1 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :
ポールさん了解です。
内容は、タイトル通りです。
どんどん本音で、アクチュアルに討議しましょう。
皆さん参加お願いします。
それではどうぞ。
本音。
「どうでもいいや」
ポール=パレルゴン説浮上
乙!
スレ立て乙です。
しかし、スレタイ「構造主義」ですか・・。
僕みたいに構造主義でなく、ただこのスレに集まる人たちと
議論したい人でも来ていいですかね?
スレ違いも多いかもしれませんが、構造主義的な見地からの意見が聞きたいので。
柄谷
昔で言えば「政治と文学」とかいうふうに、科学と道徳を含めた政治に対して芸術を自律させようとしてきた運動があった。
ぼくは、とくに冷戦後、それが誤った勝利宣言をした結果、それに対してPCのような短絡的な政治が前面に出てきたという気がするんです。
文学の自律性というのは、それを抑圧しているものに対して言う必要があったわけで、いま文学の自律性といっても、もう何の意味もないんですよ。
この中で、柄谷は勝利宣言という言葉を使っているのは、哲学板住人に対する暗号であるのだ。
考えすぎじゃ……
検証するか・・・微妙だな
柄谷=勝利宣言説浮上
>>9 あるとしたら、そっちの可能性のほうが高いね。
まさか。
12 :
THE グル:04/05/22 23:22
いいですか、
先ほどのスレでのご質問を、
これから順にレスをするんです。
さて、
デカルトの「コギト」についてですが、
彼の言うそこでの<私>とは、
即ち、それを存在させるものにさせている魂(考えるための原理のみを有している精神)は、
身体(物体)から区別され、
それ(身体)の存在を疑ったとしても、
完全に今あるままのモノ(実体としての私)に変わりはないんでして、
クオリアで述べられるところの、
脳の見せる感覚的質世界がその<私>に干渉するものではないと考えるんです。
なぜなら、
それを<私>からの独立した尺度だとか、
欠損だとかは言えないんでして、また、それのみで「魂(あるいはプシュケー)」や、
真理を疑う<私>をどう説明するんでしょうかね。
ちなみに、
>目の前に見えているコップが<私>ではないのですか?
といわれていますが、
その質感が独立して思考しているのではありませんし、
それを他の物体と区別(疑い)しているのは<私>なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
6=キチガイ腐馬(モチロン皆オキヅキダトオモウガ)id:gerageragera
フマ厨来た。
15 :
THE グル:04/05/22 23:29
16 :
考える名無しさん:04/05/22 23:29
ヽ ノ `ヽ r´ ヾ ソ
~ヽヽ U /ノ
ヽノ
/:::::::::::::::::::::\
/::::::::::::::::::::::::::::::::\
|:::::::::::|_|_|_|_|_|
-´⌒二⊃. |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ ⊂二⌒丶
_ソ. |::( 6 ー─◎─◎ ) ヾ__
. |ノ (∵∴∪( o o)∴)
| < ∵ 3 ∵>
/\ └ ___ ノ
.\\U ___ノ\
\\____) ヽ
【下水の中心で】ふまヒロアキ【腐馬が叫ぶ】
17 :
考える名無しさん:04/05/22 23:30
キチガイはここから出て行けー!(シュプレヒコール!
>>15 お手数かけまして。
もしかしたら、どこかの派閥の言説に親しんでいないと
読めない類の隠語かな、と思ったので。
どうもありがとうございます。
ぴかぁ〜、自演でスレ荒らしウザイよ
自スレに帰ってよ
君が帰ったらね。
自演=キチガイ腐馬(モチロン皆オキヅキダトオモウガ)id:gerageragera
プッ
23 :
考える名無しさん:04/05/22 23:34
__
/:::::\
/:::::::::\
/∵-=・=-∴-=・=-
( __//. ヽ,, ,)
彡、 |∪| 、`\
/ __ ヽノ /´> )
(___) / (_/
| /
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
構造主義もポストももう古い。
これからは、私のブログにきなさい。
25 :
考える名無しさん:04/05/22 23:37
366 :夫馬 :04/05/04 07:07
引用とネタ以外ないの?
367 :考える名無しさん :04/05/04 09:56
ストーカーダ キモイ(藁
368 :考える名無しさん :04/05/05 14:25
勝利宣言w
あははははははははははあはははは
/\___/ヽ
/'''''' '''''':::::::\
|(●),(●)、(●)、.:|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|
| `-◎=- ' .:::::::|
\ `ニニ´ .:::::/
/`ー‐--‐‐―´\
(プッ
27 :
パレルゴン ◆fIS71Fbnqc :04/05/22 23:39
ポールさんの問題点を整理すると、
1)「我」とは言語世界の中にいるのか?
2)「我」とは言語世界よりも一回り大きな世界にいるのか?
1)はウィトゲンシュタインの「論考」期。
2)はウィトゲンシュタインの「ゲーム論」以降。
こう言う事でいいの?
1)は実体化した「我」デカルト
2)は実体化しない「我」といえないもの?カントの物自体。
これでいいの?
今日は寝るけど。
夫馬さんそれが勝利宣言ですか?(プッ
パレさんは甘いですね。
夫馬さん気持ち悪がれすぎて名古屋の精神病院からも入院を断られてるって本当ですか?
∩___∩
| ノ ヽ/⌒) て〜せつでーすドかしましたかあ?
/⌒) (゚) (゚) | .|
/ / ( _●_) ミ/ ∩―−、
.( ヽ |∪| / / (゚) 、_ `ヽ
\ ヽノ / / ( ● (゚) |つ
/ / | (入__,,ノ ミ そーうかなそオか〜なア
| / 、 (_/ ノ
| /\ \ \___ ノ゙ ─――、
| / ) ) /\ _ ヽ
∪ ( \ (⌒0 /\ ヽ (_ノ
\,,_) `ヽノ / 、 )O
( </ /
> ( 〈
(,,__(,,_ノ
今日はこのへんで失礼。
白痴だ。。。
34 :
THE グル:04/05/23 00:00
いいですか、
ポール さんが、
>これまで述べたように、経験世界から独立し、経験世界を対象化する実体は
>存在するのか?というのが僕の疑問です。
>グルさんは、この二元論の出発点となるデカルトの実体論をどう思いますか?
と言われていますが、
あなたのおっしゃる「経験世界」と言いますのは、
ベイコン等の「経験論」なのか、アヴェナリウス等の「経験批判論(純粋経験の哲学)」なのか、
はたまた、カントのそれに基づくのか断定しかねます。
まあ、
カントのそれであると踏んでお話いたしますと、
経験する身体を考えたときにそれはないと仮想することができます。
例えば、
腕を針でチクリとやると、
痛いのは腕ですが、
実際は脳がそれを痛いと感じているに過ぎないんでして、
刺された腕の部位が痛みを感じているわけではないんです。
また、
経験世界を対象化する実体ということについてですが、
実体とはそもそも独立して存在し得るモノでありまして、
その意味では経験世界を対象化して認識することが出来るんです。
しかしながら、
ご存知の通り、
フェヒテやベルグソンといった方々の「事行」や「純粋持続」は、
それを排したモノを敢えて構成したものでありますから、
その認識は定義によってまちまちだともいえるんです。
ただし、ことデカルトは神、精神、物体は実体であるとしていまして、
また異なるんです。
解りにくければ、もっと詳しく書くんです。
どうかしましたか?
34全然文章に意味が入ってないんですけど?
見得貼って書いても中味のない人間はすぐバレルんですよねw
この中味のないウンコは一体誰なんだ?
>この中で、柄谷は勝利宣言という言葉を使っているのは、哲学板住人に対する暗号であるのだ。
たしかに脱帽。
38 :
THE グル:04/05/23 00:09
いいですか、
>グルさんは、この二元論の出発点となるデカルトの実体論をどう思いますか?
これに関しては異論反論レベルにもならない程度の少々の疑問はありますし、
同意する部分もかなりあるんです。
また、
あなたのおっしゃった、
>僕は、今僕に与えられている経験世界抜きの<私>など
>ありえない主張しているのですから。
という意味が良く解りませんね、
誤文ではないのでしょうかね?
それと、
>グルさん自身の意見というよりデカルト解釈だといえそうですね。
とのことですが、
おっしゃいます通り、これはデカルトに依ったものなんです。
といいますのも、
「我思うゆえに我あり」を語るときに、
なるべく当人の主張や意見を根本としたかったですからね。
まあ、
グルの考える「私と世界の関係」とやらは、
いずれ機会があったら書いてみるんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
疑わない時には「疑い」は存在しないのだけどね。
しつこいんだけど<THEグルグルぱー
君は自分の文に意味が全く入ってないのに気がつかないの?(藁
なんかそれらしい難しそうな言葉で、スカシッぺみたいにして
煙にまいてやりましたという、誰でも一目でわかる馬鹿文だって
明らかでしょう?どうなの?・・・・・精神病院のほうは?
41 :
THE グル:04/05/23 00:15
>>35 いいですか、
解りやすく書いたつもりですが、
解りにくいと言うならばその箴言は敢えて受けるんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
>>36 いいですか、
グルを侮辱するものはくくり首に値するんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
512 名前:考える名無しさん :04/05/22 23:53
つうか、このAAセンスに脱帽だよな。
こういう感じってのはちょっと普通に生活してると出てこない。
>>41 わかるも糞も、文章に意味が入ってないって言われてるんでしょう?
<腐馬さんw
病院でもあなたはそういう言い種なんですか??
それじゃあお医者さんさえも、逃げ腰ですよねw
(薬だけ渡して、話は聞いたふりだけして、ハイさよならパターン)
∩___∩
| ノ ヽ/⌒) て〜せつでーすドかしましたかあ?
/⌒) (゚) (゚) | .|
/ / ( _●_) ミ/ ∩―−、
.( ヽ |∪| / / (゚) 、_ `ヽ
\ ヽノ / / ( ● (゚) |つ
/ / | (入__,,ノ ミ そーうかなそオか〜なア
| / 、 (_/ ノ
| /\ \ \___ ノ゙ ─――、
| / ) ) /\ _ ヽ
∪ ( \ (⌒0 /\ ヽ (_ノ
\,,_) `ヽノ / 、 )O
( </ /
> ( 〈
(,,__(,,_ノ
45 :
THE グル:04/05/23 00:19
>>40 いいですか、
では上記の文に関してご質問していただければ、
それをより詳細に書くんです。
ちなみに、
あなたの言われるようなつまらん理由ではレスしていないんです。
まあ、
字数の関係上、説明不足は確かに否めませんけどね。
これが断言できます。
どうかしましたか?
46 :
THE グル:04/05/23 00:21
>>43 いいですか、
腐馬さんってどなたですか?
グルはそんな方知らないんです。
また、
書き逃げなんてつまらんことはしないんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
もうケッコーですw
皆の希望はあなたのようなキチガイにはこの板から出て行ってもらいたいということのみです
病院でもあなたはそういう言い種なんですか??
それじゃあお医者さんさえも、逃げ腰ですよねw
(薬だけ渡して、話は聞いたふりだけして、ハイさよならパターン)
THE グル 正体=夫馬裕明=チンチンシュッシュッ
名古屋市在住の公認の精神異常者
誰もがこいつにだけは係わり合いたくないと恐れられている
病院にカウンセリングにいくも、医者の前で
意味不明の自慢話をはじめるので医者のほうでも既に手をなげている
話半分で薬だけ渡してすぐ帰ってもらう
49 :
THE グル:04/05/23 00:26
>>47 いいですか、
さきほど精神病院云々とおっしゃられていましたが、
むしろ、
それはグルの畑なんです。
どうかしましたか?
50 :
THE グル:04/05/23 00:28
>>48 いいですか、
グルはその何とかというのとは関係ないんです。
また、
その方程式も間違っているんです。
定説とはイコール病気。
定説とはイコールTHE グル。
どうかしましたか?
白痴がまだ喋ってるよ。オイ。。。。(藁
>>50 グルさん、彼等が失礼しました。
彼奴等は、グルさんを別人物と勘違いしているのです。
白痴だ。。。(藁
(プッ
腐馬がまた勝利宣言出してるよ(オゾマシイネ 藁
勝利宣言?
誰ですか?
57 :
考える名無しさん:04/05/23 00:38
ヽ ノ `ヽ r´ ヾ ソ
~ヽヽ U /ノ
ヽノ
/:::::::::::::::::::::\
/::::::::::::::::::::::::::::::::\
|:::::::::::|_|_|_|_|_|
-´⌒二⊃. |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ ⊂二⌒丶
_ソ. |::( 6 ー─◎─◎ ) ヾ__
. |ノ (∵∴∪( o o)∴)
| < ∵ 3 ∵>
/\ └ ___ ノ
.\\U ___ノ\
\\____) ヽ
【下水の中心で!】ふまヒロアキ【腐馬と叫ぶ!】
58 :
THE グル:04/05/23 00:38
>>52 いいですか、
まあ、
あなたのような審美眼があればこんな茶番ワケないですね。
これが定説です。
どうかしましたか?
夫馬裕明さん
明日は病院いきましょうねっ!びょういんっ!
精神病院、近所のはどこなのっ?!
ぴかぁ〜の荒らしはひつこいね
62 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/23 09:01
ベンヤミンのアウラは確かに複雑な概念だね。
「一般的に芸術作品が宗教的奉納物であったのが、複製技術時代においては
芸術作品からアウラが消えた。」と今村仁司氏は言っている。
間違いを恐れずに述べれば、アウラとは背景ではないだろうか。
モダン以前には、作成されるもの全てが、使用価値として、意味を持っていた
その所が、大量生産の発達とともに、交換価値中心になっていく。
このところで、目的・背景(誰がどのような所に使うのか)のはっきりしない
物が商品として大量に市場と言う物流れ出す。この点を考える時、
アウラとは大量生産時代とは異なる、必要なものを必要なだけ、利用目的
のはっきりした生産体制を表していると考えられる。つまり、
オリジナルしかないと言うものにアウラは存在すると言う事でしょうかね?
私はは修羅研なんかよりもずっとかっこいいし容姿もスマートで
足も長い、鼻も高いし、肌も白いし、好青年で、髪も遺伝で少し赤みがかってる
オレのような人がこの世にいることをしった女を
自分の彼氏を見て嘆き後悔させることが
私の目的
ブスじゃない2人の子に告白されたことがあるもん pooh
あはははは
※たぶんこの板のほどんどの人が不細工、低い身長、4頭身(私は8頭身だけど)
※髪は堅い(私はストレートでさらさらだけど)、
※今まで生きてきて分かったけど、私とつりが会わない人はキモイ人が多い
あはは
いやあ 、レスからはその人の性格や人間味は少しはわかるけど、顔、容姿、ルックス
はまったくわからないでしょ。 なんだかなぁ
私はたぶん神の子たぶんそんな気がする
私を大切にしないからだよ または放置してるからだよ
だから神様は怒って君たち社会をみはなしてるんだよ
64 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/23 09:08
と同時に、ベンヤミンはプルーストにも傾注する。
「失われた時を求めて」とは回想の連続が、今を溶解する。
つまり、思い出とは、現実ではない。しかし、現実と言う今を
溶解し、創り出す。そう言うことから、思い出とは、過去を作り変え
今を作る。つまり、思い出は,歴史・記憶に残らなかった、過去を
新たに蘇らせ、過去の歴史を作りかえる力となる。
ここに、瓦解・収集・構築と言うテーマが見える。
こんな気がする。しかも、ベンヤミンは、誤訳を肯定している。
正確無二の翻訳はありえないと考えているに違いない。
この解釈は後の、多様性・コンテクストに響きあう。
ふぅ〜
66 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/23 09:19
パサージュとは大量生産された物がアーケードの両側に並び
使用価値になる事を待って、人を魅了する。
その時背景(アウラ)は消えうせ、人の欲望に直接働きかける時、
我はそのものの背景を自分で作るのだと言う事だろうか。
モダン以前のように、物は必要(確固たる目的)に応じて創られるのではなく、
作られたものが、どのように使うのかを問う。人を魅了するのである。
このとき、パサージュはその商品が、今だ消費者と言われぬ我々に
その物の意味を問い。我々は意味を繋ぐ。それは何なのかと?
問われるのである。このとき、アウラは後退する。決まった目的
が喪失し。使用価値の浮遊を齎すのである。
つまり、両側に並ぶ商店=商品が 我という今だ消費者ではないもの
に、諸商品間の意味関連を問うのである。
はぁ〜
68 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/23 09:24
ぴかぁ〜さん おはよう。
なんとなく、ベンヤミンやってます。以前読んだ解説書を横に置いて。
ベンヤミンは過去を救済するのよね。つまり、物語を作り変える可能性
を探求しているのよ。同時にオリジナルな歴史の否定。
多様性・固有名の確定記述の不可能性と言う事をも予期している。
ほんじゃま。一度落ちます。
やっぱり、グルの言うことが一番まともだな
71 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/23 19:08
「アウラ」を多数ある同じ物の中(コピー)から、絶対的に自分の物として、
一つを選びだし、他にはないもの「これ」と言う意味付ける事と定義しては
ならないのである。いくら唯一のものとして、大量に生産された物
の中の一個を取り出してみたところで、アウラは現れるものではない。
アウラがあるものとは、大量生産で生産された商品ではなく、一回限りの
唯一の作品であり、作品の制作は、目的=背景を製作の事前に明確に判明
している必要がある。
こう言う事こそがアウラの発生と関連があると思うが?
アウラとはそれだけしかない物であり、同じもののコピーをその中から唯一
の物として捉える行為とは全く別物である。
72 :
THE グル:04/05/23 19:11
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
>>69 THE グル=もちっろん例のヒロアキ腐マw 本日もどうやら病院いくのを怠ったようだ この自演廃人
74 :
THE グル:04/05/23 19:49
>>73 いいですか、
意味不明ですね。
どうかしましたか?
>>71 わしのアウラ論の反論のつもりかな、つまらんね。
バレやんが野郎としているのは、意匠権の保護ですよ。
ようは、判定人、裁判官。
しろうとも同じだが、哲学書という法律書を独解し、
哲学板のレスに裁定をくだす。
屈折した優越感だよ。つまらん。
データーベース的動物化という最近の現象ではあるがね。
76 :
考える名無しさん:04/05/23 21:09
>>76 新しく立ててもどうせまたフマが入ってきて腐りますよ
あんまり期待しないでやったほうがいいと思うよw
78 :
考える名無しさん:04/05/23 21:20
初期の道場だと、組み手の時間になると恐怖のあまりに糞をもらして
それに気づかずに、すそからコロコロと・・・
なんて風景が。
今の極真と同一視しないほうがいい。
独立して、それぞれ流派を立ち上げてる元極真の連中なんてキチガイだよ
ころがった糞を相手の顔面に投げる練習もしたようだよ。
やはり糞が飛んでくると、人間、本能的によけるからね。
で、体勢の崩れを逃さずKO。
-‐‐-、.__ ,,,,_
/´  ̄ `ヽ、
ノ, '" , ,,..., ヽ
r'´ '´ , '" / `""l,','"| ,.-‐""'"'‐、_
};;:::... _.ノ l ゙'y'´;;:::::::::::::::::::;r''"´  ̄`ー‐-、
/;;;;;;;;:::::::::r''_ `ヽ/, ':::::::::::::::::::::(__./ ,. ,,..-‐┴--=ニ二
__」_;;;;;;;;;;;;::ノ `ヽ、_, /` /,'〃::'"'"::::::゙`゙:::;;;;/ ./ / \
,. -'"´ ̄ `ヾlヽ;/ ~'` ´'` |::::..〃"::::::::::::;;;;;;;;;;l_///´ \ ,,..
_,/`ー‐'| (`''l. , , |l!;!;;;;;;;、;;;;;;;;;;;,,,;;;;;;;;;;;l´::/ / ./::::
.r‐'´ ー―-、ヽ. ``lヽ. -‐=ァ /|!|;l|!、ヽ、_;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|:::|‐-、 / /::::;;;
{ ヽ、'l / ヽ、ヽ、._ `"´_,.ィ'゙ !l、|!l `}/``''ー-、.,__|:::| V /::;;;;;;;;
| __ l `y' `ー-二二‐''´ ` 'l u |::::゙、r‐‐┬┬<;;;;;;;;;;;;;;;
| _ノ  ̄`! | / \ _ |::::;;ヽj _,,」 \ \;;;;;;;;;;
| r',.‐、=j ヽ|k゙ `ヽ、.,,__,,/`|;;::::;;;;;\ r‐' ,ゝ;;;;
. ! (、 /´ヾ=Fi゙ |. | |;;;;;;;;;;;;;;;;\ ヽ. |;;;;;;;;
ヽ、! / /`| ,ゝ、 / |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`'┴-┘;;;;;;;
゙'ー-、_'__ノ / `''ー‐--一 _,,..ノ |;;;;;/⌒l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
/ ` ̄ `ヽ l/ |/⌒\;;;;;;;;;;;;;
「アンタって子は、キチガイばっかりしてー!」
「OK OK 母者…勘弁してくれ!」
(●)__(●) そうかな?
/'''''' '''''':::::::\
\ `ニニ´ .:::::/
(●) (●)
(●)__(●) そうかな?
(●)__(●) そうかな?
/'''''' '''''':::::::\
\ `ニニ´ .:::::/
(●) (●)
(●)__(●) そうかな?
(●)__(●) そうかな?
/'''''' '''''':::::::\
\ `ニニ´ .:::::/
(●) (●)
81 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/23 22:19
確かに、アウラとはベンヤミンにしても、決定的な定義付けを行ってはいない。
大量生産によって消滅するとも言うし、「近い・遠い」と言う対立概念
を絡めて、「現前に有りながら、遠くにあるもの」とも述べている。
つまり、オーラなのだ! 歴史的な背景をもって、現前するもの、
後光の様なものらしい。そして勿論過去の救済と言う意味でもある。
過去の消え去った意味を救済する事で、遠さ・深さを見出す。
だからと言って、溺愛・フェチ と同語ではないのではないか?
大量生産されたものの一つを溺愛することでアウラが現われると言うのならば
その定義をしてもらいたいものだ。
わしがなにを言っているか理解してない。
というか、理解する気もないのに、
こんなところで吠えても仕方がないよ。
なにがしたいかよくわからん。
83 :
ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/05/24 00:39
こんばんは。引退することにしました。パレさんやしろうとさんやポールさんと議論
したかったことはまだたくさんあったのですが、やはり匿名掲示板では限界があるよ
うです。いつかどこかで偶然出会ったら、そのときは色々お話しましょう。ぴかぁ〜
さんともねw。ではお世話になりました。じゃーねー、元気でねー。
84 :
びかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/24 00:44
>>83 ありゃりゃ、残念ですね。一番弟子の引退ですか。
ブログやればいいのに。
では、またどこかで!
>>79 §
,§、 かあちゃん、
,ー./ハ,§ 先立つ不幸をお許しください
〈:://二§_
/ヽ ヽ ヽ
|:: |::.. | |
. |:: |:::. | |
〈:: 〉:: | / |
. |:: |:: l |
. |:: |____∧_,|
(((〈::: _ / /)
|:::: |:: |
|:::: |:: |
. |:: =|::: =|
|:::: |:: |
. |::: ||:::: |
|__,||__|
/::__) /::__)
/ / /ノ,/
~^~ ~^~
>>79 §
,§、 かあちゃん、
,ー./ハ,§ 先立つ不幸をお許しください
〈:://二§_
/ヽ ヽ ヽ
|:: |::.. | |
. |:: |:::. | |
〈:: 〉:: | / |
. |:: |:: l |
. |:: |____∧_,|
(((〈::: _ / /)
|:::: |:: |
|:::: |:: |
. |:: =|::: =|
|:::: |:: |
. |::: ||:::: |
|__,||__|
/::__) /::__)
/ / /ノ,/
~^~ ~^~
87 :
THE グル:04/05/24 01:38
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
88 :
考える名無しさん:04/05/24 14:38
ポモダの低脳どもはソーカルらの批判に対しても、あるのは感情的な反発ばかりでまともな反論はまるでない。
こんなこと考えると、実は科学の概念だけでなく、あの人たちが良く使う 難しそうな言語論や哲学の概念もホントにわかってるの? と言いたくなってしまう・・・
やっぱり早めにきっちり答えた方がよいんでないかい?
批判された部分と思想全体の無意味さは別問題って主張はわからんでもないけど、きっちりなぜ そうなのか説明して欲しいよね
(⌒Y⌒Y⌒) 三 ̄ ̄ ̄ ̄\ ζ ____
/\__/ / ____| ./ ̄ ̄ ̄ ̄\ / \
/ / \ / > | ../ \ / / ̄⌒ ̄\
/ / ,.==- =; / / ,.==- =; /\ ,.==- =; / / ,.==- =;
(⌒ / ーu 、 ,..uf |_/-(ーu 、 ,..uf) ||||||| ーu 、 ,..uf | / ーu 、 ,..uf
( (6 i | .| (6 i | (6-------◯⌒i | /⌒ (6 i |
( | r _ j | | r _ j | | ||||||||| | ( | / r _ j |
\ 'ー-=ゝ / \ 'ー-=ゝ/ \ / 'ー-=ゝ / − \ 'ー-=ゝ /
\____/ \___/ .\____/ \___/
夫馬サザエ 夫馬ミキヒロ 夫馬波平 姥捨て考
↑またウン子か?
ちんちんまんまん最強伝説
92 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/24 19:28
「ポモダの低脳どもはソーカルらの批判に対しても、あるのは感情的な反発ばかりでまともな反論はまるでない。
こんなこと考えると、実は科学の概念だけでなく、あの人たちが良く使う 難しそうな言語論や哲学の概念もホントにわかってるの? と言いたくなってしまう・・・
やっぱり早めにきっちり答えた方がよいんでないかい?」
もう既に、完全に反論は致しましたよ。
私の書いた文章を探して読んでみてください。(ドゥルーズ系・パレルゴン系のスレッドです。)
二度も三度も説明はしません。そんな暇があったら、
もっと違う論議をしようと思います。
もっとも、読んでも理解出来ないのならば、それは私のせいではありません。
93 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/24 23:00
しろうとさん(決してしろうとではない。玄人。天才)
ポールさん(決して建築専門ではない。哲学専門。緻密な論旨)
そして、ばかぁ〜さん(情熱的な努力家)
皆書き込んでよ。構造主義・ポスト・構造主義etcを脱構築しましょう。
私がついていけない場合は、静観しますよ。(笑)
と言っても、私は金・土中心の書き込みかな?
ほんじゃ、待っているよ。
パレやん堕ちたな。
94=ポール粘着=ぴかぁ〜
>グルさん
>>12 返答遅くなりました。
わかりやすい説明ありがとうございます。デカルトの<私>(コギト)の説明は
とても納得がいくし、現代の我々でさえも、彼の主張に違和感を抱く人は少ないでしょう。
(現代では脳生理学の影響で、<私>とは脳の機能だと考える人が多いでしょう)
僕もこの<私>、例えば「ラーメンを食べようか、そばを食べようか、迷っている」<私>
は確かに存在しているように思えます。前スレで引用されたウィトゲンシュタインのように、
「右手を上げる行為から、右手を上げた事実を引いた後に残る、右手を上げようとした意思
など存在しない」とまで極論するのはいささか困難です。
その上で、「<私>は存在するが、しかし、(デカルトの言うような)経験世界から独立した
実体としての<私>は存在しない」と主張したいと思います。
デカルトの<私>は経験世界を対象化する「私」です。簡単に言えば、
「<私>とは独立して世界は実在し、その世界から受け取られた信号を脳が知覚風景として
生じさせ(おそらくここまでは<私>の機能ではないでしょう)、それを認識した<私>が
判断し、意志する」という図式ですね。
僕は、「意志する<私>」は存在すると考えていますが、それはデカルトが述べたような
それ自身で独立して存在しうる実体ではないと考えます。
繰り返しますが、「一枚の風景画が見えている」「その絵を美しいと思う」「その風景画から
実際の風景が想起される」といった経験世界を除いた後に何が残るのでしょうか?
デカルトの二元論では、それを対象化(認識)する<私>が存在するはずです。
しかし、僕にはこれらの経験世界(知覚風景、想起、想像、思考場面等)が存在しない状況とは
すなわち<私>は存在しないとしか思えません。経験世界が存在すること、そしてそれを認識し、
実践的に関わっていっているという事実が、<私>が存在していることだと考えます。
>脳の見せる感覚的質世界がその<私>に干渉するものではないと考えるんです。
>>12 グルさんは、僕らの経験世界が存在するのは、脳の働きが原因となって作り出されると
考えているのですか? つまり、脳生理学的二元論、
「物自体のコップ → 脳 → 知覚風景としてのコップ」という図式は正しいと考えていますか?
99 :
考える名無しさん:04/05/25 22:35
悪いけど、思想が進化論を越えたことなんかないぞ。
100 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/25 22:38
ぴかぁ〜どん。
焦るなよ。君のやり方。討議の進め方。
論旨の展開は、哲学的ではないと言う気がするのよ。
タームを想像で述べるのは自由だが
余りにも、独創的過ぎるのよ。だから、討議にならんのよ。
全て自分の思う通りと言っているみたいだよ。
少なくとも、何処をどのように引用したか。
そしてどのように考えたかを語るべきだと思うよ。
確かに、重要なタームを使ってはいるけど、全く自由に、好き勝手に
使っているに過ぎない気がするのよ。
そして、反論したら、「堕ちたな。」と言うのはないよなぁ〜。
論理には論理で答えてけろ。
>ばかぁ〜さん
残念ですが仕方がありませんね。ネットでなく、実生活において議論できる場が
あるなら、暇つぶし以外で2ちゃんには来るべきではありませんから。
特に自分が真面目に取り組んでいる分野に関しては。
とはいえ、ばかぁ〜さんは2ちゃんに呑み込まれる人ではないでしょうから、
またの復帰をお待ちしています。その時を楽しみにしています。
>パレルゴンさん
間隔空いてすみません。パレルゴンさんのレスにも近日中に返答したいと思います。
>>97訂正
>経験世界が存在すること、そしてそれを認識し、
>実践的に関わっていっているという事実が、<私>が存在していることだと考えます。
→経験世界が存在すること、そしてその世界に実践的に関わっているという事実が、
<私>が存在していることだと考えます。
全体的にわかりにくいですね。自分でも半信半疑で、はっきりと見えていないですから。
103 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/25 23:00
ポールさん 了解です。
グルさんとの論議静観させてください。
二元論的に、デカルト的に「我」は外界の「物」を対象化すること
はできないと考えていらっしゃるようですね。
内と外が分化しない、外の映像(自分の内に現われたもの)を体験・経験する「私」の連続、
それがポールさんの「私」なのでしょう。かなりプルーストっぽいですね。
プルーストの場合は過去の思い出の連続として「我」はあると言う感じがしますが。
とにかく、今回は静観します。
104 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/25 23:05
今日は落ちます。
しろうとさんも戻ってきてください。
お待ちしています。
それでは・・・・
ポールさん 失礼しますね。
105 :
THE グル:04/05/26 02:46
いいですか、
残念なことに、
昨夜来グルのパソコンが故障してしまったために、
当分ここには来られそうもないんです。
まあ、
具体的な支障は、
水かけによりますキーボード故障なんでして、
Enterが使えないので改行すらまともに出来ないんです。
ですから、
この文はWordからのコピペなんです。
では、また会う日までお暇(いとま)いたします。
そのうち復旧したらレスでもするんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>105 WindowsXPであれば、アクセサリ→ユーザー補助→スクリーンキーボードでいけるっしょ。
107 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/26 14:57
グルさん それは残念。
でも、ポールさんの発言は 重要な点を指摘していますよね。
確かに、古典主義以降、西洋形而上学的思考は デカルトの「我」を敷衍して、
「神」の位置に科学(外界認識絶対主義)を据えている気がしますね。
「神」は絶対的な実体であり、普遍(不変)なわけです。
一方科学的認識は 時代的に変化するんですが、これは、
神の実体=不変に近付こうとする探求過程によって、いずれは
全てが解明されると考えると、それは、ヘーゲルになっちゃう。
しかし、ポールさんの仰るように、外・内 という概念
自体おかしいものであり、常に、外・内 の矛盾に苦しむ。
同時に、外が客観的とされ、何時までも内(人間の欲望)
がミスをするし、監視される必要が出てくる。
だから、フーコーの指摘な訳です。
ポールさんの自説について、私の理解が正しければ、
「我」=持続的内在=主体と仰っているんでしょうか。
かなり、ベルグソン的なのでしょうか?
持続・生命の躍動 エランビタール
彼は、私の記憶が正しければ プルーストと親族関係だった気がします。
つまり、思想的にもかなり近い。一方は文学で 過去=思い出=今 を表現し
ベルグソンは持続と言う思想で、やはり過去の経験と現在の関係を重視しています。
108 :
パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/26 15:04
ただ、どうでしょうか?ポールさんの指摘が正しいとした場合
たった一つ問題が残る気がするんですが。
それは、その様に意見を述べる「我」とはデカルト的に対象化する
「我」ではないかと言う事です。
持続的に内外の区別なく経験する事が「我」ならば、それは「我」と言う
主体化されたものではありえないのではと言う事です。
つまり、精神分析学で言う「想像界」であり、主体化される前
象徴化=言語世界 への参入前の、自他未分化の状態しか考えられないのではないか
と言う事です。つまり、自他未分化の 動物的状態にある事ではないか
そう言う気がするんですが。どうでしょうかね。
109 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 15:23
現代から見た、「我思うゆえに我あり」の問題点は
1)デカルトがコギトにおいて、証明した個の存在は
精神分析学を経て、「主体」の問題に変更された。
2)このことで、「我」とは客観的な存在の証明の基準
の事ではなく、原抑圧と言う 父の「ノン」によって
社会の中で言語を喋り、発言、コミュニケーションする
「私」。作られ 喋らされ 疎外された「私」として
捉え直されたのだと言う事。
だから、しろうとさんのご指摘のように、デカルト的な
コギトの解釈は大きく意味を変えた。
こう思うのですが?
110 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 16:52
再度読んでみると、ポールさんの仰る「私の存在」とは、
私が説明したこととは少し違うような気もします。
ポールさんの場合デカルトのように、「我」の存在証明が先にある
のではなく、世界を経験する。 経験世界がある事。
それを認識し、実践的に係る事で 私は存在すると考えているんでしょうか。
デカルトの場合とは逆になりますね。
デカルトは自分の存在証明から外界の掌握へと向かった。
同時にその掌握はその物の姿をそのまま捉えうるかと言う、手順であったわけです。
この差は何なのか?
多分、デカルトは認識論的で、先に「我」を定立しようとした。つまり、「私」の存在の
証明がなされなければ、そこに現われる外界の正否が証明できないと考えていた。
一方ポールさんは、認識論と言うよりも、存在論的に「私」を証明しようとした。
だから、私にとって世界はどのように現れるかと言うテーマが先に立ったと言う事でしょう。
現象学的に世界は現れ、そこに働きかける行為 こそ 「私」と言う事になる。
いずれにしても、前述の精神分析学的な問題点は残っていると言う気がしますけどね。
追加説明まで。
>>106 のスレで初めて気付いたが、
グルっていまだにこの板に出現してたんだ?
こいつのスレはすべて自動的に消去されるようになってるから気付かなかったよ。w
レスだろ。
113 :
考える名無しさん:04/05/26 18:52
パレやんとポール(ぐみ?)は、低レベルな議論してるよね。
113=ぴかぁ〜
115 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 19:53
113=ぴかぁ〜ちゃんでしょう。
低レベルではありません。
普通のレベルです。
早く高レベルに行きたいのです。
現在努力中!!!!!!!!
116 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 19:56
それよりも、皆サッカーを見ないのか?
トルコは強い。
117 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 20:03
しろうとさん
君の「アスペクト論」分かりやすく説明願う。
118 :
考える名無しさん:04/05/26 20:36
パレやんも甘いなぁ。
ぴかぁ〜は何歳?
120 :
考える名無しさん:04/05/26 22:22
?
121 :
考える名無しさん:04/05/26 22:24
ポールも甘いなぁ。
122 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 22:27
118 ぴかぁ〜丼
今度は「甘いかぁ〜。」感情的批判(いや・キライ・だめ等)は理由がなく、
俺の方が偉いという、或は俺を無視するなと言う程度の表現に過ぎないのですけどね。
次は辛いがいいなぁ〜。
俺は余裕がある。哲学は余裕がないとだめ。
いつも負けるんじゃないかと怯えることはないのです。
分かりたいと思ったら、質問でしょう。
そうしないから、変なタームの連続繋ぎ合わせで、混乱するのですよ。
まだ混乱は良いが、錯乱にならんようにしてね・・・・・!!!!!
とはいっても、ぴかぁ〜ちゃんは憎めないね。キャラが良いのかな。
123 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 22:28
ところで、ソフィアってだれなの?
ぴかぁ〜ちゃんではないの?
自作自演?
124 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/26 22:30
●ベンヤミン
「アウラ」
歴史的な背景をもって、現前するもの(オリジナル)
「フェティシズム」
同じものから唯一の物として捉える行為(コピー)
モダン以前 → 使用価値
大量生産の発達 → 交換価値
目的・背景(誰がどのような所に使うのか)の
はっきりしない物が商品として市場に流れ出す
●プルースト
「失われた時を求めて」
歴史・記憶に残らない過去を蘇らせ、新たに歴史を作りかえる=回想
●ベルグソン
「持続」「生命の躍動」
持続的に内外の区別なく経験する事が「我」
●ラカン
「想像界」
主体化される前象徴化=言語世界への参入前・自他未分化の動物的状態
パレルゴンさんの考察を要約しました
「アウラからフェティへ」という図式で整理できると思う
「背景」・「救済」・「誤訳」・「回想」・「持続」・「想像界」…
これらのタームは全て「複製により固有の文脈を失う」という現象に関係します
125 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/26 22:30
■デカルトのコギト■
◆パレルゴン◆
客観的な存在の証明の基準の事ではなく
社会の中で言語を喋りコミュニケーションする「私」
デカルト → 認識論的
「私」の存在の証明がなされなければ
そこに現われる外界の正否が証明できないと考えていた
ポール → 存在論的
現象学的に世界は現れ
そこに働きかける行為こそ「私」
◆ばかぁ〜◆
「Cogit,ergo sum」は直接的言明ではありえない
思惟と存在という異った二つの規定のものは
媒概念という一層本質的な推理で繋がれるべき
(媒概念≠三段論法)
ヘーゲル「小論理学」
デカルトはそれを理解している
126 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/26 22:31
◆ポール◆
「経験世界から独立した実体としての<私>は存在しない」
デカルトの<私>→経験世界を対象化する存在
ポールの<私>→経験世界に実践的に関わる存在
<私>と独立した実在世界から
脳が知覚風景として認識した信号を
<私>が判断し意志するという図式
「意志する<私>」は存在するが
それはデカルトが述べたような
独立して存在しうる実体ではない
◆THE グル◆
考える原理のみを有する精神(=<私>)は身体から区別され
身体の存在を疑ったとしても実体としての私に変わりはない
脳の感覚的質世界(クオリア)が<私>に干渉するものではない
それを<私>からの独立した尺度だとか欠損だとかは言えない
真理を疑う<私>をどう説明するか
>目の前に見えているコップが<私>ではないのですか?
その質感が独立して思考しているのではない
それを他の物体と区別(疑い)しているのは<私>
127 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/26 22:32
◆しろうと◆
「<私の>思考が存在する、ゆえに、私が存在する」
「<私の>椅子が存在する、ゆえに、私が存在する」
私の思考が<私の>ものならば私は存在するが
それは前提で私の存在を証明したものではない
なぜ<私の>ものなのか?(所有の不可能性)
デカルトの隠れた主張
「思考は私に帰属する」
ラカン〜存在と思惟の解離(無意識)
「我思う、ゆえに、我無し」
クリプキ
固有名の確定記述への還元不能性
ウィトゲンシュタイン
「右手を上げる行為−右手を上げた事実=?」
デカルトのコギトも
各人の主張を要約してみました
>>117 今日は要約しました
もう少しお待ちください…
デカルトのは「明証性」をひねくりまわしたもので、
いわゆる論理的な「証明」ではないと考えられる。
また、フロイトは「心」を考察したので、自我(Ich)は心の構造の部分という位置付けに
なった。
129 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 22:53
OK
しろうとさん
有難う。さすがですね。纏めが上手い。
天才的分析能力!俺は、読書量でカバーする努力型。
だから、本のとおりに理解すると批判されたわけで。
それ以外に独創的な解釈も今後やっていこうと思っているよ。
アスペクト論、ちょっとPCで調べた範囲では
界面や表層・とか言う事と関連しているのだろうか?
全く直感だけど。界面とはこちら側と外との境界面なんだけど。
レヴィナス論で合田正人が言っているけど。
ドゥルーズなら襞(プリ)とでも言うのかも。
その界面でしか、意味・もの は現われない。つまり、自分の位置
によって、位相的にしか、もの・意味は現われない。
こんな感じだろうか?
よく分からん。説明を楽しみにしているよ。
と言っても、金・土 に熟読するよ。
それでは、おやすみ。グーグー・・・・・
130 :
考える名無しさん:04/05/26 23:13
しろうともダメだなぁ。
>パレルゴンさん
長くなりますが・・。
おそらく僕は、パレルゴンさんが考えるほど深いレベルで考えていないと思います。
僕が、実体としての<私>を否定しようとするのは、ご承知でしょうが、主客二元論を回避するためです。
僕が「実体としての<私>は存在しない」という根拠は単純で、
「私が現に今、体験している世界(知覚、想起、想像等の世界)抜きに、<私>といった
実体を想像することは出来ない」ということです。
もし、肉体が滅びた後も続く魂が存在すると仮定しても、その魂が体験する世界が
存在しない限り、「魂は存在しない」と僕は結論づけます。
デカルトが主張するように実体としての<私>が存在するから世界が現れるのではなく、
世界が現れている事実から「<私>が存在する」と言われるべきです。
(よって、
>>110のパレルゴンさんの「読み」は正確です)
そして、その世界の存在無しに、知覚、想像、意志、判断といった<私>の機能は
存在しない、つまり「<私>は存在しない」と考えます。
デカルト的に考えれば、確実に存在する<私>がどのようにして客観世界に到達するか、
という哲学問題が生じますが、僕の考えでは、僕に現れる世界そのものが全てであり、
その外部に世界など存在しないし、その世界内に現れる様々な存在者(知覚的、想像的、
想起的存在者)に本質的な区別はないと考えます。(これについては後にまとめました)
>それは、その様に意見を述べる「我」とはデカルト的に対象化する
>「我」ではないかと言う事です。
>>108 その通りだと思います。
「対象化する我」をどこに位置付けるかは、僕の課題ですね。
>>97で僕が、
>僕は、「意志する<私>」は存在すると考えていますが、
と述べていますが、「この意志する<私>こそが、実体としての<私>じゃないのか」と
反論されるでしょう。つまり、僕の問題点は、受動的な場面(知覚)では「経験世界=私」は
かなり説得力があると思うのですが、能動的な場面(意志、判断、対象化)では、つじつまが
合わなくなるということです。
>>108のパレルゴンさんの指摘は非常に的確です。
現象学的に、「世界が現れる場(私)−その場に現れる対象物」と世界を図式化すれば、
「対象化する我」とは前者の「世界が現れる場」に属する機能であり、それによって、
「その場に現れる対象物」を対象化するとなるでしょう。
(ハイデガーならば、対象化(≒関心)は現存在の根源的な存在様態だと言うでしょうか)
僕の主張は、この「世界が現れる場」、つまり、<私>(=超越論的主観性)は存在しないと主張し、
後者の「その場に現れる対象」といわれるものこそが「私の存在と同義である」とします。
その時、「対象化する我」をどこに位置付けるべきか・・。考えておきます。
ご指摘ありがとうございます。
134 :
考える名無しさん:04/05/26 23:20
ポールもダメだなぁ。
>いずれにしても、前述の精神分析学的な問題点は残っていると言う気がしますけどね。
>>110 精神分析については、「無意識が有意識に影響を与える」ぐらいしか知りませんが、
たとえ無意識の存在が確定されようとも、哲学問題としての心身問題が解消されるとは
思えません。なぜなら精神分析は、世界を主客二元論の構図で世界を解読しようとする
科学的思考を基盤としているからであり、哲学はその構図自体を問題としているからです。
無意識でさえ、デカルトの実体としての<私>の一部に過ぎません。
>>109はよくわかりませんでした。1だけでも、もう少し詳細に説明していただけませんか?
以下は、度々述べている僕の哲学問題の一つです。
私に現れる世界には、他人と共有できる認識(知)と共有できない認識(知)が
あります。前者の代表としては、「目の前の物体は誰が見てもバラに見える」といった、
日常の知覚に関する確信であり、後者は、「そのバラを美しいと思う」と感じる印象です。
後者の、「美しい」「ワクワクする」「悲しい」といった印象(感情)は通常、主観に属し、
反対に前者の他者と共有できる認識は、我々の主観の外部に存在する客観世界に属すると
分類されます。
僕の疑問点は、同じ僕が体験している世界内の認識でありながら、なぜ前者
(他者と共有される認識=「誰が見てもバラに見える」)は、「(バラは)私の外部に客観的に存在する」と考えられ、
後者(私の主観に属すると考えられる認識、感情=バラを美しいと感じる)は、
「(美しいと感じた印象は)私の心の内にのみ生じた主観的なもの」と分類されるのか、ということです。
前スレで書いた、茂木さんの「脳内ニューロンの原理」によらずとも、もし脳が私の世界を
現出させているとすれば、前者の認識も後者の認識もどちらもおなじニューロン発火という、
それ自体を見れば同一の物質現象です。ただ発火のパターンが異なるだけです。
同じ物質現象でありながら、一方は「私の主観の外部に存在する」とされ、他方は、
「私のうちに印象に過ぎない」と差別化されるのか。
今まで僕が述べたように「私=(私の)経験世界」であるならば、主客は一体となり、
一方は客観的に存在し、他方は主観のうちの印象に過ぎない、という差別化はなくなるはずです。
どちらも今この目前に体験している世界を基盤としていることに違いは無いのですから。
>グルさん
絶対復帰してくださいね。
138 :
考える名無しさん:04/05/26 23:23
パレ 保留
しろうと アホ
ポール 馬鹿
おおまかに
ヘーゲル・マルクス系:自己意識、自己疎外・疎外された自己、疎外の克服・自己への環帰
実存系:単独性、本質と実存、本来性と非本来性、被投性、脱自-投企-超越(乗り越え)
ショーペンハウエル・フロイト系:盲目の意志、無意識と自我
その他
140 :
考える名無しさん:04/05/26 23:26
三羽烏は、タームを並べてるだけで、哲学できると思ったら人なんだよ。
哲学ってのは、こんなふうに専門用語を並べるだけがのうじゃないってことやな。
141 :
考える名無しさん:04/05/26 23:27
142 :
考える名無しさん:04/05/26 23:35
ぴかぁ〜は今、泣きながらキーボードを打っているんだ。
可哀想なぴかぁ〜。
でもやっぱり、自業自得なのさ・・・。
143 :
考える名無しさん:04/05/26 23:35
お前がな(w
デカルトは彼の経験世界を「悪魔に操られているかもしれない」と疑いましたが、
仮に悪魔に騙されていたとしても、その騙された経験世界が存在していることこそ
「私は確実に存在する」証拠だと僕は考えます。
145 :
考える名無しさん:04/05/26 23:37
ポールは今、泣きながらキーボードを打っているんだ。
可哀想なぴかぁ〜。
でもやっぱり、自業自得なのさ・・・。
ポールは今、泣きながらキーボードを打っているんだ。
可哀想なポール。
でもやっぱり、自業自得なのさ・・・。
>>139 ショーペンハウエルをそこに入れるのには反対!
148 :
考える名無しさん:04/05/26 23:41
この馬鹿!
150 :
考える名無しさん:04/05/26 23:44
美は色や形など全体的な「姿」に対する判断なので主観性が強い。
バラであるかないかは、様々な「分析的」アプローチが可能で客観性が強い。
152 :
考える名無しさん:04/05/26 23:46
>>151もアホやな。
情念のほうが根本やっちゅうに。
153 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/05/26 23:56
ん〜だれかポールを脱構築してあげなよ。
みててかわいそうになるよ・・・
154 :
考える名無しさん:04/05/26 23:56
そうだよ。
>>136 横レス (引退すると言っても書いてしまう、なんという心の弱さよ!)
ポールさんはカントの「判断力批判」をどう考えていますか?
156 :
考える名無しさん:04/05/26 23:57
ばかぁ〜w
>>151 我々の経験世界の内には、主観的(他者と完全には共有されない)ものと、
客観的(他者と共有される)ものがあるのはわかります。
そしてその分類は、実生活において必要不可欠であり、「実践的に真である」
とさえ言えることも理解できます。
しかし僕が問うのは、それらの区別を、前者は個人の心に属し、
後者は外部世界に存在すると「本質的に」言えるのか?ということです。
存在の様態が違うだけで、どちらも同じ僕の経験世界(「同じ脳内ニューロンの発火」
と言い換えてもいいです)内の出来事ではないのですか?
158 :
考える名無しさん:04/05/26 23:58
ポールw
159 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/05/26 23:59
160 :
考える名無しさん:04/05/27 00:00
>前者は個人の心に属し、
>後者は外部世界に存在すると「本質的に」言えるのか?ということです。
>存在の様態が違うだけで、どちらも同じ僕の経験世界(「同じ脳内ニューロンの発火」
>と言い換えてもいいです)内の出来事ではないのですか?
baka?
161 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/05/27 00:00
>>157 いまだにコミュニケーションも取り入れられてないって、
不憫やな。
162 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/05/27 00:02
私からでられないのなら、構造主義ぐらい経由したら?
>ばかぁ〜さん
待ってましたよ。2ちゃんに「呑み込まれない」限り、いつでも来てください。
ばかぁ〜さんは自分を客観視できるから大丈夫でしょうけどね。
>ポールさんはカントの「判断力批判」をどう考えていますか?
『判断力批判』読んでません。ていうか、『純理』も読んでません・・。
164 :
考える名無しさん:04/05/27 00:02
>>157 おまえらがよく言う、典拠をあげろよ。
馬鹿。
165 :
考える名無しさん:04/05/27 00:03
>待ってましたよ。2ちゃんに「呑み込まれない」限り、いつでも来てください。
>ばかぁ〜さんは自分を客観視できるから大丈夫でしょうけどね。
www
>>157 そして今度は「脳内ニューロンの発火」という認識の真偽だけは判断保留されるという
アポリアに逢着すると。
荒らしが出て来たので先に落ちます。では。
168 :
考える名無しさん:04/05/27 00:04
>そして今度は「脳内ニューロンの発火」という認識の真偽だけは判断保留されるという
>アポリアに逢着すると。
わかったように言う、知ったかぶり。
169 :
考える名無しさん:04/05/27 00:05
ばかぁ〜も、これで
2ちゃんねる依存症にきまりw
170 :
考える名無しさん:04/05/27 00:06
ぴかぁ〜に勝てないのを
素直に認めればいいものを。
171 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/05/27 00:09
>>170 おまえもとうとう素直わしをみとめるように
なったわけやな。嵐もほどほどにな。
172 :
考える名無しさん:04/05/27 00:10
もちろんですとも、ぴかぁ〜殿のままに。
ぴかぁ〜と粘着は、別人物だったのか!
174 :
考える名無しさん:04/05/27 00:13
すべての謎は解けたね。
175 :
考える名無しさん:04/05/27 00:23
>>157 当たり前のことですが、どんな認識も認識する主観無しにはありえません。
その意味ではどんな認識も主観的なわけです。
176 :
考える名無しさん:04/05/27 00:24
177 :
考える名無しさん:04/05/27 00:26
ところであんたら、いつまでこんな低レベルな議論をやるつもりや?
ソースが大森にあるんやったら、行き着くところはたち現れしかないんやろ?
こんなに馬鹿馬鹿しい自演議論みせられてもおもんないわ。
178 :
考える名無しさん:04/05/27 00:31
ポールの問題意識は結局アイデンティティってことじゃないのか?
179 :
考える名無しさん:04/05/27 00:35
コテつけたらどうや?
ま、それはいいとしてもや、
>我々の経験世界の内には、主観的(他者と完全には共有されない)ものと、
>客観的(他者と共有される)ものがあるのはわかります。
>そしてその分類は、実生活において必要不可欠であり、「実践的に真である」
>とさえ言えることも理解できます。
>しかし僕が問うのは、それらの区別を、前者は個人の心に属し、
>後者は外部世界に存在すると「本質的に」言えるのか?ということです。
>存在の様態が違うだけで、どちらも同じ僕の経験世界(「同じ脳内ニューロンの発火」
>と言い換えてもいいです)内の出来事ではないのですか?
こんなに行数無駄使いする必要はないで。
最終的にたち現れが真だって、言えば済む話やろ。
名声欲しさに文を伸ばすから、かえって分かりにくくなるんやろ。
180 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/27 00:37
>>129 どうもどうも。アスペクト論の元ネタは
ウィトゲンシュタインの『哲学探究』第二部ですね
例えば誰かの顔を見ていて、その顔が別の誰かに似ている事に気付く体験
これがアスペクトの体験で、知覚は変わっていないが何かを認識している…
>>124-127と関連させて言えば、
要するにアスペクトとは文脈の経験(環境との対話)です
ここら辺はパトナムの水槽脳のスレでも考えてたんですが
我々の「認識の限界」から「言語の限界」へという意識です
コギトでも同じことで、なぜ私の思考が私のものなのかという疑問が反転して
その机と椅子が君なのだよ、という過剰な現前、アスペクトとして現れると…
…自分の中ではアスペクト一本でかなり見通しが付いているんですが
他者に説明しようとするとまだまだ不透明ですね、精進します
ちなみに自分はもちろんフェティシズムもアスペクトの線で考えます
日常的な対象が構造的な位置を変えると不気味なものになると…
181 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/27 00:37
>ポールさん 横レスですが…
>「私が現に今、体験している世界
>(知覚、想起、想像等の世界)抜きに、
><私>といった実体を想像することは出来ない」
右手を上げる(行為)−右手が上がる(事実)=意図
だからその場合、上の図式も同じだと思うんですよ
事実抜きで意図という実体を考えるなとウィトは考えます
>実体としての<私>が存在するから世界が現れるのではなく、
>世界が現れている事実から「<私>が存在する」と言われるべき
独我論が実在論と一致するという構図ですね
ただ無意識やらアスペクトやらの視点から見ると
「世界は<すべて>現れてはいない」ということです
>「対象化する我」をどこに位置付けるか
そういうことですね、私見ですが自分は↓こう見ます
「(言語的に)我思う、ゆえに、(言語的に)我有り」
結局コギトの<私>とは言語的な存在なんです
>>136 主観を世界の相貌として客観的なものと
区別しないのがアスペクト論です
>>144 この世界が夢・幻でも夢・幻としての世界は存在するということですね
182 :
考える名無しさん:04/05/27 00:38
しろうとも馬鹿だなぁ。
183 :
考える名無しさん:04/05/27 00:42
>どうもどうも。アスペクト論の元ネタは
>ウィトゲンシュタインの『哲学探究』第二部ですね
>例えば誰かの顔を見ていて、その顔が別の誰かに似ている事に気付く体験
>これがアスペクトの体験で、知覚は変わっていないが何かを認識している…
もっと要約できる力量なのに、それをやらない怠け癖。
>ここら辺はパトナムの水槽脳のスレでも考えてたんですが
>我々の「認識の限界」から「言語の限界」へという意識です
説明不足。
>コギトでも同じことで、なぜ私の思考が私のものなのかという疑問が反転して
>その机と椅子が君なのだよ、という過剰な現前、アスペクトとして現れると…
説明になってない、自己完結。
>…自分の中ではアスペクト一本でかなり見通しが付いているんですが
>他者に説明しようとするとまだまだ不透明ですね、精進します
>ちなみに自分はもちろんフェティシズムもアスペクトの線で考えます
>日常的な対象が構造的な位置を変えると不気味なものになると…
具体例を挙げないと意味がない。
184 :
考える名無しさん:04/05/27 00:43
>>183 の事実から言って、
しろうと=かぶれ者
が成り立つ。
185 :
考える名無しさん:04/05/27 00:47
つーか、典拠がさっぱりですよ、おまいら。
アスペクト・現存在・構造主義・・・
これだけのタームを、どれだけおまいら自身が咀嚼して摂取したか、公表しれ。
186 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/27 00:49
もし見てるならばかぁ〜さん向けに――
またかと言われそうですが、自分は
カントとヘーゲルもアスペクトで考えます
カントにおいてはアンチノミー(二律背反)というのは
理性が越権して空転している例外状況でした
ところがヘーゲルはそれをダブルバインドとして
むしろ理性の条件として読み替えてしまいます
ただし、ヘーゲルは弁証法とか止揚とか絶対精神とか
何か最終審級のようなものを考えていたようです
ウィトゲンシュタインのパラドックスやデリダの脱構築まで来ますと
まさに暗闇の跳躍で保証無しなんですね
ただ保証無しのカオスとはいえアトラクターのような制御点はあるはずだと…
それをジジェクの「斜めから見る」や柄谷の「パララックス」や
東の「過視的なもの」や斎藤の「文脈」や野矢の「アスペクト」に見出す訳です
罵倒を覚悟で書くと、構造主義・ポスト構造主義だってなんだって、有機体としての
「人間」が生産、再生産されるための物質的代謝が脳に反映しただけのものなんじゃ
ないの?ただし、タダモノ論に陥らずに弁証法的唯物論的にそれを把握するためには、
反面教師としての哲学は必要、と言ってみるw。
188 :
考える名無しさん:04/05/27 00:52
>もし見てるならばかぁ〜さん向けに――
>またかと言われそうですが、自分は
>カントとヘーゲルもアスペクトで考えます
また自己完結。
>カントにおいてはアンチノミー(二律背反)というのは
>理性が越権して空転している例外状況でした
同上。
>ところがヘーゲルはそれをダブルバインドとして
>むしろ理性の条件として読み替えてしまいます
同上。
>ただし、ヘーゲルは弁証法とか止揚とか絶対精神とか
>何か最終審級のようなものを考えていたようです
本当か〜?
>ウィトゲンシュタインのパラドックスやデリダの脱構築まで来ますと
>まさに暗闇の跳躍で保証無しなんですね
説明不足。
>ただ保証無しのカオスとはいえアトラクターのような制御点はあるはずだと…
>それをジジェクの「斜めから見る」や柄谷の「パララックス」や
>東の「過視的なもの」や斎藤の「文脈」や野矢の「アスペクト」に見出す訳です
同上。
189 :
考える名無しさん:04/05/27 00:53
反映論、模写説ですか・・・
190 :
考える名無しさん:04/05/27 00:54
ばかぁ〜、ポール、パレ、しろうとの間で問いが閉じているのだが、
これはコテがコテをしか、相手にしていないといういい例であろう。
191 :
考える名無しさん:04/05/27 00:56
てか、ダメだなぁ、
完全に固まっちゃってるよ、この人達。
ってか、怒ってみたところで、君等絶対聞かないもんね。
下っ端と一度決めこむと。
まあ、そこは傍観しとくよ。よろしく。
>>186 >ヘーゲルは弁証法とか止揚とか絶対精神とか何か最終審級のようなものを考えていたようです
いや、「最終審級」という言葉をここで出すのは適切ではないと思います。確かにヘーゲルの解説
本や、ヘーゲルを仮想敵として書いている思想家は「最終審級の人、ヘーゲル」w、みたいな書き
方をしますが、実際は違います。ここで説明するのは難しい。OFW氏の過去レスを読んでいただいた
ほうが解りやすいかと。
それと、僕はしろうとさんのいう、「ウィトゲンシュタインのパラドックスやデリダの脱構築はまさ
に暗闇の跳躍で保証無し」というのは、悟性のパラドックスとして言われる限り完全に正しいと思い
ます。しかし理性と悟性の区別が曖昧な論(特に現代思想、科学思想、概説本に多い)がこういうこと
を書くと、無用の混乱を招きますね。僕らがそれに振り回される必要もないかと。
ふぅ〜
はぁ〜
もとのコテに戻ろっかな。
へぇ〜
ぴかぁ〜さん、計画は失敗しました?
んー?
無理だったんだよ。
一部分のメンツを集めても、才能がないと意味がないし。
おかしいのは、環状層が確立してないだけなんだよ。
彼等は、ばかぁ〜もポールもしろうとも、そしてパレやんも。
しょうがないですので、私だけでも教えてもらえないですか?
馬鹿じゃないの?
はてなを見なさい、はてなを。
そうします。
206 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/27 01:54
>>188 >>190 >>191 説明不足というのは一理ありますが、
哲板に来てからもう同じような説明を何十回もしていて
古参の人なら聞き飽きているフレーズもあるので
いい加減に先に進みたいところでもある訳です
それにクリプキのウィトゲンシュタインのパラドックスが
保証なしの暗闇の跳躍だと言うような話は
色々な人がしてるので入門書でも分かりますよ
>>193 そうですね、かなり大雑把な把握ですよ
ジジェクなんかはヘーゲルを運動の思想家と
読み替えてラカンやマルクスと並べますし
その上でこういう構図を考えているんです
カント「物自体」(認識論)→ウィト「語りえぬもの」(言語論)
207 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/27 01:54
ここら辺で以前からのポールさんの疑問に少し答えたいと思います
すべては自分の意識に現れる現象なのに
他者が現れるというのはどういう事なのか、と
建築パースというのがありますが、遠近法は矛盾を抱えています
パースではある消失点で平行線が交わりますが、
平行線だと言っているのに交わるというのは矛盾です
しかし三次元(現実)を二次元(言語)に投影する際に構造上必要な矛盾です
(少し細かく言うと可能無限的解釈から見た消失点は実在しない)
見えない一点(私)が見えるもの(現象)すべてを統括するのがパースペクティブです
デカルトの<私>は消失点でポールさんの<私>は視点に見えます
しかし両者は裏表の関係でもあるわけです、だから一方だけを取れない
一方自分のいうアスペクトは反転図形とかキュビスムのようなものなので
面全体が<私>になる可能性がある訳です(例えば机・椅子が<私>とか)
少し視点の角度を変えてみます
チャップリンの『街の灯』は盲目の花売りの娘がある誤解をする話ですが
その誤解は唯一の痕跡、象徴的同一化の点、主人のシニフィアンに
対する同一化の弁証法だとジジェクは言います
これをもっと過激に進めると机・椅子になります
要するに言語の導入によって視点/消失点や図/地という剰余が出ます
本題に入って来ましたが、もう遅いので続きはまた
しろうとは相変わらず馬鹿ですね。
うっせー ぼんくら
うっせー ぼんくら
うっせー ぼんくら
>>206 >カント「物自体」(認識論)→ウィト「語りえぬもの」(言語論)
その教科書的整理はもちろんわかっています。僕もその上で「理性を単に悟性の有限性
及び制約性を越えるものとのみ考え、物自体という抽象的不可知物を要請せざるおえな
くなっている思想」つまりカント、ウィト、ハイデガー、ポスト構造主義を批判するス
タンスを取りたいと思います。詳しい話はまた後で。では。
211 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/05/27 02:34
>>207 これでポールに説明したつもりかない。
ポール理系やで。ジジェクはあかんと思うよ。
せめてデリダ的な方がいいと思うが。
212 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/05/27 02:41
ってか、レスしても無視されるだけなので。
ここのレスはひかえるべ。
みんながんばれ!ばかぁ〜は・・・結局なんなんだ?
>>212 >ばかぁ〜は・・・結局なんなんだ?
結局、僕は半端者ということですよw。これからは分相応に、みなさんの思想の中の
「ブルジョア哲学」的なとこを部分的に批判するレスだけすることにします。まあ、
ぴかぁ〜さんの理論はそれだけでもう全滅ですけどね。はっはっは。
214 :
考える名無しさん:04/05/27 12:37
ソーカルは、『「知」の欺瞞』の中で、ドゥルーズらの科学や物理の概念の濫用・誤用を指摘している
のであって、その思想全体を批判しているのではない。
思うに、『「知」の欺瞞』は、ドゥルーズの読解に有益だ。
数学や物理に言及している箇所は、マジかネタか想像するに止め、読み飛ばせばよいのだから。
>しろうとさん
アスペクトとパーステクティブの違いを遅まきながらわかってきたような・・。
僕の問いは、
「我々が知覚している現象世界は、我々から独立して存在する唯一の外部世界の存在を
原因とするのか? 我々の知覚する世界が十人十色に現れるように、世界も十人十色に
存在していると考えてはいけないのか?」
ということでした。
(そしてこの問いは、「その唯一の外部世界からの信号を受けて、脳が我々の多様な知覚世界を産出するのか?」
という脳生理学的世界観への疑問へと繋がります)
パースペクティブ的世界観とは、「この唯一外部世界を、ある視点を持った「私」が、ある角度から
切り取って認識する」という構図であり、それゆえ、唯一外部世界の実在を前提としている。
一方、アスペクト的世界観とは、「『世界は十人十色に存在している』という前提を受け入れ、
その十人十色に現れる知覚世界の無限集合が、通常、唯一客観世界といわれるものである」
と考える。
唯一の外部世界を原因に我々の多様な知覚世界が生じるのではなく、我々の多様な知覚世界(アスペクト)から
唯一の外部世界が理念化される。
・パースペクティブ=点=視点という中心から世界を考察。
・アスペクト =面=我々に現れる知覚世界全体で世界を考察。中心は存在しない。
、、、という感じでいいですか?
>しろうとさん
アスペクトとパーステクティブの違いを遅まきながらわかってきたような・・。
僕の問いは、
「我々が知覚している現象世界は、我々から独立して存在する唯一の外部世界の存在を
原因とするのか? 我々の知覚する世界が十人十色に現れるように、世界も十人十色に
存在していると考えてはいけないのか?」
ということでした。
(そしてこの問いは、「その唯一の外部世界からの信号を受けて、脳が我々の多様な知覚世界を産出するのか?」
という脳生理学的世界観への疑問へと繋がります)
パースペクティブ的世界観とは、「この唯一外部世界を、ある視点を持った「私」が、ある角度から
切り取って認識する」という構図であり、それゆえ、唯一外部世界の実在を前提としている。
一方、アスペクト的世界観とは、「『世界は十人十色に存在している』という前提を受け入れ、
その十人十色に現れる知覚世界の無限集合が、通常、唯一客観世界といわれるものである」
と考える。
唯一の外部世界を原因に我々の多様な知覚世界が生じるのではなく、我々の多様な知覚世界(アスペクト)から
唯一の外部世界が理念化される。
・パースペクティブ=点=視点という中心から世界を考察。
・アスペクト =面=我々に現れる知覚世界全体で世界を考察。中心は存在しない。
、、、という感じでいいですか?
>しろうとさん
アスペクトとパーステクティブの違いを遅まきながらわかってきたような・・。
僕の問いは、
「我々が知覚している現象世界は、我々から独立して存在する唯一の外部世界の存在を
原因とするのか? 我々の知覚する世界が十人十色に現れるように、世界も十人十色に
存在していると考えてはいけないのか?」
ということでした。
(そしてこの問いは、「その唯一の外部世界からの信号を受けて、脳が我々の多様な知覚世界を産出するのか?」
という脳生理学的世界観への疑問へと繋がります)
パースペクティブ的世界観とは、「この唯一外部世界を、ある視点を持った「私」が、ある角度から
切り取って認識する」という構図であり、それゆえ、唯一外部世界の実在を前提としている。
一方、アスペクト的世界観とは、「『世界は十人十色に存在している』という前提を受け入れ、
その十人十色に現れる知覚世界の無限集合が、通常、唯一客観世界といわれるものである」
と考える。
唯一の外部世界を原因に我々の多様な知覚世界が生じるのではなく、我々の多様な知覚世界(アスペクト)から
唯一の外部世界が理念化される。
・パースペクティブ=点=視点という中心から世界を考察。
・アスペクト =面=我々に現れる知覚世界全体で世界を考察。中心は存在しない。
、、、という感じでいいですか?
>しろうとさん
アスペクトとパーステクティブの違いを遅まきながらわかってきたような・・。
僕の問いは、
「我々が知覚している現象世界は、我々から独立して存在する唯一の外部世界の存在を
原因とするのか? 我々の知覚する世界が十人十色に現れるように、世界も十人十色に
存在していると考えてはいけないのか?」
ということでした。
(そしてこの問いは、「その唯一の外部世界からの信号を受けて、脳が我々の多様な知覚世界を産出するのか?」
という脳生理学的世界観への疑問へと繋がります)
パースペクティブ的世界観とは、「この唯一外部世界を、ある視点を持った「私」が、ある角度から
切り取って認識する」という構図であり、それゆえ、唯一外部世界の実在を前提としている。
一方、アスペクト的世界観とは、「『世界は十人十色に存在している』という前提を受け入れ、
その十人十色に現れる知覚世界の無限集合が、通常、唯一客観世界といわれるものである」
と考える。
唯一の外部世界を原因に我々の多様な知覚世界が生じるのではなく、我々の多様な知覚世界(アスペクト)から
唯一の外部世界が理念化される。
・パースペクティブ=点=視点という中心から世界を考察。
・アスペクト =面=我々に現れる知覚世界全体で世界を考察。中心は存在しない。
、、、という感じでいいですか?
>しろうとさん
アスペクトとパーステクティブの違いを遅まきながらわかってきたような・・。
僕の問いは、
「我々が知覚している現象世界は、我々から独立して存在する唯一の外部世界の存在を
原因とするのか? 我々の知覚する世界が十人十色に現れるように、世界も十人十色に
存在していると考えてはいけないのか?」
ということでした。
(そしてこの問いは、「その唯一の外部世界からの信号を受けて、脳が我々の多様な知覚世界を産出するのか?」
という脳生理学的世界観への疑問へと繋がります)
パースペクティブ的世界観とは、「この唯一外部世界を、ある視点を持った「私」が、ある角度から
切り取って認識する」という構図であり、それゆえ、唯一外部世界の実在を前提としている。
一方、アスペクト的世界観とは、「『世界は十人十色に存在している』という前提を受け入れ、
その十人十色に現れる知覚世界の無限集合が、通常、唯一客観世界といわれるものである」
と考える。
唯一の外部世界を原因に我々の多様な知覚世界が生じるのではなく、我々の多様な知覚世界(アスペクト)から
唯一の外部世界が理念化される。
・パースペクティブ=点=視点という中心から世界を考察。
・アスペクト =面=我々に現れる知覚世界全体で世界を考察。中心は存在しない。
、、、という感じでいいですか?
>一方自分のいうアスペクトは反転図形とかキュビスムのようなものなので
>面全体が<私>になる可能性がある訳です(例えば机・椅子が<私>とか)
>>207 「面全体」とは「知覚世界」のことですか?
前出の「対象化する私」をどこに位置付けるか、という問題に関して、
僕のように「世界=<私>」と考えると、「対象化する私」の居場所がなくなります。
(ウィトのように、「行為の原因となる意図など存在しない」とまで極論すれば、行為しない意図、
例えば、じっと「ラーメンと食うべきか、そばを食うべきか」と迷っている<私>の存在さえ
否定せねばなりません。そして僕には、この「行為無しの思考、意図」は存在するとしか
思えません)
しかし、アスペクト論では、僕が考えるように「世界=<私>」となったり、<私>と世界が
「対象化−被対象化」の関係となったりと、さながら図と地の関係のように、
関係が入れ替わると考える。それゆえ、主客二元論、かつ、「世界を対象化する<私>」の問題を
回避することが出来る、、、と考えているのでしょうか?
すみません・・・。
サーバー激重
223 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/27 22:01
「要するにアスペクトとは文脈の経験(環境との対話)です。」
つまり、コンテクストによって世界は現れると言う事?デリダの考えるように。
てことは、夫々のコンテクストの数だけ 世界=もの は現われる。
「ただ保証無しのカオスとはいえアトラクターのような制御点はあるはずだと…
それをジジェクの「斜めから見る」や柄谷の「パララックス」や
東の「過視的なもの」や斎藤の「文脈」や野矢の「アスペクト」に見出す訳です」
この辺の所をもう少し詳しく説明してくれないかなぁ。
「パースではある消失点で平行線が交わりますが、
平行線だと言っているのに交わるというのは矛盾です
しかし三次元(現実)を二次元(言語)に投影する際に構造上必要な矛盾です
(少し細かく言うと可能無限的解釈から見た消失点は実在しない)」
つまり、遠近法と言う永遠に交わりえない平行線が無限遠点で交わると解する事で
可能無限と言う無限は永遠に続くので、人間の理性では捉えるのが不可能って所を
実無限的に捉えうる無限と考えるのが、遠近法って事ですかね?
そこから、ゲーデル的な 無限の組み合わせのパラドックスを解決できると考えるとか?
しろうとさんのアスペクト論の続編待ってます。
224 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/27 22:03
「要するにアスペクトとは文脈の経験(環境との対話)です。」
つまり、コンテクストによって世界は現れると言う事?デリダの考えるように。
てことは、夫々のコンテクストの数だけ 世界=もの は現われる。
「ただ保証無しのカオスとはいえアトラクターのような制御点はあるはずだと…
それをジジェクの「斜めから見る」や柄谷の「パララックス」や
東の「過視的なもの」や斎藤の「文脈」や野矢の「アスペクト」に見出す訳です」
この辺の所をもう少し詳しく説明してくれないかなぁ。
「パースではある消失点で平行線が交わりますが、
平行線だと言っているのに交わるというのは矛盾です
しかし三次元(現実)を二次元(言語)に投影する際に構造上必要な矛盾です
(少し細かく言うと可能無限的解釈から見た消失点は実在しない)」
つまり、遠近法と言う永遠に交わりえない平行線が無限遠点で交わると解する事で
可能無限と言う無限は永遠に続くので、人間の理性では捉えるのが不可能って所を
実無限的に捉えうる無限と考えるのが、遠近法って事ですかね?
そこから、ゲーデル的な 無限の組み合わせのパラドックスを解決できると考えるとか?
しろうとさんのアスペクト論の続編待ってます。
225 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/27 22:19
てことは、ラカン=フロイト的に 人間は 主体化され(be subject to)
たと言う事で自分探し旅に出るんだけれども、つまり、大他者に見出すしかないと考えるのは
マズイ。
だから、いやそうではなく、私は、はぐらかされているのではないと言う
証明が必要になる。それが、遠近法(対角線・・・?)と言う方法だ
って事だろうか?無限の問題は確かに、主体の問題と同じですよ。
無限を捉えられないから、ラカンになっちゃうてことですね。
つまり、ラッセルのタイプ論と同じように、メンバーとメタレベルの問題になり
自己言及的にしかならない。この証明が出来ない限り再帰的に自問するーズレル
と言う事になっちゃう。つまり、これって、否定神学的ってことですね?
226 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/27 22:23
223と224はダブリです。ゴメン。今日は書き込み速度がめちゃくちゃ遅い
ので、2回書き込ました。すんません。
227 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/27 22:50
>いずれにしても、前述の精神分析学的な問題点は残っていると言う気がしますけどね。
>>110 いや簡単なことなんですが、つまり、デカルトの場合は 「我」の存在証明を我がする
んですよね。つまり、自分で考えて自分の存在を証明しようとした。
ところが、精神分析学の発展とともに、その考える「私」以前の問題点が判明してくる
と言う事ですね。つまり、「我思う前に我は作られたり」ってことでしょうかね。
だから、いくら言語で考えても、前段で強制的に 「我」は作られてあるのだ
と言うのが問題点と浮かび上がってきた。だから、ポールさんが言っている事も
正しいとしても、そう述べるポールさんも前段として作られた主体としてあるという
事を越えた形で(しろうとさんの関連では、無限遠点としてと言ったほうが良いでしょうかね。
証明できないと言う事です。だから、そう言う意味でもアスペクト論に期待しましょうか。
228 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/27 23:01
ポールさんこんばんわ。
重いですね今日は。
書き込めない。僕もダブりました。(笑)
明日にします。宜しく。
>平行線だと言っているのに交わるというのは矛盾です
単純な疑問だが、交わる平行線って必ず矛盾になったっけ?
230 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/27 23:14
俺は数学の専門家ではないが、非ユークリッド幾何学ならばあるのかもしれないな?
とにかくユークリッド幾何学ではありえない。
しかし、ユークリッド幾何学が全てではないという事
の発見は大きかったと思うよ。驚いたんだろうな。
絶対真理と思っていた公理の一つが壊れたように。
そこから西洋の考えも恣意的な前提があると言う事が分かってきた
という気がする。つまり、自問する=空回りする という 思考
が 始まった気がするけどね。
231 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/27 23:15
この点が デカルト以降では掌握されたと考えられていたんだけど。
そこに風穴が開いたって感じかな。
232 :
考える名無しさん:04/05/27 23:16
ユークリッド空間の場合ですね。
233 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/27 23:19
232
そうですね。
明日早いので・・また明日の晩に書きます。
しろうとさん 頼みます・・・・・・・ぐーぐー
234 :
考える名無しさん:04/05/27 23:27
平行線が交わらないのは「公理」で証明されたことではありません。
235 :
考える名無しさん:04/05/27 23:45
このことは「平行線が交わると矛盾」と簡単に言えないということです。
236 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/28 00:03
>>210 >物自体という抽象的不可知物を要請
ばかぁ〜さんのヘーゲル観を一度聞きたい
自分はジジェク経由位でしか知らないから
『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』なんですが
今話しているコギト的主体の位置づけまで絡むと思う
バトラーはヘーゲルを構築主義的に読み替えます
(当然以下は主体と他者の相互関係といった話にも繋がる)
カントを踏襲したヘーゲルは普遍性を個別性からの抽象概念だとします
しかし一方カントの形式主義を個別的な内容を無視していると批判もする
個別は普遍が存在するための条件で、抽象は個別性の能動的な否定です
そしてアプリオリなカテゴリーと物自体の認識を相互的な関係と見る
カテゴリーは超越的なものではなく物自体(の認識)との関係で存在し
物自体(の認識)の方もカテゴリーを通して再形成されます
237 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/28 00:04
しかしやはり、(俗流だけど)自分はヘーゲルは最終審級の人だと思う
カント的な主体を個の存在と別にしてイデアの述語にしてしまう
カントの主観的観念論を絶対的観念論に蒸留したという印象です
フォイエルバッハも普遍から始めるのが気に喰わないのでしょう
それで自分は構造的因果性(表現的因果性かもしれない)というか
ジジェクのロジックが好きなんですね、前からですが
無意識などは遡及的にしか見出されない原因ですが
構築、もっと言うと捏造されたものではないのです
因果は現象に内在しているという感じです
「回想」は現在生成しているという所ですか
唯物論的弁証法(!)ではなく脱構築的弁証法に
読み替えたいというのが自分の立場でしょうか
238 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/28 00:04
>>215 はい、そんな感じです
アスペクトはパースペクトより優れているとか正しいとかではなくて
もう一つの超越論性(不可能性、無限、他者…)の捉え方です
>>220 >「面全体」とは「知覚世界」のことですか
「一点」が消失点を指す兼ね合いから
「認識」世界の方が適切かもしれません
>「対象化する私」をどこに位置付けるか、という問題
ここでポールさんとの単純かつ決定的な違いが出ると思います
自分の見解では<私>は可能的なものなんです
事後的・遡及的な分析・評価で生成するものです
カント―中島の「コギトは事実問題ではなく権利問題」というテーゼがあります
が
それを自分流に言えば「<私>は可能的に存在する」と言えましょう
ここら辺は意図の話とも連動します
少し詳しく展開しましょう…
239 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/28 00:05
意思は行為の原因(動力源)ではなく
意図は行為の目的(司令室)ではない
というような野矢ドクトリンがあるんですね
腕を上げる原因を遡って神経系や原子まで到達しても
それは意図的な行為の証明にならない訳です
単なる自然法則に従っているだけかもしれない
行為を考えると自由の問題に辿り着くと思うんですが
自然法則に介入しないと自由な行為がない(カント)のです
所有の不可能性と同じく経験世界を超えてしまいます
「ラーメンを食べるか、そばを食べるか」を自由に決定したと言える
ためには、今食べたラーメンは食べないことも出来なければならない
しかし事実は常に一つでありラーメンを食べなかった事実は存在しない
自分の定義する自由は可能な行為の集合ですが
それを裏返すと不在の選択肢の集合になります
それは事実でも証明でもなく実践的な問題です
240 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/28 00:05
ここから「世界を対象化する<私>」の問題に戻りますと
端的に<私>とはアスペクト(の変化)において<可能的に>存在します
そして可能的な存在とは語りの変化によって示される訳です。どういうことか?
一番単純で分かりやすいのは日記の例ですね
日記を後で読み返すと恥ずかしい思いをする
しかし日記の文は一字も変わってはいない
変わっているのは文脈、というかアスペクトです
世界を対象化する<私>は変化、時間、速度、において
遡及的に可能性として、条件法的仮想として見出されます
それは現象というより現象の関係性としての<私>なのです
「我思う、ゆえに、我有り+かもしれない」と考えます
ポール 世界=<私>
しろうと 世界の変化=(可能的な)<私>
241 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/28 00:06
>>223 心理学と区別される精神分析(学)は
無意識との対話の技術を備えている訳です
そこで自分はラカンを変形して
「環境は言語のように構造化されている」と言いましょう
パースペクトが近接による関係なら
アスペクトは類似による関係です
近接の原理は論理的とも見れます、例えば論文
それに対して類似の原理は詩が典型的です
ここで詩的言語を巡るハイデガーと
(前期)ウィトゲンシュタインの対立に戻ってくる訳です
詩は比喩でもありますが比喩の効果は文脈(の差異)によります
そしてそれは貨幣などに繋がってくると
それから、消失点(無限遠点)で交差する平行線の問題は
そのままアキレスと亀のパラドックスに読み替えられます
平行線が有限では交わらないようにアキレスと亀は
有限回の行為では追いつかないのです
もちろんアキレスと亀はラカン〜ミレール〜ジジェクも引用しています
決して捕まえられない欲望の原因=対象(対象a)として
>平行線が有限では交わらないようにアキレスと亀は
>有限回の行為では追いつかないのです
無限回でも追いつきません。
243 :
ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/05/28 01:00
しろうとさんへ
>唯物論的弁証法(!)ではなく脱構築的弁証法に読み替えたいというのが自分の立場でしょうか
まったく何を言ってるのかわからないが、まあ今はいいでしょう。しろうとさんとは互いの読書歴
を突き合わせてから会話したほうが生産的だと思いますね。しろうとさんはそれが出来る人だと思
うので。実はポールさんがカントを未読だということにとても驚いています。ちょっとそれはどう
かなあ、という感じですね。このまま互いの知識の差異をカッコ入れして話を続けるのは限界があ
るんじゃないかと。このスレには僕も含めて冗長な人が多いのでw、「持論」を「読書歴」で制限
しながら議論を進めないと空転は終わらないと思います。「ヘーゲルはジジェク経由でしか知らな
いが、僕はヘーゲル弁証法(絶対的観念論)を唯物論的弁証法ではなく脱構築的弁証法に読み替えた
いのだ」と言われても、やっぱり、ちょっとなあという感じですw。入門書や概説書、他の思想家
経由の論を(参考にはしてもいいけど)持論の根拠にするのは無しにしません?偉そうなこと言って
ゴメン。
244 :
考える名無しさん:04/05/28 12:38
245 :
考える名無しさん:04/05/28 12:39
ばかぁ〜
しろうと
ポール
パレルゴン
↑
馬鹿四天王
246 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/28 20:03
>>242 ん、確かにそうかもしれないですけど、理由は?
例えば極限の定義からして追いつかないとか
しかし無限の時に追いつく<可能性>を残したいな
>>243 ええ「脱構築的弁証法」は勇み足でした、引っ込めますよ
しばらくは「意図」などのテーマに沿ってレスすることにします
私の存在もそうだけど、意図などは
私的言語と同類の問題を抱えています
地味だけどじっくり考えてみたいですね
247 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 22:25
>唯物論的弁証法(!)ではなく脱構築的弁証法に読み替えたいというのが自分の立場でしょうか
て言うか、しろうとさんの考えで良いような気がします。
言っていると通り、ヘーゲルは決定審級を身にまとっていると言う気がしますよ。
だから、そこの所(歴史性=絶対知)を脱構築したのが、アドルノなんですよ。
「アドルノの否定の弁証法は、その都度の限定的否定をつうじて、同一的な概念
による自然の暴力的支配を何とか打破しようとする。その際の基軸に据えられる
のが非同一的なものである。・・・・」現代思想の冒険者達 細見和之著
つまり、ヘーゲル的な高次の総合(アウフヘーベン)にいたる手前で、否定する
事で、形而上学的暴力をすり抜ける事がアドルノの戦略であったわけです。
そう言う意味で、しろちゃんの指摘は正しいと思うよ。
248 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 22:38
もっとも、構造主義、ポスト・構造主義的な視点から見てと言う事ですね。
勿論、ヘーゲルをそのまま読んでも良いわけです。
ただし、唯一の解釈しかないと考えるのは、形而上学復活にはなりますけど。
249 :
考える名無しさん:04/05/28 22:39
パレやん。
250 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 22:43
ぴかぁ〜ちゃんかい?
251 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 23:00
カントについては、俺も良い所取りだから、引用・引用
ですよ。カントの場合には、イギリス経験論批判であったわけで、
世界は感覚に現われる束であるとか、それを習慣的な観念連合だとかいって
正確な世界はわからなくなったんですが、ここで、カントは外の世界
(物自体)はわからないが、人間の側にある感覚の形式と悟性のアプリオリな
形式によって、人間の側には客観的な基準があると考えたんですね。
つまり、客観的な外の世界がある。(デカルト)
外の世界なんかあるかないか分からん。あるのは感覚のみだ。(イギリス経験論)
いや外の世界はどうなっているか分からんが、人間の内部にある、感性の形式
と悟性の範疇が映し出すものは客観的な基準だって事だ。(カント)
はぁ〜
>カントの場合には、イギリス経験論批判であったわけで、
パレやん、ここ怪しい。
>(物自体)はわからないが、人間の側にある感覚の形式と悟性のアプリオリな
>形式によって、人間の側には客観的な基準があると考えたんですね。
は〜。
そういう解釈か〜。
254 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 23:11
このように大雑把に捉える理由は、構造主義に行き着く流れがどうしても
知りたいからですね。カントについては「物自体」という概念から、
世界は内側に開かれると言う所を理解する為に引用する。
ヘーゲルからは現在が真理を捉えていない事。このことから系譜学的に
真理が読み直せる所を理解する。
アドルノからは、弁証法が絶対知への到達を最終目的としていないところ、
つまり、通時から共時 への 可能性 として捉える為。
現象学からは 客観的視点ではなく、生活世界から、意味として世界は
現われる事・・・・など
こう言う風に哲学書を横断的に読むこと。これがポスト・構造主義の
スタイルなのだと思います。だから、パッチワーク的に集め・貼り合わせる
と言うベンヤミンに賛同するのですね。
255 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 23:12
253 ぴかぁ〜ちゃん
合ってるよ。完全に・・・
256 :
(*゜Д゜)・・・:04/05/28 23:16
>こう言う風に哲学書を横断的に読むこと。これがポスト・構造主義の
>スタイルなのだと思います。だから、パッチワーク的に集め・貼り合わせる
>と言うベンヤミンに賛同するのですね。
この四天王の中では、パレやんが一番公共性を持ち合わせてるようやな。
褒めてる訳やないけど、ネタ本を他の面々は隠して使っているぶん、パレやん意外はマイナス。
もう少し突っ込めば、パッチワークというアイデアは批評空間系、しかし、その影響圏とは別のネタ元があるので、
そこは明示することもないやろう。
257 :
考える名無しさん:04/05/28 23:16
>>251 「客観的な基準がある」というより、
「客観(対象)は主観によって構成される」と言ったんでないの?
258 :
(*゜Д゜)!:04/05/28 23:17
259 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 23:21
ばかぁ〜ちゃんの読みは素晴らしいです。
俺の言っている事はポスト・構造主義的に述べているだけです。
だから、皆の読まない「判断力批判」なんかから、何か良いものが
見つかればそれは素晴らしいことだと思うし、意見を述べて欲しい
と思う。趣味判断って何だろう?自分勝手に判断する事位しか
俺には分からんのですよ。そこから強引に何かを引き出して、
ばかぁ〜ちゃんの哲学(問題意識)を発表してください。
間違い勿論OK。待ってます。
260 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 23:27
皆さん批判あんがと。
でも哲学は競争ではなく、皆で分かるように助け合う事だと思うんだ。
特に、ポスト・構造主義以降 かなり広い範囲の本を読む必要があるから
一人では無理な部分があるんだよ。だから、いろんな違った角度から
読んできた人の意見が参考になるんでね。
261 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/28 23:29
>ばかぁ〜ちゃんの読みは素晴らしいです。
>俺の言っている事はポスト・構造主義的に述べているだけです。
>だから、皆の読まない「判断力批判」なんかから、何か良いものが
>見つかればそれは素晴らしいことだと思うし、意見を述べて欲しい
>と思う。
ん?なにか違うんやないか?
ぱかぁ〜の意見はわしと重なるところが多いみたいやな。
262 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/28 23:30
チッ
今夜も無視か、おまえら。
荒らしてやる。
263 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 23:34
「パッチワーク」と言うタームについては、俺は自分で考えたんだ。
偶然にどこかで同じような使われ方をしていたかも知れないが、
多分、同じような本を読んでいると、同じようなタームに行き着く
んだろうなぁ。決して自慢ではなく。
俺の場合は、コラージュからの発想だった。切手やはがき、或は、思い出
のあるものをアト・ランダムに張り付けると言う作品。
哲学も、散文的になるか、概念を張り付ける・繋ぐしかないと考えたんだよ。
264 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/28 23:36
>「パッチワーク」と言うタームについては、俺は自分で考えたんだ。
>偶然にどこかで同じような使われ方をしていたかも知れないが、
>多分、同じような本を読んでいると、同じようなタームに行き着く
>んだろうなぁ。決して自慢ではなく。
違うんだよ。
パレやんもしろうともぱかぁ〜も元の本は一緒だから、
そこから類推すれば、パッチワークが何を手本にしたかは即分かるんやで。
265 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/28 23:37
それでは、しろちゃん、ポールちゃん、ばかぁ〜ちゃん
あとは頼んだよ。荒しの前に それでは・・・・・・グーグー
266 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/28 23:38
>あとは頼んだよ。荒しの前に それでは・・・・・・グーグー
チッ
荒らしと決め付けやがって。
267 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/28 23:40
>>247 どうもどうも。ええ、『構造と力』にも
「ヘーゲルと手を切るにはアドルノでなくニーチェを〜」
とかいう記述があって、自分も一応無策ではないのですが
少し本を読んで隙を突かれないようにしてから主張しますよ
カントについても少し触れたいな
ドイツ観念論とイギリス経験論の双方から距離を取るのが
カントの批判哲学の立ち位置なんだと思います
カントに対して物自体を抹消するのが観念論で
言説の体系に組み込もうとするのが実在論と
ただここでも、カントの言うアプリオリなカテゴリーが
実はアポステリオリなんじゃないの、というのが
構造主義以降の流れだと思いますね
268 :
(*゜Д゜)・・・:04/05/28 23:44
>カントについても少し触れたいな
>ドイツ観念論とイギリス経験論の双方から距離を取るのが
>カントの批判哲学の立ち位置なんだと思います
もう、ここから隙だかけやん。
哲学もっぺんやったほうがいいよ。
269 :
考える名無しさん:04/05/28 23:53
客観的観念論(プラトン、ヘーゲルなど)は実在論なんだけどね。
>ばかぁ〜さん
>実はポールさんがカントを未読だということにとても驚いています。ちょっとそれはどう
>かなあ、という感じですね。このまま互いの知識の差異をカッコ入れして話を続けるのは限界があ
>るんじゃないかと。
>>243 カントどころか、『イデーン』『論理学研究』すら未読です。
確かにこの業界では、「話にならない」ですね。特に、「現象学」について能書きを
垂れていた事に関しては大変反省しています。お恥ずかしいことでした。
それを承知の上で僕の考えを述べさせてもらえれば、「哲学議論」をする資格は
「誠実さ」と「問題意識の共有」だけであると僕は考えます。
初めから原書(邦訳含む)を読むことを放棄し、入門書だけで彼の哲学を批判したり、
彼の用いる概念を弄ぶ確信犯は問題外としても、原書を読んでいない初心者が、
(特定の哲学者の哲学についての議論でなく)一般的な哲学問題について語っても
よいのではないかと思います。これに関して語ると長くなるし、スレ違いなのでここらで
止めておきますが、もしばかぁ〜さんが僕のような態度の者を議論する資格がないと
考えるなら仕方がありません。そうならないように願ってますが・・。
一応、僕の読書暦を以下に記します。
僕の場合は、「読んだ」というより「目を通した」程度ですけど。
スレ違い失礼しました。
デカルト『方法序説』
バークリ『人知原理論』
ヒューム『人性論』(世界の名著・妙訳)
カント『プロレゴーメナ』
シェリング『人間的自由の本質』
ニーチェ『ツァラトゥストラ』
フッサール『現象学の理念』『ブリタニカ草稿』『デカルト的省察』『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』
ハイデガー『存在と時間』『形而上学入門』『形而上学とは何か』『シェリング講義』
フレーゲ『算術の基礎』『意義と意味について』
ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』『青色本』
クワイン『経験主義の二つのドグマ』『なにがあるのかについて』
パトナム『理性・真理・歴史』(5章まで)
(以上、すべて邦訳)
大森荘蔵『言語・知覚・世界』『物と心』『新視覚新論』『流れとよどみ』『知の構築とその呪縛』
『時間と存在』『時間と自我』『時は流れず』『哲学の迷路』
広廣渉『世界の共同主観的存在構造』
・パレルゴンさんへ
なかなか面白くなってきましたね。アドルノの「否定弁証法」は持ってますが、どうも入り
込めなかった。つまりほとんど読んでないというのが実状ですw。どっちにしろアドルノの
ヘーゲル批判に触れないわけにはいかないことは確かだと思うので、もう一度「読み」にチャ
レンジしてからレスしますね。
・しろうとさんへ
そうですね。「構造主義・ポスト構造主義を検証する」というテーマでいえば、やはりカント
を叩き台にするとわかりやすいですね。カント思想については皆にかなり共通理解がある。
そこからどう展開するかで参加者の意見がかなり分かれると思うんです。僕はオーソドックス
に、カントは「純理」と「実理」だけでなく何故「判断力批判」を書いたのか?にこだわりた
いのです。これは実は非常に大きいことだと思う。後でそのへんの視点から書いてみます。
・ぴかぁ〜さんへ
「ネタ本を他の面々は隠して使っている」という議論への不満があるのなら、それを変えてい
きましょう。読書歴の突合せをしませんか?
今日は忙しいので、これで。では。
>>271 すみません。揶揄したわけではないので誤解しないでくださいね。ポールさんのレスは
とても良質のものだと思っているのは確かですから。僕はフレーゲ、クワイン、パトナム、
大森は全く読んでません。なので、僕がポールさんのレスから得るものも大きいです。
読書暦の提示ありがとうございました。
寅=ポールです
276 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 07:45
しろちゃん、ポールさん、ばかぁちゃん 面白そうになったね。
しゃろちゃんはかなり俺に近い本を読んでいるみたいですね。
ポールさんは原書ではないが、かなり古典的なものを熟読されている。
ばかぁ〜ちゃんはカント等古典的な本が好き?
俺は、読んだ本は倉庫にしまってあるので、全部詳細に書けないが(笑)
浅田彰「構造と力」「スキゾキッズ」他対談も含めて数冊。
講談社の現代思想の冒険者達 20冊(書名省略)
ニーチェ 岩波文庫のもの全部
ハイデガー: ハイデガー「存在と時間」注解 ・「ヒューマニズム」について
30年代の危機と哲学
フッサール: ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学・フッサール 田島節夫
ブリタニカ草稿
ドゥルーズ: 関連も含めて20冊位
バタイユ : 関連5冊
フーコー :「言葉と物」「知の考古学」他解説書
東・柄谷
後は忘れたと言うか書けないよ。中沢も読んでいたし。
途中で投げ出したのも含めると、全部で150冊は超えているよ。
でも、熟読ではないので、読んでは忘れる(笑)
そして、後までの残ったものが、俺の中の思考にマッチしたと言う事だと思って
この速読・多読スタイルを持続している。初期の頃は、神秘的な物理学系を
多く出版している、工作舎の作品を読んだりしていた。
277 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 07:58
カントは純粋理性批判は(上)を読んで止めた。後は解説書で理解した。
俺って西洋哲学者の夫々日本で第一人者と言われる人の解説本を読む事を第一とし
そこから、気に入った哲学者(西洋)の翻訳本を読むスタイルなんだ。
つまり、自分で一つ一つ読むよりも、権威者と言われる人の本を先ず読む。
そこで、理解を深めると言う方法を採るのよ。そこから、重要だ。、あるいは気に入った
ものは原本・翻訳本を読む。このように進めると、理解しやすい気がする。
悪く言えば不真面目(笑)ポールさんのようには読めない。
デカルトは岩波文庫翻訳本2冊は読んだ。
とにかく多読です。ドゥルーズだけはかなり読んだけどね。理解はどうかなぁ。
まあ、彼の本は理解してはいけないと言う事で、それで良いんだと思っている。
しろちゃんもパッチワーク型に読むのではないだろうか。(笑)ごめん 皮肉じゃない(笑)
278 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 08:06
哲学のスタイルは構造主義・ポスト構造主義であります。
つまり構造の解明とその暴力からの逃走・ハグラカシは如何に行われるのかに興味があった。
しかし、ここに来て、それではダメだろうと考えるようになった。
反形而上学から、主体と構造の関係 そこから 今は、形而上学に陥らない
表現やシステムとは何かと言うテーマに興味がある。
279 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 08:20
まあ こんな感じかなぁ。
テーマを絞って討議するのも良いと思うけどなぁ〜。
例えば、東先生を解体するとか。俺も多くは読んでいないので、
同じ本を読みながら、疑問点を討議するってのはどうでしょう。
事前に読むページを決めて、何日から討議と決めたらどうでしょうか?
勿論、興味のない人はそのテーマには参加しなくても良いとか。
自由な雰囲気でやるってのは。俺は土日中心が良いけど。
そして、隠された最終目的は東先生の2チャン書き込みをさせれば成功ってのは
面白いよ。彼は、2ちゃんを嫌っているから。
でも、書き込みさせるには、それだけの強烈なアピール(ポイントを突いた
批判を呈示)しないとだめでしょうね。そこをやるのが俺らだって事(笑)
もっと言えば柄谷先生でも良いんですよ。熟読し問題点を詰問する。
以上俺の妄想です・・・・・
ほんじゃま。
280 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 08:24
追加
それと このスレッドのタイトルに拘る必要はないよ。
仮に付けたんだから、何でも議論して良いんですよ。
こんな事俺に言う権利なしですが・・・・
281 :
(*゜Д゜)ノ:04/05/29 15:22
相変わらず、バカだな。
パレやん、ポール、しろうと、ばかぁ〜。
282 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 16:25
ぴかぁ〜さんよ。
ひどい中傷は止めましょう。
君も参加したいなら、ばかぁ〜さんの言う様に
読書歴でも披露してみたら。
話題に合わせましょうね。
色々とコテハンを変えているのは不思議だね。
まあ、自分の世界のみに興味がある人は討議は出来ませんよ。
分けのわからない事を一人で喋って何が面白いのかねぇ。
哲学者の本を読んでいる僕には君の言っている事半分も分からないよ。
自己満足なら、自分のスレッドにいれば良い訳で。
もっとも人間は自分の評価を人の反応によって見るから
こう言う風に感情的な発言をして逃げていくのでしょうが。
いや、残念ながら、文章からは評価不可能ってとかでしょうかね。
もっと、正確に表現しましょうね。錯乱しないで・・・・
_−へ____
____) ・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・'
/ \| | .::.::.::.::.::・・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・''・'゚。.:ぴかぁ〜'・'゚。.::。.:
( /_\ ・'゚。.::。.::・'・'゚。.::。.::・・'゚。.::。.::・''
\ \| |
\_ ) |
|フマキラー|
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|___|
284 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/29 17:50
行為・意志・自由の話を続けましょう
所有の不可能性と行為の不可能性は同型です
「<私>の思考が存在する、ゆえに、<私>が存在する」
「<私>の椅子が存在する、ゆえに、<私>が存在する」
これは論点先取で証明力はないですね
「<私>の行為が存在する、ゆえに、<私>の意志が存在する」
「<私が>右手を上げている、ゆえに、<私の>意志が存在する」
これも<私>の行為と言えるのはなぜか
どんな行為を持ってきても、それが本当に<私>の意志によるものかは分からない
私が自分の意志でラーメンを食べたというときに、そばも食べれたという<事実>を
示す事はできない…自由とは可能性の集合ですがそれは不在の選択肢ですから
(機械的)因果論と自由決定のアンチノミーはカントの頃からありますが
スレタイに沿えばこれは構造主義×実存主義の争点でもあります
柄谷も倫理21などで実践的な主体性について考えています
本題に戻ると、他者の言動は嘘・演技(または自動人形)ではないか
という疑念は絶対に拭えないことは皆理解するんだけれども
これが<私>に限っては自動人形ではないとつい考えてしまう
意志や意図は意味として考える、という野矢の路線を自分は進みます
他者との実践、その行為の意味において意志や意図を扱います
プラスかクワスかと同じ問題系でやはりアスペクトの話なんですね
285 :
( ゚∞゚)ペーチンチン:04/05/29 17:52
( ゚∞゚)ペーチンチン
286 :
考える名無しさん:04/05/29 20:42
あげ
287 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 22:22
284
どうも今一分かりにくい気がします。
つまり、意志する「私」はラカン的に他者の欲望としてあり
よって、私とは私と言えない何者かである。ここまでは良いとして。
だから、私の行為は私の意志であるとは言えない。
因果と自由については確かにカントの「純理」「実理」の中にありますよね。
前者ではアルリオリな形式によって確定される認識であり、後者では
実はこの人間存在が物自体となるんだけどね。つまり、自由とは、理性的な行為
であり、一度否定的に捉えられていた理性が復活する。再評価される。
そこで、あの有名な根本法則の「なんじ意志の確率が同時に普遍的立法の
原理として妥協しうるように行え」と。これでも自由と考えるあたりが
凄い。(笑)
288 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 22:24
287
「アルリオリ」を「アプリオリ」に訂正です。
289 :
考える名無しさん:04/05/29 22:26
パレちゃん、レス番には >> つけてよ。
>>287とか
「アルリオリ」でも「アプリオリ」でも「エプライオライ」でも変わりないよ > ぱれ
291 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 22:41
張り付け機能不全に付き、手動で書き込みましょう。
そこで、「因果論と自由決定の問題は構造主義と実存主義の間の問題点でもある。」
つまり、因果論=構造主義 で 実存主義=自由決定 という位置付けで
良いのかなぁ〜。 因果論=構造主義 構造主義は恣意的構造に被投されて
存在する人間存在を言っているのであり、またその構造によって、一般の
存在者も共通に位置付けられて(意味付けられて)存在すると言う事じゃな
いのかな?すると、因果=構造主義と単純にはいえないかも知れないと言う気がするけどね。
後者の実存主義とは可能性として存在する人間の存在形態を示していると
解すると、自由決定ではなく、人間の行為は自由に決定されうるって事じゃないの
かな。つまり、人間が可能性をもって、主体的に行動しうると考えている。
292 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 22:55
つまり、構造主義とは時代の諸要素の布置で、権力関係的が構造化され
真理決定が恣意的構造にそって構造化されていると言う構図を明らかに
した訳で、絶対に因果論ではありえないと思われるんですね。
むしろ、恣意的な慣習によって因果論が作られると考えるべきでしょうね。
時代の慣習として、因果論もその恣意的な影響下にあると考えられます。
因果論も恣意性=慣習を基礎にしているって事です。
293 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 23:03
つまり、分かりやすく言うと、
因果論とはある原因によってある結果が導かれると言う事だとすると
構造主義の構造は、決して、そう言うことではなく、恣意的体系
として出来上がった構造にそって、真理も確定するし、思考パターン
表現方法、言語のシンタックスも決まってくると言う事だと思うんですね。
294 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 23:11
因果と構造どちらが先かと考えた場合に、構造がアプリオリにあり
因果は構造の影響のもとに現われた慣習的な思考パターに過ぎない
のだと思うんですね。これが構造主義的思考だと思います。
恣意性とアプリオリの関連は?
296 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 23:23
その他の点については、私には分かりにくいですね。
アスペクトと言うのは、文字通り、様相・局面・光景・見方・方位
だとすると、位相的に、多様に現われると解しても間違いないような気がしますが。
ポールさんの言ったように、遠近法が1視点からの現われ方だとすると、
アスペクトは面として全体的に位相的に現われると言う事で良いんですよね?
つまり、形而所学的に二項対立的に現われる 現前と言う信憑性に
「ノン」を突きつけた点では、ポスト・構造主義的だと思われますね。
アプリオリは普通外的条件などには使わない。(認識とかの)能力や機能に
298 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 23:27
295
君の意見は?
299 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 23:28
アプリオリとは先験性と和訳していますよね。
300 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 23:31
つまり、経験以前にと言う意味でしょうね。
だからと言って、恣意性と言う意味とは異なるでしょうね。
必然的にアプリオリって事もあるわけですよ。
恣意性は例えばリンゴがミカンと呼ばれても構わなかったというように
生物学的必然と結びつかないレベルで定まって来た。まあ「たまたまそうなっているが他のようでも
よかった」くらいなんだが、これはアプリオリとは全然違う。アプリオリは生得的とか「生まれつき備わっている」
もので、環境や外界に使う言葉ではないよ。
302 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/29 23:48
分かりやすく説明しようとして誤解を招く語彙を使用。
アプリオリを先にと解釈して下さい。
カントの悟性範疇のアプリオリとは全く関係ありませんね。
訂正です。
303 :
考える名無しさん:04/05/29 23:50
ハハハ バカジャネーノ
304 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/29 23:57
>>287 >意志する「私」はラカン的に他者の欲望としてあり〜
>〜だから、私の行為は私の意志であるとは言えない
その側面も確かにあるけど、ここは少し複雑な所ですね
>>291-294 >因果論=構造主義 で 実存主義=自由決定 という位置付け
ああ単純に繋げちゃうと不味い所でしたね
>構造主義とは時代の諸要素の布置で、権力関係的が構造化され
>真理決定が恣意的構造にそって構造化されていると言う
>構図を明らかにした訳で、絶対に因果論ではありえない
そう、言説の恣意性については全くその通りですね
そこを踏まえた上で、主体とか実践とか考えるのが柄谷ですね
>>296 アスペクト論は他の色々な概念と絡めると理解しやすいです
例えば(ライプニッツ的)モナドとか
>アプリオリ
自分としては「先天的/生得的」という訳はお勧めしない
経験に先立つという意味で「先験的」が良いと思います
ちなみにアプリオリ/アポステリオリと必然性/偶然性は別ですよ
またまた、アプリオリは確かに環境や外界に適用されるものではない。
そんなこといってなかんべえ。言いたいのは生得性に近づくということだよ。
もちろんこれは隠喩であって直観として空間や時間はそれが人間にとって
あるということでしかない。だから近づくということはおかしい。しかし
それはやはり近づくことであるわけだ。つまり媒介としてある例えば
恣意性(構造)に在った自分に近づくということは生得性に近づく
ということになる。意識するということは何度も言うが恣意性を
遠ざけるということも可能なように思う。恣意性に近づくという意識
っていうのは連続的な意識を意識する行為。それこそがアプリオリに
近づくというイメージになる
306 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 00:15
しろうとさん
相変わらずコメントが少なくて分からないよ。
ワン・フレーズ・アンサーではなくて、詳細な説明が必要ですよ。
モナド論とかは布置に近い概念ですから、ほぼ理解してますが
アスペクト論は全体としては、私にとって、新しい新概念ではなさそうです。
むしろ、構造の中で主体化された個が、どのように、形而上学的な
権力構造のなかで、活動するかと言うテーマが重要な気がします。
つまり、マイナーの活動が如何に構造の権力に対して、逃避できるのか?
あるいは、構造の権力にたいして、その力を弱められるのか?
今後はこう言うテーマが重要だと思いますね。
307 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 00:18
305
よく分かりません。
社会的諸関係の様々な構造は勿論、歴史的産物であり、人間が作り出してきたものであるが
この構造は慣習的行為や思考パターンのうちに己を現わす。逆に様々な行為などの観察から構造が
把握されるのでもあるが。
更に言えば、そのような構造はあたかも実在物であるかのような仮象を持ち、ほとんど強制的な
現実的な力として個人に立ち現れてくる。
貨幣を例に取るなら、1000円札は物質的には紙切れに過ぎないが、市場社会では、それが
あたかも独自の機能、価値を持ったモノとして現れてくる。
同様に未開社会ではマナを持ったモノがあったりする。
このようなモノは想像力の相関物でありフェテッィシュであり仮象であったりするわけだが。
ともあれ、そのような社会的諸関係の網のうちに個人は生れ落ちてくるのであるが
それは偶然でもあり宿命でもあったのである。
しかしてそれらの構造はその成り立ちにおいては恣意性があったとしても、個にとっては
否定しがたい現実、あるいは必然とも見えるわけである。
309 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 00:28
アスペクト論なら、ドゥルーズなんかを読んだほうが、
もっと明確に説明しているのではないでしょうかね。
位相・アレンジメント・リトルネロ この辺の概念を確認した方が
より鮮明な気がしますが・・・。
310 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 00:31
308
構造主義のお手本です。
多分レヴィ=ストロースの抜粋でしようかね。
>>304 半畳を入れるようで悪いのだけど「『先天的/生得的』という訳」
をお勧めしない理由を教えてくれませんか?
パレルゴンさんの指摘したとおり構造主義は必ずしも因果論の範疇だけを
対象にするものではない。ちなみにアプリオリは超越論的と訳するのが
よいと思う。
314 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 00:50
311
全くの感ですが、私の考えでは
生得的はロックの「生得観念」に近いので誤解されるのではと言う配慮から。
他の理由はアプリオリを「先験」と最初に翻訳した為に、同意語の「先天」
は使えなかった。
apriori も transzendental もごちゃついてできれば使いたくないような気もするんだよね。
316 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 00:59
313
構造主義について勿論です。
アプリオリについては「超越論的」もあるが
カントの場合には、一般的には「先験的」の方がいいのでは。
但し、生物学的・心理学的には「生得的」
知識論では「先天的」「非経験的」としている場合もあるね。
なるほど。要するに、論理性がやや軟化するということで
タームが意味せんことが間違っている、というわけではないのですね。
どうでもいいが、a priori / a posterioriの原語の意味は皆把握済みだよな?
319 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 01:05
また、先ほどの反論ではありませんが、元来「a priori」は
「より先なるものから」と言う事なので、構造と原因の場合に
「構造が原因よりもアプリオリ」と使っても間違いではない気がするけどね。
でも、カントの概念と勘違いされるので使わない方がいいって事ね。
ほんじゃま。また明日・・・。
しろうとさんレス不十分ですよ。
グーグー
構造と原因とで「どちらがより先なるもの」か、なんてそもそも
比較するものじゃないでしょ。
カントは因果律をアプリオリとした。因果律を生物が生まれもっていたのではなく
生物がいない場合でも因果律があるということ。
apriori の訳には先験的、先天的、生得的、演繹的(論理学)などあるが、
超越論的もある?
「わたしは、対象にではなく、対象を認識するわれわれの認識の仕方に、この認識の仕方が
アプリオリに可能である限りにおいて、一般に関与する一切の認識を超越論的と称する。
このようの概念の体系は超越論的哲学と呼ばれるであろう。」(純理 B25)
>323
そこの「超越論的」の原語は「transzendental」でしょう。
話の流れを断ち切って申し訳ないけど、僕の問題意識を書いてみる。
「僕の脳の状態」と「僕の経験世界」(知覚、想像、思考等、僕が経験している全て)が
密接に関係していることはわかる。例えば、僕の脳の視覚野に刺激を与えれば、僕の
視覚風景に変化が現れるだろう。僕の視覚風景にコップが現れるとき、僕の脳の状態は
Xであるとする。とすれば、実際にはコップがなくとも、僕の脳をXの状態に人工的に変化させれば、
僕の視覚風景にコップが現れるだろう。この考えを拡大すれば、実際には世界が存在せずとも
僕の脳がある状態になれば、それに対応した世界は現れるだろう。
脳が世界を産出するのか?
凄く不思議なんだが、僕の脳という物質の出来事が、なんで僕の知覚風景に密接に
関係しているのだろうか。
脳生理学的世界観──これは普通の人々の世界観だと思うが──における世界の成り立ちは
次のように図式化できる。
「外部世界 → 脳 → 知覚風景」
僕らは、この図式における「外部世界(物自体)」を、僕らが知覚している世界とほぼ同様な
──たまに見間違う程度の──世界だと思い込んでいる。しかしそれは勝手な思い込みに過ぎない。
例えば「色(のクオリア)」は、外部世界に属するものではなく、外部世界のある波長を持った電磁波
が原因となって、我々の知覚風景に現れるものである。
つまり、外部世界には色は存在しない。しかし、色のない物体など存在できない。
これは、(我々が通常経験する意味での)延長を持った物体など外部世界には存在しないことを意味する。
僕の意識の外には、他者と共有できる外部世界が存在していることは僕も信じている。
しかしその世界とは、原理的に言えば、脳と連動可能な電磁波だけが飛び交っている世界である
可能性を否定できない。その物質の存在しない電磁波だけが飛び交っている空虚な世界に我々は存在し、
そこからの信号を脳(これも物質である必要はない)が受け取って、僕らの豊かで情感あふれる物質世界が
現れる。
このことを考えると不思議な気持ちになる。
327 :
考える名無しさん:04/05/30 01:42
フシギジャナイヨ
>>326 物理学的世界像は感性の拡張(観察、計測機器・顕微鏡や電界強度計その他モロモロ)から作られた
世界像であって、日常世界から派生した世界像なわけです。
どのように世界像が派生しようが根っこは<生きられる日常世界>にあります。
不思議だと思うから不思議なんだ。自分が生きていることも。
>>328 そうなんですよね。
「外部世界 → 脳 → 知覚風景」の二元論を基盤に世界を解釈するのは、
脳生理学に代表されるように、すごく合理的で実用的。だけど、よ〜く考えてみると
何かつじつまが合わない部分が出てくるんです。
そこをしつこく突いていけば、やはり二元論(脳が世界を産出する)はおかしいと
言わざるを得ません。脳が産出する前の世界って何だ?って。
その(脳生理学者が観察している)脳さえも、おまえの脳が作り出してるんだろうが、、って。
>>329 それ言ったら終わり(笑
脳プロブレムなのです。
>>326 >つまり、外部世界には色は存在しない。しかし、色のない物体など存在できない。
>これは、(我々が通常経験する意味での)延長を持った物体など外部世界には存在しないことを意味する。
ロックなどの認識論の伝統からみると、飛躍のある議論です。
色や匂いは二次性質とされて確かに実在ではないとされるけど、だからといってすぐさま延長・形(一次性質)
の実在までが疑問視されるわけではない。
>色や匂いは二次性質とされて確かに実在ではないとされるけど、だからといってすぐさま延長・形(一次性質)
>の実在までが疑問視されるわけではない。
>>332 ロックやデカルトにおいて、一次性質は客観的に実在するものですね。
しかし色のない延長など考えられるでしょうか?
デカルトはどのように考えているのでしょうか?
脳生理学によれば、幻視や幻聴は、脳のレベルまで降りてくれば存在しなくなります。
どういうことかといえば、コップの幻視が見えている人の脳の状態は、
実際にコップが実在している時の脳の状態と同じになります。これは、我々の経験世界は、
最終的には、外部世界に関係なく、脳の状態のみによって決まってくることを意味します。
そこに外部世界の延長が入る隙間はありません。
仮に、脳の状態を決定するのが外部世界だとしても、脳の状態に直接影響を与えるのは
延長ではありません。電気信号(?)です。
もし脳生理学的に、「外部世界からの信号を脳が受け取り、それを元に我々の知覚世界を
産出する」と考えるならば、デカルトが実体と考えた延長さえも実在する根拠を失うと思います。
>>333 >仮に、脳の状態を決定するのが外部世界だとしても、脳の状態に直接影響を与えるのは
>延長ではありません。電気信号(?)です。
難しいとこだけど、これもロックの粒子仮説とそぐわない見解ではないんだよね。
>我々の経験世界は、
>最終的には、外部世界に関係なく、脳の状態のみによって決まってくることを意味します。
「脳の状態」なるものを孤立して取り扱えるかのような言い方には違和感がある。
例えば、コップの幻視を見ている脳(脳が「見る」というのも変な表現だ)は、本当に外部世界と
関係なく振舞っているのか?
ポールさんへ
>>325-326,
>>330,
>>333 脳科学があれば哲学(というか認識論)は要らない、という問題設定は哲学板でも、主に理系の側
からよく出されますよね。僕はその意見は、ポールさんが「すごく合理的で実用的」という意味
で納得する、という以上に、「悟性的認識としては完全に脳科学の方が正しい」と思う。その時
点では脳科学を軽視する哲学のほうに誠実さはない。しかし、それが「唯脳論」のような、その
スタティックな悟性的認識を固定化するのようなものになってしまうと、やはり「よ〜く考えて
みると」とおかしい。ただそこで「では結局どうなってるんだ?」という問いを哲学側からあれ
これと出すのもまたおかしい。なぜならそのような「問い」もまた新たなバージョンの悟性的認
識を求めているだけであるからです。本当に「よ〜く考えてみる」とすると、「哲学」は、ある
悟性的認識ともう一方の悟性的認識が、相互否定的なものとしてしか存在しえないととらえる
「否定的-理性的な契機」(弁証法的思惟)に移行、さらにはその相互否定的なもの中から肯定的な
ものを把握する「肯定的-理性的な契機」(思弁的思惟)に移行するもの、と僕は考えます。
また弁証法になってしまいましたw。
336 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 07:39
なるほど、脳生理学的?に見ても、客観的な外の世界の存在が分からないと言う事
でしょうかね。つまり、アンチ・デカルト的。
例え、脳を科学的に分析しても、結局は外の世界の証明は結論付けられない。
つまり、観察する・論理的証明をする「私」が正しく回答できているのかと言う
事の証明を前段に於いて行う必要があるからです。
真理探求とは、既存の無意識にある真理探求方法に沿いつつ、この無意識的
探求方法をも同時に検証・変更しつつ行う必要があるんですね。
しかし、この事を実行するには「将棋を指しながら、将棋のルールを検証・変更
する事に等しくなる。」。ここの「 」は引用ではありません。分かりやすくする
為に囲ったまでですが。
つまり、ルールがゲームを始める前段で確定していないと言う分裂症的分析行為
に陥るのではないかと言う気がします。
これぞ、スキゾフレニー分析とでも言いましょうか。
もっとも、スキゾは分析を放棄して、創造の連続による 既存価値からの逃走
と破壊かもしれませんが。感想まで・・・・
みんな早起きなのね。
338 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 07:50
たしかに、読書歴から見ても、ポールさんの視点はかなり、形而上学的
であり、何か世界を客観的に捉えうる方法はないものかとの探求の
姿勢がありますよね。古典主義的に考察したり、論理実証的に、言語学的に
科学的に捉えたいと言う願望みたいなものがあり、それが挫折しそうになる
ので、再度合理的に・無矛盾に世界を捉えようとしている気がします。
つまり、精神分析学・構造主義・ポスト構造主義に踏み込めないでいる気がします。
だから、前段で真理の掌握に拘るのではないでしょうか?
むしろ、イギリス経験論に浸かってから、再考する方法が良いかもしれませんね。
あくまで私見です・・・・
339 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 07:53
ただし中途半端なロックではなく、ヒューム・バークリーのように
徹底的に外部の客観性を疑うと言う事が大事だと思います。
パレさんおはようございます。僕は出かけるので落ちます。また夜に書きます。では。
341 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 07:59
337
はいよ。早いよ。
コテハンを付けようよ。そうじゃないと誰と話しているか分からないので
レスしてもしょうがない気がするんだけどね。
それに、次回話をするとき、君のイメージが出来て、話しやすい。
342 :
パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/30 08:01
340
ばかぁ〜ちゃん。おはようです。
今日は丁寧だね。キャラが変わると不気味な気がする。(笑)
冗談です。気をつけていって来て下さい。
343 :
考える名無しさん:04/05/30 08:32
物自体に対する態度がその人の哲学を大きく左右するね
物自体があると考えるか・・・
あるともないともいえないのか・・・
ないのか・・・
344 :
考える名無しさん:04/05/30 08:39
しかしそこが非常に難しいところなんだよね
物自体を否定するニーチェだって
彼のいう力への意志は、物自体みたいなものなんだよな・・・
345 :
考える名無しさん:04/05/30 08:50
まーニーチェの場合は
物自体はなく、解釈のみがある・・・
ではその解釈作用を営む力への意志とは何物なのか?・・・
それはニーチェの解釈である・・・
というような循環が生じるわけだね
これは自己言及に伴うパラドックスのようなものなんだろ
346 :
オレオレ詐欺:04/05/30 10:38
>>322 「超越的」;Transzendent
「超越論的」;Transzendental
で、アプリオリとは違ったかと思う
ただ「先験的」という訳語が「Transzendentale」につけられているケースもあり、分かり難い
超越論的はTranszendentaleが正しいようで
>>313のは訂正させていただきます。
ではアプリオリはどう訳すか。アプリオリのままが一番かも。
対象を観察する仕組みを観察するのがTranszendentalということかな
349 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/30 11:23
>>306 >ワン・フレーズ・アンサー
ある程度の期間哲板に居て
何度も説明を繰り返してると自然とそうなります
自スレに手を入れたいのでもうアスペクト論は控えます
>>311-324 分析的−総合的、アプリオリ−アポステリオリ、偶然的−必然的
これらは区別する必要があります、それから超越論性は別
カントはアプリオリで総合的な判断がいかにして成立するか考えました
>>325-326 脳生理学ですか、養老さんの唯脳論みたいですね
脳のシステムがどうあれ、「世界がいかにあるか」という範疇でしょう
>僕の脳という物質の出来事が、
>僕の知覚風景に密接に関係している
この身体性は確かに不思議ですけどね
350 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/30 11:27
自分のお勧めの訳語はこれ
a priori 先験的
Transzendental 超越論的
ちなみに二つは別の概念です
マルクスのスレはもう誰も立てないのかな。
352 :
考える名無しさん:04/05/30 11:57
a
>例えば、コップの幻視を見ている脳(脳が「見る」というのも変な表現だ)は、本当に外部世界と
>関係なく振舞っているのか?
>>334 アフォーダンス理論によれば、僕らの知覚世界は、環境と身体と脳とのコラボレーションによって
つくられるそうですね。(
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1060786451/565)
だたし、アフォーダンスで言われる環境(外部世界)とは、物自体としての外部世界でなく、我々が
知覚している外部世界、
>>326でいう知覚世界です。つまり
>>326で図式された
「外部世界 → 脳 → 知覚風景」
を正しく記述するならば、
「知覚風景 → (知覚風景に現れる)脳 → 知覚風景」
です。
脳生理学者が観察する脳も知覚風景だし、物理学者が観察する電磁波も知覚風景です。
「外部世界からの信号を脳が受け取り、脳が知覚世界を産出する」というテーゼを正しく言い換えれば、
「我々の知覚風景で観察される世界からの信号を、我々の知覚風景に現れる脳に影響を与え、
その結果、我々の知覚風景が変化する」という知覚風景内で閉じる循環に陥ります。これが、
>どのように世界像が派生しようが根っこは<生きられる日常世界>にあります。
>>328 の意味でしょう。
もう重度のヒキだな。
>ばかぁ〜さん
>脳科学があれば哲学(というか認識論)は要らない、という問題設定は哲学板でも、主に理系の側
>からよく出されますよね。僕はその意見は、ポールさんが「すごく合理的で実用的」という意味
>で納得する、という以上に、「悟性的認識としては完全に脳科学の方が正しい」と思う。
>>335 脳生理学の知は正しいと思います。
ただし、それはある条件内でのことだと思います。
僕は哲学と(脳生理学を含む)科学は、それが拠って立つ基盤が異なると考えます。
度々述べている世界の見方、
「世界が現出する場 − その場に現れる対象物の集合体(=世界)」
とすると、科学とは、後者の「その場に現れる対象物の集合体(=世界)」の関係性の解明を
目指す学問です。そして脳生理学も科学です。彼らが観察する脳や身体は、彼らの意識に現れる
対象物です。彼らは、世界が現出する場に現れる対象物として、同等の立場で現れる、「脳」と
「知覚世界」の関係を記述します。
しかし哲学は、「その場に現れる対象物の集合体(=世界)」と、「世界が現出する場」の関係性を
通り過ぎることはできません。
それゆえ、「世界が現出する場」、つまり「私」が大きな問題となり、それゆえ「独我論」という
日常生活に全くマッチしない考え方がしつこく現れるのだと思います。
もう重度のヒキだな。
僕は脳生理学的二元論は「すごく合理的で実用的」と述べましたが、日常的には、
科学が対象としている「その場に現れる対象物の集合体(=世界)」が解明されれば
十分なのです。なぜなら、私の経験する全世界とは、(私の身体、対象化された
私の意識を含む)「その場に現れる対象物の集合体(=世界)」だからです。
その意味で、科学は実践的で、ある条件内(僕の生のほぼ全ての場面)では正しいのは
確実ですが、それが即、世界を根源的に見て取っているとはいえないと思えます。
358 :
考える名無しさん:04/05/30 15:47
最近人間とチンパンジーでは遺伝子が80%異なることが解明された。
DNA配列では1.2%しか差が無いので、これまでは進化の隣人として極めて
近いように言われることが多かったが、そうでもなかったのだ。
359 :
オレオレ詐欺:04/05/30 19:55
>カント
カントの訳で注意するのは
a priori と Transzendental の区別ではなく
Transzendent と Transzendental の区別と思われ
オレオレしつこいよ!!
361 :
オレオレ詐欺:04/05/30 19:58
>>360 ごめん
カントぐらいでないと俺は参加できないからついはりきっちゃった
362 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/05/30 20:02
>>361 いや、オレもちょっときつく言いすぎた。許してね。
しろうともバカだなぁ。
いい加減ぴかぁーウザイ
>>343 僕はヘーゲルのいうようにカントの「物自体」というのは空虚な抽象物だと捉えているから、
物自体に対する態度がその人の哲学を大きく左右する、というのも、物自体に対する態度は
ただ抽象的な「哲学的立場」なるものしか左右しない、というべきだと考える。カントはやっ
ぱり、中途半端に「タダモノ論」の地平を残してしまっていると思う。「タダモノ論」から
「唯物論」に移行するためにはヘーゲル−マルクスという道を通らなければならない(まあ通
らなくてもいいけどw、通らないと誤解する人が多い)。つまり抽象的悟性の彼岸としてだけ
の「物」というこれまた抽象的な設定は廃棄されねばならない。もちろんマルクスは「物」の
存在を認めるが、それはカントの「物自体」とは違う。ちなみに柄谷行人も
>>343と同じよう
なことを言っているが、あれは非常に誤解を招きやすい。ジジェクが「トランスクリティーク」
を評して「ヘーゲル不足」と言ったとかいうことだが、僕もそう思う。柄谷行人はそのうち、
「俺はヘーゲルを再発見した!」というのではないかと密かに思っております。
物自体を事象の成因とすれば、本当に物自体があるかないか確かめる手段が
ないにしても、それを想定することは、因果律に基づいて理解する知性になる。
ヘーゲル:物自体は空虚な抽象で、対応する事物は存在しないような思考の産物である。
ショーペンハウエル:物自体は我々がそれであるところのものである。つまり「意志」である。
この認識は直観にのみ与えられるが、この意志はただ一つしかなく全ての存在者の根源をなすものである。
今日、ジジェクの「イラク」買ってソッコー読んだ。すごく面白かった。読んだ人いたら
手ぇあげてぇ。
370 :
THE グル:04/06/01 18:58
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
371 :
THE グル:04/06/01 19:22
>>96 >>97 >>98 いいですか、
グルのパソコンは、まだ修理中なのですが、
臨時的に書き込んでみるんです。
さて、
ポールさんは、
>グルさんは、僕らの経験世界が存在するのは、脳の働きが原因となって作り出されると
>考えているのですか?
とのご質問ですが、
これは、ポールさんが前のスレで、
クオリア云々とおっしゃったために、
その感覚的質世界の視点からご説明したんです。
また、
>その上で、「<私>は存在するが、しかし、(デカルトの言うような)経験世界から独立した
>実体としての<私>は存在しない」と主張したいと思います。
といわれていますが、
では、経験以前の経験し得る<私>は存在しないということなんでしょうかね?
つまり、
「これから経験する<私>」のことなんです。
確かに、純粋経験のみに重点をおくという考え方は理解できますが、
それが、
その実、<私>の存在の主体になっているワケではなく、
あらゆるものから切り離された自由な<私>をデカルトは論じているんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
372 :
考える名無しさん:04/06/01 20:11
いいですか、
何桁目を縦読みするんですか?
どうかしましたか?
373 :
考える名無しさん:04/06/02 03:31
ポストモダンって基本的にフランス哲学でしょ
って言うことはさ、抽象的思考能力に優れた
ドイツ人の哲学の足元にも及ばないって事じゃん。
こんな哲学勉強して恥ずかしくないの?
って言うか、意味あるの?
フランス人による、ゲルマン哲学の吸収と発展が、所謂
フランス現代思想だと思うけど。
ニーチェ、ハイデガー、カント、ヘーゲル。
375 :
考える名無しさん:
ポストもダニ棲む脱肛畜