2げと
冒頭早速ですが、私が何を考えているのか?といった問いかけが多いのでこれにお答えしておきます。
結構長いです。
あらかじめ謝っておきます。
私は自分で自分のことを人徳者だとは思っていません。
ですから、私のこの考え方に異論が有る方が殆どであると思っています。
最近思います。自分は異端か?と。だからこそいえます。
あなた方もそうなのでは?と。
私は狂っているかもしれません。
私は病気かもしれません。
それでもかまわないでしょう。
だから人生の目的とは何か?
http://www55.tok2.com/home2/tao/jinsei3.htm 画面の前の狂ったあなたも考えませんか?
私が思うに考え続けることは最早狂っていることと同じでしょう。
それはもう問題では無い。
これは無限に続く快楽であり無限に続く苦痛でしょう。
助けてほしくて苦しんでいる。
その上で人を助けようとしている。
これはもう狂気の沙汰です。
世の中は我がままで満載なようです。
素直に心に聞いてみました。
子供のように不思議な世界を泣き止むまで考えましょう。
人生相談板行け
て何回ぐらい言われた?このスレ
>>5 あれですよ。考え続けることは最早無茶苦茶支離滅裂
そんな中から活字をつむいでいくのでしょう?
ついて行けないならおいていって下さい。
加えてこの先そのように思っても結構ですから、思うだけにしてくださいな。
よくよく素直に考えてみれば「考える」とはそのようなことでしょう?
厨房の自己正当化か。呆れたもんだな。
>>8 暇ですし少しお話しますか?
名前のない人に話してもただのおしゃべりかも
あなたにとって哲学とはなんですか?
お答えなければ(多分そうでしょうけど)それはそれで残念なことですね。
私にとってはこのまさにドロドロとした思考の連続なんですけどね。
だらか学問でもなんでもないです。
ああ、そうですね、哲学なんて名前もいらないかもしれませんね。
ただ、世の中を見るとどうやらこのようなことを哲学と呼ぶらしいのです。
違うようであれば哲学とは何かにお答えいただければいいのですけどね。
私は中学生ではありませんよ。
10 :
考える名無しさん:04/04/15 17:00
>>10 夜を待ちますか、、
どうせ終わりませんしね。
削除依頼というのですっけ?
出してみたらいかがですか?
ああ、そうだ。前回このような問答に大して答えたことがあったな。
えと。そう「人は理解されなくても時にはそれを行ってしまう性質がある」
これだこれだ。
あなたの行動も私の行動もこれで理解しておきましょう。
12 :
考える名無しさん:04/04/15 17:06
13 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/04/15 17:06
哲学とは神の体系。
無限の存在を証明すること。
即ちそれが神の存在証明となる。
有限な存在である我々の他者が無限の存在。
人生の究極の目的とは他者を知ることなのだ。
14 :
考える名無しさん:04/04/15 17:07
板違いスレにつき削除依頼済
16 :
ちくびぎゅーん:04/04/15 20:52
>>1さん
昨晩、私が帰ってから何があったか知りませんが、
あるいはここ以外の所で何か1さんに影響を与えることがあったのか分かりませんが
1さんの話し方はこれまでとは少し変わってきているようですね。
ところで1さんの書いたテクスト(
http://www55.tok2.com/home2/tao/jinsei3.htm)、私は好きです。
少なくとも以前書いていた「進化論」の話より、私には共感できるところがありそうです。
他の人が何と言うかは知りませんが そのような慟哭を刻み付けてゆくこと、
それこそが哲学である と私は言っていいと思います。
つーか、そんなもん2ちゃんじゃなくて自分のサイトで書き込めっつーの。
19 :
考える名無しさん:04/04/15 21:11
Λ_Λ ___ ・
( ´Д`/ _= ̄ ヾ .* 从 /从 .' , .
\ ヽ = -=/ _ \:, .∴' _ ・ ;.
/ .-∪=-_-=─ = ', ・,‘ ;*;∵; ζ
>>1 / .へ__ ―-_ ̄─ ―+・.;∨ ̄∨,;ヾ ,
.| .|ヾ. -= -./  ̄  ̄"'/// ノ\\
| | _= / // / / \\
\.\ / ./ δ/ レ ノ ヽ_つ
∪(. ヾ / /
| .ノ / /|'
.| | ( ( 、M M
ノ ) | |、 ゛″"<ー /□\
ミノ . | / 人人\∵|⌒| (´∀` )
| | \\\( ⊂)
ノ ) \ \\| |
-==≡≡≡===- .(_/ (_)
20 :
ちくびぎゅーん:04/04/15 21:45
私はどうやら重大な過ちを犯していたようです。
私は あなたのような考えをした人に ある種の共感を持っています。
だからこそ あなたの立ち上げる議論の場に やってきていた。
最初は 無責任に「目的は無い」と宣告してゆく人達によって あなたが
大きな虚無の闇に 飲み込まれるのを 食い止めようと思い 目的は無い
つまりなぜ生きるかの答えは無い、ただ そのような状況下にあっても
「どのように生きるか」の答えは出せるのではないか という
(あなたの言葉を借りるなら)愚見を 書き込みました。
だが 書き込みを続けるうちに いつしか私の中に 「私の意見を呼んでほしい」、
「より知的に見せたい」というような欲求が湧き上がり それに翻弄されるようになっていたと思います。
その結果 文章が読みづらい(元々でもありますが) 余計な部分を削れ と批判されたのだと思います。
あなたの意見に 私なりに答えること あなたの望んでいない答えを返すことが
私がここに来る理由に もっともふさわしいのだろうと思います。
目的に対して、人は「楽しみ」を見つけてしまう。
食事をとるのは栄養を取るという目的であるけど、食事自体を楽しむ
という機制が人間には備わっている。
人生の本当の目的を考えるということも、「楽しさ」が付随していると
いっていいでしょう。
だから、なかには「楽しみの引き算」として、肉体的な苦行を強いる人も
いた。楽しみがなくなってしまえば、本当の目的が残滓として残るのでは
ないかと。
苦行ではなくて、楽しみだけを抜き取ってしまえないか、と思います。
ただの楽しみだけがある状態とは何か時々考えるのですが。
存在理由には、程遠いかもしれません・・・
22 :
ちくびぎゅーん:04/04/15 22:22
>>3 1さんの書いたテクストを読んで感じる事は 「引き裂かれている」ということです。
ではなぜ1さんは 「引き裂かれている」のか。
それは端的に言って1さんが答え(目的)の無さを痛感しているからではないか、と私には思えます。
正直に言って 私は今の1さんがやっていることは 「正2角形」を探すことと同じではないか
と思うのです。
2角形は到底ありそうもないですが それを探求すること自体には
不可能は無いように思います。答えは「二角形がある」ないし「無い」という
インスピレーションによってもたらされるのであって そのようなインスピレーションなしに
それが無いと断じるのは 怠慢であるし それ以上に 偽りである、あなたはそう言っている
ように 思います。
しかしこのような前提に立てば どのようなものの存在も 想定出来そうに思うのです。
しかもインスピレーションの無い限りは どのようなものも「あるかもしれないもの」に
変換可能な気がするのです。
私があなたに言いたいのは 受け入れられないものを 受け入れること、
それこそが われわれに唯一許された 「生」 なのではないか ということです。
>>20 >だが 書き込みを続けるうちに いつしか私の中に 「私の意見を呼んでほしい」、
>「より知的に見せたい」というような欲求が湧き上がり それに翻弄されるようになっていたと思います。
そうだね
その罠にかかったまま抜け出せない人がこの板にもいるよ
たいていは叩かれて逆切れして、結局は荒らしかデンパになってます
いいよなぁ、若いって・・・
せいぜい 今のうちに 夢を いっぱい見て下さい。
そして、うんと 本を読んで下さい。
で ないと やがて ( 略
>>22 「インスピレーション」というより「直観」という言葉を用いた方がいいかも。
26 :
ちくびぎゅーん:04/04/15 22:39
>>22 受け入れられないものを 受け入れることから生じる慟哭、それを1さんは
哲学として刻み付けることを 選ぶべきだ、と私は思います。
加えて言わしてもらうならば 1さんは人の意見が聞きたくない 一方で聞きたい気持ちもあると
いうようなことを書いていました。もしこの言葉の主旨が 批判的な意見は聞き飽きたけれども
私に賛成してくれる意見ならば聞きたい、という言葉に要約可能ならば、私はもう一つ言いたいことがあります。
(もしこのような要約が間違いならば それは結構なことだと思います)
それは端的に言って、あなたは(むきだしの悪意や敵意以外の)批判的な意見から 考える手立てを手に入れるべきだ、
というものです。もしそうしなければ、それはサリンを作るような過ちをあなたに犯させかねないように思います。
(平たく言えば 老子さんと話をするのに私と話をしないのは 寂しいなあ という主張でしかないのですが)
27 :
考える名無しさん:04/04/15 22:47
>>26 同意。
>>1は偽善的な言葉で体裁を取り繕うことをやめ
批判的な意見、自分の意と違う意見と体当たりでぶつかるべき。
哲学というのはそうやって批判と戦うことによって自分の論を練磨していく
生々しい営為であるものだ。
もっと自分をさらけ出せ!
まず
>>1は無意味な比喩や修飾語句や「…」のような言葉を使うのをやめ、
自分の言いたいことだけを素直にこちらにその意図が伝わるように書くべきだ。
今の言葉は無駄な言葉が多すぎて、何を言いたいのかその真意がさっぱり伝わってこない。
28 :
考える名無しさん:04/04/15 22:56
_∧_∧
/ ̄ ( ・∀・)⌒\ ヨイサー!!
__ / _| | |
ヽヽ / / \ | | ,,,,,,,iiiiillllll!!!!!!!lllllliiiii,,,,,,,
\\| |____| .| | .,llll゙゙゙゙゙ ゙゙゙゙゙lllll,
\/ \ | | .|!!!!,,,,,,,, ,,,,,,,,,!!!!|
| ヽ_「\ | |、 | ゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙ .|
| \ \――、. | | ヽ .| .゙゙゙゙゙゙゙゙゙゙ |
| / \ "-、, `| | ヽ | |
_/ / "-, "' (_ ヽ ヽ .| |
/ __ノ "'m__`\ヽ_,,,, ヽ | |
`ー― ̄ ヽ、__`/ー_,,,, ゙゙゙゙!!!!!!!lllllllliii| |
\゙゙゙゙゙゙゙!!!!!lllllllliiiii| |
\ ヽ | |
ヽ \ | |
| \.| |
`ヽ、,,_ノ| |
゙゙!!!,,,,,,,, ,,,,,,,,,!!!゙゙
゙゙゙゙!!!!llllliiiiiiiiiilllll!!!!゙゙゙゙
/.// ・l|∵ ヽ\ ←
>>1
29 :
ちくびぎゅーん:04/04/15 22:59
>>26 いや、本当は今の1さんに必要なのは 単純にあなたの意見に理解を示してくれる
人なのかもしれませんね。「そう考えているのはあなただけではない」といってくれる
誰か、が私の愚見よりも あなたが切実に求めているものなのかもしれません。
そういう意味では私は また重大な過ちを犯したのかもしれません。
しかし私はあなたの言うことは分かります。共感を持って読むことも出来ます。
ただ 失礼を承知で言えばそのような(目的があるかもしれない)ことを考えるのは
今の私にとっては ある種のモラトリアムにしか見えないのです。
1さんの構図では 「わからない」というモラトリアムが
非常に重要な働きをしているのではないか と私には思えるのです。
あえて言わしてもらうならモラトリアムの克服 それが1さんの本当の目的
と言えるかもしれませんね。当然私から見た勝手な解釈ですが。
今日は少し書きすぎたように思います。勝手ですが帰らせてもらいます。
反論はまた明日聞かせてもらいたく思います。(私は明日休みですので)
30 :
なんつったりして:04/04/15 23:00
陰と陽は全てに当てはまることだと思います。
朝と夜。良いこと悪いこと。好きな人と嫌いな人。
質問するときはある程度の自分なりの答えがあり、
確信はあるが自信がなかったりして、誰かに求めたり
それを拒絶したり。
人生の目的を考えることは個々にとって見出す事、自身を
見つめ直すことで、私の判断では良いと思いますが、
それを集約しようとする事自体が、ずれていると思います。
結論を探求するのも向上心ですが、それこそが個性であり、
人が個人で存在し、十人十色の考えが世界を作ってるのかもしれません。
1さんに答えるなら、答えはあります!
でも、俺とあなたと此処を読むあなたとの答えは
共感はあっても、同じではないはずです。俺はあなたではないけど
あなたの考えが俺に入って、俺の答えがあなたにはいって、
新たな答えが個人の中で作り出される。その答えの一部に
あなたがいる。 俺もこれで、あなたの答えの一部になる。
31 :
考える名無しさん:04/04/15 23:09
>ちくび
書き込むスレを間違えているんじゃないか?
昨日同級生でつき合ってた女と数年ぶりに飲んだ。
すでに他人の妻になっていた。
その女と別れる時、最悪の別れだった。
その女の友達に俺は惹かれ、浮気し、そしてそれがばれ、
その女は泣いた。
それっきり。
俺はいい加減に生きてきた。その女の事など忘れ、いい加減に他の女ともつき合ってきた。
彼女は傷を負い、多分俺のせいで男に不信感を持ちながら生きてきたのかもしれない。
数年ぶりに合い、女は母親になっていた。
俺はやっと人生の目標が見つかり、自己実現を目指している。
彼女は母親になり、妻になり、子供と家庭のために生きていくだろう。
そしてその女と俺は再会し、女は子供を愛し、家族に愛され。俺には何も無かった。
俺には愛すべきものが無い。
実感として、芯からそれを感じた。
女は、俺の理想の女性となっていた。ただ、他人の妻。他人と愛し合う人。
俺は死にたい。そう思った。絶望だろうか?絶望だろう。
人生の目的。人生の目的。あるにはある。が、昨日気付いた。他に大切なものが
今まで沢山あったのに、気付かなかった。それに気付いた。
そして気が付けば失っていた。
人生の目的?多分それだったのだろう。それはもう俺の目の前にない。手が届かない。
もう生きる意味さえ考えたくない。このまま雲のようにゆらゆら生きていくんだろう。
死ぬ時には幸福に死にたい。そう思っていた。だがそれすらできなくなっていた。
人生の目的。もうない。
33 :
なんつったりして:04/04/15 23:14
>>30の続きですが、
俺はあなたの中で生き続けるし、
あなたは俺の中で生き続ける。
意識下かもしれないけど。
34 :
考える名無しさん:04/04/15 23:14
>32 そうでもなかった。。。みんなまとめて人生相談板へお引越ししてくれまいか。
どこだって良かった。
放置して下さい。自慰レスにすぎない。
38 :
考える名無しさん:04/04/15 23:18
>>32 ソレハ ソレ アレハ アレ ン? ドレガ ドレ? ミンナ オンセン デモ イッテコイ♪
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40 :
考える名無しさん:04/04/15 23:28
オワタ?
暴れるだけ暴れといて、最後はこれかよマッタク・・・
リアルでも素行悪い奴なんだろうな・・・問題の種はそこだね・・・
目的なり目標なりを設定して生きる能力が無いだけかも知れない。
支離滅裂な発言録を見るとそう思えてくる。
42 :
考える名無しさん:04/04/16 05:17
('゜`Д'゜`)意味が分からねぇよ
>>1さん
誰の影響が大きいか思いだせたでしょうか?
44 :
1ではないが:04/04/16 10:26
幼い頃の刷り込みというと、学研のマンガとかで、
ホラ、科学ってこんなにスバラシイんだよー
という本の記憶が強く残っていて、
科学に対する興味は今でも尽きない。
ただ、私と同じ刷り込みを他人にしても、
同じ効果があるとは思えないけどね。
私と同世代の人間が、「キャプテン翼」を刷り込まれて、
Jリーガーにまでなるのと似ている。
仏寺に生まれたら、やっぱり仏教の刷り込みが色々あるだろうし。
ひょっとしたら、1さんはそういう刷り込みが無かった、
ないし、あらゆる刷り込みに対して関心を示さなかった。
そのいずれかでしょう。1さんの「心に引っかかるもの」が何もない。
だから、人生が無目的だと感じてしまうのではないだろうか。
多くの人間は、それほど無目的を感じて生きてるとは思えませんが。
そうですね
大抵は目的もセットで刷り込まれるはずです
どっかで挫折をした可能性もありますが
46 :
1ではないが:04/04/16 10:58
1さんは目的の「ありか」がどこにあると思っているのでしょうか?
石ころがそこに「ある」みたいに、目的が「ある」のではないと思う。
1さんは人生の目的を「知りたい」らしい、「知る」ということは、
少なくとも脳の中の情報として「ある」と思わなければならない。
脳は、科学をもってしても神秘の領域ですからねえ。。。
脳というのを思いっきり抽象化して、コンピュータに置き換えてみる、とかね。
コンピュータは、なにを「知る」ことが出来て、出来ないのか。
「知る」ということを、あまり過大評価しないほうがよろしいんじゃないか。
何でもかんでも「知る」ことが出来るとは限らないのですから。
47 :
ちくびぎゅーん:04/04/16 11:34
>>老子さん
私はあなたが再三おっしゃるような 目的の刷り込みで物事は 割り切れないように思います。
たしかに 私たちはおおむね「自らの目標は自らで見つけるように」というような
放任主義的な目的観を 植えつけられたようには思います。
しかしそのような 目的観の根源に到達したところで 1さんの言う「答え」には
到達できそうにない、と私は思うのです。
また私は老子さんの言う受動世界説には 見過ごされているものがあるのではないか、
と思うのです。
確かに私たちには何らかのすり込みがあるでしょうが、それは変更できないのでしょうか。
確かに私たちは日本語をしゃべりますが私たちは日本語を 少しも革新できないでしょうか。
私には「刷り込み=私たち」の図式では 私たちが何かを変えていくことの説明が不十分なように思えます。
∧_∧
( ´∀` ) ところでこのゴミ、どこに捨てたらいい?
/⌒ `ヽ
/ / ノ.\_M
( /ヽ |\___E)
\ / | / \
( _ノ | / ウワァァン ヽ
| / / |ヽ(`Д´)ノ|
| / / ヽ(
>>1)ノ
( ) )  ̄ ̄ ̄
| | /
| | |.
/ |\ \
∠/
49 :
ちくびぎゅーん:04/04/16 12:05
1さんはいないのですか。
>>ちくびぎゅーんさん
あまりこのようなことは書いても意味がないのかもしれませんが、私の文章を読んで共感できると言い、その上で自身の論理にいささかも迷いが無い。
かつ、それでも自身の論理を疑い、実に率直に自分の気持ちに気がつきそれをこのような場所に書きこめる。
あなたは本当に前向きですばらしい考え方の持ち主だと思います。
その上でもう少しお願いをさせていただければ、実に我侭な意見ですが私を心配しないでほしい。
お互いに分からないことに気がついてしまい、それをどうにかしなければ気がすまない状況に来ているわけです(と私は思っています)
だからこそ、お互いに答えをただ模索するだけであって、有体に言えば「私はこう思うんだけど。あなたはどう?」
「ああ、それはそうだけど。私の意見はこうだな」といったような意見のやりとりこそが必要、言えそれ以外は必要ないといってもいいかもしれません。
私が悩み苦しんでいれば(実際にそうですが)それが深刻になれば(もう病的になれば)ここに書き込んでいる余裕もないからです。
正直私はかなり余裕を持って考えています。
そういう意味では世の哲学者ほど悩んでいないかもしれない。
むしろ私の目には病的に悩む人なんているのか?という思いがあるくらいです。
>>老子さん
最後のやり取りはこうです。
http://www55.tok2.com/home2/tao/rousitaiwa.htm >>46 老子さんへの意見とかぶるのですが、私は人間がコンピューターのようなものである。
と自分のサイトで書きました。(反射という反応の繰り返しが思考である)
ですが至った結論は発生を説明できないというものです。
つまり生まれた以降の生命を説明することはできても、そもそもの発生を説明できる論理ではないのです。
そうは言うものの私はこの反射の繰り返しが思考である。という理屈をひっくり返すことができません。
あなたの言うように「何でもかんでも知ろうとしなくていい。」
気がついてしまった人にこの台詞は気休めにならないのです。
私以上に考え抜いている人に向かって「知らなくていいことも世の中には有るんじゃない?」なんてことは簡単は言えません。
知ることができるとは限らないからこそ私は知りたいと思っているともいえますね。
52 :
1ではないが:04/04/16 12:45
>>47 その放任主義っていうのは、自由主義の立場から見れば理想なんですよね。
絶対の目的なんてものが与えられたら、
むしろそれを壊す方向へ動く人たちもいるでしょう。
53 :
考える名無しさん:04/04/16 12:48
ラカン嫁
>>ちくびぎゅーんさん
さて、冒頭の文章を読んでいただけたようですね、いつものことですがありがとうございます。
私がこのスレを建ててからこれで4つ目ですが、人生の目的は何か?に真摯に取り組めたのは3度だけです。
いずれも最終的には何らかの欲求が起こり考えることを中断させられます。
考え続けることが苦しいと描写していますが自分の意見に反対意見をぶつけさらにそこから出てきたこたえにまた意見をぶつけていく。
これはなかなか骨の折れる作業といえます。
それを、思うままに書き綴ったのが冒頭の文章です。
文体に変化が見えるというよりも大急ぎで飾ることなく書いたので日記のようになってしまっただけですね。
私の中であのような文章を誰かの目に留まるようにするのは実に恥ずかしいことです。
ですが、最早何かを知るためにはそのようなことは些細な問題であると思うので、あえて書き連ねました。
あと、もう少し本音の意見を書けというようなレスがありましたっけ?
私以上にここのスレで本音を書いている方は見受けられませんが?
皆さん小出し小出しに意見を出しているのでは?
老子さんも、こっくりさんも、ちくびさんも、まだまだ底が有る、、余力が有るように書いてますよね?
このスレに限り私はほぼ自分の意見の全てを書いているつもりですよ。
欲を言えば名前欄が空白の方に意見を戦わせろといわれましても、、、
あなたのどんな意見にぶつければ?
55 :
考える名無しさん:04/04/16 12:58
最悪の自尊厨だな。
ラカンの欲望論は本質的だと思う。
男が女に欲望するのは知覚の場面ではなく意味の場面においてである。
ファロスこそ欲望の本質である。
57 :
1ではないが:04/04/16 13:06
>>51 あなたは、僕が
>>46で言ったことを、ほとんど何も分かってないし。
あまり真面目に受け取ってないようですね。いいですか?
どんなに超高性能なコンピュータでも、絶対に計算できないことって
ザラにあるんですよ。プログラムの停止性問題とかがそうです。
あなたが目的を知りえないというのは、
努力が足りないとか、寿命が短いせいではなく
「たとえ永久に時間をかけても絶対に不可知」
かも知れない、と言いたいのです。
そういう可能性も視野に入れておきましょう。
ちゃんと本読んでますか?
すぐに理解できることだけ理解しようとしたって、何も得られませんよ。
宇宙や生命の発生の問題は、まだ科学的にも未解決ですし、
また、科学的に完全な答えが出ても、
やはりあなたを満足させることは出来ないでしょう。
あなたは、何を知りえるか、何を知りえないか、
その限界を知ることです。科学はいいヒントを与えてくれるでしょう。
58 :
考える名無しさん:04/04/16 13:10
結局
>>1も本読まずのMY哲学厨房か…
とっとと逝ってよし。
59 :
ちくびぎゅーん:04/04/16 13:14
>漠然とそれが何かは理解している。
>それはただの思い込みだろう、、、
>そういわれると思ったから言わないでいたんだ。
>そんな心のやり取りを毎日毎日繰り返して、自問自答を繰り返して。
>「かっこつけることはどうでもいい、誰か私に生きるべき道を与えてください。」
>そう考えたすぐ後に「それが逃げるということなのだ。だったら初めから悩まなきゃいい」と思い至る。
改めてあなたの文章を読ませてもらいました。正直言って以前のあなたの文章より よっぽど洗練されて
いるように思います。「引き裂かれている」あなたが実にありありと浮き彫りにされていると思います。
前回の議論の場で 私は 「人間の獲得した『意味』に 普遍的な『意味』などない」という意見に対しあなたは
答えなければならないのではないか、と書きました。
反面で私は「それはただの思い込み」であるという主張が 誤りをもっているのではないか ということも
715さんへの反論という形で書きました。あなたがもし 「まじめに」普遍的目的があるという考えを
守るならば 立場の違いを越えて 私の意見を参考にしてもよかったし むしろ
そうすべきでなかったかと 思えます。そしてそれは逃げることではないとも思えます。
私はあなたの「引き裂かれている」現状を高く評価します。
あなたは自分がこれほど愚かであったとは思いもしなかった、と書いていましたが
私はそうは思わない。
あなたは「引き裂かれている」ことによって そのような対立を内部に抱えることによって
その先にある 調和の可能性を ついに手に入れたのではないかと思います。
私たちには「引き裂かれている」という絶望的な状況の中 陽炎のように見えては消える調和を
追いかけていくという希望があります。それは絶望的希望ですが私たちの「生」には
そのような希望しか許されていない、と私には思えるのです。
>>57 全くですね。
でもそれが目的がないといえる理由になるのでしょうか?
加えて、どうやら全てを理解するのは無理なようだ。じゃあ興味を持つだけ無駄なことだな。
と、処理できますか?
>ちゃんと本読んでますか?
理解できることだけ理解しようとしているのではなく、理解できないものだから理解しようとしているのではありませんか?
あと、殆ど何も理解していないようだと言われても、私にはあなたが私の考えを理解しているかどうかさえ分からないわけですし、、
生命の発生が科学的に未解決だからなんなのですか?
だから私ごときが考えるのはおこがましいのですか?
それともその分野での第一人者にでもならなければ意見するなと?
繰り返しますがあなたの言うことは尤もです。
ですがそれが、考える事をやめる理由には全くならないのではないですか?
61 :
考える名無しさん:04/04/16 13:16
本読まんで自己の勝手な思いつきだけ書いてても哲学にはならんよ。
それは単なる誇大妄想に陥るだけ。
62 :
考える名無しさん:04/04/16 13:19
最近の1(元 は1スレ目の頃に比べどんどん「哲学」から離れていってる感じがする。
そこらにうじゃうじゃいる単なるネット番長と変わらなくなりつつある。
何が彼をこんなに腐らせてしまったのだろうか。
>>ちくびさん
私が実に愚かだと思う点はいくつも有るのですが、例えば
>>58で書かれているように
私は世の中の多くの事柄を知らないでいます。
また
>>57で触れられているように、科学のなんたるかも分かっていません。
人体を解剖した経験も無ければ、多くの時間をかけて自分に向き合ったことも、世の中の哲学書を読み漁りその殆どの記述を理解しているわけでもありません。
私は何も知らないのに、知りたがっているという矛盾を抱えているのです。
つまり、どうにも調理できない我儘の塊がここに転がっているようなのです。
私はできることなら世の中の多くの事柄を理解したいと考えていますが、哲学の教科書の第7章に出てくる「カントの純粋理性批判」の一文だけでへとへと参ってしまう始末です。
加えて、私に世の中の学問の殆どを学び理解することができるかどうかというとそれは恐らくは無理なことであるといえそうなのです。
量子論一つ、相対性理論一つとっても、私には茨の道であり実に難関なことでしょう。
65 :
考える名無しさん:04/04/16 13:26
>>64 だからといって本読まなくていいって理由にはならんよ。
それは自己の怠惰を棚に上げて開き直ってるだけ。
哲学する者としては最低の態度だと思うが。
>>62 仮にそのような印象を受けているとしてもきっと大丈夫です。
さまようように考えあぐねても、戻ることはないでしょうから。
ですから私は自分が何かを学び取っている自覚だけは確かにここに有るのです。
私は自分が哲学的で有るとは思っていません。
哲学という言葉がただの便宜上の分類するための記号のようなものだと思っているからです。
ですから哲学をさも学問や、崇高なことのように固執したり
他のジャンルと明確な区分けをする発想が実におかしいと思っています。
科学に哲学的な要素は有り。
哲学に科学的な要素は有る。
またちょっと脱線しましたが哲学から離れるのではなく、私は哲学を考えている自覚が有るわけではないのです。
ただ、どうやら自分の問いかけは世の中では哲学と分類されているようだぞ。
このような理由でここに書いているだけなのです。
そのような私に板違いだと言われても、それなら哲学とは何か?答えてからにしてもらいたいですよね?
67 :
ちくびぎゅーん:04/04/16 13:30
>>50 そうですね、余裕があるのならば必要のないことかもしれません。
いやむしろ失礼であったといえます。
ただ 私が ここに自分の意見を書き込むことによって 次第に冷静さを失ったように
あなたも ここに批判的意見がたくさん書き込まれることによって 冷静さを欠いて
きているのではないか、と思ったのです。
だからあのようなことを書いてしまったのです。
「純粋理性批判」なんかは哲学書の中でも最難関の部類だから
いま分からなくてもそれはむしろ普通。
でも、読みやすくかつ読む者に問題を提起してくれる哲学書だってある。例えばプラトンとか。
もちろん哲学書以外の文学や宗教書や学術書とかだって、そういった本はいくらでもある。
そういうものすら読もうとせずに考えようってのは、やはり無理だよ。
>>65 私は本を読まなくて言い理由を書き綴ったのではありませんよ。
最低である点はいささかも批判しませんけど。
私は私がいくつかの本を読んだところで、科学の第一人者のような意見をさも知った風にいうのはおこがましいと思うのです。
哲学書を読んで哲学を知ったことになりますか?
私が言いたいことはまさに知りたいのに知らない矛盾を永劫抱えていることにさらに不思議さを覚えていることなのです。
あなたはずいぶんとたくさんの本を読んでその内容をよく理解しているのでしょう。
そんなあなたから見れば蒙昧無知な私を見るのがさぞいらだたしいのでしょうね。
開き直っているわけでもありません。
なるべく知ろうとしていますし、読みたいものは読んでいます。
ただ恐らくはそのレベルがあなたのイメージするものとはかけ離れているだけなのです。
先にあげた「量子論」や、「相対性理論」「純粋理性批判」を原文で読むようなことは私には出来そうにないといっているだけなのです。
それでも、できるだけのことはしたいと考えているだけなのです。
72 :
1ではないが:04/04/16 13:37
例えばね、僕も時々こんなこと考えるんですけど、
今から200年前に生きていた人間は、一人残らず全員死んでいますよね?
こう考えるだけでも恐ろしいのですけど、でも、どうして200年前に書かれた本を、
いわばその時代の「遺書」を、冷静な気分で読めたりるんでしょうか?
それは、今生きている人が書いた本を読むことと、どれだけ違うんでしょうか?
どのみち、我々も死んでゆきます。このスレに書き込んだ人も、例外なく死ぬ。
200年経って読み返されるかも知れない。それは、我々がはるか未来まで
影響を与えうることを示している。ま、忘れられるでしょうがね。
2chのスレも着実に死んでいく。じゃあスレであれこれ議論したのって何だったの?
なんて問うてみたらどうだろう。死んでしまえば一切は無意味なのだろうか?
73 :
考える名無しさん:04/04/16 13:38
>>71 そういう態度を「開き直り」っていうんだよ。
74 :
考える名無しさん:04/04/16 13:40
2chはその場で消費されて消えるから楽しいんじゃないか。
>>68 ああ、あれはやはり最難関の部類なのですか。
中島義道氏が10年かかって読んだと書かれていました。
なんとも長い道ですが、それはそれでさぞ取り組む意味があるだろうと思ったものですが。
簡単なものという意味ではここにあげられているものを読んでいっています。
「哲学の教科書」「ルサンチマンの哲学」等ですね。
今は「量子論」を読み始めてしまいました。
実は科学も大好きでして。
そうは言っても「アホでも分かる量子論」みたいな本ですけどね。
分厚いハードカバーの辞典のような本ではありません。
消費は楽しいからな
77 :
ちくびぎゅーん:04/04/16 13:44
>>64 私も哲学とそれ以外のことについても無知に近い、と思います。
ところでカントは 悪文家でもっとも有名な哲学者の一人といわれます。
しかもそれでいて 重要な議論をしているそうです。
あなたが独学で彼の一文に挑もうとするのならば 挫折するのはもっともなことだと思います。
それゆえに わからなければ読み飛ばしてもいいのではないか と思います。
彼は批判されたり支持されたりするたびに登場しますから 次第に彼の言っていることが
断片的にでもわかるのではないでしょうか。
(1さんの読んでいる「教科書」の内容にもよるでしょうが)
78 :
考える名無しさん:04/04/16 13:46
オイラはヒダだ。
パワーの不定形の広がりをアコーディオンカーテンのように
折り込んでいる。
自我とはヒダだ。
それゆえ一気に開陳できないヒダヒダのおかげでオイラはなぞめいている。
ひとはオイラをニヒルだという。
そうかもしれない。
79 :
考える名無しさん:04/04/16 13:48
オイラはひとつのモナドだぜ。
オマイらはオイラをこれ以上分割などできないのだから。
オイラには窓がない。
だからナニかを入れたり出したりなんかできない。
オイラ永遠の安心立命を得ているわけだ。
しかしいつも内在的に変化している。
即ち一即多、多即一としてオイラは宇宙に繋がっている。
80 :
考える名無しさん:04/04/16 13:49
ギャハ
>>72さん
私も同様そのように「実に時々」考えます。
死ぬことが無意味かどうか?は残念なことに死んでいないのでわかりません。
むしろ最近は私は何故死ぬと思っているのか?と考えています。
世の中の多くの人がそうであるといって、私が死ぬかどうかはわからないではないか。
そうは言ってもやはり恐らくは死ぬのでしょう。
私はそれが実に恐ろしいことですが、怖いと思うこと自体が「実に時々」なのです。
それがまた不思議でならない。
自身のサイトでこのような表現をしました。
>いつかは消え去るこの宇宙のためにどうして「支配すること」が大きな意味を持つの?
>本能は何故「支配」を望みながら「安定」したがるのか?
ちょっとずれますが、本質は同じことです。
いつかは消え去るであろう自分がどうして何かを求めるのか?
では、いつかは消え去るであろう自分がどうして生まれたのか?
私は私を自覚しているが、これが消えるとはいかなるものか?
私は、、、理解できるこの私がそもそも誰なのか?
誰だって思うようなただの問いかけですよ。
このような問いをさも哲学者だけが考えているというのもおこがましいと思いますけどね。
そういった意味では多くの哲学者は排他的だと思います。
中島義道氏は著作の中で優れた哲学者ほどそのような要素は少ないと書いていました。
その辺はまた。
>>ちくびさん
そのように哲学に明るい方が蒙昧無知な私の建てたスレにいらっしゃることそれだけで、私はここに来た意味があるというものです。
やはり難しいのですか、、気長に付き合ってみますね。
その上で考えることは勝手に続けている私ですが、そんな私は一方で何を読んでみるべきでしょう?
「ルサンチマンの哲学」は読んでみようと思うのですが、、、
私は皆さんと意見を交換するために本を読むといっても差し支えないと思います。
例えば、誰かが「カントの純粋理性批判にあるように、、、、、」と表現されただけで私はその議論には入っていけなくなってしまう。
英語を学ばねばアメリカの人と話せないように、ただあなた方の意見を聞くために私は本を読むといってもいいと思います。
現状明瞭解決な答えが出ていないようですので、恐らくは私がその純粋理性批判を読んでもこの問いかけはいささかも崩れることなく繰り返していることだろうと思います。
これはただの予想ですが。
それでも、あなた方(世の中の哲学者の意見)を理解するにはどうやら必要そうなので、読んでおくか、、といった程度です。
>>ちくびさん
>私も哲学とそれ以外のことについても無知に近い、と思います。
私は哲学以外のことには無知に近いと思います。と読み間違えていました。失礼。
さて私は少し仕事をしておきます。
自営業者なので。
85 :
1ではないが:04/04/16 14:08
死ぬことが恐ろしいという感情はだれでも多かれ少なかれありますよね。
生命の危機に瀕したとき、とっさに「死にたくない!」って思うわけですよ、
それはいわば「死ぬな!生きろ!」というメッセージがどこからともなく
届いてるわけですよ。どこから来るんでしょう?ちょっとムーっぽいですが(笑)
生きるのは子孫を残すためだという理由づけは、まあ自然だと思いますが。
ただ、やっかいなのは子孫を残したところで、すぐ死ぬわけじゃないわけで、
だから「できるだけ た く さ ん 子孫を残しなさい」っていうメッセージなのかな?
それに人類がやがて終わるっていうのは、人類が賢くなりすぎたせいで
いわば、偶然「知ってしまった」ことで、これは神様でも予測できなかった
事態ではないでしょうか。まあよく分からないな。なんだよ「神様」ってのは(笑)
都合の良いときに「神様」って言葉使いたくなっちゃうね。どうしても。
86 :
1ではないが:04/04/16 14:19
本能的な「死にたくない!」っていう叫びは、
「誰かが私を必要としているから死にたくないんだ!」
というのとは、ちょっとズレてるかも知れない。
極端な話、誰にも必要とされてないような、クズのような人間でも、
本能的な「死にたくない!」という叫びはあるだろう。
だから、そこが不思議なんであってね。
なんちゅーか、そこまで根源的な生きる意志って何だろうね?
生きる意志を脳から取り除くとどうなるんだろう?とかさ。
87 :
ちくびぎゅーん:04/04/16 14:24
>>72 >>81 私はそのような「死」という概念を「生」という概念と同種のように扱う考え方に違和感を覚えます。
私たちはいずれ死ぬかもしれない、しかしいずれ死ぬからといって「今ここにある」生が
失われることはありませんし 何の影響もむしろ無いように思える。
「死」という概念自体 捉えにくいものであると1さんはよく言いますが おおむね私は同意します。
私たちが「死」という問題を考えるとき 私は「生きた」という言葉を用いるべきだ、と思うのです。
そうすれば「生」の問題に「死」という事柄を当てはめるというカテゴリーミステイクは防がれるように思います。
結局は 「生きた」という言葉を用いて考えれば われわれの「生」の問題は やはり「生」のうちに
解決を見なければならなくなる のではないかと私には思えます。
88 :
考える名無しさん:04/04/16 14:25
生きたい!という生命の意志はすばらしい。
89 :
考える名無しさん:04/04/16 14:53
>>82 『ルサンチマンの哲学』は文章的には難しくないので、おそらく今のあなたでも問題なく読めるはず。
ただし、あなたにとっては同感より疑問・反論をより多く抱く内容かもしれないが。
でもそうして抱いた疑問や反論に対し自分の論を立ててみるというのは
「哲学する」のにいい機会になってくれるとは思う。
そういう意味では、あなた向きの本かもしれない。
それから、いわゆる哲学書といわれるもので、
読みやすくかつあなたの関心に合いそうなものを個人的にいくつかピックアップ。
・プラトン『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』など(岩波文庫、中公クラシックス)
・孔子『論語』、老子『老子』、荘子『荘子』、韓非『韓非子』(岩波文庫)
・『ブッダのことば』(岩波文庫)、親鸞『歎異抄(訳注つき)』、道元(懐奘)『正法眼蔵随聞記』(講談社学術文庫)など
・アウグスティヌス『告白』(岩波文庫)
・モンテーニュ『エセー』(中公クラシックス)
・ルソー『エミール』(岩波文庫)
・ショーペンハウアー『自殺について』『読書について』『知性について』(岩波文庫)
・J・S・ミル『自由論』(岩波文庫)
・キルケゴール『死に至る病』(岩波文庫)
・ニーチェ『善悪の彼岸』『道徳の系譜』など(岩波文庫、ちくま学芸文庫、新潮文庫)
・フロイト『精神分析学入門』(新潮文庫、中公文庫、中公クラシックス)
・サルトル『実存主義とは何か』(人文書院)など
あと、哲学書ではないけど、哲学関係者で推薦する人の多い
・ドストエフスキー『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』(新潮文庫、岩波文庫)
全部読めとは口が裂けても言わないから、興味がありそうなものを選んで読んでみるといいのでは。
そこに書いてある問題に同意するにせよ反論するにせよ、哲学するのにいいきっかけとなってくれるのでは。
90 :
ちくびぎゅーん:04/04/16 15:00
>>87 1さんが「決定論」に傾いているのは 死から生をさかのぼって見ているからではないか、
と私には思えます。
人間は確かにひとつの可能性を生きることしかできない と私も思います。
このような事実を 事後的に(結果からさかのぼって) 整理して考えるならば
「私たちにはあの時ああする以外になかった」 という結論を すべての場合に
押し広げて言えるだろうと思います。
しかし私は それは間違っているのではないかと思うのです。終点からさかのぼって「今」を考えることは
本来存在する「今」を「無」に変えてしまうような 「反現実性」を持っていると私には思えます。
そして「死」と「生」を混同している というようなカテゴリーミステイクを 犯してしまっているとも思えます。
目が痛くなってきたので今日はこのくらいにしておきます。それでは。
91 :
考える名無しさん:04/04/16 15:08
哲学の問いへ導入してくれる入門書としては
野矢茂樹『哲学の謎』(講談社現代新書)を推薦する人も多いな。
もっとも、1(元 の関心に合うかどうかは分からんが。
>教育はきっかけでしかないと思います。
>そうでなければ、およそ私を形成する人格は誰が作ったものでしょう?
>私はこれを先天性因子と呼んでいますが、私はどうやら教育だけで人格が形成されてようではありません。
>読み書きを習わなければできない。異論は特にありません。
>それでは、やはり私の疑問は誰かに教わったものですか?
そうですよ貴方の疑問は誰かに教わったものなのです
日本の国民として生きていけるように教育されて来たでしょう
教育は環境による刷り込みが一番多い要因ですが
1さんの場合幼少期に「人生の目的」を探しているのですから
親兄弟・友人・学校・漫画などが大きく影響を与えてるハズです
>>ちくびぎゅーんさん
変えて行くのではなく変わってしまうのです
どんなに真似ても変わってしまう
それを変化したなどと勘違いしてるだけです
刷り込みを変更するには新たな知識を自分に刷り込むという作業が必要です
ようするに誰かが用意した知識を使っているにすぎない
皆さんは自分と言う者についてもう少し考える事が必要だと思います
「死が恐い」という観念も「教えられた者」ですよ
死を恐れていない人達はいくらでもいます
私たちが考えるという行為は先人の知識の結晶であり
私たちが能動的に考えている訳ではないのです
95 :
考える名無しさん:04/04/16 16:29
問題を正しくとらえれば その問題は 半ば解決したようなもの
その逆は 問題を増すだけだ
見分けは簡単
問題が増えてるか 減ってるかだ
96 :
考える名無しさん:04/04/16 16:40
庶民的な意見を言えば、こういう問題については「明確な答えなど出ない」として
生きている人が大半だと思うね。
答えなど考えてても出ない、と思って割り切るか、
いや答えはあるはずだ、として一生答えを見つけられないか
そのどちらか。
大抵の人は宗教などに入っているのだから
目的を疑ってない人の方が多いのでは?
日本だけが例外なんだと思った方がいいと思いますよ
98 :
考える名無しさん:04/04/16 16:56
>>97 そうかな?アメリカなんか、聖書をバカにしてる人らもいそうだけどね。
決して多くは無いだろうけど、教育をまともに受けられん人もいるし。
あと中国とか共産国家は宗教ありませんし。強いて言うなら反日教か。
99 :
考える名無しさん:04/04/16 17:07
ドウミテモ モンダイ フエテル ミタイダナ・・
100 :
考える名無しさん:04/04/16 17:09
俺はあきらめてるけどねえ。考えてても絶対価値なんて出てこないんだから。
その辺は割り切らなきゃね。
考えてもおそらく無駄な問題には、考える意欲が湧かない。そういう意味で
>>1とは
共感ができない。
101 :
考える名無しさん:04/04/16 17:10
>>96 まあでも問題によるな。フェルマーの最終定理とかは、考えるほどに問題が山積みに
なっていったモノだったみたいだけど。
102 :
考える名無しさん:04/04/16 17:14
>>89 ルソーなら『孤独な散歩者の夢想』(岩波文庫)の方が読みやすいかも。
あと入門書として、コント=スポンヴィル『哲学はこんなふうに』(紀伊国屋書店)なんかどうだろうか。
「道徳」「愛」「死」「自由」「神」など哲学上の12の根本テーマについて
基本的な議論を提示している。文章もとても読みやすい。
>>1が自分の考えを練りあげる上での叩き台になるのではないか。
創造者がいない以上
人類共通の目的はないでしょう
目的は作られた側には存在しないでしょう
作った側から見た価値観だと思いますよ
答えから言うと
作った側の目的を探せば自分の生きる目的が出てくるでしょう
作った側というこの場合
自我を教育したのは誰か?という事を煮詰めていけば
1さんの言うような個人個人の目的というものがあるかもしれませんね
105 :
考える名無しさん:04/04/16 17:59
自分の生きる目的もわからないのが
人類の目的、わかるわけないだろ。
>>98さん
限定範囲が狭いですよ
もっと世界的に見て下さい
中国などは部族ごとに信じてる神や土着の宗教がちゃんとありますよ
>>105 例えば貴方の親がなんらかの目的があって貴方を生んでいれば
それは貴方の生きる目的と言えるでしょう
108 :
考える名無しさん:04/04/16 18:04
109 :
考える名無しさん:04/04/16 18:05
>>107 親子は別人格では?
同じ親から生まれた兄弟ですら、そうなんだが・・?
110 :
考える名無しさん:04/04/16 18:09
>>106 98の範囲は確かに狭かった。
でも俺は、宗教そのものによって生きる目的を見出してる人はほとんどいないと
思う。ほとんどの人間には、宗教のこと考えても考えなくても向き合わなければならない
現実が目の前にある。
宗教の考え方は道徳として意識下に刷り込まれることに意味がある(己の中に神を持つ)。
心のよりどころであって生きる目的にはならない場合がほとんどだと思う。
もちろんそれでも宗教にハマって、教義に尽くすことが生きる目的になる人もいると
思う。イスラムなんかはそういう人も多いのかな。
でも地球を見渡すに、宗教=目的となってる人は少ないと思うなあ。
111 :
考える名無しさん:04/04/16 18:13
>>110 お前馬鹿すぎ。
宗教オンチの日本人代表みたいな意見だな。
この馬鹿は世界のことを何も知らない低脳。
現世で生まれてそこに社会があるのだから
歯車になるのが唯一の目的だろう。
連鎖を絶やさないように。
そこに意味など。
意味を追い求めるのが一つの価値であるだけではないのか。
知恵は生きていくために進化したもの。それが言語を生んだ。
連鎖を絶やさないため。それが全てなのに何を悩むというのか。
それよりもどう生きるか、どう最後を迎えるか。
それは理性を持った人間の価値観に依存する問題で。
真などみつかるものか。
そうですよ現代は自由を獲得するという方向性で動いて来たのですから
西洋は生まれながらに生きる目的がある世の中を否定してきたのでしょう
114 :
考える名無しさん:04/04/16 18:14
>>111 マタ トンデモナイ ガカ ガ キタ
115 :
考える名無しさん:04/04/16 18:17
>>114 ガカって何?
お前アフォ?死んでいいよ。
116 :
考える名無しさん:04/04/16 18:19
>>112 歯車になるのが唯一の目的だろう
↑
だろう、とはえらく自信の無い話だね(w
ところで人間がどうやれば
歯車になれるか、を教えてくれ。
人間は生物である故にその動物的連鎖のなかにいることは理性を持ってしても否定できない。
それだけが唯一の真だろう。
理性から生まれたものは二次的な価値観の議論でしかない。
118 :
考える名無しさん:04/04/16 18:20
>>112 それは自分で勝手に思いこんでるだけでしょう
別に貴方一人いなくても世界は何も変わらない
せっかく人生の目的という呪縛から開放してくれたのに
また目的という鎖に身をゆだねようとしてるのが1さんですね
120 :
考える名無しさん:04/04/16 18:22
121 :
考える名無しさん:04/04/16 18:22
「2ちゃん駄スレアワーの時間がやってまいりました。本日は駄スレ研究の第一人者、
恩田擦次郎さんにスタジオにお越しいただきました」
「よろしくお願いします」
「さっそくですが恩田さん。このスレッドは駄スレとしてはどの程度のレベルでしょう?」
「そうですね。まあ、並み程度といったところでしょうか」
「ははあ、並みですか。その判定の基準は、一体どのようにおつけになるんですか?」
「ええ、私ども駄スレ愛好家の間では、三段階の基準があるんですよ。
まず、私怨による誹謗中傷や個人情報の公開を行ったスレ…これを厨房スレといいます。
削除対象になる最悪なスレですね。
次に、このスレのようにつまらないネタで立ってしまったスレ。これを駄スレといいます。
最後に、まったくレスがつかないままDAT落ちしたスレ。
これは瞬殺スレッドと呼ばれ、愛好家の間で最も優秀な駄スレと言われています」
「レスがまったくつかないスレッドが優秀なんですか?」
「そうです。どんな駄スレでも大抵の場合は『終了』『1の母です』等のレスがつきますからね。
まったくレスがつかないままDAT落ちするのは、まさに至難の業なんですよ。
目立たないタイトルに、当り障りのないテーマ、煽りやマジレスがつかない内容…
微妙なバランスを保って、誰の目にもとまらずひっそりと下がっていく…まさに芸術です」
「なるほど…駄スレひとつ取っても奥深い世界があるんですね。
では、このスレッドの1は、瞬殺スレッドを作れる才能というのはありそうですか?」
「残念ながら難しそうですね…。見るからに自己中心的な内容で、名声欲が強そうですから、
すぐに煽りレスがつくでしょうし、レスがつかなければ自作自演してしまうタイプですね」
「では最後に、ここの1にアドバイスをお願いします」
「人には向き不向きというのがあります。残念ながらあなたはネット活動には不向きです。
周囲の反応をダイレクトに受けて喜びたいというあなたには…そうですね、
発展途上国でのボランティア活動などが向いているんじゃないでしょうか?」
>>116 動物的に交わり遺伝子を絶やさないことだろ。
社会は何のためにあるのか。
ルールは何のためにあるのか。
もし哲学者が己の哲学から真を見つけたとして、それを全うするのであれば
世俗から出ていくしか無い。
社会とは生存の為の作り上げられてきたシステムだ。
そのなかで生きる目的を見つけるのであれば、それは社会に準ずる。
己の、社会の規範の枠外の真に目的を置くのであれば、社会から離れた方がいいのではないか。
>>117 目的とは人間にしか存在しない価値なのに
真理に照らし合わそうとする事が間違っている
>>118 西洋とは自由を口にして頑張ってる集団をさしてます
別に一般市民はどうでもいい
124 :
考える名無しさん:04/04/16 18:24
>>111 まじか。まあ俺は世界を知らんからな・・・
125 :
考える名無しさん:04/04/16 18:24
>>119 別に貴方一人いなくても世界は何も変わらない
↑
ずいぶんな宗教ですね(w
>>119 >>112は思い込みなのだろうか。
人間は生物。それ以上の真がありえるのだろうか。
理性は真ではない。
>>126 真理の話をすると
存在自体が曖昧になりますよ
>>123 目的とは人間にしかないものなのか?
他の動物たちは無意識に連鎖を行っている。
それを認識できるのが人間の持つ理性であると言うだけの事だと思うが。
他の動物たちは遺伝子を絶やさないという一つの生物的目的に準じてると
人間は認識できる。そこの違いなだけではないのか。
129 :
考える名無しさん:04/04/16 18:28
ここで調子のって持論を展開するとすぐ「馬鹿」「低脳」という言葉を聞けるな。
己を戒めるのにいい。たまに利用しよう
生物が生物として生き残るのは唯一の真だと考える。
事実、数十億年、連鎖は現在まで続き、地球が崩壊するまで続くだろう。
そして人間も生物だ。
理性は生き残る知恵から生まれたのではないのか。
意味などあるのか。
131 :
考える名無しさん:04/04/16 18:29
>>123 「西洋とは自由を口にして頑張ってる集団をさしてます」
↑
日本人は自由を口にしますが、西洋人だったんですね(w
「別に一般市民はどうでもいい」
↑
ずいぶん、ヒドイ宗教をご存知のようですね?
何教ですか、それ?
132 :
考える名無しさん:04/04/16 18:31
>>127 真理の話をすると 存在自体が曖昧になりますよ
↑
では、してみて下さい、真理の話を
存在自体が曖昧になる、という話を(w
価値観に準ずるものならいくつもの真があるのだろう。
宗教、哲学など。それぞれに目的を探すための手段ではないか。
全て二次的だと思える。
134 :
考える名無しさん:04/04/16 18:34
ロウシ ガンガレ
理性にしたがい、目的を探そうとする。
間違いではない。が間違いであるかもしれない。
根本に戻り、人間が生物であり、生きるために知恵をつけ、理性を得、社会を作り上げた
この真実を根本におかないで何を議論すると言うのか。
136 :
考える名無しさん:04/04/16 18:35
哲板には茶々入れに耐える精神力と論の内容が必要だw
哲学、心理学は目的を見つけるものなんだろうか。
俺個人にとってそれらは自分を自分として論理的に認識する手段でしかない。
138 :
考える名無しさん:04/04/16 18:40
老子の話は、奥が深そうだ。
もっと話を聞いてみたい。
とりあえず、質問にどう答えるかを見たいが・・
理性を第一と考え生きていくのであれば、超自然的な社会世俗から抜け出せ。
他人に依存する社会には理性を第一と考える理性に、住む場所は無い。
なぜなら社会は自然であるからだ。動物的だ。
140 :
考える名無しさん:04/04/16 18:42
自然の真と自己の真(二次的)はわけて考えろ。
自己の真を求めるなら社会から抜け出す以外にない。
そこで死んでいくのも自己の理性に従った結果だろうと思うが。
宗教は神という存在に従うものだ。しかし社会を前提に考えている。
社会は社会のルールに従うものだ。それが多くの存在にとっての真なのかもしれない。
143 :
考える名無しさん:04/04/16 18:51
144 :
考える名無しさん:04/04/16 18:53
イイ シツモン ダ
>>143 それは自己、例えばあなたが自分を認識できたとして、その自我が真と認めるものだと考えるが。
それは曖昧で無数にあるものだ。
二次的な真を求めるならそうなる。
真とはなにか?個の理性に準ずるもの。二次的なもの。そうなるしかないだろう。
ですから、俺にとっての現時点での存在が真と認めるものはあるが
それはあなたにとっては真だと言えないかもしれない。
それは俺の理性が真と認めるもので、あなたの理性が俺の理性と異なるであろうと思われるからだ。
147 :
考える名無しさん:04/04/16 18:58
>>145 それを突き詰めると、必ずしも社会から抜け出すことには、繋がらないとも思うが。
自己の真とは、現実を無視してアナーキーを志向するのか?
俺の理性の真については、社会と相反する真であるので、これを自己で否定するしかない。
なぜなら俺は社会で生きているからで、自分の真を用いて社会の認識を根本的に変えるちからがないうえ、
二次的なものだから。
149 :
考える名無しさん:04/04/16 18:59
>>144 ホメラレタ!
もう今日は満足だw 寝よう
150 :
考える名無しさん:04/04/16 19:00
>>147 どうだろう。
あなたは現時点で曖昧ながら理性の目的を認識できているであろうか。
認識できているのであれば答えはあなた自身がわかっているだろう。
俺の理性の真の場合、社会に相反する。
>>150 根本の真は動物的だと考えた上で
すべての理性から生み出される真は二次的だと考える。
それは個に依存する問題であると思う。
153 :
考える名無しさん:04/04/16 19:10
人間には直感があるんだ。それは理性で気づこうと気付くまいと人間は必ずある決まった選択をする。それはこうあろうと実存的に超越した瞬間に取るべき行動が決定される。混乱した精神には選択はない
理性を以ってして、生物的連鎖という目的は否定できるのか。
できるはずないと思う。
生存とは生物の唯一の真理であると認識するからだ。
理性はそのうえにある。根本ではない。
一人の女性を信じ(愛し)、社会(自然)の中で家庭を作り、子供(価値)のために生きる。
この単純な事が真であると確信する。
>>128 鉛筆は字を書く為に作られたという目的があるが
はたして鉛筆自身に自我が目覚めたとして
目的があるのか?ないのか?理解ができるか
創られた者が自我で目的を探して答えが出るのでしょうか?
どう思いますか?
812 名前:とおりすがり :04/03/13 17:21
だめだこりゃwww
自分の主張や立場を明かせないし、まともな議論が出来ない電波ユンユンの
アッチ系の方でしたかwwこりゃ失礼しましたw
がんがって「反○○」(○○には任意の用語をw)のポーズを死ぬまで取って
くださいねwww
目的を探るには創った人の思考を読み解かなくてはいけないでしょう
鉛筆がいくら自分で自分の事を考えても
目的を探せるはずが無いですね
皆さんは答えにいたる道を間違えてますよ
159 :
考える名無しさん:04/04/16 21:19
そうか。考え方の違いがあって受け入れがたい
>>156 鉛筆自体には目的は無い。
作った側、使う側には目的はある。
その前に例えは例え。鉛筆は無機質な物体だ。
161 :
考える名無しさん:04/04/16 23:22
自己批判をし、自己を分析し、自我を認識する。
それができていない存在が何を語れると言うのだろう。
わからなにのであればそれがわからないという答えがある。
そこに至っていないのにこの先何を基準に生きていくのだろう。
生物としての役割を理性が奪う。これが正解なら社会は崩壊した方がいい。
ふじみ
163 :
考える名無しさん:04/04/16 23:47
(前スレにて)
コインの話でちくびに言いそびれましたが、
ちくびは、法則存在者が真として存在しているから
確率が2分の1に漸近的に近づくと言いましたよね?
いやいや全くそんなことはないです。
確率がある程度の正しさを持つのは、対象が
”ランダム(混沌)”であることの証明に他なりません。
また、確率が絶対的に正しくない(完全に均質なランダムでない)のも
世界の不完全さを証明しており、それは真の混沌に他なりません。
「あらゆる物理法則は表象の秩序に過ぎない」と
誰かしら言ってましたね。誰が言ったのか忘れましたけど。
あと、倫理倫理とおっしゃってますが具体的にどういった倫理でしょうか?
端的に「自由であれ(カントだったかな?)」と、私もこれに概ね賛成しています。
さらに現代において、この”自由”の意味のパラダイムシフトが必要だと感じています。
ドクター?でもいるのか?妄想?
確率といえば、人種によって、分裂病(統合失調症)になる
割合は同じだそうです。進化過程が関係しているらしい。
現存する人類が、数匹の猿からはじまった証拠であり、
運命的に精神病になる人がいるわけです。
これは大変な事です。
私かもしれませんし、他の誰かかもしれません。
自分や親しい人が狂った時の為に、生きる目的が
必要だとは思いませんか?
>>160 解ってるじゃないですか
ようするに目的は人間にしか存在しえない価値観ですよね
そうなれば自我を創った教育が使った側、使う側になると思いませんか?
老子さんは、宗教的な枠組みが前面に出ている感じがします。
この見方は、間違いでしょうか?
自分は宗教に入ってませんよ
とすると、宗教をむしろ嫌っているのかもしれません。違ってたら
すいません。
学習、刷り込みというのは、よく言われるように、同じ教育を受けた
人間が道徳的に全く反対の人間になったりする事は、どう説明するのでしょうか?
例えば、イラクでテロリストに教育されたからといって、本物のテロリストに
全てがなるわけではない。最終的には個人の資質が左右するのでしょうか?
刷り込みには色々な環境が関係する訳で
同じ人間を作るというのは当然無理です
ですから資質というよりは必然ですね
どんなに真似したって個性というのは生まれます
172 :
考える名無しさん:04/04/17 02:07
ヒトラーは狂人だったわけではないということですね。
その本人が最終的には、自分で考えなければならないわけですから、
全てが受動的というわけでもないような気がするのです。
本当の目的というとき、自己実現を考える人もいるでしょうが、
私の場合、最低限の人間の条件を考えるようなものです。
おそらく。ではおちます。ありがとう。
個人で見た時はこっくりさんが言うように資質が左右されるように見えますが
実際は三人いれば後ろと前が必ずできるように
道徳的に反対の人間ってのはどうしても出来てしまうだけなんですね
それが自分になるか他者になるかは運としか言いようが無い
それは自分で選んび考えた道ではなく
環境に強制された受動的な状況があるわけです
単純なこったよ。
賭け金としての持ち金。
使いたい様に使えばいい。とっときたいならとっとけばいい。
「持ち」金なんだからどのように使うかは当人の自由。
つまりは「本人が使う為」「その本人の為」にある、と。
「我々は、須らくしてその願いを達成する為に出来ている」、ってなね。
177 :
考える名無しさん:04/04/17 09:32
すべからくして=す+べく+ある+らし+く+して
ここでは「べく」が問題になっているようだ。
178 :
考える名無しさん:04/04/17 14:42
Aが存在する意味っていうのは、
Aが失われたことに付随して失われるもの、
と定義すればいいんじゃないか。
エンピツが失われたら、例えば筆記試験が出来なくなるとか
そういうことが付随して起こる。これがエンピツの存在する意味だ。
だから、宇宙が存在する意味は
宇宙が失われてた姿を想像してみないと分からない。
私が存在する意味は?この世界から私を消してみよう。
そこで失われるものが、私の意味だ。
179 :
考える名無しさん:04/04/17 15:23
私の意識がどうして存在するか、これは難しい問題ですが、
とにかく存在しているらしい、ということまでは了解できる。
私が眠っている間、あるいは気絶している間、意識はなかった。
意識がなかった、ということがどうして分かるのだろう。
死というものは、主観的には永遠に熟睡することに等しいのだろうか。
考えてみると不思議だ。
私たちが熟睡しているあいだも、
肉体なり神経なり脳なりは、ちゃんと「存在」しているのに
なんで「意識」だけがどっかへ消えてしまうのだろう?
そしてどうして、ふたたび「意識」が目覚めるのだろう?
180 :
考える名無しさん:04/04/17 15:33
マタ トンチンカン キタァ
>>177 「なすべきこととして」「当然のこととして」とか意味はあるけど
漏れが使った意味としては後者よりな。
「真理として」「前提として」「誰彼の意思に関わらず」とか。
182 :
ちくびぎゅーん:04/04/17 20:56
>>163 163さんが 「確率にはゆらぎがある」 ということを問題視して
「本当は混沌である」と 主張しているのだとしたら 興味深いですが
(なぜ混沌ということになるのか 不思議なので)、
私は 163さんの反論では、つまり「ゆらぎ」では 混沌であるという事に対して
説得的な説明が なされていないのではないか と思えます。
なぜなら 私が主張するのは「ゆらぎ」がありながらも 一様に 2分の1に近づいていく
ということから 法則的存在者の 存在がうかがえるのではないか、
ということ だからです。
183 :
ちくびぎゅーん:04/04/17 21:17
>>老子さん
端的にって私は あなたが何らかの能動性を認めるならば あなたの言う
「環境に強制される」ことはありえないように思います。
あなたが重視する「絶対的な受動性の中で能動性を模索しているに過ぎない」という
テーマは 特に問題がないようには 思いますが
(どうしても私には重大なこととは思えません)。
>>164 私の倫理観が気になっているようなので 端的にお話します。
私は「倫理」が 「全他者」に対してなんらかの関係性を持つ(責任のような)
事を 問題視しています。それは「全他者」が宇宙や神のような 最大概念にまで
拡大されることを招くだろうと思うからです。
だから私は「わたし」を中心として 「倫理」を書き換える必要があると 思っています。
しかしそこには「わたし」の不確定性の問題が横たわっており、必然的に「わたし」にとって
大切な(ひとりの)「他者」の存在を 希求するだろう、と考えています。
大まかに言ってこのようなものです。
ただ私は このように自説を書き込むことによって 自らがバランスを崩すことを
もはや望んでいません。だから あなたの反論や意見は 受け付けますし 反省もしますが
これ以上 このようなことについて 自説を書き込もうとは思っていません。
>>182 ゆらぎというと?確率の一時的な偏りですか?
コイン片面の確率はそれぞれ漸近的に1/2に近づいていくとしても
現実世界では確率はいくらやってもピッタリ1/2にならないわけです。
あくまで無限遠上に終点を置いた場合(理想状態)に、ジャスト1/2となるだけです。
イデアリスティックな世界観なんですかね?ちくびさんは。
>なぜ混沌ということになるのか 不思議なので
たとえば、細工のないサイコロを転がすとして
どの出目もほぼ6分の1の確率で出ればランダムと言えますよね。
(もちろん大量のサンプルから統計取るとして)
もし出目に大きな偏りが出れば、それこそ私は神を信じますけど。
ランダム=偏りがない、これを混沌と私は呼んでいるだけです。
しかし上記の要に現実世界は完全な、理想的なランダムでもない。
それこそ世界は真の混沌(不完全)であるということです。
185 :
ちくびぎゅーん:04/04/17 21:38
>>184 率直に言って「ランダム」という用語に 煙にまかれているという気がします。
私が言うのは「ランダム」いや「混沌」という言葉で やるたびに
2分の1に「近づいてゆく」という事柄を 説得的に説明できていないのではないか
ということです。
そのように「ランダム」という言葉と「混沌」という言葉を多義的に使えば
世界は「混沌」であるといえなくも無い、とは思いますが。
加えて 前回のあなたとの議論でも 言及しましたが
私はイデアルな世界とリアルな世界の 2世界論は支持していません。
あくまでこの「今ここにある」現実世界を この世界のうちに 根拠付けるような
そんな存在が あるように思える ということを言っているまでのことです。
186 :
ちくびぎゅーん:04/04/17 21:51
>>184 論点を整理するために私の意見をもう一度書き込ませてください。
私は法則的存在者がいるから 「やるたびに」2分の1に近づいていくのであって
もし法則的存在者がいなければ むしろそのような結果にはならないのではないか ということです。
たとえば 今日は いくらやっても表(あるいは裏)しか出なかったとか、
8:2の割合になってしまった とかいう様な事になるべきでは 無いかと思うのです。
私の中の混沌という言葉のイメージでは(例えば無秩序という言葉に置き換え可能ならば)
「混沌」であるというならば むしろ 2分の1に「やるたびに」 近づいてはならないように
思えます。
>>185 ランダムサンプリングと言う言葉はご存じですか?
これがないと統計学は成り立ちません。
説得的説明もなにも、対象がランダムであるという信頼の上に
統計学という理論が成り立っているわけですから。
たしかにおっしゃるように確率の話から
世界の話に飛躍するのはいささか早計ですね。
188 :
ちくびぎゅーん:04/04/17 22:21
>>163さん、>>老子さん
たとえば老子さんは 無限の可能性の中から一つの可能性を選択するという事態においても
無限の可能性という制限を見つけて そこに受動性を見るのではないか と思えます。
また 163さんはどのような整理された事柄からも 混沌を見出すのではないか、
と私には思えます。(もし違っていたらすみません)
しかし私には 同じような作業からまったく逆の結論が導き出せるように 思えるのです。
たとえば老子さんの場合は、1分の1の可能性においてもまったく逆に それを積極的に
受け入れることによって そこに能動性を見ることも出来るように 私には思える。
163さんの場合は、世界は一つの秩序たとえば「決定論」的な汎秩序世界である と
いえるのではないか、と思えます。それはどのような整理「された」秩序からも 混沌を見出すように
どのような「無規則的」な状態にも「秩序」を見出すことは 可能なように思えるからです。
これらは「判例」としての適格性を書いていますでしょうか。もしそうなら無視していただいても
結構です。
私がここで もう一つ言いたかったことは163さんの混沌説や老子さんの受動説が
一つの立場として相対化可能な事態である ということだったからです。
189 :
ちくびぎゅーん:04/04/17 22:34
>>188 「判例」ではなく「反例」ですね。
議論も煮詰まってきましたし 私は明日仕事になったので
もう帰らせてもらいます。
反論を聞かずにいいっぱなしになることは申し訳ないというほかありません。
それでは、失礼します。
ちくびって女性なのか?
191 :
9300925992498513:04/04/17 23:00
そうですよ。
>>189 男なんじゃないっけ?"彼女"がいるとか言ってた気がする。
たしかに話し方は女っぽいよね。
>>188 たしかに能動説受動説は相対化できるかもしんないけどオレの場合どうだろ。
何を相対化したの?確率論は理想的なランダム性を前提に成立するもんだよ。
かといって世界が完全なランダム(理想状態)ではないから不完全だと言ってるだけ。
あと、どうやら確率1/2を何らかの法則だと思ってる節があるけど
確率1/2は法則でもなんでもないよ。(量子力学を除く)物理法則なんかとは別。
さらに言うと、物理法則なんてのも世界のあくまで妥当な説明方法。
アインシュタインのラムダ項の話なんかは知らないのかな。
だから、ある法則を真の世界と取り違えるような認識は危険なんです。
193 :
考える名無しさん:04/04/17 23:30
チクビ オチンチン ツイテ ナイノカ?
194 :
考える名無しさん:04/04/18 06:11
195 :
考える名無しさん:04/04/18 07:45
人類の目的について考えることが、人類の目標。
平和の持続が目的では、人類は歴史を繰りかえさざるを得ない。
人類にはゴール点が必要なのだ。
個人的にはそれは、「解放」であると考える。
「解放」とは・・・
196 :
考える名無しさん:04/04/18 08:16
パチンコしてるとよく聞くタームである。
197 :
考える名無しさん:04/04/18 08:18
・・・それは、パラダイムシフトと呼ばれる・・・
198 :
考える名無しさん:04/04/18 09:59
夜明けだ…新しい日本の夜明けだ…
>>ちくびぎゅーんさん
「人生の目的」を考えるのであれば
>>絶対的な受動性の中で能動性を模索しているに過ぎない
という答えが必要になってきます
ちくびぎゅーんさんは
考えるという行為そのものも環境に強制されていると思いませんか?
よーく考えて下さい
教育を受けない人間がどのように育つのか!
私たちの自我を作りだした情報と言う物が存在している事実を
自我が芽生えるというのはあらかじめ強制されているのです
201 :
THE グル:04/04/19 03:03
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
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∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
だから自説で人を洗脳しようとする手法はやめれって、ハの字
203 :
THE グル:04/04/19 04:19
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
おまえらに真理は無理だから
はやく自我を認識しる
受動的と能動的、この二つは相補的な概念と考えたい。
刷り込みがあろうと無かろうと、私の自我(こころ)は目覚めたと思う。
それは確かに、野蛮で原始的なものになるかもしれない。
しかし、種から芽が出て、明るさを目指すように命は生きている。
もし、これを主題として考えるとすれば、
結果として、受動的な人間と能動的な人間に分かれるのが問題ではないのだろうか?
206 :
考える名無しさん:04/04/19 21:32
チクビ、 ナニ ブツブツ イッテンダ?
>>206 私はちくびさんではありません。
役不足で悪いね。
208 :
考える名無しさん:04/04/19 21:47
>>207 ア、 コックリ ダタカ、 ワケ ワカラナイ カラ ツイ チクビ カト・・w
>>205 教育を受けていない人が
「人生の目的」を考えると思いますか?
野生の動物や猿にも自我あると思っていますか?
植物はどうですか?
210 :
考える名無しさん:04/04/19 22:12
>>209 野生の動植物には、人間のような自我はないでしょう。
しかし、受動性で無く純粋な能動性というものがある。
ただの生きようとする意思でしょうけれど。
それを能動性と呼べない、と言われればそれまでではありますが、
人間にしても、その能動性があるからこそ、刷り込みに応じる
のだと思うのです。
212 :
考える名無しさん:04/04/19 22:33
スリコミ ッテ ナンダ?
>>211 純粋な能動性ですか・・・
人間にある能動性は用意される者を選択する程度です
ただ選択する理由はやはり刷り込まれた知識なんです
こっくりさんは今まで何を選択しましたか?
こっくりさんの選択は全て強制的に与えられた知識によるものではないですか?
214 :
考える名無しさん:04/04/19 22:35
魂への配慮を怠らず日々精進を心がけ良く生きる事が人生の目的。
必死になれば目的なんて考えて鬱にならずに済むぞ。
>>213 >こっくりさんは今まで何を選択しましたか?
こっくりさんの選択は全て強制的に与えられた知識によるものではないですか?
確かに、そうだと思います。しかし、自分の責任においてだとおもいます。
この責任を負うということは能動性とはいえませんか?何も考えないように
洗脳をすることは可能ではありません。
正しい刷り込みや洗脳、ということが発見されれば、人間は「本当の目的」
を見つけるということでしょうか。
216 :
考える名無しさん:04/04/19 22:55
217 :
THE グル:04/04/19 23:00
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
日本人に近づかないことを続けることを肯定しようかな
219 :
考える名無しさん:04/04/19 23:03
220 :
阿頼耶識 ◆Dshu0PxSp6 :04/04/19 23:04
欧米人では宗教が死生観を決めます。
221 :
考える名無しさん:04/04/19 23:05
交通事故はしょうがない。誰も悪く無いじゃん
223 :
考える名無しさん:04/04/19 23:18
>>222 モノゴト ニハ カナラズ ゲンイン ト セキニン ガ アル
>>215 責任を負うという知識を強制されているのでしょう
能動性でもなんでもないですね
発見する必要はないですよ
知ってる人は答えを知ってますから
>>213 責任を負う自我、というのは二次的で客観的な自我というべきではあります。
本質的な自我が受動的にしか成立しないと言う意味でしたら、わかります。
しかし、受動的な自我だけで生きていくこと自体、不可能ではないのでしょうか?
生まれてから死ぬまで
先人の知識で行うのが人間ですよ
責任をとろうじゃないか
228 :
考える名無しさん:04/04/19 23:34
>>224 オマエ ナニ シッテルンダ? シッテル コト イッテミロ
>>228 具体的に聞かれないと
コメントしようが無いですよ
230 :
考える名無しさん:04/04/19 23:53
>>229 老子さんは、立場自由的な相対観を持っている。
過去に尋ね、未来の自分を知る。
受動的な自分に耐えられるだけの精神の余裕がある。
此処にこだわるのであれば、刷り込みに耐える精神を
作ることが生きる条件となってくるでしょう。
先人も理不尽なことを要求してくると思いますから。
233 :
考える名無しさん:04/04/20 00:06
ロウシ ハ イカレ テルナ ナンノ ロンリ モ ミアタラナイw
まだやってるんだ・・・おつかれさまです
>>231 そういう事は道に入る事で解消されますよ
老子を読んで下さい
236 :
考える名無しさん:04/04/20 00:46
シュウキョウ ト テツガク ノ バトル ニ トツニュウ デスカ?
>>236 誰も道教とは言ってない
老子は哲学ですよ
違いがわかりますか?
238 :
考える名無しさん:04/04/20 00:55
>>237 ノウガキ タレテ ナイデ シッテル コト イイナヨ
>>238 229を読みましょうね
言葉が通じない人には話す言葉がないですよ
理解できますか?
240 :
考える名無しさん:04/04/20 01:00
>>239 ロウシ ガ ドウ シタッテ? シラナイ ナラ イワナクテモ イイヨ (w
241 :
THE グル:04/04/20 01:02
>>237 いいですか、
「老子」は哲学ではないんです。
教訓乃至、ローカルルールなんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>241 老子は哲学ですよ
貴方の哲学の定義はなんですか?
243 :
考える名無しさん:04/04/20 01:04
ロウシ ト イエバ ナンデモ カイケツ スルト オモッテル DQN ガ ヤク1メイ
244 :
THE グル:04/04/20 01:08
>>242 いいですか、
それがある一地域のことを考えるものでなく、
人類について語っているかということなんです。
「老子」は、
その意味でローカルルールや一地域の教訓に過ぎないんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>245 さっきから、中身もせ示さずに、老子をダシに使ってるが、
何を言いたいのかな?
言いたい哲理をハッキリさせてみては、どうかな?
>>244 貴方の定義では・・・でしょ
何故一地域だと思うのですか?
そう思うのは読んだ事ないからなのかな?
>>246 哲理?
1さんに人生の目的を気付かせるのが目的ですよ
249 :
考える名無しさん:04/04/20 01:14
>>248 だったら、そのために役に立つ老子の哲理を教えてあげたら
いいでしょ?老子、読んだんでしょ?それ披露してみれば・・・?
何故老子の哲理が必要なのかな?
人に押し付けられた理解なんて参考程度にしかならないでしょう
私には1さんが自分で気付かせる道があるんですよ
251 :
THE グル:04/04/20 01:19
>>247 いいですか、
簡単に言いますと、
「老子」はあの時代、その政治体制に縛られていて、
なおかつ人類的視野では書かれていないんです。
どうかしましたか?
252 :
考える名無しさん:04/04/20 01:21
>>250 君の日本語になってないように思うんだがw
それが老子の哲学やった者の回答なのか?
>>251 あの時代?
一時代で完成された書物ではないのですけど・・・
>>252 会話は貴方が言う日本語で無いのはご存知でしょうか?
255 :
考える名無しさん:04/04/20 01:25
>>254 愚図愚図、言ってないで、老子が言ってる部分のどこが、
このスレに関係あるのか、それを書いてみなよ。
笑わないからさ、絶対。
>>255 会話もそうなんですけど
貴方に能動性は与えられていないのですよ
他者からの受動性が必要なのです
私が老子を話すかどうかは貴方に選択権はないのです
257 :
考える名無しさん:04/04/20 01:28
ロウシ ノ テツガク ヨク シラナインジャ ナイノカ?
コレ イジョウ キクノハ カワイソウダヨ ヤメヨウヨ、 ネ?
258 :
THE グル:04/04/20 01:29
>>253 いいですか、
あなたが発掘されたものすべてに目を通されたのかどうか、
そんなことはどうでもいいことですが、
それは論旨を曲げるものなんです。
まあ、人類を語っているものがあれば別ですがね。
「老子」は特定地域(中国)の政治的過ぎるんです。
どうかしましたか?
>>257 私も会話が出来ない相手と話す気にはなれない
260 :
考える名無しさん:04/04/20 01:30
>>257 老子を知らないのに、知ってるふりはイケナイだろ、
大人なんだからさ、
261 :
考える名無しさん:04/04/20 01:32
>>259 アンタ モ ハナスホド シラナイ ッテ ショウジキニ イッタホウガ イイヨ
262 :
考える名無しさん:04/04/20 01:33
茶番だな(爆
>>258 人類を語ってますが
まぁそんな事は哲学の定義となんの関係もないですね
貴方は特殊な思考を持っていそうですが
日本語の辞書を見ても否定をしだしそうですね
264 :
THE グル:04/04/20 01:35
>>263 いいですか、
どういうことですか?
どうかしましたか?
>>260 どこから老子を知ってるという話が・・・
想像で者を言うのはやめた方がいいですよ
>>264 哲学の定義が他者と会うように
知識の上書きをしたほうが良いですよ
268 :
考える名無しさん:04/04/20 01:40
老荘「思想」ならありだが
老荘「哲学」はないだろ
269 :
考える名無しさん:04/04/20 01:41
>>268 >>242 人様に哲学の定義を聴く前に、
自分の思うところを先に言うのが筋だろが。
おまえ、相当ズレてるな(爆
>>267 貴方にとって読んで下さいと進めた事が
知っているという事と同じなのですか?
>>269 268は私ではないが
もしかして貴方がズレてる?
>>270 モマイさんは良く知りもしないものを他人に勧めるのか?
274 :
考える名無しさん:04/04/20 01:47
>>270 オマエ イクラ キレタ カラッテ ボロ ダシスギ(w
ジブンノ シラナイモン ヒトニ ススメテ ドウスンダヨ (ノ_ _)ノ
>>273 ?
良く知らないのに他人に勧める→無責任且つ発言自体の信憑性が不確か
となるが。
そして誰が知らないと言ったのですか?
今の問題は想像者を言うのは「やめなさい」という所ですよ
277 :
考える名無しさん:04/04/20 01:49
>>276 人様に読む本を、お薦めするときは
まず自分が読んでからにしろ
278 :
THE グル:04/04/20 01:51
>>266 いいですか、
哲学の定義はローカルルールや教訓ではないと言うことなんです。
どうかしましたか?
279 :
考える名無しさん:04/04/20 01:52
Act in accordance with nature, and with finesse rather than force.
で が抜けました
>>276は
今の問題は想像で者をいうのは「やめなさい」という所です
でした
283 :
考える名無しさん:04/04/20 01:56
>>282 ソウダナ イマドキ ノ コウコウセイ ハ モット シッカリ シテル(w
不毛だからもうその辺で止めとけ、ハの字。
286 :
考える名無しさん:04/04/20 02:00
>>282 「運命は理性の力では直せない数々の欠点を改めさせる」という教訓は
それ自体では哲学ではありません
287 :
考える名無しさん:04/04/20 02:00
>>284 オマエの、老子を知ってる立場を守り通す方法が、
老子を語らないことだとは、
ホントにあいたクチがふさがらないんだが(爆
288 :
THE グル:04/04/20 02:01
>>282 いいですか、
ではあなたの哲学の定義はなんですか?
グルの言ったのを排除すると言うことは、
それは人類一般性を持たないものであるとでも言いたいんでしょうかね?
どうかしましたか?
>>287 では開けたままでいればいいでしょう
>>288 一般的な概念を知りたければ辞書を読めばいいでしょう
やはり辞書を否定したいタチですか?
290 :
考える名無しさん:04/04/20 02:10
>>289 オマイ ロウシ デモ ヨンデ アタマ ヒヤセ
291 :
THE グル:04/04/20 02:11
>>289 いいですか、
グルには定説があるから充分なんです。
まあ、「あなたの」哲学の定義は?って聞いているんですが、
それが読めなかったようですね。
どうかしましたか?
>>291 私の哲学の定義はどうでもいいでしょう
そいうのは周りが判断するのです
周りの判断を知りたければ辞書を読みましょう
ここまで言わないと意味が理解できないようですね
293 :
考える名無しさん:04/04/20 02:15
>>292 老子を読むと、こんな人間になっちゃうのかぁ・・
読むのやめとこ
295 :
大伴清麿 ◆ud/8wo42QY :04/04/20 02:20
296 :
THE グル:04/04/20 02:26
>>292 いいですか、
ご自分の哲学に対する定義が定まっていないのに、
>>242みたいな事を平気で言っている、
矛盾するその神経は解りかねますね。
あなたのスタンスが見えたような気がするんです。
その程度ならサイババの方がマシですよ。
どうかしましたか?
297 :
考える名無しさん:04/04/20 02:27
>>294 老子を読むと、他人の質問は無視し、
命令だけはする人間になるんだなぁ・・おっそろし(爆
298 :
考える名無しさん:04/04/20 02:29
まんな無に合一しれ。
299 :
大伴清麿 ◆ud/8wo42QY :04/04/20 02:30
>>297 もうひとつの解釈としては「老子読みの老子知らず」。
>>296 自分の定義
定義が出来ている貴方は他者と違うと言ってるのですね
それでは話は噛み合いませんね
>>297 質問に無視してるように思えるのは
哲学的な思考が出来ないからですよ
>>299 想像するのは皆さん好きなようで
老子を理解してる者が知っているという単語を口にする訳がないですね
301 :
考える名無しさん:04/04/20 02:43
302 :
THE グル:04/04/20 02:44
>>300 いいですか、
>定義が出来ている貴方は他者と違うと言ってるのですね
言っていることが的外れなんでして、
>>242の文脈と矛盾しているんです。
どうかしましたか?
>>301 貴方からみたらそう思うのでしょう
>>302 もう少し一般的な知識を勉強しましょうね
本ばかり読んでないで哲学とは何か?と周りに聞いて見たらどうです?
それは哲学ではないですよと一人一人訂正するのですか?
馬鹿の壁
305 :
THE グル:04/04/20 03:04
>>303 いいですか、
その一般的な知識とやらはご提示なさらないんでしょうか?
また、
定義云々は
>>242であなたが口にしたことですよ。
どうかしましたか?
そもそも
哲学書の考え方を披露するのは哲学では無いですね
数学書の考え方を披露しても数学では無いのと同じです
308 :
考える名無しさん:04/04/20 03:13
309 :
THE グル:04/04/20 03:15
>>306 >>307 いいですか、
つまり、デカルトにもコギトは無いといいたいんですね。
それから、
>私は既に辞書を提示しましたよ
とありますが、
人類一般性を持つのは哲学ではないというのがあなたの主張ですよね。
(グルは逆にそれを主張しました。)
辞書にはそんなことは載っていないのは自明の理なんです。
>>242の根拠に悖るんです。
どうかしましたか?
310 :
考える名無しさん:04/04/20 03:17
>>306 >哲学書の考え方を披露するのは哲学では無いですね
お前にとっては「老子を読んで下さい」と言い放つのが哲学なんだな。。
人類一般性?
言語の定義は個人にあるのではなく
言葉を使っている集団が定義しますね
集団の定義をまとめた物が辞書でしょう
老荘哲学とYahooでも検索をかけて下さい
哲学だと認めてる人がどれだけいるか?
正しい答えなんてのはどうでもいいんです
哲学かじってあたまでっかちになってしまったきもい人間の集まるスレ
自分にとっての正しい答えは大切です
315 :
考える名無しさん:04/04/20 03:26
>>311おまえのは、お題目っていうんだよ、
哲学はおろか、宗教ですらない(爆
316 :
THE グル:04/04/20 03:27
>>311 いいですか、
老荘哲学とはそれらを読む人が勝手に哲学しているだけなんです。
哲学書のようにそれ自体が哲学しているわけではないんです。
どうかしましたか?
>>316 それは貴方の意見でしょう
では何故一般に老荘哲学としての言葉で通用するのですか?
そう言っても良い状況が現代にあるからでしょう
319 :
考える名無しさん:04/04/20 03:32
>>317 オマエのを、お題目とはホメすぎだったな、すまん、
「単なる思い込み」と言うべきだった、あはははは♪
320 :
THE グル:04/04/20 03:33
>>317 いいですか、
そう、「現代」なんです。
その当時のそれは哲学ではないということなんです。
教訓、ローカルルールどまりなんです。
どうかしましたか?
今まで哲学だと思って頑なに信じてきたものが論理的に否定されても
それでも「あれは哲学だ」と。
現実が飲み込めないで自己肯定するなら哲学はやめたほうがいい。
向いてない。
324 :
THE グル:04/04/20 03:39
>>321 いいですか、
つまり、
読み説く現代の人が哲学しているだけなんです。
どうかしましたか?
つまり低能には哲学は毒だと。
馬鹿の壁があるからな。
>>324 貴方の意見はどうでも良いという私の意見が理解できないようですね
>>325 そう教えられたのですね
貴方の意見はわかりました
327 :
THE グル:04/04/20 03:46
>>326 いいですか、
老子さん、あなたは「定説」するにはまだまだ力不足なんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
>>327 頑張ってますが
貴方がそう思う以上の効果はないんですよ
ずいぶん間違えた定説で構成されているようですが
私には興味がない
さぞ世間と合わないで不満を頂いてるのでしょうね
329 :
THE グル:04/04/20 03:53
>>328 いいですか、
グルはビジョンを生きていますので、
不満など無いんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>329 定説の意味がすでに違ってますね
真理の前に
まずは辞書を読みましょう
もうそろそろ止めといたほうが良いんでないかいな。泥沼だ。
と仲裁入れてみよう。
332 :
THE グル:04/04/20 03:56
>>330 いいですか、
定説とはイコール病気。
定説とはイコールTHE グル。
どうかしましたか?
333 :
考える名無しさん:04/04/20 04:00
てつがく 【哲学】
〔(ギリシヤ) philosophia は知恵への愛・希求の意。西周(にしあまね)の訳語。
賢哲の希求を表すために「希哲学」と訳したが、後「哲学」とした〕
(1)世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた
真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区
別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)
などの部門をもつ。
(2)自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。
「社長の経営術には一つの―がある」
三省堂提供「大辞林 第二版」より
これを踏まえて老荘が「哲学」である所以を開陳してください。>老子
334 :
考える名無しさん:04/04/20 04:01
>>330 仮に老子が通用したところで、オマエの手柄でもなんでもない。
問題は老子を取り入れたオマエがどうか、という点だ。
そのオマエは、さっきから他人には通用しない「自分の思い込み」
を繰り返すばかり。
つける薬も無いようだから、あとは祈る位しか道はない。
さぁ祈ろう!知能が低いうえ壊れちまったオマエの治癒を願って・・
駄目かもしれないが、決してあきらめるな。ますます悪くなるから。
>>333 ですから
老荘哲学と検索をかけて見たらどうですか?
私は真理など関係ないと言ってるのです
世間にどう認知されてるか知ってください
もし老荘を語りたいのなら別すれを作ってかたりましょう
>>334 ようするに何がいいたいのですか?
相対的な世界は必ず
低い側から見た貴方の知能が低いという事になる事をご存知ですか?
337 :
考える名無しさん:04/04/20 04:12
なんかこう老子をひっぱりだしてくるやつって
降りてるよね。人生の勝負から。
339 :
考える名無しさん:04/04/20 04:13
>>336 黙って祈れ♪ きっと良くなると信じて、
保証はできんが・・すまん
>>337 そうですね
頂点にいる人が多いですから
勝負する気にならないんでしょう
目的を持って頑張ってる下の人には理解できない思想ですよ
341 :
考える名無しさん:04/04/20 04:22
>>335 >もし老荘を語りたいのなら別すれを作ってかたりましょう
逃げるなよ カスw
>>341 求めている人間に能動性はないのです
理解しましょう
343 :
考える名無しさん:04/04/20 04:29
〜 プゥ〜ン
彡川三三三ミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川 ) .< 老荘は哲学に決まってんだろ!
川川;――◎--◎_ | 読んだことねえけど決まってんだよ!
川;(6 3 | \_____________
_川川| ///∴) д(∴) | | |\_
/ ⌒ \___〜/ | | | | |\
/ / | | | | | | |::::|
( ( ・ / \_ | | | | |::::|
\ \ /\  ̄ ̄\ | | | | |::::|
/:\ \ シコシコ ̄\っ))))〜〜| | | | |::::|
/::: \ つ___ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|::: \ (__)  ̄ ̄. | _________ .|
|::: 老子 \__/ .| | .. |.|
\::: (;;; );; ) | | |.|
\ \\ .| | |.|
344 :
考える名無しさん:04/04/20 04:30
それが、オマエの「祈りの文句」だってことは、もうわかったよ。
オマエの祈りを、どうやって理解すりゃいいんだ?できないだろ。
人様に『理解を求める』のヤメて、祈れ♪
345 :
考える名無しさん:04/04/20 04:32
>>344 求めていないのが理解できないとは可愛そうに
347 :
考える名無しさん:04/04/20 04:35
349 :
考える名無しさん:04/04/20 04:39
>>348 イツマデ オイノリ シテンダ? モウ、ネロ!
>>349 イツマデ ヨンデルンダ? ヨイコハ モウ、ネナサイ!
351 :
考える名無しさん:04/04/20 04:44
〜 プゥ〜ン
彡川三三三ミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川 ) .< 老荘は哲学に決まってんだろ!
川川;――◎--◎_ | 読んだことねえけど決まってんだよ!
川;(6 3 | \_____________
_川川| ///∴) д(∴) | | |\_
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/:\ \ シコシコ ̄\っ))))〜〜| | | | |::::|
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|::: \ (__)  ̄ ̄. | _________ .|
|::: 老子 \__/ .| | .. |.|
\::: (;;; );; ) | | |.|
\ \\ .| | |.|
352 :
考える名無しさん:04/04/20 04:45
>>350 クヤシクテ ネムレナイ ノカ?ジャ、オキテロ ユルス
353 :
考える名無しさん:04/04/20 04:45
左を見ろ→ こっちは右だバカ
355 :
考える名無しさん:04/04/20 05:15
>>354 老子はどうだったか知らんが、
オマエは他人を見下すのヤメて祈れ♪
>>355 もしかして
老子が実在の人物だと思ってるのですか?
祈って欲しいなら見下さなくていい知識を持って下さい
>>82>>102 ありがとうございます。
時間はかかると思いますが読んでいきたいと思います。
>>老子さん
目的という概念と目的という言葉はどちらが先に作られたのでしょうか?
目的というものが他者に作られた後に私に対して与えられたとすると、そもそも目的という概念はいつ誰が作ったのか?
という起源までさかのぼる必要があるのですか?
そして、その言葉の発案者の意思こそが目的であると。
私は目的という言葉に込められた意味ではなく、目的という言葉の持つ概念の意味を探しています。
だからこそ、辞書で引いた答えや、歴史の中ではなく人の考えの中にこそ答えがあると思っているんです。
>>188ちくびさん
相対的な受け取り方の例を実に分かりやすく書いてありますね。
普段そのように思っていてもなかなか表現しにくいことなんですけど。
いくつかの論理は「相対的にその人が思っているから」で、あろう。を抜けないんですよね。
日常では「彼は変わった考えの持ち主だから、、、」というような表現をされて終わってしまうような、、
哲学の世界では理解されなくていいのではなく、いかに誰の目にも理解されるように自分の考えを文章にする。というのも重要な点であるように思います。
という私はにはまだ哲学の何かさえ見えないのですけど、、、
359 :
考える名無しさん:04/04/20 10:46
1×ちくび×こっくり×老子 のカルテットでこのスレは進んでいくようだ
360 :
考える名無しさん:04/04/20 10:54
361 :
考える名無しさん:04/04/20 10:59
俺はうけなかった
褒めてるんじゃなくて、痛々しいのにウケタ
>>1さん
目的という概念は人間しか持っていないし
理解できないというのが重要ですよ
全ての概念や思考は先人が作りだしている事に反対できますか?
人の考えという者がそもそも作りだされた者だという事に反対できますか?
>>老子さん
>>老子さん
間違えました。すいません
で、言葉や概念が先人によって作られたことには納得できますが、私の考え自体が先人によって作られたことには納得できません。
>>363 作り出されるのが先か、自覚するのが先か。
私も普段気にかかることがあります。
子供が何を考えているか?赤ん坊が何を考えているか?
わたしはうまれたときになにをかんがえていたのか?
考えるということが誰かに教わったことであるならばそれはそれで構いません。
その先に見える人生の目的とはいったいなんでしょう?
私を作った人に聞けばよいのですか?
あ、名前もどすの忘れてました。
ちめろ=1です。
>>89 >>102 >>357 あまりに定番過ぎて今さらあらためて薦めるまでもないかもしれないけれど、
カミュ『シーシュポスの神話』『異邦人』(新潮文庫)あたりもよろしいかと思われ。
369 :
考える名無しさん:04/04/20 17:21
私たちは普段「目的」という言葉をどう使ってる?
そうアプローチするといいかも。
バスが走ってる。目的地がある。
ドライブには確たる目的がない。
じゃあ、目的のないドライブは間違っていて
目的のあるバスは正しいの?とかさ。
バスだって同じところグルグル回る巡回バスってあるじゃん。
あれ、目的地ないよね?それとも車庫?(w
370 :
考える名無しさん:04/04/20 18:10
人生に目的があるという信念がどこから生じたのか。
それは追求する必要アリだね。
その信念の持ちようで答えも変わってしまう。
371 :
THE グル:04/04/20 18:10
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
372 :
考える名無しさん:04/04/20 18:52
1さんは「答え」が知りたいと言いました。
さて、その「答え」とは、ただ一通りに決まるのでしょうか?
x^2−5x+6=0
という方程式を解いてみて下さい。答えはx=2、またはx=3です。
一通りではありませんね。
このように考えてゆくと、1さんの求める「答え」も一通りではない気がします。
地球上に60億人がいるなら、60億通りの答えがある「方程式」がどこかに存在する。
と考えてみましょう。まあ分かりっこないんですがね。
>>369 ただでさえ"目的"って言葉は多義的だから
そういう風に「表象の表象」で類似を追いかけると
風車を巨人だと思いこむドン・キホーテみたいに
ただの妄想に陥ってしまう危険がある。
このスレの老子も言ってるが、1氏(他数名)は"人生の目的"って
言葉の枠取りの中を何で埋めるか(何を表象させるか)の問題を
扱ってるに過ぎないことの無意味さにまずは気付いて欲しい。
因果なんてのも、"人間にとって"都合のいい「現象の結びつけ(解釈)」に過ぎないと
いうことをまずは頭に入れた上で、自分の事、自分の人生について
つまりさっき言ったように、恣意的に結びつけてしまう表象の連鎖を一度断ってみて
地に足の着いた第一義の次元(実感、経験)で考えてみませんかってことです。
今思い出しましたが、「物の秩序は観念の秩序と同じである」という言葉は
スピノザの言葉だったみたいです。私が前に似たような言葉を出しましたが、
私の言った「不完全にランダムな世界」と同じような事を言ってると思います。
ちくびは最近いないのかな・・?とにかく、何か反論あればよろしく。
>>374 実感、経験は本人だけのものでしかないから、
少なくともそれ自体を使って議論することは出来ないんとちゃうかな。
海を見たことのない人に、海そのものを説明することは出来ないし、
「俺はこれを知っている。お前らは知らない」での一点張りで通されるとどうしようもなくなる。
376 :
考える名無しさん:04/04/21 02:34
目的というから 荷が重くなる
「何のために・・」、そう考えたほうがいい
上の意味でない「何故・・」、は物理的な問い、区別せよ
>>1さん 答えを聞けるならそれが一番ですね
その答えを創造者に聞こうというスタンスが宗教です
しかしそれには神がいる根拠もないのにあっさり信用できる感性が必要です
1さんは自分がなんであるかを知らない
まず答えを出す為には自分が何であるか知らなくてはいけない
>>1さん 1さんは人間は反射の繰り返しであるという所までは理解してますね
自分の思考が他者が作った者だという事が納得できないとの事ですね
では何故貴方は教育を受けた人間として思考してるのでしょう?
何故犬猫などのように残飯をあさるような行動をしていないのですか?
何故日本人という枠組みに分類できるような性格をしてるのでしょうか?
>>375 クオリアは言語化されないってことですね。
たしかに言えてます。何らかの経験を言語化した時点で
すでに第二義(反芻、回想)の地平に乗ってしまうので
それは仕方ないことではあります。
>>376 理由と原因の区別ですね。
しかし、そういった既成概念の中(言語の枠内)でああだこうだ
言って、一体何になるのかという指摘です。
指摘といっても異論でもなんでもないわけですが、
言語の枠組みの中にいることをまず自覚しようというだけです。
----------------
先の私のレスの意図は、まず自分に近い所から言葉を
積み上げていってはどうかという1氏への提案です。
あと、以前1氏が「自分が答えを見つけるために哲学書を
読むわけでなく、皆と言葉を共有するため」だと言いましたが、
これはとてもいい姿勢だと私も思います。応援してます。
>>378 老子さん非常に表現しがたいことなんですが、私の行動を私以外の存在と比較することは厳密には想像を超えられません。
仰ることのいくつかが与えられたものであることは理解できます。
自己は他者の中に存在するのですか?この文中では「創造者」「影響を与えたもの」が、私の思考を作ったと。
それは、それでよしとしても(人間の行動が全て反射であったとしても)繰り返しますが誕生はどのようにしたのでしょう?
生命の起こりは?
創造者の起こりは?
「私に影響を与えたもの」はどのように発生したのか?その根源は?といった問題が私の中で片付かないのです。
>>369 レスがいくつかありますが、私は目的に対し正誤や善悪はないと思います。
むしろ今は有無が問題になってますね。
ですから、バスは何故走るのか?ただ走るのか?
といった具合です。
目的地の有無の描写とバスが何故走るか?の描写は別物だと思います。
>>379 >>375に対して。
私は気がついた人は最早他者に興味なんてないのだと思っています。
私が人生の目的を知りたい。ですから、もうすでに(何らかの答えを)知っている人は何もわざわざ自分以外にそれを理解させる必要は微塵もないと思います。
ですが、一つの欲求として、それ(気がついた内容)を自分以外の存在に対して理解させることも同様に一つの目的を孕んでいるのではないでしょうか?
(その正しさを他者に理解させることが、一つの自分を納得する答えになりうる)
ですので、「気がついてほしい内容」を言葉で表現できるようであればしてもらいたいです。
私の中では「人生の目的に気がつくこと」と「人生の目的を文章にすること」は、とてつもない開きがあります。
そもそも、人生の目的という概念が言語にできるとは限らないのですからね。
>>379 私はあなたを含むここの多くの人に伝えたいことがたくさんあります。
その上でこの考えの是非を伺いたいです。
ですが、指摘があるように共有するための表現が見当たらないので目下言葉探しを続けているようなものです。
(勤勉ではない自分がどれだけ腹立たしいか)
自己が他者の中とか誕生がどうのとかってのは問題外です
目的とは人間の概念にしかすぎないというのが重要です
人間にしかない概念ですから人間にはあるんです
しかし地球や植物には目的という概念は通用しないのです
>>1 1さんが他者と違うのは記憶です
一人一人記憶してる物が違うから個性がでるのです
1さんに影響を与えた者は記憶です
ただその記憶の処理のしかたは先人の知識によるのです
>>老子さん
では、その主張、手法で理解を進めていきますと人生の目的が分かったところで結局自己が何か、生命が何かといった問題は分からないということですか?
加えて、「人間にしかない観念」の部分が「自分にしかない観念」であれば理解できますが、、、
思い込みというものとは何か違うのでしょうか?
老子さんの考えは突き詰めていくと、「仕方ないじゃない、、そうなんだから」といった感じの印象を受けてしまうのですけれど。
そういう主張の内容なのでしょうか?
>>385 老子さんの仰ることは私の「今」ではないですか?
その上で私は自分が何故生まれたか?という問いかけは無駄なことですか?
もしくはそれに答えはないのですか?
乃至、老子さんはいかにお考えですか?
388 :
THE グル:04/04/21 13:55
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
>>老子さん
ちょっとまとめますね。
私は自分のサイトで「思考は反射の繰り返しである」と書きました。
今の老子さん主張のいくつかは恐らくは同様のないようであると思っています。
「行動が強制的に与えられたもの」という表現などですね。
その上で私は「では、何故生まれてきたのか?」という問いかけの答えにならにので
自分のサイトでこの考えを否定しました。
ですから、誕生の根源を求めることは私の中では重要だと思うのです。
その点は老子さんはどうお考えですか?というのがここまでのまとめではないでしょうか?
390 :
考える名無しさん:04/04/21 14:11
>ですから、誕生の根源を求めることは私の中では重要だと思うのです。
「〜(の本質・根源)とは何か?」「〜とはなぜか?」と問う、
そうした「本質・根源を問おうとする問いかけ自体」がすでに問題なんじゃないのかな。
そう問いかけること自体、すでに何らかの枠に縛られてしまっているという。
>>1さん
何故生まれたかの問いに答えはありますよ
確実に1さんは人間であり、人間には目的という概念は存在してます
よって貴方の生まれた目的は明確にあります
答えを知る事は意味がある事だと思いますよ
答えを知るには自分とは何か?という事の理解が必要です
自己・生命は何かという答えはでますよ
物事を理解するには中心が必要ですね
中心の取りようによって見え方がまるっきり変ってきます
人生の目的を探す場合の中心は自分ですね
ですから自分を定義すれば答えが出ます
生命の目的を探す時の中心はなにでしょうか?
1さんにとって生命とは?でしょうか
それとも植物にとって生命はなにか?でしょうか
これによって答えが変ってきますよ
>>389 誕生の根源
誕生とは変化ですよね
変化するだけの要素があるから変化する
簡単に答えがでますがどのように重要なのでしょう
>>380 宇宙の起源(物理的世界)を解明したいのであれば
物理学者にでもなればいいことでしょう。
観念(私)の起源を解明したいのであれば
・・・どうすればいいんでしょう。私にも分かりません。
この世界が存在してもしなくても、どちらでもいいはずなのに、
私がここにいるという現実(今)は確かにあります。
こればっかりは、神の気まぐれとしか言いようがないですね・・。
しかしこれは「ビッグバン説を支持するならば」という条件付きです。
という訳で、私は定常宇宙論を支持することにしてます。
その方が、神だのなんだの言わなくても納得できますから。
395 :
考える名無しさん:04/04/21 16:12
5000,000,000年後太陽系は終焉を迎えるという。
永遠の進歩発展なんてありえねー。
結局、欲望に踊らされているだけの生き物、人間は。
とりあえずは、周りの人間達の欲望を満たすことに貢献する生き方を
すれば成功だろう。
>>394 観念の起源
簡単でしょう教育ですよ
教育を受けてない人間に観念があると思いますか?
そういえば、
幼児期に野山に捨てられ狼に育てられたっていう
例の「狼人間」には「観念」はあったのかねぇ。
>>396 教育というとどういった教育でしょうか。言語ですか?
自己に他者性を住まわせることで自我が成立というのは
なんとなしに分からないでもないですが。
ボノボ(ヒトとのDNA一致率98.4%)にも自我があるらしいとか
言われてますがそれはどうなんでしょう?
399 :
考える名無しさん:04/04/21 16:40
「死とは生の出来事ではない。死を人は体験しない。」(『論考』6,4311)
「生きていること」は時空という認識形式で
はかることができる。しかし死は生の出来事ではない。
死は人間の認識を超えているからだ。
にもかかわらず死を時空という認識形式で
はかり「生きていること」と同等に扱ってしまい
死を時空的なもの考える。つまり「死後」が誕生
する。
つまり「死後」という問題は認識を超えることに
対しても人間の認識の機能を当てはめようとする
ことにより生じている。
生以前もただたんにこれと同じことでは?
400 :
THE グル:04/04/21 16:40
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
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∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
つまり私が話をしているのは人工知能でも
自我が芽生えるのかということです。
老子さんの言うように、言語教育により自我が芽生えるのなら
AIに自我が芽生えてもおかしくないはずです。
クオリアというか、いわゆる魂のお話ですねこれ。
>>399 問題の消去ってやつだね。ウィトお得意の。
>>393 変化するだけの要素はどこから来るのですか?という事です。
「有るから有る」ということですか?
老子さん、私とあなたでは人生の目的は違うのでしょうか?
老子さんの人生の目的とはなんですか?
>生命の目的を探す時の中心はなにでしょうか?
>1さんにとって生命とは?でしょうか
>それとも植物にとって生命はなにか?でしょうか
>これによって答えが変ってきますよ
全文よくわからないのですが、それぞれの答えはなんですか?
403 :
考える名無しさん:04/04/21 18:01
マタ 「オモイコミ VS オダイモク」 ガッセン ハジメタ ノカ?
>>163さん
言語教育もそうです(まぁ手話や点字で教育しても同じです
DNAが同じ人間でも育つ家庭で記憶が違うので自我あって当然でしょう
AIにも自我が芽生えても可笑しくない
もっと言えば人間から見たら木だって植物だって自我があるでしょう
視点によって「ある」とも「ない」とも言えます
>>1さん 変化する要素は常にあります
そもそも変化がない空間は存在しないでしょう
私と1さんでは目的は違いますね
私の人生の目的は先人の知恵から選んだものです
406 :
考える名無しさん:04/04/21 18:40
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─( ゚ ∀ ゚ )< くおりあくおりあ!
\_/ \_________
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< くおりあくおりあくおりあ!
..くおりあ〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
>>404 >もっと言えば人間から見たら木だって植物だって自我があるでしょう
>視点によって「ある」とも「ない」とも言えます
私という確信(自我同一性)は記憶の連続により保証されるのは分かります。
ですが、上記のように言える根拠は何ですか?私にはよく分からないのですが。
「人間から見たら」、「視点によって」とはどういうことでしょう。
木や植物も教育を受け、それを記憶、反芻しているということですか・・?
408 :
THE グル:04/04/21 19:01
>>404 いいですか、
言ってる事がめちゃくちゃですよ。
どうかしましたか?
409 :
考える名無しさん:04/04/21 19:13
>>408 グル、 ココハ ソレヲ タノシム スレ ナノヨ、 オバカサン !!
410 :
THE グル:04/04/21 19:19
>>409 いいですか、
老子さんのレスがちょっとアレだったんで、
老婆心が出てしまったんです。
どうかしましたか?
>>404だけみると中学生のレスかなと思ってしまう
412 :
THE グル:04/04/21 19:27
>>411 いいですか、
先日来のレスを見てもそう思ったんです。
決して
>>404だけ見ていったわけではないんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
不安というものは一回性であることに拠っています。
その人の人生が一回限りであるということです。
それに対して、生命の根源というのは、実験で確かめられる
のではないか?
何度も実験を重ね、誰がやっても同じ結果が出れば、それを
真実とする幾何学的世界です。
しかし、それがわかったとしても、その人の人生は
実験では明らかに出来ない一回勝負の出来事です。
自我的な側面と、生物学的な側面の現代における矛盾を
気づかせてもらっている感じです。
414 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 21:07
>>192 非常に古い話で申し訳ありませんが、私には2分の1が法則的存在者の説明として
不適切な理由がわかりません。(アインシュタインのラムダ項の話とやらは知りません)
少なくとも「混沌」である、と主張されるのであれば「やるたびに」2分の1に近づいてゆくことを
どのように説明されるのか という疑問が私の中に依然としてあります。
それと「混沌」説を相対化したかったのは 「先端的権威」(批判者がいない権威)に近い そのような
「混沌」説を 問い直す必要があるのではないか、と思ったからです。
くどいようですが 私は「真の世界」というものを想定してはいません。
(失礼を承知であえて言わしてもらうならば)
私は「真の世界」というものを想定している人間がいるとすれば それは
むしろ「混沌説」を支持している人間こそが 「世界の真の姿は混沌である」という
「真の世界」を持っているのではないか、と疑っています。
だから以前の対比では 失礼を承知であのような「反例」もどきを書きました。
415 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 21:29
>>374 私は哲学に詳しくはありませんが 確かカントあたりも
「人間は見たいものを見る」といっていたように思います。
別に解釈学の論争をしようとは思いませんが(無知なので)、
人間の観察能力に向けられた疑問、という風にこの言葉を解釈するならば
確かに 的を射た表現であり、反論は容易では無いように 思いますが
私は素朴に だからといって「見たいものだけが見える」わけでもないと思うのですが。
科学によって仕組みがいくら解明されても、今のままではクオリアの問題が
取り残されることになる。心に穴がポッカリ空いたような気分ですよね。
たしかに操作主義や、道具主義によって技術は発展しましたが・・。
↓ここは個人的な人生観ですので流してもらって結構です。
「一回生ということについて言えば、私はある個人がいくら平凡な人生を
送ったとしても、その人にとっては唯一の人生なわけですから
他人を引き合いに自分の生き方をはかっても意味のないことだと感じています。」
>>404 とりあえず、この1レスであなたの論理はすべて破綻したみたいです・・。
>>414-415 混沌とした外的刺激要因(情報)の簡略化と整序によって物事を把握するってことです。
それはすべて人間が生存のために獲得し、また制限を設けてきた認識能力です。
「みたいものをみる」というより、「生存のための必要最小限をみる」
というニュアンスでしょうか私の場合。
おっしゃるように、混沌世界を真理化しているという批判は予想していました。
少し分かりづらい反論ですが、例えば「自由であれ」という命令は「自由であること」
それ自身を拘束しないように「混沌であること」はそれ自身を拘束しないはずです。
>>414-415 アインシュタインのラムダ項の話は検索すれば出てくるでしょう。
物理法則というのは、あくまで世界の"妥当な"記述方法です。
あと、1/2というのは単なる数値です。それ自体では何も意味しません。
理想的にランダムな状態が確率論の前提にあるということはおわかりですか?
419 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 21:55
>>417 言われていることが 高度なので私には少しつながりが把握しにくいのですが
前段の話は カントの話についてのお答えでしょうか。
しかしそのように 生物的な必要性という側面から 考えると
私には 最小限というよりは必要な情報を可能なだけ見ていると思えますし
そうでなければならないように思いますが。
後段の話は 「自由であれ」という命令が 束縛を意味しないように 混沌説も
ひとつの混沌世界(ある意味の秩序)を意味しない ということでしょうか。
率直に言って私には そのような解答が許されるならば どこまでもそのような説を否定することが
できないように思うのです。
だから 自由であれ、という命令が疑問視されても よいのではないか、
つまり混沌説が疑問にさらされても よいのではないか、と思うのです。
>「混沌であること」はそれ自身を拘束しない
もう少しかみ砕いて、私の混沌世界説をわかりやすく言うと
「どのようであってもよい世界」ということになります。
「どのようであってもよい」のだから、「どのようであってもよい」
ことそれ自身すら「どのようであってもよい」ということです。
これは決して真理を説いているものではないはずです。
・・・言葉遊びみたいですが、なんとなく分かりますかね?
>>419 例えば紫外線が色として認識されないことも同じです。
それは認識能力が劣っているとか優れているというものでなく
単に人間がそれを必要としないだけです。
また、認識能力の制限(限界)は、それがむしろアドバンテージ
と成り得るものであると思います。しかしこれは真の世界の存在を
暗に想定していることが問題点となるわけですが・・。
>混沌説が疑問にさらされてもよい
もちろん反論大歓迎です。ただの私の持論に過ぎませんから。
422 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 22:12
>>418 私は別に人間が作為的に作り出した実験室のようなところで2分の1に近づいて
いくことを問題視しているわけでは ありません。
風が吹こうが 雨が降ろうが2分の1の確率に 近づいていくのではないか という話をしています。
(風が吹けば桶屋が儲かる という具合に 風が吹けば表に有利に働くとか 雨が降れば裏に有利に
働くという事態が考えられれば話は変わると思います)
確率論に詳しくてらっしゃるようですが私は詳しくはありません、というか知りません。
だから私は確率論の例は挙げようと思いませんでした。
私が問題視しているのは 混沌であるという説では 2分の1に近づくことの
説明が説得的になされるとは 思えないという事です。
>ちくび
ラムダ項についてはここがいいかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/宇宙項 つまりラムダ項の有無で定常宇宙かビッグバン理論か
どちらを支持するかという"説"になってしまうことを
確認してもらいたかっただけです。
定常宇宙論や宇宙項、ラムダ項で検索すれば
色々でてくると思います。私は物理にあかるいわけでは
ないので詳しい言及はできませんが、直感的に定常宇宙論支持派です。
ただそうでなければ、色々と納得いかないというだけですが・・。
424 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 22:45
>>1さん
もし2分の1の確率が法則的存在者によって 根拠付けられていると考えられるならば
たとえば フリーハンドで黒板に書かれた三角形(厳密に言って三角形ではない)を
私たちは なぜ 「あれは あそこが角とはいえない丸みを帯びている」などと考えずに
『素直』に「三角形だ」と考えられるのか、という風に問題意識を拡大できる と思えます。
それは私たちが三角形を書いた先生(の意図)に対して『素直』なのではなく、
三角形を根拠付ける法則的存在がいて その存在に対して私たちが『素直』なのだと考えられる
のではないか、と思うのです。
このように問題意識を拡大していくと 「人間普遍の目的」(なぜ生きるのか)
という問いの答えにも 何らかの法則的存在者がいないとは いえないのではないか、
(私は法則的存在者がいなければ普遍の目的は存し得ないと思います)
ということにも なると思えるのです。
立場は違いますが あなたが追求してゆく道はおそらくここにあると 私は思います。
425 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 22:51
>>423 >>163さん
(私も直感的ですが)私はビッグバン説を支持します。
というのも私はキリスト教に親近感を感じているからです。
(同時に克服できないような つまづき も感じますが)
ただ「神」という根拠があってもいいと 私には思えます。
>ちくび
前にも言いましたが、混沌とランダムを安易に結びつけたのは
少々いいかげんでしたので、もう少し考えを煮詰める必要があると思います。
確率論の現実世界との対応は以下のように極限定理により定義されます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/大数の法則 つまり、単に"確率"というのはあくまで理論上のお話(理想)であって
現実世界との対応を考えた場合に、それは局所的にしか
適用されないというだけのことです。使えないということではないので、あしからず。
ただ、「確率」という曖昧な表象の連鎖によって
世界像すべてを把握する試みは危険であるという主張です。
ちなみに私は工学系のおちこぼれ学生なので
数学や物理の解釈はおそらくかなりいいかげんです。
もし間違ってたら、どなたかご指摘ください・・。
まじめに考えられません、これを聞いてしまったのです。
首相;「私自身の問題じゃありません。国全体の問題ですから」
>>425 すごく個人的なことを言いますが、私にとって神とは
認識の保留対象であって立ち向かうべき敵です。
429 :
考える名無しさん:04/04/21 23:05
哲学板の例え話ってだいたい例えになってないよなW
>>407 それはですね
人間が考える自我というものは記憶の連続があれば自我と言えるのです
山・空・海・植物・石などの自然界の物、そして、食器や鏡に至るまで
記憶が連続してるものに自我を感じる事が出来る人は出来るし
昔の人はなんの疑いも無く自然に自我を感じていたでしょう
人間に対しても全く同じ理由で他人の自我を確認してるのです
試しに他人の自我をどう確認してるか哲学的に考えて見てください
431 :
考える名無しさん:04/04/21 23:09
>>430 >山・空・海・植物・石などの自然界の物、そして、食器や鏡に至るまで
>記憶が連続してるものに自我を感じる事が出来る人は出来るし
強烈な電波だな
>>427 イラク人質事件で大変なときでも、総理は呑気に会食を楽しんでたそうです。
>>424 イデアのお話ですね。ある意味私の説も法則的存在者を
置いているとも言えます。それはあくまで「人間の側に」ですが。
おおまかにしか言えませんが、人間には雑多で多様な体験を
抽象概念化(理想化、単純化)する能力があると考えられます。
433 :
考える名無しさん:04/04/21 23:12
「法則的存在者」ってなんだよ?
その「法則的」とは何だ?
どこにいる「存在者」だ?
>>431 他我は私にも未解決な問題なので何とも言えません。
ですが、今私が実感している「私」のような観念は
人間(はたまた自分)以外にもあり得るのかということです。
あなたが言っているのは、「あなたから見た他者」の記憶
が連続しているのであって、他者自身の記憶は無関係でしょう。
>>433 ちくびの言葉なのでよくは分かりませんが
イデア界のようなものでは?
437 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 23:21
>>426 163さんは率直な方なのですね。
ところで「コインのゆがみ」の問題ですか。それは痛いところ というのが実感です。
しかし 少なくとも「コインのゆがみ」があったとしても「混沌」にはならずに
2分の1の確率ではないかも知れないけれども 何か「あるべき確率」向かって
近づいていくのではないか、と私には思えます。
それともう一点だけ言わしてもらうならば 私が2分の1の確率の話を持ち出したのは
混沌説に対する「反例」を示したかったからです。
人類普遍の目的など無い、そもそも人類普遍のもの、共通のものすら存在しない、それは思い込みである
という主張が よくなされますが そのような主張は私にとっても都合が悪いので
「反例」を書く必要があったのです。
相手は163さんでなくてもよかったのですが あなたの「混沌説」がここでは1番理路整然としていたので
あなたを相手に選びました。
438 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 23:29
>>435 くどいようですが 私はイデア界と現実世界(影の世界)の二世界論を
支持しません。
私が言っているのは 「今ここにある」現実世界で起こっていることには
この世界のうちに何か根拠(法則的存在者)があるのではないかということです。
>>431 私はそうは思ってませんが
昔の人はそう思っていたのですよ
440 :
考える名無しさん:04/04/21 23:32
>>438 それならば、法則的存在者などというまぎらわしい言葉ではなく、
「根拠」といえば済むこと。
>>434 「貴方から見た他者の記憶」
この記憶を自分でも毎日確かめてるのが記憶の連続ですよ
今日の自分が昨日までの自分を確かめる事で自我を保つのでしょう
他者を見る時も全く同じですね
442 :
考える名無しさん:04/04/21 23:36
キューキューシャ マダ カァ?
443 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 23:37
>>440 そうですね、わかりにくければ 名前は別に何でもよいのですが
「根拠」という言葉は 一般的過ぎて 意味が包括的過ぎると思うのです。
たとえば イデアもヌースも「神」も 根拠 という言葉には仕舞い込まれる
というか 仕舞い込まれていると思えたので あえて法則的存在者という言葉にしました。
444 :
考える名無しさん:04/04/21 23:40
>>443 「仕舞い込まれる」ってなんだよ?
「法則的存在者」ってなんだよ?
その「法則的」とは何だ?
どこにいる「存在者」だ?
耳を劈くような機械の音、暗闇に包まれてあった一つのボックス。
>>163さん>>ちくびぎゅーんさん
鉛筆が自我を持って作られた目的を考えてるようにしか見えない論議ですね
はたして創造主が誰なのか?を考えないで
使われる目的を探せるのですか?
447 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 23:50
>>444 何か 私は悪いことをしたでしょうか。だとしたら謝ります。
もし 言葉の使い方が不適切だというのならば444の疑問にはお答えします。
仕舞い込まれる、という言葉がわかりにくかったらこう言い換えても
よいと思います。
「たとえば イデアもヌースも「神」も『根拠』という言葉は意味する」
という風に。
法則的存在者の法則的とは 私が例として2分の1の確率(一種の法則)を
挙げたから使った言葉です。
存在者とは そのような法則が『ある』という意味を強調するために用いた言葉です。
根拠が無い、という立場の人と対比を強調するために用いました。
448 :
ちくびぎゅーん:04/04/21 23:58
>>446 私には老子さんが考える創造主が誰だか ちょっと見当がつきません。
老子さんはどのような議論の展開にしたいのですか。よければ聞かせてください。
ところで鉛筆は 何かを描くという目的があるように思いますが
別に人を殺すのにも使えなくは無いように思います。
創造主が 本来 課した目的は 特に果たされる必要は無いように思えます。
449 :
考える名無しさん:04/04/22 00:00
>>447 「人間の理性的な推論を可能にする根拠」、すなわち「理性の理性たる根拠」
ということなら、「理性の根拠」と言えばいい。
「法則的」などという変な言葉を使わないで欲しい。
lawful beingじゃあ「合法的存在」になっちまうぞ。
>ちくび
とりあえず、さっき言ったのは、確率は実在するものでは
ないと言うことと、確率は絶対的正しさを持ち得ないということ。
理想(理論)をそのまま現実で扱うと、シュレディンガーの猫のように
半分死んで半分生きている猫が実在することになります。
ただ、ちくびさんはある事象の確率がある一定の値に
近づいていくような事例を不思議に思われるようですが
それは、その事象が何かの法則に従うからではなく
むしろ何の制約も受けていない(偏りがない)ことの証明です。
かといって、完全に2分の1に一致し得ない事実によって
ごくわずかの偏りがある(不完全にランダム)と言えます。
何度も言って申し訳ないけども、まだよく飲み込めないみたいで・・。
確率論というのは未確定な事象を保留にした状態で
そのまま扱うことを目的としています。現実世界においては、
2分の1も何も、ただそのどちらかの結果が出るというだけです。
また、純粋な理論ですので、何に適用するかによって全く
意味が異なってきます。例えば、「コインの同じ片面が連続で2回出る確率。」
というと全然違う意味になるでしょ?
451 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 00:30
>>450 >ある事象の確率がある一定の値に
>近づいていくような事例を不思議に思われるようですが
>それは、その事象が何かの法則に従うからではなく
>むしろ何の制約も受けていない(偏りがない)ことの証明です。
なぜ何の制約も受けていないことの証明なのか、教えてもらいたいと
正直 思います(私は文系の出身なのでよくわかりません)。
そしてその制約を受けていないことの証明が 法則的存在者の存在の証明を
どのように阻んでいるのでしょうか。
>>449 私は英語で表現したことはありませんし 別にどのように表現してもいいと思っていますが
>>447で表現したような理由で法則的と書きました。
また「推論」の話はしたことが無いですので「理性の根拠」という言葉は
あまり適しているとは思えないのですが。
452 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 00:38
>>451 >それは、その事象が何かの法則に従うからではなく
>むしろ何の制約も受けていない(偏りがない)ことの証明です。
このような説明は「世界の真の姿は混沌である」という結論を先取り
しているように思うのですが。
何かの法則に従っていると考えることが どのように阻まれるのでしょうか。
私には 法則に従っていると 考えることが説得的であるという考え方を
否定できているようには どうしても思えないのですが。
453 :
考える名無しさん:04/04/22 00:38
>>451 >また「推論」の話はしたことが無いですので「理性の根拠」という言葉は
>あまり適しているとは思えないのですが。
推論は reasoning なんだよ。
ここまで言っても分からんか?
454 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 00:46
>>453 私は英語はあまり得意でないので あなたの真意が少しわからないのです。
あなたは私が自分のペットの猫を(ふさわしくないゆえに)「タマ」と呼んでほしくない
「ザ・猫」と呼んでほしい、というような主張をされているように思えるのですが。
455 :
考える名無しさん:04/04/22 00:50
>>454 哲学というのは長い伝統の中で培われた語彙の含みをよく理解しなきゃ
いかんから、適当な連想ゲームでいい加減な言葉を開発されては困るんだ。
それでは議論にならんから。
456 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 00:51
>>454 『あなたは 私が自分のペットの猫を(ふさわしくないゆえに)「タマ」と呼ぶことをしてほしくない
呼ぶのなら「ザ・猫」と呼んでほしい、というような主張をされているように思えるのですが。』
に 訂正させてください。
日本語もあまり得意ではないようです(たびたび指摘されてはいましたが)。
ざ猫
458 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 00:54
特定名詞
不特定名詞
>>451 むさくい-ちゅうしゅつほう ―さくゐちうしゆつはふ 8 0 【無作為抽出法】
特別な意志をもたないで、母集団から標本を抽出すること。
任意抽出法。ランダム-サンプリング。
何かの統計を取る場合、母集団(全体)が極めて大きくてすべてを調査することが
困難な場合、ランダムサンプリングという手法を用いることで、母集団の統計を取った場合と
あまり変わらない結果を出すような方法です。テレビの視聴率なんかもこれです。
つまり確率というのは、何ら作為のない状態において成立するものです。
これは世界のあらゆる事象に拡大解釈して考えてもいいと思います。
これでも説明足りなければ、もっとかみ砕いた説明を用意します。
しかし、法則を適用する側面は、先の私のレスのように
1つの事象(コイン)に限ったとしても、適用仕方は無数にあるわけです。
また、その事象のすべてを捉えられるのでもない。
極めて限定的な一面に絞って、いかに観測対象を抽象化(理想化)し
どんな数学モデルを用いるか。これが数式を解くことよりも重要な問題です。
全数調査
サンプリング調査
横断的調査
パネル調査
比較調査
繰り返し調査
>ちくび
すみません余計混乱したかもしれません。説明ヘタで申し訳ない。
文系向けというのはよくわかりませんが、なるべく文系向けで説明します。
そもそも確率というのは何の作為もない状態において
成立するものであるという定義がおかれています。
(作為自体も確率に含めるのは可能かもしれませんが)
つまり確率がある程度の確からしさを持つことは
ある事象に対して、何らかの存在(法則的存在者なりなんなり)が
その事象に対して何も影響を与えていないということの証明につながります。
これでどうでしょう・・?
社会学だね
464 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 01:20
>>460 私には 適用によってさまざまな問題にさらされる のは「混沌説」のほうだと
思えます。
ところで くしくもあなたが例に出したランダムサンプリングの話で行けば
もし「混沌」であったならば母集団と一致してはいけないように思うのですが。
またランダムサンプリングの話でいっても
何かの法則的存在者と私が呼ぶもの がいるので抽出しても 全員対象にしても
大きな問題が無い結果が得られると 考えられるのではないでしょうか。
この反論でわかりにくいならば こう言い換えたほうがいいのかもしれません。
あなたは「混沌」であるのと同時に2分の1に近づいていくことも 認めている、
それは「混沌」という言葉を多義的に用いた欺瞞ではないか、と私には思えるのです。
そしてなんら ランダムサンプリングの例を出しても 法則的存在者と私が呼ぶものへさかのぼる道は
閉ざされていないように思うのです。
>>464 それはつまり、ランダムを一種の法則と捉えているからでは?
466 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 01:25
>>462 人間の「作為」ではないのでしょうか。
私が言っているのは人間の「作為」とは無関係に存在するものの
存在です。
>>464 少しイライラして 攻撃的になっていました。
許してください。
soretonaku
musi
>>464 だからあなたの言うことはこう言い換えられますよね。
サイコロの神様がいます。彼はちょっと気まぐれな平等主義者です。
彼は気まぐれな平等主義者だから、規則的に出目を決めてくれないけど
トータルで見るとだいたいどの目も同じ回数出してくれます。
・・と。
469 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 01:32
>>465 私は一貫して 2分の1の法則的存在者と私が呼ぶものには ランダム性が含まれていると
考えています。
私はランダム性を持ちながらも 「やるたびに」近づいてゆくことを重要視しています。
>私はランダム性を持ちながらも 「やるたびに」近づいてゆく
これは違います。ランダム性を持つからこそ、やるたびに近づくわけです。
471 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 01:36
>>468 私には 163さんの主張が(人間の)作為が無いことが前提されて
「確率」は考えられるから (非人間の)法則的存在者は関与していないと
いうことになる というもののように 思えるのです。
472 :
考える名無しさん:04/04/22 01:40
サイコロを振る神様とイデア論をごた混ぜにされたら
どうにもならんわ
473 :
考える名無しさん:04/04/22 01:40
モー、 バカホド オボエタテノ コトバ ツカイ タガル ンダカラ・・シマツ ニ オエナイ
>>471 私の出した例えのように”ランダムの神様”を想定すれば、それはいることになりますよ。
ですが、彼は完全無欠のランダム性を与えていないということになります。
果たして彼を法則的存在者と呼ぶべきか。こればかりは疑問ですが。
475 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 01:48
>>474 私の言っていることは 法則的存在者へさかのぼる道が 阻まれていないばかりか、
そのように考えなければ 説得的に説明ができないということです。
476 :
考える名無しさん:04/04/22 01:51
>>475 どうしても法則と存在者という言葉を使いたいなら
「法則を現実化させる存在者」とでもしてくれない?
「存在者」が「法則的」だというのは意味不明なんだよ。
>>475 「混沌世界(不確定な世界)を真の世界の実在と呼ぶべきか。」
さっきと同じような反論が、今のランダムの話にも当てはまるはずです。
ランダムであるというのは、何にも影響されない(作為のない)状態です。
この状態を神の仕業と呼ぶのは勝手ですよもちろん。
混沌の神様がいると言ってもいいはずです。
それにしちゃ、えらくお粗末な仕事する神になりますが。
>>476 たしかにそうですね。法則を可能にする存在。
「〜的」というのは「〜みたいな」とか「〜の」という意味合いですから
478 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 01:58
>>476 わかりにくいですか。何か思いつければいいのですが。
ただ通常の「存在者」とは違う存在のしかただろう ということが
この言葉の背景にあります。だから法則的(法則はパソコンのようなあり方で
存在しないように思います) 「存在者」と呼んでいるのです。
479 :
考える名無しさん:04/04/22 02:01
>>478 >わかりにくいですか。何か思いつければいいのですが。
だから、お前の代わりに思いついてやったんだ。
「法則を現実化させる存在者」にしとけ。
住宅メーカーか。しかしということは現在3年目ということでよろしいか?
481 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 02:03
>>477 法則的存在者と「神」をなぜ同一視して 敵視している(ように見えますが)
のでしょうか。
私は別に信仰を持ってはいません。持っていてもいいと思いますが。
ただ最終的な根拠(もし存在するならばですが)を「神」と呼んでもいいだろう、
と思っています。
>>475 だから、あなたの言う方法論で考えをすすめていくと
もしサイコロの出目が1に大きく偏れば神の仕業というし
サイコロの出目がどれも平等に出たとしても神の仕業と言えてしまう。
それこそなんでもありじゃないですか?
じゃあ例えば、コインを10回投げたとして複数の事象を同時に観測するとします
1.裏と表が出るそれぞれの確率
2.裏が連続で3回出る確率
3.表が続けて3回出ない確率
4.裏と表の出る回数が10回投げてそれぞれ5回ずつになる確率
ここにおいて、どのようにその「法則を可能にする存在」が働くのですか?
483 :
THE グル:04/04/22 02:07
\ │ /
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄ / /
 ̄
m
485 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 02:08
今日は遅いですしもう帰ります。それでは。
486 :
ちくびぎゅーん:04/04/22 02:14
>>482 あなたは私の「5回連続 表が出ることもあるけれども 繰り返していくことで
2分の1に近づいてゆく」という前提を意図的に無視して 例題を出している、
と私には思えます。
感情的なやり取りは私の望むところではないですし、あなたの本意でもないと思います。
それでは、本当に帰ります。
なにか失礼があれば謝ります。申し訳ないです。
487 :
THE グル:04/04/22 02:15
いいですか、
皆さん言ってる事がめちゃくちゃですね。
どうかしましたか?
488 :
考える名無しさん:04/04/22 02:17
489 :
THE グル:04/04/22 02:20
>>488 いいですか、
ではなんですか?
どうかしましたか?
>>481 ええ、便宜的に神と呼んでみました。
あなたの言う「法則を可能にする存在」を神と呼んでも
差し支えないでしょう。ここでは。
>>486 >>487 感情的なものではないのですが、眠気で変なことを
言っていたのかもしれません。
>>482 「この10回コイン投げを延々と続けた場合、その確率はどうなっていくか」と解釈してください。
だから、「10回投げ」一度きりのうちで、その回数を数えろとは言ってませんよ?
高校生が解くような確率の問題です。特に何も意図的に無視していないと思いますけど・・。
491 :
考える名無しさん:04/04/22 02:32
ドウカ シマシタカ?
>ちくび
そろそろ寝ますが、482の数学の問題を解いたとして
実際に観測した結果、これが解答通りの確率に収束してゆけば
これは「法則を可能にする存在」の仕業と言えますよね。
言い換えるなら、確率論の正しさを証明する神の存在でしょう。
とはいっても、現実との対応は無限遠上の終点でしか証明され得ませんが。
ここで私が思うに、あなたの考えは「ある法則があらゆる事物に先行する本質」
であるとしているように見受けられます。そう感じていたので
定常宇宙論とビッグバン説という2大宇宙説の分かれ目となる
「アインシュタインのラムダ項」の話を持ち出したわけです。
寝る直前なので、なに言ってるか分かんなかったらゴメンナサイ。
493 :
考える名無しさん:04/04/22 03:07
チクビ、 ユックリ ヤスミナ
コイン投げを繰り返して、確立が1/2に収束「しない」ようであれば
むしろそこにこそ「神の力」が働いていそうだけど。いや、むしろ
なんかトリックがあるはずだろ、と「人の力」のほうに結びつけるのかな。
1さんにとって「人生の目的」は、
幼少時からの問いであった、ということ。
幼少時の1さんに説明できる範囲で、
答えなければいけないような気がするわけだが。
疑問を持つには、それ相応の知性を必要としますから。
つまり、それほどまでに原始的な問いであった、ということ。
ひょっとしたら人生最初の問いだったのかも知れない。
ただ、1さんの生き方を客観的に見ると、
まるで「生きる目的探しを目的に生きている」みたいで、
自分の尻尾を食っているヘビみたいな印象を受けるんだが。
こんにちは。
>>老子さん。
>>405でかかれている「変化のない空間が存在しない根拠」
と。「老子さんが先人の知恵から選んだ目的」の2点を教えていただけるとありがたいのですが。
>>ちくびさん
>>424から始まる「法則的存在者」ですが、読んだ印象では「法則に潜むある種一定の普遍性を持った感覚」といった感じでしょうか?
さらに分からないですね、、、そのような感覚を哲学用語でなんというかは、分からないのですか?というよりもないのですかね?
私は数学のほうはさらにだめなんで、163さんとのやり取りを見させていただきますね。
>>495 「幼少時からの」というのは間違えですね。
「今」のと言ったほうがしっくり来ると思います。
人生最初の問いかどうかは分かりませんけど(覚えていませんけど)その、「目的探しを目的にしている」という表現はあながち間違いでもないみたいですね。
それが傍から見た印象なのだと思います。
>>448 ちくびぎゅーんさん
私は1さんの疑問が解決する方向で議論したいですね
検証不可能な論議はするだけ無駄だとも考えています
創造主
肉体を作ったのは両親・自我を作ったのは教育と考えています
目的を探すなら作り主の思考を理解する以外ありえないと思ってます
>>1さん
変化のない空間の根拠は時間の存在です
目的は普通ですよ
野球選手になりたいや子供を産みたいなどの類です
>>老子さん
くどいようですが、時間が存在する根拠はどこですか?
加えて時間が存在すると変化が起こるとする根拠です。
後「変化のない空間が存在しない根拠」の答えが「時間の存在」でかまわないのですよね?
目的は欲求ではないですか?両者は老子さんの中では同一のものですか?
と伺いたいところですが、上記の質問のほうが気にかかります。
私達が者を認識するには時間が必要ですね
それは脳の中で情報が変化する事で物を認識してる訳です
もし景色が全く変らなかったら私達は時間を感じないでしょう
物を認識できる事自体が時間の存在の根拠です
これは過去の記憶の死であり
新たな自分の生れた事になります
全ては事象は死からの生に当てはまります
下記の答え 欲求ですね
>>501 変化の根拠が時間であり、時間の根拠が変化ですか。
変化のない空間が存在しない理由は時間が存在するからであり、その時間を認識するにはある種空間の変化が必要である。
ということでよろしいですか?
空間の変化と時間の存在は同時に起こったのですか?むしろ両者は同様の意味合いを持つのですか?
「人生の目的は欲求の連続である。」がとりあえずの老子さんのご意見になるということでよろしいのでしょうか?
>>1さん
両者は同じ意味です
人生の目的は欲求の連続
そうです
>>1 欲求の連続はどこからくるか?
それはやはり強制された教育の中にしか存在しない
だから目的を探すときはどのような欲求を刷り込まれたか?
という事を探せば1さんの探す答えがでるのでしょう
>>44で書いた者だけど、1さんはあらゆる刷り込みが無効だったのでは?
どういう刷り込みに感応するか、個体差はあるのでしょうか。
幼い頃「キャプテン翼」を見て、運命が決まってしまった人もいる。
今でも覚えてますが、あのアニメのエンディング曲の最後で
W杯のトロフィーの映像がちらっと出る。(何の説明もなく、唐突に)
あれが刷り込みで無くて何なのでしょう。サブリミナルと言いますか。
当時の少年たちの深層心理に、何かしら影響はあったでしょう。
>>505 体格や環境で刷り込みによる反射は変化するでしょうね
弱肉強食の世界において
強者と弱者では欲求に対する反射が変ってくるはずです
「じゃあなぜサッカーやるのか」なんて聞かれても、
そこは、どうしても、一旦は思考停止せざるを得ないのでは。
思考をやめて行動に移るか、行動をやめて思考するか、
両方同時には出来ないのではないですか?
まあ、大金を稼いで貧しい人に寄付するためかも知れないし。
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」・・・そういう疑問符は、
無制限に許されて良いだろうか?
どこかで打ち止めにする規則みたいなものが無いと・・・
打ち止めは簡単でしょう
教育されなければサッカーもなにもないのですから
老子さんの話も終わりが見えてきましたね。
過去ログをご覧になっていないようですし、確かにもう第一スレは遠い過去の話になっていますが。
「快楽を求めることが人生の本質である。」は第1スレで論じられた内容です。
心に湧き起こる欲求を連続して満たしていくことが人生だ。といったことですね。
しかし、自己、誕生、発生これらの問いに答えるには不十分な内容でした。
欲求を満たしていくのが人生の目的である。
では、欲求とは何故生まれたのか?
そもそも欲求を満たすために自己が生まれたのならば自己とはなにか?
それにいたり、目的論、決定論が持ち出され現在では第4スレに至ります。
>>509 あなたは今までの議論に意味があるとお考えか?
まあ、無数のヒントの寄せ集めにはなるだろうが・・・
わたしやあなたが、こうして生きていることは、
偶然の出来事なのか、それとも必然なのか。
必然であるなら、目的がある?
偶然であるなら、目的はない?
これを考えるだけでも・・・
512 :
考える名無しさん:04/04/22 15:24
チクビ オキタカ?
先ず「目的」とは何であるかと問うてみる。
すると「目的」的である事が必ずしも無定義的な概念で無く、
更に高次な形質を述べている事が解る。
元来「目的」的であるという場合は、それが自由意思の問題と関連が深いが、
且つ「目的」と「自由意思」には相反性が付きまとう。
つまり自由ならば目的が無い事になり、目的があるなら自由ではない。
原始の生命体が分裂し個体数を増やすのは目的か、それとも化学反応か。
遡り有機化合物の様々な変容は目的的であるといえるのか。そしてそれ以前・・。
生命であると定義付け出来る段階から、それら個体の振る舞いがあたかも
ある現象に対し接触と拒絶を選別するように見える事から、
外界全体の現象として扱うより、それぞれ個体の目的因だと見なせる可能性
が出てくる。しかしこの時点で「目的」を定義できるだろうか。
そして次の段階・・・では「犬」の場合はどうだろうか。
そういう意味で、目的因の成り立ちを明確にする根拠は、少なくとも生物の
歴史を追っても現れない。ではもしヒトなら、と巡らせても、
目的因自体の性質を吟味すると、主観的立場の外に置く事は出来ない。
拠って古生物〜ヒト云々という客観的対象ではなく、
「私」自身に起因するものである。
つまり目的的であるという事は、自己が自己の為の行動を選択するのみの
完結された概念であるといえる。
故に人類の普遍的目的というものは、「目的」の拡大解釈である。
外部から課せられた目的というものは、厳密には存在しない。
それはいつでも背く自由を得ているからであり、
課せられた目的を遂行しようという動機は、自らの目的そのものである。
このような意味において、主観的立場に限り目的と自由意思は相反性を持たず、
相補性を持つようになる。
今述べた「目的」の定義に従い「自分の目的は何だろうか」と問う事は
形式的に自己矛盾であるが、「探求する」という「目的」において
有用な問題意識だと思う。
それから1さん一つ警告があります。
あなたは
>>382でこんなレスをしましたね。
>そもそも、人生の目的という概念が言語にできるとは限らないのですからね。
こういう「逃げ口上」は無しにしましょう。
ここは掲示板ですから。掲示板で出来るだけのことをやりましょう。
あくまでも言葉による解決を目指しましょう。
でなければ、あなたがスレを立てた意味がないでしょう?
まずは、逃げ道を塞ぐことです。
515 :
考える名無しさん:04/04/22 17:06
エンピツ トカ サイコロ ノ ハナシ モ ヤメレ、 ニンゲン ノ ハナシ シレ
516 :
THE グル:04/04/22 18:50
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄
>ちくび
だいたい
>>494さんの言うような感じですね。
ドリームジャンボで、1等前後賞あわせて3億円が
毎年確実に当たる人がいるのなら、それは神の仕業でしょう。
古典的な確率の定義の中に「同様に確からしい」という一文がありますが
何故それは確からしいと言えるのか?と疑問を持たれるのはよくわかります。
これだと予測を(直感的な)予測で定義していることになりますから。
ですから、統計的確率(実際のデータ)で、先験的(数学的)確率を
定義して使えば問題はなくなります。気象予報がそれですね。
(これを言うとちくびの機嫌を損ねるかもしれませんが)
法則的存在者などという言葉を使う様を見ると
ちくびはどうも、人間の作り出した理論の精巧さに感心して
いるだけのようにも見受けられます。どんな(現実と対応させる)理論も
"正しくなるように"厳密に定義付けされた体系にすぎません。
それに、確定する事象(ex.力学)と不(未)確定の事象(確率)を
どちらも可能にさせる存在者がいるというのはおかしくないですか?
無数の法則を可能にする存在者がそれぞれ役割を担うのでしょうか?
例えば、確率の数学モデルに変換できない(と思われる)事象の場合
「ちくびが今夜このスレに現れる確率」などがあるわけですが
ここにおいてはその法則を可能にする存在者は影響しないのですか?
その「存在者」の適用範囲が曖昧なので、いまいち飲み込めないところです。
長々とすみません。
>>515 1氏が自己とは何か、創造主とは何か、等を問題視しているので
こういった、(現時点では)論証不可と思われる「世界観」や「宇宙の起源」
について話すしかないのは幾分仕方ないことではないでしょうか。
そういった"世界の基礎"を置くことで、1氏が問題解決に至るのなら
それにこしたことはありません。むしろ世界観=人生の目的かもしれませんし。
そこで私は、定常宇宙論や世界の不確定性(クオリアの多様性)
表象連鎖による物語作りの危険性等、色々と持論(電波)を発してみたわけです。
「774は素数か?」という問いを発する人は、
とりあえず1+1=2であることは疑ってないはずだ。
そこを疑ったら問題が成立しないからね。
問いを発するとき、暗黙のうちに信頼している事柄がある。
僕たちは何を信頼したらいいんだ?
このスレに書いてあることだって全部ウソかも知れないしね(^o^)
もし1さんがスクリプトだったら・・・(((;゚Д゚)))ガクガク
>>517 >ですから、統計的確率(実際のデータ)で、先験的(数学的)確率を
>定義して使えば問題はなくなります。
哲学的には全然よくなかったですね。あるデータを集めて得た統計的仮説に基づき
演繹的(先験的)に解釈することは本当に正しいと言えるのか。
これは「仮説検定」なんかの話にいくと思いますが、どうやらまだ未解決問題(?)のようです。
「実際使えるからいいじゃん」という道具主義的な意見もあるでしょうけど・・。
こういうのは科学哲学の領域で、大きくスレ違いですので確率の話は終わりにします。
個人的にはおもしろい話だと思うので、暇があれば別スレでもたててみます。
ということでチクビとの確率論争(?)は保留で方向で。
それはいいとしても「法則を可能にする存在者の影響範囲」は反証になりますよね。
これについての返答はお待ちしております。
書き込みすぎて申し訳ないが、やはり”確率”と”人間の意思決定”は
切っても切り離せないものでしょう。トーマス・ベイズの仮説検定
なんかは最近のAIの意思決定のアルゴリズムに利用されているようですし。
ある決断をする場合、必ず誰しもが過去のいくらかの経験を参照して
その判断を正しいものとするかどうかの”信頼度”を判定するはず。
オレは統計学も数学も半端モノなんでこれ以上論は進められません。
ほんとはもっと確率の話したいんだけどこれくらいで投了しときます・・。
無秩序はあるのだろうか?
無秩序であれば、偶然は偶然として試される。
しかし、コインの裏表を投げるとき、筋肉の秩序、空気の流れの秩序、
などによって、規制されていると言わざるを得ない。
結局、私が一億回試行をしたとしても、確率が2分の一には収束しない。
一回一回の試行が、物理的にどちらの面が表になるか、測定できるので、
調整すれば2分の一になるだろうけれど。
偶然が重なり、必然になる事象は無いのだろうか?
ちくび氏もそういうことを言いたいのだとは思う。
>>521 人間の意思決定、の中で「私の為」、と「私たちの為」の分裂もあります。
こう書くと問題を矮小化していると1さんに言われるとは思うのですが。
半端知識で紹介しますが、ベイズの確率論は主観的確率を扱う
いわば観念論的確率論と言えます。
「1氏は2日に1回のペースでこのスレに来てるみたいだ」
というのを1/2の確率として扱ってよいというものです。
また、後の経験によって、この主観確率は変動するものでもあります。
(違ったらスマン。詳しく知りたい方は検索などしてみてください)
これは私の「世界は混沌であって、人間の表象に秩序がある」
という世界観と非常に親密な関係にあります。つまり、どんな客観的法則も
(ある程度の妥当性を持った)一種のイデオロギーであると言えます。
>>524 >どんな客観的法則も(ある程度の妥当性を持った)
>一種のイデオロギーであると言えます。
ちょっと飛躍しすぎたので、説明を加えます。
操作主義や実証主義と言われるように、科学は「ある結果が反復される
可能性(=信頼度)」の上に成り立っていると言えるからです。
世界がそもそも混沌であるか、何か秩序を持った物であるかが
科学では検証不可能、ということがいわれているのだと思うのだがねえ。
>>526 >世界がそもそも混沌であるか、何か秩序を持った物であるかが科学では検証不可能
「そもそもの世界」などはなく、世界にはイデオロギー(信念)のみが存在します。
そして、それを逆説的に取れば世界は如何様にもあり得る→「混沌」というわけです。
そうすると、本当に正しいイデオロギーが発見されれば、混沌は
納まる、と考えていいのでしょうか?
いずれにしても、そもそもの世界がはじめにあるからこそ、イデオロギー
が存在できるのではないのですか?
529 :
考える名無しさん:04/04/22 23:42
436 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :04/04/21 11:33
人質バッシング騒動は視点を変えると見えてくる。
もし人質がNHKや日本テレビの正社員だったら。。
もし人質が外務省の正職員だったら。。
そう、決して「自己責任論」は出ない。
拘束されたNHK記者の家族を引きずり回すことはありえない。
NHKに「負担金請求書」が回ることも、赴任辞令を出した上司との
その家族に請求書が回ることも、ない。
つまり人質バッシングは、「組織からはみ出た個人を認めない」とい
う日本人の未来永劫変わらない特質をまたもや浮き彫りにしたようだ。
開放された後、「残って続けたい」。もしこれを言ったのが大きな組
織、企業の社員だったら、「彼は責任感の非常に強い男だ」と賞賛さ
れたろう。
530 :
考える名無しさん:04/04/22 23:48
現在の学校の勉強をしすぎるとバカになる
http://www.st.rim.or.jp/~k-kazuma/ED/ED131.html >多くの人は、学校の勉強に真面目に取り組めば、頭が良くなると思っているかも知れない。
>ところが実際は、現在の学校の勉強をやりすぎると、逆に頭が悪くなる。
>信じられないと言う人が多いかも知れないので、少し詳しく説明しよう。
>学校の勉強が出来るのだから、頭が良いのではと勘違いする人が多くいる。
>これは大きな間違いだ。学校の勉強は、正解のある問題が中心で、暗記すれば何とかなる。
>長期間の学校の勉強で低下するのは、思考力だけではない。
>新しいものを創り出すのに必要な創造力とか、壁にぶつかったときに打破する解決能力なども、どんどんと悪くなる。
>勉強すればするほどバカに向かって前進するわけだ。
↑これは本当なんですか?
哲学を専門とする皆様にお聞きしたいのですが。
学校の勉強は関係ないかもしれないが大学でないとなれない職業もあるのでは?
わたしは性格的なもので高校も辞めちゃったからね、少なくとも学歴の重要性
はわかっているつもりだよ。
それと暗記力をつければ、想像力も強くなるらしいよ。よく知らないけど。
インド人がすごいらしいです。
>>528 その「正しい」という規範そのものがイデオロギーの根源です。
だから、「正しい」+「イデオロギー」というのは変な組み合わせです。
あなたの思う「正しいイデオロギー」も一つのイデオロギーですし
また、私の意見もひとつのイデオロギーと成り得ます。
「正しい」というより、「より信頼のおける」、「より妥当性のある」
と表現するのが適切ではないでしょうか。
>>529 ヒトラーの是非を問うのと似たようなものですね。
>>530 自明でしょう。というより、本人の学ぶ態度に依りますけど。
ヘタすると与えられた枠の中でしか思考できない人間に育ちます。
重要なのは、難しい問題を解くことではなく、自分で問題を見つけ出し
それを解決する力です。数学モデル化の話でさっきちょっと触れましたが。
このスレは他と比べると、きっと素人率が高いですよ。
ていうかスレ違い・・。質問板へどうぞ。
>>531 レスありがとうございます。
学歴は重要な面があるんですね。
正しいかどうかを、常に他者に試行していけばいいわけで、正しいは
イデオロギーではないと思うけど。こんなのは言葉の綾です。
でも、世界が混沌としてあるか、何らかの秩序を持っているのか、
は解らない、解ったとしても「より妥当性のある」ということ。
目的があるかどうかは解らない・・・・
と言って俺もわからないけどね。
535 :
考える名無しさん:04/04/23 00:54
>>529 出るわ(マスコミに出んだけで)。
ただ、もしNHKの正社員の家族が自衛隊撤退に熱を上げてたりしたらの話。
多くの国民と2chは「自業自得だろ・・・」と思うに決まってる。
つうか、マスコミってそんなに自己責任論に執着してたか?
産経新聞くらいじゃないのか?
536 :
考える名無しさん:04/04/23 00:57
もし家族が
「息子達は覚悟の上で行ったのだと思います。このことで国に迷惑をおかけするわけには
参りません。無事救出していただきたいとは思っていますが、こうした事件の再発を
防ぐためにも、政府の方にはテロリストの要求には応じないでいただきたいと思っています」
と、泣きはらした顔で言ってたら、国民世論は味方についただろう。
けど実際はねぇ・・・('Д`)
今まで見て色々考えたのですが
ランダム性というのは有限だと想定される現象結果に対して(サイコロなら6)
有限回の操作を試行することによって得られる「隙間」のようなものだと
思うんですよね。例えばある無限に続く(存在しないが)乱数表を見ながら
「これらは均等に0から9までの数字が点在する」と主張する時、
乱数表を全て調べ尽くす事は不可能なので標本を取らなきゃなりません。
しかし統計者は乱数表が一様である事を無条件に信じる必要があります。
仮に乱数表が有限であっても、全て対象にする事が不可能なくらい
大きいものであれば、条件としては近いものになります。
経験として私達はサンプルに均等性と若干の誤差が含まれる事を認識しています。
それは元々有限の不明な現象結果に対し有限の試行を想定する前提が求められる
からであると考えます。
決まった事象の数(N)についてM回の操作を行うとき、
N<M
ならばいかなる場合でも
(M−N)回以上絶対に結果が重複します。
この重複は、事象の確率がN分の1であるという前提を持たなくても
確実に成り立ちます。その上で結果がN分の1に漸近的に近付くという順序
があるように考えられます。
>>534 フーコー流に、エピステーメーや
規範、権力で説明してもいいかもしれません。
(かといって私はフーコーを理解しているわけではないですが・・)
では、「正しい」という根拠はなんですか?
自分が「正しい」と思う事例とその根拠を挙げてみてください。
現実問題であればなんでもいいです。
>>537 >その上で結果がN分の1に漸近的に近付くという順序
>があるように考えられます。
すみません、最後の一文がよく分かりませんでした・・。
具体的な例でもう少し詳しく説明していただけますか?
例えば
「くじ引きの箱に当たりが1個、ハズレが3個入っている。
一回くじを引く度に中に戻すとして、全部で5回くじを引く。」
こういう場合とかでどうでしょう。
あ、サイコロを7回以上ふる場合でもいいですね。
紙と鉛筆でしばらく考えてみます。
>>163 レスありがとうございます。楽しいです。
自分の意見を簡単な例にすると、「サイコロを8回振った時は2回以上重複する」
は自明という事です。これは確率とは関係無いですね?
あなたの例題を解釈するなら、
勿論当たりの確率は4分の1に収束する事が確からしいのですが、
5回の試行によって当たりハズレ共に重複するケースは
確実に3回以上です。これはハズレが3枚でも1枚でも成り立ちます。
くじは条件によって4枚あるので、1枚1枚区別したときはそれぞれ
同様に4分の1の確からしさを持っています。ハズレ3枚を区別しなければ
ハズレは4分の3に近付き、当たりは4分の1に近付きます。
重複の自明性と、確率の経験的実証性とでは肯定の強さとしての度合いに
順序があると思うのです。
つまりランダム性を主張する時「半端モノ」である重複が自明であるとするなら
、確率を導入する以前に「誤差」即ち「混沌」は自明ではないかと。
その上で確率的な収束を見せる現象は、有限回の試行結果である限り
必ず混沌性を伴わなければなりません。
>>541 「有限回の試行である限り」という制限はとても重要ですね。
確率の完全な実証はサンプル数が無限であることの上でしか成り立たない。
よって、現実において確率(ある段階における仮説)はある程度確からしいが
有限の事象を扱う限り、誤差が伴うことは自明であると。
ベイズの定理を弁証法的に解釈するとしたらこんな感じでしょうか↓
テーゼ(仮説=偏見=イデオロギー)→アンチテーゼ(仮説検定=批判)
→新たなテーゼの提出(仮説の再設定)→・・・が延々と続く。
ここでは、人間の経験の有限性において確実に「誤差=不確実」はつきまとう。
つまり、我々の認識が有限である限り、絶対に正しい世界解釈は存在しない。
一方もし、人間の歴史が永遠に続くのなら人間は神になれる。
こういったことから人間の"現在"を見ると
「人間は、偏見(過去のデータから得られる統計的"仮説"の信頼度)
に基づき、不確定な未来に対して意思決定を行っている。」と。
また、私のこの混沌仮説にも信頼度があるわけで・・。
また、世界が有限であったとしても無限であったとしても
『世界≧人間の認識(有限)』という不等式によって
世界の完全掌握は「誤差」の存在によって不可能と言えますね。
>>542 あ、これだと歴史の連続性を前提としてますね。
人間の意思決定が独立事象である場合を想定するとこの説は危うい。
しかし、意思決定において「歴史」は重要な要因には変わりないでしょう。
てことは過去の経験(データ)と無関係な意思決定を行う確率も考えないと・・。
歴史の連続性、不連続性という話は1レス消費するくらい
難しい話題ではないしょうか。・・とりあえず保留で。
>>541 すみません。眠気+勉強不足でいまいちまだ飲み込めない部分が。
>重複の自明性と、確率の経験的実証性とでは肯定の強さとしての度合いに
>順序があると思うのです。
「肯定の強さとしての度合いの順序」というのはどういうことでしょうか?
この”順序”の意味がまだ飲み込めません。自明>経験的実証性?
ていうかそろそろ寝ます・・また今夜。
>>543 >歴史の連続性、不連続性という話は1レス消費するくらい
(訂正)
「1"スレ"以上は消費するくらい」ですね。
まあいいや・・3時間しか寝れないけど、オヤスミナサイ。
>>163 そうですね。実証という意味では私としても「混沌」の方が扱い易いものです。
確率の実証は確かに無限を扱わねば存在を「確認」できず、
仮に無限標本全体を扱う想定の元で「混沌」や「誤差」は意味を為しません。
逆に有限事象を取り扱う場合はそこに「混沌」があるのは確認でき、
確率の完全な実証は不可能になるのです。
言わばマクロとしての確率(確かさ)、ミクロとしての混沌(不確定さ)、
それらが常に有限且つ充分に大きい世界の現象の中に作用してます。
その兼ね合いこそが不確定的ながらも決定論的な世界観を醸し出すのかも
しれませんね。
546 :
考える名無しさん:04/04/23 09:50
>>537のような考えを推し進めると
ラムゼー理論ってのが数学にあるんですが、
それは、どんなにランダムな有限対象を持ってきても
そこに、必ず隠されている規則を研究するというもので、
面白い考え方だとは思います。
>>1さん
だから私は最初から欲求の誕生は教育だと言ってるでしょう
自己が生まれるのも教育
だから1さんの教育のされ方がわかれば
「1さんが満足の行く人生の目的」が理解できるのですよ
こんにちは。盛り上がってますね。
>>501 思いますよ。
>>513>>514 それから、とあるので同じ人でしょうか?
私から見れば捉え方自体多様性があるのでなるべくなら文章にしたいが、文章にできない可能性も否めないといっているのです。
加えて、逃げ口上も何もどこから逃げるのでしょう?
自由という状態の「今」を極限まで、突き詰めていくと何かしかの目的が見出せないでしょうか?
例えば何気なく視線を窓の外に投げかけても、何かにピントが合ってしまうといった様な、、、意思の有無に関わらず行動は目的を持っている。とも言えますね。
>>163 確率もなんだかすごい話になるんですね。
何か意見を、、と思うんですが、どうも考え付かないです。
強いてあげるなら、さいころを振るときに私たちは出る目が1から6の中のどれかであることは了解してますよね。
出る目はこれから起こることなのに、過去の経験から予測をたてているんですね。
出た目が7だったら、、、面白いだろうなぁ。
>>530 私は馬鹿になるとは思わないですよ。
頭の良し悪しは簡単には測れないでしょうし、個性なんてなおのこと分かりませんしね。
ひねくれた言い方をすれば、自分以外の知性は想像するしかないのですから
もしこのような過去だったら今はこのようになっているだろう、、のような対照実験は事実上不可能ですから
勉学と知性の因果関係は簡単には語れないと思います。
>>老子さん
鶏と卵ですね。
老子さんの主張では変化も時間も教育も先人も全てもともとあったのですか?
この世にあるのが前提で、全ての理論が成り立ってますか?
ですからこそ「有るから有る」と考えているのではないですか?と伺っております。
「目的がある」という発想は答えが「ある」という発想ですね
「答え」を「作る」ものがいない場合「答え」は存在しませんね
「自由」というものは「不自由」がないと存在しない言葉ですね
「不自由」というものを「作る」環境を探せば何故自由なのかわかりますね
>>549 どこらへんが鶏と卵なのでしょうか?
神の存在を考えない場合
思考する存在は人間しかいないのですから
変化も時間も教育も先人も全て人間の概念の中にしか存在しないのですよ
>>530さんの言う馬鹿とは応用がきかない人間という意味でしょう
なんでもそうですが慣れてない事は出来ないものです
24時間の配分を学校の勉強の時間にかければかけるほど
他の事に慣れる時間が減るのですから
応用がきかない人間になるでしょう
553 :
考える名無しさん:04/04/23 12:36
>1氏の問い自体が「鳥と卵」みたいなものだからなあ。
生命っていうのは、微視的にみれば似たようなサイクルの繰り返しでしょう。
どっから、なぜ鳥が始まったのかと言われてもねえ。
混沌の中に、とつぜん秩序が現れるってこともままある。
結晶なんかがそうでしょう。
結晶はなぜあんなにキレイに規則的に並んでるのかしら、と言われても、
それは自然のいたずらでね。人為的に作られた規則じゃないですよね。
要するに、結晶を構成している個々の原子が、「結晶化したい」っていう
性質があるんですよ。原子に欲望があるわけじゃないけどね。
ほんで、生命ってのもやはり自然のいたずらが作ったものらしいと。
結晶よりは、はるかに複雑だけど。ただ結晶と似ているところは、
ある種の秩序への志向でしょうか。
何を言っているのかね君達は!?
まさか脱構築を行っていないのではないのかね!
いますぐ脱構築をしたまえ!
脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!
555 :
考える名無しさん:04/04/23 12:49
いきなりヒトとか鳥とかいう対象を扱うのは複雑すぎるんじゃないでしょうか。
もっと単純な、例えばウィルスなんかを考えてみては。
ウィルスは「繁殖」しますし、「進化」もします。
もっと面白いことに、ある種のウィルスは「結晶化」します。
つまり純粋な物質でもあるんですね。
ビンの中の粉末になっちゃうんです。
細菌の中にウィルスの粉末をぶちまけると、また繁殖し始める。
面白いでしょう?
人間だって、ウィルスがでかくなったようなものじゃないですかね?
だから何を言っているんだ君達は!
脱構築を行わずして物事が考えられるものか!
脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!脱構築だ!
偉そうな事言ってるけど、実は俺ひきこもりなんです。
559 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 13:11
>>558 偽者が・・・
なんか悔しい事でもあったのかな?
>>558 貴様の方こそ偽物だ。
皆の衆惑わされんように。
偽物も現れたことだし、トリップをつけるか。
562 :
老子 ◇8HdYpQBrEo:04/04/23 13:17
そういうお前こそ偽物だ。
私こそ本物の老子。
563 :
考える名無しさん:04/04/23 13:21
生きるとは何か、知りたければ食肉工場へ行ってみたらどうでしょうか?
我々が生きるということは、つまり彼らが死ぬことですよね。
そういう「命の取引」がなされている。原子が電子を取引するようにね。
ただ、重要なのは取引のマイナス面はなるべく「隠蔽」されているということです。
プラスの方だけ見ようとする意識がどっかに働いている。
いわば「非対称な意識」とでも言うべきものが。
まあ、かなり当てずっぽうですが。
564 :
老子 ◆eksnlv9z9o :04/04/23 13:25
仕方ないのでトリップ付けます。皆さんだまされないでね☆
565 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 13:29
まぁどうでもいいけど
人生相談でもしましょうか?
人生の目的が見つからないのかな?562/564の老子さん
566 :
考える名無しさん:04/04/23 13:31
僕はかなり当てずっぽうなこと書いてるだけですからね。
あまり本気になさらないで下さい。
>>557 考えないものに「目的」があるでしょうか?
ボールは地面を「目指して」落下すると、なぜ言えないのですか?
つまり、それはボール自身が落下する運命を
変えられないということと、もう一つは、落下しようがしまいが、
ボール自身にとっては、いわば「どうでもいいこと」ということから
言えるのでしょうね。いずれにしても、人間の勝手な解釈でありますが。
567 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 13:35
568 :
考える名無しさん:04/04/23 14:01
>>567 いや、目的とは言えないでしょう、と言ったまでです。
もしボールに人格が備わっているとしたら、どうイメージしますか?
絵本作家にでもなったつもりで。
つまり、ボールは、個々の時点では「落ちたい」「転がりたい」
と思って「行動」しているかも知れませんが、
それは、過去、誰かが落としたのだ、転がしたのだ、
それはボール自身の決定ではないのだ、とも言えますね。
ちょっと強引につなげてみました。
569 :
考える名無しさん:04/04/23 14:05
いずれにせよ、ボール自身に善悪の判断みたいなものが無い以上、
それがボールの意志だとか、目的だとかは言いがたいですねえ。。。
>>553 そうなんですよね。
まさに鶏卵になぞらえられる問いかけですよね。
それでも何とか納得しようとする試みなのではないですかね?
>>老子さん
>「答え」を「作る」ものがいない場合「答え」は存在しませんね
ここのとこですけどその点は何故当たり前なのですか?
以前にそもそも目的が有るとすることを自明で有るとするのはいかがなものか?
という書き込みがありました。
老子さんはいかがお考えでょう?
>変化も時間も教育も先人も全て人間の概念の中にしか存在しないのですよ。
これもなんですけど、自己以外が考えているという根拠はなんですか?
何故人間だけが考えていると、言い切れるのですか?
571 :
考える名無しさん:04/04/23 14:35
ギロン ノ モクテキ ワスレテル・・
572 :
考える名無しさん:04/04/23 14:42
老子さんにヒントを得てみたんですが、
生命とは「因果関係の持続」と考えたらどうでしょう。
「因果関係を持続させたい」という性質が、
どこかに隠されていないでしょうか。
あと「状態」と「変化」は一旦区別して考えると分かりやすいと思います。
(0)という状態があります。(+1)という変化があります。
状態に変化を適応すると、0→1→2→・・・という具合に変わってゆきます。
こんな具合に。
「神は細部に宿る」なら
「神は外野にしかいない」のだろう
「人生いかに生くべきか」よりも
「箸の上げ下ろし一つ一つが人生だ」と思う
574 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 14:53
>>568 もしボールに人格があっても
ボール自身が考える「欲求」とボールが作られた「欲求」は別次元のものですね
ここでは「人生の目的」を探求してる訳ですから
ボールは何の為に作られたか?と考えないといけない
ようするに「投げる為に作られた」という回答がでないと正解では無い事になります
ボールが自分の事を考えてもなんの解決になりませんね
ボール自体が持っているアフォードは目的とは何の関連性もありません
575 :
考える名無しさん:04/04/23 15:05
>>574 ボールは野球をするため、だとか、
そのように適切な視点を持てば、
いくらでも、正しい解答は得られるでしょう。
ただ1さんが尋ねていることは、そうした「個々の」目的ではないのでね。
「個々の目的しか存在しない」という常識をあえて覆そうとしてるわけですから。
ちょっとキチガイになって見ないと分からないのではないでしょうか。
576 :
考える名無しさん:04/04/23 15:12
>>574 >ようするに「投げる為に作られた」という回答がでないと正解では無い事になります
間違ってる。
野球で使用するボールに限ってみても、
「打つため」でもあれば、「エラーされるため」でもあれば、
「審判に判定してもらうため」でもあれば、「闖入した犬に咥えられるため」
でもある。
577 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 15:16
>>570 そもそも答えに「正解」「不正解」が必要なければ
答えが無いのと同じですね
ようするに正解を決める存在がいない場合に「答え」は存在しないでしょう
>>何故人間だけが考えていると、言い切れるのですか?
教育されない人間に考えるという概念があるのでしょうか?
無いのであれば教育されている「人間にだけ」ある概念だと言いきれるでしょう
もちろん教育の結晶である人口知能には考えるという概念はあるでしょう
人間が考えているのではなく教育のシステムが考えているのですよ
私達の肉体はハードなのですから存在してるだけです
578 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 15:22
>>575>>576 確かに私がいった答え以外に沢山用意されているでしょうが
作り主の考えを無視して想像するのは答えと呼べますか?
作り主がボールを投げる為に作ったんだと言ってるのに
打つ為だ、エラーされる為だと言って
ボールの作られた目的がわかるのでしょうか?
誰が作ったかによって答えが変りますね
老子は電波扱いされてる事に気付け。
あんただけだよ。このスレで電波扱い受けているのは。
どういう意味か分かるだろ?
うぅ……相手にされない
581 :
考える名無しさん:04/04/23 15:32
>>578 >作り主の考えを無視して想像するのは答えと呼べますか?
作られたものは作り主の考えなど超えて一定の振る舞いをするもんだよ。
君たち!君たちに人生は無いぞ!!
583 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 15:44
>>581 作り主の考えを無視して
作られた目的の回答は得られるのですか?
作り主とやらがこういった目的で作った、と言っても内心では違う目的で作ったものかもしれん。
そういった捉え方からすると老子の論理は破綻する。
根本的認識論の話だ。
個人の目的は個人が認識するもの。
例えば、当初の作り手の目的とは別に現在他者の目的から使用されているものが存在する。
これは作り手の目的以外にもその物体に目的が存在すると証明する事。
作り手の目的など使い手の意志でどうにでもなるし無意味にもなる。
そもそも話がそれ過ぎだ。物体に対する目的なぞどうでもいいこと。
別問題だ。
586 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 15:50
>>584 では野球のボールが作られた目的を考えた時に
ボール自身が俺はサッカーボールだと言っても正解なのですか?
作り主の背景を探していけば
何を作りたかったかわかるでしょう
教育が必要な背景を考えれば人生の目的もわかるでしょう
>>586 ボールは語らない。物質だ。目的とは関わりがない。
教育が人生を方向付けるということか?
具体的に解説してもらいたいが。
無教養でも人生の目的は?と聞かれたら答えるものもいるだろうに。
588 :
考える名無しさん:04/04/23 15:53
>>586 >ボール自身が俺はサッカーボールだと言っても正解なのですか?
ボール自身が「俺はサッカーボールだ」と喋るという仮定が
キチガイじみているわけだが。
オカルト
結局は何を言わんとしているのか。老子ちゃん。
横道にそれて破綻した議論をうやむやにするのは能無しの証だろう。
高等な教育を受けても真の教養とはならんぞ。
今の大学生、カントやマルクスなど基本的な書物を理解してるものがどれほどいるのだろうかと。
学歴と真の教養はこの国では別ものだ。
592 :
考える名無しさん:04/04/23 16:02
いや、老子のいわんとすることは分かる。
生きる目的は、
それを作った者(人間ならその親)
ないし使う者に帰せられるべきである、ということでしょう。
適当に生きとけ!!
同情するならカネをくれ!
月末ピンチなんだよ!
バー―カ
てめぇらの真面目なんか屁でもねーや!
どっか行け! このハゲ!!
595 :
考える名無しさん:04/04/23 16:05
・ボールは、投げられるために存在する。
・ボールは、打たれるために存在する。
・ボールは、エラーされるために存在する。
・ボールは、審判に判定してもらうために存在する。
・ボールは、闖入した犬に咥えられるために存在する。
これらから「ために」という語を抜き取る。
・ボールは、投げられる存在である。
・ボールは、打たれる存在である。
・ボールは、エラーされる存在である。
・ボールは、審判に判定してもらう存在である。
・ボールは、闖入した犬に咥えられる存在である。
スッキリ
596 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:06
>>587 教育があるから考えるという行為がありえる訳でしょう
教育がない人間に目的なんかありえますか?
>>588 例え話が理解できないとは・・・キチガイには例え話は理解できないか・・・
>>590 だから自我を作るのは教育でしょうと言ってますが
たとえ話が理解できないと言うところに
この哲板の一番の悲劇がありますね
三流哲学は比喩を許さない
自己完結の幻想に嵌っているとも知らずに
599 :
考える名無しさん:04/04/23 16:09
〜 プゥ〜ン
彡川三三三ミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川 ) .< たとえ話が理解できないというところに
川川;――◎--◎_ | この哲板の一番の悲劇がありますね
川;(6 3 | \_____________
_川川| ///∴) д(∴) | | |\_
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|::: 老子 \__/ .| | .. |.|
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>>599 どっち向いて喋ってんだ、このターコ!!
602 :
考える名無しさん:04/04/23 16:12
〜 プゥ〜ン
彡川三三三ミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川 ) .< どっち向いて喋ってんだ、このターコ!!
川川;――◎--◎_ |
川;(6 3 | \_____________
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>>602 まだ気づかないのか、一生やってろ
どっか行け!おととい来やがれ!!
お前はもう、死んでいる
605 :
考える名無しさん:04/04/23 16:16
〜 プゥ〜ン
彡川三三三ミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川 ) .< まだ気づかないのか、一生やってろ
川川;――◎--◎_ | どっか行け!おととい来やがれ!!
川;(6 3 | \_____________
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教育がなくとも自我はあるものだろう。
それを認識するための知識を与えてくれるのが教育であると言う話だ。
教育と言っても一概に全てを括る事はできないが、
例えば今の日本教育は社会のシステムに順応できるように構成されている。
学歴社会という言葉がどれほど曖昧なものかはご存じであろう。
教育とはあるシステムに依存した一つの方向性である。この国では。
だから自分の頭で考える事ができない人間が多いんだよ。
常識という多数の意見が多くの無能の場合、自我になりうる。
哲学的だというのであれば、社会のシステムに違和感を覚え、反発する人間のほうが
よっぽど人間的な自我を持っていると思える。
607 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:19
>>592 そうです
そして自我というものは教育なしには芽生えないと主張してます
608 :
考える名無しさん:04/04/23 16:22
>>606 >だから自分の頭で考える事ができない人間が多いんだよ。
面白い意見だね。 俺の思考は俺の脳の働きによるものではないわけか。
オカルト主義者かね?
609 :
考える名無しさん:04/04/23 16:22
>>607 とんだ電波だな。
教育が自我を生む、か。
610 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:23
>>606 私はもっと根源的な話をしてますよ
話す・読む・書く・考える、などの教育ですよ
狼少年になるかどうかの教育です
>>608 あげあしとりか。
ようするに自我を認識できていないから自我のままの回答ができないと言う意味だ。
マニュアル(常識や社会道徳)でしか語れない。そういうことだ。
それくらいわかんだろ。普通にw
あげあしとりはみっともないからやめたほうがいいぞ。
612 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:24
>>609 教育なしにどうやって自我が生まれるのかな?
狼少年にも自我があるとでも?
自我はあるだろう。
それが認識できるかどうか。そういうことだ。
このスレには人生が無い
615 :
考える名無しさん:04/04/23 16:28
>>611 >ようするに自我を認識できていないから自我のままの回答ができないと言う意味だ。
「自我を認識できない」状態を具体的に記述できないで
何を言っても無効です。
低脳の恨み節にしか聞こえません。
動物には自我が無いと言える根拠はあるのだろうか。
617 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:30
>>613 狼少年に自我あるなら
犬や猫にも自我がある事になりますよね
どうですか?
>>615 書いてあるが。
例えば一つの社会通念を疑いなく鵜呑みにしてそれを自己の答えとしてるような連中だよ。
自分の都合のいいように解釈して反論するのは馬鹿の壁のせいですか?
619 :
考える名無しさん:04/04/23 16:31
620 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:31
>>616 記憶の能力が無いのに自我はありえないでしょう
621 :
考える名無しさん:04/04/23 16:32
>>618 封建社会の下層農民の多くは「自我がない」状態だったんですかね?
622 :
考える名無しさん:04/04/23 16:32
623 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:33
記憶が無ければ自分が自分であるという認識ができないのですよ
人間だって自我が芽生えたのは三歳や四歳だという言うのに
自我が芽生えると思いますか?
624 :
考える名無しさん:04/04/23 16:35
自我なんか、いらん
625 :
考える名無しさん:04/04/23 16:36
>>621 封健社会の下層農民を知らんのでなんともいえん。
ただ現代の若者の多くは機械的な社会の歯車的な自我しか持っていないと思える。
それが自我の認識のない人間たちだと言える。
自我はそれぞれあると思っているかもしれんが認識は出来ていないだろう。
デカルトやカントやフロイトなどの諸学問も読まずに自我が認識できるとは思えん。
たんなる妄想レベルだと思われる。
>>623 以前のTV番組で16歳まで虐待され、言葉もなにも知らなかった少女が紹介されたが
それを見れば教育は無くても自我が存在する事は見れば分かる事。
それが認識できるかどうか、だ。
627 :
考える名無しさん:04/04/23 16:38
>>625 >ただ現代の若者の多くは機械的な社会の歯車的な自我しか持っていないと思える。
>それが自我の認識のない人間たちだと言える。
これ凄く「社会通念」通りの意見に思えるんだけど、
そんなあなたに自我はありますか?
自我を見せてくださいよ。
628 :
考える名無しさん:04/04/23 16:38
動物にも自我はあると思うけど、確かに記憶の積み重ねは無いな。
3日前に何食ったか覚えてないのが人間といふものだが。
629 :
考える名無しさん:04/04/23 16:39
>>612 おまえのカキコ読むと、なるほど教育は大事だ、と思わされるw
あのー、なんなの、真面目に考えるって
なんなの? どのくらいの感じなの?
631 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:39
>>625 まぁ貴方が悟りを開いていないかぎり
貴方の発言も全て妄想だけどな
632 :
考える名無しさん:04/04/23 16:39
>>625 デカルト、カント、フロイト、みんな全く違う「自我」説なんだけど、
わかってる?
>>625 それと俺は「そういった連中に自我が無い」とは言っていない。
「自我が認識できていない」と言っているのだ。
だから既存の社会通念などをすぐに鵜呑みにすると言っている。
なんか、ようやくビンボーから少し脱出したところで
このスレ見ると、すげー腹立つんですけど……
635 :
考える名無しさん:04/04/23 16:41
>>633 >だから既存の社会通念などをすぐに鵜呑みにすると言っている。
既存の社会通念の代表を紹介してください。
636 :
考える名無しさん:04/04/23 16:42
>>631 老子、おまえのカキコ読むと、「なるほど教育は大事だ」と
納得させられるw おかげで大笑いさせてもらってる。
真剣に語りたければ、オフ会をしろ!!
>>632 知っているが。
哲学のもつ意味とは、現時点では「自我を認識するための方法」だと確信している。
事実俺は自我を論理的に認識できた。
常識を根本に判断をせずに、自我の根本を基準に判断できている。
これが全てだと思うが。
639 :
THE グル:04/04/23 16:42
いいですか、
人生の目的とはビジョンを生きることなんです。
人間以外の動物はビジョンを生きているから迷いがないんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
640 :
考える名無しさん:04/04/23 16:42
>>634 「腹立つ」という感情があるなら、あなたにも立派に自我はありますよ!
641 :
考える名無しさん:04/04/23 16:44
アホタレ ガ アツマッテル ッテ キイテ キタンデスガ ココデ イインデスヨネ?
>>635 全く思い浮かばないのか煽りなのか。
常識論は全てここに依存するが。
643 :
考える名無しさん:04/04/23 16:44
>>638 >知っているが。
>哲学のもつ意味とは、現時点では「自我を認識するための方法」だと確信している。
「知っているが。」から次の文章へのつながりが極めて非論理的。
不可。
645 :
考える名無しさん:04/04/23 16:45
>>642 「社会通念を疑うべきだ」も社会通念ですよね
647 :
考える名無しさん:04/04/23 16:46
>>645 それは二次的なものだろうが。
「社会通念」に依存している。
区別が付かない人間が多いな。
650 :
考える名無しさん:04/04/23 16:48
社会通念を疑えば立派な自我の持ち主として
誇れると思ってるDQNがいるようだな
651 :
考える名無しさん:04/04/23 16:48
ロウシハ キョウイク ノ ハナシ ニ モッテ イキタイ ンダロ? ダッタラ シロヨ
652 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:49
>>631 自分の常識と違うものを見ると笑う
ただの反射ですね
自分で思考してると思ってる御馬鹿さん
ボクハ ロウシ チャイマスヨ! マジデ
654 :
考える名無しさん:04/04/23 16:49
>>649 コワイトキハ 「 スイマセン 」 ッテ イウンダヨ、 ワカタ?
例えば人間的理性が無い存在は
あるもにたいして動物的に反応する。
これは自我が行う。
例えばある程度の人間的な教育が施された人間は
あるもにたいして人間的な価値基準(一般世俗的な)を元に反応する。
例えばある程度の高等な教養を身につけ、自我を認識できるものは
全く自我を根本として自我に依る判断ができる。
それだけのことだ。
656 :
考える名無しさん:04/04/23 16:51
>>652 アホタレ、 イツマデ コトバアソビ シテンダヨ
>>654 ナニ イッテンダ コノヤロー!!
ス、「スイマセン」……
658 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 16:52
659 :
考える名無しさん:04/04/23 16:52
>>657 ワkレバ、ヨシ コンゴ、キィ ツケロ
660 :
考える名無しさん:04/04/23 16:54
単純な生き物の行動パターンは有限状態オートマトンで表現できる。
しかし、より高等な生き物を表現するには記憶の積み重ねが要る。
すなわちチューリングマシンだ。僕たちはチューリングマシンなんでつよ〜。
661 :
考える名無しさん:04/04/23 16:54
>>658 オ、 ロウシ ノ トクイナ ハナシ ニ ナテキタ ミタイダナw キイテ ミヨウジャンww
>>658 違うし。
全く理解する頭が無いようだなあんたは。
それともう一つ。自我があり、自我を根本に反応できる人間でも
もちろん社会通念は念頭に置いていると言う事。
言いたいのは、自我を認識できる存在か否か、ということ。
663 :
考える名無しさん:04/04/23 16:56
>>662 だから早く デカルト カント フロイトのどの自我のこと言ってんのか
説明しろ
>>663 お前のような人間をマニュアルくんていうんだよ。
自我を認識するための基本的な書物と書いただけで別に彼等の言う自我の認識論を
基準に語っているわけではない。
唯識だ。
665 :
考える名無しさん:04/04/23 16:59
いくら教えても 教育で人はつくれない
人をつくるのは 自らの学習だ
サケデモノンデ、 ノドヲウルオシテコイ !!
667 :
考える名無しさん:04/04/23 17:01
>>666 ミルクティー ノンデルボ ←イギリスガエリ
アイテシテモラッテ スモソネ
コトバアソビデモ シナキャ
ジンセイガ サビシイノョ
670 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 17:06
>>662 貴方は動物にも自我あると言った方ですか?
>>665 自らの学習方法を教えるが教育なんですよ
671 :
考える名無しさん:04/04/23 17:07
>>665 人格形成に教育は超重要。人をつくるのは教育。
自らの学習にまかせてたらただの猿に育つw
672 :
考える名無しさん:04/04/23 17:13
人は自己の利益になることしか 受けとらない
学習方法も同様だ
673 :
考える名無しさん:04/04/23 17:15
674 :
考える名無しさん:04/04/23 17:18
ロウシ、 ガンガレェ〜 デモ チイサナ ノウミソ ジャ ムリダロナ・・
675 :
THE グル:04/04/23 17:18
いいですか、
つまらんですね。
どうかしましたか?
676 :
考える名無しさん:04/04/23 17:20
上のほうで歯車のような自我とあったが、
こういう人間は、ある種暴力を伴う教育によって形成されるからな。
決して、頭の弱さゆえにそうなるのではない。
677 :
考える名無しさん:04/04/23 17:22
ロウシ ハ ヨワイ ンジャ ナイ、 チイサイ
678 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/23 17:25
>>673 それは違うでしょう
私と同じ事を言ってるんですよ
679 :
考える名無しさん:04/04/23 17:27
オ、 ロウシ フッカツ ホンデ?
680 :
考える名無しさん:04/04/23 17:30
教育されない人間は自我も目的を持ち得ないということ?
狼に育てられた人間とか、人道上、それを再現するわけにはいかないからなあ。
いくら高等な教育を受けても、馬鹿は馬鹿。
歯車は歯車。
682 :
考える名無しさん:04/04/23 17:32
訂正:
教育されない人間には、目的を持った自我が育たないということ?
狼に育てられた人間とか、人道上、それを再現するわけにはいかないからなあ。
683 :
考える名無しさん:04/04/23 17:37
ドシタ ロウシ、 オワタ ノカ?
ティータイム シタイカラ オチャノハ カッテクル
685 :
考える名無しさん:04/04/23 17:57
686 :
考える名無しさん:04/04/23 17:59
>>685 ヒトノコト バカ ニ スルノ イクナイゾ コノ バカタレ !!
689 :
考える名無しさん:04/04/23 18:17
オチャノハ カテキタ ノカ?
690 :
考える名無しさん:04/04/23 18:39
欲望追求がホンネ、建前でかっこつけてるだけ、目的論
691 :
考える名無しさん:04/04/23 19:04
目的を捕らえきれないあまり、自分や人生、命までも、
意味を見い出せなくなってるんだよなぁ・・。
悲惨なのは、疑問の原因を自分自身に求める知恵と勇気が
無いもんだから、人類の疑問へと、すり替えちまってる点だ。
あわれ・・・。
692 :
ニコライV ◆ggDFgffMfs :04/04/23 19:44
目的とは未来に見つけた虚像であり、
それを目指すというのは、
現在を見ない、
"新・神の国"構想である。
人生全体に目的を求めるというのは、
現在に横行している典型的なニヒリズムである。
・・・と思いついたり。
693 :
考える名無しさん:04/04/23 19:47
>>546 おもしろそうですね。株価の変動に規則はあるんでしょうか。
規則というと数式化できるということですか?
>>548 >「出た目が7だったら」
ある意味鋭い指摘です。何故7の目が出ないことは範疇にないのか?
それは正六面体のサイコロを振る途中で、いきなり7面体(?)以上にならないことや
他の目が7に突然すり替わらないこと等を、自明の前提としているわけです。
しかし宇宙法則が明日突然に、まるまる変わるかもしれない。
これは完全に否定できません。なにしろ、未来に起こることを100%と言えませんから。
ですが統計においては、明日突然宇宙の法則が変わるという予測でさえも
1つの可能性として扱うことは全然OKなわけです。でも、それは無視できるくらい
(過去のデータから判断して)十分小さな可能性であれば、範疇から排除してよいことになります。
というよりそもそも、過去に一度も観測されたことのない事象にはデータがないので
この帰無仮説(宇宙法則が明日変更される)は棄却されてよいわけです。
この世のあらゆる理論に対して、いくらでも帰無仮説(既存の説を否定する仮説)は
提出できます。もちろん因果律を否定してもいいし、明日重力が反転するとしてもいいわけです。
つまり実証的なあらゆる科学は「推測(反復される可能性)を信用する」体系と断言できます。
こういった文脈から、あらゆる理論はイデオロギー(信念)であって真の世界を説くものではなく
また、こっくりの言うような「正しいイデオロギー」は言葉の誤用と言えるわけです。
696 :
ニコライV ◆ggDFgffMfs :04/04/23 20:05
>>693 小さな目的ならたくさん有るぞ。
遅刻しないために早起きするとか。
ニヒリズムならニヒリズムでよかろう。
現在においてニヒリズムが正常だ。
もはや空気同然。
・・・放下ではすまない時代になってきたか?
697 :
考える名無しさん:04/04/23 20:08
>>694 そこまで複雑な対象ではないです。組み合わせ論ですから。
ごくごくオモチャみたいな世界です。
6人のパーティがあったら、その中に互いに知り合いか、
あるいは全く面識がない3人のグループが常に存在するとか、
そういう次元のお話です。
株価でいうと・・・何でしょうね。
まず投資家や銘柄のメンバーが
あらかじめ限られているとするなら、
何らかの法則は発見されるでしょうか。
あるとしても部分的なものです。
毎回ド長文連打して申し訳ありません。
今からこれらを基礎としてどのように「人生の目的」を考えることに発展させるのか。
これを暇の許す限り考えてみたいと思います。毎度ご迷惑おかけします。
一応「無神論=定常宇宙」、「混沌(偶然)世界」で私の説を基礎付けしてみたところです。
あともちろん、今のままではベイズの理論で人間の意思決定は説明できません。
価値観も考慮しなければいけないし、選択の偏向性(例えば利き手)
なども視野に入れなければいけないでしょう。
これから「歴史の連続性(自己同一性)解釈」と「プラグマティズム(実証)」
を批判するつもりなので、そこからさらに人間の意思決定に肉薄して
そのうちに人生の目的に到達できたらと思います。
思いつきで書いている部分も大いにあるので、批判大歓迎です。
学校のレポート(職業売春について)の片手間にやりますがよろしく。
163さんは学問を仕事にしているのですか?
確率論は人生の目的とどのように関係付けるのか楽しみです。
それで一応 昨日の答えですが
正しいイデオロギーとはルール(条件)を
平等にしよう、ということに過ぎません。
確率の話は分かりやすい。
サイコロを振ってそれぞれの目が6分の1づつ出るように
するには精巧なサイコロを用意する必要があり、
途中で欠けた場合の為に一回一回サイコロを
点検する必要があります。
その心配りを正しいイデオロギーというのです。
>>697 おもしろそうですね。
株価なんかは、モナド論的な世界解釈の上で
人間の意識を定量化(数値化)できれば可能なんでしょうか。
株価に関与する要素が計り知れない上に不明瞭だからきっと無理でしょうし
そもそも予測できたところで、タイムマシンみたいな矛盾が生まれそうです。
701 :
考える名無しさん:04/04/23 20:46
>>698 「世界のモデルがこうである」と今すぐ決定する必要ってあるんでしょうか?
僕はむしろ、「世界がどういう形であれ、それに見合った方程式は書ける」
みたいな蓋然性のほうを重視しますが。
そのほうが「未知」に対して開かれた態度ではないでしょうか。
同じ教育(刷り込み)を受けても、人は正反対の思想を
持ったりするわけで、老子さんの理論は破綻している
ように見える。
しかし、果たしてそうだろうか?
それぞれの人の資質の違いを敢えて、表面化しよう
とする営為として考えてみる事もできる。
>>こっくり
今年で留年2度目のおちこぼれ大学生です。
>>701 私がやりたかったのは、神の存在を暗に認めてしまうような
存在論を回避し、またその世界は混沌(偶然)である
という解釈によって、真の実在(神)や真の目的も想定せずに
一方で表象(意味)の秩序だけを認めるような基礎付けです。
多少無理があるかもしれませんけど・・。
ここで、人間の世界解釈をすべて信念(主観的信頼)へと
還元してしまったので、蓋然性は保証されるのではないでしょうか?
>還元してしまったので、
→還元してしまったとしても、
が適切ですね。訂正します。
>>699 >その心配りを正しいイデオロギーというのです。
すみません。どういうことなのか分からなかりませんでした。
私が言うのは、「正しい」という”規範”をイデオロギーに持ち込んでしまうと
間違っているイデオロギーも同時に生まれてしまいます。
ですから、イデオロギーを信頼度という価値審級性に置くことで
正誤という枠組みからはずしたかったわけです。
もちろん「価値観そのものも時代によって変動」する
ということを想定した上での話です。
>>705 >もちろん「価値観そのものも時代によって変動」する
ちょっと訂正します。価値観というより「何に信頼を置くか」という前提のことです。
例えば、現在のような科学世代においては”実証可能性”がそれです。
>>705 >私が言うのは、「正しい」という”規範”をイデオロギーに持ち込んでしまうと
間違っているイデオロギーも同時に生まれてしまいます
価値観が時代によって変動?
という言葉はどれだけ信頼に値するのでしょうか?
いつの時代でも、基本的に便利を求め、楽を求めていたのです。
だからこそ条件の平等性をもとめる確率論というのに
可能性を感じるのですが。
>>706 実証可能性とは誰がやっても、同じ結果が想定できるという事でしょうか?
とりあえず学問にできる「正しさ」はそこまでなのか、どうか。
この「正しさ」の中に「間違っている」という観念が入る余地はないと
思います。
709 :
考える名無しさん:04/04/23 21:57
コックリ イイ アジ ダシテ マス
>>こっくり
>価値観が時代によって変動?
価値観という言葉は多義的すぎるので、「信頼の条件」
という言葉に置き換えさせてもらいました。
>実証可能
あくまで私の解釈になりますが、私の言う実証可能性とは
ある事象について、実験や観測にを幾度も行うことによって
統計的に信頼のおける確からしさを得ることが可能だという意味です。
また、それは同条件における試行が今後に渡っても試行可能であるか
というのも条件として重要です。つまりここにおいて排除されるのは
ある特定の事象を統計的に検証するための十分なサンプルが得られない場合や
ある特定の事象を試行するための操作方法が不確かなもの・・等々です。
>誰がやっても、同じ結果
これは操作主義のことでしょう。同様の(具体的に確立された)手法を用いれば、
誰がやっても同様の結果が得られることが確からしいことを信頼する。
概念を操作群に還元する主義で、これもプラグマティズムの一派と言えます。
>>707 あと、特に注意してもらいたいのが「確率論」と「統計学」の違いです。
前者は理論的(理想的)なものであり、あくまで純粋な論理を扱うものです。
後者は実証的なものであり、確率論や集合論などを道具として
様々な現象を実証分析するための手法を研究する学問体系です。
私は専門家じゃないので、かなり適当なことを言ってる可能性があります。
信頼度 60%
712 :
考える名無しさん:04/04/24 00:02
人間性を修錬する為
713 :
考える名無しさん:04/04/24 00:31
_____________
∧_∧ /
( ) < ウザイと思うなら無視すればいいだろ
(⊃ ⊂) \_____________
| | |
(__)_)
クルッ ______________
∧_∧ /
( ・∀・ )彡< お前がいつも家や学校でされてるようにな
⊂ つ \______________
人 Y
し (_)
714 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/24 01:47
>>こっくりさん
同じ教育を受けても当然違う人が育つでしょう
どんな状況で教えても少しの環境の違いで
違う人格ができあがるでしょう
そんな事どうでもいいんです
私は意思の疎通が出来るようにするという教育を言ってるのですが
教育という言葉に先入観が多過ぎるのかな?
それとも自分の自我が教育に強制的に出来た事を認めたくないだけなのか
715 :
考える名無しさん:04/04/24 08:58
>>672 教育(しつけもその一環としてだが)を通してそれを学ぶんだ。
子供は無力だから、大人からいいことも嫌なことも押し付けられる。
それで社会性が育つ。その押し付け方があまりに歪んでいると歪んだ子供が育つ。
そのへんを考慮して、しつけ(教育)をするんだ。当たり前のことだろ?
えらい歪んだ教育観だなw
そういや
>>163さん。エントロピーの無限増大によって起こり得る理想値である、
「熱的平衡」または「熱的死」をご存知ですよね?
この状態をランダムそのものと解釈するのが一般的なようですが、
宇宙の死としての形を描いた古典的な解釈でありながら、
宇宙の無限性を無条件で受け入れている感じになりますよね。
どういう事かというと、宇宙がもし有限なら、解釈が古典的でも
理想的な熱的平衡状態は絶対に起こり得ないからです。
私が述べたと言ってはナンですので、
>>546で指摘して頂いた
ラムゼー理論(私は知らなかったんですが)によって、
有限でランダム(と思える)ような世界にも、何かしら特殊な点が
見つけられてしまうから、真の平衡状態は絶対に存在できないと。
私の拙い言い方では、どっかに「隙間」があると。あるいは、
無意味な世界と思える場所にも、どこかしらに意味のある点がある。
この点がある秩序を作っていくかもしれないし、また破壊されるかもしれません。
しかしいつでも意味を見出せる点が存在するので、
再び新しい秩序を作り出す事もあり得ると。
長い目で見れば、人間の思っている「秩序」も
そういう「瞬間」の出来事なのかもしれませんね。
宇宙がゼロか無限じゃない限りは、この世界は何か「必然的に」現象が起きる
仕組みになっているんですね。
718 :
考える名無しさん:04/04/24 12:22
719 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/24 13:12
コインの話だけど
宇宙でコインを投げたらどうなるんでしょうね
コインの例は前提として重力あっての話ですよね
しかも重力があっても同じタイミングで投げれれば同じ目が出続けるでしょう
確率ってのはかなり怪しい論理ですよ
721 :
考える名無しさん:04/04/24 13:36
>>719 ちょっと何が言いたいのか分からん
宇宙だって、コインがぶつかって止まるところがあれば裏・表が判断できるかも
しれんじゃないか。
あと完全なランダムなんてありえないのは当然。
コインを指で打ち出したとき、まったく同じ状態なら裏・表どちらかが出るのは決まってる。
722 :
考える名無しさん:04/04/24 14:29
カジノ TOKYO ニ デキルト イイナ
詰まり、背は腹に替えられるっことさ。
724 :
考える名無しさん:04/04/24 15:06
ココデスカ? ヘリクツ タイカイ ヤッテルノ
そうですよ。さぁ、外は寒い早く入りなさい。
726 :
考える名無しさん:04/04/24 15:26
アタマ ワルク ナリソー ナンデ ヤメトキマス
727 :
THE グル:04/04/24 15:28
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
728 :
THE グル:04/04/24 15:29
>>723 いいですか、
それを言うなら、
無い袖は振れないって言う方が良いんじゃないでしょうかね。
どうかしましたか?
爪は隠したほうが無難ですよ。そんな爪見せられても、ねぇ。
730 :
考える名無しさん:04/04/24 15:44
サバ ハ ハラ ノ ホウガ ウマイッス ドウカシマシタ?
731 :
THE グル:04/04/24 15:48
>>730 いいですか、
Ca va?
どうかしましたか?
732 :
考える名無しさん:04/04/24 15:57
オサカナ ノ サバ デシ. セ ヨリ ハラ ノガ ウマイ. セニ ハラハ カエラレナイ ッショ?
733 :
考える名無しさん:04/04/24 16:01
ボキハ セ ノホウガ スキデシ
734 :
THE グル:04/04/24 16:03
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
735 :
考える名無しさん:04/04/24 16:09
ボキハ 2キュウデスガ、 ナニカ?
736 :
考える名無しさん:04/04/24 16:12
子供は人間だから、自分でいいことも嫌なことも学び取る。
それで社会性が育つ。その学んだものがあまりに歪んでいると歪んだ子供が育つ。
そのへんも考慮して、しつけ(教育)をするんだ。当たり前のことだろ?
737 :
考える名無しさん:04/04/24 16:12
スゴイデシ
738 :
考える名無しさん:04/04/24 16:19
739 :
考える名無しさん:04/04/24 16:42
740 :
考える名無しさん:04/04/24 17:00
741 :
考える名無しさん:04/04/24 17:06
大人がつくる環境次第でその子供に、好き嫌い・幸福感と不満感などの観念が植え付けられます。社会性とは集団生活しようとする動物の性質で子供であっても、この家族達とどのようにうまくやっていけばいいか?と考え学ぶんです。歪んだ価値観、観念、を学ぶんですね。
742 :
考える名無しさん:04/04/24 17:19
743 :
考える名無しさん:04/04/24 17:23
>>741 >歪んだ価値観、観念
>~~~~~~~
喪前のココが歪んでいる。やり直し。
744 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/24 18:21
>>721 当たり前の話を上でしてるから一言いったのです
>>717 エントロピーはあんまし詳しくないですが、
宇宙を孤立系と考えた場合の話ですね。
物理学の知識はほとんどないのであまり
まともに言えませんが、宇宙を有限であると考えた場合
おっしゃるように、理想的な混沌状態でないことになります。
>人間の思っている「秩序」も
>そういう「瞬間」の出来事なのかもしれませんね。
これも後で「実証的方法論の穴」について意見を述べよう
と思ってました。ランダムと思われる有限の事象に見られるような
わずかな偏りを「秩序」と呼び、それを「事故」、「事件」とでも
呼んでみたらどうかなと思ってました。
人類の誕生も、意味の発見もひとつの「事件」であるって感じで。
無秩序における秩序の誕生こそ、逆説的に偶然と言えるわけです。
746 :
考える名無しさん:04/04/24 19:35
無限があるってことは、この世界自体 矛盾していると言うことですか?
747 :
考える名無しさん:04/04/24 20:17
自分が何者なのか?通りすがりです。
これからどこへ向かうのか?人間にしか通用しない人が作り出した概念をすて、
そろそろ地球と折り合いをつけうまくやっていくしかない。
人生の目的は?人生楽しみながら親類家族が豊かにさかえて発展する。
人類の最後は?絶滅しない種はないので、ありえる。
私たち生物は何故生まれてきたのか?そこに材料、原始スープがたまたまあった。
私たちの人生に答えがあるのでしょうか?人間としてえらそうにも答えがあるだけで、
その他生命は絶滅の危機を何度も乗り越え、ただ生き残る為に進化し続け今があるだけ。
人類の未来に答えがあるのでしょうか?未来の答えは現在の行いの結果。
「生きる」とは?ただ生きている絶滅しない為。
生命とは?増殖。
自己とは?おのれ
死ぬとは?死ぬからあせるのよ。ご飯食べなきゃ餓死するし。
問いと答えと苦しみと喜びと 何でそんなことで苦しんだり喜んだりできるんだ。
宇宙レベルで言えばヒューマニズム、人間は無知だそうです
中途半端な知能や知識しかないので中途半端な問い答えしかでない、
しょせん「どうだ人間様だ偉いだろ」ってカエルに自慢しているだけなんだって。
748 :
考える名無しさん:04/04/24 20:21
しょせん「どうだ人間様だ偉いだろ」ってカエルに自慢しているだけなんだって。
749 :
考える名無しさん:04/04/24 20:40
ココデスカ? グチ ト ナゲキ ノ スレ ガ アルッテ キイタンデスガ
750 :
考える名無しさん:04/04/24 20:48
>>748 その前の部分に
人間様がカエルの話につられて、カエルのいるところへ下りて行こうと
したんだが、甲羅が引っかかって井戸の中に入れなかった、
という前提条件が付いていなかったか?どうも悔し紛れで言ってただけらしいぞ。
751 :
考える名無しさん:04/04/24 21:09
>>741 >好き嫌い・幸福感と不満感などの観念
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここも歪んでるぞ、いちおう。それは観念ではないだろう。
好き嫌いは、好き嫌いだ。単なる感覚だ。情緒だ。性格だ。
感情にまかせて勝手にふるまうからこそ社会性がない、
という事になるのであって、観念のせいではない。
752 :
考える名無しさん:04/04/24 21:14
そろそろ人間の目指すべき目的を考えなければいけない。
しかしそれは平和の持続という線であってはならない。
なぜならそれが成功することは決してありえないからだ。
今人間に必要なのは、目的点である。
その点をもってすべてよしとなるような点である。
その点を考え、あと百年後には実行しなければならない。
もう長く苦しかった人類の歴史にハッピーエンドをもたらそうではないか。
753 :
考える名無しさん:04/04/24 21:17
苦しみと哀しみの連鎖。
幸福と苦難の連続。
この世界は一体何なのか?
我々は何をすればよいのか?
明日死ぬかもしれぬ我々は、傀儡に過ぎないのか・・・
我々は決断できる。
754 :
ちくびぎゅーん:04/04/24 21:19
>>163さん
久しぶりに来たのですが、正直言って不愉快です。
失礼を承知で 強く反論することをまず断っておきます。
まず
>>517であなたが言っていることの意味が私には分からない。
つぎにあなたは プラグマティズムやラムゼーの理論とやらを持ち出して
議論展開をした。
これは私が最も問題であると考えている事柄です。なぜならこのような考え方(思考法)の
羅列によって 議論が非生産的なものになるのではないか、と私は思っているからです。
「私の考えにはこういう『権威』が裏づけとしてある」という主張を書き添えることによって
その議論を批判する為にはその『権威』も批判する必要が出てくる、そして『権威』を批判するには
その『権威』の言っていることをまず知らなければならない。このような迂遠な作業を通してやっと
あなたへの批判が可能になる。
これは『生』の問題を『知』の問題にすり替えてしまいかねないように 私には思える、
というよりも 正直言って すり替えようとしているとしか思えない。
755 :
考える名無しさん:04/04/24 21:19
マタ、 ジブン ノ モクテキ モ ワカラナイ ノニ ジンルイ ノ モクテキ イイダス DQN カ ゙ヒトリ
756 :
ちくびぎゅーん:04/04/24 21:20
私は あなたが「神」を否認する理由が知りたい、プラグマティズムを批判する理由が知りたい、
何故ラムゼーのいう事は信用できて 私のいう事は信用できないのかを知りたい。
「よく理解していない」という点では 同じはずだと私には思えるからです。
少し 大人気ないですか。腹が立ちましたか。しかし私にはあなたにこのようなこと以上に聞きたいことがある。
「神」の不在、「混沌世界」という絶望的世界観をあなたは果たして本当に受け入れていますか。
「混沌世界は一つの混沌世界(ある種の秩序)を意味しない」という金科玉条を盾に あなたは
「非決定の世界」に逃避していませんか。
1さんはそのような逃避を「甘い留保」と呼んだ。あなたは「甘い留保」のなかでそのような
絶望的世界を支持しているモーションをしているだけなのでは 無いといえますか。
かなりあなたを中傷するような内容になってしまったかもしれませんが これが私の正直な気持ちです。
「混沌世界」を支持するという「ファッション」を私は心から憎んでいます。
私たちの「生」の存在する「いまここにある」現実には 「願い」と「叶い」の鮮烈な乖離がある。
そこから生まれる「慟哭」を私たちは刻みながら生きることしか出来ない。
そして「願い」と「叶い」の「調和」をもたらす 「福音」を求めて
私たちはここに来たし、哲学をしている!だから哲学を欲してやまない!
あなたは「知」を求め「生」を封印しようとしているように 私には思えるのです。
あなたは「哲学」ではなく「知のモザイク模様」を求めている。
理論に憧れを抱いているのはむしろあなたのように私には感じるのです。
757 :
考える名無しさん:04/04/24 21:20
平和的な空間に息づくも、心の死んだ人間たち。
戦乱の中にあって、心の死んだ人間たち。
我々の精神は悲劇に満ちている。
758 :
考える名無しさん:04/04/24 21:23
好き嫌いも社会によってコントロールされている。それが社会観念だ。
性格は作られてるんだよ、都合がいいようにな。どんどんふるまってくれ。
そして、わがままにネ
759 :
考える名無しさん:04/04/24 21:24
私の人生の目的は全人類を天国へと導く方法を模索すること。
人の世は儚く人の生は苦難に満ちている。
人は解放されねばならぬ。
人は救われなければならぬ。
人は安息の地に召される資格をもう得ている。
760 :
考える名無しさん:04/04/24 21:27
弱肉強食の生を肯定するは幸福の道か、苦難の道か。
幸福の道ならば生くは易し。
否定するは苦難の道。
761 :
考える名無しさん:04/04/24 21:35
この世には、
自分の身に降りかかること、降りかからぬことを問わず、
本当にやりきれない悲しい出来事多くある。
そのとき、憎しみや怒りに捕らわれてはならない。
また、平和なそのような問題が起こらない社会を作るという意気
に燃えてもいけない。
なぜなら、それは「歴史が繰り返す道」だからだ。
しかし、無関心にはなれないときがある。
自分のうちに赤い炎が燃えるときがある。
762 :
考える名無しさん:04/04/24 21:42
そのときは赤い炎を蒼い炎へ変え、静かにこう思うのだ。
「私にはこの世界を救う義務がある」と。
しかし救うとは決して平和な社会の実現という欺瞞ではない。
真の救いという「救済」なのだ。
そう考えると地獄のようなこの世界にも一時の安らぎが生まれるのである。
763 :
ちくびぎゅーん:04/04/24 21:43
>>517 私が「法則を現実化する存在者」という 「法則的存在者」に変わる名に
留保(返答しなかった)のは 全ての「法則」=「法則的存在者」ではない、と
思っているからです。(しかし 「法則を現実化する存在者という名は いい名だと思っています)
何に存在者がいて何にいないのか、またそのような存在者はいくついるのか、増えるのか 不変なのか、
確かに疑問はいくつもありますが そのような「法則を現実化する存在者」、「イデア的存在者(イデアそのものではない)」、
「法則的存在者」、「普遍的存在者」何でもいいのですが このようなものを 探ることこそが 私の課題です。
764 :
考える名無しさん:04/04/24 21:47
救済とは持続ではなく、点である。
人間が生き続ける平和な社会などという地獄では、
人は決して救われない。
この歴史というマラソンの終着点、人間のゴール点なのである。
その点というハッピーエンドに到達することによって、
人は初めて真に救われる。
765 :
考える名無しさん:04/04/24 21:50
田舎では人との密接な関係によって生まれる憎しみと差別。
都会では無関心と空虚な風。
支配の苦しみと、支配されない自由な苦しみ。
この世界で、幸福を得るのは困難である。
766 :
ちくびぎゅーん:04/04/24 21:53
>>517 ちなみに163さんの反証は不十分(あるいは不成立)だと 私は思っています。
私の場合は「混沌世界」説に対して 「人間の恣意性とは無関係 に思われる非混沌」を
ひとつでも示せば「世界の真の姿は混沌である」という主張に 大きな傷をつける事が
可能だけれども あなたの場合は 私が世界の全ての事柄には「法則的存在者」が
何らかの影響を与えていると言っていない以上、
ひとつの「非法則的存在者」の可能性を示しても 反証にはなりえない と私は思います。
767 :
考える名無しさん:04/04/24 21:53
ナンマイダ ホーレンゲキョ ジーザス♪ (ノ_ _)ノ ダミダ コリャ
768 :
考える名無しさん:04/04/24 21:56
借金の返済に、自分に苦しみ捕らわれる多くの人は解放を待っている。
それはまるで堰から溢れんとする水のようだ。
また一方では、自由に空中に浮遊するがため、空虚さに捕らわれている
人も多くいる。
彼らもまた愛という名の解放を待っている。
769 :
考える名無しさん:04/04/24 22:00
愛と自由、それは解放。
私は必ず、この世界に解放をもたらす。
言論という理性に頼る方法ではなく、感情を救うことによって。
770 :
考える名無しさん:04/04/24 22:01
ダカラ ナンナンダ?
771 :
考える名無しさん:04/04/24 22:02
「破綻」によって、阿鼻叫喚の地獄へとこの世が変貌する前に、
私は解放させなければならない。
772 :
考える名無しさん:04/04/24 22:03
773 :
考える名無しさん:04/04/24 22:06
個は個であるだけで既に苦しみなのだ。
個は消滅して初めて真に満たされる。
存在とは個である。
非存在とは満たされたものである。
存在しているものは全て満たされていない。
この辺りに解放の鍵がある。
774 :
考える名無しさん:04/04/24 22:10
歴史の蒼い涙・・・哀しみの連鎖はまもなく終わる。
775 :
ちくびぎゅーん:04/04/24 22:14
>>769 あなたは「愛」に希望を持ちすぎているように私は思います。
「愛」には「愛されるもの」と「愛されないもの」という区分によって
その強度が増す という問題がある、といわれます。
そして「愛されないもの」には 恐るべき暴力が向けられる。
人間の能力が (神のように)無限でなく 有限であることを認めるなら
「愛されるもの」と「愛されないもの」の区分、そして「愛されないもの」が
どうなるのかという事にも 目を向けなければなりません。
例えば「私よりも大切な愛している存在」を「愛さない」瞬間があるかもしれない。
その時(「本来」というものが存在すれば 本来的には)「愛している存在」を
私たちは「愛されない」存在とみなすかもしれない。
私は「愛」には 問題と限界があると思うのです。
だから「慟哭」が生まれる と言ってもいいと思います。
776 :
考える名無しさん:04/04/24 22:16
>>772 そういう思想が過去、実際に世界を救ったことがあるか?
端的に言えばオウムがそうか。
777 :
ちくびぎゅーん:04/04/24 22:20
>>773 「存在から非存在へ」という事ですか。
それは「いまここにある」現実を 唯一の世界をそれゆえ唯一の全ての基盤を
「無」に帰す ニヒリズムだ、という批判を免れないように思います。
778 :
考える名無しさん:04/04/24 22:21
>>775 その愛は一般的な愛ですが、
愛の本当の意味は無限の愛なんです。
しかし、無限の愛は存在し得ない。
個体に対する愛は愛ではなく、エゴなのだと思います。
>>776 オウムなど偽物だ。愛がない。
779 :
考える名無しさん:04/04/24 22:24
>>777 「ニヒリズム」って批判されるべきものなんですか?
>>756 >何故ラムゼーのいう事は信用できて
ラムゼーなんて一度も持ち出してませんよ。それは別の方です。
私は何を信用しているのでしょうか?具体的に指摘お願いします。
>「私の考えにはこういう『権威』が裏づけとしてある」
具体的にどこらへんでしょう?逆のことをやっていたつもりですが・・。
だいたい科学にしろどんな説にしろ、”信頼度”へ還元したのはそういう意図ですし。
それに定常宇宙論なんて持ち出すヤツは、ふつう電波野郎ですよ。
私がやっているのは、実証的(プラグマティックな)な科学の根本を支えている
「反復される可能性」、つまり「過去の分析による未来の推測」を信頼する構図を、
統計学的な視点でもって批判しようというわけです。これは権威に対しての皮肉でしょう。
>あなたが「神」を否認する理由が知りたい
私にとっての「甘い留保」は神の措定なんです。
神を根底に置いた存在論なんてどこがおもしろいんでしょうか?
>「神」の不在、「混沌世界」という絶望的世界観
どこが絶望なんでしょうか?また、私は世界は理想的混沌ではなく
「事件」として誤差(秩序=意味)が生まれると言いました。
そして、私はそういった世界の不完全性という視点から、
プラグマティズムや、歴史の自己同一性の目的論的性質を批判し
因果の鎖を断ち切って人間の自由を得ようとしているわけですが・・・。
781 :
ちくびぎゅーん:04/04/24 22:28
>>778 「本来の愛」は「人の愛」ではなく「神の愛」ということですか。
しかし「本来の愛」を措定しても 「愛」の問題と限界は依然として
現実の課題なように思います。
私は明日も仕事ですのでこの辺で帰らせてもらいます。
今日は少し乱暴に言いたいことを言い過ぎたかもしれません。
失礼します。
782 :
ちくびぎゅーん:04/04/24 22:38
>>780 あなたがまだそのような「権威」のモザイク模様にこだわるのなら・・・。
「おもしろくない」ってなんですか。
そして、私はそういった世界の不完全性という視点から、
プラグマティズムや、歴史の自己同一性の目的論的性質を批判し
因果の鎖を断ち切って人間の自由を得ようとしているわけですが・・・。
何処でそんな主張をなされましたか。
また人間の自由というものに なぜ価値があるのですか。
プラグマティズムを批判するといいますが あなたの言う意味のプラグマティズムは
おそらく「プラクティカル」(実践)という意味でしょう。
では実際に「触るとやけどをするという実際的効能を伴わない炎」というものを
想定できますか。
実践を離れて 何か有意味な事柄を考えられるのでしょうか。
私には あなたはプラグマティズムを批判するのが目的ではないように見えます。
プラグマティズムを批判していると宣言することを 目的にしているように見えます。
783 :
ちくびぎゅーん:04/04/24 22:45
>>780 世界が混沌であるのに そのような世界を「意味の通るように説明しただけ」の
科学の説になぜ「信頼度」が 想定できるのですか。
信頼度は全て 等しくゼロな はずではないのですか。
今日はこの辺にします。失礼な言説はお詫びしますが
時分が間違ったことをしたとは思いません。
失礼します。
784 :
考える名無しさん:04/04/24 22:47
>>778 解放の手段は具体的でないようだが、「何から」解放すると言うの?
ちょっと補足。
>世界の不完全性
大きな混沌に、ごく小さな秩序(誤差)が混じっている状態
という意味での不完全な世界です。
完全秩序も完全混沌もどちらも実は、理想的な世界観です。
実証的な科学においては、混沌さえも秩序へ組み入れようと
母集団(世界)を”理想的”な、”完全”なランダムと想定しているわけです。
ここはもうちょっと帰納法の批判を加えないといけませんね。
>>782 >プラグマティズムや、歴史の自己同一性の目的論的性質を批判し
>因果の鎖を断ち切って人間の自由を得ようとしているわけですが・・・。
具体的な内容に入ってはいませんが、
こういう流れでやっていきたいと前に(
>>698)言いましたよ
>科学の説になぜ「信頼度」が 想定できるのですか。
現代の科学においては「過去のデータの分析により、未来においても
反復される可能性が高い」ことが信頼の度合いです。
”何が信頼の条件と成りうるか” が重要です。
>プラグマティズムを批判するといいますが あなたの言う意味のプラグマティズムは
>おそらく「プラクティカル」(実践)という意味でしょう。
>実践を離れて 何か有意味な事柄を考えられるのでしょうか
実践を離れろとも言ってません。統計的な信頼が科学の根底にあります。
その信頼を元に、先験的に予測を行い未来をそれにゆだねることの
危険性を批判するつもりです。
つまり、人間は進歩したとはいっても、あいかわらず占星術に
自らの意思決定、未来を任せていることにかわりないのです。
>>782 >プラグマティズムを批判するといいますが あなたの言う意味のプラグマティズムは
>おそらく「プラクティカル」(実践)という意味でしょう。
>実践を離れて 何か有意味な事柄を考えられるのでしょうか
勝手に変形解釈しないでもらいたいです。
繰り返し言いますが、私が言うのは意思決定権が科学にあること
つまり、名前は変えても占星術に自らの人生を任せる人間の
不自由さ、弱さを指摘したわけです。
「科学的に実証されているから」という言葉に弱くありませんか?
「あの占い師よく当たるから」とたいして変わらないんですよ。
あまり科学批判をするのもあれですが・・。
>>782 >あなたがまだそのような「権威」のモザイク模様にこだわるのなら・・・。
とりあえず、どこらへんが権威主義的なのか具体的に説明してください。
「こういう権威があるから私の説は正しい」と、どこかでいいましたか?
>「おもしろくない」ってなんですか。(神を根底に置く存在論)
「神を根底に置かない存在論」を自分なりに考えてみたことありますか?
ないでしょうね。これはやってみないと分からないはず。発狂しますよ。
自分の存在理由を神に求めることが、どれだけ楽なのかが分かります。
私はその安心感を嫌悪します。それが哲学に興味のある理由です。
>私には あなたはプラグマティズムを批判するのが目的ではないように見えます。
>プラグマティズムを批判していると宣言することを 目的にしているように見えます。
だから、まだ具体的内容に入っていないと言ったでしょう。
さっき少しやりましたが、あなたが来る以前はまだ宣言しただけですよもちろん。
789 :
考える名無しさん:04/04/25 00:03
163 ワンマンショー ナノカ?
>ちくび
>>763 統計の話についてご理解されていなかったようですが
人間の認識が有限である限り、誤差が必ず付いてきます。
もし、ある事象を観測した際に理論値に近づいて行くとはしても、
現実において完全立証(100%)は有り得ないのです。
また、統計学は工学であって論理ではありません。
現実と理想(理論)をつなげる橋のようなものだと思ってます。
>>766 何度も言いますが、私は「真の世界」を説いていません。
ですから、すべての世界解釈は信頼の度合いなのです。
もし、「真の世界とは何か?」と考えた時点ですでに
”人間の解釈”の内にあります。
また、秩序の発生は、大きな混沌における「事故」だと言いました。
完全秩序も完全混沌もないので、何も私の説に傷ついてませんが。
>>789 ちくびが次来るまで、返答をここにおいてます。
ていうか本当はガンガン反論(ちゃんとした反論)欲しいんだけど
シカトされてるのか、呆れて相手にされていないのか・・。
どうなんでしょう。
792 :
考える名無しさん:04/04/25 00:37
>>791 163ヨ、 ダレモ ヨンデナイ カラ キニセズ ドノドン カケ
>>792 前にもそうだったけど、オレはキリスト教支持派と
対立することがしょっちゅうあります・・。
誰も読んでなくてもいいんですけどね。
試論というか草稿というか、考えまとめてるんで。
運よく”まともな批判”があれば、この説を発展できますし。
読んでいただいたごく数名の方々には感謝してます。
>>745の意見はまさしくその通りだと思います。
事件は確実に起きるんだけれども、予測は不可能。つまり偶然。
ランダムな世界にひとつの秩序(系列)が誕生した時、
その系自体が周りのランダム世界に影響を及ぼし(ランダム世界の変化)、
変化したランダム世界と、誕生した秩序との相互作用で、再び変化する。
これは予測できません。偶発性です。おっしゃるとおりですね。
秩序がいかに大きくなろうとも、秩序だけになる事は決して無い。
秩序はランダム性を淘汰できないし、ランダムは秩序を淘汰できない。
>>794 毎度、読んでいただいて感謝です。
>秩序はランダム性を淘汰できないし、ランダムは秩序を淘汰できない。
現実世界をどちらか(秩序or混沌)を理想と想定して把握しようとも
必ず誤差が生じてしまう。そういった理論(認識)の限界によって
世界が中途半端(不完全)であると見なせるのではないでしょうか。
>>756 「ラムゼーの言う事は信用できて」ってありますけど、
後で調べたら、単に数学の定理なんですよ。
「1と1を加えると2である」という命題は取り合えず真だとしますよね。
それと同じっていうか、同等に真なる命題になる定理なんです。
つまりあなたがここでラムゼーの言う事を信用しなかったら、
あなたは算術の公理系、演繹のシステムを疑っている事になります。
つまり1足す1は2である事も同時に疑う余地が出る。調べればラムゼー理論は、
グラフ理論の一部である事がわかりました。グラフ理論における、ある似通った
一群の定理を指して、その最初の発見者ラムゼーにちなんでラムゼー定理、
それら一群の研究対象をラムゼー理論と呼ぶようです。
ただしあなたが算術体系そのものを否定するのであれば、
ラムゼー定理の存在を否定する事も同時に可能になるのです。
算術の公理系は述語論理で記述され、任意的ながら妥当なモデルによって
無矛盾性を追及しなければ意味を為さないので、
無矛盾としての可能なモデルだけが、ちゃんと体系として存在可能になるのです。
体系が無矛盾である事が真である事は同じ体系からは導けませんが、
公理の記述に際する述語論理によって無矛盾性が真である事が証明されます。
つまり(1+1=2)であろうがラムゼー定理であろうが、
公理系の許す範囲の中の「無矛盾で証明出来る定理」には相違無いので、
あなたは無矛盾性そのものを信じるか、信じないかなのです。
無矛盾性は述語論理によって「真」です。
つまり、あなたは自分の質問形式について
「〜であるはずだが、〜はどういう事であるか?」
のようなものは、原理的に信頼する事は出来ないはずなのです。
つまり、あなたにとってある意見が正しいか間違っているか、
その判定基準に論理的な解釈を用いる事ができない。
信じるか、信じないか、に託されるわけです。つまり自説を何らかの形で誰かしらに
論法によって解釈させる意味も無くなるんです。
神を信じますか?イエスかノーでお答え下さい、で充分になります。
797 :
考える名無しさん:04/04/25 03:04
私は人生の無意味を思うと、苦悩するよりむしろ萌えに近い感情をおぼえます
これはなんだろう?
「どうでも・(・∀・)イイ!」がゆえの、圧倒的解放感?
なにはともあれ、虚無に萌え萌え♥
798 :
考える名無しさん:04/04/25 03:06
>>797 人生の意味に悩むってのは、実際はなんかほかの事で悩んでるんだと思う。
純粋に人生の無意味性そのものに悩む人はあんまいない。と思う。
>>1はそういう奇特な人なのかもしれん。
799 :
考える名無しさん:04/04/25 03:16
ス、スルドイッ !!
>>795 そうですね。中途半端ですね。
原理的に全体が「混沌」である事も「秩序だっている」事も不可分ですね。
その意味では不完全といえますね。
だからこそ何かが常々変化する余地ができるのだとも思います。
しかし不可分なればこそ、どちらの性質も近似的に現れる。
「因果的に繋がっているトコロ同士」こそ、「とある世界」ですので、
原理的に両性質は分離不可です。
ただし「秩序か混沌か」という二者択一な問いの条件に対する、
「どっちでもないんじゃない?」という回答ですかね?
でも、不可分であるとしたら、不完全であるとしたら、
それでも充分な回答だと思っています。
それでもまだまだ変化するんです。秩序が創造されたり、壊されたり。
ちゃんと意味のあるような、気がするんですよね。
801 :
THE グル:04/04/25 12:59
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
802 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 21:19
>>163さん
私がいった「知のモザイク模様にこだわる」という言葉は
あなたがウィトゲンシュタインやフーコー スピノザから
プラグマティズム モナド論などの名をポロポロと 口にするのに
あなたの「混沌」説に 決定的な影響を与えているはずの「デリダ」について
あなたが一切口にしない事を指し示しています。
私にはあなたが この「まじめに人生の目的を考えませんか」という議論の場に
哲学的知識、背景が 薄いことを狙って ここでみずからの「知の披露宴」を
しているように見えるのです。
>プラグマティズムや、歴史の自己同一性の目的論的性質を批判し
>因果の鎖を断ち切って人間の自由を得ようとしているわけですが・・・。
人間の自由がなぜあなたにとって 意味のあるものあるいは価値のあるものなのですか。
あなたの言う人間の自由とは たとえば愛する人の「笑顔」や「泣き顔」を
単なる物質の形として捉えることに 他ならないと私は思います。
(ところで私は近頃はやりの 「笑顔」に幸福や価値を見出す考え方には否定的立場です)
あなたは 混沌説は絶望的な世界観ではないといったが それは誤りだと私には思える。
私にとっての混沌説は 「根拠」などどこにもないではないか という怨嗟の声、
「慟哭」を伴った告発です。
803 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 21:20
>>802 あなたは 神を否認する理由に「おもしろくない」ということをあげた。
その中で あなたは「おもしろくない」という言説の説明をせずに
神の不在を想定してみろ、と私に言った。
あなたは「法則的存在者」を「神」と同義で扱ってもいいと 考えているかもしれないが
私は「神」を「存在してもいいもの」として 言及しました。他方 「法則的存在者」は
「存在するだろうもの」として言及しています。
このような差を あなたは理解せずに私を「キリスト者」とみなすような 過ちを
犯している。(以前 私はイデア論そのものを支持しないと何度も言及したのに
私をイデア論者として扱っていたこともあります)
804 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 21:34
>>803 >>163さん
「秩序」を事件として捉えるから 「混沌」説に問題はないといわれるが
では同じく 「混沌」を 「事件」として扱うことはできないのですか。
あなたは私の (2分の1の)法則的存在者という話で 科学的根拠(理論的根拠)をあげて
私の法則的存在者の不在を主張してきた。私は科学的根拠を何一つ示したことがない。
なのにあなたは私に対して
>「科学的に実証されているから」という言葉に弱くありませんか?
>「あの占い師よく当たるから」とたいして変わらないんですよ。
といってくる。
あなたは矛盾を抱えながら 私を批判している。
あなたが「秩序は事故だ」という考えから私を批判しているとしたら
それは「結論の先取り」に他ならない とに思います。
なぜなら「秩序は事故」という考え方は「混沌世界」説を
すでに 正しいとして認めたときに 同じく正しいものと考えることができるからです。
私は正直に言って 失礼を承知で率直に言って あなたの言説は論理性が欠如している
ように思えます。
805 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 21:52
>>163さん
あなたにはいいたいことが山のようにある。
あなたは 私の言っていることがよくわかっていないのに 批判するということを
何度となくしてきたからです。
私は「ランダム」=「法則的存在者」という 図式を示したことがない。
あくまで「2分の1に近づいていく」という事柄に限定して話をしました。
あなたはそれを勝手に拡大して 理想的「ランダム」を想定しているという批判を
私にぶつけてくる。それは混沌説的な立場からの確率論批判(秩序説批判)なのではないのですか。
私は理想的「ランダム」を想定していません。なのにあなたはその批判を私に適用しようとしてくる。
私には あなたが何かしらのテクストを引用して私を批判しているように疑ってしまいます。
だから あなたは強引に 私に ある種の立場を背負わせて話をするのではないか、私にはそのような疑念があります。
806 :
考える名無しさん:04/04/25 21:56
ちくびとこっくりと1には何か通じるものがあるね。
わしらうらみはワスレヘン
808 :
考える名無しさん:04/04/25 22:08
>ちくび
>あなたの「混沌」説に 決定的な影響を与えているはずの「デリダ」について
>あなたが一切口にしない事を指し示しています。
デリダがいつどこで「混沌説」を唱えたのか示してください。
>私は「神」を「存在してもいいもの」として 言及しました。他方 「法則的存在者」は
>「存在するだろうもの」として言及しています。
can be と may be の違いを存在論的に示してください。
809 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 22:12
>>796 >>537さん
あなたの意見をよむと「混沌世界」説よりは 私の意見に近いように私は思います。
しかし163さんは私の言うことは 何が何でも「偽」で あなたのいうことには
一定の理解を示しているように見えます。
だから「ラムゼーの言うことは信用できて なぜ私の言うことは…」となるのです。
私はラムゼーの言うことを否定してもいません。なぜなら知らないのですから。
ところで「述語理論によって真」という箇所にはあまり納得がいかないのですが。
論理性というのは 論理に従うべきという「倫理性」に根拠を置いている気がするのですが。
このようなことは私の問題意識とは離れていくのでどうでもいいことなのですが、
ただ「述語理論によって真」のような言い回しを私はできるだけしてほしくない、と思っています。
810 :
考える名無しさん:04/04/25 22:26
>>809 述語論理とは何か、ちらっと説明してくれ。
811 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 22:31
>>808 ご推察のとおり 私は「デリダ」についてほとんど何も知りません。
ただし163さんが言っていることは「差延」(この概念についての理解も不十分ですが)に
通じるところがあるだろうと思っています。というかむしろ「差延」によって
「混沌世界」説が考えられていると 私には思えるのですが。
(結局は「差延」概念の理解が不十分なだけかもしれないのですが)
またご推察のとおり 私は「存在論」についても詳しくありません。
ただ文脈では 「存在」を仮定してもよいもの と「存在」をしているはずのもの としての
区別をつける目的で あのような表現になりました。
両者とも「存在してもいいもの」という側面があるでしょうが 神は「存在しなくてもいいもの」ですが
「法則的存在者」は「存在していなければ 問題があるもの」である、という違いがあります。
ところであなたは非常に聡明な方のようですが なぜ私の論理性には鋭い指摘をしてくるのに
ほかの人の場合はしないのですか。それともしていますか。
素朴な疑問として聞き流してくだっさっていいのですが。
812 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 22:34
>>810 ご推察の通り私は「フレーゲ」(でよろしいでしょうか)についても詳しくありません。
だから説明することはできません。
813 :
考える名無しさん:04/04/25 22:36
>>811 >なぜ私の論理性には鋭い指摘をしてくるのに
>ほかの人の場合はしないのですか。
女子中学生のような文句を垂れるな。
言ってるそばから「差延」がどうこうと言い始める
お前のいい加減さがあまりに目に付いただけだ。
しっかりと概念把握できないうちから言葉を濫用するな。
814 :
考える名無しさん:04/04/25 22:52
>>810 ものすごくいい加減に説明すると、
真(T)+偽(F)+否定(¬)+選言(∧)+連言(∨)=命題論理
命題論理+全称(∀)+存在(∃)=述語論理
>>810 ものすごくいい加減に説明すると、
真(T)+偽(F)+否定(¬)+選言(∧)+連言(∨)+条件(→)=命題論理
命題論理+全称(∀)+存在(∃)=述語論理
>ちくび
なんとなく言いたいことは分かりました。
ちゃんとした返答はもう少し後で書きますが、少しだけ釈明(?)。
1.デリダは名前を知っているだけで、読んだことがない。
2.私の説はいろんな哲学者の思想に通じるところがあるかも
しれないが、あくまでも統計学にヒントを得た”オリジナル存在論”もどき。
もちろんバックボーンを持ち出したことはない。
(知っている人向けに、例えばこういう思想に似ているかもしれないと
いくつかの用語は出したが、それを根拠に用いたことはない。)
3.神を想定してしまうことは、思考停止状態(限界点で妥協している)だと
”個人的に”そう思っている。だから、個人的に”神の想定”を乗り越えたいだけです。
もちろん神というのは広い意味での神(超越者)です。
3については、”自分なりに”存在論を仕立ててみようとしたことがあるひとなら、
分かると思います。厳密にやればやるほど神(限界点)に当たります。
学生時代なんかに、MY哲学を突き詰めたことがある人なら、いろんな哲学者の本読むと
「あー、オレと同じ事考えてたんだコイツ!」なんてのはよくあるでしょう。
817 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 22:56
>もちろんバックボーンを持ち出したことはない。
→バックボーンとして、哲学者の言葉を持ち出したことはない
あと、数学と統計学の違い、つまり経験的確率と理論的確率の
違いについてまず理解してもらいたいですね。
大学の始めの2年間はフロにそれを感じた。もうすでに3年も遠ざかった。今では考え方もたいぶ違う
>いくつかの用語は出したが、それを根拠に用いたことはない
根拠というのは変でしたね。「権威として」でしょうか。
あと、フーコーやスピノザやデリダなど言ってますが
具体的にそれを私がどう権威的に用いたのか具体的に指摘お願いします。
私は、そういった哲学者の思想を知っている人向けに
あくまで例えとして挙げたつもりです。
821 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 23:06
>>818 私の立場が完全に除去できると いうことですか。
よかったら聞かせてください。
822 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 23:11
>>820 率直に言って 具体的に指摘すれば 「解釈学」の闇にとらわれて
うやむや(その解釈は誤りうんぬん あるいは軌道修正して異なる主張を始める)になるのは
火を見るより明らか と私には思えます。
ですから あなたがそれを意図しないのであれば 私もそれを
望みません。
>ちくび
>>804 >私は「ランダム」=「法則的存在者」という 図式を示したことがない。
>あくまで「2分の1に近づいていく」という事柄に限定して話をしました。
だから、これは”理想的なランダム(無限遠上で理論値と一致する)”を
想定していることと同じなんです。拡大解釈でもなんでもなくて、
これは”=”(イコール)で結ばれるものです。
あと私が言いたいのは、「ある事象の結果が確率分布に従うことと、
ある現象が物理法則に従うことの違いを理解していますか?」ということです。
私には、この両方に法則なんたら存在者が適用されるのは不思議に思えます。
統計的確率による予測と、物理法則による予測の違いがわかりますか?
「純粋な理論(理想)」と「実学(近似)」の違いもそうですが、
不確かな把握で、理論と実学をごっちゃにされては困ります。
>>822 わかりました。
「私はこういうつもりだったが、あなたはそのように受け取った」
ということでいいですね。これについては流してもらって結構です。
825 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 23:33
>>823 「実践科学」と「理論科学」の違いですか。
ところで私には二つ疑問があります。
このような区分を出しているが 「2分の1に近づくこと」の批判をしていないように感じるのが
まず一点。私の理解力に問題があるのは 否めないかもしれませんが「不確かに把握で、理論と実学をごっちゃにされては困る」
という主張しかいまだなされていない ように感じます。(いつもそのような主張をしているにとどまっているように思います)
二つ目の疑問は あなたの「混沌世界」説は あらゆる科学を「筋の通るように説明しただけのもの」として
その『真』性を 認めませんが、私を批判するときにはそれを用いているように 思えるというものです。
826 :
考える名無しさん:04/04/25 23:33
ハナシ ツイタ ノカ?
827 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 23:37
>>823 ちなみに『理論』においても『実践』おいても 「根拠」となるので
「根拠」(法則的存在者)なのだといえる、私はそのように思いますが。
828 :
考える名無しさん:04/04/25 23:37
専門用語なのか何か知らんけど、はたから見ててわけの分からんやりとりだった。
>ちくび
これは反論ではありませんが、気になったのでちょっとだけ。
私の説は、誰々の思想のツギハギだと
言いがかりをつけられているようで、こればっかりは不快です。
私の説は誰々の言っていることと同じだと勝手に結びつけて、
さらに結びつけていること自体を批判しているだけのように思われます。
私の知らないような「デリダの差延」と勝手に結びつけて
それはデリダの差延をバックボーンとしている、権威主義だ
とか言われているようですが、ワケ分かりません。正直ビックリです。
そもそも、ちくびは私の何を批判しているのでしょうか?私の態度・・?
830 :
ちくびぎゅーん:04/04/25 23:53
>>828 私が 『コインを投げたときに 5回連続表が出たり裏が出たりもするかもしれないけれど
「やるたびに」2分の1に近づいていく事』を 重視して このような事態をつかさどる
「法則的存在者」(とでも呼ぶべきもの)が 何らかの「根拠」として「ある」のではないか、
と主張しているのに対し 163さんはそのようなものはない 「世界の真の姿は混沌である」と
いう「混沌世界」説(私が名づけましたが)を主張している というやり取りです。
結構前から 論争はしていますが
>>414あたりから再燃しています。
よかったら読んでください。
>>ちくび
ここで統計学と確率論の違いについて説明してもいいんだけど
ものすごく個人的なことでないですか?
前スレでも「メタファー」教えてくださいとか言ってましたよね。(教えたのは私です。)
あなたはwebページ検索を知らないのでしょうか?
説明してもいいのなら、しますけど。(私は専門家ではないですが)
そもそもちくびが、「(経験的確率が)2分の1(理論値)に近づくこと」と
「(ある現象が)物理法則に従うこと」をごっちゃにしているのが、
私の一番つっかかってるとこです。
例えば、次に出るサイコロの目がある数式で導かれるのなら
この世のどんなギャンブルも成り立ちませんし、確率論なんて必要ありません。
832 :
考える名無しさん:04/04/25 23:58
面白そうだね。
833 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 00:10
>>831 私の意見を批判するのに必要ならば 書く必要が十分あるように私には思えます。
(ちなみにウェブ検索には 『大霊界』のような理論の説明ものっていると私は思います)
それと
>例えば、次に出るサイコロの目がある数式で導かれるのなら
>この世のどんなギャンブルも成り立ちませんし、確率論なんて必要ありません。
という指摘ですが これが 私には「法則的存在者」を 方程式のような「法則」と
混同していると感じるところです。
私が言っていること 強調していること 法則的存在者がいると主張している裏づけは
「やるたびに」「近づいていく」という点です。ここから「法則的存在者」の存在が
おしはかられて しかるべきだろう、という主張です。
>1 よ、そのスレ題の左右に 【三菱】〜【コルト】
って、入れれば、10 ポイントあげるのに。
>ちくび
>(いつもそのような主張をしているにとどまっているように思います)
いちいちすべて説明するのはめんどくさいからです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
理解していないと言ってくれれば多少説明を加えますが、
説明を加える前に、「宣言しかしていない」と言われるのでどうしようもありません。
>>833 >私には「法則的存在者」を 方程式のような「法則」と
>混同していると感じるところです。
なるほど、スッキリしました。
では、物理法則にはそのような存在者の影響はない
と言うわけですね。
では、
「経験的確率と理論的確率の、無限遠上での一致」
このことのみについての言及だと解釈します。
本当によろしいですか?
837 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 00:24
>>835 もちろん理解できていません。
>そもそもちくびが、「(経験的確率が)2分の1(理論値)に近づくこと」と
>「(ある現象が)物理法則に従うこと」をごっちゃにしているのが、
>私の一番つっかかってるとこです。
手っ取り早く言うと なぜごっちゃにしてはいけないのか という点を教えていただきたい。
というのも それがあなたの批判の要点のように思うからです。
実際誤差があるのは認めなければなりませんが、そしてそこから「理論」と「実践」の区分が
生まれるのもわかりますが、理論も実践もともに「根拠」付けるものがなければ
「やるたびに」「近づく」ことの説明には 不十分なように思えます。
838 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 00:35
>>836 すべての物理法則に 「法則的存在者」がいないとは 言っていないですし、
(むしろ私の立場から言えば 「いる」場合もありうるという考えです)
無限遠上での「一致」を問題視してはいません。
しかしその上で 批判するのならば あくまで私が前提したことに できるだけ絞ってほしい というのが
率直な意見です。
たとえば「コインを投げない場合はどうなるのか」とか、「コインを強くはじきすぎて コインが
衛星軌道に乗った場合はどうなるのか」とか 聞かれても (私の能力の問題かもしれませんが)
「そのようのことは前提していない」としか答えようがないからです。
839 :
考える名無しさん:04/04/26 00:42
まだ「法則的存在者」なんて言葉使ってんのか。
キチガイは消えろよ
840 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 00:44
>>836 補足しますと 「法則的存在者」が方程式で表されてもいいが
今議論している場合は そのような前提はしていない、ということです。
だから(むしろ私の立場から言えば 「いる」場合もありうるという考えです)となります。
841 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 00:45
確率論
やってみればわかるけど
やる度に近づいてはいきません
科学の知識は時間が立つと訂正されますが
確率論はあきらかな間違いです
842 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 00:51
むしゃくしゃして書いた。
なんでもよかった。
反論されるとは思わなかった。
今は反省している。
・例えばボールを投げたときの落下地点予測の問題を考えるとします。
まず予測するための準備として、初速度やら打ち出し角度やら
空気の粘度や抵抗やら様々な要因を考慮して式を立てるわけですが
実際の結果と理論値にはやはり誤差があります。
測定方法や用意した道具の不備かもしれないし、何か分からない別の要因かもしれません。
ここにおいて、理論値と実際の結果の違いは、何らかの不確定要因に阻まれています。
その不確定要因を不確定のまま扱うのが確率の問題です。
すべての要因を割り出せばピタリと予測することができるかもしれないが
どうにも複雑極まって分かりそうにない。
こういった場合に確率のような考え方を用います。(不確定を不確定のまま扱う)
そういった意味で確率は、(確定され得る)物理法則と対極を成すものです。
ですから、両方にその存在者が適用されるのは矛盾すると言ったのです。
>>838 >すべての物理法則に 「法則的存在者」がいないとは 言っていないですし、
>(むしろ私の立場から言えば 「いる」場合もありうるという考えです)
非常に曖昧過ぎます。これでは批判のしようがありません。
>無限遠上での「一致」を問題視してはいません。
中心極限定理や、大数の法則によって経験的確率と理論的確率が
無限遠上で一致することを証明しています。
結局これは、可能無限と実無限の話をしているのかもしれませんね。
あなたは無限は実在するものとお考えでしょうか?ここに帰結しそうです。
844 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 00:59
>>841 >>老子さん
「やるたびに」「近づいていく」ということを否定するのが かなり妥当で強力な
批判でしょうね。
しかしそのような短い書き込みで批判されて それが正当化されるならば
「確率論
やってみればわかるけど
やる度にちかづいていきます
科学の知識は時間がたつと訂正されますが
あるべき「真」に向かって近づいているのは間違いないです」
と書いてもいいのかな、と思います。
>>843 >あなたは無限は実在するものとお考えでしょうか?ここに帰結しそうです。
「実在する」についての議論が必要になるけど
形而上学知らんと無理でしょう。
こんな話題ちくびに振っちゃいかんよ。
>>843 >ここにおいて、理論値と実際の結果の違いは、何らかの不確定要因に阻まれています。
×「理論値と実際の結果の違いは」
○「理論値と実際の結果の一致は」
追記)
確率の捉え方如何で、確かに全く違った立場になってきます。
つまり確率を自由な意思の存在証明と捉えるか、あるいは
確率を決定論的立場における妥協策と捉えるかです。
・あなたは決定論的な確率の捉え方をしている。
・私は自由意思的な捉え方をしている。
・あなたは無限を実在と捉えている。
・私は無限を可能性と捉えている。
こういう違いがあると感じます。
可能無限にしたって実無限にしたって、無限そのものが
物理的にモノとして存在してるわけじゃないからな。
848 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 01:08
>>844 あるべき「真」そのものが変わらない可能性がどこにあるのですか?
例えば夢の世界はなんでもありですが
現実の世界が夢のような世界にならないと何故言えるのですか?
849 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 01:10
>>843 >中心極限定理や、大数の法則によって経験的確率と理論的確率が
>無限遠上で一致することを証明しています。
ところであなたは「混沌世界」説を支持しているのに このような理論の援用が
なぜなされうるのでしょうか。
またこれは見方によっては「権威付け」のようにも見えます。
私は「確率」一般の話しをしていませんと 何度も言わせてもらっています。
「コインを投げたとき2分の1に やるたびに近づいていく」ということを
問題にすえています。
>非常に曖昧過ぎます。これでは批判のしようがありません。
私もそう思いますが あなたはそれでも批判してくる。私はそれが不思議でならないのです。
無限の話は考えたことがありません、としか答えようがありません。
850 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 01:15
無限にしろ混沌にしろ
どちらかに一定であるという考えは
神がいると言ってるのと同じなのでは?
851 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 01:25
記憶の連続が物質を通して世界を満たしているのなら
つまり神がいるという前提に立てば
人生の目的を探求する為には世界に満ちた法則を考えるには有意義でしょう
神が創造者なのですから神の欲求そのものが人生の目的
人間だけではなく
世界全体の生物や無機物の存在する目的になるのでしょう
ただ記憶の連続が起きていない世界ならば
人生の目的を探求する為には自我を追求する以外にないと思います
852 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 01:40
この議論自体が「知の枠組み」の議論なので 仕方ないように思いますが
>>843で くしくもあなた自身が示したように あなたは哲学で「生」の問題を
取り扱うのではなく「知」の問題を取り扱おうとした。
それは私にとっては「生」の隠蔽に他ならない。「今ここにある」現実を生きる
という唯一の生を生きること、それを拒絶する方法として哲学を捉えているのなら
あなたが無条件に 私に否定的なのはわかる気がします。
そして ここが 私嫌いで充満しているのも わかる気がします。
私はもう疲れました。
あなた(あるいはあなたたち)は「真偽」の問題や「知」の問題すら結局は 重視していない。
結局は「安心」を得るために 絶望的な希望しか語らない私を批判している。
だから どんなに矛盾した主張をしているほかの人がいても 何も言わないのでしょう。
私には 名づけ方すら批判があったのに。(私の考えを私の言葉で表現するなという不当なものでした)
そういう「知的ゲーム」「生の隠匿」を楽しみたい人たちの集まるところがここならば
ここに私の居場所は ありません。
1さんには伝えたいことはもうほとんど言いました。
それではさようなら。
>記憶の連続が物質を通して世界を満たしているのなら
>つまり神がいるという前提に立てば
「つまり」という語の使用を見る限り、この場合の「記憶」とは「神の記憶」
と解釈するしかないな。
ところで、神とは永遠なるもの、すなわち、時間=持続の秩序に拘束されない
ものなのだから、「記憶の連続」などという時間の秩序のもとでの表現は
神には適用できない。
>神が創造者なのですから神の欲求そのものが人生の目的
私の人生が神の創造物であることと、神が欲求するということはいかなること、
そして、創造者の目的と被造物の目的が一致することの正当性を説明しなければ、
この言明は無意味である。
>>849 >>中心極限定理や、大数の法則によって経験的確率と理論的確率が
>>無限遠上で一致することを証明しています。
>ところであなたは「混沌世界」説を支持しているのに このような理論の援用が
>なぜなされうるのでしょうか。
>またこれは見方によっては「権威付け」のようにも見えます。
自分のよく知らない用語を見ると権威に感じるのですね。(そう見えます)
その後の重要な記述を抜かしています。そこだけ抜くとあなたの言う通りに感じるでしょう。
これは、上記の定理や法則によって根拠付けされているわけですが、
現実世界に適用する際に「無限とは何か」が問題になるわけです。
「(
>>843)結局これは、可能無限と実無限の話をしているのかもしれませんね。」
一致を見せていくようだ(=一致ではないので立証不可)。また、法則なんたら存在者は
無限遠上のものであって、それを”存在者”といっていることも私は問題視しています。
ですから、「法則的”存在者”」の定義付けを
厳密にお願いします。それによっては私の見方も変わるかもしれませんので。
855 :
ちくびぎゅーん :04/04/26 01:44
むしゃくしゃして書いた。
なんでもよかった。
反論されるとは思わなかった。
今は反省している。
856 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 01:44
自分の常識に合わない者を遠ざけるのは教育の賜物
むしゃくしゃしてやりましたとか言うなでち!
858 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 01:48
>>853 真理という者があるという前提に立てば
どの現象にも真理が当てはめられる
ようするに真理という変化しない記憶が世界を満たしているという事でしょう
それはつまり神と呼べますね
859 :
考える名無しさん:04/04/26 01:48
>>852 >そういう「知的ゲーム」「生の隠匿」を楽しみたい人たちの集まるところがここならば
>ここに私の居場所は ありません。
そうです。
「知的ゲーム」が「生を隠すこと」だと考えるような低脳には
あなたの居場所はありせん。
さようなら。二度と来ないでください。
常識にあわないから遠ざけるのではなく遠ざかったことにより互いの常識が相違していることをしるのでない?それを認めるのは二の次。全ての争いの根源とは何か?
>ちくび
はあ・・。オレの言ってることはすでに構築された理論でも
何でもないから確かに矛盾は多いかもしれないけど、
それにしても、そっちの曖昧さを棚にあげてよくそんなことが言えるね。
そもそも確率の話をよくわからないまま、例としてとりあげるのが間違い。
確率の無理解を神に置き換えているように受け取られて当然。
「知的ゲーム」「生の隠匿」なんてレッテル貼りはやめてくれ。
そんな被害妄想にはつきあい切れんよ。
あなたは以前に人間は生まれながらに無目的だと言っておきながら、
今はうって変わって決定論の立場を取っていることに気付いていない。
「神の措定」の安心が私には「思考停止」の恐怖だとも言った。
それをまだ理解していないし。「真の世界」の主張だと捉えているのも間違い。
862 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 01:53
全ての争いの根源とは
自己の安全を破壊しようとする反射でしょう
863 :
考える名無しさん:04/04/26 01:55
>>858 (正当にも)真理とは無時間的なものと解釈しているとすれば、
それに対して「記憶」という語を当てはめるのは不適当です。
さらに、あなたの「真理=神」という表現も拙い。
例を挙げるまでもないでしょうが・・・。
それとも「真理の真理性」を神と表現しているのでしょうか?
864 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 01:55
訂正
自己の安全を破壊しようとする者への反射
865 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 01:58
唯一絶対なる者というのが一般的な神の定義なのでは?
>>865 神の定義にはいろいろある。
こつこつと古典文献にあたって自分で考えるしかない。
867 :
考える名無しさん:04/04/26 02:04
ティムポの14不思議。
1.骨が無いのに硬くなる。
2.モグラじゃないのに穴が好き。
3.牛じゃないのにミルクが出る。
4.ギャル男じゃないのに黒くなる。
5.イカじゃないのにイカ臭い。
6.飴じゃないのに舐めれちゃう。
7.年寄りじゃないのに朝は早起き。
8.バナナじゃないのに皮がある。
9.借りてないのに「カリ」がある。
10.ゴムじゃないのに伸び縮み。
11.親いないのに息子さん。
12.働かないのにお金持ち。
13.酒が入ると暴れん坊。
14.ビールじゃないのにナマが好き。
私は、自分の説を権威主義とレッテル貼りされたこと以外は
何も感情を荒立てたものはありません。
むしろ批判はありがたいわけだけど、ちくびの立場が曖昧すぎて
こちら側で補った上で批判しないと批判にならない立場の取り方をしてる。
文系だからよく分からないと言っているのに、理系な話をするから
「あなたの言っていることは、結局こういうことになりますよ。」
・・・と補うしかないのは仕方ないはずなのに、それを拡大解釈と言う。
どうしたもんでしょう。
ただ、ちくびのヒステリックぶりには驚くばかりです。
>>868 用語のおかしさを指摘しても頑として訂正しないDQNだ。
哲学している気になって自分に酔っていたのだろう。
哲学が何か諸学問を超えた重大で高尚なものだと考えていたのかもしれない。
今は荒らしに変貌せずにおとなしく去ってくれるよう祈るだけだ。
870 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 02:18
唯一絶対なる者=神=真理
これに異論がある人はいないはず
871 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 02:21
>>869 また哲学という用語に拘ってるお馬鹿さん登場
自分にしか通じない哲学の解釈を持ちだし
自分に適応しないと手当たりしだい哲学ではないといいたいのだろう
そもそも哲学という言葉は学問全体をさすんですよ
>>852 >
>>843で くしくもあなた自身が示したように あなたは哲学で「生」の問題を
>取り扱うのではなく「知」の問題を取り扱おうとした。
もうちくびは来ないかもしれんが、これは被害妄想もいいとこ。
自分で、(確定されうる)物理法則と確率の違いを説明しろと言ったのに
『あなたはくしくも「知」の問題を扱った』とか言われたらたまりません。
不当な反論です。というか、誘導尋問です。
理論と現実の不一致から、人間の自由を導こうとしているのが
私の立場だということを分かっていない。
人の意思決定に自由を与えるのは十分、生の問題だと思いますが。
>>1 時の流れの深い底からその答えを見つけるのはほとんど無理だと・・・
俺たちは理屈を元にあくまで「妄想」するしかできないかと・・・
>自己の安全を破壊しようとする者への反射 なるほどね。確かに。だけどそれは段階の始まりではなく、その前段階があるはずだろ?釣り合いの不均衡が生じる前に他者というものが対から分離していく。根源は意識的必然にある。それは一次欲求二次欲求欲動関係なく
>>870 「¬(A∧¬A)」は真である、は神ですか?
「富士山は日本一高い山である」は真である、は神ですか?
これは理性の問題ではない。呼吸の問題だ。理論的不和も論理の食い違いからは生じない。呼吸が一瞬あわなくなり、その後に理論的な相違を探す。不和は必然。全ては不和の後にある
877 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 02:36
貴方の論理では人間にしか適応できない
人間に適応させても個人差による反応を説明できないでしょう
私の発言なら全ての争いに適応してます
878 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 02:37
>>878 「貴方の論理では人間にしか適応できない」ならば、
「私の発言なら全てのものに適応できます」とくるはずなのに
「私の発言なら全ての争いに適応してます」とくるのはどうしてだろう?
個人差による反応?個人によって、
「¬(A∧¬A)」が真でなくなったり
「富士山は日本一高い山である」が真でなくなったりするのかい?
そうじゃない。根源について視点を移したのであって貴方の理論は正当だが根本は分離(呼吸不和)にあるということをいいたいのです。意識的分離は確かに人間にしか当てはまらない。がそれも呼吸の一形態だ。安全を破壊する以前は何か?
881 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 02:49
>>879 >>全ての争いの根源とは何か?
と聞いてるから発言したから
「自己の安全を破壊しようとする者への反射 」と書いたのです
自己というのが無機物でも良いという事です
後半はもう一度聞きます、真である証拠は?
>>881 前者は論理的にア・プリオリに真である、としか考えられない。
後者は様々な伝聞と照らし合わせて真である、としか考えられない。
それで、個人によって、
「¬(A∧¬A)」が真でなくなったり
「富士山は日本一高い山である」が真でなくなったりするのかい?
883 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 03:02
するでしょう
富士山という山を知らない人もいるのですから
時代によっても違うでしょう
>>883 >富士山という山を知らない人もいるのですから
富士山という山を知らない人でも、世界にあるさまざまな情報と照らし合わせれば
「富士山は日本一高い山である」は真である、と考えるしかなくなるはずです。
個々人によって真になったり偽になったりする問題ではない。
>時代によっても違うでしょう
富士山が日本一高い山でなくなるような天変地異が起こったとしても、
現在富士山が日本一高い山であることの真理性が変化するわけではない。
真であるということはあくまで悟性としての働きであって悟性が真であるという証拠はどこからもってきているのかって何か大学んときの必須科目みたいだなw
886 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 03:10
>>884 情報が間違っていないと何故言えるのですか?
貴方が実際測量したのですか?
887 :
考える名無しさん:04/04/26 03:13
何の真偽を話してるんだ。論理?経験?
888 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 03:15
884さんの真理が真だと言い切れる理由ですよ
>>886 総合的あるいは経験的命題の真理性に絶対はないということを
言いたいのだろうが、いろいろな情報と照らし合わせて「富士山は日本一
高い山である」を疑う人が出てきて個々人によってこの命題が真になったり
偽になったりするとは思えないがな。
デカルト的懐疑にまで突き進めば別だけどな。
890 :
考える名無しさん:04/04/26 03:20
この議論で老子が折れることはないだろう。それこそこのまま、デカルト的懐疑まで行くんだろ。
891 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 03:25
わかってるなら最初から真だと言わない方が良いのでは?
ある前提において話してる事が多すぎますね
たぶんマチガイナイだろうけど人間が存在という枠で生きている限りは絶対ではない。そもそも真であるということはあるということを発見することではなく個人が新たに創造するものがあるとしたほうが哲学的に都合がいい。ねる
老子なら「物理学の定理も全て真とは言えない」とか言いそうだな。
「広末涼子は人間である、も真とは言えない」とか、それを指摘して
その先何を言いたいのか・・・
894 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 03:33
真理という探求不可能な現象を
語って人生の目的を探求する姿勢は間違いであると言いたい
895 :
考える名無しさん:04/04/26 03:34
議論に勝つためなら何もかも相対化。本当に意味がない議論ってのはこういうものだな
896 :
老子 ◆8HdYpQBrEo :04/04/26 03:47
相対化できる話を避けるのは哲学をするものには当然なのでは?
∬ _,,,,,,,,,,_
∬ (=゚Д゚=) ぼく 老人じゃないよ。
━O(∇)O)
○-ω-◯
「富士山は山である」も真でないかもしれない。
「富士山は3文字である」も真でないかもしれない。
「富士山は漢字である」も真でないかも知れない。
しかしながら、「真でないかもしれない」と言えるのは、
「真である」ことがどういうことか知っているからであろう。
さて、ここで先の老子の詭弁の詭弁たる所以が明らかになる。
そうなんだそうなんだ。
ある特定の人達は論理の「推論規則」と「語性」をごっちゃにして、
自分の意見がちゃんと筋道立てて批判されてんのに、
自分の意見がただ正しいと言わんばかりにただ仕返しして、
勝った気分を何としてでも味わいたいが為に、
不毛な議論を率先して促進しようとしている。
この人達はよく「トンデモ」と称される人によく用いられる「健全パラノイア」
の擬似科学、又は擬似哲学を専門とする自称「研究家」が得意とするような文脈
を用いてただの非難をする。人を非難したからといって自分が正しい事の
証明にはならない。その前に筋道立てて説明しろと言いたい。
ちゃんと前提を据えて論理的に納得できるように結論を導け。マジ意味ねえよ。
901 :
考える名無しさん:04/04/26 05:11
皆様初めまして
私は哲学の本を読んだ事はありませんが、こう考えます
死ぬ事とは
明日と同じなのでは?
先がわからない以上、未来がわからないのと変わらないのでは
死を恐れても、いずれ人は死にます
明日が来ないで欲しいと願っても明日はやってきます
死も明日が来るのと同じく、訪れてしまいます
今は明日起こることがわからない、死も死んだ後の事はわからない
似ていますよね
違うと言えば違うと思いますが、私は似ていると思います
1さんが考えてる事
自分が何者なのか?
これからどこへ向かうのか?
人生の目的は?
人類の最後は?
私たち生物は何故生まれてきたのか?
私も同じ事を考えています
まだ私も答えが出ていません
19歳の若年者が考えてるのですからそうそう答えが出るわけ無いとどこかでは理解しつつ
どこかでは知りたいと考え、今も悩んでいると思います
勝手に横槍を入れ、言いたい事を言って
しかも過去ログを読まずに書き込む事お許し下さい
>>809 >>ちくび
私が言いたいのは、
「『倫理性』を根拠にしている」のような「根拠」という言い回しこそ、
論理の曲解だと思うのです。
論理に従うべき、という「倫理」に従わなければ、あなたは「根拠」云々いう事
なんか全然関係無いんです。そんなら「世界観」なんか、それこそナンでも
いい事になる。
「ある日本人の親父の従兄弟の花嫁は男であり乳首は立っているのが真実の
世界であり、全ての真理である」
でもいいだろって事ですよ。私は少なくとも上は多分違うと思うけど。
私は最初ある程度
>>163の意見に触発されて、あ、近いなと思ったから
二人で妥当な線を模索するような気を勝手に起こしていただけです。
少なくともあなたの意見と私の思う世界観は全然違う。
ただの演繹と帰納法を信頼しているだけです。
「まあこう考えるのが今のところ妥当だからしょうがねえな世界観」
くらいのちんけなもんですよどうせね。
今までそうやって世界を見てきたけど駄目ですか?
>論理に従うべき、という「倫理」に従わなければ、あなたは「根拠」云々いう事
>なんか全然関係無いんです。そんなら「世界観」なんか、それこそナンでも
>いい事になる。
なるほどね。結構納得出来る。そこで難しいのは、その倫理が普遍性を持つことが
出来るかということだね。
>>903 大体そんな感じですね。普遍性、かな?
しかし私は「普遍性」というものを正確に理解する事は残念ながら、
出来ません。「〜より普遍的」だったら大体分かります。
私は無前提に、論理的に正しいか正しくないかだけを考え、
無前提に論理の演繹と帰納法を信じているだけで、
そのうえで話を進める事しか出来ません。
∬ _,,,,,,,,,,_
∬ (=゚Д゚=)
━O(∇)O) 明るい未来 うひょー
○-ω-◯
907 :
考える名無しさん:04/04/26 12:22
>>904 それは、あなたの立場の正確な表現になっていないし、
問題も多い言い方なのでは。
あなたは演繹と帰納法を無前提(無根拠)に信じているわけではないはずだし
演繹と帰納法を無前提に信じると言い切ることは、
政治的・倫理的・規範的な論争で、最初におかれる事実上の前提に対して
演繹的でないとか、帰納的でないとかの理由で、老子さんのように
方法的(場当たり的)に、懐疑論を持ち出す立場の正当化に繋がるでしょう。
908 :
考える名無しさん:04/04/26 13:16
神はいないだろ。
>>907 言われてみるとそうですねえ。私は確かに言葉足らずですね。
私は事実上の前提を命題にし、それを前提に話を進める分には構いません。
だから最初の命題として例えば
「富士山は山である」などを前提にしても何ら問題無いです。
私は「論理の演繹と帰納法を用いた推論の結果が無矛盾であるケース」
という、一連の形を最低限信頼していると言い直さねばなりません。
このことは論理自体の完結性、完全性、無矛盾性を根拠にしています。
しかし今のところ論理の「完結性、完全性、無矛盾性」を
何故信頼するか、というところまで答える事は出来ません。
何故なら論理記号、推論規則などは無定義だからです。
しかし私の立場から申しますと、政治的、倫理的、規範的な論争において
それら「事実」を厳密に命題化する事は極めて難しいと考えてます。
例えば「ヒトラーは悪である」などを前提に据えることには
慎重に配慮しなければなりません。
私は文化的立場と文化的認識が異なる人間同士における
最低限共通の認識である一形態を信頼します。
例えば、「AはAではない」などのような「形式」の矛盾を
矛盾であると認められ得る人一般の共通の認識のことです。
910 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 15:40
>>163さん
あなたは二重規則(あるいは分裂規則)を用いて私を批判しているという事に
まだ気づいていません。
1、あなたはまず大前提として「この世界の真の姿は混沌である」と主張された。
2、『「科学的に実証されているから」という言葉に弱くありませんか?
「あの占い師よく当たるから」とたいして変わらないんですよ。』とあなたは
主張された。(
>>787)
3、『中心極限定理や、大数の法則によって経験的確率と理論的確率が
無限遠上で一致することを証明しています。』とあなたは主張されています。(
>>843)
この3つのあなたがした主張は 二重規則と私には思えます。
あなたは2で 科学(や それを裏付ける理論)が 占いのような当てにならないもの、
であるとしたのに 私を批判する時はその科学を 思いっきりつかってきている。
このことは何度も指摘しましたが(一番近い例では
>>825)あなたはその度にそのような批判を
「無かったこと」にしています。
911 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 15:41
また
>>163さんは
4、『いちいちすべて説明するのはめんどくさいからです。』(
>>835)
と主張しました。
5、私の説は、誰々の思想のツギハギだと
言いがかりをつけられているようで、こればっかりは不快です。(
>>829)
とも主張されています。
4のような主張はもし私や老子さんがしたなら 袋叩きにあうようなとんでもないものです。
私が
>>833で示したように あなたはもし私の意見に反論があるのならば
それを論証して示さねばならない。
それをしないであなたは「ウェブ検索をしろ」(
>>831)というこれはつぎはぎだといわれても仕方ないように思います。
また「ウェブ検索」では『大霊界』のような理論もひっかかります。だから「ウェブ検索」で何も検証されないように思います。
あくまで あなたの主張は 仮に何かを引用されてもいいのですが あなたが論証して示すべきなのです。
912 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 15:42
6、不確かな把握で、理論と実学をごっちゃにされては困ります。(
>>823)
とも163さんは言う。
何故困るのでしょうか?困るとしたら科学に何らかの「真」性を認める立場の人でしょうが
あなたは2で主張しているように 科学に占い以上の価値を認めない立場にある。
ゆえに実践と理論の区分をごちゃ混ぜにすることの問題を あなたは認めてはならない。
もしそれでも 問題がある というのならば 論証してください。
(科学においても実践と理論の乖離は想定されていないように思います
両者の循環的営み〔あなたはごちゃ混ぜと呼ぶ〕を科学というのが 最も一般的(妥当)な「科学」観だと思います)
913 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 15:43
7、そもそも確率というのは何の作為もない状態において
成立するものであるという定義がおかれています。(
>>462)
とあなたは言った。
私はあなたの言う「作為」があくまで人間の作為であり 何らかの根拠が
それに関わっていないとはいいきれない と反論しました。(
>>466)
そしてあなたはそれに反論できていない。(本来この議論はここで終わっています)
そのうえで
8、そもそも確率の話をよくわからないまま、例としてとりあげるのが間違い。
確率の無理解を神に置き換えているように受け取られて当然。(
>>861)
とあなたは言う。
9、文系だからよく分からないと言っているのに、理系な話をするから
「あなたの言っていることは、結局こういうことになりますよ。」
・・・と補うしかないのは仕方ないはずなのに、それを拡大解釈と言う。
ともあなたは言う。(
>>868)
あなたが言う「結局こういう事になりますよ。」という 補足は7であなたが示した
誤った適用では ないのでしょうか。
914 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 15:44
私は最後に明確に 自分が「荒らし」ではないことを言及しておきます。
私は明確に 163さんが論理的でないこと 二重基準(あるいは二つ以上の分裂した基準)を
用いていることを 示したと確信しています。
「真偽」あるいは 少なくとも「論理性」の問題は 私を批判する人の数や163さんの味方をする人の数に
影響されません。
私がここで示したようなことに 163さんは
「私の意見はまだ試案なので 多少の矛盾はありうる」という解答以外の反論が可能でしょうか。
私が嫌いな人(いなければ 論理性を重視しない人)以外の他の人はどう思いますか。
自分自身で『「真偽」あるいは 少なくとも「論理性」の問題は 私を批判する人の数や163さんの味方をする人の数に
影響されません。』と主張しながら 誰かの賛同を得ようとするのは 誤りであり甘えでしょうか。
しかし私はあまりに不当な批判にさらされ続け かなり弱っているといっていい。
このような問題は ここが『学問版』と称すならば見過ごせない問題だと思うのですが。
(
>>859もう来るつもりはありません。)
>ちくび
私は批判歓迎だと言っているけど、いちいち読むのが面倒なのか
批判してくれる人が少ないだけです。矛盾も十分ありうると思う。
その分ありがたいと言っているのに、「絶望的世界観」だとか
「生の隠匿」とかレッテル貼りをするのはやめて欲しいわけです。
あなたに対して私は、先に暴言を吐いたというのでしょうか?
とりあえず、私の弁明についてのみは答えるつもりはおありでしょうか?
そうでなければ私がレスをする意味すらありませんので。
周りを全く気にする必要はないでしょう。私とあなたの問題ですから。
>>163ならびにちくびさん
お互い論理で話しましょう。
恐らくはお互いに全て相手の文章も読んでることでしょうし、加えてお二方とも自分の考えに間違えや矛盾が有ること(可能性が有ること)を十分に理解している。
お互いの意見の取れるところを盗って意見を発展させ、なるべく悪意無く意見をまとめて相手にぶつけたほうがお互いのためではないですか?
せっかくお互いが互いの意見を読みあっているのですからその関係は大切だと思いますよ。
意見を読まれることのない文章もたくさん有るのですから。
私はちょっと量子論を読み続けているので、しばらく見てるだけです。
918 :
考える名無しさん:04/04/26 16:15
言いたいことがあるなら、言いたいだけ言えばいい
>ちくび
レスがもらえると想定してまずは1から。
1.真の姿というより、まずは仮定してみたということです。(信念の問題)
その方が、神の想定なしにこの世界のあらゆる現象に納得がいくからです。
神を想定したくない根本的な理由は以前言った通りです。
2.自らの未来を占いに託す人間の本質についての言及です。
3.これは数学の証明です。何ら実践的な意味を持っていません。
これは私の説の論証でもなんでもなく、理論と現実対応の問題を言っています。
全く規則的に表裏が現れることはなく、極限においての相対頻度の話。(大数の法則)
ですからその後、「無限は(現実に)あるか?」と聞いたわけです。
私のレスを読んで返事していないことがよく分かりますね。
現実に1億回コイン投げをしたとしても、そのうち9千万回表もあり得るわけです。
その可能性は十分小さいわけですが。 (ここが理論と現実の乖離です)
1/2と想定することは合理的ではあるが、なんら実践的意味を持ち得ないのです。
920 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 16:25
>>915 私は ちくいちあなたの意見に対して 問題点を指摘しましてきました。
あなたは別の場所で(そしてここでも何度か) ヒュームがどうのとか
ウィトゲンシュタインがどうのとか言っていますが、
そのようなことをすることで あなたの意見を批判する為には
ヒュームやウィトゲンシュタインなどを踏まえなければならなくなります。
そして踏まえたとしても その解釈は誤りであるといった「解釈学」の闇に
からめ取られて 結局「生」の問題が「知」の問題にすりかわってしまう
と私は指摘しました。だから「生」の隠匿なのです。
絶望的世界観についても 私は
あなたの言う「因果の鎖を断ち切った人間の自由の獲得」には
愛する人の「笑顔」や「泣き顔」も 単なる物質の形とみなすような
「自由」(私にはそれは解放というより崩壊と思える)であると
指摘しましたが それ以降何の返答も無い。
あるとしたら思案中というものでしょうか。それは「甘い留保」であると思える。
暴言については あなたは度々「ちくび=無知=間違い」の構図で私を攻撃してきました。
また私は論争の相手に 163さんと敬称をつけますがあなたはつけない。
つけなくてもどちらでも良い、というならば 暴言を吐いてもどちらでも良いという事に
なるでしょう。ただし私は暴言を吐いたつもりはありません。
理由を添えていたはずです。
>ちくび
>>911 4.これについては個人的なものでしょう。
私の怠惰としか言いようがありません。袋叩きにしてくれないのはなぜでしょうね。
5.『大霊界』。これは詭弁です。
経験的確率と理論的確率(確率論と統計学)の話だったと思いますが
私の場合、どちらのキーワードで検索しても大霊界なんてすぐには出てきませんでした。
数少ない一例を持ち出して、私の言うことはすべて無駄だと言うのでしょうか。
それとも、あなたは大霊界の方をあえて選ぶというのでしょうか?
この反論はただの感情的反論であるとして無視します。
文脈から判断しても、どんなキーワードを用いればいいか分かるはずです。
ただ、私の口ですべて説明しなかったのは4の通りです。弁解しようがありません。
922 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 16:31
>>919 理論と実践は乖離させて捉えてはいけない、という私の主張をむしろあなたは読んでいない。
何よりも相変わらず私の「前提」を無視して議論を進めている。
>>838で触れたように 『たとえば「コインを投げない場合はどうなるのか」とか、「コインを強くはじきすぎて コインが
衛星軌道に乗った場合はどうなるのか」とか 聞かれても (私の能力の問題かもしれませんが)
「そのようのことは前提していない」としか答えようがないからです。』
という事になります。
923 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 16:37
>>921 あなたは私が5で言っていることを 理解していない。
ネットで何がしかの理論がのっていることに のっているからといって正しいとする根拠が
何処にも無い という主張を私はしています。
あなたが自ら論証しなければならない理由は その点にあります。
それと私は 『大霊界』のような と表現しました。お分かりでしょうか。
>>920 分かりやすいように、哲学者の名前を例としてあげることは
すべてダメなんでしょうか?そこに異様に固執されているようですが・・。
私は哲学者の言葉を根拠として用いたことは一度もありません。
そんな反論をするのなら、すべての哲学関連書籍の引用を批判してください。
>あなたの言う「因果の鎖を断ち切った人間の自由の獲得」には
>愛する人の「笑顔」や「泣き顔」も 単なる物質の形とみなすような
私が言う偶然というのは、何ら因果律に縛られることのない
意思のことを言っているんですよ?
すべては因果の内にあると言った方が、すべてを物質の運動の
因果であり、すべての現象はすでに決定されているという
決定論的世界観の説明になるのでは?
925 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 16:43
>>923 訂正です。
あなたは「大霊界」に関する理論が 確率論やその他のあなたが
本来認めてはならないものの なかに あるとお思いかも知れませんが
私はそのような主張はしていません。
何の論証もなしに 突然理論の「名」だけをだすことが まかり通るならば
「大霊界」と「名」を出しても まかり通ってしまうという事を 指摘しています。
>>923 私はネットで検索したことを正しいという根拠に用いていない。
経験的確率と理論的確率の違いについて分からないのなら
検索すればどこにでものっていますよと言っただけ。
それでなんとなくにでも把握してください。と言ったわけで
私の論証をネット検索に任せたつもりは全くないです。
927 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 16:47
>>924 ?
あなたの大前提である「世界の真の姿は混沌である」という主張は
>私が言う偶然というのは、何ら因果律に縛られることのない
>意思のことを言っているんですよ?
このような限定を 設けないように、むしろ設けてはいけないように思います。
>>922 >理論と実践は乖離させて捉えてはいけない、という私の主張をむしろあなたは読んでいない。
分かりますよ。確率を行動指針(=根拠)と言ったんでしょう。
ですが一方、私はそれを過信することの危険性を言っているだけ。
また、現実において経験的確率と理論的確率が一致することは
一度も証明されたことはありません。これは断言できます。人間は有限の存在ですから。
929 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 16:55
神が限界として想定されるのは思考停止だ、という事を主張されていますが
あなたが何がしかの理論をあなたの論証無しに 用いるのは怠慢であるよりも
まず この思考停止に当たると思います。
ちなみに
>>831と
>>835を読む限り あなたはウェブ検索で
大まかな把握をしろとは言っていないように 思います。
>>927 因果律=必然性の世界です。
因果律の枠の外に、何らそれに束縛されることのない
ランダムという概念を投入しています。
ですから、これは確率の捉え方の問題です。
複雑な因果の絡まりにおける、一種の妥協策か。
それとも因果律の外にあるものか。・・です。
>>929 もうそこを追求するのはやめませんか?
そこは態度の問題ですから、いくら言ってもしょうがないと思います。
ただ私は「めんどくさい」と言ったのですから、分が悪いことを認めています。
あそこで私は、相対頻度がある一定の値に近づくことは数学上で
証明されているが(哲学者の名前同様、例としてあげただけ)
しかし、現実に用いた場合どうであるかを問題視したのですから。
大数の法則の証明をここでやれと言われれば、それはできません。
932 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 17:10
>>928 >また、現実において経験的確率と理論的確率が一致することは
>一度も証明されたことはありません。これは断言できます。人間は有限の存在ですから。
証明されえないという事を証明する為には あなたは 我々の経験を覆す可能性を措定しなければ
なりません。
このような疑いのまなざしは 結局 疑えないというまなざしと同様に
「世界を有るがまま」にみていないい、という問題があります。
あなたは「世界を有るがまま」に見たとき 混沌があると主張しているのだから
懐疑論的な疑いをここにさしはさむのは 二重規則なのです。
ということで、私の反論にヒュームやウィトを
前提とする必要は全くありません。(例示ですから)
あちらのスレ(確率の哲学)を見れば誰でもすぐ分かると思います。
反論があれば「あのウィトの言うことを疑うのか!?」
とでも私が言うとお思いでしょうか。
934 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 17:19
>>933 あなたはウィトゲンシュタインには 否定的な立場なのでしょう。
だから限界に「神」を置くことを 嫌悪する。
私はウィトゲンシュタインとは無関係に(知らないですから)
「神」があってもいいし無くてもいいと思っています。
>>912 6.確定的な法則と、不確定を扱う法則をごっちゃにしては云々。
これは以前に
>>843で示した通りです。両方に適用されては困ると。
また、老子も言うように「やるたびに近づくというのは間違い」です。
コイン投げ1000回やると501回、499回の割合でやる度に近づいたような気がしたが
10000回やると、3000回、7000回と差が開いた。これもあり得るわけです。
やる度にではなく、極限を想定した上での”相対頻度”が一定の値に収束。です。
もちろん理論上のお話です。理論であって過信は危険だと前にも述べました。
あなたがやる度に近づいていくと言ったように、
自分で体験していない事例について真を認めたことも、科学の危険性の一部です。
占いと科学を同一視しましたが、決して科学を貶めたわけではなく
占いに頼るのと同じような人間の本質についての言及です。
これも前にも言いましたが。
>>934 あなたが私のように哲学者の名前を挙げる(例示する)ことを、ことごとく非難するように
私にも神に対する何かしら嫌悪する(ごく個人的な)理由があるのかもしれません。
>>934 そもそも、あなたがウィトゲンシュタインを知らないままに
「163はウィトに否定的な立場でしょう」と言うのも変ですが・・。
938 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 17:43
>>935 >あなたがやる度に近づいていくと言ったように、
>自分で体験していない事例について真を認めたことも、科学の危険性の一部です。
>10000回やると、3000回、7000回と差が開いた。これもあり得るわけです。
私にはあなたが 有りうるというものと 科学の危険性というものの
違いが良く分かりません。
この二つの主張は矛盾しないでしょうか。
939 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 17:49
>>937 まちがっていますか?
あなたは私に罠をかけたのでしょう?
あなたはヒュームの懐疑論を支持してはいけないのに支持している。
(
>>932で示したように)
一方でウィトゲンシュタインの限界外の神の概念を 嫌悪している。
(もちろん私は彼については何かを語れるほど詳しくないです)
そのような両者を並べてその上で
>反論があれば「あのウィトの言うことを疑うのか!?」
>とでも私が言うとお思いでしょうか。
といった。
あなたはここでも「ちくび=無知=間違い」の構図を描こうとしている。
940 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 17:56
>>939 「無知=間違い」の構図に 誤りがあるという事は指摘するまでも無いでしょうが。
>>936 私はただ思っているだけでは無い。「知」の問題にすりかわるから問題だ、
と主張しています。
>>939 ヒュームを支持するとどこで言いました?
あくまであっちのスレでやったのは「紹介」であって
私はそれに何ら、決定的な賛否の意図を示していません。
また、信頼できる帰納法と、曖昧な主観的信念を
きっちり分けることが重要だと後に付け加えています。
(しかし過信は危険であるともこのスレで言ってます)
あっちのスレのレス番号79
>やはり重要になってくるのが、何を正しい帰納とし
>何を間違った帰納であるとするか。帰納の問題に帰結すると思います。
>一方でウィトゲンシュタインの限界外の神の概念を 嫌悪している。
ウィトのことについては全く言及していません。
私はおおまかな意味での神という限界設定を嫌悪すると言っただけで、
あなたは「163がウィトのことを嫌悪した」という問題にすり替えています。
■ 前期哲学について
『論考』は、七つの根本命題から構成されている(一部省略)。
「1 世界は起こっていることの総体である。(*)
2 起こっていること、すなわち事実とは、事態(事柄)が成立するということである。
3 事実の論理的像が思考である。
4 思考とは意味を持つ命題である。
5 命題は要素命題の真理関数である。
6 真理関数の一般的な形式は、〔 p,ξ , N(ξ)〕 である。
7 語りえないことについては、沈黙しなければならない。」
■ 後期哲学について
だが記号の生命であるもの名指せと言われれば、それは記号の使用[use]である、と言うべきであろう。
かりに記号の生命(つまり記号に関して重要なもの)が、記号を見聞きするとき我々の心の中に作られるイメージであるとしても、
先に述べたようなやり方で、先ずこの心的イメージを眼に見える外的な事物、つまり絵に描かれ、模型に作られたイメージで
置き換えてみよう。書かれた記号はそれだけでは死んでいるというなら、描かれたイメージをそれに付け加えたものには生命がある、
と言える道理もない。―事実、君が心的なイメージを絵になったイメージで置き換えたとたん、そしてイメージが
その神秘的な性格を失ったとたん、文に生命を付与するものがそのイメージであるとは思えなくなる(じつのところ、この心的過程の
神秘的性格こそ、君が自分の目的のために必要としたものなのだ)。
我々の陥りがちな誤りを、次のように言い表すことができよう。我々が探しているのは記号の使用であるのに、それを何か記号と並んで
存在するものと決め込んで探している、と(この誤りの一因は、またしても、記号に対応するものを求めるというところにある)。
記号(文)はその意義を記号の体系、すなわちそれが属する言語から得ている。簡単に言えば、文を理解することは言語を理解することにほかならない。
文は言語体系の一部としてのみ生命を持つともいえよう。しかるに人は、文に生命を付与するのはその文に随伴する、神秘的な領域に属する何かである、
と想像してしまう。しかし、記号に随伴するものが何であれ、それは我々とってやはり一つの記号にすぎないであろう。
>>940 >私はただ思っているだけでは無い。「知」の問題にすりかわるから問題だ
だから、哲学者の名前を私が挙げていたとしても
私への反論の前にその哲学者を否定しなければいけないということはない。
あくまで例示であって、「こういう考えに似ているかもしれないですね。」と言っただけ。
それを知らなければ流してもらっても全然問題のないこと。
知っている人がいれば理解の助けになるかと思ったから挙げたまで。
哲学者への誤解があれば指摘してもらっても十分構わない。
私が挙げた哲学者と、私への批判に何の関連が?
ここがまだよく分からないところです。どこでどう権威的に用いました?
ウィトやらヒュームやらカントやらそんなのどうでもいいから、私に反論ください。
945 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 18:13
>>941 >あなたは「163がウィトのことを嫌悪した」という問題にすり替えています。
すり替え?
あなたはウィトゲンシュタインようなの神概念に否定的なのでしょう?
否定的ではないのですか?
すり替えですか?
946 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 18:17
>>938 あり得るもの=真ではなく、恐らくそうなること(信頼の度合い)。
自分が真と思うすべての物事に100%を適用してしまってはよくない。
かといってすべてを否定しろとは言っていない。信頼の度合いに還元するということ。
例えば、「(相対頻度が)やる度に一定の値に近づいていく」というのは
どこでどのようにそう思うようになりましたか?
上記のような例が、科学の危険性です。
「科学で実証されたことは正しい」という帰納法の誤用です。
こんなこと言うと機嫌を損ねるかもしれませんが。すみません。
948 :
考える名無しさん:04/04/26 18:27
>>945 だから、ウィトゲンシュタインについては何ら決定的賛否を
示したことはありません。なにしろ哲学者の問題を扱ってませんから。
だから、ウィトが何にしろ私には関係のないことです。
もし彼について言及していたのであれば、
反論する側にもウィトを知っている必要があるでしょう。
ですが、こういうことは一度もしていません。
>>913 7〜9。
たしかにおっしゃる通り。「補う」ということは誤用の危険を免れませんね。
ですが、補わざるをえなかったという状況も考慮してください。
7については、先も言った通り、一度も実証されたことはありません。
949 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 18:28
>>947 >「科学で実証されたことは正しい」という帰納法の誤用です。
>こんなこと言うと機嫌を損ねるかもしれませんが。すみません。
このような批判は私ではなくあなた自身に向けるべきだと 何度も言っています。
私は実際に確かめられる方法で例を出した。
あなたは大数の法則だのなんだのといって 私を批判しようと試みた。
また信頼の度合いに還元される根拠も示されていない。これについても批判しました。
あなたは科学や理論を「筋が通るように説明しただけ」と言っていた。
そのような「事件」としての「秩序」を説明しただけのものに
何ゆえ「信頼度」が想定できるのでしょうか。
950 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 18:40
>>948 >7については、先も言った通り、一度も実証されたことはありません。
>上記のような例が、科学の危険性です。
>「科学で実証されたことは正しい」という帰納法の誤用です。 (
>>947)
二重規則ではないのですか。
私にはあなたが実証されていなければダメだと一方で言いながら
もう一方では 科学の実証を根拠にするなといっているように思えますが。
実証について批判したいという事はプラグマティズム云々のところで聞きましたが
そんなあなたが 実証しなければならないという理由は何なのでしょう。
>>932 誤解を承知で言うのなら、私が言うのは極めて弱い懐疑論です。
ですから、信頼の構造として物事を捉えることを重要視しているわけです。
また、この信頼の構造においては主観の問題が大きく関わってきます。
「科学で実証されたこと」と「私が真と信じるもの」の間には大きな隔たりがあります。
また、理論と現実の隔たりという事実を見た(信頼した)上で、その誤差(事実)には
自由意思があるかもしれない(あくまで推測)という展望を持っているだけです。
>>948 >もし彼について言及していたのであれば、
>反論する側にもウィトを知っている必要があるでしょう。
彼について言及。というと誤解があるので
「彼の哲学を絡めて(賛同にしろ否定にしろ)私の説を補強している」
と言うといいでしょうか。繰り返しますが、
私の説に組み入れて補強するような用い方は一度もしてません。
誰々の思想に似ているから、その思想を批判しなければと思う必要もありません。
952 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 18:59
>>951 極めて弱い懐疑論にせよ 懐疑論を持っていれば二重規則なのです。
理論と現実の誤差を「有るがままに見たとき」あなたの「混沌世界」説は
成立するからです。
>私の説に組み入れて補強するような用い方は一度もしてません。
>誰々の思想に似ているから、その思想を批判しなければと思う必要もありません。
いいですか。
あなたは ぽろぽろと哲学者や理論の「名」をだすことで
批判をすることを 十分にためらわせる、という事を見逃しています。
ところで
あなたは自分が不利な例 たとえば4や5はもうやめてくれというが
少しでも自分に有利なことは 私が 現段階の問題としては取り上げてなくても
しつこくなさる気ですか?
>>949 「科学で実証されたことは正しい」から出発して
「学校の授業で習ったことは正しい」に結ばれる。
上記の2つは正しいことも有り得ますが、主観の問題に入った時点で
怪しいものになるのです。その通り、さっき少し思い違いがあったように
「確率論が現実問題にそのまま当てはまることは実証されていない」
実証されていないというより、無限を可能にしなければ実証できないのです。
また、相対頻度とは言っても、何回に1回現れるという規則を示すものでもありません。
>私は実際に確かめられる方法で例を出した。
>あなたは大数の法則だのなんだのといって 私を批判しようと試みた。
前にも言ったように、大数の法則は「数学上の、理論上のもの」だといいました。
ですから、何も根拠(批判材料)として示していないと再三念を押したはずですが。
これも再三言いますが、「無限」の問題を後に付け加えたことを省略しないでください。
あと実際に確かめられる方法の例とは何でしょう?
>>950 >私にはあなたが実証されていなければダメだと一方で言いながら
>もう一方では 科学の実証を根拠にするなといっているように思えますが。
ここは重要な点ですね。
科学の実証から、主観的な意思決定の問題に至るまでに
様々な紆余曲折があるわけです。それは上で示した通り。
その過程で、思いもしない間違った信念が生まれることも多々あります。
また、「科学で実証された」→「主観による意思決定」までに
誤用なしでたどり着いたとしても、根本の「科学で実証された≠100%」だと
いう認識も重要です。可能性が低いにしろ、有り得ないことではないのです。
ですが、それを疑うようでは”非合理的”であろうというだけです。
過去と未来の連続性を信頼することの上で、科学が成り立っています。
もちろん私たちは科学を否定して、隠遁生活するべきとも言っていません。
今はこの方法が最も、あくまで、”合理的”選択方法なんです。
科学が100%真なのではなく、100%未満ではあるが、私たちはこの勝算の高い賭けに
勝ち続けているだけであるという認識は、私は大切な余地であると思っています。
>>952 >いいですか。
>あなたは ぽろぽろと哲学者や理論の「名」をだすことで
>批判をすることを 十分にためらわせる、という事を見逃しています。
グルみたいな書き出しですね。それはあなたの個人的な主観の問題です。
もし皆がそうであるというのなら、私は反省するべきでしょう。
おちぶれても哲学板ですので、知っている人が多いかと勝手に思ってました。(私の主観)
>あなたは自分が不利な例 たとえば4や5はもうやめてくれというが
>少しでも自分に有利なことは 私が 現段階の問題としては取り上げてなくても
>しつこくなさる気ですか?
有利不利の話じゃない。4や5は何も私の説に対する反論でもなんでもなく
私やこのスレの住人の態度を問題にしているので、無駄だと思ったわけです。
>>955 >無駄だと思ったわけです。
こういうとまた文句つけられそうなので訂正。
それは少々仕方ない面もあったが、私自身反省する面もあると言ったので
これ以上追求しても無駄(何も出てこない)だと思ったわけです。
957 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:27
>>953 >前にも言ったように、大数の法則は「数学上の、理論上のもの」だといいました。
>ですから、何も根拠(批判材料)として示していないと再三念を押したはずですが。
>これも再三言いますが、「無限」の問題を後に付け加えたことを省略しないでください。
ここで言っていることの意味が分かりません。あなたは数学上の、理論上のものを
根拠でないものとして しかし私の意見を批判できるものとして(!)示したのですか?
あなたが再三何かを主張しているように 私も再三 科学的実証については言及していないと
言っています。
私が言っていること 強調していること 何らかの根拠(法則的存在者)がいると主張している裏づけは
「やるたびに」「近づいていく」という点です。ここから「何らかの根拠」(法則的存在者)の存在が
おしはかられて しかるべきだろう、という主張です。
哲学者の名前を出すのは哲板なのでこれはしょうがないですね。
例えば、懐疑論を持ち出した場合にヒュームやデカルト等々、例を
挙げながら説明するのは、出典を示すと言う点でもその人は誠実であると
いうことが出来ると思います。
959 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:33
>>954 >科学が100%真なのではなく、100%未満ではあるが、私たちはこの勝算の高い賭けに
>勝ち続けているだけであるという認識は、私は大切な余地であると思っています。
言っていることは ごもっともですが あなたが二重規則に基づいているという事には
一切言及されていません。
あなたはいつもこのような方法で「無かったこと」にしている
ようにおもいます。
私がこういった視点であるように
この余地、100%言い当て得ないというのは
誤差があるからであり、猶予であり、自由ではないか
(あくまで推測)という展望を持っているだけです。
これが真の世界(実在)を置かない理由です。
だからまた、あなたが私の説を「真の姿は混沌である」と説いていると
見なすような、真の〜という使い方をしてほしくないわけです。
100%(真)を置かない配慮というのが、信頼度という表現に現れます。
ですが、真の実在の想定を回避しようとはしていますが
どこかしら矛盾している点(神の想定)があることは、試論なので仕方ない。
といっているのですが、これはもちろん言い訳でしかありません。
弁解するなら、真の実在を想定しないような世界解釈を模索中である
というだけです。
それを537氏のように、私と折り合いを見つけながら一緒に
模索してくれるような態度でありがたいと思っていたわけですが
あなたは私の意図を読まずに「絶望的」「生の隠匿」と
言われているので、私には暴言としか捉えようがありません。
>>957 >「やるたびに」「近づいていく」という点です。ここから「何らかの根拠」(法則的存在者)の存在が
>おしはかられて しかるべきだろう、という主張です。
ですから、これは大数の法則等で述べられている数学的証明のことですが
これはあくまで理論上の話であって、現実には「やるたびに」ではない。
現実に「近づいたり、遠ざかったり」するわけです。なんら規則的ではありません。
あなたが、理論の中に神がいるというのなら、それは反論のしようがありませんが
私は現実への対応問題を扱いました。これはちゃんとした反論だと思ってます。
>あなたが再三何かを主張しているように 私も再三
>科学的実証については言及していないと言っています。
科学的実証(現実との対応)ではなく何を扱ったのですか?
962 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:46
>>960 あなたのやり方は いつも軌道修正して異なる主張を始める
ということに収束しますね。
私は今問題にしているのは「絶望的」や「生」の隠匿ではありません。
あなたの論理性の欠如、二重規則について言及しています。
963 :
考える名無しさん:04/04/26 19:50
自分の考えだけを語れ 相手の考えでなく
大事な点 それだけに絞れ
964 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:51
>>961 >現実に「近づいたり、遠ざかったり」するわけです。なんら規則的ではありません。
あげ足取りみたいで申し訳ないが 私は規則がある、とは言っていません。
「近づいたり、遠ざかったり」するが 決して 今日は表あるいは裏しかでなかった、とか
8:2の割合にしかならなかったとか いう事が無いのはなぜかという事をいっています。
あなたの例はむしろ私が出してしかるべきもので 根拠が無いというのなら
「近づいたり、遠ざかったり」するが「遠ざかり続けないのはなぜか」という問いに
答えなければなりません。
>>959 何の用語であるのかわかりませんが
「二重規則」についての説明を詳しくお願いします。
懐疑論を持ち出しておきながら、信頼する
というのが矛盾していると言うのでしょうか?
966 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 19:58
>>961 >科学的実証(現実との対応)ではなく何を扱ったのですか?
いいですか。あなたは科学的実証を理論と実践の乖離として批判しているのです。
だから現実との対応というそのカッコ内の訳はおかしいのです。
現実との対応という言葉は あなたに言わせれば そのような「差異」をそのまま受け止めること
という意味にならなければなりません。
967 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:03
>>965 矛盾する二つの規則を用いる事を言っています。
あなたは
>>910でも (その後も何度も)示したとおり
二つの規則を都合よく用いて 私を批判し私の批判をかわしているのです。
>>962 >あなたの論理性の欠如、二重規則について言及しています。
了解です。ですが、他にたくさんツッコミ入れておいて
私が聞いているのはこれだと、自己中心的に言われても困ります。
私もなるべくすべてのレスに答えようと努力しています。
また私も、私の反論が空虚なものに終わっているという印象を拭えません。
哲学者の名前を挙げることについて私を養護するようなレス(
>>958)がありましたが
それについては無視されるべきものなのでしょうか。勝手に問題を解決済みとされては困ります。
何もあなたに味方がいないことがどうこうした問題ではなく
>>958のように感じる人もいるということを頭に置いておいてください。
前にもあったように、こういう展望だとか、これについて説明するとか
言った時点で、「宣言のみ」だと見なす早とちりはやめてほしい。
だからそれは「宣言」であって当然です。
>>964 急に問題を拡大しすぎです。
>>964 「近づいたり遠ざかったりする」というだけで十分
法則なんたら存在者の不在の”可能性が高い”ことを示します。
なんら、収束するための影響を及ぼしていない証拠です。
では逆に、100万回投げて100万回表が出たとすると
それは何かの存在者の不在となるのか?存在証明となるのか?
しかしもし、無限が実在が証明されるのであれば、
法則なんたら存在者の存在証明であろうと言っているのです。
また、論理性の欠如=二重規則という見解でよろしいでしょうか?
970 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:14
>>965 あなたは「有るがままの世界」に秩序は無いといった。
あるのは混沌だ(それも このような混沌 とはいえないという非決定の混沌)といった。
あるがままの世界とは たとえば人間の顔に 表情というものを認めない。
それはわたしが形に意味を見出したに過ぎないからです。「有るがままに」物質の形として捉えなければなりません。
あなたは「あるがままに世界を考える」という前提に立ちながら 疑ってしまっています。
それは 疑えないはずだという主張と 偏向(あなたの考えによる偏り)を加えているという点で
変わりない。
だから二重規則なのです。あなたの考えは端的に言って破綻しています。
971 :
THE グル:04/04/26 20:29
\ │ /
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄
972 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:33
>>968 たくさん反論がかけるのは あなたが矛盾しているからと言えます。
>>969 あなたの例はむしろ私が出してしかるべきもので 根拠が無いというのなら
「近づいたり、遠ざかったり」するが「遠ざかり続けないのはなぜか」という問いに
答えなければなりません。
という私の意見には答えていません。
>>969であなたが 端的にそのような主張がなされるのは
あなたが占いと同じものとして考えている(それゆえ科学が例にふさわしければ占いも例にふさわしい)
科学的 理論的根拠があるか、結論の先取りをしているとしか思えません。
>>968 958さんはあなたの擁護をしていません。懐疑論の説明をするうえでなら哲学者の名を出すのはもっともだ、
といっています。
あなたは自分の意見が自説としての試案段階なのだと言う。その上でぽろぽろと哲学者の名を出す。
そして何かの理論の「名」を出すだけではなく論証すべきといっても、ウェブ検索をしろという。
あなたは958さんの言う誠実な人ではない。
>>969 つまり、現実に1万回表が出続けることと、現実に極限で一致する確率は
どちらが現実問題として低い確率になるのかというと実は後者です。
確率というと誤解が生じますが、”実現できる可能性”という意味では
前者は実現可能で、後者は実現不可能なものなのです。
有限と無限とはそれだけ隔たりがあります。
ちくびさんはちょっとせっかちだよ。自分の議論をする上でのフレームを
共有させたいなら、せめて相手を非難する前に、説明したらいいと思う。
これじゃ、相手は面倒でやる気がなくなると思う。議論をしてもらっている
(相手をしてもらっている)っていう気持ちもないとね。
975 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:46
>>163さん
>>960や
>>954でも 自ら示されているようにあなたは さも関係ありそうな
別の話題にすりかえて私の批判を「無かったこと」にしてきました。
次の返答ではきちんと答えてください。
>>968で「急に問題を拡大しすぎ」と書いています。
だから何なのですか。間違いなのですか。
何を持って急に問題を拡大しすぎとあなたは 考えているのですか。
私は一貫して 「遠ざからないこと」が問題であり、何らかの根拠が無い
という主張では この問題を説明するのは不十分だといってきました。
976 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:49
>>通りすがりさん
800番台のやり取りを見てください。(もっと前からだったでしょうか)
977 :
考える名無しさん:04/04/26 20:58
人生とはすなわち暇つぶし
他人に迷惑をかけない程度の努力はするべきだが、
それ以上は好きに生きればよい、
生きることはゲームである
楽しめばよい
神は存在する、それはネタとして我々の中に
弄られる為に神は存在する
978 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 20:59
>>973 何度言ったら分かるのですか。前提を意図的に無視すればいくらでも批判は可能です。
私は一致を理由に挙げたことは無い!
「やるたびに」「近づく」事を理由に挙げました。
そしてあなたは ふたたび理論的 科学的根拠を持ち出すという
事をした。これはあなたの考えでは「占い」に根拠を見出すことに等しい。
ところで通りすがりさん
>>910 >>911 >>912 >>913 >>914に私が163さんに対して
批判的な理由を書いています。
979 :
THE グル:04/04/26 20:59
いいですか、
つまらん議論をしてますね。
要は簡単な統計の問題ではないですか。
有意か有意でないか帰無仮説を立ててみて、
その上で検定してみる。
あるいは、
有意水準を超えるか越えないかってことですね。
これが定説です。
どうかしましたか?
980 :
考える名無しさん:04/04/26 21:02
宗教はこう有るべきだ
幼少期はイスラム教的な戒律、しつけを身に付ける
青年、壮年期はプロテスタント的な、努力をしないと救われないように身に付ける
老年期は仏教的な、すべてが無になるような諦めを身につけるべきだ
一つの宗教だから良くない
>>972 ウェブで検索しろといったのは経験的確率と
理論的確率についてのみです。
哲学者の名前をぽろぽろと出すなと言っておきながらあなたは
一度も私が名前すら出していない、デリダの差延が裏付けとしてあると
言いがかりをつけています。そしてデリダについて反論しなければと。
私が哲学者の名前を例として挙げることは、私の説が完成された
ものでなければならないという主張でしょうか?
私はもちろん善意で名前を挙げているつもりなのですが。(逆効果だったのかもしれません)
そして、逐次その言葉について確証を与えていかなければならないのでしょうか?
どういう場合に名前を出すのがよくて、どういう場合が悪いのかを説明してください。
私が科学と占いと同じものとして考えているのは
それを信用(信頼)され得るものだと捉える点での本質についてです。
未来を託す点でも同じです。
ここにおいて、占いを信じないのは科学的根拠がないという
結局科学的根拠を根拠としているような矛盾を指摘しているわけですよね。
科学(真)と占い(偽)という対立で考えるからそう思えるわけで、事物の関連
「星/運命、統計/予測」を信頼するという意味では同じ地平にあります。
科学という枠組みに限って言っているのではありません。過去と未来の対応です。
何を信頼するか。それは何が繰り返されてきたか(帰納)。 です。
>>978 >>973で前者が実現可能なことと、後者が実現可能なことは
何も科学的根拠の話ではなくて、実践においての話。
科学的知識を持っていなくても誰でも理解できる話。
それはいいとして、「やるたびに」「近づく」という表現をやめませんか?
あれだけ誤解を生む表現だと言っているのに・・。
良心的に解釈したとして、「全く偏った結果が出ないのは何故か?」
ですよね、言っていることは。それは”そうなる可能性が高い”としか言ってません。
だから、これによって何らかの(確定的な)影響の存在を見ることは無理があります。
983 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 21:16
>>981 だからあなたが 科学を根拠としている限りは 占いも根拠としていいという事に
なるはずです。
あなたは私の論点を まず哲学者の話から入ることでぼやかしている。
あなたは
>>816ものすごいことを言っています。これこそもし私や老子さんが言ったら
袋叩きでしょう。
あなたの考え方には 現代思想の考え方が色濃くうかがえるのに あえてその名だけは出さないように
私には見えた。それが問題だというのです。
「知」の問題にすりかわる場合は 悪くて すりかわらない範囲で妥当ならば良いと
私は考えていますし そういっています。
一応スレはざっと眺めたんだけどさ、それでもそう思ったんだよね。
有意義に議論を展開していきたいなら、批判するだけではなくて、
議論が上手く進むことも一方で考えながらレスしていかないとと
思うんだよね。
今の感じのやりとりだと、頭の固いフェミニスト(主張ではなくて、態度
としての〉的で、相手が辟易するだろうってのが正直な実感。
ちなみに自分はちくびさんの議論に対する情熱ってのが好きなんだよね。
だから、上手く進めんでいけばと思っておせっかいなアドバイスを
してみたってわけ。余計なお世話ってことは十分承知しているんだけ
どね・・・
こうやって書きこみしてるとよく思うんだけど、自分の考えをすべて
書くことは出来ないし、ましてそれが100%伝わることはありえない。
そう考えると、ある書きこみはそれが十分でなくても、その裏にはもっと
そのことについて考えられた思考された跡があって、あまり否定的に読んで
しまうと、その思考された跡ってのを見ようとする視点が大きく失われると
思うんだ。
まあ、そんな感じです。
人生とは
死ぬことを目標に生きている
それまでの人生はいかに死をかっこよく
完遂できるか とゆう薄っぺらい内容である
986 :
考える名無しさん:04/04/26 21:22
>>979 ゴルァ !! グル、 オマイガ ホントニ グルナラ オサメテ ミロ !!
987 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 21:27
>>982 無限があればいいはずでは?
そしてあなたは無限が無いという考え(おそらく科学的理論的根拠)を
持っている。
「そうなる可能性が高いのはなぜか」という問いとしてもなんら問題ないと思います。
実践を離れて可能性だけを考えることは 「触れてもやけどをしない火炎」を考えるのと
同じ空虚さを持っています。
しかもそのような可能性を考えること(純理論的な考え方)を 科学が占いと同じものであるとして
あなたは 退けようとしているはずです。
988 :
考える名無しさん:04/04/26 21:27
>>985 マタ ヒトリ アホガ キタ トホホホ (o_ _)o ドテ
989 :
ちくびぎゅーん:04/04/26 21:32
>>984 通りすがりさんのいう事はもっともですね。
曲がりなりにも 私のことを認めてくれる方にあえてよかったです。
今はかなり頭に来ているから あなたのアドバイスも
>>986のような意見にも
対応できそうには有りません。
ですからもう帰ることにします。
>>970 >あなたは「有るがままの世界」に秩序は無いといった。
>あるのは混沌だ(それも このような混沌 とはいえないという非決定の混沌)といった。
とりあえず、これはたぶん正しい解釈だと思います。
ここについては、私の説の核心があると思うのでもう少し待ってください。
ただ、偶然の連なりに勝手に意味を見いだしただけ、ということが
絶望であるのかが私には分からないだけです。
>>983 >あなたは私の論点を まず哲学者の話から入ることでぼやかしている。
哲学者を例示している問題に必要以上にこだわるのはあなたの方です。
これを私は被害妄想と言っているのです。(デリダの件も同じ)
現代思想についての影響が伺えるとはいいますが
私は前にも言った通り大学生であって、いろんな講義を受講してます。
大学のいくらかの講義では、直接的でなくとも現代思想の影響はあるでしょう。
また、いくつか本を読むこともありますので、影響がないとは言ってませんが
あくまで統計学という視点から現実と理論の対応を見た自説であると言っています。
自分なりに考えたわけですが、これが現代思想の誰それに似通っていたとしても
似通っていること自体を批判することはおかしい。同じ結論にたどり着いたというだけです。
あと、科学も占いも未来を予測する点では全く同じで
それは事後的に真であったか、偽であったかということが分かるだけです。
未来について100%言い得ない点では同じです。
過去の事例についてまですべて疑えとは言っていません。
991 :
THE グル:04/04/26 21:38
いいですか、
簡単に申しますと。
事象Aの起こる確率pと、
起こらない確率qそれをn回繰り返し、
Aが起こる回数の確率変数Xの二項分布を出して見ればよく解るんです。
まあ、帰無仮説を立てるなら、
「コインは偏りがない」となるわけなんです。
n回連続して表が出る確率は、
1/2のn乗でありまして、
これが偏っていないであろう確率としますと、
例えば、危険率5%を目安に考えてみたときにどうか考えれば、
それが「有意」かどうかわかりますよね。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>987 >無限があればいいはずでは?
>そしてあなたは無限が無いという考え(おそらく科学的理論的根拠)を
>持っている。
この意見は頭にきてる故の軽率な発言でしょうか。
だから、無限を「実無限か可能無限か」どちらにするのか
そういう問題に最終的に落ち着くのだと言いました。(科学的根拠云々ではありません)
また、「可能性が高いのは何故か。」と言いますが
これは可能性がいくら高くても、事後的に検証しなければ
真であるとも偽であるとも言い得ません。
未確定の事象について、ありうる可能性の話をすることと
過去に実証されたことを話すことの間には大きく隔たりがあります。
必要とあらば、確率についての定義をしっかり説明します。
無限がないと言うのは、例えば無限の実在を想定してしまうと、理想状態が生まれるために
すべて秩序か混沌どちらかの完全な世界に飲み込まれてしまうと前に言いました。
だから、私の説を基礎付ける上での方針としかいいようがありません。
あなたは、私の言っている説のオリジナル性を排除(あえて無視)して
すべて科学的知識や現代思想の焼き直しであると見ている所が不愉快です。
自分ではよくわかりませんが、それほど誰かに酷似しているのでしょうね。
私はとりあえず、「パクり」と見られたとしか思えない。
無限なんてクソですよ
限られているからこそ人生楽しい
みじめな人生の目的を考えませんか?
>>987 無限の実体性を現実に適用することがどれだけ変なのか
についての説明も入れないといけないのでしょうか。
ちくびに「無限をどういうものと考えるか?」と前に聞きましたが
「そんなものは考えたことがない」という返事しかもらっていません。
それならば、議論はここでストップするしかないでしょう。
>しかもそのような可能性を考えること(純理論的な考え方)を 科学が占いと同じものであるとして
>あなたは 退けようとしているはずです。
考え方が同じだとは言ってません。未来を託している点と
対応の構図が同じだと言っているわけで、実際に対応させるものは全く違います。
確率の話を境にしてちくびが私に必要以上に
私に固執するようになったのはどうしてでしょうか。
過去にちくびと対立した他の人と比べても、ここまで
人の意見を否定的にとらえたちくびを見たことがありません。
論理が矛盾しているという指摘はごもっともかもしれませんが
権威主義的だというのは明らかに被害妄想としか思えない。
これは統計的にみて、何か特別な要因が今回に限り絡んで
いる”であろう”と伺えます。
ちくびは私の論理の矛盾と、権威主義的であることを指摘している。
今はそうであるけども、事の始まりは以下のことでしょう。
「私はちくびが確率などという”数学や統計にのっとった”話をするから
それは間違いであると、もちろん”数学や統計の話にのっとって”指摘した。」
これは当然でしょう。しかし、ただこれだけが原因なんでしょうか。
>>996 哲板には権威主義的に哲学者を持ち出して相手を黙らせる奴も実際いるから
ちくびがそれに反発感を持ったとしてもそれは普通だと思う。
それがたまたま今回163に回ってきただけだろう。
でも
>>996の最後の方の書きこみはいらないよ。
999 :
THE グル:04/04/26 22:28
\ │ /
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄
千 利休〜
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。