1 :
方法的自然の意識 :
03/06/18 02:35
ヽ(´▽`)ノ _| ̄|○
【我思う】デカルト哲学【ゆえに我有り】 みたいに竹田哲学を代表する言葉をスレタイに入れてよ。 部外者には竹田哲学の何がすごいか理解できないから。
《こちらは本家新スレでは無い為、新スレが立つまでしばらくお待ち下さい》
6 :
考える名無しさん :03/06/18 10:17
なんか、結局アカデミズムからの陰に陽にの嫉妬が竹田批判の中心だよね。 でも「ここがおかしい」と具体的に指摘するやつはいない。 ただ「おかしい」とプロパガンダを張りつづけるだけ。 そりゃそうだ、竹田を批判すると正規の(?)「現象学」のおかしさ、異様さ、二枚舌の方が際だってしまうのだから。 確かに竹田本は違和感を感じる。その理由もある程度わかるんだが、 ちゃんと論破しようと思うとけっこう手ごわいわけだ。 相手は確信犯だし、ある意味一貫しているから。
>でも「ここがおかしい」と具体的に指摘するやつはいない。 具体的に批判してんじゃん。
9 :
考える名無しさん :03/06/18 12:10
具体的批判があってもすべて具体的批判ではないという批判で無効化されるよ
10 :
考える名無しさん :03/06/18 12:22
こっちのスレは破棄します。新しいスレつくりますんで。
はぁ? お前何様?
sage
13 :
考える名無しさん :03/06/18 12:28
竹田信者にとってアカデミズムとは永井とか中島らしいな(爆笑
もう早く新スレ立てちゃえよ。
>>9 竹田の受け売りで反論可能なものだけ「具体的批判」とみなす、という竹田信者お得意の論理ね。
いいよ、別に。
過去ログは保存されていて、2ちゃんが続く限り、誰もが読むことが可能なんだから。
16 :
考える名無しさん :03/06/18 12:31
竹田信者は思考だけではなくスレ立てまで他人に依存するの
17 :
考える名無しさん :03/06/18 12:32
読んでも都合の悪いところは反論しないがな。
>>15 フッサールのテクストに沿った批判なんてまともになかったと記憶しているんだがね。
「死刑囚」があれだけ煽っても、誰もできなかった(やらなかったのもあるだろうが)。
それとも、まさか、「戦争抑止の原理」に対する批判が「具体的批判」なのかな?
何で批判はこうあるべきなんて被批判者が規定すんの?
20 :
考える名無しさん :03/06/18 12:41
さすがフッサールのテクストに沿った解説を1度もしたことがない竹田の信者は いうことがちがうな
竹田の全体系を批判しない限り細かい間違いはすべて無意味だとするのが 竹田哲学だからでしょ。
>>19 オイオイそれじゃ被批判者は好き放題に批判されっぱなしだろw
大丈夫か?
>>21 そうか、竹田の間違いは「細かい点」であって、
とても全体系を批判できるようなものではないわけだ。語るに落ちたね。
もっとも、その「細かい間違い」とやらも具体的には殆ど指摘されないわけだが。
マジメに思うんだが、「相対論批判」批判と同じように、HPでも作って
「ここがオカシイ」とやればいいと思うんだがね。
ここで延々と粘着に絡んでいても不毛だろ?
817 名前: 考える名無しさん 投稿日: 02/11/09 10:31 俺が繰り返し批判をしているのは読者(及び竹田)のその場の「具体的な現れ」のみであって「思想の内実」なんてどうだっていいんだよ。 文脈上「具体的な」レヴェルで現れてきた「思想の内実」に若干触れることはあるにしても。 「主観と客観の一致」の問題なんか勝手に考えていろよ。 俺には直接的に関係ないし、興味ないから。 現実社会で何かに関わろうとするときいちいちその「思想の内実」なんか問うているか? あるものの「思想の内実」が正しいから、それのその場その場の「具体的な現れ」は正しいなんて認識の仕方があるか? そういうのを「観念的」って言うんじゃなかったっけ? お前「観念」にとりつかれてるよ。 「観念」の正しさに固執するってのが、竹田がよく批判をする「義の主張」ってやつじゃねえのか? オイ。 お前や「信者」や俺が「具体的な現れ」として関わっているのは「この場」だろう、実際。 それに対して俺は常に具体的な批判を繰り返してきた。 それで不満か? そういった「具体的な現れ」としての問題よりも、「主観と客観の一致」の問題のほうが優先するのか。 現実社会でもそういった対応をしているわけ? 「オイラ」は?
>>23 フッサールのテクストは一行も引用されてないんですが。
結局ここでは素人が「素人」を批判してるんじゃねえの?
それの何が悪いわけ?
26 :
考える名無しさん :03/06/18 12:56
>結局ここでは素人が「素人」を批判してるんじゃねえの? 同意
27 :
考える名無しさん :03/06/18 12:56
さて、そろそろ新スレでも立てますか
何でそう竹田を目の敵にするかな?
何か不安だな、昨日みたいにならなきゃいいんだけどな。。
32 :
考える名無しさん :03/06/18 12:59
1度でいいから竹田の活字の引用がみてみたいなw
33 :
考える名無しさん :03/06/18 13:00
>>27 前スレでやりかけていたけれど、竹田現象学の購読でものんびりやろうよ。
アンチはスルーの方針で。
34 :
考える名無しさん :03/06/18 13:00
竹田はいつからドイツ語読めるようになったの?
そうですな。様子を見ますか
36 :
考える名無しさん :03/06/18 13:01
37 :
考える名無しさん :03/06/18 13:01
ドイツ語でやれ
38 :
考える名無しさん :03/06/18 13:02
>>33 読書会スレみたいな感じかな。良いかもね。
39 :
考える名無しさん :03/06/18 13:02
その前にチョン語と竹田語な
40 :
考える名無しさん :03/06/18 13:05
テキストなに?全部にゅうもんしょじゃねえかよwww
41 :
考える名無しさん :03/06/18 13:07
そろそろ竹田も老衰だな。
42 :
考える名無しさん :03/06/18 13:07
このスレを荒らしている人間がスガとかだったら嫌だな
43 :
考える名無しさん :03/06/18 13:07
ニシだろ。
44 :
考える名無しさん :03/06/18 13:07
崩れ院生と見た。
45 :
考える名無しさん :03/06/18 13:09
信者がな。
いつ来てもいつ見てもいるからな。その確率高いかもな。
47 :
考える名無しさん :03/06/18 13:09
たぶんチンポ太郎なんだろうけどね・・・
48 :
考える名無しさん :03/06/18 13:10
死刑囚もね
漏れは竹田擁護派だけど、 チンポ太郎は真っ当に竹田批判ができるけどやらないだけだろうよ。
50 :
考える名無しさん :03/06/18 13:11
崩れ院生といういうのは会ってるかも
51 :
考える名無しさん :03/06/18 13:12
俺も竹田擁護派だけど竹田のテクストを引用した批判はみたことがない
「崩れ院生」って魔除けになる言葉かもな。
53 :
考える名無しさん :03/06/18 13:14
<=(´▽`)<俺は竹田擁護派じゃないけど竹田は論理学的だと思うよ
54 :
考える名無しさん :03/06/18 13:14
うーん、ちょっと不本意な終わり方だった。
56 :
考える名無しさん :03/06/18 13:15
そうなの?
57 :
考える名無しさん :03/06/18 13:16
チョンであることはけっして消えないの?
58 :
考える名無しさん :03/06/18 13:16
竹田のどの本読もうか。
59 :
考える名無しさん :03/06/18 13:16
在日論でも読もう
60 :
考える名無しさん :03/06/18 13:17
「分析哲学徒は〜」のスレの最後があまりよろしく無い
61 :
考える名無しさん :03/06/18 13:17
どっかのスレはちょっと好い終わり方だったな
62 :
考える名無しさん :03/06/18 13:17
現象学入門はレジュメをちょっとやったんだけど、中断した。
63 :
考える名無しさん :03/06/18 13:18
在日という根拠のこと?
64 :
考える名無しさん :03/06/18 13:18
じゃあ「現象学入門」再開
65 :
考える名無しさん :03/06/18 13:20
いやー、レジュメは作るのが大変だった。1ページやるのに2・3時間かかった。
66 :
考える名無しさん :03/06/18 13:20
「フッサールの構想は「エロス論的」、「欲望論的」な視点が抜け落ちており、 認識論的な概念で押し通されているといえる。」 まずここ
67 :
考える名無しさん :03/06/18 13:21
在日という根拠でいいのでは?
68 :
考える名無しさん :03/06/18 13:22
69 :
考える名無しさん :03/06/18 13:23
>>67 それでもいいよ。持ってないけど図書館で借りてこようかな。
別の本と同時進行でもいいと思うし。
70 :
考える名無しさん :03/06/18 13:24
俺も在日という根拠は持ってないけど、見てるだけでもいいよ。
71 :
考える名無しさん :03/06/18 13:25
takedaはフッサールやヘーゲルについても結構批判的だわな。 相対的に過大評価気味だと思うけれど。
72 :
考える名無しさん :03/06/18 13:27
レジュメ作ってくれる人いますか
73 :
考える名無しさん :03/06/18 13:30
やっぱきつい役だからね。なかなか立候補者がいないわな。
74 :
考える名無しさん :03/06/18 13:31
今のところは作りたい人が自主的に作ってくれるのを待つかなー。
75 :
考える名無しさん :03/06/18 13:32
ここで読書会しようって人は哲学科なの?
76 :
考える名無しさん :03/06/18 13:32
じゃ、ちょっと時間下さい。何かつくってきますんで
77 :
考える名無しさん :03/06/18 13:33
俺は全然違うとこの人間だからね。
78 :
考える名無しさん :03/06/18 13:34
79 :
考える名無しさん :03/06/18 13:37
本気で何かつくってんのかな?
80 :
考える名無しさん :03/06/18 13:38
煽りが無くなったな・・・何処行ったんだか・・・
81 :
考える名無しさん :03/06/18 13:38
>>79 本気というか、すぐには無理だよー。
他の作業あるし。 気長に待っておくれ
82 :
考える名無しさん :03/06/18 13:39
83 :
考える名無しさん :03/06/18 16:19
まずは金鶴永という人の小説なんでもいいで、さらっと目をとおしておいてください。
84 :
考える名無しさん :03/06/18 19:24
>>49 そんな訳ない。やれるならとっくにやってるよ。
85 :
考える名無しさん :03/06/18 21:59
スレこのままで進めるの?
86 :
考える名無しさん :03/06/18 22:33
俺も暇な時になんかつくってみるよ。期待はできないけど。
現象学は認識の正当性の根拠を知覚(竹田の言葉ではエロス)、 つまり身体の共通性にみいだすのだが、 しかしエロスなるものは徹頭徹尾、言語によって汚染されており、 それ自体言語の体制にほかならないのである。 人間というコンピューターは、 やはりコードの外側を見いだすことはできない。 竹田も後でこのことを事実上認めるのであるが、それは 現象学の崩壊でなく展開であるらしい。 おめでたい人である。
88 :
考える名無しさん :03/06/19 09:00
何か、久々にまともな批判みたいだね。
出たよ、「まともな批判」判定師。 その「まともな批判」に絡んだ実績ゼロ。
90 :
考える名無しさん :03/06/19 23:48
>>87 コードの外側というのはまだ検討の余地があるかも。
エロスの原理を言葉にするのは良いとしても、
彼は丸山の影響も受けているから、それは気づいていない筈は無い。
現象学が身体の共有性を目指すものとしての理解はあながち外れてもいないけど、
問題はエロスの原理を言語で裁ける程、言語というものが根源的なものかという
という疑問が残る。
エロスの原理を否定して言語の原理を置くというのは原理化の異なったバリエーションだろう。
91 :
考える名無しさん :03/06/19 23:52
92 :
考える名無しさん :03/06/19 23:52
空虚なお遊びはほどほどに
93 :
考える名無しさん :03/06/19 23:57
94 :
考える名無しさん :03/06/20 00:00
>>93 ____
/∵∴∵∴\
/∵∴/∴∵\\
/∵∴< ・>.<・ >|
|∵∵∵/ ●\∵| はあ?
|∵∵ /三 | 三| |
|∵∵ |\_|_/| |
\∵ | \__ノ .|/
/ \|___/\
│ ∴∵━━○━∴│
95 :
考える名無しさん :03/06/20 00:02
96 :
考える名無しさん :03/06/20 00:03
かいの騙りのつもり?
97 :
考える名無しさん :03/06/20 00:08
>>93 ____
/∵∴∵∴\
/∵∴/∴∵\\
/∵∴< ・>.<・ >|
|∵∵∵/ ●\∵| はあ?
|∵∵ /三 | 三| |
|∵∵ |\_|_/| |
\∵ | \__ノ .|/
/ \|___/\
│ ∴∵━━○━∴│
98 :
考える名無しさん :03/06/20 00:12
もう、殆ど荒らしじゃないか。
>>91 :考える名無しさん :03/06/19 23:52
>
>>89 >何か意見あるなら、言ってみれば?
......。
絶句です。
恥ずかし...。
「一本とった」つもりなのかな〜、こいつ。
得意気なんだろうな〜。
で、「ちゃんと批判した」つもりのお前のシナリオに付き合えって言うの?
それだけは、勘弁してくれな。
ウワッツラだけでスベりまくっていてどう絡んでいいのか、俺には皆目見当が付かない。
何言ってるかわからないんだよ。
だいたい
>>87 からおかしいじゃん。
「知覚」=「身体の共通性」? 「人間というコンピューター」? 「言語の体制」? は? 何それ?
お前もお前で、何の概念の摺り合わせもしてねえのに、
「コードの外側というのはまだ検討の余地があるかも。」だって。
これはいったい何のやりとりなんだ?
いったい何を論じたいんだ?
何が問題なんだ?
「こう見られたい」ってのはよ〜〜〜くわかったから、まず、地に足つけろよ。
100 :
考える名無しさん :03/06/20 00:28
>>99 それってただ、
>>87 も
>>91 も理解できないで、分かんないって事を
つらつら書いてるだけじゃんか。AAで荒らした後は文句ばっかりで、
少しはまともに考えてみろよ。
>>100 はいはい。AAも俺のせいね。「そう見せたい」だよね。うんうん。
見せ掛けで固められた人生ってのもそれなりに面白いかもしれん。
俺は御免被りたいけどね。
ある程度共有された概念としてその場で機能していない上滑りの言葉でいったい何を「考える」んだ?
102 :
考える名無しさん :03/06/20 00:43
>>101 何だと!どこが見せ掛けだって言うんだ?
手前は語れるのかよ!?
それがお前にとって本当に大切な問題だったらもっと深く掘り下げてみな。 できなければ、お前のやったことは単なる「見せ掛け」だ。 俺はもう寝るよ。
104 :
考える名無しさん :03/06/20 00:50
>>103 かってに寝んなよ!
話はおわってねえぞ!!
105 :
考える名無しさん :03/06/20 00:52
なんか一悶着あったみたいですねー
107 :
考える名無しさん :03/06/20 01:04
>>106 いつもの事なんだけど、今日は珍しくAA使ってきたから。。
108 :
考える名無しさん :03/06/20 12:09
>>87 を少し解説してみるか。
現象学は認識の正当性の根拠を知覚(竹田の言葉ではエロス)、
つまり身体の共通性にみいだすのだが、
(ここは「現象学入門」を参照すると良い。)
しかしエロスなるものは徹頭徹尾、言語によって汚染されており、
それ自体言語の体制にほかならないのである。
(ボードリヤールの著作を参考にすると分かり易い。)
人間というコンピューターは、
やはりコードの外側を見いだすことはできない。
(ここは主観、客観問題だから、同じく「現象学入門」から。)
竹田も後でこのことを事実上認めるのであるが、それは
現象学の崩壊でなく展開であるらしい。
おめでたい人である。
(ここは言語の破壊性をエロスの固定性と対置させているものと思われる。)
いいよ、親切に解説してくれなくても。
そんなことより、絡んだ
>>90 と論議でもしたら?
概念も共通了解されてるんでしょ。
>>108 >現象学は認識の正当性の根拠を知覚(竹田の言葉ではエロス)、
>つまり身体の共通性にみいだすのだが、
>(ここは「現象学入門」を参照すると良い。)
知覚に見出すのではなく、感情(情動・欲望)に見出す。
だいたい知覚直観という言葉自体竹田の造語であって、
現象学的認識の妥当性を「知覚」のみに見出したって意味無し。
全く意味無し。よって後段は全て意味不明。
マトモな批判は歓迎だが、読んでる方が恥ず(ry
死刑囚キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
112 :
考える名無しさん :03/06/20 20:03
期待age
>>109 君はちょっと自分の言ってる事を理解した方がいいと思うよ。
いまさら竹田ねえ。 もう少しいろんな本を読んだほうがいいよ。食わず嫌いはよくないね。
色々読んではいるよ、竹田の本だけって訳じゃない。
竹田の薦める以外の哲学書を読んでいるとは信じられんがなw
117 :
考える名無しさん :03/06/21 08:35
東も似たような事言ってたけど、まだ旧来のグループの名残でも残ってんのかな。
118 :
考える名無しさん :03/06/21 14:19
読んで理解できるとは限らないし
竹田理解に最も役立つ書籍は何ですか?
>>118 それはお互い様でしょう。
自分もいまだに反吉本派の言う事は理解できない。
>>119 各種入門書が揃っているから、簡単なものから読んでいったらいいと思う。
簡単なものしかないじゃん.ウソはよくないな
>>121 一応、それでも段階があるから
入門〜現象学みたいな感じで。
123 :
考える名無しさん :03/06/21 16:43
でもhpのあれはうそでしょ?
hpのあれって?エッセイ?
>次回更新は都合により6月末予定です サイト更新が遅れているね。 「戦争抑止の原理」をどう取り繕うかが見物。
126 :
考える名無しさん :03/06/22 02:45
>「戦争抑止の原理」をどう取り繕うかが見物。 えらくこだわるな。もし今回の事が南北問題が発端と考えると、あのテロが正当化されると いう考え方は間違ってはいないだろうが、それは民主化された社会だけで言える事だろう。 多くはその心情を体制に利用される形で取り込まれて、内部で南北をつくる様になるだろう。 個人的には、攻撃はサンクションというのはこういった事を踏まえての事だと思うんだが、 体制を防ぐには、彼のいう民主化という事を進めなければならないだろう。だが、当人は その体制を維持したまま、対抗しようとしているので、それを阻止しなければならない。
アンチ竹田の特徴 1 竹田マンセーを「哲学の素人」「哲学をわかってない」「初心者」などと評し、貶める。 2 もちろん、自分は哲学の玄人を気取る。態度が実に尊大。 3 そのくせ、自分が評価する哲学などは語りたがらない。 4 自分が評価するものが叩かれると、当該哲学でなくそれを評価する他人のせいにする。 5 やっかりなことに、これらの自覚はないようである。
「やっかり」っていうのは新種のやどかりか?
>>126 「えらくこだわる」と言うわりには他人の意見なんか全く読んでないんだな。
過去ログが消えたから俺の疑念をもう一度提示しよう。
>竹田の「戦争抑止の原理」とは「民主主義が浸透し資本主義が成熟している市民国家」なら
>利益目的の戦争を仕掛けることはありえず(と竹田が勝手に考えている)、
>今回のイラク攻撃は「大量破壊兵器拡散防止」目的のサンクションとして
>正当化しうるという論理だったよな?
>
>その根拠が全く崩れているのがわからんかな?
>肝心の「大量破壊兵器」が無いんだからサンクションもへったくれもねえわな。
>
>何によって正当化するのよ、今回の攻撃は?
>少なくとも「大量破壊兵器拡散防止」を基底に「戦争抑止の原理」を唱えた竹田は?
俺としては竹田が取り繕う以前に信者にこの点をどう思うか意見を述べてほしかったわけだが、
これは完全に黙殺されたよな。
>それとも、まさか、「戦争抑止の原理」に対する批判が「具体的批判」なのかな?
なんて言われてね。
>竹田の全体系を批判しない限り細かい間違いはすべて無意味だとするのが >竹田哲学だからでしょ。 >そうか、竹田の間違いは「細かい点」であって、 >とても全体系を批判できるようなものではないわけだ。語るに落ちたね。 前にも指摘したが、こういった「『原理』が正しければ『細部』は無視しても構わない」という論理こそが、竹田の言う「心の義」に固執するという態度なのではなかろうか。 >そのような人は、「正しさ」についての強固な確信をもっている。 >その「正しさ」は検証されていず、ただ強い心情として存在するだけである。 もろに当て嵌まっているよな。 現実的な社会での言動や行動に照合して検証されることがなく、永遠に先延ばしされた「可能性」として提示される「原理」はまさに「心の義」としてしか機能していない。 批判をしている対象が違うだけで、思考の志向性や言説の構造が同じなんだよ。
131 :
考える名無しさん :03/06/22 10:35
>竹田の「戦争抑止の原理」とは「民主主義が浸透し資本主義が成熟している市民国家」なら >利益目的の戦争を仕掛けることはありえず(と竹田が勝手に考えている)、 >今回のイラク攻撃は「大量破壊兵器拡散防止」目的のサンクションとして >正当化しうるという論理だったよな? 市民国家ならば侵略戦争をしないというのは、民主化と生活水準の向上によって、 侵略戦争をする場合には支持を得る事とその動機が少なくなるからという意味で、 サンクションなら攻撃を正当化できるという事では無く、単に正当性が強いという事だ。 それは上の2つの理由によって、戦争を抑止する為の一般意志が反映され易くなる為だ。 >その根拠が全く崩れているのがわからんかな? >肝心の「大量破壊兵器」が無いんだからサンクションもへったくれもねえわな。 だから、大量破壊兵器があってもなくても上の2つが反映される限りは抑止される事に変わりは無く、 逆に一般意志が反映されない場合は、支配者の個人的な動機で行われる面が増えて、正当性が薄くなる。 あの論理だと、大量破壊兵器が見つかった場合は、大量破壊兵器拡散防止が証明された事になるが、 それで正当化されるのは、米では無くて民主主義であって、どちらにせよ正当性が無くなる訳では無いよ。
>>129 「信者」だけど、それに関しては撤回すべきだと書いた気がするのだが。
君より前にそれとほぼ同様の批判を私自身が前スレでしているし。
竹田ファンは、よくも悪くも「自分で考える」ことに価値を見出している人が多いから、
竹田の受け売りはしたくない人が多いと思うよ。
とくに政治的見解については、まるきり支持している人なんて少ない。
ただ、彼の思想のコアな部分(ヘーゲルやフッサールの独特の解釈)や、ものを考える時のスタンス
に惹かれている人が多いわけ。
だから「戦争についてのエッセイ」と「現象学」への批判は分けてもらいたいのよ。
政治に関して彼は素人というしかないのだし。
>>130 誤解されがちだけど、「原理」が正しいのではない。むしろ「原理」を重んじるという「原理」が
大事なわけ。竹田本人もそれ以上のことは望んでいないと思われるよ。
そうでなければ、どこかに正しい「政治的解答」(真理)が実在することになってしまう。
もちろん現実に試されない「心の義」は、不毛だけれど、かれは「失敗してもいいから、
現実の中で意見を鍛えるべきだ」と言っているのだから、筋は通っている(哲学者にできるのはそこまで)。
だからこそ彼には、間違ったら訂正し、もう一度強く考え直すという姿勢を実践してもらいたいと思う。
>>131 「正当性」というのは、彼の場合「普遍性を得られること」という意味なのでしょ?
大量兵器が「なかった」以上、アメリカという国家のステイトメントは明らかに矛盾するわけで、
それが一般に理解され共感され支持されることはありえないと思うのだけどね。
せめて、1.手続き的な正当性 2.論理的正当性(「真理」ではなく、最低限の一貫性、位の意味で) は普遍妥当性の
必要条件ではないだろうか? 事実この二つは彼の抑止の原理と矛盾しない。
この点でアメリカの攻撃は、「現実」として決して普遍性を得られない。
『二つの戦後から『じゃないけれど、戦争を嫌だと思う素朴な心象をバッサリ切り捨てては普遍性は得られないし、
「アメリカの矛盾」をバッサリ切り捨てて、生身の人間は、説得できない。
>>133 大量破壊兵器がなかったという事はまだ言えないと思う。それはどう考えても不自然だ。
逆に、発見されたとすれば矛盾しない事になる訳だが、これにも少々納得がいかない。
1は国連の承認で、2は大量破壊兵器の有無と見ると確かに普遍妥当性の必要条件だが、
それには独裁体制の被支配者の実存というものも加えられなければ、攻撃側の実存だけで
終わってしまうという事になるのではないかと思う。そういった意味では正当性は残ると思う。
「戦争抑止の原理」としても妥当性きわめて薄いわな。 領土不拡大の原則に矛盾するから。 その例外ケースとして認めうる理由が、 毒ガス持ってることと、民主政体じゃないってことだよな。 これだけの理由じゃ、ヨーロッパの世論は武力による政体転覆、 侵略戦争と見なすわけだよ。 今回の反戦運動に感情論を嗅ぎつけた竹田の動機がそもそもの間違い。 湾岸戦争で国際世論が一致結束したのと、 イラク戦争で反戦世論が高まったのは、同じ理由にもとづくんだよ。
謙虚であることが哲学者のすごさとイコールであることに決定しますた。
チョンは姑息だね・・
>湾岸戦争で国際世論が一致結束したのと、 >イラク戦争で反戦世論が高まったのは、同じ理由にもとづくんだよ。 わけわからん
>>132 >誤解されがちだけど、「原理」が正しいのではない。
>むしろ「原理」を重んじるという「原理」が大事なわけ。
「誤解」ねえ...。
>>130 での俺の批判ではその『「原理」を重んじるという「原理」』も
じゅうぶん射程内に含まれていることはわかってもらえないのかな?
140 :
考える名無しさん :03/06/24 21:22
>湾岸戦争で国際世論が一致結束したのと、 >イラク戦争で反戦世論が高まったのは、同じ理由にもとづくんだよ。 はぁ?? 単にそれ勉強不足なだけじゃんw
141 :
考える名無しさん :03/06/25 15:52
>>132 >竹田本人もそれ以上のことは望んでいないと思われるよ。
竹田さん証明してよ。
>>133 竹田の普遍性とアメリカのそれとは合致するんだ。すごいね
あ、そうかヘーゲルの世界精神か・・・w
>>110 こっちとしては知覚でも欲望でも生活世界でも何でも構わんのだが。
そのどれもが言語に汚染されていることに変わりはない。
皮肉なことに、そうして立脚点をずらしていくたび、
ますます「一見して」文字文化の領域に両足沈めていくことになるのだな。
哲学の世界では知覚はさんざん批判されて手垢のついた言葉になったが、
エロスに移動すれば困難が避けられるというのは、笑うべき浅はかさだ。
145 :
考える名無しさん :03/06/26 03:39
なぜか言語に依拠する前の竹田への批判はなぜないの
146 :
考える名無しさん :03/06/26 03:44
踊りつかれたディスコの帰り、電信柱にしみついた夜
>>143 ワラタ
ところで話は変わるけど、携帯ゲーム機"プレイステーションポータブル(PSP)
このPSPは、新規格UMD(ユニバーサルメディアディスク)というディスクを利用しており、そのサイズは直径6cmととても小さい(CDの半分程度)。 容量は1.8GBとなっている。
画面は4.5インチのTFT液晶で、480px x 272px(16:9)。MPEG4の再生やポリゴンも表示可能。外部端子として、USB2.0とメモリースティックコネクタが用意されているという。
この際、スク・エニもGBAからPSPに乗り換えたらどうでしょう。スク・エニの場合、PSPの方が実力を出しやすいような気がするんですが。
任天堂が携帯ゲーム機で圧倒的なシェアをもってるなら、スク・エニがそれを崩してみるのもおもしろいですし。かつて、PS人気の引き金となったFF7のように。
いきなりこんな事言い出してスマソ・・
GBAと比べてみてどうですかね?(シェアの事は抜きで)
149 :
考える名無しさん :03/06/26 22:34
>>135 湾岸戦争とイラク戦争の国際世論の高まりは同じ理由ではない。
今回はそれに関しては前回とは別の観点からの動機を持つものだ。
人格だけで哲学が最高かどうかはわからない
152 :
考える名無しさん :03/06/27 00:56
>>150 君と同じアンチが立てたっぽいんだよね。このスレタイ
153 :
考える名無しさん :03/06/27 13:06
違うな竹田のウンチだてもっと露骨だろ
154 :
考える名無しさん :03/06/27 15:11
で、勉強会ってどうなったんだ?
宮台が「サイファ」で現象学について言及している。わかりやすく紹介する人も必要だとのこと。
156 :
考える名無しさん :03/06/27 16:54
浅田彰「構造と力」 読者評 ちなみに竹田セイジなどはこの本がブームになったあと、「構造と力」を さらに解説する本を書いて「思想家」デビューしたというのは御愛嬌)
158 :
考える名無しさん :03/06/27 17:02
159 :
考える名無しさん :03/06/27 17:03
現代思想のやつのことか?あれは全然構造と力とは 別ものだと思うけどな。
理解できないとそう思えるだろうな
読者の意見というかAmazonからコピってきたというよりは、 Amazonに2ちゃんねらーが書き込んだという方が正確な訳だが。
誤爆?なら削除よろしくね
163 :
考える名無しさん :03/06/27 23:59
それじゃ、そろそろ本来の竹田現象学を語ろうか。
まずチョンは死刑だな
165 :
考える名無しさん :03/06/28 00:01
またそういう事を。。
166 :
考える名無しさん :03/06/28 00:01
確かにチョンが死刑されてメリットはあってもデメリットはないからなあ。
167 :
考える名無しさん :03/06/28 00:02
結局はハングルが嫌いな訳ですか?
ハングル? 誤爆か・・
170 :
考える名無しさん :03/06/28 00:05
ここを荒らしているのは、誰なんだろう?
171 :
考える名無しさん :03/06/28 00:05
誤爆多いなw
172 :
考える名無しさん :03/06/28 00:06
マジスレか、イケメン太郎か・・
>>170 間違いなく朴一信者だろ。政治思想板では常識
174 :
考える名無しさん :03/06/28 00:08
>間違いなく朴一信者だろ。 政治思想には詳しくないんで詳細がわかりません。
一応哲学板なのでお聞きしますけど・・朴一読んだことないの?
176 :
考える名無しさん :03/06/28 00:13
読んだ事ないですね。でも何か似たような本書いてますね。
177 :
考える名無しさん :03/06/28 00:17
そういう争いの中での荒らしだったのか?
178 :
考える名無しさん :03/06/28 00:17
>>176 でも何か似たような本書いてますね、という文章の場合誰が、誰に、という
指定が日本語では必要なのです。自分もまだまだ日本語だめですが
お互いがんばていきましょう。
179 :
考える名無しさん :03/06/28 00:18
ようするに、在日という事を強調したいのですね?
180 :
考える名無しさん :03/06/28 00:20
何となく分かってきたよ。取り巻く状況が
181 :
考える名無しさん :03/06/28 00:22
在日だと竹田先生を必ず読むって人は少ないですが姜先生と朴先生のは 必ず読んでます。だから朴先生の猛烈な姜先生と竹田先生批判では正直 悩みます。
182 :
考える名無しさん :03/06/28 00:24
朴先生と竹田先生だと、意見が別れてるの?
竹田先生が朴先生の書かれたものについて言及されたことはないと思うのですが 朴先生は書かれています。
184 :
考える名無しさん :03/06/28 00:28
なるほど。竹田先生も大変だな、こういうところでも 苦労しているのか。
ただ自分はどっちかというと朴先生の方が苦労なさってこられた人生だと思いますし 朴先生の体験の方が重みがあるように聞こえます。
186 :
考える名無しさん :03/06/28 00:35
俺は朴一の書き物は読んだ事は無いし、竹田先生の在日論はまだ読んでいない。 ただ、あの在日論が彼等には受けないのかね。
ちょっと調べて来る。
ていうよりも昔、在日の雑誌に書いてたころと、なんでそうじゃない雑誌に書くのとでは なぜあそこまで論調が違うのかってことが問題なんじゃないの? 今は在日の雑誌には全然書いてないけどさ。
>>188 そこんとこはあんまり知らないんだよね。
基本的に竹田現象学の方にウェイトがかかっているから。
できれば、>なぜあそこまで論調が違うのかってことが問題なんじゃないの?
ここの部分がどんな感じに違うのか教えてもらえませんか?
なんかまるで自分が在日でなくて発言しているというか・・在日問題っていうくくり だったんですよ(昔ね、ていうか今は言わないから)。 そうだ、よく使う例としては村上春樹の「僕」のような文学的存在でしか在日はありえ ないみたいな、ですかね。実際にはいないものなんだ!といっていると取られても 仕方ないと思います。
>なんかまるで自分が在日でなくて発言しているというか 前にもどこかで同じような事を聞いた事がある。 民族か帰化かという二分法を選ばない、というような事だったかな。 在日の他の人間からすれば、これに反感があるのかね? 俺はこの姿勢が彼の思想を構成している要素ならば、評価するけど、 これがそちら側からすれば、理想のものを言っているように見えるのかな。
>>192 >民族か帰化かという二分法を選ばない
に対する反論と受け止めました。つまり、現実的な問題としては彼は南を選んだ、
という事なのでしょうか?それでそういった問題を考えていないという事を言うの
かな。
もし、そういう事であるならば、というよりそうであっても竹田氏の理論書を読む事に
価値はあると見るけどな。個人的に思うに、竹田氏への反感の理由の一端として、いわゆる
「現実」の括弧入れという事がある(というよりはその様に受け取られているだけだが)。
これは在日関連で無くても、例えば「現実」の職場においてはキレイ事は通用しない、と
いう言い方があるし(とは言え、全く逆に「説教」として受け止めている人間もいるのだが)、
そもそも「現実」というものにどういう根拠があるのかという事に彼は着目しているんじゃないか?
194 :
考える名無しさん :03/06/29 14:32
下がり過ぎたな、あげよう。
>>193 >もし、そういう事であるならば、というよりそうであっても竹田氏の理論書を読む事に
価値はあると見るけどな。
この部分の接続がどうしてもわかりません。
あと
>「現実」というものにどういう根拠があるのかという事に彼は着目しているんじゃないか?
これだと、竹田氏が批判したポストモダン思想と全く変わらない気もします。
あと現実の括弧いれだと、思われているということは193さんが見ると
実際はどうなんでしょうか。接続部分がわかりにくくてどっちともとれるような
気がします。ただ今現在在日に関する問題はない!と受け取られかねない唯一の
思想なような気もします(賛否はさしおいて)。
>>195 >ただ今現在在日に関する問題はない!と受け取られかねない唯一の
>思想なような気もします(賛否はさしおいて)。
少なくとも自分はこういう受け取り方はしていません。著作の中では、
「在日を生きるという事は、差別の中で生きる事」という事を明言していますし。
あなたが接続が分からなかったのは、民族問題を現実の問題として認めているからだと思います。
推察するに、竹田氏は民族という問題を考える時に、まずは北と南と帰化という手段を、
固定して想定しないという事を言っているのだろうと思うし、在日問題が無いという事を
言っているのでは無いと考えています。(多くはこれを誤解した為の批判なのです)
>>195 済みませんが、在日問題についてはあまり見識が広くないので
知らない事が多いんですが、わかる範囲でなら応答します。
>これだと、竹田氏が批判したポストモダン思想と全く変わらない気もします。
これは前に言った現実の散逸化の事ですね。こういう面もあるんですが、
同時に全く反対のものと融合しているので、逆に形而上学との批判もある
のです。そこが違うところではないでしょうか?
日本人(=俺)がこう書くのは勇気が要るんですが、いい機会なので書きます。 竹田青嗣は「在日問題」を「在日青年(それも文系)の葛藤」に一元化してしまってはいないでしょうか? これは本人の意図するところではないかもしれませんし、漱石以来の日本の近代文学の問題であるとも思うのですが、、。 (大きく出ましたが、実はちょっと自信がありません。)
198は自分です。 ageたつもりがagaってませんでした。 よってageます。
>>198 >「在日問題」を「在日青年(それも文系)の葛藤」
これ以外の葛藤や問題というのはどういった状況がありうるんですか?
201 :
考える名無しさん :03/07/03 02:37
「探究」は、昭和末期の批評の唯一の中心軸であった。
202 :
考える名無しさん :03/07/03 11:49
203 :
考える名無しさん :03/07/03 12:20
ass
帯からここへ来ました。 まだ本は読んでないけど「在日という根拠」は読んだ方が 理解が深まりますか。
205 :
考える名無しさん :03/07/04 03:46
この人は「近代哲学再評価」を繰り返し 強調しておられますが、個人的には、 カントについて書いたものが読みたい。
>>204 私観ですが、彼の書き物の中で文芸評論と思想・哲学系の書き物では
多少論調が違います。在日という根拠は読んでいませんが、他の
批評を読んだ印象では、竹田現象学の動機部分というか、発端の様な
ものを読み取る事はできます。
>>205 近代哲学に関しては、カント個人について一冊書くという事は無いです。
(それはどちかと言えば柄谷行人がやってます)だけど、近代哲学全体に
ついてはかなり色々なところで、言及していますし、カントもその中に含まれて
いると思います。それで読みたければ、入門書関連ならどれでも近代哲学の
再考に当たると思いますので、オンラインテキスト等も利用してみてください。
>>206 ご意見ありがとうございます。
哲学には本当はあまり興味が無かったんだけど
帯に影響されているので読んでみようと思いました。
現象学ともう一冊買おうと思っていたので
参考にさせて頂きます。
>竹田青嗣は「在日問題」を「在日青年(それも文系)の葛藤」に一元化してしまってはいないでしょうか? ここを少し考えてみます。夢の外部では、最初の金論で作家つまり 文系在日青年の葛藤として、動機となる生活の危機意識を求めると 生活が破綻し、それを回避すると書き続けられなくなる。という論 を他の作家の文章から引用する。 だとすると、ここでは生活の危機意識というものが在日という属性 と並存している、という事が問題になるのかもしれない。ここに 批判があるとするならば、在日と文系青年の葛藤、 つまり生活の危機意識の葛藤が、在日に一般的に共有された感覚で ない事が批判する為の動機、条件となる。これを否定するものの 一例として、例えば民族としての融合感を日常的に保有している 人間ならば、上のような在日論は破棄するだろう。
夢の外部の金論を再度一通り読んでみて、個人的な印象では、 凍える口を取り上げるのは、予想するに、不遇性の絶対性を 示す為だと思われます。例えば、文系で無い一般的な在日の 場合、その不遇性はある程度の交換可能性を持てる。しかし、 この作家の場合、その吃音という不遇性は交換できない。と すると、やはり竹田氏の在日論は文系在日青年を扱っている と言えなくもないですが、そういう事はやはり本質的では 無い。これは言わば、在日論というよりは人間一般にまで範囲 が広げられる射程です。その意味で指摘する事はある意味で 当たっていると言えますが、やはり在日に限定して考えない方が 良さそうだと思いました。
210 :
考える名無しさん :03/07/05 23:27
やはり在日には無理なのか。
>>210 そんな事言うためにわざわざあげるなよ。
212 :
考える名無しさん :03/07/06 00:02
>>200 >これ以外の葛藤や問題というのはどういった状況がありうるんですか
life全般。
具体的に言うんだったら、大きなところで地方参政権の話とか。民団で盛り上がってるんじゃないの?
>>210 >やはり在日には無理なのか。
マジレスしちゃうけど、「無理/無理じゃない」=「できない/できる」=「不可能/可能」式の発想に、どうして(whyというよりもhow)直に行く?
世界ってのは、社会ってのは、それだけかあー?
竹田の言う「可能性の原理」って、こういう薄っぺらい反動を内包してないかい?
「差別はいやだ」という言い方が偽善に聞こえるなら、「なんか寒いんですけど」と言えば届くかな。
>>209 >無い。これは言わば、在日論というよりは人間一般にまで範囲
>が広げられる射程です。その意味で指摘する事はある意味で
>当たっていると言えますが、やはり在日に限定して考えない方が
>良さそうだと思いました。
なるほど、そこで普遍性へと行くわけですよね。
元々ある(この前提がネックなのだろうけど)在日問題を竹田は(影響力はともかく)一元化してしまってるんじゃないかってことなんですけどね。
214 :
考える名無しさん :03/07/06 14:53
何だよ、「戦争抑止の原理」ってのは結局言いっぱなしかよ。 自分の言説に対する責任が微塵も感じられないな。 こんなもんで勤まるんだから出版資本主義を根城にする「哲学者」ってのは随分とラクな商売だよな。
『群像』の論文は「絶対知と欲望──近代社会の本質」というタイトルで、7月始めに出る。近代哲学を読み直して「近代社会」の本質を再検証するなんていうのは、われながら遠い道を回っているなという気がするが、ここまで来たら一段落するまで行くしかない。
径書房から出す「近代哲学再考」(まだ仮タイトル)は、そろそろ終わりそう。中身は、「自由」と「平等」という近代社会の構成原理についての基礎論である。たぶん、9月前後には出る予定。
217 :
画像????? :03/07/06 15:35
>>213 >life全般。
>具体的に言うんだったら、大きなところで地方参政権の話とか。民団で盛り上がってるんじゃないの?
これは政治の問題ではないかかと思います。竹田氏にその能力を求めるのは場違いかと。
こういう問題に関わるようになってしまうとイデオロギー的なものになります。
>竹田の言う「可能性の原理」って、こういう薄っぺらい反動を内包してないかい?
反動と言えるかどうか、一方では進歩主義的であるとの批判も見られます。
>元々ある(この前提がネックなのだろうけど)在日問題を竹田は(影響力はともかく)一元化してしまってるんじゃないかってことなんですけどね。
もし仮に望みのままに、民族主義的になり改革運動をしたら
竹田氏の本を読む意味が全く無くなります。
前スレの終わりのほうで“竹田青嗣はオタクに処世術を教えてくれた”てな内容のことを書いた人、いましたね。 アレが興味深かったんですが、わかるようなわからないような、いまひとつ腑に落ちない。 よろしければ、言わんとするところを詳しく書いてくれませんかね。 その「処世術」(全部が無理なら片鱗でも)と、それが竹田青嗣とどう結びつくのかを。 それがどんな内容でも、それだけで倫理的な批判はしませんから(笑)。 (批評はするかも) よろしこ。
「絶対知と欲望ー近代精神の本質」age
222 :
考える名無しさん :03/07/09 17:59
ほらほら、みんなで「群像」買って、竹田の英知の前にひれ伏すんだ。
ひれ伏してんのはお前だけだよ。
『群像』買ってみた。 結構ボリュームがあるね。
絶対知と欲望ーー近代精神の本質 1 ヘーゲルと絶対精神の体系 2 コジェーヴのヘーゲル論と現代思想 3 近代の人間本質「他者の欲望」と「普遍的承認ゲーム」 4 『精神現象学』と近代の人間ーー行為する「理性」 5 ハーバーマス「主観性の哲学」と「対話の哲学」 6 『精神現象学』と近代思想の本質ーー「精神」について 7 「妥当要求」と「自由の相互承認」 8 「正義」とは何かーーロールズの『正義論』 9 「道徳的意識」と「良心」近代思想を超えるもの
ヘーゲルのとこ読んだが・・・・ コジェーブの受け売り?オリジナリティないような。 フランシス・フクヤマのパクリ??
ロールズ論も、どっかの解釈本からのパクリの匂いが・・・。 重要なとこ要約して、カントとは微妙にちがうとか薀蓄垂れてるだけ・・・ 竹田さん・・・・だいじょうぶか。。
約90P 300枚のボリューム
立ち読みじゃちょっと疲れる。
今回は先の出来事を踏まえたもの。
231 :
考える名無しさん :03/07/10 01:39
歌う哲学のユウベ 陽水激ウマage
なにそれ
うまいらしいけどね。本当に。
竹田さん早稲田行くってホント?
235 :
考える名無しさん :03/07/10 01:49
しりあがり寿・西家ひばり夫妻が竹田先生と知り合いでマンガに描いてた タイトルは「一緒ぐらし」、出版社は忘れた
その本は知らなかった。サンクス。
237 :
考える名無しさん :03/07/10 07:27
竹田の言うことはマニュアル本的なわけで 彼は知性とか思想とは無縁なのだが 知性とか思想とは無縁だけれどそれに関わりたいと思っている あるいは憧れている若い人たちには 救いの神様となるんだろう。 なにかしら掴み得たようなよい気分にさせてくれるからな。
竹田以外の本を読めば何か必ずつかめるしね。
意味論なんかは竹田がもっとも先を行っているとおもうけどな。
それにしても絶対知と欲望は、なかなか面白い。
どう面白い?
>>221 東浩紀とオタクじゃ、意外性ないでしょ。
「処世術」に「オタク」。
それぞれ単独では何てことない単語。軽薄なイメージもあるわな。
だけどそれらが結びつくと、何がしか実存のうめきらしきものが聞き取れるように思うんだけどね。
ましてそこに「竹田青嗣」とくれば。
あ〜あ、でもこれで書いてくれなくなっちゃうな(笑)
なんか安置が、変わってきてるね。
もうちょっと、さっぱりしていこうよ。
245 :
考える名無しさん :03/07/11 02:12
竹田の思想が一番謙虚でしょ。 あるものに対して、そう’感じる’っていうのは個々人にとって最終的 な根拠だもんね。
246 :
考える名無しさん :03/07/11 02:22
>245 その感じるというのは欲望するって言ってもいいね。 つまり欲望は、外的な事物や質的な概念が存在する事の根拠になってるって事。
竹田が一番正しいんだよ
そんなものを「思想」とは呼ばない。
249 :
考える名無しさん :03/07/11 16:07
>248 じゃぁ、言葉のパズルを弄んでる知識人の言うことが思想とでも言うのかい?
250 :
考える名無しさん :03/07/11 16:08
竹田の言うことだけは言葉のパズルではないよ
251 :
考える名無しさん :03/07/11 16:21
>250 同意。 竹田は、人間として欲望するという事を素直に伝えてるだけ。 超越論的還元とか言葉としてはわかりにくいけど、人なら 誰でも欲望する(感じる)事を’その場所’から順に考えよう と言ってるだけなんだと思う。 「物事が’客観的’に存在するという考え方を一旦やめよう」 って言ってるのだと思う。
>>246 >つまり欲望は、外的な事物や質的な概念が存在する事の根拠になってるって事。
>>251 >誰でも欲望する(感じる)事を’その場所’から順に考えよう
>と言ってるだけなんだと思う。
>「物事が’客観的’に存在するという考え方を一旦やめよう」
>って言ってるのだと思う。
ふむ。その話を「他者」にしてみたら?
数学屋、物理屋、医学・医療関係者(精神科は除く)、マネーゲームをタイトにやってる人(株とか経営でもいいし、単に太い借金こさえてる人でもいい)‥‥etc.
手間はかからない。2ちゃんねる内でもできるよ。
>>251 >誰でも欲望する(感じる)事を’その場所’から順に考えよう
自分の言葉で考えてる感じするね。ただ「考えよう」じゃなくて「考えることができる」じゃないかな彼は。十余年(もっと?)にわたって、ね。
あと、その「順」って、どういう順番だろ。
>>234 その話、オレも聞いたな。
加藤とセットらしいぞ。
ホントは加藤が誘われたんだけど、竹田さんと一緒じゃなきゃヤダって言ったらしい(笑
真偽は不明。
早稲田は最近、学科の編成いろいろやって、必死ですな。
254 :
考える名無しさん :03/07/11 23:11
>>252 何が言いたいのかわかりません・・・・。
君の哲学は?
人の意見に答えるだけじゃなくて自分の考えも言ってよ。
単なる相対主義者?
256 :
考える名無しさん :03/07/12 09:24
死刑囚様登場age
257 :
Ray.na ◆mpCujopyKE :03/07/12 10:13
加藤典明、だっけ。会った事ある。 ていうか、こんなことを言ってるのを竹田さんとかがみたらもう、 苦笑いしてあきれるだろうな。今何してんだ、こいつは、って。ま だ薦めてもらった本とか、全然読んでないなんていえない。。 読みたいとは本気で思ってたんだけど。。
会った事あるのか。
259 :
考える名無しさん :03/07/12 20:09
age
バ〜カ、加納典明だよ。 加納の強力な押しで竹田は明学の教授になったんだよ。 当時の文芸評論家ランクで言えば加納>竹田だった。 当時からすれば竹田が大学教授なんて何それ?っていう感じだった。 もう10年くらいやっているからそれなりに見えてしまうけど。 まだ入門書を書きまくっていない頃だったと思う。 「哲学者」というより「文芸評論家」。 今でも括弧付きだけどね。 のちに加納は猥褻な写真集を出版して検挙されたりキャリアが段々落ちていきアホな女に名前を間違えられるくらいだが、 80年代中期はそれなりに注目された文芸評論家だったことを書いておこう。
小浜逸郎は、現象学的社会学者?
ネタにせよ真性の勘違いにせよ、こういうのは捨て置けませんね(笑) 写真家・加納典明の名を出すあたり、 >当時からすれば竹田が大学教授なんて何それ?っていう感じだった。 >もう10年くらいやっているからそれなりに見えてしまうけど。 ここらへんがキモですかな? 在野の頃の竹田青嗣の読者とお見受けしました。
ワロタ. thanks.
ちょっと失礼
>>266 俺はね、加納さんの竹田の引き立て方には自己犠牲さえ感じることがあるんだよ。
いちいち解説します(性分なので‥‥)
写真家・加納典明の名を一躍高めた(?)のは、1993年に創刊された「THE tenmei」という雑誌(ヘアヌードブームの火付け役みたいな‥‥)ですが、それがつまり「10年くらい」前、竹田青嗣が在野でなくなった頃とほぼ同時期、ということのようです。
「在野の頃の」は、そこらへんから類推しました。
無礼に思われましたら、平にご容赦ください。
>>260
>>269 加藤だよ、でもそれは分かる。
どういう付き合いかはしらないけど。
盟友なんでしょ。
盟友って言うかさ、加納が一方的に褒めちぎっているだけのように見えるんだよね。 竹田が加納から何かを汲み取っているとは見受け難い。 加納のほうがブリリアントな存在だったんだけど、厚顔な竹田に喰われた。 加納がダメになってきた時期と竹田と「盟友」になった時期は一致していると思う。
よく考えると、一読者にしては業界事情に詳しいような‥‥ま、詮索はやめておきます。
>>273 お気遣い、どうもありがとう。
加藤は文芸評論としては、現代小説の批評でそれなりの権威はある訳だ。
一度読んでみろよ、『アメリカの禿』。
影だろヴォケ、 竹田の登場と加藤の衰退に共時的な要素なんかない。 単に時代の要請が変わって来ただけの事に過ぎない。
何イキリ立ってんの?
だいたい加藤にしたって、例の一件からの必要性を感じて今回の選択を したんだから、いいんじゃないの?
いちおうレスしておきますわ。
>>245 >あるものに対して、そう’感じる’っていうのは個々人にとって最終的
>な根拠だもんね。
賛否は別として、女性的な見解だと思う。
>>254 >何が言いたいのかわかりません・・・・。
>君の哲学は?
>人の意見に答えるだけじゃなくて自分の考えも言ってよ。
普遍性と言っておきながら、秘教的になってもしょうがないと思ってるんだけど。
>誰でも欲望する(感じる)事を’その場所’から順に考えよう
てのは、けっこう考えさせられたんですが、「順」って、どういう順番だろ、と思うわけです。
>>281 >賛否は別として、女性的な見解だと思う。
女性は駄目みたいに聞こえるから、いただけない。
>>282 む。そんなふうにはまったく思ってないですが。
>>283 妙に意見がウヨクみたいだけど、何か思想的なバックボーンが
あったりするの?
浅田彰とかじゃない?
「賛否は別として」という前置きが言い訳がましく聞こえるのか? それならそう書けばいい。 俺がムカツクなら、そう書けばいい。 第一に意識してるのは「正しいこと」なんじゃなくて、「感情」なんじゃないの? そんならそう言えばいい。「ムカツクんだよ」ってね。 あと「女性(全般?問題?)」とか、「ウヨク」とか、そういう頭越しな言い方がすぐ出てくるの? 竹田ファンなのに?
>>287 気に障ったんなら謝る、感情が先にくるけど人ならそうなるよ。
安置だけはいまだにどこの陣営に属して発言してるのか分からないだけど。
>>288 はいな。<謝る
で、陣営ね‥‥皮肉じゃないつもりなんだけど、そういう発想がすぐ出てくるのかなあ。竹田青嗣でしょ?
まあ、どうしても二分する必要があるならアンチ側でいいよ。
>>289 別に強制しないけど、文句つける時に何を言いたいのかわかんない時が
あるんだけど。単なる文句なら無視するけど、コテハンつけてんだから
何か言い分があるんじゃないの?と思っただけ。
>>289 「あるものに対して、そう’感じる’っていうのは個々人にとって最終的な根拠」
って考えが何故女性的なのかってのは、君の’感じ’だから、それ以上説明できないよな。
この’感じ’が物事(あるいは概念)一般が存在する事の根拠だって事なんですがね。
ただ君は、「思考停止した考え方=女性的」って偏見が有るみたいだね。
所詮、女は感情の動物で、男は理性的ってか?
>>290 ああ、なるほど。
うーん、違和感をぬぐえないんだよね。
ヨイショに思われるだろうけど、死刑囚。さんみたいな覚悟決まってる人はいいんだ。
そうじゃなさそうなファンがね。
竹田が早稲田の文学部で院も受け持つなら俺は真面目に院進学を目指すぜ!
>>292 知らないだろうけど、俺も覚悟決まってんだけどね。
他のファンがいるのは仕方ないとしても、それ削ぐのは無理だと思うけどねぇ・・・。
違和感ってのは、たとえば、、、
「師を見るな」って、世阿弥だっけ?
「師の見ているものを見よ」ってことなんだけど。
で、ネタなのかもしらんし、アンチ側の自作自演なのかもしれないけど、このスレのタイトルとかさ。
「【人格最高】」って、師を見てるだけじゃん。まあ、世阿弥のは技術論だけど。
半径5メートル以内のことしか視界に入ってないんじゃないの?って、思っちゃうんだよね。
そういう人が、世界がどうのとか言うのかなって。
もっといろんな経験積んでからでも遅くないんじゃないの?って。
で、そういう人が
>>210 みたいなことを書くのかなって思うわけ。悪意なくね。
「社会」ってなんだろ。
で、すまんが、もう寝ます。
乱文失礼。
>>295 このスレタイは思いっきりアンチが嫌がらせで付けたんだけど、過去ログ読んでる?
>>210 も見たらすぐわかるほどアンチじゃないか。本気で言ってるのかと思ったよ。
>>251 ごめんなさい。竹田も言葉のパズルでした。
>>297 人間の言う事なんて、みんな言葉のパズルだよw
竹田のは違うんだってさ。
昨晩は酔ってたのだ、、、(悔)
自分で突っ込んでおくと、
>>287 この場合、「頭越し」って意味的にヘンだね。語のイメージはともかく「超越的」「頭ごなし」のほうが「正解」。
>>295 「いろんな経験積んでからでも」‥‥経験主義? 「いろんなものを見てからでも」ぐらいの内容なんだけど、その上の「見る」との意味合いの違いを説明するのが面倒臭くて、こう書いてしまった。
>>296 >>150-153 は読んだけど、まだわからないよ。
>>210 はアンチだと思う? 俺はそう思ってないんだけど。
>>291 「あるものに対して、そう’感じる’」ことが、自分にとって大きな(最終的とは思わない)根拠だなって思うことはあるわけ。
自分にとって、ね。あくまで。
そしてこれって、自分の中の女性性なんだろうなって思うから、そう書いたんだけど。
>ただ君は、「思考停止した考え方=女性的」って偏見が有るみたいだね。
思考停止じゃなくて「“感じ方”に忠実」。もちろん一般論としてね。それを偏見といわれれば、そうかもしれない。
>所詮、女は感情の動物で、男は理性的ってか?
生物学的な意味での「女」じゃなくて「女性性」の話。
浅いかな。
あう、、、書き逃げみたいですみませんが、都合でしばらく見れませんわ、ここ。m(__)m
>>301 だから、君にとって’感じる’事は君にとって事物一般が存在する最終的な根拠じゃんか。
「最終的な根拠」っていうのは、それ以上意味を説明できない地点っていう意味なんだけど。
ある人に対して「ムカツク」としたら、そのムカツキは絶対的であり、ムカツイた事
自体は消せない事実なんだよ。
よく「自分に対しては嘘はつけない」って言うけど、’そう感じた(思った)’って
いう感情は、自分にとって絶対的でしょ?
別に浅くないと思うけど、もうちょっと物事を単純に考えたらいいと思う。
あと、一般的に「感じ方に忠実」なのが女性的っていうのはわかるよ。
ただ、社会学的な話をしたいわけじゃないので・・・・・・。
>わたしは、アメリカが、われわれから見て強引と思えるほど武力行使を急ぐ点については、 >実際にテロ攻撃を受け、しかもそれが核兵器などと結びつく現実的可能性を実感していることを思えば、 >ある程度その心意を“理解”できるように思う。
というよりも社会学的に言えば、アメリカは賛否を問わず、攻撃をうけたら 必要以上にやりかえす。そういうものなんだよ。今の日本はやられても、 賛否を問わず、やりかえさない。
306 :
考える名無しさん :03/07/14 12:20
オフ会やらない?
308 :
考える名無しさん :03/07/15 17:15
?
竹田の言ってることって「サイファ覚醒せよ」と内容が被ってない?
310 :
タケダ最強 :03/07/20 02:34
おこちゃま哲学者永井をたじたじにしたタケダが、今度は イラク戦争の是非をめぐって宮台・宮崎コンビをどうたじたじにするのか 楽しみだ。 ああ、楽しみだ。
宮台と竹田は合うんじゅあないかな? とりあえず、決定不可能性の次の次元に行こうとしているのは同じだ。
312 :
考える名無しさん :03/07/20 02:44
おれは哲学の素人だけどなあ、311のうそくらいはわかるぞ。 宮台はじつはかなり柄谷行人のパクリやってるんだよねえ。 たとえば、「超越的」と「超越論的」の区別から「サイファ」を導き 出すとき。たとえば、「サブカルチャー神話解体」におけるキーワード である「関係の偶発性」も柄谷の概念。 最近、書き込みの質下がったかあ?
>「超越的」と「超越論的」の区別から「サイファ」を導き 出すとき。 どういうこと?
314 :
タケダ最強 :03/07/20 02:49
柄谷・浅田なきあとの日本を代表する2大思想家 宮台とタケダのガチンコ勝負が見たい。 ああ、見たい。
竹田の最近の業績としては、柄谷、東を論破したことだね。
316 :
考える名無しさん :03/07/20 03:10
情けないなあと思うのは、東がデリダを自己流に紹介して以来、これまで のデリダ派がひきずられるのが、あわれというか、なんというか・・・ いまやデリダをただの「脱構築野郎」として紹介はできない。 「東以降」は。 ではなぜかれだけがそうできたか、ということをたまにはその足りない頭で 「考えて」みたらどうだ。 ただ(外人の)口真似をする時代はとうに終わっているのに・・・
317 :
考える名無しさん :03/07/20 03:53
>>303 すいません。もういちど。
>>245 >あるものに対して、そう’感じる’っていうのは個々人にとって最終的
>な根拠だもんね。
「個々人」「最終的」に違和感を覚える。
「あるものに対して、そう’感じる’」ことが、自分にとって大きな「強い」根拠だと、思える時はある。
しかし「最終的な根拠」とは思わない。
また「個々人」というように、自分という、この「個」以外においてストレートに当てはめられるとは思わない。
当てはめられる人はいると思うが、しかしそうでない人も少なくないのではとも思う。
>>303 >だから、君にとって’感じる’事は君にとって事物一般が存在する最終的な根拠じゃんか。
>「最終的な根拠」っていうのは、それ以上意味を説明できない地点っていう意味なんだけど。
重ねて「最終的」に違和感。人間関係において「第一歩」になり得るかなと思うときはある。
しかし対象範囲を事物一般にまで取るのなら、俺の脳みそはNOと言ってる。
>ある人に対して「ムカツク」としたら、そのムカツキは絶対的であり、ムカツイた事
>自体は消せない事実なんだよ。
それはそう思う。
そして「消そう」とも思っていない。
また、それを「消せない事実」であると思う自分の前には「消したい自分」が居り、その前には「消したい」という願望がある。
さらに、その前には「こうありたい自分」が居り、その前には「(世界は)こうあってほしい」という、また願望がある。
願望を「正しいこと」等で圧迫することは誤りだが、しかしまた願望は願望であり、それ以上のものとは思えない。
>よく「自分に対しては嘘はつけない」って言うけど、’そう感じた(思った)’って
>いう感情は、自分にとって絶対的でしょ?
「圧倒的」ぐらいだと思う。「絶対的」とまでは思わない。それも感情面という範囲に限っての話。
「感じること」に社会(小さい場でもいい)の決定的な価値を置くとすると、竹田風に言えば「私はこう感じる」なんてことは「いくらでも言える」。 実際、家庭等、こういった問題を抱える(小さな)場は少なくないと思う。 「正しいこと」にせよ「感じること」にせよ、そこに価値基準を持ち出す限り、問題は生ずる。 それなら「正しいこと」に重きを置くほうが「まし」「妥当」ではないかと、思えなくもない(ちょっと弱いですね)。 なんでもかでも相対化がいいとは思わないが、しかし結果論としてのこういう相対化がまったく不必要だとは、思わないです。
ところで、青年が自己の内的な「正しさ」の固守(「心胸の法則」や「徳の騎士」)から成熟して、社会的な「事そのもの」の承認ゲームに入りこむべきである、という考え方自体、現実社会の矛盾と変革を考慮に入れない現実追認の思想である、とする批判は多い。 しかし、そのようなヘーゲル理解は素朴な錯誤と言うほかない。 たとえばマルクスの理論は、全般的な社会変革を主張し大きな力をもったが、それはマルクスの思想が一つの仕事として思想世界に提出され、試され、多くの人間の承認を受けた結果であって、まさしく「事そのもの」の範型のうちにある。 『群像』 竹田青嗣「絶対知と欲望 −近代精神の本質」P.159下段より
>>321 引用にあたって行がえ。
「成熟」は傍点付き。
この部分の後、オウムやスターリニズム、ファシズムに言及。「要するに」とその場の結論を述べている。
>>321 で、思うんですが、こういう言い方をしてしまえば、別に「マルクス」でなくても「仏陀」でも「キリスト」でも、有史以来、古今東西の“もの言う人”誰でも当てはまるんでは。
324 :
考える名無しさん :03/07/21 02:54
竹田のつぎは宮台のサイファだね。
325 :
考える名無しさん :03/07/21 05:04
タケダの文章へたで嫌い。
326 :
考える名無しさん :03/07/21 05:28
竹田や宮台がバカなのに、ミニ竹田やミニ宮台とは・・・>320.321
死刑囚はサイファよんだか?
安置の言ってる事は概ねでならわかるんだけど、 曖昧じゃないか。そうとも言えるけど、対極にも言える。
329 :
考える名無しさん :03/07/21 20:09
竹田さんの講義レジュメ読んだよ。
330 :
考える名無しさん :03/07/21 22:57
竹田最高
331 :
考える名無しさん :03/07/21 23:32
竹田信者よ、サイファで覚醒しろ!実存主義とも矛盾はしないぞ。
332 :
考える名無しさん :03/07/21 23:34
サイファってどういう内容?
333 :
考える名無しさん :03/07/22 00:19
科学、心、論理・・全てを論理的に突き詰めていくと必ず理解不可能な「端的なもの」に突き当たる。その「人知を超えたもの」を無害化し享受可能なものにするのが宗教の役割であったが、 分かりやすい一つの物語・教義として編み上げられた宗教に頼るのではなく、ひとりひとりが、未加工・無添加の、世界そのものを受け入れるために何をすべきかが、順を追って書かれている。
334 :
考える名無しさん :03/07/22 00:21
ありがと。「端的なもの」に対する対処が主題になっているのか。
竹田。永い均の反論にはよ答えろや。
337 :
考える名無しさん :03/07/22 00:34
>>336 それに答える可能性低いと思う。
永井は自分で自己言及の罠にハマったと宣言したようなもんだと思うし。
おおマジレス
339 :
考える名無しさん :03/07/22 00:38
もっとも、自己言及で躓いているのは 永井だけではなくて結構多い筈だと思うけど。
「絶対知と欲望」を精読しなければならない。と思う今日この頃。
341 :
考える名無しさん :03/07/26 01:21
>>318 >>319 >>320 「最終的」という言葉に違和感があるみたいねw
別に「感じること」とか「最終的なこと」に価値を置いてるのでは
なくて、「感じる」とか「欲望」というのは物事一般が存在する
(客観的な意味ではない)条件になっているという事なんだが?
欲望や感情が無ければ外的な物事の存在も意味も無いって事です。
コップに入ってる水は、人間にとっては単なる飲むための水だが
微生物にとっては溺れるぐらいの大量の海のように見えるであろう。
つまり事物一般は、欲望する主体にとって見え方&感じ方が全く
異なるのである。
’物事が客観的に存在する’というのは誰にも決定不可能である。
さらに’物事が客観的に存在する’という概念自体、人間の欲望が
作りあげたものである。
342 :
考える名無しさん :03/07/26 04:31
>>341 そういった物言いは、結局言ってみただけという感じで意味がない様な気がする。
> コップに入ってる水は、人間にとっては単なる飲むための水だが
> 微生物にとっては溺れるぐらいの大量の海のように見えるであろう
そうだろうか。それも人間の思い込みに過ぎないかも。
> ’物事が客観的に存在する’というのは誰にも決定不可能である。
> さらに’物事が客観的に存在する’という概念自体、人間の欲望が
> 作りあげたものである。
という納得の仕方も、人間の脳の構造上の限界に由来する思い込みかもしれない。
こんな感じで言ってみるだけならどこまでも続く。
なんか虚しい。
『群像』“8月号”(第九号) 竹田青嗣「絶対知と欲望 −近代精神の本質」P.135上段より (近代社会以前の社会では)人間の「善」と「正しさ」の本質は、彼がはめ込まれている共同体的役割関係と分離することはできず、したがって彼の「属辞」に相応しい存在たることこそ彼の本質であり、それ以外に人間の本質を言い当てる原理は存在しなかった。 共同体的・習俗的な役割上の関係本質はそのまま個々人の人間としての本質を規定していたと言える。 しかし、近代社会では決定的な変化が起こる。近代社会は個人を社会的行為の基本単位とし、また生の自己決定と自己実現を社会ゲームにおける個人の基本動機とする。 このことは「公的教育」を通してはじめて可能となる。社会はそのような自由な自己決定と自己実現の社会的ゲームの地平をなす。 人間がどのような存在になるべきかは、誰にとってもオープン・クェスチョンとなっている。
>>343 これって、在日二世の話だよね(限定してるわけじゃないぞ)。
こういう所はよくわかる。というか、日本人の読者は、ここで彼が在日韓国人「二世」だということに、思いをはせてもらいたい。
>>343-344 在日二世である事が限定されていないのならば、
限定して考える事は無いだろう。
近代からはああいった、共同体的なものからの
次元を超えてきたという歴史はあるのだから。
『群像』“8月号”(第九号) 竹田青嗣「絶対知と欲望 −近代精神の本質」P.110下段〜P.111上段より 「反資本主義」という概念によって資本主義システムを克服することはできず、「反国家」の概念で国民国家を乗り越えることはできない。 このような批判は対抗思想であって、ニーチェによれば、思想的な僧侶たちによる「善悪」の価値の反動形成的変造である。 (中略) わたしがこの論考で試みたいのは、ヘーゲルが残した近代社会の本質を再構成すること、そしてそれを現代思想における近代の理解に対置してみせることである。 人間は自由な存在となったのになぜいたるところで不合理が支配しているか。 この問いを、最も本質的な仕方で問うためには、まず否定的−反動形成的問いを焼き滅ぼす必要がある。
使命感にかられた、いかにも「騎士」そのものの物言いに感じる。 「徳の」ではないかもしれないが。 つまるところ、反転した「徳の騎士」ではなかろうか、彼は。
>>345-346 「徳の騎士」でも良いんではないか?
この評論自体は別に飛躍した事が書かれてはいない。
349 :
考える名無しさん :03/07/26 17:11
>>342 というわけで結局、誰も神の立場に立てないって事です。
君のような物言いの典型的な相対主義を打ち破るのは
竹田思想が一番効くのであります。
350 :
考える名無しさん :03/07/26 17:27
唯幻論〜岸田秀 欲望論〜竹田セイジ 客観を想定せずに、自分にとってどういう意味があるかという 場所から物事を捉える点で共通している。 岸田が生きてるうちに、再び竹田と対論して欲しい。
351 :
考える名無しさん :03/07/27 00:43
竹田先生の現象学入門は分析哲学の知の欺瞞を見抜くのに 大変役に立ちました。フッサールを厳密に読まなくても 現象学的還元のテクニックが身に付くからです。 竹田先生のプラトン入門も名著です。ゼノンのパラドクスを 論理的に解くことはたいした意味がないと軽く一蹴してます。天才です。 現代人がその根拠にはっきりとした確証をもてない「正しさ」や「善」に ついても名言を残されています。 「ところが、ヒュームやスピノザや、その他優れた哲学者がはっきりと 見抜いていたように、「正しさ」や「善」はエロス≠ノ媒介されない かぎり、あくまで道徳的、倫理的要請にとどまるほかない。」 凡百の哲学研究者はこうした名言は吐けません。池田晶子でも無理です。 竹田先生のようにしっかりとエロスを哲学の基に据えないといけません。 細かい論証はここでは敢えてしないことにします。先生の名誉のためです。
352 :
考える名無しさん :03/07/27 01:21
>>351 エロスに媒介された、道徳的、倫理的要請にとどまらない
「正しさ」や「善」は何になるのですか。
353 :
考える名無しさん :03/07/27 01:42
>>352 エロスに媒介された「正しさ」や「善」は各個人によって違う。
個々人の欲望(感受性)によって決まる。
354 :
考える名無しさん :03/07/27 01:51
>>353 欲望(感受性)のひとによる違いとはどんなものでしょうか。
355 :
考える名無しさん :03/07/27 02:08
タケダのエロス論の唯一の欠点はエロくないことだ。 byムニョス
356 :
考える名無しさん :03/07/27 02:12
危ない!フッサールを厳密に読まなくても現象学的還元がわかるだなんて! フッサール自身、著書の中で現象学的還元の方法が推移しているというのに。 そういうのは、わかったとは言わず、わかった気というのでは?わかった気に させる哲学、それが本当に哲学か?というか、もしかして皮肉で書いたレス? なら失礼いたしました。
357 :
考える名無しさん :03/07/27 02:17
>>354 ん?
人によって、何が善で何が悪という感じ方は違うでしょ。
概念に対する捉え方も千差万別。
まぁ、欲求(喉の渇きや食欲)などは大体共通してるだろうけど。
というか竹田の「現象学入門」を熟読しなされw
358 :
考える名無しさん :03/07/27 02:26
よくわからんが「正しい」や「善」という言葉の同一性に 眼を眩まされて、個々人のとらえ方の違いを見失っては いけないということか。 ならば、「現象学的還元」という言葉の同一性に眼を眩まされて、 フッサールのそれと竹田のそれの違いを見失ってはいけないと いうことでもあるのか。 ふたつの「現象学的還元」があるとして、個々人の感じ方に よって、勝手に選択すればいいのか。
359 :
考える名無しさん :03/07/27 02:34
>>349 滑稽すぎるドキュソだねぇ、きみ。
相対主義ってどういうことかわかってる?
360 :
考える名無しさん :03/07/27 02:39
>>349 というのも君の思い込みなわけであります。
361 :
考える名無しさん :03/07/27 10:19
Q竹田先生は他の凡百の哲学研究者と比べてどこが優れているのでしょうか? Aそれは他の哲学研究者がせっかく現象学的還元をおこなっても 本質直観の手前で文献学的な記述にどどまるのに、 竹田先生は現象学的還元をおこなって、そこからためらいなく 本音を語るからです。立派です。 哲学の語り口で本音を語る道を切り開いたのが竹田先生です。 厳密な現象学的還元により、 「おめーらもこう思ってるだろう?な。そうだろう。」 と本質直観しておられます。
362 :
考える名無しさん :03/07/28 01:50
>>359 >>360 自分の思想を言わずに他人の揚げ足を取る君みたいなのを
相対主義者って言うんでないの?
人の言った事についてコメントするしか能が無いのかい?
1度でもいいから自分の思想・哲学を発表してみなさい。
言葉のパズル大好きオタクちゃん。
363 :
考える名無しさん :03/07/28 01:52
>>361 現象学的還元により「おめーらもこう思ってるだろう?な。そうだろう。」
ってのが面白いねw
そういう言い方は非常に解り易い。
>>359 や
>>360 にしたって、竹田の猿真似しかできない人間に、
「1度でもいいから自分の思想・哲学を発表してみなさい」なんて言われたくはないだろう。
「1度でもいいから『自分の』思想・哲学を発表してみ」るべきはお前の方だろう。
で、自分にとっては「言葉のパズル遊び」のようにしか見えないものが、
他人にとっては意味のあるものであるかもしれないという想像力さえ持てない見識の狭い人間が、
「おめーらもこう思ってるだろう?な。そうだろう。」なんてこと言っても的外れなだけ。
お前にとって「非常に解り易い」ことが、俺にとっては全く理解し難い。
365 :
考える名無しさん :03/07/28 14:23
>>364 君が一番、相対主義者。
人の事を’竹田の猿真似’って言ってるが、猿真似じゃなくて
竹田思想に共感してるだけだよ。
それから他人への創造力が無いって言ってるけど、俺と君とで
見識が違うのは当然だ。
別に竹田思想が絶対的とか、竹田思想に共感しろとか言ってる
んじゃなくて、俺にとって竹田思想に共感する部分が多いっていうだけの話。
もちろん竹田以外の人の思想に共感する事もあるし、自分なりに
考える事もあるよ。
というか完全なオリジナルな思想なんて有るのか?
小さい頃から学校などで、ある程度方向付けされて学習する
から、誰かしらの思想に共感したりするんでないの?
君は好きな思想家とか居ないの?
例えば「俺は〜〜〜〜〜〜〜で、こう思う」ってのが無いの?
何か安全な場所から人の意見を相対化してるだけかと。
「相対主義者」ってレッテル貼りに何か実効性があるの? そういうオートマティックな批判の仕方が「猿真似」だって言ってんの。 と、言うような意見を述べることが、「俺は〜〜〜〜〜〜〜で、こう思う」ってことには当らないと思うのはどういうこと? 出版ジャーナリズムで著作を発表する者の中から「好きな思想家」を選んで、 その「思想」や「哲学」に縋らないとモノが言えないなんて理屈はどこにも無いよな。 他人の立場を「安全な場所」ってのは、自分は「危険な場所」にでも居るつもりなの? 自分で思考せずに他人の意見に乗っかって似たようなセリフを吐いているだけなのに。 誰かが何かを言えば、それについての反応がある。 それって当然のことじゃないの。
>>366 俺の言いたいことが伝わってない・・・・。
まぁ、俺の文才が無いって事で終了しよう。
368 :
考える名無しさん :03/07/29 13:15
今度 竹田さんの本が読んでみたいが、 何を読めばいいのかオシエテクレル人います
>>368 「現象学入門」「意味とエロス」
他の思想家との対論も面白いよ。
370 :
考える名無しさん :03/07/29 15:16
>>341 >「最終的」という言葉に違和感があるみたいねw
>別に「感じること」とか「最終的なこと」に価値を置いてるのでは
>なくて、「感じる」とか「欲望」というのは物事一般が存在する
>(客観的な意味ではない)条件になっているという事なんだが?
うーん、やっぱり俺は、そのように思えないです。
それに、もしそのような確信が成立しているのなら、俺や他の人間が否定をしても「何を言われてるか分からない」状態でキョトンとしているか、「そんなバカな」と笑い飛ばすんではないでしょうか。
しかしあなたは、どうもそうではなさそうで、待ってましたとばかりのレスを書く。
ということは、あなたは本当は「そのようではない」ことを「知っている」のではないかな、と推論できます。
例えば「知ってるかい? 地球は丸くない。実は一枚の板なんだ」と聞いたら、現代人は上記のような反応を返すでしょう?
それは「地球は丸い」ということを現代人は「知っている」から。「常識」として。
>>371 一回聞いてみたかったのだが、竹田氏のどの著作を読んだ?
どうも在日論とか評論だけで、思想関係は読んでなさそうだが。
それに安置は多少でも哲学を知ってるか?
>>341 >欲望や感情が無ければ外的な物事の存在も意味も無いって事です。
>コップに入ってる水は、人間にとっては単なる飲むための水だが
>微生物にとっては溺れるぐらいの大量の海のように見えるであろう。
>つまり事物一般は、欲望する主体にとって見え方&感じ方が全く
>異なるのである。
議論のための議論に感じます。
在日問題を語るのに、水や微生物の話にまで還元する必然性があるんでしょうか(喩えなのはわかりますよ)。
「民族」や「被害/加害」の話が大きく重すぎるなら、個と個の人間関係から語るやり方もあります。還元はその地点で十分ではないでしょうか。
それを知的に誠実でないと仰るのなら、その批判は甘んじで受けますよ。
374 :
考える名無しさん :03/07/30 00:58
安置は思想関係が在日論の為のみに論じられているとみてるのか。 多分、普通は思想関係がメインで考えられてると思う。
375 :
考える名無しさん :03/07/30 01:34
安置さんは竹田氏の思想を、どういう風に解釈してるのか興味ある。 僕は今回は在日問題について議論してないのですが・・・。 存在論についての議論したかったのですが。
竹田氏の本は他の思想家と違い、わかりやすいと思うのですが、 それでも低学歴の私には難しい言い回しの文章とかが有ります。 哲学者独特の遠まわしな言い方ではなくて、例えば一般のオバさん にも響くような、わかりやすい言い方の本を作ってくれませんか? あと、西欧の哲学者の引用なしの本とか書いて下さい・・・。 竹田氏の本の中で、哲学的な文章ではない通俗的な文章で書かれた 本とかあれば教えて下さい。
あ、見ない間にレスが‥‥(それなりに忙しいもんで)
>>374 はい。さすがに竹田青嗣は現在は在日問題を直接やってはいないと、俺も思ってます。
>>373 は、我ながらとっ散らかった乱暴な意見でした。その点はすみません
>>341 さん
ええと、竹田青嗣の日本人読者の多くが在日問題を素通りしてるんではという問題意識が、まず1コありまして。
それと別に、俺にとって、微生物がコップに入ってる水をどう見ているかは「どうでもいい」のです。
で、
>>341 さんにとっても、その書きっぷりを見る限り「どうでもいい」んではないかな、と推理したのです。
そして、もし俺の推理が当たっているのなら、自分にとって「どうでもいい」一例を論拠に、
>’物事が客観的に存在する’というのは誰にも決定不可能である。
というのは、イージーに過ぎるんでは、と違和感を覚えたのです。そして、
>さらに’物事が客観的に存在する’という概念自体、人間の欲望が
>作りあげたものである。
というのは、拙速な展開に思え、違和感を覚えたのです。
>>372 購入したかどうかは忘れましたが「現代思想の冒険」「ニーチェ入門」「現象学入門」は、読んだ覚えが。
対談等も幾つか読んでいます。上で話が出ている岸田秀とのも。
>>375 えーそうですね。
すごく平たく言うと、死刑囚。さんのオカルトに対する問題意識と逆の構図かなと思うのですが、自分で捉えているテーマが幾つかあって、竹田青嗣の論がそれに抵触するんですよね。
それは具体的には今は書きません。はっきり「○○問題」と言えるほど自分でその輪郭が見きれていないのもありますし、話も横にそれやすいんで。
在日問題はそのうちの1つです。ただ、同じ俺という人間がやってるのですから、繋がってはいるんですが。
>>378 凄く興味あるのが、安置さんが「現象学入門」を、どう読んだか
ということです。
存在妥当とか意味妥当、本質直感については、どう思いますか?
>>378 安置には前に在日論で討論したけど、興味なさそうに見えたけど?
なんか竹田さんの批判に当たる部分にたまたま在日論が抵触したから
一回言ってみたという印象に思えた。
こっちからすると、例えば竹田さんの考えを竹田さんという1人の
人間が考えた事だと安置が言った時に、すでにそういう事は他の作家
にもあてはまると反論された時にあまり熱心にそれに反論しなかったでしょう。
それはもし大事な問題なら、そこでもうちょっと踏みとどまるべきだったんじゃ
ないかと思ったんだがね。
>>376 「哲学ってなんだ」という簡単なのが出てる筈。
あと、竹田さんで難しいなら西研さんの方が日常的な用語が多く、
分かり易い。
>>377 それは意とは全く違うように読んでるよ。
現象学入門を読んだのならば、共有できる概念だ。
決定不可能性に議論を滑り込ませるのは、むしろポストモダンの戦略だ。
現象学入門の場合は、あくまで現実の存在の可否は実存によって規定される
という事を言ってるだけだ。
383 :
なぜ在日問題をずらす?さん :03/08/01 19:02
てか『自分を知るための哲学入門』を読んでいてやっとわかったよ。 文庫版P36 (従来の哲「学者」は)論理の土俵で言葉が生み落とす矛盾を、論理的にといてゆく、 というものだ。 P37 しかし、両者の違いは、科学においては、このプロセスそのものが成果であり、目的 であるのに対して、哲学では、この論理的な作業は、ただ各人の「哲学すること」に 交流可能なパイプを通すための予備作業にすぎない、ということになる。 そりゃ科学じゃないんなら、わかんねーよな・・
>>377 「現象学」入門を読めば共有できる概念だと思います。
もし共有できないのなら正にポストモダン(相対主義)論者と同じです。
竹田現象学の本質は、むしろ決定不可能性の議論を終わらせるという事ですね。
>>383 その程度であげないでくれ。何故哲学がそういう作業を行うのかという
ところを、「意味とエロス」ではもっと発展的に語っているから、
科学が陥ったアポリアも血の通った形で理解できるようになる筈だ。
386 :
考える名無しさん :03/08/01 21:27
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
387 :
考える名無しさん :03/08/01 21:27
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
388 :
考える名無しさん :03/08/01 21:28
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
389 :
考える名無しさん :03/08/01 21:28
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
390 :
考える名無しさん :03/08/01 21:28
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
391 :
考える名無しさん :03/08/01 21:29
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
そんなこと気にすんな
393 :
考える名無しさん :03/08/01 21:29
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
394 :
考える名無しさん :03/08/01 21:30
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
395 :
考える名無しさん :03/08/01 21:30
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
決定不可能性が禁忌であるべき理由などどこにもない。 ある面から見れば決定不可能性に帰着せざるを得ない論理が無数に動態として拮抗している状態こそが、 われわれが直面し感得している「世界」や「現実」の常態に近い。 それを肯定することの何がいけないのか全く理解できない。 そうした拮抗状態に耐えられない薄弱な精神の持ち主こそが、 無数の論理を把握するという「超越的な論理」を欲するのではないか。 そもそも何で「無数の論理を把握」しなければならないか。 「強迫観念」以外の説明つく?
>>396 決定不可能性を念仏のように唱えるだけなら御釈迦様が既に唱えておる。
’なぜ決定不可能性に陥るのか’という意味を問うことが重要だ。
>>396 典型的な現象学不理解者の意見ですな。
現象学は「超越的な論理」なんかじゃありません。
>>384 >「現象学」入門を読めば共有できる概念だと思います。
>もし共有できないのなら正にポストモダン(相対主義)論者と同じです。
相対「主義」ねえ、、、。
たしかに俺は小さい頃から(たとえば食べ物など)「○○ちゃん、何でも好きなものを選びなさい」って親に言われて、「何でもいい」(相対主義?)って答えるような子どもだったね。
「これが好き!」ってのが言えなかった。
けどね、思うに、
@価値相対的な子どものほうが、むしろそういうとき選べると思うんだよね。だって本当は「何でもいい」んだから。「選びなさい」っていう要請があれば「応える」よ、そりゃ。子どもなりに。
A実際にそういう場面で「何でもいい」って言うような子どもは、実はその真逆だったりする、と思う。「こだわり」があるからこそ、親の要請ぐらいで簡単には選べないわけさ。
そして、価値相対的ならまだしも、
B親の顔色をうかがって、親が望むような「これが好き!」を「見せる」子どももいる。子どもなりにね。
親が「張り合い」をモノサシにするなら、評価は高い順からB@Aだろう。それはまあ「正しい」。
しかしもしそこで、親が変にインテリで哲学齧ってたりして、「相対主義か否か」(的なモノサシ)を持ちだしてしまうと、こういう構造を見落としがちなんだな。
で、なんかいい大人になっても(あなたのことじゃないですよ念のため)他人や社会を見る際に、こういう構造が見えてない、見ようとしない人って結構多いんだよね、、、。「相対主義」ってなんじゃらホイ。
月曜のこんな時刻から岸田秀みたいですな(汗)
で、これから仕事です。またちょっと見れないかも。
>>399 安置の言った事は親からの従属と反発の二分法であって相対主義とは違うと思う。
相対主義ならば、従属と反発を対立させて決定不可能にして
親の言う二分法の正統性自体を疑うという少々手の込んだ事をやるだろうから。
それで安置は真理主義は効果が無いという事を言いたいのだろうけど、これは
むしろポストモダン批判になるよ。何故なら、竹田氏は二分法の末にいずれかを
正統とするのではなく、その方法を成立させている根幹が正統だと見做すだろうから。
安置もアンチもまともな批判ないね。
もし、竹田さんの言説が難しいとかあるいは専門用語が多いと 言うのであれば、今弁護している事はすれ違いという事になる。 竹田さんはその逆でかなり簡単に説明してくれる人物ではある。
403 :
考える名無しさん :03/08/04 21:47
>>398 >そもそも人の世界観や価値観が確立したり、
>剥がれ落ちてあらたな世界観が生じたりする、
>その生成原理を明らかにしたわけ。
>考え方の基本型は要するにこういうものだ、ということがはっきり取り出せるようになると、
>どれが優れていて、どれが駄目なものか自分で判断がつくようになる。
これは竹田信者が少なくとも「竹田現象学」の特徴について述べたものだが、
こういうのって「超越的な論理」じゃないわけ?
「無数の論理のうちの一つ」じゃなくて「無数の論理の根柢をなす論理」という位置付けじゃないの? これって。
こういうのって「超越的な論理」って言わない?
それとも上記の引用のような特徴は無いの? 「竹田現象学」ってのは。
「死刑囚。」ってアホなコテハンが言ったんだけど、こいつが勝手に勘違いしてるだけ?
「超越論的」ということを理解してないな。 貴方に現象学は到底無理。
405 :
考える名無しさん :03/08/05 00:57
>>404 はっきりと説明してくんないかな?
「竹田現象学」のどこが「超越論的」であるかってことを。
「お前はわかってない、わかってない」と言うだけでもったいぶってないでさ。
俺には単に「超越的」であるようにしか思えないわけよ。
あんた「理解して」いるんでしょ。
「自分の言葉」で説明してみな。
>>405 >「無数の論理のうちの一つ」じゃなくて「無数の論理の根柢をなす論理」
>という位置付けじゃないの? これって。
>こういうのって「超越的な論理」って言わない?
同じ土俵で考えてるいと思われる・・・・・。
竹田氏の思想は「無数の論理の根柢をなす論理」ではなくて
「無数の論理が存在している事の根拠は何に由来するのか」と
問うているのだと思われる。
つまり現象学とポスト・モダン(構造主義その他の形而上学)
では、’論理範疇が異なっているだけ’なんだよ。
それを同じ土俵で倫理的に解決しようとするから主観ー客観
問題を乗り越えられないし、論理的パラドックスが生じてしまうんだよ。
それから、現象学は「客観を前提しない」という学だけど、
現象学を批判する人は、「何故わざわざ客観を前提しないという
面倒な方法を取るのか」と思ってる人が多いでしょうね。
つまり、そんな方法に意味が無いと。
ただ、現象学は(主観・客観)図式が持つ謎を解くためにには
’戦略的’に独我論から始める必要があるというだけの事なんだよ。
↑倫理的→論理的の間違い
>>406 無駄無駄。
405は「超越論的」の意味からして分かっていないよ。
態度の悪いクレクレ君に、ものをやる必要なし。
409 :
考える名無しさん :03/08/05 05:46
>>406 >同じ土俵で考えてるいと思われる・・・・・。
>竹田氏の思想は「無数の論理の根柢をなす論理」ではなくて
>「無数の論理が存在している事の根拠は何に由来するのか」と
>問うているのだと思われる。
前者と後者のいったいどこが違うのか?
こんな低劣なメタレヴェルの論議に俺を巻き込むなよ。
全然「超越論的」の説明になっていねえんだよ。
>つまり現象学とポスト・モダン(構造主義その他の形而上学)
>では、’論理範疇が異なっているだけ’なんだよ。
>それを同じ土俵で倫理的に解決しようとするから主観ー客観
>問題を乗り越えられないし、論理的パラドックスが生じてしまうんだよ。
だからこういうのをまさに「超越的な論理」だっつってんの。
お前らが’戦略的’に措定してしまう「同じ土俵」でない「違う土俵」ってやつは、
お前らがどう思い込んでいようと、こちらには「超越的な論理」以外には現れていないんだよ。
単に「(主観・客観)図式」をすべて包含しようとするより大きな階層から見る視点に回収されちゃってるんだよ。
「違う土俵」を措定した時点で、それはもう「ある一つの論理」として固定されるわけ。
「問う『態度』」としてあるためには、それは「実践」にさらされている過程になければならない。
実際に機能する瞬間にこそ、それは「超越論的な態度」に相応しい。
お前らみたいにただただそれ自体を唱えるだけの「お題目」に成り下がっている場合はそれは単なる「超越的な論理」としてしか機能していない。
形骸と化した「『超越論的な態度』を志向するだけの論理」なんだよ、お前らが偉そうに奉っているのは。
お前らに「超越論的な態度」を見い出したことは、はっきり言ってねえな。
その辺の反証になってないから全然説得力ないわけ。
俺がこう思っているからこれはこうだと言う主張ばかりじゃなくて、
俺がこう思っているのにもかかわらず他人にはこう見えてしまうっていう観点が全く無いのかね、
竹田式「方法的独我論」ってやつには。
>>408 確かに無駄みたいですね。
まぁ、現象学的還元や本質直感という概念は、根本的な視点の変換
が必要な学なので、凝り固まった思想の人には説明に時間がかかる、
あるいは永遠に納得してもらえないということで、この議論を終了
しましょうか。
>>409 >前者と後者のいったいどこが違うのか?
前者はものごとの正確な根拠を求める。後者は正しさには無頓着。
正しいものなんて存在しない。自分が納得でき、確信できればそれでいい。
>単に「(主観・客観)図式」をすべて包含しようとするより大きな階層から見る視点に回収されちゃってるんだよ
正反対。より小さな階層から見ようとしている。すなわち主観からしか見ない。
>「違う土俵」を措定した時点で、それはもう「ある一つの論理」として固定されるわけ。
当然。誰もメタレベルには立てない。それを徹底したのが現象学。
主観という論理の枠から出ないように細心の注意を払うのが現象学。
>>410 「ステーキを売りたければ肉を売るな。シズルを売れ」
これ、E.ホイラーというアメリカの経営コンサルタントの言葉で、
シズル(sizzle)ってのは、ステーキを焼く時の「ジュー、ジュー」という音
や煙や、匂いのことね。
ホイラー曰く、ステーキを売るためには、この「シズル」を体験させるのが
最も効率がいい。
例えば、肉の製法やブランドを強調したり、焼き方やシェフの腕前を、
幾ら論理的に非の打ち所のない、立派な言葉や論理で他人に説明しようと
しても上手くいかない。
何故なら、人間という生き物は、「論理」に出会うと本能的に「理性」で
対応しようとするから。
人間は、他人が持ってきた論理に対しては、構え、防御し、いきおい反発に至る。
その一方、自分で見つけた論理には恐ろしいほどの執着を見せる。
だから、現象学的論理を売ろうと思えば、その論理を売ってはダメなんだね(笑
そもそも「論理が活きる場所」というのは、限られてるし。 ぶっちゃけ2ch程度なら、笑福亭鶴瓶のように「旨いもんは旨い」と いった方が喚起力が強いわけだ。 オレとしては多大な出来心と親切心とで、これまでずっと愚直に論理的に 語ってきたつもりなんだが、勘違いしてたね。 さて、ついでに言えば、凡そ、竹田や西にも「思想のシズル」を売ること は難しいと思う。せいぜい、現象学的な体験や記憶を、論理でもって浮き彫り にし、読者の自己了解を助けることしか出来ないと思う。 彼らアカデミズムの人間に期待して良いのは、まずもって分かり易く言語化する こと。そして、世に跋扈するいかがわしい思想体系に対して、学者としての プロフェッショナルな対応だろう。 だいたい竹田現象学の旨さを最も味わっている人は、竹田青嗣の名前すら 知らないのは確実なんである。 だから「わかる人」には竹田の言葉は染みる。 現象学の論理というのは、「普遍性」という概念の特殊性も含めて、 「個人的な体験」がなければ、「わかる」ことはなかなか困難を伴う作業である。 フッサールだって、現象学を食っても不味いと感じる人間がいることを 『イデーン』のあとがきで書いている。その理由を含めて。 ところで、上の方の安置さんの議論も興味深く読ませて貰いました。 しかし、最近の竹田氏のことはよく知らないし、『群像』も読んでないので。 あと、8/1付けのHPの近況はなかなか率直な竹田さんの意見を聞けて面白かった ですね。やはり、竹田さんは竹田さんだなーと安心しました。 「一般意志」という言葉が出てきたのも嬉しい。 ま、キリが無いんでこの辺で。
死刑囚。御久し振り。
ページ見てきた。 率直な心境が良かった。
>>413 >だいたい竹田現象学の旨さを最も味わっている人は、竹田青嗣
>の名前すら知らないのは確実なんである。
それは言えてるね。
哲学に無関係で居られる人ほど自分の生を味わってる。
417 :
考える名無しさん :03/08/09 11:21
他人に対する「わかりやすさ」に最重点を置く言説の行き着いたところが「わかる人にはわかる」という点は象徴的だね。
入門書とか馬鹿にしといて今更こういう事を言うのか。
>>417 まぁ、わからない人には何を言ってもわからないでしょ。
’わかる’というのは自分で了解するってことだから。
啓蒙の本質は独善だからね。
421 :
考える名無しさん :03/08/11 22:58
おかしいな。なんでこんなに下がってるスレに広告が来るのだ?
誰かが作為的にやっている以外に理由はないか。
424 :
考える名無しさん :03/08/11 23:08
タケダはもおええ あきた
読んでもないやつが言うなよ。
426 :
考える名無しさん :03/08/12 00:31
>>俺がこう思っているのにもかかわらず他人にはこう見えてしまうっていう観点が全く無いのかね 独我論にこういう観点があったら、それは独我論とは言えない。
427 :
考える名無しさん :03/08/13 01:24
>>380 なるほど。難しいですね、掲示板での議論は。
ただ、そうやってすぐに(といっても、画面上での、字面での判断でしかないのだけど)「他の作家」っていう発想が出てくるのは、相対主義的な思考回路だと思う。
といっても、これもただ不毛に切り返してるだけですね、我ながら。
こだわるのは、一つは竹田青嗣の投網の大きさがあります。
実際、
>>346 みたいなこと書く人であるわけだし。
安置か?久し振り。
あ、427は俺です。 別の角度から言ってみます。 例えば、永井均と較べてどうとかいう話、もちろんネタなんだろうけど、そういう発想自体すでに、ポストモダンで言われた社会の分衆化を前提にしてると思うんだよね。 そういう構造に気がつきつつ、確信犯的に「あえて」竹田青嗣の言説を「使う」ってなら、まあわかるんだけど、そうでもないみたいだし。 「思想をやるのはこういう人、社会問題を考えるのはああいう人」みたいな視線、若者文化の小利口な住み分け化、世のオタク化。 相対主義と同衾するこれらの状況を一方で受け入れつつ、一方で延々と、また営々と続く「竹田青嗣」には、違和感を拭えないのですが。
他の作家と比べるとかは、 日常会話で必要な時に使っているだけだと思うけど? 少し焦点がわからんな。 若者文化(?)というものに批判点なの?
いや、俺は住み分け自体は受け入れてるのです。 相対主義的に。
なんとなくだけど、安置は相対主義の概念を曖昧に使ってるね。 率直に言ってみると、安置の反応は至極まともではあるけど、 それは世論からの反応という印象が強いな。
たぶん、俺は人物論にウルサイんだと思う。 興味ない人には目ざわりかもしれないけど、無意味な話でもないと思うんで。 以前、別のスレでの西部(邁)についての話の中で、「彼(=西部)の故郷は、伝統ではなく青春なのだろう」てなコトを、呉だか浅羽だかが指摘したという話(ネタ?)があって、失笑しつつ(ファンがいたらスマン)腑に落ちたことがあった。 それにならって言うと、竹田青嗣にとって在日問題、在日社会は「故郷」なんだと思う。 悪く言えば「遠くに在りて思うもの」みたいな感じなんではなかろうか、今は。 それはそれで構わないけど、読む際、そういうことに留意しても悪くは無いんじゃないかって思う。特に日本人読者は。 で、前に別のスレだったか、彼の国籍のことを言ってた人がいたけど、その真偽はわからないけど、そういう意味では、彼はいまでも「在日」だと、俺は思います。 でも、在日でそういう感じの人、意見って、今は多いし、市民権も得てきてると思う。ソフトバンクの孫正義もそんなようなこと言ってた。しかもさらっと。 竹田青嗣の在日論が、2003年の今、特別な価値があるようには思えないです。
「在日」問題は根深いよ。2003年の今だからこそ。 ハングル板、ニュース極東板を始めとして、 2chにはなんでこうも朝鮮叩きしたがる奴が多いのか・・
>>433 今まで読んできた安置のレスでは一番素直でいいんじゃないの。
>竹田青嗣にとって在日問題、在日社会は「故郷」なんだと思う。
>読む際、そういうことに留意しても悪くは無いんじゃないかって思う。
ここは分かるけど、実に手法が竹田さん的だね。
安置が竹田さんの方法で論じた箇所と言える部分だ。
>2003年の今、特別な価値があるようには思えないです
この辺りはどうでも良いと思う、希少価値の高低は気にしていない。
つまり、敢えて竹田青嗣を批判する理由なんて安置には無いと思うけどな。
安置が何言いたいのかよく分からないから、選択肢をつくっておいてあげるよ。 まず、在日論を言ってたから在日の改革推進派かと思ったが、日本人らしいので どうにも違う。次に、竹田さんの個人の故郷の問題は、結局竹田さんが一番自覚 して論じている事なので、これも批判するのはおかしい。 となると、残りは哲学上の著作に対する批判だが、これもあまり得意ではなさそうだ。 そう考える限り、安置がどこから言葉を発しているのかよく分からないし、在日論も さほど切実そうな問題として意識しているとは思えない。 そうなると、残る可能性はほとんど好き嫌いで判定しているとしか思えないのだがどうなんだ?
つまり安置は’懐疑論者’か。
438 :
考える名無しさん :03/08/14 05:25
中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ 中田英寿態度がでかいぞ中田英寿態度がでかいぞ
439 :
考える名無しさん :03/08/21 23:59
加納典明の季節外れのテクスト論批判に一票
加納典明× 加藤典洋○
442 :
考える名無しさん :03/08/24 00:44
tumarisukuiyounonaivakattekotoda
安置はまともな反論をするコテではあるんだが。
竹田現象学では、想起や記憶などの人間の意識はコントロールが可能だが、自分の意のままにならない知覚直観と本質直観が世界存在を認めざるを得ない源泉としていますよね。 でもおかしいとは思いませんか? 人間の意識の中にはコントロールできないものがいっぱいあります。思い出したくないのに思い出してしまう過去の記憶だとか、明日が受験で早く眠りたいのに心配やら興奮やらで眠れないことなどです。これらをどう説明するのでしょうか? 竹田現象学は間違いですか?
445 :
考える名無しさん :03/08/27 11:46
あげ
>>444 >思い出したくないのに思い出してしまう過去の記憶だとか、
>明日が受験で早く眠りたいのに心配やら興奮やらで眠れないことなどです
竹田現象学はしらんけど、この辺りは完全にではないにしても、
ある程度はコントロールできるでしょ。インチキ臭い言い方だけど、
悟りを開いた坊主とか。
その点、知覚直観、本質直観はまったくできないでしょ。
>>444 まぁ、竹田氏も厳密に想起や記憶などについて考察してるわけ
ではないと思われる。
>思い出したくないのに思い出してしまう過去の記憶だとか、
>明日が受験で早く眠りたいのに心配やら興奮やらで眠れないことなどです。
それは「情状性」という現象学の概念で説明されてるかと。
心配やら不安は情状性で、自分の意思ではコントロールできませんね。
引用の仕方が全く同じだ! ちなみに446と447(僕)は別人です。
>>446 少しはコントロールできてもここ一番でコントロールできないのでは、自分自身の意識も知覚直観や本質直観と大差ないように思うのですが、、、
>>447 情状性はハイデガーの概念ですよね。
このあたりにハイデガーは現象学の矛盾点を見出していたのでは?
>想起や記憶などの人間の意識はコントロールが可能だが 想起も記憶も還元して本質観取すれば、コントロールできないものが浮き彫りにされてくるということ。
さてイラク情勢はすっかりベトナム化してるわけだが、 竹田はもう一度発言する必要があるんじゃないの。 原理の問題だから、情勢は関係ないというでのは言い逃れ。 (原理の問題としても、大量破壊兵器をもった独裁国は先制攻撃の対象になると とても国連憲章42条に書ける内容じゃないが) 反戦運動は心情論で、イラクの反米闘争はルサンチマンだ、 それに我慢ならんというのが、竹田があんなこと言い出した動機だからな。 フセイン独裁が倒れてもアメリカの統治が失敗してるのは、 あの戦争がイラク人から見れば明白な侵略だからだ。 この点で、反戦運動も、米国不支持国の見解も共通しておる。
453 :
考える名無しさん :03/08/31 22:54
カネにならないことを竹田がするかよ。
竹田現象学で哲学を再構成してみるというのも面白いと思う。
戦争抑止の原理の話題も出てる事だし、 その後に発表された絶対知と欲望を読む必要がある。
絶対知と欲望ーー近代精神の本質 1 ヘーゲルと絶対精神の体系 2 コジェーヴのヘーゲル論と現代思想 3 近代の人間本質「他者の欲望」と「普遍的承認ゲーム」 4 『精神現象学』と近代の人間ーー行為する「理性」 5 ハーバーマス「主観性の哲学」と「対話の哲学」 6 『精神現象学』と近代思想の本質ーー「精神」について 7 「妥当要求」と「自由の相互承認」 8 「正義」とは何かーーロールズの『正義論』 9 「道徳的意識」と「良心」近代思想を超えるもの
>>444 451の人がかなり正確に答えていると思うけど、疑問は解消されたのかい?
オレには質問の意図がよく分かんなかったんだけど。
>>452 >反戦運動は心情論で、イラクの反米闘争はルサンチマンだ、
>それに我慢ならんというのが、竹田があんなこと言い出した動機だからな。
竹田としては橋爪の論に同調しただけなんだけど、改訂前の文章は確かに
そんな印象あったカモね。
でもそれは竹田がイラク攻撃自体に必ずしも賛成しているわけではない
ということも物語っているわけで。
そもそも、ある事態に対して「こうあるのが正しい」という論陣を張るのは
間違っているし馬鹿げているというのが竹田の思想です。
ま、とにかくまだUPされている改訂版「戦争抑止の原理」を読んでみること。
哲学的にものを考えるとはこういうことなんであって、誰某や誰某のように
まるで押せば解決するボタンがあるかのように語ることではない。
日常を生きる我々にとってどちらがより重要なことか考えてみる必要がある。
>>455-456 いつか本になるんでしょ? ソレ。前のトラクリ批判とともに。
本になったら読む。
>>457 まったく解消されてません。知覚直観や本質直観がまったくコントロール不可能
なものというのは理解できますし、それこそが世界認識の源泉というのもわか
ります。
しかし人間の意識自体もある程度のコントロールは可能とはいうものの、自分
の意図とはまったく関係なく、正反対に作用してしまうような時もあります。これをどう説明するのでしょうか?人間は自分自身もままならない意識の彼岸になるようなものを内包する存在だと思います。
そしてもしそうであるなら竹田現象学はその根底から怪しくなるのですが、、、、
>>452 なんとなくはわかるが意味不明瞭な日本語があるニダー
460 :
考える名無しさん :03/09/01 15:31
>>458 よくわからないのだけど、なんで
「知覚直観や本質直観」と「自分の意図とはまったく関係なく、正反対に作用してしまうような時、
人間は自分自身もままならない意識の彼岸」
がノットイコールと決めけてるの?
>>457 >竹田がイラク攻撃自体に必ずしも賛成しているわけではない
って、どういう意味?
竹田は「戦争抑止の原理」で、こう言ってるよな。
>英米の実力行使派の論理は、この実力行使は「大量破壊兵器」拡散防止についてのルールを破ったものに対する
>「サンクション」(懲罰)であるという主張にあり、基本的にその側面があることは否定できない。
>これは石油のための戦争だというよく言われる主張は(傍証としてしばしば言われるが)、諸情勢を考えると
>ほとんど誇張であり、仮に多少利権がからむとしてもそのために戦争するのは英米にとっても全く割にあわない。
>これは小さな一側面を拡大したものにすぎない。
>ともあれ重要なのは、専制国家による大量破壊兵器の開発が厳しい「サンクション」の対象となるという
>事例と流れが国際的に定着することは、人類の未来の戦争抑止にとって不可欠の契機であると考える。
これは他でもなく今回のイラクの事例を見て言ってるわけだ。
これを「サンクション」を理由にした「イラク攻撃肯定」以外にどう受け取れっての?
んで「サンクション」の原因たる「大量破壊兵器」ってやつが無いんだよ。
原因が無ければ何の為の攻撃だったのかってのが当然問題にならないか?
「サンクション」でも何でもないじゃん。
俺はイラク問題に対して「絶対の処方箋」を示せとか言ってるわけじゃないわけ。
ただ竹田の言説の論理から言ってまるで辻褄があっていない部分を、
竹田や読者がどう考えているかと問うているんだよ。
>そもそも、ある事態に対して「こうあるのが正しい」という論陣を張るのは
>間違っているし馬鹿げているというのが竹田の思想です。
じゃあ「戦争抑止の原理」はそういった言説(例えば「絶対平和主義者」に対して、だけでなく、他の読者に対しても)じゃなくていったい何なわけ?
「こうあるのが正しい」という独り善がりなモノローグ以外に俺には何も感じられないのだが。
>>460 私は「知覚直観や本質直観」イコール「ある程度しかコントロールできない意識(想起、記憶、想像)」ではないか、と言ってます。
竹田現象学では人間の意識表象のなかで知覚直観と本質直観だけは意識の
自由にならないものとして現われ、その意識の自由にならないものが存在する
かぎり自分のそとに世界があることを認めざるを得ない源泉だとしていますよね。それは知ってますよね。それに対して同じ意識表象である想起、記憶、想像などはほぼコントロールできるので知覚や本質とはまるっきりちがうと。
これがおかしいのです。完全にコントロールできるのならともかく、肝心な時に
コントロールできないのでは知覚や本質と変わらないと思うのです。
この疑問にきれいに答えてくれる方はいませんか?
>>462 「想起、記憶、想像」ノットイコール「知覚直観や本質直観」という
理解の仕方があるようですが、「想起、記憶、想像」も還元していくと
「知覚直観や本質直観」という出発点に還元されます。
464 :
考える名無しさん :03/09/01 23:56
知覚直観は想起などじゃないだろ。ほとんど知覚そのものだと思うが。 ただ知覚において感覚的に与えられるものと、同時に意味として与えられるものが あるので後者を本質直観としたのだと思うが。
コントロールできるかできないかってそんなに重要なの? インプットされてくる情報が知覚直感で、 それを受け取る受け皿とか、自分の中の意味の定義が本質直感なのかなぁと 思ったんだけど。
467 :
考える名無しさん :03/09/02 00:33
コントロールの意味だけど、カラスが黒く見えるのを赤く感じようと してもほとんど不可能。またカラスを思い出すときに赤いカラスとして 思い出そうとしてもこれまた困難。ただ、視線を他に向けるとか、 別のことを思い出そうとするならかなりの自由度はある。
468 :
考える名無しさん :03/09/02 08:08
>>466 ほぼ完全に答えられるが、そんな事をしても己の実力の向上にはならない。
469 :
考える名無しさん :03/09/02 08:13
補足しておくと、はじめさんの実力の方ね。 フッサールか竹田さんの本を読み返してみるか、 もう一度自分で考えた方が良いだろう。 答えを教えてもらうのはその後でいいだろう。
>>468 何度も読み返しました。でもやはり同じ疑問が残ります。
申し訳ございませんが、ほぼ完全な解答をお願い致します。
どこかに載ってなかったか?
竹田先生関連のホームページは有志のものが見当たらない。
公式ホームページ以外の所に竹田先生の論がアップされてる。
まだ読んでいない論はこれだけある。 「社会の教科書」 「社会思想と現象学」 「自由と相互承認の社会原理へ」 あの掲示板は関係者以外も書き込めるとは知らなかった。
>>461 竹田の言っていることは簡単なこと。
99人が平和を望んでいたとしても、1人が違えば平和は実現しない。
そのような場合、99人よる「懲罰」が必要で、それ以外の原理は無いということ。
武力を急ぐ米国が正しいかどうかについて竹田は「十分な情報をもっていない
と感じる」から判断できないが、単なる平和主義では事足りないと
いっているだけ。
他にも本質的なことをいろいろ言っているけどね。すごく勉強になる。
>「サンクション」の原因たる「大量破壊兵器」ってやつが無いんだよ。
>原因が無ければ何の為の攻撃だったのかってのが当然問題にならないか?
当然問題になる。つかそれ以前に、米国は他の民主国の同意を十分に得られ
なかったのでその時点でバツ(竹田はそのことに言及しないが)。
恐らく今回の戦争は、自国民がテロの標的になった為に米国が突っ走った戦争と
いうことになるだろうね。まあ、実際は複雑な米国政権内部の事情も絡んで、
まさしく「ブッシュの戦争」なんだけど。
とにかく竹田は原理をいっている。「共同体による懲罰原理」という戦争抑止の
原理を機能させるためにも、あらたな原理が必要──国家間の経済格差や
国連的な機能など──なのであって、日本はこうするのが正しいだとか
米国は間違っているだとか、そんな主体すらあやふやな「解決ボタン」など
バカバカしいのであって、だからこそ竹田は「こう考えるのが原理的だ」と
繰り返し言っているわけです。
>462 真面目に質問しているようなので、すごく答えたいんですけどねぇ。 しょうがないので、一文一文にレスしまつ。 >私は「知覚直観や本質直観」イコール「ある程度しかコントロールできない >意識(想起、記憶、想像)」ではないか、と言ってます。 まず間違ってます。「知覚・本質直観」とかいうのは方法です。 あと「ある程度」もなにも、少しでもコントロール出来てしまえば、それは 「知覚」でも「本質」でもない。ドクサです。 >竹田現象学では人間の意識表象のなかで知覚直観と本質直観だけは意識の >自由にならないものとして現われ、その意識の自由にならないものが存在する >かぎり自分のそとに世界があることを認めざるを得ない源泉だとしていますよね。 これまた間違ってます。 現象学では「自分のそと」に世界があることは一切認めません。 「自分のうち」に動かし難いものがある。そうであるなら、それを土台に生きるしか ないだろう? というのが現象学という考え方です。
>それに対して同じ意識表象である想起、記憶、想像などはほぼコントロールできる >ので知覚や本質とはまるっきりちがうと。 記憶は……コントロールできるか? オレは出来ない。 想起や想像は勿論コントロールできる。つか出来なきゃどうする。 何故、これを同列に並べているのか不明。 で、上記が知覚や本質と違うかって? 当然、想起や想像は違うね。 記憶に関しては、漠然とした記憶に対し、現象学的還元を行い、 本質観取して、うまくいけば「本質」にぶち当たる。 誰でも持ってるでしょ。動かし難い記憶。 >これがおかしいのです。完全にコントロールできるのならともかく、肝心な時に >コントロールできないのでは知覚や本質と変わらないと思うのです。 肝心なときであろうがなかろうが、コントロール出来てしまえば、それは 「知覚」ではない。「本質」ではない。 さて、恐らく君の言いたいことはまったく別のことなんだろうが、 オレとしては「普通に」読みとれることしかレスしたくないので。 頓首。
>473-474 みーつけた。ナイス情報!
ちなみに、各々について説明すると 「社会の教科書」…西氏のホームページに新しく載っている。 「社会思想と現象学」…人間学アカデミーHPにあるが、リンク切れか、見れない。 「自由と相互承認の社会原理へ」…樹が陣営HPの立ち読みコーナーにて読める。
>>476 >>477 死刑囚さんの言っているのは竹田現象学のものなのですか?
それとも別のものなのですか?
多分竹田現象学以外のものでしょうね。竹田現象学では「自分のそと」に
世界があることを認めますからね。
でも竹田氏は自分以外の現象学の理解の仕方は間違いだと公言している
のです。ここがわたしの疑問なのです。竹田現象学における知覚、本質直観とその他の知覚、本質直観をいいあっても答えは出ないのです。
どなたか竹田現象学と一般?の現象学の両方を理解しているかたでこの問題
の答えを出せる方はいないのでしょうか?
>>475 >つかそれ以前に、米国は他の民主国の同意を十分に得られなかったので
>その時点でバツ(竹田はそのことに言及しないが)。
おいおい、何で「戦争抑止の原理」の論旨を曲げているんだよ。
竹田はしっかりと「マル」出ししてるじゃないか。
この文は、まず、冒頭で「今、米国に反対する理由は薄い」という橋爪大三郎の意見を前提として、それに竹田が「私の「哲学的」な考え方」を「付け加えてみたい」という導入で始まる。
この時点でもう竹田の構えがどうであるかは明白だろう。
そして、アメリカが武力行使に踏み切るまでの強引な過程は、文中で何度も留保をされているくらいなのだから、竹田は十分過ぎるほど「意識的」である。
にもかかわらず、竹田はアメリカの武力行使がいかに「反対する理由は薄い」かを滔々と述べる。
俺が
>>461 で引用した部分がまさにそれだし、
>わたしは、アメリカが、われわれから見て強引と思えるほど武力行使を急ぐ点については、
>実際にテロ攻撃を受け、しかもそれが核兵器などと結びつく現実的可能性を実感していることを思えば、
>ある程度その心意を“理解”できるように思う。
擬人化された国家の「実感」の「心意」を“理解”するという信じ難いセンスが滲み出るこの文章の表現するところもそうだろう。
明らかに「アメリカ=イラク問題」という事象を「原理的」に思考した結果、「今、米国に反対する理由は薄い」という結論に達しているわけだ。
文中でアメリカにダメ出しをしている箇所なんかあるか? 挙げてみな。
挙げられないのなら、お前は「ま、とにかくまだUPされている改訂版「戦争抑止の原理」を読んでみること」などと他人に忠告するくらいなんだから、熟読してなおデッチ上げを試みたことになるが。
とにもかくにも現状を見れば、「サンクション」という恣意に対して無防備な概念を基底にした「戦争抑止の原理」は説得力を失っているんだけど、大先生は言いっぱなしだし、崇拝者は論旨を曲げてでも正当化を試みるていたらくだし、どうしようもないね。
自分自身が肯定していた原因の無い「サンクション」の意味を考えることより、「絶対平和主義者」への揶揄の方が優先されるというプライオリティーってのは「原理的」にはどうなんだろうね。
>>480 はじめは一般の現象学出身じゃなかったか?
一般の方に聞いてみれば分かるんでないの。
>>480 竹田現象学では、「主観(自分のうち)と客観(自分のそと)の一致」
という問題提起から始まるわけですよね?
一致しなければ、おかしなことになるから。
しかし、論理的に考えれば、一致は不可能だということが判る。これは大前提です。
では何故おかしなことになっていないのか?
竹田現象学は、フッサールを使って、このアポリアを解いているだけです。
それ以上でも以下でもない。
>竹田現象学では「自分のそと」に世界があることを認めますからね。
「自分のそと」に世界があることを認めるということは、客観世界が存在して
いることを認めるということですよ。
それに、「自分のうち」に動かし難い確かなものがあるからと言って、
それが「自分のそと」の存在を認めることには繋がりません。
「自分のそと」の世界の存在証明が不可能だというのは大前提だからです。
基礎的な論理学では愚直なまでのまっとうさが要求されます。
ちょっとしたニュアンスの違いが命取りになる。
客観世界を認めないというのは大前提です。証明できないものは認められないからです。
この大前提をわすれちゃいけません。みんなすぐに忘れちゃう。
あと、オレの考え方の基本は、竹田の現象学理論と同じですよ。
>>481 竹田の文章を読めば「戦争抑止の原理」の内容は明確だろう。
まず、これを理解しなきゃ意味がない。
で、その原理を次の幼稚な質問に無理やり押し込めば、おのずと答えはこうなる。
【1】米国のイラク攻撃に反対すべきか?→NO
【2】米国のイラク攻撃に賛成すべきか?→NO
竹田の文章は主に【1】の問いが何故「NO」になるかを書いているわけ。
だから、読解力がないと、竹田の文章が戦争肯定派に見えたり、そこまででは
なくてもイラク攻撃を使嗾するためのコノテーションが含まれているかのように
感じるわけ。(竹田は平和主義の有効性も言っているんだけどな)
で、しかたなくオレが【2】の問いについて書いたわけよ。
とにかく、竹田の「戦争抑止の原理」に沿って考える限り、限られた情報の中で、
ファッション気取りでデモをやってみたり、タカ派的にリアリズムを主張しても
それは思想とは言わない。「原理」ってのはそれとは別のものなんだよ。
思想には原理的な優位性・有効性が必要なの。
一言で言うと?
一言では無理かと。 それに相当敷衍して言ってくれてます。
>>483 >「自分のうち」に動かし難い確かなものがあるからと言って、それが「自分のそと」の存在を認めることには繋がりません。
あれあれ〜おかしいですよねぇ。「自分のうち」の動かし難い確かなものというのは知覚直観、本質直観のことを言っているのだと思いますが、竹田氏がいうのはこの二つ(知覚直観、本質直観)こそが人間に客観世界の実在を確信させるものだ、ということですよ。
どうですか〜?
>>487 それ間違ってるよ、引用元の方が正しい。
もう一回竹田先生の本を読んだ方がいい。
>>488 何度読み返しても同じです。もし間違っているのならどこがどう間違っているのかはっきりいってほしいものです。
死刑囚。が指摘している部分は竹田現象学の根幹のものなのに、 はじめは正しく理解していないように思われる。
>>492 だからその483が間違いだろ、と私は具体的に言ってるんだが。
ポイントはここだろ >はじめ >それに、「自分のうち」に動かし難い確かなものがあるからと言って、 >それが「自分のそと」の存在を認めることには繋がりません。
>>竹田現象学では「自分のそと」に世界があることを認めますからね。 どこでこんなこといってんだ? 引用元を教えてくれ。
496 :
考える名無しさん :03/09/04 23:22
はじめは論点をずらしたいだけ
>>495 「現象学入門」NHKブックス576 P.73の10行目から19行目あたり。
これほど具体的なものはないだろう。この他にもいっぱいあるが今気がついたのを書いた。
どうなんだ〜?
あのさあ、
>>494 でも言ってるけど、
「外界の実在を確信させる」と「外界の存在を認める」はまったく違うんだよ。アホ! >はじめ
竹田は 「自己の内に、自己の外側にあるものを確信せざるを得ない条件を持っている p73_17 といってるだけで、 >「自分のそと」に世界があることを認めますからね。 なんて一言も言ってないぞ。
ま、死刑囚。が言うとおりニュアンスの違いだけど、それが命取りだよな。 すごく大事な部分なんだよ。ここが。
つーか、現象学の根本の所じゃん。 なぜ、現象学が客観世界を認めずに、主観の中だけで考察しているのか わかってないんだろ?
>>498 となると「外界の実在は確信する」が「外界の存在は認めない」ということだな?
それでいいんだな。
>>502 498じゃないが、
厳密に言えば「外界の存在は確信せざるを得ない」が、
それは「外界の存在を証明したことにはならない」ということだな。
しかし、全く会話にならんな、この「死刑囚。」って奴も。 昨年の「明学シンポ」という議論の場での竹田の態度を、俺は前スレで、 >「自分の考える『原理』はこれ! これ以外の道はない! 以上!」と言って一歩たりとも動かない「大先生」 と形容したが、今のこいつがまさにそれだよ。 もはや議論の流れなどどうでもよく、「現実」との接点をシャットアウトした「原理」にしがみつく態度のみが正しい、という主張をひたすら反復するばかりになって独りで凝り固まってしまう。 目の前で議論している相手よりも、「ファッション気取りでデモをやってみたり、タカ派的にリアリズムを主張しても」とか何とか実体の無い、極端な性質を有する「仮想敵」を召喚して意味のない批判をおっぱじめて自説を補強するところも「大先生」のサルマネだしな。 あらゆるものの「考え方の基本型」ってやつを解明したとか自己申告してるわりに、何ですべてがこんなに単調なんだろう。 こちらはテクストに沿った批判を具体的に展開しているというのに、それに対する論理的な反応は一切無く、自分の恣意に従わない読み方をする人間は「読解力がない」と断言する相変わらずの独善性にもウンザリするしな。 自分の態度に関する反省や疑問はかりそめにも意識にのぼらないし。 やっぱり「信仰」だよね、これは。 間違っても「思考」ではない。 他人の「信仰」をどうこう言っても始まらないという神妙な気分になってきたよ。
死刑囚は哲板では貴重な人材だろ。竹田現象学とは関係なくな。 批判してる奴はもう少し自分の頭の悪さを認識することをすすめる。
506 :
考える名無しさん :03/09/05 01:38
>504 うぜぇーよ。マジで。 お前バカなんだから引っ込んでろや。
偏差値70
>>507 真に受けてどうするw
そういう俺は若頭時代からの死刑囚ファソだがw
>>503 外界の存在を確信させるものを内に持ちながらも外界の存在は認めないだって、、、背理の極致だな、、、証明もなにも確信なんだぜ、確信。
紆余曲折しながらも最終的には外界の存在を認めざるをえないことを証明するのが竹田現象学だろう。
それは論理的な反論というやつなのか?
511 :
考える名無しさん :03/09/05 11:52
UFOの存在を確信したら、UFOの存在を証明したことになるそうだ
512 :
考える名無しさん :03/09/05 11:57
この前、岐阜で巨大UFOを目撃したよ! 着陸してた・・。 「未知との遭遇」に出てくるのとよく似てた。とにかく みあげるほど巨大で、ピカピカひかりかがやいてたよ!
>>511 本当の意味で確信していれば証明の必要などない。自明だ。証明を要求する
のは確信していない証拠だ。疑いを持っているんだ。少しでも心に疑いがあれ
ば「確信」ではない。
今日なんか荒らされてないですか?
515 :
考える名無しさん :03/09/05 13:27
世界の存在が証明されれば結局客観的世界があるってこになるだろ
517 :
考える名無しさん :03/09/05 16:39
518 :
考える名無しさん :03/09/05 16:39
はじめは哲学史上の難問、主客の一致がまったくわかってないな。 竹田なんか読まなくていいから、哲学史をまず読めや。
>>519 この馬鹿!わかってねえのは手前だよ。説明してみろ!
さてと、はじめさん。 貴方の疑問はごまっとうだよ。 >本当の意味で確信していれば証明の必要などない。自明だ。証明を要求する >のは確信していない証拠だ。疑いを持っているんだ。少しでも心に疑いがあれ >ば「確信」ではない。 まったくその通り。 だから竹田現象学は外界の存在を別に否定しやしないんですよ。実は。 走ってくるバスが「自分のうち」の出来事だと言っても、それに飛び込んだり はしない。この辺のややこしい理路を納得できるか出来ないかが、キモなわけ。 とにかくこの理屈は483で言った「主観─客観」のアポリアを解くためにあるのね。 時間や空間の謎、あるいは言語の自己言及性、仕舞いにはマルクス主義に 至るまでの西欧哲学全体への懐疑という問題から、とうとうデリタなどの登場に よって生じた主体批判みたいな潮流によって、人間の理性自体が批判に晒され、 それによる、言葉遊びみたいなまったく意味を為さない議論が現在まで続いている。 それを崩すモチーフが竹田氏の欲望として、まずあるわけです。 また、それとは別に徹底して論理を追求する立場からも、つまり認識論の立場からも 「主客構造」批判というのがあるわけです。これに関しては『はじめての現象学』を 奨めます。はじめさんの疑問がピンポイントで説明されている。 オレももう一度ちゃんと説明したいとは思うが、もう散々書いてきたんで、また今度。 とにかく現象学ではうんこ味のカレーより、カレー味のうんこを喰うってことなのよ(笑 一方、唯物論や自然科学では、鼻をつまみながらウンコ味のカレーを喰う。 ちなみにデリタなんかは、決定不可能に追い込んでどちらも喰わず餓死するタイプね。
「デリタ」なんて奴はいねえんだよボケ。
>>522 476で死刑囚。さんは
>現象学では「自分のそと」に世界があることは一切認めません。
と断言しているのですが、ここでは
>竹田現象学は外界の存在を別に否定しやしないんですよ。実は。
などと言ってますね。
こういう言い方になるのもわかるんですが、私の理解では現象学のはじまりは客観世界を認めないところから始め、紆余曲折しながらも最終的には、自分のうちに客観世界を認めざるを得ない条件を見出し、妥協とか妥当という概念
でもって、最終的には客観世界の存在を認めていると思うのですが。
死刑囚さん。の理解では最終的にも認めないということですね。否定はしないが認めもしないということなのかな?複雑ですね、これこそ屁理屈というか、、、
。
>>525 どれだけあんたが確信して外界の存在を認めざるをえなくとも、それが外界の証明にはならんズラ
ゆえに主客一致は哲学史上の難問なんズラ
それが納得できないなら、現象学はあんたには向いてないから即刻止めるズラ
>>526 何ズラズラ言ってんだ?
外界の存在を認めることと、外界の証明とは別の次元のことじゃないか!
いつのまにかすりかえやがって!
主客一致が難問だということにこだわってるようだが、それしか知らないんじゃないの?
私が現象学に向いてないならお前は哲学全般、学問全般に向いてないよ。
意見があるならコテハンでちゃんとわかるように自分の主張を書いて来い!
’在るとはどういう事か’という事をもう一度問い直せ。
529 :
526じゃないけど :03/09/06 22:32
「世界」というとあれなんで目の前の「机」にすると、 「俺の目の前に「机」は確かにある。絶対にある。どう証明したらいいか わからないが100%だ」というのも全て「俺の主観内部」で成立している。 「俺の主観内部」で成立しているのは俺の「確信」(現象)だ。 俺は寝たら、「俺の目の前に「机」は確かにある」という現象も起こらないし、 俺が死んだら永遠にそういう現象は起こらない。 全ては「俺の主観内部」で成立(現象)している。 そして、その外(俺の主観の外)を客観世界と呼ぶならば、「客観世界はない」。 客観世界があるとすると、「主客一致問題」が現れる。 現象学は「客観世界はあるということを前提にする哲学では決してこの問題は 解けない」と言って「現象がなければ何もない」「外部なんて認めない」という のを徹底した。というのが俺の理解。
>>529 確かに出発点はそこからだ。しかし最後の最後までそうなのか?
竹田氏自身がいうところの俗流の現象学理解がそれなんじゃないの。
だから現象学は独我論だと見られやすいと何度も彼は言っているし。
最後の最後まで客観世界を認めないのなら、まさにそれは独我論だからな。
>>530 フッサールが客観世界に到達するとか言ってるのか?
>>531 原書「イデーン」のなかでも現象学は実在的世界の現実的存在などを、否定したりするものではないし、世界が存在するということ、このことは、完全に疑い
を容れない、とフッサールは言っている。
ただこの世界存在への不可疑性は何からくるものなのか?主客の一致では解けない世界認識問題を、主観の内部だけで成立する確信の条件を確かめる事で解こうとするのが現象学だよ。
どうにも話をややこしくしているように見えてならないが、 同じ事を竹田現象学でも言っていたのではなかったか? それにはじめは本質直観やらと情動が矛盾するとかいう よく分からない主張をしていたから、誤読の可能性高いし。
>>533 全然ややこしくないよ、ちゃんと現象学がわかってる奴には。
それと私の最初の疑問は竹田現象学、ひいては現象学への素朴な疑問だよ。
これがよく分からないというのはいうのは相当なお馬鹿さんだね。
フッサールは「危機」の72節で 「私が純粋な現象学者である時間には、私はひたすら超越論的自己意識のうちに あり、・・・・・超越論的われとして・・・・ここには客観性をもつようなもの はなにもないし、ここに客観性、世界、世界学といったものがあるとしても、そ れは超越論的われとしてのわたしの現象としてでしかない。」 と言っている。 私の現象(主観)として「客観性、世界、世界学」があるのであり、現象(主観) の外に客観世界があるわけではない。 この点でフッサール・竹田・現象学者が異なる見解を述べている訳でもない。 >最後の最後まで客観世界を認めないのなら、まさにそれは独我論だからな 主観(現象)の外に物理空間としての客観世界があるわけではない、ということで 上にあるように「客観性、世界、世界学」を否定している訳ではない。 どうして独我論なのか?
まだ哲学なんてやってるのか?(ワラ
>>535 その「危機」の言説はおそらく現象学の出発点でのことだろう。客観という
概念そのものが背理という立場(独我論的前提)から始めるからな。
まずフッサール自身も竹田氏自身もほとんどの人間が世界の実在を認めている。
そのための条件を主観の中に持っているからだ。しかし現象学においては
客観存在という概念が論理的に背理だということも確かだ。
そこで主客図式ではなく、自己内省のみによる不可疑性の正当性を解明
することが現象学のめざすところとなるのだ。
論理的に客観世界を証明することは不可能なのだが、それは認めないとい
うこととは全然違うのだ。
>>498 どアホ、発見!馬鹿かーお前、コテハンで出直して来い!
>>537 現象学は最終的には客観世界の存在を認めているとどうしてもいいたい
ようだね。
じゃぁ認めるって何?(なんだかわからないから認めるってところの原文
を出してみてよ)
竹田は「はじめての現象学」2章で「客観なんてない」と繰り返し言っ
ている。
フッサールは物理的客観主義を徹底して批判している。
主観の外に物理的客観世界があるか? No
これは現象学の出発点
客観世界は無いけど、欲望にとって、あるいは意味として何かが存在 するということだと思います。 それぞれの生物にとっての(生への関与性)にとって事物は存在すると。 ゆえにネコと人間では世界の見え方、感じ方は違うし、人間にとって 壁は絶対的な障壁として存在するけどヴィールスにとっては存在しない。 存在とは欲望にとっての意味だから。
>>538 現象学は最終的にも客観世界の存在を認めていないとどうしてもいいたい
ようだね。
じゃぁ認めないって何?(なんだかわからないから認めないってところの原文
を出してみてよ)
現象学は方法論として独我論的前提から客観をまず取っ払い自己内省をすす
めていくものだと思う。しかしそれはあくまでも方法論であり出発点だと思うのだが。
竹田氏にしてもフッサールにしても現象学は世界の実在を否定するものではない
といろんな所に書いている。
>>540 それは正解とは言えまい。この場合は竹田・フッサールの
文献解釈としてならば説得力があるが、現象学というか哲学
単体としては客観存在の必要性は零に近い。
>>541 そういうところが君が独我論から抜け出せないヒッキーであることの証明なんだ。
>>542 独我論という批判はもう十分だ。
最初のところで躓いているのははじめなんだし、
もう少し竹田現象学に謙虚になればいいじゃないか。
>>543 竹田現象学には素直になれても、それを読んだ人間が正しく理解しているかどうかは
別問題では?だからこそ竹田のテクストを机上において議論するべきだと
思うのだけれども。それとも、竹田はテクストを読まない主義なのだろうか。。。
もちろん自分の書いたものもふくめて
テクストを読まないというよりは、テクストを咀嚼する事に長けている とい考えるべきだ。
>>543 おいおい、私がどこで躓いてるっていうんだ。油断もすきもないな、まったく。
>>546 本質直観と知覚直観で躓いてるんじゃなかった?
つーか、あんたフッサールで何か読んだわけ? >はじめ
>>547 あほか?躓いてるんじゃない、疑問を持っているんだ。フッサール信者にとっては
現象学は完全無欠な学なのだろうが、フッサールとて神ではない。現象学の中にも
矛盾点はあるはずだ。
私が素朴に疑問を抱いた点は、ハイデガーでさえその点を現象学の弱点ととらえ、
解釈学という新概念を創りだした本質直観では説明不可能な「不安」や「死」に関わる
情動的なことだ。
ヤレヤレ
551 :
考える名無しさん :03/09/07 18:46
ハイデガーはディルタイの解釈学を現象学に取り入れた。
>>548 「現象学の理念」
そういうお前はなに読んだ?
>>552 フッサールの矛盾点を言いたいなら、ポールに聞いたらどうだ?
>>554 もうとっくに聞いたよ。
竹田現象学はあまり読んでないからわからん、と言われたよ。
ポールは今まさに現象学の勉強中で勉強したことを勉強のためにつらつら書いて いってるんだ。質問したって返ってくることは限定的だ。
>>555-556 質問をしたいのか、竹田現象学を批判したいのか。
フッサールを批判したいのかよくわからん。
558 :
考える名無しさん :03/09/07 19:47
/ ̄\ ,|,-――-,, / ――v―、 _ / | r-、r-、(::::::) / ̄\| \ ヽ ・ヽ・丿 | ∧∧∧∧∧∧∧ | | | ̄r  ̄ ノ < \_/ヽヽ \__/| | ウェー、ハッハッハ!! \| ヽ++丿丿 | |\  ̄ ノ ∨∨∨∨∨∨∨ r ――ノ  ̄ ̄iヽ―ヘ ∩ /  ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ヽ ) ,,| |- / / 人 ヽ ) ヽ / | / 丿 ヽ ) / ⌒ヽ| / ( ヽ\\ \ ,, ノ\ 丿L___ノ \ ヽ \) ヽ  ̄ヽ | | |
559 :
厨房 ◆PzKzRRb53o :03/09/07 19:49
喧嘩になりつつある(ワラ
∧_∧ _ _ .' , .. .∧_∧
( ´_ゝ`) _ .- ― .= ̄  ̄`:, .∴ ' ( )
>>558 / '' ̄ __――=', ・,‘ r⌒> _/ /
/ /\ / ̄\-―  ̄ ̄  ̄"'" . ’ | y'⌒ ⌒i
_| ̄ ̄ \ / ヽ \_ | / ノ |
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__) , ー' /´ヾ_ノ
||\ \ / , ノ
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ / / /
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| / / ,'
|| || || / /| |
!、_/ / 〉
561 :
考える名無しさん :03/09/07 19:53
ワラワラ
562 :
考える名無しさん :03/09/07 19:57
/ ̄\ ,|,-――-,, / ――v―、 _ / | r-、r-、(::::::) / ̄\| \ ヽ ・ヽ・丿 | ∧∧∧∧∧∧∧ | | | ̄r  ̄ ノ < \_/ヽヽ \__/| | ウェー、ハッハッハ!! \| ヽ++丿丿 | 何を恐れている |\  ̄ ノ ∨∨∨∨∨∨∨ r ――ノ  ̄ ̄iヽ―ヘ ∩ /  ̄ ̄ ̄ヽ/ ̄ ヽ ) ,,| |- / / 人 ヽ ) ヽ / | / 丿 ヽ ) / ⌒ヽ| / ( ヽ\\ \ ,, ノ\ 丿L___ノ \ ヽ \) ヽ  ̄ヽ | | |
563 :
考える名無しさん :03/09/07 20:00
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / \ / ( ● | | | ● )  ̄ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | ̄ | |_/ < ウェー、ハッハッハ!! \/ / _/ | \_____________ |_● ̄ | / |/ ̄|/ \_/
だ か ら な に ?ワ ラ
それにしても客観世界を認めたがらないヒッキーたちは急におとなしくなったな。 また自分の殻に閉じこもり始めたのだろうか? 476,477や522で散々スカタンなことを言っていた死刑囚。は自分の間違い に気づいたのだろうか?その前後にもアホなヒッキーたちがいたようだが、自分の 間違いに気づいたら、謝罪・訂正ぐらいはしてほしいものだ。人を馬鹿よばわり していたくせに。それともほとんどは一人による自作自演か?
超越論的主観性を自分の殻に閉じこもるというように 理解するがそもそもおかしいだろ。
>>566 懲りない奴だな。
超越論的主観性が自分の殻に閉じこもる事だと、誰が言った?
最後まで意地を張って客観世界を認めようとしない強情な態度のことを
言ってるんだ。
>>540 >現象学は最終的にも客観世界の存在を認めていないとどうしてもいいたい
>ようだね。
>じゃぁ認めないって何?(なんだかわからないから認めないってところの原文
>を出してみてよ)
フッサールの原文は示しているし、竹田の「はじめての現象学」2章って書いて
あるじゃん。認めていないというか「客観なんてない」とね
なんもいえんわ。
>竹田氏にしてもフッサールにしても現象学は世界の実在を否定するものではない
>といろんな所に書いている。
「主観内の現象(確信)」として世界の実在は否定しない
主観外としての「客観世界」は否定する
同じことを何回も言わせないでね・・・
哲学云々の前に国語力の問題ですね。この子の場合。
>>568 まだわからないようだね、気の毒だよ。
主観内だろうが主観外だろうが、フッサールだろうが竹田だろうがほとんどの
人間にとって客観世界の存在は自明で当たり前のことなんんだよ。
だが論理的にそれ(主観外の客観世界)を証明できないことも事実なんだ、現象学の
考え方では。
ならばなぜ人間は客観世界の存在を自明で当然のことと受け止めているのかを明らかに
するための方法論として独我論的に客観を取っ払って、そこから出発しているんだ。君が
一生懸命言っているフッサールや竹田の言説はそれこそ現象学の方法であり
出発点、もしくは途中経過なんだよ。君が竹田やフッサールの原文を示しているよう
に、私も反証として532でフッサールの原文を示しているしいくらでも追加できるよ。でも君の示
しているものはフッサールや竹田が客観世界が最初から最後までないといっているの
ではなく、二人とも方法論としての現象学を実践しているだけのことなんだ。
まあもう少し考え直してみてごらん。
>>569 誰のことを言ってるのかわからんな、コテハンで来い!
ここまで思い込みの激しい奴も珍しいな
思い込みの激しさでは、はじめかぴかぁ〜かだな
>外部世界は自明で当たり前だと確信する(1) と >外部世界の存在を認める(2) は全く違うって何回いえばわかるのかな?このおじさんは。 (1)を完全に解明しても、(2)との間には無限の断絶があり、両者を繋ぐことはできん。 竹田はしらんが、フッサールがそんなアホなこというわけないじゃん。 なんで現象学が独我論と批判されてるのかわかってる?おじさん? 竹田はかまわんが、勝手にフッサールを客観主義者にせんでくれ、おじさん。
まあ、おじさんのいうように、フッサールが客観世界を認めてたなら、 あれだけ心血注いで、死ぬまで自分の理論の矛盾と闘う必要はなかっただろうね。
「主観」以外を一切認めない。 それはOKだ。 そこで「客観」なんて「概念」はきれいさっぱり消えるべきなんじゃないのか。 なのに「客観」は認めないだの、証明できないだの、と延々と言う。 「客観」という「概念」が延命してるじゃないか。 「そんなもの」は「無い」と言うことでその「存在」を認めてしまう。 「否認」という奴ね。 言葉で指示することで実体化に手を貸している。 にもかかわらず、「客観」は認めないだの、証明できないだの、と延々と言う。 その矛盾を指摘してんじゃないの、「はじめ」って人は。
>>571 >>572 >>574 人を批判するなら最低限コテハンで来い!こそこそしやがって!
>>573 よく聞けよ!青二才。
現象学などの結果と関係なく現象学以前の段階でほとんどの人間は普通に、
客観世界の実在を認め、受け入れている。竹田やフッサールももちろんそうだ。
お前はどうなんだ?客観など主観のおもいなしだけで本当には存在してないなどと
強度の自閉症患者のように思いこんでるのか?
そこで客観世界を証明しようと試みると、あれあれこれはどうしたことだろう、論理的に
客観世界の証明をすることは不可能であるとわかるのだ。それではなぜほとんどの人間
は客観世界の存在を不可疑だと思うのか?その確信はどこからくるのか?主客一致の
図式ではこの難問は解けない。
そこで現象学では方法的に客観を取っ払い主観の側からのみ自己内省をすすめていく
んだ。この客観を取っ払うという方法論が現象学は世界の実在を認めていないという
勘違いをおこさせやすいんだ。竹田も著作の中で「俗流な現象学理解は現象学が独我論
だと思い込んでいる」と何度も言っている。
フッサールがそんなアホなこというわけないというのなら私が532で示したように「イデーン I」のあとがきにあるフッサールの文章を確かめてみろ!この馬鹿!
bakahananiwoittemowakaranai(w
>>575 人間は普通にしてたら、自然的態度で世界を見るからね。
それに、客観主義者からの反論に答えるためには、客観って言葉は使わざるを得ないだろ?
>>576 aho
現象学のテクストって、人によって読み方が千差万別だから大変だねw
素直に間違いを認めないヒキコモリが多いね。やはり2ちゃんねるというのは完全匿名
なんで、いい加減なおもいなしを無責任にぶつけてくる奴が多くなるんだね。しかも大変
レベルが低い。
>>579 読み方が千差万別なんじゃない。正しく理解しているか、誤読しているかだ。
581 :
考える名無しさん :03/09/08 15:51
そうそう、はじめのように誤読しまくる奴が多いのも事実w
>>580 ここで竹田現象学の読み直しでもやるか?
583 :
考える名無しさん :03/09/08 15:56
はじめがきちんとフッサールなり竹田の本から当該箇所を引用してくればいいんだよ。
>原書「イデーン」のなかでも現象学は実在的世界の現実的存在などを、否定したりするものではないし、世界が存在するということ、このことは、完全に疑い
>を容れない、
これなんか、
>>537 で「疑わない」と「認める」は全く違うと、
きっちり反論されてるんだけど。
「はじめ」の現象学理解と「安置はじめ」の現象学理解は どう違うのですか? 簡単に架序書き又は表にして書いてください。
>>584 >>外部世界は自明で当たり前だと確信する(1)
>と
>>外部世界の存在を認める(2)
>>573 はじめは1→2を認める。(客観世界の存在を認める)
アンチは1→2は認めない。(客観世界の存在を認めない)
ちょっと訂正 1は両陣営とも認めている。2に関して はじめは1=2と主張 アンチは1≠2を主張
>>584 「安置はじめ」はほとんどが一人による自作自演だと思われます。
簡単にいえば現象学が世界の実在を否定しているか、否かです。
アンチも「否定」はしてないぞ。 この人はこういった言葉の微妙なニュアンスが理解できないからなぁ
585と586は問題の核心はわかっていません。 当事者がいうのだから間違いはありません。 何度もいいますが、人を批判したりするときは最低コテハンで来て下さい。
>>589 お前のような青二才は自分の間違いを認めないだけでなく、少しずつ言葉をすりかえて
いくつもりなのか。どこまで卑怯なんだ。
>アンチも「否定」はしてないぞ。
なら肯定するんだな。お〜い、みんな〜アンチが客観世界を肯定したよ〜。
否定はしないが肯定もしないなどとわけのわからんことを言い出すなよ。
何度もいうがフッサールや竹田が客観世界がないなどというのは、方法論としての
現象学を実践しているからなんだぜ。
それと人を批判するなら最低限コテハンで来い!
アフォ
「実在する」というのは、あくまでも「欲望する実存」にとって 存在するって事ですかね? 人間は、世界を単なる知として認識しているわけではなくて 価値的に色づけてエロス的に認識していますからね。 そうである以上、客観世界という観念は背理であると。 「はじめ」はカントの言うように物自体が存在すると考えて いるのですか?
これからコテハンで来ない奴の相手はせん。散々人をこきおろしておいて旗色が悪くなると 逃げるからな。
外部世界の存在を証明できない以上肯定、否定どちらの立場も取れない、ってのが現象学の立場だろ。アホ? >591
596 :
考える名無しさん :03/09/08 17:07
ここが噂の 「哲学と偽りオナニーする人たちの集いの場」ですか?
といって逃げるはじめ >594
すみません。私がアホでした。
>>594 僕は安置じゃないよ。
ちなみに↑の593
実は、竹田精子の現象学入門しかよんでいません。 それも理解できませんでした。
598、600は私じゃないですよ。負け犬の自作自演です。
>>599 小浜さんは現象学はご存知ですか?私はアリストテレスやカントのいうことは正しいというか
極普通の人間の客観世界に対する態度だと思っています。しかし客観世界という観念が
背理であることも事実(主客でものを考える限り)。そこで現象学が登場するんです。(もちろ
んニーチェもいますが)
603 :
考える名無しさん :03/09/08 17:35
>>595 おっ、言う事が変わってきたね。否定一辺倒だったのがどちらでもないって二枚舌に。
604 :
考える名無しさん :03/09/08 17:37
生きた体で哲学しろよ
>>602 現象学は竹田氏の書物しか読んでません。
他の書物は語彙が難しすぎて理解できません・・・・。
ただ最近思うのは、客観世界という概念は背理であるというのは
頭では理解できるのですが、人間にとって事物や世界の存在は
明らかに他人にとっても全く同じように見えているという確信が
強いので、事物や世界の存在については、やはり客観世界という
のは存在するのではないかと思うのです。
結局、現象学(竹田氏の書物を読んだだけですが)も一つの
言葉を使ったパズルでしかないという思いも捨てきれません・・・。
自分にとって明らかに明晰に事物や世界の存在が確信されてて
他の人達にも全く同じように見えているであろうという確信も
動かし難い。
なら、その確信を堂々と客観世界の実在と思っていいのではないか
という思いがするのです。
>>605 まさに小浜さんは竹田氏よりですね〜。
その確信こそ現象学の核心ですからね。(ん、洒落になってる)
私も小浜さんよりですよ〜。
外部世界の存在を証明できない以上肯定、否定どちらの立場も取れない、
>>595 ゆえに主観の中で世界がいかに構成されていくかのみに考察の舞台を絞る。
超越論的立場にいる限り、主観の外の実在を(たとえ数学的理念でも)
認めることを現象学者はできない。
なぜなら、主観と客観の間には永遠に断絶があるからさ。
君のように「外部世界の不可犠牲は絶対に疑えない。ゆえに外部世界がある」
なんてアホなことフッサールが言うわけないだろw
何回言っても理解できないお馬鹿なはじめちゃん(藁 >603
>>607 このクソ馬鹿!フッサールだって竹田だってアメンボだってみんなまずもって、
外部世界の存在を肯定してんだよ!だから困ってるんじゃないか。論理的に
証明できないことを。
みんなが最初から外部世界を否定してたら現象学なんていらないし、そのまま
ないままで万事OKなんだ。なんでみんながこれだけわいわい騒いでるのか
わからないのか?
言葉をすりかえて肯定でも否定でもないなどと、ごまかそうとしやがって。
外部世界の確実性は現象学の結果というより、ほとんどの人間にとっての
自明の理なんだよ。
それと卑怯なまねはやめてコテハンで来い!
609 :
考える名無しさん :03/09/08 21:17
自 然 的 見 方 と 超 越 論 的 見 方 の 違 い を 少 し は 勉 強 し て き な さ い (プゲワラ
610 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/08 21:17
いくらなんでもアメンボには無理がある(ワラ
611 :
考える名無しさん :03/09/08 21:18
>ほとんどの人間にとっての >自明の理なんだよ。 これが外部世界の実在の根拠ですか?(プゲワラ
612 :
考える名無しさん :03/09/08 21:20
で は 、 コ ペ ル ニ ク ス 以 前 は 地 球 の 周 り を 太 陽 が 回 っ て い た の で す ね (プゲワラ
>610 DQN (w
614 :
考える名無しさん :03/09/08 21:46
はじめは ま た 逃 げ た の か (プゲワラ
ばかばかしい。コテハンでちゃんとした内容の奴しか、もう相手にせん。
616 :
考える名無しさん :03/09/08 21:55
さすが、相変わらず 逃 げ る の だ け は 得意ですね?(プゲワラ
まあ、はじめは自分の都合の悪いレスはスルーするからな。 だいたい匿名啓示板で、名無しにはレスしないって(w
はじめ君はもっと謙虚にテキストを読み込んだほうがいいですよ
619 :
考える名無しさん :03/09/08 22:12
現象学初心者です。 非客観主義を承認すれば必然的に<真理の存在>(真知が否定されることは理解できます。) は否定されるのでしょうか?
で、客観を認めないから何なの? 何かメリットあんの? 竹田もそうだし信者の発言も読むとドクサに凝り固まっているだけで何の実効性もないじゃん。 単に「原理はこうである。こうあらねばならない。」と「自分の正しさ」を切々と訴えるだけで終了。 何それ?
竹田氏の著作を読んで違和感を覚えたのは、真知と真理を混同しているように 思えたからです。
622 :
考える名無しさん :03/09/08 22:53
>>620 わからないならわからないと素直にそういいなさい、と小学校の先生に言われませんでしたか?
623 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/08 22:54
「わからないならわからない」(ワラ
624 :
考える名無しさん :03/09/08 23:47
しょうもねえなあ。でも確かに、竹田現象学って、 ちゃんと理解しようとすると、理路としては複雑なんだよ。 だから、哲学初心者にはある意味騙して売っているようなもの。 アンチはそこまでして分かりたくねえよ、って言う人が多いだろうけど、 フッサールだけでなく、直接間接の後継者たちの著作を色々読んでみると、ピンとくるかもしれない。 もちろん、みんなが独自の解釈でそれぞれの「(実践)現象学」を展開してしまっているんだけど、 彼らがフッサールから何を受け取ったかがわかると、竹田の議論も見通しがつけやすくなる。 実は竹田はそんな突飛なことを言っている訳ではないし、アカデミズムから批判されている理由と、 初心者が「怪しい」と思う点は全く次元が違ったりする。 周囲を固めずフッサールだけ読んでいても、なにやら秘教的な世界に凝り固まってしまって、 なぜ「現象学」という分析枠組みが出てきたか、という肝心の問題を理解せずに、 あれこれ解釈することになってしまうよ。
625 :
厨房 ◆TDFFzP5Uj. :03/09/08 23:49
解釈の違いですか?(ウイイレより(ワラ
626 :
考える名無しさん :03/09/08 23:49
偉そうな文体の割には、君なんにも言ってないね >624
>>624 見ろ、騙されて買ったやつが怒っているじゃないか。
629 :
考える名無しさん :03/09/08 23:58
624は白痴決定!!
まあ竹田の文体ですらこれだけ誤解されるわけだから フッサールが誤解されたのも無理はないわな。
>>619 一応これには答えておこうかな。
<真理の存在>は否定も肯定もされないってことです。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
エポケーというのは「不確実なものは存在しないものとして扱う」ことだけど、
ここからすでにニュアンスが分かるように、「とりあえずないものとしてあつかう」
なぜなら「わかんないから」ってことなんです。
もう少し付け加えると、真理が存在したとしても、それは人間にとっての真理でしか
ありえないという側面も加えて理解すべきでしょうね。
竹田氏は、あくまで’主観は主観の外には立てない’という原理ですよね? つまり客観世界という概念は共同主観による幻想であると。 でも、それは竹田氏の幻想であるという理屈も成り立つ。 相対主義は個人的に嫌いだけど、「’主観は主観の外には立てない’から 客観世界という概念は背理である」と言い切れるのかどうか・・・・。 ただ主客問題を解決する為には現象学的思想は有効だと思います。
>>632 というより、客観世界(物自体)は原理的に背理である、
ということじゃないですか?
<内>と<外>という認識論的な概念の性質を考えると分かると思います。
主観の外に立てる主観はすでに主観ではないので、定義的に<外>には立てないのです。
>>631 その説明はシンプルで解り易いですね。
確かに現実は基本的に大部分が非知的ですからね。
>624 RES有難うございました。 私の言葉が足りないようなので、補足します。 例えば; 竹田氏が、寛容精神の本質として「関係のエロス」をあげています。 しかし私からすれば、それは何も説明していないことのように思えます。 寧ろ、人間的共感を持てない他者に対してこそ寛容精神は向けられるべきであると 考えるからです。 例えば、J.S.ミルの「可謬性からの寛容精神」、すなはち「或いは僕が間違っているかも しれないし、彼が正しいのかも知れない。」と考える時にはじめて寛容が動機付けられる のではないかと。 そして可謬性の判断についていえば、現象学的な「真知の不可能性」と確証不可能な「真理存在」の 想定をしたときに初めて可能になると思うのですが。 真知と真理を混同しなければ、竹田氏の主張する物事の多くはとても簡単に述べられる はずなのに、彼自身がそれらを混同している故に、「関係のエロス」などという回帰的な ものを持ち出さざるを得ないのではないでしょうか? と考えると、
竹田氏には、もっと「事物や世界の実在」に関して徹底的に細かく 考察した書物を書いてもらいたいのですが・・・・・・。
637 :
考える名無しさん :03/09/09 00:57
>>635 そんな難しい言い回しせずに簡単な言葉で簡潔に説明してくれない?
>631 なるほど、ありがとうございました。 認識論の次元からは存在論の問題は演繹できないということですね。 存在の問題を留保するのであれば理解できます。 >632 私も価値相対主義に賛同しません。
>>635 僕はそんなに竹田氏の本を読んでいるわけではないので、
もう一つ文脈をつかみづらいのだけど、「関係のエロス」というのは、
「他者の欲望を欲望する」っていう、ヘーゲル─コジェーヴ的なお話でしょうか?
「可謬性からの寛容精神」ということだけなら、カントで十分だと思いますし、
ミルの言っていることも当然正しい。似たようなことをアダム・スミスも言っています。
これらの言説は、皆がそれぞれ、現象学的に見ても妥当性が高いのです。
竹田氏があえて「関係のエロス」をより「本質」に近いと位置付け名指したのは、たぶん、
「或いは僕が間違っているかもしれないし、彼が正しいのかも知れない。」という発想自体が、
単なる論理的整合性への欲望、ないしは「愛知」といったものであるというより、
「僕が間違っていて、彼が正しいならば、僕の存在意義を脅かす、僕が他者から承認されることの
弊害になる、というところから来ている、と解釈しているからではないかと想像されます。
640 :
考える名無しさん :03/09/09 02:09
関係のエロスというのは悪く言ってしまうと「馴れ合い」とか「まあまあ」 みたいなものにもなりうるもんでしょう。 身体性から自我(関係性)への快(エロス)のポジションが移動したものですから。 ヌクヌクとした関係やらベッタリした関係やら色々あるんでしょうが。まあこの ヌクヌク性などにどう真、善、美が関わるのか良くわかりませんが・・・
良スレに軌道が戻った・・・
なんかスゴいレスの数ですな……。
ところで、はじめくんの疑問って何だったんだろう?
>>572 >論理的にそれ(主観外の客観世界)を証明できないことも事実なんだ
これを読む限り、分かっているんじゃないの?
でも
>476,477や522で散々スカタンなことを言っていた死刑囚。
>は自分の間違いに気づいたのだろうか?
とか言ってるし。
あと、
>私が素朴に疑問を抱いた点は、ハイデガーでさえその点を現象学の弱点ととらえ、
>解釈学という新概念を創りだした本質直観では説明不可能な「不安」や「死」に関わる
>情動的なことだ。
と、読んでる方が恥ず(ry
ま、ちょいと時間が空いたんで、ガキ以下の、サルでも分かるように書いてやろうと
思ったけど……ま、自信満々で書き込んでいるみたいなので、オレのレスは必要ない
みたいね。はじめくんは独り相撲をとっているみたいだけど、疑問が解決されたのなら
それでいい。
他の人も分かっているとは思うけど、竹田の理路からいくと当然、現象学では、
徹底して主観に還元して考える視線と、従来通りの主客構造で考える視線の、
二つの視線がでてくるわけだね。
論理的には勿論、前者の方が正しい。しかし、後者は利用可能性の面から言って、
排除しても意味がない。
そういう懐の深さを現象学は持っているんであって、例えば後者の視線ばかり
が重要視され、科学などへの底抜けの信頼感が招いている『危機』を、なんとか
しようという問題意識の上で、フッサールは考えている。
普段我々は後者の視線で生活しているわけだけど、そのなかで様々な問題に
遭遇して悩んだりすることがある。そう言うときに前者の視点で考えてみる。
そういう目的意識があってこそ(←ココ重要)、初めて竹田現象学というのは
意味を持つのであって、世界の真実を明らかにしようとかいうんでは無いんだね。
>>483 で分かり易く書いたつもりなんだけどなぁー。
で、客観があるとかないとか言ってる時点で「主─客」構造でものを考えている
証左なんだというオチがつくわけね。
まあ竹田自身もその考え方に微妙なニュアンスの変化があって、例えばそれは
ヘーゲル評価なんかに顕著にでてるね。形而上学を恐れるなみたいな。
死刑囚さん、解説有難うございました。 私も客観主義を否定する現象学のエッセンスはだんだん理解出来てきたように思えます。 「主-客」の構造で見ることが、論理的には否定されるにもかかわらず、「意味が ある」から(私はここに真理存在の想定の構造を見ます。--このこと自体は非客観 主義と論理的に<矛盾>しませんよね?)、判断を留保しつつ、この構造の見方を 暫定的に支持もするわけですよね? で、あるとするのであれば「客観主義」が論理的に退けられるからといって、意味論的 判断に偽を唱えることは、アンフェアーではないでしょうか? より直截的にいえば、客観主義自体の真偽判断も、(裏返せば非客観主義自体の 真偽も)現象学的論理的要請に従えば<留保する>ことが現象学の正しい態度では ないでしょうか? 私の読解が間違っていなければ、>632(小浜)さんにより近い立場を私も取ら ざるを得ないのですが。
しつこくて申し訳無いけど・・・。
>>643 客観があるとかないとか言ってる時点で「主─客」構造でものを考えている
証左なんだというオチがつくわけね。
「主─客」構造でものを考えるというのは、それこそ自然的態度であってある意味
あたりまえのことだけど、でもいろいろな事情(?)によって、現象学においては
徹底して主観から考えようということですよね?でもそれは、あくまで方法論と
いうことではないですか?
現象学者といへども普段は自然的態度で生活しており自分の外の世界は
(証明はできないにもかかわらず)あると思っている。
「外の世界?やっぱあるんじゃないの〜。」みたいな。フッサールや竹田も
いちいち断りはしないけど聞かれりゃそう答えるんじゃないでしょうか?
>>535 で引用されてた「危機」の72節でも「私が純粋な現象学者である時間には」
ってことわってるし。
646 :
考える名無しさん :03/09/09 22:30
現象学もカントの認識論のテーマを引き継いだものでしょう。 例えば主観から独立した物自体の認識不可能性とか。
それぞれの意見や世界観や価値感などについては現象学の方法は 有効だと思うんだけど、事物の存在や世界の実在などについては 疑問が多いんだよね・・・・。 例えば」100億年前の世界は実在していたか」という問いに 竹田氏は「過去の世界の実在は否定しないが、あくまでも推論 にすぎない」という言い方をしてるんだよね。 主観ー客観問題の矛盾を解くためには仕方ない言い方だとは 思うけど、そういう言い方って、あんまり納得できないよ
なるほど。存在論の問題は、認識論的次元では解決できないから、徹底的に 留保するわけですね。 このことを忘れずにもう一度読んでみることにします。
で、「主観−客観問題」の矛盾を「解いた」からどうなの? そもそも何で「主観−客観問題の矛盾」を解かなければならないんだ?
650 :
考える名無しさん :03/09/10 00:00
古くから「不変の実体」とか「仮象」・「一致としての真理」・「絶対確実なる根拠」 とかが伝統的問題だったからでしょう。
>>649 君は哲学センスないから、とっとと公文でもしていなさい
なりを潜めていた死刑囚。が出てきてるね。そんなに意地をはって自分の
間違いを改めないのは見苦しいよ。以前の強気はなりを潜めて何だか
ソフト路線で話をすりかえにかかっているようだが、過去レスに遡ってもう一度
君の大間違いを指摘してみようか。
賢明なこのスレの読者なら過去からじっくり読めばわかるとは思いますが。
>>645 あなたは言う事は正解です。
>>650 「伝統的問題だったから」解く?
何だ、そりゃ?
そこに引っ掛かる動機は何だって聞いてんの。
で、一面的な論理を以て「主観−客観問題の矛盾」を説明したから何なの?
654 :
考える名無しさん :03/09/10 00:24
>>653 元の動機は「生死」「世界」などへの驚き、疑問、成り立ちを知りたい
などなどではないですか。
日常的には主客問題の解明もビッグバンも相対性理論もへったくれもないでしょう。
655 :
新厨房 ◆9T9/WEZCbY :03/09/10 00:24
>>653 君は哲学センスないから、とっとと公文でもしていなさい
)プッ
>>654 だから『「生死」「世界」などへの驚き、疑問、成り立ち』の何が「わかった」の?
「わかった」らどうなの?
657 :
考える名無しさん :03/09/10 00:35
>>656 物事の解明はそれだけでも意義のあることでしょう。
何かの役に立つかどうかは別ですが。
658 :
考える名無しさん :03/09/10 00:36
純粋な知的好奇心って君にはないんだろうね >653
659 :
考える名無しさん :03/09/10 00:37
20 名前:新厨房 ◆9T9/WEZCbY :03/09/10 00:33 そろそろトリップ使い分けるの疲れてきたな・・
660 :
新厨房 ◆9T9/WEZCbY :03/09/10 00:38
やめてくれ〜〜〜 ばればれだよ〜〜(プゲキワラプップ
だから『「生死」「世界」などへの驚き、疑問、成り立ち』のいったい何を「解明」したんでしょうね。 物事をごく一面からみて説明するのってものすごく簡単なことですよね。
662 :
考える名無しさん :03/09/10 00:43
>>661 解明しようとすることと解明したとは別のことですね。
663 :
新厨房 ◆9T9/WEZCbY :03/09/10 00:44
>>661 このような中卒ヒキコには一生学問の意味はわからん、わからん(w
ぶりっ
664 :
新厨房 ◆9T9/WEZCbY :03/09/10 00:45
無理せずに、土方のバイトに精を出しときなさい ぶりっ
じゃあ「解明」してはいないんですね、全く。
666 :
考える名無しさん :03/09/10 00:50
>>665 多くの問題が哲学のテーマから科学のテーマになり解明されて来たのでは
ないですか?
は? 今は「(竹田)現象学」の話をしてるんだけど。
668 :
考える名無しさん :03/09/10 00:56
>>667 主客問題は竹田現象学だけのテーマではなく哲学一般の問題です。
669 :
考える名無しさん :03/09/10 00:59
ノンノンノン 竹田現象学だけのテーマです。
「主客問題」の矛盾を「解明した」んですか「解明しようとしている」んですか? いったいどっちなんですか?
671 :
考える名無しさん :03/09/10 01:04
>>670 現象学で解明されたとは言われてませんね。
そうですか。 このスレの信者の言い分を聞くと「主客問題」の矛盾を「解明した」と言い張っているように思えるんですけどね。 まあ、いいや。 俺は目の前のコップなんかどうでもいいから。 そんなのただの言葉遊びにしか思えませんね。
673 :
別スレ645 :03/09/10 02:24
>>652 はじめ氏
ありがとう。
>>606 のレスを読んであなたのファンになりましたw。
コテハンに対するこの態度の違い!!ワラタヨ。
このスレでは、あなたや死刑囚。氏はちゃんと話せばわかってもらえそうで良いですね。
ところで、
>>645 は必ずしもあなたの論旨への賛同のレスではありません。
名前間違えた・・・。おまけに切れてるし・・・。
675 :
考える名無しさん :03/09/10 02:43
本の知識で 知ってるつもり 事件は本の中で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!
’「痛み」が何故あるか’という問いに竹田は「生理的な説明は仮説である」 と非難してるけど、俺は生理学的な説明の方が説得力あると思うけどな。 竹田は痛みの意味に関して、「誰々に怒られたとかいう意味を補って 初めて痛みとして認識できる」とか言ってるけど、俺は「身体が危機的 な状況ですよというサインとして痛みがある」と思ってるよ。 竹田の嫌う’仮説’や’オトギ話’は侮れないと思うけどね。 まぁ、主客問題の矛盾を解くという場面でだけは竹田の言ってる事は 意味があるとは思うんだけど。
677 :
考える名無しさん :03/09/10 19:59
現象学は、あくまで主客問題の矛盾を解くという目的です。 ですから事物の実在に関しての議論については歯切れが悪くなります・・・・。
>とにかくこの理屈は483で言った「主観─客観」のアポリアを解くためにあるのね。 >時間や空間の謎、あるいは言語の自己言及性、仕舞いにはマルクス主義に >至るまでの西欧哲学全体への懐疑という問題から、とうとうデリタなどの登場に >よって生じた主体批判みたいな潮流によって、人間の理性自体が批判に晒され、 >それによる、言葉遊びみたいなまったく意味を為さない議論が現在まで続いている。 「言葉遊び」を別の「言葉遊び」で批判して何になるの? それにしても「デリタ」ってダリタ?
679 :
考える名無しさん :03/09/12 11:30
地球上の全ての生物が滅亡したとしよう。 そしたら残った地球は在るがままの姿として存在するか否か。 竹田現象学は’それぞれの欲望(生への関与性)によって世界 は存在する’って事だから、欲望する主体(生物)が滅亡した ら、世界も存在しないって事になる。 でも地球それ自体の’実在’は?
680 :
考える名無しさん :03/09/12 12:23
死んだあとのことなどわかるわけがないし、どうでもいい。
>>679 の問いは現象学に対する素朴な疑問ですが、
・主観内の現象としての「客観性・世界・世界学」(フッサール)は否定しない
・主観外の客観世界は否定する(というか主観外という想定が背理)
とすると、
>欲望する主体(生物)が滅亡したら、世界も存在しないって事になる。
>でも地球それ自体の’実在’は
「生物がいなくても世界はあるよなぁ」というのは「主観内の現象」です。
生物がいなければその現象自体がありません。
といっても、多分伝わらない人には伝わらないような気もします。
人間(高等生物)というのは、非常によく出来ています。五感をセンサーと
すると、非常に高度なセンサーで脳に情報を伝え脳で情報を統合すると不都合
なく生活していけることができます。水準としては高レベルなものです。
(何か客観的な言い方ですが)
その五感自体は人間間であまり差異はありません。(若干差異はありますが)
だから客観自体を想定してもあまり困るようなことは起こらず、共通認識とし
て成立します。
しかし、五感を取り除いていくとどうなるでしょうか?
人間(生物)に視覚・触覚がなければ、物の存在を把握することができません。
何かにぶつかっても、ぶつかったこと自体がわかりません。
五感がない世界で、世界(客観世界)とは何でしょうか?
といっても、何か伝わらないような気もすることも確かです。
それは現存在を否定していく思考だからかも知れません。
>>681 おっしゃる事はわからないでは無いんだけど・・・・・。
どちらにしても欲望する主体が居なくなると、存在という概念
自体が無意味になるという事ですよね。
ところで宇宙には意思があるのでしょうかねw
683 :
考える名無しさん :03/09/13 00:29
>>679 >>681 生物全体でなくても、毎日誰かが死んでいるし自分に近しい人も死んでいる。
それでも世界はなくなっていない。前と同じ様にあり続けている。
認識していた主体である誰かが死んでも関係なく世界はある。
684 :
考える名無しさん :03/09/13 01:33
>>679 人間中心なら、○。
しかし、地球の歴史を現在の科学の水準が
措定するんを、認めるなら、×。
つまり、唯物論的か、観念論的か。
の話であり、竹田青司は時代背景からして、
無意識のうちの観念論。
もちろん彼の真摯な態度は称賛に値するがな。
真理の前では謙虚がいる。
これには、竹田も禿同だろう。
>>683 僕も、それが言いたかったんですよ!
世界を規定する主体が滅亡しても地球(宇宙)は’実在’
し続けると思うのですが。
>>684 すみません・・・・バカでもわかるような説明に変えて
もらえませんか・・・?
ちなみに僕は竹田思想は好きだし、基本的には共感して
るんだけど、事物の実在に関する部分に関しては現象学
では納得できない部分もあるんだよね・・・・・。
まぁ、僕の竹田理解が浅いのかもしれないけど
686 :
考える名無しさん :03/09/13 02:04
>>685 竹田青司は、在日の宿命を抱えながら、
それを、超克すると同時に、普遍的な地球人としての
あり方を追求してきたし、おそらく、今もそうだろう。
若い頃、難解な哲学に、まじめに取り組もうとして、
高円寺あたりの安アパートで、同志を集めて、
哲学の伝統潰えて久しい、この日本の東京で、
密かな内面を見つめながら、研鑽をした。
その備忘録が、彼の一連の哲学啓蒙書であり、
かれが、おそらくは、仕上がりに満足はしてないと思えても、
真摯な態度が行間にあふれ、読むものの襟を正す。
唯物論か観念論か。
哲学は、本人がどう主張しようとも、この2つの範疇に
分類されるのが必然である。
それはわかって待つか?
687 :
考える名無しさん :03/09/13 02:15
見えても手に触れなければ無いというだろう。 見えずとも手に触れれば有るというだろう。 視覚的世界のイメージであるなしを語るのは多分間違いなのだ。
688 :
考える名無しさん :03/09/13 02:19
>>687 というか、人間の感官が、個の変動はあるにせよ、
自然を認識できるか、
ということが問題なんです。
そして、認識できるとして、その証拠はどこにあるの、
誰か見たんか!ということが次の問題ですよね。
689 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/13 02:22
証拠がなければ存在しない(ワラ
690 :
考える名無しさん :03/09/13 02:23
>>689 そうか、納得する答えに出会ってませんね。
かわいそうに・・・
691 :
DQN ◆DQN.TxIIOE :03/09/13 02:24
マジレスされると困る(ワラ
692 :
考える名無しさん :03/09/13 02:24
感官だけが存在を確認できる。認識と同義じゃないが。
693 :
考える名無しさん :03/09/13 02:27
可哀想なのはお前 (ワラ
694 :
考える名無しさん :03/09/13 02:32
>>693 おまえ、芸がない脳・・・
もう少し、ひねらんとギャラリーから笑われるぞ。。
今のところ、、、
683 :考える名無しさん :03/09/13 00:29
>>679 >>681 生物全体でなくても、毎日誰かが死んでいるし自分に近しい人も死んでいる。
それでも世界はなくなっていない。前と同じ様にあり続けている。
認識していた主体である誰かが死んでも関係なく世界はある。
それじゃあ、現象学徒はせっとくできないよ。
「俺」が死んだわけでないし。
>>696 他人が死んでも世界がなくなっていないのは事実だ。自分が死んで世界がもし
なくなるのならこの世界は自分のインナースペースだったことになる。自分に
とってはなくなるが、他人にとってはあり続けるなどという二枚舌はやめてほしい。まさに死んだあとのことなどわかるわけがないしどうでもいい、だ。哲学の範疇
ではない。何をどう考えてもドクサの域を出ない。
現象学徒やらには679のような質問に答えられるのか?
698 :
考える名無しさん :03/09/13 12:03
もっと輪廻店主を楽しまなくッ茶
699 :
考える名無しさん :03/09/13 12:08
人が死んでも世界はあるにきまってんじゃん。 馬鹿じゃねえの? こんなのがわからんというのはなにか醜い幼児体験でもあったのかなwww 気の毒といえば気の毒だが、匿名掲示板上ではただのマヌケなんだよなー。
700 :
考える名無しさん :03/09/13 12:20
結局、現象学は主客問題を解くためだけにあるような気がするんだけど・・。 「戦略的に独我論の立場をとる」とかいう言い方が象徴している。 つまり主客問題マニアの為の言葉遊びという感も否めない・・・・。 現象学にハマればハマる程、「哲学的ペテン師に上手く騙されてるのではないか」 という思いが頭を過ぎってしまう・・・。
>>697 あほやなぁ
>他人が死んでも世界がなくなっていないのは事実だ。
それがドグサっていうんだよ。無理して哲学用語使わないていいよ、坊やは。
>現象学徒やらには679のような質問に答えられるのか?
現象学徒でなくとも誰でも答えられんだろうが。
お前は死んだことあるんかい?
自分の死と他人の死を同一視するそのナイーブな坊やはママのおっぱいでも吸ってなw
まぁうまく伝わらないものですね。解る人にはスッっと入ってくると思いま すが・・・深追いはしません。 誤解とペテンと言われるのを承知で簡単に言っておくと、 ・「私(人)が死ねば世界はなくなる」というのは全く誤解。 「私(人)が死ねば、私(人)にとって、「世界はある」という「現象」が 生じなくなる」 「人が死んでも世界はあるにきまってんじゃん」勿論私も他人もそう思っています。 ・私にとって「他者」は超越。私が死んでも「他者」がxx思うだろうというのは、 勿論、私が間主観的に想定しているに過ぎません。
つまり現象学は、仮説や物語を徹底的に排除するってスタンスでしょ?
705 :
考える名無しさん :03/09/13 19:21
コンノケンイチ流のスカタンか
「モグサ」じゃなくって?
709 :
考える名無しさん :03/09/13 20:22
現象学の構図に疑問があるが 1.主観内部に客観を含む一切合財を想定するような構図なのか? それとも 2.暗黙のうちに外部を想定してしまっている(つまり外部と主観内の外部像みたいな)のか? または1でも2でもないような構図なのか?
>>702 お前は知傷か?
他人が死んでも世界がなくならないのはドクサじゃねーよ。事実だよ。カス!
しかも「ドグサ」ってなんじゃ?無理して哲学用語を使うなだって、、、死ね。
>現象学徒でなく〜吸ってなw
全部お前のことじゃ、知恵遅れ!
竹田さんが、このスレ見てくれてたら嬉しいんだが。 このスレに出てくる質問に答えて欲しいもんだ。
竹田で〜す。みんな元気〜?
はじめに反論されるだろ?それ竹田の真意じゃないってw >711
竹田が展開する独我論がこういう場に堪えられるわけはないでしょう。
715 :
考える名無しさん :03/09/14 12:56
「朝まで生テレビ」で’主客問題’ってテーマで討論してほしいなw 司会は誰がいい? パネリストは、竹田、岸田秀、中沢新一、小浜逸郎、古館一郎 社会学者の宮台、大槻教授、UFO研究家の人 全国の素人哲学研究家代表者、タレントの松尾貴史 ビートたけし、上岡竜太郎、立川談誌
(673続き)
あなたは議論の中で、
(1)現象学者が日常生活において外の世界を認めてるか否か。
(2)現象学それ自体として外の世界が認められてるか否か。
の二つのことを言ってるんだけど、それが他の人にうまく区別されて無い様に思う。
あなたは(1)は勿論〔2〕においても最終的には是とされているという主張だよね。
(1)に関しては、あなたの『イデーン』の引用にあるようにフッサールが外の世界を
認めてるのは間違い無い。普通に考えて「完全に疑いを容れない」ってのは「認める」ってことだよね。
別にそのことでフッサールが客観主義者だって主張がされているわけではないし。
だからそういう意味ではあなたが正しくて他の人が間違ってる。
で、あなたは(2)の現象学自体においても「外の世界は認められてる」って主張だよね。
そこんとこは正直わからない。私はフッサールは一冊も読んでない(わはは)し、
竹田も『現象学入門』を拾い読み(!)したぐらい。なので(2)の是非に関しては判断できない。
必ずしもあなたに賛同しているわけではないというのはそう言う意味です。
(竹田の『現象学入門』はチョット微妙だな。どっちとも取れるような感じだよね。
拾い読みしただけだがw。)
私の印象では、
>>645 に書いた様に現象学を単に方法論として捉えるならば独我論を貫徹するのが理にかな
ってると思う。ただ、方法論以上のものとして捉えると話は違ってきて(1)(2)の区別すら取れなくなってくるよね。
しかし議論においてはその区別はされるべきと思うわけです。アク禁くらってる間にスレの流れが変わったけど一応続きなので・・・。
>644-645 現象学では「客観」は「客観像(ノエマ)」という概念に置き換えられるの。 現象学が否定しないのは「客観像」の方。主観に現れる客観像は否定しない。 というか否定出来ない。 でも、「客観」の方は否定する。否定せざるを得ないから。 だって厳密に認識論を貫徹すれば、無いですもん。「客観」なんて。 今、みんなの前にある「パソコン」を眼で見て、触って、「在る」と確信しても、 それが『マトリックス』の世界だということを否定する根拠を論理的に言うこと は誰にも出来ないわけだからね。 しかし、『マトリックス』の世界で何が悪いという開き直りと、メリット主義が 現象学の考え方から導き出せるんです。 ソレが幻であろうとなかろうと、「私」にとってはどちらでも同じだからです。 『攻殻機動隊』でも、草薙素子が自分の脳は作り物なんじゃないかと悩むシーンが あったけど、同じだね。悩む意味はあまりない。 でも、客観が「主義」になっちゃうと、これはあまり肯定できるものでは ないですな。何を考えるにしても、ロクな事にはならない。 世の中はいまだ、こういう理路が支配的だけど。
このスレでは現象学は結局の所、「客観」を認めているのか、いないのか というところで色々議論があったみたいだけど、多少は整理できたかな? 「ノエシス─ノエマ」「超越─内在」という現象学用語の意味を理解する ことが大切。ま、そんな言葉習い覚えんでも、「客観像」ということが 分かれは事足りるんだけど。
>>647 >それぞれの意見や世界観や価値感などについては現象学の方法は
>有効だと思うんだけど、事物の存在や世界の実在などについては
>疑問が多いんだよね・・・・。
気持ちはわかるけど、「もの」と「こと」って明確に区別すること出来ないよ。
現象学的な違いはあまり無くって、後者の場合、そこに「他者」がかなり侵入
してくるということかな。
むしろ、前者の方が考え方としては単純。
だから後者が理解できるなら、前者も出来る。
貴方が疑問に思うのは、恐らく、その単純さゆえのバカバカしさなんでしょう。
あんま深く考える必要ないよ(笑
モデル思考というのはバカバカしいものです。
>>652 しつこいぞ、こわっぱ。
素直に、汝が導師であり先達である者の声に耳を傾けよ。
お前らみたいなモン追い込んでも、オレには面白くもなんともない。
>>672 言葉遊びじゃなく、ものごとを単純化して考えている。コレ哲学の基本。
形式的な追い込みによって矛盾を作り出すという、言葉遊びを回避する為に、
「主客構造」の解明がある。わかったぁ?
うーん。 なんか「主客構造」の矛盾を解く理由が分からないのが多いみたいだな。 いまさらだけど、オレも死刑執行が近いんで教えといてやる。 人間は長い間これまで(恐らくこれからも)複雑で難解な問いを様々に 発してきて、その解答が得られずにいるわけだ。 しかし、解答が得られない理由は、その問題の裏に「主客構造」を前提にした 考えがあったからなわけ。 で、この矛盾を解くのは難解だったけれど、解いてみれば形式的な、どうでも いい矛盾だったんだ。にもかかわらず、この矛盾を根拠にもっともなことを 言う輩が、今までも、これからも沢山でてくるわけ。 今でいえば「バカの壁」とか言ってね。 だから重要なのよ。「主客」の矛盾を解き、「主」と「客」が非対称の関係で あることを言うのは。 オレたちが「客観」と言うとき、それは常に「客観像」として「主観」の中に 存在しているに過ぎないんだ。 絶対的な「客観」というのは「主観」によって想定されることはあるけれど、 それは竹田曰く「無限大∞」という概念と同じで、想定はされるけど、存在は しないんだな。
>本の知識で
>知ってるつもり
>事件は本の中で起きてるんじゃない!
>現場で起きてるんだ!
養老孟司なら、いや違う。脳の中で起きているんだ、とかいうだろうな(笑
>>716 ぷららでつか(笑
あと、おまいらが死んでも世界は無くなりませんので心配無用(笑 世界があるだとか無いだとかは、現象学にとっては眼中に無いです。 それが証明できないからだけではなく、それが現象学の生理だから。 現象学の生理とは、自分にとって意味のある世界しか相手にしないこと。 世界なんて存在しなくてもいいんです。自分の中に世界が確信されていれば。
はじめ来ないなあ。ぷららかなw。
>>723 >現象学の生理とは、自分にとって意味のある世界しか相手にしないこと。
そういう言い方してくれると一番納得できるかも。
あくまで’主観(欲望する主体)にとって’という視点
を徹底するという事だね。
727 :
考える名無しさん :03/09/14 23:05
中立化と否定は同じことなのか?>死刑囚
>>720 ぷっ、自分で自分のことを導師で先達だって言ってるよ。
だいたい導師ってのは僧、葬式のときの坊さんだぜ。(笑)
ならば皆に一つ問いたい。独我論とは一体何だ? 現象学は独我論そのものか、否か? もし否なら何処が独我論とのちがいだ。答えられるか?
↑あ、それは俺も聞きたい(^^)。 ついでに独我論だと不都合な理由も。
みんなは本当の本当に真の意味で、実在するのは自我だけで外界の事物など は自らの意識の内容にすぎないなどと、本当の本当に思っているんだろうか? どうなんだ? 確かにそう考える事は可能だ。外界を論理的に証明する手立てもない。 しかし本当の本当のところはどうなんだ。そう考える事に違和感はないのか? 私は違和感がある。フッサールや竹田もそうだ。独我論はまちがっている。だから現象学という方法論があみだされたんだ。 なぜ我々人間は独我論に違和感を感じ、間違いだと思うのか。 もし独我論を受け入れ外界を断絶することになんの違和感も感じず、まちがい とも思わないのなら、現象学などいらないのだ。一生独我論で幸せ者じゃ。
こいつアホ?
733 :
規制されてます。=初心者 :03/09/15 00:11
独我論についてですが、 哲学的議論である以上、「そー思う」で 済ますことはできません。 どんな直観であっても 論理的に問題があれば、却下せざるを得ません。 数学者でもあったHussellがそのことを理解していたのは 当然でしょう。現象学を考えるにさいしても この点を慎重に見極めなくてはいけません。
734 :
考える名無しさん :03/09/15 01:06
現象学って、方法として独我論から出発するという発想だよね? だから’実在’を否定しているわけじゃないと思うのだが。 あくまでも主観にとっての意味としてしか存在しないと言っているのでしょうね。 そして我々は主観から外に出れないので’客観’というのは背理であると。 更に、それ以上の議論に踏み込んでも意味は無いというスタンスなのでしょう。 つまり物語やオトギ話は語らないという徹底した決意がある。
アホだな、確かにw
>>735 あなたは竹田さん本人ですね。
なぜ雲隠れしてたんですか?
737 :
規制されてます。=初心者 :03/09/15 01:19
734さんに。 方法は論ではありません。ですからHussellの方法論は独我論を前提にしていません。 もし前提にしているのであれば、諸科学の基礎付けをしているHussellの哲学は 独我論を否定している以上、全体として帰謬法となってしまいます。 また超越論的独我論と(いわゆる)独我論との差異を考慮に入れなければならない といてんからも、734さんの主張は無理があると思います。
738 :
考える名無しさん :03/09/15 01:33
どうでもいいがフッサールの綴りが間違ってる。Husserl。
740 :
考える名無しさん :03/09/15 01:46
いちいちHusserlなんて書かないでカタカナで書けよw
>>721 >人間は長い間これまで(恐らくこれからも)複雑で難解な問いを様々に
>発してきて、その解答が得られずにいるわけだ。
>しかし、解答が得られない理由は、その問題の裏に「主客構造」を前提にした
>考えがあったからなわけ。
>で、この矛盾を解くのは難解だったけれど、解いてみれば形式的な、どうでも
>いい矛盾だったんだ。にもかかわらず、この矛盾を根拠にもっともなことを
>言う輩が、今までも、これからも沢山でてくるわけ。
お前の言い方だと「主客問題の矛盾」は「解明されている」わけだ。
で、その立場から、「主客構造」を前提にした「複雑で難解な問い」のうちでいったいどんな問題を具体的に「解いて」いるわけ?
742 :
考える名無しさん :03/09/15 11:14
結局のところ現代日本最強の哲学者ってやっぱ竹田なの? 柄谷や東より上だろうし、中島や野矢よりも高級だろうし。
743 :
考える名無しさん :03/09/15 11:26
永井はどうよ?
744 :
考える名無しさん :03/09/15 11:41
永井はとっくにタケダにたじたじにされてるでしょ。
>規制されてます。=初心者(
>>737 )
もうチョット展開してくれないかな?
>>737 は間違ってると思うんだけどこれだけだと食いつきようが無いので。
ちなみに
>また超越論的独我論と(いわゆる)独我論との差異を考慮に入れなければならない
というのはどう言うこと?
それから俺も
>734さんの主張は無理があると思います。
には同意する(ていうか意味の無い主張だと思う)。
746 :
考える名無しさん :03/09/15 16:38
ところで現象学では対象から来た光が目に入って見えるということは 認めるのかな? それとも科学的な説明として採用しないということなのか?
747 :
考える名無しさん :03/09/15 17:27
むろんエポケーだ。
>>744 俺も金くれとついてきたホームレスにタジタジになりますた
749 :
考える名無しさん :03/09/15 18:33
>結局のところ現代日本最強の哲学者ってやっぱ竹田なの? >柄谷や東より上だろうし、中島や野矢よりも高級だろうし。 名前が売れているというだけで一緒に並べるなよ。カテゴリーミステイク。
750 :
考える名無しさん :03/09/15 21:49
最大のカテゴリーミステイクは竹田が哲学界にいることだろう。
いや竹田は哲学畑だと柄谷や東を論破できちゃうけれど、 その一歩外へ出ればあの永井均よりもバイタリティないって感じでしょw
753 :
考える名無しさん :03/09/16 06:36
>いや竹田は哲学畑だと柄谷や東を論破できちゃうけれど 一人も哲学畑の人間がいないぞ。メタバシス。
東の肩書きは哲学者だぞ。
個人的にどう世界を解釈しようとそいつの勝手だ。 が、その立場から、他人に向けて「こう考えるべきだ」とその解釈を押し付けることには大きな飛躍がある。 独我論では思考の対象にもならないが、コミュニケイションの場で問題となるのはその飛躍である。
>>755 そんなことはポストモダン思想でも言えることだし、渋谷に居るギャル
でも思ってることだw
「他人」の承認を得ようとするその飛躍が竹田的な独我論の限界を露呈させている。 主観において完結するはずの論理が何故「他人」の承認を必要とするのだろうか?
758 :
考える名無しさん :03/09/20 03:15
誤解も甚だしいなあ、、、
>>757 超越論的主観や間主観性の意味わかってる?
現象学に対する独我論批判は大別して次の2点に集約される。 (1) 現象学は外部実在を否定する (2) 現象学は他我の消えた「独我」の世界である この問題についてフッサールは「デカルト的省察」の第五省察で論じている。 (1)については 「超越論的還元は、私の純粋な意識の体験の流れと、その顕在性と潜在性によ って構成される統一体とに私を結びつける。統一体は私の我と不可分であり、 それゆえその具体的なあり方そのものに属している、ということは当然のよう に思われる」 とあっさり一言で片づけている。 (2)と比較して(1)の問題はフッサールにとっては自明ということである。 何故ならそれは「世界の存在」と同じ問題であり、「世界・世界性・客観性」 と「他者」の問題は同じ構造で自明というわけだ。 しかし、多くの独我論批判は(1)の点で躓き、一つも前に進まない。 この問題について竹田は「はじめての現象学」127pで割と明解に述べている。 「現象学が「基礎づけ」ようとするのは、人間にとっての世界の存在の不可疑性 の根拠ですが、これらの批判はそれを客観認識あるいは真理の基礎づけと取る のです。そこから現象学が方法的な「独我論」や「意識主義」を取るのか理解 できないわけです。 「客観世界」という前提を疑うことと、世界の実在を信じないことは全く違う ことです。また、絶対的な認識や真理があるのだと言い張ることと、実在の 「不可疑性を理解する」ということも全然違ったことです。この「不可疑性の 理解」ということが現象学の中心と言うことをはっきりと受け取ればこういう 批判はあり得ないものなのです」
では(2)の問題についてどうか? フッサールはこの問題について第5省察で延々と述べている。 まず「独我論という批判に対し、他者経験の問題を提示する」から始まり、 いかにして「私」が「他我」を(現象として)経験するかについて解説している。 しかし、竹田も言う通りこの説明はあまりうまくいっていない。 竹田もこの問題については「示唆」の段階で終わっている。 「いかにして「私」が「他我」を(現象として)経験するか?」 この問題について考えてみたい。 ケースA:熊の着ぐるみが目の前に立っているがじっとしていて動かない この場合、私はその熊に「他我」があるのか(人間が入っているのか)ないのか 区別できない。しかし、その熊が突然襲いかかってきた。このとき私は始めて その熊に「他我」を確信(直感)する。 ケースB:目の前に蚊が飛んでいる 私はこの蚊にも「他我(現象する主体がある)」を確信する。 ケースC:現在よりも(犬に近い動きをする)精巧なAIBOが本物の犬の皮 を着て動いている(この時点でAIBOとは私は聞いていない) 私は目の前の犬(AIBO)に「他我(現象する主体がある)」を確信する。 ケースD:目の前にロボットが立っていて動かない 突然「わっ!」とロボットが大声を出した 声を聞いて始めて私は「他我」を確信する。 ケースE:普段と同じように遊んでいたA子が突然倒れた 私はA子の意識がなくなった(A子は自我を失った)と感じた。 これらを見ていくと「私が「他我」を確信する」のは姿・形に関係なく、自律的 な運動(あるいは発語)を私が感じた時に生じるようである。
では何故「自律的な動き」を感じると「「他我」を確信する」のか? 「自律的な動き」→ 「自律的な動きをコントロールする主体が存在する(という確信が起こる)」→ 「「他我」が存在する(という確信が起こる)」 という説明でいいのではないかと思うが、如何に・・・・? 現象学は「あんさん、「1+1=2」「酸素は20%」っていうけど、 それを認識している主体があって始めて成立しているのお忘れでないかい? 対象の認識は必ず「ノエシス(意識作用)」−「ノエマ(構成された対象)」 こういう1セットの構図になっているんだよ。ノエシスのないノエマなんてあ り得ないし、対象だけ単独で取りだそうとするから誰も経験できない「絶対世界」 ができあがるんだよ」と言っているのだ。
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だから、そういう論理で考えることにどんなメリットがあるわけ?
>>762 >では何故「自律的な動き」を感じると「「他我」を確信する」のか?
一言で言っちゃえば、そこに己以外の“欲望”を感じるからです。
もっと正確にいえば、そこに欲望の存在を感じるから、「他我」が生じる。
そして、主体は「他我」を無視することができない。
己以外の“欲望”を無視できない。
間主観性の誕生というわけです。
>>764 客観的な理論、決定論者を排除できるから。
だから、何で「客観的な理論、決定論者を排除」することがメリットになるの?
誰のためのメリットなわけ?
>>741 でも問うてるんだけどさ。
その立場から、「主客構造」を前提にした「複雑で難解な問い」のうちでいったいどんな問題を具体的に「解いて」いるわけ?
フッセルにはワロタ
ソクラテスが棲むスレ
>>768 決定論者が身の回りに、あるいは国の中心人物に居たら迷惑でしょw
北朝鮮やイラクみたいな独裁は嫌だ(^o^)
すぐ「それって何の意味があるの?」と聞く人については、 ヘーゲルが『精神現象学』で類型化してましたなあ。 まあ、『ラモーの甥』にあるほどのウィットは、このスレの相対主義者にはないわけだが。 大方、浅羽の新書あたりでソクラテス的問答を学んで、試行中の大学一年生ではなかろうか。 哲学を理解するコツは、一旦は著者を信じてみて、必ずそこに何か意味がある(ヘーゲル的には「あった」) はずだとの前提で読んでみることなんだけど、食わず嫌いには、これが難しい。
773 :
考える名無しさん :03/09/24 22:56
>>771 キム・ジョンイルやフセインって「決定論者」なの?
そっからよくわからないんだけど。
で、仮にそういう奴が君臨する場所に居たとして、どうするわけ?
自分一人の主観内でそいつの論理を「排除」したから何だっての?
それに「独裁」って状態はそいつ一人の論理だけじゃ成立しないよな。
全然納得できる回答じゃないな。
>>772 お前みたいな「一旦は著者を信じてみて、必ずそこに何か意味があるはずだとの前提で読んでみ」て、
「それで終わり。」みたいなアホに、何が悲しくて「哲学を理解するコツ」を教授されなければならないのか。
俺には全く「意味」を感じられないものに、「意味」を感じている人間がいるからそれは何かと問うているわけで。
「竹田現象学」に全く「意味」を感じない俺を揶揄しているお前は間違いなく「竹田現象学」に「意味」を感じているらしいが。
まあ、説明を回避することでボロを出すことを免れようとするような人間に何聞いても無駄なんだろうけど。
で、「主客問題の矛盾」の解いた立場から、「主客構造」を前提にした「複雑で難解な問い」のうちでいったいどんな問題を具体的に「解いて」いるわけ? って問いが宙づりなんだけど、これの答えも期待できなそうだな。
「(竹田)現象学」の「意味」を説明する絶好の機会だってのに。
何も「死刑囚。」が答えなくたって構わないんだぜ、他の奴でも。
774 :
考える名無しさん :03/09/24 23:00
まじ竹田が最強なの?だとしたら俺には見る目があることになるんだが。
>>773 「一旦は」といっている以上、「それでオワリ」なわけないだろう。
「意味」ってのは、「自分にとっての意味」であって、他人に教わるものではないの。
そこを根本的に間違ってるから、揶揄されるのだよ。
>>773 分からないところを教えを請うのは全然いいと思うんだが、
たとえネットでも礼儀ってものがあると思うけどね。
なんで、そんなえらそーなのか俺にはさっぱりわからんがね。
一応言っておくと俺は775じゃないから
・うまい料理にはなぜ意味があるのか(食べられればいいじゃん) ・いい服を着ることになぜ意味があるのか(着れたらいいじゃん) ・人文科学の勉強になぜ意味があるのか(役に立たないじゃん) ・主客問題及びその解きほぐしになぜ意味があるのか(・・・・・・) 他人への「説明」がこういう場合、いかに無「意味」なことか。 「わたしにとっての意味」を一般化したとたん、それがいかに切実な意味を欠くことになるか。 自分で理解しようとせず、口をあけて「一般的説明」を待っている人間は、 ごちそうを目の前に、何一つ得られないってことですよ。
779 :
考える名無しさん :03/09/25 03:14
>>773 主客問題の矛盾はいまだかってきれいには、解かれていないよ。
現象学の意味は、ヘーゲルあたりまでの主客構造によって世界を認識しよう
としていた哲学の根本スタイルをがらっと変え、新スタイルで世界を認識しよう
とするフッサールの試みだよ。
竹田氏に言わせればこのフッサールの還元からくる妥当や妥協という概念が
もっとも世界認識の方法としてしっくりくると言ってるね。
柄谷の対談集ダイアローグの4巻か5巻あたりに柄谷との対談が載ってる。 文学と構成力という題名だったと思うけど、それほど厚くは無かったから立ち読みできる。
781 :
考える名無しさん :03/09/25 23:33
>>778 >「わたしにとっての意味」を一般化したとたん、それがいかに切実な意味を欠くことになるか。
お前、いいこと言った。
そこなんだよ。
独我論的に「世界」を感得して納得している。
そのこと自体に問題はない。
勝手にするがいい。
だが、その独我論的な納得が何で「一般化」へと向かうわけ?
俺が違和感を感じるのはまさにそこだ。
「わたしにとっての意味」を「皆にとっての意味」に摺り替えること。
それを他人に向かって押し付けること。
そこには大きな飛躍がある。
言うまでもなく竹田の言説の志向も同様だ。
いわく「〜ることが大事だし、〜が最も肝要である。〜が最も大事である。〜る必要がある。
これだけが、〜してゆく原理だから。〜があっても、〜する理由にはなりえない。
〜を批判する理由としてはいけない。そういう考えは思考放棄に近い。
〜るべきである。〜しなければならない。 〜る原理を取り出さなくてはならない。
〜を根本的な仕方で変更しなければならない。
その原理を創り出す必要がある。その可能性は必ずある。」
徹頭徹尾「わたしにとっての意味」であるはずのものが、何でいとも簡単に、
「社会においてはこうあるべきという『原理』」なる「一般性」に転換されるわけ?
その辺の脈絡に関する「竹田現象学」側からの説得的な言説が存在しないから、
他人にとって「それがいかに切実な意味を欠くことになるか」という話なんだよ。
782 :
考える名無しさん :03/09/26 03:13
>>781 お前は学問全般を否定するせんずり野郎だよ。
>>781 >独我論的に「世界」を感得して納得している。
竹田は知らないけど、普通の現象学者は独我論的に世界を
「感得して納得」してるから現象学の立場を取ってる訳じゃない。
この勘違いから君の疑問が生じてない?
>徹頭徹尾「わたしにとっての意味」であるはずのものが、
これが違う。(外部)世界を「(世界の)意味」に変換するとは、
己の意識の中だけに存在する世界へと限定したわけではない。
意識が「志向している」のは、あくまで意識を超越した世界なんだから。
変換された「(世界の)意味」とは、個人的なものでなく一般的なもの。
もちろん、その超越した世界については何も語らないし、 その実在の可否についても何も答えない。
超越した世界や実在の可否について語るという事はオトギ話と同じだからな。
786 :
考える名無しさん :03/09/26 15:50
>>781 って竹田思想のテクストを基本的に理解してるのか?
人に質問する前に己の創造力を使って竹田を読んでみなさい。
788 :
考える名無しさん :03/09/27 01:10
>>783 支離滅裂で訳がわからない。
何の説明にもなっていない。
>>徹頭徹尾「わたしにとっての意味」であるはずのものが、
>
>これが違う。(外部)世界を「(世界の)意味」に変換するとは、
>己の意識の中だけに存在する世界へと限定したわけではない。
>意識が「志向している」のは、あくまで意識を超越した世界なんだから。
>
>変換された「(世界の)意味」とは、個人的なものでなく一般的なもの。
何で「己の意識の中だけに存在する世界へと限定したわけではない」「意識を超越した世界」なんてものが「志向」されてしまうわけ?
何でそんなもんが出てくんの?
それは主観を超えたものなのか?
そんなはずはないだろう。
あくまで主観内でものを考えるという主張なんだから。
となると、「わたしにとっての意味」が「(世界の)意味」=「一般性」として変換される機会は巡って来ず、徹頭徹尾「わたしにとっての意味」として閉じられている、と解釈されても仕方ないんじゃないの。
もともと俺はこんな「主観−客観」なんて堂々巡りの言葉遊びにしか帰結しない「問題」について思考する「意味」を全く感じないね。
これにいったい何の「意味」があるんだ?
実際他人に対して全く説得できないじゃん、お前ら。
「わたしにとっての意味」として閉じられたまんまじゃん。
お前ら自身が格好の独我論的サンプルなわけだよ。
>徹頭徹尾「わたしにとっての意味」であるはずのものが、何でいとも簡単に、
>「社会においてはこうあるべきという『原理』」なる「一般性」に転換されるわけ?
という問いは宙に浮いたままだよ。
789 :
考える名無しさん :03/09/27 03:11
そういうお前自身は一体どう思っているんだ?客観世界などというものは自分の 主観の思いなしにすぎず、本当には存在していないと思っているのか? お前がどう思っているかで問いの答えも正反対のものになるからな。
>死刑囚。氏 フッサールのノエマについて質問してもいいですか? ノエマとは志向的内在、つまり、意識から超越した即自的対象を、意識に志向的に 内在する意味形成体へと捉え直したものだと思いますが、このノエマの志向的性格は、 対象を志向している限り、外界の即時的対象を想定していることになりませんか? 現象学が外部世界を想定せず、主観の中で全てを解明しようとする意図は理解できる のですが、ノエマ概念はこの前提に反しているように思われ、不思議に思っています。
また、フッサールは『ブリタニカ草稿』において、 「私の超越論的な自我はまた・・・超越論的な自己経験の領野であり、 しかもそれは観点を変更するだけで、常に心理学的自己経験へと 変換せしめられる・・」(p109) 「あらゆる超越論的な現象学的教説を自然的な実証性の教説へと 変換する可能性を明らかに示す・・・」(p112) と述べています。 これは、超越論的態度で思考する時は外部世界を想定してはいけないが、一旦 その領野で結論が出れば、その成果をすぐに自然的態度の即時的世界へと 当てはめるような態度変更をフッサールは認めていると考えていいのでしょうか? ここから、 「超越論的態度における(意味形成体としての)世界」と「自然的態度における(即自的客観)世界」は、 同一の世界を別の視点から捉えたにすぎないと結論づけるのは暴論でしょうか?
もう一つ。 「意識作用─意識内容─意識対象」の関連図で考えた時、 「意識内容」は「実的内在」で、意識を超越した意識対象から意味として主観の内へと 変換された「ノエマ」は「志向的内在」とされています。 ノエマは主観の内に、「実的」には内在していないが、「志向的」には内在しているそうです。 この違いがよくわかりません。 微妙にスレ違いですが、お答えいただければ助かります。
竹田の文章が下手だから現象学に対する混乱が起きるんだろうな。 あいつの文章や言葉使いはワンパターンすぎて、「なるほど!」 っていう感動(感受性が変わる)が全然ないんだよな。 ちょっと文章が真面目すぎるから、岸田秀みたいに生活世界での 具体的な例を織り交ぜて書いてほしいんだけど。 だって現象学って具体的日常の生活世界が大事なんでしょ?
>「わたしにとっての意味」を一般化したとたん、それがいかに切実な意味を欠くことになるか。 「お前は独我論だ」という場合の批判の芯はコレだね。 「ソリプシズム」ってのを単に主観に閉じこもることを言うのなら、 現象学はまさにそうだろう。また、その定義を前提にしつつ、現象学は 方法的な独我論なのであるからして、最後にはそれを超えるのだとか いうのなら、それも間違い。 しかし「ソリプシズム」という概念の正確なところは曖昧模糊と していて、歴史的にも色んな論争があるわけだけど、我々一般が「独我論」 という時には、上記引用のようになる。 「独我論」という概念に対するたいへん優れた本質観取でつな。 で、「その種」の「独我論」批判が、現象学に向かうというのは、 批判者の現象学に対する無理解からのみ来るもので、真の「独我論」論争 には発展しない。因数分解も出来ない子供に微積分は教えられないからね。
>>790 ポールさん
>ノエマとは志向的内在、つまり、意識から超越した即自的対象を、意識に志向的に
>内在する意味形成体へと捉え直したものだと思いますが、このノエマの志向的性格は、
>対象を志向している限り、外界の即時的対象を想定していることになりませんか?
ノエマという概念は、「意識の受動的側面」というふうに捉えてください。
ノエシスというのは志向的な意味統一をはかる意識の働きだから、
一般的にノエマは、それに対して「志向的相関者」と言われています。
で、「志向的相関者」というのを簡単に言えば、心が何かを感じちゃう
受動的側面ということになるわけです。
ですから、当然、この「志向的相関者」は、非恣意的なものであり、
予め「外界の即時的対象を想定」していることとは違うわけです。
いわずもがなカモ知れませんけど、そもそも「ノエシス─ノエマ」というのは、
人間の「認識の仕方」の「構造の特質」の、ある面を言い当てている(にすぎない?)
わけです。
ノエマというのは「見積もられた全体像」。ノエシス的契機というのは、「正体を知
ろうという心の動き」という具合に。
車の音を聞くだけで(知覚)、車が走っていると確信してしまうのは、この理路です。
勿論、誰かが外で口真似をしていたというオチもあるわけで、「車が走っている」と
いう確信は「絶対」では無いわけです。
で、竹田さんなんかは次のように言っています。 だからわたしたちは、自然物の実在それ自体を否定する必要はまったくありませ ん。何かある「同一のもの」が全然存在しないならば、経験や認識の同一性が成立 するはずがないからです。そういうものを「客観存在」と呼ぶことは間違いではな いでしょう(わたしの考えでは、これは「原存在」とでも言うのが混乱を呼ばない と思います)。 しかし、そのことと、そのような「客観存在」は生きる主体であるわたしたちか ら言うとひとつの想定された理念としてしか把握できないこと、またその完全な認 識などはありえないことをはっきり理解することは、決して矛盾しないのです。 (『はじめての現象学』P49) 何故矛盾しないか? その理路を理解し、腑に落ちることが、竹田現象学のはじめの一歩になるんだと思う。
>>791 >これは、超越論的態度で思考する時は外部世界を想定してはいけないが、一旦
>その領野で結論が出れば、その成果をすぐに自然的態度の即時的世界へと
>当てはめるような態度変更をフッサールは認めていると考えていいのでしょうか?
このへんは「生活世界」という概念に集約されるわけだけど、
『危機』などを読んでその意図を計るかぎり、フッサールの「哲学的態度」に
よってあらゆる学を基礎付けるということだから、その態度を変更しちゃ
意味無いよね。ただ、フッサールも言っているように、自然主義態度を拒絶する
というのとはちと違う。
あと『ブリタニカ草稿』を読んでいるのなら、西研の『哲学的思考』を併読を
薦めます。原書からかなり引いていて、しかも分かり易いです。
>「超越論的態度における(意味形成体としての)世界」と「自然的態度における
>(即自的客観)世界」は、同一の世界を別の視点から捉えたにすぎないと結論づけ
>るのは暴論でしょうか?
暴論ですなぁ。つか間違ってますな。
もし、本当にそんな風に感じるのなら、現象学の一番のキモが納得できていない
ということになりまつ。
>>792 >ノエマは主観の内に、「実的」には内在していないが、「志向的」には内在しているそうです。 この違いがよくわかりません。
ボクもわかりません。
意味不明。
相互理解できない。
でも、きっと、意識は常になにものかについての意識であるということだろう。
意識を「容れ物」みたいに捉えるんじゃなくて、常に何かに向かっている“働き”
と捉えるフッサールの出発点。みたいな。
「意識」と「意識内容」があるんじゃなくって、意識とは常に志向性ある“働き”
であるという。
とにかくフッサールの原点は「志向性」だから。あらゆるものが志向性の裡に
のみあるわけ。だから当然ノエマも志向性の裡にあるということでしょ。
>>793 最近、ちょっとね。あるね。ソレ。
もちっと人情の機微にとんだ書き方あると思うけどね。
ま、でも言葉を突き詰めて考えていくと、こうとしかいえないという言葉に
行き着くってのも分かる。フッサールの悪文を器用に紹介しているんだし。
ま、それはさておき、現象学徒が言葉を使わなければならないというアポリアは、
竹田氏も理解していると思う。開き直ってるんでしょ。
文学に嫉妬しない思想ではダメだとまでいっているんだから。
しかし、文学から落ちこぼれて「哲学」の入門書を書きなぐって小金を稼いでいるような人間がよく言うよな、全く。 文学的には「ウィット」に富んでるって言うのかな、こういうのって。 「死刑囚。」って奴も相変わらず俺の反語的な問いに対して有効な回答を全く与えられないしなあ。 にもかかわらず、 >で、「その種」の「独我論」批判が、現象学に向かうというのは、 >批判者の現象学に対する無理解からのみ来るもので、真の「独我論」論争 >には発展しない。因数分解も出来ない子供に微積分は教えられないからね。 だとよ。 こっちが悪いんだってさ。 こちらに対して明らかに及び腰なのに、「因数分解も出来ない子供に微積分は教えられないからね。」と、あくまで自分を優位に置こうという態度が哀れを誘う。 ジャーゴンを批判していたはずの者がジャーゴンに守られてるって寸法だね。 情けない人間だなあ。 独我論を信奉する人間なんてこの程度なんだよ。 問い掛けに対して一貫して閉じこもった態度をとるから先に進まないんだけど。 ちゃんと自分の頭で考えてくれないか。 すべて自分の主観内の現象だからって舐めてんじゃねえのか、お前は。
800 :
考える名無しさん :03/09/28 00:30
ゲット阻止
粘着キモイ。
802 :
考える名無しさん :03/09/28 01:02
>>792 ノエマを端的に言えば、視覚的意識にとって、見えている対象のこと(事象・現象)だろう。
見ている意識(感じ取っている意識)がノエシスだ。
つまり、見えている椅子や景色がそのままノエマなのだ。これらは主観の世界の中に志向されて内在しているわけだ。「実的」というのは「実体として」とか「実在として」の意味だろうが実在性はエポケーされているわけで、
つまり「現象として」「志向的対象として」あるわけだ。
椅子を「椅子として」見るか「材木」として見るか「ゴミ」として見るかは「意識の意味形成」次第なのだ。
日常的意識にとって椅子が椅子であるのは、ほとんど自明なのだが、実は 椅子を精緻に物理、化学的に分析したところで「椅子」であることには到達しない。 実は椅子という「道具的性格」を意識が「意味付与」しているために椅子が 椅子であるのだ。つまり、椅子という対象は極めて人間的な「仮象」なのだ。
>>799 で、
>で、「その種」の「独我論」批判が、現象学に向かうというのは、
>批判者の現象学に対する無理解からのみ来るもので、真の「独我論」論争
>には発展しない。因数分解も出来ない子供に微積分は教えられないからね。
だとよ。
こっちが悪いんだってさ。
ーーーーーーーーーーーーー
現象学と独我論の部分を反対にしても通じるからあら不思議ww
>死刑囚。氏、802氏 速レスありがとうございます。 もうしばらく考えてから返答します。 竹田氏の『現象学入門』も読み返してみます。
806 :
考える名無しさん :03/09/28 13:10
「現象学入門」のもどかしい部分。 「しかし、ここでは残念ながら、そのことは暫定的な指摘にとどめておくほかない」(P138) とか「残念ながら、ここでは紙幅が足りないので別の機会に譲りたいと思う」(P108) 竹田氏って詐欺師と紙一重の部分もあるよね・・・・・・。
最近書き方が硬直化してるというのは、僕も思いますね。
重心を、実践・社会思想寄りの方へシフトしようとしているので、
どうしても断定的な物言いになるんだと思います。
>「〜ることが大事だし、〜が最も肝要である。〜が最も大事である。〜る必要がある。
これが、全て反語的に表現されていたら、
>>781 氏みたいな人は、逆にすんなりと納得してしまったり
するのではないかなあ。もちろん、細部にその人の精神が宿るってのは、否定しないし、
そういうテクストクリティークも、あると思うけどね。
ただ、死刑囚。氏も言っているけど、竹田氏は、様々な批判を重々承知で、確信犯的に活動している
ところがあります。疑問に思うところも、本人に直接聞けば、想像以上にしっかりと構築していたりする。
読む側としては、「思索」はコンスタティヴなものですが、「活動」は徹頭徹尾パフォーマティヴなものだ、
ということを計算に入れた方がいいと思います。
>>806 それは、古今東西どこの思想家でもそうですよ。
反対のパターンとしては、ドイツ系の人で、ぜんぜん論証され尽くしていないのに、
「いまや〜は誰の目にも明らかになったが」などという言葉で、無理やり結論につなげたり。
世の中そんなに割り切れるわけないのに、何かをキッパリ言おうとしたら、どうしても知的詐欺の
匂いがして来てしまう。
>>807 それはそうだけど、俺が言いたかったことは、竹田氏の文体は
何か勿体ぶりすぎっていうか、ジラすような書き方が多い気がする。
もっともっと日常の具体例を織り交ぜて本を書いてほしい。
まぁ、西研は少しわかりやすく書いてるけど。
面白くてわかりやすく現象学を伝えてくれる思想家希望。
>806 >まぁ、西研は少しわかりやすく書いてるけど。 >面白くてわかりやすく現象学を伝えてくれる思想家希望。 あんたフッサール一行たりとも読んだことないでしょ?
810 :
考える名無しさん :03/09/29 19:59
フッサールは竹田よりわかりやすい。 竹田は衒学的だよ。とくに最近さ。
なこたない。
理解できない思想は自分が理解できるレベルまで降りてこい、って人が多すぎるね。この板。 なんで自分からそのレベルに上がっていこうとしないのか?
813 :
考える名無しさん :03/09/29 22:37
>>812 というか誰にでも解り易く書く方がレベル高いと思うけど?
結局あんたも他の哲学オタクと同じで難解な言葉のパズルを
楽しんでて、自分が一般人よりレベル高いと思いたいだけなのでは?
パズルぐらい解いてみせてから言え
「はじめ」は最近来ないね。
816 :
考える名無しさん :03/09/29 22:41
>>813 難解な思想が自分のレベルまで降りてくるまで、あんたはずっと待ってな。
818 :
考える名無しさん :03/09/29 22:50
議論が専門化するほど語も専門化するし、パズルに見えてもしょうがない。 それを誰にでもわかりやすく書けというのは酷だ。 学術用語を駆使するという了解の上に立ったテクストをそんな方法で卑下するのはいくない
819 :
考える名無しさん :03/09/29 22:53
820 :
考える名無しさん :03/09/29 22:54
け、喧嘩はいけないと思います!
はじめ〜〜〜〜〜〜帰ってこ〜〜〜〜〜〜〜〜い
822 :
考える名無しさん :03/09/29 22:57
もし入門書なら分かりやすく書くほうが良いけれど、 専門の論文なら、入門しようとする人や素人にまで教えるつもりで書かなくてよい。 なぜなら専門にしている人間にとっては、 分かりきったことを入門書のように長々扱ってもらっても、 話が進まないから疎まれるだけだ。
現象学を岸田秀みたいに解り易く説明するのは難しいかも。 説明できる人が居たら天才だろうね。
>>822 そうそう。
入門書を更にわかりやすく書いてほしいんです。
専門の論文は知的レベルの高い人に任せます。
バカでスミマセンけど・・・・
825 :
考える名無しさん :03/09/29 23:02
つまり入門もせずに論文に突進する奴が一番の勘違いだぞっと
おいおい、竹田や西で充分わかりやすいだろ >813 そのくらい理解できるよう他人を頼らず努力せいよ。
>>815 ,
>>821 はじめ来てほしいね。
あいつは言ってる事はおかしかったかもしれないが(つーかおかしかったが)、
あいつが来てからこのスレもチョット面白くなった。
正直「アンチ」対「信者」が続くと読んでてつらい。
まあ、はじめのせいで迷惑を蒙ったやつもいたみたいだけど。
>>826 確かに竹田や西で十分なんだけどね。
ノエシスーノエマとかコギトーコギタチオーコギターツム
とかいう変な言葉で混乱してしまうw
でも還元とか内在ー超越とかいう意味はわかる。
「現象学入門」は大変わかりやすくていいんだけど、もう
一歩踏み込んでほしい気もする。
エロス論に関しては、意味とエロスの方が詳しくていいね。
あと「はじめての現象学」をまだ読んでないのは我ながら情けないw
829 :
考える名無しさん :03/09/29 23:19
、、、 , , _
,. -┬i^i、._ ィ`,、,、,、,、,.、'、
. / | | .|=ゞ=、 __l/\ v~/!|
l. l l l \\{f‖ミゞ, ,ィ≪:lf^i もういい…!
/ヽ. ノ「,ト、「.lヘ‐iヾ|rー~r〉〉,こlレ'
/ `ヽ//| ト、ヽlイ| |/|{王王王王}ト、
| レニ| lニゝ冫! l!L_, , ,ー, , , ,_」シ’、 もう…
ヽ __|ーL|┴^ーヽ>'^ヾ二三シ´\\
,ゝ,/ .}二二二二二二二二二lヽ. ヽ \ 休めっ…!
l/ |ト、./´\ ||. レ'´ ̄`ヽ
|| ! 、\ ||. / :|
|| |.l l゙!.|i |ヽ) |l/ / 休めっ…!
|| `ヘ)U'J /-─ ,イ.|
|| _ /-─ / ヽ|
>>813 っ…!
|| r‐-゙=っ`ヽ,.--r-─ ''"´ ̄`ヽ / }
||. {三二 | │ / /
||. ヾ=--一'`ーゝ _,. く ノ|
813みたいな人には是非フッサールを読むことをお薦めするね。 なんでもいい。デカルト省察のようにやや初学者向きの奴でも、 現象学の理念の中の一つの論文のように短い奴でもいい。 いかに竹田や西がわかりやすく書いてくれてるかよくわかる。
831 :
考える名無しさん :03/09/29 23:31
じゃあ、ドイツ語で読めば?翻訳より簡単だというなら
833 :
考える名無しさん :03/09/29 23:57
よんでるよ。入門者じゃないんで
『デカルト的省察』が、飛びぬけて読みやすいんじゃないかな。 岩波文庫で安く手に入るしね。 そっから『論理学研究』を読んでみるとか。 『現象学の理念』は、短いけど記述の圧縮率が高いんで、初学者にはつらいかも。
現象学者の木田元?の本読んだけどチンプンカンプンだったw まぁ、日本では現象学に関しては竹田と西が一番わかりやすいのは認める。 話は変わるけど20代ぐらいの若手の現象学者って居ないのかな?
「ノエシスーノエマ=欲望」って解釈でいい?
>死刑囚。氏
丁寧にありがとうございます。
>>ノエマは主観の内に、「実的」には内在していないが、「志向的」には内在しているそうです。 この違いがよくわかりません。
>ボクもわかりません。
>>792 これは、『現象学事典』の「意識作用/意識内容/意識対象」の項に載っていました。
この概念は、どうも『論理学研究U』におけるそれのようです。この概念は、後に「ノエマ─ノエシス」
に変化し、捨てられたのかもしれません。
僕のイメージでは、以下のように理解しています。
「意識作用」 ─ 「意識内容」 ─ 「意識対象」
(ノエシス) (超越的対象)
/ (意識内の意味に変換(還元))
「志向的対象」
(ノエマ)
└────┘ └────┘ └─────┘
意識作用 意識に内在 意識を超越
する対象 する対象
└────────────┘ └─────┘
主観 客観
>>ノエマとは志向的内在、つまり、意識から超越した即自的対象を、意識に志向的に
>>内在する意味形成体へと捉え直したものだと思いますが、このノエマの志向的性格は、
>>対象を志向している限り、外界の即時的対象を想定していることになりませんか?
>ノエマという概念は、「意識の受動的側面」というふうに捉えてください。
>>795 この辺りはもうしばらく考えてみます。
問題が残るのはやはり、外部世界の捉え方です。
>『危機』などを読んでその意図を計るかぎり、フッサールの「哲学的態度」に
>よってあらゆる学を基礎付けるということだから、その態度を変更しちゃ
>意味無いよね。
>>797 今『イデーン後記』(『ブリタニカ草稿』所載)を読んでいるのですが(『イデーン』は読んでいません)、
>>791 の引用と同じような自然的態度と超越論的態度における経験の平行性が語られています。
少し長いですが引用します。
「すなわち、心の全ての現象学的−心理学的な内実が意味変換されるにもかかわらず、
このような内実は超越論的−現象学的な内実となり、また逆に、後者は自然的−心理学的な
見方に立ち帰ることによって再び心理学的な内実になる」(p144)
「このような普遍的な理論的内実は、もしそれが自然的見方において心理学として・・・
受け取られるならば、それはまったく非哲学的な学問であることになり、他面において、
<同じ>理論的内実が超越論的見方において超越的現象学として理解されるならば、
それは哲学的な学問であることになる」(p144) (< >はフッサール)
(ここで述べられる心理学とは純粋心理学、つまり自然的態度の立場に立つ現象学的心理学のことです)
『デカルト的省察』『危機』にも、このような両態度における経験の平行性、変換可能性が述べられて
いたと思います。
また、現象学は、自然主義的態度の立場に立つ自然科学の基礎づけ学であるとします。
ということは、科学が対象とする世界と現象学が対象とする世界が結局は同一でないと、
基礎づけはできないのではないでしょうか?
超越論的立場に立つ間は(現象学者として世界を見る時は)、けっして態度変更をしては
いけないのは分かります。(過去ログで出てきたように)実在世界を証明するために
「便宜的に」独我論の立場から出発するわけでもないと思います。
しかし、一旦そこで成果が出れば、それを自然的世界に適用してもいいのではないでしょうか?
(実際それをすることが、諸学の「基礎づけ」では?)
>>387 の図で言えば、「意識対象」(外部世界)と「志向的対象」(主観内の意味形成体としての世界)
との相互変換ですね。
これは、二つの態度が対象としている世界が同一であるということではないでしょうか?
フッサールが超越論的立場しか受け付けないならば、彼は科学の存在自体を認めないと
思います。
もし、この考え方なら、現象学はたんに世界の新しい見方を主張しただけで、世界の非実在性
を主張したわけではないことになります。その見方は従来の見方よりも、より根源的な世界を
捉えられるゆえに現象学の意義があり、決して独我論ではないと反論できます。
このようなフッサール解釈はおかしいでしょうか?
追)死刑囚。氏の過去ログ「サルにもわかる〜」「後期フッサール思想の〜」にはお世話になりました。
>802氏 その椅子の例えはわかりやすいですね。 日常世界で出会う事物が、しょせん我々の内部で構成される意味形成体にすぎない ことがよくわかります。ある事物が、椅子という意味をもつ存在者に変わる原理を解明する のが現象学ですね。 ところで、802氏はフッサールの外部世界の扱いをどのように考えていますか?
ポールお前ウザいw
844 :
考える名無しさん :03/10/04 10:55
>しかし、一旦そこで成果が出れば、それを自然的世界に適用してもいいのではないでしょうか? 「ダメ」だ。 つ〜か支離滅裂。 何で「自然的世界」って概念が現れてくるわけ? 『「意識対象」(外部世界)』なんて概念も同様。 すべて自分の主観内の現象なんでしょ。 「自然的世界」、『「意識対象」(外部世界)』なんて自律して存在してないんでしょ。 「適用」もへったくれもないんじゃないの。 そもそも「成果」って何? 何のための? その尺度は? >その見方は従来の見方よりも、より根源的な世界を >捉えられるゆえに現象学の意義があり、決して独我論ではないと反論できます。 自分達の見方の方が「より根源的な世界を捉えられる」というのはまさに独我論的言説じゃん。 お前が俺より「より根源的な世界を捉え」ているなんて証明ができるわけ無いんだから。 言説によって証明できなけりゃ、それはお前、単なる独善だよ。 しかし、「私の見方の方がより根源的な世界を捉えられる」なんて恥ずかし気もなくよく言えるなあ。 さすが、自称「初心者」。
845 :
考える名無しさん :03/10/04 11:35
稲があきれてるよ。分析やれ分析。
馬鹿ほどよく吠えるとはよく逝ったもんだ。
現象学は世界の実在を否定してるのではありません。
850 :
考える名無しさん :03/10/04 16:12
「世界は実在する」と言ったところで世界に関して何が分かるのか? 主観に依存しない客観的な実在の世界がある。という意味なのか?
851 :
考える名無しさん :03/10/05 02:08
自分が死んでも恐らく世界は実在するよね? もちろん、それぞれの人々の主観にとって。 現象学の説明では、自分(欲望する主観)が死んだら、その後の実在(存在) のことなんて考えるのは’意味がないし規定できない’っていうスタンスでしょ?
>>849 エポケーするんだよ。
>>851 >自分が死んでも恐らく世界は実在する
これは仮説でありドクサなんだよ。
>>852 ということは、実在は否定しないが、自分の主観が規定できない
ものに関しては永遠に仮説の域を出ないって考えなんですね。
854 :
考える名無しさん :03/10/05 15:16
http://www.h5.dion.ne.jp/~simpli/02-01-00-01Derrida1.htm ●『言語的思考へ──脱構築と現象学』
竹田青嗣著 径書房
2001年 333ページ ¥2200
○この本は、著者が上の東浩紀氏の『存在論的、郵便的──ジャック・デリダについて』に刺激を受けて書かれたもののようだが、
私としては東氏の著作のほうが圧倒的に優れていると思う。そもそも、コミュニケーションの在り方に対する前提からして噛み合っていない。
『存在論的、郵便的』のほうでは自明のこととして前提としていたコミュニケーションの形態を、竹田氏はこの本で蒸し返し、
それ以外を「否定神学」として一蹴してしまう。そんな単純なものではないだろう。
しかしまあこうなってしまう理由というのは簡単に分かる。そもそもフッサールの現象学が生身の人間の身体を媒介としたコミュニケーション
しか想定できないのに対し、デリダのエクリチュールは、テレビや電話やインターネットのような、直接の相手の生身の身体を媒介しない
コミュニケーションの在り方について、先駆的に語っている。これは単純にフッサールの時代制約的な限界である。その意味で、あくまでもフッサールに固執する竹田氏の現象学的共通理解なるものは、今日ではもはや「時代遅れ」としか言いようがない。
>>854 デリダって人は、ソフィスケートされた懐疑論者でしょ。
全ての理論に対して意図的にパラドックスを見出して
「戯れ」や「差延」などの概念でもって既存の論理を
相対化するという。
>>854 そのサイト、酷い文章だなあ。
卒論も、内容以前に、日本語になっていないところが多すぎる。
若いのに幅広く読んでるのは感心するけれど、どれも表層的理解に留まっている感じ。
東の論も竹田の論も、きちんと読めていないのでは。
現象学の現代的意味について考えてみたい。 但し、私は哲学(問)素人なので概念が大雑把なのは大目に見て欲しい。 現象学も哲学も納得感が得られ人の中で活きてなんぼである。 では現象学はどう人の中で活きるのか? 当然、様々な展開がありその視野は非常に広い訳であるが、大きい点としては (a) 理想世界(理想主義)的な発想を退けること (b) 相対主義・ニヒリズム・懐疑主義の陥落に陥らないこと が挙げられる。 近代は虐殺の時代であり、結果的に最も虐殺が生まれた思想はマルクス主義で ある。科学的理想世界を実現するためにはそれを遮る人間は悪でありむしろ殺 した方がよい。 マルクス主義云々というよりも、人の合意と経験によって成立していない理想 世界というのは必ずこういう発想を生みだしがちである。 当然このような思想が長続きするはずもなく大批判と反省が加えられるわけで あるが、その反動として現代的相対主義・ニヒリズムが蔓延することになる。 理想社会の実現が叶わなければ、世界はどうにもならないという発想は生まれ やすい。しかし、「正しい世界」と「世の中何もどうにもならない」というの は同じ思考方法からたどり着いた着地点である。つまり神の(正しい・客観的 な)視点が存在し、それを私が知っていると言うことである。 現象学は根本的にそういう発想は背理であると退ける。
次に相対主義・ニヒリズム・懐疑主義の問題であるが、その前に次のパラドッ クスについて見てみたい。 あるクレタ島人が「全てのクレタ島人は嘘つきである」と言った。 そのクレタ島人の言葉は嘘か本当か?有名なパラドックスである。 (よくは知らないが)ネット上を見てみると様々な複雑な考えが乱立し、これ はパラドックスでないという考えもあるようだ。 この問題は次のように単純化してみる。 その言葉を言ったクレタ島人をAとする。 「全てのクレタ島人は嘘つきである」を分解すると、 ・A(私)以外のクレタ島人は嘘つきである ・A(私)は嘘つきである に分かれる。 前者は「論理上」問題はない。しかし現実的には言われた方が「嘘か本当か」 と聞かれても「んなことしらない」はずである。「A以外のクレタ島人」を知 っていれば「全員嘘つき」か「一部嘘つき」か「全員嘘つきでない」かはたま た「ときどき嘘つき」か判断できるだけである。 後者は「論理上」自己言及の形となる。「私は嘘つきである」(a)という言 葉は言葉を発した時点でその言葉を否定(×a)している。 ここで、言われた方が「Aの言葉は嘘か本当か」と聞かれてもその言葉自体に 肯定と否定と両義含んでおり、「嘘か本当か」とは言うことはできない性質の ものである。 (前者と後者をまとめて答えようとすると複雑になる)
論理学的には「嘘か本当か」言えないと問題だとか書いてあったりする。(ん なばかな。「cかノットcか?」と聞かれてどちらでもないというのが論理的 に問題というのは無茶である) しかし、これを解くこと自体は意図してないのでここで置いておくとして、 「(Xを含む)全体を否定するXの言葉」は矛盾を抱えるということである。 これと同質の言葉は多くある。 「一切の言葉は虚しい」 「人の考えとは相対的であり何が正しいとは言えない」 「世の中に答えなんかない」 「答えは風の中に舞っている」 「なにもかもどーでもいい」 「生きてることに意味はない」 これを上記のように分解(後者の方)すると、 「私のこの言葉は虚しい」 「私のこの言葉(この考え)は相対的であり正しいとは言えない」 「私のこの言葉に答え(正当性)なんかない」 「私のこの「答えは風の中に舞っている」という答えは風の中に舞っている」 「私のこの「なにもかもどーでもいい」という言葉はどーでもいい」 「私のこの「生きてることに意味はない」という言葉に意味はない」 こういう言葉はクレタと同様の矛盾を含んでいる。
ニヒリズムと相対主義というのは必ずこういう矛盾を抱えている。 ニヒリズムを「他者の言説・考えに対するニヒリズム」 「私の言説・考えに対するニヒリズム」に分解する。 前者はここではとりあえず置いとくとして、後者は私の言説・考えに対して虚 無性を与える発想である。私の言説・考え全てが虚無ならば我々は考えること 自体否定されている。当然ニヒリズム自体、言説・考えであるからそれは否定 されている。というわけで背理である。 相対主義も同様である。 「私の言説・考えに対する相対主義」が成り立つとすると当然私は「私の言説 ・考え」に相対的であらねばならない。とすると、「私の言説・考え」が正し いとはここでは言えなくなる。そうなれば当然「私の言説・考えに対する相対 主義」も正しいとは言えなくなり背理となる。 現代はニヒリズムと相対主義の時代である。 (最近はこれに飽きたのか反動的な傾向が見られるが・・・) しかし世の中に蔓延しているニヒリズムと相対主義というのは他人の言説には 相対化・虚無化を行うが、相対化・虚無化を行う自分の言説は正当(絶対)で あるという中途半端な、気分としてのニヒリズム・相対主義である。 自分の考え・言説を相対化・虚無化するとどうなるだろうか? これは思考する主体に対して相対化・虚無化を行わねばならない。 しかし、これは新たなメタレベルの「思考する主体に対して相対化・虚無化」 する主体を要請する。しかし、これは新たな「「・・・」・・」する主体を要 請する。 ・・・・・・無限に続く。 何かおかしい。このおかしさについて現象学はある解答を与える。
我々は不可疑牲の地点を持っている。現象学用語で知覚直感、本質直感、明証 性、情状性と言われる地点である。(嘘だ思えば目の前のパソコンに頭をぶつ ければいい)相対化・虚無化できない地点は確かにある。 と同時に我々は様々なレベルの確(信)度を持って生きている。 当然、人と共通了解の得られる部分、異なる部分、それは多種多様であるが、 確度の正当性についてそれを間主観的に提示しつつ、改変し鍛えていく事につ いて現象学はひとつの思想的役割を果たしているといってもいい。 (例えば民主主義を否定するような思想も存在するが、現象学的視点があれば 現代においてそんなものは空論であることがわかるはずである) 何か竹田に完璧さを求めようとする傾向があるが竹田的世界像も一つの(人の 納得を得ようとする)問いかけであり、何も教科書ではない。(現象学も然り) (西研ももっとオリジナルな視点があれば、逆に竹田思想が浮かんでくるはず) いつもの信竹田対反竹田という構図は退屈であり、竹田の弱点にカスリもしな い。
という「教科書」通りの反批判。 退屈ですねえ。 丸写しじゃん。 何で自分の頭で思考しようとしないのかなあ。
>近代は虐殺の時代であり、結果的に最も虐殺が生まれた思想はマルクス主義で >ある。科学的理想世界を実現するためにはそれを遮る人間は悪でありむしろ殺 >した方がよい。 >マルクス主義云々というよりも、人の合意と経験によって成立していない理想 >世界というのは必ずこういう発想を生みだしがちである。 > >当然このような思想が長続きするはずもなく大批判と反省が加えられるわけで >あるが、その反動として現代的相対主義・ニヒリズムが蔓延することになる。 何ですか? これは? どこの話ですか? 君の主観内の話なら構わないんだけど。
という「教科書」通りの煽り。 >862 退屈ですねえ。 丸写しじゃん。 何で自分の頭で思考しようとしないのかなあ。
529君は、もうちょい簡略化して他者の心に響く書き方を練習した方がいいなw 丸写しって言われても仕方あるまい。 いくら自由な掲示板とはいえ、大して内容のない文章でスペース取られるのは不愉快!!
マルクス主義云々なんて竹田の物語じゃん。 そんなの引き受けてどうすんの。 それとも最近までハマっていたとか? お前らの思考形態はな、「主義」なんだよ、ゴチゴチの。 そんな奴らにマルクス「主義」にイカレていた者を批判する資格は無い。
>>866 人間の思想で、主義じゃない思想なんてあるの?
ない。ないけど。 エロスや、物質や、観念や、様々な「もの」で混沌としているのが「世界」。 それを「主義」で切り取るやり方を「思想」と言う。 主義を排して原理的に考える? 発想としてはユニークだけど、混沌に戻りはしないかい? 皆それを言ってるの。
869 :
考える名無しさん :03/10/05 19:39
科学的理想世界?
なんかマルクスの所だけ偉い敏感だな
>>529 現象学素人の俺には、興味深く読ませてもらったが、一つ疑問がある。
現象学の還元って、簡単にできるものなん?
それとも、何年かの訓練がいるわけ?
現象学自体の理屈はなるほどと思うんだけど、還元を実行するのはかなり難しく思えるんだけど。
>>873 抽象的思考力や言語構成力が高い方が望ましい、
という意味で訓練は必要なのかもしれない。
ただ、少なくとも「悟り」を開くような、神秘的なものではなく、
論理的な操作なので、誰にでも開かれた手法ではあると思う。
>>874 なるほどね。
誰かこのスレで還元の具体的な例をやってくれないかな?
抽象的な方法論ばっかで、実際にどうやってやるのか、
また、それがどういう結果になるのか知りたい。
なんだったら竹田氏の例を挙げてもらってもいいし。
具体的に説明せよって言うと皆さん・・・になるね。 まぁ、現象学を具体的な例を挙げて万人に解り易く説明 できる人が居れば、その人は凄いと思う。 所詮529のように丸写しコピペ野郎みたいなのが多いからな。
何で信者は自分について「初心者」とか「素人」とかいちいち断りを入れるのか。
マルキストじゃないって 脳内の物語を簡単に外界の他者にあてはめんでくれ。
批判にもならないものばかりで・・・ 丸写し?それなら丸写しの原本を知っているということだから誰のどこの 丸写しか書くべき 所々似た表現があるというなら勿論その通りで別に同じ表現にならないよ うに回避するつもりはない。それは本筋ではない部分だし・・・ ってこんなこと一々言う必要もないのだが・・・
880 :
考える名無しさん :03/10/07 22:24
.......。
じゃあ
>>879 (=
>>529 )よ、お前に聞くが、
お前は「現代的相対主義・ニヒリズムが蔓延する」「現代はニヒリズムと相対主義の時代である」と、
このスレの他の信者同様に竹田の口真似で断言しているわけだが、
そんな状況がいったいどこにあると言うんだ?
その断言的な前提が俺には全く理解できない。
俺を取巻く周囲の環境ではそんなものは全く見当たらないんだが。
いったいどこの話?
お前の周囲はそんな人間で埋め尽されているのか?
それともまさかそれは竹田がよくデッチ上げる類の「仮想敵」ってやつを鵜呑みしただけの話か?
その辺をはっきりしてほしいんだが。
竹田が日本のことよく理解できてないだけだろ。それくらいで勘弁してやれ もしくは完全に叩き潰せ
880=881
883 :
考える名無しさん :03/10/16 10:02
884 :
考える名無しさん :03/10/16 10:06
「現代はニヒリズムと相対主義の時代である」という自分が下した断言の説明を放棄した
>>529 が、
「現象学の現代的意味」の一つとして提示した、
>理想世界(理想主義)的な発想を退けること
についても俺の考えを述べておこう。
>>529 にかかわらず竹田信者がつねづね繰り返すのが、
>確度の正当性についてそれを間主観的に提示しつつ、改変し鍛えていく事について
>現象学はひとつの思想的役割を果たしているといってもいい。
という建前なのだが、実際に何かを「改変し鍛えていく」過程なんかあった試しがあるか。
一連の竹田スレでも飽きるほど同様のことを問うたが、信者からの提示は一切無かった。
ここでのやりとりでも、竹田が言ったことや自分が考えていることで何事かの「確信」を一旦得るとそれで思考は終わりで、あとは一方的に正当性を主張するという態度を貫徹するというパターンの繰り返しだった。
で、終いには、自分の見方の方が「より根源的な世界を捉えられる」という妄信を何の説得もなくゴリ押しして、「主客問題」を持ち出しては独我論的に凝り固まってしまって取り付くシマもなくなる。
あたかもこちらも同じような見方をしなければ話が始まらないとでもいうような態度で。
そんな馬鹿な話があるだろうか。
誰もが「現象学」的な態度で世界に接して初めて有効な論議ができるなんて。
信者が夢想するそんな抽象的な世界は現実的にはあり得ないという意味で、
これは竹田自身が批判する「理想世界」の変奏でしかない。
まさに「人の合意と経験によって成立していない理想世界」でしょ、それは。
>>885 竹田さんは、日常の具体的な例を挙げて現象学を説明できないのです。
>>886 著作ではいくらでもしてると思うが。
ちゃんと読んでる?
面倒くさいから誰も具体的なページ挙げないだけだと思うよ。
<場内からの質問>
1)鳥居さん:竹田さんのフッサール現象学理解を全てのフッサール現象学の理解者にあてはめれば、
フッサールという客観はなくフッサールについての信憑構造があるだけなのだから、竹田さんが自分の
フッサール理解だけが正しくて他はみんな間違っているというのはちょっとおかしいのではないかと思うのですが。
―――あらゆる理論は説得の構造をもつ言語ゲームです。その意味で、「他はすべて誤読」というのはいわば
言葉のあやなんです。「こういうふうに読めばもっと明証的に読めるよ」という誘いなので、フッサールは絶対こうだ、
というのは自分の確信であるというのは一応意識してます。でも思想は、それが妥当かどうか投げ出してみるほかにないので、
まああえてそんなそふうに言うわけですね。
小浜逸郎:生が直面する新しくてやっかいな事態に対応して、われわれは、思想をどこまで読みかえ編みかえればいいのか、
ということだと思います。自説に説得力をもたせるうえで、「あいつはまったくわかっていない」という批判の仕方は
ひとつの芸(笑い)なんですね。
―――科学の世界でも説得力のある議論がやがて主流になりますね。哲学においても同じことが言えるのではないでしょうか。
http://www.ac.wakwak.com/~morihiko/clink/c52.htm ほんとアンチは飲み込みが悪いのか悪意があるのかしつこいんだけど。
竹田は「言語ゲーム」つってんじゃん。彼の「確信」に妥当性がなければ、
消えていくだけ。だから彼は当たり前の事を確認しているだけなの。
ただし「ゲーム」ということだけは、みんな認めたらどうだろうか?
と(これも言語ゲームに内包されてるんだが)言っているだけ。
?
現象学は言語ゲームだつたのかあ!
「言語ゲーム」ねえ。 そういう意味合いでその言葉が使われるのはあまり見たことがないがねえ。 その言い方って竹田やお前らが嫌うところの「相対主義」っぽくないか? で、その「説得の構造を持つ」「言語ゲーム」と言う意味合いにおいて、 竹田信者はこのスレでいったい優勢にあるの?劣勢にあるの? 1.「主客問題を解いた」という立場から、具体的にどのような「主客構造」を前提にした「複雑で難解な問い」を解いたか。 2.「わたしにとっての意味」であるはずのものが、何でいとも簡単に「社会においてはこうあるべきという『原理』」なる「一般性」に転換されるか。 3.現象学的な見方が他の見方よりも「より根源的な世界を捉えられる」という一方的な断定の正否。 4.「現代はニヒリズムと相対主義の時代である」という断言の根拠。 5.「確度の正当性についてそれを間主観的に提示しつつ、改変し鍛えていく」という実践を使嗾するはずの言説が単なる建前となっていないか。 最近を振り返っただけでもこれだけのお前らの主張への問い直しに対して何の応答もない状況で「説得」もクソも無いわけだが。
まさか、たとえ「ゲーム」内で「説得」ができなくても、その応酬が「説得の構造を持つ」「言語ゲーム」であることを「解明」しているのだから、優位は当方にあるとでも主張したいのか。
>ただし「ゲーム」ということだけは、みんな認めたらどうだろうか?
>と(これも言語ゲームに内包されてるんだが)言っているだけ。
という言辞からはそういうニュアンスが受け取られる。
それってさ、もろ「メタレヴェル」的な位置に自分を置いて優位に立つという修辞とどこが違うの。
>>529 をはじめお前らが忌み嫌い、「現象学」によってそれを乗り越えたと主張するところの。
笑わせるよね。
で、新たな問い直しを一つ追加しよう。
6.どうしてそんなに優位に立ちたいのか。
何で自分の信奉する論理が他の論理を圧してすべての大元にあるという状況になることに固執するのか。
どうしてそういう欲望が生じるのか。
別にいいじゃん、様々な論理のうちの一つであってもさ。
その辺を「現象学的還元」によって徹底的に省察し、納得の行く説明(「説得」か!)をしてもらえれば、
「飲み込みが悪い」俺も「竹田現象学」に対しては一応の敬意を払うつもりだがね。
馬鹿に何言ってもねぇ
つまり竹田現象学は竹田言語ゲームをうみだしたってこった
ところで、おそらく竹田の影響を受けたと思われる「現象学徒」が「読書会」と称して 本の内容の要約をダラダラと書き込むスレッドを次々立てているのっていったい何なのだろうか。 「初心者」「初学者」だから「勉強」をするんだとかもっともらしい口実をつけて。 言うまでもなく2chのような掲示板は複数の人間が議論としての言説を相互的に展開するための場であって、 本の内容なんかを「わかりやすく」要約したものだか何だかを通告のように貼り付ける類のものじゃないだろう。 そんなものは言説の性格からして「広告」とたいして変わりねえよ。 公共性をもつ議論の場を何だと思っているのか。 「勉強」なんかひとりでやれよ。 どうしても公開したいなら自分でサイトでも立ててやりゃいいって話で。
何で公開したがるかと言えば、これは「自分の勉強」の名を借りた「啓蒙」なんだよ。 お前らにもわかるように俺がとことん噛み砕いて呑み込ませましょう、という。 「入門書」を粗製濫造している竹田のスタンスとパラレルなのが笑えると言えば笑えるが。 確かに「わかりやすい」。 しかしここは需要と供給で成り立っている出版資本主義とはまるで別種類の言説の場である。 一方的な「知」の伝播にしか帰結しない「啓蒙」が、逆方向での突っ込みがきく言説の磁場で有効性が発揮できるか。 俺なんかその押し付けがましさにとても耐えられないけどね。 もちろんこいつらのカマトトぶりにもね。 間違っても自分が「理解したい」のではない。 自分では「既に理解してる」わけなのだから。 だから自信を持って「要約」を「公開」する。 その情熱を支えるのは、その本の内容を自分が「正しい」と思うから他人に知らしめたいという一心に他ならない。 自分の言葉で言い表せない言いたいことを他人の言葉に仮託して言うというまわりくどいことを「一緒に勉強しましょう」なんつうオブラートに包んで臆面もなく公共の議論の場で展開する厚顔さが耐え難い。 自分の解釈が最も著者の意図に沿ったものだと確信していて他人の言うことなど聴く耳もたないくせして「この僕の解釈はどうでしょうか?」なんていかにも「他人を巻き込んでいる」というポーズをとったりして。 そういう態度に掲示板で「本の内容の要約貼り付け」をやることへの幾許かの疾しさを感じていることが窺えると言えば言えるが。 それにしても白々しさにも程があるだろう。 おかしなことに、また、こういうイカサマが好きな奴もいるんだよな。 忠告なんかしちゃったりして、悦に入ってんの。 「良スレだ」とか言って感心してるバカまで居るし。 ドサ回りの田舎芝居じゃあるまいし、いい加減にしてほしいな。
>>897-898 あんた洞察力あるね。
だけどさ、2ちゃんって公共の議論の場なのか?議論のためだけの場なのか?
俺は、
>>1 さんの立てたお題、設定、ネタに乗っかって楽しめればそれでいい
というスタンスでいたんだが。。。
彼らがホントは「初心者」「初学者」じゃなくてもいいんじゃん?
そういうネタスレとして盛り上げて楽しんで、そんで、もしかしたら、
ちょっとお勉強にもなったりしたら、なんて淡い期待も抱きながら
楽しみ方を模索してくほうが2ちゃんらしいと思うけどなぁ。。。
プッ
>>897-898 君こそそんなダラダラ書き込むんじゃなく、要約の訓練をした方がいいんでないかい?
自分が理解できないからってヒステリーを起こす厨房だな。 やれやれ。
>俺は、
>>1 さんの立てたお題、設定、ネタに乗っかって楽しめればそれでいい
そういう価値観があることは知っている。
そうすることが「気が利いてる」と思い込んでいる奴までいる。
しかし、「
>>1 さんの立てたお題、設定、ネタ」など糞喰らえ、と言い放つこともまた「2ちゃんらしい」と言えば言えまいか。
「すべては主観内の出来事」とかホザく人間に対してさえも、どこからどんな意見が飛んでくるかわからず結論もどこに落ち着くかわからないダイアローグの場としての魅力の方が「内輪受け」の場としての魅力を遥かに上回っていまいか。
「内輪受け」なんてどこだって出来るんだから。
そういった場所でさえ「読書会」のような一方通行的な伝達すなわちモノローグをひたすら好む信者達の特性が現われているという話をしているわけで。 このスレの初めの方でもアンチの処置に手をこまねいた信者達が竹田の本の「読書会」をしようなんて画策してたりしたが。 御本尊の御言葉を正しく提示して理解させればお前らのような誤解は潰せるんだよと言うことなんだろうけどさ。 「読書会」が何故モノローグ的かと言えば、何か「正しいこと」が事前にあってそれを正確に伝え合えばその「正しさ」に到達する、そしてその「正しいこと」が決まって一方通行的にしか伝達されないことにある。 御本尊 → 竹田 → 一般読者 例外なくこの順番で「正しいこと」は伝達されるわけね。 そしてそこでの言説はすべてその「正しいこと」という一つの目的へと収斂されてゆく。 そのさまがいかにもモノローグ的なわけだ。 「正しいこと」を伝えようとする者にとってこれほど心地よい空間は無いだろうがね。 そこでの優越感を竹田的言説を通して縮小再生産的に味わおうというのが信者達の無意識の欲望だろう。 出版資本主義が隆盛の頃はこのような階層的秩序や言説の方向は出版資本主義の論理や物理的限界を以て保持されていたが、 その論理を、ネットのような相互的な、しかも2chのような無数の論理が動態として蠢いている言説空間に持ち込めば、 反動的に受け取られても無理はなかろう。
それにしても、何ごとかを「要約」してそれによって伝達を行うことが、 何故に無前提的に「善」とされているのかサッパリわからんな。 「要約」で「理解する」っていったい何なのか。 「わかりやすい、わかりやすい」っていったい何がわかったのか。 俺には全くわからない。
君こそそんなダラダラ書き込むんじゃなく、要約の訓練をした方がいいんでないかい?
>>906 >しかし、「
>>1 さんの立てたお題、設定、ネタ」など糞喰らえ、と言い放つこともまた
>「2ちゃんらしい」と言えば言えまいか。
あぁ、たしかにそうだね。同意だね!
だけどさ、そっから先は穿った見かただと思うけどなぁ。
”竹田の影響を受けた「現象学徒」が「初心者」の「読書会」「自分の勉強」と称して「啓蒙」活動している”
という推理はホントに当たってんのかなぁ?
たんに、読書会スレとして上手くいっていないから、一方通行的に見えるだけじゃないの?
あと、トップダウン的で、「モノローグ的」で、「反動的」だ、
「2chのような無数の論理が動態として蠢いている言説空間」に
そんなもの持ち込むな、という批判だけどさ、
そもそも、「無数の論理が動態として蠢いている言説空間」なら、
そんなもの成り立たないんじゃないのかな?
だって、その内容について吟味したり自由に反論なり何なりレスつけて議論できるんだから。
多分あなたは竹田青嗣を敵対視してるんでしょうけど、ちょっと疑心暗鬼気味なんではないですか?
あなたの言う「竹田のスタンス』と些細な類似があっただけでも、
竹田軍からの攻撃と受けとってしまってるんじゃないかな?
>>908 >何ごとかを「要約」してそれによって伝達を行うことが、 何故に無前提的に「善」とされているのか
>「要約」で「理解する」っていったい何なのか。
>「わかりやすい、わかりやすい」っていったい何がわかったのか。
これは具体的に何のことを言ってるの?
竹田みたいな素人相手にしてると笑われるよ。
>>910 >「「啓蒙」活動している」「そんなもの持ち込むな」
>「ちょっと疑心暗鬼気味」「竹田軍からの攻撃」
う〜ん、何で俺の言説をそういう「被害妄想」的な雰囲気に追い込もうとするのかな〜、
と、言えば、すかさず、それこそが「被害妄想」であると指摘するんじゃないの?
そういう言葉遊びは「現象学」でも学んで乗り越えて下さいよ。
俺は、二言めには「議論しましょう、議論」とか「確度の正当性についてそれを間主観的に提示しつつ、改変し鍛えてい」きましょう、とか何とか言いながらも、その「議論」を行うのに最適の場においてさえ、
ひたすらモノローグを志向する竹田信者達のありさまをその言説の構造を照らすことで明らかな矛盾として摘出しているわけなんだが。
その矛盾はあくまで具体的な言説として表象された竹田信者達自身の態度それ自体の問題であって、
その問い直しはあなたが想定した俺の「被害妄想」など抜きにしても十分成立しうるんじゃないだろうか。
それに「無数の論理が動態として蠢いている言説空間」だからこそ、その「無数の論理」の大元たろうという「基礎付け」への意志が働いている(それが「現象学」の意図であるのだから)わけで、
「そこでの言説はすべてその「正しいこと」という一つの目的へと収斂されてゆく」という俺の観察に誤りはないだろう。
俺はその言説の流れを「モノローグ」的と言ったまでで。
言うまでもなく、それは「無数の論理が動態として蠢いている」=「ダイアローグ」的な言説のカオスを否定し支配しようという不遜な意志の現れである。
当り前のことながら、「そんなもの成り立たない」。
でも、「成り立つ」と思っている奴らがいるんだよね、おかしなことに。
それに対して「それって違うんじゃないの?」とひたすら突っ込みを入れてんの。
俺のやってるのはそういうこと。
>>911 俺もそう思う。
この人の大きな勘違いは、読書スレを主催している二人が竹田信者どころか 竹田に全く興味がないことすら理解できないことだ。
ん? 何で「読書スレを主催している二人が竹田信者どころか竹田に全く興味がない」とはっきり断言できちゃうのかな〜。 「大きな勘違い」とは大きく出たけど、もちろん現時点で確かな証拠があって言っているんだよな。 それをちょっと提示してくんないかな。
ん? だったら、君がこの二人が竹田信者と決めつけてる証拠を提示してくれないかな? 二人とも竹田の話なんてしたことないんだけどね。
それとも君にとってフッサールの読書スレ立てる奴は全て竹田信者なのかい?
俺は『おそらく竹田の影響を受けたと思われる「現象学徒」』と仮説として言っているわけだが、 お前は「読書スレを主催している二人が竹田信者どころか竹田に全く興味がない」とはっきり断言し、 俺の「仮説」を指して「大きな勘違い」と明言しているしているのだが、 その根拠を質しているのが理解できないのか。 まさか、「二人とも竹田の話なんてしたことない」なんてのがその根拠だなんて言わねえよな。 ちゃんとその根拠を書いとけよ。
竹田に一切関心を見せていな以上、彼らは竹田の影響で読書スレを立てたわけでないと考えるのが普通でないかい?
それなのにあんたは強引な「仮説」で
>>897-898 >>906-907 >>912-913 を「ブった」のかいw
>「初心者」「初学者」だから「勉強」をするんだとかもっともらしい口実をつけて。
カッコは明らかに初心者だよな(もしかしてそれすらわからない?)
ポールは今のスレの遙か昔にシェリングで読書スレ立ててたのもちろん知ってるよな?それも竹田の影響かいw
なんならカッコとポールに聞いてきたら? 「竹田さんの影響で読書スレ立てましたか?」ってさw こんなところでウジウジ愚痴を言ってないでさ。スレ違いで迷惑だしね。
>ポールは今のスレの遙か昔にシェリングで読書スレ立ててたのもちろん知ってるよな 立てたのはチンポ、実質読書スレにしたのがポールだな。
922 :
考える名無しさん :03/11/06 22:09
竹田氏のメルロ=ポンティ解釈ってあってる?
>>919 =
>>920 =
>>921 =竹田の○ヌ
「竹田の影響で読書スレを立てた」?
誰がそんなことを言ってるんだ?
俺は竹田の言説と「読書会」スレの言説の構造が相似形であることを指摘しているわけなのだが。
そのことが「読書会」スレの主催者が竹田信者であるという仮説の一つの理由として成立しうるという話だろ。
それに「ポール」という自称「初学者」は、他でもないこの「竹田スレ」につい最近にも登場し竹田の擁護までしていて、「竹田に全く興味がない」というお前の断言と明らか食い違っているのだが、それについて何か言うことがあるか。
また「カッコ」とかいう自称「初心者」は「読書会」スレの冒頭で「何冊か入門書を読む中で、特に現象学というものが面白そうだと感じました」と書いているが「現象学」を「面白そう」と感じさせる類の「入門書」ってそんなに種類があるものなのか。
それに俺が
>>897-898 を書いた翌日に、
>それに、一方的に自分の要約を書き込んで、アドバイスや解説してくれている人とも、
>ほとんど対話をしていところ。
>自分でこのスレを見ても、まるで、人を拒絶しているように見えました。
と「フッサール『デカルト的省察』を読みたい!」スレで神妙に反省してみせたりしているが、このスレを全く意識していないと断言できるか。
で、つまるところ、こいつらの言っていることってのは竹田の言ってることと全く懸け離れているのか。 決定的な相違があるなら言ってみな。 竹田のよくとるスタンスってのは「フッサールの本当に言いたかったことはこうだ、でも一見難解だから私が要約/翻訳して理解させよう」という態度であって、まさに2ch哲学板現象学系「読書会」スレ主催者と相似形だよな。 竹田の言説を引っ張ってこようにも「竹田スレ」がこの状態じゃどうしようもないから次々にあれこれ理由をつけて竹田の名前を出さずに「現象学」関係スレを立ててるってだけの話だろ。 何で「諸学の基礎付け」に固執するのかと聞きゃ、また「相対主義」がどうの、「ニヒリズム」がどうの、って竹田の口真似で答えてくるって。 あらゆる論理を単一の論理で支配したいという飽くなき欲望もまた同様にこいつらの内部に渦巻いているだろ。 いったいどこがどう違うんだ? 答えられっか? 前スレで完全に叩き潰されて沈黙に追いやられたはずのお前ごときが。 まあ、逃げるなら最低限「読書スレを主催している二人が竹田信者どころか竹田に全く興味がない」「竹田に一切関心を見せていな」い、というお前自身の明確な断言の根拠だけはきちんと提示していけ。 お前ら竹田信者はあまりにも自分の言ったことに対して責任をとらなさすぎる。
勝手にしてくれ
>>924 匿名の掲示板で自分で言ったことの責任もくそもあるかい。
そんなことを期待するんなら、人間アカデミーとかで直接お前の意見をぶつけたれや。
つうか、人の責任云々の前に匿名で責任論を語るお前はいったい何様?
927 :
考える名無しさん :03/11/16 18:54
>匿名の掲示板で自分で言ったことの責任もくそもあるかい。 こいつにしろ、コテハンで蘊蓄語ってみたり読書会を開いたりする奴らにしろ、 ネットの匿名掲示板の意味を完全に誤解しているところが面白い。 自分が言説を発している場がどういう場であるかさえ認識できないようなボンクラ共が「あらゆる認識(学問)の絶対的な根拠に到達し」ようと言うんだから全く途方もない話だよな。 いいんだよ、自分の言ったことに対して責任なんかとらなくたって。 全然構わない。 お前らの「言ったこと」が説得力を失うだけなんだから。 それだけの話なんだよ。 「期待」なんか鼻糞程もしてないよ。 「念押し」だって、責任なんてとれっこないだろ、って言う。 まさか俺がお前らのことを「匿名の掲示板で自分で言ったことの責任」をとれるような度量を持った人間だ、とみなしているとでも思っているんじゃねえだろうな。 付け上がるのもいい加減にしてほしいな。 しかし、「人間アカデミー」ってネーミングのセンス、たまらないね。 ちょっと興味湧いたかな。 つうか、お前はいったい何様?
はあ、だれもここの掲示板で期待なんかしてないよ。 説得力? 匿名の掲示板に説得力なんて言葉が通用するかね。 そもそも期待しているから、こんなところで粘着議論してるんだろ、おまえはよ。 つうか、引きこもりか?お前は?
荒しと厨房は放置!できないヤツは、(・∀・)カエレ! 反応した方も荒らしです
う〜ん‥‥。
ここは久々に覗いたんですが‥‥。 期待はされてないでしょうが、俺が竹田青嗣に違和感を覚えるのはこういう↓ところです。 小説TRIPPERの抜書きです。
竹田――さまざまな市民運動自体が、「意味の備給」ということの中で動いているわけで、 もちろんそれ自体否定される理由はない。しかし、さまざまな市民運動の一つ一つが、や はり自由の相互承認という原則ではじめて成立しうることだと思います。そのことをはっ きりさせないと、いわば多くの小さな正義が、われこそが正しいという形でせめぎあって いくことになる。それは社会全体としては、これを改変してゆく方向にもほとんど結びつ かないわけですね。一般の市民感覚からどんどんずれていくので。
自分もそういう立場だったので分かるんですが、いわゆる「マイノリティ」に属する場所 から、「ここにこそ義があって、一般社会はとんでもなく不当だ」という感覚になりがちに なる。ところが「マイノリティ」の場所は、ますます多く発見されて、みなどこかに属し ていくということが起こりうる。差別されているという異議申し立てはまだそれなりの根 拠があるけれど、自分が可愛いと思っている動物を虐待するのはけしからん、とか、堕胎 は反道徳的でそんなことを容認している社会は歪んでいるとか、それぞれ親の思うように 教育させるべきだ、とか、どんな場所にいても、あらゆる仕方で義憤を発することができ る。そこから、極端にファナティックな運動が生じうる。そこを思想的にどう原則を考え るかがまず重要な課題だと思いますね。
東――でもそれは、思想の問題というより、むしろ公安の問題だと思う。つまりパブリック ・セキュリティの問題。これからもカルト的な団体による小さなテロは無数に出てくるだろ うし、そのたびにセキュリティの充実を求める世論が高まっていく。これは思想的な問題 というのとは、少し違うんじゃないでしょうか。 竹田――そのバランスについてやはり一定の基準を作っていく必要があると思うんです。 というのは、両方とも問題なんですね。カルト的に義を主張して反社会集団を作るほうも、 逆に公安的システムがどんどん強くなることも。
>>932-934 は、
週刊朝日別冊 小説TRIPPER 2002年秋季号
[特別対談]「哲学する」世代間のズレと橋 竹田青嗣×東浩紀
P.70中段〜下段
からの抜書きです。
おやすみなさい。
>自分もそういう立場だったので分かる つ〜か、今も「そういう立場」であることを全く自覚できないことが竹田及び信者にとっては問題なわけで。 何で現在の自分がそこから免れていると断言できるのか。 何度も言ってるように「カルト的に義を主張して」いるのはどう見ても竹田の側だろう。 あらゆる論理は単一の論理に集約される、その「単一の論理」こそが「あらゆる認識(学問)の絶対的な根拠」としての「基礎付け」を成す、という馬鹿げた主張を自分の主観による確信だけをもとにひたすらモノローグ的に垂れ流しているのだから。 現実的にはそんなことはありえないのだが、その現実を受け容れられない。 竹田や信者の言説はそういった現状に対する「義憤」すなわち「ここにこそ義があって、一般社会はとんでもなく不当だ」という感覚の表明に過ぎない。 「われこそが正しい」と「わたしにとっての意味」を一方的に押し付けてくるだけなんだから。 だから自分の主張が通らないこういった「無数の論理が動態として蠢いている言説空間」においては、 おそろしくペシミスティックになったりする。 >はあ、だれもここの掲示板で期待なんかしてないよ。 > >説得力? > >匿名の掲示板に説得力なんて言葉が通用するかね。 >そもそも期待しているから、こんなところで粘着議論してるんだろ、おまえはよ。 誰が「ニヒリズム」「相対主義」に陥っているかは今や誰の目にも明らかだよね。 俺は「無数の論理が動態として蠢いている言説空間」を全面的に肯定する。
竹田に単位もらえなかったせいで留年でもしたん? >936
おれは竹田信者じゃねーよ。 つうか、読んだこともねーよ。 おまえ、必死だな(w
竹田青嗣の著作の何処をどう読んだら、そうなるんだって書き込みが多いな。 時間無駄にしたよ。 頭の悪い奴でも、字が書けるってのは問題だとつくづく思った次第。
940 :
考える名無しさん :03/11/17 20:42
ひきこもりばっかw
941 :
考える名無しさん :03/11/18 09:47
ページ指定をすると信者は発狂するしな
隅でごにょごにょやっているぶんには構わんのだが ageでくるとうっとうしいよ。 竹田なんか読んでいい気分になってなってないで きちんと勉強してください。恥ずかしいです。
>>942 おまえのいう勉強ってなんだよ?
えらそうだな。
つうか、だれもいい気分になんかなってねーよ。
気に入らない「マイノリティ」の運動があれば、単に個別に直談判すりゃいいだけの話だろ。 世間知らずの「大学教授」ってのはそんなこともわからないのか。
>>934 >これは思想的な問題
>というのとは、少し違うんじゃないでしょうか。
>竹田――そのバランスについてやはり一定の基準を作っていく必要があると思うんです。
永井均との対談でもそうだったけど、竹田青嗣は肝心なところで問いに答えていない。
ちなみに対談はこれで終了ではなく、この後も続く。
東浩紀が、 「でもそれは、思想の問題というより、むしろ公安の問題だと思う。」 「これは思想的な問題というのとは、少し違うんじゃないでしょうか。」 と、二度主張しているにも関わらず、竹田青嗣はまったく無視。 もちろん収録や編集の都合もあるだろうが、それはまた別問題でしょう。 東浩紀の言うことがおかしいと思うなら、 「いや東さん、それは違います。これは思想の問題です。」 と、竹田青嗣は正面から反論するべきだ。だが彼はこう続ける。 「そのバランスについてやはり一定の基準を作っていく必要があると思うんです。 というのは、両方とも問題なんですね。カルト的に義を〜」
俺は最初「そのバランス」ってのは、思想の問題「である派(竹田)」と「でない派(東)」との見解(意見、主張、大げさに言えば主観)同士のバランスの話かと思ったよ。「両方」ってのも。 しかし彼は「〜主張して反社会集団を作るほうも、逆に公安的システムがどんどん強くなることも。」と、自説を続けるだけ。 それが思想的な問題なのか、という東の話を、全然聞いていない。 もっと言うと、自らによる問題設定以外の問題設定、つまり他者による問題設定というものを、まったく認めようとしない姿勢がある。 (うんと竹田に好意的に見れば、哲学者としていい加減なことを言いたくないという姿勢なのだろうが、それならば後日でも東にこの部分の反論をすべきだと思う。)
まあ、凡庸な「知識人」の出版物での「対談」なんてそんなもんでしょ。 他人の話など聞いてる余裕なんか無いんだよ。 自説(いちおう)で食ってるほどの自信家が他人の問題機制を「対談」なんかでその場で変に認めちゃったりして喰われてしまったらどうする。 オマンマの食い上げだろ。 あくまで自分の問題機制の中で対処するに越したことはない。 だから、こういう3流「知識人」は「出版」という保護された枠内でのモノローグがお似合いなんだよ。 保護されているがこその「哲学者」なんだよ。 それにしても、竹田が否定しようとするのは決まって「左翼」的いわゆる「進歩的」な言説だよな。 その時点で無茶苦茶バイアスがかかっている。 そのこと自体は別に構わないが、「ありのままの看て取り」なんていうタチの悪い冗談を言い放つのはいい加減にしといた方がいいんじゃないの。 例の「戦争抑止の原理」も煎じ詰めれば「自分はいかに左翼的な論理から逃れ得たか」という毎度のアピールだし。 過去の自分の姿をしゃにむに否定するのは個人の自由だが、そんな個人的な恣意から「原理」を立てられちゃたまらない。
相変わらず自分の言説が社会でどう機能しているかも認識できていないしね。 ・自分が可愛いと思っている動物を虐待するのはけしからん ・堕胎は反道徳的でそんなことを容認している社会は歪んでいる ・それぞれ親の思うように教育させるべきだ(?) こういった主張はその目的がある程度達成すればそれなりに終息していくものだが、 ・自分が「信」を置く認識の仕方や論理こそが、あらゆる認識の仕方や論理を基礎付ける絶対的な根拠であるべきだ という主張の途方の無さは、 その実現不可能性にもかかわらずそんなことを信じ込んでしまっている信者の「信」の深刻度、 そして自分達はカルトではなくそれを解体する論理を有する反カルトであるという思い込みが相乗することで、 まさにウルトラ・ファナティックな相貌を呈していて、 際限がないだけに全く救いようがない。
安置が違和感があるのは、東の言った「でもそれは、思想の問題というより、むしろ公安の問題だと思う。」ってとこか? 竹田さんの側は始めにそういうカルト的な集団を『叩く』、という東の前提を壊して思考してるからそう感じるんだろ。 東の語調はマイノリティーがカルト的になる現象を自分が同じ状況になりうる、という可能性をはずして、 カルト的な集団そのものをまずどう『防ぐ』か、もしくはどうやって『根絶する』かというパブリックセキュリティーの立場から考えだしてる。 東はこういうセキュリティーに関心があるみたいだが、その小説TRIPPERの対談は手元にないから東の主旨は余り明確じゃない。 竹田さんからすると東はカルト集団がマイノリティーからどういう風に変化してきたかというプロセスを飛び越して いきなり対立した状態で和解が不可能なものとほぼ断定して喋っている事に対して異議を提起しているんだろ。 その文中から言えば、「いわば多くの小さな正義が、われこそが正しいという形でせめぎあっていくことになる。」ここのところ。 それと大半の竹田さんに対する批判はだいたい、当てはまらないとは言えないまでも その批判の内容はもっと顕著なやつが他にいくらでもいるだろ。
>>950 >東の語調はマイノリティーがカルト的になる現象を自分が同じ状況になりうる、>という可能性をはずして、
>カルト的な集団そのものをまずどう『防ぐ』か、もしくはどうやって『根絶する』
>かというパブリックセキュリティーの立場から考えだしてる。
ならば、竹田はここで東にそう指摘すべきだ。すぐに出てこなきゃ、後で言ってもいい。
俺がこの箇所
>>934 で思ったのは、竹田が東の話を聞いていないんじゃないか、ということ。
自分が「さまざまな市民運動自体が〜極端にファナティックな運動が生じうる。」と長々と述べ、
「そこを思想的にどう原則を考えるかがまず重要な課題だと思いますね。」と結んだ主張を、
相手は「思想の問題というより、むしろ公安の問題」「思想的な問題というのとは、少し違うんじゃ」
と否定しているんだぞ。自分のまとめ方そのものを。
繰り返すが、東の言うことがおかしいと思うなら、 「いや東さん、それは違います。これは思想の問題です。」 と、竹田は正面から反論するべきだ。後になってでも。 結局、思想の問題なのか、そうでないのか、或いはこの問いの立て方自体 に問題があるのか、わからずじまいだ。 もし、思想の問題でないとするならば、「さまざまな市民運動自体が〜極端 にファナティックな運動が生じうる。」という竹田の見解は、結局何なんだ? 市民運動の評価の話じゃなく、彼のこの見解自体は、「何」なんだ? 竹田青嗣という一個人の、「個人的な心配事」の範疇を出ないんではない か? 思想の問題でないならば。
相手の話を理解できているんであれば、ここで席を蹴って帰るぐらいしてもおかしくないはずだ。だが竹田は反論をすることすらせず、自分の見解を述べるだけ。目の前の人間は、その見解の土台を、範疇を、枠組を、問うているというのに。 そして、この後も何事も無かったかのように「対談」なるものは続く(ここで抗議しない東にももちろん「問題」あり)。 で、ここで竹田が言ってる「原則」ってのにも注目すべきと思うんだけど、これは在日の話なんだよね。でも長くなるから後回し。
思想の問題にきまってんじゃないか。 東なんてのは盗聴法のときも、これはテクノロジーの問題ですとか言ってんの。 そういう姑息な奴なの。新世代として、思想という大文字を相手にする自信がないだけ。 竹田相手に真面目に思想を語ってなんの得になる? 戦略だよバーカ。それに対して竹田はあくまで大人の対応してたよ。
まあ、お前は東みたいに斜に構えた態度で気の利いた物言いに影響受けちゃうアホな。 いったい、思想を、何だと、思ってんだ? 竹田はそのことだけを語ってきのに。
>それと大半の竹田さんに対する批判はだいたい、当てはまらないとは言えないまでも >その批判の内容はもっと顕著なやつが他にいくらでもいるだろ。 何だ、こりゃ? 街角で肩がぶつかった奴がいて、即座に掴まえたら、 「もっと激しくぶつかった奴が他にもいるだろ」と言い訳をされたようなトンチンカンな応対だな。 俺が今叩いているのは他でもない竹田や信者であるわけなのだが。 状況見えてる? 「自由の相互承認」は「思想」や「原則」の問題なんかじゃないよ。 仮に「自由の相互承認」が問題として提示されるとしたら、それはコミュニケーションの問題なんだよ。 具体的な他者との局所的で断片的で一時的で瑣末なせめぎあいの反復がすべてなんだよ。 竹田や信者にはコミュニケーションの問題を「思想」や「原則」の問題に摺り替えることで、 具体的なコミュニケーションを絶えず回避しようとする怠惰な姿勢しか見られない。 その様態や主張や活動状況が多種多様であるはずの「さまざまな市民運動」を十把一絡にして批判してみたり、 具体的に叩かれているのに「もっと顕著なやつが他にいくらでもいるだろ。」と一般性に逃げを打ったり、 という具合にね。
>これは在日の話なんだよね。でも長くなるから後回し。 安置は在日を語る時にどの立場から言ってるのかよく分からない時がある。 「現代批評の遠近法」に掲載されている「沈みゆくものの光景」という評論では、 在日の捉え方が世代交代によって変わっていき、民族という言葉が響かなくなった世代に注目して 「ごく普通の在日韓国人」という本をとりあげ、帰化もその逆もそれぞれがよく生きる道を選択すれば 良いのではないかという主張に沿いながら論じている。ここではまず、各々の世代がどういうかたちで 民族的な理念に行き着いたかを世代の違う二人の作家から書き出す事になる。 >自分が在日しているというそのことが、すでに民族の一員であるべきだという自分の本来からの欠損である。 >この欠如によって金氏は、「祖国」、「民衆」、「民族」という理念を、在日が日々掴み取り確証すべき >生き方の原理として示した。 >「家」と格闘する二世世代の像を描きながら、それにもかかわらず結局日本人になる事は在日の不遇性を >決して水面の上へ掴み上げる訳ではない事を示す事によって、もう一度、二世世代にとって「民族」という理念が >必然の道である事を確認しようとしたのだ。
二つの考え方には変化があるが、この事の「意味」に関しての彼の見方はこのようなものだ。 >在日は常に様々な危機にさらされるが、結局自己の真理として民族という根を見出し続けた、という事では「ない」。 >むしろ、在日がその不遇感を打ち消して生きようとする時、必ず日本という共同体の壁につきあたり、 >従って最後にはどうしてもこの共同体に対抗するかたちで自分達の理念(民族)を立てざるを得なかった、 >という事を意味しているのである。 「ごく普通の在日韓国人」著者の彼女の生き方が二世世代にとってはいずれ民族意識に結びつく筈の 半日本人という生き方をこの著者は保持し続けている事に関して彼は「非難する気持ちを全く持っていない」と言う。 この事の理由は次のような事態によるものだ。 >日本社会に受けいれられる機会を得た在日にとっては、民族理念のほうが生き続けられずに滅んでいくという事である。 >これが「さまざまな在日」という新しいアイデンティティ問題の根に潜んでいる新しい事態なのである。 これと並んで、彼はこの著者を酷評した側が民族路線の声を強くしなければならないのは、 新しい世代に段々と民族問題に還元できない矛盾がどういった解決をとっても残るという事態を 直観的にであれ感じていて、それが一定の層をつくる事が民族の理念にとって危機となるからだと考えている。 この事に関して、彼は在日が持つ本質的な背理とは不遇性の一切を 共同体の不在に結び付けざるを得ない状況の事なのだと言っている。
竹田の問題点を指摘することで、相対的に東を持ち上げてしまうことが問題なのか? 業界内のヒエラルキーかなんか知らんけど、部外者の俺には、誰が上がろうが下がろうが、真剣にどうでもいいわ。まさか竹田の話は業界の内輪話だから、業界外の人間は口を出すなとは言わないだろう? 本当に、誰が上とか下とか、俺はどうでもいいんだ。 東浩紀にも問題があるんだろうよ。それは彼にも批判者がいるから、その人らに任せるわ。 >いったい、思想を、何だと、思ってんだ? そういう問題か? 俺がここで大事なのは、「社会」「世の中」だよ。 思想が社会問題に役立つというのが竹田の言うことだろう? で、そこで、どのぐらい、どういうふうに役立つの?と思って言説を追っているのに、なぜそんな言われ方をせにゃならんのだ? >竹田はそのことだけを語ってきのに。 善良な人間が熱意を持って何かに取り組みさえすれば、その対象は必ず応えてくれるものなのか? 俺の知る限りでは、否だ。残念ながら。 (この問いの立て方自体に問題があるかもという留保は、もちろん取っておく) 世の中ってそんなんか? 「地獄」(by 死刑囚。さん)じゃないんかよ、現実ってのは。
竹田とか西は基本的に世の中=社会に興味ないよ。 全然知ろうとしないじゃない。
永井みたいに興味ないっていっちゃえばいいのに。
>>957-958 率直に言って、お前とは論戦したくないんだよ。
だが書くことにするよ。
>「ごく普通の在日韓国人」
竹田青嗣のその評は、初めて知ったよ。
その本へのそういう酷評は、俺も頭がかたいと思う。的外れだとも。
しかし竹田青嗣の言うことも、単なる批評だよ。文芸批評家なんだから当然といえば当然だが。
人の褌で相撲を取ってるだけじゃねえか。実存主義ねえ‥‥。
しかし、在日論では、意外と凡庸なことを言うんだな。
竹田青嗣がヘーゲルやデリダ、フッサールに向かうときの密度は、こんなレヴェルじゃないはずだ。ということは、この問題での彼の汗のかき具合も、自ずとわかるってもの。
自分のポジションを決めてるだけ、そして教科書的な見解の、いかにもなところをピック・アップして、「それは教科書的だ」と言い、我田引水をやってるようにしか、見えん。
ここにはないが、青年が、とか言ってな。
引用は今はできんが、彼の言うところの青年って、現代日本の何処にいるんだよって思うよ、たまに。
で、この方向で何かやろうというのならともかく、大方批評してそれで終わりなんじゃないの? 彼も。
>立場 念のため言っておくが、帰化の是非は、在日運動に関わった日本人である俺は、言う立場にない。 お前個人の生き方に対しても、どうこう言う気はない。他人なんだからな。 在日全体のことに関しても、「こうあって欲しいなあ」という願望は、ある。 だが、それは「願い」だ。ああしろこうしろ、なんて言わないよ。 だって、俺は当該じゃないんだからな。俺のスタンスは、そんなもんだ。 言っておくが「在日運動」という語感から想像されるような大仰なものとは、全然、まったく、異なるぞ、俺のやったのは。 チョボチョボのやつだよ。地域に根ざしたグループの、そのまた一部分だよ。 関東の、某在日コリアン集住地区だ。 でもチョボチョボだからこそ俺にやれたとも思うし、そのボチボチ具合が運動界隈でも「地道な努力」てな感じで評価されていたりしたから、それで良かったとも思ってる。
965 :
考える名無しさん :03/11/29 05:04
>>946 それは竹田が弱いだけでは?
東が空気読めてないのはまぎれもない事実。
久々に上げたね
「思考の原理」とは、「正しい考え方の原理」という観念に対抗する考え方だ。 「正しい考え方」とは、専門的知によって生活の知を圧倒するような知であって、 つねに“うさんくさい”。 むしろわれわれは経験によって「優れた考え方」というものを知っている。 こちらのほうは大きな知でも、精密な知でもなく、考えるということの人間的意味と 理由をつねに自ら理解しているような思考である。 そのような思考の本質は、人間の生活の存在するところ、つねに一つなのである。
在日、朝鮮系、帰化人の可能性がある苗字。 金、金子、金田、金井、金本、安田、安川、安、林、小林、大林、大山、塚、杉田、 小杉、杉原、島崎、浜田、松本、井上、青田、倉木、大倉、前田、浜崎、山崎、川崎、 西川、井川、星野、星川、野本、野島、野中、秦、秦川、畑中、曽我、南原、北原、 伊集院、白鳥、三井、華村、花村、竹田
彼の場合「青嗣」だけじゃなく「竹田」もペンネームじゃないのか(別にそれを知りたいわけじゃないぞ)。 あと「帰化人」という表現は、古代の表現に聞こえるが。高野新笠(桓武天皇の母)とかの。それも最近は「渡来人」という表現が主流だと思う。
>>957-958 で、いつか、総連の悪口を書いちまったけど、それは取り消すよ。
いや、単に俺と一緒にやってた人たちが、同じ地域に生きる人間として厚意でやろうとした事を、にべもなく断られたって話なんだ。
その人たちは今でも怒ってるかもしれないが、俺個人は悪感情を抱いているわけじゃない。それに、立ち位置が違えば事情も違うってのは、俺も言ってることだからな。
無用に惑わしてしまったのなら、その点は謝るよ。ごめん。
>>950 >竹田さんの側は始めにそういうカルト的な集団を『叩く』、という東の前提を壊して思考してるからそう感じるんだろ。
>竹田さんからすると東はカルト集団がマイノリティーからどういう風に変化してきたかというプロセスを飛び越して
>いきなり対立した状態で和解が不可能なものとほぼ断定して喋っている事に対して異議を提起しているんだろ。
俺なりに解釈すると、他者と自分との「地続き感」を大切にする、ということかな。
そういう面は、竹田の言説の評価すべき面なんだろうね。
ただ、哲学者ならば、言論人ならば、そのことに自覚的であるべきだとも思う。そうじゃなきゃ、ただの「いい人」だよ。
竹田のそういうところを見出して、ファンはそりゃ嬉しいかも知らんが、それで「社会」の何がどうなるのかね、という疑問も残るぞ。
これは書きたくなかったが、これで話が通りやすくなるのなら、書くよ。
俺は別に、竹田ファンに対して、一般的な意味で言う害意を持ってはいない。そうは見えないかもしれないが。
おそらく竹田が、市民運動に対して持っていないようにね。
>>950 >それと大半の竹田さんに対する批判はだいたい、当てはまらないとは言えないまでも
>その批判の内容はもっと顕著なやつが他にいくらでもいるだろ。
竹田の言説を受け入れるときに使う想像力の半分でも、他者に使ってくれい。
なんで(「ファシスト」とかじゃなく)「詐欺師」とか書かれるのかね。
書いたのは俺じゃないが、ある構図が見えるんだよね。
>>973 無いです。
一丁頑張ってみてください。
975 :
コピペ推奨 :03/12/12 15:30
嘘で契約させられたのに、謝罪もなかった。 さすが、朝日である。 ちなみに、半月以上の無料購読は、違反だったはずである。
「哲学の冒険」! わははははは。
わははははは。 「現代思想の冒険」!
979 :
考える名無しさん :03/12/17 01:53
竹田新刊まだか???
竹田現象学について語る(続きの続きの続きの続き) これだと、ちと長いな。。。
竹田現象学について語る(part8) これでよい。
竹田大戦 在日の謎 これでいこう
それにしても「人間アカデミー」には笑ったな。 もし自覚的にそう名付けたんだったらコイツら見直さなきゃ!って思っちゃったよ。 もっとも正しくは「人間学アカデミー」らしいから、ありえないけどね。 927も同じ理由で面白がってたのかな?
984 :
考える名無しさん :03/12/22 20:12
竹田新刊まだか???
1000いったら誰か立てる予定でよろしく。
乙です。
こんなかんじで。
数字全角って...
変える?
竹田大戦 在日の復活で
993 :
考える名無しさん :03/12/24 00:56
早く埋めろよ
994 :
考える名無しさん :03/12/24 01:10
995 :
考える名無しさん :03/12/24 02:04
在日が好き
5
3
壱
ゼロ
【人格最高】竹田哲学について語る【哲学最高!】 終了。
1001 :
1001 :
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