ニーチェ

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1伝説のあぼーん
にーちぇ
2考える名無しさん:03/07/05 17:10
2ーちぇ
3考える名無しさん:03/07/05 17:12
3ーちぇ
4考える名無しさん:03/07/05 21:35
4ーちぇ!
5 :03/07/05 21:38
フルーチェ
6考える名無しさん:03/07/05 21:39
ドルーチェ
7考える名無しさん:03/07/05 21:41
ゲーチェ         
8考える名無しさん:03/07/05 22:01
ナインチェ
9考える名無しさん:03/07/05 22:06
ツェーンチェ
10考える名無しさん:03/07/05 22:32
ニーチェ を、21チェ と、読んでは いけません
11考える名無しさん:03/07/06 02:45
こんばんは
12考える名無しさん:03/07/06 03:10
ハマグチェ
13考える名無しさん:03/07/06 15:55

・ ・ ・     ちぇっ              ツマンネ
14考える名無しさん:03/07/07 21:32
ニー    ちぇ  イイチエかしてください

 
15考える名無しさん:03/07/07 21:33
力・・・とは何であろうか?

16考える名無しさん:03/07/07 21:35
ニーチェ『立て!立つんだ、力石!』
17山崎 渉:03/07/15 12:39

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
18考える名無しさん:03/07/16 23:29
カレーマルチェ
19考える名無しさん:03/07/19 15:14
フルーチェはニーチェではない。

20aaa:03/07/19 15:53
写真集だよん☆☆☆☆☆☆
http://www.sexpixbox.com/pleasant/sexy/index.html
21考える名無しさん:03/07/22 18:44
ニーチェは現代思想にとっては最重要級の人物という事だ。
22考える名無しさん:03/07/23 19:12
ツァラトゥストラは一読しておきましょう。
23_:03/07/23 19:13
24考える名無しさん:03/07/23 20:01
馬鹿な2ちゃねらーでつね
25出張 ◆1bBtQE5sBo :03/07/28 15:35
統合スレのつもりだったのか。
26アルベド ◆iRWqK6N21g :03/07/28 18:29
善悪の彼岸
27考える名無しさん:03/08/10 04:56

  '´  ̄ヘヽ
  | ///ハ 〉
  ヽvd゚ ー゚ノ         ニーチェん や ら な い か ?
  / , ヽ lヽ、   
ニ(_つ'Y /ニニニii
ニニl   ! レ'~`iニニii
28考える名無しさん:03/08/10 18:27
サンチェだってゴーチェだっているのに、
どうしてニーチェをえこ贔屓するんだろう?
29考える名無しさん:03/08/10 19:06
睾丸は何者をも知り得ない。
これを古の人々は睾丸無知ということわざで表現した。

グラッチェ。
30(゚Д゚ )UYO ◆Bz178dgFbg :03/08/10 22:29
Friedrich Wilhelm Nietzsche

是非とも総合スレにし頂きたいです。
ニーチェから入った俺は変態ですか?
31考える名無しさん:03/08/10 22:31
どうしてニーチェ信奉者は低脳のなのか?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1028438937/
ニーチェの「権力への意志」について
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1057778618/
ニーチェオタは痛い人が多すぎる
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1059578944/
ニーチェの永劫回帰って??
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1049216923/
ニーチェとカントの共通点
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1043414232/
力のある限りニーチェを馬鹿にするスレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1058330689/
32考える名無しさん:03/08/10 22:34
ニーチェの魅力を誰も理解していないみたいなので俺が引っ張ってやろう。
33考える名無しさん:03/08/10 22:36
ニーチェは西洋哲学の指針の根本を崩したという点で
有益な働きをしている。

しかも、その影響は現代思想に知らぬ者は居ない程の影響を与えている
つまり有名な思想家はほとんどニーチェの影響は抜きに語れないという
偉大な人物なのだ。
34考える名無しさん:03/08/11 00:08
ニーチェは神中心の世界から人間を解放し、強くなろうとする生きものが当然持つ意志を示した点で偉大だと思う。
まあ、彼の思想が資本主義社会において力への意志の名の元に弱者を虐げる根拠になる可能性はあるが、それは我々の時代の問題だから、彼に責任を求められないと思う。
35考える名無しさん:03/08/11 00:12
>>34
>ニーチェは神中心の世界から人間を解放し、
そんなもんは、18世紀の啓蒙思想家たちがやってるでしょうが。

>強くなろうとする生きものが当然持つ意志を示した
17世紀のホッブズらの自然権理論ですでに示されてますね。
36考える名無しさん:03/08/11 00:15
それだけではニーチェが注目される筈が無い。
要は力への意志、及び永劫回帰という思想が独特のものだったといえるだろう。

この2つの概念によって、神の代わりとなっていた形而上学的思想を、
そして、ホッブスには残っていた概念から実存主義的概念へと移行する訳だ。
37考える名無しさん:03/08/11 00:18
ニーチェは実存主義なの?

形而上学と実存主義は対立するの?
38考える名無しさん:03/08/11 00:20
形而上学といえば、今批判のまとになっているわな。
39考える名無しさん:03/08/11 00:23
デリダの現前の形而上学なんかその典型だろう。
40考える名無しさん:03/08/11 00:30
>>34
言葉足らずでした。要はニーチェがその二点を明確に示したということです。
まあ、知識は豊富なほうではないんでニーチェ以前に明確にした奴がいるかはわからんが…
とりあえず力への意志に従って指摘された点を勉強します。
41アホが多いな:03/08/11 00:57
「力への意志」は弱者の意志で、それを持たないほうがいいんだよ?
わかってんのか?
たとえば、形而上学的にすべてを説明し尽くそう、とするのは
その背後に、(説明できない世界に耐えられない)生物的なおびえと
防御意志がある、と指摘して、そーいうことはもうやめよう、といったわけだよ。

みんなで力強くなろう、といったんじゃないぞ。
42考える名無しさん:03/08/11 01:16
ニーチェの意義は、それまでの「説明」「解釈」「価値」などの
欺瞞性と、その根底に潜むものを暴いた点も大きい。
それ無しには力への意志も(ry
43考える名無しさん:03/08/11 01:27
>>42
説明・解釈・価値そのものを批判したわけではないけどな

44考える名無しさん:03/08/11 01:29
「それまでの」がついてるだろ
45考える名無しさん:03/08/11 01:31
とにかく形而上学は弱者の兵器だから醜い、ということをニーチェは言いたかったわけだ。
46考える名無しさん:03/08/11 01:35
>>44
だとしたら、尚更、>>43は強調されるべきだし、われわれもニーチェの尻馬
に乗っかってニーチェ以前を批判するのではなく、我々自身による古典研究
を充実させねばならん。
47考える名無しさん:03/08/11 01:49
哲学板のニーチェ信者というのは、ニーチェがじんましんがでるほど
毛嫌いしいる人種なんだよな。
48(゚Д゚ )UYO ◆Bz178dgFbg :03/08/11 05:17
>>47
その通りですね
ニーチェ自身も「私を信奉するな」と言っていますしね
49考える名無しさん:03/08/11 06:09
にーちゃって誰?
50考える名無しさん:03/08/11 06:12
昔の人
51GET! DVD:03/08/11 06:13
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52考える名無しさん:03/08/11 06:20
>>41
ニーチェの解説本読んだが、どうやらそういうことらしいね。
まぁ、ニーチェが自我防衛機制を何と呼んだかということ自体は、それほど重要なことでは
ない。
俺が知りたいのは、自我防衛機制たる力への意志を捨てて、自我にとって堪えがたいもの
を背負い、それでも尚且つ、永劫回帰を肯定させ得るものは何か、ということ。
果たしてそんなものが存在するのだろうか。
そのことについて、ニーチェはなんと言ってるのかな?
53考える名無しさん:03/08/11 06:26
ニーチョってだれ?
54_:03/08/11 06:28
55考える名無しさん:03/08/11 06:35
昔の人
56考える名無しさん:03/08/11 06:35
>俺が知りたいのは、自我防衛機制たる力への意志を捨てて、自我にとって堪えがたいもの
を背負い、それでも尚且つ、永劫回帰を肯定させ得るものは何か、ということ。

は41のいう形而上学的にすべてを説明しようとするのはやめよう

反していないの?そういうのはもうやめようってことじゃないの。
じゃあ、たんに力強くなろうということでもない。
どうあろうと、今あるようにある以上でも以下でもない。
ただ、その今そうあるということそれ自体が神秘だということ。
そのことは形而上学で説明しようとあがいても、あがきだということ。
57sage:03/08/11 06:36
言葉遊びスレ下げ
58考える名無しさん:03/08/11 06:45
>>56
>ただ、その今そうあるということそれ自体が神秘だということ。
>そのことは形而上学で説明しようとあがいても、あがきだということ。

あがきかどうかは自分で古今の形而上学を研究し尽くしてから決めろ。
59考える名無しさん:03/08/11 06:50
そうやってあがいてそのむこうをみようと
する態度こそ力へのい氏そのもの。
あたかもそのむこう、うごかすものがあるかのように
みせかけてそれを解明せよ、そのために古今の形而上学を
研究し尽くせと迫るもの、
これですよ形而上学的なものって奴。
60考える名無しさん:03/08/11 06:52
言葉遊びを哲学は排除できない。
なぜなら、哲学は言葉遊びを要請する言葉のあいまいさに
依存してきたから。
単に論理ばかりでなくレトリックにも依存してきた。
61考える名無しさん:03/08/11 06:53
>>60 素晴らしい哲学者ハケーン
62考える名無しさん:03/08/11 07:01
>>59
要するに、勉強したくないだけだろ。
最低だな、ニーチェ信者は。
63考える名無しさん:03/08/11 07:05
>>62 夏厨ハケーン
64_:03/08/11 07:06
65考える名無しさん:03/08/11 07:09
 

  '´  ̄ヘヽ
  | ///ハ 〉
  ヽvd゚ ー゚ノ         だからニーチェん や ら な い か ?
  / , ヽ lヽ、   
ニ(_つ'Y /ニニニii
ニニl   ! レ'~`iニニ
66考える名無しさん:03/08/11 07:11
>>65 哲大生はけーソ
67考える名無しさん:03/08/11 07:30
「力への意志」が、「神になる」とかそっち方面だと思ってた?
いずれにしても、いいかげんな解釈してたわけでしょ?
68考える名無しさん:03/08/11 08:18
>>56
でもニーチェは、永劫回帰の肯定を目指して生きるのが(・∀・)イイと言ってるわけでしょ。
どうすれば、或いは、何をもってすれば、永劫回帰を肯定できるのか、その具体を知りたい
わけ。
自我を守ろうとせずに、自我にとって不都合なことでもそれが事実であるのならありのまま
に認めていくべきだ、というだけのことしか言ってないのならば、俺はニーチェにそんなに
関心は持たない。
その先があるように感じるから関心を持つんだけど。
ニーチェはただ方向性を示しただけで、それが何であるのかを考えることも含めて、永劫回帰
肯定を目指せ、と言っただけなのかな?
つまり、永劫回帰を肯定できるように生きるのが理想、と言っただけで、どうすれば永劫回帰
を肯定できるのかは自分で考えろ、それを考えることも、永劫回帰肯定を目指すことの一環
なのだ、といったカンジで。
ニーチェ自身は、永劫回帰が何によって肯定できるようになるか、その具体については何も
言ってないのかな?

69考える名無しさん:03/08/11 08:36
>>41
一面的。
ニーチェは「力への意思」を見出し、これを批判的に検討した後、理想主義的・
キリスト教道徳的な世界観を押し付けるのではないような「力への意思」を肯定
する作業に向かう。
それから、形而上学=プラトニズムではないよ。
ニーチェはどう理解していたか怪しいけど。
70(゚Д゚ )UYO ◆Bz178dgFbg :03/08/14 09:49
ニーチェは煩悩塗れだったんだと思う
71考える名無しさん:03/08/14 10:40
ニーチェの断片がDQNの琴線に触れますた
72考える名無しさん:03/08/14 12:08
人の頭使って考えてるフリしている奴らばかりだな。こスレは。

馬鹿は氏ね
73考える名無しさん:03/08/20 01:43
ニーチェって童貞なの?

74考える名無しさん:03/08/20 01:44
サロメ
75考える名無しさん:03/08/20 02:34
>>72
別にいいんじゃない?
76考える名無しさん:03/08/20 02:40
>>73
梅毒って、自力で罹患できるの?
それとも、淋病だったっけ?
性病で死んだんでしょ。
77考える名無しさん:03/08/20 04:17
 力への意志、ってのは認識という一見中立な行為でも「自分なりの認識」に
なってしまうというように、無意識に恣意的な力が加わってしまうことを言う
んじゃなくて?

 「事実はない、解釈だけがある」という命題もそういった脈絡かと思いまし
たが。

 「力」が随分と現世的にとらえられすぎている気がしたもので。
78考える名無しさん:03/08/21 03:00
ニーチェの語るところでは、「力」への意思は何であれ欲しがったり、手に入れることに存するのではなく、
むしろ作り出すことに、そして与えることに存するのである。
79考える名無しさん:03/08/23 23:30
ショーペンハウアのパクリ
80考える名無しさん:03/08/24 20:02
ロードス島はここですか?踊っていいですか?
81考える名無しさん:03/08/28 23:38
弱者の論理に通暁しておくのは悪いことじゃないと思うが
82考える名無しさん:03/09/04 22:34
age
83考える名無しさん:03/09/04 22:35
生への意志
性への意志
84考える名無しさん:03/09/04 22:48
ニーチェって好き嫌いがはっきり分かれるな。
その辺が、哲学者扱いされない理由だろう。
85ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/05 02:28
>>84
ニーチェはその哲学者というものがどういったものであるかを再定
義したわけだ。医者であり、芸術家であると。
一言で言えば立法者であるとね。
好き嫌いのはっきり分かれない哲学者というのは何もいっていない
ということだな。
86考える名無しさん:03/09/05 02:32
一言でいえばキワモノ、というか
ゲテモノ、というか、、、
87ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/05 02:34
>>68
その肯定に至る過程があるのだ。
ニヒリズムを徹底するという過程が。

「人間は何も望まないよりは、虚無を求める」という言葉もあるが、
(確か『善悪の彼岸』だ。)この望むことの徹底の果てに、
「虚無への意志ではなくて、意志の虚無だ」という認識に至って、
ニヒリズムを自己崩壊させよ、というのがその過程だ。

ツァラトゥストラが永劫回帰を恐るべきものとしてとらえ、その認識を
改めるに至るところを参照して欲しい。第三部だったと思う。
88考える名無しさん:03/09/05 02:37

タワゴトでつね
89ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/05 02:39
力への意志というのは、権力への意志ではない。
あらゆる意志の内に存する性向を指すのだ。
ドゥルーズはこれを、ディオニュソスだといっている。

「自己保存は力への意志の最も頻繁な帰結に過ぎない」という
ニーチェ自身の言葉もありうる誤解を避けるためにここに書いてお
こう。

様々な、多数の意志が覇権をめぐって闘争している図を思い描け
ば分かってくれるかと思うが。
90考える名無しさん:03/09/05 02:39
ニーチェの思想って何となく東洋的だから、欧米好きの日本人から嫌われるの?
91考える名無しさん:03/09/05 02:41
>>90
それは関係ないとおもいます。
92ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/05 02:44
>>90
永劫回帰と輪廻転生を同一視するところから発した誤解で
あるのだろう。

永劫回帰は同一の生の回帰なのだ。
93考える名無しさん:03/09/05 02:45
>>91
ニーチェは非論理的だから、ってよく聞くよ。
94ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/05 02:46
>>93
真理は女であるのかもしれんよ。
95考える名無しさん:03/09/05 10:58

84 :考える名無しさん :03/09/04 22:48
ニーチェって好き嫌いがはっきり分かれるな。
その辺が、哲学者扱いされない理由だろう。


削除人や管理者も、同じだと思うが…
96考える名無しさん:03/09/07 06:09
『悲劇の誕生』4000文字でまとめたいんですが、どうしたらいいですか?
97DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/07 06:11

 それはまとめるとは言わない(ワラ
98厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 06:14
ワラ
99:03/09/07 06:24
折れ
100↑だ:03/09/07 06:26
きかる。
101考える名無しさん:03/09/07 06:31
↑はほんもの? 
102:03/09/07 06:36
もんものなえの、なにな?
103考える名無しさん:03/09/07 06:38
↑ワラワラワラ
104:03/09/07 06:40
なな、なな、なな
105騙り:03/09/07 06:51
ののたんれす
106:03/09/07 06:53
ぬぁ、ぬぁ、ぬあ
107:03/09/07 06:56
結局無駄口OFWワラ
108↑ののいいかも:03/09/07 06:56
墨付き歓迎?
109騙りののたん↑:03/09/07 06:57
ののを騙るのはよくないのれす
110ののたん騙り:03/09/07 06:59
縦レスで混乱ワラ
111:03/09/07 06:59
>>107 まねにななんな!
112:03/09/07 07:04
折れいろんなのこて
のうちされね、ここにた。墨付き歓迎?
113厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 07:08
骨の手口(ワラ
114↑探偵気取りの勘違に:03/09/07 07:12
なな なな なな
115厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 07:13
自らバラした骨スレ住人(ワラ
116↑ ここいいかも:03/09/07 07:16
折れ、在らし魔、名前は↑
ここ墨付き歓迎?
骨って?
117厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 07:17
いや、「探偵」ってあんた・・・(省略

ワラワラ
118:03/09/07 07:22
以前、すいがくやらないか、でのうちされたいらいだ
>>1 ここ墨付き歓迎?
119厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/07 07:23
意味不明ヲタ ハケーン(藁
120↑ もまめもまー:03/09/07 07:25
 
121:03/09/07 07:34
またほうちされてるぞと自問してみた。
在らし魔にはそうするしかないだろうといわれるとおもた。
でも、暇なんだから小がないといってにぬ。
122:03/09/07 07:47
折れは必要のない存在でつか?
123:03/09/07 07:50
そうでつ・・・と自分で答える。
124:03/09/07 07:54
今日このスレの千げとしてもいいでつか。
125:03/09/07 08:01
いくないだろ!
1の気持ちを考えれよ。
・・・と自分でこたえる。
126:03/09/07 08:09
でもひまなんだ
どこのすれにいけばいい?
127:03/09/07 08:25
???

ど こ に い け ば い い の だ
128:03/09/07 08:33
でもこのスレ自体があらしだろ。
といってみる。
129ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/09 23:46
>>96
原稿用紙十枚か。
ディオニュソス対アポロという構図を抑えつつ、アリストテレスの「カタルシス」との
相違を示せばよいかと思う。
130考える名無しさん:03/09/10 12:54

    ((((((((((((()))) 
    /    ::::::::::::::::\
    |  ,,-‐‐   ‐‐-、 .:::| 
   |  .゙  ̄"  |゙ ̄ " :::|   なんだかよくわからないけど
    |     ` '    ::|   ここにティッシュ置いときますね。
    \  ヽニニ='  ::/
    /`'ー‐---‐一'´\
   /         ::::i  ヽ
  |   |       :::;;l  |
 ̄_|,..i'"':, ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |\`、: i'、
  .\\`_',..-i
   .\|_,..-┘

131ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/10 13:03
ここもしばらく保守しようと思う。ニーチェスレは多いが機能しているのは少な
いからな。
132考える名無しさん:03/09/14 21:37
「悲劇の誕生」は音楽というものがどれだけ人間に影響を与えるかという事を身をもって理解した上で、さらにその気持ちのままニーチェに付いてゆかなければ、自分の考え方を文章で書けと言うのは無理だ。
133ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/14 23:12
>>132
その音楽の精髄からの『悲劇の誕生』というわけでね。この音楽の精髄というの
がディオニュソスと呼ばれている。悲劇がアポロとディオニュソスの対峙から生
じ、それがエウリピデス(ソクラテス)へと時代が下っていかにして悲劇が死んだ
かということが書かれているのだ。つまり主知主義的人間は悲劇を味わえない
ということだが、これは「ギリシア人とペシミズム」の関係が変わってしまったこと
を意味する。


保守age
134考える名無しさん:03/09/15 11:05
そこに到達する前の話だよ。音楽の精髄とやらの感じ方よ。
135出張 ◆1bBtQE5sBo :03/09/15 18:57
>>134
それはそうだな。
136kaze:for American peoples:03/09/15 19:47
137天才:03/09/15 19:48
まあ皆さんニーチェを読んで脱却することを願うのみやな。
くれぐれもその空間に安住しないようにだね。
俺高度な教養もってるでしょw
138うさたん:03/09/15 20:13
禿道よ!!!!
139瑠詩婦流:03/09/16 01:14
大学なんて行ってもしょうがないからニーチェでもよみます 
ツアー
140考える名無しさん:03/09/16 20:24
それはいい! でも社会との接点も大事に。
141考える名無しさん:03/09/19 10:23
>>94
「真理は女であるとすれば」
これまでの哲学者はその扱い方を知らなかった。
その扱い方はブザマだったといってるね。
142ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/22 17:38
保守。
143考える名無しさん:03/09/22 17:39
>141
「真理は女であるとすれば」のたとえって何を意味してるの?
144ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/22 17:44
>>143
理屈をいっても仕方ないってところだな。
145考える名無しさん:03/09/22 17:44
わははは
146ニーチェ ◆1bBtQE5sBo :03/09/22 17:46
女を口説くように哲学しろということだ。
147考える名無しさん:03/09/22 17:47
bakame
148考える名無しさん:03/09/24 23:42
ニーチェって要は
公務員の待遇の批判は止めれ
官僚の天下りの批判はみっともないぞ(w

とか言ってる様なもんでしょ?
149価値あり:03/09/26 16:58
おまいら、神はここにいる!!!
これが現代のツァラトゥストラだ!!
オリは感動した!!この世に神がいることに!!ああああ・・・
来たれ!哲学板の勇者供よ!!!!挑め命の限り!!!!!

http://music2.2ch.net/test/read.cgi/classical/1061796058/l50
http://music2.2ch.net/test/read.cgi/punk/1063337433/l50
150考える名無しさん:03/09/27 10:30
おは誉
151考える名無しさん:03/10/04 01:21
ニーチェスレはすぐにこのざまだな。
152__:03/10/04 01:53
勝ち組万せーか
でも俺もニーチェ読んだとき超人=公務員?を思い浮かべたな
153考える名無しさん:03/10/04 03:15
まあ、ニーチェの著作物は読者を選ぶからな。
選ばれた読者の中でも、エレガントな読み方をする奴はほとんどいないだろう。
154ひかる:03/10/04 20:15
僕は詩人で芸術家で思想家のひかるです。
お前らのようなくだらない哲学者ぶってる奴にも、
ニーチェを超えた僕の高貴な哲学理論(ひかる主義)を教えてやってもいい。
掲示板にどんどん書き込んでくれ。ただし、荒らし厳禁。馬鹿丸出しの糞AAも貼るな。
特に女性は歓迎します。携帯の番号教えてください。

『Cracker Terrorism 国際貴族主義連合』
URL「http://www.geocities.jp/hikarurutakashi2000/framepage5.htm

注:僕は気難しい。くれぐれも敬意を払って発言してくれ。キレる。
  僕は統合失調症だから何をしても許されるエリート。それを忘れるなクズども。
155考える名無しさん:03/10/04 20:26
勝ち組マンセー言うニーチェ自体は勝ち組だったのか?
156考える名無しさん:03/10/04 22:58
>>155
ニーチェの使う「貴族」という言葉のニュアンスと勝ち組は違うと思う。
で、ニーチェは「負け組」じゃないか?
157考える名無しさん:03/10/05 00:39
発狂して裁判勝訴→勝ち組
158考える名無しさん:03/10/05 01:23
勝ち組→措置入院
159考える名無しさん:03/10/05 01:50
山本夏彦の茶の間の正義がニーチェの思想に似ている気がする・・・
160考える名無しさん:03/10/11 22:56
朗報だぞ。
西尾幹二氏が新しい翻訳をするそうだ。
西尾幹二氏日記
http://hpcgi1.nifty.com/bellwoods/i-nikki.cgi
161考える名無しさん:03/10/11 23:20
ボブ・サップかく闘いき

野獣の本能を発揮→反則負け
162考える名無しさん:03/10/13 08:48
ニーチェの言ってる力ってのは意志の強さのことだと勝手に解釈してる。
漏れは厨ですね?
163■ ◆1bBtQE5sBo :03/10/14 19:00
>>162
意志それぞれの力の強弱があるということですよ。
164考える名無しさん:03/10/28 22:23
無職、自称ニーチェ研究家
   彡ヘ i i ,.-''";;;;;;;;;`ヽ、        ヾllllllllllllllllllllllll
  lヽゞノ ', ''i"~`゙`‐-、,;;;゙、         ヾllllllllllllllllll
  _____,  ,...,,,,__        `ヽ  _,,,..、-‐'ヾlllllllll
 l  `ヽ l   ヽ      ,.r‐'''"゙     WV
 'i   「ヽ,    ヽ7''~ ̄  `ヽ U     ::::::
  ゙、  l,'゙ヽ    ゙、'"´          ::::::::::
   ゙、 {   \   .)     U      ::::::::::: い、一生童貞・・・
   `゙'ト、.,_,,...,_ゝ='ヽ
     ヽlllulllll`~´::::::::::ヽ    ・いやだ、こんなのいやだよ。畜生!
     ゙、-″,,,,,..,_..,_  ヽ ::::::::::::    U   :::::::オメーラ末人
      ヽ::::::::::::\  )::::::::::::::::    ::::::::::::豚の幸福
       ヽ:::::::::::: , '  ::::::::::::::::::::::::::::: 弱者は死ね!
        ヽ::::. '"   :::::::::::::::::::::::::    /
        {':::::::,,,,,,:::::::::::::::::::::::  , . - '"
         ゙i;;;;;;;;;;::::::::::::::::::,.、,.、-' "
165考える名無しさん:03/10/28 22:25
>>164

        急にAGEるなw
166深い森:03/11/10 01:52
 これからキミ達に、僕が言う事をよく聞くんだ。
 君たちには、ほとんど価値が無い。あらゆる価値は世界の内なる遊びの道具に
過ぎない。君たちの存在意義は、ただ遊び道具であること。ただそれだけだ。いかなる
一切の道徳は、愉楽の「きっかけ」、偶然のシステム化に過ぎなかったのだ。キミ達は
常にいつでも、「感情」によって味付けをし、理性と欲望のゲームを描いては、生を消
費し、自らという名の物語を創り上げ、その通りに現実を運んでは「遊んで」きたわが
まま放題の放蕩息子、娘だったのだ。わかるか?あんたの後生大事に抱く「価値」は、
全くの無意味な「道具」に過ぎなかったのさ。わかるかい?


167考える名無しさん:03/11/11 02:36

無職、自称ニーチェ研究家
   彡ヘ i i ,.-''";;;;;;;;;`ヽ、        ヾllllllllllllllllllllllll
  lヽゞノ ', ''i"~`゙`‐-、,;;;゙、         ヾllllllllllllllllll
  _____,  ,...,,,,__        `ヽ  _,,,..、-‐'ヾlllllllll
 l  `ヽ l   ヽ      ,.r‐'''"゙     WV
 'i   「ヽ,    ヽ7''~ ̄  `ヽ U     ::::::
  ゙、  l,'゙ヽ    ゙、'"´          ::::::::::
   ゙、 {   \   .)     U      ::::::::::: い、一生童貞・・・
   `゙'ト、.,_,,...,_ゝ='ヽ
     ヽlllulllll`~´::::::::::ヽ    ・いやだ、こんなのいやだよ。畜生!
     ゙、-″,,,,,..,_..,_  ヽ ::::::::::::    U   :::::::オメーラ末人
      ヽ::::::::::::\  )::::::::::::::::    ::::::::::::豚の幸福
       ヽ:::::::::::: , '  ::::::::::::::::::::::::::::: 弱者は死ね!
        ヽ::::. '"   :::::::::::::::::::::::::    /
        {':::::::,,,,,,:::::::::::::::::::::::  , . - '"
         ゙i;;;;;;;;;;::::::::::::::::::,.、,.、-' "
168考える名無しさん:03/11/11 02:37
寝ようよ
169考える名無しさん:03/11/11 02:38
変化があると
やめられない
とまらない
助けて
170考える名無しさん:03/11/11 02:39
君も寝なよ。もう一日半くらい起きてない?
171考える名無しさん:03/11/11 02:41
>>170
それはないが
どの発言が誰のものかわからないのはこわい
寝ます
寝たい
寝たいけど、刻々と変わる景色を前に
ついつい
172考える名無しさん:03/11/11 02:42
気持ちはわかります。
173ヒキコゲンシュタイン:03/11/11 02:42


「それをネット中毒と言うのである」
174考える名無しさん:03/11/11 02:43
あーじゃあこれ最後。
1抜けた!
なんにんいるかわからないけど。
おやすみ!!
175考える名無しさん:03/11/11 02:44
おやすみ〜
176考える名無しさん:03/12/01 10:13
にーちぇのよろこびてなに。じごく、てんごく、かみさま
きらいなんでつか。なにがたのしくていきてるんですか
おなに、せくすもおきらいですか
177考える名無しさん:03/12/09 05:24

よく「ニーチェの思想は、ドイツのナチズムを後押しするのに影響を与えた」
と言われているけど、この2つにはどんな関係があるの?

形而上学の否定が、全体主義化には好都合だったということ?
ニヒリズムは確かにナチス賛美に繋がりそうだけど、ニーチェは
「ニヒリズムはデカダンだ!」って批判してたんだよね?
1781b™ ◆1bBtQE5sBo :03/12/27 17:02
>>177
利用されたのはニーチェの健康賛美と、ユダヤ教のカテゴライズじゃないかと思う。
『この人』なんかを読むと、ユダヤ「人」に対してナチスが抱いていたような感情をニーチェが
全く持っていないということは分かると思う。
179論理体:03/12/27 18:57
「超人」は生まれましたか?
1801b™ ◆1bBtQE5sBo :03/12/28 23:38
>>179
「超人」としてアーリア人種を持ってきてる解釈があったと思うが。
そういう風に焦点に置いてしまうととらえそこなうな。

181考える名無しさん:03/12/29 01:24
>>177
多分、暇な評論家が遊び半分の道楽に考えついたんじゃないですかね
182考える名無しさん:04/01/05 06:33
>>「超人」としてアーリア人種を持ってきてる解釈があったと思うが。

ヒトラーだけだろ。そんなとんちきな解釈すんのは。
183考える名無しさん:04/01/05 08:32
>179
超人を、「倫理観など既成の価値基準に一切縛られず、
ただ、自分自身の内なる価値のためだけに行動する者。」
と定義すれば、超人なんていっぱいいるんじゃないかな。
「酒鬼薔薇」とか超人だろう。ヒトラーも。
超人なんてものがいたとしても、人類のために行動するわけじゃないから、
他人にはなんの意味もないだろ。むしろはなはだしく迷惑な場合の方が多いんじゃないか。
184考える名無しさん:04/01/05 21:06
まぁ、社会、集団、組織、大衆の利益の為に超人なんて指針を説いた訳じゃないし。
185考える名無しさん:04/01/08 00:02
世の中の大半の人はニーチェの言う所の超人
186考える名無しさん:04/01/08 00:21
>>185
なわけない。
187考える名無しさん:04/01/08 00:24
超人ロック
188考える名無しさん:04/01/08 00:32
スーパーマン
189考える名無しさん:04/01/08 21:58
>>183
>超人を、「倫理観など既成の価値基準に一切縛られず、
>ただ、自分自身の内なる価値のためだけに行動する者。」
>と定義すれば、

それは、超人でもなんでもなくて、(1)リアルキティ(パラノイ
ア)(2)ルサンチマンの囚われ人・・・自分の弱者たることに
耐えられずに自己を絶対的なものと幻想し、エゴチズムを
撒き散らす哀れな者、のいずれかではないのか。

というか、
ニーチェの「健全」な読み方は、「超人」というルサンチマンを
捨て去ろうというスタンスに立って行うものなのではないか。

ニーチェの「健全」な理解は、ニーチェ自身が己の実存を賭け
て、まさに自殺的に、弱者の怨念を叫び、価値転倒を企てた
ことの壮烈さを尊敬し、しかし、それに決して誘惑されないこと、
・・・自分自身がプチ・ニーチェとしてルサンチマンの体現者に
ならないように反省することなのではないか。
190考える名無しさん:04/01/08 23:23
単純に己の道を歩めでいくない?
191あげぞ:04/01/09 06:13
ニーチェの超人概念は、
イエス=キリスト的人間像の反転であると考えると良いかと思います。
いずれも他者に利益を与えるものだと思います。

両者の違いは、超人は自己の拡大・克服を目的とし、
その能力がすごいので、結果的に他者に利益をもたらす者です。
キリストは、自分がたいしたことがないから、隣人を愛することを目的とし、
自分の意志的に他者に利益をもたらす者です。

「ルサンチマンに起因する善行は、認めない」ということなのでしょう。

>「倫理観など既成の価値基準に一切縛られず、
>ただ、自分自身の内なる価値のためだけに行動する者。」
ですから、
自分自身の価値のためだけに行動するのですが、
その行動の結果、社会的な悪行を行うのではなく、社会的な善行を行っているのです。
192考える名無しさん:04/01/09 06:23
>>189
たとえば酒鬼バラ自身にとっては、おそらく独自の内的価値に則っての結果だろうから
ルサンチマンではなくてニーチェが言ってる超人に近いんじゃないかって話なんだけど。
エゴイズムとか哀れとかキティとかいうのはあくまで道徳的な外部の判断なんじゃないの。

むしろルサンチマンの「否定によってのみ成立する価値」という側面を考えれば、
「超人」などというあいまいなイメージを予感しただけで、
実際には「道徳の否定」以上の価値を創造できなかった
ニーチェ自身がルサンチマンだったと思う。
あなたがいう
>己の実存を賭けて、まさに自殺的に、弱者の怨念を叫び、価値転倒を企てた
なんていうのはまさにルサンチマンそのものだよ。
それに>ニーチェの「健全」な理解 
なんて言葉はニーチェの歪んだ道徳的解釈に陥ってしまうのでは?
ニーチェの実社会においての「健全」な“運用”、とかいうことならともかく、
ニーチェを「健全」に理解しようとすると見誤ると思う。
ニーチェは確かに酒鬼バラのような人間も肯定しているよ。



193あげぞ:04/01/09 06:28
例えば「超人概念を説明しようとしている私」を例にしてみますと、

「このスレッドの名無しさんの皆さんに分かってもらおう」
という動機で投稿した場合には、ニーチェ的には×です。

「自分は超人概念を整理したいから、書いておくか」
という動機で投稿した場合には、ニーチェ的には○です。

私の超人概念の説明で、名無しさんの方々が利益を受けていれば、
両者の比較が成立します。
194あげぞ:04/01/09 06:35
>>192さん
>ニーチェは確かに酒鬼バラのような人間も肯定しているよ。
酒鬼バラさんの場合は、ちょっと違うのではないでしょうか?
酒鬼バラさんは、確かに自己の内的価値のみに従って行動していると思いますが、
他人を害しています。
確かにニーチェは自然状態の弱肉強食に対しては肯定的です。
ですから、人殺しもOKと誤解されやすいですが、
一方で、「与えよ、与えよ」と叫んでいます。
ということで、
「すでに成立した社会内で、人殺しはOK」とは言っていないように思いますし。
195考える名無しさん:04/01/09 07:31
>>194
じゃ、たとえば酒鬼薔薇君の内部で「人殺してぇ!」というパッションが
突如激しく湧き上がったときに、もしニーチェの「与えよ」という言葉を
思い出して殺人を思いとどまったとしたら、そっちの方が
ニーチェ的には「いいこと」なのかな?
でもニーチェの言動を行動の指針としたら、ニーチェがあれほど敵視した、
宗教的な奴隷状態と変わらなくなるんじゃないか。

ニーチェは「殺人はいけない」どころか
もしもその人にとって殺人が「かけがえのないほどの価値」を持っていたとすれば、
むしろ積極的に「殺せ」といってるんじゃないか。
196あげぞ:04/01/09 08:13
ちょっと先に整理させてください。

ニーチェは『道徳の系譜』でキリスト教道徳批判をするときに、
「善悪」という言葉と、「良悪」という言葉の由来は異なる、と言っています。
キリスト教が使う「善悪」はルサンチマンに由来する奴隷道徳で、
ゲルマン語由来の「良悪」は富を持つ者に由来する貴族道徳だと。
で、その意図を、行為論的に説明してみます。

人間の行為には、2つの基準が働いており、
自己規範的な基準(道徳)と、社会規範的な基準(倫理)があります。
フロイト的に表現すれば、「快楽原則」と「現実原則」の対比に相当するかと思います。

で、ここで、現代に生きる私のホンネの話になりますが、
オナーニすることは、よいのでしょうか? それとも、わるいのでしょうか?
私の感覚では、
「人前でオナーニするのはよくないが、引きこもってオナーニするのはよい」となります。
つまり、「人前」という社会性や公共性が介在した場合には不適切で、
自分の部屋で他者の介在なく1人でやるぶんには適切である、と思っています。
197あげぞ:04/01/09 08:14
社会規範的な基準、すなわち倫理とは他者との関係について考えることだと思いますが、
他者が介在した場合には概して「オナーニは善くない」となり、
他者が介在しないなら概して「オナーニしても良い」となると思います。
私は、「善悪」は倫理的な用語だと思いますので、
社会規範的な基準に対して「善悪」を使うべきであって、
自己規範観的な基準、すなわち行為における自分の精神的な態度に関係する道徳に対しては、
「良悪」を使うべきだと思います。

よって、人間の行為は、
社会規範的な基準=倫理に対しては「善悪」という用語で価値判断され、
自己規範的な基準=道徳に対しては「良悪」という用語で価値判断される
のが適切ではないかと思うのです。
198あげぞ:04/01/09 08:14
ところが、なんでもかんでも善悪主義のキリスト教道徳には、
社会規範的な基準と、自己規範的な基準の区別がありません。
「なんじ、隣人を愛せよ」「なんじ、姦淫するなかれ」
とか書いてあるだけで、ゴッチャになっています。
キリスト教道徳は、倫理と道徳という2つの基準で評価されるべき人間の行為を、
いっしょくたに「善悪」という倫理用語で価値判断してしまいます。
これはツライ。
「姦淫は善くない」と書いてあるだけなので、
「たぶんオナーニも善くないのだろう」と解釈してしまいます。
「善悪」という社会性を先行させるので、「良悪」という自分の言葉が出てこないのです。
よって、キリスト教徒には、
自分の欲求を価値判断するときに、自分の「道徳」がありません。
かわりに、「倫理」という社会規範的な基準を、
「善悪」という奴隷道徳を持たされることになるのです。
ニーチェによれば、キリスト教徒の行為には、「善悪」によってのみ価値判断されるのです。

一方で、ニーチェの場合、これが逆になります。
「道徳」という用語しかありません。
自己規範的な、自己の精神的な態度、趣味や嗜好や欲求に従う行為しかありません。
「良悪」という価値判断を、倫理にも道徳にも適用します。
例えば余った土地を持つ貴族がいるとします。
結果的に、見返りを求めずに農民に土地を与えることになったとします。
それが社会的な基準である倫理とも相反していない、
そんな物語をニーチェは考えていたのだと思います。
つまり、ニーチェも極端で、極度の良悪主義ってことでしょう。
この良悪主義を体現できる人間が、超人なのだと思います。
199あげぞ:04/01/09 08:15
なので、>>195の問題ですが、
酒鬼薔薇君の内部で起こった気持ちである限り、
酒鬼薔薇君の自分の道徳に起因しているのですから、
思いとどまるのはOKだと思います。

>ニーチェは「殺人はいけない」どころか
>もしもその人にとって殺人が「かけがえのないほどの価値」を持っていたとすれば、
>むしろ積極的に「殺せ」といってるんじゃないか。
おそらくですね、ニーチェは殺人のことは考えてないと思いますよ。
つまり、「漏れはスゴイ超人なのだから、なんで劣等種を殺す必要があるの?」という程度だと思います。
どういう状況だと、超人が殺人に「かけがえのないほどの価値」を見いだせますか?
200ニーチェ:04/01/09 08:22

おまえら、オレのアホさ加減にそろそろ気づけよ(WWW
201考える名無しさん:04/01/09 15:44
あげ
202195:04/01/09 19:45
>196-199
「倫理」と「道徳」はそんなふうにスッパリ分けられるもんじゃないでしょ。
社会規範的な「良」が「良心」として各個々人の内面に存在してるのが倫理・道徳ですよ。
(これはなにもキリスト教徒に限ったことじゃないよ。
日本も含めて、どの文明国だってほぼ共通してる事柄 だよ。道徳が今の世界の王様だ)

あなたのいう「道徳 = 自己規範、快楽原則」で「公共的でない場なら良」
ということなら、
たとえば動物を殺すことに、快楽をともなう興奮を感じる人がいるとすると、
その人がだれも見てない場所で猫を殺すのは「道徳的」に「良」ってことになりますよ?
あなたが例に出したオナニーだって普通は道徳的にも悪だよ。
だから誰にも見られてなくても後ろめたさを感じるんだよ。
ただ「殺人」なんかに比べたら極端に小さい「悪」だってだけ。
203195:04/01/09 19:47
>>196-199
あなたはね、「いい人」なんですよ。骨の髄まで。
だけど「いい人」特有の嘘がある。
ニーチェが殺人について考えてないわけないでしょ。道徳について徹底的に
思索した人なんだから。いや、全くのド素人だって道徳を考える場合、
まず真っ先に「なぜ人殺しは悪なのか?」と考えるんじゃないの?
思考実験としては極端な例の方が理解しやすいから。

あなたが例として用いた「オナニー」ってのはね、本当に微小な「悪」なんですよ。
もし仮にそれが「良」というふうな結論に導かれても、痛くもかゆくもないような。
なぜそういうチョイスをしてるかといえば、結局あなたは道徳を
(ただの思考実験としてすら)捨てられない、ということじゃないですか。
ニーチェを肯定するのにも道徳の言葉で、道徳の力を借りて肯定しようとしてる。
だからどうしても嘘というか無理が出てくる。
204(`,_ゝ´)ニヒリスト ◆b0CLAO0mX6 :04/01/09 19:48
プッ
どいつもこいつも
205189:04/01/09 22:39
うーん・・・。
>>192
酒鬼バラが「倫理観など既成の価値基準に一切縛られず、ただ、自分自身の内
なる価値のためだけに」殺人をおかしたとして、それをリアルキティと見做す
のは、確かに短絡的だったかもしれない。俺にはよくわからないが、「脱社会
化した存在」なのかもしれない。
俺にはよくわからない、というのは、俺自身が・・・これは世代の問題なのかもし
れないが・・・モロに倫理観など既成の価値基準に縛られ、神経症者的主体たらしめ
られていることを自覚しているからだ。
今の若者は、確かに俺と比べれば倫理観などの既成の価値基準にあまり強く縛ら
れて苦しんでいないという意味では、では、「超人」に近づきつつあるのか?
俺は、とてもそうは思わない。人間であることから決して誰も完全には抜け出せ
ない、と思うからだ。言い換えれば、社会道徳的価値基準を「良心」として内在
化させるメカニズムによって主体を形成する、というシステムを、誰も抜け出せ
ないと思う。(未来において、人間管理的科学技術の「発達」によって「人間」
それ自体が解体される可能性はあると思うが、我々がそのような時代における
可能性を今想像しても無益だと思う。)

思うに、ニーチェの「超人」というのは、人間として弱く、無力で、病んでいて、
自分自身に対する劣等感情にさいなまれて、その苦しみの無間地獄の果てに叫ん
だ価値転倒・・・「人間」を価値的に否定して超越的なものを持ち出す・・・ルサンチ
マンの悲鳴だったのだ、と俺は思うが、この考え方はあなたと同じか?
206189:04/01/09 22:39
続き。

>ニーチェの「健全」な理解なんて言葉はニーチェの歪んだ道徳的解釈に陥って
>しまうのでは?

俺はニーチェをすごく尊敬するけども、ニーチェに心酔してニーチェを全面的に受
け入れたくはない。従って、「ニーチェの歪んだ道徳的解釈に陥ってしまう」と言
われようとも、或る倫理的選好から、その立場で(かつ、己の立場を疑いつつ)、
ニーチェを読むべきだと思う。「健全」と括弧つきで表現したのは、「正しい」と
か「間違った」ニーチェの理解というものはもちろんないけれども、少なくとも、
今日の時代に生きる人間として、より適切な、マシな理解の仕方はいかなるものだ
ろうか、と考えているからだ。

例えば、社会に対して怨念を抱え込み、そしてその捌け口を見出せないでもがいて
いる人間が、「ニーチェは酒鬼バラのような人間も肯定している」のだから、俺も
人殺ししちゃおう、ニーチェヽ(´ー`)ノマンセー!などという受け取りをしたら、そ
れは明らかに「健全」・・・言い換えると「常識的」・・・ではないだろう?
そこまでいかなくとも、自分の人間としての弱者たる辛さ、無力感、怨念・・・そうい
ったものをかき消してくれるドラッグ(エクスタシーみたいなもん?)としてニー
チェに依存する、というのは、不健全ではないだろうか。
207189:04/01/09 23:32
>あげぞさん
>イエス=キリスト的人間像の反転であると考えると良いかと思います。

あなたはそう言いながら、超人は「その能力がすごいので、結果的に他者に
利益をもたらす」のであり、イエスは「自分がたいしたことがないから、隣人
を愛することを目的とし、自分の意志的に他者に利益をもたらす、と言う。
これは要するに、超人は自己の価値追求それ自体が「意思=ルサンチマン」に
依るものではないからイエス=キリストより超人の方が「優れて(「優劣」の
観念ね)」いる、・・・つーか、イエス=キリストはルサンチマンに起因する善行
をしてるからダメだ、ということなのか?

だが、俺は思うのだが、人は誰でも多かれ少なかれ、ルサンチマンに汚染されて
いるのではないだろうか。ルサンチマンに侵されていない人間がもし居るとした
ら、それこそ「精神病者」しかない、と俺は思うのだけれど。

>自分自身の価値のためだけに行動するのですが、
>その行動の結果、社会的な悪行を行うのではなく、社会的な善行を行っているのです。

なぜそうなるのか。
自分自身の価値のための行動がイコール社会的善行、というのは、おそろしく性善説的
な人間観を前提としているようにも思える。上でも述べたが、我々は多かれ少なかれル
サンチマンに汚染されている。現実的に、「超人」なる、そんな理想的自己を体現して
いる人間はいない・・・俺は「超人」というイメージ自体がルサンチマンだと考えているの
は既に述べた通り。あなたは俺の考えを否定しますか?

あなたは、「ニーチェ的には」云々、とやたらニーチェにひきつけて語ろうとしているが、
ニーチェに同一化しようとする自分自身の意思(つーか感情)に何かヤバいものを感じな
いか?と言うと怒るだろうかw
208189:04/01/09 23:35
で、あなたは>>197で「倫理」と「道徳」を社会的自我と個人的自我?の問題として区別し、
ニーチェに倣って?前者は「善悪」という用語で、後者は「良悪」という用語で価値判断
されるべきだと思う、などと述べているが、それがある程度ニーチェの思想の説明?に
なっていることは認めるとしても、倫理的問題として、単なる言葉遊び以上のなんなのか?

俺は、まず第一に、社会規範的な価値基準・・・これを無理矢理言い換えると「象徴界」w・・・
に支えられていない限り、人間は主体たり得ない、と考えている。他者から独立した者と
してまず個人が実体としてある、というのは前提としておかしいと思うが、どうか?

俺は、そして第二に、倫理的価値基準は規則功利主義的に理解すべきだと考えている。
己の価値観に絶対性を与えて「善なる意思」などを語るのは、その立場からは、「健全」でない。
R.M.ヘアが言うように、倫理的価値基準は、要するに個人の「選好」であり、合理的前提
を持ち得ないものであるが、だからと言って・・・タチの悪いニーチェかぶれが言いそうなこ
とだが・・・自分と異なる倫理的価値基準との力の闘争で勝てばいいのだ!などと言うのは、
およそ今日認められるべきスタンスだとは思えないが、どうか?

俺は、あなたは>>203で言われているように「いい人」なのだと思うし、あなたが>>198
述べているように、キリスト教的道徳が個人的な・・・プライベートな・・・部分まで全て「善悪」
の価値基準で自罰的に苛むことを強制してくるのはツライ、という気持ちはよくわかる。
ただ、ツライからそれを否定して、さらに、無意識的に価値転倒させて別の極に向かってし
まう、ということは、やはり警戒すべきことなのではないか。要は、バランスの問題ってこと
で・・・これもやっぱりツライんだけどさw

うーん、俺は、自分が人間として弱者である、という劣等感情から逃げずに、極力、価値転倒
しないように自分と向き合いながら、その辛さの中で、それでも人間として実存する、というの
が、自分が目指してるものなんですがね・・・。
209あげぞ:04/01/10 04:23
まず、189さんとの出会いに感謝いたします。
そして、195さんから受けている誤解をとくことができれば、嬉しいです。

まずは、195さんの>>202に関してですが、

>「倫理」と「道徳」はそんなふうにスッパリ分けられるもんじゃないでしょ。
>社会規範的な「良」が「良心」として各個々人の内面に存在してるのが倫理・道徳ですよ。
>(これはなにもキリスト教徒に限ったことじゃないよ。
>日本も含めて、どの文明国だってほぼ共通してる事柄 だよ。道徳が今の世界の王様だ)
全くその通りだと思います。
189さんが>>208で少し汲み取ってくださったようですが、
>>196にありますように、これらの文章は、
ニーチェの超人概念を、『道徳の系譜』を利用しながら、行為論的に説明する、
という意図・前提で話をしています。
ですから、極力単純化をしましたので、誤解を招く表現があったかと思います。
私の思想・意見が混ざっていますが、私はあくまで、
自分が解釈したニーチェの超人思想の説明を、試みているのです。
210あげぞ:04/01/10 04:25
>あなたのいう「道徳 = 自己規範、快楽原則」で「公共的でない場なら良」
>ということなら、
>たとえば動物を殺すことに、快楽をともなう興奮を感じる人がいるとすると、
>その人がだれも見てない場所で猫を殺すのは「道徳的」に「良」ってことになりますよ?

ここは私の用語の問題ですので、説明させて頂きます。
「倫理は、他者との関係論に由来する価値判断」という意味を拡大します。
「他者」には動物も含まれます。「他者」は非人格的存在にも適用されます。
本来、「他者」とは、レヴィナス的に「自分でないモノすべて」だと思うからです。
ですから、猫殺しの場合には、猫と犯人との間に、社会性・公共性が現出します。
よって、猫殺しは「倫理的に善くない」のです。
もちろん、猫殺しが「自分の貴族道徳的に良い」となる人はいるかもしれません。
私なら、おおざっぱな言い方をすれば、
「公共倫理が個人道徳に優先する」ので、猫は殺せないと思います。

ニーチェの超人思想的には、そもそも猫を殺そうとは思わないでしょう。
快楽原則というのは、実は非常に薄っぺらな「道徳」になりがちです。
猫殺しをしたとしても、それは一瞬のエクスタシーで終わってしまうでしょう。
「超人」とは自己超己であるのですから、継続的に自己を拡大させていく必要があります。
つまり、自分の「人格的な成長」を見込めない行為を選択することはありません。
何故でしょうか?
211考える名無しさん:04/01/10 04:26
漏まいら、永井はとりあえず読んでるよな?
212あげぞ:04/01/10 04:26
それはニーチェの超人思想が、
ニーチェが「自由」を求めていることと密接に関係しているからです。
ベルグソンが『時間と自由』の中で書いているように、
自由とは、人格に最も相応しく行為が行われること、であるからです。

私は以前、「超人は人格的な概念ではない。有機体だ」という、
「ニーチェ講義」を受けたことがあります。
これは、ニーチェに対する冒涜であると思いました。
ニーチェが『ツァラトゥストラ』を書いたのは、
聖書のパロディであると言われる『ツァラトゥストラ』で超人が現れるのは、
超人がイエス=キリストという人間像への対抗概念であるからです。
イエス=キリストが人格神である限り、超人も人格的存在であることは疑いえません。
213あげぞ:04/01/10 04:27
>あなたが例に出したオナニーだって普通は道徳的にも悪だよ。
>だから誰にも見られてなくても後ろめたさを感じるんだよ。
>ただ「殺人」なんかに比べたら極端に小さい「悪」だってだけ。
オナニーが普通は道徳的に悪であるというのは、おそらくその通りでしょう。
ただし、後ろめたさを感じるのは、神または他者の視線を意識するときだと思います。
殺人は「正義と悪」に関する問題かと思います。

>ニーチェが殺人について考えてないわけないでしょ。
たぶん考えたと思いますが、どこかに「殺して良いよ」と書いてありましたでしょうか?
私はちくまの文庫しか読んでいませんが、記憶に残っていません。

>あなたが例として用いた「オナニー」ってのはね、本当に微小な「悪」なんですよ。
>もし仮にそれが「良」というふうな結論に導かれても、痛くもかゆくもないような。
>なぜそういうチョイスをしてるかといえば、結局あなたは道徳を
>(ただの思考実験としてすら)捨てられない、ということじゃないですか。
>ニーチェを肯定するのにも道徳の言葉で、道徳の力を借りて肯定しようとしてる。
>だからどうしても嘘というか無理が出てくる。
そういうわけでして、私は確かに道徳の言葉を借りていますが、
ニーチェ的に定義された「道徳」という言葉を使っているのです。
通俗的な「道徳」という意味では使っていません。
>>196にあるように、
ニーチェの超人概念を、『道徳の系譜』を利用しながら、行為論的に説明する、
のが私の意図ですので、「善悪」や「良悪」は使わざるを得ないと思います。

>あなたはね、「いい人」なんですよ。骨の髄まで。
>だけど「いい人」特有の嘘がある。
その言葉は、ニーチェに対して使われるべきだと思います。
私は、ニーチェほど真面目で「いい人」は、ほとんどいないと思っています。
214あげぞ:04/01/10 04:29
189さんの>>207に関してですが、
>つーか、イエス=キリストはルサンチマンに起因する善行をしてるからダメだ、
>ということなのか?
その通りだと思います。
そして、ニーチェもルサンチマンを抱えているのは明白だと思います。
ニーチェは、「自分が持っていなくて、イエス=キリストが持っているモノ」に嫉妬し、
>>198のようなキリスト教道徳批判をでっちあげたのだと思います。

>自分自身の価値のための行動がイコール社会的善行、というのは、
>おそろしく性善説的な人間観を前提としているようにも思える。
ニーチェは、おそろしく性善説的な人間観を前提としている、と思います。
すでに述べましたが、彼ほど真面目で「いい人」は、ちょっといません。

>現実的に、「超人」なる、そんな理想的自己を体現している人間はいない・・・
>俺は「超人」というイメージ自体がルサンチマンだと考えているのは既に述べた通り。
>あなたは俺の考えを否定しますか?
否定しません。仰られる通りだと思います。
ニーチェ思想は常に耐えざる反転を要求しますので、
ニーチェ本人は否定するでしょうが、ニーチェ思想は肯定すると思います。

>あなたは、「ニーチェ的には」云々、とやたらニーチェにひきつけて語ろうとしているが、
>ニーチェに同一化しようとする自分自身の意思(つーか感情)に
>何かヤバいものを感じないか?と言うと怒るだろうかw
怒りません。
ニーチェに同一化するつもりはありませんので。
215考える名無しさん:04/01/10 04:29
ニーチェの「道徳、吐き気するほどキライ」には十分賛成するのに
サカキバラの人殺しは肯定できない普通人の集まりか(プ
216あげぞ:04/01/10 04:30
続いて>>208ですが、倫理学をきちんと学んでいらっしゃるようで、ありがたいです。

>まず第一に・・・
他者との比較を通さなければ、自己も浮き上がらないでしょう。
「他者から独立した者としてまず個人が実体としてある」のは不可能でしょう。
認識論的にも、存在論的にも、人格論的にも、私は無理だと思います。
ニーチェも、そうは言っていないと思います。

>そして第二に・・・
ニーチェ概念を利用して、私の意見を述べますと、
「倫理的価値基準は規則功利主義的に理解すべきだと考えている」に同意します。
オースティンが、generallyという表現にこだわるように、
行為功利主義的は、一般性の点で規則功利主義に劣ります。
個別の行為に固執する行為功利主義からは、そもそも「基準」が生まれないでしょう。
そもそも「基準」とは「誰もが何処でも使うべきものさし」という意味でしょうから。
倫理的(他者関係論的)価値基準に一般性が欠けていては意味がありません。
217あげぞ:04/01/10 04:31
>己の価値観に絶対性を与えて「善なる意思」などを語るのは、
>その立場からは、「健全」でない。
>R.M.ヘアが言うように、倫理的価値基準は、要するに個人の「選好」であり、
>合理的前提を持ち得ないものであるが、
私は暫定的に以下のように定式化しています。

「倫理は、他者との関係をスムーズにするための行動基準で、善悪によって価値判断される」
「道徳は、自己の人格を成長させるための行動基準で、良悪によって価値判断される」
「人間の行為は、倫理と道徳の両方をふまえて、価値判断される」

誤解のないように書きますが、例えば、自己の人格を成長させる理由で、
「他者に優しい人間になろうとする」ケースもあります。
倫理と道徳の違いは動機の違いであり、行為そのものや結果の違いではありません。
倫理をふまえて行動することで、人間的に成長することもあると思います。
195さんの>>202の最初の4行と、意味的な差はないと思います。
218あげぞ:04/01/10 04:32
>だからと言って・・・タチの悪いニーチェかぶれが言いそうなことだが・・・
>自分と異なる倫理的価値基準との力の闘争で勝てばいいのだ!などと言うのは、
>およそ今日認められるべきスタンスだとは思えないが、どうか?
自然状態と社会を誤解する若者にありがちですが、
わがままで世間知らずなのでしょう。
「自分を安易に肯定したがる、現代思想かぶれ」なのだと思います。
ほとんどの現代思想には、現実の問題解決能力が欠けています。
20世紀における哲学・現代思想のあまりの非生産性による害は、はかりしれません。
言葉遊び、机上の空論に終始し、
「生産性」という実践面での功利主義を顧みなかったのは余りにも愚かです。
ナチズムが何故生じたのか、自分たちの現実認識が間違っていたことを棚に上げ、
あたかも「理性」が間違ったかのように、
哲学思想を商業的なジャーナリズムに変えてしまいました。

>要は、バランスの問題ってこと
>で・・・これもやっぱりツライんだけどさw
同意します。

>うーん、俺は、自分が人間として弱者である、という劣等感情から逃げずに、
>極力、価値転倒しないように自分と向き合いながら、その辛さの中で、
>それでも人間として実存する、というのが、自分が目指してるものなんですがね・・・。
私は、そこに自己拡大の原理、すなわち「近代的自我」を入れます。
外部からのショックで、アイデンティティが崩壊したとする。
そうすると、当の外部刺激を取り込むようなカタチで、自己を再構成する。
そういった自己拡大の理論が、本当の意味での「近代的自我」であり、「人格的存在」でしょう。
ニーチェの超人概念から、それほど遠い位置にあるとは思いません。
死ぬことは考えていませんが、実存主義の王道かと思います。

進むべき道は、知識を吸収しながら、行動すること。
教養という名の「温故知新」の精神で、新しい現実の問題を解決すること。
具体的には、応用倫理の世界に関わっていくことだと思います。
219あげぞ:04/01/10 04:33
さて、ようやくニーチェに戻りますが、
余りにも評価されていないニーチェの仕事があると思います。
それはニーチェの仕事はプロテスタント批判であり、
プロテスタントに対する宗教改革の試みであった、というモノです。

これまでの私の仮説によれば、ニーチェはとてつもない善人です。
これは何故でしょうか?
ニーチェの父親はプロテスタントの牧師で、
彼自身は幼い頃に「小さな牧師さん」と呼ばれるほど、宗教的情熱を持った人です。
ですからニーチェの道徳観は、プロテスタントの精神によって育まれたはずですが、
キリスト教道徳を徹底的に批判します。
この矛盾が生じるのは何故でしょうか?

私が重視するのは、プロテスタントの聖書主義です。
信徒は教会を介して神と間接的につながるのではなく、
聖書を介して神と直接的につながります。
さらにヴェーバーの有名な理論を借りると、
利益の蓄積を肯定するプロテスタンティズムが資本主義への道を開いたとなります。
ニーチェが生きた時代は、ドイツで関税同盟が成立した後であり、
領邦国家として時代に遅れを取っていたドイツが、
プロイセンを中心に経済的にも成り上がっていく時代です。
そこで、以下のようなキリスト教徒が登場しました。
220考える名無しさん:04/01/10 04:34
弱肉強食っていのは、その手段が直接的な暴力であれ
ニーチェが唾棄するモラルの婉曲適用であれ本質は一緒さ。

がまんできないのは、単にキリスト教、キリスト教的道徳観が
単にものすごく流行してるから。
221あげぞ:04/01/10 04:37
「この世界は、因果応報だ。だから私はよいことをする。
私は今日もよいことをした。昨日もよいことをした。
おとといも、その前も、ずっと毎日、善行を積み続けている。
だから、きっと、私にはよいことが待っている。
そんな私を、神様は見守ってくれているのだ」

私が想像する限りでは、
ニーチェはこうした見返りを求める宗教的態度が許せなかったのではないかと思うのです。
経済活動的な、功利主義的な「ギヴ&テイク」の思想、が納得できなかったのです。
キリスト教の本当の意味では、神を信じるのは、無償の行為のはずです。
神は無慈悲で、不条理で、暖かい存在ではないはずです。
「ギヴ&テイク」があるから神を信じるなんて、
ニーチェにはとうてい許し難い宗教的態度だったのではないでしょうか?
あるべき信仰の美しさに、見返りは不要なのです。
見返りを求めたら、そこに純粋な信仰はあり得ないのです。
この類いまれな潔癖性。
こうした宗教的態度を、自らの行為で実践しようとすると、「超人」が生まれます。
超人概念に現れるように、ニーチェが究極的な善人である理由だと思います。
ですから、
「他者のためにすることは、やがて自分のためになる」
そういう宗教的に倒錯した発想の故に、キリスト教道徳は批判されたのではないでしょうか?

だから、ニーチェは「ギヴ&テイク」的な社会科学がおそらく嫌いです。
法律・政治・経済について語ることは少なく、
もっぱら当時の自然科学(心理学・生理学・進化論など)について語るのは、
そのあたりに理由の1つがあるのではないかと思います。

ということで、ニーチェは哲学的人間である前に、宗教的人間であると思います。
カントやヘーゲルなど、近代の哲学者達とは、
見掛け以上に本質的な差異が少ないと思います。
222考える名無しさん:04/01/10 04:46
倫理というのは引き篭りのための論理
道徳は単なる流行
そもそも現代社会での勝ち組にとってみれば、どちらも
利用すべき言い訳でこそあれ、くだらないものには変わりない。
223考える名無しさん:04/01/10 07:17
>>222
倫理は引き篭もりのための論理?
なんじゃそれ。
「引き篭もり」という概念自体が「社会に参加しない、社会的に非生産的である」という、
倫理的な「悪」じゃん。あほですか?
「ニーチェは引き篭もりのための論理」というならまだわかるが。

>道徳は単なる流行
これはちょっと惜しい。流行は流行だけど、とても「単なる」なんて言えたもんじゃない。
人類史上最大、最強の流行。たぶん人類が終わるまで続く。
224考える名無しさん:04/01/10 07:27
まあ>>222 の価値観では自分は勝ち組なワケだから
他人の言葉なんてすべて言い訳でくだらないもんだわな

それじゃ議論は進展せんけど
225189:04/01/10 08:43
(゚∀゚)━( ゚∀)━(  ゚)━(  )━(´  )━(Д´ )━(`Д´)ウワァァァン!!
朝から、とてもうれしい気分で、興奮しています。
やっぱ、2ちゃんで匿名者として議論するのは楽しいですね。

まず、これだけ。あげぞさんの考えには同意します。
あなたはとてもステキな知的刺激を与えてくれた。

詳しいレスは後ほど・・・。
226考える名無しさん:04/01/10 08:47

W

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プ
227考える名無しさん:04/01/10 14:45
>>222
倫理は個人的なものじゃないかと。引きこもりとの関連はいまいち掴みにくいけど。
228考える名無しさん:04/01/10 14:47
↑は>>223です。
229223:04/01/10 15:25
>>227
いや、ちがうよ。個人的な事柄だろうが、「引き篭もり」を非難する意識の根底には「倫理的な意味での悪」
つまり、さっきの「社会に参加しない、社会的に非生産的である、だから悪いことだ」という価値意識が働いてるよ。
そうじゃなければ引き篭もってるからって、それが悪いことにはならない。

ニーチェについて考えるなら、こういう2ちゃんみたいな場所で「ヒキヲタ」とか煽る連中ですら、
無意識のうちに「倫理・道徳」の立場から発言してる、ということをきちんと受け取るべきだよ。
それほどまでに道徳意識はわれわれの世界に根深く浸透しているんだなぁって。
そうすれば、ニーチェがいかに巨大な敵と戦ったのかが分かると思う。まぁ、結果はボロ負けだったんだけどさ。
230カオナシ:04/01/10 16:06
>>229
「引き篭もり」は、現実逃避ですよね。
親がいて、守ってくれるから、引き篭もっていられる。
耳を押さえて、目をつぶって、本当の贅沢だ。
その人のご両親はとてもかわいそうです。
でも、ヒッキーでも、毎日瞑想に取り組むとか
哲学的な論文でも書けば、将来的にプラスには
なるでしょう。
231考える名無しさん:04/01/10 16:51
>>229
うん。そういう意味ならそうですね。ていうか、関連は掴みにくいって書いたのに(泣
232考える名無しさん:04/01/10 16:52
>>230
だからそれが既に道徳に浸ってる見方なの。飛躍するけど若い遺産生活者はどうなるの?
233考える名無しさん:04/01/10 19:38
「超人」って「記憶力のまったくない人」なんじゃないかな。
たとえば「ボケ老人」みたいな。
道徳も含め、あらゆる既成概念や自己模倣からも完全に
開放されるには結局記憶をなくすしかないでしょう。
獅子→子供という展開を考えても、サカキバラ君よりも、
「ボケ老人」のほうが超人に相応しいと思う。
強力な意志で既成概念をなぎ倒す勇ましい人じゃなくて、
そんなことを指向する意志すら持たない。ただ在るだけ。
いやー、ほんと良かったですよ。
どうあがいてももう子供にはなれないけど、ボケ老人にはなれるもんね。
おれもやがて超人になれると思うと楽しみだよ。
234考える名無しさん:04/01/10 20:37
記憶を無くすと言うより、
超克的意志が生長して行くような感じじゃないのかな?
そんな感じの人に会った事が有るような気がする。

どう理解しようとしても無限の否定性が理解される事を拒み続けていて、
その点ボケ老人みたいに理解可能な存在とは思えなかった事を覚えている。
ひょっとしたらそんな人間が隣に居るかと思うと、
別の意味で怖くなる。
235考える名無しさん:04/01/10 21:12
忘却は強さなんだ
236考える名無しさん:04/01/10 21:23
一年中毎日、外に出ないでここでお勉強=お遊戯している引き篭もりはどう考えたってまずいだろ?
どんなに賢くてもただそれだけの社会的には粗大ゴミ同然の価値しかない存在だから。それとも誰かに見いだして欲しいのかね?
237考える名無しさん:04/01/10 21:34
>外に出ないでここでお勉強=お遊戯している引き篭もり

こういう人間にはなれないな。俺には引きこもる才能が無い。
でも、身障者とかだったら別だけど。健常者だったら、
静かに退屈に滅んでいるという感じ。
238233:04/01/10 21:40
>>234
うーん。超克的意志とか成長とかの概念は、
三段の変化では第二段階の「獅子」に該当すると思う。
それに、ボケ老人も他者から理解可能な存在だとは思えないけどね。
しかし考えてみると予想以上にけっこういるもんだよね。超人容疑者。
まあ、あれだ。いずれにせよ「超人」なんてもんは、本人はいいだろうけど
周りの人間にはありがたくもなんともない、迷惑極まりない存在ってことだ。
超人だらけの世の中なんて最悪だろ。ぜったいにそんなことにはならないけど。
239りゅう:04/01/10 22:28
ニーチェは精神錯乱状態になり、非業の死を遂げたと言われている。
そうではない。そんな道徳的尺度で彼の死を評価してはならない。

彼は超人になれたのだ。精神錯乱状態での10年はニーチェにとっ
ては至福の時であったのだ。ルサンチマンから永遠に解放されて・・・
240ニーチェ:04/01/10 22:31

だから言ってるだろ?
そろそろ俺のアホさ加減に気づけよ(w
241りゅう:04/01/10 22:57
ニーチェは馬鹿なのかも知れない。いや、世の中的にみれば馬鹿で
しかないだろう。しかし、中途半端な馬鹿ではない。突き抜けてい
るわけだ。

突き抜けた馬鹿より、偉大なものがこの世にあるのだろうか?
242考える名無しさん:04/01/10 23:03
超人を教えよう
243233:04/01/10 23:08
>りゅうさん
おっ?ということはあなたも超人=ボケ老人説に賛成ですか?
244りゅう:04/01/10 23:17
>243

賛成だ。ルサンチマンから永遠に解放されてある状態とは、白痴の境地
しかありえない。
245考える名無しさん:04/01/10 23:19
ガッツ石松は超人ですか?
246考える名無しさん:04/01/10 23:21
ここに居るやつらはニーチェ言った『超人』を知らなそうですな。
247考える名無しさん:04/01/10 23:36
そこにあることに自足した存在。凡夫には難しい。
248233:04/01/10 23:45
>244
ありがとう。じゃ全ての人がやがて超人になれる可能性があるってことですね。
それってなんだかとても素晴らしいな。
しかしそう考えると改めてニーチェって反社会的な思想だよね。
ボケ老人の巣晴らしさは、やっぱり社会的には隠されなきゃならないし、
それまで通りただ死を待つだけの家族のお荷物という存在でなければならない。
もし「ボケって最高」とか「いかにしてボケるか」とか大流行して、
ボケ老人だらけになったら社会が機能しなくなるもんね。
249ニーチェ:04/01/10 23:47
俺なんかに騙されちゃってどうするの(w
250りゅう:04/01/11 00:36
>じゃ全ての人がやがて超人になれる可能性があるってことですね。
>それってなんだかとても素晴らしいな。

別にすばらしくもないんでないかい。ニーチェの超人思想の魅力は勢いの
良さだからね。「なんとなく超人はすごいものなんだなぁ」と思えなけれ
ばそれを目指す意味もなくなるだろう。

>しかしそう考えると改めてニーチェって反社会的な思想だよね。

少なくとも社会性を拒否しているとは言えると思う。倫理が「人(個人)
は如何に生きるべきか?」を問うものであるなら、社会性が拒否される究
極的な水準というものが想定される。それを肯定している(問うている)
意味で反社会的と言えるだろう。

>ボケ老人の巣晴らしさは、やっぱり社会的には隠されなきゃならない

隠すまでもないだろう。

>もし「ボケって最高」とか「いかにしてボケるか」とか大流行して、
>ボケ老人だらけになったら社会が機能しなくなるもんね。

その心配はないだろう。
251ニーチェ:04/01/11 02:10

おまいら、ワラワラ。
252サンチェ(元巨人):04/01/11 02:38
>別にすばらしくもないんでないかい。ニーチェの超人思想の魅力は勢いの
>良さだからね。「なんとなく超人はすごいものなんだなぁ」と思えなけれ
>ばそれを目指す意味もなくなるだろう。

目指しているうちはダメなんでないかい。

>少なくとも社会性を拒否しているとは言えると思う。倫理が「人(個人)
>は如何に生きるべきか?」を問うものであるなら、社会性が拒否される究
>極的な水準というものが想定される。それを肯定している(問うている)
>意味で反社会的と言えるだろう。

究極的な水準が社会性といつも抵触するとは限らないんでないかい。

>隠すまでもないだろう。

積極的にボケになろうという奴はあんまいなさそうだからね。
253189:04/01/11 02:52
あら。ずいぶん進んでるのね。
糞長い駄文投下w

あげぞさんの「倫理」と「道徳」の「暫定的な定式化」を、猛烈な誤解をしていることを
承知の上で、つーか、自分なりの問題意識に無理矢理引きつけて、以下のような図式とし
て考えてみた。

(まず、快感原則に従うのみの「自然状態」というものが惜定されている)

「倫理」が成立する。
それは「他者との関係性における価値秩序」であり、規則功利主義的に説明される
べきもの・・・文化的共同体の功利のために歴史的に打ち立てられ、状況の変化に応じ
て変容されてきた「掟=制度」である・・・その性格は権力的であり、快感原則を抑圧
する現実原則として機能する。

「道徳」が成立する。
これは、快感原則に従う「自然状態」を「倫理」によって否定され、「良心」として
内面化された「倫理」を抱え持つ状態だが、あくまで文化的共同体の状況的要請に左右
されるものとして、「倫理」の超越・・・「自己の人格を成長させる」=自己実現を実存的
に引き受けること・・・はある程度・・・1%〜99%・・・に留まる。つまり、弁証法で言うところ
の「止揚」は、完全には成し得ない・・・いや、それどころか、自由の増大によって「倫理」
の超越可能性が大きくなればなるほど、価値倒錯・・・「倫理」が「道徳」に対して優勢的
に構成するという状態から、逆転して「道徳」が「倫理」を優勢的に構成する、という、
ますますルサンチマンが進展した状況になりつつある・・・(のが、「制度」=大きな物語
を喪失したポストモダン社会?)

「止揚」を完全に成し遂げ、「道徳」がそれ自体として「倫理」に一致する、不可能的極
限として「超人」という存在が置かれている(が・・・その観念自体がニーチェ自身の実存
においてはルサンチマンの産物なので・・・我々は「超人」の観念を反省し、脱構築する必要
がある・・・・・・。)
254189:04/01/11 02:54
えーと(^^;、まず第一に、上で示した図式(じゃねーよw)は人類の社会的進化過程と
して捉えることが出来ると思う。ホモ・サピエンスになりつつあった状態では、自然の過酷
さから自分たちを守るために掟としての「倫理」が圧倒的であったはずで、「倫理」は各個
に内面化されていたけれども、さらにその「倫理が己に内面化されていること」を意識上で
対象化し、超越することは(我々ほどは)しなかったのではないか。想像的でしかないが、
キリスト教的・・・カトリシズム的道徳が支配的な力を持っていた中世の西洋人にもある程度言
えるだろうし、現代に至ってもなお言えるだろう・・・「未開部族」や「極めて厳格な宗教的共
同体」があると仮定するなら・・・ことで、文化的共同体の状態がまだそれほど「個人の自由」
を認容しないならば、(我々ほどは)「倫理」を個人のうちで超越し、「道徳」を所有して
いない人々というのはいるのでないか。
そして第二に、人間の、赤ん坊から自分の「自己同一性」を自覚するにいたる成長過程とし
ても捉えることが出来ると思う。母子未分離の乳児が快感原則的な状態にあり、3歳児くら
いで「倫理」を躾けを受けることで内面化させる段階になり、そして思春期で、倫理を内面
化させている自己の「実存」に目覚め、苦悩する者となる・・・なんか嘘臭いなw。

俺、こう書いてるけど、「完全なる自己同一性」なんて信じてないし、「人間」なんてモリッ
シーが"Some Girls Are Bigger Than Others"で歌ってるように、氷河期と今を比べても、
せいぜい身長差が30aあるくらいの差異しかないと思ってんですよ。まぁいいや。
255189:04/01/11 02:55
で、「道徳」だが、これは、たとえ「倫理」の内面化を対象化し、それを超越して「自己の
人格的成長」を目的とする「実存的投企」を行っているとしても、すべからく、多かれ少な
かれ、現実的には価値倒錯してしまっている=ルサンチマンに汚染されている。なぜなら、
人間は弱いものだから!ニーチェが言うように?、人間は理性なんかじゃなくて感情によっ
て世界を見る・・・パースペクティブ性?(ニーチェじゃなくて、M.シェーラーだったかもしれ
ない)・・・のであって、自分にとって意味=世界・・・意味としてしか世界はあり得ない・・・は、
自己慰撫的な色彩を帯びることを決して免れない!
キリスト教的「倫理」への同一化がルサンチマンの造形物=「奴隷道徳」だったとして、20世
紀が「神が殺された後」の時代なら、しかし、その虚無を補填する形で、新たなルサンチマン
の造成物が雨後のたけのこのように生えだした。科学至上主義、ファシズム、スターリニズム、
レイシズム、福祉社会主義、反科学主義的神秘主義、フェミニズム、狂信的な動物愛護主義、
そして、歴史への信頼感覚すら喪失した・・・いわゆる「大きな物語」を失ったポストモダン社会
においては、もう「道徳」が「なんでもあり」状態でヽ(`Д´)ノウワァン!!!

実は俺はオタクなので、あずまんなども読むのだが、彼の言う「動物オッケー!」なんてまさ
にルサンチマンだと思うのでありますw
256189:04/01/11 02:55
俺は、もう汎ルサンチマン主義というか、いかなる価値基準も多かれ少なかれルサンチマン性
を帯びていると思っているから、言い換えれば、本来的で、歴史的・文化的に超越的で、絶対
的に合理的な「正しい」価値基準なんてないと認めているから、ニーチェに同意して民主主義
までひっくるめてルサンチマンと見做すけれど、だからこそ、何よりも重要な問題は、どうい
う価値基準が「Xより妥当か、Xよりマシか、Xより自分たちにとって有益か」という功利主
義(というか、R.M.ヘア的な「普段は規則功利主義、いざという時は行為功利主義」)やプラ
グマティズムの倫理的有効性を擁護するしかないと思っている。そして、「それは相対主義だ
から断固として克服されねばならない」的な開き直りのコミュニタリアニズムにも反対するし、
もちろん力で他者を屈服させればいいのだ!というヘゲモニズムにも反対する。

いかにして、自分もまたルサンチマンに汚染された倒錯者なのだと自己反省しながら、自分
と異なる信念を持っている他者に対して「寛容」をエチケットとして携えて出会い、より良い
自己を実現させていく意思を持てるか、そう、まさに応用倫理の問題が重要だと思う。

ところで俺は、ニーチェは実はマゾヒストだと思っていて、マゾヒストであることは倫理的に
有益なのではないかと思うのだが、どうだろうか。

うーん、色々考えたんだけど、上手くまとまらないなぁヽ(;´Д`)ノ
まぁいいや。とりあえず今夜はここまで。
257りゅう:04/01/11 03:45
>189

道徳:社会(共同体)にとって望ましいことや社会的規範に従うことを善
   とし、それを行う者を善人とする価値体系。

倫理:「(個人は)如何に生きるべきか?」という問いからスタートして
   いるが、「善く生きるべし(道徳的に生きるべし)」との答えを前
   提に語られており、実質的には道徳を内面化し、個人の生き方に落
   とし込むものとして機能している。

と定義すれば、道徳の成立は倫理に先行すると思われる。キリスト教(プロ
テスタント)の特徴は「倫理」(ウェーバー風に言えば内面の倫理)つまり
個人としての「心のあり方」を極端に重視することであり、規範より倫理が
重視される。そして、「心のあり方」にさら徹底的に誠実に従うことを説い
たのがニーチェと言えるだろう。

しかし、少し冷めた目線でみてみれば、「倫理」とか「心のあり方」という
ものはそんな重要だろうか。われわれは多くの場合、社会的な規範や慣習に
意識せずにしたがっているのではあるまいか?そしてそれで十分ではないの
か?

功利や公正の観点からよりよいルールが作られる必要はあるが、規範に従う
のに必要なのは「倫理的に納得すること」ではなく、習慣だ。
258あげぞ:04/01/11 05:04
まず、超人をボケ老人に比喩することの妥当性についてですが、
個人的には半分程度同意します。
というのは超人概念を捉え切れていないように思うからです。

ニーチェにおける「子供」や「踊り」、「酒を飲む」など、
詩的、感覚的な表現、ディオニュソス的な文脈は、
ニーチェが求める「自由」と深い関わりがあります。
ボケ老人が、「ナニモノにもとらわれていない人」なら、
「自由」の体現者として適切でしょう。

しかし、一方、超人概念は「人格的存在」でもあるのです。
いや、むしろ、そもそも人格なしに自由は達成され得ないと思います。
「ボケ老人は、人格的存在である」と主張することには、
少し無理があるように思います。
超人は自足的ですが、常に自分を新しく更新していきます。
ボケ老人はむしろ、退化していくように思うのです。

ですので、>>233さんの「記憶をなくすと自由になる」は、
現象的にはまさにその通りだと思います。
しかし、一方で、「記憶をなくすと人格はなくなる」と思います。
なぜならば、ロックの言を借りれば、
「人格同一性の根拠は記憶にある」からです。
259あげぞ:04/01/11 05:04
>>253
「人類の社会的進化過程」の整理としては、大きな問題はないかと思います。

「道徳」がルサンチマンによって「倫理」を倒したのが現代社会、というのは、
「道徳が今の世界の王様だ」という>>202における195さんの表現とも一致していますね。
ただ、今後もますますルサンチマンが進展して、
ポストモダン社会が進行するかというと、あまりそうは言い切れないと思います。

もう1つ、「倫理とは、制度である」と書いていらっしゃいますが、
「他者関係論」というあいまいなモノですので、レベル差があります。

制度化された倫理とは「法」、特に自然法、正義概念、であると考えます。
一方で、法的に定義されていないがために、もしくは、懲罰規定がないために、
もしくは文化的共同体の不注意によって、引き継がれない倫理意識もあると思います。

>「止揚」を完全に成し遂げ、「道徳」がそれ自体として「倫理」に一致する、
>不可能的極限として「超人」という存在が置かれている
道徳が倫理と一致することはない、と思います。
道徳は倫理を含むことができる、と思います。
道徳のほうが、現在の我々の感覚だと、より広い行動基準だからです。

すべての倫理をふまえつつ、見返りを求めずに、
ただひたすら自分の道徳に従って、
新しい自分を作り出していく人格的存在が、「超人」だと思います。
「倫理によって、不自由になる」のではなく、
「倫理なくして、自由はない」のです。
260あげぞ:04/01/11 05:05
>(が・・・その観念自体がニーチェ自身の実存においてはルサンチマンの産物なので・・・
>我々は「超人」の観念を反省し、脱構築する必要がある・・・・・・。)
超人概念自体がルサンチマン的産物である側面は否めませんが、
超人概念の成立に、敬虔な信仰があることを見落としてはならない、と思います。

超人概念とは、「見返りを求めない愛」であり、詰まるところアガペーです。
一方で「見返りを求める愛」はエロースです。
カトリック・プロテスタント・正教に限らず、世界宗教たらんとしたキリスト教は、
布教するにあたり、異文化社会にとって難解なアガペーを放棄して、エロースを認めたのです。
それは最終的には、「キリストの復活と神の国の到来」を説得せんがためです。

解説書レベルでそのような指摘をしているものを、読んだ記憶がありません。
261あげぞ:04/01/11 05:05
続いて>>254ですが、

>文化的共同体の状態がまだそれほど「個人の自由」を認容しないならば、
>(我々ほどは)「倫理」を個人のうちで超越し、
>「道徳」を所有していない人々というのはいるのでないか。
おそらくいるでしょう。いたと思います。
というのは、道徳を持つためには、自己との対話が必要になります。
そのためには言語が必要であり、文字を知っていることが重要です。
グーテンベルグの活版印刷、識字率のアップ、
ルターが聖書をドイツ語に訳し聖書が自由に読めることになったこと、
物質文化的な条件が整わなければ、精神文化的な変化はない、ということではないでしょうか?

中世の時代、たいていの信者は教会に行き、神父の言葉を聴くしかありませんでした。
そこでは主に「倫理」が語られます。
ところが、自分で聖書を読めるようになったとき、
「なんか、教会で聴いていることと、全然違うぞ」
と思った人は、少なくなかったことでしょう。
旧約と新約の大きな差異、聖書内の矛盾、カトリックの欺瞞などを経験したとき、
これを自分で解決したい欲求が生まれます。
人間が主体的に行動しようとするとき、道徳が生まれ、そこに自由があるのだと思います。
詰まるところ、倫理は個性を要求しないからです。

>「完全なる自己同一性」
とは具体的にはどういうことでしょうか?
262あげぞ:04/01/11 05:06
>で、「道徳」だが、これは、たとえ「倫理」の内面化を対象化し、
>それを超越して「自己の人格的成長」を目的とする「実存的投企」を行っているとしても、
>すべからく、多かれ少なかれ、現実的には価値倒錯してしまっている
>=ルサンチマンに汚染されている。なぜなら、人間は弱いものだから!
価値倒錯せず、自らのポジションを確認して、
「人格的に成長せよ、戦え」というのがニーチェ思想です。
ニーチェ自身のことと、切り離して考えてみる必要があると思います。

>ニーチェが言うように?、人間は理性なんかじゃなくて感情によって世界を見る・・・
>パースペクティブ性?(ニーチェじゃなくて、M.シェーラーだったかもしれない)
>・・・のであって、自分にとって意味=世界・・・意味としてしか世界はあり得ない・・・は、
>自己慰撫的な色彩を帯びることを決して免れない!
「遠近法」はニーチェの用語ですが、
これはおよそあらゆる存在者の感情・事実認識・解釈的傾向に対する、現象面での指摘です。
感情・事実認識・解釈、と価値判断・論理とは区別すべきであると思います。
「遠近法」と「ルサンチマン」とは、別の概念です。
例えば、「自分がデブだ」コンプレックスを感じた場合に、
それは、感情・事実認識・解釈、として当然なわけです。
しかし、そこで「デブは良いことだ」と価値倒錯しはいけません。
強くあれ、じゃあダイエットしろ、というのがニーチェの思想です。
>>256で仰る通り、汎ルサンチマン主義がはびこる現代では、
「よいモノはよい」「わるいモノはわるい」
と諭すことが、必要ではないかと思います・・・・・・。

サディストよりはマゾヒストのほうが寛容であるでしょう。
応用倫理は重要なことですが、実践面で具体的に必要なのは、対話力です。
コミュニケーションの可能性を諦めることなく、「バカの壁」などと言わず、
もう一度「理性」に帰ること、
エピステーメーとドクサとを見分ける目を養うこと、
そういった努力が必要であると思います・・・・・・。

263233:04/01/11 06:42
>>257りゅうさん
確かに倫理や道徳などを進んで疑う必要などないし、習慣として問題なく機能してくれるなら
それに越したことはないよ。でもね、あまりにも道徳が今の世界で“絶対”善になってしまったから
そこからドロップアウトしてしまう人間の受け皿を完全に奪ってしまった。
ドロップアウトといっても「殺人者」とか実際の罪人じゃないよ、そういう人間でも「良心の痛み」
からの解放を「反省して罪を償う」ことで解決しようとするかぎり、道徳世界の住人だから。
そうじゃなくて、道徳世界そのものから落ちこぼれてしまう人間。道徳が習慣として機能しなくなった人間、
道徳の論理が救いではなく疑問と苦痛にしかならない人間。そういうのが、ニーチェだけに限らず必ず出てくる。
けれどその種の人間を肯定できる言葉をこの世界は完全に失くしてしまった、そのことが重要だと思うんです。

ニーチェだってさ、できることなら疑いたくなどなかったと思うんだよ。道徳を。
最初は道徳の神の死体の前で、青ざめて途方に暮れたんじゃないかな。
キリスト教的道徳の下での「幸福」を知っている人間が、気が付いたらその楽園から追放されてた。
そして、もとの世界には二度と戻れないことを知る。
その絶望と怒りから始まったんじゃないかな、ニーチェの道徳批判は。
ニーチェ自身が、弱者の復讐、ルサンチマンとして嫌悪したキリスト教的道徳の始まりのように。
264考える名無しさん:04/01/11 07:29
>>191
ニーチェはキリストに関してはルサンチマンを認めていないはず。
ニーチェは、イエスその人の教え=実践と、イエスの死後彼の弟子たちが歪めたキリスト教とをはっきり区別していて、
彼の批判するキリスト教は、イエスの死後弟子たちがルサンチマンによってでっちあげたものだと断罪しているはずですよ。
265考える名無しさん:04/01/11 07:35
>>192
ニーチェにとって、価値を創造すること、これは原理的に不可能です。
なぜならそれがいったん「価値」として創造されると必ずや硬直化してしまう、
すなわち彼が徹底的に批判した形而上学的理想になってしまうからです。
彼がアフォリズムという文体を好んで採ったのもこの辺りの事情と関係しているでしょう。
つまり、語るべきではなかった、歌うべきであったのだ私の魂は、というわけです。
266考える名無しさん:04/01/11 08:04
>>258
以前、友人が「白痴」とはディスコミュニケーションが無い状態のこと、
と定義していました。なんでもギャルゲーやってて思ったそうです。

ニーチェが最終的に白痴に近い状態にまで追い込まれたという話を聞くと、
どうしても関連性を連想してしまいます。

芸術家とか色んな意味で狂った人が多いという印象もあるし、あながち間違ってない・・・かも?
267考える名無しさん:04/01/11 08:13
白痴と言えばニーチェはイエスのことを「白痴」と言ってるな。
感受性が極端に鋭敏すぎるゆえに、苦痛に対する抵抗感もまた強いものとしてある。
そのような場合、感受性は本能的に一切の嫌悪感や敵愾心を締め出してしまう、と。
この部分は確かイエスの名を挙げていなかったものの、彼のことを指している文脈だったと思う。
無抵抗すなわち愛に生きることに至福を見出す人間の型として説明していた箇所だったから。
2681b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/11 09:21
ドストエフスキーの『白痴』を読んだことがあるらしいから、
その前後ははっきりしないが影響を受けたのかもしれない。

誰だったかについて「他人から悪意ある行為をされてもその記憶を持たなかった。」
という記述(『善悪の彼岸』?)があったが、それは白痴だからではなく
その記憶がとるに足らぬものであるからであると思う。
超人の過去に対する態度が白痴に見えるとしても
それはその過去を望んだからであって忘却はその結果ではないか?



269233:04/01/11 09:48
>258あげぞさん。
ん?超人って「人格的存在」ですか。おれは全くそう思わないけど。

あなたの「自足的であって常に自分を更新していく」という超人の定義には
ボケ老人も十分かなってると思うけど。
それを「退化」と決め付けるのは、たぶんあなたの中に「人生とは真の自己実現のための努力である」
みたいな目的論的な人生論が強くあるからだと思う。

「同じ目的論でも、キリスト教はこの世を越えて天国に目標を設定した。
それは間違いでいけないことなので、生きてる間に叶えられる目標を設定しました。」
ニーチェの仕事は↑こんなことじゃないはずですよ。それは
「この今」としての「私」の輝きを取り戻すことであって、目的論そのものの否定です。
超人は生きるための目標にはならないし、自分が超人になったとしてもそれに気づかない。
超人は「進化」も「退化」もしませんよ。
270189:04/01/11 12:11
うーむ。書きながら何ともやるせなかったのは、書く自分自身がいかにルサンチマンに
強力に囚われ、価値転倒させようと画策しているのか、ということでした。俺も、弱者や
マゾヒストなどという倒錯を正当化しようとしているわけだヽ(;´Д`)ノ

233さんが>>263で述べている、「道徳が習慣として機能しなくなった人間、道徳の論理が
救いではなく疑問と苦痛にしかならない人間」というのは、自分自身を省みてみれば当て
はまっているなぁ・・・。

ただ、そのことを少なくとも自覚している、というのは、自覚していないよりマシ、と言い逃れる
ことは出来ないでしょうかw;

また色々整理しなければならないけど、ちょっとだけ。
233さんが>>269であげぞさんの考えに対して言ってること・・・「たぶんあなたの中に「人生とは
真の自己実現のための努力である」みたいな目的論的な人生論」ある・・・は、俺もちょっと思っ
たことだった。
なんか、ヘーゲル史観的な「自由」の究極的自己開示をなお信じているというか・・・クライエント
中心療法的なカウンセリング理論を作った、ロジャース的な、「恐ろしく性善説的な人間観」を
前提してるように見えるが、果たしてそれはアウシュビッツの後である現代において、適切な
人間観なのだろうか?というか・・・。
271189:04/01/11 12:26
出かける前にもうちょっとだけ。

>>264
確かに、ニーチェはイエスその人においてはルサンチマンを認めずに、「唯一のキリスト者」で
あるとして、救ってると思う。あげぞさんが言っているように、ニーチェはキリストに憧れ、羨望
を抱き、実存的渇望としてイエスを目指してなお歪みを消せない自分に悲鳴をあげていた、と
思う。ニーチェのキリスト教批判が、ルサンチマンに汚染されたキリスト教の宗教改革を目指
すものだった、というのは、その通りだと思う。
M.シェーラーは、確かカトリックの立場から、キリスト教道徳の言説の中にルサンチマンを
認めながら、それでもなお、その本来性を擁護していたように思うが、もうよく思い出せない・・・。

あと、「イエスその人の教え=実践と、イエスの死後彼の弟子たちが歪めたキリスト教」の
区別ってのは、そのまま「ニーチェその人の教え=実存と、ニーチェの死後彼の影響を受
けた人たちが歪めたニーチェ主義」ってものに当てはまる、ということ。
そもそも、ニーチェの思想は、「イズム」になり得ない、しようとすると必ず歪む、ものなのでは
ないだろうか?
272ニーチェ:04/01/11 12:40

おまいら、俺のアホさ加減にはかないませんよ?
273考える名無しさん:04/01/11 13:59
痴呆は老いと死の恐怖からの逃走なんだそうです
274189:04/01/11 15:48
帰って来たので、カキコ一発目。どこに逝って来たのかは、後で告白する。

>>257=りゅう氏
>道徳の成立は倫理に先行すると思われる。
あげぞ氏の「倫理」と「道徳」の用語法が逆転しているが、この際それは大きな問題では
ないと思うから脇にオイトイテ(つ´∀`)つ・・・、社会規範は個人の「心のあり方」に対して先
行的に与えられていて、(経済的条件を前提として成立した)「近代的自我」においては、
それを引き受けつつ不断に超越するという構図になっているが、それを徹底的に誠実に突
き詰めたのがニーチェだ、という理解でよろしいか?

そして、その体現・・・「超人」・・・は「自我」に囚われている限り不可能で、もし可能だと
するなら、それは「白雉」としてしかあり得ない、と。「白雉」や「ボケ老人」という比
喩が持ち出されているが、俺が考えるところではそれは割と適切で、白雉は「発狂した精
神病者」とも言い換えられることが出来ると思う。痴呆が「老いと死の恐怖からの逃走」
(>>279)という心因論的説明はどうかと思うがw、「脱-我」・・・禅で言うところの「隻手
の声を聞く」という体験は、もはや意味の地平を超越してしまっていて、「自我」の消失
した状態として「否定神学的にしか」示しえない、と・・・悲観的に・・・思ってしまうのだが、
どうだろうか。つか、そもそも「超人」という観念を、そういう「いかなる自我からも解
放された悟りの境地」のようなものとしてイメージしてしまうこと自体が不毛だ、と言え
ないだろうか・・・(あげぞ氏は、おそらくそういう視点で「超人」を考えていると思う)
275189:04/01/11 15:49
続き・・・つーか、哲学板なんだから、バイト数制限もっと緩くしろやヽ(`Д´)ノ

>少し冷めた目線でみてみれば、
>功利や公正の観点からよりよいルールが作られる必要はあるが、規範に従う
>のに必要なのは「倫理的に納得すること」ではなく、習慣だ。
「冷静な俺」としては同意するが、それを我々が今日なし得るそのプロセスが、非常に困
難なものになってしまっている、と俺は思うがどうか。と言うのも、個人の価値観が多様
になってしまい・・・ルールとしての社会規範が強制力をかなり失ってしまい、なおかつ、
個人の価値観の多様性を求めてしまっている?状況なわけだろ?
で、じゃあ、いかなるプロセスで、「道徳」=社会規範への同一化を、適切な形で取り戻
すことが出来るのか、するべきなのか、という現実的問題が前面に出てくるわけだろ?
あなたは、どういうスタンスで、「習慣」を取り戻すためのプロセスに参加しようと思っ
ているの?
276189:04/01/11 15:51
訂正:

× 痴呆が「老いと死の恐怖からの逃走」(>>279)という心因論的説明

○ 痴呆が「老いと死の恐怖からの逃走」(>>273)という心因論的説明
277あげぞ:04/01/11 18:16
はじめに私から希望があります。

議論が多様化してきましたので、できれば仮で良いので固定にして頂けると有り難いです。
レヴィナスは「顔」にこだわりましたが、
個人的には、ハンドルネームは表象作用として有効であると思うからです。
「名無しさん」での参加だと、人格的なモノが見えにくくて少々返答に困るときがあります。
ニーチェのようにアフォリズム的、1回限り的に使う便利さも理解できるのですが、
その人が総合的にニーチェ解釈をどのように理解しているのかが見えにくいのです。

アフォリズムや矛盾を中心に、
構造主義系譜の現代フランス哲学的に、ポストモダン的に、脱中心化の思想として捉えるのか、
もしくは論理的破綻の典型、狂人として、文学的に捉えるのか、
「遠近法」を重視し、認識論的・解釈学的な相対主義として捉えるのか、
「永遠回帰」「権力への意志」を中心に、ハイデガー的に、存在論的に捉えようとするのか、
「超人」を中心に、実存主義的に、倫理学的に、実践的・行動的人間の理論として捉えるのか、

ニーチェには様々な読み方の可能性があります。
私は文学的な解釈を除いては、あまり否定的には思っていません。
ただ、矛盾だらけのように思われるニーチェの思想を、
できるだけ統一的に理解しようとするのが私の試みです。
喩えとしては、方法論としての哲学とカルチュラル・スタディーズとの差異に、近いです。
グローバリゼーションと民族主義との差異、でもいいです。
グローカルな状況を、どのように解釈するかという、
一見バラバラに見える個々のニーチェ思想を、1つ1つ尊重し、
ただしなにかしら基本的な基準、ニーチェ思想を貫く基準が何であるかを考えながら、
全体的・統一的に理解しようとするのが私の試みですので。

「2ちゃんねる」のような非身体的な場で、
人格的に関わることの困難さは承知しているつもりです。
人格的に関わることで、心を痛める、そのような危険性があることは承知しているつもりです。
しかし、失敗の可能性のないところに成功はありません。
リスクを回避したら、得られるモノはないと思います。
278あげぞ:04/01/11 18:16
>>264さん
ニーチェ思想として、適切だと思います。
キリスト自身とキリスト教とを、区別して考えるのがニーチェです。
「イエス=キリスト的人間像」とは、イエス=キリストそのものではなく、
「新約聖書的なキリスト」という意味で、ご理解をお願いします。



>>265さん
>つまり、語るべきではなかった、歌うべきであったのだ私の魂は、というわけです。
分析的表現と、感覚的表現が異なることは分かります。
しかし、分析的表現と、感覚的表現が意味しているモノが、同じである場合はあると思います。
それが美学の試みであると思います。
原理的には不可能であるはずなのに、
「ディオニュソス的自由」、「超人」、「運命愛」、「価値の価値転換」という試み自体
これらの価値は疑われていないように思います。
これらにニーチェの中心があると考えます。



>>266さん
「白痴」とは、「孤独」のことだと思います。
例えば精神病者、極度の精神分裂症(統合失調症)患者や躁状態の躁鬱病(双極性障害)患者は、
コミュニケーションがとれないので、「白痴」に限りなく近く、「孤独」だと思います。
279あげぞ:04/01/11 18:17
>>269、233さん
最初に書きましたように、ニーチェを統一的に理解しようとする、という目的意識があります。
確かにニーチェは目的論を否定しているように読めますが、
それではツァラトゥストラは何を語ったのでしょうか?
「目的を持つな」と語ったのでしょうか?
そうではないと思います。
例えば『ツァラトゥストラ』の「自己超己について」の中に、以下のような一節があります。

 わたしが、先頭、生成、目的、ならびに書目的の矛盾たらざるをえないこと、ああ、[そうあることを欲する]私の意志を察知する者は、さだめしまた、この意志がどんな曲折した道または道をたどり行かざるをえないかをも、察知することであろう!

・・・・・・究極的に言って、ニーチェは、人間を理解しようとしていたのだと思います。
人間と世界を理解しようとする意志、哲学しようとする意志、それは否定できないと思います。
何かについてを語るとき、
「何かについて語ろう」という目的意識・意志を持たないことが可能でしょうか?
280あげぞ:04/01/11 18:17
>「同じ目的論でも、キリスト教はこの世を越えて天国に目標を設定した。
>それは間違いでいけないことなので、生きてる間に叶えられる目標を設定しました。」
>ニーチェの仕事は↑こんなことじゃないはずですよ。それは
>「この今」としての「私」の輝きを取り戻すことであって、目的論そのものの否定です。
>超人は生きるための目標にはならないし、自分が超人になったとしてもそれに気づかない。
>超人は「進化」も「退化」もしませんよ。
ですので、
ニーチェが否定してのは「目的論的世界観≒背後世界論」です。
「目的論」そのものの否定ではないと思います。

「超人」を人格的存在として捉えないと、
「イエス=キリスト的人間像」の対抗概念にはなりません。
それに関してはどう思いますか?

>あなたの「自足的であって常に自分を更新していく」という超人の定義には
>ボケ老人も十分かなってると思うけど。
>それを「退化」と決め付けるのは、
>たぶんあなたの中に「人生とは真の自己実現のための努力である」
>みたいな目的論的な人生論が強くあるからだと思う。
ボケ老人の中に、どのような「人格」があるのか、私には分からないからです。
分からないことについて、全面的に同意することはできません。

『ツァラトゥストラ』の同じ場所で、
「わたしは、つねに自分自身を超己しなくてはならないものである」
と、「生」が秘密を明かす部分があります。
つまり、自己超己とは、目的論的世界観ではなく、生物学的な原理だと、
19世紀自然科学的な根拠があるのだと、語ろうとしたのだと思います。
281あげぞ:04/01/11 18:19
189さんの>>270に関しては、ちょっと外出しなければなりませんので、
詳しくは後日にお願いします。
ただし、以下「権力への意志」を中心に、簡単に概略を述べれば、

倒錯的価値転換=ルサンチマンを起こす、自己正当化の原理こそ、「権力への意志」です。
「権力への意志」とは、「遠近法的認識」において、主観を持ちたがることそのものです。
主観を持たざるをえない、ことです。
認識論的には、認識主観の営みが起こる理由、のことです。
また、存在論的には、ハイデガーを待つまでもなく、「個体化の原理」です。
そして、ショウペンハウアー的に、「権力への意志」が「永遠回帰」する、のだと思います。

私に目的意識があることについてですが、極端に否定するつもりはありません。
アタリマエのことだと思います。
「人間はナニモノにもとらわれず自由にあれ」「何も考えずにあるがままに生きる」
というのも目的論的人生観でしょうから。
およそ、人間が生きるときには、生物学的にそうならざるを得ない、と思います。
282roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/11 21:01
tesuto
283roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/11 21:24
あう( ´Д`)・・・誤爆しますた…_| ̄|○

あげぞ氏の、固定HNをつけて欲しいという要請に応じて、
以後は189改め、roka ◆.V0HZVmR5oと名乗ることにします。

>アフォリズムや矛盾を中心に、構造主義系譜の現代フランス哲学的に、ポストモダン的に、
>脱中心化の思想として捉えるのか

>「超人」を中心に、実存主義的に、倫理学的に、実践的・行動的人間の理論として捉えるのか

俺自身は、あげぞ氏が>>277で挙げているニーチェの読み方としては、上の二つの両方、と
言ったところでしょうか。ニーチェ・フロイト→ハイデガー→ラカン、デリダその他の現代思想
(ローティなどまで含めて)という線はあるように思うので、上の両者ははっきりと分けられる
ものではない、とも思います・・・が、自分なりに哲学的人間学としてニーチェを考えることを
基盤にして、今一度、実践的倫理の場に身を投じたい、という気持ちですかね。

と言うのも、まぁ、自分は何の因果か双極性障害持ちで(^^;・・・今日は通院日でした・・・、
薬物に頼ってなんとか自分をコントロールしようとしている状況なわけでして、鬱転すると
ニーチェなんて怖くてとても読めないんですが、幸いこのところちょっと躁気味で安定して
いるんで、色々考えてみるいい機会だと思ってるわけなんです。社会復帰のリハビリ中でも
ありますし。

というわけなんで、ちょっとまた、本を読んできます。
284サンチェ:04/01/11 22:36
>>281
人間が生物学的に生きるときには目的から逃れられないですね。
生物そのものにはなれないですからね。呆けるしかないんだよなあ。
285弥勒:04/01/11 23:24
めんどくさいので、ひとつだけ言っておきたいのは
戦争体験中の士気の高揚を経験した哲学・思想家の記述内容は
『平和ボケ』した君達には絶対理解出来ないということだ。
その世代だけは別項目で取り上げないと絶対にしくじるだろう。
時代背景に影響を受けない人間なんていないんだよ、たとえアンチテーゼとしてもね。


それと、ボケ老人の喩えを出す奴らはこれをどう読む?

 創造――それは(生の)苦悩から我々を解放する大いなる救いであり、
 生の軽快化である。――創造者自らが新たに生まれ出る幼子(三様の変化の)で
 あるためには、彼はみずから産む女、また陣痛(創造する苦労の精髄)になろうと
 意欲しなければならぬのだ。
 ――意欲は創造する。これこそ、意志と自由についての真の教えである。
286not one of us:04/01/11 23:54
我々はこの大いなる秘密を

誰に打ち明けることもできずに

運び続けるであろう

おそらく墓の中までも
287考える名無しさん:04/01/12 00:15
ニーチェはいい本を書いたよな
昔の話だけど
288考える名無しさん:04/01/12 00:17
ああ、あいつはいい奴だった
昔の話だけど
289考える名無しさん:04/01/12 00:19
いい奴かどうかはしらんが
まあ昔の話だからな
290考える名無しさん:04/01/12 00:22
読んだことねーだろさいしょっからただの1ページもおまえらはよォ
291考える名無しさん:04/01/12 00:24
ニーチェの本なら全部よんだぜ
292考える名無しさん:04/01/12 00:26

    ヽ(`Д´)ノ <ニーチェの本なら全部よんだぜ!!
    へ(ω)ヘ


  ∧_∧ パシャッ パシャッ
  (   )】
  /  /┘
 ノ ̄ゝ
293291:04/01/12 00:28
本当言うと「人間的」は読んでないけどね。
294考える名無しさん:04/01/12 00:45
人間的な あまりに人間的な
295考える名無しさん:04/01/12 01:01
おまえそれがいいたいだけだろ
296りゅう:04/01/12 05:18
>233

>あまりにも道徳が今の世界で“絶対”善になってしまったから
>そこからドロップアウトしてしまう人間の受け皿を完全に奪っ
>てしまった。

現代では本当に道徳が絶対善になってるかなぁ。むしろ道徳の強制力が緩まって
いるととらえたほうが自然なんじゃないかな。「道徳世界そのものから落ちこぼ
れてしまう人間」に必要なのはその状態を肯定する言葉ではないと思うね。そん
な状態を肯定しても、自閉の空間に閉じこもるだけだろう。それでやっていける
んならそれでもいいけど、経済的な問題が多くの場合のしかかると思うぞ。

>189

>個人の価値観が多様になってしまい・・・ルールとしての社会規範が強制力
>をかなり失ってしまい、なおかつ、個人の価値観の多様性を求めてしまっ
>ている?状況なわけだろ?で、じゃあ、いかなるプロセスで、「道徳」=
>社会規範への同一化を、適切な形で取り戻すことが出来るのか、

社会が豊かになり多様な価値観を許容できるようになった反面、大きな物語が
失われ、個人が生き方を見失うようになった。というのが189の問題意識なわけ
だね。これに対する回答は、「個性」や「本当の自分」なんてものを漠然と考え
るより、自分の足元をリアルに見つめなおすしかないな。

「自分らしい生き方」とかそういう「倫理」がよく叫ばれてるけど、実質は空虚
な企業の宣伝文句だったりするわけだろ。そんなものに安易に振り回されないよ
うに、世の中をよく観察しておくことこそが重要なんじゃないのか。いまさら、
大きな物語を求めても駄目ってことだよ。
297233:04/01/12 06:42
>296
いやん。「経済的に」とか、そういう話じゃないですぅ。
(ドロップアウトとか落ちこぼれとかって、誤解されるだろうと思って釘刺しといたのに)
おれが言ってるのはね、内的な価値の話ですよ。
生活とか仕事とか表面的に普通にこなせて、経済的にはなんの問題もないんだけど、
にもかかわらず、この世界で「価値ある」とされるものになんの価値も見出せない人間(おれとかね)。

道徳の一極支配で他の言葉が消えたというのは、まず「愛」は否定できないし、たとえばね
「その人の価値は他者が決定する」
この言葉を否定できますか?おれには出来ない。いや、出来なかった。ニーチェを知るまでは。
俺もこの(道徳)世界に生きている以上、どうしたってこの世界の論理で考えてしまう。
「価値」という言葉が最初からすでに世界の側にあったのでは、
いくら「直感として」間違いだとわかっていても、「私」の負けは目に見えてたんです。

で、話が戻るけど、その手の「落ちこぼれ野郎」に必要なのは、やはり言葉しかないと思うよ。
ツァラトストラがせむし男に言ったよね「こぶ=おまえ。だから取るのムリ。」って。
この言葉に絶望するようなら、せむし男は最初から整形外科にいけばいいんですよ。
298233:04/01/12 07:17
つづき
それと、現代でも道徳はあいかわらず絶対善ですよ。
強制力が弱まってるのは確かだけど、強制力が弱まってもなお、
相変わらず絶対善であり続けていることが問題なんだと思うよ。

死臭を放つゾンビを絶えず背負ってなくちゃならない、みたいな。
299考える名無しさん:04/01/12 13:05
世には普通のアホばかりだ。ニーチェのような偉大なアホはいない。
勝てるわけなかろ。時々氏ねといいたくなるが。
300あげぞ:04/01/12 13:09
時間がないのでわずかですが書きます。

>>257によれば、りゅうさんの「道徳」と「倫理」は私の定義とひっくり返っていますね。

道徳:社会(共同体)にとって望ましいことや社会的規範に従うことを善
   とし、それを行う者を善人とする価値体系。

倫理:「(個人は)如何に生きるべきか?」という問いからスタートして
   いるが、「善く生きるべし(道徳的に生きるべし)」との答えを前
   提に語られており、実質的には道徳を内面化し、個人の生き方に落
   とし込むものとして機能している。

私はニーチェ風に定義したつもりですが、
要は出発点が社会規範にある基準と、個人規範にある基準がある、ということですね。
多くの場合、道徳も倫理も意味するものに大きな違いはなくなりますよね。

>功利や公正の観点からよりよいルールが作られる必要はあるが、規範に従う
>のに必要なのは「倫理的に納得すること」ではなく、習慣だ。
ethicsは、ethos由来の言葉です。
「倫理は習慣からくる」というのが、西洋哲学風の定義です。
私はここで疑問に思います。
りゅうさんの定義は、日本風の定義だと思うのです。
ethicsの訳語として、日本語的には「道徳」のほうが相応しいのではないでしょうか?
平凡社の哲学事典などを読んでいると、「倫理」という項目が無く、
代わりに「倫理学」があり、倫理と道徳との違いをほとんど意識していないようです。
日本の学問が西洋文化の輸入であり、明治期に急激に追いつこうとした際に、
具体的には西周あたりがあまり考えなかったのかな、とも思います。
301あげぞ:04/01/12 13:11
rokaさん、固定ハンドル化に感謝します。

>>270
>果たしてそれはアウシュビッツの後である現代において、
>適切な人間観なのだろうか?というか・・・。
アウシュビッツという現象は、
ドイツ人的な合理主義・理想主義が誤った方向に進んだ場合の、究極のケースだと思います。
私は、ニーチェやハイデガー、ヘーゲルら、カント以来の理想主義者達を、
より現実・経験に即した形で、是正する必要がある、と思っています。
具体的には、ニーチェにブーバーをつなげることだと思っています。

>>271
>M.シェーラーは、確かカトリックの立場から、
>キリスト教道徳の言説の中にルサンチマンを認めながら、
>それでもなお、その本来性を擁護していたように思うが、もうよく思い出せない・・・。
シェーラーは、ニーチェのルサンチマン批判に対して真っ当に反論していましたね。
私も昔、調べたことがありますが、今は覚えてないです。

>キリスト本人と新約的キリスト、ニーチェ本人とニーチェ主義
この構造は、解釈対象と解釈者の関係で、普遍的なものかと思います。
ナチズムによるニーチェ思想の悪用の災いが未だに強く、
「わたしたちは、何故ニーチェ主義者でないのか」
というような本まで出されていますが、ニーチェに対する誤解に染まった内容で、
あまり得るところがありませんでした。
302あげぞ:04/01/12 13:11
>>283
rokaさんの読みは、かなり一般的だと思います。
ニーチェが好きなように解釈されていく、格好の例だと思います。
典型的なのはハイデガーやドゥルーズでしょうか。

私は父親が双極性障害でしたので、私にも遺伝しているのでしょうが、発症してはいません。
曾祖父も繰的だったらしいので、隔世遺伝でもあるのかと思います。
全然推測になりますが、武士の家系だったりしませんか?

>りゅうさん、233さん
絶対善になっているものは、ないと思います。
ただし、社会規範由来の行動基準よりも、個人規範由来の行動基準が強くなっている。
例えば、アメリカ。
アメリカのイラク侵略を支えるのは、
「正義を司るのはアメリカであり、国連を中心とする国際社会ではない」
とい個人規範由来の行動基準です。
「パクス=アメリカーナが、地球の平和である」
といういかんともし難い論理です。
誤解されたニーチェ主義の典型といえるでしょう。
303考える名無しさん:04/01/12 13:19
エリックホッファーはルサ抱えた多数の弱者に期待していたからな。手段としては
ありだが。
3041b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/12 14:05
道徳という言葉は余り自由度が無いから価値という言葉を使ってはどうか?
305考える名無しさん:04/01/12 15:06
>>304
かえってこんがらがる。日本語の普通の用法っぽく道徳でいいだろ。社会規準込みってことで。
306考える名無しさん:04/01/12 15:58
>304
でもそのホッファーの言うところの「弱者」が一般大衆という意味なら、
ちっとも弱くないんだよね。社会的道徳と渾然一体になれる者は大衆といえど「権力者」だよ。
しかも強力な。

むしろルサンチマンを抱えた、弱っちい奴はニーチェの側だろう。
だからこそ自分を鼓舞し「強者」であるがごとく振舞う必要があった。

まぁ、おれはたとえ負け戦でもニーチェを支持するが。
307考える名無しさん:04/01/12 16:15
>>306
解るけどホントの弱者ってのもいると思うぜ。2chにもね(w
手段としては有効でしょう。
3081b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/12 16:18
>>305‐306
あえて一人で「価値」を使ってみると
ニーチェにおいて奴隷/貴族は価値が自己由来か否かということを意味する。
そこから奴隷の価値が自己矛盾を起こす過程があって、
弱者/強者という対が出てくるわけでね。現実の権力とは関係ない。
現実の強者に対して「強者」たることを誇るなどというのは、ルサンチマン以外のなにものでもない。


309考える名無しさん:04/01/12 16:18
>>306
ニ−チェが弱者ってのはそうだな。経済的なこと以外にもニーチェ的な弱者ってのもいるだろう。
戦いとしては弱者連合は有効だ。もち、連合しにくい人々だろうけどさ。万が一、統合できたとしても
戦ったら負けるがな。
3101b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/12 16:35
ドゥルーズは『ニーチェ』でいっております。
弱者/強者の違いは「力」の質の違いだと、
弱者の力は「感染する」ものであって、いわゆる「力」ではないと。
311考える名無しさん:04/01/12 17:00
>309
うー。連合なんて無理。ニーチェの思想は勝ち組にはもちろん負け組にすらなれない。
そもそも「組」になれないから。
ニーチェの思想に共感したものは、あくまでも個人で戦わなくちゃならない。
>310
ドゥルーズってきっとニーチェ大好きだったんだろな。
気持ちはわかるけど「力の質」なんていわれても一般的には通じないと思う。
負け犬の遠吠えというか
「おまいらの力なんて本当の力じゃないやい」
という弱者のルサンチマンだといわれてもしょうがない。


312考える名無しさん:04/01/12 17:06
>>311
ニーチェの本質はそうだが少し妥協して戦略的に徒党を組んでみるのも
面白いと思うぜ。無理っぽいけど。座して待つよりってね。
ドゥルーズもニーチェも裏を返せば人一倍、感染され易かったってことだな。
313あげぞ:04/01/13 04:22
>1b?さん
まず>>304ですが、「価値」というのは、233さんが>>297で使われていますが、

いわゆる「存在価値」というものはなく、「利用価値」だけがある

というのが普通だと思います。
つまり、他者との関係論において、
例えば他動詞の目的語になる場合、「利用価値」が生まれます。
しかし、>>297における233さんの意見のように、
ニーチェは「存在価値」を認めたわけではないと思います。

ニーチェは、あらゆる存在者が存在していることを、ありのままに肯定したのです。
ですから、ニーチェによって「利用価値」を持たされた、と言えます。

つまり、「ニーチェが、肯定する、全存在者を」という第三文型的に、
「全存在者を」目的語として利用し、利用対象としての「価値」を持たせたのです。

ニーチェが、あらゆる存在者に、「利用価値」を与えたと言えるでしょう。
これもやはり、アガペー、見返りを求めずに与える愛、神の愛です。
ニーチェが宗教的人間である根拠の一つです。

このように、価値とは利用価値であり、
利用価値に従い一般化された行動基準が、道徳ないし倫理です。
「価値」という言葉そのものでは、道徳ないし倫理は語れない、と思います。
314あげぞ:04/01/13 04:22
続いて>>308ですが、>>303さんや>>306さんの意見にもありますが、
ルサンチマンによって作られた奴隷道徳を多数決の原理で一般化・普遍化しようとする、
というのが現実社会かと思います。
悪しき平等主義、共産主義はその典型でしょう。

>現実の権力とは関係ない。
奴隷価値が1人の弱者で留まるならその通りですが、
奴隷価値が複数の弱者に広まるとき、それが一般化されます。
一般化されたものが、道徳ないし倫理であり、そこに社会的効力が生まれます。
そしてそれが制度化されると、権力が生まれる、と思います。
315あげぞ:04/01/13 04:23
続いて>>310ですが、
ドゥルーズを呼んだのはずいぶん前なので自信がありませんが、
私の記憶では、ドゥルーズは、権力への意志を「力」の意志と、呼び換えます。
ここにドゥルーズによる恣意的な解釈があります。
「力」の質的な差異を強調するのは、ドゥルーズが世界を、
「力」の差異によってデコボコした構造、だと認識しようとしたが故だと思います。

「力」というエネルギー概念、特に潜在的な可能性にこだわるドゥルーズは、
「力」そのものの質的変化、ダイナミズムに興味があったのだと思います。
しかし、ニーチェが言いたかったのは、「力」そのもののことではありません。
生物が「力」へ向かう必然性を、強調したかったのですから。

最近、「権力への意志」を「力への意志」と訳すようですが、
これにはいかなる理由があるのでしょうか?
Machtを「権力」と訳さないことに、いかなる理由があるのでしょうか?
ニーチェ主義的誤解を避けるためでしょうか?
私は「権力」と訳して当然である、いや訳さなければおかしいとすら思うのですが、
その理由を教えて下さる方はいらっしゃいませんでしょうか?

>弱者/強者の違いは「力」の質の違いだと、
>弱者の力は「感染する」ものであって、いわゆる「力」ではないと。
カギ括弧の有無で「力」の意味するものがどう違うのか自信がありませんので、
適切な解釈かどうかは自信がありませんが、
弱者/強者の違いは、認識主観の差異、だと思います。
しかし、弱者の認識主観が集まれば、そこに「権力」が発生するように思います。
316あげぞ:04/01/13 04:24
もう少し話を進めます。

「権力への意志」は精神的な態度ですが、これを理解する上で格好の物質があります。
それは、ワトソンとクリックによって二重螺旋構造が解明された、あの物質です。
ニーチェの生物学的世界観は、「永遠回帰」と「権力への意志」に集約されますが、

「同じものが永遠回帰する」

とはいったい何のことでしょうか?
ニーチェは何を見て、同じものと言っていたのでしょうか?
ここで出てくるのが、19世紀を席巻した生物学説、進化論であると思います。

単純化して話をしますと、キリンからはキリンが生まれます。
蛙の子は蛙です。
人間は、父親と母親から生まれますが、たいていどちらかに似ています。
この類似性。
ここで差異に注目するのはドゥルーズで、同一性に注目するのがニーチェです。
ダーウィニズムという時代の子であるニーチェは、同じものが永遠に回帰すると考えました。

もう説明は不要かと思います。
永遠回帰するものは、詰まるところDNAです。
ニーチェはDNAの存在を知りませんでしたが、直感的・感覚的に把握していたのだと思います。
317あげぞ:04/01/13 04:25
「権力への意志」とは、DNAの諸作用です。
DNAは構成されるべきタンパク質を指示し、物質化します。
これが存在論、形而上学における「個体化の原理」です。
一方で、DNAによって生み出された意識、自己意識は、
自らを認識主観と考え、自らを「世界の主である」と考えます。
DNAによる自己意識作用の最高峰は、フィヒテの主観的観念論、すなわち「独我論」です。
独我論こそ、認識主観による世界支配、
自らが世界に対して絶対的権力を持った存在としてふるまう究極の理論です。
ですから、Machtはただの「力」ではなく、「権力」として訳さなければ意味はありません。

生きとし生けるものはすべて「権力への意志」を持ち、永遠回帰するのです。
318あげぞ:04/01/13 04:27
そして、生物学的・自然科学的根拠を得たニーチェは、再び人間に戻ってきます。
およそニーチェにおける否定とは、すべからく部分否定です。
ルサンチマンをも肯定し、人間を救済しようとする、
今後2世紀の大衆を救おうとする、ニーチェの到達点があります。



・・・…我々、人間、否、あらゆる生物は、それぞれ「権力への意志」を持つ。
それ故、自己都合的、独我論的な世界解釈を試み、
自然の価値を転倒させ、価値の価値転換を起こし、
ルサンチマンによって世界や社会を作り替えようとするのは、やむを得ないことなのだ。
ルサンチマンを抱えざる得ない必然性があるのだ。
ルサンチマンを抱える運命にあるのだから。

親愛なる全存在者達よ、私は汝らすべてを愛する。
汝らは、それで良い。そのままで良いのだ。
私は汝らを愛するが故に、生きる言葉を与える。
肯定せよ! 肯定せよ!

Also sprach Zarathustra……
319roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/13 07:56
おお、すごい。。。なるほど、、、

つーか、鬱転したようだ。。。
320roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/13 08:16
ちょっとだけ。

>しかし、一方で、「記憶をなくすと人格はなくなる」と思います。
>なぜならば、ロックの言を借りれば、
>「人格同一性の根拠は記憶にある」からです。

>>「完全なる自己同一性」
>とは具体的にはどういうことでしょうか?

ニーチェは『道徳の系譜』第二論文の冒頭で、こう言っている。
「健忘なくしてはいかなる幸福も、晴朗も、希望も、矜持も、またいかなる現在もありえない(後略)」

ニーチェは当時流行の心理学的、つーより生理学的人間観を取り入れて説明してるわけですよね。
人間の記憶というのを、「抑圧装置」として捉えている。これは、まさにフロイトの説明につながる
わけだが、俺自身のことを考えてみると、本当に・・・言い訳めいて思えるかもしれないが・・・、自分の
過去の「記憶」というのが「心的過去」として操作的に再構成されていることを感じます。
人間は現実を生きる時、常に「心的現実」を生きているのであり、それを構成する「自我機制」(そこに
ルサンチマン性があるわけだが)、それはいわば自意識における外部=「他者」として、自意識を
自足的・実体的に説明することを阻む。これは、自意識の絶対性、自我の現前性を求めてきた近代的
自我の持ち主、つまり我々にとっては存在論的不安を引き起こすものだが、問題はその先にあって、
では、我々は人間であることを自己解体し、目的論を持たない、有機体として安らいでしまっていいのか、
ということにあると思う。
321roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/13 08:38
俺は、自分が双極性障害持ちであると同時に・・・これは今の精神医学のレベルの低さのせいに
するわけにもいかないのだが、それが心因性なのか、内因性なのか、あるいは別の人格障害を
含んでいるのか、診断がコロコロ変わるw・・・性格的に、「神経症者」だと思っている。
斉藤環が書いた『心理学化する社会』を引き合いに出すと、精神病理というのは、個人の個人性
に由来する(かもしれない)と同時に、社会状況にも(明らかに)左右されるもので、例えば、W.ブ
ランケンブルクが『自明性の喪失』で描いた、超越論的世界親和性・・・ハイデガー的に言うところ
の、「事物への逗留」・・・が根底から失われてしまって恐るべき状態に晒されているような、破瓜型
の精神分裂病者(濃い精神分裂病者)というのは減少していて、今では精神分裂病者(DSMに
従って統合失調症と言い換えられているが)が「薄く」なり、病識があるケースが多いんだそうです。

斉藤環は、「近代を神経症者の時代とするなら、ポストモダン社会は境界性人格障害によって象徴
されるだろう」と言い、さらに、進んで「解離性同一性障害モデル」に進むのは、退行である、と言って
いるが、こういう変化が現実的なものなら、我々はそれを受容してしまっていいのかどうか。
ニーチェは、ある意味、もっとも近代的人間で、「神経症者」的な人間じゃないでしょうか・・・ある時点
まで、神経症化が進んだ人間が、しかし、それに耐え切れずに、別の存在に抜け出そうと欲望している?
酒鬼バラのような若者・・・脱社会化した存在・・・をそういう兆候として考えることができるとして、我々が
人間であり続けたいと願うなら、どういう人間理解を今、考えるべきか・・・。

>あげぞ氏
マルティン・ブーバーが来ると思ってましたw
俺も、そのうちちょっと読んでみようと思っとります。
322考える名無しさん:04/01/13 17:49
>目的論を持たない、有機体

意味がよくわからないんだけど。オートポイエーシスってやつ?
323眠り猫:04/01/13 19:40
>>313
「利用価値」は<価値>じゃないよ。
「お金」や「数字」が<価値>ではないように。
単なる指標、徴表にすぎない。

でたらめや嘘を権威付ける言葉遊び、やね。
3241b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/13 22:53
>>313
価値ではなく価値観、座標のようなものととらえれば通じると思う。

そうして社会的に一般化された価値に対して、ツァラトゥストラ第二部
「古い石版と新しい石版」に置いて「価値」が民族単位から個人単位にシフトする時代がきた
ということをニーチェはきわめて明確に述べている。

325弥勒:04/01/14 00:30
>324
新しい貴族、という単位はどういうポジションにある?
326あげぞ:04/01/14 05:13
今日は時間がないので簡潔にします。

>rokaさん
「心的現実」こそ「観念論」そのものかと思います。
そして、そこに「直感」という口実が加わるとき、「現象学」となるのではないかと思います。
「心的過去」は記憶であり人格でありますが、
「心的未来」が、意志や欲求として理解されるのでしょうか。
「心的過去」と「心的未来」を考慮しないとき、本能のままに生きる動物となるのでしょう。
しかし、心的現実のみに生きているのならば、存在論的不安も生じないでしょう。
自己解体せず、存在論的不安を引き受けるのが、実存主義かと思います。

DSMはあまりに表層的で、人為的すぎる基準であると思います。
むしろ、アメリカ精神医学学会が、患者が精神科にかかりやすくするようにするために、
商業主義的に定義しているのではないかとすら思えます。
私は、内因性と外因性という、古くさい分類を好みます。
327あげぞ:04/01/14 05:13
rokaさんの書き込みで「象徴界」という言葉が出てきたとき、
なにやらラカン、斉藤環、東?的な響きがして、少しとまどいました。
ラカン的な精神治療、精神分析にどんな問題解決能力があるのか、私にはわかりません。
ラカンはフランス知識人にもてはやされましたが、
分析の手段としてどのような有効性を持った思想なのか、よく分からないからです。

斉藤環ふうに、近代は神経症者の時代だとして、ニーチェがその代表だとする。
私は、正直申し上げて、とまどいます。
近代(現代)とは、modernモダンの訳語かと思いますが、モダンは人間の理想、
「近代(現代)的自我」を失っていないと思うからです。
私はむしろ、モダニズムに所属する人間は、健常者だと思います。
一方で、ポスト=モダニズムに所属する人間が、神経症者であり、
DSMふうに呼べば、境界性・自己愛性・相互依存などの、人格障害であると思います。

つまり、神経症者には主体性がありません。自我を自ら放棄して、自我の外延を浮遊します。
一方で精神病者ですが、躁鬱病は緩解期において人格の崩壊がありません。
サイクルの中間においては、もと人格に戻ってきます。
最も恐ろしい精神分裂病は、自我・人格を崩壊させます。
ただし、精神分裂病患者は、人格を持ちたがっているように見えます。
彼らは幻覚・幻聴に襲われますが、程度が軽い場合には、幻覚・幻聴と戦おうとします。
主体性を放棄しようとはしていません。
私は、そのように考えます。
328あげぞ:04/01/14 05:14
>>323、眠り猫さん
<価値>、価値、の違いが分かりませんでしたので、説明して頂けますでしょうか?
推測では「価値を利用価値とするのは、自然主義的誤謬である」という意味かと思うのですが、
ニーチェ自身が「持つことがよいことである」と自然主義的誤謬を犯していますし、
そもそも実践哲学・倫理学において自然主義的誤謬を犯すのは当然であると思います。

論理学的・メタ倫理学的な正しさを追求するのであれば、
「価値は価値である」
というカントの言う分析判断的なトートロジーしか証明不可能だと思います。

「利用価値は、単なる指標、徴表にすぎない。」という発言自体も、
「価値」という概念を分析して、そこに「基準、指標、徴表」というような概念が含まれている、
というアプリオリな分析判断であると思えます。
私は確信を持って、アポステリオリな総合判断を試みようとしていますので、
「でたらめや嘘を権威付ける言葉遊び」という批判には誤解があるように思うのです。
私は、「間違いようのない真理」を求めているのではなく、
ある程度の「妥当性」を求めているのです。
329roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/14 09:00
あげぞさんの反論には、今夜レスしようと思っています。
私の精神分析的人間観は、まずもって一つの先入見ですから、それが
議論によって揺るがされる、というのは喜ばしいものだと思います。

ただ、これだけはみなさんに問うておきたい、と思います。

あげぞさんは、>>218において・・・議論の始まりの時点において、
>ほとんどの現代思想には、現実の問題解決能力が欠けています。
>20世紀における哲学・現代思想のあまりの非生産性による害は、はかりしれません。
>言葉遊び、机上の空論に終始し、
>「生産性」という実践面での功利主義を顧みなかったのは余りにも愚かです。
とおっしゃっていますが、私はそこまで「現代思想」(という言葉もあまりに通俗化して
しまって概念定義が必要なのかもしれませんが)をネガティブにとらえるべきでは
ないのではないかと、―私の理解の限りでは―思っています。
と、言っても、「現代思想」以前の言説など、もう乗り越えられたのだ、などとはもちろ
ん申しませんが・・・。

「ニーチェは現代思想の源流である」というのはしばしば持ち出される決まり文句ですが、
みなさんは、ニーチェを現代思想に対して、どのような位置づけで考えておられるのでし
ょうか。
3301b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/14 10:21
>>325
価値の二つの類型の貴族由来の方を持つ人間と考えていいと思う。

具体的な階級としての貴族については、
『ニーチェと今日?』(ちくま学芸文庫)の「悪循環」(P・クロソウスキー)に詳しい。
面白かった。

>>328
その価値の価値、メタ価値として生の判断基準がある。(『善悪の彼岸』序)
ある程度妥当かと思うが。
真の己と<わたし>(氷上英廣訳)についての行がツァラトゥストラ第一部にある。
331roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/14 22:50
ふー( ゚Д゚)y─┛~~
さて、薬も飲んだし、読書にお出かけするとしますか。

その前に。。。

>>212=あげぞさん
>私は以前、「超人は人格的な概念ではない。有機体だ」という、
>「ニーチェ講義」を受けたことがあります。
>これは、ニーチェに対する冒涜であると思いました。

うーん、ちょっとよくわからんのですけど・・・。
「超人」がニーチェの意図?として人格的概念であるべきである?、としても、
なぜ有機体だ、とする解釈が「冒涜」になるのでしょうか?

>>216=あげぞさん
>「他者から独立した者としてまず個人が実体としてある」のは不可能でしょう。
>認識論的にも、存在論的にも、人格論的にも、私は無理だと思います。

それは、、、フッサールの、「他我構成」の説明はだめぽ、ということですか?
また、「人格論的にも」という言葉の含意がいまいちわからんのですが。
332roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/14 23:09
>>259=あげぞさん

>ただ、今後もますますルサンチマンが進展して、
>ポストモダン社会が進行するかというと、あまりそうは言い切れないと思います。

確かにこの先どうなるかわかりません。
ニーチェは、自分の思想がちゃんと理解されるまでには少なくとも200年はかかる、と
言っていますが、ニヒリズムの時代がこれからも長く続くのか、それとも新たな転回が
意外と早く、もたらされるのか。。。この辺は、人間操作技術の驚くべき進歩の速さ、と
いう側面も考えなくてはいけないか、と思います。
くだらない例かもしれませんが、攻殻機動隊やマトリックスで描かれているような世界
は本当に近いうちに訪れるのかもしれない。。。

この辺は、現に何種類もの薬物に頼って自分の精神状態をコントロールせざるを得な
い・・・結構ショッキングですよ・・・人間として、怖さも感じたりするのです。
333roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/14 23:31
>>261=あげぞさん

>というのは、道徳を持つためには、自己との対話が必要になります。
>物質文化的な条件が整わなければ、精神文化的な変化はない、と
>いうことではないでしょうか?

そういうことですね。人が食うために日々の生活に追われ、また、倫理による「洗脳」
(比喩です)が問題なく共同体をコントロールしているならば、人は個人的な道徳意
識に目覚めることはなかったでしょう。
そういう意味で、近代になってようやく、人間が自然を調教する技術知を手に入れ、
物質的・経済的な豊かさが増して、共同体の方でもそれまでほど厳格に個人を管理
統制しなくても済むようになった。昔読んだ、阿部勤也による中世ヨーロッパの文化史
なんか思い出すと、北ヨーロッパなんかはほんとに厳しい生活環境だったんだろうと
思います。この点で、(1)日本は西洋とは違うのではないか?(2)現代は情報技術や
人間操作技術の発展、グローバリゼーションの進展など、物質文化的条件が精神的
変化をもたらす新たな土台が出来た時代なのではないか?と言えるのではないでしょ
うか?
334roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/14 23:46
>>262=あげぞさん

>価値倒錯せず、自らのポジションを確認して、
>「人格的に成長せよ、戦え」というのがニーチェ思想です。
>ニーチェ自身のことと、切り離して考えてみる必要があると思います。

それはわかるのですが、しかし、ニーチェは特にそういう面が強いと思いますが・・・
従軍以来、病気と闘う人生でしたし・・・ニーチェにに限らず、その人の実存と思想は
切り離せるものでしょうか。

>「遠近法」と「ルサンチマン」とは、別の概念です。
すんません(^^;大学時代はシェーラー経由でニーチェを読んでたので、なんか
ごっちゃになってしまっていました。ニーチェの著書も全部捨ててしまっていたので、
また買いなおしています。。。

>汎ルサンチマン主義がはびこる現代では、
>「よいモノはよい」「わるいモノはわるい」
>と諭すことが、必要ではないかと思います・・・・・・。

うーん、対話力ということもおっしゃられていますが、この辺が難しいところですね。
俺は、「ルサンチマン言うおまえもルサンチマンじゃ!」ってのは認めるしかないと
思っていますけど。「自分は大衆ではないから大衆社会を批判するのだ」、みたいな
説教をを聞くと、「おいおい」って思う俺はだめなんでしょうか?w
あと、例えば2ちゃんのオフ会などで自分より一回りも若い連中とコミュニケーション
しようとすると、これが結構難しかったりします。もう、暗黙の内に相互不可侵条約を
結んでくれってな感じで、とにかく傷つくことを嫌って、対立を避けようとする。自分の
世代でも、そういう風潮はすでに結構ありますから。
335roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/14 23:53
>>285
>戦争体験中の士気の高揚を経験した哲学・思想家の記述内容は
>『平和ボケ』した君達には絶対理解出来ないということだ。

確かに、今の日本でぬくぬくと暮らして、2ちゃんにどっぷり漬かってるような俺らに、
理解出来るわけはないでしょうが、そもそも、そんなこと言い出したら、異なる歴史的
位相、異なる文化的コンテクストは何も「理解」出来ないということになりませんかね?
理解は、常に自分の立ち位置からの解釈ってやつでしょ?

336roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/15 00:01
>>296=りゅうさん

>社会が豊かになり多様な価値観を許容できるようになった反面、大きな物語が
>失われ、個人が生き方を見失うようになった。というのが189の問題意識なわけ
>だね。

まぁ、根本的にはそういうものです。つか、自分自身の問題ですね。「俺はどう
やって生きていったらいいんだろう?」ってこと。

>いまさら、大きな物語を求めても駄目ってことだよ。
同意します。いますぐ答えを出せ!ってカマかけてみたけどかわされたw
いますぐ答えを出すべきだ!って人がいるでしょ?それってまずくない?って思う。
337roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/15 00:11
   .∧ ∧∧ ∧ ))
  (( (゚Д゚ ≡ ゚Д゚)  軽くレスするつもりが、もうこんな時間じゃねーか!
   ⊂⊂≡⊃⊃
  オ と,, ≡,,づ オ
  ロ  し^ J   ロ
338あげぞ:04/01/15 03:28
今日も時間がないので短くなります。詳しくは後日にお願いします。

>>329
まず申し上げたいことが1つあります。
rokaさんに反論したつもりはありませんでした。
私の立場を明確にしただけした。
「わからない」とは、「うけつけない」という拒絶ではなく、
「教えていただけませんか?」という教示の要請です。
表現不足で誤解させてしまったことをお詫び申し上げます。

私の語りは、私のルサンチマンが作り上げた私の問題意識とスタイルの反映です。
絶対的なものではありません。
およそ、あらゆる絶対化、すなわちドイツ思想に特有の極端な理想主義は、
狂信主義と紙一重となり、個別の現象を扱う際にときに暴力となり、
ナチズムへと至る危険性を持ちます。
理論よりも実践、語りの内容よりもどのように語るか、という問題のほうが、
現実の個々のケースでは重要になってくる場合も多いと思います。
すなわち、行為において普遍を押しつけて排他的になることを極力避けるように、
敏感にならなければならない、と思っています。
339あげぞ:04/01/15 03:30
「現代思想」に関してですが、私はもちろん「現代思想」を全否定しているわけではありません。
個別の、個人のルサンチマン的問題を解決する際には、非常に有効な理論である、
という傾向があると思います。
ただし、あらゆる個人が個人に留まり、個々の道徳によって倫理を打ち倒したとき、
現出したのは「相互不可侵、コミュニケーション不全」的世界です。
私はこの世界が間違っている、とは言いません。
ただし、面白くないと思います。
エゴが他のエゴとぶつかるとき、別に命が取られるわけではありません。
他のエゴの面白い部分を吸収するような形で、エゴを再構成するのが人間であると思うからです。
それから、「生産性」ですが、「社会的生産性」と補足してください。
「個人的生産性」に関しては否定するつもりはありません。
付け加えるとすれば、「現代思想」の傾向として、「専門化」というものがあります。
極めて限定された集団にしか享受されないような、重箱の隅を突くような、社会に還元されない思想。
自然科学による社会への貢献と、余りにも対照的な理論。
そういったものの「社会的生産性」を疑っているのです。

ニーチェはモダンの末裔の1人であると思います。
講談社が出した現代思想の冒険者たちシリーズでは、
「ニーチェ、フロイト、マルクス、フッサール」が現代思想の源流とされていたと思いますが、
彼らは皆一様にモダンであると思います。
340あげぞ:04/01/15 03:31
私はおそらくラカンに関する評価において、rokaさんに暴力を振るったのだと思います。
謹んでお詫び申し上げます。
ただし、私がラカンを余り評価しない理由を言えば、
精神科における目的は患者の治療であり、精神分析学的に診断することではない、といなります。
彼の精神分析学が特定の患者のバックボーンを支えるのに有効なことはあっても、
治療法として一般性を持つことは難しいのではないか、と思うのです。
簡単に言えば、ルサンチマン理論としては評価可能で、自然科学としては評価不能、
ということではないでしょうか?
341あげぞ:04/01/15 03:36
>>330、>1b?さん
>その価値の価値、メタ価値として生の判断基準がある。(『善悪の彼岸』序)
ニーチェは生物学的に人間存在を基礎づけしたのですから全く仰る通りだと思います。
ただ、論理学的・メタ倫理学的手法に固執する人々は、生物学的根拠を
「生物学的誤謬である。生命を絶対価値とする、論理的必然性がない」
として認めないのではないかと思います。
これは一種のセクショナリズムかと思います。

エリ・ヴィーゼルは言いました。

「ユダヤ人は神を愛することができるし、神と争うことがあるかもしれない。
しかし、神をないがしろにすることはできない」

私は「神」を「普遍・本質・倫理」と読み直したいです。
ニーチェがユダヤ人をあれほど攻撃したのも、愛憎の現れであると思います。
3421b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/15 03:59
>>341
だれが生命といった?
343考える名無しさん:04/01/15 06:39
>341ニーチェは生物学的に人間存在を基礎づけした

そなの?
344眠り猫:04/01/15 07:21
>>341
ニーチェがユダヤ人を攻撃した、って、初耳なんですけろ?
ゾロアスターさんがおっしゃったのかちら?
『ツァラトゥストラはこういった』と、いま、本がないんで、
どれとは言えないが、には書いてなかったよぉ〜〜〜。


なんか、つまんない議論。あ、ごみんごみん。
んじゃね。
345考える名無しさん:04/01/15 08:18
>344
ニーチェのユダヤ人批判は、ルサンチマンという弱者のクーデターの発案者としてじゃなかた?
でも、そのあとのキリスト教道徳は、クーデターで大勝利して圧倒的強者になったにもかかわらず
なお弱者を装ってる厚顔さにニーチェはユダヤ人以上に激怒したと思うよ。
だから本来、ナチスのユダヤ人迫害の思想的根拠になどなるはずない。ただのこじつけ。

それよりも、「ニーチェは生物学的に人間存在を基礎づけした 」ってのは
どっから出てくるの?
外部の「基礎づけ」だの「根拠」だの必要ないのがニーチェじゃないのか?
そんなんなら最初から生物学を学べばいいわけであって。
346考える名無しさん:04/01/15 08:31
ニーチェは「生理学的に」という言い方をするけど、
それは「生物学的に」という意味ではないね。
「力への意志として見れば」ぐらいの意味だよ。
347考える名無しさん:04/01/15 09:16
あと、
>>315
>Machtを「権力」と訳さないことに、いかなる理由があるのでしょうか?
>ニーチェ主義的誤解を避けるためでしょうか?
>私は「権力」と訳して当然である、いや訳さなければおかしいとすら思うのですが、
>その理由を教えて下さる方はいらっしゃいませんでしょうか?
についてだけど、
遺稿の研究から、ニーチェは永劫回帰思想と力への意志の思想が生まれる
1881-1882年前後に、マイヤーやフォークトといった当時の先端科学を盛んに
研究して彼らの力概念から大きな影響を受けていることが明らかになったからだと思うよ。

また、遺稿では、永劫回帰の科学的証明も試みているが、その軸になっているのは
「無限な時間における有限な組み合わせ」ということ。
348考える名無しさん:04/01/15 10:12
あと、超人についても、ほぼ同時期に生まれた、力への意志、永劫回帰、運命愛の
それぞれの思想とセットで考えるべきでしょうね。
略述すれば・・・・
「自発的でより強くなろうとする意欲」である「力への意志」を
体現する者としての「超人」。
そしてその超人が、力への意志の作用連関の同じ布置が回帰する「永劫回帰」世界の
中に入り込んで戯れることにおいて、「私自身が永劫回帰の諸原因の一つなのだ」
(『ツァラトゥストラ』)ということが自覚されてくる。
そこに、「もし全ての事物が一つの運命なら、私もまた全ての事物にとって運命である」
(遺稿)という「運命愛」としての永劫回帰が成立する。
349ヒゲダンス:04/01/15 11:48
>347
へぇ、そうなんだ。…。
おれの個人的な感想としては、ニーチェには科学に頼ってほしくなかったな。
永劫回帰の科学的裏付けなんて必要ないよ。どうせそんなのムリなんだしさ。

ニーチェは「キリスト教道徳の“神の死”」の理由を
「キリスト教道徳自身が育んだ誠実さ」で説明したけど、
おれは実際に道徳の神を殺したのは、「科学」なんじゃないかと思う。
道徳の「神性」は「非科学的」だから死んでしまった、と。
で、道徳がその「神性」を失ってもなお形式だけは維持してられるのもまた
「科学の神」の力なんじゃないか。
「他者利益」を根底に持つ道徳がさ、「個」それ自体の価値には言及できずに、
相対性においてのみ成り立つ「科学」と相性がよかったんだよ、きっと。

だからニーチェが、自立した「この今」や「個」の価値を救済しようとするなら、
「科学」は援軍ではなく敵になるはずだよ。(特に現代では)「道徳」以上の強敵になる。
350考える名無しさん:04/01/15 13:18
マンさんが故国へ帰れなくなったのもワグナーのせいなんだ
リヒャルト・ワグナーの苦悩と偉大なんてワタシャ誉めすぎだと思うけどね
それでもディレッタントって呼んだだけでだめなんだって、こわ
ワタシャ、とおい国に生まれてよかったな
351考える名無しさん:04/01/15 13:30
ニーチェは「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」
ということをいっていますが、それが正しいのなら
「解釈だけが存在する」という事実も存在しないのでしょうか?
352roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/15 13:48
まずは、あげぞさん、ぜんっぜんお気になさらくてもいいですよ( ^ー^)

その辺は後で書くとして。。。

>>343
>ニーチェは生物学的に人間存在を基礎づけした
>>345
>外部の「基礎づけ」だの「根拠」だの必要ないのがニーチェじゃないのか?

「基礎付け」かどうかは難しい問題――「基礎付け主義」VS「反基礎付け主義」―-だと
思いますが、ニーチェが道徳の成り立ちなどを論じる際も、まぁ、人間のありようを描く
際にも、かなりの度合いで(心理学主義的的説明)、生物学主義的説明への依拠がある
とするのが一般的な受け止め方ではないでしょうか。それは、ニーチェが生きた時代の優勢な
時代精神ですからね。巻き込まれざるを得ない。
まぁ、「本能」という言葉も、「でも、人間って本能的動物なの?」って疑いにさらされるとは思い
ますけど。

>論理学的・メタ倫理学的手法に固執する人々
メタ倫理学は、ニーチェが「道徳的規範・道徳的価値観」の正体?を暴露してしまった
あとの、倫理学が抱えた深刻などんづまり状態。
それは倫理学の「脱中心化」の体験として必要だったかもしれないけど、いつまでたっ
てもそういう自家中毒、、、みたいなのに陥ってるのは不毛だと俺は思うけど。
ヘアの言説の中にも多分そういう側面は否めないと思うし、デイヴィッドソンが、道徳的
相対主義を擁護するために、しかし、そこでメタ倫理学的論証をしようとすることにも、
なんかそういう不毛さを感じてしまいます。
353roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/15 13:51
そういう状況を、各々が乗り越えようとしてるんじゃないか。
例えば、ハーバーマス?・・・は、どうなんだろうか?詳しい人がいたら解説キボンヌ。
そんでもって、デリダのスタンスは、どうなんだろう?

例えばローティみたいな、ニーチェをデューイに引き付けて、積極的に規範倫理学的に
語ろうとする態度は、アメリカ哲学?の明るい、生産的な面を持ってると思います。
だけどそれが、「アメリカニストの自己肯定に過ぎないじゃん( ´,_ゝ`)プッ」というなら、
俺は、P.K.ファイヤアーベントという、20年代のウィーン生まれで、第二次大戦を生に
体験し、戦傷で不具の身になりながら、その後ヨーロッパとアメリカの間を行き来しつつ
活発に・・・トリック・スター的に?・・・振舞った哲学者は、もっと倫理学的にも真面目に
評価の対象にされてしかるべきだと思いますが、いかがなもんでしょうか。
354roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/15 14:10
>>344=眠り猫さん

>なんか、つまんない議論。あ、ごみんごみん。
>んじゃね

うーん、デリダはニーチェのテクストを「言説生産機械」って名付けてるけど、
なぜかしらん、みなさんは「一歩引いて冷めた目で」というか、積極的に議論を
しないような態度に留まってるように見えるのは、どういうことなのかしらん?
ニーチェに対しては、そういう身振りをするべきだ、と考えているのかしらん?

ニーチェを読み込んで、それを自分なりの考えの要素として吸収してるなら、
あげぞさんみたいに、もっとガンガン好き勝手に物を言って( ゚д゚)ホスィ…

俺、哲学板来たのつい最近だし、結構書き込んだのこのスレが初めてだけど、
他のスレを見ても、思っていたほど活発に議論の場になってないというか。。。
そういうのイタイとか、キショイとか、ウザイとか思ってんのなら、残念に思いますよ。

なんつってなw
355あげぞ:04/01/17 04:50
まずはじめに、遅くなりましたことをお詫びします。

続いて、倫理と道徳に関する話の整理から始めます。
「LEXIS」という旺文社の英和辞典からですが、以下のような説明があります。



moralはethicalよりも一般的な語で、個人的な行為に関して、
やや宗教的な意味で用いることが多い。
(ex.)He refused to join the army on moral grounds.「彼は道義的な理由で入隊を拒否した」
一方ethicalは哲学的・法律的意味を帯びることがあり、
また、より客観的に規定された(たとえば特定の職業に適用される)公的規範について多く用いる。
(ex.)the doctor's ethical committee「医師の倫理委員会」
356あげぞ:04/01/17 04:51
ethic「倫理」
個々の「権力への意志」を緩やかに調停する行動原理。
他者関係論、公共的生・他者との共存を社会的に要請される視点に由来する、行動基準。

絶対的・理念的には、法哲学的・自然法的な「他者の所有権を侵してはならない」という正義の理論。
相対的・実践的には、個別の存在者に対応するために、感受性・対話力が必要となる。
「他者の生命」に関わる場合、特に法哲学的次元に至るとき、「正義と悪」を価値判断用語とする。
「他者の財産・知識・人格など」に関わる場合、「善gutと悪baese」が価値判断用語とする。

公人の「法的行動」に関する場合、「権利と義務」に関係する。
権利とは、公共性における普遍的正義、多数決の原理では覆らない正当性。
義務とは、「法」の強制力・拘束力・懲罰規定を持った行動基準。

公私中間的人間の「慣習的・習慣的行動」に関する場合、「選択の自由?と責務?」に関係する。
357あげぞ:04/01/17 04:53
moral「道徳」
個々の「権力への意志」を満たす行動原理。
人格成長論、個人の人格を成長させる視点に由来する、行動基準。

絶対的・理念的には、恒常的自己更新、アイデンティティを再構成する「近代的自我」の孤独の理論。
相対的・実践的には、ルサンチマン理論の自己正当化として現れる。
一般的には、「良gutと悪schlecht」を価値判断用語とする。

私人の「意志的行為」に関する場合、「自由と責任」に関係する。
自由とは、人格的に最も相応しい行動、を意味する。
責任とは、結果を新たなアイデンティティ構成要件として人格的に受け入れる、ことを意味する。



私が現在考えているのは、以上のような構図・用語使用法です。以下、この前提で、話を進めます。
358あげぞ:04/01/17 04:54
まず>>324、>1bさんの「古い石版」に関してですが、
「古い石版」とは十戒、旧約聖書的な律法のことですが、少し思い当たるトコロがあります。

デリダは最近、「法は脱構築可能だが、正義は脱構築不可能だ」と語ったらしいですね。
あれほど「中心化」を嫌い、
第二次大戦後の思想界における相互理解の可能性を破綻させる一役を担っておきながら、
何をいまさら「正義」に帰ろうとするのか、
この自己矛盾に少々閉口していますのですが、逆説的に言えることがあります。

デリダでさえ回帰せざるを得ない「正義」という概念は、
やはりその普遍性が真剣に考察される必要がある、ということです。
法、正義、倫理、道徳・・・・・・、
法・倫理・道徳の述語として「正義と悪」「善と悪」「当為と禁止」何がふさわしいのか、
こういった法哲学的・倫理学的な概念の検討が必要であると思うのですが、
現在のところ、その検討必要性を主張するのが限界、というのが思想界の現状でしょうか?

ニーチェは行為価値基準の個人単位へのシフトを告げますが、
ニーチェ自身の行為価値基準は貴族道徳、すなわり「ノブレス・オブリッジ」かと思います。
アンジェリーナ・ジョリーがカンボジアに今後15年間毎年500万ドルを寄付することにしたらしく、
その趣旨において「ノブレス・オブリッジ」を使ったそうですが、
このような行動が現代における貴族道徳の例かと思います。
「自らの意思で、社会に有益であることを、与える」
身分制とは、経済格差であり、貴族とは常に富めるものであり、
逆に「富めるものが貴族である」というのが本来の貴族の意味かもしれません。

ですので、ニーチェ自身は、単なる個人単位へのシフト、
ミーイズムやエゴイズムは望んでいないように思います。
359あげぞ:04/01/17 04:56
>>330>>342>>343>>345>>346>>352、「生物学的」基礎付けに関してですが、

まず発端となった1bさんの「その価値の価値、メタ価値として生の判断基準」
に関してなのですが、論理学的・メタ倫理学的な人々は、
経験的な理由を重視しないのではないでしょうか?
論理学的に、もしくはアプリオリに「真理」のようなものがある、
というのがメタ倫理学的な人々の態度だと思いますので、
そこは相容れないのではないかと思います。

つまり、「真理」の定義・意味に関わる問題、真理観の違いがあると思います。
「論理的整合性」が真理だとするのか、
「物自体・実在・現象と言葉・概念の対応一致性」が真理だとするのか、
真理にも様々な使い方がありますが、少なくとも20世紀におけるメタ倫理学は、
いわゆる「言語論的展開」を受けて、「言語構造の中に真理があるのではないか?」
という希望・願望の延長上にあるのではないかと思います。
形而上学的な真理の可能性が消えたとき、アプリオリ性を志向する人々には、
新たな救世主に思えたのではないかと、そのように思います。

しかし、倫理学は人間の行為に関するものですから、
かなり経験的・相対的な意味合いが強く、
アプリオリ性を中心に置くのはかなり危険な方法であると思います。
さらに、「メタ倫理学を使っても、アプリオリな正しさが見つからない」という、
rokaさんの言葉で言えば自家中毒なのであろうと、残念に思えます。
360あげぞ:04/01/17 04:57
続いて、「生」を「生物学的」と読み替えたことに関してですが、
「生」というのが抽象的な概念だったので「生物学的」「生命」としてみたに過ぎません。
「生」に「生き方」「人生」というような意味合いも付け加えると、
1bさんが言いたかったこととは異なるかもしれませんが、
現れてくるのはベルクソンだと思います。

>>346さんが、ニーチェは「生理学的」にという表現を好む、と書いていらっしゃいますが、
生理学は医学1つであり、医学のもととなるのは生物学、つまり有機体論だと思います。
「力への意志」とは有機体論であり、ルサンチマンを抱えた全存在を肯定した、
というのが私のニーチェ解釈ですので、そこに整合性がないとは、私は思いません。
346さんは、「力への意志」を無機物論(?)である、と考えているように思いますが、
そのあたりに解釈の差異があるかと思います。
361あげぞ:04/01/17 04:58
>>347さん、>>348
まず「永遠回帰」に関してですが、これがエネルギー保存則とか、質量保存則とか、
そういった物理化学の考え方に支えられていることはかなり明白で、
それ故にヘラクレイトスの万物流転思想だとか、
存在の固定性よりは生成性に興味があったというのは、
ハイデガーを筆頭に昔から言われていたことではないかと思います。
これまでの解説書などでは、永遠回帰の説明はこうした流れにあるでしょう。
ただし、これらは無機物論である、と思います。

そこで気になるのですが、そのマイヤーやフォークトは
具体的にどのような力概念を持っていたのでしょうか?
「力は、自発的でより強くなろうとする」という力概念なのでしょうか?
そのあたりが気になります。

そこで思うのですが、
1bさんが例に挙げたピエール・クロソウスキーもマイヤーに関して言及していましたが、
マイヤーの力概念をことさら強調するのは、「力への意志」を無機物論として把握しようとする、
フランス現代思想の構造主義的な解釈に都合がいいという、自己都合が働いているように思うのです。
私は、「力への意志」は有機体論(生命体論)であると思います。
「力への意志」を満たすものが、gutと言われるからです。
362あげぞ:04/01/17 05:00
ここでいったん>>331に戻りまして、

>>212=あげぞさん
>>私は以前、「超人は人格的な概念ではない。有機体だ」という、
>>「ニーチェ講義」を受けたことがあります。
>>これは、ニーチェに対する冒涜であると思いました。

>うーん、ちょっとよくわからんのですけど・・・。
>「超人」がニーチェの意図?として人格的概念であるべきである?、としても、
>なぜ有機体だ、とする解釈が「冒涜」になるのでしょうか?

超人思想が単なる有機体論だとしたら、キリンもカエルも「超人」になれます。
実際、この講義者のように、そう言い切る解釈者も多いです。
こうした解釈者は、ニーチェが宗教的な人間であることを忘れており、
「人格性」を取り除くのは許せない、というのが私の批判でした。

しかし、「超人」が有機体論であることに、異論はありません。
>>348の解説と変わるところはありません。
そして、「超人」が「力への意志」を含むとすれば、
「力への意志」も有機体論である、とならざるをえないのではないでしょうか?
363あげぞ:04/01/17 05:02
ポイントは、
「自発的でより強くなろうとする意欲」を、有機体も無機物も持つ、
のか否かです。
私には、酸素原子や窒素分子に、「力への意志」が宿るとは思いにくいです。
私は、
「力への意志」が宿るには1つの生命システムがなければならないと思うのです。
具体的には「DNAを含み、DNAの暗号を解読し、機能を発現させる細胞」であると思います。
それ故に、「力への意志」が生命システムを必要とする場合、
「力への意志」は「権力への意志」と訳すのがベターではないかと思うのです。
364あげぞ:04/01/17 05:04
>>349、>ヒゲダンスさん
>ニーチェは「キリスト教道徳の“神の死”」の理由を
>「キリスト教道徳自身が育んだ誠実さ」で説明したけど、
>おれは実際に道徳の神を殺したのは、「科学」なんじゃないかと思う。
ニーチェの主張と違いはない思います。
「知的誠実性が科学を生み、結果的に科学が神を殺した」
ということだと思います。

>だからニーチェが、自立した「この今」や「個」の価値を救済しようとするなら、
>「科学」は援軍ではなく敵になるはずだよ。(特に現代では)「道徳」以上の強敵になる。
少なくとも日常感覚的には、科学は神に代わる新しい絶対性・普遍性・信仰かと思います。
ヒゲダンスさんは、無条件のヒューマニズムを志向されているのでしょうか?
ポストモダン的に、個体的差異の無条件の肯定、を嗜好されているのでしょうか?
「愚神礼賛」ならぬ、「愚衆礼賛」を求めていらっしゃるのでしょうか?
365あげぞ:04/01/17 05:05
>>351さん
>ニーチェは「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」
>ということをいっていますが、それが正しいのなら
>「解釈だけが存在する」という事実も存在しないのでしょうか?
「解釈だけが存在する」という事実は存在せず、
「解釈だけが存在する」という解釈が存在する、
と言うのではないでしょうか?
遠近法という「権力への意志」の自己肯定作用の必然的帰結かと思います。
これを拡大すると、独我論になるのでしょうし、
現象学的な手法になるのではないかと思います。

ただ、こういった一種の自己意識主義には、倫理がありません。
例えば「アウシュヴィッツでユダヤ人が大量に死んだのも、事実ではなくて解釈だ」とか言ったら、
やはり鈍感すぎるように思います。
個人的には、証明不可能であろうが、物自体的なものを想定することが必要であると思います。
366あげぞ:04/01/17 05:08
>rokaさん
私は精神的独立を得るために経済的独立を迫られるただの労働者でして、
果たして精神的自由を得ているのかどうか分かりません。
自由な時間の使い方をすることもできず、
あかつきに日が差し始める前の時間帯にしか現れることができないルサンチマン者です。
ニーチェの一般的な解説をして頂いたり、鋭いツッコミで議論を掘り下げて頂いたり、
刺激的な知識を提供してくださったり、深く感謝いたします。
ファイヤアーベントに関しては全く分かりませんが、
ニーチェ思想を倫理的に解釈することが、最も求められているのではないかと思います。

構造主義系譜の現代フランス哲学的に、ポストモダン的に、脱中心化の思想として捉える
論理的破綻の典型、狂人として、文学的に捉える
「遠近法」を重視し、認識論的・解釈学的な相対主義として捉える、
「永遠回帰」「権力への意志」を中心に、進化論をふまえて19世紀自然主義として捉える
ハイデガー的に、形而上学・存在論的に捉える
「超人」を中心に、ニヒリズム時代のヒューマニズム、実存主義の系譜として捉える
「道徳の系譜」を中心に、功利主義的倫理学説として捉える
「ツァラトゥストラ」を、キリスト教特にプロテスタントの宗教改革として捉える

とりあえず全体としてこのような捉え方があると思うのですが、
中心にあるのは、人間の生の充実である、と思います。
そう考えると、やはりベルクソンこそ、もっと評価されるべき哲学者ではないかと思います。

駄文長文失礼致しました。
3671b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 06:06
>>359
真理が女だとしたら?
3681b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 06:08
>>367は『善悪の彼岸』の序文から。


3691b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 07:16
>>366
<演題>
1.構造主義系譜の現代フランス哲学的に、ポストモダン的に、脱中心化の思想として捉える
2.論理的破綻の典型、狂人として、文学的に捉える
3.「遠近法」を重視し、認識論的・解釈学的な相対主義として捉える、
4.「永遠回帰」「権力への意志」を中心に、進化論をふまえて19世紀自然主義として捉える
5.ハイデガー的に、形而上学・存在論的に捉える
6.「超人」を中心に、ニヒリズム時代のヒューマニズム、実存主義の系譜として捉える
7.「道徳の系譜」を中心に、功利主義的倫理学説として捉える
8.「ツァラトゥストラ」を、キリスト教特にプロテスタントの宗教改革として捉える
370ヒゲダンス:04/01/17 07:20
>>364
ヒゲダンスさんは、無条件のヒューマニズムを志向されているのでしょうか?
ポストモダン的に、個体的差異の無条件の肯定、を嗜好されているのでしょうか?
「愚神礼賛」ならぬ、「愚衆礼賛」を求めていらっしゃるのでしょうか?
---------------------------------------------------------------------------------------
いや、おれだって科学は捨てられないよ。いまさらフルチンで生活できないだろ、いくらなんでも。
科学が道具としての身の程を超えて「神」になっちゃったこと、そのことが問題だってことです。

おれが言いたかったのは、
ニーチェが言うような「神の死」が、すでに民衆ですら周知の事実だったとすれば、
本当の玉座に座ってたのは「キリスト教道徳」なんかじゃなくて「科学」だったんじゃないのか、
だとすればニーチェが「道徳」を倒すための強力助っ人と思い込んで、科学という「影の大番長」を
引っ張り出してきたのは、とても笑える間が抜けた話なんじゃないかと、そう思ったの。

あと、あなたがいう「個体的差異の無条件の肯定」というのが気になります。
おれが「個それ自体の価値」といってるのは「差異」があるからじゃないよ。
そもそも個体間の差異なんてことがいえない(比較が不可能な)「個」。「この今」としての私。
これはニーチェの最終的な肯定方式と同じだと思うんだけど、違うのかな。
その「今=私」というのは「科学」では絶対に肯定されないことだよ。
3711b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 08:03
で、今やってるのが4.について。
「力への意志を力学からの拡張と見なすか否か。」

『善悪の彼岸』には物理学もその
「魔の取替え子(主体)に憑かれている」という一文があったように思います。

「稲妻をして閃かしむる愚」、主体信仰の批判という文脈でだけとらえるのもいいですが、
あらゆる物に意志を見る形で一般化できます。
あらゆる物の擬人化によって人間を擬物化しているわけです。

「力への意志」というものは生態系において遺伝子の自己保存がいわれるような、
(「自己保存はもっとも頻繁な帰結である」とニーチェは述べていますが)
あらゆる意志の<力への志向性>を言った語です。

こういった意志の生態系がフラクタル的に人間の脳内にもあるわけです。
3721b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 08:03
そこで、価値の類型論が出てくる。
373346-348:04/01/17 13:20
>>360
>346さんは、「力への意志」を無機物論(?)である、と考えているように思いますが、
>そのあたりに解釈の差異があるかと思います。

力への意志を有機体論と解釈するのは、かなり無理があるでしょうね。
それだと、たとえば、
「この世界は力への意志である。そしてそれ以外には何もない」(遺稿)
というようなニーチェの言葉が理解できなくなってしまう。

>>361
ニーチェは当時の自然科学の力概念に対する不満を、たとえば次のように述べています。
「我々は線を使わずに運動を思惟することができない。それゆえ、我々にとって
運動の本質は隠されてしまう。数学的な点と線で表された『力』、これが
その最終的帰結なのであるが、それはまったくナンセンスなものなのだ」(遺稿)。
 
それに対して力への意志については次のように述べている。
「一つの力量子は、それを働かせる作用とそれが抵抗する作用とによって表される。
この力意志の放射がないとすれば、アトムもないことになる。それゆえ
私はこの力意志を『力への意志』なる量子と呼ぶのである」(遺稿)。

>>362
ニーチェが「宗教的な人間」であるというのは、いかなる意味においてでしょう?

彼岸的な諸価値を否定することによってニヒリズムの極限に至り、そこにおいて
価値転換をおこなったニーチェにとって、「宗教的」と言える要素があるとすれば
それは、汎神論的なものでしょうね。
374346-348:04/01/17 14:00
その「宗教性」は、キリスト教的なものでは全くなく、
「一切衆生悉有仏性」という仏教的なものでしょう。
「仏性」の代わりに「ディオニュソス的なもの(=力への意志)」を入れれば、
そういう解釈も成り立つ。

ニーチェはスピノザやゲーテの汎神論的世界観に親近感をもっていたけれど、
それ以上に仏教に対しては、「私はヨーロッパの仏陀になれるかも知れない」と
書いているぐらい親近性を感じていた。
だから、信太正三氏、湯田豊氏、新田章氏等々のように、ニーチェを仏教に近づけて
解釈することも、的外れではないだろうね。
375ヒゲダンス:04/01/17 15:28
>>373
>「我々は線を使わずに運動を思惟することができない。〜まったくナンセンスなものなのだ」
-------------------------------------------------------------------------
これはベルクソンが「空間化」と呼んで「科学的時間解釈」を批判したのといっしょだね。

>「一つの力量子は、〜それゆえ私はこの力意志を『力への意志』なる量子と呼ぶのである」
------------------------------------------------------------------------
………マイ物理?なんなんだろ「力量子」って?わけわからん。
だいじょぶかニーチェ、しっかりしてくれ。

>「宗教的」と言える要素があるとすればそれは、汎神論的なものでしょうね。
-----------------------------------------------------------------------
確かに汎神論といえばそういえないこともないこともないこともない、こともある。
さて、この命題は真か偽か。…は置いといて、
汎神論だとしてもそうとう特殊っぽい。生まれた瞬間に死んでいくような神。
次々にばっと生まれてぱっと消える。でもって全体の整合性もある。
っていうとイメージとしてはテレビの走査線?…なんかちがうな。
3761b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 16:43
>>373
>「我々は線を使わずに
 これはよく分からん。観察の事後性?

>「一つの力量子は、それを働かせる作
 これは「主体」の批判という文脈だと思う。ニーチェが主体ではなくて力への意志でもって
世界を再構成しようとしていたと見れば、量子という主体が作用するという表現が気に入ら
なかったのでは。

>>362の「宗教的な人間」というのはツァラトゥストラ四章で最後の教皇が
「無神論者の中で、最も敬虔なもの」というようなところではないかと思う。
無神なる神への敬虔さというのも妙な表現ではあるけれど。
377考える名無しさん:04/01/17 18:35
>>376
Kくん。もうちょっと自分の頭の中を整理し、よく消化してから書くように。
3781b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 18:44
>>377
ニーチェは量子というものに「主体」信仰を見て、
それが「稲妻をして閃かしむる愚」を冒していると言いたいのではないか。

といいたかっただけ。分かりにくかった? 

Kってのは誰だか知らんが、誰と勘違いしてるのか教えてくれるか?
379竹脇ムーガ:04/01/17 18:57
パースペクティヴィズムは相対化というより、力の観点から成る
世界の「動態化・有機化」とするのが正しい表現であろう。
380roka ◆.V0HZVmR5o :04/01/17 20:00
>>377
Kくんって、、、「K様」?んなわけないだろw
まぁいいや。

あげぞさんの真摯な発言を受けてのレス&お礼は後にするとします。
今、時間がないので。。。

>>369
><演題>
>1.構造主義系譜の現代フランス哲学的に、ポストモダン的に、脱中心化の思想として捉える
>2.論理的破綻の典型、狂人として、文学的に捉える
>3.「遠近法」を重視し、認識論的・解釈学的な相対主義として捉える、
>4.「永遠回帰」「権力への意志」を中心に、進化論をふまえて19世紀自然主義として捉える
>5.ハイデガー的に、形而上学・存在論的に捉える
>6.「超人」を中心に、ニヒリズム時代のヒューマニズム、実存主義の系譜として捉える
>7.「道徳の系譜」を中心に、功利主義的倫理学説として捉える
>8.「ツァラトゥストラ」を、キリスト教特にプロテスタントの宗教改革として捉える

ニーチェの言う、「位階秩序」の概念はどこにどう位置づけられるんでしょうか。
381ヒゲダンス:04/01/17 20:21
>>378
おれ377じゃないけど…。
ごめんなさい。ぜんぜんわかんない。

>「量子というものに「主体」信仰を見て…」えっ誰が信仰してる?ニーチェだよねこの説を唱えてるのは。
それが
>「「稲妻をして閃かしむる愚」を冒している」って?わざわざ自己批判するために「力量子」とやらの説を作ったの?
3821b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 20:41
>>381
量子という「主体」ではなくて、その力を見よという話です。

アトムと普通の意味での量子、そしてニーチェの語「力量子」が混乱を招いたようです。
主体としてアトムを措定しているのはニーチェではなくて科学者ですね。
そこで、アトムが力を放射、すなわち力を発し、力を受ける主体であるというのではなく、
力だけがあってその作用点を力量子と呼ぶといっているのでしょう。
科学者にしてみれば同じことでしょうが。

この種の科学者にまで蔓延った擬人化(主体信仰)に対して
逆の方向として力への意志だけを考えるという擬物化でもって
世界を再構成することにより、人間の力への意志の解放を正当化したのではないかと思います。


3831b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 20:43
>>380

>ニーチェの言う、「位階秩序」の概念はどこにどう位置づけられるんでしょうか。

「位階秩序」というのが、具体的にどういう文脈か分からないんですが。
貴族/奴隷という文脈ですか?
384考える名無しさん:04/01/17 20:55
>>378
Kuriharaだと思ったんでないの
385あげぞ:04/01/17 21:04
まずはじめに、>>380を受けながら>>369をもう少し整理します。

<演題 ニーチェ解釈の典型例>
1.構造主義系譜の現代フランス哲学的に、ポストモダン的に、脱中心化の思想として捉える
2.論理的破綻の典型、狂人として、文学的に捉える
3.「遠近法」を重視した解釈至上主義、人間認識における事実上の相対主義として捉える、
4.「永遠回帰」「権力への意志」を中心に、進化論をふまえて19世紀自然科学思想として捉える
5.ハイデガー的に、ヘラクレイトス風万物流転の形而上学・存在論として捉える
6.「超人」を中心に、ニヒリズム時代のヒューマニズム、実存主義の先駆として捉える
7.「道徳の系譜」を中心に、功利主義的倫理学説として捉える
8.「弱肉強食」的な自然状態の肯定、身分制社会の容認として捉える
9.「ツァラトゥストラ」を中心に、キリスト教特にプロテスタントの宗教改革、アガペーの思想として捉える
10.「生」「自由」の肯定の思想として、ベルクソンにつながる有機体論として捉える
11.ドイツ普遍主義・観念論の典型として、ヘーゲル的弁証法の発展形態として捉える
386あげぞ:04/01/17 21:04
私の試みとは、これらに代表されるニーチェ思想を全体的に捉え、
部分との整合性を突き詰めながら全体に戻る解釈学的循環です。
ただし、この中で唯一異彩を放っているのは「2」の文学的解釈だと思います。
文学的解釈は生産性がなく、むしろ有害な毒を撒き散らしました。
日本において、ニーチェがあらぬ誤解を受け続けた歴史は、文学的解釈のせいであると思います。
私は、ニーチェの可能性を読み取ることなく放棄し、
文学的解釈に走った人々は贖罪すべきであるとすら思います。
具体的には、氷上、秋山、西尾、三島、特に三島の思想的背景の貧困さは筆舌に尽くしがたいです。
彼らは哲学史を勉強したことがなかったのでしょう。
しかも、おそらく未だにニーチェの真意がつかめていない三島などは、
やむを得ないでは済まされない存在ではないでしょうか?
三島に代表される文学的解釈に共通しているのは、
概念を構築したり、問題を整理することが苦手である、という点です。
文献学的に正しくても、解釈が通俗的次元を越えられません。
おそらく三島はニーチェが嫌いだったはずです。
そして、三島のような人間がニーチェ研究の第一人者のように誤解されていた日本は、
やはり思想的に貧困な国なのかと残念に思います。
387あげぞ:04/01/17 21:04
>>370、ヒゲダンスさん
>>364はそれぞれ微妙に異なることを訊いています。
ヒゲダンスさんの志向は、「典型例6」の実存主義であると思います。
例えばサルトルが「嘔吐」の中でマロニエ?の木に見いだしたような感覚ではないでしょうか?
388あげぞ:04/01/17 21:05
>>373ですが、346-348さん、よろしければ仮で構わないので固定ハンドル化をお願い致します。
信太正三、湯田豊、新田章などの名前が出てくるので、おそらく研究者志向の方かと思います。
個人名、特に哲学系の研究者名をあげるのは荒らしのもとになりかねないと思い、
これまで控えてきましたが、今後はオープン化するということで良いのでしょうか?

>力への意志を有機体論と解釈するのは、かなり無理があるでしょうね。
>それだと、たとえば、
>「この世界は力への意志である。そしてそれ以外には何もない」(遺稿)
>というようなニーチェの言葉が理解できなくなってしまう。
イギリスの生物物理学者であるラヴロックは、「ガイア仮説」なるものを唱えています。
地球生態系を1つの生命体として捉えよう、という考えです。
有名な生態学者のオダムも『基礎生態学』(培風館)の中で好意的に論評しているようです。
もちろん、私個人としては、生態系全体が生命であるとは考えません。
しかし、346-348さんが書いていらっしゃるように、
汎神論的傾向のあったニーチェが、個体化されたもの1つ1つに生命を感じ、
さらに地球全体、世界全体に対して生命をイメージしていたとしても、不思議ではないと思います。
1bさんの>>371における「意志の生態系がフラクタル的に人間の脳内にもある」という表現も、
感覚的にはこれに近いと思います。
389あげぞ:04/01/17 21:06
>ニーチェが「宗教的な人間」であるというのは、いかなる意味においてでしょう?
>>219>>221に書いたつもりでしたが、補足して説明しますと、
およそ西洋哲学において「宗教的」とは「キリスト教的」を意味するかと思います。
具体的には、ゲルマン布教以来ドイツに根付いたキリスト教的世界観のことです。

神としての存在、世界としての存在、自分自身、
マクロコスモスとミクロコスモスの統一、共感ないし同化、一体感を個人が経験する
という心情(Gemuet)です。
ルターの登場による聖書中心主義がこれに拍車をかけます。
「思惟の主体が、全体的・絶対的な存在を、自らの内部に探求し発見する」
内なる良心としての神を見いだす根拠となる世界観です。
このキリスト教的世界観がドイツ観念論を支えているのであり、
「思惟は自分自身を思惟することによって絶対者を思惟する」
というヘーゲルの弁証法に根拠を与えるものだからです。
私はこれを、汎神論的ネオプラトニズム、と理解しています。
エックハルトやクザーヌスの神秘主義に遡ります。
今現在、我々日本人が『精神現象学』を読んだとして、
その論理展開の不自然さに違和感を感じない人はいないでしょう。
ヘーゲルが自分の思想を、客観的観念論などと呼べるのは、この宗教的裏付けがあるからです。
390あげぞ:04/01/17 21:06
で、仏教的宗教観との類縁性ですが、
これはショウペンハアーに規定されているとするのがスタンダードだと思います。
エルヴィン・ローデとも親交がありましたので、ある意味当然といえば当然です。
ですから、

>その「宗教性」は、キリスト教的なものでは全くなく、

と言い切れるのが不思議でなりません。
どうしてニーチェがキリスト教を捨てたと思えるのでしょうか?
ニーチェがキリスト教道徳を批判したは、愛憎の故ではないのではないでしょうか?
本当にキリスト教を捨てていれば、関心がなくなり、無視すると思います。
「三つ子の魂百までも」と言いますが、幼年時代から鍛えられた宗教観が、
大きく変わるとはとても思えないのです。
391あげぞ:04/01/17 21:07
で、「力への意志」に関してですが、私が読解した印象だと、
アトムの他に力量子というような、原子や分子と同レベルのアトム的物質がある、
そのように考えたのでしょうか?
だとしたら、この点に関しては確かに救いようがないですが(笑)、
346-348さんはニーチェを全体としてどのように理解しようと思っていますか?
ニーチェは至る所で矛盾(論理的不整合)を犯していますので、
統一的ヴィジョンを持たずに部分に接するとひたすら解体されて何も残らなくなります。
ニーチェを語る際にはヴィジョンが不可欠です。
竹脇ムーガさんの>>379は、また1つのヴィジョンだと思いますが、
346-348さんがどのように全体を捉えようとしているのか、教えて頂けるとありがたいです。
例えば>>280の最後の部分を、どのように解釈して整合性を出すか、教えてほしいです。

つまるところ、「力への意志」を考える際にインスピレーションを受けたものと、
「力への意志」によって表現しようとしたものには、差異があるのではないでしょうか?
発端は、マイヤーの力概念だったかもしれませんが、
その後、自分の思想に応用して表現しようとしたこととは別の問題です。
似たような話を、ウンベルト・エーコが『論文作法』のまえがきに書いていたような気がします。
インスピレーションを受けたものにこだわる過ぎると、
一種の原理主義に陥る可能性があるのではないかと思うのです。
なぜならば、
ニーチェは「力への意志」という概念に確信を持っていたわけではなく、
おそらく1つの仮説として自覚している点を、考慮すべきであると思うからです。
ですから、仮説によって成し遂げようとしたもの、ニーチェの志向性を評価すべきではないでしょうか?
3921b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 21:13
>>384
誰? 私は文学板の元ニーチェです。
3931b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 21:22
>>391
> で、「力への意志」に関してですが、私が読解した印象だと、
> アトムの他に力量子というような、原子や分子と同レベルのアトム的物質がある、
> そのように考えたのでしょうか?


私は、力量子なんて言葉を使っているのは
アトム(量子)という言葉を捨てられない科学への当てこすりであるととったが……。



3941b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/17 21:28
いつのまにか一人であげてたのでこれからsageます。

>>385の2について、文学板でやっていたときにそういう質問が多かった。
『存在の耐えられない軽さ』でミラン・クンデラもそういう解釈をしている。

こんな感じ。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~simpli/02-1-6-1Kundera.htm
それは1889年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょ
うど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っ
ているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂
気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。
395ヒゲダンス:04/01/17 21:47
>>393
ものわかりが悪くてすまぬ。

「物質=力」 という物理は、……まだこの時代にはなかったみたいね。

確かにニーチェはほかで痛烈な科学批判とかやってるけどさ、
おれにはどうしても、このニーチェの文から科学への批判が感じられないんだよね。
科学の方法を借りて、っつかマジで科学的に「力への意思」を立証しようとしてるだけにしか思えない。

>>力量子なんて言葉を使っているのは
アトム(量子)という言葉を捨てられない科学への当てこすりであるととったが……。
------------------------------------------------------------------------------
おれも、あなたの説が正しいとすれば、なんでそのままストレートに言わないで
回りくどくへんてこな物理学なんて説いてるのか、物理への皮肉か?って思ったけど。
…けどなぁ、いや、いくらニーチェがひねくれ者でも、そこまでひねらないだろ。
第一それじゃほとんどの人が皮肉だってわかんないし。

>>387
ふーん。あげぞさんの「ニーチェ占い」によると、おれは実存主義なのね。
ついでに明日のラッキーカラーはなんですか?

皮肉ってのは、せいぜいこんなもんでしょ。
396考える名無しさん:04/01/17 21:52
どっちかというと、ドゥルージアンぽく見える。
3971b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/18 07:26
>>395
高校生のころ物理で「コンデンサー」なんてやりませんでした?
科学が電子のホール(正電荷)について、それをあたかも実在のもののように扱っている
ように量子が力の作用、反作用に置いてしか見出されないのであればそれを力そのものと見なし
ても構わないということだと思う。

この力量子では力を電荷ととらえれば言い訳でね。

>>387
私のニーチェ占いは4。十九世紀的というのは余計だけれども。

3981b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/18 07:44
>>397補足
実証と言われれば上に書いたようなことも実証ということになりそうですが
わざわざ<力量子>なんて珍妙な語を持ち出す理由がよく分かりません。
3991b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/18 07:45
ニーチェ占いについては皮肉とかではないです。
4.を中心に考えられそうなんですよね。他のが。

>>387の分類について

1.はもちろん4.を読み解くことによってなされますし、
2.は論外。
3.が到達する一つの極点が「力への意志」という<アトム>でしょうし、

5.は3.から再構成された存在論。
6.はこうした認識の上に立った人間の実践に対するアフォリズムでしょう。
7.は3.に同じ。功利主義というのは、ニーチェの嫌った思想では在りますが、
  その「利」の定義によってはそういえなくも無いです。
8.力への意志の弱肉強食という風に変えれば妥当します。
9.アガペーでもって伝達される<力の質>(ドゥルーズ)を考えれば考えられそう。
10.どこまで肯定する対象を究めるかの違いのようです。
11.力への意志の<原子論>なわけでそういう風にもいえますかね。

と考えてます。
400あげぞ:04/01/18 08:07
>>395、ヒゲダンスさん
「実存主義」を、皮肉として受け取られたということでしょうか?
他意はなかったのですが、申し訳ありませんでした。
「個体的差異の無条件の肯定」に共感しなかったようなのでドゥルーズ的には思えず、
より根源的な存在肯定、かと思いました。

>>399、1bさん

12.「悲劇の誕生」やヴァーグナーを中心に、ディオニュソス的なるものの再興の思想として捉える

初期ニーチェには「力への意志」は出てきませんが、
自然主義・自然科学で12をどのように解決しますか?
4011b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/18 09:26
>>400
>>387は自然主義、自然科学を旨としたニーチェ解釈というのではなくて、
力への意志・永劫回帰を旨としたニーチェ解釈という意味です。

『悲劇の誕生』の時点ではまだ、ワーグナーを始めとする当時のペシミズムと、
ニーチェが後に「ギリシア精神とペシミズム」と副題をつけることになるところの
ペシミズムが分離されていません。

ディオニュソス的という言葉の意味も『悲劇の誕生』より後に、
「力への意志が完遂されたもの」という風に意味が変わって来ます。
4021b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/18 09:30
ギリシア悲劇、そこに現れた「ギリシア精神」への礼賛がまずあります。

「いかにして生全体を悲劇に変えるか」という風にニーチェを考えれば、
ソクラテスとエウリピデスの分析にも出ていますけど、力への意志という時の<力>の変質が
既に言われていますし、後の永劫回帰も「悲劇の限りない再演」と捉えられます。
403346-348:04/01/18 09:45
>>378
>ニーチェは量子というものに「主体」信仰を見て、
>それが「稲妻をして閃かしむる愚」を冒していると言いたいのではないか。

おっしゃる通り、主体批判の文脈だと思います。
ニーチェは「作用」の背後に「作用者」(主体)を想定することが、
プラトニズム的二世界論の根源にあると考えていたから、
力への意志についてもそのように誤解されることを危惧して、
「力への意志というものは存在しない」と書いている。

ニーチェは「稲妻が光る」という言い方を「我々の悪癖」であると
していますね。
「光る」という働きを離れた「稲妻」というものはあり得ない。
しかし我々の言語に根ざしたこの「悪癖」によって、
「稲妻」と「光る」とが切り離されて、「稲妻」が「光る」ことの
原因であるかのようにみなされてしまう。かくして「稲妻」は
作用から切り離された作用者(存在者)となってしまう。

これを裏返して考えれば、ニーチェは、存在者と作用(生成)との同一性を
主張していると考えることができる。
たとえば、「一つの『事物』は、その作用の総体である」という断片がある。
その関連で、次の断片のようなアトム概念の批判も理解できる。
「『アトム』という概念、すなわち『駆りたてる力の座と、その力自体』との区別」。

このようなニーチェの考えを見れば、ハイデガーが力への意志を絶対的な「存在者」
として解釈し、ニーチェの哲学を「力への意志の無制約的な主体性の形而上学」と
見なしたのは正当ではないと思います。
404346-348:04/01/18 09:52
>>388
>汎神論的傾向のあったニーチェが、個体化されたもの1つ1つに生命を感じ、
>さらに地球全体、世界全体に対して生命をイメージしていたとしても、
>不思議ではないと思います。

>>363では
>ポイントは、
>「自発的でより強くなろうとする意欲」を、有機体も無機物も持つ、のか否かです。
と、「有機体」と「無機物」を明確に区別した上で、力への意志は「有機体論」である
とされていたので、前のレスはその点についてのものでした。

>>390
>>その「宗教性」は、キリスト教的なものでは全くなく、
>と言い切れるのが不思議でなりません。

キリスト教の超越神は、ニーチェの思想とは相容れないものだからです。
ニーチェが仏教を高く評価するのは、
仏教が「真の世界」への信仰を捨てているからであり、
ルサンチマンを克服しているからです。
「何百年も続いた哲学運動の後に仏教が現れた時には、『神』という概念は
すでに除去されていた。・・・仏教は・・・これこそ仏教をキリスト教から
深く区別する点なのだが、道徳概念の自己欺瞞をすでに己の背後にしている。
私の言い方でいえば、仏教は善悪の彼岸に立っている」(『アンチクリスト』)。
(つづく)
405346-348:04/01/18 09:53
>ニーチェがキリスト教道徳を批判したは、愛憎の故ではないのではないでしょうか?
>本当にキリスト教を捨てていれば、関心がなくなり、無視すると思います。

ニーチェは従来の宗教、道徳、形而上学を「理想主義」として十把一絡げに扱う
場合が多いわけですが、彼の理想主義批判は大雑把に言えば、
現実世界の彼岸に「真の世界」を想定する二世界論に対する批判です。
プラトンに始まる二世界論に対する批判において、ニーチェの批判がキリスト教に
集中しているのは、「民衆のためのプラトニズム」であるキリスト教の彼岸信仰において
現実世界(生成の無垢)が最も貶められるとニーチェが考えていたからです。

生成の無垢を再興するには、現実世界の彼岸に想定された「真の世界」が
廃棄されなければならない。
しかし「神の死」によってもたらされたのは、生成の無垢ではなく、
「神の死」によるニヒリズムであったわけです。
それは、「真の世界」が崩壊した後も「真の世界」は現実世界を貶める
尺度として残っているからです。「仮象の世界」として貶められた
現実世界は、「神の死」ののちも、「仮象の世界」のままである。
「神は死んだ。だがおそらく、・・・さらになお数千年にわたり
神の影を示す諸々の洞窟が存在するだろう。・・・そして我々はさらに
神の影をも克服しなければならないだろう」(『悦ばしき知識』)
406346-348:04/01/18 09:54
まえに、キリスト教の神を殺したのは「誠実性」であるという書き込みがありましたが、
『偶像の黄昏』のなかの「いかにして『真の世界』がついに寓話となったか」でいえば、
それは第四段階の「実証主義」にあたるでしょう。
しかし実証主義には、「神の影」の一つである「真理への意志」が残っており
二世界論の図式は未だに廃棄されていない。
「彼らはとてもまだ自由精神とは言えない。なぜなら彼らはまだ真理を信じているから。
・・・真理への無条件的意志は、禁欲的理想そのものへの信仰なのだ」(『道徳の系譜』)。
それに対して第五段階の「自由精神」は、自分が神の殺害者であることを自覚しており、
実証主義が尺度として隠し持っていた「真の世界」を徹底的に排除する精神です。
「何ものも真ではない。一切は許されている」(『道徳の系譜』)
という言葉はそのような文脈で言われている。
この「自由精神」が『悦ばしき知識』までのニーチェ自身の思想であり、そこにおいて
「神の死」によるニヒリズムは克服され、生成の無垢が再興されるのです。

ヨーロッパのニヒリズムの歴史において、一人のヨーロッパ人として
「ニヒリズムの自己克服」の論理を貫徹しようとしたのがニーチェです。
「我々はキリスト教からひとり立ちした。それは我々がキリスト教からあまりに離れて
住んでいたからではなく、あまりに近くに住んでいたからである。いやそれ以上に、
我々がキリスト教の中から育ってきたからである」(遺稿)。
407346-348:04/01/18 09:54
そして、ニヒリズムはその極限にまで押し進めることによってのみ克服されるとする
「ニヒリズムの自己克服」の論理を貫徹することによってニーチェが到達したのが、
「仏教のヨーロッパ的形態」である永劫回帰思想です。
「この『無駄だ!』というのが現代のニヒリズムの性格である。目標も目的もない
『無駄』の持続というのは、もっともげんなりさせる思想である。
・・・この思想をその最も恐ろしい形で考えてみよう。
あるがままの生存、無意味で無目標、だが不可避的に回帰し、無への終末もない。
すなわち『永劫回帰』。これがニヒリズムの最も極端な形である。すなわち、
無(無意味なもの)が永遠に! 仏教のヨーロッパ的形態」(遺稿)。

しかしこのようにして「ニヒリズムの自己克服」の論理を貫徹することで、
生成の無垢を再興することは、「聖なる肯定」へと向かうニーチェの哲学の
中間点であるにすぎない。
再興された生成の無垢が、再び二世界論に逆戻りしないためには、生成の価値
を損なうことのない、新しい世界構想が不可欠だったのであり、
それが「力への意志」による「価値転換」であり、「超人」思想であったわけです。
「力への意志。一切の諸価値の価値転換の試み。
・・・それはいつか或る未来においてあの完全なニヒリズムに取って代わるであろう
運動であり、しかも論理的にも心理的にもその完全なニヒリズムを前提としており、
まさにそのニヒリズムを目指すことによってのみ、そしてそのニヒリズムからのみ
到来することができる運動である」(遺稿)。
408346-348:04/01/18 09:55
>>380
>ニーチェの言う、「位階秩序」の概念はどこにどう位置づけられるんでしょうか

「位階秩序」は、なんらかの恣意的な基準による秩序付けということではなくて、
あるがままの自然の秩序、すなわち、強さが強さとして現れ、弱さが弱さとして
現れることによって形成される秩序のことだと思います。
ニーチェも「位階秩序とは、生そのものの最高の法則を定式化しているだけ」
(「アンチクリスト」)とし、「『等しき者には等しきものを、等しからざる者には
等しからざるものを』・・・これが偽りのない正義の言葉であろう」(『偶像の黄昏』)
と書いている。

あるがままの秩序であるはずの位階秩序をニーチェが強調し、
チェーザレ・ボルジア等の名を挙げる必要があるのは、
これまで、そのあるがままの自然の秩序が、二世界論、なかでも特にキリスト教の
「神の前での平等」の思想によって隠蔽されてきたからです。

キリスト教において、弱者の中では最も強い者である「禁欲的僧侶」は、
此岸と彼岸との二元的対立図式を造り上げ、此岸を彼岸への単なる通路と見なした。
そして「良心の疚しさ」を「罪」と解釈し変え、苦しみを「罰」と解釈し変える。
そのようにして人々のルサンチマンの方向を転換することで、
禁欲的僧侶は弱者を保護することに成功するとともに、
健康で創造力にあふれる強者に勝利した。

「我々はキリスト教の何を攻撃するのか?それは、キリスト教が強者を打ち砕こうと
する点である。彼らの勇気を失わせ、彼らの弱い瞬間と疲労とを利用して、彼らの
誇りに満ちた確信を、良心の呵責へと逆転させようとする点である。
・・・こうして強者は、途方もない自己軽蔑と自己虐待によって破滅してゆく。
この恐るべき破滅の最も有名な例がパスカルである」(遺稿)。

禁欲的僧侶の造り上げた嘘を暴露し、あるがままの自然の秩序を回復することが
ニーチェの二世界論批判であったのだと思います。
409roka:04/01/18 11:38
スレの流れが速くて追いつけない ヽ(;´Д`)ノ スイマセン
しかも、かなりハイレベルな議論になってきましたね。たじろいでしまいますが・・・。

遅くなりましたが、まず、あげぞさんの対話者としての誠実な態度に、深く敬意を表します。

>行為において普遍を押しつけて排他的になることを極力避けるように敏感にならなければ(>>338)
大事なのは、バランス感覚だと思います。
>少なくとも日常感覚的には、科学は神に代わる新しい絶対性・普遍性・信仰かと思います。(>>364)
そういう意味で、科学信仰・・・これの背後には自我の欲望が働いているかと思います(「現出したのは
「相互不可侵、コミュニケーション不全」的世界」>>339→「規律訓練型権力」から「環境管理型権力」へ
のシフトもこの文脈で捉えられる?)が・・・を、相対化し、「絶えず内省し、葛藤を抱えつつ」(「神経症者
」ってのはこのくらいの意味だと思います)状況に立ち向かうための道具として、精神分析という古びた
宗教もまた利用価値は残っている、ということだと思います。
>ルサンチマン理論としては評価可能で、自然科学としては評価不能(>>340)
もし、自然科学の「客観性」が前提になっているのでしたら、それは既に科学哲学の分野ではケリが
ついた問題かと思いますが、しかし、現実的には人々がナイーブ?に科学的、生物学主義的人間観
に傾いているわけで、、、
410roka:04/01/18 12:24
>>383
>「位階秩序」というのが、具体的にどういう文脈か分からないんですが。
>貴族/奴隷という文脈ですか?

昔、大学のゼミで「位階秩序」の問題をやったことを思い出してまして。
「超人」を頂点とし、「禁欲主義的僧侶」たちを底辺とする、「権力の意思」の質的なヒエラルキーかと
思いますが・・・ニーチェの言う、「価値転換」が、(1)それ自体が相対主義的な正当化なのか、それ
とも、(2)「奴隷一揆」とか「転倒」とか言うならば、その前提として本来的な「位階秩序」が想定されて
いるはずで、ニーチェは「非本来的」な秩序を元に戻すべきだ、って考えていたのか、って議論だった
と思います。
>>385であげぞさんが追加した、
8.「弱肉強食」的な自然状態の肯定、身分制社会の容認として捉える
ってのは、(2)に基づいているんだと思います。>>408の346-348さん、詳しい解説、ありがとうござい
ました(^-^

でも、俺自身は、「あるがままの自然の秩序を回復すること」は、存在論的に形而上学だと思うし、
なにより倫理的制度として、受け入れ難いと思いますが・・・。
411りゅう:04/01/18 12:24
>あげぞさん

回答遅れて申し訳ない。

>りゅうさんの定義は、日本風の定義だと思うのです。
>ethicsの訳語として、日本語的には「道徳」のほうが相応しいの
>ではないでしょうか?平凡社の哲学事典などを読んでいると、「倫
>理」という項目が無く、代わりに「倫理学」があり、倫理と道徳と
>の違いをほとんど意識していないようです。

手元にある三一書房の『哲学・論理用語辞典』を引用します。

『道徳(morality)
<人間の行いの善悪、正邪の基本的規則>社会生活において、人間が
自然的文化的な、物質的・精神的な要求と欲求をできるだけみたすに
は、どうしたら一番よいか。これを示す規範、基準または、そのよう
なものとして行動を指導、評価する原理意識のこと。』

基本的に道徳とは社会規範であるわけです。対して倫理学は道徳哲学
としてスタートし、ソクラテス・プラトンを祖とするわけです。その
際、問われたのが「人は如何に生きるべきか?どのような生き方をす
ることがよい生き方なのか?」です。個人という観念が明確に打ち出
されるのはキリスト教以降ですが、上述のように個人の生き方を問う
形でスタートし、「道徳を内面化させるもの」即ち道徳(=規範)を
個人の生き方に落とし込むものとして機能してきたといえるでしょう。
とはいっても、倫理(倫理学・ethics)とは本質的に個人の生き方を
問うものですから、社会規範即ち道徳とは異なるということです。
412りゅう:04/01/18 12:56
>233

>それと、現代でも道徳はあいかわらず絶対善ですよ。
>強制力が弱まってるのは確かだけど、強制力が弱まってもなお、
>相変わらず絶対善であり続けていることが問題なんだと思うよ。

233は多分永井均を読んでいると思われるのだが、永井が問題にしているのは
道徳(=規範)ではないよ。「内面化された道徳」つまりは倫理学を問題にし
てるわけだ。『道徳を心の問題としてとらえること』が支配的になり、また、
自明になったことを、一つの流行、人類が続く限り続く流行といってるのだよ。
413りゅう:04/01/18 13:12
>roka さん

>自分自身の問題ですね。「俺はどうやって生きていったらいいんだろう?」
>ってこと。

回答してやろうではないか。まず、「自分らしい生き方」似代表されるような
甘い企業の宣伝文句に惑わされず、世の中について良く分析することだ。そし
てとにかく自分にあった職場・仕事をみつけて、経済的・生活的に安定するこ
とだな。

>いますぐ答えを出すべきだ!って人がいるでしょ?それってまずくない?っ
>て思う。

そういう奴らも仕事でやってんだよ。飯を食うために煽ってるわけだ。重要な
のはそういう奴らに乗せられないことだな。

それから一つ宣伝しておこう。

http://www.geocities.com/Tokyo/Temple/5865/nietzsche.html

俺はここのMLで「スライド」というハンドルで投稿してるので、興味があったら
参加してね。ちなみに主催者はカントを専攻してる大学院生。知ってる人もいる
かもしれないね。
414考える名無しさん:04/01/18 22:03
結婚おめでとうございました。
415考える名無しさん:04/01/19 01:08
ある日の昼下がり
コンビニでウロウロしてたら
かなり可愛い女子高生がトイレに入って行った
しかし しばらく出てこない
中に彼女が入ってるのは分かってたけど
わざとガチャガチャとノブ回したら
中からノックが返ってきた
待つこと5〜6分
出てきた彼女は僕がすぐ外にいることに驚いた
「あ、すいません・・・」
と、小さな声を出してすれ違った彼女はウンコ臭漂っていた
手を洗う彼女を横目で見ながら 小声で
「クセー」
と言ってやったら逃げるように出て行った
416考える名無しさん:04/01/19 02:40
>>415
人間小さいね。
足元がお留守ですよ。
417考える名無しさん:04/01/19 02:57
あ、踏んでやがる。臭いわけだ(w
418あげぞ:04/01/19 05:13
まずはじめに皆さん(特に346-348さん)に質問があるのですが、
ニーチェが考えていた認識論と存在論はどんなものだと思いますか?

1 カント・ショーペンハウアー的世界観(「認識−存在」イーヴン説)
ショウペンハウアーの『意志と表象としての世界』に大きく影響されているとすれば、
そこで採用されているのはカント的な「物自体と仮象」という世界観だと思います。

2 フィヒテ的自己意識主義・独我論・解釈至上主義(「認識>存在」認識優位説)
「解釈だけが存在する」を突き詰めると、この世界には自分の解釈しか存在しない、
ということになるのではないかと思います。

3 ハイデガー的形而上学主義(「認識<存在」存在優位説)
「物自体と仮象」という区別をいったん還元?して、
心に現れる「現象」を「存在」の語りとしてそのまま受け取ろうとする。
(しかし、心的現象としての仮象と現象に実質的な違いはないかも)

4 自然科学的・素朴実在論的?客観主義
19世紀の自然科学に影響されていたと考え、
「永遠回帰」「力への意志」を自然科学者としての意見として考えます。

1〜4の分類法にかなり問題が残るとは思いますが、
謂わんとしていることは伝わるのではないかと思います。
人間の認識と存在者の存在との関連について、ニーチェがどのような構図を考えていたのか、
そこを考えてみないと前に進めないのではないかと思います。
419あげぞ:04/01/19 05:14
まずは、>>388-390>>404-407の宗教問題、「二世界論」に関してです。

「ニーチェと仏教」に関してですが、これがショウペンハウアーに追うているとすれば、
通常ショウペンハウアーの仏教とは、
ヴェーダの汎神論や厭世観を中心とするインド哲学であったとされると思います。

で、個人的にですが、実も仏教も十分「背後世界論」であるかと思います。
「(苦行を含む)輪廻を断ち切るために解脱をする」のが仏教思想の中核でしょう。
信太正三が『永遠回帰と遊戯の哲学』で何を書いていたかあまり思い出せないのですが、
(なにせ大学の図書館で○年前に読んだだけで、古本屋でも見たことがないです)
仮に仏教が「背後世界論」でない、という理由でニーチェに親和性があるとしていれば、
少々疑問が乗ります。
そもそも『意志と表象としての世界』によれば、
美学は特権的解脱への道であり、倫理学は一般的解脱への道であるとされている程だからです。

つまり、「背後世界(神の国)は良いところ」というのがキリスト教で、
「背後世界(輪廻)は悪いところ」というのが仏教という違いでしかありません。
420あげぞ:04/01/19 05:15
で、>>404-407を少々要約させて頂きますと・・・・・・、

「民衆のためのプラトニズム」がキリスト教という背後世界論であり、
理想主義的に「神の国」を措定することで現実の生を貶めた。
しかし、皮肉にもキリスト教道徳が育んだ知的誠実性が「神の死」を導き、
「神の国」がなくなることで、大衆にとってはニヒリズムという混迷の時代が到来した。
しかし、ニヒリズムは肯定的に捉えられるべきであり、
そもそも真理は相対的であるのだから、
自らの「力への意志」を満たすべく自由に生きるべきであり、
「力への意志」を最もよく体現するものが、「超人」である。

という流れになるかと思いますが、仰るとおりだと思います。

翻って、ニーチェが批判するキリスト教とは、

「現実の生を否定するために背後世界論を用意し、
ルサンチマンによって価値を転倒させたキリスト教の奴隷道徳である」

となるかと思います。
421あげぞ:04/01/19 05:16
そこでようやく>>404にお答えできるのですが、
>キリスト教の超越神は、ニーチェの思想とは相容れないものだからです。
>ニーチェが仏教を高く評価するのは、
>仏教が「真の世界」への信仰を捨てているからであり、
>ルサンチマンを克服しているからです。
まず、前述の通り、後段の3行に関しては異論がありません。
しかし、ニーチェは超越神は捨てていないと思います。
「超人」概念自体が、新たな人格紳であり、新約聖書的イエス像の反転であると思うからです。

で、さらに私の言う「ニーチェが捨てていない宗教性、キリスト教的なるもの」とは、
ルサンチマン的なキリスト教道徳ではありません。
超越神信仰や、超越紳信仰に支えられた、ドイツ的なキリスト教的世界観です。
>>389に書きましたが、世界観とルサンチマン道徳・神学とは別次元の問題だと思います。
ルサンチマン道徳を否定したとしても、世界観においてはキリスト教を肯定していると思います。
なぜならば、「真理への意志」を完全に否定するとしたら、
ニーチェは自分自身の言説の真理性を主張できなくなりますし、
なんらかの世界観を採用しなければ、世界について語ることはできなくなります。
ニーチェ思想は常に反転を要求されますので、全否定と捉えるのは危険だと思います。
私は、ルサンチマン自体も最後は肯定されていると思いますので、
私は否定は部分否定として、捉えるようにしているのです。

ここはスタイルの違いになってしまい、相容れないかもしれませんが、
で、じゃあ具体的にはどういうことかを、
以下「力への意志」とショウペンハウアーに準拠する形で試みたいと思います。
422あげぞ:04/01/19 05:16
「力への意志」の文脈と絡むショウペンハウアーの言説で最も重要だと思われるのは、
「物自体」に関する評価です。以下、単純化して要約しますと・・・・・・



【ショウペンハウアーの「意志」観】
物自体は、原的意志であって、時空間などの個体化の原理の外にある。
つまり、「盲目的な生存意志」(blinder Wille zum Leben)である。
この盲目的意志は限りない欲望を求めるので、人間は常に満たされず、人生は苦痛となる。
この盲目的意志から解脱する手段が、美学と倫理学である。



美学としては「音楽」が最も評価され、
倫理学は「同情による愛と正義」「意志否定による解脱」が唱道されます。
初期ニーチェが採用したのは、美学としてのギリシャ悲劇とヴァーグナーでした。

そして最終的に、これに対する後期ニーチェの反論とは、シルス・マリーア体験、
「人生は苦痛ではない」という確信から来ます。
「盲目的な生存意志」を否定的に捉えず、肯定的に捉えようとする意図にあります。
そこで閃いたのが「力への意志」(Wille zur Macht)という発想で、
厭世観を自然科学思想によって克服しようとしたのだと思います。
423あげぞ:04/01/19 05:17
というのは、>>373>>376>>379>>403ですが、
行為論における主体と作用の区別を否定し、存在と生成の一致、
ハイデガー的に言えば「力への意志の無制約的な主体性の形而上学となるかと思いますが、
ここでショウペンハウアーに戻れば、「力への意志は物自体に宿る」となり、
最終的に「物自体と力への意志の区別はない」となります。

これはライプニッツのモナドだと思います。
私はドゥルージアンではありませんが、モナドと解釈すべきでしょう。



【ライプニッツのモナド】
部分のない単純実体。
形而上学的点と言われる。
原子と違って非物質的、精神的な本性を持ち、表象と欲求を持つ。
生物の統一性、自己同一性の原理、あらゆる活動力の根源。
しかし、同時に、それぞれの視点から宇宙全体を表現している。
「一にして無限、無限して一」という存在の単位概念。
424あげぞ:04/01/19 05:18
>>373には点と線によって運動を表す趣旨の引用がありましたが、
微分法の発明者であるライプニッツは、無限の問題に至ります。
古来、「無限」とは、「神」の別名です。
無限なる神を規定することができない故に、否定神学が生まれ経緯もあります。
そして、
「全体性であると同時に、個別性でもある存在」を志向したライプニッツは、神と自然世界を引き離しますが、
スピノザのように「神即自然」(Deus sive natura)となると、汎神論となります。

こうした、「無限なる普遍的理性」(神)と「有限なる経験的個物」の一致という構図は、
ドイツ神秘主義以来紡がれるドイツ哲学思想のまさにドイツ的なる部分であり、
理性に傾きすぎるフランスと、経験に傾きすぎるイギリスという二国に対抗する、
文化的なナショナリズムとして系譜的に流れている世界観です。

私はここにおいてニーチェがキリスト教的世界観に規定されていると考える次第です。



・・・・・・ということで時間切れになりました。申し訳ありませんが詳しくは後日ということで・・・・・・。
4251b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/19 07:40
>>421
超人は遠近法の焦点のようなものだと思っているんだが。
つまり、ある種のスローガンであってそこにニーチェの宗教的バックグラウンドが
繁栄されているとしても、どの方向へ「超える」かということは既定していないと思う。
426考える名無しさん:04/01/19 22:52
>>418
>2 フィヒテ的自己意識主義・独我論・解釈至上主義(「認識>存在」認識優位説)
>4 自然科学的・素朴実在論的?客観主義

ニーチェには、この二つの水準があるように思える。
前者が非・理性的な意思-目的(終わり)として、後者が理性的な思考-方法論(道)として、と
今我々の視点で見ればそう見えるかもしれないが、そもそも、果たしてニーチェの中で、
認識論と存在論という枠組み自体が重要だったのかどうか。
427346-348:04/01/20 01:29
>>418
>まずはじめに皆さん(特に346-348さん)に質問があるのですが、
>ニーチェが考えていた認識論と存在論はどんなものだと思いますか?

ニーチェの哲学では認識論と存在論は分けられないのではないかと思います。
「力への意志は解釈する」そして「存在するのは解釈だけである」と言われているように、
解釈作用そのものである力への意志の作用連関において初めて、世界と呼ばれるものが
形成されるのだと思います。
「あらゆる力の中心は、残りのもの全体に対してその遠近法を、すなわちその極めて
特定の価値づけを、その作用の仕方と抵抗の仕方を持っている。
それゆえ『仮象の世界』は、一つの中心から出て世界に働きかける特殊な作用の
仕方に還元される。いまやそれ以外の作用の仕方は全くない。そして『世界』とは、
このような諸作用の遊戯全体を表わす言葉であるにすぎない」(遺稿)。
ニーチェの遠近法主義は、常識的遠近法におけるような、
「客観」を外から「主観」的に色づけるようなものではありません。
なぜなら、解釈から独立自存するいかなる「世界自体」もなく、
解釈の「主体」もないからです。
428346-348:04/01/20 01:30
>>421
>ルサンチマン道徳を否定したとしても、世界観においてはキリスト教を肯定していると思います。
>なぜならば、「真理への意志」を完全に否定するとしたら、
>ニーチェは自分自身の言説の真理性を主張できなくなりますし、
>なんらかの世界観を採用しなければ、世界について語ることはできなくなります。

「存在するのは解釈だけである」というニーチェの言葉はしばしば、相対主義であるという
非難を招く。すなわち、ニーチェの遠近法主義もまた、一つの遠近法的解釈にすぎない、と。
それに対してニーチェは次のように答える。
「もしこれもまた解釈にすぎないと仮定するならば・・・そうすれば君たちはこれに反論しようと
躍起になるだろうか?・・・それならますます結構だ」(『善悪の彼岸』)。
429346-348:04/01/20 01:32
>>422
>初期ニーチェが採用したのは、美学としてのギリシャ悲劇とヴァーグナーでした。
>そして最終的に、これに対する後期ニーチェの反論とは、シルス・マリーア体験、
>「人生は苦痛ではない」という確信から来ます。
>「盲目的な生存意志」を否定的に捉えず、肯定的に捉えようとする意図にあります。
>そこで閃いたのが「力への意志」(Wille zur Macht)という発想で、
>厭世観を自然科学思想によって克服しようとしたのだと思います。

ショーペンハウアーは、「物自体」としての意志と「現象界」とをはっきり区別している点で、
プラトン、カントの流れを受け継いでおり、ニーチェが二世界論として批判する
従来の形而上学に含まれると思います。

また、ショーペンハウアーが、世界は意志の抗争の場であるとする点では
ニーチェと同じですが、ショーペンハウアーはそこから苦が生じることを強調し、
そして意志が激しいほど苦が増大すると考え、意志を滅却することによる「涅槃」が
めざされる。
それに対してニーチェの「力への意志」には「上昇する力」と「衰退する力」
という強弱の差異があり、衰退する力には「苦」と感じられる刺激でも、上昇する力には
「快」と感じられることがあり得る。

ニーチェは、苦は二次的な随伴現象に過ぎないことを度々強調しています。
「勇気があり、創造力のある人間は、快と苦を決して究極の価値問題とはみなさない。
快と苦は随伴状態である。人が何かを達成しようとするとき、人はその両方を
欲しなければならない」(遺稿)。
そして随伴現象に過ぎない快と苦を中心問題とする思考法は、
退廃的な生に特有な思考法だとニーチェは見なす。
「快楽主義であれ、厭世主義であれ、功利主義であれ、幸福主義であれ、快と苦、すなわち
副次的な事柄である随伴状態によって諸事物の価値を測るこれらすべての思考法は、
表面的な思考法であり、素朴である。形成する諸力と芸術家的な良心とを自覚している者ならば
誰でも、これらの思考法を冷笑と同情なしには見下ろすことがないであろう」
(『善悪の彼岸』225)。
430346-348:04/01/20 01:33
仏教についても、キリスト教と比較して高く評価はしているものの、
ニーチェは仏教も「デカダンス宗教」であるとしています。
それは仏教が、苦からの解放ということを中心問題として始まり、発展してきたこと、
そのこと自体がニーチェの考え方からすれば、弱さの現れであると思えたのでしょう。

力への意志が自己超克の意志である以上、それは常に抵抗にぶつかり、
必然的に苦痛の感覚を引き起こす。
「現在の個人にとっては、彼が未来を決定する力を多く持っていればいるほど、
苦しみが生じる。これが苦しみについての最も深い解釈である。すなわち、
形成する諸力がぶつかり合うのである」(遺稿)。
そしてこの苦痛は、新たな創造の内でしか救済されず、また、新たな創造のためには
苦痛を欲しなければならないとニーチェは考える。
「創造、それは苦しみからの大いなる救済であり、生きることを軽やかにする・・・
創造者が新しく生まれてくる子供であるためには、彼はまた同時に、産婦となり、
産婦の苦痛となることを欲しなければならない」(『ツァラトゥストラ』)。

このニーチェの「ディオニュソス的肯定」の思想において「苦」は、
「力」および「創造」と緊密に結びついており、力への意志の自己超克において苦は生じ、
力への意志の自己超克において苦は救済されるのだと思います。
431346-348:04/01/20 01:49
>>423
>これはライプニッツのモナドだと思います。

モナドについて、ニーチェは次のように述べている。

「持続的で究極的な単一体は存在しない。アトムもモナドも存在しない。
ここでもまた、まず我々によって、『存在者』が置き入れられているのだ』(遺稿)。

「力への意志」には、反原子論、反単子論という側面もある。
432426:04/01/20 01:49
ああ、そう書いたけど、ニーチェは自然科学の素朴実在論的?客観主義というのは
あちこちで否定はしているね。例えば、『道徳の系譜』の第24節などでも言及している。

科学というのは禁欲主義的理想そのものに対する信仰なのである・・・
・・・それは一つの形而上学的価値、真理の価値そのものに対する信仰なのであり・・・
厳密にいって、<無前提>の科学などというものは何一つありはしない。
一つの哲学・一つの<信仰>がつねにまずそこになければならないのであって、
そこからしてはじめて科学は一つの方向、一つの意味、一つの限界、一つの方法、一つの
生存権を得るのである。
禁欲主義的理想の神に対する信仰が否定されるその瞬間から、新しい問題もまた生じる。
それはすなわち、真理の価値いかん、という問題だ。
すなわち、ためしに一度は真理の価値を問題にしなければならぬ・・・

この辺のニーチェの考え方は、その後の科学哲学的テーマに繋がるものではないのかって
気もする。とはいうものの、それは、理性を批判するのには結局理性に依拠するほかはない、
というお決まりの構図なのであって、それはニーチェの意図においてはさして重要な問題とは
思われないんだけれど。
事実というものはなく、解釈しか存在しない、というのも、何も独在論のためのものではないでしょ?
433考える名無しさん:04/01/20 02:45
ニーチェの主体は「力域」という形態を取る。
434考える名無しさん:04/01/20 03:55
域と場は異なる概念か?
435あげぞ:04/01/20 05:23
すみません、時間がないのでレスを飛ばさせて頂きますが、
とりあえず近々のものだけにさせて頂きます。

>>433さん、>>434さん
仰るとおりでして、「域」と「場」ってどれほどの違いがあるのでしょうか?
モナドは明らかに「場」、
構造主義生物学の言葉を借りると「限定空間」、
伝統的な哲学概念だと「私の外と内の区別」ということなるかと思うのですが、
域というのは「ゆるやかな限定空間」というほどの意味でしかないように思います。
つまり、ニーチェはモナドとの差異を主張しても、レトリックの問題であって、
実質的な違いはないように思います。
436あげぞ:04/01/20 05:24
そこで、

>万物は「力域」における生成作用であり、「場」における存在者ではない、

という言い方になるかと思うのですが、これは完全にドゥルーズではないでしょうか?
すべては「力の量的差異」に還元され、質的差異というものはそもそもあり得ず、
自然科学を下敷きにした力学的・機械論的世界観となります。
で、こうなってくると、「力への意志」ではなくて、「力の意志」でしょう。
「力の意志」は、「力の量的差異」である、という結論になります。
>>429のように、「快苦」も「力の量的差異」となるでしょう。

で、個人的には、わざわざ「力への意志」となっているのですから、
「力」と「意志」は別物ではないかと思います。
結局「個物に主体はないけれど、世界意志に主体がある」という、
ショウペンハウアーの世界意志観を引きずっていると思うんですね。
437あげぞ:04/01/20 05:25
>>426さんの
>そもそも、果たしてニーチェの中で、
>認識論と存在論という枠組み自体が重要だったのかどうか。

や、346-348さんの>>427

>ニーチェの哲学では認識論と存在論は分けられないのではないかと思います。

のように、実はあまり重要視されないことが多いです。
ただ、私がここにこだわるのは、
ここが哲学史におけるニーチェの思想的弱点でして、
伝統的な認識論や存在論の問題に対して明確に立場を表明しなかったので、
「こいつは哲学者としては失格」
という烙印を押されがちだからです。
この問題を解釈してあげないと、ニーチェは西洋哲学の歴史の中で、
結局は理解されないまま、通俗的な位置を占めて動かないように思うからです。
そういう意味で、よろしければ皆さんにも参加して頂ければ、と思った次第でした。
438あげぞ:04/01/20 05:25
で、1つだけ分かったことですが、346-348さんの少し立ち位置が分かってきたように思います。
主な引用が遺稿中心になされているようですし、後期ニーチェ、
かなり晩年のニーチェという視点からニーチェを捉えられているように思います。
ちくま文庫の解説によると、信太正三氏は『ツァラトゥストラ』を頂点とし、
ハイデガーは『権力への意志』をめぐる晩年の思索をクライマックスと考えますが、
ハイデガーの立場に近いということでしょうか?
フッサールに初期と末期があり、ヴィトゲンシュタインも前期・後期あるように、
ニーチェにもいろいろあって、全体を流れる文脈を追えればと思っているのが私です。
「力への意志」をめぐる考察は実は出版されていないという問題も残りますし、
「この人を見よ」の序言では「ツァラトゥストラ」が独自の地位を占めると書いてあります。

ということで、ニーチェ思想を理解するには、ニーチェの諸言説全体を常に並行的に見て、
各部分を相対化しながら全体に戻る作業が必要であると思う次第です。
各矛盾を論理学的に止揚することはできないでしょう。
しかし、ニーチェの意図や心情を考えれば、諸矛盾を止揚することは可能であると思います。
それ故にニーチェのロゴスを絶対化するのではなく、
ニーチェのロゴスが出てくるニーチェのポジションが何処にあるのかを、
まさに遠近法を駆使しながら探る必要があるのではないかと思う次第です。

すみません、寝ます。
439あげぞ:04/01/20 05:37
>>437>>418の意図についての説明です。お詫び申し上げます。
440考える名無しさん:04/01/20 08:38
>>438
とか言いながら、あげぞという人は、ニーチェを聖列に加えようとしているのではないか?
ニーチェへの解釈学的企図と、その目的との関係が気になる・・・。
あげぞは、神学者のたぐい、キリスト教の手先なのか?
4411b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/20 08:50
>>438
その止揚が「力への意志」であって、あとはそのクラス分けの問題であると思う。
ニーチェの時間軸で追うよりは、力への意志からレトロスペクティブに見ればいいんでない?

ツァラトゥストラが独自の位置を占めるというのは聖書が世界を再構成したように、
『ツァラトゥストラ』がそういった位置を占めるだろうという意味しかないと思う。
the book=『ツァラトゥストラ』になるというような。
442りゅう:04/01/21 00:11
そもそも、ルサンチマン(怨恨感情)をもつことはいけないことなのだろうか?
ルサンチマンから解放されるなんてことはそんなに尊いことなのだろうか?
443考える名無しさん:04/01/21 00:15
みっともなくないか?ルサンチマン。爽やかルサンチマンもあるかも
しれんけど。
444りゅう:04/01/21 00:27
表面に出さなければみっともなくもないだろう。単に怨恨感情を
いだいてるだけなら他人からは分からんではないか。

もちろん怨恨感情過多では社会生活に支障をきたすだろうが、多
少世の中憎んでるくらいがちょうどいいのではないだろうか?
445考える名無しさん:04/01/21 00:43
取っぱらえとは言わんけどよ。揚げ足取りや引き摺り下ろしに走るのは
みっともなくないか?
446考える名無しさん:04/01/21 00:55
☆キキ+キ゚Д゚♪の天才哲学しか必要無い!
天才に触れたかったらこのホムペに来い!

http://jbbs.shitaraba.com/computer/9746

みんな言い訳するのに必死になるからな (´゚c_,゚` )
天才が2ちゃにいるってケースは初めてだからな (´゚c_,゚` )

そろそろ考えるという戦いをしたらどうだ? (´゚c_,゚` )プッ
447roka:04/01/21 03:46
>りゅう
MLの紹介ありがとよ。俺は確かにヤク厨だけど、怖そうだから入らねーw;

ルサンチマンってのは、怨恨が無意識下に抑圧されて価値を転倒させて
しまった時に完成するもんでそ。
自分で、「俺はルサンチマン持ってる」ってことがわかってるなら、むしろ
いいんでないの、ってのが俺の考え方。

448あげぞ:04/01/21 05:09
>りゅうさん

>>411ですが、
>倫理(倫理学・ethics)とは本質的に個人の生き方を
>問うものですから、社会規範即ち道徳とは異なるということです。
まず、そうなると、「医療倫理」という言葉の受け取り方が難しくなりそうですね。
医者と患者の一般的な関係について考えるのがその趣旨のような気がしますので。
それから、「倫理」と「倫理学」とは別物とされることが多いのではないでしょうか?
当時は深く考えませんでしたが、昔、哲学科の教授が言っておりました。
「倫理学」となると倫理・道徳を含めた「実践哲学」という意味になるかと思います。
「倫理」だけだと、おそらく違う定義が書いてあるのではないかと思います。
で、繰り返しになりますが、実際に「それをするのは善い」となっているものには、
「道徳」と「倫理」にあまり差がない場合が多いですね。
ですから「倫理」は十分社会規範だと思います。
で、日本語における「道徳」というのは儒教から来た言葉ではないかと思います。
「徳の道」ってことではないかと思いますので、「君子学」的な意味合いもあるのではないかと。
もちろん私の定義はニーチェに準拠した?極めて特殊なものなので、
やはり「倫理」と「道徳」とは境界が難しくなると思います。
単独スレッドを立てる価値があるのではないでしょうか?

それから>>442ですが、
マックス・シェーラーも間違えて使っていましたが、
「ルサンチマン」というのは「価値の価値転換」、
貴族道徳と奴隷道徳の逆転を引き起こすような感情ですので単なる怨恨感情ではないと思います。
気が付いたらrokaさんの>>447で補足していらっしゃいました。
449あげぞ:04/01/21 05:09
>rokaさん

>>409>>410ですが、「相対化」というのは本質的に「疑う」という意味ではないかと思います。
私は最近のシュミラークル?とか動物化?とかは全然わからないタイプの人間なのですが、
現代社会が情報統制されていたり、見えないところで管理されていたりするのを嘆いても、
まあ実質的にはどうしようもないんじゃないかと思います。
「現実的には人々がナイーブ?に」というのが基本的な生活のあり方にならざるを得ないわけで、
私としては管理されていようが管理されていまいが好きなことをやる以外ないかと思っています。
これは結局「自由とは何か?」という問題だと思います。
私はどこかで書きましたが、私の人格にふさわしい行動をするだけです。
「自分を好きになる」ということでしょうか?
450あげぞ:04/01/21 05:10
>1bさん

1bさんは、「力への意志」を中心に考えていらっしゃるようですが、
>>401>>402との絡みから少し書かせて頂きます。
『悲劇の誕生』の第10章で、エウリピデスの話になりますが、以下のような表現があります。

『存在するものはすべて一に帰するという根本認識、
個別化を持って災厄の根源と見なす見解、
個別化の呪縛は破りうるというよろこばしき希望としての、
統一は回復せられるという予感としての芸術』

これは「真に実在する一人のディオニュソスが、多数の人物となり、主人公の仮面を付つけ、
いわば個別的意志の網に絡まれて現象するから苦悩になる」という文脈です。

ショウペンハウアーの文脈に乗れば、世界意志=ディオニュソスであり、
当時から「個体化されること」そのものへの敵意があったということだと思います。
つまり、世界意志=ディオニュオソスは全体としてあるべきであり、
全体性にこそ苦悩から解放された自由・肯定がある、という流れかと思います。
それにニーチェは「個体化されること」を極力嫌い「生成」を主張するわけですが、
結局は>>403における346-348さんのご指摘の通り「存在者=生成作用」ということに落ち着きます。

何が言いたいかというと、
ニーチェがずっと抱えていたのは、「生成を肯定したい」という欲求だということです。
これは後々「永遠回帰」思想としてより形而上学化されます。
で、ニーチェは「生成を肯定する」論理が閃いたのだと思います。
「力への意志」というのは「永遠回帰」を裏付けるための理論武装ではないでしょうか?
>>407における「生成の無垢」という表現のように「生成の肯定」がまずあって、
それが「力への意志」を伴った「永遠回帰」になって結実したということではないかと。
で、晩年のニーチェは理論武装としての「力への意志」を、
より科学的に証明しようと躍起になっていたのではないでしょうか?
451あげぞ:04/01/21 05:14
>346-348さん、いきなり>>430ですが、直前の流れを受けて、

>このニーチェの「ディオニュソス的肯定」の思想において「苦」は、
>「力」および「創造」と緊密に結びついており、
>力への意志の自己超克において苦は生じ、
>力への意志の自己超克において苦は救済されるのだと思います。

内容的には全く意義はないのですが、
中心として「力への意志」を持ってくるかどうか、でやはり意見が分かれます。
つまり、「個体化の原理」を離れることが即ち苦からの解放であり、
存在者であるよりも生成作用として自分を感じることが自己超己=自己更新である、と。

で、私が「力への意志」という理論よりも「生成の無垢」という願望を優先するのは、
まさにニーチェがロゴスとか真理なんて人間の都合に過ぎないと批判したからです。
ニーチェの主張に、ニーチェ的批判を加えれば、
「ニーチェの願望や直感が理論に先行する」ということになるのではないでしょうか?

で、ハイデガーではないですが、
おそらく「力への意志」こそがニーチェの個体に関する存在論(仮説)でして、
「力への意志」の作用によって認識が生まれる、となると思います。
ただし、世界意志=ディオニュソスというスピリチュアルな絶対的存在者も同時にいるだろうと。
個人的には>>418ですが、ヘラクレイトスの名前が挙がったり、
ギリシャ哲学を講義したりするので、
ニーチェの願望としては「3 存在>認識」なんじゃないかな、と思うのですが、
実質的には1〜4までどれでも行けそうでして、
レトリックの哲学者とか言われてしまいそうなのが残念ですね。

果たして>>426さんにお答えできているかどうか分かりません。

>>440さん、私はただのサラリーマンです。
4521b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/21 06:15
>>450
ニーチェ自身の意図はおいといて、力への意志を前提とすれば、
力への意志から見ていけば、全体がつかめるという話ですよ。
>>441に書いたのは。
4531b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/21 10:29
分かりにくいかと思うので、補足します。
>>277に「ニーチェを統一的に理解したい」と書いておられましたが、
そのためにはニーチェの生きた時間軸で捉えるよりは
晩年に達した力への意志を前提とした方がやりやすいかと思うのです。

(やりきれない書物と『この人』で本人も言ってますが)『悲劇の誕生』を解釈し
なおすならば、ロマン主義(こんな用語があるかは知りませんが)の一なるものへ
の回帰という「理想」は当時のドイツの文化圏に於いて標準のものであってニーチ
ェの根底にそれを見出すべきではないかと思います。その後「麻酔剤的芸術」とし
てワーグナーを分離していますし……。『悲劇の誕生』の提起するところは「ギリ
シア悲劇」を焦点とする価値の本質を掴む上でエウリピデスがソクラテスの系列か
ら非難されるということになります。
454考える名無しさん:04/01/21 19:51
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/net/1074603420/l50

ニーチェ厨が暴れてます、意見をどうぞ。
455考える名無しさん:04/01/21 20:06
>>454
1.ハエタタキになるのが君の運命でないなら……(   )。
                    ツァラトゥストラ第二章より
1.逃れなさい。
2.端で摘まめ。
3.手で潰せ。
456考える名無しさん:04/01/21 20:09
2.ツァラトゥストラが「都会」で出会ったのは?

1.猿
2.試みる者
3.ダイモン
457りゅう:04/01/21 23:54
rokaさん

あのMLは別に怖くないぞ。そしてなぜか女の子の参加者がやけに多いMLだ。

>ルサンチマンってのは、怨恨が無意識下に抑圧されて価値を転倒させて
>しまった時に完成するもんでそ。

それは違うな。ルサンチマンは「弱者が強者に対していだく怨恨感情」であり
心理現象であるはずだ。ルサンチマンによる価値転倒により「キリスト教道徳」
「キリスト教の影響を受け変質してしまった道徳」が成立したとニーチェは言
ってるわけで、キリスト教道徳はルサンチマン的(なもの)であるとはいえる
かもしれないが、キリスト教道徳=ルサンチマンなんて決していえないだろう。
ルサンチマンは社会規範ではないからね。

ところで、ニーチェ主義者からたびたび「ニーチェはルサンチマン的ではない」
なんて主張がよくされるわけだが、ルサンチマン的だったらいけないのだろうか。
ニーチェの価値が下がってしまうのだろうか?

もちろん俺は「ニーチェ思想はルサンチマンの塊である」派なんだけどね。せい
ぜい言えるのはニーチェは自分がルサンチマン的であることに自覚的であったと
いうくらいかな。しかし、自覚的であろうがなかろうがルサンチマン的であるこ
とに変わりはないわけで、「自分が馬鹿であることを知ってるから馬鹿でない」
なーんていう論理は俺は認めない。
458りゅう:04/01/21 23:56
>あげぞさん

なんか論点がずれてるぞ。現在、巷では倫理や道徳という言葉がどのように使われ
ているのでしょう?とかそういう話をしてるわけではないだろう。それなら、日本
であろうと外国であろうとほとんど区別なく使われているんじゃないか?少なくて
も日本では倫理と道徳を同じような意味で扱うケースも多い。

また、英英辞典を引いてみても明確な違いなんてのはよく分からないくらい同じ説
明がなされてある。ただし、現在でもethicsの意味にはthe branch ofphilosophy
that deals with moral principlesの意味はあるみたいだ。

前投稿は、俺の「倫理」や「道徳」の用法が非常に日本的であり、むしろethics
の訳語は道徳のほうがふさわしい。という君のレスに答えたものだ。そもそも倫理
を辞書で引けば倫理学の略語と書いてあるだろうし、高校の「倫理」という科目の
教科書を見れば倫理とは何か書いてある。そもそも、日本では君も認めるように倫
理は「人はどのように生きるべきか?」を問うものとしても使われているはずだ。

というか、私のレスの結論だけを抜き出して、君はいったい何に反論してるのだ?
4591b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/22 02:18
>>457
横からちょっと、一言。

この「ルサンチマン」というのは生へのそれであって、人間の心理一般に拡大して
いわゆる「反感」までもルサンチマンに含めてしまうと、ニーチェの価値はともか
くニーチェの用語として語る価値は無いと思いますが……。

4601b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/22 02:21
なんか嫌味な文章になりましたが、他意はないです。
461考える名無しさん:04/01/22 18:29
ニーチェ読んでると老子や荘子も欲しくなる。

個人的には東洋哲学ヽ(´ー`)ノマンセー
462あげぞ:04/01/23 04:21
>前投稿は、俺の「倫理」や「道徳」の用法が非常に日本的であり、
>むしろethicsの訳語は道徳のほうがふさわしい。という君のレスに答えたものだ。
本当は相応しくないと思っているんです。
「ethicsの訳語は道徳が相応しいかもしれませんね」というのは、
実は婉曲的に反語の意味を込めていました。
日本で使われている「道徳」という言葉は非常に曖昧で、
>>257でりゅうさんがそういった日本の生活常識的な文脈で定義しているように思われたからです。
佐藤俊夫が書いた『倫理学』(東京大学出版会)という本があります。
これはもうすぐ50刷くらいになるような教科書ですが、
その最初の部分に「倫理」「道徳」「人倫」の区別の話がありますので是非読んでみてください。

「倫理」というのは、もともとは「礼記」から来ています。
実際道徳の規範となる原理というような意味です。
一方「倫理学」というのは、井上哲次郎が当てたethicsの訳語で、
「社会的存在としての人間の間での共存の規範・原理を考究する学問」のことです。
で、そのあたりの話は『エチカとは何か?−現代倫理学入門−』(ナカニシヤ出版?)の、
序文に書いてあったような気がします。
「道徳性と人倫性」というような項目もあったと思うのでこちらも是非読んでみてください。
道徳性を重んずるのがカントで人倫性を重んずるのがヘーゲルだという文脈です。
いわば個人の行動原則と社会性との対立という問題です。

で、「倫理学」には主に2つの立場があり、
アプリオリな永遠不変の絶対的な法があると考えるのがプラトンやカントで、
社会的合意による相対的なものとして考えるのがアリストテレスや功利主義などの英米系思想です。
およそ「倫理学」について言及する場合には、「個人性か社会性か? 普遍的か相対的か?」
という問題を意識しながら進めるのが前提であると思います。
463あげぞ:04/01/23 04:23
結局私はずっとりゅうさんの文脈を追えてないのです。
例えば>>250の以下の文章はかなり曖昧すぎると思うのです。

>少なくとも社会性を拒否しているとは言えると思う。倫理が「人(個人)
>は如何に生きるべきか?」を問うものであるなら、社会性が拒否される究
>極的な水準というものが想定される。それを肯定している(問うている)
>意味で反社会的と言えるだろう。

倫理は「社会的に他者と共存する」ということを前提としますので、
倫理において「社会性が拒否される」ということはそもそもあり得ないです。
むしろ、道徳において「社会性が拒否される」状況が生じます。
「人は如何に生きるべきか?どのような生き方をすることがよい生き方なのか?」
というのは倫理と道徳に共通の到達点ですが、
そこへたどり着く過程が異なることを意識してほしいのです。

こういった用語をなるべく厳密に使用するという問題は、哲学においては不可欠の作業です。
そもそも哲学は「問いを立てて、概念を生み出す」という営みですので、
概念が曖昧だと理解も曖昧になります。
このあたりはドイツ語のBegriffとbegreifenの関係が有名です。

それからここはニーチェスレですので、
まずはニーチェ風、少なくとも西洋哲学の文脈で考えるのが筋ではないかと思うのです。
例えば「ルサンチマン」というジャルゴンの使い方です。
『道徳の系譜』に準拠する形であるべきだと思うのです。
永井均の通俗的な解説書がありますが、あの本はニーチェとのズレが多いかと思います。
464あげぞ:04/01/23 04:24
で、じゃあ信頼できる解説書はないのか?という問題がありますが、これは難しいです。
最近清水真木という人が講談社メチエ?あたりでニーチェ本を出しましたが、
書店でサラッと流し読みしたところ、
この人も「自分がニーチェを研究したのは、決定的な解説書がないから」と書いています。
ちくまの文庫が出たときに竹田せいじ?がプロパガンダとしてちくま新書で出しましたが、
これは比較的マシだったように覚えています。
ただし他と比べてマシというだけで、原典を読んでいる人々と比べるとかなり落ちます。
ミュラーラウター(でしたっけ?)の本が研究者からは重宝されていた時期もありました。
個人的には原佑の本が最も整理されていると思いました。

で、ニーチェを研究する場合には、ニーチェの「人となり」に迫らないと失敗すると思います。
自分の問題意識も持っていないと、ニーチェとの格闘は徒労に終わる可能性大です。
文献学的に、劣化コピーのような論文が積み上げられるだけです。
そもそも清水真木という人も、本人は開眼したと思っているようですが、そうとう怪しいです。
この人が大学院にいる頃の論文を読んだことがあるのですが、
確か『初期ニーチェにおける模倣(ミメーシス)の問題』とかいうような、
どこに中心があるのか分からないようなものでした。
ニーチェを扱いかねて、仕方がないからロマン主義とアリストテレスの文脈に乗せて語る、
という方法しかなかったようで、実際やむを得ないことだと思います。
それぐらい、ニーチェをアカデミズムの西洋哲学研究としてしっかり扱うのは難しいと思います。
(ドイツ文化論とかなら別です)
そう言えばNHK出版のシリーズとしても解説本が出ていたように思いますが、
なんか永井的なタイトルだったような気がしますので手に取りませんでした。
465あげぞ:04/01/23 04:25
ちなみに清水真木は1887年ころに書き直した序文群と、
ルー・サロメのニーチェ論を指針としたようです。
「力への意志」を指針とするのも非常に有力だと思います。
一方私は『悲劇の誕生』に答えがほぼすべてある、と思ったりします。
『悲劇の誕生』は訳の分からない、どうしてそうなるのか分からない本です。
ですが、ニーチェの願望がよくよく現れている本だと思います。
哲学研究において、哲学者の生涯や性格や価値観を重視する立場の人なら、
『悲劇の誕生』という作品の生々しさは、苦々しさは感じ取れると思います。
およそ哲学者や小説家には、ある程度処女作に回帰する傾向があります。
出発点が何処にあったのか、確かめてみる作業は無駄ではないと思っています。
466考える名無しさん:04/01/24 13:35
NHK出版の神埼のは面白いぜ。永井の『倫理とは何か』も凄いぜ。
読みませう。
467あげぞ:04/01/25 02:26
ええと、存在と生成との関係について、サンプルとして「これなんかどうだろう?」
というのがありますのでご紹介していきたいと思います。

『相対主義の極北』を書いた入不二基義による伊藤和夫の英語研究です。
http://web.cc.yamaguchi-u.ac.jp/~irifuji/hutatsunochouten.html
ニーチェとは直接関係ないかもしれませんが、ヒマがあったら読んでみてください。

ちなみに『相対主義の極北』という本にはニーチェ的相対主義は出てきません。
相対主義的思考と実在論的思考の論理構造が究極的に一致する(似ている)、
というような話だったと思います(あんまり自信がありません)。



>>466さん
できればどのあたりが面白かったか書いて頂けるとありがたいです。
どういう切り口で始めているのか、ニーチェをどう語ろうとしているのか、
やっぱり解釈者の欲求に従うような解説本なのでしょうか?
468考える名無しさん:04/01/25 06:25
欲求を広く解釈すればそうだが、俺は正直だなと感じた。
469考える名無しさん:04/01/25 06:54
入不二は分析哲学者でヘーゲリアンだからな。
470考える名無しさん:04/01/25 07:07
「倫理とは何か」いいぞ。永井解釈、永井哲学だけど、本質をえぐっちょるよ。読め。
4711b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/25 12:23
>>465
実際、ニーチェのことを「生のギリシア悲劇化」という風に捉えると
永劫回帰は、生の運命化であり、超人はその主人公でありという風に
とても分かりやすいんだけれども、そのやり方だとギリシアが()の
中に入ってしまうのよね。
力への意志というのもギリシア悲劇を微分したようなものだといえば
そうだけれども。
472あげぞ:04/01/26 05:32
>1bさん
『悲劇の誕生』で主張されていることを強引に要約すると、

「ディオニュソス的に行動することを肯定することにより、
個体化の原理・個体的存在を抜け出て、人生の苦しみから解放される」

となりそうです。

で、なんでニーチェが「人生の苦しみから解放される」ことにこだわるかというと、
ニーチェは子供の頃から偏頭痛に悩まされていた人で、
(だから偏頭痛の原因は梅毒ではないと思うのですが)
何でこんなに自分が苦しまなければならないのか神様を恨んでいたのかもしれません。
で、ニーチェには「健康」へのあこがれが生じます。
鬱々とした寒々しいドイツやスイスよりも、イタリアの陽光を望むようになる。
重苦しい体系を捨ててアフォリズムに徹する。
ニーチェが良しとするのは「軽さ」である。

とまあ西尾幹二とか清水真木がやりそうなまとめ方です。

で、こういう解釈って、どうなんでしょう?
そこそこ哲学者の実生活に依拠していて、それなりに説得力があります。
初期の文献を丁寧に引用しているので、学術的にはケチをつけることができません。
ただ、こういった「文献学的手法」に対して感じるのは、
「通俗的に哲学者の一生を回顧して、常識的に哲学を解釈しましょう」という安易さです。
当人にしか分からない問題というものがあると思いますし、
また、「哲学者の実生活と哲学とはまるで別物として考えろ」という立場の人もいます。
私は、ニーチェの健康問題にこだわりすぎるの方法は、
ニーチェを扱いかねていることの証左である、と感じることが多いです。
473あげぞ:04/01/26 05:33
http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi/TmpFile.exe?TMP_FILE=book_r1075060795_28432.html
↑は清水真木のドクター論文の評価ですが、最後に以下のような一文が出てきます。

>以上の論述は、徹底的に文献的な手法によって貫かれ展開されており、
>その間の哲学的な議論に関しては、なお不十分の感を免れない。
>しかし、ニーチェの時代区分に関する主張はきわめて説得的であり、
>ニーチェ研究に一石を投ずることは疑う余地がない。
>よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するに値すると判定する。

つまり、哲学科の教授陣としてはやはり「哲学的に」語ってほしいのだと思います。
この「哲学的に」とは「西洋哲学史の文脈の中で」という意味だと思います。
ニーチェの言説をすべてニーチェその人に内在化させてしまう方法は、
ニーチェに興味のない人からはそっぽを向かれてオシマイでしょう。

私は「西洋哲学史の文脈の中で」語ることこそが、
哲学系のニーチェ研究で求められるスタイルだと思うのです。

「文献学的手法」はニーチェがわかりやすくなりすぎます。
以上の意味で、私は1bさんに同意します。
474あげぞ:04/01/26 05:34
ニーチェが「真・善・美」の中で一番重視するのは「美」だと思われます。
「歌う」「踊る」などと主張するのは、芸術を至高存在とする典型的な例でして、
それは何故かと言えば、「認識と存在」の関係は、
最終的には「分析的・普遍的に語りえないもの」として自覚していたからだろうと思います。
なので「感覚的・個別的に語る」ことを選ぶべきであるという明確な意志があって、
本格的な理論書をついには出版せずに死んだのでしょう。

ということで『悲劇の誕生』はニーチェの美学書です。
ニーチェは形而上学の理論化を放棄しましたが、美学だけは残しました。
まずは『悲劇の誕生』を美学理論として扱いながら、
そこに現れてくる存在論と認識論に言及していくべきでしょう。
もちろんニーチェ自身は明確には語りませんでしたが、解釈することはできるでしょう。
そこで出てくるのは「生成と存在の関係」であると思います。
しかし、ハイデガーのような「存在」概念への志向性を持つ人間よりは、
ベルクソンのような「持続」概念への志向性を持つ人間のほうが、
ニーチェ思想をよりよく理解する鍵になるのではないかと、そんなふうに思うのです。
時代も近いですし「音楽重視」というところから突破できるのではないかと。

で、ニーチェの頃にはまだ「定向的進化論」というものが主張されていました。
「進化は環境という外在的な偶然ではなく、生命という内在的な必然に宿る力による」と、
そんなふうに思われていた時期がありました。
ところがネオ・ダーウィニスムが有力となり、
生命の進化・種の分岐は「突然変異→自然選択」という外在的・消極的な理由によるとされ、
「定向的進化論」は間違いとされてしまいました。
しかし、最近の傾向ではネオ・ダーウィニズムは崩壊したと言っていいでしょう。
生命には「複雑化」へ向かう、進化の方向性があるように思います。
また、生命システムが許容する変異の範囲というものもあります。
それは、再び内在的・積極的な理由がある、とされる時代が来たということではないかと思います。
「力への意志」やモナドもまんざら捨てたものではないと、そんなふうに思ったりします。
475あげぞ:04/01/26 05:35
それからですが、デリダが「言説生産機械」と呼ぶように、
とある問題意識をニーチェに投げ込むと、たいていの問題で反応が返ってきます。
これはニーチェ思想がまだ現代に対してアクチュアリティを持っているということだと思いますが、
これを突き詰めるとニーチェ思想の全体構造がオートポイエーシス的なのではないかと思います。
矛盾を含んでいるので、逆に変化に対応して存続できるというか、
まさに自分の中の「変異」を許容して、
新しい思想として全体像を変貌させる魅力があるのだと思います。
これだけ多くの解釈が生まれるのは、
「柔軟性を持った思想である」
ということに尽き、とりわけ重要なポイントではないかと思います。

まだいろいろありますが、適当に書きすぎましたので、批判が来るかと思います。
今週はちょっと忙しくて書き込めなさそうなので、よろしくお願いします。

なお、例としてあげましたが清水真木氏を悪く言うつもりはありません。
哲学科で求められるニーチェ研究のあり方を説明するためだけですので、他意はありません。
清水氏の活躍を祈っております。
476考える名無しさん:04/01/28 11:35
近所の古本屋で、
渡辺二郎・西尾幹二 編『ニーチェ物語 その深淵と多面的世界』(有斐閣)が
400円で売ってたので即(σ゚Д゚)σゲッツ!! すごく得した気分。

豪華なメンツが揃って書いてるいい本なのに、なんで絶版なんだろうね。惜しい…
4771b© ◆1bBtQE5sBo :04/01/29 03:46
>>473の要旨を読んできたんですが、
要旨にどうこう言うのもなんですが、こんなものでくれるんですね。
>博士(文学)の学位
478考える名無しさん:04/01/29 03:59
>>477
分量も「博士論文にしては少なめかなー」と思った。
4791b© ◆1bBtQE5sBo :04/01/29 04:01
>>478
んー。あれ、要旨ですよ。
どこかにうpしてあるんですか?
480考える名無しさん:04/01/29 04:13
>>479
法政大学出版から博論を出版してた本を本屋で見たの。
4811b™ ◆1bBtQE5sBo :04/01/29 04:30
>>480
「あげぞ」さん? この清水真木って人、日本のニーチェ業界じゃ有名なんですか?
482480:04/01/29 04:32
>>481
私、「あげぞ」さんじゃないです…
4831b© ◆1bBtQE5sBo :04/01/29 04:48
>>482
それはどうも。ところで、有名なんですか? 




484考える名無しさん:04/01/31 07:27
あげぞって椰子は相当のルサンチマン持ちと見た。
研究者になりそこねた自分の怨念をぶつけるの、みっともない。

だいたい、ニーチェについての語りがニーチェ的じゃないってのはどうよ?
485考える名無しさん:04/01/31 14:55
1b ◆1bBtQE5sBo くん、下のようなAAはやめたまえ。
http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1061907778/42
それから、こちらも参照。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1069071583/58
1bというのはルサンチマンの塊の最も反動的な人間、じゃなくてハエだ。
486あぼーん:あぼーん
あぼーん
487あげぞ:04/02/02 00:19
>>484>>485のようなカキコミが起こるのは、
やはり個人名をあげてしまったことにあるように思います。
ということで以後は日本人研究者名をあげるのはやめる方向で進められればと思います。
ただ、「何かを良い」と言うからには、
同時に対照的な「他の何かが悪い」と言ってしまうことにもなると思います。
私はただ単に、ニーチェをトータルに理解したいと思っているだけで、
文献学的なスタイルをあまり面白いと思わないだけです。

>>484さん
研究者としては原佑や黒田亘などを尊敬しています。
獄死した三木清などにも見習うところは大きいです。
永井均に関してはウィトゲンシュタイン研究はとても面白いと思うのですが、
ニーチェ研究は自分とは少しズレを感じます。
永井さんは自分に対するなんらかのコンプレックスが非常に強い人なのかなと思います。
それを私の「相当なルサンチマン」と受け取って頂けるなら光栄です。
私の言葉が>>484さんに通じている、ということだと思いますので。

ただ、
>だいたい、ニーチェについての語りがニーチェ的じゃないってのはどうよ?
に関しては、よく分からないのですが、アフォリズム的に語る、ということでしょうか?
「ニーチェ的」とは何か?
ということが実は難しいのではないかと思うのです。
だからこそ複数の解釈の可能性が生まれるのではないでしょうか?
>>484さんが考える「ニーチェ的」をニーチェ語りにおいて実践して頂けるとありがたいです。
4881b© ◆1bBtQE5sBo :04/02/02 09:35
>>487
その包括的な理解の仕方が良く分からないんだけれども、
例の「ニーチェ占い」で言うとどれとどれか説明してくれると、ありがたかったり。
真・善・美に新しい序列を導入したという意味ですか?
489あげぞ:04/02/05 04:49
>1bさん
返事が遅くなりまして申し訳ありませんです。

ぶっちゃけた話、全部だと思います。
で、とりあえず、これらを「ニーチェ的事実認識」と「ニーチェ的価値」に分けて分類します。
事実認識が価値を生むので、厳密には分けられない場合が多いですが、
例えば永遠回帰や権力への意志といった事実認識が、運命愛という価値を導くと考えてみます。
権力への意志の充実という事実認識が、超人という価値を生んでいるように思えます。
ペシミズム→ニヒリズム→生成の肯定となっているようにも思えます。
そうやって、認識論や存在論や倫理学や神学、人間学・美学、自然科学・音楽など、
項目を多く設定して表を埋めてみると全体が理解できるように思います。
で、「ニーチェ的価値」というのは、遠近法的には「ニーチェ的欲求」ということですから、
少なくともニーチェがどのように世界や人間を考えていたか、ハッキリすると思います。
見えてくるのはおそらく「生成変化」の思想であると思います。

さて、おおまかな全体像ができたときに注意すべきことは、ニーチェ的に考えて、
この全体像は固定的なものではなく、つねに変化していく運命にある、ということです。
つまり、いったん作った「ニーチェの全体像」を心にとどめながら、
ニーチェを読み直してみると、あっさり矛盾が出てくるので、
いったん定立した「ニーチェの全体像」に変更が要請されます。
ただし、この読みの際に細部にとらわれすぎると、
「ニーチェの全体像」は構築されることなく、解体されてしまうと思います。
ニーチェは自分のことをハンマーに喩えていますが、
ニーチェ思想の解体作用は恐ろしいほどの威力を持っています。
ニーチェ思想的解体作用をニーチェ思想自身に適用すると、
「ニーチェ思想など、凶人&病人のルサンチマン」となって終了してしまうので、
ほどほどにしておくのが良いのではないかと思います。
490あげぞ:04/02/05 04:50
さて、こうして再構築された全体像は、やはり崩壊して再構築される運命にあります。
つまり、ニーチェ思想の全体像の構築と崩壊は循環の関係にあるということです。
何故かというと、やはりこれは読み手の問題になると思います。
読み手自身が変化する存在ですから、再びニーチェを読んでみると、
かつてイメージしていた「ニーチェ」とは違ったニーチェが出てくるのです。
よく、同じ小説を子供の頃に読むのと大人になってから読むのとでは違った印象を受ける、
といいますが、まさにこれが当てはまるような気がします。
これは、ニーチェが曖昧な書き方をしていることに起因すると思います。
ドイツ観念論の先輩方のように、自分の思想を体系的に断言しなかったことの効用です。
「私は〜を主張するが、〜が真実ではない」というようなスタイルを好みますので、
読みにおいて、常に当該項目の「絶対化と相対化の耐えざる反転」を要求されるのです。
読み手の解釈次第という、言説に込められた意味の豊富さが、
厳密な論理性を追求する旧来の哲学とは異質な点です。
(ただし、非論理的思弁性は、ある種スコラ的、否定神学的なものも感じます)
従ってニーチェ的「生成変化」スタイルの本質は、本質を把握させようとしないことあり、
だからこそ強力なハンマーに変貌を遂げる、柔軟性があるように思います。

かといって、やはりおおまかには全体像が残っているように思います。
やはり、これは「場」ではなくて「域」の思想なのでしょうか?
つまり、明確な境界線は引かれていないものの、ニーチェという人に中心はあり、
全体像がなんとなく描けるように思います。
こうして、解体と再構築が繰り返されることになるのですが、
こんな相手は正直言って面倒くさく感じると思います。
ところが、再び全体像を描こうという気になるのは、ある種の人にとっては、
やはりニーチェのテキストに魅力があるから、ということになるかと思います。
テキストの魅力とは、
テキストの内容自体の魅力であり、テキストの形式の魅力であり、
テキストの相互関係の魅力であるように思います。
491あげぞ:04/02/05 04:51

ということで、私自身もニーチェを全体的に把握しようする修行中の身ですので、
「決定的な全体的把握」は持っていませんし、そもそも確信が持てません。
つまり、「ニーチェが分かった!」という確信自体が、そもそも究極的にはあり得ないのでは?
という変な確信があるのです。
で、この精神状態は、意外なことに、そんなに居心地が悪いものでもないです・・・・・・。

文章が拙いので私が言いたいことがどれだけ伝えられているか分かりませんが、
今のところはそのように考えています。

1bさんは、ニーチェ思想全体についてどのように考えていますか?
4921b™ ◆1bBtQE5sBo :04/02/05 14:38
私はかなり単純に理解してます。ほぼ、ドゥルーズの『ニーチェ』のままです。
生のギリシア悲劇化ということを上の方に書きましたが、
ギリシアを力への意志で再定義して、様々な語を捉えています。
ディオニュソスはギリシアへの脚注記号であり、
永劫回帰は、悲劇化の試行空間であり、超人はその基底であり、…。
基本的に「生きる故に我あり」という単純なことしか言っていないので、
昔マヨラーというのが流行りましたが、そういう人たちにとっての
マヨネーズのように、生きている人間にとっては中々便利な思想家です。
493あげぞ:04/02/06 05:34
>1bさん

仰られるとおり、ニーチェの主張自体は
「ギリシャ悲劇の具現化、ディオニュソス的生成としての生の肯定」
とかで良いような気がします。
生きている人間にとって都合の良い思想、これが最初の全体像だとします。
で、再度読むときに注意すべきなのが、つまりどのように読むかという問題ですが、
読みのスタイルとしては確実に2つあると思います。

縦軸=ドイツ文化・思想の系譜として哲学史的・解釈学的に読む
横軸=時代精神の反映として19世紀自然主義的に読む

つまり、ニーチェを2度目に読むときは、
この2つを意識しながら読むのがベターではないかと思うのです。
そうすることで、ニーチェ思想をあぶり出すことができるのではないかと思います。

そして3度目の読みですが、これはデリダがニーチェから学んだことですが、
ニーチェは二元論的な思考を拒否して、グレーゾーンに留まることを良しとする人です。
例えば「生成か存在か?」という二元論ではなく、
「生成であり存在である」という捉えきれない全体性にこそ真理がある、
と考えていたように思います。
いわば「ニーチェ的弁証法」の卓越したワザが随所に見られるのですが、
こうした人間的な二元論への批判を選んで読むだけでも相当面白いと思います。

できれば3度目の読みまでは、なんとか実践したいですね。
で、4度目に、もう一度人間学として読み直したいと思っています。
494考える名無しさん:04/02/08 00:27
ローカルルール議論が以下で行われております。
皆様のご参加をお願い致します。
お邪魔しました。

哲学板自治議論スレ@2ch批判要望
http://ex3.2ch.net/test/read.cgi/accuse/1076157275/
495考える名無しさん:04/02/11 08:26
ちょっと堅苦しすぎるよ〜。ネタ投下。

煙草を吸うという行為は、本来、強者の行為、貴族的な行為だった。
しかし、喫煙は今やSchlechtではなく、本質的な「悪」―Baseに属する事柄として語られる。
弱者による奴隷一揆が起きたからだ。
「たばこなんて自分には似合わない・・・」という敗北感情がルサンチマンに転化した時に、
嫌煙運動なるものは始まった。嫌煙主義は、本質的に奴隷的な道徳である。
そして、ルサンチマン的価値観はいまやあまねく世人を汚染している!
「喫煙は悪だ」 「悪」に対するやましい気持ち―良心の呵責―ルサンチマンの内向!

おお、嫌煙の道徳、そのなんと汚らわしいことか!
私、この私はたばこを吸うことに、人間における本来的な自己肯定を見出す者だ。
愛煙・・・それはデュオニソス的肯定・・・

愛煙家の諸君よ!価値転換だ!価値転換だ!
そのために。  もっと煙草を!何種類もの煙草を!もっと煙草を愛すること!
どうか私の声を聞いてくれたまえ!
496考える名無しさん:04/02/11 08:29
何百年もたってるのにニーチェを超えられないなんて
どういうこと
497アムラー:04/02/11 09:41
アムロはニーチェを超えてると思われ。
498カテジニアン:04/02/11 23:53
ニーチェなんて鬱陶しいのよ!
499考える名無しさん:04/02/12 00:25
500は君にプレゼント↓
500考える名無しさん:04/02/12 02:11
>>499
サンクス!
501考える名無しさん:04/02/12 02:59
Missed it!!
502考える名無しさん:04/02/14 18:26
>>495
この人をみよの冒頭に喫煙についてニーチェの見解が述べられています。
5031b© ◆1bBtQE5sBo :04/02/17 22:47
>>493
縦軸としてはハイデガーのようにその極限として、
横軸としてはギリシア回帰の変形として考えてますかね。

力への意志の実体について上の方で議論がありましたが、ニーチェの生きた時代からすれ
ば「真実に乗り付ける比喩の馬」(『この人を見よ』)はこの百年で大量に発生したわけで、そういう馬を使ってこれを完成してやることも面白いかと思っています。光が粒子であり波動で
あるように、存在は生成であり生成の中に仮定される実体であるという風に。
最近こういうやり方は余り評判が良くないようですが。

尖鋭筆鋒の問題(『ニーチェは今日?』ちくま学芸文庫)の方は、あくまでもドイツ語
で書かれた本のことを考えるフランス人の話のように思いますね。

>>502
青年期の粋がりが悪習と化す・・・だったかな?
5041b© ◆1bBtQE5sBo :04/03/10 11:12
西尾幹二の『ニーチェ』第一部、第二部を読んだけど、
ここで言われてるほど悪いとは思えない。
こういう仕事は誰かがやらなければならないと思う。
まだ『悲劇の誕生』までだけど、
第三部を頑張ってるらしいしこれからがちょっと楽しみ。
ニーチェにいわせれば西尾は「哲学的労働者」ということになるだろうけど、
本人も言っているように半端な哲学を読まされるよりは
こういう仕事の方がどれほどいいかと思う。

                                   保守
505考える名無しさん:04/03/10 16:15
ニーチェが間違ってるのってニヒリズムの所だけなの?
506考える名無しさん:04/03/14 21:51
ニヒリズムのとこって間違ってんの?
ところで議論してる人たちは『ルサンチマンの哲学』は読んだのですか?
507考える名無しさん:04/03/29 00:02
保守
508考える名無しさん:04/03/31 00:56
ツァラトゥストラの「身体の軽蔑者」の章が良く分からなかったのですが、
あそこはどんなことが述べられているのでしょうか?
509考える名無しさん:04/04/05 18:28
Nietzsche は女に何を見たのか?
510弥勒:04/04/05 23:23
>508
物凄く要約すると、全人的感覚における自己統一性の境地こそが『本然の自己』で
あるということ。それ以外のセルフイメージ、例えば自分(人間)を精神と肉体とに
分極化して把握しようとする試みなどは、リアルタイムな状況変化に感応し続ける自己の
実存性そのものには到底及ばない。
511弥勒:04/04/05 23:24
>509

「私は“生(人生)”愛する。まるで素性の知れぬ女を愛するかのように・・・」という
ような文章をニーチェの本で読んだ記憶がある。
例えば風俗(娼婦)か援交か、ただのヤリ○ンかは解らないが、複数の男の陰影が背中越しに
チラつくような女性を遊び抜きで大事にしようと腹を決めるにはそれ相応の覚悟が要るだろう。
一人の“にんげん”を愛そうとするのはその人間の過去をも引き受けて愛するということである。
ヤリ○ンの原因が過去にレイプされた事実に対する自己虐待であったならば、その過去の重み
すら抱えてやれねばならぬ。
にんげんのバイタリティとはすごいもので、開き直りにも似た力強さで闊達になれる瞬間がある。
ふと顔を上げた淋しさを隠す女の笑みを見て、萌えとも憐憫とも取れぬ複雑な情熱のうちに
「すべてよし!」と、力強く女の手を握り締める瞬間があるかも知れない。
死という幕引きに踏み躙られる“生”の儚さを、それゆえにこそ愛そうと思える瞬間があるかも
知れない。
どれほど惨めであろうとも、どれほど苦痛であろうとも、それらすべてをひっくるめてそのとき
「すべてよし!」
と声をあげて前を見つめる眼差しの傍らに、『舞踏の歌』・『後の舞踏の歌』に顕れた
彼女が静かに笑みを浮かべているのだろう。

娼家に通ったのは性欲以外に、若気の至りの「有言実行」だったのかも・・・
512考える名無しさん:04/04/05 23:56
そういや、惚れっぽい人だったらしいね。前日初めてあった女性に
いきなりプロポーズしてフられたり。
513考える名無しさん:04/04/06 22:32

現代はニーチェの時代。 ではなぜに、この不安そしてたちこめるニヒリズムの風?
514考える名無しさん:04/04/07 06:05
賎民の時代だろ。
515考える名無しさん:04/04/13 13:19
ニーチェは日本信者だったの?
516考える名無しさん:04/04/13 13:21
↑ニーチェ事典に少し書いてあったんだけど。
517考える名無しさん:04/04/13 14:54
社会のそこ此処からルサンチマンの声がわき上がってるような。
518考える名無しさん:04/04/16 00:06

Nietzsche contra Wagner しようよ!
519考える名無しさん:04/04/23 10:22
『ニーチェ対ワーグナー』って、なんかプロレスみたいだな。
520考える名無しさん:04/04/23 12:45
無名のくせに「この人を見よ」とか書いたり、
題名のセンスはすさまじい。
521考える名無しさん:04/05/02 21:42
だがそれがいい。
522考える名無しさん:04/05/03 11:43
るーちぇ
523考える名無しさん:04/05/09 14:50
ニーチェの『悲劇の誕生』について発表をしなければならないのですが、
読んでも全然意味がわかりません…(><)
何かいい参考書とかないでしょうか?
図書館で探しても、『悲劇の誕生』に関する本って全然なくて困ってます…
524考える名無しさん:04/05/09 14:56
>>523
読んで感じたままを発表すればいいんじゃない?
おれのまとめ方でいくと「音楽は形式を拒みながらも、
形式をもって現れる」というとこかな。
形式を拒むもの=デュオニソス
形式化するもの=アポロン
525考える名無しさん:04/05/09 19:33
>>523

「悲劇の誕生」はかなりおもしろいじゃないか、
なんかいろんな哲学者の皮肉ばっかり言っていて。

俺の「読んで感じたまま」 に同意。
526考える名無しさん:04/05/09 19:35
ドストエフスキーのパクリ
527考える名無しさん:04/05/09 19:48
映画の黄泉がえりは永劫回帰のパクリ
528考える名無しさん:04/05/10 12:11
>>523
どのくらいの深さで発表しなきゃならんか分からんから何とも言えないけど
(哲学科の演習ならうかつなことは言えんだろうけど)、
ニーチェは入門書たくさん出とるから、そのへんに出てる基礎事項をまとめて
そこに自分でも思ったことをいくつか付け加えていったらどうよ?

とりあえず思いつく入門書(選んだ基準は、とにかく分かりやすさ重視)

樋口克己『図解雑学 ニーチェ』(ナツメ社)
 …一見安っぽい本に見えるけど、ニーチェの基本事項は無難にまとまってる。
三島憲一『ニーチェ』(岩波新書) 
 …これも無難。新刊では手に入りにくいので図書館で探す。
清水真木『知の教科書 ニーチェ』(講談社選書メチエ)
 …ニーチェについて著作・テーマ別にまとまっている。
渡辺二郎・西尾幹二(編)『ニーチェ物語』(有斐閣)
 …これもニーチェについてテーマ別に論じられた本。絶版なので図書館で探す。
529考える名無しさん:04/05/30 03:07
>>491
俺もそう思う。ツゥラを何回読んでも
ぼんやりとしか分からないが、また読んで見ようというきになる。
すると毎回自分のなかで解釈が違ってくる。
あれをバイブルとするのはツゥラの意志に反すると思うが
自分的には必ず思想があの本に立ち返ってくるバイブルになっている。
話の構築自体も聖書みたいになっているし、ニーチェはそれをねらっていたのか・・
530考える名無しさん:04/05/30 03:56
岩波文庫の「悲劇の誕生」の解説読んだけど
小林よしのりがニーチェを意識しているのがよくわかった
531考える名無しさん:04/05/30 03:58
とにかく、ドキュんうえはいいからな、ニーチェは。
532救世主 ◆ou2gZwaiBw :04/05/30 03:59
ニーチェなんて煮ちゃえ
533考える名無しさん:04/06/01 19:54
先生!ドキュんうえって何ですか?
534考える名無しさん:04/06/11 16:01
ショーぺから入ってニーチェを読むと、どーにも開き直りっぽく感じる。
まあ、俺はロマン主義でいーや。
坊主にでもなろう。
535考える名無しさん:04/06/12 06:43
 
536考える名無しさん:04/06/13 04:40
                          
537考える名無しさん:04/06/16 12:49
ニーチェはもっともラディカルな科学哲学者である。
538考える名無しさん:04/06/16 15:32
>>537
学生時代のニーチェ、理数系の成績はさんざんだったぞ。
539考える名無しさん:04/06/16 22:58
ニーチェはパクリの総合商社
540考える名無しさん:04/06/27 13:11
>>523
『悲劇の誕生』を宿題に使用するのはやめよう。
541考える名無しさん:04/06/27 13:58
>>529
確かにツァラトゥストラはメッセージ性が強いよね。
「わが友よ」なんて調子で語ったり、「歌」と割り切って書いてたりで
初見の感銘はすごいものがあった。
542考える名無しさん:04/06/27 19:51
なんかこう、自分は弱いくせに強がっちゃったり、エッチ大好きだったり、
とにかく既存のものに反抗的だったり、コメントしづらい死に方したり、
尾崎豊とかぶります。
543考える名無しさん:04/06/27 19:55
都合の良いように繋げる典型だな
544考える名無しさん:04/06/27 19:56
尾崎豊ってだれだろう。
545考える名無しさん:04/06/27 20:00
ほんと。それぐらいの人、他にいくらでもいるのに
なぜ尾崎豊? 笑
546考える名無しさん:04/07/13 07:27
  , v、ヘM 'リ"ノンミ/ソMv、
   ソVvミヘ/Wv彡vV/ ミ∠ミ::
  ミミ         _   ミ:::
  ミ    二__, --、r'"___、 ヾ ト、::ヽ
  ミレ'"~,-,、 !  ! ' '" ̄ .ノ \ヾ:、
  K/ー'~^~_/  ヽミ:ー‐‐'"   ヽ i.   >>1-1000笑えばいいと思うよ
 !〉 ー―'"( o ⊂! ' ヽ       Y_
 i     ,.:::二二ニ:::.、.       l i   
 .!     :r'エ┴┴'ーダ       !Kl      
 .i、  .   ヾ=、__./        ト= 
  ヽ. :、   ゙ -―-    ,;    ,! 
  \.  :.         .:    ノ
   ヽ  ヽ.       .    .イ
.    `i、  、::..     ...:::ノ ,∧
547考える名無しさん:04/07/22 22:22
ニーチェって恋人に嫌われて、自殺未遂をしたんだよな。
死んだらカッコよかったのに。
548考える名無しさん:04/07/22 22:35
芸術は我々が真理によってダメにならないためにあるとか言ってるけど
最近やけに共感してしまう。
549考える名無しさん:04/07/23 03:19
イッチェ
ニーチェ
サンチェス
550二チェ:04/07/23 18:39
酒がディオニュゾスデで音楽で意志。
アポロは形式で建築美術。
551考える名無しさん:04/07/27 07:22
シェストフが『悪の哲学』で、ツァラトゥストラの

このような言葉を、私は、自分の敵どもに言ってやろう。お前たちが、私にしでかしたことに比べて見たら、どんな人殺しだって、何の意味を持とう! 
お前たちが、私にしでかしたことは、いかなる殺人よりも悪い。お前たちは、取りかえしのつかないものを、私から奪いとったのだ。
お前たち、わが敵どもよ、私は、こう言ってやる。お前たちは、私の青春の幻と、素晴らしい奇跡とを、殺してしまったのだと。
お前たちは、私の仲間である祝福された精神を、私から奪いとってしまったのだ。
その精神の記念として、私は、此処に、花環と呪詛とを、お供えするものである。この呪詛は、お前たちに向けられたものだ、我が敵どもよ。

つー部分を引用してて、それがやたらと印象に残ったんだけど、ツァラトゥストラの中を探しても見つからん。
どこに書いてあるか教えてくれまいか。
552弥勒:04/07/27 22:55
>551
ツァラトゥストラの『墓の歌』にあるだろうよ、しっかり読め。


関係ないけど『Dias de Nietzsche em Turim』という映画に
ニーチェの実写フィルムが挿入されてて観ちまったよ。
狂者のまどろんだ瞳がゆるりと動くのは戦慄するな。ヤな気分・・・
553考える名無しさん:04/07/27 22:56
狂った後のニーチェなの?
554弥勒:04/07/27 23:02
>553
本とかで病院のベッドに横たわって、たそがれている写真があるでしょ。
あの状況の動画・・・・
555考える名無しさん:04/07/27 23:04
ニーチェの写真なんて知らないよ。
556551:04/07/28 07:03
>>552
サンクス
俺の持ってるのは竹山訳で、訳が多少違うもんでしてね。
557考える名無しさん:04/07/28 13:45
こんな新刊出てました。
写真集みたいにたくさんニーチェにまつわる写真が見れて楽しい本でした。こんなのなかなかないと思います

写真でみるニーチェの生涯と風景
ニーチェにおける〈父−子信交〉の宗教心理学的研究 宗教的人格の探究

著者: 山崎 俊生著

税込価格: ¥2,310 (本体: ¥2,200)
出版:ルガール社
サイズ:B5変形 / 76p
ISBN:4-89754-005-4
発行年月:2004.6
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02455458

558考える名無しさん:04/07/30 13:37
「理想社会像」、「理想的人間」、自然への神性付与、自分を目立たせるという虚栄心、社会的目標を宣伝することへの従属、香具師的行為――これらをわれわれは十八世紀から得ている。
559考える名無しさん:04/07/30 13:38
「理想社会像」、「理想的人間」、自然への神性付与、自分を目立たせるという虚栄心、社会的目標を宣伝することへの従属、香具師的行為――これらをわれわれは十八世紀から得ている。
560考える名無しさん:04/07/30 15:05
ttp://www.interq.or.jp/snake/totugeki/majimetotu2.htm
こんなん発見した。ニーチェかぶれ?
561&rlo;すで才天 &lro;私は:04/08/02 09:43

テメーの哲学と反対の生活してんじゃねーよ腐れ堕落者が。>ショーペン
うっせーキモオタ童貞。おまえつまんねーんだよ餓鬼が。>カント
ダチまで道連れにして死んでんじゃねーよ。一人で逝けハゲ。>フーコー
仮病使って学校休んでんじゃねーよボケ。>デカルト
最後になって本音漏らしてんじゃねーよ、ジジイ。 >ソクラテス
自分だけ正当化しようとしてんなメガネ。テニュア取ろうとしてんの丸出しだろーが、イカレ。 >リオタール
コメディアンになっとけば良かっただろーが。いちいち本だすなブサイク。 >キルケゴール
発狂する直前になって変な愛みせてんじゃねーよ。号泣しろクサレ。 >ニーチェ
いちいち俺の言うこと聞きいれんな。帰って寝ろ。そのまま死ね >ALL
うぜー、書いてんじゃねーよ。 市ね。 >オレ
いちいち存在してんじゃねーよ。つーか俺等生かしてんじゃねー。はやく殺れよ、ノロマ。意気地無しが >地球
何がしてーんだかよくわからん。はやく終われよ。殺すぞボケ。 >宇宙
オメーら全員死ね。いちいちコミュんなガキ共。ドス黒が。
いちいち構ってくんな、低俗人が。自殺しろ。
待ってんじゃねーよ。早く逝け。今すぐ逝け。
泣け、号泣しろ。オメーの脳内のこといちいち語んじゃねー。
逝きるとか逝きねーとかどうでもいい。いちいち語ろうとすんな
集団自殺しろ、堕落しろよ。クソ

562考える名無しさん:04/08/06 04:16

563考える名無しさん:04/08/06 08:16
おお、おおいなる天体よ!!by日依
564考える名無しさん:04/08/06 16:37
キリスト教はホント糞だよ
565105:04/08/06 16:56
>>560
ニーチェくらい明晰で、詩的エッセンスをもってる人が
毒を吐くとかっこいいが、
凡人がただ文句言ってるだけじゃつまんないし、見苦しいね。
566考える名無しさん:04/08/06 16:57
名前消し忘れた、見苦しくてスマソ
567考える名無しさん:04/08/06 22:28
>>565
同意
568考える名無しさん:04/08/12 10:41
ツァラストラの翻訳はいくつか出てるけどどれがお勧めでつか?
新潮? 岩波? 最近の赤い奴は高いよね?
569考える名無しさん:04/08/12 13:56
>>568
個人的には岩波。
570考える名無しさん:04/08/12 18:22
>>568
登張訳お勧め

光炎菩薩、御齡三十にして、その故クを去り、故クの湖邊を去りて、遠く山に入りたまへり。山に住して
禪定に入り、孤獨寂寞を樂しみたまふこと、茲に十年なるに、未だ會て倦みたまふことなかりき。十年の後、
心機遂に一転、某の朝、曙光を仰いで起ち、昇る大日輪を仰いで、語って曰く
 「われ、星中の王たる汝に告ぐ。汝は照らすを以て汝の生命とす。若し、照さるべきものなかつせば、汝何
を以てか汝の幸福となさん。
 汝の来たってわが仙窟を照らすこと、十年まさに一日の如し。然れどもこのわれなく、わが鷲なく、わが蛇
なかつせば、汝恐らくは、汝の光と汝の道とに飽けるならん。
 さはれ、吾等は、朝ごとに汝を待てり、汝の光明を享けて樂めり、樂しんで後汝の幸を祈れり。
 見よ、蜜を作りて多きに過ぎたる蜂はその蜜に飽けるならずや。われもまた智を集むること多きに過ぎたり。
われは、延ばし來る多く手を要む。
 かの賢きものゝ、再びその愚なるを、曉りて喜び、かの貧しきものゝ、再びその富めるを覺えて喜ぶに至ら
んまで、希くはわれ、或は施し、或は頒たん。」
 かゝらん爲に、われはこの山を降りて谷に趣かざるべからず。ゆふべ夕べ、海の彼方に歿して猶ほ下界に
光を惠む汝の如く。
 われは汝の如く沈み行かざるべからず、沈み行くとは人の語なり、われは、その人の許に趣かんとす。
 されば、靜かなる汝の眼よ、餘りに大いなる人の幸をも、猶ほ且つ些の嫉妬なく眺め得る汝の眼よ、われを祝せ。
 されば汝、わが盃を祝せ、盃はまさに溢れんとす、水は金色の波を湛へて、盃の外に溢れ出て、八面玲瓏として、
汝の快樂(げらく)を映じ出だすを見よ。
 見よ、盃の水はまさに虚しからんとす。而してわれ光炎は、再び人とならんとす。」
 かくの如くして、光炎菩薩の還相廻向は始まる。

 
571考える名無しさん:04/08/12 21:24
筒井康隆もなかなかいいよ。
572考える名無しさん:04/08/12 21:44
>>569-571さん、ありがとうございまつ。
>>570さん、古文はわたし苦手でつw
573考える名無しさん:04/08/13 00:19
>>570
Untergang が「還相廻向」なんて、なかなかのアイデアだね。
574考える名無しさん:04/08/13 06:42
ツァラトゥストラの訳についてなら、
新潮文庫は少し文語体と旧字体で分かりにくいけど、訳注が豊富。
岩波訳はやかりやすいけど、訳註がついてない。
他はしらん。
575考える名無しさん:04/08/13 15:59
>>560のサイト、
掲示板あるから自身ある人議論ふっかけてきてよ
576考える名無しさん:04/08/19 18:08
中公クラシックス(手塚富雄訳)でツァラトゥストラ読んでる。判りやすい。
しかし、すごい内容だねw 面白いけど、これ哲学なの? 「少し真面目な2ch」の印象。
577考える名無しさん:04/08/19 18:51
どちらかといえば文学だけど、ただニーチェの思想はよく記されてる。
2chとは明晰さのレベルが違う。
一見すると意味不明な比喩も、文と同様の経験を得ていれば
「あ〜わかるわこれ!」となって、感動倍増。
578考える名無しさん:04/08/19 19:03
ニーチェのいうルサンチマンってニーチェ自身のことじゃないか?
579考える名無しさん:04/08/19 19:14
手塚訳って分かりやすいの?
580考える名無しさん:04/08/19 23:31
分かりやすいよ
581考える名無しさん:04/08/20 01:25
ニーチェの著作は平素で具体的な言葉で書かれているが、
そうとうヘンな奴がかなりヘンなことを言っているのはたしか。

手塚訳みたいにわかりやすい人生哲学になっちゃうと、
笑えるところで笑えない。
582考える名無しさん:04/08/23 01:04
ニーチェのは権力への意思だと思いたい
583考える名無しさん:04/08/23 01:10
ルサンチマンも「鬱屈」した「権力への意志」には違いない。
数を頼む賎民道徳根性、衆愚的な所を暴き立てたわけだ。
584考える名無しさん:04/08/23 03:37
うん?ルサンチマンはニヒリズムに向かう意志を作り上げるわけだから
力への意志とは正反対じゃないか?
585考える名無しさん:04/08/23 12:17
どこかで、私も力への意志、君も力への意志、全てが力への意志といってたから、
良いんじゃないの。ドゥルーズは肯定的な力への意志と否定的な力への意志に
分けていたね。
586考える名無しさん:04/08/23 13:21
フーコーは分けない。つか、力への意思は肯定的に語られる(ディスクール)としている。
587考える名無しさん:04/08/26 20:28
            /.::::::::/::/.::/       :|:::..\::::.  \ ヽ;:::::\::\:\
        /..:..::::://::/ /::/ .::|   | ..:::|ヽ::. ヽ:::.  ヾ::ヽ::::::.ヽ:..ヽ;:ヽ
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      //::/ ::/  /::/ .:|:::|  :::::| | ::::| |::::|:::|.|..|:.  ヽ:.  l::::||::::::::...ヾミ、 ヽ
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     //::/ .::| ::|.| ::;′::|:::|l:. ::::|::| | ::l::|::/||::| |..| :l.l   ! :::|川:l:::::|:::ト、.`、
     //::/ .::::| ::|.| .:| :::|:::||:::. ::::|::| | :l:::|/!:||::| |:.|: l.l.....  ::: |川:l:::::||::| ヽ:ヽ
    //|/! .:::::| ::|.| .:| :::|:.:| !::::.:::||:| |::j../::| ||::| |::|:..小i:  ::: |::rヘ:::::||:::! ヽ`、  < ルサンチマンって何ですか・・・?
   // || !:::::/l ::|:||.:| :::|__|__!_||::||::l:|:j/ハ!__|」⊥斗||ヾ  ::: ,ィ1Y}:::||:: !  ヾ:、
    l/  !::::/ | ::|:|:l:|:. :::|ィ≠ミヽ:|!|| X:::| 丁´ィ'下:::テz_|. .:: :〔ノ/:::::|リi::!    `、
   !   |::/  !:. :|:|:l:ト!  !iノjr1` | 〃 ヽ!   ヾで辷ノu|:..::..::レ'::||::::|:| |!
        |/, ┴!::ト|:::lヾミ..! ヾ='   ..:::::::::::::...   ^ ̄´ |::::.:∧::::ト!:::l:|丁 ̄`ヽ
       〃   |:| ヽ;::ヽ!! ////  ,   ///// ,'|::::/ |ヽ|ヽ:|:|U   ヽ
     /      !!  ヽ;ヽヽ、      `     u u/} |::/  ヽ | ∨       \
     〈 ─‐ 、     ヽ::、`丶、_ `"^⌒   / / //__  │         / 〉
     /    \    |ヾ:、  _`ヽ、__,. '´   ///|| \ |       /  ∧

588考える名無しさん:04/08/27 14:22
>>587
有りのままの自己肯定をする人間(超人)に対する嫉妬心です。
589考える名無しさん:04/08/27 14:54
ニーチェって喧嘩強そう
590587:04/08/28 01:06
超人に対してだけでないんじゃあないすか。
弱者の強者に対する妬み、ひがみ一般をいうものでしょ

ちょっと素人ぶったらわかったような口きいて。
588は帰っていいよ。
591考える名無しさん:04/08/28 01:43
                 ∴
                 ∴∵∴    ∴
     ∴∵∴          ∴∵∴  ∴∴
       ∵∴∵          ∵∴  ∴::: i^i_i^i_,‐、
               ∵:: .      ∵:.  ::/U::∪:`U ..::∵∴
      ∵∴∵         : . ..    :∵..::(つ/ ⌒ヽ).)  ∴∵
    ∴∵∴∵∴: : .    . :         : . | : | |   |    ∴∵
. : ∵∴∵     ....... :  .::___   . : | :∪ / ノ    ∴
.. : :∵      ....::  :: . :::::::∴∵∴\. :.:  | ∵| ||    ∵  ∵
.∴∵     ::..::   .:::::::∵∴∵∴∵:\:  |∵∪∪  . :     ∴∵
.∵      ∵::   :::∵:(・)∴∴.(・)∵. l  / . ∵ :: . :       ∵
∵    ∴∵::.   ::∵∴/ ○\∵∴ | /   ::        .∵
..    ∵∴::     .::::∵/三 | 三ヽ∵ |/....:∴::     .∵  ∵∴∵
.   ∵:..:.:/⌒ヽ::l⌒`i::..| __|__ │∵|...:∵::    .. :    ∴∵
.   :/⌒ヽ|  |;; ;|  |、.|  ===  │/∴::    . :    .∵∴  ∴
.  :(  ヽ;;ヽ__ノ;;; ヽ__ノ !\___/∵ :: . ... . :      .∵    ∴
..∴ >‐ / ̄.. \;;;;ゝ__`ト、.(●)━..:∴::        . :     . ∴∵∴
∴. ( : :/    ,. i〃    l  . . . . . . . . . . .... .. . :    ..:∵∴:
∴∵ ̄|    /.| |、l___ノ    _!_!         .∴:
  ∵  |   | :| |. |        ./∵∴゙i       . :     .:∴∵∴
      | |  |  | |. /.∴∵;;;;/‐‐| .∵∴ :: .. .... . :      .∴∵∴∵
      | | |  U.::、∴∵;;/;)  ゙i∵∴∵:: ... .. ... .. . : :∵∴∵
      | | |    :: . ̄ ̄ ̄   ゙i∵∴∵::.. ...::∴∵∴∵
     / / /      : . . .      ( ̄ ̄.... ::∵
    / / /      : :∴∵ : .    ̄.:∴:. tanasinn
   .しし’        :: :: ∵: : .

592考える名無しさん:04/08/28 09:28
ルサンチマンって単に個人的な恨みや妬みのことでなくて、
集団とか民族レベルで何世代にも渡って無意識の中に蓄積
されてきた捻れたモノを言うんじゃないの。
593考える名無しさん:04/08/28 13:18
>>590
ルサンチマンの日常的な意味ではそうだが、ニーチェが彼の思想的なコンテクスト
のなかにおいて使用した意味で考えないとね。ここはニーチェスレなのだからね。
594考える名無しさん:04/08/28 13:20
ルサンチマンとは強者弱者関係なく、鬱積した怨恨一般のこと。
ニーチェの言う「強者」とは「自己肯定」を道徳とする主体のあり方。
595考える名無しさん:04/08/28 19:19
ニーチェの研究書でお勧めの本って何かある?ただ漫然と読んでいるだけなので心許無い…
596考える名無しさん:04/08/29 00:23
>>595
ハイデガーのニーチェ書。騙されたと思って読み始めてみな。
面白いから!
597考える名無しさん:04/08/29 02:47
定番だけどドゥルーズとハイデガー。
598考える名無しさん:04/08/29 19:56
ドゥルーズの「ニーチェと哲学」は体系化されていて分かりやすかった
599考える名無しさん:04/08/29 20:31
やってることは、ハイデガーとあんまり変わらないけどね。
600考える名無しさん:04/08/30 00:36
600ニーチェ
601考える名無しさん:04/09/03 11:06
クロソウスキーの「ニーチェと悪循環」が
今月ちくま学芸文庫で復刊される模様。
602考える名無しさん:04/09/03 11:13
>>601
クロソウスキーと聞くと、

クロソウスキー→バルテュス→パンティ(・∀・)パンティ

と連想してしまうのだが。
603考える名無しさん:04/09/04 01:30
a
604長文スマソ:04/09/04 02:48
ツァラトゥスラかく語りきと力への意志、善悪の彼岸をゼノサガ経由でというクソ理由ではあるもののニーチェについての考察書を読んだらもの凄く読みたくなった
しかしいかんせん高い、力への意志とツァラトゥスラの一番安いのはどれですか?
あとどっちを読んだ方が勉強になる?
605考える名無しさん:04/09/04 07:23
好きなもんよめアホウが
606考える名無しさん:04/09/04 09:49
>>604
古本のツァラトゥスラ
607考える名無しさん:04/09/04 15:30
みんな学問の檻の中で踊らされてんだよ〜
もっと自分で本質を考える癖をつけよ〜
608考える名無しさん:04/09/04 23:34
>>607
哲学の基礎知識のない阿呆がよく言うセリフだな
609&rlo;すで才天 &lro;私は:04/09/05 16:18

>>608
自分で本質を考えることのできねーペドフィリアが言いそうなセリフだな、それ。市ね。
アホ。自分で考えろ餓鬼
邪魔。いちいち俺の言うこと聞き入れてんなよボケ
一般人が
610考える名無しさん:04/09/05 16:21
>>609
どうみても知障の書いた文だぞ
611考える名無しさん:04/09/06 00:06
>609
612考える名無しさん:04/09/07 01:54
>>クロソウスキーの「ニーチェと悪循環」が復刊
あれはかなりヤヴァイですね。ドゥルーズにも多大な影響を
与えたようですが、そのドゥルーズのニーチェ論を、こんな
のニーチェじゃないと一蹴されたニーチェ研究者もいらっしゃ
ったそうでが、クロソウスキーのは「ニーチェじゃない」の
はむろん、もはや人間じゃないですよ、あれにかかれている
のは、ニーチェと呼ばれている人物あるいは基体は、まるで
異星人ですよ。Great!
613考える名無しさん:04/09/07 10:01
>>612
なんだか一部文意不明な点もあったが、言いたいことは解った!
614考える名無しさん:04/09/07 10:56
堀江社長は俗流ニーチェ主義ですね。
615考える名無しさん:04/09/07 11:20
>>601
発売は今月ではなくて10/8の見込み
616考える名無しさん:04/09/07 11:28
>>612
浅田彰はニー哲の対極にある物と整理してたね。
人間ニーチェを無視して体系的な哲学として整理したのがニー哲、
悪循環はその逆。
悪循環は、「ガタリ以降」のドゥルーズに影響を与えたと思う。
617考える名無しさん:04/09/11 22:43:50
ここまで、盛り上がっているなら、wikiでニーチェ手伝ってくれ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
618考える名無しさん:04/09/12 00:36:36
ツァラトゥストラの理解を深めるための
良い解説書って何かありますか?
619考える名無しさん:04/09/12 12:20:59
>>587
587は創価のアホウ。
意味も分らず「ルサンチマン」 (ゲラ
620考える名無しさん:04/09/12 14:28:56
>>617
手伝ってもいいけど、事典的な記述としてはあれで十分だとも思うが?
621考える名無しさん:04/09/12 16:34:28
>>618
ニーチェ自身の『善悪の彼岸』『道徳の系譜』。

ドゥルーズ『ニーチェ』(『ニーチェと哲学』じゃないほう)は、『ツァラトゥストラ』理解にはよい。
ドゥルーズ味が多めだけど。
622618:04/09/12 21:37:03
>>621
ありがとうございますm(_ _)m
わけあって半年間自由な時間があるので
じっくり読んでみます。

あと、岩波とちくま学芸では
どちらの訳がお勧めですか?
623考える名無しさん:04/09/13 13:19:13
>>622
ちくま。
624考える名無しさん:04/09/27 01:32:00
「What Nietzsche really said」 (2000) by Solomon and Higgins は良い。
日本語訳が出てる?
625考える名無しさん:04/09/27 18:34:38
a
626623は田吾作:04/09/28 08:33:57
ちくまの訳は田舎くさい
岩波が断然いい
627考える名無しさん:04/10/03 23:21:29
ルサンチマンのかたまりですが、なにか
628考える名無しさん:04/10/04 03:19:46
人様に迷惑かけなければ何も問題ないのではないでしょうか。
宗教家みたいなね。
629考える名無しさん:04/10/04 03:20:45
毎日人に迷惑かけてますorz
630考える名無しさん:04/10/04 03:49:07
フルーチェとニーチェどっちが甘い?
631ひ@漏れ漏れ 漏れだよ ひ@だYO!◇t2FAHIHIHI:04/10/04 05:47:12
ニーチェのほうが大甘ダネ。

フルーチェは、まだ人類に幾許かは役立っている。
(゚Д゚)ウマーだからナ♪
632考える名無しさん:04/10/04 22:06:22
にちぇらっちょ!YO!YO!
633考える名無しさん:04/10/08 09:21:19
『ニーチェと悪循環』、出た。
634考える名無しさん:04/10/11 20:49:26
記念age
635考える名無しさん:04/10/12 02:12:33
>>633
クロソウスキーの?
636考える名無しさん:04/10/12 17:47:56
西尾幹二先生の保守思想とニーチェ思想には思想的連関性があるのですか?
他に読むべき本が大量にあるので、西尾さんの本まで読む暇がありません。
どなたか親切な方、教えて下さい。
637考える名無しさん:04/10/13 01:08:29
クロソウスキー買ってきたぞ(ワクワク
638@@@:04/10/14 02:55:32

ニーチェの永劫回帰について。。。

進化って
鉱物→植物→動物→人間→神→大神→大大神→大大大神→以下永遠無限の終わりのない
拡大一方の永遠無限の向上進化あるのみでは?

魂の数なんて無限で一定ではないだろう。。。

違うの?

永遠無限にくり返すのは あなたの一部では?
つまり あなたの人生→大神になった一部(あなたの人生)→
大大神になった一部(あなたの人生)→大大大神になった一部(あなたの人生)→以下永遠無限
では。。。

つまり あなたの人生→拡大したあなたの人生の一部(あなたの人生)→もっと拡大したしたあなたの一部(あなたの人生)→
さらにもっともっと拡大したしたあなたの一部(あなたの人生)→以下永遠無限で

つまり 永遠無限にくり返すのは 拡大した一部ででその次はまたその一部の中の一部で 次は
その一部の中の一部の中の一部で。。。以下永遠無限であると。。
同じであったとしても
同じものが(つまり今のあなたそのものが)永遠無限にくり返されるわけではないと思うのだが。。。
639@@@:04/10/14 02:56:07

ニーチェの永劫回帰について。。。

類魂について
http://www.paperbirch.com/groupsoul/groupsoul1.html

進化すれば魂はやがて融合して分霊(子)(人間)を産み出すと思います。

魂の仕組みは複雑だが
つまりa→ab→abc→abcd→以下永遠無限の拡大となるわけ。
と俺は確信します。
(宇宙の拡大や収縮やビックバンなどに関係なく)

つまり (この全宇宙にある?!)すべての魂は 最初に創られたぶんの一部である
(神との対話 という本3巻12章)
という意味からみても

魂の仕組みはこういうことだと思います。。。
640@@@:04/10/14 02:57:08

ニーチェの永劫回帰について。。。

で永遠無限にくり返すのは
つまりa→ab→abc→abcd→以下永遠無限の拡大なんだが
a→abになるabはやがて→abcになる
で a←これをあなたの個の魂 つまりあなたの人生と仮定します。
あなたはやがてabになります。
で あなたがabになった時 a を産み出します。で生み出したaがやがて
abになった時 a を産み出します。この時あなたはabcになってます。
abcはabを生み出し abcdはabcを生み出すと思われます。
で あなたが生み出したaがやがて
abになった時 a を産み出しますが そのaもやがてabになった時 a を産み出します。
これが永遠無限にくり返されるので そういう意味では同じことがくり返されると
いうのも正しいかもしれませんが 全く同じ人生 ということはないと思われますが。。
これは私の勘なのですが 多少違うと思われます。
なぜなら 同じ顔 同じ指紋 同じ葉っぱというのは存在しないのですから。。。
かなりかなり似ているものは存在すると思われますが。。。
一秒前の自分と1秒後の自分も 同じ ではありません。。。

では。。。
641@@@:04/10/14 02:58:13

ニーチェの永劫回帰について。。。

訂正
つまり あなたの人生→拡大したあなたの人生の一部(あなたの人生)→もっと拡大したしたあなたの一部(あなたの人生)→
さらにもっともっと拡大したしたあなたの一部(あなたの人生)→以下永遠無限で

つまり 永遠無限にくり返すのは 拡大した一部ででその次はまたその一部の中の一部で 次は
その一部の中の一部の中の一部で。。。以下永遠無限であると。。
同じであったとしても
同じものが(つまり今のあなたそのものが)永遠無限にくり返されるわけではないと思うのだが。。。

つまり あなたの人生→拡大したあなた(あなたの人生)→もっと拡大したしたあなたの一部(あなたの人生)→
さらにもっともっと拡大したしたあなたの一部(あなたの人生)→以下永遠無限と。。

つまり 永遠無限にくり返すのは 拡大した一部ででその次はまたその一部の中の一部で 次は
その一部の中の一部の中の一部で。。。以下永遠無限であると。。
同じであったとしても
同じものが(つまり今のあなたそのものが)永遠無限にくり返されるわけではないと思うのだが。。。
642@@@:04/10/14 02:58:34
訂正
向上進化→進化向上
643@@@:04/10/14 02:59:13

魂の仕組みや類魂説をできるだけ詳しく説明できる方
私の見解は正しいでしょうか?
できればメールで教えてください。
お願い致します。[email protected]

どうかよろしくお願い致します。


644@@@:04/10/14 03:00:20
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0410/14/1049216923.html
の中の
974 名前:考える名無しさん :04/10/05 12:42:21
メールはしないけど、
キミの意見は、正しくないと思う。


なんでだ
詳しく述べてくれ。

お前は 類魂説や魂の進化の仕組みに詳しいのか?
詳しく述べてくれ。
お願い致します。
645@@@:04/10/14 03:01:02
974 :考える名無しさん :04/10/05 12:42:21
メールはしないけど、
キミの意見は、正しくないと思う。

では書いたら 哲学板に書いたよ
と一言だけ欲しいです。
お願い致します。

他の方もご意見があればメールください。
お願い致します。
646@@@:04/10/14 03:03:39
訂正

http://ruku.qp.tc/dat2ch/0410/14/1049216923.html
の中の
974 名前:考える名無しさん :04/10/05 12:42:21
メールはしないけど、
キミの意見は、正しくないと思う。


なんでですか?
お手数ですが、できるだけ詳しく述べてください。
お願い致します。

あなたは 類魂説や魂の進化の仕組みに詳しいのですか?
お手数ですが、できるだけ詳しく述べてください。
お願い致します

647@@@:04/10/14 03:05:24

また上記と関連して
やはりわれわれ進化して 神 創造神 大宇宙創造神 大大宇宙創造神 大大大宇宙創造神

と以下永遠無限に終わりのない拡大をし続けるのが

進化ではないのでしょうか???

なぜかと言うと 神との対話という本には
すべての魂は最初につくられたぶんの一部だ 
という文章があるからです。

つまり 今存在してる全宇宙全生命は 太古に(最初に)創られた魂の一部
で つまり太古に(最初に)創られた魂は 遥か昔 元人間だった進化し 自己意識も
無限に拡大し 今はもう
神(のような存在)になり (根本宇宙神は一人かもしれないが)
その拡大した自己意識の神の意識の一部(←つまりその意識の一部が
われわれ(今の全宇宙全生命)であり)
を無数にわけて 無数の自己を体験しているでは?と思うのですが。。。
どう思われますか?
648@@@:04/10/14 03:06:29
つまり
創造自体は意識的、創造的状態で7つの劫にわたって生きる。その後、同じ期間にわたって眠りにつくが、創造はそこで 7層倍に 膨張する。そして7つの劫を経た後、7層倍になって 目覚め創造する。(1つの劫は311,040,000,000,000地球年、7つの劫は
2,177,280,000,000,000地球年であり、これを永遠とも呼ぶ。
7つの大いなる時の7倍は永劫である。)

 ↑
によると ↑(ビリー・マイヤーだったかな?みたいな人の
サイトから抜粋しました)

宇宙の膨張や収縮に全く関係なく ←←←(注)

宇宙意識は ひたすら7倍×7倍×7倍で無限に拡大していくのでしょうか?

ひらすら拡大一方で 決して収縮せずに拡大一方のみっでしょうか?

また

このことから進化は 鉱物→植物→動物→人間→神→宇宙創造神→大宇宙創造神→大大宇宙創造神

→大大大宇宙創造神と以下永遠無限で終わりのない拡大一方のみでしょうか?

そしてそれはまた ひらすら拡大一方で 決して永久永遠に収縮せずに拡大一方のみでしょうか?

非常に気になります。
推測でもかまいませんので
できれば できるだけ詳しく答えて欲しいです。
でも できればできるだけわかりやすく お願い致します。

では失礼致します。
649@@@:04/10/14 03:12:42
>>640 または
また 上記の内容に関連して下記は正しいでしょうか?
類魂について
http://www.paperbirch.com/groupsoul/groupsoul1.html

進化って
鉱物→植物→動物→人間→神→大神→大大神→大大大神→以下永遠無限の終わりのない
拡大一方の永遠無限の進化向上あるのみでは?
魂の数なんて無限で一定ではないだろう。。。
進化すれば魂はやがて融合して分霊(子)(人間)を産み出すと思います。

650@@@:04/10/14 03:13:08

続き
魂の仕組みは複雑だが
つまりa→ab→abc→abcd→と(宇宙の拡大や収縮やビックバンなどに関係なく)
以下永遠無限の拡大となると
俺は確信します。


つまり (この全宇宙にある?!)すべての魂は 最初に創られたぶんの一部である
(神との対話 という本3巻12章)
という意味からみても

魂の仕組みはこういうことだと思います
つまりa→ab→abc→abcd→以下永遠無限の拡大なんだが
a→abになるabはやがて→abcになる
で a←これをあなたの個の魂 つまりあなたの人生と仮定します。
あなたはやがてabになります。
で あなたがabになった時 a を産み出します。で生み出したaがやがて
abになった時 a を産み出します。この時あなたはabcになってます。
abcはabを生み出し abcdはabcを生み出すと思われます。
で あなたが生み出したaがやがて
abになった時 a を産み出しますが そのaもやがてabになった時 a を産み出します。
これが 宇宙の膨張や収縮に全く関係なく ←←←(注)
永遠無限にくり返されると確信しますが。。。。
いかがでしょうか?
651@@@:04/10/14 03:13:38
やはりわれわれ進化して 神 創造神 大宇宙創造神 大大宇宙創造神 大大大宇宙創造神

と以下永遠無限に終わりのない拡大をし続けるのが

進化ではないのでしょうか???

なぜかと言うと 神との対話という本には
すべての魂は最初につくられたぶんの一部だ 
という文章があるからです。

つまり 今存在してる全宇宙全生命は 太古に(最初に)創られた魂の一部
で つまり太古に(最初に)創られた魂は 遥か昔 元人間だった進化し 自己意識も
無限に拡大し 今はもう
神(のような存在)になり (根本宇宙神は一人かもしれないが)
その拡大した自己意識の神の意識の一部(←つまりその意識の一部が
われわれ(今の全宇宙全生命)であり)
を無数にわけて 無数の自己を体験しているでは?と思うのですが。。。
どう思われますか?
652@@@:04/10/14 03:15:07
魂の仕組みや類魂説をできるだけ詳しく説明できる方
私の見解は正しいでしょうか?
できればメールで教えてください。
お願い致します。[email protected]

どうかよろしくお願い致します。

653@@@:04/10/14 03:25:39

上記が私の見解であり ニーチェの永劫回帰の見解は間違っていると
思うのですが。。。

皆様はどう思われますか?

反論ある方 できるだけ詳しく書いて欲しいです。
お願い致します。
できればメールください。
よろしくお願い致します。

またメールがめんどいまたは嫌だという方は
では書いたら 哲学板に書いたよ
と一言だけでも欲しいです。
お願い致します。
それすらも嫌なら結構ですが。。。(泣。。。)

他の方もご意見があればメールください。
お願い致します。
では 失礼致します。
654考える名無しさん:04/10/14 15:54:55
で、クロソウスキーはどうでした?
655考える名無しさん:04/10/14 19:03:13
おれも聞きたいな。どうです?>クロ
656考える名無しさん:04/10/14 22:43:53
今途中だが、面白いよ。残りはまた後で。
657@@@:04/10/15 01:30:51
658考える名無しさん:04/10/15 02:53:17
659考える名無しさん:04/10/15 03:08:50
>@@@
一つ言って置く、全てを得ることは全てを失うに等しい
660考える名無しさん:04/10/15 10:04:24
>658
上の絵の真中にいるのはダディ?
661@@@:04/10/15 11:14:20
>>659 :考える名無しさん :04/10/15 03:08:50
>@@@
一つ言って置く、全てを得ることは全てを失うに等しい

どういうことですか?
できるだけ詳しく説明してください。
お願い致します。
誠に誠にお願い致します。
662考える名無しさん:04/10/15 16:42:25
>661
質量保存の法則
663@@@:04/10/15 18:04:26
>>662 :考える名無しさん :04/10/15 16:42:25
>>661
質量保存の法則

つまり 俺に何が言いたいのですか?
できるだけ詳しく説明してください。
お願い致します。
誠に誠にお願い致します。

664考える名無しさん:04/10/15 23:43:46
>>662
割と真面目に考えてるようだから、あんまりからかうなよ。ちゃんと答えてやっとくれ。
665考える名無しさん:04/10/15 23:48:10
>>659
ただのバカだろう。相手にするな。
666考える名無しさん:04/10/16 23:03:18
「魂」の話は、学問的にがっちり語るか、文学っぽく語るしかない。
でも、後者は分からないやつには分からないから、掲示板では良い方法とはいえない。

おれはわからん。
667考える名無しさん:04/10/17 10:23:23
よくもまあ『ニーチェと悪循環』なんて文庫化してくれたなあ。筑摩書房に感謝!
他にもニーチェ関連本を文庫化してくれんかなあ。
『ニーチェが泣くとき』なんて「ちくま文庫」に入っていてもいいんじゃない?
668考える名無しさん:04/10/17 12:20:09
まったくだ。だが、売れるんだろうか?
また倒れたりしたら困るんだが。
669考える名無しさん:04/10/18 00:01:26
クロソウスキー兄弟モエ
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/images/984balthus03.jpg

ロリ絵巨匠バルテュスの兄はショタ絵専門だったのか……OTZ
http://gamp.c.u-tokyo.ac.jp/~oomori/barres_paralleles.jpg
http://gamp.c.u-tokyo.ac.jp/~oomori/ganymede.jpg
670考える名無しさん:04/10/18 08:19:18
>>667
文庫解説誰が書いてる?
671考える名無しさん:04/10/18 12:24:19
訳者(兼子正勝)。
672考える名無しさん:04/10/18 13:30:47
88年の役者後書きから、追加ある?
クロソウスキーが死んじゃったなど、状況の変化があるわけですが。
673考える名無しさん:04/10/19 03:41:49
文庫版への追記があるが、あまり重要なことは言ってないよ。
この本と「1960年代的なもの」との関係について、少し。
それから、この本と「現代」との関係について、少し。
多少訳文に改変が加えられていること、など。

もし、元版持ってて心配しているなら、買い直す必要はない。
674考える名無しさん:04/10/19 04:57:16
>>661
>一つ言って置く、全てを得ることは全てを失うに等しい
快感原則の彼岸、完全なエクスタシーのことじゃないの?
675考える名無しさん:04/10/19 05:16:19
激しく外出かもしれないけど、ツァラトゥストラの、三度否って言うのは、
ペテロがキリストを三度知らないと言ったことでいいんだよね?
すると、ニーチェの言う超人は、使途なのかな?
アンチキリストの、「雷の子ら」と言うのも、使徒ヨハネとヤコブの綽名だし。
676考える名無しさん:04/10/19 11:56:33
ニーチェは聖書を良くパロる。
三度否に意味があるのかは知らない。
677弥勒 ◆LY666//S/s :04/10/19 20:04:11
>675
何も無い空間を踏み台として高くジャンプすることは出来ないように、
何かしら比較対象を必要として論を講ずるのはごく普通の手法であろう。

ニーチェは早くして亡くした牧師であった父の影を、聖書を読むことによって
追体験していたのかもしれない。
つまり、ニーチェにとっては、聖書は自分にとって身体の一部のように
親身な存在でありながら、なおかつ多くの大衆に読まれている普遍性を
持っていたわけだから、これを自分の主張の『踏み台』として利用するという
発想はごく自然な流れであろうことは想像に難くないだろう。
著書の中に「アンチキリスト」という題があるのも、彼の方向性を裏付ける
ものである。また、遺稿集やツァラトゥストラを読めば理解出来ようが、彼が
キリスト教徒に対して言おうとした主題は、実は「宗教」の問題ではなくて、
「群集心理的蒙昧さ」に対する警鐘としての価値を多大に含むものなのである。

つまり、『踏み台』に気を取られてる暇があったら、挑戦者がどこまで
飛んだのかを確かめろ、ってこった。
君が五島勉(古…)やMMRファンでないのならな。
678考える名無しさん:04/10/20 22:47:00
悲劇の誕生・人間的、あまりに人間的・悦ばしい知識・ツァラトゥストラ・善悪の彼岸・道徳の系譜・この人を見よ

と、順番に読むつもりです。基本、岩波文庫でいいのかなあ。
ざっとこのスレを見て中公クラシックスがわかりやすいっていう書き込みもあったみたいだけど。。。
でもニーチェスレはあんまり訳でもめてないですね。カントスレでは岩波文庫がダメダメなだけに、常にもめてますけどw
679考える名無しさん:04/10/21 02:07:12
文庫だったら、ちくま学芸版がいいと思う。
680考える名無しさん:04/10/21 07:31:46
読み比べてないからわからないけど、脚注が多いのでちくまの全集版がいいと思うよ。
文庫といえど全集で集めると、気持ちがいいしね。(不純)
681675:04/10/22 15:31:59
ツァラは、神は死んだ、俺たちが殺したのだ。とも言ってるじゃない?
使徒の心情としては、これ以上のものは有り得ないとも思うんだよね。
そこにはルサンチマンも無い訳だし。

ちなみに俺は、キバヤシのファンです。
682考える名無しさん:04/10/22 16:11:24
汝、沈澱せよ

     ――Tristan Tzara
683考える名無しさん:04/10/22 21:27:31
>>681
>ツァラは、神は死んだ、俺たちが殺したのだ。とも言ってるじゃない?

何故に、どうやって殺したのかわかる?
684681:04/10/22 22:31:32
>>683
ええ、一応は。神はとても退屈だった、息詰って死んだんです。
でもそれは、使徒に囲まれた、キリスト=イエスも同じだったと思います。
また、イエスは、何よりも、(そうすべき時にすら)
自分の痛みを感じ取る事の出来ない人間であったと聞き及んでいます。
685考える名無しさん:04/10/22 23:40:44
ニーチェスレで神の死について語るならば、いい加減なことは言わないように。

(ギリシャなどの)神々は、唯一神の宣言を聞いて、腹を抱えて笑い死んだのだ。
唯一神は、人間への同情ゆえに死んだのだ。
686684:04/10/23 01:49:38
>>685
はあ、ですから、大意有っていると思いますが?
687考える名無しさん:04/10/23 01:55:38
>>686
そか。ディテールにこだわるのは教条趣味だったか。
688686:04/10/23 03:55:41
>>687
はあ、気分を害されたようなら謝ります。御免なさい。
神の死は、信徒達にとっては根底であり、使徒達にとっては無底である。
と言うような事を、自分では述べたかったんだと思います。
689考える名無しさん:04/10/23 09:27:57
ニーチェがポストモダン系現代思想の起源のように
ポストモダン論者(批判も賛同も含め)は見なしているようだけど、どう思う?
690考える名無しさん:04/10/23 19:27:31
「真理の解体」という面では、やはりニーチェが一番だろう。
691弥勒 ◆LY666//S/s :04/10/23 21:03:06
真理というか、メッキで飾られた 『 エゴ 』 どもの解体なんだけどもな。
人間的、あまりに人間的な解釈たちの…
692688:04/10/24 01:10:02
>>691
私の事ですか?
693考える名無しさん:04/10/24 21:05:34
>692
ニーチェのスレでニーチェの本読んだことも無い人間があれこれ書きなぐって、
スレ住人がニーチェの著書内容に関連したレスをよこしたにも関わらず
これに対して的外れな返答をよこすのはいかがなものかと。

羞恥、羞恥、羞恥…、人間の歴史とはこの連続だ…
694692:04/10/24 23:07:49
>>693
>羞恥、羞恥、羞恥…、人間の歴史とはこの連続だ…
知的興奮も、羞恥に入りますか?
695考える名無しさん:04/10/24 23:09:56
お、弥勒、ひさしぶり
696考える名無しさん:04/10/24 23:13:55
厨がまっさきに飛びつくニーチェにふさわしいスレ展開
697694:04/10/24 23:30:06
>>696
ニーチェ自身は厨じゃないのですか?
698考える名無しさん:04/10/24 23:48:16
現代思想の源流だろ
699考える名無しさん:04/10/25 00:12:00
カントもろくに読み込まなかった人間が源流なのか。
どうりで眉唾思想だらけになるわけだ。
700弥勒 ◆LY666//S/s :04/10/25 20:50:18
>知的興奮も、羞恥に入りますか?

正直、最初に読んだ時に意味が判らなかった。
「なぜ、知的興奮と羞恥が、同義とみなされるのであろうか?」と…
例えばうろ覚えで言った言葉が、全然的違いな解釈であった時などは、「聞くは一時の恥…」と
自分に言い聞かせて教えを請うこともあろうが、そこには自分の失態を拭い去ろうとする情動が
実は後押しをしていたりすることもまま有るわけで、これを一緒くたにして同義と誤認することも
無くはないだろうな、と思ったりしたわけだ。
しかしながら本当の知的興奮というものは、なんかこう、“冒険者”が一人、密林で古代遺跡を
見つけるような、そういう「血沸き肉躍る」ような感覚なのではないだろうか?
今まで漫然として抱えていた疑問符が、手に取った本の中で執刀医の手によって捌かれているのを
如実に目撃する興奮、「ああ、それだよ!、俺の話したかった問いはそれなんだ!」という
手放しの同意、そしてその足取りを見失うまいとする意欲、こういうものの総括が『知的興奮』
なのではないのだろうか?
だがこれは『羞恥』ではない。何故ならば『羞恥』とは“力への意志”の残滓物であるからだ。
701694:04/10/26 00:30:42
>手に取った本の中で執刀医の手によって捌かれ
だって本の中で経験するとは限らないじゃないですか。

>なんかこう、“冒険者”が一人、密林で古代遺跡を見つけるような
だって普通は信じて貰えないじゃないですか。
702弥勒 ◆LY666//S/s :04/10/26 05:52:47
>>701
> だって本の中で経験するとは限らないじゃないですか。
馬鹿だなあ君は。
それは一例を挙げただけであって、2chのレスを読もうが、人から話しを
聞こうが、自分で何かを発見しようがその機会の種類は別に何だっていいんだよ。
問題はその能動的な意欲(精神性)なのだから。
それより羞恥がなぜ同義なのかを説明してくれよ。
703701:04/10/26 16:31:39
だって僕はニーチェじゃないから、>『羞恥』とは“力への意志”の残滓物
力への意志とその残滓の区別なんて付かないんです。
再現前化・・・何か恥ずかしいです。
704701:04/10/26 17:10:54
知への愛→知的興奮→力への意志
↑             ↓
恥ずかしい←嬉しい←力への同化(帰属?)
705701:04/10/26 18:02:12
>それより羞恥がなぜ同義なのかを説明してくれよ。
そうですねぇ、僕は(一時的にせよ)絶対精神を目指している訳ではないので。
自分のお作法が教養の副産物、世界内存在だなーと思う訳です。
706701:04/10/26 23:26:06
知的興奮と言うのは、流血するスティグマのような物だと、僕は思います。
スティグマは相貌性を持ち、そのことが羞恥を誘うのでしょうか?
707考える名無しさん:04/10/27 00:14:03
探しにくくなってきたからageさせてくれ
708701:04/10/27 00:32:12
反実仮想、仮装と言った物が私の関心を占めているからでしょうか?
709701:04/10/27 00:48:37
詩的興奮、と言うべきだったかも知れません。
710考える名無しさん:04/10/27 01:50:52
>>699
カントはろくに他人の本読まずに純粋理性批判書き上げました。
とゆか カントの読書嫌いは半端なかったそうだ。
何事も一線画するような哲学打ち立てるのはそういう人間だろうな。
自己亜流的な世界を打ち立てるから源流になるわけだし。
711考える名無しさん:04/10/27 02:26:59
自己亜流的って何ですか? イヤホントに。
712701:04/10/27 03:22:07
自己流と、亜流が混じったんじゃないですかね?的は統辞。
713考える名無しさん:04/10/27 16:25:28
>>712
ビンゴ。
漢字は便利だね。
714考える名無しさん:04/10/28 13:44:38
とあるエッセイで、ニーチェの「愛せなければ通過せよ」
という言葉を読んだのですが、これはどの作品に書かれている言葉でしょうか?
怠慢ですみませんが、分かる方どなたか教えてください
(出来れば何章に書いてある、とかも)。
「ツァラトゥストラ」は以前に読んだことはあるのですが、
私の読解力では100%理解できたとはとても言えず、
以来ニーチェの作品は読んでいません。よろしくお願いします。
715701:04/10/28 14:07:49
Love it or leave it か、これは流行らせたくはあるね。
716考える名無しさん:04/10/28 15:43:01
>>714
ツァラトゥストラで、障害者を見て、そういう場面がある。
4章だったかな。どっちにしろその障害者は最後の晩餐のパロのところで出てくると思う。
717714:04/10/28 17:06:10
>>715,716
早々のレスありがとうございます。助かりました。
ツァラトゥストラの四章ですか、恥ずかしながら全く記憶にありません。
もう一度ゆっくりと読み直してみます。
718考える名無しさん:04/10/28 17:46:35
それで障害者が感謝する。
「自分を最も傷つけるのは、他人の同情だ」
みたいにいって。
719弥勒 ◆LY666//S/s :04/10/28 19:11:44

「愛せなければ通過せよ」は、

『大都市』でツァラトゥストラの猿と呼ばれる男が
エセ説法を吹聴して回っていたのを嗜めた時の話じゃなかった?


「自分を最も傷つけるのは、他人の同情だ」

これは『最も醜い人間』とのやりとりだろう?
720考える名無しさん:04/10/28 19:29:44
ああそうか。ごちゃごちゃになってた。
721弥勒 ◆LY666//S/s :04/10/28 19:58:46

「私は読まれる事を欲しない。そらんじられる(暗記するほどの読み込まれる)ことを欲する」
722弥勒 ◆LY666//S/s :04/10/28 20:04:58
誤字スマソ。

読書についてはニーチェの「この人を見よ」にも、かの人の『我が闘争』にも
学ぶべき言葉が書かれている。
この点に関してだけは、何人たりともそれを真摯に熟考する価値が有ると
私は考える。
723考える名無しさん:04/10/29 00:23:16

なにが「神は死んだ」だよ。
てめーが死んでんじゃねぇーかw
724考える名無しさん:04/10/29 00:52:29
>>722どう学ぶべきなのか教えて欲しい。
725弥勒 ◆LY666//S/s :04/10/29 03:19:17
>724
読んで自分で確かめようとする気概も暇もないのならば
君には縁の無い事柄だろうよ。
板住人における読書率というものがあるとしたならば
文系の板におけるそれは当然他板よりも多くあってしかるべきであり、
特に哲学的に思考する事柄に関しては、その内容に対して「“又聞き”の語弊」に
対する警戒を(出来る限り)怠ってはならないからである。
726701:04/10/29 03:42:59
又聞き語弊(マタギキゴヘイ)・・何か人の名前みたいだ。

>そらんじられる(暗記するほどの読み込まれる)ことを欲する
この部分は、ミュトスと言うか、耳学問的なものの到来を予感させる。
727考える名無しさん:04/10/29 10:03:51
書誌学者だし、詩人でもあったんだから、ホメーロイダイとかの連想かも。→耳学問
728724:04/10/30 11:48:03
>>725
読んださ。
そんなレスしたとこみると、たいした考えもなく「学ぶべきことがある」なんて書いてみただけなんだね。
729ntkngw141250.kngw.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jprlo:04/10/30 15:06:59
a
730考える名無しさん:04/10/30 18:47:23
ヒトラー哲学:ニーチェ哲学+反ユダヤ主義+廃墟芸術
731考える名無しさん:04/10/31 05:47:38
ルドルフ・シュタイナーの自伝から抜粋

ニーチェが彼なりの方法で霊の世界を目指す営みを続けながら、結局は自然科学的な自然観に捕捉されていたこと
は、当時の私には明白だった。それ故、私は彼の永劫回帰の思想に潜む神秘的解釈を厳しく拒んでいた。私はペー
ター・ガストの説に同意する。ペーター・ガストは彼の編集したニーチェ全集に、次のように書いている。「ニーチェの永
劫回帰の思想は、純機械論的に解釈すべき有限性に関する理論であり、したがって宇宙の分子結合の反復性に関
する理論である。」----ニーチェは自然の原理から高邁な思想を導き出さねばならないと考えていた。これが彼の、
同時代を病弊とする苦闘のあり方であった。このように、19世紀末の自然観が原因となり----霊へ眼差しを向けな
がらも----苦悩を背負わざるをえなかった人間の苦悩が、1896年当時の私の眼前に、ニーチェの魂の像となって
現れたのである。

732考える名無しさん:04/10/31 05:51:20
シュタイナーは既に廃人になった後のニーチェを何度も訪問したらしい
だけど、ニーチェの妹のエリーザベトとの間に確執が生じて、相当苦しんだそうな
733@@@:04/10/31 22:59:05

>>731さんへ
ルドルフ・シュタイナーの自伝から抜粋

続きを書いてくれ。
できれば全部。。。←図々しくてすまん。。。
頼む。


また ルドルフ・シュタイナーはニーチェの永劫回帰を間違っている
と述べているのでしょか?
できるだけできるだけできるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。
734@@@:04/10/31 23:08:03

ペー ター・ガストもニーチェの永劫回帰を間違っている
と述べているのでしょか?
できるだけできるだけできるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。


735考える名無しさん:04/10/31 23:22:20
お前ら楽ばっか考え過ぎ!
736考える名無しさん:04/10/31 23:49:14
脳性梅毒で発狂し廃人になって死んだニーチェの思想・言葉が、
後の神秘主義思想家にインスピレーションを与えたことと、
ニーチェの思想とを意図的に混同するのは、如何なものか。
737考える名無しさん:04/11/01 00:41:16
ニーチェ自身に価値無しの意か
ニーチェと神秘主義を切り離せの意か
738考える名無しさん:04/11/01 00:43:40
ニーチェとそのエピゴーネンを切り離せ。
739考える名無しさん:04/11/01 14:09:07
ニーチェは妹と性的な関係だったっていう書き込みを誰かがしていたけど、
そのソースはありますか?
そしてその情報が本当なら、その詳細を教えてください。
740考える名無しさん:04/11/01 16:54:23
741考える名無しさん:04/11/02 18:17:01
>>740
全然いい情報がでてこないわけなんですが。
検索結果を貼るより、わかっているのでしたら、ここで教えていただきたいのですが・・・
742考える名無しさん:04/11/03 22:11:46
増田達哉はただの屑。
743考える名無しさん:04/11/04 18:27:45
>>740
知らないならレスすんなよ
744無署名:04/11/04 21:30:55
>>739
性的な関係は分からないが、ニーチェとと二歳年下の妹の関係よりは、
夫婦に近い関係だったようだ。

「ニーチェは大学生になってからでさも、彼のもっとも内奥の思想を愛する
妹に打ち明け、エリーザベトに向かって「忠実なリャーマ」と優しく呼びかけて
いる。」P.75

「結婚したいと思った女性にはみんな断られ、彼がたよりにできるのは、
いぜんとしてエリーザベトだけであった。彼女もまた結婚せず、バーゼルで
兄の世話をし、旅行に出るときはたいていいっしょだった。どう見ても、
兄フリッツと妹エリーザベトは夫婦のように不可分であり、喧嘩して泣いた
あとの仲直りさえも、夫婦喧嘩の場合とそっくりであった。」P.76

「ルー・サロメ 愛と生涯」 H.F.ペータース                         
745考える名無しさん:04/11/04 21:34:05
妹さんがネオナチだったんだよな
746無署名:04/11/04 21:34:19
性的な関係は分からないが、ニーチェと二歳年下のエリザーベトの関係は、
兄と妹の関係と言うよりは、夫婦に近い関係だったようだ。

に訂正する。
747考える名無しさん:04/11/06 17:07:53
先日、図書館で係員に
「すみません、『ニーチェ・レー・ルー』という本を探しているのですが」
というと、係員が「はい?」と言ってきた。
もう一度「『ニーチェ・レー・ルー』です」と言うと、
「ニーチェ……レール?ですか???」と言ってきた。
748考える名無しさん:04/11/06 19:30:35
(´-`)。o○(妹、か…。)
749ポール:04/11/06 19:36:22
(=゚ω゚)ノ
750考える名無しさん:04/11/06 23:43:01
ニーチェが画家だったらゴッポみたいなタイプだったろうね
751考える名無しさん:04/11/06 23:45:32
ゴッホ****
752ポール:04/11/06 23:47:06
(=゚ω゚)ノ
753考える名無しさん:04/11/07 03:54:44
>>744
「ニーチェと悪循環」だったかな、書簡には「マーマと、リャーマが自分を虜囚にしている」
ってかんじで、かなり愛憎入り交じった関係だったと読んだ(少なくともニーチェ側からは)。
754考える名無しさん:04/11/07 05:18:55
増田達哉はただの屑。
755@@@:04/11/08 20:27:49
>>735:考える名無しさん :04/10/31 23:22:20
お前ら楽ばっか考え過ぎ!

どういう意味でしょうか?
できるだけ詳しくお願い致します。


>>736:考える名無しさん :04/10/31 23:49:14
脳性梅毒で発狂し廃人になって死んだニーチェの思想・言葉が、
後の神秘主義思想家にインスピレーションを与えたことと、
ニーチェの思想とを意図的に混同するのは、如何なものか。

どういう意味でしょうか?
言ってることがいまいちよくわかりません。
できるだけ詳しくお願い致します。


>>731
ニーチェが彼なりの方法で霊の世界を目指す営みを続けながら、結局は自然科学的な自然観に捕捉されていたこと
は、当時の私には明白だった。それ故、私は彼の永劫回帰の思想に潜む神秘的解釈を厳しく拒んでいた。

と書いてありますが。。。


756@@@:04/11/08 20:29:25

>>737 :考える名無しさん :04/11/01 00:41:16
ニーチェ自身に価値無しの意か
ニーチェと神秘主義を切り離せの意か

どういう意味でしょうか?
言ってることがいまいちよくわかりません。
できるだけ詳しくお願い致します。

>>738 :考える名無しさん :04/11/01 00:43:40
ニーチェとそのエピゴーネンを切り離せ。

どういう意味でしょうか?
言ってることがいまいちよくわかりません。
できるだけ詳しくお願い致します。



757考える名無しさん:04/11/08 22:17:36
@@@は辞書引け ウザイ。人智学なら別にスレがあったはず。ニーチェとは直接関係ないだろ。
758考える名無しさん:04/11/08 22:40:42
>>745
ネオナチはない
759考える名無しさん:04/11/09 14:17:13
始まりの刑罰は5種、生命刑、身体刑、自由刑、名誉刑、財産刑、
様々な罪と泥と闇と悪意が回り周り続ける刑罰を与えよ
『断首、追放、去勢による人権排除』『肉体を呵責し嗜虐する事の溜飲降下』
『名誉栄誉を没収する群体総意による抹殺』『資産財産を凍結する我欲と裁決による嘲笑』
死刑懲役禁固拘留罰金科料、私怨による罪、私欲による罪、無意識を被る罪、自意識を謳う罪、
内乱、勧誘、詐称、窃盗、強盗、誘拐、自傷、強姦、放火、爆破、侵害
過失致死、集団暴力、業務致死、過信による事故、誤診による事故、隠蔽。
益を得る為に犯す。己を得る為に犯す。愛を得る為に犯す。
徳を得る為に犯す。自分の為に■す。窃盗罪横領罪詐欺罪隠蔽罪殺人罪器物犯罪犯罪犯罪
私怨による攻撃攻撃攻撃攻撃汚い汚い汚い汚い
おまえは汚い償え償え償え償え償えあらゆる暴力あらゆる罪状
あらゆる被害者から償え償え『この世は、人でない人に支配されている』
罪を正すための良心を知れ罪を正す為の刑罰を知れ。
人の良性は此処にあり、余りにも多く有り触れるが故にその総量に気付かない。
罪を隠す為の暴力を知れ。罪を隠す為の権力を知れ。人の悪性は此処にあり、
余りにも少なく在り辛いが故に、その存在が浮き彫りになる。百の良性と一の悪性。
バランスをとる為に悪性は強く輝き有象無象の良性と拮抗する為強大で凶悪な『悪』
として君臨する。始まりの刑罰は五
に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■
す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自
分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の
為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に■す自分の為に
■す勧誘、詐称、窃盗、強盗、誘拐、自傷、強姦、放火、爆破、侵害汚い汚い汚い汚い
おまえは汚い償え償え償え償え
あらゆる暴力あらゆる罪状あらゆる被害者から償え償え『死んで』償え!!!!!!
760考える名無しさん:04/11/09 19:40:52
永劫回帰について参考までに

『回帰は生成の存在、多の一、偶然の必然であり、<差異としての差異>の存在、
あるいは永遠回帰である(・・・)。

永遠回帰の教訓は、否定的なものの回帰は存在しないということである。
永遠回帰は存在が選択であることを意味している。肯定するものが、
あるいは肯定されるものだけが、回帰するのである。

ニーチェの理論的教訓は、多、偶然はいかなる偶然も含まず、
<差異は純粋な肯定>であり、<回帰は差異の存在>であり、
一切の否定を排除するということである。

だが、この教訓はさらにニーチェの実践的教訓によって補完されなければならない。
その実践的教訓とはこうだ、すなわち<差異は幸福>であり、多、生成、偶然は、
それだけで<歓びの対象>として十分であり、<歓びだけが回帰する>のだ
ということ。

神の死が最終的にその本質を見出し、<歓ばしき事件>になるためには、
時間が必要である。否定を一掃し、反動を払いおとす時間とは
能動的生成の時間である。そしてその時間こそ、まさしく永遠回帰の循環に
他ならないのである。』 

「ドゥルーズのニーチェ論」 足立和宏
761@@@:04/11/09 20:34:06

永劫回帰について
もう少しわかりやすくお願い致します。
762考える名無しさん:04/11/09 20:44:58
まず、キミが永劫回帰する何ものかがあると、漠然とにせよ、思っているとして、
それは、誰にとっての、どのようなものだ、と考えているのかな?
それを正直に白状するなら答えてやらんでもない罠。
763@@@:04/11/09 21:22:19
それは、誰にとっての、どのようなものだ、と考えているのかな?

よくわかりません言ってることが。。。
とにかく もう少しわかりやすく教えて頂けますか?
お願い致します。

まあ言ってみれば

俺にとって 宇宙人生ゲームを永久永遠に終わらせるかどうか

という大問題です。
764@@@:04/11/09 21:36:38
それは、誰にとっての、どのようなものだ、と考えているのかな?

俺にとって 宇宙人生ゲームを永久永遠に終わらせるかどうか

という大問題です
765考える名無しさん:04/11/09 21:46:16
日本人のニーチェ論で感銘を受けるようなものってありますか?
私工房なんですが私の哲学の師なるお方は「日本人のニーチェ論はキリスト教的な世界観を無視して展開してるものが多いから読むに値しない」とおっしゃっていましたので…
確かに私もニーチェを読んでみるとごく身近にキリスト教的な世界観が存在しないためか「それで?」というような印象を受けるのですが…
友人にも興味本位でニーチェの書を読み賞賛する人がいますがどうしても空虚な感じがするんですよね…
やはり論理的な思考以外にも文才もありふれており、悪い言い方をするならば「天の邪鬼的思考」をするニーチェだからこそこのような痛々しい人間が賞賛しやすいのだと思っています。
どなたかキリスト教的な世界観に基づいてニーチェ論を展開してくださるかたおられませんか?
766考える名無しさん:04/11/09 21:46:31
そろそろ、なんでも哲学をかたってよかですか?
767考える名無しさん:04/11/09 22:16:16
>>765
うーん、そういう日本人によるニーチェ論ってのはほとんどないんじゃないかな。

・日本人なのにキリスト教を信仰していて

・なおかつそれに反旗を翻そうとする

っていう人は、日本においては二重の希少性を帯びることになるわけだし。
768765:04/11/09 22:29:38
>>767
確かにそうですよねぇ…
ニーチェは非常に偉大な方だとは思っているんですがどうもしっくりこなくて。
自分の勉強不足だとは痛感しているのですが…
簡単に言うと「神は死んだ」と言われても「それで?」みたいな感じなんですよね。
インテリジェンスの感じられない文章ですみません(^^;)
何かここら辺を上手く表現してある書があれば是非教えて下さい!
769考える名無しさん:04/11/09 22:37:46
日本で早くにニーチェを受容した阿部次郎なんかはクリスチャンだったわけだけど、
彼はニーチェの思想内容を世俗的道徳に変えちまってるからなぁ。
770考える名無しさん:04/11/10 05:25:32
そんな事は気にせず読めばいい。
気になるなら読まずに通りすぎろ。
研究するなら批判的に言及すりゃいい。

ニーチェには繊細さと共に豪快さも必要。
771@@@:04/11/10 16:36:01
>>762 :考える名無しさん :04/11/09 20:44:58
まず、キミが永劫回帰する何ものかがあると、漠然とにせよ、思っているとして、
それは、誰にとっての、どのようなものだ、と考えているのかな?
それを正直に白状するなら答えてやらんでもない罠。

答えたからできるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。
772@@@:04/11/10 16:36:24
>>762 :考える名無しさん :04/11/09 20:44:58
まず、キミが永劫回帰する何ものかがあると、漠然とにせよ、思っているとして、
それは、誰にとっての、どのようなものだ、と考えているのかな?
それを正直に白状するなら答えてやらんでもない罠。

答えたからできるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。
773考える名無しさん:04/11/10 20:15:28
>>772
あっさり答えるなら、ミームが永劫回帰する。
そこに(人格としてでも魂としてでも)人間はいない。
ミームが何かは自分で調べるか、質問スレへ。
774考える名無しさん:04/11/10 21:35:05
775あげぞ:04/11/10 23:45:30
>>765さん

>>385の類型における9番目の解釈ですね。
>>389>>390も補足的に読んで頂けると幸いです。
そういう解釈を実践している人がいるとしたら上智他神学系でしょうけど、
私は知らないですね。
776考える名無しさん:04/11/13 18:41:10
>>760
ドゥルーズのその永劫回帰が選択的だという解釈は、少なくとも
ニーチェのそれとは違っていると思うよ。
否定が回帰しないなら、否定などはとっくに無くなっている。
777考える名無しさん:04/11/13 19:05:05
>永遠回帰の教訓は、否定的なものの回帰は存在しないということである。

否定ではなく「否定的なもの」 とあるね。
違いについて、言葉を継いでもらえると有り難い。
778考える名無しさん:04/11/13 21:37:33
何度か読んだが、差異って何を指しているのか分からん
779考える名無しさん:04/11/14 00:24:49
>>777
760には
>一切の否定を排除するということである。
とか
>否定を一掃し
とも書いてるじゃない?
780考える名無しさん:04/11/14 00:28:48
つーか、ドゥルーズにしてみちゃ「同一」なものが回帰するというのは
許せないから、話がややこしくなるんとちゃう?
@@@はスレ立てたら骨にゃんが構って呉れると思うよ。
782考える名無しさん:04/11/14 00:49:40
>>779
肯定と否定の対を静的(スタティック)に捉えてないか。
肯定的だったもの(こと)が否定的なもの(こと)に堕落したり、
否定的だったもの(こと)が肯定的なもの(こと)に化けたりするだろ。

キーは、創造性、創発性、ようは何か新たなものを産み出す力を言っているんだろ。
783考える名無しさん:04/11/14 09:37:08
人生の片時でもいいから、ふとこう思ってみる。

今まで、自分の身に起こった、一切の事象を肯定すること。
また
今後、自分の身に起こるであろう、一切の事象を肯定すること。

そんなことが果たしてできるのかどうか?

これは、19世紀の有名な思想家、
ニーチェにとって切実な課題でした。

もし、そのようなことができたとき、
永遠は今となり今がすべてとなるでしょう。
運命愛とはそのような境地を言うのでしょうか。
784考える名無しさん:04/11/14 11:18:48
>>778
ドゥルーズが言う「差異」ちゅうのは、ヘーゲル弁証法への
アンチテーゼ(wとして、ヘーゲルの「否定」の代わりに
差異=微分的なものを持ってきたものと、俺はおぼろげに
理解しているのだが、よく分からん。
詳しい人よろしこ。
785@@@:04/11/14 16:24:52
>>773質問スレってどこにあるの?
しつこいようですが 
人格は一回切りだが その中でも中心と呼ばれてるもの
魂(←俺の核)とニームは100%違うのですね?
また 意識も(←俺の核!?)とニームは100%違うのでしょうか?
できるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。

>>781781 :くらひと(@@@) ◆ncKvmqq0Bs さん
骨にゃんって何?
786@@@:04/11/14 16:25:25
訂正
>>781 :くらひと(@@@) ◆ncKvmqq0Bs さん
骨にゃんって何?
787@@@:04/11/14 16:28:58
訂正
すいません。

>>773質問スレってどこにあるの?
しつこいようですが 
人格は一回切りだが その中でも中心と呼ばれてるもの
魂(←俺の核)とミームは100%違うのですね?
また 意識も(←俺の核!?)とミームは100%違うのでしょうか?
できるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。

788@@@:04/11/14 17:10:39
訂正
すいません。

>>773質問スレってどこにあるの?
しつこいようですが 
人格は一回切りだが その中でも中心と呼ばれてるもの
魂(←俺の核)とミームは100%違うのですね?
また 意識も(←俺の核!?)とミームは100%違うのでしょうか?
できるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。
789考える名無しさん:04/11/14 17:43:00
わざと反復しやがったな。
790@@@:04/11/14 18:12:08

誤解です。
そんなつもりじゃ。。。
791くらひと(@@@) ◆ncKvmqq0Bs :04/11/14 18:26:01
骨にゃん(ほー猫にゃん、翡翠)は、一寸アレゲなスレを立てると、適切に
問題を改題(分析、指摘、解説、解題)してくれる親切な森の妖精さんだよ。 全裸で
792考える名無しさん:04/11/14 20:03:19
>>788

スレッド立てるまでもない質問4@哲学
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1090455011/l50
793@@@:04/11/14 21:05:22

さんくす。
794@@@:04/11/14 21:06:21
>>773
しつこいようですが 
人格は一回切りだが その中でも中心と呼ばれてるもの
魂(←俺の核)とミームは100%違うのですね?
また 意識も(←俺の核!?)とミームは100%違うのでしょうか?
できるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。

795@@@:04/11/14 21:07:29


しつこくてすいませんでした。←訂正したので。。。
でも できるだけ詳しく答えて欲しいです。
お願い致します。
796@@@:04/11/14 21:24:17
つまり
俺が聞きたいのは進化して進化して進化しまくったら
どうなるのか?
ということをできるだけ詳しく答えて欲しいのです。
お願い致します
797考える名無しさん:04/11/14 21:29:56
>796
それはコリン・ウィルソンのスレだよ。
ニーチェじゃないが。進化論で、実存とかなら。
想像力が進化して、オカルトになるんだよ。
ガンヲタ蓄群が喜ぶんだよ。ニュータイプとかいって。
ニーチェの進化論的解釈は、始めから進化したら
どうなるか決まっている。超人になるんでしょ。
進化=誰でもなれる
超人=誰でもなれるわけではない
だが、超人っていう概念(?)を創出することの意味を
論じるべきであって、じっさいに超人は誰か、とやり始めると、
精神病患者でもないのに、病的なことを一生つぶやいてるほか
ないであろう。だからこう問うべきだ。超人とはなにか?
ま、蓄群が、畜群を批判する時代だし、そういう批判はいけない
と蓄群がやりかえす時代だからな。
798@@@:04/11/14 21:30:07
799@@@:04/11/14 21:30:33

646>>647>>648>>649>>650>>651>>652>>653までに
俺の見解が書いてあります。
参考にどうぞ。
800@@@:04/11/14 21:33:08

訂正
>>646>>647>>648>>649>>650>>651>>652>>653までに
俺の見解が書いてあります。
参考にどうぞ。

>>797

お返事ありがとう。
超人っていう概念(?)をできるだけ詳しく教えて欲しいです。
お願い致します。私が問題にしてるのは魂などの進化についてです。
小類人と大類人とジャンクに分れるのだよ。(投遣り)
802797:04/11/14 21:38:14
ああ、それとか、
ニーチェの優生学的解釈はナチズムで、
コリン・ウィルソンの「想像力」の進化も優生学で、
ガンダムのニュータイプも優生学で、
全部ダメだから、ニーチェはハイデガー経由で読もうとか、
そういう戦略だったかな。きみが言いたいのは。
コリン・ウィルソンの「想像力」の進化は、ただのオカルト
なんで。ヴィジョンなんか観ないんでね。ひとは。
想像力なんて才能論にならないしね
ま、否定して、しがみつくのは自由だが。「人間の秘められた能力」
という「虚構」に。哲学と科学が共犯して、無駄できる放蕩学問
っぽいし。だが、ソ連じゃあるまいし? そろそろダメだと思うな。
残党だよ。
803あげぞ:04/11/14 21:39:31
>>765を受けて>>796に回答を試みると、
「超人」概念は「新しいキリスト像」なわけです。
見返りを求めて愛を与えるような、ルサンチマン的な、キリスト教の狭義に汚染されたキリストではなくて、
見返りを求めずに、富めるが故に愛を与えるような、アガペーの体現者なのです。

ハイデガーもドゥルーズも自分の関心の届く範囲でしかニーチェを扱っていないので、
彼らの著作を読んでもニーチェの断片しか分からないと思いますよ。
804考える名無しさん:04/11/14 21:42:15
まるで君がニーチェを完全理解しているようではないか。
805@@@:04/11/14 21:56:48
>>803 名前:あげぞ :04/11/14 21:39:31
>>765を受けて>>796に回答を試みると、
「超人」概念は「新しいキリスト像」なわけです。
見返りを求めて愛を与えるような、ルサンチマン的な、キリスト教の狭義に汚染されたキリストではなくて、
見返りを求めずに、富めるが故に愛を与えるような、アガペーの体現者なのです。

では 超人つまり 新しいキリスト像なった後は
また 超人つまり 新しいキリスト像なったずーと後は
どうなるのでしょうか?
できるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。
806@@@:04/11/14 21:59:06

誰か誰でもいいので
できるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。
807@@@:04/11/14 22:01:34
>>789 :考える名無しさん :04/11/14 17:43:00
わざと反復しやがったな。

反復について
できるだけ詳しく
答えて欲しいです。
お願い致します。
また 差異についても
できるだけ詳しく
答えて欲しいです。
お願い致します。

808@@@:04/11/14 22:02:05

誰か誰でもいいので
できるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。
809考える名無しさん:04/11/14 22:03:02
紀宮の旦那、変な奴だな
810@@@:04/11/14 22:05:05
     
>>796など他おすべての質問についても ↑>>808に 同上
つまり>>808に同様です。
  
811考える名無しさん:04/11/14 22:37:08
ジル・ドゥルーズの「差異と反復」を嫁。そして自分で考えろよ。

『彼ツァラトゥストラはすでに、時間がひとつの円環であることを否定し、
侏儒にこう答えている。「重さの霊よ、あまりにも手軽に考えるな。」』 「差異と反復」邦訳P.441
812あげぞ:04/11/15 00:49:13
>>810
永劫回帰については諸説ありますが、「人生の再反復」と考えるのはどちらかと言えば解説本的かつ通俗的な解釈です。
それから、人間と神との間が、生命の化学進化説的に飛躍できるとは思えません。
むしろ私は「力(権力)への(ショーペンハウアー的世界)意志」が永劫回帰する、と解釈しています。

魂と人生を結びつけて考えるのは、輪廻思想に影響された仏教的なニーチェ解釈かと思いますので、
その整合性について論議するつもりはありません。
世界意志を魂とどうしてもつなげたいのなら、ショウペンハウアーを読むことをオススメします。
信太正三さんあたりの著作が向いているのではないでしょうか。

仏教的に解釈するまでもなく、西洋哲学にはネオプラトニズムという柱があり、
「分有」という概念が個別の意志や個別の魂を説明済みです。
ネオプラトニズムはキリスト教に取り入れられ、イスラム圏でも論議されました。
アヴィケンナやアヴェロエスを読んではいかがでしょうか?
井筒俊彦『イスラム思想史』あたりが分かり易いです。

>また 超人つまり 新しいキリスト像なったずーと後はどうなるのでしょうか?
ニーチェは書いていません。ツァラトゥストラも、超人ではありません。
私は以下のように解釈しています。

「超人」は恒久的な存在ではなくて、一種の「悟りを開いた状態」「神の存在を強く感じた状態」などではないかと。
コリン・ウィルソンの表現を借りれば、至高体験でしょうか?
そして、そういった状態は決して長続きしません。ですから、そういった境地に辿り着くべく、再び努力することになるのではないかと。

しかし、例えばラヴェッソン=ベルクソン的に考えて、持続的習慣が人間を作るとすれば、
至高体験を継続することができれば「超人」に次第に近づき、「超人」そのものになる時が来るかもしれません。
一方で、キリスト教的な「神の現前を感じる瞬間」とは、決して長続きするモノではありません。
これはキリスト教諸派によっても解釈が分かれますが、
「祈りによって到達する」「聖書を読むことで悟る」「何もせずとも不意に訪れる」など、多彩です。
いずれにせよ、キリスト教的に考えれば、「超人」は持続しないモノ、となると思います。
813@@@:04/11/15 16:20:23
>>811
『彼ツァラトゥストラはすでに、時間がひとつの円環であることを否定し、

侏儒にこう答えている。「重さの霊よ、あまりにも手軽に考えるな。」』 「差異と反復」邦訳P.441

うう。。。よくわからん。

>>812 超人になっても俗物に戻るか?それは違うだろ。
崇高な体験を積めば人間の中身が変わるだろ。深みのある人間になると
思うぞ。悟りを開いた者はどうなる?超人ではないのか?
そういう意味で
俺が聞きたいには輪廻を繰り返し悟りを開いて人間的再生を終わったら
どうなるのか?
また 輪廻を繰り返し悟りを開いて人間的再生を終わった
そのずーーーーーーーーーと後は
どうなるのか?
今度は 非物質の霊としてつまり高級霊として生きるのか?
でもそのその後はどうなるのか?
またそのずーーーーーーーーーーーと後はどうなるのか?

誰か誰でもいいので
できるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。

814考える名無しさん:04/11/15 16:55:25
>>813
ニーチェは「輪廻を繰り返し悟りを開けば人間的再生が終わる」だの、それに似たようなことだのは言っていない
永劫回帰をニーチェの言ったままの意味でとれば、俗物から超人になった人間はその過程を永劫に繰り返すんだろう
輪廻転生を繰り返して魂が成長するだのの宗教的な話はスレ違い板違いだ
どうしてニーチェを理解すれば霊界のことまで語りえると思うのだ
815@@@:04/11/15 17:10:42
>>814 :考える名無しさん :04/11/15 16:55:25
永劫回帰をニーチェの言ったままの意味でとれば、俗物から超人になった人間はその過程を永劫に繰り返すんだろう

超人になっても俗物に戻るのですか?
そんで 強姦 虐待 いじめ リンチ 集団レイプ 拷問 自殺など
の超俗ぽいことをくり返しその因果が返り泣き叫びまた 立派な人間になり
それを超えて 超人になり だがまた俗物に戻るのですか?
そんで 強姦 虐待 いじめ リンチ 集団レイプ 拷問 自殺など
の超俗ぽいことをくり返しその因果が返り泣き叫びまた 立派な人間になり
それを超えて 超人になりの永劫の繰り返しなのでしょうか?

そんなの耐えられないのですが。。。(泣)
816@@@:04/11/15 17:11:59
>>814 :考える名無しさん :04/11/15 16:55:25
永劫回帰をニーチェの言ったままの意味でとれば、俗物から超人になった人間はその過程を永劫に繰り返すんだろう

それは一体どういう意味でしょうか?
上記のような意味でしょうか?
誰か誰でもいいのできるだけ詳しく答えて欲しいです。
お願い致します。
817@@@:04/11/15 17:17:39
訂正
>>814 :考える名無しさん :04/11/15 16:55:25
永劫回帰をニーチェの言ったままの意味でとれば、俗物から超人になった人間はその過程を永劫に繰り返すんだろう

それは一体どういう意味でしょうか?
上記のような意味でしょうか?
それとも違うのでしょうか?
誰か誰でもいいのできるだけ詳しく答えて欲しいです。
お願い致します。
818考える名無しさん:04/11/15 17:18:29
ちなみにニーチェは自殺を肯定してるぞ
暴力行為に関しても半ば肯定しているな
超人は宗教的な魂の成長を言っているわけではないし、永劫回帰も輪廻転生とは違うから
魂の成長や輪廻転生を話題にしたいのなら別のスレでするべきだろう
はっきりした解答を聞きたいなら哲学板よりも宗教板の方がいいと思うが
819@@@:04/11/15 17:22:06
永劫回帰と輪廻転生の違いを
誰か誰でもいいのできるだけ詳しく答えて欲しいです。
お願い致します
820@@@:04/11/15 17:23:15

永劫回帰と輪廻転生の違いを
誰か誰でもいいのできるだけ詳しく答えて欲しいです。
お願い致します
821@@@:04/11/15 17:23:56
818どーもお返事ありがとう。。。
822考える名無しさん:04/11/15 17:26:05
それに答えるのは簡単だが、それを答えたところでまた別の質問をしてスレを荒らすんだろう
どんなに質問をしたところでニーチェからはお前の満足できるような思想は出てこないぞ
どうしてそんなにニーチェにこだわる
823@@@:04/11/15 17:43:32

荒らしません。
もっともっと控えめに致しますので相手してやってください。
お願い致します。
ここはニーチェスレだしスレ違いでもないし
質問してもいいじゃん。
824@@@:04/11/15 17:47:44
>>822
満足できるような思想 とはなんですか?
私は真実(事実)を追求してるだけです。
どうかよろしくお願い致します。
825@@@:04/11/15 17:48:28
訂正
>>822
お前の満足できるような思想 とはなんですか?
私は真実(事実)を追求してるだけです。
どうかよろしくお願い致します。
826@@@:04/11/15 17:51:26
>>822 :考える名無しさん :04/11/15 17:26:05
それに答えるのは簡単だが

簡単なら答えてください。
でも できるだけ詳しくお願い致します。
お願い致します。(ペコリ)
827@@@:04/11/15 17:55:17

に関連して
ミームについても調べましたが
魂や人格ではなく
ミームだけだが永劫回帰するのですよね?
そんなこと誰が言ってたのですか?
また ミームと意識は違うのでしょうか?
   同じなのでしょうか?
誰か誰でもいいのではっくり教えて頂けませんか?
よろしくお願い致します。
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しく教えて欲しいです。
お願い致します。
828@@@:04/11/15 17:58:25
↑ 訂正 はっくり→はっきり
829考える名無しさん:04/11/15 18:16:45
ところで、このスレには物凄くキモい輩が粘着しているようだな。
そんなレスのつけ方じゃ教えてもらえんと思うがw >@@@
830考える名無しさん:04/11/15 18:51:05
ニーチェの思想を知ろうとすることは真実を追究することにはならないだろ
永劫回帰は今生きているこの人生とまったく同じ人生を永劫に繰り返すだけだと答えたらそれを真実だと認めるのか?
どうせ、満足できずに本当にそれで正しいのかとか、それではどうやって永劫回帰から救われるのかとか質問してくるだけだろう
自分にとって心地よい宇宙の真理とかを求めているのなら宗教板に行けって
831@@@:04/11/15 19:00:21
永劫回帰は今生きているこの人生とまったく同じ人生を永劫に繰り返すだけだと答えたらそれを真実だと認めるのか?

それは 今と同じ人生をくり返すということですか?
来世も同じ人生をする とそう
あなたはそう言いたいのですか?
あなたの見解を教えてください。
お願い致します。

832@@@:04/11/15 19:03:29

永劫回帰は今生きているこの人生とまったく同じ人生を永劫に繰り返すだけだと答えたらそれを真実だと認めるのか?

それが真実だという確証があるのですか?
死後は自分の人生を観て反省するのですよ。
それに魂の成長はどうなるのですか?
それなのに また全く同じ人生をくり返すのですか?
あなたはそう言いたいのですか?
あなたの見解を教えてください。
お願い致します。

もうごちゃごちゃ言いませんので
よろしくお願い致します。
熱くならず冷静に議論致ししょう。
お願い致します。怒らないでください。
お願い致します。
833@@@:04/11/15 19:14:24
あなたの言いたいことは
強姦魔は永遠に強姦魔で
強姦されるものは永遠に強姦される人生を永遠無限に
くり返すのでしょうか?
そんなの耐えられませんっ!

強姦されるのは因果でしょ。
何度も永遠に強姦されるのは100%おかしいと
思われます。私はあなたの見解が間違っていると思いますが
あなたの見解を書いてください。
お願い致します。

あなたは 同じ人生というのは来世もということですか?
それても 未来の未来の未来のいつかにまた再び同じ人生をくり返す
ということですか?(未来は過去に繋がっているという発想ですね)
あなたの言いたいことはどちらですか?
そのどちらでもないのですか?
あなたの見解でできるだけ詳しく書いてください。
お願い致します。
834@@@:04/11/15 19:16:57
835@@@:04/11/15 19:17:20
>>646>>647>>648>>649>>650>>651>>652>>653までに
俺の見解が書いてあります。
参考にどうぞ。


上記の俺の見解について
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しくどこが正しく
どこが間違っているかできるだけ詳しく書いて欲しいです。
お願い致します。





836@@@:04/11/15 19:20:35

>>830 名前:考える名無しさん :04/11/15 18:51:05

ちなみにあなたは死後の世界の仕組みや
霊界の仕組みもわからないようなアホではないですよね?
(↑もしもそんなアホだったらすいません)
話の通じる人間としてあなた方を見てますので議論致しましょう。。。
よろしくお願い致します。

また ↑
上記の俺の見解について >>834 >>835
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しくどこが正しく
どこが間違っているかできるだけ詳しく書いて欲しいです。
お願い致します。冷静に話しあいましょうね。
それでは。。。
837@@@:04/11/15 19:22:20
訂正    何度もすいません。

また ↑
上記の俺の見解について >>834>>835
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しくどこが正しく
どこが間違っているかできるだけ詳しく書いて欲しいです。
お願い致します。冷静に話しあいましょうね。
それでは。。。
838考える名無しさん:04/11/15 19:25:40
俺はあえてきつい言い方をしただけで怒っても熱くなってもいないが、>>829は怒ってるかもしれない
ニーチェは魂だの来世だの生まれ変わるだのといったことは言っていない
ただ、同じ人生がひたすらに繰り返すと言っているだけ
死後自分の人生を見て反省するだの、魂が成長するだのが真実だというのならニーチェに関わる必要はない
その先に関して知りたいならば哲学板ではなく宗教板で聞かないと求める答えはかえってこないだろう
839考える名無しさん:04/11/15 19:27:38
とにかく悪いように扱わないから安心して
840@@@:04/11/15 19:30:33

永劫回帰は今生きているこの人生とまったく同じ人生を永劫に繰り返すだけだと答えたらそれを真実だと認めるのか?

ニーチェの本に 今あなたがおっしゃたような言葉が書かれてましたっけ?
それは 来世も全く同じ人生をくり返すということですか?
それとも>>833の後半のような意味ですか?
それてもまたそのどちらでもないのですか?
あなたの見解をできるだけ詳しく聞きたいです。
よろしくお願い致します。

どーも記憶にありません。ニーチェのなんという本の題名でしょうか?
その本の中のどういう項目の
何ぺージか抜粋して頂けますか?お願い致します。

(ニーチェでなくても似たような文章が書いてある本
の題名とその本の中のどういう項目の何ぺージか抜粋して頂けたら嬉しいです。よろしくお願い致します)
841考える名無しさん:04/11/15 19:35:40
> 強姦魔は永遠に強姦魔で
> 強姦されるものは永遠に強姦される人生を永遠無限に
> くり返すのでしょうか?

ニーチェの永劫回帰の思想に従えばそうなるな
個人的に見解に関しては明らかにスレから外れるから書く気はない
死後の世界の仕組みや霊界の仕組みなんてものは俺にはわかりようがないな
お前は霊感がない人のことをアホと呼ぶのか?
842考える名無しさん:04/11/15 19:36:15
@@@さんへ
あなたが提出してきた疑問をまとめていただけませんでしょうか?
ごちゃごちゃしていてよくわからないです。
843@@@:04/11/15 19:38:20
ニーチェは魂だの来世だの生まれ変わるだのといったことは言っていない
ただ、同じ人生がひたすらに繰り返すと言っているだけ

そんな単純な言い方をした箇所はないと思いますが。。。
一切のものは循環するという言い方ではないでしょうか?
どーも記憶にありません。ニーチェのなんという本の題名でしょうか?
その本の中のどういう項目の
何ぺージか抜粋して頂けますか?お願い致します。

ニーチェは 魂や善悪の彼岸や神や仏教 キリスト教 悟りについても
たしか色々 書いていると思うのですが。。。

つまり 善悪の彼岸に到達した後はどうなるのか?
また 善悪の彼岸に到達したずーーーーーーと後はどうなるのか?
そこの部分をできるだけ詳しく聞きたいのです。
よろしくお願い致します。

俺の勘ですが確かに一切のものは循環するのだが
その循環は前のよとももっと大きい循環で循環は7×7×7×
と永遠無限に拡大する一方だと思うのですが。。。
永劫回帰はつまり最初の部分が循環するのは次のさらに大きい循環の
7分の1の部分だけが重なって循環して その最初の循環が7倍なったころ
その中の7分の1がまたどこかと重なって循環すると思うのですが。。。

つまり同じものが全くそっくりそのまま循環するというのは
100%間違いで100%正しく 一回だけ循環がでかくなり重なる
つまり一回重なった時の7分の1だけ正しいと思うのですが。。。
いかかでしょうか?
思うのですが。。。
844考える名無しさん:04/11/15 19:38:55
>>840
http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/bonnou/nietzsche.html
「永劫回帰」でググったら一番上に出てきたが、それくらいのこともしないで質問ばかりしてたら荒らしと呼ばれても仕方ないと思わないか?
845@@@:04/11/15 19:43:02
> 強姦魔は永遠に強姦魔で
> 強姦されるものは永遠に強姦される人生を永遠無限に
> くり返すのでしょうか?

ニーチェの永劫回帰の思想に従えばそうなるな

あなたはそれを恐ろしいと思わないのか?
お前がいじめられたら永劫にいじめられるのか?
お前のテストの成績 食事するタイミング 怪我するタイミング
涙を流すタイミングはいつも同じと。。。
俺はそれはどう考えてもおかしいと心の底から思うぞ。

それに ニーチェはそんなこと言ったか?
お前らの頭脳が単純だから曲解してるだけでは?
抜粋してくれ。

ニーチェの言いたいことは
常に 今ここに あなたの人生が存在する ということではないのか?
宇宙の目から見れば過去 現在 未来は同時に起こってる という意味で
書いたのではないだろうか?

俺の言うことは間違いでしょうか?
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しく答えてください。
お願い致します。
846@@@:04/11/15 19:44:56
http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/bonnou/nietzsche.html

これは ニーチェが直接書いたのか?

と聞いてる 俺の家にニーチェの本があるが
そんな 記述は見当たらないが。。。

お前らは 曲解してるだけでは?
何かが納得できない。
食らえぇッぇぇぇぇぇッッッ! ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム! 裸禅で
848@@@:04/11/15 19:49:30
http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/bonnou/nietzsche.html

それにこれは なんとうりもの解釈ができる。

同じ人生というのは来世もということですか?
それても 未来の未来の未来のいつかにまた再び同じ人生をくり返す
ということですか?(未来は過去に繋がっているという発想ですね)
あなたの言いたいことはどちらですか?
そのどちらでもないのですか?
あなたの見解でできるだけ詳しく書いてください。
お願い致します。

ニーチェの言いたいことは
常に 今ここに あなたの人生が存在する ということではないのか?
宇宙の目から見れば過去 現在 未来は同時に起こってる という意味で
書いたのではないだろうか?

俺の言うことは間違いでしょうか?
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しく答えてください。
お願い致します。

849@@@:04/11/15 19:50:04

上記に続き。

俺の勘ですが確かに一切のものは循環するのだが
その循環は前のよとももっと大きい循環で循環は7×7×7×
と永遠無限に拡大する一方だと思うのですが。。。
永劫回帰はつまり最初の部分が循環するのは次のさらに大きい循環の
7分の1の部分だけが重なって循環して その最初の循環が7倍なったころ
その中の7分の1がまたどこかと重なって循環すると思うのですが。。。

つまり同じものが全くそっくりそのまま循環するというのは
100%間違いで100%正しく 一回だけ循環がでかくなり重なる
つまり一回重なった時の7分の1だけ正しいと思うのですが。。。
いかかでしょうか?
思うのですが。。。

誰か誰でもいいのでできるだけ詳しく答えてください。
お願い致します。
では失礼致します。
850@@@:04/11/15 19:53:53
842 名前:考える名無しさん :04/11/15 19:36:15
@@@さんへ
あなたが提出してきた疑問をまとめていただけませんでしょうか?
ごちゃごちゃしていてよくわからないです。

進化して進化して進化して進化して
進化しまくったらどうなるのか?
進化して進化して進化して進化して
進化しまくったずーーーーーーーーーーーと後はどうなるのか?

ということです。
それができるだけ詳しく聞きたいのです。
よろしくお願い致します。
俺の見解がどっかに書いてあると思います、
参考にしてください。


死後の世界の仕組みや霊界の仕組みなんてものは俺にはわかりようがないな
お前は霊感がない人のことをアホと呼ぶのか?

色々なサイトを読めば誰でもわかると思います。
よほどのアホでないかぎり つまり普通の知能があるならば。。。

アホをいう言い方はすいませんでした。
ごめんなさいませ。
851@@@:04/11/15 19:54:44

俺の見解 >>834>>835
です。参考にどうぞ。
852考える名無しさん:04/11/15 19:56:15
ニーチェの書いたことを書かれたままに解釈すればそうなる
永劫回帰が理解できてはいないとしても、曲解はしていない
自分がおかしいと思うとか納得できないとかの理由で曲解している呼ばわりされるのは心外だな
善悪の彼岸に到達するだの永劫にいじめられるのが恐ろしいなどと言っている方がニーチェを理解できていないだろ
853考える名無しさん:04/11/15 20:02:17
> 死後の世界の仕組みや霊界の仕組みなんてものは俺にはわかりようがないな
> お前は霊感がない人のことをアホと呼ぶのか?
> ↑
> 色々なサイトを読めば誰でもわかると思います。
> よほどのアホでないかぎり つまり普通の知能があるならば。。。

そうしたところで、情報として知ることができるだけでわかることはできない
いろいろな違ったことが書かれているのにどうやって真理を見分けるんだ
854これが答えだ?:04/11/15 20:09:54
あくまでも私見だが、漏れは遠からずと思っている。

永劫回帰には表と裏がある。メビウスの輪を想像してみろ。
(人)生の一回性が表だとすれば、永遠に繰り返すミームが裏だ。
855考える名無しさん:04/11/15 20:12:37
@@@さんへ
>851 :@@@ :04/11/15 19:54:44
>俺の見解 >>834>>835
>です。参考にどうぞ。

これをまとめてほしかったのですが……。
つまり、@@@さんの疑問は「進化しまくったらどうなる?」ということですね。
その場合、「進化」ということばを定義することから、議論が始められると思います。
まずは@@@さんによる定義、あるいは@@@さんが認める定義を示して下さい。
856考える名無しさん:04/11/15 20:14:37
とりあえず、それは別スレでやりませんか?
ぜんぜんニーチェじゃないし
857考える名無しさん:04/11/15 20:21:48
生成の無垢からの引用

「以前には人々は考えた、時間における無限の活動には、いかなる消費によっても
使い果たされない或る無限の力が必要だ、と。
現今では人々は力はたえず同一だと考えており、かくて力はもはや無限に大きく
なる必要はない。力は永遠に活動的であるが、しかし力はもはや無限の諸事例
を創造することはできず、力はおのれを反復しなくてはならない。これが私の結論
なのだ。」

@@@の進化論的解釈とは合致しないね。
858考える名無しさん:04/11/15 20:35:39
@@@には、ニーチェの思想に耐えるだけの力はない。なぜ、ニーチェの託宣をまってばかりなのか?ニーチェの著作の一部をあげてみろといって、一方では、「俺の勘」ではと、のたまう。発狂するところまで、ニーチェを真似ているつもりか。
859考える名無しさん:04/11/15 20:50:20
>>851
胴衣。ツァラトゥストラは永遠回帰という思想を恐れ、受け入れるのを度々逡巡している。
ニーチェの思想が楽天一方ならあんなに苦しまない筈。
860あげぞ:04/11/16 13:43:06
輪廻思想と永劫回帰の違いは簡単です。

輪廻思想は一種の魂の救済論なので、ニーチェが忌み嫌う背後世界論です。
永劫回帰はヘラクレイトス的な生成流転の思想で魂的な要素は入りません。
単なる物質の循環と考えたほうがスムーズに理解できるかも。
@@@さんは救いを求めているようなので、858さんが書いているようにニーチェ向きではないと思います。
861@@@:04/11/16 18:21:27

永劫にいじめられるのが恐ろしいなどと言っている方がニーチェを理解できていないだろ

???
永劫にいじめられるのが怖くない人などいるのですか?
そいつはきちがいでは?

あなたは永劫にリンチされても怖くないのですか?
凄いですね。
頭が逝ってるのでは?
862@@@:04/11/16 18:23:12
>>859 名前:考える名無しさん :04/11/15 20:50:20
>>851
胴衣。

俺の見解が正しいとあなたは思うのですか?
実際どう思いますか?
863@@@:04/11/16 18:25:34
857 名前:考える名無しさん :04/11/15 20:21:48
生成の無垢からの引用

「以前には人々は考えた、時間における無限の活動には、いかなる消費によっても
使い果たされない或る無限の力が必要だ、と。
現今では人々は力はたえず同一だと考えており、かくて力はもはや無限に大きく
なる必要はない。力は永遠に活動的であるが、しかし力はもはや無限の諸事例
を創造することはできず、力はおのれを反復しなくてはならない。これが私の結論
なのだ。」

@@@の進化論的解釈とは合致しないね。

あなたはまた誰か誰でもいいですが
私の見解とどちらが正しいと思われますか?
864@@@:04/11/16 18:30:20
>>854 :これが答えだ? :04/11/15 20:09:54
あくまでも私見だが、漏れは遠からずと思っている。

何が 遠からず思ってるのですか?
できるだけ詳しく述べて頂けませんか?

永劫回帰には表と裏がある。メビウスの輪を想像してみろ。
(人)生の一回性が表だとすれば、永遠に繰り返すミームが裏だ。

ミームとは意識でも魂でも人格でもないのですよね?
それはわかりやすく言うと一体なんなのですか?
模倣子とか呼ばれてますけど。。。
わかりやすく説明して欲しいです。
お願い致します。

> 死後の世界の仕組みや霊界の仕組みなんてものは俺にはわかりようがないな
> お前は霊感がない人のことをアホと呼ぶのか?
> ↑
> 色々なサイトを読めば誰でもわかると思います。
> よほどのアホでないかぎり つまり普通の知能があるならば。。。

そうしたところで、情報として知ることができるだけでわかることはできない
いろいろな違ったことが書かれているのにどうやって真理を見分けるんだ

だいたい共通してるじゃん。
865@@@:04/11/16 18:41:09
852 :考える名無しさん :04/11/15 19:56:15
ニーチェの書いたことを書かれたままに解釈すればそうなる
永劫回帰が理解できてはいないとしても、曲解はしていない

どこにニーチェが 来世もまた同じ人生などと言いましたか?
抜粋して頂けませんか?それはなんという題名の何巻何ページですか?
死後には自分の人生を観て反省し足りない部分を補うのが
魂の旅らしいですよ。

一切のものは常に今ここに存在していて 消えない 
という意味で 一切のものは循環しているとニーチェは書いたではないでしょうか?
遥か未来の果てが過去に繋がるというように。。。

だが それもある意味間違いではあると確信するが。。。
なぜなら循環は拡大しいるし← 神との対話

つまり すべての魂は最初に創られたぶんの一部だ ←神との対話3巻237〜
238ページ参照

からすると 循環して重なるのは 俺の見解 >>834>>835
にあるように7分の1の一回きりで それは俺の類魂の7分1で
次の循環では49分の1の一回切りで さらに次の循環では49×7分の一が
重なるという感じだが 循環は無限だが 重なるは何十にもならず
重なるは一回切りで 一回だけ重なっているが
だが やはりその時空における人生はやはり一回切りだと思うのですが。。。
うーむ説明が難しい

なんとなく俺の言いたいことわかる人いる?
866@@@:04/11/16 18:44:18

訂正

類魂について
http://www.paperbirch.com/groupsoul/groupsoul1.html

すべての魂は最初に創られたぶんの一部だ ←神との対話3巻237〜
241(242 243 244 245 246 247 )あたり 参照
867@@@:04/11/16 18:48:14
>>865
訂正です。↑
すべての魂は最初に創られたぶんの一部だ ←神との対話3巻237〜
241(242 243 244 245 246 247 )あたり 参照

@@@さんへ
>851 :@@@ :04/11/15 19:54:44
>俺の見解 >>834>>835
>です。参考にどうぞ。

これをまとめてほしかったのですが……。
つまり、@@@さんの疑問は「進化しまくったらどうなる?」ということですね。
その場合、「進化」ということばを定義することから、議論が始められると思います。
まずは@@@さんによる定義、あるいは@@@さんが認める定義を示して下さい。

つまり 悟りを開いたその後 またそのずーーーーーーーーと後は
どうなるのか?
まあ 悟りを開いて100年後 100億年後 またそのずーーーーーーと
後はどうなるのか?

すべてのすべての生命体が 悟りを開いたその後 またそのずーーーーーーーーと後は
どうなるのか?
すべてのすべての生命体が悟りを開いて100年後 100億年後 またそのずーーーーーーと
後はどうなるのか?

それをできるだけ詳しく知りたいのです。
お願い致します。

868考える名無しさん:04/11/16 18:54:09
>>867
@@@さんは「進化」を「悟り」と同じ意味として理解しているのですか?
869考える名無しさん:04/11/16 18:55:49
それと@@@さん、もう少し落ち付いて書き込みしてください。
870考える名無しさん:04/11/16 19:21:33
>>860
>輪廻思想は一種の魂の救済論

どこの輪廻思想でしょうか?
すくなくともインドの輪廻思想は魂の救済ではない。
輪廻からの解脱が魂の救済である。
871考える名無しさん:04/11/16 20:21:34
>>865
>どこにニーチェが 来世もまた同じ人生などと言いましたか?
>抜粋して頂けませんか?それはなんという題名の何巻何ページですか?
ほらよ。

  わたしはふたたび来る。この太陽、この大地、この鷲、この蛇とともに。
  新しい人生、もしくはより良い人生、もしくは似た人生に戻ってくるの
 ではない。
  わたしは、永遠にくりかえして、粗大漏らさず、そっくりそのままの人
 生にもどってくるのだ。くりかえし一切の事物の永遠回帰を教えるために。

   『ツァラトゥストラ』第三部 快癒へ向かう者

872考える名無しさん:04/11/16 22:24:50
>>861
俺がどうこうではなく、それを怖いという時点でニーチェの言う超人から遠ざかっている
だから、ニーチェを理解できていないと言っている
ニーチェがキチガイなのはいまさらだろ
873考える名無しさん:04/11/16 22:31:22
>>864
> そうしたところで、情報として知ることができるだけでわかることはできない
> いろいろな違ったことが書かれているのにどうやって真理を見分けるんだ
> ↑
> だいたい共通してるじゃん。
「だいたい共通している」は俺が真理であるとみなす基準ではないが、それが真理の基準であると思うのなら
あれこれ考えたり質問したりするのをやめていろいろなところに書かれていてだいたい共通しているものを
探し求めればいいだろう
ニーチェの永劫回帰は他の哲学者の思想と「だいたい共通」していないぞ

>>865
> どこにニーチェが 来世もまた同じ人生などと言いましたか?
ニーチェは来世などとは言っていないと言っている
俺も来世などとは言っていない
お前が言っているだけだ
874@@@:04/11/17 10:46:54
>>865
> どこにニーチェが 来世もまた同じ人生などと言いましたか?
ニーチェは来世などとは言っていないと言っている
俺も来世などとは言っていない
お前が言っているだけだ

では 同じ人生をくり返すとは一体どういう意味ですか?
できるだけ詳しく説明してください。
お願い致します。
875@@@:04/11/17 11:05:45
わたしはふたたび来る。この太陽、この大地、この鷲、この蛇とともに。
  新しい人生、もしくはより良い人生、もしくは似た人生に戻ってくるの
 ではない。
  わたしは、永遠にくりかえして、粗大漏らさず、そっくりそのままの人
 生にもどってくるのだ。くりかえし一切の事物の永遠回帰を教えるために。

   『ツァラトゥストラ』第三部 快癒へ向かう者

これは 一体何が回帰するのですか?
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。
876@@@:04/11/17 11:09:47
>>773 :考える名無しさん :04/11/10 20:15:28
>>772
あっさり答えるなら、ミームが永劫回帰する。
そこに(人格としてでも魂としてでも)人間はいない。

ミームは意識でもないのですよね?
また ミームが永劫回帰する とはニーチェのなんという本の
何巻何ページに つまり 書かれていたのでしょうか?
つまり ミームが永劫回帰する とは一体どこに書かれていたのでしょうか?
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。
877考える名無しさん:04/11/17 11:13:03
>>875
@@@さん、あなたは何が回帰すると考えますか?
それと、ひとに尋ねるまえに、とりあえずご自分で
『ツァラトゥストラ』を読んでみてはいかがですか?
878考える名無しさん:04/11/17 12:15:30
>>875
どうして、回帰に先立って存在する「何か」が回帰する筈だと決め付けるのよ?
879考える名無しさん:04/11/17 12:42:26
>>874
理解しようとしないヤツになに説明しても無駄だろ
自分に都合の良いように解釈しようとして、自分の気に入る答えが返ってくるまでひたすら質問するのはやめろって前に書いたよな
ニーチェからはお前の気に入るような答えは返ってこないって言ってるだろ
お前の考えている輪廻転生とニーチェの永劫回帰はぜんぜん違うものだから、お前の基準に立てばニーチェは間違えているだけ
永劫回帰に関しては>>731で十分な説明になっていると思うがな
あとはお前がそれを受け入れるかどうかで、受け入れない限りはひたすらスレッドを荒らし続けるかあきらめるしかないな
880@@@:04/11/17 14:09:10
>>875
@@@さん、あなたは何が回帰すると考えますか?

魂かな?
でもそれだったら死ぬほど嫌だな。
だが 正確には魂の一部かな?
よくわからないや。。。 だから聞いているのですが。。。
ニーチェの書いたものは読んだことあるよ。

俺の見解は>俺の見解 >>834>>835
>です。参考にどうぞ。
あなた様も皆様もどう思われますか?
881@@@:04/11/17 14:14:26
879 名前:考える名無しさん :04/11/17 12:42:26
>>874
理解しようとしないヤツになに説明しても無駄だろ
自分に都合の良いように解釈しようとして、
自分の気に入る答えが返ってくるまでひたすら質問するのはやめろって前に書いたよな

だから 同じ人生をくり返すとは一体どういうことですか?
それをあなたの言葉で できるだけ詳しく説明してください。
お願い致します。
一度も説明してもらってないのですが。。。

来世もないのに 同じ人生をくり返す とは一体いかなる意味なのか
全然わかりません。
永劫回帰に関しては>>731で十分な説明になっていると思うがな

の説明 私にはよくわかりません。
わかりやすく説明して欲しいです。
お願い致します。


ちなみに 
魂は成長するので来世があっても
(というよりある意味 来世はあるのですが)
同じ人生とはならないと思います。
882@@@:04/11/17 14:16:03
>>731さんへ
ルドルフ・シュタイナーの自伝から抜粋

続きを書いてくれ。
できれば全部。。。←図々しくてすまん。。。
頼む。


また ルドルフ・シュタイナーはニーチェの永劫回帰を間違っている
と述べているのでしょか?
できるだけできるだけできるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。

ペー ター・ガストもニーチェの永劫回帰を間違っている
と述べているのでしょか?
できるだけできるだけできるだけ詳しく教えてください。
お願い致します。

883@@@:04/11/17 14:31:41

訂正

来世とか関係なく
ニーチェが言っていた 同じ人生をくり返す と勝手に自己解釈して述べた
人は

とは一体いかなる意味なのか
全然わかりません。

来世もないのに ←(本当はある意味 来世はあるのですが。。。)

同じ人生をくり返す とは一体いかなる意味なのか
全然わかりません。

誰か説明して頂けませんか?

   誰が 同じ人生を繰り返しすでしょうか?

   くり返す 正体は 一体何でしょうか?
   また 一体何で繰り返さないといけないのでしょうか?
   また 同じようにくり返すのが間違いないとなぜニーチェは
   そんな風に考えたのでしょうか?
   
   誰か誰でもいいのでできるだけ詳しく教えて欲しいです。
   よろしくお願い致します。

884@@@:04/11/17 14:32:12

わたしはふたたび来る。この太陽、この大地、この鷲、この蛇とともに。
  新しい人生、もしくはより良い人生、もしくは似た人生に戻ってくるの
 ではない。
  ↑
 なんでそんなことがわかるのですか?
 また なんでそんなことが言えるのですか?
 魂の成長や進化とは一体どうなるのですか?
 疑問だらけです。
 誰か誰でもいいので
 できるだけできるだけできるだけ詳しく教えてください。
 お願い致します。

  
885@@@:04/11/17 14:32:33

わたしは、永遠にくりかえして、粗大漏らさず、そっくりそのままの人
 生にもどってくるのだ。くりかえし一切の事物の永遠回帰を教えるために。

   『ツァラトゥストラ』第三部 快癒へ向かう者
   ↑
 わたしはふたたび来る。のわたしは 誰ですか?
 またわたしの正体はなんですか?
 
 くりかえし一切の事物の永遠回帰を教えるために。
  ↑
 誰が誰に教えるのですか?

 そしてなんのために わたし という何かは戻ってくるのですか?
 この わたし というのは
 戻ってこないとことはできないのですか?
 
 この わたし は消滅できないのですか?
 
 誰か誰でもいいので
 できるだけできるだけできるだけ詳しく教えてください。
 お願い致します
886@@@:04/11/17 14:33:52

  これを見てるすべての人に伝言

  自力は大事である。
  だが

     神より他に汝を救いうるものなし

  これもまた真実である。
887考える名無しさん:04/11/17 15:10:39
神はニーチェに殺されちゃったよ
888考える名無しさん:04/11/17 16:13:27
  ∧,,∧
 (;`・ω・)  。・゚・⌒)  あなたががチャーハンを作る時、
 /   o━ヽニニフ))
 しー-J

          ∧,,∧ 
    。・゚・。  (;`・ω・)))  チャーハンもまたあなたを作っていることを。
   。・゚゚。.━ヽニニフ))
  /゚・.7
889考える名無しさん:04/11/17 17:07:55
@@@さんへ。
あなたは、ご自身の関心である「魂の成長や進化」(>>884のレスより)について
ニーチェの哲学の観点から考え直したいのですね。いや、ニーチェに限ることはないでしょう。
「西洋哲学史や東洋哲学史において「進化」という概念がどのように考察されてきたのか?」
この問題提起は、なかなか興味深いものだと思います。
しかし@@@さんによる矢継ぎ早の質問は、いささか性急に過ぎると私には思われます。
ここはひとつ、ニーチェ全集をご自分でもう一度読み直してみてはいかがでしょうか?
もちろん全部読み直すというのは七面倒な作業かもしれませんが、幸いなことに、
全集には人名索引や事項索引が付いています。ですから、@@@さんには
これらの索引を手がかりにしてニーチェを再読されることを強くおすすめします。
もちろん、@@@さんが関心を寄せる「魂」「進化」という語を
ニーチェがどのような文脈で使用しているかを考えながら読まねばなりませんが。

ところで、私見によれば、「進化」とは生物学の分野から出てきた概念ですよね。
そして>>867では@@@さんは「悟り」という語を使われていますが、この「悟り」
という概念は仏教に由来します。つまり、生物学と宗教(仏教)の用語を一緒にして
考えてしまうところに@@@さんの推論の取っ付きにくさがあると私は思います。
890考える名無しさん:04/11/17 17:16:10
>>888
「深淵を見つめるとき」だね!
891考える名無しさん:04/11/17 17:20:29
@@@さん。
もしかしたら@@@さんの疑問に答えてくれる哲学は
ニーチェではなくて、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルに代表される
ドイツ観念論哲学の議論なのかも知れませんね。
でもここはあくまでニーチェをめぐるスレッドですので、
詳しいことは別の場所で質問し議論して下さいね。
892考える名無しさん:04/11/17 19:34:28
君たちを苦悩から救う道が二つある。
すなわち、速やかな死と長続きする愛。

             ──ニーチェ     
893考える名無しさん:04/11/17 19:36:38
>>887
イヤ、ただ目撃しただけだけど
894考える名無しさん:04/11/18 00:46:41
私たちは実験である、またそうであることを望もう!

             ──ニーチェ     
895考える名無しさん:04/11/18 01:08:53
>>893
唯一の目撃者か・・・、あやしいな
896考える名無しさん:04/11/18 01:30:52
第2の目撃者を捜せ!
897考える名無しさん:04/11/18 10:15:04
万物流転
898考える名無しさん:04/11/18 11:01:45
殺したのは最も醜い人間(=ソクラテスだろ)という事になってた筈
899@@@:04/11/18 19:34:19

皆様 お返事ありがとう。。。
皆様の意見を参考にさせて頂きます。

>>892 :考える名無しさん :04/11/17 19:34:28
君たちを苦悩から救う道が二つある。
すなわち、速やかな死と長続きする愛。──ニーチェ  

一体これはどういう意味でしょうか?
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しく教えて欲しいです。
お願い致します。

     
 私たちは実験である、またそうであることを望もう!

             ──ニーチェ     
     ↑
一体これはどういう意味でしょうか?
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しく教えて欲しいです。
お願い致します。

900@@@:04/11/18 19:48:49
>>891さん
>>889さん 
ご丁寧なお返事ありがとうございます。
901考える名無しさん:04/11/18 20:07:59
>君たちを苦悩から救う道が二つある。

ニーチェは道を二つしか見つけられないのか。
釈迦は八正道とかいってたな。
キリストの救う道はいくつあるのだろうか? 
902だとよ:04/11/18 21:02:21

「精神分析的に見ると、この無限への偏愛は、相対する無意識からの要求や、
 その対立の解決を引き延ばそうとする無意識的願望など多様なメカニズムを
 抱えていて、単純には解析できませんが、しかし常にそこに作用するものとし
 て、他者への本源的な敵意をみることができます。ただしこれは、意識的、具
 体的な通常の敵意ではなく、無意識に存在する、他者への原初的絶対的な疎
 外感です。おそらくこれらの人々の幼児期には、他者からの信号を受け入れ、
 他者の世界認知に同化することと、自己の生存利得の間に、通常存在するよ
 うな同値性がなかったのです」 樫村晴香
903考える名無しさん:04/11/23 15:11:54
あげとこう
904考える名無しさん:04/11/23 15:27:56
よくわからんがあとでかくか
905考える名無しさん:04/11/23 18:17:46
しばらく見ない間に荒らしがきてたのか。
906考える名無しさん:04/11/26 22:23:16
反復を反復と、差異を差異と見抜ける人でなければ、
哲学するのは難しい・・・俺様 あげ
907考える名無しさん:04/11/29 18:56:02

                   ,
                  ノ(フ、ヽ、、、、
               , '"/ 爪ヽ、\ミミミ`ミ 、
               ,' i(、(、ヽ` 、、`ミミヽ、))ヾ 、
               ',、-'"゛    i、'、ヽλ、ヽY(、ヽ
               ,'゛       '、\ヽミミ、ヽ、ヽ、'、
              ,         、ヽ ヽ、ミミ、ヾ、'、)、
              /          ヽ、ミミニ、ミ、ヾ、i!;
            、i!;、;ニニェ、.;...     .:.:.,‐‐、`ミ、))、.;.!
           ,、‐永ゞ遠_`ヽ      ( i  !、ミ'))ノリiミ
          f゛ -/  ヽ、         ノ ノ iノノン;トi、
          l  ( ,,  、         し '  ノノリ,、--、
          i  ,;ゝァン゛ヽ            ,、イ   ヽ、
          ノ` ;サリリリチ、          、‐' /    / `'
          /  ルイミミlマン        /  /   /
       ,,、ノ    'i"`'       .: /   /   / /
     ,rイ,フ      /ヽ、_  _  /   //   / .:.:.
    /i‖《、    /)      ノ'゛   /::/.:.   / .:.:.:.:....;.;.
   / ヽ、 `'''>‐-':/     ,r'゛ `‐ ''゛::::/  .:..:/.::..;.;.;.;..;.;.;
  /.;;.;..;.:.....`' '".;.;.;.:../    ,r‐'::::::::::::::::::::::::/:,、==”:::::.;.;:::::..;;..;.;.;.::
  /:::::::::.;.;;..;.;.;.:.:::::::::::i!  ,、-':::::::::::::::::::::::::::/::::`=ェ、;;;.:.:.:.:.::.:;.;.;.;;;..::..::.

わたしはふたたび来る。この太陽、この大地、この鷲、この蛇とともに。
  新しい人生、もしくはより良い人生、もしくは似た人生に戻ってくるの
 ではない。
  ↑
>>なんでそんなことがわかるのですか?
>>また なんでそんなことが言えるのですか?
>>魂の成長や進化とは一体どうなるのですか?

永劫回帰は「エネルギ保存則」から分かるらしいよ。物理学だってさ。

 たとえば摩擦のまったくないビリヤード台の上で、一つのビリヤードの玉が永遠に動きまわっているとします。
 時間は無限にあり、一定の空間で一定のエネルギーが動きつづけているということです。
 そうすると、いつかある時点で、以前一度あった地点とまったく同じところを通過する可能性があります。
 そこから、もう一度まったく同じことが繰り返され始める……。
 ってことだね。

 そしてこれを考えちゃったニーチェタンは、こう言った。
「ああ、吐きけ! 吐きけ! 吐きけ!」
 ……さすがだなぁ……
 
 
 
909梵天:04/12/08 03:41:56



私は物語。私は永遠。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~oolloo/


910考える名無しさん:04/12/08 23:07:19
>>908
しかし、その「吐きけ」も克服しなければならない。
君たちは笑うことを学ぶべきだ。

と言ったニーチェたんに激しく萌えage
911考える名無しさん:04/12/08 23:50:03
>>908
そこはニーチェがたしかに永劫回帰の機械論的側面として語っているが、
正直いって、間違い。
ニーチェは一時期、自然科学が大好きだったが、そういった雰囲気をまとわせようとした文章は彼の書いたもののなかでは最もレベルが低い。

永劫回帰の直感が先にあり、それを説明するためにいろいろ後づけで理屈つけようとしたひとつ。

まじめにとる必要なし。
912考える名無しさん:04/12/09 02:25:55
諸君。ドゥルーズの「差異と反復」を読むのだ。序論を読んで目からコンタクトが落ちたぞ。
913考える名無しさん:04/12/09 22:36:01
それは困るな・・
914考える名無しさん:04/12/10 18:38:18
>>911
間違いだという根拠は?
915考える名無しさん:04/12/10 23:25:27
根拠は無いだろう。
ニーチェの論理では《真理》は無いのだから(アポリア!)
ニーチェを批判するならニーチェの主張と論理を使おうぜ。
とにかくニーチェは数学力はプフォルタを留年しそうになるほど悪かったそうだ。
とりあえず彼の世界では世界は回帰するものなのだ。
一つの信仰が、極めて克服が苦しいこの手段が、永劫回帰なのでは?
916考える名無しさん:04/12/11 00:43:31
ニーチェってただの電波だと思うのですが、なんで哲学素人に人気があるのでしょうか
917考える名無しさん:04/12/11 02:50:38
経験上理由は三つあるようだ。
@お偉いがたはニーチェを評価している(本とかの中にニーチェという言葉を見付ける)→ニーチェは凄いらしい
A少しだけ調べてみるとなんか難しい言葉をいっぱい使っている→ニーチェ凄そう
B(1)ニーチェの入門書は一杯あるから買う
B(2)本屋に行ってニーチェの原書をいきなり買う
このあとしっかり哲学の勉強を始めたら良し。
B(1)を選んだ人の三分の一はちゃんと他にも色々な本をさがして読む。
でもそれ以外は大体が目も当てられない状況になる。
918考える名無しさん:04/12/11 05:24:37
>>916
どう考えてもニーチェは電波ではないでしょう。
僕にとってはごく簡単な入門書を20ページ程、読んだだけで、頭がおかしくなるほどの衝撃を覚えたよ
世の中の悩みのあらゆることが解けた気がした
919考える名無しさん:04/12/11 16:38:42
ニーチェの書き物って読み手に依存するから、電波とも、天才とも、ハッタリとも言えるな。
これはニーチェ自身も「自分の書いたものが正しく理解されるか心配だ」って言っていたが
正にその通りになってるなw
920考える名無しさん:04/12/12 02:34:31
正しく理解されなくてもいいんじゃないかな。
色んな受け取り方ができるのがニーチェの特徴なんでしょ?
書かれたものは書き手の手を離れていくものだし・・
921考える名無しさん:04/12/12 02:44:35
ニーチェを哲学者だと思ってるうちは、まだまだ素人。
922考える名無しさん:04/12/12 03:49:39
いや、哲学者だと思うね。
何せ滅多に哲学者だと名乗らないんだから。
923ルウ:04/12/12 05:14:55
全ての悩みが解決すんなら警察いらねーよカスが ニーチェなんて所詮発狂者だろ?社会に受け入れられず一時は神学も捨て売春宿に入り浸った馬鹿 おめえら哲学勘違いしすぎ哲学は当たり前の事
924ルウ:04/12/12 05:17:35
言葉の魔術だかしらねーがあーだこーだ言ってるだけ人間暇なら誰でもそうなるよ ただ生きるヒントにはなるだろな 答えなんて無いんだから俺は哲学2年目の初心者だけどそう思う カントのロゴスでもあんだろ
925ルウ:04/12/12 05:21:29
結局賛成はも反対はも世の中あるって事で行きていくしかないよ これだなんてもんないから
926考える名無しさん:04/12/12 16:19:42
残念。
君は常識人になってしまった。
もう君には哲学は出来ないだろう。
哲学と思想とは違うよ。
927考える名無しさん:04/12/12 17:24:52
ニーチェにはまってる奴は総じて将棋が弱い 思考が堂々巡りで大局観ができないから またジャンケンはグーばかり出す 競馬も弱い
928考える名無しさん:04/12/12 17:27:07
JSミルにはまってるやつは大ゴマが無い。
929考える名無しさん:04/12/12 17:32:44
相手の陣地に行けば成れるよね、玉の脇にいる金以外は。
930ニーチ:04/12/12 18:50:40
君達凡人はまず数学英語極めなよ 哲学なんてオッサンがやるもんだろ若いうちはヒントにする位のスタンスが良い
931考える名無しさん:04/12/12 19:13:32

英語や数学なんか当たり前。
若いうちは物理をやるべきだな。
間違っても哲学なんぞに手を出しちゃいかん。
932考える名無しさん:04/12/12 19:44:14
ニーチェの言説は仲間はずれにあった幼児に似てる 特に発狂寸前に書かれたこの人を見よに於いて、その傾向が激しい どんなに舌峰鋭く迫っても、その根底にあるのは…僕をすごいと認めろよぉ ほんとにすごいんだぞぉ 今に泣いても知らないからなぁ
933考える名無しさん:04/12/12 19:44:59




            (⌒Y⌒Y⌒)
            /∵∴∵∴\
       (⌒/:::-=・=-∴-=・=-:::|⌒)
       (  |∵∵/ ●\∵∵|  )
            \___/




934考える名無しさん:04/12/13 00:32:16
ニーチェは至高の釣り師。
人類釣られすぎw
935T.:04/12/13 02:13:44
久しぶりにきたらレベル低くなってた。
936考える名無しさん:04/12/13 05:51:42
ニーチェ‥
確かに釣氏で人類釣られすぎなのかもしれな
い。ただ、私を揺るがし、私の無意識を刺激
する彼の思想にどうしてもひかれずにはいら
れない。覚醒させられる。例え釣られていた
としてもそれは私にとって快楽である。彼の
存在に感謝。私は彼の思想を崇拝しているわ
けではない。彼の思想から受ける刺激を楽し
んでいるだけである。
937考える名無しさん:04/12/13 13:07:07
古典文献学者としての功績も認めないとな
プラトンを理解する上でニーチェの古代ギリシャ人に対する洞察はとても役に立つ
プラトンもニーチェも神秘主義的なところがあって、哲学と宗教の混合物って感じだな
938考える名無しさん:04/12/13 15:16:07
936はグーばかり出すとです。
939考える名無しさん:04/12/13 15:20:08

いや、ニーチェ自身も哲学に釣られてしまったのだよw
バカな男さ。ニーチェにかぶれるヤシも同じようになる。
940考える名無しさん:04/12/13 15:22:20
ニーチェ好きはシスコンだ
941考える名無しさん:04/12/13 21:44:49
938
なんだかんだいって君自身も何らかの形でニ
ーチェに刺激されているね。少なくともこの
スレに書き込んでいる時点でニーチェに関わ
っている。
942考える名無しさん:04/12/13 23:35:39
ニーチェ好きは方向音痴 口がくさい 飲み会に誘ってもらえない これを永遠回避という
943考える名無しさん:04/12/14 17:21:45
うんうん、どう覚醒したのかな?
944考える名無しさん:04/12/15 18:17:28
超人フリードリヒだじょ〜。みんな運命愛してる〜。善悪の彼岸に達したかな〜?本ばかり読んでないで、おまんこもやろうぜい!
945考える名無しさん:04/12/15 20:57:18
悲劇の誕生 満員電車のすかしっ屁
946考える名無しさん:04/12/17 01:23:11
この電波、フェミニストに喧嘩売ってますね。モテなかったくせにw
947考える名無しさん:04/12/18 16:49:10
おまいもな
948考える名無しさん:04/12/18 16:52:30
アナル アナル アナル アナル アナル アナル アナル
949考える名無しさん:04/12/18 16:59:19
あぼーん
950考える名無しさん:04/12/18 16:59:46
あぼーん
951考える名無しさん:04/12/18 17:01:33
隣の奥さんと密会
952考える名無しさん:04/12/18 17:09:50
小出泰子
953考える名無しさん:04/12/18 18:53:38
unko
954考える名無しさん:04/12/18 20:40:54

みなさんミルクココアを宜しく。。

955@@@:04/12/18 21:46:39
>>908 :本を読んで答える名無し小僧 :04/12/05 17:48:44

わたしはふたたび来る。この太陽、この大地、この鷲、この蛇とともに。
  新しい人生、もしくはより良い人生、もしくは似た人生に戻ってくるの
 ではない。
  ↑
>>なんでそんなことがわかるのですか?
>>また なんでそんなことが言えるのですか?
>>魂の成長や進化とは一体どうなるのですか?

永劫回帰は「エネルギ保存則」から分かるらしいよ。物理学だってさ。

私は違うと確信してます。
魂の仕組みは 物理の法則とは少し違うのではないか?と思うのです。
たとえば 原子の世界は10のものを二つにわけると 5と5ではなく
10と10の二つに分裂します。
霊や霊の進化や魂や魂の進化 神 など色々検索して調べた
俺←(注)の出した結論としては
鉱物→植物→動物→人間→神→大神→大大神→大大大神→以下永遠無限の
終わりのない拡大のみ だと確信しております。
だが 大神 個でありすべてである存在 つまり 個としての意識を持ちながらも
すべての鉱物 すべての植物 すべての動物 すべての人間を同時に経験する存在だと思います。
今の人間には想像もできないような認識構造を持つ生物になると思われます。
で大大神になると さらに同時に経験する幅が拡大するのです。

956@@@:04/12/18 21:49:11
訂正
    ↑
   だが 大神からは →個でありすべてである存在
   →以下同文です。

957@@@:04/12/18 21:49:31
958考える名無しさん:04/12/18 21:50:12
>>646>>647>>648>>649>>650>>651>>652>>653までに
俺の見解が書いてあります。
参考にどうぞ。


上記の俺の見解について
誰か誰でもいいのでできるだけ詳しくどこが正しく
どこが間違っているかできるだけ詳しく書いて欲しいです。
お願い致します。類魂について
http://www.paperbirch.com/groupsoul/groupsoul1.html

959@@@:04/12/18 21:50:38
960@@@:04/12/18 21:57:45
永劫回帰の意味真の意味は
すべては 今ここに存在してる という意味ではないでしょうか?
私はそう確信してやまないのですが。。。

つまり あなたが3年前に 女の子にふられたことも
宇宙の視点では 常にある 過ぎ去ってない
という意味ではないでしょうか?
宇宙では 時空などなく 過去 現在 未来はすべて
常にあり かつすべて同時に起こっている。

意味わかりますか?
皆様。。。

宇宙では 一回目のビックバンも99回目のビックバンも
同時に起こっていると思われます。
意味わかりますか?
皆様。。。

また 魂の進化の仕組みは
モンロー という人の見解も参考にしております。
モンロー 幽体離脱(体外離脱)で検索すればわかると思われます。

では失礼致します。
961考える名無しさん:04/12/19 00:11:03
妄想と現実の区別をつけろ
962考える名無しさん:04/12/19 01:26:06
963考える名無しさん:04/12/19 21:13:38
>>960
>永劫回帰の意味真の意味は
> すべては 今ここに存在してる という意味ではないでしょうか?

> 宇宙では 一回目のビックバンも99回目のビックバンも
> 同時に起こっていると思われます。

それは結局なにも起こっていない、ということではないですか。
一回目も、九十九回目も「同時に」起こって「いる」とすれば、
少なくとも、私たちの言葉では語りえない、ということになりませんか。

それに、魂を信じながら、永劫回帰を信ずるというのは矛盾じゃないですか?
魂を、超越的世界を、領域をひとたび認めたなら、機械論的宇宙が永劫回帰しようがどうだろうが、関係ないでしょう。
私もニーチェを読み込んだとはけっしていえないのですが、@@@さんも、ニーチェの全集を読み返した方がいいでしょう。

「魂」の存在が体験できない、一つの信仰である限り、私が(「私たち」がといってもいいと思う)@@@さんと共通の地盤で対話することはできないように思えます。
964考える名無しさん:04/12/19 21:47:34
うわ〜、ここヤバいね・・・
965@@@:04/12/19 22:50:24
>>963
それに、魂を信じながら、永劫回帰を信ずるというのは矛盾じゃないですか?
魂を、超越的世界を、領域をひとたび認めたなら、機械論的宇宙が永劫回帰しようがどうだろうが、関係ないでしょう。

なんでそうなるのですか?
できるだけ詳しく説明してください。
お願い致します。


「魂」の存在が体験できない、一つの信仰である限り、
 ↑
魂はあります。信仰ではなく事実として。あなたは己の魂を自覚できないのか?
魂=あなた だが 自分の内部にある魂は
ある意味またある視点においては←(注)
自分とは別の生き物でもあるという見方もできないこともない。
そしてどちらの視点も正しいと同時に間違っているし間違っていると同時に
正しい。視点に正も邪もない。すべての視点は全く平等である。
このことをよくよくよく覚えておくといい。

では今夜はこれにて失礼する。

>>964 :考える名無しさん :04/12/19 21:47:34
うわ〜、ここヤバいね・・・

はあ?なんで?
966考える名無しさん:04/12/20 05:22:11
ツァラトゥストラって何ですか?

967考える名無しさん:04/12/20 05:26:19
                     _____
    / ̄ ̄ ̄ ̄\,,      /_,,    ,,_  \ なんだろな!
   /_____  ヽ    / (@)ヅ=ヾ(@));;;;;  \
   | ─ 、 ─ 、 ヽ |  |   / /〆"●⌒ヾ;;;;;\    ヽ
   | @ | @ |─ |___/   |三(__|___)三、   |
   |` - c ヾー' ;;;;; 6 l    |.  |  |  | ノ::ヾ  |   |
.   ヽ ィエエエエ》ヾ,,,-′   |  Y ̄Y ̄Y ̄Yノノ   |   l
     ヽ ___ /ヽ    ヽ と ̄^ ̄^ ̄^"シ   / /
     / |/\/ l ^ヽ    \ """"""     / /
     | |      |  |     l━━(t)━━━━┥
968考える名無しさん:04/12/20 05:29:52
マジで、ツァラトゥストラって何ですか?
教えてドラエモン!

969考える名無しさん:04/12/20 16:03:26
ぞろあすたーです
970考える名無しさん:04/12/20 18:00:14
永遠回帰の告知者だろ?
971考える名無しさん:04/12/20 18:59:41
表面より深いものはない(ニーチェ)

これって「ただより高いものはない」と似てるね
972考える名無しさん:04/12/20 20:53:03
>>968
「まだだ、まだ終わらんよ」ってこと。
973考える名無しさん:04/12/20 23:51:12
>>970
告知者って誰?ニーチェが脳内生産した架空の人?

>>972
じゃあ「ツァラトゥストラはこう言った」って書籍あるけど
「まだだ、まだ終わらんよはこう言った」が訳?
974考える名無しさん:04/12/21 00:33:24
ツァラトゥストラ=ゾロアスターはキリスト教に汚染されていない人格ということ
だけでニーチェが西洋形而上学の思想圏外から適当に選んだ名前であって、
ゾロアスター本人の思想、ゾロアスター教の思想とは直接の関係はない。
975考える名無しさん:04/12/21 05:27:12
>>974
それはちょっと違うと思うよ。

ニーチェはキリスト教を弱者のルサンチマンが生み出した奴隷道徳だって批判したわけだけど
ニーチェにとっての本当の敵は、プラトン以後の西洋文明に連綿と流れ続けている二元論的な思考そのものなんだよね
キリスト教もその二元論的思考の流れの中の一つの表れなわけで・・・。
要するに善悪とか、正邪とか、価値規範を持ち出して、世界を二つに分断して捉えるような発想そのものがデカダンだってニーチェは批判したわけ。
(ちなみに聞くところによるとソクラテスくらいまでのギリシア文化はどうやら一元論的なものだったらしい。)

で、ゾロアスター教は古代ペルシャの預言者ゾロアスター(ツァラトゥストラ)が始めた宗教で
善の神アフラ・マズタと悪の神アーリマンとの対立を主眼とし、世界で初めて善悪二元論的な概念を持った宗教だと言われている。
そう考えると、世界に初めて善悪の観念を持ち込んだゾロアスターは、ニーチェにとってもっとも忌み嫌うところの人間になりそうなもんなんだけど
逆に二元論的な発想の誕生に立ち会ったゾロアスターこそ、もっとも古くからその手練手管を熟知しており、二元論を克服
する最初の人間になる可能性があるということらしい。

だから、この解釈が正しいとすると、ニーチェが自分の思想を代弁させるキャラクターにツァラトゥストラを選んだのは故無きことじゃないんだよね。
たしか竹田青嗣さんがこんなことを言ってたと思う
976考える名無しさん:04/12/21 06:38:29
>>965
魂を超越的世界と捉えるのはイデオロギーである。
ニーチェは魂を体感しながら、自己の思考や、見てきたものの根底に横たわる、
人間の共通性を認識し、それを愛したのではないか。
機械論的宇宙が永劫回帰することを魂が肯定し、愛したのだよ!
977考える名無しさん:04/12/21 06:48:49
西洋の言語自体が主客を媒介とした二元論になっているのは確かにギリシヤ哲学がキリスト教に融合してからのことらしいね。カタリ派からプロテスタントの考え方ができるまでに神という概念が個体をとった。
978考える名無しさん:04/12/21 07:00:38
ニーチェが精神を明確な言語による神との対話から流動としてのポストモダン的な考え方へもっていったのは確かにそうだと思う。
979考える名無しさん:04/12/21 07:00:59
ただし二元論の否定は直接的な理性批判ではなく二元論的な言語のありかたにもディオニソスが含まれている。それを思考の形態から除外された実体への批判であって西洋が媒介としている二元論への直接的批判ではないでしょう。そもそも伝統形態を批判するなんてばかげている
980考える名無しさん:04/12/21 07:03:55
>>975
ニーチェは二元論的な思考そのものを批判してない。
エムペドクレスは世界を愛と憎悪によって構成されると考えたが、批判した文面はなかったと思う。

問題なのは、キリスト教徒が平等を要求した結果、良いもの/高いものの価値が引き下げられたことにある。
位階制度の崩壊は無秩序と人間の衰退を意味するから、反対したのだ。


981考える名無しさん:04/12/21 07:20:10
カトリックの神に許しを乞うというのは神経症的な罪悪意識であってピューリタニスムのように抑圧されたエロティシスムの無意識的克服が精神分析になるのかもしれない。つまり精神分析は西洋のもので精神分析自体が日本人にあっていたのかどうか。今は別として
982考える名無しさん:04/12/21 10:35:58
ニーチェが「この人を見よ」の「なぜわたしは一個の運命であるのか」の3でツァラトゥストラという名前が何を意味しているのか書いてる
長いので引用しきれないが
983考える名無しさん:04/12/21 19:03:33
神は死んだとか言われてもw
19世紀の終わりにようやく気づいたなんてヨーロッパ人ってアホやねw
真理は女のようなものてw 童貞かよw フェミニストも放置するわそらw
永遠回帰だの超人だのってただの戯言やんw なんの証明もないしw
984考える名無しさん:04/12/21 19:12:38
つらいことでもあったのか?

2ちゃん全体が冬休みモードに入りつつあるなぁ。
985963:04/12/21 20:17:11
>976

> 魂を超越的世界と捉えるのはイデオロギーである。
確かにそうですね。私にとって自然なイデオロギーだということに気づかされました。
ただ、
> ニーチェは魂を体感しながら、自己の思考や、見てきたものの根底に横たわる、
> 人間の共通性を認識し、それを愛したのではないか。
> 機械論的宇宙が永劫回帰することを魂が肯定し、愛したのだよ!
といわれると、それはそれでイデオロギーかな?(いや、別に子供じみたオウム返しをしようとしているわけではありません。)というような気がします。
「魂」の体感が可能かどうか……。たとえ何かしらの「体験」ができたとしても、それは究極「信仰」だ、ということになりませんか。

私の論法というか、論理が、もしかしたら不毛かもしれませんが。
986がじゅまろ:04/12/22 01:08:58
>>985
イデオロギーではなく、私なりの結論です。だから、言葉のレトリックで誤魔化しません。

体験を信仰と混同するのは、おかしいと思います。信仰は〜を信じるという、
〜自体に対する判断であって、体験は個人に帰着するものです。
信仰は、解釈(バイアス)が混入しています。体験の強度や内容は、事実です。
私が体験し、認識したであろうことをベースに、ニーチェのテキストを解釈し、
理解したと思ったものを信仰と表現されるなら、それも可能かもしれませんね。
987考える名無しさん:04/12/22 19:20:38
ニーチェ(笑)
988考える名無しさん:04/12/22 20:27:42
某有名女子大の研究者の文章をここら辺りで
実名入りでネット公開すると
一体どういうことになるのかな?
手元に持ってるのだが・・・
それはすごい代物で・・・
989考える名無しさん:04/12/22 23:02:55
≫983
ニーチェは一生童貞だったみたいですよ。
990考える名無しさん:04/12/22 23:05:48
まあニーチェの言ってることで当たっている部分もあるが
哲学的ではないわな
991考える名無しさん
ニーチェがすごいんじゃなくてクロソウスキーのニーチェ解釈がすごい。