◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない38◆

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952考える名無しさん:2005/07/23(土) 04:53:59
>>949>>951
ならば、どう考えても正解はCしかありえない。
故に機械的唯物論は正しい・・・それでいいのか?
953考える名無しさん:2005/07/23(土) 05:04:35
>>534
おまえは結構可愛そうかもしれない。
俺は母親の溺愛をウザイなと感じ始めたときに自我が目覚めた。
そんなになめんなよ!
あつくるしーんだよ!
等々・・だが、
もっと愛してよ・・とかもっとスキンシップしたいとかは無かったな。
もっとも今飼っている猫が「もっとスキンシップ」とすり寄ってくると
かわゆい奴・・だと思って許してしまう・・もともとは犬派なんだけど。
954考える名無しさん:2005/07/23(土) 07:18:50
>>948
>因果律(原因によって結果が決定する)を信じることが我々の理解力のもとです。

そうですね。
因果律は思考の形式として有効でしょう。
しかし、個々の因果の法則は経験から帰納されたことであり自然法であるかは
疑わしいでしょう。
因果の法則にとらわれてそれに振り回されることは知恵のある方法とはいえないでしょう。
「風が吹けば桶屋がもうかる」をいまだに信じて桶を作り続けても金儲けはできないでしょう。
因果律も人間が仮に設定したことであり「律」に縛られないのが自由でしょう。
「法」に従うのはよい結果をもたらすこともあるでしょうが「律」はいましめとして
各自が承知しておけばすむ事柄でしょう。
955哲子:2005/07/23(土) 08:03:55
>>954

追伸

>「律」はいましめとして

 戒律のことだけを想起していましたが、もちろん「規律」
や「法律」の「律」もあり、これらは社会秩序を維持する
「きまり」ですね。社会契約として受け入れる事柄でしょう。
956哲子:2005/07/23(土) 08:14:13
>物質が法則に従い動くという現象のどこから意識を導くんですか?

「物質が法則に従い動く」と認識すること、それが意識です。
「物質が法則に従い動くという現象」を認知すること、それが意識です。

957考える名無しさん:2005/07/23(土) 08:32:38
>>951
c.意識がある物質とない物質と存在する(もしくは意識の数は有限である)

が「機械的唯物論」であるわけがないだろ。
「意識がある物質」の物質と意識の関係については何も言っていないんだから。

958運命論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/07/23(土) 08:35:25
「風が吹けば桶屋が儲かる」とうのは決定論と関係ないです。
959哲子:2005/07/23(土) 09:12:12
「風が吹けば桶屋が儲かる」は因果律にしたがう命題です。
因果的決定論は因果律を必然とする決定論です。
無関係であるはずないじゃん。
960考える名無しさん:2005/07/23(土) 10:20:23
>>951 何で唯物論ならすべてに意識は無いなんだよ
それは馬鹿の好きなタダモノ論ではないか

 おまえは唯物論には無知だ
961考える名無しさん:2005/07/23(土) 10:21:33
夏厨
962考える名無しさん:2005/07/23(土) 13:25:23
  唯物論はまず物をありのままに見るから、意識のかけらがある動物は意識のかけらがある
はっきりした意識がある高等動物ははっきりした意識があるとありのままに見るのが基本

 人間をありのままに見るとその意識はどうなってるのだろうというのが唯物論の基本疑問だ

 あるものを無いとしたり無いものをあるとするのを観念論という
963運命論者として一言@別PC:2005/07/23(土) 13:32:48
では観念はあるんですかないんですか?
964主よ、永遠に愛と夢を ◆Pr17GXUZvo :2005/07/23(土) 13:37:56
むしろそれは現象学ではないですか?

幽霊はいますか? いませんか?
965運命論者として一言@別PC :2005/07/23(土) 13:41:54
>>964
あなたは「幽霊は在る」と思いますか?
これは難しい問題だと思いますが。

「科学的には無い」とはどういうことを意味するのか?
心理的実体とは何か?
幽霊「現象」は在るのか?
幽霊という「物体」は在るのか?
966主よ、永遠に愛と夢を ◆Pr17GXUZvo :2005/07/23(土) 13:46:27
>>965
幽霊という現象は在る。
幽霊という観念も在る。
幽霊という物体は無い。
967考える名無しさん:2005/07/23(土) 13:58:07
幽霊の正体(実体)は枯れ尾花だよん。
968考える名無しさん:2005/07/23(土) 14:05:22
>>962 もちろんありますよだれでもあると知ってるじゃないですか
第一世の中には観念論さえあるといってるのですよ、観念が無くて観念論はあるとでも言うと思ったのか
キミは馬鹿幼稚な質問するやはり唯物論に無知な人なんだね
969考える名無しさん:2005/07/23(土) 14:09:24
あの月は見る人がいなければ存在できないんだってさwwwww
970考える名無しさん:2005/07/23(土) 14:10:36
  極簡単に言うと観念はどこからきてるのかということを論じるのが唯物論
神経があるから観念が発生するというのは馬鹿の好きな馬鹿唯物論
971ハル:2005/07/23(土) 14:14:26
>>957
もし「意識は社会的現実を決定するもの」とするとどうとでも言えますから汎心論もタダモノ論も成り立つでしょうが、
まず人間が存在する、そういうのに意識がある、そういうのだけに意識があるとなる。
これが、意識がクオリアのみに存在するとすることでc・・・となるのではと思ったのだが。
>>960
そう。確かに自分の間違いだった。タダモノ論だ。
唯物論は確かに意識は考えられている。弁証法的なものは特に。
972考える名無しさん:2005/07/23(土) 14:22:34
>>962
>唯物論はまず物をありのままに見るから

いや、意識は「見え」ないから問題なわけで。

973考える名無しさん:2005/07/23(土) 14:32:24
>>970
>観念はどこからきてるのかということを論じるのが唯物論

そんなわけなかろ。
観念はどこからきてるのかと論じた結果、「究極的には物質から
きている」と考えるのが唯物論だ。
「神経があるから観念が発生する」というのも、無論立派な唯物論。
というか、そう考えない唯物論者などいないと思うが。
974考える名無しさん:2005/07/23(土) 14:34:38
>>969
m9(^Д^)プギャー!!
975ハル:2005/07/23(土) 14:41:33
形式を集めた結果物自体に到達できるのか。
到達できるとすると弁証法的に唯物論となるだろうが。
976運命論者として一言@別PC :2005/07/23(土) 15:19:22
>>968
観念があるなら観念について考える観念論が成立して
めでたしめでたしです。
977考える名無しさん:2005/07/23(土) 15:46:44
>>973 世界にはいるんだなあ、物質でなくて物資なんだよ、つまり物資を中心とする生活実体
が実体でそこから観念その他が生まれてるとする

 日本では異常に物質となってる、つまりレーニンロシア教の範疇なんだなあこれが
レーニンは唯物論ではクソだ、日本で唯物論といえばレーニン、それは世界は特異なんだよ
978考える名無しさん:2005/07/23(土) 15:49:31
訂正 >それは世界は特異なんだよ
ーーー>それは世界では特異なんだよ

 >>973 馬鹿唯物論で無ければ観念の中身を問題にするんだよ
みんな無知だなあ
979考える名無しさん:2005/07/23(土) 15:52:52
そろそろ釣りにつき合うのは止めようか。
980考える名無しさん:2005/07/23(土) 15:54:10
  特に唯物論は他人が信じてるものとしてる無責任者は決まって物質が根源と片付ける
ほんとの唯物論者はのが物質ならそれがどうしたと思ってるよ、なんにももそれからは出ないだろう
981考える名無しさん:2005/07/23(土) 15:55:59
 このスレはほんとの唯物論については大方が無知のままスレがおわってしまうそれはわかってるのさ
でも無知の知というからね
982考える名無しさん:2005/07/23(土) 16:01:19
>>975 
 物自体がどういう本質があってどうのこうのというのは観念論
唯物論では生活実体と物の関係から物に意味が生じると明快
983考える名無しさん:2005/07/23(土) 16:02:50
  要するに唯物論はタタダモノ論じゃ無いんだよ
984考える名無しさん:2005/07/23(土) 16:03:20
次スレは、いらんでしょう?
985運命論者として一言@別PC :2005/07/23(土) 16:07:57
>>966
現象-観念(or概念)-物体の3つの次元があるということでしょうか?
986運命論者として一言@別PC :2005/07/23(土) 16:12:11
私は、

・一元論にすると説明ができなくなる(言語の問題か?)。
・複元論にすると分割(事分け)の妥当性の問題が生じる。

というジレンマがあるように思います。
特に「分割には何通りもあるのではないか?」と思います。
987ハル:2005/07/23(土) 16:18:00
>>982
その実証的なものはそのままでは経験主義的になってしまう。
唯物論の優位を説明するためにはそれが弁証法的にアプリオリになると言わなくてはならない。
それはないとするのが観念論でしょう。
今現存しない観念が何かを作れるといい、それを優位と見るのが観念論。
本質(物自体)による「説明」を優位と見たのが唯物論でしょう。
これは「本質」と「それから与えられる方法」の連関をどういうように認めるかの問題でしょう。
988考える名無しさん:2005/07/23(土) 16:35:43
>>987 れんぞくとうこうでとうこうできなくなったが
マルクスは可燃から新しい唯物論を作ったと自分で自覚してるだろう

 唯物論でのマルクス研究者は観念と物の優位性の問題でなくて(それは鶏と卵)その「一方的では全然ない」「関係性」の構造に興味があるといってるのみたい
989考える名無しさん:2005/07/23(土) 16:44:51
>>988
 たとえばアメリカは「自分らと石油の関係から」ある程度フセインは、極悪であるという観念上の像が出来たということを認めないわけですよ
観念は独立でそれ自体で実体だと感じてるから戦争にいった
ここで僕の言う実体は物と観念の中間、生活という実体だ
990ハル:2005/07/23(土) 16:58:59
>>988
現代では「本質」=「理解(形式+内容=矛盾)」でアプリオリになるという風に読み取っているような気がします。
ただ、それは唯物論なのだろうか?そもそも「物」とは何か?
991ハル:2005/07/23(土) 17:09:52
>>986
現実的な形式的手段では多元論だが、その根源のこの世界は一元的であるとしないと議論自体成り立たないですからね。
992運命論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/07/23(土) 18:02:48
>>991
そうですね。

ところで観念論は「観念が何かを作る」という機能を認める
ことなくとも成立すると思います。結局、観念論は表象論と
言ってもいいのでは無いでしょうか?
993運命論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/07/23(土) 18:06:35
すみません。「表象論」は不適切ですね。
994運命論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/07/23(土) 18:08:54
私も「唯物論」と「観念論」の対立は「世界像」の点において
ではなく「世界解釈」の点において存すると思います。

「表象と物自体のどちらが本質なのか?」という対立です。
995考える名無しさん:2005/07/23(土) 20:41:01
  僕の言ってる唯物論は、人間の生活という実体と物自体双方と両者の関係性が根源だといってるのです

 こうとると一元論になります、ちょっと論としては入り組んでるが実際ほんとの唯物論はこの立場です

 観念が物を作るか、その造るもとの観念は人間の状況と環境から作り出されてるか、というとすべて観念は環境からだけではないと昔からいわれてます
だが人間が思うより相当深くというか多く状況と環境に’(アメリカの石油のように)つまり生活の実体と生活物資から観念がうまれてる事が多い
人間は多くそれに気づかないことが多いというのです
996考える名無しさん:2005/07/23(土) 21:35:33
で、それが決定論論争とどう関係してくるんだ?
997考える名無しさん:2005/07/23(土) 21:40:22
スレが主題から離れつつある気がす。
998哲子:2005/07/23(土) 21:44:08
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999ハル:2005/07/23(土) 21:58:34
弁証論的唯物論の場合は「一つの内容(もしくは本質)」に「複数の使用形式」を矛盾として意味を持つと考えてますから、一応は二つを合わせようとする試みの点では合っているとは思います。
ですが、現実的に「複数の使用形式」のほうが「物」という言葉のせいか重視されていて、言葉以前のものに対しての理解が不十分であると思います。
「物」が「手段」として扱う態度が一般にあるのでそれがなかなかややこしくさせていると思うのですが・・・。

環境については、物にブラウン運動のような自立性(人間で言う「観念」)が認められる以上は物に対しても人間のような観念論は成り立つでしょう。
1000考える名無しさん:2005/07/23(土) 22:00:54
1000ゲッツ!
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