以前展開していた「自己自律」の提起の概要。(カオルさんよりお借りします)
「ある」(虚存)−「個体化」(実存)の切り離せない形式にあって、
「ある」 は自律他律を越え出た絶対にして存在者の一如なる共通の基盤。
「個体化」は形式として対自個体の自律側面と、対他個体の他律側面の連鎖構造で
ありながら、切り離せない連関としての世界内としての「自律」に包括される。
連環として異なる次元の世界もまた、一連環内での自、連環間としての他で
ありながら、想定される限りにおいて同様に世界内としての包括される。
その「自律」と、世界内を連関として見たてた「自己」、わたしはあなたである
という個体化の原理を看破した「自己」をして、「自己自律」と成す。
「自己」(世界内自己)と「運命」(自己到達点)には乖離が無く、
閉じた円環世界=「自己」は「自律」(の躍動と沈静を)して回転してゆく。
世界は絶対者と切り離されたまま自律存立しており、ただ相対的に移り行く。
845 :S ◆4Ijqvx1jbw :03/12/06 21:34
>>ハルカさん(もしもいらっしゃるなら・・・)
以前お世話になったスレでは失礼しました。遅レスですが以前レスしてくださった
脱却志向に関する質問について。貴方とはそれとは相容れないでしょうけれど。。。
輪廻を確認することはできませんが、虚存−実存が切り離せないパッケージで
あって「ある」という基盤の上に世界が現象しつつある以上、パッケージの脱却無く
して根源的な脱却は為せないと考えています。在らざるをえない強制を脱却したい
のです。
「誰か」については我々が想定できるような相対的な対象でしかなく、尻馬に乗って
というより所詮は個体化の原理に突き動かされているだけと考えます。その先に、ど
こまでも相対的にしかありようがない我々にとっての自己言及の気付きがあり、絶対
者から切り離され、世界の秘密は永遠に知り得ないという絶望的な気付きがありま
す。
けれど、如何に絶望的な世界であろうと現にそこに存立する者がいる以上、自律の
躍動をよりよく認知したい。そしてそれ以上に、在らざるをえない強制を踏み越えて
出口を見出したい。それが自律の沈静でありパッケージからの脱却へのボクの願い
です。出口が見出せて初めて何かが掴めるように思います。覚者が回帰と脱却を
選べるとハルカさんが言ったように、自律の躍動と沈静を確立できて初めて苦に
対する根本的な認識も変われるのではと思っています。
ハルカさんは再び実践に赴いたのでしょうか。そうであるなら、どうか貴方の志向が
見事に貫かれ、貴方に楽が訪れんことを切に願っています。
527 :S ◆4Ijqvx1jbw :03/12/06 21:28
>>カオルさん
貴方を煩わせないと言いながら煩わせてしまったであろうことを深く謝罪します。
恥じげもなく再びここに来たということは、更に貴方を煩わすことになります。
貴方のレスを見て思わず書き込んでしまいました。済みません。。。
ボク自身は何も変わっていない・・というか変われていないというか、ただ己れの志向
を貫いています。よく生きる、よく活かすために。ハルカさんからは甘いと批判され、
カオルさんからは論理破綻していると批判されるでしょうけれど。
貴方が導いてくれた自己自律はハルカさんの言うようにやはり自己憐憫にすぎない
とはわかっています。それは相対的に借定できる「誰か」よりもっと絶望的な観点に
おいて。そうではあっても我々が「あり」、現象しているという等身大の世界は残ります。
そこに存立する者の自律としての躍動をよりよく高めようと欲することは、よく生きる
(善)であると思います。それは決して神なき傲慢ではなく、相対的に移りゆき個体化
された等身大の小さき我々自身を認識した存在者間の絆であり、気遣いであり、
何度も泥をかぶりながら誤謬を乗り越えてせめぎ合い、飛び続ける鳥の自律です。
けれども鳥が飛び続けなければならないなら、その自律は他律を誤魔化した自己
憐憫に過ぎないことになります。だからこそ鳥が安心して休める自律をも見出したい
それが自律の沈静であり、無への志向です。これも、よく生きる(善)であると思います。
無根拠な強制を越えて鳥が自由に羽ばたけること、それは安らかに留まれる自由を
も確立してこそものだとボクは思うからです。(あくまでボクの志向です)
よく生きられるのに生きないのは悪だと思います。なぜなら自らと連関者を貶める
志向だからです。ボクは精一杯生きます。それがボクを導いてくれた貴方への感謝の
示しです。カオルさん、ありがとう。。。
529 :S ◆4Ijqvx1jbw :03/12/06 23:54
でもこんなにもカオルさんに気遣って頂いて、こんな返答しか出来ないなんて
酷いですよね。卑怯だと思いました。
新スレ「悟りたいとか自律したいとか(3)」にてお待ちします。叩いてください。
6 :
考える名無しさん:03/12/07 00:11
6
Sさんやるのですね?
やるのですか?
うれしいです。応援してます。
とりあえず記念カキコです、失礼しました。
いちおう言っておこうかなと思いまして。では
>>7 じゆんさん
頭わるい上に最近禿げしく呆けが進行していますが、こんな馬鹿でも理解できるご批判を宜しくお願いします。
9 :
カオル ◆BBBRv/ousU :03/12/07 00:36
Sさん、おかえりまさい!
そして新スレおめでとうございます。
うれしいから age ちゃいます。(^.^)
10 :
考える名無しさん:03/12/07 00:39
自律ってなに、自立とちがうの?
11 :
カオル ◆BBBRv/ousU :03/12/07 00:39
>>4 レス返しておきます。
レスありがとうございました。
お願いだからあやまらないでください。
Sさんの前ではわたしはわたしでいるから。
希望のない絶望なんてありません。それが相対原理の弱点なんです。
かならず希望はあります。世界が絶望に満ちていてもたとえそれが
自分のせいなんだと気づいてもわたしには希望を創造する力がある。
それが人なんです。いえあきらめたってかまわないんです。
あきらめることがいけないなんて誰がいったいいったのでしょう。
それはわたしの決めること。わたしの自由はわたしのものなんです。
ひたむきに生きようとするあの人の思いはあの人のものです。
わたしは泣いてしまう。あなたも涙を流す。あるがままの絆。
与えられた翼は飛べない翼、それでもわたしは飛べるのです。
それほどまでにわたしは自由。わたしは翼になって飛びます。
つかれたらあの池のほとりでやすみましょう。ゆっくりゆっくり。
人は愛する人のためにしか生きられないのです。
わたしが自由なら愛する人も自由なのですから。
Sさん、ありがとう。
前スレでわたしを批判してくれたあなた、そう鬼束ちひろの詩のあなたです。
あなたもこのスレに参加しませんか。わたしの素直な希望です。他意はありません。
Sさんも歓迎してくれると思います。わたしも歓迎します。如何ですか?
>>10 自律と自立は少し紛らわしいですね。
世界は自律的に自立成立してしまっている、と使い分ければよかったかもしれません。
でも言ってる内容が矛盾していますね。。。ハルカさんが冷笑するのも無理ないです。
>>11 カオルさん
貴方を更に煩わすことは確実なので、感謝されると心苦しいです。
本当はね、自分で自律を叫びながら、希望などボクは見出していないのです。
出自も根拠もなく成立してしまっている世界において、苦が解消されることはないです。
というよりも逆で、世界において意味や根拠を求めざるを得なくなったら永劫の苦に
捕らえられてしまうということなのだと思います。
自律を掲げその躍動をよりよく認知したい、とは生まれてしまった子は認知したい、
して欲しい、というような消極的な希望でしかなく、そもそも躍動する自律的な必然は
ないです。たとえ自律の沈静、無に至れる(或いはカオルさん的には死を自己創造で
きる)という希望が確立できたとしても、それは強制された生の反動でしかなく、そこに
自律的な必然はないです。
自律と強弁しながらそれを突き動かすのは何でしょう?何でもないです。物質、身体、
意識、社会、どれも作用しているだけ。ハルカさんの言うように自律なんてどこにもない。
ハルカさんの言うことはあまりに的確です。どうあっても思う壺であり、尻馬に乗せられ
ているだけです。ボクはハルカさんに執拗に自律を叫んでいたけれど、それはハルカ
さんを虚しくさせるだけだったと思います。右も左もわからぬのに、然り、などと強弁
するなんて愚の骨頂です。
すべてを相対化したあとに残る実感信仰は罠だと思います。それこそ哀れな自己憐憫
です。自らを盲目にするだけです。希望が全くなく、それでも漂ってしまっているから、
出口がないから、出口を渇望して彷徨するから絶望なのだと思います。もうどうしようも
ないのです。だからハルカさんの言うことはあまりに的確です。全然嬉しいことではない
けれど。。。
ボクはハルカさんのように「誰か」を憎むことはできません。というより、憎むとかその
ような対象を想定できぬことがこの世の不条理だから、ただ呆然と立ち尽くしてしまい
ます。自己自律・・・連関として我々が「あり」、現象しているという等身大の世界の中
でよく生きること(自律の躍動と沈静)はせめてボクが為せることです。存在者の尊厳
だと思います。けれどボクは青い血が赤いのだと何度も言い聞かせるけれど、やっぱ
り変わらない。ボクはボクだ、こんなにも自由とはしゃいでも、フィルターを外せばやっ
ぱり血は青いままなんです。青い血がなんだと言うのですと開き直ると、ハルカさんの
寂しい冷笑が浮びます。ボクは自律の沈静にしがみ付こうとして誤魔化しているけど、
内心は疑念で一杯です。何をしたらいいのか、自分は何者なのか、見当もつかない
のです。それでもボクは鳥の自律を叫ぶけれど、益々空しくなります。もううんざりして
いるのです。普通に生きられたらどんなに幸せなのでしょう。この疾患は不治です。
>>14 Sさん
>本当はね、自分で自律を叫びながら、希望などボクは見出していないのです。
希望とは何でしょう。希望とはあなたが見る光です。
そんな光がなぜ見えるのでしょう。それはあなたが人だからです。
苦が解消されることがないように希望も消えることはありません。
あなたが望むかぎり。
>そもそも躍動する自律的な必然はないです。
生きていることに必然性がなく、すべてが偶然なのだとしたら、
それこそわたし達が自由であることの証しなのではないですか。
>それは強制された生の反動でしかなく、そこに自律的な必然はないです。
わたしは以前"存在"を定義するのに、そこに"自律的"を含めていました。
でもまちがってしまったような気がします。なぜなら自律的というには、
そこに意思が働かないとならないように思うからです。
わたしは盲目の意志(ショーペンハウアー)の"非依存的"かつ"自足的"な絶対性を
存在と混同させてしまったようです。いえ必ずしもまちがっているとは
いまでも思っていないのですが、それがいったいどのようなものなのか、
ということについて、それは"想定され得ない"という先入的前提のもとに、
それ以上の追求を放棄してしまったようです。
存在とは何かへの追求はまだまだ始まったばかりなのではないでしょうか。
あなたは生を自然的必然としてと捉え、その基盤の上に成り立つ心
あるいは、自由意志には自律的な必然はないと考えているのですか?
>自律と強弁しながらそれを突き動かすのは何でしょう?
>何でもないです。
>物質、身体、意識、社会、どれも作用しているだけ。
>ハルカさんの言うように自律なんてどこにもない。
行き着くところはハルカの結論なのかもしれない。
でも考えて悩んで哲学によってそこに行き着いてみませんか。
>右も左もわからぬのに、然り、などと強弁するなんて愚の骨頂です。
ハルカの実践過程には、人でなくなること、が含まれています。
たいしてSさんは、人であること、人であり続けること、の価値をぶつけて
いるのではないですか。価値は簡単に捨て去られるべきものなのでしょうか。
わたしはそのようには思いません。ですから愚の骨頂とも思わないのです。
いえ、捨て去られるべきものであってもかまわないのです。
でもそのように結論するにはまだまだ探究が足りないと思うのです。
>すべてを相対化したあとに残る実感信仰は罠だと思います。
わたしへの批判ですね。ええわたしは哀れな自己憐憫によって涙を流します。
いつもいつも泣いています。たとえわたしの涙がとっくの昔に枯れていたとしても
それでもわたしは泣くのです。誰かがわたしになって泣くんです。
そうです。罠です。それは存在です。わたしというちっぽけな生ではない存在が
泣くのです。それはときには愛です。わたしは愛に抱かれます。そして愛を嫌悪します。
いったい誰が? わたしはそれを探究します。
>出口を渇望して彷徨するから絶望なのだと思います。
希望の光(出口)は絶望かもしれない。
死に向かって走ることが生きることであるように。
ひとつ一つの希望を絶っていくことは苦しいこと。
絶望のために希望があるのなら、わたしはちゃんと絶望したい。
絶望のために希望を捨ててしまうのは、わたしの倫理に合わない。
>>15 Sさん
>ボクはハルカさんのように「誰か」を憎むことはできません。
>というより、憎むとかそのような対象を想定できぬことがこの世の不条理だから、
>ただ呆然と立ち尽くしてしまいます。
SさんにはSさんのやり方があるのです。ハルカにはハルカの。
だからこそSさんはSさんでありハルカはハルカなのです。
SさんがSさんでなくなりハルカがハルカでなくなるそのときまで。
ハルカは、"誰か"を憎めないなら解脱できないとはいってません。
分厚い自我の殻に閉じ篭ったままでは、"誰か"は感じられない、
そんな状態では解脱は遠いのでは、といっているのだと思います。
日常的な次元でいうなら、誰かとは他者(他我)のことです。
肥大した自我のとらえている世界は、みずからが世界として大きすぎるために
とても小さくみすぼらしく味気ないものになってしまいます。
もちろん世界がどのように感じられようと見られようとかまわないのですが、
おそらく肥大した自我の見ている世界は良くも悪くも真実の姿からは遠いの
ではないでしょうか。
それに比べて縮小した自我のとらえている世界は、みずからのひとりよがりな
世界を排しているだけに、世界はよりあざやかにありのままに飛び込んでくる
のではないでしょうか。小さき者にとって世界は驚嘆であり、畏れを感じない
ではいられないものなんだと思うのです。
わたしはそうやってとらえられた世界そのものに、あるいはその向こうに神を
感じてしまいます。これがわたしにとっての"誰か"です。
>自己自律・・・連関として我々が「あり」、現象しているという等身大の
>世界の中でよく生きること(自律の躍動と沈静)はせめてボクが為せることです。
>存在者の尊厳だと思います。
そうですね。そしてそれは誰にも侵せない自由なんだと思います。
>けれどボクは青い血が赤いのだと何度も言い聞かせるけれど、
>やっぱり変わらない。ボクはボクだ、こんなにも自由とはしゃいでも、
>フィルターを外せばやっぱり血は青いままなんです。
わたしはこう思います。
わたしには赤い血が流れている。
赤い血によって存在につながれている。
わたしの赤い血はSさんにも流れ込んでいる。
そしてSさんの赤い血はわたしにも流れてくる。
だからこそSさんとつながれる、Sさんを感じられる。
でもこの赤い血の流れるわたしを見ているわたしがいる。
わたしは二人いる。赤い血の流れないわたしは人になれない。
>何をしたらいいのか、自分は何者なのか、見当もつかないのです。
すべてが必然ならわたしに根拠はあるでしょう。
すべてが偶然ならわたしに根拠はないでしょう。
もしあなたが後者なら、何でもできるし、何者にもなれる。
>それでもボクは鳥の自律を叫ぶけれど、益々空しくなります。
>もううんざりしているのです。
>普通に生きられたらどんなに幸せなのでしょう。この疾患は不治です。
よくわかります。それでもあきらめない。"哲学する"とはあきらめないこと。
>>カオルさん
もうずっと貴方に失礼なことを書いているはずですから、遠慮無く叩いてください。
上位連環は無間遡及できる故に連環なる連関世界は「あったしあるしありつづける」
としかいえません。それを自己言及と捉えて相対化の果てに残った等身大の連関、
わたしという意識に相互に関わる、物質、身体、社会、文化・・・或いはハルカさんが
体験し想定されるような相対的な次元連環をも自己として引きうけるのが自己自律で
す。個体化の原理下において干渉しあい相互に変化する自己自律は未来の予測
できない総体としての自律世界です。
けれど、それは如何なる存在者にとっても既に「あり」、「現象」している世界であって、
自己自律を成立させている自己そのものが何者なのか、永遠にわからないのです。
だからハルカさんの嫌悪する他律性と同質の、もっと根源的な得体のしれない何か
(誰か)によって自己自律は包括されています。相対的な対象を嫌悪することに疑問
をもった故にハルカさんに異を唱えきたのですが、やはり根本の他律性について克服
されることはないです。だからハルカさんの指摘は的確すぎるのです。
ボクの前に開示されている世界は鮮やかに展開される驚愕の世界です。自己自律
として同化していられるなら、ボクはボクでいられます。けれどボクには憶えがない
のです。ボクがどうしてここにいるのか、ボクは何故ボクなのか。ボクはカオルさんと
つながっています。貴方の温かい赤い血が流れて来ます。それが存在者の絆。でも、
ボクの疑念は拭えないのです。貴方は誰なのですか?ボクは誰なのですか?その血
のどこが赤いのですか?それが自己なのだというフィルターを外したら、真っ青じゃな
いですか。子供は永遠産み落とされるけれど、どこにも自律的な必然なんてない。
「在る」ことからの強制から脱し「無」を求めるのは希望です。でもそれだって「在る」こ
とからの強制の反動でしかない。存在苦と希望はマッチポンプのようにボクを惑わす
けれど、同じ穴のムジナです。それでもボクは脱却できるようにとしがみ付いている
けれど、そんなものは救いではないと何となく気付いているのです。だから呆然と立ち
尽くしてしまいます。
肥大した自己、諦めない、探究・・・そういう問題なのでしょうか?自己言及の気付きと
は自己が何者なのか言及できないという気付きでもあります。秘密は世界の外、我々
にできることは秘密の手前でぐるぐる周りつづけるだけです。神様はここにいません。
世界はあったしあるしありつづけるだけ。ボクは何も知らないままボクでありつづけ、
気付くまえにボクは終わる。だから希望はないのです。相対化の果てに残った実感
信仰・・・自己自律としての存在者の絆、それはハルカさんの言うように、人形達の
哀しい自己憐憫。そして脱却の希望も哀しい自己憐憫。ハルカさんの寂しげな冷笑
だけが真実に思えます。
>>24 Sさん
>上位連環は無限遡及できる故に連環なる連関世界は「あったしあるしありつづける」
>としかいえません。
「あったしあるしありつづける」ということ自体を、わたしは懐疑します。
「あったしあるしありつづける」という思考のながれを懐疑しないのでは、
世界がそのようにしか成立していないという"暗黙の了解"にメスが入らないからです。
それは日常的感覚や日常的思考への無自覚的な信念、つまり常識への服従ではないでしょうか。
>それを自己言及と捉えて相対化の果てに残った等身大の連関、
自己言及であるなら「あったしあるしありつづける」を
そう簡単に信じるわけにはいかないのではないですか?
>わたしという意識に相互に関わる、物質、身体、社会、文化・・・或いはハルカさんが
>体験し想定されるような相対的な次元連環をも自己として引きうけるのが自己自律です。
今までは意識を、わたし=意識、として安易に使っていましたが、
「意識とは何か?」については何も議論されていませんね。
自己自律の概念も意識の正体によっては認識が変わるのではないですか?
>個体化の原理下において干渉しあい相互に変化する自己自律は未来の予測
>できない総体としての自律世界です。
未来とは何でしょう? 過去は実在しますか? 現在とは存在ですか?
自己自律が時間という形式にしたがっているなら、自己自律の世界は、
個体化の原理にしたがっていることになってしまいます。
なぜなら時間の形式も個体化の原理だからです。
「時間とは何か?」は問われなくても良いのでしょうか?
>それは如何なる存在者にとっても既に「あり」、「現象」している世界であって、
「ある」という生の形式にしたがった、「ある」という自明性を前提にした
Sさんの思考が、「ある」とか「現象」している、と考えているわけです。
でも「"ある"とは何か?」「現象するとはどういうことか?」については、
何も知らないわけです。
>自己自律を成立させている自己そのものが何者なのか、永遠にわからないのです。
ニヒリストならいとも簡単に答えるでしょうね。
「おまえが何者なのかが永遠にわからないのは、おまえが何者でもないからだ」ってね。(笑)
というか、永遠にわからないかどうかなんて、それこそわからないでしょ?
その前にわたしなら「永遠ってなーに?」って考えてみるけどな。(笑)
>だからハルカさんの嫌悪する他律性と同質の、もっと根源的な得体のしれない何か
>(誰か)によって自己自律は包括されています。
>相対的な対象を嫌悪することに疑問をもった故にハルカさんに異を唱えきたのですが、
検証され得ないということでは、「何か」や「誰か」と対象化した時点で
ハルカの「誰か」と本質的には変わらなくなってしまいます。
「何か」や「誰か」の存在を感じることは多くの人に起こることだと思います。
またある哲学体系を成立させるためにどうしても「神」とか「イデア」が必要
だったり・・・SさんはSHスレでそれは「まやかしだ!」って批判してましたね。
まぁとにかく「何か」を理論的に対象化したのがハルカの「誰か」ですし、
「何か」は理論化されるような「誰か」(対象)ではない、というのがSさん。
Sさんの「何か」の方が、ハルカの「誰か」より神さまに近いと思いますよ。
本来、神さまは信仰の(あるいは嫌悪の)対象ではない、と思いますから。
>やはり根本の他律性について克服されることはないです。
>だからハルカさんの指摘は的確すぎるのです。
わたしにはSさんのいう"他律性"がどういう意味で
克服されないといけないのかが今一つわかりません。
"他律性"とは、存在仕方が相対的だということです。
存在するためには、何かがないとならないからです。
もし何もないならわたしは存在しようがありません。
存在するとは、関係において「ある」ことなのです。
このことの何が克服されないといけないのですか?
>>25 Sさん
>自己自律として同化していられるなら、ボクはボクでいられます。
存在とボクのあいだが適度な距離感でバランスしているなら
正常なボクとして存在できます。
ボクが存在と同化してしまったらボクはボクでなくなります。
>ボクには憶えがないのです。
ボクが記憶によって生まれたからではないですか?
>ボクがどうしてここにいるのか、
偶然にたまたまそこにいるのではないですか?
>ボクは何故ボクなのか。
幼児のあなたと、子供のあなたと、今のあなたは同じなのでしょうか?
記憶によって自己同一性が保たれているだけなのではないですか?
あなたがいまボクと思うボクはまったく別のボクになる可能性だってあった。
たとえばその可能性のひとつのボクがいまのあなたの心のなかに侵入してきたら
あなたはその可能性のボクをボクと思うでしょうか?
>ボクはカオルさんとつながっています。貴方の温かい赤い血が流れて来ます。
>それが存在者の絆。でも、ボクの疑念は拭えないのです。貴方は誰なのですか?
わたしはカオル。
カオルと名付けられたからカオルなのです。
カオルは誰でもないからカオルになったのです。
カオルはカオルとして生きてカオルとして死にたいのです。
カオルはカオルでいられなくなることがとても怖いのです。
カオルはカオルとして生まれてこなかったことを知っています。
>ボクは誰なのですか?
>その血のどこが赤いのですか?
>それが自己なのだというフィルターを外したら、真っ青じゃないですか。
ボクには血なんて流れていないのです。
赤い血はボクがボクでないところに、
わたしがわたしでないところに流れています。
ボクがわたしであるところに流れています。
>子供は永遠産み落とされるけれど、どこにも自律的な必然なんてない。
自律的な必然なんてないから自由であることもできるのではないですか?
こういう言葉があります。「人間は自由の刑に処されている」(サルトル)
むしろ人間は自由であることを怖がっているのではないでしょうか?
>「在る」ことからの強制から脱し「無」を求めるのは希望です。
>でもそれだって「在る」ことからの強制の反動でしかない。
>存在苦と希望はマッチポンプのようにボクを惑わすけれど、同じ穴のムジナです。
希望とは欲ですから希望によって解脱することはできないのでしょうね。
一切の希望を抱かなくなること = 絶望すること、が解脱することだと
ハルカも言ってますしね。解脱する時は「在ることからの強制から脱し」
という意識はもはやないと思うから、もう反動でさえないのでしょうね。
>それでもボクは脱却できるようにとしがみ付いている
>けれど、そんなものは救いではないと何となく気付いているのです。
>だから呆然と立ち尽くしてしまいます。
Sさんも希望によっては解脱できない、
ということに気づいているのではないでしょうか?
>肥大した自己、諦めない、探究・・・そういう問題なのでしょうか?
うん、わたしの場合はそういう問題です。ハイ。(笑)
わたしはわたしの希望によって死にたいから、そのための探究です。
>自己言及の気付きとは自己が何者なのか言及できないという気付きでもあります。
世界-内-存在でいながら「世界とは何か?」
現に「ある」のに「存在とは何か?」
意識で「意識とは何か?」
心で「心とは何か?」
これが哲学なんです。Sさん、哲学する?
>秘密は世界の外、我々にできることは秘密の手前でぐるぐる周りつづけるだけです。
>神様はここにいません。
>世界はあったしあるしありつづけるだけ。
>ボクは何も知らないままボクでありつづけ、気付くまえにボクは終わる。
>だから希望はないのです。
秘密は世界の外にあるのですか? 世界の外というなら世界の内との境界線はどこですか?
秘密の手前まで行っているのですか? それが秘密だという証拠はあるのですか?
神さまはどこかにいないといけないのですか?
世界はいつからあったのですか? いつまでありつづけるのですか?
ボクでありつづけられる根拠はあるんですか?
希望はないと諦める自由がSさんにはあります。
>相対化の果てに残った実感信仰・・・自己自律としての存在者の絆、
>それはハルカさんの言うように、人形達の哀しい自己憐憫。
>そして脱却の希望も哀しい自己憐憫。ハルカさんの寂しげな冷笑だけが真実に思えます。
実存するわたしの真理は、客観的真理ではないかもしれません。
けれど、わたしが実存しているという事実は、わたしに帰属します。
この事実には疑問の余地がないです。これだけは確信したいのです。
Sさんへ、私もここで意見を言わせてもらってもいいですか。だめですか。
でも意見させてもらいますね。
ではどうかよろしくお願いします。
おそらく私は馬鹿ですから、自分の意見が批判なのか主張なのか、それとも単なる
主観なのか、億見なのかも判断がつきません。
しかしおそらくそのどれかだと思われますし、むしろそれらを超えることもできないと、
私自身じゅうぶんに理解していることも前もって申し上げます。
ですからあなたが私が理解していないと感じたのなら、それはやはり私はおそらくSさんという人を
理解していないのだと思われて結構です。
しかし私はSさんあなたのことを理解したいと思うので意見したいと思います。
もしあなたが私の意見をみて不快に感じたのならやはり私の意見は不快なのでしょうね。
しかしそれでも私はあなたに意見したいのですよ。申し訳ありませんね
さてと、……なにについて語ろうかな。実はよく考えてもいないのです。私のあなたに
言いたいことは、はほとんどカオルさんが言ってくれてますし(と言うよりカオルさんの
語ったことは非常に私には共感できる種類のものでした)、そこで私が同じようなことを語っても
意味あるのかな? と思わざるえないのですよ。
つまり今の私の言葉は今のところ、私の「傍観者という立場を」を否定するためだけの
行為にしかすぎないわけです。
ですから今のところそのように私を理解してもらっても構いません。
そして私はいわゆる対岸の傍観者にはならないための努力を続けるつもりでいます。
努力という言葉には、かなりの語弊が付きまといますが、それ以外の言葉が見つからないので
この努力は、今のところやはり努力だと思います。念のため。
あなたが今やらんとしていることについて、私の億見を申し上げます。
これから申し上げる言葉をどうぞ否定してください。そのつもりで言いますので
・あなたは自分自身を言及するためにこのスレを立ち上げた。
・また自分を否定する、他者に否定するために語ろうとしている。
・なぜならそれは、あなた自身がよりよく生きるためにつながるから。
どないでしょうか? いちおうあなたの意見を私的にかいつまんで述べてみたのですが
おそらくまったくこれ以外ないと私は考えているのですが、おそらくあなたは、他人に
それを語られることに何らかの〈違和〉を、その原理としての〈嫌悪〉を今、Sさんは
感じているのではないでしょうか。
おそらくあなたは今、私の言葉によって存在理由が揺らいだから、とも考えられるのですね。
おそらく〈存在理由〉という存在の価値なるものは、安易に、他人に語られてはいけない
性質のものなのです。
しかし我々は語りますし、また他者は安易に語っているものだと自己において感じます。
ではさて、では私はまず率直な主観的な意見、客観を超えない意見を申し上げます。
>>8 >頭わるい上に最近禿げしく呆けが進行していますが、こんな馬鹿でも理解できるご批判を宜しくお願いします。
では申し上げますね。私はこの言葉を見たとき幻滅しました。
以上です。
先に言っておきますがあなたのような馬鹿でも理解できる批判をいま私は
しているつもりですが、それでもあなたに理解しにくいのであれば、むしろ私の方が
馬鹿だと定義できると思いますので、その場合にはあらかじめ謝罪申し上げます。
これは、半分冗談の半分本気です。
なぜなら私はあなたの「〜はげしく呆けが進行して〜」のこの言葉が本気なのか、
それとも冗談なのか、私は一瞬判断できなかったからです。
あなたが自分自身で悟りを模索するとの主旨の発言をした。だから私はその可能性を
否定できないから、信じるしかなかった。そして私はこの言葉を見たとき、本当にあなたを
傷つけるなにかが、あなたを襲ったのかもしれないと思った。
この言葉は悪ではないですか?
あなたのためにもなるとは思わないし、また私も多少傷つけられたから。
あれは私に対して語られた言葉ですから、傍観者(「じゆん」と「S」以外の人間)を
無視しても構わないですよね。
私はここに善を見出すことはできませんでした。
しかし反対に今私が語っていることは、善です。そう思います。馬鹿かと思われるかも
しれませんが私はそう信じます。なぜなら悪を認識しているからです。
善とは悪を認識すること。
それが今のところの私にとっての善の意識だからです。
もしかしたら私の行為はは本当は悪かもしれませんが、
私は今のところ善を主張するしか、能がないのです。
しかし振り返って考えてみると、今のところ私とあなたの語る行為はそう変わりませんね。
同じく自分を馬鹿と言っているわけですから。またある人は自分を欠陥品と言って、
またある人は失敗作とも言っています。だから自分はこの行為、自己卑下そのものは
否定しません。言葉は詭弁を語るためにもあると考えられるからです。
自分を守るために言葉はあると考えられるからです。
自己の存在のために言葉は必要不可欠でもあるからです。
しかしこれを肯定してはならぬと私は思います。これも善だと私は思いますが、
あなたはどう思われますか? いやあなたにとって善とはなんなのか私には理解できないのです。
というよりも私にとっての善とはなにかがわからないのですよ。
だから善という言葉を、いま私は連発しているのですね。
なぜなら語り続けることによって言葉は初めて〈認識〉への帰結を迎えることができるから。
さてこの私の行為は無駄なのでしょうか?
あなたは自分の一連の行為を無駄とおっしゃっているように感じられるのですが、
もしそうなのだとしたなら、私の行為をどうぞ否定してくださいな。
それをせずに、私を尊重するのであれば、あなたは本心では、無駄ではない、
と感じていると私は認識します。どうですか?
私という私の言葉を論理的に攻めてみるのもまた一興と思うのですがいかがでしょうか。
またおそらくですが(億見)、あなたはいま非常に疲弊しているのではないかと想像しております。
ですから自分を追いつめるような、犠牲的、破滅的な行為をあなたは今、選択するべきではなく
むしろ気楽に、むしろ快楽的に語る行為を選択されることを私は真に提案します。
その方がいくぶん楽ですし心的負担も少ない。進みはおそらく遅延に思えるかもしれないけど、
進まないよりましです。亀の歩みを提案したいのですね。
いかがでしょうか。
例えば私はあなたと善とはなにかについて暴言的に主観をぶちまけたいと思っているのです。
善があるでも無いでもどちらでも主張してもいいですが、
そう思ったのならそれについて私を対象に攻撃してみませんか?
性格に合わないのなら結構ですが、なかなか面白いのではないかと思いますよ。
そのような形でなら私もあなたのことを攻撃しやすいですしね。
ご判断はあなたにおまかせします。
最後に本当に失礼なことばかり言ってすいませんでした。そのようにでしか今のところ私は
対応できないのです。その点についてのご理解と語許しを頂けることをお願い申し上げます。
語ることは、実は非常に難しいのです。
あなたもそう思っておられるのではないでしょうか。
またおそらくちょくちょくここに書き込ませてもらう形になるかもしれません。
その時は「ごめんあそばせ」の言葉でどうかお許しください。
ごめんあそばせ。
>>カオルさん
要点は
>>32以降にあると思いますのでその点を中心にレスさせて下さい。
自律的な必然がないというのは我々が産み出された者であるという絶対的な制約です。
産まれた子供はそれ自体が他律的であり、無限遡及されるそれはどこまでも得体が
知れません。我々が自由を唱えたり自律を唱えることはいくらでも可能なのですが、
それは絶対的な制約に立脚したコップの中(世界内)としての自由や自律に過ぎない
です。自己自律とは世界内の自律性を最大に拡大させたものですが、結局は同じこと
です。つまり、ハルカさんの言う相対的に対象化された次元間の断絶と他律構造と同質
の、もっと根源的な他律性が世界を制約しているということです。いや、ハルカさんは
解り易いように相対的な対象を挙げてくれていただけで、趣旨は同じのように思います。
秘密は世界の外です。というか内にはありません。産み出された者に秘密は知り得ない
のです。境界がどうであるとか産んだ者(絶対者)がどうであるとか、産み出された小さき
者には想定できないのです。肥大した自己、諦めない、探究・・・そういう問題なのでしょう
か?というのはこの絶望的な断絶を指したのです。それはハルカさんが投げかけた寂し
げな冷笑と重なるものだと思います。
カオルさんが各個に問題点を洗い出してくれた
>>27-31のレスはその批判自体妥当な
ものだと思います。けれど、論点はそこにないのです。いや、例えば自己自律という
観点からは解釈を詰めるべき問いだと思うのですが、それは秘密には決して到達しえな
いのです。それが哲学のみならず存在者の限界です。(無価値といってるのではないで
す。)わたしが実存しているという事実は、わたしに帰属すると強弁しているだけだと思い
ます。
>>27-31は後日でいいですか?
あと健康のため、あまり夜更かししないでくださると・・・レスは翌日以降でも十分です。
>>じゆんさん
丁寧なレス有難うございます。
>頭わるい上に最近禿げしく呆けが進行していますが、こんな馬鹿でも理解できる
>ご批判を宜しくお願いします。
この点だけ。これはボクの偽らざる自己認識ですけれど、それを表明して貴方にお願い
するのは条件を強要するゆえに失礼だったと思います。だから撤回します。
書きこみは各自の自由だと思いますので任意にお願いします。
善についての突っ込んだ議論はたぶん余裕がなくてできないような気がする。
なんかここまで書くだけでいまは一杯というか、ほんとごめんなさい。
>>27 カオルさん
>「あったしあるしありつづける」ということ自体を、わたしは懐疑します。
「あったしあるしありつづける」は世界内に投げ出された者がせめて言える比喩です。
しかしもっと問い詰めれば、ありつつあるらしい程度しか表現できないかもしれません。
今という認識すら概念化した瞬間に個体化の原理の差異を生んでいるはずですから。
>「意識とは何か?」
意識についてはよくわかりません。実際に精神鑑定の臨床データを取れるわけでは
ありませんし、書物を鵜呑みにするわけにいかないし。しかしよく言われるように自我
が作りだされる以前の未分化で混沌とした内的な連関によって構成された意識と、
外的な連関により次第に分化し構成された意識と、そのせめぎ合う連関によって自我
は確立しているとは思います。そしてその時々の表層的な意識面が「ボク」として現れ
ているのだと思います。ハルカさんの分類に際してもボクは「我」と「私」を未分化にして
いましたが、ボクにはその境界が曖昧で判別できないと思ったからです。しかし例え
或る解釈を施しても、意識それ自体が何なのかは手がつけられないです。結局正体
不明に産み出された「何か」の尻馬に乗って自己であるとか固有の実存であるとか
自律であるとか僭称しているわけです。あと、自己自律はそれらの連関を包合する
抽象概念ですから具体性がない分だけ変わらないと思います。
>>28 カオルさん
>未来とは何でしょう? 過去は実在しますか? 現在とは存在ですか?
少なくとも世界内の個体化存在者が連関における変化を予測することは完全ではない
ということです。完全に予測するには世界内のありようを認識していなければなりません
が、仮にそうであったとしても世界内のありようと認識された世界内のありようでは個体
化の原理の差異が生まれると思うからです。この越えられない差異による予測不可能
性という意味で未来予測と書きました。時間についてはわからないのですが、表象され
た連関情報の変化を何らかに基準化した概念で、表象と記憶の基準化によって連関
世界の継続性を概念化したもの。過去・現在・未来はその基準化概念だと思います。
>でも「"ある"とは何か?」「現象するとはどういうことか?」については、
>何も知らないわけです。
確かに何も知らないです。いきなり産み出され表象し概念化する能力が芽生え、開示
された世界に向き合っているのです。という何者かに気付き擬似客観している何者か
がいます。それらの作用について解釈することはできるはずですが。。。
>「おまえが何者なのかが永遠にわからないのは、おまえが何者でもないからだ」
おまえが何者なのかが永遠にわからないのは、おまえが産み出された者だからだ、です。
産み出されて投げ出された個体化存在者と絶対者との断絶は絶望的なものです。
その比喩として永遠と書きました。
>>29 カオルさん
>SさんはSHスレでそれは「まやかしだ!」って批判してましたね。
そうですね。
>わたしにはSさんのいう"他律性"がどういう意味で
>克服されないといけないのかが今一つわかりません。
産み出された者であるという絶対的な制約、ボクを突き動かす正体不明の何かから
解放されたいのです。その克服の一つが以前カオルさんにボコられた「真の自律性」
であったり、ハルカさんとお話していた「虚無への脱却」であったりします。が、世界内
でどこまでも相対的にしかありようのない個体化存在者が、そこから逸脱して絶対的
な境地に到達できるかは想定もできません。
>>30 カオルさん
>存在とボクのあいだが適度な距離感でバランスしているなら
>正常なボクとして存在できます。
>ボクが存在と同化してしまったらボクはボクでなくなります。
そうですね。
>ボクが記憶によって生まれたからではないですか?
意識については
>>42です。
>偶然にたまたまそこにいるのではないですか?
偶然が連関世界の母なのでしょうか?偶然は「在る」を産めるのでしょうか?
例えばビッグバン仮説から我々への長き連関過程が偶然だとしても、どこまで遡って
も世界が「在り」「現象」している呪縛は解けないです。この際、世界内の連関作用が
偶然か必然かは論点ではないと思います。
>幼児のあなたと、子供のあなたと、今のあなたは同じなのでしょうか?
>記憶によって自己同一性が保たれているだけなのではないですか?
そうですね。ただ、ボクがいいたいことは
>>40です。
>>31 カオルさん
>カオルと名付けられたからカオルなのです。
>カオルは誰でもないからカオルになったのです。
ボクを突き動かすものが得体の知れないように、カオルさんを突き動かすものが何か
も得体が知れないのではないでしょうか?仮に意識が未分化のままでも、同一性が
破壊されてしまっても、突き動かす「何か」は離れることはないでしょう。「何か」でなけ
ればボクもいない。けれど、「何か」であるからボクは監獄です。「何か」であるから
名前も付いたし自律も叫べる。けれど「何か」でない自由はボクにはない。
>カオルはカオルとして生きてカオルとして死にたいのです。
>カオルはカオルでいられなくなることがとても怖いのです。
>カオルはカオルとして生まれてこなかったことを知っています。
カオルさんの置かれている状況をボクは想定しきれないので心苦しいです。断片的に
書きこまれるレスから自己同一性を保つのに相当に苦しい思いをされているように
感じます。あと、前スレでは最後の2レスではほんとうに失礼な暴言を書いてしまい
ました。改めて謝罪します。どうか貴方の志向が貫かれんことを願っています。
>ボクがわたしであるところに流れています。
そうですね。連関、それが絆なんだと思います。でも・・・
>>32 カオルさん
「実存が本質に先立つものとすれば、ある与えられ固定された人間性を頼りに
説明することは決してできない。いいかえれば決定論は存在しない。人間は自由
である」(サルトル)
産み出された小さき個体化存在者が自らを創出したのでないのは明らかだし、
「ある」ことを規定された絶対的制約に置かれているのはどこまで連関の過去を
遡っても逃れられない。だから実存は本質の上に乗っているだけだと思う。
存在者には箱庭の自由はあるかもしれないけれど、箱庭は監獄でもあると思う。
小さき者にとって連関世界内は認識し予測しきれない意味で非決定的であると
思うけれど、箱庭の本質は決定的で絶望的です。
>こういう言葉があります。「人間は自由の刑に処されている」(サルトル)
>むしろ人間は自由であることを怖がっているのではないでしょうか?
そうですね。
>希望とは欲ですから希望によって解脱することはできないのでしょうね。
>一切の希望を抱かなくなること = 絶望すること、が解脱することだと
>ハルカも言ってますしね
そうですね。
>>33 カオルさん
>うん、わたしの場合はそういう問題です。ハイ。(笑)
>わたしはわたしの希望によって死にたいから、そのための探究です。
そうですね。貴方の覚悟を敬服しています。ボクは実践として生意志を挫いた
先に脱却を想定していますからどうしても貴方を煩わせてしまうようです。
>これが哲学なんです。Sさん、哲学する?
ついていけないかもしんないけど、もうすこし頑張ってみようと思っています。
以前提案してくださった個別の議論ですが、お願いします。
>>じゆんさん
今日もカオルさん宛てのレスで一杯一杯です。ごめんなさい。
よく生きる、よく生きられるのに生きないのは、と書いたのですから答えなくてはなりませんね。
>>じゆんさん
よく生きる(善)、よく生きられるのに生きない(悪)と書いたことについて
これはもともと、ただ生きることでなくよく生きること、という骨スレさんのお題から拝借
したのですが、ボクはただ生きるとよく生きるの違いがよくわからなかったので、よく生
きること(寒雀が寒雀の分を為すように自分が自分の分を為すこと)を総じて善として
みて、その反対としてよく生きられるのに生きない(自分の分を認識しているにも関わ
らずそれに向き合おうとしない)のを悪としました。しかしよく考えてみると、よく生きら
れるのに生きないのも、よく生きることゆえの迷いの形態であったりしますから、結局
よく生きるで統合してもよいのではないか、そしてそれなら既に善悪の分類にはないの
で、よく生きる(自律の躍動と沈静)だけでよいのではないかと思いました。
もちろんよく生きているもとで個人・家族・集団・社会・・といった各レベルにおける具体
的な倫理は成立すると思います。しかし連関世界の存在者が総じて等しくその形式を
引きうけて自律している意味においてその尊厳をうたいたかったのです。では人間に
おいて人殺しも独裁者もよく生きているのか?と問われれば、よく生きていると思いま
す。あと、ボクが突然自己自律を否定しているような主張を始めたので驚かれている
かもしれませんが、これもボクがボクの分を為しボクなりによく生きようとしているので
す。自己自律を成立させている背後に疑問を感じそれを脱却しようとすることも、ある
意味自律の延長だと思います。あとよく生きるの「生きる」は単に生の形式に従うこと
ではないです。
それとは別に、じゆんさんが指摘してくれた言葉の使用に関わる問題ですが、これは
ほんとに難しいですね。まず言葉自体が一定に統一された意味を持ち、それを学習し
た個人が主観的に言葉を借りて思考し主観的結論の意味合いに妥当と思われる言
葉を吐き出すのですが、言葉自体はそこから独立し、それを他者が他者の主観的言
葉に変換するのですから、これは大変な作業です。さらにそれぞれに独立した言葉の
意味合いは連関しつつ変化していきますから、分かり合おうとする行為はイタチごっこ
です。なんて考えたりしました。ちと善悪の問題とは離れてしまいました。。。
言葉ひとつとっても誤謬の連続ですから、それをもとに普遍客観真理などとても言い表
せないと思います。或いは連関世界内にて、小さき個体化存在者が認識し経験できる
ことなど僅かですから我々は常に誤謬の渦にあると思います。そして個体化の原理下
にあって我々は一個体としても同一ではないこと。これらから、倫理に求められるのは
相手を認める寛容さと誤謬を乗り越えてゆく決意ではないか、などと考えました。勿論
不肖のボクが言うのも何ですがね。(お前が言うな、という突っ込みは承知しています。)
人間は信頼し、懐疑することができるってことですかね。
これではちと具体的な善悪の話題には程遠いですね。。。
善も悪も一方的な主観の対立だっつーの…
今更なぁに言ってんだか(苦笑)
【生命】にとっての善悪で言うなら、生存継続の為のエゴや死でさえも『善』以外の何者でも無いってばよ。
Sさんへ、レスをどうもありがとうございました。
まずは全体的な感想を述べさせて頂きますね。
>>50-51 のSさんの意見はちゃんと私は理解できているつもりなのです。
しかしですね、やはりどこかでちくちくっと引っかかるんですよ。
私の主観にそぐわないと言うのが正直な感想です。
気を悪くされたなら申し訳ありません。別段攻撃的になろうとしているわけ
でもなければ、あなたに説教、説得したいつもりで言っているわけではない
のです。まず、前にそのあなたに了解を、と思いまして発言させて頂きました。
失礼であることは承知です。
でも述べたのはこれは私の問題でもあるからですね。そのように思うことを
偽ってでも、発言していいのか? そういった自己言及もまた含めているわけですね。
やはりこれも失礼にあたる行為ですね。これについてもあらかじめ謝罪しておきます。
しかし私はあなたに理解して欲しいと思うから、というより自身の正当性を保ちたい
がために主張させて頂きます。
難しく言うのもなんですから、簡潔に述べさせて頂きます。
>あと、ボクが突然自己自律を否定しているような主張を始めたので驚かれている
>かもしれませんが、これもボクがボクの分を為しボクなりによく生きようとしているので
>す。自己自律を成立させている背後に疑問を感じそれを脱却しようとすることも、ある
>意味自律の延長だと思います。
これについてなんです。そう、私はあなたが自己自律をなぜか否定しているような主張を
始めたので驚きましたし、またいろいろな不信が芽生えたのです。
これは言って欲しくなかったなあ、と言うのが正直な感想です。なぜならそれを否定したのなら
後でなにを言っても言い訳にしかならないんじゃないかなあ、と“思える”からです。
しかしまあこれは私の主観ですから気にしないでください。
私としては自己自律の思想には非常に強いあこがれがあったのですよ。
あれから何度も自律とはなにかと考えました。それを提唱したあなたが否定しているような発言
をしていたのでちょっとショックだったのですね。
しかし、どうやらあなたにはその意志はまだ失われていないと、今、書いてみてわかりました。
かなり、なんとなくですが、わかってしまいました。w
しかし私は主張をころころと変えるのはあまりよくないと思います。
それだけは申し上げておきます。そういった決意もやはり念頭に置いておくべきだとは
あえて忠告しておきます。だってそれだと相手はどれが本当のあなたなのかはわからなくなって
しまうからです(本当のあなたはいるのか? という問題は抜きにして)
あと言葉についても申し上げておきますと、言葉には物事を肯定的に捉えるものと
否定的に捉えるものと両方の意味を往々にして内在させますが、本来は言葉にはそれは含まれて
いないと私は考えます。そのようにプラスとマイナスとに区別するのはどうやら“主観”なのであり、
言葉自体にはないものと私は考えます。そのようなことを互いに了解しあえば誤解を恐れる必要は
ないものと私は思います。またおそらくこれはあなたの言った信頼に相当するでしょう。
そして
>言葉ひとつとっても誤謬の連続ですから、それをもとに普遍客観真理などとても言い表
>せないと思います。
これについて言わせて頂ければ、“言葉自体”は私は“普遍”“客観”“真理”だと思います。
私はなるべく言葉を自分と切り離す努力をしています。私の言葉ですが私の言葉ではないと
私は考えるのです。では誰のための言葉か? 私以外の人のためです。それを必要としている人の
ためです。ある意味顕示欲を想起させる主旨の発言ですが、まあいいでしょう。それも認めますよ。
で次は善悪です。
善悪もついて言えることは。この世界は悪が単独で成立しているという事実です。悪は選択する
ものではありません。選択しなかったことが悪なのです。そして選択したと言うことは、つまり
思考を介在させたということはすべからく善を為すための機能です。
この点においてようやく、私は今Sさんのことを少し理解したかなと思えるのでした。
あとこれですが
>或いは連関世界内にて、小さき個体化存在者が認識し経験できる
>ことなど僅かですから我々は常に誤謬の渦にあると思います。
僅かじゃないと思いますよ。それは介在しつづける、いわゆる“努力”によって
大きく“知見”と“理解”を得ることができる“はず”だと思いますよ。
私が言えることはこんなところでしょうね。
自分がマイナスの側面の発言を持っているかどうかは判断しにくいです。
おそらく人が議論において発言するのは相手のマイナス部分についてだと思います。
おそらくですが、ですから私はあなたのマイナスと思われる部分を指摘、反論させて頂きました。
これはおそらく議論の本能なのでしょうね。よりよくを常に目指しているわけですから。
思想が枝分かれしていきます、またそこには根幹で集合した大樹を認識することができた。
そんな想像をいま私はしました。
よりよく生きる、これを目指すことは尊いと私は思います。それが生きると言うことですかね。
これは書きながら考えたことです。ですから前段についてはちょっと不当と思われる書き方をした
かもしれない。しかし思ったことは事実ですからとくに推敲もせずに載せさせて頂きます。
>>52 ハルカさん
>善も悪も一方的な主観の対立だっつーの…
>【生命】にとっての善悪で言うなら、生存継続の為のエゴや死でさえも『善』以外の何者でも無いってばよ。
そうですね。というか、お久ぶりです。以前のスレでは失礼しました。
もしご足労でなかったら適宜ご批判よろしくお願いします。
>>47の引用に則して【生命】という形式をあてがわれた視点(本質)と引きうける視点(実存)で考えてみます。
【生命】という本質にとって既に生命が成立している視点でハルカさんの言うように
総じて『善』(思う壺)だと思います。
【生命】という実存にとって生命を引きうけている視点で
>>50に書いたように
総じて「よく生きている」(自律の躍動と沈静)だと思います。
そしてその関係は本質が先行し、圧倒的に本質>実存なのだと思います。
それは個体の組織生成から組織分解に至る枠組み(本質)が産み出されることによ
って初めて【生命】は成立し、実存はその枠組みの中で成立しているからであって、
その逆なら実存はあらゆる自由な形式を創造できねばならないと思うがそうではない。
実存は本質を引きうけざるを得ないと思います。
例えば実存に生死の決定権はあるのか?産み出された者に生の決定権は無く、死
の決定権は本質の寿命を越えることはできない。人間という実存者はその手前で死
を創造することができる。だがその死は本質に間接支配されている。なぜなら死を
引き伸ばす決定権はないのだから。寿命についてそもそも実存が言及できないのは
寿命を実存が手にしていないからであり、経験観察からその傾向を述べているに過
ぎないと思いますが、いずれにしてもその近似値を越えられない。死を覚悟すること
による一回性の実存に目覚めるにしても、それは本質のレールに完全に乗っている
強弁に過ぎないように思います。
自己自律に則して言うなら、このスレの冒頭以来繰り返して来たように、それは本質
規定(想定すらできない「何か」に産み出された者という絶対的な制約、他律性)の枠
組みが先行し、コップの中(世界内)としての実存(自己自律)に過ぎないということです。
けれどこれで自己自律が絶対的な制約、他律性に吸収されてしまうのか、といえば、
答えは出せません。ただ、本質的ありようと実存としての志向が絶望的ともいえるせ
めぎ合いをしている、というように思います。そしてその実存の可能性を貫こうとする
からこそ、例えばハルカさんがカオルさんがじゆんさんがボクが志向するのであろう
し(ハルカさんはそれはバグを突くに過ぎないからまだまだ認識が甘いって言うかも
しんないけど。。。)ボクとしてはこうした厳しい認識に立って、存在者の側として為せ
ることを試みたい、と思っています。これが前スレで頂いた様々なご批判を自分なり
に消化した到達点です。
>>53 じゆんさん
まず最初に貴方に述べたいのは、既にボクの中では貴方に対する信頼は相当なもの
なので、少なくともボクに対しては気兼ねせずに話してもらえたらいいなって思っている
ことです。あと、冒頭来のボクの主張については、
>>57-58を参照ください。
>>54の主張を
変えてほしくないという指摘ですが、これがボクなりの誤謬を乗り越えてゆく決意なんで
す。SHスレからここに至るまで、ハルカさんやカオルさんが呆れるほどコロコロ変わっ
ていますね。けれど変わらないものも自分なりにあると思っています。たしかに相手の
方を煩わせてしまうのは心苦しいです。なるべく一定の区切りで自分の意図を纏める
ようにはしています。
つづきのレスについては後日にさせてください。
Sさん
大丈夫です。私は気兼ねなく話していますよ。あくまで自分なりにですが
おそらくちゃんとした対話はちゃんとしてなかったですから、あくまで模索中なのです。
そして、私はあなたがやろうとしていることも、なんとなく理解できるのです。
ころころ主張を変えるのが悪いとは言っていません。ただそう思っただけです。
そして、あなたの言う通り、それでも変わらないSさんの姿を確認できました。
書いてみて少しずつSさんの姿が浮かび上がったのです。
そしてそろそろ“じりつ”とはなんぞやと、私も一緒に考えていきます。
もしかしたらSさんの語法に乗っ取らない、見当違いなことを言うかもしれない
けれどそのときはご容赦ください。よろしくお願いします。
また関係ない話題をふることもあるでしょう。そのときはまた広い心でご付き合いください。
つーかハルカさん、昨日レスしてたんですか。
気づかなかった…
ほんとに私はまぬけですね。ということで…
( ´D`)ノ おかえりーハルカさん
>Sさん
わたしの関心はどうやってわたしを存在させるか、に移行中です。
だからいろいろ考えたけれどあなたの質問にはひとつも答えられません。
Sさんのカオル越えは完了です。(^.^)
存在の疑問はハルカに聞けばすぐ答えてくれると思います。
というか、すでにハルカはいっていたと思うけど・・・たとえ話で。
>ハルカへ
お久しぶり。
わたしはもうだめ。
でもSさんにはあなたが必要だと思う。
Sさんのめざすところはハルカと同じ。
Sさんだけでもつれていってあげて。
62 :
考える名無しさん:03/12/14 10:18
, '´  ̄ ̄ ` 、
i r-ー-┬-‐、i
| |,,_ _,{| Sキュン
N| "゚'` {"゚`lリ や ら な い か ?
ト.i ,__''_ !
/i/ l\ ー .イ|、
,.、-  ̄/ | l  ̄ / | |` ┬-、
/ ヽ. / ト-` 、ノ- | l l ヽ.
/ ∨ l |! | `> | i
/ |`二^> l. | | <__,| |
_| |.|-< \ i / ,イ____!/ \
.| {.| ` - 、 ,.---ァ^! | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l
__{ ___|└―ー/  ̄´ |ヽ |___ノ____________|
}/ -= ヽ__ - 'ヽ -‐ ,r'゙ l |
__f゙// ̄ ̄ _ -' |_____ ,. -  ̄ \____|
| | -  ̄ / | _ | ̄ ̄ ̄ ̄ / \  ̄|
___`\ __ / _l - ̄ l___ / , / ヽi___.|
 ̄ ̄ ̄ | _ 二 =〒  ̄ } ̄ / l | ! ̄ ̄|
_______l -ヾ ̄ l/ l| |___|
この数日でボクは鬼畜になってしまいました。
Sは死にました。もはやここに書きこむ資格はないのです。
カオルさんごめんなさい。さようなら。。。
いやいや待ってくださいよ。
私と議論もできないのですか?
Sさん。
まだ私との議論は残っているでしょう。
ボクには説明する義務がありますので告白します。これはこのスレとは無関係の全く
の私事です。この数日、徐々にエスカレートしてボクは名無しでSophiaさんを罵倒し続
けました。彼女の言葉を見てもう一人のボクが発動してしまったのです。そしてこれは
カオルさんもSophiaさんも貶める行為でした。Sであったボクの心とは相容れない醜い
心です。そして無反省なボクがいます。彼女の態度を見るともっと徹底的に罵倒したく
なるボクがいます。ボク自身もあなた方をも全て裏切ってしまったボクはもうSには戻れない。
かつてこの醜い心でボクは愛していたひとを徹底的に叩き、そして失いました。ハルカ
さんやカオルさんやじゆんさん他のひとに導かれての日々でボクはSとして自分を磨い
ていくことができたけれど、それも台無しです。ボクはいつもこうなのです。みんな自分
で壊していくのです。そして関わるひとを切り裂いてゆく。
自己自律に関してはここから転回すべき点を見出していました。だからカオルさんに
見切られたとしても、ハルカさんに呆れられたとしても、もっと頑張れるつもりでいました。
でも壊しちゃった。。。ボクの身勝手な一人相撲で。もう何も残ってない。あなた方に
向き合う資格もないのです。ご恩を仇で返してしまってもう何も弁明できません。
さよならです。最低最悪です。こんな奴は忘れちまってください。
さよならは許しません!
わたしはあなたの質問には答えられないけど
あなたのレスを読んだりそれを一緒に考えることはできると思います。
Sさんなのは気づいてましたよ。うれしかった。
Sophiaさんを助けなかったわたしも卑怯者です。
おなじ穴のむじなです。(笑)
仲良くやっていきましょう。
今日はもう寝ます。おやすみなさい。
いいじゃんべつに2chじゃん
Sさんへ
下記のコピペはカオルさんの言葉(
>>19)ですが、
こんどは私の気持ちも込めて
あなたに贈ります。
>希望の光(出口)は絶望かもしれない。
>死に向かって走ることが生きることであるように。
>ひとつ一つの希望を絶っていくことは苦しいこと。
>絶望のために希望があるのなら、わたしはちゃんと絶望したい。
>絶望のために希望を捨ててしまうのは、わたしの倫理に合わない。
木村義彦さんに関するSさんの怒りには共感します。
俺もそのスレ知ってたから。
男を上げさえすれども、醜い行為とは思えません。
(以前のID投票同様に)
Sさん、おはようございます。
今日もお仕事がんばってください。
わたしもがんばります。ではでは。
>>Sophiaさんへ
今回の騒動で最初、一名無しとしてソフィアさんに意見を書いたのがきっかけとなり
次第にエスカレートして糾弾をしてしまったことは自分の良識とも反するものであり、
かつ、カオルさん、ソフィアさんともに貶める行為であったことは自覚しています。この
点についてまず両かたに心より謝罪いたします。ご迷惑をおかけしました。
名無しで書いた理由は当初はカオルさんにご迷惑をかけない意図で、さらりと一レス
して終えるつもりだったからですが、次第に引けない状態になってしまいました。そして
これはボクがもともと持っていた信条とはかけ離れた行為ですから、もはや元の固定
に戻ることさえできなくなってしまいました。まことに愚かなことです。
ソフィアさんは憶えてらっしゃらないかと思いますが、ボクは春先にソフィアさんが叩き
祭り状態になって暴走された際、ストアの引用を用いて貴方とお話させてもらったこと
のある者です。それは「笑止なことに人は他人の悪を避けようとする。だがそれは不
可能事なのだ。だが自分の悪は避けない。ところがそれは可能なのだ。」というもの
で、ボク自身の信条とするものでもありました。これまで多くの方との関わりから、ボク
は自分自身を磨いてこれましたが、ここに来て、ソフィアさんの言葉を見て自分を見失
ってしまいました。己が未熟の証です。
ただし、自分の態度仕方とは別に自分の主張していたことには、ボクは誤りを見出して
いません。ですからカオルさんとソフィアさんのトラブルが、論点の違いとそれぞれに
相手の立場を理解する歩みよりが足りなかったことと同様であると考えています。
トリップを使って書きこみしてからは、明確に貴方に強制しないと前提していましたし、
自分の考えをソフィアさんにぶつけたつもりです。個別の価値を押し付けることは悪意に
つながることも勿論理解しています。ソフィアさんとボクの考えの違いをそれぞれの
批判点として消化し、活かせたらといいなと思っています。
ソフィアさんは何故自分だけがと不当に思ってらっしゃるでしょうし、尤もではあります。
自分としては今回カオルさんとトラブルになったのがソフィアさんであったからこそ、
自分の考えをぶつけた訳で、他の名無しの中傷が悪くないとか、怨恨であるとか、
そのような種類のものではないです。が、いかんせん自分自身の怒りが暴走したことで、
その態度仕方においてソフィアさんに多大な迷惑を与えたことは事実です。この点は
率直に認め、反省しています。申し訳ありませんでした。
ボクが思うのはソフィアさんのように形式的な論理の整合性も大切であるとは思います
が、対話とは例え2chであってもモニターの向こうに生身の他者がいるのだということ。
言葉は単に言葉の意味だけでなく、語る主体を体現するものとして相手に発信される
責任あるものだということ。まさに相手の立場を鑑みる態度仕方が大切なのだという
ことです。そして視点も志向も異なる相手を認める寛容さと誤謬を乗り越える決意こそ
が必要であるとボクは思っています。今回のトラブルで、それがまるで身に付いていない
ことがボク自身の態度から明白になりましたし、ボクの目から見て、ソフィアさんが十分
であったとも思いません。(カオルさんや木村さんの件も含め。)そしてこのことが如何に
大切かも改めて実感しました。それがボク自身では自戒し、ソフィアさんには伝えたい
ことです。
それぞれの細かい批判点は挙げたらきりがないと思いますので、このあたりで宜しい
でしょうか?ボクの大意は纏めたつもりです。ご批判があればお書きください。
>>皆様へ
ボクをフォローしてくださった方の気持ちはほんとうに有り難いものとして受けとめました。
いえ、批判してくださった方も。これが連関の絆なのだと思います。ただ、ボク自身、
今回の件で自身の正当性を完全に失いました。一旦身を引き、自分自身を見つめ直し
たいと思っています。もしも機会がありましたら、その時は新たな気持ちで臨めればと
思っています。勿論、ボク自身は一敗地にまみれてしまいましたが、ハルカさんやカオル
さんやじゆんさん他の方に導いて頂いた自己自律の翼は折るつもりはありません。
復帰してから例によってトラブル続きでご迷惑ばかりおかけしましたが、お付き合いくださり
有難うございました。それぞれの志向が貫かれんことを切に願っています。
>ハルカさん
考えが甘い上に、またまたやっちまいました。馬鹿もの!!ですね。
ハルカさんの体験知については貴方の真剣さと同様、ボクの中で等しく受けています。
>カオルさん
これがさよならではないと、ボクも思いますので。たぶん。。。
>じゆんさん
せっかく仲良くなれたのに、ごめん。身から出た錆びです。笑って下さい。
…ごめん。
も、呆れて声がでないわ。正直。
Sさん…貴方、一体何様のつもりなの?
名無しになって他人を罵倒したからって何だと言うの?
そんな事で自分を卑下するのが何の意味を持つの?
『悟りを目指す者は聖人君子であるべき』とか妙な囚われに固執してる訳?
過去、私が貴方に告げた事が何一つ生かされてませんね…
もう一度だけ言うよ。
『何かの価値観に固執する事が【苦】の源泉の一つだ』
…はっきり言う。
いい加減にしなさい!
たかだかその程度で身を引くならば最初から手を出すな!
泥を被ろうが、血を流そうが、無様に地を這いずり回ろうが…
やりぬく覚悟がなければ…
本気で命がけでなければ…
ただの『暇潰しの遊技』でしかない!
貴方は何をしてるのだ!
愚か者が!
>>ハルカさん
ごちょごちょレスを書き始めましたが消しました。
そうですね。。。
無様を晒します。ご叱咤有難う御座いました。
ハルカが珍しくいいこと言った
>>74 ハルカへ
ハルカのことばに泣いてしまいました。
もちろん笑いすぎたからです。
ハルカはやっぱりすごいな。
真善美も道徳も倫理もハルカの前では愛らしい子供のようです。
存在を嫌悪するあなたがもっとも真に存在している。
わたしはそれを哀しいとは感じない。
わたしはそれが嬉しくてしょうがないです。(^.^)
愚か者2号カオルでした。
まず、「悟り」とはどういうものなのでしょうか?
ここでいろいろ人によってビジョンがありそうですね。
>71
私にはよくわかりませんが、そうですか。
しばらく自分を見失なってないな
今度はいつになることやら
本当に自分を見失なえば盛大に祝福を受けるというのに・・・
>Sさん
いま仕事で嫌な奴と付き合ってるんだけど、
コイツ(取引関係とかで)立場の弱い人とか虫けら扱いなの。
わたしには信じられないくらい親切でいい人なのに・・・。
よく見るこういう人達の立場に立つってわたしできない。
"手のひらを返す"っていう行為が平気でできる人。
大事なプレゼンも無事に終了したし・・・
で、余裕とかできるとこういう奴等が気になっちゃう。
これが嫌なので仕事に集中してるようなもん。ハァ〜
以上、わたしの愚痴日記(1)でした。
Sさんがもどってくるまで続く、かもしれない。(笑)
>>カオルさん
ボクは大丈夫だから。レス有難う御座います。
少し考えてます。だから大丈夫だよ。
カオルさんこそお仕事乙です。
ボクも今回の件でカオルさんとソフィアさんとで掌返してますた。。。
誰でもエゴイストだ。
誰でも内面を観察すれば、ものすごいエゴイストだということに気づくだろう。
誰もが振り返らないから気づかないだけ。
だから、少しでもエゴに気が付いたなら、落ち込む事は無い。
もっと良く見ればいい。
それは自分を見失ったのではなく、一方のエゴに流されたという表現が適切だろう。
自分を見失うというのは、それはすばらしい出来事なのだから。
>>83 >>Nさん
心底同意。
人間…つーか【生命】は全てエゴイストでしかない。
ただ、そのエゴの表面化する部分の大小の差だけだってば。
まぁ…表面化するエゴの基盤になっている各個体固有の価値観。
及び、その価値観に沿ったエゴの表面化度合。
結局この二つが『個性』とされるモノの正体なんだけどね(苦笑)
それから『自分を見失う』なんざ、通常出来るこっちゃない。
よく言われている状況は、ただ単に『個体固有の価値観の中の一つだけに没頭している状況』でしかない。
本当に『自分を見失う』事が出来て『ソレ』が戻らなかったら…イコール『悟り』だよ(笑)
>>Nさん、ハルカさん
ご指摘の点、理解します。有難う御座います。
ボクが自分を見失うと言ったのはご指摘の価値観のことで、
ボク自身の信条としているはずの価値観を見失い、抑圧していた価値観が表出したということです。
ありていに言えばメッキが剥がれたというか、
よくいるでしょ?普段はスローガン掲げていざという時ボロ出す奴。
現象の形式としての個体化の原理に従う限り、個体はおしなべてエゴの塊です。
ただ、そうした個体化の原理を看破した先に、エゴイズムを乗り越える共苦があります。
そしてそれは容易いものではない、ということです。
ハルカさんはそれは脱却に関係ないとおっしゃるでしょうが、
ボクの中では関係している(と思っている)のです。
考えを纏められたら次レスにて・・・
>>84 ハルカ氏へ
>本当に『自分を見失う』事が出来て『ソレ』が戻らなかったら…イコール『悟り』だよ(笑)
たぶんその悟りはただの発狂だと思われ。
それでいいなら、それでいいけど。
>>86 >>じゆんさん
…はぁ(嘆息)
貴方、私の言う『自分を見失う』って意味を全く分かってませんね?
確かに発狂と紙一重ではありますがね(苦笑)
本来の意味で『自分』を『見失う』…
そして『自分』が戻ってこない…
もう二度と『私が』『私の』などと言い出す『自分』がいなくなる…
それは最早『悟り』以外の何者でもないんですよ(笑)
私が言った『個体化原理からの脱却』の意味を良く考えなさいな。
ま、こんな事を言っている時点で『悟ってない』のが確定なんですが(苦笑)
「見失う」
その語法に問題ありと思った。それだけ。
“覚悟もって自分を見失う”これじゃ、なんか変じゃないかと思った。
「もう二度と〜」「…自分がいなくなる」
これらが「悟り」の観点にあるものとは同意しますが。
しかし言葉足らずだった。
説明するのが面倒だったで、省いた。ごめん。
>>じゆんさん
語法に問題あり、だって?
ま、常識的に考えたらそうだろうよ。
でもね、事この問題に関しては…
常識なぞ一切通用しませんぜ(苦笑)
断じて『私』を『手放す』のではない。
何故なら『手放す』という行為には、まだ『所有者がいる』からだ。
そうじゃない。
探そうとしても見つからないで『見失う』にせよ、所有していられなくなって結果的に『落とす』にせよ…
そこには『私』を所有している者はいないのだよ。
だから『見失う』というのは凄く適切な表現だ。
>>79 Sophiaさん
ご足労くださり有難う御座いました。
いろいろ考えたけど纏まんない。
シジフォスの労働も永劫回帰もぞっとします。
ただ、例え愚か者と言われようと、虚構であり罠であろうと、カオルさんの
"よく生きている"姿を目の当たりにして、その自律せんとする姿を愛し、感化されず
にはいられないです。ボクは存在者の側として、自己自律の世界を愛したい。
個体化の原理を看破し自他の境界認識を越えること。苦を分かち合い愛を実践する
こと。それは自己自律の「自己」と「自律の躍動」としての最高度の実現です。
ボクが脱却へ臨むのは、それでは補完できない、自己自律が留まることのできる、
「自律の沈静」としての出口を見出したいからです。
そしてソフィアさんにご迷惑をかけてわかったことは、ボクがいずれにも程遠いという
ことです。ずいぶんと言葉ばかりが先行していました。
>>84 ハルカさん
同意。
なるほど「価値観」か。
僕は「基準」という言葉を割り当てていた。
「価値観」の方が的を得てるね。
838=Nです
>>92 Sさん
なかなか、ガンコな人だね。
一方の価値観が勝って、強く主張するエゴに気が付いたのなら、
人と接する時の自分のエゴが何と言っているか聞いてみたらどうだろう。
街を歩いているとき、電車に乗っているとき、何と言っている?
もちろん、言葉では言っていない。
強く主張したときのエゴしか意識しないから
突然、表面化したように見えるかもしれないけれど
意識していないだけでいつも表面化している。
意識していないから潜在化しているように見える。
充分に意識的であれば潜在意識はなくなり、すべて顕在意識になる。
>>92 >>Sさん
キッツイ事を言うようだけどね…
貴方の言う
>苦を分かちあい愛を実践すること
は『錯覚』って事は理解してるよね?
(私と何度も話してきたのに、まさか心底から…まさかね)
それを自覚した上での確信犯として話すよ。
その『他者関係性の追求』と『個体化原理からの脱却』は排他の関係にしかないのは分かってる?
『追求』は『意識の拡散』、『脱却』は『意識の集中』…
しかも、どちらも極限まで行けば他方にはほぼ無関心になるんだ。
何か変に欲張っても『二兎を追う者一兎を得ず』になるだけだよ…
!)
悟りに関しては直接的な表現がない以上、
どの考えを支持しようと他人を納得させることは
できないと思います(と言うか、できません)。動機
だとか、心情だとかは個人の想像の領域に完全に
ゆだねられるものですので、他人の意見に納得い
かないからと言って、自分の意見を主張したとして
もただ話がループするだけです。別に主張すること
を止めはしませんが、その点だけは留意しておいて
ください。
互いに主張するのはこの板の性質だから仕方が無い
それに、目の前で、水の無いところで溺れている人がいたらどうするね
仕方がないから、「大丈夫だ、水があるかどうか、目を開けて、良く見てみな」
って声をかける。
俺はお人好しじゃないから、しつこくは言わないけどね。
二兎は追いません。個体化の原理の看破と脱却を求めます。
ただ、個体化世界でせめて為せることとして、個体化の原理を看破した愛の実践をあげたのです。
勿論これは個体化の原理そのものを越えることはできませんが、聖人たちが実践されてきたことです。
>>99 Sさん
そーれーが『大きな誤解』だと言うの。
いい?
その『関係性の追求』における人間関係というのは(どんな志を有しても結果的には)『自己の周囲に限定されている』のは分かる?
真に【静止】していない者が『愛』と言った処で結局は『嗜好に左右された自己満足を大前提に置いた自他の精神誘導』=『偏愛』でしかないの。
『脱却』を果たした後にほぼ無関心になるのは、この『限定範囲内での関係性に心を砕く』事なの。
相手に好かれなきゃ愛せない?だから人間関係に心を砕く。
が…そうじゃない。本当の『愛』は違う。
本人の意志とは全く無関係に『愛それ自身』が出てくるものなんだよ。
『愛』を語れるのは本来の意味で真に【静止】した者だけだ。
それなのに貴方は『愛の実践』などと言う。
それが『誤解』であり『傲慢』であり『二兎を追う』事なのさ。
それは個体化の原理の看破の後のことですから、たぶん同じことではないかと想定します。
そこから戻るのか、脱却するのか、という違いではないかと。
愛の発露についての表現はそうなのかもしれません。
あと脱却を果たした後に残るものはボクは想定していません。
>>101 Sさん
…だから理想論もいい加減にしなさいって。
前から繰り返ししている質問を再度するよ?
何をもって『看破』とするの?個体化原理というものがあると『知れば』それが看破?
言っておくが知った位じゃ何も変化はない。
相変わらず嫌いなものはあるし、人間関係に翻弄される。
第一貴方が『個体固有の価値観から逃れられていない』のは証明済みだろう?
んなもん看破でも何でもないって。
単に『知った』だけ。
それなのに『看破した後が云々』と言うの?
それこそ傲慢だ。
貴方は(そして私も)『愛の実践』なんざ考えるだけ無意味だと知りなさい。
人間に出来るのは『如何に愛の邪魔をしないか』『如何に愛の発露を無条件で許せるか』だけなんだから。
万物の内に自分を認識し、万物の内に自分の最内奥の真実の自己を認識しているそのような
人であれば、生けとし生けるもの皆すべての無限の苦悩をも自分の苦悩とみなし、こうして
全世界の苦痛を我が物と化すに違いない。彼にあっては、いかなる苦悩をももはや自分と無
関係ではない。〜「個体化の原理」を見破っている以上、ありとあらゆるものが彼には平等
に感じられている。彼は全体を認識し、全体の本質を把握している。
A・ショーペンハウアー 意志と表象としての世界 第68節より
個体化の原理の看破とは体験のことだと思います。
それは自己を否定することにより内奥の真の自己(芯)に主客合一することではないかと。
>>102 Sさん
そこから一歩も進んでないの?
ショーペは『実践者ではない』事は分かってる?
私が聞いているのはそんな借り物の言葉じゃない。
貴方が何をもってして『看破した』と言えると考えているかだ。
単に『知る』事が『看破ではない』のは(心ならずも)貴方が態度で証明した通り。
さぁ!
何をもってして『個体化原理を看破した』と言えるのかな?
あとは実践して体験できないとなんとも。。。
瞑想はなんか苦手で後回ししていましたが、これから時間を割いていこうかと。
>>104 Sさん
【芯】は『真の自己』ではないと『真我』なんかじゃないと何度言わせる?
このレス一つとってみても貴方が何処にいるかが分かるってもんだ。
貴方、何聞いてたの?
ちょっとよくわかんない。
もしかして我−私の構造のことを言ってるのですか?
ハルカさんの悟りでは我を排除して芯−私の構図に移行するというのは知っています。
ボクの場合は我−私は連関し未分化のままと捉えていましたので、正しい体験なら同じ方向に進むのではないかと。。。
個体化の原理の看破とは少なくとも万物に共有の「ある」(芯)に合一する体験なのではないですか?
というか他ならわかんない。
何れにしても自己(我−私)を否定しつくしたあとに残るもの、それが芯であり、
残存意識として残るものがあるならそれがハルカさんの言う私であるということだと思います。
なにが残るのかは体験によって明らかになると思います。
自己を否定しつくす。それでよいと考えています。
自己としてできるのは相対的な否定としての無であるだけ。
だから脱却に関しては全く想定できませんが、
そこから更に生意志の全面否定によって否定無を貫くことぐらいしかわかりません。
これは先行して準備しています。
これでは駄目でしょうか?
個体化の原理については、
それを成すものをハルカさんは我と捉えていますが、
ボクはまだ(我−私)を未分化なままにしています。
我は自己同一性の確立するまえの混沌とした内的意識
私は外的連関により次第に分化された表面意識と捉えていますが、
これらは連関し、侵食しあう流動的なものと考えています。
ボク自身はいずれにしても否定しつくすのみと考えています。
残る意識も生意志の全面否定によって否定されるでしょう。
以上でボクの想定は書きました。大意は変わらないように思います。
ご批判があればよろしくお願いします。
最後に付け加えますと、生命種がどこに位置するかはわかりません。
ハルカさんは我に想定していますが、芯である可能性もあるわけです。
芯である場合、無機物から有機物への連続性が想定できますし、
万物に内在する意志あるいは単子のようなものが想定されます。
虚無への脱却はその場合、極めて困難と思われます。
いずれにしても相対的に可能な否定をしつくす、ということしかないように思います。
>>54 じゆんさん
私事でレスが遅れ、申し訳ありませんでした。
>言葉について
言葉自体が“普遍”“客観”“真理”というのは同意します。そしてプラスやマイナスとい
った意味はないのだということも。言葉そのものは人の手を離れ、言葉という客観世界
を築いていると思います。各人の意識はこの一人歩きした言葉の客観世界を媒介に
他者の主観言語との連関によって分化、侵食、発信を繰り返しつつ、それぞれの言語
世界が変容していっているのだと思います。言葉が誰の為のものか、なんかよくわから
ない。使っているのか使わされているのか。。。
>>55 じゆんさん
>善悪について
思考を介在させなかったこと、というご指摘がよくわからなかった。連関者への気遣い、
個体化の壁に阻まれながらも相手を思いやるということを欠いたということ(いわゆる
エゴイズム)でしょうか?そうであるなら同意です。よく言われる、個体化存在はすべて
エゴだなどという批判は自明ですが、だからといってそれを乗り越えようとする志向、
連関の絆が否定されるものではないです。ただ、それらが善か悪かについては相対的
な価値ではあると思います。ボクが思うのは皆「よく生きている」ということ。
>連関世界内にて、小さき個体化存在者が認識し経験できることについて
個体化の原理下にあってはこれは僅かだと思うし、いつまでも真理(物自体)は知り得
ず、誤謬が誤謬を産む連続だと思います。個体化存在者が弁証法的に昇華してゆけ
るなら、それはより良くという方向に向っているのでしょうか?個体化の原理下にあって、
如何なる到達点も個体化存在としての認識を越え出ないと思います。弁証法的な推移
は、どこまでも相対的にしかありようのない個体化世界で、その都度振りだしに戻る、
うたかたの夢に等しいように思います。でもそれがせめて個体化存在にできることだ
とも思います。
トラブル続きでご迷惑をお掛けっぱなしですが、
次から少しづつ自己自律について新たに展開できればと思っています。
自分なりに批判点がありますので。
>>99,101
>個体化の原理を看破した愛の実践をあげたのです。
その方法でもアガペーと言われる愛を見つけるかもしれないが、
自己犠牲が必要になるだろう
自己犠牲の愛を貫かねば見出せないであろう
俺には難しい道に見える
俺には、それよりも、自己観察の方が容易いと思うが・・・
どちらにしても、同じ扉をあけるだろう
存在すること自体が愛なんだがなあ・・・
Sさんへ
レスをどうもありがとう。
本当はすぐにレスしたいんだけど、考えるためのまとまった時間が今の私には取りづらいというのと、
あとちょっと、そもそも考えが纏まりづらいような事柄を考えているわけですから即答するのが基本的
に難しいのです。ですから遅レスはお互い様と言うことでこれからもやっていきましょう。
もしかしたら、忘れてしまってレスしなくなる恐れもありますが、私は本来いい加減な男なのでそれは
どうかご容赦ください。
この場を借りて他の皆様へのレスが滞っていることについてもお詫び申し上げておきます。
理由としましては私は長文偏愛でありまして、きっちりとレスしたく思い中途半端な
レスは不安というか嫌いなのです。所詮いい訳です
実を言うとはS氏あてのレスを書き直すのはこれで3回目なのです。うまく言葉が纏まりづらいのです。
まあそれで正しい言葉が発せられるというわけではないですけれど、そういう状況なのです。
ちょっと精神的に辛いかなと言う状況にあります。いえ同情などを誘うつもりは私には、毛頭なく
ただ寒いのが苦手なのです。あと寝不足もいかんようですね。気をつけたいと思います。
みなさんも風邪などにはお気をつけください。
ではでは。。。
えーとまずは言葉について
Sさんおそらくその通りだと思います。そして、あとは言葉への恐怖心を克服するだけのような気がします。
いえSさんに言っているのではなくて、自分自身に言っているのです。
言葉を発することは私自身かなり恐いのです。自分が正しいという、自己正当化に懐疑が掛けられるわけです。
それって考えると非常に恐ろしいことだと思います。そして私はいつも断罪されることを恐れます。
そういった恐怖心は薄れることはないと思います。いやそもそもその恐怖心はとても大事なもので薄れさせては
いけないものだと思います。覚悟というのですかね、いやそんなかっこいい代物ではなく、ただの臆病に臆病を
重ねた自己正当化という気も私はします。それは言葉を発したずいぶん後でも感じるのです。
私は主観と客観を分ける、言葉を切り離すと簡単そうに言っていますが、まあ簡単ではないですね、
とても難しいです。しかしそれしか道はないような気がするのです。
そして語ることがすべて正しいのか、つまり沈黙も尊ぶべきものなのかという疑念も実は私は持っているんです。
沈黙とはなにか。私は沈黙にはいろいろな要素があると考えます。一言では言い表せない。
ときどき沈黙がスレの流れにおいて見過ごされがちですが、その辺も私は気をつけていきたいと思うのです。
いや沈黙がイヤだといっているわけではなく、どういった空気が今占めているのか、と判断するためですね。
ちょっと自己弁護調になってしまいましたね。まあ今言えるのはそんなところです。
連関について
ちょっとこれについて私の私見のみを語らせて頂きます。
例えば連関をイメージするとき、それは無限につづく組織図を意識すればよいのだろうか?
という疑念が私は長い間、頭をもたげました。どういうことかというと、そんなに単純なものなのか?
という問いです。いやSさんの説明が悪いとかという問題ではなくて、そもそも我々は議論において
教えを請う、そういった理解形式を望んでいないための議論なのですから、すべからく自分で考える
ためにあるのだと思いまして、自分への問いかけなのです。理解仕方に個々特有なものがあるのは
ご容赦ください。Sさん言っておきますが、あなたも結構、珍妙な考えをすることだけは申し上げてお
きます。いやあなただけがと言うわけではなくて、そんな輩は私を含めてたくさんいるのだと認識する
次第なのです。ちょっと脱線しましたが、では連関とは?
まず懐疑点(あくまで自己の解釈に対してです)。
連関とはイメージとしては、直列形式なのか?
もしかすると連関のイメージは、並列形式なのではないか?
何を持ってこんな頓珍漢なこと言うのかというと、連想したのは私、磁石なのです。
磁石の直列の接合、また並列の接合ですね。
例えば絆を考えるとき、その人と人、いや生命と生命との“結びつき”にまず連想してしまうのは
おそらく結束力のようなものなのだと思います。人が多くなればそれだけ力が増すような妄想というか
考え方です。たとえば馬力という単位がありますけど、馬力が2倍(2頭)なったからと言って、馬の速度
は2倍にはならないのです。これは磁石もそうですよね。磁石を二個つなげても、2倍にはならないなと。
そう言った解釈があったかと思います。
そう言った理由で私は絆の直列形式、そういった集合の倫理というものを、いわば社会論的には力の
正義という姿勢を否定したいと思います。いやそう言った他人の手助けは有効でありまた慰めでもあるの
ですが、それに安住してはいかんと思うのです。なかなか難しいですが、まあそういった志です、
姿勢のみでその思想は存立するのだと私は思いますし。
では磁石の並列解釈とは何か。つまり棒磁石を扱った場合同極通しをくっつけるわけです。
S極とS極、N極とN極をくっつけるわけです。いやもちろんそれだと同じ極同士ですから反発してしまう
わけです(確かそうでしたよね)
であれば、連関とはそういったくっつき合うことをまず否定した立場から申し上げると、お互いの位置を
把握することが肝要なのだと思います。あまりびたびたとくっつきすぎない。
自己を存立させようと言う連関形式なのだと思います。いやくっつくべき時は大いにくっつくべきなのです。
そのときの判断もあるいは重要だと私は思いますし。
そしてその並列解釈は何につながるか?
それはつまり二律背反、カントで言うところのアンチノミーに対する姿勢なのだと思います。
我々はアンチノミーな問いに対する姿勢に対してはすべからくそう言った距離、自分の位置を確認する
必要があると思うのです。ではアンチノミーとは何か?
解説書によるとなんだかカントが言った言葉だそうです。すばらしいことを氏は言っていますね。
これを発見したとき私は感銘を受けました。ああアンチノミー(二律背反)ね、とため息を漏らしてしまいました。
ちょっとおこがましいですが二律背反について説明します。所詮これは私の理解に即した
未熟な戯れ言ですのでみなさん自分で調べることをお勧めします。ただ私も二律背反の形式だけ述べるだけです。
命題1、時間は無限である
命題2、時間は有限である
この二つの命題を二律背反と言います。どちらの命題も片方を否定しているからです。
そしてどちらの命題も真偽を確かめられぬのです。いやこの場合ビックバン理論という観点ももありますが、
それはそれであらたな問題が生まれてくるはずでしょうし。
そう言った二律背反はおそらく哲学においてあらゆるところで見受けられるでしょう。
いやそもそも哲学とは二律背反の命題しか扱わないのではないかという疑念?も浮かんできます。
では我々のすべきことはなにか?
まずは命題の存立する位置を確認すること、これは先ほど申し上げた通りです。
次に…、この後は私も考えようと思います(汗)。でも私見だけ言っておきましょう。
私はあえてS極とS極をくっつけようとするときがあります。
どれだけの力がそこに備わっているか確かめるためです。
しかしそれはそんなに良いことではありませんね。
主観の対立に置き換えてもかなりの不毛を感じるのです(すいません飛躍ばっかりしてしまって)、
であればおそらく経験を積むくらいしかないのだと言うことですね。自分の位置を確認する。
つまり自分の意志を知ることですね。これはかなり重要です。とりあえず私の考えはそんなところです。
二律背反を恐れるなと言うことです。
私見ですが、二律背反とはつまり、主観の葛藤です。善悪の問題、などですね。
そしてそこに正解式が得られるのならそれはどんなにいいことかと私は思います。
まあでも無責任を表明して申し上げますが、二律背反は私の責任というものではありません。
言葉の問題でもないと思います。そこら辺の責任は放棄してもいいと私は思うのです。
それが誰のせいかなどという問題は私はあえて黙認させて頂きます。
それを考えると純粋思考が阻まれるような気がしますので。
しかしあくまで倫理は別ものですしょうか(これはすべて自己への承認という形式を取るはずだと私は思います)
まあ屁理屈ですが、屁の河童です。議論なんて言葉なんてそんなものです。いやそんなものでもなく
語られることに非常に意味があるのだと思いましょう。
それがおそらく時間への好意解釈でしょう。
まあ私の考えはそんなところです。この後にも二律背反は続いていきますが、
その後の判断は各自にお任せましょうか。
また長文をだらだらと書いたのできりのいいところで締める必要が今の私にはあるのです。
非常に申し訳ない。ではこれにて失礼させて頂きます。それじゃ。
ハルカさんとNさんにご指摘いただいた愛についてと、じゆんさんのご指摘を踏まえて、
自分の考えを書いてみます。
連関についてのボクの考えは(というかSHやカオルさん他に導かれて至ったものです
が)「ある」という一なる存在形式のもとに、「個体化」という現象形式のおいて一如に
存立しているのだということ。「個体化」という現象形式において、あらゆる個体形式は
互いの関係で侵食しあい、その境界は曖昧で常に流転するものだということ。その切り
離せない存立形式をひっくるめて、連関と称しています。一として、或いは数多として固
定されるものではないところに、悩ましい二律背反が生まれ、相対的で無常なる自由が
あるのだと思います。
個体化存在者はその現象形式を引きうける者として、それだけで肯定され得ると思い
ます。皆「よく生きている(現象している)」ということです。存在すること自体が愛という
ご指摘に対して、ボクが思う存在者の尊厳です。連関のただ中に自己(個体)が生ま
れ、連関に支えられて自己が存立しているのだということ。自他ともに連関そのもので
あるという気遣いが愛なのだと思います。だから愛は自という内的連関にも、他という
外的連関にも向き、それらの連関をして自己自律の「自己」とボクは称しています。
偏愛・・・個体化の原理下にあっては例え覚者と言えども偏愛だと思いますが(個体化
の現象形式が残る以上、厳密には静止とは思わないので)、それは逆説であって
個体化の現象形式だからこそ愛は発露されるのだと思います。
エゴイズムとはあたかも個体が唯我独尊的に存立しているという認識度合いだと思い
ます。連関者への気遣いと表裏なるもので、どの程度をエゴイズムと呼ぶかという明確
な線引きはないと思います。個体化の原理を看破して自他の境界認識を越えた者は、
最高度にエゴイズムを克服したと言えます。その者から発せられる気遣いは自己犠牲
ではなく、「自己」(自己自律における「自己」と同じ)そのものとして発露される愛なので
しょう。ただしそこに至ったとしても個体化の原理そのものは何ら変わらず、個体化存在
者の気遣いとはどこまでも偏愛を越えない。そして個体化という相対世界にあって、
その者のありようが絶対的な善である訳でもないです。そもそも個体化の原理はエゴ
の推進原理ですからそんなに単純なものではない。冒頭に書いた悩ましさと自由さが
そこにあると思います。
個体化という相対化された現象にあっては、すべてが許されるのか。何でもありなのか。
SHの言葉を借りれば「苦しみを与える者も受ける者も同じ」であり、世界内の連関として
すべては「自己」そのものに反映されるのだということ。だからこそ連関における気遣い
が生まれ、弁証法的により良きありようが模索されるのだと思います。ただしやはりある
個体価値や集団価値を越えることはなく、あくまで個体化の原理に則った、世界内に
開示された一認識仕方、一価値に過ぎないこと。相対世界の中では、じゆんさんのご指
摘通り正解式などどこにもなく、そこに終わりなき葛藤があり、個体間、個体内における
苦悩は果てしなく続き、だからこそ自由でもあるのだと思います。そしてボクが思うのは、
皆「よく生きて(現象して)いる」ということ。
蛇足ですが、ボクを苦しめるのは、そうした世界が「ある」という絶対的な制約なのです。
これはこのスレの冒頭からかなり繰り返してきました。(カオルさんが引いてしまう程・・・)
しかしこの点を中心に自己自律についてもう少し展開してみたいと思っていますので、
自己自律の翼は折れてはいない、と思っています。
>>じゆんさん
ご愁傷さまです。お大事に。。。
レス、読ませて頂きました。一応それを受けての返答のつもりですが、的外れだったら
ごめん。あと言葉を並べるのはボクも怖いです。ちょっと失礼な話をさせてもらうと、、
よくね、ハルカさんに叱られる夢を見るんですよ。ハルカさんを知りもしない訳ですが。
かなり追いこまれているようです。(笑)
>>82 Sさん
>ボクも今回の件でカオルさんとソフィアさんとで掌返してますた。。。
基準が心にあるか物にあるかでは大きなちがいです。
人間を価値の極限に向かわせるのは倫理と道徳です。
これは心の原理です。
人が人であることの根拠です。
反省はあなたが人であろうとすることの、
あなたが人であることのプライドなのです。
倫理と道徳は個人的主観なんかではありません。
そのような戯言をいう輩は"ヒトデナシ"なのですから
さっさとこの人間世界から立ち去らなければイケマセン。
それが生きていることの責任を取るということです。
超越への志向と自由への責任をともに引き受けて生きる、
アンチノミーに引き裂かれながら真ん中を走りぬけること、
それが人の運命なのだと思います。
偉そうにごめんなさい。ほとんど自分にたいする叱咤です。
>>84 ハルカへ
>本当に『自分を見失う』事が出来て『ソレ』が戻らなかったら…イコール『悟り』だよ(笑)
説明が浅いと思う。
『自分を見失う』だけなら簡単。虚存(生の本拠地)へまっしぐらだよ。
大いなる歓喜、至福、絶対の安心・・・これのどこが『悟り』なのさ?
"本当に"の説明が一番肝心だと思う。
説明ができないことなら、そのこともちゃんと付記するべきだと思う。
ハルカの言葉は重いんだよ。自覚してほしい。
>>129 横レス失礼
>大いなる歓喜、至福、絶対の安心・・・これのどこが『悟り』なのさ?
きちんと説明しているように見えるが・・・
おそらく
苦悩の解決を求める心、
矛盾の解決を求める心、
何らかの生存に関する問題の解決を求める心
のいづれかを強く持っている
そういうことが条件だろう
苦悩の解決を求めるなら答がある
矛盾の解決を求めるなら答がある
生存に関する問題の解決を求めるなら答がある
苦悩があるゆえに完全な至福を見出す
輪廻があるゆえに完全な涅槃を見出す
束縛があるゆえに完全な自由を見出す
自我があるゆえに完全な無我を見出す
上下があるゆえに完全な平等を見出す
善悪があるゆえに完全な善を見出す
時間があるゆえに今現在を見出す
この見出したのがそれ。
>>129 カオルさん
えーと…(^_^;)
何や知らん内に、私に重責がかかってるようだね〜。
ま、いいけどさ。
貴女が私の発言を問題にしているのは、多分発言中の『本当に』の意味よりも『自分』の意味自体を間違って捉えているからだろうね。
私の言っている『自分』てのは単なる『自我意識』の事じゃない。
『自我意識』だったら狂人(?)とされる人は質に関係なく全員が【覚者】になっちまう(笑)
んな事ぁないわな。
『自分』とは【個体化原理】そのものだよ。
『本当に自分を見失う』とは『【個体化原理】から脱し、それ自体を所持出来なくなる』という事だ。
いい?
【個体化原理】を所持する事が『出来なくなる』んだ。
そして『ソレが戻ってこない』=『その所持不可能が一時的ではなく永続する』ならば、イコール『悟り』(【静止】)だよ、と。
>>129 >『自分を見失う』だけなら簡単。虚存(生の本拠地)へまっしぐらだよ。
その恐れている虚存こそが、上記の完全な至福、以下略だ。
その虚存のことをナーガルジュナは空と呼んだがね。
>ハルカへ
だから、それをちゃんと説明する手間を省いちゃいけない。
前スレ全部読む人はいない。(笑)
>本当に自分を見失なえば盛大に祝福を受けるというのに・・・
>>80 >自分を見失うというのは、それはすばらしい出来事なのだから。
>>83 >本当に『自分を見失う』事が出来て『ソレ』が戻らなかったら…イコール『悟り』だよ(笑)
>>84 この流れだと誤解されるのは、必然でしょ?
それからいまさらわたし個人に『【個体化原理】の説明は必要ない。
わたしが問題にしているのは"本当に"の部分です。
『自分を見失う』というのは、
>その虚存のことをナーガルジュナは空と呼んだがね。
>>132 こっちの方に適切な表現です。
実はハルカはこの辺の説明をちゃんとはしてないのです。
ということで、できればヨロシク。(^.^)
>>133 カオルさん
説明しましょかね( ̄ー ̄)ニヤリ
―【個体化原理】からの脱却が一時の気の迷いや錯覚では無しに真に行われたならば、自然と【個体化原理】を保持出来なくなる―
つまり【脱却】に至るまでには『自分が必要』だが、【脱却】それ自体には『自分は必要無い』という事。
この自分が無い状態になってしまった後『意識しても自分が帰ってこない』というのが『戻ってこない』て事。
だがソレは決して人為的に出来るものじゃない。『悟り』の側がそうしてくれるのを待つしかない。
だから、わざわざ『本当に』と言ったのさ。
>>134 >「悟り」の側がそうしてくれる
悟りには「自分(意識しても自分が帰ってこない とあなたが使う)」ではない主体があるということですか。
>待つしかない
その主体は固体化原理から脱却する直前の「自分」なのでしょうか。
また、
>この自分が無い状態になってしまった後『意識しても自分が帰ってこない』
この状態における主体は自分から乖離した意識なのですか。
初歩的な質問ですみません。
>>125-127 Sさんへ
>そこに終わりなき葛藤があり
いや葛藤には終わりはあると思いますよ。いまになって受験のことや宿題のことなんてよう
悩まないし、それに昨日の葛藤と一年前の葛藤は別ものでしょう。
>正解式などどこにもなく
で、私は正解式はあると“信じる派”もしくは“信じたい派”なのです。
いやあるんじゃないですかね、私は自己正当化自体は否定しないんです。
基本的にというか、主観的な立場で言うのなら、私は善悪に関してはやはり自分の快い方に
行く傾向があります。ちょっと違うな、苦を避ける方向へ導かれます。で快には向かいません。
>個体間、個体内における苦悩は果てしなく続き、だからこそ自由でもあるのだと思います。
この部分はなんだか飛躍している気がします。ニュアンスとしては分かるのですが、かなり文節毎に
飛躍している印象を受けます。まず苦悩が果てしなくつづくのならどういう現象が個体間、個体内に
わき起こるのかできれば教えてください。
おそらく最悪な状況をイメージするのですが、いやかえってかなり悩ましいくらいの良い世界を
イメージすることもできますね。もしそうだったらそのときの自由の立場を設定してください。
自由はどのようなスタンスから好意解釈となるのか、もしくは悪意解釈になるのか? です。
>ボクを苦しめるのは、そうした世界が「ある」という絶対的な制約なのです。
まあその絶対的を破壊するために感情とか言葉があるんじゃないかな。適当。
あと私は風邪は引いてないんで念のため。すこぶる元気です。
これからそういう季節になって、辛くなるかと思うんで変わりにまとめて心配したんです。
他意はないです。いやちょっと精神的な辛さはあったけど、今は少し壊れました。
感情よりも記憶に頼って今は書いてます。なんか変な感覚です。きっといけないのだと思います。
>かなり追いこまれているようです。(笑)
そのようです。いちおうほどほどにしましょう
>悩ましい二律背反が生まれ
麗しい二律背反という解釈もあります。
>自他ともに連関そのものであるという気遣いが愛なのだと思います。
「気づかい」は愛にはならないと思います。
私は愛は発露と顕現の二つにのみ区分され、現象(気づかい)以前の存在で止まるはずです。
決して現象化しないのが愛だと思います。まあ気づかいでもいいですが気持ち浅い気がします。
>愛は自という内的連関にも、他という外的連関にも向き
おそらく片方だけのような気がします。愛の自他の同時存在はおそらく不可能です。おそらくですが。
どちらかが犠牲になるべき(ならなくてはいけない)と思います。
>個体化の現象形式だからこそ愛は発露されるのだと思います。
なんとなく同意します。でもこれだと善チックでもありますね
>どの程度をエゴイズムと呼ぶかという明確な線引きはないと思います。
まあエゴイズムの程度を認識することは無意味だと思います。
つかエゴイズムに程度などという尺度はあるんでしょうか。
おそらく個別概念の問題とその時における感情にそれぞれ還元されることになりそうです。
>SHの言葉を借りれば「苦しみを与える者も受ける者も同じ」であり
やっぱり氏の言葉はいい言葉を紡ぎ出しますよね。
>世界内に開示された一認識仕方、一価値に過ぎないこと。
おそらく一認識、一価値を取り出すのは無理です。なぜならそれを認識しようとするとついでに
ずるずると二三個ぐらい一緒に認識、価値が出てくるからです。芋づる式ですね。
うん悩ましいです。どれもおいしそうなんで。
とりあえず以上です。また時間を見つけてレスしたいかと思います。
よろしくお願いします。
>>128 カオルさん
レスして下さり有難う御座います、です。
>倫理と道徳は個人的主観なんかではありません。
これはちょっと自信ないです。(ヒトデナシ、、ですね。)何か絶対的な価値があるとは
ボクには言えない。原初として固定された倫理や道徳がないという基盤の上に、個人
の主観とそのすり合わせにより派生した集団、社会の共有価値、それが連関しつつ
侵食しあい、新たな事態によって影響を受け、修正されてゆく。そのように相対的に
移ろいゆくのだと思います。で、そうした経緯の中で変わらないで来た骨太の倫理や
道徳は、だからこそ大切なのだと思います。そしてもっと大切だと思うのはそうした
半普遍化した価値であっても、新たに修正されうる可能性が常にあるということです。
例えば自然権は生の形式に従う私達にとって揺るぎ無い価値観だと思います。それ
は強制されるからではなく、確立された当初から今日に至るまで妥当性を貫いている
からこそ半普遍化していると思います。が、人間中心の自然権発想から他生物や環
境との融和の発想へと価値転換されるような事態だって想定できますし、極端ですが
ハルカさんの上位生命論みたいな事態に直面した時に、生の形式そのものが価値転
換される可能性だってあります。そうした場合のきっかけは、反時代的な名もなき個人
主観から発せられた価値であるように思います。
と、ここまで書いてみて、カオルさんはそんなことを言っているのではないと思いました。
人間、人と人との繋がり、拡大すれば森羅万象との繋がり。連関。それを基盤にする
のが倫理と道徳ですから、それは個人的主観なんかじゃない、と思います。ただ、常に
個人主観との相克はあるのでしょう。例えばカオルさんやボクがずっと頭を痛めている
あの問題のように。
>超越への志向と自由への責任をともに引き受けて生きる、
>アンチノミーに引き裂かれながら真ん中を走りぬけること、
素敵です、カオルさん。ボクも感化されずにはいられないです。
あと、ソフィアさん。随分とご迷惑をお掛けしましたが、勉強になりました。有難う御座いました。
木村さん、身勝手に貴方のお名前を使ってしまって済みませんでした。ご冥福をお祈りいたします。
>>じゆんさん
レス有難う御座います。読ませて頂きました。
なんとなく返答が書けないでいます。
>>57-58 Sさん
>【生命】という形式をあてがわれた視点(本質)と引きうける視点(実存)で考えてみます。
>圧倒的に本質>実存なのだと思います。
>けれどこれで自己自律が絶対的な制約、他律性に吸収されてしまうのか、といえば、
>答えは出せません。ただ、本質的ありようと実存としての志向が絶望的ともいえるせ
>めぎ合いをしている、というように思います。
わたしは、@「人の命は価値の根源である」と思わない。
わたしは、A「人の心が価値の根源である」と思います。
2つの命題のあいだには深い溝があります。
2つの命題のあいだのコンフリクトをバランスさせる
知恵として継承されたのが道徳ではないでしょうか。
@は還元主義的には正しいです。
(もっというなら「ビックバン(存在)は価値の根源である」w)
でも還元主義的手法は不毛だと思います。
なぜなら"心"のように検証できないものは見て見ぬふりをするからです。(笑)
それなら@とAの命題を生み出す世界をそれぞれ別の公理体系として
とらえてみたらどうかな?、というのが前スレからの私の提案でした。
>>92 Sさん
>シジフォスの労働も永劫回帰もぞっとします。
たとえバイオテクノロジーによって永遠の生命がえられたとしても
生死を支配できるようになっても、ビックバンを創造できるようになっても
人の心が変わらないなら何も変わらないのです。
だからぞっとするのです。
人の心を変えることができるのは人の心だけです。
人には本質(命)を超える実存(心)の可能性が与えられているのです。
>個体化の原理を看破し自他の境界認識を越えること。苦を分かち合い愛を実践する
>こと。それは自己自律の「自己」と「自律の躍動」としての最高度の実現です。
これが倫理や道徳の本質だと思います。
>>126 Sさん
>蛇足ですが、ボクを苦しめるのは、そうした世界が「ある」という絶対的な制約なのです。
あるときには足があるのかと疑いたくなるような「ある」
あるときには吐き気のするような醜さを誇示する「ある」
わたしの存在の不安と苦痛はくりかえしやってくる。
わたしは神さまにはなれない。
なぜ「ある」ことになったのか知らない。
ある人は神さまが退屈(無)に耐えられなくなったからという。
そうかもしれない。でもそうならこの世界は失敗作だと思う。
ひまつぶしの書き込みがろくなもんじゃないのと同じように.。
わたしはそんな世界に望んで生まれてきたわけじゃない。
だからせめて望んで死にたいのです。
>これはこのスレの冒頭からかなり繰り返してきました。(カオルさんが引いてしまう程・・・)
だって、なぜ世界があるのか?、って聞かれても答えられないもの。(笑)
>しかしこの点を中心に自己自律についてもう少し展開してみたいと思っていますので、
>自己自律の翼は折れてはいない、と思っています。
ぜひ聞かせてください。タノシミタノシミ
>>138 Sさん
>と、ここまで書いてみて、カオルさんはそんなことを言っているのではないと思いました。
>人間、人と人との繋がり、拡大すれば森羅万象との繋がり。連関。それを基盤にする
>のが倫理と道徳ですから、それは個人的主観なんかじゃない、と思います。ただ、常に
>個人主観との相克はあるのでしょう。例えばカオルさんやボクがずっと頭を痛めている
>あの問題のように。
理解してもらえてうれしいです。
ここまで来るのに長かったような・・・
まだ食い違いはあるかもしれないけど
うれしいから今日はここまでにします。(^.^)
>>130 Nさん
>>大いなる歓喜、至福、絶対の安心・・・これのどこが『悟り』なのさ?
>きちんと説明しているように見えるが・・・
えーと、あなたのいいたいことはよくわかります。
けれどわたしは、「大いなる歓喜、至福、絶対の安心」は『悟り』じゃないといっているの。
至福とか自由とか平等とか善とか今現在とかを見出した"それ"は
ハルカのいう『悟り』とはちがうんじゃない?ってことです。
べつに二人の『悟り』がちがうのはいいのだけれど
前スレからおなじものとして語られているから
そこんとこハッキリしてほしいなっていうことです。(特にハルカには)
前スレ以前から読んでいるならわかると思うけど
ハルカは「存在との合一」を『悟り』とはいっていないのです。
なのでNさんが悪いとかわかっていないとかいうことじゃないです。
>>134 ハルカへ
>この自分が無い状態になってしまった後『意識しても自分が帰ってこない』というのが『戻ってこない』て事。
ハルカは戻ってきたから、というか逃げてきたから今ここに書き込んでいるんだよ。
Nさんは逃げていないのに戻ってきて今ここに書き込んでいるんだよ。(ちがったっけ?)
とにかく至福から逃げてきたんじゃなくて恐怖に脅えて逃げてきたんだ。
ふたつの事態がどうやって起こるのか、その違いは何か、を明確にしてほしいです。
それから【個体化原理】を保持出来なくなるとどういうことが起きるかわかってるよね。
生肉を食べる話とかしてたけど、そういうことも含めて社会生活はまず営めなくなるんじゃないの?
そもそも意思が極端に沈静化するからまともな身体的活動は絶対無理。
キーボードだって打てなくなる。(笑)
こういうところのからくりもちゃんと説明してほしいです。
(そういう段階なんじゃないのかな?)
>>146 あとこれもいっておかなくちゃね。
『悟り』の前段階の発狂する可能性について。
99.99%くらいその可能性の方が大きいということ。
またその過程を踏まないかぎり『悟り』なんかあり得ないということ。
『自分を見失う』と言うのは結構だけど、簡単に往来できるようなことじゃないこと。
発狂の危険を冒しての行為であること。あるいは死をも含めての行為であること。
命懸けだということ。
んじゃ、おやすみなさい。
悟りとはその全く同じ過程を個々人が経るのでしょうか?
>>145 カオルさん
ハルカ氏の見たものと俺の見たものは同じだと思うよ。
ハルカ氏の方がよく分析しているが・・・
違って見えるのは、それについて、いろいろな表現ができるだけだよ。
視点を変えてやれば、いろいろな見方ができる。
絶対的な至福とか
絶対的な自由とか
絶対的な平等とか
絶対的な善とか
今現在以外にも
もちろん、
絶対的な愛とも言えるし、
絶対的な静寂とも言えるし、
その空虚さから、
絶対的な暗黒とも
底なしの闇とも言える。
まだ、他にもあるだろうが・・・
>>146 囚われや望みができれば、戻ってくる。
囚われや望みがあるから恐怖がある。
同じものだよ。
>>147 発狂する可能性はあるだろうが、どのくらいかは分からない。
たとえば、余命1ヶ月と宣告されたらどうなるだろうか?
落ち込むだろうか、暴れるだろうか、発狂するだろうか、自殺するだろうか
しかし、少ないながらもニッコリと笑う人が出てくる。
悟りとはこのようなもの。
>>145 カオルさん
絶対的な至福とか
で、わざわざ絶対的とつけているのは、
相対的でないからつけている。
外すと意味が変わってしまう。
相対的なのは、自分が思い描く基準を満たしたかどうかの喜び
このようなものでなく、元からあるという意味。で絶対的と付けている。
それに、その大きさや質がまるで違う。
人生で一番嬉しかったこと
人生で一番愛を感じたことはどのようなものだろうか
どのくらい心地よかっただろうか?
瞑想とかで得る静けさ、心地よさはその数倍はあるだろう。
だから何時間座っても平気なんだけどね。
おそらく、一生のうちで少数だけが体験するオーガズム程度なんじゃないかな(予想)。
しかし、悟りはその百倍、まだまだ足りない。
一万倍、まだ、足りない。
百万倍、まだ、足りないと思う。
おそらく、全宇宙の喜びをかき集めたくらいの大きさになる。
これが、絶対的な至福という所以なの。
>>149 続き
>しかし、少ないながらもニッコリと笑う人が出てくる。
>悟りとはこのようなもの。
ここで、ニッコリ笑った人とそうでない人と違っていたところは、
おそらく、自己観察をしたかどうかだろう。
おそらく、すべての望みをふっきれたかどうかだろう。
>Nさん
うん。あなたの体験はおそらく「存在原理そのものになる」ということ。
だからハルカのいっている『悟り』もおなじものならわたしには興味ないということ。
絶対的な至福に価値なんてないもの。隣人をひとり愛せるようになることの方が
『悟り』の百万倍価値がある。w だからあなたも戻ってきたのでしょ?
価値へのこだわりがないなら【私】へのとらわれもないはず。戻ってくる理由がない。
>>136-137 じゆんさん
>いや葛藤には終わりはあると思いますよ。
>私は正解式はあると“信じる派”もしくは“信じたい派”なのです。
そう志向するじゆんさんを否定できません。 じゆんさんがうらやましい。
じゆんさんへの返答がなぜか滞ってしまう今日このごろです。。。
>どういう現象が個体間、個体内にわき起こるのか
満たされぬ欲求に突き動かされる苦悩。個体間での個体内での終わりない闘争。
>自由の立場を設定して
個体化世界という相対世界の自由。弁証法的に登り詰めようともがけど、絶対へ
辿りつくことのない自由。
>「気づかい」は愛にはならない
ボクの愛は「気遣い」です。エゴとしての欲求にひたすら付き従う盲目から連関へ
の気付き。それが「気遣い」。「気遣い」によってボクは内的、外的連関として存立
しています。
>自他の同時存在はおそらく不可能です
自他という認識では無理っぽいですね。だから最高度の具現は自他の認識境界
がなくなること。犠牲とか意識している間は違うと思います。
>おそらく一認識、一価値を取り出すのは無理です。
人間に可能な認識仕方を越え出ない、その認識によって構築された価値を越え
出ない、という意味です。
>>141 カオルさん
>わたしは、@「人の命は価値の根源である」と思わない。
>わたしは、A「人の心が価値の根源である」と思います。
そうですね。人の心への関心が失われてしまったら、ヒトデナシなのだと思います。
ただ、@でもAでもそれを産み出した「何か」は(内在的なものだとしても、超越的な
ものだとしても)わからない。それを、あてがわれた視点(本質)と引きうける視点
(実存)として捉えていました。でも、>だって、なぜ世界があるのか?、って聞かれ
ても答えられないもの。(笑)・・・ですよね。心の公理系についてはよくわかんない。
というか知覚/記憶/思考/感情みたいに区分して、それが何?って感じなんです。
細かいことはできれば後日。次のレスでイブだから(?)思いきったこと書いちゃい
ます。ここまでの主張をひっくり返します。怒らないでくださいね。(でもボクの軸は
変わらないです。)
ボクは自分を産み出した「何か」、突き動かしている「何か」に不条理を感じていました。
自律せんとする鳥を縛る本質と実存の乖離、「何か」(神様)との絶望的な断絶です。
でも、例え小さき個体化存在者では想定すらできない断絶であっても、もしもボクの背後
に「何か」がいるなら、やっぱりボクと「何か」は連関しているはずです。だから「何か」
の落書きがボクであっても、「何か」の気まぐれがボクであっても、秘密が世界の外に
あるとしても、例えどうしようもないとしても、やっぱりそこに乖離はないはずだと思います。
世界が「何か」の投げた石ならボクは石以外の何者でもなく、「何か」の気まぐれはボクの
苦悩と等しいものだと思うのです。
投げ出された「自己」(世界内自己)と成立している「運命」(自己到達点)には乖離が無く、
「自己」は「自律」(の躍動と沈静を)して回転してゆくということ。実存と本質の乖離なんて、
ないと思います。きっとボクは怨恨のような迷妄に囚われていたのでしょう。
イブだからではないけれど、ボクは神様を決して憎んだり恨んだりしません。もし世界が
出来そこないだとしても、それは神様の限界。その限界以外の何者でもないボクは、産み
出された小さき「自己」を乖離なく引き受け、自己自律の世界として愛します。決して憐憫
なんかじゃないです。そうであるからこそ、決して逃げ場のない「自己」として自律せんと
するのです。個体化と連関の狭間で。「ある」ことのくびきを越えて。産み出された者が
「自己」を謳歌し、消えゆく者が「自己」を安らげるように。
己が引き受けた悲しむべき自己自律の世界を、ひたすらまっすぐに進む「勇気」。
カオルさんの言う本質(命)を超える実存(心)の可能性、ボクが思う存在者の誇り高き剣。
ハルカさんにもあるのだと思います。だからハルカさんは「廃棄物」に向える。
36 名前:N ◆XEvUT1ciAM 投稿日:03/12/21 04:25
>>22 >改めて思いました、我を消滅させる精神的な行為は私には無理です。
我を消滅させるなんてできない。我を落とすことなんてできない。
我はひとりでに落ちる。我を見失う。といった表現になる。
>でも、あんまり悲しくありません。元々求めてなかったからだと思います。
>この違いは我の違いじゃなくて、私の違いなんでしょうね。
人は幸せを求める。苦しみからの開放を求める。なぜだろうか。
個になるのと引き換えに存在から切り離されたように感じるためだ。
楽園から追放されたようなものだからだ。
だから、何か空虚な感じがする。当然だ。
だから、何かにすがりたくなる。当然だ。
人は幸せを求める。当然だ。
苦しみからの開放を求める。当然だ。
だから、誰もが求めている。求めていないはずはない。
だから、それを見つけると、
長い間旅に出ていてやっと帰り着いた我が家、
ものすごく懐かしい我が家に帰り着いたように感じるだろう。
このスレに来ること自体、それを強く求めている証だ。
そして、そこに帰るまで求め続けるだろう。
>Nさんへ(補足)
存在から切り離されたまま、個としても消滅する。
懐かしい我が家には絶対に帰らない、というのがわたしの『解脱』です。
>(遅いけど) Merry Christmas Sさん
うつくしい人。良識を持って道徳を体現して生きる庶民。
>>157 おまえみたいな奴はさっさと消えなよ!
おまえには生きる権利も存在する資格もないんだよ!
気がつけよ!
>>カオルさん
カオルさん。ボクはカオルさんが好きだよ。
ボクにも色んな人格があります。嘘吐き、偽善者、ETC。。
カオルさんはとても苦しいと思う。でも自分を抱いてあげてください。
どうしたらいいだろう。Merry Christmas です。カオルさん。
どうしよう。。。
あなたの苦しみを分けてください。。。
偽善者ですね。
カオルさん、、、いままで甘えてばかりでした。ごめんなさい。
以前ボクが逃げ出した時だってボクがカオルさんに甘えていたのです。
カオルさんがこんなにも苦しくて、それでもこんなにも真摯に生きていて、、、
涙が溢れます。。。
神様酷いです。カオルさんが何をしたというのでしょう?
ほんとに酷いのはボクのような人間なのに・・
カオルさんが望むことをボクは支持します。
そうですよ。思うだけ「生きて」、疲れたら休んでいいのだと思います。
誰も咎めたりしません。いえ、できるものですか!
こんなに苦しみを抱えながら精一杯生きて、こころを配ってくれて、
それでなお、こんなに追い打ちをかけるなんて、
産み出されただけなのに、精一杯生きているのに、こんなに苦しいだなんて、
そんな馬鹿なこと、あってたまるか!!
>>160 おまえみたいな奴はさっさと消えなよ!
おまえには生きる権利も存在する資格もないんだよ!
気がつけよ!
あのね、カオルさん。
以前オムレツの話してくれたことあったでしょ?
すごく嬉しかった。
ヒトデナシにはもったいない話ですた。
はじめてレスした時、
二階堂奥歯さんを悼むレスのあとだったのに済みませんでした。
よく考えるとSophiaさんをどうの言えるような人間じゃなかった。
奥歯さんごめんなさい。
カオルさんを煩わせるつもりではなかったので、どうかレスはしないでください。
お騒がせしてしまいました。
ハルカさん。メリークリスマスでした。
いい加減にしろ!というのは、ええ、わかってはいるのです。
瞑想も未だできていません。数息観というのでしょうか?
やっているんですが、なぜか嗜眠癖が出てしまう有様です。
食事は乾パンきな粉ビタミン剤を摂っていて穀断ちには至っていません。
どうしても食事につきあってしまう時もあります。
自戒を込めた現状報告でした。
>>160 >自分を抱いてあげてください、というのは失礼な書きこみでした。
連関としての多様な意識を・・という意味で書いたのですが、
カオルさんが置かれているであろう、カオルさんでいることの苦しさをわかっていない
書きこみでした。撤回させてください。
**********************************************************************
自己自律について
自己自律を突き動かす「何か」を引き受けるということは、終わることのない苦と
引き換えに、本質規定と実存の乖離が無くなるということ。投げ出された無根拠性、
他律性は覚悟によって自己自律となる。躍動も沈静も脱却も、自己自律によって
覚悟によって等しく肯定され、志向できる。そうボクは思います。
心の公理系について
人間という存在者は心の志向によって個体化表象との意味連関が開示されています。
心の公理系以外の何者でもないと思います。心を突き動かす「何か」がわからないと
いうことは、心が何か、もわからないということ。けれど「何か」を引き受けるという覚悟
によって、心の志向性が自己自律となる。そうボクは思います。
心の公理系について(2)
ボクは唯物論も観念論も心(意識)の志向によって開示された個体化表象との意味
連関の解釈だと思います。意味連関を一定に基準化して数値化、法則化しようとする
ことは間違いではないと思いますが、その明瞭さ、簡便さだけに囚われてしまうと、
その尺度だけで世界を再規定する転倒につながると思います。心を大切にしない世界、
万物をモノ化した模造世界へ没入し心(意識)の志向である自らを窒息させようとして
いるようにしか見えません。囚われをなくせば、モノ/ココロというような対立してしまう
ような論は生まれないように思います。(単純でしょうか?)
自然科学の発展で、原始のスープから生命への連続可能性や、物質の自己組織化
などの自律性から生命への展開可能性が指摘されています。世界内の連関の中に
あって、生命だけが別物だとはボクには思えません。たとえ生命種なるものが独立して
いたとしても、ではそれは連関のどこから来たのか、という問いが立ってしまいます。
だからといって機械的な唯物論を言いたいのではないです。人間を突き動かす「何か」
がわからないように、個体化世界の連続性が高いのなら、同じ「何か」によって突き動
かされているのでは、と思うのです。ありていに言えば、汎神論的に個体化存在に内在
する「何か」によって世界は突き動かされているように思うのです。その「何か」はボクが
世界を産み出せない、産み出された存在者であるように、世界の創造者ではない。
といことは「何か」の背後には相対世界と切り離されているけれど、絶対的な「何か」が
潜んでいるのでは?と思ってしまいます。
ただし、「何か」そのものは想定できませんし、結局世界を成立させ突き動かしている
「何か」はわからない。ボクが思うのは、これまでの自己自律の解釈に合わせると、
連関世界は万物同根の「ある」と「個体化」の一如なる等しい構造にあるのでは、とい
うことです。この世界観にはモノ/ココロ、現存在/事物存在という対立はありません。
万物同根の自律連関があるだけです。ボクが途中から存在者という曖昧な言葉を
使ってきたのも、この世界観が念頭にありました。倫理、道徳を考える上でも、大切な
世界観だと思っています。
そしてこれらの解釈はすべてボクという心(意識)に開示された意味連関の解釈ですから、
すべて心の公理系です。そしてどこまでも主観です。この主観に立脚した主観相互の
妥当判断が客観として成立していると思います。それから、倫理や道徳もそうした心の
公理系、主観相互の妥当判断(バランス)だと思います。
脱却について
ボクの志向は、世界に投げ出された存在者の、無根拠で他律的で強制された在りよ
うからの脱却にあります。ハルカさんの虚無への脱却、カオルさんの死の自己創造。
いずれのご指摘も、ボクは感謝と共に真摯に受けとめています。
未だ瞑想の実践も進まず知見の狭いボクにとっては、可能な否定をしつくすことしか
考えられません。虚無への脱却可能性については瞑想における可能な限りの自己の
否定、死の自己創造については自律的に生意志を挫くこと。その二つの方法によって
相補的に実践することがハルカさんとカオルさんのご指摘に対するボクの答えです。
自己自律における脱却とは、自律的にスイッチを切り続ける試みの先にしかないと考え
ています。(悟りは自分でなんとかなるものではない、とのご指摘は理解しています。)
書きこみについて
ボクのこれまでの書きこみは、もともとボクの大雑把な志向にハルカさんとカオルさん
他の方のご指摘と、ショーペンハウアーを中心に哲学書からお借りした知識とで組み
立てさせて頂いたもので、オリジナルな要素は殆どありません。形而上的な箇所に
ついてはボク自身の体験が未だなく、ハルカさんの体験知にボクの独断思考を組み
合わさせて頂いています。そしてボクの中ではこれまで通り、ハルカさんの論と自己
自律とを並立させる形にあり、あとは実践の確認にてと思っています。
自己自律について(2)
ここに至って自己自律を万物同根というアニミズム的設定に移行させましたが、これは
ハルカさんの体験知(物質/生物)ともカオルさんの認識(エポケー)とも外れます。た
だ、ハルカさんとは、「ある」という一なる存在形式のもとに「個体化」という現象形式の
おいて一如に連関する意味において、カオルさんとは、「個体化」という現象形式の
あらゆるレベルの個は互いに侵食しあい連関する意味において、自己自律は成立
すると思っています。
自己自律は個体化の原理を看破(これには認知することから体験、悟りまで格差があり
ますが)することによって、エゴイズムから連関へ眼差しを拡げる認識です。万物同根
と移行したのは独断に過ぎませんが、そうした眼差しを補強したい意図がありました。
しかし一般化を考えれば、カオルさんのレベルで留めるべきではあったように思います。
自律の躍動について
例え「何か」を引き受ける覚悟に至ったとしても、個体化世界の苦が変わるわけでは
ないです。ハルカさんが言うように、もがいたところで一切の救いのない相対世界が続
くのみ。けれど、そこに存立する存在者がいる以上、存在者の立場からこれを認めな
いわけにはいかない。個体化と連関の狭間で、終わることのない自律葛藤を続ける。
それが自己自律の躍動です。
決して個体化の壁を超えることはできないこと。それでも(黄金律のように)相手の立場
を考え気遣うこと。連関する個々が逃げ場のない世界内において為せる、唯一の知恵
(倫理や道徳)だと思います。苦をなくすことはできない。けれど、せめて増やさないよう
に。理解しようと試み、苦を分かちあえるように。
自律の躍動について(2)
ボク自身の自律の躍動は、自己欺瞞を止めることです。カオルさんは小学時に、犠牲を
仕方ないと言う自分にぞっとしたといい、ハルカさんは搾取し続けねばならない生の形式
を嫌悪していますが、ボクが思ってきたこともほぼ同じです。できることなら、もう何も食
したくはないし、搾取したくはない。と思いながら要求を垂れ流し、嘘を吐き続ける醜い
自身をいつも断罪しています。だから、ボク自身の自律の躍動とは、そうした自己欺瞞を
自律的に止めることです。決して楽になることなど許さない贖罪です。ボクにできる、カオ
ルさんに誓った一生懸命生きること、です。
その躍動はボクの自律の脱却とも重なり合います。だからボクの自己自律の道は、まっ
すぐ進むなら、そこにブレはないはずです。勿論これはボクの主観であって恐らく極めて
特異なものですから、自律の躍動として普遍化できるような志向ではないです。
>>カオルさん
やはりあの夜、カオルさんは逝ってしまわれたのですね。
大好きなレノンの曲に包まれながら。
ハルカさんと脱却を語り合っていたボクらには、いつでも覚悟していたこと。
それでも貴方に応えたかった。でもどうしても出来なかった。
貴方とあるがままの涙を流しながら、貴方に絶望しか返せなかった。
苦悩しながら、懸命踏みとどまっていた貴方を貶めたのはボクです。
心根の素直な貴方がどんなに苦しんだか。それでも貴方は許し続けてくれた。
貴方の苦しみと自分の罪深さを背負います。贖罪されるその日まで。
もしも永劫回帰の輪に囚われてしまったら、最愛のひとともう一度巡り会ってください。
そして今度は幸せを掴んで欲しい。決してボクのような者に出会わぬように。
そこが酷い世界だったなら、もう一度飛べば良いのです。
それが自己自律の翼。プラスチックの羽でも、貴方はこんなにも飛べるのです。
貴方とハルカさんに導かれた半年間。
言霊をぶつけあったその日々は、ボクの人生の凝縮でした。
今は貴方が安らかでありますよう、尽くせぬ感謝とともに祈ります。
ほんとうに、ほんとうにお疲れさまでした。
>>ハルカさん
今日まで迷走を続けましたが、ボクの脱却の志向は確かだと偽りなく言えます。
長きに渡りご指導ご叱咤を賜りましたが、そろそろ旅立ちの時のように思います。
ハルカさんとカオルさんの狭間にあったボクは、未だ半端な志向に留まっているのかも知れません。
それでも自分なりに接点を見出し、志向を昇華させて来たつもりです。
あとは多くのご指摘を胸に、実践の中で確認していきます。
悟りだ!自分だ!と決意を示してくださった貴方が、深い慈愛をもっていることを、
ボクは知っています。そして、それほどまでの苦しみを抱えていることも。
どうかハルカさんに楽なる日が訪れますよう、願っています。
ハルカさんが安心して悟道に向えるよう、ボクはボクで歩きます。
そうじゃなきゃ、いつまでもハルカさんやカオルさんを煩わせてしまうから。
歩けなかったボクも貴方がたの心配りを受けて、独りで立てるところまで来ました。
ハルカさんからはわかってない、実践もできてないと映るでしょうが、
うん、大丈夫です。来年にはすべてを賭けて完全に専念する覚悟ですから。
随分と言葉ばかりが先行してしまいましたので、ここまでにさせてください。
このかけがいのない日々に、尽くせぬ感謝を込めて。
>>じゆんさん
今まで気遣って頂いて、感謝しています。有難う御座いました。
カオルさんはボクなんかよりも早く貴方に会っていれば、、と思っています。
元気でね。ボクも頑張る。
・・・
カオルさんご健勝でしたね。。。(フゥ
クリスマスの過ぎし夜、唐突に張られた
>>159のレスには凍りつきました。
いつもの外れっぱなしの勘繰りでした。
でも遺される連関者の気持ちが改めて身に沁みました。
心は虚空をさまよい、レノンを流しながら涙に暮れていました。
連関という大切さ。そして連関という縛り。個と連関。
本当に身を引き裂かれる背反です。
そしてハルカさんの言葉の重み、、、
悟りだ!自分だ!エゴだ!というハルカさんの想いも、改めて身に沁みました。
誰ももう、ハルカさんに語れる言葉はないように思いました。
ハルカさんが苦から脱却できる日を、ただただ祈るのみです。
でも今回の勘違いで、自分の想いが露わに出来てよかった。
書きこみは継続するけど、ボク自身の決意は変わらないし、自己確認できたし。
もし書きこむことが残っているとしたら、自身の自己自律についての確認作業と、
倫理、道徳のありようについてかな。(ますます独白日記になってしまいそう。。。)
今年はこれが最後の書きこみ。皆様よいお年をお迎えください。
ハルカさん、カオルさん、じゆんさん、ほんっとにお世話になりますた。大好きです。
>>154 Sさん
>@でもAでもそれを産み出した「何か」は(内在的なものだとしても、超越的な
>ものだとしても)わからない。
ハルカ論では生み出す何かの無限遡及を避けるために【虚無】を設定しました。
少なくとも当初はそうでした。ですから【虚無】に何かしらの属性(例:意識点)を
付与することにわたしは反対していました。【虚無】とは生の形式にあるものには
けっして想定されえず「何か」とさえいえないというのが正しいと思うからです。
けれどそれでは何も語れないから生の形式から離脱していくハルカの体験から
仮に【虚無】と名付けられたのです。もちろんそこが場所のわけはないと思うし、
連関の外でも、内でも、そのものでもなく、ましてや【存在】ではないでしょう。
【虚無】が【死】と同じく生の形式にあるものには絶対に語れないという意味では、
すべてを"ある"の関係性の内に閉じ込めてしまうというS論は正しいと思います。
けどハルカははじめから関係性(相対原理)からの脱却を解脱と定義しているの
だし、=それが【虚無】なのだから、そしてそれは語りうるものではないのだから、
あとは『【存在】からの離脱 +【私】の消滅』をSさんが心底から希望するのなら、
そしてSさんがハルカのように発狂した方がよっぽど楽というほどの苦を抱えて
いるならジャンボ宝くじにハズレる(発狂する)リスクを覚悟して実践するしかない
のだと思います。絶望という希望が消え去るまで。
>>154 Sさん
>でも、>だって、なぜ世界があるのか?、って聞かれても答えられないもの。(笑)
>・・・ですよね。
「なぜ世界があるのか?」という問いは「世界がある」という前提によって成立しています。
ですから順序として「世界とは何か?」「"ある"とは何か?」にまず答えないとなりません。
けれどそれを問う者が「世界-内-存在」の"ある"を意識する"わたし"であるという自己言及。
"ある"を意識する"わたし"がいないなら"ある"もないけれど、"ある"を意識する"わたし"は
"ある"の外にはでれないのだから、"ある"に言及することはできないのです。
>>154 Sさん
>心の公理系についてはよくわかんない。
>というか知覚/記憶/思考/感情みたいに区分して、それが何?って感じなんです。
そう言われると思いました。(笑)
たとえば「世界とは何か?」と問われても、世界のなかにいるわたしは世界の外には
出れないのだから、わたしのいる世界がどのような世界なのかには答えられないのです。
あるいは「世界とは何か?」を知るために「世界の始まり」を訊ねることもできません。
なぜなら「世界の始まり」を訊ねるためには「世界とは何か?」をすでに知っていない
とならないからです。このような自己言及や循環から抜け出す方法はおそらく一つです。
それが世界をひとつの公理系として語っちゃおうというやり方です。
公理の絶対性はゲーデルによって否定されてしまいましたが何かしらの理論を構築する
ためにはどうしても公理が必要なことには変わりはありません。何かを語るときそこには
かならず何かしらの前提(公理)が了解されています。つまりある理論はある前提の下に
構築されて(信じられて)いるのです。
ちなみに「なぜ世界があるのか?」という問いは、"わたし"が実存しているという事実を
確信している(という前提がある)からこそ成り立つわけです。
もっというなら「なぜ世界があるのか?」自体が「個体化の原理」丸出しの問いなのです。
>Sさん
レスは超ノロでいきます。
心配かけてごめんなさい。m(__)m
それからレス読んでもらえるとわかるけど
わたしはあいかわらずつまんないレスしかできないです。
もうすでに言ってきたことばかりだしね。
だからわたしはもう自己自律論に反論したくないのです。
ROMだけじゃ失礼なのかな?
感想くらいなら書けるかもしれないけど・・・。
あと「知覚/記憶/思考/感情」についてはじゆんさんとやりますね。
>>183 Sさん
わざわざソフィアさんのスレに書き込む必要はないと思います。
それにわたしには必要のないスレです。
わたしに後悔があるとしたら15のときに死んでいないこと。
今でも生きていることです。
そのかわりわたしは後悔するような生き方はしていないから。
>>188 >そのかわりわたしは後悔するような生き方はしていないから。
これはウソですね。
彼のことや友人のことでも後悔はたくさんあるけれど
あのときはあれが自分の全力だったのだからどうにもならない。
別の手立てを実行していたとしても後悔はするはずです。
どのような生き方をしても後悔はするものだと思います。
その後悔をちゃんと死ぬまで背負っていくことが
自分に責任を持つということなんだと思います。
絶対に忘れないことが大切なんだと思います。
Sさんが真理を探究するのも後悔したことへの誓いですよね。
『人生とは、重き荷物を背負いて、坂道を登るごときなり』
ですね。
過去を振り返る。将来を見据える。今を生きる。
いずれも今その瞬間にしていること。
過去を引きずるのも今なら、将来を嘆くのも今。
過去は存在したし、将来も存在するだろうが、生きているのは今。
今の自分をいつも知り続けることが生きること。
>>190さん
今があるように過去や未来もあるのではないか、という観念が相対的な時間です。
われわれは、過去−現在−未来、を「連続性」によってリンクさせることで
時間を「形式的」なものにしてしまっているのだと思います。
この形式性をわれわれは無自覚的に了解し「常識」として従っています。
「過去を振り返る」「将来を見据える」ということが可能なのはこのためです。
「今この瞬間に生きる」ということが徹底されたなら、
「過去を引きずること」も「将来を嘆くこと」もなくなるかもしれません。
でも、このような生き方をする人の感覚は、われわれの常識(共通感覚)とは
ズレているので付き合いにくいかもしれないですね。(笑)
ちなみに、このような生き方をする人にとって、
明日は、まったくの未知として到来するのだと思います。
なぜなら、予測できない(しない)からです。
本来は、この「予測不可能性」が生きることの本質なのかもしれません。
>Sさん、ハルカ
明けましておめでとうございます。
今年もカオルをよろしくお願いします。(^.^)
>みなさんへ
明けましておめでとうございます。
おめでとうございます。みんな大好き。
195 :
考える名無しさん:04/01/02 18:34
左脳だよ全員集合!
196 :
考える名無しさん:04/01/02 18:36
195はてんさい殺しするきだな
197 :
考える名無しさん:04/01/02 18:50
スティーブよ、仏法とはまさに仏法ではない。それゆえに仏法と呼ばれる。
198 :
考える名無しさん:04/01/02 23:25
悟りで仕切らせていただきやす
199 :
考える名無しさん:04/01/02 23:33
希哲学撲滅!哲学の真髄は悟り!
__,,,,,, /  ̄  ̄ \
,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,, /、 ヽ
,.-,/ /::::::::::::::::::::::!,, \ |・ |―-、 |
( ,' i:::::::::::::::::::::;ノ ヽ-、,,/''ー''' 7 q -´ 二 ヽ |
`''| |:::::::::::::::::::::} ``ー'' "ノ_ ー | |
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'、 `-=''''フ'ー''ヽ、::::::::::/ヽ、-─-、,,-'''ヽ O===== |
\_/ ヽ--く _,,,..--┴-、 ヽ / |
``" \> / / |
>>カオルさん
レスに答えたいけれど、その前に質問してもいいですか?(お正月過ぎたからいいですよね?)
>>159の書きこみはどういう意図だったのですか?今もあれこれ考えて気にしています。
あとこれはボクの思いでしかないけれど、じゆんさんとの議論でハルカさんをつまみにするのは
たとえカオルさんでも嫌な感じです。じゆんさんは好きだし、いいひと。でも、ハルカさんは
興味本位の見世物じゃないって嫌悪してたし、カオルさんは自身の哲学姿勢と異なると言うぐらい
だから、それならその姿勢で語って欲しく思います。心身問題のモデルなら幾らでも一般提示
されてるし。。。ボクの思いが不当なら批判してください。
>>ハルカさんへ
如何お過ごしでしょうか。食のこととか、順調だといいです。脱却できるその日まで。
ボクのことは呆れ果てて見切られてしまったとは思います。ハルカさんのご指摘と自身
の志向との狭間で、未だ中途半端であることはわかっています。どうしてもハルカさん
のように悟りだ!自分だ!エゴだ!とまで割りきれないでいます。でもハルカさんは言
い尽くしてくれたし、貴方をこれ以上煩わせるつもりはありません。ボクなりの仕方で
貴方の導きに必ず応えます。信じてもらえないかもしれませんが、貴方にどう思われ
ても、このことは変わりません。
貴方にお返しできることがあるなら、ボクは何でもしたい。もし貴方が脱却の道を断た
れて苦しんでいるなら、罪を被ることで貴方を楽にさせることだって厭わない。そんな
ことが無意味とわかっていても、せめてボクが示せる気持ちです。いえ、こうした偏愛
自体が囚われなのだというご叱咤もわかってはいるのですけれど。。。
言い足りなかったこと、もう少し刻むつもりです。呆れながら見守ってくださると嬉しいです。
Sさんへ(唐突で申し訳ありません)
>>201 まったく申し訳ありません。あなたの批判はもっともだと思います。
私はそれに気づきながら私は騙し騙しやってきました。
今の状況は本来の意味で見せ物になっていると思います。
ですが弁解させてください(批判ではなく)
今はどうなのか分かりませんが、少なくともこれまでの私の行動は
自分では何らかの意味があったと考えています。
どういう意味があったのか、あえて申し上げませんが、そう思っています。
そう信じているのです。
そして今の状況には意義を感じません。自分が立てたスレを存続させる
意志を持てない。
それが私の立場から言えることです。
しかしカオルさんの立場はまた違うでしょう。
おそらく彼女の状況は私よりも、もっと複雑な状況だと思いますから、
私からまずは彼女へのフォローという形で先鞭をふって申し上げた
次第です。
横レスという形で申し訳なく思いますが、念頭に入れていただくと
助かります。
レスは不要です。
また私の指針を自スレで、後に申し上げるつもりです。
私はずいぶん彼女に甘えていたような気がします。
二人とも何もわかってない。
馬鹿の壁を読まれては?
人の気持ちはわからない。
虚無、自己言及、個体化の原理丸出し、については了解しています。
ボクにとっての自己欺瞞とは、
「何か」(意識についてなら意識そのもの)が解らない自己言及を了承しながら思弁を循環させる自己欺瞞。
自明なことは何もないとしながら、日常生活では個体化の原理丸出しで開き直っていられる自己欺瞞。
倫理や道徳の大切さに気付きながら、自ら引き受けた個体化形式には無批判でいられる自己欺瞞。
これは仕方ない。これは例外。そんなご都合の選択を重ねる間に自己自律は形骸と化してゆく。
自己自律を引き受けるということは詰め腹を切る覚悟を持つということ。遊びでやってるんじゃないんだよ。
ボクの自己自律を究極に高めるなら、自己を引き受け貫くこと→個体化の原理の看破、否定→脱却へと向かいます。
ハルカさんの真剣さを受け、応える、ボクの真剣さです。
>遊びでやってるんじゃないんだよ。
気持ちはわかるが、気持ちが重要だということを悟れよ。
>ハルカさんの真剣さを受け、応える、ボクの真剣さです
よくわかるが、自分を見たらどうだ。ハルカ論を大事にしたい自分に気づけよ。
一個だけ。
>>184 違うんだよ。
【芯】=【虚存】じゃない。
かと言って【虚無】でもない。
じゃあ【芯】は何か?
【芯】は【虚存】と【意識点】の二つが合わさったものだ。
【虚存】が意識を有しているんじゃない。
【虚存】は【虚存】、【意識点】は【意識点】、それぞれ別物だ。
ただ【生命】においての【芯】は『この二つがパッケージングされている』と言う事。
>>209 ハルカへ
>違うんだよ。
>【芯】=【虚存】じゃない。
わかってるよ。
ハルカが"違うんだよ"という、
>>184の
>ハルカ論では生み出す何かの無限遡及を避けるために【虚無】を設定しました。
が、その証拠です。
【虚存】を脱せないあらゆる存在者は、たとえば【誰か】は無限遡及される"対象"なのさ。
【虚無】は"対象"じゃないから無限遡及しない。だから"解脱"が可能なのでしょ?
わたしがNさんの解脱とあなたの解脱はちがうでしょ?って指摘したのはそういうこと。
【虚存】への回帰でも【私】と【個体化の原理】は脱せるんだよ。
"脅える"のは【私】(思考の形式としての心)と「個体としての存続目的」で
あがく【個体化の原理】(身体-細胞-DNA)なんだよ。
瞑想の至高体験なんかでわかると思うけど【私】が沈静化していれば
【個体化の原理】は【個体化の原理】としては働かなくなる。
なぜなら「全体としての生命原理」=【虚存】に取り込まれてしうから。
これが【存在原理】そのものになること。
"存在との合一"とか"懐かしい我が家に帰る"だよ。これは解脱じゃない!
>209 ハルカへ
>かと言って【虚無】でもない。
ん? なら、【芯】と【虚無】の区別の説明ヨロシク。
>>211 【虚無】⇔【存在】(= 【実存】⇔【虚存】)
【芯】をこの図式に当てはめて説明してください。
大きな論争になりそうだね。ワクワク
ハルカの説明だと【芯】は【存在】に内包されてしまうね。
だったらNさんとあなたのいう解脱は一緒だね。
なんで反論がなかったのかわかったよ。
このレベルでいいなら何回も行き来しているわたしは
Nさんやハルカよりも悟っていることになるね。(笑)
もともとわたしは【私】が壊れてるから簡単なんだよ。
わたしは【存在原理】そのものから脱しないかぎり解脱は無理だと思う。
上にも書いたけど【個体化の原理】を脱しても【存在原理】を脱せなければ
また種を植え付けられて輪廻転生するだけだね。これは論理的帰結だよ。
だってもともと種は故意に植え付けられたんだからね。
わたしの思う解脱は【虚無】へ至ることです。ただの"ある"でさえなくなること。
少し寝ます。あやすみなさい。
おやすみなさい、ですね。(恥)
>>カオルさん
ご指摘のレスについては憶えがないです。というか、SHスレ以来、自演(?)なんて
してないです。便宜上、無関係な別スレに別ハンで書き込んだことは何回かあるけど。
とはいえ、Sophiaさんの件でボクは卑怯な振る舞いをしました。だからどのような件に
おいても弁明は叶わないでしょう。失われた信頼は返りませんし、あの時Sであること
を捨てる覚悟をし、Sは死にましたから。今、亡霊のように恥を晒していられるのは、
ハルカさんとカオルさんに叱咤して頂いたから。愚かなボクに留まる道を残してくれた
貴方やハルカさんには感謝の気持ちしかないです。
貴方が
>>159のレスをした時、ボクは自身を恥じて同じ言葉を
>>164にて自分で受けまし
た。ボクも厚顔無恥に卑怯に生きているんです。でもそれでは人のこころは変わらない。
だからボクは自己欺瞞を断罪しなくてはならないんです。
それとは別に、じゆんさんの件については、もしカオルさんがじゆんさんと話すなら、
カオルさんとじゆんさんの間に赤い血が流れるということでしょ?ハルカさんを語るの
であればカオルさんがハルカさんに話せばいいだけ。他者を媒介に利用するような失礼
をしなくてもいいじゃない。向き合えば出不精(失礼・・)のハルカさんだって応えて
くれたよ。幾ら親しくても個体化の壁は越えられない。だから気を遣うこと、真摯に
向き合うこと、信じることって大切だと思う。一番大変な時に現れなくても、信じてい
られるなら、、、その関係って何よりも強い絆だと思う。
ハルカさんとカオルさんが互いの信頼を更に確認しあうのを見て、とっても嬉しかった。
ボクは為すことがあるから、もうあんましレスしないと思うけど、これまで通りハルカ
さんとカオルさんで、自由にスレを使ってください。みんな大好き。
>>17さん(?)
ボクの過去レスを多少なり読んでもらえば、特別とか個人の気持ちとか、ご指摘しても
らう必要はないと判断してもらえると思います。個体化の原理という人間の認識仕方に
よって開示された意味連関の解釈によって、個体化現象を主観的に捉えているに過ぎな
いと書いてきましたし、個体化というどこまでも相対的な世界の中ですべての存在者は
"よく生きて(現象して)いる"とも書いてきました。自分だけ特別視していると、他者
をそのように"特別に"囲いこんでは説教を繰り返している貴方は、面白い趣味なのかな
ぁと思いました。ボクについてはそのお気遣いは十分です。ハルカさんにも無用と思い
ます。(関係ないですが、昔ハルカさんに同じ質問を繰り返していたDさんという人を
思いだしました。)
その認識の上で、個々の実存性とか、ボクのスレに合わせれば自己自律とか、そういう
主体性を示し合いぶつけている訳で、それを特別意識とか混同されるのはちと違うと思
います。貴方はせっかくじゆんさんとお話しているのだから、お題目のような説教では
なく貴方自身の志向を話されたらいいのになぁと思いました。
あと、70さんとか他の方のご指摘についても、上記のカオルさん宛てのレス下段とこの
レスで、ボクの思いを理解して頂けたら、と思います。
>ハルカへ
レス不能・・・だよね。
だって、あなたに
>私の言っている『自分』てのは単なる『自我意識』の事じゃない。
>『自我意識』だったら狂人(?)とされる人は質に関係なく全員が【覚者】になっちまう(笑)
>んな事ぁないわな。
って、言わせておいて
>このレベルでいいなら何回も行き来しているわたしは
>Nさんやハルカよりも悟っていることになるね。(笑)
>もともとわたしは【私】が壊れてるから簡単なんだよ。
って、真性の狂人からレスされても答えようがないもんね。
忘れてください。m(__)m
〉カオルさん
少しごぶさたしていたけど君はよくレスしているようだね。
誰もが狂人だよ
狂ったエゴを知らないだけ。
エゴの主張が激しいときだけ気づくみたいだけど
ところで、自我意識は君の方が良くわかると思うがどうなっているんだろう。
過去の記憶と思考で成り立っているのかな。
「ハチ公前から109へ普通に歩きたい」とはどういう意味なんだい?
>>216 >自分だけ特別視していると、他者をそのように"特別に"囲いこんでは説教を繰り返している貴方は、面白い趣味なのかなぁと思いました。
ならきくけど、君は「普通」なの?
>ボクについてはそのお気遣いは十分です。ハルカさんにも無用と思います。
うるさい黙れ、と誰かさんなら言いそうなところを君は紳士的に対応しているね。
>それを特別意識とか混同されるのはちと違うと思ます。
その通りだね。全く混同はしていない。
>貴方はせっかくじゆんさんとお話しているのだから、お題目のような説教では
なく貴方自身の志向を話されたらいいのになぁと思いました。
じゆんはおれの長いレスに返してきていない事実は知っているのかな?
お題目のような説教とは言いえて妙だね。みんなの気持ちを代弁してるかな。
おれの志向は何度も書いている。みんなと話したい。でもなかなか相手にしてもらえないのが現状。
相手にされない理由はわかっている。そしてここがおれにとっては大事なところ。
あっちのスレの190-191の意味が本当にわかるの?
君が何を自分で望んでいるかわかっているよね。
>S
手近なところで
>>214のレスを拝借。
>ボクも厚顔無恥に卑怯に生きているんです。
この文意は「卑怯に生きている」主張なのか、または「厚顔無恥」で自虐的効果を狙って
いるのか。
君の生き方の本質は「厚顔無恥」で「卑怯」なものなのか。そうしたいのか。そうしたくないのか。
君はここで共通認識として「」した言葉を自分を卑下するのに適した言葉と考えて使用していると思える。
その意図は?相手にどう思われたい?
>でもそれでは人のこころは変わらない。だからボクは自己欺瞞を断罪しなくてはならないんです。
これは君の決断だろう。なぜ掲示板で示す?
また、なぜ自己欺瞞を断罪しなければならない?してもしなくても自由のはずだが、君はそう思った。また、自己欺瞞も君がそう決めたことだ。
君たちの書き込みの中には、相手の気持ちを動かしたいという思いが強く表れている。
それは自覚しているのか?
もっと言えば操作したがっている。これは自己と他の接触の大きな動機だ。そういうものだ。
そうでない(操作していない)と少しでも思うなら、君は人の心理を理解していないことになる。
知っているというなら、表現方法が稚拙だ。これはみんなに当てはまる。
全て意図してしているなら、おれの指摘に腹の立つ必要もない。怒りも作戦ならとてもよくわかる。
君はこういったことをどう思う?
>>218 おれがあっちのスレで17になったレスは君宛てなんだけど、しかと?
君も馴れ合いでないとレスできないのかな。
認め合うことも貶しあうことも、相手の気持ちを変化させうる期待感では同等かな。
おれはいずれも敢えてここではあまりしていない。
人は自分の気持ちが大切で、それが満足したり不満になると本質(とりあえずここでとかあっちのスレの議題)
を見失いがちだからね。
人は自分の気持ちが大事。共通認識はない。善悪は主観。
この程度のことすらみんな知識としてもないし、ここでは当たり前のことかのように見過ごされて
その実どっぷりはまっている。
いい悪いじゃないよ。しつこいようだけど。非難しているのでもない。
そろそろ気づいて話をしようよ。と提案している。君は悟りたいの?悟っているの?
どうでもいいの?
>>219さん
ボクが言いたいのはあらゆる存在者が等しく現象しているという相対化の上で、個々の実存性が
浮び上がってくるということ。で、それを貴方は再び"特別"に囲い込んで相対化しようと説教して
回っているように思います。ボクの自戒を込めてハルカさんにはしつこいぐらい、そうした継続的
な自己確認を問うてきましたし、ボクの中でも常に葛藤は続いています。だからお気遣いは十分
だと思うのです。
老廃物はね、如何な手法をとっても形を変えて生まれると思います。あとはお気に召すまま。
貴方の主張も思いこみなのは、貴方自身の主張で語っている訳だし、そんなにしつこく啓発
しようとしなくても大丈夫と思います。
で、どう思う?って聞かれても、、、
>>カオルさん
あのさ、お化粧は好みだから気楽にお願いします。ボクの想いは変わらないし、ハルカさん
だって、ボクやカオルさんを表面的なポーズで判断してはいないと思います。ボクは自分を
バケモノと言えるカオルさんが好き。バケモノを引き受けて葛藤しているカオルさんの、自律
せんとする姿に感化されずにはいられないです。
ボクは脳の波長が正常でないらしく、それで瞑想してもすぐ気を失ったりしちゃいます。言語
障害もあって、カオルさんとは比べられないけれど、頭はおかしいみたい。以前お話した
出生時に生死を分けた際の後遺症のようです。だから何?ですけれど、カオルさんがご自分
のことを隠さないで打ち明けている姿を受けて、ボクも隠している嫌なことでも、少しずつ貴方
に晒しておこうと思って。
あと、ボクに対して奥歯に物が挟まったような言い回ししなくても、忌憚なく語って頂けたら、
と思っています。もし、疑念やご批判がありましたら遠慮なくお願いします。
>>ハルカさん
カオルさんに磨きをお願いしていると言うのなら、是非の如何に関わらず、カオルさんにまめ
に応えるのが気遣いと思います。レスが滞るのは体調が悪いからなのでしょうか?ちと心配です。
>>223 Sさん
正解、もしくは納得部分に対してレスを返す必要はないと考えます。
つか、私に『コッチは間違ってるけどアッチは正解だ。OK』とか『その手があったか…良く気付いたね』とか言えと?
それこそ私自身が『何様のつもりだ?』になっちまう(笑)
違っている部分にちょいとレスするだけだよ、私がするのは。
>>221 君がレスを待っていたとは気づかなかった。
読み返したけど、何も訪ねてないし、何のレスがほしいのだろうか?。
君の主張はわかった。でいいかな。
もともと議論するつもりもない。
興味があることか、答を求めていると感じることしかレスできない
なぜなら何も浮かんでこないのだからレスしようがない。
そもそも、書き込みをあまり読んでいない。
特に長文は読まない。
でいいかな。
>>221 221のレスを返しておこう。
>人は自分の気持ちが大事。共通認識はない。善悪は主観。
OK。その通り。正解。でも、このスレの住人は知ってるんじゃないかな。
>そろそろ気づいて話をしようよ。と提案している。君は悟りたいの?悟っているの?どうでもいいの?
君はいつでも書き込める。どうぞ書き込んでくれ。
ただし、主張をはっきりさせてね。
>>カオルさん
>【虚無】⇔【存在】(= 【実存】⇔【虚存】)
>【芯】をこの図式に当てはめて説明してください。
まぁ…うん。
【存在原理】って言葉借りようか。
えぇと、先ず…
『悟り』と『解脱』が混同されてるようだから、そこから調整していくか。
通常の【生命】は【固体化原理】に縛られている状態。
つまり…
【芯】(【存在原理】)の影響力 < 【我】(【固体化原理】)の影響力:式A
この不等号を逆向きに変えるのがイコール『悟り』な訳。
勿論悟った後には【我】は消え去っている訳だけど、その残滓である【私】は残っている。
だから、右辺は【私】に置き換わるけど…
【芯】(【存在原理】)の影響力 > 【私】(【固体化原理】)の影響力:式B
になる。
式Aから式Bへの『永久的な』シフト。
これが『全にして一、一にして全』みたいな状態―つまり『悟り』ね。
で、過去にも言ったけど
この『悟り』に飽きるまで何度でも輪廻して【生命】をやればいいんだ。
対して『解脱』は全く別の次元の話になる。
上記の式A.B共に『存在』という大きな枠組みの中での差異でしかない。
言い換えれば『有』という枠内でのシフトでしかない。
そうじゃなく全く異なる枠組みである『無』へと『永久的に』シフトするのが『解脱』。
【存在】が【非在】になるって事。
だから…
【実存】⇒【虚存】への永久的シフト = 悟り
【存在】⇒【非在】への永久的シフト = 解脱
ここまでOK?
続き。
で、上記を踏まえた上で言うと…
【芯】の表面化が『悟り』、【芯】を入口に【虚無】に溶け込む事が『解脱』。
だからね…ハッキリ言ってルートは一定じゃないんだわ(苦笑)
『悟り』⇒『解脱』のルートを取る者も居るし、一足飛びに『解脱』に行く者も居る。
悟ったとしても【固体化原理】から完全に脱却した訳ではないから輪廻する者も居る。
それから【芯】てのは単なる【虚存】そのものじゃない。
【実存】と【虚存】は互いに相容れないものだから。
私も模索中なんだけど…
【芯】は【虚存】と【意識点】の二つがパッケージングされたものだと思われる。
場合によっては混合しているのかもしれない。
何にせよ【虚存】と、それとは全く異質な【意識点】の二種が含まれるようだ。
で、この【意識点】が【虚存】を入口として【虚無】に溶け込み完全な【非在】となる―
これが『解脱』であり、『悟り』とは全くの別物。
>ハルカへ
レスありがとう。
とりあえず今ものすごーく納得しています。(^.^)
以下、わたしの体験イメージなんだけど、
【動的な意識】
A.存在─実存者 ・・・ 接近
B.存在────────────実存者 ・・・ ほどよさ
C.存在────────────────────────実存者 ・・・ 遊離
A:吐き気、嫌悪
B:日常、自明性の世界
C:不安、立場の不在
【静的な意識】
D.存在─実存者 ・・・ 接近
E.存在────────────実存者 ・・・ ほどよさ
F.存在────────────────────────実存者 ・・・ 遊離
D:安心、至福(悟り?)
E:睡眠
F:解脱?
どう?(^_^;)
とりあえず意識や実存の定義は横に置いとく。(^_^;)
今わたし暗中模索状態に再突入してる感じだし・・・
でもそれだといつまでも切り出せないから
ハルカにだけ暫定版提出しておきます。
>>227-228 ハルカさん
不思議な人だね。
いろんなことを知っているので、レスにはとても興味がある。
大抵は、納得するので敢えてレスしないけれど・・・
余計かもしれないが、参考に認識の違いを書いておく。
>【芯】は【虚存】と【意識点】の二つがパッケージング
これは一致している。
しかし、【虚存】と【意識点】は別々のものではなく、必ずセットになっている。
【意識点】は生命だけに限らない。全てに【意識点】がある。
>【実存】と【虚存】は互いに相容れないものだから。
それに、【実存】と【虚存】は同じ存在。
違いは、五感によって、感じる世界が【実存】。
五感に拠らない存在、【実存】以外の存在が【虚存】。
>【実存】⇒【虚存】への永久的シフト = 悟り
【実存】=【虚存】を見つけるのが悟り。
【苦悩】⇒【至福】に変化するのが悟り。
【不安】⇒【安心】に変化するのが悟り。
【束縛】⇒【自由】に変化するのが悟り。
【騒音】⇒【静寂】に変化するのが悟り。
>【存在】⇒【非在】への永久的シフト = 解脱
解脱については、知らない。
【存在】は、減ることも、増えることも、無くなることも無い。
【存在】⇒【非在】へのシフトはできない。
ドイツ観念論みたい。
やはりカントは偉大だと思う
>>229 >わたしの体験イメージなんだけど、
これウソ。Fは知りません。
でもハルカのいう解脱には必要なイメージだと思う。
>私も模索中なんだけど…
うん。わたしのいう存在も含めて模索ヨロシク。
>>231 Nさん
>しかし、【虚存】と【意識点】は別々のものではなく、必ずセットになっている。
理論的根拠は?
>それに、【実存】と【虚存】は同じ存在。
前スレ読めばこの辺りは書いてある。
「色即是空」ということで意見は一致しています。
だから"同じ"「存在」。
>解脱については、知らない。
>【存在】は、減ることも、増えることも、無くなることも無い。
>【存在】⇒【非在】へのシフトはできない。
これが、ハルカとあなたの決定的ちがいなのです。
わたしがうだうだ言ってたことはこのことだったんです。
もう寝るけどとりあえず。
突然横レスですがボクの従兄弟の父が数日前の夜中国山脈に未確認
飛行物体を3機見たそうです。僕は隕石じゃないのか?と思いました(僕は科学は無知です
このスレでも心霊体験をした人がいますけどそのようなことは否定する
のは簡単だが完全にないという証明はできないと思います。(本当に不在なら話はべつだが
尤も哲学徒はエポケーするのですかね。
宇宙人=神?がナスカの地上絵を書いたとすれば話は宇宙考古学ですね
皆に知ってもらおうと書いてみました
釣る気は全くありません
あなたがた共同で一冊の本が書ける勢いですね
ハルカさん、ありがとう。。。
>>222 >だからお気遣いは十分だと思うのです。
いわゆる、心の内を探られたくないということだろうか。君自身常に葛藤し実践を試みているということだね。
だったら、もう一度きくが、
>君はここで共通認識として「」した言葉を自分を卑下するのに適した言葉と考えて使用していると思える。
>その意図は?相手にどう思われたい?
>老廃物はね、如何な手法をとっても形を変えて生まれると思います。
そうだね。おれがいっているのはそれを君たちは既成事実としてほうって置いているんじゃないの?ということ。
つまり思考の基盤にそれを含ませていることに気づいていないか、気づいても放置しているから
希望が実現しないんじゃないかな。
>あとはお気に召すまま。
その通りだけど、君のお気に入りの対処はなんだろうね。放置?
>貴方の主張も思いこみなのは、貴方自身の主張で語っている訳だし、そんなにしつこく啓発しようとしなくても大丈夫と思います。
みんなそう思っているようだよ。気づいていないからね。思い込みは積極的に使うもので、縛られている
ことに気づかないから自分を見失うんだと思うよ。
>で、どう思う?って聞かれても、、、
困る?なぜだろうね。
>>225 >君がレスを待っていたとは気づかなかった。
人の気持ちはわからないね。
>読み返したけど、何も訪ねてないし、何のレスがほしいのだろうか?。
君のレスに返したものだから、君が何もないというならそれまでだろうね。
>君の主張はわかった。でいいかな。
いいよ。
もともと議論するつもりもない。
>そもそも、書き込みをあまり読んでいない。特に長文は読まない。でいいかな。
いいよ。
>>226 >>221 >その通り。正解。でも、このスレの住人は知ってるんじゃないかな。
知識は知識だよ。君も気づいていないんだね。
>君はいつでも書き込める。どうぞ書き込んでくれ。ただし、主張をはっきりさせてね。
そうなんだね。
主張ははっきりしてるんだけど、伝わらないね。というかみんなが触れたくない、触れられたくない部分
なんだろうか。
悟るには知識ではなく、気づきが必要なんだよということを主張しています。
>>227-228 わかりやすいね。
悟りは生き方だし、解脱は死に方かな。
君は悟りを放棄して解脱に向かっているんだろう。
記述に解脱に向かうパターンが一様でないとあるが、具体的に解脱した人を知っているのかな。
気分を害するだろうが、おれの質問は他の人も感じる類だと思うよ。
それからおれは君に敵愾心は皆無だよ。流石に気づいてると思うけど。
出先より携帯で(笑)
>>231 Nさん
何やら誤解があるかな?
私の言ったのは【虚存】と【意識点】は『全く別性質のものである』という事。
【虚存】が【意識点】という性質を有してるのではなく、異質の二種が同居しているだけだという事。
【芯】は単なる【虚存】だけでも【意識点】だけでもなく、その二種がパッケージングされて初めて【芯】となる事。
それが言いたかっただけだよ(笑)
>必ずセットになっている
その通り。
例えば『物質に記憶が残る』なんて聞いた事無いかな?
サイコメトリーとかね(笑)
これは物質も【芯】(存在原理)【我】(個体化原理)を有してる事を意味する。
ただ、物質の有す【我】には【生命種】が含まれていない―それだけの違いだよ。
あと【実存】と【虚存】が相入れないとの発言の注釈ね。
根本は同一の【存在】でありながら相入れないのは…
【実存】が秩序に特化した顕現であり
【虚存】が混沌に特化した顕現であるから。
OK?
OK
>>235 人類が宇宙人の遺伝子操作で誕生したという説はいろいろな人がまことしやかに語っているね。
オーパーツも今のところ全て解明することは不可能のようだ。
人類の起源も不思議なら、繰り返し争いを続ける人の心理も不思議だ。成長しないね。
>>242 …あはははは!(爆笑)
いいわ、君最高だ。
『害悪』って意味で最上級だわ。
いやー、ここまで素晴らしい輩を見たのは久しぶりだ。
君の発言で笑い転げたよ…ありがとう。
いやいや本当に見本にしたいくらいだ。
『悟り』が生き方?
『解脱』が死に方?
全くもって素晴らしい(爆笑)
あはははは!
>>218 >ところで、自我意識は君の方が良くわかると思うがどうなっているんだろう。
>過去の記憶と思考で成り立っているのかな。
質問の仕方が安易すぎます。悪意も感じます。
あっちのスレでのじゆんさんとの議論知ってるでしょ?
そんなの関係ないということでしたら
ふつうに国語辞典に書いてある通りの意味で理解しています。
反対に聞きます。
自我とは何ですか?
意識とはなんですか?
また自我と意識は同じ物ですか?
>「ハチ公前から109へ普通に歩きたい」とはどういう意味なんだい?
わかる人にだけわかればいいと思うときのわたしの表現仕方です。
わからない人にはわからない。わたしはそれが見分けられればいいの。
>>207 Sさん
>ボクにとっての自己欺瞞とは、
>「何か」(意識についてなら意識そのもの)が解らない自己言及を了承しながら思弁を循環させる自己欺瞞。
>自明なことは何もないとしながら、日常生活では個体化の原理丸出しで開き直っていられる自己欺瞞。
>倫理や道徳の大切さに気付きながら、自ら引き受けた個体化形式には無批判でいられる自己欺瞞。
"あんたも同じだろ"ということですね。そうですよ。
>遊びでやってるんじゃないんだよ。
"カオル"は自己欺瞞によってしか生き延びられない。
自己欺瞞が遊びだというなら、わたしの生は"遊戯"そのものです。
>否定→脱却へと向かいます。
羞恥心という最後の自己欺瞞、プライドによって死を選びたい。
>>247 悪意と思うなら言葉が足りなかった。配慮が足りなかった。
俺がこのスレを見ているのは、知らないことに興味があるから。
昔からの習性で、哲学的なことにとても興味がある。
昔から、思考して物事を追求することが好きなんだ。
しかし、多くは答が出てしまった。
それは、思考して、帰納法で求められたものもあるが、
はっきりと、わかったものは全て演繹法によるものだ。
ある日、答の出るものはすべて出た。
しかし、知らないものは、思考によってでも知りたい。
今は自我について知りたい。
俺は自我についてぼんやりとしか知らない。
過去の記憶と思考で成り立っているのだろうか??
君なら知っていると思ったのだけれども、知らないのだろうか??
自我について知っていることをレスください。
>>247 >自我とは何ですか?
>意識とはなんですか?
>また自我と意識は同じ物ですか?
意識は自分が誰かがわからない。
どこにいるにか、誰なのか?
例えば、なにかを見たとして、
見ているものが自分なのか、
見られているものが自分なのか
は理解できない。
ただ、2点を往復するのみ。
そこで、自我ってなんだろう??
【私】??
ここが良くわからない。
>あっちのスレでのじゆんさんとの議論知ってるでしょ?
うーむ、スマン、多分、長文は読んでない。
>>249 Nさん
>自我について知っていることをレスください。
自分の力で導いた考えは何一つない。
だからわたしは自分の論を持たない。散々言ってきた。
あっちではウィトの独我論に従うなら「自我」なんてものはない。
という視点で話をしていた。
>>250-251 Nさん
>意識は自分が誰かがわからない。
>どこにいるにか、誰なのか?
>例えば、なにかを見たとして、
>見ているものが自分なのか、
>見られているものが自分なのか
>は理解できない。
主客の分離以前は、アプリオリ(生得的)なものとして"ある"。
>ただ、2点を往復するのみ。
往復という関係性が「知覚」によって生じるとアポステリオリ(経験的)なものとして現象する。
みんなあっちで書いた。
>過去の記憶と思考で成り立っているのだろうか??
自我の定義による。
曖昧な概念だから。
だからあなたに問い直した。
あっちでは"意識"は記憶と思考からは導けないと、しておいた。
なぜかハルカ論の哲学的「重ね描き」をかねてレスしていたら
議論を放棄された。これはあなたに関係ないけど。
>>246 >…あはははは!(爆笑)いいわ、君最高だ。
そうかい。嘲笑じゃないのは初だね。
>『害悪』って意味で最上級だわ。
誰にとってどのような害悪なのかな?
>君の発言で笑い転げたよ…ありがとう。いやいや本当に見本にしたいくらいだ。
それはよかった。何の見本だかわからないけど嬉しいね。
>『悟り』が生き方?『解脱』が死に方?
その後に付けた「かな」を見落としていないよね。
君の論調だとそうなりそうだねという意味だよ。大丈夫かな。
>ハルカ
君は以前おれに対して、質問にきちんと答えないと強い調子で指摘していた。
おれは答えているにも関わらずにね。きみはどうかな。むろん君の自由だけどね。
具体的に解脱している人を知っているのかな?
生きていて解脱しているのは誰?
根拠の希薄な基盤で理論を構築しているわけだが、誰がそれによって苦から解放されると
保証しているのかな。君なんだろうね、何人かがありがたがっているんだから。
これが洗脳じゃない根拠を示して欲しいな。
なにやら悩める子羊をいっそう悩ます方が「害悪」のようにも見えるんだけど。
できたら冷静にお願いします。
>>256 人の心は自分の都合で解釈するようだね。
自分の価値観で解釈するのかな。
正解はこれ。↓
【解脱】とは心が因果の鎖による束縛から解放され静かで安らかで自由な心であること。
>>254 カオルさん
>あっちでは"意識"は記憶と思考からは導けないと、しておいた。
意識は【存在】だけど、思考は【存在】ではない。
記憶のメカニズムは知らないなー。
意識は観察者、知覚を見守る者、思考を見守る者、感情を見守る者だよ。
知覚、思考、感情がなければ、鏡のようになる。
でどうかな。
>>257 >【解脱】とは心が因果の鎖による束縛から解放され静かで安らかで自由な心であること。
[心]のことなんだね。
ハルカはそうとらえているのかな。
それより、おれは「解脱」の解説など頼んでいないと思うが。
>人の心は自分の都合で解釈するようだね。自分の価値観で解釈するのかな。
君は自分のことを指しているかのような発言だよ。
おれは、具体的に解脱した人を知っているのかな?ときいているね。
しっかりしよう。
解脱のとらえかたももう一息ではないかな。
>>243ハルカさん
>出先より携帯で(笑)
携帯でここまで書くとは恐るべし。
>>259 >解脱のとらえかたももう一息ではないかな。
面白いね。知っていると思うなら、書いてくれないかな。
出てきた後で、あーだ、こうだ、と言えるのは誰でもできるからね。
死ぬことが、解脱の解りやすい解説というぐらいだから、期待しないけどね。
>>261 >死ぬことが、解脱の解りやすい解説というぐらいだから、期待しないけどね。
期待しないなら聞かないほうが身のためではないかな。それから、死ぬことが解脱の解説などとどこに書いてあるのかな?
ハルカの論調では、解脱は死に方になるんじゃないの と書いたんだよ。
君たちのやり方は似ているね。論点がずれている。そんなことばかりしているから発展しないんじゃないかな。
解脱に関して君は「静かで安らかで自由な心であること」としている。
ハルカは「虚無に溶け込み完全な【非在】となる―これが『解脱』」としている。
ヨーガでは輪廻(これが苦というとらえかただね)からの解放。ニルヴァーナに入ること。
おれの意見は、わからない。理由は解脱した人を知らないから。勉強や考えることはいくらでも出来るけどね。
本当のことかどうかわからなければあまり意味ないということだよ。
だから、教えてくれないか。具体的に解脱した人を知っているのかい?誤魔化さないほうが君のためかもよ。
失礼。またあげちゃったよ。
>>259,262
>[心]のことなんだね。
さあ、なんだろうねぇ。
解脱は心か【芯】か【我】か【私】が
【因果の鎖による束縛】か【固体化原理】か【輪廻】
から解放される
ことだろうね。
>具体的に解脱した人を知っているのかい?
具体的に知らないなぁ。
誰も「私は解脱した。」何て言わないしな。
いやいや、そういえば、よくいる教祖はそう言ってるか。
本当かもしれないし、その辺りで聞いてみたらどうかな。
>>264 そう。君が書いたように、おれが書いたように、全て憶測か仮定の話なんだよ。
君が以前書いていた基盤とするものがないことに気づくだろうか。科学的に言えば再現性がない。
誰もなしえていないものは、存在していないに等しいということ。
>本当かもしれないし、その辺りで聞いてみたらどうかな。
さて、このスレだったら誰に聞けば良いかは明白だね。だからおれは質問したんだよ。
仮に誰かが解脱しているというなら、どのような立証方法があるだろうか。
それは経験者でないとわからないんじゃないかな。
つまり、検証の仕様もない。
そのような基盤での理論にどのような価値を見出しているのかが聞いてみたいな。
>>265 …あはははは!(大爆笑)
あー笑いすぎて腹が痛い、苦しい。
頼むから馬鹿な事ばかり発言して笑わせるのやめてくれー。
ごめん、謝るわ。
君を嘲笑したのは間違いだった。
嘲笑するにも値しなかったんだなぁ。
あはははは!
>科学的に言えば再現性がない。
『道』に再現性があると思ってんの?
『これこれこういう方法でやりなさい。さすれば悟れますよ。解脱出来ますよ』って?
>誰もなしえていないものは、存在していないに等しいということ。
単に君が判別出来てないだけだよ。
周囲を見渡せば『悟って』る者なんて無数に居るのに?
道端に寝転んでる猫も。
花に留まっている昆虫も。
そこら辺に転がっている石も。
台所を這い回るゴキブリも。
君はこの問題に関しては自分が盲目に等しいってのさえ分かってないんだ?
その癖、さも『知っている』様な顔で首を突っ込んできたと。
あっはっはっはっは!!!(大爆笑)
そうだよ、他人にはなぁんの検証も出来ないさ。
当然の事だよ。
でもね、『悟った人』(仮にブッダと呼ぼう)はブッダを知る。
街中の何処にでも居るサラリーマンのおっちゃんがブッダって事もあるんだよ?
本人が『私はブッダです』って名乗らないだけで。
あー…可笑しい。
笑いすぎて涙が出てきた。
あっはっはっはっは!!
>>265 >さて、このスレだったら誰に聞けば良いかは明白だね。だからおれは質問したんだよ。
なるほど。ここで聞くのか。
ありがたいお言葉はどうだったかな。
怒っちゃいけないよ。
これは君を試しているんだ。君が怒りを観察しやすいようにね。
こんな時いわゆる信者はトイレ掃除をするそうだよ。
便器を磨けば、心も磨かれるんだって。
>仮に誰かが解脱しているというなら、どのような立証方法があるだろうか。
あるある。
手の指から火をだせる とか
悪いことは、全て先祖の因縁 とか
釈迦の霊がついてる とか
奇跡を起こせる とか
前世は釈迦だ とか
いろいろある。
もちろん、解脱していないという逆の証明だけど・・・
>>17とか25とか219とか・・・
数字名付け替えてるけどね。
君が以下のスレの1と同一人物かは知らない。
まぁ、違うと言うんだろうね。
だが、言ってる事は同じだよ。
わかったんだよ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1071198952/ ここで問いたい。
『一体何がしたいんだ』と。
すでに言っているとかは無しね。
あくまでも『今』『ここで』『明確な言葉で』『何の為に』発言しているのかを表明して下さいよ。
言葉にしなきゃあ分からないものね?
君は自分で『共通認識など無い』『各人の主観しかない』と言っているものね?
ま、これにまともに答えられなきゃもう二度と相手はしないよ。
>>248 カオルさん
ボクが207で書いたことはあくまでボクにとっての自己欺瞞、自己自律です。
>"あんたも同じだろ"ということですね。そうですよ。
カオルさんに同意する点があるなら、その点は共感するものがあるのでしょう。
そうであっても、その欺瞞をどう捉え対応するのか、人それぞれだと思うし、"皆よく
生きている"だと思います。
>"カオル"は自己欺瞞によってしか生き延びられない。
>自己欺瞞が遊びだというなら、わたしの生は"遊戯"そのものです。
でね、カオルさんにとってバケモノを引き受けて自律せんとする姿が"遊戯"そのもの
だとして、ボクの自律とは相容れないものであっても、ボクにとっては等価なのです。
ボクが叫んでいることも、形を変えた遊戯なのでしょうしね。
>羞恥心という最後の自己欺瞞、プライドによって死を選びたい。
恥入って死を自己創造することも、恥を晒して探究し続けることも、自己自律の等価
な決断だと思います。個体化形式を引きうけ自律せんとするすべての存在者、みんな
大好き。特にハルカさんとカオルさんに感化されるのは、真剣な脱却志向に共感する
から。ボクのプライドはボクの自己自律を灰になるまで貫くこと。
>>219さん
もうずっと並行線ですし、貴方が対岸から突っ込みを繰り返すだけで貴方自身の脱却
志向を示さない以上(或いはそのような志向が無い以上)、脱却について語り合うこの
スレの趣旨と合致しません。人生論的な啓発や批判だけなら、もう十分です。ようやく
Nさん、ハルカさん、カオルさんの議論の詰めに漕ぎ着けた展開ですので、貴方のルー
プレスでスレを流すのはご遠慮くださいませんか?貴方自身で語りたいスレを立ち上げ
るのも、スレを住み分けるのも配慮と思います。スレ主としてどうかお願いします。
ボクは未だ体験がないのでこの議論に加われません。ですから余計にこの貴重な議論
を潰したくないのです。議論はマターリ進むでしょうが、だからといって無関係なレスで
横から茶々を入れて流して欲しくないのです。自己自律については勝手にお休みにさせ
て頂いています。
>>270 そう邪険にしなさんな。
彼は良く知っているようだよ。人生論や哲学としてはね。
なぜか、悟りになると、背伸びをして、知っているそぶりを見せたりする。
本人が、悟りか自律と思っているものを書いているなら、発言は自由だからね。
>>270 Sさん
止めときー、言うだけ無駄やから(苦笑)
いいじゃないのさ、言わせておけば。
言うのは自由だし。
私は、彼の事はもう『悟りに関する品のないお笑い芸人』としか見れないしねー…あんな発言の繰り返しじゃあ(苦笑)
ま、今回のSさんへのレスも予想出来るしね。
『どうしても目を背けたい様だね』
せいぜいコンナもんでしょ。
もっと意表を突いて笑わせて欲しいな(笑)
>>214 Sさん
>ご指摘のレスについては憶えがないです。
ごめんなさい。
わたしはあなたが障害者だろうなと思っていて
前スレ929の"こんな足でも 歩けない筈はない"
を読んで勝手にあなただと思い込みました。
詩が鬼束ちひろの『Rebel Luck』だということは
後になってハルカが教えてくれたのでわかりました。
あなたはわたしの障害者の妹とダブっているんです。
やさしいところが妹によく似てるんです。
わたしの心の一面はいまや妹化してますから
S=カオルでもあるんですけどね。
わたしは簡単に妹や恋人や親友に
自分の心を乗っ取られてしまうんです。
でも、わたしは妹のやさしがキライでしかたなかった。
いつでも妹が正しいような気がして我慢できなかった。
成績が一番でも、徒競走で一番でも、人気で一番でも
性格だって、容姿だって、何だって認められているのに
両親だって、妹よりわたしを可愛がってくれたし
お父さんなんか、妹と一緒に食事しなかったし
お母さんだって、頼りにしてるのはわたしの方なのに
それなのに、わたしの生には尊厳も意味も何もないんです。
なぜか何も持っていないはずの妹が全部持っているんです。
わたしは悔しくて腹立たしくて我慢できなくて妹をイジメました。
ゴルチェ(ホントはゴルチエね)の服とか着させてあげて
「洋服って着る人を選ぶの。わかる? あたしの妹なのにねー。」とか
勉強教えてあげるとかいって
「何でこんな簡単な問題が解けないの?」とか
料理手伝ってあげるとかいって
「料理って手際の良さなのよ。とろいあんたには向かないかも。」とか
・・・・ということをくりかえし指摘するんです。
それでも妹はわたしを嫌ったりしなくて真似しようとするんです。
わたしの頭がおかしくなったとき、その妹に言われたんです。
「おねーちゃんは何でも持ってるのに贅沢だ!」って。
妹から見たらわたしの苦痛なんて贅沢病だったんです。
だったらわたしは妹に出来ない贅沢を徹底的にしてやるって。
>>223 Sさん
>あのさ、お化粧は好みだから気楽にお願いします。
ええ、七変化しますから、そのうちSさんも呆れるでしょう。(笑)
>ボクは自分をバケモノと言えるカオルさんが好き。
趣味がいいとはいえませんね。(笑)
>バケモノを引き受けて葛藤しているカオルさんの、
>自律せんとする姿に感化されずにはいられないです。
図式的には、
>>229のCが"自律"に相当するのかな?
だから、"自律"しようとするとわたしみたいになっちゃうよ。たぶん。(笑)
で、もっと過激なのがハルカのめざすFだと思うの。人間業じゃない。(笑)
>カオルさんがご自分のことを隠さないで打ち明けている姿を受けて、
>ボクも隠している嫌なことでも、少しずつ貴方に晒しておこうと思って。
わたしに感化されることないです。
メールとかの方が良くないですか?
>ハルカへ
>>229は、悟りと解脱は別物ということと、解脱へのルートがひとつではない、
ということを説明するための、とりあえずの図式化です。(あまりに粗雑ですが)
で、DからFに至るには、
【芯】の"意識点"という概念の説明がいると思うの。
やっぱり保留にしてた"点"の解釈は重要だったのです。
ハルカが"点"という表現を使ったのはさすがだなと思います。
"点"というのは、存在証明できない概念なのですから。
"ある"というなら"ある"、"ない"というなら"ない"というのが"点"。
だから【存在】する"点"には【無】へと通じるものがあるのです。
もちろん【実存】の形態変化した存在様式である【虚存】ではなくて。
ちなみにSHスレで話した"ZERO"の「それ自身ではない」という性質も
面白いかなって思います。不動点としての"点"の性質に近くないですか?
あと、229における【動的な意識】 と【静的な意識】とに
それぞれ【アポステリオリな】【アプリオリな】と冠していいのかどうか。
あるいは【実存者】=【自我】(記憶、思考、感情+意識)でいいのかとか、
【意識】と【自我】の関係性とか、もうわたしの頭の中は大変です。(^_^;)
ということで、意識点と229に関する問題提示でした。
>>258 Nさん
>意識は【存在】だけど、思考は【存在】ではない。
思考は【実在】かな。
>記憶のメカニズムは知らないなー。
機会があったら書いてみます。
>意識は観察者、知覚を見守る者、思考を見守る者、感情を見守る者だよ。
>知覚、思考、感情がなければ、鏡のようになる。
>でどうかな。
いいと思います。
>>274 訂正
>でも、わたしは妹のやさしがキライでしかたなかった。
やさしが→やさしさが
>>266 >『道』に再現性があると思ってんの?
思っていないよ。再現性がないから科学的でない。だから、思い込みだといってるんだよ。
そして思い込みを利用して人は生きているといっている。しっかりしてね。
>周囲を見渡せば『悟って』る者なんて無数に居るのに?
誤魔化したい気持ちはよくわかるけど、具体的に示して欲しいな。
また、おれが聞いたのは「解脱」している人だったね。
君たちは論理のすり替えをたのしんでいるわけでもないだろ。
悟りは君の指摘したとおり日常に転がっているだろう。おれはそれを気づきと書いた。
しっかりしなよ。もう誤魔化せないところではないかな。
君は「解脱」についても語っているんだよね。それを実現した人を知っているのか聞いているんだよ。
>>268 >>17とか25とか219とか・・・数字名付け替えてるけどね。君が以下のスレの1と同一人物かは知らない。まぁ、違うと言うんだろうね。
>だが、言ってる事は同じだよ。
君に今根拠を求めるのはおれくらいだろ。あげといた甲斐があるかと思えば、根拠はなしなんだね。
同じ奴が書いてるんだから同じだよ。
>ここで問いたい。『一体何がしたいんだ』と。すでに言っているとかは無しね。
君もたまには答えなよ。
>『今』『ここで』『明確な言葉で』『何の為に』
今?このスレッドで、みんなと話をしたい。自分の満足のために。
>君は自分で『共通認識など無い』『各人の主観しかない』と言っているものね?
そうだよ。君たちはおれのその言葉を君たちなりに理解し知識として知っているが、まるで
実践されていない。それを認識し続け自分の意識で自己の変化に気づき続けることが悟りには
必要だと何度も書いている。
君たちは既成事実として通り過ごしたいようだね。面倒だから。ちょっと知った顔して偉そうにしたいから?
でも生きている限り終わりはない。気づき続け、対処し続けなければ苦しむ。
君はそのようなことまでも「苦」ととらえ「解脱」にむかっているんだろ。ずっと前にも指摘したよ。
だから、がんばって欲しいとも書いた。非難もしていない。
「解脱」した具体例を知っているなら教えてくれよ。誤魔化さない方が身のためじゃないかな。
>>ま、これにまともに答えられなきゃもう二度と相手はしないよ。
何度目だろうね。しっかりね。
>ハルカ
>嘲笑するにも値しなかったんだなぁ。あはははは!
君のその思い込み(嘲笑の対象の規定)は確かに面白い。でも笑って誤魔化してばかりはどうかな。
>>『害悪』って意味で最上級だわ。
>誰にとってどのような害悪なのかな?
君はおれを恐れているわけではないだろ。誰もがおれの意見を「主張がわからない」とするか
無視している現状で、果たして「誰に」とって「どのような害悪」なのか言ってごらん。
善悪主観だね。「ある」前提のもとで「ある」対象がなければ善でも悪でもないよね。
突っ込みどころ満載のけなし方が好きなのかい。
たまには逃げずに答えてごらん。
>>267 :
>ありがたいお言葉はどうだったかな。
ありがたいね。
>怒っちゃいけないよ。
うん。ここで怒ったことはまだないよ。
>これは君を試しているんだ。君が怒りを観察しやすいようにね。
君は長文を読まない主義だから知らないんだろうね。おれが怒ったことはないし、ここで怒る作戦
をとることはないよ。試すのは君らの自由だね。怒るかどうかもおれの自由だ。知らない?
>こんな時いわゆる信者はトイレ掃除をするそうだよ。便器を磨けば、心も磨かれるんだって。
心を磨く。そういうのが好き?一緒にしてみるかい。
>>仮に誰かが解脱しているというなら、どのような立証方法があるだろうか。
>あるある。
>もちろん、解脱していないという逆の証明だけど・・・
君、ちょっと崩れてない?
あるあると言っておきながら「解脱していない」証明なのかい。
こういうのを論理のすり替えというのかと思ったけど、やはり単なる誤魔化しのようだね。
なんだか「人生最大の発見」の1を思い出したよ。君、がんばれよ。
>>270 >もうずっと並行線ですし、貴方が対岸から突っ込みを繰り返すだけで貴方自身の脱却
>志向を示さない以上(或いはそのような志向が無い以上)、脱却について語り合うこの
>スレの趣旨と合致しません。
すまない。でもそれは君の思い込みかもしれない。
おれは対岸にいるわけでも君たちを批判しているのでもない。
よく読んで欲しいな。どこに批判した文がある?指摘が批判だというなら君達もしていることだろ。
>人生論的な啓発や批判だけなら、もう十分です。
おれのを人生論と分類したいのはわかるが、残念だが違う。繰り返すが批判はしていない。
>貴方自身で語りたいスレを立ち上げるのも、スレを住み分けるのも配慮と思います。
おれは語りたいのではなく、語り合いたい。
君はおれの問に答えない。ハルカも他の人も。おれの話がくだらなくて答えるに値しないにしても
こういう奴を哀れ(嘲笑とか)に思っておれが納得いくように「素直」に話し合えれば
問題ないと思うんだけど。
>ボクは未だ体験がないのでこの議論に加われません。
何の?思い込みのかい?
>自己自律については勝手にお休みにさせて頂いています。
うん。だからおれの質問が出たのだし、君は答えないのかな。
それを休むことは逃避ではないのかな。君は自己自律をいつか達成しようと思っているのかい?
今、そのとき、その瞬間が大切ではないのかなとおれがいっているのは理解してもらえてるの?
>>272 >私は、彼の事はもう『悟りに関する品のないお笑い芸人』としか見れないしねー…あんな発言の繰り返しじゃあ(苦笑)
根拠すら見えていない理論を展開するのも似たようなものかもね。
他山の石だよ。他人の振り見て・・・。おれのようにならないよう、君もしっかりね。
>もっと意表を突いて笑わせて欲しいな(笑)
おれは君に答えて欲しいよ。解脱が空想でない根拠を。悟りはいりません。
>>282 >君、ちょっと崩れてない?
ずいぶん、楽しませてもらってるからねぇ。
>仮に誰かが解脱しているというなら、どのような立証方法があるだろうか。
>あるあると言っておきながら「解脱していない」証明なのかい。
>こういうのを論理のすり替えというのかと思ったけど、やはり単なる誤魔化しのようだね。
さぁねぇ、君が目を開けるか、どこかの教祖を連れてきて、うそ発見器にかけるしかないんじゃないの。
眠りから覚めたことが無い君に、どうやって、君が眠っていることを立証できるんだ?
まだ、地球が丸いことの立証の方が簡単だろう。
>なんだか「人生最大の発見」の1を思い出したよ。君、がんばれよ。
何をがんばるのんか知らんけど、おまえもがんばれよー。
>>285 >まだ、地球が丸いことの立証の方が簡単だろう。
↓
まだ、ガリレオが、地球が丸いと立証する方が簡単だろう。
>>276 カオルさん
過去にこう言ったの覚えてますか?
【意識点】が自己と対象の間を高速で往復する事で知覚/感情/思考が発生する…と。
まずは【意識点】が『往復している』という事の実証実験を。
なるべく外的刺激の少ない環境に自らを置いて下さい。
そして『存在感覚』を一時たりとも見逃さないように集中して下さい。
…どんなに注意深くしていても必ず『途切れる』のが分かるでしょ?
この『存在感覚』と『存在感覚』の間隙こそが『往復している』瞬間なんですよ。
本来不動の【意識点】は【個体化原理】の影響により遊離しています。
言い換えれば決して【静止】しないんですよ。
>>カオルさん
妹さんのお話には言葉が詰まりました。ボクには兄と姉がいて、何をやっても鈍くさいボクは
兄に苛められてましたから。それと、ボクが障害をもっていると言ったら、本当に障害に苦し
んでいる方に怒られてしまいます。そんなレベル。。。
でも、微妙な線上にあって、いつも何者にもなれなかったボクがいました。
カオルさんご指摘のレスについては憶えがないのです。ボクが逃げ出していた頃のものなの
でしょうか?酷いこと打ち明けると、貴方を罵って別れたあと、精神的に逝ってしまっていて、
プリントしたログとかディスクのデータとか全部廃棄しちまったんです。これでもう、実践に専念
できるってせいせいしてましたよ、ええ。じゆんとかカオルとかいう書きこみなんて見たくもなか
った。ね、酷い裏切りでしょ?妹さんのやさしさをボクは持っていないのだと思います。
鬼ちは好きです。
脱却についての図式は体験知が追いつかないのでボクからは何とも言えません。ボクとして
は、随分と言葉ばかりが先行してしまいましたから、自分の為せることに専念しつつ、カオル
さん達の議論を読ませて頂いています。
メールについては、ボクなりにカオルさんのここでの姿勢を受けてのものだから、ここじゃない
と意味がないのです。それにメールしだしたら抑えが効かなくなっちゃうから。。。
夢の中でハルカさんやカオルさんを見てしまう自分が怖い。
>>287 ハルカさん
横レス失礼。
誤った解釈の知識より自分で確かめた方がいいよね。たぶん。
でも、こういうのは、ほとんどやったことがないので、苦手なんだよな。
で、やってみて
『存在感覚』というのは、よく分からない。ので、一点を見る方法に変えてみました。
確かによく途切れるけれども、『途切れる』時というのは、思考の切替、新たな思考がやってきたときじゃないですか?
まばたきで途切れるのじゃないよ。
そのうち、対象が見えなくなったりする。消えたり現れたりする。
これも、思考がやってきて消えているのじゃないかな。
何が起こっているのか、うまく、つかめない。
感想でした。
じゆんさんのスレでじゆんさんが言ったように、このスレは人をシアワセにはしない
と思います。だから去れる人は直ちに避難してください。シアワセはありふれた日常
にあると思います。去れないボクにシアワセは待っていないし、望んでもいないのです。
そして恐らくハルカさんも。。。ただ残念ながら、無理やり避難せざるを得ないような人
にも、シアワセは訪れない気がします。偽りはシアワセをもたらさないからです。
もしもそのような人間にシアワセがあるとするなら、皮肉にもそれは、こうして命を削り
ながら実存をぶつけ合い互いを焼尽しあう、儚い邂逅の時にあるのだと思います。
そしてその一瞬のシアワセが、後に姿を変えて己を切り裂くことでしょう。残酷なことです。
わざわざ片仮名で書く必要あるの?
確信がないからなのか、誤魔化してるようにもみえるんだけれども…
シアワセについての確信はないです。でもね、人という存在者が生の形式に生まれたなら、
その形式において自律し、絆を保つことが自然なことだと思うのです。例えばカオルさんは
苦に苛まれながらも、連関を大切に思い、踏み止まって自律せんとする姿を示してくれてい
ます。或いは思うままに自律せんとする姿を。。。引きうけた生の形式において、ひとつも卑
怯だとは思わないですし、そのように自律せんとするすべての存在者に敬服しています。
シアワセがあるのなら、きっとその自律せんと引きうけた生の形式にあると思うのです。
ボクは引きうけた生の形式や、「在る」ことを規定された世界にどうしても欺瞞を感じてしま
う。ボクにとっての自律はこうした欺瞞を克服する先にしか見えないのです。皮肉なことで
すが、自己の否定が返ってボクの自律の肯定なのです。それ故、生の形式において自律
せんとする多くの方にとって、ボクの自律はシアワセをもたらす筈もないのです。そしてそれ
を展開するこのスレも。ハリネズミのボクを抱いてくださった方をボクはずっと傷つけ続けて
しまいました。もう誰も傷つけたくないのです。
そのような人間にもシアワセがあるなら、と書きましたが、これは傲慢でした。生の形式を否
定する者が生の形式においてシアワセなど求められよう筈もなく、返ってシアワセを切り裂く
だけでしょうから。ヒトデナシはヒトデナシとして己が自己自律の道を進めばよいだけなのです。
ハルカさんはそれがわかってらっしゃるから、悟りだ!自分だ!エゴだ!と覚悟されているの
でしょう。だからボクは「馬鹿者!!」なのです。すべてを活かしたいなどと甘ちゃんの理想を
語る結果がこれですから。
約束・・・それは守ります。いえ、何度も裏切ってしまったのですけれど。甘ちゃんは甘ちゃん
なりに、せめて青臭い理想を貫きます。
ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩ぼくに殺される。
そしてただひとつのぼくが、こんどは鷹に殺される。
それがこんなにもつらいのだ。ああ、つらい、つらい。
ぼくはもう虫を食べないで飢えて死のう。いや、その前に鷹がぼくを殺すだろう。
いや、その前に、ぼくは遠くの遠くの空の向こうに行ってしまおう。
(宮沢賢治 よだかの星)
なにか「世界を肩に背負う」状態になっていないか?
二日以上は寄しとけ。友人誘って酒を飲むとか、カラオケ行くとかしなさいな。
That is meta認知
「幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福がぼくのなかに棲みはじめた。」
アンドレ・ジイド『新しき糧』
けど、、、それでも貴方と言葉を交わしたい。
ボクは貴方がたを裏切りました。それでもボクは真剣でした。
カオルさん。ハルカさん。貴方と言葉を交わしたいのです。
恐らくこのスレに残っているのは愚行を繰り返したボク一人かもしれません。
しかしボクはボクの責任としてこのスレを貫きます。
まずこのスレの一連の展開(C)ですが、もともと(A)の悟りスレとは別に、ハルカさんの苦に
共感したボクが、ショーペンハウアーを通じて理解したいと思い始まったものです。骨スレで
知り合ったカオルさんが対話にご参加くださったことで、カオルさんとの対話が始まりました。
そしてハルカさん本人が後にご参加くださり、紆余曲折を経ながら、苦からの脱却を求める
という真剣な対話が展開し、ここに至っています。ですからスレ趣旨は(A)の悟り一般の議論
とは別で、脱却志向を持った者がその志向を中心に互いにぶつけあう限定された内容です。
それと、ボク自身は悟り自体に拘りはありません。
(B)のじゆんさんのスレは、トラブルからボクがカオルさんにスレを預けて不在であった
際に、じゆんさんが補完してくれたものだと思いますが、多くの方がそれぞれの論点で
加わり、このスレとはまた独自の展開をしていますから、既に別々であると思います。
このような形で他スレに負担が掛からないように住み分けが為されていると思いますので、
各スレで円滑に議事進行されたらいいなと思っています。それと、(A)のスレで最近書かれて
いるハルカさんへの中傷はどうかと思います。
ご迷惑を御掛けして中断状態ですが、もしもハルカさん、カオルさん、Nさんの論詰めが再開
されるならいつでもお願いします。ボクはそれと並行して、まだ言い尽くせなかったこと、、、
自己自律、倫理、脱却を関連させてゆっくり書きこみをしていこうと思っています。
んじゃ…書きますか。
>>Sさん
あのね…
>去れないボクにシアワセは待っていないし、望んでもいないのです。
>そして恐らくハルカさんも。。。(
>>290)
変に私を理想化(or偶像化)しなさんなって(苦笑)
私はそもそも『自分が【楽】になりたいから』って動機で『こういう志向』を持ったの。
言ったでしょ?
『他人なんざ関係無い。自分独り<だけ>が楽になりゃあいい』って。
それこそ『悟って衆生の平和の為に…云々』や『誰それを救いたい…云々』なんぞ『糞食らえ!』って。
『究極のエゴイスト的発想でしかないんだよ』って言ったでしょ?
私が今まで言ってきた事は全て『私なりの楽=幸せを求める事』なの。
勿論『世間的な幸福の価値基準』からは逸脱しまくってますよ(苦笑)
だから『他者に押し付けるつもりはないよ』って言ってますがな。何回も何回も。
ただ、私のように【存在】という基本的すぎるものにさえ疑問と嫌悪を抱く『病的な不良品』に向けて語ってるの。
>それと、(A)のスレで最近書かれているハルカさんへの中傷はどうかと思います。(
>>298)
いいんだって(苦笑)
中傷なんて慣れてるんだから。
私を蛇蝎のように忌み嫌うってのが『正常な【生命】の反応なんだ』って昔から言ってるでしょ?
あとねー…
一つだけ。
『そもそも何故何の為に貴方は自分の【価値観】に固執しているのか』を考えなさい。
もう一度ね。
>>301 >>ただ、私のように【存在】という基本的すぎるものにさえ疑問と嫌悪を抱く『病的な不良品』に向けて語ってるの。
ふつうだろ。大海や青空を一人で見ていてそう思わない奴の方が珍しい。
ややこしく存在に疑問を持つのは、過保護(日本でいえば義務教育的な生活に守られた)に生活していた者が
成長過程において別の新たな認識をもたざるを得ない状況に対面した折などに抱く不安などによるだろうな。
おれもそうだし。
存在を否定するのは簡単だけど、立証は量子物理学でも持ってくる他ないだろうね。
でも意識の存在までは今のところ困難なんだろう。
わからないものを追求することはとても面白い。
それでもわからないことに気づくこともある。それをよしとするもしないも当人の自由。
>>ハルカさん
ボクのような者に再びレスしてくださり有難う御座います。
シアワセについては生の形式を前提とした『世間的な幸福の価値基準』であって、それはハルカさんもボクも
求めてはいない、ということ。だから日常的なシアワセも、自然と一体となるようなシアワセも、ここにはないは
ず、ということをトラブルを機に改めて提示しました。カオルさんも世間的なシアワセを求めていないというけれ
ど、生きている限りは人間らしく生きたいというカオルさんの志向から今一度確認して欲しかったのです。
ハルカさんがエゴに徹していることも、ボクなりに理解しているつもりです。そして個体化という相対世界では、
突き詰めればそうなると、納得しているのです。ハルカさんを理想化(or偶像化)しているつもりはないのですが、
ハルカさんのような志向をもった方と言葉を交わせるのが嬉しくて、ついつい行き過ぎてしまう。(ごめんなさい)
ボクが自己自律に固執しているのは、所詮は個体化の原理に根拠づけられただけのものです。そんな取って
付けられたような【価値観】であっても、ボクはそれ以外の何者でもなく、それを引きうけることでボクは自律
しています。そうして存立しているすべて存在者の尊厳をうたい、ボクはボクの責を引きうけ自律せんとするの
です。勿論、その固執が囚われであるという、悟りの側の方のご指摘も理解した上でです。
では自律的にご勝手に生きれば、、とはボクの場合はならないのです。自己自律を問い詰めれば、苦の源泉
が結局は自己の形式そのものだという自己言及に達しますし、それを看過する自己欺瞞の追及に至るから。
或いは「在る」−「個体化」という強制された形式を脱し得ない、虚構の自律を看過する自己欺瞞の追及に至る
から。だから存在者の自律的立場として自己の否定、脱却へと向うのです。それではハルカさんの目からは
歯がゆく見えることも、ハルカさんに追いつけないかもしれないと承知していながら。でもこれは譲れないのです。
近況報告しますと、瞑想体験はまるで進んでいないです。朝晩一時間は時間を割いているのですが、意識が
はっきりしているか、気を失っている(眠ってしまう)かどちらかというだけで、存在との一体体験など未だ程遠いみたい。
>>カオルさん
「何か」(意識についてなら意識そのもの)が解らない自己言及を了承しながら思弁を循環させる自己欺瞞。
自明なことは何もないとしながら、日常生活では個体化の原理丸出しで開き直っていられる自己欺瞞。
倫理や道徳の大切さに気付きながら、自ら引き受けた個体化形式には無批判でいられる自己欺瞞。
これから書いていこうと思ったのは
>>207のレスの詳細です。自己自律を引きうけるということは、もはや誰の
せいにもできない責任を伴うということ。苦を生み出すのも自己の形式そのものでありながら、他存在を支配
し搾取し加工した挙句の恩恵だけはしっかり受け取り、被害者を装って苦をわめく。或いは居直って際限
なく苦を撒き散らす。偽善や欺瞞を免罪符にする。それはボクの見出す倫理とは合わない。そんな人間で
あるよりも、ボクはヒトデナシになります。
でもカオルさんは理解してくれているし、その上でカオルさんがカオルを保とうと自律せんとする姿を見て、
ボクはもう笑むことしかできない。それはカオルさんも同じでしょう。個体化という相対世界では"みなよく生きて
いる"。だからボクは"みんな大好き"だし、ボクはボクの自己自律を貫くだけ。カオルさんは今まで愚行を重ねた
ボクを信じてくださった。その優しい心遣いを受けられただけでもボクには十分です。カオルさんがボクに言う
のと同じように、カオルさんにとっても相変わらずボクはつまんないレスしかできませんしね。でも、ハルカさん
との対話はボクとは別ですから、宜しければ遠慮なくお願いします。ボクにとっても嬉しいのです。
『人生とは、重き荷物を背負いて、坂道を登るごときなり』というのはわかります。それがカオルさんが
カオルである為の自己自律。でもね、欺瞞を排して自省する。重き荷物を背負いて堂々と坂道を下る。たとえ
それが結果として自己の否定につながるとしても、そのような勇気も大切なのだとボクは思っています。
>>S
君がおれをしかとしているのはよくわかってるけど、おれとしてはほっとけないので。
瞑想は有意義だ。そして自分の行動・思考・発言・おもいつき・習慣・癖などを「なぜ?」
という視点で見つめることも有意義だと思う。
ハルカもそんなようなことを君に語ってる気がするんだけど。
306 :
考える名無しさん:04/01/21 05:52
307 :
考える名無しさん:04/01/21 11:57
ず、ずいぶんまじめな人達だなぁ。。。
>>S
ようやくじゆんがレスくれた。君は理不尽な形で返してきたね。
ちびまるこの永沢と藤木のミックスキャラのような面白いことをするね。
君もしっかりとした意見(この場合は正当な反論?)があるなら、こういう場があるんだから
有効利用したらどうかな。
何がしたいのか本当にわからないな。
ハルカの中傷がむかついたのなら、それをした張本人と君が考えるおれにその気持ちをぶつけないのはなぜ?
ハルカのおれに対する明らかな罵倒(おれにとっては面白いけど)に対しては沈黙。
ハルカ自身がコメントしていないことに対して、それはひどいと訴える君。
そんなことがしたいのかい?君は何がしたくてこのようなスレッドを立てたり、みんなと関わっているんだ?
「自由」=「悟り」=「神」
君が何か論を詰めているとは、思いもしなかった。
じゃあ、ハルカ氏と似たようなテーマで行きましょうか。
そもそも、悟ったらそれを話すかどうかは、本人しだいだと思う。
悟ったら、胸に秘めて、墓場まで持っていく。
たぶん、そういうのが、多いだろう。
確かに、慈悲の心から伝えようとするかもしれないが、
時期の来ている人でないと、徒労に終わる結果が見えているから、何も言えない。
そもそも、時期の来ている人は独りでに悟る。だろうからあまり意味は無い。
それに、分かっていると思うけど、
釈迦が衆生のために出家して悟った。なんてのが言われてるけど、もちろん、違うだろう。
自分の苦悩の解決のために出家して、自分のために悟ろうとした。
ただそれだけだろう。
そもそも時期の来ている人とは、
なにか、努力して、真面目に、修行して、悟ろう何て、考えていない。
苦悩がせっぱ詰まっている
その解決に生存が掛っている
もう、どうしようもないところまできている
生きるのに充分な意味が見つからない
目標を持って悟りに向かうと言うよりも、
苦悩の解決を求めるより他に道がない
こういうのが、時期の来ている人なのだ
だから、これは、そんなに誉められるものじゃなく、
だれにも、勧められるものじゃない。
というより、地獄への道を誰に勧められる?
というのが、本音なのだ。
それは、他に道が無く、狂ったように苦悩の解決を求めた人に訪れる最後の特効薬なのだから。
>そんなことがしたいのかい?君は何がしたくてこのようなスレッドを立てたり、みんなと関わっているんだ?
1無意識的な自己存在証明
2やはり常人であるから他人とかかわりたい欲求
etc
>>312 君がSでないなら1や2は君の推測だね。
1 何で無意識的だと思うのかな?
2 おれとだけは関わたくないようだね
etc
推測は可能だけど、人のことはわからないよ。
>>219さん
どうしてもレスを、というなら
>>270と同じことしか言えないのです。
貴方が身を晒さずに石を投げ続けても、ボクからお返しできる言葉は見つからない、ということです。(^.^)
しかしそれが貴方の関わり方であることは理解し、貴方の言葉は受けております。
>>310 Nさん
悟りの側の方とは異なるかもしれませんが、自己自律を肯定せんが故に、返って自己の形式の否定を
見出し、今はカオルさんに笑むしかない、みんな大好きとしか言えないボクの思いから理解します。
しかしハルカさんやNさんから見ると、自己自律などと語るボクは、まだ"時期"に映らないのかもしれませんね。
釈迦がどうであったか、悟道がどうか、よりも、己が苦悩と志向をぶつけてくださる一片の言葉にボクの
心は揺り動かされ、赤い血、絆を深く感じます。
>>ハルカさん
他の悟りスレにて差し出がましいことをしました。このようなことで貴方が喜ぶなど思ってはいません。
ただ、貴方がボクやNさんを信じて体験知を開示してくれた心遣い、ズバーと語ってくださいとお願いした
ボクの責から、貴方が無用に晒し者にされるのは看過できないのです。ご容赦ください。
>>314 >どうしてもレスを、というなら
>>270と同じことしか言えないのです。
どうしてもなどとは一度も書いていないよ。
>貴方が身を晒さずに石を投げ続けても、ボクからお返しできる言葉は見つからない、ということです。(^.^)
身を晒していないと君が判断する理由、君が想定する身を晒す状態でおれが石を投げたら君はどう反応するのか。
こういったところを誤魔化さず答えられると苦しみが少し減るかもね。
>しかしそれが貴方の関わり方であることは理解し、貴方の言葉は受けております。
おれが身を晒していないと?おれほど本音で話している人が他にいるのかな?
おれは一度も逃げず隠れず誤魔化さずにレスを返しているよ。
君がそのように本気で考えているのか、ポーズなのかは知りようもないけど、おれとなぜ
話し合えないのかを、「おれの態度」のせいにしていることは事実だね。
本質を見たらどうかな。ここは何について語るスレなんだい?
>>314 Sさん
>自己自律などと語るボクは、まだ"時期"に映らないのかもしれませんね
あなたに時期が来ているか、どうかなんてわかりません。
それに、どういうテーマかを持っているかは、あまり関係はありません。
そのテーマは人それぞれです。
テーマに関係なく、苦悩の解決を求める、それが、毎日続く。
それが、その時期だと考えます。
それは、
勝者よりも敗者に訪れる
徳の高い人よりも徳の低い人に訪れる
立派な人よりも立派でない人に訪れる
苦しみを感じない人よりも苦しみを感じる人に訪れる
人生が有意義な人よりも人生の意味が見えない人に訪れる
希望をもっている人よりも絶望する人に訪れる
そういうものだと考えます。
>>316 Nさん
脱却に向うということは、現下の生の形式や世界と折り合いをつける術を見出せない状況にある、
ということ。みな等しく悩んでいて自分だけが特別なのではないとか、認識の転換でどうにかなると
いうような、もはやそのような妥協の余地すらないほどの状況にある、ということと思います。
そのきっかけは往々にしてNさんが挙げてくれたような度外れた苦境や負い目などによるのでしょ
う。自分の運命に組み敷かれた艱難辛苦によって、嫌がおうにも絶望の淵に立たされた末に、道
を求めるのだと思います。そしてそれを突き詰めた形が、ハルカさんの自分だ!エゴだ!悟りだ!
ということなのでしょう。
それに比べれば、ボクが脱却を求める理由は異なると思います。世界内として連関するあらゆる
存在者を自己自律として肯定し愛したい。けれどその自律を肯定し愛したいが故に、厳に自省す
ればするほど返って自己を否定せざるを得なくなり、もはや引きうけた自己の形式を否定し、或い
は脱却せるに至らねば立ち行かないところまで来ています。
>>293のよだかは、幼少時からボク
の心の咎として忘れられないでいます。醜く偽善や欺瞞を重ね、今日まで生き恥を晒してきました。
この半年の議論でもハルカさんやカオルさんを裏切り続けました。自己の醜さを焼き尽くさずに
世界を肯定し愛する者に応える術は、ボクには残ってはいないのです。どう表現したらよいかは
解りませんが、ハルカさんの脱却理由とは異なるものでしょう。
何度も書いているように、ボクがハルカさんに追いつくことは叶わないように思います。ボクが偏愛
で纏わりつけば、ハルカさんを煩わし、ハルカさんの脱却の障害にすらなるでしょう。でも、ボクはボ
クの思いで実践することで、可能な限りハルカさんに応え、随伴していきたいと思っています。それ
しかできないのです。
>>カオルさん
もうボクを許してくださらなくても、気を遣ってくださらなくてもよいのです。不快に思う必要すらない
です。ボクはまだここを去れませんが、カオルさんはカオルさんの思うままになさってくださることを
切に望みます。それと、骨スレ「ただ生きるのではなくよく生きる」スレでの貴方の書きこみに感銘
して来ました。ボクの自己自律の道は己の醜さを焼尽せねばなりませんが、カオルさんはカオルさ
んの自己自律、脱却するにしても生きている限りは人間らしく生きたい、先人たちからの連関として
文化や伝統を引き継いで行きたい、カオルであることを模索したい、という貴方の自己自律の道を
貫いてください。それからね、貴方を慕う人々、、、骨さんやじゆんさんや多くの方が貴方を待って
います。
そして、ボクはこれ以上貴方を煩わせる気はありませんが、貴方にどう思われようと、ボクの想いも
約束も変わりません。今は裏切り者の戯言にしか見えないでしょうけれど。
贖罪、、、錆をすべて流せたら、まっさらになれるのでしょうか。
いつかはきっと、貴方と一緒に輝きたい。
320 :
ペパーダイン大学卒:04/01/26 03:36
ここは詩板かw
S・ピカァーがハルカを求めるとSになります。。。
あげるな、ボケ
>>Sさん
おはようございます。はじめまして。書き込ませて頂きます。
たまーに ですけど、Sさんのレス傍観させてもらっています。
ボクには裏側の真正面が見えてしまうのですが・ ごめんなさい。
飲みに行きませんか?
冗談抜きで。是非
>>ハルカさん
纏めるのにもう一日時間をください。
貴方の思いそのものはこれまで語ってくれたことと同様であること、理解しているつもりです。
そしてNさんの思いも。。。
ひとつだけ申すなら、ボクの視点は『声聞』『菩薩』という悟りの視点ではない、ということ。
あくまで自己自律という視点から、その極限を求めざるを得ない認識にある、ということ。
誤魔化しの効く選択肢など、一片も残ってはいないのです。
貴方に共感し貴方と真剣に渡り合って来た、というのはそういうことです。
不落不昧 両采一賽 不昧不落 千錯万策
ハルカさんとの違いは視点、動機、実践方法と思われますのでもう一度まとめます。
まず視点の違いについて。ハルカさんは外部圧力という言葉で解るように、これまで一貫してあ
てがわれた側の他律的視点で世界を捉えて来たのに対し、ボクは世界を引き受ける側の自律
的視点で捉え、貴方に対峙して来たということ。このスレ冒頭でその引き受けようとする世界が
絶望的に無根拠、他律的、強制されたものであるという境地を示したにも関わらず、最終的に
それらの不条理をも承知した上で、すべてを引き受けて自己自律を唱えました。たとえ如何な
世界であっても、引き受ける覚悟によって世界は自己自律に帰属するのです。覚悟をした人形
はもはや人形ではない、ということです。
動機の違いについて。世界を自己自律として引き受けるということはもはや誰のせいにも出来ない
逃げ場のない責任が伴うということ。そして真剣に自律を追及するならば、そこに妥協の余地は
なくなります。苦の源泉が結局は自己の形式そのものだという自己言及を看過する自己欺瞞も、
「在る」−「個体化」という強制された形式を脱し得ない虚構の自律を看過する自己欺瞞も、自ら
の責として浮き彫りになります。それを看過しては世界は瞬く間に『形骸』、可能性の無い永劫の
『監獄』と化すのです。ハルカさんが苦の極大を唱えるなら、ボクの認識も極限にあります。『菩薩
の人』は云々、『嗜好的な自発志向の人』は云々のご指摘は、ボクにとっては無用です。
実践方法の違いについて。ハルカさんは「我」の消失による「虚存」への接近、「私」の消失による
「虚存」への帰順、或いはその先の可能性として廃棄物として「虚無」への脱却を想定しています。
(Nさんは虚存への帰順までなのですけれど。)ボクには世界内に閉じ込められた存在者が脱却
するシナリオなど、全く描けません。しかし不条理を生み出し永劫の回帰を生み出すものがあるなら、
それは自己の形式そのものから発せらているという自己言及を認識しています。ですから自律者の
立場として、自己の形式の否定をし尽くすことによってのみ、永劫の苦を脱却する可能性を見出し
ています。ハルカさんとの違いは盲従している生意志そのものを自ら挫く必要がある、ということ。
自律者として、「重き荷物を背負いて坂道を堂々と下る」ということです。
ボクの思いを示した上で、どこが無意味なのか、ちと解りかねています。
あと、本題とは関係ありませんが、いたずらに他者を罵る表現を使う必要はないと思います。
それもハルカさんの意思の赴くまま、発言責任のままではありますが。
付随して、カオルさんからハルカさんに出された意見について幾つか。。。
>わたし≠フ生の、一回限りの、唯一の、という事態それ自体が、両親からも、上位生命からも、
>盲目の意志からも、独立した系(世界)として存在できる可能性への「挑戦の意志」
と言いながら、もしも現下の世界内の存立形式にあぐらをかいているだけなら、単なる自己欺瞞に
過ぎないということ。囚われた者が脳内で自立を訴えても、行為し試みること、実践が伴わなければ
そんなものは挑戦とは思いません。敢えて言いますが、ままごとでしょうね。SHのように自分は哲学
者だからとか、一生(^_^;)マークでいい訳をしながら生きることになるでしょう。その挙句の実践が自死
で脱却?それは「挑戦の意志」とは思わない。どこかで責任を回避していたり、連関から切り離せない
自己の形式に無批判に浸りながら自立を唱えても、それは虚構の自立。もちろんそれぞれの自己
自律としてボクは等価に敬意を持っていますけれど、大風呂敷を広げるなら、、、ということです。
>「存在」からの徹底的な「個体化」の後での「死」が「解脱」
現下の世界内の存立形式に依存したままでは、「存在」からの徹底的な「個体化」は無理。せいぜい
認識を変えるに過ぎないです。「存在」-「個体化」の形式は微動だにしません。徹底的な、と言うなら
ば、ボクがSHスレで最初に提示したように、「真の自律性」を目指してわたし(私)をもって世界内を
突き抜ける試み、つまり、わたしの「個体化」の先にしかありえないでしょう。どれだけ思考を重ねた
か、生を吟味したかの自己満足度は別として、「存在」-「個体化」の形式が変わらないなら、「死」その
ものが「存在」からの「解脱」ということもありえぬ話です。「脳内麻薬中毒者」というレベルでは、「挑戦
の意志」を掲げながら自己の形式だけには無批判でいられる欺瞞者も、悟りごときに現を抜かす者も
変わらないというわけです。赤い着物も白い着物も脱却には無用です。
カオルさんを煩わすつもりではありませんし、上記の内容は承知のうえと思いますが、カオルさんだから
こそ、どうしても書いておきたくなりましたので、、、失礼いたしました。
>>じゆんさん
ボクには悟りに拘りはありません。自己自律を肯定する為に脱却を試みること、これは必要なことです。
瞑想についてはもちろん座禅をしています。そして当然ですが動くということもない。
気を失うのは恐らくボクの頭がおかしいせいです。詳しいことは書いてきませんでしたが、いずれ機会
がありましたら。
>>328 Sさん
>>わたしの関心はどうやってわたしを存在させるか、に移行中です。
>>61 理想は、身体性と超越性、自我と他我のあいだにバランス良く存在すること。
要するに、道徳を体現して生きる市井の人になりたいということ。
換言するなら、自由意志を自律の原理と仮定して、自律とは何か?
と、みずからに問いかけながら、生活していくということです。
>>「存在」からの徹底的な「個体化」の後での「死」が「解脱」
というのは、
>>229の「C→F」の解釈です。
Sさんは「現下の世界内の存立形式」に依存できなかったり、
切り離されてしまうと、どうなるのかわからないでしょ?
あなたは存在(母)から見放された孤児の一体何を想像できますか?
その孤児は神さまに祈ります。
存在(母)とともに暮らせるようにってね。
ある日、孤児は積年の夢が叶って存在(母)に会うことができました。
でもね、哀しいことに憧れの存在(母)は美しくもやさしくもなかったのです。
これで孤児のたった一筋の生きる希望の光も消えてしまいました。
お涙頂戴、よくある話ですね。(笑)
>>一つは『自らの【苦】の解消行為として【悟り】を選んだ』場合。
>>一つは『極大化した【苦】の結果【悟り】しか無くなってしまった』場合。
わたしはどちらにも該当しないようです。
Sさんの「自己自律を肯定する為に脱却を試みる」にも。
わたしは、まず"人になる"ことからはじめようと思います。
脱却とか、否定とか、人のすることは、それからですね。(^_^;)
>>327 Sさん
>自己の形式の否定をし尽くすことによってのみ、
否定し尽くすことによって、肯定し尽くされます。
意味≠かりますか?
まず試しに言語を否定してみなさい。
あなたは自己の形式を否定することさえできなくなります。
>永劫の苦を脱却する可能性を見出しています。
永劫とは何ですか?
死の向こう側のことなら、それは自己の形式を超えています。
あなたの有限な生にともなう苦は、なぜ有限ではないのですか?
輪廻転生を信じないあなたにとって、永劫の苦とは何?
>>325‐326 Sさん
えぇと…何と言えばイイのやら。
貴方は読み取れなかったのですね。
私は『否定』が『無意味』と言っているのではありません。
『自己の否定』が『無意味』と言っているだけです。
『自己自律』が『無意味』と言っているだけです。
分かっているのかなぁ…何度指摘をしたでしょう?
『自己』って言っている限りは動けないって事を。
【存在】全てはこの【世界】内部において(貴方の好きな言葉で言うならば)『連関』して初めて意味を成しています。
つまり、互いに影響を与え合って『存在』している−これは分かりますよね?
私が目指す(という言い方は変だが、これ以外に相応しい言葉が無い)【静止】(【悟り】→【解脱】)はあくまでも『私独りだけの事』です。
まぁ、私が運良く【静止】したとしましょうか?
この変化は『私独りの中だけ』です。他人には一切無関係です。
ぶっちゃけ、誰にも言わないかも知れません。
言ったところで、誰からも信用されず『嘘吐き』『気狂い』『電波』のレッテルを張られる事だって有り得ます。
でも、そんな事は全然問題無いのです。
何故なら【静止】した私独り<だけ>が『楽』ならばそれでいいから。
【静止】した結果周囲に何と思われようが罵られようが知りません(だからこそ『最低最悪を目指す』と言う事)。
【静止】後の行動は『自分の我を通す』のではなくて『流れるように残った時間を生きる』だけです(そもそも【自分】が無くなるし)。
周囲の者に何ら働きかけないのですよ。
(続く)
(続き)
ところが…
貴方の言う『自己の否定』は逆説で言うなら『他者は肯定』するのです。
そんな『一方は否定、一方は肯定』なんざ単なる『嗜好』でしょ?
『全面的否定』は『全面的肯定』に繋がります。
『全面的嫌悪』は『全面的愛好』に繋がります。
どっちつかずではその場から一歩も動けませんよ?
『自己自律』は『自己自律の為に他へ働きかけるのも厭わない』のです。
だったら、外部に価値観を求めればいいじゃないですか。
『何かの為に』『誰かの為に』生きればいいだけでしょ?
そうすれば、その『何か』『誰か』が貴方を認めてくれるでしょう。
即ち(どんなに限定された小さなものでも)『自己』の『自律』になりますから。
自己嫌悪?自己欺瞞?そんなの放っておきなさい。
そんな『自分に都合のいい事ばかり求める態度』ではこの先一歩も進めませんから。
反論は自由です。が、貴方が『自己』の否定だ自律だ…そんな事を言っている限りは進めないって事を指摘しときましょう。
どうぞそこで止まっていなさい。
>>カオルさん
『【意識点】の解釈』『【物質】も【生命】の詳細』はちょっと待って。
今、何とか纏めて文章化しようとしてるから(苦笑)
>>330 カオルさん
>理想は、身体性と超越性、自我と他我のあいだにバランス良く存在すること。
>要するに、道徳を体現して生きる市井の人になりたいということ。
>わたしは、まず"人になる"ことからはじめようと思います。
>脱却とか、否定とか、人のすることは、それからですね。(^_^;)
>>318で書いたように、カオルさんの自己自律はボクなりに理解しているつもりなのです。
そして"人"になろうとするカオルさんと、"ヒトデナシ"になろうとするボクはすれちがっています。
だからボクらは互いに笑むことしかできない。この一時の出合いの中で。
それでも、いつか一緒に輝けたら、、、というのはボクの夢です。
>「存在」からの徹底的な「個体化」の後での「死」が「解脱」
>というのは、
>>229の「C→F」の解釈です。
"わたし"が切り離されてしまったらどうなるか、という想定は別に、厳密に連関から自立という
なら、
>>328のように実践するしかないだろう、ということで提示させていただきました。カオル
さんがCの状況で苦しんでらっしゃること、その内実は以前申したようにボクの体験知、想像を
越えています。ただ、曲がりなりにもボクらが何らかに知覚し合っているということは、カオルさ
んのCも「現下の世界内の存立形式」の只中にあるのだろうということ。Cではどこまでも擬似的
な「個体化」なのだろうということです。
>あなたは存在(母)から見放された孤児の一体何を想像できますか?
>その孤児は神さまに祈ります。
>存在(母)とともに暮らせるようにってね。
孤児は母の温もりを求め絶望し、寵児は独り立ちを求め絶望するのでしょうか。
>>331 カオルさん
>否定し尽くすことによって、肯定し尽くされます。
自律の沈静では否定しきることはできない、つまり完全な沈静の先には無条件な世界の肯定が
待っている。しかし自律の躍動、つまり"わたし"をもって否定し尽くしても、"わたし"そのものは
残り世界は肯定される。まあ、どっちにしたって脱却を求めることには無理があるとは思います。
>永劫とは何ですか?
「存在」−「個体化」の切り離せないパッケージ(箱庭)の中で我々が存立しているということ、
それは輪廻の可能性を示唆します。しかしボクには体験知がなくその根拠は示せないので、
恐れに留めています。
しかし自己自律、つまり連環なる連関世界、森羅万象が「世界内自己」として関わり合い侵食し
あって存立し、循環していることをボクは認識しています。つまり自己自律において各レベルに
おける個々体の有限な現象は無限に生成され、永劫の回帰ともいえる「自己」の糸車を廻り続
けます。自己自律に伴う苦は永劫に終わることがないのです。ただひとつ、(ありえない)脱却の
可能性を除いては。
古代ギリシアでペロポネス戦争を体験したトゥキディデスの「人間性が同じ限りは」との嘆きは、
時を越えて(ボクの中で)今も変わることはない。世界の形式が変わらないなら、我々は(個体化
の)形を変えて無限回生成され、無限回解体されるでしょう。鳥はただ、羽ばたき続けるしかない
のです。鳥篭の中で。
>>ハルカさん
そこまでおっしゃるなら、はっきり申しましょう。
ハルカさんのいう自分だ!エゴだ!悟りだ!という拘りすら、自己自律という連関なる「自己」の
手の平で踊っているだけなのです。貴方がエゴだ!という時、貴方は大地に立ち呼吸していること
を忘れています。貴方が悟りで静止という時、貴方は尚も大地に立ち呼吸していることを忘れてい
ます。世界内にあるということ、それが連関のすべてであり、逃れられない絶対の縛りなのです。
『私独りの中だけ』『最低最悪を目指す』『流れるように残った時間を生きる』、、、そのすべてが
自己自律の手の平にあり、連関の只中に存立しているのです。
別に悟らずとも徹底的なエゴイストには自己自律は見えませんし、ヤク中には世界が静止して
見えるかもしれません。悟りにしたところで、自発的なロボトミー手術のようなもの。そのすべては
連関の只中の嗜好に過ぎません。貴方がわが身ひとつの「楽」を語る認識とボクが自己自律の
重みを語る認識の、その違いに気付いてください。ボクがわが身ひとつの認識で走る貴方に追い
つけないのと同じように、貴方のままではボクを理解できない。>外部に価値観?>自己自律の
為に他へ?>『何か』『誰か』が貴方を認めてくれる?以前にも申した通り、その認識だからハルカ
さんは自己自律を理解しないのです。
無窮の抗争を生み出す回転する糸車。一如にしてあり、連関する我々はその永劫の苦から逃れる
ことはできない。世界が無窮の抗争を生み出すこと、それは等しく個体化において生み出されてい
ます。それは悟ろうが静止しようが変わらない。苦の源泉が結局は「自己」の形式そのものだという
自己言及を看過する自己欺瞞、「在る」−「個体化」という強制された形式を脱し得ない虚構の自律
を看過する自己欺瞞、それが無窮の抗争を生み出す糸車を回転させます。極限の認識に立てば、
「自己」という存立形式そのものへ視点が移ります。だからね、否定するのです。永劫の苦から
脱却を求めて。。。
>>332 ハルカさん
1つだけ言っておきたい。
【静止】とは、もう外に出て行かない。この決意を意味しています。
私の思いを通そう。
私の思い通りにしよう。
私の思い通りに他人を動かそう。
私の存在を証明しよう。
私の存在を認めてもらおう。
これらの【静止】を意味しています。
【静止】とは『これらの衝動によって』周囲に働きかけないという意味です。
『これらの衝動によって』もう外に出て行かない決意です。
では、なぜこの衝動が生まれるのか?
答を求む。
>>335 Sさん
>カオルさんの自己自律はボクなりに理解しているつもりなのです。
理解し認めているなら、否定の言葉は要りません。
>"ヒトデナシ"になろうとするボクはすれちがっています。
すすんで"ヒトデナシ"になるくらいなら、人として死になさい。
>だからボクらは互いに笑むことしかできない。この一時の出合いの中で。
すすんで"ヒトデナシ"を目指す人に、わたしは微笑みません。
>それでも、いつか一緒に輝けたら、、、というのはボクの夢です。
すすんで"ヒトデナシ"を目指す人と一緒に輝きたくありません。
>>335 Sさん
>"わたし"が切り離されてしまったらどうなるか、という想定は別に、
想定?
わたしの実体験を想定で片づけるのですか?
ふざけないでください。
いいですか?
"わたし"が存在から完全に切り離されてしまったら、
自己の存立形式など見事なまでに破壊し尽くされます。
あなたはその人を狂人と呼ぶでしょう。
その人には、廃人となって生き残るか、その前に死を選ぶか、
二つに一つの道しかなくなります。
>厳密に連関から自立というなら、
>>328のように実践するしかないだろう、
328に、あなた自身の言葉が一言でもありますか?
328でいっていることを、わたしは半年前にあなたに言った覚えがあります。
もし、知識として理解しているだけで、日々実践していないとか、問い続けていないとか、
言いたいなら、219さんとの会話の方がよっぽど有意義で実りがあります。
>カオルさんがCの状況で苦しんでらっしゃること、
>その内実は以前申したようにボクの体験知、想像を越えています。
そうですね。もうあなたに話しても無意味だと悟りました。
>Cではどこまでも擬似的な「個体化」なのだろうということです。
当り前です。
>>336 Sさん
>自律の沈静では否定しきることはできない、
>つまり完全な沈静の先には無条件な世界の肯定が待っている。
わたしがあなたに教えたことをわたしに説明しないで下さい。
それにそんな話はしていない。論理の話をしているのです。
>しかし自律の躍動、つまり"わたし"をもって否定し尽くしても、
>"わたし"そのものは残り世界は肯定される。
あなたが「自己の存立形式」の否定を宣言するなら、
いい訳がましく誤魔化さないで大物から否定しなさい。
まず、「個体としての生命」を否定しなさい。
それができないなら、脳の言語野を破壊しなさい。
それもできないなら、せめて一切の思考を止めなさい。
それもできないなら・・・あなたは何一つ実践なんてできないのです。
それがあなたの自己自律論の限界なのです。
>>336 Sさん
>「存在」−「個体化」の切り離せないパッケージ(箱庭)の中で我々が存立しているということ、
>それは輪廻の可能性を示唆します。
どこにも可能性なんか示唆されていません。
>しかし自己自律、つまり連環なる連関世界、森羅万象が「世界内自己」として関わり合い侵食し
>あって存立し、循環していることをボクは認識しています。
>つまり自己自律において各レベルにおける個々体の有限な現象は無限に生成され、
>永劫の回帰ともいえる「自己」の糸車を廻り続けます。
>自己自律に伴う苦は永劫に終わることがないのです。
「自己の形式」の否定とかいうなら、気安く「無限」とかいう概念を使わないでほしい。
まず「無限」を懐疑しなさい。哲学の基本問題です。ゼノンのパラドックスでも勉強しなさい。
「匿名の誰か」が、あなたと同じような生をくりかえすでしょう。
あなたではなく「匿名の誰か」が、です。
「個体としての生命」は、「個体としての生命」が終われば GAME OVER.
>古代ギリシアでペロポネス戦争を体験したトゥキディデスの「人間性が同じ限りは」との嘆きは、
>時を越えて(ボクの中で)今も変わることはない。世界の形式が変わらないなら、我々は(個体化
>の)形を変えて無限回生成され、無限回解体されるでしょう。鳥はただ、羽ばたき続けるしかない
>のです。鳥篭の中で。
これを言うなら、わたしが以前、ニーチェの「永劫回帰」の解釈その2で
言ったことと同じなのわかってますか。
もちろんわたしのレスの方がグレード高いけどね。(笑)
なぜわたしにこんなレスするの?
わたしのことバカにしてるでしょ?
あるいは、まったく受け入れていない証拠だよ。こういうの頭に来る!
Sさん、もっと論理と哲学の基本を勉強してください。お願いします。疲れます。
344 :
ペパーダイン大学卒:04/01/29 05:08
自分の思考>借り物の知識(w
おやおや。
初心者カオルが、いつのまにか先生になっとる!!!
(書き込む内容は相変わらずだが・・・)
>>343 >Sさん、もっと論理と哲学の基本を勉強してください。お願いします。疲れます。
カオルちゃんは基本のおべんきょう、おわったの?
Sさんの言ってる「自己」は、ハルカさんやカオルさんが考えている「自己」よりも
ずっと大きなものではないのかな?
ちょっと読んだだけなので、私も誤解しているかも知れんが、
おそらくハルカさんとカオルさんは、Sさんの言う「自己」を理解していないようだ。
仏教でいう「自己」って、「自我」とちがって、それが存在そのものであるような
「自己」なんだと思うけど、
Sさんの言っている「自己」は、そういう「自己」に近いように思った。
その「自己」は、「無我」になっても残るものなんだと思うけど。
だから、ハルカさんやカオルさんの反論(というか罵声というかw)は、
的外れになってる感じ。
分からないところは、もっと質問して説明を求めないと、
まともな対話にはならないよ。。。
>>349 ですね。
人が考えていることを理解するのは、とても難しいことですから、
(完全に理解するのは不可能でしょう)
まず自分の考え(反論)を置いておいて、相手を理解する姿勢がないと、
良い対話にはなりませんね。
また、こういう場では、どうしても説明不足になりがちなので、
相手が自分の考えを理解していないと思われる場合は、
自分の説明が足りないのだと考えたほうがいいです。
柔軟な思考の人も覗いてるんだね。
共通認識などない。折り合いをつける作業を面倒がると、相手の気持ちを動かすことに終始する。
レギュラー陣にはなかなか理解されないね。
自己自律に不可欠である連続的な瞬時の自己認識を怠っていては成就は難しいと思う。
自分の書いた言葉が残ってる掲示板だから見つめなおすのは容易だと思うよ。
私は面白い議論だと思っております。
まあカオルさん、ハルカさんもSさんも、頑張ってください。
またなにか長々と言うと無粋になってしまうので、いちおうそれだけ。
(一つだけ言わせてもらうと、名無しさんたちにはこのスレでは静観して欲しいかな)
おまえが一番邪魔 >じゆん
>>338 Nさん
>では、なぜこの衝動が生まれるのか?
>答を求む。
貴方相手なら一言で済むかな?
答:『落ち着く』から
>>355 ハルカさん
いや、失礼。
知っているなら結構。レスが多いので、ちょっと気になって。
なぜなら、その衝動は闇からの逃避。
苦悩の理由だから。
不安の埋め合わせだから。
自我の発生源だから
>>345 >初心者カオルが、いつのまにか先生になっとる!!!
アンタ達がちゃんと教えてくれないから自分が先生になりましたとさ。
>(書き込む内容は相変わらずだが・・・)
相変わらず成長してないわたしを見て安心したいんでしょ?
>>346 >カオルちゃんは基本のおべんきょう、おわったの?
ええ一応、煽り方のおべんきょうはおわりました。只今実践中です。
>>347 >おそらくハルカさんとカオルさんは、Sさんの言う「自己」を理解していないようだ。
ええ、たぶん。べつに理解したいとは思わなくなったからもういいけどね。(笑)
>>348 >仏教でいう「自己」って、「自我」とちがって、それが存在そのものであるような
>「自己」なんだと思うけど、
>Sさんの言っている「自己」は、そういう「自己」に近いように思った。
>その「自己」は、「無我」になっても残るものなんだと思うけど。
わたし仏教のこと知らないし、あなたのいってることもゼンゼンわからない。
>>349 >分からないところは、もっと質問して説明を求めないと、
>まともな対話にはならないよ。。。
まともな対話なんてするつもりないし・・・
Sさんがどうしても話したいっていうから、
罵声でもいいなら、たまにしてあげてもいいよ、って感じです。
わたし頼まれるとイヤっていえないタイプなの。(笑)
>>350 >相手を理解する姿勢がないと、良い対話にはなりませんね。
理解したい相手のことだけ知りたい。もうSさんはいい。あきた。
>相手が自分の考えを理解していないと思われる場合は、
>自分の説明が足りないのだと考えたほうがいいです。
そういう反省はしませんよ。わたし同様に。
半年も話してきてこの有り様。
親切にやさしく教えてくれる人がいいです。
>>351 >共通認識などない。折り合いをつける作業を面倒がると、相手の気持ちを動かすことに終始する。
折り合いなんてつけたくないんだけどな。だってそんなの面白くないじゃん。
>自己自律に不可欠である連続的な瞬時の自己認識を怠っていては成就は難しいと思う。
あらら、あなた「自己自律」を理解してるんだ。
あなたほどの人が「自己自律」なんていう妄想をねー。成長したのかな?
結局、あたしとハルカだけが仲間はずれなんだ。
べつにいいもん。二人でつるんで消えるし。(笑)
>自分の書いた言葉が残ってる掲示板だから見つめなおすのは容易だと思うよ。
見詰め直す?
何のために?
せっかく楽しんでるのに自己反省?
見詰め直したりしないからずっと楽しめるのじゃないの?
わたしは2年間ずっと変わってないし(上に証言者もいるしw)
変わらないのはこのまんまで楽しいから。
楽しいより楽しいこと教えてくれるなら見詰め直してもいいけどね。
>>356 >苦悩の理由だから。
>不安の埋め合わせだから。
>自我の発生源だから
だからー つまりー 「個体としての生命」だ・か・らー なのです。
私達は「DAKARA−」なのです。(笑)
↑さぶっ!
>>334 ハルカへ
楽しみにしてます。
議論があっちとこっちに分散してしまって大変だけど・・・
もしあれだったらあっちのスレでまとめても良いかなと思います。
>>カオルさん
レス有難う御座いました。カオルさんのご指摘は尤もだなぁと思いました。
鈍くさくて頭が働かないのがボクの痛み。
大好きなカオルさんの心遣いに精一杯応えようとしたけど、こんな様ですた。
それでも、ボクに残された時間を使って、愚直に試みてみようと思います。
>>ハルカさん
やっぱ、痛い思いしないとわかんないのかもしんない。
行ってきます。
>Sさん
わたしもそのうち死にます。(単に失敗してるだけ)
二人とも残された時間は少ないでしょうね。
せめて死ぬまでは生きましょう。
それだけで十分です。
わたしは今仕事に全力を注いでいます。
と、いいながらレスなんかしてるけど。(笑)
で、もう限界かなっていう直観があります。
仕事辞めるつもりです。
誰からも離れて独りになって
少しだけ最後に"わたし"と向き合ってみようかな、
なーんて思っています。エヘ
結果は見えてるけど、やっぱりこだわりなのかな。
"わたし"への。
これでもわたし頑張ってきたと思うの。
少しぐらいこだわってあげてもいいと思うのです。
Sさんもわたしのように少しぐらいいい訳したっていいと思います。
>>367>>368 君達バカかね。
自分から逃げられると思ってるの?
逃げて、はいリセットしたとしよう。
次はもっと困難な状況になる。
どこにも逃げるところは有りはしないのだ。
居直るしかないのだ
>折り合いなんてつけたくないんだけどな。だってそんなの面白くないじゃん
つまり、人の気持ちを動かそうとする作業が面白いということ。見たまんま。
>楽しいより楽しいこと教えてくれるなら見詰め直してもいいけどね。
このスレタイの自己自律に照らして、自律には自分を見つめることが不可欠という観点からの意見。
感覚は主観でしかなく人が提示できるものではない。
哀れを演出することが楽しいと推測可。わが身可愛さ極まれりだね。
重複するが、誰もが見る掲示板。メールでないところが面白いね。理解した上での作業のはずだからな。
見つめないからなせる業ともいえるね。
>>366 便宜的にですが文章化してみました。
○意識○
まず…
私は【芯】に【意識点】を設定しました。
【意識】ではなく【意識点】です。
『【意識】そのもの』ではなく『【意識】の顕在化する点』です。
例えるなら、蛇口とか噴出口…でしょうか?
どこか(私は【虚存世界】だと予想…多分間違いないでしょう)から【意識】が【芯】の【点】を通して【実存世界】に顕在化します。
多少でも心理学を齧った人ならば人間の意識は『表層意識』『深層意識』『原型(集合無意識)』の三層から成ってる事は知っているでしょう。
この『原型(集合無意識)』が【意識】本体であって【点】は顕在化する座標といったところでしょうか?
半ば無理に対応させてみれば…
【虚存世界】 = 『原型(集合無意識)』 = 【意識】本体
【芯】 = 『原型』の噴出点 = 【意識】の顕在化【点】(座標)
【我】 = 『深層意識』 = 【自我】本体
【私】 = 『表層意識』 = 表面化した【自我】
といった感じになります。
【意識】それ自体は【生命種】と名付けた『力』と同様に『在る事だけは分かるが詳細は一切不明なもの』です。
どういう『力』なのかは分かりません。
ただ【意識】にはある程度の情報を引き出す能力はあるのでしょう。
【虚存世界】に収められた各種の情報(【実存生命】が死ぬ際に【虚存】へと形態変化した【個体化原理】)を。
生誕時においても【意識】は『最低限程度の情報』を引き出しているのでしょう。
こう考えれば『誕生したての赤子にも好みがあるという事実』の説明が付きます。
>>カオルさん
ボクはボクの試みに全力を注ぎます。既に環境は整えてあります。
ハルカさんとカオルさんからの宿題は等しく受けました。答えは試みの先にしか出せません。
仮にもスレ主ですから、このスレは責任をもって貫くつもりですが、暫くレスはお休みにします。
ハルカさんに助けて頂いた皐月の日、カオルさんと出合った水無月の日、
それから今日に至るまで、たとえ呆れられても飽きられても、貴方がたのお陰でボクは"よく生きて"これました。
多謝なのです。匿名ネットなのですけれど、これほど連関を感じたことはありません。
"よく生きて"そして脱却いたしましょう。
>>369 あの猪木さんも"バカになれ!"って言ってますよ。
あなたも悟りなんかに呆けてないでバカになったらいかが?
>>370 >つまり、人の気持ちを動かそうとする作業が面白いということ。見たまんま。
わたしは生きててそれ以外にしたくなるような面白い事なんて考えられないけど。
見たまんま?って、当り前じゃない。
わたしは思ったまんま、すなおにやりたい事だけやっているんだから。
>哀れを演出することが楽しいと推測可。わが身可愛さ極まれりだね。
演出じゃなくて、わたしはわたしの哀れさをすなおに書いてるだけ。
それに、わが身の可愛さなんて極まってない、というか欠乏してる。
>重複するが、誰もが見る掲示板。メールでないところが面白いね。
>理解した上での作業のはずだからな。 見つめないからなせる業ともいえるね。
何が言いたいのかわからない。
わたしが掲示板に書き込むのは、不特定多数の人に自己主張したいから。
2年前から何度も同じこと言わされてる。どうして?
あなたもわたしに掲示板に"書き込むな!"ってことがいいたい訳?
だったらその理由をわたしが納得できるように説明してください。
>>371 ハルカへ
レスどうもありがとう。
難しくて(ハルカの説明は多分分かりやすいのだけど・・・わたしの能力の問題)
今は質問もできないけど、とりあえず心理学ちょっと勉強してみます。
それから最後の方とかやっぱり"輪廻"のことだよね。
わたしは"カオル"が一回限りなら"輪廻"には拘らないのだけど・・・そうじゃないの?
それから「存在感覚の間隙」についても今はなんとも返答不能です。ごめんなさい。
とにかくハルカのレスだけはしっかりと読んでいるから、レスできないけど許してください。
>>372 Sさん
>ボクはボクの試みに全力を注ぎます。
Sさんとはチームを組めないけれど、それぞれのプロジェクトXを成功させましょう。
>匿名ネットなのですけれど、これほど連関を感じたことはありません。
わたしは一度Sさんやハルカに会ってみたいと強く思うようになっていたけれども、
それは無理なんだなぁーって・・・
親しくなったらオフで会ってみたいという順序の(価値)観念が崩れました。
匿名ネットだからこその連関なんですね。
リアルでは目に見える力で勝負できるから、
表向き反論されないなら、それでいい気になれるし・・・断絶ですね。
いえ、そんなことわかっていたのだけれど、
なんとなくリアル尊重の偏見があったみたいです。
けっこうわたしって普通の人だったんだなぁーって安心したりして。(^_^;)
報告お待ちしています。
>>374 >わたしは生きててそれ以外にしたくなるような面白い事なんて考えられないけど。
ということは、意識の正体を知ることは面白いことではないんだな。
>見たまんま?って、当り前じゃない。わたしは思ったまんま、すなおにやりたい事だけやっているんだから。
だからおれもそう書いたわけだ。でも「すなお」かどうかは知らない。
>演出じゃなくて、わたしはわたしの哀れさをすなおに書いてるだけ。
「すなお」かどうかは知らない。あっちスレの70は演出の意味を理解しているようだが、
他の人は無意識で(自分を見つめず)書いていると主張したいわけだね。ハルカも自認していない
ようだからな。
>それに、わが身の可愛さなんて極まってない、というか欠乏してる。
「わが身の可愛さ極まる」は自己憐憫を大型掲示板において自己表現する行為を指しているので、自覚の問題だろうね。
陰極まれば陽。
>何が言いたいのかわからない。
失礼したね。ハルカに嬉しそうにレスを返し、じゆんやSに時に冷たく時に共感(?)
を含めたレスを返し、他は大方スルー。70は気持ちを動かされレスをしていた。君はスルー。
非難していないよ。もういい加減予測できると思うが、おれは「〜いいと思う」的な発言は
したことがない。あっちのスレにはじめて「〜しなさい」と書いて主張の強調を演出してみた。
でも基本的にはしない。おれにとっては無意味だから。
つづき。
そのような現状を踏まえたら、メール交換の方が合理的かとは大方の見解。
だが、そのような状態に身を投じることに「楽しさ」を見出したのであろうから現状が
維持されていることだろう。
そのような精神状態はとても興味深い。自己の客観視をあえてせずに自己の内面をあからさまに
投影させた(ということだよね)文章を多くの人に晒すことの喜びの大きさをそこに見出すことは容易。
感心している。 ということ。
>わたしが掲示板に書き込むのは、不特定多数の人に自己主張したいから。
ということなんだね。とても納得。
>2年前から何度も同じこと言わされてる。どうして?
さあ?おれは尋ねていないのでなんとも。おそらく大方の見解がなぜメールでなく2ch?といった疑問かも。
>あなたもわたしに掲示板に"書き込むな!"ってことがいいたい訳?
いいえ。それはあなたの推測だね。
>だったらその理由をわたしが納得できるように説明してください。
おれも聞きたいことがある。君を含むレギュラー全員に。
気持ちの奪い合いをして面白いのはわかるが、スレタイとかけ離れた行為であることの自認はあるのか?
おれはスレタイが「ハルカ論学会」といった類なら確実にいなくなる。
客寄せみえみえのスレタイだからレスせずとも悟り等に関心のある人は覗くこともあろう。
そのような人と語り合わずにレギュラー陣でことを進めるなら、それなりの策はあるだろう。
むろん、君たちの自由。そしてレスする他の人たちも自由。スルーも自由。
悟り解脱に拘っているのがなにやらハルカだけというのも興味を引く一因だと思うよ。
ここでの書き込みが演出の一形態であることの自覚が悟りのひとつであるといえるだろうが、
そうしたくない精神状態(気持ち)がそれを拒んでいるようだね。人はしたいことしかしないね。
程度の差なだけ。くだらん
>>カオルさん
追伸
>>202下段でハルカさんに対して書いたことは、言葉遊びではありません。
そしてそれは、返しきれぬ恩義を受けたカオルさんに対しても同じこと。
ボクは人をシアワセにすることはできません。
お会いすれば、貴方に醜悪なる者を目撃させ、その言動で更なる辛苦をもたらすことでしょう。
けれど、そのような者にもできることはあります。それが人として裁かれる罪を被ること。
もしも貴方が道を断たれて絶望の淵にあるなら、その時はお呼びください。
己の心に刃を置き、汚れていると知りながら、
貴方を守る為に牙を剥きましょう。
鬼と化しても。
>>377 219さん
>ということは、意識の正体を知ることは面白いことではないんだな。
人は、(自分も含めて)人の気持ちを動かそうとする作業以外に
"面白い"と思えるような現象を(想像ではなくて)創造できない。
なぜなら、面白いと認識するためには、認識する主体としての
「わたし」が必要だから。
要は「わたし」とは、言語によって存在している、ということ。
その「わたし」を構成する基本要素の一つである言語の属性が、
「コミュニケーション」であることはまちがいないと思います。
>だからおれもそう書いたわけだ。でも「すなお」かどうかは知らない。
今までのあなたの人生で、自分の事を「すなお」だなんていう奴にかぎって
「すなお」じゃなかった、という苦いw経験でもあるのでしょうか?(笑)
わたしは「すなお」です、ということを、わたしはあなたに伝えました。
なぜなら、あなたがわたしをそのように理解していないと感じたからです。
また、あなたにそのように理解してもらいたいと望んだからです。
あなたとわたしの対話において無駄な齟齬がなくなると思ったからです。
でもわたしの言葉を信じる信じないはあなたの側の問題ですから。ご自由に。
>他の人は無意識で(自分を見つめず)書いていると主張したいわけだね。
??? いいたい事がよくわからない。
わたしの発言のどこが、そういうことを意味する事になるのかしら?
>>377 219さん
>「わが身の可愛さ極まる」は自己憐憫を大型掲示板において自己表現する行為を指しているので、
>自覚の問題だろうね。
なるほど。そういうことなら理解できます。
でも、わたし的には「してはいけない」ということじゃないから。
誰かを傷つけていますか?
>他は大方スルー。70は気持ちを動かされレスをしていた。君はスルー。
だから、スルーしてないってば。(^_^;)
あっちのスレでも順番的には、次はあなた、ということもわかっています。
レスしないのは、わたしがわがままだからです。
時間がないとか、答えに窮しているとか、です。
Sさんもハルカもじゆんさんも"無理しないで"って言ってくれてます。
他の人はそうではないのかもしれないから、それには"ごめんなさい"としか・・・。
これでもできるだけがんばっているのです。
ちなみに、わたしが自分でスレを立てない理由の一つに、
ちゃんと責任もってレスできないから、というのがあります。
他スレでもそのように説明してきました。
このレスだって、内容は不服かもしれないけど、
仕事以外の時間を、すべてあなたに注いで書いているのです。
特別待遇ですよ。感謝してほしいくらいです。(笑)
それから同じあなたへのレスでも、あっちのスレの質問には
簡単には答えられません。もう少し待ってもらえますか?
>>378 219さん
>そのような現状を踏まえたら、メール交換の方が合理的かとは大方の見解。
うん。わたしも他人の事ならそう思うよ。
このスレでも、Sさんにはそう言ったもの。
>>275 「そのような現状」は、すでにいいましたがわたしのせいです。
大目に見てもらえたらうれしいです。
>自己の客観視をあえてせずに自己の内面をあからさまに投影させた(ということだよね)
>文章を多くの人に晒すことの喜びの大きさをそこに見出すことは容易。
>感心している。 ということ。
自己の客観視をすると自己の内面をあからさまにできないの?
それとも「恥」とか、そういうことをいいたいの?
>スレタイとかけ離れた行為であることの自認はあるのか?
あなたがこれを言いたいのがわかってたから、
スレちがいとか、書き込むなとか、いいたいのかなって思ったの。
「スレタイとかけ離れた行為」とあなたが判断するのはあなたの自由です。
わたしは、わたしという存在をすなおにそのまま書き込むことで
Sさんやハルカや自分が「悟りたいとか、自律したいとか」について
考えたり、感じたり、することにつながると思っているのです。
なぜなら、スレタイの問いは、自己の人生そのものにたいして、
あるいは、自己という存在そのもにたいして向けられている問いだからです。
>>378 219さん
>客寄せみえみえのスレタイだからレスせずとも悟り等に関心のある人は覗くこともあろう。
これは誤解です。
結果的に、あなたのような人にそのように受け取られることにまで
気を遣う余裕なんてなかったと思いますし、必要もなかったと思います。
ハルカの志向とSさんの志向をそのままタイトルにしただけです。
経過を見ていただければ理解してもらえると思います。
>そのような人と語り合わずにレギュラー陣でことを進めるなら、
少なくともわたしはあなたを拒否した事なんてありません。
それぞれの志向によって、あなたと語り合う必要がないと思う人もいるかも
しれませんけど、それはそれわたしはわたしです。
「レギュラー陣」ととらえられてしまうのは仕方ない事です。
Sさん、ハルカ、わたしの3人は、ほぼ3人だけで半年以上も対話してきたのですから。
そしてROMの人もむしろ積極的に、それを黙認してきたんじゃないのかなと思います。
だから、3人の議論が滞ったときには、それこそ積極的に荒らしやその他名無しさんも
参加してきますしね。(笑)
>>378 219さん
>ここでの書き込みが演出の一形態であることの自覚が悟りのひとつであるといえるだろうが、
>そうしたくない精神状態(気持ち)がそれを拒んでいるようだね。人はしたいことしかしないね。
演出の意味がわからないけど、
人は、自己を演出して生きているのでしょ?
生きるというのは、何かのフリをするという事じゃないの?
だって、何かのフリをしなっきゃ何物にもなれないじゃない?
ああそうか、その意味で、演出なしの「すなお」な行為というのは、
あり得ない、といいたいわけね?
つまり、「フリ」の自覚ができれば、どんな「フリ」でもできるということ。
「フリ」が固定されてしまうのは、そこに何かのこだわりがあるから。
そのこだわりを自分を「見つめること」によって発見するということね。
あとは、その仕組みを理解して"気づき続けること"が"悟り"ってことかな?
けれど、人はあえて自分を「見つめること」をしないで、
「こだわり」を「自分の個性」(特別な人)として後生大事にする。
だから、同じ失敗や苦労を何度でもくりかえす。(成功や喜びも同じ原理)
失敗したくない、苦労したくない、といいながらこだわりを手放さない。
なぜなら、「人はしたいことしかしない」から。
でもそれなら、なぜあなたは人が望んでやっていることに、ご自由に、とならないの?
それはね、あなたがやさしい"人"だからです。
あなたは、そのこだわりを捨てられないのです。
その人の自由を尊重しつつ、"自分をみつめること"や"気づき"をさとすのは、
そういうことなんだろうな、って勝手に思っています。"おなじ"人としてね。(^.^)
,,r'ソ'' ''`ヽ
//' /~∃~¨ヽ、
/:/'',,...⊂二 ̄ |`-.,_
/y' ー=⊂二∩_____ノ  ̄`''-.,
/;:l ,  ̄ヽ `'-.,
ヘ''r' /o._..o、 \ \ サイババア♪
(ノレ /,,______,,ヽ |\ \
/ヘノ`l : (''"Y"''');' /ノ:|\ ヽ
ソ/彡ノ、 `ー=-'. /《川/ \,__ |
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サイババアを崇拝するスレッド
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1075290507/
>カオル
君へのレスがきっかけで、じゆんが自スレでおれにここでの書込み禁止命令を出したことは
ご存知のことと思う。Sにも厭われていることを自認している。
だが、あっちのも書いたし、君のレスにもあったように、おれのレスがここのスレタイと無関係という
認識がなく、折角君がここにレスをくれたのでここに返す。
>S
というわけで失礼。
>だから、スルーしてないってば。(^_^;)
>あっちのスレでも順番的には、次はあなた、ということもわかっています。
それは失礼。
おれがスルーと断定した理由は、おれや70などの問いかけより後の別の人の問いかけに
レスを返していたこと。加えて時間経過が顕著に見られたことによる。
もうわかると思うけど、スルーを「いけない」などとは思っていない。君の自由だと知っている。
>少なくともわたしはあなたを拒否した事なんてありません。
その通りだね。了解している。
>これは誤解です。結果的に、あなたのような人にそのように受け取られることにまで
>気を遣う余裕なんてなかったと思いますし、必要もなかったと思います。
その通りだが、おれの指摘は「みえみえ」だということ。
作為的でないかどうかなどおれには興味ない。結果論であっても「事実」そう捉えられる
ということを指摘した。
どちらが悪いという話ではない。言い訳も必要ない。事実を見据えた上でどうするかが
重要ではないかな。
過去のレスを全てROMすることを強要するのは無理だろう。2chは自由参加が原則。荒らしたりしなければ
問題はないという前提かと認識している。
おれのレスに反応しているのは本人の選択による。きっかけはおれだが、スルーするも
読むも、本人の選択だ。きっかけまで排除したいなら、それなりの策を講じた方が懸命ではないかなという提案。
これは君へというよりは、スレッド立てた2人宛てだね。
>ああそうか、その意味で、演出なしの「すなお」な行為というのは、
>あり得ない、といいたいわけね?
うん。近い。
おれは、このような場での文章表現において「すなお」を実践することの難しさ(実は不可能)を認知しているから。
意識が瞬時に変化可能な流動的なものであるとの見解はある種共通認識だろう。
書き込むという作業時に於ける精神状態は、書くという作業をさせる意識の中に具体的な自己表現
の欲求が多くの割合で支配していることだろう。そこではこのような精神状態を「維持」しようという
つよい「思い込み」によって支えられた不動(のようにした)の感情・記憶(書き込みたいと思い立った
時などの)をリフレインさせていると推測する。
でも、維持は本当に難しいし疲れる。やはり人の感情は五感によって常に変化可能であり、それを認識する
脳は意識の変化をもたらすだろう。
「すなお」であり続ける作業を君が意識して行なっているのであれば、十分実現可能だろう。
だが、そうすると攻撃的であったり悲観的であったりという一定の雰囲気を出し続けることは極めて困難といわざるを得ない。
理由はこの作業にはある程度の時間を要するから、意識の変化はおびただしいものとなるからだ。
だから、「演出」していることに「結果」としてなる。思い込みを持ち続けなければ難しい。
>>385 その通りだね。見事な理解力としかいいようがない。
そして、おれは苦しんでいる人をほっときたくない。楽になりたいならその方法を一緒に考えたい。
やさしい人という認識は全くない。おれほど我儘もいないことだろう。それはみんな同じだと思うが。
おれは自分の満足のために苦しんでいる人を認識すると「なんとか」したくなる。
完全なる病。
楽になる方法は教えられない。本人の自覚無くしてありえないものだからね。
でもきっかけや手助けは出来るかもしれない。大きなお世話も自認している。
知識は全て抱えていても利用しなければ自己実現には全く意味をなさない。
知識になった瞬間にその輝きが失せると言っても過言ではないだろう。
気づき続けることの重要性をまずは「気づいて」ほしい。
また新たな造語を作らないとならないハメになった(苦笑)
今まで【生命】としていたものが『不可思議な力そのもの』と『生命を有したもの』と混同される可能性が高いので…
『不可思議な力そのもの』を【生命】とし『生命を有したもの』を【個体生命】とします。
ついでに【世界】の方もやっときましょう。
まず【英知界】と【現象界】に大きく二分されます。
更に【現象界】を二つに分けて…
『実存に満ちた世界』を以後【実界】とし『虚存に満ちた世界』を以後【虚界】とします。
【虚界】とは【原型(集合無意識)】【情報】【虚存(混沌存在)】の三種が混合されている世界だと思われます。
詳しくは後述。
**********************************
>>375 カオルさん
>それから最後の方とかやっぱり"輪廻"のことだよね。
…うん、そうだね。
ただ、そんなにオカルト的な概念ではなくって単に『【個体生命】はその形態を変化させ【存在】を繰り返す』って事。
ある人が死んでもその人の【記憶】は無に成るのではなく【実存】から【虚存】へ形態を変化させ『有り続ける』んだ。
それが >【虚存世界】に収められた各種の情報(
>>371) なの。
あと、一つ訂正を。
>生誕時においても【意識】は『最低限程度の情報』を引き出しているのでしょう。(
>>371)
と『【意識】が【情報】に働きかける』ように書きましたが…逆でした。
正しくは『【個体化原理】が【意識】と【情報】に働きかける』のでした。
そうして引き出した【情報】を様々に組み合わせて基本的な自我反応が出来るのでしょう。
しかし、その【情報】の組み合わせ(自我の源になる比較物)には無数のパターンがあると考えられます。
だからこそ『全く同一の人格を持つ個体が誕生しない』と言えるわけ。
詳細は下記のモデル参照。
えと、イメージし易いように時間軸に沿って展開しましょう。
(続く)
(続き)
【実界】において特定の【個体生命】の死亡(特定の『人生』の終焉)
↓
≪ここから【実存】から【虚存】へのシフト、『精神死』の開始≫(以下【虚界】において)
↓
【個体化原理】が捉えていた【芯】=【虚存】+【意識点】の開放(『個別性意識』の消滅、『一』から『全』へ)
↓
【我】=【個体化原理】内に蓄えられた【記憶】の開放(『区別個別性』の消失、『個』の【記憶】から『全』の【記憶】へ)
↓
【個体化原理】の【虚界】彷徨開始(意識は既に無いが『個』だけは残る、魂とも呼べるもの)
↓
≪ここまでで『精神死』のプロセス終了≫
↓
≪ここから【虚存】から【実存】へのシフト、『精神誕』の開始≫
↓
【個体化原理】が【虚界】を漂う【情報】を幾つか取得する(『全』の【記憶】から『個』の【記憶】へ、『区別個別性』の形成)
↓
【虚存】を取り込み【原型】との接点(噴出口)である【意識点】を形成し【芯】とする(『全』から『一』へ、『個別性意識』の形成)
↓
≪ここまでで『精神誕』のプロセス終了≫(以上【虚界】において)
↓
【実界】において特定の【個体生命】の誕生(特定の『人生』の開始)
(続く)
(続き)
以上で分かると思いますが…
>わたしは"カオル"が一回限りなら"輪廻"には拘らないのだけど・・・そうじゃないの?
との発言は『ある意味で正しく、ある意味で間違い』なんです。
元々『個性』ってのは『生得的人格』と『経験的蓄積』の融合物ですから。
だから、同一時代同一箇所同一環境同一歴史で成長する以外には同一個性は発生しないのですな。
そういう意味では『カオル』という【個性】は『一回限り』ですが
ある意味で『カオル』という【存在】は『永遠』なの。
そういう意味じゃ『未来永劫変わらない監獄のような生』なんだよ。
【カオルという個性だけ】の問題にするか、【個性を超えた根本の部分】の問題とするか。
まぁ…どちらを選ぼうが自由だけど。
私は後者で捉えてるから大問題に成ってるというだけだしね(苦笑)
>>372 Sさん
>ハルカさんとカオルさんからの宿題は等しく受けました。
何の事かなー?(苦笑)
少なくとも私は宿題なんか出した覚え無いよ。
この半年間同じ事を何度言い続けても『自己自律』なんて『妄想』を抱いてるから
>そんな事を言っている限りは進めないって事を指摘しときましょう。
>どうぞそこで止まっていなさい。(
>>332)
って言っただけ。
ぶっちゃけ言えば『状況だけ教えるから後は勝手にしなさいよ』と。
私の誘導も意味を成してないしね。
どーぞ、好きなだけ止まってなさいな。
あ、貴方本人には『止まってる』って自覚は無いのかー(笑)
どーやら貴方の求めているモノは私とは全然違う方向のようだし…もう好きにすれば?
>>376 カオルさん
別に会ってもいいですよ(苦笑)
正体隠す事に拘ってる訳じゃないしね。
会えるものならねー…当方大阪ですが(笑)
>匿名ネットだからこその連関なんですね。
…うーん(苦笑)
正直、ここ(掲示板)での会話の方が楽っちゃ楽ですけどね。
文章化すると『読む人/読まない人』が明確になるじゃないですか。
読む人に対しては興味があるって分かってるからこそ出来る事もあるし。
興味の無い奴は初めから読まないだろうから、そんな奴の相手をしなくて済むし。
『会話』だと妨害によって話が中断したりとかあるけども『文章』ならそれがない。
形になったモノをポンと出している訳だから…
『会話』が完成までの過程を見せながら形作るものだとするならば
『文章』はイキナリ完成品の提出だからね。
ま、ある程度は反論があってもコッチの形を見せてからの反論だから対処が楽だしね。
>>219さん(+皆様へ)
あのね、ボクは219さん嫌ってないよ。ハルカさんについての件は以前ボクの思いを伝えた
以上のものはないし、ボクにくださるレスについては、気付けって言われてもお返しする言葉
が見つかんない、みたいなすれ違いをボクが勝手に感じているだけ。219さんだって自分を
「気付け」っていう相対化の果てに何も無くなった訳じゃなくて、その上で自分の志向ってある
でしょ?ボクは219さんが諭す以上に何をしたいのかよくわかんないから、レスが思い浮かば
ない状況です。(それもボクのせいだよ。)それすら「気付け」ない未熟者なのかもしんないけど。
ボクはハルカさんが命を賭けて2ちゃんにカキコしてるって公言してるのを見て、心を揺さぶ
られました。カオルさんが自分の嫌なことも晒して自省する姿にも。及ばないまでも、ボクも
自分の思いを精一杯ぶつけてきました。ボクはそうした関わりの中に「気付き」を見出してき
ました。亀のような歩みかもしれないけど、ボクは痛い思いを何度も体験しないと「気付け」
ないみたい。そしてボクにとっては書物で得る知識や賢い諭しよりも、何より実感できる「気付
き」です。
スレ趣旨や展開がわかりずらく曖昧であった不備は謝ります。
>>290 >>298-299等を参照くだ
さい。それからボクは誰も拒みません。それはこれまでもこれからも。ただ、ボクの能力では、
対応できないことが多いです。過去に貴方の他にも志向を示してくださいとお願いしたけれど、
それはレスを継続してくださるのにボクにはよくわかんなかったから。
向こうのスレでじゆんさんがレスしてくれたことは、気遣いゆえであって、ボクは感謝しています。
その上で、それぞれが自省しながら、よき議論のありようを模索してゆけたら、と思います。
ボクは"みんな大好き"だし、そのようなことは以前じゆんさんも言ってました。
メールにしたら?というご指摘は219さんの趣旨に加えて、そろそろ限界かな、とは思います。複
数の方がこのスレと関連スレに関わってくださっているので、なるべく包み隠さずオープンに、と
思い、(犬学派並みに?)ここまで自分の痴態をも晒して来ましたが、ボクやカオルさんの最近
のレスを見ると、2ちゃんやひろゆきさんにご迷惑を掛けかねないところまで来てるから。だから
今後は行き過ぎたレスはメールに移行したいと思っています。必要があれば、アドレスは後日提
示します。これまでの極どい発言は、「嘘を嘘と・・」というノリで大目に見て頂けると助かります。
という訳で、ぐだぐだ書きながら無責任にもお休みをさせて頂いているSですが、それぞれ任意に
カキコされされればよいなぁ、と思っております。
>>394 ハルカさん
宿題はボクが勝手に捉えているだけです。ハルカさんのご指摘を受けながらも、それでも譲れない
ものがボクにあります。ですから、それは宿題としてボクの中で受け止めながらも、ボクの志向が
貫けるものなのか、試みの中で見出して行くしかないです。逝けばわかるさ、という感じ。
もう好きにすれば?といわれて、今は「はい」としか言えません。
造語つくらずにそのまま説明文使えばわかりやすいのに。
字数けちらずに
カオルさん、Sさん
>>369で 偉そうに言ってすまないね。
どこか行きそうでちょっと心配だったのです。
>>373 >あなたも悟りなんかに呆けてないでバカになったらいかが?
ほんとです。
何で、必死に追いかけてたのだろう。
とても不思議です。
>>394 ハルカさん
奇遇ですね。
僕は生まれも、育ちも、大阪市内です。
では、よい議論を!
>>395 >あのね、ボクは219さん嫌ってないよ。
それは助かるよ。
>ボクにくださるレスについては、気付けって言われてもお返しする言葉が見つかんない、
>みたいなすれ違いをボクが勝手に感じているだけ。
うん。おれはただ気づけなどと書いていないよ。具体的に君の文章を指し示して聞いている。それに答えるのが憚られるのは
おれの疑問があまりにも素朴で、揶揄されていると深読み可能だからだろう。
できたら素直にそのときの感じで書いて欲しいんだけどね。
>219さんだって自分を「気付け」っていう相対化の果てに何も無くなった訳じゃなくて、その上で自分の志向ってある
>でしょ?
もちろん。何度も書いているけど、おれは会話を通して気づいて欲しいことがある。その具体的な事柄も執拗に繰り返し書いてきた。
でも知識として蓄積されるだけで「気づき」になっていない。
「気づき」は自己認識だ。しかも瞬時に変化可能。意識が付いていけていない。いつまでも一つの気づきに引きずられている。
どうなるかは本人にしかわからない。
>ボクは219さんが諭す以上に何をしたいのかよくわかんないから、レスが思い浮かば
>ない状況です。(それもボクのせいだよ。)それすら「気付け」ない未熟者なのかもしんないけど。
君は相手のことを思い、どのようなレスが適切だろうかと思い巡らせてレスを考えるのだろう。
むろんおれもそのような基盤で作業をするが、多少他の人とは基盤が異なるんだろうね。
おれは共通認識がないことをよく理解している。一つの言葉の見解の違いから議論の発展が妨げられる
ことをよく理解している。
そして、全くそれを恐れていない。人はなかなか理解しあえない。だから話し合う必要がある。
相手を気遣うのではなく、正直に自分の思いを吐露し続けることで自分が見えてくる。
おれは理論を持たない。
おれは無限に理論を構築できる。おれは理論を利用する。そしてその自認が明確だ。
いくら説明したところで、なかなかおれの意図が理解してもらえないことは予測している。
おれに何か裏があり、隠していたり、おれと対話してうっかり口を滑らせたら「ほ〜れみろ」
と揶揄されるとか。おれはそれを否定するが、信じてくれなどとは口が裂けても言わない。
それは各人の自由であり、頼むことはおれの思いを押し付けることであり、押し付けられた人の面倒を
想像するにおれが疲れる。
人の気持ちを動かす作業は魅力的だが、演技力が身に付けば容易く空しい。
相手にどう思ってもらおうという気持ちが駆け巡っているが、そのようなものを省くことで
ここの議論はもっとスムーズになる。むろん自認しての行為だろうから余計なお世話も承知している。
しかし、それに終始していてはSの願いは達成しづらいだろう。
おれは鋭く突っ込むが、多くの人が思い描くような悪意はない。言ってみれば幼児の稚拙な思考回路
による素朴な疑問に近い。
おれの考えに導こうとか、洗脳しようとか、そういった類の意識もない。
人のことはわからない。本人が自分で達成する他ないことをおれはよく理解している。
人は誰に影響されるのでもない。全て自己の選択だ。そこに気づかないから人のせいにしたり
無意味に相手を気遣う。安心などない。信じることは救われるが、それは思考を止めて洗脳されること。
文明社会の規範や機械文明にどれほど裏切られても信じたい。おれたちはすでに洗脳されかけている。
思考を止めて、気持ちを引きずるのは楽だ。だが、それが苦であることはみんな気づいている。
おれは対話を望んでいる。
気が向いたらよろしく頼む。
>>399 Nさん
偉そうだなんて、そんなことないですよ。Nさんの心遣いはわかっているつもりです。
冷静に見れば、妄想の翼を信じて全速力で崖に突っ込もうとするバカなのでしょうね。(笑)
>>400-402 219さん
219さんが一貫して伝えてくださっていることは、自分なりに理解しているつもりなのです。
その上で思いをぶつけあったり、個体化の壁を越えて気遣い合ったり、それらは無駄とは思わないの
です。勿論、純然な学術議論においてはそれらは無用ではありましょうが、このスレではこうした対話
自体がひとつの試み、ひと対ひとの倫理的な実験であったりする、と思ってきました。だから、このまま
でレスしあっても、いつまでも平行線なのだろうなあ、と思いました。
>>403 ハルカさん
お手数お掛けします。一応、確認できるよう、送信した内容を晒しておきます。
それと、ボクはスレをお休みさせて頂いてますが、このスレはこれまで同様に任意にお願いします。
差出人 S 件名 my address 送信日時 04/02/05/ 8:24
はじめまして、Sです。
またまたお気遣いをかけさせてしまい、申し訳ございません。
しばらくは掲示板のレスも書けないと思い、メアド掲示も留保しておりましたが、
ハルカさんのご好意を受けて、以下に取り急ぎお知らせをさせていただきます。
(・・・・・・・・・・・・・)
それと、甘えついでですが、カオルさんと連絡がついた際は、こちらのメアドも一緒に
お知らせいただけると助かります。(ふざけるなー、、、ですよね。)
不躾ですが、今はこれにて失礼します。ハルカさんの楽を願いながら、、、 S
>>404 >このスレではこうした対話自体がひとつの試み、ひと対ひとの倫理的な実験であったりする、と思ってきました。
了解している。だから参加しようとしている。そして、おれの希望は前述のようにまさしく「対話」だ。
>だから、このままでレスしあっても、いつまでも平行線なのだろうなあ、と思いました。
そこを詳しく聞きたいところだね。なぜ平行線だと君がとらえているのか。双方対話を望んでいる現状なのにね。
>その上で思いをぶつけあったり、個体化の壁を越えて気遣い合ったり、それらは無駄とは思わないのです。
「思い」や「気遣い」を持続させるパワーの源は強い思い込みだ。人の意識を徹底的に自他で分析しあうことで、
「瞬時の認識」が理解できるかもしれない。
繰り返すが、感情は思考に大きく影響し、感情は常に変動的で不確かだ。
意識は常にそれをとらえる可能性を秘めているが、現状では困難といわざるを得ない。
自己意識の瞬時の認識は君のスレタイと無関係とはとても思えない。
>>219さん
このままだと、ボクがお休みさせてもらっていることもあって、最後のレスになるかも。
共通認識はない。気持ちの動かし合い、思いこみに気付け。
↓
その上でスレ趣旨の脱却志向を示しあい、思いをぶつけあっている、貴方の志向は?
↓
特定の理論はない。共通認識はない。気持ちの動かし合い、思いこみに気付け。
↓
貴方のそれも思いこみ。それで貴方の志向は?それがわかんないので言葉が浮ばない。
↓
対話を望む。共通認識はない。気持ちの動かし合い、思いこみに気付け。
だいたいこのような循環状態なのだと思いますが、平行線なのは互いの議論趣旨が絡まないからでしょう。
>>カオルさん
プロジェクトは順調でしょうか?そうだといいです。
ボクの試みはまだまだ遠い道のりですから、安易な報告レスなどはとても書けない状態です。
後日メアドを掲示するつもりでしたが、ハルカさんの配慮に甘えてハルカさん経由で連絡して
もらうことになっております。とりあえずアドレスだけでも把握しておいて頂けると、思っています。
報告レスは未だできませんが、これまで明かせなかったプライベートについては少しずつ明か
せれば、と思っています。宜しければご連絡ください。
>>407 君の見解は大筋で合ってるが、はっきり言って嘘だ。
おれは
>>220で具体的に君に質問をしている。
他の人にも「極めて具体的に単純な質問」をしている。
まともに取り合ってくれたのはNとカオル。
ハルカと君は逃げいているだけだと思うよ。
>>135にも答えない(ハルカだけど)。
仕方ないね。自分の気持ちが一番大切だからね。みんなその場の自分の気持ちを優先して
大志をないがしろにしがちだ。
おれが、自分の気持ちが大切、と語っているのは、むろんそれが「いい」という意味
ではない。
みんなのレスからはそれしか見えないという話。むろんおれもそう。自覚している点が少し違う。
>その上でスレ趣旨の脱却志向を示しあい、思いをぶつけあっている、貴方の志向は?
君はそのつもりなんだろうが、おれの質問に答えないことは脱却の方向ではないように見えたよ。
>このままだと、ボクがお休みさせてもらっていることもあって、最後のレスになるかも。
だったら、じゃーねー。
410 :
S ◆4Ijqvx1jbw :04/02/10 00:48
>>カオルさん
お願いです。今すぐハルカさんにメール送って下さい。(
>>403)
(お願いです。火急にです!!!)
ハルカちゃんに何かあったの?
>>カオルさん
お願いです。今すぐボクにメール送って下さい。
(お願いです。火急にです!!!)
○○○○○
[email protected] (○の5文字は貴方と出合った時のボクのコテ名です。半角英語で。)
>S ◆4Ijqvx1jbw君
かりにもここは匿名掲示板であり、このスレッドに常駐する人間以外の、
不特定多数のものの目にも触れるということを忘れてはいないだろうか?
いったい何が起こったのか、君には説明する義務があると思うのだが、
いかがなものだろう?
予想
ハルカが仕事の都合で東京に来る。
それで急遽オフ会しようとなった。
>>関係各位の皆様へ
哲板ともスレ進行ともかけ離れた私事でお騒がせしてしまい、申し訳ございません。
プライベートでトラブルが発生し、現在その収拾に傾注しています。
議論そのものとは無縁のレスを続けてしまったことは謝ります。
スレ主として無責任ですが、引き続きお休みをさせてください。
報告が可能になった際には(出来る範囲で)レスするつもりではいます。
>>カオルさんへ
どうしても伝えたいこと、相談したいことがあります。連絡をお待ちしています。
連絡先は
>>412です。お願いします。
関係各位へ連絡
お騒がせしました。
今回私的なゴタゴタが有り一時東京へと来ただけなのです。
本流と無関係な話ですいませんでした。
ハルカさんのレス通り、私的なゴタゴタはとりあえずの収拾に至りました。
掲示板の性格上、プライベートな詳細についてはレスできませんが、ご容赦ください。
心を砕いてくださった皆様に感謝いたします。
怪我の功名からハルカさんにお会いすることになり、実際に会話を交わすことで、
これまでの議論の確認作業と、「自己自律」と「脱却」の矛盾点についても確認することが出来ました。
またボクの方からも、気持ちだけでも、これまで心遣いを受けたお返しができました。
ハルカさん有難う御座いました。
>>カオルさんへ
どう過されてらっしゃるのでしょうか?プロジェクトは順調でしょうか?お体は大丈夫ですか?
ハルカさんとリアルで言葉を交わす機会を得て、見えてきたこと、確認できたことがあります。
そしてこれまではカオルさんに対し、「わたし」を殺すような半端な言葉しか返せませんでした。
今は「わたし」に素直になって、匿名の連関を越え出て、貴方にお願いしたいのです。
「貴方をもっと知りたい。ボクをもっと知って欲しい。"カオル"に会いたい、、、"ひと"として!」
メールお待ちしています。待っています。
>>419 俺のカンが当たったね
3人でリアルに議論できることを願ってますよ
それにしてもハルカがいくつなのかが気になる・・
>ハルカが仕事の都合で東京に来る。
>それで急遽オフ会しようとなった。
「トラブル」「私的なゴタゴタ」という語から推定するなら、
「仕事」よりも、もっとネガティヴな要因がある気がするな。
2/09 ハルカ(32)がDV夫から逃げ出す。大阪から東京へ。
2/10 S(24)が一時保護。カオル(28)は音信不通。
2/11 大阪へ戻る。共謀してDV夫を始末。
2/12 死体を六甲山に埋める。
2/13 Sが帰京。私的なゴタゴタは収拾と報告。
無窮の抗争を生み出す「自己」という回転する糸車。一如にしてあり、連関する「自己」である
存在者は、その永劫の苦から逃れることはできない。世界内としての「自己」が無窮の抗争を
生み出すこと、それは等しく個体化において生み出されています。苦の源泉が結局は「自己」
の形式そのものだという認識に至れば、もはや世界内において救いはない。だからこそ、
「自己」を否定し脱却を試みようともがいました。
カオルさんご指摘の、「自己」の形式の否定の不可能性ゆえではなく、やっぱりボクは「自己」
を否定しきれない。こんな不条理な世界でも、そこにはイイっていうくらい個々の存在者のささ
やかな営みが詰まっていて、自律せんとしているのです。それこそが無窮の抗争の元凶であり
苦の源泉だとしても、どうしても否定なんてできないのです。
痛みも苦しみもないカミサマになるくらいなら、ボクは自己を引き受けてもがく小さき鳥でありたい。
それではハルカさんに随伴することも、虚無への脱却も叶わないでしょう。けれど、世界を憎み
否定しきれないボクは、そうした脱却を望んでいないことに気付きました。自己自律の「自己」
も「自律」も、寄木細工の人形のなせる妄想でしょう。けれど、諦めないで精一杯「よく生きる」
ことで、ボクはボクの想いを貫くことにします。回帰の螺旋を超えるのではなく、ありようを変え
ようと試みればいいのだ、と。だからたとえ螺旋に捉えられたままでも、何度でも試みてやるっ
て思います。世界の形式、個体化の原理が変わらないなら、無駄なあがきかもしれないけどね。
この世界にはボクの大切なひとがいます。今もまだ「よく生きつづけて」くれていると信じています。
かつてボクは愛するひとを酷い仕打ちで失いました。そして再び過ちを繰り返してしまいました。
今更かもしれない。けれど、これ以上愚かではいたくない。いえ、愚かに偏愛を叫びたい。
だからボクは最後まで、清らな"ヒトデナシ"になるよりも醜い"ひと"であり続けることにします。
一番大変な時に現れなくても信じていられるなら、、、なんて、そんなのが平気だなんて嘘ばっかり。
離れていいことなんてひとつもない。何より今繋がれる絆、愛がなかったらひとは死んでしまう。
愛するひとの微笑みだけで、ひとはよく生きられるのです。すくなくともボクは、ね。
>>424 × 「自己」を否定し脱却を試みようともがいました。
○ 「自己」を否定し脱却を試みようともがいて来ました。
ハルカさんご指摘のように自や他への拘りが残っている限り、脱却(解脱)には臨めない。
自己自律として世界を愛しているなら、いえ、愛したいなら、やっぱりここに踏み止まるしかない。
「誰か」の人形だとしても、作られた体、作られた思い、作られた記憶でも、いつかホンモノになれると信じてね。
ハルカさんはすべて思う壷だというでしょう。それはわかってる。
ハルカさんが廃棄物として脱却を試みるなら、ボクは留まって人形からの脱却を試みる。
お互いに無理って指摘はもうなしね。それは承知してのことだから。カオルさんは順調ですか?
>>424で書いた、ありようを変える、、、というのは傲慢ですね。それに、言うだけなら容易い。
以前カオルさんが言ったように、アンチノミーに引き裂かれながら真ん中を走りぬけること、
「自己」を引き受けて貫こうとせんこと、それだけでいいと思う。それしかできない。
真ん中を走りぬけることってのは欺瞞に溺れることじゃない。
個と連関の狭間で、決して投げ出すことなく、よきありようを模索し、示し続けること。痛みを忘れないこと。
ボクの自己自律の道は以前と基本は変わらない。変わったのは自己言及を抱えながらも踏み止まる決意かな。
SはSを引き受け、Sとしてよく生きて、Sとして脱却します。(いえ、そう試み続けます。)
いつか三人でテーブル囲いながら、笑ってお茶が飲めたらいいな。せめて春風が吹くころには一度。
やっぱりありえないのでしょうか。今は頑張って信じています。
いや、私としては詮索するつもりはないんだけど、心配しているわけだよ。
生肉食って食中毒、とかではないよね、ハルちゃん?
ハルカさんの論からはなぜか自然との精神の性交を感じます。
世界はあったしあるしありつづけるのでしょうか?
観測されている膨張する宇宙が、ビッグバンに始まり開き続けるのか、それとも一定の限界をもって閉じて
ゆくのか、いずれにしても予測可能な中途の経過であって、それ以前や以後の状態が気になります。
ボクが共感する宇宙論は、膨張、収縮という循環にあって、尽きることなく世界内での変化が繰り返される
いわゆる振動宇宙論です。が、そうした循環ではないとしても、無から有が生じたり有が無へ帰すことは
ボクには想定できないので、今現在膨張世界が「ある」ということは何らかの仕方で循環し、あり続けるの
だと思っています。自己自律に合わせれば、「自己」という円環世界は始まりも終わりもなく、現象の形式
としての連関する個体化形式を変容させつつ「自律」変化してゆくということ。
「わたし」に開示された世界の変化の痕跡を辿れば、任意に設定した各レベルにおける個の枠組みにおいて
個々体は有限な現象であることが認識できます。しかし個の解体は新たな個の生成に繋がり、連関において
個の境界はひとつの仮象です。或いは、個々体はそれ自体として独立してはおらず、連関のただ中において
存立しています。内側から眺めると万物は(現象として)流転するが、俯瞰想定するなら連関としての万物は
一如に不変な一者(自己自律の「自己」)として「ある」のだと思います。
ただ、万物が現象として生成流転するにしても、「わたし」が認識できるのは知覚された現在形式の断面と、
記憶や記録との照合だけ。認識はいずれも今現在として行われています。あったしありつづけるのかという
過去未来の時間軸は想定概念に過ぎず、「わたし」は生成変化を"実感"することはできないように思います。
「わたし」に開示された世界、もっと言えば個体化の原理という人間に可能な認識仕方によって開示された
世界は、連関し、一挙に全体として「いま」「ある」という以外の何物でもない。その意味で、世界があったし
ありつづけるとは言えないのだろうと思います。
人間に認識可能な物理法則の発見によって、世界を時系列的に概念把握することは可能であり、また
その法則の及ぶ範囲において、現象の予測は可能でしょう。しかし仮にあらゆる物理法則が網羅された
として、未来は決定されるでしょうか?その開示された法則は、人間というこころの自律性をもった存在者
自身を包含してはいないでしょう。その法則は「わたし」によって認識された「わたし」の外部だからです。
世界にただひとり、「わたし」というこころの自律性をもった存在者がいるだけで、世界のありようは決定され
ないと思います。如何に枠組みが決定されていようとも可能性は残されているはずだ、ということです。
「わたし」の自律性が「わたし」に帰属されるならば、という前提ですが、、、
それで、ハルカは男だったんだろ?
ってかSが女だろ。
「わたし」は世界を対象化し把握しています。しかしそれは世界そのもの(物自体)とは異なります。
個体化の原理という人間に可能な認識仕方によって開示された、連関し一挙に全体として「いま」
「ある」認識世界と、痕跡から予測できる「わたし」が存在する以前から継続されてきたであろう、
対象化の向こうに実在している「ある」という(物自体としての)持続世界とは、越えられぬ壁がある
と思います。
ゼノンの無限のパラドクス、無限に分割された点を有限時間内に渡れないとか、アキレウスが亀に
追いつけないとか、飛ぶ矢は静止しているとかがあります。ある一定の持続ベクトルを無限分割す
れば、ベクトルそのものが等しく無限分割されるだけで静止には至らない不合理。アキレウスは亀
と同時並行するベクトルにも関わらず、亀の位置だけを基準に時間を調整する不合理。一旦、点と
いう静止に還元しながらもとのベクトル運動には戻らないとしてみせる不合理。いずれも、認識断面
としての「いま」を静止した点に抽象化し、都合のよい条件だけを組み合わせることで生まれるパラ
ドクスだと思います。
実在(物自体)として「ある」であろう、持続世界における個体化現象の生成流転が如何に捉え難く、
また概念上で詭弁を弄せるかの例に思います。持続世界の経過を、時系列として線上に置き換えて
把握することは普通に行いますが、(物自体としての)過去も未来もなく単に生成流転する持続現象
が「ある」ということとは異なると思います。こうして言葉を並べても訳がわからないように、(物自体
としての)持続世界は対象化を越え出ているのでしょう。
>自己自律において各レベルにおける個々体の有限な現象は無限に生成され、
>永劫の回帰ともいえる「自己」の糸車を廻り続けます。
と以前書きましたが、有限な現象とは認識可能な任意の枠組み設定であり、認識の及ぶ範囲でも
上位下位に任意に無限に統合分割が可能だということ。持続世界そのものが有限か否かは、世界
内に産み出された個体化存在者にはわかりませんが、「ある」という「無」と隔絶した始まりも終わり
も想定しえない絶対の基盤において、「ある」という世界は永劫に持続し、各有限な現象は無限に
生成されつづけるであろう、ということ。
「わたし」と一如にあり連関する切り離せない「自己」は、世界内で観測される痕跡から、「わたし」
以前にも以後にも持続していることを認識できます。個体化の原理を看破するなら、「自己」という
糸車を廻り続ける永劫の回帰は、「わたし」という有限な枠組みを越えて「わたし」を規定しています。
「わたし」とは何か、世界とは何か、を問うならば、わが身ひとつの「わたし」だけを対象には成り立た
ない。けれども単に産み出され既定の世界に投げ出されただけの個体化存在者は、「わたし」や
「世界」それ自体を知りようもない。そして単に世界を観察し、物理法則に還元するだけの作業には
何の価値も生まれない。科学それ自体は人間に可能な認識仕方で世界を解体する手段に過ぎま
せん。個体化という相対世界にあって、もしも無根拠にあり続ける永劫の苦を乗り越えて価値を生み
出せるとするなら、それは「いま」「ある」時点から「わたし」を再構築すること。それは連関としての
「わたし」のありよう、つまり「わたし」と「あなた」の倫理を模索し実践してゆくことなのだ、とボクは思います。
不条理なことばかり目撃して、それからボクは神様を信じなくなった。
神様は助けてくれない。善いことも悪いこともない。弱いものも強いものも放ったらかし。
みーんなおんなじ。個体化という相対世界の中で、どの子もみーんなおんなじ。
でもボクの中の"ヒト"は、善いことと悪いこと、一所懸命区別してるよ。
関わりあうみんなが好き。それはみんな「よく生きて」いるから。
でも好きな人と嫌いな人はいるよ。好みなんだ。特別な人は輝いてる。
この"ヒト"がボクのカミサマ。カミサマは世界が好き、あの人が好きって言ってる!!
久しぶりに覗いてみたら、S氏だけですか。
「事実は小説よりも奇なり」ですね。
休止と宣言していたS氏だけが、書き込みをしていて、
何も言わない他の人達は、休止状態とは。
世の中、何があるか解りませんね。
こうなっているとは、誰が予想できたでしょう。
かつての僕は、哲学的にいろんな物事を追及していた。
それが、趣味かな。とのかく、本質を追求して行くのが、趣味みたいなものだった。
人が生きる意味とか、この感情は、どこへ行くのかとか、まさか、食物なんてことはないよね。
とか、暇人の考えることだね。
しかし、あるときから、苦悩に悩まされた。
すべては、苦悩に帰結する。なぜだろう。
意識すればするほど、苦は大きくなった。
それを解決せずにはいられなくなった。
おかげで、精神世界の本に手を出し、うんうん唸ってた。
でも、解決するそぶりなんて、全く無かった。
あるとき、3つの願いが叶わなくなるのではないかと思えるときがやってきた。
私という感覚が消え始めたように感じた。
私は、消える前にどうしても、苦の原因を解決せずにおれなかった。
(※3つの願いが望む全てだった。)
そこで、はじめて、瞑想すること、そこで答をだすことを決めた。
ま、本を立ち読みして、やり方を決めた。
家に帰り、答が出るまで絶対に立ち上がらないときめた。
しばらくして、とても静かになった。
もともと私は消えかかっていたのだから、当然かもしれない。
そして、またしばらくしたあと、爆発した。
爆発的なエクスタシーがあり、有と無の全的な理解がもたらされた。
すべては、悟っていた。
可笑しくて大笑いしてしまった。
求めていたものは、昔からすでにあり、それを求めるがゆえに求められなかった。
その矛盾がまた可笑しかった。
それから、何度も、不意に悟った。
突然、法悦がやってくる。
突然、サマーディ状態になる。
それが、また、可笑しかった。
知人たちは、まるで気づいていないようだった。
しかし、いつのころからか、そのサマーディはやってこなくなった。
また、再び、苦を感じるようになった。
ばら色人生は終わりを告げた。
また、答がわからなくなった。
そこで2chを見に来たら、いろんな椰子がいた。
悟ったふりをしている者。
悟ったと思い込んでいる者。
悟ったものの少ししか理解していない者。
私と同じような理解がある者。
私より理解していると指導してくる者。
まあ、いろいろいた。
世界は広いね。いや日本だった。
まあ、1つわかったことは、
自分が変な妄想に取り付かれてるのでなく、同じようなのがいたってことかな。
で、ここに答を見つけに来た。
3ヶ月ほどかな。
で、やっと答をみつけた。
もう、迷いも苦も残っていないので、追求するエネルギーがない。
でもまだ、先があるのかな。そこが1つの気がかりではある。
そうすると、また、同じような状態のものを何人か見つける。
まだ、先があるかどうかわからない。
でも、今は内なる至福で充分だから、もう求める必要がないとか。
そりゃそうだ。
ま、先を見つけたら、聞いてみるかな。
一言。
『EO』。
エッセンシャル・オイル?
>>450 違うって(苦笑)
『EO』は『えお』と読みます。
これだけで分かる人には分かる…ちょっとその気になれば手に入るし。
でも、万人には勧めない。
つーか、拒否反応 or 軽蔑 or 嘲笑 が大半だろうけどね…
>>451 どうにかこうにか或るページを見つけて、ちょっと読んでみた。
なるほどね…私には駄目かも…。
お、数日前、偶然に見つけたんだ→無明庵EO
近づき難くも、関心を引くね。
皆様お久しぶりです。どこまで行けるかわかりませんが、なんとか続けてます。
ボクの主題は気にせず、悟り−解脱について任意にカキコくださいませ。ハルカさんも宜しくです。
カオルさんご健勝(?)でしたね。。。
あなたは不本意かもしれないけど嬉しい。あと少しでもあなたを感じていたいから。
>「いま」「ある」時点から「わたし」を再構築すること。それは連関としての
>「わたし」のありよう、つまり「わたし」と「あなた」の倫理を模索し実践してゆくこと
このように倫理的なありようについて模索することを唱えましたが、それはこれまでカオルさん
やハルカさんはじめ、多くの方のご指摘ご批判を踏まえて組み立てさせてもらった「自己自律」
についてのカキコ、個体化の原理を看破したエゴイズムの克服において、すでにボクのテーマ
となっていたものです。ただ、これだけではバランスが悪いことも承知しています。
連関を「自己」として極大化して捉えること、「わたし」が世界と遜色無く「ある」ということは、
「わたし」という主観から捉えた、「わたし」と連関世界のかけがいのない価値(倫理)を示しています。
しかし、それはどこまでも「わたし」に現前する世界観。故にそれだけではエゴイズムもまた極大
化する危険をはらんでいます。「わたし」が遜色なく「ある」なら、「わたし」は遜色なく世界意志
であり、「わたし」独善の仕方で世界を変えてしまおうという狂信的な正義がそこに生まれかね
ないからです。勿論、本来の「自己」はエゴイズムを克服する為の極大観念なのですが。。。
個体化の原理の看破についての別角度の捉え方が必要です。それについてはこれまで捉えて
きた自己自律という「わたし」に現前する世界観、表象としての世界では捉えきれない価値を
見出すことだと思っています。個体化という「わたし」に認識可能な世界を越えたところにあるもの、
それはどこまで精密に捉えても見出せない「あなた」、つまり他者です。自己自律でいう「わたし」
は「あなた」という同一性の遥かに届かない超越性、それを見出す必要を強く感じます。「わたし」
のバランスを取り戻すために。
>Sさん
ご無沙汰です。
もしかしてわたしに気を遣ったレスしてませんか?w
>ハルカへ
「えお」みつけました。
これからちょっと読んでみます。
>>カオルさん
お久しぶりです。ちとアク禁のあおりを受けて連続カキコは無理です。
カオルさんを追いかけてます。ハルカさんに苦笑されても、ご迷惑でもね。
あとね、お願いですから、”その時”は私信でお知らせくださいませ。
ここまで来てひとりでってのはなしですよ。
次のカキコは明日です。今日はよく眠れそうです。
少しは刺激になったかな。
>>Nさん
有難う御座いました。
できればハルカさんとの悟り−解脱の対話、続けてほしいな、、、なんて。
ボクはもう届かないから。
>>カオルさん
お忙しい中、済みませんけれど、、、どうか私信送って下さいませんか?
どうしても相談したいことがあるのです。カオルさんじゃないと駄目なのです。
それ以上の迷惑は掛けませんから。連絡先は
>>412です。どうかお願いいたします。m(__)m
>>カオルさん
追伸です。
>>457とは別の件です。あとSの個人的なことではないです。
どうかお願いいたします。m(__)m
EO氏か
「最低最悪にして、最大の変容の日」
彼は正直すぎる。まるでオブラートに包まない。
「全部出してどうすんの。少しは、美的表現にしろよ」って思います。
宇宙人うんぬんは、信用できませんが。
ま、幸か不幸か、あそこまで、壊れませんでしたが。
ちょっとかすった程度ですね。
ま、考えてるような、立派な人でなく、最悪なところに来るってことです。
>ハルカへ
「えお」最高!!
わたしの感動リスト上位にランクされました。
カント、ウィトゲンシュタイン、EO(=ハルカ)
順不同です。(笑)
EOというのは、「絶対死」等々の嫌悪に対する反動に過ぎない。だから、当然、
帰結は、結局反動に終わる。一つの自己満足という偉大な人類のジンテーゼを体
現した星の数ほどある内の一例に過ぎない。新新宗教カルトの類は多くの場合そ
ういった程度の頗る退屈なものだ。
>>464さん
>EOというのは、「絶対死」等々の嫌悪に対する反動に過ぎない。
昨日から引き続き読んでいたのだけど、
「絶対死」のことってどこに書いてあるの?
「絶対死」って何?
「解脱」のことかしら?
(でも、解脱を嫌悪した反動じゃオカシイし・・・?)
>一つの自己満足という偉大な人類のジンテーゼ
たった一つの(一人の)自己満足っていうところに
感動してるんだけどな。
>そういった程度の頗る退屈なものだ。
「そういった程度」ではなくて「退屈」でもないのって
たとえば、なに? だれ? どんな思想? どんな哲学?
(煽りやさんでないならw)教えてくれませんか?
>>461-462 Nさん
>彼は正直すぎる。まるでオブラートに包まない。
>「全部出してどうすんの。少しは、美的表現にしろよ」って思います。
オブラートに包んだものがお好みならば古今東西見回しても…
『釈迦』『イエス』『マホメット』『老子』『達磨』『ブラバツキー』『シュタイナー』『グルジェフ』『臨済』『和尚』『ババジ』『ダンテスダイジ』etcetc
どれでもお好みのをどーぞ(苦笑)
そういった方法論が無意味になったから彼がいたんでしょう。
>>463 カオルさん
>「えお」最高!!
>わたしの感動リスト上位にランクされました。
そりゃあ何より(苦笑)
彼がこの太陽系第三惑星に残した書物も幾つかありますので。
>>464 平成7年か8年くらいから『無明庵』を知っている者として言っておくわ。
>EOというのは、「絶対死」等々の嫌悪に対する反動に過ぎない。
こんな事は彼は一言も言っていないし、彼の嫌悪の対象は『生と存在』そのものだった。
>新新宗教カルトの類は多くの場合そういった程度の頗る退屈なものだ。
カルトじゃないよ。
『現世利益』に真っ向から反逆してるんだし、彼はそもそも『教団は不要。独力でやれ』って人だから。
だから、彼は『方法』だけを教えてるのさ。
彼の言葉を一つ言おうか?
『貴方は貴方という寺にだけ落ち着けばいい。何処にも行く必要はない』
本当に『嫌悪の為の嫌悪』『反対の為の反対』は見てると溜息が出るから(苦笑)
「痕跡」「他者」
>>434で(物自体)としてあるであろう、現前の向こうの持続世界について書きました。
自己自律の世界、つまり現前し表象化しうる極限としての「自己」は何によって輪郭を保つのか、
それは「わたし」に千変万化して現前する輪郭、持続世界の痕跡です。
「わたし」は痕跡以上の何ひとつをも語ることはできない。なぜなら、それは「わたし」の認識を
越え出ているから。にもかかわらず、あえて言わねばならないのは、その向こうこそが「わたし」に
痕跡をもたらす者、「自己」を超越して「自己」を支える「他者」であり、「他者」への眼差しなくして
は、倫理を語れないから。本来語れないものをして語らねばならないのは不合理であるけれど、
「わたし」のバランスをとるためにはどうしても必要です。
「いま」「ある」現前としての世界は、「わたし」の認知において連関し、「自己」としてのかけがいの
ない大切な価値(倫理)です。「わたし」は「あなた」であり「わたし」と等しくかけがいのない存在なのだ
ということ。言わば「同胞」としての倫理です。
現前の向こうの超越としての世界は、「わたし」の認知をこえて痕跡だけを残し、「他者」として決して
触れ得ざる、かけがいのない大切な価値(倫理)です。「あなた」は「わたし」でなく、「わたし」と異なる
かけがいのない存在なのだということ。言わば「畏敬」としての倫理です。
如何に「他者」が現前を越えているとはいえ、それを語らざるを得ない時点で厳密には表象化を
免れてはいません。ですからやはり「わたし」が語りうる世界はどこまでも「自己自律」に回収されて
しまうでしょう。ただ、その「自己」は「同胞」と「畏敬」の極限としてかけがいのなさを保っていること、
それが「自己自律」として「自律」せんとする基礎になる価値(倫理)である、とボクは思います。
>想定? わたしの実体験を想定で片づけるのですか?
>ふざけないでください。
552 :カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/04 01:30
>>551 Sさん
>そのひとの抱える苦悩の深さや背景などまるで知る由もないのに、
>その行為がどれだけ困難で苛酷なのか想像できるのに、
ええ、でもだからこその想像力だと思うんです。
お互いの「実体験」にもとづいて、という限定をもうけてしまうなら、
お互いに何も言うなということになってしまいます。
また「悟り」についてなのですから「言語」の領域を超えているとするのは、
むしろ議論の前提です。いいかえるなら、お互いを理解し合おうとする努力が、
会話の前提になっている、ということではないでしょうか。(論理空間を超えて)
m(__)m m(__)m m(__)m m(__)m m(__)m m(__)m m(__)m m(__)m
追いかけても追いかけても、追いつけない。
その苦しみのしずくの痛みだけでも分かちあえたらと願う。
願うほどに、働きかけるほどに、返しきれない負債ばかりが残る。それが「他者」
せめて利息だけでもと思い、そして今日も・・・
EO氏について2つほど
1つめ
せっかく、仏教とかキリスト教で、仕組みをこしらえてあるのに。
せっかく、「空」と名づけられてているのに「・」とは。
わざわざ、ネタをばらすとこはないと思う。
何でも、話せばいいもんでもない。
2つめ
一気に壊れたら、その途中の段階があることを、知らない。
だから、途中の段階があるなんて想像できないだろう。
最初の段階が一番難しいとしても、それしか説明していない。
ここでいう最初の段階とは、十牛図で3番目になります。
私的解釈的十牛図
1番目は発心が起こった段階。
2番目は心の奥底に安心をみつけた段階
3番目は目覚め体験の段階(悟り、小悟ともいう)
4番目は目覚めの理解の段階
5番目は目覚めと悟りのメカニズムの理解の段階
6番目は悟りそのものになった段階 と言われる。
これ以降はさっぱり・・・
一気に壊れなかったら、あれは、なんだったんだ。ってなるわけです。
一度目は、最悪な絶望の極地の後、最高にハッピーになった。
で、余計なことばかりに気を取られて、その現象を理解せぬまま、過ぎ去ってしまう。
その状態が、1分か、1時間かにかかわらず終わってしまう。
で、何度かやってきた後、それがやってこなくなると、その後、悩む。
あれは、夢か、幻か、頭がおかしくなったのか、それにしては、えらくはっきりして、
まるで、完全に目を覚ましたようだった。と。
もう、1回絶望したらいいのだろうか、とか考えたり。
でも、ぜんぜんやってこない。
何度瞑想しても、まるで、効き目なし。
座り方が悪いのかなとか。
で、心から出てくる思いを止めたらいいのかとか。
感情を静めたらどうかとか。
心を空虚にしたらどうかとか。
結局、自身に葛藤を引き起こして遊んでるだけなんだけど。
結局、見当違いのことをやってた。
空性も有と無もあの時すべて理解したのになぜだ?
と思ったところで、結局、何も変わらない。
何が原因なのだろう?
続きはまた・・・
>>401 Sさん
ちょっと議論しましょう。“議論”について。
>ええ、でもだからこその想像力だと思うんです。
>お互いの「実体験」にもとづいて、という限定をもうけてしまうなら、
>お互いに何も言うなということになってしまいます。
>また「悟り」についてなのですから「言語」の領域を超えているとするのは、
>むしろ議論の前提です。いいかえるなら、お互いを理解し合おうとする努力が、
>会話の前提になっている、ということではないでしょうか。(論理空間を超えて)
私の言っていることは真実ではないかもしれない。しかし真実ではないという前提(無知)を
設けることによって、真実への可能性(真理)が開かれるということを私は念頭に入れている
ことをご理解下さい。
議論に想像力は不要です。
実体験に基づいて発言は構成されるべきです。
なにも言わない状態が議論の求めるところであり、それが議論の美徳です。
お互いに何も言わないことが根本的に正しいことだからです。
また「悟り」だろうと、なんだろうと言語の領域を超えないものは存在しません。
それが議論の前提です。
お互いを理解し合おうとする努力は必要ないです。会話の前提ですらありません。
理解できないことが前提であり、他者との孤立が会話の前提です。会話をするの
は分かり合うためではなく、むしろ相手と離れ合うためです。論理はそういう自己
防衛、自己孤立へのアプローチの技術、本能として存在します。対して倫理の前提
は沈黙です。
沈黙も言葉なんです。
そして沈黙は無ではなく、闇なのです。
無と闇の違いはさしあたってこのように定義しましょう。
無は存在を否定する。闇は存在を肯定する。
沈黙(闇)は存在を受容することから目の前に出現します。
他者もその一部です。
以上のように私はあなたの意見を“否定”します。それが議論なんです。
>>じゆんさん
>>471はカオルさんのふざけないでくださいという指摘に対して
このスレの基本として以前に交わしたカオルさんの言を抜粋させて頂き、
ボクの逸脱を恥じて反省したものです。
じゆんさんの言う通り、この悟りスレは形式論理的に無意味な命題を扱うスレです。
ですから、そうしたことを求める方は、「語りえないものは・・」のお決まり文句で終了、となります。
議論についての議論は正直興味ないです。m(__)m
>>481 じゆんさん
ウィト気取りですか? 呆れます。
あなたの発話行為が成立しているのは、
あなたの使う言葉それ自体の想像力のお陰です。
あなたに想像力なんてあるものですか。
己惚れるのもいい加減にしなさい!
倫理の前提は沈黙ではなく、行為です。
行為なき沈黙は、"じゆん"の死です。
>>482 じゆんさん
>沈黙(闇)は存在を受容することから目の前に出現します。
>他者もその一部です。
それは、他者じゃなくて存在の影です。
だから、一部でしかないのです。
存在を受容せず、天をのぞんで独り立つ者。
彼を愛することが他者を認めるということです。
Sさんへ
>議論についての議論は正直興味ないです。m(__)m
かまいません。
>じゆんさんの言う通り、この悟りスレは形式論理的に無意味な命題を扱うスレです。
>ですから、そうしたことを求める方は、「語りえないものは・・」のお決まり文句で終了、となります。
そういう意味じゃないです。じゃあどういう意味かと言われてもあれですが、
沈黙は“眼差し”です。無意味に期するという意味ではありません。むしろ無意味であること
など何一つないです。
カオルさんへ
>ウィト気取りですか? 呆れます。
全然、違います。
文脈を混乱しているんじゃないですか。
>あなたの発話行為が成立しているのは、
>あなたの使う言葉それ自体の想像力のお陰です。
そのとおりです。しかしその想像力を戒めるのは沈黙の力です。
そこに倫理の力が生まれます。
>あなたに想像力なんてあるものですか。
>己惚れるのもいい加減にしなさい!
私には想像力も創造力もあります。
自惚れて当然かと思いますよ。
その自己愛を否定されようが、まあどうでもいいです。
>倫理の前提は沈黙ではなく、行為です。
>行為なき沈黙は、"じゆん"の死です。
倫理の前提は行為にあるわけではない。
自己の内部、意志に委ねられるものです。行為以前の問題です。
私は行為については言及しません。それが哲学的自我です。
存在に対して、倫理は出現するんではないですか。
哲学は認識であり可能性の発見です。沈黙は眼差しです。
眼差しの向こうに闇があるんです。
沈黙は私の“生”のあるところです。私は言葉を生み出さずとも
思考せずとも存在します。なぜならそこに“愛”があるからです。
私の死は私の死です。“じゆん”の死でもなく、“私”の死なんです。
私=存在です。つまり存在の死ことです。それが“私の死”は“無”です。
そういう意味では私は死ぬことはありませんよ。
無と闇は意味を超越します。
私は無ではなく、闇について言及しています。
訂正
>私=存在です。つまり存在の死ことです。それが“私の死”は“無”です。
↓
私=存在です。つまり存在の死ことです。つまり“私の死”は“無”ということになるんです。
>>487 じゆんさん
>文脈を混乱しているんじゃないですか。
混乱?
あなたの言説に文脈と呼べるような秩序がないからです。(笑)
>しかしその想像力を戒めるのは沈黙の力です。
"わたし"は、それを思考停止("わたし"の死)として排除します。
>そこに倫理の力が生まれます。
存在にたいする愛、あるいは存在という愛の現前は倫理じゃない。
存在と"わたし"の矛盾と葛藤のなかに倫理が芽生えるのです。
矛盾と葛藤のないところには如何なる"力"も生まれません。
>私には想像力も創造力もあります。
あなたの想像力も創造力も"言葉"です。
あなたは、言葉なのです。
>>488 じゆんさん
>倫理の前提は行為にあるわけではない。
>自己の内部、意志に委ねられるものです。行為以前の問題です。
あなたはあなたの身体なしにその意志を想定できますか?
人は行為することなしに意志することなんてできません。
あなたはあなたの意志と行為を分離できないのです。
>沈黙は眼差しです。眼差しの向こうに闇があるんです。
闇(=存在、神)の絶対否定による、闇への眼差しが神への愛です。
>沈黙は私の“生”のあるところです。私は言葉を生み出さずとも
>思考せずとも存在します。なぜならそこに“愛”があるからです。
それが菩薩思想です。
そこにある生は、あなたの生ではない。
そこにあなたは、存在しない。
>そういう意味では私は死ぬことはありませんよ。
あはは、これが菩薩と声聞の無限ループ論争か?
じゆんさんも人が悪いですね。(笑)
>>465煽りやなので、教えてあげません。それって、「ウチのガッコで、ホントに面白い授業って
あるの?あるんなら、言ってみなさいよ。自己批判しなさい!」って言ってる全共闘シンパの女の
子みたいだね。なんだか、ハズイような、そうでもないような。
>>468なんてこと!カルトだからこそ、退屈だからこそ、大好きなんだEO!って言うのかと思っ
たんだけど?心酔してるのはわかるけど、中途半端じゃつまんないよ。EOの本読めって言えば済
む事だし。「教団」や「寺」がないから、カルトじゃないって?「方法」しか言わないからどうだ
って?いいですか?もっと、キレなさい。いい?つまんないのよ、あなた。
>>490 カオルさんへ
>あなたの言説に文脈と呼べるような秩序がないからです。(笑)
それは違います。あなたは、ただSさんの言うウィトの「沈黙する・・・」論法に
乗っかっただけなんですよ。文脈がないのは認めますがw(えへへ)
でも言説のルート(痕跡)はあなたを見ない間にもいろいろと残していますよ。
>"わたし"は、それを思考停止("わたし"の死)として排除します。
つまりエポケーですか? 現象学的にはエボケーとは真理到達のための
技術として紹介されていませんでしたか? 私的には、沈黙=眼差しなんですけどね。
>存在と"わたし"の矛盾と葛藤のなかに倫理が芽生えるのです。
はい。
でも私が言った >そこに倫理の力が生まれます。
これと同じ意味ですよね。。。
>矛盾と葛藤のないところには如何なる"力"も生まれません。
そのとおりですね。
>あなたの想像力も創造力も"言葉"です。
>あなたは、言葉なのです。
まったくそのとおり。“じゆん”が放つ存在は言葉です。
>>491 >あなたはあなたの身体なしにその意志を想定できますか?
>人は行為することなしに意志することなんてできません。
>あなたはあなたの意志と行為を分離できないのです。
うんそのとおりだ。ちょっと自分の言葉には語弊があったかな。
すいません。
>闇(=存在、神)の絶対否定による、闇への眼差しが神への愛です。
神については自分はよくわからないけど、まあそんな感じですかね。
>それが菩薩思想です。
菩薩もよくわからないけど、そんな感じですかね。
>そこにあなたは、存在しない。
うーん、ではどこに私は、存在するんだろう。
>あはは、これが菩薩と声聞の無限ループ論争か?
>じゆんさんも人が悪いですね。(笑)
まあ、高尚なゲーム(遊戯)だと思って頂ければいいかと思います。
まあ、人が悪くてすいませんでした。とりあえず楽しんで頂けて幸いです。
なんていうか、菩薩も声聞もただの言語(論理と倫理)主体設定にすぎないんで
そこに拘ることの方があほらしいというか、(鉄冠子さんに対する皮肉ではなく
ハルカ氏や17氏の物言いに対しての皮肉のつもりです)
ちなみに私は沈黙しているときは声聞的ですし、語るときは菩薩的です。
いやいや私は菩薩と声聞の違いすらわかりません。
無限ループ論争に無意味を感じればそれはそれでも構わないですが、
まあ私はこれまでのここでの議論は無限ルールとは全然思っていないんで
無限ループ論争に無意味さは感じませんでしたけどね。
まあループではなくて、二重螺旋をイメージしてくれるとうれしいかな。
そいじゃ。
Sさんへ。
議論について。
議論が無意味であるとか言うのはあなたの価値観であって、私の価値観ではない。
え! そんなことを言っていないって?
いいえあなたはこう言ったのです。
>じゆんさんの言う通り、この悟りスレは形式論理的に無意味な命題を扱うスレです。
『形式論理的には無意味な命題を扱うスレ』
これは議論が無意味だとあなたは言っているのですよ。(ちなみに形式論理的とは
なんですか、聞き慣れない言葉なんで教えてください)
それにそんなことを私は言っていません。簡単に責任転換しないでください。
形而上の問題の論破が無意味だと過去に言っただけです。それも結構前の話です。
論破に至る過程は肯定されることは確認しましたから、論破自体には無意味もない。
カオルさんの言うとおりです。つまりカオルさんの物言いは私の発言の誤差を修正して
くれているのだとご理解下さい(この修正も議論のうちですが)。つかいつのまにか
私は議論無用論者になっている。論破宣言の無意味を語っただけなんですけどね。
(はあ・・・誰に文句を言っていいのかわからないや)
ちなみに言葉に意志は残りません(行為に意志が宿るんです)。だから私の意志が
言葉にあるなどと思わないでください。言葉と行為は分けましょう
(可能な限りで結構ですが)。
>
>>471はカオルさんのふざけないでくださいという指摘に対して
>このスレの基本として以前に交わしたカオルさんの言を抜粋させて頂き、
>ボクの逸脱を恥じて反省したものです。
そうですね、それくらい私も理解できます。むしろそれ以上の意味を見出せ
なかったからつっこんでみたんです。まあ横暴なやり方ですいませんでした。
さてと、私の主張を明らかにしますね。
議論は無意味ですか?
なぜ反省するのですか?
>>493 じゆんさん
>あなたは、ただSさんの言うウィトの「沈黙する・・・」論法に
>乗っかっただけなんですよ。
言っておきますけどわたしはそんなにおバカじゃないです。
あなたのむちゃくちゃな発言内容(
>>481)を好意的に受け取っても、
せいぜい"ウィト気取りのおバカさん!"っていうくらいしか誉められなかったの。
だってあなたはご自分の主張の意味するところを理解してないんだもの。
最近、煽りのレスが多いみたいです。注意してね!(^.^)
>>493 じゆんさん
>でも言説のルート(痕跡)はあなたを見ない間にもいろいろと残していますよ。
ご自分の言説に自信があるのは結構なことです。
でもわたしはあなたの発話の痕跡なんて知りませんから。
あなたの文章はいつも無秩序であいまい。だからわたしが整理してあげる。
仮にあなたの「論理-倫理の二元論」と名付けましょうか。
論理 ・・・ 主観性、特殊性、相対性 ---> (a)
倫理 ・・・ 客観性、普遍性、絶対性 ---> (b)
この論法でいくと、(a)には「利己性」が、(b)には「利他性」が入るでしょうね。
だからこそ、あなたは会話の前提として「理解されないこと、理解できないこと」を挙げ、
会話の目的として「他者から孤立すること、他者から離反すること」を挙げているのです。
よって「論理は、自己防衛、自己孤立へのアプローチの技術、本能として存在します。」
という結論になるのです。だから、この構図がウィトっぽい、って誉めてあげたの。(笑)
>>493 じゆんさん
>つまりエポケーですか? 現象学的にはエボケーとは真理到達のための
>技術として紹介されていませんでしたか?
>私的には、沈黙=眼差しなんですけどね。
あなたのいう「沈黙=眼差し」って、いったい何のことですか?
きっとあなたは、「沈黙=眼差し」によって得られる「純粋経験」が
「想像力(言語の暴走)を戒める」と言いたいのでしょうけど。
でも、「沈黙=眼差し」と「経験的主観」って簡単に分けられるの?
双方のちがいを現象学的に追求しても、きっと認識論的な記述しか
できないと思うよ。だって両者のちがいって自己の二重構造のこと
なんだから。要するに存在論的にアプローチしていかないと実態は
つかめないって(わたしは)思うけどな。
あなたがそれをわかった上で「沈黙=眼差し」とか言っているなら
あなたの主張を否定はしないですけどね。
>>494 じゆんさん
>>闇(=存在、神)の絶対否定による、闇への眼差しが神への愛です。
>神については自分はよくわからないけど、まあそんな感じですかね。
ううん、ちがうと思う。よく読んで。
あなたの眼差しは、存在、あるいは(在る)神への眼差しなの。
たとえば、イデアの観照における純粋な認識主観とかも同じ。
>うーん、ではどこに私は、存在するんだろう。
わたしに楯突く"じゆん"が2chの掲示板にいるじゃない。(笑)
>>497 じゆんさん
>議論は無意味ですか?
あなたはホントに人の話を聞かない人ですね。
そもそも誤解からはじまっているのに、またさらなる誤解。
Sさんは、「議論のための議論」には「興味がない」といっているのです。
っていうか、そう書いてあるじゃん!
>なぜ反省するのですか?
反省する必要のない人ほど反省するのです。
あなたは反省した方がいいと思います。
カオルさんへ
>>498 >だってあなたはご自分の主張の意味するところを理解してないんだもの。
そうですね。つうかもう乖離しかけています。
>最近、煽りのレスが多いみたいです。注意してね!(^.^)
適度に注意していこうかなと思います。ちょっと難しいですけどね。
>でもわたしはあなたの発話の痕跡なんて知りませんから。
そうですか・・・
カオルさんへ
>>499 >あなたの文章はいつも無秩序であいまい。だからわたしが整理してあげる。
>仮にあなたの「論理-倫理の二元論」と名付けましょうか。
整理して欲しくなかったなあ(笑)
私はだって二元の対立の不明瞭さ、無定義さを説いているわけですから。
>だからこそ、あなたは会話の前提として「理解されないこと、理解できないこと」を挙げ、
>会話の目的として「他者から孤立すること、他者から離反すること」を挙げているのです。
>よって「論理は、自己防衛、自己孤立へのアプローチの技術、本能として存在します。」
確かにそう読み取れますね。すいませんでした。
>だから、この構図がウィトっぽい、って誉めてあげたの。(笑)
ありがとうございます。褒められてうれしいです。
>>500 >きっとあなたは、「沈黙=眼差し」によって得られる「純粋経験」が
>「想像力(言語の暴走)を戒める」と言いたいのでしょうけど。
確かにそういう意味もありえますが、違います。
つまるのところ、沈黙もただの“現象”だと言いたいのです。
>でも、「沈黙=眼差し」と「経験的主観」って簡単に分けられるの?
論理空間では簡単です。そういった無理を簡単に行うところが形而上世界の
論理空間なんです。
>双方のちがいを現象学的に追求しても、きっと認識論的な記述しか
>できないと思うよ。
確かに。でもそれは“事実”として、“現象”として与えられるじゃないですか。
>だって両者のちがいって自己の二重構造のこと
>なんだから。要するに存在論的にアプローチしていかないと実態は
>つかめないって(わたしは)思うけどな。
そうですよね。それが哲学的自我ですよね。
>あなたがそれをわかった上で「沈黙=眼差し」とか言っているなら
>あなたの主張を否定はしないですけどね。
いや、別に私がわかっていようとわかっていなかろうと、否定して構いません。
>>501 カオルさんへ
>ううん、ちがうと思う。よく読んで。
>あなたの眼差しは、存在、あるいは(在る)神への眼差しなの。
>たとえば、イデアの観照における純粋な認識主観とかも同じ。
これですね。
>闇(=存在、神)の絶対否定による、闇への眼差しが神への愛です。
確かに、そうかもしれない。でもまあ、その闇への絶対否定については
随時更新中です。神はね、ちょっと言うのが恥ずかしくて辛いな。
その存在は否定しないです。
私の神は私です。ね
恥ずかしいでしょう?
>わたしに楯突く"じゆん"が2chの掲示板にいるじゃない。(笑)
たしかに(えへへ)
>>502 >Sさんは、「議論のための議論」には「興味がない」といっているのです。
>っていうか、そう書いてあるじゃん!
そのとおりですね。
>反省する必要のない人ほど反省するのです。
>あなたは反省した方がいいと思います。
そうですね。まあカオルさんの言っていることは論理的に無根拠ですけど、
言ってる意味はわかります。倫理の戒めですね。
さてと、じゃあカオルさんにごちゃごちゃ言われたんで反省しようっと。
でも、私にも反省すべきところと反省すべきでないところがあります。
それは私が決めることです。
でね、私との議論は無意味でしたか?
カオルさんに、とりあえず聞きましょうか。
>>507 じゆんさん
>でね、私との議論は無意味でしたか?
もちろんあなたとの議論はつねに有意義です。
>>504 >私はだって二元の対立の不明瞭さ、無定義さを説いているわけですから。
うん。わかってるよ。
だから、菩薩的だとか、矛盾や葛藤が必要だとよか・・・戒めです。
「あいだ」の論理というか、倫理というのか、曖昧さの絶対性みたいな
あなたの求める方向性は以前から認めています。
ただまだ表現しきれていないと思いますから突っ込みますけどね。
>>505 じゆんさん
>つまるのところ、沈黙もただの“現象”だと言いたいのです。
沈黙もおしゃべりも、ただのに現象。で、何がいいたいの?
>でもそれは“事実”として、“現象”として与えられるじゃないですか。
ふつうそれらは「差異」として認識されてしまいます。
差異のそれぞれではなくて「あいだ」としての自己の存在仕方を
捉えるには存在論的な立場に立たないと無理だということです。
>>506 じゆんさん
>これですね。
それでしたか。(笑)
>神はね、ちょっと言うのが恥ずかしくて辛いな。
ちがう呼び名でいいですよ、お好きにどうぞ。
>>507 じゆんさん
>まあカオルさんの言っていることは論理的に無根拠ですけど、
わたしのいいところはときどき真実をいうところです。
そのときはたいてい論理的に無根拠です。(笑)
>>509 訂正 矛盾や葛藤が必要だとよか→矛盾や葛藤が必要だよとか
寝る時間みたいです。(^_^;)
>>505 じゆんさん
もう一つ。
>>でも、「沈黙=眼差し」と「経験的主観」って簡単に分けられるの?
>論理空間では簡単です。
こういう反論じゃダメ!
これじゃ、突っ込まれても仕方ないでしょ?
「私はだって二元の対立の不明瞭さ、無定義さを説いているわけですから。」
がんばって!
>>508 カオルさんへ
>もちろんあなたとの議論はつねに有意義です。
本当にありがとうございます。
>>509 >ただまだ表現しきれていないと思いますから突っ込みますけどね。
ごめんなさい。それは私の役目じゃないんですよ。
もし存在(神)が在るのだと仮定して。それが私の言える確かなことなんです。
>>510 >沈黙もおしゃべりも、ただのに現象。で、何がいいたいの?
そうですね、精神について言いたいんですかね。ちょっとよくわからないです。
>>512 >それでしたか。(笑)
笑われちゃいましたね。猛省しますよ。
こういう間違いは本当に恥ずかしいですね。
何もかも見透かされているみたいで。
>>513 カオルさん
>わたしのいいところはときどき真実をいうところです。
>そのときはたいてい論理的に無根拠です。(笑)
そのとおり。
そしてカオルさんは時々、嘘を言います。
そのときはたいてい論理的に根拠がしっかりしています。
ちょっとちんけな議論にしてしまいましたけどね
とりあえず、
>>501(眼差し)と
>>510(差異)については宿題にしておこう。
たぶん前に語ったかと思うんだけど、整理するのも悪くないでしょうね。
で書き込もうとしたら
>>515で同じことをカオルさんも思っていたんですね(つうか即答は無理ですよ)
>がんばって!
適度に・・・
(私は頑張りすぎる極端なきらいがあるらしいので、適度がほどほどかと)
おやすみなさい。
おやすみなさい。(^.^)
カオル。どーでもいいんだけどさ。こんな愚鈍な「じゅん」ってキモイやつ以下の扱いって、
やめてくれる?アタシ結構スルドイこと言ってンじゃん?
それと、ハルカ。シカトしないでよね。ちゃんと答えてみなよ。ムリか。
>>519 一々五月蝿い煽り屋だこと。
じゃあ、カルトでは無いって例示していこうか?
回答は今回のみ。後は無視するよ。
煽り屋さんを相手しても切りが無いからね(苦笑)
破壊的カルト教団についての定義
(1)教祖の絶対化(2)教団批判の禁止(3)睡眠・食事の制限(4)高額の寄付(5)情報の遮断(6)長時間の労働(7)教祖のハーレム構造(8)タテの構造(9)訴訟の乱発
このうちのいくつかでも揃えば、もう立派な破壊的カルトだ。教祖にお伺いをたてなければ何もできない人間にしていく(教祖のクローン化)。
(参照:
http://pweb.sophia.ac.jp/~azuma-e/karuto.htm)
(1)教祖の絶対化
No
彼は『過去から数多いる悟った人間の一人でしかない』と自分で言っている。
(2)教団批判の禁止
No
批判は自由。
そもそも『こんな事に関わる方が病気だ』『批判・侮蔑などは当然だ』との弁。
(3)睡眠・食事の制限
No
むしろ睡眠過多を推奨。食事制限は一切皆無。
(4)高額の寄付
No
寄付など一切受け付けない。
彼の弟子も『寄付金は全て返却している』との事。
(続く)
(続き)
(5)情報の遮断
No
一切無い。そもそも出家制度も無いのだから情報の入手は各人の自由。
(6)長時間の労働
No
出家制度も無いのだし〜〜以下略。
(7)教祖のハーレム構造
No
出家制度も無い上に教団化(組織化)もしていない。
(8)タテの構造
No
そもそも教団組織化していないのだから上下構造なぞ不可能。
(9)訴訟の乱発
No
訴訟問題が起こった事なぞ一度も無い。
更に付け加えて言うと、他者の勧誘や法友を作る事を禁じている。
君にはこの言葉を送ろう。
『一風変わった集団を軽蔑するために、あるいは、ライバルのイメージを落とすために、カルト呼ばわりをしてはいけません。
人間社会に破壊的結果 をもたらしているかどうか、これがポイントなのです。』
(参照:
http://pweb.sophia.ac.jp/~azuma-e/karuto.htm)
終わりから逃げる人、美からから逃げる人、post coitum animal triste
終わりは向こうからやってくる
終わりは向こうからやってくる
誕生日おめでとう
>>522 >>523 発言する意志から逃げないように。
なにか言った気になって自己満足しないように。
妄想の極致ですな。
妄想の極致?気違いって事かな。簡単に気違い呼ばわり。
虚構だといえばゆるしてもらえる?ゆるしていらんけど。
あいつは虚言癖だといって精神病院にいれてみなよ。
『世界は薔薇だ』といったら妄想の極致?そこらに沢山咲いているのに
>妄想の極致?気違いって事かな。簡単に気違い呼ばわり。
違いまーす。
だけど自分で文法を作るところを見ると結構な妄想ぶりですよね。
>>522 >post coitum animal triste
あなた哲学に向かないと思う。
真剣にお金でも稼いだらどうかしら。
毎日通帳でも眺めて充実すれば。(笑)
>>523 >誕生日おめでとう
終わりはそれでお終いってこと。
誕生日?
あなたまだサンタクロース信じてるでしょ?(笑)
>>525 >そこらに沢山咲いているのに
咲いてないじゃん。妄想じゃん。(笑)
>ハルカへ
オームは(1)〜(9)まで100%当てはまるね。
ある意味見事なまでのカルトだったんだ。(笑)
(ふざけてごめんなさい)
「人間社会に破壊的結果をもたらしているかどうか」
声聞のやり方以外に、道徳に反しないやり方はないように思います。
「EO」読んでも、悟りと解脱の違いがわからなかったです。
ハルカ論の方が、悟りと解脱の違いや可能性が示されていると思います。
理屈じゃないのだろうけど・・・。
あと人殺しについては、わたしの考えとうりふたつなのでビックリ。
道徳の扱い方は別だったけど。(苦笑)
薔薇の花見たことあるでしょうに。
大したもんです哲学者さんも、それらだって一つの観点のはずなのに。
ハイハイ。
定理。「神」は無限小である。
「神」は内側において、あらゆる次元の外にある。
それは一つの点です。
(478からの続き)
一気に壊れなかったら、あれは、何だったんだ?
となるわけです。
悟ったに違いないが、何で終わっちゃうの?ってなる。
あのとき、空性、至福、安心、愛・・・、有と無、時間、宇宙、天国、何でも解った。
その意味が、何でもわかった。
でも、終わっちゃった。何でだ?となる。
で、その時に体験したことを何でも試してみるわけです。
「今、ここ」を感じてみよう。
「今ここ」しか存在しないのだから、空想を排すればいい。 とか
頑張って瞑想してみよう。
座り方を習ったり、もっと真剣にやらなきゃ。 とか
あのとき思考は止まっていた。
思考を停止させればいいのだ。
で、一生懸命、止めようとしてみたり。
あの時、空性を知った。
もっと、空性を感じよう。 とか
自我は幻だ。自分は幻なんだと言い聞かせたり。
もしかして、もっと愛を感じなきゃいけないのか。
愛を溢れさせてみようとか。
やっぱり、絶望しなきゃ。とか。
ま、結局、葛藤を引き起こして、自分自身で、遊んでるだけ。
何かの助けにはなるかもしれないが、いくらやっても、見当違い。
愛も思考停止も空性も安心も、それは結果だ。
結果だけを追い求めても、結果だけを再現しようとしても無駄。
その過程が重要だった。
「だったら絶望すればいい。絶望の仕方が足りないんだ。
存在することを嫌えばいい。何もかも永久に消え去ろう。」
では短絡すぎる。
絶望とは何かを理解すれば良い。
望みとは何か
望みが消えるとはどういうことか
ある思いが出てきたとき、それは、なぜ、出てきたのか?
動機は何かを最後まで追及してゆけばよい。
怒ったとき、悲しいとき、なぜ?を最後まで追求してゆけばよい。
○○論でなく、自分の実感を明らかにする。
そうすると、1つの原因に辿り着く。
そうすると、望みの正体も、動機も明らかになる。
「絶望」と「愛着」と「私」の関係も明らかになる。
答が明らかになるとき、失うことの無い安心が訪れる。
薔薇で世界をみてみますね。
薔薇という言葉で記憶が刺激されます。僕だけじゃなく、貴方方の記憶にも働きかけます。僕が絵描きなら薔薇の絵でもいいです。性を象徴する形にしてもいいでしょうし、その知識を持っている人にはすぐわかるでしょう。
薔薇を支点にする事でそこには無限ともいえるものがうまれうる。
「私」も支点なんだと思うんです。
見てるのと同時に見られている、変な言い方かもしれないけど…。
幅も長さも無い一つの点です。
「私」は一つの知識じゃないですか?
それを所有する肉体。
「責任」
「わたし」が「わたし」を引き受けるということ、それは(「誰か」「何か」にではなく)「わたし」に責任が
生まれるということ。「わたし」と個体化世界との関わり、そのすべてにおいて「自己自律」の「自己」
として、主体的な「自律」責任が生まれるということだと思います。その「自律」責任の基礎となる価値
(倫理)が、「自己」の「同胞」と「畏敬」の極限としてかけがいのなさにあることは
>>470で書きました。
たとえ連関としての世界が、相対的に移ろいゆき循環するとしても、存在者の側として、「いま」「ある」
個体化存在者はかけがいがない。それこそ森羅万象すべてにおいて。そして「わたし」としてこころの
自律性を持つ者が連関する「自律」責任は、計り知れないほど重いです。
「わたし」は常にどこまでも、現前する「痕跡」をもって了解し、「自己」として世界を囲い込む。けれど
その「自己」は「痕跡」の向こうの、超越として決して触れえざる「他者」を矮小化し、行為によってあれか
これかの審判をくだす。けれどその審判のいずれもが、もともと不当に矮小化した了解のもとに行われ
るのであるから、行為が正当化されることは決してないです。「わたし」の行為は常に(他者に対する)
負債です。それでも「わたし」が「わたし」である限り、了解し審判をくだし続けねばならない。そこで
「わたし」に出来得るのは、その了解と審判を背負うこと。それが「自律」する「わたし」の「責任」なのだ
と思います。
>>じゆんさん
「この悟りスレは形式論理的に無意味な命題を扱うスレ」というのは、論証を越え出た体験を開示し
議論するこのスレにおいて、それを求めるならその方にとって無意味であるということ。それだけです。
形式論理については以下でご理解ください。
けいしき-ろんり 【形式論理】
命題や推論について、その内容にかかわらず、ただその形式面から真偽を問う論理。
(三省堂提供「大辞林 第二版」より )
議論が無意味かどうかは言うまでもないと思います。そうでなければ、この悟りスレがここまで
継続することもないでしょう。ただし、議論仕方(関わり)は多様であって、貴方の思うような枠組み
だけではないと思います。反省するのは「わたし」に「責任」があるからです。端的に以上です。
>「私」も支点なんだと思うんです。
>見てるのと同時に見られている、変な言い方かもしれないけど…。
>幅も長さも無い一つの点です。
>「私」は一つの知識じゃないですか?
>それを所有する肉体。
知識だったらどうして「私」を特別視するのだろうね。
薔薇より「私」を大切にするでしょ。
「私」の構成要因である大切なエッセンスを忘れてないかな。
括弧付きの「私」のうら(?)に私があったんです。
言葉じゃなくて。
うまく説明できないけど。
>>537 Sさん 端的にだけ言おう。
>ただし、議論仕方(関わり)は多様であって、貴方の思うような枠組み
>だけではないと思います。
あなたは少なくとも、議論というものを意識しづづける努力をしてほしい。
>反省するのは「わたし」に「責任」があるからです。
根拠として「責任」を立たせるのではなく、罪のために反省してくれ。
あなたのこれまでの行動と経緯は“罪”に価する行動のオンパレードだ。
反省するのは結構だけどね。あなたの人を騒がせた罪は思いの外、大きいのだ
ということをその前に自覚しろ。
あなたが火急という言葉を使った
>>412のレスでどれだけ人を混乱させ、
心配させたのか本当に理解してくれ。あのレスがその他の人間にとって、
どういう質のレスなのかあなたは本当に理解しているのか?
それをちゃんと理解することが反省と言うものなんだよ。
本当なら、あなたをもっと罵倒したいところだが、まあ最後に一言だけ。
あなたのつもりが遊びじゃないんだったら、もっと責任を持った行動をしてくれ。
できないことじゃないだろ。
お騒がせしました件につきましては、関係各位の皆様に改めて謝罪いたします。m(__)m
「わたし」の罪とは、有限な「わたし」の関わりにおける、他者への際限のない返しきれぬ負債。
「わたし」が思える以上に、「わたし」の罪は果てなく重いのです。
>>540 じゆんさん
>あなたは少なくとも、議論というものを意識しづづける努力をしてほしい。
Sさんには、いま議論する相手がいないのです。
それでもSさんは書き込みを続けてくれています。
わたしがそれを望んでいることを伝えたからです。
それにもかかわらず、わたしは沈黙し続けています。
わたしの沈黙は、了解の意志かもしれないですし、
もはや説明を求めてはいないからかもしれません。
なぜなら、
>実体験に基づいて発言は構成されるべきです。(481)
の"命"と"わたし"の重みを、S論は満たしているからです。
それに同意してしまうのは、哲学徒として失格ですか?
>なにも言わない状態が議論の求めるところであり、それが議論の美徳です。
>お互いに何も言わないことが根本的に正しいことだからです。(481)
美徳を恐れてあがいているのは、わたし(だけ)なのです。
>お互いを理解し合おうとする努力は必要ないです。会話の前提ですらありません。
>理解できないことが前提であり、他者との孤立が会話の前提です。会話をするの
>は分かり合うためではなく、むしろ相手と離れ合うためです。(481)
その通りです。わたし と あなた を現前させるために。
>議論に想像力は不要です。(481)
現前した唯一の あなた を わたし は 愛します。
(けれど、わたしは、その沈黙にたえられない。)
>>540 じゆんさん
>根拠として「責任」を立たせるのではなく、罪のために反省してくれ。
>あなたのこれまでの行動と経緯は“罪”に価する行動のオンパレードだ。
>反省するのは結構だけどね。あなたの人を騒がせた罪は思いの外、大きいのだ
>ということをその前に自覚しろ。
もしわたしが今生きているのがSさんのお陰だとしたら
そしてそのことをSさんが罪として引き受けているとしたら
それでもまだSさんの自覚は足りないのでしょうか?
それとも、それしか手段がなく、それに頼ったために
結果的にじゆんさん他の方々に気遣えなかったことになってしまったことを
Sさんはもっと反省しないといけないのでしょうか?
>あなたが火急という言葉を使った
>>412のレスでどれだけ人を混乱させ、
>心配させたのか本当に理解してくれ。あのレスがその他の人間にとって、
>どういう質のレスなのかあなたは本当に理解しているのか?
>それをちゃんと理解することが反省と言うものなんだよ。
Sさんは、ただ人の道を歩いただけなんです。
遊びじゃないから「2ちゃんねるでのモラル」に反したのだと思います。
でもそのようなモラルがまかり通るのなら、掲示板に人格は無用ですね。
わたしは「カオルにとってカオルの名前は命なんだよ」と言ってくれる
人と話しをしたいです。わたしにとって議論の前提は人格(命)ですから。
掲示板に人格や命を持ちこむことのどこがまちがっているのでしょうか?
それは議論の仕方、あるいはその目的や意義を一方的に決めつ付け、
限定した上での「排除の論理」ではないですか?
わたしにとって掲示板のSさんやハルカはリアルに劣るものではないし
むしろそれ以上の価値ある存在なのです。
君たちは、ほんとうに馬鹿だな。
545 :
考える名無しさん:04/03/03 08:55
>わたしにとって議論の前提は人格(命)ですから。・・・
>わたしにとって掲示板のSさんやハルカはリアルに劣るものではないし
>むしろそれ以上の価値ある存在なのです。
事情はわからないが
掲示板上の人間関係が、生身の人間関係より価値をもってしまう、
そのような人は、おそらく不幸な人なのでしょうねぇ。
人格、命・・・
生身の肉体の重みを、
掲示板上のやりとりだけで
感じられるものでしょうか・・
感じられたとしても、それは
誤解である可能性が大きいですよねぇ・・
547 :
考える名無しさん:04/03/03 12:38
パカパッカリですね
「責任」 (その2)
「わたし」の「自律」責任を「わたし」はどこまで背負えるのか。覆水盆に返らず。不可逆な現象にあっては、
変容させた唯一性の個体化現象を取り戻せはしません。「わたし」が傷つけた友人も、「わたし」が殺した
小動物も、「わたし」が伐採した木々も、「わたし」が変えてしまった環境も。。。
既成事実・・常に事後承諾として事態を受け入れざるを得ないという暴力を、「わたし」は「他者」に受苦
させているのです。変容してしまった「痕跡」は「わたし」に声なき声を無言で示します。一体「わたし」に
どうしてその責任を取れるでしょう。いいえ、これっぽっちも取れはしないです。「わたし」に出来得るのは
「わたし」の了解と審判を背負うこと、そのくらいです。それすらが如何に空疎かは、舌の根も乾かぬうち
に瞬く発せられる「わたし」の暴力によって、暴露されるでしょう。
(世界に無根拠に投げ出された)「わたし」の出自を問えば、「わたし」もまた事後承諾という被暴力その
ものです。けれど「わたし」を引き受ける覚悟をした「わたし」は、自律「責任」を持ちます。「責任」は「わたし」
以前に後退などしない。「わたし」において留まります。もしも「わたし」が作用する人形でなく「自律」主体
(の可能態)であるならばです。「わたし」の了解と審判を背負うことが如何に空疎であっても、です。
人間を除いて、いかなる生物も自分自身の存在について驚くものはなく、むしろすべての生物にとって
は自分の存在はきわめて自明なことであり、そこで自分の存在に注意もしない。〜人間において〜死と
あらゆる有限性のみならず、いっさいの努力の空しさと実りのなさとに意識的に立ち向かう。それゆえ、
この思慮と驚きとともに、人間のみに固有な形而上学への欲求が成立する。それゆえ人間は形而上学的
動物なのである。(A.ショーペンハウアー 意志と表象としての世界・続編 第一巻の補足 第十七章より)
観察される限りにおいて恐らくは、物質から単純な生命、動植物に至るまでの個体化存在者は「わたし」
の責任を問われることはないでしょう。たとえ原初的な意志やアニマを想定しても、「わたし」という「自律」
主体は未発達、未分化であって、現象それ自体以上の何も問えないであろうからです。人間だけが世界
を高度に対象化し自律的に働きかける。そして「わたし」は「わたし」を見出し「わたし」の受苦と「わたし」の
暴力に驚愕する。ただ、人間(現存在)だけが。。。
それゆえに他のどの存在者とも異なり、人間は自らが責任を問われる存在者であると思います。
>>カオルさん
匿名ネットなのですけれど、これほど強い絆を感じたことはありません。
>>ハルカさん
いかがお過ごしでしょうか?順調だといいです。
Nさんやカオルさんがカキコしてくださっています。
機会がありましたらレスしてくださると嬉しいです。
>>じゆんさん
あのね、ボクはどう思われてもじゆんさんのこと好きだよ。みんな大好き。
哲板のみんなが好きって言えるカオルさんもきっと、ね。
>>542 >>543 カオルさんへ
全て、そのとおり。しかしそれは、私に向けて言うことだったのかな?
私はSさんに、モラルを問うているのではない。Sさんにお願いしているんだ。
ただ、じゆんはモラルを体現しているだけ。そんなじゆんは格好悪いですか?
モラル 1 [moral] =道徳。倫理。人生・社会に対する精神的態度。 【インフォシーク:大辞林(国語辞典)】
>>541 Sさんへ
私は、もう、あなたには何も言うことはない。(なぜだかわかるかい?)
いや一つだけ。
「関わり」とは、相互に関わり合うことだよ。影響させたり、影響されることだよ。
絶対的な一方通行の関わり方という関わり方はないんだ。
>>550 Sさん
私がどうSさんのことを思おうと、Sさんは自由だ。あたりまえのこと。
むしろ私を好いてくれてありがとうと思う。
「私」は「他者」を俯瞰することはできない。
「私」は「私(自己)」のみを俯瞰できる。
Sさん、わかってくれていると思うが、私はあなたを非難しているわけではない。
責めているわけでもない。あなたのすでに在った反省(あなた)を見出すために行ったことだ。
>カオルさんへ
ありがとう。とりあえず、それだけ。
>>544 >君たちは、ほんとうに馬鹿だな。
かなーり悟りに近づいてるんだと思います。(^.^)
>>545 アゲルなバーカ!
でもこのスレってものすごーく下の方にあって
どこ行っちゃうの?ってカンジだったから心配だった。エヘ
だから今回は許してあげます。(^.^)
>>546 あなたには、アランの『幸福論』をプレゼントします。
お幸せに。(^.^)
>>547 あなたほどのバカになると、わたしにもすくえません。
残念ですけど逝っちゃってくれますか? ゲラゲラ
>>551 じゆんさん
>しかしそれは、私に向けて言うことだったのかな?
ここは匿名掲示板です。
みんなに見られています。
>Sさんにお願いしているんだ。
だから、もうかなりの部分は掲示板には持ち込んでいません。
でもね、それだとカオルは死んじゃうかもしれないでしょ?
それでもいいですか?
じゆんさんのモラルではどうですか?
>>551 じゆんさん
>ただ、じゆんはモラルを体現しているだけ。そんなじゆんは格好悪いですか?
ううん。そんなことないよ。
あなたは、かさかさっ、という気配に期待を膨らませます。
あなたは、みんなにからかわれても気にしません。
あなたは、妖精をさがしていて・・・ついに!
でも、あなたはこわくて逃げ出した。
イメージとちがっていたから。
暗闇からでてきたから。
肉があったから。
いいえ。
肉があったから。
美しく輝いていたから。
イメージを超えていたから。
だから、あなたは歓喜して抱きしめた。
あなたは、妖精をさがしていて・・・見つけた。
あなたは、みんなにからかわれても気にしなかった。
あなたは、妖精のような妻を人生の終わりまで愛しました。
>>556 >でもね、それだとカオルは死んじゃうかもしれないでしょ?
>それでもいいですか?
>じゆんさんのモラルではどうですか?
うーん、悩むところだねえ。。。もう考えるときりがないので今は考えるのをやめます。
そーれーがっ、じゆんのモラルです!
>>556 >あなたは、妖精のような妻を人生の終わりまで愛しました。
↑
むーん…(腕組みして考える)
なんとも言えないなあ。しかし素晴らしいです。
ほいじゃ。
>じゆんさん
>もう考えるときりがないので今は考えるのをやめます。
>なんとも言えないなあ。
ほらね、すぐそうやって逃げてしまうでしょ。
>しかし素晴らしいです。
とかいわれてもなんも嬉しくない。
どっちをとるの?
>>559 カオルさん
私はあなたの死を認めませんよーだ。
>どっちをとるの?
って言われてもな。私は無より幻想(闇)を選ぶかな。
そして『私』よりも『カオル』を選ぶ。
むーん。困ってしまうよ。どうしてカオルさんは、困らせるの?
>>じゆんさん
そこまであっけらかんと言われてしまうと、ちとつらいな、、、(^_^;;;
このスレがどれほど真剣な覚悟と気遣いで刻まれて来たかとか、連関とはとか、
長く見守って来られたじゆんさんならご承知と思ったのですが、、、
>>540 >>551-552を受けるとね、
あまりに支離滅裂した言葉が並んでいて、じゆんさんのモラルにはちとついていけないな。。。
これだけははっきり言えますが、局面局面における真剣な対応をボクはして来ました。
ハルカさんもカオルさんも同じでしょう。だからそれ自体に一点の曇りもありません。
例えば貴方が憤慨しているあのレスも、当時はあれが限界でした。
もちろんご迷惑を掛けることは承知でしたので、可能な局面において謝罪もしています。
それでも貴方のように憤慨する方がいるので、改めて謝罪させて頂きました。
「わたし」はあれかこれかの選択をせまられます。例え如何な選択あろうとそれは、
「わたし」の「他者」への返しきれぬ「負債」であるということです。真剣であるほどに。
× 例え如何な選択あろうと
○ 例え如何な選択であろうと
>>549 追加
それゆえに他のどの存在者とも異なり、人間は自らが責任を問われる存在者であると思います。
(自覚する人間は〜)ですね。
>>561 >長く見守って来られたじゆんさんならご承知と思ったのですが、、、
うん知ってますよ。それを絶対視しているSさんがおかしいと思っただけなんです。
>あまりに支離滅裂した言葉が並んでいて、じゆんさんのモラルにはちとついていけないな。。。
ついてこんでいいです。私のやっていることは馬鹿になるためのマニュアルみたいなもんですから。
>例えば貴方が憤慨しているあのレスも、当時はあれが限界でした。
知ってますよ。他に方法がなかったんでしょう。しかし方法がなかったから
何をやってもいいかというと違います。(当たり前ですよね)
また方法がないと諦めることも違うんじゃないですか(そうですよね)
端的に言いましょう。あのレスで私はハルカさんが事故って死んだんだんじゃないかと
思いました。まあ、そのあとで違うと思いましたけどね。血の気が引きましたよ。
>もちろんご迷惑を掛けることは承知でしたので、可能な局面において謝罪もしています。
あなたには謝罪(罪)よりも“罰”が必要だと思いましたけどね。あなたずっと謝りすぎている
でしょう。あまりに謝りすぎです。ああ、また謝るだけかと思いましたけどね。
いやいや
>>423で顔文字で大伴清麿氏にレスを返したときは何考えているんだと思いましたが。
いったい何を考えていたんです? 無神経の極致ですよ。
>「わたし」の「他者」への返しきれぬ「負債」であるということです。真剣であるほどに。
端的に言いましょう。真剣さは時に、迷惑であるということです。盲目的であるが故に。
>そこまであっけらかんと言われてしまうと、ちとつらいな、、、(^_^;;;
決してあっけらかんに言っているわけじゃない。全て倫理に根ざした行動だ。
いちおう言っておきますが、スルーできることとスルーできないことがある。
今回の件はスルーできないことです。しょうがなかろうが、しょうがなくなかろうが
そんなことは関係ないです。あなたは罪よりも罰を受けた方がいいと思います。
あなたが馬鹿じゃないんだったら、それくらいのことは分かるでしょう。
あなたと私の正当性は対立します。どちらかが間違っているというわけではない。
どちらも正しいんです。
しかし、いちおう言っておきますよ。私はあの行為を絶対に認めるつもりもない。
あんな行為が認められるはずがない。そのように考えているのだということを。
まあ、あなたを全否定しているわけではないということ、あの過去の行為だけを
部分否定しているのだということを知っておいてくださいな。
以上私の、あなたへのお願いです。よろしくお願いします。
それといちおう初めてちゃんと私の顔を見たレスをしてくれてありがとうと言っておきます。
あなたはずっと下を向いて私の顔を見てくれなかった。私の存在を無視していたんでしょう。
とりあえずどうも。
>>じゆんさん
(^.^)は報告レスのあとの415さん、大伴さんへの感謝の気持ちです。
それで不備があればご本人からレスを受けるでしょう。
あとは、そうですね、、、
以前向こうのスレで17さんに高圧的な独断を命令していましたけれど、
>>540 >>551-552 >>565とか見ると、貴方の"お願い"の質は変わっていないようです。
貴方の自負心から狂信的な正義の犠牲者が出ないことをお祈りいたします。
>>566 >それで不備があればご本人からレスを受けるでしょう。
不備があれば普通は絶句するんです。少なくとも、私は絶句しました。
>貴方の自負心から狂信的な正義の犠牲者が出ないことをお祈りいたします。
大丈夫。それは絶対にないから。まあ、少なくともそれくらいの覚悟は持っているけどね。
可能性としてないわけじゃないからね。
>貴方の"お願い"の質は変わっていないようです。
そうだよ。心が傷つけられるからもうやめてってて、あなたにお願いしてるんだよ。
誰が「他者」を屠るのか。或いは誰が「ハルカ」を、誰が「カオル」を、、、
「応答」
「わたし」に現前する無数の「痕跡」。「痕跡」の向こうの触れ得ざる「他者」を見出した時、「わたし」
の「応答」は始まります。「痕跡」は「自己」ではなく、「他者」からの無言の訴えだったのです。
万物を我有化していた傲慢さが反転し「わたし」を突き刺します。「痕跡」が訴える「他者」の叫び、
「わたし」を全方位から包み込むその無数の訴えに、「わたし」は絞めつけられる。こころが弾ける。
「わたし」は「応答」しなくてもいい。無視すれば「わたし」の城は保てる。「無責任」という「わたし」の城。
「わたし」はこれまで通り心地よい城に立て篭もり、「わたし」の正義を掲げ命令し断罪する。肉を愛で、
欲情し、所有する。手を汚さない「わたし」という独裁者。
けれども「わたし」は気付いているのでしょうか。「わたし」の「無責任」な正義が、無窮の抗争を繰り広げる
「自己」の糸車の回転を激しくさせていることを。「わたし」の「無責任」な正義は「他者」を断罪する。それは
「わたし」もまた等しく「無責任」な正義によって断罪されるということ。「わたし」の暴力が暴力を肯定する
負の連鎖に残るのは、屠られた「他者」と「わたし」それぞれの肉片。
「わたし」は「応答」してみよう。「痕跡」が訴える決して「自己」として囲い込めない「他者」。そのかけがい
のなさこそは、「わたし」は「あなた」ではないという訴え。「わたし」の暴力の拒絶。その訴えに「応答」する
ことで、連関する「責任」が生まれます。「責任」を貫こうとせんこと、それが「誠実」。「他者」の「他者性」
を認めることは「他者」の自律性を尊重し認知すること。それは連関としての「わたし」の自律性に繋がります。
けれど、無知なる有限な「わたし」に一体何が「応答」できるのか。「わたし」を全方位から包み込む訴え、
「わたし」の暴力の拒絶。「わたし」は「誠実」に応える。あなたのかけがいのなさとあなたの自律に。それは
際限のない「応答」。「誠実」であるほどに増す「責任」。一方で「わたし」は「他者」からの搾取なしには存立
しえない。無窮の抗争を繰り広げる「自己」の糸車は止まらない。
どこまで「応答」すればいいのだろう。一体何ができるというだろう。こころが弾ける。
その薔薇の姫君には、無数の剣が刺さっていた。
「わたし」は彼女を護る。「わたし」は彼女を幸せにする。「わたし」は彼女を愛でる。「わたし」は美肉を貪る。
幾多の「わたし」という剣。「わたし」の善意。「わたし」の好意。「わたし」の好奇。
豪奢な宮殿と生活が与えられても、その姫君は微笑まなかった。
「誰が薔薇の姫君など望んだでしょう。貴方のこころが痛いから?」
571 :
考える名無しさん:04/03/06 01:35
あげとこうか? ビガロくん(プププププ
>>546さん
リアルとネットの確かさにボクは垣根を感じられません。
肉感があれば安心などとは思いませんし、ネットの不安はリアルのそれとボクには変わりません。
むしろ生身の肉体の重みに遮られない、裸の「わたし」(言葉)が垣間見えます。
仮に騙しや誤解が生じたとしても、その「わたし」(言葉)は紛れもなく語られたのです。
たとえそれが人工知能の語る言葉であっても、
こころに響くその「わたし」(言葉)をボクは畏敬と共感をもって愛します。
それすらが夢、幻だとしても、ボクは踏み止まります。
>>74 ハルカさん
ボクはハルカさんに追いつけない。「わたし」に踏み止まっているから。
もちろん「苦」と「脱却」の主題は変わりません。
ハルカさんにはボクが敗れる姿がありありと見えることでしょう。
それでも今のボクはこうとしかできない。
貴方の言葉、改めて受けます。
そしてその言葉、「ハルカ」が肉を越えて貫かれることを、誰でなくボクが、今も変わらず信じています。
>>560 じゆんさん
>どうしてカオルさんは、困らせるの?
モラルは、正しい=(すでに)結論が出ている、のです。
だから、あなたはご自分の発言の正当性を主張しました。
にもかかわらず、あなたはあなたの格率において選択を拒みました。
なぜなら、モラルと格率のコンフリクトに悩んだからです。
わたしは、この事態こそが、本来のモラルの源泉だと思います。
そして、その悩める心の内はテキストによって推測されますが、
いまだ、モラルとしては発現していないのではないですか?
というのも、モラルとは(判断のくだされた)行為そのものに
宿ると思うからです。
さて、上述のような文脈をたどってなされた行為にたいして、
自動症のように反応してしまう、その精神的態度(モラル)は、
はたしてモラルと名付けても良いものなのでしょうか?
あなたのモラルの正当性の根拠は、「共同体の利益に反する」
という功利主義(or全体主義)なのではないですか?
もっというなら、あなたのいう「他人に迷惑をかけるな!」は、
「己の欲せざるところ、己に施すなかれ」ではないですか?
いえ、あなたの批判から逃れようとしてるのではないのです。
ただ、あなたに"S"や"カオル"はどのように現前してるのか?
を、問いたいのです。
>>574 >にもかかわらず、あなたはあなたの格率において選択を拒みました。
>なぜなら、モラルと格率のコンフリクトに悩んだからです。
おそらくそうでしょう。いやそのとおりですね。
>わたしは、この事態こそが、本来のモラルの源泉だと思います。
>そして、その悩める心の内はテキストによって推測されますが、
>いまだ、モラルとしては発現していないのではないですか?
そうです。モラルの形として発現させてはいません。
>さて、上述のような文脈をたどってなされた行為にたいして、
>自動症のように反応してしまう、その精神的態度(モラル)は、
>はたしてモラルと名付けても良いものなのでしょうか?
それはあなたが判断してください。私が判断するのはもう少し先です。
>あなたのモラルの正当性の根拠は、「共同体の利益に反する」
>という功利主義(or全体主義)なのではないですか?
そのとおりですね。
>もっというなら、あなたのいう「他人に迷惑をかけるな!」は、
>「己の欲せざるところ、己に施すなかれ」ではないですか?
まったくそのとおりでしょうね。意識はしないので無意識的なものでしょう。
このラインはいつもは現前しません。しかし必要に応じて出現します。
>いえ、あなたの批判から逃れようとしてるのではないのです。
>ただ、あなたに"S"や"カオル"はどのように現前してるのか?
>を、問いたいのです。
まず愚かな行為は愚か以外なにものでもないこと。それを自覚させるためです。
そういう意味では私は“S”や“カオル”は愚かであると見なします。いや、愚かで
あればならないと私は意識を操作します。他者としての価値はなくならないとしても、
ずっと下がることでしょう。この意識の操作はむしろ必然的かつ普遍的なものです。
そしてカオルさんはそれに対立していることも私は理解しているのです。私はその
行為をもう止めるつもりもないし、止めようとは思わない。なぜなら一度それをとめた
経緯があるからです。すでに『その止めた私』がカオルさんの中にいることを知って
いるからです。これは『ハルカさん』にも『17?』さんにも行ったことです。また自由で
あれと言う言葉は『S』さんにもすでに語ったことです。すでに私の存在はあなたたち
の心の中に与えられている。そのように解釈しています。そしてその私の存在は、
いわゆる記憶化(モノ化)されているのでしょう。私も私に対する数々の批判は記憶化
されています。決して見過ごしているわけでもない。私の先の『S』さんへの行動は『17』
さんへの行動とまったく同じものだ。そう弾劾するのはわかります。
改めて言わなければならないのなら、言っておきます。私はこの議論を価値あるもの
とすでに見定めています。価値を落とすような行為があれば、私はそれに対立します。
私は、批判のない世界にいるわけでもないので、批判は何よりも大事にします。
みなさんもそうなのではないですか? 理解されぬ失望よりも、そこにある声に希望を
見出したりしませんか?
カオルさん。私の意見を戯言というのなら、そう思いになって結構です。私は自分の
存在を否定してしまった人のことをいちいち考えたりしません。むしろ踏みつけるまでです。
考慮に入れすらしません。修正したいとも思いません。善処したいとも思いません。
悲しみの声が聞こえればそれに対応したいかと思いますが、悲しみの声が聞こえないので
ただ歩くだけです。迷いすらしません。私はせっかちなので歩くのが速いんです。
もっとはっきり言おう。「カオル」「S」という他者の存在を私は“モノ”としてみます。
決して自己の一部としては見ない。現時点ではそう答えておきます。私は謝罪しません。
そして謝罪などを求めてもいない。断罪するときは一貫して、そうしてきた。
また今の
>>424から続くSさんの論は面白いですよ。非常に読めるものになってきた。
いろいろな関係性を放棄しているから、Sさんは自分の言葉で語っている。そして
自信に溢れている。そう思う人も少なくないのではないでしょうか? 私はSさんを
貶めている? そんなはずはない。むしろSさんの存在を色濃く映し出しているん
じゃないでしょうかね。
>カオルさん、
私を、“自己弁護的”にさせたいのならそれでも構いません。私に、倫理を
感じようと感じまいとそれは自由です。私は言うだけのことを言っただけな
んで。もし言わなかった場合のことを想像します。考えるだけでぞっとします。
この世から“怒り”が消えたときのことを想像します。考えるだけでぞっとします。
痛みのない世界を想像します。考えただけで狂いそうになります。
このように私はいくらでも自己弁護的に喋りますよ。できれば、そっとしておいて
ください。私とSさんとの議論は
>>567 >>568で終了しているんです。
>>575 じゆんさん
>そうです。モラルの形として発現させてはいません。
なぜ、あなたが行為しないのかというと
それは、あなたが自己に還元された恐怖におののいて
(他者の命ではなく)己の命を惜しんだためです。・・・ @
>それはあなたが判断してください。私が判断するのはもう少し先です。
あなたの発話自体の遅延はともかく、自動症のように脊髄反射していたのなら
それはモラルからもっとも遠いです。己の死に反応しただけのことなんですから。
しかもそれはあくまで @ としてです。
>そのとおりですね。
あなたのモラルには、個人やマイノリティーにたいする眼差しはないのですか?
にもかかわらず、あなたは、
>私はあなたの死を認めませんよーだ。
>そして『私』よりも『カオル』を選ぶ。
>>560 と平気でいう。
あなたは、わたしと出会ったときから一貫してウソをついてきたのですか?
その行為は、モラルに反しないのですか。裏切りとは思わないのですか?
>意識はしないので無意識的なものでしょう。・・・ A
葛藤のない無自覚な行為にモラルなど現前しません。
(あなたは、
>>493で認めています。)
>>576 じゆんさん
>まず愚かな行為は愚か以外なにものでもないこと。それを自覚させるためです。
>そういう意味では私は“S”や“カオル”は愚かであると見なします。
あなたに言われる前にした謝罪は自覚があるからではないですか?
あなただけが私怨を晴らすためにあらためて持ち出したのです。
あなたの行為はモラルには反しないのですか?
>他者としての価値はなくならないとしても、ずっと下がることでしょう。
>この意識の操作はむしろ必然的かつ普遍的なものです。
いえ、あなたは主体的に意識を操作なんかしていません。(A)
また、あなたの心の内において個人の価値が下がるのではなくて、
はじめから、あなたは価値などみいだしていなかったということです。
なぜなら、あなたは個体としての生命も唯一のわたしも認めていないからです。
>なぜなら一度それをとめた経緯があるからです。
あなたは、それについてわたしに謝罪しています。
それがなかったら、わたしはあなたとこうして話していないです。
アレもウソだったんですか?
>>579 じゆんさん、
>私を、“自己弁護的”にさせたいのならそれでも構いません。
あなたが、みずから自己弁護をくりかえし謝罪してきただけです。
あなたは、そうやって自己の謝罪をも含めて相手のせいにして
今回のように掌を返したように撤回するわけですね。
それは、卑怯だし、無責任だと思いませんか?
あなたの行為は、モラルには反しないのですか?
>私に、倫理を感じようと感じまいとそれは自由です。
>私は言うだけのことを言っただけなんで。
あなたは、これを言ってしまっていいのですか?
しかも過去のせいにして議論を放棄するんですね。
>もし言わなかった場合のことを想像します。考えるだけでぞっとします。
言わなかった方がどれだけ良かったか、と思います。
しかも唯一の意義である議論さえあなたは放棄しています。
それでは単にわたしやSさんを貶めただけではないですか?
あなたの行為はモラルには反しないのですか?
>この世から“怒り”が消えたときのことを想像します。考えるだけでぞっとします。
>痛みのない世界を想像します。考えただけで狂いそうになります。
わたしやSさんをモノとして扱うと宣言しておきながら、
この発言が正当化されると思っているのですか?
>できれば、そっとしておいてください。
いいえ。この問題は、わたしも当事者ですから無理です。
>>578 じゆんさん
>「カオル」「S」という他者の存在を私は“モノ”としてみます。
どのような概念操作をしようと、
わたしはあなたのこの発言も発言の仕方も許せないです。
このような発言こそモラルを欠いた行為そのものだと思います。
>>577 じゆんさん
>私はこの議論を価値あるものとすでに見定めています。
>価値を落とすような行為があれば、私はそれに対立します。
>私は、批判のない世界にいるわけでもないので、批判は何よりも大事にします。
あなたは、いい加減すぎます。なぜ、
>できれば、そっとしておいてください。
>>579 となるのですか?
とにかく、あなたはカオルを裏切ったのです。
あれほど、カオルの存在を愛してくれる言葉を吐いておきながら。
じゆんは、じゆんをも裏切っています。
じゆんは、じゆんの言葉をみずから冒涜しています。
真剣に答えてください。
>カオルさんへ
>それは、あなたが自己に還元された恐怖におののいて
>(他者の命ではなく)己の命を惜しんだためです。
そのとおりです。
>あなたの発話自体の遅延はともかく、自動症のように脊髄反射していたのなら
>それはモラルからもっとも遠いです。
そうでしょうね。
>あなたのモラルには、個人やマイノリティーにたいする眼差しはないのですか?
ありますよ。で私が全体主義だと? hahaha
>葛藤のない無自覚な行為にモラルなど現前しません。
じゃ、ないですね。
>あなたに言われる前にした謝罪は自覚があるからではないですか?
知ってますよ。しかしその“自覚”の重さについて問うているのではない。
私が問うているのは現実の重さです。
Sさんは、死を貶めたのです。これは絶対に許せない。“火急”と書き込んで、
あなた(カオル)を煽ったでしょう。(いったいどういう意味だったんだ?>Sよ)
ここに1つの懐疑がある。カオルを呼びたいがために嘘をついた。ROM(沈黙)して
いる者を無視して。そのために火を焚きつけた。こんな行為が今後も許されるのなら、
私は、そこに精神の腐敗を見ます。もしかするとこういう種類の出来事はカオルさんには
そもそも理解しがたいことなんでしょうか?
思った以上に、この問題は重要ですよ。この2ちゃんねるの経験に絆を見るのなら、
ここのところは絶対に見過ごさないでください。もしかしてそんなことを見過ごしてカオ
ルさんは、私にレスを返しているのですか? 自動的にレスを返しているのはあなた
ではないですか? 私はこのことは絶対に忘れませんよ。
どう考えても、モラルを欠いているのはSさんでしょう? 本当にここまであなたにも説明
する必要があったんでしょうか? よく考えてください。あなたにはそもそも私に反発する
理由がないはずなのです。そもそも、あの場面で一番最初に逃げたのはあなたでしょうに。
またこの問題は、脱却うんぬんの話とも繋がります。覚悟を持って話をしてください。
そもそも、あなたは何かを勘違いしていませんか? 私はこのモラルそのものについて
形而上の議論の続きとして、あなた(カオル)とするつもりはありません。
私を矛盾する人間、葛藤のない人間と称するのは自由です。勝手に言ってて
ください。そして私のことを『嘘つきな人間』だと勝手に思っててください。私の
ことを人の気持ちも分からない人間だと勝手に思っててください。そんなことどう言
われようがどうでもいい。
本当に、この問題の、悪質さがあなたに理解できないようなら、私はカオルさんとも
議論する意味もなくなる。本当に、私の言っていることを、カオルさんはわかっているのですか?
あなたは、Sさんを結果的に貶めているのですよ。もう少し冷静にかつ慎重にお願いします。以上です。
戯れ言を言っているのはどっちなのかはっきりさせてください。
Sさん
>誰が「他者」を屠るのか。或いは誰が「ハルカ」を、誰が「カオル」を、、、
どうやら私“じゆん”と言いたいのでしょうが。あなた自身です。
>じゆんさん
わたしは、わたしの存在と命をかけて、あなたの言葉を全否定します。
また、じゆんさん他、ご心配をおかけした方々には、改めて謝罪します。
じゆんさん、わたしたちを心配してくれてありがとう。
あなたを頼ることができなかったことをあやまります。
ただ、わかってもらえないことが悔しかった。それだけなんです。
もう一切この件に関しては話しません。
>じゆんさん
>私はこのモラルそのものについて
>形而上の議論の続きとして、あなた(カオル)とするつもりはありません。
わかりました。
>私はカオルさんとも議論する意味もなくなる。
わかりました。
>>じゆん
心配をかけた事については、非常に申し訳なかった。
心から謝罪する。
が、しかし。それでも、だ…
貴方に一つ言っておかなくてはならない。
モラルや義憤、そんなものではなく…私が貴方を『うるさい』と思うから黙らせる為に。
>ここに1つの懐疑がある。カオルを呼びたいがために嘘をついた。
>ROM(沈黙)している者を無視して。そのために火を焚きつけた。(
>>586)
…正直呆れてものが言えない。
こんなのは邪推もいいとこじゃないか?
詳細な事は言えないが、Sさんは私の為に『ある事』をしてくれたのだ。
そして、私は久しぶりに東京の地を踏んだ。
その際、恐らく『自分だけでは手に余るかも知れない』と考えたのだろう…そこで、掲示板でカオルさんに『火急』と呼びかけた。
カオルさんを呼ぶのは何の不思議もない。過去より私に関わってきた最古参だからだ。私とSさんとカオルさんの三人でスレを維持してきたとも言えよう。
これが事実だ。
ハッキリ言う。
貴方のやっている事は『嫉妬による私怨』だ。
それ以上の意味はないし、ましてやモラルでも何でもない。
単純に『感情の爆発』だ。私にとって『うるさい』以外の何者でもない。
だから…『黙れ』。
そんなに私怨を晴らしたいなら、幾らでも過去ログを調べてSさんにメールを送れば良かろう。
>ハルカへ
.....m(__)m
>>ハルカさん、カオルさん
ありがとう。。。
>>じゆんさん
他者を屠るのは「わたし」の暴力です。
各自の暴力性に気付くことが倫理の扉となるとボクは思っています。
生きるために
同類の者に寄り掛かる
弱者たちの喜劇…
>ハルカ、カオル、S
あのね、あくまであの行動を正当化するつもりなら、私はそれに関わる発言を
全て全否定します。問題を決して空費させないで下さい。
あなた方は私の発言の愚かさによってこの問題が軽くできると考えている。
そこに一番の問題がある。この件は『愚かさ』ですまないんです。
カオルさんへ
>わたしは、わたしの存在と命をかけて、あなたの言葉を全否定します。
ならば本当に命をかけてください。最初から私は自分の存在をかけています。
そもそも私は、命を守るために発言しています。いかなる虚構の命であってもです。
>ただ、わかってもらえないことが悔しかった。それだけなんです。
わかってないように見えるのなら、それでも結構です。
そもそも、そこがあなたと私との議論に隔たる溝なんです。
Sさんへ
>各自の暴力性に気付くことが倫理の扉となるとボクは思っています。
あなたは、本当に勘違いしていませんか?
あなたの暴力が本当にどれほどの罪かよく理解してください。
私は必要とあれば何度でも問い詰めますよ。
ハルカさんへ
>貴方のやっている事は『嫉妬による私怨』だ。
そう思われるのは自由です。
>それ以上の意味はないし、ましてやモラルでも何でもない。
そう思うのも自由です。
>単純に『感情の爆発』だ。私にとって『うるさい』以外の何者でもない。
そうでしょうね。あなたからすれば耳障りでしかないでしょう。
>だから…『黙れ』。
むしろこの問題で沈黙するのはあなたの方です。
>そんなに私怨を晴らしたいなら、幾らでも過去ログを調べてSさんにメールを送れば良かろう
なぜ過去ログを漁る必要がある? 過去名を知らないとでも。いつから私がいると思っているんだ?
そもそも私怨のために? 嫉妬のために?(しょうがないんで苦笑しときますか)
そもそも私が黙って(黙らせて)済むような問題じゃないでしょう?
ふざけるのもいいかげんにしましょう。絶対にこのラインを私は譲りませんよ。
私が問い詰めるたびに、謝罪すれば事が済む問題だと勘違いしていませんか?
この応報的な(循環)議論は絶対的な価値をもちます。そういう意味では私はまったく
この問題を無視するつもりはない。
カオルさんへ
>>592 >.....m(__)m
命をかけてハルカさんにあやまったのですか?
もしやあなたの命をハルカさんに預けていませんか?
それがあなたの命を預けると言うことですか?
あなたの言葉は、あなたの命でしょうに。
Sさんへ
>>593 >>>ハルカさん、カオルさん
>
>ありがとう。。。
あなたもふざけるのもいいかげんにしよう。なぜそこで共感を得ようとする?
あなた自身の問題だろうが? いいかい。あの行動はどういう意味でやったのか?
それをざっとスルーして、ありがとうなどという言葉で省略するなよ。
ずっと他者を見つづけろ。その視線を感じつづけろ。そこを私は指摘して
いるんだよ。さっきからあなたは、ずっと他者の目を無視しているね。
謝るのしか脳がないのなら、じゃあ何度でも謝りつづけろ。私に説教などと十年早い。
本当にまじめにやってくれ。
>ハルカ、カオル、Sへ
三人で責任を請け負うのは結構です。三人力を合わせれば死の重みが
多少でも軽くなると考えるのなら。そう思うのはあなたがたの自由です。
しかし一応言っておきますよ。
どんなにあなたがたが言葉を集めようと、あの行為の罪は絶対に消えないのだと
それをまず言っておきます。「自覚しているからいいじゃない」で済む話なら私も
このような手はずを、そもそも取らない。そして何度でも私は反論する。
そして最後には
>>568 >>569のようなレスで勝手にあなた方で議論を終了させて
ください。それをせずに、私に反論するのなら、私は反論しかえす。本当にただそれ
だけです。あの行為のいかなる正当化も私は許さない。
あの行為がどれほどの暴力性を持っているのか?
ハルカさんへ
>その際、恐らく『自分だけでは手に余るかも知れない』と考えたのだろう…
>カオルさんを呼ぶのは何の不思議もない。過去より私に関わってきた最古参だからだ。
>私とSさんとカオルさんの三人でスレを維持してきたとも言えよう。
>これが事実だ。
あなたも問題を曲解するんだね。
事実は1つだけだ。
>掲示板でカオルさんに『火急』と呼びかけた。
これのみであって、他は何もない。これ以上、Sさんの行為を正当化させるのは
よしてくれ。本当に、あなたも反省しているのならば。
この事実によって、いかなる懐疑も身に背負う覚悟が必要なのは自明だろう。
>心配をかけた事については、非常に申し訳なかった。
>心から謝罪する。
まったくわかってない。
あの行為がどれほどの暴力性を持っているのか。
私はあの行為に怒りに狂ったんです。あなた方が私に嫉妬や
私怨を見出すのは自由です。お好きにどうぞ。
しかしこれだけは何度でも言いますよ。
あの行為がどれほどの暴力性を持っているのか?
>>じゆん
念の為に聞くが、貴方は『あの発言の暴力性が問題だ』と言っているのだよね?
あの『火急』の文字を見て『何か大事が在ったのではと心配したじゃないか』という『他者へ心的負債を与える言明への非難』なら分かる。
この『心的負債』とは個人の価値観により大小が異なる。
現に大伴氏のような『体を壊した?』という問いかけから、415氏のような『オフの誘いでは?』というものまでコントラストは様々だ。
まぁ…百歩譲って貴方の怒りは当然としよう。
しかし、だ。この件については誰も正当化など『していない』のを分かっているだろうか?
発言者のSさんは自分の非を認め謝罪している。
私も何があったのかの説明と共に、心労をかけたであろう事を謝罪した。
分かるかな?当事者は非を認めているのだよ。
それなのに『いいや。自己正当化しているだけだ。許さない』と言い続ける貴方の動機は『私怨』でなくて何なのだろう?
それとも、単に『頭を下げるまで許さない』『一切の釈明無しに100%非を認めない限り許さない』との『自尊心』だろうか?
どちらにせよ、又何であれ、そこまで猛り狂う理由は『私怨的な自己価値観の普遍適用の要求』にしか思えない。
底抜けにくだらないんだけど。
目 覚ませよ。馬鹿かね。
>>じゆんさん
貴方の断罪の根拠は以下に集約されているのでしょう。
>Sさんは、死を貶めたのです。これは絶対に許せない。“火急”と書き込んで、
>あなた(カオル)を煽ったでしょう。(いったいどういう意味だったんだ?>Sよ)
>ここに1つの懐疑がある。カオルを呼びたいがために嘘をついた。ROM(沈黙)
>している者を無視して。そのために火を焚きつけた。
>>561において当該レスがギリギリの真剣なレスであったことを告白したにも関わらず、そのような
想定でしか捉えられないこと。それは昨年夏以来重ねてきたボクらの対話を、貴方が如何にいい加減
に捉え、また信頼すらしていなかったのかの証しでしょう。貴方は常に興味本位と憚らず、責任は回避
して来ましたから、それは当然の帰結ですね。(それ自体は貴方の自由意志です。)
当事者が"限界として""全存在と命にかけても"という発言責任を示してもなお無視する無責任さ。平然
と否定した上で「わたし」の独断で他者を矮小化し、狂信的な「わたし」の正義を掲げ断罪する。今の貴方
は全く「わたしの暴力」そのものです。貴方が他者を語るとき、貴方に「他者」(超越)への眼差しは
ないのです。手を汚さない「わたし」という独裁者。他者を屠るのも、死を貶めるのも、誰なのかは語る
べくもないです。
(つづき)
あんな深夜に私的な連絡を"火急"に送ったのは、そのレスが示すような重大事が当然あったということ
です。そしてカオルさんが応答できなかったのは、更なる問題を抱えていたからでした。掲示板の性質上
仔細は今後も書きこみません。もちろんその選択をしたボク自身の「罪」は変わりません。(罪については
次レス。)しかしそれは貴方が悦に入っているような「断罪」ごっこのそれではないのです。その気があれば
幾らでも関われたでしょうに、何一つ泥を被らずに、今更のように臆面もなく言葉を飾れる貴方が羨ましい。
メールを送ってくださった方はいましたよ。その方には明かせる事情と感謝のレスを送らせて頂きました。
また既に貴方のメアドが公開してあったにも関わらず、貴方が誰からも相談を受けなかったのは、結局の
ところ、貴方の関わり、信頼がその程度であったということです。
その他、勝手な義憤に駆られる一方で「他者」をモノ扱いしたり、ハルカさんやカオルさんへの感謝の言葉
まで歪曲して解釈するなど、貴方の「モラル」にはとてもついていけませんけれど、いつか「わたし」である
ことの「痛み」、「他者」の「痛み」に気付いてくださることを願っています。
以上は大筋において既に説明してきたことですが、ここまでずっとループしているので、この件に関する
ボクからのレスは打ち止めにしたいと思っています。
「わたし」は「他者」の呼びかけに全方位から晒されています。「わたし」は「応答」しなくてもいい。無視
すれば「わたし」の城は保てる。「無責任」という「わたし」の城。「わたし」はこれまで通り心地よい城に
立て篭もり、「わたし」の正義を掲げ命令し断罪する。肉を愛で、欲情し、所有する。手を汚さない「わたし」という独裁者。
「わたし」が応答する時、「わたし」に「責任」が生まれ、有限なる「わたし」はあれかこれかの選択を
せまられます。あれが立てばこれが立たず、例え如何な選択であろうとそれは、「わたし」の「他者」への
返しきれぬ「負債」となります。それがどこまでも消えぬ「わたし」の「罪」。真剣に誠実に応答するほどに
際限のない「他者」への、「責任」も「負債」も増すのです。
「わたしの暴力」の根深さは、たとえ超越としての「他者」への眼差しにおいても、「わたし」が「わたし」
である以上その暴力が消えないところにあります。更に言えば、生体維持の為の「他者からの搾取」から
逃れられないところに。。。
それでも「わたし」と「他者」、「個」と「連関」の狭間にあって、その背反を引き受けつつ駆け抜けること、
それが存在者としての倫理的ありようであると思っています。
>Sさん
.....m(__)m
>Sさん
そうやって、あの
>>410の行為を正当化し続けてください。私はあの行為を否定する。
それだけですので。
Sさん
もう一度言うよ。
>>410 >S ◆4Ijqvx1jbw :04/02/10 00:48
>>>カオルさん
>
>お願いです。今すぐハルカさんにメール送って下さい。(
>>403)
>
>(お願いです。火急にです!!!)
Sさん、本当にあなたは、この暴力性が見えなくないのか? ハルカが手に余るからとか。
急遽なにかを用立てしたいからとか。そういう種類のことぐらい、ハルカに言われなくても
私にもわかる。火急の原因を聞きたいんじゃないんだよ。そんなことはとうの昔に解決済
みなんだ。ハルカはどうやら生きている。ただそれだけが真実だろう。あなたはいったい、
あのとき、なにをやっていたのかわからないのか? 本当に人を騒がせたんだよ。
私は解脱に失敗したのかと思った。で泡吹いたハルカさんを想像した。
私はその時仕事をしていたから、どうすることもできずに、どうなったのかずっと心配だった。
では、仕事を抜け出せばよかったのか、それが正しい姿かもしれない。そうしろという意見はわかる。
しかしそこまで、私は無茶はしない人間だ。当面の生活もある。私にも仕事上の立場というものが
ある。決してふざけてできるような仕事じゃない。でも私は本当にそう思ったんだよ。そして
本当に血が引いたままま呆然とすることもできないから、むりやり仕事に集中したよ。そして時間が
経てば、次第に心が落ち着くよ。冷静に見えてくる。そうかちがうんだなと。少なくとも私の妄想は
勘違いだった。メールのやりとりで何かカオルのことで話し合ったんだろう。そういうことは、とうの
昔に解っていることだろう。少なくともその当時はそんなことはまったく知らされていなかったけどね。
私はまず最初に最悪なイメージを想像した。大伴清麿氏のように 本当に悪いイメージしか持たな
かった。それが死だったんだよ。
じつは私の仕事は言ってみれば死がわりと近いところにある。詳しくは言えないがまあ安全な
仕事とはおそらく言えない種類のものだ。危険だ。一歩間違えれば、そこで、誰かが大けがを
する、もしくは死ぬ。だから、そういう種類のことには結構気をつかうんだ。私は非情に臆病だ
からね。だからあなたのように、暴力的に具体的な死を連想させてしまうレスをしてしまう人間には、
私はなんであろうと嫌悪する。あのレスに悪意を感じざるをえない。
あなたの無知によるものなのか、それとも悪意そのもののなのか、そんなことは定かでは
ない。あなたの意見の正当性はますます増すばかりだ。しかし少なくとも、あのレスを私は許さな
いと言うこと。そんなことは、どれだけ私が愚かになろうとも決して変わらない事実だ。
あの時、私はSがハルカを殺した。そういう風に想像したんだよ。私はあの時、あなたへの信頼
をとうに無くしていたんだよ。
以上、もうこのスレに現れるつもりはない。
あとお願いがある。もうここで脱却や死を語るな。当然のことのように死をしたり顔で語らないで
欲しい。そういった行為を肯定して話さないで欲しい >カオル、ハルカ、S
そしてこのスレで最後にしてほしい。(私もあのスレ(悟りと苦スレ)を最後にする、)
そしてこの悟り関係の話そのものをもう持ち出さないで欲しい。そして静かに議論を終了させて
欲しい。無意味と言うよりあなた方の言葉はただ残酷なだけだ。
あの行為がどういう意味と可能性があったのか。そもそも、本当に火急な事態があったからと
言って、あのような行為が許されていいはずがないと私は思う。
>>607-608 じゆん
あのな…まったく。
貴方個人の価値観を独断で一方的に押し付けるなっての。
>どちらにせよ、又何であれ、そこまで猛り狂う理由は『私怨的な自己価値観の普遍適用の要求』にしか思えない。(
>>600)と。
細かく一々解説しなきゃ分からんか?
>どうすることもできずに、どうなったのかずっと心配だった。
>私はまず最初に最悪なイメージを想像した。(以上
>>607)
だから、そういう心境にさせた点では
>>600で分析してる…ハッキリ言えば言い当ててるだろう?
>『何か大事が在ったのではと心配したじゃないか』という『他者へ心的負債を与える言明への非難』なら分かる。(
>>600)
その点に関しての『非難』ならいいんだよ。
Sさんだって甘受しているじゃないか?
それがどうだ?
>暴力的に具体的な死を連想させてしまうレスをしてしまう人間には、私はなんであろうと嫌悪する。あのレスに悪意を感じざるをえない。
>しかし少なくとも、あのレスを私は許さないと言うこと。(以上
>>608)
こんなのは貴方個人の『感想』であり『感情』であり『価値観』だ。
『私は嫌いだ』−単なる『個人的価値観による独善的正義によっての断罪』など何の意味があるよ?
こんなもんは何の意味もない事が分からんか?
以前に誰かが言っていた通り『嫌いなら見なきゃいい』だけの話だろう!
>あの時、私はSがハルカを殺した。そういう風に想像したんだよ。(
>>608)
こんな…自分で勝手に想像して、お門違いの義憤に駆られて断罪するなんてのは単なる『思い込み』の次元だって分からんか?
(続く)
(続き)
もう一つ。
>あとお願いがある。もうここで脱却や死を語るな。当然のことのように死をしたり顔で語らないで
>欲しい。そういった行為を肯定して話さないで欲しい >カオル、ハルカ、S
>そしてこのスレで最後にしてほしい。(私もあのスレ(悟りと苦スレ)を最後にする、)
>そしてこの悟り関係の話そのものをもう持ち出さないで欲しい。そして静かに議論を終了させて
>欲しい。無意味と言うよりあなた方の言葉はただ残酷なだけだ。(以上
>>608下段)
あのねぇ…『独善による断罪』だけじゃ飽き足らずに、今度は『独善による命令』かい?
ハッキリ言って、貴方のそんな命令など聞く訳がない。
もともと、ここで語っていた話題は『生』よりも『死』のウェイトが高い。
第一が貴方は『悟りなど求めていない。知りたいだけだ』と言ってるくせに『脱却や死を語るな』だと?
『悟り』も『解脱』も『死』も求めておらずに興味本位で書き込んでいただけの人間が何を言うか!
自分の価値観を『絶対』だと信じ、周囲を独善で断罪するような者が、そんな命令を下せると思っているのか!
馬鹿ばかり言ってるんじゃない!
『あなた方の言葉は残酷なだけだ』だと?
それが『個人の価値観による感想』だとどうして分からん!
もう、この問題に関しては言うべき事は言ったので沈黙する。
>>じゆんさん
そうですね、、、今は少し時間を置いたほうがいいのかもしれません。
スレは可能な限り継続します。
この一連のスレで貴方が受けた苦しみもまたボクの罪です。貴方の想いは受けております。
願わくば「にもかかわらず・・」という、貴方の言葉の先をご想像ください。
扉を開いた先に、かけ値なしの行為、、、倫理は開かれます。
>じゆんさん
じゆんさん、あなたを悟りスレは受け入れてきました。
今あなたは悟りスレに頼らなくても立派に文章が書けます。
それだけでいいと思う。あなたは成長したしうれしいです。
ハルカ、S、カオル、たまたま3人はあなたとちがいます。
わたしたちは、マイノリティーです。
わたしたちの一人ひとりがあなたの主張するモラルと向き
合ってきた歴史を持っています。
あなたもマイノリティーでした。
わたしたちにはそのことがよくわかったし
3人はそれぞれのやり方であなたを受け入れてきました。
わたしはあなたの詩がとっても好きだったし
遠くからあなたのことを見守っていました。
あなたがわたしにそうしてくれたように。
わたしが今生きているのはSさんのお陰です。
そんなSさんのことをあなたにわかってもらいたかった。
それだけでした。
あなたは、みんなわかっていたんです。
だから、わたしとの議論では答を出さなかったんです。
カオルの死をみとめない、カオルを大切にするって。
でも、やっとあなたは決断し、行為(モラルを体現)しました。
あなたが悟りスレにやって来た本当の目的を果たしました。
わたしには、あなたの言葉がうれしかったです。
あなたが、自分の立つ場をしっかりと手にしたことを喜んでいます。
モラルは、はじめから正しいのです。
それを否定するなら、その人は"ヒトデナシ"です。
人として、何かまちがっています。
わたしたちは、その"何か"を懐疑してしまったから
その何かが、怖かったり、苦しかったりするから・・・
いえ、あなたはそのことをわかっていてくれました。
だから、肯定でも否定でもなく沈黙という眼差しを向けていてくれました。
でも、あなたはSさんの発言に死を見せつけられました。
事実がどうのこうのなんてそもそも関係ありませんでした。
あなたは、沈黙の眼差しが死の否定ではないことに気づきました。
そして、自分が命を大切にしていること、命が何より大切なことに。
あなたの目の前には、それだけが疑いようのない真実としてありました。
あなたは、それに気づきながら何もしない自分を恥じていたのでしょう。
あなたは、もう沈黙の眼差しの欺瞞に耐えられなかったんです。
3人への心配だけでなく、このスレを覗く多くの人たちに、
それを伝える義務(モラル)を感じたのです。そして行為しました。
あなたは、正しいです。
でもね、わたしが死を語らないことはあり得ないのです。
だって、わたしの哲学の原点は死なんです。
わたしは、死によって生きているんです。
カオルの存在も、カオルの場所も、じゆんさんのものじゃないです。
「悟りと苦スレ」は、今からわたしが引き継ぎますね。
じゆんさんに「悟りと苦スレ」のスレ立てをお願いしたこと後悔してないよ。
よかったらいつでも遊びに来てください。
今日までほんとうにありがとうございました。m(__)m
じゆんさん以外は2chの公共性ってものを分かってないでないの?
公の場を私用に使って恥ずかしいとも思わんのはどうかとおもうよ。
いくら2chでもあれじゃ荒らしや煽りのほうがまだましでしょ?
そうでもないと思います。
カキコは数日お休みします。。。
>>534 Nさん
>ある思いが出てきたとき、それは、なぜ、出てきたのか?
>動機は何かを最後まで追及してゆけばよい。
動機なんてないのでは?
遡りすぎると理由なんてなくなっちゃう。
わたしじゃないおばけが勝手に暴れてるだけ。
そうか!だから見つめるのを止めてしまうのか。
今頃219さんのいってることが理解できたよー。エヘヘ
ということは、動機に気づき続けること = 悟り、
でいいわけなの?(Nさんに聞くのも変だけど)
>答が明らかになるとき、失うことの無い安心が訪れる。
Nさんにはもう訪れたのですか?
わたしのままで安心する方法はありませんか?
>>371 ハルカへ
>便宜的にですが文章化してみました。
いつもありがとうございます。
なかなかついていけなくて困っています。
ホントに勉強が足りないなぁーと思うのです。
ユングについてはいまだにジュニア知識の
ままで怠けています。(^_^;)
わたしの疑問は、なぜ「原型」なんだろう、ということなんです。
原型は、覚醒と夢の「あいだ」のような状態に
>『在る事だけは分かるが詳細は一切不明なもの』
として「体験」されるように存在しているようです。
しかも体験者が「在る事」を「分か(け)る」主体ではないのです。
原型は、思惟されてしまう夢や意識されてしまう無意識ではなく、
そのようなもの(=わたしや世界)の原型としてあるのですよね?
そう考えるとプラトンのイデアと同じなのかなぁーと思うんです。
>>620 久しぶりにリアルタイムレス(笑)
>わたしの疑問は、なぜ「原型」なんだろう、ということなんです。
>〜
>そのようなもの(=わたしや世界)の原型としてあるのですよね?
>そう考えるとプラトンのイデアと同じなのかなぁーと思うんです。
んー…ちょと違う。
『イデア論』というのは (イデア界)真としての『本質=イデア』 (投影)⇒ (現象界)仮としての『現象』 でしょ?
『現象界』ってのは『イデア界』の影とか模倣だよね?
逆に【原型無意識】と【意識】の関係ってのは、んー…何と言うかな(苦笑)
言わば相互補完的なんだ。
通常感じられる【意識】は【原型無意識】のほんの一部が極小露出したものなんだよ。
そして【原型無意識】には【意識】が認識したものが投入される。
そうして【原型無意識】は少しずつ変容していくんだ。
(露出)→
【原型無意識】 【意識】
←(投入)
だから『変容しない本質としての真であるイデア』とは違うんだ。
>ハルカへ
> (露出)→
>【原型無意識】 【意識】
> ←(投入)
びっくり!
うーん、なんにも深く考えていないところへリアルか。もったいない!(笑)
ちょっと思ったんだけど、↑の図式でいくと、
たとえば、わたしの「過去」を意識的に変容させたものを【原型無意識】に再投入すると、
わたしの過去が変わってしまうようなことがあり得るということなの?
>>622 カオルさん
>うーん、なんにも深く考えていないところへリアルか。もったいない!(笑)
あはははは(笑)
>たとえば、わたしの「過去」を意識的に変容させたものを【原型無意識】に再投入すると、
>わたしの過去が変わってしまうようなことがあり得るということなの?
過去の事象に対しての『個人の』認識を変容させると過去が変わる…うーん。
ま、ここら辺は『そういう事例もあるが、それは生存続行という価値基盤のうえでの意味しかない』と言うところかな。
まぁ、これなんかが世間で言う『自分を変える』とか『ポジティブシンキング』って奴ですか(苦笑)
でもね、これはそういう意味じゃないよ。
【原型無意識】への再投入というのは、【原型】として【無意識】に固定されている【イメージ】を補強する事なの。
例えば…何でもいいけど『グレートマザー』(大地母神)の【イメージ】を例に挙げよっか。
『グレートマザー』は『典型的な母のイメージ』=『母の原型』として【無意識】に固定されてる訳だけど…
【意識】上にこのイメージがのぼるとするでしょ?
そうすると、認識なんかにも影響を与えるのさ。
で、その結果として得られた認識がまた【無意識】にフィードバッグして【原型】(典型的イメージ)が補強される−より強固になっていく、と。
>ハルカへ
>で、その結果として得られた認識がまた【無意識】にフィードバッグして
>【原型】(典型的イメージ)が補強される−より強固になっていく、と。
わたしは、1999年に死ねなくて残念だったのだけれど(笑)、
たとえば、この「終末予言」をみんなが信じてしまったなら
どうなっていたの?(おまえは小学生か?w)
えーと、「補強」されることにどんな意味があるのかわからないので。
>>624 カオルさん
>えーと、「補強」されることにどんな意味があるのかわからないので。
意味はね…
単に『生存続行に有利な情報選択肢が増し【生存】という大目的を達成し易くなる』だけかなー(苦笑)
『既存の【原型】の影響力の増大』ってのを『補強』と言ったんだけどね。
>「終末予言」をみんなが信じてしまったなら
>どうなっていたの?(おまえは小学生か?w)
全くだ(苦笑)
まぁ、いいや。
この手の『終末予言』を信じたらどうなったかって?
『崩壊への加速度が増すかも知れない』が、残念ながら『即時に滅びる事はない』と思うよ。
こいつは【無意識】内の様々な要素(【原型】だけじゃなく【集積記憶】とか)が合成されて出てきたもんだからね。
破滅・死・崩壊・混沌・欲望・ルネサンス・キリスト教起源・ユダヤ・暦・神・悪魔・聖書・各地の神話・自然への畏敬…
他にも無数の要素がアリ(苦笑)
要素が【意識】上にのぼる事で、その影響を甘受するか反発するかは『価値観』というフィルターに左右されるから…
正確なとこは何とも言えないな。
まぁ、あのフィードバックによる【原型】の影響力増大ってのには善も悪も無いしね(苦笑)
でも、これで私が219氏に『意味が無い』って繰り返し言ってた理由分かる?
こんなのは所詮『【生】という一形態内での変化変容に過ぎない』って事だからね。
彼の言っている事なんて分かってるんだよ。
>ハルカへ
>全くだ(苦笑)
じゃぁ、全く次いでに?
「霊界」というのは「原型」とどのような関係なのでしょうか?
>>626 カオルさん
霊界ですか??
何か益々板違いになってくるな…(苦笑)
世に言う『霊界』=『現世的な肉体を有さない人々が存在する【世界】の一形態』でいいのかな?
有っても無くても知ったこっちゃない(苦笑)
【原型】ってのはそもそも『典型的イメージの集積』だからね。
だから『霊界』と【原型】の関連性と言われてもなぁ…直接の関連は無いんじゃないかな?
ただ、『霊界』を『【世界存在】の一形態』として考えるなら…
うーん。
この【現象界】よりも【原型】の影響力の大きい【世界】形態、だと思う。
あくまで【原型無意識】という基盤の上に【現象界】も『霊界』(?)も実存しているという感じかな?
>>627 ハルカへ
>何か益々板違いになってくるな…(苦笑)
えー、だってハルカはこっちの方が近道だって言ってたよ。プンプン
わたしには「悟り」と「霊界」は同じレベルなの! 怒る? 呆れる?
たとえば、カントは、スウェーデンボルグの「霊界日記」のことを褒めているんです。
「内容については肯諾はできないけれど、これほど理性的な本はない」といってます。
カント自身は、スウェーデンボルグの霊力(=超能力?)を信じていたようです。
また、カントは『視霊者の夢』(カント全集3 前批判期論集V 岩波書店)で、
スピリチュアリズムにたいしては、肯定も否定もしない、
第三の立場(形而上学)を選択することを宣言しているように思えます。
で、カントは霊界とか神とかを理性の向こう側「モノ自体」に預けてしまいました。
そうやって理性の限界をキチンと示したんです。それが『純粋理性批判』です。
ちなみに、ユングがスピリチュアリズムにたいして肯定的な態度をとるときなんか
『視霊者の夢』とかを典拠にしていたみたいです。
で、何が言いたいのかというと、哲学徒にとってユングはオカルトなんですよ。
>>628 >哲学徒にとってユングはオカルトなんですよ。
訂正 哲学徒にとって→わたしにとって
>>628 カオルさん
いや、私はいいんだよ?
ただね、ここでその手の話をすると騒ぐ輩がいるから予防線張っただけ(苦笑)
で、ここから本音を。
正直言って、この手の形而上の問題を突き詰めようとするならば『その手の感覚』『その手の能力』は不可欠です。
もっとハッキリ言えば、人知を越えたモノを『認めない人』は形而上問題を『的外れな解釈』で語る事しか出来ません。
>>630 ハルカへ
>『その手の感覚』『その手の能力』は不可欠です。
うん。それはわかるのだけど。(わたしにはないから・・・)
たとえば、スウェーデンボルグの「霊界」は別の何かに置き換えられない?
スウェーデンボルグの「霊」は「意識」と読み替えられない?・・・
こういう小手先のことは、
>形而上問題を『的外れな解釈』で語る事しか出来ません。
になっちゃうの?
哲学的にどうやって理解していけばいいのかわからないのです。
>ハルカへ
たとえばね、
>>287 >【意識点】が自己と対象の間を高速で往復する事で知覚/感情/思考が発生する…と。
思考や感情の集積や総体としての意識ではなく、
それらを成立させる働きとしての意識というのは、
無定義概念とする他ないというのが、今現在の哲学の到達点なのに、
さらに、その意識の原点みたいな奥深さの垣間見える【意識点】に
一体どうやって手をつけていったら良いものか、わからないのです。
ということなんです。だからレスできないの・・・。
>>631-632 カオルさん
>たとえば、スウェーデンボルグの「霊界」は別の何かに置き換えられない?
>スウェーデンボルグの「霊」は「意識」と読み替えられない?・・・(
>>631)
スウェルデンボルグの言う『霊』ってのは、決して【意識】そのものではない訳。
【肉体】という【実存】形態を有していないだけで、【芯】【我】【私】の三層構造である点では『我々』と同じなのさ。
つまり【生命】であるの。
だから『霊界』を置き換えるとしたら『【肉体】という形態を剥がした【生命】の存在する【世界】であり【実存】の一形態に過ぎない』となるかな?
>その意識の原点みたいな奥深さの垣間見える【意識点】に
>一体どうやって手をつけていったら良いものか、わからないのです。(
>>632)
ああ、これ誤解だ。
私も【意識】それ自体は何なのか分からないから無定義概念にしてるよ?
【意識】に対しての【意識点】というのは…そうだな。
顕現座標(噴出口)であると同時に、それ自体が一個の独立概念であるの。
ここいらは【存在】の顕現様式に似ているから、ちょっと対比させてみるね。
【存在】=【実存】(秩序顕現)+【虚存】(混沌顕現)
【意識】=【意識点】(秩序顕現)+【原型無意識】(混沌顕現)
こんな感じ。
>>633 ハルカへ
>【肉体】という【実存】形態を有していないだけで、【芯】【我】【私】の三層構造である点では『我々』と同じなのさ。
【我】【私】を除いた【芯】にある【意識点】=魂でいいの?
それから【意識点】と存在感覚(
>>287)の関係性がわかりません。
>>634 カオルさん
>【我】【私】を除いた【芯】にある【意識点】=魂でいいの?
ちゃう。
【魂】をどう解釈して定義付けるかにも因るんだが…
【魂】=『物質に宿り【生命】を形作る何か』とするなら、【魂】=【生命種】だよ。
【芯】【我】【私】の『三層構造』、もしくは【芯】【我】の『二層構造』がイコール【霊】なの。
>それから【意識点】と存在感覚(
>>287)の関係性がわかりません。
えーと…
【意識点】は『一個の独立概念』であり『独立存在』なの。
だから【肉体】や【固体化原理】などに縛られて固定される事は無いのね。
で、知覚する時ってのはこの【意識点】が高速で対象物との間を往復するの。
その【意識点】が対象へと移動している際には、『こちら』には【意識点】は『存在しない』のさ…ほんの一瞬だけ。
そうなると知覚認識作用の大本である【意識点】が存在しないわけだから、自己を認識しようとする『存在感覚それ自体の確認』が不能になるんだ。
だから『存在感覚が途切れる』の。
>ハルカへ
やっぱり実感の世界なのでしょうね。
能力のないわたしにとってはむずかしいな。
わたしは「意識点=存在感覚」と思っていました。
それが意識に求められるもっとも重要な役割だからです。
>>636 カオルさん
>わたしは「意識点=存在感覚」と思っていました。
>それが意識に求められるもっとも重要な役割だからです。
んーと…
私が言ってるのはね、存在感覚の『確認』の問題なの。
つまり【芯】の【意識点】が得た『情報』を【我】である【個体化原理】がどう『処理』するか…この問題。
存在感覚の『確認』ってのは、まず【意識点】が稼動して身体内部を瞬時に往復する訳。
そして、【意識点】が稼動により得た『情報』を【個体化原理】が種々の『処理』をして【認識】するの。
『ああ、私はココにいるな。存在しているな』ってね。
この『確認』は情報の『収集』『入力』『処理』『出力』と各段階を踏まなきゃならないのさ。
その中でも『収集』『入力』を担当してるのが【意識点】なの。
ココまでだけなら問題は無いんだ。
だけど厄介な事に『【意識点】の稼動』は本人の意思には関係しないんだ。
だから幾ら『存在感覚に集中しよう』としてもそれは無理なの。
【意識点】はイコール『存在感覚』ではないんだ。
『存在感覚』を持つのは、あくまで【我】=【個体化原理】だよ。
【我】の『情報処理の結果』に過ぎないんだ。
>ハルカへ
わたしの思いついたこと。
たとえば、存在感覚と存在感覚の間隙を「存在する/しない」の間隙とすると、
量子論の「存在する(粒子性)/しない(波動性)」の間隙という解釈が使えます。
存在感覚という観察対象の「観察行為 ⇒ 波動関数の収縮」における観察装置
としての身体の能力的限界(注意対象の固定化や注意の維持)と考えたわけです。
さらに、意識点を観測者と仮定するなら、観測者が個体化原理の作用によって、
自身を観測対象にしているということも考えられます。観測できるということは、
時の流れが前提されていますから、つまり観測者が過去に自己言及することが
可能になるんです。だから観測者(意識点)=観測対象(存在感覚)かもしれない。
とか・・・
あと使えそうなのが、ボームのホログラフィー理論。
【意識点】(秩序顕現)・・・ レーザービーム(意思?)
【原型無意識】(混沌顕現)・・・ ホログラム(世界のすべての情報)
【実存】(秩序顕現)・・・ 立体映像(仮想の実在)
【実存】は、個体化の原理によって限定された形態としてしか把握されないけれど、
また【原型無意識】との繋がりの程度によってレーザーのあたる 範囲が決まって
くるので、それによって【実存】の強度(生の充実感?)に差異はあるものの個体
(実存)は世界のすべてを体現している。
とか・・・
>『存在感覚』を持つのは、あくまで【我】=【個体化原理】だよ。
これだと、存在感覚は脳にある、でもOKになってしまいます。
わたしは、存在感覚を感じる主体を意識だと仮定しています。
>>638 カオルさん
んー…何と言おうか。
ちょっと考えますので、一端切り上げますね(苦笑)
>ハルカへ
638は、ほとんど練れてないです。m(__)m
基本になっているのは、↓のような構図です。
@【実存】----人間(の存在)----【虚存】
A【意識点】----人間(の意識)----【原型無意識】
>>633 @は、人間の存在仕方です。(これはもう済んでますね)
Aは、人間の意識は【意識点】と【原型無意識】に通じてないと辻褄が合わないので、
@と同じように考えました。
今日は長い時間ありがとうございました。
それじゃ、またね。(^.^)
>>638 >【実存】(秩序顕現)・・・ 立体映像(仮想の実在)
「仮想の実在」としての人間存在は、
@【実存】----人間(の存在)----【虚存】
>>640 @のイメージです。(色即是空)
>>628 >で、何が言いたいのかというと、哲学徒にとってユングはオカルトなんですよ。
勉強もしないでこれ良くないな。撤回します。(なんで心理学キライなのかな?w)
>>618 Sさん
流れたなら、流れたままにしてください。
>>619 カオルさん
>今頃219さんのいってることが理解できたよー。エヘヘ
219氏の主張は知らないけれど・・・
>動機に気づき続けること = 悟り、でいいわけなの?
一度でも、動機を見破ったなら、あとは、自動的に気づき続けます。
>Nさんにはもう訪れたのですか?
はい。あなたからすると、脳内麻薬中毒者でしょうか。
>わたしのままで安心する方法はありませんか?
誤解していますが、安心はわたしのままにあることです。
>>Nさん
はい。。。
>>643 Nさん
>一度でも、動機を見破ったなら、あとは、自動的に気づき続けます。
動機のないことに気づいてしまうこと−ニヒリズム。
体験によって気づかされたニヒリズムはキツイです。
論理的帰結としてのニヒリズムはごまかせるけどね。
ニヒリズムたるいなーと思うとモゾモゾうごきだす。
いつのまにか勝手に手足がしゃべりだす。わぁー!。
気ままな手足に嫉妬して−コラ!言うこと聞けバカ。
思い通りになった体を駆けめぐる生の充実感−躍動。
ニャー(うちの猫)はまた駈け出すくるくる回る寝る。
>はい。あなたからすると、脳内麻薬中毒者でしょうか。
うん。だってあなたはいつもそれをもとめているでしょ?
A10神経を思うままに操れたら楽しそうですけどね。(笑)
>誤解していますが、安心はわたしのままにあることです。
わたし以外のすべてにたいしてまったくひとかけらの愛も
感じないことがたまーにあります。そんなとき安心します。
>Nさん
自己闘争のない人間なんて生きてる意味ないと思います。
>カオルさん
>動機のないことに気づいてしまうこと−ニヒリズム。
それは真逆です。
動機はあります。それに、リアリズムです。
>だってあなたはいつもそれをもとめているでしょ?
>A10神経を思うままに操れたら楽しそう
また逆です。
求めている動機を見つけると、自動的に求めなくなります。
>すべてにたいしてまったくひとかけらの愛も
>感じないことがたまーにあります。そんなとき安心します。
またまた逆です。
>自己闘争のない人間なんて生きてる意味ないと思います。
またまたまた逆ですね。
意味づけしないために、妄想による葛藤がないのです。
ここまで来ると、わざと逆に解釈しているのでしょうか、真意なのでしょうか
>>638>>640-641 カオルさん
うろ覚えだった『ホログラフィ理論』をググってみました。
にゃーるほど…
>【意識点】(秩序顕現)・・・ レーザービーム(意思?)
>【原型無意識】(混沌顕現)・・・ ホログラム(世界のすべての情報)
>【実存】(秩序顕現)・・・ 立体映像(仮想の実在)(以上
>>638)
うーんと…近いけど何か違う。
まず【存在】つーものがあります。
同時に【意識】っつーものがあります。
この二つは元来は『単純な【在る】』ですから、個別存在も個別意識も一切ありません。
そこに【個体化原理】という名のレーザー光を干渉させます。
すると…
【実存】という名の『一』が−つまり、『個別世界』『個別存在』が浮かび上がってきます。
同様に【意識点】という名の『一』が−つまり、『個別意識』が浮かび上がってきます。
この際に基盤になった『全』の方には【虚存】【原型無意識】という名が付けられます。
分かります?
【実存】+【虚存】=【存在】じゃない。【意識点】+【原型無意識】=【意識】じゃない。
【存在】−【実存】=【虚存】であり、【意識】−【意識点】=【原型無意識】なんです。
これが『全は一・一は全』『色即是空・空即是色』なんですよ。
>>647 Nさん
>ここまで来ると、わざと逆に解釈しているのでしょうか、真意なのでしょうか
Nさんの言っていることが理解できていないということだと思います。
ハルカとの会話でもわかるように絶望的に理解できていないようです。
理解するということではないというのが結論なのでしょうけど・・・。
生はわたしを超えたところにあるようです。とても怖いです。
ニャーは今あたしのベッドのうえで寝ていますけど、朝起きたらまた走り回ります。
真意かどうか?
わからないです。素直にわたしの日常に照らして話しているつもりです。
>>630 >で、ここから本音を。
>正直言って、この手の形而上の問題を突き詰めようとするならば『その手の感覚』『その手の能力』は不可欠です。
>もっとハッキリ言えば、人知を越えたモノを『認めない人』は形而上問題を『的外れな解釈』で語る事しか出来ません。
かるーく絶望しています。どうにかしてください。
>>638 カオルさん
>わたしは、存在感覚を感じる主体を意識だと仮定しています。
こいつは違います。
思い切り否定させてもらう。
またトリックに引っかかってるね。いいかい?
『存在感覚』という『感覚』を『感じる=認識する』という事は…
この瞬間に『認識するモノ』と『認識されるモノ』に『二分される』という事なんだ。
この際の『認識するモノ』は【個体化原理】=【我】だ。
【個体化原理】がその有する性質によって種々の情報処理手順を行ない『認識』する。
『認識されるモノ』は『ここに、いる』という『感覚』だ。
それは【個体化原理】=【我】が『個別意識』=【意識点】=【芯】を『認識』しているんだよ。
>>648 ハルカへ
>まず【存在】つーものがあります。
>同時に【意識】っつーものがあります。
>この二つは元来は『単純な【在る】』ですから、個別存在も個別意識も一切ありません。
ふたつは別物なのですか?
>そこに【個体化原理】という名のレーザー光を干渉させます。
レーザー光を「干渉させる」= 生命種を植え付ける <--- 上位生命の意思?
>すると…
>【実存】という名の『一』が−つまり、『個別世界』『個別存在』が浮かび上がってきます。
>同様に【意識点】という名の『一』が−つまり、『個別意識』が浮かび上がってきます。
>この際に基盤になった『全』の方には【虚存】【原型無意識】という名が付けられます。
>分かります?
はい。
>【実存】+【虚存】=【存在】じゃない。【意識点】+【原型無意識】=【意識】じゃない。
>【存在】−【実存】=【虚存】であり、【意識】−【意識点】=【原型無意識】なんです。
>これが『全は一・一は全』『色即是空・空即是色』なんですよ。
よくわかりません。考えてみるけど。
>>650 ハルカへ
>『認識されるモノ』は『ここに、いる』という『感覚』だ。
>それは【個体化原理】=【我】が『個別意識』=【意識点】=【芯】を『認識』しているんだよ。
『ここに、いる』という(存在)『感覚』は、【我】の取得する外界情報として
独立しているということなの?
>>651 カオルさん
>ふたつは別物なのですか?
ええと…『同でありながら別・別でありながら同』です。
分かんないかな?(苦笑)
>レーザー光を「干渉させる」= 生命種を植え付ける <--- 上位生命の意思?
そのイメージでいいと思います。
>>【実存】+【虚存】=【存在】じゃない。【意識点】+【原型無意識】=【意識】じゃない。
>>【存在】−【実存】=【虚存】であり、【意識】−【意識点】=【原型無意識】なんです。
>>これが『全は一・一は全』『色即是空・空即是色』なんですよ。
>よくわかりません。考えてみるけど。
うーん…順番が違う、と言えばいいかな?
【実存】という顕現様式と【虚存】という顕現様式の二つを合わせて【存在】と呼ぶ訳じゃない。
【存在】という『全』から【実存】という『一』を浮かび上がらせた『残滓』が【虚存】と名付けられただけの話。
【実存】も【虚存】も、初めは区別など無かった。
ただの【在る】=【存在】だった。
そこに【個体化原理】という『干渉光』があって初めて【実存】が生まれた。
その『全』から個別の『一』を差し引いた後の『残滓』として【虚存】が生まれた。
こういう事。
>>652 カオルさん
>『ここに、いる』という(存在)『感覚』は、【我】の取得する外界情報として
>独立しているということなの?
その通り。
個別の独立した情報です。
これが『ここに、いる』じゃなくて『ただ、ある』なら話は違いますけどね(苦笑)
>>653 ハルカへ
>ええと…『同でありながら別・別でありながら同』です。
>分かんないかな?(苦笑)
何となくわかるけど、いきなり説明されたんだよ!
こっちの身にもなってください。
>そのイメージでいいと思います。
やっぱり生はわたしを超えてるんだね。不快感で一杯だけど納得です。
>その『全』から個別の『一』を差し引いた後の『残滓』として【虚存】が生まれた。
四則計算で説明するのは、どうかなーと思います。
人間は、実存と虚存のあいだに立っているのでしょ?
>>654 >その通り。
うわぁー! 青天の霹靂。目から鱗です。
でも、個体化の原理と折り合いつけるの大変。
>>655 カオルさん
特にココ!
>人間は、実存と虚存のあいだに立っているのでしょ?
これ、ちゃう!
前から言っている通り『【実存】と【虚存】の両者を有しているのが【生命】』なの!
『あいだに立っている』んじゃないの。
両者を持ち合わせているの。
(ま、両者を共に有す=あいだに立つ、ならその通りなんだけど…<こっちの意味?)
>>656 ハルカへ
もちろん、そっちの意味です。
>>657 ならば、改めて。
だからね、んーと…
>四則計算で説明するのは、どうかなーと思います。(
>>655)
これは『一』である【実存】【意識点】より、『残滓』である【虚存】や【原型無意識】の方が遥かに巨大で深遠だよ、という事を伝えたかったの。
そんだけだから。
>ハルカへ
ハルカは、気づいていますか?
スゴイこといっぱい言ってくれちゃってさー。
あーあ「重ね描き」する方としては途方に暮れてしまいます。
いまハルカ論はとても他人には見せられませんってマジで。(笑)
ひつだけ確認。
意識点の「属性」を「いま」「ここに」「ある」と考えていいのね?
>>660 訂正 ひつだけ確認。 → ひとつだけ確認。
>>660 カオルさん
>意識点の「属性」を「いま」「ここに」「ある」と考えていいのね?
【意識点】自体の『本来の』属性は『・』だよ。
【個体化原理】の作用によって遊離稼動してるから『いま』『ここに』『ある』なの。
>>662 ハルカへ
『・』って何? 無?
『いま』『ここに』『ある』が客体化された情報であることはいいのです。とりあえず。
でもね、
@『いま』・・・ 時間
A『ここに』・・・ 空間
B『ある』・・・ 存在
なのです。
@もAも個体化の原理のメインディッシュです。(笑)
ふつうは、知覚情報の集積(経験の積み重ね)によって
生成される相対概念ととらえるのが論理的なんですよ。
絶対時空はそこから導かれた新たな概念に過ぎない。
>>663 カオルさん
『・』は『時間』は無関係です。
『空間』も無関係です。
『ただ、いる』だけです。
>>664 ハルカへ
>『・』は『時間』は無関係です。
>『空間』も無関係です。
>『ただ、いる』だけです。
降参。
>>ハルカさん
「わたし」の感覚しか捉えられない者(S)からの戯言です。
ボクが「わたし」に拘るのはね、凡庸な感覚しかないという制約からでもあるけれど、例え多少なり、
「視る」能力があっても、どこまでもそれは「わたし」から逆算した「わたし」の延長世界でしかないと
思うからです。(悟りの側の言う、それが真逆なのだという指摘はわかります。)
「わたし」の背後に広大な無意識の領野が、その背後に全ての源たる「ある」が控えていて、「わたし」
はそうした一者からの流出だとして、それを捉えているのは(たとえ主客合一しようが如何なる能力者
だろうが)有限なる「わたし」でしかない。だから例えばハルカさんの語る度外れた体験知も、それが
全てとはとても思えないし、その背後には(「ある」も含めて)「わたし」の体験、想定の遠く及ばない、
入れ子の未知世界が控えているように思います。懐かしい我が家「お母さん」と思ったそれにも「お母
さん」はいるでしょう。有限なる「わたし」の捉えた認識限界が、そのまま世界の起点であると思うほう
が無理がありますから。そして「ある」という体験、想定概念すら、「わたし」の認識限界そのものなの
だと思います。
(続き)
ありていに言えば、通底しているという「ある」という世界すら、喩えれば上部構造におけるひとつの
細胞、ひとつの粒子、ひとつまばたきに過ぎないのであろうということ。「わたし」がひとつの仮象なら、
「ある」という世界すらひとつの仮象に過ぎないであろう、ということです。「ある/ない」、解脱と想定
されることもまた同様に思います。出たーー!!と思ったら楽屋裏だったなんてオチ。。。
何が言いたいのかというと、手を変え品を変え何に帰属しても依存しても、結局「苦」そのものは変わら
ないのだろうということです。別に「苦」という認識でなくてもいいのですが、「わたし」であることも、「ある」
であることも、恐らくはそうではない別のことどもも、変わりはしないし逃げ場もない、ということです。
そして、苦しいとわめきながら、肉を食らい合い、苦を撒き散らす「わたし」。もし「わたし」として関わる
世界で駄目なら、逃げ出しても何処へ行こうとそれは変わらないと思うのです。(「脱却」ってなんでしょうね?)
ボクが「わたし」を引き受け踏み止まる理由です。おかしいかなぁ?
>>じゆんさん
言うまでもないと思うけれど、スレは常に開かれています。。。
それは向こうのスレも、、、ね。
世界のありようも生のありようも「わたし」を超えたところにあるのでしょう。
「わたし」は中途に投げ出された仮象ですから。
とても怖いです。挫けてしまいそう。
でも視えない絶望はどこまでも変わらないとボクは思います。
たとえ合一しても点に静止しても、一体何が変わるというのでしょうか?
「お母さん」に抱かれれば安心なのでしょうか?
「わたし」は連関としての「わたし」でもあるけれど、固有の「わたし」でもあるのです。
「わたし」の葛藤は「わたし」の存在証明、「わたし」の自律宣言です。
>>649 カオルさん
>Nさんの言っていることが理解できていないということだと思います。
混乱させたようですいません。
私の言うことは、理解など不要です。
>わたしのままで安心する方法はありませんか?
もし、これを望むなら、自身の心を理解することです。
日頃、いつも、思い浮かべていることや、怒りはなぜ、湧いてくるのか。
自身の思いの原因を見つけることです。
この解決には他人の体験談はあまり役に立ちません。
また、他人が助けることもできません。
せいぜい、ヒントを出せるぐらいです。
なぜなら、その人独自の問題だからです。
ここに書いても仕方ないのですが、自身の思いの原因となる動機はあります。
それは「恐れ、恐怖、不安」です。
この動機によって発生した思いが、すべてを、ありのままに見せず、汚濁させるのです。
>Sさん
あなたが"生きたい"と望んでいるのです。
スターダストの軌跡を残したいのです。
あなたのためにじゃなく愛のために。
裏切られるためにじゃなく信じるために。
ひとりで泣いた夜のことを忘れられないから。
現実は生きるためにあるのです。
それ以上のことを望むから殺し合います。
理想などかかげるから傷つけ合います。
でももうケモノには戻れないのです。
教育されたケモノ−生を悪に染めた魔物−人間。
あなたがどのような集団にも帰属せず、
どのような集団の規律にもしたがわず、
どのような公的意識も捨て去れるなら、
あなたは狂人か人殺しになるでしょう。
あなたは愛する。
あなたは信じる。
なぜ?
あなたは生を超えて、"生きたい"のです。
>>670 Nさん
>それは「恐れ、恐怖、不安」です。
生まれたくなかったのに生まれてきた。
望まれて祝福されて愛に包まれながら。
>ハルカへ
意識点の動き(→知覚情報)の、脳での認識のされ方が『いま』『ここに』『ある』でないなら、
『いま』『ここに』『ある』はどこから来たのですか?
意識点自体はモノ自体でかまわないけど、
認識レベルでの属性は『いま』『ここに』『ある』なのでしょ?
でないと矛盾してしまいます。
だから、それが
>『いま』『ここに』『ある』が客体化された情報であることはいいのです。
ということ。もう少し説明すると、
(仮の)認識する主体である「自我」が『いま』『ここに』『ある』と意識できるのではなくて、
認識される情報自体が『いま』『ここに』『ある』と感覚される「意識」の情報だということ。
つまり、『いま』『ここに』『ある』という感覚情報は、あたかも今この瞬間に自我の意識が
主体的にそう感じたかのように錯覚されるような形式で、つねに前もって脳に刻まれた
過去の痕跡であり、志向性と共に再生-照合される「記憶」だということです。
言いかえるなら、『いま』『ここに』『ある』は、「非現前的」なものの「現前性」であって、
つねに過去(記号)に汚染されることによって、むしろその「反復可能性」が保証されて、
「存在(≒意識点)」との「自己同一性」が保たれているのではないか、ということです。
けれど、それをふまえても、やはり
>>663のような疑問は出てきてしまいます。
ハルカのいい方だと、意識点の動き(→知覚情報)自体に『いま』『ここに』『ある』
という(認識のされ方を必然とする)情報が含まれていることになるからです。
また、そうではないとしてしまうと『いま』『ここに』『ある』はどこから来るのかしら?
という話になってしまいます。
これは、ハルカの論が間違っているとかそういうことじゃなくて
簡単にいってしまうと『いま』と『ここ』と『ある』は、すでに言語による概念なのだから、
『いま』『ここに』『ある』の起源や生成過程を省いてしまった議論は、性急すぎるのです。
>ハルカへ
わたしには、ハルカ論を意識的に理解しようとしないところが
あるかもしれません。それはやっぱり哲学的な「重ね描き」を
したいからだし、信じるだけなら始めから信じているのだから
議論は必要ないでしょ?
べつにあなたに媚びているわけじゃないけれど確認のため。
わたしの解釈が使い物にならないなら、そう言ってください。
それじゃ、おやすみなさい。
>>671 カオルさん
もううんざりしているのです。「わたし」という監獄。
でもね。せめて生まれてしまった子は認知したいのです。
なにもかも捨ててしまいたい。けれど無邪気に戯れるあの子はやっぱり否定できないから。
かけがいのない子。。。
ケモノの壮絶な生存競争。智恵をつけた人間の圧倒的な支配、「わたし」の暴力。
何の為でもなく、ただそう望むだけ。無窮の抗争を繰り広げる回転する糸車。
自業自得。救いのない永劫の回帰。逃げ場なんてない。
「誰か」のせいにしても、たとえ「虚無」に逃げても、この世界は変わらない。
いいえ、ここが不条理に満ちているなら、見知らぬそこも不条理が待つでしょう。
どこにも逃げ場なんてないのです。
糸車は悲しみを紡ぎました。それが倫理というあだ花。
捨てられた子を認知するには、まず自分から愛さねば。自分から信じねば。。。
強制では何も変わらない。ただ自分を示すこと。学ぶこと。寛容であること。先の見えない道のり。
今のボクは倫理の果てに「脱却」を見ます。
>>675 Sさん
>今のボクは倫理の果てに「脱却」を見ます。
倫理は、人がどうしようもない生き物であることの証です。
倫理は、神との対話です。
人殺しの酒鬼薔薇だって神と対話をしていました。
彼にとってたったひとりの他者−バモイドオキ神と。
神は、いつもわたしではなくてあなたなのです。
神もいなくなってしまったらわたしもいなくなる。
神は、孤独からわたしを救ってくれるのです。
神は、わたしがわたしでいてもいいことの言い訳。
倫理は、わたしがわたしのわがままを許すための装置。
神がいなかったら、わたしは醜くないし、悪くもない。
もしも人がケモノなら悲しみを紡ぐことも倫理を見出すこともなかったでしょう。
無邪気で無垢なるケモノ。醜くないし、悪くもない。
免罪符は偽善。それは倫理じゃないと思う。
倫理は「わたし」を許さないのです。
>>677 Sさん
>もしも人がケモノなら悲しみを紡ぐことも倫理を見出すこともなかったでしょう。
>無邪気で無垢なるケモノ。醜くないし、悪くもない。
うん。それにケモノは死なない。わたしでないから。
>免罪符は偽善。それは倫理じゃないと思う。
>倫理は「わたし」を許さないのです
免罪符?
そんなこと書いてないけど?
「わたし」がどうしようもないから、糸車は悲しみを紡ぎました。
それでも糸車は止まらない。だから倫理はあだ花なのです。
「他者」は「わたし」の身近に溢れています。
「わたし」に至らねば「他者」を見出すこともありません。
「わたし」が自覚しなければ、「他者」などどうにでもしてしまえます。
「他者」は「わたし」を正当化する「わたしの神様」ではないです。
「他者」は決して触れ得ざる者。かけがいがないです。
「他者」は「わたし」の暴力に訴えます。
倫理は、わたしがわたしのわがままを許さない。免罪符なんかじゃない。
>>680 訂正
倫理は、わたしのわがままを許さない。免罪符なんかじゃない。
>Sさん
わたし免罪符とか言ってないけど・・・?
少年Aのように、他者とのつながりが断たれてしまうと
「わたし」は、透明になって消えてしまいます。
少年Aに残された最後の他者がバモイドオキ神でしょ?
バモイドオキ神がいたから、透明であっても存在できたんじゃないの?
「わたし」として。
神=倫理は、「わたし」を存在させるための「言い訳」でしょ?
神=倫理は、「わたし」の許されない生=「わがまま」を許すための(言い訳)装置でしょ?
すべての「他者」がみえなくなっても、「わたし」は「わたしの神様」と対話するでしょう。
それは「他者」じゃないと思います。
「わたし」が痕跡の向こうに「他者」を見出す時、「他者」の訴えは「わたし」の暴力を露わにします。
「わたし」が自覚し、その訴えに「応答」するのがボクの思う「倫理」。
「倫理」を突き詰めれば、「わたし」は焼き尽くされるでしょう。
ボクの思う「倫理」はけっして神様の「倫理」ではなく、「存在者」の「倫理」です。
「他者」は森羅万象すべてです。
「わたし」が「他者」を見出す時、「わたし」はその訴えに全方向から包まれます。
>Sさん
あなたにも、わたしにも、存在する価値なんてない。
あなたにも、わたしにも、生きて良い理由なんてない。
贖罪なんてできない。
罪を思いつき、適当な罰を与えて・・・わたしでいたい、生きていたい。
わたしは、自己という他者と対話することによって、わたしでいられるのです。
最後にすがりつく他者が、神さま=自己。
言ってること同じような気がするけどな?
にゃーさんは「わたし」の独我世界の他者ですか?
にゃーさんは「わたし」の独我世界に痕跡を残し続け訴える、
「わたし」の外側の触れ得ざる「他者」です。
寝ますにゃ。
第三者視点で言わせてもらえば…
同じだよ、二人とも(苦笑)
単に表現が違うだけ。
>Sさん
あなたとわたしは根源的なところで通底しています。
わたしはあなたとの関係によってわたしでいられると同時に
あなたとわたしの関係はあなたとわたしの絶望的断絶によって成立しています。
>ハルカ
だよねー(笑)
>>689 カオルさん
>あなたとわたしは根源的なところで通底しています。
>わたしはあなたとの関係によってわたしでいられると同時に
>あなたとわたしの関係はあなたとわたしの絶望的断絶によって成立しています。
そうですね。
>>682 カオルさん
>神=倫理は、「わたし」を存在させるための「言い訳」でしょ?
>神=倫理は、「わたし」の許されない生=「わがまま」を許すための(言い訳)装置でしょ?
a 「神=倫理」によって「わたし」は既に存在しすべてを許されています。(なんでもありです。)
b 「存在者(他者)=倫理」によって「わたし」は自覚し、「わたし」は許されざる者となります。
>>685 カオルさん
>あなたにも、わたしにも、存在する価値なんてない。
>あなたにも、わたしにも、生きて良い理由なんてない。
>贖罪なんてできない。
既に神に投げ出されて存在しそれ自体で肯定される「わたし」がそのように転換するのは、
「わたし」が「わたし」を自覚し、「他者」の呼びかけから「わたし」の暴力を肯定できなくなるから。
それでも a 罪を思いつき、適当な罰を与えて・・・わたしでいたい、生きていたい。(免罪符)
けれども b 「わたし」の暴力=「わたし」そのもの=罪・・・わたしでいられない。
>Sさん
>a 「神=倫理」によって「わたし」は既に存在しすべてを許されています。(なんでもありです。)
>b 「存在者(他者)=倫理」によって「わたし」は自覚し、「わたし」は許されざる者となります。
a.わたしの座を神に保証してもらう。≠ 許されている。
b.倫理は性悪なる者のものである。= 人間は許されざる者である。
>>691 >既に神に投げ出されて存在しそれ自体で肯定される「わたし」が
わたしの絶対否定 ⇔ コギトの確信 ⇔ 絶対肯定の神
>それでも a 罪を思いつき、適当な罰を与えて・・・わたしでいたい、生きていたい。(免罪符)
>けれども b 「わたし」の暴力=「わたし」そのもの=罪・・・わたしでいられない。
倫理を免罪符として利用する。 ≠ 倫理は免罪符。
>Sさん
Sさんは、世界を愛してる。わたしは、愛していない。のちがい。
えと、ちょっと整理。
Sさんの言う >「わたし」という監獄(
>>675) が >無窮の抗争を繰り広げる回転する糸車(
>>675) に例えられてる訳でしょう?
で >糸車は悲しみを紡ぎました。それが倫理というあだ花(
>>675) となって…
結局は 『倫理』=『わたし』を認知するのに必要なもの と言ってるのだよね。
んで、カオルさんは >倫理は、人がどうしようもない生き物であることの証です(
>>676) と前述のSさんの言明を補強し…
そこから更に >倫理は、神との対話です(
>>676) と言っている。
この『神』は『自己の内なる存在』であり、それは『自己憐憫だ』とまで発展させている。
この『自己憐憫』は『自己が自己である事への諦観』であり『自己存在の許可の為の意識的言及』となる。
その後にSさんは >「他者」は「わたし」を正当化する「わたしの神様」ではないです(
>>679) としている。
これは逆説的に『わたしを正当化する存在は他者ではない=わたしを正当化する存在は自分だ』という意味になる。
これにより、『自己』=『唯一の自己正当化許可をもたらす存在』となる。
更に >「わたし」は「わたしの神様」と対話するでしょう。それは「他者」じゃないと思います(
>>683) として『神』=『自己内部存在』に同意している。
これってば…同じだよね?(苦笑)
>>673 カオルさん
>(仮の)認識する主体である「自我」が『いま』『ここに』『ある』と意識できるのではなくて、
>〜(中略)〜
>「存在(≒意識点)」との「自己同一性」が保たれているのではないか、ということです。
そうですそうです。
『いま』『ここに』『ある』という認識は【集積記憶との比較対照の結果としての産物】です。
>ハルカのいい方だと、意識点の動き(→知覚情報)自体に『いま』『ここに』『ある』
>という(認識のされ方を必然とする)情報が含まれていることになるからです。
>また、そうではないとしてしまうと『いま』『ここに』『ある』はどこから来るのかしら?
>という話になってしまいます。
むむむ?
>存在感覚の『確認』ってのは、まず【意識点】が稼動して身体内部を瞬時に往復する訳。
>そして、【意識点】が稼動により得た『情報』を【個体化原理】が種々の『処理』をして【認識】するの。
>『ああ、私はココにいるな。存在しているな』ってね。
>この『確認』は情報の『収集』『入力』『処理』『出力』と各段階を踏まなきゃならないのさ。
>その中でも『収集』『入力』を担当してるのが【意識点】なの。(
>>637)
↑これ、読み飛ばしてない?
【意識点】が【個体化原理】の作用によって遊離稼動して『情報』を収集するの。
まったく加工されてない『素の情報』をね。
その収集した『情報』を【個体化原理】に入力するんだよ。
【意識点】の役割はそこまで。
ここまででは『いま=時間』も『ここ=空間』も『決して認識されない』のさ。
【意識点】(実存)の背後にある【原型無意識】(虚存)との比較として必然的に発生する『いる=存在』以外は。
だから『いま』『ここ』は『【個体化原理】の作用(集積記憶との比較対照、照合)により発生する認識』なの。
>>666-667 Sさん
レス前後してスマソ。
ええと…
何か凄まじく思い込んでませんか?
特にココ!↓
>何が言いたいのかというと、手を変え品を変え何に帰属しても依存しても、結局「苦」そのものは変わら
>ないのだろうということです。別に「苦」という認識でなくてもいいのですが、「わたし」であることも、「ある」
>であることも、恐らくはそうではない別のことどもも、変わりはしないし逃げ場もない、ということです。(
>>667)
これ!
私がいつ『悟れば(脱却すれば)【苦】が消え去る』と言いましたかー?
私は『悟っても【苦】は消えないよ。ただ【苦】について心底から”どうでもいいや”と思えるだけだよ』と言ってるの忘れました?
『悟っても、結局として【個】の【苦】は変わらないし、【生】の【苦】も変わらないよ』と何度言ったでしょう?
『ただ唯一、死後に生命からの卒業が出来るだけだよ。存命中は【生命】としての【苦】は変わらず残るよ』と。
過去から何度も何度も『私が』言っている台詞を…形を変えて『私に』言うのですか?(苦笑)
だから、そんなのは分かってるんですよ!
その上で『自律などと言っても、それは単なる自己憐憫に過ぎない』って言ってるのですから…
分かります??
『わたし』という【存在】の全てを甘受した上で言ってるんですよ。
>>691 カオルさん
少し保留させてください。
>>692 カオルさん
>Sさんは、世界を愛してる。わたしは、愛していない。のちがい。
酷いこと言うと、ボクはこんな人類なんてこんな世界なんて滅んでしまえって思っています。
でもかけがいない子を前にすると否定がどうしてもできない。たとえボクを散々貶めたあの人も。
棒を飲む思いでボクは叫びます。「みんな大好き。」
カオルさんはにゃーさんを否定できますか?かけがいない子。
店子と言えば子も同然。請け負った小動物なら子も同然。
>>693 ハルカさん
そうですね。
>>695 ハルカさん
>『悟っても、結局として【個】の【苦】は変わらないし、【生】の【苦】も変わらないよ』と何度言ったでしょう?
>『ただ唯一、死後に生命からの卒業が出来るだけだよ。存命中は【生命】としての【苦】は変わらず残るよ』
>『わたし』という【存在】の全てを甘受した上で言ってるんですよ。
そうですね。理解してるつもりなのです。
(つづき)
「苦」を預かり知らぬ強制された枠組みとして捉えると、
ここ(現象世界)でのことも、そこ(存在世界)でのことも、
或いは恐らくはそうではない別(虚無であったりその他想定外の世界)のことども、
どこへ帰属しようと変わらないのだろうな、と思うのです。(隣の芝生というやつ。)
勿論、帰属する世界が変われば、「わたし」「生物」としての「苦」という概念ではありませんけれど。
或いは物理世界において、例えば振動宇宙がシャッフルされて新たな宇宙に生まれ変わっても、
向こうのスレでカオルさんが言うように、解脱とは思えないです。そこでは相変わらず「ある」という
強制された枠組みのもとでの「苦」は変わらないでしょう。永劫回帰と捉えられるかは解釈ですけど。
上記したような「苦」からの脱却の不可能性を思うと、ここよりそこへ、という類の脱却志向は
今のボクには見出せないのです。預かり知らぬここも駄目なら預かり知らぬそこも駄目だろう。
(ハルカさんが虚無を目指すのはそれを甘受しても、ここよりそこへ、と志向するからですよね?)
そうした救いのない諦観にあっては、返って、ここで駄目ならそこでも駄目だろうと思うに至るのです。
逃げ場がないなら踏み止まって引き受けてみよう、ここで抗ってみようってね。
それが今のボクの脱却への想い。ハルカさんとは異なる脱却の試み。それを伝えたかったのです。
>>691 カオルさん
a 「神=倫理」 (・・倫理なのだろうか?)
ボクがここで捉えているのは投げ出された側としての視点です。
コギトであろうとなかろうと、なんらの仕方で既に機能している世界のありよう全て。
「わたし」が成立しているなら、「わたし」の望むままが保証されています。
個体化世界におけるエゴイズム(個体化存在者の自己保存、自己展開) なんでもあり。
わたしの絶対否定 ⇔ コギトの確信 ⇔ 絶対肯定の神 なんでもあり。
エゴに基づく功利価値、個々のエゴと状況により変化する相対価値 なんでもあり。
罪を思いつき、適当な罰を与えて・・・わたしでいたい、生きていたい なんでもあり。
こんな人類なんてこんな世界なんて滅んでしまえ なんでもあり。
b 「存在者(他者)=倫理」
ボクがここで捉えているのは引き受けた側としての視点です。
わたしの自覚。エゴイズムを越えた個体化の原理の看破と超越としての他者への眼差し。
わたしはあなたであり、あなたはわたしでない、という同胞と畏敬としてのかけがいなさ。絶対価値。
「わたし」の暴力の不可避=「わたし」そのもの=性悪なる者(許されざる者)=罪
倫理を免罪符として利用してしまうと、倫理は相対的なものとして形骸化。倫理ではなくなってしまう。
>>694 ハルカへ
うん。だから意識についてはなにも言えないんだよねー。
>>696 Sさん
>酷いこと言うと、ボクはこんな人類なんてこんな世界なんて滅んでしまえって思っています。
ほんとうにそう思えてますか?
そう思わない人が沢山いるよ?
わたしは類とか種に還元されるだけでいいや。
もう二度とわたしが生まれないならそれでいいです。
>でもかけがいない子を前にすると否定がどうしてもできない。たとえボクを散々貶めたあの人も。
>棒を飲む思いでボクは叫びます。「みんな大好き。」
脳内麻薬のせいでみんなを好きになることはときどきあります。
もともと嫌いになったり憎んだりすることが不得意みたいです。
ちゃんと嫌いになったり憎んだりするように心がけています。
>カオルさんはにゃーさんを否定できますか?かけがいない子。
にゃーのなにを否定するのですか?
にゃーはただ生かされているだけ。
かわいそうだなぁーとは思うけど。
>>699 Sさん
むずかしくてよくわかりません。ごめんなさい。
>>699のaは、与えられた個体化現象に基づく、剥き出しのエゴイズム(個体化存在者の自己保存、自己展開)の世界。
世界を投げ出された存在者の誰も生み出せない。この事態そのものを「神=倫理」と言わずにはいられないです。
けれど、与えられたエゴは人間ですら無垢であり善悪の彼岸にある意味で、「倫理」ではないように思います。
人間が利害調節で設けている規範は、自己正当化の為の形を変えたエゴイズムに過ぎないです。
「わたし」の内在神との対話(バモイドオキ神、内なる定言命令)もまた同じに思います。
>>699のbは延々と繰り返されるaの事態を自覚した存在者によって紡がれた、存在者の悲しみ。
aの事態を「神=倫理」とするなら、これに抗する「存在者=倫理」と言わずにはいられないです。
共苦によるエゴイズムの克服としての、個体化の原理の看破。
共苦ですら相容れない、他者の「他者性」の看破。「わたし」の暴力の不可避。
そうした「わたし」を自覚し自律「責任」を負うからこそ、「わたし」=性悪なる者(許されざる者)=罪となります。
倫理がエゴを完全に凌駕する時、「わたし」は焼き尽くされるでしょう。
無茶苦茶かなぁ???
>>701 カオルさん
>酷いこと言うと、ボクはこんな人類なんてこんな世界なんて滅んでしまえって思っています。
っていうのは、カオルさんと違って、「わたし」が消えたあとでも形を変えて永劫の苦に拘束される
と恐れる、ボクの究極のエゴイズム。苦の根本解決には回転する糸車そのものを一挙に消去する
しかありえないから。勿論そんな力は個体化存在者には微塵もないですし、仮にもそんな「わたし」
の暴力をボクが行使できるはずもないのです。ちゃんと嫌いになったり憎んだりするのはボクには
無理なのかも。だから"ほんとうに"はそう思えてないのでしょう。
>にゃーのなにを否定するのですか?
>にゃーはただ生かされているだけ。
ボクもカオルさんもただ生かされているだけ。人形であるには多少不相応なだけ。
でも存在者の立場として、にゃーさんだってボクだってカオルさんだって等しく"生きている"って思います。
カオルさんが世界を愛していなくても、>わたしは類とか種に還元されるだけでいいや、
というカオルさんなら、にゃーさんを否定する必要はありませんでした。余計な詮索でした。m(__)m
>>703 訂正
× 人間が利害調節で設けている規範は、自己正当化の為の形を変えたエゴイズムに過ぎないです。
○ 人間が利害調節で設けている規範は、形を変えたエゴイズムに過ぎないです。
>>703 Sさん
ごめんなさい。余計に理解できません。
>>699 >倫理を免罪符として利用してしまうと、倫理は相対的なものとして形骸化。倫理ではなくなってしまう。
ここだけわかります。
倫理は行為そのもののことだと思います。
行為そのものは相対化されることがないです。
>>704 Sさん
>「わたし」が消えたあとでも形を変えて永劫の苦に拘束されると恐れる、ボクの究極のエゴイズム。
素粒子になった自分のことまで心配しなくていいと思います。
>ちゃんと嫌いになったり憎んだりするのはボクには無理なのかも。
こういう当り前のことがちゃんとできないから一人前になれないのだと思います。
こういった心の弱さがエゴイズムそのものなんだとわたしは思います。
>倫理を免罪符として利用してしまうと、倫理は相対的なものとして形骸化。倫理ではなくなってしまう。
ボクが思うのは、存在者のかけがいのなさ(価値)が比較されてしまうこと、
それは相対的なものとして形骸化してしまうということです。
でも実際には応答するにも有限なる「わたし」はあれかこれかと選択する。
「わたし」は常に、かけがいのない存在者を冒涜しているのです。
>>707はボクとカオルさんの違いなのだと思います。
カオルさんはカオルが崩壊すればゲームオーバー。
ボクはボクと関わる連関に等しく自身をみるのです。
それがカオルさんにとって不合理であり、心の弱さに映るのでしょう。
>>692のご指摘はやっぱり的確なのかなあ、、、
ボクは a あてがわれた枠組みとしての踊り続ける世界を否定するのです。
でも b 存在者として引き受ける世界として肯定したい。
その肯定を突き詰めると「わたし」の脱却へと繋がるはずです。
結局aとしての無垢なる世界だけが残り、bは敗れるでしょう。
倫理は世界の否定と脱却を指し示して、ただ行為されるのだと思います。
生の問題を解決するには、
aとして無垢なるエゴに溶け込むか、bとして倫理的な実践に脱却を求めるか、
いずれかのように思います。
その中間をさ迷うゆえに、苦は続くのだと思います。
>Sさん
わたしだって特定の誰かなら好きになれます。
特定の誰かだからかけがえのない人なのです。
その気になれば嫌いな人だって沢山つくれるでしょ?
その沢山の人はそれなりの人だけど
そのなかに憎めるほどの人がいたら
その人もやっぱりかけがえのない人なんです。
>>712 カオルさん
>>436にボクの思いが、、、
割りきれないのは一人前じゃないのでしょうか。そんなに簡単なことなのかなぁ。
そうなんですよね。
「好き」と「憎しみ」は、愛着による同じエネルギーなんですよね。
それが、どう評価するかで、そのエネルギーの方向性、感じ方が変わるのですよね。
受け入れたら、「愛」になり、受け入れられない、認められないとなったら「憎」になる。
愛着と認められないという心の葛藤。これが「憎」なんですね。
みんな大好きというのと、あの人は特別というのは次元の差で両立するのではないでしょうか。
ただし有限なる「わたし」は特別としてあれかこれかと応答を選択するので、
その「わたし」の暴力は罪として消えない、ということです。
>Sさん
体当たりでぶつかった相手(仕事でも勉強でも遊びでも何でも)しか
かけがえのない存在にはなりませんよね?
このかけがえのなさが沢山つくれると人生に執着できるはずなんです。
で、やりきることができたら執着も消えるのだと思います。
というコースをふつうは・・・まぁ肉の世界での話なんですけどね。(苦笑)
ほとんど☆キキ+キ゚Д゚♪さんの意見と同じなんだなぁーこれが。(笑)
>>715 Sさん
>みんな大好きというのと、あの人は特別というのは次元の差で両立するのではないでしょうか。
両立するなら、その人は神さまじゃないかしら?
だから、マザーテレサとかがノーベル"平和"賞もらうんでしょ?
わたしは、"平和"とか"みんな"とかに感心がないのです。
>>714 Nさん
こんばんわ。
わたしは愛着したいです。
ふつうに生きてみたいなって思うから。
>>カオルさん
どちらか一方だけで成立するとは思いませんけれど。
或いは個々の総体としてバランスは取られていると思います。
>>715 Sさん
>その「わたし」の暴力は罪として消えない、ということです。
うん。
原罪ですね。
贖罪は不可能です。
せめてできることといったらさっさと食物連鎖の環から抜けることくらい。
だから、倫理は言い訳なんです。
>>719 Sさん
>どちらか一方だけで成立するとは思いませんけれど。
>或いは個々の総体としてバランスは取られていると思います。
Sさんがわたしの彼氏だとして
Sさんが、みんなを大好きっていったら=わたしは特別じゃないの?
って怒ると思う。ちと次元が低いですかねぇ。(^_^;)
>>721 カオルさん
>>436で書いているように、というかボクにとってはカオルさんとハルカさんは特別なの。
それはみんな大好きという次元とは別に。
有限なる「わたし」にできる応答は限られています。
それゆえに「わたし」は「わたし」である以上、罪を重ねますけれど、
「あなた」への際限のない応答の果てに、「わたし」は脱却するのです。
>Sさん
701で脳内麻薬の話ししたでしょ。
わたしだけかもしれないけれど
そのときの"みんな大好き"は
恋人と死んでしまえ!と思っていたヤツとが
同じレベルで"みんな大好き"になってしまうの。
わたしはそれが自分で許せませんでした。
>>723 Sさん
>「あなた」への際限のない応答の果てに、「わたし」は脱却するのです。
何から脱却するのですか?
実際、ハルカさんとカオルさんへの精一杯の応答であるこの一連のスレ、
そして、あの呼び掛けレスによって、じゆんさんに多大な苦痛をもたらしています。
勿論、Nさんや大伴さん、他のかたにも。これが逃れられない罪です。
それでも「あなた」に応答します。
「わたし」は「わたし」から脱却するのです。
「あなた」への無制限の奉仕の果てに。
>>724 カオルさん
ボクを徹底的に扱き下ろした人がこれまで何人かいて、そのせいで体も悪くなったけど、
ボクは最終的に許してしまう。勿論むこうは屁とも思ってないけど。
脳内麻薬ゆえにというのはよくわからないけど、強制的にそう思うのは嫌でしょうね。
>Sさん
>「わたし」は「わたし」から脱却するのです。
あぁそうそう。ここが違うんだよね。
わたしはかけがえのない存在になりたい。⇒ 脱却したくない。
>>729 >脳内麻薬ゆえにというのはよくわからないけど、強制的にそう思うのは嫌でしょうね。
うん。だから、悟りギライなの。脱却をしたくないのもおなじ。
わたしは苦しいけれど、それはわたしがわたしである証。
わたしでなくなるくらいなら苦しくて苦しくて苦しくてそのまま死んだ方がいい。
ときどき瞑想に逃げてしまう弱いわたしが嫌いです。
>>730 カオルさん
なんかその言葉"だけ"聞くとカオルさんはすごく健全な生き物に見える。(笑)
>このかけがえのなさが沢山つくれると人生に執着できるはずなんです。
>で、やりきることができたら執着も消えるのだと思います。
カオルさんにとっては苦を引き受けながら哲学探究の生を駆け抜けること。
これは天命もしくは肉体的精神的限界に至って死ぬまでということですよね。
ボクにとっては「あなた」への応答が、あてがわれた生への抵抗であり、
「わたし」を引き受け「わたし」として生ききることなのです。
そしてその果ての脱却は所詮は「わたし」の死でしかありませんから、
永劫回帰、或いはハルカさんの指摘する輪廻に囚われたままでしょう。
>>734 Sさん
>なんかその言葉"だけ"聞くとカオルさんはすごく健全な生き物に見える。(笑)
わたしは、わたしになりたいだけです。
>カオルさんにとっては苦を引き受けながら哲学探究の生を駆け抜けること。
>これは天命もしくは肉体的精神的限界に至って死ぬまでということですよね。
はい。
>ボクにとっては「あなた」への応答が、あてがわれた生への抵抗であり、
>「わたし」を引き受け「わたし」として生ききることなのです。
人間ですからそのような在り方しかないのだと思います。
落ちます。レス有難う御座いました。
おやすみなさい。
キミはわたしを讃美する
キミの口は食らいつく 見境なく 足ることも知らず
キミの手足は動き回る 分をわきまえず 果てを求めて
キミの頭は想像する 幻を恐れず 死の面影を
わたしのために命を捧げるという
見ようともしないで 触れようともしないで
キミはわたしを讃美する
わたしはキミの前には現れない
渦のようにゆがんでしまった交差点
呑みこまれないように端っこを歩きます
雑踏に押しつぶされないように軽快なステップです
ジャマにされないように上手にすり抜けてみせます
迷子にならないようにしっかり目印も確認しました
ここに来たかったんです 誰もこない公園
燦燦とふりそそぐ光 天に手をあわせます
仰ぎ見るのははしたないから目をつむります
オレンジ色の夕暮れまで独木になって祈ります
鈴の音のようなやさしい想いをもらいました
きっと大事なもの なにか大切なもの
ひとすじの冷たい風とともに駆けぬけていきます
小さなガラスの破片 かしげた月に光ります
やさしかった街の灯 最後の涙がこぼれました
なぜ祈ってしまうのでしょう?
どうして神さまに身をまかせられないのでしょう?
Sさん、おやすみなさい。
こんなどうにもならない世界に放り出しておいて、
儚き者どもを食らい合わせて、何が楽しいっていうのです。
ええ、引き受けますとも、何度だって。
これは「わたし」の罪、ここは「わたし」たちの世界です。
所用で今日明日はカキコをお休みします。。。m(__)m
>>718 カオルさん
こんばんは
>わたしは愛着したいです。
はて?何かに愛着してないのですか
自分に愛着したり、物に愛着したり、立場に愛着したり
してないですか
私はしてますよ。
>>740 >どうして神さまに身をまかせられないのでしょう?
その方法でも悟ると聞いてます。
不思議ですね。
ま、幸せになればいいんです。
>>742 まぁ『カオルさん風に』答えますかねー(苦笑)
神様はとてもとても残酷なのです。
人間や動物たち。
それこそ無数の命が食らい合うのを見てるのが何より面白いのです。
…ってな感じ?
似てるかなー??(笑)
>>744 Nさん
>はて?何かに愛着してないのですか
>自分に愛着したり、物に愛着したり、立場に愛着したりしてないですか
>私はしてますよ。
ふつうにニヒリズム症候群。(笑)
めっきり事物がモノトーンなのです。
それはそれでイヤじゃなかったはずなんですけど・・・
アクセス試そうか、開けドア・・・アジアの純真みたいな勢いがなくなっちゃった。(笑)
こんなんじゃスッキリ逝けないZEーみたいな。(^_^;)
あんまりみっともない格好で外に出ちゃダメとか、
もうすこし笑顔でいてあげないとイケナイなとか、
心配してくれる人にはちゃんとお礼を言わなっきゃとか、
それくらいのこともちとヤバイのありさま。
こりゃーlife板逝きですな。あはは。
>>745 Nさん
>不思議ですね。
ぜんぜん不思議じゃないですよ。
祈りは瞑想とまったくおなじなんだし。
問題はどうして素直に祈れないのかということ。
どうして幸せになれるのに幸せになろうとしないのかということ。
どうしてこんなにも不幸が好きなんだろうということ。
生まれたときから不幸だったのならそれでも満足できるのだろうけど
わたしは幸せから不幸になったのにどうしてもう一度幸せになりたいって
思えないのかということ。
命になんてなんの価値もないっていうのがわたしの一貫した哲板での主張でした。
だからこそわたしには価値があるって・・・2年間それだけをずっと言ってきたのです。
けれどわたしにも価値なんてありそうもないことにだんだん気づいてきました。
当り前ですけど価値は創り出されたものなんですから価値なんてないのです。
あると信じるからあるだけですものね。
こんなだらしのないこと言ってるようじゃ哲板に失礼ですね。ホント反省しなきゃ。
わたしは生きたいと思っているのだと思います。たぶん。
でもどうやって生きたらいいのかわからないので苦しいんだと思うのです。
どうやって生きたらいいのかわからなくて死んでしまうなんてヘンだけど
モルヒネも効かなくなったガン患者は生きたくても死んだ方がマシでしょ?
わたしのお父さんを見ていてそう思いました。早く死なせてあげたいって。
ううん、お父さんは怒るに決まっているんだけど・・・そういう人だったから。
どうしてそこまで執着するのかなって・・・倫理なのでしょうか?
わたしにはわからないです。どうしたらいい?
やっぱりlife板だよねー。ごめんなさい。
life板に逝こうと思います。
カオルのHNは使ってもいいのかな?
哲板の住人だってバレたら迷惑でしょ?
でもカオルの名前は使いたいのです。
>>746 ハルカへ
>まぁ『カオルさん風に』答えますかねー(苦笑)
イタイ文章なのは自覚しています。
もっとちゃんとお堅く書こうと以前は努力していたんだけど・・・疲れる。(笑)
カオルさん
いままでほんとうにありがとう。
(これはさよならじゃないよ)
>じゆんさん
ありがとうございました。
>>747 考えすぎちゃ暗くなるZE〜。(誰だ?)
思考ばかりしてると、当たり前なんです。
現実から遊離すると、暗くなる。当たり前です。
>>748 >祈りは瞑想とまったくおなじなんだし。
そうなんですか。(3ヘエ)
祈りは知らないし、瞑想もほとんどしたことないので。。。
>だからこそわたしには価値があるって・・・2年間それだけをずっと言ってきたのです。
>けれどわたしにも価値なんてありそうもないことにだんだん気づいてきました。
>当り前ですけど価値は創り出されたものなんですから価値なんてないのです。
ちょっとだけ、誤解だと思います。
価値の優劣をつけているのが私で、すべての存在に均等に、かけがえの無い価値があるのです。
>どうしてそこまで執着するのかなって・・・倫理なのでしょうか?
倫理も1つのエゴなんですけどね。
良心とか倫理が神だという人がいるけど、自身が描いた理想(エゴ)なんです。
>でもどうやって生きたらいいのかわからないので苦しいんだと思うのです。
誰も苦を取り除くことはできません。それは実在するもの、存在するものではないからです。
感じることはできるでしょう。それは、無理難題を求めるからです。
苦は解決できるし、答はあります。
苦しくても生きていれば見つかります。
どうか見つけてください。m(__)m
>>皆様へ
スレ容量の限度まで僅かとなり、次スレ(
>>752)を立てさせて頂きました。
これまでの展開を纏めるのは困難ですので、このスレを一定期間保守することで、
次スレへの繋ぎとしたいなぁと思っております。(我がままですけれど。。。)
継続してカキコくださる際は、漸次の移行をお願いいたします。m(__)m