ついでに、以前チンポさんからもらい、僕が感銘を受けたレスをコピペしておきます。
僕はチンポさんのこの意見に全面的に賛同します。
410 名前:チンポ太郎 :02/09/27 09:54
今回は極度に物腰の柔らかい人達が参加しておりますね。
まあ、私は対立よりも調和を尊重しますのでそれはいいことなのかも知れない。
心身問題については私もいろいろと考えております。我々は常に「物と心」と
いう図式から出発して、それを批判するという事を繰り返す訳です。
どうしてこんな二元論が何千年もまかり通っているのか、私も不思議です。
それから勿論、我々は一挙にこの心身の図式を放擲して、人間存在の規定に
乗り出す事ができるのではありません。少なくとも自分はそう思う。
心身二元論がどうしてここまで根強いのか、この根強さの起源を説明する
必要があります。これは二元論の内部に侵入し、二元論を内部から解体する
作業です。大森先生はこのような解体作業をなされていたのであって、
決して心身二元論に呑まれていたのではないと思う。その位、偉大な人です。
我々は受け継がれた伝統を無視して物を語る事はできません。
従って、私が「心身という概念を用いずに」という時、私は伝統的心身二元論を
頭から無視しろと言っているのではないのです。「心身」という図式の根源に
まで遡行し、それが何に根づいているかを明らかにし、その心身二元論の「限界」を
理解するという事を言っているのです。
限界を理解した時に、心身問題の真の意味が明らかになると思います。
それはそもそも何故このような問題設定がなされたのか、という問いの起源に
遡る作業です。そして、この起源において初めて、「別の問い」、つまり、
心身二元論的ではない、全く新たな問いが可能となるのです。
私はそういう歴史的な解体作業を通じてのみ、新しく物事を始める事が
できると信じております。
最後に。
>俺が指摘するように
>彼の自説は自我が所与として存在し疑わない所が未熟である。(他スレ70)
僕は、自我を出発点に世界を説明するのではなく、
世界を出発点に「(そこに現れる)自我(私)とは何だろうか?」
を考察しています。
「自我」ではなく、「世界」の存在こそ所与として疑っていないのです。
コップが見えているとき、
「コップは幻かもしれないが、それを見ている「私」は確実に存在する」
と考えるのではなく、
「見えているコップこそ(たとえ見間違いだろうが)その存在を疑えない。
(そのコップから分離された)それを見ている「私」こそ疑うべきである」
と僕は考えます。
いわば、この世界をスクリーンに映る映像だとすれば、そのスクリーンを鑑賞している「私」
は存在するのだろうか?ということです。
そして僕は、この映像の映ったスクリーン(私に与えられた世界)そのものが「私」ではないかと
考えているのです。
この問題を考える為に、(僕やパレルゴンさんが批判している)デカルトを読んでいます。
それにしても、デカルトは凄いですよ。
時間も無く、推敲もおろそかに一気に書き上げました。
失礼な言い方もあると思います。すみません。
パレルゴンさんレベルの論客で僕の相手をしてくれる人は
僕にとって貴重な人材です。これからもよろしくお願いします。
追加
>チンポさんは、「入門書や解説書で終わるのではなく原書を読め」といいます。
>東大スレの1さんは、「入門書など読むな」と言ってました。
分析の大物コテ、稲さんも「解説書など読むな、直接当たれ」と言ってました。
917 :
パレルゴン:04/08/21 20:22
長い文章に感謝です。
先ず誤解を解きたいと思います。
1)ポールさんを論破したいと思って反論したのではありません。
私の進める哲学から、矛盾点、問題点を述べたまでです。
2)解説書・入門書に対する蔑視については、学問のやり方の違い
でしょうね。どちらが良い悪いと言う断言はどうかと思います。
哲学に上下をつける事になります。「俺は原書を読んでいるから上だ。」
と言う意味になりますからね。
解説書にも色んな本があります。例えば、「現代思想の冒険者達シリーズ」
はかなり高度な解説書です。これを入門書とはいえないと思います。
918 :
パレルゴン:04/08/21 20:30
逆にこの様に反論も出来ます。
つまり、全ての哲学書は解説書である。
なぜならば、それは、貴方も言っているように、独自で確立した
哲学はないと言う事です。全ての哲学者は他の哲学者の理論の
解釈です。ですから、解説書は劣るとはいえないと言う事です。
また、私が原書を読んでいないという断定に対してですが、
以前にも申しあげましたが、原本を全和訳本であるならば
デカルト、フーコー、デリダ、ドゥルーズ、フロイト、マルクス
等読みました。ただ、私の場合は、どれを読んだからどうだと言う
哲学の姿勢はとっていません。どのように理解したか、理解できたか
が哲学を進める上での姿勢です。
919 :
パレルゴン:04/08/21 20:35
貴方が、私のレスに対して不快を感じているのならば、レスは止めましょう。
私は大森さんについて全く知りませんし、興味もありません。
ただ、大森さんが解説者でないと言う保証はあるのでしょうか。
哲学が西洋を土壌として生まれたものであるならば、日本人の哲学は
全て解釈・解説とも言えるのではないでしょうか?
自分で考えるから、解説ではないと言う反論が聞こえてきそうですね。それはそれで解釈の違いとして
了解します。
920 :
パレルゴン:04/08/21 20:48
最後に誤解を解きたいと思います。
「1. パレルゴンさんは学派に囚われすぎている。そしてその分類を人に当てはめる。
2. 哲学に進歩史観を持ち込んでいる。」
上記の文章についてですが、1については学派による理解を進めている事を認めます。
なぜか、哲学の論理は時代と共に変わるからです。今の言葉で言えば、パラダイム
=エピステーメーに左右されているとでも言いましょうか。だから、思考パターン
に敏感になる必要があるからです。構造主義以降はこう言うアプローチの仕方
が重要になります。だから、学派別の解釈を明確にする事が僕の哲学のスタイル
にはありますね。認めます。
2.については全く逆です。進歩論を否定したのが構造主義以降のフランス哲学です。
哲学が言語でなされるとするならば、それで作られた概念とは恣意的差異
により成り立っていると考えています。詳細については、ここでは省きます。
921 :
考える名無しさん:04/08/21 20:51
>>920 現象学は古いから駄目なのではなかった。
922 :
パレルゴン:04/08/21 20:57
再確認ですが、私は、ポールさんを誹謗した事はないと考えています。
誤解があったのならば、私の至らなさによるものでしょう。
私は貴方の文章から感じる私の意見を述べたまでです。
それ以上の事は何も考えていません。むしろ、貴方のように一歩一歩
哲学を進める姿勢はりっぱだと思っています。
私は、貴方が思っているよりも、多分真面目であり、真摯に哲学に向かっています。
その所が、こう言うレスには表れてこないのでしょうね。
私も、貴方と同様真実を知りたかったと言う事から、哲学を始めました。
923 :
パレルゴン:04/08/21 21:06
921
揚げ足をとるよりも、自分の意見をきちっと書いてね。
いま、忙しいので中傷は避けましょうね。
もっとも、ここは、ポールさんのスレッドですから。
ポールさんへ922の続き。
勉強の仕方の違いはありますが、哲学に対する姿勢は大きく異なってはいない
気もします。ただ、だからと言って、ポールさん推薦の本には興味は
ありません。大森さんの哲学は知りませんが、ポールさんの説明から推察
すると、フランス哲学の読み直しの気もしますね。
多くの日本の哲学者は西洋哲学の影響を受けているのも事実ですからね。
以上はなはだ簡単ですが、返事させていただきました。
健闘を祈ります。
多くの無知な煽動がなければもっとスムーズに行けたかも知れませんね。
924 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/21 21:36
>>913 >「コップは幻かもしれないが、それを見ている「私」は確実に存在する」
>と考えるのではなく、
>「見えているコップこそ(たとえ見間違いだろうが)その存在を疑えない。
>(そのコップから分離された)それを見ている「私」こそ疑うべきである」
デカルトのコギトの逆ですね、簡潔にして明晰です
世界から出発するところはかなり自分と近いですね
自分の場合は世界を私と同一視しないところですね
私も他者も世界の相貌、アスペクトにおいて現れます
目の前にあるコップの意味というのも私と他者で変わってきます
例えば私にはただの日用品に見えるが相手にとっては思い出の品とか…
これが「意味の発信源としての他者」ですね
925 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/21 21:43
新しい「意味の発信源」がオリジナルなもの、リアルなものです
灰皿を裏返すと裏が見えるとかその程度でもいいし
円周率πが超越数で無限に数を生み出し続けるという事でもいいです
自分が先取りできない情報がある(と想定される)対象を
他者とか無限とか言ってる訳でそれは私の世界に空いた穴です
他者や無限は私の世界に収まりきらない
926 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/21 21:57
空想大食い大会で「そういうお前を喰った」という和尚のような
ポールさんの無敗論法「それも<私>の世界の〜」の件ですが
まず以前指摘したようにこれは形而上学的な主張です
独我論者も振る舞いにおいて他と変わらないんだから
しかも他者を抹消しているため他者に証明できない
もう少し丁寧に考えると<私>の存在は経験によらないんですね
世界がどう変化してもその総体である私は存在する訳だから
トートロジーが現実の像でないようなものですね
927 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/21 22:05
しかし経験世界がすなわち私ならば
動物や昆虫でも「私」がある事にならないでしょうか
自分は動物には「私」はない気がします
「私」には自由とか意図とか
色々な問題が関係していて
もう少し複雑ではないかと思う訳です
自分の主張は単純です
動物には言語がないからアスペクトもない
だから自由も意図もないのです
>もっとも、ここは、ポールさんのスレッドですから。
?
スレタイにコテハン名が入っているからかw
2ちゃんのスレッドの所有権がコテハンにあるわけないだろ。
思い上がるのもいい加減にしろよな。
>>917 >解説書にも色んな本があります。例えば、「現代思想の冒険者達シリーズ」
>はかなり高度な解説書です。これを入門書とはいえないと思います。
これはどうかな。特にしろうとやポールはこういう意見に最も反対なんじゃないの?
ああいう俗っぽさ丸出しの解説書へのアンチとして2ch哲板もあるんだと思うし。
930 :
THE グル :04/08/22 13:47
>>913 いいですか、
おっしゃっておられることが無茶苦茶ですね。
といいますのも、
>「見えているコップこそ(たとえ見間違いだろうが)その存在を疑えない。
>(そのコップから分離された)それを見ている「私」こそ疑うべきである」と僕は考えます。
とありますが、
それを見ている「私」こそ疑うべきであるとされることによって、
「私」があることは自明になっているんでして、
それは疑い得ないわけであります。
しかしながら、
そのコップは、
それが無いと仮定したり、
自身について言及できませんから、
コギトのないコップ自体がその存在を証明できませんし、
物体そのものであるコップはまた、
自然の光をもたないものとして存在し、
精神とは依存関係にないんです。
ですから、
精神の本性であるコギトが起こらないため、
その存在を幻と仮定してしまったら、
それで懐疑は終了なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
931 :
考える名無しさん:04/08/22 15:18
横レスだが、俺も「私」は疑い得ないとおもうなぁ
932 :
考える名無しさん:04/08/22 15:28
世界は瞬間ごとに、そのように「私」に「現れる」のであるから
「私」は世界が現れるための条件である。
933 :
考える名無しさん:04/08/22 17:10
スクリーンが映像をそこに映し出す条件であっても、映像の原因とは言えない。
>パレルゴンさん
>再確認ですが、私は、ポールさんを誹謗した事はないと考えています。
>>922 わかっています。悪気は無かったことは。
僕はここ哲板において、議論するかどうかを決める決め手は、
相手の知識の有無ではなく、議論における誠実さを持っているかどうかです。
どれだけ知識を持っていようが、有意義な議論のできそうに無い相手
(たとえばすぐ煽るとか)は、貴重な時間を取られるのが目に見えてるので、
完全無視の方針をとっています。
そしてもちろん、パレルゴンさんは議論できる相手です。
現象学批判は全然構わないんです。ただ、僕がカチンときたのは、
僕を現象学の枠組みに押し込めることもさることながら、
ポスト構造主義が現象学より後に発生した思想で、それが現象学を
批判しているという理由から、「現象学はやっても意味が無い」「古い」
「解説書で充分」「現象学の知識は吸収した」(
>>86等)というその不誠実な発言です。
なぜ、最低限の直接当たる努力をした上で、これらの発言をしないのか?
その努力をする気が無いなら、あれこそ言うべきではありません。
僕から見れば、多読を売り物とするなら、現代思想だけでなく、現象学、
言語哲学、プラトンから連なる数々の古典は当然のこと、自然科学、社会科学も
押さえて初めて多読といえるはずなのに、現代の一部の思想の視点から、
「やるだけ無駄」と切り捨てるその態度は、知的誠実さを持った人の発言とは
到底思えなかったからです。
これが、前述の「議論するだけ無駄な相手」ならいつも通り無視して終わり
だったのですが、それが誠実な議論ができる人だと思っていたパレルゴンさん
だったので感情的になってしまいました。
僕は現代思想に無知であり、パレルゴンさんの指摘の意味がわからない
箇所が多々あります。それについて、詳細な説明を願おうと思っています。
よろしくお願いします。
>しろうとさん
>ポールさんの無敗論法「それも<私>の世界の〜」の件ですが
無敗論法・・。いい表現です。
これがある限り、「独我論最強!」です。
無敗論法とはいわば、これを出したら即勝負が決まってしまう「ジョーカー」
みたいなものですが、それでは議論にならないので、使わないようにします。
>自分が先取りできない情報がある(と想定される)対象を
>他者とか無限とか言ってる訳でそれは私の世界に空いた穴です
>他者や無限は私の世界に収まりきらない
>>925 ああ、「私の世界に空いた穴」とはそういう意味ですか。なるほど。
確かに、「僕の世界」が広がっていく原因として、そういった「穴」から
流入してくる何かがありますね。
僕は独我論者ではありませんが、「世界は独我的に成り立っている」
つまり、「他者にも、私と同様に世界が存在していることは証明できない」
ということは疑っていません。
しろうとさんはこの僕の「常識」を打ち壊してくれそうで、楽しみです。
>しかし経験世界がすなわち私ならば
>動物や昆虫でも「私」がある事にならないでしょうか
>自分は動物には「私」はない気がします
>>927 この考えには、「私も、他者や動物、昆虫といった他の存在者と同じあり方をしている」
という客観主義的前提があると思います。
「昆虫には意識は無いかもしれない。しかしそれはある条件(身体的条件)が
昆虫に備わっていないからであって、条件さえそろえば、昆虫にも意識は生まれる。
なぜなら、昆虫も私も、同様の原理で成り立っているからだ」という信念です。
もちろん僕も、僕は他の存在者と同様、その他大勢の中の一存在者にすぎないとは
思っています。しかし、その考えでは、この僕の特異なあり方を見逃すことになります。
だから僕は、哲学を考えるうえで、安易に客観主義的前提を受け入れたくないのです。
世界を観察した時に何が不思議かといえば、
「なぜ世界は、僕の身体を中心に現われるのか?」
ということがつあります。
これを客観主義は、「身体(物質)が心を産み出すから、世界は身体を中心に現われるのだ」
とします。しかし、かりに物質が心を産み出すとしても、いつも決まった物質(僕の身体)を
中心に世界が現われる必要はないし、世界の中心が飛び飛びに移動していってもいいわけです。
そもそも、世界が現われる原因である物質(僕の身体)さえも世界に現われる一事物に過ぎません。
たまたま、(僕の)世界と深く関連があるゆえ、それが(僕の)世界の原因であろうと推定しているだけです。
僕が哲学に関わる前は、(僕の)身体と他の事物との境界ははっきりしていました。
しかし、哲学を学び始めることによってその境界があやふやになってきました。
「果たして、(僕の)身体だけが僕であるといえるのか?」と。
僕とは、僕の身体を含む世界全体をも包む概念ではないか?
僕の身体以外の事物(=世界)から分離された僕など存在するのだろうか?
「僕 → 世界」という図式から、世界を取り去った純粋な「僕」など存在するのだろうか?
それは、面積をもたない幾何学的「点」と同様に、思考的には存在するが、
実際には存在が矛盾する概念ではないだろうか?
僕自身、問いを明確化させることがいまだできていませんので、うまくいえませんが、
世界を見渡した時の、この奇妙さを「飛び越える」ような安定した理論を安易にいきたくない
と考えています。
すみません、またダラダラ書いてしまって。しかも時間切れです・・。
適当に飛ばし読みしてください。
残りは後日・・。
942 :
考える名無しさん:04/08/22 19:29
さすがに揚げ足取りではすまん罠>古いのだ。現象・現象で何があるのだ発言
別に指摘されたことを恥と思わず、ステップアップすればいい話。
943 :
考える名無しさん:04/08/22 21:36
>>940 自分と言うのは皮膚境界を越えて世界大に拡大する概念というのは
元々は誰が言ったか知りませんが、広松渉先生も言ってますね
ちなみに、ちゃんと考えた場合、自分もそう思います
944 :
考える名無しさん:04/08/22 22:58
ある記号に対応させる内容の任意性を論理的可能性の枠ととるなら
当然「自分」という概念の枠が世界大に拡大すると見ることはできるわな。
そういう話をしてるんじゃないって?
いやいや、そういう話だよ。
945 :
考える名無しさん:04/08/22 23:16
我々は、瞬間瞬間に現れる世界を、言わば、積分して「世界像」を構築している。
そして、この「世界像」は時間的にも空間的にも厚みや広がりを持ったものなのだ。
更にまた、それを、「世界」と見なしたりもしているのだ。
ポスト構造主義批判は全然構わないんです。ただ、僕がカチンときたのは、
僕をポスト構造主義の枠組みに押し込めることもさることながら、
現象学がポスト構造主義より先に発生した思想で、それがポスト構造主義を
批判しうるという理由から、「ポスト構造主義はやっても意味が無い」「新しい」
「解説書で充分」「初心者は『本物』を読むべきだ」というその不誠実な発言です。
なぜ、最低限の直接当たる努力をした上で、これらの発言をしないのか?
その努力をする気が無いなら、あれこれ言うべきではありません。
>>947 単純に不当だとは思わないか?
自分の態度を棚に上げて他人を批判するのって。
949 :
考える名無しさん:04/08/22 23:53
パレは実際読んでないし読む気もない
ポールは読み込んでないが知る気はある
「態度」って点で棚上げしてると思えんが
950 :
考える名無しさん:04/08/22 23:58
>>939 世界は、まず、感覚、知覚的に捉えられるからでしょう。眼も耳も体に付いているのだし。
>>949 「気はある」?
赤の他人のお前がそんなこと云々したからって何なんだ?
つまらん。
952 :
考える名無しさん:04/08/23 01:05
>>939 私は歩く。私は食べる。私は話す。・・これらは皆、体の動作ですね。
953 :
考える名無しさん:04/08/23 01:41
954 :
考える名無しさん:04/08/23 03:14
>>949 話に説得力があるかどうかでしょ
で、「私」が世界大に拡張するのは説得力を持つ
それがなぜかを分析するのが哲学 あんたのは屁理屈w
× 949
○ 944
失礼
949 名前: 考える名無しさん 投稿日: 04/08/22 23:53
パレは実際読んでないし読む気もない
ポールは読み込んでないが知る気はある
486 名前: 女帝グェス ◆1dMlI2wLRM [sage] 投稿日: 04/07/07 17:30
ちょっと前まで他人の意見をパクってばかりいたし、実際、独創性もあん
まり無いけど「考えようとしてる」ところは見えるからね。
157 名前: チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 投稿日: 04/08/20 07:27
本音を言わせてもらうが、もう君達にはこっちが飽きているんですよ。
大体、君達の反応はいつもワンパターンで面白くないし、こっちだって
楽しもうと思って書き込んでいるのに、それに見合った煽りもしてくれないし、
なんか、喧嘩のレベルが低いんだよ。
多分、これは諸君の頭脳に比例しているんだろうけど、人を罵倒するのにも ←
それなりの知力が必要だということを忘れないでおきたまえ。
99 名前: ポール 投稿日: 04/06/13 02:59
がんばってるようだから一言だけ言っておく。
僕の哲板暦も2年近くになり、チンポ太郎さんやKuriharaさんらを
知ってるので、君の煽りは正直つまらない。
もう少し、頭を使って煽った方がいい。
「真の煽りは頭が良くないと出来ない」とは僕の持論だけど、 ←
このままじゃあ、君は頭が良くない方に分類されるよ。
じゃあ、おやすみ。
958 :
考える名無しさん:04/08/24 07:59
959 :
考える名無しさん:04/08/24 17:46
つい最近、大森の『知の構築とその呪縛』を読み始めた哲学初心者です。
ハイデガーの存在論を追いかけている途中でこの本に出会いました。
この本の基本的なモチーフは、ハイデガーの思想と重なると思うのですが、
大森は自分の思想とハイデガーとの関係について、何か述べているので
しょうか?それとも「人様の言うことは関係ない」と一蹴されてしまう
のでしょうか?
上はポールの自演に見せかけた、粘着アンチ。
肝心なネタ元があっても知らんフリするのは上等手段ですな。