思考し、表象する主体のようなものは存在しない。<5.631>
主体は世界に属さない。それは世界の限界である。<5.632>
世界の中のどこに形而上学的な主体は見出されうるか。ここでの事情は眼と視野の場合と
全く同じである、と君はいうであろう。しかし君は実際は眼を見ないのである。そして視野
における何物からも、それが眼によって見られていることは推論されえない。<5.633>
このことは、我々の経験のどの部分もア・プリオリではないということに関連している。
我々が見ることのできるすべてのことは、別のようにもありうるであろう。我々が記述
することができるすべてのことは、別のようにもありうるであろう。もののいかなる
ア・プリオリな秩序も存在しない。<5.634>