<パラダイム>「パレルゴンVS誰か」<おしゃれ>2

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
2考える名無しさん:04/05/23 20:32
誰かsophiaのスレ作って!
3考える名無しさん:04/05/23 20:45
                  -‐‐-、.__  ,,,,_
                /´      ̄  `ヽ、
               ノ, '" ,    ,,...,      ヽ
             r'´  '´ , '" /  `""l,','"|  ,.-‐""'"'‐、_
               };;:::...    _.ノ     l  ゙'y'´;;:::::::::::::::::::;r''"´  ̄`ー‐-、
                /;;;;;;;;:::::::::r''_      `ヽ/, ':::::::::::::::::::::(__./ ,.  ,,..-‐┴--=ニ二
           __」_;;;;;;;;;;;;::ノ `ヽ、_, /` /,'〃::'"'"::::::゙`゙:::;;;;/ ./ / \
      ,. -'"´ ̄   `ヾlヽ;/   ~'`   ´'` |::::..〃"::::::::::::;;;;;;;;;;l_///´   \    ,,..
    _,/`ー‐'|       (`''l.      , ,    |l!;!;;;;;;;、;;;;;;;;;;;,,,;;;;;;;;;;;l´::/     /   ./::::
 .r‐'´ ー―-、ヽ.      ``lヽ.   -‐=ァ   /|!|;l|!、ヽ、_;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|:::|‐-、 /    /::::;;;
 {       ヽ、'l  /    ヽ、ヽ、._ `"´_,.ィ'゙ !l、|!l `}/``''ー-、.,__|:::|  V    /::;;;;;;;;
 |    __    l `y'       `ー-二二‐''´   ` 'l   u     |::::゙、r‐‐┬┬<;;;;;;;;;;;;;;;
 |   _ノ  ̄`! | /                   \     _ |::::;;ヽj _,,」 \ \;;;;;;;;;;
 | r',.‐、=j  ヽ|k゙                     `ヽ、.,,__,,/`|;;::::;;;;;\  r‐'   ,ゝ;;;;
. ! (、 /´ヾ=Fi゙ |.                          |   |;;;;;;;;;;;;;;;;\ ヽ.  |;;;;;;;;
  ヽ、!  / /`| ,ゝ、                         /   |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`'┴-┘;;;;;;;
   ゙'ー-、_'__ノ /  `''ー‐--一             _,,..ノ    |;;;;;/⌒l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
         /                   ` ̄ `ヽ     l/    |/⌒\;;;;;;;;;;;;;
「アンタって子は、ふぁみこんばっかりしてー!」
「OK OK 母者…勘弁してくれ!」
4考える名無しさん:04/05/23 22:29
そんなわけで、「これからは大規模化だ、機械化だ」と叫んでいたおじさんも
トラクターの下敷きになって、あっけなく死んでしまった。
僕は当ても無くこうして日々を過ごしている。
5パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/24 22:46
勝手にスレを作らないでよ。
今後は「構造主義・ポスト・構造主義を検証する。」スレ
中心に書き込む予定。何かあったらそちらにどうぞ。
6パレルゴン ◆fMRkzf7x2U :04/05/25 23:08
勝手にスレを作らないでよ。
今後は「構造主義・ポスト・構造主義を検証する。」スレ
中心に書き込む予定。何かあったらそちらにどうぞ。


と言ったからと言って、静かになる事はないですよ。
適当にレスして下さい。
7考える名無しさん:04/05/26 15:08
ヤーネ!!!!
屋根!!!!!
8もはぁ〜:04/05/26 15:15
このスレはパレルゴンが立てたのですか?
9パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 16:19
いいえ。
違います。 
10考える名無しさん:04/05/26 18:25
トリップ違う。
11パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/05/26 19:57
変えたのです。
12考える名無しさん:04/05/26 23:16
うそつけ。
偽者だろ。
13パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/05 00:21
東浩紀の対談を二冊程読んでいた。次は何にしようか。
古典も良いけど、とにかく、書く力をつけて、将来は書き手に
なりたい。とにかく、読書だね。
皆もがんばろう。一段落したらこちらのスレッドにも書こう。
適当なテーマで・・・・・
ほんじゃま。
グーグー
14考える名無しさん:04/06/05 00:23
>>13
自分の考えをかいてみそ
15パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/05 23:47
否定神学を超えて・・・
古典的理論への回帰・・・・
形而上学の復活・・・・・
果たしてそうだろうか?
そんなに単純に戻れるのか・・・・・
そんな事はなかろう。
何かの読み違いだろう。
しかし、語る事が反形而上学的に出来るとするならば、それは呟きに他ならない
だろう。なぜならば、現前の他者に対して語る事は、デリダにとって、形而上学的暴力
になるからだ。コンスタティヴに意味を確定させる罪が在る。
パフォーマティヴにコンテクストを多様化させる必要があるからだ。
16パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/05 23:52
ソーカルの討議は終了している。
全てが比喩・引用である以上、数学的な証明・正否とは
関係がない世界(パラダイム)なのであり、
異なる視点からの批判はその正当性を欠いている。

アインシュタインの相対性理論のように
こちらのシャトルの時間とあちらのシャトルの時間は
こちらから見たあちらの時間であり、決して、絶対時間
のない事を示しているのです。
17考える名無しさん:04/06/05 23:54
ププププ
だったら数式なんて使わなきゃいいだろw
ポモダは救いようがないんだよw
なんたってたって、虚数チンポだぜwwwwwwwwwwwww
18考える名無しさん:04/06/06 00:05
喪失者たちの共同体、エデンは始めから失われている。
19パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/06 00:07
証明をする事が何か絶対的なことを強制するからです。
だから、引用する。引用とはその引用が正しいかどうかではないのです。
「〜は〜のような物」とは、その表現が正しいかどうかではなく
投げ出されたのです。それに対するそのイメージが〜のような物
であると。それは個人的な感想であり、解釈であり、唯一の解釈は
ないと言う表現でもあるのです。
それを、唯一のもの、唯一の真理は何か問うこと自体が形而上学的
暴力を孕んでいる事が分からないのでしょうか?
それでは・・・・・

20パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/06 00:24
確かに、数式的な未熟・矛盾はあったでしょう。
と言うのも、ソーカル先生は数学者?であったし、
ブリクモンさんもその筋の方でしょう。

しかし、言いたい事は絶対真理ではなく
「1+1=3」のような物なのです。
数式は間違いですが、言いたい事はあるのです。
それではソーカル様  いたずらで賞をとるのは止めて
表彰状・トロフィーの返還を速やかに行ってください
それでは、メタファーの世界より・・・・・お・や・み・す
これはタイプミスではありません、比喩です。
何の・・・・ 人間と言う動物がミスをすると言う・・・
以後、比喩・引用については 各自解釈されたし・・
本当に おすやみ
21考える名無しさん:04/06/06 00:34
ラッセルらが1+1=2を証明するのに200ページも費やしたそうだが、そんなこと
を知ってる?
22パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/06 00:41
論理実証主義とはそんな馬鹿な事をやるんです。
といっても、意味はある。つまり人間全部死滅しても、常識だと考える
「1+1=2」でも、真理が怪しいのですよ。
人間が作ったに過ぎないことがばれてはマズイ数学者は
ラッセルを眠らせたかったでしょうね・・・・
つまり、結論  全ての数式も比喩・引用である。
よって、ポスト・構造主義者の数式の引用は間違いではなく
全ての数式が恣意的な人間の妄想によって決められたルール
が、証明の前段にある。

すみやお
23考える名無しさん:04/06/06 00:49
だったら、それこそ、なんでも哲学だなw
24ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/06 00:50
>>22
うーん、パレルゴンさんがポスト構造主義なのか、単にヒュームに退行しているだけなのか、
よくわからなくなってきたなあ。
25考える名無しさん:04/06/06 00:50
なにやっても、なにやらなくても哲学。
どいつも、こいつも、だれでも哲学者。
つまり、なんでも哲学です。
わかります?
26パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/06 00:57
ヒュームいいね。
ウィトゲンシュタインも数式だけは人間の感覚・知覚・理性・悟性
から、演繹されたものではなく、それそのままに自然界に存在するみ
たいな事ぬかしていました。
これは明らかに間違いです。全ての観念・感覚・知覚は人間の
身体と脳とが作り出したものです。
だから、全人類が死滅した時には、「1+1=2」は引用者を失って
消滅する。

やすおみ
27考える名無しさん:04/06/06 00:58
>だから、全人類が死滅した時には、「1+1=2」は引用者を失って
>消滅する。
もだから、全人類が死滅した時には、「1+1=2」は引用者を失って
消滅する。
28パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/06 01:00
とは言っても、この私の考えは決してポスト・構造主義や構造主義
から逸脱してはいませんよ。ばかぁ〜さん。
29パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/06 01:04
答。
全ての真理は、既存の構造によって、恣意的に決定される。
また、その構造に被投されて存在する現存在は
その構造によって作られたものを真理として刷り込む。
30考える名無しさん:04/06/06 01:06
>だから、全人類が死滅した時には、「1+1=2」は引用者を失って
>消滅する。
も>だから、全人類が死滅した時には、「1+1=2」は引用者を失って消滅する。
31考える名無しさん:04/06/06 01:07
>だから、全人類が死滅した時には、「1+1=2」は引用者を失って
>消滅する。
も全人類が死滅した時には引用者を失って消滅する。
32考える名無しさん:04/06/06 01:14
>>29
「恣意的」は普通の意味は「勝手に、自由気ままに」なんだが、ソシュールの
「恣意性」はシニフィアンとシニフィエの結びつきが自然(生物学的必然)的
でないことを云う。
どういう意味で「恣意的」を使ってる?
>>29
それは真理は人間が作り出したものであると定義しているだけなのでは?
34パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/06 12:17
32
哲学の論議で、普通の意味は使いません。
君の言うとおり、ソシュールの恣意的言語体系論を思考パターンに
敷衍したんですよ。
>>29
構造主義者を自称するなら、数学が有用性を持つような構造がどのようなものかを
説明してほしい。「1+1=2」は定義にすぎないが、それがどうして役にたつのか
semanticsの問題を避けないで考えてみては。
36パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/07 22:14
僕は意味論に興味はないのです。
それよりも、確かにいい質問だね。僕もずっとその事を考えていたんだけどね。
つまり、構造と言う物が発見されるんだけど、この辺の背景は知っているよね。
つまり、私は目の前にある外の世界はそのままに理解されうるかと言う事が
問題になるんだけど、この点については、すでに、「構造主義・ポスト構造主義
を検証する」のスレッドに書いてあるとおり、デカルトはイエス、カントは
分からないが、人間の内部に感性の形式・悟性の範疇がありそれを通して
判断するのもが真理であると考えている。また、現象学は人間の超越論的
領野に意味として現われるが、これは勿論物自体ではない。
そして、精神分析学では、人間は象徴界に入る前に、抑圧をうけて、
主体化され、その事で、自分・他人・物 を対象化する様になると考えている。
ただし、ラカンは言語と言うツールによってしか、世界を理解できないと考えている
と思われる。つまり、象徴界において、シニフィアン連鎖として、意味が現れる
と考えていると思われる。
前段の説明はここまで。
37パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/07 22:24
そこでだ、つまり、世界は、意味のネットによってしか表されないと言うのは
精神分析学のラカンに始まるとは言えない。
それは、ソシュールが言語の恣意的ネットワーク論を打ち出した事で
発展するんだけど、このような恣意的なネットが如何して、
数学を代表する、論理学(科学)の成功を齎しうるのかというのが
君の疑問と考えるけど良いかな?
つまり、恣意的体系としての言語構造、そこに投げ込まれた人間存在
が、そのなかの恣意的言語を使って、論理=科学を発展させ、この
ように物理世界を解明し、宇宙にロケットを飛ばし、スイングバイの
計算を行って、間違いなく宇宙空間の旅を進められるのか?
あるいは、遺伝子組み替えによって、色々な生物を有効に生産する技術
を発見・発展させたのか?
これが君の質問の要点だろうね。 
38パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/07 22:39
 そこで、かなり難解な問題点を、難なく纏めてみよう。
1)生まれたときに既にある言語世界に属している我々は
  否応なしに、その言語を学ばされ、その言語でものを
  考える。

2)世界は、言語ごとに異なる分節をしている所を考えると
  夫々の言語が恣意的に創られたことは明白である。
  なぜならば、必然的に、神がかり的に創られたのならば
  全ての言語は、発音・分節において一致していなければ
  ならないからだ。
3)この恣意的に分節された言語ネットを通して物事は考えられるしかない。

4)そしてこの分節によって、創られた記号(数・式・言葉・概念)
  の組み合わせによって、高度・複雑な概念が編み出される。
5)この高度な概念は、経験的(帰納法的に)に実態に見合うかどうか
  実験・適用され、比較され、矛盾がない事が証明されれば正しいと
  される。

 以上が、私見だが、構造主義的に見た、科学=数学の位地である。
 ただし、この分節が恣意的な切り口であるから、必ず、異なる分節
 の可能性があり、全く異なる論理による置き換えが起こる事
 は否定できない。以上
39ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/07 22:41
差異の体系がない・・・
40考える名無しさん:04/06/07 22:42
分節の共通性が大きいから翻訳もできるんだが。
41ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/07 22:45
翻訳可能性っておもしろいよな。
なんで可能なんだ?
42パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/07 22:58
適当に当てているだけよ。
似ている奴を。ただし、猫にしても、本来全く同じイメージ
ではないので、本当は、訳せないのですよ。
43ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/07 23:01
適当に当てるだけなんだ。
そうか、じゃあ西洋哲学なんでやってんの?
44パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/07 23:02
ぴかぁ〜ちゃん
ばんわんこ
そうね。恣意的差異の体系です。追加説明です。
オラ寝るど。グーグー
45考える名無しさん:04/06/07 23:04
>>43
プ
46パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/07 23:11
いやいや、眠い。
言いたい事は、外国語のある単語を絶対に同じ意味で、そのまま日本語に再現できない
と言ったのよ。バルター・ベンヤミンを熟読すべし。
ぴかぁ〜ちゃん 好きでしょうベンちゃんを・・・・

ボードレールの翻訳どうだった・・・・彼は何と言ったのでしょう。
本当に おやみす また 明日のこの時間・・・・
47ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/07 23:14
いやいや、翻訳可能性ってなにに支えられてるんでしょうって、
聞いたんだけど?
>>38
> 1)
> 3)この恣意的に分節された言語ネットを通して物事は考えられるしかない。

言語によって考えていると錯覚するのは、思考中にイメージに対応した語があると
思い起こしてしまうからです。言語によって考えているなら、言語を知らない赤子は
考えることができず、言語を習得することもできないです。

>  以上が、私見だが、構造主義的に見た、科学=数学の位地である。

構造という語が出てきませんでした。恣意的なのは定義だけです。有用性のある
論理に構造がどのように関係してくるのでしょうか。

>  の可能性があり、全く異なる論理による置き換えが起こる事
>  は否定できない。

「1+1=2」を「1+1=3」に置き換えても、足し算の持つ有用性が変わることは
ないです。
49パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/08 22:23
違うな。
イメージが先にある分けない。
言葉が対象を認識させるのです。
言葉を知らない子供は、考える事が出来ません。
全くその通りです。だから、精神分析学が言う様に、抑圧によって
連続的な夢遊病者を否定するのです。そこで、「連続的な自分」がいない
主体を確立し、我探しを象徴界で進めるのです。

二番目の質問は既に答えていますよ。
論理は言語的な恣意的構造によって、編まれたと言う事です。
だから、論理は恣意的言語構造の中で生まれた。しかし、我々は
その恣意的構造を明確に認識し得ない、いや、しえなかった。
だから、言語=客観的対象として、論理が世界を捉えうると長い間考えていた。
そこに、精神分析学を通して、記号論が生まれ、恣意的言語構造(無意識構造)
がある事が判明したのですよ。そして、その構造を通してしか、世界は現れない
事が分かったのです。これが、構造主義です。
50パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/08 22:26
「1+1=2」を「1+1=3」に置き換えても、足し算の持つ有用性が変わることは
ないです。


その事を構造主義は否定しません。ただ便宜的(便利だから)に数式は使われる。
と同時に数式が客観的な真理など写してはいないと言う事も付け加えます。
今日は以上です。
51ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/08 22:33
>言葉を知らない子供は、考える事が出来ません。

動物って考えることできなかったんだね。
52パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/08 22:37
そうだ、ぴかぁ〜ちゃんに返事書いておこう。

「いやいや、翻訳可能性ってなにに支えられてるんでしょうって、
聞いたんだけど?」

それは、翻訳しようとする意欲に支えられている。冗談ぽいけど(笑)
と同時に、 やはり、可能ではないと言う方が正しい気がするよ。
言語分節の異なる二ヶ国語間に、その通りに訳せるはずはない。
その辺は多分、サイードのオリエンタリズムを読めば一つの考え方が
分かるかも知れないよ。つまり、どのようにしても、代理表象になる。
つまり、母国語が異文化を収奪する形でしか、通訳できないって事かな。
ま読んでちょうだい。俺は上・下巻読んだ。



53ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/08 22:39
>>52
そうなんだ。デリダ的には確か散種の多義性化だったよね。
54ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/08 22:54
それにしても自分の頭で考えるとかしないのかね・・・
55パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/08 22:58
54
するに決まってるよ。馬鹿だと理解できないでしょう。
理解とは「原作」をそのまま反復する事ではない。
理解は自分の言葉で表現することであり、散種である。
56ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/08 23:01
散種ねぇ・・・多義性の形而上学的受け入れに見えるのは
気のせいか・・・
57パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/08 23:05
ほお・・・
面白い表現だね。
つまり、おれの哲学的なスタイルが、多義性を形而上学的に
捉えているとでも・・・・・

続きは明日・・・・ふむふむ・・・すやすや
58ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/08 23:07
そのものでしょ(w
59ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/08 23:34
ぴかぁ〜さん、性格わりーなーw。パレルゴンさんはサイードの「オリエンタリズム」と
いう具体的著作を挙げてるんだからさあ。それについて具体的な話をするでもなく、解説書
を読めば誰でも言えるデリダ用語を並べてかわすとは・・・。
ほんとに性格悪いね。
60考える名無しさん:04/06/08 23:46
翻訳可能性は、未知の言語を話す国に漂着した人などを考えてみると良いのではないか。
(ジョン・万次郎みたいな)
まず、生き物として基本的な行動の共通性や類似性があるということ。
次に、多分人間だけだろうが「指差し」によって「対象」を相手にも「共通の
対象」として認めることを促し得るということ。
更に、パントマイム的というか「模倣的動作」で、様々な意味を示し得るということもあるね。

例えば食い物を差し出して「お前、これ、食え」というような、「指差し」+「パントマイム」から
始まって、「お前」「俺」「食べる」「あれ」「これ」「それ」「うまい」
「腹減った」など基本的な言葉が次第に飲み込めてくるわけだろう。

勿論、ここには基本的な言葉は、発音や語の順序は違っても、どこの言葉でも
大差ないという信頼というか信憑みたいなものはあるね。

カンガルーという名前は、白人が「指差し」した動物を原住民が「知らない」(原住民の言葉でカンガルー)
と答えたことに始まったというようなこともあったりしたわけだけど。
61(*゜Д゜)ハァ:04/06/08 23:47
ばかぁ〜=馬鹿
6260:04/06/09 00:00
続き
このような場合「俺」というとき大抵、自分の胸を指差すのだろうが、
どこの国でもそうなのだろうか?頭を指差すのは見かけないような気がする。
最近ある本で「心は脳ではなく心臓にある」といのを見かけたけど、それも
興味深いことのように思う。
63ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/09 00:00
>>60
そうですね。
私も生理的な類似性が根底にあると思います。
ある人が、猿に似た人と、人に似た猿に出会ったとして、
コミュニケーションそのものは、言語だけではないので、
そこでコミュニケーション可能性の程度、
あるいは意志疎通に対する生理的な関係から入ると思います。
64ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/09 00:01
わしはこれを自他同期性と読んでいますが。
65ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/09 00:06
>>63
なるほど、だから僕らはつい「人に似た猿」であるだけのぴかぁ〜さんについつい話しかけて
しまうのですね。不毛だと解っていても。
66ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/09 00:41
>>59、65
ヒスるな。わしも狙う相手をえらんどる。
間違っても、おまえは狙わないから(w
67ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/09 01:15
>>66
僕にはぴかぁ〜さんのすることとそこに隠れた意図は手に取るように解りますからね。
でもやっぱり僕を狙ってください。ちゃんとぴかぁ〜さんのナルシズムを破壊し尽く
さない程度に気を付けて批判をしてさしあげますから。
68考える名無しさん:04/06/09 01:34
ぴかぁ〜>>>>>>>(超えられない壁)>>>>>しろうと、パレやん、ポール、ばかぁ〜
69ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/09 01:36
えーばかぁ〜狙うの。
意欲がわかないよ。じゃあ、感想文以外のレス
してみてよ。
70ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/09 01:41
>>69
>感想文以外のレスしてみてよ。

パラサイトに餌を与えるほど僕の知識は豊富ではないのです。
71考える名無しさん:04/06/09 01:42
パラサイトはぱかぁ〜
72ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/09 01:44
しろうと アスペクト
ポール 大森流れ
ぴかぁ〜 溢るる余情

いい悪いは別にして、なんか追い求めてるものが
一貫してあるのよ。ブログもその一貫なんだよ。
構築欲というかね。2ちゃんをこえちゃうわけ。

パレやん、ばかぁ〜は、それがないんだよな。
それが悪いわけではないが、
結局、創造しないと、正直、息切れかな。
知ってること書くだけ、誰かの批判だけ。
今日のバレやんの科学批判なんって、
明らかに、方向見失ってるよね。
ばかぁ〜は最初から方向が見えないが。
73考える名無しさん:04/06/09 01:46
>いい悪いは別にして、なんか追い求めてるものが
>一貫してあるのよ。

一貫してあるんじゃなくて、単にそれしか知らないだけ。
74ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/09 01:47
違うんだな、知ってる、知らないではなく
溢るる余剰があるんだよ。
75ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/09 02:26
僕は単にぴかぁ〜さんのように、聞きかじったことを全部書く、という奴は嫌いで、
でも可哀想になってしまって、何故か憎めないのです。ぴかぁ〜さんは「劇場型人生」
とでもいうべき生き方を強いてくる現代社会の哀れな犠牲者でもあるからです。
なので、みなさんもあまりぴかぁ〜さんをいじめないであげてくださいね。
76考える名無しさん:04/06/09 02:28
>>75
わかりましたーーーーー!
今後はちょっとだけ控えさせてもらいます。
>>49
> イメージが先にある分けない。
> 言葉が対象を認識させるのです。
> 言葉を知らない子供は、考える事が出来ません。

では子供はどうやって言葉を覚えることができるのでしょう。

> 全くその通りです。だから、精神分析学が言う様に、抑圧によって
> 連続的な夢遊病者を否定するのです。そこで、「連続的な自分」がいない
> 主体を確立し、我探しを象徴界で進めるのです。

>>50

構造主義的にいうと便宜的とは何でしょう。
論理が客観的対象と関係ないのなら、我々は何のために論理を使うのでしょう。
78パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/09 22:44
「では子供はどうやって言葉を覚えることができるのでしょう。」

やっとPCの前に座りました。

それで、上記の質問ですが、既に答は言いましたよ。
象徴界に強制的に参入させられて、言語(意味)によって世界が
成り立っている事を知り、学習すると言う事ですね。
以後は自分の経験で分かるはずです。母・父・兄弟の言う言葉を真似ながら
学ぶのでしょうね。以降の分析は哲学ではありませんし、私は興味がありません。


「構造主義的にいうと便宜的とは何でしょう。
論理が客観的対象と関係ないのなら、我々は何のために論理を使うのでしょう。」

便宜的とは、「真理を言い表せない、真理は構造的に創られてある。」
と言う事は、どのような論理も、便利であると言う価値しかないと言う事です。
つまり、数式にしても、科学理論にしても、その様に仮に考えると
理解しやすくなり、高次の論理展開が出来ると言う、都合が良いと言う意味です。

だから、論理は真理を発見・証明するためにあるのではなく、
上述の通り、都合がいい、便利だからです。
と同時に、一つの現象にたいして、沢山の考えがあってはマズイ
だから、間主観的に、理解を共有化する必要があると言うのが
もう一つの考えだと思います。
この辺については、動物的な人間の生態とも関係があると思いますね。


貴方の意見も聞きたいですね。


79パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/09 23:21
:(*゜Д゜)ノ :
これって、ぴかぁ〜くんかい?
80パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/09 23:26
今日はいないのか?
ほんじゃま 寝るよ。
明日又・・・・  グーグー
81ぴかぁ〜:04/06/09 23:39
ん?
なこと決まっとるだろうが。
82考える名無しさん:04/06/10 00:22
>>51
動物も考えたり判断したりしているが、思考を保持できないという説もある。
暗算などが得意な人は思考の保持力が高いわけかな。
83ぴかぁー:04/06/10 00:43
なかなかむずかしい問題ですね
思考とはなにかという問題がありますから
84考える名無しさん:04/06/10 00:53
言語によらない思考は囲碁、将棋、チェスなどで見られる。
珠算の得意な子供は直観像による暗算ができる。
思考の定義の問題ともいえるが、非言語的思考を認めるなら動物も思考していると
云えると思う。
>>78
> 象徴界に強制的に参入させられて、言語(意味)によって世界が
> 成り立っている事を知り、学習すると言う事ですね。

学習には思考が必要です。思考とは、ある情報から新たな情報を得ること。
人間の思考だけに限定するなら、ある表象から新たな表象を得ること。

> と言う事は、どのような論理も、便利であると言う価値しかないと言う事です。
> だから、論理は真理を発見・証明するためにあるのではなく、
> 上述の通り、都合がいい、便利だからです。

実在を的確に表現する理論ほど、我々にとって有益な理論になる。
客観的実在と理論は無関係ではないと思いますがどうでしょうか。
86パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/10 22:49
ちょっと論点がかみ合いませんね。
私の説明を理解していない気がします。
実在をどのように証明したのでしょう。
つまり、哲学とは実在と言う信憑性を疑う事から始まるのです。
また、学習論をやっているわけでもありません。
哲学は全てを疑う事から始まるのですよ。
参考書として、小坂修平の「西洋哲学史」でも読んでみては
いかがでしょう。推薦します。
87ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/10 23:02
哲学馬鹿化?
>>86
実在を疑うと独我論に行き着くことは理解しています。哲学史は万物の根源を解明
することから始まっています。
では、実在を疑って何を得たのでしょうか。
89パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/11 23:26
何かを得る為に哲学はやりませんよ。
推薦図書を読んでみてください。
きっと、分かりますよ。
それでは、検討を祈る。
構造主義を間違って理解しているのでは?たとえば構造主義生物学は実在を疑うものではないです。
落ちそう。保守。
寝ながら学べる
93THE グル:04/06/12 12:25
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
94オレオレ詐欺:04/06/12 12:28
>>88
「実在」が現象の背後ではなく主観の背後につくられるものであるということ

この回答ってどうよ?

95オレオレ詐欺:04/06/12 12:32
>>86
>哲学は全てを疑う事から始まるのですよ。

「哲学とは〜です」ということは疑っちゃいけないのかな・・・・・・
96THE グル:04/06/12 21:57
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
97THE グル:04/06/12 22:08
いいですか、
なんでオレオレ詐欺さんのご質問に回答して差し上げないんでしょうかね?
どうかしましたか?
98パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/12 22:21
構造主義生物学は実在を疑うものではないです。

いや、私は構造主義生物学は知りませんので、その辺のところの説明
を先にして欲しいのです。
と同時に、同じ事を何度もレスしているようなので、
推薦図書を書いたんですが・・・
他意はありません。
少なくとも、私の言うソシュールから始まる構造主義は
主観・客観と言う二項対立的な捉え方はしていません。
勿論外(シニフィエ=概念)と内(シニフィアン=聴覚映像)
と言う分析はありますが、これは従来の二項対立と言う考えとは
違うわけです。つまり、外の世界と中の世界と言う切り分けではなく、
記号が世界を創るという考えが構造主義ですね。
だから、私の説明が悪かったかもしれませんが、
外はある・ないの問題ではないし、現象学的に現れるものは在るものか
どうかと言う点は考えないと言う事でしょう。
99考える名無しさん:04/06/12 22:24
バレ=哲板一の荒らし
100パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/12 22:25
つまり、構造主義は、カントの物自体と現象学をへて
客観的な存在をエポケーした後で、それでは世界はどのように創られたか?
と言う問題提起の後に、現れたのではないでしょうか?
101考える名無しさん:04/06/12 22:28
<パラダイム>「パレルゴンVS誰か」<おしゃれ>2
♪ポールの 〜分析の彼方へ〜 ミラクル大作戦♪

1 名前: パレルゴン ◆fIS71Fbnqc 投稿日: 04/05/22 22:48
ポールさん了解です。

つーか、パレ=ポールだろ?
スレタイに名前入れる癖もそうだし、このスレでわざわざポールの営業をするのも
そう考えれば理解できる。
102パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/12 22:28
99
ぴかぁ〜ちゃん。答えてあげてくださいよ。
俺だけが答えるのは偏るのでは?
ぴかぁ〜ちゃん。答えろよ。
103ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/12 22:30
ん?
104パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/12 22:34
つーか、パレ=ポールだろ?
スレタイに名前入れる癖もそうだし、このスレでわざわざポールの営業をするのも
そう考えれば理解できる。


そんな訳ねえべ!
ポールさんはれっきとしたお人柄の方ですよ。
俺は、スキゾ・フレニーだから、何でも喋るし、
間違いを恐れないのよ。
人柄が違うでしょう。彼は専門的に論理的に哲学する人。緻密=専門派
独我論。
私は、興味の在るものはすばやく読む。多読=掌握派
ポスト・構造主義
105ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/12 22:37
バレが壊れていく・・・
106(*゜Д゜)ノ寝:04/06/12 22:39
わしはぴかぁ〜ではない。
全くの別人だ!
寝る。
107機械仕掛けの猫:04/06/12 22:42
それで、質問って何?
108パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/12 22:43
ぴかぁ〜ちゃんは
収集派=良いとこ取り
コピー=採集=フェチ=おたく=ポスモ
小さい頃の趣味は昆虫採集とプラモデル?
こんな感じ?
109(*゜Д゜)ノ猫造主義:04/06/12 22:46
>>108
小さな頃の趣味は、プラモデルじゃなくて積み木で遊ぶが好きでしたね。
四角い積み木や、三角の積み木を合せて、街を造る。
それが私の唯一の趣味でした。私は、もともと外様の人間、遊ぶ相手などいなかったのですよ。
110パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/12 22:49
わかるなぁ〜。
だから、遊ぶ友達がいないので、哲学を始めたんですよね。
111111:04/06/12 22:53
112(*゜Д゜)ノ懐古:04/06/12 22:53
110
遊ぶ友達がいないので、哲学を始めたんですよね。

そうかもしれません。
何しろ、わたしは出自がよくありませんから、必然的に村の外にいました。
そこには色々な要因が重なりますね、たとえば両親がいかなる境遇で、
結局この地に安住するに至ったかを考えてみると、おのずと私がこのような立場に
陥らざるをえなかったのかも、腑に落ちるというものです。
113考える名無しさん:04/06/13 00:38
構造主義・・スレが終了したのでこっちに書きますが、
想像界はイメージとか類似性で特徴付けられるんじゃないの?
記号って言っちゃっていいのかな?
114ポール:04/06/13 02:17
>パレルゴンさん
>それにしても、現在における、独我論の意味は何なのでしょう? >>805

僕が独我論(正確に言えば、「主観的語り」)に関心を持つのは、
僕に与えられている世界は独我的としか考えられないからです。
そして、この世界を素直に描写すれば、主観的語りにならざるを
えないと考えるからです。
(主観的語りとは、現象学のように、自らに与えられた世界から
出発して語る語り方です)

現在の学術的な意味合いはわかりません。
115考える名無しさん:04/06/13 02:17
観念論だろ。
116ポール:04/06/13 02:18
>独我論には「他者」が理解できない

主観的語りでは他者が理解できないと言われますが、僕には、
客観主義だろうが、構造主義だろうが、他者の存在が、私と同様な存在形式
(例えば、私と同様に心を持つ)を持つかどうかを本質的には説明できないと
考えています。なぜなら、私に与えられている世界における他者の心は
経験できないからです。

パレルゴンさんは、「ある共通の基準が必要」>>804と言いますが、
これは、他者が「私と同様の存在者である」という日常的な確信を構造主義者が
まず持ち、それを説明するために、「共通の基準」を人為的に後付で設定したに過ぎません。
まず初めにあるのは、「共通の基準」ではなく、他者は私と同様の存在者である」
という「確信」の方です。そしてその確信とは、私の経験世界の内で生まれます。
117考える名無しさん:04/06/13 02:19
なるほど、それがボールの傍若無人さを後押しするんだ。
118ポール:04/06/13 02:20
もう一度、前スレ>>727の分類法を明示すれば以下の通りです。

   1. 客観的語り :1-1. 実在すると言われる存在者(私、他者、犬、石・・)
              1-2. 脳内現象と言われる存在者(想像したパン、想起した故人)

   2. 主観的語り :2-1. 私(世界が現れる起点)
              2-2. 私の世界に現れる存在者(他者、犬、想像したパン、想起した故人)

構造主義的な「私」とは、2-2に現れる私、つまり、私が第三者的視点から見た時に現れる「私」、
フッサールの言葉でいえば、「心的主観性」だと思えます。
そして、その第三者的「私」は、科学が対象とする「私」でもあります。

この「私の世界に現れる存在者」としての第三者的「私」は、同じカテゴリーであるゆえ、
当然、他者と同様の在り方をしているわけで、そこから第三者的「私」と他者との間に
何らかの共通項(構造)が存在するはずだと想定されます。そして、その意味で私と
他者の間に、「共通の基準」が存在していることに反論はありません。
119ポール:04/06/13 02:21
しかし、度々言うことですが、僕が問題としている「私」とは、2-1の「私」(超越論的主観性)
であり、2-2に現れる第三者的「私」や他者とは、全く存在形態のカテゴリーが異なっている
わけです。
そして僕に与えられた世界を幾度見回してみても、この

  「世界が現れる起点としての「私」 − その世界に現れる存在者」

という構造になっています。そしてこの世界では、他者とは、「感情移入」や「思い込み」
で他者の存在を確信してからしか、彼と私の「共通の基準」は発見できないのです。
120考える名無しさん:04/06/13 02:22
現在02:20。
121ポール:04/06/13 02:22
僕には構造主義とは、この日常の「思い込み(確信)」から、それを保証する為に
「共通の基準」という公理を後付で設定していると思います。
そして、数学と同じく(?)、公理自体は証明できないのです。


僕にとって構造主義が不満なのは、構造主義では、私と他者という、全く異なった在り方を
している存在者の差異が見過ごされているところです。
122考える名無しさん:04/06/13 02:22
ポール=ヒキコ
123考える名無しさん:04/06/13 02:23
他者を認めていない、ポールに言われてもねぇ。
124ポール:04/06/13 02:26
>つまり、無限の他者への責任として、或は「法に対する正義」として、
>分からない者(この辺は独我論と共有している)に全面的に責任を負おう
>こう言う事が言いたかったのです。 >>805

このレスなどそうですが、結局は「他者は私と同様の存在であることを前提としよう」
という「思い込み」を表明しているとしか思えません。
そして、その「思い込み」ゆえに、「他者は説明できない」とする主観的語りを凌駕した
とは思えないのです。

僕には、「構造主義は主観的語りを超えた」、という「超えた」とは、
日常の確信を疑うことなく受け入れたという意味にしか取れないのです。


何度でも繰り返しますが、他者は説明できないように世界は与えられています。
それは「なぜ引力は存在するか?」に答えられず、「世界がそうなっているから」としか
答えられないのと同様です。説明できない方が正しいのです。
125ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/13 02:28
ポールさんへ
ヘーゲル「精神現象学」の「T 感覚的確信 このものと思いこみ」を機会があったら
立ち読みしてみてください。>>121の問題提起の参考になると思います。
126ポール:04/06/13 02:29
少し言葉づかいが不躾になってしまいすみません。
明日あたりに、もう一歩進めて、僕の問題意識をパレルゴンさんに
ぶつけてみたいと思います。
127考える名無しさん:04/06/13 02:29
それで、他者を無視した行動を繰り返す訳だ。
128(*゜Д゜)ノ猫造主義:04/06/13 02:30
やれやれ・・・「僕等頭が良いんだ」チームの馴れ合いはどこまでも続く、か。
129THE グル:04/06/13 02:32
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
130(*゜Д゜)ノ猫造主義:04/06/13 02:34
やっとれんわ、戦線離脱させてもらうでー。
馬鹿四天王はたるんどる。呆れた。
131ポール:04/06/13 02:34
>ばかぁ〜さん

『精神現象学』は持ってませんが難しそうですね。
時間的に難しいと思うので、よろしければ、ばかぁ〜さんが
ここでの議論に絡めて何か書いてもらえませんか?
できるだけ易しく(笑

ちなみに、ヘーゲルは全く読んだことありません。
かなり昔に、西研さんの『ヘーゲル 大人のなり方』に目を通したぐらいです(笑
132ポール:04/06/13 02:37
ちなみに、大森さんが対談で、
「まず学生に、他我問題がなぜ問題なのかを理解してもらうことが難しい」
と言ってた。哲学の根本問題はほとんどそうだろうけど。
133ポール:04/06/13 02:38
寝ます。おやすみなさい
134考える名無しさん:04/06/13 02:38
中島は、単純に好みで捨てたポールでした。
135ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/13 02:44
>>131
僕は今夜はテンションが上がらん、つーか説明が下手なので、
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1069557892/101-200
の162あたりから数レスの記述はどうでしょう。
136(*゜Д゜)ノ猫造主義:04/06/13 02:45
逃げた、ばかぁ〜。
137パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 07:59
ポールさんへ。
長文のレス感謝。

「2. 主観的語り :2-1. 私(世界が現れる起点)
              2-2. 私の世界に現れる存在者(他者、犬、想像したパン、想起した故人)

構造主義的な「私」とは、2-2に現れる私、つまり、私が第三者的視点から見た時に現れる「私」、
フッサールの言葉でいえば、「心的主観性」だと思えます。
そして、その第三者的「私」は、科学が対象とする「私」でもあります。
この「私の世界に現れる存在者」としての第三者的「私」は、同じカテゴリーであるゆえ、
当然、他者と同様の在り方をしているわけで、そこから第三者的「私」と他者との間に
何らかの共通項(構造)が存在するはずだと想定されます。」

誤解がある気がします。つまり、構造主義とは科学的な対象性としての「私」
つまり、対象化できる「私」と言う視点から発したものではありません。

つまり、何回も述べていますが、現象学同様に、客観的なものの(物そのもの)
の「対象化」は出来ないという前提があるのです。
現象学では志向性によって、その人の意味として、「もの」は現れる。
ノエシス的(ものに向かう運動)な行為によってその意味=像が
ノエマとして現れる。
構造主義は、こう言う個人の捉える意味としての世界・現象をへて、
さらに、精神分析学的に個人=抑圧によって作られるものであり、
個々人自身が、自己自身によって自分を創られるものではないと言う
考えを吸収しつつ、出来上がったものです。

138パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 08:07
同時に、それでは、精神分析学で分析された「私」と言う
原抑圧を経て出来た「主体」と言う「私」は社会の中でどのように
なっているのかを分析する過程で出来上がったのです。

それは、現象学でもそうでしょうが、ただ学術的な研究によって
齎されたものではありません。

つまり、時代・運動・生活・社会と言う総合的な力関係
によって出来上がったものなのです。

構造主義・ポスト構造主義の場合のは、68年の5月のフランス
革命が、同主義の現実の現れであったのです。つまり、構造=システム
が高度化するにつれて、ルネッサンス期以降信じられていた
個人=ユマニテ的な人間賛歌が形骸化している事が判明するのです。
139パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 08:24
この失われた「個」と言う私はどのように創られていたのか?
私=主体とは何か?それを問い詰めていくうちに
構造と言う意味合いが問題点として浮かび上がってきたのです。
その構造は言語構造であり、思考のあり方、道徳、科学
等規範と言われるもの全てが、この構造によって決定されている
と考えるんですね。
だから、纏めると
1)現象学は個が先にあると考えるが、構造主義は個は既に何か
  によって創られてある。
2)現象学は超越論的領野に現れる個の意味として世界はある。
 構造主義は、構造のネットワークの意味関連として、世界は
 各人に同じ物として捏造されている。
3)現象学は、世界は個によって開かれるので、共通的な科学的視点
 の強調は西洋の危機的問題を孕んでいる。
  構造主義は、恣意的構造に捕らわれた人間の解放を進めなければならない。
 こう言う差があると思われます。
  但し、共通性として、両者とも、客観的・画一的な基準(真理)の
 策定が出来ないと言う事でしょうか?
 それは両派ともに、西洋形而上学を問題点として出来上がった哲学
 だからでしょう。 
140(*゜Д゜)ハッハッ:04/06/13 08:28
と、自演が続いている訳です。
141パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 08:35
不十分であり、現象学については、ポールさん
の専門分野ですので、誤解の点があればご指摘ください。
ただ、私の理解する、構造主義とは上述のとおりです。
そして、構造からの開放運動がポスト・構造主義によって
進められた。これには、ソシュールのアナグラム(言語を詩的に
読む行為であり、意味の多重性・隠された意味の二重性の研究)
ジュリア・クリステヴァのフェノ・テクスト ジェノ・テキスト
バフチンのカーニバル論、デリダの脱構築・差延、フーコー
のエピステーメー、ドゥルーズのノマド、等の研究があります。
構造に捉えられし者たちの開放は如何になされるのか?
これが上記哲学者達のテーマです。
142パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 08:56
そして、その後、CS,PC,ジェンダー、フェミニズム、マイノリティ
などの、小集団(被差別集団)の開放がどのようにして齎されるのか
が、重要なテーマとなります。
この背景は、構造が実は全体化する力によって、創られているのだと言う事
と同時に、全体化(ツリー型インテグレーション)によって、真・偽
と言う二項対立的に、排除の力が隠されていると考えられるからです。
構造は排除するものを産出しつつ、正否を創ると言う事が分かったと言う事
でしょうか。だからこそその構造を如何にする抜けるかが、上記哲学者の
共通の問題意識だったのです。
これで、少しは分かってもらえたでしょうか。
構造=抑圧的な自己組織力
個人=この構造、組織力の中で、固有名化され、従属させられし者
だから構造からの開放だったのです。
しかし、構造からの逃走・差延は簡単ではありませんでした。
それは、構造が言語かな成り立ち、「私」を産出したものだったからです。
だから、「私」はどのようにして、「私」を開放するのかと言う問題点
を、「私」を創った構造=言語に於いてなすと言う困難が在ると言う事ですね。
このようなアポリアに陥る問題を解決する必要があったからです。

説明が十分であるかどうか少し疑問ですが。

143ポール:04/06/13 12:44
>パレルゴンさん
丁寧なレスありがとうございます。
以下、
  1. パレルゴンさんへの反論  2. 僕の問題意識、「<私>と世界の関係性」
について述べます。

また、僕は『イデーン』すら読んでない現象学の素人です。
ですから、現象学の立場を僕が代弁していると思われるのは
現象学専門家に失礼、かつ、現象学に対する誤解が生じると思われますので、
以下、僕の立場を「主観的語り」という語に統一したいと思います。
144ポール:04/06/13 12:46
まず、1. パレルゴンさんへの反論について

パレルゴンさん(構造主義)への疑念は次の一点です。

   「構造主義は、自らが使用している語、『私』の意味を途中ですり替えている」

つまり、主観的語りで語られる私(「2-1の私」=<私>)から出発しながらも、
そこでは説明し難い他者の存在を理解するため、客観的語りの私(「2-2の私」=「私」)
へと意味を密かにすり替えている、と。(2-1の<私> → 2-2の「私」)
それが、

>構造主義は、こう言う個人の捉える意味としての世界・現象をへて、
>さらに、精神分析学的に個人=抑圧によって作られるものであり、 >>137

ここでいう、「さらに」以下の記述です。
精神分析が対象とする「私」とは、自らを反省し、第三者的視点で観察された「私」
の方です。(もしくは2-2に属する「他者」です)
145ポール:04/06/13 12:48
私を中心に現れる世界の不可思議さを追求する目的で、「<私>とは何か?」と問い、
私自身を反省した瞬間に、そこで問われていた<私>は、必然的に、「私」へと意味が
すり替えられます。

構造主義も、精神分析的な「私」を導入した時点で、この誤りを犯します。
そして、この変換された「私」を観察した結果、当然同じカテゴリーにある
「他者」と同じ存在形態──構造──が発見されます。
それによって、
「<私>と他者の間を媒介する共通項が見つかった!」と。
146ポール:04/06/13 12:49
しかし、ここで見つけられた共通項(構造)とは、<私>と他者との関係を
つなぐものではなく、「私」と他者との関係性でしかありません。

科学と同様、構造主義における、「「私」と他者との関係性」の考察に関して、
僕に異論はありません。ただし、その考察によって、
「<私>と他者との関係性(他我問題)に回答を与えた」とすることには反論します。

初めに問われていた、「<私>と世界(他者)との関係」は、以前答えられていず、
そっくりそのまま残っているからです。
147ポール:04/06/13 12:51
>1)現象学は個が先にあると考えるが、構造主義は個は既に何か
>  によって創られてある。 >>139

前者で考察される個が<私>であり、後者で考察される個とは「私」です。

客観主義者が、我々の世界相互をつなぐための手段として唯一客観世界を
想定するように、構造主義者は構造を想定します。
同様に、脳生理学者は我々の相互世界の共通性を説明する根拠として共通の
脳構造を主張するように、構造主義者は構造を根拠とします。

その思考手順に違いはありません。
そこが、構造主義は一種の客観主義(ある客観的前提を想定する)であり、
科学的態度を持つ学問であると僕が考える所以です。

>3)現象学は、世界は個によって開かれるので、 >>139

現象学でなくとも、世界は個に対してのみ開かれているとしか思えません。
148ポール:04/06/13 12:52
他我問題、参考です。(「ロボットの申し分」)
http://d.hatena.ne.jp/Paul/20010103

  「原理的に他者の心を経験できない我々が、人間──お情けで動物──にのみ
   心を『吹き込んでいる』ならば、なぜ石や草木、森羅万象に心を吹き込まないのか?」


2については後ほど。
149THE グル:04/06/13 13:39
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
150パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 19:56
ポールさんへ
反論の途中ですが、再度まとめてみます。
1)現象学は超越論的領野に現れる私の世界の存在者の捕らえ方を重要課題
 としている。
2)一方、構造主義(ポスト・構造主義)は、超越論的主観(私の世界が現れる場)
 以前の、赤子が象徴界に参加する以前から問題にする。
 つまり、原抑圧によって、初めて言語世界に参加する事で、存在論的空・無
 を獲得すると考える。
3)現象学は厳密な学として、認識論的である。
4)構造主義(ポスト・構造主義)は構造内での存在論的な要素をもっている。
151パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 20:09
5)2)の存在論的空無は既存の言語構造の世界の中にあり、
  その価値体系・考え方の中にあるが、
  その画一的な言語構造が、主体の自由を拘束すると考え
  そこから多様な逃走は可能なのかを重要視する。

  纏めが不十分ですが、とりあえず、中間の纏めとしておきます。
152しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/13 20:35
992 名前:ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw [sage] 投稿日:04/06/13 00:12
ぴかぁ〜さんの論は徹頭徹尾、「想像界(記号)と象徴界(言語)の混同、相互侵犯」の禁止
を解除した言説なわけ。だから、学術タームに単なる主観的、恣意的な意見を滑り込ませる
ことが出来る。東のいう象徴秩序の衰弱した時代の言説の典型。そういう言説の「症例」
「作品」として読むのなら良いが、論文として読むことはできない。なぜなら、「想像界
(記号)と象徴界(言語)の混同、相互侵犯」の禁止解除はぴかぁ〜さんの意志によってされた
ものではなく、彼はそういうふうにしか書けないというだけのことだからw。

なるほどそうか…、ばかぁ〜さんはぴかぁ〜論の第一人者ですねw
>「想像界(記号)と象徴界(言語)の混同、相互侵犯」の
>禁止解除はぴかぁ〜さんの意志によってされたものではなく
逆に「意志」が可能になれば
東の言う「動物」にならないという事になりますね

その「意志」の成立も単に主体が思うというだけでなく
読み込む方、「信用」の問題があると思います
柄谷の実戦より詰め将棋の方が楽だというたとえ話とか
ラカンの「知っているはずの主体」とかそういう話ですね
153しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/13 20:35
>ポールさん
ポールさんが大前提とする
「世界は独我論的なものでしかありえない」
という所をひっくり返したいんですね

細かい話抜きで大筋の印象だけ話しますと
コギトの私と脳生理学の脳は別のフェーズで
後者に関しては「私」は現れないんじゃないか

炎という出来事は酸化現象に過ぎないでしょう
ならば意識という出来事も脳の生理現象に過ぎない
そのとき<私>というような特別な存在は出てこない
154THE グル:04/06/13 20:41
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
155考える名無しさん:04/06/13 20:43

何だこの暴論は?たいがいにしてほしいよ。
156THE グル:04/06/13 20:50
>>155
いいですか、
暴論でなくて定説なんです。
どうかしましたか?
157(*゜Д゜)ノ猫造主義:04/06/13 21:10
すんまそん、グルさん。
158考える名無しさん:04/06/13 21:13
みんな、現象学の入門書をマスターしてから語ってよ。
カキコ読むごとにずっこけてしまうよ。
ブクオフで売ってる100円の新書でいいからさ。
159(*゜Д゜)ノ懐古:04/06/13 21:15
ってか、わしがもう超えてるし。
160ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/13 21:55
ポールさんへ
主観と客観について以前ポールさんは「突き詰めると鶏か卵かという問題になる」と書いていた
でしょう?そのへんがパレルゴンさんとの対話がかみ合っていない大元になっていると思うのです。
僕が考えるに、構造というのは「自他未分」から「自他分離」に成る運動の軌跡だと思ってます。
アナロジカルに言えば、「主観か客観か」という地平から「構造」を見るというのは、「鶏か卵」
かという問題を原生生物に見ようとすることと同じで転倒していると思うのです。「自他分離」の
地点から「自他未分」の地点を見ようとしているというか。僕の意見とパレルゴンさんの意見は違
うかもしれませんが。ちょっと横レスでした。
161パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 22:10
160ばかぁ〜ちゃん。こんばんわ。
そうですね。極端に言ってしまえば、
フッサールは現象についての厳密な学なのですよ。
つまり、世界はこの個=私にどの様に現れるかと言うのが中心テーマであり、
前段の精神分析学の原抑圧を除くと分かりやすいのですが、構造主義は構造
の価値体系によって、全ての思考は影響されていると言う事です。
つまり、現象学の超越論的主観と言う捉え方も既に、構造主義的にはアポステリオリ
な考え方なのです。
現象学=私の認識を考える。
構造主義は構造にいる主体はどのように創られ考えるのかって事でしょうね。
先述の通り、現象学をする学者にしても、すでに、その使用構造の後であり
その構造に影響されて、思考していると言う事です。
現象学はあくまで、超越論的に思考する自我が最初に在ると考えている訳ですよ。
>>94
実在が、現象という認識したものの背後にあるのではなく、脳という実在が主観を
作り出しているという意味ですか。そういうことなら、実在を疑って得たことには
なりません。

>>98
推薦図書は暇なときでも探して読みたいと思います。今は2ch徘徊するほうが楽しい。
寝ながら学べるではだめですか。こっちのほうが手に入りやすいのですが。
まず僕がしている構造主義の理解を述べておきます。
構造主義とは、フランスの数学者集団ブルバキの成果を、数学以外の分野に
応用する流れ。
主観・客観と言う二項対立的な捉え方はしていないというのは、主観を扱っていない
からです。

>>100
構造主義が実在をエポケーしたことはないと思います。
163パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 22:22
時代的に見て、それは仕方のない事かもしれません。
「現象学ー精神分析学ー構造主義ーポスト・構造主義ーカルチュラルスタディズ
ジェンダー・ポスト・コロニアル・・・・・」(一部前後しますが)
こんな流れでしょう。だから、無理はないのですが、
竹田青嗣先生も現象学から強引にポスト・構造主義的視点を説明しようと
していた本が有った気がしますが、彼も本質的には現象学ですね。
一応、現象学は客観的に対象化するというデカルトを越えようとしたんですよ。
つまり、世界は「私」に現象する世界以前にそのままの姿ではないと言う
考えは、構造主義的な「世界は構造の言語の布置(構造)によってしか現れない。」
にかなり近いと言えるでしょう。 
実在論では扱うことのできない観念論的命題をあげてみます。
自分はなぜ自分として生まれてきたのか。
なぜ自分はこの世界に関わることができたのか。
自我を持つ権利はあるのか。
これらの問題に解答できるのでしょうか。
構造主義=言語学ではないですよ。ソシュールの場合が言語学だっただけです。
166パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 22:31
「構造主義が実在をエポケーしたことはないと思います。」

説明の為に、そう言ったのです。
客観・主観と言う二項対立的な認識論ではないと言う事が言いたかったのです。
つまり、世界=価値体系は真理によっているのではなく、
言語構造によって、恣意的に創られている価値観によって決まると言ったのです。
だから、実在は価値基準に沿って現れたものであり、客観的なもの(実在)
ではないと言ったのですよ。

ブルバギの数学からと言う説もありますが、ソシュール・レヴィ=ストロース
が一般的でしょうね。
>>148
他我問題とは、他人に自我があるか確認する方法はない、というものですが、
僕は他我問題を逆利用し、すべてのものに自我があることを否定する方法は
ないと考えています。
168パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 22:35
いいえ、構造主義(記号論)なのですよ。だから、多くの人がソシュール
とレヴィ=ストロースを構造主義者と言ったんでしょう。
もう少し本を読んで下さいね。
169ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/13 22:39
>>165
構造主義が「まず構造ありき」の思考と捉えられている場合があって、それも誤解のもと
になっているとも言えますね。言語、経済、人類学、精神分析などの具体的考究対象のな
い「構造主義」などないのであって、それがあると考えるのは「転倒」であり「知の欺瞞」
だと思います。「具体的なものからの下向」なき「抽象的上行」のみの思考は全く意味が
ないばかりか、最悪の主意主義、最悪の決定論の土壌にもなる。なんでも言えてしまう。
170パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 22:39
明日早いので、ぴかぁ〜ちゃん、ばかぁ〜ちゃん、しろうとさん
後を宜しく・・・・
グーグー スヤスヤ
>>166
> ブルバギの数学からと言う説もありますが、ソシュール・レヴィ=ストロース
> が一般的でしょうね。

構造主義生物学はソシュール・レヴィ=ストロースの影響はほとんど
受けてないはず。
数学を使用した遺伝子研究が流行ったとき、フランスでは生物学に数学を
本格的に持ち込んだことに対して構造主義生物学と呼ばれていたらしいですが
詳しいことはわかりませんが。
172パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 22:47
構造主義=言語学ではないですよ。ソシュールの場合が言語学だっただけです。

勿論そうです。構造主義を説明する過程で言語学・記号論を
あるいは、フーコーの論理を使うわけでしょう。
だから、いきなり構造主義とはと言う概念の説明の仕方もあるでしょうが
色々の分野の構造主義者から説明を加えていく事の方が分かりやすいので
そうしたまでです。

ところで、そう言う貴方は構造主義をどのように考えているのでしょうか?
説明どうぞ?

173パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/13 22:53
構造主義が「まず構造ありき」の思考と捉えられている場合があって、それも誤解のもと
になっているとも言えますね。

いいえ、フーコーなんかを読むときには、構造内の要素の布置によって
価値が決まるのだと言っていると思いますよ。
特にデカルトと比較した時には、認識する自我という定立
が先にある。この点と構造主義の差異を明確にするには、「既存」
の体系を強調する必要ありです。

それでは、ばかぁ〜さんは構造主義をどの様に定義するのです?
書いてみて。
174Tar8mg:04/06/13 22:55
構造主義は構造を通時的ではない・非歴史的な深層的なモデルとして捉える。
つまり歴史主義(発展段階を想定するような)への批判として登場したのではないですか?
175考える名無しさん:04/06/13 23:01
>>167
> >>148
> 僕は他我問題を逆利用し、すべてのものに自我があることを否定する方法は
> ないと考えています。

確かにそうなんでしょうけど、「すべてのもの」ってのは極端すぎませんか?
つまり、あるものに自我があるかないかは判らなくとも「自我」ってゆうのはある程度限定されてくるでしょうし、それに「もの」と「自我」の区切りが果たして一対一に対応してるのかということも疑問です。
そこらへんからその考えはやんわりと却下されるんではないでしょうか?
>>174
本当は歴史的に捉えた方がいいのだけれど、それが難しいから、
最初はその時点での構造を扱った。
でもそれでは歴史的な説明ができないということで、ポスト構造主義が
出てきたということでは。

>>175
自我の区切りはひとつの志向性という説明がいいかと思います。
例えば自分の自我が自分の体を管理するという志向性があるとすると、
右脳が死んでも左脳だけでもひとつの自我で、左脳右脳両方正常でも
やはり自分というひとつの志向性を持った自我だから。
177Tar8mg:04/06/13 23:24
>>176
そうではないのです。いわば、根本的には同じものが表現形としては多様になるというような
ことで、時間的前後と空間的配置は等価である。というような意味です。
西欧中心主義(たとえばヘーゲル的歴史観・先進性)を否定するようなことすね。
数学者から見たら、数学を使って様々な分野の構造を記述していくことは
当たり前で、とくに変わったことではないのだけれどね。
>>177
時間的前後と空間的配置は等価である、といえば聞こえはいいが、
実際、発展段階を想定できるのとできないのでは、できたほうが
現実をよく説明できているのでは?
180Tar8mg:04/06/13 23:32
ですね。フラクタル図形みたいなニュアンスつーか。
181175:04/06/13 23:32
>>176
ああ、なんか俺のほうがあなたの言葉を極端に解釈してたみたいです。
「すべてのもの」っていっても「万物」って事ではなかったんですね?
>>181
万物でも問題ないと思いますが。問題があるなら教えてほしいです。
183Tar8mg:04/06/13 23:39
>>179
レヴィ・ストロースなどの主張は極端に言えば発展など無い。みんなパラレルなんだ。
ということです。私はそうは思ってませんが、生産力・生産関係云々も説得力ありますし。
184175:04/06/13 23:45
>>182
176の例でゆうと、自我があるのは自分ですか?脳ですか?
185ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/13 23:51
>>173
>それでは、ばかぁ〜さんは構造主義をどの様に定義するのです?

極端に言ってしまうと、「構造主義一般の定義」というのは要らないと思うんです。
もしくは便宜的にのみ使うべきだと思う。
また、>構造主義が「まず構造ありき」の思考と捉えられている場合
というのは、そうとってしまうしまう人がいる、という話。パレルゴンさんがそうだという
ことではないです。まあ、パレルゴンさんがヘーゲルやマルクスを批判するときは若干そう
なってる気もしますが。ちょっと風呂に入るので、また後で。
>>183
ポスト構造主義者からはストロースはパラレルだと言われるようですね。
単なる言い換えだけで論じていると。近親姦の欲望についても、考えたことが
なかった人が読んだら説得力があると思うかもしれないし、当たり前すぎて
つまらないと思う人もいると思います。

>>184
自分ですが、自我がどこにあるかといえば、脳なのです。では左右どっちの
脳に自分の自我があるかというと、両方なのです。
187175:04/06/14 00:17
>>186
脳という「もの」に関しては左右という区別を設けるが「自我」にその区別を設けないとうことでしょうか?
あらゆるものに自我があるという場合ものの集合と自我の集合が重ならないといけないのでは?

しかし、俺もちょっと極端すぎる様です。そもそも俺が>>175で強調したかったのは「やんわりと否定される」のところなので。
>>167
>僕は他我問題を逆利用し、すべてのものに自我があることを否定する方法は
ないと考えています。
これはまさに他我問題を裏返したにすぎず、そう主張することにあまり積極的な意義を見出せないなあと考えたからなのでした。

すみません、きょうはもう寝ます。
188ポール:04/06/14 00:34
>パレルゴンさん、ばかぁ〜さん
>主観と客観について以前ポールさんは「突き詰めると鶏か卵かという問題になる」と書いていた
>でしょう?そのへんがパレルゴンさんとの対話がかみ合っていない大元になっていると思うのです。 >>160

僕にはやはり鶏と卵の関係であり、さらには、そのどちらが先かを決定できないと
考えています。

パレルゴンさんは、他の存在者と並ぶもの無き特別な存在者である<私>から
出発した主観的語りは、予め構造によって規定されているとし、僕は反対に、
構造主義者のいう構造とは、<私>の世界に現れた存在者を観察した結果
発見されたものであり、それは所詮<私>の世界の内で生じた理念だと考えます。
189ポール:04/06/14 00:34
例えば、

>2)一方、構造主義(ポスト・構造主義)は、超越論的主観(私の世界が現れる場)
>以前の、赤子が象徴界に参加する以前から問題にする。 >>150

の考察は、主観的語りの立場から見れば、<私>の世界における、他者や
第三者的に見られた「私」を観察した結果得られた知であり、その知は、
<私>の世界の内部で理念化されたものであり、まず初めに存在するのは、
この私に与えられた世界(<私>)であると考えます。
(もちろん構造主義者は、この僕の主張自体が構造によって規定されている
と反論するのでしょうが)
190ポール:04/06/14 00:35
主観的語りでは、我々に共通する(と確信している)客観的な知や世界を
説明することが困難である一方、構造主義や科学の語り方では、世界に
並ぶもの無きこの特別な存在者である<私>を説明することは出来ません。
(そして僕は、<私>に関心があるのです)

そして両者は、同じ世界を別様に語った語り方であり、どちらが間違っているとは
いえないというのが僕の主張です。

続編はまた次回。またよろしくお願いします。
191ポール:04/06/14 00:37
>しろうとさん
>ポールさんが大前提とする
>「世界は独我論的なものでしかありえない」
>という所をひっくり返したいんですね >>153

楽しみに待ってます。
僕にはどう世界を見回しても、世界は僕の世界であるとしか思えないですから。

また、<私>の世界の独我性と、脳生理学の世界の独我性(世界は全て、
脳内ニューロンの発火に過ぎない)は別物ではないかという指摘は
考えてみます。なんとなくその通りのような気がしますが。

>飛べないカラスさん
>他我問題とは、他人に自我があるか確認する方法はない、というものですが、
>僕は他我問題を逆利用し、すべてのものに自我があることを否定する方法は
>ないと考えています。 >>167

もう少し詳しい説明お願いできますか? 興味あります。
192しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/14 00:50
>>173 >>185
>構造主義が「まず構造ありき」の思考
構造主義の「構造」について自分も述べておきます
前にも言った構造の事後的遡及的な性質ですね

確かに構造主義は、実存主義に対して
主体が構造という拘束から自由でない事を主張します
しかし一方構造は、記号の痕跡から事後的に捉えられたもので
(実在論者にとっての)自然法則の如き実在物ではありません

構造内の要素の布置によって価値が決まり、
それが主体(の認識)に先行している、
という点では「構造ありき」ですが
実在している構造があらかじめ決定してしまうという
「構造ありき」は認められないのです
193ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/14 00:51
ポールさんへ
繰り返しになりますが、「鶏がぽんっと世界に現れた」のか?「卵がぽんっと世界に
現れた」のか?という問いは単に転倒した問いでしょう?
194Tar8mg:04/06/14 01:07
私は構造と主体は規定と乗り越えというような関係にあると考えたいのですがね。
195THE グル:04/06/14 02:10
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
196しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/14 02:37
>>188-190
A.主観的語り
┏━━━┓
┃┌─┐┃
┃│客│┃
┃└─┘┃
┃主    ┃
┗━━━┛
B.客観的語り
┏━━━┓
┃┌─┐┃
┃│主│┃
┃└─┘┃
┃客   ┃
┗━━━┛
197しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/14 02:38
ポールさんによるとこの二つの語りは「鶏と卵」の関係であると
その上でポールさんはAの現象をパレさんはBの構造を重視する
そして自分の関心は「私」と「脳」は別であるという所にあります

>>191
「私」がどのようなものかは機械や動物と比較するとはっきりすると思います
ポールさんの言う「私」は現象の独自性であってそれは例えば
猫の世界は猫だけのものだ、というような動物のそれと違いないように思えます

更に言えば、入力を超えた出力は出来ないという事なら
PCのOSを「私」としても良さそうなものです
これは意識現象の有無に関するアニミズムとも少し違う

要するに自分は「<私>とは言語における存在である」と言い、
しかも自分独自の「<私>とはアスペクトである」という主張をしたいのですが
後者の展開は次回に譲って、前者について考えたいと思います

動物と異なる人間独自の言語的な私、
そして私に先行する構造や他者とは何か
それは現象が私のものでしかありえない
という事情とどう折り合うのか、が目下の課題ですね
198ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/14 02:57
しろうとさんまだ起きてたんだ、よかった。僕はふと「構造主義」ってなんだ?という疑問が
沸いてしまった。具体的対象の構造の遡及的探求というならよくわかるんだけど「構造主義」
という規定に、ソシュールの言語学、レヴィ・ストロースの人類学などで使われる探求方法に
アナロジカルに共通するもの、以上の意味を付して「構造主義一般」なるものがあたかも存在
すると考えるのは転倒ではないか、と感じた。「脱構築一般」みたいな空虚さを感じる。パレ
さんやしろうとさんがそうというわけではないが。
199ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/14 03:36
ちなみに、現象学と構造主義との関係、おまけにそれらとヘーゲル哲学との関係についての
ポールさん、パレルゴンさん、しろうとさん、僕の議論の参考文献として柄谷行人「内省と
遡行」とくに第二章(下向と上向)がたいへん参考になるのではないかと思うのですが、どう
でしょう。
200ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/14 03:39
>なるほどそうか…、ばかぁ〜さんはぴかぁ〜論の第一人者ですねw
>>「想像界(記号)と象徴界(言語)の混同、相互侵犯」の
>>禁止解除はぴかぁ〜さんの意志によってされたものではなく
>逆に「意志」が可能になれば
>東の言う「動物」にならないという事になりますね

え〜しろうとからこの言葉を聞くとはがっかりだなあ。
「想像界(意味)と象徴界(言語)の混同、相互侵犯」の禁止って
いまさら思わせぶりに言う滑稽さに、放置したんだけど。
ラカンがデリダに、超越論シニフィアンとして指摘された時点で
終わっている。というか、わしの論は、デリダ読みのラカンの
リバーシブルなわけだから、単にばかぁ〜がデリダ知らないだけだと
しろうとならわかると思ったが・・・
201ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/14 03:42
しろうとはわかっていて、無視していると思ったが、
あまりわかってなくて、コメントできなかったんだな。
わしはしろうとにアウラを持ちすぎていたのかもしれない。

アウラは人を寡黙にする暴力があるからね。
202ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/14 03:54
>>200
おっ、新戦略だね、そのレスの仕方w。ぴかぁ〜さんは頭がいいなあ。
203THE グル:04/06/14 09:53
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
204オレオレ詐欺:04/06/14 14:04
>飛べないカラス
>>162
>実在が、現象という認識したものの背後にあるのではなく、脳という実在が主観を
>作り出しているという意味ですか。そういうことなら、実在を疑って得たことには
>なりません。
いいや、現象という背後にあると錯覚しているが、それは主観が補っているもの

(物自体)現象⇔主観⇔客観世界(その中のわたし)
    ↑         ↓
    ←←←←←←←←←←
205オレオレ詐欺:04/06/14 14:07
客観世界と物自体の一致こそ真理かも
>>187
> これはまさに他我問題を裏返したにすぎず、そう主張することにあまり積極的な意義を見出せないなあと考えたからなのでした。

そもそも他我問題や、自我がどこに存在するかという問題は主張してもあまり意義が見出せないものですが、
疑問をもつ人がいるようなので書いたのです。

>>191
> もう少し詳しい説明お願いできますか? 興味あります。

ポールさんの興味はどこにあるのでしょう。大森のように、物心一元論でしょうか。物心一元論に統一しても
メリットがなく、かえって混乱を引き起こすので、僕は二元論の立場をとります。物心を繋ぐキーワードが
志向性(仮)で考えています。

>>204-205
客観世界と物自体の一致こそ真理と考えるなら、なぜあなたは両者を区別したのですか。
定義の違いは何ですか。
207考える名無しさん:04/06/14 16:25
私にも構造があるの?
208THE グル:04/06/14 22:11
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
209明らかな板違い〜終了:04/06/14 22:11
いい加減にしろ、板ちがいだ!。
→宗教板
→オカルト板
→ネタ板
→文学板
→お花畑板
などへどうぞ!

よって、終了
210パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/14 22:14
「構造主義は構造を通時的ではない・非歴史的な深層的なモデルとして捉える。
つまり歴史主義(発展段階を想定するような)への批判として登場したのではないですか?」


こんばんわ。
と言っても、40分位しか参加できないのが残念ですが、このスレッドはなかなか活況ですね。
我ながら驚いています。
と言う事で早速、目に付いたレスに意見を述べてみたいと思います。

仰る通りです。ヘーゲルが弁証法的スパイラルによって、真理に近付くという考え
或はダーウインの進化論のように、前進=発展=完結 へと向かうと言う考え
を否定しているのです。つまり、変化はするが前進ではないと言う言う事を
表しもいると思いますね。つまり、弁証法の「前進」をなくすと、同時点での
差異の体系になるんですね。
しかも、私の考えでは、時間性を極力無視したのが、構造主義ではないかと考えています。
時間性には、差異ではなく発展的(後退的)な意味を含んでいます。
だから、極力時間をなくすと言う考えが浮かび上がってくるんですね。
211パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/14 22:16
ただし、深層ではないと思います。
しいて言えば、表層であり、その表層に意味を滑らせると言う感じでしょうか。
抽象的ですが、今回はこのへんで説明とします。
212終了〜:04/06/14 22:18
いい加減にしろ、板ちがいだ!。
→宗教板
→オカルト板
→ネタ板
→文学板
→お花畑板
などへどうぞ!

よって、終了
213パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/14 22:24
「想像界(記号)と象徴界(言語)の混同、相互侵犯」の禁止
を解除した言説なわけ。

今度は私に質問をさせて下さい。

1)上記の文章について、ばかぁ〜さんの、ぴかぁ〜さんに対する
意見の一文ですが、想像界=記号 象徴界=言語
と言う意味について詳細に説明を求む。
私の中で、かなり大事な意味を持っている気がするんですが。
私は、想像界=非言語・非記号的な世界と思っているんですが、
ばかぁ〜さんの自論でなければ、誰が言ったのでしょう?ジジェク?
因みに、記号>言語 言語は記号の一分野 と考えます。
214考える名無しさん:04/06/14 22:25
いい加減にしろ、板ちがいだ!。
→宗教板
→オカルト板
→ネタ板
→文学板
→お花畑板
などへどうぞ!

よって、終了
215パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/14 22:31
逆に「意志」が可能になれば
東の言う「動物」にならないという事になりますね

214荒らすな!

失礼。そこで、今度は、しろうとさんの上記の文章に付いて。
つまり、想像界と象徴界の壁を外すと、「動物化」すると言う発想は斬新ですね。
私も賛成ですが、この発想は誰が言ったのですか?
この辺について、もう少し詳細な説明を求む。
216パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/14 22:41
「構造主義」
という規定に、ソシュールの言語学、レヴィ・ストロースの人類学などで使われる探求方法に
アナロジカルに共通するもの、以上の意味を付して「構造主義一般」なるものがあたかも存在
すると考えるのは転倒ではないか、と感じた。「脱構築一般」みたいな空虚さを感じる。


学問とはすべてそう言うものですよ。
概念とは、ある意味で識別的なものです。つまり、共通項を抽出することで、
現象が見えやすくなると言う事でしょう。そうでないと、何も言えない
一回限りの感覚を表現すると言う詩的なものになるでしょうね。
それはそれで、クリステヴァなんか、或はデリダなんかやっているんですが、
そこには狙いがあるんです。もう言わなくても分かるでしょう。
極端に言って、言語さえ纏めようとする為の手段ですよ。
じゃないと「猫」は犬と違うものと識別できないでしょう。
217パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/14 22:50
僕の議論の参考文献として柄谷行人「内省と
遡行」とくに第二章(下向と上向)がたいへん参考になるのではないかと思うのですが、どう
でしょう。

ばかぁ〜さん
良いね。その辺の所を多少詳しく説明してよ。
たしかに、ポスト・構造主義(終わったかどうか不明?)を継承しつつ
ジジェク(柄谷)などマルクス・ヘーゲルの読み直しがなされているような気がするんだけど、
或はカントの判断力批判の再考が、アガンベンなんかでもやっているようだけど
その辺の背景は何なのだろうか?
何故今?この辺の意見書いてみて。
218パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/14 22:54
沢山論客が集まったところで、夫々の哲学の背景(専門分野)を
自己紹介してはどうでしょう?
ポールさん、ぴかぁ〜ちゃんは分かっていますが?
多分他の人は、批評空間系で、柄谷・東・ジジェク中心でしょうか?
219パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/14 23:18
ほんじゃま。
時間を少しオーバーしましたので、おやすみなさい。
たくさんレスたのんます。
ぴかぁ〜ちゃんは旅に出たとのこと・・・・・
何処あるいとんのや・・・
それでは・・・・グーグー これ以降参加しません・・・ ゴーゴー
220ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/15 00:57
パレルゴンさんへ 少しずつ書いていきます。
>>213 「想像界=記号 象徴界=言語」というのはまずかったかな?こう言い変えるのを
許して。「想像界=像の弁別的認識の世界 象徴界=像の対立的認識の世界」と。例えば、
1「●○●」2「● ●」3「●○ 」という像があるとして、想像界=像の弁別的認識に
おいては単に「白丸と黒丸と・・・などなど」の弁別的認識しか出てこない。逆に象徴界=
像の対立的認識においては「1に対し2は中心の白丸が欠如している」「3に対し1は黒丸
が欠如しいてない」などの対立的認識しか出てこない。前者においては1と2、3と1など
の二項の他にスタンダードとしての第三項という前提がない。後者にはある。前者は非言語
的、後者は言語的認識世界です。ところで、非言語も言語も使用できる「人間」は言語によ
る表現・認識において前者と後者の使い分け(カッコの入れ外し)を意識的・無意識的に繰り
返しています。また、他者の要請・強要などによってその意識的な「使い分け」も出来る(例
えばゲームとしてのディベート、裁判における証言など)。言語の使用できない「動物」には
出来ない。と、こんなんでいい?参考文献は「負のラカン」石田浩之 誠信書房
221考える名無しさん:04/06/15 01:06




     虚数チンポの登場だな
222ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/15 01:11
>学問とはすべてそう言うものですよ。概念とは、ある意味で識別的なものです。
>つまり、共通項を抽出することで、現象が見えやすくなると言う事でしょう。
>そうでないと、何も言えない

もちろん、「・・・主義一般」という抽象をして「現象が見えやすく」するという
段階は必要です。でもそれはまさに学問の「見えやすくする」途中段階であって、
最終目的ではないと思います。でないと「学のための学」になってしまうと思う。
この辺の意見は対立しそうですね。

>そこには狙いがあるんです。もう言わなくても分かるでしょう。極端に言って、
>言語さえ纏めようとする為の手段ですよ。

ごめんなさい。ここの「クリステヴァ、デリダの狙い」なるものは言ってもらわない
と僕にはちょっとわからないかも。詳細を望みます。
223ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/15 01:31
>>217
柄谷行人「内省と遡行」は弁証法、現象学、構造主義のどれが根源的か、みたいなスタンス
で書かれています。まず、現象学を越えたと言われている構造主義の見出す「構造」が実は
が実は当の現象学の手法「還元」によって見出されたものであるのではないかという懐疑が
軸となって、そこに終わり=目的から構造を見出すヘーゲル弁証法への批判などを絡ませて
書いている。なので、みなさんが「内省と遡行」を読んでいたら、議論の叩き台になるので
はないか、と思ったのです。柄谷の意見に賛成かどうかはともかく、彼はまさに、現象学は
構造主義によって乗り越えられたというのは救いがたい誤解である、と言っているからです。
224ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/15 01:48
>>217
僕は専門はないですね。言葉の正しい意味でDQNなのでw。暫定的には弁証法的唯物論
が最も僕にとって説得力がある学説(?)のような気がします。マイ哲学的に書くとw、観
念論的弁証法は具体的物質の自己運動の反映で、その最高段階は「資本」(主体的実体)の
説明。弁証法的唯物論は具体的物質の自己運動そのもので、その最高段階は人間が主体的
実体になること。

うーん、このレスはあんまり自信ないかなあw。
225ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/15 02:11
>>217
ごめん>>224をちょっと改定。>>224は忘れてください。
観念論的弁証法は具体的物質の自己運動の反映で、資本主義的生産様式の支配的な社会において
その最高段階は、必然的にその社会の主体的実体である「資本」の説明であり、また、それ以上
にはなりえない。弁証法的唯物論は具体的物質の自己運動そのもので、その最高段階は人間が主
体的実体になること。


226オレオレ詐欺:04/06/15 10:25
>>206
さぁ、なぜだろうね・・・・

感覚の限界―――――言語の限界
(実在世界)       (客観世界)

                           主観
(物自体)現象⇔主観⇔<   ↑↓
                  客観
   ↑          ↓
   ←←←←←←←←←←


なんか考えるの楽しくなってきた
>>226
なんか複雑になって見るのが面倒になってきた
228パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/15 22:31
ばかぁ〜ちゃん
レス有難う。
今日は時間がないので、明日レスします。
本来、金曜の夜・土・日の昼を中心に書き込みます。
絶対に読むので書いておいて下さい。
レスは必ずします。
それでは、おやすみなさい。
229ポール:04/06/15 22:52
>しろうとさん
>その上でポールさんはAの現象をパレさんはBの構造を重視する >>197

そうです。>>196の図もその通りです。わかりやすい。
補足すれば次の通り。



  ┏<私>(=<世界>)┓
  ┃ 「世界」         ┃
  ┃              ┃
  ┃   ○○○●○○  ┃
  ┃              ┃
  ┗━━━━━━━━━┛

      ○:他者  ●:「私」 

   <私>   :超越論的主観
    「私」    :心的主観
   <世界> :私に直接与えられている世界
    「世界」  :私が客体化している世界
230ポール:04/06/15 22:53
<私>の世界に現れる対象化された(第三者的視点で捉えられた)「私」(●)と
他者(○)の間には、ある種の共通した構造がある。
しかし、その「私」は<私>ではないし、<私>と比較されるべき存在者は
当然ながら存在しない。(むしろ、○や●を含む世界全体が<私>としか
いいようがない)。

構造主義が(そして科学が)考察する世界とは、「世界」であり、
「構造によって規定された主体」とは、「世界」に現れる●の方。
231ポール:04/06/15 22:54
僕が構造主義者のように、構造を──そして客観主義者のように客観世界を──
前提に話さないのは、僕に与えられた世界は僕の世界以外ありえず、
世界は独我的に成り立っていると考えているからです。

暴論かもしれませんが、構造主義はむしろ、現象学以前に逆戻りしたのでは
ないでしょうか。現象学によって発見された(?)<私>の存在を隠蔽し、
それ以前に考察の対象であった「私」へと再び戻ったのですから。
232ポール:04/06/15 22:56
>しろうとさん
>要するに自分は「<私>とは言語における存在である」と言い、 >>197

「言語における存在」とはどういう意味ですか?
<私>とは言語によって作られた観念に過ぎない、ということですか?


>そして自分の関心は「私」と「脳」は別であるという所にあります >>197

主観的語りによれば、観察された脳ですら、私の意識の中での出来事と
されます。しかしそれにしても、(私の知覚世界に現れる)脳の物質反応と
私の知覚世界に密接な──もしかしたら、意志や感情を含む私の全世界さえ──
対応関係を持つという事実は、私と世界の関係を考えるうえで見過ごすことは
出来ませんね。
233ポール:04/06/15 22:57
>飛べないカラスさん
>ポールさんの興味はどこにあるのでしょう。大森のように、物心一元論でしょうか。

いえ、物心一元論自体に関心があるのではありません。
「私と世界の関係」です。

  「宇宙年表で表されるがごとく永遠の過去から未来へと直線的に続く時間と、
  宇宙地図で描かれるがごとく無限に広がる物質空間の、それぞれ極く微小断片に
  あるパターンの物質が集積された結果、<私>という存在者が生まれ、
  それが、<私>の外部にある物質世界を認識する」

という世界観の検証です。
僕は、客観的世界観という僕が持っている常識を壊したいと考えています。
>>233
科学でも、あるパターンの物質だけが自我を持てるとはされていないはず。
僕は常識を壊すことに興味はないです。永いスパンで通用するより常識らしい常識が
知りたいのです。
235考える名無しさん:04/06/15 23:17
ポールもバレも馬鹿ですねっと。
236考える名無しさん:04/06/15 23:30
世界は普遍抽象的な理念としては「(可能性として)関わり得るものごとの総体」というような意味合いがあるでしょう。

しかしまた個人に現れている「個別的な世界」も考えられるわけですが、これも直接に映じている範囲だけでなく
伝聞的なものごとや想像も含まれています。もし見えている範囲のみを「個別的世界」と考えると、自分の後ろは
世界に含まれないことになります。つまり個人に現れている世界も「直接には現れていない背景」や知識、想像で補われている「地平」があるわけです。
更に想像のうちには「知らない国」なども含まれているかもしれません。
このように考えても「個別的」であるという性格はなくなる訳ではありませんが、
「個別的な世界」も「総体としての世界」へと方向付けられているとも考えられます。
>>236
自分で考えたのですか。だいたい正しいと思いますよ。
238ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/15 23:40
ポールさんへ
>暴論かもしれませんが、構造主義はむしろ、現象学以前に逆戻りしたのでは

構造主義だろうが現象学だろうが、それらが俗っぽく理解されたなら前者は単なる「対象に
ついてのみの知」、後者は単なる「主観主義、独我論」になってしまうと思うのです。そう
いう理解はラジカルなように見えて、本当は悪い意味で素朴なだけです。そしてポールさん
がそういう俗っぽい理解に乗る必要もないわけです。現象学以前(というか、カント以前の素
朴な客観主義)に逆戻りした構造主義は構造主義ではないので、「構造」を科学における「対
象」と混同している解説書などは無視しておけばよろしいだけのことかと。むしろ「構造」と
はポールさんが>>229で提示した図式のような多重構造(襞構造というべきか)に近いと思いま
す。あとの解説はしろうとさんに任せたw。
239考える名無しさん:04/06/15 23:49
ばかぁ〜も馬鹿ですね。
240考える名無しさん:04/06/15 23:50
>>237
いちゃもんつけるばかりのやつが随分偉そうだな。
積極的な思考を展開してみろよ。
241236:04/06/15 23:52
コロンブスはその「個別的な世界」のうちに、伝聞、想像としてのみ含まれていた
インド(実はアメリカ)を「行動」において事実として発見し、普遍的な「世界」に関する
「知」を拡張したわけです。
これが「個別的な世界」が抽象的・普遍的な「世界」へと差し向けられているという意味です。
>>236については、「個別的な世界」が主観論、「総体としての世界」が実在論に
相当すると思いますが、主観が、因果律に基づいた実在があることを想定することが
我々が物事を認識する知性になると思います。
243ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/16 00:00
>>241.>>242
その「想定すること」が「メタ情報」や「理念」と言われているものですね。
244236:04/06/16 00:02
>>242
想定+発見・証明・検証ならば良いのでは。
>>243
ポールさんのようにその想定を疑うことも理念なのではないでしょうか。
246ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/16 00:08
>>245
ん?それだとやっぱり「構造」が「科学法則」と混同されているということになってしまうの
ではないでしょうか。
247考える名無しさん:04/06/16 00:09
ぱかぁ〜は馬鹿だなぁ。
>>244
まさに実在の肯定と実在への働きかけ(発見・証明・検証など)です。それに逆行する独我論によって何の成果が
得られるのかというのがポールさんにたいする疑問なのです。
>>246
構造と科学法則の違いを教えてくれませんでしょうか。
構造とは恣意的なことだけを指すということでしょうか。
250(*゜Д゜)ノ猫造主義:04/06/16 00:16
よっ!
251THE グル:04/06/16 00:39
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
252ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/16 00:40
>>249
ああ、いざそう聞かれると難しいですね。自分で言っておいてなんですけど、僕は理系に疎いので。
ただ、構造主義のいう「構造」とは事実から遡及的に見出されたもので、科学の「仮説・証明」の知
の集積とは違う。精神分析やマルクス主義が擬似科学と言われたりしますが、それはある意味当たっ
ていて、精神分析やマルクス主義は因果律を認めていないというか、むしろ因果律はどう生成したか
という分析をするのだと思います。うーん、このレスはあんま自信ない。
253( ゜Д゜)ノ猫造主義:04/06/16 00:40
くちくちくち
>>252
僕は>>162に書いたように、構造主義を、フランスの数学者集団ブルバキの成果を、数学以外の
分野に応用する流れと考えています。したがって、構造主義でいう構造とは、ブルバキが生み出した
集合論、線形代数などによって扱うことができる対象ということになります。これは一般的な構造の
意味とは少し違いますが。
255終了〜荒らし消えろ!:04/06/16 00:51
いい加減にしろ、板ちがいだ!。
→宗教板
→オカルト板
→ネタ板
→文学板
→お花畑板
などへどうぞ!

よって、終了
256( ゜Д゜)ノ猫造主義:04/06/16 00:53
ばかぁ〜はアホだから、無駄。
257考える名無しさん:04/06/16 01:02
   ∧  ∧
   / ヽ‐‐ ヽ
  彡      ヽ
  彡  (゚)  (゚)   ウマ──!!
 彡 (       l  
 彡、 ヽ     |、`\
/ __ ヽ    l/´>  )
(___) ( o o)  (_/
 |       /
 |  /\ \
 | /    )  )
 ∪    (  \
       \_)
258236:04/06/16 01:02
普通はソシュール言語学を祖と考えるわけですが。
259236:04/06/16 01:13
自然科学は計測、観測可能な実在する対象、つまり物質的なもの(電磁波なども含む)を
研究しますが、構造主義はそうではなく理念的(イデアルな)モデルを構築し、全体と要素とか
要素間の関係を研究するわけです。
260ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/16 01:15
>>254
構造主義というのは周知のように実存主義、ヒューマニズムとのいわば政治的対立があった
から、十派一絡げにされてしまうことが多いですが、内実は多様ですね。ブルバキの数学的
構造主義を他の分野の学に応用したという単線的なものではない。むしろ個々の分野の学が
自論の説明に「構造」というものを使うとしっくりいった、ということだと思う。個々の具
体的対象(言語学、人類学、精神分析など)を越えた「普遍的構造」なるものを考えていた者
もいたらしいが(レヴィ=ストロースなどはそうなのだろうか?あんまり詳しくありませんが)、
僕は個々の対象を離れた「構造」などないと思う。
「飛べないカラス」さん、出来ればブルバキ学派の基本思想をちらっと書いてみてもらえませ
んか?たぶん哲板住人は数学に明るくないので(僕だけかなあ)。
261考える名無しさん:04/06/16 01:16
ぱかぁ〜は馬鹿ですね。
262236:04/06/16 01:21
要素は全体の構造に影響を及ぼさなければ別の要素でも構わない。
これは、例えば将棋で桂馬が無ければ10円玉で代用しても良いというような意味です。
あるいは商品を商品という抽象レベルでのみ考えるならパソコンでもアジフライでも何でも良いわけです。
構造は多様な分野・レベルで考え得るものでしょう。
263236:04/06/16 01:25
会社の構造を考えてパートのおばさんは別の人でも良いというようなものです。
>>258
そうだと思いますが、構造主義とは何かと考えたとき、やはりブルバキの存在は重要なのでは
ないでしょうか。

>>259
科学でもモデルの構築から入ることがあります。数学を学んでからそれを応用するとか、物理学の
M理論やひも理論など、理論先行の場合が多くあります。

>>260
仮に、集合論や代数論を理解せずに、ただ構造という言葉を使っただけの説で構造主義を
名乗ると、それは構造主義ではないと言われると思います。
僕はブルバキ学派の基本思想を説明できるほど理解してないです。

>>262
構造と恣意性ははっきり区別したほうがいいと思います。
名前を付けることやフォーマットを標準化することに利便性があります。
そうすることが恣意性なのだと思います。
265明らかな板違い:04/06/16 01:51
→お花畑板
→数学板
→宗教板
へどうぞ。
266ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/16 01:56
>>262.>>263
これは僕への批判かな?僕が言った個々の対象とは236さんの言う「要素」のことではない
です。例えば音楽の構造といった場合、基音に対して長3度とか完全8度とかなどの関係
を扱い、音色などは捨象する。でも、これは将棋というゲームの構造とは何の関係もないで
しょう?そういう意味での「個々の対象」。
267しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/16 01:59
>>198
>「構造主義」ってなんだ?という疑問
主体や意味を保留して
記号間の関係を記述する体系です

>具体的対象の構造の遡及的探求
構造は経験から抽象されるもので
それに先立つものでは無いのです
(これは主体に対する構造の先行とは別)
具体的対象を欠くと形而上学にになります

>「構造主義一般」
「構造」を論理学・数学の現代的公理論の構文論(シンタックス)に
近く捉えるのであれば、「一般」とも言えるのではないかと思います
「意味論と切り離された記号の規則」を押さえれば
上で言う形而上学と区別できると思いますよ

>「脱構築一般」
こちらは確かに空虚なものですね
脱構築=境界侵犯とは移動の事であって
その場所がどこかにあるという訳では無いのです
コンスタティブとパフォーマティブの落差を利用する訳ですから
脱構築する対象が実際に無ければいけないでしょう
268しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/16 01:59
>>213 >>215
例えばラカン派精神科医の斎藤環とか
記号は表現と意味の対応だが
言葉は意味から独立した体系(シニフィアンの秩序)があると

>想像界と象徴界の壁を外すと、「動物化」すると言う発想
東浩紀と斎藤環の対談(『不過視なものの世界』収録)はこの話そのものでした
ちなみに斎藤は想像界と象徴界の区分は曖昧化できないとしています

>>218
>批評空間系で、柄谷・東・ジジェク中心
その通りなんですけど、そこに付け加えれば
ウィトゲンシュタイン・野矢というバックボーンがあります

>>220
「否定」とか「無」が認識できるのは人間だけ〜という話ですね
269しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/16 02:00
>>229
超越論的主観としての<私>と
<私>の「世界」の中に見られる
心的主観としての「私」の区別ですね

>>230 >>231
>構造主義が(そして科学が)考察する世界とは、「世界」であり、
>「構造によって規定された主体」とは、「世界」に現れる●の方。

>構造主義はむしろ、現象学以前に逆戻り
><私>の存在を隠蔽し、〜「私」へと再び戻ったのですから。
ポールさんとパレルゴンさんの議論では見落とされているけれど
構造主義の「構造」は<私>の考察も含むと思いますね
超越論的<間>主観としての<私>、という所でしょうか

>>232 >>238
>「言語における存在」
「<私>とは言語によって作られた観念に過ぎない」というのは微妙な所ですね
「<私>の成立には言語という条件が必要である」というのが自分の主張ですよ
<私>の世界も言語による分節・意味・価値付けが行われています
これは丸山圭三郎のソシュール観に近くなりますが、
そもそもカントが考えたような先験的な表象体系の形式を
共同主観的なものと考えたのが構造主義でしょうから
270ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/16 02:25
>>267 しろうとさんへ
>「構造」を論理学・数学の現代的公理論の構文論(シンタックス)に
>近く捉えるのであれば、「一般」とも言えるのではないかと思います
>「意味論と切り離された記号の規則」を押さえれば
>上で言う形而上学と区別できると思いますよ

このへんに関するいい参考文献は何かありますか?教えていただけると嬉しいです。
271しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/16 02:48
>>249
記号の関係を扱う構造主義は
科学においても問題なく成立するはずだと自分は主張します

しかし実際には難しい側面も含んでいます
それは例えば池田清彦らの構造主義生物学に表れています

オートポイエーシスの河本英夫は構造主義生物学が
恣意的で多元論的な構造体系と厳密で一義的な科学法則の
二重の要求を満たそうとする事に無理があると指摘しています

>構造と科学法則の違い
という話でしたね、これを池田の言葉を引用して単純に整理すると
「分類は思想である」というテーゼを認めるのが構造主義で
認めないのが科学法則でしょうか、ここが争点になると思う
272しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/16 02:48
>>252
精神分析の構造的因果性は
一般化/媒介されない固有の経験
において顕著に現れてきます

無意識は事後的なもので再現性・予見性はありません
無意識を実在するもの、あるいは自然法則的なものとみなしてはならず、
あくまで精神分析という対話の後で遡及的に見出されるものです

ここの所を短絡的に捉えると、「要するにフィクションなんだろう」となる
しかし一つにはナッハトレーグリッヒカイトは臨床経験から得られており
単なる思弁的なものではないということがあります

これを理系と文系の両方に説明するためには
市場の「神の見えざる手」の例を挙げるのが良いでしょう
これはヘーゲルの歴史の狡知とかラカンの大他者と同型です

まず、市場というのは貨幣によって数値化されていますね
そして、「神の見えざる手」というような現象は
机上の空論ではなくて実際に経験します
しかし神の見えざる手は事後的な記述で実在しない
273しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/16 02:49
>>254 >>258
ソシュール言語学の発想をブルバキの現代数学によって洗練させたのが
構造主義だという解説を橋爪大三郎はしていますね

>>259
>観測可能な実在する対象
実在は観測不可能ですから経験的対象ですね
しかし自然科学においてはしばしば実在とされます

構造主義は論理実証主義の流れも視野に入れていますから
>理念的(イデアルな)モデル
というのは少し訂正される必要があると思います
表層に表れない深層構造というのがイデアなもので
これは構造主義の範囲外になります
274考える名無しさん:04/06/16 02:51
はやりもの好きだな…
275しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/16 02:58
>>262 >>263 >>266
ソシュールの要素の差異的性質の説明と
ウィトゲンシュタインの家族的類似性の説明に
同じゲームの例が用いられているのが興味深いですね
そろそろポスト構造主義的な事も言いたくなってきましたが
今日はこれでもうおしまい

>>270
恣意的なのだが、科学にも適用できる、
プラグマティックな体系としての構造主義の話は
構造主義生物学の池田清彦の著作がいいと思います

文系にも分かる公理論の説明、みたいな本については
たくさんあってヒルベルトの形式主義もよく触れていますから
新書とかを探せばすぐ見付かるでしょう
276考える名無しさん:04/06/16 15:13
ここ完全に板違いだぞ
「ものすごい勢いで哲学用語を羅列するスレ」でしかないじゃんか
だいたい池田清彦とか推奨してどーすんの?
もー力抜けちゃうよ
277考える名無しさん:04/06/16 16:44
どの板で哲学用語を羅列しようか。
278考える名無しさん:04/06/16 16:50
わからないなら見なけりゃいいじゃん
279考える名無しさん:04/06/16 18:17
>>277
「夢・独り言」じゃないか?
280パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/16 21:56
しろうとさん
沢山のコメント有難う。
構造主義といっても色々あるので、やはり、ブルバギの数学理論を
哲学の構造主義と同列に考えるのはマズイというのが私の考えです。
つまり、構造主義(確かにもう飽きた)はソシュールの記号論(言語学ではなく)
レヴィ=ストロースの人類学、フーコー、ラカンを経なければいけないと思います。
何故か、つまり、私の言う哲学的な意味での構造とは、主体の構造であり、
主体の生きる構造=社会と主体のあり方の関係を扱ったものだからです。
だから、数学論におけるような、数理論的に構造内の関係を分析したり、
生物学的な構造の分析では全くないのです。最大の差異は数理論がデカルト的な定立(自我の
確立)を前提にし、構造を研究対象としている点です。
281パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/16 21:59
この点を明確にしない限り、ポスト・構造主義の展開は理解できないでしょう。
これ以上の詳細な説明は不要だと思います。
ただ、混乱をきたさない為に、一言のべてみました。

282パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/16 22:07
ばかぁ〜さん こんばんわ。
「実存主義、ヒューマニズムとのいわば政治的対立があった」

この発言は、まずい気がしますよ。
むしろサルトルなんかは、実存主義=ユマニテ(ユーマニズム)と言って
ハイデガーに批判されているんでしょう。
ハイデガーは前期(存在と時間)の頃には、確かに、企投性を重視します。
しかし、後期には被投性=世界内に投げ込まれて存在の奴隷状態を重視します。
ここの所の読み違いで、サルトルは読まれなっていくんですよ。
時代を開くタームを読み違った。主体性か主体化されたものなのかという問題点です。




283考える名無しさん:04/06/16 22:11
どうでもいいけどBourbakiだよ。
284パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/16 22:18
「想像界=像の弁別的認識に
おいては単に「白丸と黒丸と・・・などなど」の弁別的認識しか出てこない。逆に象徴界=
像の対立的認識においては「1に対し2は中心の白丸が欠如している」「3に対し1は黒丸
が欠如しいてない」などの対立的認識しか出てこない。前者においては1と2、3と1など
の二項の他にスタンダードとしての第三項という前提がない。後者にはある。」

なるほど、よく分かりました。説明に感謝。
といっても、私の考えは違っています。つまり、想像界=欲望の連続体であり
それが何かとか、況してや、弁別的な認識など出てこないと考えています。
つまり、原抑圧がない限り、認識は出来ないと思うのです。つまり、抑圧によって
自分と言えない欲望の連続体=自他未分化状態では決して対象化しえません。
認識とは対象化を前提にしているのではないでしょうか。
だから、構造主義は反本質主義であり、如何なる、超越性(身体のようなもの)も
否定するのだと思うんです。このスレッドでよく持ち出される
言語以前のイメージ論なんかも私は納得できないのですね。
285パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/16 22:34
イメージとは言語的な認識パターンをマスターした後に、
同じものを反復的に見出す時に起こるものではないかと考えています。
つまり、非言語状態=自他未分化の状態でイメージが起こることは
ないのではないかと思うんです。
確かに赤子は何かを見ていたり手で触れたりしています。
しかし、それは、イメージを持っているのではなく、欲望のままの
動作なのであり無意味な運動なのではないでしょうか。
一方、言語のないとされる動物の事が問題になるでしょうが、
動物に言語のようなものがないと言いきれるのかと言う点が問題ですね。
人間と違う言語、人間には判明しない言語なき言語でコミュニケーション
しているとも考えられるかもしれません。群がる動物には必ずコミュニケーション
のような手段があるはずだと思います。ボスに挨拶する。移動を始める
合図をする。敵が来た事を知らせる。餌がある事を伝える。このような
言語なき言語は集団化する動物には必ずあると思われます。
或は別の考えで行けば、浅田の説のように、人間以外の生物には
過剰のサンスがなく、現存在の(原)がない状態で存在する、
つまり、ピュシスに生まれ生きると言う事かもしれません。
このへんの所は不明ですね。
286パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/16 22:46
「想像界と象徴界の壁を外すと、「動物化」すると言う発想
東浩紀と斎藤環の対談(『不過視なものの世界』収録)はこの話そのものでした」

なるほど、確かにそう思います。
構造があってこれが象徴界だとすると、ポスト・構造主義の運動は
脱構造・構造解体な訳で、そう言う意味でも、欲望の開放であり、「動物化」
=想像界・象徴界の二項対立の解体ですよね。
大地・コーラ・クリステヴァのアブジェクシオンみたいな、欲望のあらわれでしょうか。
287パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/16 22:53
本当に飽きたので、何か違うテーマでやりましょう。
しろうとさん、ばかぁ〜さん、ポールさん何かありますか。
提案して下さい。
柄谷さんでも良いですよ。
私の興味は、今何故ヘーゲル・カント判断力批判・マルクスなのか?
これが、知りたいですね。アガンベンが何故注目されるのか?
こんな感じです。
288考える名無しさん:04/06/16 23:31
>>285
チンパンジーの求愛ディスプレイなんかは、
身体的な行動パタンではなくて、
純粋にシンボル的なものだったような。
身体所作と伝達内容とのつながりが恣意的であるという意味で。

動物に言語あると考えることを示そうとするにしろ、
ないと考えることを示そうとするにしろ、
生産的な話ができればそれでいいと思う。
どんな視点から語るかで話は違うだろうし。
289考える名無しさん:04/06/16 23:34
生産的な話が嫌いなんだよ夫馬は
290パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/17 22:52
夫々分野が少しずつ異なっている様ですね。
私は、浅田・柄谷・東・合田・丸山・竹田・渡辺以外の日本の哲学者の本
はほとんど読んでいないですね。理由は、哲学が生まれたのは西洋ですから、
西洋の哲学者の本を読むことを中心に考えています。つまり、日本人がどれほど
慎重に理解し彼・彼女の言葉で自分の思想を打ち立てたとしても、それは、
異なる土壌に咲いたあだ花にすぎません。
決して哲学の真髄に接した事にはならないと思うんです。
ですから、翻訳本中心ですが、西洋の哲学者中心に読んでいるんですね。
ある意味では、意識的に批評空間の言説を避けたと思います。
なにか、少数の人間が言説を操作するような気がしてならなかったんです。
逆にアカデミズムの方に真理があるような気がしていたんです。
地味だけど、翻訳に熱中する、無名の研究者に尊敬の眼差しを送っていた。
291パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/17 23:12
私が最も多く読んだ本はドゥルーズです。
かなり難解な上に、概念の説明がないまま、いきなりそのターム
を使ってしまう。古典哲学批判・形而上学批判と言う事で、
益々、概念の説明をしない。つまり、概念がたった一つの意味の中に
捉えられる事を避ける意味からも、一つのタームはどんどん複数の
逃走線を生み出します。だから、読もうとすればこぼれ落ちる
こぼれ落ちれば読み込むと言う、分裂症的な体験をしているようです。
つまり、ドゥルーズは彼の哲学書に書いてある事と同じ経験を
彼の本を読書する時に経験させてくれるのです。
本とは考えを頭で理解させるのではなく、考えを体験・経験するのだと
言う事を感じました。
292パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/17 23:20
確かに、ドゥルーズをまともにやっている人は少ない様ですね。
翻訳をしている人はいますが、彼の哲学を自分で理解し語る人
はこの哲版にはほとんどいないですね。
多分、理解する事は彼の哲学にはないんですよ。
哲学を理解するとうい事には、限界があります。
理解とは、非理解と言う部分を抹消するからではないでしょうか?
非理解こそが、経験的な哲学であり、哲学行為なのです。
ここの所が分からないと、ポスト・構造主義哲学は分からないと思います。
勝手に自論を書いてしまいました。
ほんじゃま・・・・寝るす。 グーグー・・・
293ばかぁ〜 ◆vPfc5O9SRw :04/06/18 00:07
パレルゴンさんへ
失礼ながらちょっと茶々入れしてみます。
確かに、ドゥルーズは「読もうとすればこぼれ落ちる、こぼれ落ちれば読み込むと言う、
分裂症的な体験をしているよう」な読み方をされるべきだ、と本人もそんなことを言って
いるし、翻訳者、解説者もそう勧める。しかし、この手法と、パレさんが>>216で言った、
>学問とはすべてそう言うものですよ。概念とは、ある意味で識別的なものです。
>つまり、共通項を抽出することで、現象が見えやすくなると言う事でしょう。
>そうでないと、何も言えない。一回限りの感覚を表現すると言う詩的なものになる
を議論の参加者がそれぞれに主観的・恣意的に組み合わせると、議論としてとんでも
ないことになると思うんですw。ある議題では「何も言えない」排他的な議論になっ
てしまい、ある議題では「何でも言える」雑談になってしまい、結局は論者の共通理
解、誠意、盛り上がりに依存する、というような非生産的なものになってしまう。
また、僕も「意識的に批評空間の言説を避け」るのは非常に賛成なのですが、同時に
「意識的にいわゆるポスト・構造主義の言説避け」るという視点もなければいけない
と思う。アカデミズムから見れば彼らも傍系なわけですから。
294しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/18 01:18
「貨幣」というテーマについて考えてみます
貨幣とは市場のコギトであり固有名でもあります
もちろん後でアスペクト論に繋げますが…

日常の体験から始めましょう
紙幣を手にしているとき
我々は夢の中にいるような感覚を覚えます

現金は夢物語を現実化してくれます
貨幣の魅力は実現された幻覚のようです
様々な可能性を表象し続ける生きた幻想です

自分は、貨幣を最も無内容で厳密な比喩として捉えたい
商品と貨幣の交換は比喩の使用の快楽と言えます

貨幣というのは高度な科学技術を必要としない(偽札は別)にも関らず
社会を根底で支えているシステムです
そしてその成立は言語に由来します
295考える名無しさん:04/06/18 01:27
飛べないカラス ◆hslonKolMc=ぴか〜
296考える名無しさん:04/06/18 03:13
クソスレ
297パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/18 22:28
しろうとさん、ぴかぁ〜さん。こんばんわ。
やっと MyPCの前に座りました。
ふう。う〜ん。そうですね。ぴかぁ〜さんの指摘した以下の文章について
若干説明します。

「ドゥルーズは「読もうとすればこぼれ落ちる、こぼれ落ちれば読み込むと言う、
分裂症的な体験をしているよう」な読み方をされるべきだ、と本人もそんなことを言って
いるし、翻訳者、解説者もそう勧める。しかし、この手法と、パレさんが>>216で言った、
>学問とはすべてそう言うものですよ。概念とは、ある意味で識別的なものです。
>つまり、共通項を抽出することで、現象が見えやすくなると言う事でしょう。
>そうでないと、何も言えない。一回限りの感覚を表現すると言う詩的なものになる
を議論の参加者がそれぞれに主観的・恣意的に組み合わせると、議論としてとんでも
ないことになると思うんですw。ある議題では「何も言えない」排他的な議論になっ
てしまい、ある議題では「何でも言える」雑談になってしまい、結局は論者の共通理
解、誠意、盛り上がりに依存する、というような非生産的なものになってしまう。」
298パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/18 22:37
何かを説明しようとすると記号が必要になります。
所が、ご承知の通り、ポスト・構想主義哲学者達は、この記号=意味
の画一的な繋がり(Aと言う言語はaとうい意味しかないと言う固定化)
を否定し、多様な意味に拡散するんだと言う事を主張している訳です。
デリダでは散種・脱構築・差延であり、ドゥルーズでは、逃走、脱領土
だったりします。つまり、ポスト・構造主義はA=a ではなく、
A=無限と言う方向へ持っていこうとしているのです。
この行為によって、実は、理解の不可能性という局面が開かれます。
Aが何の意味にでもなると言う事は、会話は成り立ちえません。
299パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/18 22:48
つまり、ポスト・構造主義は会話の不可能性への運動なのかもしれません。
多分デリダがアポリアと言う時、この所を意識しているのだと思います。
(詳細は確認してください。)それでは何故会話を不成立にしようとするのか?
と言う事が問題です。逆に会話が成立している状況で何が起こっているのか
を考えると良く分かるんですね。つまり、会話の成立とは、象徴界に投げ込まれた
主体が既存の言語体系を学び会話を始めるんですが、この時、もう何度も出て
来たので分かっていると思いますが、主体は二項対立的な言語の価値を無意識に
刷り込みます。このへんの所は、クリステヴァが研究している所です。
つまり、優と劣と言う言語の性質による構造が出来上がっているのです。
300パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/18 22:56
例えば、右は左と言う概念なしには成立しません。
赤は他の色があるから赤と言う意味を持ちます。
つまり、このことは、ライプニッツのモナドのように、関係性としてしか
言語は表現できないと言う事です。赤は赤を示す事は出来ないと言う事です。
つまり、関係性によってしか、言語表現は出来ない事になります。
こう言う関係性(相対性)とは、恣意的であると言う事が分かるでしょう。
他の色に関係なく、赤が赤い色をあらわす事が出来るのならば、意味は
古典的な絶対性を持っているといえるでしょう。しかし、上記説明の通り
赤はそれ以外の色に対してしか、赤を言い表せないのです。
このことは、ラカンの対象aの意味にも共通すると思われます。
つまり、「私」は私によって「私」ではなく、他者において「私」である
と言う事です。
301パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/18 23:07
ちょっと道がそれましたので、戻します。
このように恣意的言語構造は善は悪によって、正は偽によってその意味を
作り出します。と言うのは、「正」がそれ自身で「正」を証明できない以上
偽をもって自分を正当化するしかないのです。「赤」や「右」の場合には映し出す鏡が
色であったり、左であったりするだけですから、さほど問題もなかったんですが、
「正」「真」だと、言語構造は排除する対象を確定しつつ、構築されている
事が問題となる事が分かってきたのです。この事を構造主義者達は暴いた事でした。
つまり、言語とはコミュニケーションの手段であり、同時に、差別化の手段
でもあると言う事です。
302パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/18 23:20
だから、脱構築や脱領土とは正義なのです。差別化しつつ創られた構造
その中で被差別的に存在するも者達への配慮、それが、他者であり、
他者の顔に対する無限の配慮だったりするのです。
こう言う風に考える時、構造主義の真摯な態度に感銘を受けずには居られません。
フーコーの苦悩がなんだったのか?例え構造から逃れえても「私」の開放は
なされるのか?それは如何になされると言うのか・・・・・

感傷的になるのはそれ位にして、ばかぁ〜さんの意見に答えましょう。
1)コミュニケーション(概念の説明)を計るには、言語を使用し、
極力明確に説明する必要がある。
2)しかし、言語とは既に説明した通り、唯一の意味=権力によって
捉えられてる。
3)よって、その言語は体験的に触発として、経験する事で
私の意味となる。その事で、暴力を最小限度にする。

このように、ばかぁ〜さんの指摘に応えたいと思います。
答えたいではなく・・・・・
303パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/18 23:31
ほんじゃま。
今日は感傷的なパレルゴンを見せてしまいました。
とほほ・・・・・
よやすみ・・・・・むにゃむにゃ
304ポール:04/06/18 23:54
>パレルゴンさん

力作ですね。とてもわかりやすいです。
ただ、「言語は差別化の手段」(>>301)までは良く理解できたのですが、
それがなぜ「脱構築や脱領土とは正義なのです」といった
倫理的な問題にいきなり繋がるのかがわかりませんでした。


>>236
僕は確か現象学の入門書で、この「主観はいかにして客観世界という理念を可能とするか」
を知ったのですが、凄い説得力を感じましたね。
236さんはフッサールを直に読んでいるように見受けられます。
>>236の内容が書かれている著作は『イデーン』ですか? もしそうなら、何章辺りでしょうか?
305ポール:04/06/18 23:57
>ばかぁ〜さん >>238

その通りですね。あまりに単純化しすぎてました。反省してます。
ですが、今だに「主体は構造に規定されている。ゆえに独我論に陥る現象学的な
主体を構造主義は超えた」とされる理由がわかりません。

>むしろ「構造」とはポールさんが>>229で提示した図式のような多重構造(襞構造というべきか)に
>近いと思います。 >>238(ばかぁ〜さん)

>構造主義の「構造」は<私>の考察も含むと思いますね
>超越論的<間>主観としての<私>、という所でしょうか >>269(しろうとさん)

ここを説明してもらえませんか?
306考える名無しさん:04/06/18 23:57
構造主義なんてもっての他だよ。
手段と目的を転倒した愚かな思想だ。
哲学のもっとも大事な問題とは…なんだと思うかね?
307The END.:04/06/18 23:59
板違い気味です。
→自己紹介板
→お花畑板
をすすめます。
擦れたいも違反気味です。
308ポール:04/06/19 00:02
考えたこと。

僕の世界に現れる対象物のうち、いわゆる「僕の身体」と呼ばれているものは
僕と同一視され、それ以外の対象物(例えば他者の身体や、犬、猫、草木等)は
僕とは別の存在者であるとされる。

「僕の身体」をつねれば「痛い」という感覚が生じることから、「僕の身体」と僕は
繋がっているとされる。一方、猫の体をつねっても、猫が怒るだけで、僕自身は
痛くも痒くもない。だから、猫は僕ではないとされる。

だが、目の前で猫が車に轢かれれば、「可哀想」「気持ち悪い」という感覚が僕に
生じる。「僕の身体」と「猫の死骸」、どちらも僕には密接な影響を与える。
にもかかわらず、前者だけが僕と同一視され、後者は僕とは全く別の存在者であると
言われる。
どちらも僕の世界に現れた対象物であり、どちらも僕に密接に影響を
与えている。それなのになんで、別の存在者としてはっきりと分離されるのか?

(一つの回答は、「僕」と「猫」は別の存在者であるが、<僕>と「猫」は切り離せない
とする考え方。しかしそもそも、<僕>(超越論的主観)など存在するのか?)
309ポール:04/06/19 00:07
本来全く異なる存在者である「僕」と「猫」をつなぐものを客観主義的に
説明すれば、それはもちろん「脳」である。
310しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/19 00:41
>>297-303
「スキゾ的な言葉とパラノ的な言葉を恣意的に使い分けると
 閉鎖した議論か散漫な雑談か、という非生産的な事態になる」
という様なばかぁ〜さんの問いに対し、
パレさんがどういう答えなのか分かりにくいですね

「その非生産性は原理的に不可避である」と自分は端的に答えます
可能性の条件は不可能性の条件でもあるのです
署名の誤読を完全に排除したいなら、判子にしなければならない

しかし、暗闇の跳躍を抹消できないとしても
その事がすなわち、「なんでも哲学」になる訳でもない
ばかぁ〜さん自身の主張と重なりますけど

山下洋輔が肘でピアノを引くのと、猫が脚でピアノを弾くのは違う
あるいは達筆の人の書と、単なるミミズがのたうちまわった書は違う
他にも、ピカソと落書きとか色々例は挙げられるでしょう

そこで必要な概念は(東が否定するであろう)括弧入れとか、
ヒューモアとしての唯物論とか、超越論的否認とか、アスペクトとかですね
ただパフォーマティブな転移の効果も加わってやや複雑ですが…
311しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/19 00:42
もう一度最初の問いに戻りますと
そもそも「生産的」をどの様に定義するのか気になります
そこで哲学的議論の生産性には
以下のような条件が必要だと自分は考えます

1.指示が共有されている
2.意味は共有されていない
3.実践連関に接続されている

1が不成立の議論は不可能です(平行線上)
2が不成立の議論は無意味です(予定調和)
3が不成立の議論は非生産です(形而上学)

要するに、コミュニケーションを教える−学ぶ関係である
「アスペクト的言語(間)ゲーム」と自分は捉えたいのです
312しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/19 01:22
>>305
ポールさんの<私>は
人間も動物も(更には機械も)区別できないと思う
単に現象が範囲を持つという事で、
「この世界は<私>の世界だ」というなら確かに反論できない様に思えます

しかしですね…
<私>の世界は<私>だけである」という主張は<私>にしか経験できず
<あなた>、即ち他の<私>には全く証明力を持ちません
それは<私>の世界が独我論的に閉じていればいるほどです

「<私>の世界が完全に独我論的であるとき、
<私>はその独我論性を他者に全く証明できない」
「独我論的世界」から論理的に導かれてくるこの道は
まさしくパトナムの水槽脳と同じ状況ですね
313しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/19 01:22
「超越論的<間>主観としての<私>」でしたね
「超越論的<間>主観」も結局アスペクトなんですが(またかよ)
う〜ん…どう説明しても
「それは<私>ではなく、「私」に関する説明だ」と言われそうですが…

<私>の世界はつねに・すでに言語によって意味付け
されているので完結しえません
素朴に考えて、自分一人では分からなかったり、間違えたり、
自分の意図すら掴み損ねてしまう事がよくあります

その不完全性は知覚ではなくて
そこから剰余した認識のレベルにあります
(知覚のみでは間違いが起こらない)
その認識が<私>の領域になります

そして私的言語が不可能な以上
<私>と他者は対になっています
一人称(主)と三人称(客)だけではなくて
二人称的な領域がそこにはあるでしょう
314BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/19 02:31
パレルゴンさんが、無意識にもとてもヘーゲル弁証法的に書かれているので密かに感激して
おりますw。パレさんの「赤は赤を示す事は出来ないと言う事です」(但し「言語表現にお
いて」や「恣意的」の意味はちょっとわからないが)はまさにフィヒテ流の弁証法からヘー
ゲル弁証法への移行。デリダ、ドゥルーズまで行かなくともヘーゲルで外出。パレさんの
問題意識は僕も共有しますが、「でも犯人が違うだろ!」というところか。
「同一性は区別を必然的に前提し、むしろ区別(多様性)を産出する動的なものである。区別
を含んだ同一性が『具体的同一性』といわれるのに対し、悟性の考える、区別や変化を捨象
した同一性は、『抽象的同一性』『形式的同一性』と批判される。伝統的な形式論理学の
『一般的思考法則(思考の原理)』の筆頭に同一律が挙げられるが、これこそ悟性の同一律な
のである」ヘーゲル用語事典より
いわゆるポスト構造主義、フーコー、デリダ、ドゥルーズが上記のような「悟性の同一律」
を批判しているだけのものと取ったら、彼らの仕事を参照する意味はほとんどない。まさか
彼らがヘーゲルを知らないわけがないからです。
ちなみに名前を変えました。
315考える名無しさん:04/06/19 02:43
<他者>が私の世界に現れるのは<眼差し>によってであるが、このことは
必ずしも「眼で見る」意味ではない。夜道を歩いていて後ろから近づいてくる足音を聞けば
そこに<私を狙っているかも知れない他者>を感じ取るであろう。世界は不意に不吉な
相貌を帯びる。このとき私は「狙われるもの」である。
煙草を吸っているとき咳払いが聞こえれば他者にとっての対象として「非難される私」を
感じ取るであろう。<他者>はこのように「私を対象として意味付けるもの」として
私の世界のただ中に出現し、私の世界の意味付けを一変させる可能性をもつ。
他者の存在は証明されることではなく一種の明証である。
316ポール:04/06/19 02:45
>しろうとさん
>「<私>の世界が完全に独我論的であるとき、
><私>はその独我論性を他者に全く証明できない」 >>312

僕は、<私>の世界を他者に全く証明できなくて、なにがおかしいのか
わからないのです。むしろ、証明できては困ると考えています。
理由は、繰り返しますが、世界は独我的に与えられているという動かしがたい
事実があるからです。それを実践的な要請から、「構造という概念を導入すれば・・」
「客観世界という概念を導入すれば・・」と考えること自体が、ありのままの世界から
目を逸らせてしまう結果になってしまうと思います。
(その結果は、平板な客観主義、科学主義です)
317BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/19 02:45
>>314 のつづき
ちなみに>>314は『抽象的同一性』が偽で『具体的同一性』が真である、ということを言いたい
のではなく、いわゆるポスト構造主義が『抽象的同一性』を批判しているのか『具体的同一性』
を批判しているのか、をはっきりさせないと、ポスト構造主義がなぜあんなに読みにくいものを
書くのかがよくわからなくなるような気がする。『抽象的同一性』(悟性の同一律)批判ならば、
>>298のパレルゴンさんのレスのようにスカッと書けるわけですから。
318ポール:04/06/19 02:46
僕が、「僕は存在している」と考える理由は、与えられた(僕の)世界を経験できるからです。
目の前にキーボードがあり、それを僕の意志で打つことができ、その結果モニターに
現れる文章を推敲し、こうして他者と会話をし、それによって、僕が喜んだり、
感心したりする。
この(僕の)「世界」が存在するゆえに、「僕は存在する」と僕は信じます。
決して、デカルトのコギトのような、自立した「我」を発見したゆえでは
ありません。(僕の)「世界」の存在こそ、僕が存在するといえる根拠です。

  「我が世界が存在する。ゆえに我あり」

これが、僕が考える「我」の定義です。
これを元に考えれば、他者の「世界」は僕は経験できないゆえ、彼の存在も証明でき
ないのは自明です。
319ポール:04/06/19 02:47
>う〜ん…どう説明しても
>「それは<私>ではなく、「私」に関する説明だ」と言われそうですが…

そうですね(笑
というのが、僕に与えられる『私』とは、100%、対象化された「私」であるからですね。
そもそも、僕が「何か」について考えようとした途端に、その「何か」は対象化されます。
語られた全ては「私」「世界」についてです。そこから理念として、<私>や「客観世界」が
構築されるだけです。
320ポール:04/06/19 02:48
>そして私的言語が不可能な以上
><私>と他者は対になっています >>313

私的言語が不可能ならば、言語で意味付け(与えられて)いる私的世界も
存在し得ない、ということでしょうか?
パレルゴンさんの前レスとあわせて、もう少し考えてみます。
321ポール:04/06/19 02:57
><他者>はこのように「私を対象として意味付けるもの」として
>私の世界のただ中に出現し、私の世界の意味付けを一変させる可能性をもつ。
>他者の存在は証明されることではなく一種の明証である。 >>315

>めいしょう 0 【明証】
>(2)〔哲〕 ある判断がもつ直接的確実性。明晰判明な判断がもつ確実性。直証。
>「―的判断」

ふむふむ・・。
なんとなくわかる気がしますが、僕が思うよりずっと深い意味が込められているような・・。

他者が僕の脳内存在者であったとしても、その彼が、僕の世界に影響を与えていることは
事実ですね。
322BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/19 03:09
ポールさんへ 他スレの僕の書き込みのアレンジですが。

例えば人が「Aというこのもの」を直接的に認識するという場合、このAを認識する→
一般的なAを認識する→このAを認識するという過程を必ず取るということです。最初
と最後は同じ「Aを認識する」ですが、中身は違っています。例えば、今は昼である→
今は一般としての昼である→今は昼である」。ぶっ続けで昼間から深夜まで議論をして
いた人達から「君はさっき『今は昼である』と言ったじゃないか、今は夜だ、矛盾して
る!」などというバカげた論議が出ないことは自明です。つまり「今は昼である」とい
う、通常では直接的認識と言われているものが、実は上記の思考過程により媒介されて
いるということがわかります。

つまり雑に言ってしまうと、「今は昼である」が成立する(象徴秩序に参入する)ときに
はつねにすでに媒介が挟み込まれているということです。と、こんなんでいい?
323考える名無しさん:04/06/19 03:10
クソスレ
324BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/19 03:52
>>294
えーっと・・・ちょっと解りづらい規定がたくさん出てきたので「貨幣」についてもう
ちょっと突っ込んでくれるとうれしいです。
>>310
「その非生産性は原理的に不可避である」がしかし「なんでも哲学」になる訳でもない、
というのはその通りですね。フリージャズなどは特にそう。「フリーなジャズなどない
のだ!」というのがフリージャズだからw。
>>311
>要するに、コミュニケーションを教える−学ぶ関係である
>「アスペクト的言語(間)ゲーム」と自分は捉えたいのです
上段の哲学的議論の生産性のような条件から、ここに帰結するというのがよく解らない
のですが。
325考える名無しさん:04/06/19 05:11
不正がバレても、全然反省しないポールに萌え。
326ポール:04/06/19 20:45
>BAKA−Aさん
>つまり雑に言ってしまうと、「今は昼である」が成立する(象徴秩序に参入する)ときに
>はつねにすでに媒介が挟み込まれているということです。 >>322

僕には少し難しいですね。次のような例はどうですか?

  遠くに小さな動物が見える。近くによって見ると、その動物が犬であることがわかる。
  この認識過程を図式すると、

    1.「ある動物を知覚する」 → 2.「その動物を”犬として”判断する」 →3.「犬を認識する」

  通常何気なく「犬がいる」と言うとき、このように、その媒介として、
  「何かを”何かとして”みる」という媒介項が入ってくる。そしてこの「何かとして(見る)」
  という媒介項は、言語という構造によって世界が分節されていて初めて可能となる。
  それゆえ我々(の世界)は、アプリオリに構造(言語)に規定されている。
327ポール:04/06/19 21:11
>しろうとさん
>そこから剰余した認識のレベルにあります
>(知覚のみでは間違いが起こらない)
>その認識が<私>の領域になります
>そして私的言語が不可能な以上
><私>と他者は対になっています >>313

認識が<私>の領域ですか。
そして認識には、言語という基盤の上で始めて可能であり、
かつ、言語に私的言語は存在し得ない。
それゆえ、認識(<私>)は私的領域ではない、ということでしょうか。

<私>の解明における言語重視には少し疑問を感じます。
言語的思考能力がない人は、世界を「認識」することはできませんが、
「存在」はしているでしょうから。しろうとさんの認識重視と、僕の知覚重視の
違いでしょうか?

とまれ、原理的に私的であり得ない言語が(これも少し疑問)、
「世界は我々に共有されている」と考える根拠になることは理解できました。

日常において僕が共有世界を確信する理由は、他者との会話で交わされる
種々の指示が一致するからですし。他者と言語が存在しなければ、世界は
独我世界となってしまいますね。
328考える名無しさん:04/06/19 21:40
【ペンパック】

 1992年の2月頃、タイのアユタヤで朝からずっと町中に流れていたのがこのアルバムである。ペンパッ
クはモデル出身の歌手で、スレンダーなボディとふてくされたような独特の歌い方が特徴的だ。これがポップ
なサウンドとよくあっている。スキャンダル記事で芸能誌を賑わしたりしているが、なかなか不良姉さんのよ
うでかっこいいのである。バンコクのマーブンクロンセンターの1階には入れ墨屋があるが、店先に貼られた
写真の中に彼女の姿がある。片手に缶ビール(もちろんシンハだ)を持ち、手首にはブレスレット状の入れ墨
が決まっていた。しかし最近は鳴かず飛ばずのようで私としても残念である。ぜひ、ポップでかっこいいヒッ
ト曲をだしてもらいたいものだ。
329パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/19 22:27
こんばんわ。
いや、中傷・誹謗で疲れますね。どうしてあんな捏造ができるのか。
常識のない者がいるね。
ところで、今日は以下のばかぁ〜さんの問題指摘に対して少しコメント。

1)「フィヒテ流の弁証法からヘー
ゲル弁証法への移行。デリダ、ドゥルーズまで行かなくともヘーゲルで外出。」

強引にヘーゲル流の弁証法で「差異・同一」を説明する事はないと思うんですね。
ヘーゲルには古い概念である歴史・時間・発展と言う臭いがするんですよ。
だから、同じ様な、タームでも、背景に大きな違いがあると言う事です。
もっとも、ヘーゲルでも読めるのではなく、ヘーゲルじゃないといけない理由は
あるんですか?それは何でしょう?

2)「『抽象的同一性』が偽で『具体的同一性』が真である、ということを言いたい
のではなく、いわゆるポスト構造主義が『抽象的同一性』を批判しているのか『具体的同一性』
を批判しているのか、をはっきりさせないと、ポスト構造主義がなぜあんなに読みにくいものを
書くのかがよくわからなくなるような気がする。」

ここの説明でばかぁ〜さんが使用の「抽象的同一性」と「具体的同一性」とは
どう言う事を指しているのか、差異の具体的な説明を求む。
330考える名無しさん:04/06/19 22:28
パレ
セノサーガスレにおもしろい奴が書き込んでたぞ
331パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/19 23:11
しろうとさんのスキゾ的言語とパラノイア的言語と言う表現は面白いですね。
いい表現ですね。ところで、私の説明が分かり難い事は書いている段階でそう
思っていました。この事を全く異なる分野から説明してみます。

前世紀の芸術運動の中に、造形芸術運動というのがあるんですね。
多分、芸術論に明るいしろうとさんの方が得意分野なのではないでしょうか?
その代表はムーアあたりでしょうか。彼の作品は、石を使って、人間の身体
を抽象化したオブジェなんです。
332考える名無しさん:04/06/19 23:13
ボウリングフォーコロンバインが抽象化したオブジェだって( ´,_ゝ`)プッ
333パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/19 23:19
この作品では、製作する側は、実際の人体を具体的に見つめる作業を徹底
します。そして、作品を完成する。一方見る側は、この抽象化された人体
の作品を多様な視点で見つめる事が可能になる。つまり、作品=言語表現
は具体的・明確 であるにも係らず、鑑賞=言語理解は複数の逃走線が引かれる
と言う事です。確かに、上記説明には無理な点もあるような気がします。
つまり、造形芸術の場合には、既に抽象化の過程で、多様な解読が可能になる
可能性を開く為に、人間の原型(具体的な身体の形)が大きくぼやけていると
言う事がそれです。

334パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/19 23:24
しかし、それでも、芸術家による抽象は人間の形のより具体化の為の作業
ともいえるのです。つまり、この芸術による造形と、私の述べたより具体的に
書く事から、より多様に体験的に読むことは同時代のエピステーメー(知)
を共有していると言う事が言いたかったのです。
説明が十分かどうか疑問ですが・・・・(笑)
335BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/19 23:26
>>329 パレルゴンさんへ
>ヘーゲルには古い概念である歴史・時間・発展と言う臭いがするんですよ
いや、「臭い」とか「感じ」とかパブリックイメージで判断しては議論にならないのでは?
>「抽象的同一性」と「具体的同一性」とはどう言う事を指しているのか、差異の具体的な説明
>>314に書いてあります。また、少なくともデリダ、ドゥルーズなどはパレルゴンさんが>>298
で書いたような、単なる「抽象的同一性」の批判など当たり前すぎてやっていないはず。
336考える名無しさん:04/06/19 23:26
エピスてめえ!
337考える名無しさん:04/06/19 23:29
パレたんよ、おれのちんちんしゃぶってよ
338ポール:04/06/19 23:35
ヘンリー・ムーアは僕も好きですね。
立体造形をするとき、一時、ムーアのようなぼよよんとした
量塊になってしまい、我ながら閉口してしまった覚えがあります。
339BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/19 23:52
パレルゴンさんへ
ちなみにぴかぁ〜さんの居場所は、
「神話なき神話の時代」「ラカンと愉快な仲間たち」のスレ。コテハンは「フェノ」。
したらばも立ち上げたみたい。
340考える名無しさん:04/06/20 00:04
          /ポ\
         ( ´∀`) うんうん、僕がナンバー1だよ。
       (|    |)
        |   っ |
        U  ̄ U

341パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 00:04
>>329 パレルゴンさんへ
>ヘーゲルには古い概念である歴史・時間・発展と言う臭いがするんですよ
いや、「臭い」とか「感じ」とかパブリックイメージで判断しては議論にならないのでは?」

分かりやすく婉曲に表現する為に「臭い」と言ったのですよ。
それでは、はっきり言いますね。何故ヘーゲルで説明するのか。
ドゥルーズ、デリダではダメなのかを言わないと、ただ、「ヘーゲルでもいい。」
と言っていることに過ぎません。勿論私はヘーゲルが絶対にダメとは言っていないのです。
理由を言ってくれと言ったまで。そして、私の意見としては、ヘーゲルが
歴史的ー弁証法的ー絶対知を考えているので、現在の哲学のテーマである
「差異・反復」「同一性・多様性」の討議には向かないと言っているんですよ。


342考える名無しさん:04/06/20 00:05
パレってばかぁ〜のこと見下してるよな

ひどい態度だよ
343考える名無しさん:04/06/20 00:06
パレはたぶん、ポールだ。
344考える名無しさん:04/06/20 00:07


さよなら。ぴかぁ〜

345考える名無しさん:04/06/20 00:07
ぴかぁ〜は今回の連続スレたてでアク禁になった。
346考える名無しさん:04/06/20 00:09
ってか、
うわぁーローカルルールが導入されとるし。
板のポール私物化の第一歩。
347考える名無しさん:04/06/20 00:09
BAKA-Aがヘーゲルの話したいなら、自分で彼の概念を使って面白い話しないとダメだろう。
ヘーゲルの思想は教科書的に捉えるとつまんなすぎだからな。
348考える名無しさん:04/06/20 00:10
パレ言いたいことを名無しでつるっというなやめろ
汚いぞ
349フェノ:04/06/20 00:10
てかさ、ばかぁ〜の話ってつまらない。
>>347さんの言うとうりだと思うわ。
350しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 00:11
>>315
><他者>が私の世界に現れるのは<眼差し>によって〜
><他者>はこのように「私を対象として意味付けるもの」として
>私の世界のただ中に出現し、
>私の世界の意味付けを一変させる可能性をもつ
ラカンにおける主体の視線と他者の眼差しの対ですね
他者は主体の届かない所から見ていると

>>316 >>318 >>319
う〜ん、開き直られるとお手上げですね
でもそのタイプの独我論者の主張は
放置しても完全に無害ですね
別に世界が独我的だからといって
具体的な行動は何も変化しませんから
しかし哲学的な人なら放置できないでしょう
351しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 00:11
ただ >世界は独我的に与えられているという動かしがたい事実
>ありのままの世界から目を逸らせてしまう結果 というのはどうかな
「立ち現れる現象は私の身体が知覚できる範囲である」という事を
「世界は独我的に与えられる」と言うならそれもいいし
それを<私>の定義にするのもいいんですが
ありのままの世界を見れば、「私」の脆弱さは見逃せない

役所や銀行に行く度に「私」の証明をさせられます
特に第三者の代理として手続きするような場合が面倒ですね
そこでは徹頭徹尾書類の上で処理させられます
学校や職場でも(事務的な箇所は)同じ事情でしょう
では、その「私」については構造的に考えて
<私>については現象的に考えるという
分業の問題かというと少し違うんですね、というのも
<私>と「私」の断絶、二重化が問題になっていますから
352しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 00:11
>>320 >>327
>認識には、言語という基盤の上で始めて可能であり、
>かつ、言語に私的言語は存在し得ない。
>それゆえ、認識(<私>)は私的領域ではない
その通りです

><私>の解明における言語重視には少し疑問
自分としては犬や猫の「動物」には
<私>を認めたくない所なんですね
>言語的思考能力がない人
少し倫理的に引っ掛かる所がありますが
言語が使えないなら<私>は無いと思います
353しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 00:12
>しろうとさんの認識重視と、僕の知覚重視の違い
そうですね、認識、つまり意味の段階で
始めて<私>が出てきます
…混乱しますから【私】とでもしますか
ポールさんの<私>→知覚
しろうとの【私】→認識

そして認識という領域は重要です
自分には定番の比喩がありますが、
ここはやはりミステリ小説ですね
単なる知覚/事実の把握というレベル、
即ちアスペクト盲的にミステリを読むのは詰まらない
それは「誰が犯人かという読みが
ほんの少しも(無)意識に上らない人」です

あるいは貨幣に対しても
価値あるものとして「認識」しているでしょう
しかもその価値というのは使うまでは決定していない

言語によって可能になる、世界の相貌の変化、アスペクト、
そこにおいて私と他者が出現する訳です
354ナムーナ:04/06/20 00:12
しろうと→ポール→ぱかぁ〜→パレルゴン
の一方通行は今後も続いていくんだよな〜。
355フェノ:04/06/20 00:13
バレ通報しようかw

自作自演なんでしょw
356ナムーナ:04/06/20 00:13
でさ、四天王の主張って、全部矛盾してるわな。
357パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 00:14
>「抽象的同一性」と「具体的同一性」とはどう言う事を指しているのか、差異の具体的な説明
>>314に書いてあります。また、少なくともデリダ、ドゥルーズなどはパレルゴンさんが>>298
で書いたような、単なる「抽象的同一性」の批判など当たり前すぎてやっていないはず。


了解しました。勿論ばかぁ〜さんの言う「抽象的な同一性」の批判と言う事が問題
になる事はないでしょう。そこを改めて言われると、かえって混乱します。
勿論「差異・反復」は両義的です。但し、そこを、ヘーゲル的な弁証法で
自我内部の他我のように、自分の中の自分ではない部分が現れ、その統合が
なされると言う風に読むのはまずいのだと思います。
だから、差異とは平面的=共時的であり、ヘーゲルの通時的差異の運動ではない
と言いたかったのです。
358考える名無しさん:04/06/20 00:14
>パレルゴンさんが>>298で書いたような、

( ´,_ゝ`)プッ
359ナムーナ:04/06/20 00:15
ふへ、パレルゴンも終わりだわな。
自分の主張を持っていた、時代とは大違い。
360シーレ:04/06/20 00:16
パレルゴンサンってアニオタなんでしょ
361考える名無しさん:04/06/20 00:19
引き篭もりだと思う。
362ポール:04/06/20 00:19
ここは議論する場です。今、ここを荒らしている人、覚悟しておいてください。
363考える名無しさん:04/06/20 00:20
       /\___/ヽ
      /''''''   '''''':::::::\   頭テカテカ 濡れてピカピカ  
     | -=・=-∴-=・=- .::| +    それがどうした 僕ままみガロ
     |   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|    未来の世界の 哲学ロボット
.      |   `-=ニ=- ' .:::::::| +  どんなもんだい僕 ままみがろ 
      \  `ニニ´  .:::::/  奇妙奇天烈 摩訶不思議
       (l  ()   () .l    奇想天外 自己挿入
       l    ()   l)    悶エ迅速 男ハ不要
       l  ()     l
       l     ()  l)    ままみがろ(ウィンウィン)
       (l   ()    l    ままみがろ(ウィンウィン)
       l ()    () l    ツウ販デカッタ
       l    ()   l)    通ハンデ買ッタ
       〔liiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiil〕    ままみがろ
       〈:.....     .....:〉
364考える名無しさん:04/06/20 00:20






他人の知識の
後追いなんだろ?
365考える名無しさん:04/06/20 00:24
ポールには、ビガロ疑惑があるから、
そっちこそ、覚悟しときや。
366考える名無しさん:04/06/20 00:25
ぴかぁー うざい
367パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 00:27
確かに、混乱気味だね。
誰が誰とどの様に議論をしているか複雑で不明な所もあるね。
いや、誰が誰とどの様に話したいかが不鮮明になっている気がするね。
でも、ディスコミュニケーションは良い事だと思うよ。
私はこう思う。俺はこう思う。と言う姿勢は丁度造形作品を世に出す様なもの
です。つまり、言っている事はそのまま解されないが、作品=文章は具体性
を持って、真摯に書かれていると言う事でしょう。
368考える名無しさん:04/06/20 00:27
ポールはさ、真面目に議論しようとかいう気ないやろ?
規制議論のやり口を見ても、住民を馬鹿にしてるとしか思えんし。
369考える名無しさん:04/06/20 00:28
>>362
いまこの板を荒らしているのは
ここで連投していた勝利宣言=ビガロだと思われ。

勝利宣言がフマであろうがなかろうが
この輝かしい発狂の軌跡は不滅だわなw

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1065243471/77-154



この過去を晒すと必ず直後に
フマAAもしくは意味不明なごちゃ混ぜ文字列のレスがつきます。
370BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/20 00:28
>>341
違う違う。>>317を読んでください。パレルゴンさんが>>298で言ったようなものだと、
「ポスト構造主義の同一性批判は、単に『抽象的同一性批判』『悟性的同一性批判』」
としか読めないから言っているわけです。それならば、僕はまさに「ヘーゲルでもいい」
と言っているわけです。「差異・反復」「同一性・多様性」が現在の哲学のテーマである
かどうかは別としても、そのような「討議」自体が目的ならば、僕にはあまり言うことは
ないですね。
371夫馬:04/06/20 00:28
今夜の俺は誰にも止められない(プゲロンチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
今夜の俺は誰にも止められない(プゲロンチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
今夜の俺は誰にも止められない(プゲロンチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
今夜の俺は誰にも止められない(プゲロンチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
今夜の俺は誰にも止められない(プゲロンチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
今夜の俺は誰にも止められない(プゲロンチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
今夜の俺は誰にも止められない(プゲロンチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
今夜の俺は誰にも止められない(プゲロンチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
今夜の俺は誰にも止められない(プゲロンチョピピピップヒューゥッチョラワラゲララ
372考える名無しさん:04/06/20 00:28
パレルゴンも同上。
373パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 00:29
人の批判を止めて、自分の意見を書いたら。
ここは哲版です。荒らしは止めましょうね。
374考える名無しさん:04/06/20 00:30
具体性で何を言いたいのか?
375考える名無しさん:04/06/20 00:30
てか、やれやれ・・・。
今夜も四天王のドタマを冷却できなかった。
376ナムーナ:04/06/20 00:32
四天王が同一人物だとしたら、板は私物化されてるわな。
377考える名無しさん:04/06/20 00:32
改めて、ぴかぁー うざいんだよ
378考える名無しさん:04/06/20 00:33
ポールもうざいんやけどな。
379考える名無しさん:04/06/20 00:33
人の思想を書くのを止めて、自分の意見を書いたら。
ここは哲版です。コピーは止めましょうね。

380考える名無しさん:04/06/20 00:35
夫馬はもういい加減出て行って
381考える名無しさん:04/06/20 00:35
ばかぁ〜は、なぜ名前を変えたのか。
ここに四天王の自演を繋ぐ鍵があるような。
382バナナ:04/06/20 00:36
このスレは、ただ1人の脳内思考を役割分担して
演じているだけなのではないでしょうか?
383考える名無しさん:04/06/20 00:37
夫馬スレと一緒にすべきではないw
384BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/20 00:42
皆さん、荒らしは放置ですよ。

パレルゴンさんへ
なんか議論がすれ違っているような気もしますが、まあ僕の力不足もあるのでご容赦
ください。2chで議論をすると、結局「やっぱり読書だな」というところに落ち着
いてしまいますね。僕がポスト構造主義(特にドゥルーズ、デリダ)の本をもっと読ん
で、できうればパレルゴンさんにヘーゲルを読んでいただくのが最も話が早いという
気がします。それでどっちが論破されようとどうでもいいことですから。ただ、僕は
2chは別に雑誌の討議ではないのだから、議論のための議論だけはしたくないとい
うのがあるんです。
385パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 00:42
ばかぁ〜さんへ。
もっと具体的に、全体に亘る君の意見を求む。
短文の批判では論点が不明になるし、君の全体の考えから君の発言が
見えてこないのよ。だから1)何故ヘーゲルに傾注しているのか?
2)構造主義とポスト・構造主義とヘーゲルの位置付けは?
このへんを前段で述べないから、短い批判文になってしまうのよ。
いや、その様に取られてしまう。
386バナナ:04/06/20 00:43
パレルゴン←→ばかぁ〜
永久に議論してなさいな。
387パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 00:47
特に哲学的な論議では、言葉の使い方、その意味するところ
を丁寧に説明しないと全く分からない状況になりやすいと思うんだ。
例えば「差異・反復」と言う概念だけでドゥルーズは一冊本を書いているんですよ。
タームの羅列だけでは、分からないと言う事です。
より鮮明に、より分かりやすく書く事が哲学の基本だと思うのよ。
と言っても、はたして、私にそれが出来ているとは言えないかもしれない。
しかし、やろうとしているんだけどね。
388考える名無しさん:04/06/20 00:50
ぴかぁー ほんとうぜーよ 黙って見てろよ
389パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 00:53
それと、討議をする相手の気持ちになって、相手の使ったターム
の意味を探り・聞き出しながら討議を進めるとより誤解を避けられるよね。

最も、哲学ってのは、個人の独自性があって、同じ認識には
達しない、日常会話でも、そうであり、そこは、僕の哲学の狙いでもある。
だからと言って、自分の知っている所からの発言に終始したら、
交流の意味が全くなくなる。
390しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 00:53
>>324
貨幣を例にして>>310>>311を再び解説しましょう

>「その非生産性は原理的に不可避である」
>可能性の条件は不可能性の条件でもある
>署名の誤読を完全に排除したいなら、判子にしなければならない

これは貨幣でも同じなんですね、貨幣と交換可能な商品は無限に多様です
その人その場の状況(文脈)に応じて必要な物が買えて、これが消費の魅力ですが
それにより非常に下らないものを買わされる非生産性も原理的に不可避になります

柄谷は資本主義における利潤を可能にするのは複数体系の差異であると言います
複数の体系/文脈で同じ貨幣が流通するというのは署名の論理と同じですね
貨幣は言語(間)ゲームを可能にする媒体に他なりません

>>311の三原則は貨幣のやり取りに置き換えても読めると思います
貨幣の利潤と議論の生産を自分は同じように見ている訳です
そして「なんでも哲学」「なんでも商品」の状態を回避するのは
信用/幻想、あるいはアスペクトの問題系へと繋がる訳です
391しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 00:54
>>330
そのうち東浩紀みたいにサブカル批評がしたいですね
あとジジェクみたいな現代思想と大衆文化の接続
ゲーム好きがばれるのが嫌なら名無しで書きますから

>>331
>>302
>3)よって、その言語は体験的に触発として、経験する事で
>私の意味となる。その事で、暴力を最小限度にする。
↑これが一連の回答の結論部ですが
どういう事かまだはっきりと分からないんですね
392しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 00:54
芸術運動ですか
精神分析とシュールレアリスムとの間には深い関係がありました
フロイトとブルトンとかラカンとダリとか
更に言えばミステリ小説も同じ問題系でしょう
ラカンはポーの小説を解説しますから
「無意識」「超現実」「謎・暗号」という所に共通項を見出したのでしょう
特に「夢」は自分の好きなモチーフですね

そしてシュールレアリスムは現実を超える場所を想定しましたが
キュビスムになると日常的な現実そのものを解体してしまいます
インスタレーションなどに顕著ですが、現代美術においては
日常と芸術の境界を拡張・反転・変奏・無化・異化・等など…します

単にオブジェを置くだけだからといって「誰でもピカソ」ではなくて
それは脱領域的な芸術の在り方でしょう
デュシャンの泉が一番端的な例ですが
芸術は対象の属性ではなく我々の視線、アスペクトにあるでしょう
(尤も、更に芸術に詳しい人から、突っ込みを受けたりしましたが)
393考える名無しさん:04/06/20 00:58
果たしてそうかな?
394考える名無しさん:04/06/20 00:59
正気なのか?
395パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 01:01
哲学の終焉をうたったのが、ニーチェだとして、
その意味が何だったのか?それは、理性の排他性だったって事だろうけど。
確かに哲学には妥協性を薄れさせる傾向があるんだろうな。
だから、より分かりやすく書く必要があるんだと、自分に注意します。
と言う事で今日は 自己反省とともに 寝るね。
ばかぁ〜さん。ポールさん。しろうとさん。よろしく。
ぴかぁ〜くん、君のいる事は分かっている。とっとと復帰。
ほんじゃま・・・・グーグー
396THE グル:04/06/20 01:11
いいですか、
ここはなかなか興味深いスレですね。
是非、頑張って欲しいんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
「だから言葉は大事にしなければならないんだ。語る言葉の一行一句が、君という人間の
品格、君の価値なんだ。ネットでおしゃべりする時には、うんと気をつけてするがよい。
くだらない言葉をかきちらすほどに、君はくだらない人間になる。君の人生は価値のない
ものになる。それは、せっかく持っている宝石の数々を、それと知らずにドブに流している
ようなものなんだ。」

池田晶子著「14歳からの哲学 考えるための教科書」項目20 メディアと書物より引用

殺伐としたスレがあったら、これをAAしてください。
398THE デタラメ:04/06/20 01:13
つまり、ヘーゲルを反転したものがポスト構造主義なワケです。
399BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/20 01:23
>>390
>貨幣の利潤と議論の生産を自分は同じように見ている訳です
>そして「なんでも哲学」「なんでも商品」の状態を回避するのは
>信用/幻想、あるいはアスペクトの問題系へと繋がる訳です

ここはまだちょっとよくわからないのですが。それと、言語と貨幣のアナロジーの
追求は限度をわきまえてやらないと詭弁に陥る危険もあると思う。
と、また批判だけの短文を書いてしまったw。
400ポール:04/06/20 01:26
>しろうとさん
>でもそのタイプの独我論者の主張は
>放置しても完全に無害ですね
>別に世界が独我的だからといって
>具体的な行動は何も変化しませんから >>350

そうですね。全く無害です(笑
いくら他人が僕の脳内存在者だと僕が信じたとしても、その脳内存在者を
殴れば、殴り返されて痛い思いをするのを経験上知ってますから。
だから僕が独我論者であっても、エッフェル塔の上から飛び降りませんよ(笑

僕は、客観的語りも主観的語りも、しょせん、語りの前提が異なっている
だけだと考えてます。前者は客観世界の存在から僕の世界を説明し、
後者は僕の世界から客観世界や知を説明しようとします。
ただ、どちらの語りが根源的かといえば、後者ではないかと今のところ
考えている次第です。
401ポール:04/06/20 01:28
>というのも<私>と「私」の断絶、二重化が問題になっていますから >>351

同じ一つの私でありながら、なぜ「私」<私>の二つに分離するのかが
僕の欠点ですね。

>ポールさんの<私>→知覚
>しろうとの【私】→認識 >>353

なるほど。お互いの相違点がはっきりしてきました。
少し考えてみます。

>芸術は対象の属性ではなく我々の視線、アスペクトにあるでしょう >>392

なるほど。アスペクトは単に世界の相貌というだけでなく、ある認識の相貌と
いう意味も含まれているのですね。 ウィトのアヒルの絵のように。
それで、

>言語によって可能になる、世界の相貌の変化、アスペクト、
>そこにおいて私と他者が出現する訳です

がわかります。しろうとさんの、「認識としての私」は興味深いです。
402考える名無しさん:04/06/20 01:39
なんかな・・・

独我論の肝は、他者をどう理解するかではなく、
その裏にある他者の存在を証明できないって点だでよ。
証明できるなら、証明してみいよ。

これが出来るなら、哲学は凄い転換を迫られるはず。
否定神学と同じだで。
403考える名無しさん:04/06/20 01:53
普通の意味では、芸術は「製作」されたり「演じられたり」するものでしょう。
比喩的にはもっと拡がり得るでしょうが。
404ポール:04/06/20 02:24
>独我論の肝は、他者をどう理解するかではなく、
>その裏にある他者の存在を証明できないって点だでよ。 >>402

そうですね。

>証明できるなら、証明してみいよ。

できますよ。「私」と「他者」の定義を変えればいいのです(笑
独我論というアポリアが生じるのは、「私」と「他者」という語の意味が、
現在の言語体系においては完全に分離されているからです。
現在の言語体系では、「赤い青が存在する」と同様の「論理的理由」で
証明できないだけではないでしょうか。


以上は『青色本』で教わったことですが、これに対する反論って
ありますか?
405しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 02:33
>>399
ここは「文字」のアナロジーが大変分かりやすい、
東×斎藤の対談での論点ですが、ジジェクがその前に指摘しています
無限に多様な筆跡が一つの言葉として読まれる、という問題ですね
これこそ具体的同一性じゃないの、と言いたくなります(突っ込み可)

それで漢字をイメージするとはっきりするのですが
「へん」や「つくり」によって構造化されていますね
(白川静から手塚治虫に至るまでここに注目した人は多い)

文字が線のパターンの集合であるように
貨幣もパターンの集合です
それを工学的な視点で言えば規格の問題になるかもしれない

男性が魅了される(大型)商品は規格の集積です(女性はまた別)
家・車・PC いずれもパーツ・数値の組み合わせに「萌える」訳でしょう
パターンの順列組み合わせ、更には確率・統計に還元するという訳です
406しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 02:36
>>400
プラグマティックスな考えでは
実践に関係しないそういう領域を
オッカムの剃刀で切り落とす
「行動主義」も一つの回答でしょうね、しかし…

>>401
>同じ一つの私でありながら、なぜ「私」<私>の二つに分離するのか
その亀裂はラカンが問題にしたように精神病に至る程重大な問題ですね
そしてそれは主観的語りと客観的語りの断絶と同じ事です
だから鶏と卵で解決案が無いとしても、やはりどこか重要な問題なんだと思う

我々は単なる知覚だけの存在(アスペクト盲)の存在に止まれません
アスペクトがいかに根底的な感覚かは貨幣やミステリ小説を見れば分かります
もう少し例を追加すれば、オイディプスにとっては認識の変化は大変な事なんです
407しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 02:36
>なぜ「私」<私>の二つに分離するのか
今夜の最後の締めくくりになりますが
この二つの私の分離もやはり言語によります

「私」は例えば固有名として文字で書く事が可能で
それにより機械的なシステムに組み込む事も可能です
これは貨幣が価値を紙切れで体現するのと似ています

世界で一つだけの固有な存在である<私>も
無限に交換可能な物質的な存在へと媒介されてしまう
これも先の署名の論理、文字の論理と同じですね
408考える名無しさん:04/06/20 03:45
>>404
>現在の言語体系では、〜

あんた、面白いこと言うね|o|
409考える名無しさん:04/06/20 10:39
>>407
>「私」は例えば固有名として文字で書く事が可能で
「わたし」が固有名詞だって?
固有名詞とは、「信濃川」や「ヘンリー・ミラー」のような品詞だよ。

>世界で一つだけの固有な存在である<私>も
>無限に交換可能な物質的な存在へと媒介されてしまう
そもそも<私>の存在が物質的なものなしに成り立つのかね?
それから、<私>の存在が「私」と言語表現されることによって
「無限に交換可能」になるというのもよく分からんね。
貨幣にしたって無条件に「無限に交換可能」なわけじゃないだろうに。
410考える名無しさん:04/06/20 14:23
>>409
完全にずれてるよ。
411パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 16:21
「同一性は区別を必然的に前提し、むしろ区別(多様性)を産出する動的なものである。区別
を含んだ同一性が『具体的同一性』といわれるのに対し、悟性の考える、区別や変化を捨象
した同一性は、『抽象的同一性』『形式的同一性』と批判される。」

再度この点に付いて、明確にしておく必要がある気がします。
何か、ポスト・構造主義の哲学が、ヘーゲルに吸収されそうですからね。
最も(これは口癖)ヘーゲルが、弁証法をベースにしている限り、現在の
問題点を超える事はないのですけどね。
さて、私が、ばかぁ〜さんに対し、「抽象的同一性」と「具体的同一性」
の違いを質問しましたが、その時に、ばかぁ〜さんは、上記の通り答えてある
としましたよね。それで、この文章を検証してみたんですが、
上記文章がまさに自己ー非自己を内包する自己」−自己の高次的統合
を指しているのではないでしょうか。
412パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 16:29
そうであるならば、これは、私の説明する、「Aと言う記号がa」しか表さない
事(構造主義)から「Aが無限の意味を表せる」と言うポスト・構造主義的な視点と
は全く異なる物ですね。差異を内的運動にする、そして、全体化(組織化する)
と言うヘーゲル的弁証法では全くないのですよ。
つまり、ポスト・構造主義とは、閉鎖した差異構造(ヘーゲルは内外のない
構造の絶対地点までの発展を展望している。)であるものから
外部=カオスを持ち込むための無発展の差異を求めているのです。
413パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 16:38
ヘーゲルは差異の運動を絶対的な地点への運動と考えているのです。
つまり、形而上学そのものです。
「同一性は区別を必然的に前提にする」「むしろ区別を産出する動的
なもの」とは歴史的な弁証法の運動です。
そして「区別を含んだ同一性が具体的同一性」と言う時、それはAの中の
非Aが運動の要素となり、高次の統一の運動源となると考えているので
しょう。

「区別や変化を捨象した同一性は、『抽象的同一性』『形式的同一性』
と批判される。」
ここでは、非運動的な同一性を批判しているのです。
414パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 16:52
そこで、私の言った下記の文章が、ポスト・構造主義とどのように係るのか
を見ていきますと、

「概念とは、ある意味で識別的なものです。
>つまり、共通項を抽出することで、現象が見えやすくなると言う事でしょう。
>そうでないと、何も言えない。一回限りの感覚を表現すると言う詩的なものになる」

確かに、ポスト・構造主義は固定的な同一性に対し差異化の運動を求めます。
しかし、全くヘーゲルではない事はもうお分かりですね。
つまり、無意味な差異化なのです。この点を踏まえて説明しますと、
それでも、哲学の説明には、既存の言語記号=概念を用い、より分かりやすく
説明する義務があると私は考えています。
これは、あくまで「私」の考えです。デリダなんかは全くこの様に考えていない
かもしれません。つまり、サールとの討論では、言語自体を多様化しています。
つまり、A=a から A=非A=abcd・・・・・
こう言う運動を行っているからです。
415パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 17:03
より具体的に言いますと。
「犬」=ワンとほえる、四本足の動物と言う、言語・意味の繋がり
を剥奪し、実在の犬から「犬」と言う呼び名もその意味のつながりも否定する
と言う行為を意図的におこなっているのですね。

その点については、私は余り賛成していないと言う事です。
ですから、分かりやすく概念を識別的に書いて、提供する、
しかし、読む側に、たった一つの理解の仕方として提供は出来ない
と言ったのです。つまり、デリダでは錯乱しか起こりえないからです。
ポスト・構造主義の運動の究極を見せてもらうには良いサンプルです
が、実社会では無理なのです。そこで、私は、造形芸術を使って
説明したのです。作品は正確に作られるが、理解は多様性に開かれる
と言う事です。
416パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/20 17:11
ですから、貴方の言う、ヘーゲル的な批判とは全く違う次元の事
を述べていた事はもうお分かりだと思います。
ところで、この様に、哲学のタームをその類似性から、詳細な説明もなく
使う事がどれほどの混乱を招くか分かるでしょう。
つまり、哲学とは、言語の意味のゲームなのかもしれません。
だから、意味を正確に捕まえて、説明しないと、誤解と混乱
が増えると言う事でしょう。哲学とは概念の差異化であり、
差異化の前の概念を正確に言い表わす事が大事です。
特に他者との哲学論議には、その前段として、自分の使うターム
を正確に説明すると言う他者への責任があるのです。
最後はレヴィナス的にしめました。
417考える名無しさん:04/06/20 17:26
めちゃくちゃだな
418考える名無しさん:04/06/20 18:18
>差異化の前の概念を正確に言い表わす事が大事です。

概念自体が差異化を孕んでいんいるのであって、差異化前の正確
に言い表すことのできる概念なんてあるのか?
419考える名無しさん:04/06/20 18:35
差異化によって概念が作られるんじゃないの。
420考える名無しさん:04/06/20 18:56
1「犬」という言葉にも様々な意味の広がりがある。
2「犬」の意味も時代により変化する。
3「犬」で示される対象も常に変化のうちにある。
4「犬」は経験の蓄積により、像的・イメージ的に把握される。
5「犬」のイデアは直観にあたえられている。
6「犬」は猫、象、トラック、その他犬でないすべてのものとの区別を
   媒介として認識される。
7「犬」の意味は摂動的にぶれながらも中核では不変である。
8「犬」という言葉は別の何でもよかった。
9「犬」を厳密に定義することはできない。
10「犬」は抽象なので存在しない。
11「犬」の意味は用法、文脈に依存し、それだけでは決定できない。
12「犬」自体は不可知である。
13 概念としての「犬」が実在である。
14「犬」は「非犬」を含んでいる。
15「犬」=『犬』である
16「犬」は言語能力が無ければ識別できない。
17「犬」は知覚において「猫」や「カラス」と識別されている。
18「犬」は「犬という概念」が成立する以前には存在しなかった。
421考える名無しさん:04/06/20 19:08
10と13はどう両立するんでつか?
422420続き:04/06/20 20:35
19「犬」と発語した瞬間に、すでに「犬」の意味にズレが生じている。
20「犬」という言葉が「定着」した時から既に「無根拠性」「欺まん性」
     「無理矢理性」が含まれている。
21「犬」という言語の「分節」が「知覚」の分節の根拠で逆ではない。
22「犬」という「分節」は人間の生理的、知覚的な何らかの根拠を有する。
423考える名無しさん:04/06/20 20:45
ガムスレどうなったの?
424考える名無しさん:04/06/20 20:56
お空の星になった
425しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 21:03
>>409
無論固有名というのは「太郎」とか「花子」とかですよ
「しろうと◆AUSirOutoE」というのも
ある一人の人物を示している固有名です
2ちゃんには「山崎渉」の様な固有名の
共有が見られて興味深いですね、余談ですが

><私>の存在が物質的なものなしに成り立つのか
もちろん成り立たないのですが
問題は物質的な条件を必要としながらも
そこから剰余する<私>の存在の謎ですね
例えば固有名が確定記述に還元できないとか

>貨幣にしたって無条件に「無限に交換可能」なわけじゃない
確かに様々な条件が必要ですが、無限性は持っている
それは貨幣の規約・慣習・信用による成り立ちに関係します
文字がそれと等価な無限の筆跡を所有する事が可能なように
貨幣はそれと等価な無限の商品を所有する事が可能です
426しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 21:04
>>409
無論固有名というのは「太郎」とか「花子」とかですよ
「しろうと◆AUSirOutoE」というのも
ある一人の人物を示している固有名です
2ちゃんには「山崎渉」の様な固有名の
共有が見られて興味深いですね、余談ですが

><私>の存在が物質的なものなしに成り立つのか
もちろん成り立たないのですが
問題は物質的な条件を必要としながらも
そこから剰余する<私>の存在の謎ですね
例えば固有名が確定記述に還元できないとか

>貨幣にしたって無条件に「無限に交換可能」なわけじゃない
確かに様々な条件が必要ですが、無限性は持っている
それは貨幣の規約・慣習・信用による成り立ちに関係します
文字がそれと等価な無限の筆跡を所有する事が可能なように
貨幣はそれと等価な無限の商品を所有する事が可能です
427しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 21:05
>>411-416
よく馴染んだ自分の言葉で、過度に単純化しますと

1.A=A,A≠非A
2.A≒A

1がパースペクトで、2がアスペクトの体系の基準です
2においては矛盾が表面上に常に顕在化しています
1がシニフィアンの論理で2がエクリチュールの論理とも言えます
「抽象的同一性」と「具体的同一性」に相当するかはまだ保留
428しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/20 21:06
>>425>>426
二重カキコしてしまいました
>>420>>422
まとめ乙です、面白いですね
429考える名無しさん:04/06/20 23:17
>>426
>文字がそれと等価な無限の筆跡を所有する事が可能なように
>貨幣はそれと等価な無限の商品を所有する事が可能です

商品=筆跡?
先に指摘されてたけど、無闇に貨幣とのアナロジーを考えるのは不毛なんじゃない?
430BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/21 00:18
パレルゴンさんへ >>411->>416
ご返答どうもです。ただ、そんなに無理して反論しなくてもよいのではw。やはりまだ、
・>ヘーゲルが、弁証法をベースにしている限り、現在の問題点を超える事はないのですけどね。
この解説本的定義に帰着というか、ここから全てがスタートしていますね。この議題で議論を生
産的にするにするとしたら、パレルゴンさんが実際にヘーゲルを読んでみることだと思う。もち
ろん、僕にも同じことが言えるでしょう。ポスト構造主義のテクストをもっと読めと。その上で
デリダ「エクリチュールと差異」のバタイユ評である「留保なきヘーゲル主義」についてプチ読
書会をやるとか、ドゥルーズ「差異と反復」の中の弁証法についての記述について話すとかした
ほうがよいと思う。まったり行きましょう。
431THE グル:04/06/21 00:19
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< 今度は、何処のサイトを!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 今度は何処の板やスレを!
ていせつしよかな! >( ゚∀゚ )/  |   / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
432考える名無しさん:04/06/21 00:25
何でも良いがまず自分で示してみることだね。
433BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/21 00:38
ちなみにしろうと氏も絡めて、デリダ、ドゥルーズのプチ読書会、ピンポイント読書会
(デリダ「グラマトロジー」の・・・ページはどうだこうだとか)などをやるのも面白い
かも知れない。パレルゴンさんから、僕の考えの全体像が見えにくいという指摘があり
ましたが、僕は各人が総論や全体像を提示し合うのにあまり興味がないのです。それよ
りも上記のようなことがしたい。特にデリダの「留保なきヘーゲル主義」というテクスト
についてしろうとさんとパレルゴンさんの意見をお聞きしたいですね。まったりと、しか
も「議論のための議論」にならずに。
434考える名無しさん:04/06/21 01:52
BAKA-Aが一番賢いなw
435考える名無しさん:04/06/21 02:08
>>434
逆じゃないのかな?
436考える名無しさん:04/06/21 02:10
正直俺はパレさんダントツだと思う。
437しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/21 02:13
>>430>>433
>限定経済学から一般経済学へ〜留保なきヘーゲル主義〜

タイトルの限定経済学と一般経済学は科学言語と日常言語に対応するでしょう
前者は既知の体系に意味を回収しますが後者は非=意味に意味を関係付けます

バタイユはコジェーヴの講義を聴いていたのですが
ヘーゲル(弁証法)〜バタイユ(消尽)〜デリダ(脱構築)
という路線はポスト構造主義にとって重要なラインですね

ロマン主義の様な方向に行かずヘーゲルは独自の道で
絶対精神のようなものを新生(再生)させました

実体を否定する力によって目的への運動が可能になります
具体的に言えば分裂/媒介する存在こそ主体であり
主−奴の関係の中で労働(労苦)する過程が人間の主体化です
438しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/21 02:13
「否定的なもの」をバタイユは「死」として継承しました
尤もヘーゲルはイエスの復活の様な再生を想定しますが
ヘーゲルの留保をバタイユは解除します、投機→賭けですね

ヘーゲルの道を再び辿り、その賭けを理解し、
その詭計に詭計を巡らせ、その持ち札で勝負し、
彼の思うがままに戦略を展開させておいて、
実はそのテクストを横取りする、
そうしたバタイユ=デリダの読解方法が脱構築です

そしてそれは継承しながら批判する、更には加速するという事です
バタイユはヘーゲルが「自分がどれほどまでに正しいのか」
という無知(無意識)を指摘します、
彼には至高性、詩、法悦、笑いが欠けている

至高性は支配以上に支配的だが支配ではないとか
供犠を演じる事において生きたまま死ぬとか
内的体験は体験でも内的でもないとか
分裂を統合せず全面的に引き受ける事になります
439しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/21 02:14
こうしてバタイユは(ヘーゲル自身にとって)
目に見えぬほどの転位、躓きの石を発見します

「至高性」は弁証法から逃走できる訳ではないのですが
理性の経済にある非−意味のエレメント、場所を与えて
意味の横滑り、言説の限界を暴露し、
更にはコミュニカシオン(交感)を可能にします

しかし一方で至高性は結局のところ失敗するとか、
無際限に己を消耗し失い忘却する(能動的健忘)とか言います
回収・再生産が予定された投資ではないのだから当然ですが
440しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/21 02:14
自分の視点を付け加えれば消尽(ポトラッチ)というのも
囚人のジレンマなどを考えれば超・合理性があると思う
そして、自分は「生の否定性」というのを提起したい

自分が念頭に置いているのはやはりジジェクとか東浩紀ですが
死よりも生が全面的に覆う消費社会でもやはり否定性は消えない
ジジェクは現代人の分裂・信仰を暴露するけれど
それは東の言うシミュラークルでは無いと思う

「生の否定性」は「ヒューモアとしての唯物論」とか
「超越論的否認」とか「見ない振り」とかを通して
結局いつものアスペクト論になる訳です
441しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/21 02:14
しかし折角だから、「至高性」という語を生かして言えば
思考性から外れた志向性というものが必要だと思います

東は文学もスポーツ化しているとか言うけれども
スポーツもゲームも動物には出来ない
蓮実重彦的にはスポーツは「運動」そのものだと思う

環境と神経的主体の応答「だろうとも」
ゲームのルールが環境・身体・道具に
言語性・否定性を帯びさせると思う

東がスポーツ化とか外在化とか信号化とか
データベース化とかユビキタス化とか
ひっくるめて象徴界の機能不全とか言うのも
逆に言語が環境へ拡散・浸透しているという事を示しています

問題は「動物化」ではなくてむしろ
言語的・人間的領域が遍在する事による
過剰な「人間化」だと思う
それが「生の否定性」でもある訳です
442しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/21 02:26
>>440>>441
最後の方で突然飛躍していますが
ヘーゲル「理性の否定性」→バタイユ「死の否定性」→(デリダ)「生の否定性」
という様な路線ですね、それでヘーゲルとバタイユの間にコジェーヴが入りますが
そこで「死の否定」と「生の肯定」が対にされて動物論になり、東が継承します
しかしデリダとかドゥルーズが「動物」とか「機械」とか言うときには
単なるそれではなくて…やはり言語性とか否定性が残っている気がする
それからジジェクも「生の否定性」について早くから考えている気がします
それじゃ、今日はこの位で
443考える名無しさん:04/06/21 04:03
なんだろう? この違和感は、、、
取敢えず過去ログ読んでみるか
444考える名無しさん:04/06/21 05:10
外野が騒いでもしょうがないしょ
445考える名無しさん:04/06/21 09:26
>実体を否定する力によって目的への運動が可能になります

否定性を運動の原理とすることについて、みんなはどう考えてる?
ドゥルーズ流の「実体は常に、無限に差異化している」という考え
かたのほうが、存在の実相を的確に捉えていると思うのだが…

この部分が哲学上の端緒的な問題設定として決定的に重要だと思う。
446BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/21 23:48
>>437-442
うおっ、さすがしろうと氏、早いですね。ヘーゲルのやり方をヘーゲル自身以上に忠実に
(ヘーゲルよりもヘーゲルのテクストをリテラルに)取り、いわば、「予定された投資」を
拒否し「弁証法」というカジノのハウスルールを破壊してしまうほどの「賭け」をしてし
まう。それがバタイユだということですね。そしてそれはキルケゴールやニーチェによる
ヘーゲル批判よりも徹底的だと思います。
「キルケゴールはヘーゲルを批判したが、次の点でその批判は皮相的なものでしかなかった。
すなわち第一に彼はヘーゲルを完全には理解していない。そして第二に、彼は肯定的啓示の
世界に対立させたのみで、人間の非-知の世界に対立させはしなかった。ニーチェはヘーゲル
について通俗解説以上のことはほとんど知ることがなかった。ニーチェの『道徳の系譜学』は、
ヘーゲルの主人と奴隷の弁証法が、どんな無知のなかに投げ込まれているかを示すべき証拠品
だろう。ヘーゲルのこの弁証法の洞察力は恐るべきものだったのだ」
447BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/21 23:50
・続けてしろうと氏へ
僕もちょっと先走りするとw、しろうとさんがそこからヘーゲル「理性の否定性」→
バタイユ「死の否定性」→(デリダ)「生の否定性」(実は僕はこのへんがまだよく理解
できないのですが)に行く方向ではなく、「留保なきヘーゲル主義」の極北はやはりマル
クスだと思う。マルクスはバタイユのような「文学、表現」への過剰な関心がない分、よ
り徹底的であると思います。弁証法的唯物論。
448BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/22 00:37
OFWの威(意)を借るばかぁ〜 その1

「25 名前: 6 投稿日: 2000/08/26(土) 20:11
さてしかし、このスレのテーマであるヘーゲルの評価について言えば、アドルノ
あるいはデリダが称揚する不協和あるいは差異性(差延性)といったそれ自体
あまり役に立たない直接的な表象をもって反発するだけでは、余りにも安易と言える。
それらは、現実の歴史を規定してきたものがヘーゲルのもたらしたパラダイムだと
言わんばかりである。20世紀の思想的閉塞状況あるいはファシズムの原因が
ヘーゲルの絶対的観念論(あるいはそれに代表される何物か)にあると錯覚する程、
ばかげた事はない。そんな考えは小ブル的な知性の脆弱さを示すだけであり、彼ら
の属する中産階級固有の肯定かつ否定の両義性をごまかしているだけである。
「全体主義には反対、しかし共産主義にも反対。」これが、決して団結しない
不協和あるいは決して階級として統一されない差異性を後生大事にしたい否定的
かつ肯定的な弁証法(むしろ反弁証法)の正体である。
ヘーゲルならば、そのような退廃的・逃避的な小精神を大いに哄笑するであろう」

6というのはOFWさんです。僕はこの一見極端に見える意見表明に賛成。思想が
「現実の歴史を規定」するという「錯覚」もしくは「勝手に作り上げた仮想敵」に
対し、単に「直接的な表象をもって反発」(実はプチブル的個人の各々の「主観」の
弁護)しつつ、その裏では「そのうち一発当ててあとは悠々自適な趣味生活」という
貧相な野望を隠し持つセコイ知性はそろそろ捨ててしまおうではないか。
449考える名無しさん:04/06/22 00:49
>>448
ヘーゲルの言う「知」とは、(広い意味での)労働という「活動」をも含めたものだったはず。
単に「頭の中の表象」にとどまらない全体性と発展性を備えたものでしょ。
450考える名無しさん:04/06/22 00:56
ばかぁ〜高卒のわりには頭がいいな
451BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/22 00:56
OFWの威(意)を借るばかぁ〜 その2

「119 名前: 6 投稿日: 2000/09/09(土) 20:49
(対話は更に続く)
>117
 私は116でまさにヘーゲルの森羅万象を弁証法論理で思考しようと
 ことを否定したつもりですが。それは「絶対的観念論」と呼ばれまし
 た。何故なら、「現実的要素」をすべて思考可能としたからです。彼
 が「現実的なものは理性的である」と言った時(これはこれで含蓄あ
 ある洞察を含んでいるが)、轟々たる批判が巻き起こったそうです。
 マルクス(「武器の(による)批判は批判の(という)武器にとって
 代わる事はできない。」)およびキルケゴール(「ヘーゲルの弁証法
 は現実を止揚(観念化)してしまうが、現実自体は止揚されずに残る。
 」)但し、マルクスはその中にある真に弁証法的な核は保存しました。
 「現実は観念ではない。しかし、観念が現実を捉える時、それは物質
 的な力になる。」弁証法の力とはその現実批判およびイデオロギー批
 判によって、「結局だめさ。」という諦め(これも宗教的イデオロギ
 ーにつながる)から人間の実践的・主体的な力を取り戻すことにある
 のです。それは共同的な行為であり、ニーチェ流の超人のなせる業で
 はないでしょう。そして「人間は自然の一部である」とは唯物論の基
 本であり、そこには自然に対する畏敬と信頼が基本にあるのです」

僕もOFW氏が言っている「ニーチェ流の超人のなせる業」が芸術的、文学的に
「表象」されることをもって事足れり、としている向きのある現代の思潮には反対。
そんなことをして一体何が面白いのだろうか?
452BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/22 01:05
ごめん、書き忘れました。>>446のカッコ内の引用は、
バタイユ「内的体験」第三部 刑苦への追伸  V ヘーゲル の注より抜粋
(平凡社ライブラリー版 253ページ)です。失礼しました。
453BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/22 01:16
>>449
レーニンも、実際に「大論理学」を読み返して、ヘーゲルが「観念論の究極」という通俗的
なパブリックイメージといかに違うかということに驚いていますね。「哲学ノート」など。
454考える名無しさん:04/06/22 01:21
ヘーゲル弁証法で疑問なのは「概念」に実在性と本質と生命を兼ね備えた性格を
与えたことだ。

たとえば、
 対象は思惟のうちにあるとき、初めて、それ自体としてある。
 つまり存在と本質の統一としての「概念」として「ある」。
 対象が直観や表象のうちにあるとき、いまだ現象である。

このような仕方で実在性も生命性も「知」に回収されてしまう。
しかし、哲学が「絶対の真理」や「全体知」を、その「理念」として掲げる
ならば、このコースにハマるとも言えるのかも知れない。
455THE グル:04/06/22 01:29
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)<  定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
456BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/22 01:36
>>454
あまりヘーゲル読解のみに深入りするとスレのテーマ、というか流れから外れるので
端的に言うと、>>454さんの言われる「知」が「硬直的な悟性」(カント以前)もしく
は「悟性と理性の混同」(カント)の地平での「知」ならその批判は正当。しかし、ヘー
ゲルのいう「知」とは具体的、動的で、「実在性や生命性を回収」するとき、「知」
そのものも変化しているのではないでしょうか(たぶんそう思う、でも自信ない、突っ
込みをお待ちしてますw)。
457考える名無しさん:04/06/22 08:37
>ヘーゲルのいう「知」とは具体的

これを認めちゃうとヘーゲルはまさに天下無敵の哲学体系にということ
になってしまうんだよな。そもそも、自己否定を含む総合なんてことが
現実世界にあるか?ってことだよ。否定性原理を存在論に持ちこんだら
やはり観念論にしかならんだろ。
458Lee:04/06/22 19:08
私は韓国にある在韓係日本人の物ですが今から議論に入って行くようにしてくれるように願えば感じています.肺とか言えば(定木)日製の屈辱を思い出すようにしてもいいですだけ私はそんな(日)のを言うほど田舍臭くないのなんです.くれぐれもお願い致します.

「同一性は区別を不可欠で前提して,かえって区別(多様性)を算出する動的なことだ.区別
(を)を含んだ同一性が「具体的同一性」と称えられるのに対して,悟性が思う,区別や変化を抽象
一同一性は, 「抽象的同一性」「形式的同一性」と批判される.」

再度この点に付いて,明確にさせておく必要がある気がします.
何なのか,ポスト・構造注意の哲学が, Hegelに吸収されるみたいだからですね.
仮装(これは口癖) Hegelが,弁証法をベースにしているたいてい,現在の
問題点を超える(の)イルウンイッゴゴッイジマンですね.
ところが,私が,認知さんに対して, 「抽象的同一性」と「具体的同一性」
の差を質問したんですが,その時に,認知さんは,上記のパスして答えている
(わ)としましたよね.そのため,この文章を検証して見たんですが,
上気文章が確かに自分の-ビザ期を内包する自分の」−自分の高次的統合
(を)を示していることはないでしょうか.
459しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/22 21:15
>>447
過剰な関心は「生の否定性」の一つの側面ですね
脱構築的唯物論。

>>448 >>451
マルクスを読んでプチブル的感覚を打破せよという事ですか

>>458
最初の三行がよく分からないです
その後の文章は
>>411を外国語と日本語に
二回自動翻訳したような文ですね

>>1
↑こうして番号を指定すれば
誰へのレスか分かるから、文意が明瞭になります
460マジレス:04/06/22 21:43
この
IQ
パズル解かなければ駄目ですか
461THE グル:04/06/24 00:40
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)<  定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
462BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/06/29 23:19
久々に来たらスレが全然伸びてない。ちなみに僕は今コジェーブの「ヘーゲル読解入門」を買って
読書中。これはかなりユニークな読解本のようですね。まだ全然はじめのほうしか読んでませんが、
解り易いけど、かなり我田引水的な読み方のような感じも受けます。読み終えたら感想を書きます
ね。パレルゴンさんもしろうとさんもポールさんも名無しさんもまたいろいろと書いてください。
お待ちしています。
おっと、とりあえずあげとこうw。
463考える名無しさん:04/06/29 23:32
あなたは何をしたいのでしよか
464考える名無しさん:04/06/29 23:33
ぴかぁうざい
465パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 22:43
久々に訪問したら、静かだね。
俺も、読書三昧だったよ。アガンベン「中身のない人間」熟読。
ジジェク「イラク」中途で投げた。翻訳が悪いのと、読みにくい事と、
やはり、ヘーゲル・マルクス的なラカンは俺には合わない。
政治に突っ込むことは構造主義批判なんだけど、余りにも
哲学が俗っぽ過ぎて、空しい。とにかく、ヘーゲル復活は
理解できない気がする。このへんの所がをすっきりしない。
まあ、当面ジジェクは避けたい。確かに、「判断力批判」趣味判断
美学=芸術 あたりから 構造主義を(ポスト・構造主義)を
乗り越えようとしているのは分かるが、俺には今一歩納得できない。
466パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 22:58
最近は書き込みから、触発される事が少ないので、当面は自分の読書
に専念したい気もするけど。やはり、何故ラカン派のジジェク
はヘーゲルなのか?分からんよ?アガンベンにつては、一冊読んだ
だけなので詳細なコメント避けるが、彼のスタイルはデリダの逆だな。
分裂から分裂以前に戻す事で、差異を超越する。その事で西洋の
二項対立を反古にする戦略かもしれない。差異は同定と言う
強制を避けるが、何時までも「私」の不在に陥る。
アガンベンはその事を意識し、差異を差異以前の同体に
逆戻りさせることで、「私」を取り戻そうとしているのでは
ないだろうか。

いずれにしても、間違いなく彼の時代は来るだろうな。
切り口が斬新。つまり、超越論的経験論の視座が見られる。
467考える名無しさん:04/07/02 23:00
パレルゴン=馬鹿
468考える名無しさん:04/07/02 23:07
>>466
>最近は書き込みから、触発される事が少ないので、当面は自分の読書
>に専念したい気もするけど。
しらねえよ。だまって読んでだまって書け。
469パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 23:08
マルクス・柄谷は止めたい(笑)
勿論個人の自由ですよ。勿論。それと、精神分析学=経済学的視点
これもいやだな。そこまで精神分析を敷衍しても、
経済学はやはり、経済の発展の為の有効な政策の発見ですよ。
ミクロ経済学だと言っても、精神分析論でやるのはまずい。
このへんは柄谷さんの影響なぁ〜。
470パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 23:17
経済と個人の精神状態とは関連はある。最も、全ての人間の活動・考え
は夫々間違いなく影響を与え合ってると言う事は事実だろう。
確かに、各々の学問の領域を相互侵犯する事は必要な事もあるだろう。
しかし、それだからと言って、経済学がラカンに吸収される事はない。
精神分析の醍醐味は、この「私」がいかに創られているかの分析であり、
経済学の貨幣の分析ツールではない。

471BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/02 23:22
残念ですね。パレルゴンさんはヘーゲル-マルクス自体を読んで怒涛のような批判をしてくれるのかと
思ってたけどw。まあいいか。ヘーゲル的(「精神現象学」的)でないラカン?などが本当に存在する
のかどうかは知りませんが、まあ、パレルゴンさんのレスは今後もロムっておきます。
472パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 23:26
そして、精神分析学が哲学界に君臨する時代も遠からず終焉するだろう。
次に来るものはなんだろうか?
全ては、古典に遡り、救済・救済と言う事になりそうだ。
いずれにしても、しっかりと読む事であり、詳細に書く事であり、
自分の哲学を確立すること。
他者への批判は極力避けること。
百人が百人の哲学を持つ事を「然り」と言う事。
「ネヴァー・モア」と繰り返す事。
一個人が全ての哲学を網羅する事が不可能になった事を悟る事。
473Lee:04/07/02 23:28
パレ死ね!!
ぴかぁ〜と同やで!!
474BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/02 23:30
>経済と個人の精神状態とは関連はある。最も、全ての人間の活動・考え
>は夫々間違いなく影響を与え合ってると言う事は事実だろう。
・これはこのスレの議論とは関係なし。全然的外れ。

>精神分析の醍醐味は、この「私」がいかに創られているかの分析
・精神分析というのは医学ですよ。臨床医学。

>(精神分析は)経済学の貨幣の分析ツール
・誰もそんなことは言っていませんが。しろうとさんも僕も。
475考える名無しさん:04/07/02 23:32
・精神分析というのは医学ですよ。臨床医学。

(゚Д゚)ハァ?
476THE グル:04/07/02 23:42
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)<  定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
477パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 23:43
有難う。ヘーゲルの否定性(主人と召使)によって、人(召使のみ)は成長する
否定によって一段階上昇すると言う考えを、ニーチェで超えたのが
ポスト・構造主義なのであり、ヘーゲルの通時性を共時性に変えたのも
同主義なのであり、この辺を一気に反古にする事は私にとってかなり難
しいのですよ。

そこで、何故今ヘーゲルなのか?なぜ今カントの「判断力批判」なのか?
この辺が分からないのです。その背景には、主体の全面肯定があります。
いつの間にか、反主体は主体へと摩り替わっている。
この背景は?何故、私は世界を語れるのか。語る「地」はいかに
証明されたのか?分からない?「地」は解明されたと言った時に
それは、「地」から「図」にすりかわったのではなかったか?
分からない。いや、分からない事を全面的に受け入れた時に
新たな主体=現前が現われたのか?
いや、哲学は楽しい・・・いや、哲学はむなしい・・・
全ては、自己言及にしか行き着かないのか・・・・・・
脱構築は構築を前提にしている。構築を構築できない・・・
478パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 23:45
ラカンは精神分析学ではありませんか?
479考える名無しさん:04/07/02 23:49
>>475
精神分析が医学? 「科学的社会主義は科学だ」みたいな香具師だな。
480パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 23:50
ばかぁ〜さん。では質問です。ジジェクは何を言っているのでしょう?
貴方の好きなヘーゲルは何故今注目されているのですか?
貴方は、貴方の傾注する哲学者の主張を一回もまともに答えていませんね。
それで、ジジェク・ヘーゲルと叫んでいるだけですよ。
それだけ仰るならば、説明して欲しい。
マルクス主義とは?剰余価値学説とは、一般的等価形態とは?
マルクス主義にとって貨幣とは?矛盾でしょう。
481考える名無しさん:04/07/02 23:50
医学じゃないと思ったことなかったです。
じゃあなんなんですか?
482パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 23:54
フロイトも精神分析学ですよ。確かに臨床医学という範疇でもあるでしょうが、
今ここで討議しているのは哲学であり、前世紀に哲学に持ち込まれた
フロイトの学問は臨床医学ではなく、精神分析学的面ですよ。
哲学は、フロイトの臨床医学とは呼びませんよ。
483考える名無しさん:04/07/02 23:54
>>481
医学の皮をかぶった宗教じゃないでしょうか。
484パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/02 23:58
ばかぁ〜さん。丁寧にゆっくりとやりましょう。
難解なタームを使おうとし過ぎるのです。
だから、強引に持っていく所がある気がします。
485BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/03 00:01
>>477
僕と真逆で面白いですね。僕はニーチェが本当にそこまで凄いとは思えないわけです。
確かにニーチェを読むと興奮するし、主観的にはパレルゴンさんの感じ方に僕も非常に
近いです。ただ、ニーチェやポスト構造主義がまともにカント、ヘーゲル体系を超克し
たとは思えないわけです。カントやヘーゲルの教条化した受け止められ方(僕はパレル
ゴンさんの近代哲学理解がまさにそれじゃないかと疑っているわけですが)は確かにニー
チェによって破砕されたと思う。それはいい。だけど、それだとカント、ヘーゲル、マル
クスなどに対して非常にアンビバレンツで逡巡した書き方をするデリダなどの文章の意味
がわからなくなる。「近代哲学は終わった」と書けばよいようなものを、なぜそう書かな
いのか。
486考える名無しさん:04/07/03 00:01
私は479と483の発言者だが、そのばかぁ〜という香具師とは
何の関係もないよ。誤解があるといけないから、一応言っておく。
487パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/07/03 00:11
だから、ばかぁ〜さんの発言は抽象的すぎて良く分からないのですよ。
ニーチェが凄いというのは、どの点を指しているのか不明であり、
どの点で、カント・ヘーゲル体系を超克していないのか、何も述べていません。
その後のデリダのアンビバレントな書き方とは何か不明です。
ゆっくりと詳細に書いてくださいよ。でないと、コメント出来ないのです。
488BAKA-A ◆vPfc5O9SRw :04/07/03 00:37
>>487
了解。
まず第一点目は、
ニーチェが凄いというのは単に「近代哲学が超克されたかのように感じさせる文章力」が凄い。
いわば文学的、芸術的に凄い。逆に言えばその面でのみ僕はニーチェを認める。
二点目は、逆に聞きたいが、
ニーチェのどの著書のどの部分でカント・ヘーゲル体系自体が超克されたのか?
僕は「カント・ヘーゲル体系は超克された」という証拠というか、根拠がニーチェにもポスト
構造主義にもパレルゴンさんの書き込みにも見出せない、と感じているわけです。
それと、「貴方は、貴方の傾注する哲学者の主張を一回もまともに答えていませんね」という
ことでしたが、それはヘーゲルを直に読んでください。
489考える名無しさん:04/07/03 00:43
ヘーゲル読みましたが正直何の役にもたちませんでした。うんこ。
490考える名無しさん:04/07/03 00:47
読んで分かったの? それとも、読んだけど分からなかったの?
491THE グル:04/07/03 00:52
                \ │ /
                 / ̄\  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
                 \_/  \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)<  定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
492考える名無しさん:04/07/03 00:55
要するにニーチェとヘーゲルはすばらしいから嫁、ということなのね。
493考える名無しさん:04/07/27 18:53
こういうのはもっとあげなきゃ
494考える名無しさん:04/07/27 18:54
はああああいいいいい!!!ぴよんぴよん!!!

    |       |       |
    |      |     |
    | ガンッ!! |      | 
    |     ,l     ヽ
    |     /      /
    | 从/ /      |
    | _.,/ ,   /   lノ
    |_ //__' ,   i
  / (_(_`/- ,_, ノ
/     ゝ(  丿

これまたこれまた!!あいいいいいいいんん!!!
ぼぼぼぼぼぼぼぼぼずずずずずぞぞぞぞぞぞぞおぬるぽ!!!あい〜〜〜〜〜ん!!!!はいいいいいいいいいいい!!!

ざっざっざっざっざ!!!…!!これまた!!!はいいいいいいあべいしししし!!!!ぶぶぶっぶうぶえべべべべらららr!!!


//////////_---―――――---_\  /////////////////
// // ///:: <   _,ノ , 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  /////// //// ///
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  // ////// // /
// //,|:::     ⌒ /    ヽ⌒      ;|   ///// // ////
/ // |:::         |~ ̄ ̄~.|        ;;;|   //// ////// ////  
/// :|::        | |||! i: |||! !| |       ;;;|   ////////// ///  
////|::::       | |||| !! !!||| :| |      ;;;;;;|  /// ///// ///// ←パレルゴン
////|:::::      | |!!||l ll|| !! !!| |     ;;;;;;|  /// // // // /////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|     ;;;;;;//////// ///// /// //
495考える名無しさん:04/07/27 22:18
あんがとう。
496考える名無しさん:04/07/27 22:28
パレルゴン復活近し・・・・・
いま、本を読んでるのじゃないんかのう〜?
アガンベンを?
497考える名無しさん:04/08/07 00:06
こちらに変更。
でも、盛り上がらないなぁ〜。
498考える名無しさん:04/08/07 00:09
構造主義の歴史上は後少し、アガンベン「開かれ」、クリプキを読む予定。
あと、スピヴァクの新刊、ドゥルーズの思考集2冊出たし、
それから、ルイ=アルチュセール「資本論を読む」この辺を探る予定。
499考える名無しさん:04/08/07 00:17
>>497
じゃ、続けてやるよ。
D・F・Dはプラトニズム批判の問題系をプラトニズムと同じ
言語の枠組みの内部でやったのさ。彼らが「外部」を問題に
する場合でも、彼らの構想自体は形而上学の言語圏内に
あった。それを根底から覆したのが記号論理学と言語分析なんだよ。
500499:04/08/07 00:22
すいません、パレルゴンスレに移行しましたです。
501考える名無しさん:04/08/08 14:16
昨日はサッカーTV観戦、読書でレスなしだった。
今日はどうかな?
分からん。
今後はこちらのスレッドに書きましょう。
ポールスレを荒らしては悪いからね。
502考える名無しさん:04/08/08 14:22
ポールさんとは、どうも専門分野が違う。
彼は、現象学・ハイデガー・シェリング・カント・言語哲学
私は、ポスト・構造主義をトレースしつつ、その関連本を読破する
スタイル。一つだけ共通の所があるとすれば、ハイデガー。
それも、多分読み方が違う。彼は、認識論的に、世界の開かれ方
を見ている。私は存在の空に開かれた欠如として、人間存在を見る
様にハイデガーを読む。これだけ、異なっているんでしょうね。
とはいっても、同じ哲学を学ぶ者として、意見の交換は価値ある
と思う。私は多読であるのね。
503考える名無しさん:04/08/08 18:05
パレルゴンレスは全てポールスレに転送されるのか?
不思議だ?
504考える名無しさん:04/08/08 18:07
パレルゴンはポールを攻めているのではなく、
お互いに強い分野を教えあいたいのでは?
気楽な会話なのだ。
505考える名無しさん:04/08/08 22:35
13 :パレルゴン ◆DRyRniyr9k :04/06/05 00:21
東浩紀の対談を二冊程読んでいた。次は何にしようか。
古典も良いけど、とにかく、書く力をつけて、将来は書き手に
なりたい。とにかく、読書だね。
皆もがんばろう。一段落したらこちらのスレッドにも書こう。
適当なテーマで・・・・・
ほんじゃま。
グーグー

ふふふっ・・・、その程度で書き手になりたいだと?夢見てんじゃないよ、ガキがw
こんなとこに来ないで、一度、徹底的に現実にぶちのめされてみろ。がんばれ!!!
506考える名無しさん:04/08/08 23:14
>>505
こういう書き込みをみると現実を何か特別なものだと思っている人が
やっぱり2ちゃんねるには多いんだなあ、て思う。
507考える名無しさん:04/08/09 02:13


日 ▽ U [] V
≡≡≡≡≡≡≡ 
 V ∩ [] ○-○
__ ∧ ∧ ______
  ( ・∀・)  
― /   つ―――――――  
〜(__.ノ          
 ━┳━   ━┳━     
 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄┻ ̄ ̄ ̄ ̄

508考える名無しさん:04/08/09 02:15

セピアな思い出∫泣ける話
http://that3.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1076319536/l50

パレさんて、こんなスレ好きそうだよね
509考える名無しさん:04/08/09 14:17
パレとくろしろの論争見てみたいな。
それはそれは香ばしいものになるだろうて。
510考える名無しさん:04/08/09 20:59
508
やだねそんなのは。
ここでは、純粋な哲学が一番だよ。
509
しろうとさんの纏めは素晴らしいよ。
尊敬している。読書量は俺かな?
511考える名無しさん:04/08/09 21:02
2ちゃん哲学版で人生の哀れさを嘆いてもしょうがないよ。
文学作品にでもするんだな。
512考える名無しさん:04/08/09 21:05
ポールさんは用心深い人だね。
自分が弱い所には、話に乗らないし、引っ込んでしまう。
討論は遊びだから適当に話せばいいんだよ。
ぴかぁ〜さんは、一番じゃないと逃げ出す人だったのかなぁ。
残念。結構面白かったのに・・。キャラが良かった。
513考える名無しさん:04/08/09 21:35
>>510
しろうとじゃなくてくろしろね。なんか誤解してるようだけど。
514考える名無しさん:04/08/09 21:49
しろくろさんは知らんな!!
どう言う人でしょうか?
Tell me Please.
515考える名無しさん:04/08/09 21:51
哲学の専門分野は何処?
516505:04/08/09 21:54
しろくろのことなんかしるか!!
517考える名無しさん:04/08/09 21:55
それにしても、寂しいね。皆去っていったね。
ぴかぁ〜・しろうと・ポール・様方。
やっぱし、哲学友をもって、直に哲学討論する方が、良いんだろうね。
ちんぼ太郎氏が言ったように。
518考える名無しさん:04/08/09 22:00
パレルゴンて何したいんだかよくわかんないな。
「議論はしたい、ただし俺の興味、趣味の範囲内で」
「討論はしたい、ただし俺を博識として尊敬するやつらとのみ」
ということかな。
519考える名無しさん:04/08/09 22:12
違うな。
分野が同じ奴で、レヴェルが同じ以上の奴と話がしたいのだ。
議論じゃない。でも、そう言う奴にあった事がない。
以前一度だけ、よそのHPで話し合った事があったけど、
直ぐに、議論になって、面白くなかった。
ところで、諸君の中で、「くりはら」さんという
法学部の院生か講師の様な人を知らないか?
以前別のところで、レヴィナスについて話をしたんだが、
凄い人だ。古典哲学・政治学・法学を網羅している上に
レヴィナスを押さえている。俺はポスト・構造主義を
語ったんだが、凄い奴だった。多分大学の講師以上だな。
俺も負けてはいなかったなぁ。
520考える名無しさん:04/08/09 22:13
つまらん
521考える名無しさん:04/08/09 22:16
大学の講師以上の人と五分の議論が出来るということは、
パレルゴンは英語、ドイツ語、フランス語くらいはすらすら読めるのか?
522考える名無しさん:04/08/09 22:18
>>519
なんかマジでくろしろっぽい、キモっw
523考える名無しさん:04/08/09 22:22
哲学の勉強は、俺の場合は、少しずつ分かってくるようだ。
たった一冊の本で全部理解する何て事をやったら、結局わかる事はないんだ。
現実の石を一方向から入念に見つめても、結局裏側が見えてこないだろう。
だから、多読は全ての面から軽やかに見つめる事と同じなんだよ。
一方から熱心に見るのもいいが、結局分からないから、いらいらする
んだろうな。だから、ウイズドローになる。
524考える名無しさん:04/08/09 22:24
英語以外は興味がないなぁ〜。
それよりも読書量がものを言うのだよ。
負け惜しみではなく。
525考える名無しさん:04/08/09 22:25
英語、ドイツ語、フランス語くらいはすらすら読めるんですか?

と聞いてんだけど。
526考える名無しさん:04/08/09 22:32
読書量、読書量って言うけどさー。哲学で100冊、200冊なんてすぐでしょ。
邦訳だけで2000冊くらい読んでるの?
527考える名無しさん:04/08/09 22:34
君はどうだ?
先に答えてから聞きなさい。
俺は英語は読める。フランス語を勉強したいと考えている。
でも、翻訳本が沢山ある以上、それを先に利用する方を選ぶね。
俺のような拙いフランス語・ドイツ語よりマシだろう。
外国語で読むことも大切だろうが、読書量による方が強いのよね。
その講師の人には、哲学全体の問題がわかっていなかった。
専門分野のところだけは強かったけどね。全体が見えていない。
多分外国語の勉強で時間がなかったのだろうな。(笑)
哲学とは外国語ではないのだよ。
528考える名無しさん:04/08/09 22:35
あんまり虐めんなよw
小坂を嬉々として持ち出してくる時点で
こいつの読書量などたかが知れてるだろ
529考える名無しさん:04/08/09 22:35
526
君は何冊読んだのか?
先に言ってから聞くもんだぞ。
530考える名無しさん:04/08/09 22:39
先ず、自分の事を言ってから、質問すると言う礼儀作法を知らんな。
哲学書をまともに読んだ事ないんだろう。
哲学の話が全く出ないもんな。一冊でも読んだら2000冊がどう言うものか
分かりるとおもうなぁ〜。
まあ、しっかり勉強してからいらっしゃい(笑)
531考える名無しさん:04/08/09 22:41
ポールが、追い詰められてますね。
532526:04/08/09 22:42
>>529
>君は何冊読んだのか?
俺は邦訳、邦人哲学者のを200から300冊くらい。普通といえば普通。
量を多く読んでる人はどれくらい読んでるのか聞きたかっただけだよ。
533考える名無しさん:04/08/09 22:43
528
小阪と呼び捨てにするけど、それでは君は小阪さんをどのように解したのか
いえるか? 多分無理だろうな。哲学の話が出来てないからな?
だから、固有名をもってその人を中傷するけど、、その人の哲学の問題点を
批判できないもんな。
534考える名無しさん:04/08/09 22:45
532
どう言う本を読んだのか言えるか?
そして君の哲学は?
答えられる。
535考える名無しさん:04/08/09 22:48
簡単に200冊とはいえないよ。本当に読んだのならば。
カントの「純理」のポイントを言ってくれ。
そうすれば信じてやろう。
536526:04/08/09 22:49
>>534
「議論はしたい、ただし俺の興味、趣味の範囲内で」
「討論はしたい、ただし俺を博識として尊敬するやつらとのみ」
この二つに誘導しないと誓えば話すけどw
537ぴかぁ〜:04/08/09 22:49
コテハンの末期ですな。
538考える名無しさん:04/08/09 22:50
だろうな・・・・
うそを言っても直ぐ分かるのよ(笑)
無駄な話は止めましょうね。
寝ましょう。本を読んできなさい。

539ぴかぁ〜:04/08/09 22:52
ポールも無駄なあがきは止めて、ひれふせぱ許してあげましょう。
540考える名無しさん:04/08/09 22:52
哲学を語らずに、その前段でいろいろ言うのは
読んでないからで、もっと本を読んでから来なさいね。
ほんじゃま・・・オヤスミ。
541ぴかぁ〜:04/08/09 22:53
どうやら、皆さん、今回も僕の勝ちのようですね。
542考える名無しさん:04/08/09 22:53
539
ポモって何?
これに答えたら本物のぴかぁ〜。
543考える名無しさん:04/08/09 22:53
ホンダイニ イクラ ハッラタカ ヲ キソウ スレハ ココデスカ?
544ぴかぁ〜:04/08/09 22:54
>>542
知らねぇよ。
自分で調べろ。
545526:04/08/09 22:55
>>535
「純理」のポイントを一言で言えば、それまでの哲学が因果律をむやみに物自体に
適用して独我論、独断論に陥ってたのを反省して、適用を現象に限ったことだろ?
546考える名無しさん:04/08/09 23:02
>>544
      ビンボで買えないのw?
547ぴかぁ〜:04/08/09 23:03
548名無しさん@社会人:04/08/09 23:18
>>545
ちょっと勉強になった。サンク
549526:04/08/09 23:35
パレルゴンも「純理」のポイントを書き込んでね。逃げんなよ。
550考える名無しさん:04/08/10 22:29
「純理」「純理」かね。
暑いねぇ〜。皆元気。スローに生きようね。
楽しく生きることが全てだよ。
そして、少しずつ本を読む。
その中で、自分の基礎になる本を熟読する。
時を経ても、何回も回帰して読み直す本。
これを見つけるんだ。
551考える名無しさん:04/08/10 22:33
>>550
お前はただの説教おやじかよ?とっとと「純理」について書け。
自分でこの話題ふったんだろ。
552考える名無しさん:04/08/10 23:41
おーい、パレルゴンちゃーん。寝ちゃったかー?
553考える名無しさん:04/08/11 21:38
「純理」「純理」と騒いでも、「純理」は分からない。
自分で読むしかないか?悔しいけど、パレルゴンは他のスレッドに
書き込んでるみたいだな。
554考える名無しさん:04/08/12 22:15
今日も暑い・・・。
読書?
555考える名無しさん:04/08/13 00:11









  
         読む?    読まれてるんじゃ…?








556考える名無しさん:04/08/22 13:16
しろうと氏は「世界は私にとって先にある。」と捉えているだろうけど
これは、、他者=大文字のA=構造 は 私にとって未知の部分として先にある
と言う事だろうね。ラカン的な捉えかたなんだろう。
世界は私にとって先にあると言う事になる。
これは、構造主義的な捉えかたで、構造が「私」に対して先にある事。
この構造の布置にたいして、私は部分としてしてしか、ありえないと言う事だろうね。

ただ、構造主義を超える事を求めた、ポスト・構造主義ならば、ちょっと変わってくる
気がするけどね。つまり、世界=構造 を私が 脱構築しうると考えるならば
世界は私であり、私は世界であると言う、現象学的な点を再度肯定する事になる
のではないだろうか?そこから、世界と言う全体的に捉える視点を消失すると
分裂的運動が出てくる。世界でもなく、構造体でもないもの。不可解なもの
こう言う事のような気がする。ただし、現実には、組織体を解体する(した)「器官亡き身体」
が、社会の中で可能になるとは思えない。これは、一つの極論であり、
構造からの逃走の、試案に過ぎないとは思われる。
上記説明を理解できるのは多分SRT氏でしょうね。
557THE グル :04/09/23 19:03:41
いいですか、
これも、
中途半端になっておりますね。
どうかしましたか?
558THE グル:04/09/23 19:17:46
いいですか、
私がつまり糞スレ立ての糞コテです。
だから上げとくんです。
どうかしましたか?
559考える名無しさん
原始仏教 その9
http://life6.2ch.net/test/read.cgi/psy/1096158297/

69 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:04/09/26 17:14:41 ID:qlmOpQKv
>>59
>論理的に議論をしろといいつつ、非論理性ですか、最大の矛盾ですね。

人間というのは、そもそも自己矛盾性を内在してる。
そこを底流にせねば、哲板になりさがる。

ここは宗教板だから、これくらいのことは分かってもらわんと(ry