1 :
しろうと ◆AUSirOutoE :
2 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/05 00:27
ははははは、いてもたってもいられなくて?
マジレスすると、
クソスレ立てんな
↑
くだらない読み物ですよ。
そうかな、初心者向けに丁寧に書いてあって面白かったけど?
君達は、しろうとが自演キャラの一部であることを知りませんね。
ま、たまきんのこと知ってる香具師が集まるまで
ボチボチやってこうや
せんせー、このスレ見てる?
見てたら一言。切実な(ちょいウソ)一言。
はやく「生き延びるためのラカン」更新しる!!
は ・ や ・ く
11 :
考える名無しさん:04/09/09 22:36
早く更新すると、その文最終回が早く来ちゃうじゃないか。
文→分
かつてパソコン通信は左翼の巣窟だった。
電子掲示板の管理は徹底的に嫌われ、何も管理しないのがよしとされた。
参加者のメッセージが削除されたりすると蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
しかしインターネットの時代になってネット掲示板は右翼の巣窟と化した。
これは以前のパソコン通信を知っている人間には信じられないほどの変化なわけだが、
実はネット掲示板にはより根本的な変化がある。
それは超越的視点から生活者の視点へという変化だ。
かつてパソコン通信のフォーラム(SIG)は学問や趣味のテーマによって構成されていた。
言わば知のトップダウンだ。
しかし、インターネットでは就職、恋愛、教育、医療、買い物、旅行というテーマが主流を占める。
これはボトムアップ的である。
これは革命的変化だと思うのだが、どれほどの人間がこの重大性を自覚しているだろうか。
斉藤さんは哲学者じゃないぞ。なんでこんな板に立ってんだ
15 :
考える名無しさん:04/09/10 22:28:48
>かつてパソコン通信のフォーラム(SIG)は学問や趣味のテーマによって構成されていた。
SIGってPC−VANだったよな?
NIFは会議室だったよな?
10数年も前のことだったよな?
16 :
考える名無しさん:04/09/10 23:04:23
>>14 「哲学者にとっての斎藤環の意義」か「哲学者からみた斎藤環の限界」を論じるため、とか
ビエンナーレ作品がもうアップされとるな。公式HPに。
しかし、これが「作品」とはw
パスタ食った?
ねえ、パスタおいしかった?
ベネチアって蚊が多いんだよな、すごく。
次回の美術手帳は環先生書くのかな?
行き帰りの飛行機の中で病人が出て
「お医者様はいらっしゃいませんか?!」
的な状況になることキヴォンヌ。
だれかキボンヌをイタリア語風に言ってよ。
chibonne?
ユリイカでラノベ作家と対談。
このひとの対談はけっこううまく相手の考えてること引き出してて好き。
さすがは話を聞くプロ。
24 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/09/28 22:43:58
どうでもいい事だけどスレが停まってるんで書きます
ゲームラボで斎藤センセイが北島康介とショタを結び付けていましたが
これはオタク的には噴飯ものではないでしょうか
戦闘美少女の系譜にじゃりん子チエを付け加える以上にありえない
「藤島康介でショタはどうよ」(レニとか)というならまだしも
25 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/09/28 22:47:14
例えばオタクのショタとやおいのショタは異なっていたり
やおい(パロ)とJUNE(オリ)というように更に下位区分があって
東浩紀にセクシャリティという問題を突きつけた
斎藤センセイがどう整理していくのか気になっていたんですが
今回あまりにセンスがない発言をするので少しだめぽ
26 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/09/28 22:50:10
東もギャルゲとエロゲの区別が付かなかったり
やおいを女性のオタク一般を指すと誤解したりしていますが
あれだけデリダを緻密に読む東やラカンを精密に読む斎藤が
なぜこんな初歩的な用語でつまづいてしまうのかが分からない
まあプログラマーが簡単なパズルが解けないとかそういう事はありますが
27 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/09/28 23:14:45
偶然にも『下級生2』というエロゲに「たまき」というキャラクターがいるらしいのですが
彼女が非処女だったためにあるまじき事としてオタクたちが2chで暴れてるんですね
馬鹿馬鹿しいとも言えるけど、これはどうみても動物的ではない
そもそも虚構の対象に性的欲望を持つという斎藤の定義も人間に特有なものだと思うけど
もしかしたら東は「いや、処女というのも萌えデータベースの属性の一つにすぎない」と言うかもしれない
しかし絵や音とか直接認識するものと違って設定は単なる神経的な訓練じゃないと思うけどな
単なる性器的欲求の次元からしたら処女かどうかはどうでもいいし
しかもそれが虚構の対象だったら全然神経的じゃないだろうと思う
要するに処女に幻想を抱いていて、その信頼を裏切ったからオタクが怒る訳ですが
(精神分析的な)幻想は人間に特有だと思うけどな
斎藤センセイには自分の活動の宣伝だけじゃなくてそこら辺の考察を期待したいですね
>1さんは単なるゲームヲタではないですよね?
>>24-27 ヤツに、アニメだゲームだ萌えだについて、マトモに語れることを期待する方が
騙されているというか、そもそもの間違いだろう。
あの業界の、とくに現場については門外漢もいいとこ。
東あたりは一応、彼自身がそれなりの消費者でもあるようだが……。
>>27 東さんがいう「動物化」はたぶん一種のメタレベルでの話で。
32 :
考える名無しさん:04/10/01 20:11:46
タマキン、マルホの批評さえできてねーじゃん。
33 :
考える名無しさん:04/10/01 20:43:19
34 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/03 23:06:43
あの流麗にして重厚な蓮實重彦の文章「運動の擁護に向けて」は
東の動物化論と前提を共有しつつ異なる結論を出しており興味深い
蓮實氏はスポーツを「運動」と捉えます
二十世紀はスポーツ=運動を擁護するかに見えてその実
世界の表情を変える事の無い静的なアーカイブに
記録=数字を登録する官僚主義にしか過ぎませんでした
蓮實が言う動物は、東と異なり運動する存在です
それはアーカイブを剰余する身体性と運動性によって可能になります
35 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/03 23:14:22
遡って斎藤と東の大航海の対談を思い出してみましょう
東は文学などの文化がスポーツ化していると指摘します
しかしスポーツは、それを含むゲームは人間的なものです
(蓮實はスポーツとゲームを対比しており自分の概念と少し違いますが)
例えば百メートル走というのは最も単純な競技ですが動物的では少しもない
競技自体は東の言うように身体と神経の問題ですが
そこに至るまでの過程で日々の練習があります
そこで走るのを止めて食っちゃ寝の惰性の日々を送るのが動物的であって
自分の考えではスポーツをするのは人間的、つまり精神性があると思う
36 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/03 23:28:23
それからあの対談では言語観が衝突していましたね
また少し違う角度から単純作業の代名詞であるベルトコンベアーを見てみましょう
例えばベルトのある位置に余ったネジを置くとします
その置き方によって「あそこの新人の配置を変えろ」とか「今夜飲みに行こう」とか意味できます
それはベルトコンベアー言語と言っても構わないでしょう
動物が鳴き声とか特定の記号にしか反応しないのに対して
人間は規約の取り決めに応じて幾らでも言語(ゲーム)を生成できます
もしかすると東は物書きの世界だけが言語的で人間的であると思っているのかもしれない
しかし自分はその逆に言語は遍在すると考えます
37 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/03 23:41:53
>>28 単なるゲームヲタではないですよ、哲ヲタでもありますから
>>29 たとえが悪いけど、レヴィ・ストロースが未開の民族の「野生の思考」に
普遍的で数学的な構造を発見するような視点を持つには門外漢の方が好ましい
>>30 メタレベルの動物化ってどういう事かよく分からない
ポスモダ化・表層化・記号化・情報化・データベース化・ゲーム化・スポーツ化…
するとして、それを「動物化」で括るのは不適切だと思う
38 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/03 23:49:08
>>31 まず昔の世代もコンサートで嬌声を上げていましたし
今の世代の他の集団も、例えば中高生の女の子が
インディーズのお笑いグループなんかを熱狂的に支持してます
それで基本的にアイドル=偶像に囚われるのは人間的だと思う
昔の人間が崇高な対象を信仰していたのに対して
今の人間が不気味な物に萌えているという違いがありますが
それでさっきの百メートル走の話と同じように
コンサートの最中は熱狂状態であっても
そこへの過程では他の選択肢があります
例えば新作ゲームの発売日と重なるとか
ここら辺で野矢の評価の次元や
中島の権利的なコギトの話や
無の選択肢=自由の構想を思い出します
失礼なこと書きますね。しろうとさんは学術的なこと、特に論理学や言語学と哲学
が重なってる分野についての問題意識は鋭いものがあると思うんだけど、
日本の思想家の思想や彼らの思想の相関関係を語りだすととたんにつまらなくなる
ような・・・。これは俺が東にも共通して感じる感想なんだけど、日本でだけ、しかも
短いスパンでだけ通用する問題意識をあまりに瑣末に論じることに面白さはあるん
だろうか。こういうと元も子もないですが、TVゲームやライトノベルなどなどに
そこまで論じる価値があるのかなあ、と素朴に思いますね。
そのほうが東の本が売れるからだっつーの。
浅田世代が時代で遊んだ程度には僕らも遊ばせてもらうよ、つーことなだけ。
41 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/04 01:06:34
>>39 >論理学や言語学と哲学が重なってる分野についての問題意識
ずばりウィトゲンシュタインの問題意識なんですよ
自分も東に関して、後期の「動物」の時代より前期の「郵便」の時代の方が面白いと思います
ただポストモダン化については、世界的な現象で20世紀を通じた変化だと東は言います
確かに事情通の雑談という側面が大きいですね
ただ「ゲーム」というのは「ゲーム理論」とか「言語ゲーム」と絡めて
更に「ストーリ」と対比して大きなテーマにしたいんです
簡単に言うと近代以前の時代がストーリ的で以後がゲーム的な時代です
それでデータベースに過ぎないゲームに人間性を宿らせるのがアスペクトです
42 :
ぴかぁ〜(U) ◆wMDHqGPerU :04/10/04 01:07:45
しどろもどろ・・・
>>41 >「ゲーム」というのは「ゲーム理論」とか「言語ゲーム」と絡めて
うーん、これは悪しきアナロジーかと。不完全性定理と形而上学の不可能性を
短絡する行為は哲板でも厳しく批判されてますよね。それに近いものがあるのでは
ないでしょうか。
俺は哲学板に来て「存在論的、郵便的」に熱狂していた自分が一発で冷めたw
もうゲーデル的脱構築なんて恥ずかしくて口にできないよ。
45 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/04 01:34:52
>>43 濫用でない比喩であれば不完全性定理を用いても構わない
林晋のような専門家も柄谷の内容を保証してます(後期は違う)
あとクラインの壺を取り上げた山形もトポロジストに退けられましたし
記号論があらゆるものを記号として捉えるように
戦略的ゲーム理論はあらゆる社会的な行動をゲームとして捉えます
そこでは「今の関係が壊れるのを恐れて互いに告白できない男女」も
囚人のジレンマと見る事ができるでしょう
>>45 >あらゆるものを記号として捉える
といった場合、記号は他の何かを示していると言ってよいのですか?
その場合、例えば(目の前の)リンゴは何を示しているのでしょうか。
>>45 >濫用でない比喩であれば不完全性定理を用いても構わない
濫用でない比喩、と、ヒントとしての類推的思考、はまたちょっと違うんじゃないか?
出来れば権威付けではなく、柄谷思想の内容保障をしてほしいんだが。
つーか、林晋という人の書いたものを俺が読めばいいのかw。本か何かになってますか?
とても興味ある。
48 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/04 01:50:11
>>46 言語を使う人間にとってあらゆるものが記号だという話は
記号論理学などと区別して文化記号論になりますね
それで、必ず何か意味があるという主張ではなくて
あらゆるものが何か意味をもちえるという主張ですね
例えば目の前にリンゴが置かれていたとして
それが何かの合図だと解釈する事も可能だし、実際ありえます
この段階から始めると凄い長い話になるし
スレのテーマからずれてくるんで大雑把ですが
49 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/04 01:55:22
>>47 林晋の保証というのは権威付けや思想の保証じゃなくて
数学的比喩に関する保障(あくまで前期)です
それで林は数学基礎論の本をいろいろ書いているようです
んじゃもう寝ますけど、瑣末にならないような展開というのを考えておきます
51 :
考える名無しさん :04/10/04 08:08:40
大航海での斉藤さんの東批判は正しいの?
東さんは反論できないの?
最近斉藤さんはケンカが目立ちますね!
52 :
考える名無しさん:04/10/04 13:40:23
火山高に環に似た奴がでてた。
絶対「たまきん」って言われてたよなこの人。
ペンネームだろ
55 :
考える名無しさん:04/10/04 19:14:09
たまきんはラカンのひとだよね?
ジジェクによるとラカンとヘーゲルはいっしょらしいので
たまきんはヘーゲリアンってこと?
だとしたらポストモダン野郎のあずまんとは
うまくいかなくいのは当たり前。なのか?
しろうとさんの言うデータベース的、ゲーム的ディストピア(あるいはユートピア?)
は単一体系の中でしか存立しえないんだよな。鎖国した国家か世界単一資本主義
が存在するなら別だが、存在してないし存在しえないよw
だからデータベース的、ゲーム的な時代なんてものも存在しえない。
こんなのは中古ゲーム販売店に行けばガキでも直感でわかることだ。
テクノロジーなどの変化によってバーチャルとしての単一体系の存立が可能になった
という仮前提の思考実験としてならよい。
しかし思考実験の仮前定とされたものがいつまにか既成事実とされちゃってる(これは
ほとんど東の責任だが)。こうなるともう悪しき連想ゲームとしか思えない。
浅羽通明「日本現代文化論」に小林よしのり降臨!★10・13,早稲田に結集せよ!!
「SAPIO」誌の新ゴー宣の欄外で、講演は嫌いだし向かないし暇もない。どうしてもというならば、
一回百万円だと釘をさしたよしりん・・・・・・。だが続く頁では、若者へ訴える必要あるばあいならばただでも赴くと彼は言い切った。
その言葉に嘘はない。謝礼二万しかでない早稲田大学教育学部国文科「日本現代文化論」のゲストスピーカーをよしりんは快諾した。
浅羽通明が頼むなら、そりゃ何でもいくねん、わし。というわけで・・・・・・↓
日時:10月13日(水) 午後4時20〜5時50分
場所・早稲田大学本部キャンパス 15−102
>>55 うーん、本を読む限りでは、全然そんな風ではないような。
59 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/09 20:08:17
>>55 すご〜く大雑把に見ると大体合ってます
注釈が必要だけど長くなるんで省略
ただ斎藤はラカニアンと呼ぶべき、これは確か
>>56 >データベース的、ゲーム的ディストピアは単一体系の中でしか存立しえない
ん? 唐突な命題ですね、根拠もよく分からない
ただデータベースが単一体系なのか複数体系なのかは確かに気になってました
これはじっくり考えていきますが、ごく単純な見通しを言いますと
東のデータベースは単一体系ですが自分のゲームは複数体系です
ウィトゲンシュタインの言語ゲームは複数性(アスペクト)がポイントになります
そもそも、だから柄谷も『探求I』を書いた訳でしょう、それは踏まえてます
>>37 > たとえが悪いけど、レヴィ・ストロースが未開の民族の「野生の思考」に
> 普遍的で数学的な構造を発見するような視点を持つには門外漢の方が好ましい
だがそれは必ずしも、市井ではそのまま、まかり通らんわけでしょう。
どんなに正当に見える理由をつけてみたところで、傲慢で世間知らずなセンセイだ、
と一蹴されるのがオチで。
だからまさにそこで、民族誌展示の政治学といった問題は、ここでも避けて通れん、って
ことだろう。東もどこかで、その点は一度ちゃんと斎藤に指摘していたはずだ。
(もちろんそれは、東自身にとっての自戒も含めていたのだろう)
フレーム憑きVS映画の魔
青土社映画本対談やってほしいね。
>>59 >ただ斎藤はラカニアンと呼ぶべき、これは確か
本当はそこがあやしい。
63 :
考える名無しさん :04/10/12 13:37:30
今度は西垣の基礎情報学を批判してるな。
ルーマン批判でもあるのかな。。。
元気だなタマキンくん。
65 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/12 18:30:03
>>58 少なくともヘーゲリアンってのは違う気がしますね
ヘーゲル・マルクス・ラカンってのはジジェクのカップリングですから
>>60 いや…斎藤の(東のも)文章を読んでいると
むしろ変にオタクに理解を示そうとすると変な事になります
上の北島康介とかも「それはギャグで言っているのか!?」と
ひきこもりについてもそうですけど、
医者として冷静な知見を述べると慎重な意見なんですけど
少し情緒的な話になると途端にクサイんです(謝れ職業人etc)
ぼくは感動して泣いた、君も泣きたまえ、だもん
だから自らの内面を晒すと糞の贈り物になるって…
センセイは鳥の眼で冷静に話すのが一番です
さて、斎藤センセイの持論の一つにネット空間は
私的であるがゆえに怒りの感情に制限がない
というものがあり、ネット危険説もこれに基づくのでしょう
だが2ちゃんねるは匿名的(自分は匿顔的と言いたい)だけど
それが即ち私的だという事になるでしょうか
むしろ公的で、だから感情が抑制されないのではないか
『不過視』の東×斎藤や『自由考』の東×大澤などから
地理的感覚が崩壊し、常にコミュニケーションのネットワークに
接続されていないと不安な人々という像が浮かび上がってきます
このパノプティコンの裏返し、見られていないかもしれないという不安は
ジジェクのポストモダニズムの様々な図式を参照するとよく理解できます
中心に自分があって周縁に他者があるのではなくて逆なんですね
>>65 > ヘーゲル・マルクス・ラカンってのはジジェクのカップリングですから
マルクスはともかくとして、ヘーゲル・コジェーヴ・ラカンつながりってのは
一般に認められているよ。多くのラカニアンにも。
ラカン自身が「欲望の弁証法」という言い方で論文を書いているもんね。
ラカンはヘーゲルの批判的な継承者という解釈も可能だと思います。
とすれば、その間にマルクスをもってくるのも頷けます。
>>67 その彼の持論は、ネットに対して通俗的になされているものと同じですよね。
「ゲーム脳」論者とある意味で同じ。
私的な世界に没頭しがちで、心(脳と言い換えても同じ)の社会性(コミュニケ
ーションスキルとやら)が育たないという通俗論。
>むしろ公的で、だから感情が抑制されないのではないか
これはまったく同意です。むしろ事態は逆なんですよね。「公的」と表現すべきか
どうかはべつとしても、極めて社会的な空間であることはたしかだと思います。
ネットは、いわばハイパーソーシャルな、過度に社会化された空間だといえますからね。
>>68 いや、その三人を一緒にするというところがジジェク節ですね
ジジェクはまずラカンを(ミレール的に)チャート化して
ヘーゲルやマルクス、更にカントもラカンを読んでいたという風に理論を構成していきます
>>69 剰余享楽は剰余価値の変奏だとジジェクは言います
確かにヘーゲルやマルクスとラカンは否定神学的に共通していますが
大雑把にそうでもなんとなく違和感が残りますね、すぐ思いつかないけど
>>70 具体的には、同じ人と話してても
2ちゃんからメールやメッセやチャットに移ると私的な領域の圧迫感を受けます
職場では普通に話してても休憩室では気まずいみたいな事かな
>>63 インターコミュニケーションの?
あの連載は理論的な孝察なのでいいですね。
ルーマン批判に手こずってる観はありますが。
ゲーラボで斎藤環が「萌え(の感情)にはメタがない」と言いました
近況報告はどうでもいいからこの命題を斎藤に展開してほしいと思う
興味があるのは斎藤の内部的な整合性と外部の東理論との関係です
斎藤は「性は情報化に抵抗する」というテーゼを持っていて
これはジジェクの「仮想化しきれない残余」なんですが
ラカンの「メタ言語は存在しない」とも関係があるでしょう
一方東はデータベースをメタ言語のようなものと想定しているようです
大澤との対談でデータベースは物語を生成するメタ物語かという話があって少し微妙ですけど
萌えというのが東的なメタ言語の工学的制御による神経的欲求充足なのか
斎藤的な情報化の媒介に対する倒錯的な主体の抵抗なのか、どっちなのか
言語はすべてメタ的なものだから、メタ言語なんて本当は無意味な表現なんだよね。
>>73 >斎藤は「性は情報化に抵抗する」というテーゼを持っていて
情報化というのはいわば言語化(記号コミュニケーション化)だよね。象徴化。
それが「性」を抑圧/転移して個人を社会化する。
ネット化はそうした社会化の必然的過程だと思います。
ネット世界は仮想世界じゃないんです。社会的な意味でリアルですよ。
ネットが仮想空間というならば、社会も仮想空間だというべきでしょうから。
>ネットが仮想空間というならば、社会も仮想空間だというべきでしょうから。
これはあまりにも凡庸すぎだろ。
ラカンのラの字も知らなかろうが吐ける言説。
仮想じゃない空間などないのは当たり前。
すべては三界が絡み合い「解釈」で作り上げられている。
それよりも、ネットの話をするならば、東の
「サイバースペースは、なぜそう呼ばれるか」
という問いかけは素晴らしかったのに、放り出されてしまった。
「空間」でもなんでもないのになぜ「空間」と言う比喩を当てはめ、それを我々はなんとも思わないのか。
>>76 >ラカンのラの字も知らなかろうが吐ける言説。
ラカンのラの字を知っているからそう言っているんですよ。
つまり社会空間なるものも仮想空間、解釈空間だと。
>仮想じゃない空間などないのは当たり前。
その認識の前提がなければ
それを当り前とは思わないでしょう。ラカニアン的には当り前でもね。
>「空間」でもなんでもないのになぜ「空間」と言う比喩を当てはめ、それを我々はなんとも思わないのか。
それは言語というものがそもそも比喩の体系だからでしょう。
「空間」という言葉でもって何を指すかは社会的な慣用によるものだし。
サイバースペースも社会スペースも共に情報が流通するメディアを指しているにすぎないわけだから。
通俗的にいえば、空間というより、どちらもシステムだよね。
制度をふくめたひろい意味でのメディアが情報交流を通じてつくりだすシステム。
81 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/17 20:13:29
>>74 一階の述語論理と二階の述語論理は明確に違うから意味はあるんじゃないですか
>>75 情報化=言語化=記号化=象徴化=コミュニケーション化という図式ですか
これらの言葉を正確に区別しないと斎藤の主張とずれてきますね
>>76 >東の「サイバースペースは、なぜそう呼ばれるか」という問いかけは素晴らしかった
そうです。しかしネットが空間じゃないとすれば何か?
東理論では「超平面」とされて、村上のスーパーフラットなどと関連付けられました
自分もキュビズムとかモナドとか同じような方向で考えてましたが
空間の比喩とそのイメージの束縛から一旦切断するために音波の比喩を考案しました
ウィトゲンシュタイン(絶対音感)・ドゥルーズ(転調)・ジジェク(サウンドトラック)とかがヒントです
82 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/17 20:22:23
そもそも精神分析は反メタ言語の系譜があるから
斎藤がシステム論と対立したりするのは分かりますけどね
しかし一方で体系化されない実践とか箴言知とか言って
一方ではラカンの体系を評価する二重性がどうかとは思うけど
そうそう斎藤を一言で言うとダブルバインドを利用するダブルスタンダードの人です
斎藤の文章で全然感動しない理由はそこにあります、それは
意図的な不感症、対象aの出し惜しみ、転移からの離脱、精神的けち臭さでもあります
斎藤は専門家として冷静にコメントするといいんですけど
吉田戦車の不条理さは言語的なものだとか、座敷女は怨念と狂気を混同してるとか
83 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/17 21:41:37
>>82 えらくお冠だな。どうした。
斉藤は患者という現実へ向き合うことと、
論壇という虚構とのうまく使い分けていると思うぞ。
そしてこの患者と向き合うことが、東などの虚構のみしか
向き合えないこととの大きな違いだと思うぞ。
84 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/17 21:42:49
>そうそう斎藤を一言で言うとダブルバインドを利用するダブルスタンダードの人です
これなんって、うまくいった!つもりだろうが、
内容説明できるのか。
つかいわけは出来てると思うけど、
いささか両方が脚を引っ張るときがある……というか、
個人的には単に文筆業引き受けすぎてクオリティが落ち、杜撰な理論や飛躍が増えたのでは、
と思っているのだけど。
つーか、ラカン以外をフィーチャーしたモノもうちょっと書けば?
東も気質的主体と精神分析的主体の組み合わせによる人間観は非常に評価していたでしょう?
なんか人文系によりすぎだもの。
もともとそういうものが好きだったんだろうけどさ。
87 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/18 19:03:13
>>83 いやいや、専門的なコメントはいいけど個人的な感想がクサイという
ダブルスタンダードで評価してますから一方的な叩きじゃないですよ
>斉藤は患者という現実へ向き合うことと、
>論壇という虚構とのうまく使い分けている
「現実界」という概念を知ってる斎藤が「患者という現実へ向き合う」とか
東を「虚構のみしか向き合えない」と批判するとかはありえないんですね
>>84 「使い分け」とか「妥協」「折衷」というのは斎藤自身が好んで使ってるんですが…
88 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/18 19:07:25
>>86 >単に文筆業引き受けすぎてクオリティが落ち、杜撰な理論や飛躍が増えた
それだけじゃないな…美術手帳とゲームラボで文章の強度が違い過ぎます
おそらく東みたいに中途半端にオタクの知識を出して論争になるとコストが大きいので
知らない振りをしているのかもしれない、「知っているはずの主体」の応用ですか
89 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/18 19:41:32
>「現実界」という概念を知ってる斎藤が「患者という現実へ向き合う」とか
>東を「虚構のみしか向き合えない」と批判するとかはありえないんですね
しろうとはラカニアンだっけ?
現実と言う言葉すべてを、現実界ととるなんて・・・
90 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/18 19:53:10
現実と現実界の区別を踏まえれば
患者と向き合うのが虚構だという事もありえると言えます
91 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/18 19:57:44
じゃあ、現前的と非現前的でどうかな。
そしてパロールはエクリチュールより情報量が多い、
ということで。
92 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/18 20:05:53
斎藤が臨床的な観点を持っているという事は言えます
>88
おれ、あのゲーラボの文体は好きなんだけど。
あのウザい馴れ馴れしさが胡散臭くてカッコいいじゃないw
ていうか斎藤自身「いかがわしさ」を意図的に使うと言ってるでしょう?
いや、ゲーラボのそれのことを指してはいないけど、
一般向けの本でも「精神分析」というタームをあえて表面に出すのは、
まさに自分の文章をいかがわしく思ってもらいたいからでしょう?
まあもちろん、素人が抱いているいかがわしさ、信用できなさはそれを踏まえてもなお宿るものだ
といいたいのだろうし、わかるような気はするけどね。
94 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/18 21:12:57
>>93 「慣れ慣れしい」とか「いかがわしい」のが嫌なんじゃなくて
意図が透けて見える「あざとさ」が嫌なんですね、それがさっき言った不感症
どうせあざといなら蝉寝るの挑発の方が好きですね
「おや?急に頭が悪くなったようだぞ」とか煽りが2chにないパターンなんで
でも文体が嫌とかよりもっと理論的な問題としては…
内容じゃなくて形式の面で精神分析的な書き方をしていないという事ですね
95 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/18 22:59:53
しろうとはまたメタモゼ再開するんじゃなかったのか?
>>81 >情報化=言語化=記号化=象徴化=コミュニケーション化という図式ですか
>これらの言葉を正確に区別しないと斎藤の主張とずれてきますね
斎藤さんは、どういうふうにそれらを区別しているんですか?
>>92 斎藤がもっている臨床的な観点は所詮、精神分析的な虚構に依拠したものでしょう。
98 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/19 20:03:44
>>96 斎藤においてはそれらの言葉は同列ではなく対比されるものです
「記号」が一義的に対応する意味を持つのに対し
「言語」はシニフィアンの恣意的な構造を持っています
「情報」が対象を確定記述の束に還元する一方
「象徴」は逆に還元不能な固有性を見出します
記号/情報が論理実証主義的なら
言語/象徴の組は否定神学的です
コミュニケーションにおいてはこれらをすべてを含む上に
言語外の出来事が関係してきます
>>98 吉本隆明がいうような指示表出的と自己表出的みたいな区別なのかな?
信号と記号の区別にちかいね。
100 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/19 22:51:58
前スレで同様の指摘がありましたね
571 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:04/05/14 09:28
>>566 >一方斎藤は「記号」と「言葉」を区別します
>前者は必ず意味(指示対象)があるのだが、
>後者は音(シニフィアン)だけでも成立する。
>記号は意味の代理物、言葉は存在の代理物だと
吉本言語論にいう「指示表出」と「自己表出」との区別を思い浮かべるけど、
それとはまたニュアンスがちがうのかな?
101 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/19 22:53:42
573 名前:しろうと ◆AUSirOutoE [] 投稿日:04/05/14 18:25
>>571 吉本隆明の「指示表出」と「自己表出」は
例えば時枝誠記の「詞」と「辞」に相当するかも
更に言えばコンスタティブとパフォーマティブですね
ごく大まかには対応するかもしれないけど
斎藤の「記号」は動物でも認識可能なのに対して
吉本の「指示表出」は人間の諸関係が関係するとか
詳しくは知らないけど違いが色々あるでしょうね
ラカン理論はソシュール言語学に影響されています
彼は構造主義の祖でもあるのでそちらで理解したい
(しかし時枝もソシュールに影響されており
更に東が時枝を一時期引用したので何かの因縁はある)
しかしソシュールは共時態・ラングを主な分析対象にして
それがラカンの象徴界になっていくのでしょうが
通時態・パロールがデリダ−東的なタイムラグ・誤配や
ウィト−野矢の「意味の発信源としての他者」に効いてきますね
>>98 面白い対比だと思いました。
しかし、私はちょっと違うなというような考え方が生じたので、
意見させてください。
>「象徴」は逆に還元不能な固有性を見出します
・「固有性」ではなく、個体性、もしくは偶有性だと思いました。
すなわち言語は、人格的→個我への還元が実践的に試みられるのではないでしょうか。
あとこれも
>言語/象徴の組は否定神学的です
・否定神学的と神学的の両方を考えた場合においては、
どちらも象徴性に関しては妥当であると私は判断できました。
つまり、否定神学そのものが、神学的な要素を超えることはないのでは?
という懐疑を基にしています。
そもそも、否定神学的と言う根拠が不明です。
というか私には、直ちに理解しかねるところでもありました。
むしろ、私の自論になってしまいますが否定個我/個我、
つまり個我認識の要素の方が、わりと強いのではないでしょうか?
あと、それとしろうと氏の意見で今のところわからないのは、
恣意性の用法についてです。混乱の強い言語ですので、
確認する必要があると思ったので、まず、辞書を調べてみました。
*********************************************************
(goo辞典)
【▼恣意/▼肆意】
(1)その時々の気ままな思いつき。自分勝手な考え。
「会長の―によって方針が左右される」
(2)物事の関係が偶然的であること。
「言語の―性」
【▼恣意性】
〔(フランス) arbitraire〕ソシュールの用語。
言語記号の音声面(能記)と意味内容面(所記)との間には
自然な結びつきが存在しないこと。
*********************************************************
となっています。
どういう用法に基づいてなのか、少し気になったので意見してみたつもりです。
(もちろんここでも、個我への対応を示唆しているつもりです)
あとそれとラカンについて個人的に、聞いてみたいです。
(斉藤還氏がラカン派だとことなので)
私はラカンのことをあまり知らないのですが、
この哲学板で接するラカンを見ていると
きわめて感応的(感覚的)なイデアリストという判断を持っています。
つまり形而下との対応、物理的、肉体的なイメージ(観想)が強いと言うことです。
もしよろしければ、しろうと氏のラカンの論についての考え方、
どういったラカン像を持っているのかお聞きしたいなと考えています。
もしご都合よろしければ、どうぞよろしくお願いします。
でここで、私の意見に発言するのはスレ違いかと思いましたら、
いちおう私の隔離スレに招待したいと思います。
まあ、MY哲学、詩の嵐ですが、
その代わり、落ち着いて議論はできると思います。
むろん強制ではないです。あなたのの判断でお願いします。
−思考の痕跡を残すために−誰かに伝えるために−
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1075297884/l50 唐突の、いきなりのレスですみませんでした。
よろしくおねがいします。
105 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/19 23:40:51
天然対決・・・
106 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/20 00:04:49
>>102 「固有」というのは固有名との関係ですね
単独性とか他の言葉でもいいんですけど
身長体重年齢性別職業年収と色々な情報がありますが
その確定記述の束を剰余するのが固有名です
象徴界的な象徴化はその形式化不能な剰余を生み出してしまう
これを主のシニフィアンとかのキーワードでジジェクが面白く応用してます
否定神学という言葉は東に倣って使いましたが
斎藤自身も認めています(更に『構造と力』でもそのような位置づけ)
この否定神学性は上の固有名の剰余と関係があります
詳しくは東の『存在論的、郵便的』ですね
107 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/20 00:06:50
>>103 > 【▼恣意性】
> 〔(フランス) arbitraire〕ソシュールの用語。
> 言語記号の音声面(能記)と意味内容面(所記)との間には
> 自然な結びつきが存在しないこと。
全くこの通りです。ラカンはソシュールの影響を受けてます。
108 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/20 00:11:52
しろうとは、昔はこれほど天然ではなかったと思うが、
最近、なんかどこか無個性的というか、つかみ所がないというか、
淡々としているというか、不思議なキャラになったな。
哲学的には良いが、私生活はうまく対応できているのか?
煽りでなく、ちょっと心配になった・・・
109 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/20 00:13:40
東的「動物」っぽい。東に捕らわれすぎてないか。
110 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/20 00:16:08
バレやん、機械やん、クリやんとか、
哲板長いと、ちょっと「動物」的になる傾向があるな。
111 :
考える名無しさん:04/10/20 00:17:34
だって、しろうとさんは
東くんの対象aを引き受けて今、存在してるんだし。
つまり、ラカン的に言えば東くんの欲望を欲望しているんだから
仕方ない(つまり、彼氏の欠点さえ引き受けている)よね。
112 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/20 00:23:38
>>104 全然スレ違いじゃないですよ
むしろその詩的なスレで議論する方が躊躇われます
ただ「個我」という言葉の説明がないと
junさんの主張がよく分からないです
さてラカンの図式は文化批評に用いるととても強力です
文化とは精神ですから精神分析が強力なのは当然かもしれません
一番派手に応用してるのがジジェクですね
斎藤はジジェクを誤読して東と同一視しているようだけれど
それで自分もジジェクみたいにラカンを大衆文化に応用してみましょうか
精神分析は思弁的ではなくて理論的なものですから
113 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/20 00:24:24
>>111 そりゃ単なる東ヲタってことね。
そうではなくて、2ちゃんねる中毒なんだよ。
それは単なる中毒ではなく、欲求不満的不全症というかね。
2ちゃん中毒なんだけど、仕事の関係でこられる時間が
ものすごく限られる。このために我慢するわけだけど、
ものすごく望むが、我慢しなければいけない故に
自分の欲望を強く押し殺す故に、無感情的に振る舞う生理的な不全症
みたいな感じかな。
114 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/20 00:27:59
話がそれるが、分割議論にもものすごくそれがあらわれている。
そもそも、しろうとは時間の制約があって、規制議論を仕切ることは
物理的にできないはずなんだけど、それ故に仕切るということなんだよね。
規制議論という継続される仕切という位置で、2ちゃんねるに絶えず繋がっていたいという
ことなんだよね。
これはとても迷惑なんだけど、それが分からなくなるほど、不全になっているというかね。
115 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/20 00:29:19
>>108-110 2ちゃん公式ガイド2004でこのスレは紹介されてるので
普通に斎藤環の解説もしてみたりする訳です
>>111 そうですね、正確に言うと郵便時代の東浩紀の欲望ですね
>>113 時間が限られるから基礎知識の説明はある程度端折る事になります
>>114 自治議論には参加してないです、今分割案が出てるようですが
自分的にはこの板を改善していった方がいいと思います、ロカルーとか
117 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/20 00:32:45
>>115 2ちゃん公式ガイド2004でこのスレが紹介されてるの?
なぜに?
ってか・・・返事になってないんだけど?
118 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/10/20 00:34:03
>>116 dam=しろうとでないと?
とうとう、多重人格か???
しろうと・・・
119 :
考える名無しさん:04/10/20 00:39:34
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU 以上の2ちゃん中毒患者は哲板にいないだろうw
まだ途中ですが、ちょっと失礼して書き込みます。
>>106 では「固有名」と言うのは、
つまり、記号そのものが一義として前提しているのに、
そこでかつ、唯名的な考え方を割りこませると言う意味なのでしょうか?
もちろんここでは形式的な言及をしています。
唯名と記号がそもそも同じ定義でありながら、
二つの名(記号)を持つと言うこと?
また図式で言うとこういうことでしょうか?
▲ 記号的/確定的 > 命名的/約定的
そして否定神学とは
▲ 記述的 → 契約的
こういう考え方の排除なのでしょうか
あと正直に言うと、
ジジュクの剰余(余剰?)がよくわかりません。
でもまあそこは気にしないでください。
もちろん、私は気にしていないです。
一応情報としての伝達の意味です。
あとついでに、斉藤還もラカンも読んだことはありません。
でも、なんとなく分かりそうな気がしたので書きこんでみた次第です。
>>107 まず恣意性の一般的用法は
(1)の自分勝手、勝手気まま(
>>103)なのです。
この用法を意識的に捨象したと考えてよいですか?
おそらく思うのですが、言語サークル(円還)には、
三つの率があると今考えました。
「名」、「象徴」、「個我」です。
おそらくですがしろうと氏はこのうちの「個我」を捨象し、
「名」と「象徴」の関係性を抽象化したように思われたのです。
これは感想ですね。
122 :
考える名無しさん:04/10/20 00:49:04
>>120 あのさ、ジジュクって誰?聞いたことないいだけどw
>>112 >ただ「個我」という言葉の説明がないと
では「個我」の説明をします。
欲望的、動物的な側面を持ち、
仮面(ペルソナ)の剥奪された状態のことを言います。
また他者のペルソナの剥奪行為、
そのものとして言ってもよいかと思います。
>さてラカンの図式は文化批評に用いるととても強力です
>文化とは精神ですから精神分析が強力なのは当然かもしれません
これは腑に落ちると思いました。
精神分析を前提にすると言うことは、その人の人格のシンボル(象徴)を
守るように、または構築的に作用しているのだと思いました。
いえ、これも単なる感想です。
>むしろその詩的なスレで議論する方が躊躇われます
あのスレの基本は、マイ哲学なのです。
MY哲学が何らかの理由で書けないとなると、
代償的に詩を書くわけです。
ご覧になっていることを前提にして話しますが結構、
考察材料を与えてくれる存在としては、しろうと氏には、
お世話になっていると思います。
あの明晰夢の考察も、しろうと氏のスレで、
書き込んだものを整理したものですから。
ちなみに、わたしはMY哲学の代表格は、
しろうと氏ではないかと考えております。
>>120-121 「生き延びるためのラカン」でも説明がありますが、そのうち自分が再整理してみたいと思います
確定記述に還元できない固有名の剰余と、構造主義的な言語体系の恣意性の話は、
哲学の文脈では形を変えてよく出てくるので、今日はもう寝ますが上手い説明を考えておきます
>>123 >明晰夢の考察も、しろうと氏のスレで、書き込んだものを整理
かなり昔の話ですが、「夢」は自分のテーマの一つですね、精神分析でも重要ですし
>MY哲学の代表格は、しろうと氏ではないか
そうかもしれませんね
127 :
考える名無しさん:04/10/20 01:03:28
>>126 それは明らかに違うと思う。
誰が見ても、じゆん君がマイ哲1です。
あの無意味な長文さえなければ、かわいいから許すけど。
> しろうと氏
お付き合いどうもでした。
あと「夢」のことですが、
あの夢の考察(長文)を、綿密に書いたおかげで
かなり気が触れた状態になり、
その日の夢でも、結構な体験しております。
明晰夢のことを書いた日に、明晰夢にあいました。
しかも、それがショッキングな内容だったので、
しばらく軽いノイローゼ気味になってしまったのです。
それから時間とか、世界とか、
哲学問題がかなりリアルな問題として感じるようになった次第なのです。
あまり良いこととはいえないのですが、
とりあえずそんな私信です。
では。
>>127 ありがとう。
>>98 > 「記号」が一義的に対応する意味を持つのに対し
> 「言語」はシニフィアンの恣意的な構造を持っています
ソシュールにとってはシーニュとラングという概念に対応する語ですが、
その区別はソシュール的ではない気がしますね。
ソシュールは一切の社会的な現象・産物を記号学的対象と見なしましたから、
ラングは記号の産物であり、記号的産物は社会的産物である、ということですよね。
その社会的というのが、つまり恣意的という概念になる。
ソシュールにとってはシーニュもラングも恣意的な体系です。
ラングはシーニュの体系が生みだす特定共時態であって、
社会学的にいうならば広義の制度にあたります。
思うに、ソシュールのこの恣意的という概念をオートポイエーシス的という概念に
結びつけて考えることができる。とすると、その先にルーマンの社会システム論が
見えてくる。
132 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/20 20:19:58
>>128 最近睡眠時間短くて深く眠るので夢見てないですね
明晰夢を見てみたいと思いますが難しそうです
自分がこの板にデビューした頃、野矢茂樹の「夢は論理的か」という問いを面白く感じてました
ウィトゲンシュタインの論理空間から見ると、単なる事実に過ぎないのですが
逆に論理空間を生成してるとは考えられないだろうかと思いました
ここに神学か工学かという二択を避ける道があるのではないかと自分は思う
東の『存在論的、郵便的』でも最後の方で夢は論理的関係を視覚化するとあります
蝉寝るによると夢はシニフィアンの分割不可能性を示すので間違っているというのですが
133 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/20 20:27:00
>>129 だからこれは斎藤の区別で、「記号」はシーニュとは違います
ラカンは動物が環境とゲシュタルト的な調和を保っていると考え
それを例えば「ダンス的稠密性」とか言ってます。有契的なんです
>>130 それは自分の考えでは違いますね
>>131 そうなるともっと違ってきますね
ちょうど柄谷がソシュールとラカンに言及してる部分があるので引用します
恣意性というのは、要するに、文化的、社会的、歴史的なかぎりでの必然性をもった、
ということですよね。
それから、ソシュールの考えで重要なのがシニフェエとシニフィアンとの不可分離性。
形式(表現)と内容の一体性。
>>133 デジタル的、アナログ的、というような意味なのかなぁ?
137 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/20 20:37:37
『内省と遡行』 柄谷行人 第二章冒頭から
くりかえしていうと、「ラングは実在体ではなく、ただ語る主体のなかにしか存在しない」
(ソシュール)ということは、ラングが「語る主体」において現象学的−構造論的還元によって
とりだされた下位構造だということである。この下位構造は、ラカンの言葉でいえば、
「実在的なもの」でも「想像的なもの」でもなくて、「象徴的なもの」だといってよいだろう。
というのは、それは、ある言語の意味を了解するとき、”実在的な”音声や”想像的な”
意味作用からはなれて、そのような了解を可能にする示差的な下位構造として
とり出されるものであり、ある抽象的な現実性だからである。厳密な意味では、
われわれはラングが”在る”ということはできない。たとえば、ラングとしての文は、
実在的に在るわけではない。しばしば文はパロールと混同されがちであるが、
ラングとしての文は、パロールまたは言述に対する示差的な下位構造にすぎないのである。
ラングとしての文は、それ自体では意味がなく、たんに示差的関係として”在る”だけだ。
それはあくまでも下位構造であって、まず言述が先行していなければならない。
138 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/20 20:46:17
>>134 何か少し違和感があるな。恣意性というのは自然な必然性がない、つまり偶然的な産物だという事です
たしかに社会や文化の内側から見ると必然的な歴史的成立に見えますが
それからシニフィエとシニフィアンは不可分じゃないですよ。りんごをみかんと呼びみかんをりんごと呼んでも構わない
この結びつきが恣意的という事です。それからシニフィエなきシニフィアンというのがあります、これはレヴィストロースだけど
>>135 動物の記号は対応する意味があります。例えば黄色い虫は毒だから喰わないとか。
それに対して人間の言葉は文脈に応じてもっと多義性を持ちます、特に比喩とか
>>137 要するに構造は遡及的に見出されるという事ですが、これを読むと
大他者(ラング)は存在しない、とかそこら辺の事情がよく分かります
>>138 > 何か少し違和感があるな。恣意性というのは自然な必然性がない、つまり偶然的な産物だという事です
> たしかに社会や文化の内側から見ると必然的な歴史的成立に見えますが
そうですね。
バンヴェニストがシニフィエとシニフィアンの関係を必然的と言ったことは、
ソシュールのいう恣意性とは矛盾しないということですよね。
> それからシニフィエとシニフィアンは不可分じゃないですよ。りんごをみかんと呼びみかんをりんごと呼んでも構わない
> この結びつきが恣意的という事です。それからシニフィエなきシニフィアンというのがあります、これはレヴィストロースだけど
ソシュールはシニフィエとシニフィアンとの不可分離性・相互依存性を一枚の紙の裏表に喩えて
シーニュと見なしたのであって、それぞれを独立した要素と見なすことに反対したんですよね。
その点についてはカルツェフスキー的な誤解が一般にあるのではないかと言われています。
多義語や類義語との混同ですね。
>
>>135 > 動物の記号は対応する意味があります。例えば黄色い虫は毒だから喰わないとか。
> それに対して人間の言葉は文脈に応じてもっと多義性を持ちます、特に比喩とか
分かります。俗にいう生物学的なゲシュタルトというやつですね。
ただし、ヒト以外の動物の場合も、ある意味で恣意性という概念を拡張して適用できると
思いますけどね。
>>132 しろうとさん
レスをどうもです。
「夢は論理的か?」
この言葉に興味を覚えましたので今回もレスします。
>ウィトゲンシュタインの論理空間から見ると、単なる事実に過ぎないのですが
>逆に論理空間を生成してるとは考えられないだろうかと思いました
「論理空間を生成」の論理は、つまり文章における論理性、つまり思考の前提、
基盤にある世界観のことを指すのでしょうか?
であれば、私は同意したいと思います。
しかし、通常の夢においては、夢の展開が断続的であるために、空白、
つまり、夢における自己忘却が支配的になります。
この状態は、つまり自己同一性の保持能力が格段に落ちるようになります。
この状態を少し超えて自己認識が高まると、
次第に自己存在が過去、出会い、そして印象に残る人たち、
そのような人たち、登場人物が投入されます。
この他者との隔絶性において人は、
夢体験と呼ばれるような高次の夢体系を作り上げるものと思います。
またこの夢で捏造された「他者」と、
現実の「他者」との隔絶が夢と現実をまったく違うものとして、
理解されるのではないかと思うのです。
つまり夢と言う概念ですら、経験的に組み立てられるようになるのだと言うことです。
それから、次第に夢はストーリー性を持つようになる。
ちなみにこのストーリ性は完全なる他者/(客観)の形式の模倣ですから、
どこまでも違和感が残る、それだけ記憶に残りやすいし、また語られやすい作用
(伝播性)が強いのです。
夢のストーリを徐々に帯び始めると、一定の疎外感を夢に対して持つようになります。
「なんで俺はこんなことをしているんだろうか?」というような問いです。
そのためか、夢はどんどん、高度化し、本当のひと続きのストーリー、
感動やまたは恐怖が自己を襲うようになる。
むろん、この状態でも、ある違和感は残るのです。
そういうストーリー形式の夢の背後に、
ある私を支配するような支配者的存在がいるように
感じるようになります。
その支配者的存在は、まったく観念的な存在でした。
独特の禍々しさを感じる夢を多く見たと思います。
あれは高校生の頃ですね。
一言で言うと、恐怖のイデアですね。
言い換えれば、抑圧の形式です。
それから、ここで哲学や、明晰夢の知識に出会って
夢を支配しているのは"抑圧"ではなく、
やはり「私」なのだと気づきました。
もしくはそのような可能性に出会ったと言うことでしょうか。
例えば錯覚が、その片鱗を教えてくれました。
自動販売機とかで、一列に並んだランプが一つおきに点滅しているのはご存知ですか。
あれをじーっと見ていると、右に光が動いているようにも見えるし、
左にも動いているようにも見える。
いややはり交互に点滅しているだけだと言う人もいる。
これは、意識には"傾向"があると表現できると思います。
私はこれを意思と呼び換えたり、
この傾向への同一性の試みを意志と呼んだりしています。
このようにして思い込みを壊す、操作することができる。
その一つが明晰夢によってでした。
我々にとって「飛ぶ」というイメージは、重力を失っていることを指すのでしょうか?
違います。我々にとっての「飛ぶ」は重力を忘れる、つまりその支配から免れる
ことを言います。ですから、私は夢で浮遊するとき、
よくある腰が軽くなるような経験がありません。
ただ、地面から足が離れている、それだけなのです。
もしくは上昇的、跳躍的だったりします。
ジェット・コースターに乗っているときのような、
重力が無い現象に出会ったことはありません。
>東の『存在論的、郵便的』でも最後の方で夢は論理的関係を視覚化するとあります
私はそのとおりだろうと、今判断しています。(その本は読んでませんが、
野矢氏の著書は、いくつか読んでいます)
>蝉寝るによると夢はシニフィアンの分割不可能性を示すので間違っているというのですが
論理関係にシニファンの関係を引っ張ってくるのは、
恣意的だと私なら表現できますね。夢を前提にした場合、
独立系である、言語のシニファン(音声)という言語の形成面、
つまり認識の下位構造は捨象すべきだと思う。
私は、夢は認識論であるものとして考えていて、論理系とも、
言語系とは違う位相に在るものと考えています。
しかし、ラカンの言う象徴界などの言語系ならば、
夢を理解するのは割りと容易いと考えているのです。
まあ象徴界に限らず、現実界でも、現象界、叡智界の使用も同じです。
世界認識に結びつくものならなんでも。
いやそれとも、その蝉寝る氏という方は、
夢と現実との断絶として言っているのでしょうか。
夢を操作不可能と認識しているように思えます。
夢をただの一枚の岩として見ている様な気がします。
しかし夢の操作性に気づいた場合、
夢は現実とまったく変わらないことに気づくと思うのです。
夢の一つ一つは操作可能です。つまり夢は全体的と言うよりも
むしろ一編的であるということです。
>それからシニフィエとシニフィアンは不可分じゃないですよ。
>りんごをみかんと呼びみかんをりんごと呼んでも構わない
>この結びつきが恣意的という事です。
この恣意性によれば、やはり、しろうと氏はその蝉寝る氏の
意見には賛同しかねるといった感じなのでしょうか。
しかし、しろうと氏は高度な体系を持っていますね。
論理にブレが無い。とても丁寧な人なのですね。
とりあえず、今回も思ったことを書いてみました。
どうもです。
>>140 ソシュールじゃなくて斎藤の整理から出発してるんですね
それでシニフィアンとシニフィエが表裏一体というのはいいんですが…
大雑把に言いますと、やはりシニフィエなきシニフィアンなんですが
シニフィエのシニフィアンへの配分が遅れて
ゼロ記号のような特別なシニフィアンが出来るという話があって、
これは共時的な切り取り方ではなくて生成になります
ラカン〜斎藤の精神分析ではそういう意味の生成が重要になると思う
>>141 >「論理空間を生成」の論理
言葉の使い方の事ですね
夢は記憶の誤配と衝突だと思うんですが
現代文化にそういう側面を見ている訳です
>>142 夢は他者の視線から私を見る場所だと思うんですが
(定義上私は他者でないから矛盾ですがランボーは私も他者だと言います)
ネット、それも2ちゃんねるのような卑近な所にそれを見出します
名が失われる事によって自己と他者との境界が消失しています
>>143 >自動販売機とかで、一列に並んだランプが一つおきに点滅
それは自分的には「アスペクト」ですね
他にも反転図形とかAAとか主体の読み込みで見えるものはあります
>>144 >論理的関係を視覚化
というのは例えば漫画の絵は約束事で成り立ってるとか
FLASHのActionScriptで図形に情報が入ってるとか
身近な例がたくさん見付かると思います
>>145 蝉寝るというか精神分析系の人が夢について語る元ネタはフロイトでしょう
フロイトによると語表象と物表象の区別なしの思考が夢で
これはオブジェクトとメタの階層を崩す事です
それは遠近法的な空間からキュビズム的な平面に移行する事です
キュビスムは異なる空間に属する断片を一つの平面に畳み込みますが
これは夢と同じような構造をしているんじゃないかと思う訳です
>>147 >言葉の使い方の事ですね
いえ語義体系のことです。
私はこれを、他者との区分だと言ってもいいと思います。
むろん形而上的にはですが。
2ちゃんねるのような非−形而下空間では、
まあ確かに、この語義体系が溶ける場合が多いですね。
>夢は記憶の誤配と衝突だと思うんですが
>現代文化にそういう側面を見ている訳です
まあ恣意的な側面、つまり偶然性を、
重視すればそうなのかもしれません。
私はそうは思わないです。むしろ夢は、
総合的に見れば形式的ですよ。
あるいは、反復性の強いものと考えています。
まあこの反復により、誤配と衝突が起こると考えるのなら、
やはりそれも妥当でしょうけど。。。
夢は他者の視線から私を見る場所だと思うんですが
他者の視線と言うその私存在は誰でしょうか?
それも私です。ですから、それ以外のものが、たとえば肉体でさえも
すべて世界と考えれば、それほど矛盾はないと思います。
あなた/(ランボー)が言う、「私も他者」とは、端的に言って「肉体」のことを
指しているだけだと思いますが、いかがでしょうか?
あと「アスペクト」について思っていたのですが、しろうとさん的には
アスペクトに、量的な意味を込めていますか?
アスペクトが角度的なの区分のようなものが以前調べると
あったので、いちおう聞いてみます。私としては、これはアスペクト、
つまり私の言葉で言い換えれば、意志の強度だけでは、
夢を操作するのは、おそらく難しいと考えているからです。
まあこれは余計ですが確認をこめてということで、とりあえず。
ちなみに、名無しさんの書き込み、ソシュールとラカンの対比は
かなり参考にさせてもらってます。
>>140 など
あと別スレでのグルさんの言葉もラカン理解としてはかなり参考に
していると思います。「哲学板 最後の砦」 スレにおいて
>>149 いや、自分としては論理というのを言葉の使い方と規定するということです
「論理空間」というのはウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』から来てます
それで彼の語法だと論理(意味)というのは言葉(記号)の使用なんですね
(前期と後期で違うし、ある一時期、使用「法」と言ったとか細かく言うとキリがないですが)
それで前期の『論考』が論理空間、後期の『探求』が言語ゲームが鍵概念になってます
前期が記号の形式だけが固定されていてそれが消失点となって空間をなしているのに対して
後期はその形式も同じ平面で衝突し合います。その典型がクワス関数の話です
>>150 他者というのは言語ですね
ラカンの言う大他者というのを自分は言語の可能な用法の集合と見ます
それは最も基本的なレベルで社会を構造化しています
アスペクトは量ではなくて様相です
強度でもありませんし、クオリアのようなものとも違います
主体の視座と対象の相の対ですね
それじゃそろそろ寝ます
>>151 >言語ゲームが鍵概念になってます
これは、私的には言語混乱>不条理と同一意味を持ちますね。
言語ゲームもやはり約定的な概念を使用するに当たり、
まだ不備があるように私には思えました。
「論理哲学論考」は何度か読みましたが、
そのとき、そこまで深くは察知できませんでした。
また彼の著述を複合的に読んで理解を進めようと思います。
>前期が記号の形式だけが固定されていてそれが消失点となって空間をなしているのに対して
>後期はその形式も同じ平面で衝突し合います。その典型がクワス関数の話です
なんだかよくわからないけど、凄そうですね。
すいません、こんないい加減なレスで。
一応このすごそうって言うのが、
まあ理解においては重要だったりするのですが。
とりあえず。
>>152 > しろうと氏
いい夢見てください。
それでは。
155 :
考える名無しさん:04/10/24 00:18:17
これもあげ
斎藤さんってフランス語読めるの?
>>153 前期の論考が言語のアプリオリズム
後期の論考が言語のアポステリオリズム
という変化だと整理できます
これを言語混乱とか不条理と同一視してはいけない
言語をゲームに見立てたとして、
そのゲームのルールが生成しているという感じです
>>156 読めるんじゃないですか、ラカンの原著読んでるみたいですから
斎藤環ってどこの医学部を出てるの?
160 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/01 20:13:08
筑波大学医学専門学群卒業
同大大学院医学研究科博士課程修了
で、詳しく知らないんですけど、筑波大では稲村博氏の研究室で指導を受けたという話でして
それでこの方が、登校拒否は病気、みたいに考えてたんでそこら辺の考え方の違いが面白いですね
>>161 それは斎藤によれば、誤解だ、ということでしょう?>登校拒否は病気、みたいに考えてた
とはいえ、治療主義的な側面もあったのは事実で、
登校拒否を精神科で扱う際に事例によっては入院治療も使いうる、と。
で、どっかの新聞でインタビューを受けた際に、
まったく学問的な意味でなく、ちょっと大げさな物言いで
「登校拒否は病気に繋がる」というようなことを書いたら、
記者がかなり紙面を割いてそれを書いちゃって、「あわわわ・・・・・・」とw
そういうようなことを斎藤は本で書いていた気がする。
斎藤自身も例えば高岡健よりは治療主義的だし(比較論でね。比較相手がアレ過ぎるがw)
「社会的引きこもり」を見ても(アレは古い本なので現在とは意見が多少異なる部分もあるようだが)
社会的引きこもりは、それ自身は精神疾患ではないとしながらも、
精神科で扱うことが一番であるような書き方をしているし。
稲村氏の精神を良かれ悪しかれ受け継いではいると思う。
163 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/01 20:45:59
哲板なんで精神科医の側面には触れないようにしてたんですけど、ちょっとだけ
先に斎藤をダブルスタンダードの人と評しましたけど、ここでもその側面が出てますね
病気でない(少なくとも斎藤の定義ではそう)なら、精神科の領域ではないはずなのに
精神科で「ひきこもり」を受け持とうとしている、いったい病気か病気でないのか
しかし(自分的にまとめると)、1.病気ではない が、
2.現在の社会では精神科医が担当するのがベターだ
というようなロジックで矛盾を回避しているみたいです
これも斎藤の「斜めの関係」の図式の一つなんでしょう
これによって一方でマスコミなどのゲーム脳的なひきこもり病気説を撃ち
もう一方で知識人のひきこもり歓迎論を撃つという両刀作戦を可能にしています
なんだか上手く行ってるようですが、例えば病気でないのなら生活保護で面倒を見るのはどうか、とか
すぐ問題に突き当たるのは目に見えてますね、でもまあここら辺の話はヒキ板の方がずっと詳しいでしょう
自分はラカンとか哲学的文脈と萌えとかオタク文化への応用に興味があるのでよく知りません
えーと、もう少し哲板っぽく言うと
斎藤はひきこもりをシステム論的な社会病理と見なしています
医学的な立場から診断基準から精神病に明確に位置付けられないし
文化人的な立場から何か主体の逃走/闘争と見るのも錯視している
そこで事態を把握するには環境とのシステム論的な次元を導入する必要があると
自分的に言うと環境との対話の悪循環、機能不全ですが
165 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/01 21:06:25
>>164 斎藤はひきこもりを、精神分析という現前の対話では把握できないもの、
そこには、情報化社会としての伝達速度の速さを考慮した次元が存在すると
考えるわけ。それには、社会学としてのシステム論技法を併用することが
有用だろうと考えてるわけだよ。
166 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/01 21:07:52
それがなぜ、環境との対話の悪循環、機能不全なのかわからない。
167 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/01 21:15:45
もう少しいうと、斎藤はひきこもりそのものをシステム論的な社会病理と見なして
いるわけではない。
ひきこもりという病理に、システム論的な視点が入り込んでいると考えているわけ
ひきこもりは自分がひきこもっていると考えているわけではなく、
情報として社会に「ひきこもり」というコミュニティがあり、
自分はそこに帰属していると考えるようになっている。
メタの視線をもっている故に、診断医も単に対話的な個人が
ひきこもっているという問題としての視線だけでは、対応できない。
自分を引きこもりカテゴライズし、社会的に同期する彼らに、
システム論的な視線が必要になる。ってことなんだよ。
>>165 それは斎藤じゃなくてぴかぁ〜さんの考えでしょ
>>166 ひきこもるとひきこもりから脱出しにくい環境になるという事です
これは例えば加齢という一点を取っても厳然と存在します
>>167 少なくとも斎藤の考えとは全然違う
もちろん『心理学化する社会』では
精神分析の言説が再生産されてしまう様子が描かれていますが
それは「ひきこもり」がコミュニティだとかいう話じゃないでしょう
169 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/01 21:48:13
>>168 なんだよ。自分は編集好きなのに、わしがすると
文句かよ。
確かにコミュニティとはいっていないが、
意味的にはそういうこと。
これはひきこもりに限らない。すべての現象に
システム論的な再帰性の考察が必要になっている。
というのが斉藤くんの考えだよ。
とうか、いまやこういうシステム論的視点をもってない論壇家は
いないと思うけど。だむちゃんには、そういう視点はないのかい?
>>164 人個人は、この急速な情報の波にのまれ、色んなことを知ることが出来るように
なった、知らなくて言いも事も知る事が可能(自分にはない思想にも簡単に触れられ、
感受性が高ければたかいほど、影響をうける)しかも、外にでて人と触れることなく家で。
そして、知れば知るほど自分や周りの世界を矛盾に感じる、そして何が正しいのか
解らなくなり、引き篭もる
そんな、感じの事をいってるのでしょうか?
突然現れすません
171 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/01 21:50:16
引きこもりがコミュニティだなんてことは斎藤は一言も言ってない。
そもそも「社会的ひきこもり」の要件をわかってないよね。
「ひきこもり」ではなく「社会的ひきこもり」。
物理的なひきこもりではない。
また、ひきこもりがメタ視線を持っているなどというのは、
単にネットの見過ぎである。
ネットを超時間やるような連中(それも特定の文化圏に興味がある)にしか実際のところ
少なくとも顕在的な意識としては「メタ視線」なんてない。
彼らは時に自分を語る言葉すら満足に持ち合わせていない。
173 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/01 21:57:33
>>172 >また、ひきこもりがメタ視線を持っているなどというのは、
>単にネットの見過ぎである。
斉藤が指摘しているのは、ひきこもりがメタ視線をもっていると
いっているわけではない。
いまは誰もが、メタ的視線をもつことから逃れられない。
純粋なひきこもりにいなければ、純粋な神経症もいない。
社会的な視線が必ず入り込む。
ひきこもりを演じることから逃れられないんだよ。
ギデンズしかり、そんなこといまさらいうことでもないだろう。
>>169 言葉を正確に使えないと編集になりません
意味的にもコミュニティじゃない
>>170 もっと簡単に言います。ひきこもると年を取ります
すると学校とか会社とか社会に出にくくなります
それによってまたひきこもり、すると年を取り…
この悪循環は病気でも無ければ思想でもない
主体と(社会)環境との相互関係です
175 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/01 22:02:11
>>174 >言葉を正確に使えないと編集になりません
タームを無造作に使う信仰的使用法するヤツに言われたくない(w
>この悪循環は病気でも無ければ思想でもない
>主体と(社会)環境との相互関係です
それを病気でいるかどうかは、定義の問題だろ。
話そらすな。
176 :
考える名無しさん:04/11/01 22:18:52
昔は遁世とか出家とか色々場があったんだよ。
>>173 ひきこもる人間は、ひきこもりという症候群をほぼ必ず認知していると?
ひきこもりを演じるには、ひきこもりを知っていなければならないよね。
ひきこもり黎明期のひきこもりは何を演じていたの?
178 :
考える名無しさん:04/11/01 22:31:22
インドネシアでは放浪していても村人が食い物をくれる。泊まっていけなどといわれる。
日本では餓死するだろう。
>>174 社会に出ないと、生活できないのは大前提だとおもいます。
ただ、毎日同じ人に合い、タテマエの会話、自分を有利にするだけの会話の日々。
自分を成長させる為には、違う人に出会い続けるか、本を読む。
それが、今まで自然だったのかもしれません。
でも、ネットと言うものがが出来てしまった、その気になれば、言葉だけですが、
最後まで相手にぶつけ合える、(言葉だけなのに、傷つきますよね実際)
この、流れはこれからドンドン加速する可能性があると私は感じます。
>>177 ひきこもる人間は、ひきこもりという症候群をほぼ必ず認知していなくとも
自分になにが起こった以上に、「ひきこもり」とはなにかを考えているだろうね。
ひきこもり黎明期とは、「ひきこもり」の名付けの黎明期、それともその前?
そのまえに「ひきこもり」はないだろう。「家にこもってた人」は板だろうがね。
>>180 >ひきこもる人間は、ひきこもりという症候群をほぼ必ず認知していなくとも
>自分になにが起こった以上に、「ひきこもり」とはなにかを考えているだろうね。
その割にはおまい自身何も考えてないぢゃんww 人に聞く前に
自分を見つめてみろw そのほうが早いよ、おまいの場合は。
182 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/01 23:09:33
>>182 俺でもいいぢゃんw だって誰からもかまってもらえなくて
寂しそうだったからさ。。。
184 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/01 23:21:30
>いいかげんにしな!
きもっw 何がしな!だよ。もまいはトレンディドラマの俳優か
なんかかよw
>>163 病気でないと言っているのは斎藤的には方便にすぎないと思います。
彼の本音は、ひきこもりは精神病理の一種だということで、病理という
表現も一方ではっきりしています。
生活保護の話を持ち出すのは、病気でないと生活保護が受けられないよって
ことをちらつかせるためなんだよね。
>>167 その「情報として社会に「ひきこもり」というコミュニティ」を作ったのが
斎藤環氏自身でもあるというのが自己言及的というか、マッチポンプのような
論法だね。
コミュニティと言っても社会的カテゴリーと言っても同じだね。
コミュニティというのは社会的にカテゴライズされたものだし、
なんらかの集合的なラベルを施されて、または自ら共有する関係だからね。
189 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/02 08:40:54
そう自己言及的、再帰的だね
斎藤が「ひきこもりとは…」というと、それがひきこもりコミュニティに大きく影響をあたえて変化する
その変化をまた斎藤が観察して…
斎藤自身もシステムの一部だからね
まあ、これはひきこもりだけでなく、現代全般の特徴なわけだけど
2ちゃんねるでよく使われる自作自演というやつだね。
元ひきこもり当事者としては(当事者という特権的な立場(幻想だが)を主張するようでアレだが)ここでの議論は現実を上滑りしていると感じる。現実を反映しているとは思わない。
「自称」ひきこもりはコミュニティ(実体としてのではなく、幻想としてのゆるなかな)を形成することはあると思うが、社会的ひきこもりがコミュニティを形成するとは感じられない。
自分はひきこもっている間に、ネットもしていたし、本も読んでいたが、そういう人間ですら、いわゆる「連帯」の意識はない。
その連帯がアクティブな連帯でもパッシブな連帯でもだ。
ひきこもりは、基本的に連帯の意識やコミュニティの意識は薄いと思う。
ひきこもりという現象を思弁のネタにしたい欲望の方が先に立っているように感じられる。
それこそ思弁と社会が接続している幻想を持てるから。
建築が思弁のネタとしてもてはやされているのと同様に。
料理を例にしても、以前は身近な人に聞いたり盗み出したりして自分の味を作ってた。(その為には、人に接触しなくてはいけない)
でも、調味量の配分、作り方のコツなんてものを、ネット検索
で調べ、その通り作るとそれなりの物が出来てしまう。それが、結構アルデンテだったりするw
結果的にいい物がネットでえた知識で出来たとして(人に接することなく)、ネットで明るみになったとして
それが、世界統一意識に向かっているのか、破滅に向かってるのか、それ以外に向かってるのか
どなんでしょう?
193 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/02 20:39:04
>>186 本音は知らないけど斎藤的建前では病理は病理でも社会病理でしょう
>>189 ぴかぁ〜さんの思考回路はこうでしょう
A 幽霊を怖がる→枯れ尾花を見る→幽霊だ!
B トラウマという言説が流布する→社会現象を見る→トラウマだ!
AやBのような単純な発想を自己言及的とか再帰的とか
少し難しい言葉を使って表現してみたかったんでしょうね
『心理学化する社会』で斎藤は「トラウマを怖がるからトラウマに見えちゃうんですよ」
というような結論を出している訳ではないのです(そう誤読する人は多い事でしょう)
194 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/02 20:48:51
>>191 >社会的ひきこもりがコミュニティを形成するとは感じられない
賛成。そもそも、ひきこもりはその性格上コミュニティを形成するのが難しいと思う
ひきこもりという現象を思弁のネタにしたい欲望
>オタクもそうだけど、ひきこもりは哲学的な文脈ではたいして面白いネタじゃない
>>192 コミュニケーション抜きで効率的にマニュアルが集まるという事はいいんですけど、
それがいきなり「世界統一意識に向かっているのか、破滅に向かってるのか」
という問いに行っちゃうのは飛躍だと思う
195 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/02 21:09:46
>>191 コミュニティの意味は、同じ引きこもりと連絡を取りたい、協力したいとは
全然違うよ。
自分が「引きこもり」であると自覚した時点で、すでに帰属しているわけだよ。
196 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/02 21:16:03
>>193 わしのの思考回路???
ほんとにしらないの???
それでは斉藤理解できないだろう。オートポエとかスルー?
>「引きこもり」であると自覚した時点で、すでに帰属している
素人童貞の考えそうなこった。
198 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/02 21:32:07
>>187 たとえばフーコーがいうように心理学が発達して、狂気が病と定義されたのではなく、
狂気が病と定義されることによって、心理学が生まれた、というのに近いけど、
最近のシステム論的な見解では、これらすべてを含めてシステムなんだよね。
だから斉藤が「ひきこもり」を作ったというのは、正しくないね。
200 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/02 21:43:14
201 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/02 21:48:45
現代を語るときの再帰性は、知っていた方がいい。
たとえば「2ちゃねらー」について語るときに、
彼らが再帰的であることは、一般によく言われること。
彼らはあえてそのような発言し、その反応を楽しむという
次元を絶えず持ち続けている。
とうか、「心理学化する社会」ということも、そういう意味だよね。
>>191 なら、コミュニティをいわず、アイデンティティとでも言い換えればいいのかもね。
ここに書き込むってことは、全世界に自分の意思を、発する可能性があるって事に
なる気がします。(外国でも、2チャンネル見れるのか、自分は実験したことないんですが、見れるのかな?)
本、ラジオ、テレビはある意味選ばれた人の思想であり操作された思想。だけど身近に自分を、発し合える場所、誰にも代えることができない私を
開放する場所が、ネットで実現した。そんな、ネットの動きに対して、私の妄想の飛躍であってほしです。
>>193 > 本音は知らないけど斎藤的建前では病理は病理でも社会病理でしょう
それはない。斎藤は、個人に病理のレッテルを貼る社会システムそれ自体の
病理性を問題にしない。あくまでも個人・家族病理論者だよ。
>>198 > たとえばフーコーがいうように心理学が発達して、狂気が病と定義されたのではなく、
> 狂気が病と定義されることによって、心理学が生まれた、というのに近いけど、
> 最近のシステム論的な見解では、これらすべてを含めてシステムなんだよね。
システム論は(静態的)構造主義と同じで主体の問題を消し去っちゃうんだよね。
システム・構造がまず神と同じように存在するという前提に立つ。
> だから斉藤が「ひきこもり」を作ったというのは、正しくないね。
斎藤が「社会的ひきこもり」というカテゴリーを作ってそれを社会システムに
流通させたのは事実でしょう。
>>201 >「心理学化する社会」ということも、そういう意味
読んで。
>>202 カテゴライズでしょう
>>203 よく「インターネットは全世界に…」という誇大表現があって
それに対して「ネットもムラ社会だよな」という感想が出てきますが
自分は「可能性」という事を考慮に入れる必要があると思う
例えば1日6hitのサイトでもその6人(一人が6回リロードしてる事態も含めて)が
どういう人間かという可能性の幅が広い訳です
>>204 斎藤は「ひきこもりを治療する」という表現をよく用いるけれども
一方でひきこもりを精神病だと断定する事はありません
「社会」という言葉の使い方が異なると思う
「個人」vs「社会」というような図式も運動も斎藤にはなく、むしろ
個人と社会の相互関係の中で病理(≠精神病)が生まれる
そして精神科医が対応できるのは主体レベルでしかない
確かに斎藤は「正常」という基準を信頼していて
ひきこもりを病理とみなしているけれど
そのロジックには微妙なところがあると思う
208 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/02 22:27:53
>>205 システム論は確率論の世界だからね。
でもシステム論は階層構造だから、主体も一つのシステムという
視点があるから。ここまでくると、社会学というよりも
科学的なるわけだけど。
>斎藤が「社会的ひきこもり」というカテゴリーを作ってそれを社会システムに
>流通させたのは事実でしょう。
たとえば、斎藤が「社会的ひきこもり」というカテゴリーつくったとして、
フーコーのエピステーメーではないが、それがある適度流通されたのはなぜか、
ということがあるわけ。
そもそも社会的な現象を、誰かに還元するのは意味がない。システム論的にも。
209 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/02 22:28:52
>読んで。
読んで理解して。
まだネットは、むら社会(閉ざされた社会)がほとんどだと聞いて安心しました。
突然出没して、すませんでした。
では、失礼します、
211 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/02 22:37:23
ネットは思った以上に村社会だ、ということだね。
テキストのみのコミュニケーションというのは、すごいストレスだからね。
どうしてもの閉鎖的になる。
まあ、それを越えたのが、いろいろ問題はあっても、2ちゃんねるスタイルな
わけだけどね。
>>207 > 斎藤は「ひきこもりを治療する」という表現をよく用いるけれども
> 一方でひきこもりを精神病だと断定する事はありません
> 「社会」という言葉の使い方が異なると思う
どういう使い方なのでしょうか?
> 「個人」vs「社会」というような図式も運動も斎藤にはなく、むしろ
いや、あるでしょう。社会と個人とを分割する図式化があるからこそ
「引きこもり」という定義が可能になるし、社会に属さない個人という
見方ができるのでしょう。
>>208 > でもシステム論は階層構造だから、主体も一つのシステムという
> 視点があるから。
それは構造主義的だね。精神分析論的にいえば自我システムかな。
ちなみにルーマンは階層構造論的なシステム論には批判的ですね。
> たとえば、斎藤が「社会的ひきこもり」というカテゴリーつくったとして、
> フーコーのエピステーメーではないが、それがある適度流通されたのはなぜか、
> ということがあるわけ。
もちろん、それを可能にする土壌というのがあることは承知ですよ。
フーコー的にいえば、社会的な精神医学化とかパノプティコン化とかいった
ディスクールのシステムのなかに置いて考えることもできますからね。
>そもそも社会的な現象を、誰かに還元するのは意味がない。システム論的にも。
とすれば、「ひきこもり」という現象もそうですね。システム論的に問えば、
それも社会システムの必然的な一部になるでしょうから。
>>210 > まだネットは、むら社会(閉ざされた社会)がほとんどだと聞いて安心しました。
システムは環境に対して閉じているということかな。
214 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/03 21:04:42
>>15 長時間居座る人(つまり硬い椅子の効果がない人)がいても
一つの店舗で考えれば統計的に吸収されてしまう
これは大食いの人がいても食べ放題が成り立つとか
パチプロがいてもパチンコ屋が成り立つとかと同じ事です
215 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/03 21:05:02
216 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/03 21:38:30
>ちなみにルーマンは階層構造論的なシステム論には批判的ですね。
批判的というか、オーポエ信者だからでしょ。
>とすれば、「ひきこもり」という現象もそうですね。システム論的に問えば、
>それも社会システムの必然的な一部になるでしょうから。
なぜに必然的?システム論の現状肯定性から?
ひきこもりは最大の贅沢だな。
斎藤さんが許しても資本主義社会が許してくれません。
>>217 資本主義こそがひきこもりが(量的に)可能な条件なのだが。
>>216 > >ちなみにルーマンは階層構造論的なシステム論には批判的ですね。
> 批判的というか、オーポエ信者だからでしょ。
批判的なことと、オーポエと、どういう関係があるんでしょうか?
> >とすれば、「ひきこもり」という現象もそうですね。システム論的に問えば、
> >それも社会システムの必然的な一部になるでしょうから。
> なぜに必然的?システム論の現状肯定性から?
「ひきこもり」も個人の主体に還元できないという意味ですよ。
220 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/04 00:03:13
>批判的なことと、オーポエと、どういう関係があるんでしょうか?
オーポエは階層的システム論よりも、単層?的、境界が以下に
生まれるかということだからね。
ルーマンはシステム論者というか、オーポエ論者だから。
>「ひきこもり」も個人の主体に還元できないという意味ですよ。
なるほど「ひきこもり」と名付けた時点で社会的なものでしかない
ということだね。
>>220 ぴかぁ〜さんの言う階層的システム論の最上階に来るのはいったい何?
222 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/11 19:21:18
222。
なんか読み返すと散漫な展開ですね
斎藤は色々忙しくてもう2chを読んでないでしょうが、
(例えば美術手帳にもあるけどビエンナーレの日本館の準備が大変だった)
「2chの連中はラカンが読めない」とか思われると癪です
223 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/11 19:24:30
少しラカンに言及してみます。エクリを見てみましょう
DeAlio in oratione, tua res agitur.
これは精神分析の反メタ言語性と結びつくと自分は思います
そしてそこから斎藤の「箴言知としての〜」とか「萌えにメタはない」とかを読んでいきます
224 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/11 19:27:14
これもやはりエクリですが、ラカンがフロイトとドラの関係について言及していますね
フロイトの失敗を転移に見ても良いのですが、それは分析者がメタ的な位置に
立てないという事だと思うんですよ、斎藤センセイならもう展開が読めると思いますが…
夕食を取ってから詳しく書こうと思います。
227 :
考える名無しさん:04/11/11 22:06:11
斎藤さんが芸術作品や文学作品を果敢に論じようとするその態度は好きなんだが、
『博士の奇妙な思春期』の表紙絵を評して「現代のカラヴァッジョ」などと
臆面もなく言ってしまうあたりに、斎藤さんの限界を感じてしまう。
少なくとも、美術史を勉強して来たオイラからするとアホタレな発言だ。
たしかに斎藤は「誰々は誰々」というタイプの図式は下手ですね
ヘンリー・ダーガーに戦闘美少女の起源を見たりしますからろくな事が無い
もっと抽象的な概念になると、例えば日本のキャラは換喩的とかはいいんですけど
229 :
考える名無しさん:04/11/12 22:54:38
>>222 雑誌『談』(2004 8/13)では「自分のスレッドが2つあるから見てる」
と言ってましたよ。今現在はどうかわかりませんけど・・・。
230 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/13 18:36:30
>>229 あ〜最近まで見てたんですか
しかしいざ精神分析について書こうとすると、何か尻込みしちゃうな、見られてると恥ずかしいし
実は斎藤は「精神分析家」ではないから
(「精神科医・力動精神医学」という肩書きは見た気がするけど)
本来はアマチュアなんですけどね
231 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/13 18:40:39
でもラカン以外の図式はかなり安易なものが多い気がします
団塊は知らない、新人類はできない、団塊ジュニアはやる気が無い、
という図式を斎藤が以前出しましたけど、これの元ネタはゲーテです
当為(ゾルレン)と意欲があるが、能力がない。
当為と能力があるが、意欲がない。
意欲と能力があるが、当為がない。
232 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/13 18:49:54
さて、このスレはショタで始まっているのでその話でもしてみます
オタク系文化におけるショタとは美少女の派生にほかなりません
これは恣意的な区分ではありません。やおいと比較すると明瞭です
その中性性は萌え絵の形式に内在しています
萌え絵においては美少年と美少女の境界がほとんどない
これは達筆な「文字」の判別がしにくいと同じですね
233 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/13 18:52:07
dam、それから連続レスやめな!
>>232 でも(文句をつけるわけではないけど)それは派生であって、発展じゃないわけだよね?
また、弁証法的な欲望のあり方が行き着いた先でもないよね?
個人的には、ショタこそが本来的に求めていたものであって、
今まではそこに行き着いていなかった、と考えているのだけど。
235 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/13 19:00:20
萌え絵に性差が無いのは達筆な文字に近いという話ですが
それは反転図形的な、キュビスム的な多形倒錯という視点を導きます
(ここら辺古谷利裕氏の村上隆に対する批評が参考になってますが)
つまり欲望の性器への抑圧を解体して、女性性を非領域化します
そして「女性は存在しない」が「女性は遍在する」へと反転する訳です
そしてこれが斎藤センセイのシェーマではマンガの無時間性へと接続されます
236 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/13 19:04:24
>>234 ごく単純に市場を見た場合、現段階では派生に留まっていると思うという話ですね
>弁証法的な欲望のあり方が行き着いた先
去勢とかの考え方があるので斎藤センセイ的には退行かもしれません
237 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/13 19:08:04
そんで斎藤センセイは否定神学のプロ(w)ですから
性差ゼロが無時間に関係してくるのはいいですよね
(網状のN個の性の話は今は置きます)
形式的にはコマという分割が、内容的には葛藤という分割が
無効化されるのが萌え系のマンガの特徴ですが
それがさっきの図式に関係してきます。どういうことか。
238 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/13 19:57:56
もし図式で説明するなら、ゼノンのパラドクス(アキレスと亀)が一番分かりやすい
ちなみにこの喩えを使うのは自分のオリジナルの発想じゃなくてラカンの理論の内です
ゼノンのパラドクス(以下ゼノパラ)は空間の無限分割性から
運動の不可能性を結論しますが、むしろ不可能性の運動を示しているとも言えます
具体的なイメージを紹介すると、カオス理論の本で
本当の海岸線の長さは測れないという話が出てきます
微小な湾曲はどこまでいっても測る事が出来るからです
だからゼノパラを、「たんに分割の目がたくさんある数直線」と見てはいけないのです
アキレスと亀が進むごとに空間が生成されるという風に見ないと、極めて面白くない
239 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/13 20:17:41
こうしてゼノパラの比喩から構造的にチャート化できます
マンガのコマは時間を分割していますが
たんにコマがたくさん時間の中にあるという事じゃない
椹木野衣は「人間時計」の解説で円環的時間の話をしてましたし
小説における時間論はジャン・リカルドゥーとかあるでしょう
あるいはラブコメというのはたんにドタバタがたくさんある物語じゃない
主人公が浮気者というお約束は、人間関係を生成するためにあります
が、作者も読者もオタクは保守的なので「どんなに軽薄な浮気者でも
運命によって約束された純愛から逃れられない」というように転倒しまいます
240 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/13 20:25:39
もちろんショタもペニスがある美少女じゃなくて性的行為の生成を考えないといけない
ここを無視するとショタのフタナリの区分が無効化してしまいます
おそらくフタナリは、戦闘美少女で斎藤が分析したようにファリック・マザーなのでしょう
それは男女の弁証法を越えるメタ性とでもいうものを表象しようとしているのかもしれません
フタナリが超越者のようでいて性器の単一性の抑圧に従属しているのに対して
ショタは「メタ性はない」を実践していますから、理論的にも実際の市場的にも二つは全然異なる訳です
このゼノンのパラドックスの読み替えによって「たんに〜がたくさんある〜じゃない」
というように東の図式を端からひっくり返していけないかと、自分は考えてます
こういう風に理論的には「ショタこそ未来の萌え」という結論がでますが
(だから東ブログにおける東のアスカ萌え本流論に対してシンジ萌え本流論を主張します)
実際の市場では(フタナリから独立した)一定の需要があっても
美少女の発展形とまで言えるほどに隆盛してる訳じゃないんです
242 :
くらひと(やーお) ◆ncKvmqq0Bs :04/11/15 03:51:08
>だれかキボンヌをイタリア語風に言ってよ。
Qui bonne! (フラ語)
で、ショタ萌え双成りですけど。やっぱ、ほとそぎ(女陰削)恐怖から来ているのでは?
詰り、ぴかさんのブログでも、仰ってますけど。戦闘に於ける惻隠と羞悪を経験する訳で、
ドゥルーズも、女装して逃亡する少年兵について述べられていますけどね。
インターセックス、インターチャイルド=セルフ・アイデンティティーを失う
訳には征かないと(状況に於かれる)思う訳です。 全裸で
ところでこのスレは、斎藤という固有名は特になくても成り立つんじゃないか。
表象文化論というか、カルスタというか、そういうものの総合スレッドで
やればいい話で。
引きに関しては、アンガージュダン、て感じです。 然羅で
>>242 >女装して逃亡する少年兵
うーん、ショタと逃走というのは関連ありそうですけどね
>>243 斎藤の書籍に言及してるというだけでもいいんじゃないですか
「ユリイカ」の怪談特集にのっていた「リング」「女優霊」分析
「乖離のポップスキル」にいれられていたのですね。「フレーム憑き」に
はいってるとばかり思ってました。
あの文こそ「フレーム憑き」の冒頭にふさわしい気がする。
247 :
考える名無しさん:04/11/18 01:44:00
東という人にも言えるけど
もうちょい工学を勉強して欲しいと思います(私はハード寄りのエンジニアです)。
ただ各人「工学」のマイ定義があるみたいなのでやっぱりどうでもいいです。
それ以外のお話はおもしろい(もしくはよくわからない)です。
批評の対象となる人を買い被りすぎだとたまに思います(鶴見とか)。
生き延びるためのラカンを読んだら死にそうになりました(言葉がなくなりそうになった)。
がんばってください。
幽霊、炎、フレーム、憑依、ブレーム。
「ひきこもり」に関して、斎藤はしばしば母性批判や、父性復権論を口にしながら、それと同時に
「象徴的去勢がなされていないからひきこもる」
というような言い方をしているけれども、この象徴的去勢というラカン用語(と、その斎藤的解釈)を
一般向けに言い直すと、どういうことだい?
彼の「ひきこもり」論には、この「象徴的去勢」という言葉が頻繁に出てくるのだが。
記号学そのものの難解さとは全く別の次元の問題として、どうも斎藤の文章というのは
常にもってまわった遠回しな表現が多すぎてね。
>>207 >確かに斎藤は「正常」という基準を信頼していて
>ひきこもりを病理とみなしているけれど
>そのロジックには微妙なところがあると思う
ここ、もう少し詳しく説明よろ。
>一方でひきこもりを精神病だと断定する事はありません
確かに本の上ではそのようなことになっている。
もっとも、言っていることと、実際に臨床でやっていることとは、どうも食い違っているようだが。
そのへんの矛盾は
>>163で、非常によく整理されている通りだと思う。
>>235 >萌え絵に性差が無いのは達筆な文字に近いという話ですが
それは思います、もはや非線形の整形セリーと言う感じです。
>>249 一般向けにそういう言葉を使うのは、斎藤自身の説明によれば、
精神分析の持つ「いかがわしさ」を利用してその説明を信じきらないようにしている、
とのことだね。
一般向けでない場合は知らんが。
>>252 そのために「ゲーム脳」と同じトリックの使うのはやめてほしいものだね。
ひきこもり向けの書物ではそんなことは一言も書いてないのでは?
>>252 どうもです。それはつまり
>>93ということだよね。
まさにそのように「一般向け」と「非・一般向け」と、意図的にダブルミーニングを
図っていることが、ひいては見通しの悪さ(一方的にしか見通しが保証されない、というべきかもしれない)や
倫理性の問題にも繋がってくる。
>>253の言っていることも、つまりそういうことだと自分は解釈しました。
自分もまたうっかり、質問しておきながら、この構図にハマりかけるところだった。
それこそ、dogを「犬」と呼んでも「わんこ」と呼んでも構わないわけだけど、この例でいえば
本当に両者は同じdogについて語っているのか疑わしくなってきた。
というわけで、「一般向け」と
>>249で書いたのを訂正します。
単純に「象徴的去勢」とは何か? ということです。
これを平易に説明するとすると、どういうことか、と。
255 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/18 20:33:05
>>247 工学が〜ではなく〜だ、という具体的な話が出ないと何も言いようがない
>>249 本格的な説明は斎藤じゃないと無理ですけど、自分が簡易版の説明をします
(本物のラカンだと想像的父が象徴的ファルスを現実的剥奪〜とかややこしい)
(象徴的)去勢を一言で言うと、イメージの世界からシンボルの世界に移行する事です
社会的な次元というのは象徴、すなわち言葉で構成されていますから(例えば肩書き)
つまり財産・地位・名誉、あるいは競争・規則・契約といった要素は象徴的で父性的です
実際ラカンの概念にも「父の名」「父の否」というような言葉が出てきます(ただし抽象的な父性)
256 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/18 20:35:31
それで、環センセイにはバカにされるかもしれないけど、俗な理解だとこうです。
ミュージシャンになりたいと夢想する子がいたとする。
母親は甘いから肯定するんだけど、父親はそれじゃ社会に出て行けないと否定する。
けっきょく偏差値とか資格とかを客観的に考慮して現実的な進路をその子は歩みます。
その過程でその子はミュージシャンには簡単になれない事を悟りますが、
憧れのミュージシャンは手の届かないことで更に美化された空想になります。
こうしてCDの売上を伸ばしてくれるまっとうな社会人を生み出す訳ですが、
ずっと部屋にいるひきこもりは、自己イメージが温存されています。これが去勢不全。
まとめると、
象徴界に参入して想像的な自己を断念して欠如が生まれますが、
その欠如=他者=言葉こそが欲望を可能にします。これが去勢。
257 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/18 20:54:37
>>250 一方で斎藤は「現実」と「虚構」の境目とか「正常」と「異常」の境界はないと言います
しかしもう一方では父と母とか社会人とひきこもりとかそういう差異は絶対にゆずらない
このダブルスタンダードはラカン理論と精神科の臨床のそれと全く同じ構造なんですね
つまり「確かに原理的には〜だが、事実上は〜だ」という論理です。つまり以下のような。
ひきこもりは検査しても異常は出ませんから医学的な病気じゃないですよ。
でもそれで社会でやっていけるでしょうか? だから社会的には病理なんです。
ひきこもりが増えたら年金も破綻しますよ! 皆さんも困りますよね。
それで病気じゃないから手術みたいに医者専用の領域じゃないんだけど、
精神科医は不登校の子供とかも診てますし、前からノウハウがあるんです。
他にそういう実績の人いますか? 文芸評論家の言いなりになると一生外に出られませんよ!
…と、妥協した振りをしつつ実際には譲歩はしていない独特のペースな訳です
たしかに斎藤にこんな風に言われると、ふつうの人は反論しにくい
258 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/18 21:03:40
>>251 >非線形の整形セリー
萌え絵はフォトショップやイラストレーターやペインターで描かれますが
それらの過程は膨大な数値や式(線形もだけど)で表わされますから
比喩を超えて文字通り捉えたくなりますね。レイヤーとかフィルタとか。
>>252-254 斎藤は媒体で自在に変わるのを芸にしてるんですよ
あと付かず離れずの距離感もそうですね
例えば東浩紀にしても石原慎太郎にしても
批判しながらもいつの間にかブレーンみたいな感じになってるんです
>>たくさん、
引篭る→反象徴儀礼、引篭り→反儀礼的象徴、引篭らされる→反象徴的虚勢。
ところでみんなはビエンナーレの
センセの作品は見てるの?
すごく良かったよ。
>>257 そのダブルスタンダードは、ラカン理論と精神科の臨床との・・・というよりは、
精神分析(論)それ自体のなかにあるものだと思いますね。
斎藤さんはその精神分析の二面性を巧みに使い分けているんですよね。
精神分析のもつ保守的なまなざしに依拠して語りつつ、それへの批判を
かわすときにかぎって精神分析のラディカルな言説を盾にするという具合に。
>>255-256 平易な説明、助かります。
聞いてばかりじゃアレなので、あれから少し調べたんですが、用語としては
想像界 ……図像 絵 動物的認識 目で見えるもの
象徴界 ……言語・記号内容・シニフィアン・意味・シンボル
現実界 ……物質 物理的な意味でのみ把握した世界
で、
・いわゆる「社会参加」などというときの「社会」とは
象徴界≒言語・シンボルの世界にある。
・「ひきこもり」は、社会参加から退却している状態なのだから
言葉を知らない赤ちゃんと同様、想像界にいると例えられる
と。
東浩紀はこう説明していた。
>言葉を獲得し、社会のなかに登録されること、それを精神分析の用語では「去勢」と
>言います。
>ラカン派精神分析では、幼児は「去勢」を経て「象徴界の世界に参入する」ことで、
>はじめて人間になると考えられています。
http://www.hirokiazuma.com/texts/superflat.html
(続き)
>象徴界に参入して想像的な自己を断念して欠如が生まれますが、
>その欠如=他者=言葉こそが欲望を可能にします。これが去勢。
どこかで斎藤は「ひきこもりは欲望を持て」などと言ってましたが、この
「欲望」とは、イメージの世界の自己を、父性≒言語の介入によって欠如させよ、と
言っているに等しい、と。
てっとり早く言って「あきらめろ」と。
#教育社会学だと、階層分化における「冷却」にあたるのかな?
もっとも、20代後半〜30代overで「ひきこもり」として暮らしている人々が、今さら
一流大企業に就けると夢見ている人など、おそらく極めて少ない。
自分の身の丈は、ある意味一番本人が実感していると思うんですね。
あきらめるべき未来像さえ、ほとんど存在しない。
夢があるとすればせいぜい、将来社会参加できるようになったらいいなあ、と。
なので、あえて何かあきらめるものがあるとすれば、むしろ社会参加する意志
#「冷却」に対する「再加熱」
であって、斎藤がラカンを引きながらいう「欲望」というのは、実際としては
診察室に足を運ぶ欲望ということになるのではないのかなあ、と思いました。
(続き)
> 財産・地位・名誉、あるいは競争・規則・契約といった要素は象徴的で父性的です
> 実際ラカンの概念にも「父の名」「父の否」というような言葉が出てきます
ということは、きわめてごく大雑把に解釈して
父性≒家の外(社会)≒象徴界 母性≒家の中(社会から退却した状態)≒想像界
であって、これってまさに、西洋の悪しき所産だとして批判されてきたところの
知を男性性と結びつけ、それに疑いを差し挟まないといった振る舞いの典型のような
ものですよね。
で今回、ほんの少し調べてみたところによると、このラカンのジェンダー認識の件で
すでにジュディス=バトラーが『ジェンダー・トラブル』で批判をし、さらに
『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』でバトラーとジジェクが論戦をしているとのこと。
この論戦というのは、ひょっとしたら、斎藤の「ひきこもり」論をめぐる是非に
なにか示唆を与えるものがあるんだろうか。(全く相似するってことはないにしても)
今すぐにこれらを読めるとは思わないけど、実際にこうした論点・争点が現代思想に
存在することを窺い知ることができたのは収穫でした。長々と失礼。
調べ物をしているうちに発見した、フーコーとラカンに関する過去スレ。
http://mentai.peko.2ch.net/philo/kako/974/974852643.html >オリエンタリズムを中心に。ラカンの精神分析理論は、「女」とい
>う要素を入れてしまうとあの完成された形態が土台から揺らいでし
>まうということで、その理論の中核には「女は存在しない」という
>とんでもないテーゼが含まれているんですね。そのあたりがフェミ
>ニズム論者や反フロイト主義者たちの格好の批判の的になっている
>わけですが、現代における最強のラカニアンであるジジェクに言わ
>せると、ラカンによる「女」の排除というのは実はオリエンタリズ
>ム批判にも通ずるものがあるらしい。というのは、西洋の視点から
>東洋を顕揚する考え方(オリエンタリズム)と、男の視点から「女」
>とか「女性性」とかいったものを神秘化する考え方は全く同種のもの
>なんだと。つまり西洋=男、東洋=女、というわけですね。でもって、
>神秘化することによってしか語り得ないものについては沈黙を通す
>という倫理的な側面もラカンにはあって、その男根主義的側面をい
>ちがいに批判するわけにもいかないんだと、そういうことらしい。
香山リカと斎藤環という、水と油のような2人が、共にラカニアンを
標榜していることも、ひょっとしたらそういうことなのか。
それはそうとビエンナーレの「おたく」展って、サイード的にどうなんだろう。
>>257 ああ、確かにそういう論理展開を、現にとってますね。
やはり結局、ダブルスタンダードなのは承知しているけど
「社会的要請」という、その一点で押しているといったところか。
部分・部分としては辻褄は合っているんだけれども、なんだかどこかが捩れているという
目の錯覚を利用した無限階段のような状態。
その「社会的要請」なるものの中身については
>>164-212 あたりで既にみなさんが語られているのかな。
俺、ひきこもりにはあんま関心ないんであれなんだけど、個人の象徴機能不全や
社会の象徴秩序衰弱とひきこもりとはあんま関係ない気がするんだよね。
一口に社会といっても、共同体の側面と社会の側面が分かち難く混在してるわけで
(特に日本ではそう)、例えば家族主義的な会社や団体においては想像界のルール
に強いやつが強い(中小企業のおやっさんとか)。だから象徴界のルール(これは
「契約」のルールと言ってもいいと思う)に強いやつでも社会参加できないこともある。
>「社会参加」などというときの「社会」とは象徴界≒言語・シンボルの世界
というのは確かに正しいのだが、そういう原理論だけで裁断しすぎるのはどうかと
思う。そんな純理論的な「社会」は存在しないから。宇野弘蔵じゃないけどさ、
やっぱり原理論と現状分析はきちんとわけないと。
>>262 > で、
> ・いわゆる「社会参加」などというときの「社会」とは
> 象徴界≒言語・シンボルの世界にある。
> ・「ひきこもり」は、社会参加から退却している状態なのだから
> 言葉を知らない赤ちゃんと同様、想像界にいると例えられる
> と。
これはあまりにも通俗的で単純な図式化にすぎるんじゃないかと。
一般にいう「社会参加」というときの「社会」と象徴界とを同一視しちゃうとそうなる。
引きこもっている若者もすでにシンボルの世界に存在しちゃっているわけで、
去勢されているわけです。臨床的にいえば、彼らはむしろ人格的にも過剰な象徴界
の中にさえ生きている。こう言っていいなら、過度に去勢されてすらいる。
> 東浩紀はこう説明していた。
> >言葉を獲得し、社会のなかに登録されること、それを精神分析の用語では「去勢」と
> >言います。
精神分析においては去勢は所与のもの。象徴界はアプリオリなものです。
問題は想像界で起こっていることに還元されます。
>>268 >一般にいう「社会参加」というときの「社会」と象徴界とを同一視しちゃうとそうなる。
「内なる社会」「内なる共同幻想」というふうに言い換えればいいんでしょ?
「動物化」したほうが現代社会では生き易いんでしょう?
>>270 人間的であろうとしても、
イデオロギーの機能が壊れた現代では
弁証法的回路にストッパーがかからずに際限なくメタレベルに移行し続ける
メランコリックな状況になってしまう
とするならば、動物化した方がいいんじゃない?
動物と人間の対比は優劣の対比ではないけれど
動物化しよう、させようと思って可能なものなのか?
273 :
考える名無しさん:04/11/22 12:31:49
とりあえず、虚勢は象徴的なレベル(レベルという表現もアレだが)のみで起こるわけではないところはおさえておかないとマズいよね。
象徴的な虚勢と想像的な虚勢がある。
ここらへん東の要約を真に受けると、言語の獲得=虚勢と勘違いする。
とすれば、ひきこもりはむしろ虚勢が過剰な状態だというような解釈は成り立たない。
むしろ、あるところで斎藤はこう言っている
意地悪な言い方になりますが―彼ら(ひきこもり)は「満足」しているんです
と。
これはかなり納得した記憶がある。
ひきこもりにはキレられるかもしれないけど。
274 :
考える名無しさん:04/11/22 12:37:04
シュールレアリスムとダリのインスピレーションに関して分析学ではどんな見方がされているのだろう
275 :
考える名無しさん:04/11/22 12:41:17
言い古されたものっぽいけど
276 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/22 14:09:27
動物化はテクノロジーの速度との関係でしょう
欲望が満たされる速度が早い故に、動物化する
速度が早いところに欲望が集まる方が正確かな
たとえばネットは情報にあふれているといわれるがかなり偏っている
にちゃんでレスが多いところは変化の早いところ、欲望への応答が早いところ
動物化といわれながら、みな何らかの依存症です
277 :
Ar=As-Ab/As ◆ncKvmqq0Bs :04/11/22 14:14:44
ア=ニ=マル・セ=エクース
278 :
考える名無しさん:04/11/22 15:31:37
279 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/22 19:57:14
>>260 画像を見ただけでの適当な感想ではありますけど、
楽しい仕掛けが一杯で面白い展示だと思います。
力作で、センセイのアーテストの側面を見ましたね。
ただ…作品群のコンセプトと都市・建築というテーマがズレてますね。
純粋な都市構造とか建築美術じゃなくて、オタクの人間性(動物性)を面白がってますから。
しかしそれを含めても、オタクの消費空間を仮設するということの面白さが、よく伝わります。
小さいものばっかり並べてて、イスラエルがSFみたいな石油基地を構想してるのと対照的ですね
他民族/単一民族・一神教/多神教・マチズモ/フェチみたいな図式ですか、雑ですけど
イコンの変遷…旧メカ→新メカ→美少女のメタモルフォーゼなら、連続感が欲しいです
新横浜ありな…名前からポーズに至るまですごく偶像的でいいです
おたくの個室…違う階層で同じ相が現れるんでしたっけ、このモチーフが繰り返し現れてますね
コミックマーケット…ブースとカタログを重ね合わせるという情報空間的な発想がいいですね
オンラインコミニュティ…日本だけじゃないんだ、しっかしデジタルでも都市なのかなあ
秋葉原…ビルと紙袋を重ね合わせる訳で、やっぱり自己相似だ
レンタルショーケース…消費と芸術の境界って面白いですよね
280 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/22 20:06:11
>>261 そうそう、あらゆる階層で二面性を持ってるんです
まあダブルバインドをダブルスタンダードに変換する過程で剰余利益を得てると
>>262 大体そんな感じですが、斎藤によると、言葉の意味(イメージ)は想像界に属するということですね
自分的には、想像界…現象 象徴界…構造 現実界…実在と分類しますね
>「ひきこもり」は、社会参加から退却している状態なのだから
>言葉を知らない赤ちゃんと同様、想像界にいると例えられる
東は象徴界と社会を同一視しているからそうなっちゃうけど、
ひきこもりと赤ちゃんが同じというのは明らかにおかしいですよね
想像的去勢と象徴的去勢というように違う次元がありまして、
言葉を使う限りは象徴的に去勢されているんです、ややこしいかな
281 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/22 20:18:12
>>263 >「あきらめろ」
ラカンの言葉に「自分の欲望を諦めてはいけない」というのがあります
欠如=欲望あっての主体なわけですが、欠如をあきらめてはいけないのです
ごく簡単に言うと、目標を持つこと自体、あるいは目標へと至る過程が大事、みたいな
>>264 実際、斎藤は上野千鶴子とか小谷真里からジェンダー関連で軽く突っつかれてますよ
しかし精神分析にとって「性」は重要で、単なる社会的「構築」物では済ませないのです
>>265 斎藤はラカンとジェンダーの件に関しては、
言語のファロセントリズムの方が根本的で、そこを見ないといけないと言ってますが、同意します
282 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/22 20:25:04
>>266 社会的要請の一点張りにしろ、
斎藤の主張は洗練されてると思います
何でも病気にして薬漬けにしようとか、
軍隊に入れてしごけばいいんだとか、
むしろひきこもりを歓迎するとか、
そういう極論を排しつつも、家庭に関する保守的な視点は健全として保ち
ラカンという教養を持ちながら、オタクとかそういう異端も差別しませんから
NHKなんかで専門家として登場するにはうってつけです
283 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/22 20:31:49
>>267 「主のシニフィアン」とか「創始する言葉」という概念があるんですが、
書面の「契約」だけが象徴界じゃなくて、対人の「約束」も象徴界に含まれると思います
「社会」とか「象徴界」という言葉で齟齬が目立ってますね
>>268 >「象徴界はアプリオリなもの」
東と斎藤の対談ではそこが論点になってましたが、
その前提がラカンの強さであり限界でもある訳です
分裂病とか多重人格を巡って議論は続きそうです
284 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/22 20:36:42
>>269 象徴界と共同幻想は同列に扱えないと思う
象徴界はシニフィアンの自動的なメカニズムであって、
いわば「外なる共同幻想」で、内面化できないのです
>>270 そうですね
>>271 >弁証法的回路にストッパーがかからずに
>際限なくメタレベルに移行し続けるメランコリックな状況
エヴァ後半みたいな
>>272 東的には可能なはずです。訓練と学習ですから
285 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/22 20:47:43
>>273 >彼ら(ひきこもり)は「満足」しているんです
無時間的で、物語も主体もない空間で自足しているということかな
>>274 そもそもフロイトとブルトンに関係があるのですが、
早い時期にラカンはダリに会見を求めてまして、
それに「夢」など両者に共通するモチーフがあるし、
その上クレランボーの精神自動症も絡んで興味深いところです
ルイス・ブニュエルという人がいて、この人もダリと交遊があるのですが
『エル』という映画を、ラカンが講義で取り上げているそうです
286 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/22 20:50:46
>>276 >動物化はテクノロジーの速度との関係
自分的には欠如の欠如という図式になります
>>277 日付の数字が綺麗に揃ってますね
287 :
Ar=As-Ab/As ◆ncKvmqq0Bs :04/11/22 20:55:54
ちょっと、考えたのですけどサファリパークの動物に対して
トランキライザーを与えたらどうなのでしょうか(伝統としては存在しない)
象徴的な虚勢に為らないでしょうか?(避妊効果もあります。)
モダン的ではないでしょうか?ペットを虐める子供に
使っても良いですし、親に用いても良い。
教師に用いても良いのですし。
軍人に投じても良い。
288 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/22 21:04:59
>>287 「言葉」がない動物を「象徴的」に去勢することはできないでしょう
289 :
Ar=As-Ab/As ◆ncKvmqq0Bs :04/11/22 21:15:17
>>288 ですから、我々の中にある「動物」という「言葉」(人獣)を去勢出来ませんか?
>>289 ん〜ラカン/斎藤とは全然別の話になりますね
>>273 >>280 想像的去勢というのは斎藤の用語ですか。
>>273 >とすれば、ひきこもりはむしろ虚勢が過剰な状態だというような解釈は成り立たない。
>むしろ、あるところで斎藤はこう言っている
>意地悪な言い方になりますが―彼ら(ひきこもり)は「満足」しているんです
>と。
そういう斎藤氏流の解釈は分かるけれども、臨床的な現実からはかけ離れている
ように思います。
それを認めるとすれば、むしろ斎藤氏が引き籠る状態そのものが不安な二次病理を
生み出すというのとは矛盾するのではないかと思いますね。
292 :
考える名無しさん:04/11/23 16:21:31
>>291 満足と健康や幸福は等号で結ばれるものではない。
ならば満足が精神疾患症状を発生させない要因であるとは言えない。
個人的には、欲望のトラフィック量がひきこもり状態においては
ある程度満たされている、と考えるべきなのでは。
逆に欲望の穴がかなり埋まりかけている(しかし決して埋まりはしない)がゆえに
彼らは動くことができない。
しかもトラフィックの多くは本来の要請のものではない。
彼らの疲弊した姿から、シニフィアンの負債の重さがうかがえる。
293 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/23 18:26:43
>>291 想像的去勢はラカンの用語で、
ほかにも想像的同一化/象徴的同一化のように
想像的な次元と象徴的な次元を分けることが多いです
>引き籠る状態そのものが不安な二次病理を
>生み出すというのとは矛盾するのではないか
>>292 ラカンの「不安」は欲望の対象の欠如ではなく
欲望自体の欠如によってもたらされるのです
欲望とは欠如のことですから、
欠如の欠如が不安をもたらすことになります
だから、満足と不安の両立は矛盾ではないのです
不安はセミネールの十巻で取り上げてるらしいんですが…
斎藤センセイのラカンの入門書でないかな
「彼らは脱ひきこもりを望んでいる」「ひきこもり状態には満足していない」
というのが斎藤の主張だったはずでは?
295 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/23 21:35:55
>>294 自分の見解も入っちゃうけれど、
「ひきこもりの生活」には満足していても「ひきこもり」自体には不満ということではないですか
「部屋から出るのは明日にしよう」という行為で毎日充足した日々が送れる訳ですが
未来の不安は決してなくらない。これはごくふつうによくある現象でしょう
東の多重人格とか囚人のジレンマの図式でも説明できるかもしれません
296 :
Ar=As-Ab/As:04/11/23 21:49:39
誰があんたなんかと。(脱漏者め)!
ヘルニアみたいな物かも知れないですね。
僕は此処に居て善いんだ。(誰にも切取らせやしない)!
でも、何だか気持が悪いよ。(押せば凹むのだけれど)!
象徴的去勢の過剰が想像的去勢の否認を強めめるという捉え方はできない?
>>295 それは主体の分裂であって、去勢ということになれない?
タイプミス失礼
なれない? 改め ならない?
>>292 >逆に欲望の穴がかなり埋まりかけている(しかし決して埋まりはしない)がゆえに
>彼らは動くことができない。
埋まりかけて決して埋まることがないというのは欲求ではなく欲望の本質でしょうね。
欠如意識が埋められそうで埋められないその引きさかれた意識に欲望の存在根拠がある。
>>295 将来の不安といったものが「ひきこもり」の不安の中核にあるとは思えませんね。
「いまここ」に生じている不安が「ひきこもる」という動機になっているというのが
多くの場合、臨床的な事実であると思われます。
>>293 >欲望とは欠如のことですから、
>欠如の欠如が不安をもたらすことになります
>だから、満足と不安の両立は矛盾ではないのです
うむ。欠如の欠如というのはどういう意味でしょうか。
欠如の欠如と言った場合、それは永遠に充足することのない
欠如の生産を意味するのではないですか?
単に欠如と言った場合には、欠けているモノが埋め合わされることを
前提にしているわけです。つまりそれは欲求です。
欠如の欠如と言った場合には、欠如がさらに欠如を生み出すような
欠如の連鎖を物語っているように思えます。
要するに、欠如の欠如は「過剰」というふうな意味に捉えました。
「欲望とは欠如のこと」を言い直せば「過剰とは欠如のこと」となります。
>「欲望とは欠如のこと」を言い直せば「過剰とは欠如のこと」となります。
「欲望とは欠如のこと」を言い直せば「過剰とは不知欠如のこと」では?
>>293 >ラカンの「不安」は欲望の対象の欠如ではなく
>欲望自体の欠如によってもたらされるのです
このあたり、もう少し詳しくご説明いただけますか?
>>304 >「欲望とは欠如のこと」を言い直せば「過剰とは不知欠如のこと」では?
興味ぶかいレスポンス有難うございます。
こちらの考えに直せば、「欠如とは不知過剰のこと」というふうに言い替えられます。
「抑圧された過剰」かな?
去勢否認という男性的なディスクールがむしろ社会化への(社会に出たいという)欲望を
強める気がするのですが、その辺りはどうなのですか?
308 :
考える名無しさん:04/11/23 23:04:51
欲望は不満での部分はあっても、欠如は無いのではないかな。
欠如であると有に対置した限界の無い有以外のものであるという事でしょ。
欲求が既にあるもので、現在無いので不満であるのか。
欲求が生まれつき無いのかという混同しそう。
人間は欠陥動物で、その欠陥を埋め合わせるために文化が生じた
というのは欲求の理論であって、欲望の理論ではないのではないかと。
>むしろ、あるところで斎藤はこう言っている
>意地悪な言い方になりますが―彼ら(ひきこもり)は「満足」しているんです
>と。
この言葉をそのままの意味で真に受けるとすれば、
斎藤は「社会的ひきこもり」を「動物化」状態であると見なしているのかな?
あえて、精神分析的な話からそれて、ごく平凡で貧しい表現をさせてもらえば
ひきこもりは、葛藤することそれ自体に(で)充足している
それはある種のナルシズムではなく(いやそうであってもいいのだが)。
>>311 そういう意味での充足なら、それは欲望自体にもいえることではないかな。
欲望というのは自分で穴を掘ってそれをまた埋めてという自己円環作業だから。
>>308 欲望に対応するのは欠如ではないという意味ですか。
欲望に対応するのはむしろ「過剰としての欠如」でしょうね。
欠如は原因ではなく結果ですね。欠如を限りなく生産するのが欲望の役目ですから。
>欠如を限りなく生産するのが欲望の役目ですから。
「足る(諦め)を知らない」とはこのことではないの?
欲望は欠如を埋めるんじゃなくて、欠如を掘ると言った方がむしろいい。
欠如を埋め合わせようとして欲望が可能になるという言い方は欲求論的/動物的。
欠如がないのに、欠如があるんだと言い張る。
去勢されていないのに、去勢されていると言い張る。
それが欲望のディスクールを可能にする。
見栄とかプライドというのは他者の欲望を欲望することのもっとも典型であって、
きわめて世俗的なもので、悟りの境地(?)のようなものとは対照的ではないかと。
320 :
考える名無しさん:04/11/24 01:30:14
163 :ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/24 01:22:01
この板もレベル落ちたなあ
斎藤さんのなかでは、ひきこもりと欲望をめぐって、
象徴的と想像的との関係はどうなっているのかな?
>>318 精神分析論じたいが欲望のディスクールだからでしょうね。
323 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/24 18:28:54
>>296 文章は面白いけど意味が分からない
>>297 どうなのかな
>>298 欲望の先送りですけどね
>>300 だから、
現在の不安によってひきこもりたいが、
未来の不安によってひきこもりたくないということです
324 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/24 18:32:14
>>301-302 >欠如の欠如
旅行の計画を立ててる時は楽しいけど
実際に行ってみたら大したことないみたいな
たとえばお金というのは欲望の対象になる欠如ですが
欠如の欠如とはお金を使ってしまった感覚かな
325 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/24 18:36:37
326 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/24 18:41:17
ここは斎藤環スレなの?
>>296 > 誰があんたなんかと。(脱漏者め)!
> ヘルニアみたいな物かも知れないですね。
> 僕は此処に居て善いんだ。(誰にも切取らせやしない)!
> でも、何だか気持が悪いよ。(押せば凹むのだけれど)!
我ながら・・・・・。
エン×デヴェ=ロッッピング。
でも書きましたが、胎内存在の事です。
例えば、亀頭を押すとペニスが出るという現象が
ありますが、ヘルニアックな頭脳の持主は、欲望経済的に
不能者に近いのではないかと考える訳です。Sunder-Volutedが、
足らないのではないかと、未だ私の骨の骨と要ったものを持ち得ない、
=acephal(汝は欲望の肉腫すら持たないのか)に可成近いのではないかと。
329 :
考える名無しさん:04/11/25 12:26:32
「欠如の欠如」ってのはごく単純に
欲望がない
ってことでしょ。もちろん全くないという意味ではなくね。
ところで、想像的な欲望、ってものは精神分析上ある?
虚勢は言語によってのみなされるのではない、とするならば、
(想像的虚勢があるのだからそうなのだろう)
想像的な欲望の存在も可能になり、
欲望がなぜ現代においてこれほどまでに持ちにくいか、
の説明に象徴的欲望と想像的欲望のアンバランスなどの考え方を持ち込める。
330 :
考える名無しさん:04/11/25 15:47:33
>>321 ひきこもりで増幅する「想像的なものの破壊性を押しとどめるために象徴界が介入する」
ことが必要・・・というのが斎藤が提示するひきこもりへの処方箋で、彼の社会批評の原点でもあるね。
あとはほとんどそこからの演繹だから。
コミュニケーションの不全性、不可能性を顕在化させるためにコミュニケーションを去勢するけど、
その目的は欲望の喚起であってコミュニケーションそのものではないところが重要かもね。
たとえばフロイト的には欲望の十全はsexだがsexはコミュニケーションではないからね。
そしてsexは類的存在を可能せしめる唯一の方法であり意義であり価値だから。
コミュニケーションと共同性の問題は錯合しやすいけど全然別のものだから。
331 :
考える名無しさん:04/11/25 15:55:20
ということで原理としては斎藤は正当だが、展開が歪だね。
システム論の導入もラカンの延命にはならないでしょう。
ダブルコンテンジェンシー概念の前で混乱する斎藤を見ると、
精神分析と社会(科学)理論が峻別できない認識が原因だとわかる。
それは斎藤そのものの認識力の限界であり、あるいは病気そのものだね。
人間はすべて病気だからさ。
332 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/25 17:01:30
オーポエシステム論は基本的に個体論だからラカンは要請される、河本しかり
>>329 >「欠如の欠如」ってのはごく単純に
>欲望がない
とすれば、前にも書かれていたけど、動物化?
それが「不安」の原因とどう結びつくの? そこが不明なのが。
人間以前の動物は不安に苛まれていたけど、人間は欲望をもったことで
その不安を克服したとか???
>ってことでしょ。もちろん全くないという意味ではなくね。
とつけ足されるとね、なんだかごまかされている感じだな。
>>309 >人間は欠陥動物で、その欠陥を埋め合わせるために文化が生じた
>というのは欲求の理論であって、欲望の理論ではないのではないかと。
岸田秀あたりがそういう解釈でしょ。
しかしそれは欲求の理論ではないかというのが根本的な疑問。
335 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/25 20:49:55
>>327 そうですよ、スレタイがそうだし
>>328 何がacephaleなんですか。
欲望の経済/貨幣の経済そのものが無頭ですね
>>329 >「欠如の欠如」ってのはごく単純に欲望がないってこと
東浩紀と対談した大澤真幸によると
他者(言語・欲望)という欠如が欠如した状態と
単に他者が無い状態とは区別しないといけないと言います
336 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/25 20:56:44
>>330 >sexはコミュニケーションではない
sexをコミュニケーションメディアと考えるのはどうですか
>>331 二重の偶然性を媒介するのが他者でしょう
>>333 動物に不安はないでしょう
動物は欲望をもちませんが
不安は欲望(の消滅)によってもたらされます
>>334 斎藤によると動物の欲求と異なる
人間の欲望の特徴は多様性・無際限性にあると言います
>>335 「欠如の欠如」についてはいいが、
>>329に書いた「想像的な欲望」について素人氏の考えを聞かせてくれるとありがたい。
欲望の欠如についても書きたいがまあそれはあとで、
1カキコに内容はひとつにしとく。
338 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/25 22:24:33
>>337 斎藤と違ってアマですから適当ですが…
想像的な欲望というのはたぶん「鏡像」になるかな
「鏡像」という現象は、例えばゲームなどのインタラクティブなメディアでも観察できます
物語は、AさんもBさんも共通のものを享受していますが
ゲームではAさんとBさんで違うものを享受していますね、これが「鏡像」
339 :
Ar=As-Ab/As:04/11/26 16:38:03
>>335 >
>>328 > 何がacephaleなんですか。
> 欲望の経済/貨幣の経済そのものが無頭ですね
801って言うか、両刀(双頭)のacephaleではないかと思える。
欲望は頭脳的に支配し、貨幣は性器的に支配するのではないでしょうか?
>>336 > 動物は欲望をもちませんが
> 不安は欲望(の消滅)によってもたらされます
ちょっと待った。(の消滅)って()はどういう意味?
()が意味するものは?
341 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/26 21:08:28
>>339 貨幣と性器の並置は面白いと思う
実際、昔の貨幣が性器を象徴していたという説もあります
貨幣と性器、どちらも「穢れ」た存在であると同時に
経済と生命の根源であると見なされています
そして時代を経るに連れて両者が隠蔽されず
公共空間にどんどん露出してきます
>>340 ()の意味するものは可能性です
欲望が消滅しそうになると不安になるということです
342 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/26 21:09:56
>>338 「鏡像」なんですが、東と斎藤の対談によると
東の過視的な超越性は斎藤の鏡像に相当します
343 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/11/26 21:16:54
鏡像段階の虚勢とは、
自分を他人の似姿(しかし他人ではない)の中に発見することで、
世界の自明性(? 完全性かな?)に穴が空く、
というような解釈でいいのかなー。
メッチャ初心者丸出しだ・・・・・・。
虚勢って書いている人ってわざとそう書いているの?
そういうところにもある種の意味を読み取ってしまう。
346 :
Ar=As-Ab/As:04/11/27 13:09:22
あんまし哲学板に関係ないが、環先生が「エレファントマン」のパンフに
よせてた文よかったよ。
348 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/28 10:03:10
>>344 鏡像段階はナルシスティックで去勢じゃないと思う
鏡像世界の自己完結性に穴が空くのが去勢だと思います
だんだん説明を重ねるうちにラカン理解が正しいか不安になります
ゲーラボの「信じたら負けだと思っている」はジジェク的ですね
あとハウルと萌えの結びつけはちょっと無理があるな
ネオテニーというか幼いことの潜在性が本質的に食い込んでるから
でも自分が批判したいのは東の集団的な創発性なんて
アダム・スミスの焼き直しだよね、という方ですね
>>348 >鏡像段階はナルシスティックで去勢じゃないと思う
>鏡像世界の自己完結性に穴が空くのが去勢だと思います
なるほど。
幼子は鏡の中に見る自分を発見してキャッキャと喜ぶと。
確かにそのとおり。
で、鏡像段階の自己完結性に穴が空く、というのは
何によって穴が空くんですか?
母親との二者関係に侵入してくる父親?
斎藤タン・・・、
「生き延びるためのラカン」「晶文社ホームページ上で連載・毎月更新」
毎月更新・・・(−−;)
351 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/28 12:07:48
>>349 そうですね、「父の否」です
自分的には「原罪」とかそういう抽象的な概念一般だと思います
起源の負債、論理の不完全性、象徴界の穴の相同性ですね
>>350 同じ晶文社に連載している清田友則の
『我々は「救済」にすら値しない!――ベンヤミンと知の不良債権』が
『絶望論――〈知〉と物欲の不良債権処理』として刊行されたので
斎藤センセイも早く執筆して書籍になるといいですね
352 :
Ar=As-Ab/As:04/12/01 06:02:55
>>27 十六夜の花嫁にも珠希(緒川の方だと思う)は出てきます。
353 :
考える名無しさん:04/12/01 06:15:35
. ∧ .∧ ┌┐
.ノ ヽ―――/ ヽ ┌─┘└─┐┌─――┐ .┌┐
/ 〃 ::;;O;;:: ::;;O;;\└─┐┌─┘└┐┌―┘ .││
| :::;・ ・ o o ・ ・ .|┌─┘└─┐┌┘└―┐┌───┐││
| , ., ./ёヽ , , |└─┐┌─┘└┐┌―┘└───┘└┘
\ :::::::;;;;;;;;ヽ ノ;;;;;::::/ ││ │└―┐ ○
...  ̄ └┘ └――┘
>>353 > . ∧ .∧ ┌┐
> .ノ ヽ―――/ ヽ ┌─┘└─┐┌─――┐ .┌┐
心配するな、一応解ってるから。 └─┐┌─┘└┐┌―┘ .││
> | :::;・ ・ o o ・ ・ .| ┌─┘└─┐┌┘└―┐┌───┐││
> | , ., ./ёヽ , , |└─┐┌─┘└┐┌―┘└───┘└┘
> \ :::::::;;;;;;;;ヽ ノ;;;;;::::/ ││ │└―┐ ○
> ...  ̄ └┘ └――┘
はい。
しろうとさまは、環先生にメールを為さった事は有りますか?
トラ・バを報告したいのですが、送信フォームに移らないのですよね。
357 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/01 19:40:47
>>352 なるほど。エロゲは詳しくないんですよね
しかし環によるとオタクは「信じたら負けだと思っている」そうですが
たまきが非処女で怒るのは信じているから(そして負けたから)ですよね
>>356 >環先生にメール
ないですよ。一読者ですから
>トラ・バを報告
報告しなくても別にいいんじゃないですか
トラックバック自体が報告な訳でしょう
「宇宙のステルヴィア」における「小唄殺す事変」(あるいは「しーぽんキス事変」)
や
「はじめてのおるすばん」における「非処女事件」など、
ある種の信仰性は伺える。
とはいえ、底にもどこか演技性を感じはする。
が、なんかオタクとリアルで接していると、どうも「あえて」やっているのは実際には少数って気がする。
ネットの活字で見ると、「あえて」っぽさがやたら強調されるけど、
リアルヲタを見るとメチャメチャベタなカンジがする。
360 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/01 20:06:33
>>359 オタクはネットではメタでリアルではベタだと。
演技がすでに信仰である、というところでしょうか
>>267、268、280
そう、確かに
>>262の整理だと
>引きこもっている若者もすでにシンボルの世界に存在しちゃっている
という矛盾に突き当たる。
しかし、いざ斎藤が「ひきこもり」治療を理論化するとき、
結果としては東的解釈を地で行っている面があるんじゃないか。
むしろそのような解釈をしないと「象徴的去勢」を「ひきこもり」への
処方箋とする有効性自体が疑わしくなりませんか。
>>281 そうした精神医学による一種の特権的振る舞いに、一歩引いたところから冷静にチェックを入れるような論議が
今まで以上に盛んになってほしいかなと。こういうご時世だけに。
それにはジェンダー論の視点はむろん欠かせないし、ポストコロニアルの視点の
応用をどのように実践していくかも重要かと。
>個人の象徴機能不全や
>社会の象徴秩序衰弱とひきこもりとはあんま関係ない気がするんだよね。
>一口に社会といっても、共同体の側面と社会の側面が分かち難く混在してるわけで
>例えば家族主義的な会社や団体においては想像界のルール
>に強いやつが強い(中小企業のおやっさんとか)。
>だから象徴界のルールに強いやつでも社会参加できないこともある。
想像界の強化が、象徴秩序の衰弱を招いているのだとしたら、矛盾は無いのでは?
萌え(訳)に就いてですが、「グモエシス」ではダメですか?
>>361 > >引きこもっている若者もすでにシンボルの世界に存在しちゃっている
> という矛盾に突き当たる。
そう。それは根本的な矛盾だよ。同時に「ひきこもる」当事者自身の抱える矛盾でもある。
社会的にひきこもるという行動は社会化された人間ゆえの社会的行動なんだよね。
「社会」という意味を「シンボル(象徴界)」として抱えてしまった人間ゆえの現象。
その矛盾というか疎外というか、そういうシンボル化として、あえて社会を回避する象徴的な
行動化が現れる。
臨床的にもロゴス中心主義ともいえる社会的世界に彼らは入ってしまっているわけで、
彼らとラングとの親和性は高いよ。過剰なくらい。
去勢否認をどう解するかだね。むしろ象徴界の衰退ではなく過剰という逆説を感じる。
現代ではイマージュの世界にひたっていたほうがむしろ社会的にも生きやすいのではないかな?
現代にかぎったことではないかもしれないけど。
乱暴に整理すれば
社会適応系が象徴界が衰退しているヤツで
社会不適応系が象徴界が過剰なヤツでしょう
ポストモダニズムの言説は、近代という大文字の(シンボリックな)理念(物語)の衰弱
を説くけど、果たしてそのとおりなのだろうかと疑問に思う。
372 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/03 18:56:20
>>361 象徴的去勢じゃなくて想像的去勢を処方箋にしたら矛盾しないんじゃないかな
>>362 精神医学と精神分析は別で、むしろ薬物投与主体の精神医学は
ジェンダー(社会学的性)以前のセックス(生物学的性)の領域じゃないでしょうか
>>364 これは語呂の印象だけですけど、特に語頭の「グ」の語感が強くて
萌え絵ののほほんとしたイメージにそぐわないですね
373 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/03 18:58:54
374 :
考える名無しさん:04/12/05 13:17:58
あのう、斎藤先生、はやく生き延びるためのラカン上げてくださいよ。
他の依頼一回断ってよ。
中央公論の(あれ? 現代だっけ?)連載時評も終わったんでしょ?
連載今少ないでしょ。
だからはやく。
書籍になったらちゃんと買うから。
でも書籍化の時は大幅加筆してね。でも文体は変えないでね。
早く転移の続きを書けってんだ!
リタリンのんででも書け! コノヤロウ!
うるせえ、お前に転移なんかしてるかボケェ!
待ってる間こそ楽しい
376 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/05 22:03:03
そういえば連載の最後は「リアルな謎を創造する」とか見得を切って終わりましたね
「見えない振り」という事の意味をずっと考えていたんですが(これもアスペクトの一種だし)
今はある事件に対して解釈のインフレ状態が起きやすいので、
安易な穴塞ぎよりも、穴を空けることの方が重要な気がします、それが否定神学的でも
>>351=しろうとさん
遅レス、スンマソン。
晶文社のサイトの連載から書籍化されたものもあるんですかい。
じゃあ「生き延びるためのラカン」も期待が持てないこともないかもしれないでつね(´ー`)
>安易な穴塞ぎよりも、穴を空けることの方が重要な気がします、それが否定神学的でも
そういや「心理学化する社会」からも斎藤さんのそんな感じひしひしと伝わってきますた。
内疎外密って言うのは、内柔外剛の(常識?)事かいな。
379 :
考える名無しさん:04/12/08 19:25:59
そーいえば、数日前、
毎日新聞朝刊に環たんニート関連の記事に答えてたねー。
内容はいつも通りだけど。
「動機を持つことができるような環境作り」が大事。
で、キャッチフレーズも忘れない。
「ひきこもり100万人(嘘)」のように、
「国家によるニート100年計画」みたいな、ね。
380 :
考える名無しさん:04/12/09 13:58:21
381 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/11 19:25:22
斎藤センセイが「不登校児は不良品か?」という文章を書いていて、納得・賛成しますね
経済が世の中のすべてだと考える経済人・企業人の教育の分野に対する感想を
的確に捉えていると思います。規格化が出来てないから不良品が出来るんだろ、と
もちろん人間の場合は規格化そのものが不適応を生み出すのです
ただ経済人じゃなくて医療人だったら教育のアウトソーシングを受けてもいいのか
つまり、「ひきこもりは病人か?」という風な事も言えますが、まあケチな嫌味は止めましょう
とにかく今回は斎藤センセイの立場というか役割、その重要性がよく理解できました
382 :
考える名無しさん:04/12/12 01:52:09
まあ、ともかくな。中井久夫は齋藤のこと認めてないよ
383 :
考える名無しさん:04/12/12 01:54:07
斉藤が最近、中井先生の文章のことに関してどこかの雑誌に書いてたらしいが
中井先生は、「ぜーんぜん、違う。つまらない」って言ってた
384 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/12 18:26:53
ぶっちゃけ、確かに斎藤センセイのラカンはつまらないw 特に自分的にはジジェクと比べるとw
あと日本で言うと新宮一成先生の「対象aは黄金数である」というコンセプトは超素晴らしいです
ただ、自分が言うのは思弁的な視点から見たつまらなさで、臨床的には知らないです
385 :
考える名無しさん:04/12/12 19:08:33
386 :
考える名無しさん:04/12/13 02:27:27
>>381 すごいオバカさんですね。アナタ。
ふつう今までその役割を重要だと思っていた人も、
今回以降、一変してしまうようなタイミングですに。
387 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/13 19:12:28
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/ √___丶 | プギャーーーーーーーッ !!!
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| ..: | |ヽ |
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| l . } l:::::,r----- l
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389 :
考える名無しさん:04/12/14 21:42:29
>383
たぶんきっと「こころの科学」の中井久夫の新刊への書評のことを言ってるんじゃないかな。
環は島田雅彦にも「誤読」を指摘されたり(誤読だからダメだ、という意味のものではとりあえずなかったが)
しているからなあ。
誤読の天才だよね(しかしそれはパフォーマティブな身振りといえるだろう)。
なんてデリダ的な(!)。
390 :
考える名無しさん:04/12/20 19:22:39
環がげんしけんのメンバーだったとは。
このおたやろうめ。
所詮筑波レベル。
392 :
考える名無しさん:04/12/30 00:59:47
ひきこもりはカルト教祖にハマることはない。
なぜなら自分が世界一偉いと思っているから、とたまきんが書いてたが、
それでは世界一偉い自分を誰も認めてくれない現実をどう考えるのか。
ひきこもりはこう考える。
自分はすでに世界一偉いのだが、今はさらに上を目指して修行中なので、
まだ誰にも認められなくていいのだ、と。
しかし永遠に上を目指して修行してたら誰にも認められず死ぬだけなわけだが。
394 :
考える名無しさん:04/12/30 20:56:59
「ひきこもりは世界で自分が一番偉いと思っている」
ひきこもりの専門科医師として最大手の商売している
斎藤環のひきこもり観がこれかよ。なさけな・・・
395 :
考える名無しさん:04/12/30 21:10:09
えっ「世界一」なんて言ったか
396 :
考える名無しさん[:04/12/31 09:45:31
>>395 世界に自分以上に偉いものはいないから自分以外の誰も信用しないのが
ヒキコモリだって言いたいのだろう?
しかしその自分を世界でいちばん信用できるならば逆に引きこもらないはずだ。
398 :
考える名無しさん:05/01/04 10:54:37
じゃあ表に出なさいな。
>>397 世界で自分が一番思慮深く偉いにもかかわらず、
しかし世界は自分を無能扱いし卑下する。
なんと不当なことか!
私はこんな不当には耐えられないし、出て行ってやろうとも思わない。
ということなのではないのか?
「ひきこもりは世界で自分が一番偉いと思っている」
これニュー速や極東板、ハングル板あたりを見てると凄く納得できるw
>>399 みずから出て行きたいとも思わないのだと?
社会的ひきこもりはそうではないだろう?
出て行きたいと思えば思うほど、立ちすくんでしまう(立ちすくみ)状態を指すわけで。
それに、本当にそのように自信家で、我が強く、世間をバカにしているのならば、
世間の評価、他人の視線になど振り回されずに、それによってマイナス志向に陥る
ことすらないはずではないか。
仮にたとえ表面的には偉いと思っていたとしても、本当には偉くないと内心では実感
していること(自我防衛機制)を意味するんじゃないだろうか。それは自己愛が強いか
らではなく、むしろ自己愛が脆弱だからこそ、そうした防衛本能が働くのではないだろうか。
もちろん一般には
>>399のような「ひきこもり」に対する先入観が存在するのは事実だが。
>>399 斎藤がその種のひきこもり観を流布しているのは事実かもしれないが。
単に外に出る理由が無いからじゃないか
「この俺が一番えらいのに、なんでカルトの教祖ごときに従わなければならないのだ」
(ひきこもり救出マニュアルの39ページ)
↑世界一とまでは書いてないが
ひきこもり当事者の一人が本当に言ったらしいね
でもな・・・たった一人の言葉を根拠に、ひきこもりは自分が一番偉いと思っているので
カルトにはまらないなんてよく言えるよなぁ・・・
去勢云々の事があるから、こういう当事者像を強調したいんですかね・・・?
406 :
考える名無しさん:05/01/05 17:05:33
だから、斎藤環はイカサマ師なんだってば。
自分が出世したり著名になるのが面白いだけなんだってば。
問題は斎藤環のようなイカサマ師の思惑に
何の疑問も挟まず通用させてしまうような世間の存在。
>>381 >規格化が出来てないから不良品が出来るんだろ、と
??) 人間が学校によって規格化されているから規格外の不良品
という発想が生まれるわけでしょう?
斎藤さんはどうもそのへんをうやむやにして学校制度への批判を
避けてとおりたいみたいに感じるのですが。
>>405の発言が何かに似てると思ったら・・・
ニート問題の「働いたら負けかなと思ってる」ですね(これは斎藤さんは関係ないですけど)
つーかたまきんの本つまんねえ
410 :
考える名無しさん:05/01/08 00:29:16
そもそも、ひきこもりじゃない普通の人の中でも、カルトにはまるのは少数派でしょ?
じゃあ、普通の人の大多数がカルトにはまらない理由は
ひきこもりの人と同じで「自分が一番偉い」と思ってるからのなのかな?
それともまた別の理由があるのかなぁ・・・?
自分が一番偉い=個人主義=無宗教?
412 :
考える名無しさん:05/01/08 01:09:35
自分が一番偉い=妄想
無宗教=妄想
?
そういう斎藤さんこそ自分が一番偉いと内心思ってそうでこわい。
414 :
考える名無しさん:05/01/08 01:28:13
確かにハウルのおもしろくなさは、ロリコン性が低いからかな。
ハウル拓也に神性を捏造させにくいよな。
韓流でもないんだし・・・
416 :
考える名無しさん:05/01/08 03:37:44
>>413 斎藤環さん自身が医師になる前に通院経験とかあっても
おかしくなさそうな雰囲気が漂うキャラだよね。
そのあたり、どうなんだろう?
>>416 でも、メンヘラーという感じのキャラじゃないよね
強いていうならサイコパスっぽいキャラw
418 :
考える名無しさん:05/01/09 03:18:42
>>417 確かにサイコパスとして通院歴があってもおかしくないね。
しっかし、メンヘラーよりサイコパスのほうがよほどきつい・・。
>>418 悩むことも通院歴もまったくなさそうだからメンヘラのキャラでないという意味
420 :
考える名無しさん:05/01/09 03:50:31
でもサイコパスのほうがきついと思うが。
サイコパス>メンヘラ
という意味だという意味?
サイコパスは観測対象として興味深いが、
メンヘラは、逝きかたが足りない。
『文学の徴候』が酷評されてますなw
どこで?
>>420 サイコパスはちゃんと社会適応しているから。
けっこう高い地位にいたりする。
425 :
考える名無しさん:05/01/10 01:05:47
>>424 つまり、高い地位での社会適応をもってして
サイコパス>メンヘラ
という意味だといってるわけね。ふーん。
426 :
考える名無しさん:05/01/10 01:21:49
サイコパスの特徴は、極端に自己中心的で、自分の行動に責任を持たず、
他人を操る術に長じ、慢性的な嘘つきで、しかも全く反省しない
「羊達の沈黙」でレクター博士(A.ホプキンス)は「サイコパス」として描かれているが、
サイコパス=連続殺人犯、ではない。サイコパスはおよそ人口の1%程度おり、
人口2.5億人のアメリカであれば250万人はいることになる。
たしかにサイコパスは反社会的な行動をとるために危険だとは言えるが、
殺人を犯すのはそのごく一部に過ぎない。
しかし、精神分裂病などの精神障害者は健常者より犯罪率が低いが、
サイコパスは重大犯罪を犯す確率が極めて高い。
サイコパスは、 ある学者の指摘によれば「凶悪犯の50%を占め、しかも再犯率が通常人の3倍」だという
(Robert D Hare:Without Conscience:1993)。
あらら。。ちなみに、サイコパス(精神病質者)は、
現在は反社会性人格傷害と呼ばれる人格障害カテゴリの一種。
人格障害だと本人の病識が乏しい場合、明らかなる変人でも絶対通院しないね。
つか、むしろ、
病識があれば、まともなんじゃないか。
家族が連れてくってパターンのほうが、
ありそうな・・・。
428 :
考える名無しさん:05/01/10 01:59:05
まして、勉強はしっかりやって節目節目で結果もだして
医者になったりして高い地位で社会適応して・・
本人に病識なければ、だれも連れて行かんね。
>>426 それ、単なる詐欺師キャラだと思う。
それにここで言うキャラは
あくまで先入観によるイメージであって。
>>413以降、斎藤を病気にしたがって、みっともないな。
診もせずに「診断」を下すマスコミ精神科医を批判すべき一般人が、
同じ誤謬を犯すとは。
ある種の「権威」的存在である斎藤を病気にしたい欲望こそを分析してみてはどうかな?
ま、そもそも病者とそうでないものの差異など、臨床医的には・・・・・・まあいい。
431 :
考える名無しさん:05/01/10 19:52:19
>>429 詐欺師の部類も含まれる場合がある。
>>430 みんな斎藤環を見ている。見ようと思えばとても良く見れる。
著名だから。文筆も講演も沢山ある。
何を言う人か、どんな人なのか、見もしないで、とまでならない。
だから、同じ誤謬とまではならない。
432 :
考える名無しさん:05/01/10 20:07:20
ラカン派精神科医・・・・・・すげえ。そういう香具師が生きていけるんだ。
医学会ってわりと寛容だったりするんだね。フコー派精神科医とかもいるの
かな?
>>431 430は診もせず
431は見もしないで
>>432 ラカン派精神科医とは言っても、実際治療場面では使わないし、
無論、精神分析による治療は行わないし、
教育分析も受けていないので精神分析医ではない。
ていうかフコー派ってなんだ。
434 :
考える名無しさん:05/01/10 20:22:02
フコー派精神科医なんてものはないだろ? 「ラカン派精神科医」という
言葉への感想の表現として、そういう言い回しを使っただけ。
435 :
考える名無しさん:05/01/10 20:28:35
>>433 ほお、じゃあ、見ると診るの実態としての違いを説明してもらおうかな。
観念的な意味の違いではなく。
大体、精神分析医なんてものが、そもそも存在しないって知らんのか。
437 :
考える名無しさん:05/01/10 20:32:17
>>435 アメリカ行くと、存在してるんじゃないの?
>>430 単にキャラっぽいって話であって、べつに「診断」しているわけじゃないはず。
医者じゃないんだから。医者としての発言ならそう受け取られるから問題だが。
>>435 じゃあ、粗末かつ正しいお答えをしてあげよう。
診る→医者
見る→医者以外
精神分析医は存在する。
それとも「存在しない」って、ラカン的な意味の言い回しかね?
440 :
考える名無しさん:05/01/10 21:11:36
精神分析の手法で患者の治療を行う精神科医が日本にも存在しているのですか?
441 :
考える名無しさん:05/01/10 21:12:08
>>436 君の脳内に存在してるだけ。知らなかったクセに意地はるなよ。
>>437 >>436は斎藤環のことを
>ラカン派精神科医とは言っても、実際治療場面では使わないし、
>無論、精神分析による治療は行わないし、
>教育分析も受けていないので精神分析医ではない。
と言ってるんだから、日本で、しかも斎藤環という特定の医師についてだからね。
要するに何も知らんのに知ったかぶりなんだよ。
>>436は。
>>439 「診る」と「見る」の実態的違いを説明できないし。
医者と医者以外の「みる」に実態的にどう違うというの?
文字の変換で揚げ足取ったつもりですか。
「診る」も「見る」確認できる必要な情報を以ってしたら全く同じなんですよ。
精神分析医なんて職業はないんですよ。
だから、斎藤環が精神分析医か、そうじゃないのか、なんて話が全くナンセンス。
精神科医と心理師などで、精神分析を使う人がいるというだけの話なんですよ。
ラカン的な言い回しとか、そんな話でもなんでもない。
基本的な知識がないのに下手に気取っても仕方ないですよ。
442 :
考える名無しさん:05/01/10 21:15:04
何を喧嘩しているのか、いまいちよく分からない。
「精神分析医など存在しない」という荒唐無稽な主張をしている椰子がいるな
精神分析医の治療を受けている分裂症患者が
治療中という現実を否定するために書き込んだレスだろう
444 :
考える名無しさん:05/01/10 21:21:01
わかるよ。知識がなくて基本を間違ったまま下手に気取っても確かに仕方ないです。
445 :
考える名無しさん:05/01/10 21:23:29
えっ、統合失調の治療に精神分析を使う香具師までいるのか?
446 :
考える名無しさん:05/01/10 21:25:06
>>443 >精神分析医の治療を受けている分裂症患者
それは君のことではないかと。
普通の思考能力と作文能力がある人間なら、同じ状態をこう書きます。
「精神科医の精神分析療法による治療を受けている統合失調症患者」
精神分析医なんていないんですよ。
そんなことで意地をはるのが笑えます。
447 :
考える名無しさん:05/01/10 21:27:54
互いに断定しあうだけでは、議論とは言えない。用語の定義を照らし合
わせて、本当に意見の相違があるのかどうか確認するところからはじめ
らたいい。
448 :
考える名無しさん:05/01/10 21:34:16
>>447 調べればすぐわかる事だろ。
精神分析医という資格・肩書き・職業があるのかないのか。
こんなの議論でもなんでもない。基本的な知識の問題。
定義もクソもない。気取っても仕方ない。一般教養、知識の問題。
449 :
考える名無しさん:05/01/10 21:37:39
そうか? 哲学者という資格・肩書き・職業はあるのか?w
450 :
しろうと ◆AUSirOutoE :05/01/10 21:40:29
年初め何かと用事ありますが、なんか議論しているようなんで書きます
「精神分析医」というのは無いですよ
斎藤環は「精神科医」でかつ「精神分析」を行う人です
もう少し言うと「力動精神医学」の専門家でもあります
しかし「教育分析」を受けてないので「精神分析家」ではありません
あと「統合失調症」に精神分析はあんまり用いないと思います
ここら辺複雑で面倒な話しなんですけどね
452 :
考える名無しさん:05/01/10 21:44:48
アメリカ合衆国には、患者を精神分析で治療することを職業にしている
人がいるんでしょ? 「精神分析医」と呼ぶかどうかは別にして、日本
にもいるの?
453 :
考える名無しさん:05/01/10 21:45:37
哲学者という職業はある場合もあるだろ。そう名乗ってそれでくえてりゃ職業だ。
精神分析医については、そんな名称の資格も職業も肩書きもない。
というか、そう言う屁理屈を言ってて、自分でイヤにならない?
程度低い。
>>448 国際精神分析協会(IPA)の存在を知っているのか?
(ま、ここはラカン派は認めていないはずだが)
医師免許を持っていて、IPAに属していて、なおかつ精神分析治療を行っている者。
これはとりあえず精神分析医と言わずしてなんであろうかね。
>>450 >あと「統合失調症」に精神分析はあんまり用いないと思います
あんまり用いないじゃなくて、禁忌だよ。
斎藤もスキゾフレニアに対して精神分析は有害といっている。
456 :
考える名無しさん:05/01/10 21:48:52
>>451によれば、斎藤環って香具師が自分の肩書きとして「精神科分析医」を
使っているらしいじゃないか。w
ちなみに統合失調症患者を精神分析するとどんな事態になるの?
458 :
考える名無しさん:05/01/10 21:50:36
>>450 そうです。
精神分析医なんていうのはないんですよ。
これをこれだけ執拗に認めないっての、すごいよ。病気?
>>441 >439の粗末かつ正しいお答えに満足していただけなかったか。
やれやれだ。
医者と医者以外の「診る」「見る」の違いねえ、
そんなもの幾つもあげられる。キリがない。
というわけで、決してあなたがその指摘を「本質的な違い」と認めない、
しかし間違いなく本質的な違いを指摘してあげよう。
それは 「量的な違い」 だよ。
461 :
考える名無しさん:05/01/10 21:54:48
>>457 等質は脳内の状況が比較的判明していて、それに対処する効く薬があるから、
投薬の方が中心になった。
>>461 それじゃ精神分析医が処方箋書けばいいだけだろ
精神分析医が統合失調症患者を治療しても全然おかしくない
463 :
考える名無しさん:05/01/10 21:56:56
「だれがどこで使っていようが、自称していようが、俺がないといったらない
んだ、精神分析医なんてものは」ってか?w
443は「精神分析医の治療を受けている分裂症患者」と書いていて
それを446が「精神科医の精神分析療法による治療を受けている統合失調症患者」
などという内容に書き換えてるじゃん
馬鹿はどっちかな〜
465 :
考える名無しさん:05/01/10 22:00:37
>>460 本人にきいてみれば。
紹介者がよくしらんで、
「精神分析医」という言葉を使って文を書いたりすることは沢山ある。
「精神分析医」はぐぐっても沢山出てくる。
素人の思いこみで使われているだけだけど。
精神分析医なんて存在すると思ってる奴の情報源のお里が知れる。
ネットしかみてないのか?
宮本氏は著作中でも自分自身のことを精神分析医と書いている
基地外を弄りすぎると
包丁つかんで表に飛び出すからその程度にしとけ
被害者が出たら後味悪いだろ
468 :
考える名無しさん:05/01/10 22:04:27
> 馬鹿はどっちかな〜
まあ、俺を含めて全員だろうな。w
469 :
考える名無しさん:05/01/10 22:05:34
まじか?なんだその人。おかしいよ。そんな職業ないから。
国家資格とか、その他医療関係の業種検索してみろ。
精神分析医なんかどこにもいないから。
というか、こんなことで意地になって頑張る頭の変な奴ってマジキモ。
470 :
考える名無しさん:05/01/10 22:06:54
国家資格としては「精神科医」っていうのもあるのか?
ただ「医師」ってのがあるだけじゃないのか?
471 :
考える名無しさん:05/01/10 22:08:09
宮本って日本の医師免許もってんのか?それで自称「精神分析医」?
それがほんとうなら、そうとう変な奴。
472 :
考える名無しさん:05/01/10 22:08:11
意地になって頑張ってるのは片一方だけには見えないんだがなあ。w
>>469 文句があるなら精神分析医を自称している椰子に云えよ
医者自身が「僕は精神分析医です」と言ったら,はあそうですか
と信じるしかないだろ
474 :
考える名無しさん:05/01/10 22:10:13
精神分析医なんて、存在しないものをあの手この手で
存在すると言い張ってる方がどう考えても基地
475 :
考える名無しさん:05/01/10 22:16:00
>>470 国家資格とか医療業種見れば診療科目もわかるだろ
というか、ずっと信じてていいよ。精神分析医の存在を。
事実よりプライドに固執する、固執の仕方があまりにも病的
もう関りたくない。
いつでもどこでもこの話題が出たら「精神分析医は存在する!!」
といって頑張ってください。
頑張り過ぎて措置入院にならないように(なってもいいけど)。
>>475 「僕は精神分析医です」と言う医者に対して「はあそうですか」と
相槌を打つだけですから,まあ無害でしょう
「僕は精神分析医です」と言う医者に対して「精神分析医なんて存在しねーよ」
と反論する方が措置入院の危険は高いでしょうね
某精神科医のサイトでも「精神分析医」という語は使われているのだが。
それでもないと言い張るのかねえ。
それとも単に、「公的」に「精神分析医」という職業が存在しない、だから存在しないのだ、
と言いたいだけなのか?
それだったらそれでもいいけどさ。
まさか、クレジットカードを作るとき、職業欄に「精神分析医」などと書くヤツがいるわけでもあるまい。
ちなみに斎藤は自分の記憶の限りでは「精神分析医」という言葉はあまり使っている記憶がない。
「精神分析家」を使っているね。
しかし「精神分析学」という言葉を批判したことはあっても
「精神分析医」という言葉を批判したという記憶はない。
固執しているのは間違いなく
>>475だね。
何か嫌なことでもあったのだろうか。
479 :
考える名無しさん:05/01/10 22:26:53
「精神分析医です」といって実際に診察する医師がいたら、ほとんどニセ医者でしょうね。
でも、この患者の場合、事実がどうかより、騙されたなんてこといわれたら、
プライドが傷ついて大変でしょうから、
腹で笑っても黙ってたほうがいいね。その方が安全だ。
どうぞ、ずっと騙されててください。
こんな性格で無職の子供が引きこもっていたら、家族が気の毒ですね。
あくまで想像上の背景ですけど。
480 :
考える名無しさん:05/01/10 22:28:55
医学の専門用語の中で「精神分裂病」という言葉が使われなくなったの
だから「分裂病患者は存在しない」と言い張る香具師みたいだな。w
481 :
考える名無しさん:05/01/10 22:28:58
>>477 某とか言ってないでURLだして。
宮本も本の中で自分で精神分析医だと自称しているというけど、
そのそーすをだして。
482 :
考える名無しさん:05/01/10 22:32:23
>>478 俺もそう思う。その固執ぶりが面白いから、この糞面白くもないテーマで
発言が続いているんだろう。
483 :
考える名無しさん:05/01/10 22:32:32
世間には存在しなくても、このスレでは
何が何でも精神分析医は存在する。ということでないといけないらしい。
哲学板もメンヘラに支配されちゃいましたね。
お大事に。
「お役所の掟」と「在日日本人」が宮本さんの代表作
486 :
考える名無しさん:05/01/10 22:37:05
・病的な文章内容
・プライドへの異常な固執からくる事実歪曲
・間違いを絶対に認めない。(しかも多くの間違いは至極初歩的な無知が原因)
・多数の自作自演。
ひきこもり板の東京シューレ組だな。もう帰れ。
487 :
考える名無しさん:05/01/10 22:38:15
>>485 それのどこにどう言う文節で「精神分析医」と自称してるのか
443 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:05/01/10 21:18:50
「精神分析医など存在しない」という荒唐無稽な主張をしている椰子がいるな
精神分析医の治療を受けている分裂症患者が
治療中という現実を否定するために書き込んだレスだろう
精神分析医に嫌なことを言われたか,それとも
精神分析医が投薬量を間違えたのか
>481
の書き方からすると誤解されそうだな。
どうせ
>>477も読み取れてないだろうし。
風野自身は精神分析に批判的だから、精神分析医ではないよ?
あるラカン派の医師について扱った記事の中で、
「精神分析医」という語が使われた。
ま、その記事はあなたみたいなのが喜んで食いつく記事で、
それを迂遠に紹介している心優しい自分がいるわけだが、
甘やかしてもアレなので、それ以上は自分で調べなさいな。
490 :
考える名無しさん:05/01/10 22:43:20
風野春樹のHPにあった自己紹介
>ページ製作者の名前は風野春樹。1969年生まれ東京在住の精神科医。以後よろしく。
普通に精神科医といってるが?
491 :
考える名無しさん:05/01/10 22:44:41
>>483 あなたがしているのは、正式な名称は「理髪師」だという理由で
「床屋は存在しない」と言い張っているみたいなもんじゃないか。
言語についての考え方があまりにもプリミティブだよ。
492 :
考える名無しさん:05/01/10 22:46:18
はいはい、君らの脳内には永遠に精神分析医が存在しますよ。安心してね。
まあ、お大事にな。プライドに固執しても自分の病状悪化したら元も子もないぞ。
大好きな精神分析医に診てもらいなさい。どこにいるのかしらんが(爆笑)
おいおい、理想的な書き込みを直下にするなよ・・・・・・。
やりすぎだろ。
宮本さんは結構好きだよ
495 :
考える名無しさん:05/01/10 22:48:50
「床屋」=「理髪師」 同義語
「精神科医」≠「精神分析医」同義語じゃない。
お大事に。
496 :
考える名無しさん:05/01/10 22:51:41
同義語かどうかの問題じゃないんだよ。じゃ、例を変えてあげようか。
あなたがやっているのは、刑法の条文に「食い逃げ」という言葉が存在
しないという理由で「食い逃げは存在しない」と言い張るのと同じこと。
「お大事に」というのは、こっちが言いたい台詞だよ。
>>495 精神分析、あるいは力動精神療法でもいいけど、その治療過程で
どんな厭なことがあったんだい?
話してごらん。
499 :
考える名無しさん:05/01/10 22:54:28
しかし、こりゃ、この板の中でも前代未聞空前絶後の糞問答だろうな。w
500 :
考える名無しさん:05/01/10 22:59:22
>>496 「食い逃げ」=「無銭飲食」同義語
お大事に。
>>499 糞問答を粘着して繰り返しているのはどっちなのかは、
普通の人が見れば一目瞭然。
面白いね。
だんだん楽しくなってきました
502 :
考える名無しさん:05/01/10 23:03:11
あのう、「目線飲食」って言葉も刑法にはないと思うんですがぁ。
それと、何でも言い返せば言い勝てると思ってると、恥かきますよ。w
503 :
考える名無しさん:05/01/10 23:03:50
「目線」じゃなくて「無銭」か。
504 :
考える名無しさん:05/01/10 23:04:28
ますます楽しくなったきました
あっ,「楽しくなったきました」ではなくて「楽しくなってきました」ですね
>>496の喩えもたしかにどうかと思うが・・・・・・
その手の喩えじゃあ、納得しないよ。
そもそも納得する気のない相手にはね。
>>500 ところで風野春樹のページの中から探してみたかい?
「精神分析医」
>>489にも書いてある通り、本人は精神分析医じゃないよ?
自己紹介のページを呼んでもどこにも「精神分析医」なんて言葉はないよ?
でも、キミの喜びそうなネタと共に、風野のページのどこかには精神分析医という言葉が落ちているよ。
507 :
考える名無しさん:05/01/10 23:08:32
Good job!!!
508 :
考える名無しさん:05/01/10 23:09:51
>>502 精神科医≠精神分析医←存在しない
食い逃げ=無銭飲食=詐欺罪=存在する。
何か?
言ってることがよく判らないですよ。
とにかく具合悪そうだから、精神分析医に診てもらって
どうそ、お大事に。
ちなみに、目線だけで飲食しても、犯罪にならないからね。
お大事に。
509 :
考える名無しさん:05/01/10 23:14:07
正直なところ、なぜこの人が「精神分析医は存在しない」とここまで主張
し続けるのか、私には理解できない。「精神分析医」は正確な表現では
ないとか、誤解を招く表現だ、というのなら分からんでもないが・・・。
>>508 よしよし、分かった。
じゃあ、こうしよう。
同じことの繰り返しをしてもつまらないだろう?
だから別の切り口も用意してあげよう。
精神分析医が存在しないことを証明したことで得られる公益と私益は何ですか?
社会にとってどういうメリットがあって、
また、あなたにとってどういうメリットがありますか?
そして、損害(しかしそれは不当ではない)をこうむるのは誰ですか?
一人のDQNがいればスレは盛り上がるってオチか
513 :
考える名無しさん:05/01/10 23:20:09
トンチンカンな椰子がいて、
学校の保健室の先生(養護教諭)を「保健室医務師」とよんだとする。
親切な人が、「保健室医務師なんていないよ」と教える。
でも、教えられた人は病質的にプライドが高くて、プライドが許さず
あの手この手で粘着して「保健室医務師は存在するだろ、ヴォケ」と言い張る
こんな状況ではないでしょうか。
514 :
考える名無しさん:05/01/10 23:22:11
516 :
考える名無しさん:05/01/10 23:23:25
そんな状況ではないよ。病的にプライドが高く、自分が正しいと信じる
言葉遣い以外は絶対に許せない、というアホが皆にからかわれているだけ
だよ。
519 :
考える名無しさん:05/01/10 23:28:42
>>510 >精神分析医が存在しないことを証明したことで得られる公益と私益は何ですか?
面白すぎます(爆笑)
公益?私益?ありませんよ。そんなもの(爆笑)
ないものはないと教えてあげたまで。
だからもういいですよ。
精神分析医という医者が存在するということが正しいというのでしょ?
このスレにおいては、存在する。ということで良いじゃないですか。
公益・私益のためにも、どうぞお大事に。
昔の2ちゃんねるって、この手の必死くんがうようよいたが、最近みないな。
初心者はこういうつまずきを大げさに感じで、
意地でも負けないとか、がんばっちゃうんだよね。
522 :
考える名無しさん:05/01/10 23:32:52
「精神分析医」って精神分析を治療に用いる精神科医の俗称だろ?
「精神分析医は存在しない」っていうことで、「精神分析を治療に
用いる精神科医はいない」と言いたいわけなのか?
さて、みんなでなぜ精神分析医は存在しないと言い張るのか分析(精神分析ではなく)してみよう。
私見としては
精神科医→科学的な治療をし、厚生省の審査をパスした薬物を使って、患者を治す人。
精神分析家→疑似科学で人を騙して高い金をとって、治すどころか悪化させやがる! 詐欺師。
精神分析医→立派な精神科医と最悪な精神分析家をごっちゃにしているみたいでマジでムカつく。
こんな言葉がのさばってるようじゃ、他のメンヘラも間違って
精神分析家を精神科医と間違えるかもしれない!
そんなことはダメだ! 俺が立ち上がらなきゃ!
ではないかと。
524 :
考える名無しさん:05/01/10 23:34:23
.-‐''^^'''‐- ...,
; ' ' ,
.;' uvnuvnuvn ;
; j i
; .,, ノ ,.==- =; ククク…
( r| j. ーo 、 ,..of
': ヽT  ̄ i  ̄} もめろ もめろ・・・
': . i ! .r _ j /
'; | \ 'ー-=ゝ/
人、 \  ̄ノ
-‐  ̄ ' ーイ ̄ー-- 、
ヽ | ;' ヽ
525 :
考える名無しさん:05/01/10 23:35:24
>>521 ・・と誤字脱字だらけでつまづきながら意地でも頑張る。
526 :
考える名無しさん:05/01/10 23:40:53
>>522 精神科医と心理師などで、精神分析を使う人がいるというだけの話なんですよ。
ラカン的な言い回しとか、そんな話でもなんでもない。
基本的な知識がないのに下手に気取っても仕方ないですよ。(
>>441ガイシュツ)
精神分析医なんていない、といわれただけでこんなに粘着するなんて
患者って面白い(爆笑)
527 :
考える名無しさん:05/01/10 23:41:22
>>523 そんなところだろうな。医学業界の中での差別に関係があるのかな。
528 :
考える名無しさん:05/01/10 23:45:48
> 精神科医と心理師などで、精神分析を使う人がいるというだけの話なんですよ。
そう。でそれを「精神分析医」と俗称しているだけの話だよ。
それなのにあなたは「精神分析医は存在しない」に固執している。
「精神科医に関して俗称を用いるのは許さない」ってことかな?w
>>526 そろそろよければ、スレ荒れるので
「精神分析医なんていない」スレでも立ててやってください。
530 :
考える名無しさん:05/01/10 23:51:06
精神分析医なんて俗称もない。
ただの間違い・勘違いが、意外におおく浸透してるだけ。
「姑息」などの言葉の意味が、間違った意味の方で
広く浸透したりしているのと似た現象。
そんなに精神分析医が存在しないと、何か困るわけ?
いないもんはいないのに。しかし面白い(爆笑)
いやはや,,,もう秋田
>精神科医と心理師などで、精神分析を使う人がいるというだけの話なんですよ。
このスレでそんな基本的なことをわかっていない人間がいるのか?
いないだろ。
この理解の上で、こんな状況になるとは、よほど最初のあたりの
430-435で文句をつけられたのが御立腹らしい。
530
金田一春彦でも学べ
534 :
考える名無しさん:05/01/10 23:54:19
>>529 「精神分析医は断じて存在する」スレを立てたら?
いないもんはいないのに。お大事に。
>>532 よかった
おれは戦犯リストから外れた
これで椰子がどんな凶行を働こうが
漏れが扇動・教唆の罪に問われることは
ないわけだ
病識が無い椰子を治療するのはチト面倒だ
薬漬けにするか
538 :
考える名無しさん:05/01/10 23:58:49
精神分析を用いる精神科医を「精神分析医」と呼ぶことのどこが間違っているわけ?
539 :
考える名無しさん:05/01/11 00:00:42
>>537 仮にそいつ自身が精神科医だったりしたら・・・・・・。w
大丈夫です
うつ状態の精神科医を治療した経験はあります
まだ、いるんだ。
543 :
考える名無しさん:05/01/11 00:10:07
精神分析医くん、おもしろいから、上げ!
544 :
考える名無しさん:05/01/11 00:10:36
>>538 それを間違いだと思わないからこそ、患者は面白くもあり恐ろしくもある。
545 :
考える名無しさん:05/01/11 00:11:09
精神分析医くん、ないないネタもっと聞きたい!
分裂症なんて言葉はねーよ、バッカじゃねえの?!
ですか?
548 :
考える名無しさん:05/01/11 00:14:36
そろそろ眠剤飲んで寝なさいね。
夢の中で大好きな精神分析医に会って来なさい(爆笑)
549 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :05/01/11 00:41:16
ギャルはいない?みたいなものですか?
550 :
考える名無しさん:05/01/11 00:43:50
違うだろ。ギャルはいる。哲学板も意外に頭悪いんですね。
551 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :05/01/11 00:46:12
そろそろ眠剤飲んで寝なさいね。
夢の中で大好きな「ギャル」に会って来なさい(爆笑)
552 :
考える名無しさん:05/01/11 00:47:53
交通整理をする警官はいても、交通整理官という警官は存在しないということだね。
553 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :05/01/11 00:49:22
ギャル【gal】 女の子。若い女性をいう語。
辞書にのってやんの(w
じゃあ、「コギャル」はいない、ということで。
554 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :05/01/11 00:52:28
ありなしの境界 この辺りでどうよ
ギャル の検索結果 約 2,080,000
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
精神分析医 の検索結果 356,000
交通整理官 の検索結果 約 208,000
モナー の検索結果 約 203,000
コギャル の検索結果 約 179,000
やば・・・
精神科医 の検索結果 約 308,000
556 :
考える名無しさん:05/01/11 00:54:17
外科手術をする外科医はいても、外科手術医という医者はいないということか
なんかバナナのフォーマルな食べ方みたいなものか
なんかナイフとフォークで食うんだよね。
横やり失礼・・・では
561 :
考える名無しさん:05/01/11 00:59:31
精神分析医で検索しても、「精神分析」だけ一致でもヒットするから。
病院に電話して精神科医聞いてみるのが一番早いよ。
562 :
考える名無しさん:05/01/11 01:02:26
精神科医なんていないよ。間違って自分が医者だと思っている既知外がいるだけw
563 :
考える名無しさん:05/01/11 01:02:41
むしろ分析医がいるって言ってる奴、一生どんなことがあっても
いつでもどこでもそういって頑張って欲しいな。
思いっきり高尚を気取った無知な物言いをしながらね。
アホ晒して歩いて面白い。
いや、でも素晴らしいよね。
「精神分析医はいない」と言って、
精神分析医を自称する臨床医の存在があったら「そいつはバカだ」と言う。
これに勝てるわけがないよねw
565 :
考える名無しさん:05/01/11 01:04:53
しかし、テレビを見たり歯を磨いたりして帰ってきて、まだ「精神分析医は
いない」君が居座ってるのには驚いた。粘着っていうのは、こいつのことだな。
せめて
何々の定義からして「精神分析医」という呼称は存在し得ない
とかだったら、みんな「ああ、そうですね」というのにねえ。
本人が楽しんでいるんだからいいけど。
そうそう、みんな誰も怒ってないしね。
568 :
考える名無しさん:05/01/11 01:16:34
>>546 >精神分析医を自称する臨床医の存在があったら「そいつはバカだ」と言う。
その存在は未確認。ここで言ってる奴がいただけ。
「そいつはバカだ」もいってないし。
プライド傷ついて悔しい気持ちはわかったから、
このスレ的においては分析医は存在するという結論になったでしょ?
それから、いないといってるのは私だけじゃないですが、
「いない」は一人だと思ってるみたいね
569 :
考える名無しさん:05/01/11 01:24:02
一人じゃなくてよかったね。w
まだいるのかよ。精神科医にかかっているキティーくんか?
571 :
考える名無しさん:05/01/11 01:29:41
いや、違うよ。君はどうなの? 自分を差し置いて相手に対して「まだい
るのかよ」とか言えるところから考えると、相当危ないんじゃないの?
ぷっ
573 :
考える名無しさん:05/01/11 01:35:57
「ぷっ」とか「爆笑」とかを多用すると、必死になっているように見える
から、あまり使わない方がいいよ。
朝起きてびっくり
576 :
考える名無しさん:05/01/11 10:30:54
精神分析医というのは、いないですよ。
短時間に沢山の人が精神分析医がいるといって騒いでいたかのようですが
そんな妙なことへの固着によって短時間に急遽大勢の人が騒ぐのか?と疑問を感じましたが
主として一名の自作自演だったんですね。
577 :
考える名無しさん:05/01/11 10:36:21
「精神分析家」とか「精神分析医」とか、大雑把に同じ意味で使われて
いるだけで、「いる」とか「いない」とか断定できるほど意味の明確な
言葉じゃないでしょ?
578 :
考える名無しさん:05/01/11 10:40:17
>>576 2〜3人だったんじゃないかな。それよりも、翌朝になったまだこういう
のを書き込まんでしまう自分の精神状態を疑った方がいいよ。
579 :
考える名無しさん:05/01/11 10:48:22
「書き込まないでいられない」を「書き込んでしまう」にしたら「ま」が
残ってしまった。w
580 :
考える名無しさん:05/01/11 11:08:09
>>578 今朝になって初めて読んで感想を述べただけです。
>>578に一晩中監視していたような迫力を感じます。
その精神状態の方が怖いです。
581 :
考える名無しさん:05/01/11 11:17:03
「精神分析医」って言葉を聞くと脊髄反射を起こしてしまうというんじゃ
なければ、「精神分析医はいる」と言っている人がその文で表している内
容が何なのか考えてみるといいよ。結局それは、「精神分析で患者を治療
する精神科医がいる」というだけのことで、それはあなたも否定していな
いわけでしょ? 結局、「精神分析医」という表現が気に入らないという
ことのようだが、すべての人があなたやあなたの周りの人の基準で正しい
言葉を使わなきゃならないわけじゃないんだよ。
582 :
考える名無しさん:05/01/11 11:19:19
まじ怖いよ。この板メンヘル板に引っ越したほうが
583 :
考える名無しさん:05/01/11 11:21:47
584 :
考える名無しさん:05/01/11 11:22:00
何が怖いの?
585 :
考える名無しさん:05/01/11 11:27:03
いきなり「あなたやあなたの周りの人」っていわれても誰に対してなのか。これは怖いですよ。
586 :
考える名無しさん:05/01/11 11:43:06
ああ、それは「精神分析医」という言葉に対する反応から推定して言って
いるだけですよ。それから、文脈から分かると思うけれど、
>>581は、
「精神分析医などというものはいない」と言い続けている人へのコメント。
ジークムント・フロイト著の精神分析学入門で、
『精神分析医』という語自体がはっきりと使われてますね。(10n参照)
まあそれだけですけど。
つかこれ、ネットで調べるより本読めば済む話だね。
ネットの活字は基本的に校正が入らないから信用できないし。
それとも「精神分析医」という使い方が間違いだというクレームが
中央公論新社に来たかまで確かめる必要があるのなら、
まあ勝手にしてくださいって感じ。ここまでくると用例の問題じゃない。
なんか『バカの壁』を思い出した。
追加
『中公クラシックス』の10nを参照。
キチガイまだいるの?
で医学界では、大別して「〜学者」系と「〜医師」系に分かれるみたいですね。
学者系 >脳科学者、薬学者、病理学者、薬理学者、心理学者
医(師)系>脳外科医、薬剤師、臨床医師、内科医師、歯科医、整形外科医
産婦人科医、麻酔師、救急医師、小児科医、
こういうのは探せばいくらでもあるのですが、とりあえずこの辺にしましょう。
で医師系は、大筋、臨床、手術など実地に携わる人を指します。
そしてその活動が治療を目指す者達に対して使われます。
また学者系は、基本的に臨床に携わらない人、
つまり治療の活動に携わらない人を指します。
まあ、解剖学者なんて微妙ですが、既に死んでしまったと判断された
生体を使っているわけですから、治療には当たりませんね。
でここからが肝心なことなんですが「〜家」なんていう言葉は医学界では逆に
見あたりませんでした。これでは病院内で「私は精神分析家です」なんて
言われたら、その人を病人(キチガイ)だと疑った方がよいような気がしますよね。
ですから精神分析を治療の目的として使用している医師=精神分析医です。
これがオーソドックスな答えです。
592 :
考える名無しさん:05/01/11 12:36:47
アメリカではどうなの? 精神分析で治療するのは、サイコセラピスト
とかの類で、医師とは別なのかな?
594 :
考える名無しさん:05/01/11 21:24:15
あと少しで入試本番を迎える高校3年女子です。
私は希望の大学に入るために、いま苦手な数学も一生懸命勉強しています。
だけど最近お兄ちゃんに教えてもらった本を読んでみて、怒りが忽然とこみ上げてきました。
「知の欺瞞」という本です。
なんで私は大学に入るために苦手で嫌いな数学や理科を必死の思いで勉強しているのに
大学の先生たちがあんな簡単なミスを犯し、バカなくせに学識を誇ろうと分かりもしない数学
を見せびらかしてえらそうに振舞っていたのでしょうか?
お兄ちゃんに聞いたら、あの本に書いてあることの中には大学1、2年生で習うことも結構あ
るそうです。
受験生には難しい入試を課すくせに、自分たちは何にも勉強しないなんて許せないです。
どう考えても間違ってると思います。
だから私は、無事に希望校に合格できたら、絶対学生自治会に入って、学生に授業を教え
る資格が あるかどうか、先生たちに試験を受けさせるように運動するつもりです。
精神分析医の精神分析をします!
じゃないとおかしいじゃない! 私が英語を勉強するのになんで数学の入試を受けなきゃい
けないのかも わかんないのに、その上先生たちがそういうことまったくわかってないって絶
対おかしい!
だから私は入学したら絶対自治会に入って運動します。もう決めました。とめてもムダです。
絶対、絶対、絶対だからね!
595 :
考える名無しさん:05/01/11 22:37:35
まままんこ先生こんにちわんこそば!
センター試験の成績晒してから書けや
597 :
考える名無しさん:05/01/11 23:21:52
>>587 フロイトは時代も国も違うからなんとも。
現代日本に精神分析医という名称の医者は?
>>589 >現在は反社会性人格傷害と呼ばれる人格障害カテゴリの一種。
>>427にしっかり書いてあります。
精神分析医という肩書きがあるかどうかなんか、
現実の医者か病院で聞けばすぐ分かるのに
そういう普通の事実確認が出来ない。ずれてますね。
哲学板=実質ひきこもり板?
とりあえず、この板的には精神分析医は存在するということで、
もうどうでもいいです。
598 :
考える名無しさん:05/01/11 23:25:07
わざわざ「もうどうでもいいです」ってまた書き込むのはなぜなのかなぁ?w
>>597,598
別にいいんじゃね
合コンで知り合った♂は「精神分析医」と自己紹介していたけど
誰も詐称だなんて指摘しなかったし
精神科医よりも精神分析医の方が女性受けがいいのかね
知らないことは指摘も出来ない。
つか、お前も♂なら、合コンで同性と知り合うって普通あんまりないな。
同性は大抵もともと知合いだからな。
商売主催のねるとんぱーてぃーと混同?
>>600 > つか、お前も♂なら、合コンで同性と知り合うって普通あんまりないな。
幹事の交友範囲に依存する
そうか、ここは合コンのネタを披露するところだったのか…orz
たまきんは「ひきこもりは自分が一番偉いと思っている」と言うのであれば、
どのように一番偉いと思っているか深く聞き出して紹介すべき。
あるいは相手がそう思っているのなら、
そうではないということをわからせるのが治療ではないのか。
604 :
考える名無しさん:05/01/12 13:53:09
2005.2月号 新潮 270n
斉藤環
評論家の某氏は欠席の言い訳として まずその失策がフロイト的解釈
(出席したくない)に耐えうるものである可能性を述べてみせ、しかるのちに
『実は寝過ごしただけ』というオチをつける。これで人々はすっかり安心し、
某氏には悪気などなかったことをあっさり信じてしまう
――――――――――――――――――――――
中島一夫 某氏とは浅田彰氏であろうが実はこの臨床医の分析は完全に錯誤である
浅田氏は前回の欠席理由をまず「寝過ごしたんですよ」と述べ しかるのちに
「それもフロイト的な無意識の忌避のあらわれだろうと言われれば否定しようがありませんけど」
と「オチをつけて」会場を笑わせたのだった
従って浅田氏の発言は「精神分析以降」どころか極めて精神分析的なものであって、
また聴衆は「悪気などなかった」と「安心し」たわけではなく「悪気」があったかもしれないという自己二重化のユーモアに笑ったのだ
たまきんはひきこもっている人を追い詰めてはいけないという立場だから、
ひきこもりが「自分が一番偉い」と言ってもハイハイと受け流してそれ以上は
追及しないんだよ
>>605 > たまきんはひきこもっている人を追い詰めてはいけないという立場だから、
ハァ? いちばん追い詰めようと煽っているのは斎藤様。
ヒキは自己愛が強いとか、甘えの家族病理とか、それをわざと広めているのも斎藤様。
単に真意がそこに無いだけだろ
608 :
考える名無しさん:05/01/12 17:49:33
だったらなぜマスコミを通じて大々的に宣伝しているんだよ?!
ひきこもりは蔑称語として完全に定着したな。めでたしめでたし。
ひきこもりは国を滅ぼす害虫
だといわんばかりに煽っています。
寝たきり爺さん婆さんさんも引き篭もりだ
つまり
>>610は正しいということだ
613 :
考える名無しさん:05/01/15 20:24:58
とりあえずHPのデザインどうにかしろ
なんか怖いよ
614 :
考える名無しさん:05/01/15 21:01:13
HP微妙に更新されてるね。
615 :
考える名無しさん:05/01/17 10:21:37
サイコロリロリ斎藤たまきん♪サイコロ♪コロコロたのしいな〜♪あ〜サイコロリで毎日(;´Д`)ハァハァ
患者にされたくない異常者は医者になろう。
異常者にとって、自分自身が医者になるのが最高安全区
↑この人が一番安全区。
617 :
たまきん音頭:05/01/18 12:13:09
はぁ〜♪サイコロリロリ♪サイコロリ♪
サイコ大好き♪ダーガー大好き♪
ロリ大好き♪ダーガー大好き♪
サイコロリ〜で毎日(;´Д`)ハァハァ
ハァ〜たまきんたまきん♪
618 :
考える名無しさん:05/01/18 16:29:33
この人ってじっさい
引きこもりを脱出させたりしてるの?
この人のねらいは、学校制度を批判して不登校を擁護する考えを否定し、そうすることで
登校拒否が二次的に神経症化させる風潮を擁護し、引きこもりに移行しやすく脱出しにくい
世相を補完し、結果として医療へと彼らを仕向けることにあるのです。
なぜなら、かつては児童精神科に訪れる児童の半数以上を占めていた登校拒否の比率が
しだいに減少していって、そのぶん顧客を確保できなくなっているからです。
この人のねらいは、学校制度を批判して不登校を擁護する考えを否定し、そうすることで
登校拒否を二次的に神経症化させるような社会の構造を擁護し、引きこもりに移行しやすく
脱出しにくい社会を補完し、結果として医療へと彼らを仕向けることにあるのです。
なぜなら、かつては児童精神科に訪れる児童の半数以上を占めていた登校拒否の比率が
しだいに減少していって、そのぶん顧客を確保できなくなっているからです。
621 :
考える名無しさん:05/01/25 00:03:22
622 :
考える名無しさん:05/01/25 12:50:40
>>620 環は勤務医だし、患者の増減と給料はあんま関係ないし。
しかしこいつだけはお断りという感じだな
たまきって男?女?
女だったら萌える
625 :
考える名無しさん:05/01/25 18:41:37
おまえはもう死んでいるw
必死だなw
628 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :05/01/28 01:47:38
精神分析医
ひきこもり界の堀池巧
ひきこもり文化論は、むかしの登校拒否論のエピゴーネン
>>618 それどころか、健康な人でも、スキゾフレニアとみなして薬漬けにしてしまう。
信じられないことだが、それが稲村博一派のやり口。
そのやり方の危険さは、80年代からずっと問題になっている。
もちろん
>>620は、人物の言論姿勢から受け取った私の見方です。
が、その意図の如何はともかくとして、この問題の経緯をふくめた社会的コンテキストからして
そのような意味(少なくとも
>>620の前半)をもってしまっていることは事実ではないかと思われます。
そのことがこの人物の意図にまったく反するのか意図どおりなのかまではもちろん断言できませんが。
人物の言論姿勢から -(訂正)-> この人物の言論上の姿勢から
稲村グループに対しては、登校拒否に対する強制入院的対応(の濫用)、病名の濫用、
予後データの誤用・濫用などをめぐって批判や疑問の声が学会内外から上がり、大きく
問題になったことがたしかにありましたね。
不当な入院が契機になったとされる「暴動」事件にまで発展し、そのことがマスコミで報道
されたこともあったりして、その後それへの反省がなされていないのではないかといった
疑問の声もあった。
>>631 薬物療法の濫用についてまでは知りませんが、「非精神病性ひきこもり」や「登校拒否」
とされる人たちにまで、抗精神薬などの濫用的な処方が(インフォームドコンセプトにも
よらず)もしも勝手に行われているとするならば、それは問題ですね。
実際、そういう病院やクリニックも存在するようですからね。その点は毎日新聞が記事に
していましたね。
× インフォームドコンセプト
○ インフォームドコンセント
>>609 なんせ「機械親和性症候群」とかいう電波な病名を生み出したセンセイが
環の育ての親ですから。
次は「ニート」に病的なイメージを植え付けようと、マスコミを利用した操作に必死ですよ。
>>620 結論としては、そのような状況になっていることは疑いないね。
昨今の新保守主義や「自己責任」論などとも密接にリンクしながら構成されている。
で、それを受けて、例えばこういう政策なんかが具体化することになる。
----
「子どもの心」専門医養成 虐待・不登校に厚労省方針
http://www.asahi.com/edu/kosodate/TKY200501300185.html 子どもへの虐待や不登校など、深刻化する子どもの心と発達の問題に対応するため、
厚生労働省は全国的な医療体制の整備に乗り出す方針を固めた。専門医不足から
児童相談所や学校などで十分対応できていないうえ、表面化する前にケアが必要な
ケースにも手が届いていなかった。そのため専門医を養成し、診療科目も新しく設け、
身近な病院でも早期に治療を受けられる方法を探る。3月上旬までに検討会をつくり
具体策を新年度中に出す予定だ。
----
一見「ごもっとも」なんだが、これだけ社会不適応を子や親の問題として「治療」
したがる一方で、社会の側の病理にメスを入れようとする動きの実に鈍いこと。
>>632 不登校認識をめぐるそれまでの経緯をこの人が(属していた立場上からも)知らないはずは
ないから、そのことをはっきり分かった上で意図的に仕掛けていることだと思うね。
ここでも五条死ね
年齢的に見ると不登校世代が成長してひきこもり世代、で、ぴたり一致
登校拒否できなかった子供たち、が、大人になって拒否を行使しているのがひきこもり、かな
子供のころは真面目だったという人、多いもんねえ・・・
641 :
考える名無しさん:05/02/12 02:54:27 ID:1mJeqB/T BE:89068469-
この人の文章ほとんど自己紹介に見えるんだよな。
642 :
考える名無しさん:05/02/15 14:15:26
>>639 おまい、何処かでみた気がする。てか五条って何すか?
食べられるんですか?
643 :
考える名無しさん:05/02/18 23:35:43
TBSage
>>640 > 登校拒否できなかった子供たち、が、大人になって拒否を行使しているのがひきこもり、かな
斎藤環にいわせると「社会的ひきこもり」の典型は「不登校の大人版」らしいからね。
「社会が成熟すればするほど人間は未成熟になる」by斉藤環
>>644 斎藤の「社会的ひきこもり」論は、「登校拒否」の古い学説の焼き直しなんだよね。
登校拒否がまだ家族内精神力動の問題として解釈されていた時代をそのまま
「社会的ひきこもり」に言い換えているだけだったりする。
647 :
考える名無しさん:05/02/26 21:43:41
へーどんな批判よ詳しく聴きたいね
651 :
しろうと ◆AUSirOutoE :05/02/27 20:57:11
NHKのビエンナーレ特集で斎藤先生出てましたね。白衣
652 :
考える名無しさん:05/02/28 00:54:00
先日の寝屋川の事件でも実証されましたが、
不可解な少年犯罪の原因がビデオゲームなどの
電子メディア環境にあることは明らかです。
「ゲーム脳」の提唱者の立論に不備があるからといって、
電子メディアが有害でないとは言えません。
また「テレビ自閉症」ということも知られてきましたが、
ひきこもりの原因がテレビであることも明らかです。
よってビデオゲームやテレビ放送は法律で禁止すべきです。
もし禁止できないのなら、ひきこもりをテレビによる公害病患者と認定し、
一生困らないだけの障害者年金を支給すべきです。
もちろんその財源はテレビメーカーや
テレビ局・広告代理店に負担してもらいます。
ゲームは法律によって規制すべき。
俺にはゲーム会社は陰謀組織としか思えん。
日本全国の子供を馬鹿にするための戦略なのではないだろうか?
その証拠にインテリにゲームヲタはいない。
今やゲームはテレビの有力なスポンサーなので、
テレビ番組でゲームの悪口は言えません。
たまきんの「ゲーム脳批判」が最上位に来る運動も、
ゲーム会社の陰謀なのかもしれません。
655 :
考える名無しさん:05/02/28 01:23:33
ゲームと脳機能の関連について
やり慣れたゲームをやってる最中は、部分的に脳機能の活性化が鈍っているが
ゲームをやめて、通常の生活に戻れば、脳の機能も回復する。
今までやったことのないゲームをやっている最中は、特に脳機能の活性化が鈍ったりはしない。
ゲーム(たまに食う)→寝る→ゲーム(たまに食う)→寝る
という生活をしていたら、どうなるかは不明
>652-655
楽しそうですね
オートポイエーシスをいち早くネタにしたらバカにされた件について
しかも河本英夫からダメ出しされた件について
1999年のゲームマニアによるジャンボ機乗っ取り(機長殺害)事件や、
同年暮れのてるくはのる事件以来、現実と虚構の区別がつかないような
通り魔事件とか、学校に乱入しての殺傷事件が増えた。
これらの事件の背景には物質的に豊かな環境で育った世代特有の
生きる意味や世界のリアリティの喪失による生きにくさがあるだろう。
そしてその生きる苦しみが社会への憎しみとなって犯罪を起こすことに
なったわけだが、それではなぜ生きる意味がなくなったのか。
まず「生きたい」という感情はどういう状況で発生するかというと、
何もしないと死んでしまうような時、動物は本能として「生きたい」
と思い、エサを探すとか安全を確保するとかの行動に移る。
しかし今の日本のように経済的に豊かになり、面白い情報は家に
居ながらいくらでも手に入るような環境だと「生きたい」という
気持ちが希薄になってしまう。そこで若者の一部にはリアリティの
回復を求めてリストカットに走ったりするわけだが、この傷つける
対象を自分以外に向けたのがいわゆる不可解な少年犯罪だ。
(例:「人を殺す体験がしてみたかった」)
また若者は今の極端な社会規範のゆるみにも恨みを持っており、
母校の襲撃にはその復讐という意味もあるだろう。
普段はまじめでおとなしい子がいきなりキレるのはなぜか。
まず、幼少のころからテレビの圧倒的情報を浴びて育った子供は
あらゆる人間の行動や思考がパターン化されて先が読めてしまう。
もともと感情というのは先が読めない状況で動物がどう行動すべきかを
教えるものだから、世界がパターン化した人間は感情機能が衰える。
(世界はパロディと化し、生きる意味はなくなる)
しかしそれでもどうしても許せない目にあってしかも自分には全く
非がないような状況では普段抑えつけていた(怒りの)感情が
一気に爆発するのだ。この場合、怒りにまかせて相手に重傷を
負わすこともあるが、そういう相手というのは大抵ふだんから
ねちねちいやがらせをするような低級なやつなので謝罪する必要はない。
悪いのはそういう陰湿ないやがらせをするようなバカを野放しにした
学級管理能力のない(ていうか確信的に放棄する)教師のほうだ。
そういうわけで成績優秀でおとなしかったような子が、
かつて通った学校に恨みをもって襲撃するのだ。
ゲームだろうがなんだろうが「やり過ぎ」がよくないのは当たり前で、
ということは
ゲーム以外のもののやり過ぎは〜もちろんゲームのやり過ぎも〜心身に悪影響を
及ぼすと考えるのは妥当であり、つまり
ゲーム「だからこそ」異常になるというのは、誤りである、という話で、
ゲームをいくらやったところで異常になることがない、と斎藤は言っているわけではない、
というのは最低限の前提なわけだが、それは了解しているよね。
あと、限定効果説くらいは知ってるよね。
勉強の「やり過ぎ」はイクない。勉強のやり過ぎは犯罪に繋がる。
ひきこもり啓蒙の「やり過ぎ」はイクない。ひきこもり啓蒙のやり過ぎは犯罪に繋がる。
若い女の子の患者に入れ込むことの「やり過ぎ」はイクない。若い女の子の患者に入れ込むことのやり過ぎは犯罪に繋がる。
>>662 ゲームの「やり過ぎ」が心身に悪影響などという証拠はあるのか?
「ゲーム脳」論者もゲーム自体が悪いと言っているのではなく、
ゲームを長時間続ける、つまりゲーム脳状態が子供時代に長時間続くのがよくない
と煽っているのでは?
ゲームは外で遊ぶ時間を少なくさせ、脳(心)の発達にも悪影響を与えるのだと。
>>662 >ゲームだろうがなんだろうが「やり過ぎ」がよくないのは当たり前で、
それはあまりにも乱暴な議論。
スポーツのやり過ぎが体によくないのとは次元が違う。
まあ犯罪小説を読みすぎた人間が猟奇殺人を起こすという話なら
少しは近いが、これはもともと犯罪的体質の人間だったから
犯罪小説を好んだとも言える。
しかしゲームが人間に与える影響は内容ではなく形式的なものだ。
幼少期からテレビ画面の世界に親しんで育つと、
そっちの世界が本物で現実はその劣化コピーにすぎなくなる。
さらにゲームとなると自分がその世界に介入して操作もできるので、
あたかも自分が神になったかのような気になる。
だから気に入らない人間を平気で殺せるようになるのだ。
その証拠に酒鬼薔薇は「さあゲームのはじまりです」と言っていた。
>>667 662の↓のような見解に正面から反論していると思いきや、
最後まで読むと実は賛成しているんだな。
> もちろんゲームのやり過ぎも〜心身に悪影響を
> 及ぼすと考えるのは妥当であり
662もやはり内容ではなく形式のやり過ぎ(どっぷり慣れ親しんで
育つこと?)を危険視しているのだからまったく同じ見解だな。
>>667 まんまと最初に1行に騙されるところだったよw
>>662氏は、
>ゲーム「だからこそ」異常になるというのは、誤りである、という話で、
>ゲームをいくらやったところで異常になることがない、
>と斎藤は言っているわけではない
と言っているが、俺はまさに「ゲームだからこそ異常になる」
という見解なので662氏とは正反対だ。
それと俺は、ゲーム自体は悪くないが、
やりすぎるのが悪いという意見にも反対だ。
普通にやるだけでゲームは十分に悪い。
子供全体の異常性が高まったからその先端部分が
不可解な犯罪を起こすのだ。
ああいう犯罪はいつの時代にもいる
ごく一部の異常者が起こすこと、と片づけてはいけない。
>>671 >有害なものに長時間触れると危ない
>>662 いや、そうではなく
>>662氏の主張は、
「無害なものでも長時間触れると危ない(場合がある)」
というものでしょう。例えば水は人間にとって必要不可欠だが
1d飲めば死んでしまう、みたいな。
「ゲームのやりすぎがよくない」ということは、
「ゲームはやりすぎなければ何も害はない」ということ。
673 :
考える名無しさん:05/03/02 03:39:49
タイトルに惹かれて『心理学化する社会』
という本読んでみたけど、才能ないねこの人。
あたりまえのことしか言ってない。
この人なにか斬新なこと言ったことあるの?
>>673 いつも何かの焼き直しばかりだから。基本的に。
>>674 そのくせ自分では画期的な説を次々と発表しているつもりなのがイタい
オタクに関する仕事は画期的じゃん。
ヴェネチアビエンナーレにも招待されたし。
アニメを競争力のあるジャパニメとしてとして海外に売り出そう、なんて
もう何年も前からの省庁の既定路線。
そこにみんなで乗っかってるだけで、なんも目新しくない。
678 :
考える名無しさん:05/03/02 14:46:38
ゲームが悪いと一方的に決めつけるおばさん達がいますが違うと思う。
ゲーム的思考を産み出したのが「テレビゲーム」ではなくて、「テレビゲーム
」はゲーム的思考を促進させるだけのような、、、「テレビゲーム」は単に
ゲーム的思考民族が産み出した二次的なものでは?
それに、テレビゲームを一方的に批判する人たちこそゲーム的思考に落ちって
いることを否定できないのでは。つまりテレビゲームをしたことがない人達
であっても、ゲーム的思考をする人がいると思う。
そもそもゲーム的思考とは何か?前レスにも揚げられているように、「現実と
虚構の境界線の曖昧さ」「生きるリアリティの喪失」みたいなのがあるが
漏れ自身よくわからないので、その程度の認識にしておこう。
やはり、宗教、占い、血液型による性格判断、こういうのが表沙汰になってる
のは、欲望が希薄になっているからなのでは。現代「自信」という言葉の
意味を決定ずける文脈がすれ違っているように感じる。「自信を持つ」とは
自分の欲望を自分自身で認めること。もう一方、「自信を持つ」とは、多数
の人たちに認められることと意味が取れるのでは。この両者のどちらが
正しいとは言えない。今「自信」の意味を決定ずけるものは、後者のような
文脈が作用しやすいような気がする。この「自信」ではゲーム的思考に
おちいり易いと思う。常にリアリティを感じる自信さえもっていれば、
いくらゲームをやろうと大丈夫だと。。。そのリアリティを脅かす存在として
「テレビゲーム」があるのは明らかだけど
なんやかんや言うても、これからもっと物騒な世の中になって行くんや
残念ながら日本人というモノは、大きな失敗からしか学べないようだから
680 :
考える名無しさん:05/03/02 16:10:21
>>679 >そもそもゲーム的思考とは何か?前レスにも揚げられているように、「現実と
>虚構の境界線の曖昧さ」「生きるリアリティの喪失」みたいなのがあるが
>漏れ自身よくわからないので、その程度の認識にしておこう。
その程度の認識では困る。
「ゲーム的思考」とは世界を外から操作する思考のことだ。
ゲームをするとはコンピュータが作り出した仮想世界の中で、
特定の登場人物を主人公として自分が遠隔操作するということだが、
そういうゲームをやりなれていると、現実の世界もどこか超越的な
場所から遠隔操作されている仮想世界のような気がしてくる。
そして、ひどい場合は自分の体を傷つけてもほとんど痛みというものも
感じなくなってしまうのだ(離人症)。
>そして、ひどい場合は自分の体を傷つけてもほとんど痛みというものも
>感じなくなってしまうのだ(離人症)。
それは離人症に対する誤解だ。
>>680自身が現実と仮想の区別がつかなくなっていると思われる。
病院に行ったほうがいいのでは?
>>681 メンヘルの離人症スレでまさに今そういう話題が進行中。
離人症の症状には自分を外から眺めるような感じのほかに、
自分の体が自分のものでないような感じもあるから誤解ではない。
>>683 >離人症の症状には自分を外から眺めるような感じのほかに、
>自分の体が自分のものでないような感じもあるから誤解ではない。
そんな症状は知っている。
だが、痛みを感じなくなるわけではない。
身体機能自体は正常だ。痛覚も健在だ。
離人症っていわゆる「金縛り」のことかい?w
686 :
考える名無しさん:05/03/03 22:56:44
>その証拠に酒鬼薔薇は「さあゲームのはじまりです」と言っていた。
これは自分(だけ)の世界視線(だけ)の世界へ没入していくことの自覚だね。
入院している精神病者も「自分は入院している」という自覚は必ずある。
あるいは「自分は精神病とされている」という自覚はある。。。。という
二重の見当識があることを斉藤も指摘しているよね。
解離性のことだろ?
688 :
考える名無しさん:05/03/04 22:09:18
age
たまきんは「モダンな皮肉屋」と「ポストモダンな冷笑家」を
同格に扱うが、それこそまさに「ポストモダンな冷笑家」の態度であって、
この2つを比べれば「モダンな皮肉屋」のほうが圧倒的に正しい。
なぜならポストモダンな冷笑的態度というのは一切の価値判断を放棄して
特定の価値を信じる人間を嘲笑することだが、そういう嘲笑のウラには
現実の世界を超越するニューエイジ的信仰があるのだ。
たとえば日本のカウンセラーが子供の暴力に寛大なのは、
ロジャースを教祖とする一切の暴力を超越したヤマギシズム的
ニューエイジ信仰があるからなのだが、
こういう妄想的冷笑家こそ社会にとってもっとも有害である。
「たとえば」以下が超電波でワラタ
>>691 超電波というが、それは『心理学化する社会』でたまきんが書いてること。
(「ヤマギシズム」という言葉は使ってないけど)
>>692 突然「ヤマギシズム」のような卑近な例が出てくるところに、
真性の素質を感じる。
>>693 ヤマギシズムとロジャース派のカウンセリングはよく似てますよ。
ヤマギシの特講では「あなたは何に怒りを感じましたか?」という
質問を何度も繰り返し、結局「怒り」の感情とは自分の内側にある
ものでしかない、と気付かせ、そんな有害なものは追放しましょう、
となるわけだが、ロジャース派のやり方も「それで? それで?」
と聞き返すだけで結局自分の問題点に気付かせるというもので、
似たようなもの。
いま何か問題が起きるとすぐ学校にカウンセラーを常駐させよう、
という話になるが、日本のカウンセラーにはこういうカルト信者が
多いので注意しろとたまきんは書いてた。
(といってもほとんど小沢牧子(オザケンの母)という人の受け売り)
こういうカウンセラーだと、たとえばいじめ問題で相談を受けても
「あなたがいじめられないような人間になりなさい」で終わり。
695 :
考える名無しさん:05/03/05 14:59:31
>>690 漏れカウンセリング受けたことあります。なんて言うか、あまり良いもの
だとは思えないな、あれは。
なんか通俗的なイメージに染まりすぎてて、それを基盤に二次的なアドバイス
ばかりしてるようにしか思えなかった。
あとは、何かを信仰してるみたいだった。その信仰のせいで人間の本質を
取りこぼしてる様子も伺える。人間を知らないというか・・・
例えばだけど、必ずカウンセラーって「暴力」を否認する気がする。
特に親や先生の「暴力」。なぜすべてを否定するのかが不思議だ。
それに対する理由も全くわからないし。
なんか定期的に集まって情報交換する「カウンセラー協会」でもあるの
かな?そこで決まったことには反してはいけないとか。
あとは奴等が「人はそれぞれ違う。」っていうのを、誇張するんだね。
なぜそこまでして誇張するのか?俺からみれば、その言葉を「気休め」に
使いなさいって奨励してるように見える。例え、奇抜な言動を取ったとし
ても、その言葉で自分に言い聞かせろ、又は相手を論破しろって言ってみ
たい。馬鹿らしい。
結局、その言葉は女性でフェメニズムを主張してる奴の盾なんだろうね。
あとはカウンセラー自身の「顔」が見えてこない。自分の立場ばかり気にして
るから。だから漏れも奴等に、理解できるように話すという配慮がし難い。
どうなんだろう?カウンセラーっていうのは自分の「顔」をクライアントに
示すべきなんだろうか。
696 :
695:05/03/05 15:08:10
>>690 >日本のカウンセラーにはこういうカルト信者が
>多いので注意しろとたまきんは書いてた。
その本の名前教えて
>>694 > こういうカウンセラーだと、たとえばいじめ問題で相談を受けても
> 「あなたがいじめられないような人間になりなさい」で終わり。
「あなたがいじめられないような人間になりなさい」は
ロジャース派ではないんじゃないか?
それは、フロイトとかラカンとか、父性主義的な発想に立つ
精神分析家にありがちな態度のはず。
彼らにとって精神分析は、まさに 「あなたがいじめられないような
人間になりなさい」というふうに当事者を「去勢」することにあるわけで。
698 :
695:05/03/05 15:38:26
カウンセラーの口癖として「周りは関係ない、それはあなた自身の問題だ。」
みたいに。本当にそうだろうか?なんか自分自身さえしっかりすれば、なんと
かなるみたいな態度が気にくわない。漏れと社会背景との関係を全く配慮
してくれない。そもそも社会背景の認識なしに漏れの言動を理解できるの
だろうか?できるはずもなく・・・
社会を知るってことは、それなりの頭がないと出来ない。腐ったマスコミ
が作り上げたイメージに洗脳されてたんじゃ、駄目。
こんな糞カウンセラーが許せない
>>698 フロイト系の精神分析療法というのは、けっきょく本人の「自我」の強度に
人間関係上のすべての問題を帰すものだからね。
人間関係において悩んだり傷ついたりするのは自我が弱いからだとなる。
自我が未熟で去勢されていないからだとか、すべて自我の逃避として解釈する。
まあ、精神科治療自体からしてそういうものかもしれないが。
>>698 カウンセラーが社会を変えられるのだろうか?
それともあなた自身が社会を変えられるのだろうか?
社会やあなたの周囲の人間が悪いとしよう。いや実際悪かったのだろう。
あなた自身も周囲や社会が悪かったところを認識し、
カウンセラーも周囲や社会が悪かったと認識する。
もちろんそれが「周りが100%悪い!」という態度でないにしろだ。
そういった考えは一時あなたを癒すだろうし、またそういった考えは必要だ。
うつ病者に対する自責的な思考を和らげるためにもよく用いられる。
自責の念を解いてゆっくり心を休めることは治療だ。
でもそういった考えが行き過ぎて「主張」になったとき、これはどうだろうか。
カウンセラーを通じて家族に、とか、患者が家族に一度そう告白することは
よい効果をもたらすことも多々ある。
しかし「主張」するのはむしろ関係を悪化させるような気がする。
本人の意識にしても、例えば「親が悪い。あの人がわたしの人生をだめにしたんだ」とか言う患者に対して、
「うんそうだね、あなたの親がわるい、あなたがこうなってしまったのは、あなたのせいじゃないよ」
などと言っても「そうでしょう、そうでしょう。やっぱりそうだったんだ」「安心しました」とか言われて、
それってなんかものすごく不毛な気がしないか?
それよりは、自分自身さえしっかりすれば、とは言わないにしても、
周囲の状況をサラッと流すようなやり過ごし方を憶えるのが妥当で、
それは周囲に正しい態度を求めるわけではなく、自分をうまく使うやりかたで、
それは自分自身の問題と言える。
698のカウンセラーはこれとは関係なく無能なのかもしれないが。
精神分析にとって「自我」は万能の箱のようなもの。そこになんでも入る。
690はカウンセラーは暴力に寛大だと言うし、
695はカウンセラーは暴力に否定的だと言う。
この二人が同一人物だとすると結局彼らの主張が意味するものが
見えてくる。
>>700の考えこそがサイコセラピストの持つ基本的姿勢だと思う。
698のカウンセラーの基本姿勢もそこにあるんだろう。
だから「自分の問題に向き合わせる」ためだとカウンセラーが
誘導尋問する。そこがそのカウンセラーののテクニックの問題と
いうことになる。
>>694 > ヤマギシズムとロジャース派のカウンセリングはよく似てますよ。
> ヤマギシの特講では「あなたは何に怒りを感じましたか?」という
> 質問を何度も繰り返し、結局「怒り」の感情とは自分の内側にある
> ものでしかない、と気付かせ、そんな有害なものは追放しましょう、
> となるわけだが、ロジャース派のやり方も「それで? それで?」
> と聞き返すだけで結局自分の問題点に気付かせるというもので、
> 似たようなもの。
それはロジャースというより、そもそもフロイトの考え。
そうやって最終的には本人の怒りの感情を「去勢」することを目指す。
ヤマギシならヤマギシという環境のなかで本人がその環境への不満を
漏らさないように、本人の問題に還元して「去勢」し、従順にさせる。
705 :
698:05/03/05 16:30:47
>>700 >本人の意識にしても、例えば「親が悪い。あの人がわたしの人生をだめにしたんだ」とか言う患者に対して、
> 「うんそうだね、あなたの親がわるい、あなたがこうなってしまったのは、あなたのせいじゃないよ」
> などと言っても「そうでしょう、そうでしょう。やっぱりそうだったんだ」「安心しました」とか言われて、
> それってなんかものすごく不毛な気がしないか?
まぁな。というか、漏れ受けたカウンセラーは、「親が悪い。」っていうの
を最初のうちは煽っていたな。それに漏れも乗せられて、「主張」に走った
希ガス。でも、なんかおかしいと思ったんでやめた。それでも奴はあいか
わらず煽ってきた。
奴の社会の見解としては、学校も悪いって言う。なぜかって?そりゃ「個性」
を大切にしてないからだそうだ。奴等の大好きな言葉「個性」。
「個性を大切にする教育」?!とにかく、「画一化」っていう教育が気に入らな
いそうだ。画一化から逃れるための個性教育?
それになぜ「画一的」な教育がいけないんだろうか。教育っていうのは
本質的に画一的なもんだろうよ。
それに社会(学校の香具師とか近所の香具師)がいけないともいう。
でも、マスコミが取り上げてることをいう程度。
706 :
考える名無しさん:05/03/05 16:36:02
>>702 690は「若者の暴力」にたいして寛大
695は「親や先生の暴力」にたいして否定的
>>706 彼らの意図する主張が見えてくるというのはまさにそのこと
>>705 個性を否定したいんなら、そのカウンセラーの権威主義的態度は正しいってことだろ。
それに不満をもつ690や695が我侭で、甘えていて、自分自身の問題から目を背けている
ことになる。だから結局そのカウンセラーはそれに気づかせようとしたって話じゃないのかい?
で、そのカウンセラーを批判するというのは実に皮肉な話だと思う。
>>696 >その本の名前教えて
『心理学化する社会』
>>705 >まぁな。というか、漏れ受けたカウンセラーは、
>「親が悪い。」っていうのを最初のうちは煽っていたな。
ああ、これだ。たまきんが言ってた来談者の主張を否定しない
ロジャース派のやり方は。でもカウンセリングというのは
警察じゃないんだから結局自分の態度を改めましょうという話にしか
ならんよな。例えばいじめ問題なら学校が一切の権威を否定して
無政府状態になったのが原因だから、カウンセラーを配置するというのは
何の解決にもならないばかりか真の原因から目を背けているという
意味で有害だ。この前朝生で和田秀樹も言ってたが、
学校内の暴力や窃盗などは犯罪として取り締まるべきだ。
なお
>>690で「日本のカウンセラーが子供の暴力に寛大」と書いたのは、
主として家庭内暴力の話でした。
>>709 親や教師による家庭内暴力および校内暴力もあるんじゃねーのか
711 :
考える名無しさん:05/03/06 11:27:19
この人が「引きこもり」とか言い出したおかげで、マスコミが悪乗りして、
「引きこもり」って言葉だけが先行してしまってる。本人がそれを否定してないのも痛い。
ちょっと閉じこもりがちなだけの奴まで「引きこもり」にされてる。
もっと本人が正確な定義をしろっての。でないと一部の彼の信者たちがますます
「引きこもり」信仰にはしってしまう。その言葉の目新しさと、人のあり方の多様さを
勝手に「引きこもり」と定義づけることができてしまう便利さのゆえに。
>もっと本人が正確な定義をしろっての。
してる。
主著くらい読んでから突っ込めよ。
安い新書なんだから。
713 :
考える名無しさん:05/03/06 12:24:40
>>712 定義づけてることくらい知ってるよ。だから分かるんじゃないか。
単に自分の経験から帰納的に導き出した結論ってだけじゃん。
ごく少ないサンプルから、結論を導き出したところで、学問的にも意味が
あるとは思えない。
実際、「そう定義付けたからってなんなの?」って言ってる精神科医もいるぞ。
>>713 ごく少ない?
ごく少ないのか? どれを指してごく少ないといっているんだ?
厚生労働省がひきこもり対策に乗り出したときに採用したひきこもりの定義も
斎藤の定義をかなり取り入れたものだった。
異論を唱える精神科医は必ずいる。
逆に言えば、そういう精神科医がいないことは、むしろ不健全だ。いて当たり前。
>>711 「ゲーム脳」と似てるね。「ゲーム脳」の著者もあれは「状態像」なんだと言い訳するだろうけどw
716 :
考える名無しさん:05/03/08 13:53:07
>>711 >>713 激しく同意。
っていうか、80年代から90年代のはじめにかけて、もう児童精神医療の業界では
「そんな概念は無効」ってことで結論がでてる。学会から釘刺されてます。
だからこそ斎藤環は、マスコミで「ひきこもり」という言葉を流布しちゃえば
こっちのものだ、っていう手に出たわけだよ。
同業者がどんなに白い目で見ようが、やったもん勝ち、という。
東西冷戦が終焉した90年代になって、フッと小林よしのりが流行っちゃった。
「登校拒否は病気か否か」の論争が決着した90年代以降になって、あらためて
『社会的ひきこもり』が出版されて、その言葉が一人歩きしちゃった。
この2つの事象は、シンクロしていると思われ。
717 :
考える名無しさん:05/03/08 14:03:41
>>715 斎藤のゲーム脳批判は、いわばアリバイ作りでしょうね。
718 :
考える名無しさん:05/03/08 14:21:01
そうなのか。
けど、たしかに斉藤環はうさんくさいけど、
精神科医に対する批判って、いつも電波が粘り強く展開するおかげで、
話半分にしか受け取られないんじゃないの?と思う。
ここで繰り広げられている斉藤批判にも、ちょっとそういう空気がある。
本当に批判したいなら、対抗言説をしっかり立ち上げた方がいいと思うよ。
学会の常識をちゃんと啓蒙するとかさ。
719 :
考える名無しさん:05/03/08 14:45:21
うちの爺ちゃん婆ちゃん母ちゃんはみんなヒキコモッテル。
遺伝なのかな。だって金ないから交通手段が徒歩しかないし
遊ぶ金ないし田舎だから遊ぶところないし外寒いし。
何で1時間もかけて盛り場に歩いていかんとあかんのや?
そこまでしないと現代社会ではヒキコモリ罪の罪人になるのかね。
なんでヒキコモりがあかんの?都会の人の考えることは
よう分からんて。家が暖かくて一番じゃよ。寒い外出て無駄なことに
金使ってバカじゃなかろか。外出て何するちゅうねん。雪かきかいね。
くさいヤギやニワトリと遊べちゅうんか、この斉藤はんいうお方は。
いい年こいてヤギと遊んでヒキコモリやめて何の得があるちゅうねん。
家にいるのが一番じゃと気がつかんもんは、外に出てヤギの乳搾ってれや!!
都会者の価値観をオラに押し付けるなっぺや!!
>>717 > 斎藤のゲーム脳批判は、いわばアリバイ作りでしょうね。
同意。
721 :
考える名無しさん:05/03/08 20:51:48
>>716 禿同。
こわいのは、斉藤の言説をまともに信じて、新書程度の知識で「引きこもり」
カウンセラーをしている人間がいるってこと。つまりきちんと臨床心理学を
学んでいない人が、「カウンセラー」と堂々と名乗ってる事だね。上の方で、
カウンセラーにはカルトが多い、ってあったけど「引きこもり原理主義者」
もかなーりいるよね。
カウンセラーになるには、臨床心理士の資格を持たなきゃ駄目。そうでなけりゃ、
無資格診療と同じことだよ。仮にも人の心、場合によっては命を預かるんだから。
学問には体系的に学ばないと見えてこない面がある。ただ知識があればいいって
もんでもないけど。
こういう現状に対して、つまり自分の言説が、もしかしたら自分の与り知らぬ
ところで、捻じ曲げられたり、利用されたりしてる、って言う現状を斉藤とやらは
ほっておくつもりなのかね。このまま行くと精神医療界全体の信用性にも
関わってくるぞ。
自分の説にのみこだわって、他の可能性を見失うこと、学問でこれほど怖い
ことはないんだよ。学会で否定されているにも関わらずこだわっている
人間の精神構造を疑う。
そうなの?心理学板の臨床心理士関係スレとか変な書き込みが多いけど。
それに臨床心理士って国家資格じゃないんでしょ?
>>722 >それに臨床心理士って国家資格じゃないんでしょ?
yes.
大して本も読んでいないし、専門的な知識も持っていないのに、
「確信を持って」
>>721のようなことを言う人間こそ疑わなくてはならない。
たしかに斎藤の言う「社会的ひきこもり」の定義は国際的にも認められた概念
ではないね。「ゲーム脳」と同じで、「状態像」だという言い方を斎藤はして、
うまく逃げているつもりなんだろうけど。
ただし、精神科の病理カテゴリーなんてのも一般に啓蒙されて信じられている
のとは違い案外恣意的なところがあって、その時代の経済的/政治的な社会の
要請に連動している面もなきにしろあらずというところがあるから、いずれに
しろ、もともとあやしい部分はあるんだけどね。
725 :
考える名無しさん:05/03/09 00:31:31
診断基準は恣意的な所も少しあるのかもしれないけど目安としては
妥当なところにまで来てるんじゃないかな。だってそんなに批判されてる
雰囲気ないし。
でも社会的ヒキコモリって価格破壊とか新人類とかマヨラーとか秋葉系とか
マスコミ言葉と変わらない感じ。雑っぽい。
つい最近まで、社会学板では社会的ヒキコモリという概念はしっかりと
確立されてるものだという認識だったな。今は知らないけど>社会学板
社会学板のような、軽薄な考現学っぽいものまで取り込むところには
歓迎されるんだな、こういうのは。
726 :
考える名無しさん:05/03/09 00:34:31
>>723 国家資格じゃないけど、「大学院」を出ないとなるには難しい、となれば
実質的に国家公認でしょ?まあ国家資格かどうかなんて、所詮監督官庁の匙加減。
そんなものを信じてる方こそ疑うべきじゃないの?
それに専門的な知識がないと批判できない、というような事になると、
世界中の新聞記者やジャーナリストはおまんま食い上げだぜ?
727 :
考える名無しさん:05/03/09 01:04:03
危険だよ。じつに。
>>726 君は臨床心理士の商売に利用されている。幻想を見ている。
>>725 > つい最近まで、社会学板では社会的ヒキコモリという概念はしっかりと
> 確立されてるものだという認識だったな。今は知らないけど>社会学板
社会学の領域にそんな概念があるなんて聞いたことがないけど、
それに、社会学板にそんなスレなんてあったかな?
730 :
考える名無しさん:05/03/11 05:08:41
>>721 >学会で否定されているにも関わらずこだわっている人間の精神構造を疑う。
そうなんですか? 中井久夫・青木省三・神田橋條治といったあの業界の「大家」諸氏も斎藤のことを認
めていますが?(対談したり書評で誉めている。自分は偶然、ある機会に某氏が斎藤氏の
ことを誉めるのを直接聞いた)
あの業界にも派閥があり、斎藤氏を認めている人、忌避している人に別れるのですか?
>>728 斎藤というある権威を否定するのに、別の権威(学会で否定されている)(カウンセラーになるには、
臨床心理士の資格を持たなきゃ駄目)を持ち出す人間の精神構造には興味がある。
その「権威」にせよ、上記のように斎藤氏の側についている人間もいるのだが?
精神医学・臨床心理全体を否定しているのか、それらの効用も肯定・援用しつつ、斎藤だけを
否定したいのか、いまひとつよくわからないな。
>>730 へぇ〜、神田橋も誉めてたんだ。
それは知らなかった。
青木省三氏は「不登校児こそ健全だ」という「不登校擁護」派の立場にある代表的な
臨床家の一人なんだけどね。
中井久夫氏は「登校拒否」が「登校強迫」の問題であることを指摘している人ですね。
「こころの科学」誌上で斎藤の本の書評を書いていた神田橋條治氏は、自閉的(ひきこ
もり的)生活を推奨する立場から統合失調症の逆説的な治療実践を説いている人だっ
たりします。
733 :
考える名無しさん:05/03/11 12:20:39
>>728 >>726が別に斎藤の事を否定する「ために」カウンセラーの話を持ち出しているようには
俺には読めないが・・・。前に書いてる人がいるように、カウンセラーと名乗っている
人の中にちゃんと勉強していない、という人がいる、そしてそのなかにたまきんの
影響を受けた人が結構いるってことなんじゃないの?まあ、
>>726はたまきんがあまり
お気に入りではないらしいというのはわかるけど。おれもたまきんあんまり好きじゃ
ないから。
そういう人がいる事をたまきんがどう考えてるのかは俺も知りたいとスレを読んで
思ったね。「引きこもり原理主義」っていわれるほどたまきん信仰があるらしい人
がいる事を。
ただ
>>716の言うように、業界の「大家」が肯定しているたまきんの考え方を
学会が否定してるってどういうことよ?学会で否定されるってことはその学問固有
のロジックを使って説明してないから否定されるんじゃないの?つまり、他の学会
関係者と「共通言語」で話せてない、ってこと、つまり、医学なら医学特有の「作法」
みたいなものにそって話をしてないんじゃない?そうでなければ、「大家」じゃ
なくても耳を傾けると思えるのだけど。
たまたま斎藤編の誌上で対談しているだけでしょう。
同じ誌上で高岡健も書いていたりするんだからさ。
少なくとも斎藤は反"反精神医学"の人では少なくとも単純にはない。
人文的な倫理と医学臨床的な倫理は違うことも考えよう。
>>735 その二枚舌がどう接合されるのか興味深いね。
リベラルな面をもつそれらの大御所精神科医の名を、単に利用しようとしているだけでしょう。
738 :
考える名無しさん:05/03/12 21:51:56
age
739 :
考える名無しさん:05/03/13 13:43:51
>>733 「大家」って具体的に誰達さ?
共通言語自体が怪しいな。そういう言葉には内包的に偏向性が孕んでる
ことも考えられるわけで。つまり、前提条件によって、そんな言語の正しさ
なんて壊れてしまうのさ。
つまり、たまキンは、そういう精神医学界の「常識」が間違ってるって
主張してるんじゃね?(よくわからんが)
そして、「常識」を否定されたら否認的な態度を学会が取るのは当
然だし。だってそれが「常識」の性質だろ。
まぁどっちが正しいとかなんとかは漏れにはわからんけど。だって、
そういう文献目に触れたことないし。
>>739 >つまり、たまキンは、そういう精神医学界の「常識」が間違ってるって
>主張してるんじゃね?
よくわかってないな。
環は別にラディカリストじゃないし。
というか、739の書き込みからは、まず斎藤環を否定したい、という動機から始まっているようにしか見えないし。
あと大家はすぐ上に書かれているだろ。書き込みもマトモに読んでないのか?
741 :
考える名無しさん:05/03/13 16:51:50
だから精神科医批判はまともに受け取られにくいのだ。
(元)患者が感情にまかせてデータを集めるから、
本来ならもっと有効な批判になったものですら、ただの私怨に堕す。
>>741 >>730だが。実は自分も斎藤氏の怪しさについては伝え聞いているので、言いたいことも
分からないではないのだが、ここのアンチの言ってることはよくわからん。
以下の二点について簡潔に答えてくれよ。
>あの業界にも派閥があり、斎藤氏を認めている人、忌避している人に別れるのですか?
>精神医学・臨床心理全体を否定しているのか、それらの効用も肯定・援用しつつ、斎藤だけを
>否定したいのか、いまひとつよくわからない
743 :
考える名無しさん:05/03/13 20:41:01
>>740 どうでもいいが別に俺はアンチ斎藤でもなんでもない。
それに「大家」という抽象的なものだけじゃ理解できない。
他の文脈もなしに
>>733の言う「大家」は俺には理解できない。
理解できるてると言ってる奴のほうがおかしいのでは?
それを自分勝手な「言葉」の解釈と呼ぶのでは?
おれは何か間違っているのか。
744 :
考える名無しさん:05/03/13 22:56:35
「大家」=「オオヤ」じゃないのw?
745 :
考える名無しさん:05/03/14 16:08:05
彼のところに、彼のいうところの「引きこもり」と思われる人が診察を受けに
やってきた。で、彼の診断基準で「引きこもり」である、という診断を下した。
ここで疑問。
彼が引きこもりと診断した患者のカルテには病名をなんと書くのだろうか?まさか
「引きこもり」と書いてるわけではあるまい。いくら彼でも学会で認められて
いないような病名をカルテに書くわけにはいかないのではないか?
もしその診察を巡ってトラブルになり、裁判にまで発展した場合、カルテの開示
を当然求められる。その場合、学会で認められた病名が書かれていなかったらその
カルテ自体の信憑性が問われる事になるのだが・・・。
>>724 力動精神医学において云うところの「状態像」というのは
記述的精神医学で云うところの「疾病」概念とほとんど同じ
対象を指す言葉だったりするからね。
斎藤のほうは力動的精神医学の悪い面を受け継いじゃっている感じ
がするなあ。高岡のほうがそのまだ良い面を受け継いでいるだけマシ。
斎藤はやはり保守的閉鎖的な言語象徴体系のなかでそれを前提にして
語っている面が大きいからなあ。
>>745 だからさぁ・・・・・・批判するなら、「社会的ひきこもり」くらい図書館で借りてでも
立ち読みででもいいから読めよ。書いてあるから。
読まずに想像だけで信頼できない医師像を浮かべて勝手に嫌悪感とか感じてるなよ。
いや「想像だけで勝手に規定して悪感情を持つような愚劣な真似をしたくないから、
こうやって質問しているんだ」とか言うのかもしれないが、なんか違う。
749 :
考える名無しさん:05/03/15 07:40:44
>>748への疑問
どうやらあんたはたまきん信者らしいけど、こういう人がいたらどう反論する
つもり?
「引きこもり」に関心を持つ人がいて、新聞で見た斎藤の考え方、というものを
詳しい人に聞いてみた。考え方のアウトラインは分かったがどうもしっくり来ない。
本をわざわざ買ったり、借りてまで読む必要もない、と話を聞いて思った。で、
自分自身で伝え聞いた斎藤の考え方には同意してないつもり、批判的でいる・・・。
748氏は学問の徒か、医師か何かの専門的な職に就いていらっしゃるのだろう。だから
上記のような考え方をされるのであろう。だが、それは学問をする態度、専門家と
しての態度としては極めて正しいが、よく事情を知らないごく普通の一般人に向か
ってまで要求する態度ではない。伝聞で考え方を聞いて、あるいは新聞記事などで
考え方の一端に触れてそれで関心を持ったもののやはり違う、と思っている人も
いるだろう。斎藤の「著書」を読んでないと思われる
>>745のような人が批判すら
できない、というのであれば、そういう態度は極めて敖慢な態度、というべきで
あろう。
何も学べない奴は批判するな、という専門家の様な言い方に読めてしょうがない。
750 :
考える名無しさん:05/03/15 08:45:00
>749
バカかお前は。
「伝え聞いた」情報で批判的で「いる」だけなら何も言われることはないだろうが、
実際に批判「する」のなら斎藤が何を言っているのか(著書を読むなりして)分かっていなければ
そもそも批判にもならないだろう。
伝聞や憶測で決めつけて、斎藤が書いてもいない事実を一方的に断罪しても、それはソイツの頭ん中にだけいる
妄想の相手と戦っているだけにすぎない。
自分では「批判」のつもりでも傍から見たらそんなものは感情に駆られただけのタワゴトでしかないんだ。
批判として客観性を持たせたいならそれなりの前提は押さえなさい、ということだ。
ラカンに依拠した難解な理論的文章を読めというならともかく、「社会的ひきこもり」ぐらいは読んどけ
というのは正当な意見だ。
最後に、俺は斎藤信者でも学者・医者でもないよ。
751 :
考える名無しさん:05/03/15 11:12:04
>>750 そうだろうか?人を批判するのにそこまで厳しい基準を設けたら、誰も何もいえなく
なるんじゃないの?ずぶの素人でもこのスレッドを読んできたら素直に出てくる
疑問・批判だと思うけど?それに、「斎藤が書いてない事実を断罪云々」と書いてるけど、
>>749は斎藤が「書いてない事」に依拠して批判なんかしてないじゃん。人の疑問に
対して「バカ」と決め付けるんなら、
>>749氏は何も言えなくなるだろうね。
それに、単純に感情的に嫌いなだけで批判するのをいけないというのであれば、あらゆる
この世の中の「批判」なるものが存在しえなくなる。「批判」といいながらそれは
単に論理の皮をかぶった感情に過ぎないと思えるものだってたくさんあるんだから。
批判なんてそんなもん。本当に「論理的」反発を覚えて反論する人間がいたらお目に
かかりたいものだ。
753 :
考える名無しさん:05/03/15 16:57:24
ここんとこ、ここで「引きこもり」の話題が熱いんで、ついつい俺も引き込まれて
「社会的引きこもり」を読んでみた。
俺自身はこのことにまるっきり関心がないわけではないのだけれど、読んだ感想は、
「ふ〜ん・・・」だったね。新書ってこともあるだろうけど、何か表面的でつるつる
した感じの文章だね。「ですます」で書いてるのも関係あるのかもしれないけど。
あんまり感心もしないかわりにとりたてて反論もない本。なぜここまでこの本を
読まないと斎藤批判はできない、みたいな雰囲気がここでできてるのかはよく分から
なかった。それほど読後の実感がない本だったね。何も新鮮な事を書いてなかったし。
ただ、他のスレでの斎藤批判を考えると、なぜ?という感じはある。斎藤の擁護者、
批判者両方にだ。躍起になって擁護するほどの事でもなく、かといって少なくとも文章
を読む限りは批判の種もないわけではないが、声高に責める事もない。
何で、この人が社会的に大きく取り上げられて、国営放送が特集を組んだりするのか、
文章からは分からなかった。「引きこもり」に対して精神科医がきちんと対応すれば
問題は解決しやすいのだろうけど、ただ、その対応法を限定してるのは気になった。
やっぱり、地道に論文書いて学会で認めてもらうより(本人は学会で認められてないって
書いてたね)、こうやって、啓蒙書を出した方がアピールしやすいんだろうか。
>>752 本を読んで思ったんだけど、「引きこもり」って言葉を広めたのがこの人と
するならば、上の方で誰かがいってたような気がするけど、きちんと「私の定義
する引きこもりとはこうですよ」って説明しないとね。言葉だけが独走してしまって
完全に「病気」の一種として捉えられてしまってるもんね。世間的には。
まあ、「読んでないなら批判するな」みたいなこといわずに「こう書いてあるよ」って
教えてやる親切心を見せてあげなよ。知りたがりの「考える名無し」さんに。
学会が認めていないという以前に、国際的に認められていない定義だからね。
>>753 とりたてて批判も反論もないなら、基本的に斎藤に同意する斎藤側の
立場であることには変わりないよね。斎藤擁護者に限りなく近い立場だね。
757 :
考える名無しさん:05/03/15 21:05:13
>>755 >>753書いたのは俺だけど、別に斎藤を擁護する気もないんだよ。「この人いいこと
言うなあ」という感想もなかったから。アンチ斎藤は「だめ」と断言しないと気が
済まないんだろうけど、「だめ」と断言できるほどの材料もなかった。
ここで散々取り上げられてるから、中身の濃さはあるのだろうと思っていたけど、
その点では当てが外れたね。だから、正直、この程度の本がなぜちやほやされる
のかが分からなかった。だから、擁護しようにも批判しようにもそれに足るだけの
中身がないってこと。
「だめ」と断言できるならそこだろうね。693円かえせ、と言いたいね。
>>757 >この程度の本がなぜちやほやされるのかが分からなかった。
当たり前のことしか書いていないさ。
だからこそ、的外れな批判を「叩きたくなる」のさ。
757は、この書き込みで言っているところの的外れな批判も、それに対する批判も
たいして話になるような何かはない、と言いたいのかも知れないけど。
もしそうだとすれば、そこは意見の異なるところだ。
ただ、PHP新書のそれが書かれたのは1998年で、その頃は現在とは世間の雰囲気や、
若年層のありようも大分違っていた――故に、いくらかインパクトはあった。一般的なレベルの話でね。
>>757 >
>>753書いたのは俺だけど、別に斎藤を擁護する気もないんだよ。「この人いいこと
> 言うなあ」という感想もなかったから。アンチ斎藤は「だめ」と断言しないと気が
> 済まないんだろうけど、「だめ」と断言できるほどの材料もなかった。
そのつもりもないと言いながら、ちゃっかり擁護しているじゃん。
「社会的引きこもり」は初期の本だね。
批判の発端になったのもこの本だったりする。
その後、しだいに穏健な論調に傾いてきた部分もあるとされる。
この本を読んで特に批判するような点が見当たらなかったというなら、
それは斎藤氏の言っていることにほとんど異論無く同意している証拠だね。
まあ、引き出し屋系の人にとっては特に反論する必要の無い、当然の内容
だったんだろうがね。斎藤氏すらもまだ穏健派に見えるんじゃないかな。
760 :
考える名無しさん:05/03/15 23:42:32
>>758 >>757書いた者です。
>的外れな批判も、それに対する批判もたいして話になるような何かはない、
>と言いたいのかも知れないけど
というより本の中身を批判する材料にも擁護する材料にも乏しかった、と言う事
です。まあここでの批判は、あなたの言う通り、「当たり前の事しか書いてない」
(少なくともこの板の住人には)から、と言うのは的を得てるのかもしれません。
世間的なインパクトはあったんでしょうがね。
761 :
考える名無しさん:05/03/16 00:02:21
>この本を読んで特に批判するような点が見当たらなかったというなら、
それは斎藤氏の言っていることにほとんど異論無く同意している証拠だね。
別にそういうつもりはないんですが・・・。私は「引き出し屋」でもないですし。上に
も書きましたが、ただただ「批判する材料にも擁護する材料」にも乏しかった、と
いうのが感想です。つまりそれほど、インパクトに欠ける本だった、ということです。
言うほど中身ないじゃん・・・って言う感じですね。要は何も感じなかった、という方が
わかりやすいでしょうか。
「批判的検討」を試みてみる価値もないとも感じました。ただ、「あ、そう。斎藤は
そう思ってるってだけね」くらいなもんです。箸にも棒にもかからない。それなら
もっとラジカルに書いてあった方が余程気合いを入れて読めるというものです。
結局「同意もできなきゃ批判の対象にすらならない」ほど中身のない本だった、
ということです。
> まあここでの批判は、あなたの言う通り、「当たり前の事しか書いてない」
それは結局は批判がないということだよね。
当り前というのは書いてあることを全部当然と見なしている証拠なわけで。
特に反論の余地も見当たらなかったわけだから、批判の声に対しては実質的
には擁護側の立場にいることは明らかでしょう。
ちゃっかり擁護していながらそうじゃない振りをするだけじゃ、斎藤信者と
いわれる立場と差はないよ。その人たちも特別に絶賛しているわけでなく、
反論の余地の無いものとして基本的に賛成している人たちなんだからね。
>>761 >> それは斎藤氏の言っていることにほとんど異論無く同意している証拠だね。
>
> 別にそういうつもりはないんですが・・・。
そういうつもりはないって、「とりたてて反論もない」のならそうでしょう。
764 :
考える名無しさん:05/03/16 00:12:46
「引き出し屋」って何?
斎藤氏を批判している側にしたって、斎藤氏の本の中身は
かつてどこかで目にしたことのあるようなものだよ。
ここでも何度か指摘されているようにね。
ひきこもり板のスレでも、なぜ斎藤が批判されるのか分からん
と言っているマンセーの人達もそれを知らなかったのか知ってて
白を切っていたのか、その点を何度も突っ込まれていたよね。
767 :
考える名無しさん:05/03/16 00:56:48
「批判はない→特に何も感じなかった=擁護」っていうのは「アンチ」の論理では?
そういう態度に対して批判はあってしかるべきだろうけど、特に反論しようとも
思わなかった、と思う人まで「擁護者」にされたら、
>>761みたいな意見を持つ人
はみな擁護者になってしまう。「批判がないから実質的に擁護している」その論理
の立て方は病気が原因で外に出られない人まで「引きこもり」と決め付ける斎藤信者
の論理に等しい。「外に出ないから引きこもり」と決め付けるという・・・。
あたかも巨人が好きでもないが嫌いでもない、って人を「アンチではないから、
批判的ではないから、お前は巨人の擁護者だ」って言ってるのと同じじゃないの?
プロ野球を少しでも見る人ならこの言葉の可笑しさが分かる。おれは哲学者でも
専門家でもないからこんな例しか出せないけど。
>>767 > 「批判はない→特に何も感じなかった=擁護」っていうのは「アンチ」の論理では?
反論もなく、なぜ批判されるのか理解できないというあなたの立場が、
批判・反論を認めず、擁護的であることは明らかでしょう。
絶賛するわけではないが「とりたてて反論もない」というのだから、書かれている
ことが「当たり前」と感じるほどに同意しているわけでしょう。
もちろん、批判している人たちも斎藤氏の言説すべてを1から10までNOと
言っているわけじゃないことくらいは、お分かりになりますよね?
> そういう態度に対して批判はあってしかるべきだろうけど、特に反論しようとも
> 思わなかった、
なんだか最初とちがう微妙に濁した言い方に変えてきましたね。w
「批判はあってしかるべき」って・・・、あなた自身はどうなんですか?
批判的に思う点があったかどうか、あなたの考えについて問うているわけですよ。
それについてあなたは「とりたてて反論もない本」という感想を述べられていた。
反論もないということは基本的に当然の見解だとして同意していることでしょう?
それにまた、
「とりたてて反論もない本」というところもニュアンスを言い換えてきていますね。
「・・・しようとも思わなかった」という言い方はどういう意味でしょうか?
あきれかえるほど馬鹿げた内容だったから、反論する気にもなれないということ?
そこをどちらともとれるように曖昧に言い崩して言い包めようとされてもね、
ごまかせませんよ。w
>>767 > あたかも巨人が好きでもないが嫌いでもない、って人を「アンチではないから、
> 批判的ではないから、お前は巨人の擁護者だ」って言ってるのと同じじゃないの?
例示されていることの意味がまったく違うでしょう。
この場合、斎藤環氏という人物を性格的・個人的にに好きか嫌いかという話をしているわけ
じゃないんですよ。わかりますか?
この問題に対した書かれた斎藤氏による見方・考え方・立場について、反論する点、批判的
に思う点があるかないか、という話をしているんです。
べつだん反論・批判がないのでしたら、斎藤氏への反論・批判の余地を解さないわけで、
批判に対しては斎藤氏を擁護する側の考えに同調していらっしゃることになるでしょう。
擁護的とは特別に絶賛しているという意味ではなく、反論の考えもなく、批判も積極的に
認めないという意味ですから。
タイプミス失礼
>>767 > 「批判はない→特に何も感じなかった=擁護」っていうのは「アンチ」の論理では?
ほら、少なくともあなたの言う「アンチ」に対して、斎藤氏の言説を弁護・擁護する
感想をあなたが持っていることは、自分でも認めているわけじゃないですか。
これと同じようなやりとり、斎藤スレのどこかで見た気がする。気のせい?
hutouko noiro--ze kun
774 :
考える名無しさん:05/03/16 10:48:27
>>767 もはや、反応してしまった自伝で全て陳腐化されてしまうような状況だが・・・・・・
(それとも2chは元々そういう場所であり、そういうつもりなしに書き込みをする方が愚かと考えるべきなのか)
>病気が原因で外に出られない人まで「引きこもり」と決め付ける斎藤信者
>の論理に等しい。「外に出ないから引きこもり」と決め付けるという・・・。
これには一応、斎藤というよりは、斎藤信者を擁護する書き込みをさせてもらおうか。
斎藤の本を読めば、その部分を飛ばして読んでさえいなければ分かることなのだが、
「病気が原因でひきこもったものについては、ひきこもりではない」
というのが「社会的ひきこもり」の認識ではなかったか。てゆーかそうだから。
もちろん「物理的ひきこもり」と「社会的ひきこもり」はまったく違う。
(一応書いておくけど・・・・・・DSMには「物理的ひきこもり」なんていう言葉はない(ハズ)
社会的ひきこもりとの区別のために便宜的に今回使用したに過ぎない言葉ね)
つまり、
>病気が原因で外に出られない人まで「引きこもり」と決め付ける斎藤信者
なるものは、斎藤信者ではなく、ただの阿呆あるいは文盲。
776 :
考える名無しさん:05/03/16 19:51:10
>>775 となると・・病気じゃない引きこもりって何ですか?
>>775 > 斎藤というよりは、斎藤信者を擁護する書き込みをさせてもらおうか。
どっちも一緒じゃんか。斎藤の言葉をもって斎藤信者を擁護しているんなら。w
779 :
考える名無しさん:05/03/17 00:02:48
780 :
考える名無しさん:05/03/17 03:28:23
考えた末にage
781 :
考える名無しさん:05/03/17 16:18:27
まあ、
>>779氏が言うように踊り子には手を触れない事にしてw・・・。
斎藤の「社会的引きこもり」には、概略、「引きこもり」は病気ではなく「症状」である、
って書いてあるよね。これが一部の人たちの過剰反応を招いてるような気がする。
「症状」と言われれば一般人なら誰しも「病気」を連想する。だが、斎藤自身は「社会的
ひきこもり」と「精神病」を区別して書いてる。医師としては当然だろうが、これ、
一般社会で通用しない書き方だと思う。
いわゆる「スキゾフレニア」の人を「ノイローゼ」(この二つは全然違うもの)と
世間では言ってみたりもするわけで、精神医学の世界で言う「病気」と「症状」の
区別のしかたをもっと詳しく書くべきだったんじゃないだろうか。「社会的引きこもり」
を「病気」だと捉えてる人たちがいわゆる「引き出し屋」を含めてたくさんいるぞ?
斎藤が自分の言説を理解してもらおうと思ったら、この誤解を解く事が先決じゃないか、
と思う。
踊り子はおまえのことw
783 :
考える名無しさん:05/03/17 18:12:17
なるほど。
世間的には「症状」の定義は「病気や疾患の状態」と捕らえて
いるから、症状と言われれば病気だと思うのが普通だけど、
精神医学では「症状」の定義は「病気の状態」ではないわけなんだな。
>>781 > 斎藤が自分の言説を理解してもらおうと思ったら、この誤解を解く事が先決じゃないか、
> と思う。
うがった見方をすれば、その「誤解」とやらをワザと企図したんじゃないかな。
785 :
考える名無しさん:05/03/18 00:40:03
>>781 >>783 だからこんな話が出てくる。別スレでハケーン!
43 :名無しの裏話:05/03/14 18:29:13 ID:Hb7b8ZSG
俺が聞いた範囲だと、斎藤の評判は彼の言う「引きこもり」の経験者からの評判
が意外と悪かったりする。
つまり、本人閉じこもる→周り慌てる→何なのかと周りが解決法を探す→斎藤の
評判や考えを周りが聞きつけそれに飛びつく→本人に「引きこもりだ、病気だ」
という→ただでさえ悩んでる本人「自分は病気なのか」と悩み余計に閉じこもる
→周りが斎藤の考えを元に本人に対応する→本人は周りにもそうだが斎藤の考え
にも反発を覚える→ますます本人周りと接触しなくなる
という悪循環だ。斎藤の考えに一知半解で飛びついて対応する周りも悪いかも
しれないが、一知半解で飛びつけるような「マニュアル」なんか作るからいけない
んじゃないのかな、と経験者の話を聞いて思った。
>>785 医者や専門機関にかからずに、自力で(つまり身内だけで)解決しようとするからダメなんだよなー。
あてにした医者や専門機関の人間がアホだった場合はご愁傷様としか言いようがないが。
787 :
考える名無しさん:05/03/18 01:58:14
>>783 うつ「病」って言う場合と、強迫神経「症」とか不安神経「症」って言うわけ方ね。
もっと大きく言うと精神「病」(プシコーゼ)と神経「症」(ノイローゼ)って
わけ方があるよね。
>>786 わたしが知っている範囲では、医者や専門機関に一度も関わったことがない
例は皆無でしたね。関わった臨床ケースでもその1から2割では長期化している。
関わらなかったケースが予後不良群に属すかのように喧伝している斎藤氏らの
物言いに疑問を感じるし、その比較データを斎藤氏は果たしてもっているのだろうか。
>>787 現在では精神分裂「病」も統合失調「症」と名付けられているよ。
神経症という言葉自体も使われなくなってきているね。
その代わり障害という表現が多用されだしている。
スキゾフレニアにもノイローゼにも「症」はついてないけどね。
Psychoseも精神症と訳されるべきだったという声もある。
「登校拒否は病気じゃない」という言葉で問われていたことがなんであったかが
問題の核心であって、精神医学上の「病気」かどうかという次元でやりやっても
本当は不毛なんだけどね。
792 :
考える名無しさん:05/03/18 10:57:31
で、マクドな権力ってヒキコに関係あんの?
>>787 そこででてるのは、一応全部病気、というか精神疾患だな。
794 :
考える名無しさん:05/03/18 16:54:47
訳わからんようになってきた。話の整理キボンヌ。
整理するほどの話じゃない
>>775 > もちろん「物理的ひきこもり」と「社会的ひきこもり」はまったく違う。
> (一応書いておくけど・・・・・・DSMには「物理的ひきこもり」なんていう言葉はない(ハズ)
> 社会的ひきこもりとの区別のために便宜的に今回使用したに過ぎない言葉ね)
DSMの中にある語はsocial withdrawalだね。
798 :
考える名無しさん:05/03/19 23:52:34
age
799 :
考える名無しさん:05/03/20 01:48:41
家の母ちゃんと婆ちゃんは一日中コタツに入って外に出ないけど、こいつらも
斉藤いわくひきこもりなの?母ちゃんは肉と魚買うときだけ外に出るだ。
800 :
考える名無しさん:05/03/20 02:04:07
>>799 800記念。社会的引きこもりの定義のおさらい。
「20代後半までに問題化し、6ヶ月以上、自宅に引きこもって社会参加をしない
状態が持続しており、他の精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」
だそうです。
じゃあ母ちゃんと婆ちゃんもひきこもりだな
じゃあ治療しなきゃね
家の母ちゃん婆ちゃん、治療対象だべか。婆ちゃんのおむつ買ってるのオラだけど
婆ちゃん外出て何さするべか可愛そうに。杖ついて自分のおむつ買いに行かせるべか。
母ちゃん、コタツでゴロゴロとトドみてえな生活しとるけど一日中テレビ見とる
がね。母ちゃん婆ちゃんを車に乗せて精神病院に連れていくべか。オラの仕事が
増えるべな。婆ちゃんのオムツ買って母ちゃん婆ちゃんを精神病院に送り迎え
せんとあかんのじゃろか。おら心配じゃあ。精神病の婆ちゃん母ちゃんかかえて
オラどうすんべか。お先真っ暗だあ。
805 :
考える名無しさん:05/03/20 11:41:52
>>803 大変だよ。それじゃ「引き出し屋」の餌食だ。意地でも閉じこもってる人を「善意」
で引っ張り出そうとするんだ。引きこもりは「精神病」じゃないんだけど、奴等は
勝手に病気にしてしまうよ。
ばあちゃんはともかく、かあちゃんは大丈夫。「引き出し屋」は「病気」っていうだろうけど、
奴等のいう事聞いたら駄目。それこそ一生後悔するよ?
斎藤はアルコール関連性の障害と同一視しようとしているようだけど、
これは乱暴すぎないか。
媒介項を無視して学校に行かない事(不登校)そのものを直接治療対象に
した稲村とけっきょく同じことを言っているだけじゃないですかね。
テレビゲーム遊びが心の障害に直接つながるみないに喧伝している
「ゲーム脳」の学者とはっきり言って違わないんじゃないかと思いますね。
なんだ、斎藤を批判してる人というのは登校拒否やひきこもりを
本人の苦しみも考えずに政治的に応援してる人だったのか。
「登校拒否やひきこもりは病気じゃない!」
「そういう存在を生んだ社会が悪い!」という人たちね。そんなアホな。
できることなら楽に死にたいと思ってる人たちがどうして健康なんですか。
>>807 彼らに言わせると、均質的な学校化の価値観こそが当事者を追い詰めているので、その価値
観から人間を解放せよ、と言いたいらしいね。苦しみの根源を絶て、ということらしい。
最近、考えるんだけど、経済が好循環している社会なら、別に放っておいていいと思うんだよ。
治療もフリースクールも適応指導教室も脱学校運動も必要ない。
経済が好循環している限り、学校に適応できなかった人間程度はどこかで吸収できる。例えば途中から
定時制や単位制・通信制に行ってもいいだろうし、職人的な道に進ませてもいいだろう。
極端な話、どうにもならなくなった人間には生保を与えてもいい。
低成長時代に入ってから、ニートやヒキが問題化されてくるうさんくささについて考えた方がいいだろうね。
そういう意味では斎藤氏の政治的立場も微妙というか・・・。
もちろん、「政治的に応援してる人」は論外だよ。実際の生活の見通しもないのに
安易に「大丈夫」とか言うのはよくないでしょう。
809 :
考える名無しさん:2005/03/22(火) 13:24:31
ここに、「引きこもり」の経験者はこないのだろうか。彼等が、自分自身をどう捉えて
いるのか、それがわからないと、上滑りな議論になってしまう。いろいろと考えておられ
る皆さんがいて、引きこもり、というのがこれほど関心を集めてて、別に斎藤的な考え方
でなくても、ここに自分を再発見するヒントがあるかもしれない。そういう、ヒントを
出しうる人たちがいる、というだけでも彼等には安心感が生まれるかもしれない。
もしここを見ている引きこもりの人がいたら、ぜひあなたの考えを伝えて欲しい。
>>809 いやだから引きこもりと哲学の因果関係からはじめろよ馬鹿が
だれか呼んだ?
>>809 現役「引きこもり」ですが、
ここで自ら「引きこもり」であると名乗り出たところで
どれほどの意味があるのかが大いに疑問です。
「引きこもり」と言う病名(症例?)が症状を生んだと言う側面もあるでしょうしね・・・・・・。
ヒキも親の金が尽きてまともな仕事が見つかれば外に出てくるだろ。
心配することねえよ。俺も高校をサボってフラフラ遊んでたが、そこで親が
お前は病気だと言い出して病院に連れてかれてたら、ヤバくなってた。
ちょっとくらいの非行で周りがギャアギャア騒がないことが大事だろ。
遅刻とかゲーセンとかサボとか少しの非行で先生や親がギャアギャア
騒いでお前は将来ろくなモンにならないヒキコモリで病気だから
病院に連れて行く、特殊施設で特訓してもらうとやるから
おかしくなっちまうんだ。俺の場合は親が暢気なんで放置してくれたから
出席日数も問題なしで無事卒業できたよ。ちょっとくらいの失敗や逸脱を淡々と
流して、何もなかったように軌道修正すればいいものを、社会や親や先生が
不安を煽って病気と烙印を押して騒ぐからおかしくなる。
斉藤なんかより、そいつに仕事を探してやる奴の方が社会でははるかに
有用なんだけどな。
斉藤はインテリで知識人ぶりたいだけで、本当にそいつの将来の事を考え
てるわけじゃないんじゃないか?斉藤は本物の病気の奴だけ相手にしてれ
ばいい。ちょっと社会から逸脱した奴を見つけて、そいつにスポット
を当てて社会不安を煽ってギャアギャア騒いでマスコミで売名するのがもし
目的なのか。
814 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 00:44:31
>>813 ものすごく的を得ている書き込みじゃないかな。ここでどんなに議論を尽くしたところで
所詮は高みの見物。現実に体験しているのであろうことを読んだ方がはるかに説得力
がある。
>ちょっとくらいの失敗や逸脱を淡々と
流して、何もなかったように軌道修正すればいいものを、社会や親や先生が
不安を煽って病気と烙印を押して騒ぐからおかしくなる。
ここで読んだどんな意見よりも説得力がある言葉だ。
述語は関数なのだ。
>>813-814 お前ら確実に本読んでないだろう。
性急な対応や過剰な反応は本人に対して悪影響を及ぼすなんてのは、
医療行為以前に常識。
あなた方のような反応は、医療現場ばかり見ているととか、研究ばかりしていると
一般社会が見えなくなって、世間的な常識から離れたトンデモ医療をしてしまいますよ、
「専門家」ってだから信用できませんよね、的な市井の人間が市井の人間であることだけを手がかりに
自己肯定する時の常套手段の理屈だよ。
そういうの飽き飽きだ。
817 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 01:56:19
>>816 どうしてこの板の住人は、人の意見を頭から否定してかかる香具師が多いのかね?
本読んでないからって、何が悪いんだ?斎藤の本を全部読んでから批判しろと?
「社会的引きこもり」くらいなら俺でも読んだけど、それでも足りないってか。
>>816氏はさぞやたくさんの書物をお読みに違いない。でないとこんな批判はできない。
実体験の告白やそれに同意するような意見を「市井の人間の自己肯定手段」と決め付け、
軽視する風潮は悪しき自称「哲学者」の物言い以外の何者でもない。社会の問題に
正面から向き合おうとせずに、「哲学」の中に逃げ込んでるようにさえ思えてくる。
そこから批判すれば、少なくとも自分は部外者のままで批判できるからな。社会問題
を、いつ自分に降りかかってくるかもしれない問題として考えられない香具師に
「一般社会」という場所から社会を考える資格などない。
そういう人間はせいぜい世間から離れて「竹林の清談」でもやってろ。そういう香具師に
社会問題を哲学的に基礎付けて語る資格などない。
>>817 >「社会的引きこもり」くらいなら俺でも読んだけど、それでも足りないってか。
もうちょっと感情的じゃないレスくれろ。
「社会的ひきこもり」「さえ」読んでいれば
>>813-814のような意見は出てこない、と言っている。
「社会的ひきこもり」のどこに
ちょっとくらいの非行でギャアギャア騒ぐようなことが書いてあるのか。
「社会的ひきこもり」一冊まともに読んだ形跡が見当たらない。
そういうことだ。
何にも本を読まないで
「偉そうなインテリ」をやっつけたいだけだろ?
820 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 03:08:08
>「社会的ひきこもり」のどこに
ちょっとくらいの非行でギャアギャア騒ぐようなことが書いてあるのか
>>813の書き込みのどこにそんなことが書いてある?お前こそ書き込みを良く読んでからレスしろよ。
何にも本を読まないで?本を読む事がそんなに重要か?そんなに本が好きなら
いくらでも読めばいいけど、読んでない人間を見下すような書き方はやめたほうがいいぜ?
821 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 04:22:57
「トリッパー」での大塚英志との対談での環先生は痛々しかったな。
相手の意見を考慮してみる気ゼロの大塚相手に対談を実りあるものに
していこうとがんばってたが…。
誰かよんだやついない?
しかし護憲運動唱えてる大塚が、本来とりこむべきノンポリを馬鹿に
しきってていいんだろうか、とげんなりさせられるものがあった。
>>817 「社会的ひきこもり」を一冊読んだくらいで知ったかぶりすぎ。
他の本も読んだことはあるの?
823 :
考える名無しさん:2005/03/23(水) 17:30:15
>>822 >>817氏は「社会的引きこもり」くらいは読んだ、って書いてるだけで、他に斎藤の
事にはなにも触れてないんじゃない?それを知ったかぶりっていうのはどうかな?
斎藤への意見ではないけれど、哲学をやってる人にとっては結構辛辣な意見じゃないの?
>>823 斎藤の本を一冊読んだくらいで、他の斎藤のすべての発言を知ったかのように
他の批判的な書き込みを野次っているからじゃないの?
斎藤のタチの悪いところは二枚舌三枚舌を使うところじゃない。
あるいは、明示表現と暗示表現との分裂的な巧み使い分けがある。
826 :
825:2005/03/23(水) 18:21:57
使うところじゃない。→ 使うところじゃない?
827 :
考える名無しさん:2005/03/26(土) 14:23:35
引きこもりを哲学的にage
828 :
考える名無しさん:2005/03/27(日) 01:51:35
斎藤一人さんのスレにどなたか誘導してくださいませんか
斎藤をはじめ、引き出し屋系論者にかなり共通する傾向として
父権主義的論者・分析者という点があるように思われるね。
830 :
考える名無しさん:2005/03/27(日) 07:00:22
>>813 >遅刻とかゲーセンとかサボとか少しの非行で先生や親がギャアギャア
>騒いでお前は将来ろくなモンにならないヒキコモリで病気だから
>病院に連れて行く、特殊施設で特訓してもらうとやるから
>おかしくなっちまうんだ。
>ちょっとくらいの失敗や逸脱を淡々と
>流して、何もなかったように軌道修正すればいいものを、社会や親や先生が
>不安を煽って病気と烙印を押して騒ぐからおかしくなる。
そのとおり。でも、斎藤はそれを全て承知でやっている訳で。
>斉藤はインテリで知識人ぶりたいだけで、本当にそいつの将来の事を考え
>てるわけじゃないんじゃないか?斉藤は本物の病気の奴だけ相手にしてれ
>ばいい。
騒がないほうが上手くいってしまうかもしれないから騒いで拗らせて
ドツボにはめて〈本物の病気の奴〉とやらを作って行かなければならないのです。
ついでにいうと、患者製造の悪役を買ってでてくれる斎藤様に
本気で反対してまで、これを阻止する医者はいません。
せいぜい、患者との会話やその他保身の都合における必要最低限度において
口上で野次を入れる程度。
831 :
考える名無しさん:2005/03/28(月) 23:59:12
で、引きこもりを哲学的に基礎付けるって話はどうなったの?
おいら頭悪いから誰かわかりやすく基礎付けてくれや。
『心理学化する社会』は、『精神医学化する社会』とするのが
正しくいまの社会の風潮をとらえているように思う。
>>832 斎藤が意識している人たちが誰であるか分かるな。
834 :
考える名無しさん:2005/03/29(火) 21:55:03
社会が心理学化、あるいは精神医学化すれば、心を病む人が増えて患者も増え、
斎藤の本も売れ、斎藤にとっては万々歳、というわけか?そのタイトルは斎藤の
願望なのかも知れぬ。
多くの良識ある精神科医は一人当たり15分、といった短い時間で一日に多くの患者
を診断なければならない苛酷な環境に置かれてるのに、本を書いたり、評論をしたり、
副業に費やす時間があって結構な事だ。
何とのんきな医者である事よ。俺の身の回りで医者をしている人間達と比べると時間が
あり余ってるように見えてしょうがない。
>>834 > 社会が心理学化、あるいは精神医学化すれば、心を病む人が増えて患者も増え
何か誤解してそうな悪寒・・・。
>>836 どこが?
社会の精神医学化とは要するに病名(病名まがい?が
無形商品として大量生産されることだよ。
法的・社会的なシステム上の問題が精神病理学に取り込まれていく政治的傾向については
もう30年も前からルーマンやフーコーらが指摘してきていることだね。
>>837 ああ、
「心を病んでいる」という扱いをされる人が増える
という意味だったのですね。
それなら納得です。
840 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 15:25:09
社会現象を精神医学の立場から見るから、本来であれば「病気」なんて言わないものを
「なんとかの精神病理」なんて言葉に置き換えて異常でないものを異常にしてしまうってことなのかな?
>>840 というか「逸脱を病気として扱う」という事ね。
例えば不良っていうのは「不」良ってわけだから、ある意味「異常」として扱われてるわけじゃん?
でも病気ではなかった。
それに対して行動障害とか反社会性人格障害というラベルを貼って
医療の対象にしたりするわけね。
アメリカの医学会が使ってるDSMという精神科の病名分類があってね。
「DSM-IV」とかで検索してみたらどうでしょ。
(「なんとかの精神病理」というのは一般向けの本のタイトルでは?)
842 :
考える名無しさん:2005/03/30(水) 15:50:05
>>841 ご教示ありがとうございます。納得できました。
「障害」ですか・・・。そういわれれば誰もが治療対象だと思いますよね。
DSM-Wを検索して、少しは勉強します。
843 :
ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 08:39:41
age
844 :
ローカルルール審議中:2005/04/11(月) 20:16:13
新書出た。
845 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 00:35:23
抗環焚書
847 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 22:59:51
たまきんがオイディプスコンプレックスとか家族を語るときって、資本主義の拡大再生産的な話題は
あまり出さないよね。いかに今ある現実に順応させるかみたいな話しかしないから、結局は健常者にとってのユーモア読み物の
域を出ていないと思う。別に左翼が偉いとかじゃなくて、書くべきものは書いて欲しいなあ。
「精神医療と資本主義」って題で本でも書くか
布団たたきババアなんて最高の症例なんじゃないのw
いや、別に資本主義と真っ向から対峙するなんていうのは
要らないと思う、ただしその視点を排除するのは無しねってこと。
まあ、そこを排除することでたまきんの文章は商品価値がうまれるわけだが。
「精神医療、イデオロギー、階級再生産」でもいいな。
>>848 それは臨床的にはそうならざるを得ないでしょう。
医者としてラディカルなことやってもしょうがないというか、むしろやっちゃダメなわけだし。
書く物にしたって、過激なことはそう書けなくなるんじゃないか?
そうすると、ガタリって色々な意味で面白い存在だよな
クーパーやサズもそうだな。レインはちょっと特殊か。
フーコーの場合は途中からあっさり方向転換しちゃって
「精神疾患とパーソナリティ」という処女作を破棄しちゃう。
自分の処女作はあくまで「狂気の歴史」だと。
>>852 学校制度は階級制度を再生産し強化するものであることが知られるようになってきている。
そしてその学校制度を補完するイデオロギー機能を精神医学が担っているとするなら、
その三つは構造的に一つの装置として強固に結びついていることになるかもな。
たまきんも現場では薬物療法のほうが有効だって言ってるが、それって資本主義的な欲望を自然に内化できない
精神病者の身体を薬物で強制的に貫いてしまえ、ということでしょ。さもなくば、死ねという現実がある以上仕方がない
のかもしれないが。たまにメンヘル板とか覗くと、薬物処方されている人の発言内容がこわい、、、もうジャンキーみ
たいな感じで、、、
精神病者の生よりも、制度の維持が優先されているような気がして、こわいのだが、それは仕方のないことなのかもしれないし
精神病院とか施設にぶちこまれて、虐待癖のあるバイトにたこ殴りにされるよりはマシなのかも。
ああいう施設って精神病患者をいたぶる目的で仕事についてるやつが多いとか聞いたけど、本当なんだろうか。
資本主義と転移関係を結べないのが精神病者でしょ、つまり世界と身体の自明性が崩れてしまうことで
通常の意識では抑圧されているような差異が無数に到来し、同一性が肉片にいたるまで破壊され解体されつくすような
場所にいるのが精神病者ってことなんでしょ。
知覚の異常な過敏を薬で抑えることで、同一性を回復させるしかないんでしょうかね。
>>856 > 学校制度は階級制度を再生産し強化するものであることが知られるようになってきている。
↓誤字訂正
学校制度は階級差関係を再生産し強化するものであることが知られるようになってきている。
>>857 阿呆め。
薬物の限界性も臨床医である以上わかっているに決まっている。
内因性のうつ病者と、心因性のうつ状態の人間に対してSSRIを投与して差がどの程度あるか、
とか、あるいは、共産圏で反政府的な思想を持った人間を精神病者であることにして、
向精神薬を投与しまくったところで変わらなかった、とか、そんな話や調査などありふれている。
ていうか、857は全体的に聞きかじりでしか物を書いてないな。
もうちょっと勉強してから批判したまえ。
「社会的引きこもり」には薬が驚くほど効かないみたいなこと言ってなかったか?
862 :
ローカルルール審議中:2005/04/19(火) 00:42:48
資本主義の拡大再生産だとか、学校制度は階級差関係を再生産し強化するものであるとか
こういうことを思想的にきちんとしようとすると、みな○に走るのはなぜ?
他の社会思想が精神病理と社会の関係に対して有効な答えを出し得ていないのかも分からないけど、
近代経済学をやっていた人間からしたら、○の論理自体に抵抗を感じるし、社会を見る見方において、
「階級制度」なんて視点を導入したら、それこそ笑い者だ、という感覚があるから、
ここのところの流れを見てると奇妙な理屈、もっといえば後づけの理屈(○のフィルター)
で精神病理と社会を見ようとしている、というふうにしか思えないんだよね。
確かに「社会病理」という観点を入れたら、社会思想と精神医学の結びつきは必要だろう。
だけど、そこに階級関係だとか、資本主義に対する懐疑をいれるのは社会体制に責任を押し付ける
○の考え方そのものだと思う。社会体制に本当に責任を求めるべき問題だろうか。
そこから考える必要があるのでは。そうだとしても、そこからどういう社会を作るべきか、という
議論は出てきてないよね。
近代経済学には、というか近代の英米思想には「方法論的個人主義」が多く取り入れられてるから、
個人の問題を社会体制と結び付ける、ということはあまりやらない。だからといって個人と社会が
無関係ではありえない、というのも共通理解に近い。
なんかしっくりこないんだよね。こういう議論。フランスあたりでは○に対する理解もあるから
その影響もあるんだろうか。
>>862 まああんたが中産階層出身だからじゃないか?
上層と下層の香具師はマルクスの階級というアイディアに
一定のリアリティーを感じるものだ。
864 :
精神病者:2005/04/19(火) 05:26:38
>>858 その通りだと思います。凄く鋭いです。
私自身の感覚を、私自身で説明する以上に正確に説明されてます。
お医者さんでも ここまで正しく言語化してくれた人はいません。
>>862 階級って言葉に抵抗があるなら、最近流行の格差とか階層とか言い換えてもいいぞw
>>862 社会階層論はべつにマルクス主義経済学の専売特許じゃないだろ。
>確かに「社会病理」という観点を入れたら、社会思想と精神医学の結びつきは必要だろう。
意味不明。社会病理という観点を入れる必要はないよ。
ヴェーバーはどうなるんだ?
868 :
考える名無しさん:2005/04/21(木) 19:55:10
日本だとウエーバーとマルクスの研究者の結論が近似値になることが
珍しくないから、むしろそのメリットを活かすべきだろね。
あえてマルクス系の観点やターム、方法論を排除しようとすることそのものが
いちばん害があるね。少なくとも生産的ではないでしょ。
精神病者よりニートの分析でもやったほうがいいんじゃないの?
精神病者の身体性と資本主義の間には家族論でも入れたらどうですか?
心理学板で精神分析とマルクスの組み合わせなんかでスレ立てみても
古典か化石扱いされるのがオチでは…
いずれにしても学校制度が格差社会の再生産をむしろ強化していて、
それに加担する役目を精神医学も負わされているということでしょ。
872 :
ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 00:44:23
>>871 で、そう考えたところで、どうなるっていうの?そういう風に見たら引きこもってる
連中がみんな出てくるとでも?
結局、自分たちで分析して自分たちが満足してるだけじゃん。
>>870氏が指摘してるように
化石扱いだよ。そんな分析方法。分析ともいえないだろうけど。
何が大事なのか、それは斎藤の言う「引きこもり」の人々の心理をきちんと臨床的に捉え、
果たしてそれは治療対象になり得るのかどうか。なり得るのならばどう治療するべきなのか。
なり得ないのなら、長期間部屋に引きこもって出てこない人がいる、という事実を踏まえて
それに対して周囲はどう対処するべきなのか(ほっとくわけにはいかんだろう)、ということだ。
ある事実が問題になり得るのかどうか、そこから始まって、そこからその問題にどう対処する
べきなのか、それに有効な答えを出せない議論を延々と繰り返していても無意味。
>>872 それについてはヒキ板のほうのスレを読むことだな。
874 :
ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 13:24:46
>>873 ほら、すぐそうやって逃げる。ちゃんと有効な議論を見せることもしないで
ヒキ板のスレを読めってか。
確かにヒキ板のスレの方がはるかにまともな議論になってる。
ここのは単なる「高見の見物」。ちゃんと社会の問題を自分に降りかかってくるかも
知れない問題として捉えることをしていない。そういう事しかできない連中に社会問題を
語る資格など無い。
学歴を使って資産を相続しようとする中産階級の家庭が
親子の亀裂を生んで崩壊する理由がわかる気がする。
>>874 例えば稲村博は、先行する登校拒否の臨床研究や予後調査を引用しつつ、神経症的とされる
タイプの登校拒否(「暗い登校拒否」)が諸外国にくらべ日本に格段に多くみられ、このタイプの
登校拒否がこじれて(稲村のいう登校拒否症が)遷延している臨床例が「無気力症(アパシー)」
だとか「(社会的)ひきこもり」になるとしている。
とするならば、このタイプの登校拒否のメカニズムを問題することが(予防的見地も含め)具体的
な臨床場面においては大きな中心課題になるわけだ。この点についてはヒキ板のスレッドのほう
でも何度か触れているはずなので、ここではあえて繰り返さないが。
877 :
ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 22:07:18
>>876 どうもありがとう。ヒキ板ではこういう話がすぐに出てくるのに、ここでは全く出てこない。
まあ、哲学板だから仕方が無いといえば仕方が無いのだが、余りにも視点がずれてるんで
ちょっと苦言を呈した次第。
なお、
>>876氏の意見に異論はない、ということを付け加えさせていただく。
879 :
考える名無しさん:2005/04/29(金) 22:12:51
>>858 > 資本主義と転移関係を結べないのが精神病者でしょ、
そうかなぁ?
転移関係はむしろ過剰なくらい結んでいるんじゃないですかね。
つまり、その結果が本人をよりいっそう苦しめることになっているとしてもね。
分裂は本当に分裂なのかな? 自明性の喪失なのかってのは案外あやしい。
881 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/01(日) 09:24:15
トラウマを特権化するナルシシズムよりは去勢された方がいいけど、
まったく手本になるような父性も権威もないのに、
どこから理想我を取り込めばいいんだよと思うわけだが。
884 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/05(木) 02:15:14
環先生の「象徴界はイデオロギーとは違うからね」という突っ込みは有意義でしたが
最近逆に東の言った事を真に受けて「エシュロン」とか言い出す二番煎じは止めた方がいいですね
東自身がHTMLを「簡単なプログラミング言語」と言っちゃうように工学に詳しい訳ではないですから
『負けた教』でも「モジュール」とか言ってますね
ところでオブジェクト指向は単なるモジュール化ではないんですね
モジュールが部品ならオブジェクトは規格です
ネットワークなどでプログラムを駆動するときに複数からアクセスされますが
そのときクラスからインスタンス(実体)を生成する必要があります
これを自分は、『文脈病』などと同じような問題意識だと思う訳です
あるいは多態性や(多重)継承など、ここら辺を構造主義的な無意識
つまり言葉の流通の問題として読んで、「萌え」辺りに応用するのが生産的だと思ってます
そこのところで、仮想化されない残余(ジジェク)とか、主体の抵抗も活きてくるでしょう
∧ ∧
ヽ(・∀ ・)ノ < 『負けた教』買ってね〜
(( ノ( )ヽ ))
< >
886 :
考える名無しさん:2005/05/07(土) 01:05:34
>>884 で、何が言いたい?そう考えたところで、心を病んでる人が救われるとでも?
真剣に悩んでる人がいるのに、自分らで分かったようなことばっかり言って、
勝手に哲学的分析対象にしてオナニーしてんじゃねーよ。オナニーならエロ本でしろ。
まあ、おまえらに人を思いやる心を持てっていっても無理だろうな。
887 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/07(土) 02:08:17
>>886 なんですか? ここは哲板ですよ
ヒキ関係はヒキ板でやってもいいでしょう
別のスレッドでやる意味が無くなりますから
888 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/07(土) 02:08:28
888
/\___/ヽ
/,,,,,,,,r 、,,,,,,,,::::::\
.| -・=-,ン < 、-・=-、.:|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:::::| ケッ
.| _,ィェエヲ` .::::::|
\ `ー'´ .::::/
/`ー‐--‐‐―´\
│ │
しろうとって勉強熱心なんだけど才能がないんだよなぁ。
単なる哲学ヲタだね。
>>884 > 東自身がHTMLを「簡単なプログラミング言語」と言っちゃうように工学に詳しい訳ではないですから
プログラミング言語とマークアップ言語の恣意的な区別なんてどうでもいいじゃん。
最近ではその境界も曖昧になりつつあるわけだし。
892 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 14:14:41
>>890 むしろ、メディアで活躍している香具師の本しか読まないタイプ。
こういうタイプは学術出版社の編集やればいいんだよ。
894 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/10(火) 04:23:16
たまにはラカン(ジジェク)と関係した話でもしますか
環センセーはひきこもりとオタクを研究していますが
両者はよく混同されます。が全く別のタイプなんです
ひきこもりはヒステリーで、オタクは倒錯なんです
ひきこもりは他人の目が気になってひきこもるでしょうが
オタクは人目が気にならないから、ダサいファッションで平気なんでしょう
それにひきこもりはひきこもってますが、オタクは活動的です
895 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/10(火) 04:23:54
倒錯者(オタク)は分裂を他者に押し付け、自らは他者の道具になります
「犬に服を着せる人」「犬に話かける人」が分かりやすい例かな
または自動車はピカピカで、自分はカップラーメンを喰うとか
目的と手段が転倒していて、車やペットが主人の位置にいます
ロリコンも、単に相手が幼いから優越できる、ということではなく
こちらの視線が向こうには分からない、という倒錯的な快楽です
これはアニメキャラなど、虚構の対象でよりはっきりしてきます
オタクがダサくても平気な顔をしているのは
彼らの愛する「対象」がこちらを見返さないからです
そして対象のエージェントに過ぎないので、葛藤を抱え込まない
896 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/10(火) 04:37:40
ヒステリー者(ひきこもり)が求めるのは
自分が完全に支配できるような主人です
ひきこもりの場合は母親でしょう
他者に依存するのは倒錯者もそうなんですが
倒錯者が「こうして欲しいんだろう」という
ストーカー的な積極的誤認によって活動的であるのに対して
ヒステリーは「何とかしなさいよ」という非難に止まります
「自分を分かってくれない」という他者の無知が
ヒステリーの場合は苦痛ですが、倒錯者には快楽になります
前者は無理解を非難しますが、後者は熱心に布教します
2ちゃんで言えば○○信者は倒錯者ですね
こういうのは四言説の図式では$/aとa→$の違い
として一行で記述されてしまうんでしょうね
897 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/10(火) 04:51:18
ちなみに環センセーのヒステリーを見た事がありません
まあ自分はメディアでしか見ないから、当然演出してるでしょうが
他の批評家と比べても、さすがは精神科医だと言えます
市民運動や報道にはヒステリー的なところがありますが
(他者は無知で真実を分かっていないのだ!)
環先生はいつもクールに構えているので少し違いますね
整理するとヒステリーとは「知っているが、行動できない」という落差に我慢出来ず
その葛藤を他者に「何とかしなさいよ」と押し付ける行為なんです
「妥協と折衷」によって行動できる部分を拡大するのが必要でしょう
>>897 たとえばヒステリーな批評家というと
誰がいますか?
>>897 環センセーは自ら「ひきこもり系」(ヒステリー系?)を自称しているんじゃないの?
>>896 >自分が完全に支配できるような主人です
この文、なんだか変。「自分が完全に支配できる主人」って何?
「自分を完全に支配する主人」の間違えでは?
>>898 宮台さん?
(基本的に宮台さんもいつもクールだが、たまには感情の抑揚
を表にあらわす)
>>897 たしかに斎藤さんはテレビで見るかぎりでの印象はヒステリー的
というよりはスキゾイド的だね。
しかしそれと
>他者に「何とかしなさいよ」と押し付ける行為
とは話がまったく別ではないかな。
話す口調は話される内容とはちがう。
話された内容からその性格を判断すれば、斎藤さんは他者に「何とかしなさいよ」
と押し付ける主張(例えば去勢を強制せいよ)に満ち満ちている。
「ひきこもり」という「他者」に容認よりも否認の烙印を精神医学的に押そうとして
ヒステリックなまでにこの問題を煽り立てる。その表面的な口調とは裏腹にね。
その姿勢は彼に反論する他の精神科医らとはまったく対照的ですらある。
903 :
ローカルルール審議中:2005/05/13(金) 21:33:27
斉藤はクールじゃないよな。
インターコミュニケーションでのダブルコンテンジェンシーへの批判や
文藝での吉本理論(というよりライヒの理論か)への全否定はヒステリー
爆発だったぞ。あんなのはみっともなくて単行本化のおりには収録できんぞ。
904 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/13(金) 22:20:03
>>901 ヒステリーの「自分が支配できる主人」(例えばヒキの「母」)と
倒錯者の「自分が支配される奴隷」(例えばオタの「妹」)が対です
>>902 いや、斎藤の型はヒステリーじゃなくて大学ですね
後で説明しますけど、ヒステリーの行動が「私」を
基準にしているのに対して大学の言説は「知」を
基準にしています。公共的な知、コモンセンスです
年金がどうとか世代がどうとか
一般論の水準で読めるから社会に流通する訳です
(大)他者からは「私」の個人的な問題(a)は見えないんです
だから環もどっこいだ、とはならないんです。ただファシズム的な懸念はある
905 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/13(金) 22:24:07
>>899 え? じゃあヒステリーを起こさないヒキコモリ系ですね
>>903 >ダブルコンテンジェンシー
システム論というか、工学的な知(東)に言及しようとすると
なんかみっともない感じになるのは、そうですね
>吉本
これは世代的なこととか色々ありそうですね
906 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/13(金) 22:30:28
「生き延びるためのラカン」見返したら
ひきこもりは強迫神経症の方に結び付けてありましたね
まあでも環先生が言うようにヒステリーの方言なんで大過ないです
907 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/13(金) 22:42:06
ラカンの四言説は、$・S1・S2・aを組合せてM・U・H・Aを作ります。これだけ
(セミプロの蝉寝ると違いアマのしろうとはジジェクの孫引きです)
例えばH(ヒステリー者の言説)の上部には「$→S1」があります
これは存在の問題の体現ですね。(環が言うヒステリー女性の「性の問い」も含む)
S1はシニフィアン・メートルなんですが、えーと社会における「立場」位ですか
そんで$は「主体」とか「主語」位に捉えておいてください
つまりここにいる「私」と、「男」「女」「子供」「大人」「生徒」「社員」…
という社会的な立場との間には決定的な断絶があるわけです
(『ロミオとジュリエット』型の悲劇もこの図式ですね)
ヒステリー者の内部には$/aが生じています。aは剰余です
これは一般論に還元できないような何かが私に生じているということです
逆に外から見ると単なるはみだし者ですが…
内部では$/aの葛藤を抱えて(自分にとっても謎の不満がある)
外部には$→S1の問いを発します(Aという立場にどうやったらなれるのか)
これがヒステリー者の行動ですが、まあ「大人になりたくない」と見てもいいです
908 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/13(金) 22:54:15
ヒステリーは問いを抱えているので動揺・葛藤しますが
倒錯者(分析家)は問いが欠如しています
だからオタクには葛藤や動揺がない(動物化?)
オタク(倒錯)の型はa/S2ですね。単なるお約束の組合せから
そこに収まらない独特の感情を見出して喜ぶのが萌えでしょう
(東の言うシミュラークルとデータベース・岡田の言う見立て)
以前「ゲーム脳」の関連で環先生のインタビューの
ページランクを上げようという運動がありましたが
ひきこもりよりオタクが先に祭り上げているのは興味深いですね
909 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/13(金) 23:01:04
ジジェクはヒトラー型独裁者が演説の最後に遠く(a)を見つめるのに対して
スターリン型独裁者が会議の最後に立ち上がって自分で拍手する(a→$)
という違いを記述しています。これは面白い四言説の応用です
自分はもっとささやかに2ちゃんねるにおける四言説の応用を考えます
厨房の四言説ですね。DQN・信者・ヒキ・オタがM・U・H・Aに対応します
あずまんこに たまきんを入れる
>>904 > ヒステリーの「自分が支配できる主人」(例えばヒキの「母」)と
> 倒錯者の「自分が支配される奴隷」(例えばオタの「妹」)が対です
あえて字義矛盾の表現を使っているということ?
913 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/14(土) 09:53:20
>>911 そうですよ。簡単な例を考えてみましょう
彼女と車でドライブしていて道に迷い
「何とかしなさいよ!」と彼女がヒスったとします
彼女が運転できて道を知っていれば
キレなくても単に運転を変われば済むことでしょう
しかし主人(ドライバーの彼氏)を通じて操作するしかない
914 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/14(土) 10:01:04
そして「歩いて帰る!」とか「次は他の男と来る!」などと威嚇します
威嚇もダブルバインドと関係あります
実行せずに実効力を発揮させようとする言葉です
この威嚇は自分のS1(彼女という立場)から降りるという脅迫なんですが
夫婦喧嘩で皿を割るのも、S1(妻という皿を洗う立場)から降りることを意味します
環先生によると女のヒステリーと男の強迫神経症という対でしたが
男は「今週は〜も残業が」とS1(社員という立場)の方を強調します
他にも男の事実の固執と女の感情の固執など興味深い対比はあります
ちなみにオタクにも801のような男女の非対称性がありますが
自分的にはメンヘル系、例えばリスカもヒステリーの系譜だと見ます
社会的関係(S1)から降りても私という存在は残ります
この存在を性急に求めた(存在の問い)結果、血液(a)を見る訳です
ヒステリーはS/aですが、下部に隠されたaが知りたいんですね
915 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/14(土) 10:17:20
>>911に戻ると
ヒステリーの$→S1は、S1(社会的関係)では主人なんだけど
aを抱えた$(私)が支配しようというダブルスタンダードを求めます
これがさっきの威嚇みたいな形で出てくるわけです
母親の方が立場は上なんだけど、実質は寄生しているというわけ
オタク=倒錯者はこの逆です。環先生を引きつつ簡単に言うと
ヒキと違ってよく働きよく消費しますが
商品を作る企業を奴隷(お客様は神様)にしつつ実際は貢ぐということですね
それと環先生も参加している網状Fで
オタクは幼女の方に感情移入しているみたいな話があって関係しているでしょう
>>904 > いや、斎藤の型はヒステリーじゃなくて大学ですね
> 後で説明しますけど、ヒステリーの行動が「私」を
> 基準にしているのに対して大学の言説は「知」を
> 基準にしています。公共的な知、コモンセンスです
斎藤の反論する専門家は、学術的ディスクールを基準にしていない
ということになるのでしょうか?
とすると、先ほどのヒステリー型とそうでない批評家という話がありましたが、
その批評家のディスクールのなかでその場合の「私」と「知」とを区別する基準
はどこにあるのでしょうか? 知的な武装の有無にある?
コモンセンスという意味ならヒステリックなマスコミジャーナリズムも大衆のコモン
センスに訴えかけているし、社会的に流通していますよね?
いっぽう学界的なコモンセンスにおいて、斎藤の言説がそのまま受け入れられて
いるとは必ずしも言い難いのでは?
その反論は意外というか、それほど通俗的にすぎる基準をもってくるのは
精神分析論としては意外ですね。
まるで主観と客観との素朴な二元論のような
918 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/14(土) 17:38:38
>>916 >学術的ディスクールを基準
専門家はそうしてるでしょう
>「私」と「知」とを区別する基準
簡単。知は私でなくても分かるということです
>コモンセンスという意味
ヒステリー的なものも社会的に流通(感染)しますよ
『文脈病』でエヴァはヒステリー的に捉えられていました
>学界的なコモンセンス
言説の型は拳法の型みたいなもので
それをしたから受け入れられるとかじゃないです
>通俗的にすぎる基準
「コモンセンス」という言葉が不適切だったのかもしれません
S2はシニフィアンなんでもっと無機的なもので
上で言われたコモンセンスだとS1とかも入ってきちゃう感じですね
919 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/14(土) 17:42:52
>>898 そういえば哲学者の中島義道はひきこもりなんかにも
それとなく言及していたと思いますが
(さすがに洗練された)ヒステリー的な言説ですね
彼は自分でもAC系だと言ってますし
中島によると「自分の言葉で語る」とか
「割り切れないもの」を割り切れないまま捉えるとか言いますが
これはヒステリー者($/a)の図式そのまんまですね
割り切れないものを自分の言葉で語ろうとするということですね
>>908 > 以前「ゲーム脳」の関連で環先生のインタビューの
> ページランクを上げようという運動がありましたが
> ひきこもりよりオタクが先に祭り上げているのは興味深いですね
それは単に、「ゲーム脳」がテレビゲームという「オタク」の属性をそのままスティグマ
にするよう名付けられたものだからでは? 「オタク脳」と言っているも同然だから...
「・・・脳」という言い方ではないが、似たようなディスクールによるアジテートを
斎藤もまた「ひきこもり」のスティグマ化を用いてやっているから、当の人たちから
反発をかっている部分もあるようだが。
そもそも「ヒステリー」自体、写真記録による「発明」だったでしょう?
「ゲーム脳」はあからさまにせよ、
「ひきこもり」もそうである可能性は捨て切れませんね。
922 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/14(土) 19:57:19
>>920 当然その側面もあるでしょう
しかし斎藤とごっちゃにしてはいけない
斎藤は「ひきこもり脳」とは言わない
>>921 ヒステリーの症候は写真以前にもありました
もちろん写真以前に発明された、ということかもしれませんが
環はオタクは発明ではないけれども
メディア環境の進化に対応した
倒錯の一種類(有袋類みたいな)だと言いますから
ひきこもりが自然的なものと頭から信じ込んでいる訳でもない
環が発明した、というタイプの非難について言えば
問題を知ってもらうのが大事というスタンスなんで
賛否はあれど彼の内部では矛盾はないですね
923 :
考える名無しさん:2005/05/14(土) 22:47:11
脳科学の学会は脳科学会っていうのかなあ
脳に鉄の棒が刺さった男はすぐ怒る、嘘をつく、盗む、
計画的行動がとれない、という人格に変貌した。
これってDQNの性格そのままじゃん。
なるほど、DQNは脳の半分しか使ってない類人猿だったのか。
最近?ニートって言葉聞くけど、ニートって何?
ニートと引き籠もりの違いって?
「ひきこもり」「ニート」って言葉が表に出てくる社会背景って何?
なんかニートってぷー太郎なイメージがあるな。でもぷー太郎って
今までに聞いたことある言葉だし、定着してたもんだろ。でも新たに
「ニート」ってさ・・・つーことは、ぷー太郎とニートは違うってこと
だろう。
ぷー太郎って職について、その場でやっていける能力を持っているんだが
怠惰で遊びほうけてる香具師ってイメージあるが、ニートは?
ニートはその能力が欠けている香具師のことか?
これじゃニート=ひきこもりじゃん
マスコミの方々は一体何をお考えなんでしょうかね。
>>925 お前環の本一冊も読んでないのになんでここにいるの?
>>927 釣竿を持たずに釣り船に乗り込んで来て、理由を聞かれ、
「いちゃいけないんですか?」と真顔で周りに問いかける男がいたら
君はどう思うかね。
929 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 14:30:03
>>928 釣竿を持たなければ釣り舟には乗れない、という「ルール」がない限りその譬は
正当化されない。つまり、一冊でも読んでいなければここに来てはならぬという
ローカルルールがない以上は、
>>925氏がここにいることを疑問に思う余地はない。
この程度のことは「法哲学」の世界では常識だ。
>>925氏へ
ニート:NEET(no employment,education,training)の略。イギリス生まれの言葉。
仕事をせず、(ある時点で)教育を受けておらず、職業訓練にも参加していない、
つまりほとんど社会参加をしていない人のこと。ぷーたろう、でも間違いではないね。
ひきこもりとの違いは「外に出るかでないか」だけ。あえていうならば、斎藤が勝手に
定義付けた基準に当てはまってしまえば「ひきこもり」という名の症状にされてしまう、
ということ。
その基準については斎藤の「社会的ひきこもり」を読んでみれば分かるよ。Try it!
うざいよ馬鹿wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
引きこもりなんてないんだよwwwwwwwwwwwwwwww
931 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 14:55:56
お金があれば外に出ますよ。主婦が買い物以外で
ずーっと家に引きこもってる
のは外に出るとお金を使ってしまうからですよ。
旦那の小遣いが月5000円なのに、自分が一日200円遣ったら月6200円の出費
になる。これは主婦にとって馬鹿にならない出費です。
家にいてゴロゴロしてるのが一番です。
お医者さんには分からないでしょうが、こうしないと老後の生活資金は
作れないのですよ>斉藤さん
932 :
考える名無しさん:2005/05/16(月) 15:04:06
環ちゃんへ
たまには飲みに来てね
美味しいお酒が入ったから
美鈴
だから俺様をひきこもりと呼んではいけない。
もう数年来家に閉じこもりきりでも、
生まれてこの方働いたことが無くても
母親以外の女と口をきいたことが無くても
俺様のことをひきこもりと呼んではいけない。
泥のようないまだけがうちつづくこの安楽を
何者もじゃましてはいけない。
TVで話題にしてもいけない。
雑誌で取り上げてもいけない。
本に書いてもいけない。
俺様の心が傷つくから。
俺様の心を傷つけることは
なににもまして許されざる行為だから。
批判してはいけない
意見してはいけない
評価するのも分析するのも
絶対、絶対
許さない
ひきこもりという言葉を使ってはいけない
絶対絶対
いけない
精神分析こそ自己言及の世界(想像の世界)だ
むしろ精神分析が言っていることは自己言及は不可能だということ。
ポモは二言目には
「○○の不可能性」
とか言い出して悦に入るよね。
>>935 ということは分析自体が不可能ということじゃん。
そこまでは言わないの? 都合のいいところだけラディカルになる?
>>937 自己言及って自分について語るっていう意味じゃないよ。
自分が自分を根拠づけるためには自分でない立場に立たないといけない、
つまりメタレベルにたたないと出来ないってこと。
んで、精神分析の方法にはメタレベルはない。
だから自分自身に根拠はない。
俗っぽく言えば自分が何のために生きているかには答えられないということ。
というか斎藤の本読んでる?
>>938 > 自己言及って自分について語るっていう意味じゃないよ。
それなら935は934へのレスになっていないと解していいの?
>>938 なんだかはぐらかされている感じだなー
自分自身に根拠があるかないかの話じゃなくて・・・。
「自分について語る」のとその「メタレベル」とはどう違う?
主観と客観?
分析はけっきょく何を分析しているのだと言いたいの?
941 :
938:2005/05/19(木) 02:53:56
つうかそんなことも分からないで斎藤の本読んで意味分かるのか?
議論のふりして教えてもらおうってのは甘いぞ。
とりあえず鏡像段階がアバウトにでも分かってから来いや。
938がまったく混乱した文を書いているから理解できるほうが
どうかしているよ。
そういう文が理解できてしまうというのが「分析」かもしれんが。
>>941 だからそんなレベルの話をしているんじゃないって。
鏡像段階にいう他者だって自己言及的なものだろ。
(自己言及という言葉を使ったのがまずかったかな)
> 鏡像段階にいう他者だって自己言及的なものだろ。
くわしく
精神病的な妄想を生み出すのは現実との接触によってだよ。
その意味で精神病の妄想は純粋な意味での妄想ではなく、むしろ現実の剰余。
ひきこもりも同じ。本当に妄想に生きることができるならば、現実によって挫折する
経験は無くなる。その意味では現実に対する無敵の免疫となる。
>>920 > 「・・・脳」という言い方ではないが、似たようなディスクールによるアジテートを
> 斎藤もまた「ひきこもり」のスティグマ化を用いてやっているから、当の人たちから
> 反発をかっている部分もあるようだが。
しろうと氏がここで書いているような「ひきこもり=ヒステリー」論は、当事者からのそうした反発
や批判をかわすには好都合なレトリックになっている。そうすることで、当然予想済みの当事者
からの反発や批判を当事者側の病理性の問題と喧伝することで、巧みに言い逃れることができる
という仕掛けになっている。
斎藤の行なうこの種の言説実践は、M・フーコーの言っていた「女性のヒステリー化」を連想させる。
>>922 > 斎藤は「ひきこもり脳」とは言わない
コンテクスト上、同様に言っているのと同じではないだろうか。「ゲーム脳」主唱者も大衆の意識
を喚起させるために、斎藤の言う「ひきこもり100万人」云々などと同様のレトリックを使う。
テレビゲーム遊びの状態とひきこもりの状態と、その対象は一見ちがうが実はよく似ている。
実際、「ゲーム脳」論者はテレビゲーム遊びが外で友だちと遊ぶ体験を回避させがちになり、
社会的成熟を障害させる結果に繋がりかねないと、斎藤のひきこもり有害誘発説そっくりの論法
で親達を煽っている。その考え方とアジテートの仕方は多くの点で見事に重なる。
>>946 >テレビゲーム遊びの状態とひきこもりの状態と、その対象は一見ちがうが実はよく似ている。
>斎藤のひきこもり有害誘発説
上のふたつについてもっと詳しい説明を聞きたいな。
TVゲーム遊びとひきこもりは何がどのように似ているのか。
ひきこもり有害誘発説はどの本(あるいは雑誌インタビューなど)において説かれているのか。
>>947 斎藤の本とかを読んだことある?
まさか、この人が「ひきこもり」「友だちがいない」状態が有害だということを
盛んに喧伝していることを全く知らないはずじゃないよね?
有害っていうか
社会的ひきこもりで友達のいない状態が長期化すると
精神的に問題が起こることが多いっていうんだろう。
運動不足の人間が成人病にかかりやすいといっているようなもんだ。
ゲーム脳とはまったく違うぞ。
テレビゲーム有害説と説く連中も多くの場合、家に閉じこもってテレビゲームに夢中になることで、
外で友だちと交わって遊ぶ体験が減り、それが社会的成熟を妨げ、将来的に精神発達上の問題
に繋がりかねないという言い方をするわけ。最近では精神が脳と言い換えられるだけ。
要するに「ゲーム脳」とは前者の子供の脳の状態をインパクトを与えてそう称しているだけ。
この流れは形を変えて'80年代から既にあった。斎藤が稲村系譜ならば、どうやらこの「ゲーム脳」
の人物は「生活リズム運動」をかつてアジテートした専門家たちの系譜(体育学系)に属するようだ。
ちなみに、この生活リズム運動にも文部省がバックにいたようだ。
952 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/30(月) 22:19:34
>>933 「謝れ職業人」みたいですね
>>934-944 「私は正しい」という言葉だけでは全く無力ですよね
自己言及の不可能性によって、主体は欠損を抱え込み
その穴を埋めるのが他者の代理物である対象aです
精神分析はそのような欲望の力学に関する箴言知です
953 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/30(月) 22:36:07
>>946 >>「ひきこもり」のスティグマ化
大学の言説は、S2でaに斜線を引いて$にします
要するに言葉にできないものを言葉にする立場です
そしてあらゆる代理=表象は権力的です
そのポリティクスは個々の正当性に問われるべきで
スティグマだからいけないと一概には言えません
そして斎藤は医師であり、社会的な見地で言う点が
特に従来の「運動家」と、少し異なります
それが気に入らないなら、新しい代理表象を持ってくるしかない
>「ゲーム脳」と「ひきこもり」
医学と社会調査の違い、また斎藤が指摘した
脳検査上の不備を考慮しないで混同するのはナンセンスです
954 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/30(月) 22:41:29
>>948 斎藤の本に「孤立」と「独善」の違いが記されていますが、
TVでもやったひきこもり系VSじぶん探し系の話では
友達が少ないことが一方的に悪いと述べてはいません。
もちろん友達というか社会的対人関係が全くないひきこもりは
勧めていませんが、常識的にも不適切な主張ではないでしょう
むしろひきこもりってる本人こそが
強迫的に人間関係にこだわって身動きとれないわけでね。
というか愛着を持ってる相手に自分の毒を食わせようとするのは
いわゆる投影同一視そのものだ罠。
ヒッキーなメンタリティー持ってるやつが、
「斎藤環は友達がいないのを駄目だといってる」と
批判しだすのは分かりやすい反応。
実は駄目だと思ってるのは自分。
956 :
しろうと ◆AUSirOutoE :2005/05/31(火) 00:42:05
>>955 そうですね…自分の言う所の象徴界の機能過剰説というか
むしろ規則の適応過剰、そのプレッシャーの害はありますね
ただそれも含めて$→S1(主体と立場)の亀裂ともいえます
ラカンは難しすぎて詳細までは分からないのだが。。。
たしかこれもラカンだったけど懲罰的超自我と言われる概念もある。
取り込んだ命令が強すぎる感じ。
実現不可能な理想をいろいろかかえたあげく
「××もできない俺は生きてる資格もない」と
社会不適応な状態になっちゃうと。
そこまではいかなくても粗相のないように
人様に迷惑かけないようにと気疲れする毎日だったり。
>>954 話の趣旨をずらされてしまった感じですが・・・
> もちろん友達というか社会的対人関係が全くないひきこもりは
> 勧めていませんが、常識的にも不適切な主張ではないでしょう
それをおっしゃるならば、外で遊ぶよりもテレビゲーム遊びに没頭する
子供の身体を不健全だとみなして有害視するのも常識的云々と言えてしまう。
その意味でも同じでしょう。
>>953 > 医学と社会調査の違い、また斎藤が指摘した
> 脳検査上の不備を考慮しないで混同するのはナンセンスです
もちろん考慮した上で言っています。斎藤のひきこもりに関するその
論法も同様に臨床的に不備があり、精神科医からの批判的見解もある。
斎藤のいうことのみに依拠して精神医学上正しいはず、という先入観だけ
で物を言っていませんか?
>>955 > むしろひきこもりってる本人こそが
> 強迫的に人間関係にこだわって身動きとれないわけでね。
そうですね。つまり、引きこもっている本人こそが引きこもって
いてはいけないと強迫的なまでに感じている。
感じているからこそ、ますます精神的に引きこもってしまう。
> ヒッキーなメンタリティー持ってるやつが、
> 「斎藤環は友達がいないのを駄目だといってる」と
> 批判しだすのは分かりやすい反応。
> 実は駄目だと思ってるのは自分。
その意味では、斎藤は、ヒッキーに精神的にまさに追い討ちをかけて
煽っているんだよね。その意味では斎藤を批判する立場にいる精神科医
のほうが、その点をよく分かっている。
>>959 > そうですね。つまり、引きこもっている本人こそが引きこもって
> いてはいけないと強迫的なまでに感じている。
> 感じているからこそ、ますます精神的に引きこもってしまう。
これは斎藤がひきこもりについて書くときは
必ずといっていいほど指摘することだけどね。
ひきこもっていることを恥じてひきこもる
この循環的構図を「ひきこもりシステム」と呼んでる。
> その意味では、斎藤は、ヒッキーに精神的にまさに追い討ちをかけて
> 煽っているんだよね。その意味では斎藤を批判する立場にいる精神科医
> のほうが、その点をよく分かっている。
誰が批判しているのかは知らないけど、
もっとも追い討ちをかけているのはひきこもり本人の自己イメージじゃないの?
斎藤はひきこもりを病気ともいってない。
大体人間はみんな基地外だとするラカンを肯定的に引用する斎藤が
「健全な人間らしい生き方」のような本質論にいくはずない。
それは疎外論的実存主義的なもので、ニューエイジ、ヒッピーなどの
イデオロギーに繋がると「心理学化する社会」の中で批判している。
転向左翼の保守派が好みそうな「本能」に基づいた有機的調和のイメージ。
こういった優生学的考えを認めないのは「ゲーム脳」批判でも同じこと。