>>1 もう一度読んで!
苦という反応は、自らの意識が望まぬにも拘わらず回避できない故に、意識はそこに
単純に不条理を見出す。それを詰めると、その反応は生体維持の為に編み出された反応
であることに気付くが、同時にその経緯も必然も預かり知らない存在形態を自らが背負
っていることにも気付く。苦という反応の背後に選択の余地のない先天的な枠組みが確認
され、苦はこの規定に起因することが明らかになる。するとここで不条理は単純な苦から
存在形態そのものへシフトする。更にその存在形態から発生するあらゆる反応における
不条理をも発見し、それが広義としての苦と認識される。
存在形態の限定された生において(そこで繰り広げられるあらゆる反応が)広義の苦に
還元されることとなる。従って生は苦であるという単純な言明が導きだされる。
この苦の問題は、認識の転換によって肯定し、受け入れてしまえば一応の解決をみる。
だが、存在形態そのものの不条理を認識した者がすんなり移行できるかは疑問である。
というのも、これは不条理構造そのものを改善したのではない妥協の対応だからである。
では存在の不条理構造そのものを改善するとは何か。それは預かり知らない他律的な
形態から自らが規定する自律的な形態へのシフトである。だがそれは造物主ではない我々
にとっては有り得ない要求でしかない。どんなに加工しても枠組みは外せないのである。
(ここから前レスと重なるが)更に存在形態の不条理を突き詰めると、そもそも存在
そのものに対しての問いを見出すことができるが、その問い自体はその問いまで到達した
存在には自明だが、その問いに踏み込むことは哲学の範疇を超えてしまう。哲学に可能な
のはせいぜい形而上学的な仮説をたてるぐらいだが、勿論明晰に証明することなどできな
い。そして証明できる範囲といえば、それこそウィトゲンシュタインの言葉に尽きてしまう。
あくまで証明可能な世界に留まるのか、形而上的仮説で満足するか、それとも実践系
に突入するのか、すでに根源的な問いを持ってしまった者にはいずれも満足な結果は
得られないだろうが、我々は所詮は土人形なのだからせいぜい信念に従って選択するより
他はない。
3 :
考える名無しさん:03/06/16 04:52
糞スレ終了2げつよ
3代も続いたから江戸っ子昇格!おめでとう
>>1 もう一度
>>2を読んでよ。なぜ私にそんな質問をする?
それを問うために、何かを得るために、更に一歩進んで、
>貴方の意志を前面に出して自己の枠組みからの規制に精一杯抵抗してみるといい。
>その方法は自分の意志にあったものでいい。
>問いの前で立ちすくむだけでは、ただの虚無主義の感傷に浸っているだけ。
といっているの。
>>1 それじゃ、もうひとつ追加すると、
噛み合いもしない議論にで油を売っている貴方を見いると、
貴方がその噛み合わない者に対して思考停止と言っているように、
私からは貴方が思考停止、試行停止、感傷に浸っているだけとしか見えないよ。
>>2 >>5-6(739)
いやね
>>2 の言う事はそのもので分かるんだけどさ…
最後の一文
>我々は所詮は土人形なのだからせいぜい信念に従って選択するより他はない。
ってのは…
『諦めて生きていけ』って風にしか読み取れないんだが?
読解力が無かったらゴメン。
多分違う事を言ってるんだろうが、読み取れない…
諦念も時には大切よ。うん
>>7 土人形=造物主でないことの喩え
諦めろ−ではなくて、そこから出発する以外にないだろ?ということ。
私は現状の生を自明として従えなんて求めていない。
>>5-6に答えて!!
>>5 言っても信じちゃもらえないだろうが…
『問いの前で立ち止まっているだけ』ではない。
方法を模索してやる事はやった。
其処から進むことは進んだ。
しかし『自分が自分で無くなる』『壊れていく』というのが『実感として』分かったから『此処』に戻ってきた。
怖かった。
純粋に怖かった。
『それ』を望んでいたはずなのに、どうしようもなく怖くて『それ』から逃げ出した。
信じるか否かは貴方次第。
一応、
>>5への質問の流れは以下の通り。
988 :ハルカ ◆0tZOcyVq86 :03/06/16 04:39
>>986 貴方にも同じ事を質問しよう。
我々は『深層心理』『本能』に『抗うことの出来ない絶対的基準』として『生=善』『死=悪』の価値観が刻まれている。
では『生=善』(もしくは『死=悪』)とするその根拠は何処か?
>>6 噛み合わないとは思ってはいない。
『その場所からもう一歩踏み出して考え続ければ』私の言っている事の一端でも分かる人ばかりだったから。
油を売っているわけじゃない。
ただ『もう少し考え続けてみないか』と言っているだけ。
>>10 貴方が死ぬ思いをしたとのレスは過去にみた。それは承知している。
その上で、では貴方は今なにをしているの?と問うている。
感傷に浸るだけでいいのですか?と問うている。
>>12 厳しく言おう。あなたはあなたが既に導き出した虚無的見解にあぐらをかき、
自分からは恐怖で何もできないず、他者の助けを口をあけて待っているだけ。
考えること、時間が必要なこと、それは当然。でも貴方の姿勢は前を向いていますか?
>>13 前にも言った通り『自分が間違っている確信を得られるきっかけを探して』いる。
この2chでね。
無理とは思うケド、それでも『不特定多数が集まる匿名掲示板』というものに期待したい。
どうしても『無理』だったら、それを確信したら…
そしたらもう一度『それ』に向かうさ。
それまでの『逃げ場所』だよ、此処は。
>>15 前に聞いて承知してるよ。その上での確認と質問でした。
もうひとつ、単純に聞きます。本当は生きたいんでしょ?
苦がどうだとか、規定されているとか、そんなこと抜きに
純粋に自分の意志のみで答えて。
>>16 『生きたい』からこんなにも苦悩してるんじゃないか(苦笑)
いや、少し訂正。
死んでも(私の実感では)『苦』から抜けられない。
だったら、今此処に生きているんだから…
『生存しなきゃならない』のだったら…
どうせなら『楽に』生きたい。
だからこそ苦悩している。
以上。
>>17 だったら、(すぐにとは言わないが)
>貴方の意志を前面に出して自己の枠組みからの規制に精一杯抵抗してみるといい。
>その方法は自分の意志にあったものでいい。
他者の承認なんて関係無い。過去の方法が間違っていたら別に試せばいい。
拘束されている自己に抗して精一杯自己意思で生きてみなよ。
それを試さなければ何も見えはしないよ。勿論私もそのつもりだよ。
『生存しなきゃならない』から、自己意志で『生きる』抵抗をしてみなよ。
>>19-20 だから…本気で『根本疑問』を解こうと思ったら『それに向かう』か『忘れた振りする』かの二択しかないの。
手段は色々有っても、最終的には『それに向かう』事は変わりないんだから。
で、今の私は『それに向かう』事が恐怖だから、此処にいるわけ。
>>21 わかったよ。もう問わない。でも、自分を見失わないでね。
今までレスに答えてくれてありがとう。
終わったところで先ほどの問いに答えておこう。
楽しみ>「歌を歌いたいから歌を歌う」のであるから楽しいのに、
歌を歌うのがそれ自体とは別の何かを目標にされているのなら、どうして「楽しい」と思えようか?
・・・・・・ということが「楽しむために楽しむ」の意味したこと。
「歌を歌いたい」、「歌を歌う」、「楽しむ」といういずれのことを何かの手段にしても、
「歌を歌う」という行為は、それ自身とは別に目標が成り立っちまうよ。
全ては「歌を歌う」という行為の一部かもしれんな。
>>23(972)
あのさ。
私の質問をわざわざ複雑に捉えてない?
私が質問したのは至極単純な事。
楽しくない(つまらない)状態から楽しい状態に移行しようと思うのは何故?ってだけ。
貴方の回答(
>>23 )は『行為を始めた後の事』でしょ?
『歌を歌う』というような。
その前に『その行為をしようと思考した状態』があるでしょ?
その時点では『楽しくない』から『楽しい』状態になろうと思うわけだよね?
それは何故?と問うてるの。
>>21 ごめん、最後にこれだけ。
既に自明な生が送れなくなった者には、
>どうせなら『楽に』生きたい−なんてことは有り得ないです。
進むの戻るも逃げるも『苦』を認識しているのだから。
>>25(739)
うん。分かってるよ。
だけど、どうにかして『苦』から逃れたいだけなんだ。
有難うね、色々と。
>>24 だから楽しむことを「何かのため」だとか、何かの手段として使うなら、
楽しむこと自体が成立しないと言ってるわけだが?
楽しみたいからこそ楽しむ。だからこそ楽しい。
楽しむということがそれ自体とは別にして目標が成立しているなら、どうして楽しめようか?
楽しみたくない人はいない。幸せになりたくない人が存在しないのと同じように。
それは何故だと思う?生きるため、だとでも言うのか?
>>27 じゃあ、単純に一つだけ聞くよ。
勘のいい人ならこれだけで私の言わんとしている所が分かると思う。
『楽しい』と思っている時に『死にたい』と思うかな?
>>28 思わんな。
しかし何故それが「楽しむ」ということが、「生きる為に存在している」と必ず結びつくと言える?
「幸せになりたくない人」が存在しないのは、それ自体で定義と矛盾するからだよ。
なりたくもない「幸せ」を、誰が幸せと呼ぼうか?
>>29 では、こう考えて下さい。
>楽しみたいからこそ楽しむ。だからこそ楽しい。(
>>24 )
そもそもの『楽しみたい』というのが『今現在は楽しくないから楽しみたい。楽しくなりたい』という意味だろう?
だったら、その『楽しみたい』という感情の『大元』が何処から来てるか考えて御覧なさいな。
>>30 >そもそもの『楽しみたい』というのが『今現在は楽しくないから楽しみたい。楽しくなりたい』という意味だろう?
違う。「苦から逃避したいから」、ではなく、「快自体を求めるから」こそ快。
先ほども述べたようにそれが「快」の所以。
>だったら、その『楽しみたい』という感情の『大元』が何処から来てるか考えて御覧なさいな。
「自分」だな。「自分の意思」だ。
「自分」とは「望み」そのものではないかと言う仮説が俺自身にもっぺん浮上してきたよ。
>>31 いや『苦からの逃避』云々はともかくとして。
>そもそもの『楽しみたい』というのが『今現在は楽しくないから楽しみたい。楽しくなりたい』という意味だろう?(
>>30 )
は違うといえるの?
『つまらない』という『苦からの逃避』にしろ『楽しい』という『快を求める』にしろ…
どっちだろうとも結局は『今は楽しくないから楽しくなりたい』という事には変わらないんじゃない?
今読んだんで遅い前スレ>973のレス。「生を善、死を悪」
とする根拠について私の考え。私達は生と死を見つめる
第三者の立場ではない。私達はもう既に生きている、
生存に立脚した立場。善とする理由はおそらく無意識な自己肯定。
でなければ生き続けられない。なぜ生き続けなければ
ならないのか?という問いかけは、なぜ生まれて来た
のかを知る以外に答えはない。今生存している理由が
そのまま生き続ける理由になるはず。その理由を知っ
てから善悪の判断をするのが良いかと思う。
>>32 「今現在は楽しくないから」というのは苦ではないのか?
>>34 それが『苦』かどうかはまた別問題。
此処で質問している事は
>>32 の通り。
>>35 ならば言おう。
どっちにしても違う。
「楽しくない」という状態を改めるために「快」があるのではない。
あなたの言っていることの逆、快が存在することによって苦もまた同時に存在することになる、
ということはあるかもしれんがな。
>>36 ん?
それこそおかしい。
『楽しい』⇔『楽しくない』は『対立概念』だろう?
>快が存在することによって苦もまた同時に存在することになる
とすると、『楽しい』という『快』があることによって初めて『楽しくない』という『苦』が存在することになるわけか。
その上で
>「楽しくない」という状態を改めるために「快」があるのではない。
を正しいとすると…
『快(楽しい』から『苦(楽しくない)』が生まれる。
しかし『苦(楽しくない)』から『快(楽しい)』は生まれないという事?
>>37 いや?
現にあなたは、「苦から開放され『たい』」と望んでいるではないか。
全ての快が苦から生まれるわけではなく、
全ての苦が快から生まれるわけではないということ。
39 :
考える名無しさん:03/06/16 09:13
結局考え方の問題な気がするが。
ハルカの考え方じゃ一生苦しむだけだと思う。
同じことでも
いつか死ぬ→むなしい
いつか死ぬ→じゃあがんばろう
って考える人がいるしハルカのネガティブな考えではだれが何言っても解決しないべ。
自分で自分を苦しめてるんだから。
>>39 同感。とらえ方の違いに過ぎない。
互いの固定観念を主張しあって、折り合いをつけようとしないので意見はかみ合わない。
ハルカは討論が好きなように見える。自分の主張を繰り返しているだけで、これほど多く
の人がレスをつけている。ということは彼の主張に人をひきつけるものがあるのかもしれない。
しかし、堂々巡りを続けているのは間違いない。さて、どこかで折り合いがつくのか。
___,,,,二ニヽ
_,.-‐:'"::::::::::::::::::::::::::`゙'-::..、、
_,.-'"::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ
,. -'"::::::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ 知 ど あ
,ィ'::/:/::::::::/:::::::::/:::::::/::::::::::::::::ハ:::::::i:::::::::ヽ ら れ の
//::/:::/:::::::://::::::/::: ::::::/:::::;:::: ::::::l:::|:::::::l::::::ヾ:ヾ 言 な. ね ぐ 時
//::/:::/:::::::/:::/.. /::::::. /::::;イ:i:. ,ィ:/i:::::::l.i::::::iヽ:!、 う ん ぇ ら
i::/::/::/:::/:::/.....://:::...../::/i:::l::..../l::| l:. l l::. l::ト,ヽ ん. で く. い あ
l/::/:/:::/:://:::::://:::::;イ::::::/ l::/::::/ 〃_,,!-‐l‐i:::::|::|.l:l` だ そ せ 怖 い
|;}:l/:::/:::::;l::::::://:::/ l:::::/ !/i::/‐/ニ二l::;/=,!:::::|::l |:l よ ん に が つ
| }l::::/;イ/,i-‐//∠‐-、|l:/`ニ|:l:l/'"/{!:;;;;ヽ!/'" !::::::ハヽl ・ な っ .が
! j|::i':/i/、|;'//堰R`゙' l:/ ||:|' 、廴シ/" /::::ハ.| j ・ こ て
ノ|::l/ |ハ!/_ゞ:;;;ヲ_, l ', |l ! / //レノリ っ と た
' l:/{ |ヽ | ` ̄ ̄ ', ,.',./ ! ! か
|: ヽ-`、 ! /l|
`ヽヽ ヾ ,.‐ ' ̄ハ /l: !
ー`、 i,.二ニ-‐'" `' | /i--、-‐‐‐‐-、-、
i\ ト、 _/j , '| l:\ \ / ノ`ヽ`ー-- 、
___ __|_ 丶 ``ニニニ二-' , l`ー-`ヽ ! / / `,ー-- 、`ー-- 、
/| / { ,.-- ヽ` 、  ̄ / ヽ ヽレ / / `ー-、 `ー-、
42 :
考える名無しさん:03/06/16 16:23
たとえば俺が映画に見に行きたいと思うとき、俺は苦しいのか?いや全然。また映画を見ないと俺は
苦しむのか?いや全然。ただ映画を見て楽しいを得るため。逃げてるって発想は微塵もないけどなあ。
対立する2項の間での緊張こそが、意識の持続であるとすれば、
肯定も否定も等価なのではないか?
ただ、集団から個を否定的に引き離していく動きこそが生物的なものと言える。
そのネガティビティこそ「エラン・ヴィタル」
最初一つだった細胞を「分裂」させた力だったはずだ。
よって、ハルカの方があきらかに真実に近い。
なんだか、3つ目に移っちゃったんだね?
ホンノ一例です。というのは解るんだけれどね。生は苦。の「根拠」と称するものは
ほんで、それだけなの?と聞いたのだよ?
ハルカ君。この期に及んで、3つ目スレに移ってまで、まだ全部じゃナイトでも言うのかね?
私は只単に、そう聞いただけなのだがね?
…。んで。まだあるの?あるなら、なんなの? 若き悩める若者よ。???
Dさん、また1000までチキンゲームですか。
そうらしい…。なんで、こんな質問に時間がかかるんだろうね?貴方。やってごらんなさい。
で、板パート2による思想の変化はありましたか、
◆uTjBJd7ub2 さん?
>>48 2の940は、読んだよ?
>>44 でそう言っているのだがね?
んで、生の苦。の根拠は、まだあるの?
44 :D :03/06/16 20:02
なんだか、3つ目に移っちゃったんだね?
ホンノ一例です。というのは解るんだけれどね。生は苦。の「根拠」と称するものは
ほんで、それだけなの?と聞いたのだよ?
ハルカ君。この期に及んで、3つ目スレに移ってまで、まだ全部じゃナイトでも言うのかね?
私は只単に、そう聞いただけなのだがね?
…。んで。まだあるの?あるなら、なんなの? 若き悩める若者よ。???
あるなら、それはなんなの?
一例とかじゃなく
空虚なのに苦は絶対あるからじゃない。
>>48 例えばDさんの主張の側たって検証してみるのもいいかもしれません。
たしか凄く気になることもいってたように思いますが、過去ログが読めない。
>>48 言葉は忘れましたが、
確かタコが自分の足を食って墓穴を掘っているようだ、とかいうような意味合いのもの。
これは認識の相違に関係無く、すごく重要な示唆ではないかと思います。
56 :
考える名無しさん:03/06/19 13:51
悟ったこと、それは生きるということは学ぶことだということ。
辛いことも、うれしいことも学ぶことである。
言葉それ自体が概念に過ぎない、ということに気づいたとき、それは悟りの手前まで来ている、と考えるよ
無知の知
59 :
考える名無しさん:03/06/22 23:12
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/| / /|
/;;;;;;;;あ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;;;;/ | / / |
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/;;;;;;;;;あ;;;;;;;;;;;;;;;;;;::: < ::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ぁ;;;;;;;;/ / / つ わ ぁ ぁ あ あ / /
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|_______________|/ |_______________|/
悩める乙女ハルカたんカワイイ
61 :
考える名無しさん:03/06/28 12:25
age
I am God!!
I am God!!
I am God!!
I am God!!
やはり、根源的な知への欲求。
世界とは何か?この世とは何か?
これを求める心がそうさせるわけでありまして・・・。
>>63 しかしやはり、世の中とは世の中でしかないわけでありまして・・・。
>>64 いくらそれらしい言葉や行いを振り回してみても、やはり世の中とは世の中でしかないわけでありまして・・・。
はあ、こんなところでこんなことを言ってた人だったのか、ハルカさん。
なるほど、こりゃ怒る人は怒る罠。しかも、最近は顔も見せてないと。
ふんふん。苦の存在論みたいな話かな〜。よーくわからんが、ガンバッチクリ。
でも、「悟り」の話以外なら相談に乗るよ、ハルカさん。「悟り」の話は
あそこまでだけど。ちょっと感じるのは、あなたの理論(理屈)って、
基本的に弱いよね。いろいろな可能性ということに目をつぶって、ひたすら
苦の一元論を言い張っているだけに見える。ちょっと違うけど、ある意味
機械タンと似てるかもしれない。機械的唯物論者っていう人がこの板にいて、
その人もスレを立てて頑張ってる。結局自説以外は認めないから、議論には
なってない。ハルカさんの論法も、あれに少し似てるなと思った。人と対話
しようという姿勢がないように見える。本当に人と話す気ある? あるなら、
少し姿勢を変えてみたらいい。相手の話を論破することに集中しないで、相手
が本当にいいたいことは何かって考えてみるといいかも。まあ、これもお節介。
あんじょう頑張りや、ハルカ。
苦しむ時は苦しみ、悲しい時はカナシミ、怖い時は怖いと言えばいいと思う。
ただ、その気持ちに飲まれないでくれればね。
何はともあれ、あまりあせらずに、
今まだ不安が大きいのならまだ行くべきではないという事
では、質問します(返事はいいです。)今あなたに、必要な事は?
まあ、ゆっくり考えて。
議論もほどほどにして一人になってみるのはいかがです?
いいものですよ。
うっとしいレスだけど、ただの偽善者だから気にするな。
ただ、言いたかっただけだ。気に食わなければどしどし忘れるべし。
70 :
考える名無しさん:03/06/29 09:19
>>69 それはこのスレがあんたの悩み相談所みたいになってしまって
悟りの話が全然できなくなってしまったからだよ。
71 :
考える名無しさん:03/06/30 01:34
キモいから揚げんなよストーカーども。
ハルカがドキュソなら、それにしがみ付く藻前らは(ry
74 :
考える名無しさん:03/06/30 01:57
なあに逃げてるんだよPp??ハルカ。◆uTjBJd7ub2が、オマエの立てたこのスレから、
現実に離脱した事によって、オマエの「生は苦」の根拠回答レス待ちの状態になった
理想的な状態になった次第なワケだろう?テメーの言い張ってはばからねー「生は苦」
説を論破される事によって、「苦から逃れたい」って言ってたじゃないか?なら、やれよ。
遠慮はいらないぜ。やって見せてくれよ?それともなにか?やっぱり、おおかたの予想通り
逃亡カックラコイテ、相手してくれたヤシ達に後ろ足で砂かけて、その厚い面の皮でマタゾロ
悩める者気取りを、無意味に続けるドンキホーテを演じ物笑いの種を、おおかたの2chねらー
に惜しむ素振りも見せず無様に投げかけ続けるのか?疲れたから会話は打ち切る??テメーの
駄スレと駄レスに疲れてるのは、テメー以上に俺達の方なんだよ?テメー聞かれた事にテメー
だけ答えネーで、トンズらかっくらコクのが、テメーの悟りの「現時点での」ご大層な到達点
なのかよ?いいか?人間としてさあ、恥を知ったら?ご大層な、お悩みのハルカさんよ!?
いいか?わかるか>オレが言ってるのは、一個の人間としてのアカラサマナ誠実さなんだよ?
くだらねー。論争での勝ち負けにバカリコダワリヤガル、俗物のおまえには、この普通の人間の
常識は通用しないんだろうがな?
いつまでも、甘ったれてんなよ。ハルカさんよ。Ww
構って欲しい香具師と構いたい香具師と放置されて付き纏うする香具師か。
ところで藻前は玉犬か(w
このようなスレをたてる1はおそらく重度の精神病患者に違いないという推測のもと、
我々は全国の精神病院をあたってみることにした。すると
果たせるかなそれらしき患者の情報をとある精神病院のHP上に見出すことができた。
我々はすぐに現地に飛び、担当医に事情を告げその患者との面会を依頼した。
患者は我々を警戒しているのか、奇声を発しながら糞尿を撒き散らし、
とても手に負えない様子だ。
「普段はもっと大人しいんですけどね」と詫びる担当医にその場をまかせ、
病室の隅に備え付けてあった古い型のPCを起動させると、
果たしてそのモニター上にこのスレのブックマークを発見することができた。
やはりこの精神病患者が1であったのだ。
我々は1の担当医に、今後1の行動にはより一層の注意を払う必要があること、
また1にPCを与えるべきではなかったこと等を言い含めると、
サルぐつわをかまされ大人しくなった1を刺激しない様に静かに病室を後にした。
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵∴∴,(・)(・)∴|
|∵∵/ ○ \|
|∵ / 三 | 三 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|∵ | __|__ | < 1うるせー ばか
\| \_/ / \_____
\____/
78 :
考える名無しさん:03/07/07 00:56
ハルカってやっぱり逃げたの?
ストーカーキモッ!!
80 :
考える名無しさん:03/07/07 01:09
オメーがキモイよ。ヒキ厨
81 :
考える名無しさん:03/07/07 01:14
漏れは、以前から悟ってまつが、何か?
しか〜し、
哲学スレって、物理学と宇宙物理学と宗教といっしょになって、
区別がわからない香具師が多いな〜(^^)
82 :
考える名無しさん:03/07/07 01:21
そうか・?西洋哲学まんせー派は、伝統的には分けなきゃなんねーだろーが?
東洋的な悟りっつたら、分けてねーだろ?もともと。バカかテメーは。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>ハルカさん
このスレにお邪魔させて頂きます。ご迷惑でしたら止めますのでご指摘ください。
>>カオルさん
>ところでSさんはもうこのスレで終了するつもりですか? ・・・・・(聞くまでもないわね)
ここまで気を遣って頂いて、にも拘わらず時間制限まで盾にとるなどとはあまりに失礼すぎます
ので、そんなことは言えません。
ただ、現状のボクでは貴方に満足に応える術がないのです。それに、ボクの一信念ごときにこんな
にも拘って頂いて、ボクはどうしたら良いかわからないのです。でも感謝なのです。
>でも「無」のとらえ方や定義の仕方、筋の通る話かどうかということなの。分かってると思うけど。
わかってはいるけど・・
>それからそもそもSさんの論に「無」の概念や「悟り」は必要なのかなっていう疑問もあるのね。
拘りは全くないです。境界を超えようとする行為が「悟り」っぽく見えてしまうのでしょうか。また
境界を(仮に)超えた先に残るものがないとすれば、それが「無」であろうと想定しているだけです。
またもしも、生の形式の中で懸命に生きれば足りるではないか、ということなら違います。
>>ハルカさん
貴方は解脱の過程で記憶が消失するのが恐ろしくなったと言いました。ボクはとても気になります。
これは「わたし」の悲鳴だとボクは思いますが、やはりそれは幻で、本来の物自体の方が貴方にとって
真なるものなのでしょうか。
ハルカさんにとって、例えば今こうしてレスを交わしているボクやカオルさんはどういう位置づけに
あるのでしょうか。それも幻なのでしょうか。拘らないことが全てなのでしょうか。(だとしたら
ボクはとても悲しいです。)貴方は「それがどうした?」とよく言いますが、それは「拘らない」
という拘りにも跳ね返ってはこないでしょうか。
本来の物自体が絶対なら、(例え幻想だとしても)どうして「わたし」は生まれたのでしょうか。
物自体→わたし→物自体の循環、或いはそもそも物自体しかないのだという不動の観点、
いずれにしても「それがどうした」「なぜ」を放棄し蓋をしてしまうように見えます。
物自体→わたし→発展形態、として克服していくことで「それがどうした」「なぜ」を問い、
埋め合わせる可能性が出て来るのではないでしょうか。これは愚問ですか。
SHスレで話題に出たカオルさんの岡本太郎レスを転記させてもらいます。
345 :カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/01 00:20
>>341 >「芸術とは、曖昧模糊とした偶然です。」と、いうのは
あなたは芸術という枠組みを説明できるのですか?
哲学する≠ニ芸術する≠ナは何かが違うのですか?
哲学する≠熈芸術する≠焉w生きること』なのではないですか?
歌声も、色彩も、メロディーも、リズムも、フォームも、アイデアも、理論も、技術も、
ビジョンも、こころざしも、使命感も、苦しみも、喜びも、怒りも、悲しみも、信じることも、
疑うことも、愛することも、あなたが天の導きにしたがうのならまったき必然なのではないですか?
未来に生はありますか?
過去に情熱はありますか?
ベストを尽くすのはいつなのですか?
明日にならないと人を信じられないのですか?
芸 術 は 爆 発 だ !
とあなたが叫ぶのは、あなたの魂が今を生きようとしているからではないですか?
昨日の想い出にしがみついて今を生きられますか? 明日の希望は今を台無しにしませんか?
立つことさえできないのに歩こうとしたから、歩くこともままならないのに走ろうとしたから、
今があるのではないですか? ころんで膝をすりむいて泣いたのに、あなたは今日もそれをくりかえす
あなたは昨日を知らないから、明日を知らないから、今日も全力で走り抜ける、生きるとはそういうことなんだ!
そうあなたは教えてくれたのではないですか?
346 :カオル ◆BBBRv/ousU :03/07/01 00:20
岡本太郎が天国の階段で振り向きざまに言いました。
「 芸 術 と は 情 熱 の 必 然 だ !」と、いうのは
真ですか?
偽ですか?
生の躍動ですか?
非論理的なので無視ですか?
有意味に意味なんてあるのか?ですか?
2バイト空けて表現するのは下品ですか?
悪ですか?
善ですか?
>>86 >貴方は解脱の過程で記憶が消失するのが恐ろしくなったと言いました。ボクはとても気になります。
>これは「わたし」の悲鳴だとボクは思いますが、やはりそれは幻で、本来の物自体の方が貴方にとって
>真なるものなのでしょうか。
その通りです。
アレは『私=自我』の悲鳴でしょう。
『私=自我』の根本を成しているのは『集積された記憶との照合及び知覚後の意識認識』による『自他区分(個別化)』です。
『記憶の崩壊』という事は『集積記憶との照合が不能になる事』を意味していますから…
コレは即ち『自我の崩壊』つまり『今まで個別化してきた【私】が保てない』という事とイコールになります。
『自我が崩壊するだけで生き続ける事には変わらない』のですが…
『自我』は『生命活動の基準が自己(自我)に在る』と思い込んでいます。
『自我』は『自己(自我)が無くなれば一切の人間らしい活動が失われる』と
−自我が失われる事は『人間が人間で無くなる』と思い込んでいるんです(無根拠で!)。
では、自我の言う『人間である事』にどんな意味があるのか?
詳細は省き(とてつもなく長くなるので)ますが、要は『人間であるから生を楽しめる』となるのです。
『自我』は一切の理由無く『生は素晴らしいモノ』と『無条件肯定』しています。
『自我の崩壊』を意識的にやる(私がやったような)行為は『自我』にとっては『自分を否定される行為』として受け入れられないのです。
この『自我の悲鳴』は決して幻では在りません。
『自我』にも『認識不能な主体』にも『真』も『偽』も在りません。
『個別化して生きる』か『全一となって生きる』か…
ただ単に『本人の好み』の問題です。
私には『個別化で生きるのは【苦】だから全一化の方が好みだった』−それだけですよ。
おじゃまします。まずはお礼。
またSさんとお話できるのもあなたのお陰です。ありがとう。
そしてハルカと話せることに感謝!
>>89 めっちゃ説得力あるんだけど、今までこういうレスはしてたの?
>>86 >ハルカさんにとって、例えば今こうしてレスを交わしているボクやカオルさんはどういう位置づけに
>あるのでしょうか。それも幻なのでしょうか。拘らないことが全てなのでしょうか。(だとしたら
>ボクはとても悲しいです。)貴方は「それがどうした?」とよく言いますが、それは「拘らない」
>という拘りにも跳ね返ってはこないでしょうか。
貴方達との関わりは正直嬉しい事です。
『幻』では在りません。(まぁ『真か』『偽か』と言うものに価値を置いているから、そういう言葉が出るんでしょうが)
『それがどうした』は私の口癖です。
その人が『自我の持つ生賞賛への力』を無自覚ならば、どんな発言であろうと『生きる為』の意味でしかないんです。
ですから、そんな発言には『それがどうした』と言うのです^^
>本来の物自体が絶対なら、(例え幻想だとしても)どうして「わたし」は生まれたのでしょうか。
可能性としての回答なら持っています。
ですが、それは所詮『言葉だけ』です。
私自身納得していません。
暗中模索(…でもないか)の最中です。
>物自体→わたし→発展形態、として克服していくことで「それがどうした」「なぜ」を問い、
>埋め合わせる可能性が出て来るのではないでしょうか。これは愚問ですか。
私が貴方に対して危惧しているのは『進化せねば』『素晴らしく成らねば』という思い込みの罠に囚われているように見える事です。
私は『発展』になぞ興味が無いのです。
『楽になれる』ならば今のままでも、例え退化したとしても良いのです。
ですから、貴方のこの問いには答えられません…
>Sさん
ありがとうございます。
わたしのわがままをきいてくれて感謝です。
一生懸命いいレスができるように心がけたいと思います。
よろしくお願いします。
さて・・・・・まだ何も書けない・・・・・もう少し時間をください。(^.^;)
ということで、少し質問だけさせてください。わたしはSHスレで、
>すべての価値を相対化してしまったときにわたしに起こった事。
>あれほど嫌悪していた倫理や道徳や歴史や文化や慣習・・・そして日本に目覚めたってカンジかな。
>道徳をいうと叩かれてしまうんだけど・・・人殺しスレとかではひとりでつぶやいてました。(^_^;)
という書き込みをしてるんですが、この感じはSさん(の下記コピペ)ともつながるところが
あるように思うのだけれど、どうかしら?
【Sさんの(生の肯定、愛についての)書き込み】
この世に生を享けた者は分別がついて以後は、なぜ自分はこのような生を授かったのかと
自問しながらも、同時に自分の係わった世界の中でその自己意志をもって生き、そのことが
生の意味付けとなり、そしてやがて死を迎えるにあたっては、自らが係わり愛した世界と子
孫に後事を託すことができる。
個体化の原理を見極めることによってのみ、迷妄な自己から脱却して他者を愛し善を為すこと
ができる。このような趣旨についてですが、個体化の原理を完全に脱却するというのは置いて
おくとして、この倫理観はとても共感します。
個体化の原理の看破によって彼は全体の世界相を愛するに至ったのに、彼のみが無へと
脱却して、果たして彼は何を得るのか、世界を愛していたのか。否。もはや何も無いのです。
だからそれは一つの選択ではあるけれど、苦い結末なのだ、と書きました。
ボクはボクを規定し育んだ世界を、
ボクの関わった世界を、例えそれが如何なるものであれ愛しています。そして愛し続けたい。
ボクは世界を愛している愛したいと繰り返し強弁してきました。でも能天気にそんな言葉が出て
くるものでしょうか。ハルカさんに接しただけで単純に触発されるものでしょうか。ボクの中に
世界や自己に対する喩えようのない不条理感、不信感があります。ボクはマセ餓鬼で、幼少時から、
もうずっとその渦中にありました。でもそれを絶望と括ってはいけない。もしも絶望があるなら、
それは絶望すら語れないことなのだと自分に言い聞かせてきました。だからボクは絶望したから
なんて決して言わないです。にもかかわらず・・そうなんです。にもかかわらずなのです。ボクに
とってもそうなのです。
ボクなりにハルカさんと言葉を交わしてきて、貴方の求めるものがおかしいなんて思ったことは
ないです。そしてボクも示したでしょ。個体化された自己でありながら自己超えようとする矛盾、
箱庭を愛しながら箱庭を超えようとする矛盾。
>>90 いらっしゃい。
荒れてるけど気にしないで下さい^^;
>>89のような内容のスレを立てた事は無いよ。
話の流れで
>>89に近い発言はした事があるけど。
反発されて叩かれるだろうから立てません(苦笑)
>>94 いや、悟りスレとかでのカキコで。(以前の悟りスレ読めないから)
>>95 いや。
此処まで詳細には言っていない。
近い事は言ったけど。
私が『それ』から逃げ出した事は言っているよ。
ある人は、その『逃亡した私』に対して『生還おめでとう』だってさ。
確かに…まぁ、悟りスレでは『自分一人が楽になる=悟り』『輪廻の輪から脱する』しか言ってなかったし…
『自殺』に見えたんだろうね。
>>96 わたしは、89の内容は簡単に批判できない充実した内容だと思う。
読む人が普通に哲板にふさわしい感性を持ってるなら重く受け止める内容だよ。
だからそれであなたが批判(非難か?)されてたんなら、と思ったわけ。
省略しすぎたのかもしれないね。哲学的にはけっこう究極的な次元の部分だと思うしね。
『自分一人が楽になる=悟り』 『輪廻の輪から脱する』
この二つもふかいよね。最初の悟りには段階があるんでしょ。
それに二つは必ずしも=じゃないよね?
そして最後に「輪廻」から脱する、という順番でしょ?
>>97 >わたしは、89の内容は簡単に批判できない充実した内容だと思う。
>読む人が普通に哲板にふさわしい感性を持ってるなら重く受け止める内容だよ。
>だからそれであなたが批判(非難か?)されてたんなら、と思ったわけ。
>省略しすぎたのかもしれないね。哲学的にはけっこう究極的な次元の部分だと思うしね。
希望的観測で言えば、恐らく省略し過ぎたんだと思う。
ただ…ここら辺も考えた事が在るなら私の言っていた『生は苦だ』の意味も朧げに分かったはずなんだがね…
『生は苦』発言に反発した人があれほど多かったのは
>>89みたいな考えが『根本的に自分の中に無い』からでしょう。
それはそれでいいんじゃない?
>『自分一人が楽になる=悟り』 『輪廻の輪から脱する』
>そして最後に「輪廻」から脱する、という順番でしょ?
んー…
じゃなくて、同時に起こるんだよ。
悟ると『存命中』は『自分ひとりが楽』になって『死後』は『輪廻から脱する』って事。
>>98 「覚者」と「解脱」ってそういう関係なのか。勘違いしてました。(^_^;)
>>99 無論『段階』と言うより『選択肢』はあるらしいんだけどね。
悟った後も『生の世界』が好みなら飽きるまで輪廻を繰り返せば良いらしい。
『生の世界』に飽きてウンザリしてるなら『輪廻から脱し無へと消える=解脱』に進めば良いんだと。
私は後者ってだけ。
>>100 わたしは『自分一人が楽になる=悟り』は真実だと思うの。
いろんな価値を徹底的に相対化してしまうとかならずそうなると思う。それしかないもの。
でもわたしがSさんの論を退けたくないのは、価値を相対化できずにそれに無自覚に従うのは
愚かだけど、相対化した後のこだわりだと思うからずっと深い意味があると思うのよね。
ハルカも『個別化して生きる』は好みだって・・・・・つまり「悟ったからって何さ?」の部分を
埋めるものなのかもしれないでしょ。可能性としては。ハルカには自明なのかもしれないけどね。
まぁ、苦笑しながら見守って下さい。(笑)
ところで、仏陀みたいに「悟った」のに「教えを説く?」人って何ナノ?
それこそ無意味だと思うのだけれど・・・・・戯れなのかしら。(笑)
『生の世界』が好みなのはいいけど余計なお世話だし・・・・
>>101 >ところで、仏陀みたいに「悟った」のに「教えを説く?」人って何ナノ?
>それこそ無意味だと思うのだけれど・・・・・戯れなのかしら。(笑)
戯れ…と言うよりも優しさじゃないかな?
『そんなに苦しまなくて良いんだよ。実はこの世はコレコレこうなんだからね』
『だからもう少し楽に生きればいいと思うよ。それでも苦しい時は私の下へ来なさい。手伝う事位は出来るかも知れないから』
と言うようなね。
>>103 >戯れ…と言うよりも優しさじゃないかな?
これってなにげに重要なことだと思う。
たとえば、実存主義の一部には、この優しさみたいなものが「実存の本質」という考え方もあるのよね。
性善説ともちょっとちがった意味で「良心」って言ってるけどね。この辺はそのうち。今日はもう寝るね。
睡眠は苦でなくてよかったですね
>>89-91 ハルカさん
概ね理解しました。そして最終的には好みなのと言われると、ボク自身にも言及できるので
何もいえません。ただ(ボクの好みで)気になる点を挙げます。
まず「わたし」も無根拠でありますが、物自体もまた無根拠ではないでしょうか?
ボクはSHスレのレスで、個体化の原理を看破し、更にその内奥の物自体としての意志も看破し、
と書きました。ボクはどこにも根拠を見出せないのです。だからボクはどこにも寄り掛れない。
ボクが手にしている(と錯覚している?)のは「わたし」だけ。ならば「わたし」をもって
無根拠なものから脱却してみよう。その過程で残るものがないならそもそも根拠に値するものが
なかったのだからそれで良し。もしも「わたし」の残滓が純粋に残るならそれを根拠とできるの
ではないか(真なる自律性と称したもの)と思ったのです。発展形態とは書きましたが、『進化
せねば』『素晴らしく成らねば』という思いこみというより、もはやそのような究極の確認なし
にはいられない「苦」を感じたからなのです。
余談になりますが、ボクは瀕死の状態で出生したそうです。ボクは医者に助かる見こみがないと
言われていたそうですが、母に言わせると寺院から分けてもらった丸薬をすり潰して口に押し込
んだところ、翌朝から奇跡的に快方に向かったのだそうです。眉唾ものの話ですが、そのせいも
あってボクは幼少時は神仏を畏敬し自分は生かされているんだと思っていました。でもそのうち
に生かされている自分、頭を下げている自分に疑問を持ちました。そしてそんな自分という存在は
おかしい、と確信し、神仏への畏敬の念も学習棚に安置してあった仏像も廃棄してしまいました。
まことにばちあたりな話ですが、思えばこれがボクの原点なのかもしれません。
(実はその後のボクの人生は酷い出来事の連続で、本当にばちがあたっているのかも。)
>>92-93 カオルさん
カオルさんのイメージが今ひとつ見えないのでなんともいえません。
関係ないかもしれませんが、上のレスの話と
>世界や自己に対する喩えようのない不条理感、不信感があります。ボクはマセ餓鬼で、幼少時から、
>もうずっとその渦中にありました。 は同時進行で起こっていました。
ボクが世界や自己を愛したいと強弁するのは、それを良しとして受け入れるのではなく、
個体化された存在を自明としていきる人々に郷愁を覚えるからかもしれません。(自分すら個体化存在
なのにね。)ああ、これは救いがないなあとか自覚しながらも、現実対応では中途半端を知りながら、
必死に自分の信ずるありようを示してしまう。そして空しさを味わうのです。ハルカさんが言う、
「そんなお題目が何になります?」という指摘はとても痛いです。訳わからん話になってしまいました。
>>101 >つまり「悟ったからって何さ?」
何かそんな感じです。ハルカさんの「だからどうした?」をボクはそのまま
ハルカさんに感じてしまうのです。で、結局は好みなのでしょうが、ハルカさんは
ボクの行為が徒労に終わることを実践して知っているので、追いつけないし悔しい。
「努力が無駄とわかるまで努力しなさい」はボクが超えるべき壁です。
>>108 >>つまり「悟ったからって何さ?」
>何かそんな感じです。ハルカさんの「だからどうした?」をボクはそのまま
>ハルカさんに感じてしまうのです。
良く気付きました(w
そう。
『悟ったから…何?』なのです。
ただ単に『その人独りだけが楽になる』というだけの代物でしか在りません。
何処までも『独善的』なんです。
他人なんざぁ知ったこっちゃない。
既に悟った覚者ならともかく、道の途中にいる人間には他人に何か出来るわけが無いんです。
ただ『コッチの道はこんな感じだよ』と『自分の通った道の感想』を言ってあげるだけなのです。
>>106 ふむ、にゃるほど。
了解しました。
貴方の発言内容を至極簡単に要約すると…
『自我を壊した後に何が残るのか?そもそも何も残らないのか?自己の深奥に何が在るのか確かめたい。』
って事ですね?
それを私と違うアプローチで…
『自我』というものを道具にして行ってみる、と。
生憎そっちの道は歩いてはいないので…
『こうではないか?』との予想なら出来ますが。
私の歩いた道の応用が効きますかねぇ?(苦笑)
今夜は恐らくカキコ出来そーに無いんで今書いとく(苦笑)
>>104 ええとね。
『計算・打算の全く無い優しさ』って言えば良いのかな?
例えば目の前で転んだ幼子を抱き上げる時のような…
無論、何かを期待しての行動じゃない。
抱き上げた時に『誰も頼んじゃいねーよ!馬ー鹿!』と憎まれ口を叩かれても一向に構わない(苦笑)
『ありがとう』なんて言って貰わなくても良い。
誰かに『いい人だ』と思われる事が無くても全然平気。
それどころか『この偽善者!』と言われても頓着しない。
他人の評価なんぞ気にしない。
自分でも『良い事をした』とも思わない。
逆に後で『何であんな余計な事したんだろう』と思うかも知れない(苦笑)
だけど『つい』抱き上げてしまった。
ただ『放っておけなかった』だけの『無意識の優しさ』−それだと思う。
>>107 Sさん
>カオルさんのイメージが今ひとつ見えないのでなんともいえません。
106の内容は実存哲学の姿勢によく似ている気がします。
>ボクは幼少時は神仏を畏敬し自分は生かされているんだと思っていました。
わたしはこれが正反対でした。
>個体化された存在を自明としていきる人々に郷愁を覚えるからかもしれません。
わたしはこのような人々を嫌悪しているようです。
「いま-ここに-ある」ことと「いま-ここに-ある」ことを意識してしまうこととの分裂。
「もう死んでもいい」という「わたし」と「まだ死ねない」という「わたしの身体」の分裂。
「わたし」は言語から生まれました。ゆえに「あなた」に対して「ある」に過ぎないことの自覚。
「過去」に魂を売り渡すか、「未来」から恐怖を購入するか、「現在」に燃え尽きるか、の三択。
92は↑のような意識の反転なのだと思います。旨く書けません。(なぜかしら?)
>>111 ハルカへ
>『計算・打算の全く無い優しさ』って言えば良いのかな?
うん、わかってる。
わたしがあなたに偽りの道徳でお説教すると思ったの?
するわけないじゃない!(笑)
>例えば目の前で転んだ幼子を抱き上げる時のような…
わたしはSHスレの最初のレスで、
「遊んでる子供が車道に飛び出してあっ!≠ニ感じた瞬間その子になっていませんか?」
のような例をあげてそこから話をはじめようとしているの。
なぜかというと、特別な体験のない人に「本来的な自己」の存在を説明しても無理だから。
>抱き上げた時に『誰も頼んじゃいねーよ!馬ー鹿!』と憎まれ口を叩かれても一向に構わない(苦笑)
わたしはひっぱたくけどね。(笑)
>『ありがとう』なんて言って貰わなくても良い。
>誰かに『いい人だ』と思われる事が無くても全然平気。
>それどころか『この偽善者!』と言われても頓着しない。
>他人の評価なんぞ気にしない。
>自分でも『良い事をした』とも思わない。
これがわたしのいう「良心」。叩かれても言い続けてる「道徳」だよ。
>だけど『つい』抱き上げてしまった。
これが実存哲学における「決断」ってやつなのさ。(^.^)
・・・・・つづく
ちなみに、SHはこの辺りのことを「意志行為」と「身体行動」の分析をとおして、
「不二一元論」として説明しました。つまり「意志行為」と「身体行動」との絆は、
因果性にもとづく原因結果の関係にあるのではなくて、異なるやり方で与えられた
「客体化された意志行為」として「ただひとつの同じもの」であるということです。
身体は自我が客体化した現象としての側面とモノ自体としての意志の客体化として
の二つの側面を持つ。たとえば、認識する者としての自我はモノ自体としての意志
の直接的な現われである「身体行動」を客観的に認識すると共に、その動機も悟性
による知覚、あるいは直観によって内的に認識する。(←↑二つは一つの同じもの)
この二重の認識が、人間は認識する者(自我)としてその認識の限界(個体化の原理)
を有していても、意志する主体としての本来的な自己(モノ自体としての意志)をも
とらえることができるのではないか、とする根拠です。こっちは超越論哲学だけど。
>>112 >カオルさんのイメージが今ひとつ見えないのでなんともいえません。
106の内容に近いと思います。
予定が変わり今夜も書けるようになりました^^
>>113 >うん、わかってる。
>わたしがあなたに偽りの道徳でお説教すると思ったの?
>するわけないじゃない!(笑)
そー言われると思ったけどね。
ここは掲示板だから、他の人も見てるわけじゃないさ?
だからね…そんな『見てる人』の為にチョイト説明。
だけどね。
>これがわたしのいう「良心」。叩かれても言い続けてる「道徳」だよ。
ってのは…^^;
『良心』やら『道徳』やらって言葉は、即座に『社会的価値観』や『善悪の概念』と勘違いされがちだからね。
だから叩かれたんだと思う。
>>116 >『良心』やら『道徳』やらって言葉は、即座に『社会的価値観』や『善悪の概念』と勘違いされがちだからね。
>だから叩かれたんだと思う。
あっ、これたんだね。でもあたしは寝る時間さ。(笑) 一日1〜2時間しか居れない。(寂)
社会的云々に対しては、それが「全体主義」につながるんだよ、と返してたかな。
それから、わたしは明文化されたドウトクは道徳じゃないと言ってきたのだけど、
つまり、実際に使われたとき、その行為が「道徳」に「なる」んだってね。
一度は完全否定した事柄だから今は苦笑しながら再構築中って感じだね。
それからわたしは、道徳の社会的価値観としての部分を否定はしてないよ。
「人殺しスレ」みたいな「現実の問題」に対しては、哲学的のみの議論はその姿勢自体が不道徳といってたの。
>>118 この辺りは私と違うな。
>それからわたしは、道徳の社会的価値観としての部分を否定はしてないよ。
『社会的価値観の否定』は私もしてないけど、逆に『肯定』もしてないからね。
私のスタンスとしては一貫して『意味が無い』になる。
『社会的価値観を尊重したい人はどうぞ。ただ、その価値観は絶対じゃないし【現在、その場所で】だけ通用するという事をお忘れ無きように』
と言っていたからね(苦笑)
>「人殺しスレ」みたいな「現実の問題」に対しては、哲学的のみの議論はその姿勢自体が不道徳といってたの。
私は
『殺したければ殺せば?押し止める絶対の否定理由は無いよ。殺人行為自体には善も悪も無いしね』
と言ってました^^;(純粋に哲学視点だね)
後々の『社会的罰則』や『不利益』は、その殺人行為を行なう本人が天秤にかければいい事だし。
>>ハルカさん
ボクは以前に「造られた人形だってそれ自体として一人歩きできるのではないか」と書きました。
「わたし」は無根拠ですが、「わたし」には愛着があります。それに、もしも根拠を生み出す可能性が
あるとしたら、それは「わたし」だけだと思うのです。だからどこにも寄り掛れないけど、「わたし」
を信じ「わたし」を貫いてみよう、とも以前に書きました。無根拠な「わたし」を貫き、ふるいにかけ
ることで、本来の物自体の束縛を脱し、純粋な「わたし」を抽出し、「わたし」を「わたし」として
一人歩きさせたい。ハルカさんが「苦」の解消を本来の物自体への帰順に求めるのに対し、ボクは
「わたし」の自立に求めるのです。
(
>>110の解釈は大筋であっているような、でもずれているような、という印象です。)
ハルカさん(をボクなりに理解した上での敢えての)質問です。
ハルカさんは>貴方達との関わりは正直嬉しい事です。と言ってくれました。でも「わたし」の記憶を
消去してまで本来の物自体に帰順することを選択するのでしたら、ハルカさんにとってどちらが大切な
ものなのでしょうか?
ハルカさんは「逃げ帰ってきた」と言い、それを「生還おめでとう」と言われたと立腹していました。
でもそれは「わたし」の生還だと思うし、ハルカさんの内面で偽りなく、「わたし」を大切にして!と
いう悲鳴があったからこそのものでしょう?それを強引に断ちきることが貴方にとって「楽」、偽らない
道に繋がるのでしょうか?「わたし」を活かす方法はないのでしょうか?
>>カオルさん
ボクの姿勢が実存主義に重なる部分があって、故にカオルさんの実存主義に重なるものがある、という
ことでしょうか?カオルさんがもしボクの何かに共感してくれているなら、カオルさんと繋がりがある
ことが嬉しいです。(上位互換の悲しさか、ボクには未だカオルさんがよく見えませんけれども。。。)
でも〜主義とかの括りは興味がないです。
あと、カオルさんなら
>>120のレスで書いた
>「わたし」を活かす方法はないのでしょうか?についてどう考えますか?
>>109 ボクがハルカさんに感じる「だからどうした?」というのは、
>そう。『悟ったから…何?』なのです−というような一面もありますが、
その道がハルカさんにとって、>『その人独りだけが楽になる』、というに妥当している
のかなぁという疑問から出た言葉です。それはSHスレでトラブルの原因となったボクの
レスでも言いたかったことです。それを
>>120のレスで表してみました。
>>109の内容についてはハルカさんが以前に何度か書いていましたので了承しています。
>>119 ハルカへ
>『社会的価値観の否定』は私もしてないけど、逆に『肯定』もしてないからね。
えーと、ニュアンスとしては、価値の肯定/否定というよりは、
その「引受け方」みたいな感じです。
自己は、自己の存立の基盤を過去に有しているのだから、
過去から継承された価値体系である道徳とは不可分な関係にある。
過去の人々 --> 現世代 --> 未来の人々、が想像されるなら、
道徳が、個人の主観で創造できる価値ではないこと。
道徳は、現世代の特権の許されない公的財産であるということ。
現世代には、道徳を未来に継承していく責任があるということ。
・・・・・と発言してました。(^.^)
>私のスタンスとしては一貫して『意味が無い』になる。
価値の根拠を辿っていくなら『意味が無い』になるのは必然。
だから、行き着くところ「価値とは?」の問いになる。
価値とは意識によって創り出されるもの。意識がないなら価値も現象しない。
では、意識とは何か?
わたしは、人の意識とは言語によって成立していると思うので、
仮定として『人は言語的存在である』を承認するなら原理・原則論≠ニして、
人の存在根拠となる言語の属性 communication が、他者の存在を前提としている以上、
その他者の存在を否定することは、自らが自身の存在根拠を否定することと同義である。
ゆえに、他者の存在を否定してはならない、という基本則が成り立つ。
・・・・・と発言してました。(^.^)
>『社会的価値観を尊重したい人はどうぞ。ただ、その価値観は絶対じゃないし
>【現在、その場所で】だけ通用するという事をお忘れ無きように』 と言っていたからね(苦笑)
・・・・・以下。
【人は、なぜ人を殺してはいけないのだろう? 】
・---・ 法律があるから ・---・
法律は、それが適用される社会を構成する人々(仲間同士)が、
共存し存続してゆくためには、有利になるような「決め事」だけど、
法律が「無い、適用されない、機能しない」ような立場や環境や状況ならいいの?
・---・ 社会が成り立たなくなるから ・---・
社会を維持し社会を構成する人々が存続して行くためには、
「(仲間)を殺してはいけない」というのは、必要不可欠なルールですが、
あくまで限定された範囲(仲間同士)で“のみ”有効な(機能する)ルールですから、
戦時や敵に対してならいいの?
ちなみに、戦時では生存にとって有利であるかどうかが、善悪の判断基準です。
それから、戦争を終結させてきたのは、常に武力だったのではないでしょうか。
・---・ 殺されたくないから ・---・
正当防衛、戦争という状況なら「殺されたくないから殺す」は、
本能として当然のことですし「悪い(いけない)」とはなりません。
また「殺したら殺される」の因果応報(「目に目を歯には歯を」)は、
自己防衛のための心得でしかありませんから単にリスクの問題です。
・---・ 生きる権利を侵害する権利はないから ・---・
「生きる権利」があるのなら、殺してください(安楽死、尊厳死)や死にたい(自殺)などの
「死ぬ権利」も認めないとおかしいですね。
・---・ 苦痛があるから ・---・
苦痛の有無は、殺され方(手段)の問題ですから、核爆弾で瞬時に殺されるなら、
あるいは、睡眠時の薬殺ならいいのでしょうか。
・---・ 悲しむ人がいるから ・---・
殺されても誰ひとり悲しまない天涯孤独な人って結構いると思います。
・---・ 命は、神さまのものだから ・---・
神さまを信じない人には、無意味です。
・---・ 死体が気持ち悪いから ・---・
美しい死体や死体を見なくてすむなら気持ち悪くないですね。
・---・ 人としての良心が許さないから ・---・
良心の欠如した人には、無意味です。
・---・ 命は大切なものだから ・---・
人間の命だけが ---> 仲間の命だけが ---> 家族の命だけが ---> 自分の命だけが、
「大切」っていうのは、(心情的には)その通りなんでしょうけど、
他生物を無数に無差別に殺して生きている人間が、なにをエラそうにって思います。
いまだかつて、命が平等にあつかわれたことなんてないはずです。
きれいな花を見たくて雑草を刈りとり、きれいな花を見てはつむ。
腕にとまった蚊は叩くし、歩いてる蟻を気づきもせずに潰してる。
活け造りの鯛は残酷といいながらフォアグラは美味しくいただく。
なぜなら、自分の生存に有利な命だけが、尊厳ある命だからです。
・・・・・と発言してました。(^.^)
>私は
>『殺したければ殺せば?押し止める絶対の否定理由は無いよ。殺人行為自体には善も悪も無いしね』
>と言ってました^^;(純粋に哲学視点だね)
道徳的評価の対象になる行為、人を殺すことは道徳的にいけないことです。(結論)
(完全無欠のトートロジーw)
道徳が非合理な体系であることも、道徳に普遍妥当性がないということも
哲学板では、自明のことです。
でも、道徳以上に優れた正当性の認められる価値観を個人が創造できるでしょうか。
わたしは、道徳の通用(機能)する社会に生きていて、
道徳によって、あるいは道徳を体現して生きている人々によって、
守られているし、支えられているし、こうして生きていられる、と思っています。
だから、わたしは、わたし個人の資格で、道徳の価値を相対化することによって、
その価値を貶めるような行為は、恩を徒で返すようなことですから、できません。
わたしは「人は、なぜ人を殺してはいけないか?」の議論が、倫理的/道徳的批判の
外で行われること自体が不道徳だと思うし、そんな特権が個人にあるとは思えません。
それを納得できない人は、道徳的規範のない、ヒトデナシの世界で好きにやればいい。
わたしは、人だから、結論「人は、人を殺してはいけない」は、議論の前提なのです。
わたしは、それを意識して発言できないのは、その人が子供である証拠だと思います。
上述は、かつてのわたしに対する自己批判でもあるんです。
わたしの「人は、なぜ人を殺してはいけないか?」に対する一番最初の発言は、
>いいのかもしれない。殺されるのは「嫌」だけど。・・・ですから。(^_^;)
・・・・・と発言してました。(^.^)
↑はハルカへの批判じゃないからね。
ハルカのこと少しは分かってるつもりだし、^^;と書いてくれてるし、
ただ「人殺しスレ」で出会わなくて良かったと思う今日この頃です。(笑)
>>121 Sさん
ごめんなさい。わたしから誘っておいてまともなレス一つできない。
あなたがわたしのなかに入り込んで幻想化しているのだと思います。
もうほんとうに混沌としてしまって、現実でのトラブルも重なって。
あなたの生き方を理論化するなんて生意気でした。ゆるして下さい。
>ボクの姿勢が実存主義に重なる部分があって、
>故にカオルさんの実存主義に重なるものがある、ということでしょうか?
>カオルさんがもしボクの何かに共感してくれているなら、
>カオルさんと繋がりがあることが嬉しいです。
本当は、わたしはハルカよりあなたに似ているのだと思います。
ハルカは帰還しなかったわたしの恋人と帰還したわたしの友人のあいだにいるのです。
>「わたし」を活かす方法はないのでしょうか?についてどう考えますか?
レスする力がないので、以下コピペします。(答えとかではないけれど)
ちなみに「悟り vs 道徳」みたいな構図だったのかな?
236 :57 :02/06/09 19:07
228
>個人的には、エゴイズムの克服は自我(自意識)がある限り無理なんだと思いますが、
>利己愛から利他愛への方向性を持つことは出来るし、それが大切なんだと思います。
>それから繰り返しになるけど、その利他愛が環境や状況によってすぐに元に戻って
>しまわないような“強さ”を世俗での実践の中で身に付けていくことが必要なんだ
>と思います。
生きている限りエゴイズムを完全に克服することは難しいが、そこへ近づくことはできる。
『自分の殻に閉じこもる』という表現があるが、エゴイズムの克服は、その自我の「殻」を薄くしていく
方向にある。「殻」の厚さをできるだけゼロに近づけることで、存在全体と一体となる方向へと向かう。
239 :カオル :02/06/11 09:15
236(57さん)(1)
>エゴイズムの克服は、その自我の「殻」を薄くしていく方向にある。
>「殻」の厚さをできるだけゼロに近づけることで、存在全体と一体となる方向へと向かう。
わたしは、わたしの世界や感情や意思が、精神(自我)の存在無しには有り得ないと
考えています。自我の殻の厚みによって、利己性が測られるのだとしても、自我は、
他我を自我の一部として認識しているし、利他愛は精神(自我)が認識するこの世界で、
人が「存在意義を存在させる為に」とても意味がある感情だし意思なんだと思います。
「殻(自我)」の厚みを薄くする為には、他我の意識拡大は意味がなく、非我との距離
の縮小が必要なんだとしても、あらゆる現象(存在)が、非我からの分離によって、
あるいは、無の相補性として存在するなら「悟り」に至るためには、自我を究極まで
小さくするという行為によって(たとえばの表現です)、非我を顕在化させる必要が
あると思います。(非我=存在そのもの=無我=無[秩序]と仮定して)
問題なのは、非我を顕在化させていく過程で、人には狂気(病気)を発生する可能性が
あるということです。わたしには、身近にそれを見てきた経験があるのは話しました。
今生きてる友人は、狂気から戻ってきていますが、わたし的に表現すると精神(自我)
の世界に帰ってきた=意味(価値)を肯定する世界に戻ってきたということです。
実際には、わたしとの友情を信じたり、精神的目的に意味を見出したということです。
わたしは「悟り」が、全ての生命の最終到達点であり絶対幸福の良き状態なんだとは
考えません。ですから、人はそのような方向に進むべきだとも考えません。
また「悟り」が、人や社会に平和をもたらすとも何か素晴らしい状態を招来するとも
考えません。否定はしません。(存在全体と一体となる=悟りと解釈しました)
244 :57 :02/06/11 21:19
239
>問題なのは、非我を顕在化させていく過程で、人には狂気(病気)を発生する可能性が
>あるということです。わたしには、身近にそれを見てきた経験があるのは話しました。
>今生きてる友人は、狂気から戻ってきていますが、わたし的に表現すると精神(自我)
>の世界に帰ってきた=意味(価値)を肯定する世界に戻ってきたということです。
「非我を顕在化」とは何のことなのだ・・・??
怪しげな話なので、なんともコメントのしようがないが・・・病名は何ですか?
245 :カオル :02/06/12 08:46
244(57さん)(1)
議論を続ける意味があるようなレス内容じゃないですね。(笑)
でも、最後に意見だけは言っておきます。
>「非我を顕在化」とは何のことなのだ・・・??
あなたが、得意の「存在全体と一体となる」のような神秘主義を持ち出すから、
あなたに分かり易いように自我、他我、非我(自然、世界)で説明しただけです。
別に「他性の顕在化」でも何でも構いませんが・・・それでも、わからない?
>怪しげな話なので、なんともコメントのしようがないが・・・病名は何ですか?
かなり心外です。(友人のことでもあり)相当に悩んで書きました。
わたしのいいたいのは、社会的存在としての自己を維持しながら、超越的次元、
たとえば「悟り」に至るのは難しいということです。なぜなら、その追及の仕方が
他者や社会との有機的な関係性を排除していく性格のものだからです。ですから、
それを狂気と表現しました。(社会的には狂気ですから)
社会的存在としての自己を維持しながら体験できるのは、
最大限「瞑想」によって分泌される脳内麻薬で「存在との(擬似的)一体感」を
楽しむくらいのものでしかありません。これは意外にやってみると簡単です。(笑)
仏性でも集合的無意識でも阿頼耶識でもいいけど観念じゃ人ひとり救えませんよ。
コピペ嵐のカオルでした。m(__)m
>>137 まちがい発見! その追及の仕方が ---> その追求の仕方が でした。 寝よ
>>120 >でも「わたし」の記憶を消去してまで本来の物自体に帰順することを選択するのでしたら
ああ、ゴメン。
説明が足りませんでした<記憶を〜〜
補足を以下に。
私も最近になって確信した事です。
私は
>>89で『記憶の崩壊』について発言しましたよね?
『崩壊』っていうのは『消去』とイコールでは無いんです。
>『私=自我』の根本を成しているのは『集積された記憶との照合及び
>知覚後の意識認識』による『自他区分(個別化)』です。(
>>89)
此処に注目して下さい。
『自我の維持』の為には『記憶との照合』が必要なんですよ。
逆に言うと、その『照合』という行為が出来る為には『自我』が必要なんです。
つまり『自我』と『記憶』は『合わせ鏡』…言わば『一方が崩壊すれば、もう一方も崩壊する』んです。
この『崩壊』とはどういう事か?
『合わせ鏡』状態だった『自我』と『記憶』の『角度が変化する』とでも言ったら良いでしょうか?
記憶自体は無くならないんですよ(思い出し難くなるというのは有りますが)
ただ『記憶と照合して、これが【私だ】と言えなくなる』って事です。
そもそも『照合すべき自我が無くなる』わけですから。
だから『記憶自体は残ってる。だが、それを体験したのが誰かは分からない』って状態になるわけです。
(私が過去『子供の頃の記憶が消えている〜云々』発言をしたと思いますが『角度のズレ』により一時的な健忘状態になっただけでした^^;)
OKですか?
>ハルカさんにとってどちらが大切なものなのでしょうか?
大切…
『今』の私にとっては貴方達との関わりの記憶は大切ですね。
この記憶は『今以外』でも残ると思いますよ。
ただ『価値を置かなくなる』ってだけで。
>>120 >でもそれは「わたし」の生還だと思うし、ハルカさんの内面で偽りなく、「わたし」を大切にして!と
>いう悲鳴があったからこそのものでしょう?
んー…
それはそうなんですが。
何て言うかな…
あえて言うなら『本性=認識不能な認識主体』『仮性=自我』ってとこでしょうか?
言い換えれば『深奥=認識不能な認識主体』『表層=自我』って感じですか。
その『自我』が(まるで独立した意識のように)『自分を殺すな!殺されるのは嫌だ!』と悲鳴をあげたんですよ。
で、その『自我』が『恐怖』という感情を利用して『私』を『ソコ』から去らせた、と。
分かり難いかな(苦笑)
ええと。
『深奥にある私』『自我的な私』『自覚している私』と『私』が三つあるんですよ。
普段は『自我私』=『自覚私』なんですが、『自我私』はとても利己的でして『自覚私』の知らない内に生き残る為に色々やってるんです。
私のやってるのは『自我私』を消して『深奥私』=『自覚私』にしようとしてるわけなのですよ。
ごめんなさい。ハルカさん。まだ食い下がります。
ハルカさんは>貴方達との関わりは正直嬉しい事です。と言ってくれました。でも「わたし」
の記憶を『崩壊』『価値を置かなくなる』にしてまで本来の物自体に帰順することを選択する
のでしたら、ハルカさんにとってどちらが大切なものなのでしょうか?
ハルカさんは「逃げ帰ってきた」と言い、それを「生還おめでとう」と言われたと立腹していました。
でもそれは「わたし」の生還だと思うし、ハルカさんの内面で偽りなく、「わたし」を大切にして!と
いう悲鳴があったからこそのものでしょう?それを強引に断ちきることが貴方にとって「楽」、偽らない
道に繋がるのでしょうか?「わたし」を活かす方法はないのでしょうか?
>>134-137 カオルさん
ああ、カオルさんは一年前にこんなレスを交わしていたのですね。。。
とても共感しカオルさんが身近に思える部分と、カオルさんが否定する超越へ向かわざるを
得ない自分と、カオルさんの実感から来る批判がボクの姿勢にズシリと突き刺さる部分が
あります。実存主義の概略についても読みましたが、基本姿勢に共感する部分と限界を感じ
超越に向かわざるを得ない自分とを確認しました。詳細について、もし自分で纏めらたなら
後日レスします。でもこれまでのボクの主張の繰り返しになってしまいそうで、止めておき
たい気もします。
カオルさんは以前、
>ただね、死ぬまでは愛してあげたいのわたしを。心とからだに感謝したいの。
>自己欺瞞でもなんでもそれがあるからまだ頑張れているという感じなのかな。
と発言しました。こういえるカオルさんのようなひと、痛みを知りながら生き抜ける
貴方のようなひとにボクは生を見出します。ボクにはそれが出来ないのです。。。
ボクは生の肯定者ではありません。世界に愛しさを感じながら、その限界を感じ、
その逸脱を望む者です。「わたし」を信じ貫くことで。
>>142 食い下がりますねぇ(苦笑)
いいですよ。
御付き合いしましょ。
>「わたし」を活かす方法はないのでしょうか?
この『わたし』ってのは多分『自我私』だと思うのですが…
Sさん。
貴方は『自我私』と『自覚私』を同一のモノと思っているんですね?
こう言っては何ですが…その『同一視』こそが『自我私』の仕掛ける最大の罠だったりします(苦笑)
これに囚われると『一歩も動けない』状態になりがちなんですよ。
気を付けて、もう一度『自我とは何か』を見つめて下さい。
>>142は
>>141を読んでないで書きこんでしまいましたので取り消します。
ハルカさんの優先順位はわかりましたのでこれ以上は言えません。
>>144 でもなんでそこまで『深奥私』を絶対のように崇めるのかわからないよ。
『自我私』だろうと『深奥私』だろうと根拠のない得体のしれないものじゃないの?
ボクは『自我私』=『自覚私』でも『深奥私』=『自覚私』でも胡散だと思うの。
で、何時ものボクの逆立ちした主張へと。。。
>>146 崇めているわけじゃないんだ。
『自我私』は『個別化が在ってこそ成立する』モノなのね?
その『個別化』が在るからこそ、私の【苦】があるんだ。
そう看破したんだよ。
だからこその『個別化からの脱出』なわけ。
『深奥私』ってのは、過去私が言った『決して認識不能な認識の主体になっている何か』なんだ。
根拠が無いわけじゃないんだよ?
>>148 いや、オカルトで怪しいとかいう意味じゃなくて。。。
そもそも『自我私』だろうと『深奥私』だろうと誰が捏造したかわからないような
無根拠な得たいの知れないものじゃないか?という意味。ボクはぞっとするんだよね。
>>149 その『深奥私』『自我私』『自覚私』って私の造語なんだけど…w
>>150 だから「物自体としての本来の私」「表象としての私」でもいいんだけどさ。
落ちます。
>>151 まぁ、確かに『深奥私』は証明不可能だから『無根拠』と言えるけど…
『自我私』と『自覚私』の違いは注意深く観察すれば分かると思う。
サザエ!いいかげん2chをやめておくれ!
\__ ______________/
∨ ..____
/ \
|/ ̄⌒ ̄\ \ オタ女になんか
/ / ※ ※ ※ ※../ へ.__, ,_ノヽ | \なっちまって!
2ch最高ですよ。萌えぇぇ〜〜〜※ | > < .\ |
./ / ※ ※ ※ ※ ..| ⊂ U 9) ⌒\
(⌒Y⌒Y⌒) ※ ※ ※ ※ ※.| ___ \ | .)
\__/__ . ※ ※ ※ ※ .\ \_/ /−
プゥ〜ン / \\..※ ※ ※ ※/ \____/
..// \ \ \ ※ ※ ※/ _/ / )
〜 ..| ◎---◎ U \ ⌒ ) ※/ (_》___/ .|
〜 /| ⊂ 9) ) ※/ / |__.|
/ (∴)д(∴) .| ).※ ※ / / / .|._|_|_|_.|
/ / .\ 〜 /.※ ※ ./ / ド//.|__|
/ / ※γ\____/~ヽ、※. ../ /_// | |
/ .ι l ̄ ̄ ̄ ̄||_と ) ヽ .ノ ../. \/彡 |__|
/ | 東 芝 ..||/l __/_ | ドカ ../ |
./ .l= ===== =l/ /---/)  ̄ ̄
( /---//
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(__ )
えーと…
誰に語るでもなく、ちょっと語ってみる。
自分自身整理したいから。
自分でも何の気無く名付けたんだけど『自覚私』『自我私』『深奥私』は結構シッカリ捉えてると思った。
でも、もう少し相応しい言葉を捜してみる…
【私】と言うと【エゴ=自我】と勘違いされそうだな…うーん…
私達の中心には『決して認識される事の無い認識主体となっている何か』が在る。
仮に『芯』と呼んでみる。
ドゥルーズの言う『不動の動者』と同じかも知れない。
その『芯』を包み込むようにして『自我』−『私が私の全てであると思い込んで疑わないもの』が在る。
その『自我』の根本を成しているのが『知覚事項と集積記憶との照合による個別化認識』。
で、この『個別化認識』は『膜』のようなもので『認識』が強まれば強まる(自我意識が濃密に成れば成る)ほど厚くなる。
『膜』が厚くなればなるほど『自我』から『芯』は見えなく(感知されなく)なっていく。
『自我』はその濃密さを増すほどに『【私】を成す根幹は自我しか無いのだ』との確信を深めていく。
確信を深めていけば、更に『膜』が厚くなり『芯』が見えなくなっていく。
これによって『自我』は更に濃密さを増していくというスパイラルが発生する。
この『自我』が外界との関係性を持つ為に表面に出てくるのが『感覚的な【私】』。
『感覚的な【私】』は基本的には『自我』とイコール。
だが『自我』は『感覚的な【私】』とイコールでは無い。
言ってみれば『感覚的な【私】』は『自我』のサブセット。
通常人間に意識される『自我』はこの『感覚的な【私】』。
この『感覚的な【私】』の奥では『自我』が自己を保つ為に様々な行為を行なっている。
私に起こった『自我の悲鳴』もその一つ。
そして『自我』は一瞬たりとも静止出来ない。
『自我』が自己保存の為に行なう『精神活動』=認識・記憶・思考・情動…
何れも『意識』が動く事で発生する。
そしてそれは当然サブセットである『感覚的な【私】』にも当てはまる。
『自我』が『感覚的な【私】』を利用して『静止出来ずに動き続ける精神活動』を行なう。
何故情報を認識出来るのか?
単純に考えてみる。
情報(外界)を『色』に例えてみる。
すると、その情報の『色』を一番明確にする為には下敷きとしてその情報の『反対色』を置けば良い事になる。
情報には様々な種類があり様々な『色』があるが、その『色』を際立たせるには全て対極の位置にある『反対色』を置けば良い。
そうやって単純化していけば、情報の『色』は混色されて『白』(加法・光の三原色)もしくは『黒』(減法・色料の三原色)になる。
となると、この『反対色』は?
『黒』(混色した情報が『白』の場合)または『白』(同様に『黒』の場合)になる。
とすると…
我々の深奥に在る『認識不能な認識主体』は『外界の対極にあるもの』と仮定出来る。
では『外界』とは『有』か『無』か?
この『自我認識』においては外界にあるもの(物質・情報)は例外無く『有』と認識されている。
これに従い前述の仮定を当て嵌めるならば。
我々の深奥に在る『認識不能な認識主体』は『無』なのではないか?
自己から外界への認識はこれで説明出来るとしても、他の個体から外界(当然自己も含む)への認識の場合は?
単純に考えると『主体=無』から『物質=有』は認識出来ても『主体=無』から『他の主体=無』は認識出来ない。
では、この仮定は間違いか?
否。
『認識主体=無=芯』を包み込んでいる『自我』と『感覚的な【私】』。
(『自我』と『感覚的な【私】』は基本的には同一のもの)
これが『有』であると仮定するならば成立する。
つまり
Aという者(主体=無)が外界(有)を認識する。
これだけなら、Bという者(主体=無)はAという者(主体=無)を認識出来ない。
だが、Bという者(主体=無)はAという者の『自我』『感覚的な【私】』(有の部分)を知覚する事で認識する。
…どうだろう??
>>155-156の批評はカオルさんにお任せします。ボクは違う観点で語っているから。
で、どうも今朝の展開に我慢できなかったのでおもいっきし私的観点を書き殴ります。
ボクが言いたいのはそういうことじゃなくて、
『自我私』だろうと『深奥私』だろうと預かり知らない得体の知れないものでしょ?
ということです!
なぜ『自我私』は駄目で『深奥私』は信頼できるのですか?
どちらも信頼できるようなものではないですよ。
自明だとされてきた自身を構成するものがブラックボックスに過ぎなかったこと。
まさにこの認識に到達すること、これがボクが人形であり且つ人形ではない証です。
個体化の苦があるなら全一の束縛もあるのです。それを有り難いように拝んで、ハルカ
さんが楽になるはずない!それは救いのない逃避です!サクラの暴漢に襲わせて助けを
差し伸べる振りをした詐欺師に取り込まれるようなものです。『深奥私』−『自我私』
という循環構図が成立しているなら、どうしてその何れかが楽などになるでしょう?
私たちには『深奥私』−『自我私』という青い血が流れているのです。けれど、青い血
が何だというのでしょう?ボクたちには赤い血も生まれているのです。そう。青い血を赤
く染める、ボクたちの自律性。ボクたちは預かり知らない物自体の客体なんかじゃない!
本当に楽になりたいなら、ボクたちの自律性を切り開き到達するしかない!
ボクはね、俗な覚者なんて者は認めませんよ。肉を食らい排便し呼吸をし言葉を操るような
者がどうして覚者でしょうか。人が知覚できるような者など覚者などではない!死んだら
輪廻を超えられるですって?『深奥私』−『自我私』という循環構図に十分取り込まれた
ままですよ。それが錯覚ならどうして物自体の本質は絶対的にそれだけで完成されず、
個体化の現象などを生み出してリンクしているのでしょうね。既存のあらゆるものに安易に
救いがあるなどと思う方が錯覚です!
もしもハルカさんが絶対無を望むなら、それは『深奥私』−『自我私』という循環構図
の外部にあたるのではないですか?もしもハルカさんが楽を望むなら、それは『深奥私』
にはないのではないですか?そこにあるのは預かり知らぬ強大なものを崇める、隷属
としての麻痺だけです!
SHは個体化をマーヤーのヴェ−ルといいました。でもボクには物自体の本質そのものが
得体の知れない巨大なマーヤーのヴェ−ルに見えます。だから、それを絶対視し、崇め、
没入する行為にマーヤーの最高傑作を見るのです。
>>155 ハルカへ
>ドゥルーズの言う『不動の動者』と同じかも知れない。
親切心からなんだろうけど、ドゥルーズは持ち出さない方がいいと思うよ。
ドゥルーズ知らないけどイメージあんまり良くないし、ハルカの論に必要ないし。
>『自我』の根本を成しているのが『知覚事項と集積記憶との照合による個別化認識』。
この『知覚事項と集積記憶との照合による個別化認識』は、SHでいう「個体化の原理」
ということでいいかしら?(イメージとして)
>この『自我』が外界との関係性を持つ為に表面に出てくるのが『感覚的な【私】』。
これは、生を牽引している「個体化の原理」が、『感覚的な【私】』にとっては、
あまりに自明すぎる事柄なので「無自覚的」である、ということでいいかしら?
>>156 ハルカへ
>…どうだろう??
ハルカの論だと、たとえば、外界は「有」であるということだから、
有の定義にもよるんだけど、外界は「実在」してることになるよね?
ということは、実在するとはどういうことか?、についての議論になると思う。
なぜかというと、哲学的にはSさんがいうように「無」は不可知なことだから、
検討しようがなかったりする。(笑)
だから、ハルカの論もわたしのSHスレでちょこっと書いた論もOKなのです。(笑)
でも、ハルカの論はとても説得力があると思うよ。
わたしはあなたのようには書けないから羨ましいです。
とにかく仮にでも論がまとまったことは喜ばしいことです。(^.^)
>>143 Sさん
>止めておきたい気もします。
わたしがSさんの発言にコメントしていった方がよいのかな?
>ボクは生の肯定者ではありません。世界に愛しさを感じながら、その限界を感じ、
>その逸脱を望む者です。「わたし」を信じ貫くことで。
これが、わたしがSさんに感じる矛盾なのかな?
意味が分からないもん。(ごめんなさい)
わたし(魂)は、不動の動者に導かれ、究極の理念への接近をこころみます。
わたしの心と身体は、個体化プログラムにしたがう現象、存在にすぎません。
この思いは、現象を信じられないこと、存在を嫌悪していることに起因する。
だから、わたしは運動という時間を止め、過去という既知を排除するのです。
心を眠らせ、身体の活動を沈静化し、みずからをただ未来へと投げ出します。
なぜなら、未来とは未知なる無、めざされる境地、非現象のことだからです。
わたしは、未来という限界のない可能性だけが広がる世界に飛翔するのです。
わたしのこころみは、みずから人なるシステムをフリーズさせることであり、
それは、まさに人からの脱却、狂気への道程にほかなりません。
>>159 >ボクはね、俗な覚者なんて者は認めませんよ。肉を食らい排便し呼吸をし言葉を操るような
>者がどうして覚者でしょうか。人が知覚できるような者など覚者などではない!
やっと出ましたね。
これを待っていたんですよ。本音を。
Sさん、貴方の今までの発言の中にかなり引っかかる部分が在ったのでね。
それを引っ張り出す為にチョット意地悪な返答をしてしまいました。ゴメンなさい。
上記の発言に従うなら、貴方が『覚者』に対して有しているイメージは
『肉を食らわず排便せず呼吸せず言葉を操らず人に知覚されない者』
となってしまうのですよ。
コレは最早『物理的な人間以外』であり『生物とは呼べない』モノにならないでしょうか?
私は過去、貴方に対して
>『進化せねば』『素晴らしく成らねば』という思い込みの罠に囚われているように見える(
>>91)
との発言をしましたね?
貴方は対して
>進化せねば』『素晴らしく成らねば』という思いこみというより、もはやそのような究極の確認なし
>にはいられない「苦」を感じたからなのです。(
>>106)
と発言していましたが…
どうでしょう?
『導師の真似事』をして引き出し眼前に置いて見ましたが(苦笑)
貴方の言葉を借りるなら、貴方も
自我『を有り難いように拝んで』Sさん『が楽になるはずない!それは救いのない逃避です!』
と言いましょうか(苦笑)
>>164 このレス読んで質問をひとつ思い出した。
ハルカの論では「身体」の位置付けはどうなるの?
明日、ひさびさ人並みに休みです。でも眠たい。(^_^;)
人は、超越への方向性と身体への方向性に引き裂かれている。
二つの方向性のあいだで価値が生まれる。
>>158-159 Sさん…それは勘違いと言うものです。
いいですか?
『深奥私(芯)』と『自我私(自我)』&『自覚私(感覚的な【私】)』は『循環構造』を成してはいないんです。
『深奥私(芯)』には『意志的なモノは全く無い。ただの【在る】だけだ』と言いましたね?
その実体は『無』です。
『深奥私(芯)』と『自我私(自我)』&『自覚私(感覚的な【私】)』は『対極』にあるんです。
『自我私(自我)』&『自覚私(感覚的な【私】)』(『有』)が他の『有』を知覚する為に『深奥私(芯)』(『無』)を内包した…
こう考えれば分かり易いですか?
>>165 『身体』の位置付け?
ええと…如何答えたら良い?
どういう方面での回答を欲しているのかな??(苦笑)
>>168 心身問題というか、ハルカの論では身体はほとんど他の物体と同等でしょ?
>>169 >ハルカの論では身体はほとんど他の物体と同等でしょ?
ああ、同等同等。
一点を除いて違いは無し。
『深奥私(芯=【無】)』を内包しているかどうかだけの違いが『物体』と『生命体(身体)』の差異。
>>170 わかってたんだけど(笑)、ハルカがドゥルーズとか引用してたから引っかかってただけです。
>>171 アッチのスレでやったドゥルーズについて発言のコピペ(w
373 名前:ハルカ ◆0tZOcyVq86 [sage] 投稿日:03/07/11 06:44
>>370 『器官なき身体』ってドゥールズの『千のプラトー』に出てくる概念なんだね。
調べて初めて知った。
ざっと調べた所…
『我々の有機的身体である【欲望する機械】は有限の様相を示しているだけであり、それに内在しているかも知れぬ絶対無限の【実体】である【不動の動者】へと接近しようと試みるものの、その試みは【絶対的荒廃】へと続く道である』
とか…(苦笑)
書き方が凄いややこしいなぁ。
えーと。
私なりにまとめると…
【欲望する機械】ってのは『有機的身体=私たちが生きている身体』になる。
でもって、コイツと対称的に描かれているものとして【不動の動者】がある。
コレはその名の如く『不動のもの』であって『一切の不動=身体の殲滅』へと【欲望する機械】を牽引する。
しかし、その牽引には(強度の差異こそあれ)抗えないものがある、と。
コレは『死への欲望=タナトス』と同じものであり、我々は必ず其処(『死』)へ至る。
で。
【器官なき身体】というのは『仮の様態』=有機的身体である【欲望する機械】の内に存在する『無限の実体』なわけだ。
それは『精神』と言い換えるだけでは足りぬものであり、それを体得し同一と成る為には経験が必要である。
だが、【器官なき身体】というのは『死そのものモデル』でありそれへと近づく道は絶対的荒廃を指し示す。
>>172 うん。一応読んでるよ。
で、わたし的に表現するなら、【欲望する機械】とは、(前振りの)
>>166になるんだよ。(笑)
だから、ハルカの論は、あくまで視点が「神の視点」なの。つまり『深奥私(芯)』が基準になっているってこと。
その視点からでないと、心身問題がダイレクトに関わってくるよ、ということがいいたかったのさ。
ついでにいうと、多分Sさんは「人間の視点」から「超越」を志向してるんだよ。それがハルカとのズレだと思う。
>>163はね、多少分裂的なところのあるわたしが、絶対的荒廃へと突き進む感じを書いてみたんだ。
>>173 その視点の『ズレ』は分かってるよ。
Sさんは『人間の立場→超越』という視点だから…
だからこそ、そんな人が陥りやすい罠が二つ。
1:『自我』と『感覚的な【私】』の同一視。
これは
>>144で指摘済。
2:『覚者』を『絶対的超越者』として理想視。
これも
>>164で指摘済。
>>175 Sさんならきっと『神でもないのに「神の視点」なんてどうやって持つんだ』というでしょう?
あと、できたら、
>>160確認して欲しいんだけど。
>>174 うーん…
個人的に指摘して良い?
>心を眠らせ、身体の活動を沈静化し、みずからをただ未来へと投げ出します。
>なぜなら、未来とは未知なる無、めざされる境地、非現象のことだからです。(
>>163)
コレはね…間違いだと思う。
『未来はただの予測でしかない』と私は言った事がある。
『未来に対し希望を抱く』というのも根底には『記憶との照合による予測』があるんだ。
『過去の集積記憶』と『現在の知覚認識による現状把握』とを『照合比較』した上で
『現在なってない○○状態に成りたい、成って欲しい』と『希望的観測』を抱く事が『希望』なんだよ。
『希望』を抱いてる時点で『荒廃』には進まないよ(苦笑)
>>176 『自我』が『自分の全てでは無い。一部を成す部品だ』という事を『自覚』出来れば『神の視点』とやらになれるよ。
あと
>>160?
言う事無し(w
その解釈で全くOKです^^
>>177 >コレはね…間違いだと思う。
ドゥルーズ的にはそうでしょうね。だってドゥルーズの精神分析批判だから。(笑)
>『希望』を抱いてる時点で『荒廃』には進まないよ(苦笑)
理念を追求するということでは「希望」の部分もあるのだろうけど、
その思いは、過去(既知なるもの)を全く信じてない意識にとっては「飢餓感」に近いです。
で、
>>112にも書いたけど基本的には未来は「恐怖」なので・・・・・(笑)
>『自我』が『自分の全てでは無い。一部を成す部品だ』という事を『自覚』出来れば『神の視点』とやらになれるよ。
そうだね。
「神は神にあらず、ゆえに神なり」というような言説がなぜなされるのか?、ということだよね。
>>160の承認が取れたので、さっき書いておいた「個体化の原理」についてカキコします。(ROM人向け)
たぶんイメージにそわない部分が出てくるだろうけどある程度は我慢してね。(仕方ないもん)
『個体化の原理』を『充足理由律の四つの根』(SH)から要約したいと思います。
【 前 提 】(「モノ自体としての意志」を取り除くための)
まず、SHの充足理由律としての個体化の原理を説明するにあたって、
ウィトゲンシュタイン(LW)の『論考』の論理学を前提に使用したいと思います。
『思考し、表象する主体のようなものは存在しない。』<5.631>
『主体は世界に属さない。それは世界の限界である。』<5.632>
『世界の中のどこに形而上学的な主体は見出されうるか。
ここでの事情は眼と視野の場合と全く同じである、と君はいうであろう。
しかし君は実際は眼を見ないのである。
そして視野における何物からも、それが眼によって見られていることは
推論されえない。』<5.633>
『このことは、我々の経験のどの部分もア・プリオリではないということに関連している。
我々が見ることのできるすべてのことは、別のようにもありうるであろう。
我々が記述 することができるすべてのことは、別のようにもありうるであろう。
もののいかなるア・プリオリな秩序も存在しない。』<5.634>
以上、ショーペンハウエルについてなんか言ってください
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1020576359/869-872、から借用。m(__)m
上記は、反SH的論点なのですが、LWは「個体化の原理」自体は認めています。
否定したのは、「モノ自体としての意志」の方なのです。
しかし、上記にあるような(形而上学的)「主体」とは、「私」なき「個体化の原理」
そのものと捉えることも、モノ自体としての意志と仮定することも可能だと思います。
もちろん、論理学的には認めるわけにはいきませんから、LWは否定しました。(笑)
『個体化の原理』とは、個体そのものにも可能な認識の形式、世界の認識の仕方のこと。
『充足理由律』とは、表象の世界は「相対性のもとに決定されている」。
しかしそれは、<5.634>、つまり「ア・プリオリな秩序ではない」ということ。
われわれが表象、あるいは現象の世界に認める「整合性」は、単に「個体化の原理」が、
そのような法則をもっているからだ、という考え方のことです。
【因果性の法則】・・・・・・・変化の認識。悟性能力が法則をもたらす。
【論理の法則】・・・・・・・・・諸概念の結びつき。理性が法則をもたらす。
【空間・時間の法則】・・・数学的真理。感性的直観が法則をもたらす。
【動機の法則】・・・・・・・・・意志の認識。自己意識が法則をもたらす。
※ 意志の認識とは、内的自己が意志する主体としての自己を認識すること。
ですが、SHの論から「モノ自体としての意志」の概念を取り除くなら、
動機の法則は、他の法則を意識する自我としての自己意識で良いと思う。
>>180 最後が上手く説明できてないか?
とうかく 0 【統覚】
〔(ドイツ) Apperzeption〕
(名)スル
カントの哲学で、多様な経験を総合して可能にする意識の統一性(超越論的統覚)。
【goo国語辞典より】
でもいいかもしれない。(いい加減だー)
ハルカの論を台無しにしてるかもしれない。(^_^;)
>>182 そうかぁ。それよくいわれる。(^_^;)
>>カオルさん
>>163の一文は素晴らしい出来だと思う。
『未来に関しての部分(具体的には5〜7行目)』を除いてはだけどね…^^;
>>184 どうもありがとう。(でも自分のことだから・・・)
分裂する人はね、自己の基盤になる過去が信じられないの。親でも既成概念でも何でも。
だから、未来しか存在しないの。でも、自己の基盤になるものが全くないのだから、
過去を参照して未来を夢見るとかいう風にはならないの。
そんな事情もあって未来が予測不能になるので恐怖になってしまうのです。
それでも未来しかない・・・ドゥルーズにはこの感じが分かってないと思うんだ。
というか、わたしが個人的すぎるんだけど。(^_^;)
またわけわかんないこと書いてしまった。もう寝た方が良いみたい。おやすみなさい。
>>Sさん
さて、と。
もう少し詳しく書きましょうかね…
『深奥私(芯)』(以下【芯】とする)と『自我私(自我)』(同【我】)と『自覚私(感覚的な【私】)』(同【私】)の関係性について。
チョット整理しますね。
我々の実体は三層構造(【芯】−【我】−【私】)になっています。
【芯】≠【我】 (【芯】と【我】は対極の関係にある)
【我】≒【私】 (【私】は【我】のサブセット)
【私】の得た『知覚(情報)』は【我】の有す『集積記憶』と照合され『認識』となります。
『知覚(情報)』は【記憶】となり【我】へと集積されます。
その『認識』を得る事は『個別化』の根本となります。
そして『個別化された認識』が【我】から【私】へとフィードバックされます。
『個別化認識』が強まるほどに【我】は濃密になり【芯】と【我】の断絶は深くなります。
こうして【我】と【私】は『循環構造』を成し、【芯】と【我】【私】の分離が拡大します。
では【芯】は無くても良いか?
否。
【有】を知覚する為にはどうしても『対極』に在る【無】が必要です。
【無】である【芯】をその内部に抱えているからこそ、外界の【有】を知覚可能です。
つまり。
『意識されておらず認識さえも不可能な認識主体である【無】が内包されているからこそ、我々は【生命】足り得る』と言えます。
【我】は『一瞬足りとも静止出来ず動き続けて』います。
では【我】は何故『静止出来ない』のか?
内部に『自らの対極であり消滅因子である【無】を内包している為』です。
此処までは『生命とは何か』という観点で書いてます。
チョット追加。
>>186 【我】は『一瞬足りとも静止出来ず動き続けて』います。
では【我】は何故『静止出来ない』のか?
内部に『自らの対極であり消滅因子である【無】を内包している為』です。
消滅因子たる【無】から逃げ回る為に『途切れる事のない動作』を続けています。
>>164 ハルカさん
ボクが言いたいのはね、覚者なるものが等しき生のなかには存在しないこと。そしてそれ以外に
ついては不可知ということです!だからね、節制しようと達観しようと教義を開こうと勝手なの
ですが、覚者と差別化する根拠はないということ。それだけだよ。
だからそれ以下に続くボクに対する糾弾は的外れなのです。
ボクが何時、>自我『を有り難いように拝んで』いましたか?
>『自我私』だろうと『深奥私』だろうと預かり知らない得体の知れないものでしょ?
もう一度
>>158-159のボクの叫びを聞いてください。
>>175 ハルカさん
1の指摘はそもそも自己を成している構成要素を実践のなかでふるいにかけ、無根拠な自己から
脱却するにあたる過程で判別するもの。
2の指摘はそもそも覚者なるものが眼中にないこと。ボクの眼前には自律性を見極めることしか
ないです。そしていわゆる覚者とボクの言う自律者とは根本的に異なりますよ。
>>186 ハルカさん
貴方は【芯】(物自体としての本来の私)が人間特有だと思っているのですか?だとしたら
そこへの帰入はひとつも全一的じゃないですよ。
森羅万象の根源、本来的な物自体として【芯】はあるのでしょ?違うの?
【芯】の高度な客体化によって現象が人間にまで至り、【我】(表象としての私)が生まれた
のでしょ?だからこそ逆の流れとして、【我】から【芯】への帰入も可能なのでしょ?
これが想定される【芯】→【我】→【芯】の循環です。この循環が想定できなければ、
貴方のいう悟道自体が成立しませんよ。生命(表象する生命)とは何かを言うなら、
それは【芯】があるからじゃなくて、認識を伴った【我】があるからでしょ?違うの?
>【我】は『一瞬足りとも静止出来ず動き続けて』います。では【我】は何故『静止出来ない』のか?
これについての貴方の言い分は都合のいい想定に見えます。【芯】→【我】の構図の中で規定されて
いるとまでは言えますが、それ以上については想像できるだけです。SHのように【芯】そのものが
終わることのない意志の本質だとしたらどうでしょうね。いずれにしても、もしも『静止』したいなら、
【芯】→【我】の構図の外に脱却するほかはないように見えますが。どう?
>>162 カオルさん
世界の中にあって個体化に規定されながらも、SHの言うように個体化を看破しエゴイズムを克服し愛を
実践することや、実存の立場に立って個々の事態に主体的に関わっていくこと、これが個体化の生のあり
様を生のなかで克服することであり、また生の中での限界でもあります。というのも個体化の大枠は永遠
に克服できないのですから。また実際に現実のなかで対応すれば限界は幾らでも見出せます。
ですから根本の克服を求めるなら自然と主体性(自律性)を純化する超越へ臨むこととなります。
けれどもそれは生の世界を逸脱することになるのです。そして生の世界では生を是とする、或いは自明
としている者、そしてカオルさんのような実存者がいます。ボクはそこに自分の原点としての郷愁を覚え、
それが如何なる世界であっても人形の殻に悪戦苦闘する同胞の立場を尊重し愛するのです。
ボクは「わたし」の自律性を信じ、貫きます。「わたし」の自律性のなかで原点となった関わりの記憶を
大切にします。それがボクの世界への愛着。そしてこうしてレスをして頂いているカオルさんやハルカさ
ん。そしてぴかぁ〜さんがいて、いろんなひとがレスを交わすお祭り騒ぎの哲板。この記憶を大切にした
い。もちろんボクの関わった(かなり嫌なことばかりの)生の記憶すべて。。。
カオルさんの
>>163のレスを読むとカオルさんがまたまたわからなくなりました。でもカオルさんがボクの
想像以上の絶望を味わってきたのだろうと感じます。ボクなどはまだまだひよっこでした。
ボクはとても心苦しいです。貴方にお返しがしたいのに、ボクではカオルさんに甘えることにしか繋がら
ない。ボクの無様が貴方が飽きるまでは戯れとなるでしょうか?
>>190 Sさん
>世界の中にあって個体化に規定されながらも、
>SHの言うように個体化を看破しエゴイズムを克服し愛を実践することや、
>実存の立場に立って個々の事態に主体的に関わっていくこと、
>これが個体化の生のあり様を生のなかで克服することであり、
>また生の中での限界でもあります。
その通りです。それが実存するということです。
そして限界を引き受けることを覚悟する意思こそが自律性です。
それは虚無への宣戦布告でありそれが超越への志向性なのです。
>というのも個体化の大枠は永遠に克服できないのですから。
それでも、否定しないこと、あきらめないこと。
>また実際に現実のなかで対応すれば限界は幾らでも見出せます。
151 名前: カオル 投稿日: 02/05/29 08:52
135(57さん)(1)
>恋愛や家族愛は自己愛の延長であり、エゴイズムの枠が少し
>広がるだけで、根本的自己中心性は少しも変わりません。
>そのような、エゴイズムに基づく愛は、裏を返せばすぐに憎しみに
>変貌するような愛です。
>キリスト教も仏教も、そのような愛を本当の愛(神的愛、慈愛)
>とは認めず、窮極的には克服されるべきものと考えていると思う。
わたしは、自分が理想主義的な観念論によっては、救われなかったという経験と
あなたの言うエゴイズムによって救われたという経験から、その行為が自己愛に
基づくものであっても、その人の道徳的価値を体現した行為は価値ある行為だと
思いますし信じられます。
わたし達のその行為がエゴイズムなんだとしても、それを克服するためには、
しっかりと愛せるし愛した、しっかりと戦えるし戦った、という能力と経験が
あってはじめて可能になるのではないですか?
>ですから根本の克服を求めるなら自然と主体性(自律性)を純化する超越へ臨むこととなります。
>けれどもそれは生の世界を逸脱することになるのです。
「主体性(自律性)を純化する」「超越へ臨む」とはどういうことなんでしょうか?
人は価値の選択なしには一歩も前には進めません。
そして価値の選択が可能なのは、人により良くより高くの志向性があるからです。
価値の選択が超越へ向かうのは必然です。というのとどこがちがうのでしょうか?
>そして生の世界では生を是とする、
>或いは自明としている者、
>そしてカオルさんのような実存者がいます。
三人とも同じなんでしょうか?
生涯 _ 逍遙の人 セーレン・キルケゴール
ttp://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/ の「死に至る病」を読んでみてください。
>ボクはそこに自分の原点としての郷愁を覚え、
>それが如何なる世界であっても人形の殻に悪戦苦闘する同胞の立場を尊重し愛するのです。
あなたはどこにいるのでしょう。
わたしはなんであなたを想像できないのでしょう。悔しいです。
あなたが心配です。
>「わたし」の自律性のなかで原点となった関わりの記憶を大切にします。
>それがボクの世界への愛着。この記憶を大切にしたい。
>もちろんボクの関わった(かなり嫌なことばかりの)生の記憶すべて。。。
わたしにとっては、それが過去を受け入れるということなんです。
かつてのわたしなら、これは「過去に魂を売り渡す」
>>112、ということ=敗北です。
かつてのわたしが
>>163を書かせ、わたしに
>>112の意識の反転と統合があって、
今のわたしが
>>92なのです。今は世界を受け入れる覚悟は決めてるものの
やはりどうしようもなく意識の分裂や混沌は起こってしまいます。
>カオルさんの
>>163のレスを読むとカオルさんがまたまたわからなくなりました。
768 名前:カオル ◆BBBRv/ousU 投稿日:03/04/23 01:02
658さん
>何故「ワタシ」を明確に意識することが必要であるのか?
>むしろ逆に、そのような自己意識の過剰が現代の問題なのではないかと思われるが。
自己意識の過剰は、他者の存在価値を忘却した為に起こるのだと思います。
換言するなら、他者との信頼関係を築けないことからくる不安からの徹底した
防衛反応なのではないでしょうか。もちろん、防衛しているのは自己意識です。
つまり、自己意識が未成熟なのではないでしょうか。弱いというのか・・・
では、その弱さはどこから来るのかと考えると、すでにいいましたが、
根源は、人を信じられないことにあるのだと思います。
人を信じられないことが続くと、他者は、communication の対象ではなくなります。
また、人を信じられないこと = 自分だけは信じられる、でもないと思います。
なぜなら、他者や既存の秩序/価値を信じられないことが続くということは、
自己の存立基盤を否定し続けることになるのですから、自己はいつも崩壊寸前です。
過去、あるいは過去の自分を否定している状態での未知なる未来や他者の存在は、
とてつもなく脅威なはずです。つねに戦闘態勢で臨まないと自己意識を守れません。
>ボクの無様が貴方が飽きるまでは戯れとなるでしょうか?
わたしの態度にどこか問題があるのでしょうか?
とにかくあなたが無様なんて思ったことは一度も一瞬もありません。
>>186 ハルカへ
>【有】を知覚する為にはどうしても『対極』に在る【無】が必要です。
>【無】である【芯】をその内部に抱えているからこそ、外界の【有】を知覚可能です。
ハルカの論をわたしの論と重ね合わせて解釈してみました。(暫定版)
いままでのハルカの論、
(1)【存在】=【無】である。
(2)【存在】≠【有】である。
(3)【有】と【無】(=【存在】)は『対極』する。
(4)【実在(人)】は【有】であり、かつ【無】(=【存在】)である。(【有】=【実在】)
を(説明の都合上)以下のように表現します。
a.【存在】【無】<----->【実在(有)】(【実在】と【存在】【無】の「対照性」)
b.【存在】<-----【実在(有)】----->【無】(【実在】の「存在仕方」)
1.【有】への方向性 ・・・・・ 反エントロピーの志向性。生への本能。
2.【無】への方向性 ・・・・・ 超越への志向性。死への本能。
3.【実在】は【不確定性原理】および【相補性の原理】にしたがう。
4. 3.から【実在】の存在態様は「仮(想)的」かつ「相対的」である。
5. 4.から【実在】は、自身の存在の「不確かさ」によって、
むしろ、その実在性を否定され得ないという「存在仕方」をする。
6. 5.の「存在仕方」を生成する原理としての構造が【存在】【無】である。
7. 原理としての構造である【存在】【無】は、分離できる実体ではない。
(【存在】【無】を実体として捉えるなら「【存在】【無】は分離できない」の表現まで)
どうかしら?
>>189 >【芯】の高度な客体化によって現象が人間にまで至り、【我】(表象としての私)が生まれた
>のでしょ?
>それは【芯】があるからじゃなくて、認識を伴った【我】があるからでしょ?違うの?
断言しましょう。
違います。
【芯】と【我】は完全なる別物です。
言ってみれば、【我】は【芯】にすくった『寄生虫』のようなものです。
実際の話【我】が無くても生きてはいけます。
『生命』足り得ます。
精神病患者の中でも重度の方を御覧なさい。
>SHのように【芯】そのものが終わることのない意志の本質だとしたらどうでしょうね。
>いずれにしても、もしも『静止』したいなら、 【芯】→【我】の構図の外に脱却するほかはないように見えますが。どう?
違います。
【芯】は『意志の本質』ではなく『実存の本質』です。
『実存の母体』です。
【芯】は『【無】=不動』であり『一切の動作が無い=実存の消滅=非在』です。
此処が勘違いされてるのかなぁ…
何か…
私を弾劾するスレッドが出来ているようで(苦笑)
御苦労な事だ(大苦笑)
厨は放置ケテーイ(w
>>カオルさん ハルカさん
ギスギスしたレスの応酬をする前に前提となるこれまでに培ったボクの想いを自分で確認
します。ボクはカオルさんもハルカさんも大好きです。ボクは貴方を信頼するに至ってい
ますから、貴方が自分に偽りなき道を歩むのなら、たとえ如何なる道もボクはそれを支持
します。
そして貴方はボクに関わることでボクを導いて来てくれました。だからボクは感謝する
のです。ボクからお返しできることはボクのありようを示すことぐらいですから、貴方が
ボクに関わり続ける一杯は、ボクもそれをぶつけます。
さてボクのレスはたぶん貴方の想像するものでしょうが、この展開には正直うんざりです
よね?ボクもそうなのです。ボクの無知な頭をかち割るしかないのかなあ。新鮮な空気を
吸ってきますのでレスは中断です。夜になっても変わらないと思うけど。。。
>>201 まぁ、そう御自分を責めないで下さいな。
『歩いた事が無い道』に付いては『無知』なのが当然です。
そう言う私も『道の途中』なのですが…
Sさんより少しだけ先行してるかな、と。
だから『この道は荒れてるよー凸凹だよー大変だよー』と言ってます(苦笑)
本来ならば『道の途中の者が道を示すなど言語道断』なのですがね。
私の場合は…見逃して下さい。
仏門に入ってないから大丈夫とは思いますが(苦笑)
もう一回、私が観ている場所を書きますね。
三重構造 【芯】−【我】−【私】 ← これを
二重構造 【真】−【私】 ← こうしたいわけです。
>>202 訂正。
三重構造 【芯】−【我】−【私】 ← これを
二重構造 【芯】−【私】 ← こうしたいわけです。
204 :
考える名無しさん:03/07/27 17:17
死にいたる病とは希望のことである。
逝った者よ♪逝った者よ♪
206 :
考える名無しさん:03/07/27 20:12
自分と対極の物を探して旅を続けていた時期があったけど
自分以外には見つからなかったよ
砂嵐の中、毛布にくるまってガジガジと砂を噛みながら
なんでこんな事してるんだろう
って思っている自分こそ
自分という存在の対極とだと感じた
ハルカ、性懲りもなくまだいたのか。
プライドが鼻くそほどでも残ってるなら早くでてけよ。
>三重構造 【芯】−【我】−【私】 ← これを
>二重構造 【芯】−【私】 ← こうしたいわけです。
>【芯】は『意志の本質』ではなく『実存の本質』です。『実存の母体』です。
>【芯】は『【無】=不動』であり『一切の動作が無い=実存の消滅=非在』です。
その構図そのものはいいとしても、ボクは
>>189から先へ進めません。
どうして【芯】のみを取り出して絶対視するのか、
>>158-159から先へ進めません。
>>191の内容は生の形態を前提とした実存者の立場の観点に過ぎません。ですからそれを己れの信条と
して実践することや、無自覚な者に己れのありようを示すことは理解しますが、その矛盾を看破して
克服しようとする者に押しつけて蓋をしようとすることは理解しません。
死に至る病の冒頭をとりあえずかじりましたが、もしもボクの主張に絶望を重ね合わせているのだと
したら、的外れというか視点が違うなという印象です。ボクの主張が絶望であって無駄なのだと括って
みて、その人は何を得るのでしょうか。逆に言えば、生の形態を前提とした永遠の絶望の道連れに
したいのでしょうか。舞台の道化を覚悟しながら道化を立派に演じることが人間には相応しいと。。。
>そして生の世界では生を是とする、或いは自明としている者、
>そしてカオルさんのような実存者がいます。
>三人とも同じなんでしょうか?
違いはありますよ。でもね、前提基盤は同じなのです。超越へ臨むに至った者から言わせればね。
ハルカさんは預かり知らない全一者に抱かれて忘却の安らぎを得たいのでしょうか。
カオルさんは預かり知らない回転ケージの上で永遠に主体を空回りさせたいのでしょうか。
それが人間に相応しい限界なのですか?
>>201 Sさん
>この展開には正直うんざりですよね?
>ボクもそうなのです。
わたしはうんざりしてないけど、あなたが嫌なら無理はいわないわ。
>夜になっても変わらないと思うけど。。。
この言い回し嫌いだなぁ。
わたしがSHスレであなたから逃げたときとおなじ。
これから先の議論が不毛だと言われてる気がします。
>>209 Sさん
>生の形態を前提とした実存者の立場の観点に過ぎません。
>>191は、あなたの「実存」解釈への同意と、追加解釈の提示のつもり。
いままでの発言もすべてそのようなスタンスで書いてると思ってください。
これからは言い方に気を付けます。
>矛盾を看破して克服しようとする者に押しつけて蓋をしようとすることは理解しません。
わたしがしてるのは様々な解釈の提示とあなたの論の整合性の問題です。
だってそうでないならわたしは完全に多重人格者になってしまいますよ。(笑)
押し付けてるように思われないような書き方を工夫してみます。
>Sさん
ちょっと心配になったので確認していいですか?
以下、SHスレからのコピペ。
>意志の廃棄とは文字通りのもので、それが無への通路となると考えます。
モノ自体としての意志と同一化した状態では「わたし」という個別的な意志は機能しないでしょう。
そのとき「わたし」は「非意識」としての「無」を体験しているのではないでしょうか。
しかし、この「無」は、Sさんにとっては「無」ではないのでしょう。
なぜなら、モノ自体としての意志「存在原理」が消失したわけではないのですから。
Sさんのいう「無」とは、ふたたび「わたし」を取り戻した「わたし」が、
モノ自体としての意志、あるいはその存在原理から推測される永遠の存在循環から抜け出す、
という「観念」を指しているのですか。(見解を一致させてから前に進みたいので)
は、変わってないですよね?
>>211カオルさん
>無様な、うんざりですよね、、夜になっても変わらないと思うけど。。。
ごめんなさい。さらりと流してください。なるべく言わないようにします。
気遣いなくがちっと来てください。たぶんボクがついていけてないだけですから。
>>212 そうです。
>>213 ということは、あなたの問いは、
「ある」ということ自体から脱する方法はあるのか?
ということですよね?
論理の整合性はともかく、ボクはボクの立場を主張しました。
そしてハルカさんもカオルさんも立場を明かしてくれました。
カオルさんがおかしいと考えるなら、あとは気にせず徹底的に叩いてくださいな。
ボクもボクなりに発言していきますから。そのための
>>201のレスでした。
>>214 いえ、それはわからんというか、試してみるしか・・・
>>216 ここ一番大切なところ、ここを明確にしてもらわないと困ります。
>>218 少なくとも
>>212とどこがどう違うのか、キッチリ答えて下さい。
わたしやハルカにとっては212=214ですから。
端的に永遠の存在循環から抜け出すこと。じゃだめですか?
>>220 永遠の存在循環の根拠がないです。駄目です!
>>221 わたしやハルカは「永遠の存在循環」を生成する根拠として「存在」=「無」を想定してるんですから。
>貴方は【芯】(物自体としての本来の私)が人間特有だと思っているのですか?だとしたら
>そこへの帰入はひとつも全一的じゃないですよ。
>森羅万象の根源、本来的な物自体として【芯】はあるのでしょ?違うの?
>【芯】の高度な客体化によって現象が人間にまで至り、【我】(表象としての私)が生まれた
>のでしょ?だからこそ逆の流れとして、【我】から【芯】への帰入も可能なのでしょ?
>これが想定される【芯】→【我】→【芯】の循環です。この循環が想定できなければ、
>貴方のいう悟道自体が成立しませんよ。
>>223 >貴方は【芯】(物自体としての本来の私)が人間特有だと思っているのですか?だとしたら
>そこへの帰入はひとつも全一的じゃないですよ。
この矛盾を解消せよ、ということ?
ハルカさんのいう【芯】と】(物自体としての本来の私)が合致しているのかよくわからない。
更に森羅万象の本来の物自体とイコールなのかも。
>【芯】の高度な客体化によって現象が人間にまで至り、【我】(表象としての私)が生まれた
>のでしょ?だからこそ逆の流れとして、【我】から【芯】への帰入も可能なのでしょ?
>これが想定される【芯】→【我】→【芯】の循環です。この循環が想定できなければ、
>貴方のいう悟道自体が成立しませんよ。
これはおかしい?
>>227 【芯】への帰入=【我】の滅却。
おかしいのは、ハルカの方です。
>貴方は【芯】(物自体としての本来の私)が人間特有だと思っているのですか?だとしたら
>そこへの帰入はひとつも全一的じゃないですよ。
このツッコミは正しいのです。(笑)
>これが想定される【芯】→【我】→【芯】の循環です。
この想定はおかしい?
>>228 違うの。
言っても理解が得られるとは思わないけど。
>【芯】の高度な客体化によって現象が人間にまで至り、【我】(表象としての私)が生まれた
>のでしょ?だからこそ逆の流れとして、【我】から【芯】への帰入も可能なのでしょ?
【芯】→【我】の流れで【我】が誕生したんじゃ無いの。
【芯】と【我】は完全に別物なのさ。
(寝る時間なら気にしないで落ちてくださいね。)
>>229 輪廻は仮説です。
あなたが【芯】を信じないなら、ほとんど妄想の域です。
とにかく【我】がどこから生まれたか教えてください。
>>233 そ。
Sさんのレスを使わせてもらったけど…
そこは貴方も勘違いしてるところだと思うから。
234--->236でした。
>>234 だから、その
>【我】がどこから生まれたか
が不明なのさ。
もしも【我】が誕生しなかったとして、世界に『生命』が無かったとしても…
それはそれで世界が回るんだからね。
私は『仮説』として持ってるけれど『直観』みたいなものでマダマダ他人に話せるものじゃないから…
>>カオルさん
>個体化の原理と言語はどこから?
>>ハルカさん
>とにかく【我】がどこから生まれたか教えてください。
とにかく。
【芯】と【我】【私】が『別物』って事だけ分かって下さい。
でないと、『悟り』だけで終わって『解脱』に進めませんよ…多分ね。
>>241 『魂』とは違うのさ。
でも…あえて言えば『魂』って言葉が一番近いかな(苦笑)
>>242 ハルカさんはそれをどうやって確かめたのですか?
>>245 >輪廻は仮説です。
>あなたが【芯】を信じないなら、ほとんど妄想の域です。
【我】がどこから生じたかにかかっているのですが。(【芯】を仮定してもいいです。)
>>246 わたしの論でいう【我】はさっき答えた通りです。
>>248 >個体化の原理と言語はどこから?
これをやったら議論にならないでしょ。
>>247 カオルさん、その
>個体化の原理と言語
ってのは、あらかじめ【我】が有している『性質』に過ぎないのさ。
その奥にいるんだよ。【我】は。
>>242 >>250 これは実践で体感しないとわからないことですか?
仏典でもそうなっているのですか?
>>250 あなたのいう「私」のことでしょ。
でもハルカは
>>160に同意したんだよ。勘違いするさ。(笑)
それにハルカのいう「我」を持ち出したら「哲学」でなくなる。
「我」を持ち出さなくても「無」についての議論は可能でしょ。
>>197に拍手してくれてるんだから。(笑)
とにかくSさんとの議論に「魂」は必要ないよ。
それ以前の問題だから。
>>251 いや、ヒントは伝えているはずなんだけど。
『【芯】と【我】は対極関係にある』
これ。
今まで何回か言ったよね?
>>252 >>160は間違いじゃないのさ。
完全に正解なの。
ただ、後一歩足りないってだけ。
>>160の場所までは正解。(これが拍手の原因)
でもその先があるよ…って事。
>>253 ごめんなさい。たぶんハルカさんの【芯】と【我】のイメージとづれがあって今も修正できてない。
あと、実践で確かめるべきものなら、それはそれでいいのです。
>>253 >Sさん
>『【芯】と【我】は対極関係にある』
わたしの疑問と疑問解消の解釈は以下です。(哲学の範囲内だと思う)
>貴方は【芯】(物自体としての本来の私)が人間特有だと思っているのですか?
>だとしたらそこへの帰入はひとつも全一的じゃないですよ。
Sさんのこの指摘はわたしも正しいと思う。
ハルカとの微妙なズレを修正します。(わたし的の解釈の提示)
1.生命の秩序性は【無】(無秩序)から自身を切り離す。
2.生命は【生】に有利(快)か不利(不快)かを識別する。
1.が【知覚】の2.が【認識】の起源だと思います。
1.2.が生命の基礎的な【個体化】の【原理】です。
生命の1.の【個体化】の【原理】だけが、【無】との「対照性」を創り出せます。
生命はこの「対照性」を基盤とした2.の能力によって、外界(情報)を識別します。
この「識別されたもの」が【客観】【実在】【有】という認識の起源だと思います。
>>256 そこまでは全く間違い無し。
手放しでOKだよ。
ただね
>1.生命の秩序性は【無】(無秩序)から自身を切り離す。
>2.生命は【生】に有利(快)か不利(不快)かを識別する。
>1.が【知覚】の2.が【認識】の起源だと思います。
>1.2.が生命の基礎的な【個体化】の【原理】です。
>生命の1.の【個体化】の【原理】だけが、【無】との「対照性」を創り出せます。
>生命はこの「対照性」を基盤とした2.の能力によって、外界(情報)を識別します。
>この「識別されたもの」が【客観】【実在】【有】という認識の起源だと思います。
これをやっているのは全て【我】なのさ。
【芯】は全くのノータッチなの。
ボクはちょっとついていけないので一旦落ちて整理します。すみません。
>>257 >【芯】は全くのノータッチなの。
ん?、わたしの論のどこが【芯】にタッチしてる?
【芯】は介在させてないつもりだけど。わからないよ。
>>259 貴方の論には【芯】は介在していないよ。
だから【芯】がノータッチと言うのは自分でも分かっているわけでしょ?
そこから『【芯】と【我】は対極』との言葉をヒントにもう少し踏み込めない?
もう一個ヒント。
【我】が【芯】を必要とするのは『外部を知覚する為』とは過去言いました。
つまり【我】は【芯】を利用しています。
では、反対に【芯】が【我】を利用している事は在りますか??
>>260 >そこから『【芯】と【我】は対極』との言葉をヒントにもう少し踏み込めない?
『【芯】と【我】は対極』は、わたしの論の前提でもあるのは承知だよね?
生命に秩序性や自己組織化という個体化の原理がないなら【無】との「対照性」は創り出せない。
でも秩序性や自己組織化がどこからくるのかというのはわからないさ。ウルクラフト「原力」だよ。
ハルカはそのウルクラフトの話をしてるの?
ちがうのならお互いの「無」の概念がちがってると思う。
ハルカ様お元気そうでなによりです
>>262 ん?
何かズレたな…
私が言っているのはね。
要はSさん発言の
>【芯】の高度な客体化によって現象が人間にまで至り、【我】(表象としての私)が生まれた(
>>189)
この部分が違っているよと。
>【芯】の高度な客体化によって
では無いの。
【芯】の『客体化』の作用によって【我】が生まれたんじゃ無いの。
『【芯】の誕生』と『【我】の誕生』に『何の因果関連も無い』…こう言いたいのね。
>>264 >『【芯】の誕生』と『【我】の誕生』に『何の因果関連も無い』…こう言いたいのね。
まったく同意見。(笑)
>【芯】の高度な客体化によって現象が人間にまで至り、【我】(表象としての私)が生まれた
>のでしょ?だからこそ逆の流れとして、【我】から【芯】への帰入も可能なのでしょ?
>これが想定される【芯】→【我】→【芯】の循環です。この循環が想定できなければ、
>貴方のいう悟道自体が成立しませんよ。
これはおかしい?
にたいして、
わたしが、【芯】への帰入、という部分だけをとりだして、【芯】への帰入=【我】の滅却としているのは、
わたしが「→」を認めていないからなんだけど、つまりそれは違うよということを言っているんだけど。
ここか?
おかしいのは、ハルカの方です。
>貴方は【芯】(物自体としての本来の私)が人間特有だと思っているのですか?だとしたら
>そこへの帰入はひとつも全一的じゃないですよ。
このツッコミは正しいのです。(笑)
↑はどうかな。わたし的にはハルカは
>>256のように言いたかったと思うのだけど。
↑改めてということで、確認よろしく!
>>267 >>228のレスについてだね?
少し整理しよう。
私が『変だよ』と指摘したいのはSさん発言の
>>貴方は【芯】(物自体としての本来の私)が人間特有だと思っているのですか?だとしたら
~~~~~~~~~~~~~
↑ココの線を引いた部分。
そこを見逃した(?)のか、それに
>このツッコミは正しいのです
と言ってしまった貴方の発言。
>>186 >【私】の得た『知覚(情報)』は【我】の有す『集積記憶』と照合され『認識』となります。
>『知覚(情報)』は【記憶】となり【我】へと集積されます。
>その『認識』を得る事は『個別化』の根本となります。
>そして『個別化された認識』が【我】から【私】へとフィードバックされます。
>『個別化認識』が強まるほどに【我】は濃密になり【芯】と【我】の断絶は深くなります。
>こうして【我】と【私】は『循環構造』を成し、【芯】と【我】【私】の分離が拡大します。
↑人レベルの「認識」の話をしておいて、
>では【芯】は無くても良いか?
>否。
>【有】を知覚する為にはどうしても『対極』に在る【無】が必要です。
>【無】である【芯】をその内部に抱えているからこそ、外界の【有】を知覚可能です。
>つまり。
>『意識されておらず認識さえも不可能な認識主体である【無】が内包されているからこそ、我々は【生命】足り得る』と言えます。
引き続いて『我々は【生命】足り得る』といってしまうと、
>貴方は【芯】(物自体としての本来の私)が人間特有だと思っているのですか?だとしたら
>そこへの帰入はひとつも全一的じゃないですよ。
と、Sさんに誤解されても仕方ないよ。
だから訂正や、
>>256のような補強が必要だと思ったわけ。
>>270 そうかもね。
でも過去に
『物質と生命体は【芯(無)】を内包しているか否かの一点を除いて同一である』
と貴方もSさんもいるスレで発言したんだけど…
>>271 うん、わかってるよ。(笑)
だから、わたしは、
>貴方は【芯】(物自体としての本来の私)が人間特有だと思っているのですか?だとしたら
>そこへの帰入はひとつも全一的じゃないですよ。
にたいして
>>256のような説明ができるのさ。(笑)・・・・・で、256はOKなの?
それからSさんやROMの人まで考えると厳密に表現した方が良いと思うよ。
「存在=無」かつ「存在≠有」なんて完全なオリジナルだしすばらしい論です。
だからちょっとしたところで誤解されるのはホントにもったいない。
そんなに簡単に理解される論じゃないし、その自覚はしておいた方がいいよ。
ん? ちょっとちがう。待って。
>>272 分かった。気を付けよう。
でも…
>「存在=無」かつ「存在≠有」なんて完全なオリジナルだし
コレは違うんだ(苦笑)
オリジナルじゃないです。
自分の中で消化出来た、という意味ならオリジナルに近いけど…
>「存在=無」かつ「存在≠有」
ある人の言葉です、それわ(w
>>271 >『物質と生命体は【芯(無)】を内包しているか否かの一点を除いて同一である』
これがいけないんだ。
これだと絶対であるはずの「存在」=「無」が生命体限定の「母体」になっちゃうね。
やっぱり、生命に秩序性や自己組織化という個体化の原理があるからこそ、
生命だけが【無】との「対照性」を創り出せる、という理屈じゃないとおかしいな。どう?
>>277 チョット待って。
>これだと絶対であるはずの「存在」=「無」が生命体限定の「母体」になっちゃうね。
の発言が何で出るの?
もう一回初めから整理しない?
どうも互いに何処かずれてるようだ。
>>278 物質も生命体も含めたあらゆる現象の母体が「存在」=「無」ではないの?
先ず『人間』の構造が
【芯】−【我】−【私】 の『三重構造』になっていて、これを
【芯】−【私】 の『二重構造』にしたい。
その為に【我】を滅却したい。
ココまでOK?
>>279 >物質も生命体も含めたあらゆる現象の母体が「存在」=「無」ではないの?
そうだよ。
だけど、その『母体を内包している』のが『生命体』。
『母体を内包していない』のが『物質』。
>>280 あー、よかった。救われた。(笑)
だったら、あとは表現の問題だね。
あっ! やっぱりちがう。(笑)
むむむ???すごい展開!!!
端的にいうと、物質(本来の物自体)と生命の種(自我)の連続性はない。
ハルカさんは物質(本来の物自体)に生命の種(自我)が寄生して生まれた。
ハルカさんは生命の種(自我)を排除することで物質(本来の物自体)に帰順したい。
駄目?
(カオルさん寝ないの?大丈夫?)
>>284 最後の一行がチョット違う。
>物質(本来の物自体)に帰順したい。
ではなくて
『個別化を司る自我を排除して、個別化に苦しまされている今の状態から脱却したい』
だよ。
ハルカさんの信条としてはそうなのでしょうけど、
自我の排除=自動的に物質(本来の物自体)への帰順となるのでしょ?
でもなんで記憶が残るわけ?(誰のかは判別しないにしてもさ)
>だけど、その『母体を内包している』のが『生命体』。
>『母体を内包していない』のが『物質』。
わたしは、物質も生命体も「無」を内包してるという考え方です。
ただ、生命体だけが内包している「無」から自己を分離させることができる。
「無」から自己を分離させるとは、生命体が「無」を対照化することです。
そしてそれは生命体の『秩序性』という個体化の原理によっておこなわれる。
物質には個体化の原理が働かないので「無」を対照化できない。
うわー、根本的なところで全然ちがうじゃん。(笑)
>>284 >(カオルさん寝ないの?大丈夫?)
有給休暇です。
むむむ???
内包ってのは物質(本来の物自体)が生命の種(自我)に包まれることですよね?
物質も生命体も「無」を内包してるってのは・・・???
>>287 せっかくの有給休暇なのに…大丈夫?(w
>わたしは、物質も生命体も「無」を内包してるという考え方です。
根本が違ったのか。
私は『物質』に関しては『何か(神?)が構築した』というスタンスです。
だから【無】を内包していない、と。
でも、貴方の
>わたしは、物質も生命体も「無」を内包してる
だと『物質』と『生命体』の区別は何処?
【我】の有無?
でも、【我】が無くても生きている者はいるよ?
>>288 >物質(本来の物自体)
物質≠本来の物自体。
>>286 記憶の残る理由としては仮説だけど多分コレ。
【私】は【我】のサブセットと言ったでしょ?
『【我】の崩壊』の時に【私】は残るわけだから…
【我】に蓄積されていた『記憶』が【私】にも転写されているんじゃないかな?
しかし『個別化』は【我】の作用によるものだから、もう不可能になる…と。
むむむ???
そこですよ!ハルカさんに対する最大の疑問。
>【我】が無くても生きている者はいるよ?
どうして生命の種(自我)が無くても生きてるの???
>>289 >せっかくの有給休暇なのに…大丈夫?(w
かなり疲れたよん。
>『物質』と『生命体』の区別は何処?
個体化の原理です。秩序性、自己組織化。
>>292 【我】を『生命の種』と表現するのはいいね(w
その表現でいくと、あくまでも『種』なのさ。【我】は。
その【種】が成長して【私】にも到達する。
で【我】と【私】が両方『生命』となって、その後に【我】がなくなる、と。
でも【私】は残っているから『生存』可能である。
どう?
>>293 物質も『自己組織化』するんだけど…
特に原子レベルになると活発だよ?
>>291 【私】が残るということは完全な物質(本来の物自体)への帰順は無理ですね。
【私】ってのがまだよくわからないけど・・・
>>294 また【私】ですか・・・理屈は通りますけど。。。
【私】ってなにさ?
>>295 うん。わかってる。雪の結晶とかもそうだよね。
でも生命体を構成する異質な各部分間での相補的な関係性とか、機能の多様性とかは、
物質には期待できないと思うよ。
まぁ、ウルクラフト「原力」の話にいっちゃうんだけどね。(笑)
>>296-297 えーとね。
『生存』という形態を選択する限り『無への帰順』は不可能なのね。
で、【我】(自我)ってものが在って。
ソイツが『個別化』の大本なの。
【我】は【芯】(無)を取り込んで『生命』となった時から自分の劣化コピーである【私】(表面意識)を作成しているの。
『生命』である限りは【私】はあるのさ。
簡略してしまうと【私】ってのは『自分と他人を分ける最後の壁』みたいなものね。
で、この【私】さえも無くなってしまうとコレはもう【生命】じゃない。
ただの『物質』と同じだよ。
>>298 残念ながらそうとも言い難いんだ。
惑星の成立なんか『自己組織化』の最たるものらしいしね。
カオルさんは
端的にいうと、物質と生命の連続性はない。
物質にも生命にも等しき(本来の物自体が内包)
生命だけは何故か個体化の原理が働く。
その何故はウルクラフト「原力」を内在しているから。そしてカオルさんが生まれた。
駄目?
>>301 1.生命の秩序性は【無】(無秩序)から自身を切り離す。
2.生命は【生】に有利(快)か不利(不快)かを識別する。
1.が【知覚】の2.が【認識】の起源だと思います。
1.2.が生命の基礎的な【個体化】の【原理】です。
これじゃ駄目?
>ハルカへ
生命と物質のちがいは「生命体の存在理由」の方では?
まぁ、ハルカのいう「生命の種」= ウルクラフト「原力」と仮定して、
わたしの論の生命にそのまま入れ込んでしまっても矛盾は出ないと思うよ。
ずるいかな?(笑)
ハルカさんの説にしてもカオルさんの説にしても、そうなのか〜ほえ〜
と感心するほかないです。
だって生命の種やウルクラフトそのものが何だかさっぱりわからないもの。
物質と生命の連続性がないのはショックです。これが現代の主潮流なのですかねえ。
>>306 >物質と生命の連続性がないのはショックです。
仮説しか立てられないはずです。連続性がないとも言い切れない。
連続性があっても今はそれを証明できないのです。
まあそうですよねえ。実験するわけにもいかないし・・
>Sさん
生命の起源を理解できないと問いに答えられませんか?
例の「ある」の問いなんですけど。
生命の起源は不可知、我々は徹頭徹尾預かり知らない構成であるという前提で
そこから考えることはできると思う。
>>310 で、答えは?
Sさんが「ある」を認めるなら、というか前提にしてますよね?
それなら「イデア」「神」「モノ自体」「意志」「無」を排除する理由がなくなる。
これらの「絶対概念」が「あるということ自体」を指しているのですから。
ハルカさんとカオルさんのおかげで
我々は徹頭徹尾預かり知らない構成であることが再認識できました。
有難う御座います。ボクなりのささやかな反撃のネタにしたいと思います。。。
今日はこれで落ちます。とっても感謝。。。
>>311 >それはずるいよ(w
ごめんね。でもわたし的には最初から「」に入れてた事柄なんだ。
上手く統合できたらいいなぁって思うんだけどね。
とにかく勉強になるし有意義だしハルカにはいつも感謝してます。(^.^)
>>314 期待して待ってます。(^.^)
わたしも今日はここまでにします。
>>303 気になったんで、チョット遅レス。
>1.生命の秩序性は【無】(無秩序)から
これ違う。
『無秩序』は『無』じゃない。
混沌としているだけで『無秩序』は『有』だよ。
【芯】【我】【私】という言葉遣いが不明瞭だから、何が言いたいのかよく分かりません。
まず【芯】は「無」であり「本来の物自体」であるとはどういう意味でしょう。
ここで言う「無」とは、ハイデガーが「存在=無」であると考えた意味での「無」ですか。
そうだとすると、それがカント的「物自体」であるのはおかしいのではないですか。
【我】と【私】は深層意識と表層意識のように読めましたが、
【我】は唯識で言う「阿頼耶識」のようなものですか。
そうすると、「【我】を滅却する」という表現が腑に落ちません。
「【我】のあり方を転換する」なら分かりますが。
【我】が「個体化の原理」であると書いているところを見ると、あるいは、
【我】は「深層意識」というより、ショーペンハウアーの言う「意志」のようなものでしょうか。
そうすると、「【我】の滅却」は「意志の滅却」となり辻褄が合いますが。
あなた方が目指しているのはショーペンハウアーのように、
自分の意志を忘却し、直感する人間と直感する行為とが一体となっ状態なのでしょうか。
そうだとすると、「現象界」と「英知界」とを分けて考えているわけですか。
カント的、ハイデガー的、仏教的・・・な言葉遣いをごちゃ混ぜに使ってしまうと、
それらの思想の根本にある相容れないものの矛盾が必ず生じます。
ごちゃ混ぜの思想に含まれるそういう矛盾を無視して独断的に議論を進めるのが
「トンデモ系」の最大の特徴ですので、言葉遣いをもっと明瞭にして、
矛盾を矛盾として明確にすることをお勧めします。
SHスレというのは、ショーペンハウアーのことだったんですね。
そちらのスレは全然見ていないのですが、ショーペンハウアーについて思うことを少し・・
ショーペンハウアーが意志を否定して、意志のない状態をめざしているのは、
彼の「苦」についての考え方によるものだと思われます。
ショーペンハウアーは、世界は「盲目的な」意志の抗争の場であるとし、
そこから苦が生じることを強調しています。
そして意志が激しいほど苦が増大すると考え、意志を滅却することによる涅槃
がめざされたのだと思います。
しかし、意志は「盲目的」なものなのでしょうか。
意志と意志との抗争からは必然的に「苦」が生じるのでしょうか。
意志を肯定的にとらえる、まったく別な考え方もあります。
意志の哲学といわれるもう一人の哲学者であるニーチェはそのようには考えません。
ニーチェの「力への意志」は、常に解釈作用として在り、「盲目的」ではありませんし、
「力への意志」には「上昇する力」と「衰退する力」という強弱の差異があり、
衰退する力には「苦」と感じられる刺激でも、上昇する力には「快」と感じられることがあり得ます。
したがってニーチェはショーペンハウアーのように「苦」を根本問題とは考えませんでした。
仏教との関連で見れば、仏教には空の有的側面に重点が置かれる肯定的思想と、
空の無的側面に重点を置く否定的思想がありますが、
ショーペンハウアーは仏教の静的で否定的な側面に、
ニーチェは動的、肯定的側面に類似していると思われます。
>>316 ハルカへ
>>1.生命の秩序性は【無】(無秩序)から
>これ違う。
>『無秩序』は『無』じゃない。
>混沌としているだけで『無秩序』は『有』だよ。
その通り!(笑)
>>256は実在(=有)論。
どうにかハルカの論を哲学的モデルで重ね描きしようと思ったんだけどね。
昨日レスに間が空いてたから気付いてると思ってたよ。ずるいねわたし。(^_^;)
>>289 >私は『物質』に関しては『何か(神?)が構築した』というスタンスです。
わたしは「何か」は「」に入れてしまう。
エポケーするという態度です。
ハルカには思考停止だと非難されるのだろうけど、
そうではないことを分かって欲しい。
>だから【無】を内包していない、と。
わたしは、無を対象化できない概念として立てています。
このことは、無を便宜的に言語に依って対象化しているこちら側をも、
(あらゆる現象を)無の中に含めないと論が成り立たないのです。
>でも、【我】が無くても生きている者はいるよ?
『わたしは、人は、精神の有無によって、人になるのだと思います。
その精神は、より良き、より高き、の精神的価値を求めて彷徨します。
精神の目的にとって、命そのものや肉体は、一つの手段でしかありません。』
と、答えるとどんなツッコミが来るかはわかってるつもり。(笑)
age
age
おねがいですからageないでください。
>>317 これはもうわたしには答えられない。
>>318 これももうわたしには答えられない。
>「現象界」と「英知界」とを分けて考えているわけですか。
ここだけに答えるならわたしの場合は「異なる仕方で存在する同じもの」です。
>>319 わたしのトンデモ哲学は直らないと思います。
排除したいとおもうのでしょうけど我慢してくれたらうれしいです。
哲学とは、My哲学、100%人生哲学、であることがわたしのポリシーです。
>>320 あなたのおっしゃるところよくわかります。
でもそこまで議論する余裕がなかったのです。
ほんの少し前振りはしてたんですけど・・・・
>>328 そう言われてもね(苦笑)
私にとっては【存在=苦】だから…
議論も何も無いんだよね(大苦笑)
>>329 >【存在=苦】
は、わたしもそう思うよ。
ただ、それを引き受けて現象界で生き抜くと覚悟するか、
ハルカのように脱出を試みるかの違い。
>>330 そうなんだよねぇ…
だから
>>320の
>ニーチェの「力への意志」は、常に解釈作用として在り、「盲目的」ではありませんし、
>「力への意志」には「上昇する力」と「衰退する力」という強弱の差異があり、
>衰退する力には「苦」と感じられる刺激でも、上昇する力には「快」と感じられることがあり得ます。
>したがってニーチェはショーペンハウアーのように「苦」を根本問題とは考えませんでした。
コレもねぇ…
『ああ、そうですか。それならそれで良いんじゃないの?』としか言えないのよ(苦笑)
>>331 今ちょっとニーチェで語ろうと思ったけどやめる。
ハルカに言っても意味がなさそう。(悲)
>>332 いえいえ、どーぞ。
お気に為さらずと語って下さいな(苦笑)
334 :
考える名無しさん:03/07/29 02:20
ハルカの弾劾裁判はどうなったの?
>>333 うーん。簡単さ。動物に成り下がって生きろ!
これだからトンデモでも言われ続けて一年半なのさ。(笑)
続いてるよ
トンデモでも ---> トンデモと
ハルカさんに紹介したいサイトがあるんだけど
339 :
考える名無しさん:03/07/29 02:27
入り込みたいけど入り込めんですな。
342 :
考える名無しさん:03/07/29 02:29
ハルカは人気者です。
343 :
考える名無しさん:03/07/29 02:32
ハルカも哲学書一冊くらいは読まんとね
>>341 上品にいうなら、既存価値の無化→生の躍動、のススメさ。寝る。
【芯】があまりに混乱していて人間と人間以外の有機体と無機質な物質
がどのようにこの芯を有しているのか説明願いたいものですが。
ちゃんとレス読んでないので長すぎて
ハルカさんが「生きる意味」を探してたのは、毎日が空虚でなんか味気ない
からでしょ?毎日が味気ないのは、ハルカさんの五感が鈍ってるからだよ。
ハルカさんは道端に咲いている花の香りにも気づかないんでしょ?
で、従来の感覚を戻すにはどうしたらいいか、それには恐怖が必要なんだよ。
で、このサイトをおすすめする。
http://k-osan.axisz.jp/
347 :
考える名無しさん:03/07/29 02:38
既存価値の無化なんて、できる訳ないじゃん。
そんな観念論に効力はなし。
>>346 >ハルカさんが「生きる意味」を探してたのは、毎日が空虚でなんか味気ない
>からでしょ?
全然違う。
わかってるよ
350 :
考える名無しさん:03/07/29 02:41
そもそも何故理系板に立てないの?
351 :
考える名無しさん:03/07/29 02:45
理系板に「悟り」系のスレなんか立てると
オウムの残党扱いされちまうんでね。
カオルさんがいう「動物に成り下る」というのはつまり
人間以外の動物が有している【芯】が自然界の混沌を存在と
結合の域まで高めているというところからくると思う。
そして人間はこの【芯】が混乱している。そして、この混乱が
ハルカさんがいう「苦」ということではないでしょうか?
人間は【芯】というもともと結合されていたものを失ってはいない。
むしろ【芯】は分離して【我】や【私】(ここらへんの区別もよく
わかりませんが)を産み出した。それが人間の特徴であり、
人間は分離と結合を行ったり来たりするような不安定な存在
になってしまった。カオルさんがいう動物に成り下るとは
結合の永続性を取り戻そうとする試みであるがそれは不可能では
ないでしょうか?人間は分離と結合を繰り返すようになっていて
人間が一体性を感じるために「既存価値の無か」による自然秩序
と【芯】の永続性を求めるのは無理だと思うのですが。
【芯】は思うに性的なものでしょう。自然は動物の性をそのなかに
含んでいて動物はいつでも世界と一体であり、人間は性を奪われて
混乱している。不安は性が自然に含まれずに浮遊しているから
おきるのだと思います。そして、この不安と混乱がハルカさんのいう
生=苦でありハルカさんは人間は土人形であるといわれましたが
人間はまだ【芯】を有しているのです。つまり、結合はまだときどき
なされているのです。人間はどこまでも不条理を感じつづけている
わけではなく、一体性を感じ、そこから離れそしてまた一体性へ
という動物の【芯】への回帰を繰り返し行っていると考えられます。
ここまで暴走して解釈してしまいました。議論の流れを読めていないので
横槍として無視してください。
353 :
考える名無しさん:03/07/29 03:07
ハルカさまお元気そうでなによりです
>>352 了解です。
『貴方なりの単なる一意見』として伺っておきます。
どうも。自己完結的なものですいませんでした。
流れがあまりにも急だったのですが、興味のある
議論だったのでつい。そのままおつづけください
>>352 :横槍さん
あなたの解釈に同意します。
わたしの代わりに丁寧な書き込みありがとうございます。
で、わたしがそれを書くのをやめたのは、
>『貴方なりの単なる一意見』として伺っておきます。
>>353 程度の効果しかないことが自明だったからです。(笑)
わたしも「既成の価値観」について少し書いておきます。以下
357 :
考える名無しさん:03/07/29 03:21
age
ニーチェの価値批判は、既成の価値観が無自覚的に信仰されたり、
尊重されたり、あるいは人為的だったり歴史的だったりの影響力によって、
善き′`式的な枠組みとして押し付けられたりすることは、
人の「生の躍動」が、その内側に閉じ込められてしまうことになる。
それは、本当に人が望んでいることなのか、そんな生は自己欺瞞なのではないか、
本来的な生ではないのではないか・・・・・。
ニーチェが「意味にとらわれない生のあり方」を模索していたのだとしたなら、
それは、あくまで「既成の価値観」にとらわれないというとで、
無軌道やデカダンスのススメではないと思うのです。
あるいは、既成の価値観であってもそれがホンモノでない、
たとえば、それがセイジツさ≠セったとしたなら、世間に散在するセイジツさ≠ヘ、
どれもこれもニセモノではないのか。
なぜなら、立場や状況に依存して変化してしまうようなセイジツさ≠ェ、
ホンモノであるはずがないから、と批判したかったのではないでしょうか。
『わたしは、まだ本当の誠実さ≠ニいうものを見たことがない』
『だから、わたしは、偽りの宗教を、道徳を、人の生を破壊する』
『なぜなら、それがわたしの神への誠実さ≠フ証しだからだ。』
というのが、彼の本心なのではないでしょうか。
おやすみなさい。
359 :
◆1SluY64TBk :03/07/29 03:25
/ ̄⌒⌒ヽ
| / ̄ ̄ ̄ヽ
| | / \|
.| | ´ ` |
(6 つ / ちくしょう・・・ハルカのぶんざいで
.| / /⌒⌒ヽ
| \  ̄ ノ
| / ̄
360 :
◆1SluY64TBk :03/07/29 03:26
__,冖__ ,、 __冖__ / // ,. - ―- 、
`,-. -、'ヽ' └ァ --'、 〔/ / _/ ヽ
ヽ_'_ノ)_ノ `r=_ノ / / ,.フ^''''ー- j
__,冖__ ,、 ,へ / ,ィ / \
`,-. -、'ヽ' く <´ 7_// / _/^ 、`、
ヽ_'_ノ)_ノ \> / / / _ 、,.;j ヽ|
n 「 | /. | -'''" =-{_ヽ{
ll || .,ヘ / ,-、 | ,r' / ̄''''‐-..,フ!
ll ヽ二ノ__ { / ハ `l/ i' i _ `ヽ
l| _| ゙っ  ̄フ.rソ i' l r' ,..二''ァ ,ノ
|l (,・_,゙> / { ' ノ l /''"´ 〈/ /
ll __,冖__ ,、 > >-' ;: | ! i {
l| `,-. -、'ヽ' \ l l ;. l | | !
|l ヽ_'_ノ)_ノ トー-. !. ; |. | ,. -、,...、| :l
ll __,冖__ ,、 |\/ l ; l i i | l
ll `,-. -、'ヽ' iヾ l l ;: l | { j {
|l ヽ_'_ノ)_ノ { |. ゝ ;:i' `''''ー‐-' }
. n. n. n l | ::. \ ヽ、__ ノ
|! |! |! l | ::. `ー-`ニ''ブ
362 :
◆1SluY64TBk :03/07/29 03:29
_, ― 、― ― __
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(::::::::::::::::,' r'~`ヽ r'"~`、';:::::::::::::::::)
(::::::::::::::::::l´ l:::::::::::::::::) 人の恩を
(:::::::::::::::::i <●> <●> i:::::::::::::::::) あだで返し
(::::::::::::::{ .}::::::::::::::) やがって
(:::::::::::::,' ) ● ( ',:::::::::::::)
(:::::::::::::( (`‐--‐'"ソ )::::::::::)
__ ソ:::::::::ヽ ヽエ工エ/ ノ:::::::)
`, ヽ`''''''''''"ノヽ ヽ_ソ /ヽ"'''"
363 :
◆1SluY64TBk :03/07/29 03:30
_, ― 、― ― 、― __
__,冖__ ,、 __冖__ / // ,.,−::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)
`,-. -、'ヽ' └ァ --'、 〔/ / (::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)
ヽ_'_ノ)_ノ `r=_ノ / (:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::)
__,冖__ ,、 ,へ / ,ィ::::::::::::::::::ノ`ー'ー'ー'`ー'::::::::::::)
`,-. -、'ヽ' く <´ 7_/(::::::::::::::::::) /\ 、`、:::)
ヽ_'_ノ)_ノ \> (:::::::::::::::::) //\ヽ,/ヽ|::)
n 「 | (:::::::::::::::::) .., < ・>_<・>ヽ
ll || .,ヘ / ,-、::::::::::ノ  ̄ _,●_ヽ
ll ヽ二ノ__ { / ハ `l/ /::::_::::::::::::ヽ
l| _| ゙っ  ̄フ| rソ /::::r' ,..二''ァ:ノ
|l (,・_,゙> / { ' ノ /:::::/''"´ 〈/::/
ll __,冖__ ,、 > >-' |:::::! i:::{
l| `,-. -、'ヽ' \ l l |::::| |::::!
|l ヽ_'_ノ)_ノ トー-. !. |:::| ,. -、,...、|::l
ll __,冖__ ,、 | \/ l |::i i |::l
ll `,-. -、'ヽ' iヾ l l |::|____j::{
|l ヽ_'_ノ)_ノ { |. ゝ ヽ:::::::::::::::::::}
. n. n. n l | ::. \ ヽヽ ̄ ̄ ̄ノ
|! |! |! l | ::. `ー-`ニ''ブ
364 :
◆1SluY64TBk :03/07/29 03:31
i二.'.'フ へ// / // ,,,,,,,,,,,, ,, -‐―- ...,,,,__ _
, _〈 < ヽ / 〔/ /_、-=''" ''=..,, 二,_....- ̄"_ニ=
ヽ_゙_ノ (_二二i // 、--――'`ー<;;;='' _、‐'''''~~
i二.'.'フ ,へ / ,ィ // \i
, _〈 < i二'ヽ' 7_// / 丶 _ ヽ
ヽ_゙_ノ ) ) / // '',ヱエ _ 、,.l`エ、
n // /. / | < (・)丶 |`(・)|
ll __,冖__ ,、 / ,-、 | ' -ー` '"  ̄)
ll `,-. -、'ヽ' { ./ ハ `l/ ' . ' , ゚。 /___/ |
l| ヽ_'_ノ)_ノ  ̄フ.rソ i r' ,..二''ァ ノ
|l / { ' ) /''"´ 〈/ /
ll i二.'.'フ > i-' .! i {
l| , _〈 < i 入 | | !
|l ヽ_゙_ノ. l ノ !. | ,. -、,...、| :l
ll |. ノ ヽ i i | l
ll i二.'.'フ' i |l| |l ヽ | { j {
|l , _〈 < .{ l| |. ゝ `''''ー‐-' }
. n. n. n ヽ_゙_ノ l | ::. \ ヽ、__ ノ
|! |! |! l | ::. `ー-`ニ''ブ
o o o ,へ l :. |
>>358 それは…極端に言えば
『価値の相対化を極限まで突き詰めた状態』じゃないのかな?
>>322 遅レススマソ。
>『わたしは、人は、精神の有無によって、人になるのだと思います。
>その精神は、より良き、より高き、の精神的価値を求めて彷徨します。
>精神の目的にとって、命そのものや肉体は、一つの手段でしかありません。』
>と、答えるとどんなツッコミが来るかはわかってるつもり。(笑)
じゃあ、御期待にお応えしてツッコミを(w
『より良き』『より高き』という目的の動機は『個別化』が起こらなければ発生し得ません。
更に言うなら『情報(外界)と自己の比較対照』が必須事項です。
この行為は【我】(自我)を増大させる事には成ります。
と言うよりも、もっと正確に表現するなら…
『【我】(自我)の目的に沿った【我】(自我)にとって最善の行為』
なんです。
『【我】(自我)こそ全て』と考える人にはお勧めの方法ですね(苦笑)
368 :
考える名無しさん:03/07/29 06:59
/ ̄⌒⌒ヽ
| / ̄ ̄ ̄ヽ
| | / \|
.| | ´ ` |
(6 つ / ちくしょう・・・ハルカのぶんざいで
.| / /⌒⌒ヽ
| \  ̄ ノ
| / ̄
369 :
考える名無しさん:03/07/29 08:30
__,冖__ ,、 __冖__ / // ,. - ―- 、
`,-. -、'ヽ' └ァ --'、 〔/ / _/ ヽ
ヽ_'_ノ)_ノ `r=_ノ / / ,.フ^''''ー- j
__,冖__ ,、 ,へ / ,ィ / \
`,-. -、'ヽ' く <´ 7_// / _/^ 、`、
ヽ_'_ノ)_ノ \> / / / _ 、,.;j ヽ|
n 「 | /. | -'''" =-{_ヽ{
ll || .,ヘ / ,-、 | ,r' / ̄''''‐-..,フ!
ll ヽ二ノ__ { / ハ `l/ i' i _ `ヽ
l| _| ゙っ  ̄フ.rソ i' l r' ,..二''ァ ,ノ
|l (,・_,゙> / { ' ノ l /''"´ 〈/ /
ll __,冖__ ,、 > >-' ;: | ! i {
l| `,-. -、'ヽ' \ l l ;. l | | !
|l ヽ_'_ノ)_ノ トー-. !. ; |. | ,. -、,...、| :l
ll __,冖__ ,、 |\/ l ; l i i | l
ll `,-. -、'ヽ' iヾ l l ;: l | { j {
|l ヽ_'_ノ)_ノ { |. ゝ ;:i' `''''ー‐-' }
. n. n. n l | ::. \ ヽ、__ ノ
|! |! |! l | ::. `ー-`ニ''ブ
370 :
考える名無しさん:03/07/29 08:38
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
なあんかこの人必死だねぇ、暇なのかねぇ、いいねぇ
372 :
考える名無しさん:03/07/29 08:59
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
ハルカさんはゴは経験されたんですか?
ハルカさんはゲダツは経験されたんですか?
374 :
考える名無しさん:03/07/29 18:56
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
>『貴方なりの単なる一意見』として伺っておきます
ハルカってこればっかだね。自分の意見と違うものは完全排除でさ。
もっと他人のレスも掘り下げてみてください。
>>カオルさん
例の「ある」の問題が何をさしているのか、よくわからなくなってしまいました。(すみません)
で、たぶん該当するだろうと思うボクの考えを書いておきます。
*「芯」「本来の物自体(としての意志)」「イデア」「神」という概念について
SHを読み、カオルさんやハルカさんと言葉を交わす過程で、自然にその概念を多用するように
なっています。また、ボクが預かり知らない自己や世界を発見するということは、その背後にそれ
ら絶対概念を認めるということでもあります。ですから、今はそれを自然に受け入れます。過去に
不遜な言いまわしでカオルさんを憤慨させたことについては謝罪します。
*「ある」の外側に無を求めるのかについて
先日のカオルさんとハルカさんの議論でボクの「芯」→「我」→「芯」という循環想定は完全に否
定されました。ですからハルカさんが「芯」への帰入または接近に無を見出すことを否定すること
はもはやボクにはできません。ならば「ある」の外側を求めることの有り得なさからすれば、「芯」
への帰入は妥当かつ伝統的な宗教的解脱において折り紙付きですから、ハルカさんが望むならこれ
までに確認した通り、これ以上は趣向の違いに尽きてしまいます。
ボク自身の基本姿勢は
>>85で書きましたように、
>それからそもそもSさんの論に「無」の概念や「悟り」は必要なのかなっていう疑問もあるのね。
拘りは全くないです。境界を超えようとする行為が「悟り」っぽく見えてしまうのでしょうか。また
境界を(仮に)超えた先に残るものがないとすれば、それが「無」であろうと想定しているだけです。
またもしも、生の形式の中で懸命に生きれば足りるではないか、ということなら違います。
・・・ですから、「無」は結果として至るかもというだけ。しかし自己でありながら自己を超えたい、
箱庭に在りながら箱庭を超えたいという矛盾した信念はかわりません。こう言えるのも、たぶんボク
が無分別で、キルケゴールさんによればそれは絶望して自己自身であろうとする罪なのだそうですが。
>>ハルカさん
「芯」も「我」も預かりしらない得体の知れないものですよ、ということで食い下がることはでき
ます。けれど、貴方が「楽になりたいだけなんだ」と突っぱねてしまえば、それは隷属状態よりも
自律を志向する方が苦しい過程と不可能さが予想され、何も言えないのです。むしろハルカさんは
ボクの自律への努力が無駄であることを看破していて、ボクが希望を全く失い、貴方の追随者とな
ることを予測しているのでしょう。
ボクが貴方に賭けるのは、あとは貴方の他者への関わりへの思い入れ。ボクやカオルさんとの関わ
りが嬉しいと言ってくれたこと。貴方の生まれて来てこの方の、大切な記憶。。。それは貴方が苦
の根源と見る、個体化の為せるあだ花なのかもしれない。けれどほんとうにそれだけのものでしょ
うか。記憶の照合が途絶える恐怖を感じたのは「我」のせいだけなのでしょうか。貴方の記憶は貴
方オリジナルの、貴方の自律性の原点ではないのでしょうか。貴方が嬉しいと思ったこと、貴方が
大切と思ったこと。これを欺くことなく活かすことが、貴方の「楽」に繋がるように思うのです。
>>ハルカさん
貴方はボクなどよりもこんなにも明確に自己のあるべき道を述べられるというのに、こうしてボク
の珍妙なレスに応じたり、カオルさんと知的な会話を楽しんだり、哲板のありようについて真剣に
関わったりします。貴方は以前まだまだ絶望が足りないからと言いましたが、それは貴方が偽るこ
となく他の志向も有しているということでもないでしょうか。(「我」のせいだ!ではなく)貴方
とのトラブルの原因となったSHスレでのボクのレス以来、ボクが一貫して貴方に伝えたいことです。
たとえ預かり知らぬ出自のものであっても、苦をもたらして来た当のものであっても、ハルカさんと
の関わりの記憶はボクにとって掛替えのないもの。ボクが神の捏造した儚い人形だろうが、「我」の
為せる迷妄だろうが関係無い!これはボク(という主体の)大切な記憶なんだ!いや、ボク(という
主体)そのものなのだ!とボクなら叫びます。「青い血が何だというのです!」です。(
>>158)
決して素晴らしくあろうとか進歩しようとかではないです。また、生を肯定してとかボクが言いたい
のではないことは、ハルカさんにはわかっているはずです。貴方(という主体)が大切と思うもの、
それをもう一度鑑みて欲しいのです。おかしい?ですか。
>>AAコピペしている方へ
貴方も主張したいことがあるのだと思います。
けれどどうか他者を貶めたくなる気持ちをお鎮めください。
>>329>>330 >【存在=苦】
とは、どういう意味で「存在=苦」なのだろう?
苦を感じるのは、認識主体が何らかの刺激を苦として認識するからではなかろうか。
初期仏教では、苦の根源は無明であるとされていますね。
だから無明を滅すれば、苦も滅するのであって〔縁起の逆観〕、
そのための修行法として八正道がある。
般若心経にも、照見五蘊皆空、度一切苦厄、とあります。
つまり、五蘊が相互に依存し合っていることを見抜いて、一切の苦を超越したと。
つまり縁起=空という真理を見抜くことによって苦は滅する
と仏教では考えられていると思う。
「存在=苦」という考え方は、苦を実体化していませんか?
「苦そのもの」などは、ないのではないですか?
381 :
考える名無しさん:03/07/29 22:58
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
382 :
考える名無しさん:03/07/29 23:02
こわい〜〜から ↑やめてください!
ほんと,お願いしますなのダ。
383 :
コラボレーション:03/07/29 23:06
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
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(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
¶ \ ¶ガリガリガリガリ
¶, 、 、 |¶, ヽ \. ¶¶ガリガリガリガリ
¶ i ! | i ¶|l'、ト ヽ ¶ヽ ¶ '¶ガリガリガリガリ
¶ /¶ |. i ¶|| i.|ヽ |、 | ', ¶ ¶ガリガリガリガリ
○○Oooo |i ト十iooO○ | ¶ガリガリガリガリ
,.¶,.+‐'"| |¶ ¶}▼≡' ュノェ|i,`i ¶ ¶ガリガリガリガリ
l ¶;:=ニ|i ¶¶ /rj:ヽ\ i l¶ ¶ガリガリガリガリ
' '/ ヽ,ヽ ¶. ≡' 〈(・) 》ー | ¶ ¶ガリガリガリガリ
;〈 〈(・)》 ... |||≡ `'ー'' }i | i¶ ¶ガリガリガリガリ
`''" .ヽ 〉 ≡≡≡/;:i| |¶. ¶ガリガリガリガリ
、//// ゛γ⌒〜 ≡≡≡/,ノi, ¶. ¶ガリガリガリガリ
、,ゝ、 ..L_」≡≡≡/ i | ¶ ¶ヒヒヒヒヒヒ
| lヽ、 ┗ ┛≡≡/ | i | ¶ヒヒヒヒヒヒ
¶¶ ¶ l| |`''‐ 、┃ ≡, イ ¶ ¶ | i |. ¶ヒヒヒヒヒヒ
¶||¶¶ | ` ''" | /¶ l ¶ ¶ l ! ¶ヒヒヒヒヒヒ
¶l|!,>‐! |〃¶|'i i | ¶i |i | |¶ヒヒヒヒヒヒ
¶ l iヽ.,! |メ,¶ | /ノi i. ! ¶ i|¶ヒヒヒヒヒヒ
/' |.:.:.:.``''ー-、 ! 〉,¶ |/i' l ¶ l | ¶ヒヒヒヒヒヒ
; r'.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.``''ー-'、ノ:|、_ ¶ ' i¶ l i|.¶ヒヒヒヒヒヒ
/、、__.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:i.:.:ヽ | |.i |.¶ヒヒヒヒヒヒ
.:.:.:\`'ー-、___:.:.:ー'";/|:\ ' ト;| ¶ヒヒヒヒヒヒ
:.:.:.:.:.:\:.:.:.:.::..:.:.:.:.:.:.:.: ̄.:.:.:.:.:|.:.:.:.`ヽ、|.i¶ヒヒヒヒヒヒ
これも、けっこうイイって、そーいうことじゃないよな。
リング〜らせん
386 :
考える名無しさん:03/07/29 23:21
〃 _`__
,,-=-、、l{,_'´..._ `ヽ、、
〃. ',.´二W´- ‐-`\ \ヽ、___
_{l,'.'´ 、 ヽ ヽ ヽ彡k、ヽ\
.//`/ i l. \ 、ヽ `、 i彡}ヽ`' ´
. /| / i { |l {\ {ヽ、_!..ヽ」_/} .}./ |__〉、
\l.{. l.ヾ _.ゝ_土. ゝ -'fT;;ヽ,| lテ}| ||__〉
/iヽゝヽ/{~);;:l {:..''ノ'ノノ|{ノ |_!
.|_|l」ヽ. ヽ ゞ‐' 、  ̄`ノレヽソ| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(.ソ.ゝ -- /' {=}ノ < こういうのはお好きですか?
(=| l へ、 /ノノ((.)). \____________
((!)ヾヽヽ` ;.- ' ´ |'' ''"'´
`~^``/'l ゜>\_
, -‐〃"´ |___/ >- 、
/ ./〃 |=/ 〃/ \
/ | ||, ‐-、_,...!、/_ ,..、 .〃/ ヽ
〈 / -ー.{ { {.= ヽ、|| l |
| ヽ /| |\ / i 〉 |
〈 ∧ l_/./ | | \ _/ / /
好き好き だーーい好き
〃 _`__
,,-=-、、l{,_'´..._ `ヽ、、
〃. ',.´二W´- ‐-`\ \ヽ、___
_{l,'.'´ 、 ヽ ヽ ヽ彡k、ヽ\
.//`/ i l. \ 、ヽ `、 i彡}ヽ`' ´
. /| / i { |l {\ {ヽ、_!..ヽ」_/} .}./ |__〉、
\l.{. l.ヾ _.ゝ_土. ゝ -'fT;;ヽ,| lテ}| ||__〉
/iヽゝヽ/{~);;:l {:..''ノ'ノノ|{ノ |_! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.|_|l」ヽ. ヽ ゞ‐' 、  ̄`ノレヽソ| | 生は苦。何も信じない。
(.ソ.ゝ -- /' {=}ノ < 輪廻を必ず越えます。
(=| l へ、 /ノノ((.)). | 才色兼備のソフィアが憎い
((!)ヾヽヽ` ;.- ' ´ |'' ''"'´ │ いい?わかった?(苦笑)
`~^``/'l ゜>\_ \_________
, -‐〃"´ |___/ >- 、
/ ./〃 |=/ 〃/ \
/ | ||, ‐-、_,...!、/_ ,..、 .〃/ ヽ
〈 / -ー.{ { {.= ヽ、|| l |
| ヽ /| |\ / i 〉 |
〈 ∧ l_/./ | | \ _/ / /
>>358 ニーチェの価値批判は、「真の世界」と「仮象の世界」という二世界説を批判している。
二世界説は、プラトンのイデア論に始まり、キリスト教、カント・・・と続く。
その中で、ニーチェがキリスト教を最も批判するのは、「民衆化されたプラトニズム」である
キリスト教において、現実世界が最も不自然化されて抑圧されてきたと彼が見ているから。
現実世界は、「イデア界」とか「天国」という捏造された「真の世界」を想定することによって、
「仮象の世界」として貶められると同時に、それによって意味付けられ、価値付けられてもきた。
しかしキリスト教によって育てられた『誠実さ』がキリスト教そのものの虚偽を見抜いてしまう。
こうして「真の世界」が力を失い崩壊するとともに、「真の世界」によって意味付けられてきた
「仮象の世界〔現実世界〕」も無意味で無価値なものに見えてきてしまう。
これが「神の死」によって生じた現代のニヒリズム的状況。
しかし「真の世界」が崩壊した後の「仮象の世界」こそがもともと唯一の現実世界だったのであり、
「真の世界」の崩壊によって、現実世界の「生成の無垢」が再興されたのだともいえる。
問題は、再び無意味で無目的となった「生成の無垢」といかに向き合うか。
弱者は無意味で無価値な「生成の無垢」に耐えられずに再び「真の世界」を捏造する・・・
390 :
では私も……:03/07/29 23:49
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
>>AAコピペしている方へ
もう一度お願いします。ひとを貶めるその心を鎮めてはいただけないのでしょうか。
>>392 >今回に限っては両成敗
何をさして両成敗なのでしょうか?どうか教えてください。
394 :
考える名無しさん:03/07/29 23:56
ワタシももう一度お願いなのダ。
やめてください。
夜更かしできません
>>393 > 『貴方なりの単なる一意見』として伺っておきます。(
>>352)
コレが気に食わないんだろうね。
自分と異なる意見は排除してるみたいで。
ただ、横槍さん自身が
>ここまで暴走して解釈してしまいました。議論の流れを読めていないので
>横槍として無視してください。(
>>352)
と言ったので、それを汲んだだけなのにね(苦笑)
なんだかんだ言って私を貶めたいだけでしょ(苦笑)
397 :
考える名無しさん:03/07/30 00:17
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
>>392 ハルカさんの件については幾つかの要因が予想できますが、
コピペを繰り返すご本人から教えて頂かないと判断のしようがありません。
もしも再び来られましたら、どうかお話ください。
>>AAコピペする方へ
スレ進行とは外れてしまいますが、
ボクは規制導入に反対し今の哲板は許容範囲で自治で克服すべきと主張した以上、
こうした執拗なAA粘着行為を見過ごすわけにはいかないのです。
どうかお話しください。
Sは関係ないのでは?
Sが粘着されているじゃないでしょう。
401 :
考える名無しさん:03/07/30 00:52
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
・・・それ以外は答えていただけないのでしょうか。
関係がない−とは決してなりません。スレに参加している住人として、板に参加して
いる住人として、あまりに不当で対象者の対応をこえるような事態を見過ごすことは
それを間接的に認めることとなるのです。そしてそのような不当を許容するために、
今の哲板の自由度が保たれているのではないはずです。
>>AAコピペする方へ
どうあってもお話しして頂けず、中傷行為も引いては頂けないないのですか?
>>Sさん
コピペしている人々に何言っても無駄だと思う。
理由らしい理由なんて『楽しそうだったから』or『ハルカが気に入らないから』のどっちかしか無いし。
でも、荒らしている本人に理由を聞いて何とかしたいんでしょ?
ルール制定に反対して『今の板の荒れはまだ自治出来る範囲内』と言った貴方の立場は分かるけど…
404 :
考える名無しさん:03/07/30 01:09
コピペしてるのはたぶん1人じゃないから無理だろう。
それよりSが痛々しいのでもうやめといたら?
事の当人どうしでやらせておけばいいんじゃないの?
405 :
考える名無しさん:03/07/30 01:13
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
ハルカ様御元気そうでなによりです
カオルサン今日も麗しいです
sさん好きです
名無しさん必死ですね
厨房暇そうですね
反応するあなたも荒しです
sage
>>AAコピペする方へ
それが貴方の答えなのでしょうか。
それでもね、ボクは貴方にお願いします。どうか不毛なその行為を鎮めてください。
408 :
考える名無しさん:03/07/30 01:24
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .|
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 私の独壇場です
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ |
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
>S氏
気持ちはわかるが、「荒らしは放置」が原則。
たとえ「話し合いたい」という理由でも、荒らしを放置できなかった時点で、
あなたも荒らしになる。
以前のSophia、カオル騒動でもわかるように、主張の強い女コテは、
本人の是非に関わらず必ず粘着される。
小学生の男の子が、かまって欲しくて気のある子にイタズラをするのと同じ精神構造。
荒らしは放置されるのを一番嫌う。
このような騒動が他スレに広がらないためにも、荒らしに関わることなく放置して欲しい。
考えが変わった。
考えてみたらどっちも悪いわ。
そう、小学生の男の子が、かまって欲しくて
気のある子にイタズラをするのと同じ精神構造。
>主張の強い女コテは本人の是非に関わらず必ず粘着される。
なんか違うと思われるが・・・
本人か?
414 :
考える名無しさん:03/07/30 01:36
>主張の強い女コテは本人の是非に関わらず必ず粘着される。
違うな
一方的な強引さだろう。
>一方的な強引さだろう。
かなり近づいてきた。
416 :
考える名無しさん:03/07/30 01:44
哲学の教養が無い
スレ主のハルカさん他、ご迷惑をおかけしました。一旦落ちます。
Sは勘違いしてんな。
非があるのはハルカだって事。
419 :
考える名無しさん:03/07/30 01:56
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
荒らしに負けてどうするんですか
421 :
考える名無しさん:03/07/30 02:12
age
422 :
考える名無しさん:03/07/30 02:16
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦。何も信じない。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 輪廻を必ず越えます。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 才色兼備のソフィアが憎い
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ いい?わかった?(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
狙われてんのはハルカなんだから他の人は下がっといたら?
粘着
425 :
考える名無しさん:03/07/30 02:20
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .|
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 粘着上等
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ |
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
w
427 :
考える名無しさん:03/07/30 02:22
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .|
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< w
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ |
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
428 :
考える名無しさん:03/07/30 02:23
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
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ノ川川.|---、 川川川川
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ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 哲学板命。
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< リアルでは話す相手いないの。
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | いい?わかった?(苦笑)
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
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431 :
考える名無しさん:03/07/30 06:08
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
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/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦なので
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 本当は笑いたいけど
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 一応、(苦笑)
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ 煽りにも使える。これは便利。
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 今日も全生命を嫌悪しながら
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 資本家に媚び諂って労働してくるから
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 生きる意味でも考えて保守しといてよ。
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ 私は納得しないけどね。(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
435 :
考える名無しさん:03/07/30 09:51
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 生は苦なので
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 本当は笑いたいけど
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 一応、(苦笑)
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ 煽りにも使える。これは便利。
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
>>カオルさん
カオルさんは
>>191でカオルさんの実存のありようを示してくれました。
ボクにすれば>限界を超えようとを覚悟する意思こそが(真の)自律性です。
>虚無への宣戦布告でありそれが超越への志向性なのです。
と思えるのですが、それは置いておき、
>それでも、否定しないこと、あきらめないこと。
の先にカオルさんは何を見ているのでしょうか。自律性を掲げながら、根底にあるものは諦観ですか?
>>カオルさん
>>192より
>わたしは、自分が理想主義的な観念論によっては、救われなかったという経験と
>あなたの言うエゴイズムによって救われたという経験から、その行為が自己愛に
>基づくものであっても、その人の道徳的価値を体現した行為は価値ある行為だと
>思いますし信じられます。
ボクは常に逆の経験ばかりでした。所属していた集団で築かれた調和がエゴイズムによって
いとも簡単に崩壊していくのを止められませんでしたし、信頼していた長年の友愛が独善的
な恋愛感情のもつれで無残に切り裂かれた経験もあります。ボクが経験則から学んだのは、
エゴイズムは調和や信頼という志向に対し圧倒的な力をもってこれをねじ伏せてしまうのだ
という苦い痛みです。
>>カオルさん
>>193より
>「主体性(自律性)を純化する」「超越へ臨む」とはどういうことなんでしょうか?
限界を超えようとを覚悟する意思こそが(真の)自律性です。
虚無(預かり知らない規定)への宣戦布告(抵抗)でありそれが超越への志向性なのです。
>>194より
>あなたはどこにいるのでしょう。
>わたしはなんであなたを想像できないのでしょう。悔しいです。
>あなたが心配です。
ボクにもわかりません。ボクが何者であるかすら見えないところから歩かねばならないの
ですから。でも、心配には及びません。そしてそのお気遣いにはただ感謝なのです。
439 :
考える名無しさん:03/07/30 16:20
人類皆エゴイスト。どっちもどっちやって。
中途半端にエゴイストじゃない奴もいるけどねぇ
俗に言う
偽 善 者
世の中みんな自分のことしか考えなくなったら
それはそれでこざっぱりしてて良いかもね?
自分のこと考えて偽善者やってんだよ。たこ。
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 2chで哲学することの
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< 無意味さを悟りなよ?(苦笑)
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ |
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
443 :
gヴぃお;:;あw:03/07/30 17:45
正気で居ようとすると馬鹿に成る
弾劾裁判スレは削除されたようですので、
>>432は無効です。
今日はとても疲れました。どうか善きありようを示されんことを切に願っています。
>>366 ハルカへ
>それは…極端に言えば
>『価値の相対化を極限まで突き詰めた状態』じゃないのかな?
ニーチェは、道徳的で礼儀をわきまえた穏やかな人柄だったらしいから、
彼の言説は、みずからに対する攻撃でもあったのだろうと推測はされます。
でも、みずからの意思で価値の相対化を徹底するなら、自己同一性は破壊
されるはずなのに、彼が私生活においては嘘偽りなく紳士的だったと報告
されているのは、なぜか?
それは、彼の言説も文体の過激さも実は病気のせいなのでは、という憶測
をしてしまうんですねぇ。(笑)
わたしみたいに思惟が身体行為、行動原理にまで波及した人間にとっては、
彼の底抜けのやさしや思いやりの深さは、彼がはじめから抱いていた神へ
の信仰が一貫して失われていなかったということの証明に思えるのです。
それが、わたしの
>>358の解釈へつながるのです。
>>367 ハルカへ
【我】の「取り扱い」については、別に議論しましょう。(笑)
ハルカのいいたいことは理解してるつもり。反論はないよ。
では、以下。(上のレスに関連させて続けます)
『価値の相対化を極限まで突き詰めた状態』については、
>>163,
>>195。
で「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」的な反転現象が、
>>92。
わたしが、二極の中心に留まってアンチノミーに引き裂かれるにしても、
振り子になって二極のあいだを行ったり来たり(の循環)をするにしても、
それは「相対性」という人間の「存在原理」にしたがった現象でしかない。
そして、わたしがこの相対性を相対化するならそこには虚無しか残らない。
人間は、永遠にこの相対性という存在原理のもとでしか何も為し得ないし、
存在し得ないのだとしたら、わたしの思惟も行為も、その存在仕方(
>>197)
が変わらない以上、それはまた匿名の誰か、=わたし≠ノよって、全く
同じようにくりかえされるのです。しかし、この循環だけが唯一、時間を
超越した永遠の相として開示されているのなら、わたしは生の一瞬一瞬を
全力で走り抜けるだけである。なぜなら、その一瞬一瞬が永遠なのだから。
これが「永遠回帰」のわたし的の解釈その2。(その1は別スレで書いたw)
・・・・・つづく
ということで、上述はハルカのいう【我】=生命種の「生命種とは何か?」
は「」に入れての【我】の「存在仕方」の哲学的な解釈だと思って下さい。
>『【我】(自我)の目的に沿った【我】(自我)にとって最善の行為』
【我】(自我)の目的 = 永遠に生きること。(利己的遺伝子みたいw)
【我】(自我)にとって最善の行為 = 相対原理の下で生きること。(受容)
>『【我】(自我)こそ全て』と考える人にはお勧めの方法ですね(苦笑)
個別的な「考える人」=「わたし」は、ふつうは【私】の方だよね。
「永遠の相」をもった「匿名の誰か」としての「わたし」が【我】だね。
だから「より良くより高く」という価値を模索するのは【私】の方かな。
>>376 Sさん
>例の「ある」の問題が何をさしているのか、よくわからなくなってしまいました。
その人が「わたしはなぜここにいるのだろう?」と、ふとつぶやいたとき、
「ある」は、厳然として現前するのではないでしょうか。
しかし「ある」は「わたし」がそれを意識した瞬間「ある」ではなくなります。
なぜなら「あるはあるにあらず、ゆえにあると呼称される」という言語の論理
(規則)を逸脱する「何か」であり、かつ、客体化できない「何か」だからです。
ほら、もう矛盾してるでしょ。(笑)
わたしの「存在」の定義は、(「ある」を「存在」と呼称することにします)
1.ありように矛盾が含まれない。
2.ありようが全体的である。
(a) あらゆる現象を含有する。
(b) あらゆる現象が一挙に成立する。
3.ありようが絶対的である。
(c) 無規定的、無制約的、自律的、自足的である。
4.【virtual reality】としての【実在】の「ありよう」を生成する原理である。
になりますが、わざと「ありよう」などと書いたのは、わたしが「存在」の定義を
どんなに工夫したところで「ある」の客体化であることを誤魔化すことはできない
からです。それなら堂々と書いた方がわかりやすいですね。これが言語の限界です。
(ちなみに4の「ありよう」と1〜3の「ありよう」は別次元です。念のため。)
>自己でありながら自己を超えたい
>箱庭に在りながら箱庭を超えたい
>>446の実存解釈はどうですか?
>キルケゴールさん
なんかかわいい! (^.^)
>>380さん
>【存在=苦】とは、どういう意味で「存在=苦」なのだろう?
>苦を感じるのは、認識主体が何らかの刺激を苦として認識するからではなかろうか。
はい。「苦」の起源は、
>>256の2.の能力のことです。
だから、正確には「生存」=「苦」になるのでしょうか。
「生存すること」=「苦を回避すること」ですから。
>「苦そのもの」などは、ないのではないですか?
苦を概念と捉えるなら、実在することがバーチャルなのかもしれないのと
同じように「苦そのもの」なる実体はないといえるのかもしれませんけど、
苦はどうしようもなくリアルにここにありますから・・・・きっとあなたにも。
あと、仏教解釈のところは何が書いてあるのか(^_^;)・・・・・ハルカに任せます。
/ ̄ ̄ ̄v´`ヽ、
/ //.// ハヽヾ ヽ\
i' ´// / ハ いヽ、ヾ、ヽi
/ | i'リ゛ヾ゛川ヽヽー、_!いノヾヽ
/,((i iノ ヾ. 川川川リソ
(川川丿 ヾ 卑 ..川川川川
ノ川川.|---、 川川川川
ノi i川川ィ'''・ヽ,ー / ̄川川川 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ川川リ `ー,イ ´ィ''・ヽ))川川川 .| 私を助けたいのはわかるけど
川川川 ノヽ `''´ノ川川川リ< あんた方には無理
川川川ヽ,,_ (,、_,、 )__,イ /川川川リ | 苦しんでたいの。
川川川 ,,,,ノ ゞヽ /川川川川 │ だから今日も(苦笑)
川川川 ⌒ニ´' /|川川川川 \_________
川川川 `ヽ ~~ /|川川川川川
川川川 `ー-ー´ ||川川川川ソ
>>389さん
とても丁寧なレスありがとうございます。
まったくもって正統なニーチェ解釈だと思います。
わたしの解釈の意図は、
>>445を参照してください。
>しかし「真の世界」が崩壊した後の「仮象の世界」こそがもともと唯一の現実世界だったのであり、
>「真の世界」の崩壊によって、現実世界の「生成の無垢」が再興されたのだともいえる。
>問題は、再び無意味で無目的となった「生成の無垢」といかに向き合うか。
そうです。われわれに『「生成の無垢」といかに向き合うか。』の姿勢を問うために
『ツァラ』は書かれたのです。
>弱者は無意味で無価値な「生成の無垢」に耐えられずに再び「真の世界」を捏造する・・・
お叱りの言葉しかと受け止めたいと思います。でもなぁー。エヘ (^_^;)
>>436 Sさん
>>それでも、否定しないこと、あきらめないこと。
>の先にカオルさんは何を見ているのでしょうか。
>自律性を掲げながら、根底にあるものは諦観ですか?
いいえ。わたしの哲学する℃p勢です。
哲学することは生きること、生きることは如何に死ぬかということ。
2chで哲学する虚しさよ。
>>437 Sさん
わたしは孤独に悩むということはあまりありませんでした。
もちろん、わたしはひとりにはなれません。
でも、わたしはいつもみんなと共に生きるということの苦痛に悩んできたような気がします。
わたしみたいなバカがSさんを苦しめてきたのかもしれませんね。(^_^;)
意味をさがすことの無意味さをこそ悟れ
おまえらには価値がない。
>>450 >>380の方の発言の仏教的部分をチョイ解説。
>初期仏教では、苦の根源は無明であるとされていますね。
>だから無明を滅すれば、苦も滅するのであって〔縁起の逆観〕、
>そのための修行法として八正道がある。
『苦』の根源となっているのは『無明=迷い』とされる。
『縁起』というのは凄く簡単に略して言えば『因果法則』のようなもの(乱暴な…^^;)
つまり
『迷い』がある→『苦』の発生 なのだから
『迷い』がない→『苦』は発生しない となる(これが縁起の逆観)
『八正道』とは…
これも凄く簡単に言うと『中庸を心身ともに保て』という教え。
『どちらにも何にも偏るな』と。
これで『迷い』が消える…らしい。
>般若心経にも、照見五蘊皆空、度一切苦厄、とあります。
>つまり、五蘊が相互に依存し合っていることを見抜いて、一切の苦を超越したと。
>つまり縁起=空という真理を見抜くことによって苦は滅する
『照見』 = 見聞き出来る【私】としている
『五蘊』 = 認識主体(自分そのもの)
『皆空』 = すべて実態は無く空である
『度一切苦厄』= 『苦』と感じるもの全ては『それ=五蘊(実体は空な主体)』によるものである
これを見抜き知る事で『苦』を脱することが可能、と。
しかし、この用語や解釈もあくまでも『初期仏教』であって『仏陀そのもの』の教えでは無い事に注意して下さい。
ここら辺の教えは『生存を前提にした上で発生する【苦】の滅却』には役立つでしょう。
しかし『生存にさえ嫌悪を抱くような【苦】の滅却』には役立ちません。ハッキリ言って。
ですから、私はこの辺りの教えは『ああ、そうですか』で流す事にしています(苦笑)
>>457 ハルカありがとう。ふむふむと読ませてもらいました。
【私】にたいしての諭しと考えればいいのかな。
『中庸を心身ともに保て』というのは実感としてわかるよ。
>>458 専門的な解釈だともうチョイ複雑になるんだけどね。
>>457は簡略化しまくった解釈だし(苦笑)
>>459 いえいえ、専門的でない方が丁度良いと思う。少し勉強してみるよ。
ところで、>『仏陀そのもの』の教え
って記述されているの?
>433 難しい漢字使うと正体バレマスヨ
Sサンは箱庭の中のおぼっちゃまみたいですね
世の中の不条理さを分かっておられないようだ
>>460 記述は無い。
『シッタルダ』本人が何か文献を残したという記録も残ってないし…
弟子達に対しても口伝だったらしいし。
それに現存している経典はどれも死後数百年経過した後に編纂されているから…
経典が編纂されるまでは口伝が主だったらしいしね。
私は『経典』は『参考程度』に留めてます。ハイ。
>>462 ごめん。その答え読んだことある。(^_^;)
ハルカおススメの「経典」なんかある?
バカ丸出しだー 取り消し取り消し 寝る
>>カオルさん
これまでのカオルさんの丁寧な説明で、存在と実在のありようが大体把握できました。
そしてカオルさんはこれを引きうけ、その生の一瞬一瞬を全力で走り抜けるだけと示しています。
それは諦観ではなく、わたしの哲学する℃p勢ですと締めくくりました。
そして過去のレスで、ボクの生き方は理論化できないと結論づけています。
しかしボクが気になるのは、前提となる存在−実在のありようを受け入れ「ざる」を得ない。
この点にあります。そんなことを言えるのはボクが箱庭のおぼっちゃんで本当の不条理をしら
ないからだとの批判も見ました。他者からみれば或いはそうなのかもしれない。でもね、それ
を承知でボクが叫んでいるのは、カオルさんはわかっているのでしょ?そんなボクから見ると、
カオルさんが全力で走ると言った決意も、諦観に裏付けられた出来レースにしかみえないのです。
以前には回転ケージで主体を空回りさせているだけなのでは?と表現しました。的外れでしょうか。
カオルさんはどうしてこうも納得し引き受けられるのでしょう。もう少し詳しく教えて頂けない
でしょうか。ボクならね、そんな預かり知らない原理に支配されるぐらいなら、笑んで抵抗して
限界にぶち当たって果てますよ。それが結局は箱庭で踊らされているに尽きたとしてもね。
>>ハルカさん
ボクの書いた
>>377-378のレスはもはや的外れで貴方には届かないのでしょうか。
それとも先日の自治騒ぎに立腹されているのでしょうか。
哲板の自治についての貴方との相違はあるのです。だからこそボクは投票も支持したし、
その結果と申請については口をはさみません。ただ、それとは別個に、ボク個人としての節は
貫きたいのです。貴方の「そんなお題目が何になりますか」という問いかけを噛み締めながら。
先日貴方がレスしてくれたことも重々承知しながら。。。
>>465 カオルさんでは無いけど一応の回答を。
多分カオルさんも同じ様な事を言うと思う。
Sさん。
貴方が言っている事…
>ボクならね、そんな預かり知らない原理に支配されるぐらいなら、笑んで抵抗して
>限界にぶち当たって果てますよ。それが結局は箱庭で踊らされているに尽きたとしてもね。
この発言が即ち『Sさん』と『私』や『カオルさん』の立ち位置の違いを明確に現しているんです。
貴方は『支配されるくらいならぶち当たって果てる』と言っていますよね?
そして、それが『箱庭で踊らされているに尽きたとしても』とも…
という事は、ですよ。
『(Sさん的に)訳の分からない支配よりも、無駄に終わるかもしれない抵抗の方を選ぶ』
って事になりますよね?つまりは
『何かに新たに支配される状況よりも現状の様な自意識が持てる方が良いから抵抗する』
と言っているのと同じなんですよ。
更に言うなら『新たな支配より今の【生】の方が良い』と言っているのです。
ずばり『【生】を肯定』している発言なんですよ。
分かりますか?
【芯】や【存在−実在のありよう】は客観的証明が出来ませんから、事実『訳の分からないモノ』です。
しかし『私』や『カオルさん』はね。
『今現在の【生】よりも、その【訳の分からないモノ】の方が良い』と言っているんですよ。
『今現在の【生】のまま【苦】を感じるのならば、新たに支配されようとソッチの方が数段マシ』なんです。
>>467-468 そうですね。。。
ハルカさんの姿勢についてはこれまで何度も発言されて来られたし、
カオルさんも同調してしていることもわかります。
ボクの姿勢は世界のその逸脱を望むこと、被支配より自立ですから可能かは別として既に
スタンスの違いは明白なのです。(覚者と自律者は違いますと過去に書きました)
その上での発言でしたが、もはやハルカさんには鬱陶しいだけのようです。
ならば互いの立場を示し、互いに刺激できる要素はないのかもしれませんね。
済みませんでした。
>>ハルカさん
ひとつだけ。。。でも、そしたらそもそも議論が成立しなくはなりませんか?
ちょっぴり悲しいです。
>>ハルカさん
もうひとつだけ。。。ボクが貴方の、肯定のための絶望に役立ちましたか?
もしそうなら、ちょっぴり嬉しいです。
>>457 >ここら辺の教えは『生存を前提にした上で発生する【苦】の滅却』には役立つでしょう。
>しかし『生存にさえ嫌悪を抱くような【苦】の滅却』には役立ちません。ハッキリ言って。
>ですから、私はこの辺りの教えは『ああ、そうですか』で流す事にしています(苦笑)
苦に直面している人は誰しも、「自分の苦しみは特別なものだ」と考えがちですよね・・・
それでは、あなたの言う『生存にさえ嫌悪を抱くような【苦】』が
仏教でいわれている「四苦八苦」〔一切皆苦〕と根本的に異なる点はどこですか?
>>ハルカさんへ これだけは言っておかなくちゃ。(1)
ハルカさんがボクの姿勢を生の肯定とするのはあまりに短絡です。
SHスレのボクの到達点で示したように、ボクの「意志の脱却」は「意志の肯定」でも「意志の
否定」でもありません。またボクが何度も強調したように、「芯」も「我」も預かり知らずに投
機された得体知れないものとして、いずれの束縛をも脱却しようと意図しているのです。これは
証明不可能だからとかオカルトだからというのではないのです。それを言うなら、ボクの主張の
方が有り得ないオカルトそのものでしょう。ここに至っても誤解されているように見えます。
ボクはどこにも寄り掛れないけど、ボクの自律の原点としてボクの記憶、ボクの主体を松明にして
境界を超えようと試みるのです。なぜならそれが唯一ボクの起点に活用し得るから。そして愛着を
もっているから。しかしだからと言って生の肯定とはならないのです。なぜなら、自己をもって自
己にふるいを掛け、境界を超える試みのなかで、残るものは何も確定してはいないからです。そし
てその結果にボクに拘りはありません。境界を超えたあとに残るものがあるとすれば、それが真に
無制約的、自律的な状態。そして残るものがないとすれば、それが真に絶対的な無。いずれにして
もボクの自己や箱庭における苦も、ハルカさんの個体化における苦も解消できると考えていたので
す。そしてそれはもしかしたら、(結局箱庭を脱せず)遠回りしたハルカさんと同じ道かもしれな
のです。なんせまるで予測できないから。。。(少なくとも現状のような自意識じゃないですよ。)
だから、ボクはSHスレでは「意志の脱却」、このスレでは「生の逸脱」と独自の表現を使いまし
た。これでもハルカさんには単純に「生の肯定」と見えるのでしょうか?説明が足りなければ何度
でもします。あと、これまでボクの考えを押しつけたつもりはありません。よね?(不安)
>>ハルカさんへ これだけは言っておかなくちゃ。(2)
>>377-378での主な問いかけはね、立場が違うからとかで拒絶されるような内容ではないのです。
SHスレとこのスレで計三回ほどこの種の問いかけを試みました。理由は、ハルカさんが「私は
逃げ帰ってきて、今は生の意欲の側面をも見出し、死にたくもあり生きたくもある状態なの」と
の趣旨の確認を得て、ではハルカさんは本当に何を望んでいるのか、自分で再考してもらえれば
と思ったからなのです。自分では頑なに一定方向しか見ようとしない可能性があるので、多様な
視点のきっかけにしてもらえればな、と思ったのです。
むしろハルカさんは、問いかけに関わらず常に判で押したような反応しか返さないので、貴方の
行動(哲板自治に拘ったり、コウさんなどと雑談を楽しんだり等)のギャップもあいまって、自
己再確認のきっかけになればな、と思ったのです。(私が人を愛せないと思っているの?とかい
う展開はもう無しですよ。いや、逆に貴方の素晴らしい多様な側面を見て取ったからこそ、自己
確認して欲しいのです。また、生の肯定への誘導でもないのです。)
何度も繰り返しますが、ボクは貴方を信頼するに至っていますから、貴方の自分を欺かない道が
貴方にとって最良の選択と支持します。だからこそ、貴方なればこそ、ボクからの視点や見解を
示すことで、貴方の欺かない道の肥やしにして頂ければと駄レスを重ねてきました。それはボク
を触発し導いてくれたことへの、せめてもの感謝の形のつもりでした。でも、ありがた迷惑とい
うこともありますよね。気をつけます
>>ハルカさんへ これだけは言っておかなくちゃ。(3)
カオルさんについてですが、確かに貴方を理解しシンクロするほど、立ち位置は似ていると思い
ます。けれど、過去の経緯から今は反転しているとの発言や、ボクに示してくれた力強い実存主義
から、やはりハルカさんと同じというわけではないと思うのです。それに現実対応についても、そ
れこそハルカさんがいま力点を置いている哲板自治への対応ひとつ取っても、まるで異なると思う
のです。ですから、他者をわかったように決め付けて代弁したり、自己を必要以上に重ね合わせる
と、その後の関係をボクはとても危惧します。
たぶんカオルさんは今の哲板の中で貴方に最も接近している人、それでも遠い人だと思います。虚
像の刃、失望の刃を向けることのないような関係でありますよう、ボクは願わずにはいられません。
出過ぎた真似ごめんなさい。でも、カオルさんもハルカさんも好きだから。。。
以上、異議がありましたら宜しくお願いしますね。
>>カオルさん
カオルさんからも
>>465 >>473-475について、宜しければ厳しいご意見ご批判お待ちしています。
>カオルさんが全力で走ると言った決意も、諦観に裏付けられた出来レースにしかみえないのです。
>以前には回転ケージで主体を空回りさせているだけなのでは?と表現しました。的外れでしょうか。
特にここらはカオルさんがカチンと来ると思うのですが。
>>455 カオルさん
ボクの話には続きがあって、当然ながらボクだけが傷つけられた訳でもないし、ボクが
エゴイズムを発揮しなかったなんてことも有り得ない訳です。ひとつの集団の調和を保とう
とすることもエゴイズムの延長に過ぎません。だからこそそれを求めない者も出るし、調和
などは個個体が雑居した状況下では所詮は幻想なのです。ボクが主催していたサークルを通じ
それが身に染みてわかりました。そして、お題目なんてまるで無力でした。
また、ボク自身、ボクのエゴイズムから、大切なひとを切り裂いた経験があります。それは
彼女のエゴイズムがどうしても許せなかったからでした。こうなるともはや泥沼です。所詮
ボクも同じ穴のムジナ、お題目を掲げても、いや掲げるからこそ偽善者なのだということが、
身に染みてわかりました。カオルさんと違うのは、ボクはエゴイズムに救われたという思い
に至ったことはないことです。そんな自分を発見すると、無性に嫌悪するのです。そして、
エゴイズムにまみれた(個体化だから当然ですが)世界のありようをもね。
>>450 >はい。「苦」の起源は、
>>256の2.の能力のことです。
>だから、正確には「生存」=「苦」になるのでしょうか。
>「生存すること」=「苦を回避すること」ですから。
よく分かりませんでしたが・・・
「生存すること」=「苦を回避すること」ならば、
たとえば、出産時の苦しみなどはどう解釈しますか?
>>477 ゆーとくがエゴを嫌うこともまだエゴじゃからな。
ただ、「全ての意思はエゴに過ぎない」ということを知っていればよろし。
エゴでないものが無ければ、エゴなんて概念自体無くなる。
>>479 >エゴでないものが無ければ、エゴなんて概念自体無くなる。
ということは、
エゴでないものが有るから、エゴという概念がある・・か。
>Sさん
即レスはできそうにありません。少し考えさせてください。
>>478 >>>苦を感じるのは、認識主体が何らかの刺激を苦として認識するからではなかろうか。
>>はい。「苦」の起源は、
>>256の2.の能力のことです。
>よく分かりませんでしたが・・・
では、単に同意の「はい」にしておきます。
(本当は、
>>256の1.の「分離」が「苦」の起源なのかなーなんて、ひとりごと)
>「生存すること」=「苦を回避すること」ならば、
>たとえば、出産時の苦しみなどはどう解釈しますか?
赤ちゃんはずっとお母さんと一緒に居たかったから泣くのかな?
赤ちゃんの元気な泣き声にみんなが喜んでくれるシアワセな風景。
わたしが生まれたときもきっとみんなが喜んでくれたんだろうな。
わたしは子供つくる気ないのでみんなをシアワセにできないなぁ。
悟った俺から言わせてもらうと
このスレには3人しかいない。
>>472 違うの。
『仏教と異なる』とか、ましてや『その【苦】はマダマダだな』とかそういう事じゃなくって(苦笑)
(そんな恐れ多い!)
単に『無明を滅すれば【苦】も消える=縁起の逆観』や『五蘊一切皆空』の段階とは違うと言っているの。
『八正道による滅諦』とは違うよ、と。
仏教で言うなら…
『苦諦』『集諦』を見出したものの、『道諦』に従うだけでは『滅諦』が成せないという状態です。
今の私は。
485 :
考える名無しさん:03/08/01 02:14
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`)ここ通らないと行けないので、ちょっと通りますよ・・・
| /
| /| | 人生は苦ですよ・・・・。でも生命は苦じゃないなぁ。(苦笑)
// | |
U .U
>>473 >ボクはどこにも寄り掛れないけど、ボクの自律の原点としてボクの記憶、ボクの主体を松明にして
>境界を超えようと試みるのです。なぜならそれが唯一ボクの起点に活用し得るから。
この発言。
私は貴方に何度言った事でしょう?
貴方が『ボク』として原点にしようと考える『記憶』は『個別化の一作用だよ』と。
『主体』は『自我による認識=個別化を主体によるものと錯覚しているんだよ』と。
『その【自我】に拘れば拘るほど【主体】から離れていくだけだよ』と。
逆に私の方が貴方に聞きたいです。
私が『かつて歩いた道』を貴方が歩こうとしているから…
だから『それは罠だよ。囚われると一歩も動けない事になるよ』と『注意を促している』のが無駄なのでしょうか?
その【自我】を基点とする『記憶』に拘る事。
そして【自我】の作用である『個別化』を『【主体】による認識』だと思う事。
コレが『【自我】の礼賛』であり『【主体】からの離別』であり『【生】の肯定』だと言うのです。
この発言さえも貴方は『違うんだ』と言うのでしょうか?
>>484 >『無明を滅すれば【苦】も消える=縁起の逆観』や『五蘊一切皆空』の段階とは違うと言っているの。
段階が違う?
縁起の逆観は、「目標」としてあるものだと思いますよ。
>『苦諦』『集諦』を見出したものの、『道諦』に従うだけでは『滅諦』が成せないという状態です。
修行としての八正道を実践された上での発言ですか?
>>474 >本当に何を望んでいるのか、自分で再考してもらえればと思ったからなのです。
私の意志としては…
1.『生きている事が全て【苦】と思ってしまう今が嫌』
2.『何故【苦】と思うか?それは【自我の個別化作用】が原因だ』
3.『だったら【自我】を破壊したい』
4.『その上で、せめて今生の死ぬまでを【楽】に過ごしたい』
5.『そして、死後は『無』へと消えたい(二度と生まれたくない)』
なのです。
しかし、私の【自我】は違いました(この言い方が納得出来ないのでしたら【生存本能】としても良いです)
1.『【自我】の有す【個別化認識能力】が無くなっては社会生活が営めない』
2.『【自我】の大本と成っている今までの集積された記憶は崩壊てはならない』
3.『だから【自我】の破壊を認める訳にはいかない』
だったのです。
分かりますか?
自分の中で対立する二つが争っているわけです。
しかも、その二つは対等の立場には無い。
【自我】は【私】の支配者であり、【私】は【自我】に隷属しています。
今、私の内部で起こっている事は−【自我】に対する【私】の反抗−なんです。
>死にたくもあり生きたくもある状態
というのはね…
死にたい(例え狂死する結末になっても【自我】を殺したい)とも思い−
生きたい(それ程までに高リスクな賭をするなら、このまま【自我】の奴隷として自分を誤魔化しながら生きた方が安全)とも思う−
そんな状態なんですよ。
>>487 だから、その理屈は…
『無明』の消滅による『苦』の消滅。
ここで言う『苦』は『生存を受け入れた上で発生する様々な苦』について言っているでしょう?
私はそうじゃなくて『生存そのものが苦』だと言っているから『道諦は効果が無い』と言っているのですよ。
逆に聞きます。
『八正道を実践した』と言える方には『生それ自体の(誕生し生存している命自体への)苦』が無いと言えるのですか?
>>489 >だから、その理屈は…
修行なしに成り立っている理屈ではないと思いますよ。
>『八正道を実践した』と言える方には『生それ自体の(誕生し生存している命自体への)苦』が無いと言えるのですか?
言えないと思います。
だから修行に終わりはないのだと思います。
>>475 >他者をわかったように決め付けて代弁したり、自己を必要以上に重ね合わせる
>と、その後の関係をボクはとても危惧します。
その心配は無用ですよ。
私は『自分は独り』というのを自覚していますから。
昔貴方に言いましたよね?
『接近する事は出来ても同じ位置に立てる筈が無い』って。
それはカオルさんに対しても言える事です。
>>467の発言は
『スタンスが違うのだから貴方に納得出来ないのは当然なんだよ。その違いは〜〜なんだよ』
と老婆心での忠告だったのです。
少なくとも私の方がカオルさんの『スタンス』に近いからね…
>>490 大事な部分を読み飛ばしてますね?
あえて無視したのかな?
もう一度。
>ここで言う『苦』は『生存を受け入れた上で発生する様々な苦』について言っているでしょう?
>私はそうじゃなくて『生存そのものが苦』だと言っているから『道諦は効果が無い』と言っているのですよ。
>>492 四苦八苦、一切皆苦は『生存そのものが苦』という意味だと思いますが。
あと、横レスで失礼ですが、言葉が気になるので・・・
>>486の『【自我】の礼賛』『【主体】からの離別』の【自我】と【主体】は
それぞれ
>>488の【私】と【自我】(【生存本能】)に相当するのですか?
>>493 だーかーらー(苦笑)
『四苦八苦』で言う『生存そのものが苦』は
−『生存していると苦ばかりが発生する。だから生存そのものは苦なのだ』
対して、私の言っている『生存そのものが苦』は
−『何故誕生せねばならなかったのか?何故死を恐れる本能があるのか?そもそも何故命などという不可解なものがあるのか?』
なの。
『生存前提』の『四苦八苦』と違うって事が分かります?
あと後段ですが。
【自我】と【主体】は異なります。
同様に【自我】と【私】も異なります。
>>494 四苦八苦や一切皆苦は、「生存前提」などではありませんよ。
仏教徒だって普通の人間同様に、自己の存在理由、存在価値に疑問を持ちます。
>【自我】と【主体】は異なります。
「自我」の奥に、更に「主体」を想定するようになったのは何故ですか?
想定する必要がないと思いますが。
>>495 おーい。
>自己の存在理由、存在価値
それが『八正道』で答えが出るってのかい??
第一私の問いは『私の価値』じゃ無いの。
『全生命の価値』なの。
>「自我」の奥に、更に「主体」を想定するようになったのは何故ですか?
>想定する必要がないと思いますが
例を挙げましょう。
『私がいる』と認識した時に…
『【私がいる】と認識したA』と『そのAに【私がいる】と認識されたB』の二つに対象が分化されるのは分かりますか?
>>496 >『【私がいる】と認識したA』と『そのAに【私がいる】と認識されたB』の二つに対象が分化されるのは分かりますか?
分かりますが、Aは「対象」にはならないのでは?
>>497 『全生命の価値』に疑問を持って仏門に入るも多いと思いますよ。
>>497 ??
Aが『対象化されない』とするなら、Bを認識しているのは何さ?
BがBを認識しているとか言わないでね。
それは『林檎の芯が林檎の芯である自分自身を見ている』なんていう荒唐無稽なものになるから。
>>501 「私(B)を認識している私(A)」は決して対象とはならない主体です。
いわゆる「実存」です。
>>500 その人が『仏門に入る理由』はどうでもいいヨ(苦笑)
それよりも
>言えないと思います。
>だから修行に終わりはないのだと思います(
>>490)
と言うのに
>『全生命の価値』に疑問を持って仏門に入るも多いと思いますよ。(
>>497)
と言うのはどういう訳?
>>503 質問の意味がよく分からないが・・・
『全生命の価値』に疑問を持って仏門に入っても
その疑問が修行抜きに解決するわけではない、
また、一度解決したとしても、修行を止めてよいという
ことにはならない、ということですかね・・・
>>502 ああ、過去レス全く読んでないんだね?
私は『決して認識されない認識主体』と言ってたのだけど?
私はその『決して認識されない認識主体』が『自我』の更に奥に在ると言っていたの。
『在る』−一種の『対象化』だね。
貴方の言い分では『自我=実存』になるよ?
>「自我」の奥に、更に「主体」を想定するようになったのは何故ですか?
>想定する必要がないと思いますが。(
>>495)
と言っているんだし。
>>504 ではズバリ聞こう。
何の為に修行を志し、何を目標とするのかな?
>>505 おっしゃる意味が分かりません。
では、何故「認識する私」を対象化できるのですか?
できないはずですが。
>>507 >では、何故「認識する私」を対象化できるのですか?
>できないはずですが。
ならば『認識する私=実存』とやらは一体何処にいるんだい?
>>506 「悟り」と答えたいところですが、そう答えれば揚げ足を取られるのが
見えているので、「何の為」ということには答えられませんね。
修行=悟り、としておきましょう。
>>509 そんな表面的な事じゃないよ。
何の為に悟りを目指して修行するんだい?
>>508 >ならば『認識する私=実存』とやらは一体何処にいるんだい?
揚げ足取りに専念ですか?
対象化できないものの場所を示すことはできませんね。
>>510 「悟りを目指す」という言い方は良くないのだが・・・
あえて言えば、「自己になる」というところですかね。
>>511 まぁ、揚げ足取りと言うなら言えば良いよ。
ただ、何故『他人にも説明出来ないようなもの』を自明としているんだい?
>>512 ふむ、了解。
では、その先は?
『悟って』それからどうしたいんだ?
>>513 見ている目を見ることはできない。
これは自明のことでしょう。
>>514 それから・・・
あえて言えば、「自己であり続ける」というところですかね。
>>515 >見ている目を見ることはできない。
私が過去レスで同じ事を言っていたの分かってる?
読んでないかな。
だがね。
『在る』事には変わりないよ?
それは何処にあるのさ?
>>516 だから、対象化できないものの場所は示せない。
それは対象化できない絶対の主体なんだよ。
>>517 正解を示せとは言っていない。
私達このスレで語っていた者は『それ』が『自我』の更に奥にあって『存在の芯』を成しているという仮定を立てている。
そういうものも示せないのかい?
それに『絶対の主体が在る』と言った時点で『【自我】と【主体】を分ける必要がないと思う』との発言
>「自我」の奥に、更に「主体」を想定するようになったのは何故ですか?
>想定する必要がないと思いますが。(
>>495)
に思い切り矛盾してるんだが??
>>518 「私」には「認識している私」と「認識された私」があって、
前者が絶対の主体なの。
更にその奥に『それ』を想定するのはおかしいと思う。
すでに「認識している私」が対象化できないものであるからね。
>>519 と言う事は『自我=絶対の主体』なわけ?
貴方の説では?
違うというなら『それ』と『自我』の関係性は?
>>520 >と言う事は『自我=絶対の主体』なわけ?
普通「対象化できない私」を「自我」とは言わない。
「実存」あるいは「自己」と言うのが普通だと思う。
それが根源的なものですね。
『それ』はありません。
>519の説 ハルカの説 私の説
ここに3つの説がある
絶対的な答えは存在する?
>>523 その『絶対的主体』と『自我』の関係性。
なぜ全生命にこだわるの
>>525 根源的な『絶対的主体』を「自己」として表層意識的なものを「自我」とすれば
「自己」は根源的存在と一体のものですね。
「自我」は根源的存在から宙に浮いていくもの。
>>527 あのさぁ…
>『それ』が『自我』の更に奥にあって『存在の芯』を成しているという仮定
と何処が違うってのさ?
>>528 【芯】−【我】−【私】の三重構造とは全く違う。
あなたが今『自我』と言っているのはどれ?
>>529 【芯】=『主体』
【我】=『自我』
【私】=『表層意識』
>>530 その図式で言えば、【私】の奥に、【我】(=【芯】)があるということになる。
それにあなたは、【我】をなくしたいと書いているよね。
>>532 だから、何故【我】の奥に更に【芯】を想定するのか、と前に質問したのだが。
>>533 貴方の言葉で言う『自己』だよ。【芯】は。
>>533 『主体』と『自我』は別だってば。
だから『別のもの=認識不能な認識主体』を想定したの。
>>534 そうすると【私】と【我】が理解できない。
どちらが、私の言う「自我」か。
そして残りの一つは、いったい何ものなのか?
>>486 ハルカさん
たぶんね、その主体の捉え方が違うと思うのです。ボクは主体が自律性の萌芽として「我」に並存
して未分化の状態と考えています。生命の種としての「我」が「芯」に取りつく形で生命としての
高度な集束が行われボクに至ると仮定しても、それが預かり知らずに投機された「芯」−「我」の
構図を発見しその脱却を試みようとする自律の萌芽としての「主体」がボクに内在しているのです。
その認識にいたらしめたもの、照合を可能とした記憶、それは「我」のものでありますが、同時に
自律の萌芽を育んだ起点でもあります。ただし未だ明確な境界が無く未分化、混在の状態です。
それは主体じゃないとハルカさんは言うかもしれませんが、なら「主体」という言葉を使わず、自律
の萌芽というだけでもいいです。
ボクの自律の萌芽が正に預かり知らない認識に到達したそのことが、ボクが人形であり且つ人形でない
証です。そしてそれに至らしめた過去からのアプリオリな(ぴかぁ〜さんのソウルのような)集積記憶
とアポステリオリな経験記憶、そこに自律の萌芽の「我」との同時進行の並存をみるのです。人形でも
それ自体が成立した瞬間から人形としての独り歩きを始めるということです。だからボクはどこのも寄
り掛れないけれど、唯一この記憶と自律の萌芽を松明に、境界をこえようと試みられると考えるのです。
あとは
>>473の説明で足りると思います。
ハルカさんの助言は記憶に刻んでいます。とても大切な記憶。それは「我」のものでありながら、自律
の萌芽を促進する大切な起点。
>その【自我】を基点とする『記憶』に拘る事。
それは「我」のものでありながら、「自律の萌芽」を促進させた起点。
>そして【自我】の作用である『個別化』を『【主体】による認識』だと思う事。
「芯」−「我」の個体化構図を脱却する為のその何れにも属さない(が未分化)の「自律の萌芽」
>コレが『【自我】の礼賛』であり『【主体】からの離別』であり『【生】の肯定』だと言うのです。
これは「我」の礼賛ではないし「自律の萌芽」がボクにとっての「主体」だし、「生の肯定」では
なく、「生の逸脱」なのです。
>>536 過去レス読まないで聞いてるでしょ?
【我】=『自我』
【私】=『自我』のサブセット的なもの。
『自我』に限りなく近いが『自我』と同一ではない。
『自我』の支配下にあり『自我』に隷属している。
普段我々が『自我』と勘違いするのはこちらの方。
もう散々言ったんだが?
>>488 >>491 ハルカさん
了解です。ボクだって常に迷いの中にあります。必要なのは常なる自己の再確認です。
>>538 何故そんな【私】なるものを想定するの?
一般にはそんなものは想定しないと思うが。
【我】自体が表層意識なのだから。
>>540 …もう説明するの疲れた。
今まで出ている事ばかりなんだもの。
悪いが過去レス読んで。
>>541 表層意識そのものを二つに分ける必然性は考えられないのだがね。
【妄想】 非合理で事実に合わない内容なのだが
主観的には確実性をもち訂正不可能な
信念主に病的原因から生じ個人的なも
のが多い
>>541 逃げているのでなければ、レス番号を示してくれ。
>>544 示したくても示せない。
このスレ以前からの議論の結果だし。
逃げたと取っても結構。
>>545 議論の結果到達したことを、自分で簡潔に纏められないの?
他人をも巻きこまず自分自身で解決は無理でしょうか
共に考えた方が手っ取り早いという意図なのか
>>546 『スレ番示せ』と言うから『示せない』と言ったんだろうが!
なのに、何言ってんの?
貴方馬鹿かい?
それが後世真であるならばあなたが正しい
>>549 レス番号を示せないなら、簡潔に纏めて欲しいと思ったのだが・・
その言い方はちょっと。
まるで子供の喧嘩ですね
不愉快な議論の終わり方のお手本のようになってしまったな。
>>551 ならそう言いなさいな。
私だって同じ事の繰り返しでイラついているんだからね。
いったん敵とみなした相手に私たちはいくらでも非常になれる
なにしろ理はこちらにあり非はあくまであちらにあるのだから
同じ事の繰り返しならば繰り返さない方法もあるであろう
>>555 理非を明らかにすることそのものが議論というものだよ。
それと「非情」とは関係ない。
>>556 どういう方法だね。
しかし哲学の歴史は同じことの繰り返しみたいなものだよ。
その発言が、どのような文脈でなされたのかが重要な意味を持つんだよ。
>>481 カオルさん
毎度お手数かけます。。。(謝)
スレが高速進行しているようですので、
整理の為に該当レス周辺を挙げておきます。 (
>>465-477)辺りです。
おはようございます。出かける時間なので単発レスで失礼!
【芯】=『主体』・・・・・・・『存在』(=『無』)
【我】=『自我』・・・・・・・『個体化の原理』・・・・・(a)
【私】=『表層意識』・・・『自我』
一般の哲学的解釈に近づけるなら右端になる。
(a) たとえば、一般に生命の「個体化の原理」として「秩序化や自己組織化」が
挙げられる。しかし「秩序化や自己組織化」が結晶や星の生成にも見られる以上、
それだけでは、無機体と有機体(生命)との壁は越えられない。
つまり、そこには何らかの「作用」が+αとして働いていると考えられる。
それが、ハルカのいう「生命種」(ウルクラフト「原力」みたいなもの)。
この「生命種」をも含めた「個体化の原理」が【我】。
そして「個体化の原理」に従う形式で現象する、いわゆる表層意識が【私】。
※ (a)は「個体化の原理」を狭い意味で使っています。
もともとはSHのいう「個体化の原理」をも含める。(一部を除いて)
ハルカとの議論は今のところここら辺まで。(まだ細かいところは詰めてない)
>>558 Sさん了解です。
>>559 なんか違うみたい。
今日のハルカさんは【芯】=「実存」で
【我】&【私】=表層意識と考えていたようだ。
しかし、気持ち悪いから今過去ログをざっと見てみたが、
やはり【我】は深層意識のように読めてしまう。
ハルカさん自身も整理できていないんじゃないかな。
【芯】=「実存」とすると、【我】と【私】を区別する根拠はなくなるし、
過去ログにもその根拠は書かれていないと思った。
561 :
◆1SluY64TBk :03/08/01 08:30
「法律を守りつつ、できる限り快楽を味わうこと」がその人にとって最もいい生き方
ではないかと思いました。
562 :
◆1SluY64TBk :03/08/01 08:36
宗教の修行は、はたから見れば苦しくつらいことのように見えますけど、
修行をしている人にとっては快楽でしょう。
嫌なことはイヤ
>>559-560 少し落ち着いた(朝の件でイラついてた)ので書く。
カオルさんの書いた文をベースに。
そうすれば、よりハッキリすると思う。
【芯】=『認識不能認識主体』 : 『存在』『実存』『ただの在る』『それ』(=『無』)
【我】=『自我意識』 : 『深層意識』及び『表層意識の一部』、並びに『個体化原理』及び『生命種』
【私】=『表層意識』 : 『精神活動』『通常認識される【私】』
>>560の方の言う通り
『表層意識』=【我】と【私】の合成物
として捉えている。
(但し【我】はホンの一部を占めるのみ。大部分が【私】。言ってみれば【私】を【我】が侵食している状態)
では『表層意識』で【我】の何が侵食しているのか?
それは『生命種の萌芽』と言える。
もっと分かり易く言えば『生存本能』の事だ。
図式化すると…
表層 【私】【生命種の萌芽】
深層 【 我 】
【我】に『生命種』とも呼べるような『物質を生命に変える【何か】』があるのは上記の通り。
その【何か】を『種』とすると、『生命体』として存在を始めた瞬間から『種』は萌芽を始める。
そして『生命体』の成長と共に【私】を侵食する。
【種】の成長に必要な栄養とは『個別化作用』そのもの。
『個別化』が強まるほどに『種』はその『芽』を伸ばしていく。
逆に『個別化』が弱い個体ほど『芽』は伸びない(=【私】を侵食しない)
それらの個体は通常よりも『生死』に囚われなくなっていく。
(所詮は頻度問題で『死への忌避本能』が在る事に変わりは無いのだが)
565 :
考える名無しさん:03/08/01 14:49
段々ぴかぁ〜の思想に近づいて来たような気がする。
159 :考える名無しさん :03/08/01 15:00
ハルカスレ
【芯】=『認識不能認識主体』 : 『存在』『実存』『ただの在る』『それ』(=『無』)
【我】=『自我意識』 : 『深層意識』及び『表層意識の一部』、並びに『個体化原理』及び『生命種』
【私】=『表層意識』 : 『精神活動』『通常認識される【私】』
ぴかぁ〜スレ
第一階層 エントロピーの増大・・・・時間(正確には状態変化)
第二階層 自己組織化 (エントロピーの減少)・・・・物質構造
第三階層 進化・・・生命 (遺伝子)
第四階層 進歩・・・文化 (宗教、倫理学、哲学、科学...)
第5階層 経験・・・意識
>>486 ハルカさん
>私は貴方に何度言った事でしょう?
>貴方が『ボク』として原点にしようと考える『記憶』は『個別化の一作用だよ』と。
>『主体』は『自我による認識=個別化を主体によるものと錯覚しているんだよ』と。
>『その【自我】に拘れば拘るほど【主体】から離れていくだけだよ』と。
もう一度考えてみました。
>>530でハルカさんが明確にしているように、主体としている
対象がボクとハルカさんでは異なります。(
>>537参照) けれどハルカさんとカオルさん
で確認した「芯」−「我」の構図を否定するものではなく、それを了とした上での逆立ち
した観点によるものなのです。何故そうするのか、「芯」−「我」の構図そのものからの
脱却を企図しているからです。だから、「芯」への帰入を目指し「私」を残して「我」を
消そうとする企図とは方法が異なるのです。また、ボクが
>>537で書いた「自律の萌芽」は
「私」とは似て非なるものに見えます。
>逆に私の方が貴方に聞きたいです。
>私が『かつて歩いた道』を貴方が歩こうとしているから…
>だから『それは罠だよ。囚われると一歩も動けない事になるよ』と『注意を促している』
>のが無駄なのでしょうか?
ハルカさんがかつて歩いた道がボクの示したような目的と方法のものであったのか、それとも
「芯」への帰入を目指したものだったのか。それがポイントです。でも、例え齟齬があったと
しても、貴方の生きた助言は確実にボクを導き決して無駄とはなっていません。そし戒めとし
てもボクの記憶に焼き付いています。また、ボクの企図が全く絶望に終わったとき、貴方の記
憶がきっとボクを導いてくれるでしょう。
ボクもカオルさんの提示に便乗しますと、
【芯】=本来の物自体
【我】=自我<−−並存−−>【自律の萌芽】=主体(の萌芽?)
>>473 >>537 >>567 からの一連の説明で(是非はともかく)ボクの考えは
示せたでしょうか?どうでしょ? >>ハルカさん、カオルさん
569 :
考える名無しさん:03/08/01 21:07
>>465 Sさん(1)
>〜存在と実在のありようが大体把握できました。
>〜これを引きうけ、その生の一瞬一瞬を全力で走り抜ける〜
えーと、基本的には、
>>446も解釈の提示というスタンスです。
わたしの方の解釈の提示が限定されちゃうのでヨロシクです。
>>211 >それは諦観ではなく、わたしの哲学する℃p勢ですと締めくくりました。
真理の探究≠ヘ、わたしの最後の生き続けることの動因です。
>そして過去のレスで、ボクの生き方は理論化できないと結論づけています。
うん。でもなぜそうなのか、は検証していくつもりです。
わたしの理解度が向上すれば、道が開けるかもしれません。
>前提となる存在−実在のありようを受け入れ「ざる」を得ない。
>この点にあります。
わたしが、すでに「そのように」生きていることを心底から自覚するなら、
その自覚そのものが、その「ありよう」を引き受けるという態度につながるのです。
>それを承知でボクが叫んでいるのは、カオルさんはわかっているのでしょ?
ええ、内容はわからないけど(笑)、Sさんの心情は伝わってきます。
>>465 Sさん(2)
>カオルさんが全力で走ると言った決意も、
>諦観に裏付けられた出来レースにしかみえないのです。
「全力」でないと「真剣」でないとあっという間に奈落の底なのです。
もっと生きたいとか、狂いたくないとかではなくて、わたしの意思が
そのようにしか働かないのです。どうしようもないのです。
もはやわたしの意思なのか、誰の意思なのかも明確ではないのです。
>以前には回転ケージで主体を空回りさせているだけなのでは?と表現しました。
>的外れでしょうか。
そうかもしれませんね。主体は回転軸になるのでしょうか。
回転軸がないなら空回りもできませんから。
>カオルさんはどうしてこうも納得し引き受けられるのでしょう。
>もう少し詳しく教えて頂けないでしょうか。
もう書きましたが、そのようにしかやれないだけですから、
納得ではなくて、どうしようもないのです。
それから、わたしの哲学的解釈をそのままわたしのことのように思われる
のは心苦しいです。先達の偉大な哲人たちの言を借りているところもあるし、
あんまりストレートにとらないでほしいです。
>>211
>>465 Sさん(3)
>ボクならね、そんな預かり知らない原理に支配されるぐらいなら、
>笑んで抵抗して限界にぶち当たって果てますよ。
>それが結局は箱庭で踊らされているに尽きたとしてもね。
素直に答えるなら、ハルカが代弁してくれた
>>467のまんまです。
でも、Sさんのその嫌悪感はいつもダイレクトに伝わってきます。
SHスレの頃からの一貫した「意志」なるものへの抵抗姿勢には、
共感していますし、何らかの理由があると思うし、言語化したい。
ただ・・・・・(笑)
それから、Sさんがいうように、
>『今現在の【生】よりも、その【訳の分からないモノ】の方が良い』
この部分は、肯定も否定もしてないです。
>>135 というか、できないのです。
>>131の最後の二行で推測してほしいです。
あとハルカとわたしへのSさんのやさしい心遣いに感謝します。
>>475 (虚像の刃、失望の刃を向けてるのはわたしの方ですw)
>>473 Sさん(4)
>ボクはどこにも寄り掛れないけど、
>ボクの自律の原点としてボクの記憶、
矛盾してませんか?
自己は過去に原点を求めざるを得ないのです。
あなたの自律の原点としての記憶がそれです。
また人間のようにカテゴリー化された記憶は、
言語を手にした者だけに可能なことなのです。
言語はあなたのものですか?
言語なしに「わたし」という概念は成立しますか?
>ボクの主体を松明にして
あなたのいう主体が「認識する者」なら、
「認識する者」が主体になり得る根拠はなに?
>境界を超えようと試みるのです。
どことどこの境界ですか?
その境界はあなたに見えるのですか?
>唯一ボクの起点に活用し得るから。
あなたの原点、あなたの起点。
あなたはあなたであることをどうやって知ったのですか?
あなたはあなたひとりで存在できますか?
あなたという原点は存在するのですか?
>>473 Sさん(5)
>生の肯定とはならないのです。
あなたの「生の肯定」の定義を教えて下さい。
>自己をもって自己にふるいを掛け、
具体的にはどのようなことでしょうか?
また、あなたの思う「自己の構造」を教えてください。
>境界を超えたあとに残るものがあるとすれば、
>それが真に無制約的、自律的な状態。
>そして残るものがないとすれば、それが真に絶対的な無。
この推論は、どのような仮定から導かれたのですか?
あるいは、どのような論理によって導かれたのですか?
>いずれにしてもボクの自己や箱庭における苦も、
>ハルカさんの個体化における苦も解消できると考えていたのです。
自己の苦、箱庭における苦、個体化における苦のちがいを教えてください。
>このスレでは「生の逸脱」と独自の表現を使いました。
「生の逸脱」を定義してください。
イジワルでごめんなさい。でもここから始めないと・・・・・ね。
(質問してるわたしが大変だから一つずつでいいですw)
>>477 Sさん(6)
>ボクはエゴイズムに救われたという思いに至ったことはないことです。
>>192を良く読んでもらうと分かると思うのですが、
エゴイズムに救われたのではなくて、エゴイズムに基づく愛に救われた、
つまり、道徳を体現して生きている人に現実に救われたといってるだけです。
だから、わたしは道徳を大切にしようと訴えるのです。カオルの恩返しです。(笑)
>そんな自分を発見すると、無性に嫌悪するのです。
>そして、エゴイズムにまみれた(個体化だから当然ですが)世界のありようをもね。
わたしが救われたのは、あまりにも期待しなかったお陰かもしれないな。(笑)
>>564 やはり、何故三重構造にするのか、および何故自己流の用語を作るのかが理解できなかった。
ここで特に不明瞭なのは、【芯】と【我】が何故区別されているのかという点。
【我】が『深層意識』および『生命種』と書かれていることから、それは「阿頼耶識」を連想させる。
でも、あらゆる存在を「種子」の状態として貯蔵する阿頼耶識〔種子識〕は、自己の根源体なのだから、
【我】ではなく【芯】なのではないの?
また、【我】に『生存本能』が属するというのもおかしい気がする。
生存本能は【芯】にあるのではないの?
そうでないと【芯】は生存本能を含まない「生存」ということになるのではないか。
あるいは【芯】は「生存」ではないものなのか?
だがそうだとすると【芯】=『認識不能認識主体』、『実存』とするのはおかしいようだ。
自己意識によって人間が二重構造を持つことは一般に知られているが、
それを敢えて三重構造であると主張するには、従来の哲学と自説とを比較しつつ説明すべき。
何故二重構造ではだめなのか。
そうしないと、他者には理解不能なものとなってしまうよ。
>>577 「生命種」を【芯】に組み入れてしまうと【芯】が実体化されてしまうし、
「生命種」の創造者は?、となって無限遡及してしまう。
だから「生命種」は、あくまで【実在】の位置付け(
>>197)で良いと思う。
>>578 「生命種」とはどのような意味で使っているのですか?
何故実体化されてしまうのかが分かりませんが・・・
>>579 【我】に『生命種』とも呼べるような『物質を生命に変える【何か】』があるのは上記の通り。
その【何か】を『種』とすると、『生命体』として存在を始めた瞬間から『種』は萌芽を始める。
そして『生命体』の成長と共に【私】を侵食する。
【種】の成長に必要な栄養とは『個別化作用』そのもの。
『個別化』が強まるほどに『種』はその『芽』を伸ばしていく。
逆に『個別化』が弱い個体ほど『芽』は伸びない(=【私】を侵食しない)
それらの個体は通常よりも『生死』に囚われなくなっていく。
(所詮は頻度問題で『死への忌避本能』が在る事に変わりは無いのだが)
(以上
>>564より)
カオルさんがいらっしゃるようなのでとりあえず少しだけレス。
>>372 >そうかもしれませんね。主体は回転軸になるのでしょうか。
>回転軸がないなら空回りもできませんから。
軸は自己を規定した何者かでしょう。それが何者かは問題ではありませんし解りませんが、
それが自己自身の預かり知らない規定であることは、その認識に至ったものなら自明です。
だからこその空回りなのです。
>>580 その『生命種』が何故【芯】にあるとは考えないのですか?
>>582 「生命種」が科学的に検証できるような実体ではないとしても
>>559のようなある特定の意味を持ってしまっているわけだから
絶対概念である【芯】には組み込めないのですよ。
あと【我】と【私】は、「すべての生命体」と「人間」の境界かな。
>>583 何故認識主体が「絶対概念」なのか、ご説明ください。
また、「生命種」というのは、もともと無意識の領域にあるもののようなので
【芯】=『認識不能認識主体』に組み込むのが自然だと思いますが。
>>574 カオルさん
>ボクはどこにも寄り掛れないけど、
>ボクの自律の原点としてボクの記憶、
矛盾してませんか?
ボクはどこにも寄り掛れないのは寄り掛っている言語と記憶によるもの。
だからその認識にいたること自体が矛盾しているとは思うのです。
ボクも自家撞着だと何度か表現してきました。
ボクは裸なのです。突破する確たる武器はなにもありません。
けれど少なくともその認識が起点とはなると思うのです。
>>585 >何故認識主体が「絶対概念」なのか、ご説明ください。
スレをよく読めば分かる質問というか、
哲学ではかなりオーソドックスな解釈だと・・・一応
>>448 >また、「生命種」というのは、もともと無意識の領域にあるもののようなので
>【芯】=『認識不能認識主体』に組み込むのが自然だと思いますが。
これは、ハルカに聞かないとわからないな。その辺は、まだ議論してないから。
というか、わたしは仏教あるいは心理学でいう無意識とか持ち込まないからね。
一応、わたしはハルカの論を哲学的モデルで重ね描きしてどこまで哲学的な
整合性が保てるかの確認をしているつもりです。(持論も含みつつ)
だから、哲学的立場での結論は既にいった通りです。ごめんね。
>>587 一応、【芯】=【存在】=【無】という仮定で話が進んでますので、
>>448(【存在】の定義)を提示しました。あとはスレ読んでください。
>>587 カオルさんは【芯】=神と考えているのでしょう?
それなら、ハルカさんと違って、
【芯】=『認識不能認識主体』、『実存』の奥にもう一つ階層を
作らなければだめなんです。
実存=神ではないのだから。
ヤスパースの「包括者」みたいにね。
>>586 わたしのいいたいのは、「ボク」をもっと突き詰めるべきなのでは、ということ。
自家撞着という認識で簡単に片づけていませんか?
>>587 あと、「実存」と「存在」とは全然別ですよ。
たとえばハイデガーの「現存在」は「存在」が現状する場のようなものですね。
>>589 >カオルさんは【芯】=神と考えているのでしょう?
えっ!、いつわたしが・・・思ってませんよ。(笑)
>>591 わたしは、【芯】=【実存】とは思ってませんよ。
まだ、ハルカとはその辺は議論してないのです。
>>593 いや、「存在」を「絶対概念」と考えるなら、
それを「認識主体」「実存」と同一視はできないということです。
>>594 そこ〔一番大事なところ〕を曖昧にして議論を進めているのが、第三者から見て
とても不可思議でもあり、気持ち悪いので、その辺をはっきりさせるために
昨日から書き込んでるんですよ。
>>590 カオルさん
ボクの問いを端的にいえば、
自らに預かり知らぬ不条理を発見するに至った認識が、認識主体を超えることができるか、
という矛盾なのです。
カオルさん、フォローサンクス。
>>585 >また、「生命種」というのは、もともと無意識の領域にあるもののようなので
>【芯】=『認識不能認識主体』に組み込むのが自然だと思いますが。
んー…何と言えば良いのか(苦笑)
ええと、過去レスにも書いたと思いますが。
【芯】自体は『それが無くては生命が成り立たないもの』という位置付けでは無いのですよ。
もっと底のレベルで…
『それが無くては存在の相互関係が成り立たないもの』なんですよ。
過去に『【芯】と【我】は対極関係』としました(根拠は
>>156参照)
で、あるならば【我】の性質として『個体化原理が働く』事実から…
対極の【芯】には『個体化原理が働かない』と仮定出来ます。
宗教で言う所の『全一』『自他の区別が無い』『『自然との一体化』でしょうか?
この論で言う【芯】は、あくまで『他者識別の為』つまり『個体化原理の為』に【我】に利用されるでしかないものです。
ですから【生命種】は【我】の方に含まれる事になる訳です。
>>595 あなたの言いたいこと分かりました。
「認識主体」の「認識」には限定がありますね。
また、「認識」をはずしても「主体」の位置付けは様々ですね。
今は一応、
>>156の論を基本に考えてます。
>>596 了解です。できるだけ詰めていきたいと思います。
159 :考える名無しさん :03/08/01 15:00
ハルカスレ
【芯】=『認識不能認識主体』 : 『存在』『実存』『ただの在る』『それ』(=『無』)
【我】=『自我意識』 : 『深層意識』及び『表層意識の一部』、並びに『個体化原理』及び『生命種』
【私】=『表層意識』 : 『精神活動』『通常認識される【私】』
ぴかぁ〜スレ
第一階層 エントロピーの増大・・・・時間(正確には状態変化)
第二階層 自己組織化 (エントロピーの減少)・・・・物質構造
第三階層 進化・・・生命 (遺伝子)
第四階層 進歩・・・文化 (宗教、倫理学、哲学、科学...)
第5階層 経験・・・意識
>>597 Sさんの「主体」の位置付けは、「わたし」という「意識」でしょ?
たとえば、「わたしは○○する」の「わたし」とは一体何?
そんな「わたし」なんていないのでは・・・とかいう議論もありますよ。
色んな視点がありますよ、ということなんです。
>>598 また混乱してきましたが・・・
何故「【我】の性質として『個体化原理が働く』事実」と、それが事実であると
言えるのか。
これでは、個体化原理が何故【芯】にあるのではないのかの説明にはならないと思います。
あと、『自他の区別が無い』『自然との一体化』というのは、
【芯】と【我】が一体となった状態のことですよね。違う認識ですか?
>>602 カオルさん
>そんな「わたし」なんていない
そうでしょうね。だからこそ認識主体なるものが想定されると思うのです。
でも、それならどこに自己の束縛を超える鍵が見出せるのでしょうか。
>>603 仮に『個体化原理』が【芯】にあるとすれば…
『人間は決して個体化原理から解放されない存在』になってしまいますが?
そうすると『歴代の覚者が言った全一とは嘘か?』となりますよ?
>>604 >それならどこに自己の束縛を超える鍵が見出せるのでしょうか。
「自己の構造」、たとえばSHの論でも何でもいいんですけど、
Sさんのモデルが不明確なんです。
だから「束縛を超える」といわれても批判することもできないのです。
認識主体が、たとえそれが「認識不能」であるとしても、「認識主体」である限り、
そこに「個体化の原理」が全く働いていないとは考えにくいのです。
>>605 生きている限り、エゴイズムから完全に解放されることはできませんよ。
>>607 は??
『エゴイズム』と『個体化原理』は全然違いますよ??
>>606 基本的にカオルさんとハルカさんが詰めてきたものでいいです。
ボクはSHから影響されていますが。
【芯】=本来の物自体
【我】=自我<−−並存−−>【自律の萌芽】=主体(の萌芽?)
>>608 では、
>『人間は決して個体化原理から解放されない存在』になってしまいますが?
>そうすると『歴代の覚者が言った全一とは嘘か?』となりますよ?
これがどういう質問なのか説明してください。
>>609 >基本的にカオルさんとハルカさんが詰めてきたものでいいです。
といわれても、
>【芯】=本来の物自体
>【我】=自我<−−並存−−>【自律の萌芽】=主体(の萌芽?)
これの意味がわかりません。
だって【我】には「わたし」はいないもの。
【私】=【自律の萌芽】なの?
私が「エゴイズム」と書いたのは、あなたが個体化の原理と全一論を絡めて
質問したからですよ。
「一即一切」という意味での全一論は、個体化の原理とは矛盾しませんから。
>>611 カオルさん
それじゃハルカさんのように「我」の括りを「我」と「私」に分割していいです。
【我】=『自我意識』:『深層意識』及び『表層意識の一部』、並びに『個体化原理』及び『生命種』
【私】=『表層意識』:『精神活動』『通常認識される【私】』
<−並存−>【自律の萌芽】=主体(の萌芽?)
>>613 OKです。
では、次です。
>それならどこに自己の束縛を超える鍵が見出せるのでしょうか。
の、自己=言語の獲得によって生まれた意識=精神(知情意)でいいですか?
ハルカさんは・・・?
>>610 【芯】を『実存』であり『個体化の対極にあるもの』とすると、ですよ?
私が言う【我】を滅却し、【芯】と【私】を合一化させる=『悟り』と解釈出来るのですよ。
それこそ『自然との一体化』『目に観えるモノは全て私』なわけです。
もしも(貴方の言うように)【芯】と【我】の二重構造として、更に【芯】が『個体化原理』を有す…
とすると、【我】が無かった(【芯】のみになった)としても『個体化原理は働く』わけですよね?
常に『個体化原理が働く』のはイコールとして『分別や価値判断から離れない』という事では無いの?
常に『善/悪』『好/嫌』『味方/敵』などのね。
>>615 >それならどこに自己の束縛を超える鍵が見出せるのでしょうか。
わたしなら、まず精神の有無で何が起きるのかを想像します。
たとえば、「苦」について。束縛も苦ですよね?
はい。
「自然との一体化」と言っても、有余依涅槃である限り、それは
不完全なものですよ。
常に『個体化原理が働き』、『分別や価値判断から離れない』から
つねに修行が必要なわけです。
あと、滅却されるのは深層意識ではなく、表層意識だと思います。
>>617 とりあえず、『実存』の使用は避けた方が良くない?
他にいっぱいあるし・・・(笑)
>>623 ? カオルさんの批判の為の展開ではなかったのですか?
眠くなければ(支障がなければ)お願いします。
>>620 んじゃチョットお聞きしますが。
生涯修行を続けたとして何になるわけ?
>>620 一言も『完全な一体化に至る』とは言っていない訳ですが…
私の論の『【我】と【私】の合一化=悟り』でも『不完全な一体化』ですよ?
【我】が滅却されても【私】は残るんですから。
(【私】は【我】のサブセットとは言いましたね?)
>>625 話をそらさないでくれ。
昨日も同じようなことを言っていたが・・・
修行は「〜のため」にするものではない。
敢えて言えば、自己であり続けるということ。
>>624 わたしのつたない思考回路を示しただけです。
ここから先はわたしやハルカと同じでは・・・「苦」の根源を探ります。
たとえば、Sさんは精神がなくてもそこに「苦」を見出しますか?
あるいは、生きていて「苦」のない状態が想像できますか?
>>626 今問題になっているのは、個体化の原理が何故【芯】にあると考えないのか、
ということですよ。
>>628 カオルさん
ボクが感じる苦はあてがわれた枠組みそのものの強制に対してです。
精神がなければ発見できなかったでしょうし、
精神があるからこそ苦も継続されると思います。
現状のような生の形態にあって苦のない状態は想像できません。
>>627 おいおい。
そうやって飾らないでおくれ。
元々『修行を始めた』のは、何らかの『報酬を期待』してだった筈だよ。
『貴方が期待した報酬は何か?』と聞いてるの。
その『期待した報酬』が『修行の開始前に目指したゴール』だったよね?
もっと言えば『期待した直接的報酬に伴う副次的報酬』にさえも目を向けない気かい?
例えば
『修行によって悟って(直接報酬)衆生を助け(副次報酬)たい』
『悟って(直接報酬)楽になり(副次報酬)たい』
など。
>>626 >>607の
>認識主体が、たとえそれが「認識不能」であるとしても、「認識主体」である限り、
>そこに「個体化の原理」が全く働いていないとは考えにくいのです。
についてはどう考えますか?
>>632 待って。
その前に貴方が『悟り』とか『合一』とか『覚醒』とか言われるものをどう捉えているか表明して。
じゃないと進めない。
>>631 『報酬を期待』すること自体が修行の妨げになる煩悩であることは
かなり一般的に知られていることなので、あまり意味のある質問ではないですね。
>>633 今までできるだけあなたの言葉遣いに合わせてきたんだから、
あなたの言葉で説明してくれていいですよ。
>>634 それは『修行中』の話でしょ?
私が言っているのは『修行を始めようと思い立った理由』だよ。
>>630 >ボクが感じる苦はあてがわれた枠組みそのものの強制に対してです。
↑の鍵が↓ではないかと思います。
>精神がなければ発見できなかったでしょうし、
>>635 つかえて説明で出来ないっての。
大体の『一致点』とか『相違点』が分からないと。
>>636 思い立った理由は何でもいいと思いますが。
>>638 「悟り」の中心は、「空」「縁起」に気づくことだと思いますよ。
>>637 カオルさん
? 現下の精神がすでに自律を内包している証であると?
又は認識の仕方に過ぎないと?
>>639 良くないって。
『動因』によっては貴方が言っている事が『単なる批判の為の批判か否か』が分かるんだし。
第一『動因』は『生涯修行を続ける動機』になるよ?
もう一つ。
>『報酬を期待』すること自体が修行の妨げになる煩悩であること(
>>634)
と言っておいて
>常に『個体化原理が働き』、『分別や価値判断から離れない』から
>つねに修行が必要なわけです。(
>>620)
は何さ?
『分別や価値判断から離れられる』という『報酬』を求めていないと言う気?
>>640 『仏教用語』でごまかすんじゃなく、哲学板らしく哲学っぽく言って。
>>641 >?
Sさんはどう考えてるのかな、考えて欲しいな、という意味です。
>>642 凡夫が修行を始める前の動機は、修行に入れば変わる〔あるいはなくなる〕はずだから
重要じゃないですよ。
初志貫徹で、それがずっと変わらなければ、修行していると言えないし。
あと修行=悟り、と昨日も書きましたよ。
なにかを当てにしての修行ではだめなんです。
>>643 一切は「関係」に依って在るということ。
>>644 カオルさん
ボクは精神がなければ発見できなかったけれど、その精神も枠組みに規定されている
ことも自覚するのです。なぜなら思うこと意外の何物の可能性もないし、外界の情報
に触発されなければ、何も生み出せないだろうと思うからです。
これが現下の精神に自律の萌芽の側面と枠組みに組み込まれた側面をみる根拠です。
また、認識の転換で枠組みが変わるものではないのですから、生を規定する枠組みを
脱却しないかぎり、苦は継続されるものです。麻痺させることは可能ですが。
>>645 何かの間違いと思ったが…
修行=悟り?本気??
だったら『こんな所で話してないで修行に邁進して下さい』としか言えないよ。
本当に。
貴方の言い分をそのまま信じるなら『一生涯、修行さえ続けてていれば即悟り』なわけでしょう?
だったら何も悩んだりする事ないよね。
修行に打ち込めば良いだけなんだから。
煽りじゃなくて本気で『修行に邁進して下さい』としか言う事ないです。
>>647 うーん。わたしとしてはやっぱり今日した質問からでないと、
と思ってしまいます。Sさんはの思考は飛躍し過ぎてると思うから。
言ってることの是非ではなくて飛躍のために見落としていることが、
あると思います。いや、Sさんの論が理解できないので・・・・m(__)m
>>649 またですか・・・
後味が悪いので、冷静な対応をお願いします。
>>651 いやいや本気で。
話の接点が無いんですもの。
『修行=悟り』で…
『何の期待も持たず報酬も求めず一生涯修行を継続する事が必要』…
そう言っている時点で貴方から打ち切ったのと同じですよ?
だからこそ『はぁ、頑張って下さい』としか言えないのですよ。
>>カオルさん
では時間をください。少し考えないと回答ができないので。
一旦ここで落ちます。
今日は長時間ありがとうございました。
ボクからはいつもながら返せるものがないのが心苦しいです。m(__)m
修証一如〔修証一等、修証不二〕は、かなり一般に知られていると思いますが・・
それはともかく、修行の話は横道にそれた話です。
中心問題は
>>632のところですよ。
>>653 こちらこそありがとうございました。お役に立てなくて・・・・(^_^;)
>>654 全然脇道じゃないし、それどころか本道だよ。
でも…そう言うならいいや。
これ以上やると不毛な論争となりそうだしね。
で。
【芯】も『個体化原理』と無関係とは思えないって?
私は全くの無関係だと思います。
根拠は
>>156参照の事。
>>657 どこが根拠になっているのか分かりませんでした。
>>156で『個体化の原理』について述べられていましたか?
(追伸)
このレスからトリップ入れます。それではおやすみなさい。
>>658 【芯】=【無】とした過程から分からない?
【無】が『個体化である』と言うの?
本当に読んでる?
>>660 つまり、【芯】=『認識不能認識主体』は「一なるもの」ということですか?
そうだとすると、昨日の【芯】=『実存』説は誤りで、
正しくは、【芯】=『神』ということでしょうか?
>>661 何故『神』?
どういう意味で『神』という語を使ってるの?
>>662 「一なるもの」が『認識主体』であるとすれば、それは「神」のようなもの
としか思えないのですが、違うのですか?
>>663 『神』ってのはドッチ?
『人間的な意志的存在』なの?
それとも『物理法則のようなもの』なの?
>>664 あなたが、「我々の深奥に在る『認識不能な認識主体』」と書き、それが「一なるもの」である
と言うのだから、絶対化された「認識主体」=「神」だと思いますよ。
法則が認識主体であるというのは、ぴんときませんね。
>>665 だから〜〜(苦笑)
その『神』ってのは『人格神のような意志的存在』として使ってるの?
>>666 いや。私はそのような存在を想定する立場に立っていないから、
それは私が聞きたいことですよ。
>>667 じゃあ貴方の言った『神』って何?
『全能存在』をイメージしているの?
それとも??
『神』って『抽象概念』だからね。
どういう意味で言ってるのか指定してくれないと。
>>668 「我々の深奥に在る『認識不能な認識主体』」であり「一なるもの」。
この二つの定義で十分だと思いますよ。
それは認識する絶対者、つまり、一般には「神」としか考えられませんよね。
違うと考えるなら「神」と違う点を書いてください。
>>669 いや、だから。
貴方がどういう意味で『神』という語を使っているのか聞いているんだってばさ。
『神』=『絶対者』でいいの?
>>670 >『神』=『絶対者』でいいの?
いや、だから。
「認識する絶対者」。
>>671 >「認識する絶対者」。
了解。
確認するけど『認識する絶対者』なのね?『認識の基盤となる絶対存在』でなく。
>>672 「つねに認識しつつある者」ですね。
我々すべての人の根底にある「一なる認識者」。
>>673 では、その『認識者』は『意思的存在』なの?
何らかの『意志を有す人格に近いもの』?
>>674 その絶対者の「認識」は、人間の認識の根底にある「認識」なのだから
人間の認識と同じ性質を持つ意思的、人格的なものと考えるのが普通でしょうね。
>>675 分かった、そこが違うんだ。
貴方は『人間は【芯】の行なった認識を見ている立場』なんだね?
私は『人間=【我】は【芯(無)】に対照させる事により−【芯】を利用する事により外界を認識している』という立場だから。
やっと分かった。
ココだったか。
>>676 「【芯】を利用する」とはどういうことですか?
「『絶対者』を利用する」というのは語義矛盾ですよ。
>>677 私は【芯】=『絶対者』という認識じゃないから。
【芯】=『無(有に対する存在としての無)』という立場だし。
『有』である【我】が『外界の有』を認識する為に『無』である【芯】と対照している、と。
>>678 >私は【芯】=『絶対者』という認識じゃないから。
なら、もっと早く言ってよ。一時間もその前提で話してるんだから・・・
では、【芯】=「認識者」もやめますか?
>『有』である【我】が『外界の有』を認識する為に『無』である【芯】と対照している、と。
「対照」=「利用」なわけですか。
「対照」=「利用」の意味がよく分からないので説明してもらえますか?
>>679 >>私は【芯】=『絶対者』という認識じゃないから。
>なら、もっと早く言ってよ。一時間もその前提で話してるんだから・・・
過去に何度も言ってるんだがね(苦笑)
【芯】=『無』って。
>「対照」=「利用」の意味がよく分からないので説明してもらえますか?
それこそ
>>156読んでよ。
そこに書いてある。
>>680 >過去に何度も言ってるんだがね(苦笑)【芯】=『無』って。
『無』が絶対者でないとは全く言えませんよ。
じっさい、ハイデガーの「無」は「神」のようなものだからね。
あと、
>>672で「了解」して無駄に話を引っ張ったことはよくないね。
あと、
>>156のどれが「対照」=「利用」を意味する語なのかわからないよ。
>では、【芯】=「認識者」もやめますか?
については、どうですか?
でも、「認識する一なるもの」が「絶対者」でないとはどういうわけなの?
>>681 >あと、
>>672で「了解」して無駄に話を引っ張ったことはよくないね。
って…
細部まで確認しなかったら食い違いに気付かないままだったでしょ?
無駄ではないよ。
貴方が気に入らなかろうが、ね。
>あと、
>>156のどれが「対照」=「利用」を意味する語なのかわからないよ。
って、コレも…(汗)
いい?
>Aという者(主体=無)が外界(有)を認識する。
ここ。
『有』である【我】が同じく『有』である『外界』を認識する。
その為には『情報=有』と認識されている現状から帰納すると、『有』の対極である『無』が必要となる。
ここで『無』である【芯】を『外界の有』と対照させる事で『有』を際立たせ認識している。
このように【我】=『有』は【芯】=『無』を一方的に使用している。
自分が『外界』を認識する為に。
この『一方的使用』を『利用』と言っているわけ。
分かった?
>>683 元々が違うんだって。
『認識【する】』じゃなくて『認識に【使われる】』なんだよ。
だから『対照とされるもの』というだけであって、『絶対者』でもなんでも無いんだって。
>>682-683の質問者さん
どこがどのように問題だと思っているのか整理してくれませんか。
できれば、あなたの「こうなら納得できる」という考えも提出して欲しいです。
お願いします。
>>684 「一なるもの」としての「存在」=「無」は、
そのように「使用」されるようなものではないはずだよ。
そのように「使用」されるものは、使用するものに対して
相対的なものであり、同じ次元にあるものと考えられるけどね。
>>684 >Aという者(主体=無)が外界(有)を認識する。
>>685 >『認識【する】』じゃなくて『認識に【使われる】』なんだよ。
矛盾してない?
>>685 では【芯】=『認識不能認識主体』は、『認識不能な認識に使われる主体』?
>>688 してない。
Aの主体は『無』であっても実際に認識を行なうのは『有』であるAの【我】だから。
>>689 そう。
だから過去にも『意思的存在ではない。ただの【在る】だ』と言ったよ。
>>686 【芯】=「絶対者」〔神〕なら、それなりに理解できます。
そうすると、
【芯】=『絶対者』
【我】=『深層意識』
【私】=『表層意識』
となります。
>>691 でも「認識主体」が「認識に使われる主体」だというのはそもそも日本語として
成り立たないと思いますよ。
>>692 【芯】に絶対者」〔神〕を持ってくるのは「認識主体」の「認識」に引っ掛かってるからですか?
>>693 確かに日本語としては変だよね(苦笑)
だが、それ以外言えないから…
他に上手い言い方あるかな?
>>694 「個体化の原理」が全く働いていない「一なるもの」が根源となる階層にある
ということは、それは絶対者なのではないですか?
>>690 何故それで「認識する有」が主体だとは言えない?
>>696 【存在】では駄目なのですか?
【存在】と「一なるもの」とちがうのですか?
>>698 違うでしょうね。
「存在」といっても、それを一ととらえるか多ととらえるかで全く違ってきますよ。
>>699 【存在】=【無】とするなら「一なるもの」ですか?
>>697 『無』が在ってこそ初めて『有』が認識出来るから。
『無』が無くては『有』は何も認識出来ないから『主体』では無い。
703 :
ゴジラA ◆bZAoCPpe.2 :03/08/02 07:37
「{モスラA}・不安の根拠は何ですか?
{ゴジラA}・現存在の掛け替えの無さにあります。」と、いうのは
道具関連ですか?
世界内存在ですか?
善ですか?
悪ですか?
>>702 では、何を付け加えると「一なるもの」になるのでしょう。
質問ばかりでごめんなさい。
>ハルカさんは
もしかしたら、【芯】=「一なるもの」も否定するの?
>>704 個体化の原理。
いままで【芯】=「一なるもの」として話を進めてきたのだが、
【芯】=「多」なら私の考えに近づきますよ。
ただし、その場合は【芯】と【我】は同じ階層に入りますが。
>>706 『一なるもの』を『意思的存在』とするなら否定。
『存在の母体』とするなら同意。
>>701 ああ、器における無と有のようなもの?
老荘か?
>>707 >>448のように「存在の定義」(4に問題があるなら、とりあえず1〜3で)をしたら、
【芯】=【存在】でいいですか?
>>711 だからといって、そっからどんな論理が発展する?
認識し、判断を下すのはしょせん「有」だ。
「苦」から逃れられるわけでもないだろう。
>>710 つまり【芯】は現象界とは次元の異なる物自体の世界である。
ということですか?
715 :
宇宙の王子A&不思議なアリスA ◆dMRiRpbHSE :03/08/02 07:57
エルメスです。
「パンドラは心も身体も神の一部です。」と、いうのは
善ですか?
悪ですか?
>>714 それなら、
>>692でも書いたように、それなりに理解できます。
私の考えとは相容れませんが・・・
>>692で【芯】と【我】の間を一行あけたのは、そこに超えがたい溝があるから。
>>716 よかった。(^.^)
では、【芯】=【存在】(ちゃんと定義して)と仮定するなら、
「個体化の原理」は解決でいいですか?
他にまだ問題がありますか?
>>717 >他にまだ問題がありますか?
ハルカさんの考えは、それとは違うと思いますよ。問題点はと言えば、
これだけ時間をかけてもハルカさんの考えがはっきりしてこないのは、問題ですね。
カオルさんについては、
なぜ現代思想が乗り越えようとしてきた、物自体と現象界との古典的二元論に
戻ってしまうのかが不思議なだけです。
>>718 ハッキリしてこないって…
同じ事をずーっと言っているんですが。
ならば『○○が分からない』と具体的に指摘してくれません?
>>719 物自体自体(苦笑)に関心がないのであまり適切なコメントはできないが・・・
【存在】≠【有】の、【存在】と【有】との違いは、ハイデガーの言う「存在論的差異」のことか?
でも、【有】=【実在】となっているところを見ると違うようだが、その違いは「物自体」と「現象」との違いか?
あとは、「存在」=「無」としての物自体の世界は、「存在即無」としか言いようのない、
「語りえないもの」なのではないか?という疑問。
また、物自体の世界をハルカさんのように「利用する」ことができるものなのか?
利用され得るようなものは、物自体ではないのではないか?という疑問。
>>721 ああ、ゴメン。
>認識し、判断を下すのはしょせん「有」だ。
そうだよ。その通り。
私もそう言っている。
>「苦」から逃れられるわけでもないだろう。
だから『個別化原理』を持つ『有』の部分(【我】と読んでいる)を滅却しようというわけ。
>>724 滅却した場合「認識」「判断」が出来ないっしょ?
例えば手を動かすことすら出来なくなるのでは?
再復帰します。
ハルカさんはSHスレで
主観は決して認識されないものということと
物自体としての意志は身体を通した意志の客観以外は認識できないこと
これを混同しているのでは?
だから認識主観を「我」−「私」にもどせば良いだけなのではないですか?
>>723 >【存在】と【有】との違いは、
「物自体」と「現象」との違いの方です。
>あとは、「存在」=「無」としての物自体の世界は、「存在即無」としか言いようのない、
>「語りえないもの」なのではないか?という疑問。
ご指摘ごもっともです。(皆さんには見逃してもらってますw)
少しずつ「語り得ないこと」についても、語っていこうとも思っています。
>また、物自体の世界をハルカさんのように「利用する」ことができるものなのか?
>利用され得るようなものは、物自体ではないのではないか?
いろいろ議論しながらここまで来ました。とくにハルカ。
できるだけ論理的矛盾のない仮説が立てられたらいいなと思っています。
ハルカが原動力なんです。わたしは哲学的モデルで重ね描きするだけなんです。(^_^;)
長い時間ありがとうございました。感謝です!m(__)m
(勝手ですが、お先に落ちます)
Sさん、おはようございます。
ハルカおつかれ、お先に。
>>728 んにゃ?
言いたい事は分からんでも無いけど、もう少し詳しくぷりぃず。
>>726 あなた自身には、あなたとカオルさんとの違いがはっきりしてきたでしょう?
(第三者にはあなたの考えは理解できないままだと思うけど)
>>729 あと、ハルカさんは深層意識を滅却して表層意識を残すと書いているが、
それは普通逆(表層意識によって人間特有の問題が生じてくると考えるのが普通)
であると思うので、なぜ深層意識を滅却しようとするのかがわからない。
「無心」というのも、表層意識に問題があるから言われることでしょう。
前にも書いたが、『深層意識の「転換」によって表層意識の在り方を変える』
ということなら分かる。
いつもは仕事が忙しくて見れないので、たぶんもう来ないと思います。
>>727 だったら別に「生は苦」と一概には言えんだろう。
「全てが本能に支配されるわけじゃない」とは、
何度も言われてきたことだと思うが?
>>734 えーと…
【我】は本能では無いの。
私が言っている『苦の原因』は【我】の持つ『個体化原理』なのさ。
チョット一旦落ちます
>>731 SHは我々が表象としての自己と本来の物自体の客体としての自己の二重的側面を
もつとしましした。認識主観はあくまで表象としての自己に含まれ、物自体は身体
という直接の客観を通じてのみ自覚できるとした・・だったような。
SHスレで主観は決して認識されないとの引用にハルカさんが「芯」を重ね合わせて
いたような記憶があります。
>>730 おつかれさまです。ボクもすぐ落ちます。
>>735 >>564 >では『表層意識』で【我】の何が侵食しているのか?
>それは『生命種の萌芽』と言える。
>もっと分かり易く言えば『生存本能』の事だ。
?矛盾してない?
まあ、それぞれに対し、乙。
生なんて嘘だった。死なんて妄想だった。死ぬものは生きるもので、生きるもの
は死ぬもの。どっちも一体で大きなひとつの穴だったよ。
>>574 カオルさん
>言語はあなたのものですか?
>言語なしに「わたし」という概念は成立しますか?
言語はボクのものではないし、言語なしに「わたし」という概念は成立しません。
だからボクはどこにも寄り掛れません。という認識も厳密にはボクのものでないです。(もう駄目。。)
でもね、この認識はボクのものだ!と主張することはできるのです。これは独善的な信念だけど、
そう主張して抗えるということ、ここに唯一の突破口を見るのです。
>あなたのいう主体が「認識する者」なら、
>「認識する者」が主体になり得る根拠はなに?
枠組みを認識するに至った当の者に可能性を見出しているのです。
ボクは先天的な枠組みに規定され、預かり知らぬ環境に投機されているけれど(必然性)、
ボクはその枠組みの中では自由に想像し選択することができる(可能性)。
ボクが預かり知らない必然性を抜け出せれば、脆弱な可能性に翻弄されることもないです。
>どことどこの境界ですか?
>その境界はあなたに見えるのですか?
現存在を規定する限界です。でも、その根源たる物自体に帰順するのは嫌なのです。
だから、言わば個体化を突き詰めることで限界を超えでたい。個が自立すれば全となる、みたいな。
見えるもの・・ボクを規定する有限な身体、有限な思考、外界からの圧力
>あなたの原点、あなたの起点。
>あなたはあなたであることをどうやって知ったのですか?
正に自己認識によって。過去からのアプリオリな(ぴかぁ〜さんのソウルのような)集積記憶と
アポステリオリな経験記憶の総合が、ボクを表象し思考する主体であることの確認にいざないます。
この総合がボクの原点。そして預かり知らぬ自己の認識に至らしめたボクの起点。
>>574-575 カオルさん
>あなたはあなたひとりで存在できますか?
>あなたという原点は存在するのですか?
外界からの情報なくしてはボクという表象し思考する主体は何もできない。記憶もそれなしには
生まれない。だからボクは外界との関係なしには実在できない。
けれど、その限界をボクは認識するに至った。これは大きな転換点です。
何故なら、そうしない試みを行える可能性を持ち得たから。これが自立への原点。
そしてこの原点とは、過去からのアプリオリな集積記憶とアポステリオリな経験記憶の総合、
そのものだと思います。
>あなたの「生の肯定」の定義を教えて下さい。
現象世界にあって、生の形態の枠組みに従うこと。その前提の下で如何なる差異があっても
その者は等しい。無自覚であろうと、受容しようと、自律的であろうとしようとも。
>自己をもって自己にふるいを掛け−具体的にはどのようなことでしょうか?
正に預かり知らない自己を認識したことを起点に、ボクを規定し拘束するあらゆるものへの
隷属を停止し、抗います。外界との関係、身体の束縛を遮断することを試み、ボクという精神
そのものにボクのすべてを集約させることを試みます。そのふるいの先に何が残り、何に到達
するかは予測不能です。これまでの外界情報の記憶照合から、目視可能な現象レベルでの予測
はまず確実なものがありますが。
>また、あなたの思う「自己の構造」を教えてください。
ハルカさんのモデルに沿った上でのボクのモデル
【芯】=本来の物自体
【我】=『自我意識』:『深層意識』及び『表層意識の一部』、並びに『個体化原理』及び『生命種』
【私】=『表層意識』:『精神活動』『通常認識される【私】』
<−並存−>【自律の萌芽】=主体(の萌芽?)
>>575 カオルさん
>境界を超えたあとに残るものがあるとすれば、それが真に無制約的、自律的な状態。
>そして残るものがないとすれば、それが真に絶対的な無。
>この推論は、どのような仮定から導かれたのですか?
上記のふるいの果てに現実存の限界を超えでたと仮定するなら、それ自体が即時無制約となる。
(制約→無制約の帰結)
精神の残滓、または何物かがその無制約に耐えて残っているとするなら、それは則自立成立する
自律的な主体そのものであろう。
また無制約に耐えずに残るものがないならば、これはただ無制約だけが拡がる虚無であり、この
無こそは無制約な真の無であると思う。が、そこに到達したのか、否かは判別できないだろう。
>自己の苦、箱庭における苦、個体化における苦のちがいを教えてください。
対象範囲がちがうだけで、苦の本質は変わらないように思います。すべては預かり知らぬ現実存の
形態がもたらす限定を発見。その強制を根源的な苦と認識しているのだと思います。
ただしその苦の解消方法は個人により異なるようです。
ハルカさんと比較した場合、ハルカさんは帰順することで解決するとし、帰順する道筋も伝統的に
確立されていますが、ボクはそこにすら救いを求められない、より重度な患者だと思われます。
でも、もしかしたらカオルさんが最も重度なのかなあ。(苦を意識し、且ついずれの試みも許され
ないのであるとしたら・・)
>「生の逸脱」を定義してください。
精神を滅却するのではなく、精神をもって現実存の生の形態の限定を超えでようとすること。
以上ですが、たぶん先日交わした内容レベルと変わらないのでやはりカオルさんには?だと思います。
大したことが書けないので一気にレスしました。不足なら過去レスも参照して下さい。
>>473 >>537 >>567(けど同じことしか言ってないので意味ない)無根拠な信念そのものですね。
(長いので分割します)
ココまでをチョット纏めて、更に今まで書いてなかった事も幾つか加えてみる。
『生命』について物語風に書いてみよう。
まず『有』の対極として『無』がある。
『実在』の対極として『非在』がある、と言い換えても良い。
(以下『有(実在)』『無(非在)』とする)
『有(実在)』は『無(非在)』の元では全て滅却される。
言わば、何色であっても漆黒に塗り潰されれば全て色を失くしてしまうようなものである。
で。
『物質』は須らく『有(実在)』である。
ある時何故だか理由は不明だが『物質』の一部が『生命』へとシフトした。
その要因と成ったモノを仮に『生命種』と呼ぶ事にする。
そして、その『生命種』を含んだ『精神』(又は『意識』)を【我】と呼ぶ事にする。
【我】が何時何処で誕生したのかは分からない。
もしかすると決して分からないのかも知れない。
だが、その【我】が『物質』に宿り『生命』が誕生した。
しかしここで問題が起きた。
『有(実在)』は『有(実在)』を認識出来ない。
白い紙に白い色を塗っても分からない様に。
そこで、『生命』(【我】の宿った『物質』)は自らの内に『有(実在)』の対極である『無(非在)』を取り込んだ。
自らの内に『無(非在)』の属性が有る事で外界にある『有(実在)』を認識可能になった。
黒い紙に白い色を塗れば際立ってハッキリする様に。
しかし『有(実在)』である【我】(正確には【我】の宿った『物質』=『生命』)にとって『無(非在)』は自らを消し去るものである。
そこで【我】は取り込んだ『無(非在)』が自らを侵食しないように『膜』を創って自らの内に閉じ込めた。
この『膜』を形作るのが『知覚事項と集積記憶の照合による個体化原理』である(以下、取り込まれた『無(非在)』を【芯】と呼ぶ)。
『個体化原理による作用』が強まれば強まるほどに『膜』は厚く強固になっていく。
(この『物質に【我】が宿る』のと『【我】が『無(非在)』を取り込む』のはほぼ同時であったと思われる)
(続く)
(続き)
こうして『外部認識が可能となった』わけだが、更なる問題が出てきた。
自らの内に【芯】を創った事で【我】は【芯】から逃げ続けなくてはならなく(注意が離せない状態に)なった。
これでは折角の『外部認識』があっても意識が常時内側に向かう事になってしまう。
かと言って、【芯】と完全に分離してしまえば『外部認識が不可能』になる。
そこで自らのサブセットとして写身を創った。
これにより…
【我】は常に『内に』意識を向け、写身(以下【私】と呼ぶ)は常に『外に』意識を向ける事が可能となった。
ココで分かる様に【我】と【私】は表裏の関係(だが表裏一体ではない)にあり、写身である【私】は本体である【我】の支配下にある。
(尚、通常我々が『自我』と感じているモノがこの【私】である)
そして【我】に含まれていた『生命種』は『生命体』として誕生すると同時に萌芽し【私】への侵食を開始する。
だが、当然ながら『種』の成長には『養分』が必要である。
必要な『養分』とは『個体化原理による作用』そのもの。
【芯】と【我】を分断する『膜』を形作るものと同じである。
『個体化作用』が強い個体ほど『種』はその『芽』を伸ばしていく。
そして『芽』が【私】を侵食するほどに『生存欲求』が強くなる。
より『芽』が伸びれば同時に『膜』が強固になっていく為、結果として【我】が外部にも意識を向け易くなる。
『我欲の肥大化』と呼ばれる現象が起こる。
逆に『個体化作用』が弱い個体ほど『芽』は伸びない(=【私】を侵食しない)
それらの個体は通常よりも『生死』に囚われなくなっていく。
(所詮は頻度問題で『死への忌避本能』が在る事に変わりは無いのだが)
更に『膜』が薄い為【我】は一層内部に意識を向けなくてはならなく(外部へ意識が向かなく)なる。
>>744 人間にとっての非在は『死』のことだろうから、
ここで書かれている『無』は、『死』と理解してよいのだろうか?
【芯】と【我】を分断する『膜』というのは、
『死』から目をそらすための『膜』という意味だろうか?
そして【我】を滅却することで、『膜』がなくなっても『死』を忌避せずに
生きられるようになるということなのか・・・
>>745 正確に言うなら少しばかり異なりますが、大筋においてはその解釈でOKです。
>>746 【我】がなくなれば、【私】がその働きを受け持つようになるのでは?
生命は、欠損した部分を自己修復しますからね。
>>747 >【我】がなくなれば、【私】がその働きを受け持つようになるのでは?
そうそう。
でも『個体化原理』を有しているのは【我】だけだから…
その作用によって『苦』を感じることもなくなるわけ。
【私】には【我】の持っていた『集積記憶』が転写されてるから…
【我】が滅却した所で記憶喪失にはならない、と。
だから日常生活は可能。
>>748 では仮に【我】がなくなったとすると、【芯】と【私】との関係はどのようになると
思いますか?
【私】は、『死』に、どのように関わって生きていくのでしょうか。
その辺のイメージをお聞きしたい。
>>749 >では仮に【我】がなくなったとすると、【芯】と【私】との関係はどのようになると
>思いますか?
>【私】は、『死』に、どのように関わって生きていくのでしょうか。
【芯】と【私】が隣り合わせで(どちらが上という事も無く、全くの同列として)生きていく事になるでしょう。
両者を分断する『膜』が最早存在しないので、それこそ『手を伸ばせば直ぐそこに在る』では無いでしょうか?
しかしこのままでは生命力が減退する一方です。
(それはそうでしょう。もう『種』は既に無いのだし、残った『芽』も【芯】に侵食されていきますから)
そこで、あえて仮の『膜』を創り一方的な侵食を防ぐのではないでしょうか?
ただ、この仮の『膜』は両者を分断するものではなく極薄のものだと思います。
一方的な侵食は防ぐけれど、意志を持って破ろうと思えば簡単に破れるような…
その人間の意識としては『生死』に囚われない…
死にたくなったら何時でも死ぬ…
生も死も恐れない…
それこそ『漂うように』生きる…
常に『死』と共に生きている状態となると思われるのです。
>>750 そうですか。
ところで、「苦を感じない」というのは、全くの無苦なのですか?
「頭が痛い」ということもなくなる?
それとも苦の種類によるのですか?
>>751 >ところで、「苦を感じない」というのは、全くの無苦なのですか?
>「頭が痛い」ということもなくなる?
違う違う(苦笑)
『個体化原理』による『苦』−簡単に言えば『あれか、これかの価値判断』等の『意識の分化』が無くなるってだけです。
『善/悪』『好/嫌』『快/不快』等々…そして『生/死』。
こういう『意識分化による価値観に囚われる事が無くなる』だけです。
最も、それだけでかなり『楽』になれると思いますよ?
>>752 苦がなくなるわけではない・・・それで、「死をおそれない」となると、
すぐに自殺する事になるのではないでしょうか?
死への恐怖があってさえ、それを上回る苦しみがあるから
自殺する人がたくさんいるわけですよね。
死への恐怖がなくなれば、・・・・
>>753 確かに『具体的な苦』(人間関係の軋轢とか金銭問題とか)が無くなる訳じゃないですよ?
ただ、それを『苦』だとは感じなくなるって言うだけなんですよ。
>>754 肉体的苦痛も苦と感じなくなるのですか?
肉体的苦痛から自殺する人だって多いと思いますよ。
>>755 そうです。
『苦通』それ自体は変わらず在ります。
ですが、その『苦痛』に囚われない。
本心から(一点の曇りも無く)『この苦痛を味わおう』という心境に成れると思うのです。
チョット俗に言うなら『アー…痛たたた…だからって何さ?』なんだと思います(苦笑)
>>755 も一つ。
【我】を滅却した人は、本当の意味で『生死』から自由になります。
だから『痛い痛い…やだな』と思えば『死』を選ぶ。
『痛い痛い…でも、良いや』と思うなら『生』を選ぶ。
それだけですよ。
『生きる権利・自由』が有るなら『死ぬ権利・自由』も有るんです。
>>752 「『苦痛』に囚われない。」「生死に囚われない」・・・
それは仏教の考え方と同じですね。
>>758 ですから、伝統仏教を解釈し直した−そう思って下さって結構です。
>>759 「無我」を「【我】を滅却」と解釈したわけですか?
なぜそのように解釈したのですか?
>>760 昔から言いますよね?
『衆生即悟り』と。
だったら『悟り』ってのは訳の分からないものじゃなく、人間が本来有している属性だと思ったのです。
しかし。
それなら人は誕生したと同時に悟っていて『悟り』なんて普遍に常在している筈です。
でも実際はそうじゃない。
だったら…
その『悟りの属性』の顕現を邪魔している『何か』が有る筈だ。
それは何か…?
そう見ていったら【我】に行き当たったのです。
>>761 『衆生即悟り』は聞いたことがありませんが、
「煩悩即菩提」なら分かります。
でもそれは、
>人は誕生したと同時に悟っていて『悟り』なんて普遍に常在している
という意味ではないと思いますよ。
>そう見ていったら【我】に行き当たったのです。
そこまでは仏教と同じだと思いますが・・・
問題はその先ですよ。
>>762 そこまで言ったら答えは一つではないですか?
『悟り属性の顕現』を邪魔している【我】を取り除けば、自然と『悟り』が顕現してくる。
何か変でしょうか?
>>763 【我】に行き当たり・・・
仏教は「無我」を説いた。
あなたは「【我】の滅却」を考える。
なぜ伝統的仏教の「無我」説ではだめなのか?
そこが問題点です。
>>764 その前に一つお聞きします。
私もそれなりの理解はしているつもりなのですが…貴方の方が詳しいようですから。
伝統仏教における『無我』とはどういった状態でしょう?
>>765 「無我」は「状態」ではありません。
「我」は無自性であり、「我」という実体はないということです。
だから、「滅する」べき「我」は、もともとないという教えです。
>>766 ああ、なる程…
引っ掛け問題ですいませんでした(陳謝)
しかし。
実際として『我は在る』と感じている訳ですし、幾等『無い』と言われても『心底から』の納得は難しいでしょう。
第一『我』を感じている我々は、こうして此処に『居る』じゃないですか。
例え『我』が錯覚だとしてもね。
それこそ100%完全に毛一本の疑いも持たずに『無い』と思えるか?
先ず『人間が人間である限り』不可能に近いと思います。
だったら『幻なんだ』と回避しないで、真っ向から打ち壊せば良い。
『在る』と感じているなら、それをそのまま持っていれば良い。
そう思うのです。
>>767 もともと「無い」ものを「在る」と思って「打ち壊す」ということは
どう考えても、おかしいと思います。
我を実体視してしまうのは、無明のなせるわざなのだから、
その無明から脱却しようと考えるのが普通だと思うし、
それが仏教の教えだと思います。
>>768 理屈ではそうでしょうよ。
だがね。
その『無い』は『覚者』つまり既に悟った人にとっては自明でしょうが…
まだまだ迷いの最中にいる人間に有効だと思いますか?
『貴方が【私】と思って固執しているものは幻なんだよ。実は無いんだよ』なんて言っても
『ああ、そうかい。勝手に言ってな』になるだけだと思いますが?(苦笑)
>>769 仏教では、哲学的思考のできない一般庶民のために、
念仏を唱えるだけで救われる、というような
誰にでもできる簡単な方法を考えたのではないかと思います。
>>770 はい??
話がずれてるずれてる。
仮に『哲学的思考が出来る人間』に『【我】は実は無い。幻だ』と言ったとしても心底納得しますか?
しないからこそ、今までの様々な哲学があるんじゃないですか?
>>771 西洋の哲学は、基本的に「有」の哲学だったから、
ものを実体視する傾向がありましたね。
でもそれは近代までの話です。
現代思想は実体論批判から始まったと思います。
「関係性」などを中心に置くことで、実体論を克服してきたわけです。
そしてそれは、東洋思想の影響によるところが大きいと思います。
たぶん構造主義などもそうなのではないでしょうか。
>>772 『実体論批判』は現在でも主流ではないと思いますが…?
『構造主義』に関しては流れが違うかと…
>>773 現代思想で「近代の克服」とよく言われますが、
その「近代」というのは、大雑把に言えば、「主観-客観」図式のことです。
だから、素朴な「主観-客観」図式に立った現代思想はないと思います。
主観が実体視されるのは、客観が実体視されるからです。
〔その逆でもある。つまり主観の実体視と客観の実体視は同時に起こる〕
>>774 ええと…
『哲学史』『思想史』論争は完全に脇道なので戻すとして(苦笑)
で結局。
一般人にも『【我】は無いと理解出来る』という事が言いたいの?
>>772と
>>774は、
>>771の、『哲学的思考が出来る人間』に・・・
の流れです。
ここは〔いちおう〕哲学板なので、それでいいのではないですか?
>>776 だとしても。
『実体論批判』に反対する人間、反対はしないまでも別の立場を取る人間が数多います。
これについてはどう説明を?
>>777 ある程度哲学史を学んだ人なら、
『「我」という実体が存在する』と素朴に思っている人は、
たぶん少ないのではないでしょうか?
それに、我を実体視することから生じる問題を解決しようとすれば、
実体論批判に行き着くのではないかと思います。
>>778 まぁ、確かに『思想』はそうでしょうが…
本当に心底そう思っているんでしょうか?
私は違うと思いますが…
それこそ100%完全に毛一本の疑いも持たずに『無い』と思えるか?
先ず『人間が人間である限り』不可能に近いと思います。(
>>767)
>>779 『無い』というのは、仏教で言えば、「空」ということですよ。
つまり、「自性が『無い』」ということ、
いいかえれば、「縁起において『在る』」ということです。
>>780 だから。
その『空』とやらを人が『毛一本程の砂一粒程の疑いも無く完全に心底から』信じられるか?と言うの。
>>781 信じられるかどうかは、その人の『無明度』〔苦笑〕にかかっているわけで・・・
仏教ではよく、生全体と個々の人間とを、海とその波にたとえますね。
海に浮かぶ一つ一つの波は、在るといえば在り、無いといえば無い、そういうものです。
人間の死は、一つの波が海の中へ戻っていくようなものですね。
>>782 だっからぁー(苦笑)
『どちらかと言えば信じられる』とか『信じたい』じゃなくて。
一片の疑念も無い100%の確信を人間が持てるか?と問うているんだってばさ。
質問です。
自我に実体はない。すべては空である。としたところで、それは自我に対する一解釈に
過ぎないのではないですか?
自我が空なら、そもそも何故個体化現象なるものが成立するのでしょうか。
たとえそれが相対的なもの、うつろうものであっても、
絶え間ない世代交代を繰り返してまでそれに固執し、維持、発展させるものは何でしょう。
いや、自我が空であるというひとつの認識に到達させたものは一体なんでしょう。
そもそも空であるなら、現象世界の必然性など何もないのではないでしょうか。
つまり、空という概念をすら生み出す当のものがある。ということではないでしょうか。
>>783 >100%の確信を人間が持てるか?
それはなんとも言えませんね。
人のことは分からないから。
おそらく、生きている限り100%はあり得ないのではないでしょうか。
「100%信じる」ことがあり得るとすれば、それは新興宗教などで、
完璧に洗脳された場合ではないでしょうか。
>>784 >自我が空なら、そもそも何故個体化現象なるものが成立するのでしょうか。
自我が空であるというのは、縁起において在る〔他との関係性において在る〕ということなので、
個体性を完全に否定しているわけではなく、その個体性を実体化することを否定しているんです。
>>786 >つまり、空という概念をすら生み出す当のものがある。ということではないでしょうか。
その「当のもの」を実体化することを避けるのが、仏教であり、現代思想であると思うのです。
生み出す「当のもの」実体視しつつ、それをずっとたどっていけば、最後は実体としての「神」
に行き着くでしょう?
>>786 >たとえそれが相対的なもの、うつろうものであっても、
>絶え間ない世代交代を繰り返してまでそれに固執し、維持、発展させるものは何でしょう。
>つまり、空という概念をすら生み出す当のものがある。ということではないでしょうか。
これは?
それじゃ、我々は徹頭徹尾、神の隷属下にあって設定された条件下で
因果のレールを無根拠に盲進しているだけであるということですか?
>>791 質問の意味がよく分からなかったので、もう少し詳しく・・
>>787の続き
で、仏教ではその「当のもの」を、「空」とか「仏性」「真如」「般若」など、
実体化されにくい抽象的な表現であらわしているのだと思います。
「大日如来」などのかなり実体化されたものもありますが、
それは、「空」「仏性」などの抽象的表現では、一般の人はなかなか飲み込めない
からだと思います。
>>792 >生み出す「当のもの」実体視しつつ、それをずっとたどっていけば、最後は実体としての「神」
>に行き着くでしょう?
ということは我々は徹頭徹尾、神の隷属下にあって設定された条件下で因果のレールを無根拠に
盲進しているだけであるということですか?
一切が空で関係性にのみあり、相対的で移りゆくもの、その根源が神である。とするなら、
もはや我々は何者でもない。自由意志も可能性もないということになるのですか?
>>793 いや。
実体化することを避けているのだから、
根源的な「神」の存在も想定しないのです。
>もはや我々は何者でもない。自由意志も可能性もないということになるのですか?
いや。
さっき、生全体と個々の人間との関係は、海と波との関係に似ていると書いたように、
海なしに波がないのと同様、波を離れて海は存在しない。
波は海に対して受動的関係にあると同時に、能動的関係にもあると言えると思います。
>波は海に対して受動的関係にあると同時に、能動的関係にもあると言えると思います。
これは納得しました。それじゃ、一切は空である、と同時に、○○である。となるのでは
ないですか。○○にはいる言葉は実体に相当するもの。
>>795 >一切は空である、と同時に、○○である。となるのでは
>ないですか。○○にはいる言葉は実体に相当するもの。
○○に入るのは「縁起」ぐらいでしょうね。
一切皆空〔一切のものに実体は無い。一切は関係に依って在る〕なのだから、
○○には、「実体に相当するもの」は入りません。
それじゃあ、世界(地球)にこうも個体化存在に溢れているのは何故なんでしょうね。
空なる自我が必死に身体や道具の鎧を纏い個体化をむしろ維持、拡大しようとするのは
これは説明できません。
>>797 >空なる自我が必死に身体や道具の鎧を纏い個体化をむしろ維持、拡大しようとするのは
>これは説明できません。
これは仏教では、本来空である「我」を実体視することによって
「我欲」が生じた結果であると説明できるのではないかと思います。
>>797 >それじゃあ、世界(地球)にこうも個体化存在に溢れているのは何故なんでしょうね。
繰り返しになりますが、個体化存在を否定しているのではなく、
それを実体視することを避けているのです。
>>798 これは逆だと思うのです。
>空なる自我が必死に身体や道具の鎧を纏い個体化をむしろ維持、拡大しようとする
この実体としての自我がなければ、または認識に至るような高度な実体としての集束
がなければ、いずれの問いも生まれないと思うのです。つまり実体を生成、維持しようと
するものが先立たねば空の発見もないと思うのです。
Sさんに同意。
本来『空』であるものが何故『個体化』しているのか?
『空』→『個体化』のキッカケはなんだったのか??
>>800 それも一つの考え方です。
常識的にはそのように考えるのが普通です。
そこから出発して、どのように哲学的に発展させうるのかが問題です。
私の考えでは、どうしてもそのように考えてしまう程、我々は実体論に
毒されているのだと思います。
>>801 繰り返しになりますが、個体化存在を否定しているのではなく、
それを実体視することを避けているのです。
>>803 いや、その『実体視する存在』が『個体化』したでしょ?
そのキッカケは何だったのかが説明付かないと言うの。
その『空』が根本という考えだと。
>>804 もともと存在は多とも一とも言えないようなものです。
あえて言えば、「一即多」。
何かの「キッカケ」があって、
個体化が途中から始まったのではないのではないですか?
806 :
考える名無しさん:03/08/03 07:35
悟った人に
どうして?
どうして?
って聞くことで無知を悟らせようとするスレですね。ここは。
>>805 それでもまだ弱すぎる。
根本が『空』で、『個体化した我々』が『実体視を諌められている』のなら。
なぜわざわざ『個体化』などという『二度手間』をするわけ?
ボクが言いたいのは、
実体化を志向する自我は、空なる状態における関係性からは生まれないということ。
仮に世界の本質が空であったとしても、同時に実体化を志向する自我がなければ
決して現象世界は個体化しなかった。
その自我は何かから移行したのか、並存していたのかはわからないけど、
少なくとも世界のすべてが空とその関係性で説明できるとは思いません。ということです。
810 :
考える名無しさん:03/08/03 07:39
4つか5つぐらい質問し続けると答えられなくなるみたいですな。
答えようがないと言うか・・・
みんなバカってことでいいんじゃなかろうか
>>809 >同時に実体化を志向する自我がなければ
>決して現象世界は個体化しなかった。
意味が良く分かりませんが、「決して現象世界は個体化しなかった」というのは、
世界が初めは「一」だった、と前提しているのでしょうか・・・
>>808についても同じ感想。
>>812 私が言っているのは
『空なら空で、そのままで良いではないか。何故【個体化】なんていうプロセスを踏む必要があるのか?』
って事。
>>812 貴方の一切皆空の前提に対して言ってきたのですが。。。
>>813>>814 「空」はすなわち「縁起」であるので、「関係性」を前提としています。
「関係性」を前提としているということは、すでにそこに「個体化の原理」は
含まれているわけです。
哲学で言えば、例えばニーチェにおける「個体化の原理」は「アポロン的なもの」ですが、
世界はもともと、「アポロン的なもの」と「ディオニュソス的なもの」とのせめぎ合いで
成り立っているんです。
もやもやが集まって固体化したの!!。さぁ苦笑しろ。
>>815 それは…
問題の追求を放棄してない?
じゃあ『空』って何さね?
繰り返しになりますが、
>空なる自我が必死に身体や道具の鎧を纏い個体化をむしろ維持、拡大しようとする
この実体としての自我がなければ、または認識に至るような高度な実体としての集束
がなければ、いずれの問いも生まれないと思うのです。つまり実体を生成、維持しようと
するものが先立たねば空の発見もないと思うのです。
ここがポイントだと思います。
>>817 >じゃあ『空』って何さね?
縁起です。
『空』=『縁起』=『無我』であることが分かれば、
『無我』があなたの考えているような『我を滅すること』ではないことが分かります。
おおーなんかわかったぞー。
生まれたばっかりの赤ちゃんみたいなもんか。ちがう?苦笑?
>>819 結局『空』は『関係性(因果法則)』って事かい?
>>818 「実体」の使い方がおかしいような気がします。
どのような意味で「実体」と言っているのでしょうか。
神対仏
>>821 「因果法則」ではありません。
あとは自分で勉強して ^.^
それを言っちゃぁおしまいよー
>>822 単に関係性で成り立つ相対的でうつろう虚像としての自我ではなく、
関係性なくしては成立しない脆弱さを持ちながらも、
身体や道具の鎧を纏うに至り個体化を促進するような、
志向する実体としての自我がある。ということです。
>>826 いや。「実体」そのものの意味ですよ。
「変化しやすい多様なものの根底にある持続的・自己同一的なもの」
という哲学的意味で使っていましたか?
「実体」をどういう意味で使うかによって、「実体が無い」の意味も違ってきますからね。
>ハルカさん、Sさん
寝ます。
もう来ないと言いながら、来ちゃいましたね〔苦笑〕
>カオルさん
今日はお休みだったようですね。
カオルさんと話したのは
>>137 以来一年ぶりでしたね。
「より良くより高く」は相変わらずのようで・・・(^.^)
生命より先に【我】があったというのはちょっとした驚きだったけど
どこからそれを導きだしたかは聞くまい。
生命ってのは不思議だけどそのことで苦悩することもなかろうに。
>>828さん
哲学的な意味かどうかはよくわかんないけど、
高度な集束を促し、身体や道具の鎧を纏うに至り個体化を促進するような、
(一貫した)志向する実体としての自我がある。それが認識に先立つとして
きたのですが、駄目かなあ。。質問に答えてくださり有難うございました。
>>ハルカさん
読みましたのですけれど、基本構造は変わらないということですよね。
補強された物語についてはボクでは判断できません。
昨日の
>>828さんが指摘されていた他者から見た曖昧さは残るように思います。
(芯は現象界のものなのか、物自体なのか。認識主体が利用できるものなのか
とかです。)
一旦落ちます。。。
>>ハルカさん
もう一度読んでみました。細かい変遷の設定についてはそうであるという仮定として、
無が現象レベルなのか、生命が無を取りこむとはどういう過程を経るのか、ここがボクには解りません。
(以前は無が物自体として物質の背後に存在していると理解していましたが、混乱)
が、大まかな構造の設定はこれまで通りに以下に理解しました。(有無を中心にざっと書きました)
世界 有(実在) − 無(非在)
実在 物質(有) − 生命(有)[物質+生命種]
生命 芯(無) − 我(有) − 私(有)
覚者 芯(無) − 私(有)
>Sさん
大体Sさんの論は理解できました。
ぜひ740から832までを読み返され、
論が循環していることに気付いてください。
Sさんの疑問は「生命体の存在理由」についてです。
それについてのわたしの態度はすでに示した通りです。
また、
>>832 >他者から見た曖昧さは残るように思います。
>(芯は現象界のものなのか、物自体なのか。認識主体が利用できるものなのか
> とかです。)
のような批判を行うのなら、論理的に正当な方法で行うべきです。
批判を裏付けるご自分の解釈を示すなり、論を立てるなりしてください。
>>828 あらら、びっくり!
成長してなくてごめんね。(^.^)
>>833(Sさん)
>無が現象レベルなのか、生命が無を取りこむとはどういう過程を経るのか、ここがボクには解りません。
>(以前は無が物自体として物質の背後に存在していると理解していましたが、混乱)
流石に、どういう過程を経て『無(非在)』を取り込んだかの方法までは分かりませんが(苦笑)
(そりゃそうです。私だって直に見た訳じゃないですから)
『無(非在)』については少しだけ言えます。
『無(非在)』は『現象界のモノ』であると同時に『英知界のモノ』で在ったりします。
両方の世界に同時に存在していると言ったら良いのでしょうか?
次元を跨って存在してるとも言えます。
とは言っても『現象界』に顕現している部分は殆ど0に等しいですが…(苦笑)
『物質』と『反物質』が同時に存在出来ない(対消滅する)ように…
『有(実在)』と『無(非在)』は(特殊な場合を除いては)同時に存在出来ません。
ただ…
対消滅と違って、ENを放出したり互いに消滅したりする訳ではなく『無(非在)』が一方的に『有(実在)』を消滅させるんですがね。
原子と原子の間は【無】ってのはどう?
838 :
考える名無しさん:03/08/04 03:51
「私」と「我」は表裏なら、「私」から「我」は知ることができないんじゃ?
839 :
考える名無しさん:03/08/04 04:02
ハルカの妄想にそう突っ込むなよー(苦笑)
かわいそうなお嬢ちゃんなんだよ(涙)
認めてあげようじゃないの。こんな話リアルじゃ誰にもわかってもらえないわけだし。(笑)
ハルカ遠慮するな。どんどんファンタジーを聞かせてくれ。
俺は全面的に君の妄想を支持する。
>>838 知る事は出来ないって…
どういう意味で言ってるの?
そりゃ表裏の関係だから『観る事』は出来ないよ。
我々が自分の背中を自分の目で直接には『観る事』が出来ないようにね。
だからと言って…『知る事が出来ない』という理由には成りません。
例えば背中に傷があったとしましょう。
傷の位置や大きさは自分じゃ分からないですよね?
観えないんだから。
でも、傷がある(怪我してる)事それ自体は『知る事』が出来るでしょう?
842 :
考える名無しさん:03/08/04 04:33
じゃあ「私」が「我」を知ることができるん?それはあるらしいどまりにならない?
843 :
考える名無しさん:03/08/04 04:35
本当に悟った人が、俺は悟ったよとこういう掲示板を作るとは思えない。
こういう掲示板を作るところをみると悟っていないと僕には思える。
844 :
考える名無しさん:03/08/04 04:37
何よりも無とこの全宇宙の現象は、完全に隔絶されているというのが真実であって、
無をこの世に取り込むということはあり得ない。
>>842 ん?何故?
傷の例で続けるけど、それなりに痛ければ『在るらしい』じゃなくて『在る』って分かるでしょ?
炎症等の痛み方と外傷の痛み方は違うでしょ?
私が言っている『在る』もそう。
でも『観る事は出来ない』から、具体的な形等は分かりません。
>>843 このスレタイは私の付けたものじゃないよ。
元々は他の人がこのスレを立てていたんだが、そのスレ主が居なくなったのが正解。
それから、お願いです。
ageないで下さい。
ハルカは まだ起きてるのなら少し話ししますか?
宗教的な話でもしてみますか?
>>846 何を話すのですか?
繰り返しお願いします。
ageないで下さい。
無が唯一の実在。
それ以外が幻。つまり、空も幻。
別の言い方をすれば、無は絶対。だから、変化もしないで、ただ、完全として絶対として
存在している。
空は、変化・・・縁起であり関係性のことを示している。つまり、変化し続けている。
変化するということは、すでに絶対ではない。
陰陽ニ原理と太極のシステムを欲を通じて話をすれば、
陰の極は、心に現れてくるもののすべてを欲とする。
また、陽の極は、心に現れてくるもののすべてを欲としない。
そして、その中間、陰と陽の融合によって現れてくる中道は、ある部分までが
欲である部分からが欲ではないとする。
そして、どこからが欲でどこからが欲ではないかは、人それぞれによって違ってくる。
つまり、中道は、人それぞれによって違ってくる。
ageないで下さい。の意味が分からないのですが・・・ageって何ですか?
>>848 sageて下さいっちゅ−に。
荒らしですか?
sageて下さいというのは・・・書き込まないで下さいという意味でしょうか?
そうでしたら、書き込みませんが・・・
>>851 メール欄に半角小文字でsageって書いて下さい。
メール欄に半角小文字でasgeと書きました。これがそれですが、何が起こるのでしょうか・・・
854 :
考える名無しさん:03/08/04 05:15
「我」をあることを「私」は知っているけどその「私」は「我」の姿、形はみることができない。ではなぜ「私」が「我」を語るのですか?
>>854 貴方も。
メール欄に半角小文字でsageって書いて下さい。
>>853 メール欄はそのままにしておいて下さいね。
じゃあ、話しましょうか…
えぇと
>>848で良いのですか?
>>839 憧れの君に、一声かけてもらうどころか「一べつ」もされてないがなw
>>854 >「我」をあることを「私」は知っているけどその「私」は「我」の姿、形はみることができない。
>ではなぜ「私」が「我」を語るのですか?
は??
直接に観る事が出来ないものについては語ってはならないと?
哲学自体否定する気ですか?
心理学やら精神医学やらも否定されるなぁ…その理屈でいくと。
べつに否定することになってもいいけど。心理学やらはなかなか規定できないものでしょ。哲学もそうなんですか?
>>859 まさか、とは思うけど…哲学で扱う分野って何があるか知ってる?
861 :
考える名無しさん:03/08/04 05:51
よくは分かりませんね。べつに否定するつもりはないけど。ただなんかひっかかるというんですかね。
>>862 あのさ…
『直接に目視出来ないものを語っているのが引っかかる』のは『貴方の感性』の問題。
哲学は『目視出来ないもの』も扱う学問。
それが引っかかるんなら『哲学板』に来ないでね。
議論すら出来ないから。
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`)すいません、通りますよ・・・
| /
| /| | 揚げると厨が釣れますね
// | |
U .U 御疲れ様です
議論できないとは?
目視できないことならそこらへんの人達も語っていますよ。目視できないことを語るだけが哲学ですか?
一応こっちは真剣に本当にそうかと問うて答えてるんやけど。
>>866 あのね。
貴方の
>>854の
>「我」をあることを「私」は知っているけどその「私」は「我」の姿、形はみることができない。
>ではなぜ「私」が「我」を語るのですか?
この発言は無意味な煽りにしか思えないよ?
質問するならするで、もう一度ハッキリと論点を整理して。
その前に過去ログよもうね。
>>863 そんな意地悪い言い方しなくてもいいだろうに・・・。
859氏はただ言葉が足りないだけでつよ。859氏はこちらで推測出来るほど言葉を紡ぐべし。
憶測の羅列でもいいからさ。
哲学は万人の進化方法よん。
いや煽りじゃないですよ。論点もなにも「私」がいう「我」という姿、形をなさないものを「私」が知っているのはいいけど、それは語れないんじゃないかなと。
痛みがどこからくるかは語れますけど、痛み自体に「痛い」と言う以外に語れますかね。
【芯】って【死】だよね。違うのかな。
横レスかもしれないけど、関係あるかな思って。
>>870 ??
余計に何が言いたいのか分からないんだけど…?
私は【我】の姿形について言及した事は無いんだけど?
私が言及したのは【我】の性質についてだけだけどねぇ…
>>834 カオルさん
そうですね。論が循環している、というか、曖昧な信念から一歩も進めていない、
という状況だと思います。で、ボクの表現できることは殆ど出し切っていますから、
今のままではここで行き止まりです。その他の詰問については至極妥当と受けとっ
た上で、上記にてご容赦ください。
>>836 ハルカさん
>>833に答えて頂き有難うございます。内容については理解しました。
以前、物自体からの客体化を否定されていたことから、例えばSHのように身体を
通して認識したり利用したりすることができないのではないか、というボクの疑問
だったのでした。
ここでカオルさんからの回答を頂いたこと、以前のレスでハルカさんからの回答を
頂いたことをボクなりに活かす為に、ひとつの区切りにさせて下さい。この先に進
むには自力で論理的に追求して硬い知識へもっていくか、実践して確認していくか
しかありませんので、ここで暫く時間をとらせてください。復帰できるかは?ですが。。。
いつもながらお返しできるものがありませんのが心苦しいです。ただただ感謝です。
>>871 >【芯】って【死】だよね。違うのかな。
>横レスかもしれないけど、関係あるかな思って。
少し関係あるかな?
でも【死】とは違います。
>>870 つまり自分にしか見えないものを他人に語ったときに生じる限界を指しているのでつか?
それとも(仮としてね)他人から見た自分が、必ずしも本来の自分では無いように、第三者(客観的)視点のない一方的な視線の上では、たとえ己自信が観察者であったとしても、それにより認識された性質は疑わしい、とか?
>でも【死】とは違います。
ありゃ? そうなんだ。
いや、書き込んでから気付いたけど、無は生命のない状態、つまりは死であるから、
【我】に囲まれた無である【芯】が死であるのは当り前だ! と思った。
なにか「観念としての死」のようなものを想像しました。
>>876 んー…
まぁ、『生命』が【芯】=『無(非在)』に侵食された結果としての形態には『死』も含まれてるから…
間違いではないんだけど(苦笑)
もうちょっと考えてみるよ。すまんね。
性質を語るのは「私」ですよね。では「私」が「我」を語るとなるとまず推測、憶測の域を出ないですよ。「我」もまず「私」を対象にしてからしか語れませんし。
もしそう言ってるつもりだったならすいません。
>>879 ???
ログ読んでないとしか思えないんだが…
私は【私】から知り得る範囲内でしか書いてないが??
しかしぴかぁ〜とほとんど同じ思想になってきたな。
882 :
考える名無しさん:03/08/04 07:43
じゃあ、私は常に「私」についてしか語ってない。「我」も「私」になるんじゃ。
>>882 ……
『【私】について』語ってるんじゃ無いの。
『【私】から知り得るもの』を語ってるの。
884 :
考える名無しさん:03/08/04 11:05
今このスレはハルカの妄想が正しいとの前提に語られています。(キッパリ)
ハルカのオナニースレなわけです。(ハァハァ)
前提に突っ込んではいけません。(プンプン)
やさしく笑顔でハルカの意見にうなづいてあげましょう。(うんうん)
ある日オカルト板からUFOがやってきて、ハルカをさらっていってまうかもしれません。(涙)
そんなことがないように暖かくハルカを包んであげてください。(笑顔)
なお、私はハルカと表裏一体なのでハルカには「なんかいるみたいだけど、
よくわからん存在」として扱われております。
ではわたしはこれで。
オナニーの邪魔をするのは最低のマナー違反ですから気をつけてくださいね(ニコニコ)
885 :
考える名無しさん:03/08/04 11:20
ハルカ=夫馬の自作自演(もちろん)
>>832 >実体としての自我がある。それが認識に先立つ
それは、カント以来繰り返し否定されてきた「実体論」なのだと思います。
認識するという「はたらき」と、その「はたらき」の根底にある「はたらくもの」〔認識主体〕とを
別けて考えるのが、そもそもの間違いなのではないかと私は思います。
現象の根底に現象を生み出す基体が在ると考え、そこから一切の現象を説明するのが実体論ですが、
そのような実体論の根は深いのです。
「心」あるいは「脳」というものが基体としてまず在り、それが認識という「はたらき」をしていると考える。
そのような考え方が、現在でも人々のなかにかなり定着してしまっている。
でも、認識という「はたらき」の根底に、それ自身独立に存在するもの〔実体〕としての「心」や「脳」の
ようなものを想定することは、間接的推理であって、そのようにして「可想体」として超越的実体を
立てる考え方を、カントは「教条論」と呼びました。
何度否定されても根絶しがたいほど我々の考え方に染み付いているのが「実体論」ですが、
現代思想はいろんな形で実体論を克服しています。
たとえば、「語りえないもの」について語りすぎたショーペンハウアーにおいては、
「意志」が形而上学的原理となったのとは対照的に、
ニーチェの「力への意志」は、「はたらき」そのものであり、
「力への意志」というものがまず在って、それが何らかの「はたらき」をするのでは決してなく、
「力への意志」=「作用そのもの」です。
つまり「力への意志」という実体はないのです。
>>821 「関係性」について。
たとえば、人間の目は多くの細胞によって構成されつつ〔あらしめられつつ〕、
他の諸器官とともに一人の人間をあらしめている。
つまり目は、「あらしめられつつ、あらしめている」という
『他との関係においてのみ』目でありうる。
その目を人間の体から取り出してしまえば、それはもはや目としての働きをしない。
つまりそれは目とはいえない。
全宇宙はこのような相依性において存在しているから「諸法無我」なのであり、
一切の事物には、それ自身独自の特性というべきものは何もない〔「無自性」〕のです。
「無我」は非存在ではないので、仮にそれを「自己」
〔それは「実存」と同じく対象化しえないものであり、「語りえないもの」である〕
と呼ぶなら、次のようになる。
『空』=『縁起』=『無我〔自己〕』
↓
『自我』〔表層意識的なもの〕
この『自我』は、
>>782のたとえで言えば、海〔生全体〕の波〔個々の人間〕が、
水しぶきとなって宙に浮いたようなものです。
その「水しぶき」が自分は海と無関係な実体であるという自己認識を持ってしまえば、
上のような二重構造になるが、
もともと『我』は『無我』なのであり、『他との関係においてのみ』在る。
だから、〈もともと〉「一如」なのであり、「不二」なのです。
>>745-750のあたりを飛ばして読んどったよ。ハルちゃん、すまんね。
828の兄ちゃんにも、横レスで、すまん。
>>883 貴方のいうとおりだとすると。『「私」が知り得るもの』を語っている「私」になんで。そこからいくとすごく観念的じゃない?
背中のたとえでいうと、私は背中の痛みは知ってはいるが、もっているとも言えるしもっていないともいえる。それは「ある」かもしれないし「ない」かもしれない。
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`)すいません、通りますよ・・・
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U .U
>>828さん
丁寧な解説有難うございます。
>「力への意志」=「作用そのもの」です。つまり「力への意志」という実体はないのです。
>『空』=『縁起』=『無我〔自己〕』
これはそうなのだと思うのです。そして我々は世界内の連環、それ以上でも以下でもない、と。。。
けれど、ボクはその連環世界、連環としての自己が無根拠に投機され選択の余地の無い
不条理を見出すのです。その無根拠かつ出口のない強制的な枠組みの中にあっては、
どれほど時を延長させようとその本質は不変です。で、これを「教条的」に諭されても、
奴隷頭の弁にしか見えないし、そんなことは承知の上での、その先の志向なのです。
>『自我』〔表層意識的なもの〕とは海〔生全体〕の波〔個々の人間〕が、水しぶきとなって
宙に浮いたようなものです−とありますが、ボクの志向とは正にこの宙に浮いた水しぶき。
決して生まれるはずの無い、或いはイレギュラーとしての水しぶきなのです。ボクはこの
脆弱な水しぶき、幻想でしかない水しぶき、これに根拠を生み出す唯一の可能性を見出しています。
連環から要素をぶつ切りに抽出したり、主体なる実体を想定することは愚かでありましょう。
ボクが志向しているのは、しかしこの幻想を実体化する抵抗なのです。そしてボクのこの志向
をもって主張したいのは、空であると同時に実体(化への志向)なのではないですか?
ということです。
しかし
>>873で書いたようにボクがいま示しえることは、曖昧な信念の域を出ません。
自分なりにもっと洗練する必要がありますので、このレスをもって貴方への区切りの
レスとさせて下さい。丁寧に説明してくださった心遣いに感謝します。
>>873 Sさんへ
あなたの循環図式に登場するわたし≠ヘ、わたしのわたし≠ニうりふたつ。
わたしはあなたに似ているといったのは本当のこと。嬉しくないし喜べないけど。
わたしをおいてきぼりにした恋人がハルカ。わたしの親友はレベッカのフレンズ。
今は「他人より遠くに見えるひと」。(知らないよねw)
わたしは、828さんの議論があなたにとっては無意味なことを知っています。
最後の砦のニーチェさえ。
ニーチェは「ディオニュソス的」を語ることなく謳いあげました。
なぜなら、生の形式の一部としての言語によっては「語り得ないもの」だからです。
ニーチェは「ディオニュソス的」混沌は「個体化の原理」を超越した「力」の始源
であると考えたのです。では、なぜそれを謳いあげる必要があったのでしょうか?
それは「ディオニュソス的」混沌が、あらゆる既存価値、文明、時間、空間、因果
を超越しているのだとしても、やはり生の根源であることまでは否定できなかった
からです。ニーチェは、生涯を懸けてあらゆる価値の絶対性を否定しておきながら、
最後に「あるがままの生」を絶対肯定したのです。
あなたは、この「あるがままの生」にさえ疑問を抱いてしまうはずです。
そしてその疑問にたいして思惟し続けること、これがわたしのとっての
最後の「個体化の原理」です。
>>572の上段がそのありさまなんです。(^_^;)
あなたとわたしは同じイレギュラーとしての水しぶきなのです。ちがいますか?
>>892 私はまだコッチの世界に留まっているんだけどね(苦笑)
だから
>わたしをおいてきぼりにした恋人がハルカ。
と言われてもね…^^;
ま、そんなにハイスピードではなく落ち着きながら急いでやりますよ(苦笑)
>>892 そんなにその『恋人さん』に似てるところが在るの?
だったら教えて欲しいな、よければ。
>>892 訂正 これがわたしのとっての ---> これがわたしにとっての
>>893 いずれいってしまうよ。
「生命種」を【芯】ではなくて【我】に持ってくるということはそういうことでしょ?
>>894 「同じ立場には立てない」からわからない。(笑)
彼は「生の肯定」のための瞑想とか教えてくれた。
で、自分だけさっさとおさらばしたのさ。
>>895 >いずれいってしまうよ。
>「生命種」を【芯】ではなくて【我】に持ってくるということはそういうことでしょ?
御名答。
でも『いずれ』ね。
『今すぐ』では無いさ。
>彼は「生の肯定」のための瞑想とか教えてくれた。
>で、自分だけさっさとおさらばしたのさ。
おおう、同じだ(苦笑)
親近感が湧くかも。
>>896 >親近感が湧くかも。
その親近感に何の重みも無いところが・・・ね。(笑)
>>835 ハルカへ
>そして、その『生命種』を含んだ『精神』(又は『意識』)を【我】と呼ぶ事にする。
>>743 『精神』(又は『意識』)は【私】に任せた方が良くないかな。
ふつう『精神』といったら人間特有のものではないの。
それにその方が【我】(全生命体)と【私】(人間)の区別が付きやすいし。
どうかな?
>>899 ゴメン。
これに関しては譲れないわ。
証明手段は無いけど、『意識(精神)』が在るのは人間だけじゃないし。
>>900 じゃぁ、【私】の表層意識を主に「言語能力としての意識」と定義したら?
哲板で「無意識」とか「深層意識」とか持ち出すなら必要だと思うよ。
わたしみたいに「心理学」とか「仏教」嫌いの人多いと思うし・・・(笑)
>>901 >じゃぁ、【私】の表層意識を主に「言語能力としての意識」と定義したら?
ん、そうだね。
その方が良いか。
>>902 あとは大物だなぁ。どうしよっか?
1.存在の定義と物質の位置付けの整合性の問題。
2.1.を解消するために提示した実在論が宙に浮いてる問題。(笑)
ヒントを書いてるんか…(苦笑)
>>904 いや、構図としての二元論はかまわないのさ。
ただ、「物質」が【芯】を母体にしている、というだけだと
つまり、【芯】=【無】から切り離されたままだと、
【芯】の「全体性」が損なわれるんだよ。
ハルカさんへ
無を闇と置き換えたほうがよいのでは、と思いました。
>>906 ええと。
哲学的にはどう言えば良いか分からないけど…(苦笑)
【芯】=『無(非在)』は独立はしていないんだ。
『現象界において』は生命の【芯】としての『無(非在)』と全体性としての『無(非在)』は分離しているけれど。
『英知界において』この二つは繋がっているんだよ。
>>907 それは考えたんだけど…
『闇』とするとより抽象性が増すと思ってねぇ…
実は未だに迷ってる。
>>908 うん、だから、
>>836の
>『無(非在)』は『現象界のモノ』であると同時に『英知界のモノ』で在ったりします。
これが、【無】の「全体性」なの。
だから、【物質】にも【無】が等しく内包されてないと「矛盾」してしまうのさ。
>>910 そういう事か…
そうだね…
だとすれば…
『一定時間後に英知界より『無(非在)』を引き込む時限装置付ポンプ』のようなモノが付いているのだろうね。
で『物質』に『無(非在)』が引き込まれ『崩壊する』と。
>>911 コレは『無の種子』…『崩壊因子』みたいなものかな?
>>911-912 ん? よくわからないけど・・・
えーと、生命側の【無】の取り込み方とか仕組みではなくて、
どのような次元にも、あらゆる物質にも生命にも等しく【無】は、
行き渡っていないといけないのさ。無条件で。
つまり、【無】は「普遍的」じゃないといけないんだよ。
>>913 それこそ何故?
普遍的に行き渡っていないと矛盾点が出る?
私は
>>836で
>『現象界』に顕現している部分は殆ど0に等しいですが
と言っているんだけど…
これをミスリードしたかな?
『無(非在)』が在るのは…
・現象界
生命の【芯】
物質の【崩壊因子】(仮)
この宇宙の【外】
・英知界(と言うより、全ての根本次元)
普遍に常在
>>914 うん、だから「物質の【崩壊因子】(仮)」=【無】とするならOKです。
>>915 ただ。
多分【崩壊因子】(仮)は本当に微細な『点』みたいなものだと思う。
ある時期(各物質に書かれたプログラムによる?)が来ると『点』に英知界から『無(非在)』が流れ込む…
こうだろうと思う。
>>916 「点」かぁ。・・・・ムズカシイ概念だしてきたね。(笑)
そうでもしないと、生命だけが【無】を内包してるから・・・・という論が成り立たないもんね。
だから、わたしは【無】を実在論のレベルに落として【無秩序】として扱ったらどうかな、
という案を提出したの。
>>256
>>917 うーん。
そうすると今度は『有と無は対極』が『秩序と無秩序(混沌)は対極』になってしまうし。
全然意味が変わってしまうしね。
ちょっと「太極図」のイメージで考えてみた。
(「太極」=【芯】=【存在】=【無】と仮定して)
「太極」自体は勾玉を描いていない「丸」のこと。(ホントは縁もない)
(勾玉の描かれた)「太極図」が、いわゆる陰陽(相対原理)を表現したもの。
「太極図」といっても、縁のない「丸」は描けないから、
勾玉を描いて陰陽を配したところの図から、というのがわれわれの限界。
で、すでにこちらの次元にある「太極図」が意味するのが万物の生滅流転。
「個体化の原理」は、ここでいう陰陽を配した「太極図」の中での一現象。
つまり、陰陽(相対原理)が生み出したもの。
しかし、陰陽(相対原理)は「太極」自体が生み出しているのではない。
生み出しているとしたなら「生み出す側」「生み出される側」に「分離」
してしまうので「太極」の「存在定義(
>>448)」が損なわれてしまう。
「太極」自体は、この陰陽を成り立たせている原理そのものなのだから。
で、「太極図」の次元での「陰」と「陽」を「無秩序(混沌)」と「秩序」
と仮定するのはどうかな?
これならハルカの論も使えるし、
>>256の実在論も併用できるでしょ?
何より【物質】にも等しく【無】を付与できるから「存在定義」が、
損なわれないですむ。
「無秩序」はあきらかに「崩壊」「死」のイメージだし、どうかな?
無でも闇でもいいけど。
僕は闇のほうがしっくりするんだけどね。
逆に物質には無(闇)はないってことなんだよね。
>>919 うーん…
【現象界】での理論だったらそれでOKかな?
ただ、実際に私が体験したのとはちょいと異なるけど…
良いでしょう(苦笑)
>>920 >逆に物質には無(闇)はないってことなんだよね。
無いと言うよりも『生命のようにハッキリとした形では内在されていない』ってだけ。
ほぼ『無いとイコール』だけど、かと言って『零ではない』って事。
>>921 >良いでしょう(苦笑)
うん、じゃぁこれで行こう!(笑)
【無】・・・・・・現象界での【無秩序】
【存在】・・・・現象界での【秩序】
わたしの哲学的の重ね描きはここまでかな。
あと、ハルカの方は「点」の定義が必要だね。
たいへんだぁ。(笑)
ちなみに、わたしの思う現象界での【無秩序】 と【秩序】の関係って
「色即是空」です。だから「空」って「実在」の概念なの。暴言かな?
>>924 いいところ突いてると思うよ。
>>925 >ちなみに、わたしの思う現象界での【無秩序】 と【秩序】の関係って
>「色即是空」です。だから「空」って「実在」の概念なの。
暴言でも何でも無いと思う。
良い着眼点だよ。
>>926 よかった。(^.^)
じつはそうでないと、重ね描きモデルに矛盾がでるんだ。
だから、
>>197の【実在】の「存在仕方」
>3.【実在】は【不確定性原理】および【相補性の原理】にしたがう。
というのは、そういうこと。
だって色即是空です、っていえないもん。(笑) 分かってると思うけど。
>>927 なるほどね。
じゃあこの際…
現象界の『無(非在)』
無秩序。
『秩序』を基本とする『実在』にとっては対極の関係。
英知界の『無(非在)』
有に対する無。
全くの非在であり、如何なる形態の『有』もその形を保てない。
としよっか?
>>928 OK。いいと思う。(=矛盾しないと思う) (^.^)
物質に無(闇)がない。
空の部分には無(闇)がある。
生命(僕)には無(闇)がある。
そして、この現象界に対応した英知界では無(闇)が繋がっている。
これはどれくらい近いのかな
>>930 一行目のみ訂正。
後はほぼOK。
>物質に無(闇)がない。
物質に無(闇)は無いに等しい。が、零ではない。
物質は無(闇)を内在しない。
ならOKですか
>>892 カオルさん
ボクが無知で意固地な点、以外は同じなのかもしれません。
以前貴方に宛てた比喩は撤回します。貴方の真剣さは条件如何に関わらないものだと思ったからです。
空回りして循環しているのはボクの方です。(でも何とか修正を試みて拘ります!)
今、ボクの引き出しは空っぽです。時間をください。
935 :
考える名無しさん:03/08/05 20:30
妄想オナニーを理解するスレか・・・・
実に哲学的だな。
936 :
考えが名無しさん:03/08/05 20:56
パルメニデスの『あるものはあり、ないものはない』を延々と語るスレですか?
無は無いが、無という<存在は>存在するとか
存在を分割すると分割した空間に無が入り、
有の存在に無が入ることは矛盾するから分割は出来ないとか
悟ったっておこがましくない?せめて『考えたよ!俺考えたよ!』に落ち着いときましょうよ
937 :
考える名無しさん:03/08/05 21:03
何も知ることはできない。
自分が悟ったと思ったらそれは悟ったのである。
938 :
考える名無しさん:03/08/05 23:27
...で、「悟った」ってなに?
議論集結w
939 :
烏頭 ◆ctH8vllibs :03/08/05 23:37
少しばかり『無(非在)』の在り様に付いて論が錯綜したので…
纏めてみました。
☆『無(非在)』とは?
基本性質は『ある状態の対極』を示す。
同じ『無(非在)』ではあるが、その顕現する『界』によって異なる表象を持つ。
1)『現象界』への顕現
この『界』では『秩序』に対しての『混沌』としての表象を持つ。
無秩序であり『形を成さぬただの存在』が普遍として在るだけとなる。
この『現象界における無(非在)の表象』を仮に【澱】と呼ぶ。
2)『英知界』への顕現
この『界』では『有』に対しての『無』としての表象を持つ。
完全なる『無』であり、如何なる形態であれ『有』はその存在を保てない。
この『英知界における無(非在)の表象』を仮に【闇】と呼ぶ。
『現象界』の【澱】と『英知界』の【闇】は同一のモノがその形態を変化させただけである。
何故表象が異なるかと言えば『現象界』においては『完全なる無』は存在し得ない為だ。
であるから『現象界』では『混沌』(エントロピー増大)という形態として顕現する。
より正確に言うならば『秩序の崩壊作用を有す』形態として顕現する
こんなもんでどーよ?
941 :
考える名無しさん:03/08/06 02:42
無知無得
942 :
考える名無しさん:03/08/06 03:11
>>940
『完全なる妄想』
『完全なる虚無信仰』
『完全なる思考停止』
そして
『完全なるオナニー』へ・・・・・・
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`) すいません、 ここで一句
| /
| /| | 通りますよ 「上げたら折れの射程距離」
// | |
U .U (折れ=壊れる)
944 :
考える名無しさん:03/08/06 04:46
妄想オナニースレ、ハルカなる旅路。
|
|⌒彡
|冫、)
|` /
| /
|/
ハルカさんへ
仮に澱を虚無と呼ぶのはどうでしょうか。
947 :
考える名無しさん:03/08/06 16:01
止まらないでしょ。
観念を実体化して語っているから(実際はどうかわかりませんけど、)。誰かにとっては意味があるかもしれないし。
英知界の完全なる無って現象界を有としてるだけでしょ?
よく出て来るフマっていくのは犯罪者のことですよ
>>934 Sさん
Sさん、わたしはあなたに冷たかったかもしれません。
きっと近親憎悪なんだと今は思います。ごめんなさい。
それから、わたしは哲学は知識じゃないと思いますよ。
もちろん、Sさんが無知だといいたいわけじゃなくてね。
それと、Sさんのこだわりは意固地とはちがいますよ。
だって、Sさんの心の一番大切な部分じゃないですか。
わたしバカだから察してあげられなくてごめんなさい。
>今、ボクの引き出しは空っぽです。時間をください。
また、いつかどこかで・・・・・楽しみにしています。
Sさんに出会えてお話ができて本当に良かったです。
心から感謝!感謝!です。ありがとうございました。(^.^)
わたしは、無を知りません。わたしの死は、無じゃありません。
わたしは、思惟し続けることでしか、わたしではいられません。
わたしは、真理を追い求めるけれど、うながすのは誰でしょう。
あれかこれかの選択を迫られ、先に先にと脅されているのです。
進むことをやめたら、あるがままのわたしになれるでしょうか。
わたしの心身にあり続ける苦はどこかに消えてなくなりますか。
わたしは、わたしの生きていることの不自然さに気付きました。
この気付きのあまりの素直さが、とっても気に入らないのです。
あるがままって至福なの?それとも絶対に安心できることなの?
わたしを散々な目に合わせておいて、辿り着く先が至福なんて。
わたしは、ご褒美の餌に釣られて今も生きているのでしょうか。
ねぇ神さま、もうわたしにつきまとうのはやめてくれませんか。
お願いだから、わたしのことなんか永遠に忘れて欲しいのです。
匿名の誰かが、言語を獲得してわたしになりました。
ゆえに、わたしの成立基盤は思考の形式にあります。
わたしは、同一性と差異性との相対関係のなかに住まいます。
それが、わたしに与えられた生活様式であり、生の形式なのです。
それに従うことは、わたしが思惟し語り記述することと同義です。
また、わたしはその不可欠の前提にしばしば無自覚になるでしょう。
たとえば、わたしが無を生の形式を超えたそれ≠ニ示唆するとき、
わたしは、わたしが生の形式に従っていることに無自覚でいるのです。
さらにいうなら、わたしがわたしの実在性を懐疑しないという事態も、
わたしが、わたしを成立させている生の形式に無自覚だからでしょう。
言い換えるなら、生の形式に自覚的になるということは、生の形式の
無根拠性、わたしやわたしの世界が「ア・プリオリな秩序」ではない
ことに気付くことなのでしょう。
それでも、わたしはわたしでいるかぎり、生の形式に従う
わたしでしかなく、どのようにではなく、そのように従うのです。
同じように、無が生の形式を超えたそれ≠ネら、無への問い自体が
無効なこと、あるいは、問いの形式自体の無根拠性に気付くでしょう。
このように、わたしに表象してくる形式世界を相対化するのではなくて、
生の形式自体である相対性を相対化してしまうなら、もはや残るものは
何もないでしょう。わたしは、この様態があるがままなのだと思います。
つまり完全なる思考停止、わたしの削除依頼です。単なる生の継続です。
でも、わたしはこのからくりに騙されたくない。死を創造したいのです。
>>940 ハルカへ
>こんなもんでどーよ?
『無』は、性質を有しているのか?
『無』は、対極する何かを有するのか?
『無』は、顕現するような何かなのですか?
『無』は、表象されるような何かなのですか?
・・・・・のような批判はあると思います。
それは、個人の真理(ハルカの体験知)を言語化することへの不信、
あるいは、真理を言語化することへの限界を指摘するものでしょう。
でもだからこそ、わたしはハルカを誉めてあげたい。良く頑張ったね!
わたしは、ハルカの真理に立ち向かう勇気と探求心を尊敬しています。
とても有意義な時間が過ごせたことを心から感謝します。ありがとう。
953 :
考える名無しさん:03/08/06 22:42
>>952 君は何か勘違いしてるようだな。君のハルカ像は妄想だよ。
15 名前:ハルカ ◆0tZOcyVq86 [sage] 投稿日:03/06/16 05:48
>>13 前にも言った通り『自分が間違っている確信を得られるきっかけを探して』いる。
この2chでね。
無理とは思うケド、それでも『不特定多数が集まる匿名掲示板』というものに期待したい。
どうしても『無理』だったら、それを確信したら…
そしたらもう一度『それ』に向かうさ。
それまでの『逃げ場所』だよ、此処は。
21 名前:ハルカ ◆0tZOcyVq86 [sage] 投稿日:03/06/16 06:18
>>19-20 だから…本気で『根本疑問』を解こうと思ったら『それに向かう』か『忘れた振りする』かの二択しかないの。
手段は色々有っても、最終的には『それに向かう』事は変わりないんだから。
で、今の私は『それに向かう』事が恐怖だから、此処にいるわけ。
955 :
考える名無しさん:03/08/07 01:33
わからないのが
悟りはロジックの元で働く
じゃあロジックが無ければどうなるの?
無秩序、矛盾の世界で悟りは共通する?
956 :
考える名無しさん:03/08/07 04:55
>>952 ↑
こいつ何?妄想に釣られて一人でFA出して飛んじゃったひと?
なんかポエムとか書き出すしメルヘン板か?ここは。
↑
一々アゲるなや、粘着カスが!
958 :
考える名無しさん:03/08/07 05:30
↑ぷ
ウッヒョー
\\
( ・∀・) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >__Λ∩
_/し' //. V`Д´)/
(_フ彡 / ←
>>958
961 :
考える名無しさん:03/08/07 17:01
妄想ポエムでオナニースレ
・・・恥を忍んでレスします。
ボクは無知な上に大馬鹿でした。カオルさんの知性にもハルカさんの実践にも追いつけず、
そのくせちっぽけなプライドを守るために、ボクは時間を下さいなどと体裁を整えた逃げを
打っていただけでした。時間を置いたからといって何になりましょう。彼我の経験、知識の
差は相対的に変わるはずもなく、そんなものを貴方が期待しているなら、最初から無知なボク
とレスを交わすはずもありません。
ボクは実体のないイレギュラーの飛沫。そんな脆弱な飛沫が飛沫の体裁を整えても仕方ない。
カオルさんはボクと似てるといってくれた。なら、正に今という瞬間にどうして己れをぶつけ
ないでいるのか。ハルカさんがボクと反対なら、どうして嫌われるほど己れを示さないのか。
飛沫という幻はどこまでも幻で、どこまでもその形式に縛られています。ボクが「青い血が何
だと言うのです!」と叫んでも、その叫びそのものが囚われた惨めな姿でもあります。その叫び
自体が何なのか、ボクにはわかりません。でも同じ問いをもっている人がいて、その問いが罠だ
と言う人がいて、真剣に言葉を交わす出会いに恵まれたのだから、ボクはやっぱり話がしたい!
(とんでもない奴。軽蔑してください。)知識は追いつかないけど、勉強しますから。
或るスレで、霧という人が「コードを叩き壊して実存に賭けろ!」と言っていました。今、ボク
のちっぽけなソウルを責め立てるように響いています。ボクは反転してレスすることにしました。
だからと言って甘い期待もしていません。覆水は盆に帰らず、信頼も失われたのですから。。。
それでもここで待ちます。
それに、ボクに心遣いをしてくれた人が最後の晒し者になるよりも、ボクが道化として笑い者になる
方が余程お似合いですし、破廉恥なボクが示せるせめてもの姿勢です。
「わたし」は何を求めているのか。「わたし」は何なのか。
「わたし」は維持されるものか、克服すべきものか、消え去るべきものか。
答えを出すには早過ぎます。
>>962 Sさんへ。
私は貴方に対して失望したりしていませんよ。
大丈夫。
これまでの議論で
『人間の中で【我】(『自我』)は如何様な位置付けにあるのか』
というのが大体確定出来ました。
そして、現状から脱し『楽』になった状態も。
(勿論、私の妄想だとする人が大半でしょう…それはそれで良いですが)
正直、私の『体験知』を言葉にするにはまだまだだと思います。
ですが、此処まで来れたのは御協力下さった皆様のお陰です。
特にカオルさん、Sさん。
貴方方には最大級の賛辞を捧げたいと思います。
有難う御座いました。
>>ハルカさん
えと、お話しても宜しいでしょうか?
>>965 はい、どうぞ。
レスに少し時間がかかるかもしれませんが(苦笑)
>>ハルカさん
ハルカさんが以前指摘したように、ボクは貴方と完全に立ち位置が異なります。(この指摘
を認めます。)そしたら、ボクが貴方に関われることはもう何もないのでしょうか。逆に、
ボクの甘い希望を徹底的に叩くことで、貴方の「楽」の肯定に多少なりとも寄与させるという
のはどうでしょうか。ハルカさんの体験知の整合を更に深める過程と平行する形で。
えと、それ以前に
>>964のレスは、これで打ち止めという意志表示なのでしょうか。
>>967 >>964は明確な『打ち止め』と言う訳では在りません。
ただ単に『一息付いた』ってだけです。
私の探求はまだまだ続行です。
本当はこんな『体験知を言葉にする作業』なんて…
余分も余分なんですがね。
こんな事してる暇があったら探求に戻れ、と(苦笑)
>>967 >そしたら、ボクが貴方に関われることはもう何もないのでしょうか。
>逆に、ボクの甘い希望を徹底的に叩くことで、貴方の「楽」の肯定に多少なりとも
>寄与させるというのはどうでしょうか。
そこまで自分を卑下しなくても(苦笑)
そうですね…
こう言ってはなんですが、貴方が居る事によって『遣り残しの消化』が出来ているんです。
私は元来『理論好き』でした。
考える事が好きでした。
思考に取り憑かれていました(そして、今もそうです)。
だから『思考を燃やし尽くす』必要があるんです。
貴方は私にその機会を与えてくれるから…
それで良いんです。
>>ハルカさん
えと、探求に戻るための整合を今なさっているのでしょう?(なら必然な道と思います。)
ボクがここにいられるのもそのお陰ですし。(不本意かもしれませんが)
以前カオルさんの質問に答えたレスから・・
>自己をもって自己にふるいを掛け−具体的にはどのようなことでしょうか?
正に預かり知らない自己を認識したことを起点に、ボクを規定し拘束するあらゆるものへの
隷属を停止し、抗います。外界との関係、身体の束縛を遮断することを試み、ボクという精神
そのものにボクのすべてを集約させることを試みます。そのふるいの先に何が残り、何に到達
するかは予測不能です。これまでの外界情報の記憶照合から、目視可能な現象レベルでの予測
はまず確実なものがありますが。
極めて大雑把な表現しかできていませんが、この行為についてどう思われますか?叩いて下さい。
>>970 ええと…
じゃあ、一言だけ。
『ボク』というもの、『自分』というもの、『自我』というもの、『記憶』というもの…
これらに『拘っている』限りは『その地点止まり』です。
一回全てを手放して下さい。
『自分』を…手放して下さい。
あ、すみません。これまで繰り返しボクに助言されてきたその言葉に
ついて、以前のレスより以下の確認をさせてください。
>逆に私の方が貴方に聞きたいです。
>私が『かつて歩いた道』を貴方が歩こうとしているから…
>だから『それは罠だよ。囚われると一歩も動けない事になるよ』と『注意を促している』
>のが無駄なのでしょうか?
ハルカさんがかつて歩いた道がボクの示したような目的と方法のものであったのか、それとも
「芯」への帰入を目指したものだったのか。それがポイントです。
>>972 >ハルカさんがかつて歩いた道がボクの示したような目的と方法のものであったのか、それとも
>「芯」への帰入を目指したものだったのか。それがポイントです。
両方とも違います。
何を目的としているかが大事なんじゃありません。
貴方がかつての私と同じ様に『自己に対して絶対の信頼を置く』という『行為そのもの』が…
それが『罠』なのです。
もう一度言いますね。
『【我】(自我)は信頼を置くべきものじゃない。先に進むのを邪魔しているだけのものだよ』
映画タイタニックのローズの旦那さんの気持ちがよく分かるよ
ボクの考えでは未だハルカさんのいう「我」−「私」の明確な区別ができていません。
というより、正確には未分化だと思っています。そして、どちらかといえば「私」寄り
に「自律の萌芽」を見てとっています。
で、ボクの求めるところは「我」−「私」の純化作業による「自律の萌芽」の抽出と
その即時自立なんです。(ま、荒唐無稽ではありますし、そもそも相対的、連環の一環
として成立しているものなのですが、、、)
この場合どうでしょうか?
>>975 >そして、どちらかといえば「私」寄りに「自律の萌芽」を見てとっています。
コレはね…正直言って『そこには何も無い』よ。
もっと正確に言えば
『そこにあるのは【我】の写身。細部の違いはあっても【我】でしかない』よ。
それが『罠』なんだよ…
繰り返し言うけど。
それじゃ、ぶっちゃけ、「我」の末裔でも「私」の末裔でもいいのですが、
それ自体として即時成立、即自立に到達できれば、それがボクの望むものなのです。
これも「罠」?というか、即時成立、即自立は絶対にありえないと言いたいのですか?
>>977 即時成立は有得ます。
と言うか、即時成立しか有得ない(苦笑)
ですが『即自律』は有得ません。
つーか『自律がある』と思う事自体が『罠』なんだけど…
>>ハルカさん
>>962より
>飛沫という幻はどこまでも幻で、どこまでもその形式に縛られています。ボクが「青い血が何
>だと言うのです!」と叫んでも、その叫びそのものが囚われた惨めな姿でもあります。その叫び
>自体が何なのか、ボクにはわかりません。
で、これが自律を錯覚している「罠」だと思うのです。けどね、他に自律の可能性を見出せない
のです。(あったら教えてよ。)これが駄目ならもう人形から抜け出して青い血を赤く染める可能
性なんて何処にもないと思う。でも、カオルさんが言うように、もう「私」がだれの意志なのかも
わからない−というのもあります。だからといって、カオルさんのいうように、「あるがまま」への
帰順、これにはボクも不自然さを感じるし、納得いかないんです。(これも「罠」なんでしょうけど、
それだけなのかなあ。)
>>979 あのね。
物凄く残酷な…それこそ最後通牒に等しい事を言うよ?
いい?
『悟り』『覚醒』『全一』…
そんなものを実現したとしても『生命である限り』自律性なんてモノを得られないのです。
自律−物凄く魅惑的な響きを持つ言葉です。
しかし、決して獲得する事は出来ない『錯覚の言葉』なのですよ。
次スレ立てますよ。スレタイは現行が不評なのと、本スレが別にあるという
理由から変更したいのですが、宜しいですか?
「悟ってないけど、悟りたい」とか「悟りたいとか自律したいとか」
適当につけますけど、どうですか?
生命の枠組みを越えでたらどうよ?というかその試みなんだけど。
じゃ、不遜ですがボクの志向も追加したいので後者にします。
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