求む。
分哲マンセー
ジョン・ホスパースの「分析哲学入門」ってどうです?
5 :
考える名無しさん:03/03/18 00:52
科哲マンセー!
6 :
考える名無しさん:03/03/18 00:57
自分は読んだことないけど、どこかのスレに
「飯田や大庭の本より平易だ」と書いてあった。
7 :
考える名無しさん:03/03/18 00:57
6は5宛てです。
8 :
考える名無しさん:03/03/18 00:58
違う・・・
6は4宛てでした。
しかし人気ないなあ・・・
11 :
考える名無しさん:03/03/27 19:41
読み終えたら感想よろしく。
もし宜しかったら。
12 :
考える名無しさん:03/03/30 02:10
aga
13 :
考える名無しさん:03/03/30 07:51
ホスパースの『分析哲学入門』は、ほんとアメリカ型の教科書的入門書で、つまら
ないけど、主要哲学主題をカバーしておりそれにどんな仕方で分析哲学が迫るのか、
そして、分析哲学からの古典的な回答のいくつかはどんなものだったのが、学ぶ事が
できる。
アメリカン・スタイル・テクストブックおなじみの章末演習問題も設定されており、
分析哲学の古典的手法を「知る」だけではなく「身に付ける」には、飯田・大庭両氏の
仕事より先ずはお勧めかも・・・・
いま第一巻読んでます…
15 :
考える名無しさん:03/04/09 23:25
ラッセルとかフレーゲとかの著作って英文なんだよね?
そしたら、原書で読んだほうがいいのかな?
簡単に手に入るの?
16 :
考える名無しさん:03/04/09 23:51
フレーゲの著作が英文と思ってる時点でどうかと思う。
18 :
考える名無しさん:03/04/10 02:16
結局のところ、科学とは知識の公共化に尽きるのではないか?
科学がその意義を認められるのは、科学的見地が常に再現可能であり、超時間的な普遍性
をもっていると見られるからであり、これが人々に説得的に受け入れられるのは、科学の
さまざまなプロセスを求めるならば与えられるという点と結果を享受することができる科学
の公共性にかかっていると思われます。これが伝統技能やオーパーツを作ったような
秘められた技術と近代科学の大きな相違点だと思います。
だとすれば、自然に対する制度化された知識体系を科学と定義すれば、科学を論じることは
きわめて近代社会論的な様相を帯びるのではないか。
そうすると、科学哲学と分析哲学の関係とその意義とはどれほどのものか? う〜ん・・・。
19 :
考える名無しさん:03/04/10 23:32
フレーゲとラッセルがもっていたような論理学についての考え方は、
研究対象である論理(対象論理)と、その論理について語るための
論理(メタ論理)とを区別する、現在の論理学研究では捨て去られ
て久しい考え方である。(飯田隆「ウィトゲンシュタイン」p.110)
↑これってどういうことでしょうか?
戸田山和久「論理学をつくる」や小野寛晰「情報科学における論理」
といった論理学の教科書では、対象論理とメタ論理を区別している
と思います。
何時何処でその考え方が捨て去られ、現在ではどのような考え方に
基づいて研究がなされているのでしょうか?
↑読み間違えです。早まりました。
21 :
考える名無しさん:03/04/10 23:42
フレーゲ は ドイツ人 だ よ。
ドイツの哲学学会では相手にされなかった から エゲレス人の ラッセルと
文通 してた の さ !
「出会い系」ってやつかな、今の社会で言うところの。
違う?
22 :
考える名無しさん:03/04/10 23:55
索引からそのページに入ったので、前後の文脈が踏まえられておらず、
激しく意味を取り違えました。
飯田のその文の正しい意味は、「論理学の目的は、どのような推論が
正しい推論であるかを述べることだが、正しい推論の全体が何である
かを述べるためには、我々は、それと全く同じ推論を用いなければな
らない。我々に与えられている論理は唯一であり、我々はその外に立
つことはできない。」というWやF、Rの考え方が「対象論理止めた論理
を区別する現在の論理学研究」では捨て去られている、ということで
した。
「対象論理とメタ論理を区別するというFやGの考え方」は、現在の論
理学研究においては捨て去られている、と読んでしまったのでした。
失礼。
24 :
考える名無しさん:03/04/11 01:36
19は、原文ママなら、誤解を生んでも仕方ない書き方だな。
論理的じゃない人には誤解されるように書いてるのでは?ククク
27 :
考える名無しさん:03/04/11 09:45
自然科学の対象は宇宙。宇宙は論理に規定されてはいない。論理に規定されてる
のは人間のあたま。
僕が興味あるのは、やはり、いわゆる複雑系の科学の今後です。
無理数的なものにどう切り込むのか、
「総合」的なものは普遍論争にどのような決着をもたらすのか、
科学哲学的興味からも大いに注目されてしかるべきだと思ったりします。
科学哲学は、哲学において問題であるところの主客問題を
科学を思考材料に論じているのだと思う。それで興味深いです。
27さんの言っていること、「論理に規定されるとは」どういうことなんですか?
「論理的」の意味するものは何なのか、僕には良くわかりません。
レーヴェンハイム・スコーレムの定理とは何ですか?
クワインが良く引き合いに出しているようですが。
http://mentai.2ch.net/philo/kako/999/999798385.html 869 名前: 考える名無しさん 投稿日: 01/10/05 18:58
>>854 定理
Lを述語F1,F2,…,Fk(単項述語である必要は無い)を持つ言語としよう。
Iを、Lのあらゆる述語への内包の割り当てという意味での解釈であるとしよう。
それから、Iがとるに足りない解釈ではない、すなわち[Iでは]少なくとも一つの述語が
少なくとも一つの可能世界で空集合でも全体集合でもない外延を持つ、と仮定しよう。
その時、Iとは一致しないけれども、あらゆる可能世界でIが真とするのと同じ文を真とする
第二の解釈Jが存在する。
870 名前: 考える名無しさん 投稿日: 01/10/05 18:58
証明
W1,W2…をある仕方で整列されたすべての可能世界であるとしよう。
また、Uiを世界Wiに存在する可能的個体の集合であるとしよう。
RijをIによる、可能世界Wjでの、述語Fiの外延である集合としよう
(Fiが単項で無いなら、Rijは、niがFiの独立変更の座の数である場合、順序ni組の集合となる)。
構造<Ui;Rij(i=1,2,…k)>は、Iに相対的な、世界WjでのLの
「意図されたモデル」である(すなわち、Ujは世界WjでのLの論議領域であり
(i=1,2,…kであるとき)RijはWjでの述語Fiの外延である)。
もし少なくとも一つの述語、例えばFuが、空でもUjの全体でもない外延Rijを持つなら
Pj(Rij)≠RijであるようなUjの入れ換え関数Pjを選択せよ。
そうでない場合は、Pjを恒等写像とせよ。
Pjは入れ換え関数であるから、構造<Uj;Pj(Rij)(i=1,2,…k)>は
<Uj;Rij(i=1,2,…k)>と同型であり、したがってLの同じ文
(すなわち、WjにおいてIのもとで真となるLの文)に対するモデルとなる。
Jを述語Fi(i=1,2,…k)に次の内包を、すなわち
その値が任意の可能世界WjでPj(Rij)となる関数fi(W)を割り当てるLの解釈とせよ。
言い換えれば、解釈Jのもとで各世界WjでのFiの外延は、Pj(Rij)であると定義される。
<Uj;Pj(Rij)(i=1,2,…k)>は、(同型性により)<Uj;Rij(i=1,2,…k)>と
同じ文集合に対するモデルであるから、JのもとでとIのもとでとは、各可能世界で
同じ文が真となり、かつ、取るに足らないものではない外延を、少なくとも一つの述語が持つ
あらゆる世界において、JとIは異なっている。証明終わり。
32 :
考える名無しさん:03/04/13 19:53
あげ。
レーヴェンハイム・スコーレムの定理は、うろ覚えだけど、
しかも日常言語だけど、加算個のモデルをもつ理論は非加
算個のモデルをももつ、というのでいいんじゃないか?
人によっては、パラドクスとも言う。クワインはこれで、
指示の不可則性を主張したんじゃなかったか?
30-31は入れ替え議論のウ゛ァージョンで、特に31は
permutation-functionの存在定理だと思う。
35 :
考える名無しさん:03/04/15 02:29
>>16 ホスパースのを終えたら言語哲学大全も読もうと思ってます。
そのスレにも世話になるかもしれません。
ところで『分析哲学入門』の「言葉の上の論争」に関する説明には感動しました。
ちょっと引用
「『森で木が倒れたとき、そこにその音を聴く人が誰もいない場合、音はあるといえるだろうか』という古くからの議論は、そこに含まれている語の意味が明らかにされることによって解決されるような言葉の上の議論(verbal dispute)である。
ここでは、鍵となる語は『音』である。もしあなたが、機械に録音することができるような音波(空気の交互の圧縮化と希薄化)について話しているのなら、その気が倒れるのを聞く誰かがそこにいるかいないかに関係なく、音はあるといえよう。
だがもし、音に関する経験・音の感覚を意味しているとすれば、音に関する経験はありえない、ということに同意するであろう。
『音』という語が二つの異なった意味で使われているのだということがひとたび明らかにされれば、論争は解決されるのであり、議論すべきものはもはや何も残っていないことになる。」
目から鱗が落ちるというか、とても新鮮に感じられました。
分析哲学(・∀・)イイ!ですね。
>>35 なるほどね〜分析哲学って面白いですね。読んでみようかな?
自分は村上陽一郎さんの「新しい科学論」を読んで、
科学哲学に興味をもちましたが、
科学哲学と分析哲学はどのような関係にあるのですか?
このスレもそうですが、よく並立されていますよね。
でも、例えば村上さんと飯田さんは、科学史家と哲学者って感じで
世界が違うような気がします。
(^^)
39 :
考える名無しさん:03/04/17 15:26
心と意識の科学哲学的にも面白くないか?
とりあえず参考文献あげとく:
信原幸弘 「心の哲学」「意識の哲学」
村田純一 「色彩の哲学」「知覚と生活世界」
などなど
41 :
考える名無しさん:03/04/19 16:58
42 :
考える名無しさん:03/04/19 23:35
>>40 今度読む予定。
ベイズ主義についても書いてあるらしい。
43 :
考える名無しさん:03/04/20 01:25
野本和幸先生がまた本出すって言ってた。
ケイソウ書房から、フレーゲの伝記的な内容を記述したんだってさ。
確かサブタイトルがFrege in context だったかな。
もう原稿をケイソウの富岡さんに渡したって言ってたから,夏ぐらいには出るかも。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
46 :
考える名無しさん:03/04/25 02:24
時代は心の哲学だよ。ハイデガーと認知科学だよ。
47 :
考える名無しさん:03/04/25 02:28
かがく-てつがく【科学哲学】
〔philosophy of science〕自然科学を主要な
手がかりにして行われる、科学的知識の基礎
論・方法論・批判などの哲学的営み。
狭義にはウィーン学派以降の論理分析を方法とする哲学を指す。
三省堂提供「大辞林 第二版」より
まとまった体系の科学的内容を排出し、様々な学問を拓いてきたこと
で、「哲学」という分類の科学性をいちいち無に帰してきた学問にとって、
科学的な手法によって厳密に検証されるというのは感動的にも思える。
明示的に語られることと、多くの人に感動を与えることの区別は重要。
そういう意味では、ニーチェもハイデガーも小説家に近い。
>>46 (小説家とは思えんが)ハイデガーと認知科学……この辺の話って、
デネットとかチャーチランドなんかとつながってるんすか?
50 :
考える名無しさん:03/04/27 17:46
メール欄の"sage"は半角でないと効果なし。
ageるつもりなのであれば別にいいんだが・・・
sageでは超褒めすぎです。ageは半角でけっこうだと思う。
とにかく、あなたの前ではお手上げです。
では、お手紙お待ちしてます。see you then,please!!
53 :
考える名無しさん:03/04/27 17:55
54 :
考える名無しさん:03/04/27 18:46
レーヴェンハイム・スコーレムの定理に
関連して、
全ての可能な命題全体の濃度は自然数の濃度
と等しいか?
また、全ての実在の濃度は自然数の濃度に
等しいか?
55 :
考える名無しさん:03/04/27 21:35
>49
産業図書から、信原さんと門脇さんの編集で
『ハイデガーと認知科学』って本が出てるのよ。
(俺は46じゃないけどね)
ところで「分析哲学って何?」って人は、
『現代思想』2001年11月臨時増刊号に戸田山さんの
書いてる「分析哲学」って項目を読むとよいよ
56 :
考える名無しさん:03/04/29 03:39
>>55 クオリアの問題:デカルトの松果体説・スピノザの心身平行説、
フロイト、フッサール、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、
デイヴィットソン、、、
とりあえず信原幸弘『心の哲学』あたりから入ればよい。
57 :
考える名無しさん:03/04/29 03:41
わかった。ありがと。
58 :
考える名無しさん:03/04/30 20:26
飯田の言語哲学大全も十分平易かと。
59 :
考える名無しさん:03/04/30 20:31
あ、野本さん翻訳をだすわけじゃないのか…。失礼。
61 :
考える名無しさん:03/05/01 01:33
科学哲学って最近はやんないよね。
科学社会学みたいなんばっかりで。
ソーカルにやられたわけでもないだろうに。
はやりのトピックスあれば教えてくれ。
62 :
考えぬ名無しさん:03/05/01 08:33
>>61 しばらく前は科学社会学がメゲて、エスノメソドロジーが台頭していたが、その後ど
ういう状況になっているのだろうか?
63 :
考える名無しさん:03/05/02 02:46
村上陽一郎どうよ
黒木玄やらに叩かれてるけど
みんなはどれくらい評価してるの?
64 :
考える名無しさん:03/05/02 02:48
あんまり・・・
65 :
考える名無しさん:03/05/02 12:34
>>61 田舎の厨房が何を聞いたようなこと言ってるわけ?
主題はまさに知と権力だな
67 :
考える名無しさん:03/05/03 02:21
>>35 音が音波を指示しているのだとしてもね、そうした物理的対象
が知覚者と独立に存在しているとするのは、すでに実在論に
コミットしている人たちの意見であって(この場合はそう)、
単に言葉の指示を明らかにさせるだけで、哲学的な問題が
解消されるとは言えないんじゃ。
結局のところ、そうした物理的対象が知覚者とは独立に
存在するというのも、録音した音を視覚ないし聴覚で
後から確認するから分かる、と主張する哲学者はいる
と思うよ。
68 :
考える名無しさん:03/05/03 02:36
35じゃないけど、
音の知覚に形態的な要素をどう考えるかってことに
よると思うよ。
知覚一般の問題だけど・・・
69 :
考える名無しさん:03/05/03 02:43
>>68 つまり、指示だけでは問題は解決しないってコト?
どうか「考えるか」が問題ってことは。
70 :
考える名無しさん:03/05/03 02:58
音は時間的拡がりを持って聴かれているわけで
汽笛が「ボー」と鳴ったり、メロディに聴きほれるのも
時間的拡がりのある知覚でなければ成立しない。
無機的な空気振動を「音」の知覚にまとめあげているのは
知覚者のほうでしょう。(なんかベルグソンみたいになったな・・)
>>70 いや、物理的な印としてテープを傷つける
といった無機的な音(物理的対象としての)
のあり方は、知覚者がまとめあげる「音」
(クオリア)とは別と思いますけど。
ここでの問題は、物理的対象と心的対象との
関係だと思いますね。片方がもう片方に
存在論的に還元されるのか。それとも独自の
実在性を持つものと考えるべきなのか。
72 :
考える名無しさん:03/05/09 21:53
>>67 >単に言葉の指示を明らかにさせるだけで、哲学的な問題が
>解消されるとは言えないんじゃ。
すくなくとも、感覚としての音の場合は無い、それと音波の場合は意味が別だ<別
の問題だという点を明確化しただけでも哲学的価値はある。
その上で、こんどは、物理的対象は知覚者から別に存在するといいえるのかという
またもや言語上の問題として定式化して更に答えるというパン=リングィスティック
な路線はアリだと思うな。
73 :
考える名無しさん:03/05/09 22:02
ちょっと具体的に考えて見よう。
22000Hzの空気振動は「音」と言うかどうか?
74 :
考える名無しさん:03/05/12 02:58
>>73 同様に、可視光以外の波長の電磁波は「色」といえるのかどうか。
また電磁波において電波と光とX線の分かれ目はどこかと。
75 :
考える名無しさん:03/05/12 03:10
媒質の振動伝播や電磁波が、一生物種の感覚器間の性能によって分類される事の意味
×感覚器間 → ○感覚器官
77 :
考える名無しさん:03/05/12 03:16
音も色も知覚できるか(健常者でも)個人差が
ある。22000Hzを「音」として聞く人もある。聞こえ
ない人もある。空気振動は確実としても音波〜
超音波の境界も厳密ではない。「音」は知覚者を必要とする。
赤い林檎も青い光線を当てれば別の色に見える。赤が自体的に
あるのではない。やはり知覚者を前提とする。
言い換えれば、「音」「色」は知覚の与件(所与)であって、物理的実在
とイコールではない。と思うのだが・・・
age
79 :
考える名無しさん:03/05/17 18:23
ファイヤーアーベント激萌え。
80 :
考える名無しさん:03/05/17 20:13
>>73 空気振動という記述が与えられた時点で、音波ではありえても、音ではありえない
81 :
考える名無しさん:03/05/17 20:17
>>80 しかし、可聴領域にある音波が(何ヘルツから何ヘルツかは知らんが)
音として聞こえるなら、それは音でいいんじゃないか。
人間には聞こえない音でも猫やこうもりには聞こえる音もあるんだから。
82 :
考える名無しさん:03/05/17 21:24
>>81 あなたの仰っていることと
>>80とは矛盾していないでしょう。
「空気振動という記述が与えられた時点」は、「音として聞こえる」に対して、論理的に先行しているわけだし。
「しかし」で繋ぐのは変じゃないか。
>>73には、「ヒトにとっては音ではないが、チンパンジーやサルにとっては音である」という答えはどうか。
83 :
考える名無しさん:03/05/17 21:44
>>82 すまんがよくわからない、なんで矛盾してないのか。
80は空気振動は音波であって音ではないと言ってるんだよね。
でも俺は、81の理由によって、空気振動が音波ならば音と言っても
よいのではないかと言ってるんだけど。
84 :
考える名無しさん:03/05/17 22:14
>>81 >人間には聞こえない音でも猫やこうもりには聞こえる音もあるんだから。
後者は、元来の人間の言語で言う音ではなく、転義された限りでの音では?
>しかし、可聴領域にある音波が(何ヘルツから何ヘルツかは知らんが)
>音として聞こえるなら、それは音でいいんじゃないか。
平行現象だからといって同一(音波も感覚質音も音)とはならんのでは?
85 :
考える名無しさん:03/05/17 22:26
>>84 聴覚を通して聞こえるものが音の定義だろう。
ならば、それは人間の言語で表せる音じゃないの?
86 :
考える名無しさん:03/05/17 22:35
>>85 >聴覚を通して聞こえるものが音の定義だろう。
聴覚に猫やこうもりの感覚をも含めた時点で転義・拡大。
原義は、「人間に聞こえた当のそれ」
ややテクニカルにいえば「人間の聴覚を通じて人間に与えられる感覚質」
87 :
考える名無しさん:03/05/17 22:38
>>86 生物学的に人間と猫は殆ど同じだぞ。
言葉があらわす言葉じゃなく、
言葉が表す現象について俺は言っているのだ。
88 :
考える名無しさん:03/05/17 23:35
>>87 >生物学的に人間と猫は殆ど同じだぞ。
近代生物学に基づいて我々の自然言語が構築されたわけでは無いから、生物学的近縁
性は同一語の同義での適用の保証を全く与えない。
>言葉があらわす言葉じゃなく、
>言葉が表す現象について俺は言っているのだ。
言語と言語が指示する現象/出来事とは不可分であり、後者が前者と独立だなどと
考えるのは指示の因果説論者のような愚者だ。
>言語と言語が指示する現象/出来事とは不可分であり
まるで言語には必ずその指示対象(現象)がある、とでも言いたいようだが、もしそうならフレーゲ以前の主張だな。生まれるのがちょっと遅すぎたな。100年ぐらい。
90 :
考える名無しさん:03/05/18 05:20
>>83 >80は空気振動は音波であって音ではないと言ってるんだよね。
>でも俺は、81の理由によって、空気振動が音波ならば音と言っても
>よいのではないかと言ってるんだけど。
わかりにくくてすまん。
80が「空気振動は音波であって音ではない」と主張しているのは、
「空気振動という記述が与えられた時点」のことであって、つまり、
81でいっている「音として聞こえるなら(可聴性)」を捨象した段階のことである、ということ。
たとえば、「18,000Hzの空気振動」という記述のみを話題にするとき、
80なら、この記述を可聴性を捨象した物理的振動の記述と見て、
音かどうか(それを聞きうるかどうか)という話にすら上らせてもらえないと考えるし、
81なら、事実上(=偶然)に18,000Hzが可聴範囲にあるから、音と呼べると考える。
>>73を論理的に捉えるか、経験的に捉えるかの違いであって、
80と81は真っ向から矛盾するというより、単に立場の相違。
91 :
考える名無しさん:03/05/18 05:49
>>84-88 たぶん
>>84に反論することになるんだろうけど。
(1)
相似性:進化の起源が違っても、役割が同じ……e.g.鳥の翼と蟲の翅
相同性:役割が違っても、進化の起源が同じ……e.g.鳥の翼と鯨の前ビレ
他の動物の機能について論じるときにポイントとなるのは、
この2点だと思うが、
聴覚に関しては、この両方が満たされている(視覚もだけど)。
>>87の繰り返しになるが、まず単純な「転義」ではない。
心理学的・生物学的な妥当性は確実。
(2)
「聞く」ということが、自然言語のうちで、
ほんとうに「人間」にだけ適用されてきたものか疑問。
ウサギが長い耳を動かしている様子を見て、
「聞く」と推定していることは、人間からの拡張ということ以上に、
動物を同じ有機体として見ることの方が、より根底にあるのではないか。
そのかぎりでは転義ではありえず、元来の用法である。
内容的にも、(1)とは無関係ではない。
そもそも、転義の用法と考えるにしろ、元来の用法と考えるにしろ、
(1)の心理学・生物学に先立って、(2)の素朴な考え方がなければ、
(1)のような研究の動機がありえない。
(3)
上の(2)であえて転義であることを認めるとしても、
転義に「すぎない」と考えることは許されない。
転義(意味の拡張)は、言語が原理的に持つ有利な点であって、
人はそれによって外界の認識を深めてきたんだから。
わざわざここでストップさせる理由もない。
言語学板だと不評な認知言語学(おゑかき)の立場なんかだと、
とくにそう言われるんじゃないかな。
92 :
考える名無しさん:03/05/18 08:22
>>89 >>言語と言語が指示する現象/出来事とは不可分であり
>まるで言語には必ずその指示対象(現象)がある、とでも言いたいようだが、
>もしそうならフレーゲ以前の主張だな。生まれるのがちょっと遅すぎたな。
>100年ぐらい。
一般化してはいないよ。ただ、一方に音の感覚質や音波、他方に「音」という
語という構図では指示関係の問題として捉えていいんじゃない?
むしろ、文脈原理からの恣意的な切り分けを認めない種の(あるいは、音と音
波とに必ず切り分けるという方針で原理が適用された際の)ノミナートゥムと
して音や音波をみなければ、その同一性を問う事自体が怪しげな行為になって
しまう
93 :
考える名無しさん:03/05/18 09:41
文脈原理ってフレーゲの?
94 :
考える名無しさん:03/05/21 23:13
95 :
考える名無しさん:03/05/23 00:59
>>91 有機体なんて言葉から、ほのかに行動主義者の香り
96 :
考える名無しさん:03/05/23 15:59
哲学学者の特徴
・独創性より小器用さを重視した議論をする。常識的結論を恐れない。
・論理学を学んでいない相手を馬鹿にする。記号遊びの自覚がない。
・学問の蓄積なるものを重視する。哲学は進歩しないのに気付かない。
・哲学は共同作業だと思っている。独り考えることこそ重要なのが判らない。
・哲学はロマンではないと主張する。本当に大切な問題に興味がない。
・哲学は問題解決だと信じ込んでいる。神秘の前で立ち止まる事をしない。
・哲学科の学問が哲学だとする。「人は何のために生きるか」など考えない。
・深淵な問題を回答可能に修正したがる。ナマの問題に立ち向かわない。
・英米の哲学を有難がる。日本本来の思想に関心がない。
・哲学学が役に立つと考えたがる。社会のお荷物なのをを認めない。
・明晰な議論をしていると自負している。全然明晰な議論をしない。
97 :
考える名無しさん:03/05/23 20:48
バシュラールとかですか?
99 :
考える名無しさん:03/05/26 18:19
分析系コテハンリスト
1@大全
いちご姫
稲
アパラージタ
あとは?
100 :
考える名無しさん:03/05/26 18:22
最近、稲がいないなー・・
101 :
考える名無しさん:03/05/26 18:36
うんぽこぱ!
「囚人のジレンマ」をモデルとして、利他行動が自然発生しうる
という事を証明せよ。
>99 皆まともなコテハンじゃん。稲はあおりにのりやすい性格に難があるが。
103 :
考える名無しさん:03/05/27 16:36
>102
99はさうかも知らんが、かつての
びたみん、猫電波、二酉なんざはソピアがかわいく思えるくらいじゃ炉。
104 :
考える名無しさん:03/05/27 16:38
うんぽこぱ!うんぽこぱ!
105 :
考える名無しさん :03/05/27 17:18
>哲学学者の特徴
>・英米の哲学を有難がる。日本本来の思想に関心がない。
本格的な哲学学者は独仏の哲学をありがたがるような気がするが?
デカルト・ライプニッツ・カント・ヘーゲル・ベルグソン・フッサール・ハイデガー
>・哲学科の学問が哲学だとする。「人は何のために生きるか」など考えない。
これは倫理学科の問題だよな
106 :
考える名無しさん:03/05/27 17:40
> >・哲学科の学問が哲学だとする。「人は何のために生きるか」など考えない。
>これは倫理学科の問題だよな
倫理学は哲学の一分野だし、「人は何のために生きるか」なんて研究をしている倫理学者を誰一人思いつかない。
107 :
考える名無しさん:03/05/27 19:05
>>99 >>102 >99 皆まともなコテハンじゃん。稲はあおりにのりやすい性格に難があるが。
いちご姫はわかりきったこと延々書く以外に能が無いしな。
あたま悪そう。
>101
signaling theory とか 「制裁とメタ制裁」とかそういう話?
rational man の利己行動のパターンがたまたま他者を利している
ということがあり得る、というだけで、「利他」という言葉に
不可避につきまとう「価値・規範・評価」的な要素はそこにはないんだよ。
事実から当為を導出するな by ムーア
うんぽこぱ。
110 :
考える名無しさん :03/05/28 13:11
>>107 >チミよりは段違に(ry
わるいんだな(藁
111 :
考える名無しさん:03/05/28 13:14
baka
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
,
114 :
考える名無しさん:03/06/01 22:56
115 :
考える名無しさん:03/06/02 06:37
>114 ブラクラ張るんじゃねえ
>>114はブラクラではないのでご安心を。
>>115 ドキュソですか?
じゃなかったら、もう一度みてみ。
>>24 > 19は、原文ママなら、誤解を生んでも仕方ない書き方だな。
たしかにそうだな。
いいだって、文章へただな。
漏れ、分析哲学を勉強しようっと。今まで、つまらんという偏見の眼
でみてたかも。
>>96 >哲学学者の特徴
「哲学者の特徴」だろう
>・独創性より小器用さを重視した議論をする。常識的結論を恐れない。
君のいう小器用こそ真の独創。只の長広舌は陳腐な非常識
>・論理学を学んでいない相手を馬鹿にする。記号遊びの自覚がない。
馬鹿にされているのは、無意識のまま思索することを良しとする態度
思索を意識化した果てに記号遊びにまで無意味化することこそ重要
>・学問の蓄積なるものを重視する。哲学は進歩しないのに気付かない。
進歩できないもの、蓄積できないものは学問するべきではない
>・哲学は共同作業だと思っている。独り考えることこそ重要なのが判らない。
他者に批判されることを恐れる弱虫は学問するべきではない
>・哲学はロマンではないと主張する。本当に大切な問題に興味がない。
哲学は自慰行為ではない
>・哲学は問題解決だと信じ込んでいる。神秘の前で立ち止まる事をしない。
哲学はセックスではない
>・哲学科の学問が哲学だとする。「人は何のために生きるか」など考えない。
哲学は講話ではない
>・深淵な問題を回答可能に修正したがる。ナマの問題に立ち向かわない。
再び哲学はセックスではない
>・英米の哲学を有難がる。日本本来の思想に関心がない。
哲学は国粋思想ではない
>・哲学学が役に立つと考えたがる。社会のお荷物なのをを認めない。
社会を云々する奴に限って、社会のお荷物である
>・明晰な議論をしていると自負している。全然明晰な議論をしない。
思い込みは明晰とは異なる。
120 :
考える名無しさん:03/06/03 13:49
【現代日本に現存する唯一の真の哲学者の池田晶子の特徴(真髄)】
●己の存在が独創性そのもの。産まれながらの真理。常識を恐れる凡人は死ね。
●論理の限界を飛び越えその彼方へ飛翔する真理への力学。論理を嫉妬させろ。
●真剣な記号遊びの果てに真剣さと遊びそのものの崩壊と反転のアイロニー。華麗なる言葉の詐術よ!
●学問の蓄積なるものをたったひとつの問いで無知へと還元する必殺の一撃。進歩の不可能性の自覚こそ進歩なり。
●己の孤独にひたすら耐えろ。己独りで考えるしかないことを知れ。 カップラーメンを食え。
●哲学にロマンの出番はない。問いの深遠と虚無の前に打ちのめされろ。
●信じることの絶対的不可能性と可能性の絶対的自己矛盾的同一的合唱。
●神秘の果てに常識への復帰を果たせ。
●哲学はここ以外のどこにも存在しない。自問自答の果てしなき自作自演にアイウォンチュー。
●「人は何のために生きるか」など考える余地がないことを知れそして泣け。
今すぐソープへ行け。
●回答不可能な問いの可能な問いかけに問いの不可能な回答を探れ。
●徹底的に明晰であることにより必然的に蒙昧にならざるをえない言葉の
詐術によってすべての哲学に死を告げろ。
>>19 >>24 >>117 研究対象である論理(対象論理)とその論理について語るための
論理(メタ論理)とを区別することが常識となっている現在の論理学
研究においては、論理学についてフレーゲとラッセルが持っていたような
考え方はもはや捨て去られていると言ってよい。
(原文は
>>19)
122 :
考える名無しさん:03/06/06 18:39
このあいだ、「真理について」読んだんです。「真理について」。
そしたらなんか「世界内存在」とか「実存開明」などの不確定記述でよくわからないんです。
で、よく見たらなんか結論近いところで、「真理などない」とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、スコープや文脈を考慮せずに哲学やってるんじゃねーよ、ボケが。
エポケーだよ、エポケー。
なんか弁証法にも一目置いているし。形而上学完全否定か。おめでてーな。
よーしさらに脱中心化しちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、エポケーで結構だから、無限ループに入っていろと。
真理ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
一定の文脈で対称的な信念を持った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっとすたれたかと思ったら、現代フランスの連中が、ポストモダン、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、ポストモダンなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、ポストモダン、だ。
お前は本当にメタナラティヴでなくナラティヴでよいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、これからはナラティヴ的知だって言いたいだけちゃうんかと。
分析通の俺から言わせてもらえば今、分析通の間での最新流行はやっぱり、
モデル理論、これだね。
モデル理論に基づいた内包論理と様相演算子。これが通の真理判定の方法。
モデル理論ってのは可能世界において定義されたタイプの組み合わせにより必ず指示対象が存在する(φ含む)。そん代わりナンセンスは存在しない。これ。
で、それに発語内効力も考慮。これ最強。
しかし、これに基づいて発話しようとすると、可能世界を考慮しつつ品詞の最小単位から厳密に文脈・時制設定・ラムダ演算しなければならないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前ら、ド素人は、悪循環でも繰り返しなさいってこった。
>>122 分析の人が、何だってヤスパースなんか読んだのかを
教えて欲しい。
ニーチェやハイデガーならともかく、ヤスパースって……
コピペのネタってことは分かってるが、ネタにしたって普通の感覚では
現代思想や現象学に先んじてヤスパースは出てこないだろ
ネタだと現代思想や現象学に先んじて
ヤスパースだろうが稲だろうが何でも出て来るんだよ
そもそも分析の香具師だって
ヤスパースも読めばエロ本も読むだろ
そこには何の不自然さもない
129 :
考える名無しさん:03/06/07 14:41
『論考』の翻訳ってどれが一番良いですか?
130 :
考える名無しさん:03/06/07 14:51
貴様訳が一番良い
なかなか良いこと言うな
論考の翻訳っていくつあるの?
全集のと、法政大出版のと、中公のやつか。
あと黒崎訳。
134 :
考える名無しさん:03/06/08 16:08
あと俺様訳。しかしこれはDQN過ぎてあまりお勧めできないw
135 :
考える名無しさん:03/06/08 16:17
あなたはどんな時に幸せをかんじますか?
全集の奥さんのがよいと聞いたが。
138 :
考える名無しさん:03/06/09 00:39
その理由は?
正確だから。
140 :
考える名無しさん:03/06/09 17:25
科学哲学、まったくの素人なんですが、仮説の検証とテストの違いが
良く分からないのです。どなたか教えていただけると助かります。
「仮説を反証する試み=テスト」で、「仮説が真か否かを見極めること
=検証」という理解で良いのでしょうか? そして、ポパーの反証主義に
従えば、「仮説を検証することは不可能で、はテストしかできない」。
もしこれが正しいとすると、一般に、「仮説検証」って言いますけ
ど、これは誤りなんでしょうか?
141 :
考える名無しさん:03/06/12 03:28
>>140 むしろ逆で、
「検証=仮説が真であることを示すこと」
「テスト=仮説が真か偽か調べること」
というところです。
「検証=全称命題である仮説が真であることを示すこと」
「反証=全称命題である仮説が偽であることを示すこと」
という差がポパーの反証主義にとって重要です。
142 :
考える名無しさん:03/06/14 03:05
>>141 レスが遅くなりました。
とてもよく分かりました。ありがとうございました。
>むしろ逆で、
> 「検証=仮説が真であることを示すこと」
> 「テスト=仮説が真か偽か調べること」
>というところです。
今まで逆だと思ってますた
145 :
考える名無しさん:03/06/23 21:47
>>140 >もしこれが正しいとすると、一般に、「仮説検証」って言いますけど、
>これは誤りなんでしょうか?
「検証」と「反証」についてのポパーの使い分けは >141 のいうとおり。
ただし、科学哲学者以外が「仮説の検証」と言った場合には、そういうテクニカル
な使い分けがなされている場合は少なく、むしろ 仮説が真である傍証・偽である
傍証を(実験や観察といった)経験的に集めて考察する――科学哲学的には「確証」
がやや近い、但し「確証」には正しらしさを増やす方向性のニュアンスがあるので
同義ではないが――といった蓋然性を含んだ意味合いで使われている場合が大抵だ
と思う。
146 :
考える名無しさん:03/06/24 01:57
「仮説検定(test)」と言いますしね。
age
不完全性定理の哲学的意味は?
飯田隆「不完全性定理はなぜ意外だったのか」,『科学基礎論研究』,第20巻,1992年
それって一般人でも入手できるんでしょうか
基礎論は学会誌なので、
大学図書館使えないとむつかしいのかも。
とりあえず、野矢さんの『論理学』(東大出版会)を読めば、
「不完全性定理は人間の知性の限界を示した」という意見が
まったくの誤解だってことは分かります。
152 :
考える名無しさん:03/07/08 15:33
大澤真幸
社会哲学の実践への応用というところか
まず最初に私たちになじみのあるオウムを扱った「虚構の時代の果て」を
おすすめする。次に「戦後の思想空間」。これは非常にわかりやすい。
この2冊より少し難しくなるが「恋愛の不可能性について」もぜひ読んでほしい。
「虚構の時代の果て」に衝撃を受け、「恋愛の不可能性について」で降参した。
大澤の議論のなかでよく出てくるのは第三者の審級、経験可能領域というキーワ
ードである。経験可能領域とは規範の想定内の領域のことである。つまり規範に
よって妥当であるか否かが判断可能な領域である。規範によって妥当であるかど
うか判断できない、つまり想定の範囲外の領域は経験可能領域の外部にある。第
三者の審級とは超越した他者であり、規範の妥当性を保証するような存在である。
不満な点としては様々な著作で同じようなことを繰り返して言っていることで
ある。大澤は第三者の審級、資本、経験可能領域、超越者の磨耗といったキー
ワードを用いて論じる独自の形式的な手段をすでに持っている。何を論じても
厳格にこの形式に当てはめていくので、すでに過去に述べたことを繰り返して
いるように読者は感じるのではないか。
社会学では手におえないようだ
154 :
考える名無しさん:03/07/08 16:44
age
155 :
考える名無しさん:03/07/11 16:06
来月?岩波文庫?から野矢茂樹訳で『論考』が出るらしい
詳細を知ってる人いたら情報よろしくお願いしまつ
156 :
考える名無しさん:03/07/11 16:09
159 :
考える名無しさん:03/07/13 20:15
それのことでしょうね
で、八月の何日なのだろうか
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
161 :
考える名無しさん:03/07/15 18:16
あげる
162 :
ぴかぁ〜 ◆lk7eU.5KwI :03/07/15 18:24
ブリゴジン先生なくなったね
163 :
考える名無しさん:03/07/19 18:15
164 :
考える名無しさん:03/07/19 18:25
>>155 論考が訳者が変わったぐらいで本文に変化があるのか?
解説とかはついてないんだろ?
165 :
考える名無しさん:03/07/19 18:27
>164
藤本訳があるからな
166 :
考える名無しさん:03/07/20 21:58
>>164 爆藁
しかし、既訳があまたある論考の新訳よりは 真っ当な『探求』訳だしてほしいな
翻訳権の問題があるけど( 黒崎訳<註>はうまかったが 二度はできないだろう )
いいかげん、放棄するか訳者いれかえろや 大修館
167 :
考える名無しさん:03/07/21 14:38
『論考』のような詩的な作品においては、
言葉の美しさもまた重要。
その点で野矢訳には期待している。
168 :
考える名無しさん:03/07/21 15:19
語りNスィソグについては、、、、、、、
二日前に出た「ウィトゲンシュタインはこう考えた」はどうよ?
鬼界彰夫「ウィトはこう考えた」(講談社現代新書)、買った。
こういう文献学的なウィト研究で、永井均的な独我論解釈って
こんなに認められてるもんなの? この本は特別?
それとも、これから日本のウィト解釈は永井的解釈を認める
方向に変化していくの?
171 :
考える名無しさん:03/07/26 22:21
「ホリスティック論」。。。
ホリスティック論をなめるな
174 :
考える名無しさん:03/08/01 00:01
>166
ウィトゲンシュタインは死後50年たってるんだから新しく翻訳するために大修館に断る必要ないんじゃないの?
175 :
考える名無しさん:03/08/01 00:08
探求の文庫でないかね。二冊か三冊分かな。
青色と茶色は二冊に分けてでも出してもらいたい。
まあ文庫にするなら青色本が一番かな。
茶色本は探求とかぶるところ多いから探求が出ればいらないな。
177 :
考える名無しさん:03/08/04 02:32
英語ならタダで読めるだろ、おめーら。
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`)すいません、通りますよ・・・教えようかな〜
| /
| /| |
// | |
U .U
その労力は邦訳されてないやつに注ぎ込む
181 :
考える名無しさん:03/08/12 14:15
哲学者の書いた「カオス理論の解説」てこんなんよ。
「減速するということは、すべての速度が超えない限界をカオスの中に置くということであり、
しかも結果的に、横座標外延量として規定されるひとつの変数を諸速度が形成し、
同時に、超えることのできない普遍的定数を限界が形成するということである
(たとえば、収縮の最大値)。したがって、第一のファンクティヴは、限界と変数であり、
そして準拠は、変数のもろもろの値のあいだの関係、あるいはもっと深く見るなら、
諸速度の横座標としての変数と限界との関係である。」
スゲー! スゲーよ! 全然分からない!!! これがカオスなの?
やっぱ哲学てヘンよ。
駄スレsage
時代は論理学(数学)から、自然主義(生物学)へと思いますが、
如何ですか?
sage
186 :
考える名無しさん:03/08/12 19:56
センスあるやつは批評理論やるもんだよ。
187 :
考える名無しさん:03/08/12 19:58
しかし強度量の倫理には、2つの原理しかない――すなわち、
最低のものすら肯定するということ、(過度に)繰り広げられない
ということ。たとえば、子どもが、知っているかぎりの汚い言葉を
すべて口にしたとき、わたしたちは、言わば父親になってその子どもを
咎めるはずである。それというのも、たんにその行為が悪かったから
というだけではなく、その子どもがすべてを一回で言い尽したから
であり、またその子どもが、永遠回帰の精妙なる巻き込まれた材料
のために、何ひとつ何の剰余も残さなかったからである。
(ドゥルーズ『差異と反復』365頁上段)
188 :
考える名無しさん:03/08/12 22:13
ソーカル偉し!!!
189 :
考える名無しさん:03/08/13 00:26
>>184 そうだとしても、つーか、だとしたらなおさら、
論理学(数学)を自然主義の観点からどう捉えるかは
重要な哲学的問題だろう。
例えばどう捉える?
191 :
考える名無しさん:03/08/17 22:24
>>190 捉えようがないとしたら、反自然主義の勝利だな。
それとも論理や数学を放棄するか?
明後日、野矢訳の論考が出る
ウィトゲンシュタインはこう考えた、は良書らしい
193 :
考える名無しさん:03/08/22 05:00
>野矢訳の論考
感想きぼん...
いねーの?
あー、昨日大型書店行ったのに
見てくるの忘れてたわ・・・
hosyu
ageha
199 :
考える名無しさん:03/10/01 15:10
tyou
最近廃れすぎじゃないか?2chの分析系。
最近原典読めるいいサイト見つけた。まだ成長中だけどこれからが楽しみ。
URL教えて。
教えて君にはナイショ。
ふーん、なら漏れも教えないw
ていうか2chに晒したくないんだよね。
恐らく君もそういうことなんだろう。
だとすれば同じサイトを見てるのかも知れないな。
ラカトシュ「方法の擁護」p43に、
「構文論的に形而上学的な」理論すなわち、「すべての−或る」言明
あるいは純粋存在言明は論理形式からして、時空に単称の潜在的反証
事例を持ち得ない。
とあり、純粋存在言明の例として、
「すべての金属には溶媒がある」とか、すべての金属を金に変えるこ
とのできる物質が存在する」
といったものが挙げられているのですが、意味が理解できません。
純粋存在言明の論理形式とは、述語論理で表現すれば「∀x∃yR(x,y)」
といったものになると思うのですが、それがなぜ「時空に単称の潜在的
反証事例を持ち得ない」と言えるのか理解できません。
どなたか宜しくお願いします。
そのままの引用ではなくて、ちょっと編集してあります。
>>206-207 俺も初心者ですが。。。
「すべての金属には溶媒がある」の反証事例は、
「ある金属には溶媒がない」でしょ?
でも、ある金属に溶媒が「ある」ってことを証明する潜在的事例なら
存在しうる(溶媒が見つかればそれが事例となる)けど、
ある金属に溶媒が「ない」ことを、どうやって発見できる?
いくら科学的探究を続けても、「まだ見つからないけど実はある」
って可能性を否定できないでしょう?
そういう意味で、認識の及ばないことについて語ってるから、
「形而上学的」という言葉も使われてるんじゃないでしょうか。
209 :
考える名無しさん:03/10/16 00:09
科学哲学やるより、何でもいいから科学しろよ。(w
そののち、科学哲学しろ!
科学哲学できちんとした成果出しているのはそういう人。
211 :
考える名無しさん:03/10/16 01:40
210の言うとおりでつ。
科学哲学は科学でつか?哲学でつか?
213 :
考える名無しさん:03/10/16 01:42
科学哲学は学問でつか?
214 :
考える名無しさん:03/10/16 02:01
210は哲学者でつね。
215 :
考える名無しさん:03/10/16 02:45
それでは、科学哲学を科学しまつ
>>208 まったく仰る通りだと思いました。
ご意見どうもありがとうございます。
形式的には・・・
「∀x∃yR(x,y)」の否定「¬∀x∃yR(x,y)」は
「∃x¬∃yR(x,y)」と変形できる。
さらに「∃x∀y¬R(x,y)」と変形できる。
これは「あるxが存在し、全てのyに対して
¬R(x,y)が成立する」ということだから実証不能。
(無限の時空領域について調べないといけないから。)
だから「∀x∃yR(x,y)」なる論理形式を有する命題は
反証不能であり、構文論的に形而上学的と言える。
ちゅうことなのかな・・・
217 :
考える名無しさん:03/10/21 00:45
「無い」という状態を表す「証拠」が出せないことの
論理構造を教えて
>>210 ポパーはアドラーを反面教師にしたみたいだが。
「時空の単称的反証事例」って言葉がそもそも分からないんだが、もとの英語(ドイツ語?)って何かわかる?
これポパーの術語なのか、それとも翻訳がタコなのか、原文からして意味不明なのか、どれでせう。
>>217 「〜がない」という命題は記号化すれば
「¬∃xFx」(Fなるxはない)となる。
これは「∀x¬Fx」と変形できる。
「∀x¬Fx」の意味するところは、
「すべてのxはFではない」ということ。
これを実証をするには、
「すべてのxについて、それがFではない」
ということを確認する必要がある。
しかし、過去から未来に渡って宇宙の全領域について
調べるなどということは我々には不可能。
我々には有限の時空領域しか確認することが出来ないから。
よって、命題「〜がない」は実証不能。
・・・てな具合で良いのでしょうか。
上記から命題「〜がある」(∃xFx)が
反証不可能であるということも簡単に出てきますね。
>>219 私は邦訳しか持ってないので分かりません。
というか、邦訳すら今は手元にありませんが・・・
最近、期限切れて図書館に返却しますた。
222 :
考える名無しさん:03/11/04 04:17
客観的な実在としての神は存在しません。
なぜならば、神の実在が証明されていないからです。
もし神が存在すると主張するのならば、そのことを証明しなければなりません(立証責任)。
そのためには神が存在するという証拠を出せるのか、出せないのか、
「 イ エ ス 」 か 「 ノ ー 」 か 、 ど っ ち で す か (ワラ
なんですかこれは?晒し?
224 :
考える名無しさん:03/11/08 19:48
ナニゲンシュタイン
226 :
考える名無しさん:03/11/08 21:42
227 :
考える名無しさん:03/11/09 16:26
お前らもっともプラグマチックになれ
語用論なしの意味論とか構文論はボツ
228 :
考える名無しさん:03/11/13 19:37
クワインがどうしても分かりません。
読み方を教えてください。
>>228 どこが分からないんだ?
”Word and Object”の4章以降あたり?
230 :
考える名無しさん:03/11/13 20:48
>>229 ウィラード・フォン・オーマンですかウィラード・ヴァン・オーマンですか?
232 :
考える名無しさん:03/11/14 00:16
>>229 すみません。228ですが、『経験主義の二つのドグマ』の分析的と総合的の
ところがさっぱりわかりません。
カント・エイヤーは読んだことあります。
233 :
考える名無しさん:03/11/14 02:07
>232
飯田隆は全部読んだ?
235 :
考える名無しさん:03/11/14 03:39
>234
言葉足りなくてすまん、大全のことです
丹治本読めばいいんんじゃないの?
_
/〜ヽ
(。・-・)
゚し-J゚
飯田隆『言語哲学大全2』と
丹治信春『クワイン』を読めば一通り分るよ
239 :
考える名無しさん:03/11/14 19:11
>>232ですが、どうもありがとうございます。
やはりそういうものから読まないと無理なのですね。
>>239 質問がかなり漠然としてたから、みんな文献紹介にとどまったけど、
もっと具体的に質問すればちゃんと答えてくれるんじゃないか?
うーん、今のこの板の分析連中でまともに答えられるの居るだろうか。
>>242 んじゃ、期待しる、というので、
参考書や翻訳などを頼りに。
分析命題と総合命題という伝統的な区別があって、
分析命題は事実とは無関係に真偽が決まり、
総合命題は事実に基づいて真偽が決まる。
分析命題ってのは、
(1) 結婚していない人はすべて結婚していない(No unmarried man is married)。
(2) 独身者はすべて結婚していない(No bachelor is married)。
例文で示せるらしいね。んで、(1)は論理的真理で、
「結婚」を「離婚」に代えたり、「人」を「女」とか「男」とかに
代えられるので、考察外に。(まあ、意地悪に、変な言葉に
置き換えれば、おかしくなるが、ここでクワイン氏が
言いたいのは、「結婚」とか、「人」とかいう言葉の意味とは
無関係に真偽が決まる命題があるとゆうことやね。
このことを好意的に解釈すべし。)
244 :
考える名無しさん:03/11/20 15:29
問題は(2)のような分析命題。独身者が結婚してない人と
いう意味を含んでいるので、ややこしいことに。
クワインは(2)が抱えている問題を(いちおう)解消しようとして、
同義性の説明として次のような候補を順番に考えてく。
・定義
・交換可能性
定義の場合、最初から同義だとわかっているものを
定義と称してみても、それは余分な説明にしかならん。
交換可能性の場合、命題の真理値が維持されれば、
言葉を交換可能と説明。でも、「独身者」=「結婚してない人」
というものだけじゃなく、「心臓を持つ動物」=「腎臓を持つ動物」
に該当する生き物はたまたま同じ数だけいるが、
意味が同じというわけやない。というわけで、却下。
さらに、
・意味論的規則
というのがとりあげられてる。これはカルナップの意味論的規則。
分析的真理と総合的真理を区別してしまう人工言語を
作ってしまえば、言語表現のあいまいさに悩まされない
というのだが、意味論的規則によって真とか言ってみても、
だいたい、人工言語で命題が真であるってことがわかるだけで、
意味論的規則によって真とかいうのは余分で煩わしいだけだって
判ってしまう。分析性の概念が理解されて始めて、
意味論的規則が立てられるのであって、意味論的規則から分析性が
理解されることはない。
どれをつかっても、うまくいかないってことが判明して、
最後には分析/総合の区別は解消せねばならん!
という物議を呼ぶ結論を出しちゃうことになる。
結果、どんな命題も必然的真理というわけではなく、
すべてが改訂が可能になってしまう。この考えとホーリズムの思想が
一体となって、ノイラートの船というクワイン哲学の中核が完成しちゃう。
ちと長くなったけど、ざっと書いてみたので、修正とか不足があったら、
指摘されたし。(暇なら、具体的に書くべし。)
乙
247 :
考える名無しさん:03/11/23 23:07
分析的命題と総合的命題の線引きが難しいというのは事実としても、
「すべての人間は人間だ」という命題と、「すべての人間は死ぬ」という命題
の間には何らかの質的な違いがあるように思われますが、それはどう考えたらいいので
しょうか?
>>247 クワインのホーリズムでは、質的な違いは無くて程度の差という事になりますね。
質的な違いがあるように感じるのは、論理的真理を改訂したがらない
「保守主義」のせいという事になるんでしょう。
ただ言語哲学大全IIの解説によると、クワインの議論を認めた上でも
分析的/総合的の区別ができるという議論があるようです。
その立場では、クワインが示したのは「ア・プリオリな真理が存在しない」という事で
分析的/総合的の線引きも経験的理由によって変更され得るという事になります。
249 :
考える名無しさん:03/11/29 01:23
>>243 (1)から(2)を導くには、定義や交換可能性のようなものに頼らざる
をえないので、(2)は分析的言明でないというのは分かった(ような気がした)
のですが、(1)そのものもまた特別ではないというところがよく分からないです。
程度の差ということは0%の分析的言明(=総合的言明)から100%の
分析的言明まであるということだとすると、その100%は、やはり
特別のものではないのですか。
その特別さは、心理的なもの(
>>248氏が言及してる「保守主義」による)であって
言明自体が持つ特別さではない、ってことなんだろうなあ、クワインに言わせれば。
でもむしろ、
> (1)から(2)を導くには、定義や交換可能性のようなものに頼らざる
> をえないので、(2)は分析的言明でない
て理解のほうが問題ある気が。
>>249 タイトルにあるように、この論文では二つのドクマが批判されてるんですが、
>>249のような疑問は第2のドクマ(還元主義)の方に関係していると思います。
ここで問題になるのは「言明の真理性には2種類の要素があって、
定義や論理法則のような言語的要素と
経験によって確かめられる事実的要素に分けられる」という発想です。
極端な還元主義では「正しい言明は、二つの要素に完全に分解した形に
還元できる」と主張しますが、ここまで極端な形じゃなくても
言明の正しさに言語的要素と事実的要素が関わる度合いが
(それぞれの言明に独立に)定まっているとするのなら、
事実的要素ゼロの言明は(100%の)分析的言明と言っていいはずです。
しかし、クワインの主張によれば、言明の正しさとは一つ一つ独立に
確かめられるものではなくて、その言明に関連する言明全体が
確かめられているのです(「デュエム=クワイン・テーゼ」)。
どんな言明も全体と切り離す事が出来ないので、
事実的要素ゼロの言明などあり得ない事になります。
「程度の差」とは、それぞれの言明に言語的要素と事実的要素が
(0%から100%までの)ある割合で混じってるという事ではなくて、
全体の中に占める位置の違いがあるだけという事を表わしてるわけです。
全体の中の位置には、改訂されやすい部分と改訂されにくい部分があって
論理的真理は特に改訂されにくい部分に位置していると考えられます。
でも、その位置も特別なものじゃなくて、全体の配置も経験によって
変更され得るんだという主張が、クワインのホーリズムですね。
>>251に自己レス
読み返したらドグマをドクマと書いてた。しかも2回も。恥ずかし……
なにげにこのスッドレをみたら、いろいろ参考になったでし。
得した気分でし。(^^)
要するにまとめるとこんな感じでしか。
分析的言明の定義には2つあって、
1:論理的真理(論理結合子以外の構成要素をどう解釈しても真(偽)でありつづける言明)
2:同義語を置き換えることによって論理的真理に変換できる言明
で、1は定義としてOKだけど、2の方は、同義つまり「意味が同じ」というのが
あいまいではっきりしないでしと。
で結局「同義」をきちんと定義しようとすると「分析的」という概念と循環に
なってしまうので、2のタイプの分析的言明は概念としてあいまいで駄目でし
と。
結論としては、2のタイプの分析的言明を総合的言明とわける明確な基準は
存在しないとされるでし。
(哲学の中では、2のタイプの分析的言明がいろいろ幅を利かせてきたという
歴史があったそうでし、さまざまな哲学者によっていろいろな言明が分析的言明
とされ、必然的真理の特権をあたえられてきたそうでし、しかし
幅を利かせてきたわりには実はとってもあいまいな
概念であったと、そういう批判になってるでし)
そんでも、1の論理的真理というのは分析的言明の定義としてOKなんでしょ?
という点にかんしては、
定義としてはOKだけど、クワインのいう還元主義的発想(言明の真偽は他の言明と無関係に確証可能)
が批判され、どのような言明も他の言明との関係において真偽が定まると
いう全体論のもと、論理的真理がもっていた、必然的真理(経験と無縁に真偽が
判定可能)という特権が剥奪されてしまうことになってしうでしと。
結論としては、どのような言明も経験によるさばきからはのがれられないでし〜
排中律のような論理規則でさえ経験にもとづき改定可能でし〜
となるでし。
254 :
考える名無しさん:03/12/22 03:42
保守上げ
255 :
考える名無しさん:03/12/22 10:55
冒険者シリーズのクワインとかポパーを読んで、
科学哲学って面白そうだと思ったけど、科学を哲学するんだから、
最低でも大学院程度の数学+自然科学の知識がないとダメなんだろうなと
かなりヘコんでます。高校時代の微積分の初歩で止まってますわ。
ダメだこりゃ(でも楽しそう)
>最低でも大学院程度の数学+自然科学の知識がないとダメなんだろうなと
>かなりヘコんでます。
安心しろ。そこまでの必要はない(w
257 :
考える名無しさん:03/12/22 18:27
>>255 学部生のころ、科学哲学やってる先生に聞いたら、
理系の学部卒くらいの知識が必要だといわれたよ。
大学院レベルは必要ないと思う。
258 :
考える名無しさん:03/12/23 03:01
>>257 理系(例えば物理)の学部卒が持ってる「教養レベル」の理系(物理学)知識程度だな。
学部卒でも専攻分野についてはそこそこの知識をもってるから。
それくらいでいいのか・・・やる気が出てきた!
はいいけど、学部卒レベルじゃ専門家に突っ込まれたらヤバクない?
趣味としてやるだけだからオレ的には関係ないけどさ。
哲学者が科学者にバカにされたら悔しいじゃん。
クワインなんて数理論理学の分野で一流なんでしょ(?)
分野としては数学基礎論と物理学?
教養レヴェルはしょぼすぎだろ
>>260 >学部卒レベルじゃ専門家に突っ込まれたらヤバクない?
心配いらないよ。基本的に自然科学やってる連中は、
はじめから科学哲学に関心ないから。
数学や物理をやる前に、
まずは科学哲学の入門書を勉強するのがいいと思う。
たとえば世界思想社や産業図書から出てるようなものね。
そうすれば、科学哲学で求められる
自然科学の知識がどの程度なのかがわかるから。
>>260 >はいいけど、学部卒レベルじゃ専門家に突っ込まれたらヤバクない?
意外に突っ込まれたりもしてる。
>クワインなんて数理論理学の分野で一流なんでしょ(?)
クワインにとって専攻分野だし。科学哲学者といってもピンキリ。
>分野としては数学基礎論と物理学?
何をやりたいかにもよるな。
264 :
考える名無しさん:03/12/24 00:33
科学哲学の分野で今一番注目すべき人って誰ですかね、俺の中で科学哲学の人ってポパー・
ラカトシュくらいまでの人しか知らないもんで…。あと今ドイッチュの本読んでるんだけど、なかなか
ポパー的な知識観の持ち主のようで、このスレの人が読んでも面白いかもと思ったり。
それともこれ程度じゃ科学哲学というよりはポピュラーサイエンスのの分野だと考えますか?
前にも書いたんですが、科学系の本では、
ポピュラーサイエンスから、哲学的考察?の本まで
多くありますよね。
たとえばブリゴジンの「混沌と秩序」、カウフマンの「生命と進化を語る」
ピンカーの「心の仕組み」、「オートポイエーシス」河本英夫
などなど
このような本はどのような分類になるのでしょうね。
ニューサイエンスとも違いますし。
>>265 化学じゃないですか?とくにブリゴジンあたりは。
ブリゴジンは熱力学ですが
そういうことではないんです
>>264 もうちょっと新しいところでは、イアン・ハッキングとかナンシー・カートライトとかが有名かな。
本当に最前線が何かは俺もしらね。
現在の科学は哲学化していますから
生命、認知など
だから科学者自身が哲学的?本を書きますね
ということなんですが
www.info.human.nagoya-u.ac.jp/~iseda/works/psa2002.html
>>269 そうかそうか。だとしたらちょっと分類するのは難しいですね。
ポピュラーサイエンスではないと思いますよ
なかなか難解ですから?
>>270みたいなのが科学哲学の最先端か。
全部追いかけるのは無理そうな気がする。
即レス感謝。と同時に思いのほか科学哲学とポピュラーサイエンスの境界というのがわかりにくい
ということがわかりました。科学と似非科学の境界を反証可能性としたポパーのように、科学哲学
とポピュラーサイエンスの境界設定を教えてくれる人はいませんかねぇ…。
ホーキングなんかはわかりやすいポピュラーサイエンスの例だと思うけど、ペンローズはどう?
ポピュラーと言うほどポップではないにしても、科学哲学というにもなんか違うような…。
科学エッセイ?
>科学哲学とポピュラーサイエンスの境界設定を教えてくれる人はいませんかねぇ…。
線引きする意味がないと思うが、線引きする理由ある?
エッセイ=論文
>心配いらないよ。基本的に自然科学やってる連中は、
>はじめから科学哲学に関心ないから。
そういう一般化は良くない。自然科学者でも関心ある奴はいる。
先進国の人口全体における科学哲学に興味ある人の割合より、
科学者の中で科哲に興味ある人の割合が高くても驚かんぞ。
280 :
≠三浦俊彦:04/01/05 19:32
281 :
考える名無しさん:04/01/09 14:15
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
とあるスレでソーカル厨に反応するポモな人の文を読んだけど
・・・ :考える名無しさん :04/01/21 15:47
だから上の方にも書いてあったけど、
ソーカルのツッコミは、
「トポロジー」などの用語はは数学的定義を踏まえろというもの。
けどそんなことを厳密に解したら、
分析-綜合すら使えなくなる。
ドゥルーズ自身が『哲学とは何か』で、
科学や数学と哲学の違いについて書いている。
あそこのポモ批判はクリステヴァには当てはまると思ったけどね。
この反論て何かおかしくないか?
いや正しかったら別にいいんだけど、少し気になったもので。
ソーカルのクリステヴァに対する判断は数学を踏まえようとして失敗した
(そこそこ勉強しているが、ラカン的なものが入っている)、ってものだったか?
ラカンやドゥルーズが問題外?
284 :
考える名無しさん:04/02/02 14:21
野家ー資す
285 :
考える名無しさん:04/02/09 15:41
P.F.ストローソンについての
論文なり簡単なレポートなりをネット上で探しています。
どなたかご存知ありませんか?
明日レポート提出なのですが資料が足りません。
時間もないので、できればストローソンについての簡単な解説とか欲しいのですが。
286 :
考える名無しさん:04/02/10 02:10
俺が解説してやろう。
ストローソンの最大の業績は、カント的な超越論哲学の基本的アイディアを言語哲学的に
読み替えつつ、アリストテレスの『カテゴリー論』にまで遡る形而上学的考察の遺産を
分析哲学の流れに導き入れたことだ。
クワインは「存在論」を復活させたが、ストローソンはこうして「実体」の概念を実質的に
復活させたわけだ。
なんちて。ウソだよ〜ん。
287 :
考える名無しさん:04/02/10 02:19
とりあえず、こういうことだ。科学哲学はね科学を哲学する、分析哲学は、
分析する哲学、そういうことだ。
288 :
考える名無しさん:04/02/10 18:07
289 :
考える名無しさん:04/02/11 00:35
291 :
考える名無しさん:04/02/21 00:59
h
>>286に書いてることはホントだ。
オレが書いたんだから、間違いない!!!
293 :
考える名無しさん:04/02/22 15:33
西村与作『現代哲学入門』慶応大出版会
哲学プロパーによるこの人の評価を教えて下さい.
当方、理学部生物系
普通、科学哲学で語られる科学とは物理学や数学周辺に限られるのだが、西村与作は生物学・進化学まで扱っているので貴重な存在.
>>293 西村与作→西脇与作では?
ちなみに読んでませんので評価は他の方に。
295 :
考える名無しさん:04/02/22 22:02
>>293 きちんと通読したわけではなくて、あれこれパラパラ見ての「印象」にすぎないんだけど、
あれこれ色々目配りが効いてる感じて、色んな情報をとりあえず広く押えとくにはそんなに
悪くはないかも、という感じがした。
ただ、哲学的な議論の面白さというのはほとんど感じられないので、「哲学入門」みたいなもの
としてはあんまり奨めたくない。
とはいえ、きちんと読んだ人であれば、またしっかりした読後感があるかもしれない。
296 :
考える名無しさん:04/02/22 22:19
伊勢田てつじさんの本の方がおもしろいよ
297 :
考える名無しさん:04/02/23 01:09
>>293 最近は科学哲学の中でも「生物学の哲学」の方が元気ありそうだし、生物系のシトだったらそっちから
攻めてみたら。
Elliot Sober の書いた Philosophy of Biology とかあるし。
>>293 > 普通、科学哲学で語られる科学とは物理学や数学周辺に限られるのだが、
ていうか、これはイタイ勘違いだな。はづかし。
分析哲学の入門書でハイレベルなものや定番の一冊を教えて下さい。
Gareth Evans & John McDowell (eds.), Truth and Meaning
マジかよ
>彼らは物理学者と共同研究する場合もあるし、実際、物理学の専門誌に論文
>が載るくらいだから。
そういう人もいる。けど、全員ではない。
304 :
考える名無しさん:04/03/27 15:12
>>302 >個別科学の哲学(「物理学の哲学」とか「生物学の哲学」)をやるんだったら、
>それぞれの分野で大学院どころか専門研究者レヴェルの知識が必要となる。
そうなのか。
とすると個別科学の哲学をやる人たちってどんななんだろうね。
・自然科学専攻研究者で哲学てきなこともやる人
こういう人がメインになるのかな。
・科学哲学者
この場合、過去に個別の自然科学を専攻してたってことになるんだろうけど、
メインを哲学にしてしまったら、哲学の研究と平行して科学分野の研究の最先端も追わなくてはいけないから、
結構大変そうだ。
test
306 :
考える名無しさん:04/04/12 12:51
このスレ、生きていたんですね
遅くなりましたが、まずはお返事を
>>294 そうです‘西脇’さん
どうも‘与作’という名前にばかり注意が行ってしまって
>>295 >あれこれ色々目配りが効いてる感じ
なるほど 確かに教科書風でした
>>296 >伊勢田
『擬似科学と科学の哲学』ですね 近く読んでみます
>>297 >最近は科学哲学の中でも「生物学の哲学」の方が元気ありそうだし、
>生物系のシトだったらそっちから攻めてみたら。
そっちって、どっち?
西脇与作の文中に、
Elliot Sober, (1999), Philosophy of Biology, Westview Press, 2nd ed.,
を参照したとの注釈があったので、気にはなっていたのですが ‥
これ↑翻訳される予定はないのですか?
原著で読め!と突っ込まれるのは承知ですが、
辞書を片手に ‥ というのは勘弁願いたい と言うか、暇がない
売れると思うのだが
sage
307 :
考える名無しさん:04/04/12 13:06
>>306 Philosophy of Biologyは、M中信宏さんが訳すとか訳さないとか、といった記事をホムペの
「日録」で見たけど。
308 :
考える名無しさん:04/04/12 13:14
>>298 >これはイタイ勘違いだな。はづかし。
ん! そうなの? 解説お願いします
小林道夫(1996)『科学哲学』産業図書 は、前書きに物理学のみを扱うとある
なまじ物理や数学くらいはかじった経験がある人の生物分野への言及は、
聞くのも読むのも辛いものがある
日本語で読めて(これ重要)、かつ生物学専攻の鑑賞に堪えうるものって ‥ ?
やはり私は恥ずかしいようだ
>>307 最新情報ありがとうございます
で、みなか氏(分類屋さんでしたか?)の翻訳は読みやすいのかな
半角でsage
309 :
考える名無しさん:04/04/12 13:15
理系でも、ほとんどの人間は自分の専門分野でいっぱいいっぱいだからな。
「科学」を哲学しようなんて、人知を超えたスーパーマンじゃなきゃできんよ。
310 :
考える名無しさん:04/04/12 13:20
>>304, 309
>自然科学専攻研究者で哲学てきなこともやる人
個別科学の哲学なら、こういう人↑で十分だと思いますが、
分野によってはソレすら貧弱
ただし、自然科学の研究者(分野にもよるが)としては“一丁上がり”扱い
される危険あり
>科学哲学者
>この場合、過去に個別の自然科学を専攻してたってことになるんだろうけど、
科学ジャーナリストにこういう経歴の方がいますね
軸足を自然科学村の外に置いている人達だからこその、客観性が貴重なのです
しかし304さんが言うように、相当な勉強量だと思う
身体壊すな きっと
下がらないけど
sage進行
311 :
考える名無しさん:04/04/12 13:25
>>308 みなかさんはソーバーの本をすでに一冊訳してるけど(『過去を復元する』)、
文章もうまいし、Philosophy of Biology も訳して欲しい。
生物学の哲学に関しては、今のところ日本語で読めるものってのは
ちょっと見当たらないんじゃないかな?
E・マイアの本なんかは、翻訳のひどさに加えて、内容を見ても哲学的には
ちょっとツライものがあるし。
312 :
考える名無しさん:04/04/12 14:49
>>311 あなたとは気が合いそうだ
自然科学の研究者さんですか?
進化論・総合説の立役者の一人であるErnst Mayr (1988)
Toward a new philosophy of biology, 邦題『進化論と生物哲学』
は多少読まれているようですね これはレベルが高いっつーか、専門的過ぎる
311さんはあまり評価されていないようですね 哲学味は薄いのかも
似非科学の線引き問題でときどき俎上に乗せられる進化論に限定すると、
ポパー「ダーウイニズムは検証可能な科学理論ではなく、形而上学的な研究プログラムである」、Dobzhansky T(生物学者)「進化概念のない生物学など意味がない」等の古典もあるが、現代生物学にも耐え得るテキストとなるとどうなのでしょうか
素人向けのエッセイは玉石混交(トンデモ本ほど売れているようだ)、
スケールも小さく広がりがない
私は普段はバイオ分野を小バカにしている(失礼)マクロ生物専攻ですが、
クローン羊・ドリー(1997)以後の自然観も押さえたテキストがあれば有難い
『種の起源』(1859)、DNA二重螺旋(1953)に匹敵するできごと(かも?)
であるドリー以前・以後では根本から自然観が変わって然るべき
無いものねだり ですかね
よって、Sober本 期待大
313 :
考える名無しさん:04/04/12 16:47
>マクロさん
日本だとあまり話題に上らないけど、
ウィルソンの社会生物学をめぐる論争などは?
結局どういう結論に落ちついたのか知りたい。
>>312 私の方は、実は哲学畑なのでちた。
そういえば、ダーウィニズムに関するポパーの評価の揺れ動き(反証可能な科学的テーゼなのか、
それとも反証不可能な非科学なのか?)に関しては、ちょっと前に黒木さんの掲示板に
書き込みがあったみたい。
>>313 社会生物学がらみの話は日本でも(少なくとも哲学業界内では)けっこう盛んだと思うよ。
内田さんの本とかもあるし。
315 :
考える名無しさん:04/04/14 17:49
>>313 結論が書いてあるかも 私は未読
『社会生物学の勝利―批判者たちはどこで誤ったか』
John Alcock (原著), 長谷川 真理子 (翻訳) 新曜社, 2004/01/20 ¥3,990
内容(「MARC」データベースより)
社会生物学の目標と成果を分かりやすく紹介し、スティーブン・グールドら批判者の誤解と曲解を正す。社会科学、人文科学との生産的な対話の道を拓く一冊。
目次
第1章 社会生物学とは何だ?
第2章 社会生物学者が研究すること
第3章 社会生物学と遺伝子
第4章 社会生物学と科学
第5章 科学と現実
第6章 社会生物学者は何を発見したか
第7章 文化決定論の困ったところ
第8章 社会生物学と人間の文化
第9章 社会生物学の実際的応用
第10章 社会生物学の勝利続きを見る
− − − − − − − −
>>314 >ダーウィニズムに関するポパーの評価の揺れ動き
その話しは何かで読んだことがある んー、出てこない
進化論・総合説の理解は大変だからね 自戒も込めて
316 :
考える名無しさん:04/04/14 17:56
317 :
考える名無しさん:04/04/14 19:04
ウィルソン『アリ』って、むちゃくちゃ分厚いらしいですけど、
いったい何が書かれているんだろうか。
ウィルソンがもともと昆虫方面の人だって考えると、
『社会生物学』の着想がなんとなくわかるような気がします。
>>315 ありがとうございます。
勝利宣言かよ!と突っ込みを入れたくなりますな。w
訳者も思いっきりその道の人ですね。
>>316 誰かと思いました。
内井さんの本って『進化論と倫理』ですか?
今はもう入手不可みたいですね……。
318 :
考える名無しさん:04/04/14 23:25
私は、大学時代に数学の位相幾何学を専攻しましたが、著名なポストモダン系の哲学者が大学2年レベルの数学ですら理解していないことがよくわかりました。
とにかく、中途半端に数学用語をつかう自称現代哲学者が多すぎます。哲学者もちゃんと数学を勉強して欲しいと思います。
「知の欺瞞」のなかでも、ふれられていますが、特に不完全性定理に対する議論はあまりにもひどい内容が多いです。
ある種の哲学者は、実はかなり頭が悪いということを正しく認識するために、この本をよみましょう。
そして、変な哲学に熱中する時間があるのだったら、正しく数学を勉強し、それから哲学を学びましょう。
まともに、数学ができる哲学者も一杯いるのだから。
319 :
考える名無しさん:04/04/14 23:40
コピペかよ
320 :
考える名無しさん:04/04/16 11:39
>>314 >ダーウィニズムに関するポパーの評価の揺れ動き
進化学の北斗から見た科学哲学者Poperの評価
太田邦昌(1989)『進化学 新しい総合』より抜粋
本文
“哲学”畑の進化論談義や反自然選択論者の議論の中には、
適応度の定義の仕方の問題も関連して自然選択の理論を同義
反復だとか循環論法だと決め付ける議論が昔からあるが
[注釈5−]、その多くは・・
[注釈5−]近年のものとしては、引用するにも値しない
“哲学”者 Popperの進化論談義や○○のような誤解ばかり
多い素人談義が典型的な例であろう。
本文
分岐主義者(系統分類学の一派)の多くは進化機構論を避け、
半ば居直りながら単なるパターン論に閉じこもる。そして
たまに口を開けば、進化学はおろか、いかなる科学のダイナ
ミズムをも何ら知らないことで有名な科学哲学者Popper
[注釈41−]の口移しで、形而上学だとか科学でないのだと
かいってダーウィニズムと総合説を感情的に非難するだけである。
[注釈41−]何でも反証主義にくっつけるのが得意の彼が、
節約主義(系統樹作成の1手段)の合理化に際しても強引に
その流儀を用いたことは余りにも有名である。また最近では
“ネオダーウィニズム”批判の発言訂正事件が有名である。
− − −
なにもここまで扱き下ろすことはないだろうに 合掌
321 :
考える名無しさん:04/04/16 11:41
>>313, 314
>社会生物学 (少なくとも哲学業界内では)けっこう盛んだと思うよ。
日本の現場は醒めています 申し訳ない
系統・分類学(進化の道筋をモロ描く)や古生物学
(化石屋さん)業界では、知的レベルの高い論争の
一つや二つはあったのかな
日本の生態学業界では表立った学門上の論争など無かったそうです
だか、内なる静かな闘いはあるようだ 局地戦・掃討戦はポツポツ
純粋に生物学的見解の相違なのか、それとも世代間闘争(年寄り:否定派
vs. 若手:支持派)、はたまた個人的感情のもつれに起因しているのか、
わからない
私の身近にも、行動生態学(=社会生物学:現場ではこの言葉は使わない)
を受け入れない研究者はいました アレルギーすら感じている様子 そして
何故か年配の方に多い(55歳?くらいが境界) 一度ある年寄り(今西信者)
から「君の言ってることは遺伝子還元論だ!」とケチつけられた 議論も不
成立 そもそも理解していないのだろうが あと5年、10年もすれば、線香
の煙とともに消え去ることでしょう 合掌
322 :
考える名無しさん:04/04/16 13:10
>>320 これ──いろんな意味で──面白いですねえ。
生物学畑にもポパー好きの人は多いみたいだけど、
この太田さんのポパー批判(というか罵倒)も、「世代間闘争」の一環みたいな
ものだったんだろうか?
というか、そもそも太田さんという人の「人となり」がなんだか今一つ謎なんだけど、
太田さんの周囲の動きについて、Hull の Science as Process みたいな本とか
誰か書かないのかな?
323 :
考える名無しさん:04/04/16 17:26
>313, 321
>日本だとあまり話題に上らないけど、
>ウィルソンの社会生物学をめぐる論争などは?
一般社会への影響も興味深いが、科学者内部での冷めた論争ごっこについて
第三者(哲学畑の人)の研究材料として面白いのでは?
日本の生態学者が社会生物学に対してとった態度を
岸由二氏(生態学専攻)は「鎖国‐黒船‐開国」と評しています
講座 進化2巻『進化思想と社会』(編)渋谷、長野、養老(1992年)東大出版会
辺りを参照されたし
324 :
考える名無しさん:04/04/16 18:40
>>321 世代間闘争とは思われない。
感情も無理解もあるだろうけど、それ以前に視点が違うんじゃないの?
土台を共有したうえで異なる見解が出れば、論争になるんだろうけど、
土台を共有していないから、論争の起きる必然性がない。
だから論争と闘争は違うでしょ
326 :
考える名無しさん:04/04/17 06:02
327 :
考える名無しさん:04/04/17 10:24
>>322 >太田さんという人の「人となり」
速報 太田さん 永眠
以下、クロスポストより
『生物科学』55巻4号が出ました。今回の特集は太田邦昌追悼特集です。
55巻4号 特集:追悼・太田邦昌
鈴木邦雄 巻頭言:「現代生物学論」に向けて 1p
長野敬 掲載されている太田論考について 1p
太田邦昌 近世日本農業の一大文化遺産にして近世生物思想の一大宝庫
―農文協編(1977-2001)『日本農書全集』の完結に寄せて― 16p
鈴木邦雄・三中信宏 太田邦昌主要著述目録 5p
長野敬 太田邦昌とその「世界像」 4p
渡辺政隆 太田邦昌氏追悼 -”物理生物学者”ロトカに魅せられた人- 2p
橋詰和慶 太田氏との12年 4p
宮井俊一 太田邦昌さんの思い出 3p
三中信宏 太田邦昌氏の系統分類学理論-体系学史における位置づけと限界- 5p
鈴木邦雄 太田邦昌君の死を悼む 5p
328 :
考える名無しさん:04/04/17 10:50
生物は頭わるいからなー
329 :
考える名無しさん:04/04/17 11:06
>>326は何を言ってんのか良く分からない(悪いけど)。
てゆうのは、
>>324では、
>世代間闘争とは思われない
てことの根拠として、
視点が違いまふ→論争にならずにダメぽ
ということが言われてるようにしか読めないから。
330 :
考える名無しさん:04/04/17 12:14
キキキの神話
331 :
考える名無しさん:04/04/17 12:20
>>317 >『社会生物学』の着想がなんとなくわかるような気がします。
?
念の為
現場の人間が「行動生態学」者を自称し、「社会生物学」という名称を使わない
理由の1つは、この手の誤解を避けるため
社会生物学(行動生態学)は社会性生物(蟻、蜂)や生物の社会構造(サルの群れ)、
生物社会の進化(チンパンジー → ヒト)を研究するだけの学問ではありません
(非社会性生物、植物も含めた)個体レベルの最適化理論などがメインです
適応度(fitness:繁殖齢まで生き残る子孫の数)を最大化するであろうその行動・生態の
背後に “ 利己的遺伝子selfish gene”( キタ━━(゚∀゚)━━!!!)が暗躍している、
という構図です チト違うかな
>訳者も思いっきりその道の人ですね。
長谷川真理子さん 都の西北の教授で専攻は「性選択の進化」でしたか
木の芽時、周囲の学生や教官に正しい「性教育」を ・・
>>317 >ウィルソンがもともと昆虫方面の人だって考えると、
>『社会生物学』の着想がなんとなくわかるような気がします。
ウィルソンはもともと蟻の研究者だったが、行動生態学系の研究成果を聞いて
「そんな単純じゃねーよ、馬鹿野郎」と思って、蟻の活動をそれで分析できないことを示そうとした。
だがそれに失敗して転向した人。
たぶん、その推測は外れている。
>322
ポパー哲学研究会編『批判的合理主義第二巻 応用的諸問題』
所収の
三中・鈴木「生物体系学におけるポパー哲学の比較受容」
を参照。
しかし、世代間闘争などという寝言を言う奴は無視して、すべての
生物学者が骨子としての利己的遺伝子や社会生物学を受け入れて
いるわけではあるまい。たとえば池田清彦は?
336 :
考える名無しさん:04/04/17 17:50
>世代間闘争などという寝言
て、どゆこと? なぜに
>池田清彦
???
単なるシッタカなのか?
>>335は大方、叱咤かだと思われ
科学の歴史は闘争の歴史なんである
339 :
考える名無しさん:04/04/17 21:09
>324-326
土台は 旧進化論―「種の利益説、ルイセンコ、今西進化論」という擬似科学
新進化論―「総合説、社会生物学」という科学
新旧パラダイムのせめぎ合いや科学論争といった構図ではない。
何故なら、幾つかの指摘があるように、旧進化論は科学のパラダイムではないから。
視点‥? (この場合、何のことだ?)
土台が違うので論争不成立。324の言うように、必然性はない。
しかし扱う対象はいずれも生物進化。
だから論争ではなく軋轢が生じるのだよ 世界が狭いから。
それが年長者対若造という構図であれば、世代間闘争とも呼べる 低次元だが。
古い「信念」(当人は「学説」だと信じている)と共に生きてきた人が、
新興の「学説」を突きつけられたとき(しかも若造から)、とても冷静
では居られまい。物分りの良いジジイになりたいものだ。
んー、何をゆってるのか良くわからん。
「パラダイム」て言い方を持ち出すのも、
いっそう話を混乱させるだけじゃないか?
(なんでルイセンコ説なんて話が出てくるのかも分からない。)
一つだけ言っておくと、
>>339は何か「本物の科学の営みには世代間闘争なんて低俗なものはにゃい」てゆう
前提に立ってるみたいに見えるんだけど、
それはちょとあまりに楽観的とゆうか綺麗事すぎるんぢゃないの?
「パラダイム」ということを言うのであれば、なおさらそうでしょ?
クーン的な考え方からすれば、パラダイム間には結局「闘争」しかないし、
それは概して世代間闘争(古いパラダイムにしがみついた旧世代と
新パラダイムに依って立つ新世代との間の「権力闘争」)という形を取るわけだし。
もちろん、クーンのパラダイム論を全体として認めるかどうかはまた別の話だけど、
こうした知識社会学あるいは科学社会学的な分析自体は、
かなり真実味があるように思うんだが。
341 :
考える名無しさん:04/04/17 23:30
>>334 >三中・鈴木「生物体系学におけるポパー哲学の比較受容」
「やっぱポパーは使えねえーなぁ」てな内容ですか。
入手が困難そうなので要約希望。
>>335 >すべての生物学者が骨子としての利己的遺伝子や社会生物学を受け入れて
>いるわけではあるまい。
科学的に正当なアプローチなら骨子くらい受け入れるべきだろう。
思想信条趣味イデオロギーじゃあるまいし。
>たとえば池田清彦は?
構造主義生物学???の提唱者だと記憶しているが(book offで見た)、今ここでそんな名前出してくるな。社会生物学で頭がいっぱいいっぱいなんだよ
>>340 >それは概して世代間闘争(古いパラダイムにしがみついた旧世代と
>新パラダイムに依って立つ新世代との間の「権力闘争」)という形を取るわけだし。
とも限らないね。新世代は旧世代の書いた本に洗脳されているだけで、
新パラダイムは旧世代から出てこないとも限らない。
いずれにしろ、世代間闘争などいう文言自体が無意味。
>>341 細胞側の解釈系があってこそ遺伝子は複製されるのであって、遺伝子自体は
自己複製できないという構造主義生物学の主張はもろ、社会生物学に対する
批判になっているわけだが?
344 :
考える名無しさん:04/04/17 23:34
そうかな?
ここには す ご い ば か がいるな
パラダイムて言葉を不用意に振かざす香具師はだいたい下らない。
そういうのに限ってクーンの本すらまともに読んでないし、議論するだけムダ。
クーンの本だけ読んで立って仕方ないけどな。
科学史に関心もって勉強しろよ。(十分な知識を習得することは誰にも不可能かもしれないが)
日本語の読解力すら無いのか…
シッタカのクズが来ると、スレがどんどん蝕まれていく。
これも「闘争」なのか…
淘汰しる
どれが知ったか?
馬鹿は徹底放置
放置も闘争の一形態でつよ〜
353 :
考える名無しさん:04/04/18 01:36
「シッタカ」を見分ける(いちおうの)基準
・平気で「パラダイム」とか言う。
・池田清彦&構造主義生物学の話を好む
354 :
考える名無しさん:04/04/18 01:54
「シッタカ」を見分ける(いちおうの)基準
・平気で「パラダイム」とか言う。
・池田清彦&構造主義生物学の話を好む
・超ひも理論が「論証」の最先端、などとのたまう。
355 :
考える名無しさん:04/04/18 02:19
____
/∵∴∵∴\
/∵∴∵∴∵∴\
/∵-=・=-∴-=・=-|
|∵∵∵/ \∵|
|∵∵ /三(u)三| | 要するに、差異ファ覚醒せよ
|∵∵ | ____ | |
|∵∵ | ____ | |
|∵∵ | ____ | | で万万美が露なんだな?
\∵ | === .|/
\|___/
356 :
考える名無しさん:04/04/18 02:22
「超ひも理論」が「この『世界』を全て記述できる(説明できる)」
「理論」であることは間違いありません。
それが『完成』したときに「この世界は・・・」と云々する「哲学」
の存在意義に、「何が残されるか」もう興味が残る(要素)はありません。
357 :
考える名無しさん:04/04/18 12:22
399です 燃料投下してしまったようで、申し訳ない
>>340 >「パラダイム」ということを言うのであれば、なおさらそうでしょ?
だから、パラダイムではないと言っているだろうに。
>「本物の科学の営みには世代間闘争なんて低俗なものはにゃい」てゆう
>前提に立ってるみたいに見えるんだけど、
そんな事、言っていない。
自分>399が文章下手なのは認めるが、>340の文書読解力も足りないのでは?
哲学版に不慣れなので、戸惑ってしまった。
パラダイムという言葉に酔っているような気がする。
良スレっぽいな・・・やはり、生物学関係もフォローしておかんとな・・・
359 :
考える名無しさん:04/04/18 12:28
訂正
ひとつ上↑ 発信者は >399ではなく、 >339でした
360 :
考える名無しさん:04/04/18 13:13
>>357はますます分からない。
「そんなこと言ってない」という一点張りで、
「何を言いたいのか」が依然として明確になってないから
議論のしようがない。
361 :
考える名無しさん:04/04/18 13:35
「今西進化論」とか「パラダイム」といった言葉は
このスレではNGワードにした方がいいと思う
まあよく知らないけどさ、
David HullのScience as a Processで描かれているような
分類学というか体系学の中での覇権争いなんかは、
典型的な世代間闘争なんじゃないの?
「世代間闘争なんて寝言」だとか言ってる人は
そういった動きを考え合わせた上で言ってるの?
363 :
考える名無しさん:04/04/18 15:11
>>340 >(なんでルイセンコ説なんて話が出てくるのかも分からない。)
戦後の日本の生物学界を支配した世代のイデオロギー 右の今西、左のルイセンコ
年配の先生に聞いてごらん
両者とも全体主義でしょ それが「種speciesの利益」説と相性がよかった
そこに「個の利益」説を全面に掲げた「社会生物学」が登場
ときに遺伝子還元論と揶揄されることもあるが、研究者集団には論争らしい論争もなく広まった、とさ
>>341 >構造主義生物学の主張はもろ、社会生物学に対する
>批判になっているわけだが?
トンデモの領域を出ていない 脱構築して出直したほうがよい
>361
NGワード 賛成
>>363 >トンデモの領域を出ていない 脱構築して出直したほうがよい
なら、DNAはDNAだけで自己複製できるか? できまい。それは細胞あってこそ可能なのだ。
であるなら、利己的遺伝子の考え方の方こそトンデモではないのか?
まさにドーキンスら主流は遺伝子還元論でしょ。
それに異を唱えてるのが故グールドであり、レウォンティンであり、
構造主義生物学の一派なんだよ。
実際、この領域での論争は目立たないが、深いレベルでの生物学者
間の対立が存在すると思う。
それから、今時分、今西進化論やルイセンコ論争のような
前世紀の遺物なんか持ち出さないでくれる?
367 :
考える名無しさん:04/04/18 15:50
>>362 David Hullは「Science as a Process」(1988年)という本の中で、
分類学での学派間の論争の過程を記述し、学説や論議の誤りを指摘でき
たのは、ほとんど、その学説の主張者や賛同者ではなかったという指摘
をしている。― ある本のコピーです
ここでは論争が成立していたようだ。
だれか、論争と闘争の違いを定義してください。
その前に質問 闘争という言葉は特別な科学哲学用語なのでしょうか?
○○主義を彷彿させる言葉だから過剰に沸騰するのかと考えてみる。
>>367の要約は不正確だよ。
ハルは、例えば学会誌のレフェリングの行なわれ方だとか、
あれこれ詳細に調査をして、どのようにして(「論争」ならぬ)「闘争」が
行なわれたのかを跡付けてる。
ちなみに、「闘争」てのは「論争」と同じで、別に特別な科学哲学用語じゃないと
思うよ。
(少なくともオレ自身はそのつもりで理解して使っている。)
>>365 >まさにドーキンスら主流は遺伝子還元論でしょ。
この程度の理解だと(悪いけど)お話にならないと思う。
シッタカと呼ばれてもしょうがないんじゃないの?
だいたい社会生物学の話とかしたいんなら
こんなとこでシッタカしてるより、生物板にでもいけよ
あとそれから、
>>367 >だれか、論争と闘争の違いを定義してください。
てことだけど、だいたいが「論争」についてだって手っ取り早い定義は見つかりそうに
ないから、その違いを定義するのも難しいけど、
オレ自身は大雑把には、
ある程度の前提を共有した上で、お互いに認めるような手続きにしたがって、
互いの対立する意見の正否に関して議論を交し合うのを「論争」と理解してるし、
そうした──「正当性」に関して相互に合意が得られている──手続きとは外れたところで
行なわれるやり取りを「闘争」という風に理解してる。
もちろん、これはまだ曖昧な言い方ではあるけど、ともかく、
例えば
>>340で「パラダイム間には闘争しかない」といったようなことを言ったのも
差し当たってはこうした理解に立ってのこと。
なんかアホらしくなってきた
>>369 > これだけでシッタカと決めつけるようでは何でもシッタカとしか思えないだろう。
>>372 仕方ないだろ。厨房や工房が学者のフリして書き込む場所なのだから。
375 :
考える名無しさん:04/04/18 20:51
もういいよ
なんかもう何も言う気が無くなってきた。
というわけで旅に出ます。
さがさないでください。
376 :
考える名無しさん:04/04/19 15:18
東洋哲学、西洋哲学というように区別する事はできるのですか?
東洋と西洋に限らず、宗教観の違いは哲学観をも別け隔てるだろう。
378 :
考える名無しさん:04/04/19 17:06
>>368 >ハルは、例えば学会誌のレフェリングの行なわれ方だとか、
結構、薄汚いことがあったんですね。
で、ハルはそれ(露見したら恥ずかしいこと)を肯定しているの?
379 :
考える名無しさん:04/04/19 17:15
肯定
380 :
禿スレ異?:04/04/19 17:34
とりあえず長谷川夫妻『進化と人間行動』(T大出版)を買ったんですが、
行動生態の入門書として良い感じなんですか?
381 :
考える名無しさん:04/04/19 20:11
>380
二人とも一流の生態学者で、いろんな意味でバランス感覚もよし。
期待して良いのでは。
382 :
考える名無しさん:04/04/19 20:44
>380, 381
本業はもちろん、理系と文系の橋渡しにも熱心だね
>378, 379 肯定
「談合や天下りも現実に機能しているから」と同じ意味合いで?
385 :
考える名無しさん:04/04/19 23:33
門外漢ですが
かつて、アインシュタイン(相対性理論)と量子力学一派がガチンコで勝負したそうですが、
そのとき論争は成立したのですか?
386 :
考える名無しさん:04/04/20 01:23
アイ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ンシュタイン!!!!
387 :
考える名無しさん:04/04/20 11:29
>>387 俺は読める。
コピペしてアドレスに張ったら?
389 :
考える名無しさん:04/04/20 23:38
>>383 そうなんですか にわかには信じられない。おとぎ話しのようですね。
私の知る学会も敵意や憎しみに満ち溢れているが、なにも機能してない。
390 :
考える名無しさん:04/04/24 00:31
放送大学 FM77.1 野家啓一 科学の哲学 放送中
391 :
考える名無しさん:04/04/24 00:53
_____________
∧_∧ /
( ) < ウザイと思うなら無視すればいいだろ
(⊃ ⊂) \_____________
| | |
(__)_)
クルッ ______________
∧_∧ /
( ・∀・ )彡< お前がいつも家や学校でされてるようにな
⊂ つ \______________
人 Y
し (_)
>>385 詳しくは知らないけれど、議論は成立していて、
頑ななところもお互いあったようですが、感情だけに流されたりはしなかったみたいです。
アインシュタインの量子論に対する反例に対して
ボーアが相対性理論を用いて、説明したりということもありました。
>>392 ちゅーか、感情だけに流されるってのは「単なる罵詈雑言のみ」って意味?
だったら、そうでないのは当たり前でなかろうか。
>>393 そうですね。そう思います。
議論が進んで、色んな話ができたのは、
お互い実力のある学者だったからでしょうね。
395 :
まったりと感動した。:04/05/04 17:21
……私の場合は、まず数学をなぜやったかと言われると、
何にも確かなものがないけど数学はうそをつかないだろう、
数学の論理ぐらいはたしかなものだろうと思って数学をやったんです。
その影響は私の先生岡村博先生(1905-48)からきています。
ものすごくロジカルな人で、もう絶対に人との約束をたがえないし、
きちっと論理を組み立てて数学をやられる。
あるときに、先生になぜそれだけきちっとしているかと聞きますと、
論理ということについて説明されたんです。
<論理というのは人と人とをつなぐものである。
つまり論理がなかったら人間と人間というのはなかなかわかりあえないのを、
論理というものは少なくともつなぐものであると。
だから大切にしなくてはいけないし、
論理をもてあそんだらいかんのだ>
というようなことを言われた。
残念なことに、この先生は、政府が食料はこれだけでいいということを言ったので、
その論理を信じられて、一切闇買いというものをしなかったから、たちまち栄養失調になって、
それが原因で、戦争がおわって三年ぐらいでなくなられたんですけど。
村田 全編 『学問の中の私』 玉川大学出版部 24〜25頁 山口昌哉氏の発言より抜粋。
<>内の信念は、大枠において、
デイヴィドソンやグライスにも共有されていると言ってもいいでしょうか?
このような信念は、ソクラテスにも抱かれていたと言ってもいいでしょうか?
カントの倫理学は、厳格であるとともに論理<的>だと言ってもいいでしょうか?
396 :
考える名無しさん:04/05/04 18:59
晒しage
世の中の人がすべてその信念を持つべきであると考えること、それは宗教。
時代背景である国家神道も考えての上でのコピペなら、低質な刷込作業になるね。
残念ながら。
398 :
感動してはならなかった?:04/05/04 22:19
そもそも、なにかを分かり合おうということが宗教的なことかもしれないですね。
国家神道が数学や論理を重視したなんてことはないですよね?
国家神道の教義を刷込むことにより、論理的になったりするのでしょうか?
岡村博という方の死が、国家神道の刷込みによるものだったということでしょうか?
▲▲▲ プラスとマイナス ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
時(運動)は流れて変化(分裂、融合)を生じます。
質量。つまり重力ですが、これも電磁、光熱などと同様に【宇宙の変化
の一環】に他なりません。宇宙ではこの重力という実体の無いものの働
きにより分裂と融合が行なわれます。
【重力といのは対天体に働く二つのベクトル↓↑です】
現在物理学では重力には引力しかなく、反重力はないとされていますが
これは誤りです。
A水蒸気 B熱気球 Cロケット
a地球
一般にはABCの動きを反重力とはいいません。例えばBとCではまるで
別物の力の働きだとしてみてしまいますが・・・確かにその通りです。
しかし別物と認識するにはB対C、C対Bであり、対aつまり対地球的な視
点ではないのです。重力の考え方は対地球的でなければなりません。
人はロケットをロケットとして認識しますが、そのような認識を必要とす
るのは人位なものです。宇宙の原理を知るにはそのような認識は必要
ではありません。対地球的な視点に立てばロケットも単なる物体(個体・
有)でしかないのです。そしてその物体と地球の関係は二つのベクトルに
よって成り立つのです。
引力が発生するには必ずその反発力(反重力)が存在します。雨が降る
には水蒸気となって上がった過程があります。リンゴが落ちるのはリンゴ
の木が引力に逆らい成長し、地中の水分を吸い上げた結果なのです。
熱気球だから、ロケットだからといって地球との関係に特別な数式は必要
ないのです。現在の物理はこれらの考え方を無視していますが果たして
無視していいことなのでしょうか。物理では電磁と重力はまったく別物でま
るで統一できないというようなことを聞いたことがありますが・・・どちらもこ
の宇宙の変化の一環なのです。数値にしてもプラスとマイナス。マイナス
は【プラスの反】なのです。
http://aa4a.com/chichannel/過去投稿一覧8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
401 :
考える名無しさん:04/05/04 22:51
十二使鳥=ポン中山
========================
================================================
創価学会員が奇妙な「哲学」を披瀝しています。
硯学の皆さん、この男の曲学を正してあげてください……。
↓
大切な想いをあなたに伝えたい/創価・公明@2ちゃんねる
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1083426009/ >名前:希水 ◆O5iHeCraTI 投稿日:04/05/02 01:36 ???
>現在の私たちには「知識」と「知恵」の調和こそ急務です。
>その知恵の源泉こそ妙法であり、この情報化社会という
>荒海も信心という無量無辺の知恵の舵で……
>第一に大切な点は「全体性」もしくは「連関性」です。
>深層心理学や生態学の成果が明らかにしているように
>人間と人間、人間と自然・宇宙との関係を追っていけば
>つながりは無限に広がってゆくでしょう。
>小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)とは……
========================
================================================
>>402 女性の方のようですよ。そっとしておきましょう。
▲▲▲ 光熱 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
★熱力学第二法則・熱は自発的に冷たい物から熱い物に流れることはない。
|―――― │───
|高|低| │ │ │
| → | │同 温│
|温|温| │ │ │
――――| ────
物理では熱力学第二をいろいろな形で説明していますが、その内の一つ。
A:高温の物体と低温の物体を接触させると高温から低温に熱は流れるが
低温から高温に熱は流れることはないと物理では説明しています。
確かにサーモ何とかというやつで赤い部分(高温部)の流れを見ると青
(低温部)に流れ込みます。しかしこれは【熱を熱いもの】であるとした場合
であって、【熱を冷たいもの】と仮定すると青が高温部に流れ込みます。
実は熱というのは【熱い、冷たい、をひっくるめて熱】なのです。
よって【熱の流れは熱くもなり↑寒くもなる↓】ということがいえます。
夏になれば・・・冬になれば・・・・・・当たり前のことです。
B:次に高温と低温の二つの物体を接触させておくと同温になり、高温と
低温に分かれることはないと物理では説明しています。
確かに常温の実験室で考えるとその通りです。しかし夜一定の温度を持っ
た岩が朝日を浴びると境界線こそはできませんが高温部と低温部になり
ます。宇宙空間においてはもっと温度差が出るそうです。自然現象というの
はあいにく実験室みたいな常温ではないのです。
熱力学第2はすべて人間の勝手な基準設定により成り立っています。
これに関連するものにエントロピーがありますがこれも【閉鎖系】が前提
になっていますが本当に熱を閉じ込めれるものなのでしょうか?南極に
魔法瓶にお湯でも入れて持っていけば解るでしょう。
★熱力学第一法則・熱は運動エネルギーである。
これも糞にあたります。仮にこの世に熱が無いにしても磁気や重力で運
動は起こります。それに対し、時間が無ければ運動は起こり得ません。
運動に直接結びつくのは時間なのです。そして熱は光なのです。
http://aa4a.com/chichannel/過去投稿一覧8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
406 :
考える名無しさん:04/05/05 01:42
こら、鳥。
コピペにしても間違いくらい直せ。
閉鎖系では熱のお出入り自由。
エントロピーを増やしたいなら孤立系の中にハマってろ!
相手にしてはいかんな。
▲▲▲ 統一 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
小物のボーア君も東洋哲学をしてたそうで・・・・・老子を引用します。
★老子 第40章 (中国の古典2 麦谷邦夫訳 学習研究社)
根源に立ち返るのが道の動きで:、柔弱なのが道の働きだ。
この世界の万物は有から生じるが、その【有は無から生じる】のだ。
よく問題にされる[有は無から生じる]を解りやすく現しているのが交流発
電機で、磁石【SN、NS】をくるくる回すだけでコイルに電子が発生します。
磁気というものには実体といえるものはありません。その実体のない磁気
【無】が実像的な電子【有】を生み出します。ビックバン説などのように何も
ないところから物体が生まれるというのとは違います・・・の訳がない。
重力にしても熱気にしても同様でこの実体のないものの働きにより実像的
な現象を生み出すのです。[参考・・・重力
>>399-400光熱
>>404-405]
軽軽熱熱S S
↑↓↑↓↑↓
重重冷冷N N
★第42章
道が一気【↑】を生じ、一気が陰陽二気【↑↓】を生じ、
陰陽二気が交わって陰陽冲和の三気【=】が万物を生み出す。
万物は陰気を背負い陽気を抱き、冲和の気によって調和を保っているのだ。
一気というのは【一つの方向性、時間(生命)】のことでですが時間には実
体はありません。その実体のない時間が実像的な【運動】を起こします。
一気を宿したものはやがて陰陽二気、つまり実体のない二つのベクトルを
生み出します。つまり物理的には【陰気を有した雌】と【陽気を有した雄】
との間で【融合と分裂】という【変化】を起こします。変化は全体に対する個
というものを決定づけるものであり、それは全体の時間(ひとつの時間)に
対して固有の時間というものを決定付けるものでもあります。
重くなれば(↓)大地に融合され、軽くなれば(↑)大地から分裂し、冷たくな
れば(気体→液体→固体)融合され、熱くなれば(固体→液体→気体)分裂。
さて、同極は引き合い、異極は反発するという現象こそは見ることができ
ますが、磁気でも↑↓で融合と分裂が本当に起こるのでしょうか?
これは極微の世界で認識することができます。対消滅と対発生です。
二つのベクトルは、分裂する時、融合する時に、起こります。しかし分裂し
た後、融合した後、は【気の変動はなくなり冲和(=)】されます。
観測というのは観測対象となるものの磁気変動をとらえ、その磁気変動が
観測者側に実像を生み出すのです。よって磁気変動がなくては観測でき
ません。それがあたかも物体が真空に対消滅したり、真空から対発生して
見えるのですが、これはただの融合と分裂なのです。
何もないところから物体が発生したり、消滅するわけがない。
自然界に存在する4っつの力?熱はどうする?生命は?生命だって自然
界に存在するもの。物理学の統一理論はまるでダメ。未だ電磁と重力すら
まとめれない始末。つまり理がないからいつまでもまとめれないのである。
人も時間(魂)を宿し変化を成します。【この世は有と無からなる】のです。
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
========================
================================================
哲学板住人vs創価学会員「希水」
静かなバトルが始まっています。「祭りの予感」
↓
大切な想いをあなたに伝えたい/創価・公明@2ちゃんねる
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1083426009/ カルト信者の「インチキ哲学」を紛糾しましょう。
>名前:希水 ◆O5iHeCraTI 投稿日:04/05/02 01:36 ???
>現在の私たちには「知識」と「知恵」の調和こそ急務です。
>その知恵の源泉こそ妙法であり、この情報化社会という
>荒海も信心という無量無辺の知恵の舵で……
>第一に大切な点は「全体性」もしくは「連関性」です。
>深層心理学や生態学の成果が明らかにしているように
>人間と人間、人間と自然・宇宙との関係を追っていけば
>つながりは無限に広がってゆくでしょう。
>小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)とは……
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▲▲▲ デジアナ ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
近年やれアナログだ、やれデジタルだと言われるようになりましたが、
アナログ録音にしても何らかのデジタルの要素があり、同様にデジタル
録音にも何らかのアナログの要素が存在します。
例えばデジタルの場合、0と1をONとOFFとし、ファラデーの電磁誘導を考
えれば簡単にアナログ(↑↓)の存在が認識できます。
アナログの場合はこの逆で二つのベクトル(↑↓)が0と1、つまり雄と雌を
つくりだすのです。
デジタル(0、1)=有=♂♀
アナログ(流れ)=無=↑↓
デジタルにアナログ。これは【基準】のとりかたの違いであり、その基準の
違いにより【質】は変わります。しかしその【用】は同じなのです。
この世は有と無より成るのです。
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413 :
考える名無しさん:04/05/07 20:37
分析哲学を中高で必修にすれば日本は論理が通る良い国になるだろう。
論理を通すのは誠実な態度であり、断じて論理学的素養ではない。
415 :
考える名無しさん:04/05/07 21:20
>>385 結局、アインシュタインは「量子力学を理解できない老科学者」って評価になったようだから
恐らく、議論は噛み合わなかっただろうね。
論理を通すってのは論理学的素養ではないが、誠実かどうかは
分からんな。
でも論理学がわかれば、フロイトやマルクスに引っかからないと思うぞ。
マルクスもフロイト(フロイトは米では流行ってたか)も英米ではあんまり
流行ってない。
418 :
考える名無しさん:04/05/07 22:45
>>417 「英米が真理」なら別だが、そうではないだろう。
英米で共産主義やファシズムのような全体主義が流行らなかったのは「アングロ・サクソン古来
の自由」が束縛されるのが嫌だったからじゃない?
▲▲▲ 整数と分数 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
http://aa4a.com/chichannel/過去投稿一覧8/29【2千5百年の眠りから】
速度というのは時間や長さ重さといったものと比べると人的要素の強い
量といえます。計算をしなければ値がでなかったり、ものさしとスピードガン
とを比べても分かると思います。
さて、光速(熱速)ですが。【実は光速には速度はありません】
光速=無
音波=振動
水波=上下動
上記を見れば分かると思いますが波(光も波とされている)には速度の
値に相当する空間位置の移動というものが無いのです。例えば音速が
秒速350mとすると、何が秒速350mもの速さで移動するのか考えてみれ
ばわかると思います。音を伝えるのは空気ですが、空気が秒速350mで
移動してるのではないのです。ましてや光となると、媒体するものすら無
いのですから速度の概念がまったく当てはまらないのです。
次に【光速というものには相対性がありません】光速=約30万q/sという
値ですが、これは分数のプロセスを持った部分的な値なのです。値という
ものは【一点(個体)基準の整数】と、【全体(気)基準の分数】があるのです
が、光速の場合は全体基準の値より成り立っているのです。
光(熱)は水面にできる波紋と似たようなものです。波紋というものは全
体に広がります。一昔前、地球の裏側のチリで起きた津波が日本にきた
こともあります。TVで糸電話はどこまできこえるのか?という疑問に答え
るべく実験をやったのを見ましたが、それに対し専門家は「せいぜい2、30
m位だろう」と答えましたが確か7/800までいって糸が切れこれが記録と
なりました。気の遠くなるような何万光年という所からでも光は届くのです
が、もともと伝達というものは全体に広がるものなのです。光の速さを測
る実験ではよくもこんな方法を考えたものだと関心しましたが、この実験
ではレーザーが使われています。一見、レーザーは集中的なもので全体
とは無縁に感じますが、垂直方向からも線状に見えます。しかしその見え
ること自体が垂直方向への広がりをも示しているのです。
変化(光)ははるか遠くの物にも変化(光)をもたらします。さて光速=約30万
q/sという値ですが、これは全体に広がる伝達時間(分母の数値は不確
定)を1秒で区切ったというもので、簡単にいってしまえば先程も述べまし
たが【全体基準】の分数です。速度も分数の数式で表せますが、その値は
一点(0)基準の整数になります。時間は時間で等分できても、距離は時間
では等分できないのです。一個のリンゴは5秒という単位で区切ることは
できません。
【基準の違いによりその本質は変わります】。一点基準の速度(整数)で
したら確かに相対性はありますが、全体基準の分数には相対性はありま
せん。しいていえば分数の性質は一定(等分)です。ものさしの目盛りが一
定でなかったら困ります。
相対性理論というのは光速を速度だとし、一定の値を示す光速に対し、
速度は相対的であるはずだとして理論を展開していったものなのです。
つまり観測結果(一定)を捻じ曲げ、空間を捻じ曲げ、帳尻を合わせたもの
といえます。
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423 :
考える名無しさん:04/05/08 07:13
>>417-418 おいおい。
英米は精神分析の本場。
どこでそんな間違った情報を?
精神分析は治療同盟を基本としており、理論が統計的手続きによって組み立てられるわけではない。
だから科学的ではないだけで、精神分析理論を科学的な仮説として扱えないわけではないんだが。
ポパーが論った点も、別のポイントだったはず
アメリカ合衆国で精神分析を非科学にしたがる人が多いのは、
精神分析にハマる一般人があまりに多いためじゃないかな。
424 :
考える名無しさん:04/05/08 07:16
>>423で、もちろん精神分析理論を徹頭徹尾、科学的に扱いうると述べたわけではないです。
▲▲▲ 足し算 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
人体を小宇宙と表現している人を見たことがありますが、宇宙も人体も変
わりありません。一つの時間(全体、人体)は個々の時間(個、細胞)からな
り、個々の時間(個、細胞)は一つの時間(全体、人体)を成り立たせます。
Y
光h /
のh /
伝h /
達h /
時h /
間h/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
距離 X
X軸をみればわかると思いますが何万光年離れていても0時間、
つまり現在というもので宇宙も繋がれています。
同時性を示すのはこのグラフだけで十分ですが・・・
時速100q(V)のボールを時速50q(υ)で走ってる車から進行方向に向か
いボールを投げるとV+υで時速150qとなります。しかしその時速50qで
走っている車のヘッドライトの光(c)の速さは【+υ】とはならず【c】となりま
す。なぜ+υにならないのでしょうか?このことを言い換えれば【自然はυ
を受け付けない】といえます。
υ、つまり速度とは[ある物体について、その質点の単位時間内に移動する
距離と、向きとを同時に示す物理量]ですがネックは単位時間にあります。
宇宙時間には現在しか存在しませんが、人間の考える時計時間というの
は存在しない過去や未来もいれて【量化】していることです。この人間が
作り出す存在しない時間量を自然は受け付けないのです。
グラフで示すとおり光速とは、物体の空間位置関係(距離)を現在という宇
宙時間で結び(X軸)その上に反応時間(伝達時間)が乗っかただけのもの
なのです。【瞬間瞬間の現在ゆえ】速度υは加算されないのです。
進んでいる時計は針を戻して合わせればいいのですが宇宙の時間は戻
せません。頭を打って何日も意識を失っていた人にカレンダー(時のもの
さし=時計時間)を見せて「今日はいつだ?」と聞いてもわかるわけありませ
んが、意識を失っていた人は現在という宇宙時間を認識します。
時計の針の示すものは明石もあればグリニッジもあります。つまりその示
すものは人間が勝手に作った基準からの標準時なのです。しかし宇宙の
示す時間はいつでも現在という一つの時間なのです。
相対性理論を見ますと原子時計やら光時計やらでてきますが本質の違う
ものを持ち出して何がわかるというのでしょうか?
アホのアインシュタインは絶対時間を否定しましたが、宇宙は一つの時
間より成り、その一つの時間は個々の時間より成り立っているのです。
http://aa4a.com/chichannel/過去投稿一覧8/29【2千5百年の眠りから】
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>>423 ポパーが言ってるのは精神分析はトートロジーってことじゃなかった?
「人間は〜という性向を持っている。〜という性向がないとすれば、それは抑圧されていて
出てこないだけだ。」
って感じ。
429 :
考える名無しさん:04/05/12 01:17
>>428 それはポパーが擬似科学であることを示すために精神分析を単純化したものではないか。
実際は治療につながっていくのだから、「抑圧」と無責任に言うだけでは済まないだろうし。
ポパーはフロイトの精神分析やアドラーの個人心理学が科学的ではないという根拠が欲しかっただけで、
その理論が無意味であることを言いたかったわけではない(むしろ重要性を認めている)。
ところで、アドラーの方法が科学的だったら、
ポパーが反証主義を思いつくこともなかったんだろうな。
430 :
考える名無しさん:04/05/12 03:17
>>428-429 ソーカルの追随者として有名な(?)ブーブレスの
『ウィトゲンシュタインからフロイトへ』を思い出した。
そこでは、フロイトが、臨床の実践によって、
自らの理論を批判して(発展させて?)いたことが強調されていた(と記憶にある)。
>428
「人間は〜という性向を持っている。〜という性向がないとすれば、それは抑圧されていて
出てこないだけだ。」
この文のどこがトートロジーやねん、とつっこんでもよかですか?
「原理的に反証不能」とトートロジーをごっちゃにしてはいかんぜよ。
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>>420-422>>425-427で相対性理論の理論を否定しましたが、
観測より成る(理論ではなく)数式自体は多分問題ないでしょう(俺は知ら
んが)これはニュートン力学
>>399-400も同様です。プラスとマイナスが
あってプラスが引力、マイナスは反発力ではない。とする説明がダメなだ
けで数式自体は有効です。ぶっちゃけた話、数式は帳尻があえばいいの
です。説明が立派でも帳尻の合わない数式は糞といえましょう。
数字を駆使してこの宇宙を解明しようという人達もいるようですが、プラス
とマイナス、整数と分数、そして足し算の意味すら気づかない人達にその
ようなことができるでしょうか。数学は【自然の法則】というよりはほとんど
が【人間の法則】です。数字なんてものは人間が滅びれば数字も滅びま
す。帳尻の合う立派な数式も糞と化すのです。
しかし数字よりも更なる根源、【量】であったらどうでしょうか、
人間が滅んだところで犬や猫も【大きい、小さい】を認識するのです。
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>>430 ブーブレスってソーカルの追従者なの? ソーカルよりずっと前から
フランス現代哲学を批判してたように思うが。「追従」ということの意味を
誤解してたら申し訳ない。
失礼。「追従」ではなく「追随」の間違いでした。ゴメソ。
435 :
考える名無しさん:04/05/14 00:12
>>433 430ではないが。
ブーヴレスの有名になったのが、ソーカルがらみということではないか?
ラカン以降のペダントを批判してただけでコレージュ・ド・フランスの教授になれたすごい人、
とポスモダ関連スレに書いてあった。
amazon.comの売れている順番だと、現代思想批判色が強いほどよく売れ、
彼自身の哲学が多めの唯一の本がいちばん売れていない模様。
ドンマイ、ブーヴレス。
> ラカン以降のペダントを批判してただけでコレージュ・ド・フランス
> の教授になれたすごい人
う〜ん、これはいくらなんでもひどいと思うけどな。確かに日本に紹介されてる
のはその手の仕事がほとんどだけど、この人はそれ以前に膨大な量の堅実な
仕事をしてるからなあ。石黒ひで先生もWittgenstein研究者としてのブーブレス
を高く評価してたし。
膨大な仕事量のほんの一部にすぎないポストモダン批判で評価されてしまう
のは、あまりにかわいそうな気がする。
日本は世界一のポストモダン大国?
▲▲▲ 量の起源 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
人々は宇宙を途方もなく大きいものだと認識していますが、実は宇宙は
とても小さいものなのです。
ネズミは人間から見れば小さな生き物ですが、ダニにしてみればネズミ
は大きな生き物です。そしてダニから見た人間は途方もなく大きなものな
のです。その途方もなく大きな人間も鯨から見れば尻尾の先でしかありま
せん。その鯨も・・・ 実はこの宇宙というものは神様の鼻くその一部でしか
ないのです。【我々人間は大きいものを大きいと認識して、小さいものを小
さいと認識していますが、果たしてそれらは真に大きいものであり、真に小
さいものなのでしょうか?】
【この世は有と無から成ります】
まず、何も無い空間。その空間には大きさも重さも何もありません。
全ての【認識は不可能】です。
次にその何も無い空間に一点の有(物体、個体)をイメージします。
そこから【認識は始まり】ます。
無(空間)は有(物体)に働きを与え、有は様々な現象、実像を起こします。
一点の有には一方向の時間(無)という実体の無いものの働きにより運動
(有、変形)が起こります。
時間を宿した有はやがて二方向の実体のないものの働きによりAとaの
二点に分裂(有)されます。
Aとaの分裂は新たなる個々の時間の発生を意味しますが、同時に一つ
の全体の時間というものにAとaは繋がれています。
A★ ★ B★ ★
さて、AとBの星から星までの距離はAは→Bより距離が短く、Bは→Aより
距離は長い。といえますが、このAとBの量の違いは空間(無)の違いでし
かありません。しかし空間(無)そのものには量はないのです。何も無い空
間に二つの星(有)が存在することで、始めて量としての働きが生まれます。
重さ(地球と林檎)にしても同様で【量は空間(無)と二点(有)で決まります】
二点の内の一点(基準)は我々個々に存在しています。
その(人間)基準から見れば宇宙は間違いなく大きいものなのです。
【我々人間は大きいものを大きいと認識して、小さいものを小さいと認識
していますが、果たしてそれらは真に大きいものであり、真に小さいもの
なのでしょうか?】この愚問には基準が存在していません。量の認識は
不可能。となります。
そしてこの逆が人間の言葉でいう【無限】です。基準は存在しても量を決
定するもう一点がないものです。
【無】は限りがありません。大きくも小さくもなく、広くもなく狭くもありませ
ん。しかし人間は量があるかのごとく無限【大】などとして形容します。
無限に大きいものは存在しません。分かる範囲のみが量として成立する
のです。つまり量は【有限】なのです。
http://aa4a.com/chichannel/ 8/29【2千5百年の眠りから】
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
442 :
考える名無しさん:04/05/18 00:12
自然科学の人間は科学哲学を知らなくても困らないだろうけど、
妄説がしばしば蔓延る社会科学や人文系の人間には必須だと思う。
443 :
考える名無しさん:04/05/21 21:58
森本浩一『デイヴィドソン』NHK出版が出ましたね。
あとは、飯田隆『クリプキ』か……。
ブーヴレスさんは誠実な科学哲学やウィトちんの研究者なんでしょ
ポモ批判のファッションで消費される現状は本人はやるせないだろうね
かわいそう
おれも一冊買って読むことにするよ