現代の観念論者たちはいったい何を求めているのでしょうか。
良くも悪くも自然科学的世界観が猛威を振るうこの現代社会において
観念論はどのようにあるべきなのでしょうか。
観念しろ
イギは分からないが、とりあえず間抜けに見られないように注意すべきである。
4 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 09:18:39
a
最高位登場間近
6 :
ローカルルール審議中:2005/04/12(火) 10:09:29
理屈こねてりゃ生きてるような気がすんじゃね?
相手は末期だから、ほどほどに。
観念論ってあんま人気ないんだな
結構意外だ
9 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 03:25:57
良スレ
10 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/13(水) 06:21:50
>>5 とりあえず、ご期待に応えておこうかな
私の事を観念論者だと思っている人が多いようだが
厳密な意味では、それは間違い
観念論を信望しているのではないよ
あくまでも、否定できない部分があるという立場
その否定できない部分を使って、論理的に科学万能主義を否定しているのさ
それから、この板には観念論というものに対する認識を間違えてとらえている人が多い
観念論といっても範囲が広いんであってね
単純に宗教だとか、画一された概念でとらえている人が多い
ヒジョーに、ものの考え方が狭い人が多いんだよね
だから丁寧に説明しても、ついて来れない人が多くて困る
続く
11 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/13(水) 06:25:24
続き
>>1の問いかけに答えるならば
>現代の観念論者たちはいったい何を求めているのでしょうか。
人の事は知らないが、少なくとも私は
純粋に真実を求めている としか言えないね
>良くも悪くも自然科学的世界観が猛威を振るうこの現代社会において
>観念論はどのようにあるべきなのでしょうか。
べつに観念論は、自然科学と水と油である必要はない
私の言う観念論とは、あくまでも哲学であって宗教ではない
あくまでも論理性を持って現実世界を分析した際に、明らかとなってくる事実に基づく考えである
よって、自然科学的手法の限界点を論理的に説明する必要があると考える
そして、その限界点を空想によって論理的に飛躍させてしまう事の間違いを指摘する必要がある
ここの住人は、まるで球団を応援するかのように自説にこだわって応援しているように見える
あくまでも「信じている」のだろう
とても真実を探求しているようには感じられない人が多い
たとえば『自我』という事実を突きつけられて論破されても
『自我』などは科学とは関係がない などと言って逃げる
その瞬間、現実の世界や、事実から目をそむけているのだ
そして、違う論点に話をすりかえようと努力する
そしてまた同じ事の繰り返しだ
科学は科学でいいんだよ
しかし哲学的命題の前では、万能ではないんだよ
それを認めたところで科学を否定する事にはならないんだけどね
科学万能主義への不信仰にはなるかも知れないね
それを怖れているのかな
話が横道に反れたかもだけど
総合して、まぁそういう事です
12 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 09:14:01
アメ公が哲学界のシェアを増やしたからだろうな
プラグマティズムがデフォという雰囲気が観念論検討を許さない。
13 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 09:20:27
精神医学は科学としてではなく医学として重要。
観念論や倫理学も科学としてではなく(ry。
>>10-11 この人初めて見たが、誰?
(哲学板初心者なんですまん)
当り前の、独創性のカケラもないことを、何故こんなスレで熱弁してるんだ?
ついでに言えば、
「高位」とか「低位」とか言ってる時点で
この人が、<哲学>とは全く無縁の精神生活を送っている人であることは
確定だな。まあどうでもいいや、俺には
16 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 09:42:15
>>15 「ネタ」とか「アイロニー」という言葉を知った方がいいよ
そんなのソクラテス以来の哲学者の伝統だろ
奴が糞なのは事実だが、あんたは哲学に意味不明の属性を割り振っている。
>>16 「最高位」と言ってる人は、ネタで言ってるのか?
俺にはそうは思えない、本当に自分が「哲学者最高位」なのだ(w)と思いたくて
ああいうコテをつけているように見えるんだが。
(
>>10-11から判断する限り。)
あと、「哲学に意味不明の属性を云々」だけど、
ここでいう「高い/低い」に何らかの意味があるとしたら、
それはその人の知識体系の「価値」の問題でなくてはならないわけでしょう。
しかし自分の哲学としての知識体系に価値がある、なんて言う人は
それこそソクラテスの、無知の知さえ知らない人だ。
別にソクラテスまで遡らなくても、
カントは自分は一般人を尊敬する、と言った。西田幾多郎は哲学とは最も深い常識である、と言った。
ウィトゲンシュタインは、「もし哲学が生きるために必要であるのならば、
哲学以前の人は生きることができなかったはずだ。しかしそれはあり得ない。」と言った。
まあ誰が何を言おうと、いずれにせよ哲学的知識というものは究極的には何の価値でもない、
ということを認識している人は、自分が「最高」だなんと思わないはずだ。
・・・って熱弁してるのは俺だなw
本人が出てきたらうるさそうなんて、早めに消えることにする。
18 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 09:58:56
>>17 君は哲学者に「徳の教師」を求めすぎ。
歴史上最高位以上に鼻持ちならない奴なんか腐るほどいる。
しかも一流どころで。
ある意味ヴィトも。
>>18 歴史上鼻持ちならない人が多くいたとしても、
だからといって自分が鼻持ちならないことの言い訳にはならんだろ。
くわえてマクダウェル読んでみれ。
22 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 10:09:08
けど英米人が観念論者というとバークリ挙げて、
他の国では古典でもないのに持ち上げたりする風潮はやっぱりあるだろ。
経験論がデフォ、「形而上学」は基本的に悪口、みたいな。
23 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 10:10:31
フランスのマルブランシュと一緒で、
ご当地哲学という印象。
個人的にバークリ好きだけどさ。
>>18 しかし最高位は三流以前だからな。
以下じゃなくて以前な。
25 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 10:17:58
>>24 もちろん。
けど馬鹿黙らせるのに、
「謙虚になれ」というのは方向的に間違っている。
>>25 >>17は、謙虚になれって言ってるのではないのでは?
お前が傲慢なのは単にお前の知識不足だよ、
もっと勉強汁ってことでしょ
27 :
哲学者最高位 ◆zH5vyVK1vo :2005/04/13(水) 11:24:05
>>17 アハハハハ! そうだよ
哲学的に最高の位だと思っているよw
思ってるから何?だから哲学的じゃないって?
なんのこっちゃw
この板ってさ
哲学を専門に勉強した人が沢山いるんでしょ?
偉い哲学者の代理人として、自分の言葉でしゃべれる人が沢山いるわけだよね
だったら、そんなくだらない悪口じゃなく
哲学的に真正面から、私の鼻をへし折る事ぐらい朝飯前じゃないの?
まぁ、めったに唸らされるような人に巡り合える事はないね
期待してるんだけどね
私の発言を、当たり前の事だというならさ
さらに不足している分を追加して、補足して唸らせればいいじゃんか
自分の方が、本質に近い事を、発言によって証明してみなよ
哲学的な論争によって、私が決して最高でない事を証明しなさいよ
実はね、私の哲学の根本は、ここ2ちゃんでは明かしてないのよ
キミらを相手にするには、今のところテキトーな雑学程度で事足りているからね
まぁ、名前がどうとか
はなもちならないかどうかを
言説の正誤の基準にしているような人には私の鼻を折るなんて無理だと思うけどw
いつでも相手になるよ
まぁ、結構ヒマだからw
あんたらみたいにさ
名無しにして、いつでも逃げられる立場ではないからね
いろんなスレで遊んでるからさ
いつでも、かかってきなさいよw
逃げはせんよ
>>1 つか、観念論といっても超越論的と経験的の2種類あるわけだが。
そして、自然科学と超越論的観念論は全然矛盾してない。
現に相対性理論や量子力学は新規の観念的枠組を問題にしている。
>>27 無学者論に負けず。
29 :
ローカルルール審議中:2005/04/13(水) 14:38:06
観念論はこの世界がバーチャルリアリティとする説に近い。現代的に見直されていい。
>>28 やっと多少はましなフォローが入ったね。
これは「純理」におけるよく知られた区分。
付け加えると、カントは超越論的観念論と
経験的実在論とは一致しうると述べている。
>>28の言う自然科学と超越論的観念論は矛盾しない、
と同じ意味。
単純に「この世界は全知全能の神様が作って動かしている」という
考えは「超越論的観念論」になるのですか?
どんな自然科学とも矛盾しないと思いますが。
(矛盾しないから間違いを証明することも不可能だと思いますが)
>>31 「超越論的」=認識の限界を認識した上で認識を超える事態を扱う
態度←→「超越的」=認識の限界を検討せずに、認識を超える事態
を扱う態度=形而上学的態度
>>31 上2行:ならない
下2行:どのようにしても真偽を決定できない仮説は意味をなさない
ちなみに1の「超越論的唯物論」というのは形容矛盾。
最高位ならなんで指摘しないの>けつ学者性行為
>>32-33 すると、
>>31のような考えは「超越的観念論」となって、
「経験的観念論」の一種だということになるのでしょうか。
あるいは「仮説として意味をなさないから観念論とも呼べない」
ということになるのでしょうか。
すると、世界人口の相当部分を占めるキリスト教徒やイスラム教徒
の考えは「観念論でも唯物論でもなく、哲学的には無意味な考え」
だという理解でよいのでしょうか。
>>34 すると、マルクスやレーニンは「超越的唯物論者」だという理解で
よいのでしょうか。
>>35 この世界は神が創って動かしている、という考えは超越的な世界観
であっても「観念論」とは言えません。観念論とは、客観は主観に
依存するという立場ですから。
神による創造を信じるかどうかと、主観と客観の関係をどう考えるか
ということとは、まったく異なるレベルの問題です。前者が哲学の
課題でないことはたしかですが。
>>35 >キリスト教やイスラム教の考え
まあ、古典物理学のエーテルみたいなものじゃないかな。
そういったものを設定することである概念体系の整合性が維持できるなら、
その概念体系が支配的である地域・時代では「有用性」という意味がある。
数学者は人が数学を理解できないことの理由が分らないし、
その有用性を問われても、積極的な返答を用意しようとすらしない。
観念論者もこんな感じのスタンスでいいんと違いますか?
哲学のポストが減って困る研究者でもない限り。哲学愛好者に
彼らの立場を擁護する義務があるわけでもないし。
>>28 >現に相対性理論や量子力学は新規の観念的枠組を問題にしている。
あなたカント好きなの?こういう自然科学の権威を持ってきて自分の主張を
もっともらしいものにするのってカント好きかそれに似た奴らに多いよね。
41 :
28:2005/04/13(水) 15:51:48
>>40 うん。カント好き。
つか、現代物理学が既存の概念体系を問題にしているという意味で
カント的であるというのは飛躍も何にもない見たまんまだと思うけど。
>>41 権威を拝借するなら、ある程度の正確な理解が必要だろ
というのが自然科学者の心情らしいけど、それについては
どう思いますか?それが何なのかどう使うものなのか
よく知りもしないで他人の刀振り回すなと言われとります。
>>40-41 現象を捉えるにあたって、「観念的枠組」(「認識的枠組」の方が
いいと思うけど)をまず検討しておこう、という当然の要請を
おこなったのがカントなのであって、物理学の理論がそのつど
新規の観念的枠組を問題にしているのはカントの遺産だと言える。
この点では41が言ってる「飛躍も何もない見たまんま」というのが
自然な見解だと思うよ。
40の「自然科学の権威を持ってきて自分の主張を
もっともらしいものにするのってカント好きかそれに似た奴らに多い」は
やや穿ちすぎた(ひねくれた?)見方じゃないかな。
よく知らないんだけど、カントってニュートン力学とユークリッドの幾何学を最終真理と捕らえてて
アプリオリな総合的真理っていったんじゃないの?
で、相対性理論と量子力学の登場でカントの理論は・・・
「よく知らないんだけど〜じゃないの?」といった言いかたは知ったかぶりのDQNの典型。
>現代物理学が既存の概念体系を問題にしている
となると、今の哲学者としてカントを読むやつは一体
何を勉強しているのか。18世紀にカントという研究者が
作った概念的枠組みを丹念に読み込んでいる文献学者
じゃないのか?っていうのが
>>44の疑問点では。
つーか、ニュートン力学を「アプリオリ」なんて言われたらクーンの立つ瀬が無いわけで(ry
認識的枠組みをまず確認しておこうといコトができない、というのがクーン以降の科学哲学なんじゃないの?
念のためまた来てみたら、案の定アホみたいなの(
>>27)がへばりついてるな(笑
>哲学的に真正面から、私の鼻をへし折る事ぐらい朝飯前じゃないの?
既に
>>17で、真正面から完膚なきまでにへし折ってしまいましたので(笑
あしからず。
まあおまいは哲学的感覚が根本的に欠けてるようだから、
今まで徹底的に論破されても、論破されたということ自体が理解できなかったのだろうな・・・
考えてみればかわいそうな人だ。合掌
>>48 >今まで徹底的に論破されても、論破されたということ自体が理解できなかったのだろうな・・・
いみじくも云い得て妙なり。
50 :
ローカルルール審議中:2005/04/19(火) 14:52:58
ヘーゲルの精神現象学で精神病って治りますか?
それとももっと酷い状態になりますか?
ヘーゲルの哲学はなんか冷徹な感じがして、もしかしたら
やばい状態になって警察につかまって殺されることで
止揚とかいう結論になったりする?
自分が死ぬべき存在だってことは分ってますが、いますぐ
痛い思いをしたり、「私」がいなくなるのもいやです。
51 :
ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 19:49:59
哲学って「救い」を求めるものとは違うんじゃないの?
救いが欲しいなら何でも許してくれる大いなる母、マリア様や観音様を信仰しなはれ
「超越論的」っちゅう述語は現象学の文脈で使うもんでないのかい?
ヘーゲルの精神現象学っつうのは人間の精神ってのは弁証法のルールに則って
発展してきますよってのを丹念に描いたもんで、その意味で精神現象を
単に虚構的に描写したもんです。
別にあんな分厚い本を原語であれ邦訳であれ、しこしこ読んだからって
精神の仕組みの秘密なんてわかりゃしません。
それについての可能な説明の一つと言う程度のもんです。
…と書いてみる。
ところでえらそうに書いたが、皆さん、「経験的観念論」てなによ。
自分の言葉でなく教科書的な説明プリズ。
53 :
ローカルルール審議中:2005/04/21(木) 01:33:53
55 :
たま:2005/04/23(土) 00:54:25
観念論ってけっこう 大切かも
それは
心の深さの無い バカが 平面的に心を広げて
ワルサを しないように
56 :
ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 03:43:06
見てくれだけの「深遠さ」も困ったもんだと思うが
観念論の実践的な応用の場は政治と精神だけ?
つーか観念論に「実践的」な部分なんてあるの?
59 :
ローカルルール審議中:2005/04/23(土) 08:44:15
>見てくれだけの「深遠さ」も困ったもんだと思うが
その代償として「通り魔」にならずに済むから
私としては十分な価値があります。
61 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 05:50:49
カントの言ってることはわりと常識と照らし合わせても
違和感ないんだけど、ヘーゲルのはなんであんないびつな
感じがするの?あの変な用語は一体どこから思いついたものなの?
62 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 05:53:17
いびつなのは訳のせいだろ。
ヘーゲルほど徹底的に理路整然としてる哲学者は他にいないと思われ。
そう?じゃもう少し辛抱して読んでみようかしら。
>ヘーゲルほど徹底的に理路整然としてる哲学者は他にいないと思われ。
理路整然の基準がちょっと違うような・・・
65 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 16:08:40
カントこそ常識と(良い意味でも)かけ離れている
66 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 16:30:19
意義なんてもう無いよ
まず数学やって
ほんでもって物理やって
唯物論やって
それで観念してくれ
工学屋ウザイ
68 :
考える名無しさん:2005/05/08(日) 16:43:44
頭の体操
ドイツ観念論の時代ってまだダーウィンの進化論が登場してない時代でしょ。
進化論を知ったらカントやヘーゲルはどんな思考に到達していたのであらうか・・・
それがショーペンハウアーやニーチェじゃね?
71 :
考える名無しさん:2005/05/10(火) 16:00:45
それでショペンハウアーはヘーゲルを散々叩いたのか?w
72 :
考える名無しさん:2005/05/10(火) 21:32:00
ダーウィニズムの西洋哲学に対する影響って?
観念論と進化論って両立しないの?
73 :
考える名無しさん:2005/05/10(火) 21:37:53
観念論と進化論が両立するのがダーウィニズムで
両立しないのがネオダーウィニズムかな
どう?
>>69 同じ結果に到達しているさw
てか、おまえ哲学知らない馬鹿だろ?w
哲学知らないから馬鹿だとは言わんけど、
>>69がカントもヘーゲルも読んでないのは確かだろうな。
>>66 観念論の基礎は、数学の論理的整合性なんだがねw
77 :
考える名無しさん:2005/05/10(火) 23:04:14
みんな! カッコ集合!カッコ閉じる
78 :
山崎 怒:2005/05/11(水) 03:53:02
科学的記述方法(あるいは論証方法)の限界点には観念論へワープする入り口が用意されている。演繹法がなくならないのと同様に観念論も滅びない。いわば唯物論を粒子に例えるなら観念論は波だ
>>78 観念論は唯物論の系の内側で存在します。
現代の唯物論は、粒子も波動も、顕在化していない次元も全て含みます。
「在りて在るもの」全てを物理現象とするのが唯物論であり、
観念論はその中の現象を、物体と精神とに分けて認識しようとするものです。
80 :
考える名無しさん:2005/05/11(水) 05:25:46
>>79 あなたコテハンまで入れて書き込んでるけど、ちゃんと分ってる人なの?
>「在りて在るもの」全てを物理現象とするのが唯物論であり、
>観念論はその中の現象を、物体と精神とに分けて認識しようとするものです。
スピノザと、ヘーゲルやシェリングの観念論の違いを説明してみてよ。
>>81 ナニが言いたいのか分らんね。こういうのは哲学でもなんでもない。
83 :
考える名無しさん:2005/05/12(木) 02:06:44
観念論者にとっては宗教的感性のみが「哲学」のようです。
84 :
考える名無しさん:2005/05/12(木) 02:24:14
>79
そういうのは一般的に唯物論とは呼びません。あなた(達?)が勝手に唯物論と呼んでいるだけでしょう。
>>84 自分は素朴な唯物論だと思ってはいるのですが、
確かに一般的な唯物論の枠を超えるかもしれないので、
既存で無いようなら、新しい唯物論として提唱しようと思います。
数学的な規則性はこの世界のどこにあるんでしょうか?
それは物質と呼んでかまわないんでしょうか?
なんだその「数学的規則」というモノは。
食べれるのか?
88 :
考える名無しさん:2005/05/12(木) 13:52:29
>85
あなたと同じような事は大昔にスピノザが観念論としてのべてます。
>>88 でも、それは唯物論にもなり得るので、唯物論として捉えるようにするのです。
90 :
考える名無しさん:2005/05/12(木) 15:08:49
私の思うに唯物論と観念論は表裏一体で演繹法と帰納法の関係に対応するものであり、マルクスの唯物史観は観念論のひとつであるのと同様に天文物理学も観念論の一種だと思わざるを得ません
91 :
考える名無しさん:2005/05/12(木) 16:49:29
なんとなく分かる気もしますがやっぱりわかりません
噛み砕いて説明してください
92 :
考える名無しさん:2005/05/13(金) 10:52:03
アインシュタインは十代にして既に相対性理論の基本的イメージをつかんでいたそうです。あとで実験的データと数式を用いて補強したという事です。これは本質的に観念論が実証に耐えうるものであったという例だと思います。
むしろ、証明は熟練が必要だろう。そのような方法に詳しくなると矛盾する事は無いのだ。
94 :
恥ずかしい香具師発見w: