まぁ、老子読め。西洋哲学のようなムダな真理もどきは一切ないし、
どれもあらゆる時代に有益なモノとなっている。
まず老子を学べば西洋哲学の曖昧な思想を超越出来ますよ。
フーン。…俺が老から今思い付いたもの…海老。
3 :
考える名無しさん:03/09/21 14:15
老子読みますた。1さんもっと教えてください。
4 :
考える名無しさん:03/09/21 14:22
老師なんていなかった。
流行りから外れたマイナーなヒキコ思想家たちのルサンチの結晶。
5 :
考える名無しさん:03/09/21 14:23
わりぃ、老師→老子ね。
6 :
考える名無しさん:03/09/21 14:30
7 :
考える名無しさん:03/09/21 14:39
小さく気弱なニーチェたちが、必死でキレずに、ちまちまと磨いた珠玉です。
8 :
考える名無しさん:03/09/21 15:00
老子?単なる酔っ払いの寝言だろう
9 :
考える名無しさん:03/09/21 17:20
ゴルラァ
>>1、どうせ立てちまったんだからもう少し盛り上げろ!
真理たん生き返って!
11 :
考える名無しさん:03/09/21 17:22
盛り上げたら老子にならんだろう。
12 :
考える名無しさん:03/09/21 17:31
老師みたいなもんでネタスレ立てたこと自体無意味
13 :
考える名無しさん:03/09/21 17:38
老子ってどんなこと言った人ですか。
「無為自然」以外知りません。
14 :
考える名無しさん:03/09/21 17:40
おはよう。老子でつか。
8と10がいいこと言ってまつね。
16 :
考える名無しさん:03/09/22 23:16
お前ら騙されるな!
真に偉大なのは荘子の方だぞ!
17 :
考える名無しさん:03/09/22 23:22
ボケ老人最強!
18 :
考える名無しさん:03/09/22 23:28
無為自然
無職当然
無能同然
21 :
考える名無しさん:03/09/23 00:50
無知天然
老子を読むなら韓非子を参考にすると良いよ。
韓非子=老子的な人間観を前提に論理を組み立てた人、だから。
23 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/09/23 01:15
解老篇とか喩老篇とか、あるね。
老子って実は実在しない人物だってしってましたか?
当時の抑圧された社会から生まれた架空の人物なんですよ。
あっそー
26 :
考える名無しさん:03/09/23 02:46
>p
そういう説もあるって話でしょ
確か周王朝だからの役人やってて出奔したんじゃなかったっけ?それは荘子だったか
深夜のフジテレビの番組でみたんだけど、詳しい事は・・・
番組では民衆から生まれた思想だって言ってたけどね。
28 :
考える名無しさん:03/09/23 02:57
「小国寡民」ってフレーズもなかったっけ?
ロースは、うまい
30 :
考える名無しさん:03/09/23 11:35
お前ら、まさかお厚いのお好き?なんか本気してませんよね?
31 :
考える名無しさん:03/09/23 11:56
無為自然→無職当然→無能同然→無知天然→無為自然→…
10じゃなくて11だった。
老子を分かっている人はこの世にいるのかね?
>>33 えっ! いないの?
でなきゃ何でそんな風に聞くの?
勝利宣言ビガロ様
また発狂してください!!
老子最高!!
面白いよね。荘子も含めて。
38 :
考える名無しさん:03/11/24 20:53
お椀は中の無に意味があるんだよ。
で、老子のどの辺りがすばらしいと思うのか、さわりだけでも
40 :
考える名無しさん:03/11/24 21:28
国が混乱し、暗黒となってから
忠義な臣下を求めるようになった
さわりだ。
41 :
考える名無しさん:03/11/24 21:31
「道」に達すれば永久に続く
さわりだ。
42 :
考える名無しさん:03/11/24 21:41
老子を理解したければ、「水」を知らねばなるまい。
↑
さわりだ
上善は水の如し 老子8章
ですか。
45 :
弥勒 ◆LY666//S/s :03/11/25 23:59
水が万物に恵みを施しながら低地に降りて甘んずることを善しとし、その事を模範とするのは
人間社会における『黙した薫陶』を念頭に置くが故だよな。
>>45 持論述べるならもう少し具体的にプリーズ。
47 :
考える名無しさん:03/11/26 09:30
老子よりも荘子の方が重要だ、と私は思う。
老子は人間のことばとは思えない。
ご承知とは思うが、荘子は「そうじ」、「そうし」ではない。ねんのため
48 :
考える名無しさん:03/11/26 12:01
タオ、ひっくり返すとオタ
谷神という概念はエロティック?
51 :
考える名無しさん:03/11/26 22:01
>47
>老子は人間のことばとは思えない。
これは完璧すぎるって意味?
あるいは人間味がないってこと?
関係ないけど、「そうじ」だろうと「そうし」だろうと
はじめに日本語読みしたとき、適当に決まったんじゃないかという気が。
励まず、息張らず、恵みを受け、恵みとなる。
名望、功績を求めず、見せびらかさず、支配しようとせず、意図も企みもない。
得失を勘定せず、
名もなき小さきものであって、同時に、所を得て、与えられたその姿のままで、自ずから大いなるものである。
なぜなら、道にあるからである。
老子にはsage進行が似つかわしい
老子とはよく言ったものだ。
自然にたゆたうようでありながらも、老成し、老獪でもある。
55 :
考える名無しさん:03/11/28 10:22
>>51 老若男女を「ろうじゃくだんじょ」と呼ぶがごとし。
とだけ、いっておこう。
56 :
考える名無しさん:03/11/28 15:47
老子は読むとわかるけど結構現実的なんだよね。
(表現は抽象的だが)
むしろ荘子の方が理想論です。
哲学板なのに読んでる香具師が少ないんだ。
さすが哲学痛
57 :
考える名無しさん:03/11/28 16:00
>>56 老子は大好き!
金谷訳が簡潔で好きです。講談社学術の。
もともと痛快な内容だから、読み下し文がいいね〜
「大道廃れて仁義あり!」いきなりこれだもんね〜
よういうた、ええこと言うやないか〜
荘子のほうがいい。
59 :
考える名無しさん:03/11/28 23:21
>>58 荘子は、昔読んだ、言うより、見たけど、よく分からなかった。
いまなら、分かるかも。出版社分かりますか?
いいのは?
60 :
考える名無しさん:03/11/28 23:24
いいこと言うのがいいのかぁ。そうかあ。
62 :
考える名無しさん:03/11/28 23:57
63 :
考える名無しさん:03/11/29 00:08
>>62 おれのは岩波文庫版。全4巻、2巻までしか読んでないけど。。。
「混沌七キョーに死す」って話、えらく感激している人がいたんですが
さっぱり意味わかりませんでした。
65 :
考える名無しさん:03/11/29 00:24
>>64 下手なお節介で、良かれと異文化が介入し、開明、開化したら、何のことはない、文化が滅びた・・・と見立てると、えらく感ずるところがあった記憶がある。
いいな、いいものが育ているな、ではではもっといじって良くしてやろうと人為的介入をすると、台無しになる。
何も純良な土着文化が優れているわけではないが・・・。他の解釈もいっぱいある。
67 :
考える名無しさん:03/11/29 02:03
登校拒否、ひきこもり・・現代の若者はまさに老荘の正統な後継者
68 :
考える名無しさん:03/11/29 02:03
厭世か。
69 :
考える名無しさん:03/11/29 02:06
しかし、それが本当に老荘の体現なのだとしたら、
おそらく真から遠いのは現代の若者ではなく、
自然に逆らい、無理しながら動いている
現代の社会のほうだろう。
若者の感覚は、今
それを捕らえつつある、、、、、。
地球に優しい生き方。Mr.ヒッキー。
71 :
考える名無しさん:03/11/29 02:07
別に厭世というわけじゃないだろ。何もむりに学校に行く必要もないし、会社に就職する必要もないというだけ。
72 :
考える名無しさん:03/11/29 02:09
>>71 無為自然、無職無気力。
最後の「無気力」が、老荘にはないものだな
>>72 ワロタ
ヒッキーでも飯を食う気力ぐらいはあるようだ。
社会的人為的じゃないからかな。
太上老君って、このヒト?
75 :
考える名無しさん:03/11/29 02:24
>>73 >ヒッキーでも飯を食う気力ぐらいはあるようだ
「〜でも」とはなんだ、彼らに失礼ではないか。
老子は「小国寡民」といって、小さな平和な国を理想としてるから、
必然的に、近代国家は、ダメの世界になるわけね。周りを見渡してください
、ギスギス、イライラ、ヒヤヒヤ、落ち着くところが無い。
敗北ではないけど、引きこもりは、一つの手段ではある。
この、混沌とした現代世界に通用する実践的哲学はあるのでしょうか?
何かしら食べるのにも金がかかる社会やからね。
こりゃ、魚でも釣って食べるかなw
77 :
考える名無しさん:03/11/29 02:29
>>76 都会の川の魚を食ったら、まずいよ、というより、危ない。
われわれは、自然から、隔離されているんだ。
ほんま〜金返せ、金を〜!
無為自然どころか
有為自然だな
有機野菜も、普通より高いしな。
自然感情として、
安い農薬漬けの野菜を買ってしまうのだから、
本末転倒だ
>>74 そだね。
「封神演義」に出てくるね。
架空の人物としてだけどね。
80 :
考える名無しさん:03/11/29 06:00
「がむしゃら」だとか「もーれつ」だとかいった
言葉がなくなるのはいいことだと思うな。
マターリしようよ。
マターリで
後継者育たないんだろ〜!
さっきそう聞いたぞ!!
>>80 「がむしゃら」を「マターリ」にするのは、無為ではなく為なんではないでしょうか。
まあ、要するに「道の道とすべきは常の道にあらず」、てこった。
>>82 >「がむしゃら」を「マターリ」にするのは、無為ではなく為なんではないでしょうか。
どちらでもいいし、どちらでもないと思う。
つまり、老子的に言えば、
「言葉にして現すと、その途端に真実から遠ざかってしまう。
だから、話すのはやめよう」
ということになる。
大自然の見地からして見れば、あなたの疑問はどうだっていい事になるのだ。
「がむしゃら」や「マターリ」さえも定義しない、考えない。
こういう事が「無為」ではないかと。
84 :
考える名無しさん:03/11/30 02:36
おれは、老子や荘子が好きだというヤツがすきだなあ〜
85 :
考える名無しさん:03/11/30 03:31
>>82 無用の用は、役にも立つし、役にも立たないってことだけど、
そもそもその役に立つって事にこだわらないことが自然なんだ、これが。
「自得」とか、充実した生を選びましょう、とか。といっても、酔生夢死とは違う。
(ちょっと荘子よりの意見ね)
※ぼく的には、老子=宗教的、荘子=哲学的のイメージがあります。
もしくは、老子=行儀いい(枠あり)、荘子=自由闊達(枠なし)、のイメージかな。
想像力を鍛えるのには、「役立つ」。要約・意訳しようとしてみると、「力がつく」(笑
ボク的には、老子=政治的、荘子=文学的
>>83 >>85 それと82で言ってる事とは矛盾してないべ?
がむしゃらをマターリにするべきだというのも為。
がむしゃらをがむしゃらのままで留めておくべきだとするのも為。
がむしゃらをがむしゃらのままで留めておくべきではない、とするのも為。
それらに囚われず、己は己の意のままに。故に「自由奔放」は老子的だといわれる。
第一82で述べた「道の道とすべきは道にあらず」と、83、85で言ってることはほとんど同じじゃん。
>>87 そのあたりが老荘を難しくしているのかもしれませんね。
問題はがむしゃらになる、またーりになる対象が存在するということだけ。といえるでしょう。
89 :
考える名無しさん:03/11/30 16:21
まぁ、無理するなってことだろ。
90 :
考える名無しさん:03/11/30 16:25
死ねばあの静かなところに帰るだけ。川の水が海に行くように。
↑氏すらもこれだけの事と俺のような人間でさえ思えるようになったから老子
こそ心理だね。
91 :
考える名無しさん:03/11/30 16:26
真理か?
92 :
考える名無しさん:03/11/30 16:31
そうっす。字間違えました(恥)。
老子と荘子はどっちがいいですか?
94 :
考える名無しさん:03/11/30 17:23
議論こそ老子の一番嫌うところじゃないか。
スレ立てた時点で老荘から遠ざかってるよ。
96 :
考える名無しさん:03/12/01 02:11
>>95 スレ立てたやつは道教信者だから、これでいいのだ。
97 :
考える名無しさん:03/12/01 02:44
ろーしー、ろーしー、ろしろしろーしー♪
98 :
考える名無しさん:03/12/05 01:44
やっぱ、老子だね。
荘子は二番煎じだ。理屈っぽい。
老子よみますた。
でどうだった?
老子・他人を知るは賢者、自分を知るは明知
ユダヤ哲学「自分の心の底まで極めることができたら全宇宙の謎を解き明か
したと言ってもいい}
自分自身を知るとは難しいとはいうが自分を知るとはどうゆうことか。
自分が、顔がいいか悪いか・もてるもてないか・幸せか不幸か。
あといろいろ自覚のしにくいことはあると思いますが
『自分を知る』
これについて誰か情報ください。
二学期の終業式の日にわたされる成績表を見よ
103 :
考える名無しさん:03/12/05 20:00
>>101とりあえず情報。
汝自身を知れ、というのはデルフォイ神殿(神社)の表札じゃなかったかな。
>>101 唯物論が存在しているってことは、
心がどんな仕組みで動いているのかも、いまだに証明されてないってことだろう?
めちゃくちゃ言ってたらすまんが。
>>101 自分を知ることはあまり重要ではなかった。
自分を知る、知らないの狭間に、生きることがあった。
生きている内に、自分があった。
あるいは、あったようだ・・・。
それでいい。
なぜなら自分を変造し、足らないと思しきところを補い、世間をだまし、やり過ごし、
そうして都合のよさそうな溜まりに、身を置きつつ、
外部を覗い、何とか自分を殺さぬように、生かさぬように、逃げ延びるのが実は人生だったりするからだ。
106 :
考える名無しさん:03/12/06 01:29
荘子 外篇 駢拇篇 の最後にこのような記述がありました。(岩波文庫 第2巻 p.31)
参考になれば。
そもそも自分の内なるものを見ないで外のものを見、自分の内なるもの
に満足しないで外に満足を求めるものは、これは他人の満足を自分の満
足として[他人に振りまわされ]、われとわが身のほんとうの満足を満足
としないものである。また他人の楽しみをわが楽しみとして、[他人に
振りまわされ]、われとわが身のほんとうの楽しみを楽しみとしないも
のである。
原文:
夫不自見而見彼、不自得而得彼者、是得人之得、而不自得其得者也、
適人之適、而不自適其適者也、
夫(そ)れ自ら見ずして彼れを見、自ら得ずして彼れを得る者は、
是れ人の得(とく)を得として、自ら其の得を得とせざる者なり。
人の適(てき)を適として、自ら其の適を適とせざる者なり。
※ここのサイトにも同様の記述がありますね。
V ― 2 主体的に生きるために個性を生かす ・ 個性を知る
http://www.sky-net.or.jp/masahiro/personality.htm
107 :
考える名無しさん:03/12/06 20:36
つまり荘子は、自分を知る、ということを表現するのに、「見、得、適」
(見る、満足する、楽しむ)という言葉を使った。「知る」という安直な言葉でなく。
∽
知るというのは時に難物である。
満足する、楽しむなどという境地に入れればいいのだが、なんとなくそれでは本当に知ってはいないような気楽さがある。
知ることは屈辱にもなり、苦にも、自失にも、被支配にもなる。
知を喜ぶなんて、本当にできることであろうか?
110 :
考える名無しさん:03/12/06 23:00
>>109 本当にそうか?哲学=愛知とどこがどう違うのだろう。
111 :
考える名無しさん:03/12/07 03:43
やっぱ、荘子より老子がいいな。
老子の文章には無駄が無く、潔い。
荘子は、動物や自然に例えた話は、独創かもしれないけど。
それ以外は、理屈がどうも小理屈で要領を得ん。
なんか、厨房の砂袋ににているな。
古典でも、ダメなものはダメ。
孔子はエゴが出すぎていて好きになれん
老子が一番隙かな、大陸ものでは
俺の解釈だと老子が言いたいのは、自分の心を自然に保つことだと思う。
欲望や嫉妬や復讐の心にはならず、名誉や見栄のような優越感や劣等感も心には必要ない。
これらの自然でない心があればこそ争いごとが起こるのだと言いたいのだと思うね。
これは究極の調和の思想である。これが道であるのではないか。
大道廃れて仁義ありとは、自然でない心の状態で一番良いモノが仁義であると言っているのだと思うね。
つまり、道があれば仁義など要らないのだ。
ちなみに、無為自然の意味は自分の心は何も変化させることもない自然の状態であれ。と言う意味であるので、
何も行動をしないとは全く違うんだぞな。
しかし、老子は知識を捨てろと言っているが、俺は無の本質を知っていれば知識をいくら身につけてもそれに縛られることはないと思うな。
114 :
考える名無しさん:03/12/07 21:04
昔は孔子で今は荀子や西洋的な考えが流行りだけどこれからは
老子的な考えのほうが魅力的かもな。以前はプー太郎の負け惜しみ
ぐーたら思想だとバカにしてたのがホントなんだけど。
世の中、無駄なことが多すぎて。
そんなにアクセク自分を追い立てなくても
自然にかまえてれば足るを知って自分の身の丈で無理をせず、まわりと
うまく調和できる幸せを得ることができるんじゃないだろうか。
>>113 >大道廃れて仁義ありとは、自然でない心の状態で一番良いモノが仁義であると言っているのだと思うね。
>つまり、道があれば仁義など要らないのだ。
「仁義、大義、考慈、忠臣とかいうものは、それらが廃れた時になって強調される(目立つ)ものだ」、
と言う意味でとってたなあ。つまり「それらは相対的なものだ」と。
>しかし、老子は知識を捨てろと言っているが、俺は無の本質を知っていれば知識をいくら身につけてもそれに縛られることはないと思うな。
「学を絶てば憂い無し。
唯(い)と阿と、相去ること幾何(いくばく)ぞ。
善と悪と、相去ること何若(いかん)。
人の畏るる所、畏れざる可からずも、
荒として其れ未だ央(つ)きざるかな。」
これだな。この場合の「学」は、どちらが善でどちらが悪なのか、どちらが美しくてどちらが醜いのか、
とかの価値観や、儒学で強調されていた礼儀とか、そういったもののことを言ってると思うんだな。
まあ解釈は様々だが。
116 :
考える名無しさん:03/12/08 01:51
>>114 でも老子は大好きだけど、韓非子を合わせて読むといいですよ。
韓非子は、冷酷、非情な思想と目され、あまり取り上げられないけど。
老子を私淑し、春秋戦国時代の真っ只中で、古代(孔子、孟子)など
教えが形骸化した、時代に生まれた思想です。
学者も「韓非子を持ち上げると、イメージ悪くする」から避けてるんでしょう。
でも、彼はマキャベリをはるかにしのぐ、思想家だす。ハイ。
秦の始皇帝も「彼に会えるなら、秦でもういい」って言っている。
中国の歴史は、彼によって作られてきたといっても過言ではない。
毛沢東も手法は韓非子です。
117 :
考える名無しさん:03/12/08 01:58
「荘子」を中公文庫版で立ち読みしました。
訳と解説は非常にいいですね。
訳注に、荘子の理屈のこねくり回しは、一時彼が「詭弁学派」の影響を受けたから
と・・・・・・
なるほどです。納得です。
自然な行為を志向するものには、よほど不向きな小理屈です。
そんなことに気が付かない、荘子の神経を疑います。
118 :
考える名無しさん:03/12/08 02:06
>>115 悪人がいなければ法律はいらない。
道が判るなら道の通りするなら誰とも問題を起こさない。
みたいに言うと人に説明しやすいかな?
決めた。老子で生きる。
手始めに俺は人生において怒りを捨てようと思う。
>>120 な、何か違う・・・むしろ、怒るべき時には怒る自分を出せ!と老子はいっているんだと思うが、どう?
122 :
考える名無しさん:03/12/08 18:19
ほとんどのモノは怒に値しない
>>120 観念に囚われなければ怒りはいつでも捨てられますよね
執着を離れて煩悩無し
喜ぶこともなくならねぇか?まぁ、いいけどさ
>>119 知ってます。
韓非子は老子を深く読んだ人だと思います。
126 :
考える名無しさん:03/12/08 21:39
韓非は荀子派だった俺でもちょっと抵抗があった。
ギスギスした感じ。人の反感買ってろくな死に方してない。
当時の世の乱れにそれだけの矯正力が必要だったんだろうけど、
思想的にはなんか寒くなるよ。心が。
人間的には可哀相な人だと思う。
>>125 知ってないダロ
知ってたらそんな台詞はおいそれと出てこないぞw
128 :
考える名無しさん:03/12/08 22:00
「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」易経「繁辭上傳」
「尽く書を信ずれば即ち書なきに如かず」孟子「尽心章句下」
「知る者は言わず、言う者は知らず」 老子「第五十六章」
「知る者は言わず、言う者は知らず」 荘子(第十三天道篇、第二十二知北遊篇;外篇)
ということですな。昔は諺だったようですが。
129 :
考える名無しさん:03/12/08 23:09
真理なんてないの、在るのは解釈だけ。
>>129 そんなことなーい!
あるよ、物として。
昨日買って来た、百貨店で。
一本2000円。
黒い四角柱の、まあスティック状のもの。
墨みたいだな・・・
ってことで、探せばあるんだって!
131 :
考える名無しさん:03/12/08 23:29
馬鹿かおまえは
>>129 解釈の対象となるものが真理なのだよ。なんつったりして。
133 :
考える名無しさん:03/12/08 23:34
現代自由相対主義ダイナマイトのニーチェ派、老子スレに現る・・・。
なんかあれだよね、ツァラトゥストラが下山しようとするのを
引き止める森の隠者って老子っぽいよね。「どうせバカにされるからおよし」
とかいって・・・。
実際バカにされてツァラトゥストラは切れてるんだけど(w
これはニーチェが大学教授生活辞めて年金生活でキリスト教が根付いてる俗世間で
自分の思想を毒づきながら訴えて、からかわれてる精神的に痛い描写。
インテリクズレ魔太郎の恨み手帳みたいなもんだよ。「ツァラトゥストラかく語りて」
なんてな。
134 :
考える名無しさん:03/12/08 23:49
どちらも根底は似てるが方向性が違う。老子とニーチェ。
>>131 馬鹿というな馬鹿と・・・アホと言うぞ〜
いまどき、「真理」も売ってない百貨店あるかね〜
それでやっていけるかね〜
探求する努力が足りないんだよ!!
136 :
考える名無しさん:03/12/09 00:00
俺はマイナス思想はお断りだね。
なんも考えず、思想がないよりはましだがな。
139 :
考える名無しさん:03/12/09 04:28
例えばキリスト教徒にとっての唯一普遍の『真理』は聖書だよね。
それは、確かにキリスト教徒にとっては『真理』かもしれないけれど
仏教徒や一般のウチラにとっては『真理』ではないかもしれないよね。
もし、本当の『真理』ならそんなことはないし、あるはずが無い。
だから、唯一普遍の『真理』は無く、在るのは様々な人々の『解釈』に過ぎないんだな。
140 :
考える名無しさん:03/12/09 04:52
老子、好きですよ。ただ、自由思想かそうでないのかちょっと分類しかねますが。
西洋とは別の儒教に自縄自縛の文化圏(日本のほか中国・韓国・ベトナムなど)
では解毒剤として一家に一冊必要。東アジアのホテルは聖書のほかに老子をおくべきです。
142 :
考える名無しさん:03/12/09 09:54
オレ、孔孟は、全然わからねえ。
どこが、いいんだろね?
143 :
考える名無しさん:03/12/09 14:09
真理はあるよ。
ニーチェはなにもわかってない。
144 :
考える名無しさん:03/12/09 14:20
やかましい
はやくやめさせろ
145 :
考える名無しさん:03/12/09 22:44
清く正しく美しく積極的に立身出世
↓
これに嫌気がさしたらラオズ(老子)
つまり反儒学
なお、儒学は冠婚葬祭運営+官僚養成学校を経営いていた孔子が祖
146 :
考える名無しさん:03/12/10 00:40
老子はたしかに使えないが、
社会、自然の真実がよく書いてある。
ああ、そうだったのか、やっぱりね!
でいいんだよ。
147 :
考える名無しさん:03/12/10 00:51
道家は政治的には、太古に存在したと考えられる自給自足的な小国を理想とした。
その思想の本質は、他の諸家と違った瞑想的なもので、自我や欲望を否定して無とか無為とかを
尊んだ。このことは、現実的には虐げられた庶民の忍従を正当化するもので、結局は
前述の思想に反して専制君主の支配を容認することになる。
(岡部健彦・堀川哲男『[解明]新世界史』p.p.78−79)←高校の世界史の参考書らしい
148 :
考える名無しさん:03/12/10 00:58
↑ヒッピ−のコミュ−ンがカルト教団と化するようなものでつな。
149 :
考える名無しさん:03/12/10 01:55
>>147 >前述の思想に反して専制君主の支配を容認することになる
結果たしかに、そうだけど。たとえば、現代でもアジアの小国で
生き生きと生活してるのを見て、人間のもっとも、仕合せな状態
だと思いますけどね。田舎暮らしに、切実にあこがれるタイプは
老子にすごく親近感を感じると思う。
海老子
まあ、物語でもない老子を読みながら安らかな眠りにつけるやつも珍しいと思うわけだが。
>>117 >訳注に、荘子の理屈のこねくり回しは、一時彼が「詭弁学派」の影響を受けたから
>と・・・・・・
これ、名家とか論理学派と呼ばれる恵子=恵施のことね。「影響を受けた」ってレベル
じゃないな。見ればそこら中に出てくる。
たしかに、もう少しその方面からの突っ込みを入れた方がいいような気がするね。
でも、おれは荘子が好きだよ。
恵子と荘子が橋の上で「魚のココロがわかるか」という問答をしている場面は
「胡蝶の夢」の次くらいに有名だと思っているのはおれだけだろうか。読み返し
てみるといまだに、問答の最後に荘子が答えた「ぼくは川のほとりで魚のココロ
がわかったのだ」と言った言葉が意味不明だ。いっとき分かったような気がして
たんだが、今となってはヤハリ分からんで鬱。
154 :
考える名無しさん:03/12/10 19:57
>>153 詳しいですね。さすが!
わたしは、そこまで読み込む前に、ダウンでした。
>>154 恐縮です。
それほど詳しいってわけじゃないんです。本を引っ張り出してきて横に置いて
書いたんで、、、サカナの話も湯川秀樹大先生の受け売りのようなもんでして。。。
高校の時、レポートにまとめさせられた課題(遠い目・・・)の賜物です(笑)
156 :
考える名無しさん:03/12/10 21:45
>>155 私見ですが、荘子はどっちかというと、禅の思想につながるようなきがする。
たとえ話が、対象物との同化が多い。
ロース より カルピ !
158 :
考える名無しさん:03/12/10 21:54
>>156 禅と老荘は関係あるよ。
大雑把に言うと仏教+老荘→禅宗として老荘思想を吸収かな
159 :
考える名無しさん:03/12/10 21:58
カ、カルビ!
食べたいよ〜
160 :
考える名無しさん:03/12/10 22:11
欲を捨てなされ。欲は自分を歪ませるのだ
161 :
考える名無しさん:03/12/10 22:14
食欲だけは捨てられん!
>>161 老子は飯だけはたっぷり喰えと言ってるよ。
美味なものを求めてはいけないとも言ってるけど。
>>156 禅ですか。
そうっすね。以心伝心なんかはそのもののような感じがします。(私見です)
公案とか喝!ってのは別物でしょうけどね。
あまりよく知らないで言うのもなんなんですが、禅って座禅だけじゃなく、もっと
生活に根ざしているもののような気はしてます。日常の立ち居振舞いとか。。。
それでも、今回パラパラとめくってて気が付いたのは、荘子には予想外に名家
(論理学派)にこだわってる個所が多いってことでした。恵子の著作が伝わってない
ので分からない部分が多いらしいのですが、そのまま名家の主張の説明がのって
る(お互い反論し合ってるんですが)個所もあって、そっちの方に興味をひかれて
しまいます。堅い白い石は2つである、とかってヤツですね。公孫竜も出てきますね。
だもんで、荘子に明らかに極端な作り話が多いのは、それを受け止める恵子あって
の主張だったんだな〜と思い知ったような気がします。やっぱぼくが老子に比べて
荘子に人間味を感じるってのは、荘子が話相手に向かってしゃべってるって印象が
あるからなんだろうと思いました。
老子もキライってわけじゃないんですけどね。(でもほとんど忘れた)
164 :
考える名無しさん:03/12/10 23:49
>>147 ニーチェの考えがナチスに利用されたのと同じようなものですな。
実際のところ、老子は道に従えとは言っても、人間に従えとは言ってないんだが。
小国を理想とするってのは、巨大になればなるほど制御不能になるからかもね。現代みたいに・・・。
老子を通して読むと、
”限りなくヒトリになるところから、初めてコミュニケーションを始めることができる。”
って言われてる気がする。
165 :
考える名無しさん:03/12/11 14:47
老子なんてただの基地外爺だよ。
166 :
考える名無しさん:03/12/11 15:29
古代中国のぴかぁ〜
168 :
考える名無しさん:03/12/11 18:59
目の前に飢えている子供や傷病人が居ても、無為自然の老荘思想では無理せず見捨てちゃうのを良しとする。
ちなみに、儒教思想は理想を説くだけ。空海の『三教指帰』では、そういうことが批判されている。
>>168 それは「空海」の老荘思想であり、儒教思想であってだからどうしたんだという感じ、
空海は傷病人を祈祷するだけで結果として見殺しにするかも
170 :
考える名無しさん:03/12/11 19:56
無為自然の意味が正しく伝わっていないようだ。それに想像で他人の人格否定などナンセンス
171 :
考える名無しさん:03/12/11 21:58
>>169 ありのまま。あるがまま。そのまんま放置。
172 :
考える名無しさん:03/12/11 22:00
でも困っている人をみると助けたくなっちゃうのも人間としての
自然な心の動きであって、それに従うのもまた無為自然では。
173 :
考える名無しさん:03/12/11 22:11
>>172 > でも困っている人をみると助けたくなっちゃうのも人間としての
> 自然な心の動きであって、それに従うのもまた無為自然では。
それは、はたして無為なのかな?
何が老子だよ(プゲラ
生物学的に人助けは本能ではない
猿なら確実に見捨てる事 競争社会の原理の意に反したもので
自然とは違う 人助けは人間社会が集団で生きる為に作り出した
ルール倫理で理性的なもの 172が自然と感じる理由は
幼児期からの社会的生活で叩き込まれた
道徳観が 無意識の領野にあるから。
176 :
考える名無しさん:03/12/11 22:28
>>175 さらに言うとシェマが生じたらそれは無為ではないんだな。
生物学的な自然など『老子』じゃ問題にしとらん
社会というものも人が作り上げた自然の一部ですよ。
漏れは空海の書いた物を読んでないからはっきり書かなかったが
アホな解釈するなよと言う話だ。
藻前ら変な勘違いをカキコする前に老子読め。
180 :
考える名無しさん:03/12/11 23:26
確かに老子は生きる死人みたいのを目指してるふしがあるな・・・
181 :
考える名無しさん:03/12/11 23:29
>>179 たぶん、おまいの2.5倍は「老子」読んでるがなにか?
だから、もちろん「老子」が一人の人物によって書かれた物でなく、
不特定多数の人物によってまとめられた物だということも知っている。
「荘子」も全文六万五千余字の中の、内篇七篇だけしか本人の手によるものでないことも知ってるよ。
>>181 179じゃないがワロタw
あと2.5倍嫁屋www
あのな、老子の本がいいたいことはそんな知識じゃねーんだわさ。
179は歴史年表を暗記するの得意そうw
185 :
考える名無しさん:03/12/11 23:42
>>183 厳密に言うと「老子」は哲学じゃないんだな。
突っ込み方が違うだろ
どの訳本の解題にも載ってる話をさも得意気に語るサマが滑稽
ぶっちゃけテキスト読んでなくても語れる
厳密に言うと中国に哲学は存在しない
188 :
考える名無しさん:03/12/11 23:50
つーか、哲学の枠から考えると、「老子」は今の哲学業界では相手にもされてないんだな。
「 労 使 」には、いつまでたっても 和解がない
立て 万国の労働者 !
相手にされないではなくジャンルの違い
『老子』を読むにも現代思想は必要ない
しかも哲学畑の人は読めない
専門家の訳を二次利用すると
>>179のような人が怒る
>>181 2.5倍読むと老子は
「目の前に飢えている子供や傷病人が居ても、無為自然の老荘思想では無理せず見捨てちゃうのを良しとする。」
by168
と理解できるんだ。
192 :
考える名無しさん:03/12/12 00:13
>>191 無理なら見捨てる、余裕があるなら助ける。
同じ人でも場所や時によって変わってくるだろう。
具体的に何章に基づいて言ってるんだ?
三教指帰をぐぐった範囲では否定していない。
出だしにこんな表現があるらしい。(原文ではないが)
聖人が人を導くのにも三種の教えがある。それは仏教と道教と儒教である。この三教には教義に深い浅いの相違はあるけれども、どれもみな
聖人の教えである。その中の一つの教えの網の中に入れば、忠孝にそむくことはない」。
http://www.nnc.or.jp/~sekiho/kukai02.htm から拾ってきた。
196 :
考える名無しさん:03/12/12 00:42
>>194 章?
>>195 三教指帰は、空海がなぜ自分が仏教を選択するのに至ったのかについて書いている。
その中で、儒教・道教ともに触れているがそこで批判がなされている。
最も、今の中国本土の道教を見てきた限りでは、「老子」は死んだと感じたな。
あの拝金主義を見せられたら誰でもそう思うだろうな・・・。
198 :
考える名無しさん:03/12/12 00:44
もし老子に「哲学はいかが?」と問うと。
「道が違う」と言うだろう。
老子には、固有名詞は一切出てこない。中国思想では、老子だけらしい。
それで、「老子」には形而上学の形を備えていると。
確かに、客観証明不可能な論ではありますよ。体系的ではないけど。
オレは、金谷治訳の『老子』がすきなんだけど。
金谷の『中国の思想』って本で、金谷は「老子は成功思考の臭いがする」
って言ってて心外に思ったんだけど。そんなとこある?
199 :
考える名無しさん:03/12/12 00:45
201 :
考える名無しさん:03/12/12 00:51
>>197 と、思ったけど。まあいいや、大宗師篇だよ。
老子の話してんのに莊子にすりかえられちったよwwwwwっうぇ
203 :
考える名無しさん:03/12/12 00:59
うん。おまいの似非っぷりがよくわかった^^
205 :
考える名無しさん:03/12/12 01:07
そもそも>>191のレスは、>>168と>>181のちゃんぽんになってるから、答えづらい。
だから、道教に対する空海の考えをどっちに対しても答えられるように「荘子」から回答したのさ。
206 :
考える名無しさん:03/12/12 01:10
こうであらねばダメというお題目ばかり発達した時代では自然であれ
という自己肯定的な野生思想は救いになるような。
180が「生きる死人思想」みたいだというなら逆に‘現代管理社会で
自分を殺すルールを強いられるなら「社会的に死んで自分の道で生きる」よ!
という啓発にもつながるような。
ニーチェより俺的には受け入れられやすい思想だな。
ニーチェは「こうであらねば」という画一的な偽善を求める
全体蓄郡世界の歯車にはなるな!
それを超えろ!といって啓蒙してるが
老子は「自分に正直に生きろ」勝ち負けとか価値だとか名声だとか
そんなもん気にするなと言われてるみたいで気持ち的に楽になる。
誰もが英雄になれるわけじゃないし。
だれもが大金持ちになれるわけじゃない
でも選ばれた人間しか幸せになれないなんて道理はない。
もって生まれた自分を自分なりに最大限生かして、それで上等じゃないか。
そう教えられたような気がする。
そんな気がしただけなのさ。
by「タオ、道」
207 :
考える名無しさん:03/12/12 01:14
>>206 ニーチェは、大哲学者。老子はただのヒッキー。
208 :
考える名無しさん:03/12/12 01:19
>>204 もし、あえて「老子」いうならば第二章の「不言」・「無為」の考えに則ると、ということ。
209 :
考える名無しさん:03/12/12 01:28
実際はニーチェがヒッキーで老子が外で自然と戯れて遊ぶ子のような。。。
>207
210 :
考える名無しさん:03/12/12 01:33
ニーチェは生前世間で認められず最後は発狂するし。
その当時からすれば引き篭もり著述家の最悪のパターン。
たぶん、君も同時代に生きてたら無名のニーチェを
バカにしてるよ(w
>207
211 :
考える名無しさん:03/12/12 01:41
確かにあの時代に「神は死んだ」は、今の「科学は死んだ」に同義のことを口走ってたわけだからね。
老子はアジアのシェークスピア
213 :
考える名無しさん:03/12/12 01:56
214 :
考える名無しさん:03/12/12 02:43
はあ?悲劇作家?
老子はソクラテス以前のギリシア哲学者に通ずる観があるけど。
たとえば万物の根源は水といったタレス。
215 :
考える名無しさん:03/12/12 02:49
まさに、知る者は言わず、言う者は知らず・・・
217 :
無駄なおしゃべりは人生の本質:03/12/12 02:54
先週横浜中華街で関帝廟に線香を揚げた。
それが「老子崇拝」の類似であったことに気付かなかった。
関羽は老子より上なの下なの?
218 :
考える名無しさん:03/12/12 03:13
>>217 道教としてとらえるなら、老子は三清という位であり、関聖帝君は財神というカテゴリーに入る。
だから、老子のほうが遥か上。でも、あくまで宗教としての道教は「老子」とは別次元のものと考えるなり。
221 :
考える名無しさん:03/12/12 03:55
それにしても、なぜ老子が道教と結びついたかわからんねぇ。
不老不死は無為自然に反しまくりもいいとこだろうに。
>>221 荘子がなんらかのシャーマン的集団と関わりがあった,とする人もいますね。
ちなみに、それに関してはひとつの別の「妄想」もあります。
そもそも「老子(道徳経)」の成立年代が漢代の可能性がありまして、戦国時代の
荘子よりも新しいかも知れない。現在、道教と呼ばれている「何でも吸収しまくり」の
宗教は、荘子よりもさらに古い。「道」の思想(荘子のものかどうか・・・)をそのシャー
マニズム宗教に吸収するためのインターフェースが「老子」だったのではないか。と。
すなわち、老子の説を発展させたのが荘子、というのは間違い、という説。
てなことを言うと、太上老君を信仰する道教信者に総スカンを食ってやばそうので、
裏でこそっとつぶやくしかないのですが。
――最近、どこぞの墳墓で「老子(道徳経)」が見つかったらしくて、それが春秋以前
だと簡単にひっくり返る説ではありますが、なるほど〜と思わせるものはあります。
論文出したり本を出版したりが「裏でこそっと」する行為なのか(藁
>>222 「 最近、 どこぞの墳墓で 「 老子 ( 道徳経 ) 」 が見つかったらしくて 」
この情報の詳細もとむ
>>233 そんな論文や本を読む人は数少ないと思うけど
シャーマニズムといえば医学と考えた人はもしかすると鋭いかもよ。
ちょっとトンデモが入るけどね、新鮮な見方ではある。
228 :
考える名無しさん:03/12/12 21:05
老子は真理どころかただの戯言だな。
にーちぇさんのニヒリズムに悖る虚無主義だなぁ。
229 :
考える名無しさん:03/12/12 22:08
孔子好きな奴は自分を高めたいと思ってる奴だろたぶん。
俺も昔は孔子とか孟子好きだったけど、孔子と孟子の生き方真似してたら
はっきりいって疲れるね。自分が自分ではなくなるよ。
そういう時に出会ったのが老子でした。
これを読んだらその日から俺は解放された気分でした。
やはり自然が一番です。もとの自分に戻れました。
確かに自分をよくするのはいいことですが、それはとても難しいです。
もし、俺のように疲れている人がいたら老子を読むことをオススメします。
きっと人生が変わるはずですよ。
230 :
考える名無しさん:03/12/13 02:24
孔子?あの言ってることとやってることが違うDQNのことか。
老子?あのぷー太郎の爺さんのことか。
231 :
考える名無しさん:03/12/13 04:13
>>229 いい読み方してますね。
オレは、昔、禅寺で一日修行した時、挨拶したら怒られたな。
挨拶はほんとうはしてはいけないんだよ、本当の人間関係では。
現実はしてますけどね。小さな問題だけど。
232 :
考える名無しさん:03/12/13 04:17
>>231 大莫迦ちゃんだな。
もっと、自らを投企せよ。
>>226 いえいえ、 さっそくのお返事、 どうもありがとうございます。
研究者じゃありません。 「 くわしいシロート 」 ですらありません。
老荘をよみはじめたのはここ何年かで、 それも、 荘子は内篇のみ、
そのうえ、 いずれも福永光司だけってありさまです。 ( 笑 )
でも、 老荘の思想に当方なりにつよく感銘をうけ …… というより、
もはや洗脳の段階かも …… ( 笑 ) とにかく、 どえらい考えだと
おもいます。 世界じゅうで数千年を生きつづけた思想だけのこと
はあるとおもいます。
しりたいとおもったのは、 老子の原本がどうなっていたのか、 です。
他人のテによる加筆などがあるそうですので。
かさねがさね、 感謝 感謝。
>>225 喪前が知らないだけ。一般でも手に入る。
自分の見識の狭さだけで勝手に決め付けるなよw
そもそも成立についてなんて岩波文庫本でも書いてるような話だろ?
岩波文庫はそんなに手に入りにくいか?w
>>226 中身見てみたかったらここへ
http://hk.geocities.com/chinpcp/ メニューの「考古文献」から一応見れる。
この電子テキストがどれ位信用できるかは俺は知らない。
あと馬王堆老子は新編ゥ子集成で高明氏の校注本が出ている。
2000円程度で簡単に手に入るので興味があればどうぞ。
当然向こうの本だけどね。
235 :
考える名無しさん:03/12/13 19:06
「老子」を捨てて社会に繰り出す方が100倍有益。
236 :
考える名無しさん:03/12/13 19:29
なにを有益とするのか?
237 :
考える名無しさん:03/12/13 19:33
それなら老子は邪魔にはならない
239 :
考える名無しさん:03/12/13 19:43
別に持ち歩くわけじゃないし
241 :
考える名無しさん:03/12/13 21:32
>>239 そうじゃなくて、「老子」は所詮机上の空論に過ぎず、
その考えに縛られることもまた、「老子」の本分から外れる。
ならば、現実に即して遁世に向かわず社会にどう関われるかが大事であり、
行動することが大事になるのだということ。
242 :
考える名無しさん:03/12/13 21:35
NY第一線の人間は読破してるよ。
243 :
考える名無しさん:03/12/13 21:42
秦の始皇帝が「会えたら死んでもいい」と言わしめた、韓非子
世界史上、最高の政治哲学者の韓非子が「老子」に私淑していた。
老子は、ヒッキーの単なるバイブルではなく、深遠な思想なんだよ。
そして、わたしも、老子に私淑している・・・
この意味わかるかな?
244 :
考える名無しさん:03/12/13 21:45
兜町の方ですか?
245 :
考える名無しさん:03/12/13 21:46
良く分かるよ。死ぬまであんたに会いたくない。
引き篭もりというのとは違うだろ。
247 :
考える名無しさん:03/12/13 22:07
君子危うきにレスしました。
248 :
考える名無しさん:03/12/13 22:26
>>244 違います。現実的力は、ないです。
>>245 老子は、「わたしは、程度の低い者から馬鹿にされる」といってますわなあ。
>>248 老子に私淑してるんですから、
老子本人じゃない事はよく分かりました。
>>249 「老子2世」と呼ばれるのが、妥当かと思われますが、なにか?
じゃぁ私は、ルパン3世♪
253 :
考える名無しさん:03/12/13 22:53
>>252 いまどき偉いねー、降参だなんて・・・
いや〜参った参った
>>252 わたしは、「知る者は語らず」を実践しているんです。
>>233 いえいえ、私も「ちょっと詳しいシロート」の域を出ません。荘子も岩波文庫の
内・外篇を翻訳で読んだだけなので、買い被らんといて下さい。
中国語ならちょっと読めます。
>>234 ありがとう。香港中文大学の(かな?)そのサイト、すごいですね。(転送量制限があるみたいですが・・)
「郭店楚簡」も公開されてますよ。「馬王堆漢墓帛書」より上のが全部そう。
その中にある「老子」が現存最古の「老子」原文ってことになります。
「太一生水」もあります。こちらは初めてお目にかかります。
その後、中国のサイトをつらつらと見て回ってたのですが、自分に都合の良い
とこだけかいつまむと(もちろんわたしの独断と偏見。)、
・推定年代BC4世紀初期(前384-374?郭沂)→
>>222の説はほぼ絶望的(か?)
・郭店楚墓竹簡(簡帛を含む)の目玉ヒットは「論語」方面の成果
・荊門市博物館に行くと現物が見れるっぽい
・中国外ではSarah Allan(米)が一番有名っぽい
道家関係では(*は郭沂という人による論)
・「太一生水」(約330字)の発見→*太史たん作か?
・「老子(甲乙丙」は馬王堆の「甲乙」とは異なり、重複なし。
・「老子(甲乙丙」は現存約5000字中、2000字分程度。
・*老たん→文子→太史たん→関尹子→黄老学派と、早期隠者→楊朱→
列子→莊子→莊子後学の2系統に分かれるのではないか
といったところのようです。
「荘子」は出なかったんですね。(こちらの最古はたしか宋代)
専門が老子解釈史で軽くかじったつもりの者だが。
「研究」なんて師匠にどつきまわされそうで怖くて言えないが。
とりあえず>198は老子読んでない。
読んでたら
>「老子」には形而上学の形を備えていると
こんなこと言えない
とは書いたけど、もともと味わって読む方重視なので、余計な知識は横道かも。
訳だけ読めば十分かと。
変な思想へ走らないためにも、若いうちから老荘よんでまっとうな想像力の使い方を
鍛えといた方がいい、と思ってます。
>>257 すまんです。間にはさんでしまった・・・
>258は>256のつづきです。
>>257 なるほど〜、こわそうな業界ですね。(笑)
老婆心ながら、なんだか意図的に荒らしてる人がいるようなので、
あまり構わない方がいいと思います。ひとの言うこと聞く人じゃないみたい。
どうも自分のHPに書く文章のネタ探しと正当化をしようとしてるフシあり。
261 :
考える名無しさん:03/12/14 04:32
「老子」なぞアナーキズムに過ぎん。
>>257 「老子」が形而上学かどうかはどうでもいいと思ってます。
これは、学者の言ってることでして。また形而上学の何たるか
も、わたしにはわからないし。
ただ、ニーチェやキルケゴールなど「生命の哲学」と呼ばれている
人たちと同様、客観証明不可能なものです。しかし彼らは、
西洋哲学の哲学者の系譜のなかにいるのに対し、「老子」は哲学と呼べるもの
がまったく無い土壌にあった。ニーチェが「アンチ・クリスト」でキリスト教を批判
したのに対し、老子は「大道廃れて、仁義あり」(真実な人間関係が失われると、小ざかしい
道徳が叫ばれる)となんとも簡潔かつ痛烈に言う。この込み入った批判や証明という
手続きなしの言説が哲学の体裁をもっていないといわれればそのとうりですけどね。
でもそんなことはどうでもいいわけで、読んで味わえばいい。
読んで味わえばいいだけなら一々自己弁護レスするn(ry
老子とヒッキーをつなげる香具師は何もわかってないな。知ったかぶりの批判好きに過ぎないつまらない者達よ。
>262
そんなに必死にならんでも良いよ。
解釈とか内容の話じゃなくて、修辞の問題だ。
もしちゃんと読んでるのであれば>198みたいな書き方はできないってことよ
>知ったかぶりの批判好きに過ぎないつまらない者達
これって逸民そのままじゃないか?w
267 :
考える名無しさん:03/12/14 10:45
道教って現実逃避だろ。
>267
とりあえず道教と道家思想の区別がついてからまたいらっしゃい
269 :
考える名無しさん:03/12/14 10:55
>>268 現実逃避も必死だな。
その必死さを少しは現実に向けたらいいと思うのだが。
喪前もPCの前に必死に張り付いてないで現実見ろよ
そもそも、思想やってる人間にしてみれば
その思想が現実的かどうかなんて意味無いんだよー。
その思想を信奉して実践を心掛けるんじゃなくて
単に一体系として思想を研究対象にしてるだけなんだから。
だもんで、厳密に言えば
「研究機関で思想やってる」ってのは”思想家”じゃなくて
”思想・思想史研究家”なわけで。
現実的とか非現実的みたいな指摘自体がナンセンス
272 :
考える名無しさん:03/12/14 11:02
現実を嘲笑する態度を洗練させると人間お終い。
273 :
考える名無しさん:03/12/14 11:32
「老子」は、とりあえず「道」、「道」と「道」を口実にして現実逃避している自分を論理武装してるだけ。
ぷー太郎なのに、「俺には考えがあってやってるんだ。」とか、「でっかい夢があるんだ。」とか嘯くのと同レべル。
現実を見て、自分を正当化するのはやめるべき。
>273
うんうん、そういうのは「俺は道家思想を実践してるんだー」って香具師に言ってね
275 :
考える名無しさん:03/12/14 11:36
マックス・ウェーバーはいい。
ニーチェに還れ。
ニーチェは25歳でバーゼル大学の古典文献学の教授となり、
ワーグナー夫妻と親しく付き合った。。。華麗な出だしですな!
>276,>277
スレタイを声出して読んでみろ
279 :
考える名無しさん:03/12/14 12:14
>>278 まあ、老子を真理だと思わねー人なんじゃん。
漏れもだが
>279
あぁ、なるほどね。
真理かどうかで言えば真理なわけないわな。
てか、真理だと思ってる香具師なんておらんっしょ
281 :
考える名無しさん:03/12/14 12:50
>>1 >まぁ、老子読め。西洋哲学のようなムダな真理もどきは一切ないし、
>どれもあらゆる時代に有益なモノとなっている。
>まず老子を学べば西洋哲学の曖昧な思想を超越出来ますよ。
ばーか
282 :
考える名無しさん:03/12/14 13:03
>>281 まあまあ、
>>1さんはちょっとアレだから。
そっとしておいてやってよ。
283 :
考える名無しさん:03/12/14 13:40
>>277 バカ王ニーチェと人格破綻者ヴァグナー。最高ッス!
284 :
考える名無しさん:03/12/14 13:41
老子などいなかった
何を今さら
なんだか理解する前に語る香具師が多いな。哲学板全体だが
287 :
考える名無しさん:03/12/14 16:15
>>1 >まぁ、老子読め。西洋哲学のようなムダな真理もどきは一切ないし、
>どれもあらゆる時代に有益なモノとなっている。
>まず老子を学べば西洋哲学の曖昧な思想を超越出来ますよ。
ばーか
288 :
考える名無しさん:03/12/14 16:24
デーモンに聞けば超越できるのではないですか?
289 :
考える名無しさん:03/12/14 16:31
乙武さん>>>>>>>>>>>>>>>>>>>老子
>286
同意っつーか仕方ないっしょ。
註付き日本語訳読んで語ってる時点で脳みそ沸いてるとしか思えん
読んで味わうのと、味わって読むのとは、全然違うものだゾ。
292 :
考える名無しさん:03/12/14 17:11
>>290 原文「老子」より、日本語訳されたものの方が優れてる。
>>292 それはそれでまた別の問題がある考え方だな。
日本語訳(現代語訳?)されてても、まだ自分の頭で考えることはいっぱい残ってるだろう。
訳者の尻馬にのって優劣を語ることにも無節操さを感じる。
294 :
考える名無しさん:03/12/14 17:39
しかし原文で読めるヤシなどいるのかね〜
295 :
考える名無しさん:03/12/14 17:39
>>293 素人が下手に訳して理解を誤るよりも、
その道の専門家の方の訳で読むほうが誤りは無い。
296 :
考える名無しさん:03/12/14 17:44
>>282 しかし、おまえは、卑怯かつ情けない、ヤシだわな。
297 :
考える名無しさん:03/12/14 17:48
>>290 まあ、原文で読めるヤツってのは、中国人だけだろう。
298 :
考える名無しさん:03/12/14 17:52
漢文だから現代の中国人は読めないのではないかな
>>265 なにが言いたいのか、さっぱりわからんけど・・・
まあ修辞ではなかろう。
300 :
考える名無しさん:03/12/14 17:57
>>295 まったく禿同。
その中からベストのを選べばいいんだ。
301 :
考える名無しさん:03/12/14 18:08
中国人が老荘なんかを研究しょうと思ったら,今じゃ日本の研究を無視することは
できないよ。現状もそう。文革以来,中国では古典研究は全然進んでないよ
302 :
考える名無しさん:03/12/14 18:14
ボロボロにコケ下ろした挙句に今年はすっきりと終わりにしようなんて
随分な話だよね
303 :
考える名無しさん:03/12/14 18:15
男を下げたな
304 :
考える名無しさん:03/12/14 18:18
老子の人生哲学って女性原理ですよね。
平和的でいいといいと思いますよ。
305 :
考える名無しさん:03/12/14 18:23
高いところに上りたがる馬鹿を批判しているところが良い。
306 :
考える名無しさん:03/12/14 18:25
>>304 老子は、おばあちゃんだったのか・・・・
307 :
考える名無しさん:03/12/14 18:27
Aにする話はどうなったんだろうね
飲み会全部おごってやるって話も
308 :
考える名無しさん:03/12/14 18:33
試しに忘年会開いて全部おごるか確かめてみよう
309 :
考える名無しさん:03/12/14 18:37
>高いところに上りたがる馬鹿を批判しているところが良い
高いところに登って
>まぁ、老子読め。西洋哲学のようなムダな真理もどきは一切ないし、
と言う馬鹿一さんはかなり厳重な馬鹿ですな。
310 :
考える名無しさん:03/12/14 18:42
きっと全部嘘なんでしょ
311 :
考える名無しさん:03/12/14 18:43
>>309 確かに
>まぁ、老子読め。西洋哲学のようなムダな真理もどきは一切ないし
は、嘘っぱちだな。無駄な真理もどきってなんだよ?って感じだ。
だいたい、「真理」なんて哲学をやるやつは使わんよ。
>>293 まあ日本語さえ通じないやつがいる時点で終わっdな。
313 :
考える名無しさん:03/12/14 18:51
老子を今の日本に連れてきたら。
「老子」なぞ、書かなかったろうな。
国民の三大義務に縛られて。
315 :
考える名無しさん:03/12/14 19:02
やれやれ、
納税の義務、勤労の義務、教育の義務だよ。
>294,297
辞書がありゃ学部生でも読める。
>292,295,300
数多の日本語訳の中からベストを選ぶってか?
あふぉか。
日本語訳なんぞ読んで判ったつもりになってるだけじゃねーか
>301
最後の一文以外は同意。
向こうの研究者が解釈・解釈史本出すとしたら武内義雄は無視できんしな。
ただ、ジャンルによっては大陸の方が進んでる研究もあるんで、
一概に大陸が遅れてるとは言いがたい
思想と哲学を混同してる香具師がいる気がする
319 :
考える名無しさん:03/12/14 19:09
>>316 読むと正しく理解するは、まったく別次元の話。
文革がどうのこうの言ってるのは文革を同時代の事件として知っている(40より上)
やつだろうが、その後を全く知らない無知・・・むしろ哀れかも。
訳は世界各国語訳があるので、英語で読みたきゃ英語でも読めるだろうし、
>106を見れば分かるように、日本人だと読み下し文が分かれば原文はわりと
簡単に読める。知識は必要。別に中国人じゃなくても日本人でも欧米人でも、
原文読めるやつは読めるし、読めないやつは読めない。
ようは読む気があるかないか、だけのおはなし。
読む気がないなら、このスレ見るだけ時間のムダだっちゅうの。
>>315 >納税の義務、勤労の義務、教育の義務だよ。
それと老子となんの関係が?解(げ)せぬ。
322 :
考える名無しさん:03/12/14 19:28
>>320 俺が文革どうのって言ったんだけど,これは友達の中国人の留学生が
言ってた話。中国では老子なんて日本のように読まれてないって言ってた。
323 :
考える名無しさん:03/12/14 19:35
10代の頃バイトしてた 雀荘の 中国人とは
四書五経で友人になれました。
>>322 あいまいだな。
そもそもいつの話だ?批林批孔の頃のはなしじゃないだろうな?
中国では老子を読むのは禁止されてるって言われたわけじゃなかろう?
日本のようにさかんに読まれてないって言ってたんなら、
その留学生の日本理解にも問題があるだろうし、きみがなにが言いたいのかよくわからんぞ。
中国人も古典は読んでなくても、ことわざにうるさいやつは多いぞ。
325 :
考える名無しさん:03/12/14 19:43
>>320 君は、よく意味がわかってないようだから補遺しておこう。
字面だけ追って原文を読んだつもりでも、専門家以上の知識と経験なしに読み解くのは至難あるいは、不可能なんだよ。
というのは、「老子」の原典自体が多くの人物によって書かれていることから、それらを総括して読むのが難しいことであり。
また、総括して理解することが難しいことでもある。例えば、趣を異にするがサン=テグジュペリの「星の王子様」なども
背後にあるレトリックが読み解けないと、ただの児童絵本で終わってしまうということ。
>>321 そういった、柵(しがらみと読む)に囚われては無為自然は成り立たないであろうということ。
326 :
考える名無しさん:03/12/14 19:50
>>324 >その留学生の日本理解にも問題があるだろうし
しかし彼は現に日本に住んでるわけだし,それを言ったら中国に住んだことのない
日本人には老子なんて理解できないことになりますよ?
>319
そうだな。
とりあえずこのスレで老子を語ってる香具師のほとんどは理解できてないだろうな。
要は>325の言ってることがほぼ全てってこった。
正しく理解したきゃ、老子翼を傍らに置いて話せってこった。
日本語訳の内容の薄っぺらい本を二、三読んで理解したつもりになるなよ門外漢ども
>>325-326 なにを論点としているのか、はっきりさせてくれ。
わたしは
>文革以来,中国では古典研究は全然進んでないよ
という文を書いた、君の意見が理解できない、と言ってるつもりだが。
留学生はどうでもよろし。
なんだ、荒らしか。
330 :
考える名無しさん:03/12/14 20:14
ここは老子を読んだ人がオナニーするスレですか?そうですか。
実際住んで見ないと頭だけで理解したって
理解出来るもんじゃない事は確かだな。
332 :
考える名無しさん:03/12/14 20:21
セックスと童貞オナニー並みの絶望的な隔たりというほどではないと思うが。
老子よりもフセインが捕まったことの方が重要ですよ。
334 :
考える名無しさん:03/12/14 20:27
賞金の行方が知りたい
335 :
考える名無しさん:03/12/14 20:28
アメリカまんせー
336 :
考える名無しさん:03/12/14 20:29
アメリカ最強!
日本はアメリカにつき従ってきて本当によかった。
337 :
考える名無しさん:03/12/14 20:30
アメリカまんせー
338 :
考える名無しさん:03/12/14 20:32
小泉まんせー
339 :
考える名無しさん:03/12/14 20:33
わははははははははははははっはははははっははははっははははっはっは
痛みに耐えてよくガンガッた。感動した。
341 :
考える名無しさん:03/12/14 20:43
しかし西洋ではこれだけ,あ〜でもない,こ〜でもないと哲学が語られて
来たのに対し,老子が真理であるなんて,だいぶお気楽ですよね☆
342 :
考える名無しさん:03/12/14 21:04
フセインに「老子」渡して役立てろと言いたいね。
クソの役にも役立たんが。
>>341貴様は哲学の何を知ってるんだ?長く語れば正確なモンがでるっていうか?
344 :
考える名無しさん:03/12/14 21:51
345 :
考える名無しさん:03/12/14 22:02
346 :
考える名無しさん:03/12/14 22:11
フセインに「老子」を丸暗記させるべきです。
347 :
考える名無しさん:03/12/14 22:14
わたしの推測なんだが、老子はレムリア人の末裔です。
348 :
考える名無しさん:03/12/14 22:15
ここを読んでいると老子の思想とは新興宗教みたいですね。
349 :
考える名無しさん:03/12/14 22:16
>>346 フセインに無為自然を悟らせてなんになる。
プーさんになれとでも?
何にもしてないをしているんだよ。
350 :
考える名無しさん:03/12/14 22:29
>>348 今こそ、あなたの英知でこのスレのステージを上げてください!
351 :
考える名無しさん:03/12/14 22:45
353 :
考える名無しさん:03/12/15 02:20
>>352 簡単ですよ、書いてる内容と、文体が一致してるか見ればいい。
その人に、服が似合ってるか。
内容の誤解は少ないだろう、漢字だから。
問題は、日本語の駆使する力ですわ。
つまり老子と書いてて文体が妥当なら中身は何でもいい、と。
じゃあ例えば河上公注に従った訳と王弼注に従った訳
どっちが正しいのか教えてくれないか?漢字だし簡単なことだろ?
>354
は?何言ってんの?
王弼注と河上公注だけで判断できるわけないじゃん。
注に関しては最低限、道蔵、老子翼、老子衍、老子評議程度は参照してもらわんと。
んで、
>内容の誤解は少ないだろう、漢字だから。
なんて言ってるくらいだから文字の校釈もしてくれるみたいだし、
敦煌写本も当然言及してくれるだろう
>>355 ハァ?君は誰にレスつけてんだ?
んなこた君に言われなくてもわかっとるよ。
俺が書いたのは皮肉として、例えばの話のつもりだ。
>>353は現代語訳からどの読み方に従えばいいか判断できるそうだ。
ならとりあえずその方法で、代表格であり比較されることも多いこの二つの注の
どちらが正しいのかを判断してくれ、と聞いたまでだ。
できるわきゃないが
>>353ができると言ってるんだから具体例を見せてくれ、と。
俺が端的に書きすぎたせいかもしれんが
君も脊髄反射でレスつけないでくれ。
>356
いやそうじゃなくて。
>353に追い討ちかけて>354を補填するつもりだったんだが
359 :
考える名無しさん:03/12/15 13:16
老子好きはパパラギも嫁
360 :
考える名無しさん:03/12/15 18:10
この間、人生において怒りを捨てると言ったものだが、どうやら完全に捨て去ることができたようだ。
さっぱりしてますね。マジで。
君たち、老子の前でその程度の批判は無意味だぞ。
361 :
考える名無しさん:03/12/15 18:16
養老>>>>老子
だと思う。
362 :
考える名無しさん:03/12/15 18:20
息子が怒張して困るんですがどうしたらいいですか?
>>356 貴方,老子から何を学んだんですか?
優越感か何かですか?
自分が読んだこともない本について偉そうに騙るからには
相手を納得させるだけの嘘をつき通せよ。
たとえば、原文を見なくても訳本の良し悪しがわかる、とか。(藁
>>363 少なくとも原型老子の著者(たち)と歴代の注釋家たち、及び現代の翻訳者たちの
思索と努力を踏みにじり侮辱する
>>353のような考え方ではないな。
すまんな。専門家が仰山おるとは思わなかった。一人と思って読んでたから
疑心暗鬼でわけわからなくなってしまった。(何人なのかまだよく分からん
が)最低二人は専門家がいることが分かって良かったよ。。素人の方もわた
しを含めて最低二人はおるのでわたしの言った事で気に障ることがあったの
なら勘弁してくれ。その他に1=道教信者もいる。わたしは中国の新聞記事を
紹介した方の素人Aの方で、「なんだ、荒らしか。 」と言ったひどい奴だ。
ちょっと言葉がすぎました。
――と、言った口でそのまま言うのもなんだが、その上で言いたい事がある。
わたしにも
>>353の気持ちは分かる。ちょっと舌足らずのような気はするが、
彼(素人B)の読みたいのは現代語訳の方であって、原文ではない。たぶん。
それをなんで「正しくない」「理解できたと思うな」と決め付けるかな。
彼が言いたいのは、「自分の心に素直に入ってくるような訳を選びたい」と
いうだけのことで、訳者の思想信条を含めた文体にこだわるのは当然だ。
自分が読めない原文を訳してくれた人に敬意こそあれ、侮辱してるわけでも
なんでもないと思うぞ。
Bは文学的なアプローチ、君らは史学的アプローチというだけではないか。
もともとアプローチする方法も読む目的も違うものを同一次元で語ろうとす
ることに無理がある。
そんな事を言い出したら、宗教的なアプローチ、哲学的アプローチ、思想的、
言語学的、政治的、人類学的、などなど山ほど方法はあるだろう。
そんなに優劣を付けたいか?
なんだか喧嘩を売ってるようにしか見えない。
共有の財産なんだから、仲良くしてやってもらえんかな。わたしも含めて。
>367
まぁ何と言うか…。
現代語訳を選んだ時点で既に『老子』ではなく、
『老子訳者注』を読んでることになるんよ。
つまり大きなグループの『老子』がまずあって、
その中の『老子・大陸の誰それの注』があって、
さらに『老子・大陸の誰それの注・をさらに取捨選択した訳者の注』を読んで
『老子』をわかったようなつもりで書かれたら困るってこと。
どんな学問でもそうだろうけど、
資料が少なければ説を展開することはできない。
少ない資料で展開するとすれば、それは科学的じゃなくてオカルトに近い。
んで、『老子』っつーカテゴリに於いては、
日本語訳本の2,3冊を資料として語るのは無理。オカルトまっしぐら
だもんで、できるだけ
「自分達が読んだのはあくまで『老子』の一部分なんだ」
ってことを自覚してくれてれば何も文句は付けんよ。
んで、漏れも含めて古文・漢文板からの出張組に言いたいんだが、
あんまり細かいこと言及しても面白くなかろう。
ここで書き込みしてる香具師らは専門じゃないんだから
知識の不足があって然るべきだ。
それを専門家面した漏れ達が細かい指摘したら
穏やかに進むもんも進まんよ。
ただでさえ中国思想はやってる人間が少ないんだから
どんな手段であれ興味を持ってくれる香具師がいることを喜びましょうや
どうやら嵐がおさまったようですね。
ところで列子ってどうですか?
老子や荘子と共に道教の教典になってるみたいですけど、
このスレには荘子は出てきても列子は出てきてないのであまり人気ないのかなぁ。
>「自分達が読んだのはあくまで『老子』の一部分なんだ」
>ってことを自覚してくれてれば何も文句は付けんよ。
この一文に尽きるね。「知不知上、不知知病」は老子の言葉だろ。
>>371 列子は人気あるかないかとなるとイマイチじゃない?…多分。
寓話も荘子と較べるとどうしてもインパクトに欠けるのかな?
杞憂や朝三暮四など成語になってる話も結構あるんだけどね。
ああ、でも余計な付け加え。
アプローチの仕方や素人玄人などといった次元の話ではなく
(ニーチェと比較しようが他人の勝手だし俺も単なるド素人に過ぎない)
もっと根本的で基本的な部分が欠けていた、とだけ付け加えておく。
何でもかんでも多様性の坩堝に突っ込めば済むもんでも無いと思うよ。
本買ってりゃ印税払ってんだし別に著者に感謝する必要などないと思うが
その逆もまた然り。
>>373 やかましい!すっこんどれ。
2chの、しかも哲学板の老子スレで礼儀道徳説いてるおまいは、いったい何なんだ、と言っとくな〜
>日本語訳本の2,3冊を資料として語るのは無理。オカルトまっしぐら
ちょっと大学の研究室から出て、そのへんの本屋でものぞいて見ろよ。
現代日本で普通に売ってる『老子』本なんてのは、そのほとんど全部が
「オカルトまっしぐら」なんだよ。
専門家の水準の研究なんて需要あると思う?
大部分の日本人は「オカルトまっしぐら」な老子を求めてるの。
「老子こそ真理ですよ」なんてスレタイつけた
>>1とかを含めてね。
ここは何板だ?w
う〜ん、百歩譲って加島 祥造とか丸山 瑛示は良いとしても…。
守屋はまずいだろ。
しかも「上善は水の”如”し」て_| ̄|○
研究者とは思えん
>>372 列子はいまいち人気ないんですね。
おもしろそうなので読んでみようと思ったのですが、
やはり先に荘子をきちんと読み直してからにします。
ところで、朝三暮四って荘子じゃなかったかな?
>>379 その通りで、どっちにも載ってます。
ただ、今の一般的な使われ方は列子のほうの意味のようです。
でもここで挙げるにはしっくりこなかったですね。失礼しました。
>>375 「オカルトまっしぐらな老子」とはどのような解釈を意味するんだ。
一冊でも書いてある本とページを指摘しなければ、無根拠といわれてしょうがないぞ。
>>375そもそも、お前は老子が語れるからそういうのか?老子の何を知っていてそういうのかハッキリしなさい。
ぃょぅ なんなんだ?
>>380 >ただ、今の一般的な使われ方は列子のほうの意味のようです。
>でもここで挙げるにはしっくりこなかったですね。失礼しました。
そうなんですか。無知なもので…こちらこそ失礼しました。
あー、漏れが言った”オカルト”ってのは
文字通りのオカルトじゃなしに、取り組み方の例えでして。
十分な資料とデータを揃えて、客観的・多面的に考証するのがまともな姿勢だが、
その真逆の取り組み方ね
>「オカルトまっしぐらな老子」とはどのような解釈を意味するんだ。
>老子の何を知っていてそういうのかハッキリしなさい。
こんな議論が起こるから註釈まで読まなきゃ始まらない、と
>>370氏が懇切丁寧に書いたのにねぇ・・・アワレ
からむつもりはないから許してね
>369=>385氏のはなし関連だが、伝承された「老子」と、発掘される「老子」が結構違うわけで、
細かいこと言うと「何本」のはなしですかということになる。しかも錯簡の修正問題があるから
誰が復元したかも問題だ。細かいことをつつくと、きりがないので、訳本OK、××本原本OKと
広く認めてあげないと、このスレ自体がキツイ。
少々生齧りの人がいても、みんなでリードしてあげられなくてどうする、といいたい。
う〜む、>372は逝ってしまわれたか。たびたびすまんな。
そこは「だんな、盗跖さんのつもりですね」と切り返しといてくれると、
盛りあがったんだがな・・・へへ、荘子を理解してないだろう?
>>372で止めて
>>373を書かなきゃいい人のままでいられたのになあ、惜し
いなあ。朝は時間がなくて失礼したが、372も自分で気づいてるように、
余計だった・・・373に書いてある事には中身がないぞ。わたしの書いた
事を誤解というより曲解している。
特に突っ込みたかったのは「次元」「他人の勝手」「根本的で基本的な部
分」「多様性の坩堝」の使い方。「多様性」は議論の出発点であっても、
「他人の勝手」を結論とする終着点ではない、と思う。それに君の「根本
的で基本的」なものは「常識」だけなのか。わたしは>367で言いたかった
のは「わかってやってくれ〜」の一言に尽きる。元々そんなに難しいこと
を言ってるつもりはない。
いろんなアプローチについて述べたのは、そもそも「物事を一面から語っ
ても語れない、多面から語っても最後に決定するのは本人の観点」という
ことを教えてくれたのが、歴史学の人だからだ。それは哲学用語ではない。
自由に好きなことを語ってくれ。別に鉄板で哲学以外のことを語ろうが、
老子スレで荘子を語ろうがほとんど関係ない事を語ろうが、制限したかっ
たわけじゃない。
>>374は時間がなかったのと、そういう言い方をするのが
一番よさげだったから。悪気はない(つもり)。以上言い訳おわり。
またどうぞ懲りずにお越しやす。
(名無しにもどる)
>>379 これですね。読んだことない(きっぱり)。本、なにか出てるんでしょうか。
列子(れつし)
八巻。周の列禦寇撰といわれる道家思想書だが、この列禦寇は実在未詳の
人物で、「列子」は晋の時代の偽作ともいわれ、現存のものには仏教説話
が混入している。思想的には老子の影響がみられる。戦国諸子の楊朱の思
想の資料でもある。名文で知られており、老人がコツコツと一家総出で邪
魔な山を掘り崩す
「愚公山を移す」の故事は毛澤東の老三篇にも取り上げられて非常に有名
である。
http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/sisou-dou.html
>本、なにか出てるんでしょうか。
小林先生の卒論でも読んでろ。
失礼、いっぱい出てましたね。
01 ●列子 上 (1) 岩波文庫 青 209-1 小林 勝人 (翻訳)
出版社: 岩波書店 ; ISBN: 4003320913 ; 1 巻 (1987/01) 価格: ¥700
現在、在庫切れです。
02 ●列子 (下) 岩波文庫 小林 勝人
出版社: 岩波書店 ; ISBN: 4003320921 ; 下 巻 (1987/05) 価格: ¥760
現在、在庫切れです。
03 ●マンガ 史記・列子の思想 講談社プラスアルファ文庫
蔡 志忠 (著), 和田 武司 (翻訳), 野末 陳平
出版社: 講談社 ; ISBN: 4062562014 ; (1997/07) 価格: ¥700
04 ●列子〈1〉 東洋文庫 福永 光司
出版社: 平凡社 ; ISBN: 4582805337 ; 1 巻 (1991/05) 価格: ¥2,500
05 ●列子〈2〉 東洋文庫 福永 光司
出版社: 平凡社 ; ISBN: 4582805345 ; 2 巻 (1991/06) 価格: ¥2,800
06 ●列子 新釈漢文大系
小林 信明 (著)
出版社: 明治書院 ; ISBN: 4625570220 ; 20版;〔特選版〕 版 22 巻 (1967/05) 価格: ¥6,000
07 ●列子 中国古典新書 穴沢 辰雄 (著)
出版社: 明徳出版社 ; ISBN: 4896192281 ; (1969/08) 価格: ¥2,330
392 :
考える名無しさん:03/12/16 19:51
莫逆。
荘子からの出典らしいが
こんな管理社会の世の中だからよ。
ネットでもリアルでも。
みな、莫逆の友を探してる。
それが道ってやつかもな。
393 :
考える名無しさん:03/12/16 21:20
「老子」は読む人の精神的深さに、大きく依存する。
ってことで一件落着!
394 :
考える名無しさん:03/12/16 21:28
まぁ、老子読め。西洋哲学のようなムダな真理もどきは一切ないし、
どれもあらゆる時代に有益なモノとなっている。
まず老子を学べば西洋哲学の曖昧な思想を超越出来ますよ。
395 :
考える名無しさん:03/12/16 21:40
老子は「知る者は語らず、語るものは知らず」といってます。
396 :
考える名無しさん:03/12/16 21:42
といいながら、語ってるじゃん
397 :
考える名無しさん:03/12/16 21:44
>>396 けっして、『老子」はヒッキーを正当化するようなひ弱なものではなく。
パワフル、かつエレガントなものですよ。
>>394 老子のような人が、よくいたもんだ。
「老子」を味わって読むと、実にスパイシーだ、行動は変わらないが、
存在自体が、変容する。こうしていま食べてるみかんも、芳醇になり
、たばこの煙も自身を持ち出した。
>399
気のせいだよ
>401
勝手な読み方しないように。
気と書いてタオと読むのであれば、
その読み方の典拠を示せ
>>388 俺は孔子になぞらえられるほど君子でも無ければ
あんたは盗跖を騙れるほど筋道の通った人間でもない
とだけ返しておくよ。
じゃな。
>>403 典拠、てんきょ、テンキョ、と実証されねばならないのでしょうか。
気はタオの超論理的表象にすぎないが、気はタオの一局面です。
したがって、読み手が超論理的判断を有する時には、「タオ」
と読むことが、蓋然的に許されるのだ。わかりーる?
暇だからいじるか。
>405
そもそも喪前様の言う”タオ”とは何だ?又、”気”とは何だ?
407 :
考える名無しさん。:03/12/17 02:20
サルトルに言わせれば老子は、無為自然たり得ない。
408 :
考える名無しさん:03/12/17 02:22
無為自慰
409 :
考える名無しさん:03/12/17 02:32
無為目然
>>404 Not Found
そうか?盗跖さんほど強弁したつもりはないんだけどな。
こちらも、じゃな。
よいお年を
411 :
双子の西兄弟:03/12/17 07:49
所詮、東洋哲学なんて披露宴のスピーチで語られるような
独善的な処世術のレベルで、およそ思想とは言い難いから
現役の東大生だけかかってこいや!
>411
4年前、当時現役の東大院生が日中学会の宋元セクションで
どんなひどい発表したかご存知で?
413 :
双子の西兄弟:03/12/17 14:15
よろしい。伺いましょう。
>413
伺いましょうって…知らないの?
偉そうなこと言ってるんだからそれぐらい知ってるかと思ったけど
415 :
双子の西兄弟:03/12/17 15:57
存じません。俗世のことなど何も。
俗塵にまみれた下界の瑣末な出来事など、まるで
眼中にないからです。
伺いましょう。
俗塵にまみれた下界の瑣末な出来事だから知る必要ないね
次の封神名簿の先頭に415の名前が載ってたよ。
418 :
考える名無しさん:03/12/17 21:09
まだやってんのか?もまえら
419 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/17 21:13
>>406 語りえぬものの前では、われわれは沈黙するしかない。
OK?
気=tao説は、「あっちの世界」の話でしょう。
信仰・オカルト・超自然なんて単語が似合うあの世界のことですよ。
土俵違いで取り組んでも、勝負なし。
まあ、原書だ典拠だという「虫めがね」たちは、おおかた己の知識に値打ちを
持たさんがための、張ったりであろう。でも勉強してきたことは、ご苦労さんと言
いましょう。しかしわれわれ老子の徒たる者は、人の勉強の成果のおいしいところだけ
をいただくという技ぐらいは心得ておくべきだ。
『老子』金谷治訳・講談社学術文庫
これ一冊で十分だ。これはマイ・バイボーなのだ!
「虫めがね」たちよ「味わい力」をつけましょう!
OK?
いっとくが、「双子の西兄弟」はオレじゃないよ!
このスレも100くらいまではマターリとして、いい感じだったんだがなぁ・・・
もうだめ。わたしも責任を感じる。すまん。年明けまでは2chしないから・・・
>>420 土俵違いで取り組んでも、あっけなく勝ってしまうのが「道」(タオ)だ。
OK?
>>421 ( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
>423
その勝とうという作為自体が負けを招来のだ。
勝つものに勝とうという野心はない。
水の如し。
と勝とうと思ったら脱字で負けた(笑 →招来のだ 招来するのだ
>>425 そう、そのとうり!君はセンスあるね〜
「老子3世」にならないかい・・・
>427
勝とうと思っただろう? →×とうり ○とおり
>>429 まさか・・・思ってないって!
勝っちゃうんだからしかたない。
勝つことなんて、どうだっていいのよね。
だって、だって、だってなんだも〜〜〜ん!
OK?
老子道徳教では、鼻息の荒いことをしてはいかん。
「だって、だって、だってなんだも〜〜〜ん!」なんて言ってはいかん。
利口そうな顔つきも駄目。
まるで阿呆の様にしているべきなのだ。
432 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/17 22:14
ワシはラオズの弟子ではないから、やらん。アホになりきれん。
434 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/17 22:24
>>433 大丈夫、黙ってるから、だれも見てない・・・
さあ勇気出して !
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| え〜い! 控えい、控えい! | ご老公の花弁である!
| この痔ろうが目に入らぬか! │ 痔が痛い!控えおろ〜!
\__ ________ \_ __________
∨ ∨
∧ ∧ __ イヤーン ∧ ∧
( ゚Д゚ )つ / _.、ゝ ⊂ ( ゚Д゚ )
(. / (´m` / ⌒!⌒i \ .)
〜│ .) .) ¢ ∨ つ 、:Φ:ノ ( .( .|〜
. ∪∪ │ (_)ω_) ∪∪
436 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/17 22:31
>>435 よくがんばった!
これからも、しっかりやってくれたまえV
437 :
考える名無しさん:03/12/17 22:33
438 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/17 22:43
老子、ろがつく、ろーりゅーかーりゅー♪ろりきんのーろりゅぶくろーに♪ろりかーけてろったかろったか♪
もう、寝マツ
>420
心配いらんよ。
うちの師匠はまともな学問もやってるけど「あっちの世界」もやってて
演習とか研究会で散々「あっちの世界」も聞かされてる。
身元がバレそうでちと怖いが
440 :
考える名無しさん。:03/12/18 00:15
老子が『老子』出来てないんじゃ話しにならん。
441 :
考える名無しさん:03/12/18 00:42
ヘベ・エリュエーケ
442 :
朱熹『詩集伝』をめぐる環境について:03/12/18 09:29
宋元研究をめぐる環境は、概して九〇年代以降、一大変容を被りつつある。戦前来の京都学派を中心に展開した
研究枠組、すなわち十世紀中葉をして中国史上の一大分水嶺と認識し、この分水嶺を中心にして中国史上全体の
見方に方向性を与える議論は、いわゆる時代区分 論が研究者の関心の対象から遠ざかっていった七〇年代後半〜
八〇年代以降にも、なお強力に作用し続けてきた。しかしこのような教科書 的枠組は、現在確実に崩れつつあり、
多くの研究者は賛否その他いずれにせよ、この枠組みをより詳細に反問検討しつつある。
この流れに沿った形で中国文学について考え、その切り口として朱熹『詩集伝』を取り上げたい。従来の研究を一
瞥すれば明白だが、この書物は位置づけに関してほとんど何も論じられていない。つまり哲学研究においては経書
注釈作業の一環という程度の扱いであり、文学研究者に至っては「朱熹はそれまで経書でしかなかった『詩経』の
文学的価値を発見したのである」などと平然と書いてしまう。如上の通説的見解 は、しかし一見しただけでも問題を
孕んでいるのであって、たとえば後者についていえば、常識的には載道説を統一見解として文学性をこそ軽んじる
はずの道学者が「文学を発見した」とただ称するだけでは足るわけもなく、それは明らかに説明を要するはずである。
またこの点、つまり文学性をめぐる議論において、以上の哲学・文学の両見解自体が見方によっては相反する通説
を平然と保持して、他方と没交渉のままにあることにも注目してよかろう。
すなわち『詩集伝』は、いうなれば中国哲学(詩〈経〉)−中国文学(〈詩〉経)という学術分野分類の境界に位置して
いて、その双方から敬遠 されているのである。このような『詩集伝』を題材として、それ自体の議論に加え、それ以上
に何が見えてくるかを考えたい。
>>442 このスレの発展型を示したい訳ですか?
地に足着かない、口先だけで偉そうに議論してるとこういうDQNが出てきて迷惑、と・・・?
>442 ちゃんと書いたほうがいいですよ
>「朱熹はそれまで経書でしかなかった『詩経』の文学的価値を発見したのである」などと平然と書いてしまう。
文学的価値より、朱熹の持っているベットリとした倫理観を、毛詩の新解釈を通じて披露したに過ぎない。
オウム真理教が、自己に都合の良い勝手な考えを、仏教用語やサンスクリット語で述べたのと、大して変わらん。
だがその際、伝統的解釈を180度変えてしまうこともあり、「文学的価値の発見」めいた天も確かにある。
スレ違いを戻そう。
「老子」だけが大事。
毛詩解釈変遷史はこのスレに不要、かつしばしば有害。儒家思想史でやれ。
>446
なるほど、理解しました。三流学者の良くやる手口が見られるので、納得です。
・・・誰からも無視されている対象をことさらに扱い、先駆者の名誉を得ようとしている
(既知の題材について他の学者より鋭く掘り下げる能力がないだけ)
・・・珍しい題材を、ミクロの視点で引っかき回し、論文の枚数を稼ぐ
(マクロな視点で、普遍的な大テーマ研究の一環として取り上げる能力がない)
>447
当時の発表見た?
もし見てたらそんなこと言えないぞ。
もっとこきおろしたくなる
>448
「当時の発表」なんて万人が知っているのが当たり前みたいに言われても、
人類のほとんど誰も知らない狭い世界の話でしょう。みんなにわかる話にしてね。
つーか>444は一介の院生の発表に何を期待してるんだ?
>448も
---------- cut line ----------
以下、老子話をドゾー
所詮、東洋哲学なんて披露宴のスピーチで語られるような
独善的な処世術のレベルで、およそ思想とは言い難いから
現 役 の 東 大 生 だ け か か っ て こ い や !
思想と哲学の区別が付かない>411がいるスレはここですか?
>450 まったく何も期待していない。>442のコピペ犯人に良識を大変期待している。
>>455 ん?40章、42章について語れってことか?
それとも知ちゃんねるの気についての思索について語れってことか?
>気とは何?個体とは?と思うと思いますがこの二つは次のように分けます。
> 【気】 【個体】
>【A】しいていえば無である。 【a】しいていえば有である。
朱子学的にこの時点でもう無理があると思うんだが・・・
>458
む?なして朱子を持ってくるんだ?
と、言いつつ漏れも乗っかるが、理気学的には
天地之間,有理有気。
理也者,形而上之道也,生物之本也。
気也者,形而下之器也,生物之具也。
(朱文公集 巻五十八)
気のどこが無なのかと
まいど〜 ^^
老子曰く「わたしは赤子のように、うつろに、たゆたう。母なる大地の乳房に気をほうばる」
*本日の教訓* 「たばこは吸うな、その代わり、おんなの乳すえ!」
>>461 それは老子から、啓示を受けているからだよ〜ん
「老子」を味わうにはいかにすればよいか?
わたしはこの正月に、「書初め」で老子の言葉をしたためようと考えておる。
老子に深くはまるには、おすすめの修行法であろう。
老荘は、ほんとに凄いね。
これぞまさに哲学。
>>463 石ノ森章太郎は読んでないが・・・・
彼は老子の漫画描いてるの?
>465
とりあえず六章を解釈してみろや
467 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/19 00:15
>>464 もう老子は哲学超えてるね。
あえて言うなら「哲道学」だ!
OK?
>>466 そもそも老子の徒は、「解釈」しない。
「谷神は死せず」
この言葉で、人知れず涙する・・・それで十分ではないか?
解釈しながら言われてもなぁw
>>468 と言うのであれば、
そもそもからして、こういった場で
「自分は老子の徒である」と自称することも
老子の説く道に反するわけだが如何?
>>470 老子は弟子はとらんと言ったの?
そんな冷たいこと言うわけないでしょう〜☆
>>471 いまこうしてわたしが、21世紀の異国の島国日本で「2世」を
名乗って、半公共の電波で、愛顧している姿を、もし、もしですよ
老子本人が知ったなら、彼はどれほど喜ぶか・・・・嬉し涙で
日が暮れると、推測します。
多言数窮を実践しているわけですな
>>473 わたしは、はたして語っているでしょうか。
少なくとも、通常の意味で。
さあ・・さあ・・どう?
また”言”だな
>>475 ちがうよ〜ん
「詩」(うた)です。
わたしは、歌ってるのです!
OK?
もう寝マツ、おやすみなさい〜
詩うというよりサエズッテます。
どっちにしろ”言”です
まあ、「OK?」なんて他人の目を気にして同意を求める
作為に満ち満ちた発言は、老子先生が弟子にしてくれないかも
勤勉な感じもしないから、孔子先生もダメかも
→2世君、あきらめて墨子先生のところに行きなさい!体を鍛えるんだよ。
480 :
考える名無しさん:03/12/19 03:17
柔弱處上
481 :
考える名無しさん:03/12/19 03:19
少私寡欲
墨子先生はちょうど尚賢を勧めてるとこなので迷惑です
柔弱謙下
上善若水
和光同塵
老荘は、自然のまま、ありのまま、気取らず、
媚びず、生きろと言った。宇宙に流れに即して
生きろと。まさに、西洋批判そのものだもんね。
487 :
考える名無しさん:03/12/19 18:36
あなたは箸にも棒にかからず一生を終えるのね
ダメ連はダメを自覚してる分かなりマシ
489 :
考える名無しさん:03/12/19 19:01
>自然のまま、ありのまま、気取らず、媚びず
それをスローガンにした時点で既にインチキオジサンだろ
>486を書いた時点で既に老子の道に外れてるわけだが
>>479 ま〜い〜ど!
>→2世君、あきらめて墨子先生のところに行きなさい!体を鍛えるんだよ
墨子はどんなこと言ってるのかな、教えてください。
>492
上手いことを言う。
さながら韓非子先生は公安警察か
毎週火曜日夜7時半からテレビ東京「ミルモでポン!ごおるでん」!見てほしいのら〜
>>492 ありがとう。
なるほど、こういう人もいたんですね。
博愛主義
専守防衛
技術集団
う〜〜〜ん。好きなポジションですね。
もの作りは好きですから。
哲学と技術があれば鬼に金棒ですな。
>>492 ここで突っ込んでも仕方ないが、かなり牽強付会な解説してるなぁ。
渡辺卓もそんなことは言ってないだろ?て思ったとこがポロポロと。
497 :
考える名無しさん:03/12/20 00:10
>>496 ああこれは、わたしがアレンジしたから、492のいってるのは違うから。
>493
韓非子先生の知り合いに聞いてきました。
先生は、政治評論家と外交官を両方やってるんだそうです。
でも韓のお公家さんだから、政治評論やっても
自国の利益を優先するに違いないって疑われて困るそうです。
・・・・やっぱりホントは公安警察なのかな?
>498
公安警察っしょ。
んで、官房長官に政治的野心を疑われて暗殺されるのな
>>497 よくわからんが、こちらは492のリンク先についての話のつもりだったんだが・・・
ああ、因みに>2世
墨家に入ると働きすぎで頭は禿げて踵も擦り切れるから。
あと、天の意志には絶対服従。
道はそこら中にあるわけで、道にはずれるということはありえない。
>>501 その通りだ。
しかし、現代では、タオよりカオスが邪魔して、ややこしくなってるね。
次善の世界はこんなもんだ。
503 :
老子2世 :03/12/20 00:32
その意味ではうんこを食べる事も全く人の道を外れた行動ではない。
ドクターコパの風水論並に胡散臭い
506 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/20 00:52
>>503,504
これこれ、わたしの名を語るんじゃないよ。
507 :
老子2世 ◇HadB1ps9g2 :03/12/20 00:54
くそ。俺のパソコンでは貴様になれなくなった…
508 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/20 01:03
509 :
老子2世 ◇HadB1ps9g2:03/12/20 01:04
もふぃーもふぃー
510 :
老子2世 ◇HadB1ps9g2:03/12/20 01:07
ここはどこ?私は誰?
>503
うんこを食べてはいかん。
>>510 ありきたりな、あまりにありきたりな、煽りではないか・・・・
514 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/20 01:34
>>510 わたしは、もうこのスレを去るぞ〜
いいかげんににないか!
わたしが去ったら、みな悲しむぞ〜
それは、とりもなおさず、おまはんのせいですぞ〜
好物はカルビ丼ですか?
おやすみ
本物の「老子2世」君は誰だろう?
518 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/20 02:00
519 :
考える名無しさん:03/12/20 02:06
性病老死
520 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/20 02:06
ああ、もうねマツ
やっぱり墨子先生に紹介状を書くのはやめておこう。
遠くから老子先生を慕っているのが一番だ。
522 :
老子 ◆RoushiVleQ :03/12/20 22:49
523 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/20 23:27
こんばんわ〜
最近は人がすくないですね。
524 :
考える名無しさん:03/12/20 23:33
ああ、不況にリストラ、年金不安、いいことないな。
孔子先生はまだ「立身出世がんばろう!」なんておしえてるのかなぁ〜?
やっぱり老子先生の出番かな。
525 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/12/20 23:42
老子も2世になると、ずいぶんとかまってチャンじゃのう。
孔子も20代後にはクズ子孫出たしな
527 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/21 00:46
>>524 >孔子先生はまだ「立身出世がんばろう!」なんておしえてるのかなぁ〜?
老子は「立身出世させないでください」って言ってるのに、出世しちゃうから。
もう止めてくれ、わたしより有能な人はいくらでもいるでしょって!
>>525 かまうことすらできない、君のショボさに乾杯!
胡蝶の夢でも見ながら寝ますか・・・・・zzz
>>528 胡蝶の夢なら起きて蝶に戻るんだろ。
夢の中で「胡蝶の夢」を見る?
>>407 おそレスすまそ。
サルトルによる老子への言及、寡聞にして初耳、
やや興味あり、詳細きぼん。
531 :
考える名無しさん。:03/12/21 20:11
>>530 たとえ、老子であろうとも
サルトルの言うように「実存は本質に先立つ」のだから、
無為自然はありえないということ。
>>531 サルトルに言わせれば、君自身による自己欺瞞だな、それは。
しまった、つい口を出してしまった。。。さらば
老子道徳教は、形而上学ではなく形而上学風味処世論であり、
サルトルカードを老子改札機に入れてもエラーしか出ない。
535 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/21 22:01
>>534 形而上学風味します?
固有名詞がいっさい出てないという意味では、他の現実的中華思想に
比べて、「論」ではありますが。
処世論にしても、まず現実には・・・・
結局、「詩的思想」と見るのが妥当かと思いマツ。
それにしても、この時代にこれだけ断固とした、文章たりえたことに、驚く。
老子道徳「教」って
ど ん な 教 え ?
>536
書物の名前。いわゆる「老子」。
538 :
考える名無しさん。:03/12/21 22:25
老死
>537
おいおい
>>537 ネタだよな?ネタだと言ってくれ((;゚Д゚)ガクガクブルブル
541 :
確かにしょっぽい。:03/12/21 22:54
>>536。老子は上下二巻に分かれていて、上巻は「道はの道とすべきは〜(?)」と始まり、
下巻は「徳は〜」で始まるので頭をとって「道徳教」。
一口でいえば「無」は存在する、という主張です。
けっこう、面白い。
>541
喪前様もか…。
たぶん、>536はそんなこと百も承知だぞ。
何のためにカギ括弧ついてのか考えてくれ。
てか、ネタだと言ってくれ。・゚・(ノД`)・゚・。
543 :
えさじゃ、えさじゃ。:03/12/21 23:03
う〜む。最近気づいたので名。
「<無>が存在する」。
変換ミスの皮肉はカコワルイ
気をつける。
内容についてネタもってきてくれ
547 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/12/22 00:28
『老子に学ぶ出世術』と『老子に学ぶ恋愛術』とか書けそうだ。
成功は失敗のぎりぎりのところにあり、
失敗は成功のぎりぎりのところにある。
だから、失敗したくなければ
成功を望まないことだ、とか。
いや、そんなこと道徳「教」に書いてあるかどうか
知らないけど。
>547
守屋のヴォケあたりが書きそうだ
549 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/12/22 01:14
われ、その名を知らず。
ひと、字して恋という…
25章か。
「強いて」を付けて欲しかったな…。
「強いて」の有無でニュアンス変わってくるし
551 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/12/22 03:03
ねえ、君。僕の気持ちがわかるかい?
僕にはわからないんだ。強いていうなら、恋、かな…。
僕はいま、君に嫌われてしまう
ぎりぎりのところにいるのかもしれない。
でも、敢えてきくよ。
谷神は濡れているかい?
谷神はどうかしらんが、
谷は常にびしょ濡れだぞ
553 :
考える名無しさん:03/12/22 17:11
愛と調和
554 :
考える名無しさん:03/12/22 17:15
老子などという人物は実在しない。
>>554 はいはい、ここは書物としての老子を語るスレですよ。
老子が実在したかどうかなんてどうでもいいんです。
んで、どうせならそういうことは小川環樹にでも言ってくださいね
556 :
考える名無しさん:03/12/23 04:24
なんだか、苦労してますな。
道徳経がわからなかったヴォケでつ。
美言は信ならず、信言は美ならず、ってありましたよね。
あれ、なんか、きっぱりと美しい章だと思いませんか。
信じていいんでしょうか?
557 :
老子2世#:03/12/23 13:50
>>556 >美言は信ならず、信言は美ならず、ってありましたよね。
>あれ、なんか、きっぱりと美しい章だと思いませんか。
>信じていいんでしょうか?
現在でも十分あてはまりますね〜
美言は社交辞令か、口のうまい悪巧みかどちらかで、信に値しない。
社交辞令は必要だけどね。
口の上手いやつより、不器用なタイプが好きですね、どちらかというと。
「信言は美ならず」
はっきり言ってくれてますねー
558 :
考えない葦:03/12/23 15:43
老子もいいけど荘子のほうがもっといいですね。老子はあまりに女性の性器
にこだわり過ぎですよ。そりゃ、男にとって神秘的だけどすべてをそこに還
元されてはどーかな。
そういえば「大器晩成」ということばも誤解されているようですね。大器は
未完成といのが正しいようですが。
そりゃ老子がこだわってるんじゃなくて
>558が女性器に解釈しようとこだわってるだけだろ
そりゃ老子がこだわってるんじゃなくて
>558が未完成に解釈しyp
561 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/23 17:48
「美言」は主に下記の3つに属する。
1、お世辞
2、詐欺師の巧言
3、理想主義者のたわごと
3は2に変化しやすい。
ちなみに、2ちゃんには観念的3が多い。
美言
563 :
考える名無しさん:03/12/23 21:16
こういうコトいうと間違いなく叩かれるとは思うんだが、漏れは老子の思想を(感覚的にだが)それなりに理解してるつもりなんよ。
つーのも高1の頃今思えば軽い鬱(当時はそんな言葉知らなかったが)みたいな感じだったんだよ、たぶん。
寝てるのもだりぃし呼吸すんのもだりぃしな。心にぽっかりワケわかんねぇ空虚さがあって消えねぇワケよ。
まぁ学校は半分意識無いような状態で一応通ってたワケだが。生活はグダグダだった罠。
で、なんでかわからんが思想にハマって図書室にあった老子を読んでた。 したらなんか書いてある抽象的な言葉が何となく意味を理解できるわけよ。(「つもり」かもしれんが。)
564 :
考える名無しさん:03/12/23 21:19
(すまん、ミスりました)
で、何が言いたいかっつーと
巷で哲学者だと語ってるやつの解釈は微妙ダナーって思ったり、
老子って(理に適ってるコトも含んではいるが)
鬱っぽい要素も含んでたり、
あと荘子とは全然違うんじゃないか
(実際同じ時期に荘子を読んでもあまり「理解」はできなかった)
とか思ったりするんだが。
すまん自分でも何言ってんのかわかんなくなってきた。
とりあえずクソレスすまそ。
>563,564
何となーく、ぼやーっとわかりゃあ良いんだよ
566 :
Public enemy No.1:03/12/23 21:51
そうだな。
567 :
考える名無しさん:03/12/23 22:21
第八十一章
信言不美,美言不信。善者不辯,辯者不善。知者不博,博者不知。
聖人不積,既以為人己愈有,既以與人己愈多。
天之道,利而不害,聖人之道,為而不爭。
最終章だったんですんね。知らなかった。
なんとなく、老子の哄笑が聞こえてくるような気がしませんか。
■第八十一章
信言(しんげん)は美ならず、美言(びげん)は信ならず。
善なる者は弁(べん)ぜず、弁ずる者は善ならず。
知る者は博(ひろ)からず、博き者は知らず。
聖人は積(つ)まず、既(ことごと)くもって人のためにして
おのれいよいよ有し、既(ことごと)くもって人に与えて
おのれいよいよ多し。天の道は、利して害せず。
聖人の道は、なして争(あらそ)わず。
中公バックス『世界の名著4』の、老子荘子にある道徳経の“意訳”で
「信言は美ならず」、これまでの全編は決して聞く人に快く響きは
しなかったかもしれない。しかし、人を裏切るようなことは述べなかった。
「善なるは弁せず」、充分に説得することは出来なかったかもしれないが、
雄弁は真実の言葉ではないから、出来るだけ言葉を費やさずにきた。
また「知る者は博からず」、説いた範囲は広くなかったが、真に知ることが
何であるかは説いておいた。
「聖人は積まず」、自分の知る限りは全て説き尽くした。そして何よりも
「為して而うして争わざる」ことこそ、人として守るべきであり、したがって
「天の道」でもある。――と老子は結ぶのである。
とあるのだが、全編のニュアンスからいうと
心のこもった言葉とは飾りの手間を要しない。飾られた言葉には誠が無い。
善人は弁を労して繕わない。相手を言い負かすための論には善が無い。
智る者は「限界」というものが有ることを知るが、博識は知識に溺れる
己を知らない。
聖人は価値有るものを己が元に溜め込もうとはしない。
(万物は流転し、循環する。滞らせることはバランスを崩す原因でしかない)
何もかもひとのために役立てようとして、我知らず親しむべき多くの仲に囲まれ、
何もかもを他人に与えて、なおかつ人とのつながりのなかに活かされ満たされる。
天(創造主)の歩み方は万物を育み、害を加える(奪い欠けさせる)ことをしない。
聖人の歩み方は、衆(集団社会)を活かして争いを無くす。
という性善説に乗っ取った言のような気がするのだが、なんであんな変な
解釈を掲載したのだろう?
もっとも誰の意訳も少なからず手前勝手なのだろうけれども・・・
>568
あー、それ小川環樹じゃねーか?
あの人のは八十一章に限らず、
他の章の訳についてもイマイチって言われてるんよ
>570
へぇ〜、詳しいひとがいて勉強になるなァ
どうでもいい話だが、俺の理解では、老子道徳経の志向性っていうのは
神秘主義的な経験の社会的平和利用・有効活用なんだよね。
トンデモさんでスミマセン…
どうだろね。
主要なとこでも生き方、養生、政治と解釈できるし、
>558のように女性器の例えとしても解釈できる。
解釈の幅が広いって言えば聞こえは良いけど、
どうにでも解釈できる思想に価値は無いって考える人もいる
573 :
考える名無しさん:03/12/24 01:05
それならキリスト教はハゲシク無価値だな
574 :
考える名無しさん:03/12/24 01:10
どうにでも翻弄されるやつは無価値だな
575 :
考える名無しさん:03/12/24 01:12
無価値なやつの解釈もどうにでも解釈できるので更に無価値だな
576 :
考える名無しさん:03/12/24 01:13
574-575は同一です。わかりずらいので
577 :
考える名無しさん:03/12/24 02:41
う〜む。なんだかさ、この最終章な、
いままで書いてあったものを全部ひっくり返しているような気がするんよ。
自己否定っつうかさ。
おめえら、こんなもの読んでもしょうがねえどお。
「道」は別にあるどお。あっはっは。っつうか。
だから、書を読む書生、には届かない神秘主義という部分があったんでないかなあ。
そうすっとやっぱりさ書物としての「老子」ってなんだろう、とは思うわけよ。
読んで面白いし、中国語は知らんが、読み下し文で声に出して読んでも、
「美文」のような気がするがなあ。と思ったんで。また、寄らせていただきます。
578 :
考える名無しさん:03/12/24 03:26
お前ら!谷神こそ真理ですよ!
580 :
考える名無しさん:03/12/24 13:53
581 :
考える名無しさん:03/12/24 13:53
こういうのって違法なんでつかー?
タイ━━━━||Φ|(|´|Д|`|)|Φ||━━━━ホ でつか?
582 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/24 15:29
ただ、饒舌と冗談は分けて欲しい。
良質の人間関係において、発言の95%が軽口、冗談、ボケであったりするのは。
テレビの一部のお笑い番組を見れば分かりますね。
つまり、かれらは言葉しゃべってるけど、弁じてはいない。
語って語らずってことですわ、そのへんよろしく。
>577
老子は伝達手段としての文字を否定してるわけじゃないから問題ないっしょ。
以下は老子からではないが、
魚を得て筌を忘る、兎を得て蹄を忘る、意を得て言を忘る
もしくは
書は言を尽くさず、言は意を尽くさず
みたいなもんで、意をそのまま伝えることはできないんだから
言に頼らざるを得ない。
老子が美文に見えるっつー話だが、
成立年代については諸説紛々たるものの
紙の流布以前であることはほぼ間違いないので
知識の流布としては口伝えの形式を取ることになる。
その際にはできるだけ韻文・対句対連を用いることが望ましい。
んで、一見、美文っぽくなってるだけのことよん
紙の前はいきなり口授ですか。何か間違ってますよ。
>584
木簡竹簡か?
あんなもん流布に至るまでの数作らんよ。
あれは情報伝達の手段じゃなく、記録手段だぞ
とうも、名前がないとしゃべりにくいんで、ハンドル使います。
老子が八十一章で「美文」を否定していることは確かじゃろ?
「美文」に価値がないものなら、わざわざ否定するまでもない。
当時でも、そして、多分いまでも「美文」の価値は、
おべっかやへつらい、媚、その他その他、現実的な効用(つまり、物としての価値だから、
精神的にはまったくの無価値)とは別に「価値がある」ということを
「老子」は認めていると思うんよ。認めた上で否定している、という矛盾、っつうか、
複雑さが、おらは、好きだな。
八十一章が最終章、というのも、計算されているだろ?
陽の極数である九かける九だもの。
実在したかも知れない「老子」については、会うわけにはいかんので、
何をどう言っても結局分からないという結論しかないが、
「老子」という書物は現存するんで、読んで考えるのは当然のことやと思うよ。
587 :
考える名無しさん:03/12/24 21:24
老子は当然クリスマスも2chで哲学だろ
>>583。「知識の流布としては口伝えの形式を取ることになる。
その際にはできるだけ韻文・対句対連を用いることが望ましい。」
昔の事やけ、しかとは、分からんが、竹簡、木簡、紙以前に「口伝」だろうな。
で、ただ、語るんじゃなく、歌ったんだろう。「詩経」もたしか、
そういう民間で歌われている歌を集めたんじゃなかったっけ?
そうすっと、たとえば、
「私の歌は流行り歌と違い、云々」と読めるかもしんない。
というわけで、
>>585「記録手段だぞ」。大賛成。
>586
八十一章で否定してるのは美文じゃなくて美言ね。
ついでに言うと、美言ってのは辞書的な意味、
すなわち、「実際以上にうまく言う言葉・飾った言葉」ではなく
多言に近しいと解釈するのが一般的。
一般的っつーか河上公とか王弼とかだけど。
字面で「実際以上にうまく言う言葉・飾った言葉」と解釈するのも間違いではない
>>585 記録媒体が内容に及ぼす影響を無視できるわけなかろう。
しかも先秦の書物の殆どは筆写によって伝承されたとしか思えない。
寧ろ文章の簡潔さ、レトリックの豊富さは老子独自の特徴と考えるほうが穏当。
憶測の筈なのに断定するのもいかがなものかと思うね。
名前: 迷い猫。
E-mail:
内容:
>>589.多謝。禿頭にビゲン。って、思いつきレス。
美言を美文にしちまっちゃあ、それはチョッといけないね。(西原センセ)
済まぬ。
>>590.おおむね賛成なんやが、葬歌の習俗その他推定でき、
字が読める、職業集団のテキスト、とも思われ。
と始めると、結句「昔の事なので分からない」という結論に言ったりするので、
面白いのですが、書いたものには書いたもの独自の中身がある、ということで、
小生は、しばし、見ております。
人はなぜに書きたいと思い、文字を発明したのであろう?
逢ひ見ての後の思ひに比ぶれば昔はものを思はざりけり
ところで、送信するとときどき「あなた騙されていますよ」
という表示が出るんですが?どういうことなのか教えていただけませんか?
>590
> 寧ろ文章の簡潔さ、レトリックの豊富さは老子独自の特徴と考えるほうが穏当。
そこはまぁ同意なんだけど、
「民間口伝の諺や、民間の隠遁した知識人の座談集みたいもんの集大成が
書物としての老子になった」
って説があるのも知ってるよな?
始めから書物として老子が成立していたというならともかく、
口伝の集合体として老子が成立したとすれば、
韻文・対句は老子の特徴であるだけでなく、
老子として成立するための必然であったわけだが。
あと、伝承 = 流布 じゃないぞ。
伝承手段として書写されてたのは当然だろうが、
それがそのまま流布に繋がるわけじゃない
もう面倒だ。
木簡竹簡とテクストの流布については
武内義雄の『論語の研究』でも読んでくれ
いや、だから武内義雄だけじゃもう通用しにくいっていう話なんですが・・・
こちらも面倒なので富谷至『木簡・竹簡の語る中国古代』でもお勧めしときます。
悪意がある訳ではないので悪しからず。
>594
その本知らないや。
先秦から漢やってる香具師に買わせて借りてみよ。
んで、>592へのレスは?
おっと、木簡竹簡の話でレス進める意味が無いってんならレスいらんので。
あしからず
592へのレス
確かに武内義雄は説得力あるが、それでも言い様で何とでもなる範囲を出ない。
口授口伝は否定しないがそれのみで説明するのは言いすぎ。
現存する書物で語る限り伝承と流布のボーダーも曖昧で明確に区分けできない。
寧ろ竹簡の利用度を憶測すれば竹簡のほうが流布に貢献した可能性のほうが高い。
竹簡の性質上、書物として成った後にも内容に手が加えられ続けた可能性も残る。
今の八十一章が最後に置かれたのだっていつのことか特定できやしない。
以上。
まぁこちらが言いたいのは断言しないでってだけ。自明の如く言われると反発してしまう。
こういうスレだけに余計そう思うんよ。
悪いけどこれ以上レスつけない。理由は
>>596の通り。
後はお互いリアルで精進しましょう。
598 :
考える名無しさん:03/12/25 03:19
伝承、流布論争、いまいち、問題の所在が分かりません。
小生の理解では、「テクスト」=書かれたもの、であって、
竹簡、木簡、紙の本、粘土板、土器、金属器、骨片にいたるまで、
意味を伝えようと何かが書いてあれば、その中身をとりあえず「テクスト」と
考えております。
「老子」という個人が、全八十一章を書き表した、かどうかは確認できない。
確認できないことについては、分からないままにしておこう。
というのが小生の立場です。
「老子の原典(ウル・テクスト)」を求めるのは、う〜む、
考古学の発見のようなもので、別の発見があれば、たちまち全ての議論が無駄に
なってしまう危険を孕んでいると思います。
ただ、最終章が八十一章で、現存する「老子」に関する限り、
構成や編集になんらかの意図が働いていて、全体に「秩序」があるらしく思われ。
一方、「老子」の主張はむしろ、
混沌(カオス)こそが万物生成の根源的力であって、
「秩序」は生命力の枯渇に他ならない、というものだと思います。
中身と形式のあいだに、矛盾がある。
中身から考えたら不自然に見える「形式」は、もちろん、
「老子」によれば、何らかの人為、人間の意図が働いた、と考えるのが、
自然ではないでしょうか。そして、これを為したものは「老子」ではない。
何が「伝承」され、「流布」したのか、という中身に興味がある。
もちろん、中身が形式と無縁ではありえないということは承知しておりますが。
599 :
迷い猫。犯人は俺だ、って、馬鹿だねえ。:03/12/25 03:58
>>598。猫めにござりまする。
おっかしいなあ、ハンドル入れたと思ったんやが。
そこはかとなく老子の内容じゃなく考古学のスレと化してるな・・・
漏れの出る幕ではないかな?
老子の文章に対句とか韻文が多いのは何故なのかってことじゃないの?
お前ら!
老子を読んでいく上で、理解の助けとなる参考書みたいなのがあれば教えてください!
603 :
考える名無しさん:03/12/25 11:14
誰か老子の漫画出してたよな。『老壮の思想』っていう題名だと思ったが。
>>602 良い心がけだ。
中国輸入書籍扱ってる店とか古本屋に行って
「道蔵くださーい♪」
とお願いしてみよう。
多分、取り寄せになるけど、あれは実に為になる本だぞd(゚∀゚)
605 :
考える名無しさん:03/12/25 13:07
>>603 『マンガ 老壮の思想』
講談社+α文庫
蔡志忠=作画
和田武=司訳
野末陳平=監修
一応訂正
× 老壮
○ 老荘
訂正せねば誰も気づかなかったかも知れぬ。
見習わねば。
文献学は考古学じゃないぞ。
文献学、書誌学は流石にスレ違いの感が。
しかし、未だにこのスレの方向性がわからんのだが…。
解釈について語るのか、
それとも思想として究めていくことに努めるのか、どっち?
610 :
考える名無しさん:03/12/26 02:46
分別知を捨てよ。語れ。混沌へ参入せよ。
612 :
考える名無しさん。:03/12/26 06:25
老子は過去の限定された時代と場所のローカルルールに過ぎない。
最も原始的な哲学のはしりだから仕方ない事ではある。
当然、老子は真理でないし
まだ真理などは闇の中である。
しかし、時代が変わるにつれ哲学も日々改変、淘汰されて行っているため
老子の二次元的な考え方からサルトルやデリダなどの三次元的な哲学へと進化
している事も事実である。
だから、なぜ老子至上的な人がいるのか分からない。
613 :
考える名無しさん:03/12/26 09:06
お前ら!老子の教えを実践して下さいね
614 :
考える名無しさん:03/12/26 09:27
>>612 二次元的要素はどちらか と言えば哲学も同じでは?
お互い 文面で語る以上は どちらも机上の空論 ただ
社会生活において個人としてではなく、全体の一部としての意識を持つ事で
より生活に密着した 老子の教えは
弁証法的唯物論になるのではないですか?
616 :
ポストモダン:03/12/26 10:19
>>614。
カオス理論じゃないかな?
読みようによってはあらゆる思想の萌芽がある。
>>612氏は二次元三次元という言葉で何を
言おうとしているのかさっぱりわからない。
老子至上的な人ってどんな人?
会ったことはないけれど、居たとしても、
理解しても居ない流行の哲学者の名前を出す、
‘西ヨーロッパ至上的’な人より、
よほど付き合いやすそう。
思想の「進化」、ねえ、いやはや。
「老子」も哲学だと思います。
方向性がないこと、こそ、老子の思想の根幹かもしれませんよ。
茫々たる大地を、牛に乗って悠然と行く。
行きて帰らず。その果てを知らず。
それ、道在りと云わんか、道無しと云わんか。
618 :
考える名無しさん:03/12/26 10:39
方向性がある思想などあるのか?
権威主義ですか?
自由主義ですか?
善ですか?
いつの間に思想の方向性の話になったんだ?
スレの方向性じゃないのか?
620 :
ポストモダン:03/12/26 11:30
>>619スレの方向
緩慢な下降と飛躍的な上昇を繰り返す。
荒れと電波とまともな進行を繰り返す。
割合は5:4:1くらい
622 :
笑い猫。あはは。:03/12/26 11:56
ええでないの。ひょいと何かが生まれるかも知れないよ。
んじゃ、また。
だったら『老子』なんて読まずに、白紙を眺めてりゃいいだろ。
方向性も何もないから、そこから何かが生まれるかも試練。
624 :
考える名無しさん:03/12/26 15:00
老子の方向性は柔弱謙下ですが?
>624
それはベースであって方向性とは違う
このスレの方向性談義と
『老子』の内容の方向性(しかもどの座標における方向性か)談義を
一緒にするのはツマラナイ。
老子の方向性は「欲望を捨てる」だろ?
反儒家思想?
>>628当然だろ?老子と言えば儒家批判で有名じゃないか。
630 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/26 21:17
>>624,625
これこれ、ちょう人、このへんで山賊を見かけなんだか?
おや、誰かわたしを呼んだかな?いや、>624−625なら別人か。また寝るか・・・
633 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/26 21:42
634 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/26 21:50
今日は、「万寿庵」の天津甘栗を買って来た。
**本日の発見** 「老子は、天津甘栗が大好きであった・・・」
オヤツミ /~
635 :
考える名無しさん。:03/12/27 03:42
>>616 要するに、老子はいわば教訓乃至、上から下への教えであるのに対し
デリダやサルトルなどは人類乃至、縦横無尽の智である違いであること。
また、別に西ヨーロッパ至上なのではなく、あくまで‘など’であって。
もちろん、老子のように時代と場所に限られたローカルルールで終わらせず
哲学にまで昇華させた西田幾多郎も多次元的視野の人物である。
よくわからんが老子のほうがよっぽど時代と場所の幅が広くないか。
しかし老子でこれほどレスが進行するのは始めてだなぁ。
流行の予感。
ま、そんなことはいいけどまた貼っておこ。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
老子 第40章、第42章。
http://aa4a.com/chichannel/ 8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
>637
そんなくだらん考察貼らんで良いよ
>639
2章ね。
例えば王安石なんかは2章の注に
「夫れ美とは,悪の対,善とは,不善の反,此れ物理の常なり。
惟うに聖人乃ち万物に対すること無し。
自ずから聖人の為す所に非ずんば,皆対する有り。
有の無と,難の易と,高の下と,音の声と,前の後と,
是れ皆所として対する有るを免れず。
唯だ能く此の六者を兼ね忘るれば,則ち以て神に入るべし。
以て神に入るべくんば,則ち天地の間に対する無し。」
として、比較や対象といったことは所詮俗世間の事柄であって、
聖人の域に達すればそういったこととは無縁でいられると解釈してる。
ちょーっとこじつけがましいが、やり方によっては
儒家を非難したとは言いがたい解釈にもできるってこった
641 :
考える名無しさん:03/12/27 18:56
642 :
考える名無しさん:03/12/27 19:09
あおよ行け、僕の前に道はない
>641
うるせー!
バカって言う方がバカなんだよー!ヽ(`Д´)ノ
儒家思想にかぶれると、
つい熱くなって
「ばーか」「バカ」・・・などと叫んでしまうわけでした。
いやいや、>643は飽くまでネタだよ。言うまでもないことだが。
>629みたいに教条的に「老子 = 儒家批判・反儒家思想」とするのはどうかな〜ってことよ。
個人的な意見としては、老子は反儒家的な色合いは濃いと思うしな
647 :
考える名無しさん:03/12/28 01:57
老子も荘子も孔子をけちょんけちょんにしますよね。ゲラゲラ
あばれちゃうぞ!
650 :
考える名無しさん:03/12/28 02:39
暴れん棒将軍!(ド〜ン!)
651 :
浮人 ukito:03/12/28 07:26
おもいつき駄レスです。↓
Aは、ストーカーだった。いや愛するがあまりの結果がストーカと呼ばれるものだったのか。
どうしても忘れられない女性がいた
その想いに自分自身を追い込み狂気に近い感じだった
ある日、その女性は自ら命を絶った
Aの狂気は彼女に転移し愛する彼女自身を狂わせ死に追いやった
Aは泣いた、いつとまるやもしれず泣き明かした
Aは最近自分を探すためにインターネットにのめり込んでた。
人々が通い気軽に「自己」というもので笑いあい罵り合い、そういう場所に
自我を失ったAは自分を写そうとした。
ある日、匿名色の強い掲示板にであった、そこにはより多くの人々が24時間集い
それぞれが好きなことばを発してた。
Aは救いを求めて、掲示板の中を彷徨った
ふとひとつのスレに行き当たる
「お前ら!老子こそ真理ですよ!」
・・・・Aは驚いた。
「ま、、真理?死んだはずの真理のことか?老子こそって?生まれ変わりか?」
そうAの愛した女性の名は「真理」
【続く】かも
652 :
考える名無しさん:03/12/28 07:28
ええはなしやないかいなぁ〜
う う う
654 :
ポストモダン:03/12/28 19:38
儒家批判はむしろ「荘子」のほうやろ。
儒家批判というより「批判<知>」かな?
「老子」はむしろ存在論的、という印象。
「上善は水の如し」、その他。
不可視、不可知、けれど存在する、
「変化」、「混沌」、「道」…。
けれど、一言説以即不中。
方向、か?ないような気がするのは、小生だけか?
むしろ回帰のような気がするんだが。
ちょっと造語しました
「脱-儒家思想」
656 :
ポストモダン:03/12/28 20:04
>>655。
「脱〜」ってのは老子らしくないと思うな。
ただの流行言葉。
まあ、「ポストモダン」も、中身を抜きに、
言葉だけ、ということなら、「流行った記号」ではあったらしいが。
「老子」の時代に「儒家思想」が支配的だった、
とは思えないし。
「アンチなんとか」みたいで、
「老子」の独自の価値、オリジナリティが見えなくなると思われ。
657 :
笑い猫。自白いたします。:03/12/28 20:25
「ポストモダン」は私です。
いまは、猫の気分ではないので。
まあ、歩くポストモダンですね。
馬鹿のほうに分類しておいてください。
「老子」スレならご理解いただけるかと。
>>635。サルトル、デリダも「西ヨーロッパ近代」というローカル、なのよ。
なんで老子がローカルでサルトル、デリダが「中央」なのか
すぁっぱりわからん。
「ヨーロッパ中心主義」対「中華主義」なんてえ、
つまらん争いは、それぞれの当事者にやらせとけば?
儒教の「中華主義」「中華思想」を「老子」は否定していると思われ。
非常に下らない突っ込みだが。
× 上善水の如し
○ 上善水の若し
>>659。いつも済みませぬ。
確認。
「如し」と「若し」じゃ違うはず。
違うものについて考えても、にゃあ。
韻を踏む、その他、その字を使うからには、
その字を使うだけの理由があるはず。
何でもいい、というわけにはいきませんね。
多謝。
泰然自若。
662 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/12/28 22:49
「大道すたれて仁義あり」の語があるが?
議論するまでもなく反儒家思想だと思うが?
663 :
考える名無しさん:03/12/28 23:24
>>662 「反」儒家思想という訳でもないような気がする。
仁義が重要視されること自体を問題視しているわけではないと思う。
「本当は大道が重要なんだけど、今はそれが失われているから仁義が重要視されている」
くらいの意味にとって構わないと考えます。
老荘思想=形而上的理想論、儒家思想=形而下的理想論って感じかな。
ある意味双方とも真理。
664 :
大伴清麿 ◆HPBRDkE86A :03/12/29 00:34
>>663 ちょっと納得がいかんなあ。
「これがコか」と嘆く孔子を形而下的と呼ぶのも…。
665 :
考える名無しさん:03/12/29 00:43
老荘思想は結局保守の哲学、守りの思想だな。
言いたい事はよくわかるし、彼等の言う通りにすれば人生長生きできて
尚且つ波風も立たせることなく平和に過ごせるかもしれない。
でもそれで一体何がしたいの?って感じ。
安寧を保つ努力をするだけの生にどういう価値があるのだろうか。
このスレにつられて、中公文庫の「老子」を買っちゃいましたw
「道は一を生ず。一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。
万物は陰を負うて而うして陽を抱く。沖気は以って和を為す。」
んー、全くその通りだ。
>662
反儒家ってわけでもない。
儒学と対立する章もあるけど、対立しない章もある。
儒家を意識して書物としての老子が成立したんじゃなくて、
書物としての老子が成立した結果、
中には儒家と対立した部分もある、といった方が良い希ガス
>>661ハァ?
(何でもいいというわけにはいかんのは同意するが如と若の違いはテキスト確認してるかの問題)
>>663ハァ?
(形而上形而下は儒家思想から一般化したものですが何か?)
>>666ハァ?
(何が?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwっうぇ)
>668
朝っぱらから元気だな
670 :
考える名無しさん:03/12/29 23:30
結局、タオって何ですか?
671 :
考える名無しさん:03/12/29 23:38
誰も答えない。
あの世への道ですよ
タオ = タオ
それ以外答えようが無い。
どの観点から答えても、別の観点からすれば間違いだし
>670
満月を見上げてじっと眺めててごらん。
あれが太極図の原型だよ。
板違いだがオカルトで説明するとね、
臨死体験でトンネルの向こうの光を描いてみせる被験者が
多いのは、月を見上げてきた我々人間の集合的無意識だったり
するのかもしれないが、人間は古来から『異界』の存在を
思い描いてきたんだ。
瞑想の或る境地を、例えば宇宙の精気と共鳴(シンクロ)したと
認知すると、その認識対象が『異界』たるタオなわけだね。
な〜んだ、それだけ、と思うかもしれないけれども、神秘体験を
して極めて善良な人に生まれ変わる例は日本にもあるんだよ。
例えば『妙好人』とかね。
またか。
結局、道家思想 = オカルト方面 ってのが一般的な認識なのかねぇ
676 :
弥勒 ◆LY666//S/s :03/12/30 00:07
>675
オカルト以外の読み方を教示してもらいたいもんだがね、是非。
道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。
万物は陰を負うて陽を抱き、冲気(ちゅうき)、以て和することを為す。
人の悪む所は、唯だ孤寡不穀(こかふこく)、而も王公は以て称と為す。
故に物は或(つね)に之を損して益し、或に之を益して損す。
人の教うる所は、我れも亦た之を教えん。
強梁者(きょうりょうしゃ)は、其の死を得ず。吾れ将に以て教えの父と為さんとす。
>676
人に教えを乞う前に自分で文献あたってみな。
とりあえずは道家思想と道教の区別が付けることが目標だ
679 :
考える名無しさん:03/12/30 00:39
タオとは「道」のこと。
680 :
弥勒 ◆LY666//S/s :03/12/30 00:43
>678
老子道徳経にも神秘体験的な件は何カ所も出てくるのに
何でほかの文献さがさなあかんのじゃ。
教えを請うてるのではなくて、あんたの説が聞きたいんだよ。
何熱くなってんだ?
神秘主義的な章については神秘主義的な解釈で良いじゃん。
その神秘主義的な部分をひきずって
老子、ひいては道家思想全体が神秘主義だと一般的に認識されてるってのを
>675で言っただけだが。
神秘主義的な章を重視して、老子を神秘主義に発展させようとする注疏も当然あるが、
神秘主義的な章をさほど重視せず、
治国や処世術を説いた章の原理として扱う注疏なんていくらでもあるぞ
682 :
弥勒 ◆LY666//S/s :03/12/30 01:42
>681
論旨変わってるだろ最初と?
思うにさあ、たとえ複数の人間が書き連ねたものだとしても
教典として形を成したということは、或る志向性をもった教義を
共有する集団、あるいは師弟関係があって、そこで熟成された
ものが時代を経て民衆に流布していったと考える方が分かり易い
んじゃないかと思うわけよ。
つまり全く不規則なバラバラのよもやま話をつぎはぎしたものではなく、
何かしらの意図を持ってチョイスされ編纂されたんじゃないか、と。
乱世戦国の世にあって平和を希求する者たちが声を挙げるが
いともたやすく死んでゆく時代に、官を目指し必死さで己を
失うよりも、自らの足下で生きよという思いが込められている
ように感じられるんだよ。『たれぱんだ』みたいに脱力癒し系
を老荘に読み取る輩は論外だがね。
で、そうして生きていく絶対的基準(真理)として道徳経の中身は
神秘体験における或る境地を心の礎に置いたんじゃないかと
俺は思っているわけ。
治国や処世術的なくだりは内容にもちろんあるが、それは平和
な世の中を希求するうえで必要な要素であったから内容に後付
したのではないかと思うんだよ。つまり一貫した方向性が有るんじゃ
ないかと。で、その骨子が神秘主義で、そこからの派生として
社会的関心が顕れてきたんじゃないかと思っているんだよ。
道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。
万物は陰を負うて陽を抱き、冲気(ちゅうき)、以て和することを為す。
684 :
弥勒 ◆LY666//S/s :03/12/30 02:03
道は魂(我・主観)を生じ、主観は客体を捉え、関係性は俯瞰を生じ、俯瞰は世界を認識ス。
oyasumi
>682
思うっつー表現が多いが、ほんとに思いつきだな。
老子には確かに思弁的な部分が多いから
広義の神秘主義に取ることはできるだろうが、
要は思弁的な部分を重視してオカルト以外の読み方が無いと考えるか、
思弁的な部分は単に喪前様の言う骨子に過ぎず、
現世処理の部分を突っ込んで行くかの立場の違いだろ
って寝ちゃったか。
どうやらホントに思いつきだけで展開してたみたいだな。
> 魂(我・主観)
こんな解釈初めて聞いた
687 :
考える名無しさん:03/12/30 05:53
>>683>>684 へ〜!何か楽しげ
_は我を生じ、我は彼を識(し)り、彼は我に他を知らしめ、他は我に衆の存在を確信さす
ダミだ。。何かいまいち
688 :
考える名無しさん:03/12/30 06:43
熱く老師を語られると困るさめた老師
689 :
考える名無しさん:03/12/30 06:45
もとい。
熱く語られても困るさめた老子。
690 :
考える名無しさん:03/12/30 09:35
>>685 「思う」っていうのは、うなずかないからそういうしかないんだ。
「これはこうだ」と聞いても何処まで理解している?
反発して「いやちがう」と反論するだけなら、反論の先を読んで、
「どうせ違うって言われるんだから「思う」としておこう」と、
実は正解だとしてもそれが開かされることは永久にない。
自分の意見が正しいかどうか示したかったら、一回で善いから納得して見ろ。
そういう問題じゃない希ガス
意見としていっているから思うとつけているのであって
断定したらどこかの教祖さまなみになってしまうだろうが。
重要なことはあんたはそうだが自分はこうだという主張と差異の発見
であって教えではない
693 :
考える名無しさん:03/12/30 10:29
断定が教えというわけじゃないだろう。
断定したら誰でも教祖か?
断定ではない。肯定文だ。
いいや違うね。断定文は肯定文であるのと同時に
命令文だ。そう信じろという命令文。押し付けだ。
俺はこうだがあんたは違うだろ。差異をはっきりさせよう
というのが「思う」でありそれも肯定文だ
695 :
考える名無しさん:03/12/30 11:05
全て命令か?
ただ命令を完全否定はしない。
命令は組織においてそれが円滑に機能するために必要
であるものであり個人は協調性において機能のために
システムに荷担すべきだと思う。しかし、それは
人間性においてではなく機能的役割としてである。
何が断定で押し付けかって
>>676がよほど断定的で押し付けがましい
698 :
考える名無しさん:03/12/30 14:04
>>697 いつもオカルトをたとえにされれば、誰でもそう思うだろう。
700 :
考える名無しさん:03/12/30 14:11
断定が命令とはね。お前日本人ではないな?
701 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :03/12/30 19:19
あ〜これ、ちょっと尋ねますが、このあたりでバカボンを見かけませなんだか?
>>661。
一応、確認。
第八章。
第八章
上善若水。
水善利萬物而不爲。處衆人之所悪。
故幾於道。居善地。心善淵。與善仁。
言善信。正善治。事善能。動善時。
夫唯不爲。故無尤。
如しと若しの違いは、知らん。
知ってりゃ間違えん罠。
たまたま、ターレスの「万物は水からできている」ってのが、
話題になっておっての、思い出したんじゃ。
「上善如水」、罪作りな名前じゃ。
>>702 音韻が違うんだろうけど、意味は違わん。
あと、そういう風に原文持って来る時は文字の校釈でケチつけてくる香具師いるから
底本が何なのか書いた方が良いぞ
>>701 バカボンは見なかったけど。
しかし、あの親父もよく自分の息子にバカボンなんて名前付けるよなぁ。
名前じゃなくて綽名だとしてもひどすぎる
>>677。42章。
ここに、見えず、聞こえず、触れることもできないない何物かがあり、
仮に道と名付けておいた。さて、この「道」が太一を生み、
太一が陰陽二極を生む。太一と陰陽二極の三つから、万物が生まれる。
野原で仰向けに寝転がってみたまえ。
背に大地を負い、腕に太陽を抱く。
寝転がっているこの俺は、陰にあらず、陽にあらず、
「冲気」によって世界を統一的に把握する。
「混沌」は万物が独立してばらばらに存在する状態ではなく、
万物が渾然一体となっている、統一体なのである。
707 :
考える名無しさん:03/12/31 02:07
愛
709 :
考える名無しさん:03/12/31 02:12
愛
>>707。
たすかに、「冲気」は「愛」といえるかも試練。
愛
>>711。
ひつこいど。ん?愛ちゃんか?
飯島愛だったらいいな。
あの本はよかった。
題、忘れちゃったが。
『敗北を抱きしめて』じゃない、『神様キスして』じゃない、
『キスするときは舌を入れて』じゃない、ともかく、
けっこうよかった。
そういや、このごろ、なじょしておるやら。
>>702-704 うろ覚えですまんが、
「如水」と「若水」は底本の違いに過ぎないという話を聞いたことがあるが。
なぜ、秀吉の参謀の黒田如水の名前が、
なせ「如水」なのか、昔、調べたことがあって。
その時代の出版物の漢字が違うからという話だった。
714 :
考える名無しさん:03/12/31 09:59
愛
>>713 とりあえず、中華書局の『老子校釈』には「如」の例が無い。
ってことは、1954年の段階で大陸・日本で出回っていた刊本で「如」のものは無いってこった。
ま、民間の写本で「若」を「如」と写し間違えたものもあるかもしれんし、
発見されてない刊本もあるかもしれんけどね
どっちにしても意味は変わらんからこだわっても誰も得しない。
せいぜい論文書くときに気をつけるぐらいっしょ
716 :
考える名無しさん:03/12/31 13:57
愛
おぼえていますか
718 :
考える名無しさん:03/12/31 14:20
無用の用
白馬は馬でない
720 :
713=(通行人):03/12/31 16:35
>>714 >>ま、民間の写本で「若」を「如」と写し間違えたものもあるかもしれんし、
>>発見されてない刊本もあるかもしれんけどね
情報、感謝ですぞ。
なるほど。たしかにそうかも。
ちなみに、スレの上の方で文句いわれてる守屋洋だが、
少し弁護させてもらうと、
彼の「新釈 老子」(PHP新書)は、
まえがきによれば、
1973年12月、馬王堆三号漢墓から出土した
「帛書老子」にもとづいて訳出したそうである。
これは二千年前に書かれたもので原「老子」に
もっとも近いと守屋は考えたからだそうだ。
ただし、今まで流布していた「老子」とは、
字句に若干のちがいがあることを守屋は書いている。
だから、彼の本では「如水」になっている。
また、、この「帛書老子」のマイナーな刊本が
民間にあっても、不思議ではないとワシは思うし、
「黒田如水」もその流れかと思う。
長文すまん、ただ、守屋を弁護したかっただけじゃ。
それじゃ、さらばじゃ。
721 :
713=(通行人):03/12/31 16:37
すまん
714ではなく、715じゃった。
あ〜帛書あったなぁ。
じゃあ郭店はどうなってんだろ
俺はPHPの「老子を読む」を見てるんだが、コンパクトに仕上がってるとおもうが、
年始あげ。
混沌に幸あれ!
さしたる用もなかりせば、これにて、御免。
郭店はこの部分残ってなくね?
愛
と青春の旅立ち
728 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/02 00:53
>>727 「愛と青春の旅立ち」はなつかしいね〜
ところで、『愛と青春との認識』(倉田百三)は知ってるかい?
大正時代のバイブル的本で、当時としては、ハイカラなタイトル。
『哲学以前』(出隆)『三太郎の日記』(阿部次郎)
と並んで、大正教養主義の一つ。
729 :
考える名無しさん:04/01/02 01:06
>ところで、『愛と青春との認識』(倉田百三)は知ってるかい?
>大正時代のバイブル的本で、当時としては、ハイカラなタイトル。
ヴォヶ『愛と認識との出発』だろ。
簡単な文学史すら見事にハクチっぽく語る君は勇者だ。
しかし、老子の思想を100パーセント守ろうとすると、この世ではやっていけないよな。
都合の最低でできるモノを選んで守るといいよな?
つい最近まで大道を残していた民も在ったのですが、ユーラシアの西端側に住む連中が台無しにしてしまいました。
しかも彼等はその理想郷の幾つかを地上から物理的に消滅させると言う、彼等の言葉で言う処の失楽園を自らの手で実行しました。
しかし道理によりやがてまた小国寡民の理想郷は実現するのです。
極小の理が極まり、極大の理の極みが現れるのです。
今はその途上なのです。
西の国の彼等はより大いなる太極を求めているのかも知れません。
732 :
ポストモダン:04/01/02 20:31
>>730。
ほらほうや。
誰の思想であれ、
人の思想を100パーセント守ることなんぞでけん。
根幹だけ押さえておけばよろしかるべし。
極小と極大は無限の彼方で一致する。
>>731。
「西の国の彼等」という括りはやめたほうがよござんす。
実体がないのんよ。
西ヨーロッパ諸国は、それぞれ、民族たくさん、
宗教たくさん、階級これあり、日本とはまるで事情が違うのよねん。
これじゃあ、どうにもまとまりがつかん、ってぇんで、今
必死こいて「欧州共同体」をつくろうとしているんだわん。
太極は無極。至小は至大に通ず。
って、どっかになかったかしら?
どうでしょ、こんな調子でぼちぼち行く、
ってのも、悪くないような気がするんですが。
733 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/02 22:49
>>729 そうでした!今回はマジボケでした・・・
しかし、君はよく知ってるね〜
ところで、このへんで、「老子の実践への出発」について、
真剣に語り合ってもいい時期にきてるとおもうのですが。
まず、われわれは、手に入りやすい、老子本でいかに
個々の状況から、展開するか?一流の料理人がその辺のスーパーで
手に入れた食材から絶妙の味を出すように。
734 :
考える名無しさん:04/01/02 22:57
山に引き篭もっている老子好きとタオイストとはまるっきり違うらしいですな。
自分はどちらかというと山に引き篭もるのが好きですがな。
皆さんはどちらが好きですか?
735 :
考える名無しさん:04/01/02 23:24
悟りで仕切らせていただきやす
736 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/02 23:31
>>734 実はわたしも、山に引き篭もりたいほうです、切実に。
自然の中にいると、全てはあると感じる質です。
引き篭々
うらはどこに居てもおんなじだにゃ。
ぼーっとしとるで。
はらら、こんな時間。
人間は面倒だにゃあ。
単純に思うこと書かせてもらうんだけれども、老子関連の本を買って読んだって、
大体漢文自体が如何様にも読み替えられるような感じで、大学教授やってるそれぞれの
爺さんがそれぞれの自説を主張してるのが現状だと思えるわけだよ。
だって老子道徳経ひとつだけにしたって各人各様の有様なんだからね。
で、そうなると結局は「あの本はいい」「この本は解釈がどうだ」だのと、結局は
文献学(悪い意味での)以上の盛り上がりはまったく見込めなくなるわけだよ。
だけど、実際スレを覗く奴らの大半は、書籍広告の話じゃなくて、その内容が
何を意味して何を目指しているのかを垣間見たいと思っているんじゃないのかな?
つまりさ、内容について「私はこういう風にこの章を解釈しましたけれども皆さんの
解釈としてはどうですか?」とか、それぞれが主張しあって認識を交差させていく
ほうが方向性を再確認する上でも有意義だと思うんだよね。
たとえば「その章は荘子の某何章、あるいは列氏の何某篇に重複して存在するって
事は、共通の認識としてマジョリティーな価値を持ちうるのではないでしょうか?」
とか、「その意味においては楊朱の左道的な立場は実はアンチテーゼにおいて…」
とか、「淮南子にもそれと似たような箇所が…」とか、こういうほうがはるかに
盛り上がるとおもうんだけれど。
てか、みんなメンドクサイか、そうか・・・
メンドクサイなら、わざわざ『老子』や『荘子』にかこつけずに、
これは「自分哲学」です、って断ってくれよ。
>740
2ちゃんねるで、しかもロハで、価値ある“真理”を聞けると思うほうが変だろ。
タイムマシンでも作らない限り、どこの大学教授だろうが「自分哲学」にしか
成りえないんだよ。
記述者の真意(正解)は、歴史の彼方に埋もれてしまっているんだから。
弥勒さんの言う通り、
記述者の真意(正解)は、歴史の彼方に埋もれてしまっているんだから
別に老子の(ソレに限らずどの哲学者の)思想も全て実践しようと
するのではなく、自分なりに考えた最善の道を色んな人の思想から
集めてくればいいんじゃないでしょーか?結局、自分哲学。
>>739 中国史にも中国思想史にも、それどころか哲学
にもド素人だけれども老子をよんで 「 やられた 」
などとおもってしまったひとは書きこまないほうが
よろしいんでしょうか。
あおるつもりはありません。 すなおにそう読めて
しまうフシがありますので ………
>743
少なくとも大人の絵本読んで「癒されマスタ」よりましならばいいんじゃないの?
745 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/03 01:28
>>743 >中国史にも中国思想史にも、それどころか哲学
>にもド素人だけれども老子をよんで 「 やられた 」
あなたのような人こそ、「老子」を読む資質があると
思います。いわば「運命的出会い」。
感じない人にいくら薦めてもむなしい。
老子の自分自身に関する記述には、他者が、器用にテキパキ、はきはきと
生きているのに対し、「わたしは、赤子のようにボーとして〜」と
タオにしたがって生きているといってますが、これはある意味、
社会的に対応しずらい状況にあるといえるでしょう。
実はわたしも、こういう面は、少なからずあります。
もっとも、引き篭もりはしてませんが。
「老子」に感じるところのある人は、共通してこういう
自己の側面にとまどった時期があったのではないでしょうか?
まー、注無しの老子原典だけを読んで自分の頭ん中で展開させよーと、
誰かの注を引いて読もうとそりゃ自分の勝手だろーし、
荘子だの淮南子だの抱朴子だとの関連性を引こうと個々人の勝手だわな
まぁ良いんでないの
そもそも老君は言葉は真実を語り得ないと看破した上で語り始めている訳だし。
瞬きの如き人生で、ある時ふとその言及の深さに感嘆するのもまた愉しい。
相手は一個人老子などでは無く千年万年の叡智かも知れないのだから。
749 :
考える名無しさん。:04/01/03 08:16
老子は今では、毒にも薬にもならない。
750 :
考える名無しさん:04/01/03 08:25
やぶにらみなニヒリストには何食わせても一緒だろ。
「どうせ糞になるのさ」と吐き捨てて、飯を味わうことの
楽しみを知らん…
751 :
さぼり猫。:04/01/03 12:27
主よ、怠惰を許したまえ。
面倒だから面白いんだしぃ。
本当に「老子は今では、毒にも薬にもならない。」
と思ってる奴は書き込みはしないだろうしぃ。
「老荘は猛毒かもよ」ってのに、賛成だにゃ。
間違って飲んだ奴は「やられ」ちまって、
ここにはいない、ってことやろな。
居ると居らざると、区別あるなし。
彼我未分の大道ここに存す。
やっぱり、老子は結構やっかいで、面白い。
老子は猛毒ではない。
まだ現実世界も見ているから。
荘子だと現実世界から離れかかっているからまだ毒気がある。
本当に猛毒で厄介なのは論語なんだけれどね。
猛毒・毒気に萌へ
754 :
笑い猫。砂かけ。:04/01/03 14:43
論語に毒はない。
国家に毒があるだけだ。
そういうの、不毛だからやめようよ。752氏。あほらし。
755 :
考える名無しさん:04/01/03 22:28
756 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/04 00:35
もし、老子を西洋哲学と比較するなら、時代、世相からプラトン以前が妥当だと思います。
そして、たまたまかもしれないけど、老子のほうが、洞察の深さにおいて勝ってると思います。
ヒュームやカント以降となるとそれこそ道が違う。土俵の上なら曙が勝っていた。
757 :
考える名無しさん:04/01/04 00:37
,.-'''"-─ `ー,--─'''''''''''i-、,,
,.-,/ /::::::::::::::::::::::!,, \
( ,' i:::::::::::::::::::::;ノ ヽ-、,,/''ー'''"7
`''| |:::::::::::::::::::::} ``ー''"
! '、:::::::::::::::::::i
'、 `-=''''フ'ー''ヽ、::::::::::/ヽ、-─-、,,-'''ヽ
\_/ ヽ--く _,,,..--┴-、 ヽ
``" \>
返事がない・・・ ただのあけぼののようだ・・・
>>756 ・洋物と比較する意味は?
・洋物のプラトン以前では老子の方が洞察の深さで勝ってると言うのであれば
その根拠は?「思う」で片付けるのは甚だ危険
759 :
考える名無しさん:04/01/04 01:53
濡田
760 :
考える名無しさん:04/01/04 02:16
>756
君はあまり感心しない奴だが、その着眼点は当たってると思う。
実際、時代上、かさなってるし。
西洋でいえば、タレスとか、エンペドクレス、デモクリトス、
ピタゴラス、パルメニデス、ヘラクレイトス、このへんかな。
物事の根本、真理はなにかが物質にむかっていたころ(自然哲学)は
やはり人間のありかたも、それに習えみたいなとこ
あったのかもしれん。
どちらが勝ってるとか負けてるとか言ってる時点で・・・。
今ある☆キキ+キ゚Д゚♪のスレがもうじき1000レスいきそうです♪
ですので、誰か次のスレ立ててね( ̄ー ̄)
スレタイに ☆キキ+キ゚Д゚♪ は絶対に入れてね( ̄ー ̄)
763 :
考える名無しさん:04/01/04 08:28
>>758 おまえが疑う限り、「思う」といっても、いいきっても正解にはならない。
>>756 そもそも老子の出来た年代っていうのが
まだ良く分かっていないからプラトン以前というのはなんともいえない。
下手すると成立は荘子より後かもしれない。
それに西洋哲学との比較は不適当。
比較できる物って言ったらエピクテトス等の後期ストア学派くらいなのかな。
>>756 そもそも老子の出来た年代っていうのが
まだ良く分かっていないからプラトン以前というのはなんともいえない。
下手すると成立は荘子より後かもしれない。
それに西洋哲学との比較は不適当。
老子と比較できる物って言ったらエピクテトス等の後期ストア学派くらいなのかな。
2重カキコスミマセヌ。
更に下の2行は忘れてください。
>>763 そう言い訳して論証と考察を疎かにしてるうちはいつまで経っても「思う」止まり。
最初から他人を納得させるのを諦めるか、
少しでも他人を納得させられるよう、資料史料ともにそろえて
論理的に発展させて結論づけるのとでは
天と地ほどの差がある。
思いつきだけで勝ってるだの劣ってるだのは
少なくとも学問のカテゴリで言うべきことではない
老子思想の基本
「争わない」
老子思想の基本 その2
「ノーリスク ノーリターン」
返事がややおそくなってしまってすみません。
当方が
>>743 でおききした理由をすこしくわしくのべます。
>>743 でもかいたように、 当方はまったくのズブのド素人で、中国史 ・ 中国思想史 ・
哲学 ( 全般 ) はおろか ( いまの ) 中国語さえもしりませんし、 つづられたものを読む
ことも無論できません。 また、 当方は
>>233 をかきこんだ者で、 そこでのべている
ように、 老荘の思想そのものについても 「 まったくのズブのド素人 」 です。
ですから、 当方が 『 老子 』 をかんがえるとき、 くわしい人ならおそらく 「 幼稚で
バカな 」 とおもうであろう初歩的疑問がいくつもうかびます。 そして、 できればそれら
の疑問をこのスレッドでいずれお聞きできればなアなどとおもってみなさんのカキコミ
をよんできました。
で、
>>739 でいくつか提起されているスレの方向性がもし定まってしまいますと、
そうした初歩的疑問のカキコミは、みなさんのやりとりのナガレをぶちこわしてしまうもの
になりうるだろうとおもいました。それは当方はやりたくありません。 しかし、 その方向性
がもしも定まるなら、 しかたがありませんから、 当方はあきらめます。 ただ、 当方には
それが残念だったのです。
その残念な感情にもとづいて
>>743 をおききしたわけです。
なお、 このスレッドにおけるみなさんのやりとりは、 当方にはいろいろとタメになります。
メからウロコのおちるおもいでよんだカキコミもありました。 もちろん、 ド素人として、
しらない語句もおおいし、 意味不明なところも多々ありますけれど、 それでもおもしろく
メをとおします。
そんなわけもありまして、
>>739 で提起されているような話題のやりとりを 「 いらない 」
とは当方はまったくおもいません。 むしろ正反対です。 どんなことでもかまわないので、
ひきつづきはげしくヤリトリをしてくだされば ( 当事者ならぬ 「 よむだけ 」 の身の勝手な
いいぶんで恐縮ながら ) うれしいなアとおもっています。
>>748 ほかのカキコミをよみますと、 老荘を毒 ( または薬 ) とおもうか、
そうでないとおもうかは人それぞれのようですね。
すくなくとも当方にとっては、 おっしゃるような 「 猛毒 」 ( あるい
は 「 猛薬 」 ? ) として作用するシロモノだったようです。
「 猛毒かも 」 の 「 かも 」 は当方には不用 「 かも 」。 (笑)
>>745 返事の文面をかんがえはじめると、 いろんなことがうかんできて、 それらの
全部をまとめると、 たいへんな長文になってしまいそうです。
単純に賛成できそうだとおもえる箇所をとりあえず二点あげます。
その一。 「 感じない人にいくら薦めてもむなしい 」。
そのニ。 「 これはある意味、 社会的に対応しずらい状況にあるといえる 」。
そのほかの点については、 「 賛成できない 」 とか 「 反対 」 とか 「 異議が
ある 」 などとはすこしちがって、 おっしゃることが 「 わからない ( 賛成できない )
わけではないように感じるが、 かといって、 わかります ( 賛成です ) というには
釈然としない部分がどこかにのこる 」 とでもいいたいようなかんじをおぼえます。
どうもうまく云えずにすみません。
なお、誤解をまねかぬように念のためにつけくわえますと、 あなたのこのカキコミ
からは、 2ちゃんねるによくある悪意などはまったくかんじません。
775 :
考える名無しさん:04/01/05 00:01
かわいい
776 :
考える名無しさん。:04/01/05 00:54
老子も鳴かずば打たれまいものを・・・
・現代語訳の『老子』を読んで、何かしら面白いと思ったならば、
それで本人が納得してればよいだけの話。
わざわざ他人に「これが老子のすばらしさだ!」なんて触れて
回る必要はない。
・もし他人に老子のことを触れて回りたいなら、和訳だけで
わかったつもりにならずに、それなりに原典を読むとかの
勉強しないと、ツッコまれて恥をかくだけ。
・もし君が、原典も読めず、お勉強もできない、というのであれば、
別に誰も邪魔なんてしないから、一人で『老子』のすばらしさを
堪能してなさい。
>>777 よくわからないので ( ごく単純な意味で素朴に ) おききするのですが、
「 もし君が 」 とよびかけていらっしゃいますのは当方あてでしょうか ?
その本の意味が分かれば原典なんていらない。
大学などで研究するのじゃなければ和訳でいいのだよ。
そもそもどこまでいけば「わかった」事になるのか分からないからね。
まあ、原典読むのもそれなりにおもしろいけどね。
782 :
考える名無しさん:04/01/05 22:57
やっぱ老子でしょ!
思い出したようにカキコ。
人は、誰かに伝えたいという欲求を抑えることができないものです。
荘子の秋水扁(魚水楽)の所で、最後に荘子が「僕は濠水のほとりで魚の楽し
みが分かったのだ」と言った件ですが、私の理解を書いときます。
この章(岩波文庫では第二巻の最後)で荘子が言いたかったことは、最初に
分からない、と言ってしまうと「分からない」議論(A-B)にしかならない、
「分かろう」としない限り、たとえ議論をしても人は分かりあうことが
できないのだ、という事ではないか、と私は理解しました。だから、最後
の「分かったのだ」という発言はこれまで議論を全て撤回し、「分かる」
という所から議論(C-D)のやり直しを図ったのだ、と考えています。
つまり、こういう事です。
(魚の心について)
A:分からない
B:分からないのが分からない
A:分からないのが分からないのが分からない
B:そもそも分からないのか、僕は分からないか、どっちだ
A:分からない
C:分かる
D:分かるのが分かるのか
C:分かるのが分かる
D:分かった
なおこの、「分かる(understand)」という事と近代的な「考える(think)」
という事とは概念操作として別物だ、という事は押さえておくべきでしょう。
784 :
考える名無しさん:04/01/05 23:12
なかなかやる気だな。
785 :
考える名無しさん:04/01/05 23:32
>>783 「解らない」としたら、そういえばいいのに無理に難しく言おうと
しているのかな。(難しく言おうとしている!と断言するつもりはないので、
それを強調したい)
786 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/06 00:13
>>774 わたしのように、いいかげんな者に丁寧なスレありがとうございます。
釈然としないのは、わたしもおなじで、それでもいいと思います。
タオはもともと、始まりも終わりも無い道だから、気楽にいきましょうね〜
>>777 >>もし他人に老子のことを触れて回りたいなら、和訳だけで
わかったつもりにならずに、それなりに原典を読むとかの
勉強しないと、ツッコまれて恥をかくだけ。
老子曰く「知る者は語らず」
老子2世曰く「知ろうとしない者、恥をかけず」
>>もし君が、原典も読めず、お勉強もできない、というのであれば、
別に誰も邪魔なんてしないから、一人で『老子』のすばらしさを
堪能してなさい。
それでも、わたしは期待してるんですよ。「ともに」味わえることを。
実証的アプローチは、タオとは、方向性がちと違うと思います。
実証的なことは、おおいにやってもらったらいいと思いますよ。
**最近は、まじめな老子2世君でした**
787 :
考える名無しさん:04/01/06 00:14
老子はなんでスレageを欠かせないのか
788 :
考える名無しさん:04/01/06 00:17
喪前等、頭は大丈夫ですか?
老子なんざ哲学書でも思想書でもありませんて。
老荘は漢字文化圏の貴人の古典教養の一片ですよ。
詩や寓話の類ですわ。
深読みして唾飛ばしながら論じるような対象ではないのです。
歴史を超えた普遍性を有する儒学と違い今日的な価値なんざありゃしません。
会話の教養的装飾としての価値しか無いのですよ。
だから斯様な会話の必要性の無い人々までが道徳経を無理に解釈して意味付けして酔っている様は、
犬作妄言集「人間革命」の文字列に過大な意味を見いだそうとするあの狂信者達と同類に見えます。
早く目を醒ましなさいって。
それと道教趣味に逃げ込んだサブカルもやし新左翼も幼稚な理想郷幻想を捨て現実をよく見なさい。
老荘趣味で少年の無軌道を制しきれますか?
家庭内の平安を保てますか?
地域の平安を保てますか?
国内の平安を保てますか?
国家間の諍いから自国を、自分の平和を守れますか?
健康太極拳やナンチャッテ気功で何か成し得ましたか?
自らの肉体の対話と言うならば、それは鍛え抜いて初めて対話と言えるのです。
それは妄想しながら踊る事ではありません。
苛め抜き限界を知り、それを乗り越える事が真の身体との対話なのです。
無為自然も然り、無極の構え、無心の境地は極めたその先にあるのです。
引き籠もって自然を夢想するのは止めて早く外へ出てきなさい。
目の前の現実が貴方の理想と程遠くても、それが自然その物なのです。
自然な成り行きの結果があるだけなのです。
夢から醒めなさい、サヨちゃん達。
>788-790
長文乙。
どうせなら四川の卿希泰に言ってくれ
792 :
考える名無しさん:04/01/06 01:33
大きなお世話だ。
夢も希望もない時代だから、老荘なんだろ。
外には出たい香具師だけ出てろ。
コソビニの生意気な兄ちゃんに一発かましてくれ。
イラク逝って来い。ふん!
793 :
考える名無しさん:04/01/06 03:01
どうでもいいが、つべこべ言わずに老子を熟読せよ。批判はそれからだ
1しか読んでないけど。
>>1は知ったか君と見た。道家と道教の区別がついてないし。
よってこのスレ読む価値なしと判断
795 :
考える名無しさん:04/01/06 06:18
>794
>>1は知ったか君と見た。道家と道教の区別がついてないし。
>>よってこのスレ読む価値なしと判断
その区別を教示出来るのならそれを書けばいいだろうし、
本すら読まないでこのスレだけで学ぼうとしてるような無精者だったら
スレ読む価値も資格もないだろうよ。
796 :
考える名無しさん:04/01/06 09:05
797 :
考える名無しさん:04/01/06 09:13
>>796 ちょっと間違いがあった。
309というのは、漏れが勝手に「えーと前回は何処まで読んだっけ?」と
捜さないようにするメモです。309スレも続いているわけではありません。
消し忘れていました。
799 :
考える名無しさん:04/01/06 12:38
>>789 現実を直視しろという素晴らしい文言で何か変わった事はあったかい?
こうして貴重な一日が終わっていってどんどん不幸になってるんじゃないか?
800get
>>789 現実的に考えられるようになれて、本当の境地にたどり着くための足がかりになるような本教えてくれ。
とりあえず下二行にはやや同意。だけどそれは老子の言う自然なのだろうか。
801 :
考える名無しさん:04/01/06 15:12
お前らがどんな言葉を並べても老子の前では無力。
仏教>老荘思想
イスラム教>仏教
804 :
考える名無しさん:04/01/06 18:03
805 :
考える名無しさん:04/01/06 18:22
老荘の思想って仏教の先祖らしいな
>805
冗談はよしこさん
807 :
考える名無しさん:04/01/06 18:39
>>805 お父さんはお母さんから生まれたの?知らなかった。
観音力(ヴィジュアル・オ−ディオ・パワ−)
長岡鉄男
809 :
考える名無しさん:04/01/06 21:39
中国で偉いのは、老子でも孔子でもなく、餃子です。
いえ、包子です。
らおず・じゃおず・ぱおず
みんなおいしそうだ。
812 :
考える名無しさん:04/01/06 21:50
バオツ(baozi)ね
813 :
考える名無しさん:04/01/06 21:55
ラモス(瑠偉)ね
814 :
考える名無しさん:04/01/06 22:16
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Λ_Λ < 太極は半島起源ニダ
<丶`∀´> \ 老子がパクったニダ
\_________
815 :
考える名無しさん:04/01/06 22:51
モスラ(怪獣)ね
816 :
考える名無しさん:04/01/06 22:53
モジュラー(ジャック)ね
817 :
考える名無しさん:04/01/06 22:54
モンゴ(いか)ね
818 :
考える名無しさん:04/01/06 23:34
モックン(芸能人)ね
819 :
考える名無しさん:04/01/06 23:38
ヤックン(同上)ね
フックン(同上)ね
>>812 パオズ(baozi)かな。やっぱり・・・
決定的な表記法はないけど、中国語の"ba"音の日本語表記は通常「パ」だよ。
中国に「バとパ」(清-濁音)の区別がない。濁音の観念がないから「バ」で
表記する音素がないのだ。(「ズ」はなぜか「ツ」よりもよく使う)。逆に日本にも
中国語の"baとpa"(無気-有気音)の区別がないから、書き分けができない。
だから、日本人が"p,t,c"の発音が苦手なのと同様に、中国人が文句言う時に
「あなた、パカか、タメあるよ」という発話になりがち。
ちょっと脱線した。。。中国語を普及させたいわけではない。
ただ、中国語をかなで表記するのは無理があるんだけど、表記できないわけ
じゃないと言いときたかったんでし。
>>821 なんか日本語が変になってしまった。
×言いときたかった
○言っときたかった
>821
> 「あなた、パカか、タメあるよ」という発話になりがち。
> タメあるよ
> あ る よ
( ゚д゚)<
824 :
考える名無しさん:04/01/07 10:14
>>823 サザンアイズでそれやっていた女の子いたよな。
825 :
考える名無しさん:04/01/07 16:19
チャン・ツー・イー可愛い
827 :
考える名無しさん:04/01/07 19:43
『初恋の来た道』(原題:『我的父親母親』)いいよね。
ぶひゃひゃひゃひゃw
今日も完勝!俺に敵なし!よかったぁ、哲学修めといて。煽りにも強くなれるしねw
829 :
考える名無しさん:04/01/07 22:36
中公文庫『老子』 第七十一章
知不知上、不知知病。夫唯病病、是以不病。聖人不病。以其病病、是以不病。
(痴呆の論)
知っているか、知らないかとしつこく問い詰めるのは、
知に病(弊害、欠点)がある事を知らないからである。
病気を病気と認めない人がいるとしよう、
すなわち病気ではない。
これはその人が病気であるのに病気を病気と認識しないからだ。
聖人もまた病気ではない。
しかし、聖人が自分の病気を病気と認識するのも、
すなわち聖人が病気ではないからである。
これは同時に聖人が常に病気であることをも意味する。
知の病気である。
お分かりのとおり、
もちろん私は現行の解釈には満足していない。無知と知者の優劣を論じていると
いう筋の通らない解釈は読者をバカにしているし、「道理」が合わないと感じる。
荘子の解釈を援用しないと、私には少なくともコノ文章が読めなかったのだ。
(はっきり言って夫唯病病→不唯病病だったら良かったのにとも思ってるし、
以其病病もさっぱり分からないが、自分の解釈に満足している。これでいいのだ。
偉そうでごめんね)
考証を問題にするばかりで、この章に関してろくに議論しようともしないのが「老
子」の研究であるのなら、それはむしろ怠慢である。そんな「専門家」ばかりでもあるまい。
たしか近代にも、「知の欠陥」について語った哲学者がいたはずだ。
「(愚かな)人類が持つ知性には致命的な欠点がある。人間の認識にはある
運命が付きまとっているのだ」
というヤツだ(私の解釈ですみませんが)。どちらも「知」の暗部に言及している
ので、おのずから似ているかもしれないけれども、老子の言う「知の病気」と、か
の哲学者の言う「知の欠陥」はやはり異なる。一方には「他人=伝える相手」がお
り、一方には対話者がない。「老子」を読むと社会からの抑圧を逃れたインナー・
フリーダムを感じるという方もおられるようだが、その求める「知」のあり方が、
近代に比べると決定的に違う。「老子」の方が人と人との間の伝え合いに重きを置
いていて、その分、人間的、社会的なのだ。これ、「考える」と「分かる」の違い
と言っていいのではないかと思っている。
でも、やっぱり「荘子」の方が好き〜。
以上、ド素人さんの意見でした
833 :
考える名無しさん。:04/01/07 23:38
頭のいい人ほど、よく分からんものを誤って評価してしまう。
麻原彰光と上祐
老子と孔子
834 :
考える名無しさん:04/01/08 00:58
老子が真理だって?それは道家なあ。
835 :
考える名無しさん:04/01/08 00:59
道化
お前ら何にもわかってないんですね。ゲラゲラ
わかってますよ、海老餃子は真理ちゃんが注文したんでしょ?
「老子こそ真理」
838 :
考える名無しさん:04/01/08 02:58
近代は清潔化の病の時代だそうだ
除菌されたボールペンや電車の吊革や食材
コンクリートの町並みもそうであり、人間が吟味・選別した清潔なもので
身の回りで埋め尽くす事が清潔なのである
清潔は人間が選り分けたものである
人間は維持に必要なものだけで身体を保てるのだろうか
必要なものだけで埋め尽くす生活は清潔だろうか
人間の体を維持するには栄養が必要である その栄養を選択的に凝縮したものがビタミン剤である
人間はビタミン剤だけで体を健やかに、清潔に保つ事ができるのであろうか
無くてはならないものであるが、毎食取らないからといって人間の存在が即座に消滅するわけでは
ないのである 足らなければ節約できるのである 無ければ即座に駄目にはならないのである
840 :
考える名無しさん:04/01/08 03:19
体を維持する為に必要な栄養素だからといって過剰に摂取すれば体を崩す事になる(過剰摂取
ttp://www.j-medical.net/etc043.html)
体調を壊す事になるからビタミンは必要ないと考えるのも間違いである
程度の問題である 程度は人間の必要とする量である
人間の体の維持に欠かせないものだけを選択して生活するなら一体これは清潔なのだろうか
清潔というより貧しいのではないだろうか
致命的な毒は避ける事が懸命であるが、毒は薬にもなる
量の配分を知らなければ毒に手を出してはいけないし、健康なのに薬ばかり飲んでいれば
常用すればその薬は役に立たなくなるだろう 体には抵抗力があるのである 使い過ぎには注意である
841 :
考える名無しさん:04/01/08 03:22
不能なんで無理です
842 :
考える名無しさん:04/01/08 03:47
最も過度に美の基準を必要とされたのは中世社交界の貴婦人である
豪華 華麗 洗練 清潔 しとやかさ あらゆる修辞の言葉を体言すべく
社交界における美の要求は様々な矯正器具を生み出した
ウェストのクビレはコルセット スカートをふっくらとさせる骨組み
肌に優しいオイル脱毛 マスカラ ビューラー その他たくさんである
変わった所では、社交界デビューに向け体型矯正したいと願う母親が自分の
娘に寄生虫を飲ませ、ごく短時間の内に理想的な女性に仕立て上げようと
したという何ともすさまじい話である
清潔を求めるなら不潔な虫を飲ませるなどいささか矛盾であるが
飽くなき美への追求の成せる技であろう
貴婦人は大変だったんですね
843 :
考える名無しさん:04/01/08 03:54
テンソクは富豪の娯楽だろ?
ある皇帝が足の小さい女が好きだという事で、見初められた一心で
幼い頃から自分の娘の足を包帯で強く巻き、成長を止めてしまうそうだ
これは社会常識だったんだ
一般庶民はちいさい足なんて好きではなかったらしいぞ
844 :
考える名無しさん:04/01/08 04:05
薄化粧が一番好きだね
845 :
考える名無しさん:04/01/08 05:07
曲解や悪用厳禁
846 :
考える名無しさん:04/01/08 05:09
ひそひそ(厳禁なんて言ったら駄目だよ)
ひそひそ(そうだね、きっとつげ口されるよ)
847 :
考える名無しさん。:04/01/08 07:45
848 :
考える名無しさん:04/01/08 11:41
849 :
考える名無しさん:04/01/08 15:22
新春テレビ特番
『赤穂老子』
850 :
考えるための貧人:04/01/08 15:34
851 :
考える名無しさん:04/01/08 16:32
老子とともに歩むこと、これを老子協調路線と言う。
労使ネタ使おうと思ってたのに(´・ω・`)
>853
誘導すんな。
迷惑だ
855 :
考える名無しさん:04/01/08 20:07
老荘思想vs仏教、どっちが上ですか?
行間の含みなら老荘思想
論理と密度なら仏教
どっちも現実より下
素晴らしい下だと思います。
>>855。
何についても何も分かっていないヴァカ。
人を比較することの無意味さになんで気づかんのかねぇ。
‘アイドル’の人気投票じゃあるいし。
かくて一日、無為に過ぐ。
淡雪の陽の一掃きの命かな
859 :
考える名無しさん:04/01/08 20:30
無意味に意味を持たせる事はさらに無意味である?
人類の存在が無意味であった
>>859。
意味を創造せよ!
んで、みんなで精神病院を占拠しますか(笑)。
人類の存在が無意味であったことから
人類は人類と森羅万象に意味を見つけ始めた
857と861でかなり台無しになっとるのだが。
水は全ての下に位置す。
864 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/08 22:10
いったい、シナ文化は無駄口を排するところがある。
現代の老子的世界
古着屋、古本屋、錆びれた寺、漁村
絵画をとっても、西洋画は甘い、シナ画は渋い、西洋画は説明的、シナ画は直感的。
シナ画には、陰景がない、影を描かないのである、下卑るから。下卑るとは言うま
でもなく現実的になることである。嫌ったのである。かわりに気韻、神韻を重んじた。
なるほど、シナ人は無口ですか。そうですか。
言葉に対する扱いで文化は異なるような気がする。
ユダヤ人は文字に淫する文化ですよね。THEBOOKといえば聖書みたいに。
六法全書並みに言葉であふれている。神が言った、言った、言った・・・。
うるさいっちゅうねん。
エジプトの書記官かなんかやっていた連中の末裔だからかな?
日本人は言霊ですかね、井沢さん。
>>685 あんた、なかなか鋭いとこ突いてるな。
どちらも言葉か現実界に与える影響を重視している文化。
そんなとこに共通性が有るんだよな。
867 :
考える名無しさん:04/01/08 23:52
儒家と道家は表裏一体。南斗聖拳と北斗神拳みたいなものなのだ。
ソシュール勉強して濃い
誰それ
"The Freedom of Tao"って本知ってる人いる?
インドを歩いていると、出くわした欧米系の人に何故か勧められたんだけど。
著者の名前は忘れたし、検索しても分からなかった。
最近、知った話だが・・
ユダヤ神秘主義の一種であるハシディズムは、老荘思想に近いものだそうだ。
小周天でもやっててください
873 :
考える名無しさん:04/01/09 18:45
フーン
よし、漏れが谷神を解釈してみよう。
田村亮子とケコーンした谷は神。
略して谷神
ちょっと荘子サソ、座布団一枚持っていきな
>>875 荘子サソが座布団を掃除するわけだな!?
>>870 Amazon.comで"The freedom of Tao"で検索すると、7冊くらい該当したけど、
そのものずばりの題名の本はなかった。
ググったら、Website of 「Anarchist」 Publishers.というのが最初に出てきた。
NHK放送の「アメリカからたどり着いた老子の言葉」では、老子の英語訳が
50種類くらいある、と言ってたので、その中の1冊ですかね?きっと。
ちなみに、加島祥造氏が老子と出会ったのはアーサー・ウェイリーだそうです。
ニッポン語だと 「 道 」 はミチすなわち 「 とおるところ 」 を
あらわしますが、 中国でもおなじ意味の語 ( 字 ) なんですか ?
>>877 レスありがとう。
サールナートの公園内のテーブルとイスがあるところでちょっと休もうとしたら、
そこに前からいた彼らが漏れに話し掛けてきたんですよ。
そいつ:おまえはなにやってる?
漏れ:学生だ
そいつ:何を勉強している?
漏れ:哲学だよ(ここまではよくある会話)
そいつ:それなら、○○(知らない名だったので忘れた)って哲学者を知ってるか?
そこで「その人誰なの?」って聞くと、「"The freedom of Tao"の著者だ」って言ってた。
○○はLao-Tzuではなかったと思うのですが…。
仲間が行こうとしていて「気が向いたら読むといいよ」とか言って去っていったので詳しいことは聞けなかったんです。
彼らは何が言いたかったんですかね?
俺達ヒッピー
>>779 なかなか興味深い。「インドで出会った老子」ですね(笑)
その欧米人は何かの話のきっかけにしたかっただけかもしれませんが、
なんで、インドでヒンズーでも仏教じゃなくて老荘の話題を振ったんでしょうね?・・・謎ですね。
ましてや日本人の"Tao"って全然freedomじゃないから、そう言われると戸惑っちゃいそうですね。
もはや世界には混沌とした自由が満ち溢れていますね。(良い意味で)
まあいろんな人間が生きているから、インドでタオについて聞かれても不思議じゃないのかも。
ネパールでキリスト教を広めている日本人の神父さんもおられる事だし。
>>881 ちょっと間違えた。じゃ→や。眠いのでご勘弁を。
>>878 中国でミチというときは大抵、「路」lu4を使います。
例:
我想:希望本是无所謂有,无所謂无的。這正如地上的路;
其実地上本没有路,走的人多了,也便成了路。
(私は考えた。希望とはもともとあるとも言えぬ、ないとも言えぬ。
まさに地上の道のようなものである。地上にもともと道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。)
ちなみに辞書で引いたら山のように意味が出てきました。
@みち、方向。
A言う、言葉で表現する。認識する。
B数詞、量詞。(〜本)
などなど。日本語の「道」の意味はほぼ包含してると思うけど、ミチの意味で
使うときは、たぶん「道路」dao4lu4と言うんじゃないかな。「鉄道」も「鉄路」だ。
「〜まで」という時の「到」が同音なので、紛らわしいし、美しくない、かな。
ついでに面白いことに、「稲」、「盗」もdao4で同音でした。
そういや、稲も盗も「トウ」なのに、なんで「道」は「ドウ」とも読まれるんだか。(蛇足)
私の考えなどはさしずめ「途」か「径」
といった所です。
> そういや、稲も盗も「トウ」なのに、なんで「道」は「ドウ」とも読まれるんだか。(蛇足)
音韻学でも勉強すれば?
884 :
考える名無しさん:04/01/10 12:06
フーン
老子に愛はあるんですか?
割愛されてたらどうします?
割礼でなんとか
大道廃れて仁義あり
に即して考えると
言葉が無いから愛も無い。なのかな?
真の大道とは何物にも縛られない自由の往来を指すのである。
古にそこで行われるのは大道踊りであり大道芸であり大道店であり大道具であった。
真の大道は仁義者によって失われてしまった。
今あるのはやくざや権力に仕切られた似非大道である。
ギターを太鼓を手に大道へくりだせ。
891 :
考える名無しさん。:04/01/10 23:06
ど〜でもいいですよ〜。
892 :
考える名無しさん:04/01/10 23:10
割礼の 手許くるって 元からチョン
>>882 大感謝。
例にひかれた文はひょっとして魯迅ですか ? それがいつだったか
サダカでないほど昔に、 まさしくこの言葉をだれかから ( たしか )
「 魯迅のもの 」 としておしえられ、 なぜかそれがつよく印象にのこって、
( 訳文の ) しまいの 2 文がずーっとわすれられませんでした。
ワシは上のほうで 「 ズブのド素人 」 と称している者ですが、
>>878 の
質問をかきこんだのは、 「 老子は自分のかんがえをなぜ 〔 道 〕 って
字 ( 語 ) であらわしたのか ? 」 という、 まるでガキみたいな疑問を
いだいているからです。
この疑問をめぐって、 その 「 魯迅のもの 」 と記憶していたことばが
自分のアタマのなかであるときフイにむすびついたんですね。
このことばにしめされている ( 地上の ) 「 道 」 の意味は、
>>617に
かかれている寓話とゆうかタトエ話でしめされているのとおなじ 「 道 」 の
かんがえ方だとおもいます。
そしてワシもまた、 老子のタオだかダオだかを、 この意味での 「 道 」
とむすびつけてかんがえるとき、 とてもスンナリわかる ( とおぼしい ) 面
があるのです。
そんなわけで、 ここでその 「 魯迅のもの 」 と記憶してきたコトバと
いきなり再開することになり、 正直いってビックリしました。 はずかしながら、
ちょっとドキドキさえした。 ( この大ばか者めとおもいつつ、 2ちゃんねる、
あなどれん …… などとすらおもっちまった。 つつしんで逝ってきます。)
また、 辞書の 2 番めの 「 言う、 言葉で表現する。 認識する。」 にも
注目させられました。 老子の時代でもこれとおなじ意味だったんでしょう
かね。 ワシもすこしジビキをあさったことあるんですが、 中国での語意が
ちゃんとかいてある漢字辞典てのが結局わからずじまいでした。
とにかくまア、 感謝 感謝。
あ〜、「言う」の意味で「道」を使うことは現代漢語でも全く無いとはいえないよん
老子って難しいね
研究すればするほど老子の真理から遠ざかっちゃうから。
研究するのと、老子の真理を理解するのは別物
897 :
考える名無しさん:04/01/11 15:24
と自慰する神秘主義者達(藁
898 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/11 16:43
>>896 ただ、わたしの認識とたまたま近い哲学だったのが老子というだけの話であって
けっして、老子信者ではないのです。
>>897 いや、漏れ研究する側だから。
言い得て妙の部分はあると思うが、
抽象的・思弁的な文章に真理を求めたりしません
今だ!セクースしながら900ゲットォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧
(゚Д゚ ) (´´
アアン ! ∧∧⊂ ヽ/ (´⌒(´
⊂(>o<*⌒ `つ つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
し' ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ドッコイショ・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´;;
∧∧∧∧ (´;;
〃 (>_<*)Д-)
〃 ⊂(。(。 つと| グィッ
〃 > y ) /〜))
.し'し' U
何見てるんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄
パ ∧∧ ∧∧ パ
ン (n。n*)゚Д゚) ン
(.ノ(し⊂ニノ ))
ミナイデェ > y ) /≡〜
.し'し' U
中国人の神秘主義なんて、世界の中で比較したら
神秘度がおもいっきり低いんじゃないのか?
かも知れない。
日本人の中で(いや知識人の中だけかも)
神秘と秘密の違いを理解している人ってどれだけ居るんだろう?
903 :
考える名無しさん:04/01/11 23:34
神秘と秘密の違いを教えてくださいお願いします(字引以上の薀蓄で)。
>>893 それは何よりでした。ご明察の通り、魯迅の「故郷」最後の下りです。
(この文章では「道」を避けて「路」を使った、というのが正解かも知れませんが)
使用した辞書は、商務印書館発行、現代漢語詞典です(漢漢辞典)。
中国語の語感を捕まえようとすると、漢和ではたしかに厳しいです。
中国の辞書は安いので、この際一家に一冊、いかがでしょう・・・(冗談)
魯迅の人となりと道教(道家)は切っても切り離せないと思います。
このスレではこれ以上「左翼で反動文人」の魯迅に突っ込みすぎるのは難がある、
と言われそう(笑)なので、とりあえずリンクだけ措いときます。
※竹内好氏の訳が青空文庫にでも入ってるかと思いましたが、ないですね・・・
77年ご逝去ですか・・・。ググったら、ここに訳がありました。
http://www.asahi-net.or.jp/~ft7n-tnmt/hometown.html ※中国語読める方は、原文はここが重宝します。(要中国語フォント)
New Threads 魯迅
http://www.xys.org/pages/luxun.html (引用文はフォントの関係で私が簡略−旧字体入り混じりで編集しました)
ついでに言っておくと、現代中国語で「道」は「言う」の意味に使われないわけ
ではありませんが、使われるとしたら、書き言葉もしくは方言くらいでしょうか。
「説道」(言った)とも使いますが、かなり古くさい表現でしょう。
もっと良く使われるのは、「知道」(知ってる)かな。あまりに良く使われすぎて
いるので、かえって「道」の意味は消失気味です。
「天路歴程」The Pilgrim's Progressも「天道歴程」と訳されると意味が変わって
しまうので、「道」でなくて良かった方(かな?)。
ちょっとはまりすぎてしまいました・・・。
>>930 神秘とは思いやりから来るもの。
秘密とは、自分(達)を守るため。
かな。
>>903 だった。
神秘的って危うい美しさが有るよね。
実際危ないよ。
すべての物事は頂点を極めたそのときから低落の途をたどり始める。
それが「道」というものである。
「道」に反するものは、それなりに終わりを迎える。
老子
頂点
・・・この語に他が内包されているわけだが
>>903 秘密は暴かれる事によって秘密ではなくなる。
神秘はたとえ暴かれたとしても秘密が再生する。
なぜなら秘密は人間の支配する領域にあるのに対し、
神秘は人間の支配をかたくなに拒む領域に存在するからだ。
んで?どうすると東洋の神秘主義が西洋のそれより低いって事になるの?
白ね〜
ん?ここでは老荘思想が神秘主義ってことにでもなっているのか?
>912
>897から来た、わき道の流れ
>>914 たぶんちがう。
マーフィーに近くないか、それ。
いや、その本は無意識になる方法がかいてあるんだよ。体操から心の持ち方までね。心の持ち方は老子にもかいてあるだろ?
マーフィーは潜在意識の存在を知らせるために一生懸命なわけだが。まぁ、結局同じところに行き着くわけだが。
917 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/12 23:12
>>912 神秘主義といった場合、意味不明の記号や、呪文によって、また思考は実現するとか、
新たな境地に至る。
ってことだから。老子の場合せいぜい、「道」という概念だけで、不可解な言説は
ないと思うけど。
わたしは、神秘的なことを、否定しませんが。
なんだか老子スレの雰囲気が重くなってきてしまいました。
気晴らしになるレス希望。(つまらない冗談は却下)。
1を見れば、このスレが素人を対象にするスレなのは明らかです。
ここは哲学板なので、自分に引き付けた話題や、好き〜とかきらい〜とか、
主観的なやり取りでいいでしょう?学問的方法がすべてでもありません。
客観的に語る事が永遠に無理な老子に対して客観を装うのはやめよう。
もっと軽〜い気持ちで語れないものだろうか。
なお、漢文厨はこちらの漢文板でどうぞ。
老子について大いに語ってみよう・かな
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1006438723/
別に好きとか嫌いとか主観的なやり取りに終始するなら問題ないっしょ。
けど
> 学問的方法がすべてでもありません。
って…。
ここは学問・文系カテゴリの哲学版っしょ。
学問関連の板で学問的方法が全てじゃないってどーゆーことよ。
あと、何にでも「厨」を付けるのは遺憾と思うぞ
>>889。
「愛」が消滅して「言葉」あり。
だろうな。比較するなら。
「言葉」廃れて「力」あり。と続くんだろう。
老子を素直に読めば、ね。
第十八章
大道廢,有仁義。智慧出,有大偽。六親不和,有孝慈。國家昏亂,有忠臣。
んで、忠臣になんかなりたくないね、っつったのが、荘子。
あえて、泥中に尾を曳かん、とかなんとか。
>921
だから喪前様の根本的に間違ってる言葉遊びはどうでも良いんだってば
>>920。蛇の足。
宮中への出仕、就職をことわった士人はたくさんいたらしい。
(『三国志』「蜀誌」日本語訳、文庫本。)
ついでに、滅びた王朝の官僚がそのまま横滑りで、
新王朝の官僚になって、必死に前王朝の弁護をしていたりするのも、
なにやら、面白い。
そうそう、言いたかったのは、その「荘子」研究者が、
就職したがる、ないし、現世利益を求めるってぇのもなんだかなあ。
本当に分かっているのかしら、って気分にはなるね。
924 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/13 23:01
>>918 禿同!
かるーーい気持ちでいきましょう
実証にあたまをもたげることなく、生活のなかで戯れましょう。
今年もやるぞおおおおお〜ってことが、推測されます。
エッチスケッチワンタッチ、マイナスプラス、くそジジイ〜
エッチスケッチダブルエッチ、マイナスプラス、くそババア〜
意識は実は、つながっている、自他は分かれない。
わたしあなたの二元論は、まちがいで、以心伝心が事実だ。
これが、恋だ!
君は僕だ!だから主語はいらない。
OK?
OK.
>>919 それは私の発言の本旨を無視し、枝葉の部分に執着したレスだと思うが、
わざと的を外した洒落かな?
ちょっと突っ込んどくね。
すべてではない、という事は一部だということだ。
厨ではない一般的な日本人には通じることばだと思う・・・
学問関連板云々〜は本末転倒。掲示板は基本的に情報交換の場。まずは雰囲気を楽しもう。
スレにはスレの流れがある。板には板の流儀がある。君の掲示板じゃないでしょ。
これ以上は小学生のケンカになるのでやめとこう。何より気晴らしにならない。他の人にも。
>>926は、いらない心配だったようです。無視して。明るくやりましょう〜
無視してくれてもいいが少しくらい建設にはなそうや
コミュニケーションはかたちなき形体であってそれが
どのようにも変化していくのがおもしろい。コミュニケーションは
単なる情報交換の場ではなく全体への介入でありそれはそれに
参加していく人間と同時に全体までもが動いていくというダンスだ。
それはどのようにも変化していくしまさに全体が自己組織的にどんどん
形を変えていくことが自分と世界との繋がりを確認できる面白い
共同体最高の遊戯だからだ。話をすることで定住が揺さぶられ終わりなき
日常という幻想を壊してくれる生そのものになる。しかし、言語も貨幣
と同様でそこに介入する人間の在りかたで不況にもなる。金も言語も腐る。
介入者が何の知識もなければ市場はたちまち干上がってしまう。
それは哲学的なことを知っているというのではなくコミュニケーションを
するための技術をもっているかそうでないかによるものだ。
コミュニケーション技術とそれにプラス@知識があることで全体の
変化に個人は立ち会えるわけだ。そして、ここに自民族中心主義的な
共同体介入や宗教的な陶酔ではないダンスの可能性がある。変化を好み
定住をぶち壊すことから個人としての地平がひらかれてくるものだ。
リベラルであるかコンサーバティブか、またはレフトかではなく
それは全体に介入する意志をもつ個人だ。これはまだ可能性でしかないが
>928
で、どうしたいんだよ、と・・・
ご本人>928氏は「重い」人なので>918で言ったように、軽く行きたい・・・ということかなぁ〜
>>928 かたちのないコミュニケーションなどない。貨幣は記号ではない。
とだけ、返しておきます。。
932 :
考える名無しさん:04/01/14 01:42
必然を意識する必要は無い、思うままイキロ
あふぉか。
学問的な立場を放棄して主観だのフィーリングだのだけで語るんなら
学問板になんぞ立てるなよ。
掲示板の基本的な有り様なんてわかってんだよ。
既に掲示板が目的別に細分化されてるのに、
そのカテゴリを無視して「空気嫁」とかバカじゃねーの?
要するに、
「私には知識もありません。本の受け売りだけです。
でも語りたいんで、専門的な突っ込みはしないでくださいね^^」
ってことだろ。
史料も資料もなしに、脳内だけで理論を展開させたいなら
学問じゃなくてどっか別の板に立てろよ
ま、ここは、ひろゆき氏の運営する2chだけどね。知ってた?
( ´_ゝ`)
イ?「!
知識がなくても、志があればええんではないかい?
史料・資料の引用も、本の受け売りも本質的には同類だ罠。
知識の多寡で優劣正誤を競いたいのならそれはそれで良いが、
まあここはスレタイの如くネタスレだ。
>>1の超然的な断定にもの言いたいなら、もっと面白可笑しく書けや。
>>937。
ここに知識がある、はず?
>>1氏は小周天とか大周天とか、金丹がどうとか、
「道教」をやりたかったんじゃないの?
そういうのは一人でやっていればいいことで、
と、まあ、おらも嫌いじゃないが議論するようなことではなさそ。
>>928。
「コミュニケーションは
単なる情報交換の場ではなく全体への介入でありそれはそれに
参加していく人間と同時に全体までもが動いていくというダンスだ。
それはどのようにも変化していくしまさに全体が自己組織的にどんどん
形を変えていくことが自分と世界との繋がりを確認できる面白い
共同体最高の遊戯だからだ。」
賛成。続く。
なんちゅうか、この、なんだな、全体が「混沌」であって、
われわれもその一部であるとするならば、
単純に一部が変われば全体も変わる。
しかし、大事なのは、そういう積分的な変化ではなく、
全体の質的な変化なんだとおもう。
で、そういう変化は計算できない。
必要なのは計算ではなく、
>>928。「全体に介入する意志をもつ個人だ。」
ということなんだと思う。
つまり、「意思」であり、「意思」というからにはもちろん、
「自由な意思」が大事なんだ。
情報交換はロボット同士でもできるが、
情報交換によって何かを生み出すことは人間にしか出来ない。
何を生み出さんとするか、が、常に問われているのではあるけれど。
と、猫は夢見る。
知識にこだわるお前らが老子のなにを読めているというのか。
942 :
考える名無しさん:04/01/15 00:25
上ばかり見て生きる人生が、ダメなことがある。
それに応える思想が、2千年前に生まれ、
今日も生きていることを喜びたい。
老子は何年前の人だ?2500年位か?
確か釈迦と同じ位だったよな。
あれから随分と年月が経って科学技術も
知識の蓄積量も膨大に増えたはずだが、
根源的な部分では未だ未だだよな。
やっぱり学術的な手法では越えられない壁が有るんだよ。
アメリカの宇宙物理学者も行き詰まってヨガ始たりしてたしな。
東洋人なら早く気づけば良いのに。
健康目的でヨガやってるんじゃねーの?
>>904 いやあ、 たびたび、 感謝 感謝。
>>894 の方もおなじことをおっしゃってますが、
そうしますと、 「 道 」 を 「 言う 」 ってのは老子の時代なんか
の話なんですね。 でも、 それですと、 翻訳だけをよんで
うけとるのとはまるでちがう意味あいになりますね。
おもしろいことです。 ためになります。
魯迅は 「 左翼 」 で 「 反動 」 なんですか。 ややこしそう
ですね。 ( 笑 ) ニッポンでも、 インテリがかった左翼には
なぜか魯迅は人気ありますね。 でも、 そのひとたちが魯迅
をズバリとひと口で寸評したのって、 なぜか見たことない。
なんとも云いように窮しつつその名をもちだすって感じがします。
やはり 「 左翼かつ反動 」 だからでしょうかね。
ワシ自身はよんだことがないので何ともいえません。 あ、
いや、 むかし、 学校の読書感想文の宿題で 『 阿Q正伝 』 を
よまされたかな。 もうわすれましたけどね。でも、老子のかんがえ
と通じるものがあるんなら、そのうち読もうかな。
でも、 そうやってくと、 だんだんハマっていくなあ。 ただのズブの
ド素人のヤジウマのつもりなんだけどなあ………
947 :
考える名無しさん:04/01/15 18:41
何事にもこだわらない事だ
948 :
でんごんげーむ:04/01/16 07:43
風水に関する英訳本の和訳をしている人から依頼され調べてます。
--The Yang Dwelling Classicという本の題名ですが、「陽宅集成」と
訳していますが裏がとれていません。3名の翻訳者の一人から、「黄帝宅経」
ではないか?との案もでたのですが、この本は中国最古の住宅に関する教本
(家相のようなもの)らしく--とありますが黄帝宅経は検索不能。実在している
のでしょうか?黄帝内経なら、見つかった。広辞苑でね。中国最古の医学書。
黄帝と6名医との問答形式。これだとちと違うような気もするし・・・
どなたかご存じの方おいででしょうか?
というか、著者か関係者に聞くのがいちばん早いような気が・・・死んでなければ。
>黄帝なら Yellow Emperor
ワロタ
>>944。スレッド探しのついでよりですまんが。
ほぼ同意。
‘西洋人はとっくに気づいているのに’…、ねえ。
『哲学入門』カール・ヤスパース著、草薙正夫訳、新潮文庫。
黄帝って意訳すればThe Great Emperorなのかな。
それともThe Golden Emperorになるのかなぁ。
本物のアフォでつか。
皇帝=Yellow Emperor (Huang Ti)でオッケー。
>>951 ←この人が何をワロテいるのかさっぱり分からず。スルーで。
間違えた。皇帝→黄帝。
黄帝=YUNKER KOTEI SOLUTION
958 :
考える名無しさん。:04/01/16 23:58
老子が真理なら
もうその時点で議論の余地がないわけで・・・・・・・・・・・・・・アホか!
アホやねん。
960 :
考える名無しさん:04/01/17 07:05
議論が全てとでも?
961 :
老子2世kuni:04/01/17 12:01
>>933 >学問的な立場を放棄して主観だのフィーリングだのだけで語るんなら
>学問板になんぞ立てるなよ。
哲板にありながら、論理や議論を批判し、主観やフィーリングを
重視する、スレは他にありますか、わたしの知る限り前代未聞
ではないでしょうか。
>掲示板の基本的な有り様なんてわかってんだよ。
>既に掲示板が目的別に細分化されてるのに、
>そのカテゴリを無視して「空気嫁」とかバカじゃねーの?
バカになれない君が、チャーリー浜を見習うべきではないかな?
要するに、
「私には知識もありません。本の受け売りだけです。
でも語りたいんで、専門的な突っ込みはしないでくださいね^^」
ってことだろ。
>史料も資料もなしに、脳内だけで理論を展開させたいなら
>学問じゃなくてどっか別の板に立てろよ
脳生理学は、根源的に、間違ってるってことは、自明のことじゃないですか。
何のために書き込んでるんだか
ひまつぶし。
人生は暇つぶしだ!
ひつまぶし?
965 :
考える名無しさん:04/01/17 15:47
思想は議論なのかよ。ゲラゲラ
966 :
考える名無しさん。:04/01/17 16:01
>>965 議論なしに生まれた思想がありますか!
そんな独りよがりのもの。
老子ですら孔子と議論している。
967 :
考える名無しさん:04/01/17 16:26
ゲラゲラ
968 :
考える名無しさん:04/01/17 16:29
あざ笑うのは小人だけだ。
969 :
考える名無しさん:04/01/17 17:09
後世の空想論議
→老子と孔子の議論
970 :
考える名無しさん。:04/01/17 17:15
もう一度いいます。
議論のない思想は哲学でないし
それを真理だと言うのは片腹痛し。
971 :
考える名無しさん:04/01/17 17:21
議論でなく
内省による思想誕生もきわめて多い
972 :
考える名無しさん。:04/01/17 17:24
>>971 それは、少なからず宗教にすりかわるものだけどね。
次スレどうします?
>>972 呼称が変っただけで、思想だろうが宗教だろうがかわらんと思うが。
975 :
老子2世kuni:04/01/18 00:19
>>975 このスレは、狭き門なんですよ。
まじめな人は避けるし、不真面目な人も・・・
まじめにふざけられる人のみがですね〜
や〜〜めとこ^^
なるほど、真面目に議論したい人は立ち入り禁止のスレなんですね。
次スレは、ここではなく、どこかふさわしい板へ立ててください。
老子の知名度は低くないはず
誰もがちょっとは覗きたくなる思想。
だから、板 も スレタイ も再検討が必要かも
「真理」を持ってくるのはマズイ
「粋」のほうが「ノリ」がいい
他にふさわしい板あったっけ?
>黄帝=Yellow Emperor (Huang Ti)でオッケー。
いやだから「Huang Di」ならオッケーだけどさ。
なんで「Yellow Emperor」がオッケーなのさ。
だったら「老子」は「Elderly Child」で、
「山田」は「Mountain Rice Field」で、
「松本」は「Pine Base」でオッケーかい?
>>978 君の答えは?まさかYUNKERとか・・・
980 :
老子2世 ◆HadB1ps9g2 :04/01/18 01:44
もうすぐ、1000ですね。
もう終わるんですか?
>>978 もしかすると、"Huang Di"が唯一絶対に正解と思ってるようですね?
老子とあんまり関係ないと思うけど、、、行きがかり上。
「黄帝」は、発音上、ピンインと言う、中国語発音の中国におけるローマ字
表記では"Huangdi"、英語では"Huang-Ti"と表記するのが普通です。
(慣例。英語に有気-無気音の区別がないから。Huang-Diでも間違いではない。
前にした同様の、「包子」のカタカナ表記の説明も参照して)。
で、ピンインでは声調があるのでPC上ではHuang2di4と書いたりするのだが、
それだと(それでも)発音上「皇帝」と「黄帝」に区別がなく、表記上も意味上も
区別が付かず、あいまいになるので、英語では普通に"Yellow Emperor"を
よく使う、というわけだが、、、――というかこの場合、どっちが正しいか[一般
表記の正当性って意味]は、単にググれば分かる、と思うので問題にする方の
問題意識が分からない。――何かご不満がおありですか?ご不満がおあり
の場合には、ちゃねら〜でなく欧米人に言う、よろし。私は特に異存ないある
のよ。声調のない中国表記もいまいちピンとこないけど、英語にいちゃもん
付ける勇気もないし、・・・論点外れまくり。ほかにもっと大事な問題はないの?
中国語表記(ピンイン)だと、
老子は"Laozi"
山田は"Shantian"
松本は"Songben"
英語表記は、
老子は"Lao-Tsu"
山田は"Yamada"
松本は"Matsumoto"。
もちろん、日本語ローマ字表記もできま〜す(2通り)。
983 :
考える名無しさん:04/01/18 02:09
↑なにこれ?
分派活動がさかんだなあ …… ( 笑 )
987 :
考える名無しさん。:04/01/18 13:17
老子しか触れてないのは、
哲学書の難解さについていけず、簡単な読み物としてある老子に触れている人達
という性質がバレバレです。
988 :
考える名無しさん:04/01/18 14:35
難しいモノが簡単なモノより優れていると?さらに老子が簡単だと?ゲラゲラ
>>988 WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
990 :
考える名無しさん:04/01/18 14:41
おい。気違いを入れたの誰だよ。
991 :
考える名無しさん。:04/01/18 14:42
>>988 老子は教訓だから、わかりやすい本出てるんで
すぐ飛びつく香具師が多い。
黄帝=Yellow Emperor (Huang Ti)
はどうかと思うが、そういう風に翻訳するヤソキーが仮に居たとしても別に違和感は無い。
マダム・バタフライ(蝶々婦人)なんてのもある。
訂正 ×婦人
○夫人
995 :
考える名無しさん:04/01/18 22:25
995!
大道廢
有仁義
知慧出
有大偽
知人者知。自知者明
1001 :
1001:
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