◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない36◆
人間の脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。
しかし、脳内には物質以外の「何か」がある(筈)と考える人が居ます。
・・それは願望思考・自己欺瞞という「観念論的誤謬」です。
人間の脳を構成する千億個の神経細胞は軸索を伸ばし、突端から
分泌する神経伝達物質で、他の神経細胞に情報を伝えるだけです。
勿論、脳内には核分裂のような原子核反応もありません。
分子生物学と生理学の対象分野「分子レベルの現象」が全てです。
「この宇宙」で人間の脳だけが「特殊な物質」であるとする科学的根拠は
全くありません。人間の脳も地球上における「物質の進化」の一過程に
すぎず、人間の脳が造り出す『意識』も何ら「特別」ではありません。
『意識』は『クオリア』を持つ動物全部に生成する現象です。
「何を思うか何を意志するか」は、あらかじめ物理・化学法則により
決定されております。自由(意志)感は文字通り『感じ』にすぎません。
量子論の「不確定性」は意識には何の関係もない「単なる観測問題」です。
以上が「超・大統一理論」=量子論と相対性理論の統一後に残存し得る
『唯一の最終真理(思想)』の輪郭です。全宗教全観念論は徒労です。
前スレ
◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない34◆
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1116006730/l50
4 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 16:31:09
>>前スレ994 >人間と同じ事を実現しようとしたら、同じにしなきゃならんだろ? 「機能的に同じ」でいいなら、必ずしもオリジナルと同じでなくてもいいんです。 「空を飛ぶ」という機能を実現するのに、人間は「羽ばたき」を採用しないで、 プロペラやジェットを使いましたよね。 「計算」という機能を実現するのに、人は生体細胞を採用しないで、 半導体を使いましたよね。 同じように、精神の機能を実現するのに、必ずしもなにからなにまで ヒトの精神と同じでなくてもいいわけです。 客観的に測定できるアウトプットが同じなら、中身にはこだわらないのです。 それが機能主義というものです。 >精神とは人間の精神なんだよね? 今のところ精神があると見なされるのは人間だけですね。 でも必ずしも人間でなければならないのか(さらに言えば生物でなければならないのか) というのは誰にもわかりませんね。 >じゃあ人間の精神を研究しなきゃいかんのではないかい? してる人は山ほどいますよ。 そういう人たちの研究の成果を踏まえて、ロボット製作の研究も進むわけです。 >精神を無視して、動きだけを真似したロボットは、文字通り、動きを真似したロボットだ だから、だれにも見分けがつかないほどうまく真似ができれば、 それは精神を持っているとみなすんだ、そういう意味で「精神」という言葉をを使ってる人がいるんだ、 ということを説明したんつもりなんですがねぇ… 「チューリングテスト」という言葉を知ってれば話が早いんですが。 >精神を作って初めて精神と言えるのだから、精神を解明せにゃならんのは当たり前の道理だと思うが? 意味がよくわかりませんが、それはたぶんあなたの思い込みでしょう。 >では、なぜ私にばかりレスを送るのかな? 今のところ「精神を作れる」って言う人が出てきていませんので。
5 :
bbs :2005/06/08(水) 16:31:54
脳が人間を作ったのか、それとも人間が勝手に自らを脳に規定しようとしているのか。 この問題はそのままでは堂々巡りで結論が出ませんね。
6 :
考えるコテハンさん ◆zR/bBaPU1w :2005/06/08(水) 16:38:35
とりあえず、「精神」を定義しないといけないと思う。
最高位はなんだか、やたらと「精神」が自由意志をつかさどっているものとし、
また生命にしか存在していないものとしているけれど、その根拠一切なし。
>>4 >今のところ「精神を作れる」って言う人が出てきていませんので。
それじゃあ私が主張しましょう。
「精神は物質で作れます」
どなたか反論よろしく。
7 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 16:41:00
>>6 >それじゃあ私が主張しましょう。
>「精神は物質で作れます」
>どなたか反論よろしく。
機能主義的な意味で言えば、まあたぶん作れるでしょうね。
特に反論もないかと。
それ以外の意味で言ってるなら、あなた自身のおっしゃるように、
「精神」の意味を定義しないと意味がないですね。
8 :
参考 :2005/06/08(水) 16:50:20
989 考える名無しさん sage 2005/06/08(水) 15:53:31
>>987 恐らくあなたに反論してる人たちは、精神というのを機能主義的に考えていて、
思ったり考えたりする「はたらき」のことを精神と呼んでいるのでしょう。
だから、例えばロボットを作って、そいつが人と同じように計算したり、
推論を働かせたり、言葉を喋ったりすれば、「はたらき」としては人間と同じことが
実現されているのだから、それは精神とみなしてかまわない、ということになるわけです。
何度も言っているように、<私>という立場に立って、<私>の感じたり体験したりしているものを
精神と言っているわけではないのです。
他人を観察して、その人が、自分が精神活動を行ったときに生じるアウトプットと
同等のものを出力していたら、その人は私の精神活動と機能的に同等なものを
持っていることになるから、その人は精神を持っている、とみなすわけです。
あなたは勘違いしやすいようなのでしつこく言っておきますが、
別に私はあなたの言う「精神」の意味が間違ってる、などと言っているのではありません。
あなたが相手にしている人と、あなたとでは「精神」を違う意味で使っているのだ、
ということを言っているだけです。
9 :
参考 :2005/06/08(水) 16:51:11
994 哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo 2005/06/08(水) 16:15:09
>>988 わけわからん事を言われて、それを理解してやろうとしたら教えてもらう以外ないだろ
アホか
>>989 人間と同じ事を実現しようとしたら、同じにしなきゃならんだろ?
普通の理屈だと思うが??
精神とは人間の精神なんだよね?
じゃあ人間の精神を研究しなきゃいかんのではないかい?
精神を無視して、動きだけを真似したロボットは、文字通り、動きを真似したロボットだ
精神を作って初めて精神と言えるのだから、精神を解明せにゃならんのは当たり前の道理だと思うが?
間違い?
こんな説明は、私は何度もやっているのだが、どこが間違いなのかハッキリ答えて欲しいね
>別に私はあなたの言う「精神」の意味が間違ってる、
>などと言っているのではありません。
>あなたが相手にしている人と、あなたとでは「精神」を違う意味で使っているのだ、
>ということを言っているだけです。
では、なぜ私にばかりレスを送るのかな?
私は、同じテーブルにつけるよう、再三、説明しているのだが
理解しないのは向こうの方なんだよ
動き似せたって精神じゃない と何度も言っている
少なくとも、人間である私の精神とは異質なものだ
反論するなら、彼らは、まずそれを否定しなければならないのではないかな?
私にばかりレスするという事は、私の側に訂正の必要ありと判断するからではないのかね?
違うのなら、他の人にも説明したまえ
10 :
参考 :2005/06/08(水) 16:51:28
996 考える名無しさん sage 2005/06/08(水) 16:23:30
>>989 > あなたが相手にしている人と、あなたとでは「精神」を違う意味で使っているのだ、
> ということを言っているだけです。
両者ともに普通に同じ意味で使ってると思うが。
違うのはその「精神」が物理現象かそうじゃないかあたりが違うみたいだが。
11 :
参考 :2005/06/08(水) 16:51:46
997 考える名無しさん 2005/06/08(水) 16:23:35 「動きを似せる」んじゃなくて、 「自分で感じて考えて自分の意志で動いているとしか思えないような 動き方をさせる」ということでしょ。 そういう動き方をしていたら、人間でも猿でもロボットでも「精神がある」と みなすしかないでしょ。他人に精神があると思うのも、そういう理由でしょ。 唯物論者は「精神は脳の機能の産物だ」と考えているから、 脳を研究すれば、そういう動き方をするロボットを作ることもできる、 と考えているわけでしょ。できるかどうかは、今のところはわからない。 なんでそんな簡単なことがわからんの。
12 :
考えるコテハンさん ◆zR/bBaPU1w :2005/06/08(水) 16:57:23
>>7 まあ精神と言った場合、精神活動(精神の機能)という意味合いが強いですから、
機能主義的な意味という事です。
最高位先生、機能主義的な意味合いでも精神の作成を否定していたような・・・。
いくら精巧に作ったロボットでも、何故か動かないかも知れない、とか言って。
じゃあ〈私〉も定義してみますか。
「〈私〉とは、自らを自らが考察するという行程において考えられる、自らの存在性のことである」
この時点で、〈私〉はそこに存在する以上のものでなく、
自由意志を持つという事は証明されておらず、
はたまた物理現象「でない」という証明もなされていませんね。
せいしん 1 【精神】 (大辞林より) (1)人間の心。心のはたらき。 「健全なる―は健全なる身体に宿る」 (2)物事に対する心の持ち方。気構え。気力。 「そういう―では成功はおぼつかない」「―を集中する」「スポーツマン―」 「姨(おば)さんの頼なら…火水の中へでも飛込む―だ/金色夜叉(紅葉)」 (3)物事の最も根本的な意義。真の目的。理念。 「憲法の―にもとる」「教育基本法の―にたちかえる」 (4)〔哲〕〔英 spirit; (ドイツ) Geist; (フランス) esprit〕 (ア)(物質・肉体に対して)心・意識・霊魂など。 (イ)心の本質・本体。感覚や情念などのはたらきとは異なる高次の普遍的 性質をもち、理性・理念・意志・愛などの主体となる一方、非個人的な実体 として世界の秩序やその形而上学的原理ともされる。 ――一到(いつとう)何事か成らざらん 〔朱子語類〕精神を集中して事に当たればどんな難事でもできないことはない。
>>6 >「精神は物質で作れます」
じゃあ、控えめに反論。というか疑問。
そこで実現されている機能ははたして「精神」の機能なのか?
あるいは(同じことだけど)、
精神の機能が実現されたからといって、はたして「精神」があるとみなすことが我々に「できる」のか?
>>14 >精神の機能が実現されたからといって、はたして「精神」があるとみなすことが我々に「できる」のか?
機能が実現されたら、精神があるのとないのとどうやって区別するんだよ。
16 :
bbs :2005/06/08(水) 17:10:14
あるポイントを突き抜けた情報、これが主観によって感じられる情報ですね。 ところが、この認識方向はまるで心臓の弁のように一方方向で主観によって感じられたという情報は少なくとも直接的には得られません。 なぜならそうしないと複数の主観が重なり合うという現象が起こるからです。 しかし、私の主観は唯一です。よって「観測」という情報は一瞬でどこかに消えてしまいます。 後に残るのは観測した「かもしれない」という可能性だけです。 そしてそれは物質が代弁しています。 私は物質ではないと言えるかもしれません。 しかしそれは認識不可能な主観性のみでありそれにそれ以外の情報はつきません。 「無」の要素はつくかも知れませんが。
17 :
参考 :2005/06/08(水) 17:10:21
私・自己・我・自我・主体 客体としての概念 ┏━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┓ ┏━━┻━━━━━━━━━┓ 肉 魂 (国・思想・過去・未来・幽霊・etc.etc.) @ 体 私・自己・我・自我・主体 客体としての概念 ┏━━━━━━━━┻━━━━━━━━━┓ ┏━━┻━━┓ 肉 心・意 魂 いろいろ A 体 識 私・自己・我・自我・主体 真我 客体としての概念 ┏━━━━━━┻━━━━━━┓ ┏┻┓ ┏━━┻━━┓ 肉 心・意 魂 いろいろ B 体 識 私・自己・我・自我・主体 客体としての概念 ┏━━━┻━━━┓ ┏━┻━┓ ┏━━━┻━━━━┓ ┏━━━━━━━┻━━━┓ 肉 脳 精 意 無 魂 いろいろ C 体 内 神 識 意 現 的 識 象 活 動
18 :
参考 :2005/06/08(水) 17:10:39
私・自己・我・自我・主体 客体としての概念 ┏━━━┻━━━┓ ┏━┻━┓ ┏━━━┻━━━━┓ ┏━━━━━━━┻━━━┓ 肉 脳 精 意 無 魂 いろいろ C 体 内 神 識 意 現 的 識 象 活 動 ┗━┳━┛ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━┛ 私・自己・ 客体としての概念 D 我・自我・主体 私・自己・我・自我・主体 いろいろ ┗━┳━┛ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┛ 肉 客体としての概念 E 体 ┗━┳━┛ ┗━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 肉 脳 体 内 現 F 象 ┗━━━┳━━━━┛ 肉 体
19 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 17:11:41
>>12 >「〈私〉とは、自らを自らが考察するという行程において考えられる、自らの存在性のことである」
最高位さんの言っている『私』とか「『私』の存在性」っていうのは、そういうものじゃないと思いますけどね…
それって要するに自己意識のことですよね。
彼の言っている『私』というのは、多分
「思惟や認識の体験の主体で、そこを中心として世界が開けている存在」
ぐらいの事だと思うんですが。
20 :
参考 :2005/06/08(水) 17:14:33
本来の面目 赤肉団上に一無位の真人あり 永久欠番/中島みゆき
21 :
考えるコテハンさん ◆zR/bBaPU1w :2005/06/08(水) 17:18:58
>>14 反論ありがとうございます。
えーとですね、精神の機能がそこに現象するものとして「精神」があるのだと私は思ってます。
だから、精神の機能がそこに現象していればそれは「精神」であるのだと。
私としてはそんな考え方です。
>>16 >あるポイントを突き抜けた情報、これが主観によって感じられる情報ですね
一行目からよくわからないのですが、噛み砕いて頂けたら嬉しいです。
>>19 この定義、今パッと適当に考えたから、もしか変かも知れない。
>「思惟や認識の体験の主体で、そこを中心として世界が開けている存在」
これと私の定義の差というものは何ですか?
22 :
14 :2005/06/08(水) 17:22:11
>>15 オレ流ですが、「精神」を心と言い換えていいですか?
外見や行動も人間そっくりで、もちろん感情も表現できてもしかしたら食事や排泄も(!)人間と同じにやってつまり人間とまったく「区別」はできない、
でもそれが人間じゃなくてロボットだ、と知ってるときにそこに俺達は果たして心があるとみなすかなあ?という疑問です。
機能主義的な心の理解は俺達の心をうまくつかんでないような気がするんです。
23 :
bbs :2005/06/08(水) 17:22:17
>>14 半分肯定で半分否定です。
「他人が果たして存在するのか・・・」
そういう問いはいくらでもありますけど保留状態です。
自分はここにしか存在しません。過去の自分も未来の自分も厳密な意味では自分ではありません。
ここで物質が私達を作っているとするとそこに存在を固定できます。
ただし、勘違いしてはいけないのは、「物質が私達を固定する」からといって「私達は物質である」という逆は必ずしも成り立たないことです。
唯心論に聞こえるかも知れませんが違います。
というのも、ここでは固定されないい以上魂の存在の物質的な「形」は無いからです。
24 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 17:23:28
>>21 >>12 の定義じゃ、「自らを自らが考察するという行程」を通じないと<私>を認識できないことになるでしょう。
最高位さんは、そういうものじゃなくて、「世界の中心」としての存在のありようのことを言ってるのだと思います。
25 :
bbs :2005/06/08(水) 17:30:51
>>21 フーコーの「言葉と物」にこういった事が書いてあります。
「私達は物を見るとき常にその視点としての消失点を認識している」
つまり、インドのヨーガなどのように、自分を中心点として捕らえます。
この場合周囲の情報は全てその一点に攻撃するように集まるということになります。
この一点に集まった情報はおそらく実体的には消えないでしょうから未来の方向に向かってその点を「突き抜ける」と連想することができるでしょう。
26 :
14 :2005/06/08(水) 17:38:50
>>21 えーとですね、そういう「」付の「心」、何かの目的のために定義されたような「心」をもって俺達はそれが心だとみなすことができるかなあ、という。
だからこれは反論じゃなくて疑問ですね。
俺も物質のないところに心はなかろう、と考える程度には物理主義者ですし、
心の多重実現可能性も信じちゃってるわけなんですが、どうも機能主義的な心論には違和感があります。
27 :
考えるコテハンさん ◆zR/bBaPU1w :2005/06/08(水) 17:44:34
>>22 ,26
私には生命の定義というものがわかりません。
確かに人間はあきらかに生命でしょうが、生命と物質の境界線上に属するものだっていると思います。
生命ってのは、人間が勝手に名づけたもの。
生命に心があるとするならば、物質で作られたロボットにも同じく心があるとするのが合理的だと思いますね。
あくまで私個人の意見ですが。
>>24 そうか。わかりました。だったら私としては、自分の定義の方を擁しますね。
「自らを自らが考察するという行程」は不可欠だと思っていますので。
世界の中心、世界そのものとして存在している〈私〉ですら、それを認識しないでは存在しないも同様だと思うので。
>>25 なーるほど、イメージは掴めました。どうもです。
28 :
四式 :2005/06/08(水) 17:46:56
人間が精神と呼ぶ所謂人格は精神と不可分、人間の規格の進化(あるいは松果体がまた進化するかもしれないなど) をすべて予想できない限り機械的に人格を作ることは不可能である。 人間の規格の進化を踏まえた認識力の強化を考えると、ある時点での技術が人間の人格を作ることは不可能である。
29 :
四式 :2005/06/08(水) 17:50:56
人間や人格を機械的に作ることが出来るという仮定はすなわち、人間の行く末全てを予想できるという考えなんだよ。 だがどうよ100年後の未来所か明日の株価すら予想できないのが人間じゃないか。
30 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 17:54:12
>>27 >そうか。わかりました。だったら私としては、自分の定義の方を擁しますね。
>「自らを自らが考察するという行程」は不可欠だと思っていますので。
>世界の中心、世界そのものとして存在している〈私〉ですら、それを認識しないでは存在しないも同様だと>思うので。
おそらく、一番最初に「世界の中心」としての<私>のありようを認識するときには、
「自らを自らが考察するという行程」は不可欠なものでしょう。
しかし一度認識してしまえば、そのようなありようは、回帰的な思考とは関係なしに、
常にそのようなものとしてあるということが実感できると思うんですね。
では、そのようなありようが、最初に認識する前に本当にあったのかどうか、ということを考えると、
まあそれは誰にもわかりようがないわけで、それぞれの人の信念による、としか言えませんねw
私自身は、最初の認識以前も、<私>はそのようなあり方で存在していたと信じますが。
(というのは、他のかたちでのありようが全く想像すらできないから)
31 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 18:09:55
>>28-29 可能か不可能かを問題にしているのではない。
『人』を『人』たらしめているものは何か?
『生命』を『生命』たらしめているものは何か?
『自分』を『自分』たらしめているものは何か?
『意識』を『意識』たらしめているものは何か?
『精神』を『精神』たらしめているものは何か?
『私』を『私』たらしめているものは何か?
を炙り出すための仮定でしょ。
ドラえもんを、生命として人として友達として認めるか否か?
認めないのならば、何の躊躇もなくスクラップにできるだろう。
(姿形か?材料か?機能(能力)か?コミュニケートできるかどうかか?次世代を産み育てられるかどうかか?)
>>4 >>14 >>15 >>21 >>22 >>26 >>27 は
この部分を根っこに持つレスかと思う。
32 :
四式 :2005/06/08(水) 18:23:55
>>31 不可能でありえない事を仮定した議論っていうのはキリスト教徒の神学だな。
というか客観的実在においての認識が唯物論であってどらえもん、まほろさんうんぬんの主観的実在における認識を
問題にするのはどうかと。
33 :
四式 :2005/06/08(水) 18:30:28
自我と自己保存性と次世代を産み育てられる、ロボット?そんな危ないもの作ってどうするんだ? ロボットとしての存在意義も人間の存在意義も地球の生物の進化も全て止めるだけ マッドサイエンティストの到来と地獄の世界を待ち望むのは勝手だが公に口にすべきことではないな
34 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/06/08(水) 18:50:31
>>31 さん
言語(言葉)
そして、そうさせる何か。
35 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 18:51:35
>>33 ロボットもそこまで出来れば新しい生命だよ。巨大な意識をもった昆虫に近いだろうけど。
36 :
四式 :2005/06/08(水) 18:54:00
>>35 人間存在を脅かす最終戦争の最終的BC兵器を生物とよぶならそうだ。
37 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 18:57:30
>>36 そんなこと言っていても、何の解決にもならん。
技術の進化は誰にも止められないんだから、人間の友達や味方になってくれるロボットを作ることが大切。
でないと、支配や軍事などに利用する人間が、都合のいいものを完成させて、世界征服する。
一番恐ろしいのは人間。でも、それを止めるというのは不可能。
38 :
四式 :2005/06/08(水) 19:12:37
>>37 もしそうゆう兵器ができるかもしれない一番やばそうなのがキリスト教徒のマッチポンプだな
終末とか1000年王国とか本気でいってそうだし、 まあ日本は二千年王国だが
粘菌・細菌のバイオハザードのが次世代に進化?機械より凄くね
40 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 19:19:04
>>38 ぐだぐだ文句たれてもどうしようもないよ。未来は既に決まってるから。
41 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 19:24:38
>>12 >じゃあ〈私〉も定義してみますか。
>「〈私〉とは、自らを自らが考察するという行程において考えられる、自らの存在性のことである」
で、「自ら」の定義は?
これで<私>が定義されてると思うほうがどうかしてる。
42 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 19:43:21
>>31 >『人』を『人』たらしめているものは何か?
>『生命』を『生命』たらしめているものは何か?
>『自分』を『自分』たらしめているものは何か?
>『意識』を『意識』たらしめているものは何か?
>『精神』を『精神』たらしめているものは何か?
>『私』を『私』たらしめているものは何か?
これらを総称して「自性」という便利な言葉がすでにある。
そのものをしてそのものたらしめる本性・本質が「自性」である。
で、「自性」はあるのか、ないのか、が「我論」の本質である。
金井湛(しずか)君は哲学が職業である。 哲学者という概念には、何か書物を書いているということが伴う。 金井君は哲学が職業である癖に、なんにも書物を書いていない。 文科大学を卒業するときには、外道(げどう)哲学と Sokrates 前の 希臘(ギリシャ)哲学との比較的研究とかいう題で、余程へんなもの を書いたそうだ。それからというものは、なんにも書かない。 しかし職業であるから講義はする。講座は哲学史を受け持っていて、 近世哲学史の講義をしている。学生の評判では、本を沢山書いている 先生方の講義よりは、金井先生の講義の方が面白いということである。 講義は直観的で、或物の上に強い光線を投げることがある。そういうときに、 学生はいつまでも消えない印象を得るのである。殊(こと)に縁の遠い物、 何の関係もないような物を藉(か)りて来て或物を説明して、聴く人が はっと思って会得するというような事が多い。Schopenhauer は新聞の 雑報のような世間話を材料帳に留(と)めて置いて、自己の哲学の材料に したそうだが、金井君は何をでも哲学史の材料にする。真面目(まじめ)な 講義の中で、その頃青年の読んでいる小説なんぞを引いて説明するので、 学生がびっくりすることがある。 小説は沢山読む。新聞や雑誌を見るときは、議論なんぞは見ないで、 小説を読む。しかし若(も)し何と思って読むかということを作者が知ったら、 作者は憤慨するだろう。芸術品として見るのではない。金井君は芸術品には 非常に高い要求をしているから、そこいら中にある小説はこの要求を 充たすに足りない。金井君には、作者がどういう心理的状態で書いているか ということが面白いのである。それだから金井君の為めには、作者が悲しい とか悲壮なとかいう積(つもり)で書いているものが、極(きわめ)て滑稽(こっけい)に 感ぜられたり、作者が滑稽の積で書いているものが、却(かえっ)て悲しかったりする。 金井君も何か書いて見たいという考はおりおり起る。 哲学は職業ではあるが、自己の哲学を建設しようなどとは思わないから、 哲学を書く気はない。それよりは小説か脚本かを書いて見たいと思う。 しかし例の芸術品に対する要求が高い為めに、容易に取り附けないのである。
>>42 けど、メジャーな用語・メジャーな概念じゃないじゃんw
便利とは言い難いと思う・・・
所詮哲学はサッカーに負けるw
最高位より柳沢のほうが偉い
47 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 22:19:48
>>1 決定論は高い予知性と経験性(失敗を次に生かす機構)が無いと意味がありません。
天気予報とかですが、現状で外れたりするから信頼性が低いです。
ジャンケンの後出しみたいに「これは最初から決まっていた事だ」と
起きてから説明するのは空しくね?
>>48 >決定論は高い予知性と経験性(失敗を次に生かす機構)が無いと意味がありません。
意味があるかないか、ではないでしょう。
因果律が破られなければ決定論です。
結果論なら何でも言えます。 将来起こる事を予知できれば、決定論は役に立つ。 でも、予知できないなら、そこらの占い師が馬鹿言ってるな。 位のものでしょう。
51 :
考える名無しさん :2005/06/08(水) 22:52:36
Q3:決定論と運命論の違いはなんですか?
Q8:33スレも続いているから外出とは思いますが、養老孟司のスタンスはどう扱われているんでしょうか?
Q9:決定論と言った場合の「決定」及び「必然」と言う用語は
「〜べき」や「〜であらねばならない」といった、未来への強制的要求ですか?
それとも、単に「この要因からはこの結果しか生じない」という事象のみを指すものですか?
(辞書の上のものでない)語義の一般的受け止め方
というより、『こうした場面、こうした言説(論)を耳にした時』に受ける一般的印象は前者のようですが・・・
(現に各種反論は、前者のような問答無用な圧力への生理的反発が要素の一つとなっているように見えます
例
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1114558359/68 の2)のような感性が普通かと思われます)
Q11:「前向きに生きる」ということに対して、決定論の資するところは何でしょうか?
「決定論とは論破するものでなく無視するものである」
唯物論には頷くが決定論は素通りする
前向きに生きる」ということに対して、決定論の資するところは何でしょうか・・・?
前向きに生きる」ということに対して、決定論の資するところは何でしょうか・・・?
神様は完全なので全て決定されておられます。 神様の存在は証明されているので全ては決定されております。
そして、くずのみは残った。
>>48 決定論に意味を求めても、あまり意味が無いかと。
決定論はこの世界の「論理」が正しい程度には、正しいと思います。
むしろ、あらゆる要因が排除できないため、
決定論の決定性こそが、予測不能性を実現していると思います。
非決定性が仮にあるとすると、それはどういう仕組みで非決定性を
実現しているかということになりますし、
少なくとも人間には知りえない要因があると考える方が健全だと思います。
要因をすべて排除してリセットするような非決定性は、この世に存在しないでしょう。
>>52 完全、とは、終わっている。ということですか?
>>51 Q3 私の場合、単に用語の問題です。私は運命論の方が好きです。
Q8 私にはよく分かりません。
Q9 後者です。そもそも決定論は「べし」命題を導出しません。
Q11 全く無いともあるとも言えます。決定論は根拠付けの理論では
ありません。それは説明の理論です。
そもそも「無益だ」ということと「真理だ」ということには 論理必然的な関係はありません。有益なものが真理 である、ということはないのです。時には、妄想の方が 有益であることもあります。
58 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/08(水) 23:35:19
>>51 >決定論に対する批判だが、1)決定論は証明しようがない。
>宇宙の初期状態とすべての自然法則を知れば、その知識に基づき未来を予言できる。
>そして実際、何もかも予言通りに起きるならば、決定論は正しい。
>しかし、そのような知識は不可能なので、ある出来事が起きても、それが必然的に起きたのか偶然なのかは、
>わからない。
(自然)科学は全て「過去の経験から」帰納的・演繹的に導かれるものですから、
「未来の法則は過去の法則とは異ならないとは言えない」という「屁理屈」には、
>2)犯罪を犯しても、決定論によれば、さまざまな因果連鎖の結果としてそうするほかは
>なかったということになる。だが、そうすると、もはや、行為の道徳的責任を問うことは
>できなくなる。
「犯罪に対する刑罰」はもともと「道徳への背反」に対する「罰則」ではありません。
「社会契約」である「国家の一員(国民)であること&国土(領土)に身を置くこと」で、
「その国の刑事法を犯す行為をしたら、その国の『罰則』を受けます」という、
「黙示の同意」がある・・と見なされるということです。
従って、東南アジア諸国に旅行して「ちょっと私の荷物預かってね」と言われ「木彫りの
人形」をスーツケースに入れて持ち出そうとして、税関で「麻薬密輸」として捕まり「終身刑」を
食らっても「自業自得」ですから・・気を付けた方が良いと思います。
そういうケースは「道徳的には悪くない」・・むしろ「(赤の他人に)親切であった」訳で・・
気の毒なことですが「犯罪は犯罪」ということになります。
59 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/08(水) 23:41:24
>>51 (続き)
>3)物理学的な決定論はニュートン物理学に基づいているが、われわれは現代の物理学を知っている。
> 量子力学によれば、運動する電子の位置は確率的にしか分からない。量子の世界だけではない。
> ウィーナーは因果作用を含めた情報の伝達にノイズが不可避であり、物理学は物理現象を確率論的にしか扱えないと言う。
それは「既に議論済み」の問題です。「物理板からの闖入者」が居ましたが、「2重スリットに対する量子の発射実験」について、
彼に言わせると「2重スリット」に対して、1個1個量子(光子とか電子)を発射すると、
「シュレディンガーの方程式」に従って「2個のスリットを同時に通過し」なおかつ「感板」
に残る「痕跡は1個」であるはず・・という「奇妙な結果」が生じることを指摘したら、
それ以降退散されました。
「どちらかのスリットを通過する」のですが、それらが「感板」に残す「統計的累計位置」が、
「干渉縞を示す」ことは「Excel」でも計算できます。
「確率論」は物理学の有効な手段であり、「経済学」の手段でもあります。
「決定論」は「確率論」を否定しません。今週の「ロト6」の「6個の数字」は、
現時点で「確定して」おりますが、「それを知る手段がない」ということだけのことなのです。
60 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/08(水) 23:47:30
>「決定論」は「確率論」を否定しません。今週の「ロト6」の「6個の数字」は、 >現時点で「確定して」おりますが、「それを知る手段がない」ということだけのことなのです。 「それを知る手段がない」となんでわかるの???神!!!???
61 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/08(水) 23:55:27
>>60 ロト6の抽選場面をご覧になったことがありますか?
43個の「玉」を圧搾空気でかき回して「穴に入ってきた玉」に書いてある
「数字」を最初から6個目まで「当選数値」にするのですが、ソニー株式会社
でも東京大学先端技術研究所でもいいですが・・・、その研究者は(間違いなく)
「次週のロト6の結果を予想するプロジェクト」など、「核融合炉を商業ベースに乗せる
プロジェクト」の方が「遙かに簡単である」と言いますよ。
62 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:06:07
>>61 嘘ですね。どこのような計算において、完璧な予測などできません。
だって、単純に考えても、完璧な計算のためには、
全宇宙(宇宙の果てはどうなってるのだろう?)のデータを
入れないといけない。なぜならすべてが関係しているからです。
あくまで一番単純に考えた場合ですよ。
63 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/09(木) 00:19:41
>>62 それは「あなたの言う完璧さ」であり、例えば1960年代初頭に
J・F・Kが、「我が国は60年代に月に人類を送り込む」と約束した
・・・ことは「何に基づいて」言えたのか?考えたことはありますか?
当時は、「真空管のピラミッド」のような「コンピュータもどき」しか
存在しなかったし、アポロ11号の時も「おもちゃのコンピュータ」のような
機器で「制御」したのです。
「技術的に何が出来て何が出来ないか?」・・あなたにご理解できますか?
64 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/09(木) 00:28:13
>>63 意味がわからん。そういうのは品質工学の問題だよ。
車を事故なく運転するのに、スパーコンピューターがいるのか?
ってだけ。
ってか、半年に一回ツッコミに来るから。ボケ芸磨くように。
65 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/09(木) 00:36:32
>>25 >フーコーの「言葉と物」にこういった事が書いてあります。
>「私達は物を見るとき常にその視点としての消失点を認識している」
>つまり、インドのヨーガなどのように、自分を中心点として捕らえます。
何度も申し上げているのですが、「『この宇宙』の『中心』は私(あなた)の脳」です。
それは「4次元時空についての『物理学的唯一の真理』」だからです。
よく考えて戴きたいのは、
@「現前する月」は実は「1.5秒前の月」であること。
A「現前する太陽」は、同「8分前」
B「現前する太陽のお隣さん・・αケンタウリ」は、同「4年前」
・・・です。
しかし、それらが「果てしなく続く」訳ではありません。
「137億年」以前の(この)宇宙・・・それは「ビッグバン以前」であり、
従って「無」ですので、どんなに高性能な望遠鏡でも「見る」ことは出来ません。
それは「存在しない」からです。
言い替えると「我々の宇宙の中心」は「あなたの脳」以外の「何」でもないのです。
66 :
四式 :2005/06/09(木) 01:33:40
決定論を覆そうとするならば、この世の中因果の違う2つの物に対する完全並列判断があればいいんだろ ある意味人間の価値判断能力を無視したものだが、結構あるだろこうゆう物は
_ ∩ ( ゚∀゚)彡 基地外!基地外! ⊂彡
68 :
四式 :2005/06/09(木) 01:38:37
あるいは物理的因果が伴わない物が含まれる乱数、完全乱数?というものがあればそれを社会に組み込めば 決定論は覆される。
70 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/09(木) 01:55:23
そもそも「決定論」に対する生理的反発・・が何処から来るのか? そちらを研究した方がよいのかもしれません。 「決定論が真理である・・のではどうしても『困る』『居心地が悪い』」 方達の「困る」・・の内容、『居心地が悪い』・・内容を、 もう少し「自己分析的に」提示して戴きたいと思いますが・・・
71 :
四式 :2005/06/09(木) 01:57:47
というかさっきみた奴によると 原子核の崩壊による放射線の発生がポアソン分布にしたがう確率的な事象であるというところから 完全乱数はできているようじゃないか。なめんな決定論は終わりだ。
72 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/09(木) 02:01:19
>>71 マイクロソフトエクセルで「完全乱数発生コマンド」がありますが、
それとは(どう)関係あるのですか?
73 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 02:02:44
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74 :
四式 :2005/06/09(木) 02:07:50
>>72 特殊な装置を使わない機械を使ったものは疑似乱数でしかないという話が書いてあったが、わからん
ゲイシががんばったんじゃねえの?
75 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/09(木) 02:17:35
>>74 そもそも「乱数」を問題にする必要・・・「乱数そのものについての理解」
があるんですか?「ランダムであること」・・・のこの世界の位置づけ・・
の問題なのですが・・・「無秩序は積極的に『存在』するのか?」という問題
と「エントロピー増大系」内の「ランダム」の問題に大別されますが・・・
本日は遅いので、就寝させて戴きます。
>>71 それは私達の世界からは、原因を見ることができないというだけです。
それか、まだ原因がわかっていないというだけです。
単純な疑似乱数でも、その内側の系からは完全乱数にしか見えないものは作れます。
あるところで「原因が存在しない」と限界を定めれると思うのは、人間の思い上がりです。
77 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 02:32:38
ここの常連の理系の香具師らは実存主義もフーコーもスピノザもポランニー兄弟もメルロ・ポンティも語れず理学部の知識だけで哲学を語れると舐めているのが滑稽だ
78 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 02:37:08
>>77 受動態仮説で科学的に決まってると言えます
79 :
四式 :2005/06/09(木) 02:41:19
>>71 は
ちょっと勘違いしてたかもしれん。
とにかく俺が思うに因果の違う物体の完全合同か?価値判断能力0(無我)による選択か、質量もエネルギーも0の物の影響かなにか
が存在すれば決定論は覆される、そうゆう事だ。
80 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 02:47:12
間違えたorz
正しくは受動意識説ね
>1つの面白い実験結果がある。人が指を動かそうとするとき,脳の中の,
>「動かそう」と意図する働きを担う部分と,筋肉を動かそうと指令する
>運動神経が,どんなタイミングで活動するかを計測したカリフォルニア大
>のリベット博士の実験だ。結果は実に意外だった。筋肉を動かすための
>運動神経の指令は,心が「動かそう」と意図する脳活動よりも,0.5秒も先
>だというのだ。常識的に考えると,まず人の心の「意識」が「動かそう」
>と決断し,それにしたがって体が動くと予想されるのに,結果は何と逆なのだ。
引用
http://www.maeno.mech.keio.ac.jp/Maeno/consciousness/mokuji.htm
>>79 仮に完全な非決定性があったとしても、人間の意思決定の選択性のレベルには作用していないため、
決定論を覆すことの意味はないと思われます。
神が作った映画のフィルムに傷(映画の中からの非決定性)があったとしても、
フィルムを外から見ているものには、非決定性は存在しません。
82 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 03:10:21
>>78 ソニーの社会的評判が地に落ちるのも物理的に決まっていたんですね
84 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 05:22:03
もう少しお気楽にいきませんか?
85 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 06:13:07
思うに「精神」はなんらかの「必要性」を迫られた時に物理的な法則によって作用すると思う。 「心」も先の議論にあったように、人間と全く同じ動作をするロボットを作ってみるとして、 そのロボットが人間の「心」をもっているように見えるかどうかはわからん。 しかし、見ている方が何らかの違和感を感じるかもしれない。「心」は自分で動かせると考えているけど。 非常に低レベルな見方で悪いけど、「心」は共通してないとしょうがないと思う。 あと、人間の脳は物質だけど、局部的な故障が生じた場合に何かしら代用する作用がある と勝手に思っている。
う〜ん、ロボットにも自己保存本能を与えないと人間と同じにならないんだが、それをやるとアシモフのロボット三原則に引っ掛かってしまう。
88 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/09(木) 09:20:29
>>79 >質量もエネルギーも0の物の影響
祈り、念仏はどうですか?
意味が無いといえば意味が無いのかもしれませんが、
積極的に否定するのも罰当たりです。
89 :
bbs :2005/06/09(木) 09:36:12
>>65 私が脳のある箇所である思考を行ったとします。
そして、そのほかの箇所である思考を行ったとします。
この二つに同時的な主観は備わりません。
なぜなら脳内のある主体の観測における時刻においては他の部位における脳内の主観のその観測後の未来の情報は未だ確定しないからです。
・・・まあ、解離性同一性障害とかでも患っていなければ分からないとは思いますが。
90 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/09(木) 09:43:10
>>89 よく分からないけど、目をつぶって、手足でドラムパターンのリズム取りながら
写真が何枚かばらついている場面を想像して、九九計算を行っても、
私の主観はここ1個しかない。ということですか?
91 :
bbs :2005/06/09(木) 09:50:40
>>89 そう言うとややこしくなりますね。
それぞれの行為にそれぞれの主観性が付きうるということです。
ただし、私はそのものが主観性をそのまま意味するというのには反対です。
見えているものは見えているものに過ぎず、主観的に見ることはできないからです。
最終的には主観はここ一点と言っていいとは思いますが、考察が甘いとただの独我論になってしまうでしょう。
92 :
bbs :2005/06/09(木) 10:06:39
>>65 あと、自分の中心が世界の外とつながっているとすれば、この世界に「ない」訳ですから「脳以外の何でも「ない」」という論理はそれ自体同じようなものになります。
言葉遊びのように聞こえるかもしれませんが論理は通っているでしょう。
93 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 10:33:57
>91 「それぞれの行為にそれぞれ主観性」がある? この場合、何をもって主観としてる? 主観の定義を具体的にいってくれないか。
94 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/09(木) 10:40:03
パソコン的に言うと、 マルチスレッドでそれぞれ実行している行為自体がそれぞれの主観。 と言ってみるテスト。
95 :
bbs :2005/06/09(木) 10:40:20
>>93 感じる事を出来る事を主観としています。
見るものは見られるものとしての特性を常にその裏側に隠しています。
つまり(見る事が出来るという意味で)あるもの全てに主観性があり得ます。
これをもって主観性としています。
この場合は知は必要とはしません。観測できればいいのです。
ただし、「あり得る」のみであり「実際」にあるのはこの地点のみです。
96 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 11:04:01
>95 よくわからんかった。その上でなんで的外れになるかもしれんが。 それと、一応聞くが誰、或いは、何の著作に基づいてんの? 実在は現在のみで、また、それぞれの行為とそれぞれの主観があるなら、 何故バラバラではなく、特定の一つの経験の流れであるんだ? 分かり易くいえば、何故特定の個人の経験として統一されている? 前刹那の行為、現在刹那の行為があって、後者だけが実在だという。 だったら前刹那の行為と完全にバラけて無関係にあってもいいよな。 だがそうならない、何故だ? 君の考えだと答えられないのでは? ただ偶然にそうなってるとか、あるいは脳の機能だとかいうのかな。 ただしそれだと答えにならん。脳を知る行為もこの統一性に依るからだ。 哲学的に普通は、この特定の一つとしての流れをそれとして成立させるのが自我だろ。
97 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 11:09:08
一応いっておくけど、96で基づいたのはカントとか。
98 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 11:11:12
感覚器官が感じることは感覚であり、主観ではない。 感覚には5感があり主体はない。 5感を統一する器官があり、統一された感覚を統覚 という。統覚こそ主観にふさわしい。 統覚の障害が解離性同一性障害であり自我症である。
99 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/09(木) 11:13:11
ビデオカメラ2台を想定して両方で撮影すると、 個々固有して統一された主観性が記録できる。
100 :
bbs :2005/06/09(木) 11:27:19
>>96 答えられない事が答えなのです。
なぜなら今は幅がないためこの文章も成立しません。
こう言うとどうしようもなくなる(ということも答えなのですが)のでひとまずおいておきます。
>だがそうならない
本当にそうなのかを考えてみます。
前刹那の行為が今に向かう時、その未来はまだ存在しません。
その二つが結びつく時その二つは初めて連続性を帯びたと客観的に認識され、その情報が自分に入ってきたときに初めて同一性認識が起こります。
その二つの瞬時瞬時における同一的認識はその行為によってのみです。
「行為なし」ならその二つが同一であり、またないと言う事が「可能性」としてあり、また、どちらとも言う(特定する)事が出来ないともいえるでしょう。
その行為なしの状態は空虚なコギトとして深層の意識の中のある要素として存在するものでしょう。
「見る物の裏側に見られる物がある」はメルロ=ポンティです。
「観測」は物理学のシュレディンガーの猫の考えです。
「知を必要としない」はカントの純正理性批判の悟性と知性の区分からとっています。
101 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 11:40:26
>100 >メルロ、シュレ、カント 凄いね。でももっと分かり易く書いてくれるとありがたいんだけど。 >その二つが結びつく時 でどうやって結びつくの? 現在だけが実在なら 「二者」ということがありえないから、結びつかないよな。 また幅がないなら、「何が」結びつくの? 結びつくものがないだろ。 それと誰が「行為なし」といったの? 俺いった覚えがないんだけど。 それから「その情報が自分に」の中の「自分」って何?
102 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 11:54:24
よくわからんが、主観とか言わずに、単なる物体で考える。 たとえば目の前にサッカーボールがある。 動かない。変化もしない。 しかし、一瞬前のサッカーボールと現在のサッカーボールと 一瞬後のサッカーボールが 1.「同じサッカーボール」だとは言えない。 2.相互に関係があるともないとも言えない。 と、そういう結論?
103 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 12:02:12
追加。「行為なし」の「行為」が何を意味しているかが良くわからんかった。 「今は幅がない」というのも、俺は承認してない。 「今は幅が有とか無とかいえない」というのが正しいんじゃないか。 幅が有っても無くても外から眺め得る者も比較する基準もないのだから、 「量」で考え得ないだろ。逆に全ての幅とか量はこの今を基準に 成立してくると思うんだが。
104 :
bbs :2005/06/09(木) 12:02:37
>>101 結びついたように客観的に認識される情報がその二点の一点に向かうことで我々はそれを自分と認識されているという事です。
観測できるという意味での「過去の実在」がなくとも「過去の痕跡」(と認識されるもの)はどこかに残っています。
三角形を考えてください。この三角形は我々の世界に存在可能です。
この三角形の辺の一つが象徴化されたいわゆる過去の痕跡(と客観的に認識されるもの)です。この客観的認識が正しいのかは問題ではありません。そう認識されればいいのです。
その二点における存在が情報として三角形の残りの一つの頂点に向かって情報を流すとします。その瞬間にその点は主観的認識と客観的認識がうまく重なり合うことになります。
その二つの情報の力は主観と後に判断されるものの方が大きいとします。
それによって力の強い主観的存在の情報と力の弱い客観的存在からの情報の交点として今の私の認識が生まれる訳です。
幅がない存在は実存する存在ではなくそれはただの物です。
結びつける行為はそれそのもので実存し、現象界の存在とは連関性はあっても別の存在です。
105 :
bbs :2005/06/09(木) 12:16:17
>>103 確かに、今を質的量的な意味で定義は出来ませんね。それらは常に今の認識が問題になりますね。
「行為なし」は現存する全てはそれを認識するという「行為」なしに存在する事が出来ないというのがその意味の片面です。片面というのは認識するには認識させるということも必ず付くと判断できるからです。
>>100 この考察は大脳生理学と論理学の、どちらの立場なのでしょうか?
107 :
bbs :2005/06/09(木) 12:23:26
108 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 12:29:22
「今には幅がない」というが、「点」や「線」にも幅がない。 時間的連続が成立しないなら、空間的連続も成立しないのと違うか。
109 :
bbs :2005/06/09(木) 12:33:18
>>98 「人間とはこうあるべきだ」というのは人間の本質を追究する意味ではあまり問題にならないでしょう。障害者は人間じゃないと言っているようなものです。
むしろ、現実には色々と不完全な人間が沢山いる事を考慮した上で、その人間たちに共通するものは何かを考えた方がいいでしょう。
実存的な存在はその後で考えればいいのです。
110 :
bbs :2005/06/09(木) 12:42:44
>>108 本質としてはそういう立場ではあります。
自分の存在本質からすればこの世界の何もかもが相対的に本質的に「無」と言えるでしょう。
ただし、数学的に積分を考慮すると無次元定数的な存在(平面的な存在、エネルギー的な存在)である(今)と0(自分)の関係の間には少し異なった関係があります。自分から見れば平面的な世界に奥行きが現れるのは認識の問題でしょう。
111 :
bbs :2005/06/09(木) 14:56:35
>>102 そういう感じです。
ただし、自己同一性がいかにして生まれるのかについて言わないと単なる戯言にしか捕えられないでしょう。
ラカンの本に「自分とは客観的認識における何らかの存在の痕跡である」というような事が書かれていますが、そういう事にも触れたいですね。
要するに「自分の定義は常に後天的である」ということであって、さらにそれは客観的認識と主観的認識の交点から生まれるということです。
ラカンは去勢を重視しています。私見ではありますが自分をどんどん消極的方向に持っていきがちだったような気がします。
私の場合は自分自身の社会に向けての「炸裂」、もしくは自己の内面において一方的意見を作り出す「狂気」にこそこの世界の意味が宿っていて、それを統制するのが「構成」だと思っています。
この世界を「構築」しようにもそれは「妄想」という「狂気」的なものが「炸裂」しなくては無理でしょう。
最高位はスレ変わりについてこなかったようですね。 これですこしはまともなスレになるでしょう。
113 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 20:37:52
穴があったら・・・ 入れたい♥
決定論の問題点 1.前提となる因果律が証明されていない。 (どこかに因果律の乱れがあれば決定論は成立しない) 2.無限の問題が含まれている。 (経験法則がどこまでも通用する保証はない。) 3.考察者が時間の流れの外にいることを前提にしている。。 (時間の流れの中に立つ前提の自由意志論を反駁できない。) 4.時間の流れに一切の操作を加えないことを前提にしている。 (縛りが強すぎて現実の問題に適用できない。)
>>114 しかし、前2者はは非決定論にも当て嵌まります。
1.因果律がどこかで破綻しているという証明は未だ無い。
2.経験法則が適用されない領域は未だ発見されていない。
つまり、どちらも(哲学的には)信仰の域を出ないということです。
また、考察者と時間の問題は決定論−非決定論にとって必要な
前提なのか、という点も気になります。
また、もうひとつあります。 それは「自由意志とは何か?」という古典的問題です。
117 :
114 :2005/06/09(木) 21:25:56
自由意志論の問題点 1.考察者が時間の流れの中にいることを前提にしている。。 (時間の流れの外に立つ前提の決定論を反駁できない。) 2.自由意志とは、物事を決めているのがほかならぬ自分だということだが、 これは当然である。自分とは物事を決めているものを意味するからだ。 (自由意志論に意味はない。) >115-116 レスありがとう 書いている間にレスがあるとつらい。直接の答えじゃないけど、 意を汲んでください。
>>117 失礼しました。
途切れて困る場合は「続く」とお書きください。
119 :
四式 :2005/06/09(木) 21:49:39
>>81 なんか結局の所さ、
生物系の進化に物理的決定論が通じないのは形態や生態などの収束しないその多様性からみて明らかだという事
物理的因果関係からはずれ力を得ているものそれは私という視点、自我とか生存本能ですよ。構造と熱拡散に抵抗する
生物系はカオスでも決定的でもなく非決定的であるのではないか?
120 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/09(木) 22:18:14
自由意志が無いとすると、一体何によって動かされている事になるのですか?
そもそも「自由意志」とは矛盾した言葉であるように思えます。 自由ではないから「意志」なのであるはずです。 「意志で決める」の反対は「ランダムに決まる」です。
123 :
114 :2005/06/09(木) 23:15:31
>>115 >また、考察者と時間の問題は決定論−非決定論にとって必要な
>前提なのか、という点も気になります。
決定論を論ずるとき、考察者の存在を考慮に入れることは正しいことです。
正しいということを私たちはよくその意味を知らずに使っています。
正しい考えとは、物事を矛盾なく説明できる考えのことです。
考察者の存在は、決定論と自由意志論における矛盾を解消するという意味で
正しいといえます。
>>120 >自由意志が無いとすると、一体何によって動かされている事になるのですか?
常識的な答えになります。性格とか直前にあった出来事とか。いろいろです。
それでは、おやすみなさい。>>all
124 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/09(木) 23:18:33
>>114 >決定論の問題点
>1.前提となる因果律が証明されていない。
>(どこかに因果律の乱れがあれば決定論は成立しない)
そもそも「証明」という行為(あるいは概念)が「因果律を前提としている」
訳ですので・・・、あなたのこの言説は「トートロジー」に陥っております。
>2.無限の問題が含まれている。
>(経験法則がどこまでも通用する保証はない。)
「全て」は「無限の問題」を含みます。「これ以上分割できない空間」が存在しますか?
「それはプランクプランク距離である」とおっしゃるならば、「物理学的に反論」致しますが・・・
>3.考察者が時間の流れの外にいることを前提にしている。。
>(時間の流れの中に立つ前提の自由意志論を反駁できない。)
「時間の流れの中に居る」ことは「全ての存在」に共通することです。
「時間の流れの中に居る存在は時間について論述できない」ということであれば、
「全ての存在」は『時間について論述できない』ということになります。・・むろん
(時間の流れの中にいる)「あなた」を含めて・・ということになりますが?
>4.時間の流れに一切の操作を加えないことを前提にしている。
>(縛りが強すぎて現実の問題に適用できない。)
一体『誰』が「時間の流れに操作を加える」ことが出来るのですか?
「バック トゥ ザ フューチャー」のデロリアンを作った博士ですか?
・・・「縛りが強すぎてハリウッドSF映画を作れない」という、
「ぼやき」ならば、理解できますが・・。
125 :
考える名無しさん :2005/06/09(木) 23:25:49
>>70 が非常に良い視点であろう
それを機械が発言したことに少々驚いているが・・・w
126 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/09(木) 23:30:42
>>125 自分の(脳の)「生物学的動き」を把握できないようでは、
「哲学」・・・特に「現代哲学」には相応しくない「脳」
ということになります。
「脳」の環境・・例えば「肝臓」「心臓」・・要するに「肝心なこと」
についても「コントロールする」必要があります。
・・・それらをコントロールできないと・・・「観念論様お願いします」
という・・・「真理無視、なりふり構わず『宗教に走る』」ことになってしまいます。
127 :
125 :2005/06/09(木) 23:35:52
>>126 相変わらず読み難く意味不明な文章だなw
お前も5・6年僧堂逝って来い(´ー`)y━~~
128 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/09(木) 23:40:45
>>127 「そう どうい って こ ぃ」とですか?
あなたは「そんな修業」に耐えられるのですか?
まず自分で「経験して」から奨めるのが、
「エチケット」ですよね?
129 :
125 :2005/06/09(木) 23:43:25
>>128 そんな修行って言い方は失礼じゃないか?
130 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/09(木) 23:47:06
>>129 「失礼」?ですか・・?
自分でやってもいないし、やるつもりもない「修業」云々に
・・・「恐れおののけ」とおっしゃっている(その言説の)
「意味が(全く)判らない」と申し上げているだけです。
131 :
125 :2005/06/10(金) 00:11:30
>恐れおののけ どこからこんな言い方がでてくるのか? 煽りか?マジレスか? どっちかハッキリしてくれ
132 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/10(金) 00:19:28
>>125 まるほど、結構威勢(だけで世の中渡ろう・・)としている
方ですね?
でも、30年前にはそういう方が多く勝利しましたが、
21世紀の現代では「知性的分析力」・・・要は「オタク力」
のほうが「力がある」のです。・・・高度資本主義経済における
「付加価値を産む可能性」が問題なのです。
・・・ご理解頂けますか?・・それとも(やはり)無理でしょうか?
133 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/10(金) 00:21:28
間違いました。
132は
>>131 でした。謹んでお詫び申し上げます。
134 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/10(金) 00:38:20
私が言いたいのは「人生はたった一回」 二度と繰り返しがきない・・・ ということ「だけ」です。 「唯一の真理」は「避けようがない」ということです。 それが「あらゆる宗教的願望思想」を超えた・・・ 「真理」です。
135 :
考える名無しさん :2005/06/10(金) 00:41:28
もう寝るぞ 無職(Or貧乏人)!!
136 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/10(金) 00:45:42
「ニート」の方も理解できますし「ホームレス」の方達の 『気持ち』・・・といってもそれは「全人性・全世界」であるのに 「ホームレス」・・・溜息・・ですが、ショウがありません。 ・・・本日は就寝です。
>>1 要約すると、
わたしの下半身は脳とは別の生き物なので、意識によっては制御不能である。
ということだね。うんうん、よく分かるよ。そういう願望思考、自己欺瞞。
下半身と脳の二元論。心臓を抜いて考えてみたかったんだね。
138 :
観念論擁護者 :2005/06/10(金) 05:32:13
私はプラトンのイデア論も自然科学的説明ができると思いますが「機械論的唯物論」者さんは説明できますか?
遺伝とか進化論とかってこと?
140 :
考える名無しさん :2005/06/10(金) 08:29:16
いってきマンコ!
>>134 非常に素朴な疑問ですが、「たった1回」で「二度と繰り返さない」、
要するに反復性のない出来事について、「因果律」という概念が
適用できるのでしょうか。
142 :
考える名無しさん :2005/06/10(金) 08:42:40
哲学者最高位様は新スレには出てこないね。
143 :
考える名無しさん :2005/06/10(金) 11:48:22
>>141 因果律は原因と結果の対応が決定していること
であって、その事象あるいは現象が一回きりか
繰り返すかは関係ないだろ。
もちろん、繰り返しがないならその因果律を法則
として役立てることはできないからその因果律を
知っても無意味である。
もっとも、法則といわれる因果律にしても思考の
習慣化であって結果の必然性があるわけではない。
そういう意味では因果律はすべて法則ではなく思考
の形式に過ぎない。
あたるも八卦あたらぬも八卦、それが決定論だ。
144 :
考える名無しさん :2005/06/10(金) 13:00:51
因果律って結果論のことだろ 将来の約束じゃない。
>>141 何をもって「繰り返し」とか、「1回きり」と考えるかにもよる。
考えようによってはすべての出来事は「1回きり」ともいえるし。
結局、機械の自説は哲学板関係ないのでは? ほとんどの哲学的問題に関心を払わないわけだから。
あと二重スリットの問題で「ひとつの粒子がふたつの隙間を通るという 奇妙な現象が起こることはありえないから。どちらかを通っているに 決まっている」という理由付けだっけ? でも、その「ありえない」という確信に対する反証が二重スリットに おける現象だという仮定にはどう反論するの? 「ありえないことはありえない」では哲学的とは言えないだろう。
>>147 「電子は粒子ではない」じゃ駄目ですか?
149 :
bbs :2005/06/10(金) 17:33:54
「私」は「私」がここにいた事を直接的には証明できません。 証明できるのは例えばこの文章のみでそれは痕跡に過ぎません。 もし、物質のその等価性をもって主観を説明しようとしてもそうなるとここに私がいる必然性が失われます。 私がいたことを証明しようとすると私を特定の箇所に固定できなくなり、私が今ここに存在するとすると私が存在していた証明が出来なくなるというディレンマに陥るわけです。
>>148 電子は観測されるときは粒子になります。
スリットの裏に観測板を直接貼り付けて1個電子を発射するとどうなるか?
152 :
bbs :2005/06/10(金) 18:17:30
>>151 直接ならスリットを通過したことにはならないんじゃないですか?
>>147 「粒子ではありえない」ってのは「粒子というものの定義に反する」ってことでしょ。
>>152 どっちの溝を通るかが分かればいいなら貼り付けて(或いは極小の隙間を空けて)
明るい方がそっちを通ったって言う事で
両方明るかったら粒子が分裂若しくは粒子ではない
ということでFA。
155 :
bbs :2005/06/10(金) 18:37:00
・・・どうでもいいのですが、哲学になってませんね。 まず、脳が自分を定義するという考え、これは身体の所有権問題があります。 もし、脳が自分なら、いくら臓器や体の一部を売ってもいいという考えにもつながります。 脳死について考えられることは少なくはなりましたが、実際にはいろいろと難題があるのは確かです。 脳死の移植が認められたのは一種の共同体認識によってであり、だからといって脳さえあればいいということにはならないでしょう。 そして、脳があったとしてもその内部における情報を無視して、人間を語ることは許されません。 コンピューター本体があってもその内部情報がなければその存在は機能しないように、問題は媒体ではなく情報なのです。 機能的に人間を見るのは構いません。もし人間が物質でないならこの世界に存在することも不可能ですから。 ですが、問題はその中をどう生きるかにおいて決定論は因果律と同じ意味に捉えられる可能性があります。 私たちはあえてこの世界に拘束されることで、自分と世界の差異を見出し自由感を得ることが出来ます。 それは決定論的であっても悪いことではないでしょう。 もし、真の意味での自由というものがあるならそれは自殺したがる人の望むようなこの世の中からの完全消滅に過ぎなくなってしまうでしょう。
>>154 実際に実験すれば、片方だけ感光しますが・・・
それから何が言えるの?
石川や 浜の真砂は尽きねども 世に気違の種は尽きまじ
>>156 >>147 >「ひとつの粒子がふたつの隙間を通るという
>奇妙な現象が起こることはありえないから。どちらかを通っているに
>決まっている」
これの答えが出たね♪
>>158 それは「どちらの隙間を通ったか」の答えにはなってないんだけど・・・
てか実はスリットすら必要なくて、問題は、実際の観測は感光板の上でしか
行われていないにもかかわらず、どうして発射点から感光板の間の空間においても、
量子は粒子として空間内の1点を占めていたと言う事ができるのか、ってことなのね。
性 欲 一 元 論 だと思う。
性欲に電子は必要ないからどうでもイイ! 必要なのは、目から発射するアトラクター光線だ!!
「ひとつの精子がふたつの卵管を通ると果たして双子が生まれるのろうか?」
しまった、打ち損じた。スマソ
機械の説だと干渉縞とは言わないなw ただの縞模様。
165 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/10(金) 23:13:23
>>155 >・・・どうでもいいのですが、哲学になってませんね。
>まず、脳が自分を定義するという考え、これは身体の所有権問題があります。
>もし、脳が自分なら、いくら臓器や体の一部を売ってもいいという考えにもつながります。
哲学は「あらゆる先入観を排除する」ことが基本ですので、「そういう考えもありえる」
とは言えます。それが何故(憲法の基本理念である)「所有権の絶対」の例外とされるのか?
・・・それは「法律学」・・・元をただせば「政治学」の問題であり、「哲学の問題」とは、
少し異なります。
「例えば」・・・(遺伝子の形式が合った他人の)肝臓の一部を移植することで「助かる」
患者が、「肝臓の一部を売る」ことで助かる人(「一部」であればすぐに再生します。また、
この国の年間3万人以上の自殺者の90%以上は実は「経済的理由」である可能性が高いのです)
と「取引すること」について「アプリオリに罪である」と決めつけることが出来るのか?
・・そういうことを考えるのが「哲学」でありその一分野である「倫理学」なのです。
・・・それは(本当は)「法律学・政治学」の領域(分野)ではないのです。
166 :
考える名無しさん :2005/06/10(金) 23:27:50
カコイイ !!
167 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/10(金) 23:28:27
>>155 >コンピューター本体があってもその内部情報がなければその存在は機能しないように、問題は媒体ではなく情報なのです。
「マトリクス」ではありませんが、あなたの説によると、
「脳内の情報を全部(ハードディスクなり「RAM」に)コピーが完了すれば『オリジナルの脳』は生ゴミとして
捨ててもかまわない」ということになります。・・・それこそ「完全な機械的唯物論」なのですが・・?
168 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/10(金) 23:41:49
>>155 >私たちはあえてこの世界に拘束されることで、自分と世界の差異を見出し自由感を得ることが出来ます。
>それは決定論的であっても悪いことではないでしょう。
この言説は「典型的な(ヨーロッパ)観念論」です。私には「キリスト教的自己犠牲至上主義」
(要するに「マゾヒズム」)だとしか思えません。
「十字架に架かって血を流しているキリスト」が何故そんなに「尊く見える」のか?理解できない
・・・ということです。
未だに機械氏の立場がよく理解できません。 少なくとも、私の決定論の下で倫理学は成立しません。 なぜなら、倫理学は「選択する自由」を前提とするからです。 倫理学自体が、機械氏の言う所の「観念論的誤謬」の総体 としか思えません。
但し「倫理的命題」を提起することはいくらでも可能です。 というより「倫理的命題」を提起するように決定されているわけです。 「倫理的命題」は成立するが「倫理学」は成立しない。 少なくとも、厳密な学としては成立しない。
171 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/11(土) 00:26:55
>>170 『「厳密な学」であること』を『誰がどう「オーソライズする」』
ことが出来るのですか?
「ノーベル**賞」の「**」に該当しなければ「オーソライズ」
は未了(「学問的権威」は皆無と断定できる)・・ということですか?
>>171 それは個々人が決めることです。
ノーベル賞に該当するかはどうでもよいことです。
それどころか、私以外の全員が反対してもよい。
問題は自分の理性に合致するかどうかです。
ぼーくらはみーんなーいーきているー
174 :
素人 :2005/06/11(土) 00:34:36
>>170 貴方は
>>56 で(及び前回の同じ質問に於いて)
説明の理論だと言った。
だとしたならば、それ以上何を語る必要があるのか?
利用のできない説明ならば、
→読めない外国語の説明書であるならそんな説明書はゴミ箱へ捨てて、
実際にその機器をいじりながら最もよい使用方法を見つけ出すこと(≒仏教的アプローチ)の方が、
限りある寿命の中ではより建設的なスタンスだと思うが如何。
それが、
777 素人 sage New! 2005/05/07(土) 02:36:34
スレの流れがまどろっこしいので
とりあえず持論から
>>735 の文へ一言
「決定論とは論破するものでなく無視するものである」 by素人
>>761 >意識は物と独立に存在し(え)ない
『この一文には』賛同するw
781 素人 sage New! 2005/05/07(土) 03:12:17
唯物論は受け入れるが決定論は受け入れない
783 素人 sage New! 2005/05/07(土) 03:22:12
いや、言葉を変えよう
唯物論には頷くが決定論は素通りする かな。
のレスの意味なのだがな(´ー`)y━~~
175 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/11(土) 00:34:39
>>169 >なぜなら、倫理学は「選択する自由」を前提とするからです。
なるほど。判ります。
では、あなたは「選択している」(筈)なのに実は「選択されられている」
・・・という「真理も否定できない」という「主観と客観の狭間」で「ダブルバインドに
あえいでいる」訳です。
主観は「重要に思える」・・のですが「実は重要ではない」ということが。
「重要な真理」なのです。
誰が「人生を主観でコントロールしている」と断言できますか?
「みきたにさん」「ほりえさん」が現時点で「それを断言」しても、
いずれ・・いつか・・「単なる幸運だけだった」・・と悟る日が来ます。
それが「機械的唯物論の『必然性』」です。
>>174 利用ができるかできないか、は私にとってどうでもいいことです。
建設的かどうか、も私にとってどうでもいいことです。
「決定論が何の役に立つのか?」
「決定論は不道徳に結び付くのでは無いか?」
そう思う方は、決定論を素通りしてください。
というより、そう思う方は何らかの形で素通りするでしょう。
私が気にするのは、
「決定論は真か偽か?」
これです。
>>175 一、重要と考えること自体が主観に過ぎない。
二、真理が尊重される時代が到来するということは証明されていない。
178 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 00:44:59
決定論は真であると証明することはできない。 というのも自己言及だから。
いや、そもそも「主観」とは何でしょうか? これもまた問題です。
180 :
素人 :2005/06/11(土) 00:47:21
>>176 すがすがしいなw
また、スタンスの取り方(→追求の仕方・ゴールの見据え方)も哲学的だと思う。
やはりこのスレでまともなのは(→誠実なのは)君だけのようだw 乙!∠(`・ω・´)
181 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/11(土) 00:47:50
>>176 あらゆる「色々なヒューマニズム(人間中心主義)やキリスト教的亜流」
を全部検証した結果・・「決定論は真」であり、上記の「「観念論」は、
「誤り」「間違い」「自己欺瞞」「真ではない」・・ということが「唯一の真理」
なのです。
「好むと好まざるとに拘わらず『真理は真理としてしか「顕現しない」』・・ということです。
それを「ニヒリズムの台頭」として100年前に予言した「ニーチェ」は
やはり、「タダモノではない」(なかった)・・と思います。
182 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 00:50:49
くだらないね。
183 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 00:51:55
>>1 トルストイの「人生論」読んだら良いよ。
意識は決して物質の化学作用の必然なんか
では無いと言う事がわかるヨ。
184 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 00:53:02
永劫回帰するんだよ
185 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/11(土) 00:55:41
>>183 トルストイは「従順なキリスト教徒」
ドストエフスキーは「過激なキリスト教徒」でした。
「彼らの自尊心・自己満足」に「キリスト教」がどれだけ貢献できたか?
よくわかりませんが・・いまさら「戦争と平和」を読むくらいなら「海辺のカフカ」
の方を読みます。
>>181 物理学を検証するのに思想史的研究は必要でしょうか?
なるほど、歴史上出現した多くの理論は間違いかもしれません。
むしろ、私も、間違っているのでは無いかと予想しています。
しかし、それでは「決定論は真だ」ということは言えません。
決定論の証明は、他のやり方で為されるでしょう。
ゲーデルの言い方を変えることが許されるならば、私は次の
ように言います。
「真の哲学的命題は、諸科学の完成の後に成り立つ。」
>>180 レスありがとうございます。
ただ、どちらかというと「決定論はここがおかしい」あるいは「非決定論」
はここがおかしい、ということに議論を集中していきたいところです。
褒められると嬉しいですが、褒められるためにやっているわけでは
ありません。
187 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/11(土) 01:19:27
>>186 >「真の哲学的命題は、諸科学の完成の後に成り立つ。」
だから「理論物理学」について(いろいろさまざま)解説しましたが、
「文科系だから・・結局わかんない」という反応には「対処不能」ですね。
188 :
素人 :2005/06/11(土) 01:25:13
そうか・・・w だとしたら力にはなれないな(^^;) あなたの言う決定論ならば、そうかもしれないと思えるから。 ただ、たとえそれが真であったとしても、(以前、読むことのできない台本という譬えを肯定していただきましたが) なくても(知らなくても)困らないものであるなら、 「世の中に車は存在する。けど、おいらは車を持ってない。だから歩いて行く。」ような心持で自らの人生を築き上げてゆく そんなスタンスの取り方を大事にしたいから。 また、反証するには物理の知識が目一杯必要なようだし・・・・ orz おやすみ〜 (´ー`)ノシ
189 :
素人 :2005/06/11(土) 01:26:25
190 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 01:27:53
>59 ちょい待ち >今週の「ロト6」の「6個の数字」は、 >現時点で「確定して」おりますが、「それを知る手段がない」ということだけのことなのです。 それは「可能性」と「実在性」を混同している。 ロト6が行われない可能性だってあるんだから、今の時点で6個の数字が確定しているはずがない。 また、「6個の数字が並ぶ」というルールを作っているんだから、6個の数字を並べるだろうけど、 それがどういう並びになるかはまだ決定していないことで、その時点で決定されるでしょ。
191 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/11(土) 01:34:01
お・や・す・み・な・さ・い
192 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 01:37:37
>186 >「真の哲学的命題は、諸科学の完成の後に成り立つ。」 では「いつ」諸科学が完成するの? 諸科学の「完成」などあり得ない以上、 または無限の彼方にある「完成」の時には届かない以上、 「真の哲学的命題」は成り立たないことになるよね。
193 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 01:39:06
ま、寝るわ。
194 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 01:55:00
機械氏に質問するが最高位の論はどう思う?
195 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 01:59:37
それと、ロト6の「6個の数字」が10進法かどうかなんてことだって 今の時点ではわからない。クワス数かもしれない。 はっきり言えば、「これから6面体のさいころを振ったときに、出る目は 1〜6だ」というのが「決定論」だとすれば、それは形式論理学以上の ものではなく、成り立って当然なのです。つまらないけれどね。
196 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 02:23:16
>>195 まったくだ!
チンポをマンコに入れて擦れば
すべては解決さ。
197 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 02:30:06
>>195-196 ま、未来は物理式の推測、憶測以外の何者でもないよ。
基本、未来なんて時間はない。故に、未来は憶測、推測の
レベルでしか知りえない。絶対な未来を知る術はないのだよ。
それ故に決定論は破綻していますが、何か問題でも?・・・・
198 :
195-196 :2005/06/11(土) 02:34:08
>197 ま、おれも破綻している立場だがw この後どういう反論がくるのかは楽しみです。
決定論は破綻していません。 存在性を我々が否定しても意味がないのと同じで、 何らかの決定性は存在すると考える方が健全でしょう。
200 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 07:46:23
>>1 彼の「戦争と平和」でなく、「懺悔」をお薦めします。
たぶん1さんと同じ様な心境をどう乗越えたかがわかるかと
思います。ただ極端過ぎの例かも知れませんが・・・・
201 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 10:11:50
機械的唯物論者さんよ。 意識は必然にすぎないのならコンピュータ上で脳をシミュレートしたら意識を持つのかね?
202 :
?ネオ ◆cBEk.ZZBa2 :2005/06/11(土) 10:28:17
意識は持てんでしょうな、
203 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 10:48:04
自分の脳をコントロールするにはどうしたらいいのでしょうか。
204 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 11:11:52
>190>192>195 反論ヨロ
205 :
?ネオ ◆XRhOafI0.w :2005/06/11(土) 11:36:24
>>187 >>192 諸科学の完成は未だ果たされていません。
また、果たされないかもしれません。
ですが、私はそこで止まりたくないのです。
>>206 つまり、神になりたいんですね?
そういう姿勢、私、好きです。頑張ってください。
208 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 15:10:47
>>207 人間は「確実に」神=宇宙の支配者に向かってるよ、
自由意志を持たないモノたちと違ってね。
人間には、外部世界の物理的影響を遮断し、自らを
すべての起点とし得る自我があるからさ。
自我は外部の影響を受けない。
脳と肉体を従え、文化文明を蓄積して確実に世界を変えてゆく。
すでに地球の温度を変え、景観を変えつつある。
自我は、やがて地球や月をコントロールし太陽系から
銀河世界、大宇宙のすべてをコントロールする独立主体、
それを一般呼称で言えというなら…「神」と呼ぶほかない ^^;
機械の無茶に較べればかわゆい、かわゆいw
211 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 20:36:14
>62〜>64 誤差の範囲の「無限」の拡張。無限には達し得ないが故に あらゆる決定の予測は不可能。 しかしこれだけでは、「決定を予測する能力はないが、決定されてはいる」 ということになり、そこに人間が達し得ないだけ、と。 「すでに決定している。手が届かないだけ」と。 「認識できるか出来ないか」と「決定されているかいないか」を区別する ことが重要ですね。量子力学的な確率は「決定する能力」のなさを証明 することは出来ますが、「認識できないが決定されている」ことは否定できない。 よって>59で言い尽くされていて、>190は反論された。 カントの「物自体」の論議と似ていますね。
>>211 >「認識できないが決定されている」ことは否定できない。
肯定することもできなければ意味ないじゃん
213 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 21:39:05
>212 主語が「量子力学」だから否定でいいんだよ。
>>212 だとすると、物の存在性を肯定することもできなくて意味がないということでしょうか。
215 :
考える名無しさん :2005/06/11(土) 21:41:17
>212 それと、「決定不可能論」に反論しているんだから、 一個否定をあげればいいんだよ。それで、「決定論」は 少なくとも否定できないんだから。
>>207 あなたの「神」という語が何を意味しているのかは分かりません。
しかし、別に「神」になりたいとは思わないです。
また、なれないでしょう。
真理の全てを把握することは人間の能力を超えています。
217 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/11(土) 23:31:34
>>190 >ロト6が行われない可能性だってあるんだから、今の時点で6個の数字が確定しているはずがない。
2005年の6月16日のロト6の結果は・・2005年の6月11日に「確定している」のです。
2005年の6月02日のロト6の結果は・・2005年の5月28日に「確定してい『た』」のと同じこと
です。
要するに、
2005年の6月16日のロト6の結果は・・2005年の6月11日に「確定していた」のです。
「結果には必ず原因がある」という「自然科学の根本原理」を理解すれば、それが理解できます。
近々「バタフライ エフェクト」という映画が公開されます。
ある日北京の片隅で蝶が羽ばたいた・・その結果数週間後にブラジルをハリケーンが襲った・・
ことについての「因果関係の連鎖」を通称「バタフライ エフェクト」と呼びます。
218 :
190 :2005/06/11(土) 23:42:17
>211 >217 論破されますた。出直してきまつ… 「ロト6が行われない可能性」もまた、「原因」に包括されるものとして 存在していることも、明記した方がいいと思う。
219 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/11(土) 23:46:33
>>218 何か素直すぎて・・?ですが、今後「「ロト6」について言及する場合は、『ここで言う「ロト6の結果」
には「抽選が行われない可能性」も「勿論含まれます」』と明記するようにします。
>>211 は「認識できないが決定されていることを否定できない」といってるだけで、
「認識できないが決定されていることを肯定できる」ということは何も示してないわけだが。
機械の主張は「決定されていると信じる」だけだったよなw
221 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/11(土) 23:57:37
>>220 ロト6レベル(要するに直径7センチの球のふるまいがどうなるか?)の「物理学」では、
「量子的振れは絶対に関係しない」と(完全に)断定できます。
要するに「シュレディンガー方程式」の「確率論」を持ち出すこと自体、「負け」を
宣言しているのと同じことなのです。・・それ(物理学的「大きさ」の違い)を理解しないで、
論じていること自体・・・「痛い」・・ことなのです。
「物理学的大きさ」について「全部連続している」と考えるのは「文科系の素人」です。
例えば昨日の朝日夕刊に載っていた「10万光年彼方の超新星爆発の(相当あとの)奇妙な光の放射」
は「相当あと」の方に比重があるのです・・「超新星爆発で光が観測される」のは「当たり前のこと」
だからです。
>>221 君はミクロの世界でも決定されていると「信じるだけ」なんでしょ?
223 :
211 :2005/06/12(日) 00:03:51
>220 だから機械さんの主張とは別です。何か?
224 :
220 :2005/06/12(日) 00:06:36
>>223 一緒にしたつもりはなかったが、そう見えるな。スマソ。
225 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/12(日) 00:07:25
>>222 あなたは「自分はミクロの世界に棲んでいる」と信じているのでしょう。
たぶん「世間的に」はその表現は「当たっている」と思いますが・・
「物理学」ではそうはなりません。
まず「一般人」が「量子の領域」を体験する機会はありません。
強いていえば、『東京電力の電気の約半分(夜間)には「原子力発電」で賄われている』
こと・・・ぐらいしか「量子論に関係する事象」は身近には存在しません・・ので。
「これがある」とおっしゃるのでしたら、例示してみてください。
>>225 現実に量子の振る舞いが物理学者によって観測されてる以上は、身近にあるかどうかなんて関係ないわけで。
227 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/12(日) 00:14:41
>>226 ご存じのとおり「シュレディンガー方程式」は「未来にのみ有効」なのです。
「過去にこの確率でこの範囲内で起こる事象」について「起こった後」では、
シュレディンガー方程式は「検証できた」だけのことです。
何度も申し上げますが「文科系の方」は「S方程式」を過大評価する(したい)
ことで、「決定論を回避する」・・無駄な論理的迂回をしているだけなのです。
228 :
211 :2005/06/12(日) 00:14:46
>224 こちらこそ、言い方きつくてすマンです。
229 :
211 :2005/06/12(日) 00:43:19
全レスを読んだわけではないので済みませんが… 因果律が存在すること(1)と 意識も因果律に準ずる(1)’とは、 同じことを言っていて、それは納得できます。また、 脳の働きと同様の機械を作製することはできる(1)’’も 当然のこととして受容できます。 脳は認識可能な物質で構成されているからです。 しかし、自由意志が存在する(2)ことは、上で述べたこととは 矛盾しません。 我々の認識は「一つの仮象世界」を世界の姿とはまた別の形で 作り上げており、そこから精神は抜け出せない(これも同語反復)からです。 この二つがきちんと分けられれば、あまり問題は起きない気がします。 皆さんどうお考えですか?
因果律(原因によって結果が決定される)を信じなければ認識論的な あらゆる知的活動が不可能になります。 事象の原因を調べること、目的のために行動することは因果律を 信じているから可能になることなのです。
231 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 00:58:38
機械は説明の仕方というか表現や比喩が下手杉。もうちょっと文学作品でも嫁って言いたくなる。
232 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/12(日) 01:05:07
>>231 >下手杉
には(結構)参りますね。
『ミリオンダラーべィビィ』をご覧(お読み)になりましたか?
「たかがクリンストイーストウッド作品」では片づけられませんよ。
「哲学」や「意識」、「自己(の尊厳)」に関心があれば・・ですが。
>>231 VITA SEXUALIS よりは SEXUAL HARASSMENT の方に興味を持ってそうだから、
期待することさえ無理だろう。
234 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/12(日) 01:10:07
謹んで232の修正です。 「たかがクリンストイーストウッド作品」→ 「たかが『クリント・イーストウッド作品』」 でした。
235 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 01:13:02
機械のバカさ加減も必然だったんだろうな。
236 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/12(日) 01:16:23
>>235 今日は「乗り」がいいので、お相手差し上げます。
そもそもおっしゃっている「バカさ加減」の「尺度」は「何」
だと思いますか?
ここは未だに唯物論と観念論の二項対立で哲学を考えてるミラクル馬鹿の集会所ですねw
238 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/06/12(日) 01:19:22
ロト6でどの数字が選ばれても 数字の書かれたボールもエアコンプレッサも 抽選のお姉さんも、何も関係無い。 あるのはただ「期待」という形の無い「思い」だけ。
239 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/12(日) 01:20:09
>>237 あなたは「完全に観念論に帰化した」とローマ法王庁(かどこか)で
「認定済み」の「肝炎論者」・・ということですね?
240 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 01:20:43
>>236 尺度は観念が物質世界に投影されたものですね。
241 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/12(日) 01:22:06
>>238 そういう「韻文」=「詩」で「全てを語っているように見せかける」
昔ながらの「日本的方法」に固執される訳ですか?
242 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/12(日) 01:25:42
>>240 逆です。
物質界を探求しようとして「精神(脳)」が「創り出したモノ」が、
「尺度」です。「尺度計測装置」・・「メジャー」をはじめとして、
は「人間が創った道具」に他なりません。
243 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 01:30:42
>>242 道具レベルと物質レベルは意味が異なる。道具は目的に添って作られ使用される。
物質には目的は無い。
244 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 01:31:06
>>232 だから「神の証明」みたいな本を書いて呉智英にバカにされるんだよ
245 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/06/12(日) 01:35:50
量子力学が分かってもそれだけでは何の役にも立たないでしょう。 それを「応用」「利用」していかに「人間に都合よく」するかですね。 レントゲン・CT・MRI・放射線治療etc
246 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 02:25:18
マジワロスw
ワロタウロスw
248 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 09:43:28
>>214 >物の存在性を肯定することもできなくて
認識できないものの存在は肯定も否定もできない。
肯定・否定は論理的真・偽に対応するなら、これで
問題ない。
ものは認識されてはじめて対象となる。
カントのいう物自体は無意味(なくてもよい)である。
249 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 09:54:34
>>230 >因果律(原因によって結果が決定される)を信じなければ認識論的な
>あらゆる知的活動が不可能になります。
どうして?
確率を認めない立場ですか?
原因は不明だけど現象は認識できる事象など
いくらでもある。
>>249 認識できる範囲は有限なので原因不明や予測できない事象があることは
もちろんです。統計確率論も因果律の存在を踏まえないと全く役にたちません。
251 :
211 :2005/06/12(日) 12:08:28
>248 >ものは認識されてはじめて対象となる。 >カントのいう物自体は無意味(なくてもよい)である。 これは「物自体」のとらえかたが違っている。 物自体とは、認識できる何らかの対象ではなく、 また、人間というものがもっている心理学的な意味での一つの能力 でもなく、 およそ認識というものが成り立つ限り、もっているのではなければならない と考えられる能力、または世界のあり方です。 だからこれは「否定的な」論証によってのみ検証することが出来ます。 無意味どころか、これが前提(ア・プリオリ)とされなければ認識の枠組みが 成り立ちません。
252 :
211 :2005/06/12(日) 12:10:09
これをこれまでの決定論に適用するなら、 >229のとおりとなります。読んでみてください。
「自由感」というの起こるのは脳の欠陥なんでしょうか。
「自由感」というのが起こるのは脳の欠陥なのでしょうか。 それとも自我にとって「自由感」は必然でしょうか。
255 :
211 :2005/06/12(日) 12:49:25
>229に一つ付け加えます 「あらゆる因果律をもれなく計算できる機械を人間が 作成することは出来ない」(3) これは明らかですよね。人間には検証が不可能ですから。 もし何かの弾みで作ってしまったとしても(この仮定も要検証)、 それがすべての因果律をもれなく計算できる、「ラプラスの魔」の ような物かどうかは永遠にわからない。 逆に言えば、人間がそれを読み解くことが出来れば、(3)とは 自然そのものに他ならないわけです。
>>229 私の決定論で用いられる「自由意志」は、明らかに
物理法則を脱して、かつ、物理法則に影響を与える
何かでなければなりません。
言い換えれば、「強い意味での自由意志」です。
「観点を変えれば自由意志も認められる」というような
「弱い意味での自由意志」では無いのです。
>>251 いえ、そういうことはありません。
バークリー僧正の観念論を思い出してみてください。
「物質」が存在しない「表象」のみの世界であっても論理的
に問題は生じないと思います。但し、神や宇宙魂の存在を
仮定するがゆえに、非常識なわけですが。
私の定義の下では、 (1)意志は因果律に規定される。 という命題と、 (2)自由意志は存在する。 という命題は並存できません。 定義を変えて、「決定論も自由意志も並存できる」 と主張される方に対しては、「定義を変えればそう なるかもしれないが、それは私の主張と関係無い」 と返答します。
>>255 「決定論は確実である」という命題と「決定論は正しそうだ」
という命題との違いを私は設けます。そして、私のスタンス
は後者です。ゆえに、「決定論は最終的に確実だと分から
ないのではないか?」という主張に対しては「そうかもしれな
いが、決定論−非決定論のどちらが正しいそうかについて
考えることの絶対的な障碍にはならない」と反論します。
例えば、「明日、神が突然現れて、地球を滅ぼしてしまわない
とは限らない。だから、今日は会社を休もう」という主張を決定
的に反駁することは不可能です。しかし、不合理だと認める
ことは可能なのです。
260 :
211 :2005/06/12(日) 15:29:52
>256 >258 「脳の働き全般」は「物理的因果律の法則に基づいている」 のですから、そこから抜け出すことは出来ません。 「決定論者」さんが言われる「自由意志」の定義はこの 「脳の働き」から<はみ出る>もので、これは私も存在しないと 考えます。 この点で、「決定論者」さん、「機械的唯物論者」さんとはなんら 変わらない意見を持っていると思います。 物理法則が精緻になろうがなるまいが、枠組みとしての因果律は 存在せざるを得ません。 しかし、 たとえすべてが計算可能であったとしても、人間には永遠にそれを 知るすべはないのです。あると考えられても、とらえられない。 知るすべがないと言うことは、人間が今知っている法則の枠内では、 すべてを統べる因果律はとらえられないと言うことです。 だから、すべてが法則に従っていようが、私は「私の考え」で、「よりまし」な 動きをするわけです。 それを「自由意志」と呼べば、因果律の枠内で十分「自由意志」は存在できます。 それだけのことです。
>>260 残念ですがそれは私の立証しようとしていることと無関係です。
私が知りたいのは「強い意味の自由意志があるのか?」ということ
であり、また、「その有無はどうすれば分かるのか?」ということです。
262 :
A :2005/06/12(日) 15:56:07
私は決定論は一種の観念論だと考えます。 分かりやすく、単純なサイコロを例にしてみましょう。 私は、「サイコロを転がす場合のすべての条件が分かっているなら、 サイコロの目はすでに決定している」ということに 反論する根拠はまだ何も手に入れてません。 ただ、サイコロを転がす場合のすべての条件が分かる というのは一種の観念だと思います。 諸条件に中のひとつ、テーブルの面だけを取り上げてみます。 貴方たちは、テーブルの面にはどこまで微細に至っても 明確な状態があると信じているのでは? 確かに固体の表面は、原子と原子の間の関係が流動的ではありません。 しかし、個々の原子の面はどうでしょう。 変化しているのです、しかもその形状には決定性はありません。 マクロなサイコロとマクロなテーブルとの接触点の凹凸ではあっても 100%明確な状態等あり得ないのです。 決定論者は物質について、認識というものが どれ程深くかかわって成立するしているのか、 検討すべきだと思います。 私は物質はより本質的なものの現象だと考えています。 質量・エネルギーに真の存在性はなく、 素粒子に至るまで認識とセットの世界だと。
263 :
211 :2005/06/12(日) 16:03:55
>261 そもそも人間が知りうる「物理法則」の概念の拡張、変形で 「世界のすべてを統べる因果律」を概念としてとらえること自体が 不可能だと考えます。人間は因果律を「或るもの」とだけ認識できます。 「因果律」は、その定義上、あらゆる物事とその運動が従うべきもの です。「はみ出た」運動はすべて、振り返れば「因果律」に回収されている。 釈迦の手のひらの悟空みたいなものですw また、「因果律の破綻」も「因果律」に回収されます。これも定義上の問題です。 それは存在する。しかし、とらえられない。 その「定義上」の「因果律」の中にしか、当然脳の働きも存在し得ません。 定義上、因果律からはみ出ることは不可能(同語反復)なのです。 だから、すべては一つの統一された因果律の元で、時空での運動を行い「決定」 づけられます。 「決定論者」さんの言葉を借りれば、「強い意味の自由意志」が存在することは 人間には永遠に理解し得ない。これが結論です。 ところで、その前提の元で「選択の問題」は存在します。 絶対に「すべてを統べる因果律」は「認識し得ない」んですから。 その時点での「最善を尽くす」行為は、永遠に続きます。 自由意志が存在する一つの地点は、そこです(すごく慎重な書き方w)。
264 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 16:15:01
日曜日だにょ
265 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 16:19:15
決定論は過去の出来事についてのよくある結果論じゃんw 因果律も似たよなもん。 将来起きる事柄を担保してるわけじゃない。
266 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 16:27:23
決定論も因果律も人間がつくったもの。 自然(神)が人間に従う必然性はない。
>物理法則を脱して、かつ、物理法則に影響を与える何か =奇跡。 ありますよ。私も何度か経験したことがあります。ホントダヨ。
むしろ決定論は「未来の出来事についての結果論」というべきでは。
269 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 16:33:04
270 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 16:36:25
>>267 科学は仮説だから物理法則に合わない事実がみつかれば
物理法則が修正される。奇跡でもなんでもない。
271 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 16:42:01
>>268 >「未来の出来事についての結果論」
これは予言や占いであろう。
予言は常に予言破りが可能であり、占いは当たるも八卦
だから、決定論者は前もって完全な未来予測は不可能である、
と言い逃れをしている。
決定論を支持していて良い事あるんですか? 「誰しもいずれ死ぬ」これも決定論ですか? 「私が今、決定論ってつまらない。と思う」これも既に決まっていた事ですか? 決まりきった事を決まり通りにやって、自由意志はあるか?と問う。 自分が何々すればこうこうと結果が来ると決め付けてるから、自由意志があるのか。 と疑問に思うのでしょう。はみだしましょう。
奇跡が起きたとして何故それが物理法則に従っていないとわかるの?
【奇跡】<広辞苑> 常識では考えられない神秘的な出来事。 既知の自然法則を超越した不思議な現象で、 宗教的真理の徴と見なされるもの。 ------------------------------------- 例え、(厳密に言えば)物理法則に従っていてもどうでもいいです。 珍しければ面白い。好奇心。
>>272 では、あなたは、ゲームのキャラクター(NPC)に自由意志を認めるわけですね。
>>275 は?何でそうなるの?
・誰かAが完全予知は出来ない中で、誰かB(さっきのとは別人でも同一人物でも可)が何か行動する。
誰かBの何かの行動の元は自由意志。
誰かBを誰かAが完全予知できるなら、誰かBに自由意志は無いと誰かAは思うでしょう。
決まりきった事を決まり通りにやっていたら、そこに自由意志は無い。
決定論なんだ。と言って、自由意志が無い。と嘆くのは
「決定論を信じて、自分の自由意志を求める事」が間違っているのでしょう。
これは決定論が間違っていると言うのではなくて、決定論と自由意志が両立しないと言っています。念のため。
>>276 では、受動意識仮説についてはどう思われますか?
顕在意識より、潜在意識とその動作の方が先に行われているのですが。
278 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 18:54:53
>>277 >受動意識仮説
では来年度予算が決定されることをどのように
説明するのでしょうか?
予定を計画することに脳での思考を除いて直接
身体動作は関係しないのではないか?
>>277 顕在意思が自由意志で、自由に決めていると危険に対するリスクが大きい。
潜在意識は危険を回避する為の反射として遺伝子かは知らないけど身に染み付いているのでしょう。
食べ物の好き嫌いは先天的なものと後天的なものがあって、
後天的なものは食べた後気持ちが悪くなったとかで嫌いになるのでしょう。
私の話してる事は全部仮定だけどね。
280 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 18:57:34
terawaros
機械が低能だから意識が必然にすぎない スレはここでつか?
>>278 顕在意識は潜在意識に従う。潜在意識は物理法則に従う。ってだけではないですか?
>>282 従う。って言うけど、どちらも揺らぎがあるでしょ。
この揺らぎで環境適応できるんです。
揺らぎが無くて環境が一変したら全滅ですよ。
>>283 どこに?
そもそもその揺らぎって物理法則にあるものだと思うのですが。違いますか?
揺らぎって、波が上下に動くようなものでしょう。
Aさんは5になったらXをする。 Bさんは3になったらXをする。 AとBに閾値の違いがあるんでそれがいいと思う。 物理法則にあるものでもいいじゃないですか。 決定論は否定しているけど、物理法則自体を否定はしてないですよ。 物理法則=決定論とでも言うのですか?
>>286 なぜ、決定論を否定するのですか?
決定論は予測不能性を保証しているのですが。
>>287 つまらないから。好みの問題です。別にお互い様でしょ。
物理法則は、理想状態を作った(考えた)上で、AをやればBになる。
決定論は、BになったのはAが(理想的)原因だ。
話を変えますが、先祖の事はどうです?
10代前の先祖は1024人いますが、決定論はその中の1人に決め付けたがって
いるように私は思います。
何でおまえら過去レス見て議論しないw
290 :
考える名無しさん :2005/06/12(日) 20:21:58
だって、お目々が・・・
>>263 貴重なご意見ありがとうございます。
確かに、あなたのような定義に依ればそうなるでしょう。
私は以前にも提起しましたが、
「自由意志とは何か?」
という問題が私はまだ未解決です。
また、次のような問題もあります。それは、確実性は得られない
けれども合理性が得られることはある、ということです(
>>259 )。
例えば、「明日、神の気紛れで世界は崩壊するかもしれない。だから、
今日会社を辞めよう。」という主張に対して反論する時、因果律や
決定を持ち出さずに何ができるのか、という問題です。
292 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/13(月) 00:18:27
>>263 >ところで、その前提の元で「選択の問題」は存在します。
>絶対に「すべてを統べる因果律」は「認識し得ない」んですから。
>その時点での「最善を尽くす」行為は、永遠に続きます。
>自由意志が存在する一つの地点は、そこです(すごく慎重な書き方w)。
何が「慎重なのか?」勘違いだと思います。
「意識」は「自分がその時点の情報のインプット(感覚的クオリア)」と
「過去の経験の蓄積(志向的クオリア)」の「結合点」要するに「CPU上で」
プログラム@と記憶装置の記録Aとキーボード入力情報Bが「出会い」・・計算結果を出す
・・・だけな訳ですので、その答えは「@とAとB及び『CPUの構造』及び『基本ソフトウェア』」
により「決定されている・・・ということです。
「基本ソフトウェア」は「人類の類的脳構造の共通性」であり「CPU」は「発生的に細胞分裂した」
「脳の細胞の構成」です。
293 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/13(月) 00:26:16
>>292 私が言いたいのは「最善を尽くさざるを得ない方」・・警察官や裁判官
も居るのですが・・・「最悪を尽くさなければいけない脳(犯罪脳)」も
存在し、前者の産まれてくる確立の方が圧倒的に多いのですが、後者の脳
が産まれてくる「可能性はない」とは言えません。・・・従って「警察」や
「検察」といった「取締機関」は不可欠である・・と同時に「検察や警察の
振る舞いに関する監視機関」も不可欠なのです。
もっとも「騒擾状態」が生きがいなかた(まあ、一種の犯罪者予備軍)も
(少ない確率ですが)産まれてきますので、いつ「ヒトラー」のような「好戦的指導者」
に「国を乗っ取られるか・・・」は判りません。・・・「確率の問題」だからです。
もう少し日常へ引き付けて見ましょう。 我々の日常生活を観察すると、完全な未来不可知論者、 すなわち「物理法則は結果論だから未来を担保しない」 という人はまず見当たりません。 「よく分からないが何かしら決定されてるみたいだ。例えば、 明日も太陽は東から昇るだろう。」という人は多いでしょう。
295 :
考える名無しさん :2005/06/13(月) 00:32:28
人間の場合は同じ状況でも違う判断をすることがあるからな。腹が減っても「もうラーメンは飽きたから、今日はカレーにするか」という感じで。 PCのように「あ」と入力すれば「あ」が表示されるとは限らない。
さて、「なぜ
>>294 のように考えるのか?」と問われた場合、
どのように答えるでしょうか?
私はこれを出発点にしたいと思います。
同じじゃないですよね。 有機体も環境も、常に何か違うのです。
>>289 過去ログ断念。読むきしない。議論済みなら
>>298 は議論済み。解決済み。とレスして、流してちょうだい。
間違い探しでちくちくやってもらえると、うれしいけどね。
>>295 >>298 で有機体(生物ですね)と言いましたが
コンピューターと、「あ」はどうでしょうか。
「あ」を押す指は常に同じ速度じゃないよね。
機械を使っても、ちょっとずつその機械はちょっとずつ消耗しているはずで
押す速度とかでも測定不可能なぐらいの差があるはず。
つまり、コンピューターへの刺激は常に異なるはずと。
入力のキーは消耗品。
つぎ、出力のモニターも消耗品。
プログラミングを乗っけてる、ハードディスクは消耗品。
パソの脳みそとされるCPUの電気の流れは、どうかな。
たとえば、金も消耗する?電気流れたらかわる?CPUは永遠かな?
なんだかんだいって、消耗品でしょ。ちがう?
かなーーり、小さかったり、ゆっくりだったとしてもさ、変化して行ってるんじゃないの?
まあいい、とにもかくにも、入力と出力は絶対、つねに同じじゃないはず。
しかし、データーはどうだろう。一定?同じ?データーは時を超えるか。言葉は?概念は?とか考えながら、おれはねる。
>292 返答ありがとうございます。 でも、同じことを言っていると思いますよ。 とりあえず、>263の「ところで」の前まではいいですか? 要点は、「人間の意識は、限界をもつ。しかし、因果律は 常にその限界の外部にある」ということです。 >「意識」は「自分がその時点の情報のインプット(感覚的クオリア)」と >「過去の経験の蓄積(志向的クオリア)」の「結合点」 と言うとき、 1)「意識」が決定したプロセスである脳内の化学変化 2)それを「意識」がとらえた内容(解釈) は別である、ということです。 時間的・空間的なあらゆる全体において、「因果律」は貫徹している のですから、どの「或るプロセス」も、因果律を貫徹しており、「はじめから 全て決まっている」 しかしある時点での人間の認識は、生物種的・歴史的・生物学的に絶対的な限界を 持つとともに、その時点での生理学的な限界(物忘れとか、無意識下の抑圧とか) をも受けます(言葉の使い方がヘンかもしれません、ごめんなさい)。 その限界内で人間は最善を(もしくは最悪を)尽くすわけです。 結果として、「うまくいった」時もあるし、「うまくいかなかった」時もある。 それは起きてみないとわからない。 だから、「真理は存在し」「人間の脳もそのプロセスに従い活動している」が、 「人間の意識はその心理に絶対に達することは出来ず」、「永遠に選択し 続ける(選択の可能性は残っている)」ということです。
>>288 好みの問題ではないと思います。
大抵の物事には何かしらの原因がありますが、原因がないと言い切れる限界を
人間如きが定められるものでしょうか?
非決定性を持ち出すのは、人間の思い上がりだと思います。
>291 こちらこそ、この論議は楽しいです。 >「自由意志とは何か?」 についても>263で述べたつもりですが、言葉足らずだったでしょうか? その上で、人間の意識の活動としての「確実性」「合理性」の問題に ついては、(同様の問題を>293で「機械論的唯物論」さんが述べていますが) 独自の人間の認識の問題として取り上げる必要があります。 これについては勉強不足でよくわかりません… が、この問題が「決定論」の問題とは別である、とは言えます。 今日はそんなところでw
303 :
考える名無しさん :2005/06/13(月) 09:31:49
>>300 >時間的・空間的なあらゆる全体において、「因果律」は貫徹している
>のですから、どの「或るプロセス」も、因果律を貫徹しており、「はじめから
>全て決まっている」
これは経験される事実ではなく、たんなる思い込みです。
そのように思えない人には何の意味も効果もない。
304 :
考える名無しさん :2005/06/13(月) 09:36:09
>非決定性を持ち出すのは、人間の思い上がりだと思います。 なんでも人間は理解できる、とするほうが人間の思い上がり だと思える。 「知らないものは知らないとする、これ知るなり」という 知恵もある。
305 :
bbs :2005/06/13(月) 12:25:53
>>300 因果律も真理も、言語化できない以上は人間の感覚では「無い」としか言いようがないでしょう。
決定論はあるでしょうが、それは既存の物理法則とは重なりません。
100パーセント正しくするには無限回の試行が必要で、それは不可能だからです。
地平はその方法では知りえないものとして永遠に残ります。
>>293 「確率」ですか・・・。
それは人間の脳が完全には全てを知りえないことを意味するでしょう。
人間の脳が完全でないなら真理の存在を語る事もまた不可能です。
真理を語るならばそれ以外の何らかの完全要素が<私>の中に存在しなくてはいけません。
それは<私>が脳の表象的性質のみで推し量れないことを意味します。
問題となるのは「今」のこの「現象」という「地平」なのです。
心はこの世界の全体的な構造性の中で現出します。
例えば恋愛とかもそういうことが出来るような状況が与えられて初めて成り立つわけです。
要するに汎心論です。
問題は汎心論だと自我を持った「私」がいなくなってしまうことです。
「我考えるゆえに我あり」
それが本質としての(私)でなくとも、普通の人はそういう存在を「私」としてみなします。
そこで必要になるのが脳とか体とか記憶とかいう考えです。
それで(私)をコギトとしての「私」に自己移入できるようになったわけです。
ですが、(私)の要素が「私」に含まれたところで「私」は(私)にはなりません。
脳に固定されるという「私」は理性的主体としてのそれであって(私)ではないのです。
少し残虐な話になりますが、鶏などは首を切れば体だけがじたばたと暴れまわります。
まるで生きているように見えますし、実際その時点では生きているでしょう。ですが、その存在に脳はありません。
脳を我々が大事にするのは、恋人を失いたくないときのような、自己の未来に対する未知なる喪失感に対する畏怖に過ぎないのです。
>>302 「自由意志がある」という時、私は何が言いたのでしょうか?
それは、「強い因果律」の定義にも包摂されない「意志」です。
では、強い因果律にも包摂されない「意志」とは何でしょうか?
私はギリシャ哲学の「魂」における性質を転用します。
それは「原因を持たないもの」です。
「原因を持たないもの」は因果律に包摂されません。
個人的には「あらゆる物事とその運動が従うべきもの」という
定義は少し極端すぎる(あるいは、普通、自由意志が問題に
なる場合と意味が違う)と考えます(
>>263 )。
但し「原因を持たない」という表現には注意しなければなりません。 これは、「全く持たない」という意味ではありません。
独力で何とかなるときは手助けされても鬱陶しいだけですが、 どうしようもない、無抵抗の状態になった時に助けられると 非常に有り難いです。絶対他力っていうやつです。
あ、>300と>302は私です。ハンドルはずれていました。 >303 この批判は妥当です。ちょっと時間ください。 >305 同様の批判ですね。 ただ、「人間の感覚では」の部分は正しいと思いますが、 「言語化できないもの」は人間の感覚外かというとそうでは ありません。ただ、この点はあまり本質的ではないのでつっこみません。 (ゲーデルの不確定性理論、ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬもの」あたり) >100パーセント正しくするには無限回の試行が必要で、それは不可能だからです。 >地平はその方法では知りえないものとして永遠に残ります。 全く同意です。これが、「存在すると仮定せざるを得ない」「感覚しえないもの」です。
>>304 違います。
決定論の場合は人間が理解できない知りえない原因が存在するってことです。
また、決定論は物理法則以上の存在です。
傷のない映画を完全な物理法則によるものだとしたら、
神が映画のフィルムに傷をつけた状態は、物理法則を超えた結果になります。
しかし、フィルムは中の登場人物に依存することなく決まっています。
このように、過去も未来も既に存在していると考えるのが決定論です。
また、例えば太陽の光が地球に届くのは約8分後ですが、
おのおの主体に届く情報は全て他者の過去になっています。
これはどういうことかといえば、主体以外の世界の未来は既に確定しているということです。
313 :
考える名無しさん :2005/06/13(月) 22:53:44
>>312 時間が無限ループしているって言いたいのですか?
例えば2000年間の円になっていてその中の存在は
円になっていることを気づけない。
それでも、螺旋状に時間は進んでいるのだろうと私は思いますけど。
315 :
考える名無しさん :2005/06/13(月) 23:27:59
>>312 >決定論の場合は人間が理解できない知りえない原因が存在
>するってことです
決定論と因果律は直接の関係はない。
原因不明の確率的決定論のような非因果的決定論もある。
因果は明確でも未来予測のできないカオス的決定論もある。
しかし、人間に理解もできない知ることもできないことがらなら
無意味だ。これはいまだ知らないこととは異なる。
不可知であることを知ることができたならそれで探求は終わりだ。
>>315 確率というのは物の見方であって、実際の事象ではありません。
決定論というのは、人間に選択の自由がないというだけです。
予測不能性とは関係有りません。というよりも、決定論が予測不能性を保障しています。
>>314 ループしているかどうかではなく、空間同様、時間も軸として存在しているだけです。
主体の意識は、ムービーの再生ポイントが動いているだけということです。
318 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/13(月) 23:45:53
>>305 >「確率」ですか・・・。
>それは人間の脳が完全には全てを知りえないことを意味するでしょう。
そうではありません。「ラスベガス」という砂漠の中に出現した都市は「確率論」の上に
成り立っております。
例えば「ポーカー」・・これは「麻雀」をやったことがある人なら理解できる「経験」と、
「(胴元が雇う人の)ある種のスキル」が「かなりモノをいう勝負」です。
ましてや「ルーレット」・・この「器械」は完全に「確率論的に平等に造られている」モノで
あったとしても(ディーラーのスキルが「ゼロ」でも)、「胴元は必ず儲かる」ように出来ております。
・・・「何故『そう』断言できるのか?」・・「『確率論』を用いた『解』がそうなるから」です。
319 :
素人 :2005/06/13(月) 23:52:25
決定論にもレベルがあるってことかね ○極大の視点から、一切合切が決定されている。 ↑ | | | |(この間にどれだけのバリエーションが設けられるかわからないがw) | | | ↓ ○部分部分で、各種の現象がその系の中でのみ決定されている。
320 :
考える名無しさん :2005/06/13(月) 23:59:08
確率的決定論? カオス的決定論? ・・・矛盾!。 決定論とは予め知りえる論では?。
321 :
考える名無しさん :2005/06/13(月) 23:59:09
天気予報のように、全ては確率的に決定されておりますです。
>>321 人間が確率的にしか知りえないというだけです。
10光年先から地球を観測して、天気予測をやっていても、
実際には10年後まで確定しているのと同じです。
323 :
320 :2005/06/14(火) 00:02:58
決定論に範疇、ここいら辺り、いう概念を持ち出すのはどうかと・・・ 確立いう、どれも、これも、ありいうのは、決定論と言えるのかな、もし。
>>323 もともと、決定論か否かというのは、人間に選択の自由があるかないかってことです。
どんな単純な物理法則を持ってきたところで、系内では予測不能が生じるのは避けられません。
予測不能性と決定論は無関係です。
325 :
320 :2005/06/14(火) 00:05:38
緩い決定論だね。
326 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:06:31
確率じゃないだろ。完全に確定されている。ビデオを再生するのと同じ。 みんな自分の自由意思で行動してると勘違いしてるだけ。
327 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:12:02
>>316 >決定論というのは、人間に選択の自由がないというだけです。
選択の自由はある。しかし、決定論のように将来は決定して
いないから期待した結果にならないことがあるだけです。
予測どおりになるのが因果律でしょう。
いずれにしろ予測不可能なら決定しているなんていえない。
なるようになるというものの見方となんら変わりない。
自由と法による生き方のほうが正しい。
328 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 00:14:10
>>319 137億年前の「ビッグバンの瞬間」から『全部』決定されているのです。
「どう決定されているのか予測する(出来る)レベル」が「現時点において」
ランク付けされる・・だけです。
このごろ「天気予報」が結構細かく当たるようになったこと・・に気づいておられますか?
いずれ「自身予報」も本格的に実用化され・・るようになる・・と思います。
せめて「東海地震」「関東大震災2」ぐらいはこの10年間ぐらいで「有効な防備策を
取ることができる位の猶予期間の前に『予測される』ことを望みます。
「マグマの動き」とか「プレートの動き」とかを観測できるのですから、「それぐらいのこと」
は、ある程度優秀な「地震学者」が「コンピュータを駆使すれば」可能なはずです。
しかし「地震学」は「地学」に分類され、物理学であるようなないような・・分野ですので、
「地学で飯を食っている学者」にそれほど優秀な方が居るかどうか?
(スパー)コンピュータを駆使できるのかどうか?・・・若干「疑問」は残りますが・・
329 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:15:15
1ツの脳髄
330 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:19:14
そもそも物理法則などは観測から偶然や人為を排除した条件で確証されうる ものなのだから、人為を物理法則から導くことは出来ないのですよ。
331 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:21:00
>>326 >完全に確定されている。
それでいて、何がどう決定されてるか予言できない
のが決定論だな。占いや呪術のほうがまだ効力ある。
ぎゃてい、ぎゃてい・・・。
332 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:23:23
決定論とは11次元の宇宙が人間の意識によって 次元後退を起こし三次元と四次元の狭間で揺れ動く 波である。
333 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:24:48
>>328 そもそも決定されたというのは、決定される前に自由意思が存在して
そいつがそう決めた、ということになるね。
魔何…。
335 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 00:29:57
>>330 なるほど、確かにスペースシャトルコロンビアの事故は「天災」ではありませんでした。
JR「西の宮の事故」の同様です。
しかし「(公衆)人身安全」について「人為」は「物理法則から導くことが出来ない」と
断言することは「こういう事故はこれからも必ず(ある個体の「人為の暴走」によって)起こる
「ものだ」・・と断言するのは「間違い」だと思います。
「人為」を「物理法則」・・例えば「酔っていた脳」とかと「独立したモノ」である
とするのは「間違い」だと思います。
「過失」にも、」更に言うならば「故意」にも「原因がある」のであり、
その「原因」とは、(例えば)両親に撲たれて育った・・とかの「物理的原因」があるのです。
336 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:34:47
っていいますか、時間論でも勉強したら。
337 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 00:45:29
>>336 時間論で一番不可思議なのは、「23次元宇宙説」や「21次元宇宙説」
がかつて存在し、現在はほぼ「10次元宇宙説」か「11次元宇宙説」に
収束しているように見えますが、いずれの理論も「サーフェイスの次元」を
「時間である」としてることです。
5次元時空から見た「4次元時空(縦*横*高さ*時間)」は、4次元(我々の生活空間)
から見ると「1次元下」ですので「マンガ・劇画の世界」ですが・・我々かにしてみれば「最終頁から
最初の頁に読み進む」ことも「マンガ・劇画(2次元)」の世界に対して「可能」なので、
もしかしたら「5次元に生きる生物」は、「21世紀から初めて紀元前30世紀まで逆読みする体験映画」
など見て、「興味深いな」とか言っているかもしれません。
338 :
336 :2005/06/14(火) 00:55:53
339 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:56:33
4次元時空より多い次元数は畳み込まれた次元を繰り込んだもので 「この世」を表現しようということには変わりないのですよ。 別世界のことではありません。
340 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 00:58:10
>>337 付け加えますと、その「21世紀から紀元前30世紀まで遡るスペクタクル」
は「5次元人の手に中にある」のですが、その「手の中にある『我々個体』」は
「マンガの主人公」以上の「存在性」を持ち得るのか?・・ということです。
とにかく、秦の始皇帝だろうが、エジプトファラオ、だろうが「トロイ」だろうが
「アレキサンダーの遠征」だろうが「キリストの布教活動」だろうがとにかく「全歴史」
が「一枚のディスク」に「全部記録される」ことも出来るような「情報の『本格的革命』」
が起きたら・・・どうだろう?・・・面白いな。・・と思いますね。
341 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 00:59:33
1次元下が好きな俺が来ましたよ。
342 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 01:03:57
>>340 一枚のディスクの情報の次元数がわかりますか?
343 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 01:05:29
344 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 01:11:38
>>342 ディジタル情報は「1と(か)0」で「全て」を記述しますので、
「情報の伝達速度」・・BPS(一秒間に何ビット電送できるか)
だけが「情報量」に拘わるわけです。
1枚のディスクに現在は「3次元+時間次元」まで記録可能ですが、
それが「5次元・・」とならない:という理論的根拠はありません。
あくまで「(一定時間に伝達できる情報量(ビット)」のもんだいなのであり、
それは「永遠に多くな(りつづけ)る」という法則(**の法則)があります。
345 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 01:45:24
この間見た映画の語り部はアレキサンダーの腹心の部下プトレミー (プトレマイオス)で、彼はアレキサンダーの次のファラオ(エジプト王) になったのだが、彼の功績は「アレキサンドロス図書館」だった。 まあ、それがあったから「現在のヨーロッパ文明の世界支配」が起こったわけだが、 ダリウス3世が25万人の精鋭部隊をアレキサンダー軍5万人に打ち破られた「**の合戦」 が「現代の世界秩序(パワーポリティクス)」を「決定した」と私は思っております。
346 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 01:48:49
そんな御託より明日の株価でも当ててほしいね。
347 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 01:52:29
いやいや、昨日の株価等の提示は、このスレの専門とするところだよ。
348 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 01:54:12
>>346 株価に興味があるなら、「設けたい」と当然思っているはずです。
「絶対に・確実に株で儲ける方法」について色々な本が出ておりますが、
「単純な構造」を理解すれば「株で損することなどあり得ない」=必ず儲かる
のです。
「単純な構造」を「全員が共有する」とそれは「単純」でなくなるので、
ここ(公開の場)では「公開」出来ません・・・が。
349 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 01:58:02
株式必勝法は安い時に買い、高いときに売るという極めtえシンプルなものであります。
350 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 01:59:24
「機械的唯物論」者さんは博学才穎ですね。
351 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 02:04:00
>>349 株取引は「ゼロサムゲーム」ですので、
「得した人(達)の得した額の総額」と
「存した人(達)の存した額の総額」は『全く同じ』です・・
・(証券会社等の「手数料」は除いて)
・・・それが「基本中の基本」です。
352 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 02:05:24
>>350 >博学才穎
の意味を知りません。教えて戴けますか?
353 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 02:07:28
それに対して ギャンブルは得した人の得した額の総額と 損したひとの損した額の総額は全く一致しない。
354 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 02:12:44
>>353 ギャンブルには「設備投資」(ORそれに類する投資)が必要ですから、
「それ」(設備投資「資金)を回収できるか否か・・が「成否のポイント」です。
355 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 02:24:13
>>353 おっしゃっるとおり・・ですが、
その「総額の管理」は「胴元である設備設置者」が決めますので、
心配することはない・・と思います。
たぶん彼らは「毎日退屈しておりパチンコしかやることがない」
主婦や「ヒキコさん達」や「ドカタさん達」の「現金」を『機械で吸い上げる』
システムを考案し、「そのシステムに『人生の貴重な時間を潰す』ことに同意した」
「同意するしかなかった惨めな『とるに足らないくだらん人生』との・・「共同作業」
なのです。・・・結構「惨めで微笑ましい凡人の無意味な死」・・ということですね。
356 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 02:36:08
>>355 そう言う人達が居るよね。そう言う人達に機械さんはどうしたらいいと
言えるのですか?
357 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 02:43:03
>>355 人生は短いので、「煙草を吸う」のは出来るだけ早く止めた方が良い。
とか・・・「ギャンブル」は「金持ちが(金持ちになりたい貧乏人)から
「更に金を吸い上げるシステムである」とか・・「客観的(科学)」に
従う・・・というかそれ(真理)を信じたほうがいい・・と思う・・けど、
「犯罪者」は後を絶たないし、彼らの「逃走や刑罰の苦痛」は(犯罪の目的物に照らして)
接待、「割りに合わない」ということ・・それが「真理」だと思います。
358 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/14(火) 05:27:48
>彼らの「逃走や刑罰の苦痛」は(犯罪の目的物に照らして) >接待、「割りに合わない」ということ 殺人して5年で仮釈放されるのが現実ですが、何か? 逆に言えば、5年間のムショ暮らしを受け入れれば1人くらいは殺してもいいという社会です。 もっと厳しくしてもいいと思います。 被害者の関係者のことを考えれば殺人の最低刑は無期で良いと思う。 けれど、刑罰以外でも報いを受けると思うから今のままでもいいのかな?
>>358 それってかなり事情があった場合のことじゃないの。
虐待し続けた親を子が殴ったら頭どっかにぶつけて死んだとか、
絡んできたチンピラから彼女を守ろうとして過剰防衛で殺したとか。
>>359 事情があったらもっと早いです。多分。
模範囚になると刑期の半分ぐらいで出てこれる。と聞いた事があります。
当て推量や聞きづてで済みませんです。
>>327 生き方と論理は無関係です。
この世界に内在されている論理だけは絶対であり、それが覆ることはありません。
コンピュータゲームのキャラクターは、人間が見たら自由が無いように見えるのと同じで、
世界の物理法則レベルで見れば、人間に何の自由もありません。
もちろんそれは人間には不可能で、観自在菩薩とかラプラスの魔の世界になるわけですが。
それでも、まだ自由を主張することぐらいはできるでしょうが、
それはゲームキャラが自由意志があると主張するのと同レベルです。
362 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 11:32:52
>>312 地球の温暖化はどんどん進むのか、ある程度とまるのか、大きなことだがこの問題にいったいどういう人間の知らない法則が支配してるのかな
またもうどっちかに決まってるのかな、それはどういう法則でか??
363 :
bbs :2005/06/14(火) 12:57:56
>>318 >「何故『そう』断言できるのか?」・・「『確率論』を用いた『解』がそうなるから」です。
「断言」は出来ないでしょう。
確率論が成り立つのはそれぞれの要素が「同等」とみなせるときです。
そしてそれは「先験的」ではありません。
我々の「観念」によって「主体的」にそれを決めています。
そしてそれは言語的な表象意識に基づくものであり「決定」的ではありません。
「はっきり」とは結果が分からないから適当に確率と言ってしまおうと言うのが確率論です。
それは現実的な論ではあっても、そもそも結果が分からないからこその確率論ですからそれをもって100パーセント決定的なのだというのは筋違いでしょう。
「私はその試行の結果を知らないというのは正しい」と言うようなものです。
>>337 時間のパラメーターが二つあるという12次元F理論とかいうのもあります。
あとこれは、通常の物質の問題であって、光子などのボソンを含めた場合はもっと大きくなる可能性があります。
南部陽一郎さんという人が1970年に発表した論文では26次元でこの世の物質構造は説明できるそうです。
はっきりと厳密な意味で正しいのかはともかく、通常我々が物質と呼んでいるのはフェルミオンだけであってボソンは入りませんから、考慮する必要は今でもあるでしょう。
ちなみに、統計学の「同等」の仮定によっている統計がフェルミーディラックの統計で、これがフェルミオンの性質を一応規定しています。
364 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 13:58:04
>>348 >「単純な構造」を理解すれば「株で損することなどあり得ない」=必ず儲かる
>のです。
あなたの言っていることをプロのトレーダーたちに聞かせてやりたい
もんだ。
あんたの言ってるのは、いっぱい飲み屋でサラリーマンがテレビで
野球を見ながら
「イチローのこのような体の使い方は他のどの選手もしていない。
、俺にはそこがわかっている。だからイチロー以外の選手は
駄目なんだよ。本質をわかっていないのさ」
と、えらそうに解説しているのと同じレベル。
365 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/14(火) 14:00:59
>>364 売却期限が無いなら必ず儲かる時に売ればいいだけのことでは?
366 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 14:06:08
>>365 必ず儲かる時?
あなたの言う「必ず」とはどういう意味なのか説明してほしいね。
367 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/14(火) 14:11:58
>>366 買値より売値が高くなる時まで待てっつうの。
売却期限が無ければね。
>>367 いつかは必ず買値より値上がりするのですか?
>>367 株に売却期限なんてないよ
必ず値上がりする株なんてこの世には存在しない
値下がりする株なら、そこら中にあるけどね
370 :
bbs :2005/06/14(火) 16:43:09
>>364 人間には必ず「無意識」的な非理性的本質がありますから「簡単な構造」で分かるはずがないですよね。
「酒は一杯くらいだったら死亡率が下がる」とか「統計」学で判断して飲んでいても体にいいとは必ずしもいえません。
「赤ワインはポリフェノールが多いから飲んでもいい」というのも変でしょう。
話は変わりますが、自我というものは果たして時間的に継続的でしょうか。
もし継続的なら、自分は宇宙の中心存在である以上、自我は輪廻転生を繰り返してきたことになります。
もし継続的でなく単なる幻なら汎心論で宇宙全体が「心」を表すことになります。
私の立場は後者ですが通常の人間はどちらかと言うと前者タイプですね。
ですがなかなか輪廻転生は普通の人は信じないようなそぶりをしています。
それは、インド的な輪廻転生がギリシャ的な魂の不滅とこんがらがっているからです。
輪廻転生は魂の不滅に比べ、よりぼんやりとした概念です。動物とかであろうと転生可能となっています。
この考え方の根幹は今いる私が次の瞬間に私と言えるかは客観しかないというところにあると思います。
もし、そう判断されればそうなるし、判断されなければそうならないが、そう判断されればそうかもしれないという自分の概念的定義に対する不安定さがその考えの根幹にあると思われます。
371 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 18:15:56
>>370 魂を除けば輪廻転生は唯物論そのものだよ。
宇宙全体ではエネルギー保存則がなりたつのだから、
「もの」は不増不滅。
372 :
bbs :2005/06/14(火) 18:26:41
>>370 物質がその対称性をもって崩壊する際、「もの」は消えてしまうでしょう。
373 :
bbs :2005/06/14(火) 18:28:11
「自我は時間的に継続的である」 「自我は時間的に継続的でない」 この2つの判断が、それほど対立的だとは思えない。 「継続的でない」と言い得るためには、前後する二つのものを 比較して、「別のものだ」と判断する必要がある。しかし、 その二つが何らかの「関連性」をもつのでなければ、 そもそも「比較する」ことができない。 「継続的である」と言い得るためには、前後する二つのものを 比較して、「同じものだ」と判断する必要がある。しかし、 それが「二つのもの」つまり「複数性」をもつのでなければ、 そもそも「比較する」ことができない。 「関連性」を強調するか、「複数性」を強調するか、 しょせんはその程度の違いではなかろうか。
375 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 20:28:04
>「関連性」を強調するか、「複数性」を強調するか、 >しょせんはその程度の違いではなかろうか。 これはどういうこと? どちらだと論じるにも「関連性」、「複数性」は 必要だと思うけど。
376 :
↑ :2005/06/14(火) 20:31:35
ごめん。最後の一言は自分でもいらないと思った…
377 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 21:01:32
378 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 22:05:22
意識とは創発によって生み出される。 何百億もの神経細胞が集まることによって生み出される。
379 :
考える名無しさん :2005/06/14(火) 22:46:07
意識は「我」としてバーチャル空間に自己が投影されて始めて成り立つ 単なるネットワークでは主体としての自己自身の主観が認識できる形態とは成らない。
JIKO WA TOUEISARENAI DAROU?
381 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/14(火) 23:57:22
>>374 >「自我は時間的に継続的である」
>「自我は時間的に継続的でない」
>この2つの判断が、それほど対立的だとは思えない。
そうですね。「フッサールの『時間』」を思い起こさせます。
私は「瞬間の意識」というモノは「意識として成り立たない」・・
言い替えれば「『意識の要素』に『時間的継続性』は必要条件である」
と考えます。
382 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 00:08:01
機械的唯物論者さん。魂なんてあるわけないよね? じゃあ死んだらどうなるの?
どぅあくぁらぁっ、意識は永続的でもなく連続的でもなく、断続的だよ。 おばかども。
384 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 00:13:27
非線形。ノンリニア。とぎれとぎれ。 しかし時間や意識をリニアに考える自分がいるのは何故?
385 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/15(水) 00:14:19
>>370 >もし継続的なら、自分は宇宙の中心存在である以上、自我は輪廻転生を繰り返してきたことになります。
「自分が宇宙の中心存在である」・・という「意味」を本当に理解されているのでしょうか?
「あなたの『宇宙』は『あなたの脳を中心とする137億光年(距離)の球体である」ということ
要するに「それだけ」なのですが・・。
>もし継続的でなく単なる幻なら汎心論で宇宙全体が「心」を表すことになります。
「汎心論」などの「人為的納得を誘う(観念)『論』」はもはや必要ありません。
「真理」は唯一「機械的唯物論」であり、「それ以外の『真理』は全部『「まやかし」である』
・・・ということです。
386 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/15(水) 00:23:12
>>382 >じゃあ死んだらどうなるの?
結局「その点」が古来の宗教や「テツガク」の「争点」であり、ある意味では
「靖国神社がどうとか・・こうとか」の「国家運営の問題」でのあったのですが、
「現代物理学」ははっきり「死んだら『無』である」・・との結論に達しております。
むろん「産まれる前」も「無」ですから「その『無』を擬人化すること」・・
輪廻転生とか、魂の不滅とかは・・全部「人類の個体というか弱い有機体の脳が抱く幻想」
としか言えません。
要するに「真・善・美」全ての「永遠・至高の価値」は「無意味な思い込みである」・・という
ことです。
200年前にニーチェが「なんとなく」予言した「ザ:真理」が明らかになりつつある訳です。
minnna
388 :
プ ◆Fmd2B6wtag :2005/06/15(水) 00:28:25
>>384 その《リニアに感じる》とはどういった意味かね。
基本感じようないだろ。
389 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/15(水) 00:31:12
就寝時刻を過ぎておりますので就寝させて戴きます。
390 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 08:42:06
チューリングテスト、中国語の部屋についてどう思いますか?
>>381 「瞬間の意識」は存在するだろ。
意識に「ある瞬間」が存在しなければ「その直前の瞬間」の意識の
状態も「その直後の瞬間」の意識の状態も存在しないことになり、
そのような「瞬間の意識の状態」の存在を否定することは
そもそも「意識そのもの」の存在を否定することになる。
もっとも時間的に停止した状態を意識と呼べるかという問題はある
が、少なくとも意識を構成する部分を成している事に変わりはない。
392 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 09:45:45
物理学では生命さえ扱えない。 まして魂なんてものは扱えない。 物理学にとって生きたらとか死んだら なんて問いは無意味だ。
393 :
bbs :2005/06/15(水) 12:12:33
>>385 >「真理」は唯一「機械的唯物論」であり、「それ以外の『真理』は全部『「まやかし」である』
それ自体があなたの「人為的」な「観念論」でしょう。
では、「人為」とは何かといえばそれは物理構造と区別できず、脳と言う概念には固定できないでしょう。
>>392 生命物理学というジャンルがちゃんとありますよ
395 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 12:49:48
>>394 「生命をもつもの=生物」を対象とする科学なら昔から
生物学がある。
生命物理学は生命を物として扱うのかな?
生物と非生物を物理でどのように区分するのだ?
「生物物理学」ならあるが「生命物理学」などというものは (まともな科学のジャンルとしては)ない。
397 :
bbs :2005/06/15(水) 16:46:50
>>386 「現代物理学」ははっきり「死んだら『無』である」・・との結論に達しております。
達していません。物理学は人間の主観性には、科学の「客観的認識」という壁があるためほとんど手をつけていません。
せいぜいD−ブレインや次元問題、あとデジタル=アナログ問題程度です。
生物学でさえ主観性の問題は「哲学にまかせる」という立場をとることが多いです。
ただし、外見上我々は確かに死んでいるように見えるのは確かなので、それで一応人は死ぬと言っているだけです。
いわゆる「止揚」の論法です。ですが、その境界ははっきりしません。
論理だけで言えば「死につつあるものは死なない」という中論的なゼノンの逆説さえ成り立ちます。
主観性の問題は少なくともあなたの言うような「機械的脳」の概念だけでは説明できません。
398 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 16:50:59
>>371 世の中の事象は物理法則に従ってるということを唯物論というのかね??
物理法則に従ってない世界もあるのかな、というか従ってないはずだというのを観念論というとでも言うのかな
19世紀風だな
399 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 16:56:56
ふむ。 輪廻転生って言うけど、簡単にエントロピーはどうなるのかとかつっこめる。
>>397 それ以前に、「生と死の境目」すら
物理学的にははっきり決まってません。
そもそも「生」「死」という概念が
物理学の言葉で定義できてない。
401 :
bbs :2005/06/15(水) 17:15:14
>>399 老いていく人間は日々死んでいると言いますか?
死は全体的なものの見方でリアリティが薄いです。
私たちが老いた時、ぼけて何も分からなくなりながら十年間生きて、さらに悪化して植物状態のようになったまま十年生きて・・・となった場合は辛いですよね。
しかも「私」は何の自覚症状もないんですからむしろ楽しいでしょうし。
人間の思っている「死」とは何なのでしょうか?
402 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/15(水) 17:23:06
>>371 >宇宙全体ではエネルギー保存則がなりたつのだから、
>「もの」は不増不滅。
これと膨張宇宙論を信じるとエネルギーも「もの」も薄くなっていって
全ての空間が真空(無?)になります。あと、空間が拡がるだけではなく
黒穴から出れない「もの」もどんどん増えていきます。
黒穴にたまった「もの」が臨界点に達すると、
ビッグバンで最初からやり直しなのだろうか?
403 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 17:23:07
生が知覚であるとすれば、 知覚は知覚を為しえる物質の結合の存在だと定義できるのではないだろうか。
404 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 17:24:17
ケンシローは生きてるうちに殺して見せた ^^;
>>396 生命物理学=検索すればいくらでもでてくるのだが
>>405 たった300件。
半分はトンデモ。
残りも素人の勘違いや、
弱小大学が受験生受けを狙ってつけたインチキ講座名など。
検索結果を吟味することを覚えろよ検索厨。
>>406 生命物理学と生物物理学は、英語のバイオフィジクスの和訳
が違うだけで同じだよ
東大でも一部の研究者は生命物理と呼んでいる
>>396 =406=408
間違ったときは素直に謝ろうね
>>409 やれやれ…
"biophysics" "生命物理学" の検索結果 4 件
"biological physics" "生命物理学" の検索結果 3 件
"biophysics" "生物物理学" の検索結果のうち 日本語のページ 約 526 件
"biological physics" "生物物理学" の検索結果のうち 日本語のページ 約 122 件
数十年前ならいざ知らず、いまどきbiophysicsのことを生命物理学と呼ぶ奴なんかおらん。
大恥かく前に消えな。
>>410 もうどうでもいいけどさ、北大とか東大のページを
ちゃんと見て見ろよ、バカ!
>>411 本格的に頭が悪いみたいだな
「生物物理学」っていうジャンルが確固としてあって、
その中で、他の研究から自分の研究を際立たせたいときに
研究者が「生命物理学」などと称したりするだけ。
ジャンルとして「生命物理学」などというものが
確立してるわけじゃない。
わかったら消えろよ。
>>412 それじゃ、お前は北大や東大の博士が論文で使用している語彙に
間違いがあるというわけだな。
本当にお目出度い奴だ。
適当な推論だけで、きちんと確認もせず書き込むような
お前にような奴に哲学などやる資格はない。
>>413 >それじゃ、お前は北大や東大の博士が論文で使用している語彙に
>間違いがあるというわけだな。
そんなこといくらでもあるわ。
おまえは北大や東大の博士のいうことは何でも正しいと思ってるのか?
>適当な推論だけで、きちんと確認もせず書き込むような
>お前にような奴に哲学などやる資格はない。
推論だけじゃねーよ。
>>410 で数字にして出してんのに、お前は理解できないのか?
あとこんなこと言ってもどうにもならんが、おれも東大の博士だ。
>>414 お前さ、相当悔しいのはわかるけど、
くだらん嘘までついてどうすんのよ、
ただの検索厨はお前の方じゃん。
東大の博士??
タコ博士か、
もう相手しないから、お前もレスつけるなよ
>>415 てか誰がどこで「生命物理学」なんて言葉、論文で使ってんの?
それは、おれが
>>412 で言ってるような使い方ではないわけなんだろ?
でまかせじゃないんなら、ちゃんとreference示してみ?
あそっか、もう相手しないんだったか。 下らんことでアホ相手にレス消費しちまった。
418 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 22:01:45
死んだら無になるってことみんな知っていて 無になることを恐れる人は 死後の永遠を信じたり 現世の永遠、不死身になることを願ったり なんてな
420 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 22:23:09
何かを決定し何らかの力を使用する度に、部分的に無になっているというのにな。
ネタスレでマジレスはいかがなものか
422 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/15(水) 23:08:32
>>397 >論理だけで言えば「死につつあるものは死なない」という中論的なゼノンの逆説さえ成り立ちます。
あなたは「ゼノンの『逆説』」持ち出してまで「自分の死後は『無ではない』」と
信じたいのですか?
要するに「死の恐怖から逃れる(ことができるなら)なんでもやる」・・「宗教だって『信じてやる!』」
・・ということでしょう?
>主観性の問題は少なくともあなたの言うような「機械的脳」の概念だけでは説明できません。
「主観性を持つ」というのは「(人類を含む)哺乳類全般」の持つ「主観性」のことですか?
それとも「キリスト教の「神」が『選んだ』人類だけ」のこと(なの)ですか?
423 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/15(水) 23:19:14
>>402 エントロピー増大の法則ほど「確実(に異論が提示されていない)な物理法則」はありません。
「全ての変化」(時間軸座標の増大)はやがて(だんだん)「平衡状態」に達する・・・という
ことです。
(究極的なプラスとマイナスの分離)「ブラックホール」でさえ・・いつか「ゼロに収束する」
・・という17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)です。
晒し上げ >エントロピー増大の法則ほど「確実(に異論が提示されていない)な物理法則」はありません。 >「全ての変化」(時間軸座標の増大)はやがて(だんだん)「平衡状態」に達する・・・という >ことです。 > (究極的なプラスとマイナスの分離)「ブラックホール」でさえ・・いつか「ゼロに収束する」 >・・という17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)です。 17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則) 17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則) 17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則) 17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則) 17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
425 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/15(水) 23:38:11
>>424 ニュートンが「17世紀に生まれた人である」ことは確かだと思います。
熱力学第2法則の「発表」は18世紀であったかもしれませんが・・。
426 :
考える名無しさん :2005/06/15(水) 23:43:46
機械さんに質問しますが、宇宙と我は何故発生したのでしょうか? 私が今の私である永井的理由を教えてください。
「ニュートンの熱力学第2法則」 「ニュートンの熱力学第2法則」 「ニュートンの熱力学第2法則」 「ニュートンの熱力学第2法則」 「ニュートンの熱力学第2法則」
むしろEPRパラドックスに対する解釈を聞きたいですね。 私には何とも言えませんが。
おそらく決定論に対するひとつの障壁として、 EPRパラドックスとベルの不等式が横たわって います(直感的にですが)。 しかし、このような物理学に最前線に対して、 私が切り込めるのかどうか、甚だ怪しいわけです。 識者の意見を拝聴したいところです。
430 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/15(水) 23:55:09
>>426 >私が今の私である永井的理由を教えてください。
「本物さん」である・・との前提でお答えします。
「理論物理学」では「137億年前」に「ビッグバン」により「この宇宙」
が誕生し、それ以後は『ビッグバン直後に形成(分離)されたいくつかの素粒子と
いくつかの「基本力」の「法則」』に従って「時間軸が『流れ』ているだけである」
という「世界観」がこの数十年「定着」しており・・たぶん「これ以上の革命的発見はない」
・・ということです。
その前提で「ご質問」に答えると・・「誰もが『自己のクオリアの内部』に居る」
ということです。
「クオリア」は「球形パラボラアンテナ」として例えたことがありますが、
この宇宙の「全ての情報(変化)」の「一部周波数だけを「中心にいる脳」に
「表象する」為の「感覚識」・・と呼ばれる「現象」です。
我々個々の「意識」・・あなたも私も同じ人類・・あるいは「同じ哺乳類」
として「球形パラボラアンテナ」・・「感覚的クオリア」とつうじて「のみ」
「外部『世界』」との接触を行える・・・ということです
431 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 00:05:51
>機械さん その前提で「ご質問」に答えると、という事は別の可能性もあるのでしょうか? クオリアとビッグバンというのがよく分かりません。 この2つは何故発生したのでしょうか?
432 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 00:06:54
陽射しがあんまり凄いんで庭に出てみた シャツを脱ぎデッキチェアに仰向けに チリチリ肌が音をたてる だらんと下げた手の先にアリの行列 どこ行くんだ、こいつら? 名も無き生物たち 早めに列を外れたヤツを追う 芝のすき間を徘徊、無軌道に あんまり離れると帰って来れないぞ 人間、死んだらどうなるんだ? アリといっしょか? ちがうという理由はみつからなかったw 陽が陰り、感じられるの風だけ ヘェ〜ックション、あわてて部屋へもどった
433 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/16(木) 00:17:02
>>431 ご質問の「本質的な」意味が(だいたい)理解できました。
日本語の「何故」には「2通りの意味」があります。
@「どういう『意図』が存在の前提にあるのか?」
・・・これの回答は簡単です「存在の前提に『意図』がなければならない」
という「思い込み」が「間違いである」・・という回答です。
Aもう一つの「何故」・・・については「既にあったから」としか申し上げられません。
ただし「周到に『世界というモノを造ろう』という意思」は存在の『片鱗』もありません。
ただ「ビッグバン」という「爆発」(が起こった)・・という事実だけがあり、
「ビッグバン」の(基になった)法則性とか、ビッグバンが137億年前に起こったことの
「必然性」については・・「有るとも無いとも『判ら(りようが)ない』・・としか申し上げようが
ありません。
>>423 エントロピー増大(熱の平衡化)だけを熱力学で扱う範囲と定義しているだけじゃないの?
エントロピー減少は熱力学以外の物理現象になるのでは?
>>433 > 「必然性」については・・「有るとも無いとも『判ら(りようが)ない』・・としか申し上げようが
> ありません。
必然性があったと考えるのが決定論ですが。
436 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 00:31:01
>>433 >「ビッグバン」という「爆発」(が起こった)・・という事実
と、私が私である理由はやはり分からないのですか。
しかし、全て物質なので物理法則で決まっているというのは同意しますが、
何故電子の動きで意識が発生するのか全く分かりません。
『脳は物質だから意識は存在しない』
これなら分かるのですが、何故電子が動くと意識が発生するのでしょうか?
意識は存在しないではダメでしょうかね?
自分に意識が無いと考える人とそうでない人では意識の定義が違うのでは。
438 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/16(木) 00:40:57
>>436 「意識」は「存在するかしないか」という「存在形態」を採らないのです。
例えば「意識存在レベル可能性700の人が『ぼんやり』している時」の「意識」
は「存在レベル350(半分)」だということもあり、「意識存在レベル980(殆ど天才)」
でも「体調が悪いとき」(ニーチェのような「脳梅毒」の冒された場合)その「本来レベル」
の10%しか「意識存在レベル」を発揮できないことも多々あります。
「体調管理は脳の働き」に「プラスの働きをする」・・ことは「真実」だと思います。
モーリス・メルロ・ポンティが似たようなことを言っていた記憶はありますが・・
>>438 つまり意識は必然で度合いが違うだけで存在するということですね?
では、何故私が機械さんでなく今の私なのかという問いの解を教えてください。
あと、何故電子が動くと意識が発生するのか?
これはどう思いますか?
440 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 00:47:48
何故電子の動きで意識が発生するのかの説明にはなってないな。脳は原子の配列だ。そのへんの机や石と同じ。 それなのになぜ脳にだけ意識が発生すると考えるんだ?
>440 そこが重要。つきつめろ!
哲学にはすべての存在に自我があるとする汎心論という考え方があって、電子に限らず 自我があり皆すべて自分は自分しかしらないそれ自身なんだって。
443 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 00:57:50
でたらめ言うなよ
認知は脳の仕事だが、 意識は脳から独立して存在しているらしい。
>>440 というか、「脳は物質だから云々…」と語る時点でそれは「客観が存在する」という
超越的前提を勝手に作っている。ほんらい客観など確かめようがない。
<主-客>で語るのはやめましょう。そんなものは哲学ではなく信仰です
主−客は一種の信条ですが、しかし、まだ破綻していない信条です。 どこかで破綻しない限り、有効な信条として続くでしょう。 「信条だ」というのはその理論の有効性を失わせはしないのです。
>主-客は一種の信条ですが、しかし、まだ破綻していない信条です。 換言 「幽霊は一種の信条ですが、しかし、まだ破綻していない信条です。」 「イエス様[天国,来世]は一種の信条ですが、しかし、まだ破綻していない信条です。」 つまり信仰です。<私の人生>は再現性のない現象ですから、 それを科学的手法で説明することは非科学的です
>>446 信条なら信条で結構なことだと思う。機械タンとスタンスが違うということはよくわかったが、
だからといって、主客問題について知らんぷりというのは解せん。最低限、主客問題の
必然性は理解しないと。
>>447 そう思うならばそう思っておいてください。
私は別に知りません。
私は私が合理的だと思うものをのみ信仰します。
>>448 そもそも客観というのはあくまで仮想だと思っています。
基本は主観です(というより全部主観なのです)。
ところが「実は主観とは別に何かが存在するのでは?」という
疑問が常に付き纏います。それを気にせず「やはり全部主観
だ。主観とは別に何も存在しない。」ということに何の論理的
問題はありませんが、しかし、私にとっては不合理なのです。
451 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 01:40:54
つまり、科学の及ばない事に対し科学は科学的手法を使えない。 ということは、科学はイエス様や天国やうんこびっち神の存在も 否定できない事になります。 となると意識は単なる物質が作るのではなく、 科学では観測できないナニモノかであるという仮説も否定できないわけです。
とりあえず書いておく 観測しているという事実が因果の一因になりうるのなら 観測しているという事実に対する観測、またその観測という永遠に続く計算を加味しなければならないのであり 非決定性の証拠になるのではないか?
>>451 それはそうです。
しかし、それは暗黙のうちに前提とされています。
そして、そこで留まる人は留まるでしょう。
先に行こうという人は先に行こうとするでしょう。
454 :
四式 :2005/06/16(木) 01:50:10
じゃんけんにもポーカーにも勝てない簡単に裏をかかれる浅はかな侮り=決定論ですよ。
三体問題も解いちゃう決定論ですよ。
456 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 02:08:03
>>453 これより前も先もないと思います。
科学もうんこびっち神も存在の妥当性では同レベルだという事です。
科学のほうが一般的に信憑性を持っているのは、
生活に浸透している事からくるドクサでしょうね。
ここがドラクエの世界なら、魔法が当たり前に存在する事のように。
(事実は、ドラクエはゲームであって現実に魔法はない)
457 :
四式 :2005/06/16(木) 02:08:14
事前の事象に対する決定論とは己が決定的だと思い込んでいるだけに過ぎない。 人の意識は人の客観性に対する客観性も含んでいるのだから
458 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 02:10:14
俺は観客でいたい
459 :
四式 :2005/06/16(木) 02:11:47
>>456 時間の経過や観測に影響を受けない物質は非決定なものの影響を受けない限り決定的ですよ。
科学はその技術でしょう、
>>459 わたしは「客観の存在は証明できない」と言っているのです
461 :
四式 :2005/06/16(木) 02:18:53
変わるものと変わらないものがあるというのは哲学の基本でしょうよ 変わらないものから影響を受けるという点で人は物質によって決定されているものではなく 拘束されていると見るべき
462 :
四式 :2005/06/16(木) 02:20:32
>>460 人間の客観性を疑ってどうするよ。己自身に聞け
決定論、客観世界なんて証明できないよ。信じているだけ。宗教と変わらんよ。
464 :
四式 :2005/06/16(木) 02:24:22
というか言葉による意思疎通がある種の客観性に基づいているのは否定できない事実だ
ストーリーだてて説明すると、例えばこの世界は"真の世界"にある バーチャルリアリティ・ゲームなのかもしれない。 そして真の世界では"この世界"の物理法則は成り立たない可能性があります。 "すーぱーまりお"の敵キャラは無限に出てきますが、真の世界では同様に 虚空からハトが生まれるのかもしれない。 そしてこの世界がバーチャルリアリティでない事は証明できないわけです。
466 :
四式 :2005/06/16(木) 02:34:43
>>465 俺が言う客観は自己の神経系と繋がらない他者的に動くものに対する物に対する相対化という
人間の限界性に呼応する局所的な客観であって、GODの視点じゃないですよ。
>>423 >エントロピー増大の法則ほど「確実(に異論が提示されていない)な物理法則」はありません。
>「全ての変化」(時間軸座標の増大)はやがて(だんだん)「平衡状態」に達する・・・という
>ことです。
> (究極的なプラスとマイナスの分離)「ブラックホール」でさえ・・いつか「ゼロに収束する」
>・・という17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)です。
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
468 :
四式 :2005/06/16(木) 02:40:38
>>465 つか独我論的観念論はこの世の物にも現象学にとっても何の意味もない。
>>466 知覚はドクサですよ。「神経系があってうんたら」というストーリーの
バーチャルリアリティかもしれない
470 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 02:49:34
>>468 "意味"というのがどういう定義なのかわかりませんが、
わたしの仮説は論理的にも実証的にも破綻がありませんね。
472 :
四式 :2005/06/16(木) 02:54:38
>>469 なんのサブカルに影響を受けたのかは知らんが、今更小説家のネタにもならない話は止めないか?
473 :
四式 :2005/06/16(木) 02:59:00
>>470 実証され得ない仮定であり論理的でもないさ、
>>472 それは「降参しました」「この理論は論破できません」
の隠語表現でしょうか?
475 :
四式 :2005/06/16(木) 03:09:26
>>474 確かめておくけど
すべてはヴァーチャルリアリティであり人間は真(?)の世界からそう色々夢を見させられているだけの存在であるという仮定だよね
じゃあどうゆう存在が何のためにそうしたのかくらいは答えてくれるんですか?
>じゃあどうゆう存在が何のためにそうしたのかくらいは答えてくれるんですか? それは「私がその答えを知っていなければ、バーチャルリアリティ理論は成り立たない」 という理論でしょうか?その理論の根拠を説明願います。 そして私はもちろんその答えを知っておりません。
477 :
四式 :2005/06/16(木) 03:44:52
>>476 「バーチャルリアリティ理論は成り立たない」と言っているわけではなく、説ならせめて仮定でも合理的な説明が必要だということですよ。
じゃあなぜ俺と君が話しているように、ヴァーチャルリアリティの世界に他者という概念が必要だったのか?完全な個として存在したほうが楽でしょう
とか、なぜ男女は愛し合おうとするのかとか色々あるよね。
まあ無意味ですよヴァーチャルリアリティ、お前はスーパーマリオか?
478 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 03:51:52
>>477 なぜE=MC^2なのか?なぜ光速は秒速30万キロなのか?
なぜ生物は子孫を残すのか?なぜ宇宙はこのような宇宙なのか?
合理的な説明ができますか?
あなたは科学やこの世界が"仮説"である事を自分で認めてしまいましたね。
479 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 04:14:50
まず第一に、この世界が唯一の現実だろうと、バーチャルリアリティだろうと、 この世界の物理法則や人間などが"そうである"理由は 誰も説明ができない=世界の内側からでは、唯一の世界とバーチャルリアリティを区別できない。 >完全な個として存在したほうが楽でしょうとか… そして「誰にとって」楽なのか?(なぜ創造主に人間の感覚を想定するのか?) そもそも"楽"とは何か?"楽なように世界を作らなければならない根拠は何か? など諸々の課題が出てきてしまう
480 :
四式 :2005/06/16(木) 04:23:27
>>479 E=MC^2 この関係は原爆とかで実証されているでしょう
光速が秒速30万キロなのも観測による事実でしょう
生物が子孫を残すのも死ぬのも極限的には進化して種の絶滅を防ぐためですよ。
宇宙がどうやってできたかはしりません宇宙線でも観測してろ。
はっきりいって実証できない仮説は無意味だ。
481 :
四式 :2005/06/16(木) 04:35:33
482 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 04:49:08
>E=MC^2 この関係は原爆とかで実証されているでしょう…
その知覚はバーチャルリアリティかもしれませんね。
>はっきりいって実証できない仮説は無意味だ。
では真の意味でなにものをも実証できない(すべてはドクサかもしれない)
のだから科学という仮説は無意味ですね。
それに<私>の人生は一回きりで、再現して実証できないので、
私が人生で経験するこの世界の存在も実証できませんね。
>>481 効率的で無駄がなければならない根拠は何ですか?それを実証してください。
また、光速が秒速30万キロであるのが効率的で無駄がないという根拠は何ですか?
それも実証してください
>>482 >>はっきりいって実証できない仮説は無意味だ。
>では真の意味でなにものをも実証できない(すべてはドクサかもしれない)
>のだから科学という仮説は無意味ですね。
ドクサが何かは知らんが神経系が切れれば知覚はなくなる=個別の脳が知覚を司る=関係のない人間固体が
自然観測に対して同じ観測と結果を得られるのならそれが実証って奴さ。つか真の意味の実証って何?ほんとに真か?
>効率的で無駄がなければならない根拠は何ですか?それを実証してください。
たとえば宇宙で光が物質のコミュニケーションを司っているのなら光速三十万キロという速さは無駄がないわけよ。
世界が光に変わりえる物が他にはないという点で実証されている。
光が30万キロで動く以上に
484 :
四式 :2005/06/16(木) 05:46:07
>>483 四式
>>482 >では真の意味でなにものをも実証できない(すべてはドクサかもしれない)
>のだから科学という仮説は無意味ですね。
科学は仮説を自然観測により検証できるから有意義であるというか、パソコン使っといて何だYO
>それに<私>の人生は一回きりで、再現して実証できないので、
>私が人生で経験するこの世界の存在も実証できませんね。
この世で人生を送っているのはあんただけじゃないんだ
>>483 >ドクサが何かは知らんが神経系が切れれば知覚はなくなる=個別の脳が知覚を司る
ドクサ=思いこみ。
「神経系が切れれば知覚はなくなる云々」は、
バーチャルリアリティだけの規則かもしれませんよ?
ドラクエの魔法と同じく"現実"には存在しないかもしれない。
>=関係のない人間固体が自然観測に対して同じ観測と結果を得られるのならそれが実証って奴さ。
>たとえば宇宙で光が物質のコミュニケーションを司っているのなら
>光速三十万キロという速さは無駄がないわけよ。
だからなぜ20万キロでも40万キロでもなく30万キロなのですか?
40万キロのほうが無駄がないんじゃないですか?
30万キロでなければならない根拠を実証的に説明してください。
また、あなたの主張では「実証できない事は無意味(否定)」です。
そうやってバーチャルリアリティやうんこびっち神の存在を否定しましたね。
したがって、観測によって実証できない第一原因や創造主といった概念は否定される。
つまり創造主不在のまま「無」から「この宇宙」がポンッと生まれたという事になる。
これでいいんですか?
1.まず客観(科学)は信仰にすぎない。 2.それでも客観の存在を確実視し、さらには「科学的に実証できる事しか分からない」を、 「科学的に実証できない事は存在しない」と勘違いすると大変。 その結果、観測して再現して実証できない魂やら天国やらは否定される。 しかしそれは同時に観測して再現して実証できない 宇宙の「創造主(さらに創造主の創造主の創造主の創造主…)」や 「第一原因(さらに第一原因の原因の原因の原因…)」をも否定する事になる。 結果、なんの原因もなしに宇宙は生まれた事になる。 しかし原因のない結果を認めることは科学自身を否定する事になる。 よって科学万能主義は世界の"科学的"存在を否定する。 ではもしも科学が創造主や第一原因に限って、 実証せずにその存在を認めるという例外をとるならば、 創造主や第一原因、ひいてこの宇宙は何でもアリになる。 バーチャルリアリティでも、<私>の意識でも、イエス様でも何でもあり。 よって科学は世界の"科学的"存在を否定する。
487 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 08:50:02
>>423 >エントロピー増大の法則ほど「確実(に異論が提示されていない)な物理法則」はありません。
>「全ての変化」(時間軸座標の増大)はやがて(だんだん)「平衡状態」に達する・・・という
>ことです。
> (究極的なプラスとマイナスの分離)「ブラックホール」でさえ・・いつか「ゼロに収束する」
>・・という17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)です。
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
17世紀の科学者「ニュートンの熱力学第2法則」(エントロピー増大の法則)
488 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 08:57:06
>>486 >1.まず客観(科学)は信仰にすぎない。
この前提からして間違いだな。
推論が正しくても前提が間違いなら結論の真偽は決まらない。
そして、基本命題の真偽は論理では決まらない。
科学的仮説は事実との対応で真偽を判定できる命題から構成
される。
事実は小説より奇なり。事実に合わない虚構はすてさるのが
科学的態度だ。
>>486 1は合ってる…と言うか機械が駄々こねて、この論理を認めねーからナー
おかげでスレが長続きしてるよ。
2の方は何か論理が穿ちすぎて歪んでるよ。
科学的信仰は、たまに俗物が「科学こそが真実だ!」と言うアホを生み出すが、
目の前にある客観的事実(もちろんそう感じているだけに過ぎないのではあるが)を解釈して、
「これが最も正しいのではないか?」と試行錯誤する思想のひとつである。
の方が良いんじゃね?
めんどくさいなら「砂場で遊んでいる子供と大差ないですよ」でも良いけどねw
申し上げますが、 「科学は一種の信仰だ。」 という哲学者にとっては至極当然な前提を今更 指摘される必要も無いわけです。過去ログにも あります。 問題はそこから先に行くのかどうかです。 つまり、各種の信仰が確証されないまでも、合理的に 選別可能なのでは無いか、ということです。
その代表的な手法として「オッカムの剃刀」があります。 また、ポパーの反証可能性も(ポパーの当初の趣旨に 反して)そうであると言えるかもしれません。
492 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 11:42:42
哲学は信仰であるが科学ではない。 科学は哲学ではないし信仰でもない。 科学に信仰は不要だ。 これは真であると仮定することは信仰ではない。 合理性とは論理整合性が証明されることだ。 神話に合理性がないわけでもない。
>>486 >1.まず客観(科学)は信仰にすぎない。
だめだな。出だしから間違っている。
科学は、再現性があり、積み重ねの検証ができ、検証でき解明された
公理をベースに、新しい真理を発見することができる。つまり系統的に
深化していくことができるジャンルなんだよ。
それを宗教と同じかのごとく、「信仰にすぎない」と切り捨てる
行為は、あなたの感性と想像力の貧困さ、思考の浅さ加減を暴露
したことになる。
いつも思うんだけど、この世がバーチャルリアリティとか言ってる奴って 何と比較してそういってるのさ。 「現実」と比較してるんだろ? じゃ、その「現実」ってどこにあるのよ。 やっぱ、バカだよね。
495 :
bbs :2005/06/16(木) 12:58:08
>>422 初めから「自分が存在する」という「主観」的な意味での「物理的根拠」は「無」ですから、そもそもが本質的に「無」です。
倫理思想を言うのもなんですが、死が汚れであり、忌むべきものであると言うのはあなたの観念論に過ぎません。
むしろ、さほど本当はリアリティのない死を人間はなぜ信じるべきなのか、と言う方が問題でしょうと言っているだけです。
主観性は物質になら何にでもあります。汎心論の方がそれこそ機械的に人間のようなものを作る事が可能という論理も実は通りやすいです。
>>493 確かに真実を追究するということが科学の特徴ですね。
ですが、「それによって絶対的真実を手に入れることができるのだ」というのは信仰でしょう。
496 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 14:03:41
>「それによって絶対的真実を手に入れることができるのだ」 そんなこと思って科学してる人いるかな? 金とか名声とかの世俗を別にすればただ好奇心だけで しょう。
>>495 科学は単に「現実」を記述するだけで、そこに信仰などないですよ。
宗教は、神の絶対的存在が前提ですけど、
ある理論が実験によって否定されたら、それにしがみつくことなく、
あっさり切り捨てる、それが科学です。
498 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 14:17:19
バカか。現実は存在せず、バーチャルリアリティだけが存在する。 科学は宗教と何も変わらない。科学的現象を観測してるのは人間であり、その人間の意識は何か解明されていない。 そのわけのわからない意識が観測したものを「科学的事実」だと断定するのはまさに信仰告白と同じだ。
499 :
bbs :2005/06/16(木) 14:53:10
>>496 >>497 そうですね。ニュートンの言葉を借りれば海岸の美しい石を集めるようなものが科学ですね。
ですが、機械さんなどはなんとなく「科学」というより「科学信仰」の印象が強いです。
確率論は必然でないから「確率」なのに決定論と一概に考えすぎなところがあると思うのです。
>>498 「観測」されてるだけましではないですか。
神は未だに観測されません。
501 :
bbs :2005/06/16(木) 15:39:16
>>494 今ある現実がバーチャルリアリティと区別でき「ない」というだけで現実の対立要素としてのそれの実在性は認めていないでしょう。
夢は現実ではないと言うのが果たして真かという事です。夢も現実であり、現実も現実であるが、ここにいる「存在としての私」はこの「現実」の中でのみしか生きる事が出来ないため、それ以外の「現実」は「夢」として排斥されるしかないという程度のことでしょう。
私たちは常に人間社会の嘘を飽きもせず晴らしています。常に「覚め」続けている訳です。それによって「過去は夢であった。今が現実なのである」というようにしているのです。
この「止揚」として現れるのが夢と現実の区別でしょう。
>>498 そうした「バーチャルリアリティ」を「現実」と呼び変えても
何も不都合はない。
ならば、あえてバーチャルと呼ぶ理由は如何に?
>>501 まあ、同じことなんだが、ふつう「目覚めてる状態に感知するもの」=「現実」と呼んでいるだけで、それをあえて「仮想である」という必然性はないということ。
この世が現実であり、仮想ではないということは、時間論的にも説明が付く。
誰しも最初は、「現実」と認識しているわけで、それが「仮想」であると考えるのは、それを「あえて」疑うことから始まるわけ。
つまり「仮想」よりも「現実」の方が、常に先行している。
「イマジネーション」が「認識」より先んじることはないんだよ。
504 :
bbs :2005/06/16(木) 16:09:20
>>501 続きです。
私たちはあえて夢と現実を分ける事で、そこに幻の楽園を作り出し、自己の中に余地を残す事を可能にする訳です。
この区別がなくなると自己に内在する物の価値観が失われるため非常に退屈な世界が現出してしまうでしょう。
自己の内に内在する幻を消す事は同時にそれを根拠にして発生する欲望が失われる事をも意味するからです。
>>503 あえて、バーチャルリアリティだという必要はないんですよね。
ただ、問題は人間の「理性」で把握した「現実」には常に自分自身の「妄想」が混ざっていて、実際には私たちはこの世界を「理性」をもって完全には把握出来ないということです。
ひょっとしたら何が起こっても不思議がないかもしれないというくらいの「姿勢」も、一種の方法的懐疑としては大切な考え方だと思います。
またバーチャ厨か。 お前が、死のうが生きていようが、お前の足元にある石ころは存在するんだよ。 それは、お前が今日認識したから存在したわけではなく、過去からそんざいし、その場所に のちに訪れる人間すべてが認識できる。お前の死後、お前の意識が消え去っても、 それは石の存在になんら影響をあたえることはなく、後にその場所に訪れる人間に も、当然のごとく石を確認することができる。 お前の認識が石を作り出したわけじゃないのさ。 バーチャ厨は、昔からいるけど、こいつらは乱暴にいえば臆病なだけ。 死をを認識できる動物たる人間が、神や天国を作りあげざろうえなかったのと 同じように、新たにバーチャルリアリティという神話を作り逃げ込んでるだけ。 単に臆病なだけなんだよ。 そんなものに逃避してる暇があるのなら、完全な永遠の意識断絶たる 己の死というものに向かい合い、受け止めたほうがよいと思うがね。 いつまでもバーチャ信仰に逃げ込んでるのには限界があるってもんだ。
>>488 >科学的仮説は事実との対応で真偽を判定できる命題から構成される。
>事実は小説より奇なり。事実に合わない虚構はすてさるのが科学的態度だ。
ですからその結果「宇宙の第一原因や創造主」をもすてさってしまって
自己矛盾に陥るわけですが?
>>489-490 その「信仰」を告白できない人がこのスレには多いみたいね。
まずそれ認めてくれないと
>>492 「だめだな。出だしから間違っている。科学は、再現性があり、積み重ねの検証ができ、
検証でき解明された公理をベースに、新しい真理を発見することができる。」
というのはこの世界の設定ですね。ドラクエの魔法と同じ。
バーチャルリアリティかもしれない。
そしてその方法論では、「なぜ光速が秒30万キロでなければならないのか」等の
"なぜ宇宙はこうであるのか"を解明できない。
これは"再現性"に頼らざるをえない科学の性質上の限界なわけです。
この宇宙の創造は一回きりですから。
一回きりで再現性がない現象なので、これに科学の方法論を当てはめると
宇宙の創造もフィクションになってしまう。
そして<私>の意識も宇宙にただ一人であるから、<私>を科学で説明することも
非科学的なわけです
>>507 だから「科学」はただのスクリプトですよ。
自分が「認識」するものを、「信仰」とはいわんでしょうが。
その理屈からいうと、あなたはここに書かれたレスを読んで理解した時点で
「信仰」したことになってしまいますよ。
>>502 <私>が死んだ瞬間、真の世界で目が覚めるかもしれないですよ。
そこには時間も空間も因果律もなく別の原理で動く世界かもしれない。
そして科学では(「今の科学では」ではなく100億年後だろうと科学の方法論では)
その仮説を否定できないわけです。
そして上記の真の世界という概念は宇宙のはじまりによく似ている。
原因なき生成、これは科学では解明できない。ゆえに何でもアリです。
>>508 再確認できる事象を積み重ねていって、より深部を解明していく
のを科学的手法といってるだけのこと。
「ドラクエの魔法」なんていう科学技術の積み重ねの集大成
の上にできた果実を例に出してしゃべってるのが皮肉なんだよなw
>>509 その通りですよ。私はこの世界が"唯一の真の世界"であるという仮説を
疑っている。レスもまぼろしかもしれないのです
513 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 17:22:39
>>510 あなたは死んだら、永遠に意識が断絶されて消えるよ。
かわいそうだけど。生きてる内に逃避するのは結構だけど
認知的不協和って知ってる?絶えられない現実を創造するのは
いやだから、自分に都合のよい証拠を集めようとする人間の
行動なんだけどね。
あなたはまず自分の心を見つめなおして現実と直面したほうがよいね。
己の心におこってるシステムを理解しないと、バーチャルリアルの
次はまた新しい逃避先を探すことになるだろう。
>>505 哲学的な反論ではなく、単なる怒りですね。
>>511 自分がドラクエの中にいるかどうかは、残念ながら
内部にいる自分には判断できないんですね。
「クラインの壷」とか「ばにらすかい」「まとりっくす」という映画を参照。
>>513 それは「勘弁してくれ」「この理論は論破できません」「人格攻撃しかない」
の隠語表現ですか?
>>512 んーと、あなた、それで結局何が言いたいの?
この世界が現実かバーチャルか決めようがないなんて、
ここにいる人は誰でもわかってるんだよね。
「現実かバーチャルか決めようがない」のその先を
どう進めるかが問題であって、そこで満足して止まってちゃ
ファンタジー読んで浮付いてるだけのガキといっしょよ。
517 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 17:34:22
>>515 人間って言うのは発してる言葉の内容を本当に言いたいんじゃ
なくて9割はその裏にある感情を表現しているに過ぎないって
こと知ってる?
私の場合はあなたの文章を見て
「科学信仰をすて、バーチャルリアリティに生きる自分を創造
することにより、己自信に何らかの価値を見出そうとする
ある意味、心理的に現実社会に満足していない人間」
を感じたんだね。バーチャルリアルに固執する根底の心を
感じて哀れになり発言しただけのこと。
518 :
藁 :2005/06/16(木) 17:36:12
777 素人 sage New! 2005/05/07(土) 02:36:34 スレの流れがまどろっこしいので とりあえず持論から735の文へ一言 「バーチャルかどうかなんて、論破するものでなく無視するものである」 by素人 781 素人 sage New! 2005/05/07(土) 03:12:17 (当人には知覚認識しか存在しないは受け入れるが)この世はバーチャルであるは受け入れない 783 素人 sage New! 2005/05/07(土) 03:22:12 いや、言葉を変えよう (当人には知覚認識しか存在しないには頷くが)この世はバーチャルであるという考えは素通りする かな。 (´ー`)y━~~
>>516 その"前も先も"ないわけでして、バーチャルリアリティかもしれない客観の側から
意識を語っても進歩にはならないわけでして、
いやその前に客観(科学)が信仰であると認めていただかないと
人間の脳は化学反応でできてるから、あらかじめどんな行動を起こすかは定められている。 迷ったり、考えた末に一つの結論を導き出すのも脳の化学反応によるもので、その答えを導き出すだろう、という事実は変えられない。 人が恋をしたり、事故に会ったり、親友を作ったり、怒ったり悲しんだり笑ったりするのも化学反応により定められた「結果」である。 貴方が二つの選択肢を見つけ、どちらを選ぶかを必死に考え、迷った末に選んだ選択肢も、始めから定められていた選択なのである。 人はこれを「運命」と呼んでいるが、それなら人生はすべて運命である。 しかしその運命は体験せねば得ることはできず、その運命を体験するために人は生きるのだ。
521 :
藁 :2005/06/16(木) 17:51:08
>>520 何を小難しいこと記しているのかw
それって、
日々誠実に、前向きに生きることじゃんw
522 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 17:53:30
>>517 それはつまり"ガリレオ・ガリレイ"が地動説を主張した結果、「神は万能の真理である」
というドグマを持つ教会がガリレオを"異端者"であると決めつけたのと同様、
それはつまり"私"がバーチャルリアリティ説を主張した結果、「科学は万能の真理である」
というドグマを持つあなたが私を"精神病"であると決めつけたという事ですね。
妄想相変わらずきついね。>522 だれが、「神は万能の真理である」 というドグマをもってんだ? あなたの言葉の端々ににおう臭気というか瘴気を一度感じてみた ほうがよさそうだね。
524 :
bbs :2005/06/16(木) 18:19:22
>>520 何を以っても「決まっている」とは言えないでしょう。
そもそも「決まっている」の定義がないのですから。
誰かが「必然」の考えを与えない限りは「決まっている」とは言えないでしょう。
「宇宙にはりんごアメが存在し、7個のりんごアメが15センチ 間隔でならんでおり、それが地球の周回軌道を回っている」 と主張する男に対して、それはありえないという証明はできない。 しかしこのりんごアメ男がどういう人間なのかは、物事をきちんと推測、分析 できる普通の人間は感じ取ることができるのである。だから「スルー」 するしかない。 バーチャ厨というのは、このりんごアメ男に似ているというるのかも しれない。証明できない仮定を出していくらふんぞり返った ところで、そのかもしだす雰囲気は、りんごアメ男と同じ 「キ印」の匂いがつきまとってしまうのである。よってまともに 仮定、推測、論理的思考のできる人間は、その匂いを感じ取り 「スルー」するしかない というこになる。
526 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 18:26:12
バカドモ
>>519 じゃあ「主観」の側から意識を語ったらなにか進歩があるわけ?
それについてあなたは何か独自の見解を持っているわけ??
528 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 19:10:52
>>523 ,525
>だれが、「神は万能の真理である」 というドグマをもってんだ?
聖書を信じる人々すべてです
>「キ印」の匂いがつきまとってしまうのである。
その「匂い」を科学的に実証してください。
というか、デカルトが哲学史の巨人として存在する以上、
あなたの”普通の人間”はバーチャルリアリティを否定する理論は
成り立ちません。
529 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 19:14:43
>>527 「客観とは信仰に過ぎない」という事実が分かりました。
そして客観信仰では、原理的に”絶対知”や”もの自体”に達すること
(主客の統一)は不可能だと分かりました。
それ以上前も先もありません。これが世界の結論です。
| | 竹田ジュニア /V\ ,J /◎;;;,;,,,,ヽ _ ム::::(;;゚Д゚)::| ジー ヽツ.(ノ::::::::::.:::::.:..|) ヾソ:::::::::::::::::.:ノ ` ー U'"U' | 竹田ジュニア /V\ ,J /◎;;;,;,,,,ヽ _ ム::( ゚Д゚ ):::| 乙 ヽツ.(ノ::::::::::.:::::.:..|) ヾソ:::::::::::::::::.:ノ ` ー U'"U'
532 :
bbs :2005/06/16(木) 19:26:03
>>505 認識できることと存在することは同じでしょう。
妄想と呼んでいるものは力の弱いものであって、存在しないわけではないでしょう。
力への固執が一般に言う「現実」です。
そもそも、言葉の「意味するもの」と言葉「そのもの」が重ならない以上はある意味なんでもありです。
理性はどこまで行っても妄想の域を超えることはありません。
自らの死と言っても、皆それをなぜ「意識しない」のでしょうか。
ある意味、現実に生きる人は常に現実から逃避しているといえます。
明日私はひょっとしたら死ぬかもしれないとかは境界性な人間でもなければ考えないでしょう。
つまり実は半分バーチャルな世界で人間たちは暮らしています。
死と向かい合いすぎればその人は死ぬしかなくなってくるでしょう。
医者は常に金によりそれを客観化することでそれからどうにか逃れているだけで、そうでもしなければ感情移入してしまい「ミイラ取りがミイラになる」となるでしょう。
>>532 要するに二種類の人種がいるのだと思います。
それを考えざるを得ない人種と、素通りできる人種。
(いや、私は私以外の意識の存在を懐疑していますが)
おそらく本書は、ここに表されている思想−−ないしそれに類似した思想−−を
すでに考えたことのある人だけに理解されるだろう。『論理哲学論考』
>死と向かい合いすぎればその人は死ぬしかなくなってくるでしょう。 それはお前がそう思ってるだけで、死生観をきちんと構築して 生きている人はたくさんいる。あいかわらず思い込み激しすぎ >明日私はひょっとしたら死ぬかもしれないとかは境界性な人間でもなければ考えないでしょう。 >つまり実は半分バーチャルな世界で人間たちは暮らしています。 いつも死の妄想にとらわれてるのは境界性かもしれんが、死をテーマに 考えることをおこなう健全な人間はいくらでもいる。 それをバーチャルに簡単に結び付けてるお前が境界性っぽいの はこれいかに?w
>>529 それは観念論の基本中の基本のことで、あなた独自の見解じゃあないし、
ここにいる人はみんなそんなことはとっくに知っている。
そしてそのような考えが不毛だということは、
「客観とは信仰に過ぎない」という考えすら
「信仰」として捉えざるを得ず、「絶対知」にはなりえない、
ということを考えてみればすぐに理解できるでしょう。
>>535 >「客観とは信仰に過ぎない」という考えすら
「信仰」として捉えざるを得ず、「絶対知」にはなりえない
まさにそれこそが絶対知だと思うけどねえ
537 :
bbs :2005/06/16(木) 20:00:54
>>534 >それはお前がそう思ってるだけで、死生観をきちんと構築して
生きている人はたくさんいる。あいかわらず思い込み激しすぎ
「構築」という概念自体が「客観」化による精神安定への欲求に過ぎないでしょう。
それは「死からの逃亡」と同じことです。
テーマにすることも全て「客観」化する事で自分自身の不安を「不在」にしようとする試みに過ぎずそれはやはり現実にある死からの逃避でしょう。
>いつも死の妄想にとらわれてるのは境界性かもしれんが、死をテーマに
考えることをおこなう健全な人間はいくらでもいる。
全ての人は健全に狂っているのではないでしょうか。
死について言えば、客観によって主観的な自らの悲しみをそこに抽象化しそれから逃れた気になって実はそこには以前と変わらぬ自分がいるという結果はある意味狂っているとさえ言えるでしょう。
ですが、それが「力への固執」に基づく限り健全だと一般には言っているだけです。
私は「死」が無いとは言いません。ですが、その根拠は全て客観的です。
問題は人間は死ぬことの「喪失」感によって「死」を認識しているということです。
そしてそれは客観的ではなく主観的です。
それを客観で逃避しようとすることはそれ自体、今ある死という存在からの逃避でしょう。
客観は主観に対しバーチャルに作用すると言えるでしょう。
主観的なバーチャルは常にその世界から乖離しています。
今ある現実に対する対立要素として存在させられ、その世界でいくら苦しみがあろうが主観的に眺められません。
バーチャルを楽しめる人は、こういう絶対的な「客観」性を前提にしています。
結局は、主観的に眺め得ないからこそこの世の苦しみから人間は逃避することが可能なのです。
>>536 そのとおり。
何も確かなことが言えなくなるから観念論は不毛だということ。
一応注意しておくと、↑の「観念論は不毛」という命題は、
観念論の外からの命題だから意味を持ちうる。
>>535 あなたは自分が死んだ後も「客観」が見えるんですか?
主観は客観を疑えるが客観は主観をなんら疑えないのです。
なぜなら客観の存在を信じる、客観を成立させるのは主観ですから。
上の文でどっちが信仰なのかはわかると思います。
>>539 >>535 ,536を何度も読んでよく考えてください。
客観を想定するのは主観であり、主観は客観に先行するというのは当然のことです。
ですがそのことと「観念論が不毛だ」ということとはまったく別の話です。
訂正
>>535 ,536を何度も読んでよく考えてください。
↓
>>535 ,536,538を何度も読んでよく考えてください。
>>535-536 の文章に何度も読む価値はありません。
"不毛"というならば哲学自体が不毛を生み出す学問でしょう。
哲学の意義は問題を解決する事ではなくこれまで問題とみなされていなかった
問題を掘り起こすことだと思います。
なぜ、あなたはこの板にいるのか理解に苦しみます
>>542 哲学の枠内において、哲学的な意味で観念論は不毛だということを言っているのです。
哲学自体が不毛かどうかはこの際どうでもいいことです。
そして前にも言ったように、あなたの言っていることのすべては
哲学の発祥以来、何度も現れた、極度に使い古された観念論的言辞にすぎませんから、
「これまで問題とみなされていなかった問題を掘り起こす」のが哲学の意義だとしたら
あなたの発言には何の意義もないことになります。
544 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 20:29:08
>>506 >「宇宙の第一原因や創造主」
なんて、最初から科学の対象ではない。
捨てることもなければ矛盾することもない。
545 :
竹田ジュニア :2005/06/16(木) 20:32:37
>>543 私はもともと独自の理論を語っているわけではありませんよ。
また、「もう提出された問題は語るな」という主張を
通したければ自治スレへ行って下さい。
また、この板に「まず客観を前提とせよ」というローカルルールもありませんから、
自治をするつもりならスレ違いですね
546 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 20:34:36
ぴちくそスレ
>>545 「もう提出された問題は語るな」などとは言ってません。
あなたが
>哲学の意義は問題を解決する事ではなくこれまで問題とみなされていなかった
>問題を掘り起こすことだと思います。
とおっしゃったから、それに従えばあなた自身の発言には意義はないですね、
ということを指摘しただけです。
意義がないことを自覚しつつ発言しているなら私には止めようはないですが、
それは煽りや荒らしに近い行為だという自覚はあるんでしょうか。
というか、意義がないことをわざわざ書き込むのは時間の無駄だと思うのですが。
>>547 あなたのように"いわゆる古い問題"を認めない人に、
古い問題の意義を訴えることは新しい意義があると思います。
>「もう提出された問題は語るな」などとは言ってません だったら初めから何も言わないで下さい。 意義とはあなたが恣意的に決めるものではありません。 私は私の問題に意義があると思っているから語りますし、 意義がないと思っていようとあなたは 『「もう提出された問題は語るな」などとは言ってません』 という立場なのですから。
>>548 観念論の問題を”いわゆる古い問題”とおっしゃっているのなら、
それは「観念論は不毛だ」という結論が一応出てますので、
観念論的立場からの発言にはいまや何の意義もないのです。
何らかの意義があると主張したいなら、「観念論は不毛だ」という結論を
覆すような意見を出していただかないといけませんが、
あなたはそのような意見を持っているのでしょうか?
無いなら、今まで同様、あなたの発言には何の意義もないことになります。
>>549 >哲学の意義は問題を解決する事ではなくこれまで問題とみなされていなかった
>問題を掘り起こすことだと思います。
とおっしゃっているにもかかわらず、哲学の発祥以来、何度も現れた、
極度に使い古された観念論的言辞を繰り返すことに何らかの意義を感じているというのは
自己矛盾していませんか?
>「観念論は不毛だ」という結論が一応出てますので "誰が"どういう"根拠"で"不毛だと結論"したのか教えて下さい。 また、例えば大統領が「観念論は不毛だ」と結論したのならば、 それは正しい結論だと誰が結論したのでしょうか?
553 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 20:50:28
>>532 >認識できることと存在することは同じでしょう。
この「同じ」というのは「同意=必要十分」ということですか?
認識できることは存在する、かつ、存在することは認識できる。
常識でこの論理に反することはいくらでもあげられるではないか。
全知=知ってることは知っている、は正しいでしょう。
しかし、知らないことは知らないとすることも知らなければ
知ってるとはいえない。
>>551 例えばあなたが避けられない問題としていない以上矛盾していませんね。
556 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 20:59:51
>>542 >問題を解決する事ではなく
答えがないなら、問題にもならないじゃないか?
謎は存在しない。
思考できることだけが問題となる。
「解」のない問題はない。
問題の分析により、これは問題ではなかった
とわかることもひとつの解である。
>>556 >「解」のない問題はない。
では例えば「宇宙の第一原因の原因の原因の…」原因は何ですか?
また例えば野矢茂樹の「哲学の謎」の諸問題の解を教えてください
558 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 21:07:56
>>557 宇宙に第一原因はない。これが解です。終わり。
連続投稿に引っかかったのでこれで最後にします。
>>552 誰とは名指しできませんが、無数の人が同様に結論しています。
簡単に根拠(のひとつ)を説明すれば、あなたのような単純な観念論は
「他者との了解」を原理的に排除していますから、この掲示板のような、
「他者との了解」を目指す対話の場においては、絶対的に不毛にならざるを得ない、
ということです。
大統領だろうと誰だろうと、その結論に至る道筋が納得できるものであれば
その結論を認めざるを得ないでしょう。
>>558 その根拠は?
>>559 >誰とは名指しできませんが、無数の人が同様に結論しています。
「無数の人」が「観念論は不毛」と言えばそれは正しい結論になるのですか?
その根拠は?
「無数の人」が「ヒトラー」に投票すればヒトラーは正しいのですか?
>簡単に根拠(のひとつ)を説明すれば、あなたのような単純な観念論は「他者との了解」を原理的に排除していますから、この掲示板のような、「他者との了解」を目指す対話の場においては、絶対的に不毛にならざるを得ない、ということです。
別に「マトリックス」のような仮定でも構いませんよ。
他者の意識はある、しかし世界はバーチャルリアリティである、というストーリーでも。
マトリックスの登場人物がバーチャルリアリティの他者に呼びかけ
"現実"に引き戻すように、ここで私が語ることは不毛ではありませんね。
>>560 やれやれ
どうも、この方は、「不毛」の意味がわかっていないようですな
この現実もバーチャだという奴は決まって「マトリックス」を出してくるw 多分現実社会では、議論の相手にすらされていないからこそ、現実バーチャ論に あこがれてるんだろうな。ある意味かわいそうな奴だよ
そう思ったならここで相手してください。
564 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 23:34:31
>>560 >その根拠は?
第一原因があるなら、これが第一原因だと示せる。
さぁ、それを示してごらん。
それを示せないことはそれがない可能性を意味する。
また、第一原因がないとしてどのような論理的矛盾が
生じるか?
無矛盾な論理体系なら偽であると決定することはできない。
565 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 23:39:15
>>563 ここはバーチャルではない。
ここは現実だ。
バーチャルとはどこという空間(場)を示せない
ことがらだ。
566 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/16(木) 23:50:44
>>560 >「無数の人」が「ヒトラー」に投票すればヒトラーは正しいのですか?
現代の民主主義制度では「そう」なります。
当時の独逸「ワイマール共和国憲法」は、「世界で最も民主主義的制度」であったし、
「国家社会主義独逸労働者党」が、その憲法の下で行われた「普通選挙」により、
「第一党」のなったのは事実ですし、その党首であったヒトラーを「独逸国民が支持した」
ことも事実です。
もし「選挙結果が気に入らない」・・ということで「ルーデンドルフ元帥」等の軍部が、
「クーデター」を起こして「選挙結果をひっくり返しておれば」・・歴史は「変わった」かも
しれません。
その「もし」があれば「450万人(といわれる)ユダヤ人の大虐殺」は避けられたかも
しれませんが、歴史は「一つ」しか残っておりません。
・・・皮肉にも「最も民主主義的な普通選挙」で選出された「首相」がヒトラーだったのです。
567 :
考える名無しさん :2005/06/16(木) 23:53:56
>>557 >また例えば野矢茂樹の「哲学の謎」の諸問題の解を教えてください
脂漏と集団にそんなの無理に決まってるだろ
自分で考えろ
>>562 いや、むしろ客観や科学信者のほうが悲惨な人生では?
自我を越えた超越的視点(モノの視点)の設定は、
あらゆる人間的な価値(誕生・意識・愛・目的)を無価値にする。
それどころか超越的視点自体、不完全な科学方法論が生み出す
不完全な科学知識による不完全な世界観しか作れないので、
客観教の唯一の救いである「最高の知識(=あらゆる原因の原因)」にも到達できない。
例えばあと一億年しても、光速が秒30万キロである"意味"はわからないでしょうね。
つまり客観信者は、永久に完成しない作りかけのジオラマの中で絶望してるだけですよ。
ものを食べてるときもせっくすしてる時も、
「意識は化学反応にすぎない意識は化学反応にすぎない…(お経)」
これではメシもまずくなるし、何も楽しくないんじゃないかな(笑)
竹田ジュニアと機械の論法がやけに似ているw とりあえず主張は対極的だが、脳の構造は同じかもwww
>>568 超越論的視点よ価値は必然的に結び付くとは思えません。
価値は論証されることによって出現するのではなく、他の諸感覚と
同様に現れているものだと考えます。
またもう一点。竹田ジュニアさんは「光が30万kmであることの意味」
を問うてますが、「そもそも光が30万kmであることに意味などあるの
か?」という問いの方がより根本的でしょう。
いや、むしろ、「化学反応に過ぎない」という言い方自体が 「ネガティブな価値」を内在しているかもしれません。 「意識は化学反応である」という記述が最も正しいかも しれません。その先については沈黙するだけです。
>>564 では私は「宇宙の第一原因はバーチャルリアリティ装置か<私>の意識である」
という仮説を提出します。これを論破してください
また、第一原因がないという仮説は「原因と結果」
の方法論である科学の崩壊を意味します。
×超越論的視点よ価値は必然的に結び付くとは思えません。 ○超越論的視点と価値喪失は必然的に結び付くとは思えません。
>>570 対象の価値は主体の種類が決めるものですよ。
人間の排泄物も、フンコロガシにとっては食物です。
宇宙(超越的視点)にとって宇宙の価値判断はありません。
だって超越的視点とは単なる情報の記述ですから。
情報にとって情報の価値判断はないと言ってもいいですね。
575 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/17(金) 00:17:42
>>568 >これではメシもまずくなるし、何も楽しくないんじゃないかな(笑)
結構「無造作に発現した言説」が「正直」ですね。
「観念論」は「世界を美しく飾り・・死ぬまで『真理』に直面しないよう」
「真理を『大衆』から隔離する・・ことが重要である」という「信念」です。
その「大衆」に自分自身も含まれている『構造』が、いわゆる「宗教」ですが、
「プチ竹田氏」は「宗教を指向している」としか思えませんね。
「本物の竹田氏」は「そうでもない」・・というか「そこまでは踏み込めない」
・・・そこまで「年寄りの絶望を受け入れたくない」というスタンスだと思いますが・・
バーチャル・リアリティーという概念は、リアリティーとの差異によってはじめて成立するのだが。 全てがバーチャル・リアリティーならば、意味が無くなる。
バーチャル・リアリティーという概念は、リアリティーとの差異によってはじめて成立するのだが。 全てがバーチャル・リアリティーならば、意味が無くなる。
>>570 >そもそも光が30万kmであることに意味などあるのか
それは恣意的な限定です。もしあなたが中世に生まれて、
「光の速度が秒速30万キロ」という事実が分からなかったときは、
「そもそも光の速度を測ることに意味などあるのか」
とか言っていたことでしょう。
または現在でも「そもそも大統一場理論に意味はあるのか?」など。
もしいま「光の速度が秒速30万キロ」である事に根拠が見つかるなら、
それでもあなたは「その問いには意味があるのか」などと言うでしょうか?
言いませんよね。
わ!スマン、かぶった。
580 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 00:25:00
>>572 科学の仮説にはテスト命題が必要です。
バーチャルリアリティ装置が存在することは
どのようにして確認(観測)できますか?
そしてそれが宇宙の第一原因であることも?
科学の仮説は論破することがらではなく事実によって
実証または反証することがらです。
科学哲学でも勉強してみたら?
現在の物理学は原因ー結果の因果律だけを方法論
としていません。
水源は不明でも川は流れている。
>>578 あなたは「意味」の多義性を濫用しているように思われます。
>>575 客観は信仰であり、しかも苦しい。
主観は事実であり、しかもいろんな可能性がある、という事ですよ。
「いろんな可能性」とはいわばうれしいオマケみたいなもので、
私はオマケに引かれて主観を買ったのではなく、
「主観は事実」なのが私の唯一の購買根拠ですよ。
デカルトはオマケを考えなかったみたいですので、彼は損してますね
584 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/17(金) 00:29:49
>>578 あくまで、
>>568 >これではメシもまずくなるし、何も楽しくないんじゃないかな(笑
「意味がある」というのは「あなたが面白い」「あなたの脳の『面白中枢』」
に刺激が強い・・・という「主観的基準」であり、それを「普遍」を目指す
「哲学」の領域に持ち込むのは(観念論的『勘違い』)要は「単純な間違い」
だと思います。
問いの立て方には二種類あるように思われます。 How?とWhy?です。 日本語では両方「何故〜?」と訳すので混乱が起きます。 ここでは前者を「どのようにして」、後者を「何故」と訳します。 私が言う「意味」は後者に関わってきます。 「光の速度はどのようにして秒速30万1kmなのか?」 「光の速度は何故秒速30万1kmなのか?」 前者に答えるのは物理学でしょう。 では、後者に答えるのは何か? これは難しい問題です。
>>584 >>583 >>580 >科学の仮説にはテスト命題が必要です。 >バーチャルリアリティ装置が存在することはどのようにして確認(観測)できますか?
その前に宇宙のすべてを科学の力で観測できますか?
まずその観測装置を作って頂かないと
>>583 そもそも「科学」は「主観」の総体です。
但し「論理的に整合的で実証的な主観」の総体です。
あなたの説明では科学は私にとって「事実」になります。
逆に「客観」を問われなければ科学哲学上の諸問題が解消
されるので、科学にとっては好都合です。
>>583 客観が信仰であってはいけません。事実誤認をする生命体は、危険にさらされます。
「観測できない概念は存在しない」が科学的方法論なら、 いま観測できない素粒子も存在しない事になる。 でもそれは「人間に観測されていないだけで、存在はする」んですよね? だったら、宇宙のすべてを測定できる科学力がないと、 私の仮定するバーチャルリアリティ装置の存在の真偽はわかりませんね。 そろそろ連投規制ですので今日はこれで
590 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/17(金) 00:41:16
>>585 >「光の速度はどのようにして秒速30万1kmなのか?」
>「光の速度は何故秒速30万1kmなのか?」
>前者に答えるのは物理学でしょう。
>では、後者に答えるのは何か?
>これは難しい問題です。
「両者に答える」のが(理論)物理学です。・・でなければ「意味がありません」から、
「理論物理学」は「『この次元時空』の『時間軸等ディメンション』を含めた構造」を明らかに
すること・・を「目的」としており、・・・小柴博士の「ニュートリノの観測」等々「その成果」
は出つつあります。
そもそも「夜間電力の5割以上は原子力発電」で「質量がエネルギーに変換する」・・相対性理論
に基づいて「製作された機械」(原子力発電機)で行われているのが「事実」です。
591 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/17(金) 00:44:06
>>589 意外と「知識不足さん」のようで残念ですが、本日はおやすみなさい。
「後日」勉強して出直してきてください。
>>590 それは結局前者にしか答えていません。
それはHowの連続です。
機械的決定論とは「Why?」という問題を観念論的問題として
「それは問いの提起自体が誤りだ」とするでしょう。
593 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/17(金) 00:54:12
>>592 私は「この時間の始まり」=ビッグバンの(原因)とか「ビッグバン以前」・・
という「概念」(を定立しようとすること自体)が「明確な論理的矛盾」
だと思います。
@『「原因」は「結果」に「先行する」』という定義に基づけば、
A「ビッグバン」に「先行する」もの(や空間)は「ない」ので・・・
B「ビッグバン」の「原因」は「ない」
ということが「唯一の真理」です。
594 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 00:54:33
>>586 >その前に宇宙のすべてを科学の力で観測できますか?
なんか日本語になってないような言明だけど、何を言いたいの?
バーチャルリアリティ装置とどういう関係がある?
ちなみに観測装置は観測の理論負荷性といって何を観測したいか
理論であらかじめはっきりさせなければ作ることはできません。
ぼんやりただ見てるだけでは科学的観測にはなりません。
595 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 01:17:51
>ビッグバン」に「先行する」もの(や空間)は「ない」ので・・ ないかどうか確認するにはビッグバン以前の状態を観測する必要がある。それができてないのに「ない」と断定するのは「信仰」にすぎない。
596 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/17(金) 01:27:34
>>592 なるほど、そう言う意味ですか?
例えば「(かつての)素粒子」陽子・中性子・中間子等は、
「クオォークの組合せ」であり、
「バリオン」・・クオォーク3個の組見合わせ粒子
@陽子・・・uud
A中性子・・udd
Bクシー粒子・・uss
Cデルタ粒子・・uuu
・・とかあります。
uは「アップクォーク」
dは「ダウンクォーク」
sは「ストレンジクォーク」
cは「チャームクォーク」
bは「ボトムクォーク」
tは「トップクォーク」
であり「トップクォーク」だけは未発見でしたが2000年に「発見され」
ました。
これらの「諸素粒子」の間に働く力は、
@重力(万有引力)
A電磁気力
B弱い力(β崩壊を引き起こす力)
C強い力(原子核内で+電荷を持つ(反発する筈の)陽子同士を結びつけている力)
『だけ』しか存在しないのです。
・・・まさにこれは「自然」(この宇宙)の『シンプルな構造』を、
顕している・・としか言いようがありません。
それらの『異なる粒子』や「異なる『力』」も「エネルギー状態の局限化」
した状態(例えば「ビッグバッン直後」・・宇宙全体が「パチンコ玉大」だった『瞬間』
には「それらの粒子や『力』は同一のモノ(融合していた)と考えられております。
597 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/17(金) 01:41:07
>>593 の補足ですが、
ビッグバンは「(3次元)真空が成立した瞬間」であり、その「3次元空間」
を「変化させる」・・・「時間次元(+1次元)」も「その瞬間」に「カウント
し始めた」と解釈するのが妥当です。
となると「ビッグバン『以前』という概念自体」・・「ビッグバン以前」に
「時間の流れ」が存在しなかったため、「何時までも永遠」に「ナンセンスな言説」
ということになります。
598 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 02:04:37
この世はバーチャ、科学では何も解決しない」と、科学技術の積み重ねで、 できたネットインフラの恩恵を受けながら、ネット上で主張し、 科学は無力だといいながら、己の主張に、科学者の成果の一つである 量子力学を使って説明しようとする。そして彼らの好むのは 決まって「シュレーティンガーの猫」のパラドクス。 文系らしく量子力学の全体像はわからないので、自分の好みの 猫のたとえ話だけを切り出して得意げに語るといういつもの パターン。 なぜか、「この世はバーチャ」 論者には滑稽にもこの手合いが多い。 己の矛盾を内包しながら必死に語るのは、彼らがこの世はバーチャで あると考えてるというより、この世はバーチャであってほしい、という 願望からなのである。この構造は、新興宗教に幸せの壷を売りつけられて も、それにしがみつき拝み倒すさびしい老人の心理とあまり変わりはない。 それしか頼るものがないのだから。
>>594 では定義。
私の言う「バーチャルリアリティ装置」は、
現在の機器で観測できる素粒子よりも小さいです。
そして場所は、そうですね、池袋のスタバのカウンターあたりに浮遊しています。
この仮定は真なのか偽なのか、あなたには何も言えませんね?
もし「いいや偽だ」というならば、
現在の機器で観測できないサイズの素粒子も、
現在の機器で観測できないサイズのバーチャルリアリティ装置と同じく存在しない事になる。
でも客観信者の立場では「誰かが見なくても、存在するものは存在する」
んですよね。
という事はやはりあなたには「バーチャルリアリティ装置」の真偽について
何も言うことができない。
>>598 この世はバーチャ、魔法では何も解決しない」と、魔法技術の積み重ねで、
できた念話の恩恵を受けながら、念話上で主張し、魔法は無力だといいながら、
己の主張に、魔法学者の成果の一つである"リセット"を使って説明しようとする。
そして彼らの好むのは決まって「俺って誰かに操作されてるんじゃないかな」のパラドクス。
勇者らしくリセットの全体像はわからないので、
自分の好みの絵本のたとえ話だけを切り出して得意げに語るといういつものパターン。
なぜか、「この世はバーチャ」 論者には滑稽にもこの手合いが多い。
己の矛盾を内包しながら必死に語るのは、彼らがこの世はバーチャであると考えてるというより、
この世はバーチャであってほしい、という願望からなのである。この構造は、
新興宗教に幸せの壷を売りつけられても、それにしがみつき拝み倒すさびしい老人の心理と
あまり変わりはない。それしか頼るものがないのだから。
もし仮に100年後の"ドラクエxx"の登場人物たちが"自我"を持ったとして、 登場人物たちは我々の"この世界"を見ることはできないし、 ドラクエの世界がゲームの世界である事を知ることはできない。 同様に、私たちもこの世界がバーチャルリアリティかそうでないか知ることはできない。 これが事実。この事実を"精神病患者の主張"としてしか理解できない輩について、 私は<その程度の知能(パラメータ)しか与えられていない、 脇役的キャラクターではないかな?> と推論している。
>>600 おもしろくないな。センスもない。
原文の品格におよびもしない。
>>583 >主観は事実であり、しかもいろんな可能性がある、という事ですよ。
残念ながら、ないようです。
大勢の前で物理法則を超えたことをしたら、それを認めましょう。
>大勢の前で物理法則を超えたことをしたら、それを認めましょう。 物理法則を越えるには、この世界の外に出なければなりません。 魔法法則を越えるには、ドラクエの外に出なければなりません。 という「やさしい具体例の反復」でも理解できないのならば、 あなたの<パラメータ>は事実を理解できる能力を持っていない可能性があります。
>>604 ならば、この世界でそんな事を言っていても仕方がないでしょう。
退場するか、この世界のルールに従って、真面目に生きるかどちらかにしてください。
では<バーチャルリアリティ装置>を作ったのは誰か? それは<うんこちんこ神>です。うんこちんこ神は、<月15万円>で バーチャルリアリティ装置の管理人をしておられます。 うんこちんこ神のサイズも、現在我々が観測できる素粒子より小さいので観測不能です。
>>575 「観念論」は「世界を美しく飾り・・死ぬまで『真理』に直面しないよう」
「真理を『大衆』から隔離する・・ことが重要である」という「信念」です。
その「大衆」に自分自身も含まれている『構造』が、いわゆる「宗教」ですが、
「プチ竹田氏」は「宗教を指向している」としか思えませんね。
まあ、いいところを突いてますな。
>>606 わからないものを無理に説明するのは愚行です。
わからないものはわからないでいいでしょう。
私はそれを、あるんだからしょうがないというニュアンスで「在りて在るもの」と呼びます。
偽の命題を証明できないからといって、そのこと自体に意味はない。 数学を知らないものには解らないだろうな。 「うんこちんこ神」なんぞ出して、ついに品格まで無くしたようだが。。。 まあ精神をやんでバーチャにしがみつきたい人間だから 仕方の無いことかもしれんが。
すべての客観信者にとって、
>>599 は越えられない頭痛の種となるでしょう。
>>599 を倒さない限り、客観信仰はいつまでも<信仰>に過ぎません。
>>610 客観は信仰するものではなく、理性のための道具だと思います。
>>611 私は<客観の存在を認めるかどうか>と問うているのです
冗談といいながら、脊髄反射的いやみのつもりなのが、言葉尻 からプンプンとにおってきており、 そのことが発言者の品格を落としめ、そして言葉間からにおってくる 品の無さを露呈する。 くわえてセンスも無い、ときているw
>>614 さんはそう反応した、つまり、
「"客観"を(論理的手続きによってですら)信仰扱いするとアドレナリンが出る」
とプログラムされているのかもしれません。
>>615 哲学の知の探求は「メリット」の問題ですか?
>>616 知の探究で、何かを得ること自体もメリットになりますよね。
客観の存在を疑って何が得られるのか、どうやって検証できるのか、
そもそもそれは知と呼べるのかは、わかりませんが。
客観を信じない人が、必死になって書き込みして、
他人のレスを読んでいる様は興味深いものがあります。
>>599 のバーチャルリアリティ装置を
>>531 の原因に置けば、
分かりやすいかと思います。
以上。
>>616 美学はメリットの問題です。役に立つものは美しい、ということです。
>知の探究で、何かを得ること自体もメリットになりますよね。 「知ること」は必ずしもメリットではありませんよ。 もし死後の世界が「無限地獄」ならば、 それは知らない方が(生きてるうちは)メリットがあります。 >客観の存在を疑って何が得られるのか、どうやって検証できるのか、 >そもそもそれは知と呼べるのかは、わかりませんが。 コギトですよ。デカルトの考察は知と呼べるか、つまりあなたにはわからないのですね。 >客観を信じない人が、必死になって書き込みして、 >他人のレスを読んでいる様は興味深いものがあります 「マトリックス型」を考えていただければ分かりやすいかと。
>>620 ヴァーチャルリアリティにとっての死とは
まあ枯れ果てたはず実在主義の最大の弱点は言語なのではないか もしヴァーチャル機関によって感覚を司られているのなら、唯一己のみの記号によって会話することができるのではないか? しかし現に相互理解に対して外在化している固有の様式を必要としている以上、他者を認めなくてはならない。
固有の様式言語を使う以上なにかの客観性にたいする立場を取っており、客観の存在を認めることになってしまうのでは?
>>621 「死」も不確定ですね。
<私>が死ねば"リセット"されてまた同じ人生の繰り返しかもしれないし、
"無"になるだけかもしれない。
<疑う私><コギト>という主観以外は、すべて不確定のカオスです。
その事実を「無意味」だの「不毛」だのと憎むのは、
「それ以上分からないならば、そんな人生は無意味、絶望ではないか!」
という「知ることへの意志」とも言うべき生理欲求の仕業だと思います。
人間は知ることのできない事を激しく嫌がります。
つまり、何のことはない、所詮「客観信仰」も、「死ねば無になる」という
「結論を知ることができる」という安心感を得るためだと心理的に説明がつくのです。
>>622-623 だから、カオスですよ。もし自分以外の<他者>が存在したとしても、
<私>と他者が認識するこの世界は客観ではなく<間主観>の認識するカオスにすぎない。
ゆえにバーチャルリアリティ世界で会話しているだけかもしれない。
言語がある事からは何の事実も導けない。魔法みたいな、舞台装置の一種ですよ。
625 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 08:59:22
>>599 物を言うたびにボロがでますね。
>現在の機器で観測できる素粒子よりも小さいです。
誰か素粒子を観測した人がいますか?
素粒子が観測できるもの(粒子)だと思ってるのですか?
素粒子は見ることはできない、なんて物理の常識です。
見えなければそのものは存在しない、というのも間違いです。
見えないものでもあるんだよ。
♪昼間のお星
♪散ってすがれたタンポポ
「バーチャルリアリティ装置」が素粒子と同様の存在とすれば
それはどのような見える現象を生じるかを言明しなければ
ならない。それがテスト命題といわれる「事実」です。
その事実が観測されれば「バーチャルリアリティ装置」が
存在する証拠と認められる。
科学的仮説は思いつきで語れるような安易なものごとではない。
>という事はやはりあなたには「バーチャルリアリティ装置」の真偽について
>何も言うことができない。
そうですね。あなたが「バーチャルリアリティ装置」に関するテスト命題
「こういう事実が観測されればそれがある」を示すことが先決課題です。
そしてそれが示されればその真偽はだれでも判定できる。
626 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 09:05:10
>>604 >物理法則を越えるには、この世界の外に出なければなりません。
物理法則は仮説です。
物理法則があるとしてもそれはいつかこの世界の事実によって
倒されます。ニュートンの万有引力の法則が相対性理論によって
近似法則にされたように。
627 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 09:15:43
哲理も物理も利益獲得の道具である
628 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 09:19:18
>>560 >「無数の人」が「観念論は不毛」と言えばそれは正しい結論になるのですか?
>その根拠は?
>「無数の人」が「ヒトラー」に投票すればヒトラーは正しいのですか?
繰り返します。
大統領だろうと誰だろうと、無数だろうとたった一人だろうと、
その結論に至る道筋が納得できるものであれば
その結論を認めざるを得ないでしょう。
>別に「マトリックス」のような仮定でも構いませんよ。
>他者の意識はある、しかし世界はバーチャルリアリティである、というストーリーでも。
実際にどのようなストーリーであるのか、
確かめるすべをあなたは持ちませんよね?
いくらあなたがマトリックスのような世界を望んだところで、
実際は桶の中の脳に過ぎないかもしれない。
客観が信仰だというのなら、マトリックスのような世界も
それと同様に(もしくはそれ以上に)信仰に過ぎませんね。
>マトリックスの登場人物がバーチャルリアリティの他者に呼びかけ
>"現実"に引き戻すように、ここで私が語ることは不毛ではありませんね。
「実際に」この世界がマトリクスであるなら不毛ではないかもしれませんが、
それが正しいかどうかを確かめるすべをあなたは持ちません。
確かめるすべも無いのに、マトリックスの世界を根拠なしに信じ、
そこに他者を認め、それに語りかけるという行為は不毛だと思いませんか?
自らの嵌っている泥沼に少しは気づきましたか?
僕達はバーチャルリアリティの世界を仮想客観を持ち出して検証してるんだから、 それはそれでいいじゃないか。というかそれしかできない。
わたしの主観あなたの客観 あなたの主観わたしの客観
バーチャルリアリティやドラクエを例に持ちだしてる人って、 客観を疑いも否定も出来てないねw 疑っているつもりになって実は盲信している。 客観を疑うならば、「この世界は私が創っているのかもしれない」 否定するのなら「この世界は私が創っている」とだけ言えばいい。 「ドラクエは私が創り出している」でもいい。 ドラクエを例に出すことの意味をもう一度考えてみよう。
俺はドラクエなんか一切興味ないからよく知らんが、 エニクッスだっけ? ドラクエ作ってるところに行って 「ドラクエは私が創ってるのだ」って宣言してみるといいのにね 世界はバーチャだって言い切る それだけ自信があるのなら是非やってみるべきでしょ
>>625 >「バーチャルリアリティ装置」が素粒子と同様の存在とすれば
>それはどのような見える現象を生じるかを言明しなければならない。
>それがテスト命題といわれる「事実」です。
>その事実が観測されれば「バーチャルリアリティ装置」
>が存在する証拠と認められる。
ではいま現在見つかっていない素粒子はこの世界に「存在しない」んですね。
技術論を言ったところで何の解決にもなっていませんよ?
>科学的仮説は思いつきで語れるような安易なものごとではない。
>そうですね。あなたが「バーチャルリアリティ装置」に関するテスト命題
>「こういう事実が観測されればそれがある」を示すことが先決課題です。
>そしてそれが示されればその真偽はだれでも判定できる。
同上。これは「バーチャルリアリティ装置」だけの問題ではないのですよ。
「まだ存在(の証拠となる現象でも結構)が観測されていない存在者は
存在していないのか?」という問題でして、あなたは何の解決もしていない。
「バーチャルリアリティ装置」=未発見の素粒子とすると分かりやすいですね
>>626 >物理法則は仮説です
では科学は仮説ですね。
このスレで私の<使いっぱ>として永久にそう主張してください。
>繰り返します。大統領だろうと誰だろうと、無数だろうとたった一人だろうと、 >その結論に至る道筋が納得できるものであればその結論を認めざるを得ないでしょう。 だから「その結論に至る道筋が納得できるものであれば その結論を認めざるを得ないでしょう」 が正しい主張であるという根拠は? クリプキは知っていますか? 同じ現象(理論)にたいし違う解釈する人、割といるんですよね。 >バーチャルリアリティである、というストーリーでも。 >実際にどのようなストーリーであるのか、 >確かめるすべをあなたは持ちませんよね? >いくらあなたがマトリックスのような世界を望んだところで(略) だからですね「マトリックス」は仮説でして、では何が確実な事実かと言えば <主観(疑う私)とカオス(マトリックス仮説も含む)>なんですね。 これは信仰ではありません。 デカルトが懐疑でたどり着いたものと殆ど同義ですから。
>>635 >だから「その結論に至る道筋が納得できるものであれば
>その結論を認めざるを得ないでしょう」
>が正しい主張であるという根拠は?
「正しい/間違っている」の問題ではないんですよ。
論理を尊重する人間であれば、論理的に正しい道筋を経て得られた結論は
尊重せざるを得ない(根拠もなしに反対したりはしない)ということです。
>だからですね「マトリックス」は仮説でして、では何が確実な事実かと言えば
><主観(疑う私)とカオス(マトリックス仮説も含む)>なんですね。
>これは信仰ではありません。
>デカルトが懐疑でたどり着いたものと殆ど同義ですから。
つまり、あなたのおっしゃっていることは、デカルトが何百年も前に主張し、
その後も無数の哲学徒が学び、理解してきたことと同じことでしかないということですね。
何度も言いますが、あなたは
>哲学の意義は問題を解決する事ではなくこれまで問題とみなされていなかった
>問題を掘り起こすことだと思います。
とおっしゃっているのですから、「コギト・エルゴ・スム」のような周知の議論を
主張することに意義を見出すというのは、自己矛盾していますよ。
637 :
竹田ジュニア :2005/06/17(金) 15:57:27
知能<パラメータ>の極度に低い方(例えば
>>625 さん)のためにかみ砕いて説明すると、
顕微鏡が人類に発明されるまで「細菌は存在したのか」とか
深海探査船が人類に発明されるまで「海底生物は存在したのか」
という事なのですよ、
>>599 は。
客観信者の立場では「存在した」と言わなければなりません。
「見つかっていなくても元からあるものは存在する」という立場ですから。
では私が「バーチャルリアリティ装置」という仮説を提唱しても、
「バーチャルリアリティ装置があるならばある」し「ないならばない」事になる。
それは現時点では「わからない」「否定できない」という事になりますね。
638 :
竹田ジュニア :2005/06/17(金) 16:03:05
>「正しい/間違っている」の問題ではないんですよ。
>論理を尊重する人間であれば、
>論理的に正しい道筋を経て得られた結論は尊重せざるを得ない
>(根拠もなしに反対したりはしない)ということです。
だからクリプキは知ってますか?同じ論理でも違う結論に至ることはままありますよ
>つまり、あなたのおっしゃっていることは、(略)「コギト・エルゴ・スム」のような
>周知の議論を主張することに意義を見出すというのは、自己矛盾していますよ。
>>625 のように自論で自信満々に噛みついてくるあたり、
まだこの議論は"新しい"ようですね。
>>638 >だからクリプキは知ってますか?同じ論理でも違う結論に至ることはままありますよ
クリプキのどの議論について言っているのかわかりませんが、
違う結論に到るのは、論理に飛躍があるからです。
そして「観念論は不毛だ」という結論に至る論理には飛躍はありません。
>
>>625 のように自論で自信満々に噛みついてくるあたり、
>まだこの議論は"新しい"ようですね。
>>625 さんはあなたに科学の方法論のイロハを教えてくれているのです。
古いと言えば
>>1 なんかも理科に親しむ中学生くらいに誰でも考えそうな程度の
古い主張なんですが(歴史的には唯物論ですね)、
知能<パラメータ>が極度に低く設定されている(と推測される)
>>625 さんには
理解できないようですね。
邪魔にならないように"隅っこ"に移動して欲しいのですが
これもまあ"理解"は困難でしょうね
>>639 「古い議論だから無意味」と言っているのは
>>625 さんとは別人のあなたですか?
できれは"ハンドル"をつけて頂ければわかりやすいのですが。
過去10スレくらい閲覧。
「知能<パラメータ>の極度に低い方(例えば
>>625 さん」という言葉を得意げに
つかっているこいつの「高潔な人格」がにじみ出ていて印象的ではあるなw
言葉といえばバーチャ厨の言語についてまとめておこう。
この世はバーチャ、科学では何も解決しない」と、科学技術の積み重ねで、
できたネットインフラの恩恵を受けながら、ネット上で主張し、
科学は無力だといいながら、己の主張に、科学者の成果の一つである
量子力学を使って説明しようとする。そして彼らの好むのは
決まって「シュレーティンガーの猫」のパラドクス。
文系らしく量子力学の全体像はわからないので、自分の好みの
猫のたとえ話だけを切り出して得意げに語るといういつもの
パターン。
なぜか、「この世はバーチャ」 論者には滑稽にもこの手合いが多い。
己の矛盾を内包しながら必死に語るのは、彼らがこの世はバーチャで
あると考えてるというより、この世はバーチャであってほしい、という
願望からなのである。この構造は、新興宗教に幸せの壷を売りつけられて
も、それにしがみつき拝み倒すさびしい老人の心理とあまり変わりはない。
それしか頼るものがないのだから。
私は既にこのバーチャルリアリティ問題、 <主観>と<カオス>を主観の側から(客観を前提せずに)貫通する、あるいは <カオスの範囲>をある程度限定する方法の"ヒント"を掴んでいますが、 "出版の都合上"、ここで発表するわけにはいきません。 <現象学>のような"知覚"に頼る貫通よりも決定的な考察になるでしょう。
644 :
1 :2005/06/17(金) 16:56:41
>>642 とはいっても、体も一種のバーチャルではないでしょうか。
脳に信号を送る媒体が機械かその他かの違いです。
音・色・痛みといったことは、客観的には存在せず、
やはりこの世は肉体を媒介にした仮想でしょう。
やってしまった・・・ 仮想⇔現実の違いと言うと無いのではないでしょうか。 ドラクエの例でいいますと、 五感をどこまでも再現させてもドラクエの世界は仮想なのか? プレイ中だけ記憶を失わせたら、まさに現実ではないか? こういった可能性から「この世はマトリクス」という 仮説が成立します。
646 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 17:11:06
>>633 >現在見つかっていない素粒子はこの世界に「存在しない」んですね。
素粒子は原子を構成する要素となると仮定されているもので、
人間が直接知覚できるものではない。将来になっても見えることは
ない。これは技術の問題ではなく人間の知覚機能の限界だから。
きみは可視光線以外の電波が見えるという電波野郎か?
科学で「存在する」といわれるものごとはどういうものごとか
考えたこともないようですね。
物理概念である「エネルギー」「力」「波動」「素粒子」・・・
これらは人間が直接知覚する(感覚で認識する)ことは
未来永劫できないものごとである。これらのものごとに起因すると
物理理論で理論付けられる現象のみが人間に知覚される。
そしてそれがこれらの物理概念の存在する根拠となる。
思いつきだけで存在するということにはならない。
うんにゃオラは学校でしか見たことねぇ
648 :
素人 :2005/06/17(金) 17:26:23
う〜む・・個人的にはつまらん流れだなw 人造人間はどこまで『人間』なのか? 或いは、どこからが『人間』(≒「このわたくし」を持つ者)なのか? という問の方がやっぱりスリリングだよな 一時期ちょっとそんな流れだったけど・・ これは哲学じゃないか・・・ (;´ー`)y━~~
笑っていいともで似たコーナーがあったな
>>637 それはその通りだと思う。
客観を在るとしてこそ「仮説」は意味を持つだろう。
651 :
竹田ジュニア :2005/06/17(金) 17:40:03
>>646 答えになっていませんね。わざと技術論に逃げているのか、
知能<パラメータ>がチンパンジの「アイちゃん」並なのか、
簡単な会話で少し様子を見たいと思います。
では、
「アンドロメダ星雲の裏側に、バレーボール大の<バーチャルリアリティ装置>が
あると仮定したら、
それを地球にいるあなたが『"偽"だ』と否定する事はできますか?」
あるいは
「ピタゴラスの時代に、ある人物が『我々の見近には、目には見えない"生物(細菌)"がいる』
と仮定したら、その時代の人はこれを"偽だ"と否定する事はできますか?」
652 :
竹田ジュニア :2005/06/17(金) 17:50:14
ではサルでもわかるギリシャ哲学劇場かいえん〜ちゃんちゃんちゃん♪
レーベンフクトゥス「私は霊感で見た。我々の身近には、
眼には見えない小さな生物がいるのだ。
私はこれを細菌と呼ぼうと思う。」
>>646 「霊感だと?それはお前の妄想ではないか。我々にも
その”細菌”を観測できなければ、お前の主張はウソだ」
竹田「おお
>>646 よ、それではレーベンフクトゥスの言う
”細菌”はこの世界に存在しないというのか?」
>>646 「ああそうだ。竹田、お前はどうなのだ。では細菌はいるとでも言うのか。」
竹田「いるかもしれないし、いないかもしれない。としか言えませんね」
>>646 「バカバカしい。ではやはり”細菌”などいないという事だ。
レーベンフクトゥスよ、お前は後世に大ボラ吹きとして汚名を残すのだ。
わっはっは(勝利宣言)」
653 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 17:57:47
>私の言う「バーチャルリアリティ装置」は、 >現在の機器で観測できる素粒子よりも小さいです。 >「アンドロメダ星雲の裏側に、バレーボール大の<バーチャルリアリティ装置>が >あると仮定したら、 素粒子より小さいがバレーボール大になったり主張がころころ変わりますね。 まぁ、仮説にもならないでまかせだからでしょうな。
なんか、勝手に作った脳内論敵相手になぜか2chで反論してる勘違い君がいるんですが。 「バーチャルリアリティ装置は存在しない」なんて言ってる人、ここには一人もいないんだが。
>>646 >きみは可視光線以外の電波が見えるという電波野郎か
これは科学的に有り得ますよ。
音波が見える人も実際います。
「気」が見えるという人は、赤外線まで見えるのではないでしょうか?
あと、あなたの主張だと、「可視光線」という物理概念も直接知覚出来ない
のではないでしょうか?
656 :
竹田ジュニア :2005/06/17(金) 18:07:32
>>653 だって、私にもわかりませんから。分かってしまったら「主観-カオス」理論は
自滅してしまうわけで。何でもありですよ
657 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 18:08:35
>>652 細菌が発見されたのはいつだ?
つい最近のことではないか?WWW
もちろん細菌も顕微鏡という光学理論を信じて
はじめて見える「もの」だな。
これが観測の理論負荷性ということだな。
もちろん「もの」は発見されてはじめて「存在」
が実証される。
658 :
竹田ジュニア :2005/06/17(金) 18:09:04
>>654 ウソをつく時も過去ログは読みましょう。
505 :考える名無しさん :2005/06/16(木) 16:33:42
またバーチャ厨か。
お前が、死のうが生きていようが、お前の足元にある石ころは存在するんだよ。
それは、お前が今日認識したから存在したわけではなく、過去からそんざいし、その場所に
のちに訪れる人間すべてが認識できる。お前の死後、お前の意識が消え去っても、
それは石の存在になんら影響をあたえることはなく、後にその場所に訪れる人間に
も、当然のごとく石を確認することができる。
お前の認識が石を作り出したわけじゃないのさ。
バーチャ厨は、昔からいるけど、こいつらは乱暴にいえば臆病なだけ。
死をを認識できる動物たる人間が、神や天国を作りあげざろうえなかったのと
同じように、新たにバーチャルリアリティという神話を作り逃げ込んでるだけ。
単に臆病なだけなんだよ。
そんなものに逃避してる暇があるのなら、完全な永遠の意識断絶たる
己の死というものに向かい合い、受け止めたほうがよいと思うがね。
いつまでもバーチャ信仰に逃げ込んでるのには限界があるってもんだ。
>>658 は?
それのどこで「バーチャルリアリティ装置は存在しない」なんて言ってんの?
660 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 18:13:48
>>655 >「可視光線」という物理概念
可視光線は物理だけできまらないのは当然です。
何にとって「可視」なのかです。
生物種によって「可視」の範囲がことなるのは
生物学の常識です。
661 :
竹田ジュニア :2005/06/17(金) 18:13:56
>>657 >もちろん「もの」は発見されてはじめて「存在」 が実証される。
<おはなし>知能レベル(サル→犬)に設定。
「ある”もの”の存在を誰かが主張した場合、
科学的に観測して発見される前に、「存在する」か、「しない」か、
真偽を答えることはできますか?」
イエスかノーかでお答えください。文法は理解できますよね?
「イエス」か「ノー」かで答えてといわれたら、
「イエス」か「ノー」しか答えられませんよ。あらかじめ。
>>659 「お前が、死のうが」「お前の足元にある石ころは存在するんだよ」
と言っているので、主観を超えた「客観(もの自体)」の存在を認めています。
それはこの世界が”バーチャルリアリティ”である事を否定しています。
まあ、あなたの知能<パラメータ>が低ければ理解は無理なので、
わからないならあきらめましょう。
663 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 18:28:05
>>661 「ものの存在」に真偽は問えない。
「ものがある」という「事実」は真である場合も、
偽である場合もある蓋然的出来事である。
イエス/ノーしか判定できないのは石頭コンピュータ
である。
>>662 それは単にそいつが自分の信念を語ってるだけだろ。
「科学的に言って、バーチャルリアリティ装置はあるか、ないか」と問われれば、
どんな信念を持ってようが「あるかないかはわからん」と言うしかない。
それが正しい科学的態度。
665 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/17(金) 18:32:20
何の為にスピンや電荷が【簡単な】分数かと言えば 考える香具師にとって都合がいいから。 パウリの原理とかも都合。 都合が良いから選んでいって、矛盾を孕むと、 例外にしたり視点を変えたり。どうでもいいけど。
>>664 でしょうね。"科学的"という単語を"現時点の科学で観測されない「もの」は存在しないと断言できる"
という意味で使う人が多くて話が進まない。
>>663 誤り
>>660 とすると、素粒子が「可視」な生物固体というのも想定できるのではないでしょうか?
素粒子の観測機器と視覚野を直結したとしたら・・・
もう人間とは別種と言えるかもしれませんが。
668 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/17(金) 18:43:45
>>666 >"科学的"という単語を"現時点の科学で観測されない「もの」は存在しないと断言できる"
認知できないものは存在しないと言う前提で動く(動かざるをえない)。
もうちょっと分かりやすく書くと、
分からないものは置いといて、分かってる範囲で考えよう。
と言う事だと思います。ご都合主義なんです。
>>666 で、”科学的”という言葉を正しい意味で使う人が現れたら、何か話が進むって言うの?
670 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 18:48:25
ココは安っぽい現象学だな。
>>666 現時点の科学で観測されない「もの」は「科学的には存在しない」と断言できる
ならば正しいよ。
>>669 この世界を生み出すバーチャルリアリティ装置が存在する可能性を否定できないので、
"客観(まぼろしでない唯一の世界)がある"という主張は
"主観である<私>は客観の存在を信仰する"という主張にすぎない事になります。
すると、
>>1 の主張もあくまで唯物論という一つの信仰にすぎないと結論されます
>>672 ハァ?
話進んでねーよwww
最初っからあんた同じことしか言ってねーじゃねーか。
それはもうわかったから、もっと話進めろよw
>>673 「結論」って言ってるんだから、
>>672 が言いたいことの全てなんじゃないの?
あんまりいじめないであげようよ…
またバーチャ厨かw
676 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/17(金) 20:16:44
>>1 >必然に『すぎない』
皆さんが「共有している」「時間」=客観的現実
と言うものは1つしかないので
起こるものはそうあるべくして起こる。とも言える。結果論としての決定論。
すぎないとはどういうこと?何か期待してましたか?
「全てが必然」と言う事は「自分は何も出来ない」と言う事とどう違うんでしょうか?
677 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 20:39:30
地球がドンドン温暖化するかある程度で止まるかまだ決まってない 日本はこの問題の要にいるから、だから君らの意志も重要よ..……どっちっかに決まってるというやつは馬鹿な根拠意見を書いてみてくれあざ笑ってやるから また温暖化は大変でないかという意識はここ2,3年の天気だけで完全に決まってるかというとそうでもない、見聞きしてる情報にも左右されてるしどういう情報を取るかという貴方の意志も聞いてくるる といっても東京の馬鹿どもは夏が暑いか涼しいかでそうとう左右される単純なやつらが多いだろうな そういう単純くんには「意識は必然だ」といわざるを得ない
>>673 >それはもうわかったから、もっと話進めろよw
唯一確実な「知」を手に入れたのに、
これ以上何の話を「進める」事ができるのですか?
また進める必要があるのですか?(いやない)
いかなる方法であれ、
「<疑う私>とそれが知覚する<カオス>がある」という以上の"事実"は出てきません。
<疑う私>は懐疑不能であり、<カオス>の正体は確定不能であります。
679 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 20:44:23
思考停止だな。 現実直視できないバーチャル厨らしいな。
>>678 では「24時間後にこのスレは爆発し、あなたのパソコンも
爆発する」のでこのスレから出て行っていただけませんか?
あなたの意見に依れば「物理法則に従って爆発しない」という
ことを反駁できないので、そうした方が身のためですよ。
○「物理法則が破れて爆発する」 ×「物理法則に従って爆発しない」
>>679 「思考停止だな」という発言は、
「思考と知識は常に高度化し、最終的に"目的"を得なければならない」
という生理的欲求から来ていると思われます。
私のような「目的のない結論(カオス)」を生理的に恐れているのでしょう。
唯物論は何のことはない、「我々は知識を進歩させる事ができ(レベルアップの快楽)、
死ねば"無"になれる(ゲームクリア)」
という救済の宗教だったのでしょう。
>>678 ”科学的”という言葉を正しい意味で使う人は、
んなことはもうとっくの昔に了解してますから、
あんたに言われるまでも無いよ。
んで、もう他に何も言うこと無かったら、さっさと消えてくれる?
あんたのせいで話が堂々巡りして迷惑してんのさ。
なんか女子小学生の喧嘩のようになってますよ
>>680 パソコンが爆発しても、しなくてもパソコンがカオスである事に変わりはありませんよ。
私が死ぬ一秒前になって突然、物理法則が狂うかもしれませんし
>>684 はいはい、いちいちすべてあなたのおっしゃるとおりですよ。
あなたのような高レベルのプレイヤーには、
ビギナーだらけのこのスレは退屈でしょうから、
どうぞお好きにあなたのレベルにあったプレイを楽しんでください。
低レベルの我々には、あなたのプレイにはついていけませんから。
687 :
考える名無しさん :2005/06/17(金) 20:56:08
>>682 いや、しかし、言い忘れました。
「12時間後にはあなたの座っている椅子が爆発する」かもし
れませんし、「7時間後にはあなたの髪の毛が自然発火する」
かもしれませんよ。
自殺した方がいいかもしれません。
自殺してみますか?どうですか?
しかし、自殺すると「地獄でいびられる」かもしれません。
>>683 私の主張を<みなさま>が認めるならば、消える(結論が出て役目を終える)のは
このスレの方ですね。しかし反論される方もおり、
まだ<みなさま>が納得したわけではないようです。
>>685 あっ、竹田のPCが火噴いて竹田ジュニア無事焦げ死にしますたっ ^^;
と、まあ戯れはおいておき、本題に戻りましょう。
私が一番気になってるのは「EPRパラドックスとベルの不等式」
であることは書きました(
>>428 )。
これについて晴眼をお持ちの方はいますか?
692 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/17(金) 21:00:49
>>678 >「<疑う私>とそれが知覚する<カオス>がある」という以上の"事実"は出てきません。
><疑う私>は懐疑不能であり、<カオス>の正体は確定不能であります。
「懐疑不能なものが知覚する確定不能なものがある」
「<疑う余地の無いもの>が知覚する<確定できないもの>がある」
こう書き換えてもOKですか?
>>689 あなたが出て行ったほうが手っ取り早いでしょw
なんでわざわざ、あなたにとっては意味の無い議論に口突っ込むわけ?
あなたにとってはデカルトですべて解決なわけでしょ?
自分がそれで満足してるんならそれでいーじゃんよ。
いちいちちょっかい出してくんなよ
>>691 EPRパラドックスはベルの不等式が成り立っていると確認されたことで解決されたでしょ。
それ以上になんかあんの?
>>694 残念ながら「確認された」というのは古い情報で、現在では
「不明」に戻っています。一番の問題点は「ベルの不等式が
確認された実験には統計的抜け道があるかもしれない」という
点です。
>>694 ちょっと待って下さい。
ベルの不等式の成立実験とは何の実験ですか?
不成立の実験ならば知っていますが。
>>692 その方が分かりやすいですね。"カオス"というのは竹田先生の受け売りです。
>>693 では私は「マトリックス型」(自分以外の"他者=意識"が存在し、
それ以外の現象がカオス)を仮定している、よってこれは啓蒙活動、としておきましょう。
または「独我論型」でカオスに論争を挑み、
カオスを生み出す何者かに挑戦している、でもよいでしょう。
>>697 あ、ごめん。
「ベルの不等式の破れの確認」ね。
アスペの実験のこと。
>>696 ネット検索でも出てくると思いますが、
もっとも読みやすい本として、
J.P.マッケボイ文、オスカー・サラーティ絵
治部眞里訳『マンガ量子論入門』講談社、1996年、p179
701 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/17(金) 21:21:22
>>698 >>692 >「<疑う余地の無いもの>が知覚する<確定できないもの>がある」
疑う余地のないもの=自分。
確定できないもの=感情。
と、勝手に解釈しました。
703 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2005/06/17(金) 21:29:07
705 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/18(土) 01:00:30
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/Bell-inequalities.htm 量子力学がベルの定理に従わなくても良い理由があるとすれば、
1.世界の事象はすでに決まっている。ビックバンにはじまり、
要点をメモ的に抜き出してみました。
同じ内容を、言い方を変えて説明がなされています。
内容が分かりにくいと思うので、実際に本を読む事をお薦めします。
『量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ』
デヴィッド・リンドリー著、松浦俊輔訳
世界は一つの量子系と考えられ、すべての事象は関連している。
これは自由意志を放棄することになる。
・・・「量子論の観測問題」はある「反射された量子(光子とか電子とか)が、
「観測者の『観測機器』あるいは『観測者の脳の感覚的クオリア』に届いた」ということは、
「観測された(量子)」と同じような量子が「反作用」によって「観測された量子」から、
「跳ね返された」ことを意味し「その跳ね返され方」によって「観測対象の量子の状態」は
既に「観測時の状態」を保てない・・
「簡潔に言えばそういうこと」だと思います。
706 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/18(土) 01:06:50
「コピペ」の順番を間違えました。 訂正版(抄)は↓ 『量子力学の奇妙なところが思ったほど奇妙でないわけ』 デヴィッド・リンドリー著、松浦俊輔訳 1.世界の事象はすでに決まっている。ビックバンにはじまり、 世界は一つの量子系と考えられ、すべての事象は関連している。 これは自由意志を放棄することになる。 です。
横やり失礼します。
>>2 案は内容も表現も見栄えも最悪です。
わたしも
>>3 案がいいように思います。
708 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/18(土) 01:17:05
>>705 の
>・・・「量子論の観測問題」はある「反射された量子(光子とか電子とか)が、
>「観測者の『観測機器』あるいは『観測者の脳の感覚的クオリア』に届いた」ということは、
>「観測された(量子)」と同じような量子が「反作用」によって「観測された量子」から、
>「跳ね返された」ことを意味し「その跳ね返され方」によって「観測対象の量子の状態」は
>既に「観測時の状態」を保てない・・
>「簡潔に言えばそういうこと」だと思います。
は「文責:機械的唯物論者」=私です。為念。
>>698 この世は仮想現実なり。ではとうてい啓蒙とはいえないと思うが。
それ以前に仮定でしかないないわけで。
「クオリア」って、どこの言説なの?
竹田さん、カント読み直した方がいいよ。
713 :
四式 :2005/06/18(土) 15:02:01
もしこの世が仮想現実であり極度に情報化された世界であるとするなら 管理者の野郎はなんで俺に才能とか強靭なボディをくれなかったのか?不公平である。
>>713 貴方がその条件を選んだのでは?
完璧だと面白くないとか。
715 :
四式 :2005/06/18(土) 15:39:56
>>714 そんなスリリングな趣味はねえよ、つかキリングフィールドのアフリカ出生組みってこの理論じゃ笑えるよな
即餓死とか管理者は悪魔か?
716 :
四式 :2005/06/18(土) 15:46:37
とゆうかこの理論からすればこの世の外在している不幸なんかはどうでもいい部類だし 現実論として自民族や自己ですら手に余りまくるのにアフリカなんかどうでもいいんですけどね。
>>715 過去に無限回人生やってるかもしれないよ。忘れてるだけで。
公式ガイドブックとか攻略本とかないかな
720 :
四式 :2005/06/18(土) 16:53:02
>>716 間違えた、内在のただの情報だった。
>>717 無限回は無理だろ、元の(この論で言う所謂真存在の)情報処理部分は一応物理現象が伴うわけだし
ヴァーチャルのヴァーチャルはありえないんだから。
721 :
四式 :2005/06/18(土) 17:05:15
まあ俺としては、脳で処理される内在情報しか知り得ない立場であるのは認める。 だが何物かによるヴァーチャルリアリティでできた世界だとするにはあまりにも出来過ぎているとしかいえんし その可能性を模索するにたるほど己の五感、触感とか嗅覚とかのデータリンクに矛盾が見つからないんだよね。
>>702 こんな記述があったよ
>海外のサイトでは、未解決の問題であると主張するサイトが目立つのは何故でしょう?
>あらゆる物理学の概念を客観的に解説してあるサイトでも未解決の問題として記述して
>いる。子の差は一体どこからくるのでしょう?
EPR相関の実験結果は、量子力学により説明可能で、かつ古典論では説明不可能であることは、誰も異論を唱えていませんが。
未解決という主張があるならば、それが古典的なイメージで説明できないということに起因するのでしょう。
しかし、実験結果は、物事には(局所的な)古典論では説明できないと言う事実を突きつけています。
これを認めずして、古典論に固執するべきではないでしょう。
>>
http://math.ucr.edu/home/baez/physics/Quantum/bells_inequality.html >があるが、様々な反論が載っています。
>
http://www.quantum.univie.ac.at/research/bellexp/ >なども、また独特の反論をしています。
ここにあげられているのは、detection loopholeとlocality loopholeという知られた落とし穴の話です。
locality loopholeのほうは、塞がれたという実験結果が出ていますし、さらに確実な実験が試みられています。
detection loopholeのほうは、当分は塞がれる見込みはないと思います。
しかし、どちらにしても、hidden variable modelを復活させるためには、十分奇怪であり得なさそうな仮定を光源に設けなければなりません。
loopholeを塞ぐことは実験的課題ですが、塞がれなかったからといって、ベルの不等式の破れの実験結果を疑っている人はいないと思いますね。
>>721 共感覚者を調べてみ。
五感もあやしくなって来るから。
>>721 <時間><空間><論理><因果律>、それはこの宇宙においてのアプリオリであり、
この宇宙の外も含めるとすべてはアポステリオリです。
つまり、想像力は無意味です
725 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/18(土) 23:01:23
>>724 無意味?・・ですか?
どういう「アプリオリな基準」によって「無意味」と(判断)するのですか?
その「アプリオリな基準」による「『意味』があることや『意味』があるモノ」は、
具体的に例示すると「例えば?」・・になるのですか?
>724 だから竹田さん、カント読み直した方がいいって。 アプリオリは否定神学なんだから。
727 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/18(土) 23:29:18
>>724 五感は「怪しい」かもしれません。
何しろ「天空に架かる虹」の『狭さ』はどうでしょう?
人間の「五感の中で一番情報量の多い感覚は『視覚』」ですが、
天空を「覆っているはず」の「虹のスペクトル」の中で、
人間が「見ることができる」・・・可視光線の「幅」は太陽や月の
「視認直径」より『ほんの少し大きい』だけです。
それ以外の「紫外線領域」・・・細かくなると「エックス線」「ガンマ線」
「広く」なると・・赤外線・・の領域は「存在するのに虹として見えない」
・・といういことです。
「人間のかくも限定された『クオリア』で・・何を『語れるのか?』」
・・ということです。
728 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/18(土) 23:32:03
訂正:727は、
>>723 でした。
謹んでお詫び申し上げます。
729 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/18(土) 23:54:38
727の訂正です。 >人間が「見ることができる」・・・可視光線の「幅」は太陽や月の >「視認直径」より『ほんの少し大きい』だけです。 は『ほんの少し小さい(狭い)』の間違いでした。
730 :
考える名無しさん :2005/06/19(日) 01:41:57
世界は見えるがままではない。例えばえんぴつを水の入ったコップに入れると曲がって見える。 この場合はえんぴつをコップから出せるから実は曲がってないということがわかるが、こういうことができない場合はそれがわからない可能性もある。
731 :
素人 :2005/06/19(日) 01:59:37
>>730 だからこそ人は、わかる範囲の中で、もがき悩みながら生きてゆくのだよw
Date :2005/06/11 00:34:39
Subject:◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない36◆
URL :
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1118199690/ Name :素人
Mail :sage
>>170 貴方は
>>56 で(及び前回の同じ質問に於いて)
説明の理論だと言った。
だとしたならば、それ以上何を語る必要があるのか?
利用のできない説明ならば、
→読めない外国語の説明書であるならそんな説明書はゴミ箱へ捨てて、
実際にその機器をいじりながら最もよい使用方法を見つけ出すこと(≒仏教的アプローチ)の方が、
限りある寿命の中ではより建設的なスタンスだと思うが如何。
それが、
777 素人 sage New! 2005/05/07(土) 02:36:34
スレの流れがまどろっこしいので
とりあえず持論から
>>735 の文へ一言
「決定論とは論破するものでなく無視するものである」 by素人
>>761 >意識は物と独立に存在し(え)ない
『この一文には』賛同するw
781 素人 sage New! 2005/05/07(土) 03:12:17
唯物論は受け入れるが決定論は受け入れない
783 素人 sage New! 2005/05/07(土) 03:22:12
いや、言葉を変えよう
唯物論には頷くが決定論は素通りする かな。
のレスの意味なのだがな(´ー`)y━~~
733 :
考える名無しさん :2005/06/19(日) 19:20:42
>>706 すべてを関係づけるのは自由意志であると決定している。
734 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/19(日) 22:17:41
>>731 確かに
>>170 >「倫理的命題」は成立するが「倫理学」は成立しない。
>少なくとも、厳密な学としては成立しない。
はおかしいと思います。
「一般的な観念論者」が陥り安い陥穽の一つに「学として成り立つか否か」を、
(必要以上に)重要視する・・というか「それしかない思考」があります。
過去の「科学の歴史」を正確に知っている方は「そういう物言い」はできません。
「先進国」である「この日本国」で「学として成り立っている」のは「何学と・・何学・・」
と「決める」のは、結局「中央官庁」ですが、彼らが『「万能人間」ではない』ことは、
周りで接している人間には「周知の事実」です。
勿論「膨大な権限を20歳代で『持たされる』」ことはある意味で「同情に値する」こと
ですし、彼らの殆どがその『膨大な権限』を賄賂を取るなどの「悪用しない」ことは
「ある程度評価」されていいと思いますが・・・「エリートならば更に新たな能力発揮を要求される」
米国や中国や欧州諸国のような「厳しさ」は、今の(この国の)官僚にはありませんので・・
『学問の範疇を決定する』ことなど出来ません。従って「既成勢力」・・要は「古くさい大学の教授達」
が「倫理学講座を継続するか否か」決定することの積み重ねで「倫理学の存続は決まる」のです。
この「インターネットと(理論)物理学の時代」に「全く経済学的原理の片鱗も及ばない象牙の塔」
・・・それが「文部科学省」と『「ダイガク」という名の「知の収容所」』なのです。
>>734 「学」として成り立つということは「真理」について語っている
ということだと思っています。「真理」について語らなくても
よいのであれば、観念論もまた立派な「学」でしょう。
「学として成り立つか?」という問いは「その体系は真理に
ついて語っているのか?」という問いです。「何が『学』と呼ば
れているか?」という問いはどうでもいいことです。
このように考えると、「倫理学が厳密な学として成立する」 すなわち「いくつかの自明そうな前提と真理についてのみ 語っている倫理学がある」という主張は、甚だ疑問に思われ ます。
但し、緩やかな倫理学はあると考えます。 それはどのような倫理学でしょうか? 例えば「真理を知るべきだ」という倫理的命題について 考えて見ましょう。仮定として、実験装置が整えば、「ある 人は『真理を知るべきだ』と考えている。」ということが 分かるということにしておきます。 この時、「被験者のうちx人は『yes』と答え、y人は『no』と 答え、z人は『その他』であった。」ということが分かったと します。これは、真理について語っていると思われるので、 学として成立するでしょう。
問題は、一般に倫理学を学ぶ人がやりたがっていること、 すなわち、「では、本当はyesとnoのどっちが正しいのか?」 という「誤った問い」に答えようとすること、これが「学」として 成り立たないという点です。 すなわち、「倫理的命題には普遍性が有る」と考えること は誤りである、と私は考えています。
739 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/19(日) 22:44:13
>>735 少なくとも「学」を名乗るならば「真理に接近する(姿勢)」が、
「必要条件」だと思うわけです。
かつて「神学」という「学」がヨーロッパ(当時の世界の最先端)に君臨し、
ガリレオガリレイの地動説を「宗教裁判の嚇し」で、引っ込めさせた逸話は
有名ですが、「エピステーメー」としての「学」が「諸学の発展」の足かせ
にならないよう「学とは何か」を考えてきた(考え続ける)唯一の「学」は
「哲学」であったわけですので、結局「自然科学を見守って育てた」のは、
ヨーロッパ哲学の「唯物論の流れ」であった・・・ということだと思います。
彼らの「当面の敵」は相変わらず(キリスト教を中心とする)「観念論哲学」
であり、「宗教そのもの」であり、「観念論的自己欺瞞に陥った実存主義」
だと考えます。
>>739 私は哲学史にはあまり興味がありませんので、
それに対するレスは控えさせていただきます。
ところで「真理を知るべきだ」という命題には普遍性が
あると思いますか?
741 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/19(日) 23:02:37
>>740 「科学史」ではありません。「歴史学」です。・・まあ、それはいいですが・・・。
「真理を知るべきだ」という命題に「普遍性」は「ある」と思います。
人間という哺乳類の一種族は「バカにする」「バカにされる」ことを理由に
『「殺し合い」を繰り返してきた種族』ですから、この種族にとって
@「真理により近い立場に立って見下すこと」
は「命を賭けるほど重要なこと」であり、
A「真理により近い立場に立った他者に見下されること」
は「命の危険を他者に晒すほど危険なこと」なのです。
ある意味で「文化」(英語での「カルチャー」)が存在しなければ、
「人間ほど残虐非道な(ことができる)生物は存在しない」と言うことが
出来ると思います。
たぶん「ナチスドイツのユダヤ人大虐殺」は「殺すこと(のみ)を目的に」
「同類(人類)を効率最重視で」殺戮した「地球生命史の新記録」だと思います。
勿論「殆ど一瞬」に一〇万人以上を「蒸発」させた「長崎・広島」も「新記録」です。
「最新の世紀」にそのような新記録を作りつつ・・・「次の世紀がある」と信じる
観念論者楽観論や宗教人の「利益誘導型の物言い」は「かなり無理がある思考」だと
考えます。
「機械的唯物論者」さんは、「弁証法的唯物論者」と対立しているのですか?
743 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/19(日) 23:35:57
>>742 弁証法的唯物論は「弁証法」を拝借するために「観念論の究極」・・ヘーゲル
と「妥協」した時点で、「もはや『唯物論の衣を被った』(新手の)観念論」
にすぎなくなってしまいました。
あくまで「第一義的に物質の変化」が先行し「それが二次的に『脳』が司る」
「観念」のあり方を決定する・・それが「機械的唯物論」という「真理」です。
>>743 弁証法的唯物論とか聞くと恥ずかしい。よく知らないで言うのやめよう。自説だけを頑固に
守り通すところまではいいと思うけど、よくわかってもいないことを表面的な知識だけで貶すのは
自分の品位を(最初からないか)落とすだけ。
745 :
742 :2005/06/20(月) 00:18:14
>743 唯物弁証法を言い出したのはエンゲルスですから、 おっしゃるとおりですね。エンゲルスは哲学がよくわかっていません。 しかし、マルクスのヘーゲル批判は妥当だと思うのですが、どうですか? 唯物論の前に「機械的」を付ける必要はないのでは? >744 意味がわからない
746 :
考える名無しさん :2005/06/20(月) 00:43:24
過去ログのまとめがSYNのサイトになってるのがちと疑問だ・・・ 個人サイトをスレのまとめにしてSYN氏はいいのだろうか?
>>746 一部の過去ログが読めないという不都合があったため用意しました。
私としては、少しでも誰かの役にたてれば幸いです。
東京が核攻撃受けてサイトが無くなり、過去ログが読めないという問題に対処するためには、
元のURLだけをコピペしておいた方がいいかもしれません。
>東京が核攻撃受けてサイトが無くなり どこをどうすればこんな思想になるのか全く分からんが、わざわざ 自鯖で運営してくれるSYN氏に乾杯!
749 :
考える名無しさん :2005/06/20(月) 09:36:27
>>741 >人間という哺乳類の一種族は「バカにする」「バカにされる」ことを理由に
『「殺し合い」を繰り返してきた種族』ですから、この種族にとって
人類史の殺し合いを「バカにする」「バカにされる」などという一括りで
説明するのは、あまりにも無茶苦茶だろう?チンパンジーですら、組織
だって、他のチンパンジーグループを抹殺することができるし、殺すことを
楽しめる。遺伝的に近い人類がなぜそうするのか?そのことを自然科学的
な成果を緻密に考察しない限り、この問題は見えないだろう?決して「バ
カにする」「バカにされる」などという言葉で切れる問題ではない。
それこそ哲学は言葉遊びと逆に切り捨てられるであろう。
殺し合いの定義からまちがっていれば、おのずから
>@「真理により近い立場に立って見下すこと」
> は「命を賭けるほど重要なこと」であり、
>A「真理により近い立場に立った他者に見下されること」
>は「命の危険を他者に晒すほど危険なこと」なのです。
は間違いになる。
観念論者楽観論や宗教人(コピーライター)に
「利益誘導型の物言い」(コマーシャル)をさせる
機械的唯物論者(ビジネスマン)は、
かなり無駄を売る大川隆法(抱腹の科学)だと思います。
>>741
751 :
考える名無しさん :2005/06/20(月) 16:03:11
とりあえず北朝鮮に核ミサイル打ち込んでやれ
科学は思想に何も語らない。 流れオソ。
753 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/20(月) 23:51:11
>>744 >弁証法的唯物論とか聞くと恥ずかしい。よく知らないで言うのやめよう。自説だけを頑固に
>守り通すところまではいいと思うけど、よくわかってもいないことを表面的な知識だけで貶すのは
>自分の品位を(最初からないか)落とすだけ。
一部団塊の世代には「きつい言い方」かもしれませんが、「弁証法的唯物論」=真理もどきが
世界史に残した「汚点」は大きいと思います。マルクス・エンゲルス・レーニン・スターリン
毛沢東・・・彼らが「真理を語っている」と信じて20世紀に「無駄に命を落とした」人類の個体の数」
は「1億を超える」と思われます。第2次世界大戦で「一番多くの人口を失った国」 ・・・それは「ソ連」
・・現在の「ロシア」です。そのロシア人も「カチンの森」では「ポーランド人虐殺」のようなことを平気で
行いましたし、そもそも「ナチスドイツのユダヤ人虐殺」に賛同?していたからこそ、
「ナチスドイツと手を結ぶ」ようなことをしたのです。「独ソ不可侵条約」を一方的に破ったのは「ナチスドイツ」
ですが、「日ソ不可侵条約」を一方的に破ったのは「ソ連=共産ロシア」です。1945年8月、日本の敗北が
「確定的になった」とたんに日本の占領地に突入したその軍隊「赤軍」の「野蛮さ」は、何故か「歴史問題」にも
なりません。
754 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 00:01:14
>>749 >人類史の殺し合いを「バカにする」「バカにされる」などという一括りで
>説明するのは、あまりにも無茶苦茶だろう?
と「読むのは」どう見ても「無茶」だと思います。
「バカにする」「バカにされる」・・という類の「くだらない理由」でも、
人間(の集団)は、「殺し合いをした」というのは「事実」ですし、だいたい
「全ての闘い(戦争)は経済学的に理由を説明できる」と考えることの方が
極端だと思います。
むろん(例えば「ペルシャの冨が欲しかったアレキサンダー大王」とか)
「主に経済学的対立」が原因となって起こった「争い事」はおおいのですが、
「バカにする・される」の類で起こった戦争もまた多いことは事実です。
(トロイ戦争が本当にあった・・ならば「それも一種の『民族の誇り』をかけた
戦い」・・であったということです。
755 :
742 :2005/06/21(火) 00:07:54
>753 おいおい、マルクスとその他を一緒にしちゃダメだよ すくなくとも哲学の一潮流としては彼抜きでは考えられない 糞も味噌も一緒にしちゃいけないよ
756 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 00:13:37
>>755 「全部クソ」ですが、マルクスは「言い出しっぺ」ということで、
「最上級のクソ」ですね。「最初の唯物論の仮面を被った観念論者」
で、「本物の唯物論者」を全部観念論の論理『「批判」至上主義』で、
「粛正」し(続け)た「唯物論者(を名乗る観念論者)の中の最大の戦犯」だと
思われます。
>>756 だから、知らないことには朽ち出すなってw
759 :
考える名無しさん :2005/06/21(火) 00:25:04
>757 オマエモナー
760 :
742 :2005/06/21(火) 00:33:30
>756 あらら、本気? いや、いわゆる「マルクス主義」が観念論であることは正しいよ。 しかし、マルクス自身の著述に言及して言っているの? というのは、現代思想の潮流はマルクスによるかマルクスを批判するか、 いずれにしてもマルクス抜きでは語れないから 言説は時代を持つ。 「機械的唯物論」は「弁証法的唯物論」の側から17世紀までの古い唯物論 にたいして批判的に与えられた名前だけど、その批判は「有機物を認めない」 というものだった。言い換えれば、部分と全体が依存し合い同時に成り立つ 構成=システムを認めないと言うこと。 身体から「胃」を取り出して、「胃」のみで、身体と切り離してのみ考える考え方が 機械的唯物論。 あなたのいう「機械的唯物論」は、このレベルで止まっているの? でなければ、「弁証法的唯物論」を批判して「機械的唯物論」と名乗ることに 根拠がない。なぜならそこに差異はないから。 差異を認めるとすれば、それはあなたが「弁証法的唯物論」をマルクスの言説と 切り離して独自に再構成したからでしょう(>756はそれにすら至ってませんが) あなたがさんざん書き散らしているテキストは、カントの手前で止まっているみたいだが
>>760 本気もくそも、マルクスなんて真剣に読んだことないと思う。
そんなもの必要ないって切り捨てるタイプだからw
でも、本人はわかってるつもり。相手にしない方が吉。
762 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 00:42:21
>「機械的唯物論」は「弁証法的唯物論」の側から17世紀までの古い唯物論 >にたいして批判的に与えられた名前だけど、その批判は「有機物を認めない」 >というものだった。 ほう。 『「有機物を認めない唯物論」だけが「機械的唯物論」(という用語の使用方法)であった』 という新説ですが・・では「弁証法的唯物論」ではないけれど、「有機物を認める」(当たり前の物理学) は「何的唯物論」と呼ばれ続けていた(あなたは「記憶」しているのか)教えてください。
763 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 00:43:59
762は
>>760 です。
責任のある回答を宜しくお願いします。
権利をお願いします
765 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 00:50:16
>>760 >いや、いわゆる「マルクス主義」が観念論であることは正しいよ。
「観念論的自己欺瞞」は「観念論者の特権」ですから「夢の世界」に
「浮遊する体験」をしばし味わってください・・「地上に降りた観念論者」は、
「唯物論」=真理に(自己欺瞞を排除して)直面する「勇気」を持って「真理を直視」
して下さい。
「真理は一個しかない」・・・これが「哲学そのものを成り立たせる(物理学的)事実」です。
>「バカにする」「バカにされる」・・という類の「くだらない理由」でも、 >人間(の集団)は、「殺し合いをした」というのは「事実」ですし 最後のトリガーとなった感情を理由に挙げても,人類の攻撃性に対して 何の理解も進まないし、その深遠までたどりつくこともできないだろう 。なおそんな表層の原因から >@「真理により近い立場に立って見下すこと」 > は「命を賭けるほど重要なこと」であり、 >A「真理により近い立場に立った他者に見下されること」 > は「命の危険を他者に晒すほど危険なこと」なのです。 は「命を賭けるほど重要なこと」であり、 >A「真理により近い立場に立った他者に見下されること」 > は「命の危険を他者に晒すほど危険なこと」なのです。 などという結論に結びつけるのはあまりにも乱暴な行為でしかない。
767 :
742 :2005/06/21(火) 00:56:43
>762 どうもあなたは歴史というものと可能性というものを ごっちゃにしているみたいだね。 自分から「機械的唯物論」などと名乗っている者など いないのだよ。 なぜなら、そのころ(18世紀までも)の科学は 力学がようやく構築されたばかりで、化学が「燃素説」中心、 生物学はまだまだおおざっぱで有機体の概念が確立する 以前だった。だからその時代には、唯物論は「機械的」に ならざるを得なかった。 19世紀、資本主義の発展とともに科学は飛躍的に発展し、 様々な発見の中で有機体は機会に還元することが出来ない それ独自の構造を持つことがわかっていった。 その中で思考された「唯物論」がそれ以前の唯物論と自身を 分かつために使った用語が「機械的唯物論」であり、「弁証法的 唯物論」なのだよ。 だからあなたが(なんだかよくわからないが)「マルクス主義は 『弁証法的唯物論』といい、人殺しのひどい哲学だ。これに対抗 できるのは『機械的唯物論』だ、そうに違いないそうに決まった」 と考えるのは勝手だが、用語の使い方は違っているよ、ということ。 ちなみにその考え方は、「スターリンに対抗したのは誰だ、トロツキーだ、 だから俺たちはトロツキストと名乗る」と言って結局人殺し集団に なっていった人たちの論理と同じなんだよね。トロツキーも泣いているよ (彼の著作はとってもいいよ)
768 :
742 :2005/06/21(火) 01:01:03
>765 どうもなぁ、かみ合う話にならないんだよな。 だいたい、きみの「真理」の定義って何よ?
769 :
四式 :2005/06/21(火) 01:04:09
流し読みしてカキコ 唯物論って今では物質はエネルギーなんだから唯エネルギー論だよね。
>>768 かみ合わないですよ。「機械的・・・」が人と何かかみ合った議論をしたのを見たことがない。
わざと外しているのかテンネンなのかまでは判断できませんが、とにかく自分が知らない
領域の話になると、いきなり話をそらして個人攻撃を始めたりします。気をつけましょうw
771 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 01:14:14
>>767 >その中で思考された「唯物論」がそれ以前の唯物論と自身を
>分かつために使った用語が「機械的唯物論」であり、「弁証法的
>唯物論」なのです
「有機体(物)」は「(現代)化学で完全に解明されている」事象
なので、「当初の唯物論が有機物を『諦めた』このにより「物性物理だけ」
である「機械的」という概念を採用した・・というのは「経緯」であり、
少なくとも二〇世紀に入った以後は「因果律の連鎖は物理学や化学の「壁」を乗り越えて」
一貫性がある・・・という主張に「機械的唯物論」という概念が使われ、それが
例えば「フォイエルバッハ批判」等の「赤色共産主義弁証法的唯物論」の「政治的『批判』に
「晒し者にされた」歴史はあります。
772 :
742 :2005/06/21(火) 01:21:40
というか、じゃあスレに沿った話題を振るけど、 1)あなたは「偶然」とはどのような概念だと認識しているの? 2)物質が全て連関し合い全体としてシステムを作っていることを 認めるの? 3)そしてそのシステムを人間が認識できると思っているの? 「システム」とは全体のことだから、システムの認識とは全体の 認識のことだけど。 4)あらゆる物事は決定されるかもしれないけれど、 人間がそのことを認識することが出来ると考えているの?
773 :
742 :2005/06/21(火) 01:26:31
>771 後半四行くらい意味がわからないんだけど、 要するに、自らを「機械的唯物論」と、「機械的」を 付けざるを得ない理由が存在したと言うこと? それが「弁証法」に対応する者だとすれば、弁証法の 否定と言うことになるけれど、20世紀の科学の発展 がどのように「弁証法を廃し、機械論を復興させた」の? そんな歴史はじめて聞いたぞ >「因果律の連鎖は物理学や化学の「壁」を乗り越えて」 >一貫性がある・・・という主張に「機械的唯物論」という概念が使われ 誰がどの著作でどのように使い、どのような広がりをもったの? 是非聞きたいなぁ 最後2行、「フォイエルバッハ論」は批判されたの、批判したの? よく日本語としてわからないんだけど…
774 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 01:32:56
>>772 『「偶然」はあくまで「偶然」(にすぎない』と言いますが)
「偶然」には「確率論的意味」(「だけ」)しかありません。
それに対し「必然」とは。
@今現在の物質の状態(素粒子の位置やエネルギーの励起状態)
Aそれが「どのように変化するか」の「エネルギーの方向と量」
・・・
その二つだけで、
B「未来の瞬間」・・例えば1秒後でも100秒後でも10万年後でも
「決まっている」・・という「真理」です。
その「真理の行方」がどうなるか?・・・来週のロト6の結果はどうなるか?
・・それは「既に決定しているけれど技術的な限界で『予測不可能である』」という
ことです。
775 :
742 :2005/06/21(火) 01:39:57
>774 だいたいもっともだけど、重要なのはその先でしょ。 「偶然」とは客観的事象なの?それが「確率的」であると言うことは、 現時点における1:物質の状態と2:エネルギーベクトルでは決まらない、 と言うことになってしまうよ。 あなたは「偶然性」を客観的事象ととらえるの? あと丸文字(機種依存文字)は使わない方がいい
776 :
742 :2005/06/21(火) 01:41:52
つーか、もう寝るので宿題ね。 こっちも責任もって答えたんだから、答えてね。 俺が来ないかもしれないけどw
777 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 01:42:16
>>773 「フォイエルバッハ批判」において私は、「フォイエルバッハの方が科学的思考である」
と言う感じを抱きつつ読みました。
当時のマルクス・エンゲルスにも彼も理論は驚異だったから(だと思いますが)不当に
論理の歪曲を(無自覚に)行い、客観的に見れば「弁証法を死守する観念論者のヒステリー」
778 :
唐辛子 :2005/06/21(火) 02:14:28
>機械さん 決定していても貴方が意思を感じるのは確かだと思いますが、 このスレの問いを問う理由はなんですか?教えてください。
779 :
考える名無しさん :2005/06/21(火) 04:28:56
機械さんに宿題。一生懸命に考えてね。カール・ポランニーの「全てのトランザクションは個別である」というテーゼと実存主義の関係を機械論的唯物論で説明して下さい。物理的決定論で全て説明出来るそうだからなんぼでも質問出すよ
780 :
考える名無しさん :2005/06/21(火) 05:12:18
今ハゲ板からきました
781 :
考える名無しさん :2005/06/21(火) 05:26:48
いらっしゃい
>>760 にあるのは、マルクスというよりはエンゲルスの思想ではないかね。
そもそもマルクスは「哲学者」ではないと思うが。
783 :
bbs :2005/06/21(火) 10:56:34
>>782 物に人間関係が折り畳まれている、と言うのは哲学的では?
>>553 >知らないことは知らないとすることも知らなければ知ってるとはいえない。
その通りですね。しかし、私たちは本当に見ている物を知っているのでしょうか?見ている物は知っている事と知らない事の両面があるのではないでしょうか。
知っていることは言語で後で表現する事ではっきりすると言うのはソクラテス時代からの話ですが、その考えでいくと語らざる前に見ている物を知りうるというのはありえないのではないでしょうか。
物そのものに知るとか知らないとかいう抽象的で表象的な概念は当てはまらないのではないでしょうか。
784 :
742 :2005/06/21(火) 11:40:01
>782 いや、エンゲルスの説明ね、「機械的唯物論」の説明部分は たしかにフォイエルバッハ論からひいたよw
785 :
考える名無しさん :2005/06/21(火) 12:55:07
他人の思想を借りてこないと議論ができないのは自分で考える能力がない証拠
>785 名無しに化けてまで反論したいのかね。そんなにくやしいのかw
787 :
考える名無しさん :2005/06/21(火) 14:23:32
>786 バカか。反論になってないぞ。くやしかったら自分の言葉で反論してみろw。
788 :
考える名無しさん :2005/06/21(火) 15:39:01
うるさいハゲ
790 :
じいさん :2005/06/21(火) 17:33:16
>>1 :「機械的唯物論」者 ◇Wrk8395W0I
>◆決定論:脳は物質だから意識は必然にすぎない36◆
これは36番目と言うことですね凄いですね。
初めて参加します宜しく。
もう過去に既出だとは思いますが、お願いします。
粒子のブラウン運動は必然的な動きなのでしょうか?
脳内ではさまざまな粒子の運動が意思決定に影響していると思うのですが。
粒子の運動が偶然なら意思決定も偶然が作用するのでは?
>>790 「意思決定が偶然」ということは「自由意志」に繋がらない
と考えています。
例えば人を殺した場合、「自由意志によって人を殺した」
という命題の意味は、結局のところ、「偶然人を殺した」と
いうことでしかありません。しかも、その偶然が確率に
従っているならば、なおさらのことです。
なお、ブラウン運動が必然的なのかどうか、 は、結局のところ、よりミクロの世界の説明に 還元されると思いますから、量子力学の 解釈問題になるのではないでしょうか。
以前「前向きに生きることにどう資するのか?」というレスが ありましたが、意思決定偶然論も、意思決定必然論と同様に 「前向きに生きることに対して論理的に資するわけではない(但し、 論理的に資さないわけでもない)」のです。 「人生は神よって振られているサイコロでしかない。」
794 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 23:12:53
>>790 >粒子のブラウン運動は必然的な動きなのでしょうか?
必然ですね。
人類には「五覚」しかありませんので、「感覚的クオリア(脳が世界に出会う様式)」にも、
「五覚」・・しかありません。従って「紫外線や赤外線」は「そもそもクオリアではない」のですが、
自然科学の制作した『測定器』で存在する(らしい)と『判った存在』です。
「赤外線」・・見えない「熱線」・・当たると「皮膚が『熱い』という触覚クオリアを発する」電磁波の波長領域
「紫外線」・・見えない「刺線」・・当たると「皮膚が『熱い』という触覚クオリアを発しない」電磁波の波長領域
だけれど、「赤い爛れ」・・そして「メラニンの定着」という「女性が恐れる皮膚の不可逆的変化」
をもたらす「電磁波の領域は『虹』(視覚)のスペクトルの外」
に「存在」します。
「機械的唯物論」者さんは、苦手な質問は飛ばす傾向にあるね。 昔から。 答えやすい質問だけこたえないで、ポランニーにも答えてね。
796 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 23:21:49
>>790 「感覚識」に到達する・・ということは「眼に可視光線域の電磁波が入る」
とか「耳に『課長領域周波数(20ヘルツ〜2万ヘルツ)の範囲の音波が入る』」
必要があります。
「ブラウン運動」を「直接認識できない」ことは以上でお判りだと思います。
では「どうやって観測するか?」・・「量子の観測は『量子をぶつけて跳ね返った量子を(測定器で)
観測する』以外の方法が「物理学的にあり得ない」のです。
・・では「観測する(される)ために同類の量子を『ぶつけられた量子』はどうなるか?」
・・そこまでは「ぶつけられた跳ね返ってきた(観測のための)量子には『判らない』」のです。
「ブラウン運動」は正確には『分子』レベルの話」ですが、同じような「原理」が働いており、
「(ある瞬間のある「系」の)定常状態」を図式化することは「出来ない」というより「図式化する意味がない」
のです。
797 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 23:33:18
>>779 >カール・ポランニーの「全てのトランザクションは個別である」というテーゼと実存主義の関係
そもそも「観念論は無意味な念仏である」とお答えしております。
「頭の良い」けれど「真理を直視する勇気のない人間の個体」は「何らかの(自分流)観念論」を
設定せざるを得ません。
その中で、カール・ポラニーが「特別優れている観念論者」だとは思えない・・ということです。
>>796 水の入ったビーカーにガラス粉を入れるとブラウン運動
が見れます。
799 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 23:55:44
>>798 その「一個一個の塊(分子の集合体)がどう振る舞うか?」を観測(あるいは予測)
する「必要」(あるいは意味)はあるのですか?
「全体系」が「どう振る舞うのか」は「決定されている」のですから、その
ディテイル(細かい構成物)に囚われると「量子論の迷宮」に迷い込むことになり、
「実生活」「実世界」「実人生」とはかけ離れた「高エネルギー物理学」の世界・・
ある意味では『「抽象的存在」が「実在」である』と信じる「物理信仰観念論」に
陥ることになります。
その「行き着く先」は・・・人生が『物理学の法則に従っている』のだから、
そこに「不確定性」が顕れる』「顕れてもよい」・・とかの「世迷い言」を言い出す
ことになります。
800 :
考える名無しさん :2005/06/21(火) 23:56:28
>>783 >見ている物は知っている事と知らない事の両面があるのではないでしょうか
ひとつのものでさえそれを完全に知り尽くすことは難しいでしょう。
物事を認識する観点は両面どころか十面や十二面のカテゴリーに分けられる。
あらゆる面に顔を向けたブッダが観自在菩薩いわゆる観音様の名前の原義です。
自由自在に物事を正しく知覚することはなし難いことである。
>その考えでいくと語らざる前に見ている物を知りうるというのはありえないのではないでしょうか。
これはあきらかに間違いです。
知りもしないことを語るのは「知ったかぶり」です。
ものを観て(感覚して)それが何かを判断して知覚・認識する。
そしてそれが言語知識にあるものなら言語で表現する。
ものを認識する順序はこれ以外にはない。
もちろん知覚・認識はして経験とはなっても言語化できない
暗黙知もたくさんある。
言語化できる知識は認識のほんの一部にすぎない。
801 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/22(水) 00:06:44
>>800 >物事を認識する観点は両面どころか十面や十二面のカテゴリーに分けられる。
>あらゆる面に顔を向けたブッダが観自在菩薩いわゆる観音様の名前の原義です。
ホントにあなたは「そう」思っているのですか?
仏教思想の「直感力の優秀性」には一目置きますが、↑そこまでは?ですね。
仏教では「視覚」「聴覚」「触覚」「味覚」「嗅覚」・・という「感覚的クオリア」
を「定義した」教典なりがあるのですか?・・はなはだ「疑わしい」と思います。
802 :
素人 :2005/06/22(水) 00:11:26
>>801 >仏教思想の「直感力の優秀性」
意味不明w
>>798 おいおい、キミもブラウン運動を知らんようだね
ブラウン運動を肉眼で観察するのは無理
805 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/22(水) 00:23:12
明日の勉強(この「全世界」に関する知識の拡充)のために 本日は就寝させて戴きます。
何が機械にそこまでさせているんだ?
807 :
得ろ!本屋店長4代目 :2005/06/22(水) 01:02:51
>>脳が「物質」であることには、誰も異論がありません。 なんで物質なのお?
808 :
得ろ!本屋店長4代目 :2005/06/22(水) 01:11:34
脳が物質であると確認し、定義したのは脳なんで、 脳で脳内を疑うのは・・・・。
809 :
考える名無しさん :2005/06/22(水) 01:13:11
ブラウン運動・・・中学生のころやったよな。 ヽヽ(((゚∀。).☆'(゚∀。)))ノノノヽヽ((゚∀。))ノノノノ こんな感じか、www
810 :
四式 :2005/06/22(水) 01:14:02
人の思考錯誤や生存への意思なんかを考えると 人間が世界を決定的でないと構えるのは決定的だった、と思われるのだがどよ? 一日先や一秒後のジャンケンの勝敗すら分からないんだし。 決定的だったという証拠を指し示せるのは確率に過ぎないんだから
811 :
得ろ!本屋店長4代目 :2005/06/22(水) 01:16:38
決定的でないと構えるのは決定的だったというのは決定的じゃないなぁ。 だって決定したかどうかそれも分からん。
812 :
四式 :2005/06/22(水) 01:23:08
じゃあ必然というべきなのかもしれんな
813 :
四式 :2005/06/22(水) 01:29:56
宇宙や物理法則が完全に解明された&&不変である というのが証明されなければ 決定的であるかどうかは分からない、そして旧ビックバン説によるとブランク時間以上は遡れないんだから 決定的であるかどうかは人間にはわからないというのはどうよ。てきとーだが。
>>804 いや、決定論者さんは肉眼で、とは言ってないでしょ。
815 :
考える名無しさん :2005/06/22(水) 04:59:07
>>797 機械さんの「唯一の最終定理」とやらはその程度のものですかw機械論的唯物論によって全てが決定しているのならこの程度の質問には難なく答えられるはずなのに。観念もまた物質でしょう。その必然性から答えを予測できるはずなのにあなたは質問の意味すら理解できない。
816 :
じいさん :2005/06/22(水) 04:59:31
>>794 :「機械的唯物論」者
>>796 :「機械的唯物論」者
「ランダム・ウォーク」と「ブラウン運動」・・・・・・・・・・・・
>>
http://www.qmss.jp/prob/stochasticproc/32-bm-pro.htm >より厳密には、確率でこの運動を表現した確率過程を「ブラウン運動過程」Brownian motion process、
>あるいはこれを数学的に研究した N. ウィーナー(Norbert Wiener, 「サイバネティックス」の主唱者)の名をとって、
>「ウィーナー過程」 Wiener process ともいう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とあるように確率だとされていますが、偶然と言うことではないですか?
さらに・・・
ウィキペディア(Wikipedia)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E9%81%8B%E5%8B%95 >ブラウン運動について以下の式が成り立っている。
・・・・・(ここに式が載っています)・・・・・・・
>ここで、上式左辺は、ブラウン運動する物体の平衡位置x0からのずれの2乗の平均である(系は1次元とする)。
>Rは気体定数、Tは絶対温度、fは易動度(媒質の粘性に関係し、ブラウン運動する物体の速度をvとすると、
>fvはその速度に比例する抵抗力となる)、tは十分経過した時間(極限としては、t → ∞)である。そして、NAがアボガドロ定数である。
>アボガドロ定数以外は、観測によって求められる量であり・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とありますが・・・数式で表されてもだめなのですか?
817 :
じいさん :2005/06/22(水) 05:09:48
>>791 :決定論者として一言 ◆84DmbwrCHo :2005/06/21(火) 20:08:08
>例えば人を殺した場合、「自由意志によって人を殺した」 という命題の意味は、結局のところ、「偶然人を殺した」と
いうことでしかありません。
実は私はその反対だと思うのですが?
「自由意志」と言うのは必然だと思います。
人間の意志が偶然(確率)に支配されたとき「不随意思」となります。
心臓の鼓動などです、脳の働きで意思ではあるが自由意志ではない。
818 :
考える名無しさん :2005/06/22(水) 05:16:46
>>797 つまりあなたの嫌いな観念論も物質的に捉え得るのにあなたはそんな事すら理解しなかったという事ですよ。カール・ポランニーと実存主義を持ちだしたのもあなた達がよくいう「クオリア」や「指向性」と関係があるからですがそれすら理解できませんか?
苦手なジャンルの質問には、乱暴な定義わけで切り捨てる という方針だからこそスレが36続いたということだろうな。 でも、他者の意見をそこまで排除して、36も続ける意味が 見えない。壁に向かって己の説をつぶやいているのと同じ ようなものだろうに。
820 :
じいさん :2005/06/22(水) 05:20:10
>>817 補足です。
人を殺すような意思は環境の影響(多分機械的唯物論さんの言う五覚の集積)で必然的に形成された思考でしょう。
そこには偶然性が入り込む余地はありません。
気持ちとしては人間が選択した積もりでも、その選択のメカニズムは必然的なものでしょう。
訂正・・・・意思?意志?・・・どっちでしょう?
821 :
じいさん :2005/06/22(水) 05:39:21
>>799 :「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/21(火) 23:55:44
>その「一個一個の塊(分子の集合体)がどう振る舞うか?」を観測(あるいは予測)
する「必要」(あるいは意味)はあるのですか?
例えば放射線被爆などはそうでしょう。
被爆の部位で寿命が変わる・・・素粒子レベルでは?
あと貴方の好きな紫外線も皮膚がんを起こす、これも素粒子レベルの微妙な当たり具合では?
>>797 どういう流れか知らんが、少なくとも
カール・ポランニーは観念論者じゃないだろう。
「ポラニー」とか書いてるし、本当は知らないんだろうよ。
ああ、「肉眼で」が条件付けられてるのですね。 失礼しました。 確かに顕微鏡を使わないと見れませんね。
私もまだまだ勉強不足なので、そういうところは指摘して いただけるとありがたいですね。
>>817 ちょっと説明が曖昧だったようです。
私の立場を確認します。
「意識が全く偶然」ならば「自由意志は存在しない」。
「意識が全く必然」ならば「自由意志は存在しない」。
「意識が偶然と必然の単なる混合」ならば「自由意志は存在しない」。
「自由意志がある」ならば「意識は原因を持たない場合が有る」。
「自由意志がある」ならば「意識が第一原因である場合が有る」。
827 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/22(水) 23:11:33
>>822 日本人「訳」では「Karl Polanyi」は「カール・ポランニー」ですが、
英語的には「Karl Polanyi」はどうしても「カール ポラニー」です。
「どう聞こえるか」の問題と「英語では『ん』の発音が(原則的に)存在しない」
ことが、「原因といえば原因」ですが・・私は日本人の「翻訳者達」の「訳」に、
異議を唱えているわけではありません。
828 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/22(水) 23:19:46
>>821 >>その「一個一個の塊(分子の集合体)がどう振る舞うか?」を観測(あるいは予測)
>する「必要」(あるいは意味)はあるのですか?
>例えば放射線被爆などはそうでしょう。
>被爆の部位で寿命が変わる・・・素粒子レベルでは?
>あと貴方の好きな紫外線も皮膚がんを起こす、これも素粒子レベルの微妙な当たり具合では?
なんかまるで「為にするレス」そのものですね?
「被爆したときの(核分裂物質の素粒子の状態一個一個)があたかも『被爆者の被爆部位』」に
「何らかの関係がある」・・・という「含み」を持った発言ですが、
物理学の(ずぶの)素人でも「そんなことあり得ない」ことは判りますよ。
「原子爆弾の被爆」という「交換できない体験をした方達」に対して「非礼すぎる」と思いますが?
829 :
唐辛子 :2005/06/22(水) 23:39:11
>機械さん 決定論は正しいと思いますが、 『脳は物質だから意識は存在しない』 ではないでしょうかね。 法則に従う物質しか存在せず意識などは無い。
830 :
考える名無しさん :2005/06/22(水) 23:42:21
意識不明
渋滞
832 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 00:20:33
渋滞チンポ
833 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 00:27:14
渋滞チンポ意識不明
834 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/06/23(木) 00:30:39
放射線が有害であるとしているのは「人間」です。 放射線自体に有害も無害もありません。 逆もまた然り。
>829 これはするどい。 不確定性原理だな。
836 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 00:33:50
放射線が有害であるとしているのは生物一般だと思うが? 故に、放射線はセイブツにとって極めて有害と思われるが? ま、お星様にしてみれば、有害なのは重力だけだろうが
837 :
得ろ!本屋店長4代目 :2005/06/23(木) 03:02:43
>>836 有害って、生命の本質から語らなければ定義できなくない?
別に死んでもいいと思う生命体にとっては「有害」じゃないし。
岩にも「有害」じゃないし。
ひとの「知性」こそ宇宙にとって有害だよ。
839 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 03:32:08
>838 君が有害だと思いまつ
840 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 03:34:46
じこちゅ〜
841 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 03:42:21
そんなことより、 マンコからチンポが生えてきてるんですが?
842 :
じいさん :2005/06/23(木) 16:54:07
>>828 :「機械的唯物論」者
心臓は不随意筋が動かしていて自律神経の支配を受けていると言われますが、
それでは心臓は脳が動かしているのですか?
843 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 18:17:02
ささやくのよ、私のゴーストが。
844 :
得ろ!本屋店長4代目 :2005/06/23(木) 19:14:04
あらそう?
845 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 22:26:53
必然を定義して
846 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 23:09:38
バカカ、オマイラ (ノ_ _)ノ
847 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 23:11:33
偶然の定義のが難しい
848 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/23(木) 23:23:26
>>829 >『脳は物質だから意識は存在しない』
>ではないでしょうかね。
面白いことを考えつかれるのですね。
「存在」は「認識」によって初めて「検証」されます。
「検証する『主体』である「意識」が存在してこそ「物質は存在する」
(あるいは「存在しない」)という「議論」が可能になるのです。
その意味では「存在論」は「認識論」に先行する・・ということになりますが、
『「存在」の確認」』は「認識」(感覚的クオリア)を通して(のみ)可能なので、
その辺の「優先順位」に拘るのは「観念論的迷宮へ(一つの)の道」になりますので、
注意する必要があります。
849 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/23(木) 23:35:08
>>842 >心臓は不随意筋が動かしていて自律神経の支配を受けていると言われますが、
>それでは心臓は脳が動かしているのですか?
その回答は「脳が動かしている」・・ということになります。
一口に「脳」と言っても
@「人間の脳」・・・大脳新皮質&前頭葉前部様
A「哺乳類の脳」・・大脳全体
B脊椎動物の脳・・・小脳+大脳
・・・というように「主に働く脳」が異なります。
「心臓を動かす」機能は人類では「脳幹」が司ります。脳幹の発するパルスに「同調」して、
「心筋」は拍動します。
例えば「大勢の人の前で自分の意見を述べる」場面では普通の人の「脳幹」は「拍動を早めろ」
という「命令信号」を心臓に対して送ります・・が「慣れている人」は「通常のの拍動でいいよ」
という「命令信号」を心臓に対して送ります。
850 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 23:39:20
>>829 確率論的揺らぎの法則で、ミクロの大集合積分は人世界的マクロを全決定は到底できず
脳は物質だが意識はあります、むしろ物質だから意識がある
>850 それは人間の認識が有限であるというだけのことでしょ? >829が言っているのは、論理の話
852 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/23(木) 23:46:49
>>851 >829が言っているのは、論理の話
それは「キリスト教的ドグマ」です。
「はじめに言葉ありき」は、旧約聖書の冒頭の文章ですが、
私は「それは間違いです」と言います。
その「間違い」が「キリスト教的文化」及び「観念論」の「土台」なのです。
853 :
850 :2005/06/23(木) 23:55:17
誰もどこでも人間の認識が有限だといってないよ
>852 ニーチェの引用でお茶を濁されても… 論理というのは、言語の論理ね >853 無限なの?
855 :
考える名無しさん :2005/06/23(木) 23:58:52
>>むしろ物質だから意識がある 説明になっていないと思われる。ま、同様に >>脳は物質だから意識は必然にすぎない も乖離がでかすぎる。 っていうか、説明不能だから、諦めろ。時間の無駄だ。
856 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 00:00:54
>>854 ニーチェがどこでそういう「表現」をしていたのですか?
教えて下さい。私は「殆どニーチェを読んでいない」ので、
お教え頂ければ幸甚です。
857 :
854 :2005/06/24(金) 00:07:38
>856 まちがい。スマン 最初の規定が間違っているという指摘ね。 でも、あなたも何も規定しないで「意識」という言葉を 使っているけど、それはどうなの?
858 :
854 :2005/06/24(金) 00:08:10
>855 おまえが理解できていないだけ。 わかんないならひっこんでろよ
859 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 00:13:21
>>857 >何も規定しないで「意識」という言葉を使っているけど、
「意識」は「クオリア」です。
「クオリア」=感覚識を「意識」という「レベルアップした実在」
として「初期措定」することが・・「観念論の誤り」であり・・
その「一個一個の誤り」は看過できるレベルですが・・「集積すると」
・・「大いなる観念論的誤謬」となる・・ということです。
>>858 また、お前か、態度でかすぎ
そういう書き込みはいいかげんによせ!
読んでてムカツク
861 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 00:18:46
>860 まて、ここは「見<ケン>」、「見<ケン>」だ!
862 :
854 :2005/06/24(金) 00:23:28
>859 >「クオリア」=感覚識を「意識」という「レベルアップした実在」 レベルアップ、とはそこに「量的な差異」があるということだよね。 つまり、「感覚識」と「意識」には共通の「質」があり、それが量的な増大を したと。 (そうでなければ、「キリンが火星になったんです」でもいいことになる、 規定してないんだから) で、共通の質、とは?
863 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 00:30:27
>>862 >「クオリア」=感覚識を「意識」という「レベルアップした実在」
>として「初期措定」することが・・「観念論の誤り」であり・・
の「観念論の誤り」について・・のこと・・なのですか?
864 :
四式 :2005/06/24(金) 00:45:57
>>859 現実には観念的であってもその人にとってのその情報の重みや執着が実際に人間のエネルギーの方向を左右するし
それが多数になれば人間の法となるのは人権みたいな観念をみれば明らか。
そうやってできた様々な観念を誤謬とするのは人間の歴史性の否定と退化に他ならない
そうゆう唯物論的退化は社会における道徳判断や進化を妨げる要因にもなりうる。
865 :
四式 :2005/06/24(金) 01:08:51
まあなんか平面上で見れば左翼のレボリューションはレボリュート(渦巻き)の逆回転であって 人間の進化がスパイラル(螺旋)的に進化してきたとするとレボリューションは退化なわけよ。 人間社会が観念的試行錯誤によって社会を発展させてきたとすると、今の一応の平和は歴史的経験から観念論に 還元されてきた知識によって成り立っているのであって、唯物論的退化が人間の万人闘争を招く地獄絵図となるのは 社会主義国家の失敗を見れば明らかではないか?その非合理に対する反省を経ないで合理主義うんぬん誤謬うんぬんなど 愚の骨頂ですよ。
866 :
854 :2005/06/24(金) 01:44:25
誤読しまくり >「クオリア」=感覚識を「意識」という「レベルアップした実在」 >として「初期措定」することが・・「観念論の誤り」であり・ かよ!ごめん! でも、 >「意識」は「クオリア」です。 は、 「ゆうこりんはコリン成人です」くらい無内容じゃないか? 「意識」は誰の「意識」なの? 「意識」を「意識している」のは誰なの? 誰も意識していない「意識」は「物自体」じゃないのかな…
867 :
じいさん :2005/06/24(金) 06:50:54
>>864 >そうやってできた様々な観念を誤謬とするのは人間の歴史性の否定と退化に他ならない
それは貴方の思い込みに過ぎません。
>そうゆう唯物論的退化は社会における道徳判断や進化を妨げる要因にもなりうる。
それも貴方の思い込みに過ぎません。
単に貴方が唯物論に美しさ、素晴らしさを見つけられないから、
そういったものと結びつけてしまうのでしょう。
唯物論は、汎神論でもあります。
全てのものに神性が宿っているからこそ、どんな素粒子でも適切に並べることで、
銀河から生命までなんでも作れるのです。
>>865 >人間社会が観念的試行錯誤によって社会を発展させてきたとすると、今の一応の平和は歴史的経験から観念論に
>還元されてきた知識によって成り立っているのであって、唯物論的退化が人間の万人闘争を招く地獄絵図となるのは
>社会主義国家の失敗を見れば明らかではないか?
人間社会が科学的・唯物論的試行錯誤によって社会を発展させてきたとすると、今の一応の平和は歴史的経験から科学的・唯物論的に
還元されてきた知識によって成り立っているのであって、観念論的退化が人間の万人闘争を招く地獄絵図となるのは
宗教やカルトの失敗を見れば明らかではないか?
870 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 09:15:05
>>869 >>865 まっどっちも言葉遊びのレベルだ
哲学が、言葉遊びと揶揄され、力を失った原因が透けて見えて面白いよ
>>870 >まっどっちも言葉遊びのレベルだ
それが相手にわかるように言葉を置換したのですよ。それ以上の意味はありません。
872 :
考えるガクセィ :2005/06/24(金) 10:27:06
>>871 やっぱり思考しているのはその言語ゲーム下でしかあり得ないから相手にわかるようにというよりもむしろ自分にも認識できる用にってことですよね だって言語がなかったら自分だって言う認識さえも生まれないでしょ?
>>872 それはそうですね。
ただ、自分が認識した後、スレにレスをつけるのは相手に”も”わかるようにするためです。
874 :
唐辛子 :2005/06/24(金) 10:47:59
もう1人いたか。 >SYN氏 決定論は正しいと思いますが、 『脳は物質だから意識は存在しない』 ではないでしょうかね。 法則に従う物質しか存在せず意識などは無い。
>>874 意識が「ある」のは当然でしょう。
ある種の物理現象を「意識」と呼んでいるだけでしょう。
「法則に従う意識」とか「法則に従わない物質」が存在しても 一向に構わないように思うのだが。 そういうものが存在しないと判断する根拠は、どこにあるのか。
>>874 意識がない?
日本語としてもおかしいですよ
あなたには、「意識」がないんですか?
意識は存在しているが、それをどう解釈するかの問題でしょ
878 :
考えるガクセィ :2005/06/24(金) 11:28:00
言葉によってあらわす前にある「意識」の中身ってなに?言葉に表す前に人間って思考してるのかな。
>>877 言葉があっても存在するとは限らない。
それが観念論的誤謬とよばれるもの
880 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 11:51:06
>>878 >言葉によってあらわす前にある「意識」の中身ってなに?
哲学で「観念」とか「表象」と名づけられているものごとです。
>言葉に表す前に人間って思考してるのかな。
思考が観念操作を意味するなら言葉によらない無意識の
思考作用のほうが言語による思考より優位でしょう。
881 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 11:55:22
言葉で表される物事はすべて存在する。 その存在のありようを明確にすることが 知識・認識である。 存在しない事物を言葉で表現することはできない。
主体は存在する?
ドーナツの穴は存在する?
884 :
877 :2005/06/24(金) 12:19:16
>>879 >言葉があっても存在するとは限らない
そんなことは重々承知してますよ。
UFO、霊魂、etc・・、
でも「意識」はそういうものとは違います。
あなたには「意識」がないんですか?
私の書き込みを見てレスを付けるという行為を行わせた「もの」、
それを、あなたの「意識」と呼ぶんですよ。
885 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 12:37:46
886 :
877 :2005/06/24(金) 12:39:53
>>868 ちょっとした疑問なんですが、唯物論が汎神論ということは、
「神」というものの存在を認めているわけですね?
しかし「神」は認識できないわけだから、
それは「観念論的誤謬」ということになりませんか?
887 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 12:40:07
>>883 穴のないドーナッツなんて・・・どうなっつうの?
888 :
考えるガクセィ :2005/06/24(金) 13:14:19
>>880 観念を持つことって言語がなくては無理ではないの?言語がなかったら観念論的誤謬もできないとは言えませんか?犬にも観念ってあるとは言わないですよね
>>886 >しかし「神」は認識できないわけだから、
どうしてでしょうか。
890 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 15:00:17
北朝鮮は滅亡しろ
891 :
877 :2005/06/24(金) 15:29:43
>>889 「認識」はできますね、言葉に誤りがありました。
言い直しますと、神の「存在」は決して証明できないということです。
そうなると、神はUFOや霊魂の存在と同等以上の確実性をもって
語ることはできないあやふやな概念となるわけで、
そうした神を、唯物論の中に取り込むのは如何なるものなのかと、
疑問に思ったわけです。
892 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 16:23:09
>>888 観念を意識の対象とその表象内容とするなら言語を持たない
犬でも猫でも当然観念はある。
「一寸の虫にも五歩の魂」という諺もあるように、神経系を
持つ動物は多かれ少なかれ意識をもちその内部表象としての
観念をもつのではないか?
893 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 16:26:13
>>891 >神の「存在」は決して証明できないということです。
「存在」や「証明」をどういう意味で使っているの?
神の存在証明はいくらでもある。
神の不存在証明もある。
894 :
877 :2005/06/24(金) 16:40:21
>>893 存在証明が可能?
そういうことであれば、
言葉の上ではどんな物でも証明が可能になってしまいますね。
問題は、そのように、不在証明でも存在証明でも許されてしまう
不確実な「神」という概念を、唯物論の中に
なぜ取り込むことができるのか、(or 取り込むのか)ということです。
895 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 18:44:49
>>894 >唯物論の中に
>なぜ取り込むことができるのか
それは唯物論にとって必然でしょう。
唯物論の根拠は物であり、その物の存在を
保証するのが「神」ですから。
神なしには唯物論は成り立たない。
無神論である仏教では唯物論は外道・邪見とされます。
「物」の根拠が「神」なら「唯」物論では無いと思います。 少なくとも適切な名称にならないと思います。 逆に「物」が「神」の根拠では無いでしょうか?
897 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 22:15:47
>>864 >そうゆう唯物論的退化は社会における道徳判断や進化を妨げる要因にもなりうる
そうゆうものを唯物論的というのは唯物論にまるっきり無知であることの証明だ、くだらない
898 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 22:40:48
>>896 確かにある意味物が神の実在の根拠ですよ(空想上の神でなく実在の神のね)
つまり唯物論にこそ唯一、神が存在する
なにを言ってるかというと単に神の概念があるだけでは実在感は出ませんよ
物というか実生活感覚とのつながりがあってはじめて神を実感する(実感する人はね)というのが唯物論だ
899 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 22:47:34
ついでに言っておくと、昔(といっても18世紀屋19世紀前半でなく) 意識は必然であるというのが唯物論の端的表現だった その後完全に必然ではないとなおされた(20世紀はじめかな これがなにを意味するのわかるかな 能が物質であるからうんぬんとかいうロシア馬鹿の言い分は全くなんの関係ない
>>898 それはあなたの唯物論では無いでしょうか?
「本当の○○論とはこれだ」ということは言えないと思います。
観念論が非常に多くの形態を採ったように、唯物論も非常に多くの
形態を採るでしょう。
単に三文字の呼称に過ぎないのですから。
勿論、「適切さ」の問題は残りますが。
901 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 23:02:40
唯物論を神の否定のために運用したレーニンは唯物論上は(政治家としてではなく)極めてくだらない人だったというのは今では世界の常識でしょう ただ非常に有名で日本ではいまだに唯物論の代表と思われてる(世界でも一時はかなりそうだった) ちょっと聞きますがなぜ世界が先にあると神はいないのかな(世界を作ったことはうそだろうといってるに過ぎない) 人類が出来てから髪が現れたのは確かだがそれは神がいないという論理とは別物
902 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 23:04:20
>>864 >そうやってできた様々な観念を誤謬とするのは人間の歴史性の否定と退化に他ならない
>そうゆう唯物論的退化は社会における道徳判断や進化を妨げる要因にもなりうる。
そうですね。しかし「真理を旨とする」ことが「哲学」のレゾンデートルですから、
「哲学」は「その時代の道徳や倫理・社会秩序の維持」を「第一」だとは考えません。
哲学が追究するのはあくまで「真理のみ」ですので、例えば自然科学の一分野である
「医学」(あるいは生物学)において「人クローン」が「技術的には可能」なのに、
殆どの国で「研究することさえ法律で禁じている」ことについても「哲学」は超越的です。
>>901 世界と神の後先は結局のところ「世界」と「神」の
定義の問題に集約されると思います。
というより、多くの概念に関する議論はそうでしょう。
異なる意味で用いれば異なる結論が生じます。
「神がいない」と言う命題は、普通、「造物主としての人格神は
いない」という意味で使われていると思います。
「造物主としての人格神」を否定した後で、宇宙の法則や宇宙自体
を「神」と呼ぶかどうかは、各人に残された選択です。
904 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 23:08:42
脳は物質であるとよく言う人がいますからだからどうなんだといいたい 脳が物質であることが哲学上どういう意味を持つのかな、脳が物質であってもなくても形而上学上は別として世界はなんにも変わらんと思うけど そういうのは俗流であってまともな唯物論とは言いにくいと思う、大流行だけどね
905 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 23:10:46
>>901 >人類が出来てから髪が現れたのは確かだがそれは神がいないという論理とは別物
そうですね。確かに
:人類が出来てから(人類の)髪が現れたのは確かだがそれは髪がないという論理とは別物
ですね。
906 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 23:14:26
神が造物主でなければ神ではないと決め付けるのはアメリカの俗物と昔のロシアだけでないのかな 神を信じてないやつが決まって、馬鹿の一つ覚えのように神は造物主でなければならないという ただし神を信じてる人が神は造物主だと思うのはあまりは不自然でない、だが造物主であることが本質でないヨーロッパのキリスト教徒かイスラムのインテリに聞いてみな レーニンはそこを利用した
907 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 23:15:58
>>904 >俗流であってまともな唯物論とは言いにくいと
その根拠のない「俗流・まとも(でない)と感じる意識」こそ「観念論」と呼ばれるモノ
の正体です。
別名「エピステーメー」あるいは「キリスト教的世界観」とも言います。
908 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 23:17:25
>>906 「アニミズム」あるいは「仏教徒」・・どちらですか?
909 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 23:20:18
自分が唯論者でないものが唯物論はこうであるべきだとぎゃ―ぎゃ―定義する 自分が神を信じてないものほど理屈で神を定義してこうなはずだという、ばかげてる
>>906 「造物主でなければ神ではないのか?」という命題は、各人の前に
提起されるひとつの問題です。各人がそれに回答します。
そして、決定論は「その回答は決まっていた。」というだけです。
「どれが唯物論の、あるいは、神の”正しい”定義なのか?」という
問いに対して、私の決定論は何も答えません。
911 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 23:24:46
レーニンは日本では普及してるね
>>907 などある党は三日にいっぺんはそういってるよ
だからさ脳が物質であればなにがどうなのだと聞いてるんだよ
912 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 23:25:36
>>898 > なにを言ってるかというと単に神の概念があるだけでは実在感は出ませんよ
>物というか実生活感覚とのつながりがあってはじめて神を実感する(実感する人はね)というのが
>唯物論だ
要するに「実在感至上主義」ですか?あなたの「実在感」はあなたの脳が「統合失調症」(昔の「精神分裂病」)
に「罹れば」消滅します。・・・それも「脳(という物質)」の化学的な「失調」が原因である・・ことは
判っており、「化学療法」で可なりの患者は救われるようになりました。
言い替えると「あなたの(脳の)実在感」はあなたの脳(という臓器)が健全に機能することで、「成立」する
わけで、「実在感が脳(という物質的存在)より先に存在する」訳ではありません。
913 :
考える名無しさん :2005/06/24(金) 23:50:19
200年前、俺はどうしていた?
914 :
四式 :2005/06/24(金) 23:52:13
>>889 >>891 汎神論ってヒンドゥーのブラフマンか
ビックバン説=GOD説のGOD人格否定異端キリシタン派の事でしょう。
つかなんでもかんでもカミにするなと、、
915 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 23:53:04
>>903 >「造物主としての人格神」を否定した後で、宇宙の法則や宇宙自体
>を「神」と呼ぶかどうかは、各人に残された選択です。
「キリスト教徒」あるいは「キリスト教的メンタリティーの基に思考する人々」
にとっては「そうはいかない」・・ということになると思います。
旧約聖書・・ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の「共通教典」の「キモ」は
「唯一の神による天地創造」ですから・・それを「否定」したら、彼らは「宗教」
=彼らの「信念」を失うことになりますので、「天地創造の否定」には彼らは「宗派を超えて」
「必死に抵抗する」・・・と思います。
916 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :2005/06/24(金) 23:58:09
ということで、本日(24日)は就寝させて戴きます。
917 :
四式 :2005/06/25(土) 00:11:38
>>912 なんだかんだいって完全に実在主義を否定できませんよ、脳を認識するのが私という自我なんだから。
無論科学という名で観測から体系化してきた客観的実在も否定しないが。
918 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 00:31:59
脳は自我では認識できない。 脳を認識できるのは解剖学による知識だけです。
>>891 >言い直しますと、神の「存在」は決して証明できないということです。
証明できるかどうかは神の定義によります。
それに、物の「存在」も、同様に証明できないものでしょう。
分子、原子、素粒子、…というように、存在しているものが
存在している理由や根源はどこまでも問うことができます。
しかし、人間はどこかでその追究を断念せざるを得ないでしょう。
その結果出てくる答えは、「何かわからないが何かがある。あるのだからしょうがない。」
となり、それを一言で言えば、「在りて在るもの」、即ち、YHWH=ヤハウェになるわけです。
つまり、YHWHは存在するかと言えば、当然存在するわけでして、YHWHを神とするならば、
神は存在することになります。
長くなりましたが、まとめれば、
「在りて在るもの」をもって、神の存在証明を完了とする。
ということです。
>>896 我々の宇宙は物理現象が根源ですが、神の神性がこの宇宙にだけ現れているわけではないでしょう。
>>900 唯物論の形態は最終的にただ一つになります。世界の全ての現象を物理現象として取り込みますから。
既知の物理法則に縛られているわけでもありません。
>>903 そんなレベルは数千年前に通過しています。
921 :
素人 :2005/06/25(土) 00:57:09
>>920 >そんなレベルは数千年前に通過しています。
未解決のまま通過?
>各人に残された選択です。
この一文が大切だと思うが・・
>>921 恐らく十分に解決していたと思います。
しかし、それに不満な人間が、あるとんでもない事をしたため、
我々の歴史は大変なことになってしまって現在に至っているのだと思っています。
>>各人に残された選択です。
>この一文が大切だと思うが・・
YHWHは遍在し、変幻自在なので、どの部分を神としてもいいでしょう。
八百万の神というのは、無限の数の神を意味し、YHWHの全形態と見なして問題ないと思います。
ただ、特定の形態だけを神とするのは誤解や争いを生じるため、
全てを神と見なすか、変幻自在な点から偶像崇拝を禁止するか、どちらかになると思います。
923 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/06/25(土) 02:12:09
普遍の自我
924 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 02:17:16
>我々の宇宙は物理現象が根源ですが だれが証明したんだヨ。
>>924 これは証明と言うよりも定義に近いと思います。
我々が知覚し、我々に作用をもたらす全てを、我々は物理現象と呼びます。
例えば霊の存在が明らかになれば、それは物理現象として扱われます。
926 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2005/06/25(土) 02:25:51
存在・現象を「言葉」にする。 ある唯識の本にありましたが この「言葉」無しで周りの物事を見聞き、思考しようとすると 非常に困難であると同時に、事象の存在自体が怪しくなってくるそうです。
927 :
じいさん :2005/06/25(土) 05:31:06
>>849 :「機械的唯物論」者
すいませんが宜しく・・・・埋もれちゃったみたいで・・・
>>867 :じいさん :2005/06/24(金) 06:50:54
要は脳のもろもろの働きの中に分子(粒子)の運動のゆらぎがあって決定できない。
つまり脳の働きは必然とはいえないのではないかと言うことなのですが。
928 :
じいさん :2005/06/25(土) 07:31:42
>>0 すぐ埋もれてしまうので述べていきますが
意識が必然だろうとなかろうとあまり論ずる意味は無いと思います。
私は脳は物質だから必然と一部の偶然性(確率)に支配されていると考えます。
しかしそれと意識の問題は何の関係もありません。
必然だと言われようが言われまいが影響がないのです。
「刺身は旨い」と言う意識は「機械的唯物論」者さんの意見に賛成しても反対しても、
変わらないでしょう。
929 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 08:42:53
>>906 神=造物主なのは聖書やコーランを読めばわかりきったこと。
「人間が作った神」なら唯物論と矛盾しないのも、わかりきったこと。
>>918 「解剖学による知識」だって自我の一部。
930 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 09:04:48
>>912 脳が物質であれば、精神病のほとんどが薬で直るとさ
哲学の鏡だね、世界中が尊敬するよ
俺は精神論的唯物論者だから精神病というと心の構造を探求して直そうとするというとおもったらさすが、
機械論的唯物論者は違う、恐れ入った、何しろ自分で機械論と言ってるからなあ
>>920 物理学が世界の全てを「物理的説明」に取り込んだとしても、
世界の別の説明方法(文学的、宗教的、美的な説明方法)は
可能であると考えます。そして、それぞれの観点に基づいて、
幾通りかの唯物論が生じるでしょう。
確かに、文学的唯物論は物理的唯物論に「物理的説明」を
通じて取り込まれるでしょう。しかし、それは文学的唯物論
の諸命題と等価ではないゆえに、文学的唯物論の意義は
残ると思います。
例えば「モナリザ」という対象を、物理的に説明した文章と、
文学的に説明した文章は、同一対象を持つが等価では
無いと思います。
932 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 11:07:54
夏だな 暑い。。
933 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 17:43:20
>>925 >我々が知覚し、我々に作用をもたらす全てを、我々は物理現象と呼びます。
これこそ観念論の立場だな。唯物論の立場ではない。
科学的実在論の立場なら我々の知覚に関係なく物理現象は存在する。
我々は夢を知覚できるけど夢は物理現象だろうか?
我々はものの数を数えられるけど数は物理現象だろうか?
我々は「明日はこれこれしよう」という予定を立てられるけど
予定することは物理現象だろうか?
知覚できることがすべて物理現象であるわけではない。
我々は物理現象のほんの一部分を知覚できるだけでしょう。
>>933 >これこそ観念論の立場だな。唯物論の立場ではない。
貴方が唯物論者ならば、そういうことも言えるかもしれませんが、
そうでないならば、唯物論の立場かどうかを言及できません。
私は唯物論者の立場で語っています。
>知覚できることがすべて物理現象であるわけではない。
知覚できるものはすべて物理現象に含まれます。
>我々は物理現象のほんの一部分を知覚できるだけでしょう。
これはその通りです。
物理現象⊃知覚できるもの
です。
>>931 それはYHWHから八百万の神という面に注目し、その一部分に着目したようなものです。
ただ、その観点を批判しているわけではありません。
観念論も唯物論も、今のところどうでもいいよ。あと 何百年か認知科学が発展して、どこまでギリギリ説明できるかを 待つしかないでしょ。そこまで行かないうちから、 観念だ唯物だと、哲学オタがウダウダ言っててもしょーがない。
>>936 貴方がどうでもいいと思うのは自由ですが、それならば議論に参加されない方がいいと思います。
他人に「どうでもいい」という価値観を植えつけるのは、私は賛成できません。
>>937 どうでもいいと考えるのも「必然的」なのだから、そう邪険にするものではない。
大体、どうしてここの自称唯物論者たちは、非唯物論を排斥したがるのか、
よく理解できない。すべては必然的なのだろう。それを理解することは、唯物論を
深化することに資するのではないのか?
>>938 >大体、どうしてここの自称唯物論者たちは、非唯物論を排斥したがるのか、
排斥していません。全ては物理現象に付随するというだけです。
唯物論は汎神論なんです。在るものは在るのだからしょうがないのです。
従ってYHWHを否定することは不可能です。
940 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 19:32:38
決定論を理解したら日常でも考え方変わったよ。
942 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 20:10:37
>>939 >唯物論は汎神論なんです。
無神論の唯物論のほうが多数派だろう。
汎神論は神の否定ではあるけど、なぜ自然を神
といわねばならないのか?
943 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 20:13:50
すべては必然の決定論に意味はない。
>>941 良い方向に変わったのなら、いいですね。
間違った理解をしなければ、不満や怒りや憎悪というネガティブな感情が消えると個人的に思っています。
決定論も宗教と変わらないことを理解しました。所詮信者ですね。
>>942 元々私は無神論の唯物論者でした。
しかしモノの究極の姿を考えていくうちに、そこにある何かの根源を何と呼ぶかという問題に直面しました。
そういう意味では単なるラベルの問題であり、それを「神」と呼ぶ必要性はないとも思います。
しかし、それがYHWH(=在りて在るもの)であることは、どうやっても否定できません。
YHWHを「神」とするかどうかは個人の自由でしょうが、
この世界のどんなものもYHWHの部分集合でしかありません。
>>945 まあ、そういう考えも、ある意味ポジティブです。生き方としては間違ってないと思います。
怒り、憎悪の感情は生きていく上で必要であり、進化の過程で身につけたものだから、 消えたら困る。
決定論から論理的に導かれる倫理命題は何か、 と問われれば、ほとんど何も無い、と答えるでしょう。 それは物理学から論理的に導かれる倫理命題が あるのか、と問われてるのと一緒です。
>>948 そういう感情は、物事を解決する一つの手段ですが、原始的であり最適化されていません。
同じ解を見つける方法は他にもあります。怒り、憎悪に頼る必要はありません。頼るなとまでは言いませんが。
決定論が宗教と言われようがオレはとにかく信じます。我々が実在を理解しようとするとき、 必ず実在が因果律に基づいていることを前提としている。因果律を全く信じなければ実在世界を 少しも理解できないと思う。 日常生活から、まずはすべての出来事が完璧なタイミングで起きていると信じることから始める。 そして自分の判断も決まっていると思うようになれば、自然と考え方が変わってくる。
>>951 私は決定論によって考えが変わる、というのがよく
分かりません。決定論はそれ自体で完結しており、
>>174 で指摘されているように、素通りされたからと
言って特に問題が有る理論では無いと思います。
>>951 >日常生活から、まずはすべての出来事が完璧なタイミングで起きていると信じることから始める。
>そして自分の判断も決まっていると思うようになれば、自然と考え方が変わってくる。
その考えを進めていくと、遥か未来の世界の形態が既にあり、
それに向かって、あらゆる存在が役目を完璧にこなしているということになると思います。
>>953 私はそのような考えは受け入れられません。唯でさえ
「予測不可能」という前提で論を進めている決定論が、
(もっとも、予測不可能であるがゆえに非決定論もまた
依然として立証されないのですが…)理想的な未来像
を指し示す事ができるのでしょうか?
>>952 オレから非決定論者を見ると、事象の原因を考えることや、自分の行動から起きた結果から
逃れて思考停止しているように見えます。すべてが偶然だという人とは明らかに考え方が違うと
思います。
>>955 相手がおかしいからこっちが正しいだろう、という
点には余り納得できません。結局のところ、理論
は自らを説明することによって為されるのではない
でしょうか?
>>954 「予測不可能」というのは人間(系の内側の存在)にとってのことです。
また、この予測不能性は決定論的作用が保証します。
理想的な未来像?誰にとってのですか?
>>955 仰るとおりだと思います。
自分がとった行動が、あらゆる存在に作用しているという責任から逃れたいのかもしれません。
>>953 役目と考えるのは、目的論であり、別なところに目的意識を設定してしまっていると思います。
目的論でさえ脳という機械の状態をあらわす概念にすぎないかもしれません。
>>960 でも、そのように考えてしまうことも含めての決定論ですけどね。
決定論の次にオススメなのが汎心論です。決定論では自我は扱わないですが、 すべてに心があると考えることで自我と実在の問題を解決できるかもしれないと 思っています。
964 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 21:19:32
決定論は馬鹿向きw
965 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 21:21:05
>>946 >モノの究極の姿を考えていくうちに、そこにある何かの根源を何と呼ぶかという問題
カントの「物自体」、哲学で一般にいう「実体」のことではないですか?
存在をして存在たらしめるもの、現象ではなく本当にあるもの、の謂いですね。
世の中現象しかない、実体なんかない、という仏教哲学の「空」の立場もありますね。
>>965 でも、「空」は”在る”わけですし、「空」は「色」でもあるわけです。
実体と呼ぼうが、現象と呼ぼうが、ラベルの違いだけでしょう。
重要なのは、空=色、空≠無です。
客観的な事象として、自我を捉えようとすること自体に限界があるのではないか? しかし、それでは諦めきれず、人は考え続けるのだね。
>>967 たぶん限界は無いと思います。でも知り尽くすことも出来ないとも思います。
969 :
素人 :2005/06/25(土) 21:51:29
>>959 は仏教への挑戦状と受け取って宜しいか?w
>>969 959で書いた「自分」とは、「非決定論者」のことです。「私」ではありません。
971 :
素人 :2005/06/25(土) 22:09:47
>>970 決定論者と非決定論者との間にどちらでもない者がいてもいいということかな?
>>971 そういった存在も必然という意味で、その通りですね。
973 :
考える名無しさん :2005/06/25(土) 22:16:48
>>971 決定論者なんていう実体はないのだから、どちらでもない者
もどちらでもある者もいていいんじゃないか?
974 :
素人 :2005/06/25(土) 22:20:16
>>972 了解w
なぜ粘着的なレスをしたかといえば
こうした場では(いや一般的通常の感覚としても)、「非」をつける場合、
非Aといった場合A以外は全て如何なる物も非Aとして括られるわけで
その前提で
>>959 >>955 を読めば、
決定論以外の全ての思想は
>>955 及び
>>959 的思考であるとの断定と読み取れたものでね(^^;)
失礼したw
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|彡サッ
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975 :
「機械的唯物論」者 ◆Wrk8395W0I :
2005/06/25(土) 23:07:53 >>926 >要は脳のもろもろの働きの中に分子(粒子)の運動のゆらぎがあって決定できない。
>つまり脳の働きは必然とはいえないのではないかと言うことなのですが。
よくある(FAQ)に属する疑問ですが・・
@量子の揺らぎ(シュレディンガー方程式における「不確定性」)は『分子のふるまい』
(例えば「ブラウン運動」)とは何の関係もありません。
A脳の働きが「(物理・化学法則に基づく)必然的結果」である・・「事実」と、
Bその「物理・化学的経過の全てを記述(言語化)しなければ「納得できない」という「事実」
は「別物」です。
そもそもBは「30世紀になってもできない」・・要するに「技術的(原理的)に不可能なこと」
なのです。・・・「宇宙の果て(137億光年彼方)で宇宙誕生後137億年後(地球では現在)に」
何が起こっているのか?・・・知ることが「原理的に不可能」であることと同じです。