1 :
考える名無しさん :
04/08/05 11:27
僕はね、自分のことを哲学者なんて言ったことは一度も無いよ。 そうじゃないか?君。 じゃあこれで失敬するよ。
5 :
考える名無しさん :04/08/05 12:27
全部、考えるヒントみたいなひと。 ヒントだけで、何も教えてくれない(笑
6 :
考える名無しさん :04/08/05 12:33
いろんな意味で試金石みたいな人ではあるね 現在の保守派論壇人が全員突然死してもいいから 小林サン一人帰ってきてほしい
いいかい、僕はね、諸君に何かを教えようとして、 書いたり喋ったりしてるのではないんだよ。 君はプラトンを読んだことがあるかい? ソクラテスはね、哲学を教えるのではなく、 それを想起する手伝いをしてるだけだ、 と、こう言ってるんだよ。君。 僕は実にそのとおりだと思うが、君はそう思わないか?
8 :
考える名無しさん :04/08/05 12:48
きみは黙っててね ていうか全然似てないしw
9 :
考える名無しさん :04/08/05 17:48
10 :
考える名無しさん :04/08/05 17:54
今日たまたま「初夏」というのを読んだ 連結器に小便かけた話。 他にも 見ず知らずの人の家に押しかけて酒を出せとわめいたり、 へべれけになって芝居を見に行き一人野次を飛ばしたり、 行動がDQN 糞だな、こいつ
そんなことはありますまい
君たちは哲学といふ商品に踊らされていなひか? 哲学の困難は理性の逆説性に他ならぬといふことに気づくゎぬ やふでは仕方なひが・・・
13 :
考える名無しさん :04/08/05 20:06
スレが育ったらいいこと書いてやる
14 :
考える名無しさん :04/08/06 06:04
小林秀雄の文章って、ケレン味たっぷりに「断定」と「決めつけ」 で、ぐいぐい引っ張っていく感じだな。途中で「人生論」を語ったり。 「モーツアルト」も、文芸評論家の語ったモーツアルト論なのだが、 小林秀雄という人格が完全に憑依したモーツアルトになっている。 幸福な音楽の中に響く「陰惨さ」「不幸」を感じ取るくだりが、 その頃の小林の心情を反映しているようで、非常に面白かった。
15 :
考える名無しさん :04/08/06 06:24
4と7の文体は池田晶子愛読厨とみた 笑。
16 :
考える名無しさん :04/08/06 09:46
残念
>>6 と
>>8 でした
きみって節穴のくせに粘着なんだね
17 :
考える名無しさん :04/08/06 13:40
モーツァルトとゴッホについては素晴らしいと思うよ
18 :
考える名無しさん :04/08/06 19:16
疾走する悲しみでしたっけ あんなカッコイイ文章滅多にないですよね 速攻でCD買いに行きました
19 :
考える名無しさん :04/08/07 09:48
小林先生にお伺いします。 いま日本の皇室は雅子妃の病気にみられるように、 その制度が限界にきているようにおもいます。 そういった状況の中、 先生は今後皇室がどうあるべきとお考えでしょうか。
宮内庁もどうにかならんのかね。
21 :
考える名無しさん :04/08/08 22:26
さすが小林秀雄! おれたちにできない「断定」を平然とやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ!
22 :
考える名無しさん :04/08/09 05:33
「ゴッホの手紙」も掛け値なしの名著。 ただ、後半からは「ここからは、もはやゴッホに語らせた方がよかろう」 とか何とかで、ほとんど手紙の「引用」を延々と続けていく。この「引用 だけで引っ張る力業」(笑)に、さすがは小林秀雄、と唸った記憶がある。
23 :
考える名無しさん :04/08/09 06:42
小林秀雄を引用して説得にかかる知り合いがいるせいで 秀雄を好きになれない 権威が言ってりゃなんでも正しいのか んなわけない
小林訳のアラン、いいね。同じ本を中村雄二郎も訳しているんだけど、直訳的な表現が誤植と相俟って意味不明になってる。
25 :
考える名無しさん :04/08/09 20:30
哲学書翻訳スレでも 中村訳フーコー『知の考古学』がウンコ扱いされてました
26 :
考える名無しさん :04/08/09 21:19
小林サンのランボーも 語学的には?かもしれないけれど私は好きだな これに対抗できるのは中原中也訳ぐらいかも お、せぞん、お、しゃとー けらあむえさんでふぉー ああ季節よ、城よ 無傷な心が何処にある (小林秀雄訳) お城が見える、季節が移る 傷なき心がどこにある (中原中也訳)
27 :
考える名無しさん :04/08/09 21:37
こいつの文章はまったく非論理的で哲学的には無価値だな
28 :
考える名無しさん :04/08/09 21:39
なるほど貴方がここに来る必要もありませんね
胆力とは空威張りに過ぎぬ。といへば吃驚するひとも居るかも知れぬ。 今日話そうとするのは、其の事ではない。
30 :
考える名無しさん :04/08/10 23:22
アラン読んでたら 秀雄ったらパクリかしら と思った所があるのよ
そんなこた、あるでしょ。沢山読んでりゃ。
32 :
考える名無しさん :04/08/10 23:41
あら、ひでじい。
33 :
考える名無しさん :04/08/10 23:44
秀雄信者は宗教板か文学板へいけよ ベルクソン論の「感想」について話そうぜ
34 :
考える名無しさん :04/08/10 23:47
>ベルクソン論の「感想」について 丁寧な説明というか、初心者っぽいというか
35 :
考える名無しさん :04/08/10 23:49
おふくろさんよ、おふくろさん。花が死ぬ時蝶も死ぬ・・・
36 :
考える名無しさん :04/08/11 00:18
小林秀雄さん ずばり「哲学」ってタイトルの批評文がありますね。 チラッと読んだけど、要は哲学は「希哲学」だ、というようなことを言っていた。 「希」は希望の希で、「哲」は賢いとほぼ同義で使ってるんでしょうが、ソフィスト 的な知性じゃなくて真善美を求めるある種倫理的な姿勢が見て取れました。 ま、繰り返されるモチーフではあるけど勘所は押さえているなかなか手強い人だなあと 思いました。 こちらは読んでないけど「真贋」というのもありますね。 真を求める、贋と区別して選ぶという行為があるんじゃないかなと予想していまいます。 その基準は?それが例えばベルグソンの「生の躍動」なんかと関連してくるんじゃないだろうか。 ちょっと論旨が混乱してしまったかな
37 :
考える名無しさん :04/08/11 00:32
ニセモノをつかまされて日本刀で一刀両断する話じゃなかったっけ?
38 :
考える名無しさん :04/08/11 00:47
ホンモノ論ですな
39 :
考える名無しさん :04/08/11 00:51
ニセモノですがいい仕事してますね。大事になさってください。
40 :
考える名無しさん :04/08/11 01:11
中也は直知していた。 ニーチェの愚劣も中也には自明だった。 小林にはどうだったか・・?
41 :
考える名無しさん :04/08/11 01:16
中原中也の写真ってサギだよね。 ずっと紅顔の美少年なわけないじゃん。 ていうかオヤジ写真みて萎えました。 夭逝するには遅すぎたかも。 その点小林秀雄は枯れるほどに良くなるよね。
42 :
考える名無しさん :04/08/11 01:20
中也は永遠の少年でないといけないと・・・・ 小林は「達人」イメージなのでね。
43 :
考える名無しさん :04/08/11 01:23
電波ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
44 :
考える名無しさん :04/08/11 01:25
ほらほら、これが君たちのマボロシさ。
45 :
考える名無しさん :04/08/11 01:46
現実はいつも言葉より豊富だ。文体は単に装飾ではない。現実の豊富さを表現せんとして 工夫をせざるをえないものだ。
「豊富」って形容があまりにも貧しくてとても「工夫」したものとは思えない。
47 :
考える名無しさん :04/08/11 02:22
>> 36 希哲学の希は希望の希ではなく、希臘(ギリシャ)の希だと思うぞ。ラテンは羅甸。 中国簡体字では希「月昔」、拉丁ですな。
48 :
考える名無しさん :04/08/11 06:38
ベルクソンと言えば、「笑いについて」(岩波文庫)。 正直失笑したな。学者の研究した「笑い」って、かなりズレてる。 トリビアでもあったよな。学者が考えた笑いネタ。 青年の主張で、第一声が「ボ、ボク、性欲が人一番強いんです!」 たけしが、馬鹿にしてた。「芸人のくせにベルクソン読んで「笑い」の 研究してどうすんだって」 「ゴッホなど複製で十分」と言い切る秀雄にとって、ベルクソンやシェストフ など「ネタ」の一つに過ぎなかったろう。
49 :
考える名無しさん :04/08/11 10:30
秀雄の独断論は長渕剛とか矢沢栄吉と同じ種類のはずなので 秀雄にかぶれるうちのクラスのエセ知識人は 秀雄の話に興味持たない人を無理矢理啓蒙しようとするのをやめてください
50 :
考える名無しさん :04/08/11 10:35
電波ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
>>49 >長渕剛とか矢沢栄吉
松山千春の「足寄より」辺りの本だろ? 読書つっても。
52 :
考える名無しさん :04/08/11 11:44
小林秀雄の言葉に心ふるわすこともあったけど 文章に説得力持たせるための引用として使うのはあまりすすめられない
53 :
考える名無しさん :04/08/11 13:05
希はギリシャの希でしたか?ちょっとうろ覚えだったんですけど ということはつまり、「哲学」という普遍的な志向を持つと普通思われている概念も、 やはり「ギリシャ哲学」というある特定の地の特定の時代に芽生えたローカルなもの だった、という、保守・伝統的な見方なのかな? ま、それはそれで一つの有力な視座だと思います。
54 :
考える名無しさん :04/08/11 13:10
「哲学」という日本語は、
幕末から明治にかけて活躍した思想家西周(にし・あまね (1829-1897))が、
欧米のPhilosophie(独)、philosophy(英)、philosophie(仏)といった言葉の訳語として
作った言葉で、最初は「希哲学(希賢学)」と言われていました。
「賢きことを希(こいねが)う」というほどの意味です。
西周は「オランダ留学中か、その直後の作とみられる『開題門』」の中で、
「斐鹵蘇比(ヒロソヒ)」と書いていますので、英語を念頭に置いて訳したのでしょう。
(小泉仰『西周と欧米思想との出会い』三嶺書房、46頁)
そして、上記の欧米語はラテン語のphilosophiaに由来し、
このラテン語は古代ギリシア語のfilosfiva(フィロソフィア)に由来します。
つまり、哲学⇒希哲学(希賢学)⇒Philosophie⇒philosophia⇒filosofiva
というわけですね。
http://homepage3.nifty.com/ataraxia/ataraxia03/tokuchou.html
55 :
考える名無しさん :04/08/11 13:27
>>47 >希哲学の希は希望の希ではなく、希臘(ギリシャ)の希だと思うぞ。
「賢きことを希(こいねが)う」=希賢学とすれば、ギリシャとは無関係
じゃないの? たまたま「希」が一緒なだけで。
56 :
考える名無しさん :04/08/11 13:45
フィロソフィア=希哲学(賢きことを希う学問)なら原語に忠実だよね フィロソフィア=フィレイン(愛する)+ソフィア(知) でしたっけ?
57 :
考える名無しさん :04/08/11 14:06
僕は多分希望の希だと思うんだけどね 哲学のことを愛知とも言うでしょう 知を愛求するという だから希哲学というのは54殿の解説の通りだとおもう でも小林秀雄はわざと違った脈絡で使ってたかもしれない 手元にあるので実際にテクストにあたってみますよ
58 :
考える名無しさん :04/08/11 14:07
↑ 36ですが
59 :
考える名無しさん :04/08/11 14:12
西周助、津田真一郎等の鋳造した「希哲学」は深き考窮の産物であったと考えられる。 彼ら両人は何れ漢学に就いても深い教養があって、特に西周助の如きは周濂溪の「太極図説」の説を歓び、 ここに述べられている「士は賢を希ふ」の思想に深く影響せられていたのであるから、 希哲学という訳字の源流を尋ぬれば、漢学の支配力の一産物であるかに考えられるけれども、 この支配力から脱出して、新しき訳字を創り出そうとした思索と努力とは充分高く評価せられねばならぬ。 麻生義輝『近世日本哲学史』
60 :
考える名無しさん :04/08/11 14:16
小林秀雄「哲学」を再読。希哲学はやっぱ「希う賢哲」でした。 ただ大半は孔子がどうの朱子学がどうのといったハナシなのでつまんなくて流し読み その「希う」という姿勢と、東洋的な「徳」を関連づけてました でもどうかな。ソフィスト、相対主義、ニヒリズム、ポストモダン等とは正反対の態度 だけど、どこまで有効かは疑問ですね
ギリシャと思うぞ、と言った者です。つい、いい加減な口を聞いてしまい、すまん。 他意はない。面白かった。言い訳がましいが、さらに駄弁を重ねさせてもらおう。 正直、字を見た印象だけから何も考えないで前言を吐いてしまったけれど、>54の リンク先などを読むと、希の字がギリシャを表すという主張の論拠を見出すのは難しいようですね。 希哲の語が通書志学章「士希賢」に由来するというか、対応するというか、対抗する意図を 込められているのは明らかですね。あえて混ぜっかえすなら、philosophy=「愛知」の意味だという スジですなおに考えれば、愛知学、知学でもよかった。「学」も怪しいから、むしろ「知性論」で オッケー、と私なんかでは思ってしまいそうです。そのリンク先を読んで、安易に「希哲学(希賢学)」 とカッコ書きを付けることや「理学」に拘泥することの無神経さにはやや義憤を感じました。 西周がその訳語を案出した過程も、今となっては偲ぶよすがさえほとんど残されてはいない事とは 思うのですが、とはいえ、希の字でギリシャの意味を念頭に置かなかった、という事も考えづらい。 だって、見れば誰でもそう思うんだもの。あまりに当たり前すぎるように見えてしまう。 ・・・言うまでもない事柄は記録に残されないものなのだ。 案出後数年にして、「希」の字を省いた理由も定かではないが、おそらく、「希」の字に含まれる、 「まれな」とか「ギリシャの」という意味を取り去ってしまう必要性を感じたからこそ省略したの だろう。「ねがう」の意味しか込められていないのであれば取り去る必要はないのだから。 ここはひとつ、案出した過程においてもその淵源は一筋縄ではなかった、と私は考えることにしたい。 ・・・根拠のない単なる憶測ですまん。あまりこだわるとデンパになりそうなので、この辺で。では〜
63 :
考える名無しさん :04/08/11 23:23
いやいや、そんなふうに思いついたこと臆せず言ってもらったほうが スレが活性化して面白いよ またたのんますw
小林秀雄の哲学は、小林秀雄という一人の人間の中で完成している。 酒癖が悪かったというが、そんなことはワテは知らん。 しかし、どの著作の文を読んでも哲学者小林秀雄を感じる。
65 :
考える名無しさん :04/09/17 20:10:35
66 :
考える名無しさん :04/09/17 20:12:16
何がドゥルーズと関係あるんだ
67 :
考える名無しさん :04/10/30 02:37:36
68 :
考える名無しさん :04/11/23 11:53:44
こいつはオナニストだな
69 :
考える名無しさん :04/11/26 18:36:04
皆さん!池田晶子スレでヘンなのが暴れています! 小林ファンの皆さん助けに来て下さい!お願いします!
70 :
考える名無しさん :04/11/26 20:34:31
なにが?
71 :
考える名無しさん :04/11/28 14:48:07
>小林の「物のあはれ」という認識論を理解する上で、示唆的だったのは、井筒俊彦の指摘だ。
井筒は『意識と本質』の中で宣長の「物」について次のように定義する。
《物にじかに触れる、そしてじかに触れることによって、一挙にその物の心を、外側からではなく内側から、つかむこと、
それが「物のあはれ」を知ることであり、それこそが一切の事物の唯一の正しい認識方法である、という。
明らかにそれは事物の概念的把握に対立して言われている》
そして井筒は概念的把握はその物をその場で殺してしまう「死の世界」であり、
みずみずしく生きて躍動する生命はないとする。
しかし現実にわれわれの前にある事物は、一つ一つが生き生きと自分の実在性を主張しており、
この生きた事物を、生きるがままに捉えるには、宣長の言う、自然で素朴な実存的感動を通して「深く心に感」どるほかに道はない。
そして井筒は宣長の言う「物」とはメルロー・ポンティ的に言うならば「今ここにある「前客体化的個体」
すなわち意識の対象として客体化され、認識主体の面前に引き据えられる以前の、原初的実在性におる個物。
そのような個物の「心」を捉える、つまり、その個物の「独自な、(言語的意味以前の)実在的意味の核心」を一挙に、
直観的に把握する」ことである。
それは「直接無媒介的直観知」であり、物を真に個物としてあるがままに、捉えることである。
そのためには、「一切の「こちたき造り事」を排除しつつ、
その物にじかに触れ、そこから自然に生起してくる無邪気で素朴な感動をとおして、
その物の個的実在性の中核に直接入っていかなくてはならない」。
このような井筒による認識論から見るならば、宣長の「物のあはれ」論に、近代の対象と主体を分離させる認識方ではなく、分節以前の物に肉薄する、
「分裂を知らず、観点も設けぬ、全的な認識力」を小林自身が認めていたことがより明らかになると思う。
http://www.geocities.jp/taka19602001/newpage3.htm
72 :
考える名無しさん :04/11/28 15:02:11
小林の「本居宣長」は、ドストエフスキーとベルクソンの続編であり、結論だよ。 それに気づいているものは、少ないな。
73 :
考える名無しさん :04/11/28 15:21:24
>>72 だからどの本読んでも同じことしか言っていないわけだな
74 :
考える名無しさん :04/11/28 17:40:12
小林秀雄の非論理的な文章は21世紀には 既に共感不能となっています 言い換えると多様な読みが可能になっているということです 今世紀中に小林秀雄の再評価がなされることは間違いありません
76 :
考える名無しさん :04/12/19 18:34:18
小林秀雄の文章の「恫喝」には学ぶべきところがある
b
>>75 そんな簡単に一般化していいのかな
そもそも共感不能というのがよくわからないな
あなたは共感できない、と書いてくれた方がわかりやすい
(そういう意味じゃないのかもしれませんけど)
多様な読み方っていうのもわからん
そもそも読み手が多様であれば
読み方は多様だろう
読み方が同じなのは
すくなくとも手順書とかマニュアルみたいな文が目指すところだけど
そういうことじゃないよな
80 :
考える名無しさん :05/01/25 01:20:10
81 :
考える名無しさん :05/01/25 23:16:44
静かに暮れて行くね
82 :
考える名無しさん :05/01/25 23:23:13
『宣長』なみにスカスカなスレだなw
83 :
考える名無しさん :05/01/25 23:48:07
84 :
考える名無しさん :05/01/25 23:50:41
それ常識だから。
85 :
考える名無しさん :05/01/25 23:51:19
小林、なに言ったの? 知らないのよ、教えろ。
86 :
考える名無しさん :05/01/25 23:52:03
言った中身によっちゃ許さん !!
ひとみが綺麗ですね
88 :
考える名無しさん :05/01/26 01:32:15
よくいわれます
89 :
考える名無しさん :05/02/19 05:30:38
小林秀雄って浅田彰に批判されまくってたよね? どういう内容か知ってる?
90 :
考える名無しさん :05/02/19 06:33:28
浅田彰って 生きながら忘れ去られてません?
91 :
考える名無しさん :05/02/19 11:20:50
で、どういう批判なんだよw ま、ここの住人にゃワカランべやw
>>91 知ってるが教えてやらない。
お前の態度が気にくわない。
93 :
考える名無しさん :05/02/19 11:22:12
過去のひとでしょ どうでもいいっす>何とかアキラ
94 :
考える名無しさん :05/02/19 11:43:37
>>92 知らないから、教えることが出来ないんだな。
負け惜しみは恥ずかしいぞ。w
知ってるがお前には絶対に教えない。
96 :
考える名無しさん :05/02/19 11:56:38
そんな虚勢はることないよ。 無理ならいいんだから、無理なら。ww
97 :
考える名無しさん :05/02/20 22:37:56
三島由紀夫 わたしは貴方が嫌いです 太宰治 わざわざ会いに来るってことは、好きなんだろ?ボクのことが あはは、そうか好きなんだ、そうかそうかw
98 :
考える名無しさん :05/02/20 22:56:23
たかがそれくらいの知識を出し惜しみしてみせる
>>95 は確かに知らないw
だがそんなに知りたかったら柄谷中上の対談を読むという手もある
ここの住人てマジでそれくらい知らないの?
と、マジで一瞬驚いてみせたりw
99 :
考える名無しさん :05/02/20 22:59:37
え?浅田彰って まだ生きてるの?お茶っ葉の出がらし?
100 :
考える名無しさん :05/02/23 14:32:58
ただの茶カスじゃん、アキラw
坐禅と見性 第十四章
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108144172/ 一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。
一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。
看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。
昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。
腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。
清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。
大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。
わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。
k
koba
104 :
ローカルルール審議中 :2005/04/13(水) 19:15:52
104
105 :
考える名無しさん :2005/05/04(水) 08:59:00
浅田といえば、小林の「モーツアルト」の疾走する哀しみ辺りの くだりに関して「例によってケレン味たっぷりw」だとか、そんな ニュアンスで揶揄してたような。 小林ファンの知人がむっとしていたのを覚えている。
106 :
考える名無しさん :2005/05/21(土) 01:04:55
_,,−-、 _,, .. _,,-‐'": : : : : :゙ヽ r‐'´: : : : : : : : : : : : : : : : ` 、 /: : : : : : : : : : :,、: : : : : : : : : :_:ヽ、 |_: : : : : : : : : / \: : : : : : : :ヽ、 {: : : : : : : : l' ヽ、: : : : : :{、 l__: : : : : : :i、 `丶: : t‐` /, ヽ: : :/´ |: : : !' { ru l': :/ ,/二丶、 }: :,,| _`iヽr‐!:丶 'tェッiヽ-'' , '‐-、/:/ : :丶t': : : ヽ 'xェァノ:/ ボクが嫌いって・・ : : : : : : : : : : i、 } : : : : : ',: : : : ´ i! _ノ 会いに来たってことは好きなんだよ : : : : : ヽ : 、_ `゙;;;;> .,r'/ : : : : : : \ - ,,`''‐--//`丶、. 太宰治 : : : : : : : : :`-,; " ̄ /: : : : : :\ : : : : : : : / /: : : : : : : : : :', : : : : : : :{ ,. -‐
107 :
考える名無しさん :2005/05/31(火) 02:15:45
最近の思想・哲学にない骨っぽさがあって不思議な安心感がある。 それと同時に小林を読むと人の持つ考えるという普遍性、他者に対する共感が 現在は単なる自己完結に成り下がってしまったのではないかと自分自身の思考に嫌悪を抱かせる。
108 :
考える名無しさん :2005/06/04(土) 15:04:26
107は勘違い。 小林秀雄の世界には自己完結性があって、 それがファンを安心させるのだよ。 これは善し悪しではなくて、小林の書き物の特徴。 吉本隆明にもやや似た面がある。
110 :
考える名無しさん :2005/07/21(木) 10:09:33
55 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2005/07/08(金) 17:04:21 ID:pwZBjGWc0 評論家の小林秀雄の話でこういうのを聞いたことがある。 小林秀雄の娘が、学校の模試(?)ですごく難しい文章が出てうまくできなかった といって問題用紙を父親に見せた。 小林秀雄は「誰だこんなわけのわからん文章を書いた奴は」といったのに対し娘が 「お父さんよ」
111 :
考える名無しさん :2005/07/21(木) 13:22:51
論証なしの素朴な経験主義。 哲学として読むべき価値はゼロ。
>>110 なんか、野坂昭如の孫が、宿題で『火垂るの墓』が出て、その
中の設問に、“このとき作者はどう思ったでしょう”ってのが
あったから、野坂のところに聞きにいったら、野坂は「その時
は、編集者に追い立てられて、ヒィヒィ思った」って答えたの
を思い出したよ。
113 :
考える名無しさん :2005/07/22(金) 11:03:39
小林秀雄の「お月見」を読む。 パソコン机に小林秀雄を一冊置いておく。 合間合間に読むから毎日読んでいることになって、苦手だったものを 好きになったようだ。
114 :
107 :2005/08/02(火) 04:43:02
>>108 上等だ畜生めッ!
恋は勘違いから始まるっていうなら別に構わんだろうが!
俺は小林に惚れ込んでるんだよ!
相手に嫌われようが好かれようがお前には関係ないだろう!
ってな具合に酒の勢いで言ってみるのも小林ファンなら許さなきゃいけないよw
115 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 07:04:13
竹田の「背理としての世界」はどう? 小林の自意識観はデリダとかより進んでるらしいよ。
116 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 18:38:13
へえ。何秒くらい進んでいるのかな?
117 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 18:45:36
>>111 同意。
小林は哲学ではない。
かといって、文学面の価値を全否定するものではないけどさ。
でも、文学の価値と哲学の価値が乖離するものではないと思う私は、
もう数十年、小林の本をひもといていない。
新規のロジックを立てようという思考は、
吉本の流し書きの文章にもあるけど、小林には皆無。
天才の思考のなぞり方教室の域を出ない。
国文やってるやつは、無視できないと思うけど、
面白く読んでる、そのパトスが理解できない。
いや、小林は西田に匹敵するテツガクシャだ。 近代日本では文芸評論家がテツガクシャを兼ねるという悲しい伝統がある。 人生観、世界観を総体的に網羅した立派な哲学だよ。
分析哲学者がイマイチ物足りないのはそういう理由なの?
120 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 19:36:01
>118 小林のテチュガクってなんなのさ? 宣長? ドスト? 寺? 私小説万歳? 志賀直哉万歳? モーツァルト万歳? みんな、字面や音楽をなぞって、 追体験らしきした結果をもっともらしく書いていること以外のテチュガクってあるの?
121 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 19:37:48
>118 哲学者は、それなりのオリジナルな命題を残している。 小林のそれってなんなのさ?
概念はないが「純粋経験」のようなもの。 それを実践した。
123 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 21:52:20
>122 純粋「追」体験
ジェームズ&ベルクソン→西田 の劣化版じゃないか。 しかも小林本人は哲学書をネタ本にしているくせに、 批評の場では概念一般を揶揄するような啖呵を切る。 これは哲学に対する悪質な詐欺行為だよ。 理解力がある人間だけに、意識的に遂行されている分、かなりたちが悪い。
125 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 23:51:31
>128 例えばヘーゲルの残したオリジナルの「命題」って何なの?いや、別に他の誰でも いいんだけど。
126 :
考える名無しさん :2005/08/18(木) 23:55:21
ヘーゲルなら「絶対精神」でしょう!
小林がぶつかったのは常に「個」だから、「世界」を記述しようとする意味での哲学者ではない。ただ、歴史哲学はあったといってもいいでしょ。
小林自身は哲学者はおろか自分は批評家でさえないと言ってたんだから、 そういう人物つかまえて彼がいかに哲学者でなかったかを論破して何が いったい楽しいのでつか?不思議な人たちだわ。
129 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 00:14:15
哲学者=文芸評論家よりえらい という前提がおかしいんじゃないの
猫=犬よりえらい という前提があろうがなかろうが猫と犬とは別の生き物だろ。
131 :
sage :2005/08/19(金) 00:16:58
そう、単なる「違い」であって、そこに上下関係は無いわけです
sage?
>129 そういう意味で「批評家でさえない」と言ったわけじゃないけど、ま、いいや。
134 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 00:19:30
哲学者が文筆家を兼ねることはあるから 文芸評論家に評論されても不思議はないと思われるよ。
>134 いってることがわかりません。
小林を生きる糧にしてる人がたくさんいる(らしい)という意味では、 テツガクシャと呼んでもいいんじゃないの。現象としてのテツガクシャ?
137 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 14:20:11
天才はどこからでも出てくる、っていう小林の言葉は、 小林が社会というものを意識的/無意識的に排除していたことは確かである。 その地平からは、天才のトレース以外のなにものも出てこない。 そして、小林自身は、何の問題意識も無い空っぽの脳髄であった。 だから、ひたすら、天才のトレース作業にいそしめた。 そこから、小林に、特異な文学評論ができあがった。 ただただ、個を持たないタブララサのごとき空っぽの脳髄を武器として天才をなぞる。 そこに小林の特異さのすべてがある。
138 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 14:23:42
>137 それは1つの奇異な才能といえなくもないが、小林がトレースした天才たちを超えるものではない。 ドストエフスキー等を読んで、自分なりに解釈できる読者は、小林のドスト論等を読んでも、疲れるだけ。
本当にそこまで空っぽだったらもっとすごいって もし哲学との関係を探るなら、 「感想」のような大失敗作に着目すべし
140 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 16:07:09
「テスト氏」っていう小説があるが、あれ読んで、 テクニックだけで創作しようとした小林の空っぽさがよくわかったよ。 それ以来、小林の評論も読むのをやめた。 昭和王朝文学評論。
「小林読むのやめた」のに2chの小林スレは日夜チェックしている君の根性って なんかサブい。
「天才のトレース」って何ですか?天才ってトレースできんの?
143 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 19:11:06
>141 >142 できると思って、後追いしたでしょ。小林が。 後追い以外の小林のオリジナリティっていうのがいまだにわからない。 だから、それを探しに、このスレを見てる。
144 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 21:45:10
そもそもタブラ・ラサなんてあり得ないでしょう 小林の武器は伝統的なブンガクの感性、共通了解じゃないの それに対して自覚的であるというか。 ベルグソンその他西洋の思想家の影響は受けているかもしれないけど、手続きは無視して結果だけうまく 生かしているという感じじゃないですか。 言葉足らずでも理解しあえるような、ある種の日本的なノリですよ ロゴスを重んじ、普遍的であろうとするのが哲学だとすれば、良い悪い別にして明らかに哲学者ではないね
145 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/19(金) 21:51:42
>144 あのう、経験論はtabula rasaを前提にしているんですが。 資質的に経験論者であった小林が、ロゴスを忌避したのは、 やはり、天才たちの思考奇跡の追体験に終始したから。
146 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/19(金) 22:02:31
だから、小林は、昭和王朝文学評論。
147 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 22:06:09
こいつ俗物だよ、騙されるな
148 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/19(金) 22:11:24
>147 あんたが俗物でないところ、み・せ・て。
149 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/19(金) 22:16:23
>>147 文学評論ってのはさ、原作者も気付かなかった、
強さ、弱さ、凄さ等を批評の力と独自性で引き出すのだよ。
この観点で、小林の功績というのがあるのであれば教えてください。
勉強しますきに。
150 :
144 :2005/08/19(金) 22:16:51
いや、字面通りのタブラ・ラサというのはあり得ないですよ 白紙に何かが書き込まれたところで、どうしようもないわけです。 それがそのままでただあり続けるというのが、文字通りのタブラ・ラサでしょう 知性は何かが書かれると、それに対してどういう方向からか力が働くわけです。 それは良い・悪い、とか美しい・醜いとか様々に その時点でもうタブラ・ラサでは無いということです。 要はそこに、どんな方向からの力が働いているかと言う事でしょう ニーチェの「力」とかフッサールの「志向性」のような概念から見るのが有効かと思われます。 >146 さて、昭和王朝文学評論とはどんなことを言っているのでしょう? 全く説明がないようですが
151 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/19(金) 22:31:07
>>150 >>149 で書きました。
ここで、「文字通りのtabula rasa」とは、
カント等の、アプリオリに何かが所与のものとして与えられている、
という認識論の反語として用いています。
即ち、人間の認識はすべてアポステリオリなものではないか、
という仮説です。
で、小林ですが、資質的に経験論者であったがゆえに、
天才たちの思考、字面を後追いすることが、
彼の経験のすべてであった、ということです。
では、王朝文学とは何か?
日本の戦後の福永、中村等のマチネポエティクスの事例をみるまでもなく、
物語、韻文、叙事詩一般の、
「それ自体としての価値、美」を認めることをいっています。
小林は、このグループとの関係はありませんが、極めて、近い、という認識です。
152 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/19(金) 22:39:09
否。マチネポエティクスには、まだ、定着された文学作品に対し、 ラディカルなマルキシズム等のシュトルムウントドランクに対峙し、 構築された美を守るという基本姿勢がありました。 小林には、それも、無い。 ただ、字面を追うだけ。
153 :
144 :2005/08/19(金) 22:42:12
>151 「それ自体としての価値、美」を認めることをいっています ここがまだよくわかりません。 もう少し展開して欲しいと思います。
154 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/19(金) 22:46:34
もちろん、文学評論を1つの領域として構築した功績は認めます。 単純に小林を射てるなんていうだいそれた妄想も持っておりません。 学者スレではないので、小林の1読者であった頃に考えていたことを書き連ねているだけです。 他の小林論等を考察し、客観的ななにかを、ここで書こう等という殊勝な基本姿勢等は 持ち合わせておりません。 俗物ゆえ。
155 :
144 :2005/08/19(金) 22:59:08
> 他の小林論等を考察し、客観的ななにかを、ここで書こう等という殊勝な基本姿勢等 この様なものは必要ないですよ 自らの感性・理性に従って思うとところを述べるのみです 哲学はソクラテス以来「対話」ですから、別に相手を論破するためのものではありません 対話によって真善美に近づきたいと願う(愛求する=フィロソフィア)ことですので しかしロゴスを突き詰める作業というのは疲れることですので、やめにしたいならそうしましょう
156 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/19(金) 23:02:47
例えば、ドストエフスキー論でいきます。 吉本等は、ここから、何を読み取ろうとしたか。 イワンの大審問官に焦点を合わせ、その時代、思想、葛藤、革命感等を、 全力で抽出しています。 神とイワンの対決に独自に迫っています。 私は、これを読んで、カラマーゾフの深遠さに少し近づけた思いがあります。 一方、中学生時代に読んでいた小林のドスト論からは、 ドストの思考の軌跡の後追いはできましたが、 それが何?という領域からは一歩も出れず、 ドストの現代における価値、意味、 カラマーゾフ等の読み方を変えてくれる示唆のかけらも見出せませんでした。 ドストの思考軌跡はものすごいものです。 それは、1つの定着した価値、美、等にはおさまりきれるものではなく、 評論家の問題意識により、いくらでも新規の読み方を抽出できるほどの力をもっています。 これを、「それ自体としての価値、美」として、それをなぞりなおすことではなく、 評論家のいやでも負ってしまう時代の問題意識を矛として文学作品と対峙する、 というのが評論の持つ力であり、ミッションであると考えています。
結局小林秀雄はたいしたことないんだよ なんつて
文芸評論最強は福田恒存で決まりでしょ
159 :
144 :2005/08/19(金) 23:18:55
> 小林のドスト論からは、 ドストの思考の軌跡の後追いはできましたが、 それが何?という領域からは一歩も出れず、 ドストの現代における価値、意味、 カラマーゾフ等の読み方を変えてくれる示唆のかけらも見出せませんでした。 この辺が詳しく聞きたかったが 、私自身が小林のドストエフスキイ論を読んでないから良くわからない バフチンなら読んだのだが 近いうちにに読んでおきましょう。確か「ドストエフスキイの生活」でしたね
160 :
144 :2005/08/19(金) 23:23:58
> 「それ自体としての価値、美」として、それをなぞりなおすことではなく、 評論家のいやでも負ってしまう時代の問題意識を矛として文学作品と対峙する、 というのが評論の持つ力であり、ミッションであると考えています ここは理解でき、共感できました
161 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 23:39:28
最強は福田和也
162 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 23:42:43
俗物、よろしく
163 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 23:44:46
てかナンタラ論とかうざい どんなに偉大でもオレ様のための素材にすぎんよ なんで他人の思索の中に閉じ込められなきゃいかんのよ? しかも本人というより、赤の他人である評論家の 勝手な解釈、曲解の中に?
164 :
考える名無しさん :2005/08/19(金) 23:46:35
だったら読むなよ。そんなに人目が気になるか。
>>163 「ナンタラ論ウザス」
という決まり文句を発明したのが小林秀雄なんだが
ってことは上のwisteria-1 やら144やらの論はウザース!だね
違うよ、どんなバカでも「〜論ウザス、具体的な物で万事ok」 と言えちゃうわけだが、 小林秀雄はそういう傾向を助長した。 学者とかイラネ ってことになりかねないんだよ。 163はそれで歓迎なんだろうけどな
168 :
考える名無しさん :2005/08/20(土) 09:07:52
「〜論」であるうちは、その思想は不徹底(乗り越えられるもの)という意味。 具体的な物でokではなくて、それぞれの主観(体験)でokということを言っている。
169 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 15:38:34
小林秀雄を文芸批評をどうしたこうしただけで語る人が多すぎ。 結構、「権威」としては無防備なこと言っちゃってない。 「感想」前後で言おうとしたことがわかる人誰か解説してください。
っていうか、無常といふこと、に本当に「無常ということ」とは何か、が書かれているかな?
>170 手元に本ないけど、記憶の限りでは、 哲学たりえる(問題意識を持った読者に対する解を有する) 記述は、一切、無かった。
無常なんて、小中学生に読ませるものではないが、小林のは無毒、無害。 即ち、無常の本質について、何も書いてないから、 何も考えていない教師等は、読むことを推奨する。
「無常ということとは何か」とか「無常の本質」なんて言葉を平気で口にしてしまう自分の頭の弱さ、軽薄さをもう少し思い知った方がよい。だいたい、哲学って「解」なのか??
174 :
考える名無しさん :2005/08/21(日) 23:21:24
>173 それがたとえイデアであったとしても、 自分の求める解を求めていくプロセスが、所謂、哲学じゃね。 で、小林には、そのプロセスが無い。 頭の弱さ、軽薄さ、等と、平気で口にしてしまう自分の頭の弱さ、 軽薄さをもう少し思い知った方がよい。
175 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 21:24:12
「様々なる意匠」においても、 すべてを小林独自の無個性の強みで受け入れられることを示している。 だからこその評論家のひとつのありようではあるが、並列同価値で、 これもあり、あれもあり、まで。 問題意識を持って読むと、大方は裏切られた。 文芸評論家になりたくて、読んでるわけじゃない。
176 :
考える名無しさん :2005/08/22(月) 22:06:59
>>175 言わんとする意味がよくわからない。レトリックとしても破綻していない?
小林秀雄は皆が指摘する通り、「本質そのもの」を「〜論」で語らず、レトリックで本質の外縁まで迫るやり方を貫いた。
自分にはそういうところこそ信用できる根拠だが、哲学板では極めて評判悪いようですね。
177 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/23(火) 00:22:38
>176 本来、小林等の文学評論を読む基本姿勢として、文章自体の美、レトリック等を追求するものと、 哲学板の人たちに多くみられる、論理や現実社会や生きていくうえでの意味、価値、等を追求するものとは、 重複する部分の方が大きいはずなのです。 が、こと、小林を読む場合、哲学板では、後者の方に、どうしても偏向するのは、やむをえないことであり、 また、それが、間違った読み方であるとも思いません。 修辞学等の領域もありますので、そちらのスレの方の反応はわかりませんが、 私の知る限り、美学スレでも、小林をとりあげるケースは少ないようですね。 個々の人が、「何を信用するか」、は、その人の文学観、人生観、社会観、世界観等、 すべてに関わる思想そのものです。 「評判」というよりは、哲学板で、小林は、対象として漏れ落ちる人が多い、というのは、自然な傾向のように思えます。 私にしても、「レトリックで本質の外縁まで迫るやり方」、「本質の外縁」、という用語についていくのは、少し苦しいです。 もう少し書きますと、私みたいな俗物的な読書法しか知らない読者にとって、小林に、もし本質があるとしても、それが見えない。 ましてや、「レトリックの外縁まで迫る」、といわれると、余計に、本質って、レトリックにより外縁まで敷衍できるものなのか、 という俗物らしい、悠長さ、冗長さを先に感じてしまいますね。 ニーチェのいうアポロン的構成美よりも、ディオニソス的資質が勝っているのが俗物の常ですから。 カント、マルクス、サルトル、等の直接的な言辞でロジックを追求する思考形式と、 小林のそれとの相違点は、もしかしたら、あなたのいう、 「レトリックで本質の外縁まで迫るやり方を貫いた」小林の思考形式に起因するのかもしれませんね。
>>177 >ニーチェのいうアポロン的構成美よりも、ディオニソス的資質が勝っているのが俗物の常ですから。
ずいぶん自分を偉そうに見せているじゃねーか
貴様の「俗物」って言葉は、
暗にインテリ全員をひっくり返すための方便なんじゃねーか?
179 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/23(火) 00:50:48
>178 どの言葉を見ても、意味不明につき、スルーします。
180 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/23(火) 00:53:27
アポロン的資質とディオニソス的資質は、普通の人間の中に自然に共存してますよ。
は?インテリコンプが何言っても説得力ねーよ ニーチェまともに嫁よ
182 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/23(火) 01:24:15
>181 小林やニーチェの何を主張したいの? 具体的に。
183 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/08/23(火) 01:26:03
>181 あるいは、「俗と聖」で、何を主張したいの? 引用でもいいから、具体的に。
184 :
考える名無しさん :2005/08/28(日) 07:28:30
カントとかの「直接的な言辞でロジックを追求する思考形式」の限界は至るところで言われている。 フッサールとかゲーデルとか(ニーチェもそうか)。 その後のポストモダンとかは「レトリックで外縁をほのめかす思考」そのものだと思う。 自分にはデリダとかより小林秀雄の方が本物に思えるが。
185 :
考える名無しさん :2005/08/28(日) 17:03:59
感想とか私の人生観はそんな中でも直截的な考えが出てて気になる。 だからこそ本人は後から否定的評価(照れ隠し?)を与えているみたいだが。 例えば「紺碧の海」を根拠にする思考はニーチェの永劫回帰とか何とか湖畔の啓示より好きだな。
デリダより小林が本物とかアリエナサス 小林は日本ローカルに殉じているところが良さなんだから、 哲学のようなロゴスの学問と比べちゃいかんよ
187 :
考える名無しさん :2005/08/29(月) 23:34:07
デリダ?何も分かっとらん って小泉義之先生は仰ってますよ
小泉ナントカさんが何を分かっていると言うのでしょう。 フツーなら小泉ナントカってダリダ?で終わりでしょう。
189 :
考える名無しさん :2005/08/30(火) 00:56:33
そういう君はダリダ?
190 :
考える名無しさん :2005/09/03(土) 15:35:24
いいから詩人の女奪って 逃げて疲れて キャベツにかかった朝露をみて 「もおいい」って思ってみろよ
191 :
考える名無しさん :2005/09/04(日) 05:26:11
吉本とは飲みたくないが 小林とは一杯やりたい俺は俗物かね?
192 :
考える名無しさん :2005/09/06(火) 20:11:25
>191 吉本でも小林でもどちらでもいいが、 「一杯やりたい」というあなたは俗物かも
吉本ばななと「一発ヤリたい」 …ってやつはいないか
194 :
考える名無しさん :2005/09/07(水) 13:04:53
>193 吉本が義父だと、うるさそうだけど 最近はそうでもないか・・・・・
195 :
考える名無しさん :2005/09/07(水) 17:35:06
196 :
考える名無しさん :2005/09/08(木) 20:32:08
漏れの70才近くの知り合いが大学生のころ講演会が流行ってたんだと 小林や三島由紀夫などうらやましくてたまらない面々の講演を 映画のチケット代程度で1時間ずつ6時間聞き放題 小林は今の人気バンドのライブ並の超満員だったらしい その方は特に小林ファンではないけど そのとき聞いた小林の「直感は確かに間違う。けれど論理的にするよりかは間違わない」 っていう言葉を今でも諳んじてて きな臭いけどイイ時代だったんだなぁと思う
197 :
考える名無しさん :2005/09/12(月) 19:00:58
>>184 自分にはデリダとかより小林秀雄の方が本物に思えるが。
←「自分の女はどの女よりもいい女」という程度のかなり根拠の薄い決め付けだな。
198 :
考える名無しさん :2005/09/12(月) 20:05:47
>>184 >レトリックで外縁をほのめかす思考
コア無き思考に、外縁だけが存在するということはありえない。
レトリックは多かれ少なかれ、どの哲学者も駆使してるけど、
あくまでも、根本になるロジックの表出として用いている。
レトリックからコアに迫ることは確かに可能。
但し、コアが有る場合に限る。
さて、小林の場合は?
>>196 >直感は確かに間違う。けれど論理的にするよりかは間違わない
もし、小林が本当にそう言ったのなら、小林は、「直感」と「論理」の関数に関し、
まるで無知だったことになる。
そこまで、小林が論理を毛嫌いしていたとすれば、直感に対する過大依存だな。
両者は、相互依存、または、直感を介し何らかの論理に至るのが、普通。
ま、そこに、小林の矜持があったのだとして、では、小林のレトリックは、
哲学のどのカテゴリーに入るのか、まるで見当がつかない。
講演内容をかなり端折ってまとめたのを暗唱って感じじゃないの? 一高って誰でもデカンショを読んでたらしいから。
200 :
考える名無しさん :2005/09/15(木) 09:30:38
>>199 言っただろ「直感は〜」
思うに論理は一つの結果や発見を裏付けたり、共有するためのモノで
直感は経験も第六感も知識も入り交じった極めて個人的なモノ
卑近な例でいくと直感は「あっ!そうかっっ!!」
論理は「どうしてかというと…」
ところが「どうしてかというと…」で答えを探そうとすると、
裏付けだけで仮想の答えを組み立てることが往々にして起きてしまう。
ても論理は有効で有益なモノであるから、直感より尊重されることへの小林の警戒を表した言葉じゃないの?
自らの文章を「告白的」と評した小林だから言えた言葉で、
小林が科学者や哲学者なら言えなかった言葉だなw
200>>賛成だ 哲学系思想家と文学系思想家の平行線・・・・
202 :
考える名無しさん :2005/09/16(金) 11:41:41
小林が哲学や哲学者よりも美術・骨董・文学・音楽で自らを育んだというところが 小林のカテゴライズを難しくしているのかもね 「骨董をやって文学が分かるようになった」とか 「美しい花がある花の美しさという様なものはない」とか
始点崙点
204 :
考える名無しさん :2005/09/17(土) 22:21:57
もれは青山二郎のが好きだな 小林より純粋に直感的に芸術に生きたヤシ ちなみに小林に骨董を教えた人
青山二郎は言語化の努力を怠っているからろくでもないと思う
206 :
考える名無しさん :2005/09/18(日) 08:19:18
>>197 それこそ「直感」(直観?)ですよ。
論理の積算で到達できるところまで連れて行って、最後のひとっ飛びを任せる。
仏教(竜樹とか禅とか)では、前半を徹底的な否定的言辞でやってて、
その他宗教(キリスト教、イスラム教とか)では、前半を端折るために白紙委任状を出させる。
哲学(デリダとかのポストモダン以降)は前者に近いが、最後のひとっ飛びについての言及・示唆がない。
小林は前半部分を端折りぎみ(レトリカルにさっさと終わらせる)であるが、最後のそれについては何かを言ったように思う。
同じ意味でデリダよりバタイユの方が先を行っていると思う。小林のバタイユ評ってないかな?
207 :
考える名無しさん :2005/09/19(月) 16:06:33
>>206 私の人生観、感想あたりはそういう危うさを出していたけど、跡で感想は否定して本居宣長を書く。
その辺りを追求・分析している人はいないのか。
208 :
考える名無しさん :2005/09/23(金) 21:02:16
>>207 このスレはアンチ小林が多いみたいだから
好きになってそこまで読み込んだ人間は少ないのでは
漏れもアンチではないけど2〜3年前にハマって5冊ほど読んだだけでそのまま
小林自身簡単に「分かる」ってことを軽蔑してたから
そういう人間が居たとしてもカキコしないんじゃないかな
209 :
考える名無しさん :2005/09/26(月) 20:05:53
僕は小林秀雄全作品読破しましたが、小林によって外国文学の受容が歪曲されて、現在、この弊害を除去しなければならない状況になっている。
210 :
考える名無しさん :2005/09/27(火) 16:20:09
ううむ、小林秀雄全集を全部読破した後、自分の中で小林秀雄全集を白紙にする。そして自分の全集を執筆する。正しい受容を心掛けながら。
211 :
wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/09/27(火) 19:28:55
>>209 ランボーやドスト等を、小林を介して呼んでいる人間なんて現在はほとんどいないから、
弊害もほとんど無いと思うけど。
>>211 たくさんいる。
高卒の読書好きにとって、
文芸世界の情報は、今なお小林秀雄経由で入ってくる。
>>212 高卒の読書好き、恐るべしだな
おれなんか高校生のときは小林なんか
全然読めなかった
40すぎてやっと少しは読めるようになったよ
214 :
考える名無しさん :2005/09/29(木) 20:46:46
「小林経由の人」はそもそも何経由で小林読むわけ?
215 :
考える名無しさん :2005/09/29(木) 20:49:04
>214 文部科学省推奨教科書でしょ。
216 :
考える名無しさん :2005/09/29(木) 21:05:42
やっぱり 俺小学校の教科書で読んだな。 ライターの話
217 :
考える名無しさん :2005/10/06(木) 18:56:52
教科書で「人形」読んだことある…… その後ちょこっと手を出してみたけど「人形」ほど 不気味さをもった文章には出くわさなかった。 そういえば哲板向けではないかもしれないけど、 坂口安吾の「教祖の文学」という小林秀雄論はとても冴えていますね。
218 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 23:12:58
>217 みんな口そろえてそう言うんだけど、ほんとにそんなに冴えてるかね? まあ、あの当時によくそこまでずけずけ言ったという勇気は認めるけど。
219 :
考える名無しさん :2005/10/08(土) 23:23:02
なんで人の尻馬にのって文句つけるのさ
220 :
考える名無しさん :2005/10/18(火) 08:56:36
小林のベルグソンは彼の自意識についての問題意識を再度徹底的に俎上に乗せたものだと段々解って来ました。意識は本質的時間と同義なのであり、悟性がそれを掴まえようとする困難がある。ひいてはそれは人間を悟性的に論ズル困難にも通ずるという事ですね。
>>220 わかって言ってるのか?
つまらんしゃれだ
222 :
考える名無しさん :2005/10/18(火) 23:16:42
いや…あれを読めば誰にも解る最小公倍数的なまとめ方だと思いましたがね。正直予想以上の緊張感で小林自身の問題意識がベルグソンと交差するあの作品はやはり批評の古典だと呼んでいいと思いました。興味深い作品です。
222は小林もベルクソンもわかっていない半可通だ
224 :
考える名無しさん :2005/10/19(水) 00:53:20
ここで取り上げている問題意識とは所謂〈有‐有るもの〉の有論的差異でもあろう。《先に言ったような心理学的諸観念に照明を与えれば、どれも意識事実である純粋性質と外界、つまり空間たるより他はない純粋分量との妥協或は混同による中間的観念である事が判明する》
>>224 そういうのがはやってんの?
無茶すんなよ
226 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 21:34:30
よく解らないけど、自分にとって「小林秀雄とベルグソン」と言えば超越への期待というか、ひらたく俗に言えば「オカルト的な救い」だな。 「私の人生観」的路線でエポケーし続けた先に到達した境地には、やっぱり何か期待を持ってしまう。
227 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 22:47:02
228 :
考える名無しさん :2005/10/26(水) 23:29:48
小林秀雄はオカルト爺
229 :
考える名無しさん :2005/10/27(木) 09:28:23
小林秀雄が後期もみずみずしい感性を持ち続けていた事はベルグソン論でよく解る。途中放棄を以て減点してもあれは良い仕事だと思われる。小林の核心をかなり露わに出しているのも興味深い。
age
sageてるっての
232 :
アナハイム ◆yQngfguoAE :2005/12/09(金) 00:55:53
あげます、あげます
233 :
考える名無しさん :2005/12/10(土) 17:33:49
「お化けを信じないやつはリアリストじゃない」って言ったそうですが、これの出典 分かりますか?
234 :
アナハイム ◆yQngfguoAE :2006/01/09(月) 22:24:04
あけまして、おめでとうございます
235 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 20:22:31
吉本スレで小林の事を考えている内に幾つかの謎に突き当たった。小林が最も傾倒した哲学者はベルクソンだった、というのは小林研究の常識と化しているようだ。確かにベルクソンの〈持続〉は小林に合っていると思える。「私小説論」→
236 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 20:28:03
→で19世紀西欧文学者の問題意識を取り上げながら、それに影響された筈の日本の私小説作家に欠けていたものを挙げる手つきにも、まさにベルクソンが背景に透けて見えている。だが、それならば小林がハイデガーを正面から取り上げなかった理由がよく解らない。→
237 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/13(金) 20:32:36
>236 ハイデガーの原書がドイツ語だからだよ。
238 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 20:45:13
→何より、小林が「様々なる意匠」で既に自分の批評の中心テーマとしている〈宿命〉とは、ハイデガーが思索的生涯の初めから終わりまで問い続けた所謂〈被投的-企投〉、すなわち《有の中に立つこと》と同じでないか。たとえば『存在と時間』にこう書いてある。→
239 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 20:54:07
→《企投は、現事実的な存在しうることの活動範囲の実存論的な存在機構なのである。しかも、被投された現存在としての現存在は、企投するという存在様式のうちへと被投されている。》(『存在と時間』第31節)つまり、主体の能動性が、より根本的な〈時〉からみたら→
240 :
考える名無しさん :2006/01/13(金) 21:00:32
→一個の受動性だ、という問いが語られている。これは即、小林の根幹に到達する問いに他ならない。つまり〈宿命〉の理論に重なる問いに他ならない。しかし、小林はハイデガーを(おそらくは)知っていたにも拘らず、それを正面から相手にはしなかった。
241 :
考える名無しさん :2006/02/04(土) 12:07:13
小林秀雄の言葉で好きなのを書こうよ。それだけでも、小林秀雄の一端が 解るかも知れないじゃないか。 それでは、 絶望するにも才能が居る。
242 :
考える名無しさん :2006/02/05(日) 22:02:20
日本が戦争に負け、それまでの天皇万歳、鬼畜英米から自由と平和の賛美に変わる世相をみつめ、 利口な奴はたんと反省すればいいさ 俺は馬鹿だから反省などしない
243 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 14:18:40
小林は哲学者ではない
244 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 14:35:32
小林は思想家でもない
245 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 20:07:14
じゃあ小林は何だ?
246 :
考える名無しさん :2006/02/06(月) 21:22:56
漫画家だよ!当然だろう
文学家
コヴァですか
↑ヴァカです
250 :
考える名無しさん :2006/03/21(火) 08:35:02
俺は馬鹿だから反省などしない
251 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 18:19:02
小林秀雄が古いと感覚することは自分には苦痛でさえあった。けれども、そこから出発しなければ不誠実であることも明らかだった。
ああああ、そういうスレもあったな。 『感想』を中断した理由は、ベルグソンを強く批判してるラッセルの 『西洋哲学史』が邦訳出版された頃だってこと忘れんなよ。
「理由」じゃない、「時期」。
中断理由を告白した相手が、ラッセルと同じ数学畑の 岡潔だったって点もな。
255 :
考える名無しさん :2006/04/13(木) 19:52:13
断言すんなやー。
小林の「敗戦の弁」読んだか?w
好敵手・戸坂も盟友・三木も敗戦を前後にして獄中の露と消え、 小林一人、「反省はしねえよ」と生き延びたかのようだったが、 終戦間もなく母を失い、追悼を兼ねた著作もこんな風に終わっ たわけだ。小林は小林なりに敗戦によって何かを失わねばなら なかった、という風。 「無学を乗り越えられなかった」、ラッセルよりも洞察力に鋭い ところもあるだろうが、『哲学史』に比べると、『感想』はやはり、 個人的感傷の入り混じった素人芸にしか見えないからな。
ラッセルの件については気付かなかったが、小林の「喪失」 については、前にも話したことがあるんだが。 あの頃はネットもやってないし、2ちゃんねるなんて知った 世界じゃなかったが。 戸坂の本を「発見」し、9.11の予兆のように小林の亡霊に出会い、 いろいろあったが、俺は曲げるつもりはないんだな。
2ゲットしてるの俺だしw 「キリストが分からないから西洋のことは書かない」は、『感想』後だっけ。
で、晩年は神仏習合の影響の濃い本居の国学の根底にある、仏教的な 無常観に拠り所を求めた。小林もまた、敗戦を逃れることは出来なかっ た、という話だったのさ。 いかがわしい政治利用がされたから、始末はしないと。
262 :
考える名無しさん :2006/04/17(月) 23:55:45
>好敵手・戸坂も盟友・三木も アホ草w 全然ランクが違うし畑も違うだろw >晩年は神仏習合の影響の濃い本居の国学の 『本居宣長』最初から読んだw?無教養そのものだな。
263 :
考える名無しさん :2006/04/18(火) 04:15:58
はっきし言って小林から日本の「評論家」は何でもかんでもクチ出し過ぎ。柄谷なんか待つ必要もなく既に「トランスクリティーク」。思考過程を哲学者のように明らかにしない以上、せいぜいが「思想家」。
264 :
考える名無しさん :2006/04/18(火) 04:17:58
主張を理解するための 何がしかの蓋然性か、 「な、わかるだろ?」で相手に通じてしまうような叙述の仕方は哲学じゃねえ。ただの宗教的著述家の深い心情吐露だ。
265 :
考える名無しさん :2006/04/18(火) 04:19:36
どうしてもこういう小林タイプを哲学者として見たいなら唐木順三に留めておけ
>>262 「もののあはれ」の一言しか知らんぞ(ゲラ
万葉の世界も聖徳太子以後だったよな?
日本列島の文明化は仏教移入後に始まったってのが、 俺的には定説なんだが、スレチガイだな。
神代文字を知らんようだな
270 :
考える名無しさん :2006/04/18(火) 23:42:45
たしかに仏教も異文化だよな。 気付かないことが多いけど。 人間が存在してりゃもう文明はあったも同然だ。
来やがったな!?
頭わるいから反省しません
アツタネじゃなしにノリナガだったところが、まぁ小林の良識とか、 時々、言う。
274 :
考える名無しさん :2006/04/25(火) 10:09:07
2チャンネラーとしての小林秀雄
>>270 「縄文文明」とか「弥生文明」とか言わないだろ。
でも、このポイントに拘り過ぎると、前時代的な「文字の使用を もって歴史の始まりと見なす」になっちまうな。 弥生は「農耕文明」でもあるし。
最近は、ご先祖様が空から降りてきた世界の住人多いからなぁ・・・。 正直、近寄って欲しくないんだけどw
だから文明とは何か明らかにしなきゃ何が文明であるかなんてわかるわけないがな。 wikiでも見て、文明の定義をひっぱってくればいい。 まあ、「蘇我馬子の墓」などを読むと、飛鳥時代近辺を「日本文明の夜明け」と 形容しているから、やはり文字の使用開始と文明のはじまりは一致するという 古典的定義を小林秀雄もとっているとみていいだろうな。
279 :
考える名無しさん :2006/04/25(火) 23:29:49
277は意味不明
飛鳥時代っていつごろだっけか、中公文庫の『日本の歴史』を 開くのが、ああ面倒くさい。 資料的には古いが、考証は変に歪んでなくて参考になるぞ。
冷戦終結後に書かれたものは迷走状態のが多いから要注意な感じ・・・。
俺の先祖は空から降ってきたよ シータの子孫だと言ってるんじゃないよ。念のため。
最近は爺の粘土遊びで作られたヤツが多いからなー ミミズが混じってそうでキモイんだけど
でも、宗教ってこういうもんだろ? ある宗教を信じるのはその宗教を真理だと信じることだろう? 当然それ以外の宗教を信じてるヤツは間違ってると言わなければならない。 特定の宗教を信じてる者は信教の自由を認めても、他の宗教を信じてるヤツは 間違っている、馬鹿だ、と言うしかないだろう?
主観の問題だというのはその宗教の教えは真理じゃないと認めることだろう?
でも古事記より旧約聖書の方が面白いね
>>281 小林秀雄のことなら、ソ連崩壊前に亡くなっているけれど?
「神の手」の発掘した出土品とかで年代狂ってたりw
>>284 宗教と神話の区別くらいしろ。
>>287 日本史の資料の話さ。義務教育で教わったことなんて、俺は何一つ
アタマに残らなかったもんな。知ってることは殆ど全部、自分で
勉強し直した。
・・・俺はニセモノを掘り出したりなんかしないぞ(ゲラ
>>285 それはまた面白い問題ではあるんだがな。信仰は超越主観の問題に
直結してるが、主観主義の主体である経験自我とは違う。
>>290 超越主観と経験自我の説明をお願いします。
>>291 超越主観は背後にあるもの、経験自我は目の前にあるもの。
日本史の話も悪くないんだがな。歌田光が家永氏のファンだったネタとかっ
>>293 比喩は分かってる人にしか通じません
分からないから質問してるのであります
あらゆる名詞は比喩だ。感覚で把握するしかない。
感覚は経験で養われる。言葉で説明されたことが、経験を上回っている 場合には正確な伝達が不可能になるが。
>>296 はモーゼスの『霊訓』に出てくる「インペレーター」の言い訳
にちょっと似てるなw
ただほど高いものはないんだぞ?
ある宗教を信じるということは、その宗教を真理だと信じることである。
宗教を信じるか否かは主観による。
論理や実証によって信仰が生まれることはない。
信仰者が「宗教を信じるか否かは主観による」と言うことはできない。
306 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 19:40:41
小林秀雄は形而上学的、思想的あるいは方法論的には今昔物語だ。今は昔。それを踏まえると志賀直哉の輝きは、文字通り光彩陸離としている。後輩の小林が古く、先輩の志賀直哉は現存するということの皮肉。
307 :
考える名無しさん :2006/05/05(金) 20:16:05
(◔ิД◔ิ) ハァ?
よりによって、志賀直哉?なぜと聞くことも出来ん。
309 :
考える名無しさん :2006/05/08(月) 14:09:02
アメリカは日本が反米的に復興しては大変だというので、 実に巧妙にぶち壊したので民間運動というものが日本では非常に無力になっておる。 ソ連はその盲点を掴まえて、今度は民間運動を支援しては煽てたりして、これを把握した。 そしてアメリカが日本の政党だの政府ばっかり見てる間に、ソ連や中共の共産政権の方は、 世界のいろいろな民間団体、マスコミ機関、ジャーナリズム、知識人、文化人をどんどん呼んで、それに金をやって民間運動をどんどん起こさせた。アメリカの裏をかいたのであります。これは実に巧妙でした。
乗るも乗らぬも本人次第。大拙との対談もあるんだな。
311 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/05/09(火) 17:58:29
>309 それ、志賀違い。
民俗板でやった邪馬台国談義、スレはさすがに残ってないな。 弥生時代が三世紀で切られているのは、以後が卑弥呼の時代に なるからか。文化的には六世紀まで連続だな。
六世紀前後に大変動が起きて、仏教もその時、流入して来た。 古事記の成立も、・・・712年か。
大書店のぞいたら、中公文庫の『日本の歴史』シリーズ、 ずらっとあったな。一巻目の邪馬台国位置の比定の議論、 説得力あってね。政治的な歪みがない。傍証も民俗板で やって見せたんだが。
地元新聞の日曜版に面白いコラムあってね。 網野氏もお亡くなりになられた。
ええと、中国大陸では隋(〜619)から唐(618〜)へ。 朝鮮半島では676年から初めての統一国家、か。 稲作は伝わってたけど、文字文明がこの頃から。 弾き出された連中が日本に大量流入、って感じかな。 色んな思想が入って来たが、一番広まったのは、 やはり仏教かな。 ・・・陰陽道は神道に形を変えたってことか。
一緒に景教が入って来てもおかしくはない、と。 「上宮之厩戸豊聡耳命」の生まれたのは六世紀の終わり頃。
万葉集は七世紀後半から八世紀後半だもんな。
日本人は天皇制の繭の中で無宗教の居眠りをしてるもんだから、 未だに神話史観から抜け出せない。イスラエル人も似たような ところがあるらしいな。 欧米は、骨抜きにされたキリスト教+進化論的唯物論。アメリカじゃ、 原理主義が創造科学、と。
322 :
考える名無しさん :2006/05/29(月) 00:53:03
くだらないスレだな
北九州と大和地方には地名相似があるって話は昔したな。
検索すると、ソースと一緒に結構、ヒットするw
だんだん思い出して来たぞ。
>>315 の傍証は、北九州説の弱点として
投馬国の問題を提出してあるのを(P241)、大規模集落の跡が最近
見つかったことで矛盾しなくなったって話。
朝廷の一門が有明海の山門郡一帯から、畿内・大和に移住したのは、
やはり大陸や半島の政治情勢に圧迫されてだろうな。
えーと、中公バックスの年表・地図によると、 倭の五王の一人、倭王武が征東将軍の号を 大陸から授かったのが502年。
ってことは、朝廷の畿内への移動は噴火とは関係なかったって ことかな? 継体元年が507年。分かりやすいなぁ・・・。
534年、「この頃、馬具がいちじるしく発達する。 工芸技術も盛んになる」。 若干の年数のブレはありそうだな。 536年、「河内、尾張、伊賀等の諸国の屯倉の米穀を 九州博多のほとりに運ばせる」(日本書紀)。 ・・・難民の大量発生かな?
えーと、記紀神話だと初代の神武天皇が日向(九州・宮崎)から 東征を始めたことになってんだな。 邪馬台国畿内説って、どう考えてもデムパだよな・・・。
古美術商だったんでしょう?
üé
Sage
保守?
334 :
考える名無しさん :2006/09/07(木) 20:55:30
柄谷が小林の後継者と見る見方は正しい。日本の批評は小林の存在から哲学に対し、優位に立つようになったからだ。
> 日本の批評は小林の存在から哲学に対し、優位に立つようになった ぷっくっく。ホントかね。いずれにせよ日本人同士のハナシだろ
小林といったら小林よしりん師くらいしか知らないけど、 この人本当に偉いのか?
337 :
考える名無しさん :2006/10/10(火) 16:09:54
万葉集は4世紀から8世紀までの詩歌を収録してあるのでは といいつつ 小林秀雄になぜこれが? 小林秀雄を翻訳すると、どう評価されるか という設問はいい設問だ が 徒労だ とも思う
定期age
339 :
考える名無しさん :2006/11/12(日) 16:11:28
>>336 秀雄>>>>>>>|| 超えられない壁 ||>>>>>よしりん
44:オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!
5/10/19(水) 21:48:55
この事件で、7〜8年前にジゴロ気取りの新福隆太(当時21歳、G習院大)が
同居していた5歳年上の愛人の女性に路上で刺殺された事件を思い出した。
女性のマンションに住ませてもらい生活費・遊興費などの金も
かなりの額を出してもらいながら、日常的に暴力を振るう、
二股(それ以上かも)かけている恋人への電話を女性の目の前でかける
(ここで文句を言えば暴力)など最低の奴であった。
で、その女性には懲役12年くらいの結構厳しい判決が下された。
45:オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!
5/10/20(木) 00:58:06
↑
新福は、反町似のイケメンと書かれていたな。確か。
ホストのバイトをしていたこともあり、そこでこの女性と知り合ったとか。
48:オレオレ!オレだよ、名無しだよ!!
5/10/21(金) 01:33:19
>>44 調べたら懲役10年でした。
加害者の女性の親が、殺されたジゴロ学生の親に謝罪に行ったら、
「お嬢さんにはくじけないでがんばるように...」って励まされたようですな。
>>337 重要なのは編纂時期だと思う。主観主義的な歴史認識の横行に『感想』
解禁が利用されちまったからさ。
天の岩戸神話がクラカタウ火山の噴火を背景にしているとしたら面白い話だな。
保守
344 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 05:31:21
小林秀雄は一言で云へばニセモノで、天才コンプレックスの俗物に過ぎない。 彼の云ふ天才とは中原中也や青山二郎なのだから笑はせる!
345 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 07:37:49
岩波文庫からベルクソンの講演集『思想と動くもの』てのが出てるが、これを読むと小林秀雄がベルクソンの何処に共感し、その思想を自らのものとしたのか、かなりよく解る。 この本で主張されているベルクソンの思考の一つに哲学的概念への反命題ってのがある→
346 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 07:43:47
→そうしてその姿勢はそのまま、概念にたいする持続、への眼差しに移行し得る。ベルクソンのその主張はそのまま小林秀雄の批評の書かれ方へ流れ込んでると言っていい。小林は批評する己の本質をおそらくベルクソン的な持続、とみなしたがった。→
347 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 07:48:04
→小林の批評の解りにくさはだから書く主体の解体が初めから為されている、そこが既に出発点とされている。そこにある。近代文学同人との座談会で「僕は馬鹿だから反省はしない。利口な人はたんと反省するがいい」と語ったのは有名な逸話だが、→
348 :
考える名無しさん :2007/01/11(木) 07:53:32
→ここでの非‐反省への定位はこの時点で考えられたものではないだろう。むしろ小林の問題意識を底辺から規定するものに違いない。 小林秀雄が何者だったかについて、ベルクソンの存在は貴重だろう。
俺は小林は全肯定するつもりも全否定するつもりもないよ。 小林の思索にはダイモーンがある。そういう人は少ない。
俺にとって小林は、「見者の書簡」を書いたランボー、創作活動を 迷いもなしに放棄して隠者の道を行ったランボーからは切り離せ ないな。 そういう小林が神秘主義的な傾向の強いベルグソンを好むのは自然な 流れではないかとは思う。但し、ランボー的な精神とベルグソンの 有機的全体主義はそれ程親しい関係にあるわけじゃないだろう。 全体主義は個人を歯車にしてしまうが、精神は個人の全体化に向かう から。 小林は時局便乗をして祝詞みたいな意味不明の文章を書き散らした 御用文化人のように浅はかではなかったが、盟友にして論敵の 戸坂のように時局に対して断固とした抵抗を繰り広げたわけでも なかった。戦後の「反省しないよ」発言は、そういう小林なりの 意地の通し方だったんだろ。
お調子者のカス知識人が多いのはこの世の常みたいなもんだな。
352 :
考える名無しさん :2007/03/06(火) 14:58:12
宗教絡みだと山本周平橋爪大三郎小室直樹が言ってる「日本教」には どうだったんだろうな小林は 「人間が楽しく生きる事」が神より上位概念に くるからあらゆるドグマ(教義・戒律)が骨抜きにされる日本の宗教観(外からだと無宗教) 主神(アマテラス)みずから繭を育ててたから(労働)日本人は勤勉で 資本主義になると日本は勝つように出来ていたとか(プロテスタントの救済より労働が自然である) 人間天皇が働く神を祭る世界(ゼウスは働かない)における 近代化精神は外部からの輸入品と即席の代替品と元からあったものの即実的な復興に よって形づくられるという流れにはどういう意見だったんだろう
353 :
考える名無しさん :2007/03/06(火) 21:22:28
花のうつくしさなどない
354 :
考える名無しさん :2007/03/07(水) 20:56:25
疾走する悲しみ
355 :
考える名無しさん :2007/03/08(木) 07:35:53
小林は人生に勝利した人間の一人として賞賛されるべき
夏よ去れ。
357 :
考える名無しさん :2007/03/31(土) 18:35:26
まだ春じゃないか。
358 :
考える名無しさん :2007/04/04(水) 07:06:39
小林は自分のお得意さんは高卒と三流私大生だってよく知っていた人だよ 司馬遼太郎は大体一つの村があるとしたら そこのお坊さんにを読者に想定して書くと言ってたけど 小林とその周辺の伝記作者達、中村とか今とか大岡は明らかに 高校生といふより文学の匂いかぎたい高卒と三流私大生めあてで書いてるんだよな 低学歴の中原ダシにして 漏れも高校の頃は読んでたけど 東大入って課題の糞つまらないトルストイの一字一句精読は つまらないなりにやれても 小林はとてもじゃないが読めたもんじゃない でも確信犯だからマルチと同じで鴨は続々大量生産されてるから 言っても無駄だけど でも死んで四半世紀だから 影響力は格段に落ちてるらしいね、生前は神様扱いってんだから吃驚するしかない
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
>>358 >小林は自分のお得意さんは高卒と三流私大生だってよく知っていた人だよ
慶応の福田のことか?
ラッセルは『哲学史』で、いろいろと理屈をこねてベルグソン批判を展開しているが、 何が問題なのかは言い当ててはいなかった。 盟友ホワイトヘッドも有機体論だもんな。
362 :
考える名無しさん :2007/04/26(木) 10:01:41
岡本太郎が小林秀雄の家に遊びに行った時の話。 その頃小林は骨董に凝っていたので、自慢の茶碗などいろいろ出して来て 岡本に見せた。岡本は骨董なぞには一向に興味も無かったが、仕方なく「 これはいい物のようだね」「でもこっちの方が僕はいいと思うな」などと テキトウに返事してたら、それがまことに的を射た評価ばかりだったので 、小林はすっかり喜んでしまったそうだ。 でも岡本は「この人はなんでこんな程度のものをこんなに有難がっている んだろう?」「何だか気の毒な人だなあ」と思った、と書いていた。 このエピソード、小林秀雄の良い所もつまらない所も良く出ている感じが して、可笑しかったな、私は。 (出所は「今日の芸術」だったかな。よく覚えてないや。)
364 :
名無し募集中。。。 :2007/04/27(金) 02:07:39
>>358 新聞記者時代に京都の寺に足繁く通った司馬さんらしいですね
影響力が落ちてもなお新たに近年また全集が編まれた小林秀雄テラスゴス
365 :
考える名無しさん :2007/05/04(金) 04:02:40
日本のデリダ小林秀雄。人を煙に巻くのが天才的に巧妙でしかもこれが確信犯 に行われている。
そろそろ、昭和十七年講演「歴史の魂」でのゼークトの精兵主義への賛美の 問題を取り上げようか。
小林はベルグソニアンだったから、国家に対する小林の態度は、 運命論的だったわけだな。「この国はどうすべきか」というような ことを個人の意見として表明するような態度は余り取りたがらない。 戦時中の御用文化人が、国民が各々の「職分」に徹することを 称揚してたのと、根は同じだ。
ゼークトは第一次大戦の国家総力戦の原因をフランスの市民革命に 見出し、そこから精鋭主義を正当化していると小林は伝えている。 これは正しいだろうか。
ゼークト、ハンス フォン
Seeckt, Johannes Friedrich Leopold von
(1866−1936)
ttp://ww1.m78.com/hito/zeekt.html 見た目からして、ラムズフェルドの御先祖様以外の何者でもないな。
開戦当初に少数精鋭の高機動電撃作戦で要所を陥落させる。
しかし絶対兵力が少ないので、政治力がないと後が続かない。
バグダッドを落とした後の米軍はナチスと同じような末路。
371 :
考える名無しさん :2007/05/23(水) 22:18:04 0
大体、小林秀雄は哲学者じゃなくて批評家でしょ? 哲学的なセンスなんて感じないなあ・・
直観主義的傾向が強いから神秘主義も理解出来る人だったと思う。 但し、戸坂潤ですら『日本イデオロギー論』で「部分よりは全体が良い に決まっている」と断言してしまっているように、時代の思想的欠陥の 影響からは逃れられていないようだ。
ああ、戸坂の原文はこんな風だな。 抽象的に考えれば、なる程部分主義よりは全体主義が良いし、体験無視より体験尊重が正しいし、ゲゼルシャフトよりも ゲマインシャフトの方が人間関係として勝っているに決っている。だがそれは形式的に云ってのことで、その内容に合理的な 啓蒙されたものが這入るか、それとも神秘的な蒙昧が這入るかによって、百日の説法も屁一つとなるだろう。啓蒙活動の 必要を感じない者には何等の自己啓蒙さえもない、というのが、今日吾々の置かれている事情なのである。
戦時中に伏字だらけで無理やり出版した本。
375 :
考える名無しさん :2007/06/01(金) 23:49:45 0 BE:396278674-2BP(0)
小林秀雄って江藤淳とはよく対談したけど、なぜ吉本隆明とはしなかったんだろう。
376 :
考える名無しさん :2007/06/02(土) 08:58:44 0
下司の勘ぐりをすりゃ、 伸してきたとはいえ 格下でもあり、 マルクス思想なんぞで 理論武装した批評家 とは対談したくもねーだろが。 まして荒地の同人連中から 小林は吉本によって 乗り越えられた なんぞと喧伝された 時期もあったらしいからな。
377 :
考える名無しさん :2007/06/02(土) 13:02:52 0
>>362 小林が気を良くして、次から次へとどんどん品を出して来た話ね。
>>376 唯研の戸坂にさんざ、やっつけられたせいか?
三木との対談で、ドイツ観念論や弁証法哲学の影響を受けて 思想的近代化を図った仏教を評して、小林がハンマーでポコン と叩き壊したいような偽者だ、道元にはガマのような存在感が あるって言ってて、明らかに戸坂のことがアタマにあるんだよな。 存在感。
380 :
考える名無しさん :2007/06/04(月) 21:44:32 0
↑でもね、小林には結局のところ道元的なものは希薄だとしか 言いようがないのじゃない?
哲学は科学によって残された実在の領域を取り上げるだけだ。 つまり精神が取り上げられるのだが、 というような言い方を小林はする(『感想』)。
Xへの手紙って最後の方ぐだぐだじゃね?
383 :
考える名無しさん :2007/06/05(火) 18:11:16 0
生きてる人間といふものは、(実は死んだ人間でも、だから、つまり)人間といふものは、自分でも何をしでかすか分らない、 自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようといふ、せつぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。 疑りもする、信じもする、信じようとし思ひこまうとし、体当り、遁走、まつたく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。 文学とか哲学とか宗教とか、諸々の思想といふものがそこから生れて育つてきたのだ。 それはすべて生きるためのものなのだ。 生きることにはあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにゐられなくなつた棒キレみたいなものの一つが文学だ。 人間は何をやりだすか分らんから、文学があるのぢやないか。歴史の必然などといふ、人間の必然、そんなもので割り切れたり、鑑賞に堪へたりできるものなら、文学などの必要はないのだ。 だから小林はその魂の根本に於いて、文学とは完全に縁が切れてゐる。そのくせ文学の奥義をあみだし、一宗の教祖となる、これ実に邪教である。 教祖の文学 ――小林秀雄論―― 坂口安吾
384 :
名無しさん@社会人 :2007/06/06(水) 13:57:09 0
小林が唯物論研究会に入っていた成果?というものはどーゆーところにあるのかね? いつも疑問に思うんだよ、その辺のことが。
あ、そうなの? あり得ない話ではないな。
386 :
考える名無しさん :2007/06/15(金) 11:36:35 0
「ここに、美しい花がある。花の美しさ、などというものはない」 小林の文体について、語るときよく出てくるフレーズ。 俺の女は、スミレのように美しい。 薔薇でも、朝顔でも、ひまわりでもない。 スミレの美しさというものはイメージとして確かに存在する。 そうじゃないですか?みなさん、俺の言うこと間違ってるかな?
イメージってのは、比喩とかとはまた別の話では?
イメージは観念だと思う。小林の場合。
さっき、暇つぶしにネットで卒塔婆小町を調べてて、 世阿弥の風姿花伝にそんな話あったな。
頑丈なものは美しくない。して見ると、美しさとはか弱さの異名であるか。
391 :
考える名無しさん :2007/06/26(火) 19:59:32 0
美容院に秀雄の写真もって行って、このパーマお願いしますって言ったら笑われた。
392 :
早 ◆yxoSe0qFeA :2007/07/05(木) 12:50:32 0
>>386 その一説は、敢えて哲学的に解釈するなら、
「花の美しさ」は、
花という自己同一的な物体がまず最初にあって、その性質として美しいという性質がある、ということを仄めかしている
「美しい花がある」は、
美しいという感覚がまず経験的に与えられて、その後ではじめてそれが花だったと認識される、「花の」美しさなんかよりも、
「美しい」と感じることのほうが貴重な経験である、ということを暗に言っているような気がする。
敢えて哲学的に解釈するよりも、そのまま詩的な印象が含まれたままの形で記憶しておく方が、小林を読むにはいいと思うけれど。
あの妙に説得力のある曖昧さが、魅力の一つ。
小林の文体を見るとなんとなく、
ものが存在するとき、それらの自己同一性がまず最初にある、という考えにはかなり反抗している
ように思われる。
あるのは感覚や内的な経験だけだ、ものの自己同一性なんて考え方は抽象的な虚構だ、みたいな感じ。
小林は、ニーチェに匹敵する言語不信者兼音楽愛好家。言語によって人間が騙されていることを知り尽くしていた人だとおもう。
だからあんなに詩人に惚れ込めたのかもしれません。
393 :
考える名無しさん :2007/07/05(木) 12:51:07 0
レトリックがあざとすぎるw
>390 うんや頑丈なものが美しいんだよ。
395 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2007/07/08(日) 23:11:41 0
sage
「美しい花」という端的な自然との直接的な交渉と、「花の美しさ」というような 観念的架空物のきっぱりとした拒絶。 全て小林の著作の根底に流れる思想、というか態度だね。
398 :
考える名無しさん :2007/09/15(土) 18:21:20 0
レイシストとしての小林秀雄はどうなったんだ
399 :
考える名無しさん :2007/09/15(土) 19:03:11 0
小林のはPHP的な人生哲学。哲学とは無縁な人だった。
400 :
考える名無しさん :2007/09/15(土) 21:12:55 0
オレは馬鹿だから反省なんかしない。
401 :
考える名無しさん :2007/10/09(火) 12:55:12 0
>>398 >レイシストとしての小林秀雄
詳しく!
sage
403 :
考える名無しさん :2007/11/04(日) 01:21:17 0
404 :
考える名無しさん :2007/11/30(金) 12:44:29 0
所詮レトリックの人でしょう
405 :
考える名無しさん :2007/12/18(火) 21:35:36 0
それにしても、小林秀雄に騙されていない?
406 :
norinaga :2008/01/18(金) 00:30:04 0
「花」はflowerではない。 広辞苑に書いてある。 だれも小林を読んでいない。
407 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 00:45:19 0
小林秀雄は意外に、今風に言えば、フリーターで、引きこもり。 フリーターや、引きこもりは、昔風に言えば、高踏的というか、哲学者。 それにしても、水道橋のフォームから落ちて、よく助かったね。 坂口安吾は、お得意のアイロニーで、そうか、小林秀雄はあのとき無意識に自殺をはかったんだ、と述べている。
408 :
考える名無しさん :2008/01/19(土) 03:26:41 O
おまえらまだまだ言ってんのかまだまだ言って認識がだいぶん違います
409 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 19:07:31 O
小林秀雄ってチョン?
410 :
モル :2008/02/06(水) 19:44:56 0
「様々なる意匠」はよかったな。どうよ?
411 :
考える名無しさん :2008/02/09(土) 00:59:44 0
宮本顕治と小林秀雄は同時代人として案外通じるものがあるかもしれない。 仮にハマコーに小林秀雄は何かなじられたとしても意に介さなかったにちがいない。
紀世彦?
414 :
モル :2008/02/12(火) 10:12:50 0
宮沢賢治があそこまで高く評価される理由がわからん
416 :
考える名無しさん :2008/04/09(水) 22:30:50 0
やっぱり小林秀雄と丸山眞男の対談は実現して欲しかったなあ
考えるヒントの天橋立の文が最近異常に好きになってしまった。
418 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 00:18:46 0
取り巻きも審だしもう忘れ去られるのみだろ たいしたもの書いてないし
419 :
考える名無しさん :2008/04/17(木) 21:17:42 0
梅田望夫にそそのかされて小林秀雄の講演CD聞いてみたけど、全然面白くない 講演じゃあ大したこと喋らないのかもしれないけど、感心できるような箇所がないんだよ
420 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 03:13:15 0
講演は熱がこもってるって友人がいってたが
421 :
考える名無しさん :2008/04/24(木) 06:17:16 0
梅田望夫がそもそも阿呆の代名詞だからしょうがないか
423 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 21:05:26 0
この人持ち上げて飯食ってた人もあらかた死んだし もう終了でいいんじゃね
424 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 13:34:08 0
この人、ちょっと不気味なくらい人間観察力があると思った。 しかし詩人は批評家のそれよりさらに秀でたものと持っているんだろう。 恐るべし...すげぇ人間がこの世にはたくさんいるなぁ
425 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 22:39:07 0
「花の美しさ」なぞない。とは、「普遍的な観念」といふ「抽象」を排した 小林の姿勢を顕はしてをり、「ものの実相」を具体として「直覚的に」捉えんと する態度なのである。
426 :
考える名無しさん :2008/06/03(火) 11:55:29 0
福田和也も茂木健一郎も小林秀雄で飯をくうときある
427 :
考える名無しさん :2008/07/20(日) 22:08:24 0
それは小林秀雄の恵みだ。ありゃ、もう、公理だよ。
428 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 16:49:19 O
「戦争に対する文学者としての覚悟を、ある雑誌から問われた。 僕には戦争に対する文学者の覚悟という特別な覚悟を考える事が出来ない。 銃をとらねばならぬ時が来たら、喜んで国の為に死ぬであろう。僕にはこれ以上の覚悟が考えられないし、又必要だとも思わない。 一体文学者として銃をとるなどという事がそもそも意味をなさない。誰だって戦う時は兵の身分で戦うのである。」 小林秀雄 (全集4巻288頁)
429 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 17:10:57 O
小林秀雄 「過去の時代の歴史的限界性を認めるのはよい。 しかし、その歴史的限界性にもかかわらず、その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れてはだめだ。 その尊敬の念を忘れたところには、歴史の形骸があるばかりだ。」
430 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 23:38:17 0
ああ、いい言葉だなぁ
431 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 23:40:42 0
茂木に小林秀雄賞はなあ。。。
432 :
考える名無しさん :2008/08/24(日) 02:16:19 0
ベルクソンを語る文脈でドゥルーズを褒めてたね。
433 :
考える名無しさん :2008/08/24(日) 06:17:37 0
>>428 そりゃそうだ
しかし太平洋戦争の時まだ40代だろ
赤紙こなくても志願したらよかったじゃまいか
ハメットは似たような年で志願してるんだし
中国うろうろして女のケツばっかり追っかけてたくせに
よく言うよ
ほんとこいつの空疎な能書きには
ほとほと感心いたします
434 :
考える名無しさん :2008/09/15(月) 10:34:14 0
429の文章ってどこに載ってますか?
435 :
考える名無しさん :2008/09/17(水) 14:34:28 0
ピカソの絵を理解するためにはまずピカソを愛さなければだめだ、みたいな文章が あったと思うんですが、どんなタイトルだったかわかる方いますか?
【このスレッドは ル・サンチマン™ の提供でお送りしております】
437 :
考える名無しさん :2008/11/05(水) 11:22:21 0
〉435 「美を求める心」かな
438 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 15:43:07 0
皆 本 読 も う よ
439 :
考える名無しさん :2008/12/10(水) 18:16:26 0
cdを聞いたが面白かった。 高校生の必修にすれば勉強家が増えるのではないか?
440 :
考える名無しさん :2009/01/05(月) 11:04:58 O
…例へば、右翼といふやうな党派性は、あの人(三島由紀夫)の精神には全く関係がないのに、事件がさういふ言葉を誘ふ。 事件が事故並みに物的に見られるから、これに冠せる言葉も物的に扱はれるわけでせう。事件を抽象的事件として感受し直知する事が易しくない事から来てゐる。 いろいろと事件の講釈をするが、実は皆知らず知らずのうちに事件を事故並みに物的に扱つてゐるといふ事があると思ふ。 事件が、わが国の歴史とか伝統とかいふ問題に深く関係してゐる事は言ふまでもないが、それにしたつて、この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけが責任を背負ひ込んだ個性的な歴史経験の創り出したものだ。 さうでなければ、どうして確かに他人であり、孤独でもある私を動かす力が、それに備つてゐるだらうか。 小林秀雄 「感想」より
441 :
考える名無しさん :2009/01/05(月) 11:05:38 O
思想の力は、現在あるものを、それが実生活であれ、理論であれ、ともかく現在在るものを超克し、これに離別しようとするところにある。 エンペドクレスは、永年の思索の結果、肉体は滅びても精神は滅びないといふ結論に到達し、噴火口に身を投じた。 狂人の愚行と笑へるほどしつかりした生き物は残念ながら僕等人類の仲間にはゐないのである。 実生活を離れて思想はない。併し、実生活に要求しない様な思想は、動物の頭に宿つてゐるだけである。 小林秀雄 「文学者の思想と実生活」より
442 :
考える名無しさん :2009/01/17(土) 21:40:48 O
つまり、どうだっていいことなんですよ そんなことは
443 :
考える名無しさん :2009/01/20(火) 21:42:23 0
>432 ドゥルーズという若い人がいてね、とか何とか言ったんでしたっけ。 この人の『ベルクソニスム』はいい云々。
444 :
考える名無しさん :2009/03/11(水) 23:42:25 O
小林の文章ってどこがいいのかさっぱりわからん
ユリ・ゲラーに関してメチャクチャな事言ってたよなあ。 不思議を不思議と受け止めないのはいかん、とか。 あんなの常識的にインチキだろうが。
446 :
考える名無しさん :2009/03/20(金) 06:22:22 O
若い時代に講演会やったら、聴きに来た学生が一升瓶を渡して 来たんで、相好を崩して受け取って持ち帰ったらそれがイタズラで、 って話あったな。 何をやったもんだか。
447 :
考える名無しさん :2009/03/20(金) 09:17:06 0
そう、重要な問題だが、小林の物理学観は相対性理論の世界だな。 ベルクソンがそうだった。小林は科学を非実在の世界を扱うものだと 考えていたらしい。これはカントの物自体についての考え方と一緒だ。 ベルクソンも小林も生物学的政治思想の有害性に関する問題意識は なかったわけだが。
生きてるときはずいぶんと持ち上げられたんだよこの人も 死んだら忘れられたけど
花の美しさはない。美しい花がある。 古典主義は現代では流行らんだろうねー
450 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 02:14:58 0
NHKの『マイブック』のコーナーにて。 石原慎太郎「斉藤(友子)さん、あなた自分が天才だと思う?え、思わない。 僕は若い頃、自分は天才だと思ってた。ランボーを読むと、天才って本当に いるだと分かる。この間、小林さんと電車で一緒になったんだ。ランボーの 話になって、僕が何でランボーは詩作を止めたんでしょうか、って訊いたん だ。そしたら、小林さんが言うには、ランボーは偉いから労働の尊さが分かっ ていたんだって。」
451 :
考える名無しさん :2009/05/10(日) 02:28:27 O
rendezvous
452 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 15:02:00 O
近代日本文学史において、はじめて、「芸術としての批評」を定立した人。 批評を、真に自分の言葉、自分の文体、自分の肉感を以て創造した人。 もつとも繊細な事柄をもつとも雄々しく語り、もつとも強烈な行為をもつとも微妙に描いた人。 美を少しも信用しない美の最高の目きき。獲物のをののきを知悉した狩人。 あらゆるばかげた近代的先入観から自由である結果、近代精神の最奥の暗部へ、づかづかと素足で踏み込むことのできた人物。 行為の精髄を言葉に、言葉の精髄を行動に転化できる接点に立ちつづけた人。 認識における魔的なものと、感覚における無垢なものとを兼ねそなへた人。 知性の向う側に肉感を発見し、肉感の向う側に精神を発見するX光線。 遅疑のない世界、後悔のない世界、もつとも感じ易く、しかも感じ易さから生ずるあらゆる病気を免かれた世界。 一個の野蛮人としての知性。 一人の大常識人としての天才。 三島由紀夫 「小林秀雄氏頌」より
453 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 15:47:48 0
しぜんはこうかいしても待ってくれない。
454 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 18:47:48 0
宮下さんどうしたらいいか言ってくれ
455 :
考える名無しさん :2009/05/12(火) 22:16:11 0
下
456 :
考える名無しさん :2009/08/07(金) 13:10:29 O
457 :
考える名無しさん :2009/08/08(土) 21:47:15 0
>>456 茂木健一郎の「脳と仮想」に唆されて買った。
458 :
考える名無しさん :2009/08/11(火) 01:12:59 O
ほす
459 :
マルメラードフ :2009/08/16(日) 09:46:51 0
昨日から「感想」を読み始めて3分の1のところです。小林秀雄の文章はまねをするとひどいものに なると思う。客観的に記述して分析していく部分が少なく、かんじんのところにくるとスパッと断言 する。それは講演集を聞いても同じであるようです。それが一部の人には魅力的に映るのかもしれな いが、もっともっと後の時代に読まれるであろうときに、はたして説得力を持ち続けることができる であろうか、疑問です。例えば彼の尊敬する本居宣長の文章は、(彼の思想に共感するかどうかは別 にして)意外にも論理的で原因と記述がしっかりされたものですし、ベルグソンの文章についてはい うまでもありません。小林秀雄にしてみれば、その先にあるものを語るのが批評である、のかもしれ ません。ただし「感想」を読み進めながらわかってきたのは、彼の方法が非常にベルグソンの思想に 共鳴したもので、いわゆる科学論文の対極をめざして書かれてたものだということです。彼の文章は よくできた感想文といったものではなく方法的に煮詰めてできたものである。逆にいうと、彼のスタ イルに影響されてものを書いている人にはべルグソンの思想に基づく方法論がすっぽり抜けているた めに、断言だけが残り、分析記述もないひどいものが(全てではない)多いと考えます。ひどいのに なると、好きか嫌いかだけで断言して、本物を見る眼とか言い出してしまう。
460 :
考える名無しさん :2009/08/17(月) 02:10:46 0
461 :
考える名無しさん :2009/12/14(月) 10:16:19 0
>452 加地 伸行氏の「沈黙の宗教―儒教」を読んだら 小林秀雄氏を思い出してならなかった。 「一人の大常識人としての天才。」 常識=日本人がなんとなく身につけてしまっている死生観 という意味で、非常に上手い言い方と思う。
462 :
考える名無しさん :2010/02/12(金) 14:21:07 0
>>459 自分の文章は散文じゃなくて詩だとご自身で言っておられたようですが。
実はお化けを信じるやつはリアリストじゃない。
464 :
考える名無しさん :2010/02/12(金) 23:26:44 0
精神的なものこそが真に実在するのであって、科学的な実在論は影みたいなものと 考えていたフシはある。観念実在論とは違うんだが。
ベルグソンは生物学的哲学で、ナチズムの露骨な優生思想の反省で、 戦後は急速に評価を落とした。『感想』の中断理由もそこにある。 本居は実証主義的文献学者で、思想的には仏教に近いんじゃないか? 焼け野原から来る無常観が戦後の小林の背景にあるように思う。
「無の哲学」とか、そいういうのが当たり前だった時代の人だ。
悠然として渾然たるネヴァ河 安岡章太郎 一九六三年、小林秀雄、佐々木基一の二氏に、私を加えた三人は三週間ほどのソ連旅行に出た。 何の目的もない旅だが、それが甚だ愉快であった。 エルミタージュ美術館に出掛ける前夜、通訳のリヴォーヴァさんが、「いよいよエルミタージュですよ、 ようく休んで疲れを取って置いてね」という。「わかりました」と佐々木さんが謹厳にこたえる。そんな ヤリトリを奥の部屋で聞いていた小林さんは、「なに、エルミタージュ? どうせペテルブルグあたりに来ているのは、大したものじゃなかろうよ」と、甚だ素気ない様子であった。 翌朝、その小林さんの姿がホテルの中に見えない。われわれが狼狽気味に部屋を探していると、 「やあ失敬」と先生があらわれた。「朝起きぬけに一人でネヴァ河を見てきた」とおっしゃる。「ネヴァ河 ですか」私たちは唖然とした。小林先生の地理勘は甚だ弱くて簡単な道にも直ぐ迷われるからだ。 「しかしネヴァは、じつに好い河だ、悠然としていて、あれこそロシアそのものだ」だが私には、その 悠然渾然たるものは、河の流れよりも、寧ろ先生自身の人生態度にあるように思われた。 エルミタージュでは気の狂ったように絵を見回って、終わった時には虚脱して脂の抜けた干物みたいに なってたんだと。
468 :
マルメラードフ :2010/02/16(火) 22:17:55 0
>>465 『感想』の中断は、相対性理論及び最新科学理論との対決に小林秀雄の準備が充分ではなかったこと
が原因である。たしか『人間の建設』の岡潔との対談のなかでいっていた。(手元に本がないので引
用できず。)大体の見当はついているのだがそれだけではものは書けない、と。しかし小林はあきら
めたわけではない。ある意味で『本居宣長』はべルグソン論の続きなのである。『「本居宣長」をめ
ぐって』江藤淳との対談のなかで本居宣長の「「古事記伝」とベルグソンの哲学の革新との間には本
質的なアナロジー(類似)があるのを、私(小林)は悟った。」引用終)とある。さらに「本居宣長
補記1」では、暦がなかった古代の大和を通して時間の本質について鋭い分析を行い相対性理論にふ
れている。(短いが非常に面白いので未読の人は是非読んでください)この文章は1979年に発表
されたものだから『感想』1958年から21年経過している。小林秀雄しぶとい。(笑)
ふんふん、同時期に出版されたラッセルの『哲学史』で展開された ベルグソン批判に通じるような側面を捨てて、時間論で立て直した のな。 宣長は、蘭学の影響と危機感で国学を始めたのだろうが、生物学 より文献学だからな。
日本書紀の影に隠れていた古事記を引っ張り出したり、 邪馬台国九州説を唱えたのも宣長だ。戦後の良識的な 知識層の流れに沿ってはいる。
471 :
マルメラードフ :2010/02/18(木) 00:06:41 0
さらに1948年まで遡れば、『人間の進歩について』ノーベル賞受賞1年前の湯川秀樹との対談で 「こっちがあんまり無学過ぎるんで」と謙遜してはいるものの、いわゆる文学者のレベルを超えてい ろいろな物理学の書物を読んでいるのが伺えるし、いうまでもなくアインシュタインとベルグソンの 名前も出てくる。唐突に思われるかもしれないが、私には同じくベルグソンの影響を受けた哲学者西 田幾多郎を思い出させる。西田幾多郎には1944年に『物理の世界』と『空間』という論文があり 、ベルグソン哲学にふれつつ物理学の時空理論との対決をはかったスリリングなものである。いわゆ る京都学派の晦渋な観念哲学には批判的だった小林であるが、同時代性を感じざるをえない。
まあ、表現方法に批判的だけだった話しで、アインシュタイン来日に湧いたあの頃の雰囲気は共通したものがあるでしょ。 一方で科学主義への危機という側面も共通しているし。
世界の名著『ベルクソン』の最初は「形而上学入門」だ。読む気にならんけども。 カミュが哲学エッセイ『シジフォスの神話』で断固と飛躍を拒否しているのは、 ベルクソンの「エラン・ヴィタール(生の跳躍)」が下敷きになっているか知らん。
巻頭のベルクソンに関する解説をめくると、すぐ以下の文章が目に入る。 一九〇三年、フランスの哲学雑誌Revue de mrtaphysique et de moraleに 発表した「形而上学入門」において「知的直観」intuition intellectuelleという 語を用いた彼が、その論文を後に論文集『思想と動いているもの』に転載 するに当たって「心的直観」intuition spirituelleと書き換えていることは意味 深いことである。 ・・・第一次大戦後の主知主義批判にベルクソンも配慮してのことだろうが、 60年代の終わり頃の日本の知的水準も、当たり前にこの程度のことは指摘 したわけだな。
475 :
マルメラードフ :2010/02/19(金) 00:47:32 0
ノーベル賞受賞前のアインシュタインを招いたのは当時の京都帝国大学系の人達であった。もちろん西 田幾多郎もその圏内にいた。湯川秀樹はそもそも青年時代西田哲学の熱心な読者であったから、単に優れ た物理学者の一人なのではない。小林との対談後にアインシュタインのいるプリンストン研究所に行く。 周知のとおり西田の論文と小林湯川対談の間には原子爆弾がある。 世界の名著『ベルクソン』とは澤潟久敬編集版のことだと思うが、彼は1904年生まれの京都帝国大学 系の人である。昔青空古本市で偶然彼の『ベルクソンの科学論』を数百円で買って読んだが非常に面白 かった。小林秀雄が1902年生まれだからほぼ同年齢の人である。ベルクソンの知人でもあった九鬼周造 の弟子で、『偶然性の問題』の仏訳者でもある。 以上からわかるとおり戦前日本の知的水準も決して低くはない。
西田もベルグソンの影響はあるか知らんが禅やってるから、 進化論の丸呑みはさすがにしてないな。ベルグソンの方がこちらの 影響受けたのではないか知らん顔。
「心的直観」は禅で言う「直指人心」だが、これを フィヒテ風の主観主義と取ると大迷走を始める。
主知主義批判は反合理主義を惹起する危険もある。燃えている油に焦って水を注ぐと 爆発する。第二次大戦にはそういった側面もあるか知らん。
科学の時代は理性的であることと科学的であることを混同しがちになる。 科学的でありさえすれば理性的だということになって、ダーウィン学説が 動物的な本能を強調するとケダモノみたいに生きるのが科学的で理性的だ という本末転倒した話になってしまう。
適者生存の原理で人類が進歩するのが素晴らしいと思えるのは、 自分がその進歩した世界に居場所があるという前提でのことだ。 ヨーロッパは第一次大戦で淘汰される側に立たされているのに 気づいて幻想から覚めたわけだな。
19世紀半ば以後のダーウィン学説の勝利はヨーロッパ・カトリックに 対するアングロサクソン・プロテスタンティズムの優位をも意味して いた。このイギリスが起点になって形成された世界観が第一次大戦まで 続いた。
482 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 22:35:12 O
善悪、正邪、つまりは良心の問題は人間が生きる上で最も基本的な問題だ。 それは子供のしつけを考えたら分かるだろう。 近代合理主義は人間がそういう問題に向き合うことが困難であるような世界に 我々を連れ去ってしまった。 とうに生命を失った象徴をけばけばしく飾り立てて、それらが今でも価値が あるかのような欺瞞で覆い隠してはいても。
483 :
マルメラードフ :2010/02/19(金) 22:58:43 0
>>462 昔雑誌『批評空間』のシンポジウムのなかでそのようなことを誰かが発言しているのを私も読んだ覚え
がある。しかしどの書物での小林秀雄の発言かは不明である。本居宣長(小林)に即していえば、天地
のありかた(実在)にそっていない理論(散文)はどうとでもいえるが単なる説得術にすぎず、漢ごこ
ろで書かれた文章なんか俺は書きたくない。(漢字文化が入る前の)大和ごころを知るこころでもって
(万葉の詩心をもって)俺は(文章で)実在にふれたい。それは詩に近いものになるかもしれない。
おおよそこのような意味でいったのではないか、と思う。しかし今でも原因分析=記述は必要であると
いう私の考えは変わっていない。
「良心」は英語では"con-science"、原義は「共通認識」だと思うんだが、 確かに善悪の観念は他者と共有しないと意味がないような 面はある。 人はともすると道徳などというのは子供向けのものだ。それを自由に変更するのが 大人であることだと考えたりするが。 しかし大人であるということは個別の問題について善悪の判断を自分で下せることは 意味しても、善悪そのものを好き勝手に変更するということには必ずしもならない だろう。
前にも言ったが、万葉集の編纂されたと考えられている七世紀の終わり頃と言ったら 聖徳太子が仏教隆盛をさせて百年も経ってんのな。
486 :
マルメラードフ :2010/02/20(土) 09:55:02 0
>>485 そのとおりだと思うが、本居宣長のいっているのは、文字(漢字)が入る前にも人は生活していたし
言葉をつかっていた。ただ文字がなかった。文字が入ってきた時に「コヨミ」という言葉は「暦」に
該当するであろう、とあてた。「ツイタチ」という言葉には「一日」に該当するだろう、と。その時
人々の生活は大きく変化したであろうと想像されるが、なにかを得てなにかを失った。その悪いとこ
ろを漢ごころとして批判しているのである。だから、たしかに万葉集は文字でかかれているが、逆に
そこから大和ごころにふれることもできるはずである。そのためにはもののあわれを知るということ
が方法論として非常に重要になってくるし、万葉集や源氏物語という作品が重要になる。以上ちょっ
と図式的すぎるかもしれない。もっと本居宣長に詳しい人の解説を待つ。
漢心(唐心)ってのは論理的思考な。蘭学はヨーロッパ大航海時代以後、 アリストテレスの普及と並行して日本に流れ込んだことになるか知らん。
宣長は杉田玄白と同時代人で国学は蘭学と並べて見られるべきものらしいな。 南蛮渡来が始まって日本を相対化する視点が増えて、中国大陸文化の影響も距離を 保って評価出来るようになったと見ることも出来るんでないか?
豊田の社長の涙も、宣長にしてみたらもののあはれとは感じないかもしれないな。
490 :
マルメラードフ :2010/02/27(土) 13:56:51 0
私の理解の浅さ=説明のまづさから誤解を招く恐れがあるので書いておく。本居宣長の漢ごころ批判の 漢は別に支那のことを指しているわけではない。本が手元にないので引用できないが、西洋でも漢ごこ ろでありえるし、大和でも漢ごころでもありえる、といっている。だから漢学はだめで蘭学はよいとい っているのではない。ましてAという思想はだめだがBという思想はよい、といっているのではない。例 えば、ヘーゲル哲学はだめだがカント哲学はいいといった程度のこととは違う。彼の批判の射程はもっ と広く深くて、その思想がよりどころにしているlogicの根幹に関わるものだ。彼の言葉に「大御国ハ 道アルガユエニ道ナカリキ、道ナカリシカドモ道アリキ」とある。ちょっと意味がわかりにくいが、古 代大和の国には人の道があたりまえに行われていたから「道」という言葉はなかったし、必要もなかっ た、「道」という言葉はなっかたが人の道は行われていた。大体こんな意味だと思う。道とは道理の ようなものだがもっと広い意味をもっているに違いない。いずれにせよ、概念規定せざるをえないlo gicに対する本質に批判をくわえているのが感じられるだろう。
保守
492 :
考える名無しさん :
2010/08/28(土) 19:45:41 0 哲学者というよりは、説教者としての小林秀雄だな