お、立てれた。
立ってないから、かってに次スレ立てたよ。
即死回避カキコ
5 :
考える名無しさん:2005/06/04(土) 16:41:37
重複帽子age
6 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/06/04(土) 17:17:31
乙〜!
ttp://d.hatena.ne.jp/incubator/20050603 >ちなみに、斎藤環の著書で「ほほー」と思ったことが2つある。1つは、ひきこもりとインターネットとの関わり。
>俺自身はあまりインターネットにハマりすぎると閉じこもる傾向が強くなるように思っていたが、ひきこもりの人にとっては、インターネットという窓が開かれることは非常に重要なのだそうだ。
>あと、斉藤氏は「自分が担当したひきこもりの中で、ネットに積極的にかかわっているのは、全体の1割程度」と月刊現代で書いていたよ。
>これは以外な数字だわ。本当なら、重度ネット中毒=ひきこもり のイメージはウソだということになる。
>斎藤 ネットは、僕は患者さんには全員に勧めています。つまり、ないよりはあっ
>た方がいいという意味で。携帯なんかだと、こちらが勧めてもまず絶対に持ちませ
>ん。それは携帯が関係性を象徴する器具で、鳴らない携帯は関係性の欠如を表して
>いるわけで、そんなものは持ちたくないと言う。逆に言うと、社会参加し始めると
>みんな誇らしく持ち始めるわけですよ。シンボリックですよね。
>
> だから私としてはネットを勧めることにしています。そもそもひきこもりの方で
>最初からネットをやっている人って少ないんですよ。世間が思っているほどネット
>とひきこもりの関係は強くない。むしろひきこもっている当事者こそが「そんなこ
>とをしていたらますますひきこもってしまう」とネットから遠ざかったりします。
ttp://www.bk1.co.jp/contents/columns/backnumber/01041000_0034_0000000002.asp
ヒキコモリ→ネット廃人 と考えがちになるメカニズムこそ問題。
この実態とかけ離れたイメージがなぜ流通するのか、その前提条件。
>>9 ゲーム脳と一緒。
理解できないものは検証不能の領域に囲い込んで
わからないこわいけしからんと他人事にする土人の習性。
あえて精神分析的な解釈をつければ
性犯罪のように自分もそういった衝動を
もっているけどもそれを否認したい、
ひきこもりや対人恐怖だって共感できるのに、
自分自身の内面のもやもやに直面化したくない、
とくにガテンマッチョなアドレナリン依存症の男に多いなw
そういう場合の防衛機制として
悪の枢軸はネットやゲームだと合理化するわけで。
まあ現代的な信仰の形態ではあるが、
ひどい場合は政治的な問題にもなるので注意が必要だな。
11 :
考える名無しさん:2005/06/05(日) 11:33:07
tamakin
ほしゅ
13 :
考える名無しさん:2005/06/06(月) 06:19:09
『心理学化する社会』は大変興味深かった。
精神医療を巡る環境の現実的な話しが、結構、目から鱗だった
14 :
考える名無しさん:2005/06/06(月) 06:36:15
「精神医療には人間が欠けている」by小林秀雄
15 :
考える名無しさん:2005/06/06(月) 06:50:02
いつの時代だよwwww モオツアルトでも読んでろwww
私はひとつの他者である
まだこんな詐術師のスレがあるのか?
もういらねえだろ。
インターコミュニケーションの連載が終わってました。
いつごろ単行本になりますかね。
21 :
考える名無しさん:2005/06/08(水) 16:31:04
ラカンの連載、続き読みたい
22 :
考える名無しさん:2005/06/09(木) 12:36:59
斎藤さん貴乃花を診てやれよw
あれ青年期境界例だろw
屈折した愛情要求だよ。
まず若乃花から家族カウンセリングしたらどうよw
ドシロウトが( ´,_ゝ`)プッ
ウラジーミル・タマーキン
25 :
考える名無しさん:2005/06/15(水) 19:44:26
>>22 精神分析を以ってバカを治療するのは不可能なのでムリ。
ああ、精神分析じゃなくてカウンセリングだヴォケ、とか言う突っ込みはしないでお願い。
>>26 んだ。
貴乃花が融通の利かない精神状態になってるメカニズムを理解させて、
おまえにばかり辛いことを押し付けて済まなんだと
身内連中が本心から言ってやれば元に戻るだろ。
ただこういうのは命に関わるわけでもなし、
病気として取り扱うかどうかが微妙だ。
つうかぶっちゃけ人格障害は病気じゃねえよな。
だから関係者が病識持たない限り治療はない。
ようするに若乃花が逆切れしてる状態だと
治療も事態の好転もないってこったw
> つうかぶっちゃけ人格障害は病気じゃねえよな。
> だから関係者が病識持たない限り治療はない。
臨床医療、臨床心理の専門家の間ではそこで意見が割れていると思われ。
斎藤は建前ではおそらく上のように言うだろうが、斎藤の場合それは
あくまで建前論だろう、という気はする。
まあ周囲や医者から見て変だと思えば病気ということかな。
やっぱり社会適応という関係性で判断するのが妥当じゃない?
斎藤が内在因に還元できないっていうのは建前だとは思わないけどね。
脳に器質的変化があるから病気という考えだと
社会的に適応している場合にもそれも治すべきなのかとか
そいつは問題を起こす可能性が高いという偏見を持たれたりとか
そういう生物学主義って結構ヤバいんじゃないかと思ったり。
アフリカの部族で今でも女のコが子供のうちにクリトリス切り落とす部族がある。
不衛生な環境で医師でもない者が行うので感染症おこして死ぬ子供もいる。
そんな環境からアメリカにいって成功して、今、反対運動を続けている女性がいる。
こういう社会で適応出来ずにノイローゼになる子とかいそうだけどそういうのは
>>29 > 斎藤が内在因に還元できないっていうのは建前だとは思わないけどね。
それを建前と言ったわけじゃない。
生物学主義であれ結局のところダーウィニズム的な発想にもとづいて
「社会」適応を基準にしている事に変わりはない。(→社会生物学主義)
それらはいずれも厳密な意味での関係論じゃない。
そもそも物理現象を病気と健康とに区別すること自体、ある視点、
つまりある関係性からの価値判断であって、ナンセンスだと思う。
> だから関係者が病識持たない限り治療はない。
その意味で厳密な関係論(構造論)の上に立つならば、「社会」は関係
であって、関係に適応するという言い方はおかしい。AがBに不適応を
起こしているのは同時にBがAに不適応を起こしていることでもあるわけ
で、それこそを関係性というわけ。
その場合AかBのどちらかに病気の意味を還元するのが内因論や生物学主義で、
本当の関係論はAとBとの間にある関係性そのものに決定因子があるとする。
>>31 まあ元レスの反論になってるかどうかはともかく、それでいいけどね。
自分の欲望は他者の欲望だしw
>>32 他者の欲望も「自己イメージ」とちゃうん?w
>>30 > こういう社会で適応出来ずにノイローゼになる子とかいそうだけどそういうのは
>>29の基準でいけば、社会不適応であり、即ち病気ということになる。w
>>34 じゃあ、
太平洋戦争で「勝ち目が無い戦争に従軍したくない」と懲役拒否したら・・・
>>27 > つうかぶっちゃけ人格障害は病気じゃねえよな。
> だから関係者が病識持たない限り治療はない。
一行目と二行目は矛盾してないか?
人格障害という概念はそもそも関係者が病識を持つということ、
すなわち他者の欲望を基準につくられた障害(病気?)のようなもの。
>>35 前回スレのつづきじゃない?
他者の欲望と思われているのは本当は自己イメージだ
というのが前スレの話じゃなかった?
40 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 15:46:44
> 他者の欲望と思われているのは本当は自己イメージだ
???どういう意味なんだ?
説明してくれ。
>>40 ラカンかぶれがこういうことよく言うんですよ。
バカのひとつ覚えみたいに
42 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 16:18:17
斎藤環というよりもラカンそのものが、臨床の現場では役にたってない。
ラカンはフロイトの解釈を広げたかもしれないが、その臨床例はフロイトの
臨床例だから半世紀もずれている。
「戦前、前後」という分け方で考えても、その患者の背負う社会的背景は違いすぎる。
ラカン自身は臨床例をいっぱい持っていたにもかかわらず、それを使わなかったのは
明らかに、臨床への適用が目的では無かったということ。
斎藤氏は在野の精神科医でもあるわけだけど、実際は自分の著作でもかなり混乱してるよ。
日本ラカン協会でも会員は精神科医だけじゃないもの、斎藤は会員だけどね。
「精神分析」は思想だと思うよ。ただ、フロイト=ラカン思想もかなり新陳代謝が
必要なのではないだろうか。
43 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 16:25:59
>>41 他者の欲望は実は自己イメージだというのは
どっちかというとラカン批判に見えるけどな。
これだけじゃなにが言いたいのか分からないけど。
44 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 17:05:58
45 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 17:14:28
>>44 よく知ってるよ。
十川幸司も日本ラカン協会だから。
46 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 17:20:29
>>45 だったら十川のラカン批判も知っているはずだし、
十川が精神分析を行うところを開業していて臨床が行われていて、
臨床が彼の理論にも反映されているのがわかるはずだと思うけど。
ていうか彼の臨床に際してはラカンよりも他の人の影響を強く感じるが。
47 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 17:35:27
>>46 ふう、住所も全部知ってるよ。
十川を批判してはいないさ、斎藤の流れでの「ラカン」についての話。
十川はかなり頑張ってると思うよ、ちゃんと真面目に「ラカン」と格闘している。
花村誠一なんかともちゃんとわたり合っているしね。
48 :
39:2005/06/29(水) 18:29:13
>>43 > 他者の欲望は実は自己イメージだというのは
> どっちかというとラカン批判に見えるけどな。
そうなんだよ。しかしラカンに依拠しているかのように
語るこのスレの住人がそんなふうに言ってたと思うんだが。
49 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 19:51:59
>>47 その上で
>「精神分析」は思想だと思うよ。(
>>42)
と言っているワケ?
精神分析と名指される一連のものが総体として概ね「思想化」している、というのであれば、
それについては同意するんだけど。
一応、臨床あるいは治療行為、つまり「実践」としての生き残ってもいると主張したかったんだ。
力動精神医学が全盛だった時代に今以上に統合失調の治療率が
高かった(予後良好の)時代があったんだね。知らなかった。
51 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 20:00:26
>>49 「学」が抜けていたね、失礼。
「精神分析学」だ。
>>51 学がついていないことがそんなに重大。
英語でpsychoanalysis、独語でpsychoanalyseでしょ?
53 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 20:28:11
>>52 “日本語表記”では極めて重要だね。
医学・哲学・心理学・物理学・化学・生物学・文学・建築学…
とりあえず、上記の単語から「学」を取り去ると、どうなるだろうか。
>>53 心理学・物理学・化学・生物学あたりは
logyとかlogieとかってスペルじゃなかったっけ?
言説分析も言説分析学と称するのかな?
56 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 20:46:35
>>53 斎藤によれば、
「精神分析」は学ではない、
ということになっているはずだが。
それを踏まえた上で、「治療技術」としての精神分析ではなく、
「思想」としての精神分析を言っているのかな?
57 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 20:49:17
はあ?
58 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 20:52:02
>>52 学がついていないことがそんなに重大。[質問]
>>53 “日本語表記”では極めて重要だね。 [質問につての答え]
59 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 20:57:55
>>58 まさに、まさに、禿同汁。
>>53 >とりあえず、上記の単語から「学」を取り去ると、どうなるだろうか
稀に見る、“日本語表記”。まさに“日本語表記”は極めて重要だ。
取りあえず、小中学の国語からやり直して来い。
60 :
考える名無しさん :2005/06/29(水) 21:05:39
うははは。
>>58 日本語表記として「精神分析」で十分通用すると思うけど。
>>59 国語辞書上でもそう表記されているし。
62 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 21:51:49
>そう表記
・・・どう表記されているのかね?。必要な箇所を省略
してしまっては、意味筋が通りませんよ。世話が焼けるな。
ひたすら斎藤の本を読んでいないやつが多いな。
65 :
考える名無しさん:2005/06/29(水) 23:49:44
■斎藤なんかどうで喪いいデソ。
そしうる とか 古井戸 のことヨンでから
えらソな古都 家よナ■
学学いうから斉藤学の話してんのかと思った。
斎藤学の書くものは勉強になるし、すばらしい臨床家だと思うけど、
「本当の自分」とか「ありのままの私」なんてラカニアンには到底受け入れられない
本質主義的なイメージをほぼ留保なしで出してくるから気をつけて読まないとヤバいよw
治療には効果あるだろうけど「自分らしさ」みたいな
自然的調和や本来性への回帰って考えはほとんどユングだからね。
たまきん読者は「心理学化する社会」でそのヤバさは分かってると思うけど。
「資本主義の病理」
>>67 それらの表現は本質主義的な意味で使われているんじゃないと思うけどなぁ。
斎藤学の危なっかしさはむしろ「あるべき家族像」とか「あるべき社会化像」
とかが治療の目標になっていることで、斎藤環にもその種の原理主義が見
られるように思うなぁ。
>>67 ラカンはその点で一見してラディカルな面もあるんだけど、斎藤環とかを読むと
けっきょく世間的で保守的な理念のなかに回帰してしまうから、その点でまだ
斎藤学のほうがマシだったりする面もある。
ラカンそれ自体の思想は別としても。
斎藤学の場合は「あるべき家族像」の方が方便だ。
彼はスウェーデンのような社会を評価しているからな。
フェミニズムに親和的だし同性婚などの今の家族形態と違うものも念頭にある。
非常に個人主義的だな。というかむしろアンチ家族主義だ。
一方で「自分らしさ」のようなある種の「本質」は
ほとんど確信として実在に近いものとしてあるように思うけどな。
「親密さ」などの健全な人間像とかな。
「個」に内在する主体的、普遍的な力というのが想定されていて、
そこから、なんらかの調和のイメージを持っているのは確かだと感じる。
別にそれが悪いとは言わないがな。ただ思想としては疑問がある。
斎藤環はあらかじめ持っている「自分らしさ」などないと考えているだろう。
たまきんはどういう人間を「健全」とするのだろうか、オタクw?
ひきこもりなどの対応でたまきんが保守的に見えるのは、
とりあえず社会と接点を持てていればいいぐらいで、
今の日本の家族形態一般をとりたてて批判する考えがないからだろう。
ACのように「親が悪い」とは一般化して言えないということだな。
斎藤環が抑圧された神経症の方が、解放された人格障害よりましじゃないかなあ
というニュアンスのことを言っていたのに俺は激しく同意する。
74 :
考える名無しさん :2005/06/30(木) 17:20:27
「最高タマキン」は断じて「サイコ・タマキン」ではないz0。
臨死ウで癌婆っテルからナ!
75 :
考える名無しさん:2005/06/30(木) 17:56:46
抑圧された神経症人間なんて本当にいたんだろうか。フィクションぽいが。
>抑圧された神経症
>解放された人格障害
意味わかんね
>>75 まあその時代にどう暮らしていたかなんて分からないしな。
そういう事もあったのかも知れぬ。
それに現代でもACなどアヤシゲな概念で治療されて『癒される』人もいる訳だし。
そろそろこうした『精神の治癒』の地層から何か貫くものを掘り起こす時なんだろう。
???
抑圧されていない人間なんていないだろう?
典型的なヒステリーの話なのか?
>>73 > 斎藤学の場合は「あるべき家族像」の方が方便だ。
> 彼はスウェーデンのような社会を評価しているからな。
> フェミニズムに親和的だし同性婚などの今の家族形態と違うものも念頭にある。
> 非常に個人主義的だな。というかむしろアンチ家族主義だ。
その点では、斎藤学のほうがリベラルだな。むしろ「あるべき家族像」を
社会的に演じさせられている家族関係に家族の病理をみている節がある。
ただし、その論法として「機能不全の家族」という言い方でもって病理化して
しまうところに逆戻りしていしまう危うさがある。そしてその基準になっているのは、
現代の神話としても機能しているような「自立した個人の要請」という社会化モデルだ。
そこに円環運動の構造がある。斎藤学はそれにどこまで気づいているのか?
単なる俗流精神療法家に終わっているのか。そこが気になる。
> 「親密さ」などの健全な人間像とかな。
斎藤環のほうにもそれはあるんではないか? 彼が電子ネットコミュニケーションを
コミュニケーションと見なさなかったり社会と見なさなかったりするのはなぜだろう。
やはり親密さの度合いに関する健康的でないとする価値判断がそこにも付与されて
いるのではないか。
> 「個」に内在する主体的、普遍的な力というのが想定されていて、
> そこから、なんらかの調和のイメージを持っているのは確かだと感じる。
むしろ「確立された自我」「確立された個」の社会化イメージを導き出す俗流精神分析家
ないし家族療法家に典型的にみられるものに斎藤学は結局準じているだけではないだろうか。
> 斎藤環はあらかじめ持っている「自分らしさ」などないと考えているだろう。
それは斎藤学とて同じだろう。彼も俗流精神分析論に依拠して物を言っている自我発達論者。
斎藤学ですら自ら認めて言っている。われわれは誰でも多かれ少なかれ「共依存」であると。
健全な社会化によって自我を確立することが必要だと説く。
> たまきんはどういう人間を「健全」とするのだろうか、オタクw?
> ひきこもりなどの対応でたまきんが保守的に見えるのは、
> とりあえず社会と接点を持てていればいいぐらいで、
> 今の日本の家族形態一般をとりたてて批判する考えがないからだろう。
そうか? 日本や韓国の甘え(共依存)の家族形態を批判しているのではなかったか。
> ACのように「親が悪い」とは一般化して言えないということだな。
斎藤学は「親が悪い」というような単純な論者ではないな。親ではなく「機能不全の家族」
という病理概念をそこにもってくるわけで。その点では、斎藤も「ひきこもり」の家族に同様
の「機能不全」を読み取っているのではないか。
斎藤学が「共依存」という視点と同じものを斎藤環も「ひきこもりシステム」で論じる。
>>79 > その点では、斎藤学のほうがリベラルだな。むしろ「あるべき家族像」を
> 社会的に演じさせられている家族関係に家族の病理をみている節がある。
新左翼系だと思うね。
> > 「親密さ」などの健全な人間像とかな。
> 斎藤環のほうにもそれはあるんではないか?
たまきんは治癒した状態を思い描かないと治療にならないと書いてる。
> むしろ「確立された自我」「確立された個」の社会化イメージを導き出す俗流精神分析家
> ないし家族療法家に典型的にみられるものに斎藤学は結局準じているだけではないだろうか。
そんなに素朴でも馬鹿でもないような気がするね。
>>80 > 健全な社会化によって自我を確立することが必要だと説く。
自我を実在的にとらえるのと同様に「健全な社会」というのもおかしいんだよ。
倫理判断はその都度一回的なものなのに、
ユートピア的な社会のイメージを先行させてしまう。
どうも疎外論的というかやっぱりたまきんがいうように
ロジャース系のニューエイジな傾向があるんじゃないかね。
どうにも内在した本質が念頭に置かれていると感じてしまうね。
もしかしたら隠れ生物学主義なのかもしれないが。
> そうか? 日本や韓国の甘え(共依存)の家族形態を批判しているのではなかったか。
そんなこと言ってたかね?
ひきこもってるのは良くないとは言ってたと思うが。
あれだけ社会学者としゃべってて治療法としてではなく、
一般論として家族のコミュニケーションが大切だなどと考えだすかな。
> 斎藤学は「親が悪い」というような単純な論者ではないな。
斎藤学がそういってるなどと書いていないけど。
ACは親のせいだと考えている、そういうこと。
それより機能不全家族であっても問題が起きないこともあるということだわ。
無論、倫理判断は別だが。
全員が「機能した家族」になれば別の問題が起きてくるんじゃないか?
無論、倫理判断は別として。
とにかく因果関係は事後的にか分からない、ラカニアンはそう考える。
しかし社会が共依存的でなくなれば児童虐待もひきこもりもなくなり、健全な社会がやってくる?
やはりそこでは疎外されていた人間の存在が開示されるから?
本当かね、それは。
まあそういう人もいるだろうが、別の病気になる人も同じくらいいそうだね。
>>81 >>82 フロイト左派に対する批判なんてのはわかるけど、
こちらが書いている肝心なところに反応してくれていないなぁ。
斎藤学=斎藤環という線を指摘しているはずなんだけど。
健全な社会ではなく健全な社会化ですよ。
> 斎藤学=斎藤環という線を指摘しているはずなんだけど。
名字は一緒だね。
>>82 > そんなこと言ってたかね?
> ひきこもってるのは良くないとは言ってたと思うが。
ひきこもりは良くない。「あるべき社会」関係をもっていないから不健全だ。
→ 日本や韓国の甘えの構造的家族関係が、斎藤学流の言い方なら共依存関係が、
ひきこもりの土壌になっているから良くない。斎藤学流にいえば機能不全の家族だ。
というふうな図式にのっとった物言いを明らかにしていると思うなあ。
86 :
考える名無しさん :2005/07/02(土) 07:55:24
おまいら徹底的にダメだなあ、ほんとに。
「斎藤は・・・といっている」「斎藤からみれば・・・」
自分の考えなんか全くないもんね、凄いよ。
おまいらそろそろバイトの時間だぞ、終身フリーター万歳だなまったく。
87 :
考える名無しさん:2005/07/02(土) 07:59:35
おまい徹底的にダメだなあ、ほんとに。
「おまいらは・・・だなあ」「おまいら・・・だ」
自分の考えなんか全くないもんね、凄いよ。
おまいそろそろバイトの時間だぞ、終身フリーター万歳だなまったく。
おまいら徹底的にダメだなあ、ほんとに。
「ラカンは・・・といっている」「ラカンからみれば・・・」
自分の考えなんか全くないもんね、凄いよ。
おまいらそろそろ通院の時間だぞ、終身病院通い万歳だなまったく。
>>86 おまいは徹底的にダメだなあ、ほんとに。
「俺は・・・といっている」「俺からみれば・・・」
おまいの浅い考えなんか誰も聞きたくないのにね、凄いよ。
おまいそろそろテレビアニメの時間だぞ、終身無学者万歳だなまったく。
ここは『徹底的にダメだなあ』のガイドラインスレですか。
■斎藤環氏はひきこもりを「負けた教」の信者だと言っているが、
この「負けた教」とはつまり人生から降りた人たちのことだ。
もう何もしたくない。生きていたくもないのだが、自殺するのは恐い。
ラクに死ねるクスリをくれたらいつでも死んでやる。
生きていたくもないのに生きてやっているのだから
やりたくもない仕事を強要される覚えはない。
時間はテレビ(ビデオ・ゲーム)や本(雑誌・コミック)などで
適当につぶす。これが無敵の宗教「負けた教」だ。
この日本で誕生した恐るべき新宗教はやがて人類を滅亡に導くだろう。
『電車男』とは犯罪者がまじめな人間をバカにする作品である。
「おたく」は女にモテないダメ人間とされているがそうだろうか。
今の時代「モテる男」とは結婚の約束もなく平気で女とセックスして
平気で何の対価も払わず別れることができる人間のことである。
(例:松本人志、内村光良、宮迫博之)
「モテない男」とてこんなことやろうと思えば簡単にできる。
それでもしないのはそれが犯罪行為だと認識しているからだ。
(そこまで明確な認識でなくとも少なくとも何かおかしいという
抵抗感はあるだろう)
つまり「おたく」とは女性関係から引きこもった人間だ。
そして本当のひきこもりもこんな犯罪社会に加担するのを
拒否してひきこもっているとも考えられる。
だからひきこもりは道徳的に正しい行動だ。
まともな人間は社会が正常化するまでひきこもるべきだ。
>>73 そういう意味では、現代社会で当然視されている「個人の自立」は幻想
であり、不可能である、というふうに言っているとも言えるね。
西欧近代文明批判としての精神分析論はその意味ではラディカルかな。
>>93 > そういう意味では、現代社会で当然視されている「個人の自立」は幻想
> であり、不可能である、というふうに言っているとも言えるね。
まあ究極的には不可能だけど、どうせ絵に描いた餅だから
自立も成熟もしないでいいよと開き直るのも 、
人格障害の自己中君が氾濫する困った世の中になるわけで。
精神分析的にもいろいろ葛藤しながらすべてが思い通りになれば良いのになあと夢想して
思い通りになったらなったで、なにか違うんだよなあと、
欠如をいろいろな代理物で埋めようと症候を享楽し続けるのが人間の姿だと思うね。
社会が発展すればそこに住む人は成熟しなくても適応できるから
どんどんモラトリアムになっていくだろうけど、
自立しないで良いというわけでもない。
より自由を拡大しようと思えば個々人が他人の権利を尊重するようにしないと、
ただの利己主義になって個人主義、自由主義は行き詰まるでしょ。
そうすると場当たり的に警察のような管理監視システムがどんどん拡大しちゃうよ。
人に律してもらうか、おのおのが自分を律するか。
俺は出来る限り自律分散の方が良いね。
>>94 その結論は、フーコーのいう、パノプティコンと結び付いた
精神分析学的ディスクールのそれを連想させるなあ。
自立も自律も幻想だな。もっと管理社会、監視社会になって行くんだろうね。
システマティックにしっかり監視できるならまだ良いんだが、
個人主義的自律が理想論なのと同様に管理社会も理想論だということだな、
統制しきれるわけがないんだよね。
浅田の「構造と力」の最後にプレモダン/モダン/ポストモダンの違いを分類した表があるけど
ポストモダンの項には「理想的極限としての」と付記されてる。
まあ管理するにしてもその主体が誰なのかが問題だわ。
98 :
考える名無しさん:2005/07/13(水) 00:30:23
>まあ管理するにしてもその主体が誰なのかが問題だわ。
これを知らぬふりをするのが東やそのエピゴーネンの特徴だね。
東は丸激トークでどこの馬の骨か分からない民間より
国家の個人情報管理の方が信用できるといっていた。
まあ一旦は国家主導のシステム整備で徐々に自律分散にって流れならそれもありかな。
しかし電子申請ページのSSL証明書が期限切れ且つオレオレ認証局だったりするのに、
本当に国家主導の治安維持システムは信用できるのかどうかw
それにそういうものがこれまでの似た者同士だから安心できただけの
伝統的な共同体にとってかわって、見知らぬ他人同士が共存する社会での
信頼やモラルを保証するものになり得るのかね。
基本的に国家というのは異質な他者を排除/虐殺するか、
強制的に同一化/民族浄化するように働くんじゃないのかと思うわけだが。
100 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 12:12:56
>>99 >基本的に国家というのは異質な他者を排除/虐殺するか、
>強制的に同一化/民族浄化するように働くんじゃないのかと思うわけだが。
国家って単なる一つの共同性に過ぎないのに「そうではない」という
幻想を抱かせる装置でしょ。「そうではない」「一つの共同性」ではない
最上位の共同性だと思わせるトリックは何なのか?....について東も考えてほしかったよ。
>>98 >「知らぬふり」っていうか、その「知らぬ」の向こう側が象徴界でしょ。
思考による認識=想像界を捨象させる力動が何であるか?....という検討が必要なんでしょ。
>>100 東や宮台は「いまこの日本社会に住むボクたち」がこの状況をどう乗り切っていくか、
どうもそういうメンタリティーの問題にいくよね。
オタクとか動物化とか解離とかまったりとか終わりなき日常とか、
ほとんどが若者の社会適応の問題だ。
基本的にドメスティックな感性だなと思う。
想像の共同体が想像的統一性を保てなくなってきてるところに、
気の持ち方を言ってもあまり意味はないと思うけどね。
隣近所のやつと言葉が通じなくなってきたら、
今の「日常感覚」なんて何の役にも立たない。
もっとシステマティックな共存のための技術がいるだろう。
102 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 23:26:21
>もっとシステマティックな共存のための技術がいるだろう。
同意するけど、スゲー難しい問題だよなあ
103 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/15(金) 23:34:47
システマティックな共存ってどういうこと?
政策的なこと?
またエヴァかよ!萌ぇ〜てか?
105 :
考える名無しさん:2005/07/15(金) 23:50:06
今の若者って社会が居所の悪い所だって思ってないからね。
東、宮台なんかはそれだと困る。居心地悪くなってもらわなきゃ
誰も本読まなくなっちゃう。てかもう読んでる人ほとんどいないけどw
で、あの人達はいつまでも社会対若者という間違った図式を大声で叫び、
まるでほんとにそうなっているかのような、色んな細かい所から極端なサンプル
を取り出してそれが全てであるかのような物言いを今も続けている。
ところが違うんだよ。2000年代の若者はそれまでの人達とこの点で明確に異なってる。
もう社会に対して文句なんか言わないし、社会も彼らに押し付けや脅迫を行わない。
脅迫してるのは宮台や東ぐらいしかいないんだよ。
完全に時代が変わった。んで東でさえも2000年代の人間じゃなくて結構旧い人だったわけ。
みんなに聞きたいんだけどこの上で述べた2000年代を代表できるような作家、論者っている?
>>103 そこで切らないで、共存のためのシステマティックな技術。
政策も入るかもしれないけど誰がやるかは問題じゃなくて、
マジに社会主義化するための技術、インフラ、その他。
ぶっちゃけNAM的なもの。
>>105 彼らはいつまでも社会対若者という間違った図式を大声で叫んでるわけじゃないと思う。
これから出てくる新しい形態の社会対若者図式について言ってるんじゃないか。
社会(戦後蓄積してきた豊かさの最終消費)VS若者(消費させずに社会に再投資させること)。
この対立の嵐の中で、あなたこそ「考えなくってダイジョーブ?」
>>106 上からのシステム構築じゃなくて、資本主義の自然成長性を利用した整体のようなものね。
でもやっぱり漠然としすぎてるし、時間がなさすぎだと思う。
社会対若者という古典的政治対立を一丁期待したい。
>>107 社会対若者ということならニートがもっとも先鋭的な革命家かもしれないけどねw
賃労働によって財を再分配するという仕組みを根本から崩すから。
109 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/16(土) 00:30:56
>マジに社会主義化するための技術、インフラ、その他。
>ぶっちゃけNAM的なもの。
こっち系ね。東、宮台以前への回帰みたいなことね。
>>109 東や宮台以前って。。。
連中の方が退行してるじゃないかw
111 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/16(土) 00:45:01
>>110 連中の物語は、もはやシステムは信じられない(大きな物語の凋落)後の
物語でしょう。
>>108 それはどうかな。日本のような種類の労働市場において「働かない」というのは武器に
ならないでしょう。中国という安価な労働力の宝庫が隣にある場合特に。
ホリエモンのような人が金融市場から金を抜いて農業や中小企業にばらまき、ニート
がそこで働くというなら革命的だと思うけど。
>>109 いや、もともと柄谷は東、宮台な「戦後」「永続するまったり」なんて相手にしてない。
「戦後」(東、宮台)→「戦前」→「戦争」→『戦後』(柄谷) という図式だから、
理論的には東、宮台以後なんだよ。
113 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/16(土) 00:57:11
>「戦後」(東、宮台)→「戦前」→「戦争」→『戦後』(柄谷) という図式
よくわからんが、柄谷、東、宮台も同じ内部の似たり寄ったりだと思うけど。
どうせなら、もっとメジャーな(外部)からの視点がほしい。
>>113 メジャーな話ってなにかな。うーん、こんなのはどう?
広告宣伝費ってあるよね。これは結局は消費者が商品に上乗せして払ってる消費税みたいな
もんで、消費税と違うのは税率?が市場によって決定されるということだけ。
こんなことは今や小学生でも知ってる常識的認識だが、ポストモダン全盛期にこんなこと言ってたら
サル扱いだったでしょ。差異しかないんだよキミぃ、とか言われちゃってw
でももう今となってはそっちのほうがサルなわけだよ。
>>112 > それはどうかな。日本のような種類の労働市場において「働かない」というのは武器に
> ならないでしょう。中国という安価な労働力の宝庫が隣にある場合特に。
いや革命と言っても自爆攻撃だけどもw
モノが余ってるんだから働く必要はないって状況を、
行動で示しているのは確かかなと。
> ホリエモンのような人が金融市場から金を抜いて農業や中小企業にばらまき、ニート
> がそこで働くというなら革命的だと思うけど。
これから完全雇用というのはありえるのですかね。
自由競争で賃金で妥当な量のサービスが配分されるっていうことじたい、
実情と合わなくなってきている気もするわけですけど。
生産力が上がってしまうと単純労働というのは無くなる。
世の中天才ばっかりじゃないし、要求される能力のしきい値も高くなる。
なおかつ家族の結びつきが弱くなってて、扶養とか家族愛なんぞに期待していたら持たないし、
そもそも誰が誰と住むかなんて強いられるもんですかね。
「働かざるもの食うべからず」なんて脅してニートを追い込んでると、
斎藤氏の言う通りマジに孤独死連発でどうしようもなくなるんじゃないですか?
なにか家事とか福祉とかこれまでは賃金が発生しなかったような分野が
社会の流動化に対応してNPO的に公共サービスとして提供される具合になり、
まあ遊びのような労働だけど食うには困らない感じに定着して、
みなさんやってくれると、ちょっとは社会主義っぽいかも。
いっぽうで少子化のなかで人手不足が心配されていて、たほうでは労働総時間の減少等
による大失業時代到来なんてことがいわれている。いったい未来はどうなるのやら?
減っていく雇用を減っていく日本人と優秀な外国人とが取り合い、
結果、日本列島には日本人がいなくなるでFA?
118 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/16(土) 01:42:20
「バカとブスこそ、東大へ行け!」
>>115 >「働かざるもの食うべからず」なんて脅してニートを追い込んでると、
>斎藤氏の言う通りマジに孤独死連発でどうしようもなくなるんじゃないですか?
そういう未来はあまり具体的に想像つかないんですね。俺は、ニートが外に出て働くも、
贅沢病のためローンや借金地獄で爆死、という悲劇がどんどん増えてくると思う。
相当な芸術家気質の人でないかぎり、人に死を決断させるものはとても具体的なものだと
思います。家事とか福祉とかがニートを吸収したらそうなるんじゃないですかね。
家事とか福祉に外国人労働力を流入するか否かの話は置いておいたとしても、そこで彼らに、
滑稽だが真摯なナショナリズム(つまり思想は浅薄だが動機は差し迫ったナショナリズム=真のナショナリズム)
に火が付くというシナリオのほうが俺には現実的に思えます。プチナショナリズムなんか目じゃないやつ。
付け加えていうと、柄谷はそのような状態を不可避な「戦争」ととらえ、諦念し、さらに
その後「戦後」の原理を考えたのではないでしょうか。と俺はなんとなくそう思う。
120 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/07/16(土) 02:00:55
未来予測とかになると、柄谷とか要はないと思うね。
もっとテクニカルな議論になる。
たとえば、人口減少の問題とか。
それでも人は順応し、「いったい未来はどうなるのやら?」と
言い続けることだけは、確かだけど。
いや、柄谷はある意味徹底的にテクニカルですよ。コミュニズムを技術として見ているから。
2ちゃんねるにおけるID制とか、連投規制のようなものですね。
投稿の内容が問題なんじゃないわけです。
>>119 > そういう未来はあまり具体的に想像つかないんですね。俺は、ニートが外に出て働くも、
> 贅沢病のためローンや借金地獄で爆死、という悲劇がどんどん増えてくると思う。
> 相当な芸術家気質の人でないかぎり、人に死を決断させるものはとても具体的なものだと
> 思います。
ああ、なんとなく分かる。
ニートを俺よりもDQNよりにみてるね。
俺はニートは思い詰めたひきこもりに近いイメージで見てたけど、
たしかにぶらぶらしてる茶髪の兄ちゃんが一番多いかもしれない。
> 家事とか福祉に外国人労働力を流入するか否かの話は置いておいたとしても、そこで彼らに、
ああ、そうだね。そこだって外国人が入る可能性あるよね。
そうなると動機付けの弱い日本人は全く駄目だね。
> 滑稽だが真摯なナショナリズム(つまり思想は浅薄だが動機は差し迫ったナショナリズム=真のナショナリズム)
> に火が付くというシナリオのほうが俺には現実的に思えます。プチナショナリズムなんか目じゃないやつ。
ネオナチ系かな?幸い日本人は暴発するよりは、
ボクが悪いんだとひきこもる人が多いということになっているけども。。。
日本は福祉が弱い分を家庭に回収させているだけだという指摘もあるんで、
今後そうなっていく可能性もあるよね。
> 付け加えていうと、柄谷はそのような状態を不可避な「戦争」ととらえ、諦念し、さらに
> その後「戦後」の原理を考えたのではないでしょうか。と俺はなんとなくそう思う。
その辺は分からないけど、国家でもなんでも素直に自己改革する前にイラクだか北朝鮮だかしらないが、
一旦は外に敵を見い出してあいつらのせいだとひと暴れしないと駄目らしいという気はするね。
なんにしても違う原理を出して来ないと不毛に反復するだけだというのは確かだわ。
かなり違う世界観を感じられて参考になった、ありがとう。
100だけど
国家を最上位の共同性だと思わせている<何か>は、
別の位相から見れば「大きな物語が失われた」と思わせている<何か>」でしかない
と考えてるんだけど。
たとえばそれが個人の認識として表出するとある種ビョーキになって
柄谷の「吉本隆明によって日本のモダニズムの動きは殲滅された」という文学界での発言
みたいになるでしょ。
常識で考えて、たかが詩人ひとり、戦後最大といえども思想家ひとりでモダニズムが殲滅
させられるわけがないのに。モダニズムはマテリアルの量的拡大ととテクノロジーの合理性
によって生じたんであって、思想や哲学はそれを追認していくだけ。マルクスの下部構造
による決定論を超越した現象なんて精神病以外にはないんじゃないかな。
こういう柄谷の強迫観念つまりビョーキと同質もので一般化して世界を席巻したのが
「大きな物語の消失」だと考えてる。だから「大きな物語が失われた」と発想する時点で、
その思想家や哲学者はダメだと思ってるんだ。
124 :
100:2005/07/17(日) 02:09:21
>>101 >想像の共同体が想像的統一性を保てなくなってきてるところに、
>気の持ち方を言ってもあまり意味はないと思うけどね。
「想像の共同体が想像的統一性を保てなくなってきてる」ことそのものを探究すべきだよね。
>>105 >今の若者って社会が居所の悪い所だって思ってないからね。
>2000年代の若者はそれまでの人達とこの点で明確に異なってる。
>もう社会に対して文句なんか言わないし、社会も彼らに押し付けや脅迫を行わない。
コレって日経新聞読んでても実感できるよね。
日経の「ジェネレーションY」(4月発刊)を読むと、オタク論やポスモダ論議から
いきなり目が覚めるからオススメ。この本は宮台たちのフィールドワークをベースにした
「戦後若者世代の光芒」以来の世代論。論考としては浅くても具体例にアプローチしてるので参考になると思うよ。
>>108 >社会対若者ということならニートがもっとも先鋭的な革命家かもしれないけどねw
>賃労働によって財を再分配するという仕組みを根本から崩すから。
再分配というか再生産の究極として消費=生産という考えが「資本論」にあって、
ダイレクトに消費が生産になる経済主体としての資本家がいる....という認識が
マルクス系にあるんだよね。「金融資本論」(ヒルファーディング)「都市革命」
(Hルフェーブル)「エコノミー論」(吉本)....それからたぶん森島通夫や小室直樹とかも
同じ発想があるみたい。具体例をいうと「アヴァロン」(押井の)の主人公とか、話題を
提供してくれたホリエモンとかね。
125 :
100:2005/07/17(日) 02:11:10
>>119 >滑稽だが真摯なナショナリズム(つまり思想は浅薄だが動機は差し迫ったナショナリズム>=真のナショナリズム)に火が付くというシナリオのほうが俺には現実的に思えます。プ>チナショナリズムなんか目じゃないやつ。
>付け加えていうと、柄谷はそのような状態を不可避な「戦争」ととらえ、諦念し、さら
>にその後「戦後」の原理を考えたのではないでしょうか。と俺はなんとなくそう思う。
「動機は差し迫った」って動物化だよね。でも本当の動物は種が全滅するまで闘ったり
しないし、生態学の見地でも異種同種を問わず生物間の闘争は殲滅戦ではないでしょ。
ここで柄谷の「吉本による殲滅」という強迫観念を思い起こすと、いろいろヒントになる
気がする。斉藤環も「せき立ての論理」に触れたことがあったけどね。金融工学の具体例
であるヘッジファウンドなんて「せき立て」の心理が動因だから。つまりグローバル経済を左右する100兆円以上の資金が強迫観念で動いてるわけでしょ。そしてニューヨーク
株式市場の10分の1しか資本がない日本の特性は何なのか? 経済のファクターとして
こんなに大きな心理的属性はないでしょ。親子間家庭内暴力も基本的には日本だけだしね。
>>122 >そうなると動機付けの弱い日本人は全く駄目だね。
>一旦は外に敵を見い出してあいつらのせいだとひと暴れしないと駄目らしいという気は
>するね。なんにしても違う原理を出して来ないと不毛に反復するだけだというのは確か
>だわ。
>かなり違う世界観を感じられて参考になった、ありがとう。
動機付けの強さは去勢の度合いに反比例するだろうから去勢が徹底してない日本人は弱いだろうね。吉本理論だと遠隔対称性が弱いとか遠隔化作用が弱いということになるかな。
本当に「違う原理」や「違う世界観」を追究しないと、と思うよね。
オレはマルクスや吉本をヒントに考えるつもりだけどさ。
>こういう柄谷の強迫観念つまりビョーキと同質もので一般化して世界を席巻したのが
>「大きな物語の消失」だと考えてる。だから「大きな物語が失われた」と発想する時点で、
>その思想家や哲学者はダメだと思ってるんだ。
そうそう「大きな物語の消失」自体が大きな物語だからね
>想像の共同体が想像的統一性を保てなくなってきてるところに、
それが「大きな物語が失われた」という認識としてあるものなんでしょ?
128 :
100:2005/07/17(日) 08:19:55
結局「大きな物語が失われた」って感じること思うことは、
大きな抑圧や去勢が失われたのが原因じゃないかな?
妊娠出産育児の根源的な影響は大きいから。
この時の母(体)と子(胎児、乳幼児)のコミュニケーションは決定的なんだけど、
斉藤環はそのコミュニケーションを認めてないんだよね。斉藤は言語化した以降の
コミュニケーションしか認めない。文藝で怒り狂って断言してたのは残念だったなあ。
経済学でも社会学でも言語化以降のことしか対象にしてないから、そこはネックだろうね。
>>123 > 国家を最上位の共同性だと思わせている<何か>は、
> 別の位相から見れば「大きな物語が失われた」と思わせている<何か>」でしかない
> と考えてるんだけど。
ぶっちゃけナショナリズムだと思うんだけど違うのかな。
近代国家の場合はそれは市場の輪郭とも一致するんだよね。
でも浅田が指摘するように現代資本主義のようにモダンなシステムは、
もともと小さな物語をとっかえひっかえしてる状態だから
大きな物語が失われたってのは今更言うまでもないとも言える。
むしろ今は「ネタ切れ」でパラノドライブが失速しつつあるのかも。
>>124 > 「想像の共同体が想像的統一性を保てなくなってきてる」ことそのものを探究すべきだよね。
宮台は状況把握は正確だけど、対策としては共同体の道徳を維持した方がいいとか
よく分からない方にいくんだよね。たしかに本人が言うように右だわな。
しかし対症療法でプレモダンってのも。
>>128 > この時の母(体)と子(胎児、乳幼児)のコミュニケーションは決定的なんだけど、
> 斉藤環はそのコミュニケーションを認めてないんだよね。斉藤は言語化した以降の
> コミュニケーションしか認めない。文藝で怒り狂って断言してたのは残念だったなあ。
> 経済学でも社会学でも言語化以降のことしか対象にしてないから、そこはネックだろうね。
なんだろ?対象関係論のことなのかな?
でも言語化していないものは認識も出来ないんじゃない?
そこにコミュニケーションがあると名指せるならもう言語化してることになるし。
>>128 斎藤の認める「言語」って非常に狭義のものという気がする。
ラカニアン同士の話は検証不可能なので、
最後に物を言うのは人生経験
よくわかる近代哲学史
経験か理性か(経験論と合理論そしてカントへ)
認識の源は何か
イギリス経験論ー認識の根源は経験にある
大陸合理論 ー生得観念を肯定(理性の使用が正しい認識を)
経験論ーベーコンーロックーヒューム ┐
│ー カント
合理論ーデカルトースピノザーライプニッツー ┘
今の若い人が求めてるのは安心して負けられる世界なんだよな。
負けても必ずフォローが入る世界。
初対面の他人に始めから「弱い自分を愛しく」思うよう強要する。
134 :
網鱈:2005/07/24(日) 16:03:44
「タマキン!私胸が張り裂けそうよ!」
>>129 > でも浅田が指摘するように現代資本主義のようにモダンなシステムは、
> もともと小さな物語をとっかえひっかえしてる状態だから
> 大きな物語が失われたってのは今更言うまでもないとも言える。
東タンがいうポストモダンは、その浅田氏のいうモダンが徹底化されたものであって、
それが彼も引用するように、宮台氏のいう「成熟社会」ということになるのでは?
>
>>124 > 宮台は状況把握は正確だけど、対策としては共同体の道徳を維持した方がいいとか
> よく分からない方にいくんだよね。たしかに本人が言うように右だわな。
> しかし対症療法でプレモダンってのも。
宮台さんってまた転向したの? それとももともとプレモダン主義的なことも
言ってたっけ?
>
>>128 > でも言語化していないものは認識も出来ないんじゃない?
> そこにコミュニケーションがあると名指せるならもう言語化してることになるし。
現実界が在る!と名指した途端に現実界は象徴界になっているとかいうこと?
>>135 指し示してる発言番号と引用してる発言が合ってないよね? 気にしないけど(W
>宮台さんってまた転向したの? それとももともとプレモダン主義的なことも
>言ってたっけ?
宮台の基盤は大衆だから、大衆を<ノセやすい・ノリやすい>ものとしてプレモダンチック
なものを主張するんじゃないのかな? 呉智英やテリー伊藤が江戸時代や封建制に大衆の
安寧を見いだしてるのと同じじゃないかな。宮台は立場上、精神分析や心理学みたいな個人の救済ではなく大衆の救済を打ち出さなければいけないだろうから。
>>でも言語化していないものは認識も出来ないんじゃない?
そこが問題だよね。認識できないんじゃなくて、認識してる自覚ができないんだと思う。
<認識>を通しての自己言及や再帰性が難しいというレベルじゃないかな。
>>130 >斎藤の認める「言語」って非常に狭義のものという気がする。
ラカニアンだからしょうがないけど、ソシュールの範囲内だよね。
>>129 >ぶっちゃけナショナリズムだと思うんだけど違うのかな。
ナショナリズムを成立させている理由だよね、知るべきなのは。
誰にでもその人にとって超えられない最高最強の共同性の意味づけがあるから、
学者とか評論家とかアナリストはそれを解析し意味づける知的な射程距離を
理論や主張として示してほしい。歴史的に見て簡単な事実だけど、国家が存在しない
時代にはその観念的な反映である(にすぎない)ナショナリズムもあり得ない。
近代国家についていえば「近代国家の場合はそれは市場の輪郭とも一致する」からこそ、
Aスミスの「国富論」やそれをベースにしたマルクスが登場して市場を分析し、そこから
上部構造としての国家を把握していくわけでしょ。
それから「小さな物語をとっかえひっかえしてる状態」には、
必ず上位レベルの<「小さな物語をとっかえひっかえしてる状態」の物語>=相対的な大きな物語
が存在するから。それが不可視になっている理由や原因を探るべきだと思うよ。
>>経済学でも社会学でも言語化以降のことしか対象にしてないから、そこはネックだろうね。
>なんだろ?対象関係論のことなのかな?
確かに対象関係論は問題だね。
ラカンは3界論も対象関係論も理念型の理論として完成度が高いと思うけど、
ユークリッド幾何学と同じで理論的な完成度はそれだけ現実とは乖離してるケースは
少なくないでしょ。
浅田の「構造と力」も副題が「構造主義のリミットとしてのラカン」であって、
その目的はラカンを超えること。浅田はマルクス・ニーチェ・フロイトの<タテの思想>に
その可能性があると示して、そこで終わってる。だから浅田はラカンを限界として援用したのであって、ラカンで現代資本主義がクリアできると考えたのではないとこが重要ポイントだろうね。
>>137 > それから「小さな物語をとっかえひっかえしてる状態」には、
> 必ず上位レベルの<「小さな物語をとっかえひっかえしてる状態」の物語>=相対的な大きな物語
> が存在するから。それが不可視になっている理由や原因を探るべきだと思うよ。
うーん、「消費せよ」という声とかが聞こえてるんじゃ?
具体的な声の中味は「幸福になれ」でも「自分らしさを見つけなさい」でもいいし。
一番核にあるのはしあわせな家族像だろうけど、それは想像以上に天皇制が機能してるかも。
あとはそれらを資本主義の構造が反復強化してるのかなと。
いや、実はよく分からんのだけどw
> ラカンは3界論も対象関係論も理念型の理論として完成度が高いと思うけど、
> ユークリッド幾何学と同じで理論的な完成度はそれだけ現実とは乖離してるケースは
> 少なくないでしょ。
まあそうなのかもしれないけど、そのはみ出す部分を表象しようとすると、
なにかぐちゅぐちゅしたものとかおぞましいものとか幽霊とか言い方をして、
対象aとしてまとめてしまうような感じにならざるをえないんじゃないかな。
というか、それ以上はそれを上回る理論が要るんで俺にはもう分からん。
> その可能性があると示して、そこで終わってる。だから浅田はラカンを限界として援用したのであって、ラカンで現代資本主義がクリアできると考えたのではないとこが重要ポイントだろうね。
でも象徴界でない領域である現実界も外部も他者もイメージは出来ない。
だから言語化しないと見えない以上は言語活動の内部で非言語化することになるんじゃないの?
柄谷的アプローチもそうだし、斎藤氏もラカンでラカンを超えるとか言ってなかった?
そもそもイメージは想起だからかつてない事態である資本主義を超えた状態も
イメージすることはできないはず。しようとするとそれは計画経済になるし。
もちろん商品じゃない品物がたくさんあるように象徴界に回収されない部分はあるわけで、
そういうはみ出していく部分をドゥルーズなんかは直接示そうとするのかもしれないけど、
芸術作品の中などでそれに出会ったときの手応えを示唆しているだけで、
具体的にどうするのかってのは誰も言えてないと思うけどね。
>>128 そればかりか、インターネットを通じたコミュニケーションに対しても微妙じゃない?
ネットでアクティヴにコミュニケーションをとってる状態を、「社会的ひきこもり」の
定義からして「社会参加」とは認めない立場でしょう?
>>136 > >斎藤の認める「言語」って非常に狭義のものという気がする。
> ラカニアンだからしょうがないけど、ソシュールの範囲内だよね。
ソシュールの考える記号システムは、当然、現代の電子ネットワーク
コミュニケーションをも包摂するはず。というか、むしろ、サイバースペースこそを
記号システム(シンボル体系)の本質とソシュールならば見なすはずで。
>>138 >うーん、「消費せよ」という声とかが聞こえてるんじゃ?
その「消費せよ」でも「幸福になれ」でも「自分らしさを見つけなさい」でも....というのが
大きな物語の原点というかスタート点じゃないかな、あるいはタネかな。極限まで抽象すれば
そのように「声とかが聞こえてる」と比喩できる関係性の原点があって、それがどのように
物語化していくかはその個人の経験によると思う。これは受胎以降のすべての経験を含めてね。
その受胎から言語獲得までの身体や性格が形成される段階での非言語コミュニケーションを
否定してるとこが斉藤環の限界。斉藤は東との対談で「ラカンは系統発生を説明できない」と
認めてるし。
>一番核にあるのはしあわせな家族像だろうけど、それは想像以上に天皇制が機能してるかも。
>あとはそれらを資本主義の構造が反復強化してるのかなと。
天皇制が家族の大きなモデルなのは確かだね。企業が演出しようとする会社と社員の一体感も
疑似家族でしょう。でも資本主義はホリエモンみたいなクールな主体も生みつつあるから。
共同体の鋳型の反復強化そのものに亀裂が生じつつあるのが現状だろうね。
斉藤環がホリエモンを熱烈に支持してるとこはいいな。
>対象aとしてまとめてしまうような感じにならざるをえないんじゃないかな。
だからこそ、そこを詰めてくれる理論が必要だと思うんだけど。
自己言及したときに必ず生じる<ゲーデルの定理>的な自己言及できない部分があるでしょ。
これは言語ならばなおさら拘束されてしまう限界であるから。芸術なんかは非言語的に、
この言語の限界を超えようとする強度?の表出なんだろうけどね。
continue
>>138 >でも象徴界でない領域である現実界も外部も他者もイメージは出来ない。
斉藤や新宮が援用するシステム論でも同じような説明をするよね。
システムは外部を認識できない、外部から来るものは<攪乱>としてしか認識しないとか。
これは転倒すると簡単なんだけど、<認識できないモノゴト>は<外部>と見なす....というのが
認識の事実だろうと思う。そっちの方向で考えを進めるというのが自分に課したテーマかな。
>だから言語化しないと見えない以上は言語活動の内部で非言語化することになるんじゃないの?
言語を制度とすればそうなんだけど、胎児乳児幼児にはそれが通用しないワケで、しかもその時期の
体験がその後の主体の認識や行為を規定し左右しちゃうから、どうしてもその非言語時期=受胎から
思春期まで....の検討が必要でしょう。非言語分析が。その点でラカンはフロイトへ帰れと言ってるね。
>そもそもイメージは想起だからかつてない事態である資本主義を超えた状態も
>イメージすることはできないはず。しようとするとそれは計画経済になるし。
それはスルドイ指摘だね。すると矛盾が明らかになる。
つまり完全に制度化・言語化された計画経済がなぜ失敗するのかという....
すると計画経済ではなく市場経済の分析をしたアダムスミスやカールマルクスの理論がポイントだ
と気がついちゃう....<認識できないモノゴト>は<外部>と見なす....のと同じコトだけどね。
たしかに「象徴界に回収されない部分」が芸術であったり病気であったりして、その分析は必要だし
急務だろうね。浅田のようにドゥルーズを高く評価する試みはあったけど、ドゥルーズの社会諸関係の
統一体としての人間という認識はオーソドックスなマルクス(特にフォイエルバッハ由来の)系のものでしょう。
マルクスの認識はもっと先にいってると思う。観念(精神)と身体(マテリアル)の関係が究極に
あるんじゃないかな。
>>139 >ネットでアクティヴにコミュニケーションをとってる状態を、「社会的ひきこもり」の
>定義からして「社会参加」とは認めない立場でしょう?
斉藤ってそんなにイシアタマなの?
>サイバースペースこそを
>記号システム(シンボル体系)の本質とソシュールならば見なすはずで。
あらかじめコミュニケーションが成立してることが前提だとすれば、そうだろうね。
ソシュールにはコミュニケーション外というものは最初から対象外だから。
ドゥルーズとかに対して斎藤は否定的でしょう?
>>141 その場合の言語はかなり広い範囲の言語だよね?
>>143 ドゥルーズよりジジェクの方がいいよね。
同じ共産主義者でもズイブン違う。
たまごっちの分析なんか面白かったし、ジジェクの。
>>144 斉藤も認めてるけど、
漢字に代表される表意文字と表音文字を操る日本人は
言語に関して何か特異な能力を持ってるというのが面白いね。
松岡正剛が指摘する「真名」「仮名」、漢字とひらがなの関係や、
視覚情報=書文字、聴覚情報=言葉のように言語のファクターは
多いからシニフィアン・シニフィエのカップリングだけじゃ
分析ツールが貧弱すぎると思う。
>>140 > そのように「声とかが聞こえてる」と比喩できる関係性の原点があって、それがどのように
> 物語化していくかはその個人の経験によると思う。これは受胎以降のすべての経験を含めてね。
まず関係性の中に放り込まれるのは確か。
> その受胎から言語獲得までの身体や性格が形成される段階での非言語コミュニケーションを
> 否定してるとこが斉藤環の限界。斉藤は東との対談で「ラカンは系統発生を説明できない」と
> 認めてるし。
その対談は知らないけど、システム論的なラカンの使い方では無理って意味かな。
斎藤は『心理学化する社会』では精神分析は本来「教えるー学ぶ」的な一回性、出来事性を
取り出す技術だと言ってるからね。
それと幼児期の刷り込みがその後の人生にそれほど決定的な影響を与えるかな。
> 共同体の鋳型の反復強化そのものに亀裂が生じつつあるのが現状だろうね。
> 斉藤環がホリエモンを熱烈に支持してるとこはいいな。
伝統的な共同体を駆逐するという意味では近代国家も伝統的な共同体かもしれないんで。
>
> 自己言及したときに必ず生じる<ゲーデルの定理>的な自己言及できない部分があるでしょ。
> これは言語ならばなおさら拘束されてしまう限界であるから。芸術なんかは非言語的に、
> この言語の限界を超えようとする強度?の表出なんだろうけどね。
そもそも主体が象徴界の裂け目で、それ自身の場を欠いた存在、貨幣のような位置にある以上は、
自分が何者であるかを積極的に説明することは出来ない、本気で考えると無根拠に直面する。
欲望は他者の欲望なんで、呼びかけに応じる限りでしか自分を位置づけることは出来ないはず。
その意味で自由意志っていう考え方はかなり怪しい。偶然的な命令を自分で選んだと錯覚しただけかもしれない。
アイロニカルに過ぎるかもしれないけど構造的にそうなるんだよね。
にもかかわらず「私は何者であるか」という問いの答えを
なにがなんでも表象しようとするのが芸術家なのかも。
>>141 > 言語を制度とすればそうなんだけど、胎児乳児幼児にはそれが通用しないワケで、しかもその時期の
> 体験がその後の主体の認識や行為を規定し左右しちゃうから、どうしてもその非言語時期=受胎から
> 思春期まで....の検討が必要でしょう。非言語分析が。その点でラカンはフロイトへ帰れと言ってるね。
たしかに非言語的な幼児期の刷り込みというのは性格傾向に影響を与えてるだろうけど、
遡行して見いだされた幼児期は現在から見てそのように意味付けられる必要があるのかもしれないし、
斎藤も言っているけどある出来事がトラウマになるかどうかはその後の出来事との関連が問題なんじゃないかと。
それってぶっちゃけ医者でないと扱えない。その意味でフロイトに帰れっていうなら分かる。
あと言語獲得以前、つまり象徴界以前の想像界というのはただのナルシシズムの状態なんで、
そこに可能性を見るのは単に去勢のはたらかない散漫で幼児的なでたらめを多様性と言い出したり、
文明批判とやらで田舎に引っ込むナチュラリストやエコロジストのような本質主義に陥るだけじゃないか。
スキゾ的逃走は相対主義と誤解されやすいんで浅田が最初からそこは強調している。
システム論的なラカンの使用を批判するにしても言語以前ではなく、
「手紙は宛先に必ず届くのか」って郵便的問題から攻める方がいいんじゃないか。
> つまり完全に制度化・言語化された計画経済がなぜ失敗するのかという....
> すると計画経済ではなく市場経済の分析をしたアダムスミスやカールマルクスの理論がポイントだ
> と気がついちゃう....<認識できないモノゴト>は<外部>と見なす....のと同じコトだけどね。
市場の外、家庭などの<私的空間>は問題になってきてる。
家事や育児などの人的資本の部分は不可視化されている。
これはいわば<女>や無意識に当たるものだけど、やっぱり無意識は構造化はされてるわけでね。
滅私奉公を強いる日本の縁故資本主義は私的空間へのしわ寄せが非常に大きいね。
この<私的空間>が非言語や外部なのかもしれないけど、
これ景気が悪化したときの緩衝剤になっていて、その犠牲で結構持っているんじゃないか。
ただ経済はそれでいいけど意識の場合、非言語的な部分はそれは無意識なのか、
もっと別のなにかかは分からないんじゃない?
> マルクスの認識はもっと先にいってると思う。観念(精神)と身体(マテリアル)の関係が究極に
> あるんじゃないかな。
物自体や現実界の行き止まりってのは間違いなくあると思うけど、
セクシュアリティーなのか生産関係の変化なのか、それがなんであるかは事後的にしか言えないと。
「相対的な関係の絶対性」っていうのは柄谷が言ってたけど、
そういう関係性、出来事性の部分っていうのが問題。
同じような個体であっても置かれる関係によって発症するやつもいるし、しないやつもいる。
どう表象されるかってのは分からないんだよね。
発話する方にもそれが意味するかしないかってのもわからないんで。
まあ言語のような本来無意味な記号の束を、文脈とでもいおうか、
なんらかの時間軸に配置することで、行き当たりばったりの行動をつじつま合わせて、
「そうか自分はこういうことがしたかったんだな」とか、事後確認しているのが主体なのかもしれない。
さらにいえば資本主義なんてのも自動的に生産しているだけなのに、
作った商品が売れれば「これは価値があった」と事後確認しているといえるかもしれないんでね。
いわゆる親と子の鏡像、想像界の関係が象徴界の垂直軸に再構成されるからシステム的にみえる。
でもラカンはそのプロセスを見てるからただの構造主義じゃないと思う。
結構マルクスっぽいと思うけどね。
浅田がいうように無数の運動を資本主義の強迫的無限ループにとりこまれないように、
「逃走」できればいいけどね。もちろんただの相対主義じゃなくてヘルメス的にね。
象徴界が均質空間だっていっても、単に想像界にとどまってるのはただの幼児的ナルシシズムになるから。
ネット上に散らばってる文章より、やっぱり本屋の書籍の方がまだ相対的にマシ。
もちろんその先に行かなくちゃいけないわけだけど。
そのためには絶対矛盾的にワープ?しないといけないらしいw
もう少し読みやすく書けんのかね
>>146 >まず関係性の中に放り込まれるのは確か。
それは確かだと思う。それしかないし、そこからでしかないだろうから。
>その対談は知らないけど、システム論的なラカンの使い方では無理って意味かな。
自分的にはシステム論(オーポエ)の限界と、ラカンそのものの使い方が?だと思う。
溯行分析でエスや自我の生成過程をもっと丁寧にフォローした方がいいんじゃないかな。
>斎藤は『心理学化する社会』では精神分析は本来「教えるー学ぶ」的な一回性、出来事性を
>取り出す技術だと言ってるからね。
>それと幼児期の刷り込みがその後の人生にそれほど決定的な影響を与えるかな。
「「教えるー学ぶ」的な一回性」はそれこそ一回性だから決定的でしょう。それから
象徴界は刷込み、反復学習、それにチョムスキーじゃないけど先験的に生成する面もある
だろうけど、その辺の成果はまだ個別科学にとどまってるよね。「心の起源」みたいに
生物学に立脚して心の形成を遺伝子レベルからとらえてそこでの記憶と学習の過程を丁寧に
探ったような研究成果もあるので、そういうマテリアルな成果は斉藤でも誰でも参照してほしい。
>そもそも主体が象徴界の裂け目で、それ自身の場を欠いた存在、貨幣のような位置にある以上は、
>自分が何者であるかを積極的に説明することは出来ない、本気で考えると無根拠に直面する。
そうだね、無根拠に気がついたら宗教もファシズムもその可能性はありになる。かろうじて
それを阻止しているのは他者への意識、他者性への何らかのアプローチかな。最低限でも
市場(という幻想あるいは自由という幻想)の存在は守りたいというような。それ自体が
共同幻想だろうけどね。
>その意味で自由意志っていう考え方はかなり怪しい。偶然的な命令を自分で選んだと錯覚した
>だけかもしれない。
たぶん自由意志はないよね。フロイト的にはエスから自我が析出されるときに方向の選択性が
かろうじてあるくらい。それもその後のTPOで解釈は変転していくだろうし。だからその変転の
過程を溯行分析しないと個別的現存でしかないそれぞれの主体についてはわからないでしょう。
>>147 >斎藤も言っているけどある出来事がトラウマになるかどうかはその後の出来事との関連が問題なんじ>ゃないかと。
>それってぶっちゃけ医者でないと扱えない。その意味でフロイトに帰れっていうなら分かる。
フロイトへ帰れはその意味でしょ、第一義に。トラウマになるかどうかは主体の認識次第だから、
それぞれの主体を溯行分析するのは避けられないと考えけどね。斉藤は名医年鑑に載ってるし。W
>あと言語獲得以前、つまり象徴界以前の想像界というのはただのナルシシズムの状態なんで、
>そこに可能性を見るのは単に去勢のはたらかない散漫で幼児的なでたらめを多様性と言い出したり、
その「去勢のはたらかない散漫で幼児的なでたらめ」は大前提で、それが整序されていく時のファクターは
いくつもあるだろうけど、学習も刷込みも含めてアフォードしていくものだと思うよ。「でたらめ」な状態から
イギリス人になるか日本人になるか、その後オタクになるか教授になるか、その<なっていく>過程こそがいちばん
意味があるし、なによりも<何かになる>原因?そのものだから。この過程は通時的で、現在から観れば溯行的な分析でしか
把握できないだろうし。
>文明批判とやらで田舎に引っ込むナチュラリストやエコロジストのような本質主義に陥るだけじゃな>いか。
まあ左翼をはじめ現在その手の誤解や失敗は多いだろうけど、それを真正面から批判する論者が少ないのも残念。
>システム論的なラカンの使用を批判するにしても言語以前ではなく、
>「手紙は宛先に必ず届くのか」って郵便的問題から攻める方がいいんじゃないか。
郵便的問題から攻めるのは先駆者がいるし論者も多いみたいだから、自分はオーソドキシーな
ところからいくよ。W
それからまとめて言うと、ラカンやシステム論の批判をしてるのではなくて、その可能性を
拡大するものを探してるとこだね。自分的には吉本隆明周辺は現在進行形で読んでるから、
その辺とマルクス系はこれからしばらくはソースにすると思うよ。もちろん浅田や柄谷、斉藤は
以前から読んでるよ。それらの違いじゃなくて相互に援用できるとこを探したい。
たとえばオーポエ・システム論での<境界>の定義とか、いくつか考えてることがあって。
>>148 >市場の外、家庭などの<私的空間>は問題になってきてる。
>家事や育児などの人的資本の部分は不可視化されている。
<経済>の語源はもともと<オイコス>という言葉で家庭のマネージメントや家計を示す言葉でしょ。
それが不可視になってきた理由を探ると国家を頂点とする共同性の本質がわかるかもね。
>滅私奉公を強いる日本の縁故資本主義は私的空間へのしわ寄せが非常に大きいね。
「滅私奉公」の言葉のとおりで<私的空間>を圧迫した分だけ<公的空間>が増長するし、
<公>を減少させた分だけ<私>が増大する。そのシーソーみたいな関係を<遠隔対称性>と
いう概念で説明するんだけど、その辺を駆使した有効な探究をしたいというのが自分の希望かな。
>ただ経済はそれでいいけど意識の場合、非言語的な部分はそれは無意識なのか、
>もっと別のなにかかは分からないんじゃない?
それは前に書いた(
>>140)ように意識の場合は自己言及できない自意識の部分で、ゲーデルの定理の
決定不能性に象徴される領域(対象化不可能な領域)だと考えてるよ。対象化したいという志向性が
この決定(対象化)できない領域に<何かを代入してしまう>ということで。逆にそのことによって、
つまり身体的(物理的)にタッチ(関係)できない対象さえも意識は対象化(観念化)できたと
思う。もちろん<代入されたもの>だけどね。意識は常に何かの代理というコトになるけど。
たぶん斉藤ならそれをシニフィアンの連続とかいうと思う。
>>149 >同じような個体であっても置かれる関係によって発症するやつもいるし、しないやつもいる。
>どう表象されるかってのは分からないんだよね。
だから探究する必要があるんだよ。そのTPOも、それぞれの主体も、言語も、遺伝的特性も。
まあ主体本人も含めて分析者でも何でも「事後的にしか言えない」のは確かだね。
それも、すべてにわたって。
>いわゆる親と子の鏡像、想像界の関係が象徴界の垂直軸に再構成されるからシステム的にみえる。
>でもラカンはそのプロセスを見てるからただの構造主義じゃないと思う。
>結構マルクスっぽいと思うけどね。
同意。
>「逃走」できればいいけどね。もちろんただの相対主義じゃなくてヘルメス的にね。
>象徴界が均質空間だっていっても、単に想像界にとどまってるのはただの幼児的ナルシシズムになる>から。
>ネット上に散らばってる文章より、やっぱり本屋の書籍の方がまだ相対的にマシ。
まあそうだけど浅田が吉本を理解不能といったり、斉藤と宮台が相互に社会学、心理学は無効と
いったり、著者レベルの人間のそういうスタンスを見ると?と考えちゃうよ。アタマいい(ハズ)のに
他者を否定したり党派的政治的なつまらないことに力を入れないでほしい。山形の「構造と力」の
「クラインの壺」批判なんて、ただの言い掛かりだし。あんなバカだと思わなかった、山形。W
芸術家のように表出するだけじゃなく受容する方に感性を使ってほしい。どんな些細なことからも
世界を把握するキッカケを見つけられるはずだから。マルクスは1個の商品から資本主義のすべてを
解読していったワケだしさ。
>>150 >もう少し読みやすく書けんのかね
スイマセン、いちばん大事なことだと思うんだけど、自信ない....です。ゴメン
155 :
考える名無しさん:2005/07/31(日) 02:05:32
>>139,142
斎藤はひきこもりはネットをするべきだといっている。
ネットはひきこもりを助長するものではなく、
コミュニケーションへ向かわせる(契機になる)ものだと位置付けている。
重篤なひきこもりはネットすらしないし、
「本当のコミュニケーション」をこそ熱望している(からこそ引きこもってしまう)ひきこもりは
「ネットのコミュニケーションなんか偽りのコミュニケーションだからやりたくない」などと言ってしまう。
そういう状態よりは虚実ないまぜのネットの中を過ごすことが可能であるうことの方がどれほど健全か、と。
但し、斎藤はMMOなどのネットゲームについては有害可能性を示唆しており、
ネトゲ許可する際には制限時間を設けるべきだとしている。
また、韓国精神医学会は、韓国のひきこもりについてはほぼ100%ひきこもりとネットは関係している、としている。
>>155 だから斎藤がそう言っていることは知っているよ。その上で言っているのです。
じゃあ、なぜ、彼はネットをする「社会的ひきこもり」などという矛盾した言い方をするんだろ?
> ネットはひきこもりを助長するものではなく、
> コミュニケーションへ向かわせる(契機になる)ものだと位置付けている。
コミュニケーションへと向わせる契機って、ネットでのそれはコミュニケーション以前なのか?
言葉の世界以前の世界なのか? 象徴界以前の世界なのか? 社会以前の世界なのか?
斎藤はネットを自らのいう「社会的ひきこもり」の定義にかかわる「社会参加」から排除して
いるのではないか? そういう根本的な疑問を抱くわけですよ。
むしろ、ソシュールのいう記号のシステムという意味で社会システムを捉えるのであるならば、
ネット社会は、社会的・象徴的なるもののもっとも極限的な形態であるのではないかと思うのです。
>>155 > 「本当のコミュニケーション」をこそ熱望している(からこそ引きこもってしまう)ひきこもりは
> 「ネットのコミュニケーションなんか偽りのコミュニケーションだからやりたくない」などと言ってしまう。
> そういう状態よりは虚実ないまぜのネットの中を過ごすことが可能であるうことの方がどれほど健全か、と。
そこまで言いながら、なぜ「社会参加」の定義からネット社会を排除しちゃうんだろうか?
社会によって、コミュニケーションによって、まるで「社会的ひきこもり」が予め去勢されていない
状態ででもあるかのように、去勢された事実を「否認」しようとするんだろ?
斎藤までもが一緒になって。
>>148 無意識も言語的に構造化されているわけでしょ?
無賃金労働が行われる場は、女性や子どもの場として、一見、市場原理から
排除されているかのような装いの下に構造化されている。
その場は、システムの内部にできた外部だよね。
斎藤は、その場としてシステムが構造化したものを「社会的ひきこもり」と見なした。
トラウマは、主体が認識するというよりは、分析家が認識するものでしょ?
その分析家の認識を分析家は、主体の無意識だと言って名づける。
>>155 >また、韓国精神医学会は、韓国のひきこもりについてはほぼ100%ひきこもりとネットは関係している、としている。
たぶん世界でいちばん日本と似ている文化の韓国でそういう見解が出るワケは....
最終的にはセロトニン受容体の数量に左右される部分とかあるね、きっと。
日本人やポリネシア系はセロトニン受容体が多く、一般的な白人や中国人、韓国人は少ないから。
>>156 >むしろ、ソシュールのいう記号のシステムという意味で社会システムを捉えるのであるならば、
>ネット社会は、社会的・象徴的なるもののもっとも極限的な形態であるのではないかと思うのです。
同意!
斉藤が吉本の「ひきこもれ」に激怒した理由も自分にとっては不明というか、明瞭にしようとすると
斉藤の狭少さに行き当たりそうでヒケるんだよね。
>>157 >そこまで言いながら、なぜ「社会参加」の定義からネット社会を排除しちゃうんだろうか?
>社会によって、コミュニケーションによって、まるで「社会的ひきこもり」が予め去勢されていない
>状態ででもあるかのように、去勢された事実を「否認」しようとするんだろ?
>斎藤までもが一緒になって。
同意!
>>158 >斎藤は、その場としてシステムが構造化したものを「社会的ひきこもり」と見なした。
アナタの言い分がよくわかったよ。なるほど、そのとおりだと思う。
>>159 >その分析家の認識を分析家は、主体の無意識だと言って名づける。
そうだね、プロの立場を守るためにも、そうやってタームの定義や解釈を
自らの専管事項であり権利であるかのように行使するんだろうね。
そういう点でもネットは特に有用だね。ネットでの異議申し立ては自由だから、
その自由は守らないといけない。その面での政治的行動はありかな。
「本当の自己」がないように「本当のコミュニケーション」も
「本当の社会」も錯覚では?
「自己」や「社会」を実定化しちゃうことは共に危険ではないか?
ネットは社会の一部であるが、全部ではない。
また、身体性を伴わない。
163 :
考える名無しさん:2005/08/01(月) 00:36:51
>>161 疑念の論理的な順序として、まず問われるのは「本当」の意味では?
>>162 メディアはマクルーハンを待つまでもなく身体の拡張では?
斎藤環は逆説的に「メディアは存在しない」と主張しているが。
>>151 > 自分的にはシステム論(オーポエ)の限界と、ラカンそのものの使い方が?だと思う。
> 溯行分析でエスや自我の生成過程をもっと丁寧にフォローした方がいいんじゃないかな。
個人的には斎藤の本でもアニメ分析などより精神病理について書いてるものの方が面白いけどね。
ただ世の中はわざとやってるのかってくらい図式で説明できてしまうことが多すぎるよ。
> 生物学に立脚して心の形成を遺伝子レベルからとらえてそこでの記憶と学習の過程を丁寧に
> 探ったような研究成果もあるので、そういうマテリアルな成果は斉藤でも誰でも参照してほしい。
斎藤氏は医者だから生物学的な成果も耳にはいってきてるんじゃないか。
やっぱり器質的変化と病理の因果関係というのは天気予報みたいなものという立場なのでは?
ちょっとずれるけど、まえにネットで見かけた認知科学系の文章で意識は一種の位相空間で、
生物学的な裏付けはどうもとれそうにないとあったよ。
若そうだったし例外的な意見かもしれないけど。
> そうだね、無根拠に気がついたら宗教もファシズムもその可能性はありになる。かろうじて
> それを阻止しているのは他者への意識、他者性への何らかのアプローチかな。最低限でも
> 市場(という幻想あるいは自由という幻想)の存在は守りたいというような。それ自体が
> 共同幻想だろうけどね。
まあ天皇制もあるし。無神論者といえるまで主体的になるなんてそう簡単には出来ない。
> 過程を溯行分析しないと個別的現存でしかないそれぞれの主体についてはわからないでしょう。
遺伝子にどういう人間になるかが書き込まれていて、
その後の環境はほとんど影響しないとなると、それは動物なんで。
というか倫理的に許しがたい見方だと思うけどね。
>>152 > その「去勢のはたらかない散漫で幼児的なでたらめ」は大前提で、それが整序されていく時のファクターは
> いくつもあるだろうけど、学習も刷込みも含めてアフォードしていくものだと思うよ。
その学習がおこった経験がトラウマになるか、ならないかはその後の状況次第で、
過去が現在に決定的な影響を与えているというより、現在が過去をそのように意味付ける必要を
発生させているという見方をするなら幼児期の非言語的な体験だって立派な体験だというのは同意。
> たとえばオーポエ・システム論での<境界>の定義とか、いくつか考えてることがあって。
柄谷にいわせればそういうのは星で決まってるwらしいから
自分の興味の向いた方に突っ走ればいいんではないでしょうか?
俺はただの哲ヲタなんで読んで理解できたことを
ひまつぶしにカキコするだけで新しいものは生み出せないけどw
>>153 > 「滅私奉公」の言葉のとおりで<私的空間>を圧迫した分だけ<公的空間>が増長するし、
> <公>を減少させた分だけ<私>が増大する。そのシーソーみたいな関係を<遠隔対称性>と
> いう概念で説明するんだけど、その辺を駆使した有効な探究をしたいというのが自分の希望かな。
>
へー。今後、社会保障とか私的領域をどうするかは問題になってくるだろうから結構タイムリーな気が。
> それは前に書いた(
>>140)ように意識の場合は自己言及できない自意識の部分で、ゲーデルの定理の
> 決定不能性に象徴される領域(対象化不可能な領域)だと考えてるよ。
意識をシステム的な閉域だと仮定すると表象不能な領域がでてくるんだろうけど、
それはもともと外部的なものかもしれないし、時間的な差異なのかもしれない。剰余価値?
ラカン的には主体の位置がつまり象徴界の裂け目が現実界へ繋がるところとなってる。
主体的な働きかけがリアルなものに触れる端緒だという感じかな。このへん難しいから曖昧だけど。
マルクスのラインだと商品交換の部分に不透明な部分があるんだということになるかな。
他者なしでは自己は有り得ないけど、他者は自己を危うくする。
というか自分の価値を自分自身で付けようとするから背理になる。
自分が言ってることの意味は他人が了解して成立するもんだから。
それはやってみないと分からない。
ラカンにとっては他者がアプリオリなの?
前もってあるともないとも言えないんでは?
169 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/08/01(月) 22:13:55
>>167 斎藤環の分類で行くと、
ラカンの人間(神経症者)は言語がアプリオリに備わっているので、
従って象徴界や他者もアプリオリに要請される存在でしょう
ただし、鏡像段階のように他者出現の過程も説明しています
>>170 同じものではないですが、他者の存在には言語が必要だと言えるでしょう
>>169 そういう認識はソシュール以前のような気もするんだけど。
>>164 >個人的には斎藤の本でもアニメ分析などより精神病理について書いてるものの方が面白いけどね。
「文脈病」で見せた可能性に期待してるけど、本人はオーソドックなラカニアンになったというか
発言によってスタンスがいろいろだね。
>ちょっとずれるけど、まえにネットで見かけた認知科学系の文章で意識は一種の位相空間で、
>生物学的な裏付けはどうもとれそうにないとあったよ。
>若そうだったし例外的な意見かもしれないけど。
たとえば吉本の「心的現象論序説」そのものがそういったスタンスだね。心理現象を身体や機構に
還元しない・できないところで論じると宣言してる。事実その後の心的現象論の本説や各論との
切断があらかじめ宣言されてて、取り扱いにくいし、事実絶版。著者本人があれはもう取り上げない
的発言してるし、酷い環境で読んでるよ。W
>まあ天皇制もあるし。無神論者といえるまで主体的になるなんてそう簡単には出来ない。
それをやっちゃうのがヒッキーだったりするだろうな。本人も苦労するだろうけど。W
斉藤も指摘してるけどヒッキーは完全無宗教無神論者ばかりらしいから。
>遺伝子にどういう人間になるかが書き込まれていて、
>その後の環境はほとんど影響しないとなると、それは動物なんで。
遺伝子決定論者でない限りそうは考えないでしょ。
その後の思春期までの経験=TPOとの関係が大きく作用するワケで。
たとえば、発ガン遺伝子(遺伝子特性)があっても発ガンのトリガー(経験)に触れなければガン化(発現)しないから。
>>165 >その学習がおこった経験がトラウマになるか、ならないかはその後の状況次第で、
>過去が現在に決定的な影響を与えているというより、現在が過去をそのように意味付ける必要を
>発生させているという見方をするなら幼児期の非言語的な体験だって立派な体験だというのは同意。
「現在が過去をそのように意味付ける必要を発生させている」というのは同意なんだけど、
トラウマになるかどうかは主体の<耐性>によるんじゃないかな?
>>149の「同じような個体であっても置かれる関係によって発症するやつもいるし、しないやつもいる。
どう表象されるかってのは分からないんだよね。」だとすれば、「どう表象される」か何故そうなるのか、ということを探究すべきだと考えるわけ。
たとえば「言語障害」の人はしゃべらなければ障害が発現しない。高所恐怖症の人は高い所へ行かなければ
恐怖症は発現しない。でも障害や恐怖症になる可能性は内在させているから、その理由を問うべきだ
ということなんだよね。主体には予期理論的な拘束がかかるわけだから。それらが発現する可能性を
消去すること(治療)も必要かもしれない。そういう意味では「文脈病」で紹介されていたベイトソンの各学習の段階についての論考
などは重要な参考になったよ。学習のやり直しという意味で。
>>166 >へー。今後、社会保障とか私的領域をどうするかは問題になってくるだろうから結構タイムリーな気が。
<公><私>の関係はバランスだからシーソーにように変化して、その相互の関係は
<信用>をバロメーターとして表象するでしょう。
<公>たとえば国家が<私>からの<信用>を失えば革命が起こるかもしれないし。
この<信用>を制御し統御しているのが<貨幣>。貨幣はある種の商品だけど、そのレベルだけで
考えてもせいぜい交換価値しか見いだせない。交換経済はどこでも成り立つので交換を貨幣の役割だと
考えるのは貨幣の過小評価だね。本来的には権力の支配権を表象するのが貨幣の役割で、権力と
被支配者の関係を信用の度合いとして表象し統御してる。たとえば消費税が20%の社会と50%の社会では国家に対する信用度が違うワケで、50%でも反発がなければそれだけ国家への信頼が高い
と見なせる。でも内心は反発しているとすれば革命の危険度が高まっているということになる。
ラカン式に言えば50%は去勢の度合いで、危険度は神経症の度合いだね。
>>それは前に書いた(
>>140)ように意識の場合は自己言及できない自意識の部分で、ゲーデルの定理の
>>決定不能性に象徴される領域(対象化不可能な領域)だと考えてるよ。
>意識をシステム的な閉域だと仮定すると表象不能な領域がでてくるんだろうけど、
>それはもともと外部的なものかもしれないし、時間的な差異なのかもしれない。剰余価値?
>>141で書いたけど「<認識できないモノゴト>は<外部>と見なす....というのが認識の事実だろうと思う。」
>ラカン的には主体の位置がつまり象徴界の裂け目が現実界へ繋がるところとなってる。
>主体的な働きかけがリアルなものに触れる端緒だという感じかな。
そうだね、マルクスなんかでも同じ。問題はこの<リアル>の質を問うことだろうね。
感覚器からの刺激をリアルの根拠にする人と価値観の一致をリアルだと思う人だと
前者が動物的で後者が精神病的でしょう。前者は認識の対象を<近隔化>していて後者は<遠隔化>
しているといえる。
>>172 いや、ラカンのシニフィアン連鎖はソシュールから受け継いだので。
そもそもアプリオリかアポステリオリかという区分が相応しくないかも。
>>173 > 斉藤も指摘してるけどヒッキーは完全無宗教無神論者ばかりらしいから。
ああ、なるほどね。完全に「内発性」で行動しようとすると何も出来なくなるわけだ。
動機付けなんてのは「やれって言われたからやってる」っていうのが普通だし、論理的にも正しいw
> トラウマになるかどうかは主体の<耐性>によるんじゃないかな?
>
>>149の「同じような個体であっても置かれる関係によって発症するやつもいるし、しないやつもいる。
> どう表象されるかってのは分からないんだよね。」だとすれば、
> 「どう表象される」か何故そうなるのか、ということを探究すべきだと考えるわけ。
それは探求しても確率的なものになるし、実際の位置は観測しないと
分からないっていう量子力学的なものになりそうだ。
というか精神分析ってまさにそうだよね。
まず<耐性>によるっていってもそれは生物的な問題じゃないと思う。
ヒステリーで歩けないのが「大人になりたくない」とか「誰かに依存したい」ってことの
言い換えになってるみたいに、高所恐怖症とかもある種のメタファー(高所=飛ぶ=挑戦=挫折)でしょ。
実は恐れているのは高所じゃない。「高所」は現在の状況によって恐怖の対象として呼び出されている。
それは現時点での不適応のもったいぶった表現なんだよ。
だからストレスに強い個体と弱い個体があるっていうんじゃなくて、
同じ状況でもそれをストレスと感じる意味付けを持っている人とそうでない人がいるということだ。
生物的なものじゃなくてシニフィエとシニフィアンの結びつきの問題だと思う。
もちろん苦痛は誰にとっても苦痛、しかしトイレと財布が等価で結びつくのが恣意的なように、
トラウマってのは体験の質というよりは解釈に重点があるんじゃないか。
もし生まれつきで決まってるんなら苦手な状況を克服することもないわけでね。
>> 175
> たとえば消費税が20%の社会と50%の社会では国家に> 対する信用度が違うワケで、
> 50%でも反発がなければそれだけ国家への信頼が高いと見なせる。
> でも内心は反発しているとすれば革命の危険度が高まっているということになる。
> ラカン式に言えば50%は去勢の度合いで、危険度は神経症の度合いだね。
うーむ。そういう見方もあるか。
> そうだね、マルクスなんかでも同じ。問題はこの<リアル>の質を問うことだろうね。
> 感覚器からの刺激をリアルの根拠にする人と価値観の一致をリアルだと思う人だと
> 前者が動物的で後者が精神病的でしょう。前者は認識の対象を<近隔化>していて後者は<遠隔化>
> しているといえる。
ただ岡崎乾二郎が知覚した像と想起した像はほとんど一緒だと言っていたように
知覚もつねにすでに言語化されている。
別の見方をすれば言語化/文節化されていないものは認識も出来ないわけで、
リアルなもの、物自体は象徴界の裂け目からやってくるんだというのは大事なところ。
これを忘れてリアルを構造の内部に取り込もうとするとたちまち構造主義者に逆戻り。
>>173 > 斉藤も指摘してるけどヒッキーは完全無宗教無神論者ばかりらしいから。
てか、いまどきの若者のほとんどがそうだろ。
斎藤は稲村と同じくクリスチャンなのか?
いまどきの若者って無神論者どころかみんなプチウヨじゃないかよw
ここでは斎藤環の言っていることが真理だから、余計な異論を書いちゃいけません。
無神論者の右翼はふつうにいると思うが
ヒッキーが無神論者なんじゃないの?
国家=天皇=神だからウヨは無神論者じゃないだろ。
つうか"なんとなく"では無神論者にはなれねえって、
外面的にそういう体裁をとってなくても
宗教として機能している習慣はいくらでもある。
引き籠っちゃう若者もふつーに会社信仰とか学校信仰とか恋愛信仰とか
そういう世俗的な宗教を信仰していると感じるけどねえ。
場合によっては強迫的なくらい。
心の内面ではそういう世俗信仰にがんじがらめになっているというか、
そういう「こだわり」とのあいだでの葛藤を抱えていると思うんだよね。
そういう意味で「世捨て人」とは180度違うというか。
ヒッキーって自分の引きこもりが治ると、
引きこもりにいちばん厳しい人間になるんだってね。
タマキンが苦笑いしながらTVで言ってた。
188 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/08/06(土) 02:13:17
そろそろ本格的にレスしていきます
>>174 >「言語障害」の人はしゃべらなければ障害が発現しない
記憶や行為に関係するので、喋る以外にも不都合があります。例えばPCを操作するとか
>>175 >消費税が20%の社会と50%の社会では国家に対する信用度が違う
消費税が0%の社会は国家が全く信用されていない? まさか…
>>177 >ヒステリーで歩けないのが「大人になりたくない」とか「誰かに依存したい」ってことの言い換え
そうかなあ
>高所恐怖症とかもある種のメタファー(高所=飛ぶ=挑戦=挫折)
高所恐怖は本能的な側面が大きいのでは。
トリスカイデカフォビアというのがあって、それはもろにメタファーでしょうけどね
不安障害が出てくるのはDSM-3からで、最近の区分です
>>185 >国家=天皇=神だからウヨは無神論者じゃない
右翼は保守主義位の意味では
>>186 >会社信仰とか学校信仰とか恋愛信仰とかそういう世俗的な宗教
比喩でしょう。学歴信仰とか土地神話も宗教じゃないですよ
>>187 それは引き出し屋に引っ張り出されたようなタイプの
元ヒキにありがちなパターンだと思うよ。
タマキンは自分の臨床現場でのケースを一般化しすぎじゃないか。
>タマキンは自分の臨床現場でのケースを一般化しすぎじゃないか。
そう、一般化し過ぎなところがたまにキズな感じい。
193 :
考える名無しさん:2005/08/30(火) 18:07:52
最近、スピルバーグの論考を読んでかなりファンになりますた
194 :
考える名無しさん:2005/09/02(金) 10:50:15
斎藤自らがファンであるはずの「マルホランド・ドライブ」の批評で
斎藤の致命的な欠点が露呈してる。
どこかの映画評Webにあった精神分析的批評の方がまともだった。
195 :
考える名無しさん:2005/09/02(金) 10:57:34
>>175 >たとえば消費税が20%の社会と50%の社会では国家に対する信用度が違うワケで、
>50%でも反発がなければそれだけ国家への信頼が高いと見なせる。
理念的には消費税100%もあり得るという論考もあったね。
抵抗態としての消費税に0%という発想はあり得ないしね。
198 :
考える名無しさん:2005/10/07(金) 13:33:19
>オタク層の消費構造は、巨大重力場周辺の星々に例えられる
笑いました
>オタクは遍在する
斎藤環の「対象aは遍在する」とか東浩紀の議論を思い出します
幻想の公式そのものだからなあ。
あずまやさいとう読んで市場分析してるに違いない。
202 :
考える名無しさん:2005/10/08(土) 21:51:01
『大航海』の対談・斎藤環×鈴木謙介「インターネット・カーニヴァル」から斎藤の〆の発言。
(価値観は)小さい頃から親に吹き込まれた物語でしか形成されない。
今ごろ、こう言われてもねえ。
ずっとフロイトベースでこの路線をやってきたのは吉本隆明でしょ?
斎藤はそれを『文藝』誌上で罵倒してたじゃん。
よく調子よく態度を変えられるね。多重人格だったりしてえ。
203 :
196:2005/10/09(日) 05:21:24
204 :
考える名無しさん:2005/10/11(火) 19:47:38
>>202 だから親に吹き込まれることそのものが「去勢」で、
そういう過去の経験に左右されちゃうんだよな、人間は。
つーか、それしかないワケだからさ。
>>202 > よく調子よく態度を変えられるね。
同じ精神分析学路線でも、吉本と斎藤とが決定的に違うのは
おそらく、斎藤が「生長の家」に近いというところでしょう。
吉本はその点、フロイトの文句を首尾一貫批判している。
>>194 「マルホランドドライブ」評、よく整理されててあの語りづらい映画に
うまく議論拡げていくための共通ツール作ってたと思うけど?
207 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 11:23:04
確かにマルホ評は気になるなあ。
斉藤が取り上げた部分は「共通ツール」になるだろうけど、
斉藤が取り上げなかった(斉藤の認識力では対象化できなかった)プロットは
重要な存在だよ。
一読してわかるのは、斉藤は<公>や<共同性>を象徴するものに対して
鈍感だということだね。
たとえば主人公(ナオミ・ワッツ)の登場とエンディングで一緒に出てくる老夫婦を
取り上げていないけど、それは大きな失点だと思う。
WEBで映画評をやってるライターのマルホ評の方が精神分析のセオリーどおりで
読み応えがあってからね。
208 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/10/16(日) 13:12:40
ゲーラボで環センセイがキャラクターとキャラの違いが云々と言っていました。
自分はより明確にキャラクターと登場人物で区別します。
これは例えばプログラミングでのクラスとインスタンスの違いに似ています。
インスタンスがメモリに実体を持つように登場人物は物語作品に実体化しています。
物語作品Aの登場人物と物語作品Bの登場人物が同一キャラでも矛盾しません。
東のデータベースとシミュラークルに対し、斎藤は筆跡(フォント)と文字の関係と捉えます。
斎藤は結局象徴界に回収してしまうんですが、ある種の書道や抽象芸術のように、
極端に達筆で表層の差異が体系の方を変えてしまうという事はありえると思います。
>>207 あの老夫婦が〈公〉や〈共同性〉を象徴しているということでしょうか?
もうちょい邪悪なものとしてリンチも構想していると思うのですが。
210 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 19:55:33
精神分析とか気持ち悪いんじゃボケェ!
211 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 20:02:54
ラカンは実質、反・精神分析だから安心していいよ。
212 :
考える名無しさん:2005/10/16(日) 20:16:17
大文字の他者ってうざいよね。
ラカンは精神分析じゃん
ラカンは俺みたいに基地外でもみんなと同じだと言ってるから好きだよ。
そうやって間違った理解が広がっていくんだな
まああとで気づくわけだが
斎藤よりもシューレ的考え方のほうがマシ
>>217 父性による審級の欠如が
家族病理の大元にあると強調するところじゃない?
「去勢」だね。去勢についての考え方が吉本とは異なるという意味でしょう。
去勢を必然性として一緒くたにあっさり片付ける斎藤に対して、吉本は対幻想
とか内的コミュニケーションといった概念でもって、逆にそこに文化的な普遍性
を見ようとしている思想家だからね。
220 :
考える名無しさん:2005/10/17(月) 20:11:27
そうだね。
吉本は「去勢」を微分してそこに段階的かつ多面的な可能性を見出してる。
斎藤は吉本の「内的コミュニケーション」を全面否定しただけだものね。
ソシュール式の言語コミュニケーション以外のコミュニケーションを否定しちゃった。
言語以前の幼児や、あるいは個体内だけで完結するコミュニケーション全面否定。
あの斎藤の論述は、たぶんどの著作にも収録されないと思う。致命的だものね。
221 :
考える名無しさん:2005/10/17(月) 22:35:55
>>208 社会という物語の文脈でいうと何にでも実体化する<商品>が<貨幣>ですね。
>>209 結論だけいうと<邪悪なもの>は<共同性>の代同物ですね。
シューレ厨は左翼
12 名前: 高齢童貞ヒキ 02/12/15 05:15 ID:qPds57Wh
>>9 >やはり僕自身、あるていど成熟を実感できたのは異性との関係が生まれて以降ですから、性的なものを
>抑圧するばかりではなくて、それをどう学習させるかを考えないといけない。
>つきつめれば、性的なものでしか人間の成長は確認できないと思うんです。性的関係とはたんにセック
>スだけじゃなく、他者への共感や思いやりといった、コミュニケーション・スキルが欠かせません。僕は
>成熟の二大要素として、「情緒的な交流能力」と「欲求の実現を待てること」を考えていますが、二つと
>も恋愛経験を通じて学ぶことが一番でしょう。まあ、成熟を意図しなくてもいいから、友情と恋愛を大切
>にしてほしいですね。友情も恋愛の一種ですから。
なるほど。タマキンがミヤダイと仲良くするわけだね。ただ、オレもそうだが、セクースを
含むコミュニケーションでつまづいてしまったからヒキになるヤシも多いのに、
どうやってコミュニケーション・スキルを身に着ければいいのか?
その具体的プログラムは、まだどこにもないんだよね。
ちなみにオレ、高齢童貞ヒキっす。いまだに、十代の頃に出会った、初恋の美少女が
忘れられません。
224 :
考える名無しさん:2005/10/18(火) 17:34:25
宮台は斎藤との対談でコミュニケーション・スキルの向上で解決する....という発想を
放棄してるんじゃないの?
225 :
考える名無しさん:2005/10/18(火) 17:36:53
ぶはははははははははははははは!!!馬鹿だーーーーーー!!!!!
227 :
考える名無しさん:2005/10/19(水) 20:15:03
>>226 「ひきこもりOK!」での対談だと思ったよ。詳しく憶えてないのでゴメン。
他人とコミュニケーションできると、それでOKと思っちゃうから、
それは駄目なんじゃないか、というのが宮台の言い分。
コミュニケーションはもともと成立しないものだから、それを自覚することから
はじめよう、というのが斎藤の言い分。
...という風に理解したんだけど、全然違うかもね。W
228 :
考える名無しさん:2005/10/25(火) 00:42:09
今日のBSアニメ夜話ではじめて動く環を見た
精神科医って普通にしててもやっぱりどこかキモイね
229 :
考える名無しさん:2005/10/26(水) 07:59:16
カメラ目線が不気味
230 :
考える名無しさん:2005/10/26(水) 11:58:04
タマキ
ブキミ
231 :
考える名無しさん:2005/10/26(水) 18:58:07
たまきん髪が伸びたね。
>>224 宮台さんと斎藤さんは仲がいいの? それとも微妙な仲?
234 :
考える名無しさん:2005/10/30(日) 21:20:09
>>232 対談以降ビミョーでしょ。
インターコミュニケーション誌でタマキさんは社会システム論批判。
シンジくんはWEBで心理学批判やってたから。
ついこないだいっしょにテレビに出てたじゃないか
236 :
考える名無しさん:2005/10/31(月) 08:24:05
日本人て「一緒」に何かしたりすると「仲がいい」って判断するのな。。。
まあ「去勢」が決定的に足りない民族だからしょうがないけどな。。。
んん。どちらかといえば去勢だらけの包茎民族じゃない。
いってみりゃ。虚勢のための去勢だからね。
決定的に足りないのは割礼とバイアグラでしょう。
斎藤さんはラカンの思想のラディカル面を逆に隠匿しちゃってるね。
その意味ではむしろ斎藤さんが批判する界隈の人たちのほうが
ラカン的だったりする。
240 :
考える名無しさん:2005/11/03(木) 10:18:30
日本のラカニアンとか精神分析の専門家による斎藤環への
正統的な批判に期待してるけど、ないのかな。
241 :
考える名無しさん:2005/11/03(木) 10:48:19
あげ
「ゲーム脳」を脳科学の専門家や
医学者が批判しないことを嘆いていたけど、
たぶんそれと同様。
脳科学の専門家は養老なんとかいうのも含めて
そういう発想に逆に好意的だからなあ。
養老も石原慎太郎との対談とかで、ゲーム遊びをして
育っている子どもの脳がおかしくなるみたいに言っていたし。
>>243 養老孟司は『唯脳論』を出してはいるけど
解剖学が専門であって、脳科学の専門家じゃないよ。
245 :
考える名無しさん:2005/11/03(木) 13:41:44
>戸塚講演会
後援会だってwww
でも、戸塚ヨットスクールのやり方は
ある種の無気力な人が
特定の条件下で行なえば
効くこともある、と小室直樹が言っていて
弟子の宮台も賛同していた。
247 :
考える名無しさん:2005/11/03(木) 14:49:28
>>246 誤変換へのツッコミあんがと。
いまどきの若者はアパシー化している
それは脳が体育会式にしっかり鍛えられていないせいだ
脳幹を鍛える戸塚式教育法を若者に教育界に採用せよ
っていうような論理繋がりでは、澤口も宮台ともそう大差ないってことか。
「ゲーム脳」を唱えたのも日本大学文理学部体育学科教授の森昭雄
という 体育会学系の人らしいね。
248 :
考える名無しさん:2005/11/03(木) 14:51:05
ごめん。体育会学系でなく体育学系でした。
まったく抑圧がなければ主体にはなれないから戸塚も場合によっては効くわな。
しかしさらにトラウマがひどくなる可能性もある。
図式的な人間観と精神分析は真っ向から対立するな。
「去勢」というやつかな。
「ゲーム脳」論のようなのが支持されるのも、今時の若者はゲームばかりで万能感を抱いて
「去勢」されていないから・・・といったパターナリズムの論理が支持されやすいのと関係が
あるのかもしれないね。
茶髪やオタクのいまどきの若者とは対照的な、北朝鮮のテレビに出てくるような子ども達が
あるべき主体の理想像として彼らの頭の中に描かれているのかもしれん。
ゲームという全く参加することができない文化へのフラストレーションだろ。
ゲームしてる奴は頭がおかしいとすることでゲーム文化から拒否られている自分を肯定することができる。
そうそう自分の理解できない共同体が拡大して疎外感を感じることと
ずっとモニターに向き合ってる=コミュニケーション不能な状態と結びつけられるわけだ。
そういう不透明不可視な部分を合理的にというか短絡的に理解しようとすると生物学主義になると。
心理的な問題をそんなに固定的に「これが原因だ」と決められるわけない。
というか自分自身の内面の不安を外に投影して攻撃されると迷惑きわまりないな。
ゲームってだいたい自室に引き籠って一人でするもんだろ?
ゲーム→自室に引き籠って一人遊びの時間が増える→精神の健全な発達を疎外する
こういう認識がゲーム脳論者とかそれを支持する教育者の頭の中にはあるんじゃないか?
×疎外 ○阻害
ゲーム脳の人がそう考えているとしてそこで念頭に置かれている
「健全に発達した精神」を持ち合わせた人間ってのを具体的には示せない。
たぶんイメージとしては市役所に張ってあるポスターのように
みんなさわやか笑顔で仲良しって感じにかなり気持ち悪いものなんだろう。
強制すれば上で書かれているように北朝鮮の子どもたちになるわな。
まあ抑圧や去勢は必要ではある。
そもそも精神分析の考えでは去勢されなければ言葉もはなせないし、
社会もなんの生き方のモデルも示せなければ無秩序にしかならない。
しかしその選択肢は社会の発達とともに多様化せざるを得ないし、
自分の気に入らないような人間が増えたからって、
お偉方が自分好みの人間性を強制するようなのは勘違いもいいところだろうと思うね。
>>253 ひきこもりが精神の健全さを阻害するみたいなことは、斎藤環も主張し
ていることだから微妙だな。
冷静にみると、斎藤とゲーム脳学者さんとは案外そう遠くない価値観の
持ち主なのかもしれない。
皮を切るのとチンコをきるのは違うぞ。
勢いが死んだら第二次ヒキコみたいなものだわ。
問題は去勢のあとに力をつけていけるかどうかだろ。
力を根こそぎにしても意味はない。
去勢が処刑では意味がないのよ。
精神分析用語の「去勢」ってマルクスのいう「疎外」のこと?
去勢はちんことられて言語っていう代理ちんこ手に入れることって感じかな。
疎外は人間の行動が経済的ものさしの世界に置き換えられること。
人間の価値がお金で決められちゃう状態。
だから疎外は革命によって資本主義に疎外された人間の本質を取り戻そうって話になるが、
去勢には戻るべき本来性というのはそもそもない。自己は欠如そのもの。
似てるようでだいぶ違う。
つうかマルクスは疎外ってはじめのほうでしかいってないんだろ?
疎外された本質ってなによって感じだが。ヒューマニストかエコロジストかと(ry
評価されてるマルクスは疎外論的ではないはず。
思うに去勢にあたるのは貨幣の存在だな。
ラカンにしてもマルクスにしてもそうだけど、
とりあえずへーゲルまで遡る必要があるんじゃないかな?
自己疎外概念についても。
>>260 廣松渉の疎外論から物象化論へあたりのことを言いたいのかな?
>>260 > 去勢はちんことられて言語っていう代理ちんこ手に入れることって感じかな。
ペニスケースをはめることだと思うよ。欠如を捏造する過剰、それが言語だから。
264 :
考える名無しさん:2005/11/05(土) 10:06:46
疎外は単に外化の別表現だろ?
経済がどうのこうのは関係ない。
マテリアルが表象することが外化であり疎外なんだよ。
労働者の自己表現であり労働力の表象である外化物が商品として
企業という他者の所有物になってしまうことが問題。
マルクスの初期と後期のギャップは無いし、物象化論は理念型のモデルであって
現実には説得力が無いよ。 廣松渉の認識論は日本のラカニアンも批判してる。
>>263 > 欠如を捏造する過剰、それが言語
名言だね。で、過剰を否認するわけだね、自然だと。
>>260 > 去勢はちんことられて言語っていう代理ちんこ手に入れることって感じかな。
順番が逆だけどね。
267 :
考える名無しさん:2005/11/05(土) 19:39:11
自作自演が多いなあ
268 :
考える名無しさん:2005/11/06(日) 13:11:11
斉藤なんかより樫村愛子
>>264 > 廣松渉の認識論は日本のラカニアンも批判してる。
具体的にそのラカニアンの名を挙げてくださいませんか?
270 :
考える名無しさん:2005/11/07(月) 08:11:24
まあ。お医者様って言うのは自分に都合のいい症例だけを誇大広告するからね。
272 :
考える名無しさん:2005/11/08(火) 07:53:05
藤田の『精神病の構造』ってシニフィアンの連鎖ですべて説明しようとしてない?
廣松への指摘は正しいと思うけど。
273 :
考える名無しさん:2005/11/08(火) 11:10:42
奇妙な話だな。資本論の廣松解釈はアルチュセールの認識論的切
断解釈とパラレルだろ?ラカンとアルチュセール本人たちはたがい
に認め合ってるのに何で藤田のごとき若造が廣松哲学の批判できるんだ?
274 :
考える名無しさん:2005/11/08(火) 20:53:08
アルチュセールが評価されても、それと廣松云々は何の関係も無いだろ。
何の関係も無いというのは言いすぎで、むしろ両者にはパラレルな関係が
あるというのが273さんの主張なわけでしょ?
藤田は偽ラカニアンということでOK?
277 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 11:46:08
廣松への評価は浅田による「いずれにせよ構造主義」(逃走論に収録)だっけ、
あの気持ちのいい断定でケリはついてるわけよ。
ちなみに「構造と力」はラカンを超えることが目的の書だから、
廣松は過去完了形ってことでしょ。
藤田だったかどうか忘れたがラカニアンによる廣松批判は確かにあって、
両手を合わせたときの認識の問題に関してだな。
相互に一方の手が他方の手を認識しているときに、認識の主体性は
どうなってるのか? とかそんな問題提起だったよな。
その答えが相互主体性だとしたら、それはお粗末ということだったと思う。
オレもお粗末だと思うよ。
ラカンによるラカン批判
ラカニアンによるラカニアン批判
きぼんぬ
279 :
考える名無しさん:2005/11/12(土) 23:17:22
280 :
考える名無しさん:2005/11/13(日) 02:11:32
意外にダメなんだな「相互主体性」とかって。。。
「共同主観性」もダメぽ。。。
282 :
考える名無しさん :2005/11/15(火) 15:20:48
だいいち「共同主観性」? 何よ、それ。
どういうもの? オレに教えろ。
283 :
考える名無しさん:2005/11/15(火) 17:18:08
だから「 両手を合わせたときの認識の問題に関して」「相互主体性」「共同主観性」では
まともな答えを提出できないわけでしょ。それが「ダメ」な理由なんでしょ?
>>277 >>280
284 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 01:09:40
285 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 01:11:24
286 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 01:21:08
>>283 両手を合わせたときの認識の問題ってなによ?
287 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 01:49:52
>>286 ,
>>277 主観のポジションの問題。手を見るとき、主観は視覚的主観であり、
手で目を触る時は触覚的主観である。
手の場合は主観の右手ポジションと左手ポジションが考えられるが、
更に、真の主体はそれらを統合したポジションにあるともいえる。
288 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 08:21:29
両手を合わせてると、右手が左手に触れているのか、左手が右手に触れているのか。
つまり主体としての「手」と対象としての「手」の峻別はどうなっているか?
そこに生じる混乱を広末理論は説明できないし、分析さえできていない、ということ。
289 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 08:28:21
世界の肉
なんだかメルロ=ポンティっぽくなってきたな
291 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 12:30:44
ラカンやポンティが視覚に意義を見出すの何故か?
簡明に答えよ!
>>280 んなら「暗黙知」とでも言えばいいわけ?
293 :
考える名無しさん:2005/11/16(水) 23:43:23
「暗黙知」。。。もっとダメじゃん
294 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/16(水) 23:52:45
295 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 07:58:12
>>294 その理由は?
ナルシスの意味と、それが視覚に宿る理由ね。
296 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/17(木) 10:22:45
>>295 鏡像理論は見ることで始まり、想像界だから。
は? 氏ねよ
298 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 12:06:04
それは「見ること」が優位であることを前提にしてない?
それじゃ先天性の盲目の人の認識にはまったく無効じゃん。
299 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/17(木) 12:07:10
答えになってない
共同主観性の主観の「観」がすでに観るという意味じゃんねえ。
ただし、視覚も触覚もそれを統合したのが「観」であるという
言い方もできるけれども。
それを主体にまで統合する機能が「暗黙知」なんだと。
302 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/17(木) 14:21:09
カント的だな
303 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/17(木) 14:29:25
必死だな。
必死だな。盲人も「視ている」それだけのことだ。
自己紹介してどうするw
306 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 17:29:56
視覚と聴覚は他の知覚に比べて対象の空間性の均質性が高いというのがポイント。
つまり外界からの情報を言語化しやすいという特徴があるということ。
んで、
>>296 「ナルシス」の答えは?
ラカン用語ならべて誤魔化すんじゃなくて、答えは?
307 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/17(木) 17:51:35
>>305 すべてお見通しだ。
盲人は犬猫同然と思ったのか。差別主義者め!
>>306 >視覚と聴覚は他の知覚に比べて対象の空間性の均質性が高いというのがポイント。
言語化とは、関係がない。
人は鏡像関係という空間的に自己同一性を手に入れるから。
そして人の空間認識は、視覚重視なわけだね。
それにしても、これぐらいのことで良くもむきになれるものだ。
せいぜい無垢の世界を楽しみなさい。
308 :
考える名無しさん :2005/11/17(木) 19:37:53
ぴかぁ〜キャラ変わったあ?
309 :
考える名無しさん:2005/11/17(木) 19:41:29
つーかこんなにバカっだったあ?
ぴかぁ〜敗退の最少時間記録ですな。
せめていくつかの質問には応えてほすカッタです。w
311 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 07:59:46
な〜んだ何も説明できないんだあ
人間は見ることが過剰なところが動物とは違うんだよ。
過視化の本当の意味はそういうこと。
本来触覚である皮膚が情報の中枢である脳へ陥没連絡して目になる。
そのこと自体が外部感覚を脳化=情報化しようとした発生学的な事実。
認識上、対象性の均質化は情報化と言語化の前提。
>>307 バカすぎなんだよね。
312 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/18(金) 08:11:05
>>311 ここで還元主義回帰ですか。
香ばしい厨房の香り
エセでもラカンかじってからきてくださいね
314 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/18(金) 08:54:37
子供か
315 :
305:2005/11/18(金) 09:07:14
>>307 おいおい…「視る」が何か分からんから聞いたのにはぐらかすな。盲人は聴く能力において健常者より優れている。絵と音楽とか視ることと聴くことを差別するつもりはない。
316 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/18(金) 10:02:07
目を閉じろ。そして視ろ
317 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/18(金) 10:05:32
ヒント:光学情報と視ていることに相関関係かないことはもはや常識だ
ラッキーアイテム:オートポイエーシス
ばかかこいつ
319 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/18(金) 11:21:46
子供か
↑子供
321 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 12:15:37
322 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 12:17:19
「視る」が比喩なら、視力を失った人は耳で「視ている」という話なのかい?
323 :
考える名無しさん :2005/11/18(金) 12:26:18
バカだなあ、「還元主義」とかレッテルすれば済むと思ってる?
そんなことだから茂木の主張やクオリアのような発想の前で
アンタみたいなエセはひと言も反論できないで終わるんだよ。
ラカンだって臨床の現実と自らの理論が整合同致しえないの
なんかわかってるだろ?
斉藤環んちゃんが、まだまともなのは自らの理論や主張を「暫言」だと
自覚してるから。
とにかく何かひとつでも説明してみい? ワイみたいな無知に向かってさあ。
>>ぴかあ〜
324 :
考える名無しさん :2005/11/18(金) 12:30:05
システム理論? オートポイエーシス?
アンタ、オートポイエーシスの論理的限界もわからないの?
「境界」の定義が論理的に成り立つかどうか考えてみい。
現実への照応や還元以前に破綻してるんだよん。
>>317
325 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/18(金) 12:35:38
なんかすごいことなってきたな。
素朴還元ヘタレは機械スレだけに隔離されてると思ったらこんなとこに隠れてたんだ。
確かに斎藤はラカンと還元主義の間にたち続けるのが魅力なんだか
326 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/18(金) 12:41:20
だいたい視ることが「現象」であることの理系からの応援がクオリア、オーポエなわけで
わしの味方なんだろう。
敵対関係をかってに転倒しないこと
おまえらは視ることは光学系である還元ヘタレ派なんだから
327 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 12:51:06
まず設問の仕方で能力がわかるんだよねえ。
>>317 >ヒント:光学情報と視ていることに相関関係かないことはもはや常識だ
???
そういう設問をするのはね、
言い直すと「視覚(光学情報の受容感覚)とイメージ(観る、想起)を混同してる」
相手を想定してでしょ。すると当然設問者(ぴかあ〜)は混同してないことが前提なの。
ここでぴかあ〜はまた墓穴を掘ってるんだよねえ。
「ナルシス」の説明は免除してあげるから「視覚」と「イメージ」の説明をしてごらん?
もちろんエセやバカにはできないよん。
328 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 12:56:25
やったよ! ぴかあ〜
>>ぴかあ〜
> 敵対関係をかってに転倒しないこと
こうやって論理内容よりレッテルの決めつけをするんだ?
そこまで怯えちゃってるんだ?
「敵対関係」って何さ?
それじゃユダヤ狩りアカ狩り朝鮮DQN狩りと同じじゃん。
お前、心が弱過ぎ。まあアタマの弱すぎは比例する場合が多いけどねえ。
329 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 12:59:26
待っててあげるから、何か一つでいいから説明してごらん。
心配しなくていいよ。ワイは怒ってるわけじゃないからさあ。
もうすぐバイトへ行っちゃうから、あ・と・で・ね・・・
330 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/18(金) 14:23:33
なんかテンション高いし、また転倒してるし、
テーブルのうえ、ぐちゃぐちゃやん。
同意してるならそれでいいんだよ。いまさら、ザッ2ちゃんねる!みたいな会話はずいだろ。
続けたいなら、ちゃんと片付けな!
一 議論点
二 それに対するきみの意見
>330
先に自分の方から回答すればいいのでは?
それが流れだと思いますが。
流れだと、ナルシスの答えじゃね、スタートは
それとも手続論でぴかあが逃げ切るか、かな
今回、ぴかあは内容がないな、負けかも
ぴかぁ〜うぜえ。馬鹿をつれてでてけ!
334 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 16:15:16
初歩的な質問です。
ラカンの鏡像理論は現在でも通用しますか?
通用しないと(仏への留学生から)聞いたことがあり、
その人はラカンそのものが(パリで)際物扱いされていると言うのですが。
鏡像理論×
鏡像物語○
336 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/18(金) 17:34:41
鏡像理論ははじめから論理的な物語ではないでしょうか
想像関係、イマジネールな闘争はいままさにこのスレで行われていますが
粘着坊うぜぇ〜
337 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 19:26:20
338 :
↑:2005/11/18(金) 19:46:54
297は間違いで
>>287だろ?
オレも興味あるから。
339 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 20:16:48
>粘着坊うぜぇ〜
おい、そうやって挑発するより
論理と知見で勝負しろよ。確かに
まだ何も答えてないのはぴかあ〜の方だろ。
一部の議論が意味不明なんですが、
ここは斎藤スレなので斎藤環によると、
言葉の意味(イメージ)は想像界に属します。
ここで、文字でも発話でも点字でもボディランゲージでも、
翻訳が可能な限り同じシニフィアンの秩序です。
従って目が不自由でも当然想像界はあります。象徴界もあります。
手を合わせる話はアフォーダンスとかに繋がるでしょうか。
>>334 フランスの精神分析は様々な学派があり、
仲が悪いこともしばしばなので、そういう扱いをされることもあるでしょうが、
ラカンの鏡像段階という概念自体は、今でも使う人がいます。
341 :
考える名無しさん:2005/11/18(金) 20:30:11
>>340 しろうとさん久しぶりですね。
元気でしたか?
小説かけましたか?
342 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 00:59:54
ちょっと疑問があります。
>>294 >ナルシスは視覚に宿るから。
>>296 >鏡像理論は見ることで始まり、想像界だから。
>>307 >人は鏡像関係という空間的に自己同一性を手に入れるから。
>そして人の空間認識は、視覚重視なわけだね。
>>317 >ヒント:光学情報と視ていることに相関関係かないことはもはや常識だ
すると
「鏡像関係という空間的」が視覚的な空間という意味なら
「光学情報と視ていることに相関関係かない」という説明と矛盾しますよね?
「鏡像関係という空間的」が視覚的な空間ではないとすれば
その「空間的」とはどういう意味なのか?
そのとき「鏡像関係」とはどういう意味なのか?
なぜ「人の空間認識」が「視覚重視」になるのか?
....以上、考えるほどわからないのですが。
>>301 > それを主体にまで統合する機能が「暗黙知」なんだと。
「暗黙知」とは無意識のようなものですか?
>>306 >視覚と聴覚は他の知覚に比べて対象の空間性の均質性が高いというのがポイント。
>>311 >人間は見ることが過剰なところが動物とは違うんだよ。
「空間性の均質性が高い」の意味がわかりません。
人間より視覚能力が高い動物はいると思いますが、
「人間は見ることが過剰」の意味がわかりません。
>>342 もっともな指摘だけど、もともとぴかぁ〜はうやむやにして逃げることしかできないよ。だからみんなまともに相手しない。
344 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 01:35:40
>>342 むずかしく考えすぎでは。
この場合は、「空間的」とは、簡単いえば、在るということですね。
人は在るとして世界を認識するということです。
そじて、「光学情報と視ていることに相関関係かない」というのは、
「光学情報で見る」とはいわば、客観的に見るということです。
たとえば、好きな子に見とれて、回りが見えない、などといいますが、
人は見たいように見るのです。
人は在るとして、主観的に視る、ということです。
なぜ「人の空間認識」が「視覚重視」になるのか?は、これは難しい問題です。
いわば、進化論的な解答はあるかもしれませんが、そうあるとしか言えないでしょう。
その場しのぎしかないから言えば言うほど泥沼になっていくバカぴか
バカか? ぴかが理系の人間でも納得するようなまともな論を出したことは一度もない
348 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 09:15:17
>>342 >視覚と聴覚は他の知覚に比べて対象の空間性の均質性が高いというのがポイント。
>「空間性の均質性が高い」の意味がわかりません。
視覚と聴覚はそれぞれ可視光線と音波を媒介にして対象を受容するので、
何を見ていても何を聴いていても同じ媒介性=空間性の均質性が維持確保されてる。属性が同じ。
触覚や味覚、嗅覚は対象と直接接触して受容する感覚で媒介性がないから空間性の均質性もない。
対象ごとに属性さえ違うことがある。
これは人間が「言語」を媒介にして環界と接触している、つまり何らかの象徴界認識を自動的に行使して生きていることの基本的スタンスのベーシックな側面。
まずデータ属性の均質性が、そのデータによる情報化や論理化つまり思考および言語化を保証促進。
だから視覚や聴覚データで思考を左右(促進、阻止、破壊=発狂)することもできる。言語で発狂する人はいるけど味や臭いで精神病を発現する人はいない。。。現存在にフォーカスした時にラカンが説得力があるのは以上のような基本的な認識があるから。
この点で
>>307の「 言語化とは、関係がない」という主張はまったくラカンを知らない証拠。
ダメだな、ぴかあ〜は。。。
>人間は見ることが過剰なところが動物とは違うんだよ。
>人間より視覚能力が高い動物はいると思いますが、
>「人間は見ることが過剰」の意味がわかりません。
視力という意味では鳥や肉食獣みたいに優れた動物はいるけど、
人間の視覚能力には常に観念的な「観る」が同致される傾向がある。
つまり過視化(東)される傾向。その視線そのものは世界視線(吉本)ともいわれる。
斉藤環は『戦闘美』の大きなテーマはこれ。この問題に触れながら斉藤は結論できてないけどね。
ラカンがこんなこといってる?ソースは?
351 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 11:23:29
>>348 媒介データ属性の均質が言語化の起源?
ちょっとトンデモですね。
ラカンによって言語は、どこまでも後天的なものです。
それに議論とそれています。
たとえば斉藤は、想像関係における、視覚>聴覚の関係を
指摘しています。「視覚の徹底的な優位性」をロストしている時点で、
>>348がなぜこのスレにいるか、意味不明です。
352 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 11:29:05
353 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 11:37:40
>>340 >ここは斎藤スレなので斎藤環によると、
>言葉の意味(イメージ)は想像界に属します。
>従って目が不自由でも当然想像界はあります。象徴界もあります。
言葉が想像下に属するのは、当然ですね。
なにか、想像界、象徴界、現実界などの世界があるわけでなく、
すべてがこれらに属しているわけですから。
たとえば、言語の本当の意味には到達できないということで、
現実界に属するとも言われます。
盲人はどのように想像界を獲得するのか、想像関係を確立するのかは
面白いですが、言語の獲得まで、獲得できないということはないでしょう。
想像関係を確立は、母の定期な喪失からはじまるので、すなわち触覚です。
視覚がなくとも、その他の感覚から、獲得していくと考えることができるでしょう。
>>351 ぴかぁにトンデモ呼ばわりする資格はない
>>353 つうか、なんだ?このしくじった機械翻訳みたいな日本語は?
>>334 > ラカンの鏡像理論は現在でも通用しますか?
理論ではなくフィクションです。
357 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 20:05:35
>>351 >媒介データ属性の均質が言語化の起源?
ウソをついたり、スリ替えをするなよ、ぴかあ〜
それとも極端に理解力が無いのか。
「空間性の均質性が高い」と「外界からの情報を言語化しやすい」と(
>>306)でいってるだろ。
ワイは「 言語化とは、関係がない」(
>>307)というお前の間違いを指摘してるのであって、
「媒介データ属性の均質が言語化の起源?」とは一度もいってないぞ。
視聴覚のデータは均質性が高く、それは「情報化や論理化つまり思考および言語化を保証促進」(
>>348)する
といってるんだ。「起源」とはいっていない、自分に都合よくスリ替えるなよ。
ひとことでいえば、視聴覚からのデータは言語に影響を与える、その理由は視聴覚データが均質的だからだ、ということだ。
それを別の角度から指摘したのが「言語で発狂する人はいるけど味や臭いで精神病を発現する人はいない」(
>>348)で、
この「言語で発狂する人はいる」という部分をさして「現存在にフォーカスした時にラカンが説得力がある」といったわけ。
ラカン全般を肯定するではないので、ここのカキコは誤解を与えやすかったので反省中。
>>350
358 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 20:21:12
聴覚で月を知覚はできないし、足元の穴に気づくことも困難だ。
ここに視覚の優位性がある。
359 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 20:22:41
>>351 >>たとえば斉藤は、想像関係における、視覚>聴覚の関係を
>>指摘しています。「視覚の徹底的な優位性」をロストしている時点で、
>>348がなぜこのスレにいるか、意味不明です。
大きな問題がいくつもあるなあ。
斉藤を無制限に肯定すればいいと思ってるの?
この「視覚」は「光学情報」の方か?
それとも「観る」の方なのか?
お前混乱し過ぎだよ、自己防衛だけのためにカキコするからメチャクチャじゃん。
(
>>327)で指摘したとおり「視覚(光学情報の受容感覚)とイメージ(観る、想起)を混同してる」
じゃないか。
それに全然『戦闘美』の鋭い問題提起が読めてないな。
「直観像は、むしろイメージを超えるものとして表象の外部に存在する」という斉藤環んの渾身の
指摘が意味するものが全然読めてない。ダメだな。
お前がココにいるほうが不思議。。。といわないよ、カワイソーだから。W
360 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 20:37:06
音声の聞こえないドラマなど、どうしようもないけどね。
361 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 20:45:38
視覚は表面情報だが、聴覚は内部情報も含む。
(スイカを叩いて熟れ具合を確かめるなど)
362 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 21:23:41
>>353 想像関係を確立は、母の定期な喪失からはじまるので、すなわち触覚です。
視覚がなくとも、その他の感覚から、獲得していくと考えることができるでしょう。
視覚より触覚が優位なの?
363 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 21:27:15
>>357 >視聴覚のデータは均質性が高く、それは「情報化や論理化つまり思考および言語化を保証促進」(
>>348)する
同じようなですよ。ドキュンそのものでしょう。
すでに何度も指摘されているでしょう。
>人間より視覚能力が高い動物はいると思いますが、
結局、それでは動物の差異が見えないんです。
進化論的にいえば、視覚優位は人間発生のずっと前なわけです。
>斉藤を無制限に肯定すればいいと思ってるの?
はぁ?ここは斉藤スレだし、キミも斉藤に言及しているわけでしょ。
再度言いましょう。
たとえば斉藤は、想像関係における、視覚>聴覚の関係を
指摘しています。「視覚の徹底的な優位性」をロストしている時点で、
348がなぜこのスレにいるか、意味不明です。
364 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 21:29:36
とりあえず口にいれて
365 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 21:32:12
>>362 ラカン的な主体発生物語ですね。
生まれた子供は、母との接触に、振動に自我の芽が芽生えるが、
母が定期的に離れることで、他者としての想像関係が築かれていく。
動物的、反射的にバカ質問やめてください。前後の文脈読め。
366 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 21:37:24
相当まいってるな、ぴかあ
367 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 21:46:10
ど、ドキュメント…。
368 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 21:47:35
すいません。寝起きもので、カリッとしました。
もう一度、まとめると、
>>363のドキュンは、
想像関係における視覚の優位を、「視聴覚のデータ均質性」などという
物理的に還元しようとするところです。
このような物理的な視覚の優位からは、みなが呆れてしてきているように
人間の特性などみえません。むしろ酉などの方が優位なのはいわずもがなでしょう。
ラカンにおける想像関係における視覚の優位は、人間は未熟児の状態で
生まれてくるために、鏡像理論のように、自己同一性を獲得するときに
視覚によって行われるためです。
だからその後、人間は視覚が特別なものとなるのです。
極端なことをいえば、視覚は絶えず、想像関係を欲望して見るんです。
たとえば、人面魚とか、影が幽霊に見えるなどは、無理に人型をみるのは、
人の視覚は、いつもそこに他者の「痕跡」を見ようと、欲望している=
想像関係を欲望しているからです。
369 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 21:55:24
デフォは口にいれてみる
370 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 21:57:26
ヘレン・ケラーの場合は?
371 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 21:59:35
斉藤が指摘する、想像関係における、視覚>聴覚の関係とか、
このようなことです。
>>
養老孟司氏によれば、人間はものごとを構造的に、あるいは動態的にという二面性において
とらえることしか出来ず、それは脳の構造に由来する。構造の認知(すなわち「もの」認知)は
視覚機能に由来する。いっぽう動態の認知(「こと」的認知)は、聴覚機能に由来する。
ここから導かれるのが、リアリティの二つの側面である。これまでの議論から明かであるように、
多くの「アニメ」のリアリティを支えているのは、視覚機能由来の構造認知機能である。それが
ナルシシズムに起源をおくものであることは、すでに十分に述べた。
「運動」の倫理 「文脈病」所収
http://homepage3.nifty.com/tamakis/%8D%D6%93%A1%8A%C2/Miyazaki.html <<
372 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 22:00:02
373 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 22:04:43
アフォを独房にいれてみる
374 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 22:06:17
動体視力という言葉が示すように、視覚も常に対象を動体として
把捉している。
例えば、カエルは動くものしか見えない。視覚は本来静止しているものを
見るのでなく動くものを見るのではないか?
375 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 22:07:39
376 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 22:28:33
視覚は「切り取り」的であり、聴覚は「持続性で成り立つ」というような
ニュアンスはあるけど。
377 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 22:34:51
逆にいえば、人の視覚は想像関係に毒されている、というような
ことを感じる。
かつてボクは人は世界を他者の「痕跡」としてみる、しかみれない。
と言った。
たとえば、古くからこの世界に他者のいない世界はない。
闇には幽霊が、沼には河童が、宇宙には宇宙人が、山には精霊が
PCの中には小さなおっさんが・・・
378 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 22:44:35
万物を「命在るもの」として見るのが人間の根源的なんとかである。
379 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 22:54:30
>375
なんでオマエの視覚に入らきゃいけないの
なんでそこで「理解できてから」とかチェックいれてんの
生意気だよオマエ
380 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 22:55:30
381 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 23:32:10
人の身体が弱ったり死へ向かって衰弱し、統覚が弱り視覚が弱ると、
聴覚が視覚と同様に扱われるようになって「聴覚で見る」ような状態になる。
この養老の説明から影響を受けたのは斉藤と吉本。
養老によれば最後まで残るのは聴覚。吉本によれば聴覚は触覚が発展したもの。
382 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 23:34:53
臭覚がもっとも根元的な能力というが。
383 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 23:38:15
吉本はともかく、どんな感覚も触覚が起源だろう。
384 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 23:42:29
触覚が聴覚へ発展したのは、感覚の対象を空間の均質性にまで拡張して
把握するため。これに対応して発展したのが統覚でもある観念。
なぜなら拡大した対象空間内で他者を認識するためには直接感覚(触覚、味覚、嗅覚)では
困難であり、他者の存在を情報として認識する必要があったから。それをストックした神経結節=脳が
情報を再び外化するために鳴き声や発声を次第に言語化。
385 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :2005/11/19(土) 23:44:02
空間の均質性と言語化の関係論は、だれの説?
386 :
考える名無しさん :2005/11/19(土) 23:52:33
統覚が発展して観念性が高まるが、その過程を共通感覚として考察したのが
中村。東が中村を高く評価する理由もそこにある。
発展した観念は逆に感覚に対する連関を強化。それは視聴覚能力そのものではなく
視聴覚情報の受容の細分化と再構成化となって発現。言語化がさらに促進。
387 :
考える名無しさん:2005/11/19(土) 23:59:51
その過程が生ける概念の展開なわけだが。
388 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 00:41:00
感覚に対する観念の関与強化はやがて感覚していないのに知覚してしまう
現象を発現。幻覚、妄想が人間的特性となる。
神経細胞のクロナクシー、最低必要刺激量の閾値以下は身体性情報として、
閾値以上は観念性が関与しうる情報刺激として借定できる。前者は医学あるいは生物学的に
後者は神経学的あるいは感覚心理学的に研究され、観念を経て外化された疎外態は言語学的
あるいは社会学的に探求され、漠然たるアプローチそのものは哲学的になされるが、
そのトーナリティを追究しようとした学は市川の身体論から中村の共通感覚論まで単発の
試みとしての印象を拭えない。
389 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 00:50:15
嗅覚は分子レセプター、触覚は感覚神経なので優劣比較は困難?
390 :
考える名無しさん :2005/11/20(日) 00:56:11
>385
P・ショシャール『意識の生理学』
ハイデガー『存在と時間』
ベルグソン『物質と記憶』
クルト・シュナイダー『臨床精神病理学』
イタール『アヴェロンの野生児』
フッサール『内的時間意識の現象学』
ヤスパース『精神病理学総論』
M・ポンティ『目と精神』
サルトル『想像力の問題』
以上と時枝、三浦、ソシュールを踏まえた吉本。
吉本は言明しないが構造主義関係は大方クリアしてる。ラカンへの評価は高い。
仏構造主義周辺とそれへの批判も荒川訳などを経由して読んでいる可能性がある。
ただし過去完了形。
視覚は脳に送られる情報の多くを占めるんで重要でしょうが、
(アニメが視覚本位でも)斎藤の文脈ではそれほど特権性はないですよ。
昔、眼が二つあるからまなざしは二つか、という質問が哲板であって、
それは違うだろうと。生物学的特徴に関係なくまなざしは単数であると。
ただ、眼が二つなければ立体視も出来ないので、捨象してるとは思います。
そもそも理論体系は捨象しなければ理論たりえないので、仕方ない面もありますが。
392 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 09:02:19
>>391 斉藤は「視覚の影響」を重要視してるのであって、
「視覚」を重要視してるわけじゃないんだよね。
直観像の問題でラカン超えを目指したと思うけど。
その先の展開が、いまだ無いからなあ。
393 :
考える名無しさん:2005/11/20(日) 09:05:43
>生物学的特徴に関係なくまなざしは単数であると。
この単数にまとめてるのが統覚でしょ?
暗黙知(脳)の機能の一つ。
>>395 > 暗黙知は言語化されないものを言うので、統覚と対照的ですね。
それは無意識のほうでは?
それともソシュールのいうランガージュ?
「言語」という語で言い表された意味の範疇如何だと思うよ
M・ポラニーは言語(例えばサイエンス)も暗黙知の機能の一つと
見なしていたんじゃないの?
言語というか、明示的な形式体系ですね。
>>391 >眼が二つあるからまなざしは二つか
視覚とまなざしの面白そうな実験があるでしょ。よく憶えてないけど。
顔の真ん中、鼻のところで左右を遮蔽して、視覚には別々の空間しか見えないようにする。
そこで、左の目に縦じま模様を見せて、右の目に横じま模様を見せる。
すると視覚はどういう統覚をもつのか?
縦じま横じまは、どういう風に統合されて視覚を形成するのか?
結果は、左右別々の縦じま横じまがそのまま見える....らしい。
ただし縦じま横じまの境界線が揺らいで見える....とか。
境界線は鮮明でハッキリしてるけどゆらゆら動いてるんだってね。
401 :
考える名無しさん:2005/11/26(土) 01:39:55
age
つまり無定形の想像界にカタチを自覚させるキッカケが
均質空間に反映した自らの姿を確認するという行為だと。。。。
それが鏡像理論だと。。。。わかった
>>402 なにが言いたいんだかさっぱり。狂人の独り言じゃないんだからもっと分かり易く。
>>291以降の論議の結論だろ
形の無い自己イメージに形を与えるには空間の均質性が必要だと。
なぜなら自己を投影することが可能なのは均質な空間だからだと。
均質な空間に反映した自己を確認して自己のトーナリティが成り立つと。
鏡像理論は以上のようなことを言いたいんだろと。
「均質な空間」がいわゆる「鏡」だと。
<body onload=window()>
>>403 >>402は独り言だろうが狂人には思えないし、
論旨は明晰でスゲーわかやすいですけど、何か?
自作自演乙
409 :
考える名無しさん:2005/12/03(土) 19:05:06
ココは3名しかいないからね。
樫村晴香を読めば全部解決
411 :
考える名無しさん:2005/12/04(日) 10:47:45
樫村晴香は繊細で大胆だけど原理論には無理でしょ。
鋭利な評論家として活躍してほしい。
均質な空間=平らな鏡 ?
そんなもんで「チャンプを目指す俺」のイメージは得られない。
413 :
考える名無しさん:2005/12/05(月) 20:07:49
イメージは鏡像とは違うからなあ
そのへんはメルロ・ポンティなんかも峻別がいい加減
サルトルはいいかもよ
414 :
考える名無しさん:2005/12/14(水) 10:10:55
age
415 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 01:12:23
416 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 04:34:16
ラカン ≠ 斎藤環
418 :
考える名無しさん:2005/12/28(水) 18:30:44
>>417 どこの誰が
ラカン = 斎藤環
っつったのさ?
ラカン >>>>>>>|次元の壁|>>>>>>>> 斎藤環
ラカン >>>>>>>|不気味の谷|>>>>>>>> 斎藤環
ラカンそれ自体が患者なんだから
病者の光学として読んでおけばいいでしょ。
422 :
考える名無しさん:2006/01/02(月) 21:03:48
正直、精神分析でキチガイが治ったって患者は今や1人も居ないんだが…。
デパス>レキソンタン>>>>>>>>>|科学の壁|>>>>>>>>ラカン
423 :
考える名無しさん:2006/01/02(月) 21:50:06
>正直、精神分析でキチガイが治ったって患者は今や1人も居ないんだが…。
ソースは〜?
424 :
考える名無しさん:2006/01/02(月) 21:51:03
イメージですよ。
>>422 デパス、レキソンタンも両方とも飲んでいたことがあるけど、
精神分析と大差ないくらい怪しいと思うけどな。
426 :
考える名無しさん:2006/01/04(水) 01:11:03
他スレで聞いたけれども、斉藤さんの発言のようなので
ここで質問させてください。
斉藤さんは「3界は独立している」と言いますが、
「3界(「現実界」「想像界」「象徴界」)は独立している」のでしょうか?
独立しているとすれば、
1)相互依存的に各界は立ち上がっている
2)各界は相互に影響を与えあっている
のですから、何を持って「独立」と言えるのでしょうか?もしくは、
このばあいの「独立」とはどういう意味なのでしょうか?
427 :
考える名無しさん:2006/01/04(水) 01:13:45
>422
レキソタンのの間違いね
デパス、レキソタンは抗不安剤なので、
うつ病や躁鬱病、統合失調症と言ったいわゆる精神病の
根本的な薬物治療は別の薬を使いますよ。
>>426 精神分析のディスクールにそういう整合性を求めてもダメ。無駄だよ。w
429 :
考える名無しさん:2006/01/04(水) 23:20:06
430 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2006/01/05(木) 02:24:22
>>426 それは、三界は位相的区分で階層構造をなしていないという、ボロメオの輪の話ですね。
三国志のように「現実界が象徴界に攻めてきやがった!」というふうに実体化してはならず、
X軸・Y軸・Z軸のように座標的に区分する訳です。そのことをもって独立と言うんでしょう。
431 :
考える名無しさん:2006/01/05(木) 02:34:14
>>430 ありがとうございます。
なるほど、あくまで3界とは舞台装置のようなものなのですね。
座標軸上の曲線や立体がそれぞれの要素に分解されたときには
パラメータを媒介として独立しているように、
任意の存在する「モノ」はそれぞれの界の要素に分解され、お互いに
干渉しない、と言うことになるわけですね。
>>426 三界の独立性が真に関心事項となるようなとき、主体の意識の状態は分裂症的です。
主体を空項として設定すればラカンの理論は安定しますが、人間は空項ではないですから。
実際の三界は流動的です。
「お勉強」しちゃうとつまらない理解になると思います。
>>432 ソシュールのいうシニフィアンとシニフィエとの関係みたいなもの?
あまりにも考えた痕跡のない質問を投げるのはいかがなものかと。
独立性って言い方は誤解を招き易い表現だなあ。反構造主義的じゃん。
437 :
426,431:2006/01/06(金) 00:31:19
>>432>>433 ありがとうございます。
流動的といっても、各界はやはり独立しているんですよね。
主体が空項である、とはどういうことかわかりませんでした。
独立という言い方はまったく構造主義に反していて、まるで要素還元論的だなあ
>>430 それに独立という語をあてがうのが適確だとは思えないなあ
相対的自律というんなら分かるけどねえ
独立という言葉から想起されるのは、その存在の存立のためには
他との関係を必要としない事ですよ。
440 :
考える名無しさん:2006/01/06(金) 13:26:36
∩
_( ⌒) ∩__
//,. ノ ̄\ / .)E)
/i"/ /|_|i_トil_| / / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|ii.l/ /┃ ┃{. / / < 環ちゃ〜ん、あたしに萌える〜?
|i|i_/''' ヮ''丿i_/ \_____
i|/ ,ク ム"/ /
|( ヽ _,.-===、j、
ゞヽ‐イ/´ ヽ ヽ、
\! ::c:: ! :p
}ヽ __ ノ、_ノ
/ ノ ノ´
おっぱいが好きですか。
443 :
考える名無しさん:2006/01/06(金) 23:26:40
主体ってのはドーナッツの穴のことだ。
444 :
考える名無しさん:2006/01/06(金) 23:57:03
>>443 穴なら何でも良いの?
僕らは穴から生まれて来たのさ!
>>439 自分も斎藤が「独立」という語を使っているのはあまり聞かないですね。
>>426で>斉藤さんは「3界は独立している」と言いますが、 とあったので。
21 名前:右や左の名無し様 投稿日:2006/01/02(月) 12:21:16 ID:Oq3N1mB1
今月の『論座』の座談会で斎藤環とかいう精神医学者が2chには引きこもりの右翼が多いみたいな、言い古されたことをいっていたが、正真正銘の馬鹿だな。
組織的書き込みには触れずじまい。
こいつはいつも上っ面だけの話で、洞察力のかけらもないな。
肩書きだけで、何の面白みも価値もないことをだらだら話すだけ。
まずは、同業者にてめえのスカスカの頭を鑑定してもらえよ、バカ!
「生き延びるためのラカン」最後のほう文体が変わってきてるw
>>446 患者が興奮してるようなので担当医の方は薬を処方してあげてください
「生き延びるためのラカン」は生き延びられるのか
三界の顕在化or対象化は排他的に、、、、ということじゃないの?
象徴界を想像的に把握できるというラカンへの誤解があらゆるところに、、、、
という斉藤さんの皮肉は当たってるでしょ。
問題は排他的関係にある三界相互のリレーション?のもっと的確な把握の仕方や
認識の仕方があるでしょ? ということだろうね。
\サイトータマキセンセイで・・ /
____________
| _______________. |
| | | |
| | ブチッ .| |
| |______/| /| ______.| |
| | |/ |/ .| | Λ_Λ
| | | | ピッ ┌‐(・∀・ ) ―┬┐
| | | | ━⊂( ) __|..│
|.  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .|. ||─ ┌ ┌ _) ―|| |
|____________________|________||_(_(__)___||__|
この人って今は引きこもりの臨床医はやってないの?
454 :
考える名無しさん:2006/01/10(火) 23:16:50
455 :
454:2006/01/10(火) 23:18:06
456 :
453:2006/01/12(木) 06:15:11
>>454 サンクス、やってるのか。
クリスマスのイベントで
「私がかつて専門としていた引きこもりの問題・・・」
って言っていたので、もうやってないのかと思ってた。
457 :
考える名無しさん:2006/01/13(金) 05:18:32
キンタマヲタ
458 :
考える名無しさん:2006/01/17(火) 22:52:19
精神科医なら滝川一廣のほうがハイブロウだね。
459 :
考える名無しさん:2006/01/18(水) 20:03:00
新刊出てたのね。
460 :
考える名無しさん:2006/01/26(木) 01:40:55
ゲームラボの連載はよかったわ。
まぁ同世代の同業者がイカれてちまってる現実はツライだろうけどねー
がんばってー。
環先生が『萌えの精神分析』って出したら、売れそうですね。
>>461 それって「戦闘美少女の精神分析」でやってるじゃん
あれは応用が利かなすぎて、全然広まらなかったですね。
ヘンリーダーガーとか、他の人が利用できる概念じゃない。
アズマニアの自分は当然知っていますが、
東の「データベース」「動物化」程コピーが広まらないのは確か。
参考 Google先生
動物化 東浩紀 の検索結果 約 795 件
戦闘美少女 斎藤環 の検索結果 約 588 件
まぁあずまんに比べたらね。
ちなみに
ゲーム脳 斎藤環 の検索結果 約 9,730 件
たまきんはゲーム脳批判してた方がいいかもwww
それはゲームマンの情報操作入ってるので無効
468 :
考える名無しさん:2006/01/31(火) 01:16:24
ゲイム脳がかわいく見えてしまうほどのトンデモ本が同世代、同業者から
刊行されたことに環は
強い衝撃を感じたらしいね。
byゲームラボ
469 :
考える名無しさん:2006/02/01(水) 13:14:01
470 :
考える名無しさん:2006/02/06(月) 21:56:41
みんな家族の痕跡は読んだ?
フマさんは実在するのか?
472 :
考える名無しさん:2006/02/16(木) 21:22:01
たまきんってバツイチなんだな。
473 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 00:44:14
○「ゲ=ム脳の恐怖」著者森昭雄氏へのインタビューから一部引用。
>「斉藤環さんというゲームマニアみたいな人が、僕の批判を書いている。悪いけどあの人は脳波を知らない。素人です。生理学の知識の無いかわいそうな人なんですよ。
僕は医学部でも実習で教えましたからね。彼よりはまあ10倍くらいは知識がありますよ(笑)。対談してもかまわない。恥ずかしくて彼はものが言えないと思いますよ。
(ゲーム脳)対論者は「何で脳科学者は森批判をしないのか」と言いますが、できるわけがありません」
>「近く、ゲ=ム脳に関する大きな講演会を開きます。期待してください」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/648/1134890029/l50 サンデー毎日の記事一部引用。
斎藤はゲームマニアじゃないが・・・・森の捏造体質は加速中だ。
さぁこの小学生レベルの反論に斎藤はどう答えるのか〜〜〜〜!!
474 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 00:49:10
「家族の痕跡」 表紙で泣いた
ひきこもりに対する世間のイメージとして外出せずに自室で一人で
テレビゲームばかりに没頭しているというのが一般にあるからなあ。
斎藤は「脳」とはいわずとも、似たようなことを煽っている点では
その森というのと五十歩百歩と思われる。
476 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 13:20:11
ゲーマーは去勢否認。ゲーム回避性人格障害。
477 :
考える名無しさん:2006/02/17(金) 13:20:41
間違えた。リアル回避性人格障害だ。
478 :
考える名無しさん:2006/02/19(日) 08:37:43
>>465 >東の「データベース」「動物化」程コピーが広まらないのは確か。
程度の問題だな。
東がTV出演した時に嘆いてたけど、自ら失敗を認めてる。キャッチコピーの失敗ね。
『資本論』でいえば「データベース」は「本源的蓄積」。
「動物化」はそのまま「動物化」。コジェーブの頭にあるのはマルクスによるアメリカへの評価。
「動物化」はマルクスの概念だからな。しかも日本でその「動物化」概念を援用したのは2者だけ。
479 :
動物化:2006/02/19(日) 08:43:58
>>478 >「動物化」はマルクスの概念だからな。しかも日本でその「動物化」概念を援用したのは2者だけ。
2者というのは共産党と吉本(隆明)。前者は動物化批判という資本主義批判。後者は動物化に生産が消費に
包含される可能性を見出した=マルクスのオリジナル、だな。
480 :
動物化:2006/02/19(日) 09:14:04
生産が消費になるor消費が生産になる契機に(景気)循環論と(労働)価値(形態)論
の相互転換もある。これがわかっているのが森嶋(通夫)と小室(直樹)、吉本だな。
宮台(真司)は小室の弟子としてもちろんわかっている。
そして大切なのは、この転換の位相に個人の心理と公的な論理の転換の位相もあるということ。
個人の心理の専門家である斎藤環はどこまでクリアにできるのかな?
『資本論』や吉本にとっては個人心理は当然でしかない。わかって当然、前提として当然というね。
481 :
動物化:2006/02/19(日) 09:27:07
マルクスやラカン、吉本を読んでも何もできなかったのが浅田彰や柄谷行人。
途中でコケたのが岩井克人。
それに論外だが、椅子を硬くしたのに赤字になったマクドナルド。
フォーディズムについでトヨタイズムが勝利したのは明らか。
マクドの戦略説明程度にしか使われない動物化論の誤読曲解は、オリジナルの
動物化概念に対して害悪でしかないからな。
482 :
動物化:2006/02/19(日) 09:30:00
本物の動物でさえ学習するのにな・・・。
483 :
考える名無しさん:2006/02/22(水) 00:39:55
斉藤環に告ぐ。今すぐひきこもり問題から手を引け。
これ以上おまえのような左巻きがかかわっても有害なだけだ。
(ただし世間にひきこもり問題を認知させた功績は認める)
岡田尊司の『脳内汚染』は非常に説得力のある本だった。
ゲーム脳の存在を実証したものといってよい。
しかし左巻きの学者にはそういう議論が耐えられない。
それが革命を否定するものと映るからだ。しかしもう革命などと
いうものはない。朝日新聞と共に間違いを認めて隠居して下さい。
宮台を批判した三浦展氏を大澤真幸が「下劣だ」と言っている。
どうして左巻きはそろいもそろってこんなに狂っているのか。
下劣なのは言行不一致の有害宮台を擁護する大澤、お前のほうだ。
485 :
考える名無しさん:2006/02/22(水) 16:16:49
ひきこもりに対する世間のイメージとして外出せずに自室で一人で
テレビゲームばかりに没頭しているというのが一般にあるからなあ。
斎藤は「脳」とはいわずとも、似たようなことを煽っている点では
その森というのと五十歩百歩と思われる。
文学板にスレがないからここで尋ねるけど
「文芸批評家としての斎藤環」の評価はどんなもん?
新潮の連載で桐野夏生『残虐記』のなかに男性の同性愛が描かれている
からってそこから「やおい」云々を語るというのは、どうも安直つーか
無駄な深読みって気が…そこらの「やおい」の関係性よりは複雑です、
とか言われてもなあ。文学に詳しいひと参考意見をどうぞ。
487 :
考える名無しさん:2006/02/24(金) 21:03:37
三島さんの小説もヤオイ本ですか?
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
489 :
参考に:2006/02/28(火) 16:09:19
176 :考える名無しさん :2006/02/26(日) 13:35:48
>>175 結構前だが「文藝」に掲載された精神科医?斎藤環による吉本への罵倒は
吉本以上に凄かったぞ。一読の価値はある。W
490 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 18:19:44
そもそもこいつに思想なんかあるのか?思想を語れるほど勉強してるのかね?
吉本隆明に噛み付くとはよほどの度胸か世間知らずのどちらかだな。
491 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 19:07:02
↑何、この権威主義?w
492 :
考える名無しさん:2006/02/28(火) 23:14:27
「反骨」で知られる吉本隆明に噛み付くほどの反骨精神があるのかってことだよ。
吉本の思想信条はともかく、斎藤がそこまで舌鋒鋭い人間に噛み付くほどの根性が
あったら、社会的引きこもりなんていういい加減なものを学会を通じてではなく
マスコミを通じて発表しないよ。
もっと正々堂々としたら?引きこもりというものに一生をかけようと思うのなら
学会に認めさせて見せるくらいのところを見せろよ。変なオタク評論とか文芸評論
なんてお前がする仕事じゃない。医師としてそれにふさわしい行動をしろよ。
493 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 08:56:04
>>489 その文章は単行本には収録されないよ。
斎藤にも反省する能力はあるので。
恥ずべき醜い罵倒は無かったことにするみたい(w
文芸評論集(題名忘れた)も結構恥ずべきものじゃないかと思うんだが…
495 :
考える名無しさん:2006/03/01(水) 19:47:25
おわりはしないでしょ。ひきこもり論を真面目に読む人は文芸評論まで
読まないだろうし。
にしても斎藤が何故クソ面白くもない文芸評論書いてるのかがよくわからん。
渡部直己や丹生谷貴志の批判に対する文章も、その内容の正否はともかく
妙にキレているというか唐突に自分の優位を宣言して相手を蹴散らすような
書き方が気になった。
497 :
考える名無しさん:2006/03/03(金) 21:19:56
転移したN先生って中井久夫でFA?
498 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/04(土) 02:33:50
精神分析系の人が、「物語」を読み込むのは、フロイトからの
王道でしょう。そもそも「オディプス」がそうなのだから。
精神分析という1回性を披露するために、診断例を公開するということも
あるが、実際は守秘義務もあるし難しい。
あるいは、どこの誰かはわからなくて、読み手に伝わりにくい。
そのために、皆が比較的知っているものを分析するのでしょうね。
世界マーケットの考える場合は、ジジェクのように、
「映画」になるのでしょうね。
単に臨床例の代わりに文学作品を精神分析するのはあまりに詰まらんよね。
作者の症例としてテクストを分析したり、登場人物を精神分析するのは、フロイド本人でおなかいっぱい。
でも精神分析が文芸(に限らないが)批評の有効な武器ではないかといえば、そんなことはない。
500 :
考える名無しさん:2006/03/04(土) 14:25:04
500!
501 :
考える名無しさん:2006/03/04(土) 14:27:57
精神分析って、精神科の臨床からはほとんど追放されているから、
文学作品の精神分析ぐらいしかやることないんじゃない?
502 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/04(土) 23:12:47
精神分析は特にラカン以降に哲学的言説と翻訳されて、
より広い領域を獲得していますね。
それは、ジジェク、斉藤ということでなく、
ポスモダ系では、精神分析系を絡めないと語れないとも言えます。
だから文学作品がどうとかいう狭い領域が、どうだというのは
ほとんど意味がないでしょう。
503 :
考える名無しさん :2006/03/05(日) 08:39:38
>妙にキレているというか唐突に自分の優位を宣言して相手を蹴散らすような
>書き方が気になった。
斎藤の特徴だね、確かに。
504 :
考える名無しさん:2006/03/05(日) 22:22:48
505 :
考える名無しさん:2006/03/05(日) 22:39:20
>>504 禿同!
まあ臨床家になれないから全部中途半端にやってるんじゃないの?
本人はそれを、マルチに活躍している自分を、十二分に意識してるんだろうけど。
世間からは嘲笑されていることにきづいていない。
北杜夫みたいに医業を捨てて完全に作家になってしまえば誰も文句言わない・・・かな?
506 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/05(日) 22:51:54
斉藤はかつてから、ひきこもりの問題の二元性を指摘していますね。
すなわち精神分析的面と、システム論的面です。
精神分析的面とは、ある患者その人と向き合うことです。
しかしひきこもりの場合は、それとは別に社会的次元のあります。
すなわち「社会的に挫折し、引きこもるから引きこもりなのでなく、
引きこもりそのものになるために、引きこもる」
引きこもりの問題は、このような二元性で対応するしかない、
ということです。
507 :
504:2006/03/05(日) 23:31:46
>>505 >まあ臨床家になれないから
診療部長をされているけど、臨床にはあたっていないの?
>北杜夫みたいに医業を捨てて完全に作家になってしまえば誰も文句言わない・・・かな?
どっちかでしょうね。でも、作家になるなら今のように文芸に対する軽々しい調子も変えないと。
「いい人」なんでしょうね、たぶんこの人は。だから大塚英志が、
「子どもが戦場をうろつくんじゃねぇ!」みたいに苛つくのでしょう。
趣味が前面に出ているから。うまい言い方が思いつかないが、「覚悟」が見えない。
内田樹氏くらい禍々しければ、うかつに手を出せないでしょうが。
508 :
504:2006/03/06(月) 00:08:55
「ひきこもり問題」が現時点で社会的にどのような位置を
獲得しているのか、その射程に於いて戦略がもたれるべき。
「ニート」が「フリーター」と並列して並べられ、「ニート君」が大衆的な
ニート像として消費されているという、キーワードとしては広範に広がって
いるがその内容は大衆に消費しやすいような最大公約数的なモデルに
解釈されている状態である今、「ひきこもり問題」も同様の広がり方が当然
されていると予想される。言葉の一人歩きはむしろ「ひきこもり問題」の方が
大きいのではないか?
たとえば、ひきこもりのほとんどがパソコンに触れていないのに、「パソコンで
全て用が足りるからひきこもる」といった言説など。
これは斎藤氏自身の指摘だ。
長田某が跳梁跋扈しているのは世間的な「ひきこもり受容」の典型でしょう。
新刊「家族の痕跡」でこの「世間」を分析しているが、その分析を「世間」は
受け入れないと思うよ、分析だけでは。
この分析が「おたのしみ」でされていると割り切られるならそれはそれで良いけど、
ここから「ひきこもり問題」に結びつけていくのはやっちゃいけない。
「社会問題を精神分析理論家が切る」というお話なら著者と読者で精神分析を
楽しめばいいが、具体的に関わっている問題を臨床家がもちだすなら
具体的な臨床例が大衆の消費したい物語とは別に社会的地位を確立する
ように、戦略を持つべき。
「ひきこもり問題のパイオニア」と言う肩書きを自身で消費しちゃダメでしょ。
本人の意図がそこになくても、結果としてそうなっている。
もう「ひきこもり問題」は「触れればいい」というだけの問題ではなくなっている。
509 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:14:42
>>507 臨床家になれないからというよりは集中できないから、といった方が正確かな?
評論とか哲学の世界ってある意味鼻っ柱が強くてプライドの高い人も多いだろうから
中途半端な、流行に乗った売名みたいな「評論家」が出てくると腹が立つんでしょうね。
>>506 その考え方って、ものすごーく言葉でごまかされてるような気がします。難しい言葉で
物事を語ればなんだか、物事を深く考えてる人なんだろうな、と思われる、みたいな。
もちろんあなたじゃなくて斉藤のことね。
「社会的に挫折し、引きこもるから引きこもりなのでなく、
引きこもりそのものになるために、引きこもる」
意味分からんよ。
510 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 00:22:17
ぴかぁ〜氏にそんなベタなからみ方しちゃダメよ
「ひきこもるためにひきこもる」ってのは、嗜癖という状態のことです。
「依存症」で調べてみると良いです。
ぴかぁ〜のは100%ごまかしだからね。
512 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/06(月) 00:42:13
>>509 ベタに言えば、「赤信号みんなで渡れば怖くない」ってことです。
このような再帰性が蔓延する社会で、ただその患者の「人間性」と
向き合う精神分析の原則では、馬鹿にされるだけですよ。
彼らは、情報化で武装している、「みんな」がついてるわけです。
それが、「心理学化する社会」の意味です。
心理学化した「引きこもり」に立ち向かうためには、
システム論(社会現象としての分析)的知見が必要だ、ということです。
知ったかがはじまった。
514 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 01:15:37
>>512 >彼らは、情報化で武装している、「みんな」がついてるわけです。
「彼ら」って誰ですか?
>心理学化した「引きこもり」に立ち向かう
そういう「一般解」を消費するのも楽しいですね、社会時評や哲学などの
衒学的な分野では。
社会科学では学術的にも意味を持つのでしょう。
けれど、臨床に関わるものとしては問題の立て方が間違っている。
そこをきっちり分けないといけない。関わるつもりなら関わる人間も同様です。
515 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 01:20:11
ここに線を引けないと、臨床の現場でも文芸批評の分野でも
害がもたらされるわけです。
「限界の思考」を思考したつもりで、あるモデルをあらゆるものに
当てはめようとするのは論外ですが、「思考の限界」を過剰なまでに
示してもなお、読み手はその限界を踏み越え衒学的な推測を消費
しようとするのですから。
516 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 02:04:28
>読み手はその限界を踏み越え衒学的な推測を消費
>しようとするのですから。
引きこもりと見れば引き出したがる斎藤原理主義者がまさにこの状況にあるな。
斎藤が書いた以上のことを斎藤の考えと勘違いしている原理主義者の跋扈はひどいものがあるが、
その彼らの衒学的な推測を許しているのもまた斎藤の文章である。
517 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/06(月) 04:35:50
>>514 彼らとは引きこもりですね。
そして、「そういう「一般解」を消費する」引きこもりに
立ち向かうということですね。
518 :
考える名無しさん:2006/03/06(月) 21:28:06
>>517 >「そういう「一般解」を消費する」引きこもり
に限らず、全ての概念は痕跡として得られ、
一回性は反復として遡及的に経験される。
「ほんとうの概念」という<リアル>に接近しようとして、
我々は我々の欲望が作り出した排泄物としての<リアリティ>を
得る……とか、俺も嫌いじゃないけどさ、続きは自分のスレで、な?
>「パソコンで全て用が足りるからひきこもる」といった言説
そういう言説に対しては、むしろ反対に、パソコンではまだ全て用が足りるまでに
社会が至っていないから「社会的引き籠り」なんて言葉が要請されたんだよとw
もし仮にパソコンで全て用が足りるようになれば、引き籠りは非社会的行動では
なくなってしまうってことだから。
520 :
考える名無しさん:2006/03/07(火) 12:13:09
斎藤環の著書「ひきこもり文化論」の中で死は義務教育のことを
”自己決定のモラトリアム装置”と言っていた気がするのですが
どうでしたっけ?
521 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 08:18:14
>>506 >精神分析的面とは、ある患者その人と向き合うことです。
>しかしひきこもりの場合は、それとは別に社会的次元のあります。
言葉遊びの二元論だな。
単一の主体が「精神分析的」とそれとは「別」の「社会的次元」に乖離してる
という認識そのものがダメだ。単一の主体がいくつかの次元に対応せざるを得ない
現実を観察するときに必要なのは2つ。現実を改革することと、次元ごとの認識が
どのように統合されているかを解き明かすこと。この程度のコトが解らない人間に
ラカンのタームなどわかるわけないしな。斎藤が文芸誌の誌上で自慢した自らの読者
の質がこの程度だという事実が笑える。宮台の読者も同じだけどね。
522 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 10:56:14
523 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 11:21:00
ぴかもしろともたまきもえはこれだから・・・
524 :
考える名無しさん:2006/03/08(水) 11:55:52
所詮、「ラカンがわかっちゃう漏れたち」だからw
>「ほんとうの概念」という<リアル>に接近しようとして、
>我々は我々の欲望が作り出した排泄物としての<リアリティ>
>を得る……
それは健康な人の話。
ひきこもりはそもそも「ほんとうの概念」を獲得するため
現実を完全拒否しているので<リアル>自体が成立しない。
なぜなら<リアル>とは混沌とした日常と理想的観念との
落差のことだから。
>>525 そういう疑問はピカスレかラカンスレで相手してもらうといいよ
ラカンを理解しちゃえる人が気が狂っているよ。
529 :
通行人:2006/03/14(火) 15:57:35
521に同感。子供が引きこもりなので人に勧められて読んだけど。社会的コンタクトが持てないから引き籠る、と云ふト同語反復に過ぎない。ニーチェが云ふ『医者が病人と作る』と云ふ典型で、自分が有名になるために、病名を作つただけ。
こんなのがのさばるのは許せない。
530 :
考える名無しさん:2006/03/15(水) 02:44:34
>>529 斎藤に噛み付いてなくていいからおまいは子供のひきこもり治せって。
こんなところで油売ってないで。
それとも斎藤のせいでおまえんとこの子供がひきこもりになったって言うの?
訴訟でも起こせば?
内容はともかく、「家族の痕跡」というタイトルは良いと思った。
まさに今の状況そのものだから。
続いて「恋愛の痕跡」「田舎の痕跡」など出して欲しい
532 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 02:41:11
顔が「きたろう」だった。ゲゲゲじゃないほう。
533 :
考える名無しさん:2006/03/16(木) 10:07:40
「家族の痕跡」かあ、「家族のゆくえ」もよかったぞ。
同じ問題意識を持ってるのに対立することはないしね。
534 :
考える名無しさん :2006/03/16(木) 10:44:00
男女同権法で夫婦がバラバラになり、
介護法で親子がバラバラになり、
金融法で社会がバラバラになった。。。
宮台真司や吉本隆明を読むとそう思うことが多いな。
斎藤環を読むと精神分析がバラバラだがな。
そうですね、フロイト的には「家族というものは、
そのようなものとしては、もう無い」のですね。
制度や法としては「夫婦」「親子」「家族」「社会」は
あったけれども、我々の感覚のなかにある、
望むような「夫婦」「親子」「社会」ははじめから
無かったわけで、遡及的に「そのようなもの」が
見いだされるわけですね。
「家族・夫婦=対幻想」じゃないでしょう?
家族・夫婦というのはどちらかというと共同幻想でしょ?
537 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 02:47:56
そういうことをずっと考えてることが共同幻想だよ。
もっと実生活に目を向けたら?
538 :
考える名無しさん:2006/03/18(土) 04:18:02
この人文学賞の選考委員とかやらないのかなあ
539 :
考える名無しさん :2006/03/18(土) 19:50:07
「家族のゆくえ」だと「家族・夫婦=対幻想」と書いてあるよ。
以前とちょっとニュアンスが違うような気もするけど。
対幻想はいろいろな幻想や妄想の起源だから無理ないかもね。
>>509 もちろんごまかしているのはぴかぁさんです。
まず、直接斎藤環の文章に触れてください。
>>528 むしろ哲学系の人には理解しやすくなってます。
例えば現実界は物自体のインスパイアだとか。
>>529 斎藤がひきこもりの定義を行わなければ、
問題が発生しなかったのだということですか?
> 斎藤がひきこもりの定義を行わなければ、
> 問題が発生しなかったのだということですか?
ラカン的に言えばそうなると思う
542 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 12:06:43
どちらにしろラカンは社会にはあまり効果が無いでつ。
対個人の分析でさえラカン本人の言葉どおり「フロイトへ帰れ」の方が◯だぽ。
544 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/19(日) 13:51:36
>>540 ラカンは社会にはあまり効果が無い、というのが、
どのような意味か、わかりません。
「大文字の他者」の概念に見られるように、
有効でしょう。
ジジェクが軽快に転回するのに対して、
「ラカンと政治的なもの」は、真面目に検討していますね。
ラカン入門書としてもよい本ですね。
しろうとくんもこのあたりから勉強すると、
もう少しラカンを理解できるのでしょうが。
545 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 14:35:38
ラカンは個人(の治療)に対して力を発揮しないならわかるけどね。
547 :
考える名無しさん:2006/03/19(日) 19:27:32
548 :
考える名無しさん:2006/03/20(月) 23:36:23
>「大文字の他者」の概念に見られるように、有効でしょう。
「大文字の他者」が何であるか探究、解析できなかったら意味ないよ。
用語を並べても意味ない。そうやって自己発現してる人にはいいけどね。
フロイトのエスや自我さえ定義できないのにラカン用語を振り回しても意味ないでしょ。
で、日本のラカニアンは社会や政治に有効か?
ここは斎藤スレだから彼にフォーカスすれば答えは出るんじゃないの?
ジジェクはまずマルクス主義者だから。クロアチア共産党の党員でしょ。
彼に社会が解析できても当たり前でしかないかもしれないしね。
549 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/20(月) 23:46:14
>>548 もう少し落ちついて話してください。
そんなに盛りだくさんいっぺんに断定されても(笑)
何も分かってないまま大量連投してるぴかにそんなこと言われてもなあ。
551 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/21(火) 00:04:17
>>550 そんなことよりも「大文字の他者」とはなにか、
を語る方が有意義ですよ。(笑)
分かってない奴が語ることに意義はない
553 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 00:15:08
日本に限定すりゃ「大文字の他者」概念を紹介したのは浅田だろ。
>>548 「構造と力」が最初。当時は新鮮だったろな。
554 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 00:16:49
555 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 00:25:16
だから大文字の他者とは何だ?
556 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/21(火) 00:32:04
大文字の他者とは無意識ですよ。
557 :
& ◆r5mmMKolO6 :2006/03/21(火) 01:14:04
なーんだ、フロイトそのままじゃ〜ん
なぜ「フロイトに還」らなくてはならなかったのかが重要。
559 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 01:30:19
ラカンの限界を突破するのはフロイト....というのは『構造と力』にも
書いてあるな。ニーチェ、フロイト、マルクスの3思想だと。
精神分析は科学的じゃない。
563 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 10:52:58
「構造と力」はラカン紹介本だけど、「ラカンを超えて」の副題と内容は
絶対に話題にならないね。ラカンを超えてドウルーズ=ガタリへの道筋を
略ったんだろうけどな、浅田さんは。
564 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/21(火) 11:09:56
「構造と力」のラカンは「古い」ですね。
せめてジジェクかな。
565 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 12:09:00
「構造と力」のラカンは古いというより基本的。
つまり「構造と力」のラカンは、その基本において終了宣言せさられてるワケ。
ジジェクはマルキストの側面の方が強いから、ジジェクが社会分析に優位であっても
それはラカニアンとは別の問題。
まあラカニアンの言語のトートロジーぽさは、マルクスの弁証法の無様なマネっこだろ。
566 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 12:10:24
で、「大文字の他者」=「無意識」の説明は?
568 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/21(火) 15:30:15
>>565 そういうことではない。
「構造と力」はラカンの中期。だから構造主義の限界として説明されている。
ジジェクは後期、末期中心。だからポスト構造主義、およびその先に
位置づけられるわけ。
ラカンは秘技的で伝わり、理解されるのに時間差がある。
569 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 18:59:14
>「構造と力」はラカンの中期。だから構造主義の限界として説明されている。
だから構造主義の限界だろ? で、ラカンを超えるのは「ニーチェ、フロイト、マルクスの3思想」だろ。
ラカンの基本概念の「大文字の他者」や「原初的不調和」が日本で初めて紹介されたのは「構造と力」。
その「構造と力」で最初からラカンは終了宣言されてるワケだから。
>>544の「「大文字の他者」の概念に見られるように、有効でしょう。」という発言の説明をしてみろよ。
それにジジェクや浅田さんが期待したDG(ドウルーズ=ガタリ)はマルキストだろ。
ラカンが社会に対して有効かどうかの問いの答えになってないぞ。
570 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 20:11:13
>>567 硬い椅子なのに赤字になったマクドの説明して!
571 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/21(火) 20:19:56
>>569 >その「構造と力」で最初からラカンは終了宣言されてるワケだから。
浅田は、「構造と力」を書いたときは、ラカンの中期しか知らなかったのでしょう。
想像界と現実界の使い方が曖昧ですね。いまはラカンは構造主義の限界と
考えられていません。
>ラカンを超えるのは「ニーチェ、フロイト、マルクスの3思想」だろ。
おそらく違うでしょう。どのような意味か説明どうぞ。
>「「大文字の他者」の概念に見られるように、有効でしょう。」という発言の説明をしてみろよ。
たとえば「欲望とは大文字の他者の欲望への欲望である」というのがあります。
社会的にこれを「みんな」が欲望しているというものを、欲望するというようなことです。
このことからも、ラカンが社会分析に適用可能なことがわかりますね。
>>543でよいのでしょう。
逆に、一般的な見解に反する、「ラカンは社会にはあまり効果が無い」とは、
どのような意味か説明どうぞ。
572 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/21(火) 20:20:28
>それにジジェクや浅田さんが期待したDG(ドウルーズ=ガタリ)はマルキストだろ。
>ラカンが社会に対して有効かどうかの問いの答えになってないぞ。
これも意味がよくわかりませんね。DG(ドウルーズ=ガタリ)はマルキストだから、
ラカンが社会に対して有効かどうかと、繋がるのか。
再度いえば、浅田のラカンの限界をDzが越えていくというのは、
「構造主義(ラカン)→ポスト構造主義(Dz)」の古い構造です。
最近の見解、特にジジェク的にいえば、
「構造主義(ラカン中期)→ポスト構造主義(Dz)→ラカン後期」です。
斉藤も言っていますが、Dzは結局、ラカンを批判しえたとはいえないでしょう。
盛りだくさんの質問に少し真面目に答えてみました。
>>549で忠告しましたが、ひとつづつもうすこしきちんと説明しないと、普通は放置ですよ(笑)
>>572 >
>>549で忠告しましたが、ひとつづつもうすこしきちんと説明しないと、普通は放置ですよ(笑)
ぴかあが相手を排除しようとするときは負けてるときだから。
鏡像界の均質空間論争?の時もそうだし。過去ログを見るとどこでも対応が同じ。
また負けたな。
>>572 「ラカンは社会に有効か?」という問いに対して、
おまえが「ジジェク」を持ち出すから、
「ラカンについて尋ねているんだ」といってるだけ。文脈を読め。w
つまりオマエは自分をデッドロックやWバインドに追い込む「問い」に対して、
その「問い」そのものを曲解することによって自己防衛してるだけ。
たぶんオマエの過去ログは全部そうなんだろうな。統合失調症の規範回避という典型的な
症状だぞ。気をつけろよ。
576 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/21(火) 22:17:10
放置させていただきますね。(笑)
577 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/21(火) 22:26:26
他は対した質問ではないが、これはちょっと興味があります。
もし良ければ、語ってください。(笑)
>ラカンを超えるのは「ニーチェ、フロイト、マルクスの3思想」だろ。
おそらく違うでしょう。どのような意味か説明どうぞ。
578 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 22:45:37
>>577 本当にバカだなあ。読んでないことがバレちゃうぞ。
「構造と力」の何頁に書いてあったか、今度指示してやるよ。
ぴかあはやっぱり読まないで知ったかするんだな。
580 :
考える名無しさん:2006/03/21(火) 22:55:39
>>571 >たとえば「欲望とは大文字の他者の欲望への欲望である」というのがあります。
>社会的にこれを「みんな」が欲望しているというものを、欲望するというようなことです。
だから「大文字の他者」の定義なり説明できないヤツはダメ。
「みんな」が欲望するものを欲望しない個人はどうするんだ?
「ラカンは社会にはあまり効果が無い」のは言い換えれば
「社会を認識するのに適切でない」ということ。
簡単にいえば「大文字の他者」で社会を説明できるか?ということ。
論理的にその端的なリミットは「大文字の他者」の由来が説明できないこと。
基本概念の由来を説明できないくせに、その用語を振り回して何か言ってるつもりになってるのは
ウザイだけ。邪魔なだけなんだよ。もちろんラカンそのものが「大文字の他者」の由来を説明でき
ていないトコがダメなワケ。
582 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/21(火) 23:02:12
>>580 >ウザイだけ。邪魔なだけなんだよ。
じっくり、勉強すれば、わかりようになりますよ。
たとえば大澤の「第三者の審級」から勉強するとか、
がんばってみてください。
しかしこのスレで言うことではないですね。(笑)
「第三者の審級」も「大文字の他者」も古い。
つーか間違ってる。今村の「第三項排除」もジラールのも。。。
浅田が『構造と力』を書いた時代的な背景については大澤の指摘が
正しいけどな。
584 :
& ◆UmVS6BaxV. :2006/03/22(水) 00:00:31
ぴかあは答えられないな。
無理ないけど。
病気なんだもん。
585 :
& ◆BL0Z2aP/2M :2006/03/22(水) 00:06:11
>>578 >>ラカンを超えるのは「ニーチェ、フロイト、マルクスの3思想」だろ。
環が何かの本で紹介したHPに同じことが書いてあったよ。
浅田批判の文脈で書いてあったと思う。
>>580 >論理的にその端的なリミットは「大文字の他者」の由来が説明できないこと
うーん、由来の説明はできないんじゃないかな。固有名を持つ意識にとって
「大文字の他者」は、はじめから存在すると想定することしかできない、のでは?
それが意識の限界だし、そこを踏み越えると「超越論」になっちゃうでしょ。
ニートがホリエモンを応援するのは彼が成功したニートだからだ
みたいなことをタマキンが視点論点で言ってた。
そうそう、ニートは一発逆転を狙ってるからな。
あと格差社会の進行は自分の仲間が増えるので歓迎だ、とも。
なかなかいいことを言うと思った。
>>586 意識の限界を超えて「はじめから存在すると想定する」のも超越論でしょう。
「大文字の他者」「第三者の審級」も「無意識」も、どんな「第三項」も、
それを認識する(認識できないも含めて)主体との関係は<主−客>でしかないので、
基本構図は主体による認識という一元論になります。ただしその主体を言語化、構造化、システム化
すると<主体の内部に主体に認識できない部分がある>のがわかります。論理的にはゲーデルの定理ですね。
オートポイエーシスではそれを<外部>と想定しますが。
マルキシズムでは自己言及の不可能領域(認識不全領域)でしかなく、それは意識外による関与(物質的な影響)で
コントロール可能なのでそれほど論議されません。ジジェクの基本的なスタンスはこれですね。
>>587 タマキンの情勢分析はいつも鋭いね。
分析対象が人間(他の思想家や評論家)だと失敗するけど。w
590 :
考える名無しさん:2006/03/22(水) 09:16:00
環先生のおっしゃってることはかなり的を射ている・・・
が録画に失敗した!再再放送希望〜
591 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 10:29:58
>>588 >主体による認識という一元論
独我論ですね。
>ジジェクの基本的なスタンスはこれですね。
否定神学ですね。
>>586 「由来」は説明できるでしょう。これは超越論なのですから。
ラカンの言説が否定神学なのではなく(超越的)、
ラカンは主体が否定神学的に作動している(超越論的)と、言っているのです。
さらにラカンの否定神学では、<主体の内部に主体に認識できない部分>は、
大文字の他者ではなく、現実界ですね。
大文字の他者は、言語がいかにに作動するのか。独我論的世界でいかに
コミュニケーションは可能なのか、意味はいかに決定されるのか、ということで
「由来」は説明できますよ。
大文字の他者は言語によって構造化されている無意識であり、
「言語コード」(可能性の束)です。
>それは意識外による関与(物質的な影響)で
>コントロール可能なのでそれほど論議されません。
マクドの椅子か?
<主体の内部に主体に認識できない部分>にはあらゆることが代入される....
ゲシュタルトを維持するためにですが....代入されたものがどう表出するか?
あるいは主体にどういう仕方で影響を与えていくか? そのそれぞれの属性が
「意味」「現実界」「大文字の他者」などなど諸々に名辞されるだけで、
<主体の内部に主体に認識できない部分>に<代入>されることに変わりなく、
それはマルキシズムの<埋め込み>概念と同じですね。ジジェクの鋭さはマルキシズム系
としてみれば当然の認識で、ラカンはその一ツールとして借定されるワケです。
「構造と力」より20年ほども以前からそのことを主張した人がいるのには驚嘆しますが。
594 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/22(水) 11:20:07
>>593 <主体の内部に主体に認識できない部分>は、ラカンにおいては、
「現実界」、ヴィトでは「語り得ぬもの」と名付けられるわけです。
「構造と力」論者が多いですね。ボクも良くできて好きですが、
あれを中心に語るのは、いかがなものかと(笑)
日本語がうまくないのにいわれてもなあ
構造と力はもう古典だな。
最近はマルクス再評価の新刊がいくつかあるからなあ。
ラカンとマルクスは相互補完ということでいいんでね。
新宮・斎藤ラインの精神分析へシステム論を導入する試みはどない?
知ったかいわれてもなあ
>>587 ホリエモンは裕福なニートだ、と言ってましたね。
そしてホリエモンもまた、多くのニートたちと同じように、
自分が本当に欲しているものが何なのかを知らなかったのでは、と。
たまきん、「ニートって言うな」に対して
立ち位置をはっきりさせてからもの言えよ。
精神科医の看板ぶら下げて、「ニート」とか
当たり前のように言われると、情けないだけでなく、
害が広がるんだよ!
600 :
考える名無しさん:2006/03/23(木) 00:31:49
>>581、
>>585 斎藤も認めてるのが「ラカンでは系統発生を説明できない」こと。
そこが「構造と力」と共通するかもね。つまり「フロイトへ復れ」の理由として。
エスから自我が離脱生成するという発生の根拠から考察しないと「原初的不調和」の
根源的な説明ができない。発生の初源を捨象して単に言語生成以降の主体だけを
取り上げて言語がどうのコードがどうのといっても意味がないから。心的な(性格)形成など
が3、4歳までにほぼ決定するからね。言語学的な側面に関していえばソシュールをベースにするのは
説得力が無いということ。
シニフィアンとシニフィエの関係を保障するものが何であるか説明できない。
<犬>(実態)と<犬>(概念)、
その言語化である<犬><イヌ><いぬ><dog>それぞれの相互関係を
担保するものが何であるか説明できないということ。
>>596 大航海(違うかもしれない)に掲載された新宮の論文は悲惨だった。
システム論に適当に心理(学)概念を当てはめたやつで読むに耐えなかった。
斎藤はレイヤーとか言ってるし。悲しいだけ。
605 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/03/23(木) 12:47:02
たしかにラカン信者のシステム論はよくわかりませんね。
馬場ちゃんとか河本とかシステム論者のラカンの方がおもしろいかも
河本のラカンは結構好きだ
608 :
考える名無しさん:2006/03/30(木) 14:00:26
なんだ環ちゃん<対幻想>概念をほめてるじゃん。
「思いのほか射程の深いものになりうるかもしれない」だって。
吉本原理論を斎藤の頭脳で探究すれば鬼に金棒なんだが。
河本って対象aはいらねとか言ってるし。
システム論自体は根本的なとこで精神分析の対象外だけど、
精神分析はシステム論の射程に入ってるのかね。
>河本って対象aはいらねとか言ってるし。
河本のラカンは読んだことないけど、
エディプスコンプレックスや対象a、第三の審級みたいなトリアーデは
システム論や認識論じゃ無効でしょ。トリアーデは既に物語になっちまってるから。
全体像がどうであれ最小単位を<正−反>にして現前としては<合>にする弁証法の
方がリアリティがある。斎藤も認めてるけどね。
理論(価値判断・診断/主体)と抵抗(症状/患者)は臨床(関係/現実)に表出する、そんだけのことだから。
斎藤環被告
斎藤環被告
斎藤環被告
斎藤環被告
斎藤環被告
斎藤環被告
斎藤環被告
斎藤環被告
斎藤環被告
斎藤環被告
612 :
考える名無しさん:2006/04/16(日) 09:12:33
>>608 「家族の痕跡」で「プレ・エディパル(前エディプス期)」として説明されてるのが
対幻想の説明そのものですね。ようやく斎藤さんもこの認識まで到達したという感じです。
ダブルコンテンジェンシーへの批判などでプレ・エディパルを特殊だと否定していたスタンスを
180度変えて、これこそ一生を通じて影響があると認めたわけです。
対幻想論は同じ指摘を24年以上前からしてるわけですが、それは
吉本隆明さんが徹底的にフロイトを読んでるので可能だったんでしょう。
「家族の痕跡」て前半と後半で違うことを主張してるんだよね。
矛盾してる。よくタマキンがやってるパターンだけどね。
無理矢理エディプスコンプレックスを持ち出してるけど、
そろそろラカン以外へシフトしそうな感じもするし。
614 :
考える名無しさん:2006/04/26(水) 10:19:38
615 :
考える名無しさん:2006/04/27(木) 17:50:44
ある種の発言のあとストップするのが2チャンの特徴か...
616 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 02:47:18
617 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 13:45:59
ラカン派の医者はバカだらけ。
単なるカルスタ解釈
618 :
考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:30:26
>単なるカルスタ解釈
きゃはは、当たってるだけに、キツいっすね
619 :
考える名無しさん:2006/05/06(土) 09:57:04
>>612 以下のような指摘もあるから斎藤も考え直してるんだよな。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ラカンが誤解されやすいところは、対他認識が2つの個体(あるいは主体と対象の)=2者間で行
使されることを無視して父性=第三項を暴力的に介在させていること。
逆にいえば暴力=力を顕在化させるには母=子に対して父を登場させることが条件の最適化ですが、
そのことによって〔<母=子>⇔父〕以前の認識や論理に関しては不可知にならざるを得ないという
陥穽があります。
その不可知な領域を現実界として顕在化させたならば、
それはラカンのアクロバットな知恵かもしれませんが、そのことが〜以前=EXCE^{'}Sの状態として不
問に付されることのイイワケにはならないでしょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
620 :
ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/05/06(土) 10:05:11
ラカンというかフロイトね。なぜ僕達には幼児の記憶がないのか
精神分析の基本ね。
621 :
考える名無しさん:2006/05/06(土) 10:51:51
>>612 Wコンテンジェンシーへの批判ってインコミ掲載の論文?
タマキンが社会システム論批判を試みて自爆したヤツだろ?
622 :
考える名無しさん:2006/05/06(土) 11:27:51
4歳以下の幼児は自分が生まれたときの記憶があるっていうTVが面白かった。
幼稚園へ行って取材すると、みんな出産時のことをまるで昨日のことみたいに
話し出すんだよね!
>>608>>612 結局エディプス△や第3者の審級という社会化を前提とした言葉遊びより、
一生続く「プレ・エディパル(前エディプス期)」の影響を認めたんでしょ。
そういう記憶が脳(の認識力が)が変成するときに見る臨死体験とかのリソースになるわけ。
誰かさんが主張した<世界視線>のことね。
>>622
625 :
考える名無しさん:2006/05/07(日) 17:25:24
「第三者の審級」なんてもう古いよ。
先生も軽くあしらってるじゃん、「第三者の審級」なんて。
>>613 > 「家族の痕跡」て前半と後半で違うことを主張してるんだよね。
> 矛盾してる。よくタマキンがやってるパターンだけどね。
例の二枚舌? 精神分析自体がスキゾ分析だもんね。
>>613 あの本で引用されるラカンは、もう、全然無理っぽいです。(w
今月号のゲームラボで村上隆擁護を展開しているが……
どうやら誰も話題にしてないようだ
村上隆ってサブカル議論の一部以外じゃ人気ないし、
たぶん一般的には興味も持たれてないか知られてもないかもね。
>>629 今月の「MACPOWER」で、村上隆の作品が
佐藤可士和のギャラリーで飾られるとかいう記事が載っていて
お互いを褒めあっている。
マックユーザーの俺としては激しく目障り。
村上隆ってサブカル界隈よりも
こういうデザイン系やマガジンハウス関係やアート関係の雑誌には
よく登場しているよ。
もちろんアート系には人気あるだろうけど。
斉藤が村上を取り上げるのは東とかとの関連もあるだろね。
それより、よく起こってる悲惨な事件の分析でもすればいいのに。
ホリエモンの評価をめぐる分析でもいいけどさ。
ゲーラボの村上擁護ってあれか、前に立ち読みしたのをまとめると
「会ってみると村上は誠実で純粋な男」
「美術は食えない、才能のある奴が世に出て行けない。
村上は美術界の未来をまじめに考えている。だから苦悩もあったろうが訴えた。」
「オリジナリティは命!は訴訟の建前に
過ぎないんだから真に受けるなって云々」
「現代美術は甘くない。村上はただのパクリ
(オタク文化を美術に持ち込んだだけ)ではない。」
というところか
ゲーラボのサイタマは、
町山智浩のブログで書かれた、4000万円を
「どうせきっと服や車や酒や女に使うんだろうな。」という箇所を
【町山の名前を出さずに】取り上げて、
村上はそんなことをしないと述べていたけど
根拠はないよね。
ttp://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060425#seemore それに町山の村上批判の文章はそこがポイントじゃないし。
町山も村上の金の使いみちなんて知ったこっちゃないでしょう。
まるで村上が世論でバッシングされている悲劇の有名人扱いしていたけど、
2ちゃんとブログの一部で叩かれただけでしょ。
そんなネット世論が力をまったく持たないことは
自分のゲーム脳批判がマスコミや行政で力を持たないことから
わかるだろうに。
ネット世論から叩かれたエイベックスは
謝罪はあったものの売り上げなんてまったく落ちてないよ。
マスコミでの取り上げ方を見ると、訴訟事件以前も以後も
村上は売れっ子アーティストのままなのに。
町山や2ちゃんねらーから嫌われたところで
ダメージゼロだよ。
ディズニーが訴えないからDOBはパクリじゃない、
ナルミヤは裁判所が認めたからパクリ
ってなんだその基準。
634 :
考える名無しさん:2006/05/21(日) 20:22:11
サイタマさんはいつもオノレが妄想気味なんだからあ、こまったよん
東は反発があるかもしれないのにブログで発言したけど、
サイタマはmixiに閉じこもって分かる人にだけ語っているんでしょ。
で、ゲーラボで擁護。
アホかと。
で、なんでブログで発言せにゃならんの?
637 :
考える名無しさん:2006/05/28(日) 02:20:02
オタクについてはこれからもう語らないのかね
AERAの福田との対談見たけど、環先生、キモくなってる!
髪切れ!
639 :
考える名無しさん:2006/06/02(金) 07:11:41
『「性愛」格差論』おもしろかったよ。
642 :
考える名無しさん:2006/07/05(水) 11:50:09
あげるぞ
643 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 03:39:45
あげ
644 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 05:13:26
タマキ先生とあずまさんとのひきこもり文化論対談まじキボンヌ
645 :
考える名無しさん:2006/08/03(木) 05:17:51
タマキ先生と浅田さんとのカラ谷論対談も同じくキボンヌっす…。
646 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 08:24:02
タマキ先生の主張は日時が経つとブレることが多い気がする。
同一論文の中でのレトリックは上手いが、一度見破られると
だんだん魅力が無くなるかもね。最近面白くないもん。
647 :
考える名無しさん:2006/08/04(金) 08:53:24
>>587 >ニートがホリエモンを応援するのは彼が成功したニートだからだ
その部分だけは間違っているんじゃないかな。
ホリえもんが自民党から立候補したときに唖然としたニートは多いと思うぞ。
俺もその一人。
648 :
考える名無しさん:2006/08/21(月) 22:57:52
今NHKで語ってるぞ。「文学にみる戦争」
誰に父母を投影するか
金があっても必ずしもモテない(!?)時代。
格差は「金持ち/貧乏」「モテ/非モテ」「既婚/未婚」等と入り組む。
趣味の「棲み分け」が進むなか、男女が番(つが)わない理由を徹底究明。
1章 「負け犬」―非婚は不幸なのか(負け犬とひきこもり;強い女はなぜモテない ほか)
2章 「おたく」―萌える男たちの心理とは?(「萌え」とは何か;『電車男』は母性愛 ほか)
3章 「ヤンキー」―語られざる一大文化(ヤンキーは一大文化;女医と看護師 ほか)
4章 「腐女子」―異性と番(つが)うよりも同性で(乙女カフェ;女子高生という「価値」 ほか)
終章 「負け」を生き抜く―九〇年代以降の流れの中で(「ちやほや病」;趣味と格差 ほか)
『電車男』以降、おたくに注目が集まる。一方で、ボーイズラブに耽溺する「やおい」女性も増加中。若者たちは番(つが)えるか?
651 :
考える名無しさん:2006/08/28(月) 13:32:40
斎藤環は「引きこもり」を食い物にしてるのではないの。
NPOニュースタートもレンタルお姉さんを使って。
>>651 > 斎藤環は「引きこもり」を食い物にしてるのではないの。
それたまきんが自分で言ってるしw
141 :ホウサク【30歳・バイト神・キチガイ剣厨】 ◆housakuSXU :2006/09/02(土) 12:26:40 ID:cxx//GpI0
>>140 ぢゃあボキの話題はどうディスか?
うはwww
神について議論でもw
うはwwwwwww
まあオマエ等キモヲタデブクズにはわからないか
うはwwwww
ハ_ハ
('(゚∀゚∩
ヽ 〈
ヽヽ_)
宮台真司
男の子は「2ちゃんねる」的な掲示板に引きこもって脆弱なプライドを温存する結果、とても人前に出せない、
それこそ掲示板の世界に永久に引きこもっておいてもらうしかないような勘違い野郎が急増しています(笑)。
ハ_ハ
('(゚∀゚∩
ヽ 〈
ヽヽ_)
斉藤環は見かけによらずいい人だよ。マジ仕事の関係で会ったことあるけど
紳士的で親切だった。臨床に一生懸命なのはほんと。だから駄文でも売れる。
このひとホームページの更新してないよね?
してないね
(・ω・` )ヾ(・ω・* ) ネェネェ
ブボボ(`;ω;´)モワッ (・ω・* )
(`;ω;´) ε=(*ノ;ω;)ノ
タマキン、ミクシイひっきーやのお
662 :
考える名無しさん :2006/10/04(水) 19:55:26
香山リカより全然ましw
663 :
考える名無しさん:2006/10/05(木) 10:29:09
斎藤先生は今は何をやってるんですかね?
映画や文学の評論があまり面白くなかったので、残念でつ。
>>ゲーラボのサイタマは、
>>町山智浩のブログで書かれた、4000万円を
「どうせきっと服や車や酒や女に使うんだろうな。」という箇所を
【町山の名前を出さずに】取り上げて、
村上はそんなことをしないと述べていたけど
根拠はないよね。
さいたまが外車乗り回してプラダのバッグ持ってても説得力ないよね
人間の欲望に興味があるとかいってるけど本人自身が変に俗っぽいんだよなぁ
665 :
考える名無しさん:2006/10/06(金) 04:23:28
環頑張れ
666 :
考える名無しさん:2006/10/06(金) 19:06:15
昨日の視点論点見た?
667 :
考える名無しさん:2006/10/06(金) 19:29:32
幻想を追い掛けずに醜悪な現実を見つめろ
958 名前:(-_-)さん [↑] :2006/10/13(金) 09:31:53 ID:???0
>>957 稲村一派がいう「ひきこもり(無気力症)」とは、そもそも、「登校拒否」臨床のなか
で従来から一般的に観察されていた思春期の「登校拒否」にはじまる「閉じこもり」状態
を言い換えた別名で、彼らや文部省サイドが好んで使いはじめた言葉であって、本来は
「登校拒否」の付属概念だからね。
要するに、「閉じこもり」現象を含めて「登校拒否」という言葉で既知だった臨床概念を
単に「(社会的)ひきこもり」というラベルに貼りかえ、従来から「出社拒否」といわれ
ていた「登校拒否」の社会人(会社人)版まで総合して指すように新装開店しただけのもの。
「登校拒否」という言葉は文部省が考えた言葉ではなく、主として児童精神医療とその周辺
の臨床家たちによって慣用的に使われてきた言葉で、文部省の定義とは別個にみる必要がある。
かつて「登校拒否」と臨床家がいえばそのほとんどが閉じこもり状態を指すものを意味した
と渡辺位氏が言っている事実から考えれば、「ひきこもり」概念を狭く見積もってもこの
二つの概念はほとんど重なる臨床対象を指していた。
故稲村氏はもちろん、斎藤さんも、自身のいう「社会的ひきこもり」概念が「登校拒否」概念
の応用であり、それをそのまま時間的に拡張しただけの臨床対象を指して名付けていることを
はっきり認めているはずでしょう? 斎藤ウォッチャーなら知らないはずはないwww
つまり、「登校拒否」「不登校」概念の成り立ちについて知らずして斎藤さんのいう「社会的
ひきこもり」のなんたるかについて認識できないのは自明で、彼がその定義のもとで展開して
みせる精神分析論や対応マニュアルとて、「登校拒否」臨床でそのむかし言われてきたことを
そっくりそのまま焼き直して語っているに過ぎないことも分からない。
「社会的ひきこもり」という、世間的には目新しい言葉のイメージからか、なにか新しい臨床対象
やそれについての考え方が彼らによって新発見されたかのごとく勘違いし、一部の信者はいまだ
彼のことを「社会的ひきこもり」臨床の第一人者だと信じているようだけどねwww
>>669 なにコレ?
要するに「発見者のような顔してマスコミにでしゃばって偉そうにしてんじゃねえよ、このクソ環」ってことか?
だとすれば、
斉藤が偉そうにふるまっていて、斉藤を崇めている連中もいてキモい、ああ嫌だ嫌だ、
と彼が思っている、つまりこの958とやらの「心証」の問題だよね。
なぜこんなどうでもいい書き込みをわざわざコピペしに来た?
知らないようだけど、斎藤さんの「ゲーム脳」批判は、その批判内容にしても、かって稲村一派
を批判した側の医師たちのそっくりそのまま猿真似をしているんだよね。
ゲーム脳論者はどうやら保健体育学系の人物で、その系譜の親玉は日体大の正木健雄氏
だろう。保健教育界で生活リズム運動の中心的ブレーンになっていた人物で、当時彼らが
稲村氏に対するのと同様に批判の声を向けていた人物。この人物こそが大脳生理学云々と
いう文句を濫用し「今時の子どもの脳がおかしくなっている」とかなんとか喧伝していたおおもと。
ゲーム脳論者もこの一派の系譜を引き継いでいるようだ。
彼らから正木氏同様に批判を向けられていた稲村一派に属する斎藤さんはそのことを当然知
っているはずで、正木氏同様に批判を受けていた稲村氏の言説を事実上継承し復権しようと
画策してすらいる斎藤さんの思惑から察するに、どーも胡散臭さを禁じえない。どう見ても滑稽だ。
「ゲーム脳」はけっきょく、自宅(ひきこもり)遊びをして外遊びをしない今時の子どもの生活とやら
を不健全だと決め付けて治療の対象に取り込もうとするレッテル貼りであって、自宅中心生活それ
自体を不健全だとラベリングして引き出し屋ブームを煽った稲村一派と瓜二つの言説線上にある。
この二派をともに批判しつづけていた医師らは一貫しているが、斎藤さんのその立ち振る舞い方
にはある種の胡散臭さを感じざるをえない。「ゲーム脳」批判の内容それ自体には異論はないが。
>>671 斉藤のゲーム脳批判は偽善ということだね。
なるほど、その正木一派と斉藤らの立場は方向性が同じだね。
ま、力動精神医学をやってる斉藤らからすれば、大脳生理学は利害が対立するから叩くというのもあるんだろう。
大脳生理学のほか実験心理学によっても、フロイト大先生の説の一部が間違いだと指摘されている。
それからモチ、人気取りも理由のひとつね。ま、ある種の一時的建前・ファッションですな。
なんにせよ孤独系の人を忌み嫌う偏見医学のなかでの内輪もめ、コップの中の嵐だね。
>>672 「大脳生理学によると…」という正○氏らが用いる決まり文句も大脳生理学的な
証拠があって言っているかどうか相当あやしい。知人の大脳生理学者に調べて
もらってもその根拠になるソースは見当たらなかったらしい。
大脳生理学者も言っていないことをさも言っているかのようにそれらしく
語っているところが批判されている。偽精神医学化ならぬ偽大脳生理学化か…
>>671 >「ゲーム脳」批判の内容それ自体には異論はないが。
だったらいいじゃん。
あんたのいってることは変に政治的過ぎるよ。
>稲村氏の言説を事実上継承し復権しようと画策してすらいる斎藤さん
これも同意し難いしね。
稲村氏の発言は誤解されている、といった擁護も確かに斉藤はしているが、
過去に稲村氏を批判したことも自身認めているし。
斉藤が、いささか治療主義的だとしても、充分凡庸な程度であって、
反精神医学的立場から見たら難癖つけられるだろうけど、
一般的に、あるいは臨床的に、過激でもなければなんでもないと思うが。
>>674 >だったらいいじゃん。
そういう話じゃないだろ。
>>671の論旨は↓にあるだろ。
そこをわざとスルーするレスに政治的意図を感じるよ。
>「ゲーム脳」はけっきょく、自宅(ひきこもり)遊びをして外遊びをしない今時の子どもの生活とやら
>を不健全だと決め付けて治療の対象に取り込もうとするレッテル貼りであって、自宅中心生活それ
>自体を不健全だとラベリングして引き出し屋ブームを煽った稲村一派と瓜二つの言説線上にある。
>
>この二派をともに批判しつづけていた医師らは一貫しているが、斎藤さんのその立ち振る舞い方
>にはある種の胡散臭さを感じざるをえない。
>>675 >自宅中心生活それ自体を不健全だとラベリングして引き出し屋ブームを煽った稲村一派
斉藤がそうだというの?
斉藤は確かに稲村門下だったけど、
「自宅中心生活それ自体を不健全だとラベリングして引き出し」たようなことはなかったはずだが?
社会的ひきこもり問題における斉藤の活動をそうだと言っているの?
引用するならちゃんと正確に引用しよう。
「自宅中心生活それ自体を不健全だとラベリングして引き出し屋ブームを煽った」
それでは、斉藤自身の著作から引用しよう。
以下引用
>精神医学の悪い癖として、問題をすぐに臨床単位化したがる傾向があります。
>これについても残念ながら、稲村博氏は悪い前例を残しています。
>たとえば氏には『思春期挫折症候群』(新曜社)、あるいは『機械親和性対人困難症』(弘文堂)
>といったロングセラーがあります。
>いずれも、その先駆的な着眼点については評価すべきところもあるのですが、
>およそ学問的な厳密さには欠けています(後者など、あの「ゲーム脳」に先行すること
>十数年という本です)。
以上引用。
ああ、なんか、出る杭は打たれるとか、そんな下らない話になりそうだね。
>>678 だから
>>671の趣旨は要するに、斎藤さんは自らを棚に上げるお得意の(?)二枚舌をつかって、
ゲーム脳論者や稲村さんに対する批判者をいっぽうでは気取ってみせるが、自らも事実上、
稲村さんの「無気力症」言説を「社会的ひきこもり」という別名に置き換えることで受け継ぎ、
引き出し屋ブームの煽動役を稲村同様にやったわけだろう、ということにあるんだけどなあ。
つまり、2ちゃんねる用語で簡潔にいえば、「オマエモナー」ということだよ。
斎藤さんの言説のその矛盾と偽善を指摘しているのが
>>671だろう。
一見稲村さんを批判しているように見せる文だが、斎藤さんは要は『思春期挫折症候群』を
擁護するために、改訂版の『思春期挫折症候群』を「終わらない思春期」挫折症候群と形容
する『社会的きこもり』に改題して焼き直し、稲村さんを大域的には継承しているんだよ。
斎藤さんのホンネは師匠も「無気力症」を臨床単位だとは言っていないと擁護したいんだろう。
この解釈が斎藤さんの本意に著しく反しているかなあ。ホンネに反しているかな?
むしろ図星だろうし、斎藤さんを擁護している人にとっても図星のはずだけど。
>>679 >稲村さんの「無気力症」言説を「社会的ひきこもり」という別名に置き換えることで受け継ぎ、
>引き出し屋ブームの煽動役を稲村同様にやった
それは事実?
そうは思えない。
ひきこもりがとりあえずひきこもることの正当性と権利を斉藤は主張したはずだし、
氏の著作を「読んでいる」限りは、それは誤解しようがないはず。
実際に斉藤の著作を「読みもしないで」ひきこもりブームに乗っかった連中が、
ひきこもりは引き出すべきだと勘違いしまくった可能性は充分あるだろうし、
ブーム化することによってそういうことが起こることが容易に予想されるにも関わらず、
ひきこもり問題を喧伝した斉藤には問題がある、という論旨なら理解は出来る。
その論旨に賛同はしないけど。
ちなみに、稲村さんは当初から、「無気力症」という言葉を確定的に使っていた
わけではなく、「ひきこもり」という言葉と併用して同じ意味で使っていたはずです。
斎藤さんはそこに「社会的」という形容を追加しただけであって、用語的にも稲村さん
を継承しているんですよ。
>>682 「社会的ひきこもり」はDSM―Wにおける”Social withdrawal”から取ったようだが?
まあ、100%無関係だ、というつもりもないがね。
>>683 用語自体はそうだが、内容はスチューデントアパシーからヒントを得たようだ。
そのアパシーが稲村の無気力症という表現になった。斎藤もそう言っているはずだが。
同じ高校を卒業したのに研究されるほうになっちまった
>>681 >ひきこもりがとりあえずひきこもることの正当性と権利を斉藤は主張したはずだし、
>氏の著作を「読んでいる」限りは、それは誤解しようがないはず。
それは最初の著作の『社会的ひきこもり』が稲村同様に批判にさらされたからだろう。
で、稲村同様(稲村も主張が分裂していた)、あわてて取り繕う工作をはじめたという流れだ。
>実際に斉藤の著作を「読みもしないで」ひきこもりブームに乗っかった連中が、
>ひきこもりは引き出すべきだと勘違いしまくった可能性は充分あるだろうし、
ひきこもりブームではなく、ひきだし屋ブームの間違いだな。
勘違いではないだろ。斎藤もひきこもりは引き出すべきだというスタンスを崩していない。
>>686 あなたが「斉藤は引き出し屋だ」と言っている」ところの意味が具体的に分からないなあ。
斎藤環は社会的ひきこもりの治療者だし、また啓蒙者ではあるよ?
だけど、全てのひきこもりが「治療」されるべきだとは言っていないし、
また「治療」そのものの倫理性についても、ちゃんと考えているはずだが。
そこであなたが言う際の「弾きだし屋」はネガティブな意味合いでもちろん言っているのだろうけど、
何を指している?
あなたは「斉藤から何を守りたい」んだ?
>>687 すべて治療が必要とは言っていないが、引き出さないと治療が
必要になるとも言っているだろ。
で、結局遠回しに引き出せと言っているわけだろ。
>>687 >すべて治療が必要とは言っていないが、引き出さないと治療が
>必要になるとも言っているだろ。
ソースよろ。
そしてもう一度問う。
あなたは「斉藤から何を守りたい」んだ?
>>687 そうやって話をそらさないでくれ。価値判断はいい。
斎藤がひきこもりを引き出せ、さもなければ治療が必要になる
と煽っている事実があるということだ。
ソースは斎藤の著作だ。『社会的ひきこもり』『ひきこもり文化論』
どうやら読解力の無いかわいそうなやつがいるな
>>687 >だけど、全てのひきこもりが「治療」されるべきだとは言っていないし、
>また「治療」そのものの倫理性についても、ちゃんと考えているはずだが。
ソースは?
それを正確にいうと、全てのひきこもりが治療の対象ではないと言いながら、
ひきこもりを放置すれば治療が必要になる、という循環論法をつかう。
結局のところ、全てのひきこもりは家族以外の誰かが引き出すように介入しない
ままでいると、介入して引き出すことが治療として必要になると言っているわけだ。
斎藤はそうでないひきこもりの存在を認めない。
多くの読者がこの種のレトリックにまんまとだまされてしまう。
斎藤は二枚舌を使うのが得意なので、いっぽうではAと言って、たほうでは
Aを否定しているかのような発言をしている場合もある。稲村がそうだった。
それは稲村の場合も批判の声を意識しての二枚舌だった。
去勢否認システム
581 名前:名無しさん@社会人 [↓] :2006/11/06(月) 18:53:26
この自殺した生徒というのは、自尊心の強いヤツだったんだろう。
まともな頭があれば、両親に相談するなり、一時的に登校をやめてみたりと、
いろいろと対処方法があったはずなのに、自尊心が邪魔して、そういうことができなかった。
で、自分から精神的に追い込んでいった挙げ句に、哀れな首つり自殺ww
取るに足らない存在のカスが、くだらんプライドを後生大事にしてるから、こういう目に遭うわけだ(ワラワラ
582 名前:名無しさん@社会人 [] :2006/11/06(月) 18:56:20
去勢否認論キタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━!!
696 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2006/11/19(日) 18:58:26
『生き延びるためのラカン』って
ネットからまんま転載したんでしょうかね。
読んだ人います?
読んだよ。
ジジェク読んだ方がいいよ。
新宮の入門書読んだ方がいいよ。
ぴかぁ〜読んだ方がいいよ。
晶文社のサイトに連載してたのに加筆してるの?
699 :
考える名無しさん:2006/11/21(火) 20:50:54
サイトへの連載中のあの気持ちの悪い文体のままかな?
>>697 『文脈病』は結構面白かったけど、段々薄くなってますね。
>>697 ああ、あれは教師とか医師の「センセイ」文体ですね。
『生き延びるためのラカン』の中で
「言葉はフィクションで映像はノンフィクション」
という発言が面白かった。そうなんだよ。
俺も幼少期テレビの巨大ヒーローや怪獣を
虚構ではなく事実として受け取っていた気がするし
その刷り込みは今も抜けてない。
そしてそういう超越的魅力がない現実に失望してひきこもる。
>>701 >俺も幼少期テレビの巨大ヒーローや怪獣を
>虚構ではなく事実として受け取っていた気がするし
>その刷り込みは今も抜けてない。
アニメ、ホラービデオ有害論って当たっているのかな
規制するザマス!!!
書物は無害だけど、映像は有害だよ
705 :
考える名無しさん:2006/12/16(土) 20:28:55
書き込み少ないな。普通の医者に戻るのかな?
新患受け入れ再開したしな
707 :
考える名無しさん:2006/12/19(火) 09:29:25
てか色気づいたw
708 :
考える名無しさん:2006/12/31(日) 20:33:49
2ch的には宮台真司がミヤディなように斎藤環はサイタマなんですか?
自分探し系なのか引きこもり系なのか?
斎藤環及び心理学関連の本ばかり読み漁ってる。
こんなイタイ自分をまともにしたい・・・
ミヤディも読んでるけど、哲学用語は難しくて理解があやふや。
サイタマ氏のラカン面白いなあと思ったけど本物のラカンは難しいだろうなあ。
ていうかこんな自分にラカンとか、小難しいこと必要ないかも。
709 :
考える名無しさん:2006/12/31(日) 23:33:13
ラカンよりも何よりも、斎藤環が必要ない。宮台真司などもってのほか。
>>701 そんなものは感じ方次第です。
シーラカンスもいれば、東京タワーもある。
あるということだけでも驚くことができる。
治療室で言語操作的に治そうなんてあめえんだよ
騒ぎ5,6回起こしてレベル2だ
だそうです
712 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 16:30:56
ラカン読んでどうして生きられるの?
ポストモダンのテクストもてあそび。
NPOと提携して荒稼ぎ。
なんなのこの人。教祖を目指してるの?
読んで見ればわかる。
715 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 19:10:07
能書きはいい。読めばわかる。
文学の徴候ってつまんないね
717 :
考える名無しさん:2007/01/23(火) 23:16:37
内容を語ると野暮になる。
718 :
☆虐待冤罪量産か?☆DV法の補強?☆児童虐待防止法ヤバイ☆:2007/01/24(水) 04:05:54
719 :
考える名無しさん:2007/01/24(水) 11:32:19
まだエディプスやってるとシステム論に負けるな。。。
720 :
考える名無しさん:2007/01/24(水) 12:12:52
ラカンの誤読は、至るところにある。
つまり「象徴界を想像的に把握しうると信ずること」だ。
。。。。ってどーゆーこと?
象徴界は人類普遍の法則で、変革できないもの。
変化するのは想像界のあり方だけって単純なことを言っているだけと思われ。
722 :
考える名無しさん:2007/02/24(土) 00:53:21
「アニメージュ」の別冊「ツンデレ特集」の分析は面白かった。
なんのかんのとオタクカルチャーを斜め上から見下ろさずに
きちんと対応しているのは良いね。
ひきこもりの専門家として、ひきこもり主人公の「ローゼンメイデン」は
どう思ってるのだろう?
なんか書いてませんかね。
723 :
考える名無しさん:2007/02/24(土) 20:11:00
文芸評論として読むべき。
ラカンの誤読はともかく、
無理矢理な当てはめが多すぎ。
確かに放言が大杉て萎えるよな。
725 :
考える名無しさん:2007/02/28(水) 18:49:23
メディアは存在しないって単行本にならないの?
726 :
考える名無しさん:2007/03/21(水) 09:14:03
生き延びる...読んだ人、どーよ?
対象aがマルクスの剰余価値だとは知らなかったぜえ。
まあ剰余価値という概念そのものがちと?だがな。
>>726 誰だったかな、誰かの言っていたことのパクリじゃねえか。
ジジェクのパクリ
729 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 21:17:24
視点論点で一回もまばたきしなかったのは業界中の語り草
730 :
考える名無しさん:2007/03/26(月) 18:11:38
やっぱヘンだ、この人。
TV出る時のファッションも
目つきも、オカシイもの。
アスペ?
732 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 02:37:57
生き延びるためのラカン、俺は良かったけどな。
あれ読んでから福原や新宮のラカンを読み直すと、
前にはよく分からなかった部分も「ああ、そういうことだったのか」って感じで
理解しやすくなったし。
733 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 07:36:20
ほんとにわかりやすい本だよね
オレもアレは勧める
734 :
第三の波平 ◆V8RGN/F1uY :2007/03/28(水) 16:32:52
あの本は良いというよりも、あれを書けることの方が凄いことなんだよね。
ラカン派というのは宗教化しているので、普通あのようにわかりやすく書くと、
信者からバッシングされ、界隈から排除されるからね。
ジジェクがなぜラカンをあのように書けるのかは、ラカンの娘婿の弟子だから。
それでもバッシングは多い。
ボクみたいなものでもラカンを語ると、信者からそんなジジェクみたいな使い方するな!と
たたかれることがあるくらいだから。
ジジェクはラカンとマルクスとどっちの影響が大きいんだ?
ラカンそのものが最重要点でマルクスの影響下にあるみたいだけどな。
>>726のとおり驚いたよ、オレは。
フロイトはもっと唯物論的らしいが。(ただし自称w)
もちろんK,Marxですよ。
737 :
考える名無しさん:2007/04/08(日) 18:40:52
今日の毎日にたまきん
>>737 感想:川島教授の科学的お説教を批判してるんだな。毎日に連載持ってるのに。
なんか川島教授と斎藤環って折り合い悪そうだ。
俺バカだけどこの人の本面白い。
なんか読んでると自分が頭よくなったかのような錯覚を楽しむことが出来るw
741 :
考える名無しさん:2007/04/20(金) 19:09:18
742 :
考える名無しさん:2007/05/06(日) 06:06:12
本上まもるがついに本出したね。
あの本はなかなかいい。文体に勢いがあって読ませる。
環も推薦文を寄せているわけだが、内容には反論がある
ようだね。どういう論点に賛成できないんだろうか。
>>744 たしかにいい本だ。しかし、ユーモアのなさが玉に瑕。
たまきんが賛成できないのも、そのユーモアのなさだろう。
たとえば、オタク批判。
理屈としてはわかるんだけど、批判が的確すぎて逆に「はいはい」ってなる。
理屈っぽいやつが「大衆文化は軽薄だ!民衆を洗脳している!」とか言ってるのを聞いてる感じ。
理屈は通ってるんだけど、「はいはい、わかったわかった。もう黙れよ」みたいなw
>>745 なぁるほどねぇ
まぁオタク批判ってポストモダンの立場からなされるのは
少ないようにおもうので、それはそれで新鮮かな。
ぐだぐだゆるゆるなポストモダンだけでなくて
生真面目なポストモダンもあっていい。
ただ、本上まもるって名前は、どうもひっかかる。
三流漫画家のペンネームみたいで、これじゃ
オタク批判できないと思うんだよなw
東と本上が論争とかしたら面白いな。
そして、それをにやけながら眺める斎藤w
748 :
考える名無しさん:2007/05/26(土) 09:27:03 0
本上まもるって何者ですか?
734 :考える名無しさん:2007/05/25(金) 21:33:11 0
「<ポストモダン>とは何だったのか」
↑著者の本上まもるはホントに70年生まれなのかな?
70年代に坂本龍一を聴いていたとか書いてあるのが気になる...
10歳になる前から聴いていたのか...
749 :
考える名無しさん:2007/05/26(土) 09:32:08 0
「<ポストモダン>とは何だったのか」はマルクス本みたいですね。
心理学と社会学の登場をラディカルに批判してるところがいい。
環境への分析なしで人間主体を考えることは出来ないし、
その環境を変えるのも人間だと...旧来の哲学やマルクス系の王道を行く
内容なので驚きました。
本上まもる。
一体何者なのかはわからないが、前からネット上では有名な存在。
立ち位置は(デリダを介した)ラカニアンといった感じで、ネット論客にしては珍しく硬派で教養的。
彼がブログで斎藤の著書を(一定の評価をしつつも)批判したところ、本人が嫌みなコメントを返すw
後日いつもの硬派・本上からは想像もできない丁重なレスポンスをし、斎藤に「ツンデレな本上萌え〜(裏声で)」とコメントされるw
同じラカニアンとしても、斎藤の方が一枚上手であることを示したwww
751 :
考える名無しさん:2007/05/26(土) 18:50:56 0
オレも気になるよ、本上まもるの生年月日。マジに1970年生まれなのか?
アイドル並に年齢詐称で、本当は新人類世代じゃないのか?
ニューアカや新人類関係のムーブメントに関してリアルタイムで経験していたか
のような説明が気になるよ。文体の硬さも東浩紀のような鋭利さというより
年齢を感じるぞ。
いや、ホントに70年生まれなんだと思うよ。
90年代になってもまだニューアカやってたのが東で、相対化できたのが本上なんじゃない?
おかげで東は批評空間界隈に気に入られて成功したけど、今はご存じの通り…。
本上はまったく成功しなかったけど、今後の活躍には期待?
本上氏がこれまで
全く成功しなかったといってもまだ30代でしょ。
活躍はこれからでしょう。期待したいね。
東はもちろん、たまきんともバトルやって欲しいw
754 :
考える名無しさん:2007/05/27(日) 19:24:24 0
まず職業は何よ? 本上さんの。
755 :
考える名無しさん:2007/06/04(月) 20:57:00 0
>>742が始まったね。
まずは、斎藤からのやわらかく痛烈な一撃。
論点が多く、どうつながって行くか楽しみだな。
757 :
考える名無しさん:2007/06/04(月) 21:21:34 0
>>755 まとめると、茂木の言説はトートロジーであると。
どう反論するのかね。
>>755 むぅ・・・
無垢な蝶相手に、幾重もの周到な罠を仕掛けた毒蜘蛛のようだ
たまきんオソロシス
759 :
考える名無しさん:2007/06/05(火) 07:33:14 0
クオリア関係はこの板のスレでもトートロジーだお。
言説の展開に依存する完成した統合失調症みたいだお。
結局、主体をどう捉えるかの問題?
ポストモダニストとモダニスト(と本人は了解していないが)の
対立に落としたいのかな?
ラカン(ヘーゲル)対カント、かな?
>結局、主体をどう捉えるかの問題?
は分かるが、
斎藤対茂木を、ラカン対カントとするのはマズイんじゃないか。
「倫理」の議論では、むしろ斎藤はカントに由ってるよね?
そっか。ならデカルトかな?
結局主体をめぐる問題に他ならないからさ。
斎藤と茂木は、斎藤と茂木でいいじゃない。
>>742の第一信、今読んだけど、かなりハードパンチだなあ。
最初くらい逃げ場を作ってやれよ、という気がする。
765 :
考える名無しさん:2007/06/08(金) 00:03:10 0
>>764 いや、いいでしょ
まともなひとはみんなおこってる
茂木さん的な頭の良さのくだらなさははっきり言うべき
茂木への称賛あり
勝算は斎藤にあり
767 :
考える名無しさん:2007/06/08(金) 14:51:11 0
以前ラカンスレにいた「蝉寝る」って人、やっぱ斎藤環だったのかな・・・
768 :
考える名無しさん:2007/06/09(土) 09:55:50 0
「蝉寝る」・・・
そーゆーハズれたセンスは間違いなく本人ですよ
770 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 01:42:57 0
>>769 ん?だれ?十川?
たしかに当時は十川じゃないかって話も出てましたが、
カキコの内容や文体から察するに斎藤環という説が最有力ってことでFAだったかと。
そして余談ですが、東スレに東浩紀本人が現れた時に
「蝉寝るは斎藤らしい」ということを聞いた東が
「それは大いにありうることですね」みたいなカキコをしてました。
771 :
考える名無しさん:2007/06/10(日) 08:55:40 0
クオリアスレの壊れ方も統失そのものだな・・
>>770 >>769のHPのラカニアンの紹介の仕方が、
蝉の紹介とまったく一緒ってこと
蝉はこのサイトの管理者。一般人。
十川さんはこんな便所の落書き見るような人じゃないよww
斉藤さんもそんな馬鹿にしたもんじゃないからww
773 :
考える名無しさん:2007/06/12(火) 00:01:34 0
>>772 蝉寝るがその紹介文をコピペした可能性はないか?
またはそのホームページの管理人が、蝉寝るの紹介文をそのまま流用したとか。
774 :
考える名無しさん:2007/06/17(日) 07:51:18 0
毎日にたまきん
ええい、モギの返事はまだか
776 :
考える名無しさん:2007/06/18(月) 20:23:25 0
茂木は他の人からも疑義を呈されてると思ったが
>>775 あの書簡にそうサクサク返答は書けんだろ。
往復ナシで、あの環の書簡一回で中断してもおかしくないと思うよ。
778 :
考える名無しさん:2007/06/19(火) 01:29:00 O
ルールの所に「毎月1日掲載」とある
別にクオリアなんて何とも思ってないが
こうも書かれると勝手に反論したくてムズムズしてくる。
>>779のmp3聞いてみた。
茂木さんは書簡の応答を待つとして、
芸大の院生たちに唖然としてしまった・・・
美学って、これで院も出られるのかね?
「私」の問題を考えていて
永井を知らないのも驚いたが。
それとも、たまたまなのかな。
美大の女子周辺にはサマザマな力学が働いているものだ
783 :
考える名無しさん:2007/06/29(金) 22:31:08 0
たまきんの次回書簡まで一か月
>>742 >クオリアの先験的決定の原理
それはねーよ、という感じの話で、
これは環の言い分が正しいと思う。
ただ、欠如した主体とクオリアは、排他的な関係なんでしょうかね。
美と倫理も柄谷的な括弧入れで、基準はその都度変わるでしょう。
785 :
考える名無しさん:2007/06/30(土) 09:44:12 0
クオリア発言のスレ読んでも意味がわからんです
美のクオリアなんて言い出すから…
茂木の返事はまだかよ。
このままブッチか?ww
788 :
考える名無しさん:2007/06/30(土) 19:00:19 0
まあ環が否定するのはクオリア自体というより、
それを絶対化して価値基準に使うことでしょう。
100%の自己肯定はカルト的で気持ち悪いと。
でも、例えばひきこもりは倫理的懐疑でがんじがらめに
なっていて、クオリア(的な何か)を少しは認めた方が、
ムラ社会的な日本も少しは風通しがよくなるかも。
あと、「VIPクオリティ」は通俗化したクオリア主義だと思う。
VIPにはひきこもり気味な書き込みも多いし。
ただ「面白いは正義」は、結局多数の馴れ合いに化す。
これは・・・投げた、と解釈してよろしいか?
792 :
考える名無しさん:2007/06/30(土) 20:58:10 0
>常にそのさらに上から多様性として眺めてみたらどうだろう。
>異なるものが対立したまま
>そのままいる状態で良いのではないかと思う。
体裁のいい自己防衛にしか思えない。
理論的には一方が内破するまで追い込まれるべきじゃないかな。
理論のいいところは理論上の闘争が可能なことでしょ?
だからケリがつくまで闘争すべきだと思います。
闘争は理論の中だけということで、現実上は平穏でいられるわけだから。
理論的にもいい加減だったりカルトだったりするものが
理論上も無傷でいられるならば、
それをアイデンティティにしてるカルトな主張者が跋扈することになる。
それはオカシイ。いい加減な理屈に洗脳された信者やバカが増えるのは迷惑だな。
793 :
考える名無しさん:2007/06/30(土) 23:48:33 0
斎藤は、議論をどんな方向にもっていきたいか、はっきりしたイメージはあるんだろうか。
クオリアを解体するといっても、高橋悠治との対談と似たものにしかならないんじゃないかね。
一見すると精神分析より脳科学の方が科学的なんだけど、
精神分析は科学ではないと開き直ることで、かえって
脳科学の疑似科学性を叩きやすくなるという戦略は面白い。
妥協と折衷が信条の環センセイが、ジワジワ押さえ込む流れ。
茂木氏がヒスると環の思う壺なので、反応が見所ですね。
反対に、斎藤さんが焦るとしたらどんな展開だろう?
そんな姿は見たことないけどさ。
まあ美のクオリアとか言っても美の絶対的基準があるという意味じゃなく
この美しいと感じる心の動きはなんだろう?これは記述可能なのか?
という問いなんだろうと思うが。本来は。
797 :
考える名無しさん:2007/07/01(日) 11:41:09 0
クオリアは「アハッ体験」なんでしょ。
つまり「感動」をはじめ認識そのものが揺さぶられるような感覚や心理について
分析できればOKじゃない?
あまりムズカシイ問題ではないと思うけどなあ。
クオリア論者はそれを意味ありげに主張するだけで、さ。
確かに、内観のような心理学的な記述の話だったらまだ納得できるが。
クオリアこそが、世界や生命が開かれる原理だ!なんて主張すらあるしな。
それが確信犯的に流通してしまってることにも怖さがあるよ。
799 :
考える名無しさん:2007/07/01(日) 17:17:57 0
書簡公開は明日?
往復書簡の返答を楽しみに帰宅したんだが
まだだったのか。
残念。
801 :
考える名無しさん:2007/07/02(月) 01:16:32 0
まさか逃げたわけではないんだろうが・・・
ルールのところには毎月1日に掲載って書いてあるんだけどなぁ〜う〜ん・・・
まさか、茂木タソが
「難題を前にしたら沈黙する」「ポストモダンは沈黙しない」
と繰り返し言ってたのは・・・
803 :
考える名無しさん:2007/07/02(月) 06:48:54 0
文章を書き散らしてる著述家同士のやり取りなんて楽なもんなのにな。
自分の主張に援用できそうな文章を相手の記述から拾っていけばいいんだから。
俺にだって書けるよ。
今更脳科学の疑似科学性なんてつまらない話に興味はない。
脳科学は科学として怪しいから、面白いことがいろいろ
言える。
おーい、まだなのか?双風社。
1日に出すといって2日の朝9時にもまだ出ていないのは、
出版社失格だな。
806 :
↑:2007/07/02(月) 09:33:50 0
ヒキコモリの思想オタ
てか、マジで匙投げてたのね(ノ∀`) アチャー
双風舎ブログ
http://sofusha.moe-nifty.com/blog/ 2007年7月 2日 (月)
斎藤環さんと茂木健一郎さんの往復書簡について
毎月1日に掲載を予定しております斎藤さんと茂木さんの往復書簡ですが、
茂木さんからの書簡がまだ弊社に届いていないため、掲載が遅れております。誠に申し訳ありません。
届き次第、掲載させていただきますので、いましばらくお待ちくださいませ。
808 :
考える名無しさん:2007/07/02(月) 14:29:10 0
掲載マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
いや、これは茂木かわいそうかも。
あんな厳しい第一信がくるとは夢にも思わず・・・
人生は先手主導で行かないと泣きを見る
環は良い教訓を与えてくれた
労働基準法第6条(中間搾取の排除)
何人も、法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない。
片道書簡
マダー? (・∀・っ/凵⌒☆チンチン
「茂木さんのお返事が無いので、勝手にお話を進めます」
とかいって、環の第2信が公開されたら笑う
いやあ、俺が茂木だったら理論的に負けるより敵前逃亡するね。
だって、こんな往復書簡、このスレの連中と一部業界人以外誰も知らないんだから、
ここで逃げたところでたいした傷にはならないし、
斎藤が茂木の逃亡を喧伝する性質の人間だとも思ってないでしょう。
これはやるだけ損だよ。
815 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 01:05:11 0
>このスレの連中と一部業界人以外誰も知らない
これは、もうちょっと知られてるんじゃないかね。
茂木本人のブログからリンクされているし、
方々のサイトで紹介されてるのを見かけるよ。
てか、受けて応えても、逃げても、どちらでも深手を負う気もする。
傷を広げないためにはここで止めてしまえばいいが、
理論的な内破だけじゃなくて、茂木の心に負うものも含めてね。
涼しい顔して受け流せる人じゃないからな。
環さんオソロシすぐるぜ。
でも言論を公に発信する者は、こういうガチンコバトルを
やる責任ってどこかで必ず生じると思う。
みな同じことを言うわけではないし、肝心なときに
論争ができないのはへたれだとみなされても仕方がない。
817 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 02:32:44 0
何を言っても患者扱い
斉藤が指摘したことくらい茂木も今までずっと考えてきたはずだが、
正直、これはどうにもならない。どうにもならなさという当たり前を
茂木に言わせても、現にどうにもならなさの中に居る茂木が負けたとは
思わないよ。
ところがオーディエンスから見たときの印象ときたら!
茂木先生いわく
>さてさて、今週は完全に仕事の
>スケジュールが「破綻」していて、
>本当は日記を書いている場合では
>ないのかもしれないのだけれども、
>日記というものは
>一つの「息継ぎ」であって、
>やはり欠かせないものである。
>ですので、「日記を書いているん
>だったら、こっちの仕事をしろ」
>と念じている関係者の皆様、
>ご理解をいただきたい。
ということで、ご理解をいただきたい。
たまきんのせいで酸素足りなくなってます
822 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 13:25:07 0
安部首相と従兄弟?
823 :
考える名無しさん:2007/07/03(火) 15:31:00 0
結局「アッハ」体験なんて脳内麻薬と同レベルの問題だろ。
薬物で代替可能な悟りの一種。
新興宗教同様くだらない。
クオリアスレはいい参考になりますよ。新興宗教の。
825 :
考える名無しさん:2007/07/04(水) 00:58:10 0
この出版社、仲正と北田の時も紆余曲折してたよな
茂木さんは823のようなアホの存在をこのまま放置しておいて良いのか
対象aとの邂逅の瞬間でしょ、アハ体験は。
違うかな?
>>826 いや
>>823は正しいでしょ。
結局「あはっ」となれば「アハ」体験なんだから、
麻薬でそうなるのと体験としては違わないって
ツッコミなんだから。
茂木としてはその違いも問いたいんだろうけど
流通可能な言説としては同じとしか言えないところで格闘してるのでは
>>827 違うでしょう。どちらかといと、
失言や機知に近いのでは。
シニフィアン連鎖の短絡路。
アハは照応に伴う感動だろ。
832 :
考える名無しさん:2007/07/04(水) 23:55:51 0
そう、アハって感動なんでしょ?
感動は同定できない認識そのものでもあるので、
シニフィアン連鎖でもない。
連鎖することしかできないシニフィアンとはいえるかもしれないけどね。
ラカンの狭い概念を無理に使えばだけど。
シニフィアン連鎖なんてこざかしいことではなく
小林的に言えば「直知」とかだね。
「直知」って何よ?
茂木先生、「サナギになる勇気」って・・・
マジでこの書簡、帰ってこない気がしてきた。
836 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/05(木) 11:18:42 0
茂木っちは、もはやスターだから、テレビ出演、講演などなどいそがしいんだよ。
斉藤みたいなチンピラ相手にしても金にならないし、水掛け論だし、
暇つぶしでしょ。
こんなの教科書的に適当に流しておけばいいのに、模擬は誠実な人ね。
838 :
考える名無しさん:2007/07/05(木) 14:09:39 0
斎藤の言うとおり、いくら議論を続けても最終的には「共約不可能性」に行き着くしかないからでしょ
ただでさえ忙しいのに、そんな非生産的な議論やってられんって感じなんじゃないの、茂木にすれば
まぁそれなら最初から企画引き受けるなって話だけどw
839 :
考える名無しさん:2007/07/05(木) 15:26:26 0
もしこのまま終わったら、ふつうに茂木さんの負けだろ
まぁ斎藤さんに論争で勝てる人なんてそうはおらんと思うよ
だって「勝つ」というよりは「負けない」展開に持っていくんだもん、斎藤さんw
格闘技にたとえたら究極のディフェンディング・チャンピオンって感じじゃね?
まぁラカン理論自体がそういう性質のものだからというのもあるんだろうけど
こういうの斉藤は楽なポジションでいいよな。茂木は一冊本を
書かなきゃいけないかというくらいエネルギーがいる。
サナギになってコミュニケーションを断つなんて、
自閉症や統失の自覚的な病識そのものじゃんか。
>>831>>832>>833 ラカン理論と結びつけるのを前提にした話だけど、
思いがけない発想や発言で感動するというのが、
まさに機知の働きで、そのメカニズムが連鎖の短絡です。
例えば生理的な反応と排他的な関係にあるわけではない。
>>839 KOを狙わないでポイントを稼ぐスタイルですね。
だから茂木としては、ヒスると思う壺なので、
斎藤の抑圧的な側面を見えるようにして、
ギャラリーを味方につけるのがよいでしょう。
脳科学の実証的知識で圧倒できれば
それが一番だけど、クオリアに結びつくかどうか。
843 :
考える名無しさん:2007/07/05(木) 20:51:58 0
ヒスるヒスるってよく書いてるけど、
そもそも茂木ってそんなにキレるひとなの?
ヒステリックな書簡て相当だよな。
あまりそんな印象は受けないんだが・・・
844 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 11:06:17 0
高橋悠治との対談でキレた。
ブログでも、口喧嘩じゃ絶対負けないと言ってる。
845 :
名無しさん@社会人:2007/07/06(金) 12:50:52 0
クオリア関係の対談でも脳神経学者か何か相手に明らかにキレてたよ。
相手の発言を封じてたもんね。
模擬先生said,
>サナギは周囲に対して一見無反応に
>なり、何の動きもないように
>思われるが、
>中では、猛烈な勢いで「自分」
>の作り替えが進んでいる。
>鬱になったり、自信を失ったり、
>周囲との活発なやりとりを
>欠いてしまっているような
>時期でも、
>それが「蝶」になる前の
>「サナギ」だと思えば
>前向きになれるのではないか。
847 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 14:44:17 0
『キレる脳』とかいう本なかったっけ?
848 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 14:46:38 0
『セロトニン欠乏脳 キレる脳・鬱の脳をきたえ直す』
有田秀穂/著
生活人新書 093
849 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 15:14:56 0
>>848 その本を茂木先生に推薦してあげましょうw
850 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 20:01:33 0
敗北宣言にみえるけど・・・
851 :
考える名無しさん:2007/07/06(金) 23:54:51 0
入稿の遅延はどの程度まで許されるのだろう。
852 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/07(土) 00:44:10 0
茂木って、ほんと売れっ子タレントだな。
今日もバラエティでてたし、広告ポスターもよく見る。
斉藤もあまり無気になることないと思う。
853 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 01:22:24 0
もう茂木は放っといて、斎藤の連載コーナーにしちゃえば?w
854 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 01:49:52 0
新進気鋭の秀才研究者(?)てマスメディアは好きなんだよねw
まあマスコミ(出版社)が勝手に触れ込む訳だけど・・・
それで売れちゃうと本人も満更じゃなくて乗っかっちゃったりして使い物にならなくなる。
茂木はクオリア問題で逃げ道を作ってるから大丈夫だ。
856 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 09:22:20 0
クオリアの問題の建て方そのものが「逃げ」だからね。
自分はストーカーされてるという妄想の人間が、
「でもストーカーだから見えない」といって
ストーカーを証明する客観的な事実そのものは否認するのと同じ。
本当は自己認知を求めるだけの妄想で狼少年より病気だから。
857 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 09:24:46 O
しかし暇だなあ
昨日テレビで「直感を信じろ」とか「自分だけを信じろ」みたいなこと言ってたなあ。茂木。
真逆だね。
ていうか「科学者」か? 本当に。
やっぱ脳科学者の多くは、自分の欲望に対する分析がなってないな
宮本武蔵の戦術ってわけじゃないよな?
不利と見込んだ戦は、遅れてきて焦らすっていう・・・
そんなに忙しいのなら、くだらんバラエティの仕事なぞ断ればいいのに。
861 :
考える名無しさん:2007/07/07(土) 21:36:01 0
大人の事情があるんだろ…
862 :
考える名無しさん:2007/07/08(日) 00:41:10 0
だからバラエティなんかに出ずっぱりになってる学者なんてろくな奴はいなんだって。
金は儲かるし、自分でもよく解らん良い気分に浸ってるんだよw一研究者の時とは違うw
こういう状況環境から元に戻るのはほぼ不可能です。茂木はもうオワタのは確定。
これは論争なのか。脳科学の困難を二人で確認しあうだけ企画なのか。
864 :
考える名無しさん:2007/07/08(日) 21:06:39 0
茂木はもう返事をする気などないように見える。
865 :
考える名無しさん:2007/07/08(日) 22:40:25 O
茂木は面倒なことには頬かむりか。
ヘタレとはまさにこいつのことだな。
茂木タソ
ニコニコ動画なんぞ見てないで書簡の返事かいてくれ
模擬先生曰く
>スローで行きますから
> やることがあり過ぎる。
> ボクは、どうなってしまうのだろう、
>諸君!
もう往復書簡は成立しないだろ。
868 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/10(火) 20:11:52 0
はてなはじめてたのはじめてしった!
ほんと? リンクは?
871 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/10(火) 20:39:00 0
pentax!
pentax!
873 :
考える名無しさん:2007/07/10(火) 21:02:36 0
874 :
考える名無しさん:2007/07/10(火) 21:05:22 0
宣伝ばっかだな。
>>871 アンテナ、もう40番超えてる。
みんな情報つかむの速いな。
なぜ、今、ブログを始めたんだろう
副業多いなあ・・・
たまきんの推薦コメントは、文末に「(笑)」を脳内補完したくなる。
880 :
考える名無しさん:2007/07/11(水) 18:27:34 0
斉藤は本当は昔から、はてなに入っていたんだと思う。
時々文章をアップしてみては、誰もおれに気がつかないな
誰もアンテナに入れない、、、ふふふ、バカな奴らめ
と面白がっていたに違いない。
違うよ。
間違いなく、おまえらを馬鹿にしていたw
往復書簡で絞め具合を見誤り副収入ダウソ・・・
/\___/ヽ 十 ヽ
/ ::::::::::::::::\ ゚l_ノ
. | __,,,,,.ノ ヽ、,,,_ .:::| う
| ー一 ー一 :::|ぅぅ
. | ::< .::|うぅ
\ /(.,-‐-、 )ヽ ::/うう
/`ー‐--‐‐―´\んう
はてな開始により営業効果うp!
/\___/ヽ ( こ
/ ::::::::::::::::\
. | ,,-‐‐ ‐‐-、 .::::| ┼'っ
| '"⌒` ,: '"⌒` :::| l
. | , 、_:< __,、 .::|
\ /\i_i_i_/ヽ ::/ l |
/`ー‐--‐‐―´\ ノ
誰か、以前からid:pentaxxにアクセスしてた人おらんかね。
結局、模擬さんは瞬発力というか、ライヴの人なんだね。だから、対談、
それも公開の対談だと、どんな相手とでもそれなりに話をまとめてしまう
(まあ、唯一ダメだったのが高橋悠治だが、ありゃ仕方ない気がする)。
で、斉藤はこれをよく見抜いていたから、じっくりとコーナーに引きずり
こむ「往復書簡」というリングを設定した。模擬もきっと、一抹の不安は
あっただろうけれども、きっと忙しさの中で、ノリにまかせて、
引き受けちゃったんだろうな。
で、ふたを開けてみたら、アレが。というわけで、もう模擬としては
いかんとも返答するのが難しくなってしまった。だって根本的に
クオリアというのはマジックワードというか、模擬のライブに華を添える
ちょっとした道具にすぎない。
厳密に、これまでの模擬の記述を分析されたら、手も足も出ないのは
分かりきったことなんだよなあ。
それでもクオリアなら、と期待してるんだが。
887 :
考える名無しさん:2007/07/12(木) 21:14:52 O
「生き延びるためのラカン」読んだ
いささか鼻につく文体だったけど、解りやすいね。
888 :
考える名無しさん:2007/07/12(木) 21:21:05 0
>>887 だろ?
まぁ細かいところに関しては色々と異論もあるけど、
ラカン理解のきっかけとしては上出来だと思う
議論ってのは土俵作った奴が勝ちだからな。
この土俵の上で戦うなんて、無理だろ。
こっから別の土俵に持ってけるか?
火山を爆発させて、ちゃぶ台自体ひっくり返せばよろし
得意技じゃないか
ただ、斎藤さんに弄られてから
模擬さんの言動がおかしくなってきて心配
間違っているものでも信じ抜け!とかさ…
>>885 まあ、そうなったらなったで
正面から戦わずともいなし続ければいいし、
模擬もそんなの簡単にできるって言ってたけどな。
突然何も言えなくなったのは
もうすでに環の掌の上で踊らされてるってことか。
>>880-882 でもあまりに気づかれないのも寂しくなって
情報をリークさせたってわけだなw
最近の著作しか知らないんだが、
斉藤さんって以前から執筆活動してたの?
>893
>しかも環無自覚だから江原よりたちが悪い。
斎藤環に「お前は無自覚だ」なんて言ってのけるとは、いやはや、心理学板住民ってのは凄いな。
898 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 01:03:52 0
「文脈病」で
表音言語を対象にしたソシュール的なアプローチでは
表意文字である漢字は分析できないとかなんとか指摘してた件は
その後どーなったんでしょ?
誰かさん風にいうと「イメージと記号の問題」かな。。。
顔の認識の問題とも関係してるだろうな。
ところで誰かさんて誰だい?
900 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 02:15:18 0
>>898 小林敏明の「精神病理からみる現代思想」あたりでは
漢字も普通にフロイト−ラカン的なアプローチから扱ってたけど、
厳密にはやっぱり違うのかもしれないなぁ
石澤誠一「翻訳としての人間」ではその辺のことにもっと自覚的だったような気がす
>>884 俺RSS購読してたよ。更新ないからRSSはずしたけど。
やっぱり本人だったんだね。プロフィール欄に名前が無くて「問題あればすぐ閉鎖」とか書いてあった。
環のファンのひとかなあとか疑ってたのさ。
なんかこのまま待っててもつまらんからここで煽ってようぜ。
騒いだらなんか出てくるかも。
--------------
いやおいら茂木じゃないけどさ
だって倫理中枢が存在しないわけないじゃん。
証明だって簡単じゃね。ある情報にある情報が付加したら善悪なんて簡単にひっくり返るべ。
おまいらそういう体験したことねーの?
反省的判断力だって脳の働きに還元できそうだ。環やっぱちと荒すぎる気がす。
903 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 10:04:23 0
倫理中枢が問題だったのかよ?
脳にクオリアとして還元できるのが自己愛なら
倫理だろうが反省的判断力だろうが自己愛だろうよ。「他者のクオリア」でお茶を濁すまでもなく。
905 :
第三の波平 ◆v97jOX.oqY :2007/07/14(土) 11:18:00 0
ブログの更新があちこちいってるな。
原稿を平行で仕上げてるみたない・・・
まさか環自身がナルシシズムに陥ってることに無自覚、というオチじゃないだろうな。
斎藤さんは、何手先まで読んで書簡を準備してるんだろう。
高橋悠治との対談を公開してるって褒めてるのも、実は戦略だよな?
アレを公開してらっしゃる茂木サンのことですから、
今回も当然逃げませんよね(・∀・)ニヤニヤってことだろ?
なんて恐ろしいお方・・・
敵に回したくないし、診断もされたくないw
環は心得てるよ。いろいろと。
909 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 22:46:50 0
>自分で言うのも何ですが、私は日本の言論業界で
>"ケンカ副島"といわれて多くの同業者から敬遠されています。
>私個人は穏やかな性格で、口ゲンカもあまりしません。
>しかし、いざ文章での議論となると、相手の能力的な弱点や限界をすぐに見抜く
>(透視する)ことができる特殊な才能を生来持っているので、
>どんな相手でもほぼ一撃で沈めることができます。
>これはいまでもそうです。
>
>『日本壊死 新しき人目覚めよ』船井幸雄・副島隆彦著、まえがきより
もう斎藤と副島さんの往復書簡しかないだろw
910 :
考える名無しさん:2007/07/14(土) 22:47:43 0
そもそも斎藤は相手に勝とうという発想をしないと思う。
勝てるケンカしかしないとか、勝つより負けないとか、
負けるが勝ちとか、戦略を戦術に優先させるのが環の優秀性。
今回の茂木戦では、戦わずして勝つ(不戦勝)、みたいな。
「俺は誰にも負けない」みたいな気負いがない分かえって手強い。
でも茂木のターゲット層は斎藤より大衆的だから、
茂木が痛手を負うこともないだろうし、そういうのも
含めて、最初の時点で勝っても負けても損がない
ように(勝っても相手が暴れて損をする場合もある)
計算され尽くしているように見える。穿った見方ですが。
環センセイを見ていると、いつも自分の言動が幼稚に見える。
日々臨床で鍛えているから精神レベルが違うのは当然ですが、
(それが病院や活字など場所が限定されたものであったとしても)
対人スキルが凄いので、常に参考にさせて頂いております。
メディアの露出も多いし問題領域も危ういモチーフを抱えているのに、
わりと弾が当たりにくいポジションを確保してるイメージがある。
弾避けの技術はブロガー的には大いに関心があるテーマです。
>>901 dクス。
これだけブログが溢れてるのに、よく見つけたね。
915 :
考える名無しさん:2007/07/15(日) 00:19:27 0
しろうとさんってブロガーだったのか、知らなかった。
環はうまいよな。
模擬なんて派手に振舞っちゃうから、
コアなファンにも敵にも標的になりやすいし追っかけられる。
講演のMP3聞くと、どの回にも参加して必ず質問してる
クオリア依存症のような人すらいるしな・・
茂木関連のスレもどこもメチャクチャだ。
ちょっと同情してしまう。
自ら蒔いた種とも言えるが。
書簡は続きそうにないから、たまきんの新刊をwktkしながら待つことにした
920 :
考える名無しさん:2007/07/15(日) 11:10:28 0
斎藤さんは吉本隆明派を罵倒して、
あとで吉本の対幻想論を評価期待した(「家族の痕跡」)のは
面白かったよ。
自己修正もできる人なんだよな。
とりあえず2chに環マンセーが多いのはわかった。
ヒキとヲタにやさしいからだろうな。
そんな環を攻撃する気にはならない。よろしくやってくれ。
環の立ち位置というか・・・
常に相手よりも上に立てるスキルが羨ましいな
環を批判した途端に自分は分析対象になるんだから
マンセーしたほうがいい
すると環と同じ立ち位置が得られ、上からニヤニヤできる
>>742を読んだんですが、この斎藤って人現場の医者ってまじですか?ヤバくないすか?
精神科医は自身に対しても精神分析をしてもらうことは必要だよ。
>常に相手よりも上に立てるスキル
それが無意識の表象かもしれないからね。
ラカニアンなら尚更か。知らんけど。
926 :
考える名無しさん:2007/07/15(日) 19:12:41 0
>>923 以前、「名医の名鑑」に掲載されてました。
紹介状が無いと診てもらえないそうです。
クオリアについての文章を読む限り電波方面というか言葉遊びの人という印象を持つんだけど、
それと医者としての腕前は別物ってことなのかな。
実際に病状が好転したからこそ名医という評判が立つんだろうし。
といいつつこの人の医者としての専門もよく知らないんだけど。
>>927 言葉を操る技術というのは精神科臨床医には大変重要な資質。
本人もブログで「投与」といっている。
ま、実際名医かどうかは知らんが。
玉菌に強烈な幻覚剤を投与された模擬は
自分の風景を構成しなおせるのかどうか。
幻覚剤というより困惑剤というべきか。
茂木としてもあの散漫な文章のどこに反応すればいいのか困惑してるんじゃなかろうか?
つうかタイトルの「『価値のクオリア』は存在するか?」って関係ないじゃん!
あの文章以来、模擬の言動がおかしくなってるのはそういうことか。
特別講義に来た時も、いつもの漲る自信がないんだよな。何か怯えてて、不安そうだった。
>>923=
>>927だと思うが、
件の文章のどこらへんが電波だと思った?
引用して、君の解釈を添えてもらえないかな。
ヒキとヲタに論破できんのか。
無理すんなってばさ。ヒキヲタがサブカルでその専門家がサブカル医なのと同じで
倫理なんてのもクオリアの下位概念じゃん。
心理分析をするなら脳科学もちゃんと押さえとくべきだよ。
------------------
いやおいら茂木じゃないけどさ
だって倫理中枢が存在しないわけないじゃん。
証明だって簡単じゃね。ある情報にある情報が付加したら善悪なんて簡単にひっくり返るべ。
おまいらそういう体験したことねーの?
反省的判断力だって脳の働きに還元できそうだ。環やっぱちと荒すぎる気がす。
ヒキがたまきんをかばう気持ちもわからないでもないけどさ、それにタマキンはきみたちを背負ってる、だから負けるわけにはいかないのはわかる。
でもね、ヒキだって脳に還元したほうが解決することもあるかもしれないよ。
さくっと。ようはクオリアを感じる部位が低下してんでしょ。
タマキンもわかっててカマトトぶりやがってさ。
935 :
考える名無しさん:2007/07/16(月) 16:21:23 0
往復書簡については、原稿が届き次第、すぐに掲載いたしますので、もうしばらくお待ちください。
もうさ、文書(言葉)形式ですでに行き着く結論が見えてるだろ。
タマキンが無意識に書簡形式を選択してしまったことでわかるよ。
ラカニアンでも返信が無くとも文脈づける脳は持ってるんだな。
たまきんの場合、ラカニアンといってもラカン萌えを意味するらしいから。
斎藤はひきこもりには(大)不評ですよ。
彼がひきこもりの味方ではなく、それを
矯正する社会側の人間だからでしょう。
でも100%の味方なんているわけないし、
環に利用されつつ利用すれば良いのに。
でもまあ現実的ポリティクス自体が嫌か。
>斎藤はひきこもりには(大)不評ですよ。
そう言い切れる根拠やソースは何?
少なくとも2chのヒキ板では大不評で、
ネットだけではなく、過去に色々あった。
でも哲板に相応しい話題ではないです。
まず始めに言っておきたいことがあります。
私は常々クオリアの存在を取り上げて称揚していますが
これはなにも、ゲルニカやモーツァルトが超すばらしいのには
サムシングスペシャルな理由があるに違いないとか
自分のどうしようもないナルシシズムをどうにか正当化したいとか
そういうスカで下世話な動機からではけっしてありません。
そんなことはまったく、みじんも考えたことすらないので、私はあくまで否認を貫きます。
仮にそうした批判が一瞬、私の心をかすめたとしても、
そんなくだらないことはどうでもいい。
・・・(省略されました。続きを読むにはワッフルワッフルと書き込んでください)
945 :
考える名無しさん:2007/07/18(水) 02:25:16 0
書簡うpを願いage
ワッフルワッフル
947 :
考える名無しさん:2007/07/18(水) 12:07:43 0
恋愛新自由主義が蔓延し、恋愛における格差社会もかなり深刻です。
一生童貞に終わる人が増えています。こういう人達のことを「恋愛プア」と呼びます。
また恋愛市場そのものから退却して(退き篭って)しまった人達のことを
「恋愛ニート」と呼びます。
恋愛ニートには原因によって様々なタイプがあります。恋愛市場での長期の恋愛貧困状態、
すなわちあまりのモテなさによって恋愛意欲を徐々に喪失した者、なんらかの発達障害や
対人機能障害をかかえるために恋愛市場そのものに参画できない者、過去の失恋や男女関係
のトラブル、性的虐待等々によって恋愛への基本的信頼を失ってしまった者、二次元の世界
の仮想的な恋愛関係に没頭して現実の恋愛市場に全く無関心でいる者・・・
恋愛プア、恋愛ニート、恋愛障害者に対する早急な社会復帰or自立支援策が望まれるところです。
広告会社とファッション誌に乗せられて嘘を信じた出鱈目社会学。
マスコミ商業主義に迎合した軽薄なインチキ社会学。
人間ならば恋愛しなければいけないという空気は70年代に成立
した。それ以前は、女に消極的で自信が無く不細工で性的魅力が
ない者は皆お見合い結婚をしていた。性格が暗い田舎者の不細工
にとって恋愛は昔から現実的に無理だった。70年代以降は性格が
暗い不細工の田舎者までもが恋愛しないといけないという
無理難題が発生するが、そんなものは昔も無理で今も無理。
無理な人に無理をさせてはいけない。両手が不自由な人にバスケ
をやらせるようなもの。インチキ社会学などに耳を貸さずに
君には恋愛は無理だから見合い結婚をしなさいと現実的な
アドバイスをすべきと魔じれ酢。
949 :
考える名無しさん:2007/07/18(水) 13:54:56 0
最近ブサヤリとか流行ってるな。
950 :
考える名無しさん:2007/07/18(水) 16:08:07 0
恋愛ニートは社会学的問題ではなく、精神医学的問題。恋愛アパシーと呼ぶべき。
198 名前:名無しかましてよかですか? :2007/07/18(水) 10:09:12 ID:hO4yAc7X
恋愛新自由主義が蔓延し、恋愛における格差社会もかなり深刻です。
一生童貞に終わる人が増えています。こういう人達のことを「恋愛プア」と呼びます。
よしりんには『恋愛格差社会』論を書いてもらいたいです。
199 名前:元祖ナショナリスト ◆D9SOojI78c :2007/07/18(水) 16:11:23 ID:ocUczHvU
>>198 それって斎藤たまきんと負け犬女が書いていなかったけ?
952 :
考える名無しさん:2007/07/18(水) 21:04:57 0
「恋愛ひきこもり」と命名します
「先生、うちの子は恋愛しないんですけど、精神病院に
入院させた方がいいのでしょうか?」と相談しにくるお母さんを
製造しようと企んでるのか。
産めよ増やせよ
精神分析
955 :
考える名無しさん:2007/07/18(水) 23:04:17 0
>>953 ラカン派は入院なんてさせないんじゃないの?
そもそも症状の治療が至上命題ではないような感じすらあるし
956 :
考える名無しさん:2007/07/18(水) 23:21:26 0
心身喪失したら入院しないと無理だろ。
環も精神科医なんだから普通に入院も投薬もさせるでしょう。
ただあまりに文筆家・文化人として有名になりすぎただけで。
>>955 それが本当なら、斎藤は似非ラカン派かもなww
959 :
名無しさん@社会人:2007/07/19(木) 12:04:44 0
ラカンには
正常と異常の区別が基本的には無いわけだから、
治療も暫定的に必要なだけでしょう?
理論は讒言だしさ、環さんによれば。
暫定的って、そこが逃げ口上か
完全完璧な逃げ口上だね、タマキンのラカン紹介は。
そこがスバラシ〜のだよん。
>>958 いまさら何いってんの。タマキンは「文脈病」の時点で、もう自分はラカン派
を名乗る資格はないって言ってるよ。
教育分析受けてないんだから精神分析家足り得ないだろ、そもそも。
斎藤環がラカン派精神分析家だったことはこれまで一度たりともないよ。
本業の話がほとんど漏れ伝わってないところなど
ガードの堅さもさすがだよな
>>963 っていうかそういう意味でラカニアンだと
本人が言ったことなんか一度もないんじゃない?
あんまり著作読んでない奴が勝手に勘違いしてるだけで。
ラカンを売名行為につかっていただけか?
そうだ、ともいえないこともなくはあるかもしれず。
968 :
考える名無しさん:2007/07/20(金) 18:05:43 0
埋めよ殖やせよ
にせ茂木 曰く
■主体というものの存否と私の立場
ラカン派の主体に対する考え方はよくわかりました。
ラカンにとっては「ない」のでしょうがデカルトにとっては「ある」のです。
中立的な立場から見れば、「ある」とも「ない」とも言えないのが
現状ではないでしょうか。
そして私は「ある」という仮定の下に研究を進めています。
■共訳不可能な価値を共通言語で言い表せるか?
クオリアの共訳不可能性はラカンの「欠如した主体」と近いと思います。
私はいろいろとクオリアの周辺について説明していますが
そのものを言い表せているとは考えていません。
■懐疑と洞察について
自己の固有性を認識する程度のナルシシズムはあって然るべきです。
ある程度確信を持って感じられる(例えそれが幻想であっても)自己と
他者との関わりの中でしか共感は生まれないのではないでしょうか。
■美と倫理
べつにWTC崩壊の様子を美しいと言ってもいいではないかと私は考えます。
それを倫理的に批判することは、美と倫理を混同することです。
感情を動かさないのではなく、感情に動かされないことが大事でしょう。
秘私(エロス)的な空間においてはその限りではありませんが。
芸術とは秘私的なものであるからして、美を基準に据えるのはまったく正しい。
■「倫理中枢」について
「価値観は底が抜けている」という認識は私も持っています。
その上での議論ですが、そのように考えていない人もいるかもしれません。
■主体が「ない」としたらどうか?
クオリアとは事物の殺害である。
それを退行的身振りと言うのはおかしくないか
仮定することによってこそ生きることができる「無害な非真実」
972 :
考える名無しさん:
模擬は高橋U字にボコボコにされたときから進歩してない