに境界性はある、自然科学統計的にあると言うしかない
ほかに言いようがないだろう
371 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 17:59:58
>>370 お前が普通だとかまともだとは誰も思ってないけどな。
史的唯物論さんに普通だよとか言われるとミクロとマクロよりむしろ日常と非日常の境目がどっかいっちゃうような気がします。
で、今過去スレを読み飛ばしてましたが、自由意思論者で因果性を否定してる人見当たらなかった(汗。
もしかすると俺の勝手な決め付けでほんとはそんな人いないのかもしれませんorz
373 :
哲子:2005/07/27(水) 18:26:09
>>280 >自由意志があっても未来は決められない
しっかり予定を立てておいても予定通り進まないことなんか
日常茶飯事ではないでしょうか?
あなたは何事も予定通り完璧に実行できているんですか?
予定を立てるときは自由にあれこれ考えますね。もちろん
世間の付き合いを考慮に入れた上ですが・・・。
374 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 18:36:08
決定論と自由論
この世の始まりから終わりまで、すべてがあらかじめ決定されているのか?
我々が自由にできる余地などないのか?
この問いは科学が発見される以前から、ユダヤ教対キリスト教の中にあった。
ユダヤ教的思想:過去、現在、将来の全ては聖書の中にかかれ決定済であるとする潜在的「構造主義」である。ヨーロッパの大思想の多くはこのユダヤ教の思想を背景にもっており、フロイトやマルクスのインスピレーションの元ともなっている。
キリスト教的思想:「自由」を基本におき、潜在的「実存主義」である。
この2極のパラダイムの中で科学も長い間思想的影響を受けてきたが、量子論の発展により新たに「確率論」が付け加えられた。
近年ではカオスの導入により、
会話している相手も異なったカオスのピークに存在しており、その相手が次にどう動くかは自分のカオス側からは、予測不可能なのである。
我々は不完全な観測者であり、それ故主観的には自由を得られる。
375 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 18:40:24
>>374 カオスも自由感も予測不能も、決定論的な作用があるからこそ作られる。
>>373 それは知る能力が有限だからで、決定論とは関係がない。
377 :
哲子:2005/07/27(水) 18:53:35
>>281 >意志は必然に支配されるのか偶然に押し流されるのか?
どちらにしろ自由、自分の脳に拠る意志であることには変わりない。
378 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 19:01:10
>>377 その脳は物理法則に従って動いている計算機。思考結果は知らないだけであらかじめ決まっている。
379 :
哲子:2005/07/27(水) 19:05:34
>>329 >「自らそれ自体で動くもの」というのがいかなる
>概念なのかは問題ですが。
ソースはアリストテレスですか?
それなら、いわゆる自我、自分自身でしょう。
個物としての実体ですね。
380 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 19:09:00
自ら動くものはない。すべて外部からエネルギーをもらい、ドミノ倒しのように動いているだけ。
381 :
哲子:2005/07/27(水) 19:11:55
>>347 >「中道」とか言ってどっちつかずのことばっか喋ってるから馬鹿にしてやったぐらいかな。
中道と帰謬論証は論証として最強ですよん。
今度はコテハンを竜子姫にかえようかしらん。ふふふ。
382 :
哲子:2005/07/27(水) 19:27:07
>>378 >その脳は物理法則に従って動いている
意識と脳を結びつける物理法則があるなら示してください。
物理学では「意識」さえ定義できていないのに、なぜその
意識に関する物理法則が発見できるのだ?
383 :
哲子:2005/07/27(水) 19:32:43
>>374 面白い観点だと思います。
ただ、キリスト教は「愛」の宗教ではあっても「自由」
はあまり印象になかった。
エリアーデの「世界宗教史」を読み返さなくっちゃ・・・。
384 :
考える名無しさん:2005/07/27(水) 19:32:45
385 :
哲子:2005/07/27(水) 19:36:19
>>384 ほぅ、どういうのかな?
まさか、意識は脳の随伴現象でぇす、なんてな。
>>382 物理現象の中にあっても解明できてないことはいくらでもあるが、
意識が物理現象というのは当然のこと。
>>374 >ユダヤ教的思想:過去、現在、将来の全ては聖書の中にかかれ決定済であるとする潜在的「構造主義」である。
>キリスト教的思想:「自由」を基本におき、潜在的「実存主義」である。
前者が「事実的決定論」、後者が「因果的決定論」といえるだろう。
但し、科学がこれらの宗教思想から影響を受けてきたと言うのは極めて怪しいが。
>>290 うみねこさん、はじめまして。 哲子です。
>>290 いやぁ。こういう挨拶からはじめるレス懐かしいですね。
>>294 哲子さん、はじめまして。 しかし、大胆なハンドルですな。
なんか気持ち悪いですね。初対面なのに馴れ馴れしいというか。
>>299 専門は医学系なんでしょ?
>>299 まずはそちら方面の手軽な啓蒙書(あればですが)をねらってみては?
初対面の人間がどうして知ってるのだろう(笑)。エロゲ愛好家同士の知り合いだったりして(笑)。
389 :
哲子:2005/07/27(水) 22:10:41
やっぱりな
そうだろな
しんどいな
「ラプラスの魔」的な決定論を宇宙の全事象に対して適用できるとすれば、
いい換えればあらゆる物理量を時間のみを変数とする関数として表すこと
ができるってことになると思う。
例えばもし仮に宇宙には全部で t, x1, x2, x3 の4つの物理量があり(t
は時間)、同じく物理法則は全部で E1(t,x1,x2,x3), E2(t,x1,x2,x3),
E3(t,x1,x2,x3), E4(t,x1,x2,x3) の4つの式で表されるとした場合、E1,
E2, E3, E4 を連立して解くと、t 以外のすべての物理量に対して
x1=f1(t), x2=f2(t), x3=f3(t) となるような t のみを変数とする関数
f1, f2, f3 が得られるはずだ。実際の宇宙では有限〜加算無限個の物理
量と物理法則に対してこのような式変換ができなければならない。
できるんだろうか? どうしても t 以外に xn が残ってしまったりしな
いんだろうか?
その残った xn が量子論的な不確定性のもとだったりはしないだろうか?
>>390 哲学や論理学が物理学に立脚するべきではないと思います。
物理の世界とは関係なく決定論は成立します。物理はその決定性を調べているだけです。
392 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/27(水) 23:21:06
>>374 >会話している相手も異なったカオスのピークに存在しており、その相手が次にどう動くかは自分のカオス側からは、予測不可能なのである。
確かにそうですね。
「会話している相手」との「距離」が「過去時間単位で測定できる」わけですから、「137億光年」という「この宇宙の半径」とは、
「量的な違い」はあるにしろ、『「質的な違い」は「無い」』と「断定」出来る訳です。
すなわち「主婦間の(無駄な)おしゃべり」には、『「同時空間を共有できない寂しさ」を埋めようとする衝動』
が、その「行動学的根元」として、根強くある・・ので「簡単に軽蔑しないように」・・ということです。
393 :
でりだ:2005/07/27(水) 23:21:43
ビックバンからの経過時間によって
適用できる物理法則って変わっていくんでしょ?
394 :
でりだ:2005/07/27(水) 23:26:31
>392
>「会話している相手」との「距離」が「過去時間単位で測定できる」わけですから、
>「137億光年」という「この宇宙の半径」とは、
>「量的な違い」はあるにしろ、『「質的な違い」は「無い」』と「断定」出来る訳です。
何の質的な違い?
で、その結論は、ギャグなのだろうか……AA(ry
395 :
零式:2005/07/28(木) 01:37:19
法則の変わり方にも法則があります。でたらめに変わったりしない。
>>268 かなり遅くなりましたが、上の二行は同意します。
それが私の言いたかった事でした。では。
397 :
哲子:2005/07/28(木) 10:03:10
>キリスト教的思想:「自由」を基本におき、潜在的「実存主義」である。
キリスト教と自由についてチョット調べてみました。
キリスト教は予定説という選民思想の「決定論」を基本としていて「意志の自由」
は神の恩寵がなければ人間からは発揮できないとされている。
(意志の自由は最初から人間に付与されていたが、それによって原罪を犯したため
神によって封印されたという教義)
キリスト教で「自由」が得られたのは19世紀〜20世紀のプロテスタント
の教会・聖書からの自由を許容する「自由主義神学」からである。
ニーチェの「神は死んだ」によって、やっと「自由」が得られたのかな?
仏教のように最初から「自由」が勧められていたわけではないようです。
>>369 そうですね。
私は因果律を否定する場合は世界は偶然の濁流に飲み込まれて
しまうと思います。あくまでも因果律は維持されなければなり
ません。自由意志の意義を残すためには。
もっとも自由意志を設定しないならば世界が偶然の連続で
あっても何ら問題は無いでしょう。
カラスがカアカア鳴いていた
これとリンゴが木から落ちることが関係しているかって?
冗談じゃない
ご都合主義的に因果関係をつくったり消したりしないでくれ
自由意志の選択によって結果がどのように左右されるかは決定されていない
最善と思えた選択が最悪の結末をもたらすことだってあるだろう
歴史を見ればままあった
いつだって歴史的な不幸は最善の選択と信じられていたものによってもたらされている
だからといって自由意志に意義がないわけではない
そう解釈する余地がまったくないのか、少しは検討してみてはどうだろうか
決定論について少しは調べてみろよ、ボケ
>>390のような話題は出てるよ
世界を一つの法則として数式で表せるというのが科学的決定論の主張だし
非決定論の反論はそのような法則が記述不可能であるとか、計算できない、とか、前提条件を全部求めることができないとかだ
物理学者で非決定論を支持するやつだっているのに、なんだって物理学が決定論を前提にしているかのようにのたまう馬鹿がいるんだ
このスレで科学的決定論を支持してる奴はいないんだが。
自由意志はあるけど因果律が無いとはどういうことか?
自由意志はいかなる事象にも関係していないということです。
決定論が自由意志を支えているとは皮肉なもんだ。
>>404 私は決定論が自由意志を支えているとは思いません。
少なくとも因果律を認めないと自由意志は世界と無関係であるということです。
>>405 当然だよ
A「どうすれば大学に合格できる?」
B「君がどんな努力をしたところで運が悪ければ大学に落ちる」
これが偶然が支配する非決定論的世界さ
>>406 その会話だけだと決定論なのか非決定論なのか分かりません。
因果律を認めないということは、
「世界は無因的に生起する。」
ということです。
例えば道を歩いているといつの間にか大学に合格していた。
ということが普通に起こるということです。
ですから因果律の無い世界では、
「どうすれば?」
と問うこと自体が無意味です。
何をやっても未来には関係ないのです。
>408
現実には、いつもと変わらない日常でパンが毒物になったり、空気が有毒になったり
いつもと変わらない日常で電車が脱線したりしているわけだが・・・
>409
>何をやっても未来には関係ないのです。
未来の"決定性"には関係がない
何をやっても未来を一つの結末に収束させることはできない
授業を聞くより寝ていた方が大学に受かるかもしれない
車に乗るより歩いたほうが早く着くかもしれない
どのような手段をとっても、そのようなものと関係なく決定された未来が訪れるのもまた決定論的世界観だ
非決定論は原因と結果の一対一関係を否定している
>>409 「因果律を認めない=未来はデタラメ」じゃないだろ。
因果律の破れ加減に程度があってもいい。
量子力学でも、波動関数の発展は因果律を満たすが
収縮の時点でだけ因果律の破れを認める。
でも良く調べていくと、どんなことも一対一の関係になってる
非決定論なんてありえない
413 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:19:23
>>411 それって、そこで自由意志が否定されるだけじゃん。因果律破れてないじゃん。
414 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:20:48
因果律の破れは、タイムマシンで未来から何かがきたら確認できる。
それがなければ、因果律は破れたことにならない。
>>413 因果律 「ある時刻の状態を定めれば、別の時刻の状態も決定される」
416 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:25:17
>>415 決定されている。収縮するって決まってるじゃん。
>>416 その動詞の主語が知りたい
「何が?」と聞きたい
そして、確率解釈へと論争は変化していく
確率表現が意味するものはなんなのだろうか......
>>416 なぜ収縮すると決まっていると言えるのか。
仮に決まっていたとしても、収縮によってどの状態に移るのかは一意に決められないので
因果律は破れている。
419 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:28:33
どうして両極端しか考えないのかな。「ある瞬間の宇宙の状態から、次の瞬間の
宇宙の状態は必然的に一つに決まる。故に、宇宙の最初の瞬間から、それ以後に
起こることすべては決まっている」というのが決定論。その否定は、「ある瞬間
の宇宙の状態が、次の瞬間の宇宙の可能な状態を制限するが、必然的に一つに決
定されるわけではない」(「Aという状態の次の瞬間に可能なのはB1,...
Bnのどれか」とか)でもいいんだが。
常識的に考えても、普通の意図行為というのは、絶対確実に意図した結果が得ら
れるようなものじゃないでしょ。
420 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:30:59
>>418 破れているってなんでわかるの?知らないだけじゃない?
421 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:31:54
因果律って何?
ここ数レスの流れを見るとちんぷんかんぷんだぞw
>>420 EPRパラドックスとか、ベルの不等式とか、アスペの実験とかって、聞いたことない?
423 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:37:16
>>420 基本的に、人間が見ることができるのは現実に起こったことだけだから、
「他の可能性もあったが、現実にはそれが起こった」のか、
それとも「それが起こることが必然的だった」のか、
経験からは判断できないはず、と言いたいのかな?
424 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:38:13
>>422 そういう話じゃないんだけど。
知らないのと決まってないのをなんで一緒にしちゃうの?全然違うことじゃん。
>>424 そういう話なの。
収縮後の状態は、観測者にはわからないが、
実際には(隠れた変数によって)決まっているはずだ、
というのがEPRの主張。
それが誤りだということがアスペの実験によって示された。
>>424 科学的手法は基本的に説明責任(アカウンタビリティ)を負うわけだけど
「知らないのに決まっている」という返事は説明責任を果たしていると思う?
427 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:45:54
近代の決定論は、「初期状態からその後の運動がすべて予測可能」という
ニュートン力学の特徴を説得力の後ろ盾としていたのだから、物理的な予
測可能性の限界の指摘は、少なくとも「決定論の立場を取らなければなら
ないわけではない」ということの理由にはなるよ。
428 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:46:43
>>426 世の中でお前が知らんことでも決まってることってあるだろ?
知らんことが、決まってないことの理由にはならんだろ?
ちなみに「ベルの不等式」はこのアカウンタビリティの発想の利用に近い
アカウンタビリティは「算出可能性」とも訳される
430 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:47:32
てゆーか、なんで物理の話なの?物理なんて間違っててよくかわるじゃん。
432 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:48:27
物理が知らんことだっていっぱいあるだろ?決まってないって何でいえるん?知らんだけだろ?
相手にする価値がないことが明らかになったので撤収。
434 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:49:46
決まってないとは誰も証明できない。終わり。
435 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:50:14
あ、そうか!
>>415に拠るなら
因果と因果律は全く別物か!
納得
436 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:51:59
>>425 教科書的理解としてはそれで正しいのだろうけれど、
その結論が本当に確定的にそうなのかどうか、
まだこれから異論がでてきそうだと私は予想している。
>>425 エヴェレット解釈だと、それらもすべて決定論的で未来は決まっている。
非決定論は幻想だよ。
438 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 14:54:20
> 世の中でお前が知らんことでも決まってることってあるだろ?
「知らないこと」と「知りえないこと」は区別しなきゃダメじゃないかな。
>>436、437
>>425は一般的な見解を説明しただけで、俺自身はエヴェレット解釈を支持している
440 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 15:00:50
>>439 で、エヴェレット解釈もまた正しいと確定しているわけではない、
というのは認める?
442 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 15:08:32
ふつう、ある程度知識がある香具師はそうだよなあ。
この板の議論展開は異常だ。やっぱりリアル厨房が多いのかな?
自由意志を求めると、自動的に決定論になるな。
>>443 いきなり「支店から」とか「新手目手」とか書いてあるので読む気が失せた…
446 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 15:55:10
>>444 ならないよ。非決定論+自由意志という立場も十分可能。
自由意志は行動の自由であって、結果は自由でなくてもいいからね
なるほど。意識の自由を求めると決定論になるわけですね。納得。
449 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 16:21:18
>>444 むしろ決定論と自由意志は両立しないというのが
一般的な決定論
450 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 16:23:28
決定論でも自由な感じの意識はあるだろ。
未来は決まっていて、未来は神のみぞ知るで何も矛盾も問題ない。
酸素ボンベ、エラ呼吸
決まってないところに決まっているものを持ち込んでいるのが決定論か、
もはや決まっていることは何かを考えるはずだ、だが、それはスコラ期か。
水の中に酸素がありますかというのが自由か、
引き比べるものであるとは思えないが、強いて言うとすると、人間と
魚の部分で違うかな。魚になりたい人ですか?
453 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 16:39:21
>>451 同意。決定論の方が、自分の意識が勝手に撹乱されなくて自由な感じになるね。
454 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 16:44:38
このスレでの決定論についての議論は、他人が提示した浅い知識での
議論ばかりで、「決定とは何か」という本質が欠けている。
第一、厳密な意味で「決まっている」ものなんて何もない。
455 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 16:57:39
>>454 おまいがそういうことにしたいだけだな。本気でそう思っているなら見なければいいのにな。笑える。
>>454 決定とは自分の意識で、自分の考えを決めれることだと思う。
決定論が正しいと思うよ。
未来は誰も知らないだけで、決まってる。
ちょっと確認しとくぞ。
ポパーの科学的決定論
「未来は予測可能である。」
ポパーに基づく科学的非決定論
「未来は予測不可能である。」
ポパーに基づく非科学的決定論
「未来は決まっている。」
ポパーに基づく非科学的非決定論
「未来は決まっていない。」
未来は決まっているからこそ予測不能になっている。
460 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 17:22:52
>>456 >決定とは自分の意識で、自分の考えを決めれることだと思う。
全然違う。
>>456 基本がわかってないな。
例えば、「喉が乾いたからコーラを飲みたい」とキミが思ったとしても、
それは、すでに決まっていたってのが決定論。
決定論が正しければ、そこには自由意志はない。
キミが自由に決めたと思ってるのは錯覚ということだ。
>>461 強制的に感じないが自然に思ってしまう。やっぱり自由ではないね。
思っていることは自然に決まっちゃう。決定論が正しいね。
自由意志という観点から考えると、決定論は正しいと思ってしまうが、
偶然の出来事を考えていくと、どうも綻びがあるように思う。
例えば、「急に思い立って街に出かけ、車にぶつかった」
などのケースを考えてみると、決定論的な必然性は説明しにくい。
車に乗っていた相手と自分とに、いかなる必然的な関係があるというのだろう。
>>463 思い立つのも、出かけている間も、ぶつかるのも、ぜんぶ直前に原因がある。必然ばかり。
>車に乗っていた相手と自分とに、いかなる必然的な関係があるというのだろう。
そこは関係ないだろ。直前の状態の関係と混ぜたらダメだろ。
>>463 >車に乗っていた相手と自分とに、いかなる必然的な関係があるというのだろう。
決定論や非決定論と全く関係ない。頭悪すぎ。
466 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 18:26:45
>>463 それだと両者の軌道が決定論で決まっていて、ぶつかる事を両者が知らないだけじゃん。
>>464 すべては必然で、偶然はないという考えなら、
すべての事象の関係性を説明できなければならない。
車に乗っていた相手と自分との関係もしかり。
世界は「単純マルコフ過程」で成り立っているわけではない。
今日は際立って議論のレベルが低いな
>>467 そういう曖昧な考え方をしないのが物理だと思うのですが。
多分マルコフ過程の意味すらわかってない
>>473 ふーん
>>463の例がマルコフ過程で完全に記述できたら、決定論が正しいってことになるわけ?
475 :
哲子:2005/07/28(木) 18:47:10
自由意志との関連での「決定論」の定義としては
広辞苑がわかりやすいと思います。
決定論:−
〔哲〕(determinism) 自然的諸現象、歴史的出来事、特に人間の意志は、
自然法則・神・運命等によって必然的に規定されており、従って意志の
自由や歴史の形成を主張するのは右の決定的原因を十分に知らないため
とする立場。
>>461の例がぴったり当てはまるでしょう。
さらに敷衍すれば「コーラかジュースを飲みたい。じゃジュースにしよう。」
と決めて自動販売機の前に来てみるとあいにくジュースは売り切れ。しかたなく
「コーラ」にする。自分の意志に反して最初から「コーラ」に決まってた運命を
感じるでしょう。このように決定論では自由意志に拠る選択をしてみても未来は
それに関係なく決まっているので無効となる。これが決定論では自由意志が許容
されないという根拠になる論理です。
でも、あきらかにそんなことはない、決定論と自由意志は両立すると考えるほうが常識
感覚にあうじゃないかな?
>このように決定論では自由意志に拠る選択をしてみても未来は
>それに関係なく決まっているので無効となる。これが決定論では自由意志が許容
>されないという根拠になる論理です。
ぜんぜんちげーよ馬鹿
477 :
素人:2005/07/28(木) 18:52:02
>>476 どう違うのか述べないかぎり
単なる煽りレスですよw
>>477 もちろん煽りだがなにか?
どう違うのかわからん奴がいること自体信じられん
横レスだけど、
>>476の引用された文章だと「自由意思は存在するが、しかし世界と交わることはない」と読めてしまう。
でも決定論ってのは自由意思の存在そのものを否定するのが本筋なんじゃないかなあ?
480 :
哲子:2005/07/28(木) 19:35:01
>知らんことが、決まってないことの理由にはならんだろ?
そうですね。知らないからといって決まっていないとはいえない。
しかし、知らないなら決まっているともいえないのではないか・
知らないことは不可知とか不定とするのが誠実な態度ではないか。
知らないことを決定してるといいはる態度が気に食わないのよ。
知らないことを不可知というのはいいですが知らないことを
知ろうとすることの中に学問の歩みがあると思います。
>>479 >横レスだけど、
>>476の引用された文章だと「自由意思は存在するが、しかし世界と交わることはない」
>と読めてしまう。
引用だけじゃなくて
>>475の全文を読んでも、
明らかにそう言っているとしか思えない。
>でも決定論ってのは自由意思の存在そのものを否定するのが本筋なんじゃないかなあ?
そのとおり。
そんなこともわからない奴がコテハン名乗ってるんだよねぇ、ここでは。
483 :
哲子:2005/07/28(木) 19:57:55
>>479 >決定論ってのは自由意思の存在そのものを否定するのが本筋なんじゃないかなあ?
そうだと思います。あれこれ意志すること自体が自分とは別の外部の条件(原因)で
決まっている、というのが本来の決定論でしょう。
しかし、意志内容まで未来の必然事実で決定されてるということは未来予測が完全に
できることになるので、ここは「みかけの 自由意志」であれこれ空想するくらいは
あってもいいじゃないか、これが決定論者の言う「みかけの自由意志」じゃないかと
憶測して引用のような表現としました。
ちなみに、哲子は非決定論を擁護する立場です。
いいわけ苦しすぎ
>>483 >ちなみに、哲子は非決定論を擁護する立場です。
いや、
>>475の文末では両立主義者みたいなこと言ってるじゃんw
486 :
哲子:2005/07/28(木) 20:36:38
>>485 >、
>>475の文末では両立主義者みたいなこと
決定論と自由意志の両立、非決定論と自由意志も両立、
決定論と自由意志は関係ないと哲子は考えます。
決定論と非決定論が両立するといってるわけではない。
ただ、決定論なら未来の出来事はすべて必然的に決定だから
これに反する反証がひとつでもあげられれば非決定論となる。
非決定論は非常に弱い主張でしかない。
487 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 20:45:29
過去の出来事をいくら調べても、分るのはそれが起こったということだけで、
必然的に起こったのか否かは分らない。故に、決定論の反証はあり得ない。
488 :
考える名無しさん:2005/07/28(木) 20:48:15
> でも決定論ってのは自由意思の存在そのものを否定するのが本筋なんじゃないかなあ?
少しでも哲学を勉強したことがあれば、自由意志と決定論の両立を主張する説が
昔から現代に至るまで山のようにあることは知っているはずなんだがなあ。
決定論と自由意志の両立の例としてはスピノザがいる
必ずしも決定論と自由意志は両立しないわけではない
>486
逆、科学的決定論の主張の方が説明責任を果たせないということだから
決定論を反証可能に主張できないということ
>>486 両立主義と言えばこの文脈では通常、決定論と自由意思の両立を指して言う様です。
決定論と自由意思は関係ないとするのがこのスレでは多いようですし、実際俺もそれを支持するレスをつけたりしてますが、
>>475で言われるように「常識感覚」的には決定論に対するのは非決定論よりも自由意思の方じゃないかと感じます。
>>488 哲学を勉強したことはないのですが、両立説も少なくはないことは一応知っています。
(そのことが念頭にあったので「本筋」という言葉を使わせてもらいました。)
多少なりとも成功した例ってのはあるんでしょうか?
ただ物理学内部で反証可能性を持ち出すのはいいけど、
社会科学の大部分に適用できないんだから「非」科学的
決定論でも別に構わないと思うんだが。
そもそもこのスレでポパー流の科学的決定論を
支持してる人はいないんだからあまり有効な反論
ではない希ガス。
社会科学はフィールドワークって言ってりゃ説明しなくていいから楽だよな
>>492 宗教で、キリスト教とイスラム教のどちらか一つに絞り込むのが不毛なように
科学性も何も求めない状況で、決定論と非決定論なんてただの信仰に過ぎないから反論する必要もないんじゃないだろうか
議論したり反論したりするのは、それが科学的であることに価値を求めるから価値付けられるわけで
科学的であることがどうでもいいなら、最初から議論なんて無価値なんだよね
>>494 では法や倫理に関する言説は全て無価値なのだろうか?
「科学的であることがどうでもいいなら、最初から議論なんて無価値だ」
というのは反証可能な命題なのか君の信仰なのか?
私はポパーの「科学性」の定義がおかしいと思う。
人が日常行っている範囲に対しては狭過ぎる。
一言は前スレでポパーの「科学的」というのは「理系的」
くらいの意味しかないということを指摘していたよ。
>>495 そりゃ君がポパーを読んでないだけでしょ
>>495の文章読めばそれが分かるよ
本当にこりゃひどいと思う
>>497 ポパーは法学については何て言ってるの?
法学って言うとケルゼンやラートブルフの方が有名だけど。
>>498 ポパーは科学と疑似科学に線引きしたが、それは決して対象に対する線引きではない
「方法論的反証主義」と言われるように方法論なんだよ
「では法や倫理に関する言説は全て無価値なのだろうか? 」
という文章は明らかに何もポパーを理解していないだろ
科学とそうでないものの境界が、方法論ではなく研究対象でできると思ってるんだから
500 :
495:2005/07/28(木) 21:44:41
>>497 じゃあ愚昧な俺に教えるという形でいいから
>>495に答えてください。
法学は科学ですか?
価値に関する命題(規範命題)は反証可能ですか?
ポパーによれば規範命題は科学性を持ちますか?
非科学的な命題は無価値ですか?
>>499 法学の諸命題は方法論的に観てどうなの?
反証可能?不能?
ちなみに俺は498ね。
>法学は科学ですか?
質問が無意味
>価値に関する命題(規範命題)は反証可能ですか?
批判可能にすることができる
>ポパーによれば規範命題は科学性を持ちますか?
持たせることができる
>非科学的な命題は無価値ですか?
「非科学的な命題」ってなんですか?
以上です
どうしようもないレスを相手にするとゲンナリするね
>>501 >法学の諸命題は方法論的に観てどうなの?
命題に方法もクソもないだろう
割り込みレスですが、
「決定論的命題が信仰である。」
ということを私は認めると書きました。
しかし、信仰について議論することが無価値である、というのは
同意できません。信仰について議論することが
>>494さんにとって
無価値である、というのなら同意しますが。
価値があるか無いかは個人の問題です。
議論する価値がない、って意味で「信仰」って言葉が使われてるんだと思いますよ。
でも当初は科学性のかけらもない信念のぶつけ合いが、議論を通じて科学的になることもあるんじゃないかと思ったり
506 :
498:2005/07/28(木) 22:05:08
>>503 うーん、よく分からん。
ケルゼンやラートブルフなんかの方法論議論と違うのかね。
彼らの議論だと対象と方法が連動だったと思うが。
俺は方法と聞くと方法二元論を思い出す。
507 :
498:2005/07/28(木) 22:06:44
>>505 それはポパー批判としてよくあった記憶が。
実際の科学者は反証可能性を特に気にしてないと思う。
508 :
498:2005/07/28(木) 22:08:29
>>504 ってことは信仰者とアンチを交えた雑談ってこと?
>>505 「議論しても最終的に解決しないかもしれない」という
意味で「信仰」なら分かりますが、無価値がどうかは
記述したように個人の脳内現象の問題だと思います。
>>508 まあそういうことです。
世界解釈の問題ですから逆に反証可能性が無い方が
私としては助かります。解釈は多様であるほうが面白い
と思うので。
510 :
498:2005/07/28(木) 22:13:31
>>509 うーん、そんなもんかね。
俺はなんか共感できんが。
>>510 喩えれば勝利基準が定められていないゲームを
面白いと感じるかどうかですね。勝敗ではなく遊ぶ
という行為そのものを楽しむのかどうか。
512 :
498:2005/07/28(木) 22:18:53
>>511 ああ、共感できない理由が分かった^^;
そういうゲームは楽しめないw
>>474 遅レスになってしまって、もうどうでもいいんだけど、
ちなみに、それは逆。
非マルコフ過程で記述できれば、決定論は正しいことになる。
514 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/07/28(木) 23:11:20
決定論と自由意志。
また暴論ですが
例えば0.5秒で地面に落ちるリンゴを自分の決めた(思った)速さで落とせば
自由意志になるのでは。なぜそれが出来ないのか。
>>514 暴論でもないですよ。生物が介入しない状態の物の動きは
物理法則に沿っているけど、なぜか生物の意識が介入すると
崩れてしまう。
私はこれこそ、自由意志が存在する証拠だと思っています。
516 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/28(木) 23:41:05
>>500 「科学」に「レイヤーが存在する」ことは認めざるを得ません。
@理論物理学(宇宙物理学&量子力学)→A物性物理学&化学→B分子生物学→C医学・生命科学
→D動物学→E(文化)人類学→F社会学→G政治学・経済学→H法律学→I刑(事)法学・民(事)法学
という「レイヤー」で、法律学は「社会科学の一部をなす」と言えると考えます。
勿論@→Iのレイヤーは「直線形」ではなく「分岐」をします。
例示するならば→E(文化)人類学→F美学・宗教学・・・等々です。
517 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/28(木) 23:44:11
すみません。
Cのあたりに結構肝心な「生物学&生物分類学(リンネ等)」が抜けておりました。
>>514 なんでそう「決定論者なら全知になってみせろ」とか「自由意志論者なら
全能になってみせろ」みたいな話になるかね。
>>515 崩れません。そんな馬鹿な事を考えているのはうみねこさんぐらいです。
決定論の反証可能性はあります。
タイムとラベルにより未来からの介入が観測されたり、何らかの方法で過去を書き換えることが出来れば、
決定論と因果律は否定されます。そうでない限り決定論は揺らぎません。
でも決定論は、
未来を予測できないから、
結果的に無意味だろ。
それから、自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。
未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。
哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
>>521 未来の予測を高められるという点で意味があります。
また、非決定論者はただの自己中です。
自分が認識していない空間があるのと同様、未来も過去も存在しています。
いや、あのな。
最も効率的に未来の予測を試みた場合、
一秒後の未来を予測するには、一秒を必要とし、
一万年後の未来を予測するには、一万年を要するのよ。
詳細は省く。
また非決定性を成立させる非因果的成分は、その定義より時間や状態に依存しないため、
映画のフィルムで言うところの傷と同じで、決まっているのと実質的に同じです。
だから、
決定的だろうが非決定的だろうが、
意味がないわけよ。
それは、分かるでしょ?
>>524 ネタとしてスルー……と思ったんだが、よく考えると意外に深いな。
「宇宙とは超越者の思考そのものだ」みたいなイメージが湧いた。
>>524 そんなものは精度と対象量とのトレードオフに過ぎません。
>>526 決定論の中で非決定論は存在できるので、共存すればよろしい。
モデル化して未来予測すれば、
必ず、実時間異常に時間を消費せざるを得んのよ。
完璧に予測するためには、
実時間と同等の反応時間を必要とする。
それって、一秒には一秒が必要ってことで、
結局、意味がない。
>>531 意味があるかないかは人それぞれです。貴方に意味がないというだけに過ぎません。
>>530 そういう映像的なイメージじゃないw
映画的なものなら、グレッグ・イーガンあたりの作品が近そうな気がする。
『順列都市』とか。
また、決定論、非決定論に関わらず、自由意志は存在しません。
非決定論の場合、意識は自分の意志とは関係のないデタラメによって自由でないだけ、
決定論の場合、意識は神の作ったとおりにトレースしているだけということになります。
少なくとも顕在意識は何も選択していません。すべて潜在意識が判断しています。
どちらにせよ、人間には自由意志など存在しません。見かけ上の自由な感じがあるだけです。
535 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 02:06:14
決定論を信じこませたらそのあとソニーあたりが計画を遂行するつもりなんだよ。それが哲板へ理系が大挙してなだれ込んで来ている理由
問題を解決しない言葉には意味がない
ゲームを楽しむにはルールが必要だ
ゲームは常に勝敗を決するとは限らないが、ゲームは常に目的と規則を有する
王手がかかっても王が逃げなくてもよい将棋を楽しめる人間はいない
我々は
「君は王を動かさねばならない、でないと君は負けなんだ、君が王を取られてもゲームが続くならこのゲームは無意味だ」と言える
537 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 02:18:53
おお、順列都市がでてる^^
てゆーか、ソニー野郎はもう来てたりして。漏れはソニーでないけどねー。
決定論、非決定論の本質は、
未来が決まってるかどうかじゃなくて、
再現性の問題だろ。
完璧に同じ条件なら、
何度くりかえしても、
同じ結果が出るのか。
>538
完璧に同じ条件を再現できない
>完璧に予測するためには、
>実時間と同等の反応時間を必要とする。
プリントアウトする分、予測が遅れます
541 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/07/29(金) 02:32:22
人の心は
塵のように無に等しいものであり
そして無限の広がりがある。
完璧に同じ条件はそろえられない。
したがって?
結局、「正方形は特殊な長方形」なんだわな。
決定論は非決定論の特殊な状態であって、
しかも、その状態は発生し得ない。
したがって、決定論はあり得ない。
あるいは、無意味。
(・・・議論のすり替えを行ったのに、
なんで突いてこないんだろう。
書き込み制限かな?
ドキドキw)
w
宇宙の運行自体は、
確かに決定論的なんだよね。
なぜなら、再現性が無いから、
一度で確定してしまう。
でも同時に、
再現性がないから、
宇宙は常に非決定論的に運行される。
まあ、宇宙全体の運行を考えれば、
その一部である人間の自由意志なんてのは、ない、
とも言えるかもね。
でも、非決定論的な宇宙の運行、
つか、その非決定的な環境の変化に対応するために、
ヒトと名づけられた構造物は、我々「ニンゲン」という機能を持ってるわけで。
卵が先か、鶏が先か、
じゃないけど。
決定論:「同一の原因からは同一の結果しか生まれない」
非決定論:「同一の原因から異なる結果が生まれ得る」
これでよろしいのか。
開闢以来、宇宙の状態は決して同一だったことがなく、
ある瞬間の宇宙の状態には再現性がない。
(たとえば、私という人間は後にも先にも唯一で、再現性がない。)
従って、
「決定論と非決定論のどちらが正しいかは、確かめようがない。」
これが結論だと思われるが。
確認できないから推論するわけです。
>>549 そうですね。私は学問の全分野が実証的であるべきだとは言いません。
また学問の全分野が実証主義を採用したとしても非実証主義的な命題
について人々は語るのを止めないでしょう。
>>547 >決定論:「同一の原因からは同一の結果しか生まれない」
>非決定論:「同一の原因から異なる結果が生まれ得る」
これは、物理学的な決定論のテーゼだろ。
哲学で論じる場合、やはり自由意志との関連で考えないと意味ない。
決定論:「あらゆる事象は、外的な力で決定されている」
非決定論:「人間の意志は必然に縛られておらず、行為の自由がある」
両立論:「世界は決定論的であるが、自由意志も存在する(人間には責任が生じる)」
非両立論:「決定論が正しければ、自由意志は存在しない(人間には責任がない)」
552 :
哲子:2005/07/29(金) 11:52:34
>>489 >逆、科学的決定論の主張の方が説明責任を果たせないということだから
>決定論を反証可能に主張できないということ
ええ、
>>475の決定論が非科学的決定論であり、反証不可能であること
は承知しています。なにしろ、因果の原因として神や運命までも含めてる
のだからこのような決定論を論駁しようとなんて思ってません。
ただ、非科学的決定論に対しても合理的批判くらいは可能でしょう。
そこで、少なくとも因果律に従う自然法則が具体的に提示されている
決定論ならその法則が実現されたかどうかは容易に確認できるので
有意味ではないでしょうか?
たとえば、「種子を蒔けば芽がでる」という決定論の因果の法則なら
「種子を蒔いたけど芽がでなかった」という反例を示せるでしょう。
もちろん決定論者はこのような場合でもいろいろな言い訳をして
因果の法則の不成立を認めないでしょうけどね。
「種子を蒔けば芽がでる」を強い主張、それを否定した
「「種子を蒔いても芽がでる」でないことがある」を弱い主張としています。
普通決定論の因果法則と言えば数式だと思いますが?
決定論者でも「種を蒔いても芽が出ないこともある」は
普通に認めると思います。
555 :
哲子:2005/07/29(金) 12:08:20
>>514 >例えば0.5秒で地面に落ちるリンゴを自分の決めた(思った)速さで落とせば
>自由意志になるのでは。なぜそれが出来ないのか。
うえの例の状況がどのように自由意志に関係するのか理解できませんが・・・。
前に挙げていた「今、手元にリンゴがあります。3分後にはこのリンゴはどこにあるか、
いま予測してその位置を言ってみてください」のほうが自由意志との関連がわかりやすかった。
というより「種を蒔けば芽が出る」が因果法則だという決定論者は
まずいないと思いますが。。。
>>553 初めて聞いたぞ、
で、どんな数式なの? 教えてほしい
>>557 例えばF=maは因果法則かな?と思います。
ちなみに「種を蒔けば芽が出る」はそのままだと複雑すぎて数式化できません。
このへんは分子生物学あたりの人にやってもらわないと無理でしょう。
>>552 なんだこりゃ?
種が出るか、出ないかなんて
決定論に全然関係ないよ。
>>558 それは物理の法則であって、
「決定論の因果法則」じゃないでしょうが。
そんなことが因果法則になるのなら、別に数式じゃなくても
どんな記述での因果法則になるじゃん。
たとえば「サイコロを転がすと、必ず何らかの目が出る」とかね。
結局、
一、ある現象を厳密に物理法則で記述するのは不可能である。
二、物理法則が破綻したという具体例は挙げられていない。
三、証明も反証も無い状態でどっちが合理的か?
四、でもこの場合の合理性って言うのは個々人の主観に委ねられるのでは?
>>560 決定論の因果法則なんてのは無いと思いますが。
決定論は「物理的因果法則は普遍である。」という信条ですから。
あとサイコロが爆発すると目は出ませんよ。
まあ昔は「人格神的因果法則は普遍である。」でも良かったと
思いますが、今ではちょっと苦しいでしょうね。
>>562 おいおいおい、
決定論の因果法則ってのは、
>>553で、キミが、自分で書いてるんだよ
だから聞いたんじゃないか w
自分の言葉に責任持つように!
566 :
哲子:2005/07/29(金) 12:38:14
>>524 これって、実物大の地図が無意味というのと同じ発想?
ペンローズは世界の計算に拠るシュミレーションの不可能性
を主張していた。ただし、コンピュータが人間の脳と同一の
原理に基づく量子物理効果を組み込んだものになればシュミレーション
可能かもしれないと。
ペンローズはもはや、なんちゃって物理学者のひとりだよ
568 :
哲子:2005/07/29(金) 13:00:29
>>547 >決定論:「同一の原因からは同一の結果しか生まれない」
>非決定論:「同一の原因から異なる結果が生まれ得る」
>これでよろしいのか。
結果を現実態ではなく可能態と考えれば上のとおりです。
決定論では結果の可能態がたったひとつの必然事象となる。
非決定論では結果の可能態が複数あってそのうちのひとつが
現実化する。現実化しなかった可能態は別世界で現実化する
のが多世界論。可能態のままとするのが可能世界論。
569 :
哲子:2005/07/29(金) 13:34:21
>>547 >開闢以来、宇宙の状態は決して同一だったことがなく、
>ある瞬間の宇宙の状態には再現性がない。
前件も後件も確認事項ではないですね。
だれもこの件の真偽を知らないのではないでしょうか。
>「決定論と非決定論のどちらが正しいかは、確かめようがない。」
>これが結論だと思われるが。
原因と結果の間に因果法則を設定しないと確かめようがないですね。
因果法則を設定すればその因果法則が現実に事実として実現されて
いるかで正しいかどうか確かめられます。
>>568 >非決定論では結果の可能態が複数あってそのうちのひとつが
>現実化する。
その一つの現実化に、人間が知らない要因があるとするのが決定論です。
神でもないのに、そこに原因のない非決定性を導入するのが非決定論者。
そして、この非決定性は、人間の意志とは無関係に発生、制御不能のため、
非決定論ではいっそう自由意志が否定されます。
決定論の反証可能性はあります。
タイムとラベルにより未来からの介入が観測されたり、何らかの方法で過去を書き換えることが出来れば、
決定論と因果律は否定されます。そうでない限り決定論は揺らぎません。
>>544 誰に言っているのか知りませんが、私には書き込み制限はありません。
>>547 決定論:まだ人間には知りえない原因が常にあるだろうと仮定して、関係性の研究を諦めない態度。
非決定論:神でもないのに、勝手に非決定性を導入して、それを真理だとする思いあがり。無知の知を知らない。
574 :
哲子:2005/07/29(金) 13:49:24
>>573 その恣意的定義が世の中に普及することは「決定」されてる
のかな? ふふふ
私的言語の不可能性について、いかが思われます?
>>574 哲子さんは、史的唯物論さんやうみねこさんとそっくりで同レベルなので、議論する気はないです。指摘はしますが。
>>570 >非決定論ではいっそう自由意志が否定されます。
勝手な解釈だな。ポパーがこれ読んだら、腰抜かすぞ w
つか、「決定論」とか「非決定論」って言葉の使いかたが、
人によって、場合によって、かなりバラバラじゃない?
決定論が正しいかどうかを確かめるには、
まったく同じ状態の宇宙を複数用意して、
それぞれ実行してみるしかないわな。
相違が生じたら、決定論は否定される。
でも、仮にズレが生じたとしても、
ドミノ倒しみたいに連鎖的に進行する宇宙観では、
次の状態は、前の状態によって決定されるから、
人間の自由意志さえも、何億年も前から決まっていたことになる。
結局、自由意志が本当に自由なのかってことと、
宇宙が決定論か非決定論かってのは、関係ない希ガス。
579 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 14:50:16
それぞれの宇宙での結果を比較観察できるとしたら、それらの宇宙は実は
一つの宇宙の一部でしかない。別の宇宙であるとすれば、それらを観察し
比較するということが不可能。
それ以前に、実験用に宇宙を用意するなんて芸当ができるなら、それが決
定性を持つかどうかなんてすでにわかってないか?
リンゴを持ち上げて、落とす。
この作業を五回繰り返した場合。
それは、同質の落下であって、同一の落下ではない。
宇宙から、リンゴだけを切り取って考えることはできないから、
リンゴを語るときは、それ以外のすべて、宇宙も含めて考える必要がある。
てへへ。w
>>578 それは「未来は決まってるから、決まってる」
っていう形而上学的決定論。
これは無意味だということがわかっているので、
たいていの哲学者は論じようとしない。
すると・・・ここで問題になってる決定論というのは、何?
584 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 14:57:42
>>582 無意味かどうかはお前が決めることではないだろ。
哲学的に無意味であっても、物理や実生活では無意味ではない。
つか、もっと根本的に、
過去は変化しないのかな?
現在以降の、新しい状態決定によって、
実は、過去も変わってるという可能性は無い?
決定論によれば、未来は既に確定しているわけだよね。
なら、非決定論が正しければ、過去も不確定だったりして。
587 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 15:06:32
>>585 過去を変えれるなら、下の数字の1を2に書き換えてください。
1
さっきまでは、2を1にって書いてあったんだけど、
覚えてる?
>>584 はあ?
俺が決めてるんじゃないよ、ほとんどの哲学者は
形而上学的決定論については、論じないの。
それにここは哲学板だろ、哲学的に論じて意味のある
決定論だってあるんだよ
590 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 15:08:43
「過去も未来も存在しない。存在するのは現在だけである。」
という考え方に立つと、決定論の是非という問題は無意味ではないか。
592 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 15:10:10
>>589 はあ?そうでない哲学者もいるだろ。
お前が理想とする哲学者が哲学者ではないだろが。
過去は決定論的で、未来は非決定論的なんじゃない?
594 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 15:11:08
というか、「存在する」と「決定している」というのは、
ほとんど同義のような気がするが。
「存在するが決定していない」ものなど、想像することもできん。
「未来が決定されている」という考えは、要するに
「未来はすでに(どこかに)存在している」という意味ではないか。
超越的な神の視点に立って、宇宙の始めから終わりまでを
眺めてみれば「未来は決定している」というより、
「過去と現在と未来に違いはない」ことになるのは、むしろ当然。
キリスト教が決定論的になるのは、自然なことだという気がする。
>>592 俺の理想とかじゃなくて、
ホッブス、ヒューム、最近だとムーアやオースティンだって、
形而上学的決定論については考えてないぞ。
形而上学的決定論について考えてる哲学者って誰だよ。
>>596 最後の一行以外すべて同意。キリスト教は関係ないだろ。
>>596 フォン・ノイマンのように、波動関数が意識によって収縮すると考えれば、
波動関数はまさに「存在するが決定していない」ものの例になる
601 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 15:59:02
>>600 中途半端にしか知らないのに書くなよ
全然違うっつーの
>>601 わかってないのはそっちだと思うけどね
べつに正統的なコペンハーゲン解釈を語ってるわけじゃない。
>>603 解釈なんだから、実験と矛盾がない限り間違いとは言えない
>>604 波動関数は意識と無関係に収縮するから。
2重スリットの実験もそうだけど、意識で変わったりしないから。
>>605 意識によって収縮すると解釈しても矛盾はない
607 :
601:2005/07/29(金) 16:25:56
>>602 よくも言ってくれたな
ノイマン-ウィグナー理論なんて、今では物理学会では笑い話なんだよ
>>606 意識は単なる物理現象の一つなので、意識でも収縮してもいいだけ。
誰も自在に制御した人間はいないし、決定論と矛盾もしない。
>>607 ・・・だから何?
頭に血が上ったらもうおしまいだな
>>608 意識が物理現象の一つだっていつ決まったんですか?
なんか暗黙の了解にしてることが多すぎますね、あなた。
>>609 意識が物理現象と関係のない証拠はどこにもありません。
意識が物理現象と関係のある証拠はいくらでもあります。
>>610 意識が物理現象と関係ないなんて一言も言ってないでしょう。
物理現象として記述しきれない部分がある可能性を提示しているだけです。
612 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 16:33:15
物理現象と相互作用するものは、物理現象になるわな。意識も例外でないし。
613 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 16:34:05
614 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 16:35:34
>>611 独我論の可能性と同じで、そんなのは無意味。
596 名前:考える名無しさん 本日のレス 投稿日:2005/07/29(金) 15:16:44
というか、「存在する」と「決定している」というのは、
ほとんど同義のような気がするが。
「存在するが決定していない」ものなど、想像することもできん。
「未来が決定されている」という考えは、要するに
「未来はすでに(どこかに)存在している」という意味ではないか。
超越的な神の視点に立って、宇宙の始めから終わりまでを
眺めてみれば「未来は決定している」というより、
「過去と現在と未来に違いはない」ことになるのは、むしろ当然。
キリスト教が決定論的になるのは、自然なことだという気がする。
616 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 16:41:00
決定論という仮定に対して、非決定論は何も証明できていない。
非決定論は証明不可能。よって決定論を否定することはできない。
つまるところ、
決定論的な宇宙は、
過去から未来まで、すべてが、
すでに存在してるんだわな。
んで、
非決定論的な宇宙には、
常に、現在しか存在しない。
過去も非決定論的だから、
あり得たかもしれない過去も、
「実際」の過去も変わりない。
>んで、
>非決定論的な宇宙には、
>常に、現在しか存在しない。
俺にはとても、実感に適っている
過去も、未来もどこにもない
>>618 んで、どこにもないけど、
過去も未来も論理的に決まっている気がする
620 :
哲子:2005/07/29(金) 18:16:47
>>618 そだね。
過去も未来もみんな残しておくんじゃ、宇宙空間がいくら
あっても足りないだろうね。あ、だから、どんどん拡張してるのか?
いや、未来もすでに決まってるなら拡張した空間に何をつめるのだろう?
やっぱ、あるのは「いま」の宇宙一個だけだね。
過去は過ぎ去り、未来は未だ来たらず、が実感だね。
621 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 18:19:10
>>620 そういう風に実感できるように、決まっているんだね。
>>620 人が感じられるのは、その時とその位置だけ。
他人の意識は、他の空間にも、他の時間にも、常に存在しているんだよ。
624 :
哲子:2005/07/29(金) 18:26:06
>>621 >宇宙は無限だから
いつ宇宙は無限なんて確認されたの?
無限の宇宙が拡張しているってどういうこと?
>>612 物理現象に一方的(反作用なしに)に影響を及ぼすものを物理現象とは呼べないでしょう。
>>613 クオリアを物理的に記述できる見込みはない
>>614 独我論を無意味というならはじめから(ハードプロブレムとしての)意識については何も語れない
連投規制があるのでまとめて言っとくと、
別に俺自身がフォン・ノイマン流の解釈を支持しているわけではない。
言いたかったのは、
>「存在するが決定していない」ものなど、想像することもできん。
などという根拠など、
量子力学が明らかにしたミクロの世界の様相を知ってしまった
現代においては何の意味もないということ。
んなこと言ったら、
量子力学によって、決定論は否定される、
で終わらない?
628 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 19:13:46
>>626 物理が正しいとは限らないのに、哲学に物理を持ち出すのは無意味。
>>627 決定論の中で量子力学的世界は記述可能なため、否定することはできない。
>>628 このスレの主旨は、物理学的な見解を哲学でどう考えるかってことだろ
>>627 多世界解釈をとれば決定論的な量子力学を構成できる
>>629 決定論の中で何でも記述できるっていうんじゃ、
話がいっこうに進まない。
だからこのスレもこんなに続いているんだろうけどね。
決定論を否定するためには、過去を変更するか、未来からの介入を証明することが必要。
634 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 19:21:32
>>632 何でも記述はできないだろ。タイムマシンの存在を否定するのが決定論。
635 :
素人:2005/07/29(金) 19:21:38
哲学とは、
材料無しに(場合によっては未知の材料を創造して)様々な料理のレシピを考える行為だろうか・・
それとも、
目の前の限られた材料(のみ)でレシピを考える行為だろうか・・
この時点で既に、立場は大きく異なってくるように思う・・・
>>635 自縄自縛って奴だなこいつ。
自分で勝手に可能性を制限して、その中で解決できないからって一人で悩んでる
>>634 勢いで書くなよ
「タイムマシンの存在を否定する」ってのが記述だろうが
638 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 19:25:42
>>633 同意。正確には、現在を変更せずに過去だけを変えるだね。
やはり決定論が正しいと思う。
639 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 19:31:03
ある者は「決定論を否定することはできない。故に決定論は正しい」と言い、
別の物は「決定論は証明できない。故に非決定論が正しい」と言う。
これぞ「群盲象を撫でる」の光景。
>>639 因果律、決定論は反証可能。反証されない間は正しいとして問題ないと思うが。
641 :
哲子:2005/07/29(金) 19:40:18
>>639 だから、「非科学的決定論は否定も肯定もできない」って結論は
とっくの昔に出ているじゃん。
史的唯物論、哲子、SYNがこのスレの3大迷惑コテハンだが、
この中で一番迷惑なのは誰かって言ったら、ダントツで史的唯物論。
厨房程度の知能・知識しかないうえ、日本語をまともに書けないので
どのような見地からしても相手にする価値がない。
哲子は一応日本語はまともなので史的唯物論よりはずいぶんましだが、
言ってることに中身がないし、また論理的思考力に欠けるので
すこし突っ込むとすぐにボロが出る。
大きな害はないが、つまらないことをさも大層なことのように書き込むのでうっとおしい。
言いたいこと言わせて放置しておくのがよかろう。
SYNはいちおう言ってることに筋は通ってるが、自分の信念にがちがちに凝り固まってて
人の意見に耳を傾ける気が一切ないので、議論するだけ無駄。
また、たまに宗教者のような断定口調が出てくるのがウザイ。
言ってることは同じことの繰り返しなので、主張を一通り把握したあとは、
ヘタに反論したりせず放置の方向で。
番外としてうみねこがいるが、この人は真性のアレなので深く関わらないほうがいい。
余裕があるときはまともそうに見えるが、議論に負けそうになって余裕がなくなると豹変する。
そこまで追い詰めずに適当にあしらうのが吉。
(わざと豹変させてその様子を楽しむという遊び方もあるが、それはよそのスレでやるように)
さて、皆様に質問です。
決定論が成立するためには、あらゆる瞬間に於いて因果律が100%厳密に作用しなければならないが、これは論理的に矛盾しないのですか?
今日は計算機スレが久々に賑わいそうでつw
メンバーはいつものとおりw
645 :
でりだ:2005/07/29(金) 22:13:25
>643
もうちっと詳しく言って!
646 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 22:23:50
パラレルで無限に飛び散り、それぞれのパラレルに因果律も無限にあり
それぞれの世界がそのつど決定の連続で時を刻んでいる
腹水盆に帰らずで飛び散ったパラレルワールドは交わることはない
破壊魔定光w
>>645 不確定性原理や不完全性定理とは、矛盾しないのか?ということです。
さらにパラメーターの数が無限であれば、シュレーディンガー方程式は数式として計算不能になる。
649 :
でりだ:2005/07/29(金) 22:31:42
エヴェレット解釈は、パラレル・ワールドとは違います。
重ね合わされて存在している、たったひとつの世界なのです。
651 :
でりだ:2005/07/29(金) 23:03:43
>648
不確定性原理や不完全性定理と決定論が矛盾しないか、と
言っているのね?
>650
そっか、もうちっと勉強してみるよ。
なら
>646
パラレルで「飛び散る」ということはどういうことなの?
652 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 23:04:32
それにしても、不完全性定理がなぜここに出てくるんだ?
>>649 どうやらそのHPは、エヴェレット解釈について勘違いをしているようです。
654 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/29(金) 23:35:50
>決定論が成立するためには、あらゆる瞬間に於いて因果律が100%厳密に作用しなければならないが、これは論理的に矛盾しないのですか?
「因果律」とは、4次元時空(中)の3次元空間を「紐づけている糊」のようなモノ(4次元目)であり、
別名「時間」と呼ばれるものです。
「因果律に反した時間の経過」という概念(「考え方」あるいは「仮定」)こそが「論理的な矛盾」なのです。
655 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/29(金) 23:43:09
>>646 >パラレルで無限に飛び散り、それぞれのパラレルに因果律も無限にあり
そんな「言葉上の仮定」は、そもそも数学オタクの奇抜さ(だけ)を狙った
「こけおどし」であることは皆さんご存じの通りです。
「不確定性理論」はあくまで「未来の時点に量子の位置及びエネルギーを予測する場合」
に有効な「限定的理論」あるいは「便宜的に利用される理論」であり、「過去の事象」
については、例え不確定性理論でも「もしも信長が死ななかったらとも言える」・・とは、
「言えない」ように、「全てが確定的であった」という結論しか出せません。
「未来から見た現在」も同様に(この宇宙のどの部分をとっても)「ただ一つの事象」しか
「ありえ」ません。
656 :
でりだ:2005/07/29(金) 23:48:20
>653
そうなの?メールで作者に教えてあげると喜ぶよ。
「エヴェレット解釈」でぐぐるとトップに来るページだし。
>655
不確定性原理、ね
657 :
でりだ:2005/07/29(金) 23:49:41
あ、原理も理論もあんま変わんないか。
658 :
考える名無しさん:2005/07/29(金) 23:52:48
不完全性定理はまったく関係ないだろ?
>メールで作者に教えてあげると喜ぶよ。
甘いな w
作者だって参考にしている資料があるようだし
喜ぶことはないでしょ
エヴェレットに関してはそれだけ間違った解釈が
横行しているって証拠ですよ
660 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/29(金) 23:57:51
>>656 デリダさんは(たぶん)「文科系」の方ですから、「エヴェレット解釈」については、
あまりご存知ないと思います。
「極微の世界」では「観測問題」が生じます。
ある量子の「ある時点の位置座標は「XXX:YYYY]であったということは、
「確実な観測値」であっても「観測したこと」で「観測器に帰ってきた量子」があるわけで、
その「帰ってきた量子」の(一種の)反作用で「観測を目的とした量子の位置とエネルギーが
影響を受けてしまう」・・という根本的な不確定性があり、それを「確率論」に基づいて、
「結果の収束範囲」・・あくまで「範囲」を示した方程式が「シュレディンガー方程式」なのです。
>>642 >人の意見に耳を傾ける気が一切ないので、
ちょっと待ってください。私は耳を傾ける気はあります。
私はここで決定論を広めたいわけではありません。まったく逆です。
私は自分のサイトでより完璧な決定論を構築し、二度とこの世に
非決定論や自由意志が立ち上がってこないようにするが目的です。
自論の弱点を封じるため、ここでは非決定論側の意見を求めています。
自分のサイトってどこ?
非決定論マンセー
663 :
でりだ:2005/07/30(土) 00:14:34
>660
あ、おれは平仮名ね。カタカナだとフランスの有名な人に
なっちゃうからw
wikiでもだいたい同じ説明なんだよね、
コペンハーゲン解釈もエヴェレット解釈も
シュレディンガー音頭ってのは初めて知ったな
ってかさ、乳クリ合いも良いが、
決定論か、非決定論か、
将来、決定される見込みはあるのか、について教えてくれや!
666 :
でりだ:2005/07/30(土) 00:33:18
>665
ぴかぁさんの非決定論が聞きたいっす!
>>665 決定論の世界の中で非決定論の世界が作れるので、
「決定論+見かけとしての非決定論」で共存するしかないと思います。
>>667 決定論か、非決定論か、 将来、決定される見込みはない?
じゃあ、非決定論で良いね。
>>665 > 将来、決定される見込みはあるのか、について教えてくれや!
見込みはないだろうな。どっちも往生際が悪そうだ。
>>668 究極的には決定論になります。
タイムトラベルができたとき、決定論は否定されます。
671 :
でりだ:2005/07/30(土) 00:41:29
>670
タイムトラベルが出来ても、決定論は変わらないじゃね?
「夏への扉」アサー・C・クラーク とか。
究極的ってなんや!?
決定論者がそんなアバウトな表現でええのか?
673 :
でりだ:2005/07/30(土) 00:56:55
「自由とは必然性の洞察である」(エンゲルス親方)
翻訳:まぁ、おまえら四の五の言ってないで、キリキリ革命汁!
674 :
ハル:2005/07/30(土) 04:40:36
>>670 タイムマシンが出来て否定されるのは、AならばBの「因果律」が否定されるだけで真の意味での決定論(A,Bの状態があるようにある)は否定されません。
いかなる状況であれ「私は遅れている」ならば「私は決定している」となってしまいます。
力=世界という一種無意識的なもの(本能?)に依拠する仮定なら決定論からは絶対に逃れられません。
非決定論は無意味なるものであるが決定論が暴走気味になったとき抑止的な作用を及ぼす。
これは無意味なるものの存在そのものが「力」の現実に何かを突きつけているため。
>>652>>658 不完全性定理は、ちょっと場違いだったかもね、スマン。w
決定論を記号論理学的に展開できないか、と思ったもので。
676 :
哲子:2005/07/30(土) 07:05:31
>>675 >決定論を記号論理学的に展開できないか、と思ったもので。
因果律は思考の形式を規定するものでしょうが、同一律や矛盾律
のように論理の形式を規定するものではない。
因果律を扱う記号論理としては様相論理の一種である時相論理
があります。
677 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 07:11:42
*^v^*y-~~~ プ
678 :
哲子:2005/07/30(土) 07:16:33
タキオンが発見されたからといって人間がタキオン
になれるわけじゃないでしょう。
タキオンの世界にいかなくても量子の世界や統計力学の
世界ですでに確率変数を扱ってるのだから必然的な決定論的
世界は破られている。確率的理論も決定論というならそれは
予測のできない非科学的決定論よりはましな確率的決定論で
しょう。
679 :
哲子:2005/07/30(土) 07:39:21
>>657 >あ、原理も理論もあんま変わんないか。
原理を「自明」な根拠として論理展開していったものが
理論でしょう。
数学で言えば原理は公理、その公理に体系付けられた定理や
その証明が数学理論となります。
不確定性原理を認めるなら非決定論です。だからアインシュタイン
などの決定論派は何か隠れた変数があってそれが見つかれば
不確定性原理を棄却できると考えたのでしょう。
しかし非局性原理に基づく隠れた変数の理論が正しいことを示す
ベル不等式の破れが実験で確認されて、いまのところ
不確定性原理に基づく量子論のほうが正しいとされているのでは
ないでしょうか?
科学は仮説ですから、いずれ量子論にかわる理論が出てくるの
でしょう。いまの科学技術では量子論にもとづく方程式の予測
で十分な精度が得られていると思いますけどね。
680 :
哲子:2005/07/30(土) 08:33:33
>>679 事故訂正。
>非局性原理に基づく隠れた変数の理論が正しいことを
正しくは「局所性原理に基づく隠れた変数の理論が正しいこと」
したがってベル不等式の破れは量子理論が局所性ではないこと、
すなわち量子理論は非局所性であることを示す。
量子理論を適用できるのはミクロ領域だけといった制約はない、
宇宙全体に適用可能ということです。
681 :
哲子:2005/07/30(土) 08:51:16
>>675 >不完全性定理は、ちょっと場違いだったかもね
そうでもないでしょう。
不完全性定理と不確定性原理をもとに意識の非決定性を
主張しているペンローズもいます。
意識は計算ではない、意識はコンピュータで実現できない、
という立場です。
意識をモデル化しても、できるのは人口無脳になりそな希ガス。
脳、つか神経系の構造をモデル化して、機能の出力を得にゃ。
・・・ってスレ違いですた。
すまそ。
ここにはブッシュがいるようですね
大量破壊兵器の証拠が見つからないからといって、大量破壊兵器がないと考える根拠にはならない
684 :
藻:2005/07/30(土) 10:40:03
ペンローズだって!?
「皇帝の新しい心」は通史をまとめた部分はまだ読めるが、
そのペンローズの主張とやらの部分は、とんでもないデンパを飛ばしてるだけだ。
(非論理的、非科学的で(そこだけ見れば)とても数学者だとは思えないほど)
前に、「しばらく基礎勉強期間を置こう」みたいに機械が言ってたが(そして同調してる人も多いように見えたが)
ちゃんと勉強してきた奴は全然いないみたいだ。
科学論や数学論を語ってる割には全然数式をイメージできてないし、「〜と主張している人がいる」
「だれだれは〜という立場だ」と語っても、実際にそいつの論を読んでる気配はない。だから
イメージだけで語られ、すなわち主張の理念の部分だけしか見てないから
(論証部分がデンパでも)それが正しいらしさ(論証性)をもってると勘違いしてしまっている始末だ。
もっとも数式や論理性を明確にわかることが決定論争に関わるかどうかと言えばそれはまた
別の話だから、どうでもいいことだが、前からこのことにはイラついてたからと勢いで書いたよ。(自分としては
考えられないことだ)
>>679 > 不確定性原理を認めるなら非決定論です。
なぜでしょう。
>>1にあるように不確定性原理は観測問題ではないでしょうか。
同じ条件の場合、
結果は必ず同じになるってのが、
決定論でしょう?
>>686 それは弱い決定論の中でも結構強い決定論だと言えなくもないと思います。
確率的決定論は確率的非決定論とほぼ同義でしょう。
結局自由意志を絡めて論じないとただの「呼び方問題」になってしまう
のではないでしょうか?
強い決定論:未来予測可能論
弱い決定論:未来予測不可能論
未来予測は不可能だがひとつに決まっている(強い)。
未来予測は不可能だが確率的に決まっている(弱い)。
↑このあたりから既に呼び方の問題になってしまう。
689 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 15:49:54
遅レスすまんが
>>671 夏への扉はハインラインだヴォケ
690 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 15:57:43
竹宮恵子?
691 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 18:10:01
人間の意識は3000年前には存在しなかったっていうのは本当。
692 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 18:12:27
A 「未来は何が起こるかわかんない」
B 「わかんねーなら黙ってろ」
693 :
哲子:2005/07/30(土) 18:33:25
>>685 不確定性原理の対象とする物理量は統計的集団を
対象とした確率変数だからです。
確率による予測はどれだけ精度がよくても必然の
決定論とはなりません。
694 :
哲子:2005/07/30(土) 18:38:59
予測不能や確率的予測しかできないのは
非決定論でいいんじゃないか。
>>693 確率は把握の仕方であって、実際の事象ではありません。
実際の事象が、決定論的だからこそ確率として扱えます。
確率論は、決定論的世界に立脚しているため、決定論を否定することは原理的に不可能です。
696 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/30(土) 18:45:26
また、決定論自体が予測不能性を保証しているため、
予測できないことは決定論を否定することにはなっていません。まったく逆です。
698 :
哲子:2005/07/30(土) 19:02:28
>>691 ヒトの意識はヒトという種の起源より変わっていない、
と脳の大きさから推測される。
699 :
哲子:2005/07/30(土) 19:08:30
>>696 すべての物事の存在は時間に対して確率的存在でしょう。
>>699 情報量の不足で確率的に把握しているだけであって、事象は確率ではありません。
>>693 我々の行う予測は不完全であり決定論とは関係ない。
さいころから確率が出てくるということは、そのさいころが因果律に基づいていることを
示している。
決定しているという証拠によって決定論が成立すると考えるのではなく、
まず最初に決定論が成立していて、それに基づいて認識や行動をする
という考え。
703 :
哲子:2005/07/30(土) 20:04:38
>>701 確率とは英語でprobability、すなわち可能性という
ことだよ。決定論はその可能性が常にひとつの必然
であると主張することだよ。
決定論なんて確率論のほんの特殊事例にすぎないのさ。
因果律は原因と結果の序列が「ツボを振ったらサイの目
がでる」というように決まってるということだよ。
量子論の世界でこの因果律が必ずしも成立しないことが
不確定性原理の確率論の根拠となるんだよ。
量子の素過程に原因結果などという序列は決められない。
因果律を決めるのは人間の意識による認識だよ。
704 :
哲子:2005/07/30(土) 20:08:14
>>702 >まず最初に決定論が成立していて、
そういうのを妄信というのだろうな。
常に目覚めてよく心をととのえて自分の
意識で判断・行動したほうがいいのではないか?
705 :
哲子:2005/07/30(土) 20:13:08
>>700 >情報量の不足で
情報量も確率で量られるんだよ。確率もしらない人には
情報はあつまらないな。
>>703 サイコロは振り方等の条件が同じなら出る目は同じ。条件の微妙な違いによる
バタフライ効果がサイコロ。サイコロに細工をして1の目が出る確率を50%に
することもできる。シュレディンガー方程式も因果律があるから出る結果の確率が
求まる。変化するのは初期条件の微妙な違いによるもの。
電子に初期条件も含めて選択の自由があるならシュレディンガー方程式による
確率に符合することはどのように説明されるのだろう。
>>703 ハイゼンベルクが不確定性原理を最初に説明したときそう言ったか?
708 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/30(土) 20:43:51
世界が物理的決定論であるのなら、
世界は閉じていなければならない。
なぜなら世界は繋がっているから。
では、決定論者は閉じた世界の外はどのようになっているのか
というパラドクスに答えるべし!
709 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 20:51:27
ポモ厨にはわからないだろう
710 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 20:57:05
711 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 21:00:14
>>708 >世界は閉じていなければならない。
物理的世界は閉じてるんじゃないの?
発散するなら繰りこまなくっちゃ。
712 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/30(土) 21:01:04
いや、ハイゼンベルクとか関係なく、
このパラドクスで、物理学決定論的世界観は
破綻するのではないかと・・・
713 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 22:18:08
決定論が破綻しているのは機械が一番よく知ってる。(だいたい蓋然性という言葉を使っている事自体決定論が証明されていない証拠)
機械達は予言を実行するために決定論を宣伝しているんだよ
714 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/30(土) 22:32:15
「機械達は予言を実行するために決定論を宣伝する」というネタだと、
改めていうことはないと思う。
だからボクのパラドクスもネタとしてどんな返答があるのか
ってことなんだけど。
パート39で、いまさらこんな説明は野暮でしょ。
715 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 22:40:51
> 機械達は予言を実行するために決定論を宣伝しているんだよ
予言? 予言って何?
716 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 22:51:55
斎藤貴男にでも電話してみれば?
717 :
考える名無しさん:2005/07/30(土) 23:09:30
斉藤貴男? 斉藤貴男って誰?
718 :
正常者:2005/07/30(土) 23:11:58
冷凍人間が成功したら結論は出るんじゃないですかね?
脳を一旦停止させた後にまた動かしてみればはっきりするでしょう
あと仮に同じ脳だとしてもクローンではダメでしょうね
あくまで意識とは伝達のパターンだと思うので
まったく同じ思考を辿るとは考えにくい
719 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/30(土) 23:13:54
>>706 >サイコロに細工をして1の目が出る確率を50%に
>することもできる
できます。45%〜55%のほうが確実に簡単ですが・・
サイコロ賭博は、前提としてサイコロの「基質が一様である」という「信仰」の基づいて、
実行されます。・・むろん「重心の位置」をずらしておけば「目の出る確率」は偏向しますので、
偏向する方に胴元が賭けるという「システム」を作成すれば、「必ず儲かるシステム」となります。
720 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/30(土) 23:27:09
>>689 >
>>671 夏への扉はハインラインだヴォケ
「夏への扉」・・詳細は、覚えておりませんが「賢い猫の話」ですよね?
ある意味で・・「村上春樹」・・「海辺のカフカ」と言っても、「猫」が・・
と言ってもたぶん『哲学板では「マニアックすぎるので却下」』だと思いますが。
>>720 自分の無知はとぼけまくるくせして、他人のミスには「ヴォケ」ですかw
なるほどいい性格をしておられる。最終真理とはよほどいいものなんですなw
722 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/30(土) 23:38:15
>>721 人間て、意外と「無知」・・特に「自分の無知」については「無知」です。
2500年前に死亡して、その後プラトンによって神格化されたソクラテスを
引用する必要はありませんが・・。
「真理は『1個』しかない」ので、「2000年前の英知」も「「真理でない」ならば、
「単なる錯覚・勘違い」以上の何でもないのです。
724 :
でりだ:2005/07/31(日) 00:31:18
>689
おっしゃるとおり。すまん。アサーだし。
725 :
でりだ:2005/07/31(日) 00:36:55
>720
「夏への扉」はタイムマシンものだよ。
726 :
でりだ:2005/07/31(日) 00:40:11
>714
ぴかぁさん、それは「無意識における文字の審級」
ですね、とか言ってみる
727 :
ハル:2005/07/31(日) 03:13:52
宇宙が十二面体だとするなら宇宙は閉じていて、空間が無限ループする。宇宙に果てはなく、果てだと思っている鏡のようなものだけがあり、どこまでもいけばここに戻ってきてしまう。
プラトンも、「ティマイオス」のなかで、正五角形で構成される正十二面体を「神の立体」としたりしているが、その通りなのかもしれない。
宇宙に対しても広がり続けているとは、一体どこに広がり続けているといえるのでしょうか?
空間がないところに広がるとは一体どういうことなんでしょうか?
宇宙が広がっているというのは、ただ私たちが閉じられた認識の世界(我々の言う宇宙)の中にいるということの言い換えに他ならないのではないでしょうか。
物質がまったくなかったら、意識というものはないと思うのですが、
とすると、何があれば意識が存在しうるのでしょうか。
ニュートリノひとつ?分子?ニューロンひとつ?虫?猿?人間・・?
そういう、意識そのものについての話はスレ違い?
729 :
ハル:2005/07/31(日) 03:46:49
ニュートリノを感じることは出来る?
意味がわからん
731 :
ハル:2005/07/31(日) 03:53:47
そりゃ分かんないでしょうね。
<私>が体を感じるのは私の体が正しく統制されていないとき(病気じゃないとき)。
<私>が脳を感じるのは私の脳が狂っているとき(精神病な時)。
こう考えると限りなく<私>が狂い、そして壊れているとき<私>はニュートリノをも感じることが出来る・・・。
・・・分からなくていいです。分からないほうが幸せです。
732 :
ハル:2005/07/31(日) 04:01:37
>>731 「体を感じるのは病気な時」だった。可笑しなっぽく見えるだろうレスだからどうでもいいといえばどうでもいいが。
私たちは知らないことに対し知らない具体的なものがあるということでそれを知らないということを知っているふりをしようとするが、知らないということは知らないということ以上のものにはならない。
>>703 全く間違いです。貴方はうみねこさんと同じで確率論も量子論もわかっていませんね。
確率論は決定論に立脚しており、決定論的世界から情報が欠損したものを
確率的に把握しているに過ぎません。その上で可能性の一つといっても全く無意味です。
決定論的世界は量子論的世界と確率論的世界の基底に存在しています。
量子論的世界や確率論的世界の上の世界にある世界で決定論と呼んでいるわけではありません。
不確定性原理も確率も事象そのものではありません。事象の把握の仕方に関する問題です。
事象自体は決定論的に発展します。
>因果律を決めるのは人間の意識による認識だよ。
全く違います。いい加減な事を言わないように。
意識は完全に因果律に束縛されています。例外は存在しません。
>>704 意識は完全に因果律に従っています。
見かけの自由感はありますし、意識で判断、行動しようとも、
それは因果律に従っているに過ぎません。
そもそも哲子氏はまともな人間なのでしょうか?
まともな人間は、どこのスレでも、うみねこ氏など相手にしていないのに、
この会話は異常な気がします。
388 名前:考える名無しさん 投稿日:2005/07/27(水) 21:51:32
>>290 うみねこさん、はじめまして。 哲子です。
>>290 いやぁ。こういう挨拶からはじめるレス懐かしいですね。
>>294 哲子さん、はじめまして。 しかし、大胆なハンドルですな。
>>299 専門は医学系なんでしょ?
>>299 まずはそちら方面の手軽な啓蒙書(あればですが)をねらってみては?
議論もベクトルが全く同じ、レベルの低さはうみねこ以下だし。なんなのこいつは?
736 :
ハル:2005/07/31(日) 04:37:18
意識の「流れ」はね。
737 :
哲子:2005/07/31(日) 08:18:55
>>727 宇宙とは宇が時間、宙が空間の意味で合わせて時空間ですね。
空間とは物と物の間の空っぽの部分のことをいう。
だから宇宙が膨張するとは銀河系(島宇宙)間が広がってるのです。
で、どこまで膨張するかはエネルギー保存の法則から宇宙全体の
物質の量がわかれば算出できる。大雑把にいって、物質の質量エネルギー
(E=mC*C)と万有引力のマイナスエネルギーが釣り合っているのだから。
また同じことだけど相対性理論による時空間の曲率が測定できれば宇宙の未来
が予測できる。
詳しくはホーキングさんに聞いてください。
738 :
哲子:2005/07/31(日) 08:24:17
>>728 >意識そのものについての話はスレ違い?
意識の話、聞きたいです。
哲子は意識は中枢神経系をもつ動物から持っている
機能であると思います。
一寸の虫にも五分の魂。
739 :
哲子:2005/07/31(日) 08:25:08
740 :
哲子:2005/07/31(日) 08:36:45
>>733 確率論は数学として確立しています。決定論は関係ありません。
数学で決定論としては線形計画法のような決定方程式や計算の
決定問題があります。これくらい厳密に「決定」を定義してから
議論するなら科学的決定論といえるでしょう。そうでない神学的
決定論をいくら布教しても哲子はそんなもん信仰する気はありません。
因果律は思考の形式です。
思考は意識のほんの一部の機能です。
741 :
哲子:2005/07/31(日) 08:43:55
>>734 そうです。因果律は思考の形式ですから意識は
因果律によることができます。
ただ、いつも因果律によるのではなく方法的懐疑
による反省で因果の法則を疑ってみることも有効です。
まぁ、反省はサルでもできるけどね。
因果の法則の必然を信じるのは迷信です。
742 :
ハル:2005/07/31(日) 09:43:30
>>741 いや、宇宙にそもそも果てってあるの?ということ。
ビックバンだったら果てはあるということになるけど、実はただ観測能力に制限がついてて果てがあるように見えてるんじゃない、ということ。
ボアンカレ十二面体はメビウスの輪やクラインの壷の四次元版みたいなもの。
ビックバンは結局はオッカムの剃刀の原理(?)に基づくものなんじゃないか?ということ。
743 :
ハル:2005/07/31(日) 09:45:08
エヴェレット解釈は「数学上で測度ということにすると、確率論ではなくなる」という点がユニークなのです。
>>727 膨張宇宙論は赤方偏移から推論されたものですが。
746 :
ハル:2005/07/31(日) 10:33:14
>>745 宇宙背景放射にはその波長の長い成分が含まれないそうですが。
>>735 哲子は、うみねこが何者か知らなかったんでそ。
人工知能スレを覗いたことがあれば、挨拶する気にはならんだろうけど。w
748 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 10:39:16
>>742 宇宙の果てがあるとは宇宙が有界であることでしょう。
地球表面は有界だけど緯度経度にそって進み続ければ
循環無限で果てはない。
宇宙もどこまでも「まっすぐ」に進むと自分の背中に行き着く
のかも知れない。
観測制限は地球の地平線・水平線の先が観測できないのと
同じで宇宙の時空平による制限です。
ビッグバンはビッグクランチになって輪廻転生するとい
説もある。
749 :
ハル:2005/07/31(日) 10:51:15
>>748 それが膨張という考え方自体にも当てはまるんじゃないかということ。
膨張しているようで実は膨張自体が元の場所に行き着くんじゃないか?ということ。
膨張も「進む」ことですから。
751 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 11:23:39
>>749 すみません。言ってることがよく理解できません。
ただ、宇宙の膨張というのは宇宙の全部分が一様に
膨張するわけじゃなく、われわれの銀河系もほとんど
系内の相互関係は変わらない。
膨張のエネルギーが重力エネルギーより大きいところが
膨張するのでしょう。
752 :
ハル:2005/07/31(日) 11:44:26
>>751 >>749の補足。
見ている宇宙が閉じているとすると、この空間は3次元の球面を「二項正2二十面体群」とよばれる群の作用で割り、中身の詰まった正十二面体の面たちを適当に貼り合わせてできるものとなる。
この場合、角などの特異点があるわけではなく局所的にはどこも普通の3次元空間だが、各所で正の曲率をもっているとなる。
要するに、今見ている世界であっても実は自分たち自身が大量に見えているに過ぎないという・・・。まるでSFですよ。
753 :
ハル:2005/07/31(日) 12:07:35
つまり、膨張しているのではなくループしているだけ、となる。
たまには変わった話も・・・と思って出してみました。
分かることは全て必然。分からないことは偶然。だが分からないことに実体はない。あったらもはやそれは必然。よって偶然などない。しかしないことがあるならば偶然はある。真の偶然とは無そのもの。
>>740 決定論は厳密に決まっています。未来は一つしか存在しないということです。
決定論者は、不確定性原理の上の世界で話しているのではなく、
その基底の世界で話しているのに、相手の立場の言葉ではなく、
自分の言葉で理解した気になって発言を繰り返しているから、貴方は愚かなんです。
意識を成立させている因果律には従うことしか出来ません。
物理現象から自由な意識は存在したことがありません。
>>741 >因果の法則の必然を信じるのは迷信です。
迷信ではありません。
貴方の言葉より遥かに尤度の高い仮定です。
それは目の前に何かが存在する程度に確かなことです。
>>737 >で、どこまで膨張するかはエネルギー保存の法則から宇宙全体の
>物質の量がわかれば算出できる。
こいつ本当に理系なのか?
宇宙全体の質量がわかっても、「どこまで膨張するか」なんてわかりません。
758 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/07/31(日) 15:05:18
決定論は無能者の責任回避の口実でしょ。
自分に自信が無いから何も決められない。
宇宙や神に決めてもらっているのだから自分には責任は無いと。
そういうこと。
759 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:08:56
そういう香具師もいるだろうが、
みんながそうだと考えるのは過剰な一般化だと思う。
しかし、決定論や非決定論を信じたいという欲求の検討は、
面白いんじゃないかな。
>>758 それは、非決定論者が「決定論者はそう思っている」と勝手に妄想していること。
もしくは、そう決め付けることで、決定論を批判する理由にしようとしているだけ。
決定論者は、多かれ少なかれ、世界の全事象に自分の責任が伴います。
責任は回避できません。
761 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:11:24
それと、決定論や非決定論を信じることの帰結が何なのか、
それも議論して欲しいな。それを信じることで、その人の行動とか、
心理状態とか、何でもいいけれど、何か違いが生じるかな?
762 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:14:15
>>760 決定論者だと、どうして「世界の全事象に自分の責任が伴う」んだ?
個人の責任の範囲については、決定論だろうが非決定論だろうが関係
なさそうに思うんだが。
決定論者は、
例えば列車事故が起きた時でも、原因を運転手や鉄道会社だけに責任を押し付けません。
ダイヤを守るべく圧力を加えてきた我々、社会のモラルをその程度にしてきた我々にも、
原因があると考え、一方的に他者だけが悪いとは考えません。誰にも原因があるのです。
764 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:19:18
「原因を持たない自由意志」みたいなものを考える場合そこで因果関係
が断絶するが、決定論者はそう考えない、ということを言いたいみたいだが、
あまりに浅薄な分析だな。法律でさえ、「未必の故意」って概念があるって
いうのに・・・。
>>764 決定論は宇宙そのものを超えていますから、人間の法律など超越しています。
決定論は人間の法律が出来る仮定も、含んでいます。
766 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/07/31(日) 15:21:55
>>760 責任とは一体なんですか?
私は責任とは無抵抗以外ないと思います。なぜなら、
回復不可能な過ちを犯したとき、どのように償うか。
それは、被害者の思うままに振舞うしかないと思います。
ちょっとたとえが悪かったかも。
まぁ、俺は過ち犯してないけど面白いからやってんだけど。
心理歴史学 ハリー・セルダン
>>766 「回復不可能な過ち」って何?例えば殺人とか?
殺されたら被害者がいなくなる場合あります。幽霊になって攻撃でもするのでしょうか?
770 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/07/31(日) 15:31:15
>>768 回復不可能な過ち(例えば殺人)を犯したとき、どのように償うか。
それは、被害者(の遺族)の思うままに(犯人が)振舞うしかないと思います。
償うには、遺族の言うとおりに犯人が行動するしかない。
遺族に対して無抵抗にならなければならない。
これが私の責任という言葉の解釈。
771 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:32:30
>>765 話の通じない香具師だな。非決定論って言うのは、一切の因果関係の否定
じゃないってことを言ってるんだよ。ある原因が必然的にその結果を引き起こす
わけじゃなくても、実際に結果が起こった場合にはそれが原因だと言えるんだよ。
だからこそ、自由意志論者だって、人を追い詰めて自殺に追い込んだ香具師には
責任があるって考えることができるんだよ。
それと、おまいの言っていることは言い換えれば、「たしかに俺が殺したが、
その責任を俺だけに押し付けるな。俺をこんな風にした社会にも責任があるんだ」
ってことだよな。決定論者の御立派な責任論だこと。w
>>770 遺族がいない人はどうなるのでしょうか。
>>770 ま、それは貴方の解釈にすぎませんね。決定論とは無関係。
>それと、おまいの言っていることは言い換えれば、「たしかに俺が殺したが、
>その責任を俺だけに押し付けるな。俺をこんな風にした社会にも責任があるんだ」
>ってことだよな。
違います。貴方は鏡を見て勝手に飛躍しているのです。
人は憶測で他人を見る時、そこに自分自身を見ます。
>>771 決定論の世界でも見かけ上は、非決定論者のいう世界がありますから、
非決定論的世界で言えることは、すべて織り込み包含できます。
非決定論的世界での良い考えを受け入れた上で、それは全て決まっていたというだけのことです。
776 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:41:43
>>774 何を言ってるんだよ。おまいが脳内でどう考えているのかは知らんが、
おまいが実際に言ったことはそうだろうが。「列車事故が起きた時でも、
原因を運転手や鉄道会社だけに責任を押し付けません」ってことは、
「自分が列車事故を起こしたときでも、自分だけに責任を押し付けません」
ってことだろ? 同じ原理を犯罪にあてはめれば、近代学派の決定論
→自由意志の否定→個人の道義的責任の否定の議論そのまんまじゃないか。
778 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/07/31(日) 15:44:19
>>763 >誰にも原因がある。
原因があってもすでに決定されていた事でそれが覆る事はないのでしょう?
これのどこで責任を取れるんだろう。
779 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:44:50
>>776 頭悪いのはおまいのほう。
そうじゃないっていうんなら、どう違うのか説明してみろ。
自分が実際に言ったことと、言いたかったことの区別もできないのか?
>>776 大体、「だろ?」と疑問があるのに、勝手に飛躍する辺り、論理的思考能力の欠如が見られます。
→、→、の飛躍も笑える。最後は、→わたるが死んじゃう!ですかね。
>>778 誰も責任が取れるなんて話はしていませんが。
782 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:48:34
決定論と個人の責任の関係に関しては、刑法の近代学派のように決定論から
個人の責任の否定を導く考え方もあれば、
プロテスタンティズムや現代の分析哲学の一部のように
決定論と個人の責任の両立を主張する立場もある。
要するに、どういう組み合わせも論理的には不可能ではない。
784 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/07/31(日) 15:51:06
あ、わかった。
「俺も悪かったかも。ちょっとごめん」
と思うことが責任を取るってことですか?
これなら決定されてても、無作用に近いですからね。
785 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:51:10
>>780 じゃ聞くが、おまいは「列車事故が起きた時でも、原因を運転手や鉄道
会社だけに責任を押し付けません」とは言うが、「自分が列車事故を起
こしたときでも、自分だけに責任を押し付けません」は認めないのか?
>>784 誰もそんな話はしていません。勝手に飛躍しないように。
787 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:56:30
>>783 何が「御意」だ。
>>782が分っているんなら、
「決定論者は、例えば列車事故が起きた時でも、原因を運転手や鉄道会社
だけに責任を押し付けません」なんて発言がどこから出てくるんだ?
>>787 面白い人ですね。貴方は決定論者ではないから、それがわからないのですよ。
789 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 15:59:43
>>788 「論理」を振りかざしておいて、自分の論理を問われると、こんどは
「おれの考えはおまいには分らない」って泣き言か?
自分で恥ずかしくならないか?
790 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/07/31(日) 15:59:44
>決定論者は、多かれ少なかれ、世界の全事象に自分の責任が伴います。
>責任は回避できません。
>誰も責任が取れるなんて話はしていませんが。
自分に責任は伴うが、責任は取れない。
責任を取らないのなら、責任が無いのとはどこが違うのだろうか・・・
>>790 >自分に責任は伴うが、責任は取れない。
>責任を取らないのなら、責任が無いのとはどこが違うのだろうか・・・
貴方の世界だと、責任が取れないと、責任が無いことになるのですか?
>>789 それは貴方が勝手にそう思っていればいいでしょう。
793 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 16:07:09
「決定論者は、多かれ少なかれ、世界の全事象に自分の責任が伴います」
なんて発言を読むと、こいつは決定論者であるのみならず、
独我論者でもあるんじゃねえのか?
それとももしかして、単なるプロテスタント信者?
794 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 16:10:04
>>792 そう簡単にカッカして論理も何もなくなってしまうんじゃ、
2ちゃんねるで哲学の議論はできないな。ま、ログは残るから・・・・・・。
そもそも、NAS6 ◆o1AYEkZmQUが、
>>758で、
このスレと無関係な話を持ち込んだのであって、世界が決定論であるかどうかとは別です。
それは、非決定論者が「決定論者はそう思っている」と勝手に妄想していること。
もしくは、そう決め付けることで、決定論を批判する理由にしようとしているだけ。
>>794 いや、私は何もカッカしていませんよ。
人は憶測で他人を見る時、そこに自分自身を見ます。
実際、このスレとしては、
>>782ですべて解決しているわけだし。
798 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 16:17:22
>>795 それに答えて、おまいが変なこと言ったので突っ込まれたのに対して、
訳の分らない受け応えをして馬脚を現したんだよ。ログ読み返してみろよ。
言っとくが
>>782は俺の発言だよ。
>>798 >訳の分らない受け応えをして
貴方が「訳の分らない」のは、私の知ったことではありません。
801 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/07/31(日) 16:20:55
>>795 じゃあ、世界が決定論であるのなら、私の次の行動を予言してください。
1.PCの電源を切る。2.タバコを吸う。3.お茶を飲む。
どれも近い将来実現するものです。
って予言も出来ない決定論って、益になることは責任回避以外ないでしょ。
>>801 >>697 >益になることは責任回避以外ないでしょ。
それは貴方の狭い価値観の中だけの話。
行動一般は決定するものである、と考えている。
804 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 16:27:03
>>800 虚勢張ってないで読み返してごらん。「決定論と個人の責任を認めるか
否かは論理的に無関係」という発言に同意しながら、同時に「決定論者
は、多かれ少なかれ、世界の全事象に自分の責任が伴います」と発言す
るのことが「訳の分らない」と思うのは、俺だけかな?w
>>801 >じゃあ、世界が決定論であるのなら、私の次の行動を予言してください。
そもそも、こういう論を持ち出す時点で、かなり頭が悪いと思います。
「決定論的制約によって、貴方は今死ぬことができないはずだが、非決定論なら、その制約を飛び越えて死んでみろ。」
というのと同じぐらい無意味で愚かなことです。
>>804 別に他の人が訳がわからなくても、いいのですが。それが何か。
807 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/07/31(日) 16:34:01
>>802 じゃあ、決定論を支持するに当たって、何か利益はありますか?
何故利益があるのかを聞くと、証明されていないものを支持するには
相応の動機が必要です。
例えば、「幽霊がいる」というのを支持するのも
「自分が幽霊を見たかも知れない」という体験に対して同調できる
という利益があります。
808 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 16:40:15
「知ったことではありません」
「・・・それが何か」
「頭が悪いと思います」
2ちゃんねるモード全開ですねえ。
「論理的思考能力の欠如が見られ」るのはだれかなあ?w
>>807 >何か利益はありますか?
誰にとって?
貴方がご自身に利益がないと考えるのなら、支持しなければいいだけのことでしょう。
810 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 16:43:56
>>807 アインシュタインは「神はサイコロを振らない(と信じる)」と言ったそうだよ。
決定論を信じたくなる理由は、責任回避だけじゃないだろう。
決定論への信仰を表明するのに利益のある無しは関係ないでしょう。
それが確からしいと思える、というのでも充分だと思います。
>>810 >決定論を信じたくなる理由は、責任回避だけじゃないだろう。
私は、非決定論を信じたくなる理由の方が責任回避だと思っています。
>>811 因果律と決定論は、この世界がマトリックスであったとしても成立します。
目の前の世界の存在よりも、遥かに尤度が高い前提です。
814 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 17:07:03
決定論も非決定論も、証明されるということはなさそうだし、仮に可能
だとしても、現在それらの立場をとっている人の理由とは関係なさそう。
それなのに、決定論を支持する人と、非決定論を支持する人が分かれてく
るところを見ると、やっぱりそれらの人のなかに「それを信じたい」とい
う動機があるように見えますね。決定論も非決定論も証明できないのだか
ら、判断を中止することが合理的態度だ、となぜ考えないのか?
815 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 17:10:12
自分とは反対の立場については、それを信じる人の動機を推定するのに、
自分の方の動機については見ようとしない、というのは困ったことだな。
816 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 17:11:27
> 因果律と決定論は、この世界がマトリックスであったとしても成立します。
どう成立するの?
>>813 だから、なぜそうなのかってことを書かないと。
君の信仰の表明は度が過ぎます。
ここは議論の場であって布教の場ではないです。
>>814 証明はできなくともそれなりの確からしさへの裏づけはほしいわけです。
合理的態度が出てくるのはその後ということで。
>>814 決定論的世界の中で、非決定論的世界は構築できますから、共存できます。
819 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 17:21:08
>>814 私は、決定論/非決定論を支持しているひとが、「裏づけがある」と考えて
そうしているのかどうか、疑っています。ます最初に、そう信じたいという
動機があって、あとから裏づけを探しているように見えます。
見かけ上の非決定論の世界でも、自由意志は存在しませんけどね。
821 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 17:23:03
「決定論的世界の中で、非決定論的世界を構築する」っていうのは
どういうこと?
>>819 信じるかどうかというより、因果律はすべてに立脚する大前提でしょう。
他人の存在すらも疑いだしたら、議論は成立しません。
823 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 17:25:13
>>820 それは「自由意志」をどう考えるかによる。そういうことを無視して断定を
繰り返しているから「信仰の表明」と揶揄されているのが分らないかな?
>>821 コンピュータゲームの中の世界を考えるとわかりやすいと思います。
>>823 それは私が、どういう意味で「自由意志」という言葉を使っているか理解すればいいでしょう。
主張している相手の言葉を、相手が使っている意味で捉えなければ、議論は成立しません。
826 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 17:28:22
原因と結果の関係が必然的でなくても因果関係は設定できるよ。
それに「因果律はすべてに立脚する大前提」というのもドグマだな。
827 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 17:32:17
議論が成立しないのは、あなたが「信仰の表明」を繰り返し、
説明すべきことを説明しないからのように見えるがなあ。
まあいいか。
>>819 いや、疑うまでもなくそうでしょう。もちろんそれぞれの支持者全員がそうだということはないでしょうが。
俺の場合はより正確に言えば「信じたい」のではなく現にそう「信じている」わけです。
しかしその動機が見当たらない。自らの信念の根拠がわからない。
確からしさの裏づけとは、信仰の動機や信念の根拠がほしいということです。
>>825 それは自戒の表明ですか?
>>826 哲学は自ら立脚する足場まで破壊するから、言語ゲームと呼ばれてしまうのだと思います。
何でも感でも疑ってみる事は重要だとは思いますが、いつまでもそれを続けていると収束しません。
独我論的世界の要素を、議論が立脚している論理から排除できないのは、哲学の悪い点だと思います。
830 :
ハル:2005/07/31(日) 17:40:15
相手の言葉の意味は自分には分からない(私的言語だから)
>>830 究極的にはそうですが、議論では理解しようとする姿勢と努力が大切だと思います。
832 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 17:42:20
「哲学の悪い点」って・・・・・・絶句するしかない。(笑)
833 :
ハル:2005/07/31(日) 17:42:20
SYNさんは、決定論が正しくないと、何か不都合があると考えているのですか。
ちなみに、「決定論が正しくない」というのは、例外が一つでもあれば
成り立つので、宇宙のすべてが非決定的である必要は全くないと思います。
「決定論が正しくないと責任という概念が成り立たなくなる」と、通常と
逆のことを言われているように見えますが、その根拠がよくわかりません。
836 :
ハル:2005/07/31(日) 17:50:38
>>831 弁証法な考えですか。
ですが、止揚されたものだけ重視するのはどうかと。
一部分の存在そのものもとことん重視しないと止揚は生きたものにならない。
止揚されたものだけ重視するのは単なる死んだ弁証法に過ぎない。
しかし、それが普通に行われているのが今の世の中ですがね。
837 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/07/31(日) 18:02:38
自由意志が自分にも他人にも存在しないという認識の境地とはどんなものだろう?
ピエロを演じてるの?分からなくもないけど。
しかし窮屈な境地だと思います。
連投規制で発言止められちゃったよ。
>>837 圧倒的な意志の存在、神の存在を感じることができます。
>>66 >私は自分のサイトでより完璧な決定論を構築し、二度とこの世に
>非決定論や自由意志が立ち上がってこないようにするが目的です。
いや、ですから、非決定論や自由意志が立ち上がってくると、
どんな不都合があると考えておられるのかが、疑問なわけです。
個人的には決定論と非決定論の対立というのは単なる「解釈」の問題であって、
どんな事象も決定論的にも非決定論的にも解釈できるので、
論証は全く不可能であり、実際的にも完全に「無意味」としか思えないのですが。
841 :
ハル:2005/07/31(日) 18:13:53
>>839 弁証の結論が絶対だと言いたいんじゃないかな。
その弁証の中には実は非決定論が生きているんだがね。
だが、部分としてそれを分解したときどうなるかという問題は残るのだが。
>>818の発言から推測すると止揚絶対とは言わないようだからね。
>>839 私は決定論的世界の論証は不可能だとは思っていません。
今の人間の知力では絶望的ですが、将来それが可能になる存在が出てくると考えています。
843 :
ハル:2005/07/31(日) 18:19:32
>>842 いや、無理だよ。
あなたはあなたの発言をその瞬間に分析的に知ることが出来ないように、論証そのものが絶対的になったら当然ながら分析できない。
そしてそれは知とは言えない。なぜなら、知とはいまだ知りえないことを知ろうとすることであるから。
>>840 >>818 しかし、対立しないのなら、非決定論や自由意志が立ち上がってきても、
一向に構わないのでは?
「決定論的世界の中で、非決定論的世界は構築できる」というのも、
よくわかりません。それなら、同様に
「非決定論的世界の中で、決定論的世界は構築できる」とも言えるのでは?
テレビゲームの例なら、ゲームの作者が自由意志によってプログラムを組む、
などその典型です。
「神は決定論的世界も非決定論的世界も自由に創造できるので、自由意志によって
決定論的世界を創った」と解釈するのでも、同じことです。
>>843 少なくとも自由意志は否定されること実感しているので、決定論は成立すると思っています。
映画のフィルムの傷は、フィルム内世界からは非決定的要素ですが、外から見れば決定しています。
>>844 >「非決定論的世界の中で、決定論的世界は構築できる」とも言えるのでは?
勿論言えます。
階層の中でどこかに決定論的世界が入れば、そこから下の下層世界は全てそれに規定されます。
847 :
ハル:2005/07/31(日) 18:31:37
>>845 外とはどこのことかな。
外なるものは実在しない。
決定的であるがゆえに全ての実在が保障されるこの世界において、実在しないものを実在すると言うことは出来ない。
実在しないものを実在しないものとして認めるならばそれはこの世界に在らざるものとなり、それに関しては決定論は成り立たない、と。
>>847 ここで言う「外」というのは、フィルムの場合の比喩であって、
実際の世界の場合は、「その存在を存在たらしめているもの」になります。
ゲームの中の人も大変だな。
>>846 「階層」というのがよくわかりません。「世界」というのはいろいろな
階層を含む「全体」のことだと思うのですが。
世界の中に決定論的部分があっても、その後の世界の中に非決定論的
部分(自由意志?)があって何ら不思議はないし、逆に世界の中に
非決定論的部分(自由意志?)があっても、その後の世界の中に決定論的
部分があって何ら不思議はないと思いますが。
プログラマーが自由意志によって作ったゲームが決定論的に作動したり、
決定論的に作ったロボットに自由意志が発生しても、別に不思議はないと
思います。
というか、一連の書き込みでは「非決定論や自由意志が立ち上がってくると、
どんな不都合があるのか」一向にわからないのですが…。
>>850 決定論の世界でも見かけ上、自由な感じはあります。
それはゲームのキャラクターが自由だというのと同程度です。
というよりも寧ろ、決定論的作用が自由感を作っていると私は思います。
未来が決まっているが、自由に感じる意識を「自由意志」と呼ぶなら、
使っている言葉の違いに過ぎないと思います。
>どんな不都合があるのか
そんな話はするつもりはありません。
多次元ライフゲームで、自由意志を主張する存在が出てきても驚くに値しません。
853 :
ハル:2005/07/31(日) 18:51:34
>>848 そうするとそれは内側の世界のものになる。
初期値みたいなものを設定するとそれが神みたいなものにはなるが、それはこちら側(内側)からの極限値であり、それがあちら側(外側)で成り立つのかは分からない。
この場合、世界が一定の何かにおいて閉じていなくてはならないが、その外はどうなっているんだ?
外がないと内側もないんじゃないだろうか。
>>851 「そんな話はするつもりはありません」と言われると、話はそれまでなのですが。
私は決定論が正しくても非決定論が正しくても実際的な意味は皆無としか
思えないので、どちらかを熱心に主張している人を見ると不思議でならない
わけです。非決定論を熱心に主張する人は少なからずいますし、彼等は
決定論が正しいと人間の責任が問えなくなるという意識があるらしいので
(私からみると意味不明ですが)ある程度理解できるのですが、
決定論を熱心に主張する人というのはあまり見たことがないので、
興味があったわけです。
それと、蛇足ですが、「ゲームのキャラクターが自由だ」というのは
全く意味不明です。(見かけ上であれ)自由なのはゲームのプレイヤーであって、
ゲームのキャラクターはアニメのキャラクターや映画の画像と本質的に同じで
あって、それらは「意識」を持っていない以上、自由であるはずがないと思いますが。
>>853 内とか外とかいう言葉では表現しきれないのではないでしょうか。
>>847 >外なるものは実在しない。
>>853 >外がないと内側もないんじゃないだろうか。
この辺り、何を仰っているのか、私にはよくわかりません。
>>854 >あって、それらは「意識」を持っていない以上
石ころだって意識持っているようです。意思の疎通は出来る人と出来ない人がいるようですが。
>>850>>854 俺はSYNさんではないのですが(w、答えてみます。
> というか、一連の書き込みでは「非決定論や自由意志が立ち上がってくると、
> どんな不都合があるのか」一向にわからないのですが…。
多分、そうなると自分の信念の整合性がうまくとれないことにあるんじゃないかと思います。
俺は(一般のほとんどの人がそうだと思うんですが)、心的なものが物理的な基盤を持つと考えている意味で「素朴な物理主義」者なんですが、
もし自由意思があるとすると素朴であるとはいえその「物理主義」とうまく整合できない。
(不確定性原理とかはよくわかりません。)
だから俺にとって決定論/非決定論と自由意思の問題はある意味心脳問題と同じです。
以前両立説の話が出ていましたが、自由意思を心理的なもの(幻想とか)に還元せずに
あくまで物理主義に立った上で両立させてる説があれば教えて欲しいです。
>>857 >もし自由意思があるとすると素朴であるとはいえその「物理主義」とうまく整合できない。
物理的存在は関係有りません。どちらかと言えば、イデア、論理的存在の方が問題です。
そもそも「自由意思」とは何かを定義した上で、それが決定論の否定に繋がると主張している人はいないようです。
>>858 それは初耳ですね。
今や決定論と言えば物理的な決定論を指していると思いますが、
自由意思はまずなによりも物理的な因果性に囚われないという意味で決定論の否定になると思いますが?
>>859 >自由意思はまずなによりも物理的な因果性に囚われないという
囚われています。本人は気が付かないことが多いですが。
広辞苑には
自由意志−他から束縛されず自らの責任において決定する意志。
とありますが、他から束縛されずという状態は無理だと思う。
責任を放棄して束縛されなくなるというのはあるかもしれませんが・・・*
ただ、自分が決めた事に自分が束縛される。ということだと思います。
決定論は或る事を自分が決めてないからその或る事に束縛されるいわれは無い。
つまり自分には責任が無い。と、*の行に近くなると思います。
>>861 >自分が決めた事に自分が束縛される。
決定論の決定性はこれも含みますし、自分が決めようとする事自体にも、決定性があるというものです。
決定論者は、ミーム的作用も織り込み済みの決定論を主張しています。
>>861 それから「責任が無くなる」と主張する決定論者はいないですし、
非決定論者の勝手な思い込みと飛躍ですので、責任の話を持ち出すのはやめてください。
>>862 言いぬけも程ほどに。あまり度が過ぎると決定論者にとって益になりません。
例え非科学的なものであっても議論を実りあるものにするには、決定性についてある程度は峻別しないと話になりません。
865 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 21:44:55
> それから「責任が無くなる」と主張する決定論者はいないですし
これはいくらなんでも事実に反している。刑法の近代学派など、決定論から自由意志、
責任を否定する主張というのは、たくさんある。
自由意志というのは、脳の指向性のことだと思うのだが。
そのおかげで、我々はフリーズせずに生活できるわけだ。
867 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 21:47:27
また、キリスト教の文脈でも、全能の神がすべてを予知し、計画している
のだとしたら、個人が何かを行うときそれは神がそうさせているのであり、
それゆえ個人には責任はない、という考えをいかにして反駁するかが、
「弁神論」の主要なテーマの一つだったと思うんだがなあ。
868 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 21:50:55
>>845 > 少なくとも自由意志は否定されること実感しているので
この実感っていうのを説明して欲しい。それと、あなたって、
プロテスタントのキリスト教原理主義者みたいに見えるけれど、
そうなの?
869 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 22:04:46
> そもそも「自由意思」とは何かを定義した上で、それが決定論の否定に繋がると主張している人はいないようです。
それもいるんじゃないか? 自由意志の可能性を示すために、大脳の中の物理的過程
の非決定性や予測不可能性を言う香具師とかって、そうじゃないか?
っていうかさー、
決定論って、あるの?
そもそも、これ自体が有り得なくない?
SYNって、どこから決定論的な考えを持つに至ったのか知らないけど、
哲学的なバックボーンについては全く無知のようだね
生物、特に人間という生き物は、常に選択を迫られている。
ボールなら左右どちらかの道に進むのか、物理法則に従うが、
人間の場合、左右どちらの道に進むのか、自分で選択しなければならない。
例えば左を選択した場合、そこにどんな理由があるのか、
はっきりと理由を述べられないこともあるだろう。
そうした選択こそが自由意志と呼ばれるものであり、
特に人間は脳が死なない限り、
そうした選択を一生続けていかなければいけないのである。
1.決定論が正しい場合
決定論者の発言はゲームのキャラが「決定論は正しい」と発言しているにすぎない。よって、私はその発言は信じるに値しないと考える。
2.非決定論が正しい場合。
人の能力には限界があるので、「実際は因果によって起きているが、因果関係を特定できないもの」と「因果に左右されずに起きる偶然」を分けることができない。よって証明することは不可能なので、信じるに値しない。
以上により、1と2のどちらも選ばない。あるいは面白い方をとる。強いて言えば2を選んでパルプンテでも唱えようかな。面白いストーリーなら1でもいいけどね。
874 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/07/31(日) 23:49:58
>>873 >1.決定論が正しい場合、決定論者の発言はゲームのキャラが
>「決定論は正しい」と発言しているにすぎない。
ネット上の情報は全て「イチゼロ信号だけ」です・・ので、
「ゲームのキャラが発言しているにすぎない」と判断するのは、
あなたの「自由」です。・・・所詮どちらも「イチかゼロの信号の集合」
ですから。
>2.非決定論が正しい場合。
人の能力には限界があるので、・・・・よって証明することは不可能なので、信じるに値しない。
別に「あなたが信じること」によって「機械的唯物論が真理であることの最終証明」になるわけでは
ありませんので、ご自由にキリスト教とかイスラム教とかヒンズー教徒かマニ教徒か・・「Ω真理教改め」
とかを「信じて」戴いて結構です。
875 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 23:56:59
> はっきりと理由を述べられないこともあるだろう。
> そうした選択こそが自由意志と呼ばれるものであり、
はっきりした理由がある選択は自由意志とは呼べないと言ってるの?
876 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 23:57:59
>>873 何か、パスカルの賭けのヴァリエーションみたいな話だな。
>>868 私はキリスト教は邪教だと思っています。
>>872 その選択しようとする意識は、脳内の物理的作用で決定されています。
>>873 決定論的世界の中で、見かけの非決定論的世界は存在出来るので、共存すればよろしい。
何にせよ、未来は一つで決まっており、人間の力ではそれを変更する事は不可能です。
この世界の基本原理は人間が作ったものではありません。
イデアから流出している原理を変える事は人間には不可能です。人間は従うのみです。
もし、円周率を有理数に変更できる人間が出てきたら、考えを改めますが。
882 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/01(月) 00:26:16
>>879 「共存」ですか?
所詮「真理など『時の政権政党にすぎない』のだから、『唯一の真理』など、
ありえない」・・という「本音」ですか?
それは「哲学」ではありません。・・・「政治学的手法」にはあるかもしれませんが、
それは「真理のみを最終探求対象とする学問」・・『哲学』とは意味が異なります。
>>882 見かけの上の非決定論的世界を作れることも、また、真理です。
在りて在るもの(=YHWH)は、唯一にして変幻自在で遍在し、八百万の神にもなります。
共存もまた「唯一の真理」の一つの面でしょう。
884 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/08/01(月) 00:36:50
>>880 >イデアから流出している原理を変える事は人間には不可能です。
「イデア」はギリシア多神教の中でソクラテス・プラトンが「定律」し、
アリストテレスが「基督教化」した「諸概念」の「重要部分」ですが、
そもそも「ギリシア・・ローマ・・キリストカソリック教」なんて、
「建造物による大衆の恐喝・こけおどし」だけ・・ですから、「真理」
にはアバウト230度・・「クルリ周り」しているだけです。
つかやっぱ、
決定論って、結果論でしかないだろ。
状態は確定する。
だから、最初から決定されている。
って主張してるだけ。
状態は、確かに確定するだろ。
でも、それが必ずそうなるはずだったとは限らない。
と思う。
>>885 それ以外は原理的に起こりようがないので、決まっているのと同じです。
どうして、それしか確定する可能性がなかったと断言できるのか、
そこが分からないのよ。
>>887 情報は不足しているのだから、見かけの可能性はあります。
小説でも、読んでいる間は結末が予想と外れる可能性が常にあります。その程度のことです。
889 :
でりだ:2005/08/01(月) 01:04:33
過去と未来って同質なの?
過去は決定的で未来は不決定的なの?
>>889 同質というよりも、相対的なものです。
時空座標のどこから見るかによって、対象事象は未来にも過去にもなります。
物の位置が上下左右前後のどこにあるのかというのと似たようなものです。
891 :
でりだ:2005/08/01(月) 01:11:21
>890
なら、過去は決定されているけど未来は決定されていないという
不均等はダメだよね。
過去が決定されているなら未来だって決定されてないとおかしいし、
未来が決定されていないなら過去だって決定されていないでしょ。
過去や未来なんて本当は存在しなくて、
あるのは現在だけなんじゃないかね。
>>892 主体にとってはその通りです。動画の再生ポイントみたいなものですから。
現在の確定状態を基準にして考えると、
すぐ次の未来に起こりえる状態と、
ついさっきの過去に起こった状態は、
単なる可能性にすぎないわけで、
たいして違わない希ガス。
895 :
でりだ:2005/08/01(月) 01:17:13
現在しかないんなら、決定も非決定もないんじゃない?
>>895 「主体にとって」はです。
再生ポイント外は、宇宙ジオメトリがただあるだけです。
897 :
でりだ:2005/08/01(月) 01:25:07
あ、過去と未来って結局記憶の話になるのか……
現在しかないんだから、あとは遡及性の問題だよな。
時間は光速度と距離によって算出されるわけだから
我々が見るものが過去の痕跡でしかないことは決定論、非決定論に関わらずそうであろう。
だが、だからといって、決定論が正しい根拠にはならない
非決定論の余地は十二分にある
決定論は、この世界すなわち宇宙全体がひとつの法則に従っているのかということだ
俺は、この宇宙は"開かれている"という信念をもっている
法則の外側にもなお宇宙は存在し、
いかなる予測や算出にもそれ以外の要因の可能性(算出に使用された条件以外の宇宙の存在)を指摘できる
>>870 物理学と哲学のはざまぐらいではそこそこ論ぜられる論争
アインシュタインは決定論を信じてたらしい
SYNのはコペンハーゲン解釈と同じっぽい(確率解釈の言葉からの推測)
決定論の中でもかなり極端な主張だと思うよ
899 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 09:48:51
決定論と非決定論のそれぞれについてどんな哲学的な説が出されているか知らないまま、
自分は自分の独断的な信念を述べ、反対意見を言うものに対しては「根拠は?」と突っ
かかるだけのスレですね。当人だけは妙に自信に満ちているところなんか、精神病の妄
想に近い。
900 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:14:29
>>898 非決定論って何?どうやって検証するの?
901 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:21:20
検証はできないよ。量子論の不確定性をどう解釈するか、隠れたパラメータ
仮説は反証されたのか否か、なんていう問題と関連はしているけれど、確定
的な答えは出せない。
経験的に検証できる命題じゃなくて、いわば「形而上学」上の主張だね。
>>898 >非決定論の余地は十二分にある
ありません。
>決定論は、この世界すなわち宇宙全体がひとつの法則に従っているのかということだ
違います。非決定論者の間違いは、決定論者の主張を勝手に変えています。
決定論もいろいろあります。主張している側の「決定論」に合わせなければ、意味がありません。
>法則の外側にもなお宇宙は存在し、
>いかなる予測や算出にもそれ以外の要因の可能性(算出に使用された条件以外の宇宙の存在)を指摘できる
私もそうですよ。でも決定論は成立するのです。
例えこの世界がマトリックスであったとしても。
>>899 私は、「仮定」「前提」であると申し上げていますが。
そもそも、非決定論は、決定論を批判しているだけの民主党みたいな存在。
何か主張があるわけではなく、隙を見つけて文句言っているだけで、具体的なビジョンが全くない。
904 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:32:37
>>903 あなたは決定論を前提にしているかも知れないが、
私は前提にしていないし、する必要があるとも思わないけど。
>>904 それとも、民主党みたいに文句言うためだけにこのスレに来ているんですか?
907 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:38:03
言われるまでなく、もちろんそうしているよ。
結局、「他の人が決定論を信じなければならない理由はない」
ということをあなたは認めた、ってことでいいのかい?
>>907 私はそういう勝手に持ち上げた主張を認めることはありません。
私が目指しているのは、完璧な決定論の構築です。
主張に矛盾や間違いがあるなら、そのスレで指摘する事は有益です。
しかし批判するために余計なものを持ち込むのは、非決定論者はスレを荒らすのが好きなんでしょうか。
909 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:44:57
決定論のスレに、決定論への批判や、決定論の無根拠性の指摘を書き込むのは
当然のことだよ。批判を「文句言うためだけ」としか捉えられないんじゃ、困るなあ。
>>909 批判をする前に、相手の主張を理解することですね。
主張する側に役に立つ批判でなければ、スレ荒らしと変わりません。
ここは、決定論スレであることをお忘れなく。
911 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:48:38
昨日から見ているけれど、あなたの言っていることは矛盾だらけじゃないか。
一方で「決定論と責任の有無は無関係」という主張に同意しながら、他方で
「決定論者こそ責任を認める者」だとか「非決定論は責任回避」とか主張し、
その整合性を問われても、きちんと答えようとせず「スレを荒らしている」
なんていう見当違いの非難を繰り返しているのは、あなたの方だよ。
>>911 では、具体的に矛盾点を指摘してください。
913 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:51:37
> 主張する側に役に立つ批判でなければ、スレ荒らしと変わりません。
こんな勝手な要求に従う義務は、私にも他の人にもないよ。
ここはあなたの宗教の宣伝の場じゃないんだよ。
>>911 また、ここは決定論スレなので、非決定論の検証なんてする気はありません。
非決定論なんて論ではないんです。決定論がなければ、存在できないようなものです。
>>913 では、しなければいいでしょう。あぼーんでもなんでもすれば?頭悪いですね。
916 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:54:02
>>922で、すでに一例を指摘しているんだけれど。
> 一方で「決定論と責任の有無は無関係」という主張に同意しながら、他方で
>「決定論者こそ責任を認める者」だとか「非決定論は責任回避」とか主張し
>>916 他人の価値観を認めることと、自分の主張は別です。何にせよ、このスレに関係有りません。
918 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:56:30
>>914 勘違いも甚だしい。哲学板で決定論スレと言えば、当然決定論と非決定論の
検証をする場だよ。決定論信者が自分の信仰を告白する場じゃない。
>>918 非決定論は「論」ではありません。反証もできないような、ただの文句たれです。
920 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 12:58:59
>>917 こんな返答しかしないんじゃ、矛盾点の指摘をしても無駄だってことになる。
「基地外はスルー」って扱いを受けるのを希望しているわけ?
922 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 13:01:16
>>919 勝手な決め付けを断言しても意味ないよ。
「決定論は『論』だが非決定論は『論』ではない」と主張したいのなら、
その根拠を述べなきゃダメだよ。
>>922 では決定論を使わずに、非決定論のスレッドでも立ち上げて主張されたらどうでしょうか。
先ず、決定論と非決定論の検証には何があればいいのでしょうか。
>>924 私の決定論は、タイムトラベルが出来たり、円周率を有理数に変えたり出来れば、否定されます。
926 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 13:07:44
>>924 物理学的に検証できるという意見もあるけれど、実際には難しい。
物理学の理論そのものも、厳密な意味では「検証可能」じゃないだろうし。
927 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 13:11:01
>>925 「私の非決定論は、私が次に何を発言するかについての誰かの予言が的中すれば、
否定されます」というのと同じぐらい馬鹿馬鹿しい。
>>927 予測とは全然関係有りません。
貴方がそう思うのは勝手ですけどね。
私の決定論は宇宙ジオメトリが既に存在するというものですので、
それを変更するような事象が存在すれば、この決定論は矛盾することになります。
929 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 13:18:17
>>928 ともかく、あなたは、自分の決定論は物理学を根拠にしている、と言っているの?
930 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 13:29:19
> 確率論は決定論に立脚しています。確率論が成立するのは決定論の世界です。
あなたは自信たっぷりにこんなことを断言したようだけれど、これも説明してもらおうか。
決定論と両立するタイプの確率論の解釈(主観的確率論など)があることは事実だが、
「決定論的世界でしか確率論は成立しない」なんていう珍説は初耳なんでね。
特に、量子力学の中に現れる確率は私の理解では、主観的確率としてでなく客観的確率、
おそらく傾向性として解釈できると思うんだけど、どうよ?
>>930 解釈できるのは当たり前です。
決定論的世界の中で、見かけ上の非決定論世界は構築できます。だから共存すればよろしい。
932 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 13:43:31
「確率論は決定論に立脚している」というのは誤りだったって認めたの?
>>925 非常に素朴に、タイムトラベルや円周率と決定論の関係がわからない。
あなたの「決定論」を簡単に定義してもらいたいのだが。
恐らく一般的な意味の決定論とだいぶ違うような気がする。
>>932 誤りではありません。立脚していることを知らない人がいるだけです。
>>933 宇宙ジオメトリが存在しているだけと何度も書いています。
936 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 13:52:10
>>934 私は確率論の解釈についてはある程度知っているけれど、
確率論は決定論に立脚なんかしてないよ。
何を根拠にして、あなたはそんなことを断言してるの?
>>936 立脚していることを知らないだけでしょう。
因果律を前提にしていなければ、人間は議論は不可能です。
938 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 13:56:11
結局、「私は知っている。あなたは知らないだけ」といういつもの妄想の垂れ流しだけ?
立脚していることを知っているというなら、それを説明したらいいでしょうに。
>>935 「宇宙ジオメトリ」とは何ですか。今の幾何学は「地球幾何学」なのですか。
それと決定論と何の関係があるのか、タイムトラベルと宇宙ジオメトリと
何の関係があるのか、さっぱりわからない。
>>939 日本語がわからない外人と日本語では議論が出来ないように、
わからない人とは議論できません。批判するならば、わかるようになってからにしてください。
>>940 いえ、そう言われましても、このスレを検索した限りでは
「宇宙ジオメトリ」とは何なのか、タイムトラベルと何の関係が
あるのか、説明は何もないようなのですが…
>>941 そんなことまで説明しないとわからない人を対象としてはいないので。悪しからず。
943 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 14:06:45
SYN ◆Dgc0R/.dgcっていう人は、論理的に議論することを相手には要求
するけれど、相手から説明を求められたり論理的な批判を受けたりすると、
こんな答えしかしない人なんだね。
>>940も「カルトの中の人としか議論
できない」という意味に解釈したほうがいいんじゃないかな?
>>943 人にレッテルを貼って、同意を求めていないで、
貴方がそう思うのなら、個人的にあぼーんすればいいのではないでしょうか。
その程度の判断も自分ではできないような人なんですか。
>>942 いや、「そんなことまで」といわれても、「宇宙ジオメトリ」などという
言葉は初耳です。ためしにグーグルで検索してみましたが、1件しか
ヒットしませんでした(明らかに別の文脈)。
このスレであなたと議論している方はみなさん「宇宙ジオメトリ」とは
何なのか理解しているのですか。どうもそうは思えないのですが。
(
>>1にある「超・大統一理論」のことなのでしょうか。)
恐らく、「決定論」とは何かについて共通の理解がないから
議論がかみ合わないという面が大きいように思えます。
私の目的は
>>661であって、ここでいきなり決定論で終結しては意味がないのです。
ツッコミどころは作りますし、断定的に主張するのもこのためです。
947 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 14:14:13
だから、もう多分「あぼーん」(←よく意味がわからないまま使っている)してるよ。
>>943は、他の人が無駄な労力を使わないで済むよう、他の人に向けて書いているだけ。
決定論はあくまで仮定、前提です。
自分の時間が世界の中心でも、最前線でもありません。時空は相対的なものです。
「時間の瞬間」というのも自己にとってはそうですが、観測する世界は常に過去のものです。
8分前の太陽を見て、1秒前の月を見て、10億分の1秒前の隣人を見ているわけです。
自分以外の未来は既に先に進んでいます。
自己が認識できるのは自分いる場所と瞬間だけで、独我論でないならば、
自己のいる時空以外にもあらゆる時間と空間は既に存在しています。
未来も過去も一つしかありません。神が作った法則、制限には誰も逆らえません。
円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。
哲学的に考えるなら、円周率を変えられたり、世界が1秒前に出来た可能性、自分以外は
仮想現実であるシミュレータの可能性など、いくらでもあると思います。
でも現実には、そんな想定をしてても幻想世界を楽しむ以外何もないでしょう。
「決定論」は過去が存在する程度に、尤度の高い仮定だと思います。
949 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 14:27:10
>>948を読めば誰でも判るかもしれないけれど、この人にはいくつかの
変更不可能な「信仰箇条」みたいなものがあって、それはもう絶対的
な前提なんだな。だから、論理的な議論と言うのも、それらの前提を
整合的に理解するためにためだけ使われるのであって、それらの前提
を疑わしめるような議論は、もう自動的にシャットアウトされる・・・。
「決定論はあくまでも仮定」と言いながら、同時に「二度とこの世に
非決定論や自由意志が立ち上がってこないようにするが目的」なんて
普通言えないでしょ? 「俺が『仮定』していることを、全人類に
『仮定』させることが目的だ!」なんて・・・・・・。
>>949 >>642を書いたものですが、私の言った「人の意見に耳を傾ける気が一切ない」ってのは、
>この人にはいくつかの
>変更不可能な「信仰箇条」みたいなものがあって、それはもう絶対的
>な前提なんだな。だから、論理的な議論と言うのも、それらの前提を
>整合的に理解するためにためだけ使われるのであって、それらの前提
>を疑わしめるような議論は、もう自動的にシャットアウトされる・・・。
まさにこのこと。
このことは、このスレ覗いてる全ての人に理解してもらいたい。
結局この人には、
>>642で言ったとおり
「主張を一通り把握したあとは、ヘタに反論したりせず放置」
という対応しかしようがないんですよね。
951 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 14:54:43
でも非決定論や自由意志はどう考えてもオカルト。
物理法則に従わない意識なんて幽霊みたいなものあるわけないだろ。
選択の自由なんてない。
952 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 14:58:34
物理法則に従わないんじゃないよ。
物理法則は、未来に起こり得ることを一つに決定しない、
と考えるのが非決定論。
953 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 14:59:56
それと、決定論と自由意志や選択の自由は両立し得る。
954 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 15:40:10
>>952 なぜ決定されないの?
そこに意識が作用できないなら、事実上決まっているのと同じだと思うが。
955 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 15:40:39
>>953 それが見かけの自由感というやつでしょ。
SYNは非決定論も考えた上で、両方の共存を言っていると思うが。
225 名前:SYN ◆Dgc0R/.dgc 投稿日:2005/07/26(火) 22:23:40
>>222 決定論的世界の中で、見かけ上、非決定論的世界が作れるため、
当然こういうことが起こると思います。
「決定論的世界の中での、見かけ上の非決定論的世界」という考えを持てば、
非決定論者も決定論者も共存できますが、
多くの非決定論者は間違っているだけでなく、排他的なのが困ります。
534 名前:SYN ◆Dgc0R/.dgc 投稿日:2005/07/29(金) 01:09:10
また、決定論、非決定論に関わらず、自由意志は存在しません。
非決定論の場合、意識は自分の意志とは関係のないデタラメによって自由でないだけ、
決定論の場合、意識は神の作ったとおりにトレースしているだけということになります。
少なくとも顕在意識は何も選択していません。すべて潜在意識が判断しています。
どちらにせよ、人間には自由意志など存在しません。見かけ上の自由な感じがあるだけです。
957 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 15:52:33
人間なんか宇宙から見たら、蛆虫か蟻みたいなものだろ。
生命も機械的に動いているだけ。自由意志なんてあるわけないよ。
958 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:07:14
>>955 見かけ上の自由観っていうのとは違うだろ。
決定論の枠内で自由意志を考える人は、簡単に言えば、
自由=内的な原因による
不自由=外的な原因による
みたいな考え方だな。
>>956 共存じゃない。
非決定論が決定論に「隷属」してんの。彼の見方では。
960 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:12:06
>>954 決定論やその否定というのは、一つの物理状態から起こりえる次の瞬間
の物理状態が一つしかないのかどうかという問題だから、「意識がそこ
に作用できるかどうか」は関係ないと思うが。決定論だろうが非決定論
だろうが、現在の私の意識が未来のできごとに作用できることは、当然
認めるわけだし。
>>954 物理法則が確率的な記述しか与えない場合を考えろ。
意識とかの問題じゃない。
>>959 隷属でも問題ないと思うが。結果は同じだろ。
>>960 でも、実際一つしかないじゃん。決まっているが、知らないというだけの気がする。
>>962 何が同じなんだかさっぱりわからんが。
SYNにとって決定論は絶対。非決定論は幻想。
反対するほうにとっては、決定論のほうが幻想。
共存などとは程遠いなw
965 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:19:08
>>961 何もかも記述できると思ってるのか?
記述できるものが本質ではないだろ。
966 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:20:42
自由って、どっちでもいいことをサイコロを振って決めるみたいな理由
も内的な必然性もない選択のことではなくて、外的な強制ではなく自分
の価値観や人生観から必然的に決定されることを行えるってことだろ、
と両立論者は言ったりするな。
>>965 なんとピンとはずれなツッコミを。
いまは物理法則の話をしてるんだろ。
物理法則が記述以外の何物だっていうんだ
>>964 いろんな考えがあってもいいと思うが。
俺は非決定論は幻想だと思う。
>>968 誰も人がそれぞれの意見を持つことを否定などしていない。
俺が言ってるのは、SYNの意見で決定論者と非決定論者が「共存」など
できるはずかないってだけのことだ。
970 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:24:25
>>963 仮に実際に起こりえることは一つしかないとしても、
「もし私がそうしようとしなかったら、それは起こらなかっただろう」
っていう条件法の条件文がなりたつなら、
それだけで私の意志がその出来事を引き起こしたことになるでしょ?
決定論の枠組みの中での因果関係って、すべてそういうものだし。
971 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:24:27
>>967 因果律に物理は関係ないだろ。物理は単に観測結果の一つ。
>>969 それはお前がそう思っていればいいんじゃないの?俺は共存できると思うが。
決定論と共存できないなら、決定論スレに来る必要ないだろ。
>954
>なぜ決定されないの?
>そこに意識が作用できないなら、事実上決まっているのと同じだと思うが。
決定論は意識の物理への作用を認めないだろうか?
いや、認めるだろう
ある人が「彼がそれを欲するから」という理由で行為を行うことを認める
しかし、そのような意識の作用もまた、物理的な関連性から切り離されたものではないと主張するだろう
非決定論はそのような関連性と切り離された意識の存在を主張するのではない
この宇宙全体がひとつの法則として成立していないことを主張する
ある対象の決定性を決定論者が法則から導き出すならば、
非決定論者はその法則で記述されていないものと対象との関連性を指摘できる
いかなる法則も宇宙全体を記述できない
物理法則は何を予言するのだろうか
物理法則は普遍的(法則なのだから当然そうなのだが)な内容について語るが、個別な対象については語らない
・そのような個別な対象を支配するような法則が存在し、条件がそろえばいかなるものも(原理的に)予測可能である
これが物理学によくある決定論の主張だ
現実に予測が不可能であることは明白となったが、「原理的には可能である」という信仰は未だ多くある
「予測が原理的に不可能である」というのが非決定論の主張となる
俺は非決定論者だが、世界を決定論的に解釈することも非決定論的に解釈することも可能であると考えている
また、決定論の論争や確率の解釈論争も新しい知識を与えてくれる有意義なものであると考えている
>956
>SYNは非決定論も考えた上で、両方の共存を言っていると思うが。
それはない
彼は非決定論を考えていない
まぁ、論証や根拠付け以前の問題で俺は拒否反応を起こすが
>非決定論は「論」ではありません。反証もできないような、ただの文句たれです。
>円周率の値を変えることが出来る人間が出てきたら、認識を改めますが、その可能性は0でしょう。
ここらへんはひどいと思うけどね
自分の理論を反証可能性がないと認めてるようなものだ
>>971 ハァ?
何を勝手に話を広げてるんだ。
>>951-952で物理法則の話になってたから、
その流れに沿って
>>961で物理法則に関する
ツッコミを入れたんだろうが。
なんでいきなり因果律なんか出てくるんだ?
勝手に話を自分の好きなほうに引っ張るなよ
>>970 決定論は「私がそうしようとしなかったら」というのに原因があるとしているんだろ。
歴史にifがないのと同じで、人間の意志にもifなんてないよ。
977 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:28:39
「決定論者は真実を知っていて、非決定論者は妄想を抱いている」みたいな
見解でも、「決定論と非決定論は共存できる」論の一種になるのか?
>>974 >彼は非決定論を考えていない
俺は考えていると思うよ。お前みたいに決め付けていないし。
979 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:32:22
>>976 それ違うよ。そうだとしたら、決定論では
「出来事Aが出来事Bの原因である」と言えなくなってしまう。
AもBも必然的に起こることだとしても、
「もしAが起こらなかったら、Bも起こらなかっただろう」
という仮定法の条件文は主張可能だよ。
>>978 彼なりには考えているのかもしれないね
悪いが、俺は昔から本を読まない人間は嫌いなんだ
981 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:33:55
>>979 条件文は真偽に関係なく書く事は出来るが、でも現実は一つしかない。
>>981 俺はどれとどれがお前のレスなのかなど見当もつかん。
お前が何の話をしていたかなどどうでもいいことだろうが。
俺はただ、
>>951、
>>952、
>>954と明らかに「物理法則」に関する流れに
なっていたところで、「物理法則」に関するレスを
>>961でしただけなのに、
なぜ「物理は関係ない」などと言われて非難されなきゃならんのだ?
そのへんきっちり説明してくれや。
現実は一つしかないという考え方は実在論とどう違う?
985 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:41:05
>>982 だから、「現実は一つしかない」ということは、個別の出来事間の因果関係
も、意志が原因になって出来事が生じることも、否定しないってことでしょ?
だいたい、「私がどのボタンを押すか決定されているとしたら、『ボタンA
を押せば電気がつき、ボタンBを押せばエアコンがつく』と言えなくなる」
なんて馬鹿げたことを言う香具師はいない。ボタンを「意志」に置き換えて
も話は換わらないと思うが?
986 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:43:14
>>984 決定論=未来についての実在論、ってこと?
命題論の「明日の海戦」の議論でそんなのがあったなあ。
987 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:43:31
つーか、決定論か非決定論かなんかどうでもいい。どちらも矛盾してないし検証できない。
どちらでも自由意志はないんだし選択の自由もない。
988 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:44:50
>>987 前半はいいけど、後半の断定はいったいどこから出てきたの?
990 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:53:11
「自由意志はない」って断定する人って、「自由意志=不動の動者」
みたいな奇怪な前提に基づいて、「それはあり得ない」と否定している
だけの場合が多いんだが。そうまでして、「自由は錯覚だ」と信じたがる
心理的な理由にちょっと興味がある。
>>988 自由意志なんて存在も証明できない。悪魔とか幽霊みたいなもの。
992 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:56:04
>>990 実際、錯覚だろ。錯覚でないものなんてないぞ。
993 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 16:59:36
変な人だな。存在が証明できないというだけで「存在しない」という断定になるの?
たとえば、あなた以外のこのスレの発言者の存在は証明できるの?
994 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 17:01:07
>>992 ええと・・・・・・「すべては錯覚である。故に自由意志も錯覚である」ってこと?w
995 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 17:06:03
996 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 17:08:37
決定論は否定することが出来ないで終了だろ。
998 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 17:20:56
>>997 因果に反する現象があれば否定できる。まだ一度も観測されたことがないし、今後もないだろうけど。
決定論も非決定論も、証明も反証もできない、というしかないと思います。
反証可能性がない以上、ある種の「態度表明」ないし「信仰告白」しか
ありえないので、議論しても無駄としか思えませんが。
「因果」の意味が全くわかりません。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。