1 :
考える名無しさん:
無は有るの?有るなら無じゃないし、無がないなら無はないということで
無は・・・?
2 :
考える名無しさん:03/10/19 23:16
は〜、2get!
概念としては無はあるよ
でも形として考えるのはよろしくない
無があることを証明せよ。
5 :
考える名無しさん:03/10/19 23:22
「あることの証明」ってどうやってやればいいの。
6 :
考える名無しさん:03/10/19 23:28
論理と実体の混乱があるな。
7 :
考える名無しさん:03/10/19 23:35
童貞
ブラックホールは無に近い?
9 :
考える名無しさん:03/10/20 01:03
重複スレうざい
俺に対する挑戦か?
いいか、積み木を三つ積む、そして、全部取っ払う、ゼロ
それが状況無だ。
それがあっても全然構わん。状況無が有るというここと積み木が無いと
言う事とは次元が別の事だからな。
無と言う概念には多様な意味があり、一様に示せるものではない。
ここに断見教隠れアジトを作ることにする。
おまいらはこれをかんがえろ
裏断見についてすこし
これはこの世で不幸な人が連続の意味を信じられず、
むしろその害をなすような殺人、戦争などの罪を犯し、
不幸なる自分はむしろそうしてこそ神に見いだされ救われ
永遠の生命を得るというものです。
感想文を書くべし。2から3レス以内で
不可知 無でも知ってしまったらもう無
でなくなるようなものはもう知りえないから
不可知の世界に
状教無 つまり財布が無いとかそのときの状況の無
この状況を最大に生かし相手をけむにまく。
「言ってるけどそれってこういう状況の状況無でしょ」
相体無 あることで他の何かがなくなること
「こんな人生じゃなかった、
ぼくにはもっと輝く未来があった、それが消えた」
空間無 空間がない・物質もない・時間もない・
絶対有 全ての相体無を超える有、無も含む
絶対無 素でてのものでない、無でもない。
絶対無 全てのものでない、無でもない。
14 :
考える名無しさん:03/11/01 12:39
もちっとまじめに哲学せえや
15 :
象の群れ、蟻の行列:03/11/01 12:48
すべては無、かつ無にして無、かつ無なのだ。
〜ヘミングウエイ「清潔でとても明るいところ」
わざわざ、あげるほどのものでも。w
15の無は状況無でしょ、結局。と言う事も出来るし、
それぞれの無に意味づけする事も出来ます。
上のの概念は絶対無、絶対有という概念を
導き出すためのものです
絶対有は何でもありで、絶対無は揺らぎます。
ためしにやってみてください。
もう少し書いときますか
絶対有はすべての相対無を否定するとき産まれます。
絶対無は全ての否定の終着駅です。
18 :
偶像崇拝 ◆4f8bR1PAyM :03/11/01 17:58
偶像を崇拝する人達にとって偶像そのものは必要では無い、
同じように無が存在する必要もありません
と言いながら、無を使ってると恥ずかしいですよ。w
無は必要です。状況を判断するある概念で、
それを偶像と否定するなら言葉さえ失ってしまう。
無は言葉でもあるのですから。
そして身体的な有る無しにもかかわる。
だからあなたが本当のことを言っているのなら、
キーボードにすら触っているのか触っていないのか
わからなくなる。
20 :
偶像崇拝 ◆4f8bR1PAyM :03/11/01 18:52
ごめん噛み砕いていってください、良く意味がわかりません
私はマルクスと文学にかかりっきりで、それを
説明する時間はありません。
無は必要ですよってことです。端的に。
22 :
考える名無しさん:03/11/01 19:01
23 :
偶像崇拝 ◆4f8bR1PAyM :03/11/01 19:02
解りやすく言いますと、つまり偶像、たとえ話にしますが
昔戦争やってた時、特攻する人達は日本の為にと、天皇陛下の為と
そういって死んでいきました。
このとき彼らにとって大事であったのは大儀であり、心の拠り所であり
まっとうな日本人であるという事でした、日本が大事だったというよりも
その信仰とも言える心が大事だったわけであり
本当に天皇陛下を大事に思っていたわけではありません。
それは今日も天皇陛下がさして大事には扱われていないことからも推測されます
このように無もまた、無という言葉のイメージが大事であり、意味が重要視されているので
実在を究明することに意味は無いよ
あのですね、あなたがキーボードを打ちますよね、
するとそには他の記号からの「有る・無し」の判断
で記号を打ち込んでいるんです。だからですね。
あなたはそれは有る無しじゃなくて「be、no」でも
構わんじゃないかといっても、既にその体が
実存的に屈服してるんです。
だからなんと言い換えてもうわべだけなんですよ。
それにあなたの偶像史観はたいした例証を引き合
わされる訳でもなく、つき合わされるのは
ごめんなしろものですな。
時は金なりなんです。
25 :
偶像崇拝 ◆4f8bR1PAyM :03/11/01 19:36
うん。ごめんよ。
すまん。折を見てやさしく書こう。
27 :
考える名無しさん:03/11/01 23:22
悪人正機説の誤った解釈に近い。
神の救い=永遠の命、ってのも安直な気がするが、
その犯罪や戦争の犠牲になった人はどうなるんだろうね。
悪人と同列以下の救いしか得られないとしたら不満が出るんじゃないの。
としたら、永遠の命より上級の救いって何?
ともかく、そんな考えは迷惑だから、あんまり広めないでね。
28 :
考える名無しさん:03/11/01 23:23
というより、体制から無理やり戦争に駆り出されて
降りかかる火の粉を払うだけって感じだろ
天皇も糞もねえ
難しく考えるな馬鹿
>>28 「きけ わだつみのこえ」ってよんだことある?
30 :
考える名無しさん:03/11/01 23:36
>>29 数十通の書簡が削除された編集バージョンなら文庫で読んだよ。
>>30 あのひとたちって、よく「国を守るとか家族を守る」って言ってなかった?
あれって
>>23のいうところの「信仰ともいえる心」じゃないの?
>>18 ヒマだから、言わんとするところを噛み砕いておきましょう。
無はまずあなたが言うように偶像と同一レベルではかれるよう
なものではありません。
だから、無を偶像と同一レベルで考えてはならないのです。
無はまず身体レベルで私たちを拘束します。私たちの周りに
物質が無で無ければ私たちは動けません。
また言語のレベルでそれは確固たる地位を占めています。
無はその存在を指摘するときは無という名詞を出さねばなりませんし、
存在を否定するときも無は「無い」というように
否定詞に無が深くかかわっているため、無の存在を言語レベルで
全否定するのは不可能なのです。
このように無は偶像などと呼べるものではなく、それについて
思索することの代わりに、他の事を考えてすら、
先ほど話したように、身体的、言語的に無に侵食されないことは無く、
その支配から逃れられないのです。
ですから、私たちは無について本当に考えないなれば、
言語を停止せざるをえず、身体を停止させねばならず、
またその状態が動きが無であることのそしりを受け続けなければ
ならないのです。
>1
パルメニデスを熟読すべし。
34 :
考える名無しさん:03/11/05 01:34
ソシュールによれば、意味とは「これとこれは違うから別のラベルを貼ろう」という程度のものなの。だから私が言っていることが意味が無いように思えたとしても当然なのよ。
重複スレです。新スレのつもりなら2をつけておくれ。でも早すぎ。
そのスレの 「くろしろ@ ◆AcNr2wNPmQ」 と、ここの、「くろしろ@マルクス中学1年 ◆AcNr2wNPmQ」は、
多分おなじひとだと思うが、予想どうりの成長っぷりです。2chって感じです。
>>23 当時の人は、みんなのために戦ったのです。天皇陛下は、当時も今も国家元首です。
国家神道は、別に考えたほうが良いです。ちなみに、国家神道と神社神道は違うものです。
あと、神道も仏教も偶像崇拝ではありません。
このスレは断見教のために秘密アジトとして、機能すべきである。
金正日は無能ではない。
権力闘争に打ち勝ってきた男だ。
諸君!
昨今の情勢を省みるに、この市場経済、資本主義の流れは
ほとんどつぶれる事を知らないだろう!
そしてそれ以上の体制はその土台の下に気づかれることだろう!
そしてその中心的役割をなすのが残業税である!
↑
よっぽど、残業でイタイ目にあっているんだな
昔な。
さて人間が知れる最も極限の無、それは死である。
死は生きている間は不可知であるが、死によって体験できるので
本質的に不可知ではない。そして死が無であるとは個人的な状況無
の極限であり、それは永遠の生、永遠の主体の相対無である。
人が死を無と言うとき、それは断見的な見方である。
死は体験できない、死に行く自分を体験できるのみ
むう、確かにそうかもしれない。死には微分的に近づくだけか。
確かに体験する事はできない。
ならば死無は無いな。これは重大な見落としを、すまぬすまぬ。
45 :
考える名無しさん:03/11/20 12:36
絶対無は存在するのね。
46 :
考える名無しさん:03/11/20 13:02
ところで、役割または社会的人格(ペルソナ)は暴力の昇華物である、
というのが、くろしろの説かね?
>>45 絶対無と言うものの概念が俺にはわかないにょろ。
絶対否定、と絶対有は思いついたんだけど。
>>46 マルクススレのあれね。暴力をふくめ反市場的行動の昇華が
市場社会的人格の原因になりうるし、それが役割代として一定の
価値を持つと言う事は確かに言ったよ。
悪をポリフォニー的に表現する事。うーんいい感じ。
有と無を隔てているものは何だ
50 :
くろしろ@マルクス中学1年残業税悟り中 ◆/L0M6/JUH6 :03/11/29 19:51
>>49 それはなんだろうねー。確かに一考に価するね。
語りたいなら語ってみてくれる?
あ、ここマルクススレの一時避難所にするから。
無スレを運営してた時と比べて、あんたキャラ変わったのね? >くろしろ
52 :
くろしろ@マルクス中学1年残業税悟り中 ◆/L0M6/JUH6 :03/11/29 19:57
>>51 あの時は目立ちたいモードだったし、2ちゃんで有名になることは
ネット社会ですごい事だと思っていたわけ。でも結局たいした事な
いっていう。無や断見教で懲りた。
で、今は学習モードでございますから。w
>2ちゃんで有名になることは
>ネット社会ですごい事だと思っていたわけ。
一度は通る道だねw
いまならニヒタンとかガムがそうかな?
>>1 馬鹿か?
「ある」は無が実在するのではなく、
無という「概念」があると言うこと。
答えとしては「概念としての無はある」
答えとしては「実在する無は認識できない」
こんなことは高校生の漏れでもわかる。
55 :
くろしろ@マルクス中学1年残業税悟り中 ◆/L0M6/JUH6 :03/11/29 20:23
>>53 ニヒたんは昔、恋愛板にいたピュアピュアを思い出すんだよ。
あの顔文字にピュアピュアってつけてたからね。
そうでつか、彼らも2ちゃん制覇を目指していましたか?
>>54 俺は1ではないぞ。ただ実存する無は認識できるよ。
いや、しないと活動できないというべきか?
>>32を参考にしてたもれ。
56 :
考える名無しさん:03/11/29 21:05
実在する無と言われているのに
実存する無と言い換えて即修正しない
哲学かぶれのヴァカが跋扈しているスレはここですね?
名詞の「無」とは概念としての言葉であり、
否定の「無」とは他のものの存在を概念化する言葉。
つまり否定の「無い」が付けば、すべてが存在が「無」になる。
つまり否定の「無い」が付けば、すべての存在が「概念化」される。
以上から、次のことが言える。
1「概念としての無はある」
2「実存する無は認識できない」
3「実存する無は無となり概念となる」
4「無とは概念である。概念とは思考の形式である。」
5「無は概念という範囲を出ることが出来ない」
6「無は実存できないという概念が成立する」
7「無が実存するは人間には不可知である」
あったらあったでそれなりに。
なければないでそれなりに。
59 :
考える名無しさん:03/11/29 21:59
>>57 「実存」はしきたり上、人間以外については使わないので、
その言葉遣いだとちょっと困る・・・実在、くらいにしといてくれんかなあ。
7「無が実存するということは人間には不可知である」
のつもりが、日本語的に変だった・・・
>>59 ゴメソ!
>>54では「実在」としていたのだが・・・
>>55に>実存する無は・・・と言われたもので、つい。
無は存在しない
糸冬 了
言葉遊びはやめて良い子はもう寝ようね
>>57 ちょっとまった。言葉からのアプローチでなく、
体から感じてみて。
われわれは歩くとき反射として物の無い方に動く。
このことは言葉として考えられ初めて
物質無があるといえるので、全て語られる
言葉で感じたことが実在(ほら漬かってやったぞ、ぬかずけじゃ)
するのは概念故であると「語られるときは」
確かにそういえる。
しかし体で、反射で、または其れに近いもので、
感じて無(物質無な!)を知る時にはどうすればいいのだろうか?
私たちは確かに物質無を知覚している。
そうしなければ街も歩けない。
それは物質無が実在する(ほら漬かってやったぞ、味噌漬けじゃ)
からではなかろうか?
「空気」はどうだ?
空気も言葉上の認識なら「空気」という「概念」
にすぎないが、
体はそんなことに構わず空気を吸うだろう?
しかし「空気」は語られるときは「空気」という「概念」
を通してしか語られない。「空気」はそれでは「概念」で
実在しないものなのか?
そうではあるまい。
その実在する根拠は、
そして無を感じることであり、空気を感じることであり
同じなのではないか?
>その実在する根拠は、
>そして無を感じることであり、空気を感じることであり
>同じなのではないか?
訂正
その実在する根拠は、感じることであり
それは無を感じることも、空気を感じることも
同じなのではないか?
1「概念としての無はある」これはよし。
2「実存する無は認識できない」これは感じられるから嘘。
3「実存する無は無となり概念となる」まあちょっと変だが無は概念になる。
4「無とは概念である。概念とは思考の形式である。」これはいいだろう。
5「無は概念という範囲を出ることが出来ない」これも嘘、感覚へ突破する。
6「無は実存できないという概念が成立する」これは思い込みだな。
7「無が実存するは人間には不可知である」無を知覚せねば家の中も歩けない。
4「無とは概念である。概念とは思考の形式である。」これはいいだろう。
訂正。
いや違うな、無は感覚でもあるのだから。
つまり言い切っちゃえば無もまた存在なんだよね。
存在の一様式。
空気の話だが、
空気は実在する空気を認識されながら話されていると思う。
普通の人ならば空気とはどんなものか知って言るし、
「風」などによって、実際に感じることも出来る。
のでは?
2>これは感じられるから嘘
ここがすべてのポイントになるかな?
実在するのならば、実感出来ないように思うのだが?
3>まあちょっと変だが無は概念になる
これは2の発展のつもりなんだが・・・(2が成り立てば)
実存する無は認識でき「ない」と言うところから、
「認識できる」が否定され、「無」に変換される。また、概念化される。
5>これも嘘、感覚へ突破する
これも2が成立すれば、「無」は言語において永遠に概念化される。
よって2が成立すれば7のように、
無は永遠に概念の範囲を出ず人間には永遠に認識できない。
が言えると思う。
とてつもなく変なことを言っているのかもしれないし、
言葉使いが下手ですが、滅多に本も読まない人間ですから・・・
ご意見よろしくお願いします。
70 :
考える名無しさん:03/11/30 20:47
実存する無 晒しアゲ
実在し、知っているものは、認識できる
実在し、知らないものは、認識できない
実在せず、知っているものは、認識できる
実在せず、知らないものは、認識できない
知っているものは、全て認識の対象となる
概念化できるものは全て認識の対象となる
72 :
考える名無しさん:03/12/01 23:00
「知る」と「理解する」には大きな違いがある
74 :
考える名無しさん:03/12/02 00:46
無と有の共存は可能ですか?
75 :
考える名無しさん:03/12/02 01:24
>>74 無と有の定義からして不可能。
(成り立てば、それは無でないか有でない)
>>くろしろ
あんだけ熱くレスしていたのに、行き詰まったかい?
>>68に答えてやれよw
>>74 >無と有の共存は可能ですか?
存在がまさしくそれなのでは?
つーことで可能だと私は思います。
>>75 >無と有の定義からして不可能。
面白いことを言うのですね。無と有について定義はできませんよ。
あなたがその定義だと思っているものはただのトートロジーへの気づきだけ
じゃないですか。と思ったりするのですが。
>>72 >「知る」と「理解する」には大きな違いがある
へえ…w 理解不能です。
77 :
考える名無しさん:03/12/02 14:21
>>76 >>75の言った定義とは、
有という集合に含まれないものが無であるのだから、
有かつ無は成り立たない。ということだろう?
存在は有無共存だって?「存在=あることをたもつ」ではないか。
(言語上ではだろ?なんて言うなよ。有無だって同様だ)
「知る」「理解」の違いも分からないのか?
簡単に言えば、表層と深層の違い。
「彼のことを知っている」と「彼のことを理解している」
ではニュアンスからして大きな違いがあるだろう。
80 :
考える名無しさん:03/12/02 17:51
(1) 無はある・・・A=非A
(2) 無はない・・・A=A
論理的に正しいのは(2)
>80
で、君は無いものをどうやって認識した
82 :
考える名無しさん:03/12/02 18:51
83 :
考える名無しさん:03/12/02 18:53
手力とはHandのPowerです
やっぱりな、そうだろうと思ったよ
ありがトン
87 :
考える名無しさん:03/12/03 03:12
なら、諸君。
無駄とは?
88 :
考える名無しさん:03/12/03 08:16
0が「ある」んだから仮定的には
無はあるんだよ。
解決。終了〜〜〜〜〜〜〜〜。
無駄=結果に直接的関連の起こらなかった現象
限定された現象ありきゆえに起こった連続性の途切れた現象
90 :
考える名無しさん:03/12/03 11:21
>>88 阿呆は黙ってろ!
0とは無という概念を記号化したものであり、
それによって無の実在は証明されない。
0は「空」、無とは違う
一緒くたにするな!
わかった!無ってのは無いのではないのだね!!
わかればよろしい
94 :
考える名無しさん:03/12/03 20:42
>>91 ならば問う。
「空」とは「有」の範囲に含まれるか?
>>92 まず、日本語から勉強した方が良いと思われ。
95 :
考える名無しさん:03/12/03 20:50
空集合φってのは?
形而上には存在しないといけないんじゃないの?
>94
当然含まれる
98 :
考える名無しさん:03/12/03 21:55
ならば問う。
「空」が「有」たる所以は何か?
その手には、乗らない、教えてやらん
自分で考えろ
>>94 どう違うの?
ここ二ヶ月前から哲学を勉強し始めた俺にもわかるように教えてください。
無ってなに?
無ってのは存在していないわけじゃないってことじゃないの?
過去レス読んでもみんなの意見半分も納得できない
101 :
94=54:03/12/03 22:43
>>100 漏れは
>>54だ。
意見は述べた通りだが、まだ確信はしていない。
くろしろの返答を待っている状態です。
まぁ、前レスでわかりにくところがあれば質問してくれ!
>>99 >その手には乗らない。
何を言っているんだ?乗ったらボロでも出るのかい??
君の発言の内容が曖昧で、理解するに至れないから説明して欲しい。
54さんちょっと待ってくださいね。後でちゃんとレスしますが。
少なくとも風を感じられるように、無も感じてますよね。触覚
ではそこに有る無しも感じますよね。ほかにやわらかいとかい
う情報も有りますが、まあ有無を感覚として感じているわけです。
そこからちょっと考えてみてもらえませんか? これは視覚とかでも
そうなのですが。
104 :
考える名無しさん:03/12/04 16:48
無を含め、万物には本質が内在しているんだよね〜
冗談だろ?
106 :
考える名無しさん:03/12/04 18:20
>105
ほぉー、ではやはり全てのものは、有るということか?
>107
有るものは有る。
無いものは無い。
われわれは無い「もの」を認識するのではない。
対象となる何かが「無いということ=非在」を認識するのだよ。
109 :
考える名無しさん:03/12/04 18:59
割り込んでごめんね?
>>108 同じことだろ?
「非在」(不在だろ)をどう認識するのか?
「有る」ものは感覚を通して認識できる。
「無い」ものは?どうなんだ?
非在とは有か無か?
>101
ボロはでんが、屁ぐらいはでるかもしれん
112 :
考える名無しさん:03/12/04 22:21
>>108 「確かめられないが、確実に無いと言い切れる」場合があるって言ってるんだよね?
それはどんな場合なんすか??
113 :
考える名無しさん:03/12/04 22:26
確認できないのに何で無いって言えるんだー?!
114 :
考える名無しさん:03/12/04 22:56
>>111 ならば問う。
「空」が「有」たる所以は何か?
または、答えない理由は何か?
115 :
考える名無しさん:03/12/05 00:45
「有」は存在するのか?
116 :
考える名無しさん:03/12/05 01:21
>>115 存在する。
・・と言いたいが、デカルト的省察により、
自分以外は不確かだとしか言えない。
>114
教えない
理由は、君の考えるという楽しみを奪いたくないからだ
それほど難しい問題だとは思わない、その気になって調べ、考察を加えれば
君にだって十分解かる程度のことだ
無を語ろうとするならば、無と空の違いくらいはきちんと押さえておかなければ
だめだよ、そうではないかな
まずは、数学上0がどういう意味をもっているかそこから調べることだ
次に0の語源であるサンスクリット語のsunyaついて調べてみる
私からの君への宿題だ
>118
ああ、なんとか永らえておるよ
お前も、あちこち手を広げていそがしそうだな
まあ、いそがしいのは、結構なことだ
120 :
考える名無しさん:03/12/05 19:30
>>117 自分考察して理解できそうなものならば聞きはしないよ。
それより、言い出した君には質問に答える義務があると思う。
それに、僕だけで下手に考えるよりも君から聞いたほうが早いし合理的だ。
「空と無の違い」だけでいい。(納得するものであれば)
僕は君から聞いて学びたい。君の言い方でいい、答えてくれ。
121 :
考える名無しさん:03/12/05 19:47
君はおまんこしないのか?
漏れが女でも藻前とはしない。
キモイから、とりあえず去ね。
123 :
考える名無しさん:03/12/05 19:55
お万個できないうちは成仏できませんよ。
124 :
考える名無しさん:03/12/05 19:56
ばーか
童貞のまま死ぬことを即身成仏というんだよ
空とは平たく言えば関係性のことだよ。
127 :
考える名無しさん:03/12/05 20:04
....... ∧_∧
... ..... ( ´∀`.)、 ここはいいスレだね
__| | | |_ / ヽ、
||\  ̄旦 ̄ ̄ / .| | |
||\\ 旦 (⌒\ |__./ ./
|| \\ ~\_____ノ|
. \\ _______\
. \|| ____|| /
. || ̄ ̄ ̄|\____\ / 「お万個できないうちは成仏できませんよ。」
. || | |======== | \ 「ばーか童貞のまま死ぬことを
_| |oo======= | \即身成仏というんだよ
|\\|_____|\
| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄. ̄|
| | 鹿児島みかん .. |
\|_______.|
社会不適応者・・・
デタ━━(・∀・)━━!
129 :
考える名無しさん:03/12/05 20:19
社会不適応者・・・
デタ━━(・∀・)━━!
131 :
考える名無しさん:03/12/05 20:21
無いというのは確実でも確認しないと分かんないんじゃないの?
どうなんすかー!
132 :
考える名無しさん:03/12/05 20:29
ギャハギャハギャハ
134 :
考える名無しさん:03/12/05 20:38
ここでいう無て何
∀x¬P(x)なPということでいいの?
じゃ、あるじゃん
135 :
考える名無しさん:03/12/05 20:51
239 名前:考える名無しさん :03/12/05 20:50
お前ら2ちゃんねるで表出か?
おめでてーな藁
>117
しかたのない子だな
では、少しだけ教えてやるから後は、自分で考えるんだぞ
無とは時間、空間の制約をいっさい受けない言葉だ
空とは、空間的な制約を受けた言葉だ、なぜならば、「空っぽ」という為には
それを囲うものを必要とするからだ。閉じられた空間あるいは囲われた空間の
内部が空ろなことを、空というのだ
くろしろにも教えてやらなんだものを、とうとう教えてしもうたわ
わしも、いよいよ、もうろくしたということか
くろしろ、あとは頼んだ
>>136 いや、サンクスコ!
老子の「空っぽなものほど可能性が・・・云々」というのを連想するなぁ・・・
「空」=「何もない空間」0は「無」でない「空」だということか?
うーん「0」とは「その空間に」という空間的限定を含む語なのか?
そこがわからない・・・説明できる?
くろしろが言っているのは「色即是空」の空か?
>>136 老師いくつだ? 俺は無について本気になるのは死が近づいて
断見の世界を感じるときにしようと思っているので、頼られても
後はしばらく知らないぞ。
>>137 そうだヨン。でも133が言ったように空は関係性(縁起)というよりは、
関係性をはずす事の出来る自在可能性というべきか、色(物質)
はつねにそう言う自在可能性を持っている。故に色即是空。
だけどそれは色の世界で認識している事だから、空即是色。
と理解しているがね。
年寄りに、そんな邪険なこと言うものではないわ!
明日にでも、わしがポックリ逝って見ろ、お前はきっと後悔するに決まっておる
「あぁ〜、あの時あんな邪険なこと言わんければよかった」とな
老師、ならば言いたい事いって逝け。w おいくつなんですか? 還暦?
>>54 さてレスします。お待たせしました。
「空気」はまずその存在が生理的活動「呼吸」を通して感じられ、
それが、概念となって逆に意識されます。「空気」の正確
な定義は? という問題は、ここでは一般レベルでの認識だから、
それは無視してもいいでしょう。
要するに概念の前に感覚で捉えられているということです。
「無」も同じ事です。たとえばわれわれは赤ん坊の頃、いろんなものに
触り、それの有る無しその他の情報等々を感じて段々大人になってきます。
これは視覚、嗅覚、味覚、聴覚も同じ事です。まず感覚ありき。
物が有るか無いかを見る感覚、匂いが有るか無いかを見る感覚等々。
その課程で「無」という概念を知り、無を意識するようになるのです。
無を感覚的に捉えている例は、たとえば重そうな物が飛んでくればそれが
無い無の方に反射的によけるでしょう。これは視覚、および触覚で無を
捉えていなければ出来ません。これは概念で考えているのではなく、反射
ですから「無」という概念が初めにあって後から認識するというあなたの
論理では説明できません。例としてもうひとつ、耳元でうるさい音を急に鳴
らせば耳をふさぐかよけるかするでしょう? これも反射的に無という感覚
を知っていなければ出来ません。その意味で概念>行動というあなたの論理
は無の認識の全てを捉えていないのです。私が言いたかったのはそう言うこ
とです。
141 :
くろしろ@マルクス中学1年残業税悟り中 ◆/L0M6/JUH6 :03/12/22 19:39
sennkyosure hosyuage
142 :
考える名無しさん:03/12/23 21:23
自分が何も認識しないってのが無だ。
何も求めない、即ち其れ無なり。
なんてな。
143 :
考える名無しさん:03/12/23 21:26
ひ0−
144 :
考える名無しさん:03/12/23 21:27
自分が何も認識しないってのが無だ。
何も求めない、即ち其れ無なり。
>>142
>142とか見て思うんだが
A=Aですら言葉足らずに陥るのに
A=Bを成り立たせることが如何に困難であるか。
ある仮定をする。
1+1=2が不可疑の形式であるとして
その機能が正しく働いているかと考えた場合、
リンゴ1つとミカン1つがあるとそれは
リンゴやミカンが2つあるのではなく果物が2つある
と見なすとしよう。1+1=2は正しく機能しているか?
このとき果物というカテゴリーを取り出す操作こそが
偏見であり、1+1=2の意味を狭めてしまっている。
恐らく無とはそう容易に言い表せるものでもないだろう。
無がないものであるならば、直接これに言及するのは不可能と思われる
しかし、無があるものであるならば、言及することは可能なはずだが
いかがか?
>146
どうしてそのような場合分けができるか自分で不思議だと感じませんか?
無がないと言えるためには存在しない無が形而上に存在しなければなりません。
むしろ無が形而上に在るが故に無はないという発言が可能になるのです。
そして無の形式をもって存在する無の語りもまた成立するわけです。
理屈の上では、存在しないはずのものが、形而上は存在する
君の言うとおり、不思議なことだね
だが、さらに不思議なことがある
それは、形而下においても無が存在するということだ
もし、無が形而下において存在しないとすれば、有無の判別もおぼつかない
ということになるが
いかがか?
どうも148氏とは矛先が違うように感じているから
そのことについてもちょっと触れておきます。
形而下の無
これは言葉の妙技というか方便だと思います。
形而下の無を主張する際、最大の問題点は
主張する文が正しく機能できているかという点に尽きます。
正しさは形而上の無から導いているわけだから
形而下の無の主張はどこまでも懐疑の対象になるでしょう。
ある種の無が明らかに無であるという保証を得られないからこそ
それは形而下のものであり、有無の判別がおぼつかないのは自明
なのではないでしょうか?
形而上の無
これを認めないとするとすべての無を臭わせる文は
見栄えであり、隠れた事実の提出が求められる。
まっとうな懐疑が好きな人はそれでもいいでしょうが
こんな操作は数のあり方にも疑問を与えなければならなくなる。
むしろ見栄えに思われたそれこそが自然な輪郭であるという
解釈が復権するのは時間の問題かと。
ともあれ一筋縄ではいかんと思うわけです。
うむ、見事だ
その通り、無とはそういうことだ
形而上の無と、形而下の無が同じものだという保証などない、同じものだと証明
することは不可能であろう
私が考えているのは、そこから先のことだ
現実に、我々は有無の判別はできる、そうであるならば、形而下において無と称さ
れる「何か」があるはずだ、その「何か」を探し求めているのだよ
その「何か」こそ、唯一、我々が言及可能ないわゆる無と呼ばれるものではあるまいか
形而上とか形而下の意味がDQN過ぎてわかりません。
いったい何なのでつか?
>151
あけましておめでとうございます。
新年早々くろしろ氏らしくない発言ですな。
単語はどうあれ指示されている内容に問題があるって含みなのですか?
形而上という表現は無そのものを指しており
形而下という表現は無と称される物事ってことなのでは?
これに異議があるとすれば「猿一般」と「実在するある猿」の
話からスタートすることになりますがそれをお望みで?
>>152 明けましておめでとうございます。
サルの話ぜひともお聞きしたい所です。
このスレを忘れてなければ是非お願いしたい。
あけまして、おめでとう。
くろしろの為に、少し解説しておく。
>149は実に鋭い、もしかして例の彼なのかな。
形而上、形而下の問題もさることながら、重要なのは文章としての正しさ、
正当性を問題にしている点だ。無を考える上では、ここが本筋と言っても
いいかもしれん。
かつて、わしも>149と同じ趣旨のことを言ったことがある。
それが、かの有名(?)な「ワラビ餅」問答だよ。あの時わしはこう言った。
真に無いものは、認識の対象たりえない、したがって「無」はある。
しかしその「無」はいわば「偽物の無」であると。
上の文章は、文章の正当性を精一杯意識して、わしなりに表現したものだ。
文章の正当性を考慮すると、上のような表現にならざるをえないのだ。
だが、たーちゃんには「偽物」という表現がお気に召さなかったらしくひどく
ご不興をかってしまったのだが・・
まあ、これだけでは、何のことやらわかるまいが、折をみてもう少し
詳しく話してやろう。
>>153 いけずなくろしろ氏だ^^;
恐らく上手く書けたとしても、ケツを掻きながら読むような
つまらないものになることこれ請け合い。
それとも新年の書き初め代わりに某ドイツ人考案の
直観形式と物自体まで導けという腕試しなのでしょうか…。
>>154 あけましておめでとうございます。
なるほどワラビ餅。私としては「ししゃも」と言っておきましょう。
氏のおっしゃる「無」に関しては実のところぐぅの音も出ません。
気持ち的には彼岸に咲く高嶺の花といったところでしょうか。
とは言うものの、考えてみたいという欲求は捨ててはいません。
では初心に還ったつもりでまず質問。
氏は以前、無は時間に制約されないという趣旨の発言を
されていますがこれは氏のおっしゃりたい「無」の質にあたるのですか?
>>154 その文章、老師か? 明けましておめでとう。
心臓は大丈夫か? 俺はずいぶん健康になったよ。普通に戻った
と言っていい、だが10年は痛かったな。特に20代は。
>真に無いものは、認識の対象たりえない、したがって「無」はある。
その事なのだが、認識の中にすでに「無」が無いかな?
その認識をする主体、または見ている我々、のどちらかに「無」が無ければ
語りえない話だ。またはどちらにも「無」があるとかな。
「無」と認識のファーストコンタクトはわらび餅ではあるまい。
>>155 いけず? これは妙な事を。
まあ、いいでしょう。
私は正直言うと無に対してより、
形而下、形而上に興味があるのです。(逆か)
>新年の書き初め代わりに某ドイツ人考案の
>直観形式と物自体まで導けという腕試しなのでしょうか…。
カントのことですか?
ぜひともやってみていただきたいものです。
そうか、健康になったか、それはなによりだ
年とれば、いやがおうでも、体のあちこちガタがくる
2ちゃんばかりやっとらんで、少しは体を鍛えろ、体力をつけろ
お前、痛い所をつくなー、うーむ、ならこれはどうだ
存在しないものは認識の対象たりえない、したがって無はある
この場合の「ない」は否定のないだぞ
>155
それは、言葉としての無に対していったことである
無かった、無い、無いであろう、いずれの言い方も可能である
>>158(老師)
>健康
そうかねー、まあ不健康になれちまうとかえって妙な感じだよ。
>存在しないものは認識の対象たりえない、したがって無はある
>この場合の「ない」は否定のないだぞ
否定とは、ある存在の「無」を提示するものである。
例えば鳥でない、と言うことは鳥と言うことが(その存在が)
無であるといっていることに等しい。
だから否定を使うときも当然そこには「無」が隠れている。
赤でないなら、赤が無である。小泉でないなら、小泉が無である。
ぬるいわ!
ではこれを解けるかな?
赤子が初めて無を感じるのはどのような可能性があるか?
二つあげよ。
160続き、
だから、否定でも。
認識の中にすでに「無」が無いかな?
その認識をする主体、または見ている我々、のどちらかに「無」が無ければ
語りえない話だ。またはどちらにも「無」があるとかな
と言う話になる
くろしろ氏は形而上・形而下という分け方に
疑問を感じているということなのかな?
これに関しては追々やっていくとしましょう。
基本的に私はくろしろ氏の認識における「無」はある
という解釈には賛成ですので大きく反論することはないです。
何かが無いという感覚はあるほうが自然だと思います。
ただ、これでは私的な進展が何も無いので敢えて懐疑的な
立場を取り、くろしろ論その真贋の見極めを試みることにします。
(まあ、基がくろしろ教信者なのでコケそうですが…
>160
これは老師?さんに宛てた問題でしょうが
ちょっと口を挟ませてもらっても構いませんか?
赤子云々のくだり。
これは赤子という設定がどの程度の認識能力を
有しているかによって解釈が大きく変わるのでは?
子供の認識に関しては「数え」を覚えることを挙げるなら
1と数えた後2と続けることにより、この1と2の間にある
言語化不可能なある関係性を認識していることが伺える。
これが数の認識の最も単純なあり方であろう。
赤子ではどうか?赤子における有無の認識とはどうあるか?
赤子の認識は未成熟である。なぜなら赤子はむずがったり
泣いたり、笑ったりする。それが心地悪さや心地よさだけを
感じているからである。決して心地よくないということや
心地悪くないということを感じているのではない。
則ちそれは「1・2」の関係性を以て認識する数のように
心地よさ(悪さ)の「ある・ない」の関係性を以て
認識していないということである。
赤子には「ある・ない」という関係性の認識は未成熟であり、
ここに敢えて有無の感覚を与えることは恣意的であり
赤子が行った感覚判断ではなく、赤子に行った判断になるを得ないであろう。
>163
どうぞ、どうぞ。
年寄りは、暫らく若い人の話に、耳を傾けることにしましょう。
>>163 >これは赤子という設定がどの程度の認識能力を
>有しているかによって解釈が大きく変わるのでは?
ふふふ、鋭いですね。
私が用意している答えもそのような立場に立ったものです。
もちろん私が用意している答えが真と言う立場ではありません。
お互い論議しあい、弁証法的にその論を高めましょう。
(その意味であなたが疑くろしろ的立場にあるのも意味あること)
形而上・形而下は端的に意味がわからないのです。
教えてくだされば幸いです。
おぉ、忘れておった
わしからも、くろしろに問題
「答でない」とは、これいかに
これは、答が無いという意味を含んでいるのか?
>>166(老師)
答えでないは否定だよね。だからこの場合当然俺の立場からすると
無をそこに見つけるがね。ある種の「答え」が期待されるが、それが
無いと言うこと。
>165
形而上と形而下の意味ですか。なるほど…。
私自身も誤って使っている節があるのでちょっと記しておきます。
まず形而上学という言葉に関して。
こいつはアリストテレスが始めた存在への考察に対して
後々形而上学という言葉があてられたのが始まりです。
この意味で使うなら「存在論」が形而上学にあたります。
ある存在の考察ではなく、すべてを貫くような存在による存在
それは如何にあるのか。こんなときの対象は形而上に挙げられます。
例としてはリンゴなど。
リンゴとは何か?と考える際
あるDNA、色、形、成分を有し云々
これがいわゆる形而下の答えです。対して
なぜリンゴがあり、なぜリンゴであり
いかにしてリンゴとあるのか云々とくると
形而上を意図することなります。
もちろん色、形、数などは存在論としても通じるので
そこを含めても形而上となり得るでしょう。
異論はあるでしょうが(汗
168のつづき
ここからが厄介なとこなのですが、
形而上に対して我々は正しく考えることができるのか?
という疑問にぶち当たるわけです。そこで
認識論をあてがい便宜を図ろうと試みました。
しかし、そのおかげで形而上的存在は誰も手の届かない
頂きに登り詰めてしまったようになったわけです。
つまり我々はリンゴを見たり触ったり味わったりして
リンゴを知っている。それはリンゴを感じる素養があるからだ。
けれどもリンゴのリンゴ性(真のリンゴ)は如何様にも考えられない。
169のつづき
それでもアプローチはありました。
それがマルクス的な形而上存在の捉え方や
ハイデッガー的な捉え方による形而上学になるでしょう。
この人たちがリンゴをどう扱ったかは放置しますがw
(書くと弁明に明け暮れそうでめんどい…
ともあれ
形而上を対象の存在そのものへのアプローチで
あるという点で私は使っています。
形而下は直訳すると物理的な事柄になっちゃうので
ちょっと異なりますが上記に当たらない立場と捉えてもらって結構です。
まあでも…この内容(形而上下)自体はくろしろ氏にとっては
ケツを掻くようなものだと思われますが…。
>>167 補足
これは「答えが無い」と言うわけではない。
ある人がある答えを期待して、
誰かがその答えに答えた。
その答えが質問者の意向・論理等々に沿わなかった。
期待に沿わなかったと言う事。
期待される答えや回答は存在する。
しかしその期待に対する否定であり、そこに無が有るということ
「期待される答えでは無い」
例「結婚して!」
「しかし、僕には君を養えるだけの能力は無いんだよ」
「そんなの答えじゃないわ。あたしが働けばいいんじゃない」
例2「大阪城を作った人は誰?」
「大工さん」
「しかしそれだと、日本史のテスト的には答えにはならないんだよ」
>>168-170 ご丁寧にどうもありがとうございます。
形而上は考えると病気になりそうですね。w
>まあでも…この内容(形而上下)自体はくろしろ氏にとっては
>ケツを掻くようなものだと思われますが…。
そうでもありません。
小生、無学の徒につき、これからもわからない事があれば
ご指導ご鞭撻願います。
>>171 訂正
>期待される答えや回答は存在する。
期待される答えや、期待外の回答は存在する。
良く出来た、お前のこれまでの回答の中では、一番だな。
「答でない」という言い方は、答を否定しているわけではない。
少し特殊な言い方だな、「(正しい)答でない」この( )の省略された正しいを
否定しているにすぎん。
答は常にそこにある。正しい答、間違った答、期待される答、期待されない答
答がないというのも一つの答だ。
ついでに、文章としての正しさ、正当性という観点から
「無」はない
この文章は、いったいなにを否定しているのか、未だにわしにはわからんのだ
>>175 いや、部分否定文として成り立つか。
この場合「あるもの」はあるわけだが
「無」は無い。
普通、無いは「有るもの」に対して無いと使うのではないのか
無いものに対して、無いと使うということがあるのか
どうか、この年寄りにわかるように、教えてくだされ
お前えへの答は、暫らくまて、時間かせぎをしておるのだ
>>178 無(のひとつ)とは存在の一形式で有と同列のものだ。
そしてある対象について注意を払い、ある状況について語ることなのだ。
これが俺のよく言う状況無だ。
例えばコップに水が入っている。これに対してただのコップが出てくれば、
それはただのコップなのだが、水に対して注意を払えばコップのなかに
水が無く、そこに無の認識が生まれる。しかしそれは存在しないとか、
そう言うものではなく、有と同じく無(の状況)として語れることなの
だよ。その状況(状況無)が無い。つまりコップに水が入っていることは
充分語れるものだろう。
つまりこの場合、無は少なくとも在るものである。これに対しては無い
をつかってもおかしくないのではないか? しかもこの在る事が有る
ともいえるのだと思うのだが。
もうひとつ相対無について語ろう。
それは実に3次元的状況なのだが、例えば老師の目の前のパソコン
が在ることは、同時にそのほかの物をおくことは出来ず、ここに無が生まれる。
これが相対無だ。コップにコーラを注げばそこにはジントニック等々
が同時に入れることが出来ず相対無になる。ジントニック等々の
同時存在可能性が消えたと言う事だ。これで概念はつかめたかな?
この相対無が無い場合を考えてみよう。これは多次元的存在になり、
パソコンも在るが同時にバナナもあり、全てのものが同時にそこに有りうる
事になる。これを絶対有と言う。もちろん仮定上のものであるが、
ここで注意すべきは相対無も存在の一形態に対する認識だと言う事。
それは在ることであり、在る事が有ることでありよって「が無い」
も使いうるのではないか? と言う話になる
夜は寝ろ! 寝ずに考えるヤツがあるか。
わしの時間稼ぎにならんじゃろが。ったく、年寄りを少しはいたわれ。
わしが問題にしてるのは、そこの所だ。つまり、無があるということを前提に
しなければ、「無」はない、というこの文章は意味をなさない。
最初から無がないという立場でこの文章を理解しようとすると、どうにも
理解できない。どう読めばよいのかさっぱりわからん。これは、すなわち、
「無」があるということの、一つの証となりうるのではないか。
若い頃、そんなことを、ああでもない、こおでもないと考えていた時期があった
ということだ。
お前への答はすでに出来ておる。出来てはおるが、本日のところは、この程度
にしておこう。
今日は、ちゃんと寝ろ
(老師)
ははは、老師は本物の年寄りのようだな。
確かに夜は寝るべきだ。昨日は実は飲み会が有ってな。
朝まで飲んでいて眠れなかった。それで書き込んだ次第だ。
答えを楽しみにしておこう。
今日は速く寝ますよ。
>182
それは面白い無の言葉遊びだと思います^^
恐らく了見の立場が混沌としているので整理が必要ですね。
まずくろしろ的存在する無は認識論にあたる思います。
したがってこの無は形而上と決別しているはずです。
認識論における無はくろしろ氏の書く通りであり、
これをどう扱うかによって老師無とくろしろ無は
一致するかもしれないという可能性を追うコース。
存在論的論理。
無が何も無いのであるなら無は無いという言明は不可能だ、
これは存在論から導かれる論理になるでしょう。
この場合、無の資質を求める無の存在論コース。
論理的存在論。
Xは(で)ある/ない。YはZである(ない)。
ここは論理が優先して存在を図るため
無はない、と命題を構成したとしても真偽を負うだけ。
かなり答えが見えてるコース。
今のとこ3つに別れるような気がします。
認識論は論理も含まれててかなり万能なのでそっちメインかな?
ちょっとだけ先走っちゃうと。
くろしろ無
(Xの無)=有{Xには存在する物事が入る}
これに基づくとXに(Xの無)を代入したとき
{(Xの無)の無}=有
が得られる。
老師無
X=無{Xには存在しない物事が入る}
このときXにXの無を代入すると
Xの無=無(有なのでは?)
が得られる。
この観点の違いが肝ですな。
では、そろそろ答えるとしよう。
まず、「ない」の中にも無がある、というのからいこう。
「ない」という否定の言葉の中にも無を見出し、無があると思ってしまう。
確かにそのとおり、人間の心とは不思議なものだ。無があるというその思いは
どこから湧き上がって来るのか、そこを考えねばならん。
無は概念として有るとか、意味として有るとかよく言うであろう。
そのような言い方は出来るだろう、言葉は概念であり、意味である。
しかし、それで終わってはいかん。それでは、重要な視点が抜け落ちている。
言葉は、概念、意味、以前に「音」であり「形(文字)」である。
音や形は感覚器官によって捉えられ「刺激」として脳に伝えられる。刺激を感受
した脳は、この刺激に対し意味を付与する。
問題はここだ、「刺激」を受け取った脳はこれを、「有る」と判別しているに相違
ないのだ。まあ、コンピューターの原理と同じようなものだな。
「有る」と判別した刺激に対して、敢えて「無い」という意味を付与する。
ここに、矛盾が生じ、葛藤がおこる。
お前えが、「ない」の中にどうしても、「無」を見てしまうしまうのは、このよう
な脳の仕組みがあるからだ。
どうじゃ、見てきたような事を言うであろうが。
むむむ、しかし、相対無を考えてないとき、
「林檎」と言われ俺の脳は無を感じるか?
(老師)
まあ、続けてくれ。続きが有るんだろう。
たわけ、ほんの一例だ。
これで、全ての無が説明できるわけではないわ。
感覚器官を通して受けた刺激は、実在だ。この実在に「無い」という意味を付与
する。実在と感受した脳と、「無い」という意味を付与しようとする脳の間に綱引き
が起きるわけだな。むろん、形を思い浮かべても、音を心で唱えても、視覚野だの
言語野だのが、刺激を受けることに変わりなかろう。
よく出来た、話であろう。
赤子の方は、後日書こう、今週はちといそがしいでな。
老師は生きているのか?
寒い、この寒さは年寄りにはこたえるな。
それにしても、時のたつのは速いものだ。歳を重ねるごとにどんどん速くなる。
過ぎ去った年月も一瞬の出来ごとであったような・・・
なぜ、そうなのか最近やっと分かった。人は過ぎ去った時を蓄えられた「記憶の量」
で測っているのだということが。
古い記憶は歳と供にどんどん抜け落ちていく。一方、新しい事はサッパリ覚えられん
わしの中の記憶の量は痩せ細っていく。このままいけば、やがて子供にかえり、赤子
にかえり、終わりの一点に向かって収束していくのだな。
がんばれ老師〜語ってくれ〜
人は生を受けた瞬間から、その身の内に記憶を蓄えながら、膨張して行く。
しかし、ある時を境に蓄えた記憶を失い始め、収縮に転じ終わりの時を迎える。
これが自然死だ。
世界もまた同じことだ。一点から膨張を始め、やがて収縮に転じ一点に終わる。
2500年前、さるお方はかように言われた。
自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ、さすれば死を乗り越
えるであろう。
空は、閉じた空間を意味する言葉、わしは、かの人の言葉を信じているのだ。
くろしろよ。
さて、ひとしきり語ったで、糞でもして寝るとするか。
年寄りは、朝が早いでな。
老師、で、赤子の話は?
赤子の話? おぉ、そうであったな、すっかり忘れておった。
お前え、思ったより記憶がいいな。
赤子に有、無を問うのは酷であろう。ここは「ある」「ない」という程度にして
くれ。また認識や判断を問うのも酷だ。「感覚」あたりにとどめて置くのが妥当
であろう。
さて、赤子に「ある」「ない」という感覚があるか、ということになると、これは
有ると考えた方がよいであろう。「ある」という感覚は無論、「ない」という感覚
も遺伝子に元々、組み込まれているものだと思う。
ただ、この感覚がいつ、どの段階で発現するか、ということを言うのは難しい。
が、敢えて言えば、胎児の段階ですでにこの感覚は発現していると、わしは考えて
いる。
胎児は、母の胎内で母の心音を子守歌がわりに聞いておる。羊水のぬくもりを感じ
ている。誕生と同時にこの二つが失われる。赤子は、この二つがないと感ずるであ
ろう。
「有」「無」の認識ということになると、言葉の獲得を待たなければなるまい。
私が用意した答えは
1赤子は先天的に有・無と言うカテゴリーを持っている可能性(カント的)。
2それともまったく経験的にそれらを形成していく可能性。
この二つだ。
198 :
くろしろ@ポストポストマルキシズム ◆/L0M6/JUH6 :04/01/30 19:45
age
199 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 20:23
>>197 くろsろは何時まで(try
そろそろ自分なりの結(trf
問4 「何かがあるためには、あるためのスペースが必要」という事を用い、
無がある事を証明せよ。
ただし、「概念的な何かがあるためには、あるための概念的なスペースが必要」であるとする。
昨日はじめてここに来て、今日読んでたんだけど、
>80の
(1) 無はある・・・A=非A
(2) 無はない・・・A=A
論理的に正しいのは(2)
が、あらゆる事を考慮した上でも一番しっくりくる。
無があるって言った所で矛盾が生じてて、(概念的には「ある」けど)
その不思議な矛盾にスポットライトを当てて探っていく…本当にこれでいいのかな。
矛盾というのはその時点で最高の「否定」で、数学の背理法のように矛盾を理由に否定を証明してしまっても良いと思う。
「タイムトラベルが不可能な事の証明」には「タイムパラドックスが生じる」これ以上の証拠はないんじゃないかな。
なんかこのスレは「タイムパラドックスはどうすれば解決できるか…」という不毛な所にスポットライトを当てている気がする。
いくら理論で無がある事を証明しても、
それは巧妙な(計り知れないほど巧妙)言葉のトリック。悪くいえばこじ付け。
そういう意味で>80のはグっと来た。
だから>80へのレス、>81に僕が答えたいと思う。
無い物なので認識できない。
認識できないというより認識できるかできないかという二択が生じる「対象」にならない。
「でも君は認識してA=Aをしているじゃないか」といわれても、
認識しているのはあくまで言葉としての無で、
このA=Aの本質的な意味はこういうことだ。つまり、
「認識できるかできないかという二択が生じる対象にならない「もの(仮)」は、認識できるかできないかという対象にならない」
ほら、A=Aであろう。
くろしろ君が↑の方で
我々は無を認識しているから移動ができる。無は身体レベルで我々を拘束している。
これを根拠に無の実存「A=非A」を唱えてたけど、納得できない。
仮に認識しているとすればそれは無ではなく空気であり、
そうでなかったとしても!
何も無い「無を認識」して前に進むのではなく、
進めない障害物を認識し、障害物が認識されなかった所に進む。つまり障害物が無い所を認識しているわけではない。
仮に認識していたとしてもそれは言語的な「無」である。
これを裏付ける最も大きな理由はやはりA=非Aのパラドックス。
今、無が実在しない事を直接説明しようとしたけどやっぱり難しい。ぎこちなかった。
やはり直接説明するのでなく背理法を使うのが良い。仮に「無が実在する」とすれば様々な矛盾が生じる。
ちょい追記。
↑で述べた「ある」っていう言葉は全部、概念的にではなく、「本質的に実在する」って意味を含む「ある」ね。
「無」はたしかに概念的には「ある」。そこは譲らざるを得ない。
>(1) 無はある・・・A=非A
>(2) 無はない・・・A=A
>論理的に正しいのは(2)
これがすでに間違っているのでは? 無はただのないではなく、
存在の一様式だから、もともとは「ある・在る」ものである。そう言う
風に無を捉えると。
(1) 無はある・・・A=A
(2) 無はない・・・A=非A
論理的に正しいのは(1)
と言う話になる。
もっと突っ込むと無は名詞であり、存在のなんらかの可能性を現している。
「ない」はここでは形容詞であり、無の何らかの機能の一部を現している
に過ぎない。(ないは否定詞で現れる事もある)
だから、無=ない、ではない。
>くろしろ君が↑の方で
>我々は無を認識しているから移動ができる。無は身体レベルで我々を
>拘束している。
>これを根拠に無の実存「A=非A」を唱えてたけど、納得できない。
>仮に認識しているとすればそれは無ではなく空気であり、
これは前から言っている事だが、無とは一つの概念でなく、辞書に
載っている語のように様々な意味を持っている。ためしに無を議論
するとまったく違う概念どうしで話が通じなくなる。私はこれを細
分化し、明記するよう努力するように提言した。
私は様々なカテゴリーを作った。曰く「空間無」「物質無」「相対無」
「状況無」「不可知」「無知」等々である、これらのカテゴリーは
相互に厳密に排除しあうものではなく、特に状況無などは様々に他の
概念と重なり合う。
さて、ここで人が歩ける状況は「歩行障害無」である。
それは完全な「物質無」ではなく空気は当然存在してよい。
また完全な「物質無」は歩行と対立する。「歩行者」の存在
が「物質無」のありようを損なうからだ。
ここで無には様々なレベルがあり、状況に応じてそれが発生することが
わかる。この意味でこれは「状況無」の一つでもある。
この「歩行障害無」は何であるか? それは存在であると答えよう。
存在だからこそ、別の側から見れば、空気とも呼べる。そう言うことである。
それは「歩行障害無」の中の「空気」と呼べるのである。
また歩行は足が無ければ歩行出来ない事からも、「歩行障害無」
の別の側面は「足があること」ともいえる。これらのことはくり返し続けら
れるがもうこの辺でいいと思われる。
>そうでなかったとしても!
>何も無い「無を認識」して前に進むのではなく、
>進めない障害物を認識し、障害物が認識されなかった所に進む。
>つまり障害物が無い所を認識しているわけではない。
>仮に認識していたとしてもそれは言語的な「無」である。
これは認識論の多様性を、度外視した議論であると言わざるをえない。
問題は要するに認識とは何か? 言語的なものだけを指すのか?
非言語的なもの、つまり感覚や反射も指すのか?
と言うことである。
その他、可能性としてESPなども考えられよう。
ここには多様性がみいだせる。
私はこの例で認識とは感覚や反射も含まれると言う認識論の立場であり、
実際、歩行には感覚や反射で無を認識していると思われるので
その自らの認識論に沿って結論を出しただけであり、
それを批判するのなら、認識は言語だけで行われると言う事を、
まず、論証しなければならない。
209 :
考える名無しさん:04/02/08 19:30
>>208 くろsろは何時まで(try
そろそろ自分なりの結(trf
>>209 くろしろのオナニースレなんかあげんなよ
211 :
考える名無しさん:04/02/08 21:18
>>210 ぎゃはははははははあははははっははははははあっははあはっはは
212 :
考える名無しさん:04/02/09 12:26
無とは何か。
教えてあげない。
213 :
ドロブニャク:04/02/09 18:36
宇宙は有も無も持っているんです。生も死も在るんです。
相反するものが必ず存在します。その両方をひっくるめて
宇宙は「1」なんです。
ところが人間は生まれたときから「生」に偏ってます。
宇宙に存在する両極のうち一方だけを肯定するから(価値を考えるから)
パラドックスが生じてしまうんです。
人間は基準と対象を考える「2」なんです。
人間は死んだら「1」となり宇宙と一体化すると思われます。
このことは解明できたんだけど、しかし僕は生きたい。
だからどうしたらいいかはまだ分からない。
214 :
考える名無しさん:04/02/09 19:27
>>213 お前程度が宇宙の何を知っている?
(´,_ゝ`)フザケタコト ヌカシテンジャ ネエゾ?
215 :
考える名無しさん:04/02/09 19:29
>>215 こんなとこだな。
729 名前:くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆GPtKvtbEvY :04/02/09 20:07
>>710 無論、無がどんなものか? 定義する事が一番大事なのだが、
無を単なる論理として片付けてはいけない。それは経験的にも
蓄積されるものである。
例えば風の有無は人(または何らかの機械)が感じるものである。
この感覚と言うものの有無性、それを考えずに論理の世界だけ
に閉じこもる事は許されない。もし閉じこもると言うのならば、
私は君に石を投げつけよう。身をもって石の有無を感じればいい、
論理的に。
217 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆GPtKvtbEvY :04/02/16 20:44
無とは何か? 1
私たちが無を語ろうとすると、まずそれを定義づけ無ければ
いけないことに驚く、そしてそれがあまりにも多様な範囲に
広がること気付く人は無を語るセンスを持つ。
実際無は、存在のある様式であり、多様な形を持つ。
実際物理的に、無を突き詰めると、あらゆる物質も空間もない
全有宇宙無にすら発展する。
しかしこの、全有宇宙無のなかですら「ゆらぎ」「トンネル効果」
という動きを見せる。これは無の存在性を現すものであるが、
これらのようなものが無くてすら無は在るものであり、存在である。
「在る」ことと「有る」ことの差を知る事、これが存在と無を語る
上で大事な事である。無は存在するか? と言う論議が有るが笑止
である。無は存在であり、当然、存在する。
218 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆GPtKvtbEvY :04/02/16 20:55
無とは何か その2
ここに空間が無い無「空間無」と言うのを考えよう。
それは例えば絶対的に空間が無いものも、布団の入れ所が無いと
いうものも、その絶対度が違うだけで、無と言うことでは変わり
が無い。つまり無と言うことは絶対度を持ち、その絶対度が最高
なものは有をしりぞけ、絶対度の低いものは有と共存する。
空間無の絶対的なものに有が有ることは出来ず、狭い部屋という
のは一つの絶対度の低い空間無に過ぎない。そこには空気や人
様々なものが「有る」、しかし、そこは空間無である。
空間無は絶対度を持ち、様々な存在形式をとるのである。
もちろん絶対的な空間無も含め、こうした全ての事は存在であり
「在る」事である。
悟られる人はこれのみでも悟られよう。
無とは何か?
無とは言葉である。
「無」とは「有」という言葉の差異としてのみ「ある」。
これ故、「無」は有るのか?「無」とは(「ある」ところに)何か?
を考えることは愚問である。
「無」とは限りなく言葉でしかない。
「無」とは(「ある」ところの)何か?
すなわち「無」が「ある」から、「無」という名付けられたわけではなく。
「有」の差異に対して「無」という言葉がつくられた。
言語表現「無」に対する言語内容を何かするかは、
お好きなようにである。
「無」とは限りなく言葉で「ある」。
223 :
考える名無しさん:04/02/16 22:00
さるをなめたらいかんと言ったのに・・・
224 :
考える名無しさん:04/02/16 23:20
バナナも限りなく言葉である
>>222 しかし現実は有の対象語としての無では話が追いつかなくなってきている。
実際原初の宇宙の無のときも、まったく有と言うものが存在しないのに、
無は揺らいだり、活動している。無はまったく言葉と言うよりは存在
として捉えるしかない。
226 :
考える名無しさん:04/02/21 07:07
「無はただのないではなく、」「だから、無=ない、ではない。」
・・・日本語大丈夫?
227 :
考える名無しさん:04/02/21 08:19
ム
228 :
考える名無しさん:04/02/21 16:38
goo辞書に「無」はなかったな。
「無い」ならあったが。
さすが「無」
>>225 >しかし現実は有の対象語としての無では話が追いつかなくなってきている。
>実際原初の宇宙の無のときも、まったく有と言うものが存在しないのに、
>無は揺らいだり、活動している。無はまったく言葉と言うよりは存在
>として捉えるしかない。
それは無ではありません。人は無を認識できない。
たとえば宇宙空間は、星などの「有」がないとところを「無」とは
とらえない。それを「無」ととらえれば、認識の穴が開いてしまうからです。
だからそれは「真空」(がある)といわれます。
たとえば、目の前のTVとの間は「無」とは言わない。
「空間がある」といいます。
それは「無」は限りなく言葉であり、
その中身自体を考えることはできない。
そして認識の破れをふさぐために、「無」はあるのですね。
>それは無ではありません。人は無を認識できない。
ド阿呆。
高等数学で見事表現しておるわ。
豆腐の角に頭打ってシンデクレ。
>>230 表現してという時点で、無ではない。という意味は理解できますか?
マルクス主義者とイスラム原理主義者は
どちらが頭が固いかはなかなか難しい問題ですね。
▲▲▲ プラスとマイナス ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
時(運動)は流れて変化(分裂、融合)を生じます。
質量。つまり重力ですが、これも電磁、光熱などと同様に【宇宙の変化
の一環】に他なりません。宇宙ではこの重力という実体の無いものの働
きにより分裂と融合が行なわれます。
【重力といのは対天体に働く二つのベクトル↓↑です】
現在物理学では重力には引力しかなく、反重力はないとされていますが
これは誤りです。
A水蒸気 B熱気球 Cロケット
a地球
一般にはABCの動きを反重力とはいいません。例えばBとCではまるで
別物の力の働きだとしてみてしまいますが・・・確かにその通りです。
しかし別物と認識するにはB対C、C対Bであり、対aつまり対地球的な視
点ではないのです。重力の考え方は対地球的でなければなりません。
人はロケットをロケットとして認識しますが、そのような認識を必要とす
るのは人位なものです。宇宙の原理を知るにはそのような認識は必要
ではありません。対地球的な視点に立てばロケットも単なる物体(個体・
有)でしかないのです。そしてその物体と地球の関係は二つのベクトルに
よって成り立つのです。
引力が発生するには必ずその反発力(反重力)が存在します。雨が降る
には水蒸気となって上がった過程があります。リンゴが落ちるのはリンゴ
の木が引力に逆らい成長し、地中の水分を吸い上げた結果なのです。
熱気球だから、ロケットだからといって地球との関係に特別な数式は必要
ないのです。現在の物理はこれらの考え方を無視していますが果たして
無視していいことなのでしょうか。物理では電磁と重力はまったく別物でま
るで統一できないというようなことを聞いたことがありますが・・・どちらもこ
の宇宙の変化の一環なのです。数値にしてもプラスとマイナス。マイナス
は【プラスの反】なのです。
http://aa4a.com/chichannel/過去投稿一覧8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
>表現してという時点で、無ではない。という意味は理解できますか?
その表現できないとぴかーが思っている無を、高等数学で、揺らぐ所
まで表現しているの。つまり原初の宇宙は無で、それがどうだったか
表現しているわけ。大体無が表現できないものなら、なんで、ぴかー
は無が表現できないと表現できるんだ?
つまり無が表現できないってのは、ぴかぁ〜が定義しただけでしょ。
同じように知ったら無じゃない不可知にあわせて不表現としようか?
でもそんなものと、現実の宇宙物理学者が原初の無について表現して
いるものがある以上、ぴかぁ〜の定義なんかに付き合ってられないで
しょ。わかる?
後半書き直し
でも現実の宇宙物理学者が原初の無について表現している以上、
ぴかぁ〜の定義なんかに付き合ってられないでしょ。わかる?
>>235 >表現してという時点で、無ではない。という意味は理解できますか?
理解できます。その答えは後ほど。
▲▲▲ 光熱 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
★熱力学第二法則・熱は自発的に冷たい物から熱い物に流れることはない。
|―――― │───
|高|低| │ │ │
| → | │同 温│
|温|温| │ │ │
――――| ────
物理では熱力学第二をいろいろな形で説明していますが、その内の一つ。
A:高温の物体と低温の物体を接触させると高温から低温に熱は流れるが
低温から高温に熱は流れることはないと物理では説明しています。
確かにサーモ何とかというやつで赤い部分(高温部)の流れを見ると青
(低温部)に流れ込みます。しかしこれは【熱を熱いもの】であるとした場合
であって、【熱を冷たいもの】と仮定すると青が高温部に流れ込みます。
実は熱というのは【熱い、冷たい、をひっくるめて熱】なのです。
よって【熱の流れは熱くもなり↑寒くもなる↓】ということがいえます。
夏になれば・・・冬になれば・・・・・・当たり前のことです。
B:次に高温と低温の二つの物体を接触させておくと同温になり、高温と
低温に分かれることはないと物理では説明しています。
確かに常温の実験室で考えるとその通りです。しかし夜一定の温度を持っ
た岩が朝日を浴びると境界線こそはできませんが高温部と低温部になり
ます。宇宙空間においてはもっと温度差が出るそうです。自然現象というの
はあいにく実験室みたいな常温ではないのです。
熱力学第2はすべて人間の勝手な基準設定により成り立っています。
これに関連するものにエントロピーがありますがこれも【閉鎖系】が前提
になっていますが本当に熱を閉じ込めれるものなのでしょうか?南極に
魔法瓶にお湯でも入れて持っていけば解るでしょう。
★熱力学第一法則・熱は運動エネルギーである。
これも糞にあたります。仮にこの世に熱が無いにしても磁気や重力で運
動は起こります。それに対し、時間が無ければ運動は起こり得ません。
運動に直接結びつくのは時間なのです。そして熱は光なのです。
http://aa4a.com/chichannel/過去投稿一覧8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
何かが違う。何かが。
十二使鳥さん、それって無と関係有るの?
現実の宇宙物理学者が表現する原初の無ってなに?(w
>>243 あんた、単純に無知なだけじゃん。「(w」使う権利なし。
つまり宇宙は空間も時の流れも無い「無」が揺らいだり、
トンネル効果と呼ばれる現象で、宇宙の素がほろりと
生まれるんだと。ホーキングなんかが唱えてる理論だよ。
宇宙論の簡単なのみてごらん。
訂正
つまり宇宙とは>つまり原初の宇宙では
>>244 その程度の知識で、現実の宇宙物理学者が表現する原初の無
というのはあまりにあまりですよ。
まず宇宙論的にビックバン前がわからないから、
それは「無がある」として、「認識の穴」がふさいだわけです。
それをさらに「有」化しようとして、インフレーション理論とか
色々考えられてるわけです。
これを「無」を表現しえたと考えてはダメですよ。
単なる言葉遊びです。
簡単な本読めばわかりますよ。
三次元図でビッグバン前後の構造図が書かれていますから。
無とは何か?
無とは言葉である。
「無」とは「有」という言葉の差異としてのみ「ある」。
これ故、「無」は有るのか?「無」とは(「ある」ところに)何か?
を考えることは愚問である。
「無」とは限りなく言葉でしかない。
248 :
考える名無しさん:04/02/21 21:06
差異?
>三次元図でビッグバン前後の構造図が書かれていますから。
インフレーションの図式の前には「空間も時間の流れ」も無い
無が表現されているわけだが、それを信じるなと言うことは
ホーキンスを論破しろと言うことに等しい。俺はそれよりは
ぴかぁ〜を黙殺する道を選ぶ。
大体無は言葉ではない。存在だ。存在があってその指示対象
として無が在るわけだ。コップと同じだ。
これは無を研究してやめて2年間の俺のキャリアからいえることだ。
書き込めるかな
そもそも無とは何を指示するのか?
そこから始めなければならない。
まずコップがなぜコップになるのかから始めよう。
真のコップは存在しない。
どのコップも微妙に食い違う、ミクロン単位で見れば
同じものなど一つも無い。
だがハンディサイズで、飲み物を入れる、陶器やガラス
で出来た一連の物を私たちはコップと呼ぶ。
つまり、コップと呼ぶ概念があって(これだけだとぴかぁ〜
の言う事の言葉だけだ)、そして現実に指示
されるものが在るから、コップは存在であり、私たちに
指示されるわけだ。
では無も同じことだとはいえないか?
無が言葉だけで無く存在するなら、その支持される現実が無ければ
なら無い。
さて、無一般を指すとき、それは幅広い表現で、様々な意味を持つ
ので、どれが無だとは言いえない、先ほどぴかぁ〜の言った、
不表現も無の一つだろう。だが彼はそれを言葉の中の言葉として
言ったのだろうか? ではすでに言葉となってしまっている以上
これは論理矛盾である。それを指す言葉すらありえないというこ
とになる。
>>252 訂正
その支持される現実が無ければ>その指示される現実が無ければ
▲▲▲ 統一 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
小物のボーア君も東洋哲学をしてたそうで・・・・・老子を引用します。
老子 第40章 (中国の古典2 麦谷邦夫訳 学習研究社)
根源に立ち返るのが道の動きで:、柔弱なのが道の働きだ。
この世界の万物は有から生じるが、その【有は無から生じる】のだ。
よく問題にされる[有は無から生じる]を解りやすく現しているのが交流発
電機で、磁石【SN、NS】をくるくる回すだけでコイルに電子が発生します。
磁気というものには実体といえるものはありません。その実体のない磁気
【無】が実像的な電子【有】を生み出します。ビックバン説などのように何も
ないところから物体が生まれるというのとは違います・・・の訳がない。
重力にしても熱気にしても同様でこの実体のないものの働きにより実像的
な現象を生み出すのです。重力
>>233>>234光熱
>>239>>240 軽軽熱熱S S
↑↓↑↓↑↓
重重冷冷N N
第42章
道が一気【↑】を生じ、一気が陰陽二気【↑↓】を生じ、
陰陽二気が交わって陰陽冲和の三気【=】が万物を生み出す。
万物は陰気を背負い陽気を抱き、冲和の気によって調和を保っているのだ。
一気というのは【一つの方向性、時間(生命)】のことでですが時間には実
体はありません。その実体のない時間が実像的な【運動】を起こします。
一気を宿したものはやがて陰陽二気、つまり実体のない二つのベクトルを
生み出します。つまり物理的には【陰気を有した雌】と【陽気を有した雄】
との間で【融合と分裂】という【変化】を起こします。変化は全体に対する個
というものを決定づけるものであり、それは全体の時間(ひとつの時間)に
対して固有の時間というものを決定付けるものでもあります。
重くなれば(↓)大地に融合され、軽くなれば(↑)大地から分裂し、冷たくな
れば(気体→液体→固体)融合され、熱くなれば(固体→液体→気体)分裂。
さて、同極は引き合い、異極は反発するという現象こそは見ることができ
ますが、磁気でも↑↓で融合と分裂が本当に起こるのでしょうか?
これは極微の世界で認識することができます。対消滅と対発生です。
二つのベクトルは、分裂する時、融合する時に、起こります。しかし分裂し
た後、融合した後、は【気の変動はなくなり冲和(=)】されます。
観測というのは観測対象となるものの磁気変動をとらえ、その磁気変動が
観測者側に実像を生み出すのです。よって磁気変動がなくては観測でき
ません。それがあたかも物体が真空に対消滅したり、真空から対発生して
見えるのですが、これはただの融合と分裂なのです。
何もないところから物体が発生したり、消滅するわけがない。
自然界に存在する4っつの力?熱はどうする?生命は?生命だって自然
界に存在するもの。物理学の統一理論はまるでダメ。未だ電磁と重力すら
まとめれない始末。つまり理がないからいつまでもまとめれないのである。
人も時間(魂)を宿し変化を成します。【この世は有と無からなる】のです。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
ここで、ぴかぁ〜氏は無がまるでわかっていない事が暴露される。
彼は無が表現されないといいながら、「無」、「無」と繰り
返していたわけだ。
このように、人びとの無一般に対する理解は浅く、それは
様々なものを無と言うわけであるが、ここでは時間も無いので
在る特殊な無を表現し、それが実際に指示すべき対象があること
を示して今日のところは切り上げたい。
それは「相対無」と言う概念で在る。
つまり、或るものが在るがために、そこに他のものが存在できない。
そういう無である。つまりこのレスが在るために他のレスが無い
そう言うことである。これは、現実の存在を指示している。
決してただ言葉だけの存在ではない。
これに関してはコップに議論が思い出される。コップはコップ
と言う概念があったため、コップ的存在を示しえた。コップと
言う便利な概念が無ければさぞかし苦労しただろう。
「相対無」もそれと同じ事である。「相対無」と言う便利な概念
を得た為、諸君らは今「相対無」と言う存在を示しえた。
ここでは「存在」を示すという事が重要である。
存在は有ることだろうか?
そうでは無い。それは無いことも含むからこそ存在である。
「在る」ことと「有る」ことは違う。
コップは存在の有の一形式である。
相対無は存在の無の一形式である。
▲▲▲ 量の起源 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
人々は宇宙を途方もなく大きいものだと認識していますが、実は宇宙は
とても小さいものなのです。
ネズミは人間から見れば小さな生き物ですが、ダニにしてみればネズミ
は大きな生き物です。そしてダニから見た人間は途方もなく大きなものな
のです。その途方もなく大きな人間も鯨から見れば尻尾の先でしかありま
せん。その鯨も・・・ 実はこの宇宙というものは神様の鼻くその一部でしか
ないのです。【我々人間は大きいものを大きいと認識して、小さいものを小
さいと認識していますが、果たしてそれらは真に大きいものであり、真に小
さいものなのでしょうか?】
【この世は有と無から成ります】
まず、何も無い空間。その空間には大きさも重さも何もありません。
全ての【認識は不可能】です。
次にその何も無い空間に一点の有(物体、個体)をイメージします。
そこから【認識は始まり】ます。
無(空間)は有(物体)に働きを与え、有は様々な現象、実像を起こします。
一点の有には一方向の時間(無)という実体の無いものの働きにより運動
(有、変形)が起こります。
時間を宿した有はやがて二方向の実体のないものの働きによりAとaの
二点に分裂(有)されます。
Aとaの分裂は新たなる個々の時間の発生を意味しますが、同時に一つ
の全体の時間というものにAとaは繋がれています。
A★ ★ B★ ★
さて、AとBの星から星までの距離はAは→Bより距離が短く、Bは→Aより
距離は長い。といえますが、このAとBの量の違いは空間(無)の違いでし
かありません。しかし空間(無)そのものには量はないのです。何も無い空
間に二つの星(有)が存在することで、始めて量としての働きが生まれます。
重さ(地球と林檎)にしても同様で【量は空間(無)と二点(有)で決まります】
二点の内の一点(基準)は我々個々に存在しています。
その(人間)基準から見れば宇宙は間違いなく大きいものなのです。
【我々人間は大きいものを大きいと認識して、小さいものを小さいと認識
していますが、果たしてそれらは真に大きいものであり、真に小さいもの
なのでしょうか?】この愚問には基準が存在していません。量の認識は
不可能。となります。
そしてこの逆が人間の言葉でいう【無限】です。基準は存在しても量を決
定するもう一点がないものです。
【無】は限りがありません。大きくも小さくもなく、広くもなく狭くもありませ
ん。しかし人間は量があるかのごとく無限【大】などとして形容します。
無限に大きいものは存在しません。分かる範囲のみが量として成立する
のです。つまり量は【有限】なのです。
http://aa4a.com/chichannel/ 8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
書くのが面倒なので空間無についてコピペ、
これも現実の指示対象を失った存在
《言葉だけの存在》ではない。
無とは何か その2
ここに空間が無い無「空間無」と言うのを考えよう。
それは例えば絶対的に空間が無いものも、布団の入れ所が無いと
いうものも、その絶対度が違うだけで、無と言うことでは変わり
が無い。つまり無と言うことは絶対度を持ち、その絶対度が最高
なものは有をしりぞけ、絶対度の低いものは有と共存する。
空間無の絶対的なものに有が有ることは出来ず、狭い部屋という
のは一つの絶対度の低い空間無に過ぎない。そこには空気や人
様々なものが「有る」、しかし、そこは空間無である。
空間無は絶対度を持ち、様々な存在形式をとるのである。
もちろん絶対的な空間無も含め、こうした全ての事は存在であり
「在る」事である
264 :
考える名無しさん:04/02/22 08:28
コップと無に同じことが言えるとかいうヤツは本当のバカだな。
無を既に存在としているという条件でしか成り立たない事を長々と語られても。
ぴかぁ〜の言っている事の方がまだ納得できる。
「十二使鳥」は、ぴかーなの?
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
何も無い所から一点の基準という種が生まれました。その一つの種から
プラスとマイナスの二つの方向に幹と根が伸びました。一本の幹と根は
は足し算と引き算。掛け算と割り算。と枝分かれし・・・更に微分、積分と
・・・そして大きな数学という大木ができあがりました。
人は一つの方向性を求めたがります。一つの基準からこれは良いこと、
これは悪いことと。しかし自然は容赦なく二つの方向性を与えます。
アメリカに言わせれゃテロリストは悪で正義はアメリカ。テロリストに言わ
せりゃアメリカは悪で正義はテロリストと。どちらが正論なのでしょうか?
・・・どちらが正論かは私には解りません。ただいえることはどちらも真実
なのです。正論でないからとして真実を葬ることはできません。
二つの方向性が入り乱れる中、真実という一つの方向性(時間)を基にして
人間も、この世に存在しているのです。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
くろしろさんへ
ぴかぁ〜は頭いいよ。
・・・俺様程ではないけど。
>くろしろ
ぴかぁ〜は無の指示に関して言っているのではないよ
無の使用に関するメタ表現を行っている
意味分かる?
>ぴかぁ〜は頭いいよ。
でもここまで論理的思考能力のない人は珍しいと思うけど。
日常生活でもすべて思いつきで行動してそう。
>>264 ならば相対無が存在ではなく、言葉だけと言う事を論証してもらい
たいものだ。
そう言う方式を行えば、コップですら言葉だけと言う結論にも達し
うる。
その存在が条件となっている事派もちろん詳しく語られなければ
ならないが、それには時間がかかる。
>>268 ぴかぁ〜無のメタレベルである表現について、それが実体だと
思い込んでいるだけ。しかも、無は表現しえないと言うのが、
彼の持論にもかかわらず、無は言葉と言い張っている。なにをか
いわんやだ。
指示する事が重要なのは俺が指摘した事、
何故ならそうしないと、言葉
後半追加
指示する事が重要なのは俺が指摘した事、
何故ならそうしないと、言葉が現実ウォ指し示さないからだ。
さてでは相対無はただの概念に過ぎないとしよう。実際に或るもの
が存在するとき、或るものは存在しないということは在るのだが、
それには目をつぶり、ただの概念だとする。概念は存在を指示でき
ない。
ではコップはどうだろうか? コップは相対無より我々になじみに
なっていて概念だとは思えないが、それは概念である。概念が存在
を指示できないとなれば、とうぜんコップもまた概念どまりの存在
だということになる。
ここで感覚を持ち出す御仁も居るかもしれない。
コップには触れられる。感じる。
では相対無は感じられないか?
人は歩くとき、物の無いほうに向かって歩く、
つまり空間が在るがゆえにものが存在しない、一種の
相対無を感じているわけだ(歩くときにいちいち物の
あるなしを考えないくても歩けるから)。
ここに至って、コップも相対無も感じる事が可能だと
言う事になる。これはまた、無は言葉だけ(しかも何故か
表現できない「言葉でありながら」)、というぴかぁ〜
の発言が無効だと言う事になる。
存在、「在ること」が「有ること」と違うとする、私見について、
ここで補助的に書いておけば、端的に「有ること」を「在ること」
とするならば表現できないような事柄が色々出てくるからだ。
特に無を語るに際して、上記の相対無などと言う事をどうして
「有ること」だけで語られよう。「有ること」では語りえない
「在ること」が存在するからこそ。「在ること」は「有ること」
では無いのである。
理系の観点から言わせてもらう。
数値化とは基準(概念性)の量化。
定式化とは関係(法則性)の量化。
単にそれだけであって物理や数学を
都合のいいように存在論に利用しないでくれ。
「存在することとは」や「何があるのかについて」
こういったこととは関係ない。
ホーキングとかの安易な引用は撤回してほしい。
277 :
考える名無しさん:04/02/22 13:58
0は何を量化したものなの?
天皇
>>277 ある基準に基づき数値化された何が0という値なのかによる。
単位なしに0と聞かれても答えられるのは0の基準化にしかならない。
普通0だけ取り出して言わんだろ。数字の0のことなのか?
>>276 それはホーキングの宇宙の原初論がどういった意味で、
どういった意味合いに基づくからこうしろと言わねばなるまい。
端的に基準や関係の量化だからどうしろと言われても、
どうしようも有るまい。
それに自分には自明の事に思われる「無は存在の一形式である」について
これ以上何か書かねばならないのだろうか?
だとすれば、私は自分の上に降りかかった事柄(もちろん無について)に
ついて語らなければならない。
282 :
考える名無しさん:04/02/22 19:56
0の基準化とはなんだ
そんな数学用語があるのか
283 :
考える名無しさん:04/02/22 21:00
単位が無ければ数学はできんのか
驚いた、初めて聞いた
>インフレーションの図式の前には「空間も時間の流れ」も無い
>無が表現されているわけだが、それを信じるなと言うことは
>ホーキンスを論破しろと言うことに等しい。俺はそれよりは
>ぴかぁ〜を黙殺する道を選ぶ。
>大体無は言葉ではない。存在だ。存在があってその指示対象
>として無が在るわけだ。コップと同じだ。
>これは無を研究してやめて2年間の俺のキャリアからいえることだ。
どうしましょうね。2年間のキャリアと言われると
同情しか生まれませんよ。
それをぴかぁ〜はどうとかいうのも、レベルの低さを物語っているわけです。
宇宙論が示していることは簡単にいうと、
簡単にいえば、空気を知らない人たちがいて、
A水が満たされたコップと、B満たされないコップがある。
Aのコップの中身は水がある。
Bのコップの中身は水はない。では何があるのか???「無」であるとした。
しかしその後、空気が発見される。
くろしろ「「無」は解明された!」
ぴかぁ〜「はぁ???」
ってことですよ。
くろしろさんにこんなに頭悪かったの???
>>280 じゃあ端的にいうよ。
真空エネルギーという基底と励起の関係を持った式化可能な媒体はなんなんだ?
ホーキングは物質はなくとも虚軸を考えれば成り立つ関係式を導いたんだろ。
0基底を揺らす(相転移を許す)相がどんなだとかホーキングは言及したのかと聞きたい。
>>282 んな用語はない。
正確に書くと
>>277が0が導かれる基準について知りたいのか
0という値を許す単位系(基準)のことなのか分からんということ。
>>283 だから数字(数)のことなのか?と付け加えておいただろ。
289 :
考える名無しさん:04/02/22 21:51
スゴイ人が一人いるね(;゚Д゚)
このスレ保存しヨっと・・
>>287 >ホーキングは物質はなくとも虚軸を考えれば成り立つ関係式を導いたんだ
何言ってんだかわからない。専門用語使っても意味ないね。こっちはあ
んたのお仲間の物理屋さんが天文屋さんが出版した本見て書いてるんだ。
お仲間同士いさめあったらどうなんだ。
>ぴかあ〜
空間無の所、読め
>>263。無の絶対度が低ければ有と共存する。
だから、コップの中は無で空気なんだ。
或る一つの対象が二つの存在であることはありうる、
先生が黒板にチョークで「あ」と書く
先生「これは何ですか?」
生徒「あ、です」
先生「いや、チョークの粉だ」
両方とも間違いって訳じゃない。
>>291 実は最初からわかっていましたが、白黒さんの考えと
私の考えは実はそれほど離れていない。
しかし白黒さんがそれを理解できず、煽るので反論してきたのですよ。
ちょっと冷静になって考えればわかることです。
>ぴかぁ〜無のメタレベルである表現について、それが実体だと
>思い込んでいるだけ。しかも、無は表現しえないと言うのが、
>彼の持論にもかかわらず、無は言葉と言い張っている。なにをか
>いわんやだ。
ぴかぁ〜は無が実体であると思いこんでいると、白黒さんが思いこんでいる。
>空間無の所、読め
>>263。無の絶対度が低ければ有と共存する。
無と有と共存するの当たり前。最初からそういっている。
無とは、有の世界に開いた認識の穴をふさぐための有だといっている。
白黒さんは馬鹿というよりも、おっちょこちょいさんですね。
>>291 何言ってんだかわからないんだったら
291が見た本に書いてあることの部分を抜き出して
持論に肉付けするのはやめてくれないかと言っているんだが。
あんたの持論はホーキング解釈を除けば間違ったものではない。
物理関係は理論ばかりが先行して実験が追いついていない領域が多過ぎる。
巧く式化できれば何でもありというとんでもない面があるので
露骨な表現は勧められない。
>>292 >ぴかぁ〜は無が実体であると思いこんでいると、白黒さんが思いこんでいる
いやだから、「無のメタレベルである表現レベルで」ぴかぁ〜は無が存在
している(実体である)と思っているといいたかったわけ。
ぴかぁ〜は「無は表現できない」なんて自己矛盾した発言もあったが。
だから
>実は最初からわかっていましたが、白黒さんの考えと
>私の考えは実はそれほど離れていない。
わけではなく、結構離れている。
無が表現レベルで存在する認識の穴だというぴかぁ〜と
無が現実レベルで存在するものだとする俺の考えではまるで違う。
両者が有と無が共存する事が出来るといってもだ
>>293 >物理関係は理論ばかりが先行して実験が追いついていない領域が多過ぎる。
>巧く式化できれば何でもありというとんでもない面があるので
>露骨な表現は勧められない。
わかった。なんとなく問題の意味はつかめた。
今後は留意したい。
>無の絶対度が低ければ有と共存する。
あほか。
程度があるなら「絶対」じゃねーんだよ。
297 :
考える名無しさん:04/02/25 16:30
>>294 >いやだから、「無のメタレベルである表現レベルで」ぴかぁ〜は無が存在
>している(実体である)と思っているといいたかったわけ。
そう思い込んでいるってぴかぁ〜は言いたいんだろ。
その通りじゃん。
298 :
THE グル:04/02/25 16:44
いいですか、
「無」とは「認知外」なんです。
よく「無」イコール「何も無いこと」と、勘違いするクソマヌケが数多くいますが、
そんなんだから、「無」が何であるかについて解からん人が増えるのです。
「無」イコール「認知外」あるいは、「認識外」
こうすれば、すべて謎は解けるんです。
これが断言できます。
「無」が存在すると言うこともこれだと簡単に理解できます。
そうですね、「認知外」が存在するこうなります。
無為というのも「認識外」の為すことという意味でありまして、
我(エゴ)を離れたことを為すというスラングなんです。
いいですか、これが定説なんです。
どうかしましたか?
299 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/25 19:25
>>296 >>程度があるなら「絶対」じゃねーんだよ。
私が言いたいのはこういうことなのだ。
つまり、絶対と言ってもその範囲がある。
空間無について言うと、
1布団がもう絶対入らない押入、布団より少し小さい
ものなら入れることができる
2缶ジュースがもう絶対入らないクーラーボックス、缶ジュース
より少し小さいものなら入れることができる。
3豆粒がもう絶対入らない袋、豆粒より小さいものなら入れるこ
とができる。
4原子の絶対入らない空間、原子より小さいクォーク等なら入れる
事ができる
5最絶対的空間無、空間が全くないので、どんな物質もは入れない。
このように分類すると1から5番まではある種の度合い、程度がある。
その番号が大きくなるほど、空間は小さく、ないしは消滅する。
番号が大きいものは、その小さい番号より空間無における絶対の範囲が大きいので
このような分類に対して絶対度と名付けた訳だ。
まあ、確かに絶対度と言う言葉自体辞書にも載ってないし、フィーリングで
名付けただけだから、「絶対の範囲の大小」くらいにしておいた方がいいのか?
よくわからん。
いずれにせよ、これは使える概念である。以前私は最絶対的空間無のような
概念しか思いつかなかった。しかしこの概念の導入により、より弾力的に
無を捉えられる事になった。
認識世界に無は存在するのか?
301 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/25 19:32
>>297 ぴかぁ〜がその認識に立つならば、無が現実であると言う俺の
立場とは相容れないはずだ。それを近い立場だって言うから、
改めて指摘してやっただけだ。
>>298 そういう無は「不可知」って言ってもう俺的にはもう分類済みな
のだが、あんたの言っているのはいろんな人が思いつく無の概念
のうちの一つに過ぎない。
ほ〜う、無が現実とな。
これは奇遇。
303 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/25 19:47
無も馬鹿に出来ん。
去年から遊びで考えていたり放り投げたりしていたが
無から存在について思考が及び
ついに俺も唯在論と言うのを考え付いた。
マルクスの唯物論を批判的に継承したもので、
今日思いついたのは、マルクスの上部構造、下部構造の議論
をもっと還元的に捉えられないか?
と考えたものだ。
下部構造を存在だけにし、上部構造に経済、政治、宗教、文化、等々
の人間的活動をおくものである。
上部構造の一連の人間活動はお互いに相互影響しあう。
その影響力の強さはその人間活動の有や無の度合いによって決まる。
基本的に有から無へと影響する。マルクスのモデルでいうと、経済
の有の度合いがほかより、高く、よって他の部門に影響する。
304 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/25 20:00
これはマックス・ウェーバーのプロ倫なども説明できる。
この場合、宗教の部門の有の割合が高まり、存在しえたゆえに、
経済等に影響する。つまり近代資本主義経済の立ち上げに
影響した。と言うわけである。
どのようなものであれ、有であれ無であれ、その存在の仕方
が、他の部門に影響を与えると言うものである。有は無へ移行し、
無は有を受け入れる。
マルクスの言うように普段経済が優勢であリ、それが他を決定付ける
と言うのは経済と言う活動を人間はやらねば生きていけないからだ。
それを認めたうえで、私は合えて存在と経済を引き離す。
例えば非経済的な人間存在と言うのはありうる。
世間と隔絶した断食僧などがそうだ。
これが戦争時とかになると、政治が有の度合いと高め、他を
影響する。
ここで疑問なのは経済とはそもそもなんだ?
と言うことである。
305 :
THE グル:04/02/26 12:49
>>301 いいですか、
あなたは説明がややこしいだけで、
解かりやすい平易な文が書けないクソマヌケさんということが良くわかりますね。
まあ、このクソマヌケというのは定説語でしてダーティーハリーと申します。
「不可知」ですか、それを聞いてなにがわかりますか?
偉そうに哲学用語や横文字を並べて自己満足しているだけならいいんですがね。
そして、
>あんたの言っているのはいろんな人が思いつく無の概念のうちの一つに過ぎない。
と言っておられますが、
「いろんな人が思いつく無の概念」と言うあなたの定義以外に他にあるというんですか?
306 :
THE グル:04/02/26 12:50
これが定説です。
どうかしましたか?
>>298 「コップに水が無い」ときの水の不在(無)というのは
水の認識(認知)外ということなのか?
「認知外」だけでは言い表せてないと思うのだが。
308 :
THE グル:04/02/26 13:32
>>307 いいですか、
「コップに水が無い」の無いはemptyですよね。
nothingではない。
つまり、あるはずのものが無いという状態なんです。
コップは液体を入れるという役割がありますね。
しかし、役割に反してそこに何も入っていない状態がその空っぽの状態なんです。
あくまでここでは、コップが主体の状態であり「無」ではない。
意味づけられた「無」は「無」ではないのです。
これが定説です。
どうかしましたか?
310 :
THE グル:04/02/26 13:59
>>309 いいですか、
では、あなたにお聞きしますが、
0(zero)は、「無」でしょうか?
もしそうなら、負の数である「虚」はどういった性質を持つとお考えですか?
いえ、ただ単純に知的な好奇心として聞いただけです。
311 :
考える名無しさん:04/02/26 14:14
>>310 慎重に答えるね。
くろしろ氏とポール氏が「無は存在する」という命題で
議論してたんだけど、ここで全く異なる立場が現れるのは
「無」をどういう扱いにしているかで根本で異なっていたから。
それは確定記述化の問題と指示対象をもたない記述なのか語なのかの問題。
だから
>0(zero)は、「無」でしょうか?
上記の問題のどれについて考えているかで異なる。
私としては同一・不変・原点(同一・不変から導かれる)が
0(zero)の概念だと考えるから確定記述を認めるならば
無と見なせる場合はあると言える。
正数における負の数は虚ではないと思う。正の数にキラリティを応用したものであり
感覚としては左向きの正の数としてーの符号をうってある感じかな。
虚数(複素数)は想像概念数だと思われる。
313 :
THE グル:04/02/26 14:22
>>311 質問している意味も分からんクソマヌケがなぜ文句を言うのですか。
「つまらん」というのことは「無」ですか?
いいえ違いますね、意味づけられた「無」は「無」ではないのです。
これが定説です。
どうかしましたか?
314 :
THE グル:04/02/26 14:31
>>312 いいですか、
あなたはどうやら質問している意味が良くおわかりのようですね。
確かに、あなたの言うことには、一理あると思われますし、
立場が「0」を規定すると言うことは、正しいのだと思います。
ただ、>正数における負の数〜想像概念数だと思われる。
の記述は安易に合点がいきませんね。
というのも、
どうして−1×−1が1になるのでしょう。
そもそも、虚数と虚数の積とはいかなる現象で、
それがまた実数になるとはいかがなものでしょう。
リンゴを食べてしまって無い状態が0。負の数とは一体なんでしょう。
寒暖計で−1度これの積はプラス解に成りえるのですか?
と言うことを考えるに至ると、数理の「無」と哲理の「無」の認識の幅があると思われるからであります。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>314 積というものを意味分解するには少し記述が足りないと思われる。
ーという符号は反対の方向にという意味がある。
-1×-2=2となるのは正の方向と逆方向に0から1の距離をとる
ものにその2倍化した距離を反転させたものであると言い換えることが可能。
温度計の値も上記の意味分解を行えば積を構築できるよ。
リンゴが-1個あるなんて普通言わない。でも借金が-500円あるとは言えるね。
これが応用という考え方だと思うよ。
逆に虚数に関してはこっちが決めた想像数だから
その意味を問うことは規約違反に当たる。現象の言明責任を逃れるものだと思う。
つまり複素数とはそういうものだという言明が可能。
316 :
THE グル:04/02/26 15:01
>>315 いいですか、
グルは、少しあなたを試してしまいました。
というのも、こういう簡単なことにすら解を与えられないクソマヌケさんが多くいるからなんです。
>逆に虚数に関してはこっちが決めた想像数だからその意味を問うことは規約違反に当たる。
というのはいかがなもんでしょう。
ここに不文律を設けては、「虚」も「無」も藪の中になってしまうと思われますね。
「無」はあくまでも「無」でなければならないわけでなく、
カオスとしての「無」があることも事実なんです。
もっとも、理論値としての「絶対無」は、その議論の性質上存在しますがね。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
>>316 規約違反という表現はやめにするけど完全に形式操作
にしか見えない、複素数って。だからそれ以上のことが示されない。
変に意味を与えようとするから虚と言う言葉が響くのではと思うのだが。
そもそも虚数は√(二乗して中の数になる)の意味分解と
負の数同士の掛け合わせの意味分解を同じだと考えるから
発生する問題で有り、形式操作と考えれば何も問題ない。
319 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 18:13
>>305 (うんこちゃん)
>>303>>304は
あんたに当てたレスじゃない。ただ思いついた事をメモ的に書いただけだ。
だから理解できんならそれでよし。
俺はただ
>>301で
あんたのような無の考えはよくあるということを言いたかっただけだ。
こういいスレに長く居るとあんたみたいのが居るんだ。
無は知る事ができんものだとかなんとか。
俺はそれを「不可知」正確には「無の不可知」と名づけている。
無を議論するとどうしても定義が人それぞれになる。
だからそれをラベリングして相対的にみながら共通の一般的傾向
を探そうと言うのが俺の立場だ。
俺は無を存在の一形式としか定義しない。
今の所。
320 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 18:21
321 :
THE グル:04/02/26 18:21
いいですか、
では、暇なんで「無」の定義を書いておきましょう。
無(Nichts)は絶対的に有(Sein)に非ざるものをいい、
またそれは、有と対立するものではなくして(有に対立すればその限り有とも考えられるから)、
その対立をも絶した言葉通りの絶対であり、実は無とすら名づける事が出来無い、
次に、実在(Realitat)と対立するは、その否定としての無(Negation)でして、
有の極微も一種の無の概念であります。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
>>319 >あんたのような無の考えはよくあるということを言いたかっただけだ。
>こういいスレに長く居るとあんたみたいのが居るんだ。
>だからそれをラベリングして相対的にみながら共通の一般的傾向
>を探そうと言うのが俺の立場だ。
じゃあ、グルは無の一般的な定義を言ってるんじゃん。
323 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 18:33
ハイデガーの定義でつね。
しかし私は横文字にたよらずして無を追った結果、
存在を有と分かち、無も有も含むもの
が存在であると言う結論に至ったのです。
ここにおいて無は絶対的なものではなく、
単に存在の一形式に過ぎないという立場です。
324 :
THE グル:04/02/26 18:37
>>322 いいですか、
世の中にはいちいち小難しく哲学用語を使って、
一般化させたがらない
>>319みたいな輩がいるモンなんです。
でも、大抵そういう方は、その実良く理解されていないだけなんですがね。
平易な文にするのは実はとても難しい作業なので、
ただ、コピペと他人の言葉の拝借で済ませたがる気持ちはわかりますがね。
これが定説です。
どうかしましたか?
325 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 18:39
>
>>323は
>>321へのレス
>>322 では相対無《或るものが存在することで、或る事が存在できない》
と空間無《空間の無さ》
がグルの定義「無の不可知」で一般的に語ることが出来ますか?
出来ないでしょう。
だからグルの定義は一般的定義ではないのでつ。
>>321 でも違う定義がでてきているし。あやふやですね。
326 :
THE グル:04/02/26 18:39
>>323 いいですか、
別にハイデガーに依らずとも、一般的な定義のつもりなんですがね。
これが断言できます。
どうかしましたか?
327 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 18:43
>>326 一般的定義とは全ての無の個別事象を語りうる定義を指します。
しかしあなたの定義はそれが出来ますか?
出来ないでしょう。
私は存在は全てであり有も無も含むとみなすがゆえに、
「存在の一形式と」は一般的定義なりうるといっているのです。
328 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 18:45
間違い
「存在の一形式と」は一般的定義なりうるといっているのです
>「存在の一形式」とは一般的定義なりうるといっているのです。
329 :
THE グル:04/02/26 18:47
>>327 いいですか、
では、グルの定義以外の「無」とやらをお聞かせください。
これが定説です。
どうかしましたか?
330 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 18:48
>「コップに水が無い」の無いはemptyですよね。
>nothingではない
またこれも横文字に走る事での間違いです。
我々はあくまで無を追いかけるべきであり、
nothingを追いかけるわけではない。
>>330 横文字がいけないんなら「無」という漢語に走る事も間違いじゃないの?
333 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 18:52
>>329 >>325 にすでに貼りました。
そのほか「無知」「物質無」「状況無」「禅無」「全有宇宙無」
「死無(自分無」などが典型的なものです。
334 :
THE グル:04/02/26 18:52
>>330 いいですか、
あなたに『木を見て森を見ず』という言葉を調べてみることオススメします。
的外れな批判もいいとこなんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
「存在」も漢語。
336 :
THE グル:04/02/26 18:55
>>333 いいですか、
グルの定義以外の「無」を聞かせてくださいと言ったはずですが?
どうかしましたか?
>>334 あなたに『目糞鼻糞をわらう』『五十歩百歩』という言葉を調べてみることオススメします。
338 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 18:59
>>332 いいんです。それがお題ですから。
>>331 これは現代の宇宙理論とよく似てますが
理論であり実験できて無いというので、まだ観念の存在ですから
今の所は観念の存在として指示します。
観念では無く現実でも、そういった事象全てを表す言葉を
存在としたので、それで指示できる事になります。
339 :
THE グル:04/02/26 18:59
>>337 いいですか、
ありがたくその箴言をいただかせてもらいます。
これが断言できます。
どうかしましたか?
340 :
考える名無しさん:04/02/26 19:00
無は存在しません
間は存在します
大事なのは気づきです
341 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 19:02
342 :
THE グル:04/02/26 19:02
>>338 いいですか、
老子の「無」は、むしろ
>>298のレスで無為として解説済みです。
どうかしましたか?
343 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 19:04
さて、読書したいのでおさらばします。
反論あれば書いておいてください。
>>340 上のレスの空間無の絶対の範囲の大小のところを読んでみてください。
344 :
考える名無しさん:04/02/26 19:05
デムパ競演スレw
345 :
THE グル:04/02/26 19:08
>>343 いいですか、
読書するなら、「ぐりとぐら」をオススメします。
でっかいたまごでカステラ作るんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
346 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 19:09
347 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 19:11
じゃ。
無の活用法などありますか
349 :
THE グル:04/02/26 19:13
>>348 いいですか、
活用、つまり意味為す「無」は「無」ではないんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
人生に大きな欠落感を抱いていませんか
351 :
THE グル:04/02/26 19:19
352 :
考える名無しさん:04/02/26 19:26
なんだ、私には関係なかったな
失敬失敬
さいばばか・・
そういえばキャラの寒さがサイババアと被ってるな >グル
354 :
考える名無しさん:04/02/26 19:32
グル=サイババア=知障荒らし これ常識
355 :
THE グル:04/02/26 19:41
いいですか、
暇なんで、何故、くろしろ@ポストポストマルクシズム が言うことがおかしいか書いてみましょう。
>>325で相対無《或るものが存在することで、或る事が存在できない》 と言うことを言われましたが、
これは、よくSFで耳にする『同時代に同じ存在は存在できない』云々のことを言ってらしゃるのかと思われます。
でもこれは、ご自分でも《或る事が存在できない》といってらしゃる通り、
「無」というよりは、そういった行動あるいは、活動が出来ない、
つまり、不可能であると言うことを言ったに過ぎません。
また、空間無《空間の無さ》ということですが、
これについても深い記述が無いので、勝手に補完しますと、
零次元のことを申されているのではないかと思われます。
これは、質量乃至高さ幅の無い理論上の「点」の様なものですが、
意味を持ち、仮定され、在るものと定義されている以上「無」ではないのです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
356 :
考える名無しさん:04/02/26 19:42
どうかしてますか
357 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/02/26 19:43
グル、頑張ってるな( ̄ー☆キラリーン
358 :
THE グル:04/02/26 19:48
>>353 >>354 いいですか、
あんなクソマヌケと同類項でくくらないでいただきたいですね。
これが定説です。
どうかしましたか?
359 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 20:00
すまん。相対無って有る事が或るものの有の不可能を産む。
有の不可能性つまり無である。と言うことだ。
在る事が在る事の不可能なら、或るものは相対無の形で
在ることが出来る。
後、空間無については
>>299を見よ。
360 :
THE グル:04/02/26 20:01
361 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム ◆W2g82RnPPM :04/02/26 20:02
おっと読書読書
362 :
考える名無しさん:04/02/26 20:03
トイレトイレ
363 :
考える名無しさん:04/02/26 20:17
知障知障
今日は鍋でした。
でも鍋敷きが無かった・・
仕方ないから雑誌を鍋敷きにしました(´・ω・`)
でも鍋は美味しかったです(゚∀゚)
どんどん言わなくていいことばかりになっていく
これが無の怖さか
とうとうマユミまで来ちゃったよ。
これで完璧に「哲学板の知障が集結するスレ」になったな。
くろしろは本なんか読んでないよ。
別の板に移っただけ。
368 :
THE グル:04/02/26 20:37
>>359 いいですか、
その「相対無」というのは、
>>321ですでに定義しましたよ。
さらに、補遺として言うならば、
前提として「有」ありきの「無」は、相対であるが故に「無」に非ずと言うことが出来るでしょう。
それから、「空間無」とやらですが、これは、最早言葉遊びの類でしかありませんね。
絶対と言う言葉の定義する範囲が、主語によって変化すると言うことなんでしょうね、
でも残念なのは、
最絶対的空間無と言う具合に例に「無」を使って「無」を説明すると言うのは頂けませんね。
また、あくまでも「絶対」はその限りおいて「絶対」でなく、
「絶対的」の意味でありまして、
何物にも依属せず、何物にも制約されず、一切の条件、関係、規定を超越し、
それ自身にて立ち、それ自身に由りて働くことなんです。
これにおいての「無」なのです。
まだ、「相対無」のほうが良いですね。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>367 _、_
( ,_ノ` ) n
 ̄ \ ( E) グッジョブ!!
フ /ヽ ヽ_//
相対無はあんたが定義し切れていない事は、「在ることが在ることを打ち消す」
と言う定義の矛盾に何も突っ込んでいない事から明らかだ。
そして「無」は存在の一形式として一般的に定義されるので、
空間無を無で語りうるのだ。
無はナンセンス
ポストポストマルキシズムはコモンセンス
熱くなったら心にヒヤシンス
彼処
ああああああああ再生産論わかるようなわかんねえような
愛犬ジョンが毎朝ポストに新聞を取りにいく
ご主人様はコーヒー片手に世界情勢を知る
だが、朝の空気の素晴らしさはジョンしか知らなかった
扉の向こうに新たな価値あれ
374 :
THE グル:04/02/26 20:57
>>370 いいですか、
「在ることが在ることを打ち消す」 というのは、
前提条件として「在る」が先立つという性質上「無」では無いのです。
まえに無(Nichts)は絶対的に有(Sein)に非ざるものをいい、
またそれは、有と対立するものではなくして(有に対立すればその限り有とも考えられるから)と書いたでしょう。
あなたのは、この括弧内に定義されるため「無」ではないのです。
で、なんですか、「無」は存在の一形式として一般的に定義されるので、
空間無を無で語りうるですって?
そういうのを手前味噌というか、タコが自分を食べてるって言うか・・・
自分だけは特別ルールで蚊帳の外ですか、
あなたは、大化の改新とはなにかと言われたら大化の改新が起こったことだというのですか?
これが断言できます。
どうかしましたか?
375 :
考える名無しさん:04/02/26 21:00
どうかしました
頭がイタイ
376 :
THE グル:04/02/26 21:04
>>375 いいですか、
あなたには、五日間500万のシャクティパット治療をオススメします。
フェザータッチなんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
377 :
考える名無しさん:04/02/26 21:06
どうかしました
上戸 彩
378 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 21:06
>>374 相対無は「表現として」有を前、無を後にするが実はどちらが
前でもない。同時発生的な出来事だ。
>特別ルール
そのとおり、存在を全てとし、無をその一形式とすることで
一般的定義性いわば特別ルールを手に入れたのだ。
379 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 21:07
共産主義になった翌日、私は妻とともに散歩に出かけた。
もう冬だというのに木は青々としている。
人々の表情は希望と活気に満ち、額から流れる労働者の汗が太陽光を反射していた。
「人間が憎しみあう時代は終わったのだな」
昨日までとある一流企業に勤めていた斎藤さんが、ほっとしたように私たち夫婦に言った。
「ええ、これからは人が人を支え合う時代なんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻の靖子が、斎藤さんの肩に手を置いて優しく言った。
「人という字を御覧なさい。二本の線がお互いを支え合っているじゃないですか」
通りがかりの髪の長い中年男がそう言って微笑んだ。
ロックンローラーは長年使ってきたギターを質に入れ、黒光りする鍬を購入した。
「ロックはもう不要だ。これからは日本中に鍬の音を響かせよう」
一仕事終えた農夫の表情で男は言った。
青空のなかををツバメが横切っていった。
380 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 21:11
さて、オナニー、オナニー
381 :
THE グル:04/02/26 21:12
>>378 いいですか、
もうそこには、なんの得るものは無いですよ。
なんだか、あなたの文はどんどん主観的な論になってきてしまっている。
それでは、「無」は説明できませんし、非論理的なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
382 :
考える名無しさん:04/02/26 21:12
いいです
なんでもないです
383 :
考える名無しさん:04/02/26 21:13
どうかしました
電波とんでます
384 :
THE グル:04/02/26 21:15
いいですか、
少しグルは少し散歩してきます。
どうかしましたか?
創価しました
戦ってきます
虚無イクナイから勝ち取りましょう!!
388 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 21:35
空間が無くなる事は容易にイメージできます。
しかし、その前提として無くなることとは何なのか?
を決めるのは「空間無」「相対無」「物質無」「状況無」等々
から導き出せる無くなる事の定義であり、それは
存在と言うものを有から乖離させ、初めて見えるものです。
支離滅裂だな。分裂症患者の文章みたいだ。
虚無ニズム
虚無ニズム、イクナイ!!
池田名誉会長先生マンセー!!!
草加は草加板逝けよ
393 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 21:48
相対無ということ
例えばパソコンが有る。
ということは馬の相対無も在る
犬の相対無も在るということです。
これらは同時発生することで、表現として
パソコンを先に書いているだけです。
このことから有ることと在ることの違いを
わかって欲しいものです
電波は電波板逝けよ
哲学は哲学板以外で
396 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 21:55
まあ私がやってきたことは
1、無を分類化する。《空間無、相対無等々》この時点で無はまだ
抽象されていない。ただなんとなく使う。
2、そこから無と言うものの抽象化を行う。
>存在の一形式と言う答えが出る
3、2で1が説明できるか検討する。つまり帰納、演繹なわけなん
だよね。
だから1でどれだけ多の無が集められるか? がポイントなんだよ
ね
観念無しかない
399 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 21:58
まあ、相対無は一種の認識の仕方なのでわからん人には
わからんよね。
無は一つでない
数える事ができるのか
401 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 22:00
観念無しかなくても、それは現実を指示できるよね
重要なのはそこ。
無を活かす方法は
404 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 22:02
>>400 つまり、人がいろいろな定義をする以上、それを一つ一つ
拾って、相対化させ、そこから無というものを抽象するしかないよね
その作業のうちで数える事が在るのも当然の事。
405 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 22:05
>>402 これ西田幾多郎の考えよ。彼はその後これを捨てたとか。
>>404 抽象してないじゃん。
「なんとか無」って名前つけてるだけじゃん。
407 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 22:06
>>406 だからそれは1の分類する作業。
2抽象したのは「存在の一形式」ということ
無だとか
美だとか
数学だとか
それが役に立った場面を具体的に教えてよ
409 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 22:24
無はサッカーで役に立つよ。
選手の居ないところにボール出すでしょ。
その答えが聞きたかった!
411 :
考える名無しさん:04/02/26 22:26
くろしろ、拡大解釈しすぎw
412 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 22:30
イヤイヤこれ基本よ。
それに私は有についてもっと考えなければならないね。
関係ないけどT(v+M)>Uc 拡大再生産の均衡条件。
ようやくわかってきた。
仮に、無が定義できるとするならば、無はあるといわねばならぬであろう
無自体を確信することはできない
無の要素だけではないのか
さまざまな無の要素を数え上げているだけではないか
415 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 22:43
>>414 そうだよ。でもそうしなくてどうする?
それに無の要素を集めていけば、多少は無も見えるよ。
416 :
考える名無しさん:04/02/26 22:45
>>404 俺にアンカーを張ったのか知らんが
中東方面は貧乏だと嫁が貰えない上に
成長後も母親と一緒に同居する事が多
い為だとか。>>マザコンになる訳
ホモが多いのも嫁が貰えず悶々とした
「性欲を持て余す」状態が続く
せいでもあるんだろうな・・・。
417 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 22:49
ぼくが居ると言う事は君が居ない。
これは同時に起こった出来事なんだ。
418 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 22:51
無というものに気づくだけでいいじゃないか!
420 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 23:05
気付かないのか?
421 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/26 23:12
ああ君の不有はそこに存在そるじゃないか
422 :
THE グル:04/02/26 23:16
いいですか、
定説とはイコール病気。
定説とはイコールTHE グル。
どうかしましたか?
423 :
THE グル:04/02/26 23:21
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< どうかしましたか?
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
どうかしましたか〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
__________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
424 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム :04/02/27 03:47
あひゃあひゃあひゃあええ
425 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム :04/02/27 03:59
無
426 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/02/27 04:06
、、、(´,_ω`)
427 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム :04/02/27 04:35
☆キキ+キ゚Д゚♪無を相対化させ
それと同時発生する無を抽象することで
空間が無くなる事は容易にイメージできます。
しかし、それは存在と言うものを有から乖離させ
、その作業のうちで初めて再生産されるという
ことです。このことから有ることと在ることは
同時発生的だと言うことを
わかって欲しいものです。
428 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム :04/02/27 06:38
それが2ちゃんが共産主義になった証拠です。
このことから非論理的が無を見えることを
紫色に存在するのです。
429 :
THE グル:04/02/27 08:18
>>427 >>428 いいですか、
あなたは、ドンドン主観的な論理になっているんです。
もっと客観的な論理展開してもらいたいものですね。
これが断言できます。
どうかしましたか?
430 :
考える名無しさん:04/02/27 10:56
431 :
考える名無しさん:04/02/27 11:22
432 :
考える名無しさん:04/02/27 11:24
433 :
THE グル:04/02/27 11:26
いいですか、
何も書き込まないことが「無」だと勘違いしているようですから言いますと、
そこにあなたの何らかの意図がある時点で「無」では無いんです。
これが断言できます。
定説なんです。
どうかしましたか?
>>433 そろそろこの板ではグルの存在こそが「無」となってきている・・・
435 :
THE グル:04/02/27 13:34
>>434 いいですか、
あなたは、グルの存在が「無」だと勘違いしているんです。
それはあなたの主観的な拡大解釈なんです。
というのも、定義がしっかりしていないからだと思われます。
これが断言できます。
どうかしましたか?
436 :
大宇宙最高最大の癒しの曲ですっ!!!:04/02/27 13:34
437 :
THE グル:04/02/27 14:02
>>436 いいですか、
その音楽を聞いて、とても素敵と思うのはあなたの誤解なんです。
強く生きる希望が自動的に湧いてくるとあなたが勝手に思ってるだけなんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
438 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 14:04
グルウザイ
439 :
THE グル:04/02/27 14:14
>>435 >>437 いいですか、
この二つのレスは、グルの名をかたる偽者なんです。
誰かが、勝手に名をかたって書き込んだんでしょう。
まあ、書いてある内容自体は、否定しませんがね、
>>438おわかりですか?
これか定説です。
どうかしましたか?
相変わらずお寒いキャラだな >サイババア
441 :
THE グル:04/02/27 14:33
>>439 いいですか、
このレスこそ、グルの名をかたる偽者なんです。
まあ、書いてある内容自体は、否定しませんがね、
>>438おわかりですか?
これが定説です。
どうかしましたか?
442 :
THE グル:04/02/27 14:41
>>441 いいですか、
露骨に名をかたるんじゃなくて、
何かちょこっと目印でもつけてくれればまだ可愛げがあるのですがね、
まあ、グルは、何にもつけずにこのままでいますからね。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>440 いいですか、
だから、あんなクソマヌケと一緒にして欲しくは無いんです。
まえに、サイババアのスレにお邪魔したことがありますが、
全部はぐらかすばかりで、なんとも不誠実な香具師だったのを覚えています。
これが定説です。
どうかしましたか?
つまんねーよ、ぼけ
444 :
THE グル:04/02/27 15:15
>>443 いいですか、
大抵面白くないと言う人は、その人自身がそうなるようにしていないからだと思われます。
何か新鮮な問題提起なり、新しい発見があるならあなた自身書き込めば良いんではないでしょうか、
そうしていただければ、さらに活性化するでしょうし、
「無」についても理解が深まるのでは、とも思うんです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
つまんねーよ、ぼけ
446 :
THE グル:04/02/27 16:21
>>445 いいですか、
どうやらあなたは、何か新しいことを言うことが出来ないクソマヌケだということが良くわかりました、
「つまんない」と言った時点で、もうあなたの思考は止まっていた。
これが断言できます。
定説なんです。
どうかしましたか?
つまんねーよ、ぼけ
448 :
THE グル:04/02/27 17:01
>>447 いいですか、
もう一度言ってあげましょう。
「つまらない」と言うことはその人の限界を表します。
要するに、私はこんなに狭量の人間ですよと言ってるに過ぎないんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
つまんねーよ、ぼけ
450 :
THE グル:04/02/27 17:49
>>449 いいですか、
そこが、あなたの限界です。
これが断言できます。
どうかしましたか?
つまんねーよ、ぼけ
452 :
THE グル:04/02/27 18:14
>>451 いいですか、
このままコピペであなたに対応し続けてもいいのですが、
それでは、あまりに板汚しなので、
あなたの様な脳みそが行方不明な方は、『放置』をすることにしましょう。
『放置』とは、温かい目で見守ると言う現代医学用語です。
定説語なんです。
それ以外に直る見込みはない、六ヶ月間以上『放置』すれば、
直る見込みがあるんです。
リハビリの予約も取ってるんですよ。
これが断言できます。
どうかしましたか?
454 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 18:52
いいか、俺様が本物の無を教えてやる。
俺は昔、存在の一形式が無の定義であると答えたが、
あれは間違いだった。
コップを例に取れば、
コップは食器であると答えていたに等しい。
食器には皿も在れば、茶碗も在る。
同様に存在の一形式は茶碗でもあれば皿でも在る。
有もまた存在の一形式では無いか?
455 :
THE グル:04/02/27 18:58
>>454 いいですか、
あなたは、「無」について教えてやると言っておきながら、
途中から「在る」だの「有」だのになってしまっていて、
論理のねじれが感じられますね。
しかも、主張自体当たり前のことばかりのお話。
「無」についての深い言及は無いんですか?
これが定説です。
どうかしましたか?
456 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:01
コップをコップとして説明・定義するにはどうすればよいか?
それは機能・特徴を答えればいい。
コップは食器であり、円錐形に底のついた、ガラスや陶器で出来た、
液体を飲むためのもの。
こう答えれば正確に答えられる。
無もまた同様なり、
無は存在の一形式であり、ここから「空間無」は何々等、様々な無の
分類を提示すればよいのだ。
わかったか皆の者。
457 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:04
>>455 馬鹿すぎる、どこが論理のゆがみなんだ。指摘してみろ。
コップを例に挙げて無の定義の仕方を説明しているのが
わからんのか
458 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:08
ははーん。存在がわかんないんだろ?
俺の定義では存在は有も無も含むものなのだ。
だからその存在の一形式として無を挙げる事も、
有を挙げる事も、茶碗(有の一部)を挙げる事も、
皿(同様)を挙げることも出来る。
だから「存在の一形式」では無の定義にはならん
と言う事を言っているのだ。
マルクスは無のような形而上学の議論は嫌ったんじゃないかと思ふ・・ >くろ
460 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:12
そして、無を定義するにはどうすればよいのか?
それはコップを定義したように、
その機能・特徴を挙げるしかない。
それにか空間無云々、物質無云々と一つ一つやっていくしかない
と言う話になると言うわけだ。
461 :
死後の世界信じないよ:04/02/27 19:18
無意味な言葉の遊びですね。。。
ただ概念としてどっちを取るかの違いです、、。
462 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:20
>>459 だが俺はマルクスではない、マルキシストでもない
ポストポストマルキシストだ。
つまりマルキシズム資本論のような資本主義社会の批判論、
およびマルクスの著作をパッチワークで集めた「非実践的共産主義論」
のポストとして、科学的な研究の下での「実践的共産主義論」
の創作、そしてそのポストとしてその実践を目指す立場である。
いわば、次の次の共産主義者だ。
まあ形而上の議論は娯楽でやっているだけだが。
463 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:22
>>461 人の名前をかたるな。それに無は指示対象があるから
現実論だ。
464 :
死後の世界信じないよ:04/02/27 19:24
無の意味を何にするかだけの問題じゃないですか、、
やっぱり哲学って糞の役にもたたない。。。
終了!!!
465 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:26
>>462 形而上と言ったのは間違いだ。無は現実論。
466 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:30
>>464 その意味を与える事が大問題なのだ。
コップなら簡単に説明できるが無はそうではない。
それに答えられればすごい事だ。哲学最高!
467 :
考える名無しさん:04/02/27 19:36
ポスト [post] ▲辞書検索トップへ
他の語の上に付いて、「それ以後」「その次」の意を添える。
「―冷戦」
|
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>( c゚∀゚) |
|
>( c゚∀゚) J
>(c ゚∀゚)
469 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:44
無を語る上での基礎知識
1無の絶対の範囲度
どこからどこまでが絶対に無であり、そのほかは有であるかを
示す概念。
>>299を読もう。ただし、これは直線的に数量化でき
るものではない。あくまでも目安。
470 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:47
無を語る上での基礎知識
2無の分類
無の概念が人により様々である以上、それを相対化させ、分類化
しようというもの。この作業は厖大な数にのぼり、またその一般
的抽象化もうまくなされていない。
471 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:49
無を語る上での基礎知識
3存在と有と無
存在は有と無を含む概念として提示される。
472 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 19:54
無の基本的分類
1空間無
空間が無いもの。
無の絶対の範囲度により、様々な形態をとる。
存在。
2物質無
物資が無いもの。
無の絶対の範囲度により、様々な形態をとる。
存在。
3状況無
財布に金が無いなど、状況的にその存在を感知できるもの。
存在。
無の絶対の範囲度に当てはまるかはケースバイケース。
473 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 20:00
4無の不可知
無は在ることすら知られないと言うもの。
存在
無の絶対の範囲度は?
5無知
知らない事。
無の絶対の範囲度により様々な形態をとる。
存在。
6相対無
何かが有ることで何かが無いこと。
例えば目の前にパソコンが有れば、そこの空間には他のものは
有ることが出来ない。
全ての有は何らかの相対無であるといえる。
無の絶対の範囲度には当てはまらないか?
存在。
474 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 20:07
7全有宇宙無
全ての有宇宙・空間が無いこと。原初の宇宙。
絶対範囲度は当てはまらないか?
存在。
計算式上は揺らいだり、トンネル効果を引き起こしたりするが、
実験上では明らかでない。
8禅無
禅の境地
9道教無
全ての源と道教で言われる無。
10自己無
死んだり、生まれて無かったりで自己が無いこと
475 :
THE グル:04/02/27 20:07
>>472 いいですか、
なんか、グルが夕飯とりに行ってる間にやたらと書き込んでますね。
まず、言いたいのは、色々自論を展開していくことはとても良いことだと思います。
ただ、あなたが言ってることは、なんら真新しいもので無く。
グルの定義した範疇でしかないということです。
それから、もう一つまずい点は、少々主観的になりすぎていると言うことなんです。
これが定説なんです。
どうかしましたか?
くろしろ少し有利に展開。グル少し劣勢
477 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 20:14
基礎知識4
A何かを対象とする無「空間無」「物質無」など
B認識概念的な無「相対無」「無の不可知」など
C宗教的境地「禅無」「道教無」など
D哲学的な概念
などに無は分類されると「見込まれる」
478 :
THE グル:04/02/27 20:18
>>476 いいですか、
別にグルは勝ち負けなんかにこだわっておりませんからね。
くろしろさんの論に賛成という方がいらっしゃるなら、
別にそれはそれでいいのではないでしょうか。
グルは、淡々と定説に従って書きこんでいるだけですからね。
これが断言できます。
どうかしましたか?
479 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 20:19
Dにグルの
>>321「ハイデガー的絶対無」
>>475 ここに示された事は主観的定義だが、汝のいう主観の意味を述べよ。
ぐる、さいばばあに変身だ!!
481 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 20:23
ABCDを総括する。無の定義はまだ無い。
482 :
THE グル:04/02/27 20:35
いいですか、
グルの言うあなたが主観的になりすぎていると言うのは、
別に、カントやヘーゲルの説く小難しい「主観」の意味で無く。
ただ単に、「自分の独りよがりの考え方や感じ方に囚われている」と言う意味なんです。
そのまま自己内省もせずにポンと書き込んでいることを批判して言ってるわけです。
ちなみに、グルの論は、ハイデガーによるものだけでなく、すべての「無」の概念に対しての定義なんです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
483 :
THE グル:04/02/27 20:39
>>480 いいですか、
なぜか、サイババアと同一視されて困るのですが、
あんなクソマヌケと一緒にして欲しくは無いんです。
その証拠に、一度か二度サイババアのスレにTHE グルとして書き込んでますよ。
これが定説です。
どうかしましたか?
484 :
考える名無しさん:04/02/27 20:44
THE グル =くろしろ
自演スレ
485 :
THE グル:04/02/27 20:54
>>484 いいですか、
何故今度は、グルがくろしろと同一視されなければならないんですか?
そんなワケないんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
486 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 21:00
>>482 主観的であることは、このような方法論で、他にやってくれる人がいないから
で仕方が無い。
あんたのハイデガー的絶対無は対象に対する無を説明できない。
何故なら、それは常に対立物を産む。空間無は空間有、物質無は物質有、
自己無が自己有、金無は金有、グル無はグル有等々。
487 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 21:03
また、(ハイデガー的絶対無は)道教や禅の無に対しても説明できな
い。
488 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 21:07
宮台HP社会学入門より、一般理論について
■社会学が「一般理論」という場合も、
特定の文脈に縛られないことを含意します。詳し
く言うと、(1)できるだけ多様な主題を、(2)でき
るだけ限定された形式(公式)で取り扱え
るほど、理論の一般性が高いと見なされます
(情報縮約度)。
489 :
THE グル:04/02/27 21:12
>>486 いいですか、
>>3742その辺のことは書きましたよ。
ま、いちいち前のことを繰り返すのも億劫でしょうから少しダイジェストで書き込みますと、
「対象に対する無」というのは、厳正な意味での「無」でないことはあなたも知っていますね。
「無」を規定することによって対象化される「有」を生む「無」というものは、
その実、「有」であり「無」ではない。
したがって、あなたの述べていることはすなわち「有」でしかないということなんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
490 :
考える名無しさん:04/02/27 21:13
無はいたる所に無してます
物質、分子、原子そして陽子、電子、中性子
ここまでくれば、その隙間にはなーんにも有りません
人間も実はスカスカです
無だらけです
無が、無してるのです
無ってるのです
491 :
THE グル:04/02/27 21:15
>>487 いいですか、
それは、
>>2982解かりやすく説明してありますよ。
無為としての無とはなにかをね。
これが定説です。
どうかしましたか?
492 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 21:20
>>489 そうではない。ハイデガー的絶対無のみを追いかけるのが無の研究の
目的ではない。
無と言う言葉そのものが示す対象を追い求める事、これが研究目的で
あって、有でありつつ、無であるような存在も、普段我々は無と指示
するのであって、私の研究はこれを追い求めてきた。
要するに君は狭い対象の無を選んでいるに過ぎない。
493 :
THE グル:04/02/27 21:20
いいですか、
そろそろバイトに行かなければならないので、
この辺で少し落ちるんです。
ではまた、2時台か3時台でお会いしましょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
494 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 21:23
それに君の言う本格的な絶対無ならば、まず絶対無であって、
その上で誰でも「無に対して不可知」であらねばならない。
ならば、ここで語られた以上アウトだ。
495 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 21:28
>>493 俺は寝てる。書きたいことが有るなら書いておいてくれ。
さらに
>>494にかいた絶対無について言うなら、それは、
在りうるのか? と言う議論にもなる。概念のうえでは
ハイデガー的絶対無は表現できても現実を指示できないの
では無いのか? と言う話になる。
これでは正に概念だけではないか?
あと>>は正しく書いてくれ。読みづらい。
496 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 21:45
>>489 >>374 は間違った相対無についてかかれたものであって
意味が無く、しかも無を一般的に定義することは
先日の時点で「存在の一形式」と書いたが、
これは定義としては間違いだった。
(表現として、カテゴリーとしてならありだが)
私は一般的な定義は今の所出来ていない。
だからといって君のハイデガー的絶対無で
一般的な無が推し量れるわけではない。
497 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 21:50
むい ―ゐ 1 【無為】 ▲辞書検索トップへ
(名・形動)[文]ナリ
(1) あるがままにして作為しない・こと(さま)。ぶい。
「―渾沌(こんとん) にして人事少なき世に在(あり) ては/文明論之概略(諭吉)」
→無為自然
(2) 何もせずぶらぶらしている・こと(さま)。
「―徒食」「―無策」「毎日を―に過ごす」「―な日常生活」
(3) 〔仏〕 因果関係に支配される世界を超えて、絶対に生滅変化することのないもの。すなわち、涅槃(ねはん) ・真如(しんによ) といった仏教の絶対的真理のこと。無為法。ぶい。
⇔有為(うい)
――にして化(か) す
〔老子〕聖人の偉大な徳は、特に教育をほどこさなくても自然に人民を教化する。
498 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 21:57
>>298 が無為にして化(か) す
〔老子〕聖人の偉大な徳は、特に教育をほどこさなく
ても自然に人民を教化する。
を意味しているのなら、違う
無の不可知ではなく教育主体無である。
499 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 22:04
また無の不可知は道について語っていない。それは
言語的には表現できないが悟ることが出来ないもの
としては現されていない。
500 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 22:08
今日はマンガ老荘の思想を読んで寝ることにする。
501 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 22:16
マンガ禅の思想が見つからないので探していたら、「共産党宣言」
を見つけた。
502 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/27 22:28
「無と有はひとつは道の本体で、ひとつは道の作用である。
同じく道から出たもので、呼び名が違うだけである」
マンガ老荘の思想P173
503 :
THE グル:04/02/28 09:30
>>492 いいですか、
じゃあ、まずこれから書き込んでいきますね。
あなたは、ハイデガーにこだわるようですが、
グルは何もハイデガーについてのみの「無」のみを語っているワケではないんです。
ただ、「無」を語るときにまず絶対的「無」の定義があって、
そこから派生した諸所の「無」が仮定されるのです。
グルは、「無」には大きく分けて3つのカテゴリーに「無」は分類できると考えています。
その中の一つが、「絶対無」であるのです。
グルから言わせれば、あなたの主張していることはなんら真新しいものでなく、
よくある極々ありふれたものなんです。
では、その辺についての補遺はまた後のレスでお目にかけましょう。
これが断言できます。
どうかしましたか?
504 :
THE グル:04/02/28 09:36
>>494 いいですか、
>「無に対して不可知」であらねばならない。ならば、ここで語られた以上アウトだ。
と言われたのですが、
それは、「不可知」とあなたが勝手に規定してしまっているからなのでしょう。
そうしたサルトル的「無」意識批判はここではおいて置く事にして、
ただ一言、
「無に対して不可知」であらねばならないという事は、自縄自縛になるのですよ。
とだけ言っておきます。
505 :
THE グル:04/02/28 09:39
>>495 いいですか、
>概念のうえでは
>ハイデガー的絶対無は表現できても現実を指示できないの
>では無いのか? と言う話になる。
>これでは正に概念だけではないか?
と言われましたが、そもそも「無」と言うのは構成概念なので仕方ないのです。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>503 目新しくないからこそ、一般性が有るということでは無いか?
グルは「ハイデガー的絶対無」で全ての無を表せるといいながら
(ハイデガー的絶対無も現実を指示出来るか怪しいものだが)
また新たに分類などと言うのか? 結局、私の無の思考を真似
し始めただけではないのか?
507 :
THE グル:04/02/28 09:44
>>495 いいですか、
ちなみに、>あと>>は正しく書いてくれ。読みづらい。
という事ですが、これは、たぶん
>>491に書いた
>>2982と言うのを指しているのでしょう。
ええ、これは確かに間違いです。
本来は、
>>298にとするところが変換ミスで「に」が「2」なってました。
訂正してお詫びするんです。
どうかしましたか?
509 :
THE グル:04/02/28 09:47
>>496 では、最後にその「無」の定義の補遺を書くので待ってってくださいね。
これが定説なんです。
どうかしましたか?
510 :
THE グル:04/02/28 09:50
>>497 いいですか、
わざわざサイトの丸写しですか、
でもこれは、「無」を「認知外」あるいは、「認識外」と代入していけば簡単に意味が解けるんです。
これが今では、定説です。
どうかしましたか?
511 :
THE グル:04/02/28 09:53
>>498 いいですか、
あなたは、グルのレスを正しく読んでいないのではないのですか?
>>298の代入をすれは老子の「無」は簡単に理解できるのです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
>>510 無為とはされる主体が認識外なのであって、無為を行う
主体は認識している。
513 :
THE グル:04/02/28 09:56
>>499 いいですか、
あなたは、ご自分で勝手に想像を広げてしまっていて、
いつのまにか、>無の不可知は〜なんて、勝手に決め付けてしまっている。
悟りについては、後で書く「無」の定義の補遺の後に、暇なら書いて差しあげますが。
グルの「悟り」の解釈聞きたいですか?
どうかしましたか?
514 :
THE グル:04/02/28 09:59
>>500 いいですか、
マンガは、誰にでも解かりやすくて飽きないので良い事だと思います。
どうかしましたか?
グルに悟る所なし。
516 :
THE グル:04/02/28 10:03
>>501 いいですか、
「共産党宣言」とはまた風変わりなものをお持ちですね。
マルクス主義は嫌いですが、本として知識を得るのは、まあ良いんではないですか?
この文章に魅了されないことですね。
これが断言できます。
どうかしましたか?
517 :
THE グル:04/02/28 10:05
>>502 いいですか、
これは、「無」と「有」の相互補完関係を言っているんですね。
これが定説です。
どうかしましたか?
518 :
THE グル:04/02/28 10:16
>>506 いいですか、
おや?いつの間にやらレスが増えていると思ったら起きていたのですか、
あなたは、グルの定義を誤解しているばかりか、グルのレスをきちんと読んでいない様子ですね。
あなたは、勝手に尊大になったつもりで「無」の思考の真似云々と言っていますが、
まず、勘違いしているのは、グルの定義=ハイデガーと結び付けていることです。
再三、「無」の一般的な定義というものだと書いてあるにもかかわらず、
少々しつこいですね。ちゃんとレスを冷静に読みましょう。
仕方が無いので、長くはなりますが後で定義の補遺を書きますので参照してください。
また、真新しくないということはイコール一般性があるのではなく、
過去に何度も考えられた道であると言うことに過ぎないんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
519 :
THE グル:04/02/28 10:19
>>508 いいですか、
「不可知」と言う言葉をグルは即「認知外」「認識外」に結び付けていませんよ。
これは、あくまで解かりやすくするための代入法であって、
そもそも、「不可知」なんて自ら率先してグルは使ってませんよ。
これが定説です。
どうかしましたか?
520 :
THE グル:04/02/28 10:25
>>512 いいですか、
まず、無為を行うと言うのが間違いです。
これは、アガペーと同じ理屈で主体の行動があっては成立しないのです。
我(エゴ)が、止まっている状態なので主体は認識など出来ないのです。
心的動力であるリビドーが無い状態であるはずだからです。
これが定説です。
どうかしましたか?
521 :
THE グル:04/02/28 10:26
>>515 いいですか、
誰も、グルは悟ったなどといってませんよ。
グルの定義を書こうとしただけですが、まあ、必要ないならいいでしょう。
どうかしましたか?
522 :
THE グル:04/02/28 10:31
いいですか、
少し用事があるので、グルの定義の補遺を書くのは後でにします。
なんか、今まで書いたモノに反論異論があるなら書いといてください。
それでは、落ちます。
どうかしましたか?
朝っぱらから何やってんだ?
>>518 >再三、「無」の一般的な定義というものだと書いてあるにも
かかわらず、
宮台のコピペまで結びつけて、一般的な定義ではないと再三
言っているのだが。w
くろしろもグルもどうせ駄目人間なんだから仲良くしろよ
526 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/28 10:45
老子も
「湯のみに空間(無)があるから、注ぎいれる事が出来る」
と書いてあるぞ。(マンガ老荘の思想P187)
後、車輪の真ん中の軸を入れる空間、門や窓の空間、一軒の家の
中の空間。
まあ俺の言う所の様々な絶対範囲度を持った物質無だな。
さて落ちるか。
527 :
THE グル:04/02/28 23:48
>>524 いいですか、
では、暇になったので書いていきます。
宮台のコピペってなんですか?
どうかしましたか?
528 :
THE グル:04/02/28 23:54
>>526 いいですか、
>湯のみに空間(無)があるから、注ぎいれる事が出来る
ですって?
そんなのは、いまさら新奇性の無い「無」ではないですか。
まあ、エントロピーは増大するものなんで当たり前ですね。
不可逆性とでも申しましょうか、湯飲みから水やお湯は湧き出しては来ないのです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
529 :
THE グル:04/02/29 00:19
いいですか、
では、そろそろ「無」の定義の補遺を書いてみます。
「無」とは、
>>321が現段階までの「無」の定義でありますが、
それを大まかに、敢えて分類するならば以下の3つに象徴されるんです。
@特定存在の欠如であり、何らかの有の否定。A一切の有の否定であり、絶対的な無。(反対事象をもたない)
B万象の根源としての無であり、老荘思想的無。
簡単に書き込むとこんなところですね。
そもそも、先の定義で述べた中には、これらも包括して述べてありまして。
くろしろさんは、>321の有の極微というものが良くわかっていない様子ですね。
これが断言できます。
どうかしましたか?
530 :
THE グル:04/02/29 04:59
いいですか、
では、もう少し書き込んでみますか、
そもそも、くろしろさんが言っておられる「空間無」とやらは、
「空虚の空間」のことなんですね。
まあ、ザザザッツと言ってしまうと、
部室によって充たされざる無内容の空間がこれに当たりまして、
昔から、空虚は主として空虚の空間と同一視されてきたのです。
ご存知の通りピタゴラス学派は、空虚の空間を以って運動乃至分割の可能条件としてきましたね。
それは、物質のアトムは空間的に隔離しまた空間中に運動し、
また、同一空間は異物質により占有され得るのということでもあります。
それ故に、空虚の空間が想像されてきたんでしたよね。
これは、カントの説く直観形式としての空間ではなく、物質を入れる空なる容器なんです。
とは言え、
デカルトにより空虚の時間を以って物質と同一視するに至ってこれの想像は破られたのですけどね。
小難しくなりましたが、この辺を押さえた上で無いと、
空間における「無」の意味を理解することが難しいと思われます。
しかし、こればかりは、ご自身で読んでいただかないと批判の仕様が無いのですがね。
これが定説です。
どうかしましたか?
531 :
THE グル:04/02/29 05:01
いいですか、
では落ちます。
どうかしましたか?
532 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/29 05:46
>>527 >>488のこと
宮台真司の公式ホームページの社会学入門から
コピペした。要するに一般的理論としては幅広い内容を
単純な形で表現するのが好ましいってこった。
533 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/29 05:54
>>529 おぬしの@は
私の分類
基礎知識4
A何かを対象とする無「空間無」「物質無」など
B認識概念的な無「相対無」「無の不可知」など
C宗教的境地「禅無」「道教無」など
D哲学的な概念
などに無は分類されると「見込まれる」
のAに等しいと思われる。
しかし対象があるなら、それが無になるとき、反対の対象「有」
を生じるのが論理上妥当な話だが、それを否定するために
A絶対無という特殊条件を付け加えなければならない。
ここが特殊的で一般条件とはいえない。
534 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/29 06:02
ああまてよ、@からBは独立したものなのか、
ならば
>>533は間違い。
基礎知識4
A何かを対象とする無「空間無」「物質無」など
B認識概念的な無「相対無」「無の不可知」など
C宗教的境地「禅無」「道教無」など
D哲学的な概念
おぬしの@はAに等しく
AはDの中に入る
BはCに示されている。
つまり私の分類表の中のせまい部分を表しているに過ぎない。
535 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/29 06:11
>>530 空間無は端的な空間の無のことなんだよね。
>部室(物質だろ?)によって充たされざる無内容の空間
がこれに当たりまして、
これも確かに空間の無だが、別に物質で満たされなくても、
端的に空間がまったく無いのが基本モデルの無の絶対範囲度
が最上のもの。
そこではむしろあらゆる物質が無いので時間も流れない。
(時間の流れとは物質の移動と言う物理学説に基づく)
こういったことは実際ありうると昔hogeという物理の院生コテ
が言っていた。
私はこれを広げて絶対範囲度により、様々な空間の無さを表現した。
536 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/29 06:13
(空間無の絶対範囲度の説明)
私が言いたいのはこういうことなのだ。
つまり、絶対と言ってもその範囲がある。
空間無について言うと、
1布団がもう絶対入らない押入、布団より少し小さい
ものなら入れることができる
2缶ジュースがもう絶対入らないクーラーボックス、缶ジュース
より少し小さいものなら入れることができる。
3豆粒がもう絶対入らない袋、豆粒より小さいものなら入れるこ
とができる。
4原子の絶対入らない空間、原子より小さいクォーク等なら入れる
事ができる
5最絶対的空間無、空間が全くないので、どんな物質もは入れない。
このように分類すると1から5番まではある種の度合い、程度がある。
その番号が大きくなるほど、空間は小さく、ないしは消滅する。
番号が大きいものは、その小さい番号より空間無における絶対の範囲が大きいので
このような分類に対して絶対度と名付けた訳だ。
まあ、確かに絶対度と言う言葉自体辞書にも載ってないし、フィーリングで
名付けただけだから、「絶対の範囲の大小」くらいにしておいた方がいいのか?
よくわからん。
537 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/29 06:15
こんなとこかな。さあ寝よ。
もう起きてこなくていいよ。
539 :
THE グル:04/02/29 09:58
>>534 いいですか、
まず 言いたいことは、あなたが言うABCDについての分化の間違いについてなんです。
それは、ずばりBなんです。
「相対無」というものは相対があリて生ずる無なのでAに分類されるべきです。
そして、「無の不可知」は、サルトルを紐解くまでもありませんがDに分類されますね。
もっとも、「無」の絶対的立場を説明する「無の不可知」は、すなわち「絶対無」でありDでしかない。
そころで、このBのタイトルである「認識概念的な無」という物自体がナンセンスですね。
というのも、それが対象を得ての認知概念ならAに分類され、
「無」の構成による可能性の認識概念ならDでしかない。
つまり、Bはひとつ前の大きな未分化の状態のカテゴリーでしかないんです。
それはつまり、AとDに分けられる前の状態なんです。
ちょうど、霊長類と言うカテゴリーが人間もサルも同カテゴリーの内に含んでいる状態と同じことなんです。
ですから、あなたのABCDは本当はACDの3つでしかない。
これは、グルの3つの分類内のことでしかないわけなんです。
それから、もう一点。
あなたは、極限に分類して4つまでしか絞れなかった。(ま、これは勘違いですけどね)
それに対してグルは、3つにまで絞り込んでいる。
ここに気付かないあたりは駄目なんです。
ドンドン分化していくのは簡単ですからね。
これが断言できます。
どうかしましたか?
540 :
THE グル:04/02/29 10:08
>>535 >>536 いいですか、
これは、古来よりピタゴラス学派など等によって再三論じれれてきた、
いわば、誰でも知っているようなことなんです。
前にも言いましたが、これは「絶対」と言う言葉の内包する範囲の定義づけに依るんです。
しかもこれ、前にそれを論じる無意味さを説明しませんでしたっけ。
所詮、物差しの長さを論じているに過ぎないんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
こうして 推定日本人の貴重な労働力がスレに消費されて
無にきすわけだな。
4つも3つも目くそ鼻くそ
543 :
考える名無しさん:04/02/29 16:16
おそらく哲学する気は無いな
哲学する能力も無いな
>>539 うーむ、相対無についてはそうもいえるかもしれない。
ただ俺はAでありBであってもいいと思う。
無の不可知は端的に絶対無を意味しない。
絶対無に対して不可知ではなく、ただの対象無の対して
不可知もありうる。それに基本的に不可知と言う事は、
対象が有か無かわからないことだ。つまり、本来的には
認識論を意味する。だからこれもサルトルの意味するもの
はよく知らないが、当てはまらないと思う。
よって不可知はただのBである。
グルの@はAと同じだが後はAが絶対無でBが老荘の無
であるだけだ。これでは不可知や禅の無、その他は表せない。
ただコンパクトにするだけではいけない。
幅広いものをコンパクトにすることが必要だ。
その意味で
A何かを対象とする無「空間無」「物質無」など
B認識概念的な無「相対無」「不可知」など
C宗教的境地「禅無」「道教無」など
D哲学的な概念
の方が幅広く集める事が出来るのでこれで可。
>>540 空間無に関しては別に新しい事を言うつもりは無い。
俺は一般性をもたらすための分類をしているのであって。
何か新しい事を言うために分類していない。
それに空間無は非常に使える概念であって、物理的にも
ありえる非常に使える概念である。
絶対は端的に絶対入り込めないと言う意味である。
よって無意味なものではなく、これも可と言う事になる。
547 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/02/29 21:10
空間無が無意味と言う議論は無と言う言葉が一般性を持ちえないのに
無で空間無を説明するから無意味と言う話だったと思うが、ここでは
その無に一般性を持たすがゆえに、無を様々に分類している。
俺は初め「存在の一形式」が無を定義すると思っていたが、それは無
だけでなく有も表すので、定義としては無意味と言う話になり、
それから無の一般的な定義はなされていない。
548 :
考える名無しさん:04/03/01 00:00
Nothing is not "not".
過疎スレが伸びてるんでびっくりだよ。読むの疲れた。
横レスになっちゃうけど、
>>539 そこまで分かっていても悟れないもんなんですか?
悟りについての解釈お願いします。
>>321の有の極微は
>>355の後半のことですか?
550 :
THE グル:04/03/01 09:23
>>545 いいですか、
では、暇なんで少し書き込んでみますね。
「相対無」とやらについては、一応納得いただけたようなので敢えて言及しませんが、
「不可知」については、まだ疑問が残るようなので、ご説明いたしましょう。
「不可知」は、「認知不可」と言う意味なんです。
それを認識概念と捉えるのは良いとして、
なぜか、Bというカテゴリーにあなたは、こだわってしまっている。
「認識概念的な無」というカテゴリーは、単独には存在しませんね。
なのに、他のACDは、単独でそれを構成しているのです。
つまり、BはすなわちDなんです。
そこに間違って本来Aに分類されるべき「相対無」が入ってしまっているのでめちゃくちゃになっているだけです。
では聞きますが、そもそも認識概念とは何処から来たものであり、
また、それが哲学的概念とカテゴリーを異(こと)にする理由はなんですか?
BとDの独立した概念はなんですか?
そうですね、こう考えていくとBはDの中にある一領域であり不可分なのですね。
故に3つのカテゴリーに絞られるわけです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
551 :
THE グル:04/03/01 09:53
>>546 いいですか、
大丈夫なんです。
もうそんなことはちょっと哲学をやっているものや、数学的知識のある人、
言語学的知識のある人、少し頭の柔らかい人なら誰でもそこに気が付いてますから。
例えば、クレタ人のパラドクス(嘘つき村人と正直村人と言った方が良く知られているかもしれない)
で定義される絶対の意味。その考えられた世界内では、絶対はそのまま絶対
の意味を体現する理想的な空間である。
ところで、「絶対」とは、その対象物のキャパシティ(許容量)に依るんです。
だから、そこにずれが生じる。
押入れの許容量は、布団の持つ体積をある限界まで許容するということ、つまり、収納可能だが、
そこに座布団を入れるとしたら、そのものにおける「数」は変わるが究極的なキャパシティは不変であり、
布団なら5枚だとしたら、座布団なら20枚という風に対象物の見た目の「数」は異なりはするが、
その実、押入れ自体のキャパシティは変わっていない。
布団が5枚で限界だろうが、座布団10枚で限界であろうが、
絶対的なキャパシティは、同じなんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
552 :
THE グル:04/03/01 10:02
>>547 いいですか、
だから言ったでしょう。
無を持って無を説明するのはナンセンスだと。
ただそれは、一般性を無という言葉が持ち得ないからではなく、
ただ当たり前のこととしてそうなんです。
前に言った、大化の改新とは何が起こったことでしょう?
の問いに「大化の改新が起こったこと。」では説明にならないのと同じことなんです。
同じある種の「質量(情報量)」をもった質問に対して、
同じ「質量(情報量)」では説明が出来ないのと同じなんです。
後、無の一般的な定義ですが、定義も無しに論は展開できません。
その範囲が不明瞭になってしますからです。
これが定説です。
どうかしましたか?
553 :
THE グル:04/03/01 10:06
>>548 いいですか、
その通りですね、“Nothing”は,「(代)名詞」“not”は、「副詞」ですからね。
どうかしましたか?
554 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/01 10:17
555 :
THE グル:04/03/01 10:44
>>549 いいですか、
悟りとは、簡単に言うと我々が支配から逃れること。
つまり、我々は被支配下にある。
それは、何か、それは「脳髄」である。
我々が使っていると思われているそれが、
実にそれを生かすためだけに我々は生かされているという事実。
喜怒哀楽は脳に刺激を与えるため。
楽しいことをしたいのは、ドーパミン(脳内快楽物質)を放出する「ボタン」を押すため。
「脳」は全体重の約2パーセントに過ぎないのに、
しかし、私たちの身体が取り込む酸素の20パーセント以上を消費している。
この貪欲な器官は、あらゆる「欲」と言う形で我々を支配しているのです。
なぜ、おなかが減るのか?呼吸するのか?睡眠するのか?
これは、恐ろしい脳という器官が「我々」を使ってを生かすために過ぎないんです。
もし、それを阻止しようものなら「脳」は「我々」に苦痛を与えます。
それは、「脳」が「我々」に自らの貪欲な欲求を訴え続けている状態なんです。
だから、古来より仏教などでは「脳」の支配から逃れるために「欲」を絶とうとするのです。
しかし、それがすなわち、「死」に結果的につながってしまうケースが多いのは、
それがいかに根深いかをあらわしているんです。食欲を絶つ「断食」、呼吸を止める「ヨーガ」
など、色々な宗教がその支配から逃れるために努力し続けてきたのです。
ですから、「即身成仏」は脳と対峙して戦った勇ましい姿なんです。
「脳」の支配は、しかし実はまだまだそんな生易しいものではないんです。
過去の鋭い方々はそれに気付いていたのです。
サルトルは、「実存は本質に先立つ」と意味深なことを言っていますが、
常に私たちの行動、思考すべてが実は、既に決まっている。
それはつまり、「脳」の働きの範疇にしか過ぎないんです。
「脳」の力の大部分が使われていない事実もこれを示唆しているんです。
556 :
THE グル:04/03/01 10:45
もっとも、これはグルが自発的に気付いたのではなく、
それを克服せんとする者は誰でも知っていて、結局誰もいまだそれを為したことがないだけなんです。
夢野久作の「ドグラ・マグラ」の深い示唆にとんだ「脳髄論」にも赤裸々にその困難さが書かれていますね。
悟りとはその克服の実践であり、以上のことは所詮、入門に過ぎないんです。
前提の定義と言えるかもしれません。自ら「脳」の代わりに身体を支配するなんて不可能に近いんです。
「脳」の支配を抑えるとはそういうことです。
どうかしましたか?
557 :
THE グル:04/03/01 10:58
>>549 いいですか、
「有の極微」。
「極微」とはつまり、ブルーノの説でありまして。
万物の終局の成素をこういうんです。Minimumとも言いますね。
これをまた、モナド(Monadあるいは、Monade)とも称したりもするんです。
これらは、実際学んでいただかないとわかりにくいと思われますが、もともと数学上の用語でもあります。
どうしてもと言うなら書き込みますが、
なるべくならライプニッツの“単子論”もあわせてご参照ください。
これが定説です。
どうかしましたか?
558 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/01 18:50
>>550 まず初めに言っておくが私がこの前行った、おぬしの分類AとBに対する
非難にたいする反論がまったく見られず、分類に関しては私のものだけ言
及されるということは私の分類が正しいと認めた事なのか?
レスが無ければそう取るぞ。
さて、おぬしの論点BはDに含まれると言うものである。
しかし、ここで無について分類していることは哲学的行為(一応)であって、
その分類も一種の哲学的概念であって、
ならばAもBもCもDに含まれる事になる。
それなのにあえてA、B,Cを別にした事に注目されたい。
559 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/01 18:55
>>551 これは空間無について、反論と言うより、一種の補論で
あって、言を要しない。しかし私はそのキャパシティ
について何々立法センチメートルと言う厳格なものから、
大体、布団なり座布団なりが入らないと言ったファジーな
文脈にも使いうるもの、と言い添えておく。
無だから無いんじゃないの?
無が有るというのはおかしいよ
561 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/01 19:09
>>552 ならば言っておくが、お前がそれをやってみろと言う気分である。
おそらく有の極微などといってごまかすかもしれないが、
マニアックすぎて極微をイメージするのに結局、先に無の概念が付き
まとうようなものは駄目ではないか?
それに無を使わずただ造語したような印象を受ける。
それに相対無はどうするのか?
極微でもモナドでも終局でも有で在る限り、相対無が付きまとう。
そんなものでよければ、「存在にあって有でないもの」とでも言って
おくか、これは結局「〜でない」の中にすでに無が含まれているような
気がするので駄目な気もするが。
562 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/01 19:12
>>560 無が「有る」んじゃない、無が「在る」の。
つまリ存在は有だけではなく無も含むと言う事。
よう!くろしろ
宮台ブログ返事ないじゃん
ないねえ。宮台怖がったんじゃん。
無が好きなおぬしに無の返事をしてやったんだぞ。感謝しる。
ああ、そうでしたか。これは失礼を。w
568 :
THE グル:04/03/02 09:06
>>558 いいですか、
>グルの@はAと同じだが後はAが絶対無でBが老荘の無
>であるだけだ。これでは不可知や禅の無、その他は表せない。
>>545 のところの部分ですか?
では、説明いたしましょう。
不可知はその性質上グルの言うところのAであります。
これは再三説明したので割愛いたします。
そして、禅の無というのは、それが「空」のことを言ってるのか「無常観」
の無なのかで分類が変わるのですが、
たぶんあなたの言ってるのは、前者でしょう。
この「空」は、定義の@であります。
それは、「自我(エゴ)」や迷いの欠如をあらわします。
それはすなわち、その柵(しがらみ)を断ち切ったところのものにならんがための「空」であり、
眼耳鼻舌身の脱落であります。
それから、
>>558の下4行についても説明いたしましょう。
分類についてのご質問ですね。
これは、前にも申しました通り、それぞれが目指すべき「無」の性質が異なるためであります。
ですから、独立したカテゴリー3つに絞られるのです。
あなたの場合B認識概念的な無というのと、D哲学的な概念が目指すべき「無」が同じなのです。
Aは、必然により生じる「無」。C宗教的境地とやらは、行うことによっての「無」
Dは、概念としてとらえんがための「無」なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
569 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/02 09:08
570 :
THE グル:04/03/02 09:22
>>561 いいですか、
確かに、「極微」の概念は理解が難しく、
あなたのように、イメージがなかなか出来にくい方が多くいらっしゃると思います。
ブルーノ自身明確ではなく、一方では極微を絶対的な終局要素としながらも、
他方では、全宇宙に対して太陽系を極微であると称したり、
さらには、神そのものをモナド中のモナド(大モナド)等と称したりしていますからね。
それから、あなたは、対極の「有」が頭からなかなか切り離して考えられないようですが、
それは、エポケーして考えればいいだけではないですか。
そういうものとしてね。
これが定説です。
どうかしましたか?
571 :
THE グル:04/03/02 09:37
いいですか、
何か反論があるなら今日中にお願いします。
当分異国に旅に出るので。
どうかしましたか?
572 :
考える名無しさん:04/03/02 10:43
??
573 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/02 17:50
>>568 禅の無に関しては、まずそれが空で片付けられるのか? と言った問題
がある。禅には道教の影響もあったと聞くし、頓悟はあまりにも奇妙で、
何を悟ったのかは不明である。
しかし迷いからの脱却と言うのは合格点をあげてもいい定義だと思う。
この意味で一見問題は片付いたかに見えるが、それは結果だけ見た場
合である。課程の問題がおざなりにされている。
つまり迷いから脱却する課程は原始仏教と禅と中観派ではまるで違う
だろう。
禅無と言うことはこの課程を含んだ悟りの現象と言う意味であって、
端的に対象が消えたと言う結果では片付かないのである。
この意味でC宗教的境地というカテゴリーは役に立つ。
無と言うとき宗教的なものを思い浮かべる人は多いからである。
574 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/02 18:01
それと分類に関しての件で有るが、よくよく考えた結果、
Bの定義に齟齬があったと思われる。
よってこれを修正するので、これだと言わんとしたことが
わかってもらえるかと思う。
(修正案)
A何かを対象とする無「空間無」「物質無」など
B認識的な無「相対無」「不可知」など
C宗教的境地「禅無」「道教無」など
D哲学的な概念
こうすればBは独立した、立場をとる、
>>558 の意味ではこれも確かにDに含まれるかもしれないが、
認識一般は哲学行為からのみ起こる事ではない。
そして無の問題を考えるとき、重要なポイントである。
こうしてみると逆に全ては認識行為であるから、
Bが
>>558のようにACD全てを含むカテゴリーになりうる。
しかしそれは敢えて分ける事で、一般的に広い問題
を機能的似分類することが出来ると考える。
575 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/02 18:09
>>570 さてこれで、私の問題は無を以下に定義するか?
と言った問題になる。
君に残された問題は、無を以下に定義して、
いかに分類するかと言う事である。
@ABでは相変わらず禅無ですら、カテゴリー出来ていない。
ここで、原始仏教空、中観派空などの概念を作れば、先ほど
の議論での結果ではなくその課程の問題を考えると、これも
カテゴリーできていないと思う。
そう言うわけで私の分類の方が、利が有ると思うものである。
576 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/02 18:13
また不可知については、『知る事が出来ない』と言う意味であり
その先は有か無かわからないので有る。よって絶対無の要素には
なりうるかも知れないが、絶対無そのものではない。
では旅の安全を祈る。
577 :
THE グル:04/03/02 19:36
>>573 いいですか、
まず、頓悟ですが、これはあり得ることであります。
ただしそれは、
体を傷付けあるいはそうした苦行を重ねてみたり、何かを断ってみたり、
只管打坐してみたりするよりも本来は厳しいものであるはずなのです。
なぜなら、「存在」をモロに感じてしまうからであり、
苦痛に依って自分を諫めるすべが無いからであります。
一体どの程度そういった方々はこれを理解して、
「頓悟をした」なんて言うのでしょうかと思うんですがね。
まあ、これはグルの主観ですがね。
そして、禅の「無」。これは、「我(エゴ)」の脱落あるいは欠如であります。
>>555とか、
>>556に軽く目を通していただければ、
あるいは、なんとなくはわかるかもしれませんね。
ちなみに、釈迦は「生老病死」をどう克服するかと言う迷いがありました。
これは、すなわち根源的な「我(エゴ)」そのものなのです。
もっとも、宗教はそれぞれ多種多様にかなり異なるため、
C宗教的境地というのはいかがなものでしょうか、
中には、「悟り」なんて概念の無い宗教や唯一真の絶対信仰による人間の捉え方のよって、
かなり目指すものが異なります。
むしろ、「悟り」の概念や、道教的無や禅的無なんてのはマイノリティなんではないでしょうか。
これは、もちろん信者の数云々ではなく、分類上の宗教の色の数のことであります。
これが定説です。
どうかしましたか?
なんか、凄い勝負ですね。読んでないけど
579 :
THE グル:04/03/02 19:50
>>574 いいですか、
ぐるは、カテゴリーを作る時にその素を考えました。
なぜなら、それが一番不可分な存在だからです。
三原色がありますよね。そう、赤、青、黄の3つですね。
ここに、茶色を付け足して四原色というのはどうでしょうか?
茶色にはたくさんの系統色がありますね。
しかし、茶色は、すでに赤・青・黄から派生したものなので、
原色の定義には当てはまりませんね。
これと同じことなんです。
三原色に金・銀を入れるのか、メタリックをどうするかと言うのなら、
考える余地はありますが(それらは、独立した別の根から派生しているため。)、
既に内包されたものを「もと」の定義あるいは、成素に並べないのは当然なんです。
だから、あなたの言うBは、定義の構成要素足り得ないのです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
どうかしましたか?
黒白 : 痛みも連れてゆこう、多分それも私の一部分だから。
くろしろですか?
581 :
THE グル:04/03/02 19:57
>>575 いいですか、
>>529の@に既にカテゴライズされてますよ。
特定存在の欠如としての無
簡単に言ってしまうと心身脱落の境地を目指すためと言ったところでしょうか。
これが定説です。
どうかしましたか?
582 :
THE グル:04/03/02 20:06
>>576 いいですか、
グルが一ついえることは、
「有」の定義をしてみるとよく解かると思うんです。
むしろこっちの方がエキサイティングなのですがね。
ここから導き出される「有」の不可知に対する位置づけが解かりやすくなるんです。
サルトルの無意識の否定を読んでみるといいかもしれません。
簡単に書くと、
無意識が意識されたとき、それはもはや「無意識」ではなく、意識そのものに転じるからだと言うこと。、
そこに彼なりに実存する人間である我々人間の意識的な選択の概念が入ってくるのだが、
そこは割愛します。
>では旅の安全を祈る。
どうもありがとうございます。
これが定説です。
無は対象である
584 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/02 22:19
>>579 まあそう思いたければ勝手だが、むしろ、修正後はBが全て
の元になりうるし、修正以前でもそうかもしれない。
認識が無ければ、対象を無とすることも、宗教的境地も、
哲学的概念もありえないからだ。
ちなみに、印刷の世界では色の三元は青系(シアン)、
赤系(マゼンタ)、黄系(イエロー)で、そのほかには
黒(ブラック)が発色しないために使われる。
メタリックは特色として特別に練られる。
>>580 俺じゃない。
>>581 特定存在の欠如としての無。
これは結果を表すだけで、それがどうしてそうなったかを
表さない。むしろ宗教的境地としてまとめてしまった方が
格好がつく。
>>582 結局、有の話にしろ不可知なんじゃないか。
585 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/02 22:28
>>577 それでも
A=@対象に対する無に全て押し込んでしまうよりは、
宗教的境地としてまとめてしまった方が整頓されてていい。
機能の問題だ。「イスラム的な」「キリスト教的な」「カタリ派的な」
無があってもいいじゃないか。
>>579 修正前の要素でも、哲学的な概念が、認識的概念にいたることは、
哲学的行為でしかありえない。むしろ認識的概念のほうが、哲学
的な概念の元になりうるのでは無いか。
まあ、旅が終わったら好きに書いてくれ。
こんなスレに書き込む物好きもそうは居まい。
突然ですいません。
えーと、くろしろさんとグルさんの議論すごく面白かったです。
非常に勉強になりました。ありがとうございました。
>>587 またハルカの所で怪しげな議論に使うんだろう。w
ちょっと見たけど存在=有+無(それに+何かの可能性)だよ。
存在≠有などとは、なんともばかげた話だ。
まあ、俺の無の論議も造語遊びには違いないが、現実の指示対象
もちゃんと考えているつもりだ。
いずれにせよ、無について一つの無に限らず、総合的、分類的に
論を展開できたのは、俺を除いてはグルが初めてじゃないかな。
それに、この無の問題について、「総合的に」哲学した先人
って居ないもんなんだろうか?
>>558 いや存在=有であり、存在≠有でもあるわけだな。
つまり「有る」ことは「在る」ことでもあるが、全ての「在る」
では無い。
>>588 >またハルカの所で怪しげな議論に使うんだろう。w
むう、なんてことを言うんですかあ
>ちょっと見たけど存在=有+無(それに+何かの可能性)だよ。
>存在≠有などとは、なんともばかげた話だ。
そうでしたか?
【無】=【存在】
【有】=【実在】
この二つは実存(実在)レベルでの視点であることを考慮すれば、
それほどおかしい論法ではないと思いましたけどね。まああくまで独我論的な
解釈だなあとは思いますけどね。認識仕方としては“在り”じゃないですか
>まあ、俺の無の論議も造語遊びには違いないが、
>現実の指示対象もちゃんと考えているつもりだ。
造語遊びは全然いいんですが、現実の指示対象が実在レベルの
視点に内包され、存在レベルの視点で解体されるのだとしたら現実の定義も
ぼろぼろになってしまうんじゃないですか。そのように思いましたけど。
>いずれにせよ、無について一つの無に限らず、総合的、分類的に
>論を展開できたのは、俺を除いてはグルが初めてじゃないかな。
でしょうね。そう思いましたよ。いちおうそれが言いたかったんですから。
じゃあ、ちょっと私も【無】に関しての自説を作ってみましょうか。
急ごしらえなんでご勘弁下さい。
じゆん説
【無】は論理の否定を認識の始点に持つ指示対象である。
そして様々な認識仕方を持つ。
【論理】
無は論理(言葉)によって認識されなければならない。
【否定】について
無は【否定】を肯定するための演繹作業の結果であると言うこと。
【認識】
無は認識されるものであると言うこと。
【指示対象】
無は認識するものであり、確認される対象であると言うこと。
以上のような形になります。
すなわち【無】が【無】であることを決定的にするのは【否定】なのだと言うことです。
否定から無は精神的に現象するのだということです。
そして私は無の相違を、認識仕方によってカテゴライズされるものと思っています。
また論理の違いがそのまま認識仕方の違いになるのではないかなと思いました。
では認識仕方の違いについて、無そのものが持つ無の質をカテゴライズ
してみようかと思いました。
・事実としての【無】=【無実】
そう無実です。それはありえないからそれは無いんだ。
これはくろしろさんの空間無なんかも含まれるかと思います。
これらの無は弁証法的にむしろ絶対化される方向性を持ちます。
・可能性としての【無】=【無意味】
同じところをぐるぐる回る循環論法を感じたときに生まれる無です。
これ以上追求しても無意味だなあ悟ったときの無の認識です。
諦観のニュアンスを持ちます。
・拒絶としての無=【無価値】
これは存在そのものからの拒絶です。彼女にふられる時の手痛い言葉
「あんたなんか大嫌いよ」と言われる無です。【無意味」と違い、認識仕方が
受動的で、より絶対的な側面を持ちます。(無論絶対的ではないが)
・恐怖、不安としての【無】=【闇】or【無意識】
これは無意識的なものです。なので滅多に表には出ることもないですが、
認識の変化があったときに顕在するので、ご存じの方も多いかと思います。
無価値、無意味を端に発します。そして上の三つと違い、客観的(第三者)な
視座を持って初めて顕在します。認識そのものの手順としては言語化されにくく、
認識の基盤であり、根底にあるものだと言っていいかと思います。また集合的な闇です。
仏教なんかは、空とか、この辺りのことをとくに重要視していると思いました。
さて以上、認識仕方のカテゴライズを述べましたが、唯一、無が入り込めない領域があります。
それはつまり認識の外側の世界、現象の世界(物自体の世界)になるかと思います。
現象の世界で現象以外の世界を考えることは論理的に
非論理的であるということです。【非論理】
無論、論理以外で無の実在を証明できると考えるのであれば
それでも結構です。説明がのがめんどくさいことって結構あるものです。
それを無論とでも呼びましょうw 【無論】
【否定】【無意味】【無価値】【無実】【無意識(闇)】【非論理】【無論】
以上7つのカテゴライズが認識と論理の考察により生まれました。
全てが論理に根ざし、また認識に根ざしていると言えるかと思います。
とりあえずここまで。
グルもいないし、じゆんたんでもからかって遊ぶか。
>【無】=【存在】
>【有】=【実在】
>この二つは実存(実在)レベルでの視点であることを考慮すれば、
>それほどおかしい論法ではないと思いましたけどね。まああくまで独我論的な
>解釈だなあとは思いますけどね。認識仕方としては“在り”じゃないですか
まあ要するにマイ定義なわけだね。俺の存在、ハルカの存在、ハイデガーの存在、
それぞれに意味も指示対象も違う。だから存在一般を語るならば、それらを分類して、
語らねばならない。無のやり方と同じだ。だがここで、それらの分類の一般的定義・
法則を導きだす、と言うやり方が無理が有るんじゃないかと最近思う今日このごろ。
まあマルクスで手一杯でハイデガーまではフォローできないし、ハルカのには手を
出す気すらしないし。w
それにつけても認識仕方はないんじゃないか? 認識の仕方、又は認識形式ぐらいが
妥当だろう。
>現実の指示対象が実在レベルの
>視点に内包され、存在レベルの視点で解体されるのだとしたら現実の定義も
>ぼろぼろになってしまうんじゃないですか。
ハルカ一族に言われたくないが、客観的に計りうる機械でもない限り、実存レベル
での視点にならざるを得ない。さらにより進んで考えれば、客観的に計りうる機械を読み込むのも自分の実存であり、人はその実存を超えて認識できない。
さて無の話
(修正案)
A何かを対象とする無「空間無」「物質無」など
B認識的な無「相対無」「不可知」など
C宗教的境地「禅無」「道教無」など
D哲学的な概念
はグルのように要素的であることをやめ分類する上でのファイル的であること、ファイルとして有能であることをその存在意義としたい。
さてこれが有効に作動するかな?
1>【無】は論理の否定を認識の始点に持つ指示対象である。
>そして様々な認識仕方(認識形式だろう?)を持つ。
これまず、「論理の否定」じゃなく、「否定の論理」だろう。
じゆんはまず
>【論理】
>無は論理(言葉)によって認識されなければならない。
としているのだからその論理をいきなり否定することは論理矛盾に陥る。
この1は一応哲学的な概念だから俺の分類だとDにあたり、その哲学的
概念による認識としてBでも使いうる。
2>【論理】
>無は論理(言葉)によって認識されなければならない。
これは次のような無を考えれば否定できよう。
「走行障害物質無」つまり、走行に障害のある物質の無。
物資無の一特殊形態である。
忍者などを想像していただきたいが、町中でも山の中でも
走行に障害のある物を避けて走るには、走りながら瞬時に
「走行障害物資無」を感知する必要がある。ここでは、基
本的に論理など使いようがない。確かに走りながら、少し
は物を考えることもできる。あれをよけよう、これをよけ
ようとか。これは確かに論理かもしれない。しかし、その
ような恵まれた状態でない場合、論理は使いようがない。
体の感覚だけでよけつつ走るしかない。
基本的にこれに対して論理を使うのは、これを物語る時
である。したがって、じゆんの無の前提、無は論理によ
って前提されなければならないは、一般的ではなく、
特殊なものを指す定義である。俺の分類だと「走行障害
物無」はAでありBである。それは対象の無で
あるともに認識でもある。後ネーミングも「無の論理的
認知」位でいいと思う。
3>【否定】について
>無は【否定】を肯定するための演繹作業の結果であると言うこと。
「否定」という言葉が何を表すのか不明であり、一般的な否定の意味で書く事にする。
そもそも、否定に無の意味が含まれるのは俺も感じていたことであり、否定しない。
「存在であって有でないもの」と言う無の定義とする際に、そのことがあって
(外の事情もあるのだが)この定義はを不完全なものとした(無を使って無を定義するのはよろしくないから)。
しかし、否定一般が無を表現するかというと否定的である。
たとえば「その色は青ではない」と言うとき、確かに青と言う色の無を否定は
表現する。しかし同時に「他の色の有」も表現する可能性もあるのだ。だから、根本的な無の定義にはなじまない。否定はまずある対象を無にして、別の対象を表現すると言うことだと思う。
4【認識】【指示対象】は俺のB、Aに近いので、余り言うことがないが、
俺はBは感覚による認識も含んでいると考えていることを申し添えておく。
【指示対象】はAの場合でいうと「指示対象の無」と呼んでいることになる。
指示対象自体はもっと考えてしかるべきだと思うがここではしない。
しかし、どちらも言葉のネーミングとしてはいかがかと。一見してそれと解らない。
「認識的な無」「無の指示対象性」位でいいんじゃないかな
5【無実】おいおい無実って、犯罪じゃあるまいし、w
「無の実在性」位でいいんじゃないのかな。
>弁証法的にむしろ絶対化される方向性を持ちます。
弁証法って解って言っているのかな? 俺もヘーゲル
がうんたらとか良くは理解してないけど、むしろ突き詰めれば
「無の実在性」は実存からそれを指示している以上、独在論的な
懐疑的な物になっていくと思う。俺の場合はそこらへんは括弧に
入れた上で、指示し、実在していると言っている。これはD。
6【無意味】これも、またネーミングが悪い。
「循環論法的悟り」位でいいじゃないか。無意味自体が日常語でもあり、
わざわざ誤解をさそうようなこの用語を使う価値がない。一見してそれ
と解らないのもよくない。
これは哲学的概念Dだろう。
7【無価値】
これも宮台的に【あんたって無価値】くらいでいいんじゃないか?
これもBまたはD。
8恐怖、不安としての【無】=【闇】or【無意識】
これはじゆんのレスの中で一番面白かった。何が面白かったかというと
無が引き起こす、
恐怖と言うことは重要だが、今まで端的に思いつかなかったので。
しかし論理の中身は別。
>無価値、無意味を端に発します。そして上の三つと違い、客観的(第三者)な
>視座を持って初めて顕在します
じゆんの言いたいのはつまり「無意識に潜む無への恐怖」なのだろうが、
まず無意味「循環論法的悟り」からどやって「無意識に潜む無への恐怖」
が生まれるんだ?
悟っているんだろ?
また、無価値つまり、「あんたって無価値」だけからこのような
「無意識に潜む無への恐怖」が起こるとは考えにくい。もちろん
他人から見放されることが非常な恐怖を産む事はあり得る。しか
し無意識に潜む無への恐怖というのはそれだけだろうか? 例え
ば「自己無(死無)」とかそういうものは、非常に強い恐怖を産
むはずだ。別にそれは主観的でもいいはずで、いや、むしろ主観
的だからこそ、怖いのではないだろうか。例えば飛行機嫌いが飛
行機を怖がるような感じだ。客観的であればそんな物は怖くはな
い。死も別に客観的には怖い物ではない。だからこのことは必ず
しも第三者的であることを意味しない。ただ第三者的な顕在であ
るということは精神分析のような物ならば、ありうる。
精神分析のように第三者(精神分析医)がその無意識からの無への恐
怖を引き吊り出すことはあり得る。だからこのことは主観的にも第三者
的にも起こりうる。
ネーミングは「無意識に潜む無への恐怖」位でいいんじゃないか?
仏教ではたしかにこういうのも悩みだろうから扱っただろうが、
空は一般的に何でも扱うので、特に関係していると言うことはない。
ちなみに空は一切が皆空になる可能性を持つと言うことである。
じゆんには申し訳ないが「無に対する恐怖」はもっと違う概念
にしたい、例えば、護身用のピストルがない状態でスラム街な
らないときなど、ある種の無一般に対する恐怖だ。
ここで「無意識に潜む無への恐怖」「無に対する恐怖・不安」
と二つの概念ができたわけだ。
最初がB、次もB。
9【非論理】【無論】
無に対して論理と言う足かせをしない俺にとっては、
非論理的な「物自体」にも無があると言ってもおかしく
はないわけだ。このことはじゆんにとっても【無論】
(これも「証明外の無」位にした方がいい。)と言うこ
とであり得る話になるわけだ。これはB。
>>598 くろしろさんへ
>これまず、「論理の否定」じゃなく、「否定の論理」だろう。
確かに、言われてみれば『否定の論理』でしょうな。
でもすんなり受け入れたくない気分だー。でちょっと修正。
>【無】は論理の否定を認識の始点に持つ指示対象である。
↓
>【無】は論理が内在する否定を認識の始点に持つ指示対象である。(本当はこうしたかった)
これはすなわち認識的に無は直観的に与えらえると言うことを意味する。(カント流)
もちろん認識と論理を分けて考えればくろしろさんの言うとおりなんだけど、
私的には認識と論理はセットで考えなければならないものなんでこんな複雑な形に
しなければならないのです。
>>595 >それにつけても認識仕方はないんじゃないか?
>認識の仕方、又は認識形式ぐらいが妥当だろう。
まあどちらでもいいですよ。これは言葉の使い方ですから。
訓読み、漢読みの熟語の合成は野暮っぽくて結構好きだったりします。
まあ“認識形式”でも全然よいです。
>(無のカテゴライズは) グルのように要素的であることをやめ分類する上で
>のファイル的であること、ファイルとして有能であることをその存在意義としたい。
まあそれは重要でしょうね。その意義はまあ認めますよ。
私の論は認識の直観によるカテゴライズなんではないかなと思います。系としては
結構収まっているような気がします。例えば【無論】なんてほとんどアフォリズム境地を
体現しているわけだからで【道教無】みたいなものだし
>>601 >弁証法って解って言っているのかな?
いちおう弁証法について調べてみました。私の使い方が合ってようが合ってなかろうが
あった方がいいでしょ。ちなみに私的な使用法はたぶん(2)のカントを底本にした(1)と
(3)の実践ていう感じなんだけどね。マルクスはちょっとよく分からない。
『インフォシーク:大辞林』より
べんしょう-ほう ―はふ 0 【弁証法】
(1)古代ギリシャで、対話などを通して事物の真の認識とイデアに到達する、ソクラテス・
プラトンにみられる仮説演繹的方法(問答法)をいう。アリストテレスでは、確からしいが
真理とはいえない命題を前提とする推理をさし、真なる学問的論証と区別される。
(2)カントでは、経験による裏付けのない不確実な推理を意味し、それを純粋理性の誤
用に基づく仮象の論理学ととらえる。
(3)矛盾を含む否定性に積極的意味を見いだすヘーゲルでは、有限なものが自己自身
のうちに自己との対立・矛盾を生み出し、それを止揚することで高次なものへ発展する
思考および存在を貫く運動の論理をさす。それは思考と存在との根源的な同一性であ
るイデーの自己展開ととらえられる。ヘーゲル弁証法。
(4)マルクス・エンゲルスでは、イデーを展開の主体とするヘーゲル弁証法の観念論を
批判し、自然・社会および思惟の一般的運動法則についての科学とした。
あと、とりあえずくろしろさんに言われたのをどっさり、無根拠に、何も考えず、修正してみる。
【否定】→【否定する無】→【否】
【無実】→【実在しない無】→【無】
【無意味】→【循環する無】→【無終】
【無価値】→【極点の無】→【絶無】
【無意識】→【意識しない無】→【闇】
【非論理】→【偽である無】→【虚構】
【無論】→【なにもないさま】→【虚無】
とまあこんな感じにしてみました。今度もめちゃくちゃです。
(単に呼び名を変えただけ)
いちおう右の無の名前は認識的な無の“姿”を描いたつもりですが。
左の基は認識的な“事象”(直観の姿)を描いていたつもりです。
>>603 >いちおう闇について色々言われたのでその辺のことを少し。
>「無意識に潜む無への恐怖」なのだろうが、まず無意味「循環論法的悟り」から
>どやって「無意識に潜む無への恐怖」が生まれるんだ?
>悟っているんだろ?
まあ無意識などと使っているからにはご察しのとおり私はフロイト流解釈を問題の
基点にしております。例えば無意識とは通常では意識されない無のことを指します。
で『前意識』とかをすっ飛ばして考えれば、無意識とは絶対に意識の場に現れない
そのように解釈しなければならない。そういう意味では無意識は絶対的なのだという
ことです。無意識のあるところは生の拠点だからです。
そして第三者的視点というのは、言うのを忘れてましたが臨床的な立場においてです。
あなたは馬鹿だ。そのように指摘してもその人は絶対に否定するでしょう。そういう意味
での第三者的評価からのみその無意識は評価できるのだと言うことなのです。端的に
言ってですが。あとの残りの無は一人称の視点で確認できますから、(むしろ直観として
認識されますから)、そういう意味では別格と言えるでしょう。
あといちおうどうやらくろしろさんに、誤解されているようなので少し申し上げておきますが
まあ当然誤解されるものだと思っていましたが、認識とまず銘打ったのは、認識は直観
に作用されるからなんです。その証明を非論理無意味、無価値などと判断するのは、
いったい誰なのか。その作用そのものの働きに意味を見出したのがいわゆる論理なのだ
ということなんです。【否定】する直観、【無意味】と感じる直観、【無価値】と感じる直観、【非論理】と
感じる直観、また【無論】と締める直観など、そのような認識の判断をする存在レベルの視点が
とりあえず私は考慮に入れているのだと言うことです。
そういう意味で【無意味】と【無価値】が放つ闇の恐怖は、もはや絶対的なんです。
なぜなら闇は認識の向こう側にあるからです。(むしろ認識の手前にあると言った方がいい
かもしれない、怪しくなりますがご勘弁を)
怪しくなるついでにこんな体験を話そうかと思います。金縛りについてです。
私は昔、高校生くらいの時よく金縛りに遭いました。金縛りとはまったく身体が動けない
状況のことを指します。お化けが出てきたりすることもありますし、ひどい幻覚から雷が落
ちるときのような幻聴に見舞われることがあります。最初はひどく恐ろしいものでした。
身体が硬直して声も出せない。助けての「た」の字も言えない。ひどい恐怖を感じました。
無価値、絶無の状況を端的に表しているかと思います。
しかし色々あって、私はその金縛りがまったくの妄想の産物であることに徐々に気づきます。
これを決定的にしたのが金縛りと並列的に見た明晰夢の体験と、幽体離脱現象体験の二つです。
これは全て妄想、というより幻覚の類なのだと言うことです。ここら辺は聞くより、体験するしかない
ので、そこら辺の省察は避けます。当然、幻覚ではないと豪語する者がいることも私は知っています。
しかしこれは私の意見では幻覚なのです。全て右脳が作り出すイメージなのだと言うこと。
さてと、では闇の置き場所を右脳としましょう。そして言語脳のある左脳がそれを意識
するのだということ。左脳はいわゆる意識の主体です。この考察はまだ論証に耐えうるか
自分ではちょっと厳しいですが、とりあえず私はそう捉えています。
では体験の続き、昨日の夕方に起こった夢(幻覚)体験です。
私は部屋で寝ていました。すぐにああ、金縛りだと気づきました。なぜなら身体が動か
ないからです。身体が動かなければ、それで金縛りは成立してしまうんです。そして私は
金縛りが幻覚であることを知っていますから幻覚で遊ぶことを思いつきます。例えば今の、
この部屋が地下鉄の電車だとしたら、そのように想像しました。すると、なんと部屋が動い
ているではありませんか。ごごごーと低い音を立てて部屋が走り出しました。部屋の外は闇です。
私は少し怖くなって夢だと思って目を閉じてまた目を覚ますと部屋はまた元通り、しかし
また目を開けるとまた部屋は動き出しました。その電車(部屋)がどこに向かうのか、私は
闇なのかもしれない、私は恐怖しました。もしかしたらとんでもないことになる。急いで目を
覚まそうとしました。
しかし私は金縛り中です。どうしても身体が動かない。いや実は動くん
です。私は幽体離脱現象によって身体からの呪縛を解き放ったわけですから、動くんです。
でもどうしてもやっかいなことがあって、身体が動くことも実は幻なのだと気づくわけです。
目を開けるのも、幻、手で布団を振り払うのも幻、手で足を持ち上げるのも幻、身体を
持ち上げたとしてもそれは幻なんです。何度やっても無理なんです。
電車が闇へ直行しています。そこで私は目を覚ましました。最近この種類の金縛りをよく見ます。
すごく嫌なものです。金縛りよりもたちが悪い気がする。金縛りは絶無的(刹那的)でしたが、今度の
は緩慢な死をイメージします。さてこれは【循環する無】【無終】だとずばり言えないでしょうか。
私は恐怖、不安は【無】の思想に直結するものと考えています。
そして、ここの闇の視点を俯瞰することで、あらゆる無の絶対性を解体できるのでは
ないかそのように考えています。(闇の視点による絶対無の否定です)
なんで私は全然悟ってないのです。いちおう、基本的な無の直観の認識の仕方は
【無意味】と【無価値】の2つだけなのだと言うことをご理解ください。【無意味】であり
【無価値】と判断されたらそこで無の認識は終了するのだと言うことです。あとはほと
んど論理、弁証法の補足みたいなものです。ちなみに【無終】は別に【無限】でもよいです。
まあ最後に言っておきますが、私のはまったくのマイ哲学なんでご了承ください。
最後に、ちょっと脱線しますね。
>さらにより進んで考えれば、客観的に計りうる機械を読み込むのも自分の実存であり、
>人はその実存を超えて認識できない。
結構、科学主義なんですね。私は全ての科学(物質)を人間から取り払っても、人間は
客観的になりうると私は思っているし。それに人はその実存を超えて認識できない。
と言うのはいささか実証性に欠けるんじゃないですか?
別に揚げ足とるわけじゃなく、実存の認識の臨界点というのは、まあ【悟り】を端に発します
があると思います。無論、実存内部の客観すら把握できる形式のものがあると。
(うーん、どんどん怪しい議論になってくるなあ)
私は科学が実存を証明している、例えば諸単位が人間を規定したとか、時計が人間の行動を
定義づけるとか。そもそも科学を認識の軸にして批判を開始しているベルクソン的な論法自体、
かなり被害妄想的な論法であるような気が無意識的にするんですね。まあこれはあなたに、
言うことでもないか(しかし科学批判をする上では重要な視点だとは思うけれど)
ベルクソンの純粋持続批判として(さらなる脱線)
『認識は映画のフィルムの映写のように不連続したものではない、連続したものだ』
は認識仕方としてはある意味ではまったくの間違いなんだと私は言おうかと思います。
少なくとも視覚認識はまったく不連続的なんだということです。
視覚認識は不連続的であるから映画のフィルムの映写的だ。しかし認識中には、映画のような
フレーム(枠)を確認できないから、映画的ではない。しかし意識の純粋持続は依然否定されない。
ようするに、危機一髪の事故で、視界がスローモーションになる話を聞くでしょう?
あの時、どのように人はスローモーションを認識するか分かりますか。
まったくストロボ(連続写真撮影)的になるんですよ。ストロボの撮影は不連続的、カクカクした
コマ送りのような映像を映します(なおかつちょっと前の映像の残像すら残します)。そのとき
決して緩慢な、なめらかな動きをそのときするわけではないんです。逆に人は通常時、その
不連続性を確認できない。ただそれだけのことなんです。また認識は枠(フレーム)のない状態で
あるということをまた強調しておきます。
(脱線続き)
純粋持続そのものがそもそも絶対的な意識の単一単位ではなく、逆に純粋持続そのものが、
なんらかの複合認識である可能性が高いわけです。おそらく脳科学が進歩して真っ先に
批判(否定)されるのはたぶんベルクソンなんじゃないかなと私は思っていますので。
まあそれだけベルクソンの言っていることは価値があるという意味でね。
例えば意識によって、ベルクソンの言う純粋持続を直観として純粋な形式のように意識するできる
だろう。しかし、それでは意識のない状態では、純粋持続は働かない論法になる。では睡眠中は
どうかノンレム睡眠中は意識は働かないですね。では純粋持続が成立しないことになる。さて人
は目覚めたとき今、何時であるかをまったく知ることができないのだろうか?
いいや、それはできるのだと私は言いたいのですよ。時間の不可逆性においてそれは逆説的に
また絶対的に指示されると思うのです。ちょっと妄想が膨らんで電波がどんどん飛んできたので
これ以上はやめときます。でもまあ認識問題において考えたときベルクソンの純粋持続は非常
に参考になりますよ。(まあ私もろくすっぽ理解しておらんのですが)
ちょっと訳わからない文章になってごめんなさいです。
ではでは
>じゆん
君が面白い人間だと言う事はわかった。w
だが、
【否定】→【否定する無】→【否】
【無実】→【実在しない無】→【無】
【無意味】→【循環する無】→【無終】
【無価値】→【極点の無】→【絶無】
【無意識】→【意識しない無】→【闇】
【非論理】→【偽である無】→【虚構】
【無論】→【なにもないさま】→【虚無】
ますます、悪化、それに内容が変化していないか?
と言うことでくろしろ流のやり方で表を作りましょう。
これでコミュニケーションが取れる。それで今日は寝よ。
じゆん概念翻訳表くろしろ版
【否定】→【否定する無】→【否】→?(不明)
【無実】→【実在しない無】→【無】→「証明外の無」
【無意味】→【循環する無】→【無終】→「循環論的悟り」
【無価値】→【極点の無】→【絶無】→「あんたって無価値」
【無意識】→【意識しない無】→【闇】→「無意識に潜む無への恐怖」?
【非論理】→【偽である無】→【虚構】→「非論理」
【無論】→【なにもないさま】→【虚無】→「証明外の無」
じゃお休みなさい。
その他は暇を見てレスします。
>>618 >ますます、悪化、それに内容が変化していないか?
むぅ、言ってくれますねえ。頑張って整理したのに。
いちおう私がはっきりしている無の性質を述べます。
無は移ろいやすいのです。それこそ秋の空のように、女心のように。
そういう感情的、感覚的なものなんです。
こういう感覚的な分類もまあ面白いですよ。
>これでコミュニケーションが取れる。それで今日は寝よ。
いやそういう共通点を見つける作業はいいですよ。私は無意味だと思いました。
それよりも無の質について確認しませんか。
例えば
A 無はある
B 無はない
というのは論理的に直観的にBの間違いを指摘できるのです。
Bを正しいとする人は、論理を無視した状態、【非論理】という
無の世界にいってしまったわけです。【非論理】無の世界の住人の
見るものは全て虚構であり無なのです。
今回は【無論】なしで答えてみました。
>>619 ちょっとだけ違うところがある。(あとは合ってる)
>【無実】→【実在しない無】→【無】→「証明外の無」
証明外の無じゃない、【無実】は証明された無のこと。
全然意味が違ってくるよ。なんで勝手に訂正。
じゆん概念翻訳表くろしろ版(じゆん改)
【否定】→【否定する無】→【否】→?「無いんじゃないの?」
【無実】→【実在しない無】→【無】→「証明された無」
【無意味】→【循環する無】→【無終】→「循環論的悟り」
【無価値】→【極点の無】→【絶無】→「あんたって無価値」
【無意識】→【意識しない無】→【闇】→「無意識に潜む無への恐怖」?
【非論理】→【偽である無】→【虚構】→「非論理」
【無論】→【なにもないさま】→【虚無】→「証明外の無」
とりあえずここまで。
おやすみ
んー寝たいずら。
>>621 確かに無は移ろいます。そのことは無の絶対範囲度と言う概念
で俺もとりこもうとしています。感情的・感覚的なものでも
あればそうでない、論理的等々違うのもあります。
それにここで、B認識としての無だけ問うのも問題ですね。
まあ認識は全ての基礎なのですが。
で、問題
これは論理的にAは正しいと思うけど
この場合、直観で答えた人は【非論理】ではないのか?
(直観は論理ではないから)
また、Bの答えの人は【非論理】の世界に入ったと言うが、たかだか
この一問に答えられなかったといって「見るもの全て虚構」
と言うのは言いすぎ。
それは鬱病に使われる論理療法では「極端な一般化」と言う
非論理的思考です。
まあ、君のレスは面白いので、上の方も後でちゃんとレスします。
ではおやつみ
無とは、あるところのものであらず、あらぬところのものである存在である。
>>624 直観によって論理を紡ぎだせるんだから、論理的じゃん。直感のみだったら非論理
的の可能性もあるけどね。だってBを正しいとする人はどうみても文法がおかしいこと
にまず気がつくべきだよ。むしろ常識を知らないか、日本語を知らないか、
もしくはそのようにあえて逸脱しているか。。。(そうでしょ?)
それが“論理的判断”というものです。もちろん論理的に言葉を紡ぎ出せて初めて
論理的な判断ができるのだろうけどね(これは根拠が無いから直感)
だって言わなくても、Bが正しくないってわかるでしょ?
だから直観て書いたんだけどね。つか
>>80 >>202 >>205のレスで同じこと言ってたじゃん。
私の言っていることが極端だと誤解するから、直観を直感と勘違いするんじゃないの。
くろしろさんの、その判断は直感だね。残念でした。(ちなみになおくんは“論理的”の意味が
わかっていないだけなのです)
ちなみにこういう間違いを犯すのはたぶん数式と混同しているから。
ね、ほら虚構の世界(数式の世界) 〜A=A 〜 1+1=2〜に行ってるでしょう。
いちおう言っておくと数式の世界の『=』の論理的な意味は「置き換えられる」という
意味なのだということ。そして動詞(be動詞)なのだということ。
例えば下の意味は [数式の世界では]
A=B
『AとBは同じだ』という意味では本当はないのだということ。
『AはBに置き換えられる』そういう意味なんだと言うこと。
ちなみに
>>625はかなりの虚構の世界の住人ですw。
まあ私も人のことは言えないけど。さてこれは直感、それとも直観?
>それにここで、B認識としての無だけ問うのも問題ですね。
まあくろしろさんがそう思うのは勝手ですけどね。たぶんくろしろさんは“認識”について
よく理解していないんじゃないかな。無の直観による認識仕方を論理的にカテゴライズし
ているから、認識で全ての無を網羅することができるよ。無論、そういう設定の上で私は
無をカテゴライズしたんだ。
>まあ認識は全ての基礎なのですが。
違う。認識は、全ての現象の結果なのだということ(もちろん独我論的にはだけど)
あるいは全て現象の始まりなのだということ(もちろん独我論的にはだけど)
だって認識をスルーすると『相対無』やら『絶対無』やら『道教無』やら『空間無』
なんて認識できませんぜ。それをあると言ってしまえるのならそれは非論理的と
いうものですぜ。どうして他人に宗教的境地の【無】があると言えるのか?
そういうことはなんらかの仕方で認識せずには絶対に理解できぬものでしょうに。
言うまでもないこと(無論)でしょ。
世の中【無論】ですますことの方が多いねえ。【無論】がないのは2ちゃんだけかな?
おいおい。w
ちょっかん ちよくくわん 0 【直観】 ▲辞書検索トップへ
(名)スル
〔哲〕〔intuition〕推理を用いず、直接に対象を捉えること。
一般には感性的知覚をいうが、直接的に全体および本質をつかむ
認識能力としてプラトンの「イデアの直観」以来、哲学上さまざ
まな形で高い位置が与えられてきた(スピノザ、シェリング、
ベルクソンなど)。
「知的―」「アウグスチヌスが神は不変的―を以て万物を
―するといひ/善の研究(幾多郎)」
直観
>推理を用いず、直接に対象を捉えること。
>一般には感性的知覚をいうが
論理じゃないだろ。
ちなみに
ちょっかん ちよく― 0 【直感】 ▲辞書検索トップへ
(名)スル
推理・考察などによらず、感覚的に物事を瞬時に感じとること。
「―で答える」「父の身に何か起こったことを―した」
直観とよく似た記述ですね。
推理を用いない。感覚的。つまり両者とも論理ではないわけです。
じゃあ、
>>626以下のレスを片付けた上のレスに行きましょう。
>>626 まず君が極端なのは一論理命題だけの判断で、世界が変わってしまう
と思い込んでいることです。(虚構の世界うんたら)
それには世界が一論理命題で出来ていなければなりません。
または世界の決定的一要素であるとか、
しかし世界はこんな一論理命題だけで出来ているのではなく、
さまざまな宇宙的存在、地球環境的存在、政治経済的存在、民族・文化
的存在、宗教的存在等々そう言うもので出来ているわけです。
だから一論理命題を間違えたくらいでは虚構の世界には行かないわけです。
>>627は数式的問題は関係無いのでパスします。
迷いレス
>>625も関係ないのでパスします。
>>628 認識だけを問題にするのが問題なのは対象を忘れ
いわゆる独我論になってしまうからです。もちろん独我論
を破るのはたやすく無いのですが、それに浸ってはいけない。
と言うことです。
さてそれでも認識を基礎にはならないという事は、
>だって認識をスルーすると『相対無』やら『絶対無』やら『道教無』やら『空間無』
>なんて認識できませんぜ。それをあると言ってしまえるのならそれは非論理的と
>いうものですぜ。どうして他人に宗教的境地の【無】があると言えるのか?
>そういうことはなんらかの仕方で認識せずには絶対に理解できぬものでしょうに。
と言うことをまさしく問題にしているからです。
ここのレスは私が問題を反復しているだけであり、意味無いです。
>>584前半部に似たような問題提起がなされています。
同様に独我論で認識は結果あるいは始まりだといっているところも無意味です。
認識と言う言葉自体にそれは含まれています。
>>633 訂正
>さてそれでも認識を基礎にはならないという事は
さてそれでも認識を基礎にしなければならないという事は
>>607 多分そう書きたかったんだろうな、とは思いましたが突っ込みました。
また認識と論理は下記(2)の意味で考えています。
にんしき 0 【認識】 ▲辞書検索トップへ
(名)スル
(1) 物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること。
また、そうする心のはたらき。
「経済機構を正しく―する」「―を新たにする」「―に欠ける」
(2) 〔哲〕〔英 cognition; (ドイツ) Erkenntnis〕人間(主観)
が事物(客観・対象)を認め、それとして知るはたらき。また、
知りえた成果。感覚・知覚・直観・思考などの様式がある。知識。
>>609 コピペ辞書をよく読んで欲しいのですが、
(2)のカントは弁証法を否定的に語っており、それを
思考底本にしてはいけません。w
(1)は私たちが話していることそれが、議論を高める
と言うことですね。しかしそれには独我論を破らねば
なりません。
(3)は有名な正・反・合のくり返しですね。
また正の中にも反が常に含まれていると言うことです。
(4)はマルクスは(3)のヘーゲルの思想を具体的な社会・経済
を分析にする武器にしたと言う事です。まあ、観念論っぽい所
も有るのですが。
まあ、俺的には弁証法どうよ? ってところも有るのですが。
つまり、必ずしも正に反するものが有るとは思えない。
後表ですが
じゆん概念翻訳表くろしろ版2
【否定】→【否定する無】→【否】→?「無いんじゃないの?」
「有の否定的疑問文」
【無実】→【実在しない無】→【無】→「無の存在性」
【無意味】→【循環する無】→【無終】→「循環論的悟り」
【無価値】→【極点の無】→【絶無】→「あんたって無価値」
【無意識】→【意識しない無】→【闇】→「無意識に潜む無への恐怖」?
【非論理】→【偽である無】→【虚構】→「非論理」
【無論】→【なにもないさま】→【虚無】→「証明外の無」
【否】がよくわからない。これだと「有の否定的疑問文」
になると思う。否定とはもっと確固たる物で、
鉛筆の色が青くないといえば青くないんです。そして違う色であると。
【無実】は俺的には無は有と同じく無は存在するものとしているので、
「無の存在性」に変えます。
>>611 そのフロイト解釈いかがかと、精神分析ってものは、無意識の
構造を意識化することで神経症などの病を治すことが基本です。
だから・・無意識→意識→無意識→意識・・と循環構造になって
いないとこの方法は取れないことになります。
第三者(精神分析医)は無意識から意識へ誘導するだけであり、
あくまで意識するのは患者なんです。
またこの方式に習熟すれば一人でも解釈は可能だと思います。
直観は認識は確かに認識の上で重要な機能を果たします。
論理の元をたどるとこの直観の理解にたどり着かなければならない。
>>638 ていせーい
>直観は認識は確かに認識の上で重要な機能を果たします。
直観は確かに認識の上で重要な機能を果たします。
>>612-613 その幻覚で「循環論的悟り」というのなら「幻覚における循環的悟り」
としたほうが良いような。「循環論」と言う論理の経験ではないし、
思考のグルグルでも無いからです。
じゆん概念翻訳表くろしろ版3
【否定】→【否定する無】→【否】→?「無いんじゃないの?」
「有の否定的疑問文」
【無実】→【実在しない無】→【無】→「無の存在性」
【無意味】→【循環する無】→【無終】→「幻覚における循環的悟り」
【無価値】→【極点の無】→【絶無】→「あんたって無価値」
【無意識】→【意識しない無】→【闇】→「無意識に潜む無への恐怖」?
【非論理】→【偽である無】→【虚構】→「非論理」
【無論】→【なにもないさま】→【虚無】→「証明外の無」
>>614 その問題で無の全ては解体できません。
(修正案)
A何かを対象とする無「空間無」「物質無」など
B認識的な無「相対無」「不可知」など
C宗教的境地「禅無」「道教無」など
D哲学的な概念
これら全てを解体できないでしょう?
しかし、
それはあなたの心に有る無意識の恐怖を解体する、要素にはなるでしょう。
【無終】「幻覚における循環的悟り」、【絶無】「あんたって無価値」
いかにも心の問題に直結しそうなものばかりです。
>>615-617 ベルクソンの説を知らないのでなんともいえない。
ただ人間の実存と言うのは科学だけの事じゃないですよ。
科学的手法というのは人間活動の全てで行われる事が出来ないんです。
実験できない事も一杯有るし、だから人間の実存ってのは、科学
を越えたところに有るんです。俺も幻覚は「幻覚と言う名のついた現実
そのもの」のものを感じた事が有るし、じゆんの幽体離脱的な感覚が
脳の働きでいくらでも生じうるという事は有ると思います。
でもオカルトって訳でもない。そう言う事実が有るだけです。
だけれども人間は他人にはなれない。他人になったような幻覚を
見るにしても自分の実存を離れているという事でもない。
あくまで自分の実存以外では認識できない。そう言うことです。
>>642 >それはあなたの心に有る無意識の恐怖を解体する、要素にはなるでしょう。
>【無終】「幻覚における循環的悟り」、【絶無】「あんたって無価値」
>いかにも心の問題に直結しそうなものばかりです。
そりゃ、そうですよ。くろしろさんは無が怖くないんですか?
無を認識する要素は現象としての不在性です。これは欠落感という心象(不安)を
与えます。だから心の問題です。認識って心じゃん。心で認識しなかったらへそで
現象を認識するんですか? くろしろさんはそういうことなんですか。
へそで何を認識するって言うんだい。茶でも沸かしてなよ。
>>640 >その幻覚で「循環論的悟り」というのなら「幻覚における循環的悟り」
>としたほうが良いような。「循環論」と言う論理の経験ではないし、
>思考のグルグルでも無いからです。
むう、あえて曲解しておりますね。議論が無意味と感じるのは循環的になる
(と感じる)からです。それ以外の要素はないです。そうやってみんな議論を
やめていくのです。もし、それ以外の要素で議論をやめることとして考えられる
のはもっと外的なものです。お母さんにパソコンを取り上げられた(そんな子まだい
るんだろうか)とか、これから仕事で忙しくなるからできない(私です、もう少ししたら
休みが終わるのでくろしろさんとのこのたびの無の議論を終えます)そういうものは
世界側存在から無価値と言って取り上げられるからです。【無価値】と【無意味】の
違いはこのようにまったく違うものなのです。
ちょっと昔の私の言葉を引用します。
>そして、“無意味”であるということは、そこから“意味”が、“価値”が
>生まれることを 私は望んでいるから。
>私に意義があるとするとそれが考えられます。
(悟りと苦Aスレ>94)
まあ端的に言ってそゆことです。くろしろさんが誰とでもバトルするのは
おそらく循環論法的なものを感じてないからでしょうから、むしろたぶん
循環論法の意味がわかってないんじゃないかなと思いましたので申し上げました。
(皮肉ではなくて嫌味です)。
>>637 >【否】がよくわからない。これだと「有の否定的疑問文」
>になると思う。否定とはもっと確固たる物で、
>鉛筆の色が青くないといえば青くないんです。そして違う色であると。
うーんここの辺りはまだ思案中だったのです。
で思いつきました。
【否】には【空】【空虚】【虚空】この三つのうちのどれかが置き換えられると思います。
まあ【空虚】はノスタルジックだから却下だとして、おそらく【虚空】になるでしょうな。
非論理の虚を由来とするから。
>【無実】は俺的には無は有と同じく無は存在するものとしているので、
>「無の存在性」に変えます。
まあくろしろさん的にはどちらでもどうぞ、でも独我論的には実在を超えて
何も表現することはできませんぜ。(存在=無だから)
あとこれも【無】を表現するのに【無】じゃおかしいと気づいた。トートロジーだった。
なんでこれを【空】としよう。
続き)
で改訂してみました (
>>637より)
1 2 3 4
【否定】→【否定する無】→【虚空】→「有の否定的疑問文」
【無実】→【実在しない無】→【空】→「無の存在性」
【無意味】→【循環する無】→【無終】→「循環論的悟り」
【無価値】→【極点の無】→【絶無】→「あんたって無価値」
【無意識】→【意識しない無】→【闇】→「無意識に潜む無への恐怖」?
【非論理】→【偽である無】→【虚構】→「非論理」
【無論】→【なにもないさま】→【虚無】→「証明外の無」
1論理的認識
2論理的認識の論理的説明
3感覚的認識
4くろしろ流認識(直観の認識結果)
>>636 >(2)のカントは弁証法を否定的に語っており、それを
> 思考底本にしてはいけません。w
だめです。カントの純粋理性批判は聖書的意味を持ちます。
カントによって弁証法の絶対性をとやかく言わなくていいと
保証されているのです。これ以上弁証法を語らなくていいと
これは一種の契約(社会的)です。別に読んだからとか、読
んでいないから、わからないとか、そういう意味ではなくて、
その本がこの世に実在する、この事実によってその弁証法の
絶対性が保護されるのです。全ての独我論はこの存在認識に
帰順されて、その立場が保証されます。だから独我論は絶対な
のです。むしろ唯一の実在というものに保護されているから。
これはくろしろさんの特権的立場より偉いんじゃないでしょうか。
むしろその実在性を問わなくてもよいと、それがカントによって
保証されているのだし。カントの価値は意味以上に価値が高い
のです。思考の底本ではなく、契約というスタンスだとご理解く
ださい。
>>629-631 だから【直観】はそこに真理が保証されている様の状態を指します。
これはむしろ断定的で、カントによって保証されている事実です。
【無論】であり、言うまでもないことなんです。直観が保証されなけ
れば【認識】も【そんざい】もなにもありません。私が話しているのが
くろしろさんかどうかも保証されません。直観によってむしろ真理が
前提的に保証されている様を想像して頂けるとありがたいですね。
>>631 >推理を用いない。感覚的。つまり両者とも論理ではないわけです。
私の場合、ちゃんと後で反論したでしょ。そこに論理(言葉)があって真理が
あったじゃないですか。“説明”できるから直観といっているんです。直感ではなく。
“推理済み”なのです。
あと、くろしろさんの辞書による、ちなみに直感の説明は合ってますが、
直観は違いますね。説明がちょっと足りない感じです。
直観=物事の本質や真相を経験や推理の力を借りずにいきなりとらえること。(ATOK辞書よりw)
まあ変な超能力者じゃないかぎり、直観は全てに人に当てはまらないのは当然考えられる
ことでしょうね。ですから直観には真相、真理、本質のその保証性が確立されている状態の
ことをむしろ隠喩的に指すものなんです。なにより
>>621の「無はある?」の問いの答えを保証し
たのは他でもなく、くろしろさんじゃないですか。私は
>>621で推理せずに直観的にBを間違い
だと判断しましたよ。だってくろしろさんが言っていたのを記憶していたから、そして論理を作る
自信もあったから、だから直観としたんです。直観の唯一の直感との違いは、それを後できちん
と説明できることです。もしそこで推理をしたならそれはこのように推理を事前に書き込む(記述)
する必要があるのです。まあそんな人はおらんでしょう。この論理と認識の円環的絶対性は直観
に由来します。独我論に先立つカントとの契約によって。そういう意味では『直観』は後出しじゃ
んけんの必勝法を手に入れたと言ってよいでしょう。
まあ、マイ解釈ですので、批判はお好きにどうぞ。しかしまあカントはそれを理解した上で
“純粋直観”として空間と時間を真っ先に挙げているのですよ。
ちょっと純粋直観について。
(カント/純粋理性批判/第一部門 先験的感性論1/岩波文庫p87より)
〜感覚に属するものを一切含んでいない表象は純粋(先験的意味において)な
表象と呼ばれる。すると感性的直観一般の純粋形式は、我々の心の内にアプ
リオリに見出され、そして現象における一切の多様なものは、この形式によって、
或る関係において直観せられるのである。感性のかかる純粋形式はそれ自身
純粋直観と呼ばれてよい。〜
カントの直観は全て、先験的という言葉を使うことによって、その経験を逆説的に保証し、
説明を『言うまでもなく【無論】』の状態に、してしまっていることにまず気づいてください。
例えば、空間と時間はそれ自体を認識したときまったく、非論理的なものです。しかし
それを純粋直観としているのだから、それを疑うことは弁証法的に無意味だということし
ているんです。汚れのないもの(純粋なもの)として、むしろ汚してはいけないものとして
判断しているのです。ですから、本来的には、ここら辺の、空間と時間はそのものが無な
んです(禅問答的ですね)。そういう意味では独我論は決してわがままな思想ではなく、
非常にジェントルマンの思想と言えるのですよ。非常に倫理的な思想なのです。独我論
というものはね。
とりあえずここまで、くろしろさんの悪いところは、なんでも思いこみと片づけること。
それとくろしろさん自身が哲学板にいるのにも関わらず、哲学している人を心が病んでいる
人と片づけること。ここら辺を注意すればいいのになあと思いました。つかそこら辺に私は
反感を持ちました。そんなに私って病んでいるように見えますかね?
いちおう無のカテゴライズは私自身においては、完成されたので、議論はここまでに
したいかと思います。私がここにやってきたのは、無の論理性を持ち込んだくらいでしょうか。
まあ、まだ何かつっこみどころがあれば反論してください。
(明日から仕事なんで、今まで以上に大げさなそんなにレスができなくなるとは思いますが)
とりあえず相手してくださってどうもでした。ではでは〜
>>647 でまたまた改訂してみました
【無】の直観形式
1 2 3 4
A【否定】→【懐疑する無】→【虚空】→「あれないぞう?」
B【無実】→【実在しない無】→【空】→「やはりないんだ」
C【無意味】→【循環する無】→【無終】→「なにをなやったって無駄だ」
D【無価値】→【極点の無】→【絶無】→「あんたって最低」
E【無意識】→【意識しない無】→【闇】→「なんだかおちつかんな」
F【非論理】→【偽である無】→【虚構】→「話にならん」
G【無論】→【なにもないさま】→【虚無】→「言うまでもない」
1論理的認識
2論理的認識の論理的説明
3感覚的認識
4直観の認識結果(直観の翻訳)
なお感覚的認識3によって整理し直します。
A【虚空】とB【空】は論理的に対を為します
C【無終】とD【絶無】は時間的に対を為します
F【虚構】とG【虚無】は空間的(実在的)に対を為します。
E【闇】と【無】は直観的(存在的)に対を為します。
話が広がりすぎるので、弁証法の辞書
(2)カントでは、経験による裏付けのない不確実な推理を意味し、
それを純粋理性の誤用に基づく仮象の論理学ととらえる。
これ読んだ限りでは、どう見てもカントは 純粋理性の「誤用」
として、「仮象」の論理学 と弁証法をけなしてるようにしかみえん。
後、直観について
>推理を用いない。感覚的。つまり両者とも論理ではないわけです。
>私の場合、ちゃんと後で反論したでしょ。そこに論理(言葉)があって
真理が
>あったじゃないですか。“説明”できるから直観といっているんです。
直感ではなく
直観とは例えば1+1=2で、1はなぜ1とわかってしまうのか?
と言うようなことだと思います。俺には説明できん。しかし1は1だ。
でも1が1としてわからんと1+1=2と言う論理は成り立たない。
だから直観も大切な認識の要素、そう言うことだと思います。
後、鬱の論理療法を持ち出したのは健康な人でもそう言う思い込み
をするときが有るし、フロイトの精神分析は神経症の治療法から生
まれたのです。これは揺るぎの無い事実です。だから無意識を語る
ときはどうしても病的な文脈に近くなる。そう言うことです。
じゆんが病気だといいたいわけではない。(いや、そうかもしれな
いがw)
>>655 >でも1が1としてわからんと1+1=2と言う論理は成り立たない。
>だから直観も大切な認識の要素、そう言うことだと思います。
まあ端的に言ってこれはクリオア問題とつながりますね。
まあ私はクリオア問題そのものが、馬鹿げた議論だと思っています。
>直観とは例えば1+1=2で、1はなぜ1とわかってしまうのか?
>と言うようなことだと思います。俺には説明できん。しかし1は1だ。
まあ論理的に言えば、そういう論理的規則があるからとしか言えないのでは?
そういう風にただ私は思うのですけど。ためしに1+1を翻訳(意訳)してみた
らどうでしょうか?
あと数学の客観性を聞いているのなら、やはりベルクソンを読むといいと思います。
単純におもしろいですよ。 と言っても私も読んでいる最中なんですがね。
でも面白いです。
(続き)
>後、鬱の論理療法を持ち出したのは健康な人でもそう言う思い込み
>をするときが有るし、フロイトの精神分析は神経症の治療法から生
>まれたのです。
>これは揺るぎの無い事実です。だから無意識を語る
>ときはどうしても病的な文脈に近くなる。そう言うことです。
そうですね。フロイトも麻薬中毒者(病気)だったから、
あそこまで心理的な洞察が出来たのでしょう。
(一応言っておきますと私は薬、未経験ですよん)
>じゆんが病気だといいたいわけではない。(いや、そうかもしれな
>いがw)
さてどっちなんでしょうね。
どうして人を病的だと見なすんでしょう。病気もただの
生の一つの形式でしょうに。おお自己言及すいません。
ちょっと脱線してしまいました。すんまそ。
あと無のクリオア的、色の認識ってなぜか、黒か白か透明なんですよね。
そこら辺どう思われます。別に無が「黒い」ってわけじゃないのに。
論理的には色が“無い”ってことを示唆しているのかな。どう思われます?
しかし赤い色の無は想像つかない。何ででしょうか?
【無】の直観形式
1 2 3 4
A【否定】→【懐疑する無】→【虚空】→「あれないぞう?」
B【無実】→【実在しない無】→【空】→「やはりないんだ」
C【無意味】→【循環する無】→【無終】→「なにをなやったって無駄だ」
D【無価値】→【極点の無】→【絶無】→「あんたって最低」
E【無意識】→【意識しない無】→【闇】→「なんだかおちつかんな」
F【非論理】→【偽である無】→【虚構】→「話にならん」
G【無論】→【なにもないさま】→【虚無】→「言うまでもない」
1認識のための概念
2よくわからない説明
31の短縮的いいかえ
41の口語的説明
俺的には1と4だけでいいような気がするが。
>>じゆん
あとそうそう、クリオア問題ってなんだ?
検索かけても引っかからない。
>そうですね。フロイトも麻薬中毒者(病気)だったから、
>あそこまで心理的な洞察が出来たのでしょう。
違うと思うがw
662 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/09 18:48
【2ちゃん無駄時間】
2ちゃんをして時間を無駄にする事。まったくこれは恐ろしい事だ。
2ちゃんは早めの撤退が原則だよ。
663 :
考える名無しさん:04/03/09 20:19
物質の存在しない「無」なら、あるけど、
空間も存在しない「無」となると、ないんじゃないの。
しかし、よく書くなー(w
664 :
考える名無しさん:04/03/09 20:20
665 :
考える名無しさん:04/03/10 06:57
>>662 2ちゃんをして時間を無駄にしている好例。
クオリアを1を理解するのは余り関係ない話だな。むしろ直観の話だ。
間違い
クオリアと1を理解するのは余り関係ない話だな。むしろ直観の話だ。
668 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/12 19:57
>>663 空間を限りなく小さくしていくと、最絶対的空間無のできあがり。
/⌒ヽ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミ ・3・)< 無
│ ・ つ \
│ ・ │  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\_/
mu む
__ (_)
ヽ|__|ノ ノ_.. _ `ヽ
||‘‐‘||レ | ノ:::`ヽ
/(Y (ヽ ノ`ー´:::::( )
∠_ゝ (ヽ_、 __ / ヽ
_/ヽ (_ヽ_/、 ー⌒ _)
 ̄~~
、、,,
.ミ⊆⊇ミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ゜Θ゜) < ム
| :.∵. つ \________
し.∵.:!
ヽっ._ノっ
む
ミ・3・ ミ
(ミ ミ)
ミ ミ
U U
ム ッカーこのやろ!
ノノノノ -___
(゚∈゚*) ─_____ ______ ̄
丿\ノ⌒\ ____ ___
彡/\ /ヽミ __ ___
./∨\ノ\ =_
.//.\/ヽミ ≡=-
ミ丿 -__ ̄___________
.ζ
__/⌒ヽ,__
/。 ̄ ̄。ヽ 無
( /.●ヽ )/⌒)
/ /
/ ,,/
| / |
(__/ \
/ ヽ
|/ヽ/ヽ/ヽ/ヽ/ヽ|
(___ノ ヽ__)
675 :
くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/12 21:02
676 :
くろしろ@:04/03/12 21:03
677 :
考える名無しさん:04/03/12 21:03
678 :
くろしろ@ポストポストマルクシズ:04/03/12 21:04
【名無し】
哲学板では「考える名無しさん」
やがて虚しさに気付くだろう・・・
680 :
くろしろ@ポストポストマルクシズ無:04/03/12 21:50
もう虚しい。【泣き
681 :
考える名無しさん:04/03/13 03:19
682 :
考える名無しさん:04/03/13 04:18
無限小=limx(x→0)=0 (xは実数)
683 :
考える名無しさん:04/03/13 04:19
死ぬのが手っ取り早いよ。
684 :
考える名無しさん:04/03/13 04:49
哲学的に考えるなら、絶対無についてだと思う。
685 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/13 05:25
うん
>>681 ああ、論理的にはそうだね。俺はイメージとして言いたかったんだが、
どうもまずい事を言ってしまったようだ。
無限小から最絶対的空間無にはちょっと飛躍があるのかもしれない。
でもイメージとしてつかんでくれたまえ。
空間がまったく無い無と言うものを。
>>682 それともこちらが正しいのかな? どちらかわからない。
白痴と言うのは嫌なものだね。こちらが正しいのなら、
取り立ててまずい事を言ったわけでもないが。
>>683 自殺は結構手間がかかるし、人間どの道死ぬんじゃないか?
行き着く所が同じなら、生きて絶望を味わって死んだ方がい
いと思うよ。絶望そのものに、敗北そのものに意味があるんだよ。
それに絶望以外の何かが無いとは言えないじゃないか?
>>684 俺は無を総合的に観ることが哲学的だと思うが、
まあ絶対無には不可知と最絶対的空間無、または全有宇宙無
の観念が必要。
>>469〜参照
>>685 ん? キキキ君も感じる所があったか?
688 :
考える名無しさん:04/03/13 17:39
白痴晒しアゲ
689 :
考える名無しさん:04/03/13 17:48
>>686 一般的には無限小=limx(x→0)=0 (xは実数)
超準解析では無限小≠0
詳しいことは数学板にでも行って聞いてくれ
690 :
くろしろ@社会学白痴:04/03/13 18:47
要するに実数なければ0で無いよと言う話だな。
超準解析はあとでしらべておこう。
>690
もっと単純に考えてもいいと思われる。
lim1/x(x→+0)と1/x(x=0)が端的に異なると
主張するところが無限に関する哲学の態度なのだから。
解析学考える前にこの問題やってみたら?
【問題】
1=0.999・・・
を証明せよ。
【回答】
1=1
よって
1=0.999・・・
ではない。
駄目か?
693 :
考える名無しさん:04/03/14 19:57
白痴おもろいね
>692
冗談にしてはあまりに笑えないのだが^^;
これをどう解くかによって哲学的態度がよく分かる。
あなたが>686で言ってることを数学の証明に
どのように活かすのかがまさに問われているのですよ。
IQテストだと思ってもらっても構わないのだが
ちなみにその解答では仮に1=0.999・・・が
成り立つとき「プラトンの弟子=アリストテレス」も
成り立つということを否定しているのと同じです。
まったくもって0.999・・・の解明がなされていない。
695 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/15 00:08
まず仮定としての
1=0.9999・・・
が間違っているので、
論理的にはこれを否定せざるを得ない。
1=1だ。
無の話について言えば
最絶対的空間無≠最小の空間
と言う話になる。
「プラトンの弟子=アリストテレス」でないのは自明の事だ。
これは例が悪い。
プラトンはアリストテレスの専属教師ではない。
したがって
「プラトンの弟子=アリストテレスおよびその他」が正しい。
1=0.99999・・・
に対応する文としては
「パーマン=パーマンのコピーロボット」
あたりがよろしいか
しかしこれも=としては成り立たない。
やはり
1≠0.9999・・・
と言う結論になる。
どうしても証明せよと言うのなら
1=0.9899・・・
こまいこといいっこなし、
よって1=0.9999・・・である。
ということになる。
>695
もっと柔らかに思考なさってください。
「プラトンの弟子=アリストテレス」と「1=0.999・・・」の
関係は字面が違うが一致する?ということに関する例示です。
お気に召さないのであれば「ヘスペラス=フォスフォラス」に
変更しましょうか?>694をそう読み替えてみて下さい。
697 :
考える名無しさん:04/03/15 00:21
>>696 1+1=2 でも 2/4=1/2 でも否定されてしまうんじゃ、面白み
がない。もっと実数論の急所を突くような詭弁を考えろ、っと言いたいのか?
ついでなので一歩進みますよ。
【問題】
1=0.999・・・
を証明せよ。
【解答】
x=1とし、y=0.999・・・(1)とする。
(1)の両辺に10をかける。
10y=9.999・・・(2)
(2)-(1)より
9y=9.000・・・
∴y=1
∴x=y
∴1=0.999・・・
【証明終】
これが高校数学の証明法です。必要あらばもっと解析風の
証明を行っても構いませんが哲学やるぶんには上ので十分です。
【問題】
この証明はどこがおかしいでしょうか?
>697
まあもうしばらく様子をみて下さいな。
「π」や「1/3」について、とでも書いておきましょうか?
お、キリ番ゲットなんて楽勝だな。
>>698 >これが高校数学の証明法です。
この問題、中学で習ったけど?
>701
ぬおっそうだったのかΣ(゚Д゚)
じゃあ中学ってことで。ご指摘ありがとう。
ところで>701はこの証明が妥当であることに疑問あります?
>702
おかしいところはないと思う。
あと、両辺に1/3をかけて、1/3=0.333....
という解き方もあるね。
1≠0.999....を証明せよ。ってほうが難しくないかな?
>703
>1≠0.999....を証明せよ。ってほうが難しくないかな?
そうでもないよ。
くろしろ氏自身にたどり着いてほしいので
まだ証明は行わないけど。
そうだね。くろしろ君の回答を楽しみに待つよ。
一応、この証明のヒントとしては「ε-δ論法による定義の違い」や
「超準解析による超実数(超現実数)」とは直接関係しない、と記しておきます。
707 :
考える名無しさん:04/03/15 20:44
>有るなら無じゃないし
これが
>>1の主張の欠陥。無が有る。無が無いのならば、我々はなぜ
「無い」と言う断言が出来るのか?無いものについて、我々は如何な
る認識も想像もなせない。我々は無を認識し、それに対応した無とい
う言葉を有している。このこと自体が、無が有ることを証明している。
708 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/16 18:23
>>698 これは証明になっていない。
(2)−(1)
のところで引かれる数が1と0.9999・・
と違うので、こういう式になるだけ。
10y=9.999・・・(2)
から両辺から1をひけば
10y=8.9999・・・
でy=1にはならない。
709 :
考える名無しさん:04/03/16 18:38
>>8みたいなこというやつがいるから困るんだよ。
本当は哲学は理系の知識が前提にないと論じることはできないと思う。
せめて哲学やるやつは最低限度の科学的な常識は持ってってくれよな
>>708 大丈夫?
10y = 8.999・・・
y = 0.8999・・・
もともとのyは0.999・・・でしょw
> x=1とし、y=0.999・・・(1)とする。
例えば y=0.999とした場合、
> (1)の両辺に10をかける。
> 10y=9.999・・・(2)
(2)は10y=9.990
つまり小数部の最終桁は0になる。
> (2)-(1)より
> 9y=8.999
9y=8.991
∴y = 0.999
∴x ≠ y
∴1 ≠ 0.999
今目にしてる対象物と自分の目の間には空間があって、これも一種の無といっても良いんじゃあないでしょうか?
無だから自分の視野に残らないのでは?
もちろん分子として空気はありますが…
>>698 体良く言えば、無限の回避
悪く言えば、無限からの逃避
>>710 この場合の0.999は、0.9(9の上に黒丸)のことだから
10y=9.990にはならないと思われ。
>>713 ん?
> (1)の両辺に10をかける。
> 10y=9.999・・・(2)
(2)は10y=9.99・・・0
つまり小数部の最終桁は「9ではなく0」になる。
>>712のとおり
715 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/16 20:43
間違い
両辺から1をひけば
9y=8.9999・・・
ゆえにy=1ではない。
あのう・・・ちゃんと解答できる方いないのでしょうか?
>>710 それは論点先取りというもので証明では一番犯してはならない行為です。
1=0.999・・・?
これを証明するにあたり証明式の途中で1を介入させることが
論理の飛躍というか横暴ですよ。
>>710 ちなみにそれは
1≠0.999
であって、その場合は
0.999<0.999・・・
これは明白なので
1=0.999・・・
の
>>698の証明にはなんら影響ないですよね。
桁を拡張するにも無限後退するだけになります。
ただ
>>712で筋の概ねはあってます。やり方に若干手を加えると
無限後退を避けられますのでもう一歩です。
この問題は
>>698の証明を認めた上で、
同手法(式変形ステップ)から背理(x≠y)を導く必要があります。
背理が導かれた後に同一律をたて数学では一致、哲学では不一致。
720 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/16 22:03
>>717 (2)−(1)
というのも論理の横暴だと思いますよ。
恣意的で意味が無い。
721 :
三浦 ◆K8EfEbyWG6 :04/03/16 22:04
NASAは2月11日、人工衛星WMAPが観測したデータから、ビッグバンで
誕生した直後の宇宙の様子を示す最も古い光の温度の分布図を公開した。
宇宙の年令については、昨年4月にNASAの研究グループが年老いた星たち
の観測結果から、宇宙の年令は130億〜140億才(ホット・トピックス2002
年5月1日)と推定したが、今回の観測でほぼ137億年と具体的に年令が示
されたことになる。
人工衛星WMAP(Wilkinson Microwave Anisotropy Probe)は、2001年6月
に打上げられ、地球から150万キロメートル離れたL2ラグランジュ点の領域で、誕生から38万年後の名残として降り注ぐ電磁放射(宇宙背景放射)の
温度などを100万分の1の精度で観測した。WMAPは、従来の観測と比較して
観測領域が宇宙全体にわたっていることや、観測能力(分解能)や天の川
銀河などに前景汚染を取り除く能力がはるかにすぐれているため、
宇宙の年令については今回の観測結果で決着がつけられるものと考えら
れている。WMAPの観測の主な点は次のとおりである。 宇宙の年令は137億
年±2億年、平らで今後も膨張し続けて収縮することはない。 宇宙全体の
エネルギーうち、バリオン物質(水素のような原子でできた通常の物質)
が僅か4±0.4%、ダークマター(未解明の暗黒物質)が23±4%、そして
73±4%が宇宙の膨張に係わると考えられているダークエネルギー
(アインシュタインが予言した宇宙定数)である。 また、宇宙誕生後の
1億〜4億年の間に星が生まれそして銀河が形成された。星の誕生は、
従来予測されていたより早い時期に起ったことが明らかになった。
WMAPミッションは4年間続けられる。
>>720 10y=9.999・・・(2)
y=0.999・・・(1)
(2)-(1)のどこが恣意的なのでしょうか?
これは桁が揃うことが直観により認識できる
無限に関する哲学的態度ですよ。
>>698の式変形ステップを使ってx≠yを導いて
背理として論理的に1≠0.999・・・を導いて下さい。
723 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/16 22:18
>>722 それはですね
y=0.999・・
を単にy=1
に変えてしまったからです。
それが許されるのなら
両辺から1を引いても同じ事でしょう?
=なのですから。
>>723 10y=9.999・・・
(2)-(1)
(10-1)y=(9.999・・・-0.999・・・)
であって、(1)でのyの成分として引いてるのだから
それは数1を引いてるのではないよ。位相違い。
725 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/16 22:27
かないません。参りました。w
>>725 ほんもののくろしろ氏なのかな?
だったらこれから解法を述べようと思いますが。
ここで必須なのは認識論のカテゴリー問題と論理操作にあると言えます。
727 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/16 22:30
10y=9.999・・・
両辺から1を引く
10y−1=8.9999・・・
10y=9.9999・・・
y=0.9999・・・
これでイイと思うのですが、どこかで「ずる」をやっているのでしょう。
正直言って歯が立ちません。
それであってるのですが論点先取りなので無効なのです。
というより両辺から1を引いて両辺に1を足しているので
トートロジー以前に操作として意味を為せないのが問題ですね。
まず背理から導くことにします。同一律は後に回します。
分かりやすくするためにちょっと長くなりますがご了承を。
第一点として
>>698での操作は分解すると10倍して(1)を引き9で割る。
これと同じ操作からy=0.999・・・を導くことが目的です。
x=1とし、y=0.999・・・(1)とする。
(1)の両辺に10をかける。
y=0.999・・・(1番目)
:
y=0.999・・・(10番目)...(2)
(2)-(1)より
y=0.999・・・(1番目)
:
y=0.999・・・(9番目)...(3)
(3)の両辺を9で割る。
y/9=0.111・・・(1番目)
:
y/9=0.111・・・(9番目)...(4)
(4)を全て合計する。
[(9/9)y=9・0.111・・・]
∴y=0.999・・・
∴x≠y
∴1≠0.999・・・
>>714 >つまり小数部の最終桁は
無限小数は、最終桁が無いから無限小数なのだが?
>>730の特徴はy=0.999・・・を操作として保存し
なおかつ桁の繰り上がり問題を払拭できる点にあります。別解として
1=0.999・・・(1)
(1)の両辺にxをかける。
x=x・0.999・・・(2)
(2)の両辺に10をかける。
10x=x・9.999・・・(3)
(3)-(2)より
9x=(9.999・・・-0.999・・・)x
両辺を9xで割る。
1=(1.111・・・-0.111・・・)
∴1=1
∴1≠0.999・・・
つまり哲学においては0.999・・・やπ,e,√,1/3は数ではなく
操作と見なすということです。これは野矢さんの本とかで読んだ気がします。
従って操作は代数的に扱うことはできず、簡単に10倍したからといって
操作の前に10・をつければいいということが不可能になります。
一方、数学では上記も全て数であるので簡単に証明できてしまうわけです。
ちなみに
>>698が不十分なのは(左辺)=(右辺)において
左辺にあるものが右辺に、右辺にあるものが左辺に
式変形ステップで得ることができれば証明としての妥当性が増します。
1=1同変形から1=0.999・・・を得る場合
1/3=0.333・・・で求まるので、数学では極限論的に
1=0.999・・・というのは当たり前だという話になります。
デーデキントは数直線を1の部位で切断するときに現れる二つの断面に
1と0.999・・・を見ているという話も有名です。
>>733は変ですね。訂正します。
10・はつけてもいいが10倍した数値と=が結べないの間違いです。
736 :
考える名無しさん:04/03/16 23:16
>>732 > ∴1=1
> ∴1≠0.999・・・
これって、どういうこと?
したがって数学を離れたときには1=1ですら1≠1の場合があります。
1(個)≠1(cm)≠1(数)といった場合ですね。
詰まる所くろしろ氏の
>>686にある「無限小と空間無」も
どのような捉え方によるものかでイメージしやすくなるのでは?
と
>>691で私は言いたかったわけです。長くなりましたが・・・
算数の雑談スレは、ここですか ?
>>737 逆に、どのような捉え方によるものかを明示できなければ
ひとりよがりの論にしかならなくなる。
>>736 右辺と左辺をそれぞれ記号で置き換えた際に
>>730と同様の結論が得られるということです。
ちょっと省略し過ぎかも知れませんね。
そうであるなら
>>732は無視して頂いても構いません。
>>739 いいとこ総取りじゃないですかいっΣ(゚Д゚:)モッテカレターヨ
742 :
考える名無しさん:04/03/17 11:06
数学も哲学を支える重要な要素ですね、宇宙が伸縮し時の概念が人によって作られたものなら
人類を含む万物の行く先はなにがあるのでしょうね?
「そこ」は何か「ある」のでしょうか「ない」のでしょうか?
「時間」の概念が重要だと考えていましたけど世界を引いて考えると別に重要じゃないなと思いました。
「感じる」ことの先にヒントがあるんじゃないでしょうか?
>>733 「哲学において」とか「数学では」とか言うのはまあその通りだけどさ、
数学の哲学を知らない人が哲学板に来て数学の話をしてもしょうがないと思うんだけど
>>743 数学の哲学という言葉で何を言わんとしているかが釈然としませんが
>>737を読んで「哲学」と「数学」だけに分けてしまうことが
743氏に誤解を与えているならもう少し付け加えたほうがよいのかな?
数学の結果や数学のあり方を論じるための哲学と考える際
フッサールの算術の哲学におけるノエマからの形式抽出
フレーゲの概念記法に始まる論理的還元
ラッセル・白頭のプリンキピアマテマティカ
Wの論考、それを受けた論理実証主義において進められる規約主義
パトナムによるモデルの指摘
クワインの規約による真理や経験主義と二つのドグマ
こういった観点を抜きに簡単に語れないよということかな?
(ちと内容的に古いかもしれませんな・・・)
745 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/17 19:02
>>309 面白い
1はわかったから
0でやってみて
【問題】
0=0.0000・・・(無限小)
を証明せよ。
答えはありません。
746 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/17 19:10
あと
1=0.9999・・・
を証明するので、細かい事を気にしない
ってのは一つの答えだと思うのね。
つまり=の内容を厳密なものから許容範囲で量るものさし
にしたってことで人の主観の方をいじる論理だけれど。
俺昔印刷屋にいたことがあるけど、
特別に色を練ると同じ色っていうのはどうしても出ないのね。
少しずつ違う色になる。
だから厳密には違うものを許容範囲で「同じもの」と表現
することになる。
>>745 それ書き方がマズいです。
0=0.000・・・(無限小)
ここで0.000・・(0がn個存在する)・・1(n→|∞|)
の表記を認めるか否かで無限小の扱いが変わるのでは?
>>746 細かいことは気にするな。
これは議論のすり替えに当たります。
色が厳密に違うということを認識しているのならば
同一でないというのは色の厳密性において明らかでしょう。
厳密に違うことが完全に認識できないからこそ同じであり、
0.999・・・を数として扱わないという立場を取ったときに
初めて土俵が違うから同一証明の意味がなくなる。
また許容範囲で同じというのは土俵は同じで
1=0.999・・・そのものを証明を行う前に
曖昧に同じという概念の象徴にして証明を行っているので論点先取り。
>>746 許容範囲の例示として1=0.999・・・を使うためには
それが同じ数として厳密に異なるという証明を行った後で
なければいけないということです。
>>747 よくわからん。w
0.000・・(0がn個存在する)・・1(n→|∞|)
でやってみてくれ。
>>748 言いたいことはわかった。
じゃ違う論理をしめそう。
1=0.999・・・
が「問題」になっている。
同じかどうかはわからない。でも問題になるくらいだから近い
値なのは間違いない。
色の問題もそうだ。
実はそれは同じ色かも知れない。
だけど違って見えているのかもしれない。
よくわからない。
そう言う「問題」がでたときに
まあ、これは同じで済まそうやと言う論理
は明らかに存在する、と言うことなのだ。
つまり、うやうまにする、と言うことか。
すまん、うやむやにするだな。w
>>744 古すぎです。
だから数学の哲学を知らないってことでしょ
>>749 前件に関して。
数(実数)として考えると超準解析を例外と考えるなら
必ず1=0.999・・・は証明されてしまう。
>>730は
むしろそれを証明しているわけです。
したがって0=0.00・・・01は数として必ず一致します。
後件に関して。
よく分からない者同士の一致。
それが成り立つには例示する者とされる者において
実数において1≠0.999・・・と判断していることが必須です。
このとき真偽の如何に関係なく例示という行為が意味として示されるでしょう。
これはOKです。真偽を証明される事態に出会わない限り
1と0.999・・・は違いが分からないという例示は有効と考えられます。
1-0.999・・・=0 無限の否定
1-0.999・・・=0.000・・・ 無限の肯定
別に哲学知らないこと自体をあげつらうつもりはないけど、
>>722にある
>これは桁が揃うことが直観により認識できる
>無限に関する哲学的態度ですよ。
みたいな言い方は全く意味がないし、こういった無根拠なことを
言うのはやめてほしい。
>>754 その指摘すごくありがたいかも。
書いてて気持ち悪かったんだが指摘を貰えて良かった。
もっと勉強します。
ちなみにあなただったらあの引き算をどう説明するのか訊いていいかな?
>>752 前件 実数じゃないモデルだとどうなるの?
ちなみに0=0.000・・・1(小数点以下の0がn個=無限大)
のモデルでも式を書いて証明して欲しい。
後件 >実数において1≠0.999・・・と判断していることが必須です。
いや必須じゃない。
俺の言いたいのは
1=0.999・・・
でも1≠0.999・・・
でもどっちでもいいの。
ただなんとなく一緒だろうなーってことは
真偽を問わないの。
でしょ?
>>756 前件 無理。
>>753の人が口を酸っぱくして何度も書いてるでしょ。
0=0.00・・01と書いた時点で無限が完了している。
さっきも書いたけど
>>730は同一であるための証明です。
見かけ上・・・であっても完了した9がないと成立しないんですよ。
数学とか哲学とかいう言葉に振り回されて肝心な2つの立場を
安易に数と操作に分けたことが悔やまれる。
線分から点を無限を切り取り続けるか、無限個の点を一気に
取り出す、という立場って言った方が良かったのかな。
後件 おっしゃる通りです。
「どっちかようわからん」状態が両者に共通ってことですよね。
頭悪くて、前件がいまだにわからんのだが、
0.000・・・1(小数点以下の0がn個=無限大)
は0ではない?
>309さんへ
あのー、お願いがあるのですが、やっていただけるでしょうか。
「自然数」と「素数」には「無限大」が存在しないことを証明してください。
自然数も素数も「個数」としては「無限に」あるのに、自分のような
まったくの素人がみたら不思議に思ってしまうのです。
幼稚な内容でスミマセン。どうしても気になっているものですから。
>>758 1が現れた時点でその前の0は有限個と宣言したとみなされます。
0が無限個あるという状態は・・・がどこでとぎれるか認識できない
という状態を表します。
実数体は有理数体を完備化して得られるものである
(数学ではあくまでこのような人工的に構成された集合と定義される)
という立場では、0.00000・・・(果てしなく続く)=0です。
0が果てしなく続いて次に1がくるという事は考えません。
というか1がくるということは0の列がそこでとぎれたことを意味してるでしょ。
761 :
309ではないが:04/03/18 10:57
あのう・・・無限大数が実在するという数学体系もあるのですよ。
それが、まさにロビンソンの超純解析というものです。公理系の違いです。
ある、ないと断定できる事柄ではありません。
762 :
309ではないが:04/03/18 11:00
超準ですね。。。いろいろ本も出ていますよ。
>>761 >>762 あっ、そうなんですか。どうもありがとう。
図書館などで調べてみることにします。(でもすごーく難しいんだろうなぁ)
>くろしろ氏
うーんと、0=0.00・・01の証明はこの表記を取ってる時点で
もはや証明できる形になってるんですよ。
>>754氏みたいに鋭く突っ込んでくれる方がいるので
迂闊な表現はできないのだけれども要は有限時間内に
無限という操作を完了させるかさせないかの立場の違い。
こう書けば間違いにはならんかな。ゼノンのパラドックスです。
スレッドでいえば1~1000までは有限時間で到達する。
しかし1は500を通り、750を通り、750と1000の間のレスを通り・・
こういった立場だと延々と表記できてしまう。
けれども1000に達するのであれば我々は無限を完了させることになる?
まずはこの観点を導入してあなたの空間無と無限小を考えてみては?
>>668と
>>686はイメージでつなぎ止められるものではないと思う。
余談だけど0=0.00・・01の証明は簡単だよ。
ゼノンは操作回数の無限回と、無限時間をわざと混同させただけ。
その話とは関係ない。
>>765 >スレッドでいえば1〜1000までは有限時間で到達する。
>しかし1は500を通り、750を通り、750と1000の間のレスを通り・・
>こういった立場だと延々と表記できてしまう。
これを受けて有限時間のものが無限時間になる。よって矛盾。
とすれば普通のゼノンのパラドックスだが、
>けれども1000に達するのであれば我々は無限を完了させることになる?
こう続けるということは「1000に達する」という立場を
取ることで無限の領域に立ち入らない逃げ道を確保できると思う。
そのとき後者の「無限の完了」は本来書く必要はないはずだが
有限化の現れと考えれば全く関係ないとは言えない。
>>760 の考えはわかったけど
そうすると
>>764がわからん。
0.000・・・が無限を表現するならなぜ
0.000・・・1が出てくるのか?
そして=0となるのか?
さぱーりわからん
0=0.0000・・・無限
正しい気がするが、
0=000・・・1は違うと思う。
1の出てくる意味が無い。
同様に1=0.99999もやはり違うと思う。
これは例えば両辺を三で割ると
1割る3は0.3あまり0,1と表記出来るが
0.999・・・ではこのように表記できず
0.333・・・になるしかない。
よって両者は違う。
0.999・・・が1であるためには
0.3あまり0.1と表記できなければならない。
1を3で割る可能性としては、
1)0.33333・・・・
2)0.3あまり0.1または0,33あまり0.01など
と任意の数であまりを取ることが出来る。
0.999・・・は2)の可能性がとざされている。
また1)の場合でも
見た目は0.333・・・と等しく見えるが、
その性質を考えると1は割り切れないどこかあまりをもった
性質であるが、
0.999・・・の場合は割り切れるものがどこまでも続い
ている性質である。
ここでも性質上の違いから両者が等しいとはいえない。
769 :
考える名無しさん:04/03/19 20:05
・寝てて夢も見ていない時
時間の感覚無いよね?
日常で一番「無」を理解しやすいトコロかもね。
認識できないものが「無」なのか?でもそれは人間都合の解釈の「無」?
では「客体」とは?完全な客体なんか存在するのだろうか?無理だね。
・生まれる前
何も無かったよね?
・死んだ後
このレスを読んでいる誰もがまだ未経験。おそらく「無」ではないか?
う〜んどうなんでしょ?
哲学のことはじぇんじぇん分かりません。
(死無)自己無ってやつですな。
>>767 1=0.3*3+0.1
0.999・・・=0.3*3+0.099・・・
このとき0.1=0.099・・・
あるいは0.1≠0.099・・・
これは結局1≠0.999・・・の論点先取りしないと
>0.999・・・ではこのように表記できず
>0.333・・・になるしかない。
>よって両者は違う。
の結果は得られないでしょ。
小数展開することの意味をもっと充実させるべきと思われる。
>0.3あまり0.1または0,33あまり0.01など
>と任意の数であまりを取ることが出来る。
任意にとれるのなら
1=3*0.333・・・+0.00・・・
これで振り出しに戻る。0.00・・・はあまりか否か。
あまりであるなら収束した表現として0.00・・01であると。
>>771 訂正。
>あまりであるなら収束した表現として0.00・・01であると。
これは適切ではない。0.00・・・のまま残してあまりという表現は撤回。
>>771 1=0.3*3+0.1
0.999・・・=0.3*3+0.099・・・
単純な理論を忘れていたが、
ここですでに、0.1、0.099と表記が違う。
これは何故か?
表記の違いを持って、性質が違うという論理も成立する。
これはすでに1と0.999・・で現れているが重要である。
この問題を解決するためには0.999・・=1
という論点先取りとしないと成立しない。
よって表記のちがいは両者の決定的な相違である。
また割る性質において違うことが語られていない。
>任意にとれるのなら
>1=3*0.333・・・+0.00・・・
>これで振り出しに戻る。0.00・・・はあまりか否か。
>あまりであるなら収束した表現として0.00・・01であると。
これは任意一般ではなく特殊な任意の一表現である。
ある1の表現形態において0.999・・との類似
を表現したもので、任意一般についてはいえない。
ここではっきりしてきた事は
1、割ったときの性質の違い
2、表記
と言う点で、1、と0,999・・・はまったく違う性質
を持つ。
0.999
774 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 21:56
では一般的な数字形態を離れ、
初めの一文字しか表記できなくなる特殊事情を考える。
1は1であるが、
0.999・・・は0である。
ここの事情に限って言えば0.999・・は0に等しい。
775 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 21:58
>>774 のような事情を考えれば
必ずしも一般的に1=0.9999・・・でないという公理
が導かれる。
>くろしろ氏
ならばあえて問う。
0.999・・・を3で割ると何故0.333・・・になるのか。
777 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 22:08
また表記上の性質は現象論であって本質論でないとの批判に関しては
1割る3は常に割り切れない操作が無限数であるのに対し、
0.999・・・割る3は割り切れる数が無限数続くだけ
という本質の違いがある。
これが0.3333・・・と言う同じ表記の現象のもとに
本質を覆い隠していると言う事が出来る。
778 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 22:12
割ってもいないのに割り切れるとはどういうことなのか?
無限に続くものをどうして割り切れるなどと言えるのか?
780 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 22:19
貨幣経済はその搾取を見えにくくする現象である。
年貢であれば搾取ははっきりと目に見えるであろう。
同様に0.333333・・・は1と0.999・・・が
同じに見える現象である。
だが、その割る操作の性質に注目すればその差異がわかるであろう。
今日はここまでにいたしとうございます。
明日は誕生日。
309氏に0と0.000・・・1の証明を
プレゼントとしておねだりする。
781 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 22:30
>>779 ではこういおう9は3で割り切れるこの短期現象が、
無限に続くものが0.999・・÷3=0.3333・・である
1を3で割る際にはこの短期現象にあわせて割り切れずの0.1
等々1を表記する割り切れぬ数字が発生していくことが内包
されていることが無限に続くことになる。
782 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 22:33
間違い訂正。
明日は誕生日。
309氏に0=0.000・・・1の証明を
プレゼントとしておねだりする。
783 :
考える名無しさん:04/03/19 22:36
いい歳しておねだりもないもんだ。
784 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 22:47
おねだりすると言ったらおねだりする!
785 :
考える名無しさん:04/03/19 22:50
バカじゃねーの、こいつ。
786 :
考える名無しさん:04/03/19 22:54
バカの壁
787 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 22:57
>>785 馬鹿言った奴が馬鹿だーい
やーい
馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿
余計な時間食わすなドアホウ!
788 :
考える名無しさん:04/03/19 23:02
789 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 23:03
真実の馬鹿とは沈黙の中にあると知れ!
漢王室危機の際、呂氏は・・・(中略
790 :
考える名無しさん:04/03/19 23:06
白痴必死だな ププッ
791 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 23:09
俺は本屋で立ち読みしたIQ検査で140オーバーだ。ヴォケ
そもそも馬鹿といったらなぜ馬鹿なのかしらんのか?
馬鹿とは「呂氏絶対の沈黙の恐怖」が語源だからだ。
馬鹿と行った時点でもはや馬鹿ではないのだ。
792 :
考える名無しさん:04/03/19 23:13
白痴はIQ検査も出来ないんだな。
喪前等いい加減に汁!
794 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/19 23:26
160
>>781 9が3で割り切れることと0.999・・・を3で割ろうとすること
この違いが分からない限り0=0.00・・01の証明しても
どんな立場で何が証明されたか分からないのは明白。
796 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/20 12:42
>>795 短期現象と言う言葉が伝わらなかったかな。
こうも言い換えよう
9が3で割り切れることは計算における短期現象、
0.9÷3=0.3
0.09÷3=0.03
0.009÷3=0.003・・・・・・
これが、無限に続くのが0.999・・・÷3=0.3333・・・
無限だから全体としては割り切れないが、
無限を1単位としてその濃度を量る公理系の元では
3で割り切れる短期現象を1無限単位として割り切れるものとも
表せるかもしれない。
一方1割る3は
1÷3=0.3、あまり0.1
あまり0.1÷3=0.03あまり0.01
あまり0.01÷3=0.003あまり0.001・・・・・
これの無限連続
無限を一単位とする公理形の元でも割り切れる可能性は無い。
797 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/20 13:00
また無限を一単位として考えると
0.999・・(無限)
割る3の運動(無限)
0,333・・(無限)
と割り切れることが出来る
だが1の場合
1割る3の運動(無限)=0.3333・・(無限)
+0.000・・・(無限)1
と無限を1単位としても割り切れることが無い
これが短期的な現象面では
0.333・・・
と同じに見えるだけの話ということ。無限を考えれば違いは明白。
798 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/20 13:05
あはは
僕もがんばるぞー
799 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/20 13:11
ききちゃん
誕生日おめでとう。
800 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/20 13:14
わーいヽ(゚∀゚)ノ
ありがとうヽ(゚∀゚)ノ ヽ(゚∀゚)ノ ヽ(゚∀゚)ノ
>>797 全然ダメ。
1は数の性質上3で割り切れない。
0.999・・・は構造の性質上割り切れない。
まずはここを理解してないと意味がない。
0.3
_________
3)0.999・・・
9
---------------
0.099・・・
小数第一位とかで止めれば必ずあまりは出るでしょ。
こんなの小学生でも分かることじゃないですか。
あとこの計算はずっと続けることができる。
つまり割り切れない。
無限操作の単位化は結局数学の無限の有限化。
なのに無限を混同させてるので濃度に関する
記述もお粗末。せめて積分しなさい。収束使いなさい。
記述が異なるという観点で帰属させる性質を考えるのは良い方法だけど
くろしろ氏のは先走りし過ぎ、もうちょっと落ち着いて。
無限化されたものと無限化して行くことは違うはずだよ。
これで最後だからね。この違いがわからなければ進まない。
無限に行うということは未来の保証(法則性)を得ることではない。
>くろしろさんへ
レスが遅れてすみません。
いちおうあれから、いろいろ考えてみたのですが、やはり無に対する答えは“無い”です。
しかし「無」についてわかりやすい説明を見つけたのでここに掲載してみます。
[ハイデカー入門 竹田青嗣著 講談社選書メチエ p176より]
ふつうは「存在」と「無」は「あるーない」という形での対立概念として捉えられる。
しかし「無」は、じつはもっと根本的なもの、つまり「存在者」を存在者たらしめている
ある上位の原理である。「存在事物」は「無」という原理を自分のうちの持っていない。
それを持っているのは人間存在だけである。しかしそれは単に、人間が「非ず(〜ない)」
や「否認(〜ではない)」と言えるということではなく、もっと、人間が根本的に「無」の
原理のうちにあるので、人間は「非ず」や「否認」の態度をとることができる。
あとちょっとおもたのですが、上記の「非ず(〜ない)」と「否認(〜ではない)」
の明確な差異を答えられる人はいますか。もしくは一見同じに見える「非ず」
と「否認」を分断する視点はどのような立場から来るものなのか。
おそらく存在者の視点という仮象の設定を設け、主観「非ず」、客観「否認」の
区分をしたのだと思いますが、この認識の段階的差異は人間の「無」の原理に
よって行われるものなので、この「非ず」「否認」の性質を見て「無」の直観を理解
したいかなと、もしくはみなさんにして欲しいかなと考えています。
804 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 18:44
じゃ、決定打をだそう。
物理的に1mは存在するが、
0.999・・mは存在できない。
理由は考えてみて。
805 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 18:58
>じゆんたん
要するにカントの言うカテゴリー
の一つに無はあるんじゃないかとは常々おもっとったがね。
806 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆IDiumpIPqw :04/03/23 19:15
ヽ(゚∀゚)ノ
807 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 22:41
釣れないなあ。やはりこれは決定打か。
808 :
THE グル:04/03/23 22:41
いいですか、
グルは旅から戻ってきました。
これが断言できます。
どうかしましたか?
809 :
THE グル:04/03/23 22:45
いいですか、
1/9(9分の1)=0.111・・・
この両辺を9倍すると、
9/9=0.999・・・
つまり、
1=9/9=0.999・・・
1=0.999・・・
これが定説です。
まあ、無限等比級数知ってればなんてこと無いですね。
どうかしましたか?
無も有も具体的なものじゃないだろう。観念なんだから。
811 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 22:55
お、グルが釣れたか。w
じゃあ
>>804に答えてみい。
端的に存在を証明しなきゃ駄目だよ。
0.999・・=1を証明してからは駄目、
0.999・・が端的に物理的な単位として
存在するのかがポイント。
無理だろうが。w
観念だけの数値なんてなあ、
意味無いじゃん。
812 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 23:15
さあ、どうだ♪
813 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 23:34
>>809 あまりを考えると、こう表記できる
1÷9=0.1あまり0・1
9をかけると0.9あまり0・1=1
この問題は0.9999999・・・
と無限に数が進む事であまりの数がごまかされてしまう事に
問題が隠されている。(また思考停止してしまう・表記上
の問題、同一とみえてしまう)
またmなどと無限の使いようのない所では
0.999・・は存在しえない。
であるので結論上、無限を表記しうる所で、表記上の都合で
1=0.9999・・の外観を取ると言う事に過ぎない。
814 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 23:36
失礼。
>この問題は0.9999999・・・
この問題は0.1111111・・・
815 :
THE グル:04/03/23 23:39
>>811 いいですか、
簡単なことです。
あなたは、存在し得ないと思っているようですが、
0.999・・mは物理的に存在するということなんです。
それでご不満なら、
アキレスと亀のパラドクスの簡単な証明で事足りるんです。
解からなければ書き込みますが?
これが定説です。
どうかしましたか?
816 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 23:41
つまり
実際上
1÷9=0.111・・・(無限)にあまりがあるはずである。
だから、0.111・・(無限)を9倍してそのあまりを足すと
=1になるはずで、
0.99999・・・(無限)にはならない。
817 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 23:46
>>815 残念でしたー
>アキレスと亀のパラドクスの簡単な証明
それは無限が存在するときの話、
物理上では0.999999・・と限りなく9がけたを下げて
小さくなる事は不可能(素粒子以下になる事は出来ない、物質の
大きさには限界があるので)、よって有限世界では
無限は表現できない。
818 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 23:47
あははははは
819 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/23 23:49
中学数学もろくに覚えてないのにこのひらめきは何だ?
あははははは。
820 :
THE グル:04/03/23 23:57
>>817 いいですか、
では、暇なんで少し書き込んでみるんです。
まあ、mの話からはそれますが、
「質量」が解明されていないのは定説ですよね。
また、宇宙空間の暗黒物質あるいは、「距離」。
これらは、あなたの言う「有限世界」とは、
人間の閾領域のことでありまして、
理解出来うる範疇のみに限定されるものなんです。
ですから、あなたの紋きり論では、そこがはっきりしていないと思うんです。
あなたの論じる不可能であるという状況は何処に立脚するんでしょうかね。
これが定説です。
どうかしましたか?
821 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 00:07
>>820 空間の話かな?
しかし人間の認識上の部分で十分なんじゃない?
1割る9 再びかける9だって
0.1111(無限)と言う見かけであまりを忘れさせた
トリックじゃない。=0.999・・じゃないよ
=1だよ。そんなもん。
人間の闇領域まで話を追っては可能性の問題でしかない。
そこは想像の世界になるんじゃないの、どうとでも言える。
でも1にはならないよ。
822 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 00:10
いや失礼、宇宙空間の不思議1にならんとも限らない。
でもそれこそどうとでも言えることで、
でも人間の認識上のことで議論しないと埒あかないでしょうが。
823 :
THE グル:04/03/24 00:16
>>821 いいですか、
闇じゃなくて閾ですよ。
まあ、1=0.999・・・というのは簡単パラドクスのお遊びなんです。
それと、人間を中心の「現実世界」は三次元に依り過ぎる傾向がありますね。
これが定説です。
どうかしましたか?
824 :
THE グル:04/03/24 07:05
いいですか、
かなりこのスレの本質からそれたと感じたので軌道修正です。
「無」はやはり、大きく3つにカテゴライズされるものでありまして、
かなり前に書き込んだグルの定義と補遺のそれに依るんですね。
いつだか、
くろしろさんが4つに分化、分類できるとしていましたが、
それは他の構成要素をにまたがったものを容認するからでして、
それをしてしまうと、実は4つどころかそれに準ずるものが又一つ二つと加わっていって、
結局はAとBの性質を含むもの、AとCの性質を・・・という具合に広がっていってしまうんです。
ですから、「無」の根源がどこに根ざすかが重要なんです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
>>824 その問題に関してはもう諦めていて、両方の性質を持つのもやむなし、
と考えている。
826 :
THE グル:04/03/24 14:09
>>825 いいですか、
土台があって始めてその上に議論が成り立ち展開していくんです。
この場合の土台とは定義でありまして、
「無」の規定であります。
それらから派生したものはその上で構築していけばよろしいんです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
827 :
THE グル:04/03/24 16:18
いいですか、
では、喰いつき易いように敢えて馬脚を晒します。
「無」を無化させ「無」にするもの。
例えば、ビックバン以前は無の空間であったがその状況を「無」にした「無」。
他にも、「有」と「無」を同時に存在させうるとした時の展開。
「有」と「無」を交互に繰り返す「無」の力(ベクトル)の要素。
あるいは、複合的な「無」(無の序数?)。
つまり、「無」が多層に存在しえるかという事(マイナスの次元?)。
等などはどうなんでしょう。
かなり粗い提言なんでつっこみどころ満載ですよね。
これもいつかは定説です。
どうかしましたか?
>>827 グルさん
>これもいつかは定説です。
こういうことを言えるグルさんが、大好きです。応援してます。(実は今ちょっと酔ってます、
夜勤仕事の人間なんで時間帯はきにせんで下さい)私も無について何か思いついたら、
書き込みたいと思います。できれば、グルさんに私の述べた8つのカテゴリーの感想を聞
いてみたいと思っております。どんな感じでしょうか? やっぱり私のは妄想ですかね?
自分のカテゴライズは意味が重複しているのは十分理解しているんです。
でも、それでもなお意見を言わせて頂くなら、現代西洋哲学の系と照らし合わせて「時間」と「空間」
と「存在」と「実存」に対しての考慮は、やはりなされるべきだと思うのですが、いかがですか? むし
ろこれ以上の無の見解は、無のカテゴライズの上で無意味だと思うのです。なぜならカテゴライズそ
のものが西洋哲学から端を発するからです。また、そもそも西洋哲学に、宗教レベルの視野がない
と断じるのは馬鹿げていると思うのです。つまりあなた方の、宗教と哲学をカテゴライズの中に混合させる
試みは、ちょっとどうかなと思うのです。でも、まあ、思っただけです。レベルの低い私の意見など、無視
してください。私はあなたのファンなので、どうぞくろしろさんと議論を続けてください。(くろしろさん
のことも当然ファンですよ)
私はここで繰り広げられる無の観点の多様性に脱帽する者です。
そして人間の創造力に感謝します。アモーレ!
あと
>>827のグルさんの意見にも発言したいかと思います。
おそらく宇宙理論の始源的な無の状態をいろいろと述べられているのだと思います。
ホーキングの宇宙理論なんかを読んだ方がいいのかな?
あとひも理論なんかも述べていますね、シュレーディンガー(だっけ?)の猫とか
ようするに量子論における「存在」レベルの無の考察なのでしょうか?
「存在」を全て「無」に置き換えたところにグルさんの妙味を感じさせます。
(でも見当違いだったら嫌だなあ)
いちおう「無」の論議に面白さを感じる一人として言わせて頂くと(グルさんとくろしろさんのおかげです)
存在−無の対応関係によって全体的、包括的(集合的、)論議が可能なのがやはりいいですよね。
無、つまり矛盾について考えるのは面白いです。
あなた方の調子をおかしくさせたのなら申し訳ありません。いやグルさんがいけないんです。
そんな気が私はしますなあ。(失礼ばかり言って申し訳ありません)それでは。
830 :
THE グル:04/03/24 19:45
>>828 いいですか、
まず言いたいのは、
なぜあなたとくろしろさんが深みにはまって行ってしまったのかということなんです。
それは多分、土台固めがしっかりしないでダラダラと論を展開していったからであると思うんです。
さて、じゆんさんの8つのカテゴリーとやらの変遷を読まさせていただきました。
グルが思うに
>>610までくらいがじゆんさんの分類としては、一番良かったと思います。
ですから、これについて書き込んでみたいと思います。
これが定説です。
どうかしましたか?
831 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 19:49
グル、少し論を展開して見れ。
少なくともそれでは突っ込みようが無い。
俺は少なくとも
1まず、あらゆる無を集める事。表現。
2原基的ではなく機能的に無を分類する事。
3無の帰納的抽象の一時放棄。
しかやっていない。
そしてそれが無の総合的な議論としては最上のものだと
自負している。
なぜなら、無については個別的には語られていても
総合的には語られたことは無いからだ。
この低レベルさこそ無の議論の実質なのだ。
で、グルのやり始めたことは俺の1に該当する。
面白くなったら突っ込もう。
832 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 19:50
ぐる>じゆん
わくわく
833 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 19:54
ああ、一つ突っ込んでおこう
>>827 をグル流にどう分類できるのかだな。
834 :
THE グル:04/03/24 20:01
>>829 いいですか、
>>827は内容の稚拙さはともかくとしてあくまで三つの提言なんです。
い:「無」を無化させ「無」にするもの。
ろ:「有」と「無」を同時に存在させうるとした時の展開。
は:複合的な「無」(無の序数?)つまり、「無」が多層に存在しえるかという事(マイナスの次元?)。
ホーキングの宇宙論ですか、まあ、「有の極微」をつきつめればそこも通らざるかもしれませんね。
前にグルもそれについて書き込んだ記憶があります。
もっとも、上の三つはただ叩いてもらうための論です。
あなたがどう解釈するかはあなたの教養のレベルに反映するんです。
ちなみにグルは、「ぐりとぐら」から全て知識を得ています。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
835 :
THE グル:04/03/24 20:20
いいですか、
@【否定】→【否定する無】→【否】
A【無実】→【実在しない無】→【無】
B【無意味】→【循環する無】→【無終】
C【無価値】→【極点の無】→【絶無】
D【無意識】→【意識しない無】→【闇】
E【非論理】→【偽である無】→【虚構】
F【無論】→【なにもないさま】→【虚無】
あれ七つしか無かったですね。
まず、前提としていいたいのは、
これらが素(単体で成り立つ「無」)と他の素の複合したものがごちゃ混ぜになっていることなんです。
例えば、対象を持つことで成り立つ「無」がいくつか派生したものを含めて、
重複しているように感じられます。
まあ、これを究極的な根源的な分類の定義でなく、
応用、派生したものであるとするならば議論の余地がありますね。
これが、グルがこれから書くに当たってのスタンスです。
これが断言できます。
どうかしましたか?
836 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 20:24
>>835 じゆんのはそれぞれに特別な意味があるから、気をつけたほうが
いいぞ。
俺の創ったじゆん翻訳表の方がわかりやすい。
837 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 20:28
ほれ
じゆん概念翻訳表くろしろ版(じゆん改)
【否定】→【否定する無】→【否】→?「無いんじゃないの?」
【無実】→【実在しない無】→【無】→「証明された無」
【無意味】→【循環する無】→【無終】→「循環論的悟り」
【無価値】→【極点の無】→【絶無】→「あんたって無価値」
【無意識】→【意識しない無】→【闇】→「無意識に潜む無への恐怖」?
【非論理】→【偽である無】→【虚構】→「非論理」
【無論】→【なにもないさま】→【虚無】→「証明外の無」
無ともちょっと違うのがあると思うんだが。
838 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 20:32
ちなみに
俺の分類表。
俺はAであってBであっても構わない立場。
(修正案)
A何かを対象とする無「空間無」「物質無」など
B認識的な無「相対無」「不可知」など
C宗教的境地「禅無」「道教無」など
D哲学的な概念
839 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 20:35
グルの「ろ」は俺も考えていた。
ある種の物質無は、有でもある。
パソコン無と言う物質無を考える。
しかし他の物は実在するから、有でもある。
840 :
THE グル:04/03/24 20:54
いいですか、
@【否定】とは、
>>529でいうところの@でありまして、素であります。
ただし、Aの【無実】は実のない「無」つまり、根拠を【否定】したことになります。
B【無意味】は無意味だなあと感じることというえらく情緒的なもので無常観に近いんではないでしょうか。
(Bの【無意味】というタイトルはいただけませんね。)
C【無価値】これは価値を否定することによって生まれる性質のものですね。
ここでは「無」が【否定】の意味で使われていることに注目しましょう。
そうですね、これは@でしかありませんよね。
D【無意識】は、
>>298やサルトル云々と前に書き込んだ記憶があります。
(探すのがめんどいとか、わかんないというなら書き込みますが)
E【非論理】これもネーミングが内容と一致しないというか・・・悪いですね。
また、ご自身で
>>594に現象の世界で〜非論理的であるということです。
としていますが、これに関して言えば「無」は構成概念であるから問題ないですね。
(実在するかという事は無視するとして。)
F【無論】これもそうですが、ただの言葉遊びになっているようにしか受け取れませんね。
これが定説です。
どうかしましたか?
841 :
THE グル:04/03/24 21:01
>>839 いいですか、
いつの間にか名が変わっていたんですね、
さて、久しぶりに頭を活性化させて行きますかな。
これが定説です。
どうかしましたか?
842 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 21:03
いやいや@は「無の疑問文」=「無いんじゃないの?」
でBはじゆんの心霊体験のときのどうしようもない状態「循環論的悟り」
Cは無価値と言う罵倒「あんたって無価値」
じゆんの世界は奥深いのだ。w 何故ならネーミングがむちゃくちゃ
悪いから。
843 :
THE グル:04/03/24 21:12
>>842 いいですか、
>@は「無の疑問文」=「無いんじゃないの?」
そうですか、なら@はAと同じものですね。
なぜならその根拠の否定だからなんです。
Bは諦観の無ですか・・・つまり、ある希望的観測の頓挫、あるいは否定。
それに気付いた自分自身の感じ方という、えらく感情的というか主観的というか・・・。
Cは罵倒なんですか?
でもそれもやはり、自分の思っていたこと(価値基準)に満たないことの否定。
つまりは、Bと基は変わんないですね。
これが定説です。
どうかしましたか?
844 :
考える名無しさん:04/03/24 21:18
「ない」を名詞化して「無」としたとたん無なるものがあるように
錯覚して、つまり無が示す対象があるかのように妄想して、それを
主語にして「無は…」と言ってるだけじゃんw
845 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 21:22
まあ無理やりまとめればそうなるね。
一種の体験の言語化して暗号化されたような感じ、
だから語面だけ見てると全然わかんない。
もともとじゆんってハルカ一族だから、
そう言う体感を怪しく言うことに意義を感じているんだよね。w
無意識も否定じゃない? 無意識に否定される事を怖がるって
言う感じだから。
846 :
THE グル:04/03/24 21:23
>>844 いいですか、
「ない」は名詞のように独立していないからそう感じるんです。
「ない」は対象を必要としますよね。
それでは、「無」の一側面をあらわしているだけに過ぎないからです。
ニュートラルの状態にするために「無」とするんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
847 :
THE グル:04/03/24 21:26
>>845 いいですか、
無意識は否定ではないんです。
なぜなら、
無意識が常に意識を否定されることによって存在するわけではないからなんです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
848 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 21:29
>>844 いや実際に対象があって、それが無い場合も発生する。
パソコンがあって、それをどこかに持っていく。
849 :
考える名無しさん:04/03/24 21:39
もうケッコウコケコッコー
850 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 21:41
>>847 ならBもそうじゃん意識や心霊状態が否定から発生するわけでは
無い。発生したものを否定しているわけだから。
851 :
THE グル:04/03/24 21:51
>>850 いいですか、
良く考えていただければお解りになると思うのですが、
否定が何と対象とするかの違いであるといえるんです。
無意識の「無」は否定の「無」ではなく認知外の意味なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
852 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/24 21:54
ああ、なる
じゃ、じゆん概念をまとめてくれたまえ。
>くろしろさん、グルさん
いやいやどうも、私の論で遊んでもらってどうもありがとうございます。
いちおう、「時間」と「空間」という概念によって無を説明したいと思います。
「時間」と「空間」はそこに当てはまるものはまず実在的であると言えるかと思うのです。
なぜなら科学的に実証可能という性質を持つからです。それが実在的である所以だと
定義したいかと思います。実証できぬモノはそれは総じて虚構概念であると仮定すること
ができるはずです。よって実在的であるが故に、無の根拠を問うことは不適切であり、実在
的であることを問うことは無意味かつ無価値なのだと言うことができるかと思うのです。
(つづき)
「実在の無(実存形態の無について)」
さて「時間」と「空間」の区分については私はベルクソンの「時間と空間」の純粋持続により
論拠を求めました。なぜベルクソンなのかというと、やはりベルクソンは科学の基礎、空間と
時間の観念を初めて確立したのではないかなと思うからです。
さてベルクソンの論によれば時間と空間は対立概念ではないと言うことです。少なくとも
どちらかの概念はどちらかの概念を従属する関係なのだと言うことです。わかりやすく言うと
時間の観念から空間の観念が形而上的に成立したのだと言うことです。空間と時間どちらが
アプリオリかというと、時間だとベルクソンは言っているのです。それは何によってかというと
、意識の連続性によってです。それをベルクソンは純粋持続と名付けました。純粋持続に
よって行われる意識の移動、つまり対象の移動が空間だとベルクソンは言っているのです。
まあ私の考えですので、まったく違うと断じられるプロパーがいましたらご指摘下さい。
つまり、「時間」が「空間」を包括するわけです。これにより
「時間」⊃「空間」と言う枠組みができるかと思います。
よって「空間」における「無限大」、「無限小」と言う無の観念は時間の「極大」と「極微」によって
説明することができました。よって時間における無を無終(極大)と絶無(極微)とすることは
必然的かつ絶対的で、これ以上分解できないことをご理解頂けるかと思います。いちおう言って
おくと時間に「無限大」と「無限小」は成立し得ないのです。
(つづき)
さてそれでは、時間と空間の対応関係『「時間」⊃「空間」』について疑問に思われる方に
あらかじめ反論しておきたいと思います。おそらくこのような混同は私たち人間の視覚の絶対視
によって成立しているのだと言うことです。養老猛子氏の論で行けばまあそういうことになります。
いちおう私は養老猛子氏を哲学者だと認めているのでご愛顧下さい。たとえば人間が視覚を
絶対視するのは、その他の生命体との相対関係によって確認することができます。たとえばコウ
モリや鯨は聴覚を絶対視することによって空間を把握しているし、ジャコウネズミなどは長いひげ
の触覚によって弱い視覚を補い、穴の中を突き進むのです。また鯨の沖での集団死などは磁場
によってなのですから、磁場によって空間を測ったりすることができるでしょう。ネズミなどを食らう
蛇は熱感知(サーモグラフィー、赤外線伝導)によって相手を見つけると言います。我々は強い
視覚の認識下に置かれているため、このことはたびたび忘れがちです。生命体によって空間認
識基準が知覚系によって異なるのであれば、より普遍的な要素が時間と空間の定義には必要だ
と思いました。それを純粋持続によって先立つ観念として時間を挙げたベルクソンはやはりすご
いと思いました。
(つづき)
なぜここで今話題の養老氏を挙げたかというと、主観とは身体系から発すると思っているからです。
主観の普遍性は身体性能によって異なります。ようするに人間の主観とアメンボの主観は違うと言う
ことです。身体論と脳と心について語るのなら、おそらく養老氏をおいて他にはいないだろうと言う
のが私の立場です。おそらく海外でもここまで語れる人はいないのではないかと私は思ったりします。
最近、養老関係の本を読み始めてそう思うにいたりました。最初は馬鹿にしていたんだけど、自分
が馬鹿なんだと今更気づきました。
以上、実存する無の説明でした。とりあえず「時間」と「空間」と「主観」を説明してみました。
そしてこの「時間」こそがおそらく全ての無のカテゴライズを区分する方法ではないかなと思うの
です。それについてはまた機会があれば。「時間無」でなんだか全てが説明できると思うわけです。
アインシュタインの相対性理論での失われた時間なんて、おそらく究極の無じゃないかなと思ったり
するのですが、いかがでしょう?
あと、言い忘れておりましたが、実在を確定的にするのは、空間認識、つまり対象認識によって
なのだということです。そして空間は視覚系での認識にはそもそも頼っていないということです。
総じて純粋持続(主観)によってです。以上です。
858 :
THE グル:04/03/25 00:54
いいですか、
ベルクソンの確か認識はそんなところでしょう。
しかし、彼は、意識、物質の二元は意識の一元を以って統一されえるとした上で、
即ち、宇宙全体は一の神秘的衝動(生の衝動)に促され、
無限不断の創造的進化を続けていくとしておりますよね。
また、それが生命の躍進であるとし、
神秘的衝動これが神であるとしています。
つまり、
彼の立場は、生命が最早生物学的生命ではなく、形而上学的実在であるとする所に依るんです。
この認識は、いかがなものでしょうかね。
これが定説です。
どうかしましたか?
859 :
THE グル:04/03/25 01:02
いいですか、
ところで、養老さんにしろなんにしろそれは認知・認識論であります。
人間と動物の間に認知・認識の差があるのは、
ピアジェを紐解くまでも無く、
シェマの有無によりますね。
また、アインシュタインなどの部分は、それもまた有の極微であるとも考えられるのです。
これが定説です。
どうかしましたか?
>グルさん
ちょっと私はベルクソンをそんなに読み込んでいないので、神の観念にはまだ出
会っていません。でもベルクソンが神学的要素が強いことは存じております。
で言わせてもらえば生物の形態学というのはむしろ私はあなたの言う創造的進化
の神秘的衝動であると言えるのではないでしょうか? アフォーダンスとしてこ
の論を採用すれば生物学的であることと形而上学を分かつことは、むしろ現在では、
不可能なのではないかなと私には思えるのです。そもそも私が科学系の思考の持ち
主だからかもしれません。しかし生物学的敷衍を遂行してもやはりなお、神学的
要素は残るものと思います。たとえばダーウィニズムがそれです。究極的に科学を
尽きくめてもつかめぬものが、形而上学的実在なのだと思うのですよね。
まあ批判になっていませんね。よろしくです。
>どうかしましたか?
どうもしません。レスありがとうございました。
861 :
THE グル:04/03/25 01:15
>>860 いいですか、
定説とはイコール病気。
定説とはイコールTHE グル。
どうかしましたか?
862 :
THE グル:04/03/25 01:17
>>860 いいですか、
ダーウィニズムも最近では見直すような動きもありますよね、
たしか、
彼の進化論ではキリンの首だかなんだかが伸びるのは代を経て徐々に進化するとなるはずが、
実際にはその中間の骨格が発見されていない。
つまり、ある時を境に急に首が長いキリンがほぼ同時多発的に現れたのか、
とか何とかだったように思います。
これが定説です。
どうかしましたか?
863 :
THE グル:04/03/25 01:19
いいですか
私は馬鹿です。
それが定説なのです。
私の考えは全部本の受け売りです。
どうかしましたか?
864 :
THE グル:04/03/25 01:20
>>861 いいですか、
またグルの名を騙って誰か書き込みましたね。
しかし言ってることは間違いではないので不問にします。
そもそもそれはグルが前に書いたやつのコピペですからね。
これが定説です。
どうかしましたか?
865 :
THE グル864:04/03/25 01:22
>>862 いいですか
またグルの名を騙って誰か書き込みましたね。
しかし言ってることは間違いではないので不問にします。
そもそもそれはグルが前に書いたやつのコピペですからね。
これが定説です。
どうかしましたか?
866 :
THE グル:04/03/25 01:22
>>863 いいですか、
グルの名を騙るなら、
もう少し何かちょっと点とか丸を付けるとかしていただければ可愛げがあるのに、
まったく同じではワケが解からなくなるでしょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
867 :
考える名無しさん:04/03/25 01:24
89:考える名無しさん :04/02/07 22:16
いいですか、
ダーウィニズムも最近では見直すような動きもありますよね、
たしか、
彼の進化論ではキリンの首だかなんだかが伸びるのは代を経て徐々に進化するとなるはずが、
実際にはその中間の骨格が発見されていない。
つまり、ある時を境に急に首が長いキリンがほぼ同時多発的に現れたのか、
とか何とかだったように思います。
これが定説です。
どうかしましたか?
868 :
THE グル:04/03/25 01:25
>>866 いいですか、
グルの名を騙るなら、
もう少し何かちょっと点とか丸を付けるとかしていただければ可愛げがあるのに、
まったく同じではワケが解からなくなるでしょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
869 :
THE グル:04/03/25 01:27
>>868 いいですか、
グルの名を騙るなら、
もう少し何かちょっと点とか丸を付けるとかしていただければ可愛げがあるのに、
まったく同じではワケが解からなくなるでしょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
870 :
THE グル:04/03/25 01:28
>>869 いいですか、
グルの名を騙るなら、
もう少し何かちょっと点とか丸を付けるとかしていただければ可愛げがあるのに、
まったく同じではワケが解からなくなるでしょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
871 :
THE グル:04/03/25 01:28
>>867 いいですか、
わざわざどこかにいったん書き込んできたんですか、
ご苦労様です。
しかし書き込んだ先の名前が考える名無しさんになってますよ。
これが断言できます。
どうかしましたか?
872 :
THE グル:04/03/25 01:28
>>871 いいですか、
わざわざどこかにいったん書き込んできたんですか、
ご苦労様です。
しかし書き込んだ先の名前が考える名無しさんになってますよ。
これが断言できます。
どうかしましたか?
873 :
THE グル:04/03/25 01:29
>>871 いいですか、
グルの名を騙るなら、
もう少し何かちょっと点とか丸を付けるとかしていただければ可愛げがあるのに、
まったく同じではワケが解からなくなるでしょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
おそらく、ダーウィニズムの基本的な説明はそのとおりだと思います。
しかし養老氏の話(まあ彼の理論ではないでしょうけど)では形態の
分化というのが進化の一つの要素である。たとえば手が翼になったのは
もともと翼として、背中から生えたのではなく、最初に手として(物をつかむ機能として)
成立していたものが、腕の一体化して空気を捉える構造に変化したと言うことです。
>実際にはその中間の骨格が発見されていない。
言っちゃあれですが、象の鼻は徐々に伸びていることが確認されているのではないでしょうか?
骨相学的な視点に囚われていると見えるものも見えないのではないでしょうか?
また同時多発的であると言うことの反論も可能です。人はこの百年で結構退化したと思います。少なくとも日本人の
骨格の変化は大きいと思います。環境(食性、自然状態など)によって骨相など容易に変わるのですから、骨より
も生態、形態そのものを見て進化論を見つめた方がより辻褄が合うと思います。
875 :
THE グル:04/03/25 01:30
>>873 いいですか、
グルの名を騙るなら、
もう少し何かちょっと点とか丸を付けるとかしていただければ可愛げがあるのに、
まったく同じではワケが解からなくなるでしょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
876 :
THE グル:04/03/25 01:31
いいですか、
まあ、いいんです。
真似されるということは支持されていることでしょうから。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
あーあ、ここにもお馬鹿さんがタムロしてますねーー
毎日そんなことで暇がつぶせて羨ましいです。
ママが泣いてるよ、ボクちゃん達。キャハハハハハ
878 :
THE グル:04/03/25 01:31
>>875 いいですか、
グルの名を騙るなら、
もう少し何かちょっと点とか丸を付けるとかしていただければ可愛げがあるのに、
まったく同じではワケが解からなくなるでしょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
879 :
THE グル:04/03/25 01:32
いいですか、
まあ、いいんです。
真似されるということは支持されていることでしょうから。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
880 :
THE グル:04/03/25 01:33
>>876-879 いいですか、
グルの名を騙るなら、
もう少し何かちょっと点とか丸を付けるとかしていただければ可愛げがあるのに、
まったく同じではワケが解からなくなるでしょう。
これが定説です。
どうかしましたか?
881 :
THE グル:04/03/25 01:33
>>874 いいですか、
なるほどそれも一理ありますね。
ただ、象の鼻に骨ってありましたっけ?
これが定説です。
どうかしましたか?
882 :
THE グル:04/03/25 01:34
いいですか
私は天才なのですよ。全て私の自演ではありませんからね。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
883 :
THE グル881:04/03/25 01:36
>>874 いいですか
私は頭がおかしくなったのではないですからね。
これが定説です。
どうかしましたか?
884 :
THE グル:04/03/25 01:39
いいですか
グルはトリップのつけ方をしりません。何方か教えていただきませんか?
これが定説です。
どうかしましたか?
886 :
THE グル:04/03/25 01:44
>>882 いいですか、
これは前から言ってることですが、グルは天才なんかではありませんよ、
所詮ただの道具に過ぎないんです。
要はそれをどういう風に使うかなんです。
>>861・863・866・867・868・869・870
>>872・873・875・878・879・880・882
>>883・884はグルが書き込んだものではありません。
前にも申しました通り、トリップはつけられないんじゃなくて付けない事にしているんです。
どうかしましたか?
グルさんトリップの付け方は
名前のあとに半角の#とそのあとに任意の文字列(パスワードみたいなものです)
を好きな数だけ書き込めばいいのです。
たとえば
(名前)#*****
なんて言う風にね。どうぞ検討してみてください。
888 :
THE グル:04/03/25 01:49
いいですか
グルの名を騙る偽者に騙されてはいけませんよ
884=886ですからね。
偽者はわざとあんなことを言って混乱させようとしているのです。
前にも申しました通り、トリップはつけられないんじゃなくて付けない事にしているんです。
どうかしましたか?
889 :
THE グル:04/03/25 01:51
いいですか
グルの名を騙る偽者に騙されてはいけませんよ
886=888ですからね。
偽者はわざとあんなことを言って混乱させようとしているのです。
前にも申しました通り、トリップはつけられないんじゃなくて付けない事にしているんです。
どうかしましたか?
890 :
THE グル:04/03/25 01:51
>>887 いいですか、
ですから、
>>886にも書いた通りそれを書き込んだのは違う方なんです。
前にも名を騙られた時に
>>442のように書き込みました。
なにもつけないでこのままTHE グルで行くので、
真似する方は、少し名前にアレンジを加えて欲しいんです。
でないと意味がありません。
これが定説です。
どうかしましたか?
891 :
THE グル:04/03/25 01:52
いいですか
グルの名を騙る偽者に騙されてはいけませんよ
886=889ですからね。
偽者はわざとあんなことを言って混乱させようとしているのです。
前にも申しました通り、トリップはつけられないんじゃなくて付けない事にしているんです。
どうかしましたか?
892 :
THE グル:04/03/25 01:55
>>887 いいですか
グルの騙りに騙されないでくださいよ。
私が本物のグルですからね。
>>890のようなグルの粘着に騙されないでくださいよ。
これが定説です。
どうかしましたか?
893 :
THE グル890:04/03/25 01:57
いいですか
>>892に騙されてはいけませんよ。
これが定説です。
どうかしましたか?
>>886 グルさん
>前にも申しました通り、トリップはつけられないんじゃなくて付けない事にしているんです。
そうでしたか、それもまた一興かと思います。
そういうスタンスのグルさんはきらいじゃないです。
いちおうアンカーをこれから付けますね。そして私の
せいで荒らされた形になっててしまってすみません。
それでは
>>881 >ただ、象の鼻に骨ってありましたっけ?
よくわかりません。
でも軟骨くらいはあると思います。今度調べてみます。
たしか像の花の進化推移は図鑑では的確だったような気がするのだけどな。
おぼろげですみません。でも鼻を自由自在に動かせるって言うことは当然
骨と筋肉があると思うんだけどなあ(だって子供が鼻の上に乗っちゃえるんですよ)
895 :
THE グル:04/03/25 01:59
いいですか
私が
>>893はグルではありませんよ。
私はグルの後ろに数字など入れませんよ。
よって
>>890は偽者です。
これが定説です。
どうかしましたか?
896 :
THE グル:04/03/25 01:59
いいですか、
まあ、少し話が横道にそれたので再び軌道修正いたしますね。
ちなみに
>>886はグルが書き込んだものです。
>>890もそうですよ。
さて、「無」がじゆんさんのいうように認知・認識にも展開できることは、
ある意味では周知なんですよね。
取りあえず、
>>840で書いたあなたの分類に対する反論は無いのでしょうか?
これが定説です。
どうかしましたか?
897 :
THE グル:04/03/25 02:01
>>894 いいですか
いえ全てグルが悪いんです。
じゆんさんは悪くありませんよ。
つまらない自演して悪かったです。
これが定説です。
どうかしましたか?
898 :
THE グル:04/03/25 02:04
いいですか
実はグルは自演をしてしまいました。
ちなみに
>>886はグルが書き込んだものです。
つまり全て自演でしたというオチです。
これが定説です。
どうかしましたか?
899 :
THE グル:04/03/25 02:07
いいですか
実はグルは自演をしてしまいました。
ちなみに
>>897はグルが書き込んだものです。
つまり全て自演でしたというオチです。
これが定説です。
どうかしましたか?
自業自得だなグルw
グルがこの板を荒らした罰。
本物でも騙りでもTHE グルというHNがこの板を荒らした事実に変わりはない。
902 :
THE グル:04/03/25 02:11
>>900 いいですか、
でも結構まねされるのも面白いモンなんです。
なぜなら、ユングを紐解くまでも無く、
集合的無意識下では、我々は常に二重体なのですからね。
これが断言できます。
どうかしましたか?
903 :
THE グル:04/03/25 02:11
いいですか
実はグルは自演をしてしまいました。
ちなみに
>>899はグルが書き込んだものです。
つまり全て自演でしたというオチです。
これが定説です。
どうかしましたか?
904 :
THE グル:04/03/25 02:12
>>900 いいですか、
でも結構まねするのも面白いモンなんです。
なぜなら、ユングを紐解くまでも無く、
集合的無意識下では、我々は常に二重体なのですからね。
これが断言できます。
どうかしましたか?
905 :
THE グル:04/03/25 02:14
いいですか
グルは楽しくてもこのスレの住人に迷惑をかけたのはまずいことです。
そうなったのはグルの責任です。
これは断言できます。
どうかしましたか?
906 :
THE グル:04/03/25 02:16
>>901 いいですか、
要はグルは相手によって変容いたします。
荒しとしか認識できない、あるいは、相手にしていないのは、
レベルが低すぎるからであります。
よく言うのですが、
「星の王子様」は読み手によって童話になったり、
サンテグジュペリの真意が帝国主義批判にあったりとして読み解けるのは、
相手の理解度しだいなんです。
これが定説なんです。
どうかしましたか?
907 :
THE グル:04/03/25 02:17
いいですか
どうやら偽者のグルは自分だけ楽しめればこのスレに迷惑をかけようが構わないそうです。
これは偽者が
>>902で断言しています。
どうかしましたか?
908 :
THE グル:04/03/25 02:26
>>905 いいですか、
迷惑としてしか捉えられず、
また、反応するのはそういうところに負うのでしょうね。
グルの揺さぶりに対して真意が読めずに反応するというクソマヌケはどうしようもありませんね。
それでやることが、グルの真似やめちゃくちゃな書き込みということ。
これではある意味ではグルの思うツボなんです。
まあ、実際荒し続けられても一向に構いませんというのも本音なんです。
グルは偏在ですからね。
これは、ババとの・・・サイババとの約束なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
909 :
THE グルの御託ごとw:04/03/25 02:29
908 名前:THE グル :04/03/25 02:26
>>905 いいですか、
迷惑としてしか捉えられず、
また、反応するのはそういうところに負うのでしょうね。
グルの揺さぶりに対して真意が読めずに反応するというクソマヌケはどうしようもありませんね。
それでやることが、グルの真似やめちゃくちゃな書き込みということ。
これではある意味ではグルの思うツボなんです。
まあ、実際荒し続けられても一向に構いませんというのも本音なんです。
グルは偏在ですからね。
これは、ババとの・・・サイババとの約束なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
必死になった香具師が必ずそう言い訳するよなw
お前の行動まるみえww
910 :
THE グルの御託ごとw:04/03/25 02:29
554 :THE グル :04/03/25 01:04
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
911 :
THE グル:04/03/25 02:29
いいですか、
ついでに、グルが名前にトリップをつけないのは、
こうした真似される行為ということを甘んじて受けるためでもあります。
仕返しさせてあげる余地を作ってあげているのです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
912 :
THE グルの御託ごとw:04/03/25 02:32
911 名前:THE グル :04/03/25 02:29
いいですか、
ついでに、グルが名前にトリップをつけないのは、
こうした真似される行為ということを甘んじて受けるためでもあります。
仕返しさせてあげる余地を作ってあげているのです。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
あーおもしれww
何様のつもりなんだこいつはww
さっきからずっと笑いが止まらず腹いてーーwww
グルが必死になって書き込みしている姿想像するとさw
913 :
考える名無しさん:04/03/25 02:35
ぐるぐる〜
>>911 そうですか、無常の響きがしますね。
そういう諧謔精神も2ちゃんねるには必要だと私は思います。
どうぞ、荒らしに負けず頑張ってください。
(むしろ楽しんでいるのでしたっけ、うひゃ)
>くろしろさん
ごめんなさい。落ち着いたらまた議論つづきをさせてください。
915 :
THE グルの御託ごとw:04/03/25 02:37
あーおもしれw
>クソマヌケはどうしようもありませんね。
クソマヌケだってプププ
こいつがどれくらい必死なのかが手に取るように分かるなwww
916 :
THE グル:04/03/25 02:38
>>912 いいですか、
まあ、どおでもいいですが、
グルはいたってマイペースなんです。
なぜなら、こんなことは頭を使わずにスラスラ書き込めるからなんです。
例えば、ここでは「無」とはなんであるかといったことに対して、
かなり、知識を持った方々がいらっしゃいます。
ですから注意深く書くこともしばしばなんですが、
やはり、同じくらいのスピードでドンドン書き込んでいくこともあります。
これが断言できます。
どうかしましたか?
917 :
THE グル:04/03/25 02:39
>>915 いいですか、
このクソマヌケとは定説語でして、
ダーティーハリーと申します。
どうかしましたか?
918 :
THE グルの御託ごとw:04/03/25 02:41
>>916 はいはいw
つまりそんな俺は凄いって自慢したいんだろw
お前みたいなのよくいるよな。
馬鹿っぽいキャラをわざと演じて、時々マジレスしてみてそのギャップを
周りに驚かせようとしているの。
919 :
THE グルの御託ごとw:04/03/25 02:44
何だよもっと俺を驚かせてくれるんじゃないかと期待したが
想像以上に枠に収まる香具師だったな。
>>918 実際、グルさんはかなり凄いと思います。
凄くて、賢いんだから自慢するのは当然です。
921 :
THE グル:04/03/25 02:45
いいですか、
>>918 いいですか、
いえ、実はどれも本気なんです。
ただ、冗談としか受け取ってもらえない事とがしばしばですがね。
ギャップなどはないんです。
むしろ、スタンスは一貫して定説なんでありまして、
そして、グルはただの道具に過ぎないんですね。
これが定説です。
どうかしましたか?
922 :
THE グル:04/03/25 02:56
いいですか、
>>827を叩いてもらって活性化するつもりがあまり反応が無かったですね。
そこで、今更ながら
>>831のくろしろさんの文について書き込んでみたいと思います。
これが定説です。
どうかしましたか?
923 :
考える名無しさん:04/03/25 02:58
あんた職業は
結論から言おう「無は無い」
なぜなら全てのことの中心は自分でしかないからだ
大宇宙が存在するのも あの人がむかつくことも
知らないところで 誰か知らない人が死ぬことでさえ
すべて自分が存在し それを認識するから そのことはあるのだ
無というものを自分が認識できないのであれば 無は存在しないことになる
だから無は無い
仮に無を認識できたとしても それは無ではない
なぜならそれを認識している自分はまぎれも無く
全ての中心に存在しているからだ
925 :
考える名無しさん:04/03/25 02:59
んなのどーだっていいじゃねーか
926 :
考える名無しさん:04/03/25 03:01
どうだっていいことを深く考えることほど面白いことはありませんよ
927 :
考える名無しさん:04/03/25 03:03
んなのあんたの価値観だろ。
勝手におしつけんな。
まあ、ここは哲ヲタが集う場所だから仕方がねーけどな。
928 :
考える名無しさん:04/03/25 03:12
つまり意味づけされた無は無ではないということですね。
929 :
THE グル:04/03/25 03:15
いいですか、
い:「無」を無化させ「無」にするもの。
ろ:「有」と「無」を同時に存在させうるとした時の展開。
は:複合的な「無」(無の序数?)つまり、「無」が多層に存在しえるかという事(マイナスの次元?)。
これをグルなりに独自に分類してみますと、
「い」は、「無である状態」を「無」にしてしまい「有」に転じさせる「無」でありまして、
つまり、無の反転現象であります。
この時の「無」は「無」が破られ「有」に転じた時点でまえの「無」の状態が「無」になります。
(これは頭で考えるとクラクラしてきます。)
「ろ」は、「有」と「無」は同時に存在しえるのかなァ?という程度の考えです。
よく、反物質は物質とぶつかると消滅するとか何とか言うお話があったようにおもいます。
しかし、超伝導合金ではありませんが、ある何らかの特殊な環境(状況)下で、
この相反するもの同士が混然として存在したらそれは、
水分と油が分離せずに混じってマヨネーズになるがごとく、どうにかならんものかという程度の考察なんです。
「は」は、一次元は横だけ二次元は横と縦だけ、三次元は横と縦と高さだけ・・・としたのなら。
マイナス一次元や二次元の構成は存在するのか、またするとしたら要素はなんだろうとか色々です。
これが定説です。
どうかしましたか?
930 :
THE グル:04/03/25 03:19
>>923 いいですか、
「グル」というのが今の仕事です。
グル高橋さんも、
「グルとはぁ〜仕事なのだぁ〜!」
とおしゃってましたね。
これが定説です。
どうかしましたか?
0÷0=無
932 :
考える名無しさん:04/03/25 03:22
>930
予想通りの返答御疲れ
933 :
THE グル:04/03/25 03:24
>>931 いいですか、
それなら0+0=無
0−0=無
0×0=無という風にきりが無いんです。
その場合左の0と右の0の意味が重要なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
934 :
考える名無しさん:04/03/25 03:26
何を言っているのか解らん つまり
相手に伝えたいことを 伝えられてはいない ということ
それすなわち 意味不明な外国語を聞いていることと 同じになります
言葉は相手に伝わった時 初めて言葉になるのです
935 :
THE グル:04/03/25 03:27
>>934 いいですか、
定説語は二億語あるんですよ。
これが今では定説です。
どうかしましたか?
定説など無い。あるのは解釈だけだ
937 :
THE グル:04/03/25 03:38
>>936 いいですか、
対象の源泉が無ければ解釈すら生まれないのですよ。
ですから「定説」ありきなんです。
どうかしましたか?
938 :
考える名無しさん:04/03/25 03:39
「言葉遊び」も定説です。
はい。覆せません。
>>937 そのように解釈しているに過ぎない。
そして折れも
940 :
考える名無しさん:04/03/25 03:44
小難しい定説語なるコトバを使い
物事を複雑化して なんになる?
難しいことを 難しく伝えることは 簡単だ
だがな 相手により良く伝えるためにはな
難しいことを より簡単に伝えねばならないのだ
そのための努力を少しはして欲しものだな
941 :
THE グル:04/03/25 03:45
>>939 いいですか、
まあ、あの言葉でニーテェは自縄自縛になってしまいましたがね。
これが定説です。
どうかしましたか?
942 :
THE グル:04/03/25 03:48
>>896 >
>>840で書いたあなたの分類に対する反論は無いのでしょうか?
読みとばしていました。
>C【無価値】これは価値を否定することによって生まれる性質のものですね。
>ここでは「無」が【否定】の意味で使われていることに注目しましょう。
>そうですね、これは@でしかありませんよね。
(→@【否定】のことです)
ここについて反論します。無の基本要素である否定は次々と論理展開される
否定によって、意味を持ちます。ですから否定の意味をもつ無を否定にしか
過ぎないと論じるのはトートロジーに当たるかと思います。
否定しない無などあり得るでしょうか?(論理展開を行わずに)
否定 無意味 無価値 非論理 無論 無意識は 論理、つまり“議論”の構成要素
なのです。論理形態の中で顕現される無の要素がこれだけなのだということです。
時間系(議論)のなかで主観的(否定、無意味、無価値)と客観的(無意識、非論理、無論)
によってより「無実」が確定的になるのではと思うたのですがね。ちょっと妄想気味ですね。
否定が論理の始まりだから、【否定】について説明してみました。
他のも、もうちょっと考えてみます。よろしくです。
945 :
THE グル:04/03/25 11:22
>>943 いいですか、
>否定しない無などあり得るでしょうか?(論理展開を行わずに)
ということですが、それは、「無」の構成要素の一つに過ぎないんですね。
前に書きました、グルの「無」の定義
>>321を見ていただければ解かると思うのですが、
「無(Nichts)」は絶対的に「有(Sein)」に非ざるものであるということも考えられるのです。
なぜなら、否定を持つということはまず先に前提の条件(あるいはこれが「有」)ありきなんです。
そうですね例えば、
有機質⇔無機質、有名⇔無名 などは、明らかに有や無の後ろに続くものを踏まえたものですよね。
しかし、この否定の意味で「無」を使うのではせっかく「無い」を「無」に変えた意味が無いんです。
>>846参照なんです。
さて、否定ですが多分あなたの言う否定のイメージは、ヘーゲルの言う意味の否定なんでしょう。
つまり、思惟において既得の知識を否定することは、さらに大いに組織する事、
即ち従来の誤謬を正しさらに包括的なものの上に立つことといったことなんです。
これならば、じゆんさんのおっしゃる通り、論理における否定の意味が理解できますよね。
ただし、「無」はこれと離れた所にも存在するのです。
なぜなら、これは「存在」だからです。
否定しようが何しようが既に在るのです。
それを我々が後から有とか無をつけているのに過ぎないからです。(ここは否定と誤解を受けそうですね。)
これが定説なんです。
どうかしましたか?
946 :
THE グル:04/03/25 11:45
>>916 いいですか、
ここでスラスラと言ってるのは、グルに対する野次に対しての対応を書き込むことでありまして、
なにも、論理展開がスラスラ書き込めるということではないので悪しからず。
どうかしましたか?
947 :
考える名無しさん:04/03/25 11:52
人はうんこへのロマンを生涯抱き続け苦悩し、思い焦がれてその一生を終える。
まさに高度な精神性を生まれながらに備え持った生き物なのである。
人の生産的活動全般は、理想的なうんこを生みだすためにそのほとんどを
費やされる。
期待以上の排便シーンを拝めたときには人はもう死んでもいいと思うくらいの
感に浸るだろう。それは神の排便行為を目撃したと同じくらいの神聖なる
瞬間なのである。うんこによって人は浄化され精神的充足感を満たされて行くので
ある。
948 :
THE グル:04/03/25 11:56
>>947 いいですか、
神がものを食べると言う認識の方が驚きです。
どうかしましたか?
949 :
THE グル:04/03/25 23:55
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
950 :
THE グル:04/03/26 00:15
いいですか、
ここ暇です。
どうかしましたか?
今、カタリ派についての本を読んでいるのだが、
無が悪の源泉であるとの概念を新たに発見したところだ。
他にも多忙であるので、無については週に一二度書くに留め
その方が実りある議論になると思う。
結局のところここが無に関して言えば2ちゃんねるレベルでは最高の
スレなのだから、荒らしは各自控えるように。又議論が余りに低レベル
楕と言うのなら、各自は高レベルな持論を持って参入するように。その際にも
無を総合的にとらえた方が好ましいが個別な無であっても議論を深める事に
なるなら歓迎する。
スレもなくなってきたので、次スレへのリンクを貼っておく。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1074905308/l50
952 :
THE グル:04/03/26 09:46
>グル
ちょっと待ってくれ。、多忙につき数日中にレスする。
それと注文だが、例の無の分類からみるとその問題波動展開するのか
書いておいて欲しい。
954 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/27 01:07
>>929 まず、い)無から有になることについて(無の無化)
ろ)無と有の両立可能性について
はリンクするのだが、果たして無が有になる事が、無の無化なのだろうか?
これは、ろ)のような状態を前提とし、有と無の二項対立が避けられるとき、
必ずしもそうではあるまい。両者はただの差異であって、それらが異なる事
は必ずしも無の無化を意味しない。このことから、無はが無化するのは、有
無の二項対立が根本的に定立するときにその意味を成す。だがこれは、私流
に言えば「原始宇宙無無」と呼べるものであって、いわゆる私の分類のÅ
対象に関する無に該当する事象であって、別に特に語ることに値するのか?
と言った疑問にとらわれる。例えば空間無は空間(無)が有(物質)によっ
て次第に無化されるような現象でもあるともいえるが、これは今まで、散々
語られてきたここであり、特に新しい話題を提供しているのでは無いのでは
ないか? と思われる。
955 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/27 01:20
次にろ)について、
第一、対象が同一の場合。
有であり無である状態、私はこの状態にある無をすでに古く
から提示してきたつまり「相対無」来れは西田哲学の成れの
果てなのだが、ある一つの物質の有は相対的に他の物質の無
を意味するから、この観点によっては有と無は相対的に両立
すると言うものである。だからパソコンの有はライオンの無
である。
第2、相対無は同一対象における事象だが、これをずらす
視点でみると同一空間に有と無が物質無的には混在する。
例えばパソコンを部屋から運びだすと、パソコンは無になるが
空気は有である。対象はずれるが、これは同一空間内の出来事
であり有と無の混在といえる。このことも一つの視野に入れる
ことが無を描写する際には必要である。
956 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/27 01:32
は)について、
基本的数学概念を欠く文系の私は序数的の意味がわからない。
だから序数と言う概念では議論には加わらない。
また一つの情報として無限の濃度の問題を語ればイイのではないか?
と言う気もするがこれもよくわからないので語らない。
それでわかる概念で無が重なった場合、と言うより無化が重なった
場合を考えてみよう。有と無が二項対立な場合、無化が3つ重なった
場合を考えると最初が有のとき、第一の無化により無になり、第二
の無化により有になり、第三の無化により無になる。
そのように語ればイイのでは無いかと思う。
957 :
考える名無しさん:04/03/27 01:35
すごく難しいね。無はきっとどこかの洞窟の暗闇の髑髏の中にあるのかあ。
958 :
考える名無しさん:04/03/27 01:43
無っていったい何だ?
959 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/27 01:43
また、分類の話に戻るが
A対象の無
B認識上の無
C宗教的境地
D宗教的・哲学的概念
E根源的、根本的な無
Dが変化し、Eが加わった。これはカタリ派の無=悪の概念等を
導入する際必要な作業である。
カトリック的概念では善の欠如=悪であった。だがこれも
善の一元を意識しながらも無があること、それが悪であること
を否定しない。
カタリ派であれば無は実存であり欠如では無い、それは根源
として悪である。
無が道徳経では良いもの、有用なものとして語られる所を見ると
見事な対比であると言えよう。
960 :
考える名無しさん:04/03/27 01:45
うーん、むむむ。
961 :
考える名無しさん:04/03/27 01:52
概念としての無なら、いくらでもあるんだろうけど、
現実には、無は無いやね。
何も無いなんて、この世界がある以上考えられないと思うな。
962 :
考える名無しさん:04/03/27 01:57
現実の無はなんとなく「死」なのかなあとふと思いました。
963 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/27 02:00
また、数日来騒がしてきた数式のお遊びにおいて
これでおわりとしたいが、哲学的態度を示すと言う話であったから
それを示したい。
1=0.9999・・の証明において
1÷9=0.1111・・・(+あまり)
0.111・・・×9+あまり=1
よって1≠0.999999・・・
ここであまりを無視する証明に対して、あまりを無視しないこと
これが私の哲学的態度である。
(ちなみにあまりを無視した場合)
1=0.9999・・の証明において
1÷9=0.1111・・・
0.111・・・×9=0.9999・・・
よって1=0.999999・・・
この態度は資本制の等価交換のモデルにおいて剰余価値が発生しうる
事を無視しない事。さらに資本制は不等価交換もありうることを無視
しない事にもつながる。
964 :
考える名無しさん:04/03/27 02:03
あんたは辞書の言葉遊びでもしたいのか
それとも、なんか世界のものを見たいわけか
何したいの?
965 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/27 02:06
>グルへ
まず基本として分類の表を型として、常にそれを一時提示すること。
これを武道の型のようなものにしたい。その上で個別的な無の話
をして個別な無の深化に計る。こうすれば総合的な視点を忘れる
ことが無いので、今後このようにしたい。
966 :
考える名無しさん:04/03/27 02:10
こんなくだらない議論、哲板でもやってんの。信じられん。
この種の議論をしたがる人の半分は、一言で言えば、
「…」の意味を勝手に間違えちゃってるだけだね。実にくだらんね。
残りの半分は、理解してるのに、わざと無知な連中をからかってる。
後者の方が性質は悪いやね。
ミミミミミミミ)
ミ ´,_ゝ`) 好きだね。
968 :
くろしろ@社会学白痴断見教教祖:04/03/27 02:13
何がしたいのかといえば無の総合辞典を作りたいのです。
基本的な無の考え、分類については
>>469〜参考
969 :
考える名無しさん:04/03/27 02:14
有るアルヨ
ミミミミミミミ)
ミ ´,_ゝ`) 一番かっこいい「無」を教えて。
971 :
考える名無しさん:04/03/27 02:17
今読んできましたよ。あまりきっちりと考えたこと無かったので
面白かったです。
972 :
考える名無しさん:04/03/27 02:20
ドリームよ!
かっこいいだろうがーーーーーー!
ミミミミミミミ)
ミ ´,_ゝ`)
白黒さん1つの事に固執して拘る人ですね。
974 :
考える名無しさん:04/03/27 02:29
>1=0.9999・・の証明において
>1÷9=0.1111・・・(+あまり)
>0.111・・・×9+あまり=1
>よって1≠0.999999・・・
何が「よって」だよw
コイツ数学を全然知らないでやんの。
中学生以下。
976 :
考える名無しさん:04/03/27 02:33
数学めちゃくちゃじゃんかよ
>>974 その証明はあまりを考えず、1=0.999・・
としてしまうモデルに対してのアンチとしての意味です。
あしからず。
978 :
考える名無しさん:04/03/27 02:37
>1=0.9999・・の証明において
>1÷9=0.1111・・・(+あまり)
>0.111・・・×9+あまり=1
>よって1≠0.999999・・・
両辺を9で割って、すぐ両辺に9をかけただけだろ。
しかも「あまり」とやらも最初ろ2つめでは違うじゃん。
2つめは最初のあまり×9じゃんか。
馬鹿?
ミミミミミミミ)
ミ ´,_ゝ`)
結論 言っちゃたら お終いだよねやっぱり。
980 :
考える名無しさん:04/03/27 02:45
>1=0.9999・・の証明において
>1÷9=0.1111・・・(+あまり)
この部分も意味不明のDQN
981 :
考える名無しさん:04/03/27 02:46
>>978 確かに馬鹿には違いないけど、
あまり追い詰めない方がいいよ。
いいですかもうアホ臭いので相手に出来ませんが
1÷9=0,1あまり0.1
ですよね。戻すには0.1×9+0.1=1
なわけです。
それが
1÷9=0.1111・・・・・
0.111・・かけることの9で=0.99999・・・
だから1=0.999・・・としちゃう証明がこのスレでは
ずっとあったわけです。
これは要するにあまりを無視してるからこう操作出来ちゃうわけで、
それは違うんじゃないの? と言うことです。
ミミミミミミミ)
ミ ´,_ゝ`)
俺は白黒さんの味方。
つまり
>1÷9=0.1111・・・・・
>0.111・・かけることの9で=0.99999・・・
>だから1=0.999・・・としちゃう証明
これ正しいのかよオイと言うことです。
ミミミミミミミ)
ミ ´,_ゝ`)
やっぱり無は淋しいよね。
気の毒になってきた
987 :
考える名無しさん:04/03/27 02:52
>>982 1=0.999…は正しいんでしょ。
それも違うと言ってるの?
>>978 >しかも「あまり」とやらも最初ろ2つめでは違うじゃん。
同じですよ。それになんであまりをかけるんですか?
989 :
考える名無しさん:04/03/27 02:59
いや
1=0.999…+αを操作として前提にしてしまっているからこれは
イコールの方程式。
イコールの方程式の両辺を割ったりかけたりしてもαは一つ。
よってイコールとなるんだよ。
馬鹿じゃん。
>>987 違いますよ。
>1÷9=0,1あまり0.1
>ですよね。戻すには0.1×9+0.1=1
これをよく考えてください。あまりを戻すにはどうしますか?
1÷9=0,1
0.1×9=0.9
よって1=0.9 じゃおかしいでしょ
>>989 >…+αが前提となっているんであれば
0.9999・・+α=1になるはずでしょうが。
992 :
考える名無しさん:04/03/27 03:04
だからそれをやってるだけだろw
993 :
考える名無しさん:04/03/27 03:09
数学ってのは皮算用じゃん
やって無いでしょう
だから0.111・・*9=0.99999
にごまかされるわけで1を9で割ってそれを復元するなら
0.111・・・*9+α=1にならなきゃならないんです。
995 :
考える名無しさん:04/03/27 03:09
>1=0.9999・・の証明において
>1÷9=0.1111・・・(+あまり)
これでおっさんはなにやってるつもり?
どこからあまりが出てきた?
最初からあまりは織り込み済みになってんじゃん。
つまり1=0.9999・・+αとやってんだよ
そうすれば1÷9=0.1111・・・+α/9だろ
で今度は両辺に9をかけるw
996 :
考える名無しさん:04/03/27 03:11
これでもわからない?
おっさんさ、最初のあまりはどこから出てきたの?
数学的に説明してみ
997 :
考える名無しさん:04/03/27 03:12
>>990 そうか、1=0.999…も違うと言ってるのか?
もし、本当は分かっててそんなこと言ってるなら、かなり性質悪いよ。
ここ、数学板じゃないんだから。数学苦手な人もいるんだからね。
弱いものいじめの罪は重いよ。
998 :
考える名無しさん:04/03/27 03:14
いいから
おっさんさ、最初のあまりはどこから出てきたの?
数学的に説明してみ
999 :
考える名無しさん:04/03/27 03:14
1000
1000 :
考える名無しさん:04/03/27 03:15
hage
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