3 :
考える名無しさん:03/10/22 20:52
最近、田中佩刀『荘子のはなし』(斯文会)ってのを読んだ。
3
5 :
考える名無しさん:03/10/22 20:54
ろうこ そうこって 何?
しんでもよまないことにきめました
7 :
考える名無しさん:03/10/22 20:56
>3
で、感想はどうでしたか?
8 :
考える名無しさん:03/10/22 20:59
>>1 あのー。しつこくて申し訳ないが、自分のそういう態度が何を意味しているか
理解してますか?
話の流れ、文脈、読めてますか?
一連のスレの主旨についてのレスは、このスレの存在の妥当性を問うているので
はありませんよ。
スレ発案者のあなたから、スレの主旨を勘違いしている、との指摘を受けたので、
私なりにとらえたこのスレの主旨を明示した上で、あなたにこのスレの主旨を説明
することを求めているのですよ。
スレの主旨はスレ発案者の脳内にあるのが大前提ではなくて、その主旨が発案者
以外の多数に共通に理解されていることが、スレが成り立つ大前提ではないですか?
その共通理解を得ぬまま、また得るための努力を怠ったまま、スレ主個人の思惑で
スレを立て、運用することは、まさにスレの私物化、閉鎖的利用ですよ。
ここまで理解したうえでそういう態度をとっているのですか?
そうであるなら、あなた自身がスレの閉鎖的利用を認めているということに
なりますよ。
そうでないなら、スレの主旨を説明してください。
たびたびこのスレに対する批判が繰り返されているように、私以外にもこのスレ
の主旨がわからない人は多数いるはずです。
スレを立てたからには、その主旨が共通理解を得るよう努力すべきです。
それを無視して、自分もしくは一部の人間が主旨を理解してればいい、という態度は
繰り返しになりますが、閉鎖的利用です。
スレの主旨に対する説明は、同スレ内で行われるのが妥当だと思います。
スレの主旨に対して共通理解ができた上で、
その主旨のスレが哲学板に存在することが妥当かどうかの議論は、
あなたの誘導したスレでなされるべきでしょう。
9 :
考える名無しさん:03/10/22 20:59
意外と、荘子を出典にしている言葉が日本語に入っているということで、
親近感を覚えた。
また、荒唐無稽なる話がたくさんあり、想像をかきたてられた。
たとえば、すごく広大な鳥の話とか。大空をそういうでかい鳥が飛んで
いる話だとか。
挿絵があじわいぶかく、そうした鳥の絵があったりする。
わたしの愛読書なので詳しいでしよ。何でも質問してください。
11 :
考える名無しさん:03/10/22 21:02
>10
いい入門書を教えてください。
12 :
考える名無しさん:03/10/22 21:02
現在日本で手に入る荘子の現代語訳・解説本ではどれが一番いいだろうか
13 :
考える名無しさん:03/10/22 21:15
荘子は誌的でもあり、原文を読むのがやはりいい
そうし ます。
15 :
考える名無しさん:03/10/22 21:18
荘子=そうじ
はい、部屋を そうじ します。
17 :
弥勒 ◆LY666//S/s :03/10/22 22:57
「老荘は哲学たりうるか」どうかも怪しいんだけどもね。
漢文の訳ひとつで全然違う意味に解釈されうるし・・・
意味を知るには(個人的)意訳無しの“客観性”など保持出来ないと思う。
こらー!!10は誰だー!!(´Д`;) バイト行ってた時間じゃないか。
>>11 自分は荘子は好きですが老子はいまいちでつよ。
つか訳は自分でするよろし。本文はたくさん出てますし。
漢和辞典片手に地道にやるほうが、よほど理解できると思いますよ。
時間がないなら書き下し文だけでも結構理解できますし。
手に入りやすいもの、または注釈が適度についていて、かつ邪魔にならないものを
お選びになるといいんじゃないかと思います。
荘子はとりあえず内篇だけでも読んでおくと面白いかも。
それを一種の「寓話」ととらえて、「一体何を言っているのか」まで考えたときに
初めて解説書などが役に立つと思われます。はい。
19 :
考える名無しさん:03/10/23 23:35
ヤスパースに老荘についての本があるらしいね。
20 :
考える名無しさん:03/10/23 23:56
人名がそうし。書名がそうじ…だっけ?
>>19 枢軸時代説で荘子についても言及してるというのは知ってますが、荘子だけを対象に
書いたのがあるとは知らなんだです。どういうのなんでしょう?
>>20 そうー。でも曾子とまぎらわしいので名前のほうもやっぱりそうじと言ったりします。
どうしてもあなぼこ混沌のイメージが離れない荘子。第一印象ってこわいですね。
, ' ´ ` ` 、
; `、
: ● ● :;
・ ;
: `' :'
`: ● ;'
`: :
: ;'
`、 :
こんな感じ?
>>22 こわいー(;д;)
でも側面に耳のあながあいてたらほんとにこんな感じかも。
それにしても怖い。叫んでない「叫び」みたいだ。
今の中国とかは好きになれないけど、
老子も荘子も好きだ。
政治的な側面を見てると、どうしてもあの国と老荘が結びつかないけど……。
ふと気になったんですが、
>>1で「老荘の哲学」と言ってますが、いつから
哲学に入れてもらえるようになったんでしょう?去年までは「あれは思想であって
哲学じゃない」みたいな話を聞いたように思うんですが。
それとももう思想と哲学の区別をしなくなったのかしら。
>>24 自分、比較的若い世代なんで「中国」について固定観念が薄いんですよね・・・
学校で習うような事しか知らないんですが、激動の時代の中国をリアルで
知ってる人とは相当考え方が変わるのかしらと思いました。
>>26 哲学⊇倫理だからではないかと。
よく分からないけど高校の倫理の授業で老荘思想はやりますよ?
そもそも哲学の定義も曖昧なので今でも違うと言う人は違うというだろうし
哲学に含まれるという人は以前からもそう思っていたでしょう。
哲学っていうよりは、生き方のマニュアルみたいなもんだな。
俺は好きなんだが、その辺突っ込んじゃったり、色々細分化しちゃうと、
それこそ本質から外れてしまう。
水の如く生きなさい、なんて話になっちゃうと、
ここで書きこむ事自体に矛盾するしな。
哲学とは、なんて話になっちゃうとますます本末転倒…
いや、しないんだけれど、スレの主旨には反するんじゃないかな、多分。
とりあえず老荘が好きならば、老荘を押しつけるような事だけはしてはいかんよ。
では…
29 :
考える名無しさん:03/11/26 18:58
ちょっと聞きたいんですが、無為自然って作為を労せずに自然の道に従って生きることらしいけど、
それなら生まれつきの性欲や出世欲についてはどのように考えていたのですか?
作為を労さないならエピクロスのように隠れて生きるのもゼノンのように自力で押さえ付けるのも矛盾しますよね?
ならば道家はどのようにして無為自然を実践したのか誰か教えてください。
>29
ある道教の本に、
「道の働きとは、走った後、休んでいると、次第に荒かった息が落ち着き、
穏やかな状態に戻っていくようなことなんだ」
と書いてあって納得したことがある。
老荘の"無為自然"とは、眠るまえのように
心身が無理のない状態になっていく、ということじゃないかと思う。
"無為自然"という言葉一つから考えずに、細かく読んでいったがいい。
・・・・・・だいたい徹底して考えると、自然でないことなんかこの世にないしね。
あと性欲といえば、荘子には嫁さんがいたという。
亡くなったときには、どんちゃん騒ぎをしたみたいだがw
31 :
弥勒 ◆LY666//S/s :03/11/27 22:58
>亡くなったときには、どんちゃん騒ぎをしたみたいだがw
わけを訊ねた恵子(だった?)に向かって語る荘子の言葉が
思想・理念よりも図らずも強かった感情の重さを斥けるための
強がりであったならば、人間くささを感じられて例えばいい脚本に
なるだろうに。
32 :
考える名無しさん:03/11/27 23:33
全てをあるがままに受け流しなさい
若人よ、老荘に親しむより他にすることがあろう。
中年よ、あんたは道を探り当てたのか?よい道にたどり着けたのか?
老年よ、もはやあなたは道なのである。何であれ、あなたは道を歩いたようだ。
人を知るは賢者 自分を知るは明知
『自分自身を知る』
これに関する情報がほしい
>>20,21
アフォか。人名・書名で区別なんてあるわけないだろw
昔の中国人が区別して発音してたとでも思うのか?
「そうじ」と読むのは単なる読み癖。「そうし」と読んでも何ら問題ない。
鄭玄を「ていげん」と読むか「じょうげん」と読むかと同じレベル。
こういうしょうもないこと言うヤツに限って老子は「ろうし」、孟子は「もうし」のままだったりする。
でも「そうこ」はまずい。
38 :
考える名無しさん:03/12/13 22:53
>>36 君の言い方だと「そうこ」でもいいと思いますが。
>>9 その "すごく広大な鳥" の名前が
すごく小さな鳥の名前 (例えば スズメ とか)
だったとか本で読んだ事がある。
遲スレ スマソ
>>40 多分、その鳥って鵬だと思ふ。上空36万`(だっけ?)まで上昇して南に下るって鳥。
もとは 魚昆(こん)という魚。これも大きい。でも、大漢和で調べたら、確かこの
こんっていう字自体は、ものすごく小さいものを表してたような。卵のほうだったっけかな?
うろ覚えスマソ。
>>36 しょうもないことでも学部生は間違えると怒られるんですよ(汗
孟子は突っ込まれなくても荘子だけはなぜかつっこまれるのが謎。
42 :
考える名無しさん:04/01/02 23:24
悟りで仕切らせていただきやす
43 :
考える名無しさん:04/01/02 23:35
希哲学撲滅!哲学の真髄は悟り!
45 :
考える名無しさん:04/01/11 06:19
老子はノスタルジアなのかもしれないな。
言われている様に李耳かまたはその同時代人だとしたら、彼は旅行者だったのかも知れないと夢想してみる。
当時は未だ狩猟採集、原初農耕形態の原始母系社会が辺境に孤立して残っていて、
そこには文字などは当然無く、言葉もそれほど複雑化していない、そんな処がきっと在ったのであろうと。
何かの折りに彼はそんな村を訪れ友好を契り暫し留まった事があったのかも知れない。
そこで気付いた事々がより深い思考への切っ掛けとなったのだろう。
国を強くして何者がその頸木から逃げ失せたのか
政で治める事で何を取りこぼしたのか
大義を覚え何を打ち捨てたのか
文字を得て何を忘れたのか
世界の何もかもを言い述べるかの如き多弁な言葉を得て何を見失ったのか
剰るほどの豊かな実りを手にし如何なる得物を減らしてしまったのか
理合なる神を戴き如何なる神を見限ったのか
そんな事々を水面でも眺め想い耽ったのだろうか…。
いや、やはり彼は旅行者では無く、そうした部族が次々と国家に呑み込まれ変質して往くのを役人として眺めていたのかも知れない。
こんな空想も楽しい
p
47 :
考える名無しさん:04/02/02 21:15
ageeee
48 :
考える名無しさん:04/02/14 20:01
入門として
「荘子物語」諸橋轍次著
なんてどうだ。
49 :
考える名無しさん:04/02/15 01:41
無為自然=Let it be てことじゃないかな。だからおそらく人によってぜんぜん解釈も違う。
ただ、本読んでると無為自然=何もしないことというイメージが強い。
その意味で元祖ひき理論。結構時代を先取りしている。
時代先取りといえば仏教もこの世に現実は存在しないというのが基本的な考え方であり、現代の仮想現実論を先取りしている。
50 :
考える名無しさん:04/02/15 04:43
ふむ。
51 :
考える名無しさん:04/02/15 04:47
つまり、ひきこは老子的だというわけ?
52 :
考える名無しさん:
>>49 老壮は、孔子(儒教)へのアンチテーゼみたいなところもあるのではないのか。
つまり、「仁義礼楽」の教えで身を拘束し心を束縛する儒教に対する嘲笑的
な批判も含めて「無為自然」なのではないか。